ガールズ&パンツァー 7人の戦車長 (俳吟)
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本編
1回戦 ヨーグルト学園戦


戦車道の大会に学連選抜みたいなチームがあったら。
そんな設定のIF物語です。




 重戦車の車長席で、作業服姿の少女がため息をついた。

 

 目の前の砲手席に当たらないようにして、気怠げに小さく足を振る。座っている砲手も、90mm砲の砲架を挟んで反対側にいる装填手も、同様にくたびれている。車長席からは殆ど見えないが、車体に座る操縦手と機関助手も同じだろうと、彼女は思った。

 

 この窮屈な車内にいることが不服というわけではない。快適とはいえないが、戦車道を嗜む彼女たちにとっては、むしろ楽しみにもなる。ましてこの重戦車──ARL 44は、欠点はあるものの優秀な性能を持ち、また彼女たちが常日頃から整備に勤しんでいることもあって、非常に愛着をもって受け入れられているのだ。普段なら、実に嬉しそうに乗り込んで訓練する姿が見られただろう。

 

 だが、今の彼女たちは疲れていた。試合開始から2時間、緊張状態をしいられたまま待機を続け、精神的に疲れ切っていた。

 

『レジスタンスより各車へ。本当にこのまま待ち続けるの?』

 

 車長は動きを止め、おもむろに無線を入れた。味方の車種はみな別々だが、試合前に無線機の供与と調整をしており、通信系は確立している。返答はすぐに無線に乗った。

 

『ファシストからレジスタンスへ。相手が来ないならそうなるな。どうぞ』

 

 ヤークトパンターからの涼しい声に、むぅ、と眉を寄せる。

 

『さすがに暇になったというか、戦力を無駄にしている気がするんだけど』

『紙装甲からレジスタンスへ。今日会ったばかりの私たちに連携は無理です。先ほどの話し合いのとおり、時間切れに持ち込んで一騎打ちを狙いましょう』

『こちらパスタ。紙装甲の言うとおりや。去年はえらいめにおうたし』

 

 四式中戦車とP40からの否定的な意見を聞いて、車長は諦めたように『了解』と小さく返した。彼女自身一度は納得したことではあり、また多数の戦車が待ち伏せする場所へ単独で攻め込むほど無謀な性格でもなかった。防御中心の戦術に定評のあるヨーグルト学園が相手では、尚更である。

 

 通信が終わると、車長はもう一度ため息をついた。敵が来る兆候があるまでは、このままずっと待機が続くだろう。勝つためには仕方がないとはいえ、気が滅入るのには変わらない。と、そのとき、彼女は砲手と装填手が振り向いて様子を見ていることに気づいた。そして、二人の顔を見ると、

 

「……外に出て休憩しよ。どうせしばらく来ないだろうし」

 

 そう言って、彼女は率先してハッチから車外へと出て行った。

 

 第63回戦車道全国高校生大会の第一回戦。全国高校選抜とヨーグルト学園の試合は、完全な硬直状態となっていた。

 

 

 

 

 高校生大会において選抜チームの参加が始まったのは3年前のことであった。近年の戦車道の人気衰退による参加校の減少が問題視され始めた時期であり、このとき特に注目されたのが、他国との協力関係を持たない高校──いわゆる独立校からの参加校の少なさだった。こうした学校では戦車の維持管理すらままならず、また試合できるほどの車輌や選手が揃わない限り出場は許されないという暗黙の了解が形成されていたこともあって、更に戦車道履修者を減らしていくという悪循環に陥っていた。

 

 それに歯止めをかけて長期的には参加校の増加を促し、ついでに手っ取り早く参加チーム数を増やすことを目的として、選抜チーム制度は導入された。全国から優秀な選手を集めるこの制度は、これまで大会での成績という点では振るわなかったが、それでも独立校における戦車道の振興には一定の成果があり、春頃に行われる選抜戦に参加する生徒の数は年々増えている。

 

 中国・四国地方の代表で広島県出身、ARL 44の車長を務める平野はつみも、そんな生徒の一人だった。

 

「よっ、と」

 

 砲塔上面に出ると、青空と緑の平原がまず目に映り、そよ風が彼女の髪を揺らす。他の乗組員がハッチから姿を見せたのを確認すると、はつみは殆ど無意識のうちに自車に目を向けた。砲塔の右側にあるアメリカ製の無線機とアンテナ、フェンダーがなくむき出しになっている車体の履帯、厚みのある装甲、そして何より頼もしい長砲身の主砲。混迷な時代の下で開発が進められ、フランスの戦車開発に過渡的な役割を果たした重戦車。彼女は目を細めると、いとおしげにその上面を撫でた。

 

 それから思い出したかのように目の前の風景を見て、双眼鏡で覗き込む。僅かに高低差が下がっていく草原には敵影は見あたらず、あるのは乱立する林だけであった。地平線の向こう、なだらかな丘の斜面に隠れているのかもしれないが、ここからでは分かりようがない。

 

 と、不意に、彼女は双眼鏡を下げて、右の方を向いた。隣のファイアフライから、金髪の少女が歩いて来ている。

 

「休憩かしら。平野さん」

「そうだよ。アーチャーさんも?」

「ええ」

 

 ヴァイオレット・アーチャーは愛想良くそう返した。イギリスからの交換留学生というのを一瞬忘れてしまうほど、話す日本語は流暢そのものであった。

 

「随分とお疲れね」

「だってさ、とっくに見えてもおかしくないって話してからずーっと待ちぼうけだよ。おかしくない?」

「よくあることよ。適度にリラックスしなくちゃ」

「それは分かるんだけど……」

 

 はつみは面白くなさそうにむくれる。が、その不機嫌もすぐに直った。砲塔上面に出てくつろいでいた砲手が彼女に小声で話しかけ、その内容を聞くと、今度は笑顔になってアーチャーに向き直った。

 

「ねぇ、この子達がファイアフライを見学したいって言ってるんだけど、いい?」

「Of course. 大歓迎よ」

 

 その言葉に、乗組員は次々に礼をいって、目指す戦車の方へ走っていく。二人はそれを微笑ましそうに見送った。

 

「熱心ね。後輩?」

「そう。私たちは戦車整備部だから、試合中じゃなければ私も見に廻りたいくらい」

「なかなか良い戦車が揃ったものね」

「ほんと。全員で攻めればすぐ終わるんじゃない?」

 

 はつみは何気なく口にして、周りを見渡した。殆ど平地となっている会場内で丘の頂上となっているこの地点には、ARL 44も含めて6輌が横一列に並んでいた。他の戦車は順に、ファイアフライ、ヤークトパンター、P40、JS-3、そして四式中戦車となっている。いずれも大戦中後期に開発されたもので、性能的には相手のヨーグルト学園の戦車を陵駕しているものが大半だった。

 

 さらに練度という点をとっても、各車は卓越した人員を有している。選抜戦は全試合一騎打ちのトーナメント形式で行われ、ここにいるのは全員それを勝ち上がってきたのだ。特に重要となる砲手はいずれも精鋭揃い、他の学校では間違いなくエースとなれる逸材ばかりである。これだけ戦力が充実していれば積極的に交戦しようと思うのが自然であり、はつみがしきりに攻めたがっているのも無理はない。

 

「あら、今までの大会結果をご存じないのかしら?」

 

 だが、アーチャーは皮肉げに薄く笑った。それから公共放送のアナウンサーのような朗読調になって、

 

「第61回大会の高校選抜は各自勝手に動き回って待ち伏せにはまり、しかも無線機を調整してなかったため情報が共有されずに各個撃破されて終了。第62回大会は偵察として派遣したP40とJS-3を敵と間違えて誤射し、その隙に接近戦に持ち込まれて同士討ちが多発、結局──」

「わかった、わかったから。もう止めて」

 

 静かになったところで、はつみは大きく息をついた。今動けない理由など、嫌になるほど身にしみている。彼女はうめくように言った。

 

「私たち、チームワークが致命的にないもんね」

 

 寄せ集めというのが彼女たちを表現するのにぴったりだった。全国7地区で選抜された彼女らが出会ったのはこの第一回戦当日の朝、それまで一緒に練習したこともなければ話し合ったことすらもない。選抜戦の過密日程や集まる機会の欠如など致し方ない理由はあるものの、チームスポーツである戦車道においてこれは全くの不利にしかならず、ゆえに彼女たちもこの問題点を重く見ている。

 

「ええ。だから、まずは信頼関係を作ることから始めましょう」

「うん」

 

 再び愛想良く言うアーチャーに、はつみは素直に頷いた。

 

 

 

 

 二人は取り止めのない話を続けていたが、そこへ砲声が遠くから轟いた。はつみは双眼鏡を手にし、アーチャーは重戦車の上面へと素早く上がって、音のあった方向を眺めた。依然、敵の姿は見えないが、遠雷のように届く轟音は散発して続き、稜線の向こうで交戦が行われていることがわかる。やがて、音は直に鳴り止んだ。

 

「やられちゃったのかな」

「さぁ。期待できないでしょうけど」

 

 アーチャーは肩をすくめた。選抜チームの7校のうち、関東地区代表のシャーマン初期型だけは事前の打ち合わせに反対し、単独で行動していたのだ。彼女のその仕草は、協調性のない車輌はろくなことにはならないのよ、と言わんばかりであった。

 

 他車も同じ思いだったのか、次に入ってきた無線に心配の声はなかった。というより、緊張感の欠片もなかった。

 

『パスタから二枚舌へ。そういえばシャーマンの識別名、何にするん?』

 

 はつみはアーチャーの視線に頷くと、ハッチから車長席の送話器をとって、彼女に手渡した。

 

『そうね。物量主義というのはどう?』

『共産主義者より。賛成する』

『待て。試合後に話し合ったほうがいいだろう。私らのも含めて』

 

 特に酷い名前を付けられているヤークトパンターから抗議の声があがった。ちなみに考えたのはアーチャーである。彼女は嬉々として送話ボタンを押した。

 

『ファシストへ、Good idea! 今度は英国らしい名前にしてくれるかしら』

『こちら共産主義。やっぱり三枚舌がよかった?』

『いや、英語にしてほしいってことなんやないかな。トリプルスタンダードとか』

『それだと長すぎだ。黒幕でいいんじゃないか』

『二枚舌より各車へ。前言撤回するわ、しばらくこのままにしましょう』

 

 ブーイングの声が重なり無線が混雑するのを背景にして、アーチャーは送話機を返す。受け取ったはつみは、信頼関係ってどういう意味だったっけ、と思ったが、それを口にすることはしなかった。代わりに、

 

『次は協力してくれるといいんだけどね』

『ええ。しかし皆さん、まずはこの試合を勝つことが大事です』

『確かになぁ。それが一番難しいんやった』

『うん。油断大敵……ん?』

 

 JS-3の車長が、何かに気づいたように話を中断した。

 

『車輌が1台接近中。白旗を振ってる』

 

 二人も双眼鏡を手にとって、目の前の平地を見渡す。肉眼ではまだ粒のように小さく見えるが、双眼鏡の倍率を上げると、軽装甲をつけた自動車Sd kfz 221であることがわかった。

 

『何だ? 休戦の申し込みだろうか』

『わかりません。怪我人が出たとかではないことを祈りますが……』

 

 戦車道では試合中の人員移動や交渉などで、戦車以外の車輌を使ってもいいことになっている。天板のハッチから白旗を掲げている様子を見る限り、おそらく後者の目的であることが察せられる。ただ何のためなのか不明で、無線には疑問や心配の声が飛び交った。

 

 はつみもそうした懸念を持ってはいたが、それよりも他のことに気を取られた。彼女は送話機で素朴に訊いた。

 

『ところで、誰が相手するの?』

 

 無線がぴたりと途絶える。現在、彼女たちには隊長というべき存在がいない。顔合わせの時にはそこまで決めることはできなかったし、フラッグ車をくじ引きで決めたことも記憶に新しい。しかし、ヨーグルト学園が話し合いを望む以上、誰かが代表となって話を聞く必要がある。二人は戦車から降りた。他の車長もそうしていた。沈黙が流れるなか、各人は自然と歩き始め、一列に並ぶ戦車の中央付近へと集まった。

 

 六人は一同に会した。誰もがばらばらの服装を着て、統一感というものがまるでない。だが今は、身に纏う雰囲気、隠しきれぬ緊張で顔が強ばる様が、驚くほど似通っている。凛々しい顔つきをしたヤークトパンターの車長が、重々しく口を開いた。

 

「じゃんけんだな」

「恨みっこなしだからね」

 

 五分後。軽装甲車が高校選抜の陣地に止まり、二人の少女が降り立った。一人は運転手、もう一人は白旗をあげていた少女で、彼女はきびきびと選抜側の戦車の状況を探り、そして相手の選手達に目を向ける。特使である彼女は自らの責務を果たそうと、何故か輪になっている六人へと近づいた。

 

「ヨーグルト学園副隊長のシレネです。隊長の命により──」

「ちょっと待って!」

 

 真剣な、あまりにも真剣な声音に、特使は思わず黙った。傍目にはそうは見えないが、きっと何か大事なことを決めているに違いない、と。彼女は待った。ずっと待ち続けた。虚ろな目になっていく彼女を置き去りにして、六人はひたすらあいこでしょ、あいこでしょ、と繰り返す。そしてようやく、

 

「……私ですね」

 

 眉を下げて、悲しげに言う四式中戦車の車長。対して、他の面々は安堵というより疲れたように息をついた。

 

「やっと決まった……」

「えらい長かったなぁ……」

「日本人っていつもこんなことしてるの? Crazyよ」

「いや、普通はもっと早く勝負つくんだけどね」

「今回は人数が多すぎたかもな……」

 

 それぞれ思い思いに感想を述べる。延々と続くじゃんけんは、彼女たちに当初の目的を忘れさせるのには充分だった。

 

「……あの! もういいですか!」

 

 ヨーグルト学園の少女が、怒ったように大声で言った。六人はそこで初めて、特使がもう到着していることに気づいた。仮の代表になったばかりの四式中戦車車長が、今まで何もしていなかったとでもいうように、落ち着いた様子で対応した。

 

「失礼しました。ご用件はなんでしょうか」

「単刀直入に言います。降伏してください」

 

 五人は眉を寄せる。車長は顔色ひとつ変えなかった。

 

「何故ですか」

「こちらは既に先ほどの戦闘で1輌撃破しました。そちらの不利は明らかです。我々は無益な戦闘を好みません」

「あいにくこちらは降伏する意思など皆無です。話はそれだけですか」

「……これ以上攻めてこないのであれば無気力試合と見なします。審判にその旨申し渡しますが、それでは不名誉では?」

「ご自由にどうぞ。わざと負けるような行為などしていませんから」

「決裂ですね。……実を言うと、期待していたわけではありませんでしたが」

「お気の毒さまです。それでは」

 

 特使は引き返していった。高校選抜側の車長6人は、何とも言えない微妙な表情でそれを見送った。

 

「よっぽど攻めるの嫌なんやろうなぁ」

 

 最初に出てきた言葉は、同情であった。

 

「敵情視察の類だったんじゃないのか? 念のための」

「ここ、丸見えなのに?」

「なくはないけど、やっぱり挑発じゃないかしら。相手としたら攻めてもらいたいのよ」

「ええ、そうだと思います。しかしどのみち、相手から動かざるをえないでしょう。……嫌でしょうけど」

「嫌だろうねー」

 

 はつみも心持ち気の毒そうに同意した。ヨーグルト学園の戦車が姿を見せて、こちらに向けて攻撃を開始するのも時間の問題だろう。有効射程と装甲が勝っている相手への攻撃、しかも火砲支援や遮蔽物などがない中での攻撃は、はっきり言って絶望的である。だが相手は、嫌でもそれに賭けるしかないのだ。

 

 高校生大会で採用されているフラッグ戦では、制限時間が切れると一騎打ちで勝敗が決められる。通常はフラッグ車が代表して出るが、この試合の高校選抜はJSー3──大戦末期に開発され、122mm砲の重火力と圧倒的な装甲を持つ重戦車──がそれに当っており、ヨーグルト学園の豆戦車38(t)ではあまりに荷が重すぎる。相手が一騎打ちを避けようとするなら、今のうちに勝負を決める必要があった。

 

「じゃあ、戻りましょうか」

「うん。あ、うちの乗組員に戻ってくるよう言ってもらってもいい?」

 

 はつみがアーチャーに言うと、彼女は笑って応えた。

 

「OK. わかったわ」

「ごめんね。お願い」

 

 間もなくして、はつみと乗組員達はARL 44に戻った。彼女が後輩達を見ると、思う存分見学できて満足したのか、先ほどまでの疲れはもうなかった。

 

「よーし、休憩終わりー。みんな乗ってー」

 

 私も他の戦車を見に行きたい。はつみは内心でそう思いつつ、車長としての責務を果たすため、号令をかけて自車へと乗り込んだ。

 

 

 

 

 全員が乗り込むと、操縦手と機関助手がエンジンを動かすべく機器の操作に入る。これまでは燃料を無駄に消費させたくなかったため停止していたが、もうその心配はいらなくなった。むしろ、足まわりの性能が悪いとはいえ何時でも走り出せるように、今から暖機運転に入らないといけない。機関助手が戦闘室背後の機関室に入ると、そこで燃料ポンプを数回押し、操縦手はレバー類が所定どおりになっていることを確認して、始動ボタンを押した。

 

 ドイツのマイバッハ社製HL230ガソリンエンジンが唸り声をあげて始動する。車内を満たす騒音が安定すると、はつみはじっと目を閉じ、職人的意識を持って耳を澄ませた。──異常音なし、全て正常。彼女は嬉しそうに口元を緩めた。

 

「うん、やっぱり今日は機嫌いいね」

 

 それからヘッドフォンを装着し、車内通話装置のスイッチを入れる。エンジンを稼働した戦車内ではこれがないと意志疎通が難しい。操縦手への運転指示は勿論、砲手や装填手への号令も車内通話を使うのが普通である。そして同時に、このヘッドフォンからは外部との無線連絡も聞こえてくる。

 

『こちらファシスト。敵が見えた、9輌だ』

「砲塔左に廻して。ちょっとね」

 

 砲身がその方向へ向くと同時に、戦闘室自体も付随して動く。はつみは車長席に座ったまま、砲隊鏡──カニの目のような構造の双眼鏡──の頭をハッチから出した。網の目状の黒線の向こう、10倍率で拡大された風景には、報告どおり戦車が土煙をあげてながら走っている。有効射程にはまだ遠い。

 

『どのくらいから撃ち始めるの?』

『各車有効射程に入った時点で各個目標、各個射撃。ということでどうでしょうか』

『了解だ。私はパンターを狙うぞ』

『じゃあ、Ⅳ号駆逐戦車は私たちがもらうね』

 

 その後も無線が飛び交い、それぞれの攻撃目標が定まった。はつみは改めて敵戦車の群れを見た。既に識別ができる程には近づいており、先頭には彼女が獲物と定めたⅣ号駆逐戦車、その背後にCV33とオチキスが2輌ずつ、Ⅲ号突撃砲、Ⅳ号戦車、ヘッツァー、パンターが1輌ずつといった多様な戦車が、パンツァーカイルを組んで整然と進んでいる。フラッグ車の38(t)だけは、その姿を見せていなかった。

 

 と、楔型の矢尻部分、最後部に位置していたパンターから発砲焔がひらめき、次いで前方に砲弾が着弾して砂塵が巻き上がる。地面からの振動、遅れてくる凶悪な砲声を受けながら、彼女は無感動に相手の戦車を眺め続けた。確かにパンターの優秀な砲なら、ぎりぎり有効射程内となるのだろう。味方にはこの距離でも有効打となりえる戦車がいるのも事実である。だが、それはこちらにも同じこと。彼女は車内通話装置に言った。

 

「徹甲弾装填。目標、Ⅳ号駆逐戦車」

 

 ガコンッ、と装填手が砲弾を詰める。砲手が手動ハンドルで砲身を動かし、戦闘室が微妙に揺れた。

 

「距離2000。捕捉射撃、交叉後は近端距離で再修正して効力射撃。外しても気にせず続けてね」

 

 そして声を張り上げ、

 

「用意できたら撃て!」

 

 車体が衝撃に揺れ、すさまじい砲声が響きわたった。ヤークトパンターもこれに和した。以後1分間にわたって6輌の砲門は交互に火を噴き、砲身から瞬時に離れる砲弾をしきりに放ち続けた。

 

 最初に餌食となったのはパンターだった。味方のヤークトパンターから放たれた砲弾は一度空にあがってから降下し、パンターの車体傾斜装甲へと吸い込まれるようにして、斜めから振り下ろされた。初弾命中、撃破──この距離では難しいことであったが、相手の戦車が射撃のために止まっていたこと、88mm砲が火力と低伸性に優れた弾道を誇っていることが、それを可能にした。パンターは白旗をあげ、そのまま黙り込んだ。

 

 Ⅳ号駆逐戦車はまだ幸運であった。常に前進するその戦車への砲弾は、一発目は上を通り過ぎ、二発目は届く前に地面へ着弾した。だが、大戦時のフランス艦隊に装備された対空艦載砲を持つARL 44に交叉されてしまってはもういけない。二発目の距離から照準が微修正されると、三発目は正面装甲に命中、Ⅳ号突撃戦車は速度を落として停止した。

 

 それからは他の戦車も似たようなものだった。ヨーグルト学園は決死の勢いで高校選抜へ向けて走り続けていた。止まるわけにはいかなかった──一度止まってしまうと再加速にはあまりに長い時間を要し、ただの的にしかならない。しかしいくら動いているとはいえ、近づけば近づくほど命中精度は次第に高まっていく。そしてオチキスやCV33、Ⅲ号突撃砲といったヨーグルト学園の主力戦車の装甲は、その火力に曝されるにはあまりに薄いものであった。高校選抜の残りの車輌が撃ち始める頃には、敵戦車は次から次へと撃たれていて、まもなく全て動かなくなった。

 

『こちらレジスタンス、敵全滅を確認。……最後にオチキス撃ったの誰?』

 

 硝煙の匂いが色濃く残る車内で、はつみは無線を入れた。顔はちょっとむっとしている。

 

『こちらパスタ。悪いなぁ、うちらがいただいたわ』

『……え、ほんと? って、そっちの主砲、もしかして44口径90mm? 75mm砲じゃないよね』

『へぇ、やっぱりわかるん? うちらのはP43bis仕様なんよ。まぁ、今回は運がよかったみたいやけど』

 

 P40からの声に、彼女は今度は感心して聞いていた。さすがに2年連続での出場というのは伊達ではないらしく、戦車の性能、それに砲手の腕前も、想像以上に高い。しかも先の交戦の様子からすると、他のメンバーも同程度の力量はあるように感じられた。これなら、と彼女は思った。意外にいいところまで勝ち進めることができるかもしれない。

 

『にしてもこの戦法ええなぁ、これなら準決くらいまでならいけるんちゃう?』

『ファシストからパスタへ。次は間違いなく聖グロリアーナが出てくるぞ。今回のようにはいかないだろう』

『相手も対策してくるでしょうし、次までには連携を強化しないといけないわね』

『連携かぁ、自信ないわ』

『こちら共産主義者、同じく』

『じゃあさ。今日の相手はあと1輌だし、練習しない?』

 

 はつみは気軽にそう提案した。味方の技量がある程度わかり、しかも6対1で不覚をとるはずがないとあって、当然全員が同意してくれるものと彼女は期待した。が、

 

『サムライなら一騎打ちで決めましょうよ』

『確実に勝てる方法をとるべき』

『敵は味方も含めて6輌やで』

『こちら紙装甲。和菓子を持ってきているので皆さん食べませんか』

『お前ら……。私は賛成だ』

 

 賛同はヤークトパンターだけだった。その声は他の車輌への呆れが多分に含まれている。とはいえ、2対1でも有利であることに変わりなく、何ら問題なく相手を撃破することができるだろう。彼女は決断を下した。

 

『紙装甲へ。配るの手伝うよ』

 

 くぅ、と小さく鳴くおなかを押さえ、はつみは戦車を降りる。時間は午後3時過ぎ。それにお菓子が嫌いな女の子はどちらかといえば少数派といっていいだろう。はつみは多数派である。とりあえずお菓子食べてから考えよう、そういえばもう他の戦車見学してもいいよね。と彼女は気持ちをはやらせて、ヤークトパンターからの制止を聞き流し、四式中戦車へと走っていった。

 

 

 

 

 数時間後。

 

 試合時間内に決着がつかなかったため、ヨーグルト学園の38(t)と高校選抜のJS-3による一騎打ちが行われた。結果は高校選抜の勝利。制度が始まってから初となる2回戦進出を決めた。

 

 

 

 



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月刊戦車道6月号

<第63回戦車道全国高校生大会 第1回戦試合レポート>

 

 

 意外な結果となった。

 

 ヨーグルト学園対高校選抜の試合は、圧倒的多数でヨーグルト学園が勝利するものと予想された。ヨーグルト学園といえば豆戦車、軽戦車主体の構成で全国大会に出場経験があり、そのスピードを生かしたカウンター攻撃を初めとする防御中心の戦術を得意としている。それが今大会ではパンターやⅣ号駆逐戦車といった強力な戦車が組み込まれ、報道関係者を驚かせるほど大幅に戦力が向上していた。

 

 対する高校選抜も、JS-3やARL 44を筆頭にヨーグルト学園以上の戦車が集まり、戦車の質だけで言えば過去最強とまでいわれる構成である。しかし試合前の選手たちの様子を見ても、急拵えといった感じはどうしても拭えない。選抜制度自体の廃止すら話題に挙がっている昨今の状況からして、彼女たちに期待する者は殆どいなかった。

 

 ところが試合が始まると、高校選抜は予想外の行動にでた。シャーマン初期型以外の6輌が固まって行進し、平地となっている試合会場の中で最も見晴らしのいい高地に到着すると、そこで横一列の隊形を組んで動かなくなった。例年ならバラバラになって攻撃するだけであったが、今年の高校選抜の動きは明らかに指揮統制下にあり、観客を驚かせた。対するヨーグルト学園も、会場のわずかな高低差を利用して防御陣を構築。無謀にも攻撃してきたシャーマン初期型を撃破したが、その後は攻め倦ねて膠着状態となった。

 

 地形が平地であったことが、ヨーグルト学園にとって不利に働いた。本来なら例年よりも戦力が拡充し、多少の戦力差があっても撃ち合いに持ち込めただろうが、今回の高校選抜の戦車相手ではなお戦力不足だった。そして、一騎打ちを専門としてきた高校選抜の射撃精度が決して侮れないものであることを、ヨーグルト学園の選手たちは身を持って証明することとなった。彼女たちはやむなく突撃を敢行したが、1500m以上近づくことなく、隠れていたフラッグ車以外はあっという間に撃破されてしまった。見ている者はただ、その精度の高さに呆然とするしかなかった。

 

 だが、ここで高校選抜はまたしても予想外の行動をとった。ヨーグルト学園のフラッグ車38(t)を探すことなく、そのまま高地に留まり続け、なんと試合終了まで動かなかったのだ。結局お互いのフラッグ車同士での一騎打ちとなったが、高校選抜のJS-3相手では不利は明らかで、38(t)はなんとかスピードで攪乱しようとしたが、200mまで近づかれると一発で撃ち込まれてしまった。ヨーグルト学園にとってはあまりに残念な試合内容で、関係者の一部は同情を隠さなかった。

 

「確かに、ついていないところはありました」副隊長のシレネさんがインタビューに応じてくれた。「今回の会場はあまりに開けすぎていましたから。ですが振り返ると、こちらも良い戦車を揃えていて楽に勝てると、甘く考えていたかもしれません。……次はこの経験を活かして頑張りたいです」負けてもなお前を向く彼女たちの今後に期待したい。

 

 一方の高校選抜は次に聖グロリアーナ女学院と対戦する。戦車の性能で見ると高校選抜側に分があるといえそうだが、何と言っても強豪校の一角。積み重ねてきた経験の重みでは他のどの学校にも見劣りしない。果たしてどのような試合になるのか、注目の一戦と言えるだろう。

 

(以上、月刊戦車道6月号より)

 

 

 

 

「ご説明したとおり──」

 

 雑誌に手を置いて、ダージリンは静かに話を続けた。

 

「今年の高校選抜は例年とは違います。未熟ですが統制がとれており、しかも高性能の戦車を使用しています。現状、私たちが勝つには不安があると言わざるを得ないでしょう」

 

 聖グロリアーナ女学院にある客室、そのテーブルを囲む三人の表情が、一様に堅くなる。誰もがダージリンよりずっと年上で、その視線には好意的なものが消え失せていたが、彼女は微笑みを崩さなかった。

 

「対抗するには、こちらも同程度の性能が必要です。少なくとも1輌は」

 

 彼女は次の試合に出す戦車の案を三人に手渡した。そのリストには、一回戦にはなかった戦車が2輌記載されており、内1輌はこれまで聖グロリアーナが取り扱っていないものであった。

 

 三人は無言で、それぞれ思案するようにリストを見つめていた。やがて一人が言った。訓練は間に合うのか。

 

「砲手と操縦手は優秀な2年生を選び、優先して訓練をさせます。完全とは言えませんが、高校選抜相手なら事足りるでしょう」

 

 クルセーダー会の会長は納得したように頷いた。有力な二会派以外の戦車後援会と連合を結んでいる彼女としては、他に反対する理由がなかった。いずれは自分たちの味方となる可能性が高いし、何より今回のリストには新しくクルセーダーが入っている。彼女が賛成なのは固いと、ダージリンは秘かに勘定した。

 

 別の一人が言った。隊長車はどうなるのかしら。

 

「勿論これまでと同じく、わたくしはチャーチルに搭乗します。後援会の皆様が心配されていることにはなりません」

 

 チャーチル会の会長は再びリストに目を落とした。伝統的に隊長車を務め続け、歴代の隊長が多く在籍するチャーチル会にとっては、現状維持の確約が第一だろう。将来的な損得──隊長車がとって変わられるかもしれないという危険性と、他会派の影響力を相対的に弱められる利点──を計算するには熟考を要するだろうが、現段階では中立と見ていい。

 

 問題となる最後の一人は、そう簡単には納得しそうになかった。後援会の最大派閥、マチルダ会の会長は強硬に反対した。何故マチルダⅡの数を減らすのか。スクラップ状態のマチルダⅡのレストアを何故優先しない。

 

「高校選抜の火力と射撃精度は侮れないものがあります。いかに堅いマチルダとはいえ、相手の攻撃を防ぎきれないのです。……あのファイアフライの選手については、皆さまもご存知でしょう」

 

 ダージリンは根気よく説明した。マチルダ会の会長は頑なに認めようとしなかったが、相手側の選手について言及すると勢いは弱まった。クルセイダー会とチャーチル会の会長も、その話になった途端に目をそらした。高校選抜に何故か参加している、あのイギリスからの留学生が相手となると、OB会の面々も勝算を保証できないらしい。反論は確証のない弱々しいものとなった。

 

 ここが勝負どころだと判断して、ダージリンは切り札を切った。

 

「仮にイギリス代表を相手取ったとしても、私たちは高校選抜に負けるわけにはいきません。万が一負けるとしても、遠距離から一方的にやられるような無様を晒すわけにはいかないのです。これは伝統ある我が校の責務です。万全を期して臨む、そのためのオーダーとご理解ください」

 

 彼女が言い終わると、まずクルセーダー会の会長が頷いた。次にチャーチル会の会長が同意を示すと、マチルダ会の会長は渋々とした様子で認めた。ダージリンが丁重にOB会を見送った時、時計はまもなくお茶の時間であった。

 

 

 

 

「これが万全を期すためのメンバー表よ。みんなにはまだ内緒ね」

 

 聖グロリアーナ女学院の艦首にある森、その中の紅茶の園と呼ばれる建物でのアフタヌーンティーで、ダージリンは機嫌良く言った。

 

「無理を承知でご足労願った甲斐がありましたわ。首尾は上々、と言ったところかしら」

「本当に、先輩方がこのメンバー表を認めてくださったんですか」

 

 隊長車の装填手であるオレンジペコが、半信半疑といった感じで聞いた。

 

「黒森峰が相手ならだめだったでしょうね。それだけ高校選抜に負けて欲しくないということよ」

 

 ダージリンはこれまでのOB会とのやり取りを思い出し、苦笑した。学園艦の運営にも影響を及ぼすほどOB会の力は強く、彼女が隊長に就任してからも交渉には困難が続いていたが、今回は事情が違った。何せ、過去2年で何ら勝利を挙げていなかった高校選抜は、他校からは見下されている。そんな高校選抜に負けるかもしれないというのは、保守的で面子を重んじる先輩が多いマチルダ会にとっては絶対に避けたいだろう。彼女にとって、今回はまさに千載一遇の機会といえた。

 

 常日頃は無い物ねだりを諫めるダージリンだが、戦力の拡充そのものは彼女の念願だった。使用できる戦車が増えれば、戦術の幅は格段に広がる。すでに来年に向けて準備を進めさせ、彼女自身は使えなくても仕方がないとは思っていたが、それでもこうして実際に使える機会に恵まれると、一指揮官として心弾むものがあった。

 

「グリーン、早速発注して頂戴。手筈はよろしいかしら?」

「勿論です」

 

 情報処理学部、第6課部長のグリーンが、きびきびとした口調で応えた。普段は諜報活動を担い、強豪校として名高い聖グロリアーナ女学院の戦車道を陰で支える彼女だが、今回は輸送任務の計画立案・実行を任されている。秘匿を要することは、やはり情報の専門家に任すのがふさわしいと、ダージリンは考えたのだ。

 

「戦車ディーラーへ送る注文票はチャーチル1輌と偽装する予定です。実際には私が直接赴いて段取りをつけます。また輸送班は第5課に協力を要請し、特に対諜に精通したメンバーで編成。外装に偽装を施した上で搬入します」

「そう。お願いしますわ」

 

 簡潔明瞭な報告に、ダージリンは満足げに微笑む。現状とれるだけの措置となっており、実行も問題ないだろう。ただ、アッサムが怪訝そうな顔で聞いた。彼女は隊長車の砲手である。

 

「でもダージリン。この偽装工作、本当にやる意味があるんですか」

「ないでしょうね」

 

 冷ややかな視線がダージリンに集中する。それでも彼女は優雅にティーカップを手にした。

 

「やらないよりはましでしょう?」

「やって見たかっただけなんじゃないですか」

「あら、どうかしら」

 

 含みのある微笑みを浮かべ、紅茶を楽しむダージリン。彼女がつい先日の試合観戦で、通信傍受を逆用して罠にかけるという戦術を見たことを知っているためか、アッサムら3人は呆れたようにしただけだった。尤も、ダージリンは本気で情報漏洩を懸念していたのだが、それ以上は特に何も言わなかった。相手が相手なので対策も難しく、言っても仕方がないことである。

 

「それと、レストアと改造は上手くいっているの?」

 

 話題を変えると、オレンジペコとグリーンがそれぞれ答えた。

 

「マチルダⅡは計画通り4輌がCS型への改造を終えています。今後は主砲の習熟訓練が必要ですが、特に問題はないと思います」

「クロムウェルのレストアは、現在パーツの取り寄せに時間がかかっている状態です。準決勝までには間に合うでしょう」

 

 ダージリンは少し考え込んだ。レストアが遅れているのは予想通りで、今のオーダーリストに組み込んでいないのはそのためである。しかし機動力の高いクロムウェルが使えるようになれば、より勝算は高まるだろう。相手の力量は未知数であり、不測の事態に備えるためにも、出来れば使えるようにしておきたい。彼女はここである話を思い出した。

 

「グリーン。確か、大会前に緊急で直せるかもしれないという話をしていなかったかしら。他校の協力を仰げば、でしたわね」

「ええ、言いました。しかし今は状況が変わってしまっています。いえ、相手方はおそらく可能でしょうが、それこそ手段を選ばないことになると──」

「こんな格言を知ってる? イギリス人は、恋愛と戦争では手段を選ばない」

 

 ダージリンはグリーンを制止しながら言った。彼女が内々でこんなにあからさまに咎めるのは珍しいのだが、今回は戦力強化が可能かを一刻も早く知りたかったのだ。グリーンは言葉を続ける代わりに、書類を一枚提出した。ダージリンはそこで事情を全て理解した。

 

「広島県、呉市の……そう、高校選抜の一校というわけね」

「そうです。次の対戦相手です」

 

 グリーンが言いたがらないのも当然だった。彼女としては例年通り勝ち上がることはないと分析したうえでの発言だったのだろう。予想に反して勝ち上がってきた以上、相手は引き受けないに決まっている。仮に引き受けてくれたとしても、情報が筒抜けになってしまい論外である。クロムウェルは諦めざるを得ないと、ダージリンは肩をすくめた。

 

 傍らで話を聞いていたアッサムが、不審そうに言った。

 

「高校選抜なら、間違いなく独立校よね。これまで戦車道をしているなんて話も聞いたことない。何でそんなところが整備できるのよ」

「ああ、試合はしていない。だが、あそこは戦車の整備を専門としているんだ」

 

 グリーンは砕けた口調で応えた。アッサムが情報処理学部に所属していることもあって、二人は互いに気心の知れた仲で、よく偵察にも一緒に出かけている。それで喋りやすくなったのか、彼女は資料も見ずにすらすらと話し始めた。

 

「戦車整備部というのがあって、そこでずっと整備をしているような連中がいるらしい。整備術の大会では表彰台の常連校。卒業生も整備関連の会社や工場に入るからコネクションが凄くて、どんなパーツもすぐ取り揃えられるんだって。しかもその気になれば自分達で製造すらできる。連盟への届け出が面倒だからあまり大っぴらにはやっていないらしいけどね。クロムウェルなんて、改良型6ポンド砲のストックすら持ってるそうだ」

「改良型って……実戦配備されなかった、あのタイプの主砲?」

「うちの整備班は、一度は見てみたいと言っていたよ」

 

 三人は一様に目を見張った。クロムウェルに実際に搭載された砲は6ポンド砲や75mm砲、95mm榴弾砲などがあるが、このうちの6ポンド砲MkⅢを改良したのが改良型6ポンド砲MkⅤである。これはAPDSが導入された優秀な近距離砲で、17ポンド砲には劣るもののそれに次ぐ火力を持っている。戦車道ではクロムウェルに搭載可能な砲として有力候補にあがる代物だが、この砲を積んだタイプは標準化されたにも関わらず戦場に送られた記録が見あたらないという経緯があり、そのせいか流通するものは非常に少ない。イギリスと提携を結んでいる聖グロリアーナでも入手困難なのに、相手はそれを持つことが出来ている──

 

 ダージリンは対戦相手の情報に興味を持った。

 

「他に注目すべき学校はあるのかしら」

「ええ、調べました。どこも曲者ばかりの──コホン、個性がおありなメンバーになっていますね」

 

 グリーンが軽く咳払いをし、お嬢様学校の生徒らしく上品に言い直す。そして鞄から書類を取り出してめくり、

 

「長崎県の、ファイアフライのメンバーについてはご存知でしょう。イギリス代表選手が一人います。名前はヴァイオレット・アーチャー。名砲手として恐れられています」

「ええ。国際強化選手の西住さん程ではないけど、嫌な相手ですわ」

 

 ダージリンが頷くと、グリーンは続けて、

 

「大阪府。"なにわの走り屋"の異名を持つP40乗りの美術学校です。戦車レースの部門で結構な活躍をしています。ここの偵察要員が非常に優秀だという話ですが、諜報員が妨害を受けたため詳細は分かりません。ま、それ自体が情報を裏付けるものとも言えますが。

 千葉県。シャーマン初期型となっていますが、おそらく内部は改造されているでしょう。少なくともスタビライザーは改良型と思われます。戦車流鏑馬で有名な学校で、行進間射撃の精度が極めて高いです。一回戦ではスタンドプレイで自滅しましたが、油断はしないでください。

 秋田県。ここは学園艦ではなく陸上にある工業学校で、戦車道も最近始めたばかりですね。しかしヤークトパンターの性能は充分脅威に値します。しかも選抜戦のデータを見ると、2000mオーバーでも平気で当ててくる程の腕があるようです。

 北海道。あのJS-3が搭乗車の農業高校です。車長は装填術の部門で全国トップクラスの実力があるとのこと」

 

 三人は静かに聞き入り、話が終わっても何かを考えているかのようにテーブルを見つめていた。やがてオレンジペコが口を開いた。

 

「17ポンド砲を入れたのは、正解ですね。楽に勝てる相手とは思えません」

「そうでもありませんわ」

 

 ダージリンの声に、オレンジペコは顔を上げた。その目を丸くしている様子に、彼女は優しく言う。

 

「個々としては強くても、それだけでは戦車道はできないわ。黒森峰と比べたら弱点が大きすぎる。そうでしょう、グリーン」

「はい。ご推察のとおり、これまでの調査では隊長経験者は見あたりませんでした。少なくとも高校までの戦車道でまともに経験した者はいません。やはり例年通り、指揮統制の甘さをつけば大いに勝算はあると思います」

「問題になるのは、そのイギリスの選手くらいかしら。一回戦もおそらく彼女が梃入れしているはず。でも、いくら国際試合経験者といっても、砲手が専門なら指揮には限界があるでしょうね」

 

 これまでの情報を冷静に分析して、ダージリンは結論づけた。チームワークが他の競技よりも重要となる戦車道では、その指揮官の質がチーム全体の実力に直結する。ただでさえ高校選抜は結束力が弱いのに、これまでの情報では強力なリーダーシップがとれそうな人物がいないとあって、彼女が楽観視するのは至極当然といえた。

 

「では、ここまで強化する必要はなかったのでは?」

 

 アッサムが首を傾げる。ダージリンはそれに応えて微笑んだ。

 

「言ったでしょう、万全を期すと。まあ、次を見越してもいますけど」

「黒森峰ですか」

 

 優勝候補筆頭、一昨年まで9連覇を達成していた黒森峰女学校はトーナメントの同じブロックに入っていて、順当にいけば準決勝で対戦することになる。有名なティーガー戦車を始めとしたドイツの優良戦車をこれでもかと集めたあの学校に打ち勝つには、少しでも性能のいい戦車が必須となるだろう。17ポンド砲はそのひとつとなりえる。だが、ダージリンは何も答えようとしなかった。アッサムが息を呑んだ。

 

「……大洗、ですか」

 

 驚きと呆れ、そして諦念がこもったような淡泊な声で、彼女は言った。一月ほど前に親善試合をしたその学校に、ダージリンが並々ならぬ興味を抱いている様子を彼女は何度も見ている。

 

「よほどお気に召したんですね」

「何のことかしら。わたくしはただ次といったまでよ、来年のことも考えて──」

「はいはい。ごまかさなくていいですから」

 

 アッサムに指摘され、ダージリンは思わず口を閉じる。淑女は常に余裕あれ、を忠実に守っている彼女にとって、あるまじき失態であった。後援会との慣れない交渉が尾を引いているのかしら、と彼女は一人で納得した。

 

「……大洗はきっと勝ち上がってくるでしょう」

 

 ダージリンは観念したように言った。

 

「再戦の約束を果たすためにも、ここで負けるわけにはいきませんわ」

 

 

 

 

「そのとおりね。ここで負けるわけにはいかないのよ」

 

 横浜から遠く離れた長崎港に浮かぶ学園艦、その寮の自室の中で、レティは薄く笑った。

 

「それだと面白くないもの」

 

 彼女は机の上に飾ってある写真立てに目を向けた。ユニオン・フラッグが誇らしげにペイントされたファイアフライを中心に、懐かしきチームメイトの姿が写っている。高校選抜の九州地区代表にして英国の国際強化選手、”ファイアフライの申し子”ヴァイオレット・アーチャーにとって、目指すべきものは常に勝利であった。それが母国から見ればどんなに取るに足らない試合であっても、彼女は安易に負けることを良しとしない。

 

 携帯電話が鳴り、彼女は着けていたヘッドフォンを外すと、英語で一言二言会話して通話を切った。そしてそのまま、携帯のメッセージアプリを起動した。

 

『BREAKING:聖グロリアーナ女学院、センチュリオン1輌を導入』

 

 1分もたたずに着信音が鳴った。

 

『あのな、堂々とスパイの情報流されても困るんやけど』

 

 以下4件続けて同様の趣旨のメッセージが届いた。交流を始めてからはや半月が経とうというのに、何故か風評被害は悪化の一途をたどっている。彼女は嘆かわしげに文字を打った。

 

『あそこは英国と提携関係にあるのよ。SIS(サービス)に頼むまでもないと思わない?』

 

 以下かわいそう、自業自得じゃないの、いや普通盗聴されるなんて思わないだろう、でもイギリスやで、何があってもスパイだけは手放さない国って聞いた、といった失礼極まりない文言が次々交わされていった。彼女は嘆かわしげに文字を打とうとしたが、その前に残りの一人からメッセージが届いた。

 

『何にせよ強敵であることに変わりありません。少なくとも試合当日までには直接話し合いたいのですが、ご都合はどうでしょうか』

 

 レティは微笑み、当然のように賛同の文章を送った。最近分かってきたことだが、脱線が多いこのメンバーのやり取りも、一度実務的な話に移ると一気に話が早くなる。試合前日の夕方に集合、場所は試合会場の通知があってからまた相談する、といったことがすぐに決まった。

 

『冬乃さんもそれでいいですか』

『わかってるわよ。今度はちゃんと協力するから。それじゃ』

『はい。ではまた』

 

 グループチャットはそこで終わりとなった。彼女が御機嫌な様子で机に書類を広げていたとき、再び着信音が鳴った。

 

『先日話した隊長の件ですが。ご検討いただけましたか』

 

 中部地区の代表から、今度は個人宛でのメールだった。レティは少し考えて、

 

『ええ。指揮統制を強化しないといけないのは分かってるわ。今のままだと勝てない』

『では、お引き受けくださるのですね』

『Waiting,please. これは全員で相談しないと意味がないわ。今度会ったときに決めましょう』

『あなたが立候補すれば、皆さんは納得すると思います。唯一の国際試合経験者ですから』

『戦車道の経験ならあなたもそれなりではなくて? まあ、続きは次回にしましょう。Bye.』

 

 適当に話題を終わらせ、携帯をベッドに放る。そして再び、書類の山に向き直った。

 

「私が隊長になったら意味がないのよ。やりたくもないし」

 

 彼女は一枚の報告書を取り出した。そこには件の少女の情報が、実に詳細に記載されていた。静岡県内にある高等専門学校の土木科3年生、今大会では四式中戦車の車長、社会人チーム"静岡アウルズ"副隊長。そして戦車道の流派の欄には、島田流門下生の文字。

 

「やっぱりここは、貴女に頑張ってもらわなくちゃ」

 

 レティは面白そうに、小さく笑った。

 

 



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2回戦 試合前日

公式には中学以降は学園艦しかないという設定だと思いますが、この小説では陸上にも少ないながら学校があるということにしてあります。


 試合会場の最寄りの駅。待合室で雑誌を読みながら、その少女はある電車を待っていた。

 

 夕方近くとあって利用客の数が徐々に増えてきたが、彼女はこの辺りの学校の生徒たちとは異なる制服姿をしており、時折いぶかしげな視線がそそがれる。が、本人は特に気にせず、手持ちの雑誌を読みふけっていた。その制服が大阪府所属の美術学校のもので、有名デザイナーの手になるものだと知るのは、このあたりには誰もいなかっただろう。

 

 高校選抜の近畿地区代表、P40戦車長の七夕次子(ちかこ)は、こうした日常とは少しだけ外れた空気感とでもいうものを好んでいた。いつもと少し違う風景、いつもと少し違う雰囲気。そして、いつもと違う空気を感じさせてくれる武道──戦車道。それらが彼女の創作意欲をかき立て、様々な作品を形作っていく。

 

 電車が到着するアナウンスが流れると、次子は月刊戦車道を鞄に片づけ、顔を上げた。ホームから下りてくる人混みに目を向けて、身長140cmほどの小柄な少女を見つけると、彼女は待合室を出て、こっちやこっちと手を振りながら呼びかける。二人はまもなく合流した。

 

「久しぶりやな」

「うん、久しぶり」

 

 久守桜奈(さくらな)は、表情をほんの少し柔らかなものにして応えた。北海道代表、あのJSー3の車長であることが信じられないほど華奢で小柄だが、実際は誰よりもふさわしい乗り手であることを次子は知っている。

 

 二人は本人たちが意外だと思うぐらい、不思議と気があった。どちらかと言えば話好きな次子に対し、桜奈は割と物静かな方で、メールも必要最小限ですませている。次子が美術を専攻しているのに対し、桜奈は農業とかすりもしない。それでも、妙に考えが相通じるというか、気楽に話し合える間柄で、高校選抜の中では互いに真っ先に友人となった。

 

「他のメンバーは?」

「大体はもう来てるで。駒恵はもう少し時間がかかるそうやけど、予定には間に合うって。……立ちながらなのもあれやし、行こうか」

「うん」

 

 次子と桜奈は一緒に駅を出て、港へと続く街並へと歩き出した。

 

 

 

 二人は最初、お互いの乗組員や学校、月刊戦車道の記事の話をした。会話は弾んだが、次子はそのためにこうして迎えに来たわけではなく、桜奈もそれはわかっている。話が途切れ、少し静かになった後、次子は切り出した。

 

「隊長、決めなならんけど」

 

 ピクッ、と桜奈が反応するのも構わず、彼女は続けた。

 

「誰がいいと思う?」

 

 返答はすぐにはこなかった。二人はそのまま歩き続けた。違う制服を着た二人組は傍目にはチグハグな印象を与えていただろうが、桜奈は気にする素振りも見せない。やがて、彼女は言った。

 

「……バランスがいいのは、佳枝か駒恵さん」

「うちもそう思ったんやけどなぁ。聞いたら二人とも経験がないからできんって」

「そう言えるからこそ適任だと思う。でも、経験は確かに考慮しないと」

 

 再び考え込む桜奈を見て、次子は彼女に話して正解だと思った。二人が隊長となる人物に望んでいるのは、一般的に理想とされるものではない。率先してリーダーシップを発揮しようとするタイプは、今大会では絶対にお断りである。協調的で思慮深く、意見を無理に押しつけないことが大前提で、そして戦車道の経験が多ければなお良い。

 

 経験。次子は例の人物を思い浮かべ、つい、悪戯げに訊いた。

 

「あのイギリスのは? 経験で言えば一番やけど」

「論外」

 

 即答だった。桜奈はそっぽを向いた。むすっ、と機嫌が悪くなったのが目に見えるようで、次子はごめんごめんと言いながら、彼女の頭を撫でた。

 

 別に、あの人物に嫌悪感があるというわけではない。二人はあのイギリス人を苦手としているが、嫌いというわけではない。ただ、件の少女が抱えているものが絶対的にリーダーとしてふさわしくないだけだった。明確に違う目的で動いている者をリーダーに選ぶほど、彼女たちは楽観的ではない。

 

 桜奈はしばらくされるがままに撫でられていたが、そのうち機嫌が直ったのか、次子の顔を見上げて言った。

 

「次子がやればいい」

「うち? ……気乗りせんなぁ。それに、うちこそ経験ないって」

「去年の経験を活かすべき」

「トラウマですー。無理ですー」

 

 即答だった。次子は思い出すのも嫌そうに応えた。桜奈はそんな彼女の頭を撫でようとして、どう頑張っても届きそうにないことに気づいて止めた。そしてまた考え込むように静かに歩き続けた。

 

 二人は昨年の大会にも高校選抜として出場していたが、その結果は悲惨としかいいようがなかった。船頭多くして船沈むと言うが、前大会はまさしくそれを体現していた。リーダーになろうとするタイプが何人もいたために、結局チームはバラバラとなり、偵察を命じられていた次子と桜奈は敵と誤認されて背後から撃たれてしまったのだ。だからこそ、二人は苦い記憶を繰り返さないために、他のメンバーを差し置いて真っ先に連絡をとりあっていた。

 

 次子が落ち着いてきたのを見計らうように、桜奈が話を続けた。

 

「私も同じだし、はつみは戦車のことしか頭にない。冬乃さんは問題外として……」

 

 そういって、彼女は次子の顔をのぞき込む。桜奈の眼は、暗に選択肢がないと言っているように、次子は感じた。そこで彼女はようやく、トラウマを頭から追い出した。

 

 次子は元の人好きのする笑みを浮かべると、鞄から書類を取り出して、桜奈に手渡した。

 

「……これは?」

「ちょっと調べてもろうてん。イギリスはノータッチや」

「ああ、あの子に」

 

 桜奈は納得したように頷き、読み始めた。次子は静かに待った。彼女が自慢としているP40の通信手は、この手の情報収集には最高の人材であり、内容の正確さは保証されている。桜奈はすぐに読み終わった。

 

「決まり」

 

 珍しく子供のようにあどけない笑顔を浮かべ、桜奈は書類を返した。次子も笑顔で受け取ったちょうどその時、二人は目的地の港に到着した。

 

 二人の目の前には、泊地や沖合に浮かんだ巨大な艦がいくつも停泊していた。形状は空母に近いものが多いが、その規模は空母よりも何倍も大きい。どれも全長は10kmほどかそれよりも大きく、高さは何十階建ての高層ビルのように高い。遠くにある艦は夕暮の陰影の効果もあって、まるで島と見違えるようだった。

 

 学園艦。高校選抜の学校にして母艦は、すでに全国各地から集結していた。彼女たちはその壮観な光景を眺めながら、港の岸壁に停泊している連絡艇へと足を運んだ。

 

「なら、隊長の話になったら一緒に推すということで」

「任せて。……ところで、学園艦って揺れる?」

「んー、慣れれば気にならんよ。陸上の学校の子でも怖がらんくて大丈夫や」

「怖くない」

 

 ドス、と見た目の軽さとは裏腹に容赦なく重いパンチが、次子の脇腹を襲う。うめき声と慌てるような声をあげつつ、二人は集合場所である学園艦の一つへと出航した。

 

 

 

 

 暗い室内に、戦車が駆動する映像がプロジェクターの光で映し出された。ティーセットの図柄が特徴的な校章をつけたマチルダⅡが、3輌編成で草原内の道路を走行し、西洋的な佇まいの市街地へ向かっている。その市街地の入り口には数輌の軽戦車──オチキスH-39が後退しつつあったが、マチルダⅡの2ポンド砲が火を吹くと、どれも命中弾を浴びて動かなくなった。マチルダⅡは障害を排した後、難なく市街地の中へ入っていった。

 

 場面が切り替わり、今度は同じ校章をつけたチャーチルの姿が映し出された。先ほどのマチルダⅡよりも少し遅れて走行しているようで、ちょうど市街地へ入ろうとしている。だが、超信地旋回で180度回転すると、街の外へ向けて発砲。M5軽戦車が白旗を上げている状況が映され、命中弾だったことを端的に物語っていた。チャーチルはその後、再び反転して先行していたマチルダⅡと合流し、その先頭に立って市街地の中を進んだ。

 

 チャーチルと随伴する3輌は、そのまましばらく走り続けた。すると、衝撃音が入り、後ろに走っていたマチルダⅡのうち1輌がその場で擱坐。同時にM5軽戦車がチャーチルの前方に現れた。カメラは空中から撮られたものに切り替わり、マチルダⅡの側面方向にM4A1シャーマンの姿があることもくっきり映し出されている。チャーチルはまたしても反転し、M5軽戦車が背後から撃ってくるのも構わず、擱坐した味方戦車に近づく。道路に漂う白い砲煙に車体を向けると、75mm砲が火を噴いて、2発目に放った砲弾はM4A1に吸い込まれるように飛んだ。そのM4A1には、フラッグ車を示す旗が取り付けられていた。

 

 そこでカチリ、と電灯のスイッチが入った。

 

「……以上が聖グロリアーナ女学院の1回戦のダイジェストね。どう、参考になったかしら」

「まずこの映像はどこから流出したものなんか教えて?」

 

 得意げな様子のアーチャーに、次子は間髪入れずに言った。アーチャーは微笑んで、

 

「あら、知りたい? 知るとまずいと思うけど、それでも知りたい?」

「もうええ。ろくでもないルートやってことは充分わかったわ」

 

 次子は力なく手を振って応えた。空中からの映像──おそらく審判が搭乗する機体からの映像──がどこから流れてきたのか気になったが、彼女はそれ以上深入りするのを避けた。合法にしても非合法にしても、迂闊に関わり合うのは賢明とはいえない。

 

 他のメンバーも同感だったのだろう。ヤークトパンターの車長がため息をついて、率直に言った。

 

「まあ、参考になるかといえばならないな。いつも通り装甲を活かした戦術だが、次は違う手で来るはずだ」

「あんな距離まで近づけたら、こっちのものだもんね」

 

 ARL 44の戦車長、平野はつみの言葉に、ほぼ全員が頷いた。軽戦車が主体だったBC自由学園とは違い、高校選抜の重火力ならマチルダⅡの正面装甲78mmを何の苦もなく撃ち抜ける。

 

「それに、オーダーも変わっています。このときはチャーチル1輌にマチルダⅡが9輌でしたが、情報を見ると大幅に強化されていますね」

 

 四式中戦車の車長の補足を受けて、次子も手元の資料を見返した。高校生大会のルールでは、戦車道規則第2条第1項にあるメンバー表の通知はない。だが、その紙には聖グロリアーナ女学院の参加車輌が次の通り正確に書かれていた。

 

 ・チャーチル 1輌

 ・マチルダⅡ 7輌

 ・クルセーダー 1輌

 ・センチュリオン 1輌

 

「やっぱり問題なんは、センチュリオンやな」

 

 次子は淡々と、低い声でつぶやいた。随分前から情報は流されていたものの、その相手を思うと憂鬱だった。

 

 センチュリオン。1945年5月、試作車がベルギーで終戦を迎え、戦後は第一世代の主力戦車として長きにわたり世界各地で活躍した傑作。火力、装甲、機動力、戦車に求められる殆どを高水準で兼ね備えたその戦車は、戦車道で使用できる車輌としては最高といっても過言ではない。

 

「このセンチュリオンはMk.1だよね」

「大会規則に合うのはそれです」

「それでも17ポンド砲や。こっちの戦車でも耐えられんな」

「APDSだと正面装甲でも大抵が抜かれるわ。でも17ポンド砲は遠距離だと命中精度が落ちるから、離れているうちは大丈夫よ」

「前の試合で普通に当ててなかったか。ファイアフライで」

「あの時は私が砲手を兼任してたもの。当然でしょう」

 

 アーチャーが胸をはったが、一人を除いて反応はなかった。残る一人は首を傾げて言った。

 

「でもさ、次の会場はほとんど森だよ?」

 

 はつみが部屋の中央にある砂盤を指さす。7人全員が自然と立ち上がり、その砂盤の回りを囲んだ。

 

 便宜上、砂盤と言ったが、実際のところそれは精巧な立体模型である。着色は完全にはされていないものの、会場の地形や建物がよく反映された模型となっていて、地図だけでは読みとるのに時間がかかる立体的な情報が感覚的にわかるようになっている。現地を事前に視察した次子から見ても再現度は非常に高く、彼女は短時間でこれを用意した中部地区代表の技術力の高さに内心感嘆していた。

 

 模型を見ると、はつみが言ったとおり会場の大部分は森で覆われている。中央には村落があり、その東西には街道と鉄道が平行して走っている。また、村落の南北にも開けた道路が走り、これはやや右にカーブを描いていた。その北側の道路を進んで橋を渡った先は平地で、ここは障害物が殆どない。そして高校選抜のスタート地点を示す旗は南側の道路の末端に、聖グロリアーナ女学院の旗は東の街道の末端に置かれていた。

 

「遠距離の撃ち合いは北東でしかできへんな」

「まずはそこを目指す?」

 

 桜奈が提案すると、四式中戦車の車長が難色を示した。

 

「村を経由しないといけないので、どうしても敵の待ち伏せに遭遇するでしょう。相手もそれくらいは読んでいるはずです」

「だったら簡単よ」

 

 これまで黙っていた関東地区の代表が、口を開いた。

 

「相手も村に来るなら、そこで一気に決着をつければいいじゃない」

 

 シャーマン初期型の戦車長にして高校選抜の問題児筆頭、勝冬乃(ふゆの)は威圧的にそう言った。艶やかな長い黒髪に端正な顔立ち、黙ってさえいれば美人そのものだったが、素行と口の悪さは他の追随を許さない。6人は互いに目配せし、ヤークトパンターの車長が慎重に意見を出した。

 

「相手の方が村落に近いから、射点を先に確保されるな。索敵しながら進まないと危険だ」

「Yes. 南西の森の中には林道があるから、最悪挟み撃ちになるかもしれないわね」

「ならその林道に3輌ほど向かわせて、南と東の2方向から村を攻めるのはどう」

「戦力が分散しすぎ」

「フラッグ車の方にまとめて向かわれたらひとたまりもないわ」

「不安になってばかりじゃ勝負がつかないわよ!」

 

 烈しい口調で、冬乃は一喝した。他の戦車長はおおむね困ったような表情で、ごく一部は露骨に冷ややかな視線で応えた。1回戦での顔合わせでも、彼女はこうして怒声をあげて自分の意見を貫こうとしたのだ。その時の主張も今回と同じく、攻撃、攻撃、そして攻撃だった。

 

 イギリス人らしく嫌味なら冬乃に負けないアーチャーなどは、皮肉げに「口調と勇猛さだけはパットン並ね」と評した。アメリカが誇る戦車指揮官、西部戦線で連合国勝利に多大な貢献をしたパットン将軍を思わせるほど、冬乃はどこまでも口が悪く、どこまでも猪突猛進であった。ただ、彼女は将軍と違い、戦術知識と戦車道の経験が余りに乏しい。パットン本人が言うように、戦争には血と知識の両方が必要である。次子は四式中戦車の車長の顔を見て、訊いた。

 

「無計画に突っ込んだら負けやろうな。どう思う?」

「……隊長となる人の指揮にもよりますが、私たちがすぐに攻めようとするのは正直厳しいですね。集落での連携は野戦のそれよりも高度なものを必要とします。私たちはそうした訓練が出来ていません」

「そんなの、やってみないとわからないじゃない」

「戦車を動かすのにも乗員全員で訓練をしたと思います。それと一緒です。攻撃を成功させるには入念な計画と素早い判断、何よりも徹底したチームワークが不可欠です。簡単に出来るものではありません」

 

 やんわりと、穏やかな口調を崩さずに彼女は続けた。

 

「まず、聖グロリアーナの出方を見極めたいところですが……アーチャーさん」

「何かしら」

「相手のマチルダⅡについて情報はありませんか」

「マチルダⅡに?」

 

 アーチャーは意味ありげに笑みを浮かべた。少し間を置いて、

 

「No. 特にないわ」

「重要なことです。1回戦から何も改造はしていないのですね」

「……ええ。私が知る限りではそうね」

 

 次子は訝しげに、そのやりとりを見守った。他のメンバーも、同様に不審そうな顔を隠そうとはしなかった。マチルダⅡの何が心配なのか、アーチャーはなぜ即答しなかったのか、次子には読みとれなかった。

 

 四式の車長は頷いて、模型の高校選抜スタート地点から少し進んだところを指さした。

 

「では、私見ですが……この十字路までの道路は射界が開けていますから、ここに装甲の厚い戦車を待機させて、他は森の中に隠れて待ち伏せするのが良いと思います」

「は? また一騎打ち狙いってこと!?」

 

 冬乃が鋭く怒号をあげる。ヤークトパンターの戦車長も、口調は険しくなかったが懸念そうにいった。

 

「一騎打ちだと間違いなくセンチュリオンが出てくるぞ。しかも乗るのはあのダージリンだろう。私たちでも勝てる見込みは五分以下だ」

「超信地旋回ができるうえに17ポンド砲、正面152mmだからね……。こっちも厳しいかも」

 

 はつみも同意した。桜奈もコクコクと頷いている。次子自身、自らのP40ではそれくらいの勝率しか見込めないと内心認めた。一騎打ちに求められる性能の殆ど全てを持っているあの戦車、しかも乗り手は高校生の中でトップクラスとあっては、正直にいって確実に勝てる自信がなかった。

 

 ただ、アーチャーがすぐに口を挟んだ。

 

「あら、聖グロリアーナの伝統を知らないのかしら。隊長はチャーチルに乗るのよ、賭けてもいいわよ」

「仮にそうでも性能は変わらないぞ」

「ふふ、よく考えてみなさい。センチュリオンが納車されたのはせいぜい半月前よ、訓練が間に合うはずがないわ。それとも、経験不足の相手でも一騎打ちに勝てる自信がないの?」

 

 それが詭弁であることは頭ではわかっていた。一般的に、初心者が新しい戦車に慣れるまでには最低1ヶ月から3ヶ月を要するが、経験を積めばある程度は習熟期間を短縮できる。伝統ある聖グロリアーナ女学院なら優秀な人員は多く、隊長が乗っていなくても驚異であることに変わりはない。わかってはいたが、アーチャーの煽るような言い草にはさすがに次子も黙ってはいられなかった。

 

「それなら話は別や。何ならダージリン相手でもええ。勝率が半分もあれば、うちはそれに賭けるわ」

「同じく」

 

 桜奈も口を揃えていった。目には好戦的なかがやきが宿っている。結局、二人とも血の気がはやいのだ。そして意見が一致した時の二人は、もうその方針に向けて邁進するだけだった。

 

「一騎打ち狙いだと、また退屈になって嫌になるんだけど……」

「まあまあ。あとで戦車のジャンクパーツあげるから」

「北海道のお菓子もあげる」

「よし、それで行こう。問題ないよね」

「買収されるな。……だがまあ、そうだな。他にいい作戦も思いつかない」

「OK. 私も賛成よ。武士道精神を見せてあげましょう!」

「お前はまず騎士道精神を見せてくれ。頼むから」

 

 すぐに同意は過半数を超えた。必然的に、賛成者全員が残りの一人を見る。冬乃は仏頂面のまま黙っていたが、やがて諦めたように、不承不承に言った。

 

「……1輌じゃ勝てないから、仕方がないから協力してあげる」

 

 

 

 




以後は改稿前のままです。


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2回戦 聖グロリアーナ女学院戦(前)

ここからはまだ改稿前の状態です。


 ホーホケキョ、と、ウグイスのさえずりが時折聞こえてくる。

 舗装もされていない細い道を四式中戦車が走行していた。戦車がかろうじて2輌ほど通れるその道は広葉樹と低い草木で構成された森の中にあり見通しは悪い。会場の大部分を占める森林地帯には、こうした通路が何本もあった。

 この四式中戦車は近年造られたもので、連盟公認の装甲材は取り付けられているものの、可能な限り当時完成していた車輌を再現したものになっている。材質もこだわりを持って復元され、スペック値どおりの防御力は期待できない。それでも中部地区で行われた選抜戦で優勝したのは搭乗員の腕前によるものだろう。

 そのメンバーを率いるリーダーは、キューポラから身体を出して、携帯型無線機を持って周囲を確認していた。

 

『こちらレジスタンス。南東へ向かう道路に到着したよ。敵は見あたらないね。以上』

『こちら、ぶ、物量主義者。予定のポイントに到着したわ。敵影なし。これからカモフラージュするから』

『こちらパスタ。今偵察班を1人出したで』

『紙装甲から各車へ。引き続きお願いします。敵を確認したら最優先で報告してください』

 

 無線機から入ってくる通信に指示を出す彼女――紙装甲(識別名)は、目的地である通路が交差している場所を見て咽喉マイクに手をかけた。

 

「停止。しばらく待機」

 

 十字路に入る少し手前で停車する。砲手と装填手は停まってすぐにハッチを開けて外へ出て、身体を伸ばしている。紙装甲は後輩達のそうした仕草を微笑ましく見ていたが、車内から声をかけられて車長席に座った。

 

「隊長ー。昨日の会議で何話してたの。やけに長かったけど」

「ベルゲパンターが試合に出れるかを議論してたよ」

「何やってんのよ……」

 

 質問してきた操縦手が呆れたように言った。彼女は戦車長と同じく3年生で、機械工学科に所属している。四式中戦車の復元プロジェクトにも関わっており、その縁で今大会にも参加している。

 昨夜の作戦会議では様々な議題がでたので経緯をかいつまんで伝えたが、すぐにはわかってもらえないようだ。あの車輌があれば障害物設置とか重戦車の移動とかで幅広い戦術をとれるのにと議論の必要性を説こうかと思ったが、さすがに幾分暴走していた自覚はあるので自重する。

 

「塗装変えるならもっと早くに言ってくれないと。整備担当の人たち嘆いてたわよ。時間がなくて4色にできなかったって」

「緑1色でも良かったんだけど。むしろ短時間で3色迷彩にできるなんて思わないって」

 

 元々は黄土色に塗装されていた四式中戦車は緑を基調とした3色迷彩へと塗装し直されている。ちょっと貸してと言われて2時間、思わず「なんということでしょう」と呟いてしまった。担当したレジスタンス率いる中国・四国地方代表校の戦車整備部には頭が上がらない。

 

「それにしても、隊長になるなんて思わなかった」

「あれ、何度か経験したことあるんでしょ? 一般の大会に出場した時に」

「副隊長ならあるけど、隊長はこれが初めてだよ」

 

 紙装甲は苦笑いしつつ言う。試合前に隊長を決めたほうが良いとチームに相談を持ちかけたが、回りまわって自分がなるとは思わなかった。言いだしっぺの法則とか何とかで押し切られたが、代わりに指示には従って貰うように頼み込んでおいた。

 

「本当なら一番経験している人にお願いしたかったのに」

「イギリスの人、何で断ったの」

「砲手しかやったことないからって。参謀なら喜んで受けるとか言ってたけど」

 

 そう言って紙装甲はため息をついた。国際試合にもでているあのイギリス人なら本気を出せばいくらでも的確な指示を出せるだろうに、いつも一歩下がって成り行きを見ている。彼女の場合は目的が若干異なるからそこまで真剣に勝ちを目指してないのだろう。

 

「島田流の門下生ともあろう方が、何を仰います。自信を持ってくださいな」

「お嬢様、師匠のは島田流とは言えないと思いますよ」

 

 通信手を担当している1年生に対してつい本音が出てしまった。彼女は島田流の分家の方であり、師匠のご息女だ。本来であれば他の強豪校に行かれてもいいはずだが、何故か地元の近くということで紙装甲と同じ高等専門学校へ入学している。

 島田流は西住流と並び、日本における戦車道の中でも有名な流派である。夜襲を始めとする様々な奇襲作戦と、それを可能にするための偵察及び連携を重視することで知られており、実戦向けの流派と言われている。

 紙装甲もその門下生の1人ということになるが、彼女の師匠は島田流の中でも殊更異彩を放っている。すなわち、徹底した実戦主義だ。礼節は問うが人格修養を目的とせず、ひたすらに勝利を目指し、一般的に言われる戦車道精神とはかけ離れた戦術も平然ととる。ベースは島田流とはいえ、もはや新しい流派を掲げた方がいいのではと紙装甲は常々思っている。

 

「あら、母に伝えておきましょうか」

「お止めください。後生ですから」

 

 ふふふ、と笑顔を浮かべる彼女に必死でお願いした。師匠は戦車道については厳しい人で、紙装甲は普段から何かと説教されていた。

 操縦手は呆れたように肩をすくめ、砲手と装填手は我関せずとマイペースに過ごしている。第2回戦、聖グロリアーナ女学院対全国選抜隊の試合はとうに開始されているが、彼女達は至って普段どおりのやり取りを繰り広げていた。

 

 

 

 

『こちら偵察班。市街地に敵戦車7輌を確認しました。フラッグ車は不明です』

『紙装甲より偵察班へ。センチュリオンは何輌いますか』

『2輌です。市街地の中央付近にいます』

『わかりました。動きがあれば連絡してください』

『了解』

 

 待機状態になってから30分が経過し、偵察班から最初の通信があった。

 

「さすが服部ちゃんね。仕事早いわ」

「伊賀の人だっけ。お話したいんだけど時間がないし」

「さっさと会議終わらせれば良かったのに。昨日は女子会みたいなノリだったわよ」

「いいなあ」

 

 昨日の会議に出なかった人たちは交流会を開いていたようだ。選抜隊には意外な人材もいて、特に近畿地方代表の通信手は伊賀忍者の末裔だという話だ。他にも偵察専門の人材が各車に1人はいるようで、島田流の門下生として一度詳しく話を聞いてみたいと紙装甲は機会を虎視眈々と狙っている。

 この試合に勝てば隊長権限で次こそ参加しようと決意を固めていると、再び通信があった。

 

『紙装甲へ。こちらファシスト。グロリアーナも動けないということだろうか』

「まだ様子見といったところだと思います。こういう会場で偵察なしに進むのは無謀ですから」

『そうね。私も何度か痛い目にあったわ。何でフランスとの試合はいつもボカージュがあるのかしら』

『物量主義より紙装甲へ、今なら市街地に攻めてもいいんじゃないの。いい加減暇なんだけど』

『ああ、分かるよそれ。ただ待つだけって辛いよね』

「こちら紙装甲、フラッグ車がいないので今は動けません。警戒しつつ待機してください」

 

 気持ちは分かるんですが、と思いつつも紙装甲は改めて指示を出す。物量主義者の言い分も理解できるが、まだそこまで踏み切れない。戦力比にそこまで差がない以上、何らかの奇襲要素がないと冷静に対処されて突き返しをくらうだけだ。

 やり取りを聞いていた通信手が、ふふ、と笑う。

 

「市街地なんて明らかに障害物ですものね」

「ええ。フラッグ車がいないなら基本的に放置です」

 

 彼女達の師匠は戦車の運用原則にこだわり、特に地形と時期の選択を重く見て、場合によっては攻撃しないのも手だと教えられる。今回のような占拠された集落なんていうものは、攻撃対象がいない限り迂回するのが原則である。勿論、戦力をそこに釘付けにするときなどの例外はあるが。

 

「それで、これからどうなると思いますか」

「いずれは聖グロリアーナの攻撃にこちらが反撃、という流れになると思うけど……今はなんとも。私が相手なら時間切れを選択するし」

「じゃあ一騎打ちの可能性もある?」

「ないこともないよ」

 

 今まで黙っていた砲手や装填手がこちらに振り向いて質問してきたので素直に返す。これまでのグロリアーナの試合傾向からいえば動いてくるだろうが、騎士道精神を尊ぶことから一騎打ちを受けてくれることも否定できない。

 

「勝てるかどうかは別にして、今日は一騎打ちしたいね」

「一時的に代表変わりましょうか? 今のままだと不利過ぎますし」

「えっと、一応隊長である私が出ないのはおかしいのではないかと」

「いや、だってじゃんけん弱いじゃない」

「6人でやってまさかの初戦1人負けでしたよね。その後はあいこが延々と続いたのに」

「こ、今度は大丈夫だって」

 

 1回戦の試合では結局なにもせずに終わったようなものなので、今回ではせめて一騎打ちだけでもという意見が溢れた。一騎打ちになった場合はじゃんけんで代表を決めて、結果はすべて受け入れるというのが選抜隊の暗黙の了解になっている。気が早いんじゃないかと紙装甲は思いつつ、隊長交代を真剣に考えている目の前のメンバーに運が悪かっただけだと説得を開始した。

 

 

 

 

 

「予想通りね」

 

 試合会場のほぼ中心、市街地を主として展開している聖グロリアーナ女学院の隊長であるダージリンは、センチュリオンの車内で紅茶を飲んでいた。

 

「ここまで待ち伏せに徹するチームは初めてです」

 

 装填手であるオレンジペコが自分の分の紅茶を入れながら言った。チャーチルの護衛車輌からの報告では、ヤークトパンターとJS-3はスタート地点からほぼ動かず、その途中の道路には森に入りカモフラージュして待ち伏せしている車輌を確認したとのことだった。全ての車輌を確認したわけではないが、1回戦の様子を聞く限り、おそらく相手チームはこちらが動くまでそのまま待機しているのだろう。

 

「余程一騎打ちに自信があるようね。受けて立ってもいいのでしょうけど」

 

 ダージリンは笑みを浮かべる。今乗っているセンチュリオンならば、たとえ相手がJS-3だろうと正面装甲を打ち抜ける。加えて搭乗員はオレンジペコや砲手のアッサムを含む最精鋭を揃えているのだ。今回の会場では一騎打ちを申し込むか随分悩んだ。しかし、

 

「弱気になっていては勝利は見えてこないものよ。相手にそれを教えてさしあげるわ」

 

 今は戦車道の試合だ。その機動力と火力を活かし、仲間と連携して目標を撃破する道であれば、多少の損失を出しても攻勢に出て主導権を握り、勝利を目指すのが正道である。

 

『隊長、準備が整いました。いつでも行けます』

「作戦開始」

 

 チャーチルからの報告を受け、ダージリンは即座に指示を出した。試合が始まってからから既に1時間以上経っている。聖グロリアーナ女学院と全国選抜隊の本格的な戦いの火蓋がようやく切られようとしていた。

 



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2回戦 聖グロリアーナ女学院戦(後)

『こちら偵察班、クロムウェルが動き出しました』

 

 無線機から流れる声に、共産主義者は読んでいた教科書を閉じた。ハッチを開けて周囲を確認する。

 今いる場所は山あいの道路のように見える。森と森の間が200m程で、その真ん中に舗装された道路が走っている。両脇は元は田園地帯だったのだろうが、今は礫砂が運び込まれて、ある程度は整地されていた。

 共産主義者が乗るJS-3は道路の上で待機している。その隣にはヤークトパンターが並んでいた。前方は大体1kmまで見通せて、その先はカーブになっている。この距離なら大抵の戦車は有効射程内だ。JS-3はその火力を最大限に活かすべきというのが共産主義者の持論だったので、この配置には特に異論がなかった。下手に隠れるよりも、広い場所に出て相手の射程外から撃つという戦術を取って選抜戦を勝ちあがってきたのだ。

 

『こちらパスタ。1輌だけなん? 他は』

『動いていません。クロムウェルだけ、南東への道路へ向かっています』

 

 共産主義者は首を傾げる。相手の意図を計りかねていると、遠くから発砲音が聞こえた。数秒後に前方500mくらいに何かが着弾し、爆風と土砂が巻き起こった。

 

『こちらファシスト、前方に榴弾が着弾した』

 

 榴弾は連続的に降り続け、土砂を抉り、爆発音が響きわたる。森には落ちていないのでこちらの車輌を狙っているとも思えるが、たとえ観測員がいたとしてもこんな遠距離射撃では戦車に命中しないことはあちらもわかっているはずだ。それに榴弾では撃破までいくかは疑問符がつく。

 では相手の目的は何かと、今読んでいた戦車道の教科書を思い返し――砲撃にはエンジン音を隠す効果もあると書いてあることを思い出す。

 

『ファシストと共産主義者、右手の森を警戒してください! 敵が近づいています!』

 

 どうやら紙装甲も同じ結論に至ったらしい。しかし、その警戒する先に意表を突かれた。確かに通路はあるが、そこは通れないはずではなかったか。

 そう思ったときには、発砲音と隣のヤークトパンターに徹甲弾が命中したような音が聞こえた。

 

『ファシストから共産主義者へ、2時にセンチュリオンだ! すまない、撃破された』

 

 その報告に共産主義者は考える。どうやってかは知らないが、森の通路からの奇襲を受けたようだ。

 

「相手は見える?」

『いや、森に後退した。ここからは見えない』

「前進。2時に向いて。見かけ次第発砲」

 

 操縦手と砲手にそう言った。ヤークトパンターに隠れて躍進射撃を狙うのが正解なのかもしれないが、共産主義者はこのまま隠れていると相手は逃げるだろうという予感があった。不用意に森に近づくのは論外だ。ここは相打ちになってもセンチュリオンの数を減らした方がいいと判断した。

 降っていた榴弾も今は止んでいる。少しの静寂のあと、センチュリオンが森から出てきた。その行進間射撃とJS-3の停止射撃はほぼ同時に発射され、車体に命中。両車輌ともに白旗が上がった。

 

 

 

 

 選抜隊の被害はJS-3とヤークトパンター、対して相手方はセンチュリオン1輌。戦力差は5輌対9輌でさらに厳しい状況となった。

 

「ここの川に仮設で橋を拵えたのでしょう」

「おそらくは」

 

 通信手は航空写真を広げながら1点を指差す。そこは昨日の会議でも話が出た、会場の南東から北東へ向かう通路の途中にある川だった。こちらが使うメリットもないと紙装甲は深く考えていなかったが、相手にとっては確かに魅力的だ。工兵を使った奇襲戦術はむしろ島田流の得意分野だが、それを聖グロリアーナ女学院が実際に行うとは迂闊にも考慮していなかった。お嬢様学校と聞いて、そんな土方の作業はしないという先入観があったようだ。

 

「お説教は確実ですか」

「まあ、母には私からも穏便にすませるよう言っておきます」

「すみません」

 

 やってしまった失態は甘んじて受けるしかない。それよりも今は試合のことを考えたほうがいいと紙装甲は思考をめぐらす。橋を設置する以上、人手は多く必要だ。おそらくフラッグ車を含めた3輌で作業をしていたのだろう。あと2輌はまだ会場北東にいるはずである。

 時間をかけてはいけない。作戦を立てるとすぐさま実行に移す。

 

「街に向かって。境界線には近づかないように」

「了解」

 

 操縦手はすぐさま車体を発進させる。動き出すのと同時に、紙装甲は今度は無線機で味方に呼びかける。

 

「レジスタンスと二枚舌は市街地付近へ向かってください。パスタは道路に出て左手の森を警戒。物量主義は交戦が始まれば北東へ。そこにフラッグ車がいるはずです」

 

 そう指示すると案の定動揺した声が返ってきた。

 

『えっ、攻めるの。この状況で』

「この状況だからです。各個撃破される前に先手を打ちます」

『フラッグ車の位置もわからんのに?』

「見当はついています」

『あんたはどうすんのよ、森の中にいるつもり!?』

「私は市街地で作戦を指揮します。フラッグ車は機を見て北東へ向かわせるつもりです」

『指揮するって――』

 

 なおも言い連ねようとする仲間に対し、あまり言いたくなかった言葉を出す。

 

「隊長命令です。指示に従ってください」

 

 こんな風にしかいえないなら隊長失格だな、と紙装甲は自嘲気味に思った。理想を言えば阿吽の呼吸で連携できるようになればいいのだが、寄せ集めの急造チームでは望むべくもない。信頼を得ようにも限界がある。そう考えると事前に指揮統制を明確にしたのは正解だったのかもしれない。

 四式中戦車は車体をがたがたと揺らしながら、森の通路を猛スピードで駆け抜ける。

 

「着いた。ここからなら街中まで目立たずに行けるわ」

 

 まだ森の中の、しかし薄っすらと外の光が見えるところまで来て停車した。

 

「お嬢様、戦車長に任命します」

「拝命しました。まずは東の森の中を偵察ですね」

 

 ニコニコと、笑顔を絶やさずにいる通信手にフラッグ車を託す。彼女は経験が豊富なので心配はいらないだろう。分家家元のご息女だけあって、何も言わずとも理解してくれるのがありがたい。

 紙装甲は携帯型無線機を持って四式中戦車を降り、市街地へ走り出す。田舎にはどこにでもありそうな、店舗が集まる大通りとその周囲にある住宅街、そして小学校がある街並みが目の前にあった。

 森から出て程近いところにある民家に目をつけ、まずはそこへ向かう。ご丁寧に自動車が駐車してあったのでその上を昇り、民家の屋根へ飛び移る。

 

(隊長がこんな危険なことするな、って怒られるかな)

 

 実戦主義を掲げる師匠からみれば指揮官が生身で戦場に立つなどありえないと言うだろう。説教の時間が延びるのでは一瞬身体をすくめる。ただ、今は戦車道の試合なのだ。フラッグ車をさらさないだけましだと説得するほかない。

 小学校の方を見ると、その屋上に人影が見えた。あそこからなら西の方は見渡せる。手を振りながら無線で呼びかけた。

 

「偵察班へ。西は任せます。敵戦車の動きを逐次報告してください」

『わ、わかりました。あの、そこにいるのは隊長ですか』

「ええ。東は私が受け持ちます」

 

 これでよし、と紙装甲は改めて辺りを見回した。今のところ待ち伏せする車輌は見えない。エンジン音も聞こえないことから、近くにはいないのだろう。

 

「――レジスタンスと二枚舌は突入を開始してください。パスタは警戒しつつ市街地付近まで移動」

 

 言い終わると、次の偵察地点を見定めて移動を再開した。

 

 

 

 

 試合会場の北東は元々耕作地であったが、演習場として使われるようになってからは草原のようになっていた。何度も戦車が走行したこともあって、地盤はよく締め固められている。

 その上を初期型シャーマンが走行していた。囮作戦が功をそうしてか、妨害はなくここまで来れた。戦車長である物量主義者はハッチから出て双眼鏡で前方を確認し、乗組員に聞こえるように報告する。

 

「2kmを超えた先にフラッグ車を確認。本当にいたのね」

 

 半信半疑でここまで来たが、隊長の読みは当たっていたと認めざるを得ない。ならばここからの任務は責任重大だと自分に言い聞かせる。

 

『レジスタンスへ、次の交差点左にマチルダⅡがいます』

『おっと、一度止まる?』

『躍進射撃準備。二枚舌は直進』

『こちら二枚舌、こっちの交差点は確保したわ』

『マチルダⅡ撃破! このまま直進するよ』

『いや、後退してください! パスタは退路を確保』

『偵察班より、クルセイダー接近中!』

『とっ!? 全速後退! 左に確認した!』

『レジスタンスへ、後ろは安全や! 急いで!』

『私も後退するわ、正面からも来てる! センチュリオンよ!』

『隠れて! APDS装填、合図で躍進してください』

 

 無線からは市街地戦の状況がひっきりなしに流れてくる。今のところ被害はないようだが、それも時間の問題だと思われた。無線に時折混ざる轟音を聞き、あちらも大変だと何気なく後ろを向いて――その姿を確認し、叫ぶように指示を出した。

 

「煙幕撒いて! ジグザグに走行!」

 

 シャーマンの背面に取り付けられた装置から煙が発出される。大きく右左と蛇行走行したこともあり、背後には煙の壁が出来上がった。物量主義は次第に遠ざかる煙幕を見ながら次の対応を考える。

 

「敵ですか!?」

「6時にセンチュリオン1輌! 距離800!」

 

 一番出会いたくない相手だが、このままでは進むことができないので一騎打ちに応じるしかない。正面装甲を撃っても弾かれるだけなので、狙うなら履帯だ。片方でも破壊すれば残りの煙幕を使って逃げ切れる。あわよくば側面下部装甲か背面を打ち抜いて撃破したいところだが、この平地では難しいと判断した。

 

「左に旋回して。砲塔11時、発煙弾装填」

 

 煙幕から400m程離れたところでシャーマンは左へ曲がり、ゆったりとしたカーブを描く。半円を描き終わろうかという頃合に煙の中からセンチュリオンが飛び出してきた。走行中のシャーマンに気付いたようで、速度を急激に落としながら砲塔をこちらに向けようとしている。

 

「敵の手前、撃て!」

 

 狙いが定まる前に発煙弾を相手の手前に着弾させる。途端に煙が巻き上がり、再び姿は見えなくなった。

 

「進路そのまま。榴弾、履帯を狙いなさい」

 

 シャーマンは来た方向から180°反対を向き、徐々に相手に近づく。センチュリオンも急発進をしたのか発煙弾が上げた煙から出てきた。

 目測300m、ここまで近づいても前面を貫通できないのが痛い。高速徹甲弾でもこの距離では122mmしか装甲貫通力がないのに対し、相手は車体前面で76mmの傾斜装甲、見かけ上は140mm以上だ。煙幕から出てきた瞬間がチャンスなのに、それをものにできない。

 

「撃て!」

 

 一切速度を落とさず、行進間射撃を指示する。履帯という細かな目標を動きながら、しかもこの距離から撃つのは相当な難易度だが、物量主義者は当たり前のように命じ、そして砲手はさも当然のように命中させた。

 センチュリオンの履帯が切れ、車体は右へ旋回した。この隙にさっき張った煙幕に突入し、姿を隠しつつ戦場を離脱する――物量主義者が立てた作戦は実現するかに見えた。

 誤算だったのは、車体が曲がってもセンチュリオンの砲塔が停まることはなく、シャーマンに狙いをつけたことだ。

 

「右旋回!」

 

 とっさに旋回を指示するが、この至近距離ではそれも間に合わなかった。17ポンド砲から放たれた徹甲弾はシャーマンの車体側面に命中し、白旗をあげさせた。

 

 

 

 

「……油断したわ」

 

 キューポラから外へ出て、白旗があがっているシャーマンを見ながらダージリンは呟いた。フラッグ車がいる北東方面へ向かうシャーマンを偶然見かけ、手早く片付けるつもりが思わぬ反撃を受けてしまった。幸い被害は履帯だけなので復帰は可能だが、しばらくはここから動けないだろう。

 

『3号車、撃破されました。申し訳ありません』

 

 市街地を任せておいたセンチュリオンから無線で連絡が来た。まさか、と言ってしまいそうになるのをダージリンは抑える。

 

「敵は」

『確認した3輌は全て撃破しましたが、こちらも6輌全てやられてしまいました。敵フラッグ車は不明です』

 

 いくら相手の戦車が強力とはいえ数で優るこちらと相打ちになるとは、ダージリンは思ってもいなかった。組織戦では明らかに相手が不利なのだ。

 しかし、予想外に手こずることになったと思いつつも、ダージリンは余裕を崩さなかった。これで戦力差は3対1。履帯さえ直せばすぐに片付けられる。そう考えてフラッグ車のチャーチルを呼ぶことにした。

 

「6号車はこちらに来なさい。5号車はそのまま待ち伏せよ」

 

 念のため、5号車のクロムウェルを引き続き待機させる。奇襲で用いた仮設橋はわざとそのままにしており、敵がそこを通れば、その先の森林境界線で待ち伏せするクロムウェルに側面から撃たれる寸法だ。高速徹甲弾を持たせているので弾き返されることもまずない。

 そう思った矢先のことだった。

 

『こちら5号車、走行不能! 敵フラッグ車がそちらに向かっています!』

「何ですって!? 待ち伏せを突破したというの!」

『いきなり煙があがったと思ったらその中から撃たれて……』

「――全員車内に戻りなさい、徹甲弾装填、砲塔12時方向!」

 

 履帯を直そうと外へ出ていた搭乗員に戻るよう指示する。ここから出来るのは遠距離から狙い撃つことしかないが、当たるかどうかは微妙だ。何とか逃げ切ってほしいと、ダージリンは祈るように遠くに見える2輌の戦車を見つめた。

 

 

 

 

 町並みにはいくつもの砲弾の跡ができ、あちこちから煙が上がっている。

 ファイアフライは大通りにセンチュリオンと対峙するように停車していた。激しい砲撃戦の末、相打ちになり、車体前面には大きな穴が開いて防護カーボンが見える。

 戦車長である二枚舌と搭乗員は集中力が切れたのか、もたれるように休憩している。そこへ、タッタッタッと誰かが走ってくるような音が聞こえてきた。二枚舌はキューポラから車外を確認すると、中部地区代表校の制服を来た生徒がこちらに向かって来ているのが見えた。ファイアフライの近くで停まった彼女は一息つくと、キューポラのほうへ声をかけてきた。

 

「お疲れ様です」

「貴方、すごい身軽なのね……」

 

 ハッチから頭を出して二枚舌は答えた。続行不能と判定されたため競技員は原則待機となるがこのくらいは許されるはずだ。

 先ほどから民家の屋根を走り回り、こちらに指示を出していた隊長殿は少し息を乱しているが、それでも柔らかな笑顔を見せていた。島田流の門下生とは聞いていたがまるで忍者のようだ。聞きたいことは色々あったが、まずは差し迫ったことをと思い二枚舌は口を開いた。

 

「まだ試合は終わってないけど、指示しなくていいのかしら?」

「あとは天に任せます」

 

 実に清々しくキッパリと答えられて返答につまった。そもそもフラッグ車の戦車長がここにいること自体おかしいのだが、彼女は気にしていないようだ。

 二枚舌がなんと言おうか迷っている間に、ところで、と向こうから話題を振られた。

 

「今日の試合はどうでしたか?」

 

 その言葉に試合内容を振り返り――率直に評点を伝えた。

 

「勝てば及第点、負ければ30点かしら」

「手厳しい」

「最初の奇襲を見抜けなかったのが痛いわね。あと、あれだけ作戦指揮できるならさっさと攻めたほうが良かったと思うわ」

「そうですね。師匠に怒られます」

 

 頭をかき、口ではそういっているが、全くこたえた様子がない。この分だとこちらの意図にも気付いていると見てよさそうだ、と判断した。

 

『フラッグ車戦闘不能。選抜隊の勝利です』

 

 審判員からの通信で試合が終わったことを告げられた。目の前の隊長は表情を変えずにこちらを見ている。おそらく勝利を確信してここに来ているのだろう。

 

「Congrats! 及第点よ」

「ありがとうございます。御眼鏡にかなったようで良かったです」

「やっぱり腕を試してたのに気付いてる?」

「ええ。貴方が隊長にならなかったのも試合を観察するためですよね」

「じゃあ、私がこの大会に出場した理由も?」

「世界大会に向けての諜報員、でしょう?」

「……そこまで分かりやすいのかしら」

「それはもう。言動からして胡散臭いですし。だから識別名も直球でつけられてるんですよ」

「最初からじゃない。というか、その名前地味に傷ついてるのよ」

「こちらもです」

 

 留学の本当の目的も言い当てられて、二枚舌は取り繕う気もなくなった。ばれた理由などについては後で反省するとして、自分につけられた識別名について愚痴る。他の代表校に面白おかしく識別名をつけた代わりに、自分の分はそちらで決めてほしいと持ちかけたのは確かだが、真っ先に共産主義者からこの名前が挙がったことは彼女にとっても予想外だった。しかも反対意見もなかった。母国の過去の外交を皮肉られることになり、二枚舌は変な識別名をつけるのはやめようと心から反省している。言い出した手前、この大会では通しているが。

 

「で、わざわざここに来たのは」

 

 あーあー、とひとしきりうなり声をあげていたが、気を取り直して二枚舌は隊長に問いかける。ここまで来てこんな話をする以上、何か用があるはずだ。

 

「回収車に乗せてもらおうと思ったのと……次は黒森峰女学園です。貴方を見込んで少し手をお借りしたいのですが」

「Yes,Ma'am. 隊長の言うことですもの、参謀としてできる限り手助けしますわ」

 

 二枚舌は手のひらを前に向けて敬礼した。その芝居じみた仕草と台詞に全国選抜隊の隊長はクスッと噴き出し、やがて二人で笑い合った。

 

 

 



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私たち、戦車が好きってだけで参加してます

 2回戦が終わった翌日の朝、会場近くの港にはいまだ2隻の学園艦が停泊していた。

 そのうちの1隻、広島県の飛び地として登録されている工業高校の校舎には「戦車整備部」と書かれた大きな建屋があり、休日にもかかわらず多くの生徒でにぎわっている。

 建屋にはARL-44を始めとして、T-34やⅢ号戦車、チャーチル、コメット、3式チヌなど、生産国や時期もばらばらな多種多様の戦車が見える。そんな中に、昨日の試合で撃破されたシャーマンの姿もあった。

 

「いやー、派手にやられたね」

「言っとくけど、今回のは不意打ちだったから。まともにやれば勝つ自信があるわよ」

「そっかー」

 

 その投げやりな返事に、シャーマンの車長はむっとする。上下黒色の体育着姿の、ロングヘアーにツリ目の顔立ちをした彼女は、腕を組みながら隣にいる不心得者を睨みつけた。

 しかし効果はないようだ。相手は全く気にした素振りも見せず、鍔つきの帽子を被りなおしている。肩までかかる黒髪を揺らし、白っぽい作業服を着たこの整備場の責任者は、やがて脇に抱えていたファイルを持ち直して口元を歪めた。

 

「ふふふ、初期型のシャーマンなんて久しぶりだよ。腕が鳴るね」

「それはいいけど、変なのにはしないでよ」

 

 シャーマンの車長は釘を刺した。

 他の乗組員は試合明けの休日のため自由にさせているが、車長は損傷した自車の整備のためここに来ている。

 日ごろから戦車の整備を請け負っているといい、更に格安で修理もすると言われて、ここの戦車整備部の部長である目の前の少女の誘いを受けたが、若干マッドな笑みを浮かべる彼女に不安がかられるのは仕方がないだろう。

 

「大丈夫大丈夫。色々見るついでに装甲はここで直しておくね。サービスでいいよ」

「どうも。ところで、戦車の装甲ってどうやって直すの」

「あれ、知らない?」

「普段は業者に預けているから、詳しくは分かんないのよ」

「そうなんだ。まあ、あまり難しいことはしてないよ」

 

 整備部長はシャーマンの車体左側面、試合で被弾したところを指差した。

 

「いま見えてる白っぽいのが連盟公認の装甲材。よく特殊カーボンとか言われてるあれね。戦車の内側から貼られてて、車内を完全に覆ってるの。耐衝撃性、耐熱性に優れた素材で、試合用の実弾ならまず壊れないから安心だね。で、これを確認した後に被弾孔をふさぐように鋼板を溶接して、あとは専用の機械でならせば元通り」

「そんな簡単に直るものなの」

「直る直る。車体が歪んだらもっと手間がかかるけど、最近は特殊カーボンのおかげで大抵はこれでオッケー」

 

 そう言いながらファイルをめくってペンで何かを書き込んでいる。そして今度はシャーマンの砲身へ目を向けた。

 

「後で精査するけど、砲身は見た感じ曲がってはいないかな」

「そう。なら良さそうね」

「待って待って。これ初期の75mm砲でしょ。せっかくだし変えない?」

「別に良いわよ。特に困ってもないから」

「でも、センチュリオン相手には火力不足だったよね」

 

 その言葉にシャーマンの車長は眉を寄せた。確かに結果を見るとそう言えるのは否定できないし、常々悩んでいることでもある。変えるつもりはないが、一応聞くだけ聞いてみようと彼女は思った。

 

「参考までになんだけど、何があるわけ?」

「よくぞ聞いてくれました。おすすめは何と言ってもこれ、ファイアフライ改造キット!」

 

 じゃじゃーん、と声高らかに渡されたパンフレットには、17ポンド砲を搭載されたシャーマンの写真と、『見違える火力! 撃破王を目指す貴方に』という文章が載っていた。

 

「最近入荷したての逸品! 砲身も命中精度を上げた後期型のものを使ってるよ。今なら安くするけど、どうかな」

「却下」

「あうっ。何で?」

「この短期間で慣れるのは無理よ。それにあいつと一緒ってのもなんか嫌」

「どうしてもだめ?」

「駄目」

 

 理由は他にもあるが、大体動機が不純だ。パンフレットにあった『※改造難易度は上級者向け』という文言を車長は見逃さなかった。付き合いは短いとはいえ目の前の彼女の性格は大体分かっている。大方、修理にかこつけてやってみたかったに違いない。

 目に見えて落胆しつつも、整備部長は手持ちのファイルをぱらぱらとめくり、やがて顔を上げた。若干涙目なのは気のせいだと思いたい。

 

「あとは76mm砲があるよ。高速徹甲弾なら500mで150mm貫通ってとこ。操作性もあまり変わらないと思うし、これなら問題ないんじゃない?」

「……変えたいけど、だめ。発煙弾が撃てることが絶対条件よ」

「あー、なるほど」

 

 納得したというようにコクコクと頷かれた。連盟公認の砲弾は様々な種類があるが、基本的に大戦時に実際に使われた砲弾を模したものを使うことになっている。当時はシャーマンの76mm砲に発煙弾はなかったので、戦車道の試合にも現在76mm砲対応の発煙弾はない。

 

「残念だけど仕方ないか」

「何度か検討はしたんだけど、発煙弾使わないと近づけもしないことが多いから。気持ちだけ受け取っておくわ」

「うう、この改造したいという気持ちは受け取ってくれないの」

「いらない」

 

 そんな取り扱いに困るものは返品するに限る。

 

「くっ、こうなったら他のところで徹底的にバージョンアップしてやる」

「ちょっと。こっちにも予算があるから好き勝手はできないわよ」

「任せといて。いつもは材料費をそのまま貰うけど、今回は基本サービスで対応するよ。同じチームだし」

 

 まずエンジンから見るね、と整備部長はシャーマンの上に昇っていく。

 その様子を車長はぼんやりと眺めていた。

 

(同じチーム、か)

 

 いまだに選抜隊は連携が取れているとは言いづらいが、彼女はそれでも仲間であると認識してくれている。

 車長はそんな言葉に悪い気はしなかった。

 

 

 

 

 

 その後1時間ほどかけて大まかな整備方針が決まった。

 エンジンはM4のワールウインドからM4A3に搭載されていたフォードGAAへ換装することになった。耐久性が上がることに加え、加速性能の向上が見込まれる。今のエンジンに慣れていると違和感があるかも、ということで色々注意事項が書かれた紙を渡されたが、特に問題はないだろう。

 砲塔には小型の発煙弾発射筒が新たに装備される。射程は短いうえに単発式なのでここぞという時にしか使えないが、連盟公認の発煙筒により煙幕をすぐさま展開することができる。不意の遭遇戦や市街戦で効果が期待できそうだ。

 照準器は潜望鏡式ではなく望遠鏡式に改造済みではあったが、さらに高品質なものを見繕って交換されることになった。実際の有効な交戦距離は1000m以内なのでそこまでしなくてもいいとは言ったのだが、何かのスイッチが入っている整備部長に聞き届けられることはなかった。ちなみに他の選抜隊の車輌は既に最高レベルの品質のものを使っているそうで、遠距離でも高い命中精度を確保していると長く長く語られた。

 

「じゃあ、装甲の補修からお願いね」

「はい!」

 

 そこら辺で待機していた生徒を呼び集めて、整備部長はこれからする作業について説明を終えた。最初から最後まで整備に関わると思ったら、簡単な作業は後輩に譲るようだ。

 

「お待たせー。夕方までには終わる見込みだよ」

「あれだけ張り切っていたのに全部やらなくていいの?」

「後進の育成も考えなくちゃね。午後からは私も加わるよ」

 

 見ると生徒達はシャーマンの移動を始めていた。溶接などでは粉塵が発生することもあるということで、別のところで行うそうだ。

 つられて周りを見渡すと、他にも多くの生徒や戦車の姿が見えた。ここからわかるだけでも10輌程の車輌が確認でき、1輌につき5人ほどが作業している。クレーンを使って解体していたり、履帯を取り外していたりと、それぞれ真剣な面持ちで手を動かしていた。

 

「これだけ人と戦車があれば普通に出場できるじゃない。なんで選抜戦に参加したの」

「ん? いや、ここにあるのはほとんど借り物だよ。私達が持っているのはARL-44とチャーチルだけ」

 

 部長は不思議そうに首をかしげる。

 

「それに、仮に車輌が使えたとしてもまともな戦力にならないよ。基本的な訓練なんて一部の部員しかやってないし」

「……もしかして、予算少ない?」

「……部活動としては恵まれているけど、他の学校に比べるとね。精鋭の砲手と操縦手を何人か育てあげようとしただけで年間予算使い切っちゃう感じ」

 

 他の武道とは異なり、戦車道ではとかくお金がかかる。20年以上前の技術的に安全性を確保できなかった時代は現代のような実弾を使った試合は出来なかったので、ペイント弾を使用したり、そもそも戦車競争が中心であったりしてそこまで問題にならなかったが、今は違う。

 レーザー照射装置やシミュレーターなど、なるべく弾薬を使わなくてもするような練習も普及しつつあるが、そうした装置は初期投資が高く、いまだ二の足を踏む学校も多い。

 

「この学校は昔から整備術の方が盛んで、修理用の設備ならどこにも負けないんだけど。試合できるまで訓練する余裕はなくて弱小だったんだよね。それで廃止になって。でも設備がもったいないから部活動として細々と活動してるの」

「なるほどね。……でも、なおさら今年参加した理由が分からないわよ」

 

 確か昨年までは参加していなかったはずだ。活動のほとんどを戦車の整備に費やしているとなれば、今回出場したのには何かわけがあるに違いない。あまり踏み込むのはどうかとも思うが、同じチームのメンバーとしては気になることである。言いにくそうだったらすぐ話題を変えるつもりだった。

 対して、部長は頬をかきながら言葉を選ぶように話しはじめた。

 

「えっとね。他人の車輌を整備しているのも幸せなんだけど、やっぱり物足りなく感じるときがあってね」

「ふむ」

「一整備員として、自分達が手入れした戦車が活躍するのを見てみたい。傷ついた車輌を見ながらすぐ直してやるって言ってみたい。乗組員と熱い友情を築いてみたい」

 

 部長の言葉に力が入る。

 

「まして実戦に使われなかったARL-44! 幻の車輌が活躍するのを影で支える整備隊! 考えただけでもロマンだね!」

「あんたなんで戦車長してんのよ」

「他の部員から部長を差し置いて戦車長になれないって言われちゃって。仕方がないからやむなく、ね」

 

 言いたいことはわからなくもないが、本末転倒だ。影で支えるどころか最前線で戦っているようにしか見えない。

 

「そっちこそ、今大会に参加したのは何で?」

 

 この学校の割とどうでもいい参戦理由に内心呆れていると、逆に問われた。

 車長は少し考えて、口を開く。

 

「……あたし達の学園艦もずっと前に戦車道をしてたのよ。子供のときはたまに行われる試合が楽しみで、いつかやりたいって思ってた。けど、中学生になるときにはもう廃止になって」

 

 車長は生まれも育ちも学園艦であった。決して強豪校とは言えなかったが、それでも迫力ある戦車戦と果敢に攻める戦術をとるチームに魅せられ、その時から戦車のことを聞きかじっていた。

 

「高校に入ってからは復活させようと努力はしたけど、結局力不足で人が集まらなくて。せめて後輩に少しでも後を託したくて、この大会で活躍してやろうと思ったわけ。結果は散々だったけどね」

「ああ、一回戦のあれはそういうことだったんだ」

「言わないでよ」

 

 選抜隊とはいえ全国大会の舞台で活躍すれば志願者も増えるだろうと思い、ここまで来たのだ。ただ、焦りがあったことは否めない。一回戦ではバルクマンコーナーのように1輌で戦果を挙げようと勢い込んで行ったが、連携の取れた相手に適うはずもなかった。

 部長を見れば、にやついたような顔をしているように見える。

 

「何よ、笑いたければ笑いなさいよ」

「そんなんじゃなくて。私達似た様なものだなって思って」

「似てる?」

「つまり、戦車が好きってこと」

 

 そう言われて車長はきょとんとする。

 

「貴方と一緒にしないでよ」

 

 そして、若干目を逸らしつつ答えた。

 

「でも、私達の戦いはまだ終わってないよ。ここまで来たら優勝目指そう!」

「相手は黒森峰。それも準決勝で15輌対7輌よ。普通に考えたら厳しいわ」

「まあまあ。隊長がイギリスの人に頼んで色々調べてもらっているみたいだから、もしかしたらいけるかも。我が流派の奥義をご覧に入れますとか言ってたし」

「奥義ねぇ」

 

 一騎打ち上等な戦術を平然ととる隊長に、胡散臭いスパイ。そんな二人が関係する作戦。

 

「……いやな予感しかしないんだけど」

「……そうだね」

 

 かなり楽天家にみえる部長も不安があるようである。

 先ほどとはうって変わって沈黙が続き、お昼のチャイムが鳴るまでそのままだった。

 




○試合規則の「実際には存在しなかった部材同士の組み合わせは認められる」という文言にはかなりロマンを感じます。ただ知識がないので、作中では結局無難な改造に収まりました。うぐ。


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準決勝 黒森峰女学園戦 試合前

 準決勝、黒森峰女学園対全国選抜隊の試合開始72時間前、最初の試合会場決定通知が両チームに出された。そこは多少の起伏はあるが、大部分が見通しの良い平地となっている演習場であった。

 通知があってから5時間後、選抜隊から異議申し立てが提出された。曰く、障害物の少ないその会場では競技車輌の数で勝負が決まってしまう、選抜隊は車輌を増やすことができないため不公平ではないか、というものである。

 裁定にはかなり揉めたが、選抜制度の関係で競技車輌が固定されていることを考慮され、戦車道連盟は協議の末に異議を認めた。再度試合会場の抽選を行ったところ、選ばれたのは茨城県大洗町――数ヶ月前にここでとある親善試合が行われた時とほぼ同じく、町の北半分を試合区域とし、上は丘稜地帯を模した演習場、下は中心市街地を一部通行止めにしているとはいえそのまま使用することになった。

 

 

 

 

 

 朝7時。黒森峰女学園の車輌の会場入りを一目見ようと、県道2号線の道沿いには大勢の人で賑わっていた。

 

「キャ~~! ティーガーⅡですよ! 大戦時最強と言われる重戦車! こんなところで見れるなんて」

「ケーニヒスティーガーもいいが、やはりここはヤークトパンターだろう。あの傾斜装甲を見ろ。これでもう少し組織運用に余裕があれば……」

 

 マリンタワーに程近いところで黒森峰女学園の車輌を見ながら、秋山優花里とエルヴィンは歓声をあげた。

 二人とも制服を着ており、朝早くにもかかわらずテンションが高い。

 

「全国選抜はもう演習場に入っているんでしたっけ」

「ああ。生徒会からの連絡だと、交通量の少ない朝早くに入ったそうだ。一部は鉄道で運ばれているしな」

「うー、残念です」

 

 珍しい戦車が多いので見たかったんですが、と優花里は心底残念そうに言う。

 今日の試合が急遽大洗町で行われることに決まってから、生徒会は情報収集に奔走している。2回戦まではそこまで本格的にはしていなかったが、今回は地元であり、また大洗も勝ち上がるとすれば間違いなくどちらかと決勝で当たるとあって、その力のいれようは尋常ではなかった。

 既に町の協力を得てカメラをあちこちに設置している他、各交通機関や港湾事務所などに問い合わせをして動向も把握している。

 私たちもプラウダ高校に勝てる保証はないんですが、と優花理は皮算用にならないか心配していたが、逆に言えば決勝戦を見越すほど戦車道に力を入れているとも言える。

 

「しかし、試合会場の異議申し立てなんてよく通ったな。よくあることなのか?」

「いえ、私も初めて聞きます。試合規則には書かれているので行為として問題があるわけではないんですけど…」

「ふむ。まあ確かに、あの会場では遠距離から容易に狙われるからな。近いもので言えばクルスク戦か」

「地形はまさにそれでしたねー。車輌が増やせないのでって言いたくなるのも分かる気がします」

 

 喋りながら大洗ホテルを目指して歩く。本日は学園艦が多数寄港している影響で観客数が多くなると見込まれたので、通常は開放されていない大洗ホテルの屋上も観覧席として利用されることになった。見晴らしがよく高確率で直接観戦できる特等席なこともあって人数限定で整理券が配布されたが、優花里は執念でその整理券を手に入れ、エルヴィンと西住みほの3人で観戦する予定だった。

 周囲には同じくその席に向かう人か、ホテルに宿泊している人かは分からないが、それなりに多くの人が同じ方向に歩いている。

 その中に奇妙な二人組みがいることに気付いた。

 

「あれ? あの人たち全国選抜の人じゃないですか?」

「え、どこだ?」

「あそこです」

 

 優花里が指差した先にはポケットがついている白色のジャケットを羽織った、高校生と思しき二人組みがいた。その髪型や時折見える横顔が優花理の記憶と合致する。

 

「たしかヤークトパンターとARL-44の戦車長の方だったと思います」

「そんなことまで知っているのか」

「月刊戦車道に載っていましたから。でも、何でこんなところにいるんでしょう」

「敵情視察じゃないか? 今さらなのも変だが」

「試合会場へ行くようですね」

「何か話しているな。今日の試合のことだろうか」

「気になります」

 

 二人は目を合わせる。ホテルまでなら一緒についていってもおかしくないし、試合前にどんな会話をしているのか興味が引かれる。

 

「少しは聞けるかもしれないな」

「行きましょう!」

 

 優花里とエルヴィンは人ごみに紛れつつ、目標まで忍び足で接近する。幸いすぐ後ろにまでつくことができ、前の二人の会話が聞こえてきた。

 

「……情報に不備はなかったね。作戦は予定通り決行できるよ」

「なぁ、本当にやるのか? やってもいいのか?」

「えっと、まぁ……ほら、実際の戦いでもあった話じゃない、深く考えずに行けばいいと思うよ」

「よし今からでも搭乗車輌を交換するか、この共犯者め」

「いや隊長命令だからね? 仕方がなかったというか」

「その割りに嬉しそうにやってたよな」

「だって、楽しかったもん。完璧に再現してって言われるとつい血が騒いじゃって」

「開き直るな」

 

 はぁ、とヤークトパンターの戦車長がため息をついた。

 大洗ホテル前の鳥居下交差点に辿りつくと、横断信号が赤になっていたので二人は立ち止まった。さすがに会場へ行く人はいないため少し距離をとって、ホテルに入る人の流れに近づいてなるべく気付かれないようにする。

 

「前から思ってたんだが、あいつ発想がガチ過ぎないか。戦争やりに来てるんじゃないんだが」

「さすがに私もそう思って隊長に聞いたんだけどさ。なんて返ってきたと思う? 『戦争でこれしたら問題になりかねます、私達がするのは戦争じゃなくて戦車道です』だって」

「……どうしようもないな、あの馬鹿」

 

 そこで横断歩行の信号が青となり、二人は演習場へと歩いていった。

 後をついていくわけにもいかず、優花里とエルヴィンは大洗ホテルの入り口へ向かう。

 

「どういう意味だったんでしょう?」

「わからん。戦争で問題になって戦車道ではいいなんて、そんな作戦があるのか?」

「なぞなぞみたいですね……」

「西住隊長に出してみるか。どういう展開になるのかも聞きたいし」

 

 エルヴィンは時計を確認すると、はたと気付いたように言った。

 

「そういえば隊長はいつごろ合流するんだ?」

「あー……一緒に観戦する予定だったんですが、聖グロリアーナの人に誘われまして……」

 

 

 

 

 

 アウトレットのイベント広場に設けられた見学席。

 大型のスクリーンの前には既に多くの観客が芝生の上にシートを敷いて試合が始まるのを待っているが、そこにひときわ目立つスペースがあった。

 英国式の絨毯を敷いた上に衝立を置き、洒落た大きめの丸いテーブルに3つの椅子。机の上にはティーセットがあり、オレンジ色の髪を編みこんだ女生徒が紅茶を入れている。

 

「どうぞ、西住さん」

「あ、ありがとうございます」

 

 オレンジペコから進められた紅茶を受け取りながら、西住みほは落ち着かない様子で辺りを見回した。

 スクリーンから離れているため周囲にはそんなに人はいないが、ちらちらと視線を感じる。

 

「まさかここで貴方と試合を観戦できるなんて。これも何かの縁ですわね」

「お、お招きありがとうございます」

 

 感慨深そうに話しかけてくるダージリンに対してもぎこちなく答えた。

 何故こんな状況になっているかというと、二人とも全国大会の試合はなるべく観戦するようにしているらしく、今回は大洗に決まったこともあって、昨日生徒会を通してお誘いがあった。

 親善試合で戦ったダージリンとはまた会いたいとは思っていたが、先に友達と見に行くと約束したしと迷っていたところ、角谷会長から「いーじゃん、行ってくれば。戦うかもしれない相手の情報を持ってるんだし」と後押しされて今に至る。

 観戦するのにこんなセットを持ってくるとは知らず、更に聖グロリアーナと大洗女子学園の隊長が会談しているというのは周りの注目を集めてしまったようで、みほがそわそわするのも無理がないことだった。

 

「黒森峰は重武装の車輌ばかりですね」

 

 オレンジペコがスクリーンを見ながらそう言った。

 スクリーンには両チームの編成が映し出されている。この試合での黒森峰女学園の編成はティーガーⅡが2輌、パンターG型6輌、Ⅳ号駆逐戦車3輌、エレファント1輌、ヤークトパンター1輌、ヤークトティーガー1輌、そしてフラッグ車にティーガーⅠの、計15輌であった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「私がいた時よりも、重戦車が増えています」

「プラウダ高対策ね。ノンナの射撃に手を焼いたのかしら」

 

 昨年度の優勝校であるプラウダ高校と交流のあるダージリンはそう分析する。ブリザードのノンナと言われるプラウダ高校の副隊長は射撃に素晴らしいセンスを持っており、JS-2に搭乗して黒森峰の主力であるパンターを次々撃破していた。今年は撃ち合いになっても負けないように装甲と火力が高い重戦車を優先的に配備したのだろう。

 

「お二人は、この試合どういう展開になると思いますか」

「こんな言葉を知ってる? 前もって予言をするのは避けるべきだ、何故なら事が起こった後に予言するほうが優れたやり方だからって」

「え、ええと」

「チャーチルですが……今披露する言葉ではないと思います」

 

 得意顔のダージリンにオレンジペコが諌めるように言った。

 

「言ってみたかっただけよ。あのチームなら真っ先に市街へ逃げ込むでしょうね」

「でも、黒森峰はそれを許すでしょうか」

「おそらく、何輌かは追撃すると思います。特にパンターは足が速いので追いつくことも可能ですし」

 

 オレンジペコの疑問にみほが答える。市街に逃げ込もうとすれば、必然的に追撃しようとする部隊に背面を見せることになる。いくら火力があってもそうなっては防御力はないに等しいので被害は免れない。もし数輌が残って応戦すればそのまま各個撃破するだけである。念のためティーガーⅡを投入すれば万全だ。

 

「それに、仮に市街に入られても数が多い黒森峰が有利です。今回はフラッグ戦ですから、分散して一気に攻め込まれると対応が難しくなります」

「そうね。なるべく多くの道を同時に進攻するのが定石。ホテル前の交差点さえ確保できればそれで決まるのでしょうけど」

「……全国選抜は対策をしている、ですか」

「ええ」

 

 具体的にはまだ何とも言えませんけれど、と続けたダージリンに対しみほが質問する。

 

「隊長はどんな人なんですか?」

「妙に落ち着いている印象を受けたわ。慎重というよりは老成しているというべきかしら。戦車道の経験も長いそうよ。島田流の門下生ですって」

「島田流の……」

 

 ちょうどその時、スクリーンの映像が切り替わり、審判と両チームの隊長の姿が映った。

 一人はよく見知った姉であり、いつも通りの表情をしている。そこに油断の色は全く見えない。

 もう一方は初めて見る人で、姉と比べると幾分柔らかな表情をしている。

 

『全国大会準決勝、黒森峰女学園と全国選抜隊の試合を開始する』

「まあ、どんな戦い方をするのか見てみましょう」

 

 ダージリンがそう締めくくった。みほには姉が負けるなど想像もできなかったが、ダージリンは簡単に決着はつかないと見ているようだ。

 挨拶が終わり、スクリーンには両チームのスタート地点が映し出される。

 

「え?」

 

 3人はその姿を確認して唖然とした。観客席も気付いたのか徐々にざわつき始める。映像の中の車輌、詳しくいうと全国選抜隊の車輌の中にあきらかに不自然な戦車が1輌混じっていた。

 

 

 

 

 

 

「上手く外れたか?」

「はい。塗装も綺麗なままです」

「今頃観客席では大騒ぎだろうな」

 

 ファシストはそう言って今日何度目かのため息をついた。

 乗組員は車輌に貼られたシールを回収して、車内の開いたスペースに放り込んでいる。挨拶が終わりもうすぐ試合が始まるという時間なので相手チームにはまだ気付かれていないが、中継カメラにはもう映っているだろう。試合後に何を言われるかと思うと気が重くなる。

 

「大丈夫ですよ。ルールブックを見ても禁止されてはいませんでしたから」

「いや、問題はそこじゃない。マナーというか、モラル的にまずい」

 

 砲手が試合規則の書かれた小冊子を片手に振っているが、常識で言えばどちらかというとアウトだろう。ただでさえ会場を一度キャンセルしているのだ。批判が強まらないようなるべく手段は選んでほしかった。

 元凶から通信が入る。

 

『各車へ、相手の周波数を特定しました。次の数字に合わせてください』

 

 今回、フラッグ車である四式中戦車は無線傍受が可能なように改造がされている。性能は高いらしく周波数まで分かるようになっていて、仮に相手が気付いて切り替えたとしてもすぐ特定することができるという。そして各車輌には通常の無線機の他に小型の無線機が持ち込まれている。情報が煩雑になるため傍受と指示はフラッグ車に一任したほうが良いという意見もあったが、各車が個別にすぐ対応できる点と、何よりも強豪校の黒森峰の指示が聞けるという興味心が優先された。

 周波数を聞いて通信手が傍受用の無線機を触ると、早速声が流れてきた。

 

『一部は市街へ逃げ込むはずだ。エリカ、追撃をたのむ』

『お任せください。すぐに叩き潰して見せます』

『敵は錬度が高い、油断するな』

 

 感度は良好なようだ。試合前に作戦を確認していたのか、そこで会話は途切れている。内容から察するにある程度こちらの行動は悟られていると見て良い。

 追いつかれないよう工夫はしてきたが、上手くいくだろうか。そう考えているところへ、乗組員から黄色い歓声が上がる。

 

「今の声、西住まほさんですよね! やっぱりかっこいいです」

「それより、私達のこと褒められてなかった!?」

「うん聞こえた! やばい、どうしよう」

「この無線機、録音機能はないんですか」

「とりあえず落ち着いてくれ」

 

 西住まほといえば西住流の後継者で国際強化選手に選出された有名人であり、メディアに取り上げられることもしばしばある。戦車道を嗜むものにとっては憧れに似た感情があってもおかしくはない。が、今から戦う相手にそんな調子でどうするのだとファシストは頭を抱える。

 一方、本来の無線機からは刺々しい会話が流れていた。

 

『叩き潰す、ですって。よっぽど自信があるようね』

『今の声は逸見エリカね。副隊長の』

『あの目つきがきつい人やな』

『返り討ちにする?』

「お前らも落ち着け」

 

 こちらは逆にプライドを刺激されたようだ。逸見エリカは選手層の厚い黒森峰において副隊長を務めるほどの実力者だが、まだ2年生。直接ではないにしろ年下にいいように言われるのは気に食わないのだろう。だからといってティーガーⅡに喧嘩を売られても困るのだが。

 

『作戦は予定通り行います。相手は強豪ですが、勝機はあります』

 

 先ほどの傍受内容を受けてか、隊長から改めて通信が入った。

 

『私達は戦車道を志す者同士、目標は同じはずです。勝ちましょう! 勝って、決勝まで行きましょう!』

 

 彼女にしては珍しく熱が篭った言葉に誰ともなく掛け声がかかる。

試合の始まりを告げる信号弾が打ち上げられ、アナウンスが流れた。

 

『試合開始!』

『全車前進してください』

「さあ行くぞ。パンツァー・フォー!」

 

 ファシストが声を上げる。褐色の塗装と側面には黒十字。黒森峰の文字が書かれたヤークトパンターが、前進を開始した。

 

 

 






偽装戦車は戦車戦の王道にして鉄板ネタ。異論は全面的に認める。


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準決勝 黒森峰女学園戦(前)

 

 

「グライフ作戦とはな……」

「パンターがM10に偽装したんですよね」

「ああ。だが、あの作戦はハーグ陸戦条約に違反している。これは反則じゃないのか」

「黒森峰の校章を使用しているので抗議されてもおかしくないです。……でも、確かにルールブックにはありませんね」

 

 大洗ホテル屋上の観覧席に座った優花里は、戦車道のルールブックを読みながらエルヴィンの疑問に答えた。ルールで禁止されていない以上、反則に見えても即失格にならないのは大洗女子学園も経験している。1回戦のサンダース大付属校戦で通信傍受をされたのは記憶に新しい。

 屋上に設置されているスクリーンの戦術画面には移動する選抜隊と追撃する黒森峰が示されていた。選抜隊は7輌すべて、黒森峰はパンターG型6輌とティーガーⅡが市街へ向かっている。

 

「思ったよりも速いな」

「ええ。あんなに速いはずはないんですが……」

 

 選抜隊は整地で時速40km程の車輌が主体になっているのに対し、パンターは時速55kmと機動力で優位にたっている。途中で追いつかれてもおかしくないはずだが、スクリーンで見る限り差はそんなに縮まっていない。

 先頭の車輌が演習場を出て、大洗磯前神社への舗装道路に差し掛かった。

 

「もうすぐこちらに来ます!」

「よし、行くぞ!」

 

 二人は立ち上がって屋上のてすりへ移動する。交差点が見えるところを確保した頃にはもう神社前を過ぎて坂道まで来ているようだった。

 最初に見えたヤークトパンターは鳥居下交差点をそのまま直線し、次の戦車は108号線へと曲がる。

 大洗海岸へ向かうその車輌に優花里の視線が釘付けになった。

 

「あれがARL-44、わずか60輌ほどが生産されただけのフランス重戦車……動いてるところを見れるなんて」

「グデーリアン、戻って来い。あれを見ろ」

「はっ! す、すいません……って」

 

 レア戦車を見た感激でうっかり理性が飛びかけた優花里をエルヴィンが呼びとどめる。

 ARL-44を目で追いかけるうちに他の車輌は市街へ入ったようだが、鳥居下交差点にはまだ1輌残っていた。

 最後尾にいたJS-3が信地旋回、反転し、今しがた下って来た道に主砲を向けている。

 

「ここで撃ち合いですか!?」

「よりによってスターリンか……」

 

 驚いたような二人の声は、122mm砲の発射音と徹甲榴弾の爆発音にかき消された。

 

 

 

 

 

 主砲射撃による振動が納まると、共産主義者は砲塔内部の側壁に備えられた弾頭を取り外した。

 身長が140cmあるかないかという小柄な彼女だが、見かけによらず力が強い。"БР-471"と書かれた25kgもある弾頭を苦もなく持ち上げる。

 

「パンター撃破しました!」

 

 戦闘室の左側、隣にいる砲手が嬉しそうに報告するのを聞きながら、手に持った弾頭を閉鎖機に入れた。

 

『突撃! 装填される前に背面を取れ!』

 

 傍受用の無線機から相手の副隊長の指示が聞こえてきた。分離式の砲弾を採用しているスターリン戦車は装填速度が遅く、標準的な発射速度は1分あたり2、3発と言われる。無理やり間合いを詰めて接近戦に持ち込もうというのだろう。

 しかし共産主義者は3年間この戦車に乗ったベテランであった。先ほどの弾頭の横に備えた薬筒を取り外して装填、1発あたり10秒ほどで作業を終える。

 再び強い振動と発砲音が轟く。

 

「パンター撃破!」

『ちょっと、急停車しないでよ!』

『バカ! やられたのよ、後退しなさい!』

 

 相手チームの怒鳴りあいが無線機から流れてくる。

 鳥居から大洗神社及び演習場へ向かう坂道は1車線の道路で、戦車にすれば幅が少し狭い。撃破した先頭車両に後続車輌が玉突き事故を起こしたようだ。もう1輌撃破するチャンス。そんなことを考えつつ、共産主義者は手を休めることなく装填を完了させた。

 

「あー、惜しい。隠れられましたね」

 

 残念そうな砲手の声に首をかしげ、戦闘室の右側に取り付けたペリスコープで状況を確認する。

 こちらから見て坂道の左側にパンター、少し奥の右側にもパンターがそれぞれ白旗を上げており、よく見るとその右側の車輌の後ろから砲塔の先端が伸びていた。

 

「狙える?」

「いや、さすがに無理です。もしやられている戦車に当たったら失格になりますし」

「2輌撃破なら十分でしょー。はいどうぞ」

 

 下の車内から操縦手が顔を出した。戦闘室の二人と同じくヘッドフォンを内蔵したヘルメットを被り、手には弾頭を持ってこちらに差し出している。見れば床に薬筒も置かれていた。暇になったとみて弾薬の補充を買って出たようだ。

 JS-3の中は非常に狭い。本来4人の乗組員がいるところを3人で運用しているのでまだ余裕はあるほうだが窮屈なのは変わらない。とりわけ砲塔内部は小さくてすぐに装填できる弾薬の数には限りがある。そのため少しでも時間があれば、弾薬庫から砲塔内部の収納ラックへ運ぶようにしていた。

 ただ、今回はそこまで時間はなかった。弾頭を受け取った頃に小型の無線機から相手の副隊長の声が耳に入る。

 

『どきなさい。私が行くわ』

「やばっ、戻ります!」

 

 操縦手は慌てて席へ戻って行った。遂にティーガーⅡが到着したようだ。車体前面を暴露しているこの状況ではいささか分が悪い相手である。だが試合前の発言のこともあり、そうやすやすと撃破されるつもりはない。

 

「砲身下を狙って」

「お任せください」

 

 戦車戦は先手必勝、撃たれる前に撃つのが基本だ。

 装填しやすいように弾薬を床に置き直すとペリスコープで前方を見据える。坂道の奥からティーガーⅡが現れるのが見えた。距離100。JS-3の主砲が先に火を吹いた。

 

「命中!」

 

 敵戦車の前面で爆炎が生じたのを確認して装填作業を再開する。スターリン戦車の徹甲榴弾は貫通力が比較的低く、これでやられるような相手ではない。だが、その重量を持った弾丸と炸薬は確実に相手の戦車にダメージを与えている。

 弾頭を入れたとき、凄まじい衝撃に襲われた。

 

「砲塔前面に敵弾命中、まだいけます!」

 

 砲手が叫ぶ。狙い通り、先ほどのこちらの射撃で砲身が歪んだようだ。相手の徹甲弾はこの距離だとJS-3の車体前面を貫ける程の威力があるが、砲塔に当たってくれればその優れた傾斜装甲により敵弾を弾いてくれる。

 車体が前後に揺れる。この状況では気休め程度にしかならないとはいえ、やはり動き続けて敵の照準を外すことが原則である。操縦手は2年生で少し性格が軽いが優秀であり、何も言わずとも位置の微調整くらいはやってくれる。

 装薬を入れ、四度目の射撃が行われる。

 

「車体前面に命中、敵いまだ健在です」

「後退準備」

 

 さすがに相手も強豪校のエースで、簡単にはやられてくれないらしい。侵徹効果や内部装甲はつりの判定が期待できるとはいえ、防御力が高いティーガーⅡに正面から挑むのはやはり厳しい。戦闘室に用意していた弾薬もなくなりここら辺が潮時だろう。無線機で味方に連絡する。

 

「共産主義者より隊長へ、撤退する」

『了解、レジスタンスと二枚舌は交差点を射程に入れてください。こちらはまだしばらくかかります』

『準備オッケー、いつでもいいよ』

『OK.こっちも入れたわ』

 

 108号線と2号線に待機している2輌からも通信が入った。時間は十分稼げたようで、坂道にパンターが鎮座しているこの状況では、JS-3がいなくなっても敵の侵入を抑えられる。

 ティーガーⅡは命中弾による衝撃から立ち直れないのか、まだ撃ってこない。事情は不明だが今のうちに逃げるに限る。

 

「後退開始」

 

 JS-3は後退を始め、交差点を南下した。敵の射線が見えなくなるのを見計らってハッチを開ける。後ろはカーブになっているので逐次指示を出さなければならない。

 

『JS-3が逃げるわ、追撃!』

『待て。既に待ち伏せされているだろう。深追いするな』

『……了解しました』

 

 傍受用無線機から相手の隊長と副隊長の会話が聞こえる。どうやら相手も態勢を整えるようだ。

 カーブを曲がり終えると旋回して市街内部へ向かう。ティーガーⅡと至近距離で殴り合いをするのは心臓に悪い。徐々に遠くなるカーブを見つめ、ほっと一息をついた。

 

 

 

 

 

「そーれ!」

 

 掛け声とともに四式中戦車とP40の乗組員が2mほどのL型のレールを起こす。

 そのレールを、既にP40に立てかけられているXの形に固定された二本の鋼材と組み合わせてボルトで結合する。*の形で3本足で立つそれは、"チェコの針鼠"と呼ばれる対戦車障害物だ。

 

「それにしても、こんなもんまで持ち出すとは思わんかったわ」

「道を封鎖しないとどうしても戦力が足りませんから」

 

 出来上がったものを横目で見ながら、パスタは自分と同じくヘッドホンに手を当てている紙装甲へと話しかけた。

 県道2号線、東光台前交差点から時計回りに少し進んだところの道路上には両端に組み立てられた針鼠が設置され、さらに有刺鉄線を取り付けようと作業が進められている。完成すれば敵戦車の進入を食い止めることができるだろうが、片付ける労力を考えると気が遠くなった。レール1本だけでも大変な重さなのだ。

 

「何とか間に合いそうですね」

「今1輌目の回収が終わったところやろうし、結構ぎりぎりやったな」

 

 現在、鳥居下交差点において黒森峰のパンター2輌の回収作業が行われており、相手は通行の支障になっている走行不能車の回収を待って、坂道を高速で下り市街へ展開するとのことだった。それまでには設置作業が終わる見込みがたったと言える。

 そこへ紙装甲へ通信が入った。

 

「お疲れ様です。所定の位置に戻ってください」

 

 そう言って通信が終わり、こちらへ顔を向けてきた。おそらく偵察班から報告があったのだろう。今は二人で通信業務を分担しており、パスタは敵の通信傍受、紙装甲は味方への指示を担当している。

 

「やはり、先ほどの傍受内容と一致しているそうです」

「まだばれてへんわけか」

 

 パスタはニヤリと笑う。

 通信傍受で得た情報によると、先行部隊はヤークトティーガーとティーガーⅡが2輌編成で県道2号線を時計回りに進み、ヤークトパンターとパンター1輌は鳥居下交差点を直進して中央から、残りのパンターは県道を反時計回りと時計回りの交互で進むという編成らしい。ブラフが入っている可能性があるため偵察班が確認に行っていたが、現在神社前においてその編成で整列されているとのことだった。

 紙装甲が地図を広げたので近寄り、状況を再度確認する。

 

「大洗海岸へは行かんのやな」

「あくまでもフラッグ車を狙うつもりでしょう。指揮車輌を目標にするのは西住流らしい作戦です」

 

 西住流はドイツ戦車道と親和性が高く、グデーリアン流の影響を強く受けている。今回は市街地戦のためそのドクトリンを十分には生かせないだろうが、敵中枢を攻撃目標とし、機動力を活かした高速突破という原則に基づいていることが見受けられる。

 紙装甲は地図に敵の進行予測と味方の配置を書き込むと、無線機をとり指示を出し始めた。

 2号線に配置していたファイアフライは住宅街経由で東光台前交差点まで移動。JS-3はそこから更に2号線を反時計回りに行くとある新町交差点で待機する。この2輌は基本的に動かず防衛線となり、フラッグ車である四式中戦車はその間に潜んで指揮を執る。

 シャーマンとヤークトパンターは磯浜町内で潜伏し、主力部隊として敵の侵入阻止と殲滅を担う。ARL-44は引き続き108号線で待機し、先行部隊の後続車輌を狙って敵本隊との分断を図ることになった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「うちらは例のポイントに?」

「いえ、それはまだです。先に姿を見せておいたほうが効果があります。作戦は敵本隊を相手にしたときにお願いするので、今は駅に移動してください」

「ん、了解や」

 

 確認を終えた頃には障害物の設置も終わっていたので、じゃあまた後で、と自車のP40へ戻る。

 これから第2ラウンド。ここが正念場やなとパスタは気合を入れ直した。

 

 

 

 

 

『交差点、敵影ありません』

『進め』

 

 ティーガーⅡに乗る副隊長が鳥居がある交差点の安全を確認し、隊長から突入の命令が下る。

 黒森峰の14号車であるヤークトパンターは、ティーガーⅡとヤークトティーガーに次いで交差点に進み、直進して大洗町の住宅街に入る。

 道の幅は1輌がやっと通れるかという狭さであり、待ち伏せできるような箇所もない。

 しかし、ハッチから周囲を確認している戦車長の耳には、装填手の不安そうな声が届く。

 

「こんな入り組んだ市街で戦うことになるなんて……大丈夫でしょうか」

 

 黒森峰が最も得意とするのは広いフィールドにおける機動戦であり、緊密な連携を保ち隊列を組んで正確な射撃をする訓練を積んで来た。だが市街戦では連携よりも個々の判断力が必要とされる。装填手はまだ入ったばかりで、心配するのも無理はない。

 その不安を裏付けするかのように凶報が届く。

 

『9号車、やられました! 6時にARL-44!』

『……隊長! 道が塞がれて前進できません!』

『一度引け、狙われている』

 

 後続のパンターG型が撃破され、しばらく増援の見込みがなくなった。

 乗組員の動揺が更に大きくなるのを感じて、落ち着かせるように戦車長は声を張り上げる。

 

「大丈夫よ、所詮相手は急造チーム。隊長の言うとおり進んでいけば問題ないわ」

 

 

 順調に町中を進み、道幅が広くなってT字路に差し掛かったときにそれはいた。

 突如右手側に衝撃を受ける。履帯がやられたと判断するとともに、戦車長は鋭く指示を飛ばす。

 

「2時にシャーマンよ! 信地旋回、撃て!」

 

 右側の履帯が破損されたので、左側の履帯だけ動かして狙いをつけるように指示する。

 しかし、その前にシャーマンが消えた。正確にはいきなり正面に煙が現われ、目の前が真っ白になったのだ。相手が後退を始めるような音だけが聞こえてくる。

 

「煙で、前が見えません!」

「このー! 今度見かけたら撃破してやる!」

 

 戦車長の叫び声がむなしく響き渡る。

 おそらくは小型の発煙筒を発出されたのだろう。はぁ、とため息をつくと、無線で報告をして、破損した履帯を直すべく乗組員とともに外へ出た。

 彼女の苦労が始まるのはこれからだった。

 

 

 

 

 

『ヤークトティーガー、駅方面へ旋回しています』

「こうなったらやけだ。皆いいな」

 

 若見屋交差点で待機していたファシストは、マリンタワー近くで観客に紛れ込んでいる偵察班から報告を受けると覚悟を決めた。

 制服のポケットから私物の携帯電話を取り出す。

 戦車道の試合では携帯電話の持ち込みは禁止されていない。試合中に競技者以外の者、特に観客席の大型スクリーンを見ている者などと連絡をとることは厳禁であり、通話やメールの記録は試合後に確認されるが、基本的には連絡手段のひとつとして容認されている。昨今ではよほどこだわるチームでない限り持ち込んでおり、選抜隊も全員所持していた。

 ファシストは慣れた手つきで操縦手の携帯にかけると、自分の携帯を戦闘室背面に取り付けたかごに置いた。

 テレビ電話を応用したバックカメラである。

 後退するときは戦車長が後方を確認して操縦手にその都度指示するのが普通だが、それでは指示が複雑になり、さらに周囲への警戒も疎かになってしまう。この試合では市街戦になることが想定され、速やかな後退が求められた。戦車にカメラを取り付けられればいいのだが、使用できる戦車及びその部品は終戦時までというルールに抵触してしまう。そこで考案されたのがこの手法だ。通話料という大きな問題が残っているものの、効果は絶大であった。

 

「正面からだが、1発だけなら隙はある。撃った後はすぐ戻ってくれ」

「了解です」

 

 ヤークトティーガーは最大250mmの前面装甲というこちらの戦車では貫通できない防御力と、51口径128mm砲というこの試合のあらゆる戦車を貫通できる攻撃力を有する駆逐戦車だ。まともに正面からいけば絶対に勝てない相手である。だが今回は例外だ。

 

「前進!」

 

 急発進して若見屋交差点を左折すると、マリンタワー方面から来たヤークトティーガーと正対した。

 相手は砲塔をこちらに向けたものの、戸惑っているようで撃ってこない。

 

『ヤークトパンター? 履帯がやられたんじゃ』

「撃て」

 

 下の方に照準をつけて放たれた徹甲弾は敵戦車の前面装甲下の路面でバウンドし、そのまま底面に命中。貫通判定がでたのかヤークトティーガーに白旗があがった。

 

『何、を……くっそ、やられました! 敵は偽装戦車を使っています!』

『何ですって!?』

 

 後退中に傍受用の無線機から会話が流れた。ファシストは心の底から同情したが、次の獲物を求めるべく無線機を取る。

 

「偵察班、2号線に他の敵はいないか」

『ティーガーⅡが駅方面へ、あとパンター1輌が控えています』

 

 頭の中に地図を描く。厄介なティーガーⅡを仕留めるべきだが、うかつに行くとパンターに狙われる可能性もある。

 

「まずはパンターを狩りに行くか」

 

 ファシストは操縦手に2号線に行くよう伝えた。傍受用無線機からは敵の報告や指示が雑多に聞こえてくる。この混乱なら後一回は使えるなと勘定した。

 

 

 

 

 

 逸見エリカは苛立っていた。

 原因は勿論この無線機から流れる内容だ。

 

『4号車より、B地点手前に障害物が設置されています。通行できません』

『戻って側道からB1地点へ向かってくれ』

「小賢しい真似を……」

 

 先ほどの偽装戦車を筆頭に、敵チームはとことん邪道な戦い方をしている。エリカにとっては到底受け入れられるものではなかった。

 

『6号車やられました、B1地点付近にファイアフライ!』

 

 先ほどの4号車とは別に東光台交差点付近のB1地点に向かっていた6号車からの報告を聞いて、ますます苛立ちを募らせる。順当に考えれば待ち伏せをしていただけだろうが、増援を絶ったARL-44といいどうにも手際が良すぎる。

 

『ヤークトパンターだ、狙え!』

『待て、味方だ! 撃つな!』

『え、ごめ』

 

 無線越しに伝わる衝撃音。エリカの額に青筋が立つ。

 

『黒森峰女学園パンターG型、走行不能』

「どこまでふざけてるの……!」

 

 今の会話ではっきりとわかった。相手はこちらの周波数を把握して通信傍受をしているどころか、偽装通信までしていると。

 その後も悪い報告が流れ続ける。最悪なのは味方のヤークトパンターが誤射を受けて撃破されたというものだ。『せっかく直したのにー!』という叫び声が聞こえてきたが、とりあえず関係者はすべて試合後に尋問しようとエリカは心に決めた。

 

「前進、フラッグ車はこの先にいるわ!」

 

 他の車輌の支援を待って動こうとしたが、このままでは殲滅されるのは時間の問題であった。それよりも、上がってきた報告から敵フラッグ車の位置の見当もついたので、敵が戦力を磯浜町付近に集中している隙を狙って目標を叩いたほうがいいとエリカは判断した。

 駅入口交差点から2号線を時計回りで進んでいく。坂道になっているところを昇って頂点にたどり着くと、先の交差点にある戦車がいるのが見えた。まるで他の戦車の進入を食い止めるかのように道の真ん中に陣取っている

 

「JS-3……」

 

 エリカは思わず呟いた。先ほどの戦闘の記憶が思い出され、怒りよりも恐怖が湧き上がる。JS-3ではティーガーⅡに貫通判定はでないだろうが、122mm砲から放たれる徹甲榴弾の打撃は筆舌に尽くしがたい。あの戦車の場合、それが10秒間隔で来るのだ。いっそ一発ですんでくれた方が楽になれるとすら思ってしまった。

 目の前の戦車は最初こちらに反応していなかったが、やがて砲塔をゆっくりとこちらに向ける。

 

「――ひっ」

 

 そう悲鳴をあげたのは砲手か操縦手か、あるいは両方だろう。外が見えるというのはこの場合において恐怖を煽るものでしかない。

 

「怯むな! 車体は1時に向けろ、照準敵の車体前面!」

 

 そう指示を飛ばした瞬間、例の愕然とするような打撃と爆発による振動がティーガーⅡを揺さぶった。おそらくは最初のときと同じく砲塔に当たったのだろう。敵の狙いが透けて見えて思わず舌打ちする。

 

「……照準よし!」

「撃て!」

 

 発射された砲弾は、やはり目標から少し逸れて弾かれてしまう。砲塔が曲がったか照準器がずれたかはわからないが、また照準を合わせなければならない。

 

「次弾装填!」

 

 エリカにはある確信があった。このJS-3の先にはフラッグ車がいる。刺し違えたとしても、ここでこの壁をなくしてしまえば隊長が必ず勝利をつかんでくれると。

 再び衝撃。と同時に振動により頭を強く打った。

 

「ぐっ……!」

 

 頭がふらつく。

 まだ撃破されないのは幸なのか不幸なのか。

 何にせよ失格にならない以上、逃げるという選択肢はない。

 

「……装填完了!」

「撃て!」

 

 2回目の射撃。だがこれも照準があわず弾かれる。

 装填を命じて間もなく3度目の衝撃を受ける。今度は車体左側に当たったようだ。

 

「駆動部に損傷! もう動けません!」

「まだよ! まだ失格じゃない! 次弾装填!」

 

 操縦手の悲鳴に怒鳴り声で返す。審判はまだ失格判定を出していない。砲塔さえ動けばまだ戦える。

 

「撃て!」

 

 3回目。先ほどよりも狙いが正確になっているが、小刻みに動く敵戦車により微妙に外され、これも弾かれてしまう。

 

「車体上面、弾かれました! ですが、次で仕留めます!」

「よし!」

 

 いつもは淡々と報告する砲手もこのときばかりは叫ぶように言う。

 相手は用意した弾が切れたのか撃ってこない。あの装填速度を維持するのは3~4発が限界なのだろう。もはや邪魔するものはない。

 

「装填完了!」

「よし! 撃て!」

 

 エリカは叫ぶ。

 その砲撃は放たれれば今度こそ敵の車体前面に命中し、白旗を上げさせただろう。

 しかし命令は遂行されることはなかった。

 ほぼ同時に背後から強い衝撃が襲う。慌てて後ろを見れば、P40が煙を上げた砲身をこちらに向けていた。

 

『黒森峰女学園ティーガーⅡ、競技続行不能』

 

 無情にも審判からのアナウンスが流れる。

 結局何もできずに終わってしまったと、震える手で喉もとの無線機用のマイクをとる。

 

「隊長、申し訳ありません。撃破されてしまいました……」

『いや、いい。私のミスだ。すまない。無理をせず安静にしてくれ』

 

 ――いえミスではありません、敵が卑怯なだけです。

 そう返そうとしたが、あいにく出来なかった。

 

「副隊長、怪我を……」

「……私はいいから。他に怪我人は?」

 

 装填手が青白い顔をしながら言おうとしていたことを遮って尋ねると、異常なしとの報告が上がる。それを聞いて安心し、エリカは壁に寄りかかって目を閉じた。

 

 

 

 

 

(手痛くやられたな)

 

 黒森峰のフラッグ車であるティーガーⅠに搭乗している西住まほはこれまでの試合内容を振り返った。

 味方は既に9輌が撃破され、敵は無傷。あんまりと言えばあんまりな敵の作戦に憤りを感じているのか士気の低下は抑えられているようだが、逆に冷静さを失ってしまっている。

 

「3号車はA地点を見張れ。敵が見えたらすぐに発砲しろ。他はその場で待機」

 

 鳥居下交差点を射程に入れているティーガーⅡに警戒を継続するよう指示する。108号線にいる敵に市街へ合流されると厄介なので、ここで押さえ込んでおく。

 問題は市街に残る敵だ。こちらと相手の戦力差、これまでの敵の動きを検討して最善と思われる作戦を探し――やはりというべきかその答えにたどりつき、首を振った。

 

(西住流に逃げの文字はない)

 

 西住流は必ず勝つ戦車道であるが、それは「前進あるのみ」という教えを体現して得られるものだ。西住を冠するものとして逃げと見られるような作戦を取ることは出来ない。たとえ、敵の罠にはまることになろうとも。

 

「各自休憩をとれ。少し出掛けてくる」

「隊長、どちらへ」

「車長を集めて打ち合わせだ。敵に通信傍受されているからな」

 

 回収中は動けないし、敵はそもそも攻められない。試合時間には余裕があるので急がなくてもいい。

 ここで負けるわけにはいかない。どう攻略すべきか作戦を練りながら、まほは他の車輌へ歩み始めた。

 

 

 




○携帯電話持ち込み可能は地味にやばいと思うのです。本編でもメールはあったので選手同士ならテレビ電話も可能としましたが、なんとなくアウトな気もします。




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準決勝 黒森峰女学園戦(後)

「部長、変速機の直し終わりました」

「おつかれー」

 

 大洗シーサイドホテルの入り口付近の道路から鳥居を見ながら、レジスタンスはのんびりとおやつを食べていた。

 今は戦闘で撃破された黒森峰の7輌の回収作業が進められている。偵察班からの情報によると敵の指揮官は残っている車輌の戦車長を集めて念入りに打ち合わせしているそうで、おそらく回収作業が終わるまでは戦闘が起こらないだろう。

 ちなみに傍受用無線機はもう切られている。さすがに相手にばれており、これ以上は役に立たないと判断された。

 

「今直さなくてもよかったんじゃないですか? まだ試合中ですし」

「無理なことを続けるとエンジンがダメになるよ。むしろここまで何もなかったことが僥倖なんだから」

 

 整備を担当していた操縦手に諭すように言う。

 今日の試合では速やかに市街へ移動するため、エンジンの変速機をいじり本来以上の速度を出せるよう改造していた。ただ、こうした行為はエンジンを過度に疲労させ途中で動かなくなる危険性もある。できるなら他の車輌も直しに行きたいところだが、あいにくそこまでの時間はない。

 

「それにしても、偽装は上手くいったようですね! 何かこう、達成感があります!」

「ふふ、まだ試合は終わってないよー。まあ写真を貰ったかいがあったってことだね」

「どうやってあれだけのものを手に入れたんでしょうね……」

「過去の試合の資料を探し出したと思いたいけど……」

 

 ヤークトパンターに施した偽装を担当したのはレジスタンス含む広島代表校だ。とはいえ、正確に塗装するには黒森峰の車輌についての資料が必要で、それは二枚舌から提供があった。元々参加校についての情報を仕入れていたという話だが、どう考えてもつい最近黒森峰の車庫で撮られたような写真が混ざっていたのは気のせいだろうか。

 いや、私は何も見なかったと頭を振ると、ちょうど無線に通信が入る。

 

『パスタより隊長へ、移動完了や』

『了解です、指示を出すまで待機してください』

 

 次の戦闘に備えての配置が終わったようだ。いい機会なので隊長に言いたかったことを陳情する。

 

「レジスタンスより隊長へ、こっちに1輌よこせない? このままだとよくて相打ちになるんだけど」

『気持ちはわかるんですが、2輌で一緒に突撃されると待ち伏せしてもやられてしまいます。それにあまり固めてしまうと、かえって攻めてこないかもしれません』

「むぅ」

 

 先ほどから右手の斜面から視線を感じており、あからさまに狙われているので待ち伏せ車輌を増やしてほしかったが、すげなく断られた。市街へ合流できればいいのだが、まだ鳥居下にある黒森峰の車輌は回収されておらず、更にティーガーⅡが坂道に陣取っている。

 

『結局戦力が足りないのよね。これでマウスが出てきたらどうなっていたか』

「見てみたかった気もするけどね。何で今日出さなかったんだろう」

『おそらくスタート地点まで登れなかったのでしょう。そういう意味でも今回の会場は最適でした』

『ティーガーⅡでさえ手を焼いてるのにそんなの相手にできない』

『あー、残念なお知らせやけどあと1輌残ってます』

『弾があと1発しか残ってない』

 

 共産主義者から悲壮感ただよう報告があがる。JS-3は元々多くを積めない車輌だが、今回は徹甲榴弾8発しか装備していなかった。機銃も取り外しているので、全弾を撃ち尽くせばその時点で競技続行不能判定が出される。

 とはいえ他の車輌も似たようなものだった。少しでも軽くして速度を出そうと弾数を節約している。特に顕著なのはP40と四式中戦車で、通信傍受機や道路封鎖用の鋼材を積み込むため最初から5発もない状況だ。

 

『このまま時間切れになるのだけは避けたいわね』

『全くです。今のままなら大丈夫だとは思いますが』

「そこが疑問なんだけど、相手は本当に攻めてきてくれるの? 」

 

 チーム戦に馴染みのないレジスタンスにとってはそこが心配だった。冷静に考えれば、黒森峰は無理に攻める必要はない。こちらも腕に覚えはあるが、一騎打ちになってティーガーⅡを相手にするのはさすがにきつすぎる。

 まだ戦力は五分に近いとはいえ、わざわざリスクが高いほうを選ぶとは思えなかったが、

 

『引くことができないのが西住流の弱点ですよ』

 

 無線から聞こえてくる隊長の声はどこか楽しげにそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

「勝つためには手段は選ばない、ということでしょうけど」

「形振り構わずですね……」

 

 ダージリンとみほはこれまでの試合内容をそう評した。

 偽装戦車に通信傍受、おそらくは偽装通信まで使用している。いずれも戦車道精神からはかけ離れており、ただ勝つことのみを目的としているようにしか見えない。

 

「まさか、あの黒森峰が6対7にまで追い詰められるなんて」

 

 オレンジペコが意外そうに言う。

 

「でも、全国選抜からは動けないわ。相手の動きを待つしかない」

「エレファントとティーガーⅡがいる限り、あの坂道を登ることはできない」

「そう。このまま時間切れにする権利を持っている。そして一騎打ちにティーガーⅡを出せば高い勝率を見込めるわ」

「でも、お姉ちゃんは」

「ええ。まほさんなら……西住流ならここで攻めないということはないでしょうね」

 

 前進あるのみを掲げる西住流ならばここで引く手はない。

 そうでなくても最初は2倍ほどの戦力を持ちながら攻めきれずに1対1に持ち込まれるのは、悪く見れば指揮に問題があると言われかねない。しかも日本戦車道で最大といわれる西住流の、後継者になるだろう人の指揮が。例えそれで勝てたとしても、世間からは何と言われるだろうか。

 

「いやらしいわ。最初からこうなることを見越して準備してるわね」

「島田流なら偵察用の人員を配置して待ちかまえていると思います。それに、あの戦車」

「上手く攻めれたとしても、あれに気づかないと……」

 

 2人はスクリーンの一点に注目する。戦術画面でなら分かる、ある位置に移動した車輌。その意図するものを察して、無意識に黒森峰の隊長を案じる。

 

「黒森峰が動きます!」

 

 映像が変わり、鳥居下交差点へティーガーⅡとエレファントが前進を開始する様が映し出される。

 雌雄を決する戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

『敵ティーガーⅡ、前進しました!』

「射撃準備」

 

 偵察班からの報告を受け、レジスタンスは車内に入ってハッチを閉める。

 こちらの位置はばれており、相手は躍進射撃でこちらを狙うはずだ。そのときに車体下部側面を撃ち抜くことができればいい。ティーガーⅡと相打ちになれば、こちらの勝利はかなり近くなる。

 レジスタンスはそう予想していたが、そんな期待はあっさりと裏切られた。

 

「は!?」

 

 ティーガーⅡはこちらに正面を向けながら横滑りをして現れた。勢いを殺しきれずに歩道にまで突っ込んだが、その砲塔はARL-44を狙っている。

 

「う、撃て!」

 

 慌てて指示を出すが相手の照準の方が早かった。直後に大きな揺れと釣鐘の中にいるような轟音が襲う。

 車体前面に直撃弾を受け、ARL-44は白旗を上げた。

 

 

 

 

 

 

「これで、6対6ですか」

「さすがに楽には勝たせてくれませんね」

 

 指揮車の中で通信手と話しながら、紙装甲は嘆息した。

 既に相手は鳥居下交差点から市街へ再び展開を始めている。しかし、先ほどとは様子が異なるようだ。

 

『こちら偵察A班、敵の動きなんですが……先ほどから道を行ったり来たりしています。一応、ティーガーⅡとエレファントはマリンタワーへ向かっているようですが』

『偵察B班より、こちらでもティーガーⅡとエレファントが見えました。ただし速度は遅いです。あと、その後ろのラングが2号線から市街へ入って戻るというのを繰り返しています。』

「偵察A班へ、フラッグ車は?」

『まだ坂道にいます』

 

 地図を見ながら紙装甲は小考する。

 市街へ槍を突いたり抜いたりするような敵の動きの意図はこちらの継続的な排除。先ほどのようにばらばらに動かず、より組織的に制圧をしていく方針だ。こうなると側面や背面を狙うのは難しい。

 こういう真綿で首を絞めるような作戦が一番困りますね、と思いつつ、こちらの作戦を成就すべく思考を巡らす。

 

「ファシストは300地点付近へ、ラングを正面から撃破。物量主義は役場付近の交差点で出てきたところを撃ってください。深追いは避けるように」

『了解だ』

『わかったわ』

「共産主義はその場で待機、但し発砲は厳禁です。二枚舌はいつでも撃てるようにしてください」

『OK. ノルマは1輌でいいわよね』

「そういうことです。偵察A班へ、今後はフラッグ車だけを追尾してください。くれぐれも気をつけて」

『了解しました!』

 

 冷静に考えれば最後の指示はかなり無茶ぶりだが、この場合は仕方がない。そんなに急な移動はしないだろうし、あとは忍道履修者の隠密性に期待したい。

 

「しかし、国際強化選手はシリアに研修にでも行くのでしょうか」

「なら私たちはさしずめ反政府軍ですね」

「そこの2人、ブラックジョークはやめなさい。不謹慎よ」

「すみません」

 

 出すべき指示も出し終わり相手の戦術について話していると、操縦手から怒られたので素直に謝る。

 今の相手の作戦は既存の西住流にはないものだ。まだ日本には浸透していない最新の戦術を模したもので、西住流でもまだ受け入れられてはないだろう。それでも時間切れにするよりは攻めて勝つことを選んだようだ。

 

「西住流といいあんたたちといい、ここまでして勝ちにいくのはなんでなの?」

 

 ため息交じりで出された操縦手の疑問に首をかしげる。

 確かに一騎打ちを狙ったり、偽装戦車を使ったりというのは傍から見ればなぜそこまでと思われても仕方がないのかもしれない。ルールでは禁止されていないからといって、普通のスポーツを基準に考えればありえないことだ。

 とはいえ、それに対する島田流の答えは決まっている。

 

「指揮官になった以上、指揮の稚拙さから無益に損害を出すようなことがあってはならない。それが島田流の教えだよ」

 

 分家の師匠から叩き込まれた言葉であり、島田流の本家でも変わらぬ教えだろう。

 たとえ戦力に差があろうとも、出来る限りで最善を尽くし部下に報いるのは隊長の責務なのだから。

 

 

 

 

 

 

 東光台前交差点から南西方向の道路を睨みながら二枚舌はその時を待っていた。

 小学校までの500mほどの直線道路を射界に収めるこの地点がフラッグ車を守る防衛線であり、撃破されてもここで立ち往生となって時間を稼ぐ役割があった。

 

『黒森峰女学園ラング、全国選抜隊シャーマン走行不能』

「5対5ね」

 

 無線からは撃破アナウンスが流れる。

 こちらの手の内はあらかた晒しているのに加え、相手は強行突破から徐々に制圧していく戦術に切り替えており、先ほどの戦闘のように一方的には倒せそうにない。

 前進と後退を繰り返して戦況を把握し、拠点を潰していく。これで煙幕を使われたりパンターが生き残っていたりすれば非常に厄介であったが、幸いまだ隙はある。

 

『黒森峰女学園ラング走行不能』

「あと1輌」

 

 勝利するにはこの局面で3輌の撃破が必要だと二枚舌は見ていた。ここでヤークトパンターがもう1輌撃破すれば攻勢に移ることも夢ではない。だがそこまでは上手くいかなかった。

 

『偵察B班より、エレファントが背面を狙う位置にいます』

『了解、残りのラングを追撃する』

『待ってください、敵フラッグ車2号線に!』

 

 包囲されそうになっていたヤークトパンターが正面のラングを追撃したようだが、それは誘いだ。しかし、手助けしようにもこちらは動くわけにはいかず、こうなっては手遅れだった。

 

『全国選抜隊、ヤークトパンター走行不能』

 

 不用意に2号線へ飛び出してしまったのだろう、駆逐戦車では躍進射撃などできない。待ち構えていたティーガーⅠに撃破されてしまったようだ。

 

『こちら偵察班、エレファントが2号線を猛スピードで戻ってきます』

『共産主義より、ティーガーⅡと交戦中。長くは持たない』

 

 駅方面に侵攻していたティーガーⅡとエレファントが遂に防衛線を捉えた。まもなくエレファントがファイアフライを処理すべくこちらに来るだろう。

 

「そこの道路を見張って。エレファントが来たら連絡すること」

 

 APDSの装填を終えていた装填手に偵察任務を指示する。チェコの針鼠により2号線が封鎖されているため、ファイアフライを狙うとすれば小学校のほうから1輌、住宅街から目の前の道路に続く道路から1輌、合わせて2輌が同時に進む必要がある。そうでなければ各個撃破される。

 

『来ました!』

「前方注意! 来るわよ!」

 

 目の前の道路の先からラングが見えた。距離500。

 

「FIRE!」

 

 発射により煙が立ちこめ視界が遮られる。手ごたえはあった。

 急いで車内に戻りハッチを閉める。続けて装填作業をしようとしたところで直撃弾を受け、轟音と振動に襲われた。

 

『黒森峰女学園ラング、全国選抜隊ファイアフライ走行不能』

 

 キューポラから確認すると、道路から飛び出したエレファントがその砲塔をこちらに向けていた。

 どちらか1輌が囮となり、装填される前にもう1輌が止めをさす。それが相手の作戦だった。

 

『全国選抜隊、JSー3走行不能』

 

 もうひとつの防衛線も破れて、2対3。これで完全に味方のフラッグ車が包囲される形になった。

 

「やられてしまいましたね」

「Don't worry! やれるだけのことはやったわ」

 

 残念そうな砲手を励ますように言う。

 最低限の仕事は遂行できた。後は相手がこちらの作戦に引っかかっていることを祈るだけだった。

 

 

 

 

 

「P40がいない?」

 

 西住まほは上がってきた報告を整理していくうちにそれに気づき、思わず口に出した。

 状況は3対2でリードを取り返し、更に敵フラッグ車を包囲するかのように配置を終えている。あとは回収車が来て2号線に擱坐する車輌をどければそれまでだ。

 だが、この段階になってもP40の目撃情報すらないのは明らかに不自然であった。

 

「フラッグ車に追随しているだけなのでは?」

「そう考えるしかないが……らしくないな」

 

 犠牲を払いつつも、市街の道路を手分けしてくまなく把握するように指示している。いるとしたらフラッグ車と同じく、現在包囲している2号線上と住宅街の中だけのはずだ。

 しかしここまでの敵の手腕をみる限り、せっかくの戦力を無駄にするとはあまりにらしくなかった。

 

(油断させておいてフラッグ車を狙う。正面からでも路面に跳弾させれば可能性はあるか)

 

 相手ならどうするかを考える。残りの2輌はそこまで火力が高いとはいえず、ティーガーⅠなら十分に勝てる相手だが、側面や底面を狙われれば撃破される。P40なら小回りも利くのでこちらに一気に近づくこともできるだろう。

 

「まだ安心するのは早いな。いつでも動けるようにしてくれ」

 

 まほはそう指示する。勝ちが見えていても油断はなかったが、惜しいことに相手の作戦を完全には読み切れていなかった。

 敵はまだ市街に残っていたのだ。

 

 

 

 

 

 大洗町にある立体駐車場の操作室。

 携帯用の無線機で試合の状況を把握しながら、パスタは操作パネルの前にある椅子に座っていた。

 

『パスタへ、出番です。敵フラッグ車へ向かってください』

「待ちくたびれたわ。まあ任せとき」

 

 昇降ボタンを押して外へ出る。

 駐車場の入り口が開き、エレベーターが動いてP40が降りてきた。

 

「どんな感じですか」

「700地点付近にティーガーⅠ。今なら邪魔もなく背面を狙えそうや」

 

 乗組員に報告しながらさっさと乗り込む。

 ここで敵をやり過ごし、隙を突いてフラッグ車を狙う。これが今日の作戦の最終段階だ。

 数ヶ月前にここで行われた聖グロリアーナ女学院と大洗女子学園の親善試合の映像を二枚舌が入手し、それを見た隊長が詰めの一手としてこの作戦を採用した。

 映像では立体駐車場で敵をおびき寄せて、背後の地下式駐車場に隠れていた八九式中戦車により背面からの撃破を狙っていたが、今回はそれを応用したものだ。

 選抜隊の車両の中で入れそうなのはP40だけであったが、さすがに今までのP43仕様の90mm砲を搭載したままでは駐車場の中に入れないので、会場が決まってから急遽75mm砲に換装している。とはいえ、背面を狙うなら十分な火力である。

 

「服部ちゃん、相手に動きがあったら伝えてな」

『了解です!』

 

 フラッグ車を見張っている通信手に連絡すると、今いる会場の左下、アウトレットの近くから若見屋交差点へ移動する。

 ここから大洗小学校の方へ向かうように行くとあるT字路を左に行けば、その先の交差点に敵フラッグ車がいるはずだ。

 

「全速前進!」

 

 P40は急加速し市街を駆け抜ける。けたたましい走行音が響き渡り、これで相手にも位置がばれるだろうが、どちらにしろ今なら背面を取れているようなものだ。あとはいち早く相手までたどり着くだけだ。

 

『気づかれました! 敵旋回中です!』

「構わへん、突っ込め!」

 

 T字路に差し掛かり、急激な方向転換により目まぐるしく変わる視界の中で目標を確認した途端、叫ぶ。

 

「撃て!」

 

 ティーガーⅠは車体を旋回しつつこちらに砲塔を向けつつあった。

 無我夢中でハッチを閉め、なんとか車内に入ることに成功する。

 ちょうど相手が側面をさらしているときにT字路を曲がり終え、砲撃。

 減速は間に合わず、そのままティーガーⅠに衝突した。

 

『黒森峰フラッグ車走行不能。選抜隊の勝利!』

 

 そのアナウンスが流れたのは間もなくのことだった。

 

 

 

 

 

 戦車道は礼にはじまり礼に終わる。

 試合が終われば車長が集まり挨拶を交わす、わけだが。

 選抜隊の面々は思わず逃げたくなっていた。

 

(もの凄く睨まれている……)

 

 黒森峰側は14人が整列しているが、そのほとんどが全国選抜を睨みつけている。特に隊長である紙装甲には胃を貫く勢いで鋭い視線が飛んでいた。

 西住隊長からはそこまで敵意は感じないが、やはり厳しい目つきでこちらを見ている。

 

(怯んではだめ、怯んではだめ……)

 

 隊長としてここで舐められるわけにはいかないと傍目には平然とした様子であったが、紙装甲は内心びくびくと怯えていた。

 

「一同、礼!」

『ありがとうございました!』

 

 審判の号令に頭を下げ、礼をする。

 その後、聞きたいことがあったので近づこうとしたが、変わらずの厳しい視線に心が折られ、他のメンバーと一緒に回れ右。

 

「さあ反省会だな」

「ねえねえ、それより今回の整備は私達に一任してくれない?」

「出立は明日の予定だからあたしは頼むわね」

「今日は時間あるから観光するのもどうやろか」

 

 勿論小声である。何か話さないと皆不安なのだろう。逃げ出したい気持ちになりながら車に向かう。

 

「少しいいだろうか」

 

 背筋がぴんと伸びる。振り返ると相手の隊長が近くまで来ていた。相変わらず目つきは険しい。こうなれば先手必勝、反射的に身体が動く。

 

「今日はすみませんでした、そちらの副隊長さんは大丈夫でしょうか」

 

 そう言って腰を90度折り曲げる。試合後に相手の副隊長が負傷していたと聞いて気が気でなかった。戦車道にそうした事故はつきものだが、やはり後腐れなく試合を終えたかった。

 

「いや、頭を上げてくれ。この後見舞いにいくが、そこまで重傷じゃないそうだ。気にしなくていい」

 

 その言葉にほっとして頭を上げる。

 

「隊長は貴方だな」

「はい」

 

 背後からは遠ざかる気配を感じ取れる。誰も助けてはくれないらしい。

 もしかすると試合内容に文句があるのだろうか、ルールに抵触はしていないので何ら悔いはないが願わくば暴力沙汰はやめてほしい、とどこか気が遠くなりながら考えていると、次にかけられた言葉は思いもよらぬものだった。

 

「名前を聞いても?」

 

 言われるままに告げると、相手は幾分驚いた表情を見せた。

 

「……もしかして、島田流の方だろうか」

「いえ、門下生ではありますが名字が同じだけの縁です」

「成る程な。どうりで奇策が多いわけだ。……また試合をしよう。次は今回のようにはいかないぞ」

 

 そういって西住隊長は去っていった。緊張がとけて長く息を吐く

 

「ああ、びっくりしたわぁ」

「ごめん隊長、私が言わないといけなかったのに」

「いえ、私が言いたかったことなので良いですよ。……それより後ずさりましたよね。全員出席で反省会です」

 

 恨みをこめて言うと、皆びくっと身体を震わせる。

 その後は誰ともなく責任転嫁が始まり、どこまでも賑やかにチームメイトが待つ学園艦の方へ戻っていった。

 

 全国選抜隊にとって長かった準決勝は、ようやく終わりを告げた。

 



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幕間:大洗女子の作戦会議

 7月中旬――。

 茨城県大洗港へ帰港中の大洗女子学園の生徒会室には、8人の生徒の姿があった。

 

「これより作戦会議を始める」

 

 生徒会広報の河嶋桃が指示棒を片手に告げる。

 ここにいるのは生徒会役員が3人と、戦車道を履修している者のなかで隊長車に乗っている"あんこうチーム"の5人だ。

 大洗女子学園は今年、20年ぶりに戦車道を復活させて全国大会に出場し、先日の準決勝で昨年優勝校のプラウダ高校に勝利を収めて決勝進出を決めた。誰もが予想できなかった躍進を果たした彼女達だったが、それに満足することはなく、早速決勝への対策会議を開いていた。

 

「決勝戦の相手はあの黒森峰を破った全国選抜だ。だが、先の準決勝で手の内は既に分かっている。このチャンスを逃すわけにはいかん」

「はーい。その、全国選抜隊ってどういうチームなんですか? 今までみたいな学校のチームじゃないんですよね」

 

 通信手の武部沙織が片手を挙げて質問した。これまでの試合についての情報や戦車のデータが書き込まれたノートを手にしており、その意気込みようが伺われる。

 

「全国選抜隊はその名の通り、全国各地の優秀な選手を集めた選抜チームだ。4月に7地区で選抜戦が行われ、その優勝者から構成される」

「それでは、7輌しかいないのですね」

「ここまで少ないのって大会に入ってから初めてじゃない? ツキが回ってきたよ~」

 

 砲手の五十鈴華が手を合わせて顔を綻ばせ、沙織がそれに同調する。彼女達は今までの大会の試合で2倍以上の車輌を相手に戦ってきたので、その声は嬉しそうだ。

 

「黒森峰を相手にするよりかは気が楽だねー」

 

 生徒会長である角谷杏が干し芋を頬張りつつ言う。

 全国大会のレギュレーションでは決勝戦は20輌まで参加可能とされている。一昨年まで9連覇を達成していた黒森峰女学園であれば当然最大まで登録してくる。現状6輌しかない大洗女子学園から見れば3倍以上の戦力であり、非常に厳しい戦いになっただろう。

 

「ですが、全国選抜の戦車は大戦後期に設計されたものばかりです。性能は私たちとは比べ物になりません」

「各国の優良戦車を集めた、オールスターチームですからね」

 

 難しい顔を崩さないのは隊長を務める西住みほと、戦車に詳しい秋山優花里だ。その視線は用意されたホワイトボードに書かれた相手チームの戦車一覧に向けられている。

 

「ファイアフライとP40は確か、サンダース大付属とアンツィオ高のエース戦車でしたね」

「JS-3ってプラウダ戦に出てた戦車のこと?」

「沙織殿、それはJS-2ですよ。選抜隊のものはその後継で、同じ砲を装備していますが防御力が段違いに上がっています」

「ヤークトパンターとARL-44も他の学校だと切り札になるぐらい強力だから、戦車の質で言えばこれまでのどのチームよりも上だよ」

 

 みほはそうまとめる。

 エース級の戦車が惜しみなく投入される相手に対し、彼女達が扱う戦車は性能的にどうしても見劣りするものばかりであった。戦術で戦力差を覆してきたとはいえ、やはりその差は無視できない。

 

「侮れる相手ではないのは間違いない。我々は更に戦力を高めて勝利を磐石にするのが得策だろう。この間の88mmはどうだ?」

「自動車部がパーツを組立していて、もうじき完了するそうです」

「あれがあれば、性能差を埋めることができるはずだ。これで7輌、もう1輌あれば相手よりも数で上回れるぞ」

「まだまだ時間はあるし、他にないか探してみよー。風紀委員にも動員を頼んどいて」

「分かりました!」

「戦車はいいとして、問題は相手の戦術ですよね……」

 

 副会長の小山柚子が眉を寄せて手持ちのファイルをめくった。そこには大洗で行われた、準決勝の黒森峰と選抜隊の記録が載っている。

 

「黒森峰戦では特に顕著でしたが、相手は勝つために手段を選んでいません」

「ルールぎりぎりの戦い方ですからね。今月の月刊戦車道では凄い話題になってます」

 

 優花里は手元のバックから雑誌を取り出した。その月刊戦車道の表紙には"全国高校生大会特集!!"という定番の文句の横に"緊急討論! 戦車道は武道かスポーツか"と書かれている。

 優勝候補筆頭の黒森峰女学園を破る大金星を上げた全国選抜隊だが、その戦い方は物議を醸した。

 主要な戦車道の流派の多くは声明を出し、「戦車道は武道であり、その目的は人格形成に資することが第一である。今回の試合内容は相手を徒に貶める行為で戦車道精神から外れており、戦車道のイメージダウンにもつながる」と主張した。西住流は勝利することこそが全てと説いているためか表立っては主張していないが、準決勝で用いられた偽装戦車について苦言を溢す門下生のコメントが各種メディアに寄稿されている。

 それとは逆に、選抜隊の戦術を擁護する意見も出されている。多いのはスポーツ評論家からで、「トーナメント制の次はない闘いの中で勝とうとするのは当然であり、ルールで禁止されていない以上問題はないのでは」というものが大半であった。前々から言われていた、学校の資金力によって調達できる戦車に差があることや、強豪校が有利となるルールと暗黙の了解を問題視する声も上がっている。

 ちなみに島田流のとある分家家元からは「戦車道は競技化が進められた現代武道ではあるが、そのルールは乱戦を想定した、極めて実戦的なものである。無論礼儀に外れることやルールを破る行為があれば問題だが、お互いに知恵を巡らせ勝つ努力を惜しまないのはむしろ賞賛されるべきだろう。戦車道精神やイメージダウンがどうだなどというが、そのようなものは戦車道を形骸化させるだけだ」とのコメントが月刊戦車道に寄せられた。

 

「もしいんちきをやってきたら抗議しましょう」

 

 華はそう宣言した。彼女はおしとやかではあるが自分の意思をはっきりと述べる。華道の家元で育った華は、戦車道に対しても心身を磨く道と定めているようで、正々堂々といえない作戦には厳しい。

 

「華さん、ルールは守ってるから抗議はできないよ。ただ、この調子だと私たちにも同じ姿勢で臨んでくるかも……」

 

 みほが複雑そうに言う。聖グロリアーナ女学院のダージリンと一緒にその試合を観戦していたみほはルールに則った試合だったことを確認しており、選抜隊の戦術に一定の理解を示している。しかしその勝ちにこだわる戦い方は、方法こそ違うものの勝利こそが全てという西住流に通じるものがあり、心情として受け入れられないところがあるようだ。

 そしてなによりも、決勝でその相手をすることに不安を感じていた。

 

「相手がどんな手を使おうとも、我々は勝たねばならない。頼むぞ、西住」

 

 桃は決勝の作戦をみほに一任した。丸投げともとれるが、彼女なりの信頼表現でもある。

 だが、みほは未だ浮かない顔つきをしていた。

 

「……勝てるかというと、正直自信がありません」

「西住殿?」

「おい、そんなのでどうする! 我々にはもう後がないんだぞ!」

 

 桃が叱咤する。

 大洗女子学園にとって、次は決して負けられない戦いだ。比喩ではなく、学園の未来が彼女達の双肩にかかっている。

 みほもそれはわかっているし、全力を尽くすつもりであった。ただ、どうしても取り除けない不安が残っていた。

 

「相手はあのお姉ちゃんに勝った人です」

 

 絞り出すようにその言葉を口にすると、そのまま堰を切ったかのように話続ける。

 

「私にとってお姉ちゃんは憧れで。今まで負けたことなんて殆どなくて、昨年だって私がいなければ勝ってたはずで。そのお姉ちゃんに勝った人に、私なんかが相手になると……」

 

 姉が負けた相手に対し、今のみほは自信を失っていた。このままではいけないと、沙織と優花里は声をかけようとする。

 生徒会室の扉が大きな音をたてて開けられたのはその時だった。

 

「何弱気なこと言ってるのよ! そんなんじゃ、あの卑怯者どもに勝てないわよ!」

「エリカさん?! どうしてここに」

 

 現れたのは黒森峰女学園の副隊長である逸見エリカだ。突然の出来事にあんこうチームの半分が呆然としている。

 どうしてこんなところにと、みほが混乱していると、さらにもう一人、エリカの肩に手を置きながら部屋へ入ってきた。

 

「エリカ、落ち着け。まだ安静にするよう言っているだろう」

「隊長、私はもう平気です! 」

「だめだ。頭の打撲は見た目では分からないからな。あと半月は様子を見ないと」

 

 まるで小さな子を諭すような声は、みほにとって聞き馴染んだものだ。

 

「お姉ちゃん……」

 

 入ってきたのは黒森峰女学園の隊長であり、みほの姉である、西住まほその人だった。

 

 

 

 

 

「ありがとう。会議中に邪魔をしてすまない」

「気にしなくていいよー。そっちも今大変なんじゃないの?」

「ああ、まあな。ようやく一区切りがついたところだ」

 

 まほは応接椅子に座り、杏から差し出されたお茶を受け取る。

 この訪問は事前に黒森峰側から大洗女子へ連絡がいっていた。生徒会も承諾してその時間帯に作戦会議を合わせたそうだが、あえてあんこうチームには話を入れていなかったようだ。

 正面に座る不安そうな顔をしたみほに向き直ると、まほは単刀直入に用件を伝える。

 

「みほ。お母様から言伝を預かっている」

 

 母、という部分でみほが反応したが、まほは構わず続ける。

 

「西住の名を継ぐ者として、次はなんとしても勝てとのことだ。もし負ければ、勘当もあり得るとも話していた」

 

 できる限り、淡々と言う。ある程度予測はしていたのかみほに表面上は動揺は見られないが、周囲はそうとはいかなかった。

 

「か、勘当だなんて……」

「何よそれ! あんまりじゃないの!!」

「勝手すぎますわ!」

 

 優花里、沙織、華の3人は立ち上がり、一斉に抗議する。以前喫茶店で再会したときもそうだったが、ここに来て良い友人に恵まれたな、とまほは密かに思う。

 

「部外者は黙りなさい! そもそも、この元副隊長が逃げ出さなかったら、こんな話にはならなかったのよ!」

 

 エリカが一喝する。3人はなおも反論しようとしたが、その表情に陰りがあるのを見て取れて言葉に詰まる。

 

「確かに私たちにも落ち度はあるわ。貴方は正しいことをしたのに、支えることができなかった。それは、申し訳がないと思う」

 

 一転してしおらしく謝るエリカにみほは目を丸くする。

 みほは大洗に来るまでは黒森峰女学園に在校し、昨年の大会では副隊長を任されていた。しかし、決勝戦で味方の戦車が川に水没しようとするところを単身で救助に向かい、結果として優勝を逃すことにつながった。

 不幸だったのは黒森峰が大会10連覇にかかっていたことと、みほが西住流の家元で育ったことだ。そもそもあの事故は、西住流の戦車でなければ、本当は救助が必要にはならなかったのかもしれない。

 ともかく、みほは母親である西住流の師範に厳しく叱責され、さらには学校内でも冷たい視線に晒されることになり、逃げるように黒森峰を去った。

 

「でも、貴方が去ってからチームがどうなったと思う?! みんな何を信じればいいのかわからなくなって、あれだけ結束していたのにバラバラになったわ!! それをまとめるのにどれだけ苦労したか」

 

 その言葉にみほは胸を衝かれ、うつむいた。

 

「自分の信じることにまで逃げないでよ! 皆、本当は貴方と一緒に戦いたかった! 今の準決勝だって、貴方がいてくれたら勝てたのに……」

「エリカさん……」

 

 それは、エリカの本音だった。

 

「エリカ、そこまでだ。……みほ。皆さんも。一度、私の話を聞いてほしい」

 

 まほが改めて話を切り出す。

 

「たとえみほが勘当されてしまっても、私はみほの味方だ。菊代さんだって、みほを見捨てることなんてしない」

 

 西住家に仕える家政婦である菊代は、みほが大洗にいった後でも手紙を送り、大会の結果を見ては喜び、かつ心配している。たとえ本当に勘当されたとしても、今まで通り支え続けてくれるだろう。

 まほ自身も、表立ってはかばいきれないだろうが、見捨てるつもりは毛頭なかった。

 

「ただ、我儘を言うようだが、次の試合は勝ってほしい。家の都合もあるが、何よりもみほ自身のために」

「私自身のため?」

「昨年思い知っただろうが、西住の名が持つ影響は大きい。結果を残さないと、またいらぬ重圧がかかってしまう。それに、お母様を納得させるには、勝つしか方法がない」

 

 そう言って、まほは頭を下げた。

 

「みほには西住流にとらわれず、自由に生きてほしかった。こんな形で押し付けてしまって、すまない」

「お、お姉ちゃん、頭を上げて!」

 

 姉に頭を下げられるとは思ってもみなかったのだろう、みほが慌てたように言う。まほが頭を上げたとき、みほはほっと安心した。その顔は、先ほどよりも明るくなっている。

 

「でも、お姉ちゃんが勝てなかった人に私が勝てるのかな」

「何だ。まだそんなことを考えていたのか」

 

 微笑みながらまほはみほの頭に手を伸ばす。

 

「準決勝を見させてもらった。みほは西住流とは違った、自分の戦車道を見つけたんだろう? なら大丈夫だ。みほの思うようにすれば、きっと上手くいく」

「そうかな」

「そうだよ」

 

 まほは、みほの頭をぽんぽんと撫でる。その久しぶりの感触に、みほは目を細めた。

 

 

 

 

 

「次の作戦について話し合っていたのか」

 

 ホワイトボードを見ながらまほが言う。中断されていた会議を再開するにあたり、まほとエリカは辞去しようとしたが、折角だからと一緒に参加することになった。

 

「うん。今は全国選抜の戦術について話してたの。多分、また奇策を講じてくると思うけど」

「良い機会だからさー。次の相手がどう来るかを予想してみてよ。実際戦った人の意見は聞いてみたいねー」

 

 杏の言葉にまほは苦笑する。もとからそれを聞きたかったのだろう。食えない人だと思いつつ、まほは正直に述べる。

 

「全国選抜の戦術だが、決勝では真っ向勝負を挑んでくると思う」

 

 その回答が意外だったのか、周りは怪訝そうな顔を浮かべる。

 

「奇策というのは対処されれば脆い。戦力が十分にある場合は無理に使わないはずだ」

 

 準決勝では黒森峰の方が2倍近くの戦車を用いたため選抜隊は奇策をもって対抗したが、その作戦の殆どは賭けのようなものだった。結局、負けてしまったのは自分に慢心が少なからずあったからだとまほは自戒している。

 逆に、大洗女子が相手の場合は戦力的に有利となり、奇策を用いる必要性がない。

 

「1回戦と2回戦では、そこまで戦力に差がないのに持久戦をしていましたが」

「おそらく、チームとして固まっていなかったときの苦肉の策だ。そもそもそのときは隊長すら明確に決まっていなかったかもしれない」

 

 全国選抜隊の弱点はチーム内の連携が他校に比べて弱いことだ。だが、ここまで勝ち上がることでその隙もなくなりつつある。だからこそ、余計な小細工はもうしないと思われた。

 

「それに、相手の隊長も今度は島田流を背負わないといけない。不恰好な試合はできないだろう」

「え、それってどういう……」

「時期にわかる……まあ、これは私の推測に過ぎない。今度の公開練習ではっきりするだろうが」

「公開練習?」

「ああ。次の週末にあるイベントが開かれる。そこに全国選抜が参加するらしい」

「初耳だねー」

「少し特殊なイベントだからな。エリカ」

「こちらです」

 

 エリカが応接テーブルにA4サイズの紙を置き、大洗女子の面々が覗き込むようにして内容を確認する。

 イベントのパンフレットらしく、曇り空の中、ティーガーが荒野で88mm砲を発砲する瞬間の写真が大きく載っている。下の方にはイベントの開催日時と場所、参加者が記載されており、その中には確かに全国選抜隊の文字がある。だが、肝心のイベントの内容については見慣れないものだった。

 いち早く内容を理解した優花里が目の色を変えて顔を上げる。

 

「会長! これ私偵察に行ってもいいですか?! というか、行ってきます!」

「ゆ、ゆかりん、落ち着いて」

 

 目の中に星が幻視できるくらい目を輝かせている。今の彼女を見た者は、きっとぱたぱたと振っている尻尾があるように見えるだろう。戦車が好きな優花里にとってはそれほどのイベントであった。

 

「ヒストリカルゲーム?」

 

 どこか映画ポスターを思わせるそのパンフレットには、そう書かれてあった。

 

 

 

 



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グデーリアンと査問委員会(前)

「わたくしはいま、ARL-44の所属する学園艦に来ております」

 

 7月の下旬、よく晴れた土曜日に、秋山優花里は着慣れぬ他校の制服を身に纏って偵察に出かけていた。

 今居る場所は静岡県清水港に停泊中の、選抜隊の学園艦の1つだ。元々は広島県の学園艦であるが、今日はここまで寄港している。なお、全国選抜には静岡県からも代表校が入っており、本当はそこに潜入できればいいのだが、そこは珍しくも陸上にある学校で生徒数が少ないため、危険性が高くあえなく断念した。

 優花里はもはや定番となったコンビニ艦からの潜入に成功し、何食わぬ顔で歩いている。清水港は大洗女子学園が2回戦で対戦したアンツィオ校へ偵察したときにも利用しており、彼女を阻むものは何もなかった。

 

「学校の雰囲気は……どことなく大洗に似ていますねー」

 

 あたりを見回しながら小型のカメラを手に実況を記録する。アメリカの文化が色濃いサンダース付属や、イタリアらしい施設が並ぶアンツィオ校を見てきた優花里にとって、今居る学園艦は何の変哲もなく、いわゆる普通の学校の、母校である大洗女子学園に似た空気を感じていた。

 夏休みを直前に控えた土曜日の午前中らしく、人影はまばらだった。おそらく部活動があるのだろう、手提げ鞄を持って体育館らしき施設に向かっていた女子生徒に、優花里は声をかけた。

 

「すみませーん、私最近ここに来たのですけど、戦車道をされている人はどちらにいらっしゃいますか?」

「戦車整備部のこと? それならあっちの大きな建物だよ。看板も出ているから行けば分かると思う」

「どうもでありますー!」

 

 笑顔で手を振って礼を述べると、言われた場所に向けて歩き出す。件の場所はそこまで遠くなく、すぐに『戦車整備部』と書かれた大きな建屋に着いた。既に作業中なのか、中からはひっきりなしに金属音が聞こえてくる。

 

「ここが戦車整備部のようです。あ、シャーマンとチャーチルがこんなに!」

 

 大きく開かれた建屋の入り口から中をのぞき込むと、そこには20輌を超える戦車がずらりと並んでいた。その周囲には白い作業服を着た生徒たちが点検整備を行っている。

 

「明日はこれだけの戦車が……いえ、これよりもっと多くの戦車が一斉に動くんですね。うわー、楽しみだなぁ」

 

 カメラで記録していることもつい忘れて、優花里は楽しみでならないといったふうに言葉を発した。

 今までのように相手の戦車を偵察することも一つの目的であったが、優花里がわざわざ静岡県まで偵察に来た一番の目的は、明日開かれるイベントを見るためだ。

 ヒストリカルゲーム。サバイバルゲームで愛好家が見られる、参加者が歴史上の戦闘を演じるといった、いわば戦争ごっこ。それも、戦車を使ったゲームが開催される。

 しかもその規模は国内では類をみないもので、パンフレットによれば約80台もの戦車が参加するという。通常の戦車道の試合では決して見られない、映画を撮影するのかとでも言いたくなるような大規模なものである。

 

(ここで整備をしているということは、やはり全国選抜はイベントに大部分関与していますね。それを探らないと)

 

 問題なのは、そんな大がかりなゲームに、大洗の決勝戦の相手である選抜隊が参加していることだった。そもそもこのイベント自体が急に持ち上がったものであり、情報提供者の黒森峰女学園からは選抜隊の練度を高めるための訓練が目的なのではないかと伝えられている。

 仮に選抜隊が主導して開催に持ち込んだとすれば、その伝手や行動力、資金力は無視できない。場合によっては更に強力な戦車が導入されることも考えられる。練度を上げるためだとしても、やはり注視はするべきだろう。相手の戦力を見誤らないためにも、今回の偵察任務は重要だと言えた。

 

(まずは見学を装ってそれとなくお話を聞いてみましょう。ふふ、上手くいけば西住殿のお役に立てちゃいますね。ついでにARL-44をじっくり見られればいうことなしです!)

 

 しかし、イベント前日にここまで危険を冒して確認すべきかというとそうでもなく、優花里の心に微笑ましくも幾分かよこしまな心があることは否定できなかった。戦車マニアの業は深い。

 ともあれ、優花里は情報を得るべく、建屋の中へ歩み出した。

 

「そこの人、何か用事?」

「いえ、少し見学できないかなーと思いまして」

「見学?!」

 

 入り口付近の戦車を整備していたのを中断して声をかけてきた生徒は、驚いたように反復すると、「ちょっと待ってくださいね」といって後ろに振り向いた。

 

「部長ー! 見学希望の方が見えられましたー!」

「え、本当?! ちょっと待ってー!」

 

 優花里にとって聞き覚えのある声が割と近くから返されてまもなく、ここの部長らしき女子生徒がこちらに向かってきた。ほかの作業服の生徒と違い、優花里と同じくこの学校の制服を着ていて、今日は黒い髪を白い小さめのリボンでツーサイドアップにまとめている。彼女はきらきらと輝かんばかりに笑顔を浮かべていたが、優花里の顔を見ると、不思議そうにきょとんとした。

 

「あれ。見学希望って貴方?」

「は、はい!」

 

 首を傾げて確認する様子に、早くも気づかれたかと優花里は不安になったが、やがて部長は大きく手を広げた。

 

「ようこそ! 見学者はいつでも大歓迎! 今日は私が案内するね。何か見たいものってある?」

「あ、できれば全国大会に出てる戦車が見たいです! ARLー44ですよね」

「そう! あの子を見たいなんて、心得てるね! いまちょうど訓練中だから動いてるところを見れるよ。早速行こう!」

 

 声を掛けてくれた生徒に礼を言って、二人は整備場の中を歩き始めた。演習場は整備場を抜けた先にあるらしく、2列に並んでいる戦車の中央にある通路を進んでいく。

 

「凄い数の戦車ですね。これ、全部明日のイベントに出る戦車なんですか?」

「そうそう。あちこちから戦車を借りて塗装するところまで請け負っちゃって。おかげでここ1週間は大わらわ!」

「へー、大変ですね。でも、こんな大きなイベントなのに、結構急に出てきたのは何でなんですか?」

「それがさー。最初は隊長が所属するチームと合同でゲームしようって話だったんだけど、途中から参加者がどんどん増えちゃってさ。せっかくだから大々的にやることになったの。あ、隊長って中部地区の代表校の人のことだよ」

 

 決勝の相手だと気付いていないのか、部長の口は軽い。話をしているうちに整備場を出ると、そこには平地が広がっていた。3方を山に囲まれており、麓の辺りには森がある。その森から戦車が飛び出してきて、やがて部長と優花里の近くにまで来た。整備場を背にするように転回するとそこで停まる。

 

「これが我が校の誇る重戦車、ARLー44だよ!」

 

 ふふん、と部長は自慢げに胸を張る。優花里は大洗で行われた試合のときよりも間近に見るその戦車をしばし堪能していたが、ほどなく気になっていたことを質問した。

 

「やっぱり、この砲塔って艦載対空砲ですよね」

「ふふふ、そうだよ。初速毎秒1000m、レギュレーション内ではトップクラスの火力だね。センチュリオンとティーガーⅡ相手には不覚をとったけど、次こそは活躍してみせるから」

 

 拳を握りしめて宣戦布告と取れる発言をする部長に若干顔が引き攣りつつも、優花里はなんとか笑みを返す。大洗の戦車ではどれも有効射程外から撃破される可能性があり、その言葉が現実になってはたまらない。

「こっちだよ」と整備場の近くにある物見台へ案内され一番上まで登り切ると、そこには望遠鏡や無線機を持った二人の生徒がいて、傍らには地図などが置かれたテーブルがあった。

 

「部長、どうしたんですか?」

「見学したいって子がいたから案内しているの。……あ、この二人は演習関係の総括ね」

「お邪魔しています」

「見学の方ですか。ちょうどいい時間ですね。今から射撃演習に移りますので、どうぞご覧になってください。今日は実弾を使いますので迫力ありますよ」

 

 二人のうち、望遠鏡を持った生徒はそう告げると演習場の方へ向き直った。

 物見台から平地を見渡すと、所々に大きなくぼみや盛り土などがあり、ある程度の不整地走行ができることが確認できる。手前側にARLー44がいて正面を向いているが、しかし射撃の的となるようなものはどこにも見えない。

 

「あのー、射撃訓練なのですよね。的が見あたりませんが」

「ああ、目標は現在移動中です。これから偏差射撃演習を行います。停止状態で800mから1200m先を横切る目標に対して射撃。弾数は3発まで、1発命中で合格です」

 

 望遠鏡を持った生徒が説明したその後に、もう1人の生徒が持つ無線機から通信が入った。

 

『チャーチルから本部へ、準備完了』

「本部よりチャーチルへ、了解。これより演習を始めます。最初は時速15キロで始めてください。10秒後にスタート」

 

 生徒が言い終わってまもなく、物見台から見て左手側の森から1輛の戦車が現れた。先ほどの話の通り1000mは離れているようで、物見台からは肉眼ではかなり小さく見える。

 戦車はそのまま右へ向かって走行していたが、ARLー44の砲塔がその姿を捉え砲撃した。火の玉は真っ直ぐに戦車に向かい命中、戦車はそこで速度を落として停止した。

 

「6秒。やや後部に命中しました。続いて時速30キロで行います」

 

 望遠鏡で観測していた生徒が淡々と告げ、無線機を持つ生徒がそれに合わせて指示をし始めた。

 6秒というのは姿が見えてから命中するまでの時間だろう。初弾で命中させるのにそれだけの照準時間がかかったと言える。逆に言えば、平地で1000m以内の場所で発見された場合、その時間内に方向転換なり速度を変えたりしなければ命中弾を食らうことを意味する。

 一度停止したチャーチルが右手の森の中に入り、それから少し経ってまた姿を現した。今度は先ほどよりも早くなっているうえに、指示によると距離を少し変えている。だが、それでもARL-44の砲塔はチャーチルを確実に捕捉し、初弾で命中させた。

 

「11秒、前部よりに命中」

「いい感じだね」

「肩慣らしとしては上出来だと思います」

 

 部長と生徒は軽く講評した。次は1800mから2000mの間での捕捉射撃演習のようで、準備に少し時間を要するそうだった。

 無線による通信が交わされるのを背景に、優花里は先の2回の演習結果を思い浮かべて冷や汗を流した。

 

(す、少なくとも五十鈴殿と同じくらい命中率が高そうですね。黒森峰よりましだと思っていましたが、これは……)

「あ、あの、ちなみにですが、他の選抜隊の人たちもこれくらいの腕前があるのでしょうか」

「んー、そうじゃないかな。選抜戦を勝ち抜くにはこれくらい必要だし」

「どこも同じ程度だと思いますが、東北地区代表は私達よりも射撃に力を入れているかもしれませんね。選抜戦で3000m初弾命中させたそうですし」

「あー、言っていたね。丘に登ったら待ち伏せしているのを見つけて撃ったんだっけ」

「ええ。今までの選抜戦での最長記録らしいです。やはり陸の広い演習場が使えるところは違いますね。ただ、その相手も不注意が過ぎますけど」

「あそこの車長いわく運が良かったらしいよ。まあ、遠距離射撃ならあのヤークトパンターが選抜隊で一番じゃないかな」

「えっと、ファイアフライにはイギリスの代表選手がいると聞いたのですが……」

「うん、確かに腕利きが1人いるけど、2000m以上は当たらないって。停止目標が相手でも弾自体がぶれるから無理みたい。その代わり、1500m以内なら撃てば必中らしいよ」

「それも飛んでくるのがAPDSですから……。明日はどうなるのでしょう」

「あれの搭乗車はファイアフライが内定だからね……。しかも砲手だって。連合国側で希望してよかったよ、本当」

 

 演習場を見ながら部長と生徒は雑談する。その内容と、その後に行われた捕捉射撃演習の初回2弾目命中、2回目初弾命中という結果に、優花里は確信した。

 

(まずいですね。まさか7輛すべてがこれくらい練度が高いとは。この上に明日のゲームで合同演習までするなんて……)

 

「ん? どうかした?」

「い、いえ。何でもないです。とても面白かったです、ありがとうございました」

「そう? いつもなら一騎打ちの模擬戦をやるんだけど、今日は私の都合が悪くて。次もこんな感じで練習を続けるんだよね」

「そういえば部長、時間は大丈夫なんでしょうか」

「えっと、今何時……」

 

 部長は腕時計を確認して「ありゃ」とつぶやいた。

 

「ごめん、私の案内はここまでだね。そろそろ行かないと……あ、ちょっと待って。この後予定ある?」

「予定ですか? いえ、特には……」

「じゃあ一緒に行こう! ふふ、皆何て言うかな」

「いいのですか? 勝手に決めて」

「だいじょーぶだいじょーぶ。これぐらい何ともないって」

 

 傍らの生徒が心配げにしているが、部長は意に介していない。

 

「あのー、ちなみにどこに行くんでしょうか」

「港のファミレスだよ。そこまで遠くないから安心してね」

「ファミレスに?」

 

 場所によってはついて行こうかと優花里は思っていたが、その行き先に首を傾げる。とても戦車道に関係のあるようなところには思えない。

 部長は優花里のそんな様子を見て、にかっと笑った。

 

「これから車長で集まって打ち合わせをやるの!」

 

 ――査問委員会。

 にこやかな笑みを浮かべる部長を前にして、優花里の脳内にその言葉が走っていった。

 

 

 

 



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グデーリアンと査問委員会(後)

「普段は集まることなんてないんだけど、ちょうど明日のイベントのことで話し合うことになっててね。他のメンバーに会う絶好のチャンスだよ!」

 

 楽しそうに誘い文句を並べる部長とは裏腹に、優花里の心は焦りと不安で一杯になりつつあった。

 

(ばれちゃった、絶対ばれてますよね、これ!)

 

 戦車長が集まる打ち合わせに一緒に参加しようなんて、見ず知らずの見学者相手に言うことではないだろう。あまりに直球過ぎて逆に疑ってしまうが、ほぼ確実に優花里のことに感づいていると見ていい。

 

(ここで捕まったら、尋問……まではいかなくても、出場停止は受けてしまう……)

 

 戦車道の規則では事前の偵察行為は認められている。しかしそれにはデメリットもあり、偵察中の選手が捕まった場合は使用したカメラなどが没収され、さらに次の試合が終わるまでその選手は原則出場及び偵察行為はできなくなる。

 相手の準決勝の行動からすると、こちらの戦力を削ぐために捕まえようとするのは間違いなさそうだった。人員も不足がちの大洗女子にとっては非常な痛手となり、いくら尋問や身柄の拘束が禁止されているからといって、そう簡単に捕まるわけにはいかない。

 

「ご好意は嬉しいのですが、さすがにそこまでしていただくわけには」

「気にしなくていいよー。みんな根は悪くない連中だし、私の口添えがあれば大丈夫! 大船に乗るつもりで任せて!」

 

 やんわりとお断りするが、部長はそんなの関係ないといわんばかりに胸を叩いて言う。

 

「部長? いつも無理強いはしないようにって言ってるじゃないですか。また後日案内されればどうでしょうか」

「うん、そうしたいのはやまやまだけど。今日しか時間がないよ」

 

 こうなったら逃げるしかないと優花里が思っているところへ、傍らの部員から助け船がでた。やはり部員からみても部長の言動はおかしいようで、困惑した様子で部長を見ている。しかし部長はなおも諦めずに、今度は真剣な顔で優花里に向き直った。

 

「できれば、私達のことを知っておいてもらいたいの。こんな機会はもうないと思うから。……だめかな?」

 

 その切実な訴えに優花里は悩んだ。演技でこんなことを言う人とは思えず、もしかして本当にただ話したいだけなのかと思ってしまう。

 

(悪い人ではなさそうですし。捕まえたいなら練習風景なんて見せないですよね。……こうなったら、とことんまで行ってみましょう!)

 

 一息つくと、優花里は決心した。

 

「それでは……一緒に行ってもいいですか?」

「ありがとう! よーし、それじゃあ行くよー!」

 

 部長は安堵の表情を浮かべると、元の快活な笑顔に戻って元気よく声をだした。

 

 

 

 

 

 二人は連絡船に乗ると港に降り立ち、ファミレスへ向かった。

 そこまで遠くないと言うのは嘘ではなく、歩いて10分もしないうちに目的の店にたどり着き、ウェイトレスに一言二言交わすと奥の方に案内された。

 既に飲み物が置かれている、テーブルが二つ並べられている席には、6人の人物が座っている。そのいずれの顔も優花里は雑誌の記事で見たことがあった。

 

「おっ待たせー。皆揃ってる?」

「遅いわよ。どこで道草食って……」

 

 全国選抜の戦車長の面々に挨拶する部長に、いち早く気付いたツリ目がちの少女ーーシャーマン戦車の車長ーーが声をあげる。が、優花里がいることに気付くと訝しげな表情に変わった。

 

「その人は?」

「可愛いでしょ? うちに見学に来てた子で、私達に興味があるらしいから連れて来ちゃった」

「お、お邪魔します」

 

 ツリ目の少女は部長と優花里の顔を数度見比べたあと無言で立ち上がり、部長の肩をガシッと掴む。

 

「ちょっとこの馬鹿と話があるから。貴方は、ええと」

「そういえば名前を聞くの忘れてたね。って、痛い痛い!」

 

 その言葉に、部長を掴む手に力が入ったのか、部長は悲鳴をあげた。

 名前を尋ねられてなんと答えるか優花里は迷ったが、今本名を言うのも躊躇われたので、チームメイトに名付けられたソウルネームを名乗ることにした。

 

「ええと、グデーリアンとお呼びください」

「そう。グデーリアンさんはここで待ってて」

「すみません、座ってお待ちいただけますか。私も行きます」

 

 そう言って立ち上がったのは四式中戦車の車長だった。穏和な顔つきをしていて、丁寧な言葉遣いで席を進めたあとに部長とシャーマンの車長の後を追って店の外へ出て行った。

 

「今の人って……」

「うちらの隊長やよ。まあ座って座って」

「ここが空いてる」

 

 想像していた人柄とは違っている選抜隊の隊長の姿に半ば呆然としていた優花里に、P40の車長が座るよう促し、JS-3の車長がその隣の空いている椅子をぽんぽんと叩いた。

 遠慮がちに椅子を引いて座ると、JSー3の車長はメニューを開いて優花里の目の前に広げた。

 

「何か飲む? 事情は分からないけど奢らせて」

「大方、あいつが無理言って連れてきたんやろうしなぁ」

「そうね。ここは紅茶を頼みましょう」

「ちょお待てや」

 

 斜め向かいに座っていた金髪の少女が同意も得ずにコールボタンを押した。流暢な日本語だが、この人がファイアフライの車長で噂のイギリス代表選手だろうと優花里は推察した。

 何だかんだと軽口を叩き合いながら、結局紅茶の注文を店員に伝えたあと、見覚えのあるヤークトパンターの車長が不意に口を開いた。

 

「違っていたら失礼だが、大洗の人じゃないか? その格好はどうしたんだ?」

「へ?! あ、あの」

 

 ずばり言い当てられて優花里は動揺した。逃げだそうにも、店の外には他の3人がいる。淡い期待を持っていたが世の中そう上手くはならないと、優花里は観念した。

 

「やっぱり、私を捕まえるのでしょうか」

「何でそうなるんか教えてくれへん?」

 

 P40の車長がわけがわからないという顔をして即座に返した。

 

 

 

 

 

「とりあえず、うちらの印象が悪いことはわかったわ」

「ね? 連れてきて良かったでしょ。また険悪な空気で挨拶するのは嫌だったし」

「それならちゃんと素直に伝えなさいよ。怯えさせてどうすんの」

「あはは、黙っててごめんね。何かすぐ逃げ出しそうだったから言いづらくて」

「はあ……」

 

 部長たちが戻り、優花里が簡単に事情を白状すると、全国選抜の車長たちは一様にそんな危険な人物ではないと主張した。

 

「準決勝の皆さんの作戦からして、てっきり手段を選ばない人たちだと思ってました」

「基本的に作戦面で暴走するのはそこの隊長と参謀だからな。私達はいたって常識人だ」

「ルールはちゃんと守ってます。それに、試合まで日にちがあるのに見境なく捕虜にするなんてことはしません」

「yes.大体あの試合で一番乗り気だったのは貴方じゃなかったかしら。偽装通信は作戦になかったわよ」

 

 優花里の率直な感想にヤークトパンターの車長は責任の所在を明らかにし、それに対し名指しされた二人は反論し始めた。そのままARLー44の車長とシャーマンの車長まで巻き込んで話し合いが続いていく。まるで子供じみた言い合いに優花里は目を丸くするが、JS-3の車長は「いつものことだから」とそっと耳打ちした。

 

「ちなみに、何ですぐにわかったんですか?」

「準決勝の映像を見てるから」

「あんこう踊りやったっけ? カメラの前で踊り出したときに顔が出てたし」

「あれを見られているんですか……」

 

 プラウダ高との準決勝で志気向上のために踊ったあんこう踊りをしっかり見られていることを知って、顔を赤くする。ネットに上げられて晒し者になるという、仲間内で話していたことが現実になりつつあるらしい。これから偵察するときはわからないように眼鏡でもかけようかと、優花里は心に決めた。

 

「……揃いましたし、ミーティングを始めましょう」

 

 言い合いが終わったらしく、選抜隊の隊長が改めて話を切りだした。

 

「あの、このまま聞いていてもいいのでしょうか」

「ええ。よろしければ一緒にいてください。今日は親睦会のようなものですから、質問があったら遠慮なくどうぞ。……まず報告事項ですが、先日島田流の本家の方に呼び出しを受けました。分家とその門下生といえど、恥ずかしい試合はするなと厳命されまして。ですので、決勝戦では島田流の正道たる戦い方をお見せします。これは月刊戦車道のインタビューでもそう答えるつもりです」

「邪道だって認識はあったんだ」

「まあ……師匠は新しい流派を開いた方がいいと思ってるくらいには」

 

 ARL-44の車長からの突っ込みに、隊長は歯切れ悪く答える。

 

「ちなみに、どうもルール改定の動きがあるらしくて偽装戦車も禁止になりそうなんですよ。我が流派の奥義だったんですが」

「即刻封印しておけ」

「……次にいきましょう。大洗の情報については何か分かりましたか」

「OK.大体調べ終わったわよ。これが資料」

 

 強引に話題が切り替えられ、今度はファイアフライの車長がA4サイズ一枚の資料を配り始めた。さすがに優花里にはあたらず、JS-3の車長と一緒に見始めたが、その内容に思わず目を見開いた。

 

「大洗女子学園が戦車道を復活させたのは20年振り。戦車も最初は見つからなくて、学園艦の中を探し回ってようやく6輛が集まったようね。乗組員も生徒会が特典までつけて募集しているけど、経験者が殆どいないわ。そうよね、グデーリアンさん」

「は、はい。その通りです……」

 

 表面には大洗女子学園の戦車道の来歴、大会と親善試合の編成とその成績、保有車輌と施設について事細かに記載されている。ごく最近2輌が加わったことは書かれていないが、それを置いてもよく調べられている。

 

「ここまでこれたのは運もあるけど、一番の要因は隊長かしら。この学校のほぼ唯一の経験者で、しかも西住流よ。あの西住まほの妹ね。裏面を見て」

「もしかしてこの人って、昨年の決勝戦での……」

「そうね。去年までは黒森峰にいて、転校してきたらしいわ」

 

 裏面には優花里がよく見知った西住みほの写真とこれまでの戦績が書かれている。それを見た車長の面々は半分以上が眉を寄せた。その反応に優花里は思い切って質問をぶつけることにした。

 

「選抜隊の皆さんは、あの試合の西住殿の行動をどう思いますか?」

 

 選抜隊のメンバーは言いづらそうにしていたが、やがて口を開いた。

 

「正直に言うと、私は何故救助に向かったのか分からないな。水没しつつあるとはいえ、ハッチと点検口から脱出すればいいんじゃないかと思っていた」

「そこなのよね。必要がないのに救助に向かったような気がして、何か釈然としないのよ」

「助けたくなるのは分かるけど、フラッグ車がそのままそこに居たのはよく分からない」

「推測ですが、あの戦車のハッチと点検口は開かなかったんだと思いますよ」

 

 否定的な意見が述べられる中で、隊長は静かに言った。

 

「西住流は戦車の窓を塞ぐんです」

 

 その言葉の意味を理解するためか、少しの静寂が流れた。

 

「……何で? そんなことしたら緊急時に避難できないじゃない」

「実戦を想定してとのことらしいですね。まあⅢ号戦車にそんなことをするかは疑問ですが、これが一番説明がつきます。フラッグ車がそこにいたのも、何かあったときの増員や連絡要員としてではないでしょうか」

「じゃあ、あれって本当に危なかったん? そん時は普通試合中止になるんじゃないやろか」

「救護が必要だと判断されても試合は中止にならないわよ。運営本部の救護隊が動くだけ。国際試合でも事例があるわ」

「6年前の日本とドイツの試合ですか。あの時は西住流側が救護側を撃ちましたね」

「Yes.それも味方を助けようとした敵戦車をね。あんなことしてもMVPだもの、準決勝の私達の作戦なんて可愛いものよ」

 

 ファイアフライの車長が毒づくように言う。その国際大会には参加していたのか、なにか思うところがあるらしい。

 

「でも、連盟がそれを公表しないのは何故なのでしょうか。西住殿は正しいことをしたのに」

「戦車道は安全な競技と再三言っている連盟がそんなこと言えませんよ」

「そんな……」

「あくまでも推測なので、真相は分かりません。ただ、そうした現実的な判断ができる隊長だと見積もっていたほうがいいと思います」

 

 隊長はそう締めくくる。

 暗い話題となり口数が少ない時間が少し続いたが、隊長が話題を変えようとしてか明日のイベントの資料を机の上に広げた。

 

「あとは明日のゲームのことについて話しましょう。そちらの整備は終わってますか」

 

 話を振られたARL-44の車長が固くなっていた顔を綻ばせる。

 

「30輛分の整備はほぼ完了しているよ。あとは移動するだけ。他は集まってるの?」

「ええ。時間内にはすべて集まる予定だそうです」

「シナリオは結局何になったんだ?」

「シナリオは158街道をベースとした殲滅戦です。私たちはドイツ軍と連合軍に別れます。搭乗車は希望通りにしてもらいました」

「じゃあ私達チャーチルだね! 今日は念入りに整備しよっと」

 

 その後にシナリオの詳細な内容や陣容、地形などの説明が続くのを優花里は興味身心という面持ちで聞いていたが、やがて隊長がふと思いついたように優花里の方を向いた。

 

「よろしければグデーリアンさんも参加しませんか? 一人欠員が出ていまして」

「いいんですか?!」

「ええ。大洗の皆さんからお許しをいただければですが」

 

 思ってもみない申し出に優花里は飛び上がるように喜んだ。

 

「でも、本当にいいんですか? 私はいわば皆さんの敵ですし、練習の邪魔をするわけには」

「気にしなくていいよー。練習なんてものじゃないから」

 

 公開練習という話があったため一応確認をするが、ARL-44の車長を始め、この場の面々はそんな大層なものではないと首を振る。

 

「明日はただ皆でふざけて遊ぶだけですよ」

 

 選抜隊の隊長はそういって微笑んだ。

 






○後半については後日修正する予定です。


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ヒストリカルゲーム『8 August 1944』(前)

 蝉時雨がかすかに聞こえる平原の上に、幾つもの戦車が佇んでいる。

 100m程の間隔で点在しているそれらは、いずれもハッチが全開にされ、砲塔は下を向いている。上空から見れば、放棄された戦車群のように見えるだろう。

 その中の1輛、パンターG型の傍らに立つ黒い軍服姿の少女は頭を抱えていた。

 

「あーつーいー」

 

 視線の先には、日差しから逃れようとパンターに寄りかかっている3人の乗組員がいた。今日は曇りがちの空だが、たまに差し込む日光は夏らしく強烈なものだった。

 彼女たちは全国選抜隊の隊長車のメンバーだ。もう一人、通信手がいるが、今は別の戦車に配置されている。いつもの制服姿とは違い、大戦時のドイツ陸軍の戦車服を模した黒色の上着とズボンを着用しているが、若干着崩れていてはしたない。

 

「そろそろ起きて。もうすぐ大洗の人が来るから」

 

 車長はしっかりと制服を身につけていて、乗員の前に立って起きるように促したが、効果は薄かった。

 現在の時刻は11時。朝早くから戦車を会場まで移動し、整備を行った後の自由時間だとはいえ、他校の生徒を迎えるのにこの姿では格好がつかない。

 

「中尉殿ー、クーラーボックスのアイス食べてもいいですかー」

「終わってからのお楽しみじゃなかったの」

「今食べると士気が上がる気がしますー」

「午後から雨が降るそうじゃない。今のうちに食べましょうよ」

 

 砲手が暑さにやられたのか間延びした声で訴え、操縦手がそれに同調する。確かに天気予報では雨マークがついていた。狭苦しい車内で食べるよりも今食べたいと思うのは分からなくもない。しかし「試合後のアイスは格別」と主張していたのは誰だったのか。

 

「はぁ……食べてもいいからさっさと起きる」

「よし上等兵、戦車内に突入して物資を調達せよ。最優先任務だ」

「ヤヴォール、曹長殿!」

 

 操縦手の言葉を受けて、装填手は先ほどまでだらけきっていたのが嘘のようにシャキっと立ち上がり、勢いよくハッチに飛び込んだ。車長はそんな友人と後輩の様子を呆れて見ていた。

 積み込まれていたクーラーボックスが外に出された頃、後ろからふいに呼びかけられた。

 

「第8中隊はここでしょうか」

 

 振り返ると、フィールドグレイの戦車服とひさしのついた野戦帽を身につけ、大きなリュックサックを担いだ女の子がいた。きりっとした表情を作って、何かを期待するかのような眼差しを向けている。

 今日は敵味方ともに様々な小隊、中隊が編成されているが、第8中隊というのはない。彼女が欲する反応を車長は正確に察した。右手を差し出して握手を交わす。

 

「新任の補充兵ですね、第8中へようこそ。中隊といっても4台しかありませんが。今日はヴェンドルフと呼んでください」

 

 若干のアレンジを加えつつ自分の役名を名乗り、後ろを指さす。

 

「ここにいるのがコンラート曹長にヴァルター伍長とペーター上等兵です」

「グデーリアンであります!」

「荷物をまとめろグデーリアン。まずは私たちと一緒にアイスを食え。夕方までには一人前の戦車兵にしてやるぞ」

「即席すぎるよ」

 

 インスタントラーメンじゃあるまいしと思わず口を挟み、小芝居はそこで中断となった。アイスを頬張りながら台詞を言う友人はいろんな意味で残念だ。

 車長はボックスからアイスを取り出すと、グデーリアンに手渡した。

 

「来てくれてありがとうございます」

「いいえ、こちらこそ! 昨日は楽しみで眠れませんでしたよ!」

 

 そういいながらも隈がない顔に彼女は満面の笑みを浮かべる。その様子に車長はくすりとする。

 

「いきなり漫画の冒頭シーンを振られるとは思いませんでした」

「いやぁ、イベントに参加することを友達に話したら、最初のネタはこれだろうって盛り上がっちゃいまして。皆さんもノってくれて嬉しかったです。やっぱり読んだことあるんですか」

「もちろんです。グデーリアンさんもお好きですか」

「はい、自分の部屋にポスター飾ってます!」

 

 アイスを口に運びながら、彼女は元気よく返事をした。眼帯をつけた某中尉殿の物語は彼女たちにとって慣れ親しんだものであり、会話が弾む。

 

「でも惜しいわ。今日はあいにく東部戦線じゃないのよね」

「そうだね。……それでは、改めまして」

 

 操縦手の言葉に頷いて、コホンと咳払いをすると、車長ーーヴェンドルフSS中尉は芝居がかった口調で言った。

 

「ようこそ、西部戦線へ! 今日は戦友として、最前線をともに戦いましょう」

 

 本日のヒストリカルゲームのシナリオの舞台はフランス。1944年8月8日、高名な戦車エースであるミヒャエル・ヴィットマンの最後の日がベースだった。

 

 

 

 

 

 

 6月6日の連合軍によるノルマンディー上陸から2ヶ月、ドイツ軍は頑強な抵抗を続けていたが、8月に入るとアメリカ軍に防衛線を突破され、フランス西方部の占領地を次々に失っていた。

 ヒトラーは機甲部隊を集中させ西方へ反攻するよう命令を出し、ドイツ軍は8月6日に反攻作戦を決行。初期にはモルタンの町を取り返したものの、事前に情報を察知されていたため進撃はそこで止まり、作戦は失敗する。

 8月7日、カナダ第2軍とイギリス軍はそのドイツ軍の退路を塞ぐため、モルタンの北東約60kmにあるファレーズへと進むトータライズ(締めくくり)作戦を開始。南から回り込むように進軍するアメリカ軍との合流を目指し、ドイツ軍を巨大な包囲網に入れようというのだ。8日の朝までには、カーン~ファレーズをつなぐ国道158号線を順調に南下してガルセルとサン・テニャンおよびその南の森を制圧。当日のうちにファレーズへと到達するかに見えた。

 それを阻止すべく決死の反撃に投入されたのがSS第25擲弾兵連隊の1個大隊とヴィットマン率いるSS第102重戦車大隊の1個中隊だ。

 

「私たちが今いるのはサン・テニャンから南に3kmほどにあるサントーです」

 

 乗組員に見えるように航空地図を広げて、ヴェンドルフは1点を指し示した。ゲーム会場は当時の地形がよく再現されており、指さしたところから北北西に走る158号線および各地に点在する集落と森の位置関係、さらに地盤の高低までもがほぼ近似している。また便宜上、ゲーム中で使用する地名もそのまま拝借していた。

 

「史実では反撃開始時刻は1230。目標はここから4km先、敵戦車部隊が集結していたガルセル南東の森でした」

 

 地図上で指を左上に移動させながら説明する。ヴィットマンにとってその攻撃は絶望的なものだっただろう。彼と彼の部下たちはティーガーに搭乗していたが、敵はあまりにも数が多すぎた。それでも彼は友軍を助ける時間を稼ぐため、指揮官へ最後に笑顔を見せて死地に赴いたのだ。

 

「ヴィットマンはサントー郊外から158号線沿いに北上するも、途中にあるゴーメニルの東において戦死。諸説ありますが、1250頃に側面からファイアフライに撃たれたと見ていいでしょう」

「ジョー・イーキンズ砲手によるものですよね。あの森から!」

 

 グデーリアンが部隊正面右に見える森を指さした。サン・テニャン南には6haの果樹園が広がり、その下に帯状の森がある。さらにまた、帯の西端を起点として、国道に平行して南へ幅の狭い森が連なっている。イギリス軍所属のジョー・イーキンズの乗るファイアフライは果樹園南西、森に隠れるように布陣し、ヴィットマンの乗るティーガー007号車を含む3輌を撃破した。

 

「ええ。そして今度はあの帯状の森ーール・プティ・ラヴァンという隘路に向かって、Ⅳ号戦車を主体とした20輌ほどの戦車と擲弾兵部隊が1255頃から進軍、果樹園に布陣していたイギリス軍ノーサンプトンシャー連隊と激しく交戦します。両軍とも10輌以上の損失を出し、ドイツ軍は敗退しました。ここまでが今日のシナリオの大本です」

「何というか、いいところなしの負け戦よね」

 

 コンラート曹長が身も蓋もなくまとめる。

 

「まあ、あくまでもベースだからね。負け戦には変わりないけど、いい勝負ができるように史実と色々変えてるよ。空にヤーボはいないし、私も本当なら他の戦区で戦ってるからね」

 

 ヴェンドルフは冗談めかして言う。ヴィットマンの親友であり、この日の後に大隊長の任を継ぐヘルムート・ヴェンドルフSS中尉は、史実ではグランボスクという場所でティーガー中隊を率いて戦闘中だった。なお、彼は8月13日に戦死している。

 

「一応おさらいしておくと、今回は連合軍側60輌、ドイツ軍側20輌。お互いの詳細な編成は分からないようになっています。ルールは殲滅戦で、公式戦とほとんど同じ。私たちに有利な点は、戦力差を鑑みて相手の会話の無線傍受が禁止されていることと、こちらの戦力が史実より少しだけ強化されていることです」

「熊さん11輌は十分えげつないと思うで」

 

 そう言って会話に加わったのは、全国選抜では識別名パスターー今日はヴェンドルフ率いる第二中隊の4号車操縦手だ。

 今日のドイツ軍側は3つの部隊にわかれており、全体の指揮をとるヴィットマン役の大隊長隷下の第一中隊5輌、第二中隊が4輌、そして火砲支援を担当する第三中隊11輌という編成になっている。

 選抜隊のヤークトパンターのメンバーは第一中隊、JS-3の乗組員は第三中隊に配属され、他のシャーマン・ファイアフライ・ARL-44のメンバーは連合軍側で参加していた。

 

「クルト上等兵、お疲れさまです。どうかしましたか?」

「10分後に作戦説明やって。大隊長殿からの命令で、挨拶がてら回っとるとこ。……ま、ここが最後やけど」

「まず中隊長からでしょう、そこは」

「聞き捨てならんな上等兵。罰として腕立て伏せ50回だ」

「ひえー、堪忍してください、曹長殿ー」

 

 曹長と上等兵が寸劇を繰り広げる。上等兵は全国大会では車長を務めているが、元々は操縦手であり、他の操縦手の面々ともそれなりに仲が良い。

 ヴェンドルフは腕時計を確認した。

 

「予定よりも早いですね」

「天気が崩れそうやから、開始時刻を繰り上げるらしいわ」

 

 ゲームの開始は史実に合わせて12時半からの予定だったが、20分程繰り上げになったようだ。この後に他のメンバーの様子を見に行こうと思っていたが、そんな余裕はなさそうだった。

 クルト上等兵が自車へと向かうのを見送ると、ヴェンドルフは乗組員に向かって言った。

 

「少し早いですが、行きますか」

 

 中隊長が遅れるわけにはいかない、早めに行ってこしたことはないだろう。

 5人は作戦説明が行われる集合場所へ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 大隊長の説明が終わった後、参加者全員が自車へと駆け戻る。

 グデーリアンも第二中隊長車の搭乗員と一緒に隊長車へ向かって走っていたが、その途中で併走するペーター上等兵に話しかけられた。

 

「グデーリアンさんって装填手だっけ。今日は任してもいい?」

「はい! お任せください!」

「うちは装填きっついよ。務まるかな」

 

 挑戦的な笑み。上等兵も本職は装填手であり、経験も豊富だった。対するグデーリアンもニヤリと返す。

 

「大丈夫です、大洗では隊長車に乗ってますから!」

「オッケー、期待してる」

 

 全員がパンターG型の各席に滑り込むようにして着席する。曹長はエンジンをかけ、伍長は砲の照準を確認し、上等兵は無線機器をチェックして周波数を調整。グデーリアンは砲弾をこめる開閉器を確認した。

 ヴェンドルフはヘッドホンを装着すると、無線で僚車に呼びかけた。

 

「バザルト1よりバザルト全局、感度いいですか、どうぞ」

 

 2、3、4号車の順に感度よしの声。無線の過密状態を防ぐため、通信網は中隊規模で設定されていた。他の隊との交信は各車の通信手が受け持つことになっている。

 

「攻撃開始は1210、第一目標はル・プティ・ラヴァンです。ドーメニルを確保の後、2、3号車はローベルメニル経由で左回りに、4号車は森沿いに右回りで進んでください。私は正面から進みます」

『バザルト2より意見具申、正面は2号車にお任せください』

『あっずるい、一番槍とろうっていうんでしょ。副長へ、それなら3号車に任せて!』

『えっと、こちら4号車、特に意見はありません』

 

 2号車からは落ち着いた声、3号車からは対照的に元気いっぱいの声が流れる。彼女たちはヴェンドルフが所属する社会人チームの車長だ。何度か一緒に戦ったこともあり、お互いの技量はよく知っている。

 対して4号車は幾分ぎこちない声だった。いつもは選抜隊でP40の操縦手を務めているという車長は、初めて戦車長の任につき、少し緊張しているようだ。

 

「バザルト1より2、3へ、一番指揮をとりやすいのが正面なので。あと、一番槍は私達がいただきます。バザルト4へ、よろしくお願いしますね」

『くっ、さすが副長。相変わらずいい性格してるよ』

「ありがとうございます」

 

 軽口を叩きあいながら出撃を待つ。2号車と3号車のメンバーはヴェンドルフより何歳も年上だが、友人のように気安い関係だった。

 やがて時計の針が12時10分を指した。

 

「時間です。戦車前進(パンツァーフォー)!」

 

 パンターG型4輌からなる第二中隊は先陣を切って、サントーを出発した。進路を北東にとり、遠くに見える森と小集落へ向かって速度を上げる。

 1.5km程走り、途中で速度を落とした4号車と別れると、バザルト1、2、3は目標の南東にあるドーメニルという小集落へたどり着いた。幸い敵の潜伏はなく、1号車はボカージュに身を隠しながら目標を伺う。2、3号車とはここで別れ、彼女たちは更に北600mにある同様の集落、ローベルメニルへと向かって疾走していった。

 バザルト1の目の前にはサントーとサンテニャンの中間に位置する帯状の森が距離800mで視認でき、左手にはそれに連なる森と小規模なリンゴ園がある。

 第一目標は帯状の森とそこにある隘路だ。おおよそ戦車が戦うような場所ではないが、史実ではここで攻防戦が行われた。平地にあるこうした森は防御陣地を敷くのにもってこいの場所であり、今日のゲームにおいてもこことその向こうにある果樹園の攻略が重要視された。

 とはいえ、闇雲に攻めても返り討ちにあうだけである。火砲で捜射してから進撃するのが一番だが、戦車道には弾数に限りがあるし、大隊長の許可もない。なにより、今使うと奇襲要素が失われてしまう。互いに編成がわからない現状では、最初の一撃は最も効果的に放つことができるのだ。

 ヴェンドルフはまず古典的な戦法を使うことにした。自車を囮にして敵の攻撃を誘い、僚車にその隙をつかせるのだ。バザルト1はボカージュを倒して前進し、あえてその車体をさらした。ヴェンドルフはハッチから頭を出して、周囲に注意を払う。と、20m程進んだところで面白いものを見つけて、停止を指示した。

 

「10時のシャーマン。偽装に手を抜いてるやつ」

 

 左手のリンゴ園にカモフラージュらしきものをしたシャーマンがいた。成る程、リンゴの木で姿を隠して、一見分かりにくくはしている。だが、木々の隙間から車体の輪郭がわかり、主砲は突き出されていてすぐに目に付くようになっていた。

 偽装の技術で練度を計ることができる。ゲームの参加者は広く募集しており、中には発展途上の人もいるのだろう。ただ、それで見逃すようなことはない。

 砲塔が旋回し、敵戦車に照準が合わされる。

 

「たるんだ戦車は教育して差し上げます……撃て!」

 

 轟然たる発射音と噴煙をあげて70口径75mm砲は火を吹き、木々の隙間を縫ってシャーマンの車体に命中弾をたたき込む。

 第二中隊1号車は本日最初の戦果をあげた。

 

 

 

 

 

 

 砲声が聞こえる中、4号車は猛スピードでリンゴ園に接する森のすぐそばを突っ走り、帯状の森の西端へ到着した。幅60mの森の真ん中には戦車1輌が通れるくらいの小道が1本走っており、その左右は緩やかな斜面になっている。ここがル・プティ・ラヴァンと呼ばれる隘路だった。

 

「では、見張り番に行ってきます!」

「頼むでー」

 

 通信手が小型無線機を手にして軽やかに戦車から飛び降り、森の中に紛れ込んだ。それを見送ると、4号車は隘路の中を進んでいく。

 クルト上等兵は徐行運転にして、点視孔を覗きながら左右の手に持つレバーを調節する。両側はすぐ側にまで木々があった。

 

「おらへんなー」

「轍はあるんですけどねー」

 

 小路はゆるやかに左へと曲がっており、見える範囲では敵車輌は確認できなかった。クルトと車長は牧歌的に話し合う。

 ただ、それも長くは続かなかった。車長は前方にいくつもの倒木を発見した。そして、左の方からメキメキと音をたてながら、森の中を進む戦車を視認したのは、ほぼ同じだった。

 

「左前方にシャーマン!」

 

 クルトはその報告を聞くやいなや、すぐさまクラッチペダルとブレーキを踏み、後退ギアに切り替える。そしてアクセルを踏んで後ろへ急発進した。両側にある木が邪魔で、ここでは思うように砲塔を旋回することはかなわない。クルトの視界からはシャーマンが見えなかったことからして、ブレーキした場所では狙い撃つことはできなかっただろう。いちど後ろに下がって、射界を広くとる必要があった。

 対してシャーマンの方もこちらに気づいたのか、すぐに後ろに退いた。車長がそのことを報告すると、4号車はそこで停止。さあどうするかというところで、通信手から無線連絡が入った。

 

『1輌侵入してきます、ファイアフライです!』

「タイミング悪すぎやなぁ」

 

 そう言いつつも、クルトは右手のレバーをぐっと引き下げて、アクセルペダルを思いっきり踏む。車体は右後方に曲がり、背面に木が激突。なおも踏み続けて、その木を押し倒した。

 密集した木々の中に、車体の半分を収めるまで後退すると、続けて左のレバーを引き、同時に右のレバーを前に倒す。ギアを前進に切り替えアクセルを踏み、今度は左前方へと信地旋回して、元来た道へと車体を向けた。ただし、完全には戻らずにきりのいいところで停止し、こちらへ進んでくるであろうファイアフライの砲弾に対して鋭角で受けられるようにしてある。

 その操作が終わる頃には、件のファイアフライはもうこちらを狙いつけていた。敵戦車が火を噴いて、轟音が枝葉を揺らす。砲塔に向けて放たれた砲弾は、浅い角度でパンターの装甲に当たり、跳弾して近くの木を粉砕した。直ちに4号車は応射し、ファイアフライは道の真ん中で擱座した。

 

「出られなくなりましたね」

「前に行っても3号車と鉢合わせするし、しばらくここで待ち伏せやな。とりあえず、服部ちゃん呼び戻そか」

 

 先ほどと逆の操作をして4号車を再び進行方向へと戻すと、クルトは通信手に連絡すべく無線装置に手をかけた。

 

 

 

 

 

 

 第二中隊が攻撃を開始した頃、楔型隊形を組んだ5輌の戦車が158号線に沿うように北へ前進していた。史実のヴィットマンの部隊を模した、ティーガー5輌からなるドイツ軍側の主力の第一中隊だ。選抜隊のヤークトパンターの乗組員は、この中隊の3号車に乗り込んでいた。

 

『グラニート3、こちらグラニート1、ティーガーの有効射程はわかるか』

 

 普段と違う車輌に乗っているので気にかけているのか、大隊長からの通信が入ると、車長のヘフリンガー上級曹長ーー勿論、役名であるーーは迷うことなく応答した。

 

「シャーマンならば正面でも1800mから貫けます。命中精度でいえば、1500mまでなら最高の射撃ができるでしょう」

『よろしい。では、次は腕を見せてもらおうか』

 

 第1中隊はサントーから800mほど、ゴーメニルの東まで進み、そこで扇形の隊列を組んで停止した。史実の007号車の擱座した地点よりはもう少し手前側だ。この辺りはほんの僅かな勾配がついていて、正面側は高地になっており、肉眼では米粒のように敵戦車が視認できる。それよりも左の手前側には小さな林があった。また右側は、いま第二中隊が攻めている森が見える。

 その三方から、第一中隊に向けて一斉に砲火が放たれた。周囲の地面に着弾し始め、いくつかはティーガーの装甲を叩く。どの方向からも1000m以上は離れており、また側面をあまり晒さないよう防御陣形を敷いたこともあって、損害はなかった。第一中隊は負けじと砲火を交わす。

 

「やや左だな、ファイアフライがいるぞ。1300」

 

 ヘフリンガーは正面を見据えながら車内に言った。ファイアフライが放てるAPDS弾は、この距離からでもティーガーの直立100mmの正面装甲を貫くことができる。命中率は低く、よほどの名手でない限り、基本的には500mまで近づかないと信頼性がなかったが、脅威であることには変わりない。

 砲手は砲身を向けると、対象の動きをじっと見つめた。1発撃つごとに適時移動しているが、撃つときはさすがに停車している。そこを狙って引き金を引き、砲弾はまっすぐに飛んで命中弾を与えた。

 しかし、中隊全体で何輌かの戦果をあげているとはいえ、敵の砲火はますます激しさを増した。着弾であがる砂塵によって、照準を合わせることも困難になる。

 

『グラニート全局、後退して位置を変えろ。もう少しの辛抱だ。第三中隊は冬眠から起きた。悟られぬよう全力で反撃せよ』

 

 大隊長が全車に命令すると、第一中隊はそろって後退する。少し動いて隊列を整え直すと、視界が見えた車輌から各個に射撃を開始した。平原に射弾が飛び交う砲撃戦は、いましばらく続いた。

 

 

 

 

 

 

 ル・プティ・ラヴァンから木々を押し倒しつつバザルト1へ向かう戦車が、まだ3輌いた。バザルト1から見て左と中央にシャーマン、右にチャーチル。

 バザルト1はまず中央の戦車に向けて発砲した。3輌の中では2番目に遅く、右のチャーチルに追い抜かれそうな車輌だったが、左のシャーマンとは違い長砲身型のものだった。最も危険度の高いその車輌は、砲塔前面に直撃弾をうけて白旗をあげた。

 

「次弾装填、左のシャーマンを先に!」

 

 続けてヴェンドルフが鋭く指示する。もう1輌のシャーマンは森を抜け、バザルト1の左側へ回り込もうと加速を始めていた。指示をうけて、ヴァルター砲手は砲塔を左に旋回し、コンラート操縦手は車体を半時計回りに信地旋回させる。息のあった連携により、砲身は急速に接近する敵の進路に向かって振り回された。

 

「装填完了!」

 

 グデーリアンが声をあげてから間髪をいれずに、コンラートは車体を停止させ、ヴァルターが引き金を引く。照準に未来修正を加えて放たれたその砲弾は、一秒もたたないうちに狙いどおり命中した。

 

「あと1輌、1時のチャーチル、徹甲弾。まだ撃たないで」

 

 今度は落ち着いた声音でヴェンドルフは指示を出した。残る敵はチャーチルⅦ、ようやく森を抜け出したところだった。

 バザルト1は敵車輌に向けて砲口を向ける。700mほど、この距離では側背面に当たらない限り、お互いの砲弾は弾かれる。

 チャーチルはバザルト1へと直進してきた。ル・プティ・ラヴァンは3、4号車がにらみをきかせており、後退しても易々と撃破されるだろう。そのことを知ってか、猛然とこちらを目がけて走っている。

 ヴェンドルフはまだ何も言わなかった。照準を合わせたまま、1号車は停止していた。相手が近づいているのを、ヴェンドルフは静かに見ている。互いの距離が400mになったとき、チャーチルは左側面に大きな音をたてて速度を落とし、停まった。

 

「バザルト2へ、ナイスショット」

 

 狙い撃ったのは2号車だった。ローベルメニルから少しはずれたところで右翼を牽制していたそのパンターは、距離約800mで偏差射撃をきめた。

 

『お安い御用です。……それと、最新の情報を同期しました。ご確認ください』

「了解、引き続きお願いします」

 

 改めて周囲を見回して当面の危機が去ったことを確認すると、ヴェンドルフはポケットからスマートフォンを取り出した。映し出された画像を見て、口角を僅かに上げる。

 

「中尉、第一中隊から無線連絡です」

 

 ペーター通信手が声をあげ、周波数を調整したのかすぐに無線が入った。

 

『こちらグラニート1、バザルト指揮官(フューラー)応答せよ』

「こちらバザルト1、受信しました。どうぞ」

『ヴェンドルフ、戦術画面は確認したか』

「今し方。敵の増援が来ているようですね」

『第三中隊にはすでに砲撃を要請した。敵増援の到着が見込まれる1分半後には果樹園はなくなる予定だ。第二中隊は残存する敵を叩いて制圧してくれ。必要があれば砲撃要請を許可する。意見あるか、送れ』

「意見ありません、第二中隊は全力を尽くします」

『頼むぞ』

 

 交信を終えると、ヴェンドルフは中隊に指示を出し始めた。ひととおり伝え終わるのを見計らって、グデーリアンが口を開く。

 

「中尉殿、何で敵の位置がわかるんですか? もしかして、無線傍受をしてるんじゃ」

「ふふ、いいえ。ルールは守ってますよ?」

「今日は相手の会話は傍受していないぞ、グデーリアン。無線方向探知システムだ」

「無線方向探知システム?」

「ちょっと、あっさりばらさないでよ」

「いいじゃない。大会では使わないんでしょ」

「大部隊が相手じゃないと効果がないもの。でも、もうちょっと溜めてから言いたかったのに」

 

 ヴェンドルフは口をとがらせる。

 

「あの、説明をお願いしてもいいでしょうか」

「ふむ。簡単に言うと、バザルト2と第三中隊のクヌート1には、無線がどの方位から飛んできたかを探知する方向探知機がつけられている」

 

 コンラートが曹長になりきった例の口調で説明を始める。とっておきの秘密を披露するのが嬉しいのか、傍目には楽しそうに続けた。

 

「2輌の位置と、それぞれが探知した無線の方向を照らし合わせれば、その無線の位置を特定することができる。……ここまでは大丈夫?」

「えーと、ハフダフで相手の無線を探知しているようなものですか」

「そうそう。なんだ、よく知ってるじゃない」

 

 ハフダフは第1次世界大戦頃からイギリスで開発が進められた無線方向探知機のことだ。第2次世界大戦前後には目覚ましい発展をとげて小型艦および航空機へも搭載が可能となり、大西洋の戦いにおいては潜水艦の攻撃方位と座標を推定する貴重な情報源となった。

 こうした技術はノルマンディーにおける戦いでも活用されていた。ドイツ軍の陸上部隊が無闇に無線を発すると、即座に艦砲射撃や空爆が発信位置に目がけて襲いかかったのだ。

 

「でもどうやって実際に位置を特定しているんですか? バザルト2は動き回っていますし、計算する時間もかかるかと」

「そこでスマートフォンの出番です」

 

 グデーリアンに手に持ったスマートフォンの液晶を見せながらヴェンドルフが説明に加わった。画面には光点が記された会場の地図が表示されており、果樹園からいまだ多数の発信があることが示されている。

 

「各戦車長のスマートフォンはネットワークで繋がっています。2輌が無線を探知して方向を入れると、GPSを使って自動的に無線の位置が特定され、各車長は情報を共有することができます。これにより、効果的な作戦遂行と火砲支援が可能となるのです」

 

 その説明が終わるか終わらないかという時に、ジリリリリッとけたたましい音が響き、ヴェンドルフは反射的にハッチを閉めた。

 

「な、何ですかこの音?!」

 

 突然鳴り響いた警報に驚くグデーリアンを見て、そういえば言っていなかったかとヴェンドルフは思い当たる。今日のゲームでは「楽しく・安全に」をスローガンに徹底した安全対策が施されていて、その一つが全車輌に備え付けられたこの警報機だった。大規模な火砲爆撃を行う際は事前にイベント運営本部に通達して許可を得る必要があり、さらに射撃10秒前から付近の敵味方全員に警報で注意が呼びかけられる。

 

「まもなく第三中隊の砲撃が来ます。絶対にハッチを開けないでくださいね」

 

 爆心地から距離はあるが、それでも彼女は付け加えた。

 

「危ないですから」

 

 

 

 

 

 

 ドイツ軍側のスタート地点であるサントーの付近には、11輌の戦車が砲列を敷いて待機していた。前列6輌、後列5輌の千鳥配置であり、前後の間隔は50m、隣り合う車輌の間隔は100mほど。すべて果樹園の方に向いており、砲口は空を仰いでいる。砲塔はない。密閉式の固定戦闘室から15cm43式突撃榴弾砲の短砲身が突き出され、車体はⅣ号戦車のものを利用している。

 Ⅳ号突撃戦車。ブルムベアと呼ばれる自走砲だ。射程約4,700m、会場の大部分に砲火を放てるこの戦車で構成されているのが、第三中隊である。

 その11輌が、一斉に火を噴いた。初速240m/s、重さ40kgの15cm榴弾11発は、山なりの軌道を描いて8秒ほど飛翔したのち、連合軍側の戦車がまだ多数存在する果樹園に着弾、地面を抉るように爆発した。爆轟は着弾箇所から半径20m、またその周囲には猛烈な爆風圧が吹いて、地面はその衝撃で震動し、樹木の枝葉は熱風で吹き飛ばされ、あたりには土砂と噴煙が舞い上がった。

 第一中隊のティーガーを狙っていた戦車部隊は、一応無事だった。戦車というのは爆風圧には強い。上面に直撃を食らわない限りは、榴弾は得てして効果が薄いものだ。しかし、盛んに砲弾を撃ち込んでいた戦車砲は、今はすべて沈黙している。立ち上る粉塵で視界が遮られ、まともに動ける者は少なかった。

 視界が晴れると同時に、敵戦車にティーガーの長射程砲の斉射と、第二中隊の強襲攻撃が襲いかかるのは、もう間もなくのことだった。

 

 

 

 

 

 

「は? 全滅?」

 

 会場の左上、ガルセルの西に布陣する連合軍側の戦車群の1輌、ノースアフリカ号の車長であるモレル大尉は無線から流れる状況報告に耳を疑った。唖然としていると、また別の無線が入ってくる。

 

『Hey,レジスタンス。聞こえるかしら』

「ハリスへ、聞こえてるよ。あと、今日はレジスタンスじゃなくてモレルだよ」

『そうだったわね』

 

 相手はガルセルに布陣しているはずのファイアフライ、ヴァルキリー号の砲手からだった。彼女たち連合軍側の全国選抜メンバーは独自に無線機を持ってきていて、お互いにやりとりをしている。

 

「ノーサンプトンシャー中隊が全滅したって聞いたけど、本当?」

『ええ。敵は半数をブルムベアで編成しているわ。果樹園がまるごと吹き飛んで集中砲火をあびたようね』

「うわ、えっぐい」

『いまガルセルの部隊を引き上げて再編成するって通知が来たわ。よかったわね、出番ありそうよ』

「それは良いのか悪いのか……122高地の部隊は?」

『死守命令が出てたわ。クレイトンはもう音信が途絶えてる』

「脱落しちゃったのかな。残る味方は30輌くらいになるの?」

『そうね。これからはできるだけ分散して同時に攻撃することになると思うわ。まるでクルスク戦ね』

「ここ西部戦線だよね。違うゲームになってるよ」

 

 モレルは苦笑した。ゲームでの連合軍側の配置はサンテニャンと果樹園に20輌、ガルセルからその南の高地を担当する20輌、そして予備役の20輌となっていた。今日は観客もいて、あまり早く終わると味気ないだろうという配慮だったが、こうなっては総動員はやむを得ない。

 

『それで、そのチャーチルはどこまで近づけるように改造してるのかしら?』

「正面からなら貫通できないよ。久しぶりにこの戦車()がでるから、つい嬉しくて多めに増加装甲つけちゃった」

『なら後は火力ね。高速徹甲弾は支給された?』

「ちょっと問題があってね、聞いてよ。砲弾の種類が間違って配給されててさ。慌てて取り替えてもらったんだけど、徹甲弾しかないの」

『Umm.今からでも分けてもらえないかしらね』

「ゲームが始まっちゃってるから難しいよ。分けてもらえても、集まるのはせいぜい1発くらいじゃないかな」

 

 予備役は待機しているといっても、各車輌間は離れている。モレルの乗る戦車は速度が遅くなっており、総攻撃までには集まらないだろうと思われた。二人は考え込んで、しばし無線が途切れる。そのとき、別の声が無線に流れた。

 

『面白い話をしていますわね。協力しますわ』

 

 聞き慣れない声だった。その人物はこちらが何かを言う前に、全体通信網を使って味方に呼びかける。

 

『シャープシューターより各シャーマン小隊へ、75mm砲の高速徹甲弾を分けてください。ノースアフリカ号は敵500mまで近づけます。運搬は私たちが担当しますので、ご協力を。どうぞ』

 

 発信元は同じく待機中の戦車からだった。その識別名を聞いてモレルは首を傾げた。

 

「シャープシューターって、クロムウェルの部隊の人?」

『どうしてこの無線に? 今日は無線傍受は無しのはずでしょう』

『あら、味方の会話を傍受してはいけないとは書いてありませんでしたわ』

 

 軽やかな声と上品な笑い声が届く。その間にも通信網には何輌か該当車輌が提供を申し出てくれていた。ティーガー相手には、シャーマンは防御力がなく近づくのも困難であり、少しでも可能性のある戦車に託したいのだろう。

 

『ともかくシャープシューターへ、感謝します。モレルへ、これで相手の意表をつけるわね』

 

 砲弾を提供してくれる味方と見知らぬクロムウェルの車長にありがたく思いつつも、モレルは気まずさを感じていた。通信手に指示を出すと、二人に応答した。

 

「あのー、言いにくいんですけど、砲弾の種類がちょっと違います」

『どういうことかしら。75mm砲ではありませんの?』

『Yes.チャーチルNA75よね。それ以外の砲なんてないわ』

 

 モレルが乗っているチャーチルは、Mk.Ⅳにシャーマンの75mm砲を移植したチャーチルNA75と呼ばれる車輌をべースにして改造されている。今日のゲームにおける役名や識別名は、戦時中イギリスのモレル大尉により開発が進められたこの戦車にちなんでつけられていた。

 

「なければ作ればいいじゃない」

 

 モレルは不適に笑った。75mm砲に改修された戦車がNA75であり、他の砲を積んだ事例はないだろう。しかし実際に見てもらえればわかるが、モレルが今乗っている戦車は実際のNA75よりも長砲身のものに改造していた。

 無線連絡が一回りして協力の申し出の連絡が出尽くしたあと、ノースアフリカ号通信手から全体通信網に向けて次の言葉が発せられた。

 

「ノースアフリカより各車へ、先ほどの要請を訂正します。76.2mm砲、反復、76.2mmの高速徹甲弾をご提供願います。どうぞ」

 

 

 

 

 







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ヒストリカルゲーム『8 August 1944』(後)

 ガルセルの南には122高地がある。

 軍の作戦では、高地はその標高で呼ばれる。すなわち122高地とは標高122mの地点であり、街道沿いにおいては周辺よりわずかに高く盛り上がっているだけのものだ。史実においてはヴィットマン率いるティーガー部隊によって撃破されたシャーマンが数輌あっただけで、激しい戦闘などはなかった。

 これに似た名前で、ノルマンディー戦を通しても特に悪名高い場所がある。カーン南西の112高地だ。絶え間ない砲撃が降り注ぎ、幾度もの戦車の突撃が繰り返され、丘の奪い合いが7月10日から20昼夜にも及んだ高地は、多くの血が染み込んだ場所としていまだに語り継がれている。

 今ここで繰り広げられている光景は、その112高地の激戦を彷彿とさせるものだった。

 

「後退! 後退! 後退!!」

 

 耳を聾する轟音の中、連合軍側のとあるシャーマンの車長、クレイトンは叫んだ。断続的に落とされる榴弾により周囲は土砂や煙塵に包まれ、何も見えない状況だった。さらには爆発の衝撃波が幾重にも戦車に襲いかかり、無数の破片が装甲を容赦なく叩いている。122高地には他に味方が数輌いたが、その安否を確認する余裕は全くなかった。

 それでもそのシャーマンは幸運といえた。駆動部が故障することなく、なんとか視界が晴れている場所にまで後退すると、最初の集合地点であったガルセルの森に移動した。

 車体を隠せる位置について、周囲の安全を確認してクレイトンはハッチを開ける。そして飛来した破片によってすっかり見た目が変わった車体を見ると、忌々しげに口を開いた。

 

「ああ、もう。傷だらけじゃない。まともに修理したらいくらかかると思ってるのよ」

 

 不機嫌そうな声で文句を言う。全国大会で、選抜隊の一員としてシャーマンに乗る彼女たちは、そのまま自車を持ってきて今回のイベントに参加していた。この場合は参加費が大幅に免除されるが、修理費用などは自己責任となっている。

 

「他に被害は」

「無線機が繋がりません。小型の方も、さっきの衝撃で落としたときに壊れてしまいました」

 

 装填手の言葉に、ますますクレイトンは仏頂面になる。

 

「一度味方と合流しますか? 何か指示がでているかもしれませんし」

「……それは性に合わないわね」

 

 乗組員から提案されるが、首を振った。無線機が壊れているこの状態では、合流しても大して意味がないだろう。それよりは直接敵を叩きたいとクレイトンは思った。あの榴弾を撃った連中がいる場所の目処は立っている。

 

「会場を時計回りに大きく迂回して。こんな目に遭わせてくれたお礼をしにいくわ」

 

 

 

 

 

 

「グデーリアンは今頃楽しんでいるかな」

「後で話を聞かせてもらいたいものだ」

「それにしても、羨ましいぜよ……」

「嗚呼、もう少し気づくのが早ければ、我らも参加できたのに」

 

 六連銭があしらわれたバンダナで髪を結った左衛門佐は、そのポニーテールを揺らしながら残念がる。

 大洗女子学園で三号突撃砲に乗る"カバさんチーム"の4人は、観客席でこのイベントを楽しんでいた。いわゆる歴女の彼女たちは前々からこの手の催しものに興味があったようで、今回の話を聞いたときには諸手をあげて参加しようとしていたが、既に申し込み期限が過ぎていたことを知って涙を呑むことになった。

 

「お、あのシャーマンはどこに行く気だ?」

 

 大会と同じように設置された大型のスクリーンを見ながら、エルヴィンがある戦車の動きに気づいて声をあげる。戦術画面には会場左側に集結しつつある連合軍側と右側に点在しているドイツ軍側の車輌の位置が映し出されているが、たった1輌だけ、会場の上辺を右に向かって走行しているシャーマンがいた。

 

「道がわからなくなったとか」

「いや、それはさすがに。わざわざ会場の区域すれすれで、見つかりにくくしているし」

「となると、やはり回り込んでからの奇襲ぜよ」

 

 おりょうはそう結論づける。古来から戦力を分散して挟み撃ちを仕掛けたり、相手の意表をついたりするのは枚挙にいとまがない。彼女たちは早速、思い思いの知識を使って例え始める。

 

「カルタゴのアルプス越えか」

「奇襲と言えば、桶狭間は外せないな!」

「防備の薄いところへの奇襲なら、ライヒスヴァルトの戦いなんてどうかしら」

「それだ!」

 

 4人は顔を見合わせて声を揃える。が、会話に入り込んだ声が自分たちの後ろの方から聞こえてきたことに気づくと慌てて振り向いた。

 振り向いた先には、青色の制服に身を包んだ他校の生徒が数人いる。その中の一人、ダージリンは優雅にティーカップを手にしながら、悪戯中の子供のように微笑んでいた。

 

「聖グロリアーナの?!」

「ごきげんよう、大洗の皆さん。みほさんはいらっしゃらないの?」

「西住隊長はいないが……」

「どうしてここに?」

 

 カエサルが代表して尋ねると、ダージリンが笑って答える。

 

「私たちの先輩が参加されていますのよ。今日はその観戦に参りましたわ」

「ダージリン、今映っていますわ」

 

 隣に座っていたアッサムが指さす先には、スクリーンの一部分に表示されたクロムウェルの姿。車上に立った女性が並んでいるシャーマンから弾薬を受け取って車内に戻り、すぐさま前進していく様子が映し出されていた。

 

 

 

 

 

 

 クロムウェルが近づいてくるのを確認すると、モレルは南進していたのを停止するように指示して、自車のチャーチルNA75の車外の上に立つ。

 遠目では判断できなかったが、そのクロムウェルは75mm砲を装備している。ということはマークⅣかⅤかⅥかⅦ。タイプはCかDかEかFか。と、よく見ると前面に増加装甲が溶接してあることに気づく。するとDwかEwタイプ。そして履帯は……15インチはある。すなわちタイプはEw、マークⅦ。うん、改良型6ポンド砲や95mm榴弾砲に換装していないのが残念だけど、いい車体を使ってる。

 そんなことを考えているうちに、2輌が並ぶように停止する。クロムウェル側のハッチも開き、まだ若い女性が現れた。背中まで伸びた真っ直ぐな髪に、整った顔立ち。

 この人が車長だろう、それにしてもどこかで見たような。モレルが首を傾げながら記憶を探っていると、向こうから話しかけられる。

 

「お待たせしました。……本当に76.2mm砲ですわね」

 

 クロムウェルの車長は感心するようにチャーチルの主砲を眺めると、一転して顔をしかめ、ため息をついた。

 

「そういうことは、ちゃんと部隊表に書いてくださらないと困りますわ」

「備考欄には書いていたんですけど、信じてもらえなかったみたいで」

「はぁ……まあいいでしょう。品物をお渡しします」

 

 待ち望んでいた弾薬が取り出されるのをモレルは嬉しそうに見ていた。あの後に色々言われたものの、シャーマン長砲身型の車輌から計2発の高速徹甲弾の提供を受けることができた。たかが2発、されど2発。威力と命中精度が徹甲弾より段違いに高いそれは、撃つ機会さえあれば一撃必殺の武器といえる。

 手渡された砲弾を、ハッチから上半身を出した装填手にそのまま渡す。もう一発を同じようにして搬入を完了すると、モレルはクロムウェルの車長に聞いた。

 

「ありがとうございました。……ところで、どうしてここまで協力してくださるんですか」

「後輩を負かした人たちを一目見ようと思いまして」

「後輩?」

 

 車長が含み笑いをするのをきょとんとして見る。

 

「申し遅れましたわ。私、聖グロリアーナOGのアールグレイと申します」

「……あっ、もしかして、去年まで隊長をされていた?」

「あら、御存じとは光栄ですわ」

 

 そこまで言われてようやく思い出した。昨年の聖グロリアーナは例年とは少し変わった編成をしていて、機動力の高い巡航戦車が主体となっていた。その当時の隊長が目の前の女性だ。部隊運動の指揮が巧みなのが印象に残っており、特に「ブランデー入りの紅茶」という作戦を使った試合などはテレビに張り付くようにして観戦していたものだ。

 

「ダージリンが負けるなんて、どんな相手なのかと思いましたけど。随分面白い方々のようですわね」

「あ、あはは……」

 

 なんと答えていいのか分からず、モレルは空笑いする。とりあえず褒められているような気はするけど、返すには少し投球がカーブ過ぎる。

 ちょうどその時、クロムウェルのハッチから他の乗組員が顔を出した。

 

「連隊長から命令が出ました。これから5分後に、クロムウェルとシャーマンの数部隊は敵自走砲に向けて攻撃を開始せよとのことです」

 

 アールグレイは残念そうに首を振る。

 

「もうそんな時間ですのね。……そうですわ、よろしければ終わった後にお茶でもいかが?」

「えーと、そーですね……」

「ちょうど紅茶に合うケーキが入りましたの。感想も聞きたいことですし、来てくださると嬉しいわ」

「行きます! 是非ご一緒させて下さい!」

 

 二人は再会を期して拳をぶつけ合うと、自車のハッチに飛び込んだ。2輌の戦車は作戦に参加すべく、それぞれの目的地に向かって移動を開始する。

 曇り空からは、ぽつりぽつりと大粒のしずくが降り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 主砲発射の轟音の合間に、雨音が聞こえ始めた車内の中。ブルムベアの"クヌート5"に乗る装填手は砲弾を詰め込むと、額の汗を拭った。

 分離薬莢式とはいえ、15cm榴弾となると弾頭だけで28.8kg。通常は二人がかりで装填する代物だが、この車輌では一人でやっている。そして今ので10発目。普通なら体力的に持ちそうにない。

 

「先輩、大丈夫ですか」

「ん、まだ余裕。暑いのは弱るけど」

 

 しかし、この小柄な装填手は顔色ひとつ変えていなかった。全国選抜でJS-3に乗っている彼女にとっては普段から行っていること。むしろ車内が広い分やりやすいと、その怪力を遺憾なく発揮していた。

 ペットボトルに入れた飲み物を一口飲んで、無線方向探知が示されたスマートフォンの画面を見る。と、無線機に雑音が入った。

 

『クヌート全局、こちらクヌート1、次の射撃諸元を送ります』

 

 第三中隊の隊長車からの無線。砲手と操縦手が携帯の画面を確認し、指示のあるポイントへ向けて砲身の仰角と車体の向きをそれぞれ調整する。

 20秒ほど時間をおいた後、合図とともに轟然たる発射音が響きわたった。そして再び装填手が榴弾を装填する作業に入る。先ほどからこの繰り返しだった。

 そんな時、別の無線が届く。

 

『バザルト3よりクマさんへ、そっちにクロムウェルが行ったよー!』

 

 第二中隊の3号車からだった。

 最初の支援砲撃の後に果樹園を制圧した第二中隊は今二手に分かれており、1号車と2号車はガルセルの辺り、3号車と4号車はサントーの付近でそれぞれ防衛線を張っている。後者は第三中隊を守る防波堤のようなもので、ここを突破されるともう遮るものはない。

 

『クヌート中隊、砲戦用意! 11時、クロムウェル3輌、各個目標。……バザルト3、4号車へ、そちらの状況は』

『こっちもシャーマンがいっぱい! 片づけたら行くから、なんとか持ちこたえて!』

 

 クヌート1号車が緊迫したやり取りを交わしているのを背景に、第三中隊は千鳥隊形を維持しながら車体の向きを変える。中央から右に2列目に位置する5号車も同じく砲身をクロムウェルに向けて、砲手も今まさに撃とうと照準を合わせていた。

 しかし、装填手はそれを止める。

 

「待って。装填し直すから」

 

 そう言って、砲尾に今込められている榴弾を取り外し始める。クロムウェルは最高速度の速さに目を奪われがちだが、装甲は決して薄くはなく、特に増加装甲をつけているタイプはティーガーと遜色ない前面装甲を持っている。例え15cm榴弾が直撃しても撃破することは不可能だった。

 他のブルムベアの半分ほどは、一度撃ってから別の砲弾を装填した方がいいと判断したのか、その砲身から焔を吐く。だが、クロムウェルはブルムベアから発砲焔があがるのを見るや、すぐさま左右に展開してあっさりと避ける。放たれた榴弾は誰もいなくなった場所に着弾して爆轟をあげた。

 敵戦車はそのまま第三中隊の両翼に向けて速度を落とすことなく接近した。左翼に1輌、右翼に2輌。おそらく50km/h以上、第二次大戦中最速の戦車と言われるその速さを持って千鳥配置の隙間に入り、すれ違いざまに75mm砲の火を噴いた。

 

『クヌート8、大破です!』

『こちら11号車、やられた!』

 

 無線から被害が報告される。あまりの速さに旋回することがかなわず、側面を撃ち抜かれたようだ。傾斜のある100mmの前面装甲を持つブルムベアも側面や背面は他の戦車と変わらず弱点となっている。

 それよりも賞嘆すべきなのは敵の技量の高さだった。いくら至近距離だとはいえ高速で行進射を当てるのは至難の業だ。一朝一夕で出来ることではなく、非常な手練れだと思われた。このままだと相手はとって返して、そのうちじりじりとやられてしまう。

 クヌート5がようやく180度の旋回を終えると、装填手は榴弾ではなくHEAT弾を積んだラックから1発分を取り出し、砲手に話しかける。

 

「どう?」

「うう、この戦車じゃ命中させるのは難しいです……」

「やばいです! どうしましょう」

 

 砲手が残念そうに言い、操縦手も慌てたようにこちらを向く

 ブルムベアはHEAT弾も撃つことができ、貫通力は160mm。2000m離れたスターリン戦車を撃破したこともあると言われ、攻撃力は十二分にある。が、その初速が280m/sしかなく、目標が長時間留まってくれないと当てることができない。

 さらに言えば砲塔がないので、狙うのには車体ごと方向転換しなければいけない。照準を合わせること自体にも時間がかかり、待ち伏せしているような場合でもない限り当てるのは難しい。自走砲は戦車戦には根本的に向かないのだ。

 しかし、だからといって諦めてやられるわけにもいかない。

 

「大丈夫。考えがある」

「なんですか、なんですか」

 

 操縦手が食いつくようにして尋ねてくる。

 

「体当たりして」

「……先輩、もう一度お願いします」

「体当たり。思いっきりぶつけにいって」

 

 格好良く言えばラムアタックだ。相手がこちらの側背面に回り込もうというのなら、逆にこっちから当ててしまって動きを止めてしまえばいい。クロムウェルは驚異的な走行性能を持つが後退速度は非常に遅いため、一度前方を塞ぐことができれば15cm榴弾砲でも撃破は可能だ。

 幸いブルムベアはⅣ号戦車がベースであり機動力は中々良い。さらに短砲身のため、正面からぶつかっても発射には支障がなかった。

 

「マジですか」

「この戦車は頑丈なはずだから。問題ない」

 

 よく知らないけど、という言葉は飲み込む。普段乗り慣れているソ連戦車とは違い、ドイツ戦車は繊細なイメージがある。とはいえ今乗っている自走砲なら構造が比較的単純で大丈夫そうに思えた。それに公式戦と同じく車内は特殊カーボンで覆われているので、大事には至らないだろう。

 それでも心なしか顔が青ざめる操縦手の様子に首をかしげて尋ねる。

 

「無理?」

「……できますよ、やってみせようじゃないですか!」

 

 操縦手は声を張り上げて車体を急発進させる。揺れる車内の中、装填手は手に持ったHEAT弾を装填すると、周囲を確認すべく車長席へ移動してハッチを開けた。

 

 

 

 

 

 

「どういう状況なの? これ」

 

 雨に当たりつつも前方を確認したクレイトンは、今繰り広げられている光景に首をひねった。

 榴弾を撃っていたらしいブルムベアが多数、その中に味方のクロムウェルが2輌走っている。これはまだ分かる。だが、高速で走行しているクロムウェルに向かってブルムベア数輌がじゃれつくように走っているのは何なのだろう。

 1輌停止しているクロムウェルはあれにやられたのかと思うと空しくなる。

 

「……まあでも、絶好の機会よね。前進して」

 

 シャーマンを発進させてドーメニルという小集落から動き始める。

 いま見ていた地点へは1km程、そこへ向け速度を上げる。わざと遠回りに来たかいがあって、ここまで誰にも気づかれていない。

 

「速度そのまま! 好きな奴を狙いなさい!」

 

 ぐんぐんと距離を縮め、500mを切ったところで砲撃の指示を出した。相変わらず動き回っている戦車とは別に、こちらから見て手前側で右往左往して、その場を動いていないブルムベアがいる。砲塔はその中の1輌、クロムウェルを追ってサントー方面へ向いている奴へと右に廻される。

 そいつの背面に向けて、巡行速度を維持したまま75mm砲の火が噴いた。

 

「次! 進路まっすぐ!」

 

 白旗を確認するまでもなく、次の獲物を見定める。どんな戦車だろうと後ろは弱い。この距離で当てることができるなら大抵はおじゃんだ。そしてこのシャーマンに乗っている少女達は、こと行進射の命中率に関しては絶対的な自信を持っていた。

 75mm砲搭載型のシャーマンにはジャイロ式スタビライザーがついている。レギュレーションで使用できる戦車の種類の中でも数えるほどしかついていない、振動の中でも砲塔を安定化させて命中率を上げる装置。とはいえ、戦車のそうした技術においては最初期のものであり横方向の振動には対応されていない。実戦においても扱いに高度な訓練が必要として、多くの戦車兵からは見向きもされなかった代物だ。そんな装置を彼女たちはひたすら訓練に明け暮れた末、使いこなすことが出来ていた。

 

「撃てッ!」

 

 今度はこちらを向こうとしたのか側面を晒しているブルムベアに目掛けての発砲、撃破数を1つ増やした。そのまま止まることなく敵の小隊から離脱して距離をおき、左方向へと旋回する。

 とって返して、もう一度接近戦を挑むつもりだった。自走砲には動いている標的を狙い撃つことは無理だ。それに、図らずしもクロムウェルと挟み撃ちになっているおかげで、まだまだ戦果は望める。そう考えていたが、旋回を終えた途端、クレイトンは前方を見据えて思わずぎょっとした。

 

「はぁ!? な、なに考えてんのよ!」

 

 ブルムベア1輌が真っ直ぐにこちらを目指して走っている。かなりの猛スピードで、正面から衝突するのも厭わないと言わんばかりに急速に接近していた。

 慌てて10時方向に逸れるよう指示を出す。ぶつかるのも撃たれるのも遠慮願いたいが、相手も角度を修正した。またしても衝突コース。自走砲なので砲身が曲がらず、撃たれることはないだろうが、衝突まで避けるのは難しいと思われた。

 

「砲塔2時! それと耐衝撃用意!」

 

 クレイトンは覚悟を決めると戦闘室内に引っ込んだ。どうあってもぶつかってくるつもりならその前に撃破してやると、車長用のペリスコープをのぞく。砲塔は既に廻り終え、相手を狙っている。

 敵はもう目前にまで来ていた。

 

「撃ちなさい!」

 

 至近距離での砲撃。ついで激突。まともに衝撃が伝わり、車内はめちゃくちゃになるが、それでも必死にしがみつく。

 

「あたた……。全員、無事?」

「な、なんとか……」

 

 あちこちをぶつけて多少痛む身体をさすりながら、クレイトンは起きあがる。直前にどちらともブレーキをかけたのか想像よりは酷くなかった。とはいえ車内にいれば、カーボンコーティングに守られて最悪の事態は免れるだろう。何にせよ二度と御免だが。

 乗組員の無事を確認すると、ハッチを開けた。

 離れたところからは相変わらず遠雷のように砲声が轟いている。しかし、ここは広い草原の真ん中に2輌がくっついて停止しているだけだった。その対比からか妙に静かに感じられる。

 シャーマンのすぐ側で動きを止めているブルムベアは車体側面に弾痕を残して白旗を上げていた。角度的にきつかったが、なんとか撃ちぬけたようだ。

 そして、そんな周りのことが頭に入らなくなるような惨状を目にしてクレイトンは呻いた。

 

「……あー、もう最悪」

 

 自車の75mm砲は最後の砲撃の後にまともにぶつかったのか、見るも無惨に折れ曲がっていた。

 戦車道の試合において砲身が折れること事態は珍しくない。スターリンの122mm砲をまともに受けたり、うっかり水路などに落ちてそのまま砲身がバキッといったり等、割とよくある話だ。だが、今回のように故意にぶつけられて折れたとあっては心中穏やかに受け止めることなどできない。相手が誰であろうと、一言二言文句を言わないと気が済まなかった。

 ちょうどそのとき、ブルムベアのハッチが開いた。睨みつけるように目を向けたその先には、見知った、よーく見知った顔があった。

 

「そう。あんたなわけね」

「……えっと?」

 

 選抜隊の北海道代表のリーダーが、ヘルメットをかぶった頭だけを出して、珍しく困惑気な表情をしてこちらを見ている。ふつふつと沸き上がる激情を押さえつつ、言い分だけは聞いてやろうと低い声を出す。

 

「別にただやられろっていうわけじゃないけど、他にやりようがあったんじゃないかしらね。この砲身を見てどう思う?」

「ふ、不可抗力?」

「……」

「……」

「……#」

「……」

 

 ぱたん。がちゃ。

 

「逃げようっての!? ……工具箱からバール出して!」

「ちょっ!? 洒落になりませんって!」

「あのハッチこじ開けるだけに決まってるじゃない! 早く!」

 

 目にも止まらぬ早さで引っ込んだ相手を見てクレイトンは吼えた。

 その後、お互いの乗組員の尽力により比較的平和的に和解することになるが、それにはいましばらくかかりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 サントーにおいて一悶着が起こっているその頃。ゴーメニル周辺の街道上では、ドイツ軍側第一中隊の砲口が西へと盛んに火を吐いていた。

 国道158号線の西側には鉄道が走っている。線路は土手の上にあって、周囲の土地よりも一段高くなっており、街道側からは向こう側は見えない。そして今、その土手を乗り越えて連合軍の戦車が次々と現れているのだ。

 

『チャーチルはまだ撃つな。十分に引きつけてからだ。それよりシャーマンに注意しろ。見つけたらすぐに撃て』

 

 大隊長からの無線を聞きながら、ヘフリンガーは"グラニート3"のキューポラから敵の動きを確認し続けていた。

 まず目に付くのは、やや遅い速度ながらも着実にこちらに近づいてくるチャーチルだ。見えるだけでも4輌はいて、時おり砲火を放っている。しかしどれもが6ポンド砲を装備した型のものであり、いくら近づいてもティーガーの正面装甲を貫くことはできず、放っておいても問題ない。

 そしてシャーマン。チャーチルに隠れるようにして接近していたり、土手から急に現れたりするそれらに向けて、ティーガー5輌の砲口が吼えている。75mm砲型でも高速徹甲弾を持っている場合は遠くから撃破される可能性があり、真っ先に狙うべき相手だった。車体を斜めに向けて、真っ正面から当たらないようにしているとはいえ、500m以内にまで接近されるとかなり危ない。

 

「右だ、撃て!」

 

 ヘフリンガーが声を出すと、すかさず砲手がフットペダルを踏んで砲塔を回転させ、目標を狙う。かなり早い速度で急接近していたそのシャーマンは他のティーガーの砲火をよく避けていたが、その避けた直後を狙って発射レバーが引かれ、あえなく撃ち込まれた。

 

「よし、土手に戻せ。1200、左だ」

 

 休む間もなく砲身が鉄道堤へと向けられる。指示した標的はすでに味方の砲撃を受けて撃破されているが、いつ現れるかわからない。気を緩めることなく、ヘフリンガーは前方を見据える。

 

「……うん?」

 

 先ほどとあまり代わり映えのしない光景。だが違和感を覚えてもう一度見渡すと、1輌のチャーチルに目が止まった。

 それは他のチャーチルと比べても明らかに遅かった。今は1000m程離れたところにいて、依然こちらに向けて走行している。何となく嫌な予感がして望遠鏡越しに覗くと、砲塔に通常のチャーチルにはない砲盾が装備してあった。

 

「あれは……チャーチルNA75か? とすると……」

 

 彼女は思い当たった。――あいつ(レジスタンス)だ。あの整備馬鹿が、自重しないで改造した車輌を駆っているのだ。

 あのチャーチルが75mm砲を装備しているのなら、これ以上接近されるのは危険だった。引きつけろとは言われているが、この場合はやむを得ないだろう。

 ヘフリンガーは狙いを変更するように指示する。

 

「照準、左のチャーチル。履帯を狙え。どうせまともに撃っても無駄だろうからな」

 

 まもなく砲身が回されて爆音が轟き、射弾が飛んでいく。一発目は少し外れて車体に当たってしまったが、続く二発目で上手く履帯へ叩き込むことができ、チャーチルの動きが止まる。

 ヘフリンガーはホッとした。これでこちらから近づかない限り、あいつは何も出来ない。しばらくすればガルセルの辺りにいる第二中隊から撃たれるだろう。相手の砲身が恨めしそうにこちらを向いていても気にかけることなく、別の戦車へと照準を変える。

 ただ、彼女はその判断を悔いることになった。と言ってもこれ以上どうすることもできなかっただろうが。

 止まったままのチャーチルから発砲焔があがり、グラニート3号車に直撃。75mm砲では貫通不可能な距離だったが、そのまま撃破判定が下された。

 

 

 

 

 

 

 優れた戦車兵は優れた兵器に勝るという。

 いくら性能の良い戦車に乗っていても、それを使いこなせないようなら意味がない。技量に差があれば性能差をひっくり返すこともある。ゆえに戦車道を嗜む人たちは、日々の研鑽を怠らないものだ。

 では、お互いの技量に差がない場合はどうなるか。そうなると当然、乗っている戦車の性能が大きく影響してくる。

 

「"ファシスト"撃破を確認」

「続けて高速徹甲弾装填、左のティーガー」

 

 チャーチルNA75の砲塔が旋回し、車体前面と側面を見せているティーガーへと照準が合わされる。擱座しているためこれ以上近づけないが、76.2mm砲では十分射程内だ。

 その途端、砲塔の9時方向に衝撃を受けた。車内から砲隊鏡でその方向を見ると、はるか遠くからパンターがこちらへ砲身を向けている。距離およそ1500、普通のチャーチルなら撃破されていてもおかしくないが、その直撃弾はただ跳ね返っただけだった。

 

「ふっふっふ。こんなこともあろうかと、側面も厚くしているからね。そんな距離じゃ貫けやしないよ」

 

 モレルはしてやったりとほくそ笑む。

 1944年8月時点で可能な範囲に留めつつも、火力・防御力・機動力のバランスを崩すことなく限界まで性能の向上を目指したこのチャーチルNA75は、まさに"わたしたちのかんがえたさいきょうのチャーチル"とでもいうべき代物だった。

 

「照準よし!」

「撃て!」

 

 轟音とともに撃ち出された高速徹甲弾は、ティーガーの側面へ直撃し、白旗を揚げさせる。それを見届けると、モレルは思わずガッツポーズをとった。

 

「よーし、これで2輌! 次は11時方向、側面を向いてるやつ。この調子で行こ――」

 

 意気揚々とあげられる声は、しかし途中で遮られる。車内に鳴り響くアラーム音。その火急を知らせる音に、慌てて砲隊鏡をしまう。

 

「ハッチ閉めて!」

 

 自身も車長席のハッチを閉めながら、モレルは叫んだ。どこに着弾するかはわからないが、15cm榴弾はやばい。どうか近くに落ちませんようにと必死に祈る。

 そんな願いも空しく、ブルムベアから発射された砲弾は弧を描き、擱座したチャーチルに目掛けて飛来していた。

 

 

 

 

 

 

「で、運悪く当たってしまったと」

『もう、すっごく怖かったよぉ。酷くない? アラーム鳴らせば大丈夫とか、そういう問題じゃないよあれぇ』

「はいはい、仇は取ってあげるわね」

 

 無線越しに聞こえる涙声にそう返すと、ハリスは小型無線機を切った。

 さしもの改造チャーチルも上面までは補強されていなかったらしく、直撃弾を受けて撃破されたようだ。40mものクレーターをつくる榴弾の爆発をまともに受けてさぞ恐ろしかっただろうが、全員無事そうなので問題はない。それよりも今は行動に移るときだ。

 

「Driver,Go!」

 

 ゴーメニルの西、土手に隠れるようにして待機していたファイアフライは鉄道の土手を上がる。ペリスコープからは、ティーガー3輌が群がるようにとりついているシャーマン数輌と交戦している様子が見える。

 

「007号車はいる?」

「左端の戦車です。車体に文字がマーキングしてるのが見えました」

 

 砲隊鏡で観察していた車長からの返答。相手のヴィットマン役は大隊長として指揮をとっている。戦術としては指揮官から仕留めるのが効果的といえた。シャーマンが数を活かして奮戦しているこの状況なら、これで一気に形勢が傾くはずだ。

 それに、せっかくファイアフライに乗っているのだ。

 ギアを廻して、砲塔を左に旋回させる。

 

「歴史は繰り返す、ってね」

 

 照準器鏡内の十字線を目標のティーガーに合わせる。ここからだと距離は1200ほど。周囲の車輌を相手に立ち回っているのか、折好く側面を晒している。

 装填手が徹甲弾を込めると、ハリスは発射スイッチを踏んだ。

 

 

 

 

 

 

 ガルセルの周辺で街道の東側から来る敵を食い止めていたバザルト1に、慌ただしい無線が届く。

 

『バザルト3より副長へ、隊長がやられたよ!』

 

 ヴェンドルフは弾かれたように第一中隊の方を見る。総崩れになったのか、ずっと聞こえていた砲声は既に途絶えており、ティーガーに取り付いていただろうシャーマン数輌も街道の南へと移動を開始していた。

 戦況はもはや覆せないほど傾いたと言っていい。相手はまだ15輌は残っているはず、それもおそらく精鋭部隊だ。対してこちらは9輌、実質的に戦力になるのはブルムベアを除いた第二中隊4輌のみ。実戦であれば撤退も選択肢に入っておかしくない。

 瞬時にそう状況評価した後、無線手に第三中隊宛の無線機を用意してもらい、全車に連絡を入れる。

 

「バザルト1より大隊全局、これよりバザルト1が指揮を代行します」

 

 あらかじめ決めてあった優先順位に則り、ヴェンドルフが大隊指揮をとってかわる。公式戦では隊長が搭乗車を乗り換えることもあるが、今回はやられると戦死扱いということで以後参加できなくなる。もっとも戦線が広がっているこの状況ではそんな暇もなかっただろうが。

 

「第三中隊、ローベルメニルへ移動。第二中隊は後退しつつ砲撃を続けてください」

 

 隊長代理になったとはいえ、公式戦ではないうえに負け戦ということもあって気負いは全然ない。このまま玉砕覚悟で突っ込んでもいいのだが、せめて最後に一花咲かせるべく部隊の再編に着手する。

 車体が後退を始めると、ヴェンドルフは近くにいるバザルト2に周囲を警戒するよう伝え、手に持ったスマートフォンを操作する。ガルセルの周辺に向かってくる相手車輌は少ないようで、余所見をする余裕はあった。

 

『クヌート1より、ローベルメニルに到達しました』

「支援砲撃を要請します。座標は画面の通りです」

 

 幸いに誰も撃破されることなく第三中隊の移動が完了し、続けて攻撃の準備に移る。榴弾発射の指定ポイントは敵が多いゴーメニル西の平原、各車ばらばらの場所を撃って全体的に相手の動きを牽制することが目的だ。

 

「第三中隊、一斉射の後HEAT弾を装填、街道近くの森へ向かってください。第二中隊は行進射用意」

『了解!』

『待ってましたぁ!』

 

 第二中隊の2号車と3号車からどこか楽しそうな声で返信が入った。最後の一暴れが望めるとあって気分が高揚しているのかもしれない。

 アラームが鳴り響くと、ヴェンドルフは車内に目を戻す。

 

「さて、グデーリアンさん。走行中に装填された経験はありますか?」

「失礼ですが中尉殿、大洗ではしょっちゅうやっていますよ!」

「おっと、遠慮はいらないようですね」

「言うねー、新入り。明日は筋肉痛を覚悟しなよー」

 

 客人からの予想外に心強い発言に、砲手が軽口を叩いた。この様子だと装填速度はかなり速めにしないといけないだろう。期待通りに出来るのか楽しみな反面、終わった後にどうなるかを想像すると失礼ながら口元が緩む。

 遠くから爆発音が轟くと、ヴェンドルフは声を上げた。

 

「第二中隊、突撃! 絶対に停まらないで、射界は広くとってください!」

 

 パンターは後退を止め、急速に前進する。隣のバザルト2と横列を組んで街道を南下、右手の土手から進行している敵戦車と撃破された戦車群が入り交じった戦場へと進路を取る。

 支援砲撃により巻き上がった土砂が程良く視界を隠している中、第二中隊は北と南の2方向から挟み撃ちをする格好になって敵に襲いかかった。混乱に陥っている車輌に接近し、すれ違いざまに砲弾を叩き込む。4輌はそれぞれを狙っている戦車に牽制射撃をしながら一糸乱れぬ連携を見せ、1輌また1輌と着実に撃破していく。

 留まることなく両側から潰すように移動し、そのまま行き違いになって平原を端から端まで走ると、今度は旋回して180度向き直る。撃ち漏らした敵を再び挟み撃ちにするようなその動きを見せた頃には相手も混乱から回復し、何輌かのシャーマンは確実に弾丸を当てようと停止した。停止してしまった。

 

「第三中隊、前へ! 撃ち方はじめ!」

 

 街道の東側、道路に並行して連なる森に隠れていたブルムベアが姿を現し、5筋の弾道が停車している敵戦車に目掛けて描かれる。3輌は察しがよく急発進し、弾速が遅いことが幸いして回避できたが、他の2輌は過剰なまでの貫通力を持つHEAT弾の直撃を受けて白旗を上げた。

 

「あとは各個射撃! 各自、健闘を祈ります──砲塔右、標的100メートル、撃てッ!」

 

 ヴェンドルフは無線機を下げ、咽喉マイクに触れる。雨に濡れるのもいとわずにキューポラから顔を出していて、周囲の状況を確認し標的を指示。パンターは走行を続けながら砲塔をやや右に旋回し、砲声を響かせた。

 擱座する戦車を後目にして次の獲物を探す。そこら中に瞬く発砲焔や耳にこびりつくような発射音の下に、すぐ近くを掠っていく砲火を浴びながら、彼女は笑顔をつくる──敵も本気ですね、面白くなってきました、と。

 4輌のパンターは常に動き続けて相手をかき乱し、行進間射撃が何度も外れようと決して停まろうとしなかった。戦車にとって、機動こそが最大の防御。高速で駆け抜ければ敵は捕捉するのが困難となる。ファイアフライがいる状況下ではベターな戦術ではあったが、それにも限度があった。

 

『バザルト3、大破ー! 土手にファイアフライがいるよ、いい腕してる!』

 

 無線から、悔しいというよりは感心の方が強い声が届く。鉄道堤に双眼鏡を向けると、そこには下手人であろう戦車が、砲口の先に砲煙を漂わせて姿を現していた。おそらく射程1000mくらいからの移動目標に対する狙撃。17ポンド砲でそんなことができる人物なんて、一人しか心当たりがなかった。

 

「バザルト4へ、"イギリス"の相手をお願いします」

『了解!』

『あれはうちらの獲物やなー』

 

 比較的標的に近かった4号車に対応を任せると、ヴェンドルフは周囲の敵への急接近や発砲を指示し、注意を引きつける。流石にここまで残った戦車群だけあって、どの戦車も射撃術や対応の素早さは滅法確かで、油断は全くできない。第三中隊も全滅したのか沈黙している状況、残る2号車と連携をとりながら4号車へ発砲されるのをなんとか防ぐと、そのまま戦いに没入していった。

 

 

 

 

 

 

 無線機にザーッという雑音が入る。

 普段ファイアフライに積まれているNo.19型無線機や持ち込んできた小型のものではなく、今回のゲーム参加車輌にあらかじめ備え付けられている緊急用の無線機からだった。これは連合軍側もドイツ軍側も共通の周波数を使用しており、イベント本部からの連絡と何かあった際の救助要請などに用いられることになっている。

 こちらへ向かってきている敵車輌へ照準を合わせていたハリスは、その無線で呼びかけられた内容を聞いて動きを止めた。

 

『あーあー、こちら"パスタ"、じゃなかったドイツ軍第101重戦車部隊"バザルト4"、そこのファイアフライに一騎打ちを申し込む。尋常に勝負されたし』

 

 発信元は今まさに狙っていたパンターからだろう。その戦車はファイアフライに砲塔を向けることなく、鉄道堤を乗り越えられる踏切へと走行を続けている。

 どうやら1対1の真剣勝負をご所望らしい。相手の顔を思い浮かべ、ハリスは忍び笑いをする。

 

「ここでどちらが上手か決めようというの。上等じゃない」

 

 ともに選抜戦を勝ち抜いてきた者同士、相手にとって不足はない。それにわざわざ緊急連絡用の無線を用いている以上、他の車輌にも聞こえているはず。なによりこれで引いたら武士道精神から反すると言うものだ。

 

「こちら"二枚舌"、もといカナダ軍ブラックウォッチ中隊"ヴァルキリー"。望むところよ、正面をすれ違ってから始めましょう」

 

 ファイアフライは発進した。鉄道堤を西側に降り、遮蔽物もない起伏のゆるやかな草原で、大きく左に旋回をし始める。ほぼ同じくしてパンターも踏切を越え、一度左に曲がった後に緩やかな右カーブを描く。両車は線路と平行になったところで、互いに向き合う。

 2輌とも砲身は真っ正面を向いたまま、急速に接近していく。そして、戦車1輌分もない程の間隔ですれ違った。

 直後、

 

「右旋回!」

 

 車長の号令で、車体は右に曲がる。同時にハリスは右手の装置を操作して、砲塔を旋回させた。右90度、旋回終われと再度の号令がかかる。照準器からは、雨で輪郭が少しぼやけているが、並行して走るパンターがこちらに砲を向けているのが見えた。距離100mの至近距離、速度は最大で時速40kmから変化がつけられている。互いにジグザグに走り、さらに振動によって目標が絶えずぶれる中、タイミングを計る。

 

「撃て!」

 

 おそらくその声は双方の車長から同時に発せられた。発射スイッチを踏み、視界は砲煙に覆い隠される。手応えのなさにチッ、と舌打ちする間、近くに弾丸が通り過ぎたような重低音が聞こえた。

 煙が晴れると、先ほどと同じく、蛇行しながら並走している状況が見てとれる。

 この速度での行進間射撃など滅多に当たるものではない。まして、両車輌ともに複雑に動き、速度も緩急をつけて走行しているのだ。むしろ当たる方がおかしい。

 今は言うなれば駆け引きの時間だ。停止して確実に相手をしとめるタイミングを探り合っている。どちらか片方でも止まれば命中率は飛躍的に上がるが、下手に止まると相打ちになる。車体の位置、砲塔の角度、そして装填スピード。それらを踏まえて、先手で撃破できる僅かな隙を狙って速度を落とすのだ。

 

『また外れー。1500m以内なら必中やなかったん?』

 

 2度目の砲撃も空振りに終わると、無線機からあからさまな挑発の声が発せられる。確かにそんなことは言ったが、停止射撃と行進間射撃の区別くらい相手にもつくだろう。しかし、言われっぱなしなのも気にくわない。

 照準器を見据える。十字線は100mに合わせたままだ。相手の行く先に照準を合わせる。射角は浅いが、相手の動きが少ない機をとらえて発砲。数瞬後には相変わらず回避運動を続けるパンターの姿があったが、ガンッ、と手応えを感じさせる音はあった。旋回装置を操作して射線をととのえつつ、開いた手で小型無線機を手にとる。

 

「次は横っ腹に当てるわよ」

『おー怖、おっかないわ』

 

 その返信の直後、パンターは急激に速度をあげて、ファイアフライの前方を通り左に旋回した。既に会場区域のぎりぎりまで近づいていたので切り返したのだろう。こちらの砲塔は絶えずパンターを追いかけて回り、次いで車体自身も後を追うように左に曲がる。

 今度は逃げるパンターをファイアフライが追う展開となった。装甲の薄い背面をとり、優位に立ったと言いたいところだが、今回はそういう訳にはいかない。70口径75mm砲はシャーマンベースの正面装甲を簡単に撃ち抜けるし、今もその砲身を向けてきている。

 

「Shit. ちょこまかと……」

 

 こちらから先に撃ちたいが、相手は後ろに目がついているのかと思うくらい巧妙に蛇行している。たまに照準が合わせられそうなときがきても、今度は地面の起伏によりぶれてしまう。もし外したら向こうは停車して当ててくるだろう。

 互いに回避運動を続け、決定的な射撃チャンスを作れないまま、2輌は踏切を越えて鉄道土手の東側へと戦いの場を移した。

 

 

 

 

 

 

 パンターは逃げる、逃げる、逃げる。

 第一中隊とチャーチルの部隊が戦火を交えていた平野において、既に撃破されている戦車の間を縫うようにして後続のファイアフライの照準を避ける。

 

「ちょっと、もう少しスピード落とせませんか!?」

「阿呆、これ以上落としたら撃ち抜かれるわ!」

 

 擱座した車輌へと40km以上の快速でぶつかりそうになる動きに、パンターの戦車長は悲鳴を上げる。だが、クルト操縦手は珍しくきつい調子で却下した。テンションがハイになっているのかもしれない。

 互いの距離が徐々に開く。それに伴い砲声の数も増え始めた。長距離になればなるほど相手に弾丸が届くまでの時間が長くなり、たとえ停止射撃でもそう簡単には当たらない。こうなると一回撃って外れたとしてもそれが致命傷に至ることは少なくなる。両者が動き合っているこの状況ではなおさら命中できるはずもないが、数撃てば当たるかもしれないという考えのもと、2輌は砲弾を放ち続ける。

 

「次すれ違ったときに決着つける! 準備ええか!?」

 

 ある程度距離がとれたのでクルトは乗組員に声をかける。特に返事は聞こえなかったが、無言は了承だと解釈して、180度回転すべくレバーを操作する。

 再び互いに向き合う形になった。少し違うのは、今度はすれ違っても100mほどの空きがある。そして、砲塔は常に相手を狙っていた。

 

「撃てーッ!」

 

 走行中でもわかるほど、びりびりと車体が振動する。同時に金切り音がすぐ近くから聞こえた。どうやら外れてくれたらしい。口元に笑みの形を作った後、クルトは気合いを入れて叫んだ。

 

「勝負やー!」

 

 右手のレバーを無造作に引く。右の履帯は急速に力をなくし、生きている左の履帯が勢いよく回り続け、車体は強引に曲げられる。自動車のように横転するようなことはなかったが、車内には猛烈な荷重がかかり、履帯は耐えられずに外れてしまう。

 そして車体と砲塔は、ごく短時間で180度の方向転換に成功した。

 砲身がファイアフライを追いかける。もはや振動はなく、射撃の精確さは保証されている。相手は左旋回の途中で、側面を完全に晒しており、砲塔もまだこちらに向けられていない。彼我の距離はわずかに150m。いかに高い機動力を持って走行したとしても、この距離では初速925m/sで放たれる砲弾から逃れることは難しかった。

 操縦手用のペリスコープ越しに、射弾が叩き込まれ白旗をあげるファイアフライが確認できた。

 

「撃破いち!」

 

 車内に歓声が上がった。履帯はだめになったもののこちらはまだ戦闘可能。審判なんていないが勝敗は明らかだ。

 シートにもたれかかって一息つくと、無線から音声が届く。

 

『……はぁ。負けたわ』

 

 疲れたような声。

 

「お疲れさんー。今回は運がこっちにあったみたいやね」

『そうね……。さっきの射撃、あと少しぶれなかったら勝ってたのに。結局はそちらの思いどおりにさせてしまったわ』

「腕がいいもんで、って言いたいけど。正直いつ当たるかとひやひやしたわー」

 

 勝負も終わり、互いの戦いぶりを称えあう。どちらに軍配が上がってもおかしくないほど両者の練度は均衡していた。

 そのまま少し話したところで、不意に話題が変えられる。

 

『ああそうそう、勝者には祝砲をあげないといけないわよね』

「……謹んでご遠慮願えませんか」

『お願いします!』

 

 返答は無情であった。周囲の連合軍側の生きている戦車が、ゆっくりとパンターへと砲塔を廻す。どうやら終わるのを待っていたらしい。ペリスコープを旋回させたクルトは乾いた声で笑った。もはや笑うしかない。見える範囲だけでも2、3輌がこちらを狙っている。

 360度からの一斉砲撃に、パンターの車内で悲鳴が上がる。それが今日のゲームの締めくくりとなった。

 

 

 

 

 

 

 雨がいまだ降りしきる平原の上には、幾つものの戦車が弾痕を残したまま動きを止めていて、さらに数時間前にはなかったクレーターが数え切れないほど出来ていた。

 ゲームは連合軍側の勝利に終わった。史実通りの結果とはいえ、ドイツ軍側としては3倍の相手に対し少なくない損害を与えているのだから、悪くない内容だろう。バザルト1の車長は周りの風景を眺めながら、その余韻を味わっていた。

 

『たのむ、故郷の恋人に伝えてくれ……愛していると……』

『しっかりしろジョニー! 衛生兵! えーせーへー!』

 

 無線機からは茶番劇が流れている。ちなみにジョニーなんて役名は今回はない、あったとしても連合軍側だ。ゲーム終了後にとりあえず衛生兵を呼びつけるのはもはや様式美といっていい。

 こうした遊びもヒストリカルゲームの醍醐味。こちらも何かネタを披露できないかと、車長は車内に目を戻す。黒騎士な物語で挨拶してきたグデーリアンさんなら嬉々として乗ってくれるだろうと思ったが、あいにく彼女はそれどころではないようだった。

 

「そろそろ回復したかな? はい、これ」

「あ、ありがとうございます……」

 

 彼女は砲手から手渡されたスポーツ飲料をゴクゴクと飲み、一息つく。

 

「うん、装填の腕は良かったと思うよ。後は体力だねー」

「後半は、遅くなってすみませんでした……」

「気にしなくていいって。そこのバカ砲手が考えなしに撃ちまくるのが問題だから」

「えー? だって、敵多かったですしー」

 

 通信手から横やりが入っても、砲手はいけしゃあしゃあと言い放った。

 最後の方は装填されたらすぐに撃っていた状態だったので、グデーリアンは休むことなく装填作業を繰り返すことになった。撃破された直後は息も切れてぐったりとしていたが、今は大分持ち直してきたようだ。

 

「グデーリアンさんは、戦車道を始めてどのくらいになりますか」

「実は、今年からなんです。4、5、6、……もうちょっとで四ヶ月になりますね」

「あんまり上手なので、てっきり経験者なのかと思いました」

「えへへ……昔から戦車が好きだったので、部屋に砲弾を飾ってたりしてたんですよ」

 

 4月から始めたのだろう、指折り数える姿に車長は目を細める。

 

「楽しんでますか」

「それはもう! 戦車に乗れて、憧れの人と友達になれて! ……ただ、思いもしなかったものを背負っちゃいましたけど」

「……もしも、これからも戦車道を続けるのなら。今の気持ちを大切になさってください」

「え?」

「時折、見失うことがあるんです」

 

 雨はまだ、止むことなく降っている。その様子をキューポラ越しに見ながら続けた。

 

「最初は戦車に乗っただけで楽しかったのに、試合を重ねていくとそれがわからなくなってくる。勝つことに苦しみ、責任に押しつぶされることもあります。でも、最初の気持ちを忘れずにいれば、そんなときも乗り越えられると思うんです。楽しむ人が、一番強いですから」

 

 勿論技術があることが前提ですけどね、と車長は付け加える。

 

「だから気晴らしも兼ねて、私が所属しているチームはこんな感じで時々遊んでいるんですよ。……今年はいつもにも増して楽しいイベントになりました」

「始まる前からそわそわしてたものね」

「だから、ちゃちゃ入れないでよ」

 

 操縦手の言葉に顔が赤くなる。同時につい真面目に語ったことが恥ずかしくなって頭を掻いた。

 

「長々と話してすみませんでした」

「いえ、参考になりました」

 

 優花理は迷惑がらずに聞いてくれたうえに、邪険にせずに返事をくれる。今はその優しさが有難い。と思っていたら、妙にキラキラとした目で身を乗り出した。

 

「つまり、中尉殿が強いのは戦車道を楽しまれているからなんですね?」

「え? あの、」

「それでしたら!」

 

 予想外の話の流れに目を丸くするが、優花理は構わずに言い募った。

 

「是非、決勝戦を楽しみにしてください! 今年の西住殿は昨年とは一味違います。戦車道を楽しんでいる今の西住殿なら、きっと中尉殿の予想を超えると思いますよ!」

 

 先ほどまでとは打って変わった元気な様子で言われ、車長は呆気にとられていたが、言われた内容を咀嚼して次第に破顔する。

 

「ふふ、ふふふ。それは、宣戦布告と受け取っていいのでしょうか」

「え、いや、そんなつもり……でもありますね」

 

 どこまでもマイペースな様子に車長はこらえきれず笑い声をあげた。ひとしきり笑った後、優花理の目をしっかりと見据える。

 

「例えあなた方にどんな事情があろうと、私たちは全力でお相手します。恨まないでくださいね」

「……負けませんよ!」

 

 優花理はにっこりと笑って、そう返した。

 



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決勝 大洗女子学園戦 試合前

 遥かな富士の霊峰は例年よりも早く山頂を白に染めていて、初秋の蒼い空に美しく映えている。その麓に広がる草地には、北寄りから穏やかな風が吹いていた。

 東富士演習場。本州最大の演習場にして日本戦車道の聖地。第63回戦車道全国大会決勝戦は、戦車道女子の憧れの地であるここで行われることになった。番狂わせの多かった今大会で躍進を遂げた、大洗女子学園と全国選抜隊の決戦のときは、刻一刻と近づいている。

 

 

 

 

 

 

 整備場で最終チェックをしていた西住みほのもとには、次々と人が訪れていた。

 

「ハーイ、ミホー! 今日は頑張ってよ!」

「いよいよ決勝だな! 我々も全力で応援するからなー!」

「島田流だかなんだか知らないけど、ボッコボコにしちゃってね!」

「ごきげんよう。あの相手にどんな戦い方をするのか、楽しみにしているわ」

 

 サンダース大付属、アンツィオ、プラウダ、聖グロリアーナ。いずれも大洗女子学園と戦ってきた学校の隊長が声をかけに来ていた。かつては敵として相まみえた彼女達も、今はこうして応援に来てくれている。みほはその一つ一つに、時折ぎこちなくなりながらも笑顔で返した。

 ……縁がないはずのヨーグルト学園の隊長までもが激励に訪れ、仇を取ってほしいと頼み込み、みほを多大に混乱させることになったのはまた別の話。

 

「随分と人気があるようね」

「あ、エリカさん……」

 

 皮肉が混じった声とともに現れたのは黒森峰の逸見エリカだ。相変わらずの鋭い目つきに睨まれると、みほは震えてキョロキョロと辺りを見回す。まるで放し飼いの犬を見たかのような反応だったが、エリカは特に気にした素振りは見せず、逆に突き放すような口調で言った。

 

「隊長なら全国選抜の方に行ったわよ。どんなお考えがあるのかは知らないけど……。ま、何にしろ残念ね」

 

 お姉さんに来てもらえなくて。そう言外に匂わせた言葉を聞いて、みほは静かに首を振る。

 情に流されることを避ける西住流では身内の応援に向かうことは少ない。和解したからといって、西住流の後継者であるまほが来ることは期待していなかった。もちろん寂しくはあるが、今は観戦で見守ってくれるだけでも嬉しく思う。

 それよりも。みほは気持ちを奮い立たせると、恐る恐る尋ねた。

 

「ええと……じゃあ、エリカさんはどうして?」

「……あの邪道のかたまりみたいなのを相手にまだ怖気づいていないか見にきただけよ。もし暗い顔をしてたら嫌味を言うところだったわ」

 

 エリカはそっぽを向いた。心なしか早口なような気もする。

 

「で、勝てそうなの?」

「……正直、苦しい戦いになると思う。勝てるかどうかはわからない、けど」

 

 他のチームメイトに聞こえないよう小さめの声で、みほは自分の思いを口にする。大洗は準決勝時から2輌増えて8輌の出場となり、数では相手を1輌だけ上回ることが出来たが、性能差は依然として大きいままだ。これまでの試合記録を念入りに調べて対策はしてきたつもりだが、絶対に勝てるという保証はない。

 しかし、ここで負けるわけにはいかなかった。

 

「でも、来年も大洗の皆と戦車道をしたいから。最後まで諦めずに頑張るよ」

 

 みほがしっかりと決意を言い放つと、エリカは口の端を上げた。

 

「へえ。少なくとも同じくらい一緒の時間を過ごした私達とはやりたくなかったわけ?」

「ぇ! あ、あの、そんなつもりじゃ」

「冗談よ。まったく、変わったのか変わってないのかわからないわね。……来年あなたたちを倒すのは私たち黒森峰よ。だから、せいぜい頑張りなさい」

「あ、……うん!」

 

 思いがけない激励にみほは一瞬呆気に取られたが、すぐに笑顔になって力強く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 同時刻。選抜隊に当てられた整備場のうち四式中戦車のガレージでは、乗組員たちが弾薬を詰め込んでいる最中だった。

 公式戦では戦車道連盟が公認した砲弾しか使用できないため、あらかじめ使用するものを規定数まで申請し、試合当日に配布してもらうことになっている。彼女たちは湿気が入らないように厳重に梱包された木箱から砲弾を取り出して、バケツリレーのように手渡しで車内に搬入していた。

 

「これで最後だよ、と」

 

 車長であり決勝戦も隊長を務める少女は、数えて40発目の砲弾を抱えて手渡すと、腕をだらりとぶら下げた。弾の重量は1発あたり大体3kgだが、なにしろ数が多い。砲弾ラックに収容しようと装填手が車内から受け取ったところで、自然と小休止になった。

 

「あー、さすがに疲れたわね」

「これだけ積んだのは初めてですー」

 

 車外組の操縦手と砲手がそれぞれ口にする。

 決勝戦は本来20輌まで参加できるとあって、使用できる砲弾の規定数もかなり多い。選抜隊は7輌しか参加していないため、全ての車輌が最大搭載数の半分以上、JS-3にいたっては限界まで積み込むことができた。

 

「まあ半分は発煙弾なんだけどね」

 

 車長は隅に寄せた木箱に書かれている文字を見ながら言った。徹甲弾が15発、榴弾5発。残りの20発は発煙弾だ。ちなみに関東地区代表のシャーマンも似たような構成になっている。他の戦車が軒並み高火力なため徹甲弾はこれ以上あっても仕方がなく、余裕分はすべて発煙弾にしていた。

 

「出来れば徹甲弾を撃ちたいですねー」

「私としてはそうならない展開になってほしいけど、機会はあると思うよ」

「昨日の照準規正(ボアサイト)はやけに時間かかってたわよね。大丈夫なの?」

「ばっちりですって! というか、先輩だっていつもよりエンジン点検とか時間かけてたじゃないですかー」

 

 前日の練習後に入念な整備をしてきたため、この3人は特に急いですることもなく、他愛もない話を続ける。装填手と無線手はまだ車内で整理整頓をしているが、狭い車内で人手があっても逆に困るだろう。

 のんびりとした時間が流れていたが、不意に来客があった。

 

「失礼。隊長はいますか」

 

 車長が振り向くと、そこには黒森峰女学園の隊長の西住まほがいた。思いもしない人の姿に車長は目をまるくする。

 

「妹さんの応援に行かないんですか」

「ああ。もう言うべきことはないから、試合を見させてもらうだけさ」

 

 今日の相手は、目の前の少女の妹が隊長を務めている。なので、試合前の応援に向かうとしたらそちらだと思うが、そうでもないらしい。

 かつて戦った相手が何故わざわざここに来るのだろうと不思議に思っていると、まほが口を開いた。

 

「みほは強いぞ。戦車の性能が低いと侮ると、足元をすくわれる。それを言いにきたかった」

 

 言われた内容は簡潔ながら、完全な忠告だった。身内ひいきなのかもしれないが、歴戦の彼女が言うからには一目置いているのだろう。先日のヒストリカルゲームで大洗の選手と会話したこともあって、今日はどのような戦いをしてくるのか楽しみになってくる。

 

「ふふ、ありがとうございます。でも、どうしてそれを?」

「そうだな……。もちろん、みほには勝ってもらいたいが、仮にも我々に勝ったチームがあっさりと負けてしまっても面白くない。そんなところかな」

「……なるほど」

 

 車長は微笑んだ。そういう気持ちを持つことは身に覚えがある。国際強化選手、西住流の後継者などと何かと取りざたされる彼女だが、意外と普通の人なのかもしれないと、車長は親近感を抱いた。

 とはいえ。

 

「ご心配なく。今の私たちは、私が望みえる最高のチームです。たとえあなた方と決勝で当たっていたとしても、決して引けは取らないでしょう」

 

 それはまさしく本心だった。戦車の性能や個々の練度もさることながら、なによりも決勝まで一緒に来ることが出来たという一体感がある。

 まほは興味深そうに聞いていたが、「期待している」と言って踵を返す。車長はそれを見送ると、折りよく車内の砲弾ラックの整理も終わり、最後の点検をしようと再び自車に向き直った。

 

 

 

 

 

 

 試合前の挨拶の時間が迫り、大洗女子学園と全国選抜隊の戦車が一同に集まった。

 全国大会では挨拶の形式は会場によって異なることも多い。たとえば隊長同士だけであったり、あるいは車長のみが集まったりするなど、その会場や時間帯を見ながら都合のいいような形で行われる。ただ決勝戦においては、参加者全員が挨拶をするのが通例となっているようだ。

 両チームとも降車し、互いの戦車と乗組員を見合う。まだ時間があることもあって、これから戦う相手を目前に大抵の者が仲間同士でささやきあっていた。

 

「何という高Tier軍団……」

「初めての相手がこれなんて……」

「かっこいいー。けど怖い……」

 

 決勝戦から参加することになった大洗学園の三式中戦車、"アリクイさんチーム"の3人は、選抜隊の車輌を見て呆然と呟いた。参加車輌については事前に知っていたが、彼女達は今回が初の実戦であり、大洗とは違ったゲームの中でしか見たことのない高性能戦車を前にして、これを相手にする不安と実物を見れた嬉しさが入り混じった目をしたまま、しばらく固まっていた。

 

「おー、中々良い整備してるねー」

 

 品定めをするように歓声をあげたのはポルシェティーガーに乗る"レオポンチーム"、ナカジマを筆頭とした大洗の自動車部の面々だ。アリクイさんチームと同じくこの試合からの出場だが、これまで改造と整備を一手に引き受けていたこともあってか、選抜隊の車輌を目にしても固まることはなく、逆にどんな整備がされているかという話題で盛り上がっている。

 

「うー、こうして対面してみると、貫禄が凄いというか強そうだよー」

「……あんまり騒ぐな、みっともない」

「何というか、あちらは皆さん場慣れしていますね」

「そうだね……。落ち着いてて、良い意味で自信を持ってるみたい」

「全国選抜は選抜戦から勝ち上がってますからね。でも、話してみると結構気さく人ばかりでしたよ」

 

 フラッグ車に乗るあんこうチームのメンバーが見ているのは選抜隊の選手達だ。相手も初めての決勝戦なのに浮ついた様子はなく、向けられる視線にも侮るようなものは感じられない。今は穏やかに、時々笑顔を見せながら喋り合っている姿を見せている。そんな普段通りのような姿が、逆に妙に落ち着いているように見え、ベテランの風格が醸し出されていた。

 そのうちに審判も集まり、号令がかけられる。

 

「整列! 両チーム、隊長、副隊長、前へ!」

 

 各車輌ごとに戦車長を先頭として整列し、それぞれのチームから2名ずつ審判の前まで歩き始める。

 大洗女子学園からは西住みほと副隊長として河嶋桃。選抜隊からは隊長と留学生らしい金髪の少女が、お互いに会話できるくらいまで近づく。

 選抜隊の隊長がみほへ顔を向けた。準決勝を観戦したときにスクリーンで見たときと同じく、柔らかい表情をしている。

 

「初めまして。選抜隊隊長の島田佳枝と申します。あなたが西住さんですね」

 

 高くもなく低くもない、聞きやすい声音。

 

「あ、はい。はじめまして」

「今日は正々堂々と勝負します。お互い全力で戦いましょう」

「はい、こちらこそ」

 

 自然とみほの顔も緩む。優花里も話をしていたが、年上なのに丁寧な人という印象だ。あまり敵対心に似たようなものが湧かない点では、アンツィオ高校の隊長と似たタイプなのかもしれない。これまでの戦いぶりを見る限り油断は出来ないが、胸をかりるつもりで戦えそうだった。

 両者の話が終わったと見たのか、審判の方から一人歩みでる。

 

「本日の審判長を務めます、蝶野亜美です。よろしくお願いします。――両校、挨拶!」

『よろしくお願いします!』

 

 

 

 

 

 

 挨拶もつつがなく終わり、両チームはそれぞれの開始地点へ移動する。

 選抜隊の試合開始地点では降車して居並んだメンバー達を前にして、隊長が作戦の要旨を説明し始めた。

 

「相手は持久戦に持ち込もうとするでしょう。おそらく南西にある市街地への移動を目指すはずです。我々はそれを阻止しつつ、相手の出方を伺います」

 

 左手で持った地図で斜線を引くように相手の予想進路を指し示す。大洗の試合開始地点は会場の北にあり、そのまま南西方向へ向かうものと思われた。

 彼我の戦力差からいって相手は優位な地点で戦おうとするだろう。見通しがいいところにいてくれるのなら、こちらはアウトレンジから一方的に攻撃可能だ。今回は今までとは比較にならないほど広大なフィールドだが、大洗女子学園が地の利を活かせる場所はかなり限られている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 会場の大部分を占める東富士演習場は原野と山林で構成されており、中央には高地となっている207地点がある。東は森林地帯となっているが、木々はそれほど密集しておらず、戦車の走行も可能だった。会場の下半分はほとんどが山となっていて、その中を東西をつなぐように国道469号線が走っている。そして左下には、その国道に面して市街地演習場があった。

 

「まずファシストとパスタは分隊となって207地点南方へ移動し、相手の移動を牽制してください。残りは本隊としてスタート地点を北上し森を進み、抜けた後は南西に向かいます。可能であれば207地点付近で挟み撃ちにして殲滅。高地に逃げ込めば合流して決戦を挑みます」

 

 選抜隊の開始地点は会場東、森の南側にある。そこから地図で本隊と分隊の動きを示しながら話を終えると、レジスタンスがはいはーい、と手を挙げる。

 

「相手の動きが分かってるならさ、森を北西に抜けて相手の側面を突くのはどうかな」

「それも有力な作戦ですが、必ずしもすぐさま南西に向かうとは限りません。裏をかいて森を南下して、逆にこちらの側面を狙ったり、国道を目指したりする可能性もあります。こちらの車輌も多いとはいえませんので、ここは堅実にいきたいと思います」

 

 本隊に多くの車輌を割り振ったのはこのためだ。生半可な戦力だと、見通しの悪い森の中では万が一ということもありえる。最初のチャンスは見送れという言葉もあるし、相手の動きを見定めてから攻めたほうがいいと隊長は判断した。

 納得したのかレジスタンスの手が下がると、次はファシストが声を上げる。

 

「相手の全車輌が我々に向かってくることもあると思うが、その場合は?」

「その時は仕方ありません。遠慮なく撃破数(スコア)を稼いでください」

 

 半ば冗談、半ば本気で言うと、メンバーの空気が緩んだのを感じた。何人かは、自信ありげに口元を上げている。

 僅か2輌とはいえ、見通しのいい原野を移動させれば奇襲をうけることもなく、また長距離射撃に秀でた人員を配している。それでも南西へ抜けようというのならジグザグに移動しながら進むしかないが、行進速度はどうしても遅くなる。その間に本隊が追いついて背後から狙い撃てばいい。

 

「そういえば、この中で一番撃破数が多いのって誰だっけ?」

「Hey,私達よ。今のところ6輌ね」

「おっと、うちらもやでー」

「その次は、共産主義とファシストがそれぞれ5輌ですね」

「ん、合ってる」

「そうだな。こういうのもなんだが、いいところまで来てるんじゃないか」

 

 これまでの成績についての話になると、大半の車長が嬉しそうに申告する。良い戦車乗りの条件は色々あるが、やはりわかりやすいのは撃破数だ。選抜隊はこれまで90%に近い撃破率で勝ち上がり、なおかつ参加車輌が少ないため、大抵の戦車が他校のエース並にスコアを稼いでいた。

 今大会は撃破数のランキングがつけられており、彼女たちは一位までは届かないものの、かなり上位の方にランクインしている。決勝戦の内容次第では、この中から撃破王が出てもおかしくないほどだった。

 

「ふん。大洗の八九式も5輌だったじゃない。スコアなんて重要じゃないわよ」

 

 そこへ物量主義が水を刺すように言い放った。大会で1輌しか撃破していないとあって、この話題になってから目に見えて機嫌がよろしくない。

 そして、その八つ当たり気味の声が直撃してショックを受けている者達がいた。

 

「そんな……私たち、八九式以下ってこと……?」

「いや、そんな深刻にならなくていいだろう。相手も違うし」

「ランキングにはそんなの関係ないでしょうけどね。八九式の下に仲良く書かれるだけよ」

「よし、あと2輌は意地でも撃ち抜こう! 情け容赦はいらないよ!」

「はい!」

 

 レジスタンスが激を飛ばして、ARL-44の乗組員たちが勢いよく返事をする。彼女達は4輌を記録しているが、性能が今大会において最底辺といってしまっても過言ではない八九式中戦車に負けているというのは、プライド的に許せないようだ。

 そんな様子を苦笑しつつ見ながら、隊長は釘を刺す。

 

「とはいえ、楽に勝たせてはくれないでしょう。皆さん、決して油断はしないでください」

 

 そう言って、あらためてメンバーを見据える。

 

「驕らずに仲間を信じて。あとは普段通りの実力が出せれば、自然に勝利は掴めます。今の私たちにはそれができるはずです」

「分かってるわよ。決勝まで連れて来てもらったのは確かだから、ちゃんと言うこと聞いてあげるわ」

「そうだな。色々あったが、ここまで来れたんだ。精一杯応えよう」

「今更失望させるようなことはしないよ。皆で優勝しよう!」

「このメンバーなら何でも出来る気がする」

「そうやなー。もしこのまま一緒に出来るんなら、日本代表も狙えそうや」

「その場合はイギリス代表の目から見ても十分脅威的なチームになってるわね。私を含めたら、だけど」

 

 それぞれの学校の車長達が力強く、あるいは冗談を交えて応えてくれる。他の乗組員たちも、固くなっている様子はない。

 隊長は少しだけ目を細めた。本当に得難い、良いチームになった。例え相手がどんなに手強かろうと、優勝できるかもしれない。いや、させてみせる。

 

「――では行きましょう。皆さん、乗ってください」

 

 全員が各自の戦車へと動き始める。他校の生徒同士で声をかけたり、手を振ったり、拳をぶつけたりして別れる姿も見られた。誰もがさまざまな思いを抱きつつ、自車へ乗り込んでそのときを待つ。

 試合開始の合図は、高々と打ち上げられた。

 

 

 

 




挿図はコミカライズ版を参考にしながら作成しています。VITAで出たゲームとは違った形になっていますが、悩んだ末にこうなりました。207地点=三段山にするとこうせざるを得ないのかなーと思いつつ、≠三段山の場合は東富士演習場のどこでやってるんだという疑問ががが

何であんな川があるんだ、とか思ってもスルーの方向でお願いします


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決勝 大洗女子学園戦(序)

 広い草原の中を、2輌の戦車が進んでいく。

 前方には富士の山がそびえ立っている。右手は先ほどまで観客席が見えていたが、今は様々な色の看板が立てられたいくつもの射撃台が目に入り、ここが演習場の中であることを改めて思い出させる。

 

『なんか、夢みたいやなぁ』

 

 P40のキューポラから辺りを眺めていたパスタが、感慨深そうに呟いた。

 

『ああ。まさかここまで来れるとは思わなかったな』

『それもそうやけど。うちら今、総火演の会場を走っとるんやで!』

 

 気分が高揚しているのか、うきうきとした声が無線越しに伝わる。車体間隔がとられているのでヤークトパンターからパスタの様子は見えないが、多分両手を大きく動かしながら喋っているのだろうなとファシストは思った。

 

『もうこんな機会なんてないやろうしなぁ。記念にどこかで砂とらへん?』

『……それって、負けた方がするものじゃないのか』

『最近は優勝校もするらしいし、問題ないって』

 

 まるで甲子園に出場した野球男児のようなその提案に苦笑する。とはいえ彼女自身もその案には乗り気で、三段山はどうかとか不発弾がありそうなところは気を付けないととか、話題は尽きなかった。

 2輌はそのまま西北西へと向かい、先ほどのものよりも大きい射撃台が設置されているところを横目に走る。右前方には褐色の小高い山ーー三段山が目前と迫ってきており、その頂上が今回207地点と呼ばれる場所だ。

 事前のブリーフィングで、大洗女子とはこの207地点の付近で交戦するだろうと予測されていたこともあって、ファシストもパスタも視線を北に向ける。と、

 

『停止!』

『停止!』

 

 ほぼ同時に停車した。肉眼では点のように見える何かが、草原を動いていた。味方はまだそこまでは移動していないだろうから敵に疑いない。二人は双眼鏡越しにそれを見る。

 

『4輌……いや7輌やな。207地点へ向かっとる?』

 

 大洗の戦車はⅣ号戦車を先頭にした楔形(パンツァーカイル)をとっていて、こちらから見て左方へと向かっている。側面を晒しているその角度から南西方向、すぐ左に見える三段山の頂上を目指しているものと考えられた。

 パスタからの無線に緊迫感がないのは距離が原因だろう。相手が向かってこないのであれば、ここから命中させるのには遠すぎる。ファシストも、相手が余裕のある車間距離をとっていたなら諦めていたかもしれない。

 

『右旋回、14時方向! 詮索している暇はなさそうだ』

 

 だが彼女はあえて無線機を口に当てながら指示を下し、攻撃を宣言する。パスタが驚愕している様が目に浮かんだが、それに構わず測距儀を取り出して相手の戦車群へ向ける。

 大洗女子は密集隊形のまま進んでいた。間隔はかなり狭く、楔形を横から見るこの地点から撃てば、いずれかに当たらぬということはない。どのような意図があるのか彼女にはわからなかったが、何にしろ車長としての本能が直ちに砲撃することを選択させた。

 

『……頼んでいい? 流石にこの距離やと、うちらは無理や』

『わかった。任せてくれ』

 

 改造されているとはいえP40ではそれも当然かと、ファシストは素直にその言葉を受け入れて、砲手に測距儀から読みとった距離を告げる。

 

「目標、Ⅳ号戦車。距離2500。ここで終わらせても構わないぞ」

 

 砲身が微妙に動いて調整が行われる。ヤークトパンターが衝撃に揺れ、71口径88mm砲から放たれた硬芯徹甲弾がⅣ号戦車へ飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 その砲撃を事前に察知できたのは僥倖と言えた。

 

『全車全速! 狙われています!』

 

 Ⅳ号戦車に乗るみほが叫ぶ。彼女は直接戦車を確認したわけではなかったが、長年の経験によるものか、ともかく危険だと告げる直感に従って警告を発した。

 それを受けて、操縦手の冷泉麻子が、平素は眠たそうにしている様が嘘のような反射神経を見せて急激に加速させる。間一髪のところで、フラッグ車であるⅣ号戦車は射線から外れることができた。

 だが、密集隊形をとっていたことが仇となった。砲弾はⅣ号戦車の背後を通り過ぎ、先頭から右後方に位置していたルノーB1の左側面下部に的中。爆発音とともにその車体を擱座させた。

 

『カモさんチームが!』

『怪我はありませんか!?』

 

 心配する声が飛ぶ。それに対する返答ではなかったが、ルノーB1の車長である園みどり子からの声が無線に乗った。

 

『……一体、どこから撃ってきてるのよ!』

 

 悔しさを滲ませたその声にみほはハッとし、急いで指示を出す。

 

『10時の方向から! アヒルさんチーム、煙幕を張ってください!』

『わかりました!』

 

 八九式中戦車に乗る磯辺典子が応答する。と同時に、Ⅳ号戦車を守るように一丸となった戦車群の中から左前方へと移動。車体後部から煙が勢いよく噴き出されると、またたく間に白い壁が作り上げられ、敵戦車から大洗の車輌が隠される。

 煙幕を張るために速度が上げられる八九式のハッチから、磯辺は先ほど撃たれた方角へと顔を向ける。一見、どこにいるのかわからなかったが、草原の彼方に黒い点があることを視認する。

 

「……あんな遠くから!?」

 

 双眼鏡を取り出して確認すると、2輌いるうちの1輌、ヤークトパンターがまだこちらに車体を向けていた。敵に唯一その身を晒している八九式を狙っていると判断するには、十分だった。

 

「アタック来るぞ! 根性だ!」

「はい!」

 

 気合いを入れる声に乗員が応える。いつ撃たれてもおかしくない状況、煙幕を保つために彼女たちは可能な限り最高速度を維持する必要がある。この距離なら外してくれるだろうと思う者は、既にいない。

 207地点へと続く坂道が迫るなか、磯辺は敵戦車から注意を逸らさない。ヤークトパンターの砲口に焔があがる、その刹那。

 

「ブレーキ!」

 

 号令と同時に急ブレーキがかけられ、猛烈な反動力がかかる。相手の砲弾がこの距離まで到達するのは2.2秒、最低でも10km/hは落とさないと、全長5.7mの車体を照準から外すには心許ない。

 かかり始めてから約1秒後、車体の前方に、砲弾が金切り声をあげて横切っていった。そして、すぐさま八九式は急加速する。

 6輌は坂道にさしかかり、相手の車輌は稜線に隠れて見えなくなった。

 

『敵戦車、視界から消失しました!』

「何とか凌げましたね」

 

 Ⅳ号戦車の車内で、優花里がほっとした様子でみほに声をかける。しかし、みほはなおも厳しい表情で後方を確認していた。

 

「……ううん、あれは前哨部隊。まだ敵の主力がどこかにいるから、油断できないよ」

 

 双眼鏡を手にしながら、みほは話す。これから傾斜を登っていくとなれば必然的に行軍速度は落ちる。開いた土地でゆっくりと進むことがどれほど危険なのかは言うに及ばない。相手の動きがまだ掴めない現状ではなおさらだ。

 

『カバさんチームとウサギさんチーム、レオポンさんチームの牽引を始めてください。相手の射程は非常に長いです、常に後方の警戒を怠らずに207地点へ急ぎましょう』

 

 車内の会話を受けて、通信手の沙織が各車へと無線する。6輌はなるべく速度がでるようにそれぞれが連携しあいながら、坂道を進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 時は少し遡り、大洗女子学園のスタート地点から南西に向かった場所。既に大洗女子が通り過ぎた平原に、その南方にある森から戦車が姿を現した。最初は装甲の厚いARL-44とJSー3、次いでファイアフライと四式中戦車が先の2輌よりも狭い間隔の横列を組んで森を出て、最後にシャーマンがあとを追う。

 選抜隊の本隊は無事に森林地帯を抜け、予定通り南西へと進路を変える。ほどなく、先頭を行くレジスタンスが報告を無線に乗せた。

 

『轍見つけたよ。えーと、8輌あるね』

『まずは一安心、ですね。追いかけましょう』

 

 5輌は速度を上げて、同時に互いの間隔を広げる。右翼の先頭にARL-44、左翼の先頭にJSー3を配置した、逆楔形(ブライトカイル)を自然と形成していた。偵察を含んだ機動隊形ではなく、いつ交戦してもいいような戦闘隊形をとっていると言えるだろう。

 レジスタンスは時折周囲を警戒しつつも、双眼鏡で轍の行く先を確認した。目立ってはいないが草原にしっかりとある軌跡は、ずっと真っ直ぐに伸びている。隊列を崩さずにどこまでも等間隔に残っているそれは見る人が見れば感嘆に値するだろうが、彼女の関心はそこにはなかった。

 

『この轍だけど、なんでこんなに間隔が狭いのかな? よくて10mしかないよ』

 

 素朴な疑問が口にされる。横にいるJS-3との車体間隔は若干広めに取っているとはいえ、大洗女子の8輌分の轍を挟むようにして走行している。数字は大雑把な目測からだが、いずれにしても不自然に窮屈なのは変わりない。

 

『準決勝のときもそうじゃなかった?』

『うん。でも、その時は視界が悪かったじゃない。今はこんなに見晴らしがいいのに』

『ソ連のマニュアルを採用しているかも』

『5から10mの単横列が標準ってやつ? あれは無線機が少なかったからでしょうが』

『……いえ、その可能性はあり得るわ。無線傍受を警戒しているのかもしれないわね』

『えー。そういった小細工はしないって、隊長が月刊戦車道で明言してたのに?』

『信用されてないんじゃないの』

『それはないと思います。多分……』

 

 自信なさげな声が流れる。咳払いが聞こえた後、

 

『密集隊形をとるのは、フラッグ戦では十分考えられることです。固まっているので被害が増えるリスクはありますが、その分フラッグ車を守ることができます』

『じゃあ、私たちも本当はもっと間隔詰めないといけないの?』

『止めた方がいいでしょう。車体距離が狭いと隊列運動は困難になります。その手の練習を積んでいない私たちがやっても、お互いにぶつかってしまうだけです』

 

 実に今更な話をしながら走行を続ける。決勝戦の最中にしては長閑なものだが、ずっと気を張り詰めるよりはこうして無駄話に興じる方が彼女たちらしいのかもしれない。ちなみに、ここにいない2輌とは別々の通信系を使っており、何かあったときには互いに連絡を取り合うことになっていた。

 もっとも、話はしていても周囲の警戒は怠っていない。

 

『隊長、この先に左に曲がる轍がある。1輌分』

 

 と、共産主義からの無線。

 

『……森に向かっていますね』

 

 隊長はそう呟くと、右を向いてファイアフライの方を見る。キューポラから身体を出している二枚舌の表情は見えないが、視線に気づいたらしく顔を四式中戦車の方へと向けていた。

 

『どう見ますか』

『偵察とは考えにくいから、待ち伏せか側面攻撃を担当する車輌かしらね。ただ、他の戦車がまだ確認できない今はなんとも言えないわ』

『ですね……。順当に行けば207地点付近まで行っているはずなんですが』

『そういえば、もう連絡が来てもおかしくない頃だよね』

 

 レジスタンスが疑問を呈する。ちょうどその時、審判からの無線連絡が全車輌に届いた。

 

『大洗女子学園ルノーB1、走行不能!』

『話をすれば、ね』

『報告もしないで何やってんのよあいつら』

 

 呆れたような声で物量主義が悪態をつく。向こうがどういう状況なのか、そのアナウンスだけで十二分に察せられた。

 無線にまた別の声が流れてくる。

 

『こちらファシスト、敵を発見した。フラッグ車を含む6輌が207地点へ向かっている。どうする』

『その場から時計回りに迂回してください。東の森には1輌潜んでいます。予定のポイントで合流しましょう』

『了解した』

 

 分隊との通信が終わると、隊長は続けて指示を下す。

 

『各車、進路そのまま。逃げ出される前に蓋をします』

『あら、残りの1輌を探しに行かないの?』

 

 二枚舌が訊く。確実に戦力を削るべきだとほのめかしたものだったが、

 

『見つけるのは大変ですし。それに、あちらの方から来てくれるでしょうから』

『それもそうね』

 

 さらりと返されて納得すると、次第に見えてきた目標の山へと視線を戻した。

 

 

 

 

 

 

 円形の高台まで登り詰めた6輌の戦車は、その地形に沿うように扇形に布陣した。各自で位置を調整していたが、一通り完了すると代表して磯辺が無線を入れる。

 

『西住隊長、配置完了です』

『了解。各車、防御姿勢を取ってください』

 

 みほが答えると、各車は砲身を北東の麓へ向けながら、稜線を利用して車体を下から隠すようにする。

 この207地点は三方が急傾斜となっており、戦車で登れるのは北東方面しかない。標高も周辺から100mは高く、東富士演習場をあらかた見渡せることができる。敵を迎撃するにはおおよそ理想的な場所で、ここを確保して長期戦に持ち込むことが、大洗女子学園の立てた作戦の最初の目標だった。

 陣地が無事構築できたことに安堵したみほは、大きく息をつく。そこに沙織が声をかけた。

 

「みぽりん、カメさんチームはまだ作業中だって。もう少しかかるみたい」

「うん、ありがとう」

「本当に、あの作戦を決行するんですか?」

「うん……できるなら、ここで決着をつけたいけど」

 

 砲手の華の言葉にみほは眉をハの字にする。別にルールに違反するようなことではないのだが、西住流でなくても邪道と言われるような作戦を準備していた。そのせいか、若干言葉が濁る。

 その時、無線が鳴った。

 

『敵5輌、こちらに向かっています!』

 

 M3中戦車に乗るウサギさんチームからの報告に、みほは前方を一望する。

 森に挟まれた広い草原の中を、逆楔形で進む5輌の姿が見えた。大洗が通ったルートに沿ったまま、悠然と走行している。

 

「あれが主力部隊ですね……」

「カメさんチームに戻るよう連絡する?」

「ううん、少し待って」

 

 次第に近づいてくる敵戦車に緊張感が漂い始める。5輌は真っ直ぐに三段山へと向かい、そのまま坂道を登る……かと思われたが、その手前でばらばらに別れて、草原に乱立する林の中に入っていった。

 

『……あれ?』

『攻めてこない?』

 

 戸惑うような声が各車からあがる。みほは確認の無線を入れた。

 

『アリクイさんチーム、9時方向に何かいませんか』

『え、えーと……』

 

 陣地で最も左側に位置する三式中戦車から、車長のねこにゃーがその方向を見渡す。と、

 

『あ、西住さん! P43とヤークトパンターが左後方に走ってます!』

『了解です。皆さん、相手はしばらく来ないと思われますが、引き続き注意してください』

 

 みほはそう指示を出す。少なくともその2輌と合流するまでは攻めてこないはずだが、用心するに越したことはない。

 

(……ここが正念場、かな)

 

 おそらくただ闇雲に突撃してくるようなことはないだろう。まして相手はあの島田流だ。有利な場所をとっていても、まだ油断はできない。

 みほは気を抜かない表情で、眼下の林を見つめた。

 

 

 

 

 

 

「オーライ、オーライ」

 

 レジスタンスの声に合わせて、ARL-44がゆっくりと後進する。地面に大きく開けられた、掘削されたばかりの穴に車輌は後ろから入り、上向くように車体を傾ける。

 

「仰角確保できました」

「うん、作業終わりー。みんなお疲れさま」

 

 乗っていた砲手の言葉を聞き、レジスタンスは手にしたスコップを杖のようにして一息ついた。

 木立の間に見える207地点は傾斜がきつく、20度はあるように見える。こちらの戦車では登ることは出来るが、通常では仰角をいっぱいに上げたとしてもその頂上へ砲撃することは叶わない。平地から撃とうとすればこうして意図的に上向かせる必要があった。

 

「終わっていましたか。なによりです」

「あ、隊長。そっちはもういいの?」

「ええ。あとはここだけなので、よければ合図を撃ちます」

 

 隊長が顔を見せる。こちらを手伝うつもりだったのか、先ほど見たときとは違って手にはスコップを持っていた。四式中戦車とシャーマンの乗組員も同じ作業をしているが、どうやら早めに終わったらしい。

 違うと言えば、もうひとつ。パンツァージャケットの上に革帯が付けられており、やけに大きい拳銃嚢と箱形の収容嚢を装着している。

 

「普通に無線で連絡しても良かったのに」

「できればここに指揮車がいると思わせたいので。まあ半分は趣味ですが」

 

 そう言うと、隊長はホルスターから信号銃を取り出した。十年式信号銃で、撃突の上にある突起を下げると銃身が折れ、そこに収容嚢から取り出された信号弾が挿入される。手慣れた様子で装填が終わると、銃口が上に向けられた。

 

「それ見てるとさ。対戦車ピストルに改造してみたくなるよね」

「だめですからね? 一度出来ないかと思いましたが、凄い怒られました」

 

 空に向けて、ぱんッと、軽い破裂音が鳴る。打ち上げられた弾は上空で発火して開き、小型のパラシュートに吊された発煙剤がもうもうと白い煙を出し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 眼下に相手の信号弾が上げられたのが見えた直後、207地点へと砲弾が着弾する。

 

『撃ってきた!』

『一体どうやって!?』

 

 敵は姿を見せず、林の中から直接撃っていた。予想外の攻撃に動揺の声があがるが、みほはそれを落ち着かせるように言った。

 

『大丈夫。ここにいれば滅多なことでは当たりません』

 

 高台にいる目標に命中させることはかなり難しい。正確な距離が掴みにくい上に風の影響を受けやすいので、何度も弾着修正を繰り返す必要がある。さらに、かりに当たったとしても、車体は隠れているので致命的とはなりにくい。

 みほの言葉の通り、砲弾は命中することなく陣地の手前に落ちていた。だが、異変はすぐその後に起きる。着弾した箇所から煙が立ち上り、次第に大洗の布陣している場所へと流れ始める。

 

「これは……」

『発煙弾か!』

 

 いち早く気づいたのか、Ⅲ号突撃砲からカエサルの声が届く。

 断続して続く着弾音とともに煙はどんどん勢いを増して、1分もしないうちに辺りが見通しのきかない白色で覆われた。

 

「これでは、照準がつけられません……」

 

 華が呟く。相手が傾斜を登っているところを狙って迎撃する作戦だったが、こうなってはそれもできない。みほは煙のない場所まで移動するか悩んだが、相手の出方がわからないまま姿を見せるのは危険だと見て、次の無線を入れた。

 

『レオポンさん、前に出てください。状況の偵察をお願いします』

『了解しました!』

 

 ナカジマが応答して、ポルシェティーガーが前進する。大洗では最も装甲が厚いその戦車は煙幕のなかを真っ直ぐ進み、やがて視界の晴れた場所まで抜けた。

 

「おお、来てるねぇ」

 

 下方を見ると、坂道を登る4輌の戦車の姿があった。どれも歩みは遅く、距離もまだ遠い。

 

「ねーナカジマー、撃っちゃってもいいかな」

 

 砲塔を動かしながら、砲手のホシノが訊いた。

 

「そうだねー、右端のファイアフライを狙ってみようか」

 

 ナカジマはそう言いながら、報告もかねて無線しようと喉元のマイクに手をかける。 

 戦車が巨大な拳に殴られたかのような衝撃と、ガンッとした命中音が響きわたったのは、その時だった。

 

「……え?」

 

 一瞬、呆然となる。砲塔の角に命中したようで、撃破判定は出ていない。慌てて下方を確認するが、今登ってきている戦車は発砲煙をあげていない。だが、草原にある林の木立の隙間に、きらりと光る砲身が見えた。

 次いで4輌が動きを止めた。その意図するものは明らかだ。

 

「狙われてる、バックバック!」

 

 ナカジマは反射的に叫び、ポルシェティーガーは後進を開始する。

 おそらく最初に撃ってきたのはARLー44だ。先ほどからの発煙弾に紛れて修正射撃を行っていたのだろう、艦載対空砲を積んだあの戦車なら車体に当てられると撃破される可能性が高かった。まして他の車輌も含めて相手にするのは流石にまずい。

 煙の中を戻り、ナカジマは慌ただしく報告する。

 

『こちらレオポン、敵4輌接近中! あと林からも撃たれました、かなりの精度です!』

『近づいてる戦車の種類は!?』

『ファイアフライにP40、ヤークトパンター、それとスターリンです!』

 

 Ⅳ号戦車の中、挙げられた戦車を聞いて優花里が言う。

 

「火力が高い戦車ばかりですね。それに後の2輌は装甲が硬くて抜けません」

「こんな視界の悪い中だと不利すぎるよー!」

 

 表紙に戦車でーたと書かれたノートを見ながら沙織が嘆く。もしこのままここにいて接近戦に持ち込まれた場合、煙の中で出会い頭の砲撃戦になる可能性が高い。戦車性能が劣っている大洗としては火力と装甲が物を言う1対1の構図にされることは最悪の状況といえた。

 みほはしばし考え込む仕草をしていたが、

 

「でもそれなら……」

 

 と呟くと、咽喉マイクを手にする。

 

『カメさんチーム、おちょくり作戦開始してください!』

『オッケー、任せといてー!』

 

 今はここにいないヘッツァーから威勢の良い声が届く。みほは続いて指示を出す。

 

『全車輌、もくもく作戦用意! 煙幕を出しながらここを脱出し、一気にフラッグ車を叩きます!』

 

 各車から作戦了解やもくもく用意という返事がくる。沙織は得心がいったようで声をあげた。

 

「そっか、相手を分断させるんだね!」

「うん。下にいるのは3輌だけだから、私たち全員で向かえば戦力は十分。それに会長が後ろから混乱させてくれれば」

「勝てるな……」

 

 麻子が呟いた。勝ち筋が見えて、車内の空気が心なしか明るくなる。彼女たちはヘッツァーからの連絡を待った。

 その作戦が見透かされていることに気付かないまま。

 

 

 

 

 

 

 平野を進み始めた1輌の戦車を、じっと見つめる人影がある。

 

『ヘッツァーを発見しました、こちらに向かっています』

『了解、偵察班は撤収してください。作戦を第2段階へ移行します』

 

 その返答を聞くと、無線機を持った人物は登っていた木から降りて、林の向こうへと去っていく。

 自ら檻に入り込んだ獲物をただで逃すつもりなど、選抜隊にはさらさらなかった。

 

 

 

 



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決勝 大洗女子学園戦(中①)

 ヘッツァーは森を抜けると北西へ進路をとった。左手に三段山を望み、大きな円弧を半時計回りで描くように進んでいる。このまま行けば選抜隊の背後から奇襲できるはずである。三段山との距離は今は1000m程。気付かれずに単独で平野を行くには近すぎる距離だが、選抜隊は三段山頂上の207地点を攻撃中でいわば死角を移動しているし、なにより相手が味方の本隊にたどり着くまでに奇襲を仕掛ける必要があったので、これはやむを得ない。

 

 装填手を務める河嶋桃は、戦闘室上面の右後方にある車長用ハッチから207地点を見ていた。相変わらず30秒程の間隔で砲弾が撃ち込まれ、そこにいるはずの味方の車輌が見えないほどに白い煙に包まれている。また、山の斜面には重々しく行軍する4輌の戦車があり、中腹辺りにまで達しようとしているのが確認できた。桃は1分ほど眺めていたが、やがて戦闘室の中へと戻っていった。

 

 選抜隊の一人がヘッツァーの姿を確認したのはちょうどハッチが閉められようとした時だったのだが、勿論彼女がそれを知る由もなかった。

 

「河嶋ぁー、どうだった?」

 

 車長用ハッチが閉じられると同時に、砲手席に座った角谷杏が口を開いた。

 

「はっ、変わらずです。それにしても、あれほどの発煙弾を持ち込んでいるとは……」

「こっちがあそこを要塞にするのを見越していたようだねー。まぁ当然か」

 

 杏は肩をすくめた。大洗のスタート地点は選抜隊の初期位置よりも207地点に近く、従って一足先に到達することができる。戦車性能に差がある大洗が最初に目指す場所を推察するのは難しくない。それこそ試合前から対策を講じているのは必然だろう。

 

 とはいえ、この時点では彼女も楽観的だった。少なくとも背もたれに寄りかかって干し芋を食べるくらいには。相手の車輌のうち発煙弾を装備できるのはシャーマンと四式だけだ。搭載する砲弾の半分以上をそれにするような極端なことをしていない限り、敵フラッグ車はあの林の中にいる。西住ちゃんの作戦通りに進めば勝ち目は十二分にある、例の一仕事もする必要がなかったかもしれない――。

 

 だがそんな考えはすぐに消し飛んだ。先ほどまで等間隔で聞こえていた砲声が()()()()()ことに気付いた彼女は、がばっと身を起こすと、目の前の操縦席に向かって叫んだ。

 

「小山! 左!」

 

 ヘッツァーは急旋回し、三段山を正面に見据えるような方向を向く。その直後に右側面の方から高速で飛んできた砲弾の物騒な飛翔音が轟いた。もしあのまま進んでいれば間違いなく命中していただろう。間一髪で避けたわけだが、しかし結果から言えば、それは撃破されるまでの時間をほんの少し先延ばしにしただけに過ぎなかった。

 

「会長、12時方向に2輌! こちらを狙ってきてます」

 

 操縦手の小山柚子が悲鳴をあげた。

 

「……やられたね。こりゃ」

 

 照準潜望鏡で同じく前方を視認していた杏も、むしろ淡々とした口調で応えた。斜面を登っていた敵の4輌のうちP40とファイアフライが動きを止めていて、照準器からはその砲塔の旋回する様子までもがくっきりと見えていた。さらに、姿は見えないものの敵は林の中にも最低2輌はいるはずである。障害物もない平野にいる以上、これから苛烈な集中砲火を浴びることになるのは、必定だった。

 

「小山、出来るだけ避けて!」

「はい!」

 

 指示を出すと杏は喉元のマイクに手をかけた。少しでも相手に無駄弾を使わせることと、せめて一刻でも早く報告すること。彼女たちが今できることは、そのくらいしか残されていない。

 

 4本の砲身がヘッツァーを捉えるのには、そう時間を要しなかった。

 

 

 

 

 

 

 各車に指示し、いつ発車してもいいように準備を整えていたみほを待っていたのは、意外とすぐに勝てるかもしれないという希望的な推測を打ち砕く報告だった。

 

『西住ちゃん、そっちに向かってるのは2輌だけ! 残りは山腹にいるよ! ……ごめん、後は頼んだ!』

 

 所々に雑音が入り、最後に一際大きい轟音とともに途絶えたその無線を聞いて、みほは思わず両の拳をぎゅっと握りしめていた。

 

「嘘、何で気付かれたの!?」

 

 沙織が驚いたように声をあげた。

 

「もしかして無線傍受してるんじゃ……」

 

 華は眉をひそめて言った。あまりにもタイミングがよすぎることや、彼のチームがつい1ヶ月程前の準決勝でまさしくその機器を用いていたこともあって、彼女がそう思うのも無理はない。ただ、みほはやんわりと否定した。

 

「……多分、偵察用の人員を配置してたんだと思う。島田流はそういうのが得意だから」

 

 話している間にも、彼女は視線を少し下げて思考を巡らせている。その脳裏に挨拶のときに見た、相手の隊長の穏やかな顔がよぎった。あの丁寧な物腰の裏で一体どこまで計算しつくしているんだろう。試合前に調べたとおり、あるいはそれ以上に抜け目のない人だと、みほは思った。どこまでも用心深く、見透かすようにこちらの手の内を読み、そして冷淡に銃口を胸元へと突きつけてくる。

 

「何とかここから脱出しないと……」

 

 周囲の白い煙を見つめながら頭の中を整理するかのように呟いた。みほは先ほどからずっと考え込んでいたが、まだ有効な手が浮かんでいなかった。いずれは三段山を駆け下るのだが今すぐにこの白煙から出ていくと、中腹と麓にいる敵戦車の包囲網の真っただ中に飛び込むことになってしまう。それではまずいのだ。

 

 もし、相手が例えばサンダース大付属やプラウダ高校のような場合なら問題はなかった。実際1回戦や準決勝で無事に包囲を突破できたように、補足射撃をたやすく成功できる砲手はそんなにいない。1チームに一人か二人いればいいほうだろう。しかし今日の相手は違う。停止中なら補足・偏差射撃は当たり前、長距離射撃や行進間射撃もやってのける砲手が全車輌にいる。まともにいけば今残っている車輌の半分も生き残ればいいほうだろう。そうなっては撤退できたとしても勝算は低い。

 

 やっぱりここに留まって、近づいてくる2輌を撃退したほうがいい? 彼女はその考えを読み直そうとして、それまでと同じくすぐに捨て去った。おそらく来ているのはJSー3とヤークトパンター、撃ち合いで勝てるはずがないし、回り込もうとしても下からの砲撃があって危険である。どうしても正面突破しかない。何かしらの工夫が必要だったが、考え出すには時間がなかった。

 

 彼女は決断を迫られていた。もう発煙弾の弾着音はなく、いつこの煙がなくなるか分からない。相手は既にすぐ近くにいるだろうし、晴れてしまえば嫌でも敵の照準に晒されることになる。みほはやむなく前進の号令を出そうと、口を開こうとした。

 

『あ、あの』

 

 この時、躊躇いがちの声が無線に流れた。三式中戦車に乗っている、ねこにゃーの声だった。

 

『ボクに考えがあるんだけど……』

 

 

 

 

 

 

 P43仕様に改造されたP40は、空を仰ぐように90mm高射砲を上に向けていた。大戦時のイタリアにおいて最良と言われるその砲はティーガーⅠの88mmと遜色ない性能を持っており、大洗女子学園の戦車相手には大抵が正面から貫通判定を出せるだろう。

 

「晴れへんなー」

 

 パスタは砲塔上面のハッチから身体を出して、相手の戦車が姿を見せるのを待ちわびていた。砲声はすっかり途絶えているが、視線の先にある207地点はいまだ白色に包まれている。

 

『なぁなぁ、この煙ってどれくらいで消えるん?』

『知らないわよ、そんなの。……着弾してから45秒間だけ発煙するタイプだけど、今は風がなくて留まってるから』

『もう目的は果たしたし、榴弾で吹き飛ばしてくれないかしら?』

『嫌よ。装填し直してる間に飛び出してきたらどうしてくれるわけ?』

 

 先ほど発煙弾を撃ち込んでいた物量主義は、途中で割り込んできた二枚舌の要請にも素っ気なく応えた。彼女は相変わらず気まぐれで、隊長の命令以外には強情を張ろうとする。だが、不意に何かを思いついたようで、

 

『……榴弾だから狙いがぶれるけど、それでもいいなら撃つわよ。目標に近づいてるスターリンとか、途中にいるイタリア製の近くに落ちるかもね』

『やめて。お願い』

『撃たんといて。絶対撃たんといてや』

『あんたがそう言うと振りにしか聞こえないんだけど』

『いやこれはマジや』

 

 震えた声でパスタは応えた。容赦なく過去のトラウマを抉られた彼女はあっさりとこのまま待機する方向に傾いた。

 

『どっちでもいいけど、早く出てきてくれないかな。次こそ撃破してみせるんだから』

『まださっきのこと気にしてんの? さっさと切り替えなさいよ』

『そうそう。ヘッツァーならちゃんと私たちが撃破してあげたじゃない』

『それが悔しいんだって。もう』

 

 レジスタンスが口をとがらせて言った。ポルシェティーガーに続き、ヘッツァー相手にも突然方向を変えられて外してしまったからか、珍しく不機嫌気味になっている。

 

『まあしゃーないって。ついてへんときはそんなもんや』

『日頃の行いもあるかもしれないわ。何か悪いことでもしたの?』

『むぅー、品行方正な優等生に向かってなんてことを。……あっでも、最近私、戦車道ショップでレアパーツ見つけて店員さんに長々と値引き交渉しちゃったような……』

『それね』

『それよ』

『あかん、それや』

『とりあえず砲手の子に一言いうべき』

 

 無線機の向こう側から、離れた声で「ごめんねー」「あ、いえ、大丈夫です」という会話が聞こえた。その後、

 

『待って。みんな酷くない?』

『自覚はめっちゃあったやん』

『長々ってどれくらいかかったのかしら』

『えと、2時間はかかったと思うんだけど……』

『長いわね』

『長すぎるわよ』

『だって、欲しかったんだもん。仕方ないじゃない』

『開き直っちゃだめ』

『とりあえずもういっぺん謝っとき、な?』

 

 無線機の向こう側から、離れた声で「やっぱりごめんね」「え、えっと、次は当てますから!」という会話が聞こえた。その後、ぷつりという音とともに、今まで黙っていたファシストの荒々しい声が無線に乗った。

 

『おいお前ら真面目にやれ。隊長、作戦に変更はないか』

『予定通りお願いします。お二人はそのまま突入、他の皆さんは引き続き照準を合わせてください。仲良しなのはいいことです』

『この段階で無駄話するのは良くないだろう。締めるところは締めてくれ』

『す、すみません』

『ふふ、しっかりしてくれないと困るよ』

『お・ま・え・も・だ』

 

 通信がはたと途絶える。パスタは苦笑いを抑えきれない顔で207地点を見つめ直した。いささか話しすぎていたかもしれないが、彼女はあまり反省をしていなかった。試合中のこうした何気ない会話が、いい意味で力を抜くのに一番効用があることを知っているのだ。そしてなによりも、彼女たち戦車長の仕事は一段落ついており、すでに次の役割を砲手に一任している。

 

 ヤークトパンターとJSー3は、遅々とした速度ながらも確実に坂道を登っていく。もう1分もすれば目標と接触するだろう。あの2輌相手に正面から挑むのは流石に無謀というものだ。大洗がなるべく被害を出さないようにするならそうなる前に撤退するしかない。選抜隊の面々はその瞬間を今か今かと、手ぐすねを引いて待っていた。

 

 突然、1輌の戦車が煙の中から飛び出し、速度を上げて駆け下りようとした。無線で連絡が交わされるよりも、パスタが命じるよりも早く、P40の砲手は砲塔を動かしてその行く先に照準をつけ始めていた。腕のいい乗組員というのは時として命令される前に自ずから為すべきことをするものである。砲手は驚異的な反射神経と機械的な正確さをもって三式中戦車に徹甲弾を撃ち込み、撃破数を一つ増やした。

 

 衝撃と轟音がやみ、静かになった狭苦しい砲塔の中で、パスタは砲弾の装填を急いだ。P40の砲塔は二人乗りで通常は車長兼砲手と装填手という構成だが、この車輌の場合は砲手を専属にして車長が装填手を兼務している。6秒ほどで装填を終え、彼女は再び前方を確認した。先ほどよりも味方の2輌が少し目標に近づき、白旗をあげた戦車が1輌増えている。白い煙の中は依然として不明である。たった1輌だけが飛び出してきたのは何を意図しているのかと、彼女は首を傾げた。

 

『……こんだけ?』

『偵察のつもりかしら? どちらにせよ――』

 

 訝しむような無線の声は、207地点から聞こえてくる砲声に中断された。轟音は間髪入れずに5回。砲弾はこちらの戦車からだいぶ外れて麓へと過ぎ去っていった。発砲焔が見えれば直ちに応射できたのだがあいにく白煙によって覆い隠されていて、砲手も沈黙を保っている。

 

 この砲撃は狙って撃ったものではない。しかし、やはりその意図が見えなかった。なぜこの状況でそんなことをするのだろうか。そして彼女は、不意に擱座している三式へと注意が向き、ついに思い当たって驚愕の息を呑んだ。それを代弁するかのように、隊長の鋭い指示が無線機から飛び込んできた。

 

『二枚舌とパスタ、直ちに移動してください! 次に間接射撃が来ます!』

 

 P40は頂上に正対する状態からS字を描くように右後方へ動いた。ファイアフライも同じように移動していた。この2輌は装甲が薄めで、万が一にも敵弾が当たってしまえば撃破される可能性が高い。精度は悪くても間接照準で狙われている現状では、少しでも相手の照準をかわす必要があった。

 

 あの三式中戦車は観測班だ。ルールでは競技続行不能となった後は一切戦車の操作をしてはならないとあるが、無線機を使ってはならないとは書いていない。今大会においても撃破されてから少しの間なら情報を提供しても何ら問題にはなっていないし、選抜隊も2回戦で実際やっている。あの戦車はあえて外に出て、こちらの動きを報告しているはずだ。そしてその情報を得た敵の指揮官は、選抜隊の予想よりも遙かに狡猾に動き始めた。

 

 中腹の2輌に対し再度、敵の砲撃があった。間接照準なので限度があるのだろう、直撃弾とはならず手前で落ちる。ただ放たれたのが徹甲弾ではなく榴弾で、爆発とともに土砂が巻き上がった。噴煙により照準がとれなくなり、その少しの間が相手に逃げる時間を与えてしまった。

 

 次いで大洗女子学園の残り5輌が姿を現し、勢いよく速度を上げた。近づいていたヤークトパンターとJS-3の合間を縫い、走りながら隊形を整えている。ポルシェティーガーを先頭にして直後にフラッグ車のⅣ号戦車、それを守るように左右後ろに3輌を配した十字型の隊形を組み、一気に坂道を下っていった。パスタはそれを追うように砲身を振り回す指示を出したが、立ち直りに時間がかかったため僅かの差で照準が間に合わなかった。

 

『やるね、でもまだ私たちが――うひゃあ!?』

 

 無線機からは悲鳴と榴弾の炸裂音が聞こえる。走行中に麓の2輌へ狙いをつけて撃ったに違いなく、三度目の砲声も轟いていた。シャーマンとARLー44は穴に入って上向きの照準をしていたので、戦闘に復するのに時間が掛かる。少なくとも坂道を下り終えるまでは砲撃を期待できない。

 

 ここで逃げられてたまるかと、P40の車体自体も左旋回をして、ようやく砲身が既に中腹より下を走っている大洗の車輌をとらえたときには、またしても先手を打たれていた。十字型を組む5輌のうち、後続の3輌の背後から煙幕が射出され、照準がまったくできなくなっていた。一応砲撃は指示したものの、これこそ盲射というもので、むなしく空を切った。

 

「前進や、追うで!」

 

 P40はすぐさま動き出して斜面を下り始めた。他の3輌も同じく後を追おうと動いている。目指す相手の車輌はもう平地まで下りていて、煙幕をまき散らしながら1時の方向に旋回、平野の東の方へ向かって疾走していた。

 

 

 

 

 

 

(こちらには来てくれませんか)

 

 次第に遠ざかる大洗の車輌を見つめながら、隊長は心の中でつぶやいた。もし敵がフラッグ車を狙って林の中へ来てくれれば完全にしとめることが出来ただろう。シャーマンとARLー44では5輌を一度に相手にするのは流石に無傷というわけにはいかないが、登坂中の車輌が戻るまでの時間は稼げる。そしてこちらのフラッグ車がとっくに別の場所へ避難していると気付いたときには既に遅く、後ろから強襲を受けて壊滅の憂き目を見る――こうした罠を見抜いて撤退するのは至極当然ではあったが、彼女としてはやはり残念な気持ちがないとはいえなかった。

 

 また、ここで逃がしてしまったことも痛手だった。高台の陣地は一般に有利とされているが戦車戦においては問題を含んでいる。実に簡単にその位置を観察することを許してしまうのだ。さらに、そうした防御陣地で絶対的に必要となる有効射程と装甲が、大洗には欠けていた。なおかつ今回の場合は逃げ場が一つしかなく、攻撃側から見れば絶好な、まるで檻のような地形条件でもあった。これらの点からいえば、相手が207地点へと逃げ込んだのは他に選択肢に乏しかったとはいえ、こちらからすればまたとない機会だったのである。詰めが甘かったと、彼女は悔やんだ。

 

 とはいえ、好機は逸したとしても、依然有利であることには変わりがない。

 

『相手は東へ移動しています。全車追撃。主導権は我々にあります、この勢いのまま勝負をつけましょう』

 

 隊長は小型無線機で連絡を入れると、腰掛けていた背の高い木の枝から素早く降り立った。ここは乱立する林の中の一つで、先ほど榴弾が撃ち込まれた林とはまた違った場所にあった。自車の四式中戦車は発煙弾を撃った後に三段山の西側へと避難していたが、直に迎えにくる。

 

 待っている間、彼女は今後の試合展開について検討をしていた。これからは逃げる相手を追う展開になる。今の戦力差なら立ち直る隙を与えずに更に打撃を加えられるし、どのみち大洗が目指そうとする場所はひとつしかない。その場所に入られてしまったらまずいが、今のところ心配になるようなことは見当たらなかった。猟犬のように追い立てるなり、待ち伏せするなり、いずれにせよいくらでも対処できる――。

 

「……?」

 

 そこまで考えたところで、隊長は不審の面持ちになって虚空を見つめ直した。上手くいきすぎている。相手の指揮官はそう簡単に勝たせてくれるような人だろうか? いや、そんなはずはない。

 

 彼女はこれまでの大洗の戦いぶりをつぶさに検証していて、その油断ならないことをとうに知っていた。素人の集団を率いて強豪と接戦を演じた聖グロリアーナ戦、不利な状況でも最後まで諦めずに勝利を掴んだサンダース戦、相手の作戦を見抜いて華麗に攻めきったアンツィオ戦、そして相手の油断に助けられたとはいえ昨年の優勝校に逆転を果たしたプラウダ戦。いずれも勝負の機微をとらえて、臨機応変に対応した見事な戦い方だった。今し方も、こちらの隙を的確に咎められ、包囲網を突破されたばかりである。そんな相手がこのまま引き下がるわけはなく、必ずどこかで勝負手を放ってくるか、逃げ切るための策を講じてくるはずだ。しかし、それが具体的に何かというのがまだつかめない。

 

 隊長は自車が来るまで頭を悩ませていたが、結局答えが見つからずに、漠然とした予感を拭えないまま搭乗して、大洗の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 三段山と煙幕を背にして5輌は急いで東へと突き進む。平地に入ってからは車間を大体30~50mに維持し、隊形を若干変更させていた。十字の右翼にいたⅢ号突撃砲と左翼のM3中戦車を少し後退させて、T字型隊形になっている。Ⅳ号戦車の後続は八九式中戦車のまま変わっていない。

 

 みほはⅣ号戦車の中で地図を見返していた。後方の監視は八九式に任せて、今後の展開を再検討している。さっきは危なかった。彼女としてはあそこで少なくとも1、2輌は撃破できればと考えていたが、逆に必死の逃走劇となってしまったのである。あまり使いたくなかったが準備してきた作戦を使うしかないと、彼女は覚悟を決めた。

 

『ごめんね、西住さん』

 

 三式中戦車のねこにゃーからの無線が届く。そろそろ回収車が来てもおかしくないので、これが最後の通信になるだろう。みほは顔をあげた。

 

『これくらいしかお役に立てなくて……』

『ううん、助かりました。ありがとうございます』

 

 申し訳なさげなその声に、みほはかぶりを振りながら慌ててお礼を言った。三式をあえて外に出して、得られた情報を基に間接照準を行うという彼女の提案がなければ、今頃どうなっていたか分からなかっただろう。

 

『間接射撃なんて、よく思いつきましたね!』

『ゲームだと味方が見える範囲なら、それが撃てたから……』

 

 優花里の言葉に、ねこにゃーは照れたように応えていた。

 

「でも、これで5対7ですか……」

 

 通信が終わった後、華がぽつりとこぼした。なんとか脱出に成功したもののここまでで3輌も撃破されてしまっている。しかも相手はまだ無傷。思っていた以上に厳しくなった状況に、優花里も心配そうな顔になり、みほの方へ向いた。

 

「本当に隙がありませんね。このままだと……」

「うん。正攻法だと、やっぱり無理かな」

 

 みほはあっさりと認めた。相手は個々の性能と練度が高い上に、それらが一つの指揮統制下で緊密に連携をとって攻めてくる。もし戦車の性能が同じであれば、あるいは1回戦か2回戦で戦っていれば正攻法でもやりようがあるのだが、現状では逃げるだけで手一杯だった。しかも、大洗にとって唯一の目標とすべきフラッグ車は決して表に出てこず、反撃の糸口をつかむことすら難しい。

 

 フラッグ車を倒すには先ず敵の連携を崩す必要があり、そのためにはなんとしても何輌かは撃破しておかないといけない。しかし、まともに挑もうとすると地の利をもってしても無理だった。やはり奇策が必要となる。それも、敵に対策されないような奇策が。そして、彼女はもうその布石を打っていた。

 

「でも、これで()()()()()()()ことが出来た」

 

 今回彼女がとろうとしているのはハイリスクな戦術だ。わざと相手に追撃させてその位置を随時把握するとともに罠を仕掛けた場所へと誘導する。リスクに見合ったハイリターンな作戦でもあり、何輌かを戦闘不能にして、かつ目的地へ逃げる時間を稼ぐことができるだろう。そしてみほは、この作戦が見破られることはないと確信していた。

 

 この作戦を選んだ一番の理由は、相手に有利だと思わせることにある。人は苦境な時は必死に思考を巡らすが、順風に運んでいるときはどうしても考えが抜ける。老獪な敵の隊長に奇策を通すにはわずかに生じるこの隙につけいるしかない。一瞬ひやっとする場面はあったが、ここまで持ち込むことができれば勝算はまだ十分にある。

 

 しかし問題は全くないともいえなかった。

 

『来ました!』

 

 八九式の磯辺から緊迫した報告が流れた。みほは直ちにキューポラから顔を出して、後方を確認する。煙の中から相手の車輌が次々に姿を現し、走りながら砲焔を閃かせたのを見た瞬間、彼女は勢い込んで無線機に声を出した。

 

『全車輌、この隊形を維持したままジグザグに走行してください!』

 

 砲弾が飛んでくる中、5輌は一斉に之字運動を開始する。相手との距離は1000mもなく、油断してそのまま走行しているとたちまち何輌かが停止射撃に移行するだろう。またそうでなくても、行進間のはずなのにやたらと精度がよく、掠りそうになることもあった。

 

 これからこの追撃を避けながら罠のあるところまでおびき寄せなければならない。いうなれば、彼女たち自身が疑似餌だ。幸いそこまで遠くなく、途中で森に入れば当たる可能性も低くなるが、それも300mまで追いつかれたら駄目だろうと、みほは思った。味方がジグザグで走っているのに対して、敵は直進してどんどん距離を詰めてくる。

 

 追いつかれるのが先か、逃げきれるのが先か、それはみほにも分からなかった。ただ漠然と、みんなと一緒に、それぞれが支え合っていけば、この危機を乗り越えられるだろうと思っていた。そしてそのためには、何よりも自身の指揮がしっかりしなければならないという重圧も、また感じていた。

 

『これよりアンコウ作戦を開始します!』

 

 みほは自分を叱咤するように、各車に作戦の開始を告げた。

 

 

 



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決勝 大洗女子学園戦(中②)

 7輌は走り始めた順からばらばらに大洗女子学園を追いかけていたが、目標が射界に入った途端に自然と隊形を整えていった。先行する車輌が少しでも命中率を上げようと発砲する間だけ速度を落とし、後続は前の戦車に邪魔されることのない撃ちやすい位置へと移動する。そして6輌が正面への火力を最大にできる散開横隊をとり、フラッグ車がその後につく形になった。隊形の訓練なんて一度もする機会のなかった彼女たちだが、お互いがどこに移動するのかを察知して無意識にこれを行っていた。

 

 5門の砲口が、巡航速度を維持したまま交互に火を吐いた。シャーマンは1発だけ撃って、後は弾がもったいないと沈黙している。この速度と距離で行進間射撃を行って弾薬を費消することはないのだが、今回は相手に之字運動を強要し、彼我の距離を詰めるために必要な消費といえた。本当なら全車が停止射撃に移行できればいいが、その場合はすぐに煙幕を張られて接触を断たれてしまう。

 

 大洗の戦車は砲撃を避けるようにジグザグに走行し、平野をいまだ東へと進んでいる。砲塔は真っ直ぐを向いたまま、反撃を仕掛ける素振りも見せない。それを訝しむ声が無線に乗った。

 

『相手はどこへ向かってるのよ。逃げてばかりじゃない』

『最終的には市街地へ向かうはずです。大洗が戦術的に優位に立とうとするなら、そこで待ちかまえるのが最善といえます』

 

 砲声が断続的に轟いている中で、隊長は丁寧に応えた。207地点とは違い完全な隠蔽陣地となる市街地に先に入られてしまうと、多少の戦力差はうやむやになってしまう。彼女が試合前から警戒しているとおり、劣勢の大洗側としてはそこを目指すはずである。そして今の相手の動きも、それにぴったり符合する。

 

『ということは、このまま東に向かって、森に入ったら時計回りに進む感じ?』

『そうね。それで草原に出て国道を目指せば、あとは一本道だわ』

『このルート以外は確かにどれも問題にならへんな。平野部が多くてうちらにしたら願ってもない状況になるし』

『どうせなら川を渡ってくれたら良かったのにね』

『何その射撃の的』

 

 市街地に向かう最も近いルートはそのまま南西へと進むことだが、その途中には幅の広い川がある。1000m以内で追走しているこの状況下で大洗が渡河を試みようとすれば、盛大な射撃大会が催されていただろう。そんなことをするような相手では勿論なかった。

 

『そこまではっきり分かれば後は簡単だな。先回りして待ち伏せできる』

『そうよ。これで相手は袋の鼠よ!』

『半分ずつで挟み撃ちにすれば一網打尽やな』

『いえ、露骨に動くと気づかれて別の行動をとられます。あえて北へと向かって別ルートを模索したり、あるいは追撃部隊が少なくなったところを狙って反撃を仕掛ける。私ならそうします。……追撃は最低5輌を維持しましょう』

『5輌? 今の戦力差だと少し多いんじゃないかしら』

『念には念を、です。相手は何かを企んでいるに違いありません。どういったものなのかはわかりませんが、嫌な予感がします』

 

 隊長の言葉に、無線が一時静まりかえった。試合中であろうとなかろうと、嫌な予感ほど当たるものはない。選抜隊の面々は感じ取れてはいなかったが、他ならぬ隊長のいうことであり、無条件で信じた。ややあって、

 

『分かったわ。でも、他の2輌はやっぱり待ち伏せに使うべきよ。問題は誰をどこに配置するか、だけど』

『隊長、JSー3なら単独で動いても問題ない。必ず期待に応えてみせる』

『私たちも出来れば待ち伏せに向かわせてくれないか。やられる気はしないし、ヤークトパンターは追撃の方が苦手だからな』

『はいはい、私たちも先回りしたい! 今度こそ活躍してみせるから!』

 

 三人が志願の声を出した。いずれも搭乗する戦車の性能からいって適任といえたが、最後の一人に対してはみな悪気はないものの冷ややかに応じた。

 

『意気込みは買うけど、今日は大人しくしておいたほうがいいんやない? 調子良くないみたいやし』

『他に悪いことしたの隠してない?』

『してないって。もう』

『今気づいたけど、今日の占いは何位だったのかしら』

『それ今聞くこと? ……12位だよ』

『お祓いが必要なレベルやったか……』

『ちなみにラッキーアイテムは何でした?』

『隊長まで。えっとね――』

『後にしろ。いいな』

『あ、はい』

 

 ファシストの有無を言わせぬ口調にたじろいだ隊長は、コホン、と小さく咳払いをすると、

 

『それでは、少し保険をかけておきますか』

 

 そう言って、いつもの落ち着いた声で命令を発し始めた。

 

 

 

 

 

 

 大洗女子学園の5輌が森に間もなく入ろうという段階になって、選抜隊の車輌に動きがあった。ヤークトパンターが向かって左に、JS-3が右に旋回し、方向を変えた後はそのまま進んで見えなくなった。残りはなおも追走を緩める気配がない。

 

「南と北に1輌ずつ、これなら……」

 

 絶えず後方を確認していたみほは、その動きを見てつぶやいた。おそらくそれぞれの方面で待ち伏せするのだろう。ヤークトパンターについては対処が必要だが、大きな問題にはならない。残りの戦車をこのまま罠のところまで誘導できれば、市街地までの突破は十分可能だと彼女は見積もった。

 

 ただ、その次の瞬間には緊張で顔をこわばらせた。追走する戦車のうち、両端のP40とARLー44が急速に速度を落とし始めようとしている。恐れていた事態が来たことを見たみほは、即座に無線を飛ばした。

 

『煙幕展帳!』

 

 みほの号令とともに、Ⅲ号突撃砲とM3中戦車が背面から勢いよく煙を出し始めた。2輌は交差するように動き、巨大なX型の煙幕を張る。この白色の壁を素早く張るために、後方の左右に戦車を配したT字型の隊形をとっていたのだ。果たしてそれは間に合った。

 

 煙を突き破って、高速の射弾がフラッグ車を狙うように飛来した。その十字砲火は行進間射撃とは比べものにならない精度で放たれたが、煙が出来た直後に必死の回避運動を行った甲斐もあって、命中弾にはならなかった。後続の八九式のすぐぎりぎりのところを通り過ぎており、もう少し対応が遅ければ当たっていたかもしれない。

 

 ホッとする暇もなく、後方で爆発が起きる。同時に2発、数秒後に更にもう2発撃ち込まれた榴弾の爆風圧により、せっかく張られた煙幕は瞬く間に吹き飛ばされてしまう。さらに少しして、速度を落とさずに追走している車輌のうち、ファイアフライからの砲弾が近くに着弾した。じりじりと差を詰められていることもあり、狙いはますます正確になっている。

 

『こちらカバさんチーム、煙幕はもう残り僅かだ!』

『ウサギさんチーム、同じくです!』

 

 Ⅲ突とM3から無線が入る。三段山から駆け下りるときと今のとで、ほとんど使い果たしてしまったのだろう。八九式の煙幕もすでになくなっており、相手の照準から隠れる手段が次第になくなってきている。だけど間に合ったと、みほは思った。幸いにして1輌も被害を出すことなく、平野部を逃げ切ることができた。

 

『このまま森に入ります!』

 

 5輌は隊形を維持したまま森に突入した。これからは木々が邪魔になって命中率は低くなる。しかも相手は先行しているのは2輌のみ、他はまだ距離があって脅威は小さい。罠に掛かるのもそれだけということになるが、みほはこの際気にしなかった。今はとにかく少しでも数を減らし、被害を抑えながら市街地へ移動することが重要だった。

 

 しかし、その2輌が問題でもあった。火力の高い砲撃をしきりに放ってくるファイアフライと、事前の調査では行進間射撃の命中率がありえないことになっていたシャーマン。特に後者は、今は不気味に沈黙しているが、これ以上距離が近くなれば確実に直撃弾を撃ち込んでくるはずである。どうかそのまえにたどり着けますようにと、みほは祈った。

 

 

 

 

 

 

 会場東の森はほとんどが針葉樹で構成されており、低木なども生えていない見通しのいい人工林となっている。その中で、選抜隊の5輌は大洗の戦車との鬼ごっこを続けていた。両チームとも木立の合間を縫って疾走し、その差は最も接近しているもので300m程にまで縮まろうとしている。

 

 木々をさけるためばらばらに蛇行運転を続けているが、選抜隊は真ん中2輌が先行した四本指(ケッテ)隊形を基本としていた。小隊規模の楔型で攻撃に適した隊形の上に、フラッグ車はそれに守られるように追随している。隊長はここで勝負に出ることにした。相手の企みが分からない以上、先手をとって撃破すべしと考えたのだ。彼女は無線機をとると、次の命令を発した。

 

『物量主義、射撃準備。減速は必要ありません、とらえ次第発砲してください』

『わかってるじゃない』

 

 先頭を走るシャーマンの車長席で、物量主義は獰猛な笑みを浮かべた。彼女はもとよりそのつもりだったがこれでお墨付きを得たわけである。何より言わずとも意を汲んでくれるのが、いやがうえにも士気を向上させた。

 

『念のため、砲弾の残数には注意を』

『はっ! まだ10発も持ってんのよ。むしろ余るくらいよ』

 

 隊長の注意喚起にも自信に満ちた声で返す。このために今まで弾を温存していたのだ。そしてこの戦車に乗る砲手はスタビライザーを使いこなしていることもあって、行進間射撃に関しては選抜隊のメンバーの中でも別格の命中率を誇る。射程300m以下ならほぼ狙い通りに当ててしまうといっても過言ではない。彼女たちはこれまでの成績を挽回すべく、1輌たりとも逃しはしないと闘志を燃やしていた。

 

『隊長、私は砲手に変わるわね。負けてられないわ』

『任せます』

 

 同じく先頭を行くファイアフライの車内でも、相手を撃破しようと動きがあった。砲手がイスから左に立ち上がって席を空け、二枚舌が後ろから滑り込むようにして砲手席につく。今まで務めていた生徒も決して腕は悪くないが、国際試合に砲手として出場している彼女には適わない。普段はその経験を活かし、車長を務めてリードしている二枚舌だが、やはり本質的には砲手だった。

 

「APDSは残り少ないから、徹甲弾を装填して」

 

 そう指示をして、照準を一度リセットする。二枚舌は照準器内の左に見える徹甲弾用の距離計を見ながら、十字線を平均射程に近いと目される250の目盛へと無造作に合わせた。本来なら相手との距離に合わせてその都度変えるのだが、彼女はそれをするつもりはなかった。

 

 この照準を固定する射撃法は特に戦車道の教官からよろしくない顔をされることが多いが、彼女は敵が多い場合や行進間などにおいてはこれを好んで使っていた。世界的な戦車エースであるヴィットマンも言う通り、獲物を追跡中のハンターはいちいち照準を合わせることはしない。撃つのに手間取っていては逃げられてしまう。その点、この方法は遠近を自分で補正する才能があれば素早く敵を狙えるし、最悪でも十字線に合わせて撃てば、平均交戦距離が大きく変わらない限りは意外とよく当たるものである。ヴィットマンの砲手として80輌以上を撃破したバルタザール・ヴォルが、ティーガーⅠの照準器をたびたび800mに固定していたというのは、故あることなのだ。

 

 彼女は照準器をのぞき込みながら、左手で俯仰調整ハンドル、右手で動力旋回装置を操り、逃げる大洗の戦車を見据えた。蛇行運転は続けているもののいつぞやのパンターとは違って素直な動きをしており、更に予想通り森を時計回りに進もうとしていることが見て取れて、なおのこと未来修正をつけやすい。ジャイロ式スタビライザーのないファイアフライではシャーマンの連中のように百発百中とはいかないが、このぶんなら何発か撃てば当てられそうだと彼女は思った。

 

 そしてチャンスが訪れた。相手は木々をかわすルートを見誤ったのか、それともこちらの射撃を恐れたのか、とにかく一際大きく蛇行した。これ以上距離を詰めれば確実にとらえることができる。彼女がにやりと笑みを浮かべたのも無理はなかった。

 

「もらった!」

「もらったわ!」

 

 2輌の車内で、おそらく同時に声があがった。一つは車長席、もう一つは砲手席から。その声に応えるように、2輌は木々をかわしながら最短距離を行って、大洗の戦車に急速に近づいた。M4系戦車に見られる優良な砲塔旋回速度をもって、砲身が振り回される。それぞれの砲手席において、主砲発射スイッチを踏む左足に、ゆっくりと力が込められた――。

 

 

 

 

 

 

 相手の大振りな回避運動と、それに対して最短距離で追いつこうとする味方の動きを見て、隊長の血の気が引いた。相手の狙いが、鮮明に浮かび上がったのだ。一瞬、ありえない、と思った。人手の少ない中でどうやって準備したというのか――しかし、そんなことを推察する暇もなく、彼女はほとんど反射的に叫んでいた。

 

『止まって! 罠です!』

 

 各車が一斉に速度を落とし始めたが、先頭をいくファイアフライとシャーマンはそれでも間に合わなかった。

 

 2輌の進んでいた地面が、シートを引っ張るようにして消えた。

 

 突然現れた二つの大穴に、2輌は落ちた。一つの穴の大きさは幅3m、長さ5m、高さは1m程。戦車が完全に入るにはまだ小さかったが、突っ込んできた戦車に支障をきたすには十分な大きさだった。シャーマンは左の履帯を残して前のめりに傾くようにして落ち、右の駆動部が衝撃で動かなくなった。ファイアフライは更に悪く、全幅がまるごと穴に入ってしまい、戦車が傾いた際に17ポンド砲の長砲身が地面に激突して曲がってしまった。どちらも試合続行不能と判定され、白旗が上がった。

 

『無事ですか!?』

 

 少し間があったが、応答があった。

 

『All right. 警告してくれて助かったわ』

『こっちも無事よ。……ったく、冗談じゃないわ! 何なのよこれ!』

 

 案外と元気のいい声を聞いて、隊長はほっと安堵の息をつく。そして辺りを見渡した。P40とARLー44は無事に停止している。敵はこの隙に逃げることを選んだのか、もう姿は見えなかった。そして白旗を上げている2輌をあらためて見て、彼女は頭を抱えそうになった。

 

 落とし穴――この古典的な罠に引っかけさせるのが、相手の狙いだった。彼女は相手がこの作戦をとるとは思ってもいなかった。というより出来るはずがないと無意識に除外していた。なにせ姿を確認していなかったのはわずか1輌、乗組員はたったの3人。戦車に支障をきたす穴を掘るにはどう考えても人手が足りなさすぎる。

 

 しかし、一つの可能性に思い当たって、隊長は重々しくため息をついた。

 

『……恐らく訓練で使われた塹壕を利用したのでしょう。迂闊でした』

 

 ここが演習場の中であることを失念していた。自衛隊の訓練の中には、塹壕などの防御陣地を構築して本格的な模擬戦闘を行うものもあると聞く。これはその時に掘られたものを利用したのだ。そうした穴というのは訓練終了後にある程度は埋められるはずだが、相手は会場を視察した際に、短時間で落とし穴に転用できそうな塹壕の跡を探していたに違いない。そして見つけた穴をヘッツァーの乗員が罠に仕立て上げ、選抜隊はまんまとそれに引っかかってしまったということだろう――彼女たちの名誉のため付記しておくと、選抜隊も勿論視察は行っているが、如何せん会場が広すぎたのだ。そうした穴に気づかなくても、それはむしろ当然といえる。とはいえ、最後まで相手の意図を察せられなかったのは、やはり責められても仕方がない。

 

 隊長は沈痛な顔を隠そうとしなかったが、しかしそれでも、指揮官としての一線は守った。2輌をいたずらに損失させてしまった責は負わなくてはならないが、今はこれからのことを考えるのが先決である。彼女は冷静に今の状況を確認し、相手の行動を予測して、静かに指示を出した。

 

『各車、前方地面を掃射。相手の残した轍まで進んでください』

 

 P40の8mm同軸機銃とARL-44の車体前面右側にある7.5mm機関砲、そして四式中戦車の九七式重機関銃の銃声が、森の中に響きわたった。落とし穴はまだあったが、無事に轍までたどり着くことができ、各車はキャタピラの回転数を上げた。

 

 隊長は大洗が次にとると考えられる行動のうち、二つの可能性を読んでいた。一つは、選抜隊の作戦をすべて見通していて、平野に待ち伏せしているヤークトパンターに戦力を集中するというもの。この場合は、1輌くらいは犠牲にしてくれるだろうが、手早く撃破すると姿をくらませようとするはずだ。そうなると試合は振り出しに戻り、相手は巧妙に姿を隠しながらこちらのフラッグ車を狙ってくるだろう。これを避けるため、できるだけ急いで追いつかないといけない。

 

 もう一つは、相手は更に別の場所に罠を仕掛けてあって、後を追おうとするこちらに対し、その場所でゲリラ的に奇襲を仕掛けてくるというもの。彼女が相手の立場だったら好んでこの作戦を練っていただろう。轍の上を進めば落とし穴にかかることはないだろうが、逆にその線から迂闊に外れることはできず、小回りが利かない状態で敵襲を迎えることになる。被害を防ぐには何よりも先に相手を見つけることが必要だった。それができるかと彼女は思慮した結果、可能だと判断していた。

 

「しばらく無線対応をお願いします。私は周囲を警戒しますので」

「承りましたわ」

 

 通信手にそう言うと、隊長は命令用の小型無線機は手に持ったまま、ヘッドフォンを外してハッチから周囲を注意深く見つめた。ショートカットの髪が風になびいて、耳があらわになった。

 

 彼女に戦車長としての天与の才があるとすれば、恵まれた視力と聴力にあるといえる。その目は遙か彼方にいる敵や隠匿された戦車をいち早く、昼夜問わずに見つけだし、その耳は周囲のエンジン音を正確に聞き分けることができる。また彼女は会場の地形をすべて頭の中にたたき込んでおり、待ち伏せに適した場所、死角となる場所などは当然把握していた。もし大洗が奇襲を考えていたとしても、それに適した場所は事前に警戒され、そうでなくてもレーダーのごとく察知する彼女を前にしては、その成功は覚束なかっただろう。

 

 3輌は大洗が残した轍をなぞり、遅れを取り戻すように速度をあげて、森を南に進んだ。

 

 

 

 

 

 

 東富士演習場の中を南北に突っ切るようにして走る国道469号線から西に2000mほど離れたところで、選抜隊のヤークトパンターは窪地に隠れるようにして潜んでいた。この辺りは背丈ほどもあるススキの草原が広がっており、斜面で車体を隠蔽した防御姿勢(ハルダウン)をとっているその駆逐戦車も、半分以上が埋もれた状態になっている。そして、-8度の最大俯角をとられた主砲は、東に見える草原へと向いていた。

 

『……敵がそちらに向かった場合、出来るだけ時間を稼いでくださいませ』

『ああ、わかった。そっちも気を付けてくれ』

 

 ファシストは指揮を代行している四式中戦車の通信手にそう応え、北に見える森を引き続き注意深く観察した。万が一という期待もあって砲手に東の警戒を任しているが、その可能性が低いということは彼女も重々承知しており、この位置から最も近い森林境界線に神経を集中させている。敵は相当な狐である。こちらの作戦など見通していて、安易に国道に向かったりせずに待ち伏せしているこの戦車へ全戦力をつぎ込むだろうという代行の心配を、彼女は疑っていない。

 

 だから、砲手のその報告を聞いても、すぐに信じることは出来なかった。

 

「12時に敵影!――敵本隊のようです」

 

 ファシストは不審の面もちでその方角を見つめた。大洗女子の戦車が4輌、ここから1500mほど先の草原を走っており、しかもフラッグ車がいる。そのことを確認した彼女は、訝しげに少しの間考えていたが、やがて緊張をといて口元を緩めた。国道のすぐ西側は砲弾が飛んでいかないようにちょっとした山になっていて、道路に乗るには草原の中にある通路を使わなくてはならない。すなわち、相手はまだ市街地を目指してくれていると見ていい。――目指してくれて結構なのだ。その行動はとっくに対処されていて、国道469号線に乗ったが最後、彼女たちは完全に逃げ道をなくしてしまうのだから。

 

 そしてまた、その前に撃破できるチャンスが来たことに彼女は内心喜んでいた。相手からは見えづらい位置に潜んでいるうえに、回避運動をとられていない以上、この距離では外しようがない。彼女は早速、乗員に指示を出した。

 

「よし、まだこちらに運がついてるな。フラッグ車を狙え」

 

 左の履帯が僅かに動き、車体が相手の移動する先へと向けられる。砲手が照準を合わせようとするのをちらっと見て、ファシストも自身の双眼鏡をのぞいた。千鳥隊形で進む敵はこちらに側面を晒しており、Ⅳ号戦車は先頭から3番目を走行している。格好の的だった。砲身はその行く先へと未来修正をつけ静かに停止した。砲弾は、もう間もなく放たれる。

 

 だが、ファシストはすぐに顔をしかめることになった。2番目を走るポルシェティーガーから煙を噴き出され、後続の戦車が隠れようとしていたのだ。無論砲手は直ちに砲撃したが、その行動からして相手に感づかれているのは間違いなく、おそらく急ブレーキをかけたのだろう、手応えも撃破のアナウンスもない。砲手が忌々しげに口を開いた。

 

「もー、また? ……先頭狙うんでちょっと右旋回お願いします」

「いや待て。相手に気付かれたということは――」

 

 その言葉は車体前方から伝わる衝撃に中断させられた。地面の振動に併せて、主砲の照準を邪魔するかのように塵が立ち上る。ファシストは北の方へと視線を向けた。草原の中にあっても車体の上半分を見せる背の高い戦車が、蛇行しながらこちらに向かってきていることを確認し、彼女は命じた。

 

「後退して10時方向に向くまで旋回。向こうに無線を頼む。敵本隊は国道へ移動中、我これよりM3と交戦す、とな」

「は、はい!」

 

 勢いよく後進して窪地から這い出ると、ヤークトパンターはなだらかな傾斜のある草原を後ろ向きのまま反時計回りに旋回した。車体は北へ、近づいている戦車の方へと向けられる。そこで照準を合わせるため停止したが、相手もさるもので即座に榴弾が発射された。再び土砂が巻き上げられ、位置を変更してもその都度また撃ち込まれる。

 

 爆発と移動の合間に、ファシストはペリスコープから相手の戦車をかいま見た。一言で言えば、奇抜なデザインである。向かって左側の車体には今もこちらに向くたびに火焔をあげる固定式の主砲があり、反対側には一回り小さい砲がついた砲塔と、さらにその上に機関銃キューポラが取り付けられている。それだけ背も高くなっていて、窪地に潜む駆逐戦車を見つけるのに役立ったのだろう。が、こちらからすれば嫌でも目に付くくらいの大きさだった。

 

「リー将軍か……」

 

 彼女はその戦車を思い返しながら呟いた。1941年に米軍が一時しのぎ的に急遽開発し、翌年に投入された多砲塔戦車。その米軍仕様のタイプ。大戦後期に開発されたヤークトパンターとは性能差が歴然としているが、それでも50年代に入っても使用されていただけあって、その攻撃力を侮ることはできない。主武装の75mm砲と37mm砲は至近距離からなら側背面を撃ち抜けるし、特に37mm砲は高い位置にあるので機関部上面を狙うこともできるだろう。今も榴弾を放ちながら近づいている動きをみる限り、当然それらを念頭にして接近戦に持ち込もうとしているはずである。

 

 だが、一対一で側背面をとることがどんなに困難なことかを知っている彼女は、不敵に笑みを浮かべた。

 

「面白い。お手並み拝見といこう」

 

 忘れられがちだが、彼女たちも全試合一騎打ちの選抜戦を勝ち上がってきているのだ。平地でお互いの姿が確認できる場合、その戦いを決するものは何かということを、彼女たちは知り尽くしている。そして現状も、その条件を満たしていると言っていい。果たしてどんな手を講じてくるのかを試すように、彼女たちは接近中の戦車を見据え、臨戦態勢をととのえた。

 

 

 

 

 

 

 味方の本隊から外れて単独で草原を走行しているM3中戦車は、車体に備え付けられた75mm砲から盛んに砲弾を吐く。その狙う先には、草むらの天辺よりも高い位置に突き出されている88mm砲を備えた、大型の駆逐戦車がいた。

 

「本当にいた!」

「西住隊長の言った通りだね!」

 

 乗組員が緊張と高揚が入り交じった声で会話を交わした。この戦車には6人が乗り込んでいて、全員が1年生だった。多砲塔なので本来の定員は7名であり、彼女たちの場合は75mm砲の装填手を専任していなかったが、今は無線手が懸命にその任を兼務している。

 

「とにかく撃って! 注意をこっちに引き寄せて、出来るだけ時間を稼ぐよ!――それで、できればあれを倒そう!」

 

 車長を務める澤梓が、声を張り上げて言った。本隊が逃げるまで引きつければ十分なので無理をしないようにと西住隊長は厳命していたが、ここでただやられてしまっては勝ち目が薄くなることは澤にも分かっていた。彼女にとって、いや大洗の生徒全員にとって、この試合はどうしても負けられないのだ。何としてもここであの戦車を撃破しようと、彼女は気合いをいれた。

 

 M3リーは目標に向けて、ジグザグに走行しながら徐々に近づいていく。その間にも主砲から榴弾を撃ち尽くす勢いで発射し、さらには副砲からもなけなしの37mm砲用榴弾を撃ち始めて、敵戦車の前方に塵の幕をつくる。絶対に照準を合わさせるわけにはいかない。この距離では、合わされた瞬間に撃破が確定してしまう。今挑もうとしているのは、それほど強力な戦車だった。

 

 ヤークトパンター。大戦時最良といわれる駆逐戦車。文字通り、戦車を駆逐するための戦車。強力無比な71口径88mmの対戦車砲はこの広大な草原の大半を有効射程におさめ、初速1000m/sで放たれる砲弾は近づけば近づくほどその脅威を増大させる。そして傾斜のある80mmの正面装甲は、大洗の殆どの攻撃を寄せ付けない。

 

 この強敵に勝つ手段を、澤は必死に考えた。遮蔽物のない草原、足元は1m以上もあるススキがありM3の走行性能を十全に発揮できない――状況は全くの不利。だが、彼女たちにも有利な点はある。澤はそれを活かす作戦を練り、今あらためてその策を乗員に伝えた。

 

「みんな、いい? 相手は接近戦が苦手なはず。一気に近づいたらフェイントをかけて側面をとるよ。あや、最後の攪乱ととどめをお願い。紗希、装填早めね」

「うー、がんばる!」

「……(こくん)」

 

 副砲手と副砲装填手が緊張をあらわにして応えた。一対一で側面を狙い撃つには固定式の主砲では厳しく、砲塔のある37mm砲でなければならないだろう。貫通力はかなりぎりぎりで、できるだけ直角になったときに撃たないと弾かれてしまう。さらにいえば行進間にせざるを得ないので、タイミングはその分シビアとなる。難易度は高いが今のところそれしか手がない。勝てるか否かは彼女たちの双肩が担っているといっても過言ではなかった。

 

「いくよ!」

 

 M3は舞い上がる塵の中へと突入する。数瞬後にはぱっと視界が開け、広い草原の中で今にも砲口を向けようとするヤークトパンターの正面装甲が、はっきりと見えるようになった。澤たちは方位で言えば南南東、敵から見れば右側面を通過しようとする機動をとった。ぐんぐんと互いの距離が近くなり、副砲は常に相手に照準を合わせるように動く。

 

 当然、敵の砲身もM3の動きに追随するように振られるが、そこに弱点がある。大戦時の駆逐戦車は対戦車用の強大な火砲を積むために主砲を直接車体に取り付けていて、可動できる範囲には限りがある。彼の戦車の場合、左右は11度ずつ。それ以上横を狙うときは車体ごと旋回させなければならず、それだけ照準に遅れが生じるのだ。そして、その旋回をし始めたときが唯一無二のチャンスだと、澤は考えた。

 

 彼女は恐怖と緊張を抑え込んで、敵の動きを見つめ続けた。もう30mもないくらいまで一気に近づいたとき、ついに相手の車体が動き始めた。砲口が楕円に見えるようになったとき、彼女は叫ぶように指示を出した。

 

「今!」

 

 37mm砲が、敵の正面装甲に向けて火を噴いた。こちらから見て右側上部に着弾し、爆炎をあげる。榴弾――当然貫通判定なんて出せないが、それでも少しは怯ませたり、敵の上面にある主砲照準器から一瞬でも自車の姿を隠したりする効果はあった。同時に、リーが右90度へと急激に機動を変え、相手から見て今度は左側面へと、半径15mの円を描くように回り込もうとする。副砲は9時に急旋回し、装填手はすぐにAPC(被帽徹甲弾)を詰め込んだ。

 

 ここまでは、澤が思い描いたとおりに進んだ。一度でも右旋回を始めれば、どうしても逆方向に旋回するのは遅くなるだろう。今の砲撃で怯んだ時間も含めれば、リーの動きにはとても追いつかないはず。あとは左側面に向けて副砲が砲門を開けば、撃破できる。そう、彼女は思っていた。

 

「――!?」

 

 しかし、その光景を目にして息を呑んだ。敵の右の履帯が急速に前進し始めると、瞬く間にその車体が反時計回りに回転し、砲身が勢いよく振り回された。その速度は彼女が想像していたものを超え、副砲が敵の側面装甲を向いたのをあざ笑うようにして、側面のかわりに正面装甲を見せつける。彼女がこれを予期できなかったのも無理はないし、ここまで最善を尽くしたとも言えるが、それでも一つ見落としていたことがあった。

 

 単純な話。円を描くように旋回する動きと、円の中心でそれを追うように信地旋回する動きとでは、回転する速さにおいて概ね後者が有利といえる。M3が側背面をとろうとしても、ヤークトパンターはほんの少しの労力で、常に正面と主砲を向け続けることができる。要はその二つの性能さえ勝っていれば、大抵は労せずに勝てるのである。蛇足ながら、もし超信地旋回が可能な戦車が相手だった場合、一対一で側面をとるには相当の工夫が必要なのは言うまでもない。平地における戦車同士の一騎打ちとは、かように戦車性能が先ずものをいう。

 

 すべてがスローモーションに見えた。敵は今まさに信地旋回して、その砲身をこちらへと廻している。ハッチから身体を出している凛々しい顔つきの敵戦車長が、喉元のマイクに手をあてて何かを叫んでいる。M3の動きに追いついた砲口が、今にもそこから砲弾を吐き出しそうな砲口が、くっきりと見えるようになった。

 

(やられる!)

 

 澤はそう思い、身をこわばらせる。――けれども、その瞬間は来なかった。敵の駆逐戦車は突如左旋回を止め、右前方へと急発進した。お互いに南北へと正反対の方向を向き、次第に距離が離れる。その間の、敵が元いた場所に、東の方から砲弾が飛来した。

 

 目まぐるしく戦況が変わる中で、澤はその方向を目にし、はっとした。遠くに見えるⅣ号戦車が、国道へと走行するのを中断し、こちらの方に砲塔を向けていたのだ。彼女は思わず声を上げた。

 

「先輩……!」

 

 五十鈴先輩だ。五十鈴先輩が、長距離から援護射撃をしてくれたのだ。この精度の砲撃を撃てるのは、大洗では彼女をおいて他にいない。H型に改装された今のⅣ号戦車なら、この距離でも敵の駆逐戦車の側背面を撃ち抜ける。敵はそれを察知して回避したのだ。かわされたのは残念だが、M3はそのおかげで助かった。

 

 だが歓喜する暇はなかった。敵は実に機敏に動いていた。履帯の金属音が一際大きく響き、澤は慌ててそちらを向いた。後ろに見えるヤークトパンターはすでに東へ向くように旋回を終えていて、その砲身から火を噴いた。空気の揺れる衝撃、そして真っ直ぐに飛んでいく砲弾。彼女の背筋が凍った。射撃を終えたばかりのフラッグ車へ向けての狙撃、それも完全な直撃コース。ここで試合が終わるのかという考えがよぎった。

 

 1秒、2秒、……体感的には何倍も長く感じられた寸時の間に、形勢はまた著しく変わっていた。砲弾を追った澤の視線の先には、いつのまにかⅣ号の前に移動したポルシェティーガーの姿があった。大洗女子学園の自動車部が整備をして復活させ、さらには改良を加え、そして今日ついに試合に出場した重戦車。そのポルシェティーガーから、発砲焔があがる。1500mオーバーから飛来した砲弾は敵の駆逐戦車に襲いかかったが、まだ砲手が慣れていないせいか撃破にはいたらず、正面装甲の上を掠っていった。その時に生じた音に、彼女は気を取り戻した。

 

「180度転回!」

「あいあい!」

 

 澤が号令すると、M3リーは勢いよく方向転換した。履帯が外れないか心配になりそうな、しかし操縦手の技術によってそうならないように調整されたターンにより、短時間で敵戦車がいる北の方へと向く。――先輩たちが危険を冒しながら援護してくれている。ここで逃げるようでは申し訳がたたない。澤はそう思い、気合いを入れ直した。

 

「みんな、もう一回いくよ。相手は強くてもたった1輌、ここでやっつけよう!」

 

 その言葉とともに、M3中戦車は加速する。彼女たちは再び、ヤークトパンターへと立ち向かった。

 

 

 

 

 

 

(しまったな……)

 

 3時方向にいるリーがこちらに向き直そうとしているのを後目で見て、ファシストはそう思わざるを得なかった。相手の連携は見事というに尽きた。あのⅣ号を狙った射撃は正確だったが、彼女たちはそこまで読んでいたのだろう。すでに動き出していたポルシェティーガーが立ち塞がり、その正面装甲に弾かれてしまった。通常なら撃破されるのにそうなったということは、増加装甲をつけているタイプに違いない。

 

 砲塔近くに当たったせいか照準がずれてくれたからよかったものの、依然として状況は最悪である。敵の88mm砲は大洗の戦車の中では唯一ながら、この距離でもヤークトパンターの正面装甲に貫通判定を出せるのだ。そして今外れたからといって、次に外れない保証はない。さらに、仮にそちらがどうにかなったとしても、2方向から攻められる形――戦車を攻撃するうえで基本的な、理想的な攻撃態勢をとられてしまっている。やられるのはもはや時間の問題であった。

 

 しかしそうであっても、彼女は諦めなかった。彼女にも意地があった。熟練の域に達した戦車長としての意地と直感が、彼女を突き動かした。

 

「全速後進!」

 

 ヤークトパンターは急速に後ろ向きに発進した。こうした状況では速やかに危険な車輌から1輌ずつ対処していくのが定石だが、あえてそれを捨てた。遙か正面にいる敵の重戦車の車体前面を狙うことは出来たが、一瞬考えて捨て去った。そこも強化されていないとは限らないし――味方(整備バカ)という前例がいる――どのみち発射前にM3リーの主砲に車体側面下部を狙われるのが落ちである。ここはもう一つの鉄則である、常に動き回って照準をかわすというのを守った方がいい。

 

「後方左旋回!」

 

 後ろ向きに、大きく時計回りに旋回して、敵の照準を避けると同時に車体をM3がいる南の方へ向ける。敵の中戦車は砲口が向けられそうになると、北西へと急旋回した。その行動は正しいが、別に彼女たちを狙うつもりはない。そのまま北へ動く。ファシストは相手のとるだろう行動を、試合の駆け引きで磨かれた直感によって知らず知らずのうちに感じ取っていた。相手ならこう動くだろうという直感。そしてそれを誘うように自車を指揮し、その時がきた。

 

「――右急旋回!」

 

 今度は逆方向、反時計回りへ急激に車体を旋回させる。東の方へと向き直り、それとほぼ同時にすぐ左側から飛翔物の出す重低音が聞こえた。ファシストは正面へと目をこらす。今ので側面を狙い撃とうとしたのだろう、敵のフラッグ車がその前面装甲を晒していた。あの精度のいい狙撃手ならこれで撃破出来ると思っていたのか、ポルシェティーガーもその真横にいて、今度は盾にはならない。――そうだ、そうこなくては! 彼女は喉をならさんばかりに声をあげた。

 

「撃て!」

 

 ヤークトパンターは急停止した。直ちに敵フラッグ車へと照準があわされる。砲弾は放たれれば僅か2秒足らずでたどり着く。停止している状態では逃げようがない。その前にM3から砲撃しようにも、固定式の主砲では角度的に撃てるはずもなかった。砲手が勝ち誇ったかのように、引き金を引いた。

 

 その時だった。その時、右側面に衝撃が加えられた。それに伴って、砲身がわずかにずれる。ほんの少しの、けれど遠距離射撃には致命的なずれ。砲が吼える。射弾は瞬く間に飛んでいき、Ⅳ号戦車を掠った。ファシストは右後方へと視線を向けた。近づいているM3と、その砲塔にある37mm砲の砲口が見えた。撃った直後なのか、一筋の煙が漂っている。そして75mm砲を有する車体が、草原上でドリフトをするかのようにして、こちらの背面に回り込もうとしていた。

 

 あとは必然だった。指示を出そうにも、すべては手遅れだった。ヤークトパンターの背面装甲では、至近距離で放たれる相手の砲弾には耐えることはできない。やがて自車の車体背面へ向けて、相手の主砲が火を噴いたのを、彼女は静かに見届けた。

 

 

 

 

 

 

 目の前の戦車に白旗がぴょこんと上がっても、M3の中は静かだった。誰も声を出さず、ただエンジン音だけが響きわたる。だが、次第に実感が湧き始め、そのアナウンスが流れたときに一気に頂点へと達した。

 

『選抜隊ヤークトパンター、走行不能!』

「……やった、やったよ!」

 

 喜びの声が車内にあふれた。ずっと気を張りつめていた反動からか、誰もが安堵感に浸りながら、心中の満足を隠さなかった。

 

「もう、みんな。喜ぶのはまだ早いよ」

 

 そうたしなめる澤の声も、少しはずんだ調子だったのは否めない。まだ試合は続いているものの、確実に勝利に近づく成果である。それも一度はやられそうになるほど苦戦した末に掴み取ったものであり、彼女たちの喜びもひとしおだった。

 

「……あ、はい! ……こちらは無事ですぅ。……はーい、頑張りました~……はい、了解です~」

 

 本隊から連絡があったのか通信手がヘッドフォンを押さえると、独特な口調で応えた。

 

「優季ちゃん、どうしたの?」

「沙織先輩から、本隊は無事みたい~。あと、すぐに引き返して森の中に入ってって」

「了解。桂利奈ちゃん、最大戦速。急いでここから移動するよ」

「あいー!」

 

 M3は進路を北にとると、速度を上げ始めた。来た道を引き返すように草原に残る轍を進み、森へ目指す。ここで東に進んで合流しようとするのは完全に自殺行為にしかならない。一度潜んで遊撃部隊として活躍してもらおうというフラッグ車からの指示は、それ自体は何ら間違っていなかった。

 

 澤は周囲に目をこらして、敵影がいないか確認する。まだ心に嬉しさは残すものの、彼女は抜かりなく危険を察知しようと努力した。もし彼女に過失があったとしたら、搭乗車輌がその大きさから他の戦車よりも目立ちやすく、敵にとって格好の的を提供しているということを失念していたことくらいだろうか。といっても、それはもうどうしようもないことである。何にせよ、すでに彼女たちの命運は決まってしまっていた。

 

 最高速度を出してから6秒後、突如として右側面に叩き込まれた徹甲弾によりM3中戦車は走行不能と判定され、やがて動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

『M3リー撃破確認、っと。……よーし、目標まであと1輌!』

『おお、よーやったなー。えらいえらい』

 

 見渡す限りの草原を前にして、森を抜けてきたばかりの3輌の通信系には、そんな会話が流れていた。先頭で停止しているARLー44の前面には、発射に伴って生じた煙や塵が巻き上がっている。さすがに今度は外さなかった。彼女たちは日頃の訓練と同じようにして、超長距離の偏差射撃をきっちりと当てた。

 

『ファシストへ、大丈夫ですか?』

 

 ヘッドフォンをつけなおして指揮に復帰した隊長が、無線機に向かって言った。

 

『ああ、問題ない。大口を叩いてこのざまなのは恥ずかしい限りだが』

『ついてなかったかもしれないから仕方ないよ。それとも何か悪いことしてた?』

『お前と一緒にするな』

 

 呆れたような声。つづいて少し間があって、控えめに笑う声がした。

 

『……だが、楽しかったよ。隊長、すまないが後は頼む』

『はい、頼まれました』

 

 3輌は前進を再開した。一列縦隊で相手の跡に沿いながら、草原の中を進んでいく。

 

『それにしてもさ、大洗の人たちほんと強いよね。びっくりしちゃった』

『そうやなー。M3でヤクパン倒すとか、思いもせんかったわ』

『グデーリアンさんが自信たっぷりだったのは伊達ではありませんでしたね』

 

 隊長は相手のフラッグ車に乗っている装填手の顔を思い浮かべ、穏やかにほほえんだ。彼女が言っていたとおり、相手の指揮官はことごとくこちらの予想を上回ってきており、その結果、今でも4輌も維持したまま市街地へ向かっている。それだけ戦力があれば市街地戦では十分に勝算があるだろうし、その前に追いつくことはこの3輌だけではもうできないだろう。

 

『ですが』

 

 そんな状況になっても、彼女は楽しげにささやいた。まるで、獲物を前にした猫のように。

 

『これで袋の鼠です』

 

 

 

 

 

 

「みんな、無事だって。後はお願いします、って言ってたよ」

「そっか。良かった……」

 

 揺れる戦闘室の中で、みほは沙織の言葉を聞いて胸を撫で下ろした。

 

「ウサギチームの皆さん、よく頑張ってくれましたね」

「うん。これで凄く勝ちやすくなったかな……」

 

 優花里の感嘆する声に、どこか上の空になりながらも頷いた。本当に1年生のみんなは頑張ってくれた。ここで4対5になるのも覚悟していたが、その場合への不安はやはりあったのだ。これで勝算は飛躍的にあがったといってもいいだろう。

 

 ただ、どこか浮かない顔をする彼女の様子を見てか、優花里は首を傾げた。

 

「どうしたんですか? 西住殿」

「え?」

「先ほどから、少し悩んでいるように見えますが」

「あ、うん……落とし穴に落ちた人たち、大丈夫かなって……」

 

 みほは少し落ち込むようにして零した。仕方がなかったとはいえ、自分から相手を罠にかけるようにしたのは事実である。特殊カーボンに守られていても、落とし穴にかかったときに内部はめちゃくちゃになったかもしれない、怪我をしていないだろうか――そう敵に対しても心配するのは、彼女らしい優しさの表れだった。

 

 優花里はそれを聞くと、なーんだ、という顔をして、安心させるような声で、

 

「大丈夫ですよ。向こうの隊長さんも、凄く優しい人ですから。こうして試合が続いてるなら、何事もないはずです」

 

 きっぱりと彼女は言い切った。

 

「……優花里さんは、ずいぶんあちらの方々と親しくなられたのですね」

「まあ、一緒の戦車に乗ったことのある戦友ですから。……信頼できる人なのは間違いないです」

「相手と親しくなるのも善し悪しだな……」

「ねえねえ、他にどんな話したの?」

「えーとですね……。あ、そうでした。大洗は負けません、西住殿ならあなた方の予想を越えるに決まってます! って、はっきりと言ってきましたよ!」

「……優花里さん」

 

 みほは困ったように笑った。それは初耳だった。彼女のその表情は、信頼されていることへの照れか、そこまでほめられることへの恥ずかしさか、相手が準決勝まで戦ってきた学校とは違い全然油断してくれないことへの納得か。おそらく、それらすべてが合わさって顔にでたものだろう。

 

 華は優花里の言葉を聞いて、「まぁ」と面白そうにして手を合わせた。

 

「それはいい啖呵を切ってきましたね」

「えへへ。つい口に出ちゃいまして」

「そこまで言ったなら、なおさら負けるわけにはいかないな」

「当たり前だよ。もう半分まで来たようなものだもんね」

「……ふふ。じゃあ、残りもみんなで一緒に頑張ろう」

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 4輌はⅢ号突撃砲を先頭にし、ポルシェティーガー、Ⅳ号戦車、八九式中戦車の順で一列縦隊を組んで、国道469号線を西に進んでいた。時折急カーブが見られる山道で、片側1車線の道路の両脇は背の高い木々に囲まれている。

 

『市街地演習場まで、残り1キロです』

 

 沙織は各車に伝達した。そのすぐ後に、みほは落ち着いた、しかし決然とした声でこれからの作戦を伝え始めた。

 

『皆さん、聞いてください。相手はまだ4輌、まともに戦えば勝ち目はないでしょうが、そのすべてを倒す必要はありません。私たちが狙うのはただ1輌、フラッグ車のみです』

 

 今は4対4と数では互角だが、みほはもちろん性能差を熟知している。正攻法ではやはり勝てない。だが、彼女はここまでくれば勝算が十分にあると信じていた。

 

『敵のフラッグ車の動かし方には一つの癖があります。それを利用して市街地で分断し、集中的に攻撃します』

 

 それはもう確信に近かった。試合前に分析したとおり、またこれまでの試合経過を見ても、四式中戦車についてはその特徴が顕著だった。フラッグ戦では基本的な、むしろ長所ともいえる動き。しかし裏返せば、非常に読みやすい動きでもある。そして敵の戦力が手薄となった今なら、敵フラッグのその隙を狙うことができる。

 

『アヒルさんチームとレオポンさんチームは相手が分断した後、一斉に敵フラッグ車へ向かってください。私たちあんこうチームも、分断工作を終えたらすぐ向かいます』

『わっかりましたー!』

『任せてください!』

 

 ポルシェティーガーからはマイペースな、八九式中戦車からはきびきびとした声で応答があった。

 

『カバさんチームは敵の分断と足止めをお願いします』

『心得た!』

『捨てがまりなら任せとけ!』

 

 Ⅲ号突撃砲からは威勢のいい声が返ってくる。ただ、縁起でもないことを口走ったのはその砲手だろうか。みほはその言いように苦笑して、何気なく先頭をいくⅢ号がカーブを曲がるのを見つめていた。つづいて他の3輌も、すぐにその後を追う。

 

 衝撃音と爆発音、そして鼓膜をつんざく独特の砲声が入り交じった轟音が木々の葉を揺らしたのは、その時だった。

 

 3輌は慌ただしく停車した。Ⅲ突は既に白旗があがり、徐々に速度を落としている。その先の、50mほど離れたところの道路中央に陣取る1輌の戦車を見て、みほは自分たちが置かれている状況をすべて悟った。

 

 あれはブラフだった。相手は大洗が市街地へ向かうことを察していて、なおそう仕向けるために前にいるあの戦車を動かしたのだ。わざと見せつけるように旋回して北で待ち伏せすると思わせ、その実引き返して川を渡り、先回りして完全に退路を塞ぐために。大洗が敵の意表を突いたように、相手もこちらの裏をかくことは予想できただろう。常の彼女ならばもっと早くに分かっていたことだった。この場合は魔が差したとしか言いようがない。ただ、いずれにしても遅きに失してしまっていた。

 

 前方にいる戦車は、まさに壁となって行く手を阻んでいた。

 

 Ⅲ突を一撃で下した122mm砲の前には、白い砲煙が揺れていた。長大な戦車砲から発射される砲弾は、判定装置に記録される貫通力の数値もさることながら、なによりもその重量と炸薬の爆発による物理的な破壊力を持っている。仮に貫通判定が下りなかったとしても、決して無傷ではいられない。

 

 砲身を支える砲塔は半球状の先鋭的なデザインをしており、また車体前面は急角度の楔形装甲をしている。その厚さは最低110mm、見かけ上は200mm以上。道を塞ぐためか昼飯時の角度をとっており、彼の戦車の場合はその防御力を十全には発揮していない状態だが、それでも跳弾させやすい形状によってポルシェティーガーからの高速徹甲弾でさえ弾かれてしまうだろう。

 

 審判からのアナウンスが、無情に鳴り響いた。

 

『大洗女子学園Ⅲ号突撃砲、走行不能!』

「……スターリン!!」

 

 ソビエト連邦が開発した、かの独裁者の名を冠した「勝利の兵器」は、その砲塔を旋回させ、いまだ残っている大洗女子学園の戦車へと砲口を向けた。

 

 

 




\ジャーン/ \ジャーン/ \ジャーン/


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決勝 大洗女子学園戦(終①)

『一度後退してください!』

 

 擱座したⅢ突を残し、3輌は元来たカーブへと急いで後進した。今や先頭となったポルシェティーガーが後ろ向きに曲がるその最中、敵の砲声が彼女たちの耳を襲う。放たれた徹甲榴弾は道路を真っ直ぐに飛び、ぎりぎりでかわしたポルシェティーガーを掠って山の斜面へと着弾。重く鈍い衝撃と、それとほぼ同じくして爆発が起き、黒煙と砂塵がその周辺に舞い散った。

 

 みほはそのときの大音響を受けながら、右手に掛けているキューポラの縁を強く握りしめた。正面から挑むには敵が強大すぎることを、彼女はよく知っている。大洗の戦車では勝負を仕掛けること自体が無謀であることも。そして何よりも、それを覆すための有利な位置取りをとることがこの狭い山道の中ではできないことを、彼女は認めざるを得なかった。

 

 しかし、ここで引き返すことはできない。勝つためには何が何でもあの戦車を倒すしかない。それも、一刻の猶予も許さず速やかに。

 

『前進! 照準、敵車体装甲!』

 

 敵弾が発射されてから直ちに、後進を止めて前進する。相手の装填する時間内に撃破すべく、彼女たちは道を塞ぐJSー3と再び対峙した。ポルシェティーガーはカーブの外側から、Ⅳ号戦車と八九式中戦車はⅢ突の陰に車体を隠すようにしながら、それぞれの砲身を50m先の敵戦車へと向ける。狙うは傾斜が厳しいものの可能性はある、比較的装甲の薄い車体前面110mm。

 

『撃て!』

 

 轟音とともに、3輌は一斉に火を噴いた。八九式はともかく、ポルシェティーガーとⅣ号戦車から放たれた硬芯徹甲弾はまだ希望はあった。跳弾される可能性の方が高いとはいえ、敵戦車が楔型装甲の傾斜が緩む昼飯時の状態のままでいてくれれば、上手く当たれば貫通判定が出せる程の威力はある。みほはそれに賭けた。

 

 ただ、相手は勿論その弱点を知っている。知っているからこそ、あえてそうして攻撃を誘っていたのかもしれない。JSー3は、照準がつけられようとした時から動き出していた。右の履帯が少しだけ動き、大洗側の砲撃が来るまえには真正面に正対した状態がとられる。この場合の車体装甲は実質220mm以上の、まさに鉄壁となる。当然、3発の射弾は敢え無くすべて弾かれた。

 

 攻撃は失敗した――そうして次に来るのは無論、122mm砲による反撃である。敵の砲身はゆっくりと動き始めた。その狙う先はこちらから見て左側、Ⅲ号突撃砲のさらに先――Ⅳ号戦車砲塔。

 

『っ、後退!』

 

 彼女たちは再度後ろに下がり、敵の砲撃から隠れようとする。しかし今度は無傷とはいかなかった。敵の装填速度が、先ほどよりも早かったのだ。JSー3はⅣ号に逃げられると判断したのか、すぐさまポルシェティーガーへと砲口を向けなおし、焔をあげる。後進する重戦車も今度はかわしきれず、飛来する砲弾は砲塔前面基部に命中。装甲を穿つように炸裂した。

 

 その爆発、その衝撃を間近にして、みほの表情は蒼くなった。自動車部の人たちは無事だろうか――まず考えたのはそれだった。そして同時に、彼女の指揮官としての冷静な思考は、僚車の損傷具合に警鐘を鳴らし続けた。いくら200mmにまで強化したポルシェティーガーの砲塔前面装甲とはいえど、25kgもの射弾、それも脆弱部への命中弾が、何らの影響も及ぼさないはずはない。被撃破となる可能性も十分すぎるほどあり得る。みほは次第に後進速度が遅くなるその車体を、固唾を呑んで見つめた。

 

 やがて相手の射線から外れるカーブ手前で3輌は停まり、少ししてポルシェティーガーの中から車長のナカジマが出てきた。車体の上に立って、何か大声をあげながら直撃をうけたところを見ている。が、すぐに首を振ると、Ⅳ号の方に向き直って喉元のマイクに手をかけた。その表情は険しく、厳しいものだった。

 

『西住隊長、砲塔がやられました! 旋回装置破損、俯仰装置故障!』

『直せますか!?』

 

 みほは素早く返した。

 

『旋回装置は歪みが酷くて直せません! 手動での操作も不可です!』

 

 その報告に、みほは愕然となった。旋回操作ができない――それはすなわち、正確な射撃が事実上できないというのに等しい。撃破と判定されるよりは遙かにましとはいえ、この状況で大洗唯一の88mm砲が使えないというのは、あまりに痛手といえる。

 

『に、西住隊長。ここは引いたほうが――』

『ダメです! すでに挟み撃ちになっています、活路はここだけです!』

 

 彼女にしては珍しく語気を強め、その提案を一蹴する。もうそんなことができる段階ではないことを、彼女は身にしみていた。この国道469号線の東富士演習場から市街地訓練場までの区間は山間部の一本道となっており、また敵の本隊は間違いなくこちらに向けて急行している。もし今引き返したとしても、次はARL-44を先頭とした敵3輌と鉢合わせしてしまうだろう。貫通力200mmを優に越す90mm砲と120mmの傾斜装甲、さらに背後に2輌を控えたその本隊を前にしては、この狭い道路内での勝算は絶望的に希薄であった。

 

『でも、このままでは……』

 

 無線に乗った八九式からの磯辺の声は、自信なげにほそって消える。みほは味方を鼓舞するかのように、語を継いだ。

 

『何か、何か手があるはずです。ここで諦めるわけにはいかないんです。絶対に……』

 

 あるいはそれは、自らにいいきかせるようでもあった。彼女は周囲に目をやった。道路沿いは密集した木々と傾斜があり、迂回することなどできず、完全に機動戦を封殺されている。やはり正面から仕掛けるしかない――状況は限りなく悪いが、彼女はそれでもまだ望みを捨てようとせず、突破する方法を片っ端から模索していた。

 

 そしてその姿勢は無駄にはならなかった。みほの言葉に触発されたのか、大洗のメンバー全員が諦めようとはしなかった。彼女たちは気持ちを奮い立たせると、それぞれが打開策がないか検討し始める。

 

「敵の弱点は、他にないのでしょうか」

 

 Ⅳ号戦車の車内では、華が誰にともなく聞いた。

 

「……車体中央上部のペリスコープがあるところ、あそこは60mmです。でも、角度が75度の急傾斜になっていて、狙うにはショットトラップしかありません」

 

 優花里がそれに応えた。華は考え込むように目を閉じたが、やがて小さくかぶりを振る。砲身または砲盾に当てれば可能性は有るとはいえ、彼女の腕を持ってしてもそのショットトラップは狙ってできるものではない。最後の手段にはなるだろうが、華としては僅かでも勝算の高い方法をとりたかった。

 

「あとは……砲身の上、ほんの少し見える砲塔の天板が底面と同じく20mmのはずです。ただ、ここも80度の傾斜があって、正面からでは……」

 

 声は次第に小さくなる。いくら装甲が薄いとはいえ、急傾斜のうえに仰向け気味に撃つ必要がある天板を狙っても、角度が浅すぎて弾かれてしまうだろう。そして彼女の知る限り、正面を向いたスターリン戦車の弱点は他にない。優花里は急速に湧いた闘志が、すぐになくなってしまうように感じた。

 

 ただその言葉は、この状況を打開する最初の一押しとなった。

 

「天板20mm……」

 

 会話を聞いていたみほは小さく呟くと、突然車長席に戻り、静かに指示を出した。

 

「優花里さん、成形炸薬弾はまだありますか」

「はい!」

「華さん。次は敵の天板を狙ってください」

 

 少し間があった。成形炸薬弾は徹甲弾とは違い、砲弾内部の炸薬により超高速の液体金属を噴射する化学エネルギー弾である。信管が作動さえすれば目標に凄まじい高圧を叩きつけられるため、どんな距離でも貫通力は一定であり、またその性質上ある意味では角度に強いといえる。今の場合では、斜面効果によりただ弾かれるだけの徹甲弾よりも、装甲に侵徹する可能性が高いのは間違いない。

 

 しかしそれは、必ずしも相手に有効弾を与えられるということを意味するものではない。華は困惑気な表情になって、みほに聞き返した。

 

「狙えますが……その弾では、当たっても貫通出来ないのではありませんか?」

 

 彼女の疑問も尤もだった。20mmの天板といっても、80度の傾斜がかかっていれば見かけ上は115mmにも達する。対してⅣ号が撃てる成形炸薬弾は最大100mmの貫通力しか持たず、効果はないと言わざるを得ない。ちなみにポルシェティーガーがこの砲弾を積んでいないのも、攻撃力が低いのでわざわざ積む必要性がなかったからである。仮に続けて同じ所に命中できるなら話は違ってくるが、さすがにそんなことは相手が許してくれないだろう。

 

 みほは勿論、そのことを理解している。今のままでは撃破などできはしない。そう、今のままでは。彼女は華の疑問には応えず、ただ黙って頷くと、今度は車内通話を通して言った。

 

「麻子さん。Ⅳ号をⅢ突の上に乗せられますか」

 

 彼女はそこで言葉を切った。その言葉の意味、その驚愕がすみずみにまで行き渡るのを、静かに待つかのようだった。彼女の意図していることを、ここにいる全員がくみとることができた。

 

「そういうことか……」

 

 麻子は呟いた。天才の名をほしいままにする彼女にとっても、みほの案は突拍子もないものである。戦車の上に戦車を乗せるなど、一体誰が思いつくものであろうか。だが確かに、それが出来さえすれば、計算上は敵に貫通判定を出すことができる。麻子はなるべく平静な声で、素っ気なく言った。

 

「このままだと無理だ。いくら速度を上げたとしても、ただの衝突事故で終わるぞ」

 

 車内に一瞬、落胆の空気が漂う。しかし彼女は、高揚を抑えきれず、ほんの少し笑った。

 

「だが、障害物でもあって車体を上向かせられれば……可能性はゼロじゃない」

「それで十分です」

 

 みほは穏やかに微笑んだ。不幸中の幸いというか、ここなら障害物には事欠かないし、可能性が低いのは元よりのことだ。僅かにでも残っているのなら、賭ける価値は十分にある。――そうと決まれば、急いで他の車輌に指示を出さなければならない。みほは咽喉マイクに手をかけた。

 

『レオポンチームの皆さん――』

『おっと、みなまで言わせないよー』

『囮役ってことだねー。引き受けたよ』

 

 みほの声を遮るように、ポルシェティーガーからナカジマと操縦手の声が入る。その口調は、完全に作戦のすべてを理解している声だった。

 

『こちらアヒルさんチーム、障害物の設置は任せてください!』

『作業が終わり次第、Ⅲ突の前に停めてⅣ号を受け止めます。思いっきりアタックしてください!』

 

 八九式中戦車に乗っている磯辺とその操縦手も、つづけて言った。さらに間髪入れず、別の声が無線に入ってくる。

 

『カバさんチームだ、こっちの心配はしなくていいぞ!』

『我らの屍を越えて行け!』

 

 Ⅲ号突撃砲からだった。こちらもまた、Ⅳ号の車内の会話を聞いていたかのような口振りで、いかにも彼女たちらしい激励だった。みほは今から説明しようとしたことを先に言われ唖然としていたが、そこに沙織が声をかけてくる。

 

「今の話、無線機で流してたの」

「やるならさっさとやるぞ。時間がもったいない」

 

 麻子も車内通話を通して言った。彼女の言うとおり、方針が決まったなら一刻も早く始めなければならない。そのことを全員が理解してくれている。……みほは少しの間、言葉に詰まった。これほどまでに皆の気持ちが一つになれるとは、彼女自身考えていなかった。今の皆なら、きっとこの作戦を成功させることができる。

 

『それでは――行きます。パンツァー・フォー!』

 

 彼女は万感の思いを込めて、号令を発した。

 

 

 

 

 

 

 それから一分もかからないうちに、その戦闘はすべて終わった。

 

 昼飯時の角度を取り直して道を塞いでいたJS-3の前に、ポルシェティーガーは再び姿を現した。先ほどまでとは異なり、速度を落とすことなくⅢ突の横を通り過ぎて、勢いよくJS-3へと接近しようとする。それに対し、122mm砲は冷徹にその砲塔基部へと照準を合わせた。慌てて横にずれて回避しようとしたポルシェティーガーも、この片側1車線の山道のなかでは避けきることはできない。直撃弾を受けると今度は白旗をあげ、道路横に生い茂る木々の中へと突っ込んでいった。

 

 衝突音と木々の倒れる音が断続的に響く中、次に動いていたのは八九式中戦車だった。彼女たちは砲声があがる直前からⅢ突の右後方について、砲塔を道路脇にある高木の一本に向けた。ほとんど間断なく撃ち込まれた2発の砲弾は、その木の根本に命中し、舗装の上へと倒れさせる。その間に八九式は砲煙を漂わせながら急加速、左旋回し、Ⅲ突の前に車体を停めた。木が完全に倒れるのと、八九式が動きをとめたのは、ほぼ同時であった。

 

 準備はすべて調った――最後の仕上げと言わんばかりに騒音をあげたのは、Ⅳ号戦車である。おそらく少し下がってから走り出して速度をあげたのであろう、猛スピードでカーブを曲がりきると、Ⅳ号の履帯は倒れていた木に勢いよくぶつかった。車体は上向きになり、速度を保ったままⅢ突の後部に激突、辺りに金属音を響かせながらⅢ突を乗り越そうとして、八九式の車体に当たりそこで停止した。2輌に支えられるような不安定な状態ではあるが、Ⅳ号は戦車の上に乗ったのだ。そしてⅢ突の車体分の高さを得たⅣ号は休むことなく砲身の照準を合わし、間もなく衝撃に揺れた。

 

 成形炸薬弾は狙いを違わずに飛んでいった。その行く先はJS-3の砲塔、八九式に照準を合わすため真正面を向いた砲塔の天板へと的中する。彼女たちがここまでして得られたのは、2度の角度である。たったの2度――しかしその2度は、見かけ上115mmであった天板の厚さを96mmにまで減ずることができる。命中した砲弾による高圧をうけると、装甲は耐えきれずに貫徹。JS-3につけられた判定装置は貫通と認識し、審判に試合続行不能を宣言させた。

 

 JS-3は白旗をあげて停止した。その目の前には、Ⅳ号と八九式の姿があった。最初にこの地点に来たときには4輌あった大洗女子学園の戦車も、残りはもうその2輌しかない。だが彼女たちは切り抜けることができたのだ。試合はまだ、終わることなく続いていた。

 

 

 

 

 

 

『そう、ですか』

『ごめんなさい……。不甲斐ない結果に、終わってしまって』

 

 JSー3の窮屈な戦闘室の中で、共産主義は無線の声に力なく応えた。

 

『いえ、怪我がなくて何よりです。あとはお任せください』

『……うん、お願い』

『ええ。必ず』

 

 通信を終えると、車内は静かになった。あの耳を聾する発射音も、あれだけ騒がしかったエンジンの音も、今はもうなくなっている。だが、外の方からけたたましい騒音が響き、それと同時に車体が揺れ動くのを感じると、彼女はため息をついて車長ハッチへと向かった。

 

「終わっちゃいましたねー」

「うん……」

 

 すでにハッチから身体を出している砲手に応えながら、その前の隙間からひょこっと顔を出す。久方ぶりの外の開放感を味わう彼女の目の前には、つい今し方まで砲撃戦があった山道と、JS-3の砲塔にある取手に掛けられた牽引ケーブル、そしてそれを繋いでいるⅣ号戦車の姿があった。ちなみに八九式中戦車も、Ⅳ号の後ろで同じくケーブルによっておのおのを繋いでいるはずである。ここからだと、その車体がちょっとだけ見える。

 

 右側車線にいる相手の戦車が一際大きく排煙をあげて後退すると、それに伴い自車も右前方へと動く。相手は道を通せんぼしているスターリンをどかそうと牽引しているのであった。重装甲を持つにしては軽量な45tというJS-3の重さが、ここでは仇となった。マウス並とまではいかなくても、もう少し重ければ本隊の到着まで時間を稼ぐことができたかもしれない。

 

 やがて戦車1輌が通れるくらいの幅ができるまで移動されると、大洗の戦車はケーブルを取り外して前へ進み始める。そしてこちらとすれ違うとき、先頭のⅣ号の装填手ハッチからグデーリアンが身体を出して、「またいつか、一緒に試合しましょう!」といいながら手を振っていた。共産主義は小さく手を振ってそれを見送ると、ぽふっ、と砲手によりかかった。

 

「また、か……」

 

 彼女はこれまで、その機会はもう来ないだろうと思っていた。大会が終われば受験勉強が待っているし、今進学を考えている大学も戦車道をやっていないところばかりである。将来のことはまだわからないが、社会に出ればますます遠ざかるだろう。ここで最後という気持ちも秘かに抱いて、この決勝戦に挑んでいたのだ。

 

 だがこうして終わってみると、こんな所でやめたくないという気持ちが抑えられなくなっていた。この窮屈な、けれど乗員が一心となって動かす戦車から離れるというのが寂しく感じられ、まだ乗っていたいと無性に思った。チームにあまり貢献できないままやられてしまった悔しさが、もう一度という思いを渇望させた。なによりも、今見たばかりの相手の作戦が、何故だか一層それを強くした。

 

「また、戦いたい」

 

 その言葉は、音となってすぐに消える。それでも彼女の心の中には、いつまでもくすぶるようにして残っていた。

 

 

 

 

 

 

 山道を走る3輌の最後尾に位置する四式中戦車の中では、隊長が大きく息をついた。相手は2輌撃破され、残りの2輌は市街地へ向かっている。まだ有利である――有利ではあるが、こうなってしまったこと自体が問題なのだと、彼女は思った。

 

「人を必要以上に追い込むのは、賢明ではない。……高くつきましたね」

 

 ささやくように自然と口から出た声は、幸いにもエンジン音にかき消された。その教訓を再確認するのにスターリン戦車1輌という損失は大きすぎるといえよう。包囲網の中に追い込もうというのだから、やるとしてもヤークトパンターと一緒にして最低でも2輌編成にしなければならなかったのだ。でなければ心を挫くどころか、相手は死兵となって猛烈に反発してくる。こんな常識的なことを考慮できなかったとはあまりにも迂闊である。彼女はもう一度深くため息をついた。

 

 追い込むといえば、と彼女は不意に思った。相手は元より追い込まれているのだ。試合の始まる前から、面白くもないことに政治的な事情によって。隊長は今日の対戦相手に関する噂を知っていた。その話はちょっとした情報通には広く知られており、九割方間違いないだろうということだった。

 

 相手はここで負ければ廃校になる。文部科学省は学園艦の統廃合の方針を打ち出しており、まだ正式には公表されていないが、その予定のリストの中に大洗女子学園が含まれている。それで今年になって戦車道を復活させて、廃校を免れるために優勝を目指しているという。――本当だとすれば、相手は一体どれほどのものを背負っているのだろう。生徒だけでなく、学園艦に住む3万もの人達の命運が、彼女たちの双肩にかかっているのだ。その重さは、想像するに余りある。

 

 隊長も、相手に対する同情心は持っていた。それで手を緩めるようなことなど勿論しないが、心痛察する心は持っている。そして相手の立場になって考えることも出来た。もし彼女が大洗の立場にあったなら、それこそ必死になって戦うに違いない。全力で、可能な限り手段を問わずに。自分たちだけでなく後輩やその他の人達にも関わることだ、プレッシャーに潰されない限りはそうするのが当然であろう。

 

 今戦っているのは、つまりはそういった相手であった。どこまでも心を折らず、最後の最後まで勝利を諦めない死兵。加えて相手の指揮官は常に冷静で、こちらの読みなど平然と上回ってくる。まだ3対2とリードを守っているが、果たしてこのまま勝てるだろうか――

 

『……隊長ー? ねぇ、隊長ってば』

 

 止めどなく彼女は思考を巡らしていたが、呼びかけられていることにようやく気がつき、無線をとった。

 

『はい、すみません。何でしょうか』

『こない返事が遅れるなんて、どうかしたん?』

『大丈夫? ちょっと元気ないみたいだよ?』

『少し考え事をしてまして。それよりも、何かありましたか』

『えっとね。一応確認なんだけど。まさかここで、時間切れを狙いましょうなんて言わないよね』

 

 隊長はまたすこし考え込んだ。今日の試合では意図的に時間切れによる一騎打ちを避けようとしてきたが、もう手段は選んでいられないのではないか。怖いのは連携をとられて各個撃破されることであって、一対一で戦うのであれば勝てる自信はある。彼女はじっと目を閉じた。こんな答えは望んでいないかもしれないが、きっとわかってくれる。意を決すると、再び目を開けた。

 

『そのつもりはありませんでしたが……こうなった以上は、そちらの方が良いでしょうね』

『だめだめ。それはあかんで』

『もう。そんなだから隊長は隊長なんだって』

『……せめてわかるように言ってください』

 

 ぶーぶー、という追加の抗議の声を受けながらも、彼女はめげなかった。今の彼女にとって重要なのは、少しでも勝算の高い戦い方をとって、このチームを優勝に導くことである。穏やかな口調のまま、もう一度諭すように言った。

 

『確実に勝つならその方がベターです。ここまで来て万が一のことがあれば、それは――』

『なんや、もしかして自信ない?』

 

 ぴくっ、と眉が動く。平素あまり怒らない隊長に地雷となるような言葉があるとしたら、まさに今回のこれがその一つだったかもしれない。彼女は先ほどまで考えていたことをつい忘れて、一気に逆の方向へと感情を膨らませた。自信がない? たかがⅣ号と八九式を相手にして、この私たちが? ――他の誰かから指摘されると、実際に近いことを思っていたとしても癪にさわるものがあったのだろう。彼女は外には出さないまでも、その獰猛な本心を荒れ狂わせた。

 

 ただ、それでもなんとか、彼女は自分の想念を振り切った。今の彼女の立場はあくまでチームの隊長であり、フラッグ車の車長である。気持ちを落ち着かせるように深呼吸すると、再度無線に向かって言った。

 

『……市街戦の難しさはよく知っているでしょう。まして相手はまだ2輌、しかも先に入られています。はっきり言えば危険です』

『知ってるけどさ。でも、たとえ無謀だとしても、ここは行くべきなんじゃない?』

『2輌だけならどうにかなるわ。大体あんな戦い方を見せてくれるんなら、うちらも負けとられんのとちゃう?』

『そうそう。こんな気持ちで時間切れまで待つなんて、耐えられないからね』

 

 口々に言う二人の言葉の裏に、どうあってもこれは譲れないという強い意志を感じ取ると、隊長もとうとう諦めた。こうなると梃子でも動かないことは十分身にしみている。それに彼女自身、二人に感化されたのか怖れはもうなくなっていた。残ったのは自尊心にも似た、一種の誇りであった。

 

 負けられない。相手があの性能に見劣りする戦車であそこまで戦えるというのなら、なおさら負けるわけにはいかない。彼女は今度こそ決心が付いた。相手は死力を尽くしてくるだろうし、大洗の隊長は自分よりも格上なのだろうが、それがなんだ。こちらもここまで勝ち上がってきているのだ。簡単にはやられはしない。――彼女はそう気持ちを新たにする。そして、差し当たってしなければならないことに思い当たり、早速指示を出した。

 

『全車、停止してください』

『隊長!?』

 

 四式中戦車が速度を落として停まると、前の2輌も慌てて同じようにとまる。そのハッチからは物言いたげにこちらを見ている二人の顔が見えたが、彼女は意に介さずにつづけた。

 

『各自エンジンと足回りの点検を。ここまでの走行で整備が必要なはずです。万全の態勢でなければ勝てません』

 

 既に10キロ以上もの距離を走行した戦車に対する当然の指示だった。大戦時の戦車というのは頻繁に、時には頻繁すぎるほどに整備を必要とするものである。特に走行に関わる部分は、鉄の塊を動かすのだから故障が発生しやすく、未然に予防するためにも適時小休止を入れて点検しないといけない。これから強敵と戦おうというのだから、なおのこと必要な措置といえるだろう。

 

『……オッケー!』

『任しといて!』

 

 快活な返答があってからすぐに、各車の乗組員が外へ出始める。山麓を走る道路の真ん中で、転輪のナットなどを叩く点検ハンマーの音が、しばらく鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 日が傾き始め、空の青さが徐々に黄色みがかってくるように見える頃。3輌は国道469号線を走り終えると、それまでの山間の風景から一変する、住宅やテナント等が建ち並ぶ現代的な都市空間の中へと入った。富士山麓の緑の中に突然現れるこの場所は、東富士演習場の区域の一つ。戦車道の試合にも対応した、国内最大級の市街地演習場である。――おそらく時間的にも見て、この決勝戦の決着がつけられるであろう場所でもあった。

 

 国道から入ってすぐには住宅団地を模した地帯がある。鉄筋コンクリートで造られた長方体の集合住宅が幾つも並び、それぞれの間には一般的にある公園施設はないものの、十分な間隔がとられている。そこを抜けて停弾提を下りると、いよいよ碁盤目状に区画された市街地の中へと入っていく。建物にひびが入り、ところどころのガラスが割れている無人の市街地は、演習場にしてはあまりに広く、また都市部をそのまま再現したかのように複雑極まりない。

 

 3輌は今、その市街地を進んでいた。先頭にARL-44、次に四式中戦車、P40の順に一列縦隊となって、街の中心に近い幹線道路を通っている。ゆっくりと、而して慎重に。交差点に出くわすたびに一度停止して、辺りの状況を伺っていく。そして、彼女たちが進む道路沿いの建物の屋上には、そこを自在に飛び移る一人の少女の姿があった。

 

『こちら偵察班です。敵影見当たりません』

『了解です。各車、前進してください』

 

 高所から道路を偵察する少女の報告を受けて、隊長は交差点を通過するよう指示を出す。再び前を進む戦車の速度はやはり遅く、最大でも時速10kmほどである。最近の戦車運用の知見には、市街地は高速で機動するのが原則というものがあることを隊長は知っているが、今回はあえてそれを外している。戦術的な利をとるよりも、個人の能力を最大限に活かす方法を選んだのだ。お互いの数が少ない今の状況では、この方がより有効だろうと彼女は考えた。

 

 ただいずれにしても問題なのは、敵の居場所がまったくの不明ということである。どこかで待ち伏せしているのかもしれないし、あるいは突然襲撃が来たとしてもおかしくはない。そうしたことに警戒しながら、この広い市街地の中にいる敵を手探りで見つけようとするのは、余人が見る分よりも骨が折れる作業であった。

 

『わかってたけど、神経戦だね。これは』

 

 少し疲れたような声が、無線に乗った。

 

『うー。やっぱりちょっと、もどかしいかも』

『まあまあ。服部ちゃんおるから不意打ちはないで。でも、すぐに見つかると思うたんやけどなぁ』

『エンジンを切って潜んでるのかもしれませんね。近くには動いていませんから。焦らず、警戒をつづけてください』

 

 隊長はごく自然な口調でそう言った。彼女はハッチから顔を出して、ヘッドフォンの片側を押し上げている。先頭を走るレジスタンスは振り返ってその様子を見ると、真似してヘッドフォンを外してみたが、すぐに諦めて元に戻した。

 

『うん。こういうときはほんと頼もしいよね。私はそこまで分からないし』

『え? これくらい回転数下げてくれるなら分かりませんか?』

 

 建物を飛び回っているP40通信手から、不思議そうな声が入る。素の口調がでたのか、関西地方らしい発音の仕方が少し残っていた。

 

『……服部ちゃん。ふつうの人には分からないの。いい?』

『先輩、そうなんですか?』

『せやなー。正直、これでもちょいときついもんがあるわ』

『すみません、今は私語を控えてください』

 

 無線はまた静かになり、ほとんどが事務的な会話ばかりになる。隊長も今度ばかりは、通信規律を厳密にせざるを得なかった。もはやそんな余裕がない状態の現れであり、またどんな些細なことでも見逃しはしないという彼女なりの本気の現れでもある。3輌は遅々とした速度で、そのまま都市部の風景の中を進み続けた。

 

 それが起こったのは市街地も半ばに差し掛かったほどであろうか。中層ビルもいくつか見える、片側2車線の大きめな道路に入ってすぐのところで、3輌はその時停止していた。一度高い建物に上って広範囲を索敵してほしいという指示を受けたP40の通信手が、建物の中に入ろうとしたちょうどその時のことだった。

 

 彼女は不意にぴたっと動きを停め、建物に入るのをやめた。そしてまだ敵影もない道路の前方へと向き直る。伊賀流忍道の家元の娘として育てられた少女の感覚は、常人のものよりも鋭く研ぎ澄まされている。通信手は手に持っていた無線機を口に近づけた。

 

『こちら偵察班。前です、前』

『右前方、来ます』

 

 隊長は間髪入れずに言った。戦車長として恵まれた彼女の感覚にも、その兆候ははっきりととらえられていた。二人の報告を受けたARL-44は少し前に出て、僅かでも後ろの2輌を隠そうとする。砲塔は真っ直ぐを向いたまま。視界にはいかにも街中の幹線道路といった直線の道路が広がり、車などもないのでかなり遠くまで見通せる。何もいない――まだ何も見えない。しかしやがて、それはほとんど不意に現れた。

 

 300mほど先の一つ離れた交差点の右側から、1輌の戦車が姿を見せた。大胆にも側面を晒し、砲塔はこちらを向き、交差点にちょっとだけ入って直ぐに止まる。焦げ茶色の塗装に当時のドイツらしい角張った形状。車体後ろにあるフラッグは隠れているが、見間違うはずはなかった。

 

『Ⅳ号!』

 

 レジスタンスが叫ぶのと、2輌の間に砲弾が交錯するのは、ほぼ同時だった。恐るべきことに、先に着弾したのはⅣ号の徹甲弾だった。躍進射撃でのこの照準速度は恐るべきとしか言いようがない。飛来する弾丸はARL-44の正面装甲に当たり、ただ跳ね返る。次の瞬間に90mm砲は火を噴いたが、その着弾と、敵が即座に後退していたことが災いし、車体前部を掠っただけに終わってしまった。

 

 決定的なチャンスをものにできなかった彼女は思わず眉を寄せたが、すぐに気を取り直した。かくれんぼの時間はもう終わり、これからは狩りの時間。彼女ははやる気持ちを抑えて無線をとばした。

 

『すぐ逃げたね』

『何か、誘われとる気もするけど……』

 

 パスタは慎重な姿勢を崩さなかった。相手がわざわざ危険を冒して姿を現したからには、絶対に裏がある。ましてまだ八九式中戦車の居場所がわかっていないのだ。――ここまであからさまであれば彼女にも分かる。おそらく相手の狙いは四式中戦車、こちらの追撃に乗じてフラッグ車を狙い撃とうというのだろう。あいにくチトは紙装甲と揶揄されても仕方がないくらい装甲が薄く、側背面は八九式でも脅威となりえる。

 

 果たして彼女の懸念は当たっていた。大洗はまさにその狙いを持って、八九式を潜ませていた。先の砲撃音に紛れてエンジンを吹かし、今はもう臨戦態勢に入っている。隙を見せればすぐさま襲いかかってくるに違いない。そうした動きを察知していたのは、やはりこの二人であった。

 

『隊長、今』

『ええ、分かっています。……意外と近かったですね』

 

 P40の通信手の声に、隊長は微笑をたたえて頷いた。そして、

 

『二人とも、行ってください。私たちは八九式を片付けます』

 

 迷いなく命令を発した。

 

『……うん、任したわ』

『気を付けてね』

『そちらも。……御武運を』

 

 偵察班が戻るのを待って、P40とARL-44はⅣ号の後を追い始めた。やがてその大きめの通りの上には、1輌のみが残ることになる。四式中戦車は隠れることもなく、護衛のないただ1輌となってそこに留まった。

 

 

 

 

 

 

 必勝を期す大洗女子学園が、その隙を見逃すはずがなかった。選抜隊の動きは彼女たちに全て見られていた。通り沿いにあるビルの一つに潜んで道路を見ていた優花里は、2輌が動き出すと同時に勢い込んで無線機をつかんだ。

 

『釣れました! アヒルさんチーム、今です!』

『わかりました!』

 

 報告を受けた磯辺はすぐさま八九式中戦車を発進させる。彼女たちが潜んでいたのは住宅街のうちの一軒、大きめの自動車が入れるガレージの中。そこから抜け出すと、1輌くらいしか通れそうにない狭い路地を進み、目標のいる大通りの方へと急いだ。目指すべきはただ一つ、フラッグ車である四式中戦車。

 

 大洗は最初からこれを狙っていた。僅か2輌しかない今の戦力では、厳戒態勢にある敵に勝負を挑んでも勝ち目はない。どうしても分断して各個撃破する必要がある。そして、彼女たちは知っていた。敵のフラッグ車は表立って攻撃に移ることは殆どしない。撃破されれば負けになるというルール上当然の動きではあるが、後がない大洗女子にとってそれは、またとないチャンスをもたらしてくれるように見えた。

 

 大通りに続く路地へ入ると、短砲身の57mm砲は9時方向に回される。砲弾は既に装填されており、弾種は成形炸薬弾。55mmの貫通力は心もとなく感じるが、四式が相手なら側面は確実に、背面でも直角に当たれば貫通判定を出せる。加えてこの八九式中戦車の乗組員は精鋭揃い、命中精度は群を抜いていた。敵の背面を狙うように大通りへ向かう彼女たちなら、本来であれば間違いなく、勝負を決する活躍をすることが出来ただろう。

 

 ただ、あえて言うなれば――惜しむらくは、今回は戦う相手が悪かった。

 

『アヒルさんチーム、待ってください! 今敵が動きました、そちらに正面を向こうとしています!』

 

 優花里の焦った声を聞いたのは、八九式がちょうど路地内の最後の交差点を抜け、もうブロック塀に囲まれた直線道路を進むだけとなっていたときだった。磯辺は訝しんだ。向こうもエンジンは止めていないはずなのに、何故気付かれたのか――だがそれを考える暇はなかった。彼女はこの時、決断をせまられてもいた。一度引くか、このまま勝負を挑むのか。

 

 気付かれた以上、既に奇襲は失敗したと見なさなくてはならず、次の機会を伺うのが常道ではある。しかし彼女には、その選択を躊躇する理由があった。敵の四式がこちらに気付いたタイミングは図らずも絶妙な頃合いで、もはや後戻りできないところまで八九式が来ていた時であった。仮に引くとして八九式が隠れようとすると、その際には一度停まってから後進して交差点へと戻らねばならず、それだけでも時間がかかる。そして磯辺の類まれなる直感は、そうなったときの勝算を瞬時に弾いていた。殆ど間違いなく、敵の四式は直ちにこちらへと移動してきて、後進中の八九式を狙い撃つだろう。逃げ切るまでの時間的猶予は、おそらくない。彼女は意を決した。

 

「全速! アタック!!」

「はい!!」

 

 八九式は速度を落とすどころか、ますますスピードをあげた。本来装備されている6気筒ガソリンエンジンでは時速25kmくらいしか出せないはずだが、傍目には明らかにその速度を越え、なおも加速している。尤も、より高性能の代物に換装していれば有り得ないことではない。ともかく12tほどの車体には不釣り合いの馬力をもって住宅街を駆け抜けると、八九式は一気に大通りへと躍り出た。

 

 その瞬間、磯辺は敵のフラッグ車の姿を確かに見た。50mほど先にある淡い緑色に塗られた車体、ハッチから顔を出している車長の姿、それまでの日本戦車に比べて長砲身の主砲、そしてその砲口――車内は直ちに反動に揺れた。微塵も走行速度を落とさずに発射された射弾は敵の角張った車体に当たり、火焔を上げる。正面70mmへ命中しても残念ながら効果はないが、高速の行進間での命中弾は彼女たちの腕前の高さを証明している――しかし、報いはあった。

 

 ほぼ同時に放たれた敵の砲弾は、八九式を捉えていた。その車体側面のど真ん中を照準して撃たれた徹甲弾は、八九式の急加速により大分狙いが逸れたものの、履帯を巻き込みながら後部尾体へと命中。試合続行不能にはならなかったが左の履帯が完全に切れてしまい、八九式は道路の中央で車体を旋回させるはめになった。

 

 勢いよく、強制的に信地旋回するその戦車の車内で、彼女たちは悲鳴をあげる。操縦手が無我夢中でブレーキを踏むも、それまでの加速がたたり、結局一回り回転してようやく停まった。キューポラから外を覗いていた磯辺も、さすがにその衝撃を受けては立ち続けることなどできず、それまで踏み台にしていた弾薬箱の上に尻餅をつく。だが、不屈の闘志を持つ彼女はこの程度では諦めない。すぐに立ち直ると、壁に掛けていた砲弾を無造作に掴み取り、左側にある砲尾の尾栓を開けた。

 

「……履帯狙えーッ!!」

 

 磯辺は叫びながら、左拳で榴弾を叩き込んだ。元はバレー部である彼女には、チーム戦における今の役割を誰よりもわかっていた。もう寸分の望みもなくやられるのは確実である。でも、まだⅣ号がいる――彼女たちが信頼してやまない、西住隊長の乗るⅣ号戦車が。ならばこんなところで諦めるわけにはいかない。最後にほんの少しでも、時間を稼いでみせる――それは今の磯辺たちが出来る唯一のことであり、また希望でもあった。

 

 装填が完了すると、砲手は一瞬躊躇したが、即座に肩当ての機構で照準を合わし、引き金を引いた。発射の衝撃と、それを上回る敵弾からの衝撃は、間もなく同時に訪れた。

 

 

 

 

 

 

 轟音の余韻が残る中、八九式に白旗が上がる。道路に履帯を広げ、その先に転輪を数個散らし、傾いたまま停止したその車体からは、猛々しいエンジン音はもう聞こえない。周囲には静寂が立ち込める――けれどもそれは、長くは続かなかった。

 

 キャタピラの軋む音と、まだ生きているエンジン音が近づいてくると、磯辺はハッチを開けて顔を出した。周囲の状況を確認し、彼女は言葉をなくす。目の前にまで来た四式中戦車は正面に一つの弾痕を残すものの、他に目立った損傷はない。履帯も、当然のように連結されている。だが彼女を愕然とさせた原因は、それだけではなかった。信じ難いことに、八九式の砲身の根本から煙があがっていたのだ。

 

 今なお濛々と上り続ける黒煙は、ちょうど砲身横にある照準器の近くから出ていた。いかに優れた砲手といえど、これでは照準のつけようがない。何でこんなものが、と磯辺は呆然としていたが、理由はすぐにわかった。間近になった四式のハッチには同じように敵の隊長が身体を出していて、柔和な顔のまま、穏やかに口を開いた。

 

「盲射でこの精度。本当にあなた方は侮れませんね」

 

 その心からの賛辞を、しかし磯辺は受け入れることが出来なかった。彼女の視線は、彼女の心は、相手の手元に釘付けとなっていた。話しながらも敵の隊長は手を動かしていて、左手には半ばで折れた拳銃を持ち、右手は円筒状のものを銃身へと入れている。そうして装填が終わったのか、折れていた状態から戻されたそれを見たとき、彼女はすべて悟った。

 

「し、信号銃……」

 

 あの時だ。あの旋回が終わった直後に、信号弾が放たれていたのだ。思えば対峙した瞬間から、目の前の相手はこちらを窺っていた。八九式がまだ生きていると判断したその瞬間に、発砲したに違いない――磯辺はそれを理解した途端、憤りが湧いてくるのを感じた。やがて、彼女らしからぬことではあったが、その激情を叩きつけるように相手に向かって叫んだ。

 

「今日は、正々堂々とするって話じゃなかったんですか!」

 

 そう思うのは無理もないことではあった。信号銃を目くらましとして利用するなど、常軌を逸している。そんな手を、小細工はしないと公言している相手が使ってくるとは、普通は思いも寄らない。またそうでなくても、あと少しで勝てるというところで、せめてもの反撃すら叶わなかったのだ。八つ当たり気味であっても、そう言いたくなるのは至極当然のことだろう。

 

 ただその言葉は、何の効果もなかった。相手の隊長はきょとんとするだけだった。そして不思議そうに――心底不思議そうに、首を傾げた。

 

「ええ。ですので、今回は正々堂々と受けて立たせていただきました。……ルール上は、問題ありませんよ?」

 

 磯辺は絶句した。敵のフラッグ車はそんな彼女の様子を気にかけず、団地方面へ向けて去っていく。八九式中戦車はただ1輌だけとなり、白旗をあげたまま大通りに取り残された。

 

 

 

 

 

 

「みぽりん、アヒルさんチームがやられたよ!」

 

 飛んできた砲弾をすんでのところで躱したⅣ号のキューポラで、みほはその報告を聞いて顔を顰めた。もう大洗側はこのⅣ号戦車を残すのみ、対して敵はまだ3輌もいる。状況はいよいよ厳しく、敗退の二文字がいよいよ頭の中に浮かんでくるようだった。

 

「――そこを左折!」

 

 路地から路地に入った直後に、90mm砲が吼える轟音と、ヒュンっという徹甲弾の飛翔音、そしてその着弾により住宅が破壊されるときの衝撃が、すぐ近くから同時に伝わってくる。相手との距離はすでに間近で、気を抜くことは許されない。どうやってこちらの動きを把握しているのか、追っ手の2輌は正確に、最短距離をもってⅣ号を追撃していた。こうなれば急いで敵のフラッグ車へと向かいたいところだが、この状況ではままならない。

 

 それでもなお、みほの目には力がこもっていた。彼女は流れゆく風景をみつめた。両脇に一戸建ての住宅が立ち並んでいて、道路は1輌が通れるほどの幅しかなく、敵の射線からは容易に逃れられるが、これではこちらも攻撃できない。危険でも、もっと広い場所に出る必要がある。彼女はまだ勝つつもりでいた。絶え間なく操縦操作を続けている麻子も、いつ砲撃してもいいように集中力を切らしていない華も、戦闘室に上がってきて装填手席についた沙織も、勿論今は偵察に出てここにはいない優花里も、誰一人として諦めようとはしなかった。

 

「次の通りで勝負を仕掛けます!」

 

 みほは号令を発する。彼女たちは一縷の望みを賭けて、反撃を志した。

 

 

 

 

 

 

 逃げるⅣ号を追う2輌は、5mほどの距離で連なって住宅街を走っていた。路地を曲がるたびに敵フラッグの姿を見つけては、前を走るARLー44から轟音が鳴り響く。

 

 せっかく2輌いるのだから分かれて追った方がいいのではという考え方もあろうが、二つの理由からそれは出来なかった。まず一つに同士討ちの危険がある。このような市街地では分かれるとすぐに互いの位置がわかりにくくなり、下手をすれば誤射してしまうだろう。そしてもう一つは、Ⅳ号の行く先の見当がまったくつかめないことである。二手に分かれた方が効率がいいとしても、どこに先回りすればいいのかわからなければ、空振りになってしまうこともありえる。今のⅣ号戦車の動きはそれほど、ただ闇雲に逃げ回っているだけにしか見えなかった。

 

『ほんと、どこに行くつもりなんだろ』

 

 レジスタンスが疑問の声をあげた。

 

『隊長のところに向かうどころか、どんどん離れてくし。また罠でも仕掛けてあるのかなぁ?』

『どうやろか』

 

 パスタは判じかねた。

 

『でも、確かにどこかで反撃に移るはずや。気ぃ抜いたらあかんな』

 

 そう言い終わるのとほぼ同じくして、また前方から砲声が轟く。が、これも成果は上がらず、住宅に弾丸が叩き込まれただけに終わる。もう彼我の距離は100mも離れていないが、そこから差を詰めることができないでいた。最初はこちらを撒こうとして複雑な進路をとっていたものの、それでは近道をとられると気付いたのか、今は射線が通りそうになったときに限り曲がるようになっていた。操縦手の技量と戦車の走行性能はほぼ互角のようで、付かず離れずの距離が保たれている。

 

 尤もその状況も、次の曲がり角へ来たときに変わることになった。その路地に入ったとき、咆声は響かなかった。走り続ける戦車の砲身が向く先には、大きめの通りへと繋がる1本道と、その交差点付近に漂う白い煙があった。Ⅳ号の姿は、当然見えない。無線にはやや呆れ混じりの声が流れた。

 

『まーた煙幕だね』

『無駄やっちゅうのになー。……服部ちゃん?』

『ちょっと停まってください。こちら偵察班』

 

 P40通信手の声を受けて、2輌は速度を落として静止する。二人は少し意外そうな顔はしたが、特に口を挟むことはしなかった。

 

 パスタの隣、長方形の天蓋から並んで身体を出している通信手はヘッドフォンを外したまま、じっとした。本来なら車体右の席にいるはずの彼女だが、今は砲手と一時的に交代している。少しして、前方の煙を見据えたまま、彼女は確信を持って言った。

 

『まだそこの交差点、右にいます。待ち伏せです』

『ふむふむ、そうきたか。榴弾装填』

『2発撃ってくれへん? その間にうちら回り込むし』

『いいよー。よろしくね』

 

 P40は後退して曲がり角まで戻り、そこで元来た道へと向き直って引き返す。広範な索敵範囲を持つこの通信手を相手にしては、大抵の奇襲はそもそもが成立せず、逆に利用される。重戦車は十字路へ差し掛かると今度はそこを左に曲がり、通りへ続く舗道に入った。ここを走り抜けると、敵フラッグ車の背後をとることができる。

 

 速度を上げはじめると、折よく遠雷のような砲声と炸裂音が離れたところから響きわたった。ARL-44から放たれる榴弾は先の交差点へと着弾し、白煙を散らして射界を確保するだろう。また同時に、発射と爆発の衝撃はP40のエンジン音をかき消し、より安全に、確実に背後を狙うことに貢献する。そしてⅣ号が逃げようにも、前後の交差点を抑えられた状態ではそれも出来ない。車長の二人が勝利を確信したのも無理はなかった。

 

 誤算だったのは、敵が予想外に早く対応していたことがまず一つ。Ⅳ号戦車は最初の着弾から動き始め、煙幕をまき散らしながら後進をしていたのだった。本来なら通信手がその動きを察知するのだが、あいにく発射音が轟く中ではそれも難しい。結果としてP40と敵フラッグ車は交差点でいきなり出会うことになった。

 

 次に二つ目として、パスタが砲手の役目を代理したことが挙げられる。無論彼女とて、いざとなれば兼任することもあるから、腕前としては問題ないものを持っている。だがやはり専門外であることは否めず、いつもの砲手に比べれば偏差射撃の技量がいささか劣っていた。90mm砲は交差点中央を横切るⅣ号戦車へと照準を合わしたが、その未来修正に時間を要し、結局かなりの角度がついて砲塔側面を狙うように撃ち込まれた。

 

 ここまでならまだ撃破できていただろうが、真に最もたる誤算は他にあった。敵の技量が、あまりにも高かったのだ。Ⅳ号は後進しながらも、咄嗟にP40を向くように旋回した。その瞬時の判断、あるいはそうなるだろうという読みに基づくものか、どちらにせよそれは絶妙と言うに尽きた。放たれた徹甲榴弾は先に着弾するが、射角が浅くなってただ弾かれる。ここで選抜隊側の作戦は完全に瓦解した。

 

 それでも彼女たちはまだ幸運だったといえよう。煙幕に隠れる前に発射された敵の砲弾は、こちらの砲撃の影響か狙いがぶれていた。1時の方向から斜めに飛来する射弾は車体左前部のフェンダーを貫通し、履帯越しに上部転輪に的中。それを車体から弾き飛ばす。――P40がこの試合で受けた、最初で最後の被害であった。Ⅳ号戦車はそのまま道路を蛇行しながら後進し、煙の中に消えていった。

 

「……しくったか」

 

 パスタは悔しげに顔を歪め、ため息をついた。操縦手上がりの彼女には相手の腕前の高さがよく分かる。完敗やな、と彼女は心の中でつぶやいた。

 

 だが、まだやられたわけではない。気を取り直すと、すぐに無線で状況を報告した。

 

『ごめん、取り逃がした! うちはしばらく走れへん!』

『怪我はありませんか!?』

 

 隊長の声が即座に問い返した。

 

『そっちは問題ないけど、上部転輪が一個飛んだ! 今から修理に入るわ!』

 

 そう報告すると少し間があった。そしていつもの、というにはやや淡泊な口調で、指示を出す声が流れた。

 

『レジスタンスへ、P40の修理を手伝ってください。こちらはその間の時間を稼ぎます』

『了解!』

 

 操縦手を一人だけ残すと、パスタは他の乗組員を連れて下車し、左側面へと回った。そこで彼女たちは嫌なものをみた顔になって、一様にうめく。交差点にARL-44を停め、工具を持ったレジスタンスを含む五名が駆けつけて来たのは、三人が思案に暮れていたときだった。

 

「大丈夫!?」

「大丈夫やなかったわ。見てこれ」

 

 パスタはレジスタンスにそれを指し示した。外れた上部転輪は四つあるうちの最も前、起動輪の横にあるものだった。予備のものを付けるには、一度短めだが装着されているサイドスカートを取らないといけないだろう。それは別にいいのだが、問題はもう一つあった。一緒に履帯も切れていて、起動輪と転輪の間に垂れ下がっていたのだ。

 

 鉄で作られている履帯は当然重い。これを連結し直さないといけないが、今のままでは前の起動輪へとかけ直すことは難しく、さりとて広げて直すのも時間がかかる。パスタたちがどの手順で手をつけていいか悩んでいたのも、ある種仕方がない一面はあった。

 

「これは……珍しいところに当たったね。色んな意味で運がいいかも」

「撃たれた時点で悪すぎやろ」

「あは、確かにね。でも起動輪がやられなくて良かったよ。破損したら試合中じゃ直せないし」

「そうやなぁ……」

 

 目の前の大きな起動輪を眺めながら、パスタは同意した。転輪や履帯は予備のものを車体に積んでいる。が、さすがにこの起動輪の本体と歯車のスペアは持ってきていない。大きさと重さもさることだし、そもそもこれが壊れた場合は直す暇もなく撃破されていることが大半なので、そこは割り切っていたのである。今回は直撃しなかったが、そのほとんど真横に飛んできたことになるので、そういう意味でも運がよかったと言えた。

 

 レジスタンスは興味深そうに被害状況を確認していたが、すぐに段取りをつけたようで、

 

「面倒でも一度広げた方がいいかな。このままだと直すのにも狭いし、分担すれば早く終わるよ」

「手伝わせてしもうてごめん。恩に着ます」

「いーのいーの。お互い様だって」

 

 P40は履帯が外れないように注意しながらほんの僅かに信地旋回すると、慎重に前進して、左の起動輪に巻かれた履帯を地面に下ろした。そして切れた前端まで取り外し終えると、今度はゆっくりと後進。舗道の端から端までを斜めに渡るようにして履帯を広げて、最後に再び少しだけ前進する。これで作業の準備が整った。

 

 成り行きで陣頭指揮をとるレジスタンスは破損した履板の交換を前後二人ずつ、サイドスカートの取り外しを四人と割り当て、早速作業を開始した。その後は予備転輪をつけ、ワイヤーと起動輪を使って履帯を巻き上げるとともに、連結して張りを調整すれば復帰となる。正味10分もかからない、と彼女は言った。

 

 パスタはレジスタンスと一緒になって、後端のひしゃげた履板の取り外しにかかった。破損部から二枚目の三枚目の間、連結ピンの孔にハンマーを当てて、そこをレジスタンスが金槌で叩く。1回、2回と叩いて反対側の抜け止めを外すと、今度はその露出した連結ピンにハンマーを当てる。

 

「時間を稼ぐ、って言ってたけどさ」

 

 不意に、レジスタンスが口を開いた。金槌は休まず動かされ、何回か叩いた後にもう一つの抜け止めが外される。

 

「言うてたけど?」

「今向こうって一対一なんだよね。本当に稼ぐつもりあるのかな」

 

 カランッ、と連結ピンが外れて、路上に転がる。それを拾って破損した履板をどかすと、代わりに新しい履板を置く。二人は同時に、声をひそめて笑った。

 

「やられたねー」

「ほんまに」

 

 連結ピンを入れて、抜け止めを打ち始める。彼女たちの決勝戦はまだ終わっていない。早く追いついて一緒に相手を倒そうと、二人は修理を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 いまだ市街地の中に留まっている四式中戦車の車内で、隊長は車長席に座り、考えことをするように目をつぶっていた。

 

 この時点ですべきことなど、彼女は当然わかっている。今考えていることが、図らずも隊長という任に就いた者として、言語道断の案であることも。――けれども、逸る心はどうにも抑えられそうになかった。"強大な敵が接近したときにどう対処するか"、この問いにヴィットマンはなんと答えたか。――隊長は目を開けて戦闘室の左を向き、定位置に立っている装填手と砲手に話しかけた。

 

「無粋なこと聞くけど。ここで逃げようって言ったらどうする?」

 

 問われた二人はお互いの顔を見合っていたが、間もなく顔を緩め、同時に隊長へと向き直った。

 

「インターコムの調子悪いので、そんな命令聞こえませーん」

「こっちもでーす」

 

 両手でヘッドフォンを押さえながら、冗談口を叩くように二人は言った。

 

「私のもダメね。違うところに行っても命令違反じゃないから」

「あらあら。これは仕方ありませんね」

 

 操縦手と通信手も、同調するように車内通話でつづけた。機械の不調により聞こえなかったとは、故意に命令に背く際の常套句である。ただ、彼女は咎める気にもならなかった。もう心は決まっていた。

 

 先の問いに、ヴィットマンはこう答えたという。"全速で突進し、これを叩く"と。隊長は、――佳枝は、微笑みを浮かべた。そしてあどけなささえ感じられるような笑顔となって、号令を下した。

 

「戦車前進。決着は私たちの手でつけるよ」

 

 

 

 

 

 

「優花里さん、乗ってください!」

「はい!」

 

 速度を落としたⅣ号の車体上面に、優花里は飛び移る。そうして装填手ハッチから車内に戻った彼女に、みほはいきなり聞いた。

 

「四式はどちらに向かいました?」

「団地方面へ向かってました。今どこにいるかは、わかりませんが……」

「まずはそこを目指すか」

「はい、お願いします」

 

 Ⅳ号は再び速度を上げ、住宅街の中に入った。麻子は視界が制限されているにもかかわらず、団地へと最短ルートをとって、この狭い道中を迷うことなく進ませる。地形を熟知し、また戦闘時においても自ら最良の動作を選定できる彼女は、まさに理想的な操縦手と呼ぶにふさわしい。

 

 みほは麻子の腕に全幅の信頼を寄せ、全神経を周囲へと集中させる。まだARLー44は生きており、もし追撃を諦めていなかった場合は、どこかで対峙することになるだろう。尤も、みほはその心配がないことを知っている。唯一問題なのは、敵のフラッグ車の居場所を速やかに突き止めなければならないということであり、彼女は些細な痕跡でも見つけだそうと努力した。

 

「四式はどこかに隠れているか、もう逃げ出してる。早く追いつかないと――」

 

 僅かに焦りを滲ませて、みほは呟いた。用心深い敵の隊長の考えることなど、手に取るように分かっている。仕留めきれなかったP40の修理を待ってから、再度攻撃を仕掛けようというに違いない。ARL-44はその間の護衛をしているだろうし、四式は時間を稼ごうとするはず。大洗が勝つには、そうなる前に探し出して倒すしかない。みほはそう確信を持っていた。

 

 だからこそそれは、殆ど不意打ちとなった。突然、みほは酷い胸騒ぎに襲われた。周囲を見返し、それでも不安は消えず、車内通話で次の指示を出す。

 

「……麻子さん、少し速度を抑えて」

 

 麻子は何も言わずに従い、スピードを落とした。結果として低速で走った時間は10秒にも満たなかっただろうが、十分こと足りた。あるいは長すぎたのかもしれない。

 

 みほはヘッドフォンをずらし、周囲の音に耳を澄ませる。まず聞こえるのはⅣ号のエンジン音。戦車道で使われるエンジンは当時のものより静穏性に考慮されているが、やはり低速時でも80dBは出る。地下鉄の車内と同レベルの騒音は、敵の戦車が出す音をある程度隠してしまうだろう。この状態で他の音が聞こえるとしたら、それは余程近くからと見ていい。――そうしてみほはその音を捉えた。5時方向に微かに混じるその音を聞いたとき、みほの心臓はドクンと鳴った。

 

 いる。

 

 敵は近くにいる、今まさにこちらを狙っている――みほは後ろを振り返った。道は真っ直ぐで、非常に見通しが良い。右は住宅が建っている。偶に路地があり、今し方三叉路を通過したばかりである。そして左は、ずうっとブロック塀が立ち並んでいた。演習場内のためか、高さは3mもある。その向こう側は、空き地――状況は、既に切迫していた。

 

「西住殿? なにか――」

「そこを右折! 急いでください!」

 

 Ⅳ号は直ちに急加速し、間近の交差点へと急ぐ。その後ろでは、突如猛々しいエンジンのうなりが聞こえ、次いで爆発音とともにブロック塀の一区画が吹き飛んだ。破片の崩れ落ちる音が収まらないうちに、姿を現した四式中戦車の主砲が振り回される。

 

 発射の轟音が響きわたったのは、殆ど直ぐのことだった。

 

 

 



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決勝 大洗女子学園戦(終②、そして)

 主砲が発射の反動で後退すると、空薬莢が勢いよく吐き出された。

 

 それは砲尾後ろに備え付けられたかごの中に入り、既に数秒前に入っていた榴弾の空薬莢にぶつかった。同じくして、主砲が元の位置に戻り、砲尾は尾栓を開いたまま次の装填を待ち受ける。発射速度を早める上で決定的な役割を果たす自動開閉機構は、当時のものをそのまま再現したにも関わらず、良好に機能していた。

 

 轟音が収まり戦闘室内に再び静寂が保たれたのは、何秒くらいであっただろうか。――誰かが不意に、溜息をついた。それを切っ掛けにして、装填手は金縛りから解けたかのように動き出し、弾薬箱の徹甲弾をむんずと掴み取る。そして同時に、目の前の砲手の背中を睨みつけた。

 

「だーかーらー! もっと考えて、撃ちなさいって、言ってるでしょうが!」

「これが考えた結果なんですー!」

 

 砲手も振り向いて、負けじと怒鳴り返した。

 

 先の砲撃は惜しいことに、Ⅳ号の砲塔を掠っただけに終わってしまった。無論これは相手の見事な判断力に帰するものであり、無駄弾に終わったのは砲手の責任ではないだろう。むしろ瞬時に標的が交差点を曲がろうとしているのを見て取って、それでも照準をつけることが出来たその技量は褒められてもいい。ただ、砲弾の管理と装填を担当する装填手が大人しく納得するかというと、それはまた別の問題である。

 

 ぎゃーぎゃーとわめく二人の声を聞いて、佳枝は苦笑する。彼女は周囲を確認し、車内通話で前進を指示すると、一度戦闘室内に引っ込んだ。

 

「慌てない慌てない。相手は強いんだから、じっくり構えていかないと」

 

 揺れ始めた車内の中で、佳枝は穏やかに言う。まだむくれている二人を見ながら、「第一、」と無邪気に続けた。

 

「せっかく一騎打ちで戦うんだもの。簡単に終わったら興醒めだよ」

 

 四式中戦車はブロック塀の破片を踏み砕いて路地に入り、速度を上げて近くの三叉路を曲がった。長砲身の57mm砲に、それに見合った小さめの砲塔。正式には試製チト一号車と呼ぶべき戦車は、再び姿をくらませた。

 

 

 

 

 

 

 二つ目の広い交差点で反転したⅣ号戦車は急いで道を引き返した。砲撃を受けた地点まで戻り、もう四式の姿が見えないことを確認すると、後を追うようにして住宅地の道路へと突き進む。

 

「待ち伏せとは、敵ながらやりますね!」

 

 優花里の声は、焦燥と感嘆で上ずっていた。

 

「でも、どうやってこちらのルートを見分けたんでしょうか」

「私たちが団地に向かうと読んでたと思う。……向かうように仕向けたのかな」

 

 みほは考え込むように言った。敵はまたも裏をかこうとしたのだ。先ほど優花里が見たという動きはブラフだったに違いなく、こちらが最短ルートをとることでさえ計算済みだったのだろう。気付くのが後少し遅れれば危うかった。

 

 だが相手にとって、この失敗の代償は大きい。

 

「いずれにしても、これが最後のチャンスです」

 

 みほは思わず口角を上げた。彼女の知る限り、今日の試合で敵が犯した唯一の、そして致命的なミス。Ⅳ号が必死になって探しているところへ、わざわざ近くにまで現れてくれたのである。このチャンスを逃すつもりは、みほにはさらさらなかった。

 

 さらに言えば、これまで頭痛の種であった敵方の戦車の性能がもう問題とならなくなっている。相手のフラッグ車である四式中戦車は、75mm砲ではなく試製57mm戦車砲を積んでいるはずだった。実際に開発されたものの三式中戦車の主砲を下回る火力しかなく、本採用にはならなかった代物。それはⅣ号H型の正面装甲を貫くことは出来ず、逆にこちらの長砲身の75mm砲は正面から撃破可能である。側背面はどちらにせよ弱点となるが、見通しのきかない市街戦でのこの差は勝敗を左右する程のものと言えよう。

 

 Ⅳ号はその性能差を活かし、積極的に交戦しようと路地を邁進した。速度は時速35kmを超え、フルスピードで住宅街を走り抜ける。このような高速機動は周辺警戒が粗雑になってしまう欠点はあるが、今回は逃げる相手を捉えることが重要だった。何よりも、敵の標的にされないためにはこれが最も効果を発揮する。仮に敵が側面から攻撃しようと待ち伏せしていたとしても、その場合は至近距離からでなくては命中させられず、それぐらい近づいていれば事前に察知する自信はみほにはあった。距離が離れれば離れるほど察知しにくくなるが、そんな遠くからの、市街地を移動する目標への見越し射撃など、通常は出来るはずがない。

 

 通常であれば。

 

(……えっ?)

 

 みほはまたしても、あの嫌な予感に表情を変えた。あの冷や水を浴びせられたような、どうしようもない嫌悪感。目の前には交差点があった。なんの変哲もなく、敵が潜んでいるように思われない。たとえ射線に入ったとしても、この速度のまま突っ込めば、その距離では捉えることは不可能だろう。――通常であれば。

 

 撃ってくれれば位置がわかる。そうなれば後は追撃するだけでいい。しかし、もしこの予感が正しければ? ――ブレーキはもう間に合わない。左右どちらにいるかは目視では不明である。みほは咄嗟に、直感的に号令した。

 

「9時、急旋回!!」

 

 Ⅳ号は交差点を急激に左折した。その途端、みほは敵の姿を見ることができた。それはいくつも先の交差点にあって、車体を半分ほど路地に隠し、後ろの半分は斜めになるようにしていた。砲塔と砲身はこちらを向けており、既に砲煙が漂っている。そして相手と自車の間、間近に迫った敵弾までもが、やけにくっきりと脳裏に残った。

 

 約100m先から放たれた徹甲弾はⅣ号の車体正面に命中し、爆炎を上げた。

 

 

 

 

 

 

「残念。……事前に気付かれたみたい」

 

 急加速で高まるエンジン音の中、キューポラから顔を出している佳枝は何事でもなさそうな様子で車内通話を入れた。左手でヘッドフォンを押さえ、右耳の方はずらし、視線は遠ざかっていく交差点を見据えている。

 

「本当に勘が良いようですね。あちらは」

 

 そう応えたのは通信手だった。彼女は「ふふ、」と小さく笑う。

 

「これはいつまでも遊んではいられませんね」

「ええ、そのようです。――次、曲がって」

 

 チトが角を曲がろうとしたその時、先の交差点にまで到達したⅣ号が一瞬だけ見え、次いで75mm砲からの射弾が近くの建物に着弾する。相手はもう完全にこちらの位置を掴んだのだ。2輌と1輌が別の場所で繰り広げていた追撃戦が、奇しくも今度は形勢を逆転した形で再現される格好となった。――それでいい、と佳枝は思った。それでこそ罠にはめることができる。

 

 Ⅳ号から逃げるように移動する最中、佳枝は右手でポケットから地図を取り出した。射線をかわしつつ適当に住宅地の中を巡って両脇の建物を丁寧に確認していく。ある通りに入った際に、一軒の住宅に目を付けた。それはほぼ立方体に近い2階立ての、民家としてはありふれている形式のものだった。ただこれまでの演習などで傷ついたのか、周囲の建物と同じく壁にひびが入っている。

 

 通り過ぎていくそれを横目にして地図をもう一度見返し、彼女は微笑む。目当てのものを見つけた佳枝は、すぐさま車内に指示を出した。

 

「榴弾、遅発。次に徹甲弾。2発とも行進間だけど、大丈夫?」

「楽勝ですって。肩慣らしはもう十分です」

 

 肩当ての照準機構に手を掛けながら、砲手は誇り高く答えた。大戦時の日本戦車に乗る照準手の常として、彼女も当然、この機構の取り扱いに熟達していた。これは砲塔の旋回装置とは別に組み込まれていて、砲身を肩だけで簡単に動かせるようになっている。その可動範囲は左右で大体10度ずつ。熟練の砲手の手に掛かれば照準速度は一段と早くなり、また行進間射撃の精度をある程度補正することができる。

 

 そしてこの車輌に限っていえば、さらに特有の工夫があった。一つをあげると、光学装置を本来付けられるはずだった4倍率から2.5倍率と低くしている。品質は最高のものを使用しているとはいえ、その倍率では射程はどうしても短くなるが、逆にそれだけ近くのものを広く見ることが可能ともいえる。――そう。このチト車は近接戦に特化するようカスタマイズされているのだ。この方針は何も砲手関係の装置に限ったことではなく、操縦、装填などにも細微にわたって徹底されている。これらの工夫により、こと一騎打ちになれば、市街戦は彼女たちにとってホーム戦とすら呼べる。

 

 佳枝は砲手の返答に笑みを深めると、相手の位置を求めて耳を澄ませた。今の場合、近すぎても離れすぎても困る。きちんと付いてきてくれていることを確認すると、彼女は軽やかに命じた。

 

「全速。安全運転でね」

「いいわよ。しっかりつかまってなさい」

 

 操縦手はエンジンを吹かし、一気に加速させる。チトは路地を左折、また左折し、一本隣の通りへと入った。

 

 

 

 

 

 

 敵がその最初の左折をしようとしていたとき、Ⅳ号はようやくその通りに入ったところだった。わずかに見える四式を追って、Ⅳ号は走り続けていた。――前にもこんなことがあったな、とみほは思った。あの時は雪が積もる中、同じく村の中を逃げるフラッグ車を追っていた。ただ決定的に違うのは、あの時には味方がいて待ち伏せしてもらったが、今はもうそれが出来ないということだった。

 

 予想よりも厄介なことになったと気付いたみほは、相手に命中弾を与えるための手段をいくつも検討していた。住宅の中を突っ切ってのショートカット――これはリスクが高すぎる。世間一般に考えられているよりも、家屋は戦車にとって障害になりえるものだ。もしもどこかで引っかかってしまえば立ち往生するしかない。では、敵の動きを予測して先回り、あるいは待ち伏せ――これも出来ない。あちらの進路には規則性が感じられないし、そもそも相手にとっての最善手はずっと逃げ続けて距離をとることである。第一、Ⅳ号を完全に停止させない限り、こちらの位置は絶えず把握されてしまう。

 

 市街地で勝負をつけるという彼女の戦略に誤算があったとすれば、まさにこの点にあった。

 

「――おかしいよ、どうやってこっちの動きを読んでるの!?」

 

 車内通話に沙織の声が乗る。車内では先ほどからその話題で持ちきりだった。

 

「やっぱり、何かいんちきしているのでは……」

 

 華が結論付けるように言った。八九式がやられた時や2輌に追われている時もおかしかったが、先の砲撃はその違和感を決定づけた。見えない車輌への偏差射撃など、Ⅳ号の動きを逐一監視でもしなければできるはずがない。だが、この広域な市街地全域に偵察員を配置することは不可能である。何らかの不正、たとえば外部の人間から観戦用スクリーンの戦術画面の映像を送られているといったことを疑うのは、自然の成り行きだろう。

 

「ううん、いんちきじゃないよ」

 

 しかしみほは、そんな行為によるものではないと推測できていた。審判が何も言わないのなら、もはやそれしかない。

 

「……ちょっと信じられないけど」

 

 同じようなことはみほにもやれるし、先ほどブロック塀の奥から奇襲をうけた直前にも実際している。ただその範囲が異常としかいいようがなかった。とはいえ、広い世の中にはそんな芸当ができる人がいたとしても、おかしくないのかもしれない。

 

「相手はエンジン音を聞き分けてる」

 

 その言葉の意味が及ぼす衝撃は、突如前方で起こった爆発に取って代わられた。

 

 通りに建ち並ぶ住宅のうち左側にある一軒の前壁が突然吹き飛んで、道路へと倒れ込んだ。それからすぐに、支えをなくしたかのように2階から崩落し、がれきの山となって道に塞がっていく。その民家だった場所は地図上では背後に広い庭付きの家があり、隣の通りから容易に射撃できることが、みほの脳裏に漠然とよぎった。そして敵の狙いも、また。

 

「ブレーキ!」

 

 Ⅳ号はがれきを前にして急停止した。停止せざるを得なかった。その残骸は車体程の高さとなって道路を閉塞しており、Ⅳ号では突破できそうにない。仮に乗り越えられたとしても、かなりの時間を要するだろう。そんな猶予はない。停止後、みほは即座に指示を続けた。 

 

「6時! 回避、榴弾!!」

 

 端的というには要約しすぎていたが、全員その指示を理解できた。麻子は直ちにバックギアに切り替え、Ⅳ号を反時計回りに信地旋回させた。だが、通りの幅が狭いため背面に住宅が当たり、車体は道路に残ったまま動かなくなる。前進と後進を繰り返して切り返すが、思ったように進まない。このままの状態でいるのは、あまりに危険であった。

 

 敵の狙いは明白にわかっている。この場で釘付けにして背面あるいは側面を撃つつもりなのだ。すでに四式は回り込もうとして全速で走っていることだろう。それまでに車体を隠さないと、ほぼ間違いなくやられてしまう。

 

 再度勢いよく後進して住宅に押し込もうとするが、馬力があと一歩及ばず、エンジンがうなるだけだった。ただそのとき、優花里の装填が間に合った。着発信管の榴弾はすぐさま最大俯角で発射され、その反動と爆風圧がⅣ号を後押しし、車体を一気に住宅にめり込ませて、側面の露出面積をほとんどなくす。

 

 敵弾は左から飛来して車体正面付近を通り過ぎ、がれきに着弾して破片を辺りに飛び散らせた。

 

「――追撃してください!」

 

 立ち直りは早かった。Ⅳ号は急速に右の履帯を前進させて道路に復帰する。道を塞ぐがれきを背にして、彼女たちは敵の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 楽しい。

 

「あれを回避してみせますか……!」

 

 はずんだ調子で、佳枝はつぶやいた。さすがに今の攻撃は自信があったのだ。狭い街路に閉じこめられてしまえば戦車は身動きがとれない。それでも回避してみせた相手の技量に、彼女は尊敬の念すら抱いた。

 

「それでは、次はどうでしょうか!」

 

 チトは背面から煙幕を射出した。白い煙が路地に充満し、背後は全く見えなくなる。そのまま少し走った後、幹線道路へ続く通りへと右折した。

 

 これでⅣ号を撒くことができたなら重畳であった。一度でも自車の位置を秘匿すれば、あとはいくらでも奇襲のチャンスがある。一方的に相手の位置を把握できるというのはそれだけの有利性があるのだ。とはいえ、Ⅳ号がここで逃がしてくれるような相手だとは、チト車の誰も思っていない。

 

 急旋回した際の履帯のきしむ金属音が少し離れたところで生じたのを、佳枝の耳は捉えた。次いでガソリンエンジンの爆音が響く。相手は煙幕に入る前の交差点で右折し、チトと平行するように幹線道路を目指しているに違いなかった。遮蔽物のない広い道路内で両車が鉢合わせするのは、もう避けられないだろう。後進ギアが1段しかないチトに急いでバックしろというのは酷である。

 

「徹甲弾装填、次弾も同じ。目標アーチ」

 

 佳枝は淡々と指示を下し、装填手は粛々と弾薬を込める。他の乗組員も、すでに臨戦態勢に入っている。操縦手はかっとばし続け、このチトの最高速度である時速45キロを出していた。

 

「スモーク全開!」

 

 チト車は一足先に幹線道路に入り、左に旋回しながら煙幕を張った。両側四車線の舗道にまたがるまでに煙が立ちこめ、チトはさらに旋回を続けて左車線に戻る。そこでゆるやかな右旋回に転じ、砲塔を後ろに向けながら道沿いを走った。

 

 ダダダッと、煙の向こう側から機銃音が響き、佳枝は頭を引っ込めた。キューポラの点視孔からは、中空に糸をひいたような曳光弾の軌跡が右車線にあざやかと描かれ、それが徐々に左車線へと近づいてくるのが見えた。その同軸機銃に数秒当たってしまえば、即座に75mm砲弾が飛んでくる。だからといって、ここで交差点を曲がって避けるのは本末転倒である。勝利を得るには、多少の危険は冒さねばなるまい。

 

 チトは右旋回を急にし、道路をUターンしようとする機動をとった。Ⅳ号からの機銃が1発2発当たるが、気にする必要はなかった。銃弾の当たる音を首尾よく聞いて、Ⅳ号の砲手が主砲の発射トリガーを引いたとしても、その間に1秒程の誤差は生じる。それだけあれば、高速で旋回するチトは射線から外れることができるだろう。要は速く動き続けることが肝要であり、機動こそが戦車にとって最大の防御となるのだ。そしてこの旋回の最中に、57mm砲は反撃の狼煙をあげた。

 

 漂っている煙幕から外れて、左車線側にやや仰角がつけられて照準が合わされる。正確には路側に立てられた1本の鋼管、交差点の案内表示板を支える門型の標識柱へと砲口を向けて、チトは轟音を響かせた。厚さ6mm程度の鋼管といえど、初速800m/sを超える徹甲弾にとっては紙も同然である。標識柱には拳ほどの貫通孔ができ、その耐力を失った。

 

「そぉい!」

 

 すかさず装填手が次弾を装填する。砲手は今度は反対車線側の標識柱に素早く砲身を振って、同様にぶち抜いた。真ん中に穴が開いた2本の支柱には支える力など残っていない。鋼管は座屈を起こし、標識板と道路をまたぐ鋼材を呆気なく地表にまで倒す。Ⅳ号が煙幕の中から飛び出してきた頃には、それらは簡易なバリケードと化していた。

 

 突然視界に現れた障害物を前にして、Ⅳ号は急激に速度を落とした。だがその時には、もうチトは歩道に乗り上がり、砲塔を道路に向けていた。装填手はすでに3発目の徹甲弾を尾栓にたたき込み、いつでも発射できる態勢を整えている。――57mm砲の利点はここにある。自動開閉機がある以上、装填速度は砲弾の重さに左右される。この砲の場合は約3kgと75mm砲のそれの半分程度であり、揺れる車内での装填動作においてこの差は決定的なものとなる。結果的に無駄な開発であったと言われるが、敵陣地に強襲して速やかに制圧するという元々の設計思想から見れば、開発者がこの砲の実用化にこだわったのも至極自然といえよう。

 

 砲手はその主砲の発射トリガーに指をかけ、照準器から流れゆく風景を見据えた。操縦手の相変わらず荒っぽい、しかし適切な位置取りをする運転を頼りに、数秒後にⅣ号が視界に入るのを待っていた。相手は障害物の辺りで側面を晒しているはずだし、この至近距離では難しいことを考えずとも楽に当てられる。

 

 ただ、相手の腕はこの期に及んでも卓絶としていた。Ⅳ号を捉えたときに彼女が見たのは、標識であったものに突っ込んでいる車体と、その正面装甲であった。おそらく瞬時にこちらの意図を読みとって、咄嗟に車体を急旋回させたのだろう。その判断、その反応速度は、まるでひとつの精密機械のようですらあった。

 

 2輌の砲門が開き、砲弾が飛び交った。チトの徹甲弾はⅣ号の砲身真下に着弾し、にぶい音が響きわたる。Ⅳ号からの反撃は、走り抜けるチトの背後を通り過ぎた。両車ともすぐに次の砲弾を装填するが、二撃目は放たれることなく、チトは煙幕の中に隠れて、そのまま住宅地の路地へと戻っていった。

 

「うわー、危なかったですー! もうちょっとずれたら、やばいところでした」

「全くね」

 

 砲手の焦ったような声に、佳枝は落ち着いた声音で応えた。今の攻防はかなりギリギリであり、相手を撃破することもできなかったが、それでも収穫は多かった。特にⅣ号の射撃のタイミングを掴めたのは大きい。これで次は正面から仕掛けても勝算がある。それに、弾かれてしまった砲撃も、決して無駄にはなっていない。

 

「でも、今のはいい音がしたよ」

 

 佳枝はくすっ、と笑い、引っ込めていた頭を戻して周囲を確認すると、今度はどうやって攻めようかと作戦を練り始めた。

 

 

 

 

 

 

 Ⅳ号は壊れた標識柱に横からぶつかった車体を復帰させると、四式の後を追って道路を引き返す。だがその戦闘室内では、慌ただしい空気が漂っていた。

 

「砲塔、動力操作できません!」

 

 華の悲痛な声に、みほの背筋が凍った。電気系統の故障――彼女はすぐに応急処置を指示した。

 

「優花里さん、懐中電灯を出してください!」

「はい、電池ですね!」

 

 優花里が華に電池を渡すと、それは砲手席左にある小さな箱に入れられる。ドイツ戦車の主砲は大抵が電気発火式で、発射には電気が必要となるのだ。ティーガー戦車にあるようなこの非常用回路のバッテリーは、準決勝での故障を受けて自動車部によって念のために取り付けられていた。

 

「発火装置はこれで良いですが、砲塔は手動で動かすしかありませんね……」

「動きながら電気回路を直すのは、ちょっと難しいですからね……。自動車部ならともかく」

 

 華の言葉に、優花里が答えた。その声にはどこか落ち込んだような響きがあった。電気系統の故障自体はそんなに珍しいことではない。戦車は見かけによらずデリケートな部分があり、たとえ貫通されなくても、敵弾からの衝撃によって諸々の故障が発生する。ただ、それが切羽詰まったこの状況下で起こったのは、不運としか言いようがなかった。

 

 みほもまた、現状の不利を実感していた。ただでさえ車体を旋回しにくい地形なのに砲塔の旋回までもが速やかに出来ないとなると、ますます敵を倒すことが難しくなる。なおかつ、敵は練度が高く、容易に撃破できそうにない。ことここに至って、彼女は何故四式が危険をかえりみずに攻撃してきたのかを悟った。相手は一騎打ちに絶対の自信を持っているのだ。僚車が揃うまでもなく、勝負を片づけられるという自信。

 

 絶対的な自信――

 

「……麻子さん。入り口の団地地帯まで戻ってください」

 

 周囲を警戒しながら、みほは自然とその考えを口にしていた。麻子が驚いたように聞き返した。

 

「いいのか? もし相手が追ってこなかったら」

「他に手がありません。……それに、多分来てくれると思います」

 

 みほは静かに言った。

 

「敵は一騎打ちで勝負をつけたがっています。ちょっとぐらい不利な地形になるとしても、こちらを追いかけてくれるはずです。相手の気が変わらないうちに移動しましょう」

 

 それはまだ、望みのある選択であった。4階立てほどの集合住宅が建ち並んでいる団地地帯ならここよりも見通しは利くし、車体を旋回させるのにも十分な広さがある。性能に劣る四式だけが相手であれば、今の損傷状態でも互角以上に戦える。残りの2輌から遠ざかる場所でもあり、増援までの時間を僅かながら稼ぐこともできるだろう。

 

 麻子が応えた。

 

「団地だな」

「諦めない限りは負けない、だもんね」

 

 沙織が重ねるように言った。

 

「相手が来たら、ほんの一瞬でいいので視界に捉えさせてください。確実に撃破してみせます」

「装填ならお任せください! いくらでもやってみせます!」

 

 華と優花里も、誓いをたてるように続けた。

 

「……ありがとう」

 

 みほの声は小さな、けれど確かに聞こえるものだった。Ⅳ号は四式から離れるように進路を変えた。

 

 

 

 

 

 

 絶えず相手のエンジン音を聞き取っている佳枝は、その動きをいち早く察知した。

 

「こちらから離れてる。……団地に向かってるね」

 

 彼女は誰にともなく言った。その声は車内に状況を伝えるものであり、考えをまとめようとするものでもあった。

 

 フラッグ車を倒すしか道がない大洗が追撃を止めたのは、こちらを誘い出そうというものだろう。おそらく砲塔旋回部の故障、もしくはそのように見せかけているのかもしれないが、いずれにせよ有利になる地形で戦おうという狙いに違いない。それに対する最善手は一つしかないが、彼女はここで少し迷った。

 

 冷静になるならこの時をおいて他になかった。時間は十分すぎるほど稼ぎ、P40の修理はもうじき終わるはずだった。相手がいくら強くても、数の有利を覆すのは至難のわざである。あと少しだけ待てば必勝の体勢ができるのに、ここで単独で追撃するのは愚策でしかない。隊長として、何よりも欲しがっていた勝利を、みすみす捨てる行為でしかないのだ。

 

 ただ。彼女の個人としての望みは、また別にあった。

 

「あっちの人、広いところなら勝てるとでも思ってるんですかねー」

 

 砲手が呟く。佳枝はそれを聞いて、うなづいた。

 

「そうらしいね。確かめてみようか。……いつものあれやるよ。よろしく」

「先輩、お願いしますー」

 

 二人の声に、操縦手が呆れたようにため息をついた。

 

「はいはい。あんたたち、ほんとに無茶ばっかり言うわね」

「いいじゃない。出来るでしょ?」

「勿論よ」

 

 

 

 

 

 

 時刻はすでに夕方。陽光は殆ど黄色みがかったものへと変わっており、団地の住宅を染めていた。1970年代までには全国で多く建てられたような、2階立てから4階立ての低層住宅が密集しているこの地帯は、停弾提の上にあって街並みを一望に見下ろすことができる。その眼下に見る景色に突如、路地を疾走する1輌の戦車が現れた。

 

 市街地の中を停弾提と平行になるように駆け抜けながら、チトは砲塔を3時方向に廻した。仰角はほぼ最大、交差点で団地が見えるたびに射撃音を轟かせる。幾度となく発煙弾が撃ち込まれて、低層住宅の間には白煙が漂い、その煙は風に乗って停弾提を包み込んだ。

 

 チトはまんべんなく煙幕が張られたことを確認すると、提体にある通路を登って団地内に突入する。有視界は30m以下、といっても奥の方は煙が漂っていないはずなので、まずは登り切った後にすぐ右折し、直列で並んだ長方体の住宅を横にして走る。こうした限定的な視界の中で頼りになるのは、やはり聴力である。過信しすぎてはいけないし、オットー・カリウスも指摘するとおり戦車兵には視力の方が求められるものだが、それでも近づいてくるエンジン音というのは最上の警告音となり得るのだ。

 

 背後から機銃音が鳴り、煙の中に曳光弾が飛来してくるよりも前に、佳枝は住宅と住宅の間に入るように指示し、射線から免れる。思っていたよりもⅣ号が積極的に攻勢をしかけてきたのは意外だったが、これは状況的な余裕のなさからいってやむを得なかったのであろう。大洗側からすれば時間がかかりすぎると増援が来る以上、待ち伏せといった消極的な作戦はとりにくかったのかもしれない。ともあれこれで、互いの位置がはっきりとなった。

 

 チトは煙幕から抜け出して、再び射線を逃れるように団地内の通路を駆けめぐる。先ほどの追撃戦を繰り返すようだが、この団地には障害物に変えれそうなものはない。住宅同士の間隔が広いし、建物自体も鉄筋コンクリートで造られていて強固である。ここでⅣ号の側背面をとろうとするのはかなり難儀だが、それでも彼女たちには勝算があった。

 

「発煙弾装填。次、徹甲弾」

 

 その通路に入ったときに、佳枝は命じた。両脇には通路に沿って4階立ての住宅があり、進行方向の先にはそれと直角で建てられた住宅が立ちはだかるように見える。そしてその間には、T字に分かれた通路があり、直角の住宅に日が当たるように計算されたのだろう、十分に広いスペースがある。チトの旋回性能からいえば申し分のない場所だった。

 

 チトは蛇行しながら、濃密な煙幕を張った。Ⅳ号との距離は縮まってしまうが、今の場合、それが狙いでもある。ひとしきり出した頃にはⅣ号の同軸機銃が吼え、チトは左に曲がって住宅を盾にした。それからすぐに右旋回に戻してUターンし、砲塔は3時方向に廻す。まもなく煙幕を突破するⅣ号の視界に入るが、そのとき、決戦の火蓋は切られることになる。

 

 非力な57mm砲で戦ってきた彼女たちは、格上の戦車への戦い方を当然心得ている。履帯を切れ、動きを止めろ。砲塔を狙え、旋回装置を壊せ。砲身を壊せ。機銃で光学装置を壊せ。転輪の隙間からシャーシを狙い撃て。もしもそれらが無理ならば――

 

()()狙ってよし」

 

 広い通路の左側を走るチトの右前方に、住宅の間から飛び出してきたⅣ号が現れ、こちらの姿を認めてか急停止した。相手の砲手なら、通り過ぎようとするチトの側面を撃つことは容易だろう。Ⅳ号は車体ごとやや左旋回し、75mm砲が照準を合わせるかのように静止する。その一瞬を狙って、57mm砲は行進間で火を噴いた。

 

 砲弾は75mm砲の砲口に向けて瞬時に飛んだ。大戦時の戦車であれば、その弾丸は戦闘室内にまで侵入し、装填手を挽き肉にする――実際に事例のあったことである。勿論戦車道ではそんなことが起こらないよう、尾栓などに仕込まれた安全装置が作動するはずであろう。その場合は砲身だけが壊れ、審判が判定に悩むことになる。

 

 而して現実は、そのどちらも起こらなかった。放たれた砲弾が75mm砲に近づいたとき、Ⅳ号は同時に砲撃をしていて、2つの弾丸は砲口付近でぶつかった。発煙弾と徹甲弾の炸薬が同時に炸裂して、Ⅳ号の目の前に煙幕が広がる。その間にも、チトは休むことなく時計回りに旋回を始め、Ⅳ号の側面をとろうとしていた。

 

 Ⅳ号は右の履帯を急速に回して信地旋回しようとしたが、予め準備していたチト車の装填はそれよりも早かった。砲手は肩当ての照準機構でその動き始めた履帯に素早く砲身を向けて発砲する。起動輪の近くに当たったそれは履帯を切ってずらし、Ⅳ号は動きを止める。そしてチトはついに側面をとり、装填手は全力を尽くして徹甲弾を尾栓に込めた。

 

 砲手はⅣ号の側面装甲に向けて、優しく引き金を引いた――。

 

 

 

 

 

 

 ……このとき、彼女たちは確かに勝利を手にしようとしていた。いかに非力な57mm砲といえど、30mmの側面装甲を貫くことは簡単である。面積が広い側面に当てることも、同様にたやすい。だが、それは最後まで叶うことはなかった。

 

 突然、左の履帯が切れた。

 

 砲手が引き金を引くその直前、履帯が切れたことによって下部転輪が路面へと落下した。砲手は予期せぬ衝撃に照準をずらしてしまい、砲弾はあらぬところへ飛んでいく。この土壇場で切れてしまったのは、本来なら偶然としかいいようがない。しかし今回のこれは、必然でもあった。

 

 そこは八九式からの砲弾が掠っていたところだった。あの磯辺の最後のあがき、あの砲手のせめてもの照準は、無駄にはなっていなかったのだ。無論、佳枝たちは待ち伏せしている間に点検していたが、連結ピンの金属疲労は目に見えぬ形で残っていた。そしてチトのこれまでの機動により、疲労はやがて限界に達し、ついにこのときに表面化してしまったのである。タイミングは偶然――結果は必然の出来事であった。

 

 予想だにしなかったトラブルに見舞われたチト車であったが、彼女たちは最後まであきらめなかった。操縦手は急ブレーキをかけ、佳枝は叫ぶように砲塔の急旋回を指示し、ギアはニュートラルになってエンジンがうなり、砲手はその出力を頼りに急いで砲塔を廻し、装填手は必死になって次弾を装填する。だがしかし、砲身を振り回したときには、Ⅳ号もその正面装甲と砲口をこちらに向けていた。57mm砲の砲弾は空しく弾かれ、直後に75mm砲の轟音が辺りに響きわたる。

 

『選抜隊フラッグ車、走行不能。よって、大洗女子学園の勝利!』

 

 審判のアナウンスが、試合の終了を告げた。

 

 

 

 

 

 

「……勝ったん、だよね」

 

 ハッチから身体を出して目の前の四式を見ながら、みほは信じられないように言った。さしもの彼女も、あっという間の逆転劇に戸惑いを隠せていなかった。すべては無我夢中の間に終わっていた――彼女はそのままぼんやりとしていたが、そこにいつの間にか車外に出ていた沙織が、みほの上半身に抱きついてきた。

 

「そうだよ、みぽりん! 勝ったんだよ!」

 

 声は歓喜に震えていた。優花里も、華も、麻子も、同じように車外に飛び出て、喜びの声をあげた。それらを聞いて、みほもようやく実感が湧き、微笑みを浮かべる。――これで大洗女子学園は廃校にならなくてもすむ。みんなと離れ離れにならなくてもすむ。そして、こうして一緒に楽しく戦車道をやれるみんなと巡り会えたことが、彼女にとって何よりの幸せであった。

 

 その時、四式中戦車の方から物音がして、みほはそちらを向いた。相手の隊長が一人下車して、履帯を調べている。「やっぱり……」と呟いたようだったが、はっきりとは聞こえなかった。彼女はやがて、すくっと立ちあがると、うつむきがちにこちらに近づき、そして穏やかな顔でみほを見上げた。

 

「優勝、おめでとうございます。御見事でした」

「こ、こちらこそ。ありがとうございました」

「最後までグデーリアンさんの言われた通りでしたね。全く持って完敗です」

 

 黄昏に照らされた、頭に手をやって苦笑する相手の隊長の言葉に、みほは何故だか心動かされた。

 

「……私もです。もしあの時、逃げられていたら。とても勝てませんでした」

 

 それは本心から出た言葉だった。準決勝のプラウダ戦と同じように、本当なら勝ち目はないに等しかった。相手のあの慎重さ、あの用心深さが最後まで続いていたなら、結果は逆になっていたはずである。今も殆ど薄氷をわたるような勝利であり、完勝とはとても言い切れないと、みほは思った。

 

 だが、相手は穏やかに言った。

 

「さて、どうでしょうか。それに、私たちを戦う気にさせたのは、他ならぬ貴女方自身ですよ」

「えっ……?」

 

 みほの疑問の声を気にせず、彼女は続ける。

 

「仲間と協力しあい、最後まで諦めずに勝負を挑み、勝利を掴もうとする。……そんな貴女の戦車道は、私は好ましいと思います」

 

 その真っすぐな賞賛に、みほは心暖まるものを感じた。自分が信じた戦車道を認められて嬉しくなり、改めて礼を言おうとして、

 

――目前の人が平気で偽装戦車を使うような人であることを思い出し、顔が少しひきつってしまった。

 

「あ、ありがとうございます」

「……信じられないって顔されてますね。ちょっと傷つきました」

 

 目をそむけ、悲しげな表情になった相手を見て、みほは慌てて釈明する。

 

「え、ええと、そんなつもりは」

「ふふっ、冗談です。これからの活躍、楽しみにしています」

 

 一転、ほころんで綺麗な微笑みを浮かべた相手は、そういって踵を返し、四式へと戻っていった。その姿は最後まで、凛としたものだった。

 

 

 

 

 

 

「あー、あれは相当無理してるね」

「悔しそうなんだだ漏れやなぁ……」

 

 ARL-44とP40からそれぞれ顔を出した二人は、隊長の姿にそう評価をくだした。数えるほどしか会っていないが、見かけによらず誰よりも自分の腕に自信を持っていることぐらい、二人は把握している。そうでなければ、誰も素直に命令を聞いたりなんかしないのだ。

 

 彼女たちはあの2輌が見える、この広い通路に入ったところで停止していた。修理を終わらせた後に急行したが、ほんの僅かで届かなかったのである。二人は双眼鏡を下ろして観察を止め、揃って大きく息をついた。

 

「終わったなぁ」

「終わっちゃったねー」

 

 どこか他人事のような声に、二人して笑った。

 

「悔しくないん?」

「思ってたよりも、ね。優勝はしたかったけど、これはこれでいいかな、って」

「競争心が足りてへんなー」

「む。そっちはどうなの?」

「うち? ……準優勝なら悪くないやん」

「競争心が足りてないね」

「か弱い乙女ですから」

「じゃあ、そっちとの一騎打ちは私達の不戦勝でいい?」

「それは話が別や」

 

 無遠慮な軽口はもう無意識のうちに出てくるのであり、彼女たちはこれを楽しんですらいた。かたや広島、かたや大阪の高校生は、回収車が来るまでたわいのない会話を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 表彰式は観客席の前で行われた。夕暮れに照らされる中、大洗女子学園の面々が一同に整列する。優勝旗を受け取ったみほが観客に見えるように広げると、惜しみない拍手が送られ、選手達を讃えるようにしばらく鳴り響いた。第63回戦車道全国大会は、こうして幕を閉じた。

 

 同じときに、選抜隊は整備場に集まっていた。応急処置の済んだ戦車が入る車庫を後ろにして居並び、隊長はその前に立っている。全国から集まった7校の生徒たちが一同に会するのも、これが最後になるはずである。だが、隊長はそのメンバーの顔を直視できずにいた。

 

「申し訳、ありませんでした……」

 

 彼女は力なく、謝罪を口にした。

 

「勝手なことをしてしまって……」

 

 あの落ち着いた声と姿は、今は見る影もなかった。指揮官として張りつめていた糸が切れた彼女は、本来、どこにでもいそうなふつうの少女である。ただちょっと真面目で、責任感が少しあって、戦車道が好き。しかし今は、仲間に対する申し訳なさで押しつぶされそうな少女でしかなかった。

 

 そんな佳枝の前に、怒ったような表情をして近づく者がいた。消え入るような声や周りの空気を完全に無視して、シャーマンの車長は一気に彼女の目の前にまで来る。そして、そのうつろな顔にめがけて勢いよく腕を振り上げ、

 

 頬をむにー、と引っ張った。

 

「あー、もう! いつまで辛気くさい顔してんのよ!」

「ひゃ、ひゃい?」

「仮にもあたし達の隊長がそんなのでどうするのよ。もっとしゃきっとしてなさい!」

「Umm.これがデレっていうものかしら」

「いっつもツンツンしてるもんねー」

「……何? そこ、喧嘩売ってるの? 言い値で買うわよ」

「そう? なら100ポンドくらいで――」

「いひゃ、いひゃいでふ、ちかりゃいれにゃいで」

 

 例のイギリス人に向けて今大会一番のイイ笑顔を浮かべた少女に、佳枝は涙目で訴えた。頬にギリギリとかけられている握力が既に危険域にまで達している。このままだとまずいことになっていただろう。色々と。

 

 シャーマンの車長は声がした方をちらっと見ると、「ふんっ、」と鼻を鳴らして不機嫌そうな顔に戻り、つかんでいた頬をはなした。

 

「……あそこで勝負を仕掛けない腑抜けだったら、ぶん殴ってたわよ。そんな奴に従うわけないじゃない」

 

 腕を組み、ちょっと目をそむけながら口にするその様子に、他の車長は苦笑しつつ、続けるように言った。

 

「ああ。それに私達もM3にやられたからな。お互い様だよ」

「こっちも市街地に逃がしちゃったから。おあいこ」

「うちも。みんな何かしらミスってるわけやし、そこまで気に病まんでもええと思うよ」

「そうそう。大体さ、最初から一騎打ちの結果には文句なしって決めてたでしょ。今更だよ」

「ええ、そうね。私は中々面白いデータがとれたし、むしろ感謝してるわ」

 

 眼差しは優しかった。他の乗組員も、みな暖かくこちらを見ている。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 佳枝は頬をさすりながら、ゆっくりと言った。その目が潤んでいるのは、頬の痛みのせいだけではなかった。

 

 選抜隊の戦いは、こうして終わりを告げたのである。

 

 

 

 ……と、このまま幕を閉じれば綺麗にまとまったといえなくもなかったが。あいにくというか彼女たちらしいというか、話はまだここでは終わらなかった。

 

「でも、これでお別れなのも寂しいね」

 

 ARL-44の車長がしみじみと言った。周囲には、同意を示したのか頷いている生徒が少なからずいる。……戦車道を嗜む者の常として、一緒に戦った仲間意識というのはかなり根強く残るのだ。それは一人だけでは戦うことすらままならないという、他の武道とは違った戦車道特有の感覚から来るものであろう。選抜隊の面々も試合を通じて親交を深めてきたので、今後そういった機会がないのが寂しく感じられても無理はない。

 

 そこに、シャーマンの車長が口を挟んだ。

 

「話したくなったらまた連絡すればいいじゃない。べつに今生の別れってわけでもなし、縁があったらまた会えるわよ。……まあ、あたしらはしばらく連絡とれないでしょうけど」

「え、なんでですか?」

 

 きょとんとした隊長に対し、呆れたような視線が向く。

 

「あんたねぇ……。受験勉強、これからが本番でしょうが」

 

 その言葉に、大半の車長が眉をひそめる。いずれも3年生、進学を考えている彼女たちである。遅れを取り戻すために、明日からでも勉強漬けの日々が待っているのだ。出来ればこの場で思い出したくない話題だったのは間違いない。

 

 ただ、金髪の少女が話に食いついた。

 

「そういえば、貴方達はどこにいくかもう決めたのかしら?」

「私は農業大学でいくつか絞ってる」

「あー……うちはまだ悩んどるわ。美大なんは間違いないんやけど」

「あたしもまだ決め切れてないのよね、本命は。いろいろキャンパスツアーで見て回ってるんだけど」

「ああ、私もだ。工学系で見学はしてるんだが」

「私もまだ決めてないんだよね。同じく工学系なのは確定してるんだけど。……隊長は?」

 

 一人だけ蚊帳の外にいた少女は、問われて不思議そうに首を傾げた。

 

「私は高専なので、受験はしませんよ? 5年制ですから」

 

 来年からはぼちぼち進路を考えないといけませんね、と続けられた言葉は、残念なことに届かなかった。6人はそのままピタリと動きを停めた。

 

「……ちょっと待って。私たちが必死に受験勉強してる中、隊長はのんびりしてるの?」

「いえ、のんびりというわけでは。テスト勉強も結構大変ですし。ね?」

「あんた、今ここで私に振らないでよ……」

 

 空気を敏感に察した四式の操縦手が、うめくように応えた。ちなみに彼女も高専3年生である。こいつは戦車道から離れると途端にこれだ、と彼女は今更ながらに思っていた。もっとも、もう手遅れであったが。

 

「……なあ。どう思う?」

「不届き者よ。少しでも信頼したあたしが馬鹿だったわ」

「長年戦車道してるけど、ここまで不誠実な隊長は初めてね」

「今のはちょっと聞き捨てならんなぁ」

「さすがにこれは、ないよね」

「粛清すべき」

 

 6人は満場一致で判決(ギルティ)を下した。即決だった。受験の苦しみを味わう者同士、テスト勉強が大変などと言ってのける上官を許しておけるはずがない。(八つ当たり)は必須であった。

 

「そうだ! 感謝と恨みをこめて隊長を胴上げしようよ、ちょっと場所を変えてさ」

 

 爆弾的な提案がすぐに出された。

 

「ああ、そういうことね。いいんじゃない?」

「全面的に賛成」

「あっちの表彰式も終わる頃やろうし、ちょうどええな」

「よし。じゃあさっさと移動してやるか」

「……ど、胴上げ……?」

 

 ようやく事態を察した隊長が、思わず後ずさりする。顔はほんのりと赤い。ついでに言えば、彼女の今の服装は選抜隊謹製のパンツァージャケットを上に着て、下は学校のスカートのままである。戦車に乗車して試合するためか、戦車道ではズボン派よりもスカート派の方が多いらしい。

 

「ま、待って。落ち着いて。……冷静になって考えてみてください。準優勝で胴上げなんてしたら、上げた方も上げられる方も、その、おかしいでしょう?」

「あら、だからいいんじゃないの」

「私たちは隊長命令だったからって口を揃えるから。心配しなくていいよ」

「卑劣な……」

 

 予想以上に真っ黒な発想に隊長の顔が引きつった。そうこうしている間にも、他の乗組員たちが簡単なストレッチをして準備をし始める。悲しいかな、車長(せんぱい)の言うことは絶対なのだ。それに彼女たちにしても、今回の案に乗り気な者は少なくない。

 

 隊長はせめてもの抵抗を試みた。

 

「あ、あの。こ、こんなことをいえる立場ではないのはわかってますが、他のことにしてもらえませんか。人前でやるのだけは、どうか……」

「だめ。もう決定したから」

「往生際が悪いわね。早く腹括りなさいよ」

「全くだ。ああ、上げて落とすようなことはしないから安心しろ」

「あと、さっきからスカート押さえて恥ずかしいアピールしとるけど無駄やよ。スパッツ穿いとるやん」

「まあ、殿方の中にはそっちの方がいいって人もいるかもしれないわね」

「どっちにしても情けなんていらないよねー。……じゃあ、覚悟はいい?」

「――っ! と、とにかく! 却下です!!」

 

 そして彼女は逃げ出した。全力で加速し、演習場の草原に向かって瞬く間に走り去っていく。だが、それで諦めるような者はここにはいない。

 

「追うぞ! みんな急げ!」

「全員無線持った!?」

「ん、大丈夫」

「OK.私達は先回りするわよ!」

「私は部員を総動員して出口を封鎖するね! ……あ、全体の指揮はどうする?」

「代行に任すわ! 服部ちゃん、追跡頼むで!」

「はーい!」

「っていうか、そこの四式の4人! 何ボサって突っ立ってんの!?」

「……え、やっぱりこの流れって、私達も走らないとダメなの?」

「当たり前でしょうが。一蓮托生よ」

「むしろ連帯責任ね」

「そんなわけで、指揮よろしく」

「あらあら。……それでは、僭越ながら」

「よーし。それじゃあ、みんな行くよー!」

 

 慌ただしく、されど楽しそうに。各車の乗組員は、後を追って走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 1時間に及んだ捕獲作戦の末、星が見えるほど暗くなった頃。疲れ果てた隊長が演習場の片隅で捕獲され、その場で仲間全員に胴上げされて宙を舞ったが、それを知るものは彼女たちだけであった。

 

 

 



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それから

 柔らかな風が吹いて、満開の桜が揺れた。

 

 静岡県富士宮市。かつて陸軍少年戦車兵学校があったこの地は日本戦車道とも縁が深く、さすがに校舎などはなくなっているものの、大破した九七式中戦車が静かに安置されていたりする。そこからほど近い朝霧高原も、富士山を望める避暑地やスカイスポーツの地といった側面が強くはなっているが、昔に戦車兵学校で使われたのと同じように、今でも戦車道に対応した演習場がある。

 

 その朝霧高原に向かう道に、七人の姿があった。

 

「――で、初めての学園艦生活はうまくいっとるん?」

「まあまあ。……まだ、地面がずっと揺れたままの生活に慣れてないけど」

「そうなん? うちはずっと学園艦やから、逆に陸の生活の方が変な感じするなぁ」

 

 先頭の二人が和やかに話続ける。連絡は取り合っていたものの会うのは久しぶりで、話題は尽きることがないようだった。

 

 後ろには、四人がかたまって付いてきていた。今もっぱら話しているのはその内の三人で、こちらは先頭とは対照的に微妙な空気が流れている。

 

「春休みはイギリスに帰っていたのか」

「ええ。友達に会ったり試合に誘われたり、中々忙しかったわ。日本に戻ってからも引っ越しとかしてて、危うく入学式に遅れそうになったところよ」

「留学続けるって本当だったの? てっきり冗談だと思ってたわ」

「失礼ね。ここの戦車道の情勢を調べないといけないのに、戻ってこないはずがないじゃない」

「……今からでも遅くないから、お国に帰った方が良いと思うぞ。ご両親が心配しているだろうし」

「というか、帰りなさいよ」

「嫌よ。まだまだ楽しみ足りないもの」

 

 チッ、と舌打ちが二つ。だが、鳴らされた方は別段気にする風でもなく笑っていた。この一種図々しいまでのメンタルが、ある意味で彼女が一流の砲手であることを証明しているのかもしれない。他の面々には迷惑極まりないことであったが。

 

 と、その時、携帯を眺めてそわそわしていた一人が、嬉しそうに声をあげた。

 

「……やった。あの子達、今年も選抜戦通過したよ」

「え、ほんと?」

「ほら」

 

 画面を見せるように掲げると、前を歩いていた五人が振り返ってそれを覗く。いち早く届いたメールには、彼女の後輩が無事に中国・四国地方の選抜戦を勝ち抜いたことが記されていた。

 

「おお、これで全校揃ったなー。皆よく頑張ったわ」

「It's Wonderful! 去年と同じ学校が揃うなんて」

「そうだな……。なにか、感慨深いものがあるな」

「今年も活躍してくれるといいわね。あたしたちの分まで」

「うん。楽しみ」

「ふふ、本当に。ね、佳枝?」

「……それよりも」

 

 最後尾、ずっと黙って付いてきていた一人が、やっと口を開いた。

 

「いい加減、なぜここにいるのか教えてくれますか?」

 

 むくれた表情をして、ジト目で見つめてくる。その姿に、六人は互いの顔を窺いつつ、おずおずと話しかけた。

 

「おこなの?」

「……ずうっと秘密にされて、それでも怒らないでいるほど、私は人間が出来ていません。地元チームの練習に向かう途中でいきなり再会して、しかも当たり前のように談笑してるなんて、一体どういうことなんですか。大体、説明もないままとりあえず先を急ごうとか、どう考えてもおかしいです」

「いや、話そうとしてもフリーズしたままやったし、最後のは仕方ないと思うんやけど」

「それでも、です! そもそも、土曜日のお昼とはいえ何で静岡(ここ)にいるんですか。大学は近い人も多いかもしれませんけど、示し合わせたように合流するなんてありえないでしょう?」

「すまない。やはり途中で一緒になるのは迷惑だったか?」

「い、いや、それは、会えて嬉しいですけど……って、そうじゃなくて! 要は、なぜ私に連絡が来ていないか、ってことです!」

「……もしかして、本当に何も知らない?」

 

 一番小柄な人物が首を傾げて尋ねる。が、余程腹に据えかねたのだろう、「知らないです!」と拗ねたように顔がそっぽを向いてしまった。

 

 六人は再びアイコンタクトで協議を重ね、代表して一人が声をかける。

 

「ごめんねー。大隊長さんから連絡がいってると思ってたから」

「……師匠から? 繋がりが、よく分かりませんが」

「私達、佳枝のとこのチームに入ったんだよ」

「え?」

 

 ピシリ、と一転して固まった姿に、ダメだこのポンコツといった冷ややかな視線が五つくらい注がれる。残りの一人はそんな様子を気にかけることもせずに続けた。

 

「あの日の後に受験組で話してね。やっぱり、もう一度みんなで戦車道をしたいってことになったの。それで、一緒の大学に入るのは無理だけど、社会人チームに入れば戦車道も夢も両立できるじゃない、って」

「ちょうど私らの知っているチームが一つあったからな。だめもとで聞いてみたら快く迎えてくれるという話だし、これで行こうと」

「だから志望校もなるべく静岡に近いところを選んだんやけど……合格の連絡したときに気ぃつかんかった?」

「いえ、……割と皆さん近いところに来たので、機会があれば会えるかも、としか」

「……そうだけど、そこはもうちょっと考えてほしかった」

「どうしましょう。なんか私、色々とはやまった気がしてきたわ」

「ほんと鈍いわよね。頭の中、戦術とかしか詰まってないわけ?」

 

 懐かしくも容赦ない言葉の友軍射撃(フレンドリーファイア)に、約一名の精神がガリガリと削られていく。だったら早く言ってくださればいいのに、とか、師匠のバカ、とか呟いていたが、他の面々からは黙殺された。

 

 ただ、

 

「まあ、そんなわけでさ。これからも、よろしくね」

 

 と笑顔で言われれば、嬉しさが先ほどまでの不機嫌を上回ったようで。

 

「……こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 そう言って、彼女は照れたように笑った。

 

「おーし、それじゃあ早く行こうよ。どんな戦車があるのかなー?」

「うちのチームは基本ドイツ系ですね。Ⅲ号G型からシュトルムティーガーまで、幅広くありますよ」

「なぁなぁ、うちらって最初はどこから始められるん? まあ雑用からでも別にいいんやけど」

「そうですね……。さすがに戦車長は無理ですけど、他のポジションなら結構開きがあるので入れます。他の皆さんは忙しいようでして、誰かしら欠員が出るんです。……ちなみに、どこが希望ですか」

「私は装填手で」

「うちは操縦手やな。こっちが本業やから、任しといて」

「当然、私は砲手ね。ファイアフライじゃないのが残念だけど、この腕なら――」

「はいはい。あたしはどこでもいいわよ。ま、出来れば砲手がいいけど」

「あれ? 元々砲手やったん?」

「そうよ。去年は戦車長してたけど、最初は砲手から始めたのよ」

「ああ、私も同じ感じだ。ドイツ系戦車なら、尚のこと砲手がしたいな」

「みんな頑張ってねー。私は張り切って整備するからね!」

「……あんたね。試合中のポジションはどこよ」

「……出なきゃだめ、かな?」

「当然」

「よし、こいつ装填手でいいからどこかに放り込んでおいてくれ」

「ふふ。それじゃあ、副隊長車にいれてもいいか聞いておきますね」

「えー、私の意見は無視なの? ねー」

 

 騒々しく、それでまたどこまでも賑わしく。七人は戦車が待つ演習場へと続く道を、一緒に歩いて行った。

 

 

 




最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
こうして無事に完結することができましたのは、応援していただいた皆様のおかげです。お気に入りに入れてくださった方、感想や評価をくださった方、そしてお読みくださったすべての方に、改めて感謝を申し上げます。

それではひとまずここで、筆を置かせていただきます。


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番外編
キャラ設定


お久しぶりです(汗)

時間が大変開いてしまいましたが、本編の改稿を進めていきます(現在3話まで作業終わりました)。
一応、今年中を目途に書き直しを終えたいところですが、どうしても殆ど全てを手直さないといけないため時間がかかる見込みです……。

番外編も最終章を中心に構成中です。ただ、こちらも原作の進み具合によっては年単位で執筆できないかもしれません。とりあえずは改稿を優先させる予定です。

もしお待ちくださる方がいらっしゃいましたら大変申し訳ありませんが、気長にお待ちいただければと思います。



平野 はつみ

 

 

 中国・四国地区の代表でARL-44の戦車長兼通信手。工業科三年生。

 

 戦車が大好きな生粋の整備屋。明るく気さくな性格をしており、チームのムードメーカー。戦車整備部という独特の部活動で部長を務めていて、調子の悪いエンジンの音を聞いただけでどこが悪いのか分かり、持ち合わせのもので応急処置もできるほど整備術の腕前が高い。また部長としての適正も抜群に高く、多くの部員から慕われている。

 

 反面、戦車長としては中の下といったところ。戦術を立てるのは苦手なため、戦車の性能向上と乗組員の教育に力を入れて強引にカバーしている。実は飛んでくる弾を怖がっており、試合時にいつも砲隊鏡(Ⅲ号戦車砲のように取り付けられているタイプじゃなくて、携行できるもの。ハッチを開けて使用する)を持ち込んでいるのはそのため。

 

 好きな戦車はチャーチル。

 

 

 

 

七夕 次子

 

 

 近畿地区の代表でP40重戦車の戦車長兼装填手あるいは砲手兼務。服飾科三年生。

 

 似非関西弁を話す、北陸出身の私立高生。マイペースなように見えてその実計算高い、したたかな性格。デザインの勉強をしていくうちに(何故か)戦車の造形に興味を持ち始め、そのまま戦車道にもはまったという。空間認識能力が高く、二年生までは操縦手として活躍しており、今も戦車レースなどに出場している。

 

 操縦手あがりの車長のため地形を特に重視しており、試合前の視察は欠かさない。どこから攻撃ができるか、その場所へはどこを通ればいいかということを瞬時に判断して指示を出せる。装填や照準を兼務してもそつなくこなす、優秀な戦車長といえる。ただし味方から背後を撃たれたというトラウマを持っているので、連携をとりたがらない。

 

 好きな戦車はルクレール。

 

 

 

 

久守 桜奈

 

 

 北海道地区の代表でJS-3の車長兼装填手。農業科三年生。

 

 身長140cmほどの小柄な少女。口数が少なめで表情もあまり変わらないため、とっつきにくい印象を受けるが、根は誠実で相手を気遣える人柄。やや大雑把(有り体に言えば脳筋)な思考をしているのが玉に瑕。次子とは同じトラウマを持っているためか意気投合している。

 

 子供っぽい外見とは裏腹に、驚異的な怪力の持ち主。25kgもある弾頭を苦もなく何十発も装填できるといえば、その異常さがわかる。人間工学を無視したJS-3をまとも以上に運用できているのは彼女の力(物理)によるところが大きい。

 

 好きな戦車はJS-2。

 

 

 

 

島田 佳枝

 

 

 中部地区の代表で四式中戦車の戦車長。土木科三年生。

 

 礼儀正しく、人当たりも柔らかな高専生。「静岡アウルズ」という社会人チームに所属しており、その副隊長および偵察小隊隊長を務めている。敬語口調で話す癖があるが、これは年上や目上の人に会う機会が多いため。身内にはラフな口調になる。戦史研究と緑茶、日向ぼっこが大好き。

 

 名字が同じ由縁で島田流分家の門下生として研鑽を積んでおり、状況判断能力と戦術センス、指揮能力は並以上のものがある。「味方に無駄な損害を出さない」ことを信条としているので手段はあまり選ばないが、試合で誰かを傷つけるようなことは好まない。彼女が真価を発揮するのはゲリラ戦で、非常に優れた視力と聴力を活かした早期警戒によって一方的な攻撃を可能とする。

 

 好きな戦車はベルゲパンター。

 

 

 

 

ヴァイオレット・アーチャー(愛称:レティ)

 

 

 九州地区の代表でファイアフライの戦車長兼通信手あるいは砲手。イギリスからの交換留学生。

 

 母国では「ファイアフライの申し子」とまで呼ばれた天才砲手。ただ性格は残念極まりなく、余計な口出しをして他人の反応を楽しむトラブルメーカー。基本的に自分が面白いと思うとおりに行動する。日本文化に興味を持っているらしく、武士道や忍道に憧れている(本人談)。

 

 国際試合に出場した経験に基づく確かな洞察力を持ち、戦車長としての力量もかなり高いが、特筆すべきはやはり砲手としての腕前。停止射撃時の命中率と照準速度は圧倒的で、彼女を相手にして無策で開轄地を移動しようとするのは、余程の物好きしかいない。

 

 好きな戦車はチャレンジャー巡航戦車。

 

 

 

 

勝 冬乃

 

 

 関東地区の代表でシャーマン初期型の戦車長兼通信手。普通科三年生。

 

 口が悪い上につむじ曲がりな、純度高めのツンツン娘。といっても悪意はなく、通すべき筋はきちんと通す、ある意味江戸っ子気質な性格。学校では生徒会長を務めており、以前は盛んだった戦車道を復興させようと日々努力している。熱意が空回りすることも多いが、人望はそれなりに厚い。趣味は意外にも読書。

 

 戦車道では攻撃こそが戦車の本領と信じている突撃屋。煙幕の多用、スタビライザーによる高精度の行進間射撃を活かした接近戦の指揮を得意としている。だがチーム戦の経験や戦術知識に乏しく、戦車長としてはまだまだ未成熟。そこさえ克服できれば七人の中では一番伸び代があるかもしれない。

 

 好きな戦車は90式戦車。

 

 

 

 

片山 駒恵

 

 

 東北地区の代表でヤークトパンターの戦車長(砲班長)。自動車整備科三年生。

 

 凛々しい口調が特徴の公立高生。割と現実的な性格をしており、七人の中では一番の常識人。そのせいか、他のメンバーに絶えずツッコミを返す苦労人でもある。元々は自動車の整備を専門としているが、選抜戦の話を聞いて参加してみようと思い立ち、興味本位で戦車道の世界に飛び込んだ。

 

 視力が極めて良く、遠く離れた戦車でもすぐに発見できる。さらに目測の精度はかなりのものを誇り、1500m以内であれば即答で近似値を言えるほど。測距儀(秋山殿が使用していたものと同タイプ)も持ち込んでいるため、遠距離になればなるほど強みを発揮する戦車長である。搭乗車輌との相性は最高といえる。

 

 好きな戦車はMBT-70。

 

 

 

 



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