なのたばねちふゆ (凍結する人)
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なのたばねちふゆ
なのはと束と時々千冬


 この世界は全部、篠ノ之束の想定内だ。

 地球の外周は40077kmで、私の頭囲は51.1cm。

 私の頭を7億倍にしても届かない大きな星。でもその表面で起こっている事故、事件、スキャンダル、発見、発明、そして戦争ですら。

 物心ついてからの私の予想を、一片たりとも超えたことはない。

 

 私は天才だ。

 別にカッコつけている訳でもないし、誇大妄想でもない。だって、本当にそうなんだもの。

 理不尽に思ったことはない。私にとってはそれが当たり前だったからだ。

 まだ周りがひらがなだってロクに書けないような発育段階で、大学の図書館にこっそり入り込んで、数学の本を読んでいた。

 聞いた言葉をすぐに覚えて、足し引きを覚えた次の日に掛け割りを思いついた。

 漢字が難しくて読めない本がある時は、ベッドの中に入ったまま、寝ずに常用漢字を全部覚えて、それでも眠気一つ感じなかった。

 あの時は楽しかったなぁ、と思う。一つ分かったら三つ謎が生まれて、それを解いたら五つ不思議が生まれる。目の前の世界は無限に広がっていて、それを全部解き明かしてやろうと息巻いていた。

 変な子だと噂されていたのに気づいたのは大分後になってからだ。親にも何かしら言われていた。もっと小さい子らしくしろ、だったっけ。

 今思っても反吐が出る。私は私らしく生きているのに。それをどうして阻まれなきゃいけないんだろう。

 でも、ひょっとすると、その言葉はちょっぴりだけ正しいのかもしれない。

 

 まだ六年しか生きていなかったけど、もう全部知ってしまった。

 物理学、数学、化学、地理学、語学、歴史学……並べてみると数だけは多いけど、皆大したことはない。

 みんなみんな単純だった。

 私は知識を積み上げる過程で、知識を予想することを覚えた。

 この事象はああなるだろう、あの出来事があるから次はこうなるだろう。今まで積み上げてきた情報や知識から、未だ見ぬ事象を想像するのだ。

 それを思いついてから、私の見る世界は急速に色褪せてしまった。

 だって、何もかも予想した通りになってしまうんだもん。

 

 あーあ、まだ知らないことを軽く予想して、それが寸分違わず合っていた時の失望感と言ったら!

 

 要するに、クイズの答えが合っていることより、間違っている方が嬉しいのだ、私は。

 だって、それは自分がまだ「知らない」事があるって証拠なんだ。

 知らないから間違える。分からないから迷ってしまう。知っているのに、分かっているのに間違えるなんて愚かな真似はしない。

 知らないこと、分からないことで一杯な世界が、私は好きだった。

 でも、たった三年、物心ついてから三年間掘り尽くしてみただけで、私はその全てを分かってしまった。

 

 これが自惚れや勘違いだったらいいのに。

 でも、今朝のニュースを見ても、予想していないことは何もなかった。

 交番に掲示されている交通事故や死者の数だって大体は言い当てられる。人間の行動全部を数学に当てはめることは出来ないけれど、それでも端数を含めて、一番確率の高い数字を当てはめれば、それが必ず当たってしまう。

 

 だから、この世界はつまらない。つまらないったらつまらない。

 

「つまんない」

 

 小学校に入学してからちょっと経った時、クラスも学校も何一つ自分の予想をはみ出なかったことへの失望から、普段は完璧に隠していたその本音が、つい、ポロリと口から漏れてしまった。

 

「つまらないの?」

 

 という返答が、隣で歩いていたのから出ることも分かっていて、それが尚更つまらなかった。

 普段なら何も無かったように歩いていく所を、ついカッとなって言い返してしまった理由はそれだった。

 

「つまんないよ」

「なにが?」

「全部」

 

 とはいえ、こんなのに付き合っていても時間の無駄だし面白くない。だから、二言だけ吐いてとっとと行っちゃおう。

 そう思ったけれど、“それ”は生意気にも言い返してきた。

 

「つまらなくないよっ」

 

 何の理由もなしに、ただ感情だけで自分を否定する。私の一番嫌いで、聞きたくない言葉だ。

 普段なら、そういう言葉は聞こえない。自然と耳からすり抜けてしまう。

 でも、あの時私はとてもムカついていた。ちーちゃん風に言えば、虫の居所が悪かった。

 

「どうして? 私にとってはつまんないけど」

「どうしてもっ!」

「理由になってないじゃん」

「なってないけど! でもつまらなくないんだよっ」

 

 思わず襟を掴み上げた。私は録に運動とかはしていないのだけど、何故か力は強くて、自分と同じくらいの“それ”は簡単に持ち上がっていた。

 あの時の私の顔といえば、それは凄まじい物だったと思う。

 いつだったか、脳内であの時の感情をエミュレートして、それを鏡越しに写真で撮ったら、自分でもちょっと引いたくらいだ。

 

「どうして? 何の理由もなしにそういうこと言わないでよ。私にはつまんないんだから、いいでしょ」

「だ、だって……だってっ」

 

 私の顔を見た“それ”はとても怯えただろう。怖くて怖くて、逃げ出したかっただろう。

 私には簡単に予想できる。でも、“それ”がどうして逃げなかったのかだけは、あれから二年間ずっと考え詰めた今でも『分からない』。

 

「そんなの、だめだよ。ぜんぶつまんないなんて言っちゃうの、だめだよ」

「どうして?」

「だめなのっ、そんなの、そんなの……いやじゃないの?」

 

 そうだ、私はイヤだ。この世界が。そんなことはとっくのとうに分かっている。

 またムカってなって、今度は直接首を掴んだ。

 

「う、あぅ」

「嫌だよ? でも、何もかも分かっちゃう。全部自分の思う通りになるんだよ。だからつまらないよ。ね、君がどうにかしてくれる? っていうか誰、君? このつまらない世界、面白くしてくれるの?」

 

 底冷えした言葉の最後の方は、怒りではなく願望だった。

 だって、“それ”は。あの娘は逃げなかった。

 あの時私は手加減していなくて、恐らく窒息する寸前まで首を締めていた。

 その手は痛くて、塞がれた息は苦しくて、あの娘の意識は朦朧としていたことだろう。例え理性がNOと訴えても、本能の方で勝手に手を振りほどいてもいいくらい、あの娘は追い詰められていた。

 でも逃げない。それどころか、潤んだ目で、それでもはっきりまっすぐと、自分の目を見つめて来た。

 それは、久しぶりの予想外だった。

 

「……う、うん」

 

 絞りだすような、一声。それも私の想定外。真っ正面から放たれる、でも勢いだけでない、ちゃんとした決意がある言葉。

 

「きみ、が、たのしくないなら、おしえてあげるっ」

「何を」

「つまんなく、なん、か、ないの。みんな、みんな、みんなっ!」

 

 手が振りほどかれた。思いっきり首を締め上げていた筈の手が。

 目の前の彼女のデータを改めて確かめる。飛びきりの運動音痴のはずだ。自分の手を振りほどくくらいの腕力は無い。そのはずなのに。

 私は思わず、信じられないような表情で自分の手の平を見つめた。はずなのに、という言葉を使うのはどれくらいぶりだろうか。

 

「みんな、いるからっ! おとーさん、おかーさん、おにーちゃん、おねーちゃん! 他にもいっぱい、このせかいにはいっぱい、いっぱいひとがいて、みんな……それが、みんな、つまんないなんて、そんなことないよっ!」

 

 訳がわからない。でも、何故か、私の中へと焼きつく言葉。

 体当りされた。反射的に受け流して、あの娘は床へドサッと転ぶ。

 顔を強かに打ち付けて。でも立ち上がって、また向かってくる。

 それからは、引っ掻こうとしたり、叩こうとしたり。皆払い除けたが、でも向かってくる。

 ああ、何だか、楽しい。このやりとりが。無駄にしか見えないこのやりとりが。

 

「つまんないなんて、かなしいよっ、そんなのいやだよっ、わたしがいやだっ!」

「どうして? 私がつまらないのが、嫌なのが、どうして嫌なの?」

「いやだよっ! わかんないけど、そうして、となりで、いやだって思ってるの、ほっとけないよっ!」

「面倒くさいから?」

「ちがう!」

 

 向こうはとっくに泣き出して、喚きながら引っ掻きに来る。払い除けても払い除けても、諦めない。

 この娘はどうしても、私を放っておけないみたいだ。何の理由も因縁もないこの私を。

 

「つまらないって、そんなのぜったい、ぜったいぜったいぜったいぃ……」

 

 終いには泣きじゃくりながら此方に抱きついて、縋りつくように抱きしめてきた。

 密着することで伝わる、他人の体温。今までは気に入らない物だったけど、それよりもっと暖かくて、生臭くない熱さが、私の心にぴとっと触って来た。

 

「……ね」

「うぅ……」

 

 始めて、自分から言葉をかける。さっきまで、有象無象のモノとしか思えなかった、ただ息をして、生命活動をする物体にしか思えなかった個体に。

 彼女に。

 私はこう言った。

 

「君、名前、なんて言うの?」

「え……」

「だってね、君の名前、覚えてないんだ。思い出せないんだ。なんて言うの?」

 

 記録としてはちゃんとInputされている。でも記憶として、思い出としてはRememberしていない。

 聞きたかった。名前を、彼女の口から語られる、熱のある『なまえ』を。

 それは多分、私が父親と母親以外で始めて記憶する名前。

 

「たかまち、なのは……私、なのは! 高町なのは!」

「うん、なのちゃんね……私は、篠ノ之束」

「たばね、ちゃん…………うあぁぁぁっ」

 

 名前を聞いてなぜだか緊張が一気に弛緩したようで、大泣きに泣き出しながら、また、強く抱きしめてきた。

 私は、思わずなのちゃんを抱き返していた。

 

「なのちゃん……私、忘れないよ。一度覚えたことは、もう忘れないんだ」

「うんぅ……」

「私、ずっと覚えてるからね。なのちゃんのこと、ずっと」

 

 忘れるもんか。心の中ではそうぶっきらぼうに言い張った。

 こんなに真っ直ぐで、愚直なまでに真っ直ぐで――そのまま一直前に、自分に向かってくれる人。

 

 私にはなのちゃんが分からない。どうしてそこまで私に拘るのか。私に反対するのか。何の理由も無いのに私を否定して、でも私を救いたいと思ってくれる。正直怖くなるくらいに、私はなのちゃんを理解できない。

 逃げ出したくもある。彼女から。今まで理解したどんな数式でも分析できない、訳の分からないものから。

 

 だからこそ、素敵に思える。面白いと、言える。

 

 やっぱり、逃げたくはない。大体、こんな理屈も何もない理論を解析できないようでは、自分を天才だなんて言えないし。

 ああ、こんな娘が居るなんて。やっぱり、世界は自分の思っていたより、少しだけ鮮やかで、美しいのかもしれない。

 結論を急ぎすぎていたみたいだ。少なくとも、もう20年くらいは待ってもいいだろう。

 それまで、もう少しだけこのままの世界で暮らしてみよう。面白おかしく。

 

 なのちゃんとなら、この色褪せた世界でも、少なくとも白黒くらいには塗り替えてもらえそうだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 織斑千冬、御年9歳の小学3年生は、非常に大きな頭痛の種を抱えていた。

 

 それは、篠ノ之束。小学三年生にして何十個も特許を持っている、天才発明少女。

 

 なぜだかいつも同じ青いドレスを着込み、機械じかけのウサミミ型カチューシャを頭にくっつけている彼女は、何も知らない一般人からすればとにかく陽気でハイテンション少女にしか見えない。

 しかしその実、とんでもなく人当たりが悪く好き嫌いも激しいので、気に入らない人間にはどんなことをするか分からない。その、超弩級に自分本位な考え方と行動は、周囲(主に千冬)を引っ切り無しにトラブルへ巻き込んで、離してくれない。

 出会った当初など、挨拶してもそこに「誰もいない」かのように通り過ぎられたりもした。その辺りは何回かの教育的指導によって改善したのだが、それでもなお社会的に生活するにはネジが数十本溶けて蒸発しているのではないか。

 篠ノ之家と自分とはそこそこ深い付き合いだし、彼女が騒動を巻き起こしていたら無視する訳にはいかないのが千冬の辛いところだ。

 

 そうした苦労の果てに、ついに持て余した、もうダメだ、と思った時――月に三度は下らないが――千冬は決まって、ある人物に教えを請うことにしている。

 

「……聞いてくれ、なのは」

「千冬ちゃん、どうしたの? ……また束ちゃんのこと?」

 

 高町なのは。

 自分より遥か二年前から篠ノ之束という女の子と付き合っていて、恐るべきことに彼女の「友達」になれた同級生。

 彼女の言うことには、その時の束は今よりずっと排他的だったらしい。あれ以上があるのかと思うと、いささか信じられないものの、なのはがそう言うなら本当なのだろう。

 

「そうだ! なのはも聞いただろう、あの騒動……」

「騒動というより、活躍、なんじゃないかな? あのおかげで、アリサちゃんもすずかちゃんも何もされずに助かったんだし」

「そんな生温いことか! 確かに誘拐なんて企む奴らは自業自得だが、それにしても、もう少しやり過ぎていたら……死んでいたぞ!?」

 

 話題の中身は先週の休日、なのは、千冬、束との共通の友人である二人の少女が誘拐された事件であった。

 この事件を偶然(と本人は証言している)目撃した束は、車のナンバーと車種をすれ違った一瞬で暗記。そしてどうやってか町外れの廃ビルを探し当て、そこに立てこもる犯人グループに、彼女の発明「いい夢見てますか? verU.3G」とやらを使用した。

 数十分後に千冬の通報で警察が突入した時には、グループの内半分が狂声を挙げながら助けを求め、残り半分はそれすら出来ずに虚ろな目で、無抵抗のまま逮捕されたという。

 

「大丈夫だよ、束ちゃんそこら辺はちゃんと考えてるし。大体その発明品、ちゃんと危なくないように、テストはしてるんだよ?」

「どうやって!……まさか、また」

 

 こういう時、千冬の嫌な予感は95%くらいの確率で当たる。

 

「うん、私が試してみたの」

「この大馬鹿っ!」

 

 ノータイムで頭をポカリと叩く。「にゃああっ!」と大げさに頭を抱えてしゃがみ込む姿は束そっくりで、尚更叩きたくなってしまった。

 

「ひどいよ千冬ちゃん」

「お前が悪い! またあいつのモルモットになったのか! 何だか訳の分からん機械を使われて怖くないのか!」

「モルモットなんかじゃないよ、お願いされただけだよ。それに、束ちゃんに限って絶対、酷いことはしないよ。ね? だから、怖くない。だよね?」

 

 どこまでものほほんとしたなのはの返答に、千冬はかくり、と頭をうつむけた。

 自分よりもずっと長い、二年来の付き合いだというのに。いや、だからこそなのか。天災の危険性を全く考えず、その渦中に突っ込む大馬鹿者が、千冬にとっての高町なのはだった。

 

 なんだかんだで束と付き合い続けている自分も、何時かはああなるのだろうか。なんて考えてしまい、ぞくぞくする寒気が背筋を這いまわった。

 

「で、どうだった」

「何が?」

「お前はどうなったか、だ。悪質な犯罪者に自首させて、余罪も自白させて、もう二度とこんなことはしません、と反省させるほどのマシンだろう? 碌な事にならないと思うのだが」

「ああ、えーとね……凄い夢だったなぁ」

 

 なのはは、まるで懐かしい思い出を回想するように語り出し始めた。

 

「私、魔法少女になるの。それでね、空を飛んで、戦って、色んな子と友達になって、一緒に魔物とかロボットとかと戦って……大人になってからも、ずっとずーっと戦い続けるの。時々大怪我もするけど、それでも戦う。夢の中の私はそれしか出来なかったんだ。その内いつか飛べなくなって、皆に置いて行かれて、一人ぼっちになっちゃったところで……目が覚めたの」

「それ、は……」

 

 悪夢だろう、と面と向かってはっきり言えないくらいに、なのはの顔は晴れ渡った青空のようにすっきりしていた。

 

「でもね? そのことを束ちゃんにお話したら、すっごく喜んでくれて、1時間くらい、あはははははって笑い続けて、それから……『なのちゃんの夢だけは、正夢にはならないよ』って言ってくれたの」

「ちょっと待て、それは……他の人間の見た夢は、正夢になるということか?」

「そうみたい。なんだっけ、本人の記憶や経験、身体能力を読み取って、束さん特製データベースから分析・予測した状況の、推移に応じた、対処法の選択や結末を、装着者の脳に直接伝達するシステム……だったっけ」

 

 千冬は再び頭を抱えた。全く、なんというものを作り出してくれるんだ、あの天災は!

 

「本物の未来予知じゃないか、それは……何が『いい夢見てますか?』だ!」

「ええっ、そうなの? 束ちゃんすごーい!」

「無邪気に喜ぶな!」

 

 また、ポカリとなのはの頭を叩く。そうでもしないとやってられない。

 未来予知の出来る機械。それがどれだけ偉大で、しかし危険なものなのか。小学3年生の千冬の頭でもはっきり理解できる。

 

「大体、お前はその未来予知でああいう……破天荒な、夢を見たんだろう? 本当に魔法少女になって、戦い続けるんだぞ?」

「そうだね。でも、束ちゃんが正夢にはならない、って言ってくれたから」

「あんなアーパーウサギの言う言葉を良く信じられるな!」

「だって、束ちゃんは私の友達だもん」

 

 ぴしゃりと言い切られた。なのはにとって「友達」とは、それ程に重みのある言葉なのだろうか。

 大体なのはのように明るく真っ直ぐな女の子と、束のように根性が螺旋迷宮になっているヤツが、どうして友達なんかになれたのだろう。

 千冬は、なのはが「友達」という一言で束を表現する度に、いつもそのことを考えてしまう。

 

「それにね、束ちゃんが言ってたけど、私は『特別』なんだって」

「特別?」

「そう、私は……」

 

「そうそう、なのちゃんは特別なんだよーっ!」

 

 突然、大空のど真ん中から聞こえてくる声。

 話し込んでいた二人が見上げると、逆三角形の人参型で、ちょうど葉の部分がローターになっているヘリコプターが浮かんでいた。

 そして、なのはと千冬の間に、勢い良く落っこちてきた。

 

 人参の先端が舗装されたコンクリートに突き刺さる。いつも思うのだが、こういう破損は一体誰が弁償しているのだろうか。

 とりあえず、千冬はパカっと開いた人参から出てきたうさ耳の青ドレスの顔面に向かって通学カバンを叩きつけることにした。

 

「もすもすひねっ……痛っ! 痛いよぉちーちゃん! 私まだ何もしてないのに~! かばんでぶった! この天才的で人類の至宝な頭脳をぶったぁー!」

「黙れ。お前みたいなのを至宝にするほど、人類も落ちぶれてないだろ」

 

 噂をしていたらなんとやらである。何処で聞いていたのだろう。いや、最初から最後まで全部、聞いていなくても予想の範囲内だ、くらいは言うのかもしれない。

 

「あ、束ちゃんおはよう」

「なのちゃんおはよーっ! 今日もいい天気だね。なのちゃんも可愛いね。箒ちゃんと同じくらいぷにぷにしてて可愛いね~ぐふふふ」

「にゃははは、くすぐったいよ束ちゃん」

 

 早速過激なボディタッチに移行する束。服の中に手を入り込ませる束。何処を揉んでいるのやら、千冬としてはこの不純さだけでも公衆の面前で見せたくはないのだが、しかしなのはは拒否せず、されるがままになっている。

 こういう時、一歩間違えると服も下着も亜空間に消し去ってラビットダイブしてしまうだろう束を止めるのは千冬か、そうでなければここにはいないアリサかすずかの役割だ。

 という訳で、もう一度学生鞄を遠投。

 

「ぐふっ! しかししかし、なのちゃんの胸の発育に貢献できた私に一片の悔いなしっ」

「よし、覚えたての空中コンボを叩きこまれたいようだな」

「って思ったけど今のナシ! ストップストップ、ストップ・ざ・ウォー!」

「もう少し心のドアを開けておいてから言え」

 

 そのままパンチパンチキックからの、空中で三連撃、それから投げで〆た。

 千冬の運動神経、もとい戦闘力は元からはかなりのものだったが、篠ノ之神社にある剣道場での鍛錬、そしてなのはから紹介された彼女の父親、高町士郎直々の指導によって、人間が持つには結構非常識なレベルにまで高まりつつある。

 千冬自身は自分を常識人と位置づけて、非常識な束やそのブースト剤であるなのはの抑え役に回ろうと自負していたが、そんな彼女も非常に非常識である。

 

「あたたた……痛いよぉちーちゃん、うさぎは痛めつけられると簡単に死んじゃうんだよ?」

「それはどんな小動物でも同じだ。それにお前はか弱い小動物ではなく、どちらかと言えばヴォーパルバニーじゃないか」

「カニバリズムの気はないよっ、今予測したけど、ちーちゃんもなのちゃんも絶対不味いし」

「考えんでも分かることだろう、わざわざ口に出すな!」

「あっ、ちーちゃんたら考えちゃった? ねえねえそうなの?」

「くっ……相変わらずひねくれてるな!」

 

 勿論、今の空中コンボをまともに食らってから五秒もしない内にけろっと立ち直る束が非常識でないはずもない。

 まともな訓練もせずに日がな一日神社の脇にあるラボ(という名のバラック建ての秘密基地)に引き篭もりながら、まともに戦えば千冬と互角なのだ。

 流石に手榴弾が直撃すればバラバラになるだろうが、それはそれで自力で肉体の再構築くらいは成し遂げてしまうかもしれない。

 

「にゃははは、二人共、あんまりケンカしてると学校に遅れちゃうよ?」

 

 しかしながら。

 そんな二人の実力を正確に把握し、目の前で起こった半分スプラッタなシーンを見ても大丈夫だろうと見切りをつけて、何より二人を「友達」として信頼しているから、平然とした口調で割り込んでのける。

 

「む、そうだな。おい束、とっとと行くぞ」

「はぁーい☆」

 

 そうした一言で、この二人の天災に言うことを聞かせるのだから、実のところ彼女がこの中で一番、非常な人物であるのかもしれなかった。

 その後、通学路を三人で歩きながら、千冬は束に問いかけた。

 

「ところで束、なのはが見たという『夢』のことなんだが、あれは本当に、正夢にはならないんだな?」

「そうだよ? ぶっちゃけアレ、何故か不完全な予測になっちゃってるから。私の『いい夢見てますか?』は人間の行動パターンを完全に予測して、周囲の環境やデータも加味して未来予測を構築できる代物なんだ。けどなのちゃんはね、多分予測から大きく外れた行動を取るよ?」

「……つまり、お前のマシンにしては珍しく、欠陥品か」

「そうとも言えるねー。でも、他の人間は皆予測通りに動いた。あの犯罪者だって、自首したら懲役、もし自首してなかったら、助けに来たなのちゃんの兄から御神流剣術を食らって、それからバニングス家と月村家の権力で闇に葬り去られるよ! っていう予測通りになったんだもん」

「それが、なのはは『特別』だということか?」

「うん。長い間付き合って、どんなに計算し直しても、私の予想の上を行く。真っ直ぐで単純だから予想は楽だ、と思うでしょ? でも、真っ直ぐ過ぎて追い切れないよ」

「そんな、ものか……とてもそうは見えんがな」

「でしょー? だから分かんないの。だからね、楽しいよ」

 

 そう言って、自分の三歩先を歩くなのはを見つめる束の顔は、いつもよりちょっとだけ普通の女の子に近づいていて。

 千冬はそれを見ると、なぜか安心してしまうのだ。

 同時に、もし束がなのはと出会っていなかったら、その情熱の対象が何処へ向かっていたかと考えると、そこはかとない恐ろしさを感じてしまうのだが。

 

 

 

 千冬は知らない。束が呆気無く否定した『魔法少女』になる夢が、その後現実になってしまうことを。

 束は知っている。しかし、夢では無く現実の中で、なのはがどう行動し、決断するかは分からない。だから、正夢にはならないと言った。

 

 そしてなのはは何も知らず、分かりもせず。

 だけど、例えどんなことが起こっても、自分を支えてくれる人が、大切な友達がいるのだから、絶対に大丈夫だと信じていた。

 

 

 

 

 




長いこと書いてなかったのでリハビリがてら、面白いと思ったネタを一つ短編で。
声優ネタ以上でも以下でもないです。
なのはさんじゅうきゅうさいと束さんじゅうきゅうさいが並んでぶいぶいやってる画像を見たら勢いで書いちゃいました。
この後魔法技術に惚れ込んだ束さんが媚び媚びでユーノに教えを請うけど3日でポイ捨てしたり
なのはと友達になったフェイトちゃんに束さん超弩級な嫉妬をしてアルハザードにほぼイキかけたりしますが無害です。
10/7追記
しませんでした。結果的にウソ予告ですねこれ。ごめんなさい。


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ISの魔法使

サブタイにあんまり意味はありません。


「……あはっ」

 

 言葉が漏れた。ビデオカメラを持つ手が震える。いけない。既に定点カメラ、自動操縦のヘリカメラなど、二十数個のレンズであの光景を追っているが、それでも自分の手で撮るこの光景をブレさせる訳にはいかない。

 両手でカメラをガシっと抑えた。しかしそれも、数秒後には地震の最中のように震えまくる。心の震えが身体に反映するなんて、初めてだ。

 

「ああ、あ、はぁぁ……」

 

 目の前に、ピンク色の光がちか、ちか、ちか。そうして、光の柱が登る。その美しさに、思わず熱い吐息が漏れた。

 その中で何が起こっているのかまるで検討がつかない。その事実だけで、心臓がカートゥーンのアニメのように、身体を突き破って吹き飛びそうになる。

 それを抑えようとして左胸を手で抑えると、年に似合わず膨らみかけている胸が鷲掴みにされ。

 

「はぁぅっ」

 

 と、緊張に似つかわしくない声が出てしまった。

 一体何をやっているのだろう。目の前には、既存の科学や常識をひっくり返すような現象が起こっているのに。

 

 光の柱がバラバラに砕け散る。そして現れたのは――白い悪魔。

 私の仮定したつまらない世界の壁を打ち砕き、未知なる混沌の世界へと誘惑してくれる悪魔。

 

――ふぇっ、え、な、なにこれぇっ!?

――やった! 成功だ!

 

 驚いている彼女が持っている杖は、一体何処から現れたのだろう。

 彼女の服装は何故より白く派手になっているのだろう。その材質は? 構造は?

 盗聴器から聞き取れる少年の声は、一体その場にいる誰が発したものだろう。フェレットしかいないのだが、小動物の発声器官でどうやって複雑な人語を発しているのだろうか?

 

「ああっ、ふぁ、あ……」

 

 考える。頭の中に詰まっている既存の知識や理論をフル回転させて考える。でも理解できない。

 彼女が今対峙している怪物もそうだ。その跳躍力、耐久力、どれを見ても、生物学なんて当てはめるのがバカバカしいくらいのおかしさだ。

 

――落ち着いて、あいつを封印するんだ!

――そ、そんなこと言われてもっ!

 

 オカルトだって参考にならない。つまらない人間の想像力を、はるかに上回る超常的存在。

 大体、怪物が保有しているエネルギー量はどうだろう。脳内で計算してみたら、なんと、この町を十回消滅させてなお余りある程だ。それがあんな小さな不定形生物に収まっているのはどうしてだろう。

 未知の論理、未知の数式。

 その仔細、それによって成り立つ世界を妄想する度に、お腹の奥がずきずき疼く。

 未知。この世界のどこにも存在しなかった現象。それは無限の可能性。

 考えられる全てを予測し演算すると、たちまち頭がパンクして、沸騰したような熱が身体全体に伝搬する。

 

「あ、すごい、す、ご、ひぃ」

 

 ふと気づくと、全身が汗でびっしょりと濡れていた。

 ドレスの中はきっと大惨事だ。

 

――ええと、とりあえず……きゃっ!

 

 そして、撮影対象が動いた。目の前の黒い怪物に襲い掛かられて、慌てて避難したようだ。

 それに合わせてカメラを動かそうとしたところで、足がもつれて倒れてしまった。

 

「うあっ、ぅぅ」

 

 転げた勢いで、大好きなウサミミのカチューシャが外れる。夜の冷えた、しかもゴツゴツの路面が痛い。それでもカメラと、自分の目を眼前から離すことは出来ない。膝立ちになって注視し続ける。

 皮膚に残る痛みすら、今は何だか気持ちがいいし。

 

――今だ、封印を!

――う、うん、やってみる!

 

 戸惑いから転じ、覚悟を決めて一気に真剣になる彼女の顔。それはとても美しくて、思考の熱が渦巻く身体が更に燃え上がって、意識が溶けてしまうようだった。

 決然とした表情で構えられる杖、その先端に光が宿り、暗黒物質の化け物を四方八方から絡めとる。

 そして。

 

――リリカルマジカル!

 

 呪文なのかそれとも認証コードなのか、とにかく少女らしい叙情的な呪文が聞こえた後に、真っ黒い怪物は何の脈拍もなく姿を消した。

 さっきまで感知されていた、測定器が振りきれるほど膨大なエネルギーはどこに消えたのだろう。まさか、全部杖の中に入っているのだろうか。

 ああ分からない。分からない、分からない。

 自分は天才なのに。この世界で理解できないものなんて無かったはずなのに。

 それが楽しい。

 それが嬉しい。

 それが――とっても、気持ちいい。

 

「うぁ、あ、あ、あっ――!!」

 

 お腹の奥の奥から湧き上がった衝動が全身をわななかせ、身体に溜まった熱が一気に発散し、ついに私は辿りついた。

 

 これが、これが私の待っていたもの。モノクロに見えていた世界が、彼女の発したピンク色の光を軸に、テクニカラーで一気に色彩されていく。

 

 

 ウサ耳の外れた、水色ドレスの私はドロシー。

 

 ハリケーンのように破天荒な少女が、私を魔法の国へと連れて行ってくれる。

 

 その先には、黄色のレンガ道もエメラルド・シティも、きっとあるはずだ。

 

 

「あははははは、あははははは!」

 

 

 笑う。子供は笑うものだけど、私は全然笑わなかった。

 9年間そうだったのを取り返すくらいに、今、私はひまわりのように笑っている。

 だって、ここは夢の世界だもの。女の子がどれだけ笑っても、文句なんて言わせるものか。

 

「あはははは、あは、あは、あはははははは!」

 

 私はそのまま走り寄る。真っ直ぐ、出来たてホヤホヤの魔法少女の方へ。

 

「え、束ちゃん……?」

 

 戸惑うなのちゃん。その顔も可愛い。でも、今はそれより先にやるべきことがある。

 両手を広げて走りながら、すれ違い様に――別の世界からやってきたフェレットを回収した。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 引っ掴むとキューキュー何か喚いたがスルー。こいつには聞きたいことが山ほどあるのだ。

 束さんは謎を謎のままで終わらせることはしない。魔法について、あのエネルギー結晶体について、なのちゃんの持つ杖について。

 

 全て根掘り葉掘り聞き出して、自分のものにしてやる。

 自らを偉大だと偽り、魔法という名前だけを借りて偉ぶるような、何の力も持たないただの発明家には、絶対になりたくないから。

 

「あーっ、束ちゃん、それ私のペットになるんだよ!」

「だいじょーぶだいじょーぶ、多分3日ぐらいすれば、全部理解して用済みになると思うし! それに、色々するけど、ちゃぁんと怪我は直して、五体満足にして返すから☆」

「え、ちょ、なんなの君、怖いよ、凄い怖いんだけど!?」

 

 見当外れな心配をするなのちゃんだけど、私の一言で安心したみたいだ。

 

「そっか。束ちゃん獣医さんにもなれるんだね! じゃあ、お願い。でも、私のペットなんだから、なるべく早く返してね?」

「え」

 

 あっけなく見放されて間抜けな声を出すフェレット。

 当然だ。出会い立てのペットと、三年目の友人にして天才束さん。どっちがより信用できるか、小さい頭で考えてみるといい。

 

「あいあいまむまむ! さぁ、私のお友達を大きなお友達アーンド私好みにコーディネートしてくれたフェレットくんはラボにしまっちゃおうねー!」

「だ、誰かー! 変態です、それも大分特殊な部類の変態です誰か助けて!」

「鳴いても無駄無駄っ。大丈夫、ちゃんと質問に答えたら、束さん特製の赤クリームをたっぷり食べさせて、ちゃあんと馴致させてあげるから☆」

「なんかそれ凄い凶悪そうなんだけど! 助けて! キュー! キュゥゥゥゥ!」

 

 魔法少女の格好のまま立ち尽くすなのちゃんを置き去りにして、フェレットの悲鳴を町に響かせながら、私は止まらずに走り続ける。

 

 

 

 

 

 だって、全てはこれからだもの。

 可憐な乙女の周りで起こる、楽しい楽しいおとぎ話は、ここから始まるんだから。

 

 

 

 

 




ノープロットで書いているので、いつ更新が止まるのやら。まあ、いつものことですけど。
前回のより圧倒的に短いですが、アレは二話分を一つに纏めて投下したみたいなものなので全く問題ありません。


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凄惨!女子小学生に魔の手迫る!昼過ぎの神社で起こった悲劇!

 その日、織斑千冬は苛立っていた。

 どうしたのだろうか、彼女をいつも悩ますあの束が、珍しく学校をサボっているからだ。

 そのせいで、元々ある他人を寄せ付けない刺々しさが、更に磨きを増していた。

 

「た、たまにはそういう日もあるんじゃないかな? 束ちゃんだし」

 

 それを見かねたアリサとすずかは、昼休みに昼食がてら、彼女を屋上へ呼び出した。

 教室から離した、という方が正しいかもしれない。凛々しく何処か張り詰めていて、余り子供らしくない性格千冬は、孤高、という言葉が似合うほどにクラスの中で際立っている。悪く言えば浮いている。

 それがあの有り様では、クラスの空気が淀んでしまうのだ。現に、彼女の隣に座っていた不幸な生徒など、黒いオーラに当てられてしまって始終びくびくしっぱなしだった。

 

「そうよ、大体あいつみたいな変な奴って、学校を休んで当たり前のタイプなんじゃないの?」

「それがな……」

 

 違うのだ、と千冬は忌々しげに首を振る。

 そして、ぶすっとした顔つきのまま、手だけを動かしてある座席を指さした。

 

「考えても見ろ。なのはが学校に来ているというのに、あいつが学校に来ないはずがあるまい」

「あー……」

「そういう……」

 

 言われた途端見当がつき、二人はなんとも言えない顔で宙を見上げる。

 束の偏執的な迄のアプローチと、それを平然と受け入れてしまうなのは。アリサにもすずかにも、もはや日常風景の一つになっていた。

 

「確かに、おかしいよね……なのはちゃんと束ちゃんが一緒じゃないなんて。私達がなのはちゃんと知り合った時も一緒だったし」

「ちょっとすずか、思い出させないでよ……悪いことするんじゃないな、って身にしみたもん、あの時は……」

 

 

 すずかのりボンを取ったことをめぐってなのはと喧嘩し、仲直りしたその瞬間に、割り込んできた束の顔は今でもはっきりと思い出せる。

 別にアリサが悪いわけではないが、その時の束はとてつもなく怒っていたのだ。

 

――ちょっと君、金だけ持ってる凡百の分際でどうしてなのちゃんの隣にいるの? ふざけないでよ。なのちゃんの隣に凡人は要らないんだよ? なのちゃんの隣にいるのは、私みたいな天才じゃないと。でも、私以上の天才はこの世界にいないんだから、私だけでいいんだよ。ぶつかることで分かり合う友情、育むのは何人もいらないよ。大体あんた何様のつもりなの? なのちゃんの大事な大事なありがたーいお説教聞いたくせに逆上するなんて――

 

 凄まじい形相で瞬き一つせずにアリサを睨みつけながら、束は怒鳴り散らしていた。

 それはアリサにとって、地獄の釜が開いたのではないかと思いたくなるほど恐ろしい光景であった。

 

 

「……どうせ、嫉妬してたんだろう? なのはと友達になったお前に」

「ご名答。だけど、あの時はそんなこと全然分かんなくてさ。藪をつついて出てきた蛇と仲良くなったら、いきなりライオンが出てきたみたいで、とにかく怖かったのよ」

 

 鋭い直感、というか諦観で真実を言い当てた千冬に、アリサは苦い表情のまま首を振って肯定する。

 束がああまで不機嫌だった理由、それは、なのはを傷つけた怒りなどではなく、単純な嫉妬、それに尽きていた。

 自分が知り合った時の大喧嘩を棚に上げ、しかし同じようなシチュエーションでなのはと知り合ったアリサに嫉妬する。そんな幼稚さなんて、あの時のアリサに分かるはずもない。

 昔のアリサは、良く勉強ができてお父様に褒められてばかりの自分は天才なんじゃないのかな、と子供らしい自信さえ持っているほど我儘だったのだが。この一件で、本当の天才は自分なんか比較にならないほど、とてつもなく傍若無人で凶悪な存在なのだと理解したのだ。

 

「だから、高慢ちきな自分の鼻をへし折ってくれた、というか、ああいう奴にはならない、むしろなりたくない! って反面教師になってくれた……んだけど、正直、私今でもあいつ怖い。あいつには悪いけど、顔合わせなくてホッとしてる自分がいるわ」

「でも、束ちゃんが暴れ過ぎたら、なのちゃんが必ず止めてくれてるよね? それこそ、あの時みたいに、『いけないよ』って」

 

 

 あの場にはすずかも居合わせていたが、仲直りの場が一瞬にして天災吹きすさぶ鉄火場になってしまい、すっかり怯えきってしまっていた。

 そこでなのはが進み出て、終いにはアリサを正座させて大演説を続けていた束の目の前にすっくと立ってくれなければ、最後には怖くて逃げ出していただろう。

 

『こらっ、人を馬鹿にしちゃだめだよっ、束ちゃん!』

『えー、でもこいつはなのちゃんを』

『だめなものは、だめ! アリサちゃんも仲直りしたから、もう私の友達なんだよ! 分かってくれないなら、もう束ちゃんのお話聞いてあげないっ』

『あぐぅっ……!』

 

 その瞬間、怒髪天を突く状態だった束が、みぞおちにアッパーを食らったような潰れた呻きを出した後、あっという間に鎮まる。そして暫くしてから、一転して切ない表情を浮かべつつ、なのはに抱きついて許しを請うた。

 

『うぅぅ、それだけはご勘弁をぉ、神様仏様なのはさまぁ!』

『ふんだ、束ちゃんなんか知らないもんね。ぷいっ! アリサちゃん、すずかちゃん、行こっ』

『やぁぁぁん……』

 

 そっぽを向くなのはに、本物のうさぎのようにぴょんぴょん飛び跳ねて気を引こうとする束。

 呆然とするアリサとすずかは、何だかとてつもない乱入者の恐怖を心に深く刻み込み、同時にその手綱を完璧に握りきっているなのはの凄さを感じたのであった。

 

 

「そうよねぇ……なのはってば、どうやってあんな奴の手綱握ってるのかしら」

「本人にその気は全くないと思うぞ。向こうが勝手に首輪をつけて、手綱を握らせて、適当に引っ張られているだけだ。何の酔狂だが知らないが、とにかく、なのはが奴の外付け安全装置になってくれているのはいいことだろう」

「そうすると……千冬ちゃんが心配なのは、なのはから離れた束ちゃんが今何をやってるかってこと?」

 

 すずかの言葉に、自分の不安はまさしくそれだ、と言いながら千冬は拳を握り締めた。

 

「あんな奴がノーリミットで野に放たれてみろ! 次の瞬間頭上に隕石が降ってくるかもしれないというのに、おちおちのんびりしていられるか!」

「だからって、そんなに焦って食べる必要ないでしょ……あーあ言わんこっちゃない」

 

 焦りを食べっぷりに反映し、サンドイッチを喉に詰まらせてむぐむぐ苦しむ千冬。すずかはその肩を、ぽんぽんと叩きながら微笑んだ。

 

「千冬ちゃん、そんなに束ちゃんのことが気になるんだね」

「知るか。私はな、ただあいつが……良からぬことを始めやしないかと、そう思ってだな……そうすると、なのははともかくとして、外に止められるのは私しかいないというだけだ」

「はいはい、二重の意味でごちそーさま。千冬、あんたも変なのに惚れ込むよね。なのはのこと言えないじゃん」

「なんだとっ!」

 

 ちょうど自分の分を食べ終えて弁当箱を仕舞ったアリサは、千冬の噛み付きなどどこ吹く風である。

 

「そんなに気になるなら探せばいいのに。早退の言い訳考えてあげるから」

「するか、そんなこと。生徒として、学業はきちんと修めるべきだろうが。私事はその後だ」

 

 また不機嫌な顔になった千冬だが、その周囲にもう陰鬱な雰囲気は漂っていない。貴重な友達との会話が、一種の清涼剤になったみたいだ。

 その様子を見たアリサとすずかは、二人揃って千冬に気付かれないようにくすくす笑った。

 

 

 

 

 

 しかし放課後、織斑千冬の苛つきはまたぞろぶり返しつつあった。

 「見つからん」とぼやきつつ、竹刀袋をぶら下げながらほうぼうを走り回っている。

 何が見つからないかというと、当然あの天災怪人ウサギ女である。

 最初は当然篠ノ之家のラボにいるはずだ、とガサ入れするかのように突入したものの、そこはもぬけの殻だった。ついさっきまでいただろう痕跡があるのに、束自身は何処かへと消え失せている。しかも、一枚の張り紙を残して。

 

『はろはろ千冬ちゃん! 残念ですがこの部屋は密室です、またのご来場をお待ちしております☆』

 

 プチンときた。腹いせに『あひゞき ~くたばってぇしめぇ!~』と書かれたラボの看板を真っ二つに折ってやったが、そんなことで収まる怒りではない。

 剣道場で動きやすいジャージ姿に着替え、竹刀を携え猛然と走りだした。

 しかし、こんな時に限って神出鬼没の本領を発揮し、その影どころか気配すら見えてこないのだ。

 ひょっとすると、何処か別次元にでも出かけているんじゃないのか、と疑ってしまう程だった。

 

 そうして、苛立ちを紛らわすように石段を駆け上り、町外れの小高い丘の上にある神社へ辿り着いた、その時――

 

「……ッ!!」

 

 感覚が張り詰める。嗅覚には、微かな獣の匂い。

 脳内で、自分の首筋に鋭い牙が刺さる、というビジョンが見えた。

 だが、来ると分かっていればどうとでもなる。千冬は一瞬で竹刀袋から竹刀を抜き取り、襲い掛かってくる奴の鼻面にぶつけて受け流すように構えた。

 

 思惑通り、大口を開けながら飛び込んでくる獣の鼻を、強かに打ち、その衝撃で怯んだ隙に体勢を整えることが出来た。

 千冬は改めて、不貞にも自分の背後を取って襲ってきた肉食獣の姿を見る。黒い体毛に険しい顔、ギラついた目と紫色の舌。どう考えても平和な町には相応しくないモンスターだ。

 

 だが、千冬はうろたえない。

 

「ほう、こいつは中々……面白い」

 

 むしろ格好の獲物を見つけた、という様子で、口の端を吊り上げた。その表情は攻撃的で、しかし何処か年に似合わぬ妖艶さすら感じさせるくらいに美しい。

 

 千冬は竹刀袋から、もう二つ、中身を取り出す。それは、先程出した得物より短いが、脇差ほどではない。

 さっきの迎撃に面食らったのか、警戒している獣を尻目に、長い竹刀を捨て、短い竹刀を両手で持ち、構えた。

 

 それは、剣について、裏の世界について『分かる』者が見れば、ほう、と息をついてしまう程に実戦的で、しかも独特な構え。

 

「師範の鍛錬を盗み見たものだが、人前で使うと叱られる。まあ所詮付け焼き刃にしかならんだろうが……お前のようなのが相手なら、十分だろう?」

 

 永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀術。通称、御神流。

 高町士郎の旧姓、不破に代々伝えられていた古流剣術であり、当然不破と関係のない千冬が習うのは禁じられていた。しかし、千冬は早朝の稽古などでこっそりと行われている修行や鍛錬を覗き見し、不完全ながら構えや技を習得していたのだ。

 かつては暗殺剣として伝授されていたその剣法を、千冬は対篠ノ之束用の切り札にしようと目論んでいる。正統派な篠ノ之流では、それこそ外道の最北端を走っている束には敵うまい。外道には外道を、という思考法だ。それには勿論たゆまぬ修練が必要なのだが、一人こっそりトレーニングしているだけではなんとも手応えがない。

 

「練習用のよく動くターゲットが必要でな……お前、良いところに来たぞ。褒めてやる」

 

 言葉とは裏腹にますます歓喜に歪む千冬の表情。あまりにも凶悪な笑顔で、とても少女が浮かべていいものではない。

 逆に獣の方がその気迫に呑まれ、慌てて獰猛さを引っ込めていくようにも見える。

 

 

「さて、もっと言えば、今の私はかなり機嫌が悪い。とっとと終わらせるから、それまで精々良い的になってくれよ」 

 

 9歳の少女対、血に飢えたモンスター。絶望的で凄惨な殺戮劇が始まった。

 




リハビリなんで何も考えず書いてます。
書くことの面白さを身体に覚えさせるまで続ける予定です。
千冬ちゃんがなんでこんなにキャラ違うくらいはっちゃけてるかというと、高町家の皆さんが優しくしてくれたお陰です。


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お茶会へようこそ、フェレットさん

 篠ノ之束秘密ラボ。表のラボの地下に増設したそれを知るのは、製作者本人以外には高町なのはしか存在しない。

 彼女にしてみれば、地上にあるボロ屋はダミーも良いところだ。あの中には特許を取得した数々の発明品が並んでこそいるが、一度発明してしまったものにもはや価値など存在しない。本命はあくまで、地下にあるこの研究所。どこから仕入れてきたのか、もしかしたら自分で作ったのか。世界全体で見ても最新鋭の機器、工作機械、コンピューターがずらりと並ぶ豪華な場所だった。

 

「はーい、次はこれ!」

 

 その中から、嬉々満面の笑みを浮かべる束が持ってきたのは円柱形のガラスケース。台座にしっかり固定され、左右に電極のようなものがくっついている。

 一方の小さな『実験台』は、テーブルの隅っこで息も絶え絶えだ。

 

「ね……も……勘弁、して……」

 

 この薄暗いラボに入れられてから、ユーノ・スクライアに降り注いだのは質問の嵐だった。

 まず、なのはが持っていったレイジングハートや、魔法のシステム、魔法世界について問われる。それはいちいち的確なので、細緻に渡って答えなければならなかったが、魔法学院卒のユーノにとって少なくともそれはまだ単なる質問にしか過ぎなかった。

 問題はそれからである。三時間という長丁場な質問攻めを乗り切ったユーノが、夜も更けていたのでうとうとしながら眠ろうとすると、ナチュラルハイな束は目を爛々と光らせたまま、

 

『なぜベストを尽くさないのかなユーノきゅん? 私はぴんぴんだよ? ワクワクしすぎて質問の度にきゅんきゅんじゅんじゅんびっくんびくんしてるよ?』

 

 などと言われた意味も分からず動転し、眠気が吹き飛んでしまったユーノは、その隙に両手でがっしりと掴まれてしまう。いくら身動きしても、万力のように抑えてくる力から逃れられない。

 

『人語を喋るフェレットなんてこの世界で初だからね。なんだかシステマチックな魔法の基礎理論程度じゃ、束さんの旺盛な知識欲は満たされないのだ~』

 

 ユーノにとっての地獄はここからだった。

 回し車に乗せられて1時間ほど走らされたその次は休む暇なく知能のテスト。それも機械でがっちりと頭部を抑えられて拒否権なし。その後は四肢を固定されて全身をCTスキャン。ちなみに睡眠薬ではなく筋弛緩剤を注射された。この他にもおぞましいほどに粘着質かつサディスティックな実験が続く。古代遺跡で遭難し、3日間飲まず食わずで生き延びた時よりも長く、苦しい戦いだった。

 

「いい加減にしてよ……も……モルモットじゃないんだよ、僕……」

「フェレットでしょ?」

 

 精一杯反駁しようとしても取り付く船はない。

 ユーノはもはや抵抗すら出来ず、細長いガラスケースの中にポトリと落とされた。

 

「大丈夫、これは実験じゃなくて検証だよ。うまーく行っても行かなくてもこれで終わり。成功の確率としてはまあ、20%位だけど」

「とても安心できる情報をありがとう……で、何するつもり? 身体に電流流して、僕が帯電体質の電気フェレットかどうか、調べるっていうの?」

 

 長いこと監禁されて実験漬けなので、いつもは大人しいユーノもすっかりいじけて、思わず愚痴を吐いてしまう。

 しかし束はどこ吹く風だ。

 

「んふふ、それはねそれはねー……おおっと せつめい しようと おもった けど てが すべった !」

 

 被験体に何も語る事無く、台座にあるスイッチをぽちっと押した。

 その瞬間、ガラスケースの内部がユーノの身体と共に青白く光り始める。

 

「うわーっ、ちょちょちょ、なにこれどうして僕光ってるの!? 何!? 何か凄い不吉な青白さなんだけど!?」

「大丈夫大丈夫、チェレンコフ光ほど危なくはないし」

「程ってなに!? 比較対象がやばすぎて対して安心できないって!」

 

 ユーノの意識はそのままだが、青白い光はますます広がり、ケースを覗きこむ束の顔を下から不気味に照らした。

 

「さあもっともーっと出力あげていこうね? ポチポチポチッと十六連射」

「え、調整ツマミとかじゃなくてボタン連打!? ってうわ、僕ってば綺麗過ぎ……青白くて! 怖いよどうなっちゃうのこの身体!」

「さあ、そのまま時計職人のごとく全身を再構成していくのだっ! 油圧ボタンを押し込めば~♪ 出るのは三種の神器なり~♪

 

 ぐりぐりぐり、と指先一つでボタンが押し込まれる。そのままの状態で数秒間が経つと、ユーノの身体から溢れ出る青白い光が、段々と彼の魔力色である緑へと変わっていった。

 驚いたのはユーノ本人である。光が溢れるにつれて、自分のリンカーコアが強制的に活性化されていくのだ。それも、フェレット形態の身体では受け止めきれないくらいに。

 

「わわわ、出して!」

「はいはいただいまー」

 

 段々と膨張していく緑色のシルエット、束はそれを分かっていたかのように手袋を付け、ケースからユーノをポイ、っと放り出した。

 宙に浮いた身体は、小動物特有の反射力で、地面に対し逆さな姿勢から一気にひっくり返る。しかし四足で着地はせず、地面に接したのは二本の足だった。

 拡散していく緑色が収まり、不安定だった輪郭がしっかりと形を結んだ時。それはフェレットではなくて、落ち着いた民族衣装を着た少年になっていた。

 

「は……はぁ……はぁ……し、死ぬかと思った……」

「おぉ、君はやっぱりフェレットと偽り、実は愉快なショタっ子きゅんだったんだね!」

「バカ言わないでよ! あのままだとホントに死ぬところだったんだよ!?」

「リンカーコアの暴走に、省エネな身体が耐え切れず内部崩壊しちゃって?」

「そうそう、フェレットモードは消費量が低いけど許容量も……ってなんで分かったの!?」

 

 変身の様子を凝視していた束だったが、今は興奮も収まったようで、涼しい顔でちっちっち、と指を振った。

 

「大体分かるよ。君の反応と変身現象を見てたらね。大体、アレは君の中の生体器官を活性化させる機械で、デンキウナギなんか入れたらもうビリビリ来てますー、なんだけど、やっぱりリンカーコアもそういうのと同じ体内器官なんだね!」

「……そういう切もあるけど、あれは、魔法の中でもまだ謎だらけで……って僕、そんな危ない事されてたんだ。でも、もう驚けなくなっちゃった。君って、何というか凄いから」

「当たり前だよ? 束さんは天才だもん。凄いに決まってるんだ」

 

 そう言った束はキーボードを取り出し、指先が見えなくなるほどの速度で何やら打ち込み始めた。

 覗いてみると、半日前にユーノから聞いた魔法理論が、驚くべきことにそっくりそのまま、しかもユーノが説明していなかった事象まで、推測ではあるがこうではないか、と打ち込んでいた。恐るべきなのは、それが殆ど正しい解釈である、ということだ。

 天才というより変態じゃないか、とユーノは思う。管理外世界の、魔導のまの字すら世に出ていない世界で、この少女は唯一その原理を解析し始めている。自分というイレギュラーを拾ったことがきっかけだとしても、ゼロからたった一日で、自分の変身魔法を見抜いてしまうほど理解するのは、大変に非常識で、異常なことだった。

 

「さて」

 

 束の指がタンッ、とエンターキーが打ち込まれたら、キーボードはすぐに横へ退けられる。記録終了まで僅か五分。数時間掛けて聴取した内容を打ち込むのにこの時間。打鍵速度は勿論、それに耐えられるキーボードも凄いものだ。

 

「ねえ君、結構頭いいよね。とても9歳とは思えないくらいに。魔法の理論なんか、こっちだと高等数学みたいなものだし……もしかして君や、向こうの子供はみんなそんな感じなの?」

「き、君にだけは言われたくないなぁ」

 

 あ、言ってしまった。ユーノは答えながら、思いっきり顔をひきつらせていた。女の子に褒められるのは悪くないけれど、こんな女の子に褒められるのは何やら底知れぬ闇を感じて、むしろ恐ろしい。

 だから、つい口に出してしまった言葉。普通に考えれば悪口になってしまう。ああいうプライドが高そうなのは、馬鹿にされると何をするか分からない。

 ひやひやしながら返答を待ったが、帰ってきたのはより斜め上の解釈だった。

 

「そうだよね! 束さんが人を褒めることなんてめったに無いんだから、畏れ多くて困っちゃうよね! 返上しちゃいたくなるよね! いやー、分かってるじゃないかぁチミィ、このこの!」

 

 何故か気に入られてしまったようで、うりうり、という効果音が出そうなくらいに頭を撫でられた。ユーノは妙ちきりんな理屈に呆れながら、人間のままでも小動物のように扱われていることに気づき、なんだか憤然としてしまう。

 

「で、さ……そろそろ、あの娘の所に戻して欲しいんだけど?」

「あの娘って、なのちゃん?」

「そう。ジュエルシード回収なんて、危険なこと頼んじゃったから。出来る限り助けたいんだ。あの娘まだ魔法は初心者だし、僕が教えてあげないと」

「んー、その必要、今の所は無いと思うよ?」

「ええっ!?」

 

 なんで、と迫るユーノに対し、束が差し出したのはタブレット型の端末だった。

 そこには、ジュエルシードに取り込まれて巨大化した四足の怪物が写っており――束と同じくらいの年の少女にしこたま打ちのめされ、メタメタになって倒れていた。

 

「な、何これ……!? え、あれ、ジュエルシードの暴走体だよね! しかも野生動物取り込んで凶暴化してる!」

「ピンポン大当たり! 映像だけなのに良く分かったね。まあ私は天才だから、昨日の夜起こったエネルギーの波長と同一なものを探知するというスマートな方法で探したんだけど。あの宝石、魔力を発してるみたいだけど、余りに強いから家のレーダーでもキャッチできるんだよ」

「そんな方法が……って、そうじゃなくて! あそこでトドメ刺そうとしてる女の子って誰!? 暴走体だよ! 魔法を持ってないと歯が立たな……そうか、実体化したから物理攻撃も通じるのか、ってそれでもおかしいって!」

 

 驚き喚くユーノに対して、うん、おかしいね、と束は笑う。

 実際、束も笑うしかないのだ。あのモンスターの戦闘力は、ジュエルシードが取り付いてから今までの記録映像だけで概算してみても大人のクマを軽く上回る。それにその皮膚は、恐らく鉄板並みに厚く、硬い。物理攻撃が通じるとしても、銃弾くらいなら軽く跳ね返すだろう。

 それが、ただ竹刀の打撃のみでグロッキーになっているのだ。

 

「ちーちゃんてば、そこまでは強くなかったはずなんだけど。なのちゃん来るまであいつと互角くらいかな、と思って放置してたらこの有り様だよ! ね、おかしいよね!」

 

 あはははは、と笑いながら束は確信する。

 

 ああ、ちーちゃんもなのちゃんと同じだ。きっと、私に対抗するために必死で技を練り上げたんだ。一人で。こんなに危険な技をなのちゃんのパパが許すはずがない。だから夜更けに、一人で隠れて必死で自分をいじめ抜いているんだろう。

 面白い。やっぱりちーちゃんも素敵だ。なのちゃんと同じで、私の心を楽しませてくれる。更にいいのが、なのちゃんは私がやりすぎるとそっぽを向いちゃうけれど、ちーちゃんの場合はいくらやり過ぎても叩きのめしに来るということだ。

 そうしたら、更にそれを上回ってしまえばいい。そうすれば、向こうももっと私の予想を裏切ってくれるのだから。

 

 ああ、なんて素晴らしい永久機関だろう!

 

「うふふ、ふふ、ふふふふふ」

「……」

 

 そんな束の心を察することなんて、誰にもできない。何が楽しいのか分からず、狂い笑う束の前でただただ苦い顔をするユーノであった。

 

 そして、数分間ずっと笑い続けた後、束はようやく正気に戻り、ユーノに記録映像の続きを見せてくれた。

 

「でね、この後なのちゃんも来てね、正夢じゃないか、だの大丈夫だよ、だの。なんやかんや言い合いがあったみたいだけど……ちーちゃんが協力してくれることになったみたい」

 

 それは良かった、と思わず安心してしまうユーノ。何しろあの少女、モンスターをいたぶる動画を見れば、地上戦に限ってはDSAAの優勝者より強いかもしれない。

 巻き込む人間が増えてしまうのは心苦しかったが、あれなら暴走体なんて問題にならないだろう。

 そして、気づいてしまった。封印魔法だけなら、インテリジェントデバイスのレイジングハートだけがコーチ役になってもさほど問題はないということに。セットアップの場面からして、もう呪文の省略まで習得してしまっているようであることだし。

 

 

――え、じゃあこれ、僕の出番無いんじゃないの?

 

 

「お気づきに なられましたか」

 

 

 ぎくり、と背筋に悪寒が走る。ふと液晶から顔を上げると、何処からか出したトランプの扇で口元を隠しふっふっふ、と怪しく笑う束の姿。

 これから魔法の深奥へと迫っていく上で、彼女には一つの欲望があった。役に立つ道具がほしい。地球の学問を学ぶ上では全てを書物に頼ったが、魔導におけるそれは持ち合わせていないのだ。

 さて、ここに異世界から降って来たのが二つ。片方はなのちゃんに持って行かれた。だから、もう片方を半分こするのは、至極当たり前のことではないだろうか?

 

「ね、ねえ君、何を、言いたいの、かな……」

「君じゃなくて、教授、って呼ばせてあげる。復唱!」

「き、教授っ」

 

 学院での体育の鬼教官を思わせる鋭い叫びに、思わず背筋を伸ばして答えてしまう。この時点で、二人の立場関係はほぼ決まってしまったと言えるだろう。

 

「私ねー、ちょうど助手が欲しかったところなんだ~。魔法に関しては教科書も参考書も何も無いし、私にリンカーコアは無いから……君に……その代わりを、して欲しいんだ。 ね、お願い?」

 

 底抜けな笑顔で、上目遣い。そして首を傾げながら尋ねて来る束。何も知らなければ、可愛い女の子の心からのお願いだ。ユーノも男として、是非とも引き受けたくなってしまうくらいに魅力的な。

 

 しかし彼女のその笑みは、形のない悪魔との奴隷契約書である。きっと、今日みたいな実験体扱いや、そうでなければ無茶ぶりの限りを尽くされて、いつの日かぽいっと捨てられてしまうに違いない。

 

 だが、ユーノは断れない。無言で振り向こうとするユーノ。肩に優しく手をおいて抑える束。

 どんなにしても立ち去れない。ここは海鳴束ラボ、絶対に断れない。

 

「…………」

 

 苦悶の顔で、しかし逃げ出せず、ユーノは顔を正面に戻し、ゆっくりと首を縦に振った。

 こうして、篠ノ之束の助手(おもちゃ)は誕生したのである。




週末は更新できないかもしれません。


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天災の外付け良心回路

 高町なのはと織斑千冬。コンビを組んだ二人のジュエルシード回収はそれなりに順調であった。

 

 

 最初、ジュエルシード・モンスターの前で出会った時、千冬はなのはを思いっきり問い詰めた。どうしてすぐに話してくれなかったのかと。さっきまで叩きのめしていた黒い獣モンスターも、なのはの仮装じみたドレスや機械的な杖も、全て束が仕込んだことだと思ったからだ。

 

「何が正夢じゃないだ。あいつめ、またなのはをダシにして大掛かりなことをしようとしているな。なのはもなのはだ。何の疑いもなしにそんな奇妙な格好で町中を……」

「ち、違うよ、違うってば!」

 

 奇妙じゃなくて可愛いのにな、と内心で反論しつつも、慌ててなのははバリアジャケットを解き、それから杖のままのレイジングハートを差し出した。

 だが、先端の紅い宝石がチカチカ光り言葉を発しても、千冬はどうせ束の発明品だろうと決めつけ取り付く島もない。

 

「考えて見ればおかしい。鉄のような皮膚を持つ凶暴なモンスター。束め、ついに遺伝子改造に手を出したか。いや、あいつにしては案外遅いというべきか?」

「な……うー、どうしよう、レイジングハート……」

 

 話題にしている本人が盗撮していることも知らず、千冬は決めつけて譲らなかった。

 困ったなのはが、賢い杖の助言通りに実際にモンスターからジュエルシードを取り出す場面を見て、ようやく納得したが、今度はその魔法すら束が作ったものだと疑ってかかる。

 

「えと、いくら束ちゃんでも、そこまでは……」

「いいや、やる。束のやつはそういう人種だ。自分が愉快なら物理法則の一つや二つは簡単に無視するタイプだろうが」

 

 そんなんじゃないってば、となのはが何回言っても千冬は頑として信用しなかった。この辺り、いつも束を過剰に擁護するなのはと、過剰に敵視する千冬は何処までも平行線を通る。事態を収集したのは、レイジングハートが記録していた映像データだった。そこには昨日起こった高町なのはと魔法との出会い“のみ”が映され、その後に起こった束の狂乱は完全にカットされていた。ここまで疑心暗鬼に陥っている人間にあの狂態を見せれば、ますます疑ってかかるだろうという配慮であろう。

 なのはは自分の持つ無機質な杖に心底感謝し、それと同時に、

 

(こんなに気遣いの出来る子を束ちゃんは作らない、というより作れないよね……)

 

 なんて確信したりもした。実のところ、なのはも全てが束の仕込みであるという可能性を、完全には否定できないでいたのだ。

 

「納得した……だが、それでも見捨てて置く訳にはいかないな。良ければ協力したいのだが、構わないか?」

「もちろん! 千冬ちゃんが一緒なら百人力だよ!」

 

 千冬のこの提案に、なのはは呆気無く即答した。少しぐらい悩むと思っていた千冬は、少々意外に感じながら付け加えた。

 

「珍しいな。こういうことには巻き込みたくない、とか言って断るとも思ったんだが」

「だって、千冬ちゃんだったら大丈夫だもん。ジュエルシード集めは危ないけれど、千冬ちゃんは強いし、おとーさんは、千冬は自分の力をよく弁えている、って言ってたし」

「む、そうか……」

 

 師範の褒め言葉を伝えられ、照れくさいように横を向く千冬。なのはから見れば、自然とにっこりしてしまう光景である。

 少し前まで刺々しかった彼女は、高町家の面々のお陰で随分と丸くなった。いや、丸くなって、いいようになった。それが、なのはには嬉しい。

 

「それにね、私もなんだか不安なんだ。レイジングハートが居てくれて、魔法も教えてもらえたけど、でも、やっぱり、隣に束ちゃんか、千冬ちゃんが居て欲しいかなって思ってた。」

「えっ……あ、いや、それは……」

「迷惑かな?」

「そ、そんなことはないぞ? 師範からは、なのはのもう一人の姉になってくれとも頼まれているからな」

 

 だから、頼ってくれるのは素直に嬉しい。けれど、束と同一視されたのには、ちょっとだけ困惑してしまう千冬であった。

 

 とにかく誤解が解ければ後はすんなり進むものである。千冬は友達であるなのはのため、そしてこっそり御神流を鍛え抜くため、ジュエルシード集めに加わることにした。

 

 

 

 それから一週間。二人が集めたジュエルシードはゆうに五個を超えた。これは千冬の強さとなのはの行動力が、上手い具合に噛み合った結果である。コンビネーションも理にかなっていた。攻撃は千冬。防御と封印はなのはが担当。運動が苦手で鈍臭いなのはを待機させ、千冬が獲物を追い回してなのはの所まで連れて行く。これが行動の単純な暴走体には滅法効いた。

 レイジングハートの補佐のおかげか、それまで埋もれていたなのはの才能故か。最初は千冬の足を引っ張りっぱなしだったなのはも、数度の戦闘を経験した現在、大分さまになってきている。彼女にも高町の、引いては不破の血筋が流れているからだ、と千冬は直感した。封印する直前にきりっと引き締まる顔。それが、道場で向かいあう面の隙間から見えた師範や兄弟子、姉弟子の顔に重なるのも、きっと空目ではないだろう。

 

「束ちゃん? 抱きついてくるのはいいけど、どうしてかな?」

「んー、それはねそれはね、なのちゃん分の補給だよ!こーやってべったりくっついてるとね、なんとも言えない甘ったるいオーラが私の鼻孔へ……はぁぅっ、き、きくぅぅっ!」

「にゃはは、束ちゃんお外でそんなお顔したらいけないよ、なんとかしようね?」

 

 唯一の問題は、今千冬の隣でなのはにべったりくっついている束が、表立っては何のアクションも起こしていないということだった。

 

「くあぁ、これ麻薬だよ発禁だよ。ダメダメこんなフェロモンのすぐ近くに居させるなんてダメだようん。やっぱり私が引き取って正解だったね」

「え、何のこと?」

「おぉーっと束さんお口をチャック! これ以上は聞かねぇでおくんなせぇ! それはともかく、ユーノくんのことなんだけどねっ」

 

 話題がそれに移った途端、千冬の顔は一瞬で緊張した面持ちに変わった。

 

「ユーノ? なのは、それはあの映像に出ていたフェレットの名前か?」

「うん、レイジングハートから聞いたの。大怪我してて、動物病院に送ったんだけど、でもあんな風になっちゃって……どうしようって思ったら、束ちゃんが来て、怪我を治すって言って預かってもらったんだ」

「なにっ!?」

 

 聞き捨てならない言葉が聞こえたので、即座に束を睨む。

 

「やだなぁちーちゃん。なのちゃんからの預かり物だよ。ちーちゃんが考えているみたいに、実験台扱いとか絶対しないよ?」

「しているに決まっているだろう! 今まで私たちに干渉しなかったのもそれが理由か!」

 

 ユーノは少なくとも現在、実験台扱いはされていない。束のラボの地下室にて保護され、衣食住もきっちり整えられていた。今の所は。

 過去にどうだったか、また未来にどうなるかは、また別の話である。

 

「だーかーら、してないって。この束さんの純真な瞳を見てもそんな残酷なこと言えるの? ねぇー……」

「余裕で言えるぞ。お前のことだからな。いくら外身を取り繕っても内側は何を考えているか」

「がびーん、束さんの信用度ゼロ!? このままだとちーちゃんルートはバッドエンド確定じゃん! よし、乗り換えよう。セーブアンドロードでなかったことにするのだ」

 

 そう言って、今まで媚びるように千冬へ迫っていた態度を一変させ、今度はなのはを口説き落とそうとする。

 

「ねーなのちゃん! なのちゃんは私を信じてくれるよね、ね!」

 

 コンマ数秒もかからない、見事な変わり身だった。額に青筋を何本も立て、竹刀二本を取り出そうとしている少女が真後ろに居なければ完璧だったろう。

 

「うん、束ちゃんは私の友達だもん。信じてるよ?」

「ね、そうだよね♪ 私もなのちゃんの友達でよかった☆」

 

 これで何もかも問題ない。当の本人であるなのちゃんさえ納得させれば、ちーちゃんが何を言っても他人事。なのはの微笑みに釣られてにっこりしながら、腹の中ではそういう計算を立てるのが篠ノ之束であった。

 だが彼女は、すっかり失念していた。

 高町なのはという存在は、天才の頭脳の予測、その一歩先を行く人間だと。

 

「だからね、束ちゃん……?」

 

 突然、束の手が取られる。それをぎゅっと握ったなのはは、いつもと変わらぬ笑顔で。

 

「束ちゃんもジュエルシード集め、頑張ってね!」

「え」

 

 その言葉に、束の笑顔は辛うじて変わらなかったが、内心は大きく揺らいだ。

 

「え、な、なんで私がジュエルシードを集めるのかな? 私、魔法使えないよ?」

「でもだって、束ちゃんそれでも集めたいんでしょ、ジュエルシード。ご近所の平和のために!」

「え、う……」

 

 なのはの言葉は完璧に図星を突いていた。単なる高エネルギー体であるだけでなく、太古に生まれた魔法技術の結晶であるジュエルシード。束が集めたくなるのも当然のことだ。

 だが、それはあくまで研究するため、しかも秘密裏に、である。そうしなければ、いくら集めてもユーノの手元に戻り、あえなく別世界へと持ち運ばれてしまうから。

 世界を滅ぼせるほどのロストロギアなんて破滅的ロマンに溢れる産物は、1つでもいいから手元に置いておきたい。魔法を分析する者としてだけでなく、一人の科学者として。

 

 だからそんな、後で必ずユーノに渡さなきゃいけないような理由をくっつけないで! 私そんなに正義じゃないよ! むしろ世間一般で言えば悪の科学者だって!

 

 だが、なのははそんな束の願望を突き崩すように立て続けた。

 

「モンスターと戦うのは危ないけれど、束ちゃんなら絶対に大丈夫だし……それに、束ちゃん、こういうことは放っておけないと思うんだ。アリサちゃんとすずかちゃんを助けてくれた時みたいに。だから、ユーノ君を預かってくれたんでしょ?」

「あー、えーと、そのね、うん……」

 

 なのちゃんちがうよ。放っておけないのはあくまで知的好奇心と探究心からだよ。

 そういいたくとも言い出せない。

 

「まさか……ユーノ君を手伝わない、なんて、言わないよね?」

 

 そして、ここでNO、ときっぱり断ったらどうなるだろう。

 なのちゃんはそれでも納得してくれる。そして、束のことを一切責めることはないだろう。

 

 でも、それが束には何故かきつい。理由なんて無いはずなの、物凄く心苦しい。ひょっとすると失敗作を作ることより、後悔するのかも、しれない。

 

「う、ううん、そ、そ、そんなこと無いって! やだなぁなのちゃん私は天才束様だよ、この程度のトラブルには引かない媚びない省みないよふっふっふ!」

 

 結局、集めるとはっきり宣言してしまった。

 くすみも不純物も無い、純真な瞳で見つめられているから。束にそんな瞳を向けてくれるのは高町なのはただ一人だけだから。こうまで期待されているのに、それを裏切りたくはなかった――のだと、自分の心を無理に解釈しながら。

 

「そうだぞ……ふっ、束は倫理感はゼロだが実は、その裏にある正義感は誰よりも強い、そうだろう? ……くく、くくっ」

 

 千冬の冗談のような援護射撃が、なのはの勘違いを更に煽る。

 ちーちゃんのバカ。今度なのちゃんの父親と兄に御神流のことバラしてやる。精々こっぴどく叱られるがいいさ。

 

「だよねー、やっぱり! そういえば知ってた? この前の大木事件。あれもジュエルシードのせいなんだよ。街があんな酷いことになるなんて、やっぱり束ちゃん、放っておけないでしょ!」

 

 ごめん、それ、知ってたよなのちゃん。最初から最後まで全部監視してた。あの魔法を撃つなのちゃんかっこ良すぎてモニタ越しだけど一瞬くらってきちゃったよ。

 

「うん。あれは厄介だったな! 大木相手では私の剣術もどうにもならん! なのはが砲撃魔法を覚えていなかったらどうなったことやら!!」

「うんうん、危なかったよね!」

「だがまあ束、お前なら何とか出来ただろう? 枯葉剤を撒くとかな!」

「そっかぁ、流石束ちゃん!」

 

 あああ、ちーちゃんの大バカ、魔法で出来た植物に化学物質なんて効果が無いと分かってて、適当に大げさに言っちゃうんだから! ますますなのちゃんが納得しちゃう!

 

「あは、あは、あはははは……」

 

 と、このように追い詰められても束はいぜん笑顔のまま、しかしそれは段々と引きつり始めていた。それを知らずに天然で追い込むなのはと、それを知っていて、しかし引きつる理由は分からぬまま、本能で束の窮地を察しここぞとばかりになのはを援護する千冬。

 二人の数少ない友人に、意図的ではないにしろ牙を剥かれた束の心はまさしく四面楚歌だ。

 

「危ないけど、とにかくそっちも、ユーノ君と一緒に頑張って! 私達も私達で、一生懸命頑張るから!」

「二組のほうが探索の効率も上がるというものだ。後でメールを使って、街の区域分けでもしたらどうだ?」

「それいいね。じゃあ、私はこれから塾だから」

「私は高町家に帰って、道場で素振りだ。荒事に関わっている以上、訓練は欠かせないからな」

 

 納得して、二人それぞれに去ろうとするのを止めることは出来ない。

 束に出来るのは、

 

「あ、うん、行って、らっしゃい?」

 

 と、黙って敗北を認めることだけだった。

 こうなったら帰った後に助手をいじめてスッキリしてやろうと考えたが、

 

「じゃあ、また夜にメールするから! そうそう、ユーノ君の写真とか欲しいな! 元気にしてるかなって、家族もみんな言ってたから」

 

 最後の最後、見事にその逃げ道すら塞がれてしまったのは極めつけと言えよう。

 

「あは、は、はぁ……」

 

 アリサとすずかに合流するため少し走り気味で去っていったなのはと、何だか分からないが束を負かすことができて上機嫌な千冬。二人を見送った後、束はどっと疲れて近くの壁に体重を預け、へたり込んだ。

 

「あうぁ、どーしよ、どーしよ……」

 

 これで、ジュエルシードのサンプルを手に入れるという計画はおしゃかだ。

 ユーノ一人ならいくらでもだまくらかせる。形のそっくりな偽物程度なら、この事件が終わるまででも簡単に作れるはずだ。

 だが、事の次第が多少なりともなのはに知れた今では、それを騙してまで偽物を紛れ込ませるというのは論外だ。自分が影に隠れれば誰のせいにも出来るが、表立っていてはそれも出来ない。どっちみち騙すのは同じだが、なのはにその事実がバレるのとバレないのでは雲泥の差なのだ。

 

 そう考えてしまう点では、天才の束もその感性は案外俗っぽいかもしれなかった。

 

「うぐぐ……いや、ちょっと待て私。く、ふふふ」

 

 だが。束は、問題をいい方向へと考え直すことにした。

 これで自分が魔法に関わることも、またそれを研究することも秘密にしなくて済む。そうしなければジュエルシードの暴走体には勝てない、という正当な理由があるからだ。

 

「そうすれば……なのちゃんの砲撃魔法を生でじっくり見られる!」

 

 以前、監視カメラでこっそりと見た光の軌跡、ピンク色の閃光は、まるで高町なのはそのものを表すかのようにまっすぐで、美しかった。

 生で見たい。魔法としての分析、解析、それ以上に一個の芸術として。

 なのはだって魔法の練習はするだろうから、その時にじっくり見せてもらおう。ユーノも連れて行ってあげよう。なのはは喜ぶはずだ。ユーノも喜ぶだろうがそんなことはどうだっていい。

 

「サポートだって全面的にしてあげられる! 色々作ってあげちゃおう! まぁ、今の所必要無さそうだけど、タフすぎて そんはないのですから!」

 

 本当は強敵が現れた時に、謎のウサミミ仮面とでも名乗ってプレゼントしようと考えていたが、直接届けられるならそちらの方がよっぽど都合がいいし、ありがとう、という声を聞けるから嬉しい。

 

「とりあえずはジュエルシード用のレーダーでも作ってあげよう、助手くんをこき使ってあげながら♪」

 

 などと考えながら、束は今やすっかり元気になって立ち上がり、スキップなどもしながら研究所へと走り始めた。

 

 篠ノ之束。彼女を小さいながらマッドサイエンティストたらしめているのはその才能だけではなく、転んでもただでは起きぬポジティブさも含まれる。のかもしれない。



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いつか空に届いて(Ⅰ)

 さて、思わぬことからなのは・千冬と束・ユーノの共同戦線が出来上がってから更に暫く後。ジュエルシードを狙う、もう一人の魔導師が現れた。

 

 

 彼らが始めて二人と相まみえたのは、月村亭の庭園で、猫を大きくしたジュエルシードを確保した、その瞬間である。

 先に気づいたのはなのはだった。何かが来る、それも、かなり危険な何かが。

 自分たちの真後ろまで迫っていた魔力の弾頭を、なのはははっきりと知覚していた。

 

「……っ! 千冬ちゃん、下がって!」

「なっ!?」

 

 雷色の光弾がなのはと千冬に迫る。プロテクションを展開したなのはが振り向き、千冬はその後ろに下がった。魔力と魔力がぶつかる独特の衝撃音が響き、外れた光弾が地面を抉った。

 

「これは……」

「そのまま! 後三発来る……たぶん!」

 

 感覚で発したなのはの言葉は正しかった。三発の内二発はプロテクションに当たり、一発は大きく逸れて木にぶつかって弾けた。

 二人の身体よりもずっと大きな老木。その薄黒い樹皮が剥がれ、熱で溶かしたような穴が穿たれている。

 その威力を見て、アレに当たる訳にはいかない、と千冬は実感した。死にはしないだろうが、魔法に対する防御がない以上、一発でも当たれば即ダウンだ。

 

「威嚇だな……これ以上動くなということか。何処に居る! 姿を見せろ!」

 

 堂々として森の中に大きく響く声。それは計算された挑発ではなく、姿形を表さない敵手への苛立ちだった。

 それに応じて、木陰に隠れていた襲撃者が姿を現す。闇夜に溶け込む黒い防護服を身にまとい、金色の髪と赤い瞳。年頃はなのは達とほぼ同じだが、しかしその目の色は昏く、何かしらの尋常でなさを感じさせる。

 千冬は思った。これは、今までの敵とは訳が違う。師範に木っ端微塵に叩きのめされた時も、束と本気で喧嘩をした時も、こんな気分になったことはない。戦いの中で感じる高揚感が、今は奇妙に底冷えしている。これは強敵だ。木刀を握る手に力が入り、頬を冷や汗が伝った。

 

 一方、なのはは思っていた。

 この子、とっても綺麗だ。でも、何だかとても、寂しそう。

 

「……貴方たちのジュエルシード、貰っていきます」

 

 瞬間、二人とも思考を中断し、言葉と同時に迫り来る4つの光弾に意識を集中させた。

 今度は全て直撃する。なのははレイジングハートに祈り、プロテクションの術式を強化した。術の難度に応じて、身体の力がかなりの勢いで抜けて行くが、今果たすべき自分の役目は後ろにいる千冬を守ることである。バリアジャケットのある自分はまだしも、魔法に対する防御力がゼロに等しい彼女が直撃を受けたらどうなるか。

 幸い、その心配は杞憂に終わる。さっきの威嚇よりも威力を増した光弾は、プロテクションへまともにぶつかり消え去った。ただし、プロテクションの方もかなり削られ、もう一回同じ強度の攻撃をされたら防壁を維持できなくなるだろう。

 この状況をジリ貧だ、と先に気づいたのは、流石に千冬の方だった。

 

「なのは、このままだと不味いぞ。向こうは間違いなく魔導師だ。お前の砲撃魔法みたいな大技を繰り出してきたら、耐えられなくなるだろう」

「分かった……分かったけど、どうすれば!?」

 

 どうするか。千冬の運動能力なら、あの程度の弾幕は掻い潜れる。向こうの防御がどれほどのものかは知らないが、一つ近づいて剣戟勝負を掛けてみるのも面白い、とは千冬も思うが、そう出来ない唯一にして最大の足枷がある。

 千冬は空を飛べない。

 彼女は確かに身体的には同年代の殆どを上回っており、俄仕込みの御神流も大分様にはなってきていた。しかし、空は飛べない。いくら身体をいじめ抜いても、剣術を鍛え上げても、生身の人間に空をとぶことなど不可能だ。魔法を使えば話は別だが、彼女に魔力はない。

 

「なのは、私を抱えて飛べ! 私達を見下げているあいつに、目にもの見せてやる」

 

 だから、魔法の使えるなのはに、空を飛ばせてもらう。竹刀の届く距離まで近づけば、後はどうにでも出来る。

 千冬は自分の剣術に、戦闘能力に、絶対的な自信を持っていた。今不利な状況にあるのは、向こうが此方の射程外にある、というだけでしかない。近づくことが出来さえすれば。

 この時、彼女は珍しく視野狭窄に陥っていた。

 自分の攻撃が届かない、ただそれだけの理由で防御に回り、負けへ追いやられていく。それが彼女のプライドを傷つけ、勝てはしなくても、せめて一撃食らわせてやりたい、という自暴自棄な思考へと陥ってしまったのだ。

 

 そのつけを、戦いの後、彼女は痛いほどに味わうこととなる。

 

「え、えっ!? そんな、無茶だよ」

「無茶でもやれ。それしかあいつに勝てる方法はない! それとも、むざむざジュエルシードを取られて悔しくないのか!」

 

 千冬の激しい口調に、最初は戸惑っていたなのはもついには折れた。実際守るばかりではどうにもならなかったし、千冬ならなんとかしてくれるかもしれない、とも信じられたからだ。しかしなのはのそれも、信頼を飛び越えた過信であった。二人が二人が突然現れた未知の敵に混乱し、判断を誤っていた。

 なのはが千冬を後ろから抱きかかえ、飛行魔法を発動させて飛ぶ。浮力に関しては全く問題なく、二人の体は無事宙に浮いた。

 

「……!」

 

 が、問題はそこからである。

 空を飛んだ千冬の両手には、竹刀が握られている。それに気づいた敵の少女は、自分の前に数秒で光の輪――スフィアを作成した。それは、魔法の発射台。その中から黄色い槍の穂先に似た魔法の弾が創り出され、続け様に宙を浮くターゲットへと発射される。

 なのはは勿論回避しようとするが、その動きは鈍重で、反応も遅い。千冬を抱きかかえているから、元から未成熟な飛行魔法の機動性が、更に大きく削がれているのだ。速射を重点にしてまともに狙いを付けず放たれていなければ、ノーガードの状態で光弾を残らず食らっていただろう。

 しかし、ともかくは回避できた。後は接近して、打ち合えばいい。

 

「なのは!」

「分かってる!」

 

 二人が声を重ね、いざ、黒衣の少女へ一撃を叩き込むため近づこうとした、その瞬間。

 既に向こうの方から、一直線に迫り来て、黒色の戦斧を展開し、金色の刃を煌めかせた鎌に変えて大きく振りかぶっていた。

 やられる。一瞬驚いた千冬は、その凄まじい早さに飲まれ、しかしそれでも必死に身体を動かした。それが功を奏し、二本の小竹刀が一瞬で十字に重なり、同じくらいの早さで迫る鎌の刃をどうにか受け止める。千冬にとっては待ちに待っていた剣戟の鍔迫り合いだが、状況は彼女の望んでいたように動かない。むしろ、地を這って戦っていた時よりよほど危険で、勝機のない戦いだった。

 

「くぅ、う……!」

 

 一度刃が重なった以上、それを打開するには贅力に頼り押し切るか、躱してから返す刀で一撃を叩き込むしか無い。もし、千冬と敵が地上で相まみえていたなら、千冬の技術と実力によって、どちらか1つの手段を取り得ていただろう。しかし、ここは空中。千冬の身体を抱きかかえるなのはは動くに動けず、その場に踏ん張る力も弱い。よって当然、向こうが力を入れれば、何も出来ずに押し切られてしまうのだ。

 

 そして、決着。

 黒い魔導師の一撃が、二人の精一杯の抵抗を押しのけ、跳ね飛ばし、吹き飛ばされた二人は、そのまま飛行魔法による浮力を失い落下。意識をなくしたなのはの代わりにレイジングハートが尽力してくれたおかげでどうにか地面への激突だけは防げたが、それでもかなりの衝撃が、千冬の身体に強く響き、全身に痺れと痛みが拡散していった。

 

「ごめんね」

 

 呻く千冬の耳に聞こえたのは、敗者への侮蔑ではなく、小声での、冷淡に聞こえる謝罪。だからこそ、千冬にとってはとても悔しい言葉だった。

 敵の少女は手加減していたのだ。魔法を持たない千冬に。魔法を覚えたてのなのはに。だから、彼女は威嚇した。そして、無謀な行為に出てきた二人を止めるために射撃し、それでも止まらぬ二人を、鎌でのたった一撃で地面へ叩き伏せた。

 しかも、その鎌には刃が無かった。だから、竹刀で競り合えたのだ。その気になれば竹刀を切り裂き、自分に致命傷を負わせることも出来たのに。彼女は敢えて千冬の勝負に乗った。そして、正面から倒してみせたのだ。

 

「ジュエルシードは、諦めて」

 

 倒れた二人を尻目に、悠々と青い宝石を回収してから、最後にポツリとそう言い残し、黒い魔導師の少女は飛び去っていった。

 残されたのは、傷つき倒れた二人の女の子。

 千冬は今になって、自分の下敷きになっているなのはに気づいた。さっきまで目の前にいた敵にのみ意識が集中してしまっていたのだ。いくら地面に軟着陸したといっても、千冬と地面に挟まれたなのはのダメージはかなりのもので、バリアジャケットを解き、意識を失ったままであった。

 千冬の心は深い後悔に苛まれた。たがが暴走体、と油断していた。何回も封印に成功していて、気が緩んでいた。空を飛ぶタイプの敵だっているかもしれない、そう考えていればまだまともに戦えたはずだ。

 

 いや、違う。今回の敗北の理由は、もっと根本的な所にある。それは、千冬自身の考えの甘さだ。普段の束との喧嘩、剣術の修行の延長線上として、この戦いを捉えてしまった。けれど、あの魔導師は。そんなものよりもっと重い理由で、ジュエルシードを手に入れるために戦っている。千冬の鋭い直感が、それを見抜いていた。

 だから強い。戦う理由がちゃんとある。それと比べれば、友達を助ける? 秘密のトレーニング? そんな自分の理由など、たかが遊び半分じゃないか。剣というのは心を表す。その心が弱ければ、負けるのだって当たり前だ。心の弱さが、ムキになる自分を生み出し、そしてこうして、守らなければならない人を、傷つけてしまう。

 頭では、ちゃんと分かっているのに。カッとなって飛び出して。無様に負けた。全ては自分が弱いせい。師範や兄弟子が、御神流を見せてくれない理由だって、今初めて分かった。危険だからとかそういう訳ではない。殺人剣を使いこなす程の心が、まだ身についていないからだ。

 

 それでも、止まる訳にはいかない。止まりたくない。一度関わりあったのだから、もう逃げたくはないし、精一杯戦ってみせる。確かに空を飛ぶ相手に、剣では致命的に敵わない。だが、正面からではなく、追跡、待ちぶせ、奇襲など、戦う場所や戦い方に知恵を凝らせば、十分に戦えるはずだ。

 

 しかし、そうするのは、私一人だけで十分だ。こんな浅ましい理由で戦う私に、共連れなど必要ない。 

 

「んぅ……」

「なのはっ! 大丈夫か!」

「……んー、なんとか……」

「すまない」

 

 まるで、いつもの寝起きのように、ぼんやりとした顔で起きてきたなのはへ、千冬が最初にぶつけたのは謝罪の言葉だった。

 

「私が甘かった。考えてみれば、あんな方法で勝てるわけがないんだ。お前を守らなければいけないはずなのに、逆にこうして怪我をさせてしまった。本当に、ごめん……」

 

 千冬は決心した。これからは、なのは抜きでジュエルシードを集めよう。そうでなければ巻き込んでしまう。また、怪我をさせてしまう。束の手からユーノを取り返して、封印は彼に頼めばいい。なのはが怪我をしたと言えば、彼も承知してくれるだろう。これ以上、なのはを危険な目に合わせる訳にはいかない。

 もちろんなのはは承知しないだろう。自分だって一緒にやれる、そう言って譲らないだろう。もしそう言ったら、レイジングハートを無理矢理奪ってでも止めて見せる。なのはの友達として、守るために。

 そんな思いを込めて、頭を下げた千冬を、なのははきょとんとした顔で見つめ。そして、申し訳ないような顔で言葉を紡いだ。

 

「負けちゃったね」

「あぁ……完敗だ」

 

 なのはが自分を責めはしないことは、千冬には分かっていた。だが、まるでなのは自身が原因で負けてしまったような顔を見せられては、なんだか自分が庇われているような気がして、千冬は自分を惨めに思い、ますます落ち込んでしまう。

 だがその後に、なのはは表情を少しだけ明るくして、またこう言った。

 

「もうちょっと、頑張ろう。私も、千冬ちゃんも」

「……え?」

「だって、ジュエルシードを集めていったら、また、あの子と戦うことになるでしょ? そのためにも、私は魔法を、千冬ちゃんは剣術を、それぞれもっと頑張らないと」

「だ、だが、なのは……お前、痛くなかったのか? それに怪我もしているじゃないか!」

「うん、痛いよ。でも、負けたくないもん」

 

 負けたくない。それは千冬の本心であったが、同時になのはの本心でもあったのだ。

 

「なのは……」

「千冬ちゃん? 私に、戦うのをやめろ、って言うつもりだったでしょ」

「っ、それはっ……だが、お前が傷つくなら」

「うん、分かってる。でもね。傷ついても、痛くっても、私、続けたい。ジュエルシード集め。あの子と戦わなきゃいけなくても……ううん、戦って、ジュエルシードを争わなきゃいけないって、思う」

 

 その言葉に千冬は目を見張った。いつも大人しいなのはが、ここまで自分の意志をはっきり示すのは、千冬が見た限りでは初めてだ。

 

「どうして?」

「……んー……分かんないや」

「なっ!? お、お前なっ」

「あはは、ごめんね頭悪くて。でも、何だか色々あって……ユーノ君を助けたいとか、危険なものをほっとけないとか、後、あの金髪の女の子と、もう一度、会ってみたいとか……なんでだろうね。あんなに痛いことされたのに。……あ、もしかして私、束ちゃんがいつか言ってた『まぞひすと』なのかな!?」

「な、なな、そんなわけ、あるかっ」

 

 いつもの癖で、ポカリ、となのはの頭を叩いてしまった。直後に気づき、ごめん、とまた謝ろうとしたが、なのはの顔はさっきまでとは違い、晴れやかに笑っている。

 その顔を見ると、さっきまでの自分の悩みが、何だかバカバカしく思えてきてしまって、千冬も漸く、落ち込み顔から立ち直り、くすっと笑った。

 

「にゃはは、千冬ちゃん、やっと元気になった。攻撃が直撃したから、私よりもダメージ大きかったし心配したよ」

 

 千冬はその言葉で、なのはが自分の事を考えて、冗談を言ってくれたのだ、思った。もしかして、全てが素の行動なのかもしれないけど、それならそれでいい。冗談を言わず、人を笑顔にさせられるのはとても素晴らしいことであるはずだから。

 

「ん……そう、だな。すまない、心配させてしまって……」

「いいよ。ね、千冬ちゃんは、何のためにジュエルシード集め、続けたいのかな?」

「なに?」

「ほら、私が言ったんだから、千冬ちゃんも言って? そうじゃないと、公平じゃないでしょ?」

 

 そう言われて、千冬はふっと思い悩む。だがそれも、一瞬だけの煩わしさにしかならなかった。

 

「そうだな……色々あるぞ? あんな危険物を束のやつに渡さないようにする。あいつと戦うために最強の剣術を鍛え上げる。それに、一度負けた、あの黒いヤツに、土をつけてやる」

「うんうん」

「だが、一番大きいのは……お前を守りたい、ということだ」

 

 二人、土に倒れながら、それでもすっきりした顔で話し合う。

 自分の戦う理由は、黒いヤツのそれより軽い。けれど、理由の重さ軽さではなく、それにかける思いなら、今の自分は、ヤツには負けない。

 少なくとも、なのはを、この、底抜けに明るくて疑うことを知らなくて、だからこそ強い女の子を守りたい気持ちは、他の誰にも負けてはいない。

 

「私は飛べない。だが、飛べないなら飛べないなりに足掻いてやる。お前の後ろを、私が守る」

「……あ、私と、同じだ」

「なに?」

「えへ、私もね。千冬ちゃんを守りたいの。今は守られるだけだけど……何時か、互いの背中を守る。そうなれたら、いいなって……ちょっと、無茶かな?」

 

 千冬は無言で首を振った。

 無茶じゃない。だって、なのはは飛べるのだから。どこまでも高く、高く高く高く――

 

「ううん、千冬ちゃんだって飛べるよ? いつかきっと」

 

 いつの間にか、声に出してしまったそのつぶやきに反応したなのはの言葉は、単なる理由のない励ましなのか。もしかすると、また、予言じみた確信を言っているのかもしれなかった。




出来る限り毎日更新を続けます。


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いつか宙に届いて(Ⅱ)

 こうしてなのはと千冬が、共にジュエルシードを集めよう、という決心を強く固めていた時。

 少し遠くの草むらで、這いつくばりながらカメラを回している一人の少女が居た。

 篠ノ之束である。

 そしてその隣には、最近束の助手として三食おやつ付きで無理矢理雇われたユーノもいた。

 

「……ねえ、束」

「なんだいユーノ君、君は今は貝になったように黙っているべきなんだよ。こんなに熱い友情シーンめったに無いんだから。あと私のことは『教授』って言ったよね、助手なんだし」

「……」

 

 君は、こんな所でどうして、二人の盗撮なんてしているんだい?

 その言葉を呑み込むのに、ユーノは自分の忍耐を大半使い果たしたような気持ちだった。

 そして、束の機嫌を損ねぬように、柔らかい口調で言い直すことにした。

 

「ええと……教授? その、なのはも千冬も怪我しているのに、僕達はどうして仲間である二人を助けず、こんな所で隠し撮りみたいな真似をしている……のかな?」

 

 聞こえるか聞こえないかの小声で伝えられた今度の問いは、一応束のウサミミまで届いたようだった。機械じかけの長耳を消音モードでピコピコと動かしながら答えていく。

 

「だって、撮って後で二人に見せたら、なのちゃんは喜んでくれて、ちーちゃんはとっても恥ずかしがってくれるじゃん。そんな二人の顔、良いと思わない?」

「そ、そ、そういうことじゃ、ないんだって……!!」

 

 ユーノとしては、ボロボロではないにしろダメージを受けた二人に今すぐでも駆け寄って治療魔法を行使したかった。

 

「まぁまぁ、焦らない、一休み一休み」

 

 そして、予想外の事態が起きたというのに、いつも変わらぬ顔のこの天才が、二人や自分に比べて何処かのんき過ぎる、と、怒りに似た感情すら抱き始めていた。現に傷ついている二人は束の友達だというのに。そんなんで本当に、友達だといえるのだろうか。

 ユーノがこうした義憤めいた感情を抱き始めたのは、この盗撮だけが原因ではなかった。

 

「それに……教授、さっきの戦いだけど」

「んー? あの黒い子と、もう一人、使い魔っぽい赤犬が現れたからすたこらさっさーした、アレがどうしたの?」

 

 そう。ユーノと束は、なのはと千冬が黒い魔導師と戦うほんの少し前に、別の場所で彼女に遭遇していたのだ。しかも、彼女が連れている、犬型の使い魔の存在も掴んでいた。月村亭とは別の場所で発生した動物型の暴走体を、束の発明品「学芸会のソーラン節用電磁ネットワイヤーin上海」で捕獲し、ユーノが封印魔法を掛けようとした時。最初は赤い狼が襲撃してきた。

 牙でしつこく噛み付こうとするのに対し、ある時はラウンドシールド、ある時は煙幕で右へ左へと逃げ回っていた二人であったが、金髪の少女が割り込んできたら、束は即座に、

 

『こりゃ言われなくてもスタコラサッサだね! いくよーユーノ君、ラボへ引き返すのだ!』

 

 と言って、あっという間に逃げ出してしまったのだ。一人きりになればユーノに勝ち目はない。だから、ユーノも仕方なくついていくように撤退したのだが。

 

「あの時、もし逃げ出さなかったら……そしたら、時間を稼げてた! なのはたちがジュエルシードを回収する時間を!」

 

 その時、なのはと千冬がジュエルシードを見つけていた、ということが分かっていれば。ユーノはたとえ一人でも戦い続けていただろう。

 

「何を言ってるのかなー、ユーノ君? そんなのは後出しジャンケンじゃん。私達は私達の仕事に集中してたんだからさ」

 

 束が言ったことは正論だ。ぐうの根も出ないほどに。

 しかし、いやだからこそ、納得出来ないこともある。

 

「じゃあ、どうして……あの時、すぐに退却したんだい? 教授らしくないじゃないか」

 

 そう、ユーノの知る篠ノ之束は、予定外の敵が二人現れた程度で引腰になるような女性ではない。むしろ予定外を面白がって、ひと当たりして確かめてみよう、くらい言ってのけるはずだ。

 ユーノのこの発言を聞いて、束はカメラを固定したまま振り返り。

 

「らしくないー、だなんて言われたくないね。大体私と君はたった一週間の仲だよ? そんなんでさ、私を理解しようとしないでよ」

「う……」

 

 発言の内容そのものよりも、むしろらしくない、と言われたことに対して怒り、鉄のように冷たい口調で言い放った。

 普段の口調とはおおよそ違いすぎるその冷酷さは、ユーノが初めて垣間見る、天才の心の裏側。それは、ユーノの言葉の短慮さの証明でもある。だから、固まって何も言い返すことが出来ないまま、束の言葉の続きを待つしかなかった。

 

「それにねユーノ君? 私が退いたのも、単に怖かった、とかじゃないんだよ? だって、私達、今の所は、アイツには絶対敵わないんだもん。10分持たずにばたんきゅー」

 

 それは、黒い魔導師の挙動と攻撃を見た束が、一瞬で組み上げた未来予測だった。

 

「私は対暴走体用の装備しか持ってこなかったし、ユーノ君も回復したけど未だ本調子じゃない。確か、この星の魔力素が悪さしてるんだっけ? 時差ボケみたいな感じで段々慣らしていかないといけないんだよねー。それがまだ途中なのに、ちゃんと訓練を受けたデバイス持ちの魔導師――しかも、魔力はAAAランク。敵うと思う?」

 

 それは、敵わない、絶対に。ユーノは心の中で納得した。

 魔導師の戦闘において、デバイスを持っているか持っていないかはかなりの差になって現れる。しかもそれだけでなく、魔導師の中でも5%しかいないという、AAAランク。さらに向こうは斧という戦闘向けのデバイスを持っていて、此方の適正は補助専門。出来る攻撃魔法は初歩的なものでしかない。

 

「悔しいけど……ちょっと無理だね」

「無理があるよねー。私もね、今の所、あれを倒すのはほんのちょっっっとだけ……ちょっとだけだよ? でも、きついかも。いやぁ、まさか他の魔導師が来るだなんて。ってかさ、ユーノ君。ジュエルシードの情報って、本当に君たちのスクライア族と、管理局しか知らないの? 見たところ、アレはそのどちらにも当てはまらないと思うんだけど」

 

 ユーノは、自分の大体の事情について既に束へ話していた。スクライア族の一員であること、ジュエルシードは彼らが掘り出して管理局へ譲渡する途中、輸送船の事故によってばら撒かれたこと。だから、束が疑うのも最もであると納得できた。確かにあれは、管理局でもスクライア族でもない。

 

「恐らく、ジュエルシードが発掘された当初、いや、もっと前から、狙いをつけていたんじゃないかな? 僕らだって無意味に発掘ばかりする訳じゃない。昔の文献から遺跡を見つけることもあるし……今回も、そのパターンだった。恐らく向こうもそうして情報を得たんだろう」

「ふーん、つまりあの子は、下手すれば次元が割れちゃう宝物計21個をほしがって、わざわざ管理外世界、こっちで言えばド田舎の農村みたいなとこまでわざわざ来たのかな~? いやぁ、えらいねぇ、私なら思わず飴をあげちゃうよ」

 

 他人事のようなその言葉で、ユーノは気づいた。

 あの子は、あの魔導師は、自分の意志でここまで来たのではない。自分のように事件の関与者ならまだしも、只の子供魔導師が何の理由もなしに地球への渡航を認められるほど、次元港の税関はザルではないはずだ。

 

「じゃあ……あの子は、自分の意志ではなくて、誰かの命令を聞いてここに来てるんだ!」

「その通り! あんなに上等そうなデバイスを用意して、しかも維持出来るってことは、組織であれ個人であれわりかし強力なバックアップを得ているってことにもなるよね」

 

 地面に伏せながら、まるで先生のような口調で答える束。その推論は確かに腑に落ちるものではあったが、それだけにユーノにとっては悪い予感を覚えずに居られなかった。

 

「じゃあ、仮にあの子を倒したとして……それで、解決はしないって、こと?」

 

 声を震わせながら出されたユーノの問いに、束は顔色一つ変えず答えた。

 

「そうだよ~? ひょっとするとあの子は尖兵で、倒したらすぐに『ふふふ、金髪ロリでちょっと危ない衣装の女の子など我ら四天王の中では最弱』なんて、残り三人が一斉に襲ってくるかも!」

「あんまり楽しくない想像だね、それは……」

 

 AAAランクの少女が尖兵なら、それ以上の刺客はどれほどのものになるか。もし四人が一斉に集結出来たとしても、オーバーSランク魔導師の相手なんて状況はどうあがいても苦しくなる。もしかすると、今隣で再びカメラを覗き始めながら顔を紅潮させている天才なら、それでも何とか出来るかもしれないが。それはそれでまたなんとかした以上の厄介事が起こるのだろう、という危険を、今は肌ではっきり感じられるのだ。

 しかしまぁ、自分も半ば強制的とはいえ、よくまぁこんな厄介事の種に付き合っていられるものだな。とユーノが自分の数奇な状況を慨嘆した時。

 

「そうだよねっ……だからさ、ユーノ君」

 

 その歩くトラブル発生器は、心ここにあらず、といった趣でカメラを覗き込み続けながら、事も無げにのたまった。

 

「ちょっとあいつら、つけてきてくれない?」

「え……えええっ、あいつらって、あの、黒い服の魔導師!?」

「それ以外の何があるのかな? ほらこれ」

 

 今さっきここを去って、探知範囲外まであっという間に飛び去っていた人間相手に何をどうやって後をつけろというのか。そんなユーノの反論を封じるように、束は黒くてとても小さなチップのようなものを、をエプロンのポケットから取り出し、ユーノへと放り投げた。慌てて手を伸ばし受け取ると、それは大きめのガラス玉くらいの小ささだが、モニタと、簡易的なコンソールがくっついている。

 

「フェレットモード用の端末だよ。こっそり隠れて様子を探るのにはそっちの方がいいでしょ?」

 

 ユーノは戦慄した。

 果たしてどんな工作機械を使って、こんなに微小で精密な端末を作ったのだろうか。それに、こんな物を設計する手間と製作する時間が一体何処から捻出されたのか、てんで分からない。束はここ2週間魔法の研究に、文字通り寝食を惜しんで没頭していた。録画したなのはの戦闘データを解析したり、ユーノが教えた魔法の術式のエミュレートなどをしてばっかりの彼女を、毎朝学校に間に合うよう起こす。それがユーノの日課にすらなっていた。

 そんな日常の中の一体何処でこんな機械を作ったのだろう。指先で弄びながら怪訝な顔をしていると、それを察したのか束がありがたくも解説してくれた。

 

「こんなものはね、ちょちょいっと片手間でやれば簡単に出来上がっちゃうの。技術としては既にあるものを小さくするだけだからだから、ちょっとつまんないくらいだよ」

「コンパクトにするのが一番大変なのに……ところで、これって一体何の役に立つの?」

「ああ、起動させてみて?」

 

、言われたとおりに起動すると、あっという間にOSが立ち上がり、そうして映し出されたのは、海鳴市全域の地図と、その一点に光る紅い光点。ビルに重なり表示されているこれが、一体何を意味するのか。話の流れから、ユーノは完璧に当てることが出来た。

 

「ね、これ……あの子のいる所?」

「だいせいかーい、流石は我が助手! まあ正確に言えば、あの子にくっついてた使い魔の居場所何だけどね。でも、これで大丈夫でしょ?」

「そうだけど、探知機なんていつ付けたの、教授」

「もちろん、あの時戦い合っていた間に、こっそりとね。煙幕で視界を奪ってると案外バレないものなんだよ? 大丈夫、鼻から入って体内に潜り込ませて固定する、微小なワームタイプの発信機だから、下剤でも使われない限り外れる心配はなし!」

「えええっ、それっ、て……」

 

 体内に潜り込む、虫のような発信機。考えてみて、ユーノは胃がひっくり返るようなゾッとする思いでいっぱいだった。もしかすると、寝ている間に自分の中へも入り込んでいるかもしれない、そして自分を監視しているのかもしれない。そう思えてしまうだけに尚更恐怖だった。

 一回戦っただけで名前も知らない狼の使い魔へ、ユーノは深く同情した。

 

「まさか向こうも監視されてるとは思ってないはずだけど、くれぐれも気をつけてね? それじゃあ、行ってらっしゃーい」

「あ、はい、行ってきます……って、今から!?」

「当たり前じゃん、出来る限り多くの情報を掴んでおかなきゃ。敵を知り己を知れば百鬼夜行だよー。さ、ここは私に任せて早く行け!」

「ええぇ……」

 

 一体何を任せればいいんだろう。

 ユーノにはツッコミたいことは山ほどあったが、それら全部を気にしていては耐えられやしない。逆らいでもしたらどうなるか。先程束の仄暗い一面を垣間見たが、あれは多分氷山の一角なんだろう。とても考えたくなかった。

 少し遠くにいるなのはと千冬は一休みして元気になったのか、立ち上がって月村亭に向かって歩き出す。所々にある擦り傷は木から登って落ちた時のことにするようだ。つまり、それほど大きな怪我ではなかったということだから、とりあえずは一安心である。

 

「分かったよ……じゃ、夜になったら帰ってくるから」

「おっけー! あ、お母さん今日は肉じゃがだってさ、多分美味しいと思うから期待しててよ」

 

 それは、夜になったら帰ってきていいよ、という命令だった。

 ユーノは変身魔法でフェレットになってから、レイジングハートのように首に下げられる端末を装備し、草むらにその小さい姿を紛れさせて、その場から去っていった。

 

「あははー……さて、と」

 

 なのはと千冬も庭から去っていき、残ったのは束ただ一人。

 鬱蒼と茂る森の中で、彼女もまた立ち上がり、録画に使ったビデオカメラを愛おしそうに持ちながら、自分のラボへ向かおうとしていた。

 

「いい拾い物したよねー、私」

 

 拾い物、とは勿論先程カメラの前で繰り広げられた熱い友情――ではなく、ユーノ・スクライアのことだった。

 第一に、彼は頭がいい。束と較べたら圧倒的な差があるが、それでも彼女の論理に辛うじてついていける程度には理解力がある。もう一つ、根気があって、無茶ぶりに屈しない。

 そして最後に、彼はとても『要領』がいい。

 一度、束が今まで無秩序に纏めた研究メモの整理を半ば無茶ぶりで頼んだ時、一分の隙もなく纏めて提出されたのには流石の束も少し驚いた。本人に聞いてみると、

 

『こういう作業はスクライアでも散々やらされてたからね。とりあえずこの端末から研究年・分野でソートできるようにしておいたから。後、もう一つ重要度って項目があるけど、それは自分で分類しておいて。なんというか……良く分かんない発明ばっかりで僕じゃ決められないからさ』

 

 束が作った数百の発明に関する膨大な資料。それも作りっぱなしで後は放置しておいたものが、一つ残らず参照できるデータベース。ぶっちゃけて言うと、束の頭の中にはその何もかもが入っているから全く必要ないのだが、これを見た時束は確信した。

 

 あ、こいつ使える。とてつもなく。

 

「ま、天才じゃあ無いけど」

 

 束が見たところ、ユーノに発明の才能はない。だが、こと整理や纏めといった処理能力においては、余人を遥かに上回っている。

 今までの研究のデータベース化、というのは束にだってやってやれないことはなかった。只、とてつもなく面倒で、それに気を取られていては魔法という新しい分野にも進めない。第一、一度発明してしまった物、解明してしまった原理には何らの興味も持てないのである。

 だから、今の束にとってユーノは、あって嬉しい腕利きの助手なのだ。これから先、その需要がどうなるかはわかったものではないが。

 

「……それに、今の私には、敵情視察よりももっと面白そうなことがあるからね」

 

 月村亭の警備をゆうゆう掻い潜りながらそう呟いた束は、先程録画した映像を見なおし、その中のある部分をリピートし続けていた。

 

――ううん、千冬ちゃんだって飛べるよ? いつかきっと。

 

「あはは、あははははは……」

 

 笑みが漏れる。こんなにあからさまで、しかも挑戦的な言葉。

 

 しかもその時、高町なのはの目線は、束の真正面――カメラの方を向いていた。よもや気づかれたか、とは思わない。自分のスニーキングは完璧だ。

 どうせ単なる、神がかった偶然なんだろう。そう、なのはと関わりあう度に、何度も何度も起こる素敵な偶然。数学なんてちゃちなものでは絶対に計算出来ない。誰にも何にも縛られない、なのはだからこそ言える、奇跡に等しい言葉の欠片。

 だけど。

 

「なのちゃん。あんまり私を甘く見ないでね?」

 

 友達の夢一つ、奇跡一つ、叶えられないで何が天才か。飛ばしてやろう、千冬を。遥か空高く、なのはと同じ場所まで。それが、自分のもう一人の友達、千冬の為にもなるから。

 自分を本気にさせたな、と、束は心の中で呟いた。なのははどうせ何も考えずに言ったんだろうが、自分の言葉に対しては責任をもつ必要があるはずだ。

 明るい笑顔のまま、ウサミミを揺らしてぴょんぴょんと歩く。

 その瞬間にも、束の脳内は束を飛ばすためのアイデアを全力で構築していた。温存されていた雑多なアイデア、理論。その一つ一つが、なのはの言葉を軸にして重なりあい、集まり、混じり。

 そして、単一の結論へと行き着いた。

 

「……あはっ」

 

 なんだ。簡単じゃないか。

 『あれ』を使えばいい。

 

 束は一瞬立ち止まり、それからダッシュで町中を走りだした。月村亭は海鳴とは大分離れた隆宮市にあり、海鳴にある篠ノ之神社からも結構な距離がある。しかし、そんなことはお構いなしだ。どうせ数十キロ走っても、汗一つ流れないのだから。

 三年前に原理を考案したあれを実現させるためには、かなりの技術的ブレイクスルーが必要だった。しかし、次元世界の進んだ科学技術さえあれば、そして、魔法というテクノロジーを応用することさえ出来れば、その過程を一気に省略できる。

 

 ああ、まさかこんな形で実現できるとは。魔法さまさま、そしてなのちゃんさまさまだ。流石の束さんだって、あれを開発するためには後五年間ぐらい必要だと予測していたのに。

 あらゆる問題は解決され、活躍するための舞台も晴れて整った。後はそれに間に合わせるだけ。

 むしろ、一番難しいのがそれかもしれない。ジュエルシードは全部で21。なのはと千冬の今までのペース、そして割り込んできた魔導師の少女の戦闘力と、将来必ず関わってくるだろう管理局の勢力も含めて計算すれば、季節が変わるまでには決着がついてしまうに違いない。

 

 短い。余りにも短すぎる。これから束が作ろうとする物を思えば、絶望的とも言える猶予だ。

 

 だが、それでこそ。

 だからこそ燃える。自分は天才だ、という巨大なプライドが煮えたぎる。

 

「待っててねなのちゃん、待っててねちーちゃん、そして、首を洗って待っていろ、この世界の常識! この束さんが何から何まで、ぜぇーんぶ! 初めてラボを作った時のお父さんが激怒の余りひっくり返したちゃぶ台の如くに! 逆転させてあげよう! 楽しみに待っててねー、あははははははー!!」

 

 国道沿いの歩道を車と同じスピードで爆走しながら叫び捲るウサミミドレスな女の子。

 その写真が複数の人物に映され、その夜多数のSNSのトレンドになった。

 

 世界を変える偉業の始まりは往々にして些細で、かつ滑稽なものである。

 




タイトルの宙という文字は、そらと読みます。


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その頃の一夏さん(おまけ)

感想で一夏とか箒とかどうなってるのかって言われたので補足がてら
ボツにした温泉編の序幕を晒していきます。
続きは多分無いです。続くにしても本編終わった後だと思います。


 春も半ばにさしかかり、そろそろ桜が散るか散らないか、といった頃。連休、ということで高町家で温泉旅行の計画が提案されたのはその何ヶ月も前。

 それに、まずは姉妹共々親しい付き合いの月村家が乗り、アリサ・バニングスも父親から許可を取り付けて参加する。そして、今や半分高町家の居候となっている織斑千冬、そしてその弟も勿論一緒になって、これで合計12人の大所帯になってしまった。

 

 高町家の自家用車と月村家の車、合計二台。六人ずつ入った車内の片方では、男一人に女四人のハーレムが展開されていた。

 

「かわいいー!」

「にゃはは、ぷにぷにだぁ」

 

 男の両隣に座るのは、金髪を長く整えた、外国仕立てのお嬢様と、茶髪にツインテールで笑顔が似合う元気な女の子。

 

「あんまり触ってやるな、むずがるだろう」

「そうだよ、慣れない車の中なんだから」

 

 後ろの席から顔を出しているのは、長い黒髪を後ろのポニーテールで纏めた凛々しい少女と、おっとりとしながら周りを気遣う可憐な乙女。

 

 四人の中央に座り、自らでは何もせぬまま、四人の美少女の寵愛を受ける。

 そんな世界の男性の殆どが羨む待遇を受けている男こそ――織斑一夏。

 

 今年、満1歳になる赤ん坊であった。

 

「ね、ね、私の名前呼んで、アリサよ、アリサ!」

「アリサちゃんだけずるい! 私も! ね、一夏君、私はすずかだよ」

「ええい、二人ともそんなに一気に喋るな! 混乱してしまうだろうが」

 

 勿論、まだ性別の区別もつかないほど未成熟な赤子に全員惚れ込んだわけではなく、子供からすれば珍しい赤ちゃんという生き物に、只の興味本位で迫っていただけだ。

 一夏自身も別に、目の前で微笑む存在が女性であるとか、しかも飛びきりの美女だとか、挙句の果てには全員年若い少女であるとか、そういう思考は全くない。

 ただ与えられる言葉、刺激に対して反応し、時折舌っ足らずの言葉を返すだけだった。まだ物心がついていないのだ。後々このとてつもなく男の夢に近い状況を思い返すのは不可能だろう。

 それは本人にとって大損になるのか、あるいは後年こんがらがった彼の女性事情を更に混沌とさせない幸運になるのか。それはまだ、誰にも分からない。

 

「それにしても、千冬ちゃん」

「なんだ、なのは」

 

 千冬がとりあえず過剰に迫るアリサとすずかを押し退けた後、不意に浴びせかけられたなのはの質問は、いかにも一家の末娘らしいものだった。

 

「千冬ちゃんももうすっかりうちの子みたいなものだし……そしたら一夏君って、千冬ちゃんだけじゃなくて、私の弟くんにもなるのかな?」

「ん……そう、なるな」

 

 少し迷っていたが、肯定的な千冬の答え。

 なのはは手を叩いて喜ぶ。高町家の雰囲気は暖かいのだが、なんだかんだ言って、なのはにも末っ子なりの悩みや憧れというものがあるのだ。例えば、出来の悪い弟に、しょうがないなあ、なんて言いながら、姉として世話を焼くとか。

 

「ふふ、いっくん、なんて呼んじゃったりして。私はなのはお姉ちゃん……お姉ちゃん! いい響きだよね」

 

 にへー、とぼんやりしながらそういう妄想に浸る所は何ともまったりしていて、昨日の夜も張り詰めた顔でジュエルシードを探していたとは思えない。

 千冬としては、この旅行が緊張の連続であるジュエルシード探しの息抜きになればいいと思っていた。だから、ああやっていつもの様に笑ってくれるのはありがたいことなのだが。

 どうも姉として、血の繋がっている弟を取られるのは。何というか、悩ましい所だった。

 

「ちょおっとぉ、なによなのはだけ! ずるいわ!」

「そうそうなのはちゃん、私達だって弟、欲しいんだから」

 

 下らないことで悩んでいるうちに、アリサやすずかまで弟争奪戦に加わり始めた。

 そういえばアリサは一人っ子だし、すずかはなのはと同じく年上の兄弟しかいない。ひょっとすると、もしかして、これは、姉としての立場の危機なのだろうか?

 そう考えると、千冬の手は無意識に、ベビーシートの上できゃっきゃとはしゃいでいる一夏を庇うような動きを見せた。

 

「あ、ちょっと千冬邪魔しない! あんただけ弟持ちなんてずるいんだから!」

「私に文句を言うな! 言うなら不公平なこうのとりにでも言うんだな!」

「あのー、それを言うならキャベツ畑なんじゃないかな、千冬ちゃん?」

 

 批判の矛先が両親に向かないというのは、なんと純真であることか。この場に居ないウサミミ発明家がいたら死ぬほど笑っていただろう。

 そして、赤ちゃんの出来る本当の理由を、自慢気に喋っていたかもしれない。

 なのはの両親の目の前で。

 この場に束がいないことは、この四人だけでなく、運転に集中している高町夫婦の精神衛生にも幸いであった。

 

「どっちにしてもー、いっくんは私の弟なんだよ! 千冬ちゃんはともかく、アリサちゃんとすずかちゃんのじゃないんですっ!」

 

 それぞれ勝手なことを言いながら、にわかに盛り上がる後部座席。言い合いは段々ヒートアップしていって、終いにはじゃれあいのように互いを押し合ったりし始めた。

 

「……おい、あれ、止めた方がいいんじゃ」

「いいのよあなた。暫く好きにさせておきましょう?」

 

 運転中の態度としては些か問題のある行動なので、運転手の士郎が苦言を呈したが、助手席の桃子は敢えてそれを止めなかった。友達同士のちょっとしたスキンシップであることが分かっていたし、そんな事をしなくても、いずれ止まるだろうと思っていたから。

 

 そして、一分も立たない内にその推測は当たる。争う女の子達に挟まれ、わやくちゃにされた一夏が不快さを感じ勢い良く泣きだしたのだ。

 

「あ、い、一夏!?」

「いっくん!?」

 

 途端に、四人が四人ともやばいと感じて一斉に互いから手を引き、どうにかして一夏を慰めようとする。しかし、一度ぐずった赤ん坊というのは、母親以外の手によっては中々止まらないものだ。

 

「やぁん、泣き止んでよ一夏くん、ね、おねがい?」

「ほーらよしよーし……さっぱりダメみたい」

 

 アリサもすずかも、泣き始めた赤ん坊を止める術など知っていない。それぞれに思いつきであやしはじめたが、一夏の目にも入っていないようだ。

 慌てて、なのはは一夏の本来の姉を呼んだ。

 

「ち、千冬ちゃんっ」

「ええい、三人共不甲斐ない! こ、ここはだな、私がとっておきの方法を見せてやる!」

 

 見栄を張った千冬の顔も切羽詰まっていて、しかも何処か恥ずかしそうに頬を紅潮させている。これは今まで、一番の親友であるなのはにも秘密にしていたのだ。それほどまでに深刻な技を、この状況で解き放つ。その後がどうなるか非常に危険だが。

 

一夏のためだ。やるしかない!

 

「とっておき!? 一体どんな技なの?」

 

 すずかが問いかけると、千冬はふとこの秘技を編み出すのに掛けた日数を思い出し、感慨深そうに語り始めた。

 

「これはだな、まだ私が一夏と二人きりだった頃。どうしても泣き止まないので何回も試して、漸く閃いた必殺技でな……」

「どうでもいいから、早くしなさいよ!」

「千冬ちゃん、お願い!」

「む、そうだな。よし……」

 

 アリサとなのはの二人に急かされた千冬は、まるで剣道場で敵手に向き合うかのような面持ちで精神を統一させる。その雰囲気に押されて、周りの三人がごくり、と唾を吐くのと同時に、ゆっくり息を吸い。

 そして。

 

 

「あっかんべぇのべろべろばぁぁ!」

 

 

 思いっきり舌を出し、レロレロと左右に動かす。下の瞼を思っきり引き下げて、目の中の赤い部分が丸見えになっている。顔の表情自体もなんだか道化のように笑っていて、いつもの鉄面皮でクールな織斑千冬は何処へやら。まるでピエロのようだった。

 とっておき、と自称しただけあって、一夏からの受けは上々。泣き腫らした瞳をぱちくりさせて、パンパン手を叩きながら、途端にまたきゃっきゃ、とはしゃぎ始めていた。幼稚な赤ん坊に対しては、まさしく必殺技と言えよう。

 

 問題は、それ以外の観衆にとってもある意味必殺技だったことだ。

 

「ッ……」

「ぁぁ……」

 

 アリサは車窓の外を見つめ、すずかは申し訳無さそうに俯いた。普段は自分にも他人にも厳しく、冷たいくらいに厳格な千冬が、あの顔をする。旅行の最初の最初で、文字通り一生忘れられない思い出が出来てしまいそうだ。

 おかしいとか笑いたいとか、そんな感情はとっくに通り越し、同情や哀れみすら感じる――しかし、唇の端は引きつっている――そんな顔で、二人は淡々とコメントした。

 

「お、弟持つのって、案外大変なのね。いやー、凄いわ千冬。改めてリスペクトする。うん、ほんとに。超スーパーすごいリスペクトよ」

「その、千冬ちゃん……ごめんね、私、やっぱり弟持つにはちょっと力不足かも」

「く、うぅぅ……」

 

 その反応は、千冬にとって鋭く大きな、言葉の刃だった。どういうことなのか、その表情は、その瞳は。正直、予測はできていた。できていたが。こうして中途半端に返されると、まともに大笑いされるより遥かに苦しい。

 これでも弟をあやすために一生懸命考え、三人の前で清水の舞台から飛び降りる心持ちで、全力全開で実行に移したのだ。結果的には大成功だが、後味がこれでは、恥ずかしいのと無様なので、ここから消えてなくなりたくなる。

 ドアがロックされていなければ即座に開けて飛び出しただろう。この場にもし真剣があれば――

 

「あの、千冬ちゃん?」

 

 なのはの一声が、千冬を現実へと引き戻した。そうだ、なのはだ。なのはなら分かってくれる。優しいなのはなら、私が払った犠牲を分かってくれて、無言で慰めたりもしてくれるはずだ。

 しかし、白い救いの天使は、千冬に対して、黒い混じりけ一つ無い笑顔でのたまった。

 

「凄い! 凄いよ! いっくんあっという間に泣き止んじゃった! ね、私にも教えて?」

 

 がふぅっ。

 

 無形の刃に腹部を貫かれ、千冬はゆっくりと脱力して横になった。すずかの膝元に頭が乗っかってしまうが、全てを察した彼女は何も言うこと無く只膝を枕として預ける。

 

 ああ、その発言に邪気はない。全くない。なのはなりに気遣い、落ち込んだ千冬を励ますための健気な一言だったんだろう。この状況、もし束でも同じようなことを言うだろうが、あっちは友達を絶望に陥れるための悪意と皮肉がたっぷり入っているはずだ。

 そうではない。そうではないのだ。そうではないのだが。

 

「……いっそ、ころせぇ……」

「ち、千冬ちゃん!? な、なのは、もしかして酷いこと言っちゃった!?」

「なのはちゃんもういい、もういいからっ……私のお膝でどうにかするからっ」

「なのは。ブシのナサケよ、ほっといてあげなさい……」

 

 妹代わりの前でも、弟の前でも涙は流せない。だから千冬は、車が温泉に付くまで空虚な瞳で座席とすずかの膝に横たわっていた。

 そんな愉快な狂乱の中、一夏は我関せずと指を咥えてのんびりしているのだから、赤ん坊というのは幸せものである。




以上。
何も意識して書いてないのにある意味ハーレム状態な一夏さんマジ一夏さん。
箒ちゃんは乱入してくる束を止めに来た篠ノ之柳韻(パパ)と一緒に登場する予定ですがそこまで進みませんでした。


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なべて世は事ばかり(Ⅰ)

今回地の文少ないなぁ……


 ジュエルシードを探すために地球へやってきた、フェイト・テスタロッサの住む場所は、海鳴の都市区にある高級マンションだ。

 彼女にとって、ここは言わば、仮の住まい。だから、元の部屋から持ってきて、座り慣れているソファ以外は、新品の家具ばかりで奇妙に生活感がない。未だ、9歳の少女である。そういう引っ込み思案というか、ホームシック的な一面はあって当たり前と言うべきだろう。

 しかし、いつも彼女の隣に佇んでいる、狼型の使い魔アルフとしては、この小さなご主人様にもう少し行動的になってもらいたかった。いや、物理的な行動範囲という点で見ると、フェイトは実に良く動いていると言えよう。夜は飛行魔法を駆使して街中を飛び回り、雑多な人混みや街並みの中から、あるかどうかも分からない青色の小さな宝石を探す。

 しかし、探索の時間が終わると。その疲れも溜まっているのだろうが、すぐにこの拠点へと引っ込んで、口数の少ないまま眠りにつく。起きたら起きたで、食事を取る以外は殆どソファに座りっぱなしで、やることといえばデバイスのバルディッシュと仮装訓練をこなすだけだ。

 別にぐうたらしている訳ではないだろう。マルチタスクを利用しての訓練というのは頭を使うし長時間続けるのは確かにきつい。だがしかし、フェイトは別の意味で行動的になるべきだ、とアルフは考えていた。

 例えば、何の目的もなしに街をぶらついたり。リニスが折角フェイトに似合う可愛い服をたくさん残してくれたのだから、それを毎日着替えて、デパートとか、ゲームセンターとか、とにかく、そういう所で遊んだり。不真面目ではあるだろうが、もう少し気を抜いた、というか、気楽な感じでこの世界を歩く時間を取って欲しかった。

 

「ねえ、フェイト」

 

 人間形態で食事をとった後、思い切って話しかける。おかしかった。自分は使い魔でフェイトは主人。話しかけるのに、肩の力を入れる必要はないけど、自然とそうなってしまう。

 

「なに、アルフ? ご飯、量が足りなかったかな?」

 

 デバイスを右手に握りながら目を閉じ、終わりのないトレーニングに没頭していたフェイトだが、アルフの一言にはすぐに気づいて中断する。これもよくあることだ。けえど今は心の中で、折角フェイトが集中していたのに、と罪悪感がこびりつく。

 

「いや、そうじゃなくてさ」

「何?」

「その、あの、さ」

 

 二人、数秒間の静止時間。

 考え過ぎだ、というのは分かっている。フェイトは何も変わっていない。今まで通りの優しいご主人様なんだということは、理屈でない、精神リンクから伝わってくる。

 それでも、悩みに悩んで漸く発せられたアルフの言葉は、この閉塞的な状況を壊し得ない、ごくごく当たり前の話題だった。

 

「あいつらってさ。一体、何なんだろうね」

「あいつら?」

「アタシたちのこと、邪魔するガキの魔導師と、そいつのへんちくりんな仲間たちさ」

 

 彼らが一体何者なのか。考えこんでしまうというのは単なる出任せではなかった。

 

「あぁ……あの子の、こと?」

「そ、この前名前聞かれたよね。あいつ、魔力量だけは大したもんさ。そりゃあ、空戦技術についてはフェイトの足元にも及ばないけどさ。でも……」

 

 どうして、こんな管理外世界の、しかも辺境に居るのだろう。素人だとしても、ミッドの魔法学院なんかに居るべきで、こんな辺鄙な地で、しかも独学で魔法を学ぶような身ではないはずだ。

 そう言ったアルフに、フェイトもゆっくり首肯して同意した。彼女の存在は二人にとって全くのイレギュラーである。だからこそ、本来すぐに手に入るはずのジュエルシード集めも、休みなしで毎日探索しなければいけないほどに難航しているのだから。

 

「だいたい、あのデバイスはなんだい。所有者のヘボな所をカバー出来るような高度なデバイス、どうやってあんな世界で……」

「分からない。けど、あの一人と一体は、かなり手強いと思う。今はまだ有利に戦えるけど、色々戦ってる度に、段々成長していってるし」

「そうであってもさ。フェイトには敵わないって!」

 

 ぽんぽん、と励ますようにアルフが肩を叩いたら、フェイトはくすり、と微笑んだ。それはアルフが久しぶりに見たフェイトの笑いだ。嬉しい事は嬉しいのだが、少しだけ、無理に笑っているようにも見えてしまう。

 だから、アルフは話題を変えることにした。

 

「それより変なのがさ、ガキのお付きだよ。ほら、木で出来た刀を持ってるの」

「あの子? 魔力は持っていないみたいだけど……でもアルフ、押されてたよね。近接戦闘で」

「んー……悔しいけど、アイツの剣術、結構強いよ。動きは早いし間合いを離してもすぐ詰めてくる。魔力弾なんかも使ったのに、それでも食らいついてきちまうなんて」

 

 苦々しげに語るアルフ。主の魔力を分け与えられる使い魔として、魔力も持たない人間に苦戦してしまうのには、何かプライドを傷つけられてしまうような悔しさがあった。

 

「まあ、飛んじまえば、なんてことはないけどさ」

「でもノーマークだとあの時みたいに、封印したばかりのジュエルシードを無理矢理掠め取られたりもしちゃうから……」

 

 フェイトの心配は最もである。事実、いつかの戦いでなのはに二人がかりで襲いかかり、飛べない、魔力も持たない少女を完璧に無視した結果、なのはが囮となってジュエルシードから二人を離し、その隙に千冬が奪取する、という作戦に負けてしまったこともある。

 千冬本人はそこまで自分を評価してはいなかったが、魔力がないにしろ純粋に戦闘力が高く、かつ放っておくと何をしでかすか分からない戦力というのは、フェイトとアルフの悩みの種になるのには十分すぎる程に厄介だった。

 

「それに、あの緑の方の魔導師も。あの防御を貫くのは、結構難しいと思う」

 

 更にもう一人、厄介なのが緑色の魔力を持つ少年だ。攻撃能力は皆無に近いが、その分結界だったり防御魔法だったりが物凄く上手い。

 前は二人とはまた別の場所で戦うことが多かったが、最近は合流したのか、共闘して此方に向かってくることが多い。まず間違いなく二人の仲間だと思っていいだろう。

 

――実は、自分に対する評価を聞きながら嬉しがるべきか複雑な気分になっているフェレットが家具と家具の隙間に忍び込んでいたのだが、この時二人はまるで気づいていなかった――

 

「アイツかぁ。白いのと組まれるともっとキツイよ。向こうが防御を捨てて砲撃に集中できるんだから、どうしても近づけない」

「それで接近戦は、あの剣を持った子が居るんだしね。地面すれすれから搦手で攻めることもできない。向こうの知恵と戦術、そのどっちも、試行錯誤から段々固まりつつある」

 

 打開しない状況を再確認させられ、陰鬱になる空気。この話題を選んだのは失敗だったかと、今更のようにアルフは後悔した。自分がリニスのように器用で気遣いも出来るのなら、もう少しフェイトの心を癒やすことができたのだろうに、と思うとイライラも募ってきて、思わず床を拳で叩きたくなってくる。

 無論そんな事をしてはますますフェイトを心配させてしまうので、その代わりにアルフは自分たちの家の主を叩くことにした。

 

「大体、プレシアもプレシアだよ! あの糞ババア、こっちが苦労してるのは分かってるはずなのに、増援一つ送ってきやしない! 倉庫で埃かぶってる傀儡兵の一つも出してくれりゃいいんだ!」

「アルフ、それは」

 

 フェイトが止めるように、それは無意味な仮定であった。こんなに平和な街で、傀儡兵なんかを動かしてみればたちまち大騒ぎになってしまう。仮に結界の中で運用するにしても、転送して運用し、傀儡兵の乱暴さに耐えうる強装結界を貼るまでの魔力を考えたら、フェイト一人では無茶にすぎる。

 だけど、無茶な理由だとしても、文句の一つも言ってやりたくなるのがアルフの心情だ。

 

「でもさ……」

 

 だから、例え言葉に詰まっても、何かを訴えるように犬歯を噛みしめる。

 嫌味ばかり言うアイツの事だ。どうせ、この会話もモニターしているんだろう。だったら聞け。こっちの苛つきと恨みを思う存分ぶつけてやる。

 

「アイツは、フェイトのお母さんなんだよ!? それがっ、どうして! 娘がどうにもならなくて困ってるってのに、こんな、こんな……!」

「……」

 

 あぐらをかいてしゃがみ込み、それから俯いて黙りこんだアルフ。

 その姿を見て、そして、隠しているけど悲痛に歪んでいるだろうその顔を幻視して。フェイトはゆっくり、座り込んでいたソファから離れて、アルフの頭を優しく撫で始めた。この使い魔がもっと小さく、自分と同じ背丈だった時と同じように。

 

「ごめんね」

 

 だが、フェイトが掛ける言葉はあの時とは全く違い、暗く、そして切ない。

 

「私が、もっとちゃんとしなきゃ。アルフにも、苦労をかけちゃうね」

「……そんなこと、ないっ……」

「ううん……私のせいだよ」

 

 ああ、どうして。

 私のご主人様は、こんなことを言う女の子じゃなかった。少なくとも、教育係を受け持っていたリニスが、まだ生きていた時は。

 我儘を言って困らせたり、おっちょこちょいな所もいっぱいあって。でも、いつもいつでも笑顔でいる。そんな女の子が、今はなぜだか背伸びしたように寡黙で、無理して笑っている。

 彼女の名前は“Fate”。運命という意味だけれど。彼女自身の運命は何処までも彼女に辛く、厳しい。

 

「く、そぉっ……」

 

 そしてそれは、勿論使い魔である自分が不甲斐ないせいだ。

 なんて考えたアルフが、自責の念にこらえ切れず、潤んだ目から涙を零そうとした正にその時。

 

 キリキリ、と摘まれるような痛みが、唐突に彼女の腹部を襲った。

 

「っ!? あ、アルフ、どうしたの!?」

「う、あ、ぅっ……いた、いっ」

「い、痛いって、お腹が? だ、大丈夫……じゃ、無いんだね? たいへんっ」

 

 別にそれは、アルフの心が悲しみきった果ての幻痛ではなく、単なる腹痛だ。

 しかし、状況が状況なので、フェイトは驚き、精神リンクから流れてくるアルフの苦しみも相まって焦り、慌てて外へ出る支度をし始めた。

 

「フェ、フェイト……? どこ、行くんだい?」

「何処って、この世界の薬局だよ。お薬なんて用意して来なかったし、その様子だと、治療魔法も集中出来なくて使えないでしょ? だったら急いで買いに行かなきゃ」

「そ、そんな……いいよフェイトは、疲れてる、から。アタシが」

「ダメだよ、お腹痛いんでしょ! リンクしてるから分かるよ、アルフが苦しんでるの」

 

 はっと気付き、アルフは精神リンクを打ち切る。だが、フェイトはそれでも納得せず、財布を持って出かけようとしていた。

 情けない。私はリニスに託されたのに。フェイトがきっと幸せになれるようにって。それでも、何も出来ない、何もしてやれない。それどころか、今なんてこうして、世話を焼かれてしまっているじゃないか。

 

「フェイト……ごめんね。本当はフェイトを守らなきゃいけないのに、こんなざま見せちゃって……アタシ、使い魔失格だ」

「ううん、そんなことない、そんなことないよ。私との契約、思い出してごらん?」

「……『生涯を、ともに過ごすこと』」

「そう。だからね、アルフ? 色々気を使ってくれているみたいだけど、そういうのじゃなくてもいいんだ。アルフが隣にいるだけで、私は凄く助かってる。居なくなったら……困るんだ。だから、楽にして、ちゃんと休んで? 主命を果たすために。これ、ご主人様からの命令だよ?」

「……あ」

 

 自分を責めるアルフに対して、フェイトの言葉はどこまでも暖かく、そしてその顔は、ほんの少しだけ、あの時に戻ったような自然な笑顔だった。

 だから、冗談めいて締めくくったフェイトの言葉に、アルフは素直に従うことが出来た。

 

「うん、分かった。じっとしてるよ……ありがとう、フェイト」

 

 ごめんね、と言おうとしたが、ありがとうと言い直す。そっちの方がちょっとだけ明るいから。

 

「じゃあ、行ってくるね!」

 

 勢いきって部屋から飛び出すフェイト。どっちみちこれが初めて、戦闘以外での外出にもなる。その点ではアルフの献身も、無駄ではないのかもしれない。安心して、アルフは目を閉じ、フェイトに代わってソファの上で横になった。

 

――この時、もしアルフがもう少し気を張っていたなら、フェイトがもう少し焦っていなかったなら、気づいていたはずだ。余りに焦ったフェイトが、いつのまにやら手に握っていたバルディッシュを取り落とし、そのまま家を出てしまったことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェイトはマンションの廊下を走る。幼いころ、アイスを一度に10個食べても頭痛も腹痛も起こさなかった、そんな使い魔の一大事だ。自分がどうにかしなければ。

 そうして、エレベーターに乗った所で――ぷつり、と真上の電灯が消え、下る動きも停止し、僅かに浮き上がるような感覚が止まった。停電か、と目を見張るフェイト。しかし、密閉されているエレベーターは真っ暗闇で、視界が効かない。

 本来ちょっといけないことだが、仕方が無い。と魔法を使って明かりを灯そうとしたその矢先。

 

「はろー」

 

 ぞくり、と背筋に緊張が走る。後ろへと振り返れば、そこには暗くてぼやけた、しかし、自分と同じくらいだとはっきり分かる、女の子の姿が。

 そしてこの声、フェイトには聞き覚えが合った。何度か戦い、競いあった白い魔導師――とは良く似ているが、それではなく。一度だけ、ジュエルシードを回収し始めた時遭遇し、拍子抜けするくらいにあっさり撤退していった、ウサミミの付いた女の子。

 

「あな、たは……」

「私? 私はね、天才だよ!」

 

 その一言と同時に、ウサミミに取り付けたライトを使ってフェイトの瞳を照らす。怪しげな光が密室内に乱舞し、それを見つめたフェイトは、アルフとの精神リンクで助けを求める前に、意識を失いバタリと倒れた。

 

「うむうむ、流石は束さんの発明品。『ねんねころりよ催眠生物ライト』のこうかは ばつぐんだ!」

 

 篠ノ之束。

 全ては彼女の仕込んだことだ。

 アルフの体内に仕込んでいたハリガネムシ型発信機ロボットを使い腹痛を起こさせ、フェイトをたった一人で外出させるように仕向けていたのだ。

 

「後は……っと、デバイスは持ってないみたいだね。これで完璧、おやすみなさーい」

 

 まあ、もし持っていても、EMPでシステムダウンさせればいいのだが。

 束は元々、フェイトとアルフの動向について把握し、ユーノに監視を行わせていた。モニタした記録をもとに、自分たちの敵である二人について知り、その行動原理を理解しようとした。それも、最初はなのはの為になるかもしれないという浅い理由で行っていたのだが、記録を続ける度に、束はこの卑怯な覗き見へと興味を示すようになっていた。

 記録だけでは見えてこないのだ、フェイトの人格が。フェイト・テスタロッサという人間の深層心理が。二人だけの部屋だと認識しているはずなのに、フェイトとアルフの会話は少なく、フェイトの行動も僅かなもので、このままでは彼らが何者か全然分かりやしない。

 辛うじて、彼らの上にプレシアなる女性が居ることだけは分かったが、それだけでは束の欲求など到底満たされず、だからこうして、止まったエレベーターという密室の中で彼女を眠らせるという強行措置に出た。

 

「私が直接出張ってきたんだから、眠ってなかったら有り難がって泣き出してもらわなきゃ許せない所なんだよ? だって、最初はユーノ君に任せようかなとも思ったんだもん」

 

 エレベーターのセキュリティは既に切断している。だから束は密室で誰も聞いてくれない独り言を紡ぐ。

 

「でもね、ユーノ君の性格的にこういう仕事は無理だろうし。それにね、私は君に興味が……ううん、君の『記憶』に興味があるんだ」

 

 フェイトの『記憶』。一見意味のないようなアルフとのやりとり、日々の行動の中で、束が唯一掴めた手がかり。束にとっては珍しく、理屈ではなく直感によって得た発想だ。

 

「だから」

 

 普段と全く同じ、なのはに甘える時、千冬をからかう時、発明に狂喜乱舞する時と同じく目を細め、心から笑っている――()()()()()()笑み。

 

「君の頭、ちょ~っと、覗かせてもらうね?」

 

 それをフェイトに――ではなく、髪の毛と肌と頭蓋骨に隠れた彼女の脳味噌へ向けながら、銀の光沢がかったヘルメットのような機械を、フェイトの頭へセットした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルフが横になって、ざっと20分くらい経っただろうか。かちゃり、とドアが開き、薬局のポリ袋を持ったフェイトが駆けつけてきた。

 

「ただいま、アルフ。大丈夫?」

「ん?……あぁ、おかえり、フェイト。いや、寝てたら結構楽になってきたよ。でも、一応飲んどこうかな」

「そっか。それがいいよ。じゃあ、今お水持ってくるから」

 

 フェイトがテーブルに置いた袋の中には、腹痛に役立つだろう薬が何個も入っている。別にそこまで買ってくることないのに、とアルフは心の中で苦笑しつつ、多分店頭で必死に選んだんだろうな、と想起されて何だか心が暖かくなって来た。

 この分なら、腹痛も夜には治りそうだ。そうしたら、ジュエルシード探しを手伝える。

 アルフはホッとして、起こした身体をまたソファへとうずめた。たまには子供の頃のように、こうして甘えるのだっていいかもしれない。

 

「ね、フェイト。所で、どの薬局で買ってきたんだい?」

「え? ……えと、えーと……」

 

 いきなりの問にフェイトは戸惑い、思い出せずにポリ袋に描いてあったロゴを見て答えた。だが、そこもフェイトのおっちょこちょいな、所謂素が出てきてるんだと思えば、さほどおかしいことではない。アルフは、小さな声でくすくす笑った。

 

「フェイトってば……」

「あー、アルフ? 今おっちょこちょいだなって思ったでしょ!」

「思ってない、思ってない」

「思ってた! リンクなんて無くても、ちゃんと分かるんだからね! はい、嫌がらないで飲むこと」

「なんだよぉ、フェイト。アタシもう子供じゃないってば、嫌がらないって」

 

 ちょっとムスッとしたフェイトの顔は、ある意味笑顔より貴重かもしれない。

 そう思いながら、アルフは錠剤二つを水と一緒に飲み干した。

 




劇場版1stの如く、テンポよく進めることを意識してるので、これから何処かしら抜かしすぎて、説明不足な所があるやもしれませぬ。
何か歯抜けだなぁと思ったらご指摘くださいな。


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なべて世は事ばかり(Ⅱ)

 束が『空を飛ぶ』ための研究に乗り出してから、おおよそ二週間。

 その二週間の間に、なのは、そしてフェイトのジュエルシード争奪戦は大きく進展していた。

 

 今現在、なのはが手に入れているのは8個。フェイトが手に入れたのは6個。先だって5個ほどリードがついていたにしては、なのは側はフェイトにしてやられすぎている、というところだろう。

 現に最初は、なのはも千冬も、フェイトに負け続けであった。なのはは機動力と近接戦闘面ではどう頑張ってもフェイトに対応できず、距離を離した砲撃戦に持ち込もうとしてもあっという間に距離を詰められてしまう。千冬も千冬で更に剣術の腕を磨き、竹刀を木刀に持ち替えたが、それでも空を飛べないという足枷は重く、戦闘ではどうしても支援がメインになってしまう。

 この所、ユーノが合流して三対ニに持ち込めることもあったが、それでもどうにか対等に戦えるといったところだ。会って数週間の即席トリオでそこまで戦える方が凄いかもしれないが。

 

「……千冬ちゃん、もうちょっと、お願い」

「む、いや、だが……」

 

 篠ノ之神社に併設されている、剣道場。普段は数多くの門下生が切磋琢磨し合い、竹刀のぶつかる音と掛け声が響く場所であるここも、練習時間外である今は、しんと静まり返っていた。

 その真中で、向かい合っている面胴小手姿の少女が二人。

 片方の構えは堂に入ったもので、いかにもな雰囲気から当な実力者だと見て取れる。何回も剣を振るったが、汗一つかいていない。

 対してもう片方は散々に打ち込まれ、息も絶え絶え。どうにか竹刀を構えているが、もう少しで倒れそうなほどふらふらである。大体、持っているのは竹刀ではなく、竹で出来た棒であるのがおかしい。最もこれは、彼女が持つべき武装の類似系であるのだから、それで正しいのだ。

 

「もう疲れただろう。そろそろ休憩を」

「ううん、まだっ!」

 

 何日か前から始まった、特訓だった。きっかけはなのはが、近寄られるとどうにもならない、フェイトの動きを見切りたいと言ったことだ。ならば地上でフェイトと同等に動ける千冬の早さに慣れよう、と言うわけで、練習前の剣道場を貸し切っての秘密特訓と相成った。

 許可を取り付けてきたのは束である。篠ノ之家の大黒柱であり同時に神社の神主、そして剣道場の主でもある柳韻は厳格な人物だが、このとんでもない長女のやることにはある種の諦めを持って接しているらしく、何に使うかも聞かずに許可を出したという。千冬たちにしては有難いことだが、後で菓子折りの一つでも持って頭を下げなければいけないだろう。

 

「……全く。分かった。だったらそのへろへろな構えを少しでもどうにかしろ」

「うんっ!」

 

 なのはにしては珍しく表立って強情だな、と千冬は思う。いつも他人の言うことをよく聞き、時には信じこみすぎてしまう面もあるのだが、今は変に意地を張り、疲れ果てた身体をなんとか立ちあがらせている。この前まで、運動なんて嫌いだ、と言っていた女の子が。

 その心意気は頼もしい。だが、オーバーワークは身体に毒だ。今日の夜も探索を控えているというのに、これ以上の負担は掛けられない。自分が良く体を動かすのだから、向こうが無理を仕切っているのは良く分かっていた。

 だが。千冬はそれを口に出せるほど素直ではない。特に、こうして剣を構えている時は。

 

「……いくぞ」

「はいっ!」

 

 そう言うなり、千冬は気を張り、竹刀を上段へと構える。今まではなのはの体力に合わせてだいぶ手加減していたのだが、眼の色は今や、敵であるフェイトか、天敵である束と戦うときと同じように鋭く、険しくなっていた。

 そうまで無理をしたいのなら、その前に徹底的に叩き潰して、無理を出来なくさせてやる。これが今の限界、であることを身体に叩き込ませるのだ。

 妹みたいななのはに対して、少し険しさが過ぎるのではないかとも思うが、元来織斑千冬という人間は力だけが取り柄の不器用な女だ。だったら、自分が表現できる、精一杯をぶつけてやろう。

 今、目の前で必死に此方を見つめ、何処から攻撃が来るのか予測しているなのはのために。

 

「はあぁぁっ!」

 

 烈火のごとき叫びの後に、竹刀が振り下ろされる。来ると分かっていたその一打はどうにか防いだなのはだが、続け様に浴びせられる連撃にはとても対応できず、それでもなんとか棒を愛杖のように持って防ごうとするが次々と掻い潜られ、防具越しに散々打ち付けられていく。

 それまでならそこで終わったのだが、今回は千冬も容赦はしない。相手が立ち上がっている限り、手加減せず滅多打ちに打ち込んでいく。

 乾いた音が道場の中に、そして外へも響く。それは、まるで集団で稽古をやっている時と同じくらい大きく、激しい。事情を知らない者が脇を通ったら、練習時間が変わったと思うだろう。

 

 なのはの強情も大したもので、数回打ち込んで壁の端まで追い込んでもまだふらつきながら立っていたが、最後に面を思いっきり打ってやると張り詰めた線が切れたようにくたりと倒れこんだ。

 

「はぁ、はぁ……千冬ちゃん、強いね」

「当たり前だ。生まれてこの方これだけが頼りだったからな」

 

 腕の力こぶを見せる千冬に、なのはは面の中の力ない顔で精一杯笑いを表現する。千冬のこの冗談めいた言葉は、実は半分ほど真実だった。そのことをなのはは良く知っていて、だからその裏にあるものには触れず、表側の冗談でにゃははと笑った。

 なのはの面が外されると、汗の水滴に塗れた頭部が出てきた。息は荒く、熱い。普段運動していない子供が、僅か30分でも全力で稽古を続けたらこうもなるだろう。

 千冬は、なのはをシャワーに入らせることにした。幸い道場の近くにシャワールームがある。汗まみれのまま家へ返したら、姉として申し訳が立たない。

 

 二人、道着を脱いで裸になり、一つのシャワーだけがある狭い部屋へと入る。なのはの汗を流してやりながら、千冬は何となく落ち着かなくなって、口を開いた。

 

「しかし、お前が自分から面を被るとはな。正直意外だったぞ。師範に何度薦められても、剣道は自分に合わないと言っていたらしいじゃないか」

「んー、でもね。今はそれが、必要かなって。フェイトちゃんと、戦うために」

 

 戦うために。猛々しい単語を口にしたなのはは、シャワーノズルを握り、自分の口元で戦う、という言葉を反芻した。

 それしか方法はない。あの悲しい目をした女の子と、まともに向き合うには。もし、今からでも街中を探せば、戦っていない、海鳴の街で日常を過ごす彼女に会えるかもしれない。ひょっとすると、束ならその在処を知っているのだろうか。何でも知っている彼女のことだ。きっと、喜んでなのはに協力し、全力で案内してくれるだろう。でも、それではいけない。

 そうしたところで、彼女からは静かな拒絶を受けるだけだ。人見知りなのか、それとも何か辛いことでもあったのか。彼女は口数を少なくして、自分に何も話そうとしてはくれない。

 だから、なのはは戦わねばならない。

 フェイトと空の上で戦っている時、互いに知恵を絞って手を読み合い、戦術の優劣を競うこの方法だけが、二人の間で辛うじて生まれていたコミュニケーションだった。

 

「そんなに戦いたいのか……いや、違うな。あの敵のことが、そんなに気になるのか?」

「敵じゃないよ。話し合えたら、分かり合えると思う」

「しかし、向こうも譲れない理由があるようだ。どうやって止める?」

 

 千冬はなのはの戦う理由を正確に承知していた。

 その上で敢えて、なのはの気持ちの向く対象である女の子に『敵』という単語を使った。そして、なのはの気持ちを試すように、挑戦的な問いも投げかける。それは仲の良い友達が他の人間を見つめて離さない、そのことへの嫉妬の発露なのかもしれない。

 なのははそんな千冬の少し意地悪な問いに、さっきまでやっていた稽古と同じように、真正面から向き合った。

 

「止めるとか止めないとか、そんなんじゃないよ。あの子のこと、知りたいの。あの子がどんな子で、何を思って戦っているのか。気になるんだ」

 

 止まらないなら止まらないで、それでもいい。自分のものでないジュエルシードを奪うように集めるのは、フェイトの勝手だし、止めたいとは思っていない。勿論、それを貫くならなのはも全力で戦い合って勝利して、ユーノへとジュエルシード全てを渡してきっちりと終わらせるつもりだ。

 なのはが気にしているのは、フェイトという人間そのものについて。人のものを奪うのは犯罪、それは多分この世界と一緒で、次元世界でも変わらない。でも、なのははそれを善悪の二元論で終わらせるつもりはなくて、どうして、と問いかけていきたかった。

 ぶつかって、そして『どうして』を理解して――

 

『なのは!』

 

 それから何をしようか、というなのはの思考は、一言の念話によって打ち破られた。

 焦りに震えるその声は、束の助手として資材集めや潜入捜査などにこき使われつつ、最近はなのはと千冬の援軍にも駆けつけてくれるユーノだった。

 最近はむしろ、束がある新研究に取り憑かれたように励んでいるらしく、此方の方に集中できて嬉しい、とも二人は聞いたことがある。

 

「ユーノ君!?」

「ん、なのは? ユーノからか?」

「あ、うん、千冬ちゃん、ちょっと待ってて」

 

 魔力のない千冬に念話は届かない。だから、千冬はなのはとユーノの会話を待って、行動を起こさなければならなかった。とにかく何が起こってもいいように、シャワーを止め、なのはの手を引っ張って脱衣所へ行き、自分と会話に集中するなのはの身体、両方をタオルで拭いて準備を整える。

 

『ごめんね、遅くなって! どうしたの? まさか、ジュエルシード!?』

『そのまさか。しかも、ほら、レーダーを見てよ。最大倍率で』

 

 なのはは慌てて、学生鞄から丸いコンパクトのような機械を取り出す。これぞ束特製の「掴もうぜジュエルレーダー」。ジュエルシードに限定されるが、最大倍率で街一つの範囲をあっという間に探知できる優れものである。

 ちなみに、その余りの効率の良さに、サポート魔法のプロフェッショナルな少年が仰天したという逸話もあるのだが、それはまた別の話である。

 

『うそ……もう光が赤くなってる! 異相体になっちゃってるの!?』

『見つけて数分も経たないのにこれだ。恐らく……あの子だね。あの子が強制的に魔力流を流して発現させてる。そんなことをしたら、下手すれば暴走するのなんて分かりきってるのに!』

 

 震えるユーノの声。ジュエルシードが暴走すればどうなるか、彼が一番よく知っているのだから当然だった。なのはもその声で、本能的に危険を理解する。そして、今すぐ飛んでいかなければならないというのも。

 

「千冬ちゃん!」

「ジュエルシードか」

「うん、それも結構危ない感じだって! 行こう、千冬ちゃん!」

 

 訓練終わりの疲れなど何処へ行ったのか、急いで服を着終わったなのははそのまま、レイジングハートを起動させようとする。

 慌てて止める千冬だが、なのはも魔力は今日1日、1分足りとも使っていない、だから大丈夫、と譲らず止まらなかった。

 

「もしかすると、フェイトちゃんだって危ないかもしれない。だったら、助けなきゃ!」

 

 自分には、誰かを助ける力があって、それで助けたい人が近くにいるなら止まってはならない。なのはの精神の根底にある、父親の教えだ。

 それは、助けた後に敵になるかもしれないけど。今度もまた、分かり合えないかもしれないけれど。進まなきゃ、やらなきゃ何も始まらない。

 

「……わかった。よし、行こう。こんな所でぬるま湯を浴びるのは終わりだ」

 

 そのなのはの気持ちを汲んだのか、苦笑しながら千冬は頷いてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……! こいつっ、ひょろっちいくせに中々しぶとい!」

 

 アルフは毒づいた。中々見つからないので、魔力流を直接流してジュエルシードを活性化させる。森を焼いて燻り出すように強引なその方法も、途中までは計算通りだった。しかし、その周りに偶然いた蜘蛛を依代に選び、異相体として巨大化してしまったのだ。

 当然、放っておく訳にはいかない。フェイトとアルフ、二人は即座に結界を構築し戦闘態勢へ入ったのだが。これが只の暴走体にしては、中々に手強い。六本の足を器用に使い、そこかしこへ跳んで攻撃をかわす。バインドで押さえつけようとすれば、その時一瞬、足が止まるのを知っているのか、口から白い糸を吐き出し、逆に此方を捉えようとする。

 特に、空を飛ぶ対象には、滅法強いタイプのようだった。二人が戦っている場所には、異相体の糸によってネットのようなものが作られ、下手に飛び回ればそれに引っかかってしまう。

 一度攻撃を当てれば倒せるだろうが、そこに至るまでがかなり遠い。厄介な敵だ。

 

「……このままだと……!」

 

 特に高速機動戦を得意とするフェイトにとって、この敵はとてつもなく相性が悪かった。

 まず、得意の機動が糸の膜によって遮られてしまう。ならば射撃で仕留めようとしても、向こうの機動性の高さに翻弄され、中々決定打を与えることが出来ない。

 このままジリジリと消耗戦に持ち込まれたら。そう考えると焦りが生まれる。フェイトもアルフも魔力は有限。しかし、ジュエルシードから異相体に供給されるそれは無尽蔵と言っていい。

 只の異相体とはいえ、油断できない理由はそこにあるのだ。

 

「アルフ、離れてて。ちょっと消費がきついけど、アレで……」

「フェイト、無茶はダメだよ! あたしがなんとか一撃出来れば!」

「ううん、なるべく早めに終わらせないと」

 

 バルディッシュか掲げられ、その形態が金色の魔法刃の鎌から、漆黒の鉄の穂先を持つ槍へと変わる。そして、刃と柄の接続部分から伸びるのは、三本の羽根のように見える、余剰魔力の噴射。主の魔力を全て受け取り、大魔法を放つために全機能を開放させるバルディッシュ・グレイブフォームだ。

 この状況を打開するためにフェイトが放つ大魔法、サンダーレイジ。周囲一帯に雷撃による大ダメージを与え、異相体が何処へ逃げようとも逃さず、即座に封印できるという計算だ。

 しかしこの攻撃、魔力の消費が著しく高い。恐らくフェイトに余力は残らないだろう。そんな時に、邪魔をする白い魔導師に巡りあってしまったら。

 フェイトの頭脳は十分にその事態を仮定出来たが、しかし敢えて短期決戦に踏み切った。

 

「っ……フェイトっ!」

 

 アルフには、その気持が痛いほど理解できる。

 この暴走体が結界を抜けだして、もし街を襲ったらどうなるか。フェイトはそこまで考えて、自分の消費を度外視して決着をつけようとしているのだ。

 それが、何とももどかしい。どうでもいいじゃないか、そんなこと、と訴えたくなる。

 ジュエルシードを集められなかったら、またプレシアから叱責され責め苦を浴びせられるというのに。母親のようにどうしても非情に徹しきれないその優しさが、今のアルフには歯痒かった。

 でも。

 

「詠唱の隙は私が守る! フェイトは術に集中して!」

「アルフ……!」

 

 だからこそ、優しいからこそ、アルフはフェイト・テスタロッサが好きなのだ。その甘さは私が救う。私だけが守らなきゃいけない。フェイトには、他に誰も居ないんだから。

 蜘蛛型異相体の複眼が、近づきあった二人へ向けられる。攻撃が来る。

 アルフが防壁を構築し、フェイトが術式を組みつづけていたその時。

 

「よし、二人で投げるから、思いっきり突っ込んで!」

「いくよ、せぇー、のっ!」

 

 狼の聴覚が、デバイスのセンサーが遠くから感知する声。そして。

 

「とぉうっ!」

 

 はるか遠くから投擲された黒い人間弾丸が、片足を突き出し、冗談のような早さで蜘蛛の横っ腹へと突っ込んだ。

 その勢いで、メンコがメンコをひっくり返すように、巨体はあっさりと裏返る。六本足が宙に浮き、あるはずの地面をジタバタとかき回す醜態を見せていた。

 

「なのは、いいぞ!」

「うん、大きいの行くよ、離れて!」

 

 最早何度も戦い合い、聞き慣れた凛々しい声と、張り詰めた声。

 

「ディバイン・バスター!」

 

 そして、何度か喰らい掛けたピンク色の光の渦は自分たちではなく、ひっくり返った大蜘蛛に直撃した。情けなく蠢いていた足はしなしなと力を失い、そして萎んでいく。後に残ったのは、封印されたジュエルシードとちっちゃな蜘蛛。見慣れない場所に突然現れた蜘蛛は驚き、地を張って逃げ去っていった。

 

「良かった、間に合った! えと、大丈夫……?」

「……」

 

 それでも臨戦態勢を解かない二人。封印したジュエルシードに近づこうとするなのはも千冬も、そしてユーノも、その険しい目線に押され、浮かぶ青い宝石越しに向かい合う。

 無言で、斧に戻したバルディッシュを構えるフェイトを見て、なのはも対抗するように杖を両手で持ち、先程救った敵手へと向ける。

 ここでフェイトかアルフのどちらかが「ありがとう」の一言も言ってくれれば、それなりに話し合いの道も生まれるだろう。だが彼女たちには、そう出来ない理由がある。だから、喉の先まで出かけた言葉を抑え、戦闘態勢を取るのだ。

 

「フェイトちゃん……」

 

 しばし俯いたなのはは、きっと顔を上げ、決然とした表情でその無言の返答に答えた。

 

「譲れないんだね。うん、私も譲れない。ジュエルシードを、それからフェイトちゃん、貴方のことも」

「……」

「知りたいんだ。どんなに拒絶されても傷ついても、分からないのは嫌だから。分かり合えないのも嫌だから。だから、私が勝ったら……お話を、聞かせてもらうよ」

「……っ!」

 

 二人の魔導師の隣で、此方も互いに向かい合う、使い魔と剣士。

 

「アタシの相手はアンタかい……いいね、クロスレンジは望むところだ」

「こちらも。躾の悪い犬に、なのはの背中は渡せないからな」

「アンタ……なるほど、そういうことかい」

 

 アルフは理解する。こいつは自分と同じだ。こちらは使い魔と主人、向こうは友人同士。立場こそ違えど、守りたいという気持ちは違わない。だから、魔力も持たない只の少女が、二本の刀を持って戦場へと赴いている。

 

「そういうことさ。奇遇だな。お前とは気が合いそうだ」

「気に喰わないけどね。ま、容赦しないよ。隙あらばアンタの守り掻い潜って、アイツの喉笛に噛み付いてやる」

「それはこちらも同じだ。気がついたら可愛いマスターの頭が潰れていても、不思議じゃないぞ。私はなのはと違って、手加減というのが苦手だからな」

「言ったな!」

 

 千冬の左肩には、フェレットに変身したユーノが居る。そして魔法陣を展開し、次々と空中へ浮かばせていった。足場にして、これで相手が空を飛んでもどうにか追撃出来るといったところか。苦肉の策だが、アルフも飛行は正直言うと苦手だし、これで条件は五分になったと考えるべきだ。

 

 2組の間の緊張はもはや限界に達し、誰が言うでもなく、互いに駆け寄って攻撃をぶつけ合おうとした。

 その時である。

 

「っ、千冬、下がって!」

 

 それをまず探知したのはユーノであった。五人の中で唯一戦闘以外の事柄へ集中していたので、上空から奇襲のように振ってくる魔力弾の雨を迷わず察知できたのだ。

 千冬は殺気には人一倍鋭敏でも、魔力の反応に対してはそうではない。ユーノの言葉によって急いで後方へ下がらなければ、一人青い針を全身に受け、気絶していたかもしれない。

 

「え、ええっ!?」

「っ!」

「なにっ、まさか……!」

 

 その他の三者も、ある者はデバイスの進言、またある者は持ち前の探知能力で攻撃を予測し、下がっていた。

 だが、それは介入者の作戦の内である。なのはとフェイト、二人が足を踏み入れた床から青い魔法陣が現れ出て、二人の両手両足を同色の太い輪っかが拘束した。

 

「え、うそっ!」

「バインド!? アルフっ!」

 

 一人は突然の拘束にあたふたともがいていたが、もう一人は即座に、未だ縛られていない自分の使い魔へと助けを求める。経験の差が完全には埋まっていないことの現れである。

 

「フェイトーッ!」

 

 この非常事態に対しアルフの反応もまた素早かった。

 先ほどまで殺気を向けていた相手に無防備な背を向け、フェイトにかかったバインドを砕こうと、身動きできない彼女へ近づく。当然、その行動に追撃が被さった。

 再び、群青色の雨。アルフの背中には幾つもの直撃弾が突き刺さり、その跡からはうっすら血がにじみ出る。しかし構わずフェイトの場所まで辿り着き。バインド破壊に長けた己が拳で、硬い術式を無理矢理打ち消した。

 

「逃げるよフェイト!」

「アルフ! でも、ジュエルシードが、まだ!」

「こうなっちまったら、どうしようもないよっ!」

 

 そのままフェイトを抱きかかえて、ダンっと地を蹴り飛び去っていく。

 三回目の追撃は来なかった。これ以上追っても魔力の無駄だと気づいたのか、それとも、傷ついた使い魔と消耗した魔導師一人、後でどうとでもなると判断したのか。

 どちらとも決めさせない無表情の少年が、自分のかき乱した。決闘の場に降り立った。現れた第三勢力。その正体を、ユーノは消去法と、少し前にかけられたある言葉から思い出した。

 

――時空管理局。ユーノ君から聞いた通りの規模だったら、そろそろやってくるかもねー。事故の報告を聞き取って、その辺りを調査して。それから次元航行部って、地方のドサ回りもやってるんでしょ? だったら、わざわざ本局から出向かなくても近場の艦船が向かえるよね? 事件発生から一ヶ月の経った今、そろそろ来てくれないと流石に無能ってことだよ――

 

「僕は時空管理局本局次元航行部所属、クロノ・ハラオウン執務官だ。手荒いやり方ですまないが、君たちの事情を聞かせてもらおう」

 

 



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なにも世に事はなし(Ⅲ)

 その日の朝に、時を遡って。

 ユーノ・スクライアは相も変わらず、篠ノ之束の助手として西へ東へと飛び回っていた。

 彼の仕事の一つにフェイト・テスタロッサ宅の監視があるが、最近はその頻度も少なくなっている。その代わり、もう一つの任務として、各地からのパーツ集め、というものを命じられていた。

 なんでも、束の今度の発明には、どうしても世界各地から『超一流』の部品を集めないといけないらしい。束の地下研究所にも工作機械は存在するが、それでも賄えないほどの貴重品だったり、あるいは世間一般で価値の認められない風変わりで独特な部品がどうしても必要である、とのことだった。

 束に命じられ、ユーノが赴いた場所はまさに多種多様だった。国立の研究所や大会社、昔ながらの町工場、果てには個人で発明をやっている同類、もとい風変わりの住処まで。自分みたいな子供が入り込んで大丈夫なのか、と聞くと、

 

『人間はね、これさえあれば白を黒と見間違えることもできるんだよ?』

 

 なんて言われながら小切手を渡された。帳面に書かれていた目を白黒させるほどの金額は、果たして何処から出ているのだろうか。

 自分の精神衛生を鑑みて、ユーノは敢えて触れずに終わった。

 

『そりゃあね、弘法筆を選ばずとは良く言うけどさ』

 

 ある日、ゼロが7個ほど書かれた小切手を手に持たされ、北アフリカの砂漠のど真ん中あるという研究所までお使いに行って来いと言われた時。流石に呆れ顔のユーノを見て、束は珍しく愚痴を零すように呟いた。

 

『今回のはそれじゃあいけない。全てが最高級品で、調整に調整を重ねてようやく実現するのさ』

『教授がそう言うからには、さぞ凄いんだね……』

『凄い? そんなんじゃないよ? 君も完成したこれを見れば、感謝感激雨あられだろうね。偉大なる束さんの深慮遠謀に恐れおののき、その助手を務めたことが後代までの誉れとなるね!』

 

 今のところ、誉れというか苦労談なんだけど。とはおくびにも出さず、ユーノは転送魔法を起動した。魔力のある限り、一瞬で地球の裏側にも行けるこれがなければ、ひょっとすると部品が集まらずに、束の発明も流石に途中で頓挫したかも知れない。

 

 さて、そんなユーノは本日、朝の七時からロシアの某機密研究所に転移しトランクに入れられた電子部品を受け取った後、束のラボで支給されたウサギ柄のコートを脱ぎ、地下の奥の奥で作業に取り掛かっていた束へ篠ノ之家本宅で出来上がった朝食を持っていった。

 

「教授ー、朝ごはんだよ」

 

 こうして階段の上から束を呼ぶのにもすっかり慣れてきたな、とユーノは思う。事件が始まってから、ずっとここで寝泊まりさせてもらっているので、勝手知ったる、という感じで階段を降りていく。本人の応答がないが、どうせ持っていった所で大して邪魔にはなるまい。

 むしろ、自分が来たことにも気が付かないはずだ。という、予測通りであった。ライトが眩く照らす中、束はコンソールに向かい合って、何やら難解なプログラムを作り上げているようだ。

 

「教授!、ご飯あるよ、食べないの?」

 

 口元に手を合わせて大声を出しても、束は何ら反応しない。ユーノのどんな失言も逃さずいじめまくるご自慢のウサミミも、今はすっかり麻痺してしまっているようだ。

 いっその事、肩でも叩いて知らせてやろうか。いや、こんなに集中しているのだから、服に手を入れて色々弄っても気づかないかもしれない。ユーノの心の中の悪魔がそう呟いたが、それを粛清したのは天使ではなくユーノ本人であった。

 そうしたところでどうなる。確かに束はなのはや千冬に比べて少し若干ながら大人っぽいスタイルをしているけれど、中身は悪魔なんてものではない、漆黒そのものだ。またぞろ被験体になるつもりはない。

 それに、もっと嫌な空想がある。

 巫山戯た口調で、責任とってね★ なんて言われながら一生助手を続けさせられることだ。ユーノにとっては正しく悪夢である。今朝のように裏取引の片棒を担がされたり、新発明の実験台にさせられてしまうのはもうまっぴら御免だった。

 

「……もう、教授ったら……」

 

 だが。一心不乱にキーボードを叩き、目の前にある物言わぬ機械へと、命を吹き込もうとしている束の姿を見ると、どうしても冷徹に、朝ごはんだけ置いて帰ることが出来ない。このまま去っても務めは果たしたのだし、本人も大して気にしないだろう。それでいいはずなのに、何故か放っておけないのだ。

 だってこの女の子、もう何日も、いや、何週間も徹夜しているのだ。ただの一つの発明品にかかりきりになって。最初は何回か止めようとしたが、勿論束は聞く耳持たず、段々濃くなる目の隈も気にせずに研究所の最深部から動かない。

 束が外にでるのは日に一度、風呂に入る時だけだ。学校も丸2週間休んでいる。一度、これ捨ててきて、と不透明なペットボトルを渡されたこともあった。ユーノは中に何が入っているのかという思考を徹底的に放棄して、それを処理した。

 そんな束であるから、せめてご飯だけは食べて貰いたい。

 散々こき使われた人間にそんなことを願う辺り、ユーノも中々にお人よしである。

 ふぅ、と1つため息を付いて、こういう時にピッタリのセリフを唱えた。

 

「束ちゃん、なのはだよ。私の手作りのご飯、食べないの?……ぐすん、悲しいなあ」

 

 精一杯の作り声と、ヘボい演技。しかし、元々声変わり前の高めの声だったため、鈍りきった束の聴覚を騙すには十分だったらしい。

 

「な、なのちゃぁぁん!? 手・づ・く・りぃ!?!?」

 

 その瞬間、飛び出してきた束にがっと掴みかかられ、押し倒される。

 女性に押し倒されるというのは中々ドキドキするシチュエーションだが、今回の場合相手が相手なので、興奮するどころかむしろ緊張する。

 いつ寝技をかけられてしまうのか。首筋を極められたらどうしよう。なんて考えていたが、束は暫く胸元を嗅いだ後、がっかりした顔で、

 

「なぁんだ、君かぁ」

 

 と、あっという間に興味を失ったようで立ち上がり、椅子へ戻ろうとした。

 

「待って待って、待って! ご飯あるよ!」

「ふえ? ……あ、ほんとだ」

 

 ユーノに言われて初めて、束は自分の空腹に思い当たったらしい。お盆の上にあるご飯、味噌汁、鮭の塩焼きという和食3点セットをじいっと見つめ、やがて箸を手に取り、がつがつと猛スピードで食べ始めた。その間に、ユーノも立ち上がり、改めて、束が取り掛かっていた発明品を見る。

 それは、人型の装甲と、一本の大型剣。それなりに考古学を修めてきたユーノから見れば、全体的に白く誂えられている塗装はまるで白磁器のように美麗だ。何かしらの武器と言うよりは、それ自体が一個の芸術品のようにも思える。

 なるほど最高級というだけはある。それに、まだ内装が剥き出しのフレームを見ても、調達を担当したはずのユーノですら記憶のない部品が取り付けられている。恐らく、前々から計画を立て、密かに組み上げていたのだろう。それが今回の事件で、完成を急ぐ必要に迫られたということか。

 

「ごちそうさまっ……あ、ユーノ君、見学時間ここまでね」

 

 と、ここまで推測した所で、5分も経たずに食べ終わった束に視界を遮られた。

 

「秘密にしたいってこと?」

「ま、ね。特になのちゃんちーちゃんにはナイショだよっ。私とユーノ君だけのヒ・ミ・ツ★」

 

 うっかり漏らした後の仕打ちを考えると、出来れば知りたくない秘密である。

 その一言を最後に再び作業に没頭し始めた束に、ユーノはもうひとつだけ質問を投げかけた。

 

「でさ、教授。ご入用のものって、まだあるかい? まだあるんだよね? この前は窓のない部屋で怖そうな黒スーツの人と取引したからね、もうなんでも来いって感じだよ」

 

 皮肉めいた口調ではあるが、ある意味自分から仕事を求めているようにも聞こえる。嫌々ながら働いてきた毎日でも、長く続けば助手としての根性が染み付いてしまうかもしれない。

 

「ん……あ、じゃあね。お昼ご飯を持ってきたら、その時私に転移魔法を掛けて。座標はその時言うから」

「転移魔法? 君自身が行くの?」

「私だってね、あんまり出不精じゃいられないかなって思うんだ。それにこれ、ユーノ君には任せられないことだから」

 

 その言葉を聞いたユーノは自分に任せられないほど大事なパーツなのだろうかと考えた。

 だが、束が脳内で想起した転移座標は、地球上のものではない、全くの異次元に繋がるものであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緑色の魔法陣。その真ん中から、半球体の光が広がり、縦へ伸びて一本の柱となる。そして、再び収縮した後、一つの人形を後に残して完全に消え去った。

 

「ふぅん……まーこんなものかな? 小規模の結界で転移用の空間を確保して、私の周りの空間ごと転移、と。私の身体を一度分解するとか、そんなんじゃないんだねー。流石魔法」

 

 束にとって、生涯初の転移魔法である。どのようなシステムになっているか、改めて身体で把握した事実を口先で反芻し、確認した。

 彼女が転移したのは、広い広い廊下だ。丁度真後ろに門があれば、巨大な館の入り口だとも解釈できる。だが、振り返ったそこには高く厚い壁しか存在せず、ドアがあるのは廊下の向こう。まるで紐で縛った袋の先端みたいだ。

 束意外には誰も居らず、しんと静まり返った通路。その静けさと、どこか空虚で質素ではあるが、例えば貴族の館を思い出させるくらい、それなりに華美な外装が、外部の者を近寄らせない威圧感を醸し出している。

 だが篠ノ之束、慌てず騒がず。こつこつ、と陽気な靴音を立てて歩き出し、自分の四倍ほど大きく、二倍くらい重さの有りそうな木製の大扉を、片手であっさり押して開いた。

 

「じゃーんじゃじゃーん、束さんですよー!」

 

 そこはまた、がらんどうの大広間である。

 上や下へと通じる階段、広間全体を灯すシャンデリア。そのどれにも大分ホコリが被っており、掃除されなくなってから何ヶ月も経っているようだ。

 この館に人が住んでいるとはとても思えない。だが、束は既に知っている。掃除の出来る人間が居なくなっただけだということを。

 だから館の奥には、自分が会わなければいけない人が居る。

 天才である束だからこそ、会って確かめたい人間が。

 

「……ん?」

 

 ガシャリ、と金属の音。鎧の摺り合う音と、機械の駆動音が混じりあった、耳障りな効果音が大広間全体に反響し、束の耳にも入った。

 ふと右上に目が向くと、そこには銀色の鈍い光沢を放ち、片手にハルバードを持った鎧騎士の姿。しかし、その大きさは人間と同一ではなく、何倍にも拡大したように大きい。だからそれが近づいていく度、束は段々と首の角度を上げなければならなかった。

 

「ねー、君ぃ。この家の執事さん?」

 

 自分よりはるかに巨大な鉄巨人へ、恐れること無くのんきな声で問いかける束。だが、巨人は応答せずに只々歩く。足が地面を踏む度に響く衝撃は、その重さと力強さを感じさせるように、束の全身へと響いていた。

 

「ちょっと、この素敵なお館の主人さんに会いたいんだけど。え、招待状持ってない? やだぁ、ちゃんとここにありますよぉ」

 

 などとふざけながら取り出した便箋は、折り目が曲がって不格好で、蓋を止めるシールもちょっとずれている。不格好で、いかにも子供が作った感満載だ。

 束はそんな封筒をこれ見よがしに取り出し、中にある手紙を、オバサンのような嗄声を作って、時たまクスクス声を交えて読み始めた。

 

「えー、『拝啓束様。新緑の候、束様にはますますご健勝のこととお慶び――』」

 

 ブオン、と空気が切られる。束の目の前まで迫っていた鎧騎士が、ハルバードを真上に構え、一直線に振り下ろしたのだ。巨人が持つ常識はずれなサイズの斧は地面に当たり、大質量の鉄塊が当たった廊下の一部は砕け散った。もちろん地面と斧の中間点にいたウサミミ娘など、呆気無くぷちりと押しつぶされて肉塊へと変わっている。

 そのはずだった。

 

「『――申し上げます』っと」

 

 斧を振り下ろし、持ち上げようとした巨人の頭の真横。鎧騎士の肩の上に、潰された筈の少女は悠然と座っていた。

 もし、この鎧の中に人間が入っていたとすれば、当然慌てふためき、肩に居る断ち切った筈の少女を振り落としていたことだろう。だが、それは予想外の状況に何も動かず、まるで意識を失ったかのように停止している。

 

「あーあ、君ぃ、館壊しちゃったねぇ。いけないなぁそういうの。このままだときっと、こわーい魔女に首をちょん切られちゃうよ?」

 

 何も言わずに静止する鎧の肩で、束はケラケラ笑いながら、その首筋へと近寄って。

 

「だから、私が先にちょん切ってあげよう」

 

 十本の指が冷えた鋼鉄をなぞり、重金属の落下音。

 鎧騎士から首なし鎧になった巨人は、この後片付けられるまで、永遠に動くことはなかった。その断面から見えるのは、無数の部品。機械で作られ魔力によって動く巨人の名前を傀儡兵と言う。

 束は自らが『分解した』首の結合部、その一つ一つを改めて見聞し、それからヒョイッと飛び降りて、今襲ってきた魔法のロボットに対し評価を下した。

 

「んー、駄目だ、ダメダメ。まーた詰まらぬものをバラしてしまったよ。悪い子悪い子、この指悪い子!」

 

 余りにつまらなさ過ぎて、意味のない戯言を呟いていた束の全身を、今度は光線が襲った。魔力砲だ。上の大扉から打ち込んだのは、先ほどの傀儡兵とはまたサイズと色の違う、二体の巨人。

 だが、束は遥か上空に飛び上がっていた。砲撃は無効だと気づいた二体は、それぞれ蝙蝠のような翼を広げ、追撃に掛かった。相手は宙に浮いていて、飛行魔法もなく、後は只重力のままに落ちるだけ。翼を持ち、空中で自由に動ける二体に取っては格好の獲物だ。

 篭手にある鋭い爪を剥き出しにして、衣服と柔らかい人肌と切り裂こうとする二体は、束を取り囲んで左右から同時に攻めかかり。

 

 これまた、見事なまでに『解体』された。

 

 今度は首だけではなく、全身が細かくネジ一本に至るまでバラバラに散らばって、屋敷の床に落ちてチャラチャラと、様々に小うるさい音を立てる。解体した当の本人はすたっと着地し、ぱんぱん、と両手を払った。

 

「センスが無い。もうサイテーだよ、非効率の極み。ふぁぁ」

 

 などと口々に罵りながら、開いた大扉に向かって進むのにもれっきとした理由がある。

 最初の傀儡兵の首を『解体』した時、彼女はその感触、そして断面から、傀儡兵の構造そのものから設計思想まで、全てを見切っていた。簡単にいえば、魔力で駆動する室内防衛装置。基本的に主が命令しないと動かないが、極単純な人工知能も備え、共同で敵に当たるなどという原始的な戦術行動も取ることが出来る。

 

「でも、欠点のお陰でまるでダメ。とてもじゃないけど量産できないのに、どうしてこんなにあるんだろうね。採算度外視してロマンに走ったのかな?」

 

 階段を登りながら束は喋り続ける。確かに、このロボットが世間に出回るには欠点が大きすぎた。

 まず、魔力やエネルギーを非常に多く消費する。だから、動かすには最低でも、次元世界の中でもかなりの高レベルに分類されるAAランク以上の魔導師、もしくはそれに値する出力を発せられる動力炉が必要になり、大勢を動かすには更に高ランクの魔導師を専門で配属する必要があった。

 そして、何よりその大きさ。小型サイズは比較的融通が利くものの、今利用されているような大型は、広い場所でないとその能力を十全に発揮できない。かと言って、屋外で使うにも難があった。エネルギー供給の可能な範囲が、著しく狭くなってしまったのだ。

 

「結局、こぉんなに広いお屋敷で、高ランク魔導師と動力炉の合わせ技じゃないとまともな運用は不可能。他の所じゃ絶対お役御免だ。うん、欠陥兵器だね」

 

 理論的な面からバッサリ切り捨てた束は、今度は個人的な美意識から叩き始めた。 我慢ならない、と言うよりは手慰みにからかうという感じでボロクソにけなしていく。

 

「だいたいこいつら、外見にこだわり過ぎで中身が伴ってないよ。単純で単調。でも剛健ってわけじゃなくて、殺した相手が肩に乗ったぐらいですぐにエラーを起こしちゃう。大勢で攻めかかることでデメリットを補えるってのは分かるんだけど、仕様上、ほぼ不可能だからねー」

 

 そこまで語った所で、束は上の階層まで上り詰め、恐らく館の主まで通じているであろう廊下の扉を開き、一歩進み出た。

 

「……へぇ」

 

 今度束を迎えたのは、紫色の拘束魔法。

――この時丁度、外では高町なのはが青い縄に縛られている。奇しくも、友と互いに誓った二人、全く同時に行動の自由を抑えられていた。そのまま、バインドに引っ張られて宙に浮き、連れられていく先には、紫色の魔法陣があった。

 

「面白い手を使うね。流石は大魔導師さま」

 

 その中心へと引き寄せられていった束の見たものは、傀儡兵の群れ。そのどれもが、手持ちの武器の切っ先や砲身を、束ただ一人に向けている。打てば何個かは相打ちになってしまうだろうに、しかしその犠牲を甘受してまで、この少女を抹消したいのだ。

 ここは、元々誰かが入ってこれるような場所ではなかったから。

 しかし、誰も侵入できないように次元空間を彷徨い、小さな手駒のみを使って、陰に計画を進めていたというのに。侵入者が入ってきた。

 

 今、束は絶体絶命の状況へ追いやられていたが、本当に追い詰められているのは、むしろこのもてなしを企画した、館の主であるのかもしれない。

 

「ま、いくら罠を張っても、いくら策を弄しても」

 

 パキン、と気味の悪い音を立てて、バインドが割れる。解かれるのではなく、ひび割れ、そして砕け散る。バインドを解く方法は、何も対抗する術式だけではない。力。そう、バインドの耐久力を上回る圧倒的な力があればそれは物理的に崩壊してしまう。

 ただし、それは一般的な常識で言えば、机上の空論というべきものだ。その論旨を、束は軽々と達成させてしまった。

 傀儡兵たちの銃口にエネルギーが貯まり、剣や斧が振り上げられ、槍が突き立てられる。未だそのど真ん中に居る筈の束は、今度もまた音もなく姿を消して。

 

「この束さんを倒すには程遠いんだよねぇ」

 

 自分に迫ってくる武器、狙うライフル、キャノン、その全て。

 バラバラに『分解』しつくした。

 たちまち無力化した傀儡兵を尻目に、束は軽々と魔法陣から脱出。

 ふぅ、と溜息を吐きながら、その思考は先程起こった舞踏劇の感想戦に移った。

 

「いやまぁ、でもちょっとだけ、危なかったかな?」

 

 大廊下を埋め尽くす程の傀儡兵。その武装全ての解体に、流石の束もまるっと15秒は掛けていた。しかし、粗末なAIの予想を遥かに上回る事象は、その機能を全て停止させ、だからこそ束は15秒で終わらせることが出来たのだ。これで各個に迎撃をされていたら、巨体の八艘飛びだけではなく、銃弾避けまでしなければならない。

 

「そしたら、持って1分位は足止めできたのにね。いやぁ、勝負はああ無情。残念無念また来てねん」

 

 1分。その時間さえあれば、大魔導師である館の主は余裕を持って大魔法を放てただろう。、事実、相手もそれを狙って、傀儡兵の殆どを囮にする気でいた。

 しかし、それは束の脱出と傀儡兵の無力化という、考えられる中でも最悪の方向へと裏切られてしまったのだ。

 もはや何者にも縛られない束は、館の深奥、主人の執務室へと通じる最後の扉をちょっとだけ開き、大声で呼びかけた。

 

「もしもーし、ここまで来たんだから、いい加減顔くらい見せたらどうかな? 館の主さん? ううん、プレシア・テスタロッサ」

 

 その言葉が通じたのかは分からないが。

 ドアが全開に開かれた時、その先の台座には、紫髪で目元に浅く皺の刻まれている険しい顔の女性が座っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「歓迎、お気に召していないようね」

「当たり前だよ。私を罠にはめるならもうちょい高等な兵器を使って欲しいなぁ。もしそうならバラすのも楽しくなるし、気合が入るってもんだよ」

「それはごめんなさいね」

 

 全く心の篭もらぬ謝罪をした彼女こそ、プレシア・テスタロッサ。かつては大魔導師として名声を手に入れたこともある、フェイト・テスタロッサと『同じ性を持つ』女性である。

 そして、束はこの次元空間移動式住居「時の庭園」へ、ただ一人、プレシアと会って話をするためだけに乗り込んできたのだった。

 

「でもああいう兵器の方が、仕入れ値も安いし、足がつかないのよ。こちらも騙し騙し使っているのだから、余り文句を言われても困るわね」

「苦労してるんだなぁ。いや、分かるよ分かる。あんなもの、こんな特異な環境じゃないとランクはテツクズ以下だもん」

 

 しかしながら、二度、壮絶な戦闘をくぐり抜けてきた割には、二人の会話は張り詰めているものの何処か馴れ馴れしく、互いに対し手加減がない。

 プレシアは気兼ねなく自分の窮状を話、束はそれにうんうんと頷きっぱなしだ。

 

「で? 貴方のような『天才』が……こんな辺鄙な場所へ、何をしに来たのかしら」

 

 プレシアは束を天才と呼ぶ。それは憧憬や尊重から来るものでは勿論無く、しかし侮蔑や皮肉すらも含まれていない。

 彼女は事実として、束を天才と呼んで、認めていた。

 または、全く同格の相手として、天才という言葉を使っていた。

 今までの行動から、この庭園を見つけて直接乗り込んできたこととそして、直接会った彼女と自分の、雰囲気、佇まいから感じる、どうしようもないほどの同類さに。

 真理を、大切なもの、自分のほしいものをを求め、その為には何もかも犠牲にして、それに何ら罪悪感を抱かない。プレシアはそういう人種だ。

 だから、目の前で笑う自分より遥かに年下の少女が、自分と同じくらい傲慢で、それでいて純粋な欲求を持っていることに気づけた。

 

 対する束も、そのことに対して否定をせず、むしろそう扱われることを光栄だと思っているような素振りを見せる。

 そして、真っ直ぐその瞳を見つめながら、返答した。

 

「それはね……あの良く出来たクローンを作る『天才』が、一体どんな顔をしているのか、確かめたかったからだよ」

「ッ!……」

 

 束が初めて他人を『天才』と呼んだ。その言葉に、プレシアはまるで謎かけを掛けられたような顔をして、数秒考え、答えを出した。

 

「なるほど。人形の記憶を読んだのね。確かに、あの転写は不完全だったわ」

「あったりぃ、流石は『天才』」

 

 ふふ、ふふふ。

 二人、唇だけを吊り上げて笑う。

 

 フェイトの記憶を分析した時に束が感じたのは、その奇妙な違和感。三歳から五歳までの思い出が、まるで取ってつけたような非現実さを孕んでいるということだ。

 それ以降の思い出はリアルだ。リニスという使い魔との生活。アルフとの出会い。リニスの消滅から、ジュエルシードの収集まで。どれも、フェイトが現実で体験したことであった。

 だが、その根底にあるプレシアとの親子関係。そこを徹底的に突き詰めてみると、それだけが偽りの、アリシア・テスタロッサという少女からの借り物だったのである。

 

 それを突き止めたプレシアに、束は何かを認めるような笑みを送った。それを見て、プレシアも微笑する。

 科学者という人種。それが二人の共通点だ。年も、性格も違う二人は、その一点においてのみ、完璧に意気投合していた。

 

「貴方こそ。人の記憶を読み取るなんて、まるきりレアスキルよ」

「貴方だって。記憶はともかく、こうも成熟したクローン技術は、私もまだ発明出来ていなかった。凄いよ。同じ一人の科学者として、純粋に尊敬させてもらうね!」

 

 束は褒める。

 彼女が今まで生きてきて、数少ない友人にしかやって来なかった行為を、プレシアという初対面の女性に対して平然と行う。

 それだけ、彼女にとってのプレシア・テスタロッサは特別ということだ。

 

「光栄ね。で、貴方。まさかこの私の顔だけ見て、帰るのではないのでしょう?」

「うん、でもね、ホントは色々お話とかもしたいんだけど、一応こっちも新開発の真っ最中なんだ。手短に行かせてもらうよ!」

「なんなりと」

 

 プレシアは余裕を持って答えを待つ。同じ科学者として、彼女は自分の願望を分かってくれている。これから束が自分に対してすること全てが、少なくとも、自分の損にならないだろうと心から確信していた。

 

「貴方が何をしたいのか知りたいな。ジュエルシードを手に入れて、それから一体何をするつもりなのか。ただ願いを叶えるなんて、つまらない使い方はしないでしょ? 大丈夫、守秘義務は守るよ。ユーノ君にも、管理局にも言わないから……ね、お話、聞かせて?」

 

 

 

 

 

 そして十数分後、時の庭園のメモリーに残された音声の一部がこれだ。

 

 

『ジュエルシードに願うわけではない。その熱量のみを利用して、私は行くわ、禁断の地へ。アルハザードへ』

『アルハザード!? なにそれ、すごいすごい! 面白そう! 私も行きたいな! こんな世界から抜けだして、なのちゃんと、ちーちゃんと一緒に!』

 

『共に行きましょう。こんなはずじゃなかった世界に、別れを告げて』

 

 

 

 

 

 

 

 




今度こそ土日はお休みします。月曜日の夜6~8時に更新です。
さてさて、どうなるどうする束さん!


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境界線を飛び越して(Ⅰ)

 時空管理局所属のL級巡航艦船「アースラ」。その艦長室で、なのはとユーノ、そして千冬はこの事件に関する管理局側の代表、リンディ・ハラオウンとクロノ・ハラオウンに対面していた。

 

「そういうことで、今後この件――ロストロギア『ジュエルシード』の回収については時空管理局が、そして我々『アースラ』スタッフが担当します」

「君たちには、今後この事は忘れて、元の世界でいつも通りに過ごして欲しい」

 

 誠実な口調で、二人はこの件の重大さとロストロギアの危険性を説明した。

 そして、ことはたった三人の少年少女だけで解決できるものではないし、だから、危険なことは専門家である自分たちに任せて、民間人には安全に暮らして欲しい。それが二人の、ある種突き放すような発現の真意だった。

 

「でもっ!」

 

 当然ながら、反発は来た。先に口を切ったのは当然、この件に対して並ならぬ思いと拘りを持っているなのはだ。正座しながら、身を二人へと近づけて精一杯訴える。

 

「事は次元干渉に影響する。軽犯罪ならとにかく、民間人に介入してもらうレベルを飛び越えてる。それに、君も今まで関わったのなら分かるだろう。暴走したジュエルシードの危険性を」

「っ……それは」

 

 言葉に詰まって、俯いた。今までずっと最前線でジュエルシードに関わってきたのだから、その危険性も十分に承知している。

 例えば、街全体を覆い尽くす大樹。もし砲撃という手段がなければ、何時間も居座る木に街は大混乱していたことだろう。そして、フェイトとジュエルシードを争った何度目かの戦いで、互いがジュエルシードに干渉しあって始まった暴走。どうにか停めることは出来たものの、あの魔力の奔流を生身生肌で感じたなのはにとって、クロノのいうことは痛いほど理解できてしまった。

 

「でも、でもっ! 私、魔導師です。そちらのお役に立てると思うん……ですけど……」

「その理屈は分かるわ。でも、確かに貴方は魔力で言うと中々のものだけれど、訓練が足りていません。フェイト・テスタロッサ……でしたっけ。彼女と、そして恐らくはその裏にいる敵。我々「アースラ」のみで対応可能だと、判断しています」

 

 リンディがそうまで言い切るのには、確固とした理由があった。

 フェイト・テスタロッサ。恐らくはなのはより高度な訓練を受けている彼女も、時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンの実力には及ばない。十回戦って、一回チャンスがあるかどうかだろう。

 そして、テスタロッサという家名から、アースラのデータベースが導き出した、プレシア・テスタロッサという女性も。例えオーバーSランクの大魔導師とはいえ、個人で管理局の巡航艦船の人員と装備に対抗するのは、不可能と言わざるをえない。

 

「でもっ、それでも……!」

「そうだ! ここまで関わってきて、今更やめろと言われてはいそうですかとは言えない!」

 

 なのはを援護するように言い張る千冬。だが、彼女はある意味なのは以上に、事態に介入する必要性を欠いていた。

 

「だが、君は魔法を持っていないだろう。確かに接近戦の実力は相当なものなんだろうが……これからの戦いを考えると、魔法無しでは必ず限界が来る」

「っ……」

 

 クロノの言葉は冷徹だが、それでも真実だった。使い魔相手に互角と言っても、これからはそれよりももっと強い存在が居るかもしれない。

 千冬も、頭の中ではとっくに理解していた。自分は無理をしているだけで、それを続ければ、必ず何処かで綻びが生まれる。自分の意地が原因で、取り返しの付かない事になるかもしれない。

 しかし、心の中で、まだ諦めたくないと叫ぶ。どんな形でも、戦うなのはの背中を守りたいと願い、しかしそう言えない悔しさに、歯を食いしばった。

 余り正直過ぎるクロノの言い分を、リンディは宥めるように言った。

 

「まあ、三人共色々思うこともあるでしょう。まだ時間はあるから、ゆっくり話し合ってから、結論を聞かせて欲しいわ」

 

 リンディとしては、なのはやユーノのような魔導師が、危険だと覚悟してあえて協力を申し出るなら、それを断るつもりは無い。千冬だって現地の地理や環境には詳しいのだから、協力してもらう利点は十分にある。敢えてクロノの言葉に乗って厳しいことを言ったのは、彼女たちの思いの程を確かめるためだ。

 最も、クロノの生真面目で白黒はっきりさせる性格の悪い面が出てしまい、全体として考えていたより若干きつい言い方になってしまったが。

 

 SFチックな艦船内にある、和のテイストをごちゃ混ぜにした風変わりな茶室で、問われた二人は暫く互いを見つめ、考え込んでいたが。

 

「……ユーノ君?」

「……おいユーノ。お前はどうなんだ」

 

 同じく正座をして腕を組みながらも、心ここにあらずといった表情で、小さいデバイスのような機械を掴みながら渋い顔をして唸っていたユーノに気づき、その無関心さに苛立つように声をかけた。

 

「え、えっ!? あー、いや、その……」

「おいおい、今の話、真面目に聞いていなかったのか、君は」

「全く、弛んでいる」

 

 千冬とクロノ、声を揃えて責める。先程は突っかかっていた二人だが、どうも性格の一部分、真面目で自分にも他人にも厳しいという所だけは、似たもの同士のようだった。

 だが、ユーノもユーノで、今の話に構っていられる暇が無いほど忙しかった。いや、今の話などどうでも良くなってしまうような事態に陥っていたのだ。

 

「うぇぇっ!? それでもいい!? というか都合がいいの!? で、でもさ……」

 

 愕然として立ち上がった後、意味ありげに、チラチラとリンディ、クロノの方を見て、それから助けを求めるようになのは、それから千冬の方を向いた。

 なのははきょとんとしているままだが、千冬はいち早く気づく。これは「あれ」絡みだ。何だかんだでこの歳にしては冷静な方のユーノが冷や汗をかくほど慌てているのだから。

 

「……おい、ユーノ、まさか……アイツか?」

 

 自らも若干焦り気味になって問う千冬に、首をかくかくっ、と短く素早く縦に振ったユーノ。

 脇から見ているクロノには訳の分からぬ光景で、怪訝な顔をした所で、気を回したユーノが焦燥した顔のまま説明しだした。

 

「えーと、実はもう一人、僕らには仲間がいまして……」

「仲間……と、いうと?」

「え、えと、こういうのも作ってて、とにかく、凄い技術者なんです」

 

 そう言ってクロノに渡したのは、ジュエルレーダー。その機能も同時に解説する。

 すると管理局側の二人共、手元にある懐中時計大の精密機械をしげしげと眺め、魔法のない世界で良くも作れたものだな、と関心した顔をしていたのでそのまま一気に畳み掛けることにした。

 

「そう! 魔法を知ってからとんでもないスピードでこういう便利なガジェットを作り続けてて……性格には多少、あー、いや、言っちゃおう。かなり、問題があるんですけど……」

 

 ユーノが口を濁しながら必死に束の印象を良くしようとしている理由は、要らぬ先入観を持った二人が色々問い詰めて暴走させるのを防ぐのもさることながら、助手としてそれくらいはやってあげないといけないんじゃないか、という使命感でもあった。

 

「で、その協力者さんがどうした?」

「あ、いえ! ちょっと遠くに居たんですけど、僕の方に送還させて欲しいってことです。あの、僕が管理局の船にいるって言っても、どうせ面会するんだからそっちの方が都合いいって聞かなくて……いいですか、提督?」

 

 聞き返したクロノを無視して、直接訴えられたリンディは、ほんの少し考え込んだだけで結論を出してしまった。

 

「ええ、分かりました。転送魔法の使用を認めます」

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 ユーノは相当急かされていたようで、言われた途端に術式を組み始めてあっという間に完成させる。現役の管理局執務官と提督二人が、思わず舌を巻くほどの速度だった。

 和室の一角に小さめの魔法陣が現れ、光の柱が伸びて――天才は、初めて、次元の海を航行する船へと足を踏み下ろした。

 彼女が目をぱちくりとつむっている間に、ユーノは口を開こうとする。 あの子のことだ、このままにしておけば、出会い頭にとんでもない爆弾を放つに違いない。そうしたら向こうの心象を著しく悪くするし、もしかしたらちょっとは残されている共同戦線の可能性すら潰えてしまう。

 しかし。

 

「え、ええと、この人! この人がっ」

「どうもー、篠ノ之束です。よろしくお願いします☆」

 

 出始めに言葉を遮られたユーノと、それから脇で臨戦態勢だった千冬は目を疑った。

 

 

 篠ノ之束が、まともに挨拶をしている。

 

 

「束さん? なのはさんから聞いたけど、同級生なんですってね」

「はい! なのちゃんとは大の仲良しで、今回の事件にもその縁で関わったんです!」

「そう。千冬さんもそうだけど、友達思いなのね」

 

 

 しかも、まともに会話をキャッチボールしている。人当たりの良さそうな笑顔で。

 

 

「見たところ地球の民間人のようだが……この探知機械、どうやって作ったんだ?」

「ああ、それですか? 魔力というのも不思議パワーじゃなくて、一種のエネルギーじゃないですか。ですから、その発生パターンと出力を分析すれば、魔導技術無しでもそれを探知することが出来るんです」

 

 

 そして、親切。見ず知らずの、しかも男性に笑顔を向けて、懇切丁寧に解説している。

 

 

「なるほど。流石、ユーノさんが凄い、というだけの事はあるわね。ウチで雇っちゃいたいくらい」

「なっ、母さんっ」

「やぁですよー!そんな冗談♪ 私なんてちょっと機械いじりが上手いだけの、ごくごく普通の女の子ですってば♪」

 

 

 極めつけに、謙遜までこなした。照れた。頭を掻いて苦笑した。

 

 

 一体何が起こったのか。

 二人共、必死に彼女の凶行を止めようとしていた。特に千冬などは、束が口を開く前に御神流の打撃法“徹”を使って、強制的に減らず口を叩けないようにしようとまで考えていたのに。

 

「……ユーノ」

「なんだ千冬」

「目の前にいるの。あれはなんだ?」

「何って、篠ノ之束――」

 

 がしっ、とユーノの肩が掴まれる。千冬の険しいながら整った顔が間近まで来ると、苦労していようと男の子であるユーノは少々ドキドキするが、目の前で髪の毛が揺れるほど首をブンブン横に振られると、その必死さに引いてしまう。

 

「あれが束であるものか」

 

 断言した。言い切った。真顔で。

 むしろそうあって欲しくないという願望すら込められた、かすれた声がユーノの耳朶へと響く。

 

「いや、僕もそう思うよ? 思いたいよ? でもさ、どういう理屈か知らないけど、次元空間内まで通じる通信を放ってこられるのはどう考えたって」

「違う。絶対に違う! 変装した偽物か、それとも、良く出来たクローンかもしれん。どっちみち、アレを完璧に真似することなど不可能だったようだがな!」

 

 はっはっは、と笑いながら、千冬はどこから取り出したのか、木の小太刀二本を手に持ち今度こそ技を繰り出そうとする。管理局の船のど真ん中で殺傷沙汰など起こしたくないユーノは、チェーンバインドまで使って千冬を捕縛。背中に回りこんで暴れまわる彼女を必死に押さえ込んだ。

 

「わああっ、落ち着いて千冬っ、殿中、殿中だから!」

「問答無用だっ! 離せ!」

 

 すっかり現実から逃避して、今度こそ不埒な偽物へ一撃を叩き込もうと、腰を入れて必殺の構えを取った千冬。それを必死に抑えようとしながら、ふと気になったのはなのはのことだ。

 

 三年来の親友である彼女は、唐突過ぎる束の変化に同反応したのか。

 

「ううん、束ちゃんは天才ですよ! 私もこのレーダーには随分助けられたし、ユーノ君の怪我を治したのも束ちゃんなんです」

「あははは、そんなに言われると束さん照れちゃう☆」

 

 何も変わらない。

 

 いつもと明らかに違う社交的で、何より全く常識的な雰囲気を醸し出す友人に眉一つ動かさず、それが今まで当然であったかのように和気あいあいと会話に加わった。

 ユーノにとっては、この対応が一番意外な事実だ。友達を大事にする人間なら、それが急に変わったとすれば驚きの反応を一つくらい返すはずなのに。

 高町なのはは、疑うという行為を知らないのだろうか。それとも、何もかも全て見切っていて、只適応力が高すぎるだけなのか。

 どっちにしろ、暴れる女の子とそれを抑える男の子が居なくなった会話は、始終穏やかな雰囲気で進んでいった。

 

「それでですね。管理局の皆さんがこの件を引き受けてくれるというのは此方としても有難いんですよ。ですけど、私達も一度は当事者となった身ですし、それに何より、この街にあの危険な宝石が後6つも残ってると思えば、夜も眠れない日々が続くんです」

 

 ほんの数日前まで、「ジュエルシードが151個あればもっと面白いよね!」なんてのたまっていた人間の言う台詞ではない。だが、初対面での印象の良さと、いかにももっともらしい言い分に、リンディもクロノもすっかり信じこまされてしまった。

 

「なるほど。只単にジュエルシードを集めたいのではなくて、この街の平和のため、もっと言えば、自衛のために集めたい、と言うのね?」

「はい。この街にはなのちゃんもちーちゃんも居ますし。あなた方を信頼出来ない訳ではなくて、私達も自分で出来る事をしたい。街の平和に協力したいんです!」

 

 次元市民の平和を守るために活動している、管理局員の二人にとって、その言葉は何か共感めいた感情を覚えさせたらしい。ちらり、と互いに目線を向けあい、しばし無言のまま静止する。表には出せない言葉を念話として伝え合っていた。恐らく作戦内容や命令系統といった、『まだ』無関係の子供には余り聞かせたくないシビアな話なのだろう。

 

 その間にも、束は言葉を続け、二人の心をさらに揺らがす。説得としては非常に効果的だ。

 

「なのちゃんの魔力は、皆さんにとって多少なりとも有用なはず。ちーちゃんも海鳴の地理には詳しいですし、私も……ええと、機械関連とかで、皆さんのお役に立てるかと思います。ですから……」

 

 他の二人のことを持ち上げ、自分は一歩引き下がって、それでもなんとかして状況に加わりたいと請い願う。それは二人からするとまるで、魔力も腕っ節も無いけれど、友達のために必死でついていこうとする、健気な少女そのものに見える。

 ここまで言われて、まだ断る理由は考えられない。

 

「そうね、そこまで言うのなら……協力してもらいましょうか」

 

 リンディの決断に、クロノも渋々頷いたがまだ納得出来ないような顔をしている。その強引さの理由も分からないではない。けれど、ここで善意を無視するなら、それこそ悪役ではないか。局員として、時にはシビアな決断が求められるにしても、必要以上に厳しくあるのは逆効果だ。

 

「本当ですか!? うわっ、やった、やったねなのちゃん!」

 

 認められたのがとても嬉しいという風に、隣に居たなのはへ抱きつき、くっつく束。なのはも嬉しいのか抱き返し、自分や千冬だけだと一旦断られる所を、弁舌でもってひっくり返してくれたことに強く感謝した。

 

「束ちゃんのおかげだよ! 私達がうまく言えなかったことを、言ってくれたみたいで、かっこ良かった!」

「か、かっこいい!? ……えへ、すっごく嬉しい♪」

 

 珍しい褒め言葉を使われて、更になのはへ密着する姿。一見するとそれはいつもの束と同じようだが、しかしどこかマイルドである。

 普通なら、抱かれた腕の中で悶絶するように震えたあげく、もしかしたら人目を気にせずに押し倒したりもするかもしれない。

 

「ただし! こちらの命令には従うこと。それと、有事の時はちゃんとこのアースラへ集合すること。いいか?」

「はーい! 束ちゃんも、いいよね」

「うん! 分かりました!」

 

 クロノの若干きつい念押しにも、仲良く頷く。そして、いつの間にか平常に戻っていながら呆然として事を見守っている千冬と、疑り深い目線を向けるユーノへ揃って向き合った。

 

「で、ユーノ君も、ちーちゃんも、それでいいよね? 私となのちゃんの二人で勝手に決めちゃったけど」

「えっ、あ、いや……構わないが……」

 

 千冬の躊躇いがちな同意に、ユーノも頷く。二人共、それでいいのか篠ノ之束、と聞き返すことは出来なかった。それほどまでに、束の変節は見事なものだ。まるで生まれた頃から善良な一科学者であったかのように振る舞うその姿。それはある意味、余りにも異常だったので――

 

 

 その裏に、何かがあるのではないかと思えてしまう。

 

 

 管理局に対して表側は善良を装うことで、何かとんでもない秘密を、本性とともに隠しているのではないか。

 そう考えてしまい、薄気味悪くなって何も言えなかったのである。

 

「じゃあなのちゃん、もう夜だし、帰ってご飯を食べよう! 子供は食べないと大きくなれないもんね!」

「そうだね、束ちゃん。私もそろそろ帰らないとだし」

「うんうん! それじゃあこれからもー、ジュエルシード探し頑張ろう! えいえいおー!」

「おー! ほら、千冬ちゃんも、ユーノ君も」

「お、おー……」

 

 

 なのはと束、二人元気に両手を上げながら、転送ポートまでエスコートしようとするクロノについていく。千冬もユーノは、その非常に常識的でしかしある意味異常な光景についていきながら、心の奥底に何とも言えない嫌な予感を感じていた。




次回は水曜日の18:00です。
どうしたどうする束さん。


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境界線を飛び越して(Ⅱ)

 アースラの転送ポートで送り戻されたのは海辺の公園。優しい潮風が絶えず吹き付ける憩いの場は、すっかり更けた夜の闇の中でも、幾つもの電灯に明るく照らされていた。

 

「じゃあ束ちゃん、またね!」

「うん、なのちゃんもまた明日!」

 

 過剰なほどに元気よく、ぶんぶん手を振り別れる二人。その隣にはそれぞれ、千冬とユーノがくっついている。なのはがユーノを預かる件は、ユーノが人間になったことでいつの間にか立ち消えになってしまったらしい。任意でフェレットに戻れるとしても、同じ年の男の子と一緒に自室で二人きりというのは、色気づく気配のないなのはにとっても中々抵抗のある状況なのだろうか。

 束に付き添うように去っていくユーノへ、千冬が無言のサインを送る。

 

(ユーノ。束があんなふうになった理由、必ず聞いてこいよ)

 

 必死な目線を、ユーノはこくこくと頷くことで安心させた。いつも束に対しては情け無用な千冬も、流石になのはが居る所で変節を面と向かって指摘する程の度胸はなかったのだ。それに、束がどんなにボロを出したとしても、なのはの方で勝手にフォローされていってしまうのだ。無論、天才である束は己の弁護にも最善を尽くすだろう。しかし、1対2より1対1の方が有利なのは明らかだ。

 

 だからユーノは、束が篠ノ之神社のすぐ側まで来た時に、それとなく切り込んでみることにした。

 

「ねえ、教授」

「なんだいユーノ君。ご飯食べたくないのかい?」

 

 きょとん、とした顔で見返されると、やっぱり変だなと感じられる。なんというか、雰囲気が。まるでここではない何処かへ目線が向いていて、夢中になっているようなビジョンが浮かぶ。

 

「なんで、管理局の人にいい格好をしたの?」

「なんでって」

 

 今更何を聞いているのかな? なんて窘めるような表情も、今日は少し、残酷さに欠けている。どうでもいいことに、どうでも良く答えているみたいに。

 しかし一先ず、理屈にあった答えが帰ってきた。

 

「そりゃあ、ソッチの方が得だからだよ。向こうは未知の技術の結晶だよ? だから、ちょっといい格好すればそれもらくらく研究できるし、そうしたら追い越すことも出来る。あははと笑うのはその時だけでいい。後はこの天才の技術に恐れ戦かせてやるのさ。簡単な事だよユノソン君☆」

 

 その言い分を聞くと、あの変節はやはり冷酷な計算に基づく擬態だとも納得できる。

 彼女を真っ先に疑った千冬も、そんな見方をしていた。アースラ艦内で密かに話し合った所、

 

『アレは素直なフリをしているだけだ。全力でな。内心は反吐の出るような気持ちだろう』

 

 と熱心に言っていたりもした。

 

 だが。たったそれだけの、技術を学ぶというそれだけの理由で、篠ノ之束程のプライドの塊がそれを打ち壊すような真似を果たしてしてくるのだろうか。

 

「教授……本当に、それだけなのかい? もっと他に、管理局を『騙さなきゃいけない』重大な理由があるんじゃないの?」

 

 それは、一ヶ月間ひたすら弟子としてこき使われ、同時に間近で篠ノ之束という人物を目の当たりにしたユーノの、直感であった。

 彼女はひたすらに傲岸不遜だ。それは同時に、どんな状況でも誰に対しても同じように接する、ということでもある。どんな勢力にも与さず、ただ篠ノ之束として自分の思うがままに動く。それが彼女のやり方だった。だが、今日は何かがおかしい。いくら腹芸を使うにしても、それだけの理由で、束本人の高すぎるプライドが、果たしてあの急激な変節に耐えうるものなのだろうか。

 

「らしくないよ、教授」

 

 いつか言って、大いに束の不興を買った台詞を、敢えて今一度口に出す。それはユーノなりの挑発であった。

 天才の高慢ちきなプライドを利用して、怒らせることで自分のような凡人と同じフィールドへと落っこちてもらう。そう表現すると、少々卑屈すぎになるだろうか?

 思った通りにスキップするような歩みを止めて此方を振り返ること無く静止する動きが、いつもとは違い予測から一片足りとも外れていなかったので、そんなことを考える余裕まで出来た。

 これまで、彼女の無茶を受け止めるだけで一杯一杯だったのに。

 

「ユーノ君、私言ったよね。らしくないなんて、そんな分かったような台詞吐かないでって」

 

 その言葉すら何処か上滑りするようで、空虚だ。問いを適当に投げやるような答えにも聞こえてしまう。

 確か自分と束は、教授と助手というごっこ遊びのような関係で、いつ無くなるか分からないような間柄だ。でもそれはそれなりに、自分の問に対しては一切手抜きせずに答えてくれていたというのに。今はそうでない。束は自分から逃げている。

 そう思うと、ユーノは何だか怒ってしまう。いつも理不尽さや強引さに感じるそれとは違う、もっと深い、心の奥底から来る怒りを。

 

「あの時とは状況が違うよ。僕もあれからまた随分教授に使われて、多少なりとも教授がどういうことを考えて行動しているのかは分かっているつもり、いいや、分かっているはずさ」

「そんなこと無いよ? どうあがいたって、私は君とは分かり合うつもりはないもの。なのちゃんとちーちゃんと、君は違うよ? 友達でも何でもない、一時契約の助手なんだから」

 

 無碍無く突き放されてもユーノは挫けない。それどころか、どうせ何を言っても取り付く島もないのだから自分で勝手に話してしまおうと決意し、去りゆこうとする束の背中に向かって叫ぶように声を張った。

 

「教授があの時、僕に伝えた転移座標。あれ、もしかしてこの地球じゃなくて、別の次元に繋がるものだったりしないかい?」

 

 ウサミミの揺れは、三歩進んだだけで止まった。相も変わらず後ろを向いたその表情は分からないけれど、その仕草で今の指摘が図星だということは分かる。

 

「そうなんだね? 僕もあの後、なのはたちとジュエルシードを確保しようとしたり、管理局に事情を聞かされたりで、すっかり忘れていたけどさ。教授が変なことをし始めたから、もしかしたら転送した場所に原因があるんじゃないかと思って」

 

 お使いを命じられるようになってから今まで、使ってきた次元転移座標は全て頭の中に入っている。多次元理論を元にして算出されるそれは、0からfの十六進数のみで構成されると言ってもなお凄まじい桁数だ。

 しかし、一度束が異常な行動を取り始めた直後、ユーノは自分の持つマルチタスクのリソース、その大半を割いて今までの転移座標全てを分析し始めていた。今日の昼まで通常運行だった束が、自分が転送した先でおかしくなったとしか思えなかったからだ。

 今までの座標をA、今回の座標をBと分類して、どのような差異が存在するか。アースラから出た後もずっと思考し続けていたのだが、ここに至って漸く答えが出た。

 今回知らされた座標は、地球上のどこでもない。明らかに地球外の、次元空間に浮遊する構造物への転移である。

 

「それに、もう一つ当てようか。教授はあの時、フェイトの本拠地へと転移した。どうやってかは知らないし、僕が潜入していた時に聞いた覚えもないけど、教授は何かをして、フェイトから転移座標を聞き出した。ううん、教授のことだし、頭の中を覗いたりするくらいはやったかもしれない」

 

 まだ肌寒い春の夜に、一陣の風が吹き、赤紫色の長い髪が揺れた。

 

「別にそれはいいんだ。教授のことだし、僕は助手だから、止めようとは思ってない。僕が怖いのは――教授が、大切な友達の思いを裏切ろうとしているんじゃないかってことだ」

 

 ユーノはこの3週間、束がなのはにくっついたり、千冬に追い掛け回されていたりする光景を、すぐ側にいて飽きるほどに見てきた。だから、その時の束の顔が、研究に一心不乱に打ち込む時と同じくらい、もしかするとそれよりもずっと楽しげに笑っていることにも気づいていた。

 これがもしなかったら。彼女の楽しみが穴蔵に引き篭もっての研究のみであるとすれば、彼女の精神はどれだけ鬱屈に歪んでいたことだろう。

 ひょっとすると、自分が来る前にこの世界くらい、彼女の癇癪で真っ二つに割れて無くなっていたかもしれない。馬鹿げた妄想だが、彼女が全力を注ぎ込んだら何が起こるのか考えてみれば、そんな空恐ろしい思考も出来てしまう。

 

「僕が言うのも何だけどさ……友達って、大切にした方がいいよ。自分のことを考えてくれてる友達を、裏切っちゃいけない。教授としては、やっぱりなのはや千冬のことを深く考えて、今みたいな事をしてるのかもしれないけど――それで二人の気持ち踏みにじったら、それってやっぱり、良くないよ」

 

 堰を切ったように溢れる言葉が、自分でも不思議なくらいスムーズに発せられる。

 どうしてだろう。どうして僕はこんなはた迷惑な女の子に、ここまでお節介を焼いているんだ。

 迷惑なだけのはずなのに。

 付き纏われて、こき使われて、飽きたらポイっと捨てられるだけなのに。

 なぜだか分からないが、ユーノはまだ、ほんの少しだけ、束の助手でいたかった。

 

「……」

 

 沈黙が場を支配する。

 馬の耳に念仏、暖簾に腕押し。彼女の性格を考えれば、ユーノが今言っているような言葉は正しくそれに当てはまる。モラルを完全に無視する人間へ、モラルで以って説教するのだから。

 だが。

 届かないはずの言葉は、どうしてか耳に入り鼓膜に響き、只の波長としてではなく、意味のある単語へと変換され、解釈されたようだった。、

 

「裏切ってないよ」

 

 漸く振り向いた束の顔は、笑っていた。

 いつものどこか紙で貼り付けたように薄っぺらい笑いとも、小馬鹿にするような皮肉っぽい笑みとも違う。

 本当に、年老いた教授が不出来な弟子を窘めるような、困ったようで優しい微笑。

 

「なのちゃんも、ちーちゃんも。裏切るつもりなんかないよ」

「でもっ! だったらどうして、敵の本拠地なんかに――」

 

 口元へ、人差し指が伸びて近づく。慌てて口を閉じたら、その真ん中に、指先がぴとっと触れた。

 しーっ、とジェスチャーされているようだった。

 

「私はね。なのちゃんが居ない世界なんて、ちーちゃんが居ない世界なんてつまんないんだよ。だから、二人と一緒にいたい。それから、二人に笑顔で居てもらいたい。二人のために、私はどんなことでもやるんだ」

 

 どんなことでも。

 稀代の天才が言うその言葉は、ユーノが立てたあらゆる理論をハンマーのように打ち砕く。

 

「……じゃあ、あれも、二人のために? 二人を、管理局に受け入れてもらうために?」

「うん。むしろ、それ以外の理由があるのかな?」

 

 正直に肯定される。だが、正直に言えば、ユーノは未だこの謎めいた少女のことを信用出来ない。不可解な態度、不可解な行動は、さっきから何ら変わっていないのだから。

 だが、少なくとも友達を貶めようとはしていない。それだけは、はっきりと理解できた。だから、ユーノにとってこの話は終わりになる。

 道を踏み外そうとしていないのが分かったのだ。手伝う以外に何も出来ない助手としては、一先ず、それで満足するしか無いのだから。

 

「……分かったよ。とりあえず、二人のこと、忘れてないのは分かったから」

「そっか」

 

 束は返答した途端、また顔を背けて歩き出す。その後ろで、ユーノは立ち尽くして少し悩んでいたが、結局後を追うように彼女のラボへと走ることにした。




状況が大きく動き始めます。


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篠ノ之束の空飛ぶサーカス(Ⅰ)

 高町なのは、ユーノ・スクライア、織斑千冬、そして篠ノ之束の四名が時空管理局次元航行部巡航艦船「アースラ」所属の民間協力者となってから、おおよそ5日余り。フェイト側が確保している6個と合わせて、合計15個の存在が確認されているジュエルシードだが、その後一向に発見されなくなっていった。管理局側のワイドエリアサーチ、束のジュエルレーダーでさえもまるで反応しない。これまで様々な状況で見つけ出されていたのに、まるで一斉に雲隠れしたようだ。

 

 もしかすると、残りは地球ではなくまた別の次元にばら撒かれたのかもしれない。アースラ艦内のミーティングではそういう意見も出た。しかしリンディは、これ以上の捜索範囲の拡大に関しては消極的な態度を取る。複数の世界で同時に探索を行うには、武装局員の人員が足りないのだ。本局から増援部隊を要請すればいいのだが、それでは余り大規模な行動になって、ジュエルシードの他にもう二つある捜索対象に感づかれ逃げられてしまう。

 それは、既に確認されているフェイト・テスタロッサと、更に優先度の高い目標がもう一つ。彼女の母親と予想され、26年前に大魔導師として次元世界に名を馳せたプレシア・テスタロッサだ。

 

 アースラ艦内のメインコンピュータに保管されているパーソナルデータによると、ミッドチルダ中央技術開発局に務めていた彼女は、魔導実験の事故による影響で中央から地方へと放逐され、数年間地方での研究に従事していたが、その後行方不明となっていた。家族と行方不明になるまでの詳しい行動は綺麗に消去されている。恐らく足が付くのを嫌った彼女自身、もしくは研究関係者によって、何らかの方法で消去されてしまったのだろう。

 このことから、データ的に追跡するのは現時点では不可能。本局からのデータは一両日中に届く予定だが、果たしてそれでどれほどの証拠が掴めるものか。また、ジュエルシード争奪という表舞台にも全く姿を表していないことから、逆探知による魔導的追跡も不可能だ。

 

 一方フェイト・テスタロッサも、巧妙に姿を隠しているのかはたまたプレシアと合流したのか、何度かジュエルシードの捜索隊とニアミスを繰り広げた以外は全く足跡を掴めていない。

 要するに、アースラ側としては今のところ全くの手詰まりなのである。

 折角協力してくれたなのは達にも、ひたすら艦内における戦闘訓練や魔法に関する知識の教授以外何も成すことがない。彼女たちだけが動いていた時は状況もかなり激しく動いていたようだが、アースラが参加した途端にぷっつり、と停滞してしまっていた。

 

 しかし、それらは全て、嵐の前の静けさ。なのは達と管理局、そしてプレシアの持つ風が奇妙に合致して収まった言わば凪の状態。いずれ崩れる、仮初めの平穏であった。

 

 そして、アースラ介入後から6日目の真昼。厚く黒い雲に覆われた空の上、一人の少女の身を砕くような献身が嵐を起こす。それは、この事件に関わるもの全てを巻き込み、そして“ほとんど”全ての予想を裏切る方向で荒れ狂う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんとも、呆れた無茶をする娘だわ」

 

 凶行に出た驚きと、年幼い少女に対する若干の労りを込めて、リンディはそう状況を纏めた。

 海に隠れていた、残り6つのジュエルシード。その全てに、同時に魔力流を流し込み、強制的に活性化させて詳細な位置を突き止めた上で、纏めて封印する。なるほど見事な作戦だ。位置の確定、そして封印、この二つを同時にやられては他所が介入する隙は生まれない。撤収する際の追撃さえ凌げば、残りの6個は丸ごと自分のもの、ということになる。

 

 だがそれは、余りにも無謀すぎた。一つでさえごく小規模ながら次元震を起こしうるジュエルシード、纏めて6個分。封印するだけならともかく、活性化させて、それで更に発生するエネルギーまで抑えることを計算すると、AAAランクの魔力でも補いきれないのは当たり前だ。

 今までの戦術からして、その程度のことは当然分かっているはずなのだが。敢えてこのような机上の空論に頼らざるを得ない限り、フェイト、そして後方に居るプレシアさえも、相当に追い詰められているのではないかと、いい方向に勘ぐることも出来る。

 

「とにかく、ここまでの無茶に僕らまで付き合う道理はない。彼女がダウンした時を狙ってジュエルシードごと彼女を確保。よしんば封印に成功したとして、力尽きた彼女をほぼ無抵抗で捕縛できる。だから、ここで何もせず見ているのがベストなんだ」

 

 クロノが語る。それは、緊急時ということでブリッジに集合していた、なのは、ユーノ、千冬に対しての説明だった。

 しかし、数回同じことを説明されても、未だ納得の出来ていない少女が一人。

 

「でもっ! それじゃあ、フェイトちゃんを見殺しにするってことじゃないですか!?」

 

 高町なのはだ。小さい口を精一杯開いて、クロノに、そしてその場に居るアースラクルー全員に問いかけるような訴えだ。

 なのはは単にフェイトを倒し、ジュエルシードを集めるために参加したのではなく、フェイトの事情を知りたくてぶつかり合う。その程度のことは、リンディもクロノもとっくに承知していた。彼女自身その方針を隠すことが無かったからだ。

 当然、今回の管理局側の作戦に対し反発するのも想定の内だった。だから、少女の心からの訴えに、周囲の大人は皆苦い顔をしながら何も言わずに目を背け、自らの責務に没頭する。

 

「別に見殺しにするというわけじゃない。彼女のバイタルを観測して、危険値に達した瞬間に君たちと一緒に突入する予定だ。万が一はあるかも知れないが、可能な限り未然に防ぐ。彼女も重要な証人になるのだから」

 

 ある意味ダダを捏ねるようななのはに対して、まともに向き合い説得するのは、まだ子どもと大人の境界線上にいて多少なりともなのはの気持ちが理解できるクロノと、

 

「なのはさん? これが一番、犠牲と消耗の少ない解決法なの。私たちにはフェイトちゃんだけではなく、その裏にいる存在への対処だって控えている。ここだけに、全力を投入する訳にはいかない。頭のいいなのはさんなら、きっと分かってくれると思うのだけど」

 

 艦内の統括者にして四人の少年少女の責任者でもあるリンディだけだった。

 二人は根気よく話し、説得していた。それは、なのは以外の三人が不承不承ながらも一応は承知してくれた事からも受け取れる。

 しかし、なのはは頑固だった。何度話しても首を縦に振らず、その目はクロノやリンディから離れ、ひたすらにモニタへと向けられていた。

 そこに映っていたのは、6つのジュエルシード相手に振り回され、痛めつけられるフェイトの姿。側に寄って防御に尽力するアルフの力も届かず、バリアジャケットの傷は段々と増えていき、デバイスの刃に宿る金色の光は薄れていく。

 

――フェイトっ! もう無理だよ! そんな魔力じゃ!

――大丈夫、大丈夫だから……

 

 モニタの音声はとっくに切られているはずなのに、なのはの胸の中ではそんな悲鳴が確かに響いていた。

 泣いている。口では強がって、歯を食いしばって、目をきっと開いているけれど。

 フェイトちゃんは、心の中で泣いている。

 

――もう、ちょっとで……うあっ!

 

 ああ、ジュエルシードの一つに、今にも手が届きそうだったのに。敢え無く跳ね飛ばされて、そのまま別のジュエルシードにも吹き飛ばされる。

 そのまま弾かれたピンボールのように飛ばされ続けるところを、どうにか踏ん張って、また強大な竜巻、嵐へと挑んでいく。

 

 助けたい。あれは、幼い時の高町なのはに似ているから。

 お父さんが怪我をして、家族皆が苦労していても、自分だけが何も出来ない無力感、悔しさ。

 それと同じものを今、制御できない魔力の渦の前で、あの子もきっと感じているはずだから。

 

 勿論、なのはの心の中にあるのはそれだけではない。命令を破り、飛び出すことのデメリットだって気づいている。

 

 そう、確かに、あれはフェイトの無茶だ、無謀だ、自業自得だ。そしてそれを助けることなんて、もっと無意味だ。頭の中の理屈がそう判断していた。

 それは、なのはが今までフェイトを倒すために練り上げてきた戦術と、それを考えるための頭脳。ひたすら熱いものに突き動かされて鍛えられてきたはずのそれが、皮肉にも今はひたすら冷たい決断を促して譲らない。

 それに、今フェイトの所に駆けつけるのなら、なのはは自分だけでなく、ユーノや千冬の力も借りなければいけない。転送魔法を組むことは今のなのはには出来ないし、ひょっとすると誰かが止めに来るのかもしれないのだから。

 

 けれど、二つの暖かい声によって、その迷いもあっという間に打ち破られる。

 

 

(なのは、僕がゲートを開いて転送するから、早くあの子を!)

(なに、後のことは気にするな。執務官とかいうプロの魔導師と、一度やりあってみたかったしな)

 

 二人の優しい念話が届くのだ。自分たちにまで責任が被る事を恐れず、共犯者になってくれるという。

 ああ、私はなんて恵まれているんだろう。

 こんなに自分のことを理解してくれる友だちが居るのだ。

 

 そして、トドメとばかりに、レイジングハートの通信回路から飛び込んできた声。

 

『なのちゃんは飛べるよ。その翼で、どこまでだって。その手で打ち抜けるよ、涙も、痛みも、運命も。だから、飛ぼうよ』

 

 そうだ、その通りだね、束ちゃん。

 

 今の自分には、フェイトちゃんを助けるための、小さいけど杖を握って離さない手があって。

 フェイトちゃんが居る空高くまで飛んでいって、肩を貸してあげられる翼があって。

 そして、自分の足元を支えてくれて、送り出してくれる友だちがいる。

 

 そんな時、飛び出さなかったら、きっと、一生後悔する!

 

「な……何をするんだ、君はっ!」

 

 ユーノの魔法によって、突如として開いたゲート。行き先は、海鳴市海上。クロノは驚愕して振り返るが、リンディは目をそっと閉じて、これあるかな、と閉じた口の中で呟いた。

 千冬が木刀を持って立ち塞がる。ユーノも両手を広げ、誰も一歩も通さない覚悟だ。二人の頼もしい背中を見ながら、なのはは凛とした声で宣言した。

 

「ごめんなさい! 高町なのは、命令を破って勝手な行動を取ります!」

 

 転送の光の柱。それに包まれて、なのはの身体は海上上空へと放り投げられた。

 

「よし! ユーノ、私たちも行くぞ!」

「うんっ、て、ちょっと、千冬も行くの!?」

「当たり前だ! 空は飛べんから、ちゃんと近くの陸地に降ろしてくれよ!」

 

 無茶言うなぁ、という愚痴と一緒に展開される、二回目の転送魔法。先程よりちょっとだけ慌ただしく、残りの二人も魔法陣の中に掻き消えた。

 

「艦長! 直ちに――」

 

 三人の蛮行を見て、僅かな怒りと危険事態への焦りに顔を歪ませたクロノが、三人の確保と事態への介入の許可を求めるが。

 リンディは無言で首を振り、やんわりと止めた。

 

「何故です!? 母さ……いえ、艦長」

「これもある意味、ベストではないにしろ、ベターな作戦になり得るからです」

 

 公人としての態度を振り切り私人としての憤りを発するクロノだが、リンディは既に、なのはたちの独走をも作戦の計算に入れていたのだ。

 

「考えてみなさい? もしフェイト・テスタロッサが封印に失敗したとして、それで私たちが突入する間には少しだけタイムラグが発生する。その間に、6つのジュエルシードが全て、完全な暴走状態に突入したら?」

「ッ……間違いなく、中規模から大規模の次元震が引き起こります」

「そうしたら、私たちの装備ではもう手のつけようがない。無論、そうなる可能性は限りなくゼロに近いけれど――決して、ゼロではない」

 

 実のところ、リンディとしてはフェイトが完全に追い詰められてからではなく、もっと早期に部隊を投入するのも、安全策としてはアリなのではないかと考えていたのだ。

 問題はそのタイミングを計ることにある。フェイトにまだ十分な余力が残っていたら脱出される可能性も起こるからだ。だから、クロノは確実な確保を重視して、フェイトがノックダウンした後に突入する作戦を提案していた。

 これは両者の見方の問題である。安全なジュエルシード確保を優先して、折角手の平に舞い込んできた事件早期解決のチャンスを逃し、雲隠れされても仕方ない状況へ持ち込んでしまうか。それとも逆に、ほんの僅かな危険性を無視して、解決への最も確実な糸口を掴み、これ以上の戦闘を回避するか。

 

「……なるほど。浅慮でした」

 

 一方の可能性を考慮から外していたクロノは深く頭を下げたが、どちらが正しいかは、リンディにも判断できない。

 とかくデリケートな判断である。それが正しいかも、事件が終わってみないと分からないのだ。

 

「とにかく、もう状況は動いてしまったわ。だとしたら、今の私たちに出来る事は、それを出来るだけ有利な方向へと持っていくことだけ。どうします、執務官?」

「……でしたら、暫くここで待機します。一人で駄目でも、なのはと二人の魔力量なら、6つのジュエルシードを完全に制御下における可能性も高くなってきますから」

「どっちみち、フェイトさんは限界に達するでしょうしね。もし二人がかりで駄目なら、その時こそ、お願いね?」

 

 提督として、信頼ある執務官に対する目線。それにクロノも深く頷き、手に握っているカード型のデバイスを更に強く握り直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、この戦いが終了するまで、クロノもリンディも結局アースラのブリッジで待機したまま、何も身動きを取ることが出来ず終いになってしまう。

 

 

 何故か。

 

 それは、なのはとフェイトの合体魔法で、ジュエルシードが纏めて封印されたその時。

 

 極めて大きな質量の転移反応と同時に、海鳴市の海浜、その全体が、強固な多重結界によって完全に覆われ、外部からの介入を完全に防いでしまったことと。

 

 アースラに次元跳躍魔法が直撃し、一時的な機能不全から復帰した直後。メインコンピューターがハッキングを受け、完全に機能を停止してしまったからだ。

 




次回は日曜日の18:00です。
以下、最終決戦。
どうなるどうするなのはちゃん。


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篠ノ之束の空飛ぶサーカス(Ⅱ)

「サンダー・レイジ!」

「ディバイン・バスター!」

 

 同時に放たれる、金とピンクの閃光。片方は空間全体に広がり、渦巻くエネルギーを抑えこむ。そしてもう片方は一気にそれらを貫いて、青い結晶の中へと封じ込めた。

 高町なのは、フェイト・テスタロッサ、両者即席の合体魔法。これまでろくに言葉をかわす事もなかった二人は、阿吽の呼吸というべき完璧なタイミングで制御と封印を同時にやってのけた。

 海の上からひと纏まりになって浮上してきた、6つのジュエルシードを挟んで、白と黒の魔法少女は向かいあう。固唾を呑んで見守るのは、周囲でフォローに務めたオレンジの狼、緑の魔導師。そして、遥か遠く、海岸線のぎりぎりに立って、唯一魔法を持たない織斑千冬もまた、二人の行く末を見つめている。

 

 それぞれの耳に聞こえていた、ひたすら続く小うるさい波と風の音は、最初になのはが発した声に掻き消された。皆、それだけしか意識していないのだ。

 

「フェイトちゃん」

 

 その場にあるすべての目が、なのはただ一人へと向けられる。感情に任せ飛び出し、今こうして様々に戦ってきたライバルと向かい合った彼女は、果たして何を為すのか。ジュエルシードを半分に分けるのか。それとも、また何かを賭けて、ぶつかり合うのか。

 なのはは言葉を紡ぐ。今度は話し相手の目も心も、自分の方へと向いてくれている。

 だから、伝えなければならない。自分がフェイト・テスタロッサという女の子に、果たして何が出来るか、何をしたいのかを。

 

「私ね、貴方と出会った時からずっと……考えてた。私は何をしたいのか。ぶつかるだけじゃきっと足りなくて、だったらその先に何が出来るのか。それで、やっと気づいたんだ」

 

 胸の震えを抑えこむように、手を当てる。言いたいこと、したいことは沢山あるが、それを全て出したら本当に伝えたいことは見えなくなってしまう。だから、精一杯考えて、見つけ出した答え、それだけを言うことにした。

 

「私……フェイトちゃんと、友達に」

 

 その時。

 ぞわり、とした言いようのない悪寒が、魔導師達の肌を撫でるように通り抜けた。それは単なる錯覚ではない。静まりまた凪いだ筈の空気に、再び魔力の波動が響き渡ったことを、全員が感じ取ったのである。なのはも、一旦発した言葉を差し止めて、杖を両手で握り、警戒の体勢を取った。ただ一人、フェイトだけが動かない。これから来るものをはっきりと予感し、しかしそれを信じることが出来ず 呆然と飛びつくすだけだった。

 

「これは……転移反応!? でも、こんなに大きな……」

 

 元から不安に揺れていた顔を更に青ざめさせて、ユーノは呻くように言葉を出した。転送魔法が来ることは簡単に分かった。問題は、それが今まで見たことも聞いたこともないような規模でやってくるということだった。

 同じく、此方は直感的に危険を感じた千冬が、しかし詳細までは分からずに問いただしてくる。

 

「大きい!? 何が来る! 説明しろユーノ!」

「な、何って……分からない! 次元航行艦でもない。それよりも、もっと大きい……」

 

 集った少年少女達を覆うように、上空から巨大な魔法陣が展開される。その色は、禍々しく濁った紫。雷と共にゆっくりと現れ出たのは、ちっぽけな子供たちを押し潰すくらい大きな物体だ。

 

「これは……遺跡!?」

 

 ユーノが見間違えたのも無理はない。黒い木の幹のような外壁に刻み込まれた年月は深く、青白い稲妻に照らされる巨体は、何者も近づけないような威圧感に満ちている。

 先の丸く底面の大きな円錐を反対にしたようなものが、全体の底部である、ということに気づくまでは数十秒掛かった。それほどに、転送速度は遅い。巨大な質量を処理するわけだから当然なのだが、唐突な登場からの遅々とした現れようは、恐怖を煽る意図的な演出にすら思えてくる。

 ふと横を見れば、そこに浮いているアルフは手をだらんと下げて肩も降ろし、ただただ目を見開いて、震えていた。どうやら、アレに見覚えがあるらしい。ということは。

 

 これが、敵の本拠地。今までフェイトを手先として、ひたすら裏に隠れていた事件の元凶が、遂に姿を表したということか。

 だとしたら、その標的は、ジュエルシードを持つ――

 

「なのはっ、逃げて!」

 

 叫びよりも早く、一条の雷光が、静止した二人の少女へと舞い降りた。

 しかし、それはユーノの予想を裏切り、縫針に糸を通すような正確さでもって、なのはではなく、同士であるはずのフェイトへと降り注いだ。

 

「ああああぁぁぁぁっ!!」

 

 直撃音と、悲鳴。間近に居たなのはの聴覚は、それのみに支配された。

 唯でさえ傷つき疲労していたフェイトの身体は、鞭を打たれるが如く更に痛めつけられていく。太腿から、腕から、次々に赤い線が生まれ、血が飛び散る。非殺傷ではなく、ともすれば彼女を八つ裂きに出来るほどの一撃だ。

 数秒間の攻撃が終わり、帯電しながら糸が切れたように落ちていくフェイトへ、なのはは全力で追いついて抱きかかえようとする。そして、海面ギリギリで、なんとかキャッチ出来た。

 

「ぅ、ぁ……かぁ、さん……」

 

 虚ろな目をしたフェイトの呟き。なのはには最初、それが母親へ助けを求める無垢な叫びであるように聞こえた。しかし、直後に響いてきた不機嫌な声が、その希望的な解釈を打ち壊した。

 

「全く、とっとと消えて無くなってくれればいいものを。フェイト。貴方はとっても、手間のかかる子ね」

 

 その言葉と同時に、今やその全容を表した巨大な構造体――時の庭園の中枢部から、封時結界が展開された。なのはとフェイトだけでなく、ユーノ達外野も巻き込んで、海鳴市の臨海ほぼ全てを覆う大規模な結界である。それは、転移してきたものを外界から隠すためだけでなく、その場に居る全てを閉じ込めて、支配するためのものだった。

 

「プレ、シア……」

「なんだって?」

「アレは、プレシアだ……フェイトの母親だよ……アイツ、ジュエルシードが全部揃ったこの時を狙って、こんなことを!」

 

「その通りよ。だから黙りなさい、薄汚い犬」

 

 第二撃。アルフはとっさに避けられず、シールドで防御をしてどうにか耐え抜こうとするが。この場合、攻撃する側の技量が防御側のそれより圧倒的に上回っていた。

 

「う、ぐぁぁぁぁっ!!」

 

複数展開されようとも、薄紙のように貫かれるシールド。再び響く電撃と叫び。

 人の形を維持できず、狼に変わりながら落ちていくアルフを、ユーノはチェーンバインドを器用に使いながら回収した。そのままなのはとも一緒に後退したかったが、しかし、二人分の重みを抱えつつ庭園の近くまで飛行するのは厳しい。ひとまずは、千冬の居る海岸線まで後退することにした。あそこなら落ち着いて防御を整えられるし、暫くは安全だろう。

 

「フェイトちゃん! フェイトちゃん!」

 

 なのはは悲痛な声で、弱々しく気絶した少女を抱きかかえながら、必死でその名前を呼ぶ。同時に、その身体に幾つもの傷跡や、ミミズ腫れが走っているのにも気づいた。何度も見た黒衣の下、綺麗だな、と思った外見の裏には、こんなに深い傷が走っている。きっと彼女の心も同じく、古傷に塗れ、痛みきっているのだろう。

 そう思うと、沸々と湧いてくるのは憤りの感情だった。フェイトが頑張ってジュエルシードを集めているのは、敵として何度も向かい合ったなのはにはよく分かっている。しかも、向こうはフェイトの母親だというのに。頑張る娘にこんな仕打ちをする母親なんて、なのはの記憶には存在しなかった。

 

「どうして!? どうしてこんなことを!?」

 

 だから、問う。このような状況下でも、なのははその理由を知らずには居られなかった。

 以外にも、答えはすぐに帰ってきた。

 

『簡単なことよ』

 

 今や着水し、底部を殆ど海上へと沈めながら、幾つもの刺のような柱とひときわ大きい円柱で成り立っている上部を見せた庭園。その随所に埋め込まれている紅い球体から、青くぼんやりとしたホログラムが映し出された。

 いかにも魔導師然として、しかし胸元を大きく開きへそや太腿が露出しているローブに、外側が黒く内側が紫色のマント。シンプルな作りの杖を振りかざし、状況の全てが自分の思うがままになっている事に残酷な笑みを浮かべながら、プレシア・テスタロッサは姿を表した。

 

『あの子は、フェイトは私の娘ではない。本当の娘は……ここにいる、アリシアだけ』

 

 ホログラムに、今度はカプセルのような物体が現れる。その内部に浮かんでいるのは、今なのはの腕の中にいるフェイトと瓜二つの身体。まるで時計を巻き戻して縮めたように小さいが、しかしそれでも、顔はまるで区別がつかない。

 月村家の姉妹だってここまでは似ていない、となのはは考えた。あれもそっくりの部類には入るが、それでも見分けが付くくらいの僅かな違いがある。しかし、あの虚像とフェイトの顔を分けるのは、さっき付けられた深い傷だけ。

 まるで、鏡に写したようにそっくりだ。

 

「かあさん、なに、を……」

「フェイトちゃん、気がついたの!?」

「あら、まだ意識があったの。まあ、いいわ」

 

 先程から響く声に反応したのか、フェイトの目が開く。弱々しい声で目の前の母親の虚像に救いを求めた。

 

「そんな……嘘だよね? 私が、かあさんの娘、じゃないなんて……」

『物分かりが悪いわね。アリシアを見なさい? これこそ本当に私が産んだただ一人の娘。我儘も沢山言ったけど、いつも私に優しかった。だから、私はアリシアを取り戻す、そのためにはジュエルシードが必要で、だから「それ」を利用したの』

 

 まるで今プレシアが宣言したことを、悪い冗談として否定する。

 しかし、悲痛な訴えは真正面から打ち砕かれ、フェイトの精神とともに、粉々に崩れてしまう。

 プレシアはフェイトを、それ、と言った。人としてではなく、モノとして。それは、この場にいる誰にも、理解出来ない価値観であった。

 

『フェイトはアリシアのクローン。アリシアの代わりにするために作って、それが出来なかった壊れた人形。結局、丁度いい廃物利用だったけど……もう、お終いね』

 

 そう嘯くプレシアの手には、フェイトのバルディッシュから回収した6個と、宙に浮かんでいた6個、計12個のジュエルシード。なのはが持つ9個以外のジュエルシードは、完全にプレシアの手中へと収まった。

 つまり、人形はもう要らない。

 

「ぁ、ぁ、ぅぁぁ……」

 

 フェイトにはその理屈が理解できた。でも、言わないで欲しい。

 そんなことを言われたら、今まで自分はなんのために生きてきたのか分からなくなるから。魔法の勉強をして、『お使い』のために色々な世界を巡って、戦って。時には罪も犯して、でも母さんは笑顔を見せてくれない。

 今、自分を抱きかかえている子にも酷いことばかりした。斧で斬って、鎌で引き裂いて、雷で打ち砕いて。でも今、自分を抱きかかえてくれる程に、優しい女の子。

 彼女に酷いことまでして、痛いこと辛いことも沢山我慢して、ジュエルシードを集めたのに。そしたら、褒めてくれるんじゃなかったの? 昔に見せてくれた、あの優しい笑顔を本当に見せてくれるんじゃないの?

 

 そう、記憶。私は記憶している。優しいプレシアを、自分の母親であるはずの――いや、これは違う。単なる記憶だ。朧げな、忘れ去ってしまいそうな記憶だ。実体験ではない。私は本当に母さんの笑顔を、見たことはない。記憶と体験は違う。

 

 だから、理解する。目の前で母さんがしがみつく、カプセルの中の『自分』を見て。都合のいいように無意識で書き換えていた記憶が、真なる記憶へと変換されていった。

 

――フェイトは、本当にいい子ね。

 

――〇〇〇〇は、本当にいい子ね。

 

――()()()()は、本当にいい子ね。

 

 ああ、そっか。母さんの言う通りだった。母さんの一人娘は、私じゃなくて、アリシア。カプセルの中でずっと眠っていた女の子。

 

 フェイト・テスタロッサは、アリシアの写身。何もかもが、アリシアの借り物。母親も、ペットも、そして優しく甘い記憶すら――。

 

『折角アリシアの記憶をあげたのに、貴方は全てが駄目だった。だから私は――』

 

 ああ、でも駄目。そんなことを言わないで。私が私で要られなくなる。私が、母さんの娘の私が、消えてしまう。

 そんなフェイトの想いを踏みにじるように、プレシアは憎しみに満ちた顔で告げた。

 

『あなたを作ってからずっと――あなたのことが大嫌いだったのよ』

 

 フェイトの中でずっと張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた。それを最初に感じたのは、絶望に精神を浸らせたフェイト自身ではない。辛い話に身を震わせる彼女を、ずっと両手で抱いていた、なのはだった。

 

 そのまま崩れ落ち、自らのデバイスであるバルディッシュすら取り落としかけたフェイトを、自分の体温を分けてやるように優しく抱きかかえる。そして、体内の魔力を殆ど使い果たしていることを示すかのように、足元で弱々しく点滅するピンクの翼を懸命に羽ばたかせ、地上のユーノの元へと辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、はるか遠くの次元空間で、事態を静観していたアースラは。

 

「エイミィ、復旧はまだか!」

「待って、あと、後ちょっとだけ……!」

 

 次元跳躍攻撃の余波で、艦内全体が一時的な機能不全に陥り、この緊急事態に即応出来ないでいた。

 クロノの焦りに満ちた声が、直属の部下にしてオペレータのエイミィを急かす。その右手には、既に展開形態となったデバイス、S2Uが握られていた。転送システムさえ復旧すれば、すぐにでも現場へ突撃していくだろう。

 リンディの顔は、まだ平静を保つ事ができていた。無論その内心は、驚愕と焦りで押し潰されそうな程に追い詰められていたが、クルーの目の前で艦長が調子を狂わせてはいけない。どんな時でも平常心に、状況を分析して決断を下す。それが艦長としてあるべき資質なのだから。

 

 それにしても。悔しいがこれは予想外だったと認めざるを得ないだろう。いくらジュエルシードが全て集まる場とはいえ、まさか使い走りのフェイトだけでなくプレシア本人が出てくるとは。プレシアの独白を聞けず、未だフェイトがプレシアの実の娘だと思い込んでいたリンディにとって、娘を信頼していない母親というのはまさに想像の範疇外であった。

 現場には分厚い多重結界が貼られ、今や内部の様子は何も分からない。だが、転送魔法で舞い降りてきた敵の本拠地は、要塞じみた構造体である。魔力の大半を消費したなのはと、後衛であるユーノ。そして本来非戦闘員として割り振られて然るべきはずの千冬が、どのような窮地に追い込まれているのか。

 全ては艦内が復旧した後、クロノと武装局員を転送して結界を破壊してみなければわからない。

 

「後5秒で、システム復帰します! 3、2、1……!」

 

 コンソールを叩いていたエイミィが、切羽詰まった声で宣言する。カウントダウンが終わると、艦内の電力が一斉に戻り、暗闇に包まれていたブリッジにも明かりが戻った。

 

「執務官! 武装局員と共に直ちに現場へ向かって下さい」

「了解です!」

 

 リンディが指示し、クロノが勇躍して大型の転送ゲートへ走り出そうとした時。

 

「待って下さい艦長! クロノくんも!」

 

 艦内システムのある異変に気づいたエイミィが二人を止める。焦る気持ちを冷や水で差し止められたクロノは、今度はエイミィの元へ駆け寄り、怒鳴るように状況を確認する。

 

「今度はどうした!」

「アースラのシステムがおかしいの! ……艦長! 転送が、転送ゲートの管制システムが何者かによって凍結されています!」

「なんだって!?」

「そんな……!」

 

 それと同時に、他のオペレータからも次々と悲鳴混じりの報告が届く。

 

「航行システム、制御不能! エンジン出力20%に制限されています! これでは最低限の航行活動しか出来ません!」

「レーダーも録に動きません! サーチャーだって封じられて……これじゃあまるでめくらだ!」

「艦内警備システムに異常! 此方側からの問い合わせに応答しません!」

 

 この状況は、一体どういうことなのか。クロノは必死に推測し、やがて、絶望的な可能性に行き当たった。

 

「まさか……ハッキングか!?」

「嘘っ! そんな、管理局の艦船のファイアーウォールに通じるハッキングなんてっ!」

 

 エイミィには信じられなかった。管理局の次元航行船は、現代の魔導工学だけでなく、電子工学の粋を結集して作られている。いくら大魔導師とはいえ、それをやすやすと抜いてシステムに干渉するハッキングを行うことは不可能に近いはずだ。

 だが、現に今、アースラのメインコンピュータは完全にクルーのコントロールから外れている。

 リンディの決断は流石の素早さだった。

 

「エイミィ。全システムの強制シャットダウンを」

「りょ、了解! 強制介入コード、入力……駄目です! 此方側からの操作を全く受け付けません!」

 

 しかし、エイミィが神速の早さで打ち込んだ49桁のコードはたちまち無効化される。電源を切断しようとしても、応答なし。悲鳴混じりの報告を挙げながら出来る限りの手段を試してみるが、一度自分の手から離れたシステムを取り戻すのは至難の業だった。

 

「もしかして、あの攻撃はおとり……いえ、布石だった?」

 

 リンディは誰にも聞こえない小声で呟く。あの次元跳躍攻撃は雷撃。それは、アースラのメインコンピュータのシステムを、ほんの数十秒間ダウンさせた。そう、ほんの数十秒。それでも、その隙にシステムと同じくダウンした防壁をかいくぐり、ウイルスを仕込む事は不可能ではない。

 つまり、敵は最初から、この状況こそが狙いだったのだ。

 

「艦内全てのドアにロックが掛けられました! 隔壁も全て……閉鎖されていきます……!」

 

 トドメとばかりに伝えられる報告。これで、アースラクルーは各個に分断されて身動きが取れない状況だ。隔壁を手動で開こうにも、ロックを解除するにはかなりの時間がかかるだろう。既に作業にとりかかるクルーもいたが、彼ら以外は何も出来ず、ただ無効化されたコンソールを見つめることしか出来ない。

 結界の中で孤立した、なのは達民間協力者の救助も、これでほぼ不可能になった。

 

「くっ!」

 

 ガン、拳を壁へと叩きつける音。そのクロノの行いを、責める人間は居ない。艦内の誰もが、同じような気持ちだったからだ。

 身動きがとれない。すぐ側の世界で、敵の首領が仲間を襲っているというのに。その絶望と悔しさで、誰もが無言のまま、沈黙がブリッジを支配していた。

 

「クロノ」

 

 いち早く復帰したのは、艦長であった。

 

「一応、やらなければならないことがあるわ。デバイス整備室にいる束さんに、状況を伝えましょう」

「艦長」

「彼女には自分のお友達がどうなっているか知る権利があるわ。それに今頃、すべての機械がダウンした個室で心細い気持ちになっているでしょうし。私たちに出来るのは、それくらいしかない」

 

 皆、協力者の中でも一番元気で、快活だったウサミミ少女のことを回想する。

 彼女はアースラに寝泊まりしていて、艦内の仕事を進んで手伝ってくれていた。例えば、オペレートをしているエイミィに紅茶を出したり、資料室での探しものの手伝いをしたり、メインエンジンルームの点検から帰ってきた局員に冷たいアイスを出したり。

 そして今も、整備室を使ってデバイスの整備を手伝ってくれていた。

 高町なのはの友達らしく、とても実直で気の回る、礼儀正しい女の子だった。

 そんな彼女に、今その友達が絶望的な状況に陥っているのを伝える。悪魔になり切るようなその役割に、クロノの心も流石に躊躇い、なかなか通信を発せられない。

 結局、リンディが直接、通信を繋げることにしたのだが。

 

「え……?」

「艦長、どうしたんですか?」

「応答がない? どうして?」

 

 数秒後、同じ部屋にいるはずの整備主任マリエル・アテンザや、他の船員へと問い合わせたリンディは、思いもよらぬ事実に気づき、今度こそ驚愕に目を見開いた。

 

「いない……艦内の何処にも居ないですって!?」

 

 謎めくウサギは何処へ消えたか。

 答えは、嵐の中にある。

 




次回は10/21(火)18:00更新です。
さてさてどうした束さん。どうする、なのはちゃん!


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篠ノ之束の空飛ぶサーカス(Ⅲ)

「妙なる響き、光となれ、癒しの円のその内に、鋼の守りを与えたまえ……よし、なのは、こっちに! この中なら、魔力を回復できるから」

 

 ユーノが、護岸された水際のコンクリートの上に展開したのは、ラウンドガーダー・エクステンド。手馴れている彼ですら詠唱を必要とする高位結界魔法だが、なのはが来るまでにどうにか唱え終えた。傷つききったフェイトと、魔力消費の激しいなのはがその中へと逃げこむ。

 急展開した状況に、理解が追いつかない千冬が叫ぶ。

 

「こんな時に……アースラはどうしているんだ!?」

「多分、向こうも向こうで身動きが取れていない。何らかの手段で妨害されてるんだ。そうでなきゃ、敵の本体がここで正体を表すなんて考えない。それに……」

 

 自分たちの周りに展開された結界を見る。空をいびつな色に染めているそれは、ユーノの目で見て一分の隙もない。異なる構成の結界が何層にも展開され、そのどれもが強固極まりない。結界を解くためには、その構成を読み取り術式そのものを破壊するか、あるいは力尽くでぶち抜くかしかないのだが、この結界相手ではそのどちらも困難だろう。

 故に、この場でユーノたちに出来る最善の手段は、アースラがどうにかして復帰し、結界を外側から破壊してくれるのを待つことだけだった。

 

 最もその頼みの綱も、システムを完全に掌握されてしまい身動きが取れなくなっているのだが。

結界の中で外部からの通信を断たれているのではそれすら知りようがなかった。

 

「こんな状況じゃ、向こうも僕らを逃してくれるはずがない。大体、ジュエルシードが目当てなんだから、まだレイジングハートの中にある残り9つ、全部手に入れるまで追撃してくるよ」

「逆にジュエルシードを渡せば、見逃してくれるかもしれんということか?」

「確かにそうだろうね。向こうに用があるのはジュエルシードだけで、僕達じゃないから。でも、ここで逃げたって状況はあんまり変わらない。全てのジュエルシードを使って、向こうがどういう儀式を行うかは分からないけど、確実に次元断層が起こる。そうしたらこの世界は」

「終わる、か。駄目だな、それこそ洒落にならん」

 

 21個の青い宝石、全てを使って何が起きるかは安易に想像がつく。大規模な次元震どころの話ではない。次元断層が起これば、いくつもの世界が崩壊してしまう。その中には、起爆点となるこの世界、この街だって含まれるのだ。

 こうなったら、元々の目的はどうだっていい。なんとしても、せめてなのはが今持つジュエルシードだけは、あの要塞じみた移動庭園の中で笑う張本人に渡してはならない。

 

「千冬、なのはと一緒に、フェイトとアルフを連れて逃げるんだ。できるだけ遠くに」

「だがユーノ、お前は」

「僕はここに残るよ。向こうがタダで返すとも思えない。まだ消耗してない僕なら、あの雷撃も一度二度くらいなら防げるしさ」

 

 決意を決めて立ち上がったユーノだが、内心では、正直カッコつけすぎだなとも思っている。

 あの早さで二撃を打ち込めるのだ。恐らく相当な使い手であろう。結界魔法に習熟しているとはいえ、いまだ未熟で攻撃手段の殆ど無いユーノが、まともに受け止められるような敵ではない。

 怖い。今まで遺跡の中で迷ったりトラップにはまったり、命の危機を感じた場面は幾つもある。しかし、孤立無援でたった一人、あんなに大きな敵へ立ち向かうと言うのは、それとは比べ物にならないくらい肝が縮み上がるものだ。

 けど、そんなことは関係ない。自分のせいでジュエルシードに巻き込まれ、今、その最終局面でピンチに陥った女の子。自分が助けないで、誰が助けるのか。

 

「それに、この程度。教授……でいっか。うん、教授からの無茶ぶりに比べればなんともないって。はは……」

 

 その冗談は、半分は真っ赤なウソで、でも残り半分は本当だった。

 

「ユーノ……」

 

 何か吹っ切ったような微笑みすら見せて、庭園と少女たちの間に立ち塞がるただ一人の男の子。それに比べて、千冬は表情も内心も苦く、悔しさに溢れていた。

 自分だって、ユーノの隣に立ちたい。なのはが逃げるのを、出来ることなら最前線で守り抜きたい。だが、千冬は海の上を歩くことは出来ないし、真上から撃たれて来る雷を、見てから避けられる程器用でもない。暴走体相手か、せめてフェイトのような魔導師単体が相手なら、どうにか隙を突けないこともないのだが。巨大な庭園の奥に潜む大魔導師相手では、いささかアウトレンジの度が過ぎている。

 

「そんなに暗い顔しないでよ。千冬には、なのはの側にいて欲しいんだ。向こうもこっちが逃げられると不味いから、負担の大きい跳躍攻撃じゃない、直接叩ける戦力くらいは用意してるはずだ。だから、なのはの側には千冬が居てくれないと」

 

 そんな千冬の気遣うようにユーノは述べたが、敵が直接なのはとレイジングハートを捕らえようとする可能性は高かったし、事実庭園内部では、起動済みの傀儡兵が出番を今か今かと待ちわびていた。膨大な数の巨体を庭園内に納め、転送魔法によって将棋の持ち駒宜しく随所に配備される手はずだ。

 それが予測できていたから、ユーノは千冬に後を託したのだ。千冬もその理屈は理解できたので、今一度木刀を強く握り直し、勇んで目の前の優男な少年の硬い決意に同意した。

 

「……分かった。すまない、ユーノ」

「気にしないでよ。お互いさ、守りたいじゃないか」

 

 その言葉に、千冬は大きく首肯した。

 二人の気持ちは一つ。ジュエルシードを、そして高町なのはと、彼女が友達にしたかった少女。この、たった3つの、しかし大事なものをを守ることだけだった。

 ユーノとなのはは出会ってたった一ヶ月。千冬となのはだって、そんなに長い間友達だったわけではない。それでも、彼や彼女が見た高町なのはの姿は、ひたむきに真っ直ぐで、豪速球で迷いない。だから、守りたくなる。振り向かない背中にひっつく、危なっかしさを支えてあげたかった。

 

 しかし。

 

「千冬ちゃん、ユーノ君……いいよ」

 

 疲労に耐えられず荒い息を出しつつ、全身の魔力が肉体の回復に割かれ余剰を減らしていくことを感じながら、それでもなのはは首を横に振った。

 言葉自体は遠慮しているようだったが、彼女の目にはそういう後ろめたさを感じさせる光は一切ない。ユーノの決意も、千冬の想いも受け取って、しかしあるのは固い決意と、強固な意志。

 

「いいよって、なのは! そんな身体じゃ何も出来ない! 悔しいのは分かるけど、今は一旦逃げることだけに集中して」

「ううん。私、まだやり残したこと、あるから。まだ、飛んでいたいから」

「無茶だなのは、よせ!」

 

 二人が制止しても、なのはは構わず立ち上がる。

 

「お願い、レイジングハート」

 

 手に持つ魔導師の杖は、逆らわずに自らの全機能を開放した。損傷したバリアジャケットや杖が瞬く間に修復されていく。が、それは同時に、なのはの魔力を限界ギリギリまで消費するということだ。

 身体には全力疾走した時に似た倦怠感が重くのしかかり、釣られて思考も鈍りそうになる。しかしそれを押し退け、きっと目を上げたなのはは、目の前の海に浮かぶ巨大な構造物を視界に入れる。

 なぜ、どうして。禍々しい魔力の波動と、来るものを拒むようなその威容を見る度、心の中から疑問が湧き上がってくる。あの中にいるのがフェイトの母親だとして、何故撃つのか、何故傷つけるのか。何かを傷つける度に悲しい顔と寂しい目をするフェイトが、その気持を押し殺してまで母親のために頑張っているのに、ものだけを受け取って、その気持ちは受け取らない。

 不思議と怒りは感じなかった。なのはの心にあるのはただ、分からない、だから確かめたいという思いだけだ。

 

「ユーノ君。千冬ちゃんと、それからフェイトちゃんも、よろしくね。あとこれも。元々ユーノ君に渡すものだったから」

 

 レイジングハートの宝玉から、9つのジュエルシード全てが外へ出され、ユーノの手元に戻る。今からやるのが無茶に無理を重ねた自分の我儘だということが、なのはにはよく分かっている。だから、今の内に心残りはできるだけ無くしておきたかった。

 

「……なのは」

 

 ユーノはバインドを使ってでも止めようと思ったが、飛び立つなのはの後ろ姿にデジャビュを感じ、出そうとした手を出し切れなかった。

 それは、篠ノ之束に、不可解な行動を繰り返す真意を聞いた時。あの時見た後ろ姿に、どうしようもなくそっくりだ。

 

 そう。なのはと束は全然違うように見えて、実は鏡写しのようにそっくりだ。

 どちらも自分の信じるものを貫いて、周りには理解できないような無理を、無茶を、そして理不尽を繰り返す。その目の前にどんな壁があっても、何度も挑んだ末に、撃ちぬいたりぶち壊したりして飛び越えて、そのまま飛んでいってしまう。

 ただ、なのはが目指す物とそこに至る方法はとても分かりやすくて、束のそれは殆どの人に理解されない。束は他人の意見を聞かずに自分を貫くけど、なのははそれに耳を通して、でも、心の奥の奥までは真っ直ぐなまま変わらない。それだけが二人を分ける差だった。

 

 要は、色合いが致命的に異なるだけで、二人の心象の中には全く同じ模様が描かれている、ということだ。だから、ユーノが見た二人の背中は、どこか似通っているのだ。

 

 ユーノには、あの時、篠ノ之束を止めることが出来なかったのと同じように、高町なのはを止めることは出来ない。

 本音を言うなら止めたかった。自分がこの世界に持ち込んだ魔法の技術で無茶をやられるのは嫌だし、その結果、無残に撃墜されるのを見るのも堪えられない。

 でも、ああいうしゃんとした背中や、決意に満ちた目を見ると、その一言がどうしても、口から出てこなくなる。

 ちらと横を見れば、千冬も何も言わず、引き止めようとした手をそっと下に戻している。言っても無駄だということが分かったのだろう。

 だけど。

 あの時教授の後ろで助手としてついていったのと同じように、去っていく背中へ、何かを贈りたかった。

 

「なのは、これを」

 

 目を瞑り、念じる。体内の隅から隅まで絞り切り、自分の持つ魔力をありったけかき集めて一つにし、緑色の光球に変換する。そこから複数の光の線が飛び出して、なのはのもつ、レイジングハートの杖頭に集う。本来魔力を供出される対象の杖から、なのはの体内へ逆流するように魔力が溜まり、鈍った身体は元の溌剌さを取り戻す。

 

「ユーノくん! これって……ユーノくんの魔力だよね? 嬉しいけど、でもこんなに……そんなことしたら、ユーノくんの方がっ!」

「いや、大丈夫だよ。何も死ぬまで供給する訳じゃないんだ。それにほら、僕にはこれがあるから……」

 

 ユーノの身体が光に覆われ、再構成されていく。人の形は瞬く間に崩れ、不定形から更に縮み、構築され終わったその姿は、全高30cmの小動物。

 

「あ……」

「ね? 別にどうともなかったでしょ? ただまぁ、殆どの魔力を分けちゃったから、今日一日どころか、暫くはこうしてないといけないけど……とにかく、僕は大丈夫だから」

 

 獣の顔で笑顔を作る。これでもう、結界魔法は維持できない。緑色の魔法陣と、その上の膜が溶けるように消えていく。逃げ場が無くなったということだが、どうせあった所であの強力な雷撃に対してはそこまでの効果はないだろう。

 だったら、なのはに賭けてみる。二人は無言の内に決断した。なのはが敵の本陣を叩いてくれれば、それで全てが終わるのだから。確率は天文学的だが、どうせ分のない勝負だ。捨て鉢になっても、あの世で閻魔の台帳に書かれて、責められることはないはずだ。

 

「ほんとにありがとう、ユーノくん……じゃあ、私行くね。千冬ちゃんも、ユーノくんも、無事で、居て」

 

 決戦場へ赴く自分を見送る決意を固めた二人に、なのはも何がしか感じるものがあったのだろう。震える声で、それでも前を見たまま振り返らず、魔法陣を展開。

 消えかけていた翼、フライヤーフィンを再び光らせて、嵐の中へ猛然と舞い上がっていった。




次回は木曜日の18:00投稿です。
そして、次の次は多分ストックがなくなるので、日曜日かそれ以降になると思いまする。


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篠ノ之束の空飛ぶサーカス(Ⅳ)

 自分の方へ飛んで行く白い姿を見て、プレシア・テスタロッサが思ったのは煩わしさだけだった。

 白い魔導師。偶然にもフェイトと同じくらいの少女が、ジュエルシードの確保を邪魔し、計画を大幅に乱した。本当なら管理局に気づかれる前に全てが終わるはずだったものを、不甲斐ないフェイトも相まってずるずる引き伸ばされ、終いには管理局、それも地方警防どころか「海」の巡航艦に介入されてしまっている。

 プレシアは時の庭園という拠点を持ちある程度の武力を確保しているが、あくまで犯罪組織や反管理局組織に与していない個人での行動だ。財力、権力など確かなバックボーンを持たない彼女の犯行は、管理局に目を付けられた時点で既に破綻していた。

 いや、破綻していたはずだった。

 

「でも、もう貴方が何をしようが、遅いわ」

 

 彼女のその一言は、この場の状況を絶対的な自信で纏める言葉だった。

 プレシアはまず、海に落ちていた残りのジュエルシードを把握した後即座にフェイトを呼び出し、自ら命令を下した。なんとしても、ジュエルシードを管理局に渡す訳にはいかない、だから魔力流を流して一気に捕獲しなさい、と。フェイトの無茶は、プレシアの入れ知恵だったのである。

 しかし、それは表側に過ぎない。本当の目的は、その無茶に対して命令を無視して飛び出してくるなのはと、その仲間たち。ジュエルシードを保有する彼らを、アースラから離脱させるように仕向けることであった。

 

 彼ら、特に高町なのははフェイトに対して友好的な関係を結びたがっている。プレシアからすれば笑いたくもなる事実だが、この場合はそこに付け入る隙があった。フェイトが無茶をすれば、高町なのはは必ず出張ってくる。命令無視すら厭わないだろう。幼い少女の情緒というのは激烈で、理性や理屈を無視するものだ。

 そして、なのはとフェイトに協力させ、暴走しかけたジュエルシードをまとめて封印させ。互いに魔力を消費したその時。

 時の庭園で直接転移する。広範囲かつ硬い結界で閉じ込め、アースラも次元跳躍魔法とハッキングの合わせ技で行動不能にすれば、残るのは傷ついた少女二人と、少年一人。彼らを組み伏せることなど、大魔導師にとっては赤子の手をひねるようなものだ。

 

 なのに、まだ向かってくる。絶望的な状況は子供の頭でも容易に想像し得るだろうに、それでもなお、真っ直ぐこちらへ迫り来る。

 

 聞いた通り、馬鹿な子だ。

 

 ならば、盛大に迎えてやろう。全力を賭したちっぽけな抵抗が、この自分の前でいかに無力か教えてやる。

 

「それくらい、構わないわよね?」

 

 そう言うと、モニタの中から笑顔のまま頷く頭が見えたので、プレシアは自分の手駒を動かす準備を始めた。

 

 なのはが、庭園の外壁からおおよそ100mの所まで接近した時。レイジングハートが光り、転送魔法陣の展開を警告した。前方に小型が8つ。大型が4つ。転送完了までに急いで通り抜けるのは不可能だし、仮に出来ても来るだろう第二陣と挟み撃ちになってしまう。

 迎え撃つしか無い、そう決まっているなら。迷いのないなのはの意志は魔杖に伝わり、魔法弾のチャージが開始される。転送が完了した瞬間に射出し、何もさせずに撃破する。言わば抜き打ちの構えであった。

 浮遊しながら杖を持つ左手を振りかぶって腰を捻り、テニスのサーブを打ち込む寸前の体勢で待機する。自らの身体を投石機のように使って、少しでも早く攻撃を放たなければ先制は失敗してしまうのだ。数秒経って、大小10個を超える魔法陣から一斉に光の束が上がったその瞬間。

 

「ディバインシューター・フルパワー!」

 

 なのはは貯めていた体の力と魔力を一斉に開放し、合計6つのピンク色の光弾を放った。

 本来この魔法は誘導弾であるが、今回はそれを切り捨て、威力と弾速のみに特化させている。何しろ狙う的が静止した魔法陣なのだから、誘導しなくても明後日の方向に飛んで行くことはない。

 ひゅぅ、と空を切りながら奔っていく魔法、その全てが、実体化したての固まった傀儡兵へまとめて直撃した。当たった瞬間、球体状に固まった魔力が散り、鋼鉄の装甲はいともたやすく貫かれる。魔力弾は、徹甲弾のように敵の外壁を貫き、榴弾のように魔力を拡散させて内部構造を傷つけていく。たちまち耐久の限界を迎えた傀儡兵は爆散し、その爆風に連鎖して他の個体も爆発したり、吹き飛ばされて無力化されたりしていった。

 しかし、運良く当たらず、爆発にも巻き込まれなかった小型が4つ、プレシアから定められた命令をプログラム通りに実行すべくなのはの元へと飛んで行く。大型の撃墜を優先したからか、予想よりも撃ち漏らしが多い。

 

 もう少し、頑張らなきゃ。なのははそう心の中で独りごちながら、今度は此方からも接近し、庭園との距離を詰めるがてら残りを能動的に排除しようと決意した。

 もう一回弾頭を形成。今度は誘導性を重視して、小さく比較的素早い小型傀儡兵に当てるための調整だ。戦闘中に僅か短時間で術式の構成を変換するというのは、インテリジェントデバイスの高性能さも去ることながら、なのはの思考とマルチタスクの柔軟さを示している。

 

 こちらは向かい、向こうは迫る。だから、互いの距離は瞬く間に詰まっていく。傀儡兵四体、小型といえども、なのはからすれば自分より遥かに大きな巨体だ。しかし今更この程度の敵に恐れたりはしない。それくらいなら、最初からそっぽを向いて逃げ出している。

 それに今、自分に宿る魔法の力は託されたものだ。ユーノ・スクライアという優しい男の子に。自分のやりたいことをやってと、だから、余計に負けられない。

 

 一直線に飛ぶなのはの正面に二体、壁になって立ち塞がり、もう二体が左右から挟み込む。

 なのははレイジングハートを片手から両手に持ち直し、両足に流す魔力を増して、更にスピードを上げる。いくら機動力が低いといえども、ただ一直線に突っ込むだけなら、中々の速度が出るものだ。

 最終的には弾丸のような早さに達し、傀儡兵の壁にぶち当たったなのはは――

 

 左右の傀儡兵をすれ違い様の射撃で片付けつつ、目をつむって顔面前に展開したプロテクションで、鉄の兵士をひしゃげさせ、吹き飛ばした。

 

 高町なのはが、今までに行ってきた練習の質はともかく、量から見るとたかが知れている。たった一ヶ月。それは、この場にいるどの魔導師よりも少なく浅い。

 しかしなのはは、その分射撃と防御に練習のリソースを殆ど割いている。天性の素質を十分に活かせる射撃魔法と飛行魔法、そして、ユーノ・スクライア直伝の防御魔法。この三者が合わさってこその荒技だった。

 

「やったね、レイジングハート」

 

 術式のサポートに腐心してくれた相棒に感謝の言葉を送ったら、また前を見据える。しかし、その瞳に映る光景は、なのはにとって予想外のものだった。

 

「これって……入り口? ここから、入れるのかな?」

 

 なのはの前にそびえ立つ庭園、その壁の一箇所から、穴が開いていた。それは奇妙に歪み、紫色の魔力の波動も感じられる。恐らく、庭園そのものについていた突入口ではなく、転送魔法の応用に寄って無理矢理開かれたものだろう。

 こうもあからさまに目の前へ出されたら、流石のなのはも少し躊躇する。罠だというのは分かりきったことだ。きっとこの中には、さっきの倍どころではない無数の傀儡兵が自分を待ち構えていて、下手に入ればたちまち袋小路の中で追い詰められてしまう。

 向こうは、無鉄砲に歯向かうか弱い女の子が、どれくらい馬鹿な子なのか試しているのだろう。ここまで無茶をやって、それでまだやり通すつもりなのかと問うているのだ。そう思うとなのはは思わずおかしくなって、口だけを吊り上げくすりと笑った。

 わざわざテストなんてされなくたって、答えは決まっているからだ。

 

「いくよ、レイジングハート。入った途端奇襲されるかもしれないから、プロテクション。それと、シュートバレットもすぐに打てるようにしておこう」

 

 とにかく敵の本陣に突入するのだから、無防備のままというのはいけない。事前に用意できる術式は思い切り使うことだ。

 空中に数十秒踏みとどまって、全ての準備を整えたなのはは、いざ、といった顔で突入口を睨み――後ろには消して振り向かず――庭園の内部へ潜り込んだ。

 そうして飛び出たのは、がらんどうな大広間である。長い眠りについていた古代遺跡のようで、見るものを威圧する外見に比べ、内部の構造は以外にも豪奢にして華美だった。ただし、その広さの割には人っ子一人存在せず、待ち伏せているかと警戒した傀儡兵すら見当たらない。

 なのははひとまず展開した射撃や防御を解除した。ただし、魔力を格納するのではなく雲のように散らす。

 そのまま予断なく続け、小走りで進みゆく。その途中、眼に入るものがいくつかあった。

 

「これって……なんだろう。損傷……もしかして、戦闘の後? まだ直ってないってことは、誰かがこの中で戦ったってこと?」

 

 壁のそこかしこにある黒い煤、そして破片。ヒビが入っていたり、酷い所には穿ったような穴が空いている。念のため、レイジングハートに探知させる。もし傷跡に魔力の残滓が残っているとすれば、魔法を使う人間が近くで戦闘している事になるからだ。フェイトとの競争で先を越された時も、現場には戦闘の跡と魔力が残っていた。そんな経験則に基づく行動である。

 結果は白。何らの痕跡も見いだせない。となると、目の前にある戦闘痕はかなり前に付けられたことになる。しかし、戦闘が起こってから暫く経っているというのに、ここの人間はそれを一つも直さずにいるのだろうか? そこがなのはにはおかしく思えた。普通、こういった大きな屋敷、例えばすずかやアリサの屋敷内では、もし汚れや傷がついたとしても、次に来る時には必ず掃除されているはずだ。

 襲いかかってきた機械の兵隊は完全な戦闘用だし、掃除ができるとは思えない。フェイトもアルフも、ずっとこの世界へ出ずっぱりだった。と言うことは、もしかして、この広い館の中には、フェイトとアルフ、そしてフェイトの母親しかいなかったのではないか?

 だとしたら、なんて寂しい所なんだろう。空洞のように広い廊下を、アルフと二人ぼっちで歩くフェイトの姿を、レイジングハートと共に歩む自分に重ね合わせて想像し、なのはは暗鬱な気持ちになった。

 とはいえ、重要なのはそこではない。今までずっと影に伏せてきて、管理局ですらその位置を掴めなかった敵の本拠地に誰かが入り込んでいる。しかも明確な戦闘の跡を残して。

 ジュエルシードを狙う人物がまた一人存在するというのだろうか。それは考えられない。もしそうならこんな奥まった所ではなく直接地球へ来て争うだろう。

 では、一体誰が?

 そこまで考えた所で、なのはの思考は中断を余儀なくされた。

 

「壁の向こうにいる? ……ほんとだ、熱源が一杯」

 

 エリアサーチを担当していたレイジングハートが、チカチカと発光しながら警告を発してくれたのだ。自分が進もうとする扉の向こうに、大量の敵が手ぐすね引いて待ち構えているという。

 なのはも予想はしていたが、それでも敵の数は多い。さっき軽々と突破したのは小手調べで、数で押し潰すこちらが本命なのだ。

 

「でも!」

 

 なのはのデバイスの先端が、丸くていかにも魔法の杖然とした形状から、鋭利かつ砲口のようにも見える攻撃的な形へと変わっていく。杖の柄からは魔力がオーバーフローして噴き出し始め、ピンク色の翼を形取った。

 ドアの前でデバイスを構える。前面に出す防御の形では無く、浅く握って叩きつける近接攻撃の形でもない。なのはが得意な、腰だめの砲撃体勢だ。

 術式を展開すると同時に、反動から身体と足場を守る魔法陣を展開。デバイスにありったけの魔力がチャージされ、砲口には帯状の魔法陣を纏わせ、魔力の収束を行わせる。

 待ち構えているというのが分かれば、突撃する前に少しでも数を減らすべきだった。

 だからなのはは直接ドアを開かない。

 乱暴に、砲撃魔法による壁抜きで押し入るのだ。

 

「ディバイン・バスター! フルパワー!」

 

 桃色の閃光。そして魔力の奔流があっけなくドアを破壊し、奥で待ち構えていた傀儡兵をも巻き込んで直進した。

 数秒間に渡る照射で、なのはの魔力もそこそこ削られている。ふぅ、と一息ついて光の収まったドアの先を見れば、床まで抉られた破壊の跡でしかなかった。

 しかし、状況はなのはに予断を許さない。

 新たな傀儡兵が、廊下のさらに奥から続々と湧き出してきたのである。

 これではきりがない。しかし、先に進んで、自分の目的を達するためには、やるしか無い。

 

 なのはは第二射の準備を始めた。

 




次回は来週の木曜日、18:00になります。
色々あって書き溜め出来なかった……


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篠ノ之束の空飛ぶサーカス(Ⅴ)

「…………くそっ」

 

 傀儡兵と戦闘し、鮮やかな勝利を収めていざ庭園内へと突入したなのは。一連の行動は、海岸から俯瞰すれば豆粒のようにしか見えないが、目のいい千冬にはその全てを見て取ることが出来た。

 強くなったと思う。最初はへっぴり腰で自分の後ろに下がってばかりいたなのはが、ああまで自由に空を跳び、戦うとは。もちろん、手放しで喜ぶことは出来ない。本当なら戦いなんて知らなくてもいい、ごくごく普通の女の子なのだから。

 

 しかし、空を飛び戦うなのははとても生き生きとしていて、まるでずっと昔からそうしていたように自然であり、またそうあることが当然のようにも思えてくる。

 千冬の見る限り、なのはには趣味、というより、一つ飛び抜けて熱中しているものが殆どなかった。おしゃれや料理など女の子らしいことはひと通り出来るが、そこまで熱意を持っているとは思えない。ただ友達がやるから、母親に教えられたから習熟している程度のことだ。

 

 それがどうだろう。魔法を手に入れた途端、毎朝練習し、学校中も暇さえあれば脳内で訓練を繰り返し、毎夜ジュエルシードの探索を繰り返して。それで弱音一つ吐いていない。

 

 なのはには体力がない。碌に運動が出来ない所だけを見ていたので、千冬はずっとそう思い込んでいた。しかし、それは誤りであり、本当は他人が想像するよりずっと体力があって、なおかつ根気強かった。

 フェイト相手に、なのはは何回負けただろう。痛めつけられただろう。目の前でジュエルシードを持ち去られたことも一度や二度ではない。千冬にとっては苦く、悔しい敗北の記憶だ。

 自分が打ち込んだもので敗北するのは、初めての経験だろうし、打ちのめされてもおかしくはなかった。現に千冬など、最初に負けた時など変に気負って、一人きりで戦おうと無理な決意をきめてしまうくらいショックを受けたのだ。

 

 だが、なのははへこたれず、負ける度にいつも言っていた。もう少し頑張ろうと。

 成長しているんだな、と千冬は思う。魔導とか戦闘能力といった単純なものではなく、もっと根底にある言わば心の強さが、今のなのはには備わっている。

 いや、元から強くあったものが、魔法と戦いという非日常を触媒にして表に出たのだろう。

 

 いいことだ。姉代わりとして常々なのはの事を気にかけ、束の魔の手から救うなどして守ってやっていた千冬にとって、その成長は素直に嬉しく思える。

 

 だからこそ、自分の無力が情けない。

 

 今、千冬はユーノと一緒に、傷ついた魔導師と使い魔の治療に務めている。

 竹刀袋や学生鞄の中に治療用具を入れていて、だからこういった急場の手当てもできるのだが、そうし始めたきっかけが彼女ら強大な魔導師との出会いというのは皮肉だった。

 フェイトの全身に刻み込まれた傷は、それぞれは浅くとも多く、鮮血が白い肌を濁らせるようににじみ出ている。千冬に出来る事は、その一つ一つに消毒液を撒き、包帯や絆創膏で覆うだけだ。

 それは確かに大事な仕事だ。放っておいたら怪我した一人と一匹は、ひょっとすると息絶えてしまうかもしれないから。

 しかし、湧き出る無力感と無念さは、とても我慢できるものではなかった。

 

「私には」

 

 口が動いてしまう。

 

「この程度のことしか出来ないのか……今、なのはは海の向こうで、たった一人で戦っているというのに」

 

 改めて戦おうと決意したあの時、自分に課した務めは何だ。なのはを守ることだ。

 だのに、こうして後ろで、ただ彼女が戦う姿を見守ることしか出来ない。

 力がないなりにやることはある。例えばこうして怪我人の手当てを行い、管理局の突破を待って状況を伝えること。それだって必要で、為すべき立派な仕事だろう。

 

 しかし、高町なのはが空を飛ぶことに長け、それが性分になっているのなら。織斑千冬のそれは剣を振るうことにこそあるのだ。

 ひたすらに悔しい。そんな千冬を気遣ったのか、ユーノが慰めるように話しかけてきた。

 

「そんなに、悔しいのかい? なのはの隣で戦えないことが」

「ああ、悔しいさ! 悔しいとも! あいつを守るために私は今まで戦ってきたんだから!」

 

 千冬は怒鳴るように返した。

 ユーノは、なんとも言えないような目で歯を食いしばる彼女を見つめる。もちろん、倒れた少女と狼を治療する手を休ませることはない。フェレットの身体であっても、包帯を巻くことくらいは出来る。

 唇を噛んでしまうくらいに食いしばる口の力を緩め、自嘲するように息を吐いた千冬は更に続けた。

 

「まだ割り切れてないのさ。妹のような存在に、いつの間にか追い抜かれたってことをな。あの家に来てから……年下のなのはを守ってやること、それが私のやらなければいけないこと、いや、恩返しだと考えていたから」

「恩返し……? 千冬って、元からなのはの家に居たんじゃないんだ」

 

 ああ、と短く首肯して、ユーノの顔を見る。短い間だが苦楽を共にしてきた仲間で口も硬く、信頼できる男だ。時には轡を並べ、いや肩に乗ってもらって一緒に戦ったこともある。

 話してもいいだろう、と判断した千冬は、ゆっくりと口を開いた。

 

「いやな。身内の恥を話すようで恥ずかしいことだが、1年前、親に捨てられたんだ。それから師範に救われて、その後も色々とお世話になっている」

 

 流石にユーノも驚き手を止めた。

 千冬は何処か遠くに、在りし日の風景を投影させたのを見つめながら、淡々と話す。

 

「父は乱暴という概念を人の形に整えたような男でな。その横暴を一手に受けた母は、どこかに恨み節をぶつけたかったんだろう。目の前にある、自分より弱い者に当たるようになってな。そうなってからは、まあ負のループというやつだ。空気が荒んでいく度に父は荒れ、母もますます陰湿になり、歪みは全部私に押し付けられた」

 

 一息にそこまで語ると、彼女はほぅ、と溜息を付く。忌まわしい思い出のはずだが、不思議に心は熱くならず、石のように固く冷たく動かない。

 結婚してからずっといたぶられ続けていた母親の心はすっかり荒んで、千冬に対する扱いもどんどん非道になっていった。一人きりで部屋の隅に閉じ込められ食事もろくに与えられない。たまに外に出されると思ったら、殴られ、蹴られの繰り返しに苛まれる。

 

 父親も見て見ぬふりをするどころか、自分の娘が弱者の母親にも逆らえないか弱い存在であることに気づき、嬉々として虐待に加わり始めた。

 止めるものの居ない暴力行為は段々とエスカレートしていく。幼い千冬の肌には生傷と青アザが絶えず唇は常時切れていて、更には不潔なのでしばしば病気にかかり高熱を出しても病院にかかることすら出来ない。

 

「自分のことだが、よくもまああそこまで、ボロ雑巾のように扱われたものだと思うよ」

 

 ユーノは、悲惨な待遇を一言で纏めた千冬があまりにも悲惨に思え、その顔を直視することが出来なかった。

 幼い頃からずっと虐待されていて、それに慣れているのだ。だから、他の人から見ると思い出したくもないようなことだって、ごく普通に話せてしまう。

 ユーノも両親がおらず、スクライア族によって育てられてきた身なのだが、区別も差別もされずに他の子供と同列に扱われていた。才能を鑑みてのことなのだろうが、魔法学院にまで通うことだって出来たのだ。

 

「私も私で、なんというか、頑丈だろう、身体的に。だから、色々されてもあっという間に治ってしまって歯止めが掛からなくてな。『これ以上は流石に不味い』というタガが外れてしまうのさ」

 

 千冬は、幼い頃から身体が強かった。それもただ強い、と言う言葉では表せない程だ。普通の子供ならとても耐えられないような仕打ちに合っても、数日後には元通りに治ってしまう。骨折しても、添え木すら必要なしにいつの間にか骨がくっついている。高熱は3日も経たずに収まり、不潔な環境でも身体を崩すことがない。

 それは、篠ノ之束の幼少期に良く似ているとも言えよう。他の子供からかけ離れた能力と異常性。束は頭脳がそうだったが、、千冬のそれは肉体だった。

 千冬を弄ぶ両親にとって、それはもっけの幸いだった。なにしろいくら殴っても蹴っても、痛めつけた果てに何もせず放置しても向こうのほうで勝手に元に戻るのだ。鬱憤を晴らす道具としては最適だろう。

 独善的な大人二人と寡黙に耐える童女の間にあるのは、もはや親子の関係ではない。使うものと使われるもの。幼い頃の千冬は物言わぬ道具でしかなかった。

 

「千冬は――それで、大丈夫だったの? 身体は大丈夫でも、心は」

「物心ついた時からそうだったんだ。だから、あんまり不思議にも思わなかった。自分はそういうものなんだ、と諦めて、納得していたよ」

 

 誰にも頼れず甘えられない幼少期。想像するとユーノの気持ちは更に暗くなった。

 千冬の語り口は、他愛のない思い出を何気なく話すような口ぶりだった。千冬にとっては正しくそうなのだ。それ以外の道を知らず、他の価値観を知らなかったのだから。

 

「だがな」

 

 逆説の接続詞。それを聞いた途端、ユーノは目を見張った。今まで白けているようにも聞こえていた千冬の言葉に、はっきりとした重みが伸し掛かり始めた、と感じたからだ。

 

「弟が生まれた。冷え込んだ二人の間から、どうして生まれたんだろうな。とにかく、生まれたんだ。弟が。産婦人科には私も連れて行かれてな。まだ産毛も生えていないそいつを見て――弱い、と感じた」

 

 よく考えずとも当たり前のことである。赤ん坊は弱いに決まっている。

 だが、家庭という環境の中に、初めて自分より立場の弱いものが生まれた。その事実が千冬の心ににある感情を宿した。

 

 守らなければならない。この無垢で、か弱い自分の弟を。姉として。

 親は頼りにならない、というより寧ろ親から守ってやらねばならない。生まれた子供を見て、表面上は喜びながらも明らかに冷たく嗜虐的な目を向けた両親に対し、千冬は初めて憤りを覚え彼らを悪虐非道の存在だと判断した。

 それまでは、痛みや苦しみに対する個人的な怒りこそあれど、それが当たり前で仕方の無いことだと思って幼い胸の中で必死に封じ込めていたのだ。だが、そう出来るのはあくまで自分一人のこと。身体が強くて治りも早い自分だから、親の暴力を受け止めきれているからだ。

 しかし弟は――織斑一夏は余りに弱い。

 だから千冬は決断した。

 

「それで、両親が一夏を家に連れ帰ったその日、初めて親に反抗した。反抗期、というには少し早いかもしれんな……本当に、呆気無いものだったよ。手を振るえば簡単に押さえ込める。殴り返そうとしても余りに遅い。その時は神に抗うくらいの覚悟で挑んだのだが、反逆はあっさり成功して、二人は逃げた」

「それは――」

 

 捨てたというより、子供のほうで親を捨てたんじゃないか。

 そう言おうとした寸前でユーノは口を閉じた。話を聞く限り捨てられて当然の親だったろうし、千冬がそう言うのだから、やはり織斑姉弟は『親に捨てられた』のだ。子供に悪事を振るい、その反抗に耐え切れずに逃避した二人の男女に。

 

「それからと言うもの、私は一夏の世話にかかりきりになった。8歳の少女と赤ん坊のふたりきりはとても苦労した。だけど楽しい日々だった。何もかも自分でやらなければならないが、その代わり自由で、もう傷付けられることはないのだから」

 

 しかし、解放された二人は、社会から見ると余りにも異常な二人である。

 それを正常という枠に戻すための使者は当然やってきた。

 

「役所や児童相談所から毎日のように人が来た。二人だけだと辛いだろう。私たちが皆で楽しく生活できる場所に案内してあげようと」

「それで、どうしたの」

「決まっている。全員追い返した。私たちはこれでいいと思っていたからな」

 

 蒸発した親が残していった金はそこそこあったし、家もある。

 今思うと大きな間違えだったが、私たちは二人きりでいいのだと、そう信じて止まなかった。

 

「第一、情けないことだが、私は大人が怖くなっていた」

「虐待されたから?」

「……あの程度でトラウマになると認めたくはないがな。へそ曲がりになってしまっていたのは確かだ」

 

 トラウマになるほど痛めつけられたことより、寧ろトラウマを持っていたことを悔しがる千冬。常人とはかなりズレている反応は、やっぱり教授の親友なのかもしれない。

 ユーノは自分自身、変な所で納得していた。

 

「熱心に説得されようとも、半分強制的に連れだされようとも、私はこの腕で全て排除した。いくら大人とはいえ、優男や女を組み伏せるのは軽いものだ。もしかしたら、今でもあの家で誰もを拒否した二人暮らしを続けていたのかもしれない」

「でも今の千冬は、なのはの家で暮らしてる。ということは」

「そう。最後に来たのが私の師範。高町士郎だった」

 

 それこそ数時代前まで家系図を遡らない程の薄い間柄だが、高町家と織斑家にはたしかに遠縁がある。それが偶々近くに住んでいるということで、風の噂で事態を聞いた士郎が立ち上がった。

 無論、士郎にそうする理由は何もない。三人の子供、特に末娘のなのははまだまだ育ち盛りだというのにその中に見知らぬ二人を入れてどうなるかは分からない。

 もう少しドライなことを言えば、士郎の怪我も治り、店も回転してきて経済的には順調な高町家だが、二人の子供を養い、進学などもさせる程の余裕が有るかどうかは微妙なところだ。

 しかし、そんなことは抜きにして、高町士郎は飛び出した。目の前に困っている子がいて、自分がそれを助けられるならば放ってはおけない。迷うのも考えるのも二の次で、まずは飛び出せ。

 人に言えない影を持つ不破の血を継いでいる士郎。だがその性根は、どうしようもない程のお人好しだった。妻の桃子も、大学生になる恭也もそれを二十分に分かっていたし、寧ろ士郎に同調する程の気立ての良さを持っていた。

 という訳で、二人きりの空間を守ろうとする千冬と、士郎は相対した。

 

「師範はとにかく押しが強くてな。私が何度断ろうとも止まらなかった。ただ、無理に私を連れだそうという訳じゃないんだ。朝から晩まで暇さえあれば家に来て、翠屋のケーキや桃子さんの作った夕食をごちそうしてくれたり、一夏をあやしてくれたり、壊れたテレビや届かない新聞の代わりに、ニュースやサッカーの話なんかをするだけでな」

「なんだか、なのはにそっくりだね」

「あぁ……」

 

 ひょんなことから巻き込まれても文句ひとつ言わず、むしろ結構強引にジュエルシードを集めに協力してくれて、敵として戦うフェイトも放っておけず、戦う理由を知りたがり、そして今はその彼女や自分たちを守るため、悪の親玉たるプレシアの居城へ一人乗り込んでいく。

 そんななのはの父親だから、と思うと、ユーノはちらとしか見ていない高町士郎という人の人格を容易に想像できた。あの親にして、この娘ありである。

 

「優しい人だろう? だが、その頃の私はどうしようもなく捻くれていてな……」

「士郎さんを、受け入れられなかった?」

「ああ。今まで見たどの大人とも違って、私たちを否定するわけでもなく、強制するわけでもなく、只優しくしてくれる。それが、逆に怖くなったんだ。だからある日、今までのように叩きのめして出て行ってもらおうと手を出したんだが……甘かったよ」

 

 言葉尻と同時に苦笑する千冬はあの戦い、いや、戦いにすらならなかった只の子供の癇癪を仔細に思い出す。

 全力の攻撃。殺さないよう、両親相手にもにも出さなかった全力のパンチとキックを、士郎は意図もあっさりといなしてしまった。しかし自分からは一切手を出さず、舐められていると見て更に力を入れる千冬の攻撃もひたすらかわし続ける。

 その立ち振舞もさることながら、何より浮かべていた顔が千冬の記憶に染み付いて消えない。

 

 穏やかに笑っていたのだ。

 

 やんちゃ坊主がじゃれついてくるのにやれやれ、なんて呟きながら付き合ってやるように。

 

「その時に初めて、ああ、この人には敵わないなと感じた。親にも大人にも対抗して、たった二人でいびつだけれど生活出来て、私は内心調子に乗っていたんだ。だけど、師範がそれを突き崩してくれた」

 

 千冬は初めて、尊敬すべき大人に出会った。親であるという理由だけで苦痛を押し付ける両親や、仕事とはいえあくまで他人として付き合うことしかしない役所の大人たち。彼らと違い、士郎は千冬の全てを受け止めることが出来て、尚且つ間違いを正してくれる。

 そんな大人を尊敬できずに、一体誰を信じることが出来るだろう。

 

「いつの間にか、私は師範に抱きついて泣きじゃくっていた。今まで我慢していた怒り、憎しみ、悲しみ、憤り。師範は全て聞いてくれた。聞いて、それから、立派だね、頑張ったねと言ってくれたんだ……!」

 

 千冬は再び手を握り締め、血がにじむ程に力を入れる。

 それは、虐められていた幼少期について、只々事実を無感情に話していた時とは全く違う。千冬が語るのは最早、単なる昔の記憶ではなく、心に熱く刻みついた『思い出』になっていた。

 

 

「その日の夜に、私は高町家の門を潜った。桃子さんも恭也兄も美由希姉も、みんな歓迎してくれたよ。そして……なのはにも、出会ったんだ」

 

――えと、こんにちは。私、高町なのは。千冬ちゃんのことは、おとーさんから聞いてて……凄いなって思った! 弟、えと、一夏くんと二人で暮らしちゃうなんて!

――そんなに凄くない。ただ意地を張ってただけだ。

――そっか。でも、凄いよ。おとーさんが来るまでずっと、えと、意地を張ってた、んでしょ? なのはには出来ないな、そんなこと。千冬ちゃん、なのはよりずっと大人かも。

 

「あの時のなのはの目の色を、私は生涯忘れない。私のやったことの是非を問わずに、只私が何をしたかを見て、認めてくれたんだ。なのはは」

 

 千冬にとってそれは救いだった。何も分からず、大人を拒否しひねくれて、無駄なことをしてしまったのではないかと思っていた彼女の心のしこりを、ほんのり温かく溶かしてくれた。

 そして、士郎にもこう言われた。

 

――なのはと君とは同い年だけど、出来れば、君にはなのはの姉代わりになってほしい。美由希とはすこし年が離れているし、それに……

 

 実は結構入り組んでいる高町家の家庭事情には敢えて触れず、士郎は続けた。

 

――恥ずかしい話だけど、私と桃子、恭也と美由希ばかりが二人組になって、なのはの存在が、微妙に浮いてしまうこともあってね。だから、なのはが寂しくならないように、出来るだけ、一緒になって欲しいんだ。

 

 千冬にとって、身を呈しても守らなければならないものが、もう一つ増えた瞬間だった。

 

 

 

 

 

「なるほど。だから千冬はなのはと一緒に戦いたかったり、教授のイタズラから守ろうとしたりしたんだね」

「そういうことさ。最も今はこの有り様だ。たった一人で戦うなのはを、後ろから見守ってやることしか出来ない、弱者に成り果ててしまった……」

 

 思い出話を終え、一旦忘却した無力感がまた強くぶり返し、地団駄を踏む千冬であったが。

 ふと、この場に近寄る誰かの気配を感じ、背負っていた木刀を構え直した。

 

「どうしたの千冬!?」

 

 驚いたユーノも、フェレットになってしまった身体を動かし、千冬の肩へと乗る。いざ戦闘ともなれば、からっけつの魔力でもなんとかサポートしてみようという考えだ。

 

「来るぞ……」

「あのロボットが!?」

「違う! そうなら駆動音で分かる! こいつは気配だ。もっと深刻な……!」

 

 

「やだなぁ、そうカッカしないでもいいのに」

 

 

 場の空気に合わない間延びした声に、千冬もユーノも目を見はった。

 どうしてここに、彼女がいるんだ。デバイス整備に没頭していてアースラに居残り、きっと身動きが取れないはずなのに。

 

「束……」

「はいはい、束さんですよー。偽物でもコピーでもクローンでもない、正真正銘の束さんだよ!」

 

 篠ノ之束がそこにいた。

 いつものドレスといつものウサミミ。ただ目の下にに一際濃い隈と分厚いノートパソコンを引っさげ、今まで影に隠れていた謎めくウサギはあっさりと表舞台に姿を表した。

 木剣を下げた千冬だが、代わりに顔を近づけ、きつい雰囲気で詰め寄る。アースラが来てからというもの、妙な行動ばかりしていた束の突然の登場だ。なまじ敵が現れるよりも気が立つのは当然だった。

 

「どうして、どうやってここに来た! 何のために!」

「まあまあそんなことより。私、感動しちゃったよ」

「なんだとっ」

「それはもちろん、ちーちゃんの語るも涙、聞くも涙の物語にだよ!」

 

 んぐ、と妙な呻きを出して固まる千冬。

 唯でさえ恥ずかしい自分の昔話を、一番聞かれたくない奴に聞かれてしまった。

 

「両親に虐められ、弟とふたりきりで暮らしたい自分の気持ちも理解されない……あぁぁ、なんて可哀相」

「あっ……う、あ……」

「天才なのを誰にも理解されなかった私の苦しみと、はてさてどっちが重く、悲しいのやらぁぁぁ……よよよ」

「こ、こいつはっ……白々しい泣き真似なんかするな! 面白がってるくせに!」

 

 理解されなくてもどうでもいい人種なのに、わざと茶化すような事を言って煽る束の胸を、千冬は頬を赤らめ、半ば涙目になってぽかぽかと叩いた。

 全力でぶっ叩いているはずなのに、束の身体は小ゆるぎもしない。

 

「だからお前にだけは話したくなかったんだ! それを……!」

「最初っから私が伏せていたと気付かず、カコバナをしたちーちゃんが悪いのだよ?」

「うるさい! お前という奴はいつもいつも他人をコケにして!」

 

 その言い争いが余りにも下らなく聞こえたので、ユーノは千冬の肩の上で、がくりと力を抜いた。だがここに篠ノ之束が来るということは、どういうことなのだろうという疑問に対して、答えを求めなくてはならない。

 この少女が乗り出して来るということは、大抵そこが台風のど真ん中であるということだから。

 

「その、教授?」

「ん、どしたのユーノくん?」

「教授はどうしてここに? どうやってとは聞かないけど、何をやろうと……」

 

 言葉が続く前に束が取り出したのは、腕に巻き付ける二つのガントレットだった。

 

「これを渡しに来たんだ! ちーちゃん専用に調整してるんだよ!」

「なに? これはデバイス……なのか!?」

 

 初めて見た二人が、揃ってそう勘違いしたのも無理は無い。少し大きめだが、何やら機械的なアクセサリーというのはデバイスの待機形態そっくりだったからだ。

 しかし束は首を横に振り、これがデバイスなら魔力の無い千冬に渡すはずがないと否定した。

 

「なら、これは一体……」

「あぁ、名前はまだ決めてないんだ! でも、今まで私が作った発明品の中でも、文字通りの最高傑作だから! ほら、試してみてよ!」

「試す?……うわっ!」

 

 言われるがままに手にとった千冬。すると、ガントレットは手から離れ、勝手に千冬の前腕部へと巻き付いた。

 慌てて外そうとしても、ロックされていて出来ない。呪いでも掛かっているのかと憤慨した千冬だが、腕輪は彼女のいうことを聞かず、更に眩く光り出していく。

 

「おい束、どういうことだこれは!」

「大丈夫大丈夫、後20秒もすればセッティング完了だから! あぁ、ユーノくんは巻き込まれない内に離れといた方がいいよ?」

 

 束は手持ちのパソコンに何やら物凄い勢いでプログラムを打ち込みながら告げる。とにかく教授が言っているのだから、危険には間違いないと、ユーノは慌てて飛び降りた。

 

「初期化、最適化、一気に完了……パーソナルデータ『織斑千冬』記録完了っと」

「な、な……に!?」

 

 千冬の頭に、一瞬電撃のような感覚が走り――これが何か、今から自分に起こることが何か分かった。さっきまで外そうとしていたガントレットは、今は不思議と自分の手に馴染んでいる。

 

 これは何のためにあるのか――そうだ。これは。

 

 

 私の翼だ。

 

 

「な、な、教授、これって!?」

 

 千冬の両手首から、全身に薄い光の膜が広がっていく。そして、光の粒子が解放されるように溢れ再集結し、人型の、しかし巨大な脚部と大きな翼を持った白い装甲と、一振りの大剣が現れた。

 その異様な姿に、ユーノが叫ぶように問うも、束は目の前に映る光景とPCからの制御に夢中だ。

 

「一次移行、完了……っと。そんじゃまぁ、ちーちゃん! ぶぁーーっと行ってみよー!」

 

 束の言葉には、目的語が欠けている。しかし、千冬にはそれがはっきりとわかった。

 今から私は飛んで行く。無かった翼を与えられたなら、行くべき場所はただひとつ。

 なのはの所へ。

 今の千冬には分かっていた。あの禍々しい城塞の中で、なのはは苦しみ、追い詰められている。

 これは予感でも山勘でもない。白い鎧に包まれた千冬には、はるか遠くで起こっている戦闘が、はっきりと知覚できるのだ。

 

「束……」

 

 だが、ほんの少しだけ気になることもあり、一瞬後ろを振り返る。

 目に写った顔は、勝ち気に笑っていた。

 行け、ということだろう。今は何も考えず、なのはのために戦えということだ。

 ああ、全く癪に障る。これでは、何から何までお前の計算通りじゃないか。

 だけど。

 

「ありがとうな」

 

 これで、私はなのはを守れる。まだなのはの“姉”でいられる。なのはの痛みや苦しみを、共に背負って、一緒に飛んでいける。

 その感謝を一言に纏め、千冬は地を蹴り、未だ暗雲漂う空へと飛び出していった。

 

 

 

 

 

「……行っちゃった。教授。あれが、教授が夜通し作ってた物なんだね?」

 

「お察しの通り! いやー、大分切羽詰ってて、今日もギリギリまで調整しててね? 結局間に合わない所が幾つかあったから、今もこうしてノーパソで随時システムを組み立ててるんだけど」

 

「なるほど……今まで僕達の前に出てこなかったのは、それが理由だったんだ……で、あれってさ、一体何? なんだか、白い鎧を着た、騎士みたいだったけど」

 

「白騎士、かぁ……いいねそれ、頂き! でも、あれはまだ未完成の不完全、コアも初期段階で、まだまだ生まれたての赤ちゃんみたいなものだから」

 

「だから?」

 

 

 

 

 

「ちょっともじって、シロシキ、とでもしておくかな?」

 

 

 

 




リアルで来週忙しいので、続きは2週間後になりそうです。


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軽歌劇の終演(Ⅰ)

「バスターッ!」

 

 短縮された詠唱が響き、一秒後の砲撃音。再び、幾重にも連なる兵隊が、纏めて吹き飛び鉄くずへと変わる。相手は只の無機物だから、手加減はいらない。魔力ダメージの砲撃ではなく、物理破壊設定の砲撃の光を容赦なく降り注がせる事が出来る。

 しかし、なのはの前に現れる敵は、一向にして減らず、寧ろ台風の目に集う雲霞の如くに数を増やしている。敵の要塞じみた拠点に入ってからというもの、目の前には敵、敵、敵また敵。5体吹きとばせば10体、それを吹き飛ばせばまた20体という有り様だった。

 

「でも、まだっ!」

 

 そんな人海作戦に対して、なのははたった一人。消耗は少しずつ積み重なっていく。そうと分かっていながら、しかし彼女は尚杖を離さず、流し込む魔力を絶やさない。今更止まった所で、何の意味も無いからだ。何より彼女、ここへ突っ込んでから後退とか撤退とか、そういうものを考えないようにしている。

 

「…………!!」

 

 冷たい感覚が背中に走ったので、魔力を一瞬足から地面へ打ち放ち、ジャンプするように宙へ浮く。間髪入れず、刃を掲げた兵隊が跳んだ自分の真下をくぐり抜けた。真後ろからの奇襲を間一髪の回避だ。同じことを繰り返されないよう、魔力弾を生成して撃ち込み撃破する。だが、それまでなのはがいた地面はあっという間に別の兵隊で埋められ、これでなのはの前後左右、そして上下にも敵ばかりとなった。

 味方はおらず敵ばかり、自分の体力も魔力も残り少ない。

 そういう時、どうすればいいのか。答えは簡単だ。

 

「残存魔力、38%……バリアジャケット損傷、デバイス小破……分かってるよ、それでも!」

 

 それでも、前に進もう。道を、切り拓こう。

 無謀かつ無策だが、それでも進まなければ始まらないのだ。

 辿り着くまで。この事件の全てを裏から操り、今表舞台に立って幕を閉じようとしているプレシア・テスタロッサが導き出した答えを聞かなければ。

 直接、自分の目と耳、頭、心で聞いて。そうしないと、こんな結末、どうやったって納得出来ない。

 なのはは、再び魔力のチャージを始めた。その心臓近くにある魔法の核、リンカーコアが血液を送り出すポンプのように脈動し、発現器たるレイジングハートへと送られる。そうする度に魔力の通り道になる左腕がじいんと熱くなるのだが、その感触をなのはは気に入っていた。

 自分の中に滾る大事なもの、力のあるものを外に出す事ができる。誰かのために使えるという事を、その熱さが表している。

 だから、疲れていても、なのはの心、それから掛け声さえも、まだ熱い。

 

「行こう、レイジングハート!」

 

 その掛け声に、なのはの愛杖はキラリと光りながら答えた。

 知能を持ち、絶望的な状況を正確に把握しているはずの彼女ももはや、この行為が戦術的、戦略的にいかなる価値があるかという問いをメモリの中から削除していた。

 自分の主が行きたいと言っているのだ。プレシア・テスタロッサの眼前へ。ならばそれを支え、実現する事こそが杖の役割ではないか。

 

 そんな主従の目の前に、無機質なツインアイを光らせた傀儡兵が迫る。その数、ざっと50数体。

 大広間の廊下は既に足の踏み場も無くなって、高い天井も蝙蝠のような翼の蠢きに塗れてもはや見えない。

 AAAランクの魔導師にとって、一体一体はまるで木偶の坊だが、それでもこの数は脅威になる。正に、悪鬼群れなす、といった情景だ。

だが、この50体が一斉に狙うたった9歳の女の子には、彼らに対する恐怖も怯えも皆無だった。

彼女がたった今考えているのは、この分厚くて攻撃的な壁に、どうやって穴を開け広げ抜け出すかだけだ。

 

 それは、行動も目的も表情も違うけれど、少し前に同じ廊下で縛られ同じく凶悪な傀儡兵に囲まれ襲われかけた、同じく9歳の女の子の立ち姿に、それはよく似通っていた。

 

「レイジングハート? 砲撃魔法って、こう、バーって動かして薙ぎ払うこと出来るかな」

 

 少し思案した後、なのはは問う。だが発した言葉は極めて直感的かつ前例も根拠も乏しいことだ。それもそのはずだ。ちょっとばかり考え込んだ所で、目の前から後ろ、真上や真下の大軍勢を駆逐する方法なんて浮かぶ訳がない。ここまで来たら、頼れるのは自分の身体と魔力、それから直感だけになる。

 マスターの感覚的な問に、デバイスは機械的な論理でもって消極的な肯定を返した。砲撃中の魔導師の位置を、反動や衝撃を無視して無理やり転換させれば、砲撃魔法の掃射も可能だ、と。

 

「うん、じゃあそれ、やってみよっか」

 

 まるで日々の訓練の中、余裕があるから別のプログラムも挟んでみるような軽い口調。だが、即座にスフィアは展開される。杖の穂先、それからなのはの左右に1つずつ。

 狙いをつける必要はないから、杖に魔力が溜まっている今、引金を引くのに遠慮はない。その余裕もない。

 

 彼女が桃色の閃光を発したのは、前から後ろから、上から下から、展開を終えた傀儡兵が飛びかかる、正に直前であった。

 

「ディバイン・バスター! フルパワー!」

 

 まるで不格好な溶接のように『全力』と後ろにくっついているこのバリエーション魔法が、今のなのはの全力全開だ。鋭利な爪を少女の身体へ食い込ませようとした兵共は、全方位に放たれる魔力の余波であっけなく吹き飛ばされた。

 だが、なのはの魔法はそれだけでは終わらない。身体の左右に展開したスフィアから、魔力を放出する。砲撃でもなく射撃でもない短く小刻みな出力と放射は、まるで人工衛星が姿勢を変えるためのエンジンとスラスターだ。それによって、砲撃の軸が少しずつ周り、魔力の軌跡で前方の敵が薙ぎ払われていく。

しかし、本来砲撃魔法というのはその身を固定して放つものであり、その常識を無理矢理捻じ曲げ、旋回の軸になろうとするなのはの身体には、砲撃の反動や余波がまるで乱気流の如くに殴りかかってくる。

 

「ぐっ、う! ……うあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 魔力ダメージ設定の魔法もそうだが、物理破壊設定の魔法は更に強い反動を伴う。それを捻じ曲げるからには、幼いなのはの身体を苛め抜かねばならない。杖も、強引に方向転換されて軋みを上げる。主従は揃って、魔法力学の摂理に喧嘩を売っていた。

 だが、痛みに耐え切れず発した悲鳴は、むしろ凄まじい気合のように聞こえる。身を捩られ、全身の縊り殺される程の反動に苛まれながら、少女のたおやかな心には、一分のヒビも入らない。

 果たして、その暴挙の効果は――極めて大きかった。

 傀儡兵の壁に隙間が開き、一文字上にどんどん切開されていく。物言わぬそれらが互いに押し合いへし合いするくらい密集していたこともあり、1つが爆発すれば連鎖爆発で2つ、3つと後に続き。

 結果として、なのはの前に立ち塞がる敵の大半は、溶け落ちた破片か吹き飛ばされた鉄くずへ姿を変えていた。

 

「やっ、た……」

 

 掃射砲撃が終わり、魔力の奔流も底を尽いて止まった後。荒い息を吐き、流石に疲労困憊の極みであるなのはだが、まだ休む訳にはいかない。

 上下に展開していた傀儡兵の集団は、すぐさま開いた突破口を塞ぎに来るだろう。その前に、なんとしても突き進んで最深部まで辿り着かなければ、もう二度とチャンスはやって来ない。

 もう、まともに動かない身体へ鞭を打ち、尽きかけた魔力の核からむしり取るような乱暴さで魔力を供出し、消えかけたフライヤーフィンへ与える。

 蝶のようにふらふらと覚束ない飛び方で進んでいくなのはだが、全体の半分以上を失った傀儡兵の陣形は乱れ、再編成は遅々として進まない。結果的に、呆気無く大広間を突破することが出来た。

 そこからは、道なりに奥へ奥へと進んでいくだけである。奇妙なことに、増援も追手も、待ち伏せさえも現れない。大広間にあった大軍勢と、外の海上で襲いかかった個体で、敵の手持ちは尽きてしまったようだ。

 

 もう少し。後少しで行ける。この事件の全てを握る人の所へ。

 

 行ってどうするのか。疲れ果てた翼と、折れかけた杖でもって何が出来るものか。それらを関係ないと切り捨てながら、なのはは遂に、時の庭園の最深部まで辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よく、ここまで来たわね」

 

 玉座のような椅子に座り、左腕の肘をついて、手首を折り曲げ手の甲の上に頬を載せたまま、気だるげな表情で客人を迎えたプレシア。だが、口から出た言葉は、彼女なりの大きな賞賛だった。

 ジュエルシード封印の疲労もつかの間、本隊であるアースラとの連絡は途絶え、硬い結界の中で傀儡兵に襲われ続ける。そんな中、無謀にも敵本拠地への特攻を決意し、行く手を阻む大量の傀儡兵を撃ち抜いて、満身創痍になりながらも遂に首魁である自分の元へとたどり着いた少女。

 プレシアはなのはを、同じ魔導の道へと進んだ者として、確かに賞賛していた――バインドで四肢を雁字搦めに捉え、自分の目の前へと引きずり出しながら。

 

「でも、もうお終いよ。その魔力じゃあ、ね」

 

 プレシアが空いている右腕の人差し指をくい、と動かせば、バインドの縛りがきつくなり、傷みきったなのはの身体へ更なる苦痛を与える。それは、なのはにとって薄れゆく意識を更に追い詰める鈍痛になるが、うめき声を上げながらも、薄い群青色の目は、プレシアの顔から離れず、強張った表情のまま、じっと見つめてくる。

 その不屈が、プレシアを更に苛立たせた。

 

「教えなさい。何故ここまで来たの? ここまで来た所で、私を倒せるはずがないというのに」

「聞きたいのは、こっち、です」

 

 研がれた鉄の鋏のように冷たく鋭くサディスティックなプレシアの問いに、なのはは真っ向から問い返した。

 

「どうして、フェイトちゃんを撃ったんですか」

「何かと思えば。説明したでしょう? フェイトは紛い物、私の本当の娘はアリシアだと」

「でも、それでも。フェイトちゃんを『作った』のはあなたです」

 

 きっぱりと、そう言い放つ。

 

「自分のお腹の中で生まれなくても。ジュエルシードを集めるためだけに作っていても。フェイトちゃんを作ったのはあなたで、フェイトちゃんはあなたを愛していました」

 

 いよいよ、プレシアの怒りは沸点を超えた。

 中指が動くと、なのはの首にも鎖のようなバインドがかかり、喋るな、と言わんばかりに気道を締める。殺さず、僅かに息が通るようにはしているが、その苦痛と息苦しさは、9歳の女の子が耐え切れるものではない。しかし、こひゅぅ、こひゅぅ、と必死に酸素を確保しながら、なのははまだ、言葉を紡ごうとしていた。

 

「あな、た、は……フェ、ト、ゃん、に……」

「黙りなさい。フェイトは道具よ。娘じゃないわ」

「……っ!!」

 

 どこまでも酷薄な言葉に、きっ、となのははプレシアを睨む。

 プレシアの中指にある、細い糸を引っ掛けるような手応えが消えた。見ると、首のバインドが解除されている。

 この短時間でバインドを解き放つ。恐らく、少女が左腕に握って離さないデバイスが、精一杯の献身でもって術式を構築したのだろう。でなければ、過負担で機能停止などするはずがない。

 

「レイジング、ハート……」

 

 なのはは一瞬だけ、物言わなくなった愛杖を見る。細いながらも繋がっていた魔力の線が、霞むように消えて、なくなった。 ユーノが残した魔力も全て使い果たし、もう、なのはは一人である。

 だが。いや、だから問いかけねばならない。

 一人で玉座に座り、人の形をした妄執しか見ていない、プレシア・テスタロッサに。

 

「一人でいたくないなら。誰かと一緒にいたいなら、こんなことじゃダメなんです」

 

 それは、高町なのはという人間が、二年前に出会った友人との触れ合い、そして彼女から伝え聞いた思い出話から、学んだこと。

 彼女は一人だった。それは、常人余人が彼女の思考についていけなかったからでも、独特な性格と感性を避けたからでもない。それらはあくまで副因であり、主因にはなり得ない。彼女は――篠ノ之束は、かつては誰も、何もかも愛していなかった。自分の父母も、クラスメートも先生も。彼女は自分の周りにあるもの全てから目を背けていた。そんな子が、誰かと一緒にいられる訳がない。誰も愛していないのだから、誰かに愛されることはないし、誰を愛することも出来ない。そんな、束よりずっと鈍いなのはにだって分かる、シンプルで純粋な理屈だ。

 だから、なのはは彼女に近づいた。その時まで何の関わりもなかった束へ、関わりを持とうと頑張った。今よりも幼いなのははあの時、何も考えないで、本能的に彼女の前に立っていたのだが、今考えてみれば、自分の心の中で無形のロジックが働いていたのだとも解釈出来るのだ。

 そうして、なのはは束の友達になった。そして束も、なのはを友達と思い、愛するようになる。するとどうだろう。彼女の周りに、少しずつ、僅かにだけれど、人が増えてきた。アリサ。すずか。それから千冬にユーノ。しかも、最後のユーノについては、余曲折あったが自分から近づいて『友達』になったのだ。

 最も、本人たちからすれば主人と従者のようなものだと言って否定するだろう。しかしなのはにとって、一緒に研究して、戦う二人の姿は紛うことなき友人同士。

 そんな二人を見るたびに、なのはは心底安心し、だからこそ、ユーノの身柄を未だ篠ノ之家に預けているのである。

 

 誰かと友達になるには、自分から、誰かに近づく姿勢を持たなければならない。

 

 なのはが今まで9年生きてきて学び得た事の中でも、最も尊いと思っているこの事実。これを、自分よりずっと長く生きてきた魔女へと伝えたくて、なのははボロボロになり、辿り着いたのだ。

 

「娘さんが居なくても、あなたの側にいてくれる人は、手伝ってくれる人は、見守ってくれる人は……あなたを好きでいて、愛してくれる人は、たくさん、たくさんいたはずです」

 

 なのはは知らなかった。だが、分かっていた。

 プレシア・テスタロッサは、一人でここまで来たようで、決してそうではない。

 彼女自身はひとりきりを恐れて、最も大切だった人を蘇らせ、愛しよう、愛されようとされているが。それを叶える道則の中で、誰かがきっと彼女を助けてくれたはずだ。

 彼女を愛する誰かが、命がけで彼女の道を作り出してきた。

 

 そうでなければ、死にかけたような顔色をした女性一人だけでは、ここまで辿り着けなかったはずだから。

 疲れ果てていた自分が、ユーノの魔力とレイジングハートの力で、漸く、この場所へ来れたように。

 

「そんな人たちに、あなたは何をしましたか。そんな人たちを、あなたは愛していましたか」

 

 プレシアは何も言い返せない。理屈でもって反論できない。

 彼女はフェイトを、そして、その前には己の使い魔も使い捨てていた。損得関係なく、ただ真心によって力を尽くしてくれた彼女らを、冷淡に、使えなくなったら何の惜しみも抱かず切って捨てていた。

 

「そうしていないのに、娘さんを一人蘇らせて、愛することが出来るって、私には思えません」

「…………」

「娘さんに、愛されることも出来ないって、思ってます。だって、あなたは多分、その時からずっと変わっているから。母親だったあなたと、今のあなたは違うから……」

 

「黙りなさい!」

 

 いつの間にか、プレシアは玉座から立ち上がっていた。目の前で戯言をつらつらと並べる小娘に対し、激情し、ストレージタイプの杖を痛いほどに握り締めながら一喝した。

 

「私は今でも、アリシアの母よ! そうでなければ何だというの!」

「それは、あなたの思い込みです。きっと、アリシアちゃんは、今のあなたを見たら悲しみます」

「何も知らない子供がぺちゃくちゃと……!」

「気づいてください。こんなことをしても、誰も喜びません。あなたを愛してくれた人たちも、フェイトちゃんも、アリシアちゃんだって、きっと!」

 

「……誰も?」

 

 しかし、なのはの言葉を聞いた途端に、プレシアの怒りはすっと収まった。

 勿論、納得したわけではない。

 言葉のぶつけあいに飽きたような顔の口からは、覚めたのを通り越して、底冷えした笑いが響く。

 

 なのはも、予想外の反応に言葉を詰まらせた。この人は、何がおかしいのだろう。

 

「誰も、喜ばない……? 本当にそうかしらね」

「え……?」

「協力者がいるのよ。私の理想に共感してくれる」

 

 プレシアの顔に、再び酷薄な微笑が戻った。しかも今度はまるで、舞台に上がって小賢しく動く操り人形を前に、嘲笑するような印象すら見える。

 び座りこむ彼女の視界に、もはやなのはは映っていないようだ。彼女の手足から伸びる糸、それを束ねる何者かを意識して話す。

 

「彼女は管理局の艦船をハッキングして動きを止め。この世界の地理を教えてくれた。ジュエルシードの状況についても詳しく、海に6つ残っていたのを調べ当てたのも彼女だった」

「……それって」

「あら、もう分かったの? 流石、一番の大親友だと言われただけはあるわね」

 

 くす、くすくす。

 感心するのではなく、あくまで上から押さえつけるような笑い。

 所詮、強情なだけで何も分からない小娘には理解出来ない物事なのだ、という侮蔑を込め、プレシアは言い放った。

 

「そう、篠ノ之束。私の企てに、あなたの大切なオトモダチが協力してくれているのよ」




実に久しぶりの更新であります。本当に申し訳ない。
次回更新は来週の18:00になります。


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軽歌劇の終演(Ⅱ)

来週(土曜日とは言っていない)


 それは、まだ時の庭園が、あてもなく次元空間内を漂っていた頃。

 プレシア・テスタロッサが事あるに備え、丹念に構築してきた防御機構をいともたやすく突破し、瞬く間に本丸へと乗り込んできた篠ノ之束は。

 

「貴方が何をしたいのか知りたいな。ジュエルシードを手に入れて、それから一体何をするつもりなのか。ただ願いを叶えるなんて、つまらない使い方はしないでしょ? 大丈夫、守秘義務は守るよ。ユーノ君にも、管理局にも言わないから……ね、お話、聞かせて?」

 

 科学者として、プレシアの功績を認め、親近感すら抱いたようだった。

 なんとも素っ頓狂な話だが、プレシアにはそれが至極当然のことであるように感じられた。

 篠ノ之束が『天才』だったからだ。ただ自称しているだけではない。フェイトの記憶を読み、そこから時の庭園の座標を掴んで転移する。そんな、双六のコマを指で弾いてあがりのマスまで飛ばすようなイカサマを、ついこの前まで魔法の無い世界に住んでいた、たった9歳の女の子がしでかしたのだ。

 この、状況を無視して裏返すような暴挙を行える存在を、天才と呼ばずして、なんと呼ぶか。

 

「いいわ、話してあげる」

 

 フェイトからの報告や自身の調査によって、自分たちに敵対している人物については概ね把握している。プレシアは束が天才で、高町なのはという同い年の少女を溺愛しているということも知っていた。

 

 だから、プレシアはかつて誰にも打ち明けられなかった計画と、そこに行き着くまでの経緯も、思う存分に語る事ができた。

 

 

 若い頃から天才だ、ミッド機械工学の若き俊英だと褒めそやされていたプレシアだが、本人の心はその明るさからは程遠かった。

 彼女の周りの人間は、肩書だけを見るか、肩書を先入観にする。そして、彼女に対して一線を引く。それはプレシアにとって、何より不快なことだった。

 だから、若くして結婚なんてこともしてみた。相手の男は同僚の、彼女ほどではないにしろ優秀な科学者で、客観的に見れば過不足無く自分を愛してくれた。それでも、彼女の心の中で何かが満たされない。

 ある時プレシアは、夫に問いを投げかけた。自分がもし科学者でなく、何の取り柄もない女の子として生まれてきたら、果たして貴方に出会えたかしら、と。

 彼は答えた。それはありえない。

 どこまでも科学者然とした答えだった。確かに理屈で考えればその通りだ。科学にしか興味のない彼は、同じく科学の道を進んだ自分としか結ばれ得ない。

 だが、その答えで彼女は冷めた。伴侶に選んだ者の愛ですら、プレシア・テスタロッサではなく、科学者プレシアに依って立つ概念であったのだから。

 

 そんな時に、アリシアが生まれた。

 自分のお腹の中から生まれ出た命は、自分が天才であろうと、凡人であろうと愚鈍であろうと、そんな事はお構いなしに自分を求める。お腹が空いたら食べ物を与え無くてはならないし、着替えも他人任せ。好奇心が強く、目を離すとすぐに危ない所へ近づいてしまう。そんな手のかかる娘だけが、研究者でもなければ魔導師でもない、プレシア・テスタロッサという個人を求め、愛してくれた。

 

 だから、アリシアが生まれてからの五年間は、プレシアにとって忙しくも満たされていた時間だった。

 朝起きて、二人分の食事を手ずから作る。理工学の知識はすぐに覚えるプレシアだが、料理のレシピ一つ習得するのに一週間も掛かったのはいい苦労話だ。

 食べればすぐ仕事場に行く。場合によっては朝から、テーブルにラップがけの食事だけを残して行かねばならないのはとても心苦しいことだった。

 長い仕事だが、時折合間合間に家へ電話をかける事も出来る。不定期だがある程度固まっているその時間を、アリシアは何となくだが覚えているようで、遊びやお昼寝で電話に気づかないことは全く無く、いつもリニスと一緒に笑いかけてくれた。

 仕事を終えて帰るとすぐに夕食を手がけお風呂へ入れさせ、いつまでも遊び続けたがるのを引き止めて寝かせなければならない。ようやく解放されるのは夜も更けてきた頃で、明日の仕事も考えれば自分の時間など殆ど残らない。

 そんな風に、本来二人で足並みを合わせる所を一人で行うのだから、プレシアにはかなりの負担がかかっていた。

 しかし、朝起きた時、出かける時、電話中、帰宅、そしてお休みのキスで。

 アリシアが見せてくれた心からの笑顔と何にも染まらない心からの言葉は、苦労を補うどころか、プレシアにとって初めての生きがいだった。排煙だらけの街の空に、一条の風が吹いたら見える、雲の切れ間の陽光だった。

 

 それが。

 

「壊れてしまったの」

 

 そんな日常が壊れた時、プレシアもまた壊れた。心の中にある何かを、自分とその他の常人を繋ぐ僅かな一線を失ってしまった。

 

「貴方がまだ、壊していない。失っていないものを、私は手の内から零してしまった」

 

 それは、愛する人。

 自分たちのような天才は、誰を尊敬することもしないし、卑屈に媚びへつらうこともしなければ、虐げることもしない。そうするだけの価値を、他人に持つことが出来ない。けれど、愛してくれる人を、愛することは出来る。自分を慕ってくれる人、異常な才能を受け止めて、もしくは無視して見てくれる人の目を、見つめ返すことは出来るのだ。

 

 プレシアが愛していたのは、アリシア・テスタロッサ。

 そして篠ノ之束が愛しているのは、高町なのは。

 

「ねぇ、似ていると思わない、私達?」

「…………」

 

 プレシアの問いに、束は何も口にせず。

 只、唇の端を吊り上げ、しかとプレシアを見つめるのみ。

 だが、プレシアは理解した。

 

「……今更、語るまでもないということね」

 

 そうでなければ、束にとってプレシアは路端の小石にしかならない。只蹴散らし、踏み倒して、蹂躙するだけの存在。直接会ってその人格や意思、真意を問い質すような手間はかけられまい。

 

「こうして会って話すという行為自体が証明になる」

 

 束から、今度はこくん、と肯定の意思。

 プレシアと、束は似ている。科学者としての才覚や、周囲に対して余り関わりを持たない世捨て人のような性格。そして、心の底から大切にしたい存在がいるということまで。

 そう感じたから、プレシアは大っぴらに自分の奥に秘めた熱情と執念の源を話せたのだ。

 

「あははー……やっぱり面白いねえ、貴女」

 

 プレシアが自らの事情について話すと、今度は束もなのはについての思い出を話した。

 彼女が、つまらない世界の中での一筋の光になってくれたということ。常に予測を飛び越えてくれるなのはは、篠ノ之束にとってただひとつの生きがいだということ。

 生きがいである。その一言にプレシアは痛く感銘した。

 

「そうね、そういうもの――見るに値し、聞くに値する拠り所がないと、こんなに浅ましく馬鹿馬鹿しい世の中、生きてはいけないものね」

「そう、そうなんだよ貴女。なのちゃんがいないとこの世界、とってもとってもつまんない」

 

 予測から一歩もはみ出さない定理、法則、意思、感情。そんな世界で生きていくことは楽だが、同時に耐え難い退屈さをも生み出す。身の回りで起きる現象も行動も、皆つまらない。若いころのプレシアと幼いころの束は、世界に全く同じ感想を抱いていた。

 二人にとって、同じ考えを持つ人間に出会うことは、全くの初めてだった。だからこそ通じ合う。だってそれは、ある意味ずっと一人ぼっちで生きてきた二人にとって、初めての同志だから。

 普通、自分と同じ事を考えている人間などそこら辺にごまんといるものだ。自分だけの考え、アイデアという特権意識はその殆どが幻想に過ぎない空手形。何もかもが同じなドッペルゲンガーだって、数億も集めてその中から探せば三人か、もしかするとそれ以上に現れるかもしれない。

 だが、天才という表現の閾値を超える人間は、滅多なことでは現れない。それも束のような、世界の殆どを読み切れるレベルの天才なんて、それこそ別次元にでも目を向けない限り現れるはずがなかった。

 しかし現に今、プレシア・テスタロッサはここにいる。束の心理と行動指針を、自らの経験から読み取り得た、『もう一人の天才』がここにいる。

 彼女は、篠ノ之束にとって初めての『同志』になろうと手を伸ばした。

 

「貴女は、私のようにはなりたくないでしょう?」

「そうだねえ。貴女のようになのちゃんと、それからちーちゃんまで失ったら、私は――」

 

 どうなるんだろうね、という言葉は、空気を震わせること無く口の中だけで反響した。

 なのはを失った世界で、二年前までのように只々惰性でもって生きるか。それともまた新しい生きがいを見つけるのか。もしくは世界に飽き、破滅的な行動へとひた走るのか。

 思考は無限の可能性へと伝播し、想像するが、それらはどれも暗い寂しい暗闇へと収束する。だから、束はそれを言語という形で具現化したくはなかった。

 それを察したプレシアは、だんまりを通す束に皆まで言うなとばかり手を差し伸べた。その表情には、恐らくは数年ほど浮かべていなかっただろう、慈愛に満ちた笑みすら表して。

 

「分かっているわ。だから、貴女を私の計画に誘っているの。つまらない世界の悪意やしがらみで彼女を失う前に、何からも解き放たれた世界へ行きたくないかしら?」

「何からも? 別の次元世界ということかな? もしそうなら御免被るね。どんな世界にもしがらみはあるし、因縁なんてのは、世界を飛び越えてもついてくるものだよ」

「ただの世界ではないわ。そこは――かつて滅びた文明の跡地。世界と世界の狭間に存在し、余人の介入を阻む墓標」

「その言葉、なんだか格好が付いてて大げさだねー」

 

 そう茶化しながらも、束の瞳はプレシアの顔に真っ直ぐ吸い付いて離れず、ウサミミは真っ直ぐ、プレシアの言葉に向けられていた。内部のスピーカーで逃さず録音しているのだ。

 

「言うほど、誇張でも何でもないのよ? 忘れられし都。その名は、アルハザード。そこには時を操り……死者さえも、蘇らせる秘術が存在する」

 

 アルハザード。かつて栄華を誇り、科学技術の極点であったそれは、今や次元断層の奥深くに沈んで、伝説やおとぎ話の中でしか語られない。常人がその名を聞けば、所詮誰ぞの妄想であると切って捨てる、眉唾な存在。だが、プレシアはその存在を大真面目に語っていた。

 

「そこへ行けば、アリシアを蘇らせる事ができる。けれど門戸は深く閉ざされていて、だから私にはジュエルシードが必要なのよ」

「恋する乙女が彗星に向かってするように請い願う――なんて、非効率的な手段は使わないよね?」

「ええ。私が欲しいのは願望機ではないわ。その中に篭っている莫大なエネルギーを全て開放することによって、次元断層を引き起こし、その隙間からアルハザードへの道を切り拓く。私は行くわ、禁断の地へ。アルハザードへ……どうかしら、この計画。貴女のお眼鏡に適って?」

「うん、気に入ったよ。特に、何だかんだ言って最後は結局力押しって所がね」

 

 法やら倫理やらをねじ曲げている計画、その最終工程の以外な素直さに嗤う束だが、その瞳は真剣そのもの。プレシアが長い後悔と煩悶の中で見つけた光明に、束もまた目を惹かれているように見える。だから、プレシアは最後のひと押しを掛けた。

 

「もし貴女が、貴女の友人を失いたくないのなら。つまらない世界の檻から解き放たれたいのなら。私の同志になりなさい、束」

 

 世俗から解き放たれ、失われた文明の遺物に満ちているアルハザードは、束やプレシアのような天才にとっては正しく理想郷である。俗人に関わることなく、未知への探求のみを考えていればいいのだから。

 また、世俗の些事から解放されるということは、束にとっても大きな意味を持つ。例えば、束は篠ノ之家の娘であるがために、未だ年幼く親の庇護下から離れることが出来ない。そのせいで、束の研究は時に大きく停滞する。今開発しているものにしても、ユーノという使い勝手のいい助手が居なければ、パーツ不足でどうしても仕上がらなかっただろう。

 その他に、なのはも千冬もそれぞれ「しがらみ」を持っている。それさえなければ、束はなのはと千冬と、ずっと一緒にいられる。それを邪魔する家族や学校、含めて社会なんて、天才には重りにしかならない不要物。

 なら、捨ててしまえばいい。そういう意味でも、何も無く、誰にも干渉されないアルハザードは束にとって理想的な環境だ。

 

「ふ、あははは」

 

 束は嗤う。ひたすら嘲笑う。プレシアの計画と行為を。脳内での計算では、この計画の成否は極めて低いと出ている。プレシアがアルハザードを観測できているかどうかは知らないが、次元世界の人類にとっても次元断層は未知の領域である。少しでも舵取りを間違えれば虚数の海へと真っ逆さまに落ちていくしかない。

 大体、目指す理由だって幼稚そのものだ。死んだ人間を生き返らせる? 自分とアリシアが、誰にも邪魔されない世界へ? それは、ただの逃避ではないか。死亡という事実を技術というペンキで塗りたくって覆い隠すのは、死者への冒涜に他ならない。二人きりで別世界へ赴くなんてのはそれ以下。単なる逃げだ。

 

「あははははは」

 

 そして、笑う。そんな下らない逃避に、同調している自分へ。なのはと千冬と、二人さえいれば後は誰も要らない、なんて考えている自分へ。

 しかし、その幼稚さは笑いものにはなるが。可能であって夢想でないなら、否定する理由は何処にもないのではないか。偉大な発見や発明はいつも、『空を飛びたい』というような単純で幼稚な欲望より生まれ出るものなのだから。

 

「アルハザード!? 失われし都!? なにそれ、すっごくバカバカしくて、すっごく面白そうじゃん! 私も行きたいな、こんな世界から抜けだして……なのちゃんと、ちーちゃんと一緒に!」

 

 内から湧き出る原初の欲求に打ち震えるような束の答え。プレシアはそれに満足し、細く色白な手を差し伸べた。

 

「共に行きましょう。こんなはずじゃなかった世界に、別れを告げて」

 

 束は、その手を握る。

 

 そうして、ここに二人の科学者は同士となり、来るべき時空管理局と、己の仲間をも騙し、ジュエルシード全てを暴走させて次元断層に道を拓くための計画を練り上げ始めた。

 

 まずは、ジュエルシード全てをプレシアの手へと齎す『状況』を作り出さねばならない。束の手によって、残りのジュエルシードの場所は海中だと既に把握されていた。これは、束の地下ラボに存在する「掴もうぜジュエルレーダー」の親機によるものだ。

 なのはやユーノに渡していたのは子機であり、高精度なレーダーを持つ親機は、事件開始から少し経った時点でジュエルシードの位置を殆ど完璧に掴んでいた。束は敢えて、子機に伝える情報を制限していたのだ。彼女お得意の自作自演の種は、この頃から既に撒かれていたのである。

 

 この情報を起点にして、まずはフェイトに命令を伝え、残りのジュエルシード全てを回収させる。一人の魔導師の分を超えた無謀な行為を見て、管理局側はまず様子見に徹するだろう。

 しかし、なのはたち地球の子供達は違う。フェイトを只の敵として考えず、分かり合いたいと思うなのはは必ず単独行動を取って現場に向かうだろうし、千冬とユーノもそれに続くはずだ。

 そうして、海鳴の海上になのは、千冬、ユーノ、そしてフェイトが、ジュエルシード全てと共に集まるという『状況』が生まれる。

 これこそ、プレシアにとっては絶好の機会。管理局に討ち入られば時の庭園の防御網は突破されるが、封印に魔力を費やした子供が数人だけなら問題はない。

 だから、時の庭園そのものを転移させて、プレシアの技量で硬い封時結界を展開させる。これで子どもたちは逃げ場を無くし、ジュエルシードは皆プレシアの元へと集まる寸法だ。唯一の不安要素は『状況』から締め出された管理局による結界の解除だが、そこは束が仕込む。

 

 まずは協力者として管理局の信頼を得ながら、艦内のメインコンピュータへ手製のプログラムを忍び込ませる。それは、プレシアの次元跳躍攻撃による動力停止と機能不全の最中に発動し、瞬く間にシステムを掌握。こうして、管理局は内部にいる魔導師部隊ごと無力化させられる。

 こうなればもはや誰にも遠慮はいらない。なのはと千冬を庭園内に確保して、そのままジュエルシードを暴走させ、次元断層の狭間へと跳躍を始めるだけだ。その余波で、地球を含む世界の2つや3つは消滅するだろうが、全てから解放される2人にとってそれは、何らの考慮にも値しない。

 

 完璧な計画だ。

 

 束の、人の心理すら容易に読み取れる異才。そしてプレシアの長年に渡る執念が撚り合わされて綴られた計画は、現在、その9割5分が既に成功している。

 

 

 

 

 そして、高町なのはに見せつけられた、プレシアと束の会見映像。危険を顧みず自分から庭園に飛び込んできた愚かな少女へ、この真実を見せつける事こそ、計画の最終段階であった。

 

 

 

 

 

 




次回更新は来週です。何時になるかは筆のノリ次第。


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軽歌劇の終演(Ⅲ)

 なのはは目を見開いて、プレシアとの合間の空間に投映された映像を見つめていた。

 張り詰めた空気を漂わせながらも、笑顔の束と、無愛想ながら僅かに表情筋を動かし、目の前の残酷な表情に比べれば楽しげにすら見えるプレシア。

 そんな、今までの常識を覆す映像を、なのはは何も言わず見つめていた。なにか言う体力が残っているはずもないが、唇を動かす仕草すら見せず、ただじっと、見つめていた。

 

「……どう? 面白かったでしょう?」

 

 更になのはを追い詰めるため、プレシアは言い放つ。それもそのはず。今でこそこうして自らの側に引き込んではいるものの、そもそも目の前の小娘がデバイスと魔導師を拾わなければ、事はもっと単純に運べていたはずなのだ。フェイトとアルフによって、海鳴中のジュエルシードを一週間足らずで集める予定が完全に狂ってしまった。お陰で管理局にも気づかれる。但し、なのはの存在が居なければ、プレシアが束と出会うこともなかったのだが。

 ともかく今のプレシアの心中、そこでのなのはの立ち位置は愛憎という分野で分ければ間違いなく憎悪に分類されている。そして溜まった鬱憤を晴らすべく、プレシアは露悪的な仕草とともに、なのはが信じていた束の隠された真実を暴いて見せたのだ。

 

「全ては仕組まれていたの。束はこの日から、今に至るまでの貴方達の行動全てを読み切っていたわ。人形相手に絆されて飛び出してくるのも、囚われて自棄を起こして突撃してくるのも……そして辿り着くのが貴女だけだということも、予見していたわね」

 

 プレシアは、ひたすら苛虐趣味じみた表情を浮かべる。まるで、大勝負にイカサマを仕掛けたディーラーが自信満々で揃ったカードをオープンするような心境だ。

 現場の実情を無視した上層部の、無茶で無謀な命令によって引き起こされた中規模次元震、そしてアリシアの死。その罪を纏めて被せられ、左遷や異動でトカゲの尻尾切りの如く切り捨てられるという屈辱的な処罰。

 その後、社会の表から姿を消し、アリシアを取り戻すためにクローン作成技術を研究する『プロジェクトF』に縋ったものの、文字通り身を削りながら進めた研究の末に出来たのは、アリシアではなく似ているだけの紛い物。

 数十年、悲壮で甲斐のない日々に命を費やし、今や果てる寸前の蜉蝣であるプレシアの内心に渦巻いている怒り、憎しみ、悲しみ、後悔――。雪解けの後の泥濘の如く内側に溜まっていた負の感情が、傷つきながら突っ込んできた真っ直ぐで純白な少女の心を汚そうと、痩せ細った身体からぬるりと滲み出ていく。

 

「貴女の努力も、お仲間の献身も、今居る世界の命運さえ……たった一つのペテンによって崩れる脆いもの。残念だったわね。もしここで奇跡が起こって、貴女が私を倒せるようになったとしても……その時貴女は、貴女の一番大切なオトモダチと戦わねばならない」

 

 目の前の少女に、そんなことが出来るわけない。プレシアはそう信じていたし、なのはも無言で肯定した。

 ああ、楽しい。天才として、無知蒙昧を嘲り笑う事が、ここまで楽しいことだとは知らなかった。もう少し早く気づけていれば、このつまらない世界に生きるのも少しは楽しくなったろうに。去る直前で気付いてしまったのは本当に残念だ。

 

「束は本当に苦労したと思うわ? 何も分からない貴女たちや、間抜けな管理局をつまらない演技で騙すのだから。きっと、貴女が単純だから上手くいったのでしょうね」

 

 スクリーンには今、互いに手を握り、計画の成功を誓い合うプレシアと束が映っている。なのはの顔は俯き、どのような表情をしているかは分からないが、きっと、今まで浮かべたことの無い虚脱と絶望に満ちた表情なのだろう。プレシアは想像し、喜悦した。

 

「それにしても、貴女は本当に友達思いのいい子ね……」

 

 かつ、かつ、とヒールの音が響く。四肢を縛られ、空中に吊り下げられているなのはへ、プレシアは徐々に歩み寄っていた。何をするわけでもない。ただ、なのはの顔が見たいのだ。

 大切な友達の裏切りを伝えられて、それでもさっきまでの挑戦的で生意気な態度が持続しうるはずがない。たかだか9歳のくせに、只のお節介で首を突っ込み、幾年も積重なった自分の執念を否定した、世間知らずの小娘。その本性を、プレシアは見たがっていた。

 プレシアが持つ、錫杖を思わせるデバイスから、年若い少女の甘ったるい声が発せられる。

 

「『なのちゃんは飛べるよ。その翼で、どこまでだって。その手で打ち抜けるよ、涙も、痛みも、運命も。だから、飛ぼうよ』……そんな、何処から飛び込んできたのか分からない録音で、わざわざ窮地に飛び込んでくるのだから!」

 

 アースラのなかで、未だ踏ん切りが付かなかったなのはの耳朶に飛び込んできた、優しく、温かい声援。それは束本人が発した通信ではなく、時の庭園から送られた、只の録音音声だったのだ。

 

「ふ、ふふふ、あははははは! そう落ち込まなくても、貴女は何も悪くはないのよ? なぜなら、貴女の決断も選択も、全てがペテンなのだから!」

 

 自分の意志や使命感で事件に飛び込んだなのはにとって、プレシアの言葉は何よりも残虐だ。

 

 戦いを好まないおとなしい少女だったなのはだが、この一ヶ月の間、必死に戦い続けていた。暴走体が相手なら、千冬に任せて後ろで封印だけをしていれば良かったが、フェイトが相手ではそうはいかない。空を飛ぶ魔導師の相手は、同じく空を飛べるなのはにしか出来ない。

 戦う時に怪我をすると痛くて、魔法の練習も辛いけど、自分に戦える力があるなら戦わなければいけないと思うし、無言で対話を避けるフェイトに自分の心を届かせるためにも、戦い続けたいと思っていた。

 それから、親に嘘を付いてまでアースラに協力し、家から離れて寝泊まりをする。そういう、子供にとっては重大な決断を、自分からするのは初めての事だ。なのは自身、自分がここまで大胆なことをするとは思っていなかった。

 そしてだからこそ、この魔法と戦いに明け暮れる日々は、自分にとって本当に重要なものになるのだと信じて疑わなかった。

 

 だけど、それは全て。

 

「全ては最初から、仕組まれていたこと! この状況に、貴女の意思は介在しない! 全ては私と、束の計画通りだった!」

 

 無言のなのはを尻目に、プレシアは狂い笑う。会社や研究機関に利用され続けだった自分の人生、使われつくし、ボロボロになった自身の心と身体、そのささやかな意趣返しのように。

 力尽き果てたなのはを嗤い、その情けなく惨めな結末を嘲笑う。

 

「ふふふふふ、ふははは、あはははははっっ!!」

 

 二人きりの空間に、只々声だけが反響する。その感情の熱狂に併せてか、プレシアの手元にある12個のジュエルシードがざわめくように点滅し、玉座の間に広がって円陣を作る。しかし、その円はまだ3分の1程度欠けている。埋められるべきは、残り8つのジュエルシード。

 ユーノがなのはから預かり、今頃は必死に守り続けているはずのそれらが、転移の儀式にはどうしても必要だった。しかし、そんなことはもはや些事に過ぎない。魔力の全てを使い果たした少年と、只腕っ節の立つだけの少女など、傀儡兵だけで簡単に制圧できるのだから。

 

「じきに、残りも揃う。そうすれば、私は旅立てるわ。永遠を保証する彼の地、アルハザードへ。そして、この世界は……滅ぶ」

 

 揃うのを待ちきれず活性化したジュエルシードは、プレシアの言葉を実証するかのように輝き唸り、空気を震わせる。辺りには魔力がたちまち充満し、その濃度は、大魔力を扱うことに長けているプレシアにすら、息が詰まるような錯覚を感じさせるほどだ。

 度数の高いアルコールの匂いが、嗅いだ者へまるで酔ったような感覚を与えるように、プレシアの気分はますます高揚していた。

 

「旅立つ前に、最高のショーを見せてもらってありがとう。今頃、ここの最深部で束もほくそ笑んでいるはずよ……ふ、ふふふ」

 

 プレシアは未だ笑い続ける。今まで彼女に根付いていた、暗鬱な心情を丸ごと裏返すように。

 だが、それもここまでだ。これからすぐに、ジュエルシード21個全てを制御する術式を構築していかねばならない。生意気な女の子一人を虐める暇なんて、何処にも存在しないのだ。

 落ち着いて、冷徹さを取り戻すように切り替えねばならなかった。

 

 だが最後の最後、その前に。

 ずっと俯き続け、遂に何も言わず、顔を上げなかったなのはの、表情。

 それくらい見る暇はあるし、見たからといってバチも当たらないだろう。

 プレシアは手を伸ばし、俯いた顔を上げて見てやろうと試みた。

 

「もう、お終いよ。誰にも止めることは出来ない……例え貴女が神でも、悪魔でも。この私を止めることは出来ないのよ」

 

 壮大な計画に挟まれた、幕間狂言の締めくくり。

 プレシアの手が、なのはの頬に掛かり、そして指で顎を持ち、顔を上げた。

 

 

 目が、見開かれた。

 誰の目でもない、プレシア自身の目が。

 

 

 一秒にも満たない間、聴覚に静寂が訪れた。魔力の乱流が身体を撫でる、そのざわめきすら聞こえない。五感の殆どを静止させているのは、極限まで膨れ上がった、驚愕という感情。

 

「何故、なの」

 

 思わず漏らしたわななく声が、骨と空気を伝導して自らの脳髄を揺らす。この状況、この現状で、決して発されるはずのない問いかけだった。

 

「どうして」

 

 見つめる顔を持つ手に、力が入る。

 指が肌に食い込み、顔つきこそ歪むが、表情はけして揺らがない。

 

「どうして、どうして、どうしてっ! そんな顔をしていられるの!」

 

 言葉が唾とともに吐き捨てられ、細い手に持たれている顔へと振りかかる。それでも、変わらない。

 プレシアが久しく感じていなかった、未知への驚きと恐怖。その源になっている少女の表情は。

 

「…………」

 

 穏やかだった。

 ショックを受けて憔悴はせず、余りの出来事に怒りもせず。だが、何もかもを諦めきっているのではなく、打開しようと必死になっているのでもない。

 ただありのままに。怒りも哀しみも内包しない澄んだ瞳が、プレシアを見つめ返していた。

 

「束ちゃんは」

 

 どうして、というプレシアの叫びに応え、なのはは初めて返答する。

 妄執と狂気を孕んだプレシアの目をしっかと見つめ、混じりけなしの言葉を、ゆっくりと紡ぐ。

 

「ご近所のために、ジュエルシードを集めてくれる。私たちを手伝ってくれる」

 

 その根拠は目まぐるしい一ヶ月を挟むと、もう大昔のことのように思える会話。

 束が、強引に引き取ったユーノに関して千冬に疑われた際、なのはに頼った。その時なのはは、束の邪な意図を無視して、しかも彼女の行動を善意によって解釈した。

 束も、街の平和を守る為にジュエルシードを回収しているのだと。いつか、アリサやすずかを助けた時のように、困ったことを放っておけないから、協力してくれるのだと。

 

「私がそうでしょ、って言った時、束ちゃん、何も言わなかった。その通りとは言わなかったけど、違うとも言わなかった。だから、私は信じてる。束ちゃんが、皆のためにジュエルシードを集めているんだって」

 

 篠ノ之束の、善意。人間らしい、優しく善き心。それをなのはは信じていた。

 

 傍から見ればまるで見当違いの感情論でしかない。

 只の女の子ならともかく、篠ノ之束である。天才として、世界全てを平等に見下している女の子の心中にに、優しさというものの芽生える隙間が、果たして存在するだろうか?

 

 否。絶対に否だと、プレシアは断定した。

 

「何を言うの!? それは嘘よ? 貴女は……まやかされているということが、分からないの!?」

 

 だから、なのはのまるで見当外れに見える答えは、当然プレシアを苛立たせた。

 友達や街、そして周りの人を守る。確かにその場の流れや勢いで、束の行動方針がそう決めつけられてしまったこともあるだろう。

 だがしかし、そんなものは所詮一時の言い訳。『天才』篠ノ之束の本性は、どこまで行っても孤高。そして、他者とは決して交わらない。

 例え対象が、彼女を唯一つまらない世界へ繋ぎ止める点であったとしても。嘘をつき、騙し、利用するということはごく当たり前で――。

 

「違うよ」

 

 プレシアの否定に対し、なのはは弱々しい身体から声を搾り出すように反論する。

 

「束ちゃんは、私を騙してなんかいない。だって、束ちゃんは私の“友達”だから!」

 

 友達。たったそれだけの理由で、なのはは束を信じて疑わない。

 例え裏切りを決定づけるような映像を見せられても、残酷な計画を教えられても。

 

 そんな程度で、なのはは折れない。

 

 束がそんなことをするはずがないと、きっぱり宣言できる。

 

「束ちゃんは、そんな身勝手なことは絶対にしない! 束ちゃんはいつもはしゃいでて、とっても人見知りで……怖いことだって平気でするし、いつも大騒ぎの真ん中にいるけど!」

 

 そう、束は天才で、傍若無人だ。一番の友達の性格くらい、鈍感ななのはも分かっている。

 だから、なのはが今聞いたことが、やっぱり束の本心であるかもしれない。この世界を滅ぼして、自分と共に遥か遠くまで行ってしまうことが束の本当の望みだったという可能性もゼロではない。

 

 だけど。

 

「でも、皆の気持ちを考えないで、皆に何も言わないで……こんなことは、絶対にしない!」

 

 縛られ続けた身体は痛みに溢れ、体力は既に限界を通り越し。気を張らないと直ぐにも気絶してしまいそうだが、なのはは叫ぶ。

 

「だって、束ちゃんが好きなのは、私だけでも、千冬ちゃんだけでもないから……私たち2人がいればいい、なんて考えてない!」

「そんなはずはないわ!」

 

 その必死な声に、プレシアもまるで気炎を吐くような勢いと形相で異を唱える。

 

「あの娘はこの世界に、貴女たち以外の価値を見出していない! 色褪せたつまらない世界も、ただ縛り付けるだけの他人も、あの娘は全て憎み、だから私と共に……」

「違うっ! 束ちゃんはもう、つまんない、だなんて思ってない!」

 

 もしもそうなら、なのはと知り合ってからの二年間、学校へ行ったりはしないのだ。

 

 興味のない人間が沢山いるはずの小学校へ、手を繋いで通って。とっくに分かりきっている授業を、なのはにちょっかいをかけながらも一応受ける。栄養摂取には非効率的だと言いながら、母親の作った弁当を分け合いっこして。体育ではすずか、千冬と超人的な戦いを繰り広げ、図工では木片からICカードを作り。放課後は決まってなのはをラボへ引っ張り込み、新しい発明品を見せて自慢する。

 

 365を2つで掛けて、730日ずっと繰り返す、学校や家庭に縛られて固定化された日常。

 なのはにとっては日々新鮮で実りある日々だが、その殆ど全てを予測してしまえる束にとっては、味気ない灰色さしか感じられない二年間のはずだ。

 

「だって、束ちゃんは笑ってたから!」

 

 でも、その日常を過ごす間、束は時に笑い、時に怒り、時に悲しんだ。

 それこそが、なのはにとって裏切りを否定する一番の証拠になる。

 

「えへへって笑うことも、声を低くして怒ることも、泣きべそかいて悲しむことも……本当につまんないなら出来ないんだ!」

 

 なのはがそう言い切る理由は、束と初めて会って話した時の、無表情だった。

 

 あの時、なのはの瞳に見えたのは、空いてるのか開いていないのか分からない口元や、何処を見つめることもない目。顔の筋肉は動かず、お面のように固まって、ただ舌だけが微かに動く、まるで死んでいるかのような表情。

 初めての時は訳も分からず話しかけたからよく分かっていなかったが、回想するとなのはですら思わず寒気立ってしまうくらいに、冷たくて恐ろしい。

 喜怒哀楽を過剰に表す、束のいつもの表情。その印象は余りにも強いが、なのはの脳裏には未だ、絶対零度で無色透明なあの顔つきが焼き付いていて離れない。

 

 でも、今の束は、そうではないのだ。

 

「今の束ちゃんは、私に色んな顔を見せてくれるんだ」

 

 だからそれは、束の見ている世界が、つまらないもので無いことの確かな証明になる。

 

「嬉しい時は一緒に笑って、悲しい時は一緒に泣いて! そんな束ちゃんを、私は知ってる! だから私は……どんなことがあっても、誰も信じなくたって、絶対に絶対に絶対にっ!! 束ちゃんを信じる!!」

 

 なのはは決然とした表情で、プレシアを見返す。

 もう魔力はこれっぽっちも残ってないけど。傷だらけの身体は縛り付けられ、何の抵抗も出来ないけど。

 それでも信じることは出来るし、それは誰にも止められない。

 

――だって、友達なんだもの。

 

「ふざけないで」

 

 なのはの主張に対し、プレシアは沸々とした怒りを湧き上がるままに振りかざす。彼女の握る杖の底部から紫色の雷が迸り、地面や柱を伝ってバインドへ、そしてなのはの全身へと至り、唯でさえボロボロな小さい身体を尚も傷つける。

 

「くぅ、ぁ、ああぁぁっ……!!」

 

 我慢している故にか細い、しかし閉所に良く響く少女の悲鳴。

 

「あの娘は『天才』よ。私と同じ『天才』。だからこそ世の中に疎んじられ、自身も世の中に飽きる……そんなあの娘が執着するのは、愛する者だけ。貴女ともう一人、織斑千冬だけなのよ!」

「く、あぁ……そうじゃ、ない! 束ちゃんの周りには、他にも沢山、色んな人がいる!」

 

 人生で二回目の窒息を感じながら、なのはは思う。

 この広い空の下には幾千、幾万の人達が居て。いろんな人が願いや想いを抱いて暮らしている。

 二年前の束は、そのことを知っていたけど、分かっていなかった。けれど、今は違う。

 

「そんなものが、何になるというの。所詮は俗人、つまらないことしか言わないし、誰も『天才』を理解しない!」

「だけど、皆束ちゃんの近くにいる! 私だって、束ちゃんのことまだ全部は分からないけど……でも、想いを話すこと、伝えることはできるから!」

 

 その想いは、時に触れ合って、ぶつかり合って。だけどその中の幾つかは、繋がっていける、伝えあっていける。

 そんな出会いや触れ合いを、束は確かに受け取って、もしくは強引にぶつけられて。そして、ちゃんと覚えて、記憶する。心に想いを結び付けていける。

 だから、絶対、大丈夫。

 

「皆、束ちゃんのこと、口には出さないけど大切に思ってて、束ちゃんも口には出さないけど、皆と離れようとはしない。でも、プレシアさん、あなたはどうなの?」

「……私?」

「あなたは、アリシア以外の誰も大切に思ってない。だから皆、あなたが世の中から離れるのを止めなかった。ううん、止められなかった」

 

 当然のことだ。自分とアリシア以外、誰も信じていないということは、誰にも信じられないことと同義なのだから。

 そんな人間に、近くにいて欲しいと思える訳がないのだ。離れるまま、誰も引き止めず。暗闇で一人研究に没頭し、終いには身体を壊して死を自らに近づけても、誰も止めないし、助けない。

 いや、助けようと尽くしてくれる人はいるが、彼女の方からそれを断ち切り、破滅へとひた走ってしまう。

 彼女の目には、思い出という妄執の中のアリシア以外、何も見えていないのだ。

 

「でも、束ちゃんは違う。束ちゃんはちゃんと周りに目を向けて、お話を聞こうとしてる。束ちゃんらしく、とってもハチャメチャで、お騒がせだけど……周りの優しさから逃げて、たった一人しか見ていない、あなたとは……違うっ!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、プレシアの心の中で何かが切れた。

 

「何も知らない癖に! 黙りなさい、小娘!」

 

 なのはの言葉を聞くたびに、折れるほど強く握っていた錫杖。それが姿を変え、現れたのは鞭。手首にしなりを効かせ、大きく振りかぶる。目の前で戯言をほざく少女が共犯者にとっての大切な『友達』であることなんて、とうに思考から吹き飛んでしまっていた。

 黙らせなければ。そうしなければ、プレシアの今までの苦脳はまるで馬鹿馬鹿しい物になってしまう。誰にも理解されず、たった一人で歩んできた道。たった一人の愛する娘を取り戻すための道。茨の道のように思えた旅路のそのすぐ側に、自分を心から愛してくれる使い魔や、優しい女の子がいたなんて。

 遅すぎる気付き。

 いや、気付いてはいけない。考えてはいけない。命すら投げ出した計画が、実は全くの無駄だったなんて、認めたくない。

 

 だから、これ以上何も口を効けないようにしてやる。

 そう考えて、プレシアは何時も出来損ないにやっているのと同じように、目の前の少女を――

 

「……っ!?」

 

――鞭打つ前に、辛うじて周囲の異変に気づいた。

 

 ジュエルシードの魔力以外のナニカが、この庭園で蠢いている。

 玉座の間において、プレシアはジュエルシードだけではなく、庭園の動力炉の魔力を借りて断層移動の大魔法を発現させようとしていた。だから、庭園の心臓はそのままプレシアのリンカーコアと同一存在になり、よってプレシアの五感には、庭園の状況がつぶさに感じられるのだ。

 その五感が今、最大強度で警告を発していた。

 

「管理局……? いえ、クラックを破るのも結界を砕くのも早過ぎる……!」

 

 とにかく、後一歩の所で邪魔をされる訳にはいかない。鞭を杖に戻し、庭園内で待機していた傀儡兵へ、目標駆逐の命令を下す。

 物言わぬ機兵は、まるで体内のバイキンを食らう白血球のような忠実さで、命令通り通路を駆け巡り、対象を視認し、攻撃に移り――ものの見事に駆逐され、僅か数秒で反応を消した。

 

「やられた!? 馬鹿な、時間稼ぎ程度にはなるはず!」

 

 エネルギーの発生源は、移動の最中に立ち塞がる傀儡兵を文字通り一蹴しつつ、一直線に庭園の中央最深部、即ち玉座の間へ向かっている。これに対し鉄機兵の壁を作り、時間を稼いだ所でバインドを設置、なのはと同様縛り上げた所へ止めを指す予定だったが、接敵した側からまるで溶けるように排除されていく。

 中空に投影されたコンソール。その一つを前線後方に配置した傀儡兵のカメラと同期させ、プレシアはノイズ混じりの映像越しにエネルギー源の正体を見た。

 

「なっ………!?」

 

 人型の全身を純白の甲冑が纏い、二枚の浮き羽にスカート状のスラスター、そして一本の大剣を上段に構えている。まるで騎士を思わせる機動兵器が、そこに映っていた。

美しい。プレシアの感性が彼女の無意識に働きかけ、呟かせた。余剰エネルギーとして噴出されている青い燐光の眩さに騙されたからではない。一人の科学者として、モニタの中に舞う白い姿に紛れも無い機能美を感じたからだ。

 

 命令を受けた傀儡兵が、騎士の前に立ちふさがった。庭園に配備されている中で、一番大型の砲撃タイプ。なのはを捕らえる時ですら守備に回していた虎の子である。

 対峙した互いの大きさには、巨人と蟻を想起させるほどの圧倒的な差が存在する。しかし、熱源を探知して表示するレーダーの光点は、守る方より、迫る方が遥かに大きかった。

 傀儡兵が、両肩のキャノン砲をチャージする。それと同時に、周りの小型も一斉に突貫し、数で目の前の白い人型を排除しようとした。

 その時、人型の持つ剣が、中央から真っ二つに割れた。同時にプラズマで構築された刀身も縮まる。一本の大剣が二本の小太刀へと姿を変えた。

 

「あれは……!」

 

 そして、小太刀を構えた人型。その独特な構えを、プレシアは確かに記録していた。

 そう、あの剣技は、かつてフェイトが戦ったもの。帰還した彼女のデバイスを整備した時鮮明に残されていた戦闘記録を見て、感嘆したものだった。なにせあれは、地上に限りフェイトの戦闘技能さえ凌ぐものだったのだから。

 

 その構えをした人型が、今、空を飛んでいる。それに気付いてやっと、プレシアは人型の頭部へ目の焦点を合わせた。しかし、全身装甲の一部であるフルフェイスタイプのバイザーによって、顔は見えない。

 ただ、長い黒髪のポニーテールだけが、ちらりと見えた。

 

 砲撃のチャージが完了し、地面にしかと踏ん張った傀儡兵が、肩の砲台から魔力砲を発射する。

 ごう、と空間を薙ぎながら迫る二本の光線が、構えたままの人型に直撃し――その、すぐ手前で遮られ、雲散霧消した。

 バリアか。プレシアは推察したものの、一方でありえない、と狼狽していた。放ったのが傀儡兵とは言え、あれは立派な魔力砲である。しかし、今人型の周りに展開されたのはあくまで通常のエネルギーフィールド。それで魔力を防げるはずがない。

 

 だが、現に砲撃は()()()()された。

 

 続いて、小型の傀儡兵が一斉に突撃する。全天からの攻撃は、どうあがいても捌ききれるものではないはずだ。

 しかし、人型は迷いなく、先の先を取った。プレシアの視界であるカメラには、人型が一瞬姿を消した後、迫り来る傀儡兵全てが無残に切り刻まれているという情報しか映らなかったが、その過程で、人型は自らに振りかかる攻撃全てに先んじていた。

 

 まるで、全周囲に目が付いているかのような挙動と、反応速度。

 

「なん、だと、いうの」

 

 ああ分からない。分からない、分からない。

 大体どうして、孤立無援の結界内にこんな機動兵器が現れたのか。

 そして、あの圧倒的な戦闘力と、莫大なエネルギーを制御できる技術は何処から来たのか。

 プレシアは何もかもが理解できず、その心から、とある一つの強い感情が迸った。

 

 

――未知への恐怖、という、『人として当たり前の』感情が。

 

 

 そして、密室全体を横殴るような衝撃と、破砕音。充満していた高濃度の魔力が、出口を得て外界へ流れ出した。

 さっきまでプレシアが見ていた映像は、いつの間にかブラックアウトしている。だから彼女は恐れ戦慄きながらも、コンソールから目の前の現実に目を向けるしか無かった。

 

「……千冬ちゃん! 千冬ちゃん、千冬ちゃぁん!!」

「すまんな、なのは。遅くなった」

 

 交わされる会話。いつの間にかバインドはプラズマソードに切り刻まれたようだ。解放されたなのはを横に抱き抱える人型は、なのはよりも少し背が高いだけの少女の輪郭をしていた。

 

「……さて……私の友人が、随分と世話になったようだな」

 

 傷つききった少女を床に下し、再び双剣を構えた人型から、ゆらり、と立ち上る気。プレシアの執念も、謀りも関係ない、ただただ、純粋な怒りに満ちた気迫に、あくまで戦闘者ではなく研究者であるプレシアの理性はあっけなく崩壊した。

 

「小娘共が、邪魔をするなぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 フォトンランサー。サンダースマッシャー。サンダーレイジ。

 周囲にはジュエルシードがあり、下手に魔力が直撃すればあっという間に暴走してしまう危険性など考慮に入れず。展開できる魔法から、闇雲にがむしゃらに術式を構築、目の前の人型へと叩きこんだ。

 

「千冬ちゃんっ!」

 

 後ろに庇われたなのはが叫んだ後に鳴り響く、轟音。狂乱していても大魔導師と呼ばれただけあって、攻撃の全てが一点の狂いもなく、人型に直撃していた。

 

 が、しかし。

 

「それで終わりか?」

 

 白い鎧騎士は、小ゆるぎもしない。庭園の動力炉、その出力の全てを使った最大規模の波状攻撃。その全てを、超高密度のエネルギーフィールドが弾く。

 

「な……ありえない、何故、何故、こんなことが……ぐ、があ゛っ」

 

 絶対の計画が、たった一個の異分子で容易く捻じ曲げられた。

 そんな目の前の現実を認められず、プレシアは頭を振りながらかすれた声で喚いたものの、その直後、魔法行使の反動で喀血。床と服と口を、濁った血で汚した。

 

「……成る程、病を患っているのか。そんな輩に剣を振るうのは心苦しいが……それ以上に、私はお前を倒さねばならない。覚悟して貰うぞ」

 

 凛々しく澄んだ声が、宣言する。

 それは、後ろで座り込んでいる友を守るため。

 今も、たった一人で残りの宝石を守るため逃げ続けている仲間のため。

 そして、自分にこの力を授けてくれた、訳の分からない、でも確かに自分の友達であるウサミミ少女のため。

 

 

 

 

 

「織斑千冬。『白式(シロシキ)』。……いざ、参る!」

 

 

 




ようやく書きたい所が書けて、とっても楽しい私です。


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舞い散る雪と桜を束ね(Ⅰ)

 時の庭園、最深部。度重なる戦闘により明かりが消えた暗闇を、狂ったように光り輝くジュエルシードがより眩く照らす。

 乱反射する青い煌きの中、すっくと立つのは白き鎧を着込んだ織斑千冬。同じく白い服を傷と汚れでくすませた少女を背後にかばい、雪の欠片のように白い二刀を構える姿は、正しく騎士、もしくはもののふの勇姿を想起させる。

 対するは、黒紫色の導士服に身を包んだプレシア・テスタロッサ。こちらは顔の血の気が完全に失われ、元々病床の身であることも含め、生気というものが薄れきっている。肌に触ったら、零度の冷たささえ感じられるかもしれない。

 更に、その顔は喜悦に満ちていた先程までとは打って変わって、目の前の敵への狼狽と恐怖に覆われていた。だからだろうか、年に似合わぬ程の妖艶な美貌は鳴りを潜め、多少極めて言ってしまえば追い詰められた哀れな老女、とも形容できてしまう。

 

「さて」

 

 千冬が一歩踏み出せば、プラズマの刃が空気に触れてちらつく。

 

「貴様のような奴が、全ての黒幕だったのか……」

 

 この時千冬の怒りは、心の中で吹き溜まりのマグマの如く煮えたぎっている。そうなったのは、なのはを傷つけたから、というだけではない。、フェイトという一人の少女を捨てたということに対しても、千冬は激怒していた。

 親が子を虐待し、親としてある義務を放棄する。それは織斑千冬という人間に刻み込まれた原体験である。だから千冬は、今海岸の縁で倒れ伏せている少女を、もしかするとなのはよりも深く哀れみ、その絶望に共感していた。

 だから、プレシアだけはこの手で倒す。逃しはしないし、それでいて殺しもしない。自分の父母はとっくのとうに消え失せたが、プレシアはまだ、ここにいて、生きているのだから。

 

「だがもう終わりだ。観念して、法の裁きを受けるのだな」

 

 フェイトの前に連れ出し、ごめんなさいと言わせてやる。クローンだか本当の娘だか知らないが、それが例え暖かな胎内であろうと、冷たい試験管の中であろうと、フェイトという少女を生み出したのはプレシア以外の誰でもないのだから。自分の作ったものには、自分で責任を取らねばならないのは当たり前だ。あの束だって、それくらいはやっているじゃないか。

 そんな思いを胸に秘め、千冬は更に一歩進み出る。持った刀はいつの間にか逆刃、峰打ちの形になっていた。

 

「逃げ場はないぞ、プレシア・テスタロッサ!!」

 

 言うべきことはただそれのみ。後はそのひ弱な身体を取り押さえて、罪を裁く場所へと引っ立てる。千冬の思考回路にあるのは、その一直線だけだ。

 剣の強さは心の強さ。友の作った鎧を纏い、その心すら迷いない千冬に、プレシアの勝ち目は万に一つも存在しなかった。

 

「…………」

 

 対するプレシア。血走った目で千冬と、彼女が纏う鎧を睨む。エネルギーの放出による放電現象で蒼く光るその姿には、ある種の神々しさすら感じられるが、プレシアが睨む理由は他にあった。

 目の前のパワードスーツを形成しているのは、プレシアの全く知らない技術や論理である。生命工学によるプロジェクトFに参画していた彼女ではあるが、本来の専門は機械工学である。そんな彼女にとって未知の技術といえば、それこそロストロギアか――

 

――『篠ノ之束』でなければありえない。

 

「…………あり得ない」

 

 プレシアが呟く言葉は事実でなく、願望。しかし、目の前にある大敵が、構える刀と無形の事実によってそれを無残に叩き潰す。

 裏切った? この残酷な世界でたった一人、自分と同じくつまらない世界を呪ってくれる『天才』が?

 

「あり得ない、あり得ない、あり得ない……」

 

 そんなことがあるはずがない。確かに束は天才で、世界に飽き飽きしていた。それは間違いなく、掛け値なしの本音であるはずだ。だって、同じ天才であるプレシア自身が、そう思っているのだから。

 そもそも、何故束はプレシアを裏切るのか。敵も味方も二重に裏切るという綱渡りかつ労苦甚だしい真似までして、一体何をしたかったのか。

 衰弱し半ば錯乱しているプレシアには、考えもつかないことだった。

 

「う……ぁ、あ゛あぁぁぁ……こんな、こんな、はずじゃない……」

 

 目の前に広がる容赦の無い現実の残酷さと、自分と同じとまで思っていた存在の裏切り。そして、それら2つによって活性化した病魔が、プレシアの精神を削り取り、その残りカスが赤い血となって口から吐き出ていく。その形相は、まるで世界全てを呪い殺せてしまうような凄まじさだ。

 この壮絶な光景に、流石の千冬も三の足は踏み出せず、数十秒間の空白が玉座の間を覆った、その直後。

 

「ふ、ははは、あはははははははは」

 

 プレシアは哄笑した。立つ力を失い膝をついていながら、天井を見上げて只笑い続ける。

 計画に対する絶対の自信は空虚と消え。身体は限界まで蝕まれ、もはや再起のチャンスは無い。

 目の前の敵から逃れる術も無い。さっき放った魔法の全てが、絶対の防御に阻まれたのだから。

 そう、どうあがこうと、プレシアに逆転の目は存在しない。

 ならば。

 

「はははははははははははははは!!」

 

 ならば、皆終わってしまえばいい。

 私がここで終わるのならば。愛する娘を蘇らせることも出来ず、その人生の最後まで裏切られ、利用され続けて終わるのならば。

 お前たちがそうならない道理は、何処にもないのだから。

 

「っ、なのは!!」

 

 プレシアの直ぐ側まで歩みを進めていた千冬だが、プレシアの尋常でない様子から何かを感じ取り、地面を蹴ってその場から下がり、座り込んだままのなのはを手に抱える。『白式』に搭載されているハイパーセンサーが、周辺の重力異常を感知して頭部ディスプレイに写したのは、その数秒後だった。

 

 床に張り付いていたプレシアの手から、紫色の魔力が僅かに拡散し。12個のジュエルシード全てに伝わり。

 玉座の間は、一瞬にしてエネルギーの暴風に包まれ、破裂した。

 

「く、ぅっ……!!」

 

 なのはを抱えたままの千冬が、爆発の余波へ真っ先に巻き込まれる。小さい少女の身体二人、吹き飛ばされるどころか消し飛ばされてもおかしくない威力のそれを、無形のバリア・フィールドがいとも容易く防いだ。

 絶対防御。『白式』の根幹の一つとも言えるこのシールドは、莫大なエネルギー消費と引き換えに、なのはと千冬を守る最強の盾だ。

 しかし、流石に部屋一つ吹き飛ばす程のエネルギーの直撃である。傷ひとつ負わなかったものの、多少煽られ、真下に広がる空間に向かって飛ばされてしまった。

 

「なのは、大丈夫か!?」

「うん、大丈夫……でも、ここって一体」

 

 そう戸惑いながらも。卓越した空間把握能力を持つなのははこの空間がどのような場所かを感覚で把握していく。

 上も下も、二人の飛いている場所から遥かに高く遠く広がっている。円柱状に広がる大空洞、と言っても遜色ない。おそらくは、庭園の中枢を脊髄のように貫く空間なのだろう。その最上部にあった玉座の間が消滅し、二人はその反動で投げ出されたのだ。

 

「こんな風になっていたとはな……っ、それより、プレシアは!?」

 

 巨大な要塞じみた庭園の中枢は、装飾こそ質素だがひたすら広く大きい構造が織りなす荘厳さを千冬に感じさせる。だが、それにかまける暇などほんの僅かも存在しない。

 千冬はハイパーセンサーを最大現に活用し、周囲の熱源、音波、エネルギー波からプレシアの居場所を探知する。あの爆発は苦し紛れで、それに巻き込まれ消滅してしまったかもしれないが、このままでは終わらない、ということは、センサーなど使わなくても分かることだ。

 

 案の定、フローターに乗って浮いている、弱い生命反応はすぐに見つかった。

 

「く、ふふふふふ……」

 

 その手の中にある、12個のジュエルシードの反応とともに。

 

「プレシア・テスタロッサ! 今更何をするつもりだ!」

「簡単なことよ」

 

 プレシアの口調は、気味が悪いほどに平坦だった。嘲り、怒り、そして底無しの絶望。短い時間でその極端から極端に揺れ動いた彼女の心は今、一体何処に振り切れているのだろうか。

 青い宝石を抱える両手に、魔力が迸る。しかしその紫はそれ以前より色濃く、濁ったような黒さも混じっていた。

 

「そんなっ!」

「くっ、いかん! 止めろプレシア!」

 

 不安定なエネルギーの塊のような宝石へ、強引に魔力を流し込めばどうなるか。誰にだって答えは明白だ。プレシアの手の中の光が増すに連れ、元から巨大なエネルギーはますます膨張を続け、『白式』から千冬の耳へ直接響く警報は鳴り止まない。

 

「私はもう、アルハザードへは辿り着けない。アリシアに、また会うことも出来ないわ……なら、せめてこの怒りと苦しみを、貴方達にぶつけてあげる」

 

 プレシアの血走った目が、再び『白式』を睨む。その口は小声で何やら呪詛のような言葉を繰り返していて、その度にジュエルシードは揃って明滅を繰り返し、その頻度と明度は天井知らずに膨らみ続けていた。

 なのはも千冬も、この心臓の鼓動のような点滅には見覚えがあった。生命の願いを叶える宝石であるジュエルシードが、願いに応じて発動する時の光だ。だが、何度も暴走体と戦ってきた二人でさえ、これ程大きく眩しい光を、見たことはなかった。

 それだけ強いのだ。プレシア・テスタロッサの願望が。彼女の怒りや怨念、その全てがジュエルシードへ魔力とともに注がれているのだから。人一人が持ちうる些細な願い事よりもパワーを持っているのは当たり前である。

 

「プレシアさんっ! そんなことをしてもなんにもなりません! それより、生きてここから……」

「もう、遅いわ。どの道私は死ぬ。牢獄の中で何も出来ずに死に、アリシアは永遠に蘇らない。なら、ここで何としても、貴方達を消し去る……!」

「どうして!」

 

 なのはが続けようとしたのは、どうしてそんな無駄なことを、ではない。

 どうして、アリシアのために願わないの、であった。

 しかし、目の前の強い恨みと怒りと哀しみを投げ出してまでそれを願うには、プレシアの人格は少しばかりありふれているものだったのかもしれない。

 

「死になさい……!」

 

 その言葉を最後に残して、プレシアのフローターフィールドは消え、足場を失った痩せ細った身体は、回廊の奥深くへと落ちて、やがて見えなくなった。

 

「プレシアさんっ!」

「駄目だ、巻き込まれる!」

 

 その体へ、なのはは手を差し伸べようとするも。千冬の腕の中では当然届かず、逆に上昇する千冬の腕で強く抱えられ、豆粒のように小さくなっている彼女を、見送るだけしか出来なかった。

 千冬はそのまま高く舞い上がり続け、センサーの警告が鳴り止むくらい離れた場所で止まり、丸い壁に添えつけられた通路へ着陸した。これで一先ずは安全だが、じきにそうでなくなるだろう。

 目の前に広がる、巨大な光を何とかしない限りは。

 

「なに、あれ……凄い大きくて、怖い……」

「あのジュエルシードが揃いも揃って12個だ。あれくらいにはなるさ……」

 

 なのはも千冬も、今まで見たことのない光景を目の当たりにし、肌がぴりぴりと痺れるようなプレッシャーすら感じていた。

 二人が離れる以前の場所で、今も広がり続ける光の塊。それは12個のジュエルシード全てが魔力を流され、更には単一の願いに反応し、遂には互いに共鳴し合ったことで生まれた極大の時限爆弾だった。これが一気溢れ出したのなら、庭園とそれを包む結界どころか、その先に広がるこの世界全てが消し飛ぶ、と『白式』のシステムが分析している。

 

「まずは、アレをどうにかしないとな」

「どうにか……出来るの、千冬ちゃん?」

 

 なのはに問われ、千冬は纏っている『白式』の機能に思考を巡らす――その前に、『白式』の方から答えを提出してきた。

 成る程便利なものだ、これは人を駄目にするだろうな、などと皮肉るように毒づきながらも、このやりとりを遠隔で行ってくれているだろう相手に、心の中では感謝して。目の前で起こっている破壊力の飽和と、これから起こりうる開放への対処方法を手に入れ、拳を強く握りしめた。

 

「こういうのがあるらしい――ブレードで触れた対象のエネルギー全てを消滅させる能力。名前は零落白夜、だそうだ。あいつにしては良いネーミングだな」

「そう、なんだ……」

「あそこに溜まっているエネルギーさえ消し去れば、流石のジュエルシードも長いこと暴走状態を続けられない。後は纏めて回収して終わり、だそうだ」

 

 ふふ、と軽く笑いながら、なのはから振り返り、正面の光を真っ直ぐ見つめて。千冬はいつも暴走体を相手取る時のように瞳をギラつかせ、心を戦闘体勢に移した。

 何の事はない。対象が大きいとはいえ、いつもの荒事、暴走体の封印とほぼ同じだ。

 例え、ジュエルシードのエネルギーと同時に、『白式』のシールドエネルギーが対消滅するとしても。もし『白式』の駆動炉が限界を迎えれば、その時は諸共に消え去るのだとしても――

 

 だがその背中に、食い下がる声が聞こえた。

 

「千冬ちゃん、私も行くよ」

 

 千冬の内心での決意を感じ取ったのか、この正念場に千冬だけを行かせることが許せなかったのか。それとも、ただ単に何も考えず、力を貸そうとしているだけなのか。

 ボロボロのはずのなのはが、同じくボロボロな杖を掲げて千冬の隣に並び立った。

 

「よせ、今のお前には魔力が」

「それなんだけどね。 なんだろう、私の中に魔力がなくても、この周りにはジュエルシードの拡散した魔力とか、戦闘で使いきれなかった魔力が残ってるでしょ? そう考えると、なんだか分からないけど、それを一点に集められるような気がしてきて……だから、あと一発だけ、いけるよ」

 

 その言葉に、千冬は驚くどころか呆れ返ってしまった。

 なのはの使う魔法はパソコンのプログラムのようなもので、予め構築してセットしておかないと使えないというのは千冬も知っている。

 では、魔力を集めて運用するというなのはの「あと一発」は、一体いつ構築されたのか?

 フェイトとの合体魔法からこちら、ずっと戦い続けで魔力不足に苦しめられたのが、魔法をひらめく理由というのは分かる。だが、戦い傷つき、縛られて嬲られもしたなのはが、その間にマルチタスクで術式を作った、なんてとても考えられない。

 しかし、現になのはは立っている。精魂尽き果てたはずの身体で杖を構えて、脚部装甲の分背が高くなった千冬を見上げて見つめ、最後まで一緒に戦いたいと訴えている。

 

「――分かった。二段構えだ。まず私が突っ込む。前面のエネルギーが全て消滅した所で、封印砲を撃て」

「それじゃあ、千冬ちゃんが」

「問題ないさ。砲撃が届く前に離脱すればいい。阿吽の呼吸というやつさ。なに、私達なら」

「……うんっ! 出来るよね、うん、うんっ!」

 

 千冬は微笑み、なのはは破顔した。

 今はもう、ふたりとも、ひとりじゃない。

 ひとりじゃないなら、なんだって出来る。

 

――うん、なのちゃんはひとりじゃないよ。ひとりになんて、させないよ

 

 なのはの心に聞こえたその声は、録音どころか只の空耳である。

 けど、なのははそれこそ束の声だと確信し、しかも、今度はちゃんと言い返した。

 

――束ちゃんだって、ひとりじゃないんだからね――

 

「やるぞなのは!」

「うんっ!」

 

 絶え間なく脈動と拡張を続ける光の玉に、立ち塞がる少女が二人。

 まずは、前面に立ち、双剣を一つの大剣に纏めた千冬と『白式』が、まっすぐに光の渦中へと突っ込む。当然、白い光は白い剣士を飲み込み、無に還す――その直前。

 『白式』に実装された切り札が発動し、千冬を飲み込まんとした白い光を消し去った。

 

「さあ、往こう、『白式』!」

 

 動力炉をフル稼働させ、捻出したエネルギーの全てを刀剣型近接武器「雪片」へ注ぎ込む。

 白い刀身から伸びた青いエネルギーの刃が、ジュエルシードの魔力エネルギーと接触し、エネルギー同士の対消滅が始まった。

 

「ぐぅ、ぅぅぅ……流石に、キツイな」

 

 エネルギー同士の衝突とはいえ、剣の持ち手に掛る負担は相当以上のものだ。人並み外れた膂力を持つ千冬だが、押しこむことなどとても出来ず、ともすれば弾き返されてしまいそうになるのを二枚の羽根のブースターで押しこむのが精一杯だ。

 しかし。

 

――自分の後ろには、なのはが居る。剣を押し返され、一敗地に塗れた、あの時と同じだ。

 

――だったら、今度は押し通る! 

 

「はああああああああああっ!!」

 

 その気迫に、『白式(タバネ)』も答えた。

 全エネルギーを推力と零落白夜に回す。『白式』に備えられたハイパーセンサーも、コアを補助する制御プログラムも今は不要。そのくらいなら、支えることなんていくらでも出来るのだ。

 零落白夜以外の全ての制御が解かれ、ともすれば空中分解しかねない『白式』を支えたのは、以前より外から介入し、唯でさえ不完全なコアの代わりをしていた制御プログラムだった。

 

 そして、妄執の生んだ白い闇の中に、一筋の穴が開く。

 

「行くよ、レイジングハート!」

 

 システムダウンから復帰した魔杖の杖先に、展開された輪状のスフィア。なのははその中へ、自分の周囲にある魔力を集め、渦巻かせ、一つのベクトルを与える。

 なのはの思惑通り、この場に散らばった残留魔力は常時に比べれば凄まじい量だった。少なくとも、目の前で繰り広げられているエネルギー同士のぶつかり合いをくぐり抜け、その先にある災厄の源を撃ち抜けるくらい膨大だ。

 

「千冬ちゃん!」

「なのは!」

 

 

「せーのっ!」

 

 

 目を交わさず、3つのエネルギーがぶつかり合う轟音の中放たれた声は互いに聞こえず。

 けれど、なのはとレイジングハートが魔力を開放したその瞬間。千冬と『白式』は真っ直ぐ、回廊の天井へ向かって離脱した。

 

「いっけええええええええええ!!」

 

 桜色の閃光が、ジュエルシードを全て包み込み、そして、光が広がっていく。

 それは、千冬が離脱してから封印されるまでに放たれたエネルギーの総量であり、世界を消すには至らずとも、庭園を半壊させるには十分すぎる程の威力を持っていた。

 今度こそ全てを放ちきり、一歩も歩けないなのはへ、光が迫っていく。

 

 

 

 それは、なのはに向かって何度も、執拗に伸ばされた死神の鎌。

 だが、なのははそれをしっかり見つめながらも、右手を真上に伸ばし、ちょうど天から差し伸べられた『白式』の手へ重ね合わせ、離さないようにしっかりと握った。

 

 

 

 




暮桜以前の『白式』が零落白夜を使えてるのは、きっと試作機だからです。
試作機は全部載せ、なのです。

所謂必殺技パートなのですが、叫びがちょいと多くなりすぎたのはどうなんでせうか。悩みどころです。



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終わる命の手向けに贈る(Ⅱ)

大分話の中身というか、束さんがぶっ飛んでるので注意です。


 まぶたが緩み、無間に思えた暗闇に、うっすらと光が灯る。そして少女の網膜に映るのは、白く眩く輝く月と、満天の星空だった。

 痺れるように虚ろな記憶の中から、ついさっきまで見ていた風景の絵柄を探し当てよう。確か、雲が掛かっていたはずだ。灰色でところどころ黒く、分厚い雷雲。空を飛ぶ自分を何度も煽り吹き飛ばした強風。ところが今は、それら全部がさっぱり消えて、穏やかに凪いでいる星空が、全天に広がっている。

 フェイト・テスタロッサは今、傷ついたBJと身体を夜風に晒しながら、海浜公園に並ぶベンチの上で、すぐ横のアルフとともに倒れ伏せていた。

 

「……あ、起きちゃった?」

 

 そんな星空を正面から見ている自分は、仰向けに倒れているのだなとフェイトは知覚出来た。そして、星空を遮るように顔を向けている、ちょっと毛並みが荒れているフェレットに見覚えもあった。

 

「君……は……」

「でも良かった。君だけでも、意識が戻ったんだね?」

 

 フェレットは、当たり前のように人語を喋る。フェイトの記憶が正しければ、彼女と彼は互いに争う関係のはずだ。当然、身を起こして離れようとした。だが、起き上がる瞬間、全身に鈍痛が走り、意思を無視して勝手に倒れこんでしまう。

 

「あぁ、無理しないで! こんな姿だから、大した治療魔法も使えなくて……ごめん」

 

 姿。そういえばこの子は、フェレットから人間に変身出来たんだっけ。

 その程度のこともいちいち意識しなければ思い出せないほど、フェイトは消耗していた。

 当たり前だ。危険な目にあって、他人を傷つけてまで尽くしてきたフェイトの母親。プレシアが、フェイトをクローンと呼んで、捨てたのだ。

 

 そう、捨てられた。自分は、プレシアの本当の娘ではなかった。

 

「……ぅ」

 

 怖気づく声が漏れ、肩に、腕に、背中に寒気が走る。春も終わる頃、夜風はそんなに厳しくないはずなのに、フェイトの心はあっという間に凍えていく。バリアジャケットはびりびりに破れているけど、そうして感じる寒さより、ずっと冷たい風がフェイトを撫でた。

 あの時のプレシアの形相と、落ちてきた雷撃。感受性の強い少女の心は、その痛み苦しみより、冷酷さと冷たさをより感じていた。

 思えば、プレシアがフェイトを労ったことなど一度もない。難しい魔法を覚えた日も、デバイスに習熟した日も、『お使い』から帰ってきた日もプレシアは研究室に閉じこもっていて、リニスが死んだ後は、姿を見せたかと思うとフェイトを叱責し、鞭で痛めつけた。

 フェイトはそれを、当たり前だとは思っていなかったし、怖いとも、逃げたい、嫌だ、とも感じていた。でも、決して口には出さなかった。だって、母親は娘を愛するものだから。小さい時の思い出が、そうフェイトを導いていた。

 けれど、それは偽り。クローンにアリシア・テスタロッサの人格をなぞらせるための縛りだと明かされたのだ。

 

「…………」

 

 だから、フェイトの瞳は焦点を失い虚ろになっていた。

 

「あ……」

 

 自分の目の輝きなど本人には分からない。しかし、海浜公園の隅っこでずっとフェイトの側にいたユーノには、はっきりと見える。彼女の身についさっきから起こっている激動を脇から見ても居るのだから、その心情もある程度は推察できてしまう。

 

 沈黙。今までにほんの二三言も言葉をかわしていない、敵同士の二人は、暫くの間重い静寂の中に漂い続けた。

 

「あ、えと、そうだ」

 

 フェレットが、素っ頓狂な程上ずった声を出した。春の夜の風音に乗っかって、上滑りする。

 

「君が気がついたってこと、アースラの医療班に連絡しないと。もうすぐ来るって言ってたし」

 

 そう言われて、フェイトは初めて自分の中でなく、外の周辺へと意識を巡らした。すると途端に見えてくるのが、ユーノとフェイト以外の魔導師の姿である。その誰もが同じ服装と似たようなデバイスを装備している。

 ということは、四方八方に飛び交っていたのは、全て時空管理局の局員だ。

 フェイトは、ここが敵中の只中だということに初めて気づいた。お腹に力を入れて上半身を起き上がらせ、背筋と目を強ばらせたその手には雷撃で損傷したままのバルディッシュを握る。

 急に動き出したその様に慌てたユーノは、小さい体を精一杯飛び跳ねさせながら、更に起き上がろうとするフェイトを押し留めた。

 

「わわ、ちょっと待って! 別に悪いことをするつもりはないから!」

「……」

「傷ついた君たちを保護するだけなんだ。こんな状況じゃあ、敵も味方も関係ないよ。ね?」

 

 その言葉に、一瞬フェイトは静止する。しかし、敵も味方も関係ないというのは、どういうことだろうか? もしや、自分が眠っている間に、全てが終わってしまったのでは。

 そう思うと、やはり無理にでも動いて、状況を確認するしか無い。フェイトの中にある、魔導師としての合理的な思考がそう決意した。

 システムダウンし、もはや物言わぬ愛杖をコンクリートの地面に置き、それを支えにして、痺れで言うことを聞かない足腰を、無理矢理立ち上がらせる。

 

「あ、いけない、見ちゃ駄目だ!」

 

 ユーノは慌てて止めようとしたが、所詮フェレットの身体である。質量的に大きく差のある少女の体を無理矢理抑える事は出来ないし、言葉で納得させるのはもっと無理な相談だ。

 だから、フェイトが周囲を見渡すのをどうしても止められなかった。

 傷つききった自分の心から目を逸らせたことで、フェイトは落ち着き、その体調も平常へと戻っていく。痛みは尚も残っているが、少なくとも、薄らぼやけて近くしか見えない視覚はまともになっていくように思えた。

 それまで展開されていた強装結界の代わりに、人払いの効果を持つ結界魔法が使われていて、好き勝手に飛び回るのを目撃される心配はない。だから、転送魔法のポートから湧き出るように現れる武装局員はそれぞれに飛び立ち、ある一点を目指して海上へと向かっている。

 フェイトの目も釣られて、その一点へと吸い寄せられ。

 

「あ……そん、な……」

 

 再び、壊れたレンズのように弛緩した。

 

「……だから、本当はこのままずっと寝ていて欲しかったんだよ」

 

 ユーノも苦い顔をしながら、青白く硬直したフェイトの顔と同じ方角へ振り向き、そこにずっとある構造物を改めて見つめた。

 

 時の庭園。次元空間から海鳴の海へと転移し、次元断層を超える大魔法の依代になるはずだった巨大な航行船は、その上半分を削り飛ばされたように失い、廃墟と化していた。

 

「何が、あったの」

 

 怯える声で、フェイトは尋ねる。目の前に居るのは敵だが、それでも聞かずにはいられない。

 だって、あそこはフェイトの住む世界そのものだったから。かつて、ミッドチルダはアルトセイムの大地に停泊していた大きな庭園。フェイトはあの中で生まれ、育てられ、そして学び、鍛えた。しかし今、そのほとんどが吹き飛ばされ、残った部分も傷ついたまま野晒しにされている。

 それだけではない、あの中にいたプレシア――母さんは、どうなったのか。

 

「……中で何があったかは、詳しくは分からない。そこにいたなのはも千冬も無事に帰ってきたけど、体力を使い果たして今は寝てる。ただはっきり分かっているのは、ジュエルシードが暴走したっててこと」

 

 

 千冬が『白式』とともに飛び立った後、ユーノは残り8個のジュエルシードを確保したまま倒れているフェイトとアルフの側にいた。すると、突如庭園から光が走り、大爆発が起きたのだ。

 その轟音と衝撃波に小さな身体を揉まれながら、ユーノは爆発の中にいるはずのなのはと千冬がどうなったのか、気が気でなかった。

 しかし、ユーノの隣には、あの場での出来事を全て知っている少女がいたのである。

 

――あー、大丈夫だよユーノくん。ちーちゃんもなのちゃんも、最大戦速で離脱したから。

 

 目の前の爆発に眉一つ動かさず、ケロッとした顔でノートパソコンを操作し続けている束がそこにいた。その両手はキーボードから離れずに、まるで熟練のピアニストのように素早く正確に動いている。

 それは良かった、と返そうとした時。長い間束に付き添い、否が応でも側で見つめざるを得なかったユーノの目が、束の異常を目ざとく見つけ出した。

 束の額から、汗が吹き出ている。顔と頬を伝い、ぽたり、と地面の上に何度も落っこちていく。ユーノが今まで見てきた篠ノ之束という人間は、なのはに無意識で追い詰められた時の冷や汗などならまだしも、疲労や運動による汗など一回も流したことはない。

 細胞単位でオーバースペック、と自画自賛されていた束の身体は、その時のユーノが見る限り、疲労困憊の極みにあるようだった。

 

――え、これ? えへへ、流石の束さんも『白式』のコアの処理をまるごと脳内でエミュレートは結構疲れたっぽい、かな?

 

 思わず心配そうな目を向けるユーノに対し、束はいつもの調子で笑いかけるが、深すぎる目の隈もあって、いまいち元気には見えない。束自身も自覚しているようで、即座に顔をよそへと向け、パソコンを折りたたんで脇に抱えた。

 

――ま、もう山場は終わりだし、大丈夫だよ~

 

 と、指差した場所では、庭園の残骸の一欠片が海面に突き刺さり、柱が出来上がっていて。その上に、『白式』を解除した千冬と、魔力切れで私服に戻ったなのはが佇んでいた。

 ユーノは、とにかく二人が無事でよかった、と胸を撫で下ろす。それを見た束も、また安堵したように笑い、それからこう付け加えた。

 

――そろそろ結界も破れて、アースラが皆を助けに来てくれると思うから、それまでそこで待ってた方がいいよ。……じゃ、ちょっと行ってくるね

 

 行くって、何処に。

 慌てて視線を戻したユーノだが、束の姿は既にかき消えていた。

 

 

「……とまぁ、こんな感じかな。今はクロノ……ええと、管理局の執務官が事後処理兼生存者、つまりプレシアの捜索を続けてる。でも、見ての通りこの有り様だから……プレシアが、その、君のお母さんが見つかるかどうかは、わからないと思う」

 

 恐らく、ジュエルシードを暴走させたのはプレシア本人だろう。ならば、あんな爆発の只中で無事でいられる訳がない。

 そのことをフェイトに伝えるべきか否か、ユーノはかなり迷った。しかし、無理をしてまで庭園まで飛んでいこうとするフェイトを見て、結局自分の口ではごまかすこともはぐらかす事もできないと思い切り、正直に伝える。

 

「……そう、なんだ」

 

 フェイトは俯いて小声で答える。そしてそれきり、また黙り込んだ。

 ユーノにしても、たった数時間で、信じる者も愛する者も自分の家すら失った、この女の子に掛ける言葉など見つかるはずもなく。

 互いに、ひたすら自分の無力さを噛み締めるだけ。そんな静寂が再び訪れる。

 二人の周囲では局員がせわしなく動きまわり、彼らの常識では十年に一度も起こらない非常事態に気を張っていた。ただの次元震未遂だけでも相当な大事件だが、相手は管理局を完全に封じ込み、管理外世界を一つまるごと巻き込もうとした。そして何も出来ないまま手をこまねいていたら、たった四人の民間協力者によって全てが終わっていたのだ。本来の責務を果たせなかった後悔も含め、事後処理に力が入るのも当然だろう。

 だが、奇妙な熱気に包まれる周囲と、ユーノとフェイトの二人の周りは完全に隔絶し、冷たい。

 

「…………」

 

 半ばバラバラに分解している庭園から目を離さないフェイト。バルディッシュはまだしっかりと握り、余った左手で、隣に寝ているアルフの頭を撫でる仕草は恐らく無意識だったろう。

 そんな悲痛な姿を見続け、更にはこの沈黙を維持するのにとても耐え切れず、ユーノは近くの局員へ、フェイトとアルフを艦内医務室に連れて行ってもらおうとした。

 しかし、そのために身体を四つん這いにして、テトテトと走り去ろうとしたその時。

 

「ねぇ」

 

 フェイトが振り向かずに語りかける。

 

「な、なに」

「……あの娘たちは、無事だったんだよね」

 

 誰のことを指すのか、ユーノは一瞬悩んだが、やがてぽつりと告げた。

 

「うん、なのはたちは無事だよ。無事に帰ってきてくれた」

「そっか」

 

 この会話の直後ユーノは走り去って、だから聞こえていなかったが。

 フェイトは本当に微かに、穏やかな風にも負けて消えるような小ささで、

 

――よかった

 

 と、呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻。半壊した庭園に突入した局員たちは、未だ入り口付近にしか足を進めていなかった。

 半壊し、天井には蓋が吹き飛んだような大穴すら空いている時の庭園だが、それ故に内部は瓦礫が散乱していて、だから、武装局員たちの探索も人数の割にその効率がとてつもなく悪い。

 クロノやリンディの指揮、そして彼らの士気や練度は消して低いわけではなかった。低い訳ではないのだが、彼らは探索と同時に、この巨大な遺跡じみた残骸の撤去も同時に行わなければならないのだ。こんな構造物を管理外世界にそのまま残せば、どんな騒動と混乱が起こるか分からない。海辺に人払いの結界を貼ってこそいるが、何としても手早く撤去し、ここで起きた一大事件の手がかりを残さずに、立ち去らねばならない。飛ぶ鳥跡を濁さず、といったところか。

 だが、そうなると今度は、この場に居る要救助者の存在が彼らを阻む。プレシア・テスタロッサ。状況からしてまず生きてはいないとかんがえられる彼女だが、それにしても死体がはっきりと見つかったわけではないのだ。この事件の主犯であり、重要参考人でもある彼女が例え生きているにしろ死んでいるにしろ、法的機関としての管理局は捜索を行って、何らかのケリを付けなければならない。

 以上の理由で、彼らの探索と捜索の二段工程は未だ、ほんの僅かしか進んでいなかった。

 

「……ぁ……」

 

 だから彼女は、この場まで辿り着けた。搾りかすのような魔力と、枯れ葉のように朽ちた身体で、しかし執念が彼女を生かし続け、ここまで辿り着かせた。

 時の庭園、その最奥のさらに最奥。最高機密であるそこから見れば、全体の司令塔だった玉座の間すら通過点でしかなく、更に他の部屋など全てが無価値だ。

 

「ぅ……ぁ……」

 

 あの爆発の中で、彼女――プレシアは、奇跡的に生き残っていた。

 いや、奇跡というより、彼女の執念がそうさせた。魔力が尽きる瞬間、短距離転送を行ってこの場所へ、つまり自らの研究室へと跳んだのだ。お陰でぷつりと意識さえ飛び、目が覚めたのは爆発から数時間経った今この時になってしまったが。

 しかし、そんなプレシアにもう立ち上がる程の気力も体力も存在しなかった。というより、足の感覚が完全に消え失せてしまっている。あるのは、只鈍痛のみ。もしかしたら、何らかの衝撃で折れているか、施設の残骸に押し潰されてしまっているのかもしれない。

 だが、そんなことは関係ない。プレシアは両手を使い、這いずるように動き始めた。

 一つ動く度に、出血した肺からポンプのように血が汲み出され、口からたらりと流れ出る。その鉄臭く不快な味すら、今は薄れゆく意識を繋ぎ止めるための感覚にしかならない。

 

「……ぁ……ぃ……ぁ……」

 

 やがて彼女の目線が行き着いたのは、停電している研究室においてもたった一つ、自家発電で照らされ、機能しているているカプセル。透明な液体で満たされたその内部には、金色の長髪を揺らし、眠るように目をつむっている小さい身体が浮かんでいた。

 

「ぁ……あり……しあ……」

 

 二十年前とまったく同じ姿の、アリシア・テスタロッサがそこにいた。特殊な培養液に浸かり、その身体には何らの劣化も変化も見られない。プレシアの心の中で今なお生き続ける空蝉。物言わぬその身体に何らの欠損も見られないことを確認し、プレシアは安堵した。

 爆発の大きさは、プレシアも把握している。事実この研究室すら、機材がバラバラに飛び散り、書類が散乱して酷い有様になっているのだから。それでも、何重にも防御措置を重ねた、あのカプセルだけは無事だった。

 それだけでいい。プレシアにとって、この世界で唯一価値のある物がそこにあるなら、他の何もかもが、自分の命すら失われようとも構わない。

 

「ごめんなさい……ありしあ……わたしは、あなたになにも……してあげられなかった」

 

 プレシアは今、己の全てを天に預けた賭けに負けた。いや、ジュエルシードを使ってアルハザードへ着けるかというのが賭けならば、そもそも全てを費やして、賭けの場にすら立てなかったのかもしれない。

 そしてこの庭園も、傀儡兵も、道具のクローンも失って、たった一つ最後に残った自分の命すら、もうじき尽きる。

 けれど、せめてその最後の最後、アリシアの側にいたかった。

 

「でも……そばに……また……ふたりで、いっしょに……」

 

 このまま、時の庭園が放置されるはずがない。管理局が踏み込んで全てを調べ持ち去り、このカプセルも証拠品の遺体として回収されるだろう。

 そうなる前に、せめてアリシアの側で眠りにつきたい。ただその一念で、プレシアは切れかけた命を無理矢理繋ぎ、身体に鞭打って這いずり進む。

 その後、この地が二人の墓所として暴かれようとも構わない。彼らがどんなに自分たちの死体を引き離し、検死などして弄ぼうとも。

 私達がここで二人きり、ここで眠っているという事実は、誰にも侵されることはない。

 

「いっしょ、に……」

 

 しかし、プレシアが最後に抱いた切ない願いも、今までと同じくやはり誰かに踏みにじられる。

 

「はぁーい、そこまで」

 

 篠ノ之束が、這いつくばるプレシアと物言わぬアリシア、その狭間に横から飛び込んだ。

 プレシアの顔が憤怒の形相に変わり、血走った目が見開かれる。自分を裏切り、潰そうとして、この期に及んでまだ邪魔をしようというのだ。

 

「なぜ……」

「ん?」

「何故裏切った……この、私を」

 

 それまでの弱々しい声と違って、かすれてこそいるものの恨みが篭った声。その顔に死相が見えているせいで、まるで死神が語っているような冷たさを内包している。

 常人なら怖気づいてしまいそうなその罵倒に、しかし束は何も感じていないように澄ました笑いを崩さない。

 

「裏切った? 私には最初から、表も裏もないよ。私はなのちゃんの味方なんだから」

「なら何故、私に協力した……私に協力し、あの状況を作り出したのは、どうして……」

「それはね。こうした方が面白いからなんだよ。こうした方が、なのちゃんもちーちゃんも、皆頑張って、輝いてくれるんだから」

 

 そこには確かに、一つの理屈があった。

 

『プレシアに同調し計画を建てた』束からすれば、想定外の力に防御を崩され、残りのジュエルシードの確保もままならないという、極限まで追い詰められた状況。しかし、一度俯瞰して、『なのはの友達であり協力者でもある』束の視点で見れば、の友達と発明品が『悪』のプレシアを追い詰め打ち倒す、華々しい光景にも裏返せてしまうのだ。

 つまり、束の頭の中には、最初から最後までこの光景しか見えていなかったのだ。

 まずプレシアを騙し、次に管理局も騙し、更にはなのはと千冬に隠してまで、最高の状況を構築する。その最後の一ピースにして、状況の真の主役こそがここにある『白式』。篠ノ之束の現時点での最高傑作にして、なのはの夢と千冬の願いを具現化した空飛ぶ翼だ。

 それが活躍する晴れ舞台こそ、絶体絶命のなのはを千冬と『白式』が助けるという状況だった。

 

「……そん、な……」

 

 かくて、プレシアは束に、なのはと千冬、そして『白式』の当て馬として使われたということになる。

 無論、法を犯し危険なロストロギアを私欲に使おうとしたプレシア自身の自業自得、という面が無いわけではないが。

 ただ娘を救わんとする為に、全てを投げ打って悲壮な決意を固めた彼女にとって、これは何よりも、余りにも残酷な仕打ちであった。

 

「……それで、いいというの?」

 

 だが、プレシアにはまだ一つ、納得の行かない点があった。

 

「貴女は、私と同じ……『天才』だというのに。それが、どうして……」

 

 そう。篠ノ之束が心の中に持つ感覚は、プレシア・テスタロッサの持つそれと、殆ど同じはずなのだ。同じく『天才』と呼ばれる程の才を持ち、だからこそ世界の俗に飽き、ただ僅かな、真の自分を理解し、愛してくれる人間にしか興味を抱けない。

 そんな束とプレシアである。たとえ利害が一致しなくなろうとも、こんなはずじゃない世界との別れという志を裏切ることはあり得ない。いや、あり得ないはずだった。

 

「あは」

 

 しかし、血を吐きながら必死に訴えるプレシアを見た束は、腹を抱えて笑い出した。まるで見ているものが、滑稽に踊り戯けるピエロであるかのように。

 

「あははははっ! 面白い! 面白いよプレシア・テスタロッサ! まさか“まだ”そんな風に考えてたなんて! とっくに気付いてたっておかしくないのに……ううん、やっぱし気づいてなくて当たり前なのかな? あはははは!」

「な……」

 

 何を言うの。そう口を動かそうとしたその瞬間、プレシアは気づいた。

 いや、元々、心の底では気づいていたのかもしれない。束の言うとおり、あの頂点からの転落、そして諸共に滅ぼうとして失敗した時に、気付いていたっておかしくはないのだから。ただそれを認めたくなくて、無意識に心の奥底へと仕舞いこんでいたのかも、しれない。

 少なくとも、束はそうだと確信していた。

 

「あ、分かっちゃった? 顔色変わったよ? うんうんそうだね、やっぱりショックだよねー。今まで信じて疑わなかったものが、ぜーんぶ自分の勘違い、フェイクだって気付いたんだからねぇ」

「……ぁ、あぁぁ……」

「そう、プレシア・テスタロッサは」

「いう、な」

 

 それ以上言うな。そうしたら、認めてしまう。そんなはずはない。あり得ないと信じているのに。文字通り『天才』の束が口にしたら、語られたら。それが全て、露に消えてしまう。

 そんなプレシアの静止など、意にも介さぬように束は言った。

 

「君は『天才』じゃない。只の凡人、何処にでもいる、ごくごく普通の母親に過ぎないんだよ」

「ぁ……ぁぁ、ぁ……」

 

 プレシアの心で僅かに残った、一欠片の自尊心を圧し折るそれは、単なる言いがかりではない。フェイトの記憶を読み取り、事件の裏にあった真実を知った時から、束の脳内で演算されてきた紛うことなき真実であった。

 それが証拠に、束は散らかった研究室から、ある書類を抜き出して、プレシアに見せつける。

 

「これ、なんだか分かる? そう、プロジェクトFの研究データ。私はね、最初にここへ来た時から、このデータを抜き取って調べていたんだ」

 

 プロジェクトF。人造生物の開発と記憶移植により、元となった人物の肉体と記憶を複製するという生命操作技術。プレシアはこれに参加し、アリシアのクローンであるフェイト・テスタロッサを生み出した。

 束の居る地球では、これほどまでに高度なクローン技術は存在しない。その点で言えば、これを構築したのは正しく『天才』の所業であると考えていいのだが、束はそれを笑いながら否定する。

 

「確かに素晴らしい研究だよ。理論に一分の隙もない。でもね……ここに書かれている厳格な事実を、貴女はわざと見逃した。ううん、さっきと同じで、認められなかったんだよね」

 

 それは、余りにも残酷すぎる定理。しかし、束はこの論文から、その事実を覆さずにプレシアへとぶつけた。

 

「この理論で、アリシア・テスタロッサは作れない」

「ぁ……ぅ、あぁ……」

 

 狼狽するプレシア。束はそれをおちょくるような目つきで、プレシアが向かおうとするカプセルを指さす。

 

「冷静に考えてみれば、あたりまえだよね? だって、アリシアはまだ()()()()()んだもの。一度作ったものを再び作り直した所で、それは前とは別物だってことは、誰にだって分かることじゃん」

 

 プレシアが認められなかった事実。それは、この世界に全く同じ存在などあり得ないという、科学というよりはむしろ哲学に属するごく当たり前の論理だった。

 

「あの娘も可哀想だよねー。既にあるものと同じになれ、だなんて。大体、本当に娘を取り戻したいのなら、最初から人形遊びに逃げる必要はないよね? クローンはどう精巧に作ろうとも、やっぱりそこにあるのとは違うんだからさ」

 

 例え肉体と記憶を、寸分の狂いも無いほど精巧に模造したとしても。それはホンモノではなく、あくまで偽物であり、紛い物である。それに、記憶と肉体だけが人間の全てではない。既に持っている何もかもが同じでも、フェイトが生まれてから過ごす周りの環境は、アリシアとは既に違うのだ。もし作ったその時点でアリシアと同質だったとしても、1秒、1分、1時間、1日がすぎるごとに、それはプレシアの中のアリシアから段々と遠のいていき、『フェイト・テスタロッサ』に変わってしまう。どんなに完成度を高めても、化けの皮の剥がれるのが遅いか早いかだけである。

 プレシアほどの才女が、それを分かっていない筈はない。だが、プレシアはその事実を無視し、プロジェクトFの研究へ――身体を壊し、寿命を縮めてしまうほどにほどに、打ち込んだ。

 なんて、馬鹿馬鹿しい。なんて、愚か。最初から無駄だと気づいているのに、それを無視するだなんて、まるで逃避だ。厳然たる事実や現実から逃げ、ただ己の無力感と罪悪感を中和するためだけに無意味な研究を続ける。

 

「そんな人間、つまらない。分かっている事実を無視するのは凡愚のすることだよ。だから君は、例えその才知がどんなに優れていようと『天才』にはなり得ない」

 

 束は笑顔のまま、吐き捨てた。確かに彼女には才能があったろう。それを物にするだけの努力もしているし、更には才能を途絶えさせないだけの執念すら存在した。

 しかし、現実に耐え切れず逃避した時点で、束にとってのプレシアは、凡人以下の愚物に成り下がった。

 

「……ぁ、ぅぁぁ……」

「今言ったことも、本当は全部分かってたんでしょう? プロジェクトFに参加した時点で、自分は過ちを犯したって。でも、認められなかった。君の心の弱さがそれを拒んだんだ。だから、廃棄すればいいのに、クローンにフェイトなんて名前を付けた。プロジェクトの頭文字を使ってる時点でもー未練たらたらじゃん」

 

 本当に過ちだったと気づいたなら、さぱっと忘れればいい。それを糧にして、また一からやり直せばいい。だが、病魔に侵されたプレシアにはそれが出来なかった。自分の生命を賭けた研究が全て無駄だったと認めたくない。だから、プレシアはフェイトに記憶転写を重ねがけし、教育係の使い魔まで作って、道具に仕立てあげたのだ。

 

「そんな悪女みたいな服装をしてるのも、使い魔を使い捨てにしたのも、クローンを苛め抜いたのも全部嘘。他人につく嘘じゃなくて、自分についてる嘘なんだ。自分がそういう存在だと信じこまなければやっていられなかったんだよ。ただの人妻には、過ぎたことだもんね」

 

 作ってからずっと大嫌いだった、なんて告げるくらいなら、最初から破棄すれば良かったのに。魔力を過度に供給して余計な命脈を削るくらいなら、使い魔に教育なんて任せなければいいのに。そして彼らの愛を、献身を、中途半端に突き放すものだから、元からプレシアの中にある憎しみと哀しみがさらに増して、理性的な判断の邪魔になってしまっているではないか。

 そして視野狭窄に陥ったからこそ、記憶転写のあらを見抜けてしまうような本物の『天才』。悪ぶるプレシアより真に邪悪なマッドサイエンティスト、篠ノ之束の介入を許してしまう。

 

 だから、束は更に付け加える。プレシアの奥に隠された嘘と、その心理を解体する。

 

「そんな風だから、信じちゃうんだよ。私なんかを。君は自分の理解者が欲しかった。嘘ばかりついて自分を天才、なんでも出来る悪魔のマッドサイエンティストだと称する君は、同じ『天才』を側に置くことで安心したかったんだ。自分もそうだって思い込みたかったんだ」

 

 だから、プレシアは騙された。束にいいように使われ、その生命の最後の一欠片まで彼女の計画に捧げてしまった。

 

「無駄だと分かっていて研究して、無駄だと分かっていて人形を仕込んで。ほんと、おかしいね」

 

 もしかすると、アルハザードだって、本当は信じていなかったのかもしれない。伝承にしか語られない都が本当にあるというのは、狂人の考えである。その点プレシアは、どこまで行っても常人の枠から離れられない。

 だから、無駄だと分かって、敢えて他人を巻き込んで、自分を騙したかったのかもしれない。自分を狂人だと思い込み、今までの人生が無駄でなかったと信じれば、それはプレシアの崩れかけた精神にとって、一つの救いになるのだから。

 

「まぁ、どちらにしても間違っていると分かっててやった所で、それが正しくなることはない。例え私が居なくたって、君は永遠にアルハザードには辿り着け……あれ?」

 

 朗々と語り続けていた束だが、ふと異変を感じてプレシアの顔を覗き込む。

 その瞳は開いたまま弛緩し、心拍も停止している。しゃがみこんだ束がその頬に触れたら、ひんやりと冷たい。

 死んでいる。

 プレシア・テスタロッサの生きる意思は、束の言葉が与える絶望に耐え切れなかったようだ。

 

「……あーあ」

 

 束は、倒れたまま動かないプレシアを仰向けにひっくり返し、その上体を抱き抱える。

 その顔は、まるで遥か昔のアルバムを見つめるように、穏やかで、どこか悲しげだった。

 

「ほんと、おかしいよ君は。天才なんてさ、なるようなもんじゃないんだよ、もうなってるから天才なんだよ」

 

 繰り返し、繰り返しそう呟く。

 

「普通のまま、娘が好きな母親のまま天才になろうとしたから――こんなふうになっちゃったんだよ」

 

 束は脳内で演算する。

 プレシアから語られた、アリシアについての情報。アースラのデータバンクにハックして調べ上げた、数十年前の大型魔力駆動炉稼働実験の情報。時の庭園に保管してあった、事故についての裁判の資料。

 全てを総合すれば、その時のプレシアと、アリシアの環境が見えてくる。後は天才などではない極普通の健気な母親と、快活で無邪気な女の子の思考をエミュレートすれば、彼ら二人がどんな日常を過ごしてきたか、その会話の一つ一つまで、再現できる。

 

 そんな束の脳内で繰り返される、実験手前の日々、二人の日常。その中で、アリシアはいつも。

 

――私、誕生日プレゼントには妹が欲しいな。だって、そしたらお留守番も寂しくないし、ママのお手伝いもいっぱい出来るようになるから!

――だから、お願いね、ママ。

 

「――なんだ、思い出せないだけで、覚えてるんじゃん、大事な約束。娘を蘇らせるなんて身の丈に合わないことよりも、そっちを先にやろうよ」

 

 多分、それは逝ってしまった娘に申し訳ないと考えて、心の中に仕舞いこみ『忘れた』のだろう。

 死人は何も考えないのに。束はそう考えると不思議に憤りを感じた。

 そして再び、アリシアに目を移す。目の前で自分の母親が死んでも、その死体は動かずぷかぷか漂うだけ。

 

「こんな死体、捨てればよかったのに。土に埋めて、ささやかな葬式やって、また結婚でもして、赤ちゃん産めば……多分、その娘が明るい『fate』を連れてきてくれたのに」

 

 がごん、と気味の悪い音が響く。束の拳が、カプセルを殴っていた。そこからヒビが入り、強化ガラスはいとも容易く砕けて割れた。

 溶液が流れ出して束のドレスを汚すが、束は離れない。そのうち、カプセルを満たしていた液体は全て流れ出す。最後に落っこちたアリシアの死体は、地面に落ちて傷つくその直前に束の手で抱えられた。

 

「こんなのが、あるから……!」

 

 それは、プレシアが自らに呪縛した呪い。行き詰まる度、諦めかける度、死にかける度に、プレシアはこの物言わぬ屍の側で、自らの不甲斐なさを謝り、また決意して研究を続ける。

 そして、少しずつ壊れていく。綺麗な死体よりも、ずっと歪に、愚かになっていく。

 

 束は仮想し想定する。ミッドチルダに出かけて、アリシアが死ななかった、またはアリシアの死を乗り越えたプレシアに出会えたら、それはどれだけ、楽しい時間になったろう?

 魔導工学について三日三晩くらいは語り合えたはずだ。狂気が無くても、プレシアは周囲から『天才』と呼ばれるほどの知性を持っているのだから。それに飽きたら、プレシアは娘を、束は親友を自慢し合って、一歩も引かずに喧嘩になって。ヒートアップした所で、なのは、千冬、そして今よりずっと大きなフェイトに止められる。

 そうなら良かったのに。こんな幕引きよりも、利用しあうしかなかった関係よりも、もっとずっとずっと、面白かったのに。

 

 でも、そうなるには遅すぎた。遅すぎたのだ。

 そう考えると、束は今自分が手に抱えている『使い捨ての当て馬』を、使い捨てだからといって忘れて放置しておくことなんて、出来そうになかった。

 

「……」

 

 プレシアの頭部。顔に垂れかかった髪を額まで上げて、つつー、と点線を引くように人差し指でなぞる。

 恐らく、まだ脳死までには行き着いていまい。だったら、この無念のままに死んだ女性の執念に、何かを手向けることが出来るはずだ。

 

「私はね、どうして君がこうなったか、納得行かないよ。ホント、馬鹿なひと。馬鹿な――」

 

 未練。

 その言葉とともに、束と、その手の中にある2つの死体は、研究室から完全に消え失せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数週間後。全てが終わった後の篠ノ之ラボ。雑多な発明品が数多く立ち並ぶその中で、ピカピカの新品があることに気づいたなのはが問いかける。

 

「ねえ束ちゃん、これ、何?」

「おぉ、よくぞ聞いてくれたねなのちゃん! これはね……演算器なんだ」

「演算器?」

「うん。ある数式を計算させるのに、特化した計算機みたいなもの」

 

 あることってなに? と聞かれて、束は珍しくなのはから目を逸らし、何処か遠く、海鳴でない遠い地を見つめながら答えた。

 

「死者蘇生の方法だよ」

「え……ししゃそせー?」

「そう。死んだ人はね、絶対に生き返らないんだけど……もしそうじゃないなら、面白いかもなーって思って。だからね、そうなる可能性を、この娘に、勝手に計算させてるの」

「そっか。なんだか長引きそうだね」

「うんうん。答えが出る時は、人類なんてとっくに滅びてるし、この星も無くなってるかもしれないけど……ま、それでもいいんじゃないかな?」

 

 計算機の本体、何故か大理石の墓標みたいに塗装されている円柱、その頂点の半球体を撫でながら、束は語った。

 そう、それでもいい。この世界に限りがあるのなら、夢のような理論だって、そのどこかに落っこちているはずだ。

 

 今の君は、母親でも人間でもない。だから、思うがままに狂い、全力で答えを求めるがいい。

 

 少なくとも自分が生きている間は、生命維持装置の電源は付けたままにしておくし、地下深くに安置してあるアレも、土に埋めたりはしないから――

 




次回か次々回で一先ず完結であります。


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戦い済んで日が暮れて(Ⅰ)

なんとか一週間で投稿できました。


 プレシア・テスタロッサ事件。

 辺境世界で巻き起こった、中規模次元震すら巻き起こしかねなかった重大事件は、主犯であるプレシア・テスタロッサの行方不明と、ジュエルシード21個全ての回収、そして時の庭園残骸の回収終了によって終わりを告げた。

 とはいえ、管理局としてはかなり不始末さの残る顛末であった。アースラのメインコンピュータがハックされて機能を停止し、事件終了まで身動きが取れずに終わった。しかも侵入元の逆探知にさえ失敗したのだ。アースラは管理局の中でも決して新鋭艦では無いが、それでも制式艦船であり、ミッドチルダ製コンピュータの中でも最高クラスのセキュリティが施されている。

 それが、システムダウンの隙を突かれたとはいえあっさり突破されたのだ。事件そのものと並び立つ程の重大事である。執拗に行われた庭園の捜索には、その下手人と手口を探す目的もあった。

 しかし、分解しかけていた庭園の何処を探そうとも証拠らしい証拠は現れず。残存していたコンピュータや資料に手がかりを求めようとも、その全てが消去されていた。

 

 このように念のいった処置を瀕死の病人が行えるはずがない。となると誰か協力者が居ることになるが、それは一体。

 その答えは呆気無く明かされた。というより答えの方から現れ出た。

 事件後に行われた千冬、ユーノ、そしてなのはの証言によって、篠ノ之束の行動が明らかになったのである。

 曰く、彼女は最初からアースラにはおらず、庭園を囲む結界内にいつの間にか侵入していた。

 曰く、千冬は彼女の作った『白式』というパワードスーツにより、事態を収集した。

 そして曰く。プレシア・テスタロッサに協力し、事件の状況を作り上げたのは全て、篠ノ之束ただ一人のことである。

 リンディにとってもクロノにとっても、正に寝耳に水だった。すぐさま本人をアースラの一室へ呼び出し、事態の経緯について詳しく尋ねることにしたが。

 

「ふぁぁ……うん。ぜぇんぶ私がやったよ? プレシアに策を与えたのも、この船にハッキングしたのも『白式』を作ったのも全部私。そう、この天才束さんがやったことなのだ~……ぐぅ」

 

 と眠たげに、しかしはっきり面と向かって告げられたので、二人揃って固まった。ロストロギアに関する危険な一大事件、その裏の立役者だと自ら証言しているのだから、無理もない。

 ニヤニヤ笑いながら反応を待つ束も含め、部屋の中、暫く無言のままでいて。やっと二人の思考が動き出す。

 

「じゃあ君は、この事件の殆ど全てを裏から操っていた……というのか!?」

「んー……うん、そうなります……じゃなかった。そうなるねぇ」

「なっ!?」

「そんなに驚くようなことです……かなぁ? 束さんの天才ぶりを間近で見てるんだから、それくらい想像してくれてもいいのに……」

 

 それまでのように敬語を使いかけて、面倒そうにに直すそぶり。話しているクロノは束の変貌に目を白黒させるばかりだが、脇から見ているリンディは、そのわざとらしい間違えを単なる演出、もしくはからかいであると考えていた。

 

「……からかってるんじゃ、無いんだな? 本当に」

「私はともかく、なのちゃんちーちゃんの言うこと信じないつもり? もしそうなら怒るよ?」

「どうしてそうなるんだ……」

 

 目の前で展開される滅茶苦茶な論説に、クロノは頭が痛くなった。とはいえ今の言葉が正しければ、篠ノ之束は間違いなく第一級の次元犯罪者ということになる。管理局制式艦船へのハッキング。次元犯罪者への意図的な内通と協力。2つとも相当な罪状として問うことが出来る。

 クロノは管理局員である。その目の前に犯罪を自白している人間があるなら、取り敢えずは確保して、更に事情を問い詰めねばならない。

 すぐさまバインドを展開して、束の両手を縛る。確保と言ってもそこまでする理由はなかったが、束の言うことが本当なら、そうしないとまず逃げられてしまうという悪寒があった。事実、束がやろうとすれば、バインドが顕現する前にあっさりと部屋から抜け出されたことだろう。

 

「うふふ、比べてみると結構硬いねこれ。流石はプロ、いい仕事してますねぇ」

「……何を言っているのか分からないが、取り敢えず君を確保させてもらう」

 

 しかし、束は動かず、その両手はバインドで一纏めに縛り上げられた。しかも逆らわないどころか、手首を解すように動かしつつ感想まで述べている。とことん常識から外れた犯罪者へ型通りの文句を浴びせて捕らえようとしたクロノだが、続けて全身にバインドを巻こうとした直前、リンディによって抑えられた。

 

「待ちなさい、クロノ。彼女を捕まえても無駄になるわ」

「どういうことですか艦長!」

「あの娘の言うことは確かに正しく聞こえるけど……そうである、という証拠は何処にもないわ」

 

 そう。証言の論理性はともかくとして、それを支えるべき物的証拠が全く存在しないのだ。

 時の庭園の残骸から、証拠として価値ある物は見つけられない。爆発とともに消え失せたのか、それとも目の前の少女が持ち去ったのか。どちらにしても管理局が手に入れる術は既に無い。

 束本人ならば、何かしらの物品を持っているかもしれないが、まさか管理外世界、それも別の国家の市民の家を令状なしで強制捜査する訳にも行かないだろう。

 

「それに、あの娘たちの証言だって……信じていないわけじゃないし、個人的には信用できると思うけれど……常識で考えれば、とうてい信じられることじゃない」

「それは確かに……」

 

 うつらうつら船を漕ぎかけている束に対し、二人の会話は深刻そのものだった。

 あの強装結界の内側にいたのは、なのは、束、千冬、ユーノ、プレシアに、気絶したままだったフェイトとアルフだけ。他の誰も、事件の爆心地で何が起こったのかを観測できていないのだ。

 そして彼女たちが話す真実は余りに突拍子がなく、常識的な説得力に欠けていた。

 特に事態の最終局面で出てきたというパワードスーツ『白式』の存在など、誰が信じてくれるというのだろう。

 

「あーっ、二人共そんなこと言っちゃって、束さんの大発明を認めないつもりだね? 確かに凄い無理したから、コアの全機能が停止しちゃってあと半年は動かせないけど……ホントに作ったんだよ? 目のクマこんなになるくらい、頑張ったんだけどなぁ」

 

 空を飛び傀儡兵をなぎ倒し、さらには病んだとはいえオーバーSランクの攻撃を容易く防御する。一体どんな代物だ。いくら束が天才だと言えども、地球の技術力では、いやミッドの技術まで含めたとしても制作できるはずがない。クロノとリンディ、二人の常識で考えればそう判断せざるを得ないし、であるなら次元世界の常識だって同じ結論を出すはずだ。

 

「それに……あの娘たちも、この娘も、あくまで管理外世界の、私たちから見れば外の住人なのだから」

「艦長……」

 

 束の言葉をまるきり無視し、リンディは苦々しく付け足した。

 そう。管理外世界の、しかもまだ9歳である少年少女が言うそんな証言を、確たる物証もなしに信用する者はいない。仮に束を連行して本局まで連れて行っても恐らく誰も信じず、戯言として笑い飛ばすだろうとリンディは見切っていた。

 そして今事情をまるごと話した束も、それを読んでいる。読んでいるから好き勝手に言い放っているのだろう、と推測もした。だから、完全武装の時の庭園に単身で乗り込んでいく程の実力者が抵抗もせず、バインドで縛られたままでいる。

 つまるところ、今のアースラには束を拘束する何らの理由も成立させられないのだ。

 そう説得されて、強張った顔のままバインドを解かなかったクロノもようやく折れ、デバイスを閉まって術式を解除した。

 

「え? あれあれ? 捕まえないの?」

「……話を聞いていなかったのか、君は」

「あぁ、聞いてる聞いてる。でもね、これなら捕まえられた方が楽しかったかなーって」

「なんだって!?」

「いやぁ、一度行って見たかったんだよね、ミッドチルダ。一人で行くにはちょっと厳しいからさ、連れてってもらえるなら越したことはないし、ね、どう? 無理矢理逮捕しちゃわない? 何ならちょっとエッチな取り調べもしていいよ☆」

「な、なななな……!! 君は!」

 

 解放された手をわきわきと動かしつつ、二人をちらちら見つめ、無防備な背中を見せながら顎をくいくいと動かす束。隙あるよ、捕まえてよ、と言わんばかりの仕草である。

 クロノもそれが単なる煽りだと分かってはいたが、若い身体と頭は当然カッとなるものだ。

 しかし、その後の会話であるとんでもない事実に気付き、その熱さもすっと底冷えしてしまう。

 

「ふざけるな! 誰がそんなこと!」

「そっかぁ。もし行けるなら本気だったんだけどなぁ。まあいいや、後で君のコンソールの壁紙をえっちぃのに書き換えとこっと。オペレータの彼女にでも見られるがいいさっ」

「おい……って、そんなことが出来るのか!? まさか、君はまだ……」

 

 以前アースラをハッキングしたのは、他ならぬ束である。艦内の全システムをジャックしたそれは、結界が消えると同時に全て解除された。しかしてその残滓は、未だアースラの中に仕込まれているかもしれないのだ。

 もちろんクロノも執務官として、事後の対策を欠かしていない。艦のシステムに一度リセットをかけて、エイミィを始めとしたクルー総出でチェックもした。

 しかしながら、何重にも仕込まれたファイアーウォールやに引っかからず、種明かしをされない限りその存在すら分からなかったウイルスである。コンピュータのどこかに忍び込んでいる可能性はゼロではない。

 拡大解釈してしまえば、この船は未だ束の支配から脱しておらず、リンディ親子含め全クルーの生殺与奪を彼女一人が握ってしまっている、とも言えるのだ。

 

「さてさてー、どうなんだろうね? そうだと考えてもいいし、考えなくてもいいよ」

「……どう、なんだ」

「お、聞きたい? 聞きたいよね。でも聞いちゃったら……後悔するかもしれないねぇ、くふふ」

 

 含みのある言葉から、眠気の残滓がかき消えた。今までとろん、と下がっていた瞼が開いている。改めて俯瞰すれば右手が何かを掴んで弄くるようにゴソゴソと動いている。その中にあるのが一瞬で艦内の全てを掌握できるコントローラだとでも言うのか。

 それとも、仕草だけで何も無いのかもしれない。いや、手の中には事実、バインドに自由を奪われていたさっきまでと同じく何も存在しないのだろう。しかし、それでもクロノは何も言えず、言い出す事もできない。

 執務官としていくつかの修羅場を乗り越えてきたクロノさえ、思考を硬直サせてしまう無形の不気味さ。それは、たった9歳の魔力の欠片もない少女から醸し出されていた。

 

「……」

「さぁ、どうするの? どうするのかな? さぁ、さぁさぁさぁ!」

 

 目を見開きながら詰め寄る束の手の中にあるのは、なんだ。

 アースラのコンピュータの中に、まだウイルスがあるのか。

 あの結界の中で、本当は何が起こっていたのか。

 まさに三重の「箱」。

 束が箱を開けない限り、どうなっているのかは誰にも分からず。箱のなかの猫が生きているならまだしも、もし死んでいるとしたら。猫を死なせた青酸ガスは覗き見た者をも巻き添えにする。

 開けなければならない。でも、どうなるか分からない。開けるのが、怖い。

 世の中の底にある、どんなに勇気ある者すら踏み出すのを躊躇し、いざ乗り込めばたちまちに正気を失ってしまう『闇』。本来幾重もの事件や因果によって作り出されるはずの深淵、その類似系を、束はたった3つの秘匿によって作り出している。

 だから、じっと動かなかったリンディも、この構造を突き崩す難しさを悟って遂に口を開いた。

 

「……私達は貴女を解放します。何もかもがあやふやな証言によって、管理外世界の住民を証拠もなしに連行するわけにはいきません」

「あ、そう」

「但し」

 

 決然と、リンディは突きつける。何もかもを弄ぼうとする、身の程知らずの天才へ。

 

「少なくとも、貴女が私たちにその性格を偽ったのは確かです。それ自体は何の犯罪にもならないけど……私たちの信用を傷つけるものであったということだけは、覚えておいて欲しいわ」

 

 つまり、今は泳がせておくが、将来何かあったらきっちり追求してやる、という宣言だった。

 リンディはもはや、束を年並の少女とは考えていない。そこに悪意があるのか無いのかはまだ分からないが、その行動自体は立派な次元犯罪者なのだ。

 

「そっか……あは、ははははは、そうなんだ、あははは」

 

 束は笑う。疑われて、追求されて、そして半ば脅されて。何が楽しいのか、クロノには理解できない。しかし、犯罪者にそういうタイプがあること自体は、士官学校で学んでいた。

 愉快犯。

 世間を恐慌に陥れ、その様子を喜ぶことのみを目的とした犯罪者。クロノが最も嫌うタイプだ。

 ただ、束はその典型とは一つだけ違う。

 普通の愉快犯は自分のやっていることを犯罪だと認識していて、だから巧妙に身を隠す。しかし、篠ノ之束はそれをしない。全てを明かしこそしないものの、自分が犯人であると自ら名乗り出ていく。かと言って、此方から逃げない訳ではない。やれるものならやってみろ、と言葉に出さず挑発してくる。

 迷いがなくしたたかで、それでいて誰にも何にも従うことがない。クロノが、そしてリンディ今まで出会った中でも、とりわけ厄介この上ない人間がそこにいた。

 

「ははは……ふぁぁ。まぁた眠くなってきたよ。もう帰っていいんだよね?」

 

 気が済むまで笑い飛ばした後、束はエンジンが切れたようにかくり、と俯いて、再びうつらうつらと目を細めるくらい、朦朧な状態へ戻っていた。自慢のウサミミも垂れ落ちそうで、ともすればそのまま部屋の机に突っ伏してしまうかもしれない。

 そんな惚けるような仕草すら、二人からしてみれば擬態のように思えてならなかった。

 実のところ、事件の始めから殆ど睡眠を取っていない束は、本気で眠かったのだが。神ならぬ二人には見透かせない事実であろう。

 

「ええ。構わないわ」

「そう。じゃ、ばいばい。ほんのちょっっっとだけ、楽しかったよぅ……」

 

 行儀悪く椅子から立ち上がり、夢遊病のように覚束ない足取りで去っていく。もうここに用はない、と言わんばかりの投げやりさだ。

 楽しかった、とはどういうことか。クロノは思う。その気になれば追求から逃れることも出来ように、あえてこの地まで突っ込んできたのは、その楽しみに期待していたからではないか。

 自動ドアが閉まり、完全に二人きりになった所で、実際に口に出して意見を交わすことにした。

 

「艦長。彼女はやはり、僕達と対話するためだけでここまで来たのでしょうか」

「恐らくは、ね。結果として私たちがもし強行して逮捕しても、それはそれで良し、と思っているのよ――恐らく、何もされないよりはそっちの方が面白いと、本気で考えているわ」

「なんて奴だ」

 

 自分の身の安否すら遊興の種にする。捕らえられたらそれまでと割り切っている。捨て鉢と言ってしまえばそれまでだが、そういう人種は総じて悪運強く、かつ常に逆転の目を狙い撃ちするから厄介だ。

 

「今回の事件もそうだわ。束さんは事件を止めるなのはさんたちと、首謀者であるプレシアへ同時に協力し、一方に力を、一方に策を与えた。そして決戦場で、どちらが勝つかを観察していた……無論、彼女としてはなのはさんたちの勝利に微塵も疑いを持っていなかっただろうけど」

「元から事態がどう傾いた所で、彼女にとっては実のある結末だった。なのはと千冬が倒れた所で、プレシアは契約を守り彼女たちの命は奪わない。だから、彼女は何の憂いもなくプレシアを背中から裏切って刺し――ジュエルシードと、彼女の研究全てを乗っ取れる」

「そういうことね」

 

 クロノは苦虫を噛み潰したような顔で、リンディは目を閉じ閉口して、この状況に相対した自分たちの無力さを痛感した。これほどの一大事を、管理外世界の少女一人にいいように使われてしまったというのは、広大な次元世界の治安を守るため日々努力している管理局員にとっては、やはり恥ずべきことなのだ。

 

「やはり、監視しなければならないと思います」

「私もそう思うわ。でも、今の私たちに、そこへ割ける程の人員はいないし」

「もしいたとしても、生半可な人物では恐らく何の意味も無いでしょうしね」

 

 嘆息しながら二人が回想するのは、少し前に情報収集の一環として、海鳴の図書館から回収した新聞の1ページだった。『天才少女篠ノ之束、またもやお手柄』。地方版に小さく載っているその記事には、営利目的での誘拐事件を発見した束が、すれ違った車のナンバーと車種を一瞬で暗記して友人と共に警察へ通報したという、なんとも痛快な顛末が載せられていた。

 もちろんリンディもクロノも、それを額縁通りに受け取ってはいない。「またもや」ということは、これと似たような活躍が何回か新聞に載っているということで、肯定的な意味を持つ。つまり海鳴や世間での篠ノ之束という人間は、親しい人間を除きその本性を完全に隠し通せている。

 海鳴の一市民に化けて、情報収集や監視などをしても無駄だということだ。

 

「必要なのは、束の側に近づける人間。それも、比較的年が近ければなお良し……」

「クロノ? ひょっとして、心当たりがあるの?」

「そういうことではないんですが……まぁ、今はこちらも忙しいですし、ひとまず置いておくことにします。例の件、やるんでしょう?」

 

 話を変えてクロノが聞いたのは、ここ数日アースラクルーがかかりきりになっている、ある「測定」についてのことであった。

 

「えぇ。そのために庭園の残骸撤去を急がせたんだもの。予定に変更はないわ。明々後日。二人にはもう知らせてあるから」

「『本事件に関わった空戦魔導師2名について、能力確認のための空戦シミュレーション』……どっちみちやらなければいけないんでしょうが、自分としては二人の肉体、そして精神的疲労を鑑みて、現時点での測定にはやはり反対したいところです」

 

 それを行うということより、否定的な言い方しか出来ない自分に向けるような怒り顔を見せるクロノへ、リンディは柔らかく微笑みながら続ける。

 

「あら、可愛い女の子のことが心配? クロノも紳士になってきたわね、善哉善哉」

「なっ、か、母さんっ!」

「うふふ。大丈夫。私から見ればあの二人、見た目に比べて案外芯の強い娘よ」

 

 今回の事件、アースラのクルーの全員に、後悔と無力感だけが募る結果になってしまった。次元震は発生せず、ジュエルシード全てを確保することも出来たが。不遇の人生に心を壊した母親を救えず、彼女の『娘』の心にも重い傷だけを残してしまった。

 もう全ては終わってしまったが。だからこそ、出来るだけの、可能な限りのことはしたい。

 クルーの代表者としてとりわけその思いの強かったリンディが一番やりたかったことは、フェイト・テスタロッサの心のケアであった。

 

「なのはさんは、フェイトさんに一度でいいから会いたいと仕切りに言っていて。もしそう出来たなら、彼女の真摯な思いが、フェイトさんの心に何らかのいい効果を与えてくれると思うの」

「本来規則で叶えられないはずのその状況を、無理矢理作りだすための模擬戦闘ですか」

「そういうのでなくて1席設けても、フェイトさんとしては何も話せないと思うし――あの娘達は今まで、空を飛び、魔導を競い合うことでコミュニケーションを取ってきたんだもの」

 

 リンディのその言い分を聞いたクロノは、それは提督と言うより空戦魔導士の意見だな、と内心おかしな気分になる。

 本来そういう意見を出すはずの現場担当が慎重論を唱え、止めるはずの提督が積極論を出す。そういうおかしさは、しかしクロノにはしっくりときた。結局女の子の気持ちは、他ならぬ女性が一番理解しているのだろう。門外漢は推して知るべし。

 

「分かりました。エイミィにフィールドの設定を急がせます。後、現場の安全確保も」

「まだ瓦礫を完全に撤去出来た訳ではないから、その辺りの確認を重点的にね」

 

 こうして、二人の会話は段々と事務的な内容へ移り変わっていく。

 束の底知れぬ本性に悪寒を抱く二人だが、そればかりにもかまけていられなかった。飛ぶ鳥跡を濁さずとは良く言うが、束はやれ庭園の残骸だのおかしな証言だの厄介事ばかりを後に残していったのだ。

 

 それをどうにかして片付けるのが、事件と状況にまとめて放置され、置いていかれた管理局員たちが行える、せめてもの職務なのだから――

 




さてさて、どうにかなったぞ束さん。でも、これからどうする、束さん?


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戦い済んで日が暮れて(Ⅱ)

 海鳴市海上。つい一週間前に最終決戦が行われた場所には、ビルを模した形の訓練用のレイヤー建造物が立ち並んでいた。所々で半分沈んでいたり傾いていたりもするので、たった数時間で構築されたと知らずに見たら、洪水で水没した都市のように見えるだろう。

 その中央に、他のビルとは明らかに形の違う一際高い構造物があった。どこまでも四角四面な周りと違い、その天井にはガラス張りのドームが作られており、そこに二人の少女が、それぞれの戦装束を着込んで相対している。

 

「……」

「……」

 

 二人、言葉は交わさない。それも当然のこと、どちらも得物を握り締めて相手に向けているのだ。抜き打ちと言うより、既に抜いて狙いを定め、後は撃つだけという所か。こういう場合は先に動いたほうが不利になるので張り詰めた空気は淀みなく、しかし凍りついたように止まっていた。

 だが、なのははその硬直をあえて破り、問いかける。

 

「ねえ、フェイトちゃん」

「……」

 

 向かい合うフェイトの持つ斧が展開し、鋭い刃の鎌へと変わる。一手損した。

 

「あの時は最後まで言えなかったから、もう一度言うね」

「……」

 

 魔法陣が展開し、これで二手損。それどころか、既に一撃食らってしまっていても何ら不思議ではない間合いと隙を晒してしまっている。しかし、フェアを貫くつもりなのかフェイトはあえて攻撃してこない。だからなのはは続ける。戦う前に、せめてもの言葉を。

 

「私、フェイトちゃんの友達になりたい。伝えたいこと、話したいことがいっぱいあるから」

 

 それがなのはの戦う理由だ。力を競うためでも、打ち倒すためでもない。

 なのは自身、なんだか昔と全然変わってないなぁと呆れてしまう。三年前、生きているのが心底嫌そうだったある女の子にぶつかっていった時の拡大再生産。まっすぐぶつかるその方法が、自分のげんこつから魔法に変わっただけだ。

 不器用な自分にはそういう不器用なことしかできない。だからこそ、手は抜けないし、抜くつもりもないし、抜きたくなかった。いつだって、どんな時だって、全力全開でいたいから。

 

「だから、来て。まずは戦って、決着がついたら、答えを聞かせて」

 

 杖を構えただけのなのはの懐へ飛び込むのを、フェイトは最後まで躊躇していたようだったが、この一言に押されて地を蹴り前進する。

 否、その行為に前進という表現は適さない。短距離ながら全てのマルチタスクを移動術式の構築に回して眼前の敵へ迫るそれは、正に瞬転。

 

(取った!)

 

 フェイトは確信する。相手の思考はまだ、眼前にあるフェイトの存在すら掴めていないだろう。

 そのまま、両手で振りかぶり、防御の整う遥か前に回避不能のゼロ距離攻撃を、相手の杖と身体の急所へと叩き込む。フェイトが持つ早さを最大限活かした一撃離脱戦法だ。相手は所詮砲撃型の魔導師なのだから、反応速度の面でこれに対応出来るはずがない。

 しかし、そうはならなかった。

 

「っ!」

「なっ!?」

 

 魔法刃と金属がぶつかる、耳障りで、だけど澄んだ音。フェイトの目が驚愕に見開かれる。彼女が今手に感じているのは確かな手応えではなく、防がれた後に押し返される抵抗だ。なのはの杖と魔導服を同時に切り裂くはずの一閃は、短く持たれた杖の、先端部分にある黄色い頑強なフレームで受け止められていた。

 剣術に、後の先、という言葉がある。

 相手が技を放ってきた時にその攻撃を防ぐかあるいは先読みし、切り返しの技で反撃するという戦法だ。この時なのはが目論んだのは、正しくそれだった。

 元からフェイトの早さに、なのはは追いつけない。どんなに鍛錬しようと経験と速度の差は明らかだ。ならば先の先、そして先を取ることは捨てて、後の先で攻めることに集中する。

 戦闘前に話しながら、なのはが構えの状態をあえてある程度しか進めなかったのは、フェイトに確実に先を取らせるための布石である。過剰に防備を固めれば警戒して逆に様子を見てくるかもしれず。ならばわざと隙を作り、その隙に潜り込むような一撃を、確実に返す。

 

「えぇい!」

 

 なのははそのまま身体全体を左側へ寄せ、刃の正面から自らを外す。当然体勢はよろけ崩れて、受け手を失ったフェイトの鎌は振り下ろされる。しかしその軌道上からなのはは既に外れ、渾身の一撃は虚しく宙を切った。

 

「今!」

 

 ここしかない、と自分の脳髄までに叩き込み確認させるような叫び。その間に右手で行っていた

魔力のチャージが終わる。さっきまで杖を持ち支えていたのは、あくまで利き腕の左腕だけだった。なんと、運動苦手で非力なはずのなのはの腕力が、速度と重心の乗ったフェイトの一撃を数秒間押さえ込んでいたのだ。

 開いた手から放たれるのは、ごく単純なシュートバレット。しかし無防備かつ隙を晒した魔導師に撃ちこむにはそれだけで必要十分。

 そして、爆音。

 単純とはいえ、なのはも可能な限り魔力を詰めた。直撃の余波で煙をまき散らし、建物の床を抉るくらいの威力がある。そのせいで視界が不明瞭になったので、攻撃を終了したなのははプロテクションを展開し、十全の体勢で相手を伺った。

 

「ありがとう、レイジングハート。でも」

 

 でも、油断は禁物。こうして不意の一撃を取れるまでに肉薄したとしても、鍛錬や経験は向こうのほうが圧倒的に上なのだから――

 

「上手いね」

「……にゃはは」

 

 危惧は的中した。いや、危惧というよりはむしろ当然の予測だと言えるかもしれない。それほどまでに、なのはにとってのフェイト・テスタロッサは大きく、超えるべき壁であった。

 耐えている。

 発射と弾着。2つの事象の隙間には、あの距離だと一瞬も存在しないであろう。だのに、フェイトはそれだけの時間でディフェンサーによる防御を行い、ふっ飛ばされながらも体勢を立て直し、今また再びバルディッシュを構えて立っていた。

 直接射撃を受け止めた右手の手袋こそ僅かに焦げているものの、ダメージも魔力消費も最小限に留まっている。なのはが費やした魔力と体力、そして集中力からしてみればこの結果は費用対効果が余りに低いといえるだろう。

 しかし、なのはの顔は自信に満ちていた。

 

(これで状況は三手得。差し引き一手、こっちに有利!)

 

 なのはがそう考えたのは、この状況下ではフェイトもクロスレンジでの戦闘を捨てるだろうと判断したからだ。初手の不意打ちを防がれて、しかも今度は万全の防御態勢を整えている所に突っ込むような無茶を、彼女はしない。

 その代わりに、近接以外で自らの利点を最大限に活かせる空中機動の射撃戦に移行してくる。そうなれば、射撃が得意ななのはにしても望むところだ。素早い動きで近接のみに固執されたら、どうにもならないうちに負けてしまうのが現時点の高町なのはの限界だった。

 そうならないためにも、まずはフェイトをこちらから引き離す必要があった。七割の確率で考えられた初手の強襲をかわすにしても、こうして反撃を仕込まなかったら回避を続けて段々と互いの距離を伸ばすしかない。それに費やす時間と魔力と後の先を取る苦労を比較すれば、後者の方が効率良く有利な状況に持っていけるのだ。

 

「バルディッシュ、ランサーセット!」

 

 なのはの予測は正しく、フェイトは自らのデバイスに呼びかけて高速離脱した。それと同時に、詠唱不要の射撃魔法を用意し、目下で防御を固めているなのはに対して放った。なのはもフライヤーフィンを展開して飛び上がり、距離を離すまいと偏差で撃たれた二発目、そして三発目も初速をつけて強引に振り切る。

 かくして地面から離れて、空に舞う二人。互いの魔導を競い尽くす戦いは、たった今その第一幕が上がりきったばかりだ。

 

「ディバイン!」

「ランサー!」

 

 二人の周りに次々と光が生じていく。桜と光、それぞれに高まり輝くのは、少女二人が持つまっすぐな心をそれぞれの端末が魔力によって具現化したものにも見える。

 

「シュート!」

「ファイア!」

 

 杖が振り下ろされ、射撃は飛翔し相手に向かう。それぞれに並の魔導師なら呆気無く撃ち抜かれてしまうほど高い攻撃力を持ったそれらは、あくまで他人を攻撃する魔力弾であり。

 だから、互いにぶつかり合って消えていく。真っ直ぐ向かうフェイトの弾幕をなのはの迎撃誘導弾二発が捉えて叩き、残り二発がフェイトへ向かう。思念制御で確実に死角を狙って襲い来るそれらをフェイトは紙一重でかわしていき、内包した魔力が時間経過で弱まった所を見て、斧で直接叩いて潰した。

 交わらない二人の魔法はそれぞれにぶつかり合って、そして空へと溶けるように消えた。しかしその、二人それぞれの想いの結晶と呼ぶべきエネルギーは決して消えてはいない。ただ限りなく薄くなって、空中に漂っているだけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから。

 

「なのはは負けん」

 

 レイヤー建造物の内の一つ。戦闘領域からある程度遠くに離れて建っているビルの屋上で、織斑千冬はそう断言できるのだった。

 

「そうかねぇ」

 

 突然の断言に、隣で座っていたアルフは苦言を呈す。自分のご主人が負けると言われて当然いい気分にはならないらしく、眉をひそめながら言い返していく。

 

「近接戦なら言わずもがな。でも単なる空戦でも、やっぱりフェイトの方が上さ」

 

 アルフの理論は、何度かの実戦によって証明されていることだ。なのは一人とフェイト一人では明らかにフェイトが勝る。だからなのはは千冬、そしてユーノにも助力を頼み、三対ニの状況で今まで戦ってきたのだから。

 

「だが、なのはも前に戦った時から随分と鍛え直してきた。さっきのやりとりを見ただろう?」

 

 千冬の何処か自慢げな言い回しから、アルフはあることに感づいて恨めしそうに千冬を睨んだ。

 

「……あのカウンター、アンタが仕込んだのかい」

「その通り」

 

 初撃決めの可能性を読み、あえて防御を薄く見せることでそれを誘い、想定通りに振ってきた所を避け、返す刀で無防備な相手へ強烈な一撃を叩きつける。半ばで失敗したものの、もし決まっていれば防御の薄いフェイトを即座にダウンさせることが出来ただろう。

 しかし射撃と砲撃、それから防御だけに集中していた今までのなのはから見れば実にらしくない動きと、リスキーな作戦だ。あえてフェイトの高速に対抗するくらいなら、防御を固めて強烈初撃がやってきたにしても耐え切るのを目指すのが安牌だろう。

 

「だが、別に私の入れ知恵という訳じゃない。なのはが自分で決めて、自分で頼ってきた。私がやったのは訓練だけだ」

 

 だから、アルフはあの行動と、それから今の言葉にも驚いた。ある種賭けのような作戦を、目の前にいる骨の髄まで接近戦思考の少女が考えて薦めたのなら分かる。しかし、まさかあのおとなしくて、へなちょこそうな女の子の方から考えだしたとは。

 

「意外だねぇ」

「意外さ」

 

 近接戦闘の訓練事態は、前から行っていたことではある。しかし今回は、その量が尋常ではなかった。なにせ万全の状態のフェイトが放つ、音よりも早いだろう攻撃をかわして更に射撃魔法を撃つのだ。運動神経未発達のなのはがその領域まで行き着くには、文字通り昼夜を問わぬ猛特訓が必要だった。

 千冬が行う鍛錬は文字通り「鬼」である。その奥に確かなトレーニング理論と熱い思いが篭っているにしろ、彼女は容赦なく叩き、容赦なく叱り、容赦なく潰す。

 そんな鬼の特訓を、なのはは事件が終わって回復してからの丸一週間ずっと受け続けていた。一回も弱音を吐かずにやり通した。それはいかにもなのはらしい一途で愚直な努力だったが、同時になのはらしくないことでもあった。

 

「なのはも、昔はあれで結構悩みこむタイプだったからな」

 

 千冬が回想するのは、一年前に出会った直後のなのはだ。その頃のなのはは今よりちょっとだけ引っ込み思案で、例えばアリサやすずかから何かを薦められても、遠慮して一歩後ろから見つめるだけになってしまうような、そんな性格だった。

 いつか師範から聞いたことには、昔のなのははそれよりもっとずっと、おとなしかったらしい。誰かに頼るのが苦手で、親の前でもその忙しさを目の当たりにしていたからか、いつも「良い子」として目立たないように、おとなしく振る舞い続けていたという。

 それは、かつて弟のために親に反抗した千冬と正反対のようで、どこか似ている。

 どちらも、一人。一人ぼっちになるしかなかった。

 

「だが、魔法を知って、戦うようになった時、なのはは私を頼ってくれた。一緒に戦おうと言ってくれた」

 

 握った手の中に、なにか暖かいものを取り込んだような朗らかさを胸に千冬は語る。

 一年前、そしてそれ以前のなのはなら、目の前に迫り来るジュエルシードという困難を、自分一人で解決しようとしただろう。

 一人ぼっちで戦う。その辛さを、千冬は良く知っている。もしそうしたら、いくら心の強いなのはだって、もしかすると耐え切れなかったんじゃないかとも想定出来てしまう。

 だけど、今ここにいる高町なのはは、昔のなのはからずっと変わってきている。千冬と共に戦い、頼り、訓練して欲しいとも言って来てくれた。そしてだからこそ、なのはは今空を飛んでいる。初撃でいきなり叩きのめされることなく、思うままに空を飛んで、戦っているのだ。

 なのはは、一人じゃない。

 

「だからなのはは負けない。一人じゃないから。私も、ユーノも……あいつも……ついてる」

 

 千冬の確信に満ちた言葉に、アルフも負けじと言い返す。

 

「それはフェイトも同じさ。あたしがいる。リニスっていう、優しい先生だっていたんだ」

「そうか」

 

 その言葉を聞いて、千冬は何故か安心した。向こうで戦っているなのはには届かない言葉だったが、もし届いていたらなのはも同様に安心するだろう。

 フェイト・テスタロッサが一人じゃないことに。彼女を思い、守ってくれる人がいることに。

 

「だったら後は、どちらの思いがより強いかだな。知恵と戦術は両方フル回転だろうから、最後は精神力の勝負になる」

「じゃあ当然、あたしらの方が上だね」

 

 勝ち誇って大きな胸をでんと張るアルフ。ムスッとした千冬が負けじと言い張る。

 

「いや、私たちの方が絶対に上だ」

 

 二人、無言のままで暫く見合う。

 

「そういや、チフユ、だっけ。アンタとは、まだ決着がついてなかったね……」

「同感だな、使い魔のアルフとやら」

 

 やがて片方が牙を向き、片方がどこに隠していたのか竹刀を持ちだして構えたその時。

 

「はいはい。ふたりともそこまで。場外乱闘はやめてよね」

 

 二人から離れて立っているユーノが止めに来た。

 そのいかにも面倒でどうでも良さそうな声色に毒気を抜かれたのか、二人それぞれ武器を下ろし、落ち着きを取り戻した。

 

「すまんなユーノ。しかしお前……そんなになって何をやってるんだ?」

 

 刀を収めた千冬だが、今度はユーノの一種異様にも見える様子を気にして問いかけた。

 アースラでの回復治療によりすっかり人間形態に戻った彼は、何重にも術式を展開し翠色の眩い魔力に包まれている。折角戻った魔力を使い潰してしまうくらい多重に発動させている魔法は、全部が全部観測用の魔法である。

 

「何って、ほら、二人の戦いの記録だよ。大事でしょ」

 

 だからユーノは何のこともないように言い返したが、今度はアルフが突っ込んだ。

 

「アンタさぁ。確かに分かるけど、でも……そんなには必要ないだろ!」

 

 怪訝な顔を浮かべて突っ込むのも無理はない。現在ユーノが展開している録画式の記録魔法、その数なんと17個。しかもそのうち幾つかは定点式ではなく、なのはとフェイトの機動を追尾している。通常、一人の魔導師が制御できる個数ではない。いくらマルチタスクと魔法の制御に長けたユーノとはいえ、相当に無茶をしている多重展開だった。

 

「それが必要なんだ」

「なんだい。記録がほしいなら、管理局にでも頼めばいいじゃないか」

 

 アルフがいうことは正論である。たった二人の為に組まれた予定だが、これはあくまで『能力確認のための模擬戦』なのだから、アースラスタッフとしては念入りに記録しないと給料をタダ取りしていることになってしまう。

 

「それだけじゃダメなんだって。勿論アースラのデータも貰うけど、それだけだと満足出来ないと思うから……」

 

 自分が、ではなく、どこかの誰かを指すするような言い草を聞いて、千冬はある可能性に思い当たった。しかしそれは、とても信じがたいことでもあり、だからユーノに問い質す。

 

「おい、ユーノ。……確かに束はここには居ない」

「うん」

「だがな、あいつの事だ。ここに居ないだけで、いくらでも見る方法はあるだろう」

 

 あの時と同じく、結界内にこっそり忍び込んでいるかもしれない。アースラの中で記録カメラを現在進行形で覗き見ているかもしれない。ひょっとするとラボの中、なのはの勇姿を目にしてとても世間には見せられないような顔で悦楽に浸っているのではないか。

 千冬にはそうとしか考えられなかった。あいつが、まさか。こんな晴れ舞台を逃すはずがないじゃないか。

 しかし、ユーノははっきりと、加えて言えば魔法の制御を邪魔されて少し煩わしげに答えた。

 

「いや、教授はこの戦闘、見ていないよ」

「なに……!?」

 

 その時千冬が抱いたのは、とてつもない驚愕と、それから恐怖であった。あの束が、篠ノ之束というなのはフリーク少女がなのはの戦いを見逃すだなんて。天変地異の前触れか、それとも。

 もしかすると、なのはのことすら押しのけるほどの何かに取り組んでいるのかもしれない。千冬が一週間前に着装した勝利の鍵、『白式』以上に超常的な何かに――

 

「ユーノ、今すぐ止めるぞ! このままでは地球が危ない!」

 

 そう思った千冬は顔色を豹変させて束のもとに向かおうとした。が、ユーノは何ら慌てることなく、むしろ何処か呆れたような表情で千冬の興奮を受け流す。

 

「何をしているユーノ! あいつが暴走するとどうなるか分かっていないお前じゃ「違うって」

 

 ユーノとしては説明するのも馬鹿馬鹿しすぎてやりたくないのだが、そうでもしなければ千冬は止まらない。観念して、束が今何をしているのかを一言だけ、口に出した。

 

 

「寝てる」

 

 

「へ?」

 

 千冬らしくなく女の子らしい、というより子供らしい間の抜けた声。

 

「だから寝てるんだって。ここ何週間も徹夜続きだったから。三日前管理局に呼び出されて帰ってきてからずっと寝てる」

「ずっと?」

「そう、ずっと」

 

 アルフも黙りこみ、ビルの屋上で無言の時間が流れる。

 

「……ふは」

 

 その静寂を破ったのは、腹の底から出ているだろう、ひょうきんな笑い声。

 

「ぶっ、わはははは!! あは、ははははははっ……げほっ、ごほっ」

 

 千冬が笑うことは滅多になく、あったとしても精々微笑むくらいである。それが一気に決壊して爆笑し、表情筋が無理に動いたせいか、笑いすぎで呼吸困難にまでなってしまっていた。

 この一戦は、言わば高町なのはが今まで鍛えた魔導の集大成である。それは当然なのはが一番輝ける時だというのに。

 寝坊しているだと? あの天才が? なのはに関することなら誰よりも知っているあの天才が?

 

「そう、寝てるの……ふふっ」

 

 内心、ユーノも馬鹿らしく思っていたようだ。千冬の破顔爆笑に釣られ、腹を抑えて笑い出した。それでも監視を絶やしていないというのが、彼の助手根性とでも言うべき律儀さを如実に表しているが。

 

「た、タバネって、あんたらの仲間で、ウサミミを付けた、あいつだろ……?」

 

 一方アルフは束の名を聞いて、身もすくみ上がるような思いだった。アースラで精密検査を受けた結果、寄生虫型の監視メカを体内に仕掛けられていたことは既に周知の事実である。気付かれないうちにそんなことをされたのだから、アルフにとって束という得体のしれないマッドサイエンティストは、ただ恐怖でしかなかった。

 

「あぁ、あいつだよ、あいつだ……ぶっ、くくくく」

「そうそう、人呼んで天才科学者、なのは大好きの教授が……あっ、は」

 

 その怖気づきようも、今の二人にとっては爆笑の炎に薪をくべるだけでしかない。思えばニ人して、束一人に散々弄ばれ、一挙一頭足に冷や冷やさせられてきた。その憂さ晴らしというのも、あるのかもしれない。

 

「ゆ、ユーノ、お前、知らせたんだろうな? ふふっ、そうじゃなかったら酷い目に合うぞ?」

「そりゃもちろんっ……でも寝てる……いくら起こそうとしても無駄だったんだ……ぶふっ」

「本当か……? ふ、ははははは」

「それがホントなんだって! 部屋にあった、なのはボイスの目覚まし時計でもさっぱり!」

 

 実際、ユーノは人事を尽くしたと言える。

 地下で机に突っ伏し、死んだように眠る束をまずはラボ備え付けのベッドまで持って行き、あらん限りの大音量を出して起こそうとした。それでピクリとも動かないのだから、今度はなのはの声真似からなのはの声を録音した目覚まし時計、果ては対決前のなのはに頼んで、携帯電話を通じた肉声まで提供してやったのだ、

 それでも起きないのだから、いよいよ諦めざるを得ない。ユーノとしてもなのはとフェイトの戦闘は見たいし、後はせめて、ベッドの上に走り書きのノートを残し、二十分に録画するくらいしかできなかった。それ以上を求めるのはむしろ酷である。

 

「この事、なのはは何て?」

「眠いんだから仕方ないよ。いっぱい頑張ってくれたから寝かせといてあげよう、だって。ホント優しいよねー、なのはは……」

「全くだ、それに比べてあいつは……くふっ、当代一の薄情ものだな!!」

 

 あはははははは、と胸がすくまで笑い続ける二人。呆然とするアルフ。

 三人をモニタしているアースラブリッジからも、そこかしこで失笑が起こる。その度合は様々あれど、皆、束の好き勝手な所業には何か良からぬ気持ちを抱いていたのだろう。

 そして、他所の椿事はつゆ知らず、砲撃を撃ち合い乱舞して、いよいよ熱いなのはとフェイト。

 

 

――ぐぅ、ぐぅ……ダメだよなのちゃん、私たち女の子どーし……あ、べつにいっかぁ、どうにかならないことはないし……じゃあなのちゃん、一緒に……えへ、えへへへへへ――

 

 

 遥か遠くで起こったそんな喧騒などつゆ知らず。束は眠る。

 天才である彼女のこと、なのはとフェイトが決着をつけるこくらい、とうの昔に予測できていたはずなのだが。

 天才だって所詮は人間。明日への睡眠は必要なのだった。

 




だめだこりゃ。


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平和の朝日がまた昇る(Ⅲ)

 ふと足元を見れば、桜の花びらが土に塗れながら散っていた。そろそろ春も終わりだ。

 ここの空気は暖かく、だから桜も結構遅くまで残っていたりするのだが、それもついこの前の雨で殆ど流れ落ちたようだった。

 流れる夜風からも、寒さは感じない。何もかもその暖かさで包み込んで、流していってくれる。

 多分、その風の流れ道に立っている自分が、春先から今までで経験したとてつもない大事件だって、いつかは流れ行き、大事な、だけど珍しくはない、記憶の一つになるんだろう。

 

「なのは」

 

 でも、流れないものだって、きっとある。

 呼ばれる声に振り向き名残惜しげに歩きながら、なのははそう感じていた。

 

「お待たせ、千冬ちゃん」

「うむ」

 

 呼びかけた千冬の顔には、若干の申し訳なさが含まれている。本当なら、呼ぶこともなくずっと向こう側へいてくれても構わなかった。でも、これはそういう時間じゃない。別れの時だ。

 

「リボン、交換したんだな」

「うん。思い出を作らないとって。だけど、こんなのしか思いつかなくって」

 

 なのはが差し出して見せたのは、黒いリボン。フェイト・テスタロッサがいつも付けていたものだ。千冬が向こう側へ目を向けると、さっきまでなのはと話をしていたフェイトも、なのはが付けていたピンク色のリボンを手に握っている。

 

「こんなのじゃなくて、もっとちゃんとしたもの、持ってくればよかった」

 

そう言って、なのはは自分に呆れたように笑う。だけど、千冬にはそうとも思えず、ゆっくりと頭を振って、優しく訂正してやった。

 

「そんなことはない。ほら、向こうを見てみろ」

 

 言われてなのはが振り向くと、フェイトが両手を祈るように重ねて、胸に押し当てているのがはっきり見えた。多分その手の中には、もらったばかりのリボンが握り締められているだろう。

 相手側にこれだけ感謝されているのだから、こんなもの、と卑下する必要はないということだ。

 

「……嬉しい」

 

 その姿に心を動かされ、なのはも手の中のリボンをぎゅっと握りしめた。白い制服姿が小刻みに震える。今日フェイトと会ってから、何度も沸き上がってくる熱い気持ちを抑えきれないようで、また、目を潤ませてしまっていた。

 

「どうしたなのは。今日のお前は、少し涙もろいな」

 

 千冬は苦笑するようにそう指摘するが、本当は、無理もないと納得していた。

 ジュエルシードという、譲れないものを賭けて何度も戦い。時には一人でどうにもならない脅威に対して協力し。気持ちを伝えようとしても何度も邪魔されて。結局自分の気持を伝えられたのは、全ての決着がついた後だった。

 フェイトの全身全霊の一撃を受け取り。見事に耐え切った後、逆転の秘策である集束砲撃魔法『スターライトブレイカー』でフェイトを撃ち抜いたなのはは、勝った。勝った後、ボロボロになりながらも自分の気持ちを言葉に乗せて必死に伝えた。

 友達になりたい。悲しい顔じゃなくて、笑顔が見たい。笑っていて、欲しい。そのひたむきさに心を打たれたのか、それとも物理的に撃たれたからか。互いに倒れたビルの上、フェイトは顔を上げて――なのはのことを抱きしめ、涙ぐみながら、初めて笑ったのだった。

 

 げに美しきは友情なり。その有り様は千冬の心にもじいんと響き、思い出せば今でも、胸を熱くしてしまうくらいだった。

 

「うん……なんでだろう、ね。また、会えるのに、ね」

 

 やっと心を通い合わせた嬉しさに、心から笑いながら。しかし、すぐに離れ離れにならなければならない悲しさに、瞳の中で涙が溢れる。どちらも心からの気持ちで、だから相反していても、両立する。

 

「あぁ。またすぐに会える。半年なんてあっという間だ。だから、笑おう」

「うん……!」

 

 なのはは俯きながら浮かべた涙を指で拭い、顔を上げる。折角のお別れだ。涙は笑顔のスパイスになるけど、今はとにかく、笑っていたい。笑顔を見せることが、別れるフェイトへの一番の贈り物なのだから。

 見ると、向こうではもう魔法陣が光っていた。元々、フェイトはあの事件――首謀者の名前を取ってPT事件と呼ばれている――の重要参考人だ。本来ならこうしてお別れを言う間もなく、駆け足でこの世界から出立し、護送されていかなければならない。

 それが、こうして今、なのはという一個人との別れのためだけに逗留しているのだ。千冬にも、勿論なのはにも、それがかなりの無理と強引さによるものだと分かった。そして、そういう機会を作り出してくれたクロノに、そしてリンディに、それぞれ感謝していた。

 

「お待たせ、なのは、千冬」

 

 彼らを見送るのは、そんな2人だけではない。さっきまでクロノと話し続けていたユーノは、向こう側で去るのではなく、こちら側に留まってくれるのだった。

 

「ユーノ……本当に地球に残るのか? ジュエルシードはどうするんだ」

「アースラが管理してくれるし大丈夫。それに、ウチの部族は遺跡から遺跡へ流浪するのが当たり前、な感じだし。僕がどこにいても、死んでないならそれでよし、って感じでアバウトだから」

「そ、そうなのか……」

 

 さらっと明かされたドライな事実。少し引き気味の千冬に代わって、なのはが話しかける。

 

「でも、ほんとにいいの? 続けて魔法を教えてくれるなんて」

「いいさ。大体なのはって、監督者がいないとなんか無茶ばかりしそうだから」

「に、にゃはは……」

「クロノともよく話し合って、訓練メニューを建てたからちゃんと守るように。くれぐれも、庭園の時みたいなオーバーワークはもう、二度と、しないでね」

 

 ユーノの厳格な言葉になのはは、返す言葉もありません、とばかりにしゅんと落ち込んだ。

 そんな2人を見て、ユーノは明るく微笑む。ひょんなことから迷い込んだこの世界には、暖かくて優しい人が大勢いて、だから住み良く、暮らしやすい。流浪の身にもそれなりの楽しさはあったし、遺跡を掘り返して古代の遺物を見つけるのはスリルとロマンチックに溢れている。

 でも、両親の顔を覚えていない男の子が、もし故郷というものを自分で決められるとしたら。

 海鳴がそうだと凄く、いい。なんて思ってしまうのだ。

 

「さ、そろそろ転移するだろうから」

 

 なのはと千冬、それぞれに気を散らしていた所を、呼びかけられてはっと目を向こう側へ移す。見れば魔法陣の光はもう眩しくなっていて。目に映るフェイト、アルフ、それからクロノの像も、なんだかぼんやりと空に滲んで消えていくように見えた。

 フェイトが小さく手を振るのが見える。それに応じて、なのはは腕全体で大きく、千冬は肘から先を使って程々に、手を振り返した。

 その微笑ましい光景を見た後、ユーノは千冬のはるか右にいるもう一人へ目を向けて。

 

「――教授も、ほら」

 

 さっきからずっと体育座りでうずくまり、暗いオーラを辺りへ垂れ流している女の子へ、気遣うように声をかけた。

 

「やだ」

 

 しかし、これだ。

 徹底的にへそを曲げている。なのはも千冬も、家を出た後すぐは一生懸命に励まそうとしたが、この場に連れてくるだけで精一杯だった。

 

「放っておけ。まだあのことがショックなんだろう」

 

 辛気臭いその姿を視線から外す千冬の言葉は酷薄だったが、大事な日に寝坊するのはそいつが悪い、と考えればそれも当然である。大体、あの戦いからはもう何日も経っているのに、まだ割りきっていないのか。いつものポジティブシンキングはどうした、と呆れ帰る気持ちだった。

 

「うぅぅぅ……それだけじゃないもん」

「じゃあ、一体なんなのさ」

 

 ユーノがめげずに問いかけるが、千冬としては、よくもあのバカにああまで付き合っていられるな、と思う。どうせ一過性のことなのだから、放っておけばいいのに。

 それに、束の返答なんて、この状況から見れば千冬にも推測できる。算数よりも簡単だ。

 

「なのちゃんが、なのちゃんのりボンがあんなのに取られてるのが許せない……」

「あ、そう……」

 

 幼い嫉妬心駄々漏れの返答を聞いて、ユーノも頭が痛くなってきた。

 

「あそう、じゃないやい! そりゃあなのちゃんはああいう娘、ほっとけないって分かってたけどさ……なんで涙ぐんでたのさ……なんで向こうも向こうでヅカっぽく抱きしめてたのさぁ」

 

 と、恨みつらみの戯言を紡いでいるものの、実際なのはとフェイトが友達になった事自体、束の采配によるところが大きい。特に最終決戦の時、フェイトに真実を告げて完全に心を折ってやろう、と提案したのは、他ならぬ束本人なのだから。

 束としてはなのはと『白式』の活躍の場に余計な要素が入ってこないようにするための措置だったが、そうした後、傷ついたフェイトの心が何処に救いを求めるか、なんてことは――予想の範疇外、という訳でもなかった。

 なのはは、きっとフェイトを助けようとする。友達になろうとする。

 長い間なのはと付き合ってきた束からすれば逆に予想するまでもない規定事項。しかし、現実として目の前で見せられると、それはそれで、沸き立つ感情を抑えきれないというのが、束の、大人顔負けの天才にしては青臭い精神の限界だった。割り切れないのだ。

 

「全く、どこまでもへそ曲がりな奴め」

「あははは……」

 

 その矛盾に千冬は呆れ、ユーノは、ただただ笑う。

 けれど、もし束がそうでなかったら。親愛の情も何もかも、全てを科学と、自分の娯楽の前に捧げるような性格であったなら。

 きっと、今よりずっと酷い結末が待っていただろう。

 二人とも、そう考えて、だから、今の束を認めている。側にいても恐怖は感じない。

 

「なのは。お前からも何か言ってやれ」

「ふぇ、えっ!?」

 

 いつまでも塞ぎこむ束を見て、しょうがない、という表情をした千冬は、振り返ってなのはの肩を叩いた。

 周りに意識を巡らさずただ目の前のフェイトにだけ集中していたなのはは、驚きながら振り返った。そして、まるで捨てられたペットのように、うるうるした目でなのはを見つめる視線に気づくと、困ったように笑って。

 

「えーと……ふふ、そうだ! たーばーねーちゃんっ」

「にゃ、な、なのちゃん!?」

 

 千冬仕込みの素早い動きで、すっ、と束の背後に回りこみ、その背中を強引に押し始めた。

 

「な、ななな、なのちゃん!? 何、するのかな?」

「えへへ」

 

 戸惑う束だが、折角なのはの手が自分の背中にくっついているのを、無碍に振り払うことなんて出来るわけがない。そのままどんどん押されて、行き着くのは今にも転移してしまいそうな魔法陣のすぐ側だ。

 意味ありげに微笑むなのはが、フェイトに目で合図を送る。

 その意図を概ね察したフェイトは顔を和らげ二人へ近づくが、束の脅威を知っているクロノ、そしてアルフは顔を強張らせていた。特にアルフなど、フェイトに危害を加えたらということで、半分臨戦態勢である。

 

「えと……タバネ、だっけ」

 

 フェイトの紅玉色の瞳が、束をしっかと見つめる。束はぷい、とそっぽを向いた。

 何を言われるのだろう。

 優しいプレシアを唆した張本人だと解釈も出来るのだから、悪い印象を抱いて当然のはずなのに、フェイトの顔は何故だか優しい。それこそ、なのはと同じくらいに。

 どうせお情けなんだろう。なのはの友達だからって、無理をして、そんな顔を見せるんだろう。

 そう思ったから、束はこれ以上ないほど憎たらしい笑みを浮かべて言った。

 

「……ふんだ。この期に及んで何を言っても、もう遅いよ?」

 

 未だ誰にも明かしていないが、束はプレシアにやらかした所業は、それこそフェイトに殺されたって文句を言えないほどのものだ。それも含めて、束はフェイトに憎まれるならまだしも親しみなど感じられているはずがない、と思っていた。

 しかし、フェイトはその予想をあっさり覆す。

 

「え、そっか、遅いんだ……」

「にゃああ、フェイトちゃん違う違う! 大丈夫だから、言ってあげて!」

 

 束の言葉を真に受けて意気消沈するフェイト。しかし、慌てて止めたなのはに背中を押され、どきどきする心を抑え意を決して言葉を放った。

 

「……タバネ。私はまだ、あなたに向かってどういう顔をしたらいいのか、分からない」

「当然だね。私は君の友達の友達だけど、君の母親を騙して、利用して、ボロ雑巾のように使い捨てたんだから」

 

 目を合わせずに厳然たる事実を述べる束。フェイトは気圧されたが、しかし続ける。

 

「……で、でもっ」

「でも、なに?」

「あなたにも、ごめんなさい。あなたの友達を、なのはを、それからチフユも、沢山傷つけてしまったこと……一度謝りたかったんだ」

「……え?」

 

 なんだそれは。そんなの『予想外』じゃないか。

 束は一瞬、自分の耳を信じられなくなった。

 

「チフユには、ちょっと前会った時に謝れたんだけど……でも、あなたには会えなかったから。今、謝りたくって」

「どうして? 理解できないよ。私は君にとって憎むべき、謝りたくなんてない存在なんだよ?」

「そうかもしれないけど……でも、それとこれとは別の話だから」

「……」

 

 束は神妙な顔をして、口ごもる。恨みを水に流して、そんなことが言えるなんて。別に仕方なく協力するわけでも、利害が一致した訳でもないのに。

 この娘は、優しすぎる。こんなに優しい娘なんて、束が会った中ではただ一人しか――

 

「それ、だけ……」

 

 言い終わると、フェイトは俯いて束から目線を外した。流石にそれ以上言うこともなく、なにか言えるほどに、割り切っている訳でもないようだ。

 しかしこの対面を実現させたなのはは、むしろそれだけで十分というふうにうんうんと頷いた。

 まずは、これで一歩前進だ。

 流石のなのはも、今の束とフェイトがわだかまりを解いて仲良くなってくれるとは思っていない。しかし、何の関係も産まないのでは余りに寂しすぎる。

 だから、せめてこうして少しでも言葉を交してくれたら、それが何かのきっかけになるかもしれないと考え、二人を近づけさせたのだ。

 その、効果の程は。

 

「……ぅぅ~~~~!」

 

 何故か悔しそうな表情を浮かべる束、それだけだった。

 しかしなのはは、それでもこの触れ合いを無価値だと思いはしなかった。

 

「じゃあ、フェイトちゃん。元気でね!」

「うん、なのはも元気で」

 

 その後、魔法陣を境にして、二人手を握ったり、暫く笑い合ったりした後。

 いつの間にか近寄っていた千冬とユーノも含めて四人、いい加減に転移しなければならず、引き伸ばされて少し怒っていたクロノとアルフ、フェイトの三人は。

 それぞれに手を振り合って、別れた。

 

「……ぅぅぅ……」

 

 しかし束だけは、転移魔法の発動でフェイトが消えたその後も、なにやら納得の行かないような表情をしてむすー、と突っ立ってばかりいた。

 

「どうしたんだ、束」

「……うがあぁぁぁっ!」

 

 千冬が尋ねても、束は堰を切ったように苛立ちの叫びを上げるだけだった。

 言葉に出してなど、とても言えるものか。

 本来恨み言を言われるはずの少女に、ごめんなさいと言われた。そのことで、自分の立てた想定が僅かだけれど、確かに覆されていたなんて。

 たかがクローン、なんて慢心極まりない侮り方はしていない。フェイト・テスタロッサの辿ってきた数奇な運命、母親への思い。全てインプットして、自分の脳内で何回も行動予測をしてきた。それが今まで正しかったからこそ、あの状況だって創り出せたのだというのに。

 最後の最後で、見事に予測を外してしまった。

 普通なら面白い、と束をこれ以上ないほどに興奮するはずの『予想外』。しかし束にとってそれは今、何故か、とても悔しく、苛立たしく思えるのだ。

 なんだか、負けた気がしたから。高町なのはの友達として。

 友達でいた年季は束の方が上なのに、束の友情が下であると、断言されたみたいで。

 

「……ふっ。哀れだな、束。結局なのはは奪い返せず、か」

「なにをぅ、ちーちゃんのくせにっ!」

 

 だから、千冬の安っぽい挑発にも乗ってしまい、野生のうさぎのように飛び上がって襲いかかる、なんて滑稽なことをしてしまうのあった。

 

「お、やるか?」

「だ、だめだよ千冬ちゃんっ!」

「教授も、抑えて抑えて!」

 

 等と言いながら千冬はすぐに木刀を取り出し、今ではすっかり堂に入っている我道御神流の構えで立ち向かう。

 骨肉互いに削ぎ取られる、歯列な争いが始まろうとしたが、千冬をなのはが、束をユーノが抑えてどうにか未然に防がれた。

 

「じ、じゃあね、なのは、千冬!僕と教授は、篠ノ之の家に帰るから! さ、教授、行こう」

 

 目をぎらりと光らせて千冬を睨みながら、ふしゅるるるる、なんて凶暴な肉食獣のような声を出している束。ユーノはその右手を引っ掴んで、無理矢理連れて行く。

 ユーノも随分、束の取り扱い方を覚えてきたな。なんて感心していた千冬だが、ふと気になった事があり、なのはに尋ねた。

 

「なのは、ユーノのことなんだが」

「え、なに? 千冬ちゃん」

 

 まるで凶暴な野生動物と、それを苦労して確保した猟師のような二人に臆面もなく手を振っていたなのはだが、

 

「ユーノのやつ、お前の所に居候するんじゃないのか……?」

 

 と言われると、とても意外そうな顔をしてこう答えた。

 

「え? 束ちゃんと一緒にいるんじゃないの?」

「なっ! だ、だがなぁ、四六時中束と一緒だぞ!? そんなことこの世の誰が承知するものか」

「そうかなぁ……ユーノくんの方から言い出したんだけど」

「なにぃっ!?」

 

 さっきの束と同じくらい、千冬も自分の耳を信用できなくなっていた。

 自分から? 自分から、束の庇護下に入っていくというのか? 明らかに正気の沙汰ではない。確かにユーノはここ一ヶ月半、束の助手にされても何とか生き残っていたが。だからこそ、もうこれ以上は勘弁ならないと思っていて当然だし、本人だってそう言っていたはずだ。

 だのに、どうして。千冬の疑問は、しかしすぐに氷解した。

 

(そういえば、クロノが言っていたな。『篠ノ之束に何かおかしいことがあれば、逐一報告してくれ』と)

 

 その忠告と、転移前、ユーノとクロノにより長い話し合いが行われていたことを合算すれば自然と答えは明らかになる。

 要するに、ユーノは束の監視を頼まれたのだ。確かに、年が近くしかも勝手に助手という扱いをされているユーノは、束の意思や行動を監視する上で最も理想的なポジションにあるといえる。しかもミッドチルダ出身であるから、その報告の信頼性も俄然高くなるだろう。

 アースラもうまい手を考えつくものだと関心した千冬だが、同時に、もう暫くあの天災の近くで無茶ぶりだの抑え役だのをやらなければならないユーノに対して、不憫だなと瞑目し、手を合わせた。

 

「あいつも可哀想なことだ……」

「違うと思うな」

 

 千冬の口から漏れでた、ごく当たり前の同情。しかし、なのははそれに異論を呈す。

 

「なんだかさ、ユーノくんも束ちゃんも、二人でいるととっても楽しそうだもの」

「そうか……そう、見えるのか」

「うん。ちょっと、羨ましいくらいだよ」

 

 いつの間にか、束はターゲットを変え、ユーノへ噛み付いて鬱憤を晴らそうとする。ユーノは慌てて防ぐものの魔法は使えず、馬乗りの状態で繰り出される常人離れした攻撃を必死に交わす。終いには耐え切れずフェレットになって逃げ出し、逃すものかと追いすがる束と追いかけっこを始める始末だ。

 こんな光景が、なのはには楽しいじゃれあいに見えるらしい。全く肝が太いのか、間が抜けているのか。だが実際、ユーノもこちらへ助けを求めていないということは、きっと、そうなんだろう。

 尚も続く賑やかな追いかけっこを見続ければ、千冬はすっかり安心して、帰り道のある方角へと振り向いた。

 

「行こう、なのは」

 

 そう呼ばれてからも、なのははただじっと、束とユーノを見つめていたが。

 

「……うん!」

 

 やがて、振り向き、千冬と手をつなぎながら、家路を急ぐことにした。

 




次回、最終回になります。


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月のワルツ

 その日の夜。あれから家に戻ったなのはと千冬は、アリサやすずか、それから他の同級生たちとも遊んだりせず、久しぶりにのんびりとした休日を過ごした。一夏の世話をしながら、自分たちも足腰が立たないように見えるほど、ごろごろだらけるのんびりさだ。いつも庭で盆栽を弄ることしかしない恭也でさえ、

 

「まるで年寄りみたいだな」

 

と言ってしまう程だった。

 そうなるくらい、二人とも疲れていたし、休みたがってもいた。何しろこの一ヶ月半、魔法にジュエルシードにライバルに、果ては襲い掛かる大敵相手に飛び回り斬りかかり撃ちまくりの毎日であったから無理もない。

 その内翠屋から両親と美由希が帰ってくれば、お待ちかねの夕食である。二人ともお腹いっぱい食べたら、締めにアイスをパクリと平らげ。それからはまた、ひたすらぐうたらのんびりである。

 

「なんだなんだ、今日の二人は?」

 

 今まで何かと活発に動いたり、しきりにヒソヒソ話し合っていた二人の豹変を見て、士郎はからかうように問いかけた。

 

「まるでナマケモノみたいにごろごろして。女の子がそんなんじゃ太るぞー?」

「大丈夫ー」

「もう運動は一年分しましたから……今日だけは休みます……」

 

 フライパンの上のバターのように溶けてしまうくらいだらけきっているなのははまだいい。女の子にも時にはだらけたい時があるだろう。

 だが、朝起きて剣を振ってご飯を食べてお茶を飲んで剣を振って昼食食べてお茶を飲んで剣を振って晩御飯食べてお茶を飲んでもまた剣を振る、そんな毎日を繰り返していた鍛錬の鬼の千冬が、よりによって休むなどとは。

 

「……そうか」

 

 二人のだらしない様をよく見つめた士郎は、あっさり笑ってこう言った。

 

「なんだか分からないけど、二人ともよく頑張ったみたいだな! 偉いぞ!」

 

 両手を広げて、二人の頭をうりうりと撫でる。

 二人が以前、春の始めの辺りから、何かをし始めていたのには内心気付いていた。何をやっているのかは知らないが、毎日休まず早朝に出かけたり、夜もこっそり外出したり。篠ノ之さんの方では、あの大きな道場まで貸し切ったというではないか。

 正直何をしているのか、気にならないでもなかった。とは言え、士郎のような大人が子供のやることに口を出すのは野暮というものだろう。

 無論、危険なことではないかという疑いはあったし、もしそうなら、それとなく止めようともしたのだが。

 真剣な瞳で毎晩千冬と「作戦会議」なんかを繰り返している二人を見れば。

 剣道場を篠ノ之家の父親、柳韻と一緒にこっそり覗いたその中で、滅多打ちにされながらもふらふらのまま立ち上がるなのはと、苦しそうな顔をしながら、それでもなのはの言うとおり手加減せずに相手する千冬を見れば。

 それを止めることは、士郎にはどうしても出来なかった。

 

「にゃはは、ありがとう、おとーさん」

「……その、ありがとうございます、師範」

 

 もしかすると、士郎の判断は子供を守る父親としては失格なのかもしれない。危険から引き離し、自分の手の中で庇護してやるのが親の責務なのだろうし、現代社会において親がやるべき第一のことなのだろう。

 しかし現に、なのはも千冬も五体満足、ちょっとの傷とくたくたの疲れだけで帰ってきてくれて。そして、なのはは嬉しそうに笑い、千冬も恥ずかしがりながらちゃんと笑ってくれている。陰りのない二つの笑みから分かるのは、二人が自分の行いに、達成感や満足感を抱いていることだ。

 それはこの、まだまだ育ち盛りな子供にとっては得難い財産になるだろう。

 二人や、その周りの様々な子供たちが互いに持つ、硬い友情と同じように。

 

「じゃあ、俺は一夏くんをベッドに寝かしつけてこようか」

「……ぁ、待ってください。私も行きます」

 

 士郎が、リビングのソファに座ってうとうとしている赤ん坊を抱きかかえると、千冬もそれに釣られてぴょこんと起き上がり、士郎の足元へぴとっと寄りかかりながら一緒に行こうとした。疲れていても、姉として弟とは離れたくないんだろう。

 しょうがないから、と士郎は千冬の身体を持ち、一夏と二人とも、小脇に抱きかかえてやる。そしてそのままのしのしと、二人の寝室がある二階へと歩いて行った。

 

 リビングに残されたのは、なのはと、洗い物をしている桃子のみである。美由希はお風呂に入り、恭也は自室で明日の準備でもしているのだろう。

 

「……ね、おかーさん?」

 

 その言葉に、桃子がふと、取り掛かっていた洗い物の群れから目を上げると。先ほどまでごろりと行儀悪く寝転んでいたなのはが、いつの間にか立ち上がって、閉じかけた瞼を開いていた。

 

「どうしたの、なのは?」

 

 さっきまでの無気力さとは打って変わって、なのははしきりに窓の外を見つめている。

 くすぶるような焦りにも似た表情は、まるで何かとてつもない忘れ物をしてしまっていたことに気付いたかのようにも見える。

 その手にはいつの間にか、ピンク色の携帯まで握られており。リボンを気にして、服の襟を直したりしているのだから、完全によそ行きの格好であった。

 

「ちょっと、お出かけしていいかな?」

「いいけど……どうしたの?」

「ううん。ちょっと夜風に当たりたいだけ。海浜公園まで行ったら、すぐ帰ってくるから」

 

 どう見ても、何か引っかかってしまう言い回しであったが、しかし桃子は顔色一つ変えず、瞬き程の間も無しに、

 

「分かったわ。でももう夜遅いから、なるべく早く帰ってきていらっしゃい」

 

 と了承した。

 

「うん、ありがとうおかーさん! じゃ、行ってくるね!」

 

 だっ、と駆け足で出て行くなのはへ、桃子は小さく手を振り、ただ見送る。

 こうなるずっと前から、なのはは何かの忘れ物に気がついていて。でも千冬がいたからそれも言い出せず、士郎と一緒にいなくなったからようやく足を踏み出せたのだろう。

 なのはらしいわね、と桃子は心の中で苦笑する。きっと、千冬を心配させたくなかったのだろうが、それならこんな夜に、一人の娘を送り出す桃子を、心配させるのはいいのだろうか?

 多分、なのははそれほどまでに、千冬のことを想っているのだ。

 それに、今からなのはが拾いに行くだろう「忘れ物」も、それと同じくらい大事なものであるはずだ。それこそ、母親の不信の目をかわすことなんて、忘れてしまうほどに。

 

(ほんとにしょうがないわね、うちの子たちは)

 

 桃子はそう思いながらも、士郎と同じく、娘や息子たちが持つそういう心を、迷うことなく肯定し、認めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方から増えてきた雲は、すっかり夜空を覆い、耽ってきた夜の帳に、少女が一人、佇んでいる。何をするでもなくベンチに座って、その場にある何にも誰にも目を向けず、ただ漠然と、何にも照らされないで真っ暗な海を見ていた。

 座り込んでじっとしている彼女の身体の中で、活発に動いているのは頭脳だけだった。座ったまま動かないままで、そこだけは常人の数十倍の早さで思考を巡らし、あるプログラムを組み立てている。膨大なスケールと緻密なディテールを兼ね備えなければいけないそれを、少女の頭脳は瞬く間に形にしていった。

 プログラムが出来上がれば、今度はそれを演算して、その中にあるアルゴリズムを解いていく。それを決められた通りの早さで実行することは、人間の脳ではとても成し遂げられないはずだ。地球や、もしかしたらミッドチルダのコンピュータでさえ難しいかもしれない。

 しかし少女の脳内は淀みなく動き、作り上げられた二つのプログラムを完璧に演算していた。

 そして、彼女の目が映す海の上が、段々と変わっていく。

 最初はちか、ちか、と朧げに、しかし段々はっきりと『見えてくる』それは、魔法の光。桜色と金色。二つの光が空を舞い、ぶつかったり離れたりを繰り返している。

 脳内でエミュレートされたものが、視覚情報として認識され、目で見ている情報に上書きされて映しだされたのだ。所謂幻覚というもので、通常は脳の機能の誤作動でしかない。しかし少女は、それを意図的に行って、しかも無意識で脈絡なく映すのではなく、完全に制御していた。

 

(……)

 

 だから少女には見えるし、聞こえる。

 潮騒の音を霞ませて遥かに余りあるほどの、魔力の衝突音と、破裂音。

 戦い合う二人の魔導師、が杖を鍔迫り合うように杖を打つ音だって。

 少女の助手は、それは素晴らしい仕事をしてくれた。十七層に及ぶ観測魔法が転送した映像から、少女はその現場で起こった出来事を演算するのに、十分すぎるほどのデータを読み取ることが出来たのだ。

 全て、少女には理解できる。その日の気温、空気の流れ。今、白い魔導師が放った桜色の光が僅かながら風に流された。弾道が左にずれるので、誘導を利用してして少しずつ修正している。そんなことまで、分かってしまう。

 

(……それで?)

 

 やがて、魔導師二人の対決は、それぞれの全力の撃ち合いへと移行する。30分にも満たない戦闘時間の中で、互いに魔力を出し尽くし、緩やかな体力切れを迎える前に一発で勝負を決めようとしているのだ。

 先ず動いたのは、黒衣を纏った魔導師。相手が大魔法のチャージを始めれば、魔法そのものの抜き打ちで対抗するように詠唱を始め――たかのように見せかけて、バインドにより相手を固定。何もさせないまま、確実に相手へ直撃させるための引っかけだ。

 そこから展開されたのは、何の変哲もない、連射型の射撃魔法。但しその数、合計38個。複雑な術式にも高度なテクニックにも依らない、只数と威力で押しまくる、正しく必殺の魔法だった。

 黒い魔導師の号令の元、金色の弾丸は一斉に放たれる。しかも秒間七発、合計斉射時間きっかり四秒で、計1064発の飽和攻撃だ。

 結果は予想通り、全弾直撃。これでまず間違いなく撃墜できるし、仮に出来なかったとしても防御するだけで魔力を全て削る事ができる。それこそ、後は少し小突くだけでダウンするくらいに。

 しかし、魔導師の目に油断はない。斉射後のダメ押しとして、残った魔力をかき集め一際大きな魔槍を作り、未だ晴れない爆煙の向こうへと放った。

 そしてこれも、直撃。拡散する雷光が周囲の構造物を抉り、爆発が周囲に広がった。

 

 しかし。

 その全てを受けきって、白い魔導師は尚も、空を飛んでいた。

 

(……だから?)

 

 そして白い魔導師は、返すように砲撃の態勢へと移る。黒い魔導師もさせるものかと、空になりかけの魔力をフル回転させて回避しようとするが。

 設置型で、しかも構築から遅延して発生するように調整されたバインドが、その四肢を掴んだ。

 後の先を取る。対決の最初で、白い魔導師が行った戦術。それは最初から最後まで、魔導師の知恵と戦術を貫く一つの軸であったのだ。

 まずは一発。自身の残りの魔力を全て、景気良くデバイスに注いだ白い魔導師は、直射型の砲撃魔法を放った。バインドで縛っているのだから、もちろん直撃する。

 しかし、この程度なら耐え切ってしまうかもしれない。勝利への執念は、こちらも向こうもそれぞれ強く負けてはいないから。だから、最後の最後、ダメ押しのダメ押し、相手を打ち倒す大本命を放たねばならない。

 白い魔導師は砲撃を終了した後、それを撃てる程の空間を求めて天へ昇った。

 

(……だから、どうしたっていうの?)

 

 その危惧の通り、黒い魔導師はギリギリ生き残っていた。身体は傷つき、魔力も切れかけているが、すんでの所で落ちずに、空を漂っていた。これで勝負は決まったことになる。互いに魔力切れなら、戦闘経験において辛うじて上回っている黒い魔導師の方が勝つのだから。

 しかし、頭上を押さえつけられるような悪寒を感じて、黒い魔導師が頭上を見上げると。

 そこには、極大の魔法陣と、あり得ないほど大きな星があった。

 

(……そんなものが、なんだというの)

 

 集束魔法。

 戦闘中に散らばった魔力の僅かな残滓を集め、自らの魔力を消費することなく大威力を放つという、ある種裏技のような魔法。

 白い魔導師が編み出した、知恵と戦術、最後の切り札が、それだった。

 

(くだらない)

 

 それはあくまで砲撃魔法とはいえ、規模からしてかなりの範囲を焼き尽くす。黒い魔導師には、もはや回避するほどの魔力も残っていない。

 

(くだらない、くだらない)

 

 せめてもの抵抗だろうか、五層に及ぶ防御魔法を張るが、そんなものは紙くず同然だ。

 

(くだらない、くだらない、くだらない)

 

 今、全てに決着を着けるため。白い魔導師は杖を振り下ろし、そこから、黒い魔導師を完全に蒸発させてしまう光が――

 

 

(くだらないっ!!)

 

 

 そこで、彼女の――束の計算した状況再現はぷつりと途切れ、その視界に踊っていた白も黒も桜も金も、消え失せた。

 

「……」

 

 彼女の心の中にあるのは、自己嫌悪である。

 何だ今の妄想は。本当のなのはとフェイトの戦闘は、こんな味気ないものではなかったはずだ。もっと二人とも激しく、熱く、輝いていたはずなのだ。

 束のエミュレートは確かに完璧である。それをもし何かを通じて外部に出力できたなら、あの戦闘を生で見た誰もが首を縦に振るだろう。完璧に再現されていると。その一挙一動に至るまで、寸分狂いなく現実のままであるとも称されるはずだ。

 だが、そこには熱さがない。たかが9歳の少女二人の心の動きくらい、簡単に推察できる。しかし束が推察した時点で、そこから熱さが逃げていき、冷たい厳然な事実へと代わってしまう。再現できるのは事実だけで、二人の心の中にある熱さは、どうしても創りだすことが出来ないのだ。

 

 だから、なのはの本当の心を折り曲げて、こんな改変をしてしまう。

 もしあの収束砲撃が魔力ダメージのみでなかったら、物理破壊設定であったら。

 

 それで、あのフェイトとか言う女の子が、この世から居なくなっていたら――なのはの目は、あのお別れの時だって、束の方へ向いていた。

 

 なんて、なんて馬鹿げた空想を、本気にして、しまう。

 

「……ぅ」

 

 なんという無様だ。

 正真正銘の天才、篠ノ之束が、嫉妬なんていう幼稚な心を御しきれないでいる。そうして、起こった現実をわざと捻じ曲げるなんて真似をしてしまうとは。

 これでは、アレと同じじゃないか。吐き気がするほどの嫌悪感が湧く。

 

 千冬が聞いたら笑うだろう。笑いに笑いに大笑いして、それから束の頭を木刀でぽかり、と思い切り叩くはずだ。なのはには只のげんこつなのに、不公平極まりない。

 それから、そういうことを実際にやってのけて、、それでなのはに申し訳が立つか? なんて言い出すに違いない。それは正しい。間違いない。世の中のルールを無視している束に向かって、そういうことを言えるのは千冬しかいない。

 だが束だって、そんなことは分かっているのだ。

 ユーノに言ったらどうなるか。彼はとても優しいから、出来る限りの手段を使って束を慰めてくれるだろう。鬱屈した思いを溜め込んで、暴走しないように。

 そんなユーノの気遣いは、束にとって邪魔ではない。単なるデータ整理だけではなく、そういうフォローも出来るから、彼を未だ助手において、自分の食事を半分分けてやって、寝床まで提供しているのだ。

 でも、それだけじゃ足りない。和らぎはするだろうけど、結局は対処療法に過ぎない。

 

「ばかみたい……」

 

 浮かんだこれらの考えを、束は一瞬で切って捨てた。彼らは確かに、自分を思ってくれるだろう。しかし、それらと束とは、決定的なまでにずれているところがあった。

 そして他でもない、そういう好意を受け止められなく思う自分に、

 

「つまんない、なぁ」

 

 という、評価を断定した。

 

 無性に、なのはの声を聞きたくなった。

 あの、何も考えていないようで、結構考えていて、それでもいざという時考えではなく本能的に放たれる声。少女らしく甘ったるくても、それと同時に、聞いている者の心を背中から叩いて押してくれるように凛として響く、あの素晴らしい声を。

 

――束ちゃん、どうしたの?

 

 なんて、とぼけた調子で聞いて欲しかった。私の悩みなんか分からないけど、苦しい顔をしていることは見つけてくれて、そうして歩み寄って欲しかった。

 そうすれば、束は苦しみから解放される。

 あの時と同じで、高町なのはは篠ノ之束の全てを受け入れて。

 理解しようとしてくれるはずだから。そういう限りのない受容こそが、この世でただひとつ束に与えられた道標だ。

 

(でも、来るわけない。こんな所まで、今来るわけがない)

 

 なんとも暖かくて女の子らしい夢想だが、科学者としての束はそれをあっさり否定する。こんな夜に、もしもなのはが外に出たとして。それがここまで辿り着く可能性は、概算してみれば限りなく、0に近い。

 かつてユーノの助けに応じたような、魔力による導きだって無いのだから。

 

――やだなぁ、束ちゃん。束ちゃんが寂しい思いをしてるなら、私はそこへ行くよ。いつだって、どんなときだって――

 

 あぁぁ。

 何だこの思考は。

 ふざけるな篠ノ之束よ。全てを冒涜する天才よ。

 いつもの自信と元気、他人をからかう傍若無人はどうしたというのだ。

 これではまるで、ただのごくごく普通の小学3年生ではないか。

 今すぐこの妄想を終わりにするんだ。そしてラボに急ごう。じっくり新研究に打ち込めば、あんな下らない感情なんて直ぐに忘れてしまうはずだ。『白式』を直しそして完成させるなど、やりたいことはまだ沢山あるじゃないか。

 

 なんて悶々としていた束が、聞こえる幻聴をシャットアウトしようとベンチからがたり、と立ち上がった、その目の前に。

 

「束ちゃん!」

 

 本物の、高町なのはが、そこにいた。

 

「なのちゃん……!?」

 

 束は驚いて振り返る。しかしその顔に、咎めるような表情は浮かんでいない。もしかしたら実は、心の中ではなのはが来てくれると確信していたのかもしれない。しかし、余りに非理論的だったので、その可能性を極めて低く見ていたか、全くの的外れだと考えていた。

 それでも、なのははここにいる。夢でも幻でもなく、確かにいる。

 

「にゃはは、やっぱりここにいた」

「やっぱり?」

 

 急に出て行く自分のことを心配した、ユーノにでも話されたのだろうか。

 そんなロジカルな想像は、リリカルな答えによって、真っ向から打ち砕かれる。

 

「えとね。もしかしたら、束ちゃんここにいるかなって思って。そうしたら、なんだか勝手に足が動き出したの」

 

 もしかしたらってなんだ。なんだかってなんだ。

 分からない。海鳴市は広いし、束の行動範囲は更に広い。愚かな考えに囚われた頭を冷やすためなら、例えば北極まで行って比喩でなく全身を冷やし尽くすことだって出来るのに。どうしてピンポイントでこの公園に辿り着いたのか。

 それが、二人を結ぶ運命なんだよ。なんて乙女的な解釈が出来れば、どれだけ楽か。束の矜持は、この事象について、納得のできる結論を出さねば収まらない。しかし同時に、それはどうあがいても無理なことだとも諦めてしまう。

 だってこれは、なのはの側でいつもいつも起こる、小さな奇跡の一つにしか過ぎないのだから。

 

「ふうん……なのちゃんてさ」

「なに?」

「ホント、意味が分かんないよ」

 

 本心からの言葉は、侮蔑としては聞こえず、むしろ賞賛だった。

 だからなのはも、嫌な顔一つせずに受け取る。

 

「そっか……束ちゃんにそう言われると、なんだか嬉しくなるね」

「なんでかな? 馬鹿にされてるって思わないの?」

「そうかもしれないけど……でも、束ちゃんってとても頭いいから。もし馬鹿にされてても、それはちょっとは怒っちゃうけど、間違いだなんて言えないよ」

 

 なのはの言葉は嬉しいが、束にその言葉に頷けはしなかった。

 束はさっきから、どうにも青臭いことばかりしている。嫉妬に身を委ねてはそれを悔やむ、なんてのは常人がやることだ。

 それではいけない。もう少し、割り切ってしまわねば。

 天才というのは、そういう下らないことから離れていなければならない。ただ純粋に自らの興味あるもの、愛する者の為にひたすら情熱を注ぐ、そういう存在でなければならない。

 そう、所詮他人の意思なんて、あっさり吹き飛ばしてしまえばそれでいいのだ。

 あの時、分厚い結界の中で全ての干渉を排除し、なのはと千冬、二人だけの劇場を創りだした時のように。

 そう有りたくて、束は自分で自分を『天才』だなんて嘯いているのだから。

 

「……」

「あれ? 束ちゃん、どうしたの?」

 

 でも。千冬のしかめっ面を思い出す度に、何の興味も関係もない、ただ利用しあうだけのユーノが、自分を心配してくれるという事実を認識する度に。

 そして、目の前にいるなのはが、何の気なしに、首を傾げて微笑む姿を見る度に。

 

 今の『篠ノ之束』に、そういうことは出来ないという結論が、弾き出されてしまうのだ。

 

「……なのちゃん、私ね」

 

 ああ、なんて青臭い。初心で、生煮えで、未成熟な私。

 これではとても、あの老女を馬鹿にすることなんて出来ないじゃないか。

 

「私……わた、し……」

 

 歯を食いしばって口を閉じた束は、しかしその胸に渦巻く感情を喉奥で練上げる。どうせ青臭いなら言ってしまえ。フェイトのことを邪魔だと思うと。なのはがフェイトに取られやしないかと思ったら、不安で胸が一杯になってしまうことを。

 しかし、その最後の最後、吐き出す寸前で留めてしまう。

 

「……」

 

 それは、恥じ入らずに感情を撒き散らすより、よっぽど天才らしくないことだった。

 そういう生の、率直な想いや欲求を、発明や発見という形で世の中に突きつけ、世界を変えていくのだって、天才なのだから。

 それでも、どうしても口が開かない。

 言ってしまって、大事な友達をまた一人増やせた少女を、傷つけたく、ないから。

 そう思うこと自体が、既に天才らしくなくて。でも、束の心はそう思っていて、自分の心には、嘘をつくことをしたくなくて。

 何も言えずに、黙ったままでいた。

 

「束ちゃん、私ね」

 

 だから、最初に言葉を投げかけるのは、あの時と同じく、なのはだった。

 

「束ちゃんが、ユーノくんと仲良くしてるのを見て……ちょっと、ちょっとだけ、羨ましいな……って、思っちゃっ、た……」

 

 なのはは深く顔を俯かせ、今言った言葉がいかにも重罪の自白であるかのように恥じ入り、消え行くようなか細い言葉を紡ぎだす。それは束にとって、今までのどんな『予想外』よりもはるかに色濃く、そして驚愕に満ちた『予想外』だった。

 

「な、なのちゃん……どうして?」

 

 ユーノとなんか仲良くない、とは言わなかった。ただ、どのような思考で持って、そういう結論に辿り着いたかどうかを聞き質す。

 だって、言うはずのない言葉なのだから。いくらなのはが『予想外』の塊でも、これだけは。

 いや、『予想外』だからこそ、そんなことを言うのはあり得ない。

 

「私ね、最初はユーノくんが束ちゃんの側にいてくれて、とても嬉しかったんだ」

 

 そう。

 なのはが束に一番望んでいることは、今も昔も同じはずだ。

 束の今生きている世界が、つまらないものではないことを理解させる。そして、世界をつまらないものにしないように、頑張る。

 束がこの世界を一先ず「楽しい」と認識しているのは、なのはという友達を得たから。つまなのはの立場としては、束の友達を増やす事こそが、束の世界を楽しいものにさせる一番の方法なのだ。

 

 だから、なのはは頑張っていた。

 束とアリサ、すずかが、予想される限り最悪の出会い方をした時。

 千冬と束が出会った後、その性根の違いから何度も何度も仲違いしかけた時。

 なのははいつも両者の間に割って入り、ひび割れた関係を修復するため力を尽くした。

 そしてユーノが束に攫われた時も。なのはは止めず、それどころか、本来自分のペットになるはずのユーノを何の戸惑いもなく束に預けた。

 その結果として束はユーノを『助手』として扱い、事件の間だけでなく、今も側においている。

 

 こうして今、束の周りにはなのはだけではなく沢山の人たちが居る。

 かつて一人ぼっちだった女の子は、もう一人ぼっちではなくなった。

 

 束にとっては後ろ髪を引っ張られてむずむずするようなその事実は、しかしなのはからしてみれば、ジュエルシードを集めきったことより嬉しい結果であるはずだ。

 

「でもね」

 

 だのになのはは胸を押さえ、その奥から中々出て行かない気持ちを、絞りだすように語りだす。

 

「全部終わって、こうして見ると……私と束ちゃん、なんだか遠くなっちゃったなって、思うの」

 

 遠い。言われてみれば、束にも思い当たる。

 この事件の間、それまで密着仕切っていた二人の距離は、大分遠のいている。なのははジュエルシードを集めるために街中を飛び回り。束はミッドチルダ式魔法のメカニズムを解析して応用し、『白式』を完成させるためラボに籠もりきりだった。だから、直接顔を向けて会った回数を数えてしまえば、片手の指で足りてしまう。

 でも、束はその間片時も、なのはのことを忘れてはいない。

 そういう気持ちを込めて、束はあえておちゃらけた冗談を返す風に返答した。

 

「そ、そんなことないよぉ! 私が考えてるのはなのちゃんとちーちゃんのことだけだって。あんなフェレットのことなんて、なんにも」

「そうかな? 本当に、そう?」

 

 だが、澄んで潤んだ瞳にまっすぐ見据えられると、束もうっ、と言葉に詰まる。

 それがそのまま、答えになった。

 

「本当にそうなら、ユーノくんを『助手』だなんて言わないはずだよ。束ちゃんが助手を作るなんて、今回が初めてだったし」

 

 そう、初めてなのだ。篠ノ之束が、自分のラボにまで定住を許した人間は、ユーノ・スクライアというただの異世界人の少年が初めてなのだ。

 なのはも何回かお泊りはしたけど。いつも束と一緒にいるなんてことはなかった。

 

「それがね、なんだかとても……とてもっ……」

「悔しい」

 

 なのはが後一歩の所で言葉に詰まり、手を握り締めて一生懸命に何か言おうと頑張っている。そういう所を見た束は逆に、自分の言葉のつっかえを外して、今まで言おうとしても言えなかった言葉をするりと口に出した。

 

「そう! 悔しいんだ……おかしいよね」

 

 ぽたり、ぽたりと、なのはの瞳から涙が溢れて、革靴に落ちる。

 

「アリサちゃんとすずかちゃん、それに千冬ちゃんが束ちゃんと知り合っても、こんなこと思っていなかったのに」

 

 そして束も、いつの間にか涙を零していた。

 

「束ちゃんに一杯友達が出来るの、とても嬉しいはずなのに」

 

――なのちゃんが友達を作るのは、なのちゃんらしくて、とても面白いはずなのに。

 

「どうしてかな。束ちゃんが段々、離れていっちゃうような気がして」

 

――どうしてだろう。なのちゃんが段々、離れていっちゃうような気がして。

 

「とてもとても、寂しいの」

 

――とてもとても、つまらないの。

 

「……あは」

 

 あぁ、なぁんだ。

 束はようやく気づいた。

 私たち、同じなんだ。

 一人は天才で、一人は魔法少女だけど。

 でも同時に、まだ子供で、ごくごく普通の小学3年生で。

 

 

 だから私たち、友達になれた。

 

 

 ――でも、もし、そうでなかったら――?

 

 

「……なのちゃんっ!」

「にゃっ!?」

 

 束は湧き上がる衝動を解放し、思い切りなのはにぶつかって、その身体をぎゅっと抱きしめた。

 

「あ……」

「なのちゃんっ、なのちゃんなのちゃんなのちゃんっ」

 

 そして、なまえをよぶ。何度も、何度も。

 高町なのはという名前を覚えている、その喜びを一回ごとに噛み締めるように。

 だから、なのはも応じて、なまえをよんだ。

 

「束ちゃん、束ちゃん、束ちゃん束ちゃんっ……」

 

 抱きしめ返す手は、強くて熱い。だから、束も更に強く抱きしめ返す。

 

「私、なのちゃんと友達になれて良かった……本当に、良かった」

「うん、わたし、私もっ! 良かった!」

 

 私も、貴女も、今ここにいられるのは、貴女が、私が、ここにいるから。

 そうでなくても、ここにいたかもしれないけれど。でもそれは、今の私たちとは絶対違う。

 良くも悪くも、今の二人がいるのは、二人のせいなんだ。

 だから、心配なんてしなくていい。

 なのはの周りにどれだけ友達が増えようとも。束の世界がどれだけ色鮮やかになろうとも。

 束はやっぱり、なのはの大切な友達で。なのははやっぱり、世界で一番綺麗だから。

 

「ねえ、束ちゃん」

「なあに」

 

 密着した状態から、ちょっと離れて、なのはは提案する。

 

「踊ろうよ」

 

 伸ばされた手。

 それは突拍子もない、理屈に合わない、不合理で噛み合わない行為。

 だけど束は、差し出された手の平に、自分の手を重ねた。

 

「うん」

 

 そうして、二人は向かい合い、足を運んで踊り始める。

 なのははダンスなんて知らないし、束は知っているけど、やったことは一度もない。

 だから、ただ片手を取って、互いの身体を近づけさせるだけの、稚拙な真似事にしかならなかった。時々足なんか踏んづけじゃったりして、小声でごめん、と言ってから、またくるくる回り出し。今度はコマのように早く回りすぎて、なのはだけ目を回してしまう。

 あぁ、下らない。でも、なんだかとっても。

 

「楽しいね」

「うん」

 

 一休みした束がそう言うと、なのはは頷いて、それから目を閉じて何やら呟き始めた。

 すると、束の足元からふわり、と浮き上がるような感覚が生まれる。ひんやりした空気が縦方向に肌を撫でた。

 持ち上がっている、と即座に気付いて足元を見れば、そこにはピンク色の魔法陣があって、二人、いつの間にやらその円形の上に立っていた。

 

「なのちゃん、これって」

 

 魔法の秘匿とかそういう関係で、いけないんじゃないのか。

 目でそう問い質すも、なのははいたずらっぽく、にゃははと笑うだけだった。

 

「さぁ、しっかり掴まってて」

 

 魔法陣はそのままぎゅうぅん、と真上に向かって上がっていく。慣れ親しんだ地面はどんどん遠のいて、その代わりに黒い雲が頭上へどんどん迫り来る。

 

「ちょっと揺れるかも。気をつけて」

 

 その言葉通り、浮かぶ二人が雲にぶつかった時、ぐらぐら、と足場の魔法陣が揺れた。しかし、二人を丸ごと多い、内部の乱気流で吹き飛ばすはずの雲は一向に襲ってこない。どうやら、魔法陣の上には無色のバリアーが半球状に展開されているようだ。

 

「もうちょっと、もうちょっと……!」

 

 ふと、束がなのはの首元を見れば、そこにいつも輝いている赤色の宝石が姿を消していた。どうやらこの術式、正真正銘なのは一人の負担で保持しているらしい。デバイス無しでの展開は、なのはにもそこそこの負担が生じるはずなのだが。

 それだけ、二人きりになりたかったのかもしれない。

 

「……いくよ束ちゃん、上を見て! さん、にー、いち!」

 

 なのはがカウントダウンを終えると、束の視界は真っ黒からあっという間に弾けて開けた。ちょうど雲を抜けたらしい。満天の星空が、束の視界を包むように瞬いている。

 そして東側を見れば、見事に丸く欠片ない月が、青白く妖しい光を放っていた。

 

「すごい……」

 

 海鳴の地表を覆う雲の上。そこにあるのは月と星の光だけで、二人以外に何も、誰も存在しない。それが、束の心を何より熱く灯らせた。

 星はなんて綺麗なんだろう。月はなんて美しいんだろう。

 それは、二人の、そしてこの世界に生きる少年少女たちの前途に広がる、果てしない未来のようだった。

 

 正に、未来は天井知らず(インフィニット・ストラトス)

 

「さあ、踊りを続けましょう? 月のウサギのお姫さま」

 

 この単純で、それでも純粋で真新しい原風景を見たからか。

 なのはは珍しく芝居がかって跪き、手を伸ばして束を誘い出す。

 それが余りにおかしくて、束はぷっと吹き出しながらも、同じくらい大根芝居な優雅さを以って、その手を取った。

 

「はい、魔法少女の王子さま」

 

 あはは、にゃはは。

 似合わない言い回しに、互いに呆れて笑いながら、また踊りが始まる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 くるくる、くるくる、らん、ららら。

 

 遥かに高い空の上、でも、落ちたらどうしようなんて、考えない。

 だって、友達だから。

 愛しているから。

 

 

 愛して、信じているのだから。

 

 

「楽しいね、束ちゃん。束ちゃんは、楽しい?」

「うん、とっても」

「そっか、良かった」

 

 二人のワルツはいつまでも続く。

 誰も見てはいない。ここに改めて契られた、熱くて硬い友情を、証明する者は誰も居ない。

 しかしただ満月だけが、小さな二人を見つめている。

 

 束は全てを得心した。

 

 今日は満月で、それが、こんなに蒼いのだ。

 巡り合えないはずの二人の友達が出会ったとしても、おかしくはないし。

 孤独であるはずの少女が、出会わないはずの少女と出会ったりしたって何もおかしくない。

 だって、あの日の夜も、この夜も。空には蒼い満月が昇っていたから。

 

 こんなに月が蒼いのだから、不思議なことが起こった。

 

 

 小さな奇跡にこじつける理由なんて、それだけで、十分だろう。

 




以上。なのはさんと束さんのお話、ここで一旦一区切りとなります。

これからも様々な難事件やトラブルが、二人を襲うことでしょう。
ですが、そんなものでめげる天才でも、魔法少女でもありません。
きっと二人仲良く、千冬、ユーノ、それから沢山のお友達と一緒に立ち向かって。
元気に華麗にぶっ飛ばしていくことでしょう。
そして、今は赤ん坊の一夏や箒が成長した、その時には。
強くてかっこいいお姉さんと、愉快で可愛いお姉さんが、二人を見守ることでしょう。

そのお話は、またいつか、どこかで――

……とまぁ色々書いていきましたが、正直どうするかすっごい迷っております。
とりあえず、この作品の他にも放置してるのがあるので、そこから段々取り掛かっていきたいなぁ、と。
そしていつか、IS学園にやってくるなのはさんだけは、これだけは書きたい。ここまで読んでくれた皆さんにご覧頂きたい。そう考えております。

では、全20万字、文庫本に直して一冊強、二冊にちょっと足りないくらいの作品をここまでご覧頂き、誠にありがとうございました。

凍結する人


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仲良きことは?(おまけ)

挿絵を頂いて許可を貰うまでドキドキでPCから離れられませんで、そんな時に書きました。


 あの事件から一ヶ月くらい経って、小学生はそろそろ夏休みシーズン、という日。篠ノ之家の軒先にあるバラック建ての小屋の中に集まっているのは、例のごとくいつもの五人組だった。

 

「うりっ、うりっうりっ」

「ぐぬぬ……!」

 

 雑多なガラクタにも似た、しかし中身は全て時代の先端を行く愉快な発明品に囲まれつつ、何故かそのど真ん中に鎮座している42型の大きなブラウン管テレビの前で悪戦苦闘している少女が一人。それから、鼻息混じりにのんびり手を動かす少女がもう一人。

 それぞれテレビから伸びている、6ボタンスティック式のコントローラーを目まぐるしいほどに動かしているのだが、外野として画面内をどう見ても、さらに直接見える二人を見ても状況はウサミミのついた少女に有利なようだった。

 

「あぁぁ、ちょ、そこでなんでどうしてっ」

 

 金髪の少女、アリサ・バニングスの顔面が青白くなったのは、ただの凡ミスという訳ではないだろう。彼女自身そんなヘマをせず、むしろ完璧に近い動きをしているはずなのだ。しかし、すぐ横で戦っている少女の入力動作がそれを凌駕し、アリサの操作キャラを叩きのめしていく。

 

「ほいほいほい、壁だねーどうするのー後6.73秒後に差し込むよー?」

 

 まるで、今週のおかずを告げるような気軽さで語るアリサの対戦相手。しかしそれは、確固たる計算と予測の元に述べられた『必然』である。少なくともアリサという少女の力量では、彼女――篠ノ之束の行動予測から一歩も逃れられない。

 

「くぬっ……!」

 

 泰然自若と構える余裕ヅラは、まるで孫悟空を手の平の上で散々弄ぶ釈迦如来のような、壮大さと残酷さを内包している。例えアリサが勝利を放棄し、自棄鉢でスティックとボタンを暴れさせ、せめて一撃すら叩き込めていない状況から一矢報いてやろうと考えるにしても。

 

「はーい刺さってーかーらーのー壁コン行ったねー? これでダウンだよ?」

 

 その結果できた隙へ見事に差し込まれ、その時間が宣言した通りきっかり宣言の6.73秒後なのだ。自分とはものが違う、と認めるしか無い。というか認めなければ敗北に納得出来ないのが、アリサの幼い悔しさだった。

 

「そのままぁーループしてーループして―超必打ってはい、しゅうりょー」

 

 一旦刺されば、何も抵抗できずに残り体力バーを全て削られ、そこで試合終了。時間にして一分足らず。束の操作キャラには傷の一つもついていない、完全勝利だった。

 

「うぅ……また負けたぁ」

「最後いっつも焼け鉢になるよね君は。読みやすいったらありゃしないよ」

「も、もっかい! もっかいやるわよ束!」

「ええぇー? まぁこのゲームならいいけどさ。いい加減諦めたら? 今まで全戦全敗だよ? 逆転の目も無いのに戦って意味があるのかい?」

 

 こうして負け続けるのは今に始まったことではない。束が手慰みにこのゲームを開発してから、対戦ゲーム得意を自負しているアリサは毎回のように束へ挑み、何度も何度も負け続けている。

 束の価値観からしてみると、どれだけアリサが腕を上げようが熟練しようが、開発者にして天才な自分に敵うはずもない。というのにめげずに戦おうとしているのは、学習能力のない間抜けだと思えてならないのだが、その上更に

 

「うっさい! 戦い続けることに意義があるのよ! 特に、アンタみたいな理不尽にはね!」

 

 と譲らず、もう一回コントローラーを構え出すのだから間抜けも間抜け、底なしの大間抜けだ。

 

「はぁ……ま、いいか。次もパーフェクトしてあげよう」

「いつまで減らず口を叩けるかしらね!」

 

 だがまぁ、そういう間抜けだけど、集中しすぎて疲れて倒れこむのは後三試合後のことだろうし、それまでなら付き合ってあげてもいい。今の篠ノ之束は、アリサ・バニングスという小金持ちの一人娘にそれっぽっちの評価しか与えず、だがそれっぽっちだけ、評価してもいた。

 

「にゃはは、アリサちゃんも束ちゃんも、楽しそうだね!」

 

 そんな日常風景へ、慣れ親しんでいるようでうんうんと頷きながら、篠ノ之家の母親から配られた饅頭に舌鼓を打つのが高町なのは。

 

「……そうなのかな?」

 

 アリサの必死な姿と血走っている目に少しだけ怯えながら、その死に物狂いの勢いを完全にあしらい切る束にも尊敬と畏怖を抱いているのが月村すずか。

 

「私としては、アリサのやつに特訓の一つもしてやりたいが……ゲームは苦手だ」

 

 反応速度抜群の自分ならもう少し善戦できると確信しながらも、いざやると力を込め過ぎて超合金製のコントローラをも破損させてしまうので、アリサに一縷の望みをかけているのが織斑千冬。

 以上の五人が、海鳴市の中でもちょっとは名の知れている少女たち。一人が暴走し、一人がそれを追い掛け回しもう一人がそれを応援するので、二人がとばっちりで振り回される。そんなことを繰り返しながら、町中で小さい事件を何度も起こしたり解決していたりする、いつもの五人だ。

 だが、最近はそこにもう一人、少年が加わったりもしている。

 

「教授、みんな! 母屋の方からお茶持ってきたよ」

 

 数分後、瞬く間に3回決着を付けられて、疲労と虚無感でバタリと倒れたアリサの元へすずかがダウンしたボクサーを助けるセコンドのように駆け寄ったのと同時に。ラボのドアを開いて現れたのが件の少年、ユーノ・スクライアであった。

 

「あ、ユーノくん! アリサちゃんが、ほら、大変なのっ」

「ん? って、あぁ……また教授に挑んだのかい? ほら、倒れてないで、立って歩いて、向こうで休もう」

 

 アリサがやったのはただのゲームでなく、篠ノ之束特製の対戦格闘ゲームである。その操作とシステムの煩雑さを考えれば、五、六試合やった時点で小学生の集中力など摩耗しきってしまって当たり前だ。涼しい顔で、手加減なしのCPU戦もこなす束の方がおかしいと言える。

 

「つかれたぁ……」

「はい、お疲れ様。結局今回も駄目だったのかい?」

「悔しいけどね……。大体何よあのゲーム。確かにゲームとしては凄い完成度高いけどさ」

 

 何度かの完全敗北に心を削られて、脱力しきったアリサが見るのはブラウン管の画面だ。様々なコンボを繰り出して時折はぁ、はぁ、と悶えながら、CPUをいじめ抜く束。しかし、彼女の操作キャラクターも、ボコボコにされているキャラクターも同じ顔で、同じ姿だ。

 ただの同キャラ戦という訳ではない。他に選べる数十にも及ぶキャラクターも、姿こそある程度違うが全部同じ顔で、同じ体躯、同じ声。

 そう、それは。

 

「友達使って友達と戦うゲームって、何よぉ……!」

 

 プレイヤーキャラクター、全員、高町なのは。

 魔法少女のなのはや、変身ヒーローのなのは。さらには格闘家、剣術家、槍兵、ニンジャ、カウボーイななのはが存在する。ただの喫茶店員のなのはもいるし、水着系なのははなんと驚きの8種類、清楚なワンピースから危ないビキニ、旧スク水まで。そのドットの作り込みは出色の一言。

 そんな、高町なのはづくしのゲームだった。作り込みは凄いが、ここまで徹底しているともはや気味の悪さすら感じられてしまう。

 

「あはは、教授らしいけどね、あは、は……」

 

 深く深く溜息をついたアリサに、ユーノは同じくらい深く同情していた。第一ユーノ自身、ロケテストと称するテストプレイで何時間も付き合わされている。その苛酷さは、次の日なのはと会った時、その声と姿に一種の拒否反応まで覚えてしまったほどだ。もちろん、本物のなのはの天使のような優しさで、一時間もせずに治ってしまったが。

 

「……確かにな。おいなのは、お前は何も思わんのか」

「へ?」

「そうだよなのはちゃん! 勝手に作られちゃったんでしょ? 迷惑じゃないの?」

 

 千冬もすずかも見ていて同じことを思っていたのか、ここぞとばかりに傍観しているなのはを焚きつけようとしたが。

 

「んー……別にいいと思うけどな」

 

 この反応である。二人は揃って首をかくん、と俯かせた。なのはの良識も常識も普通の少女と何ら変わらず、それどころか一般の平均よりしっかりしている。しかし束に対しては、いつもいつも激甘なのであった。

 

「それに……こんなゲーム作っちゃうくらい、私のことを大切に思ってくれてるんだったら……それはとっても嬉しいな、って!」

 

 しかも、この言葉が表すように、最近その傾向がより一層勢いを増していた。

 例えば束は朝、なのはの胸元に飛び込んで必ずセクハラじみたボディタッチを行うのだが。前までは笑いながら止めず、しかしそろそろと束の手から距離を離していたのに、今はそうしない。

 ただ触られるままに、そのまま服を脱がされ、押し倒されてもそれはそれで嬉しいかな、というほどの受け入れぶりだ。

 このままでは、いくら自分たちが引き留めようと、いつか公序良俗に大きく反した行動を取るかもしれない。一度、なんとか釘を刺さなければ。この場にいる中で、なのはと束以外の全員がそう思っていた。

 

「はぁぁ……やれやれ、ごちそうさまね」

「うむ、もうお腹一杯だ」

「私も」

「僕も……」

 

 とはいえ、自分たちに何が出来るわけでもないと、見切りもつけている。束となのはのことなのだ。誰にも心を開かなかった天才と、初めて友達になった少女との間にある絆はどれほどのものか、分かっていないはずもない。

 だから、ユーノもアリサもすずかも、そして千冬も、なのはのノロケにも似た言葉を止めることはすっかり諦めていた。

 

「にゃ? 皆、お菓子まだ残ってるよ?」

「ちがわいっ、あんたらにごちそうさまなのっ」

「……??」

 

 他意もなしに聞き返してくるなのは。何の邪気もないその顔が可愛らしくて、しかし今更言われたくない勘違いである。

 だからアリサは、なのはの顔からぷいっ、とそっぽを向けたのだが。

 その表情にはそれとは他に、仲良さに対するムカツキだって、入っているのかもしれなかった。

 




アリサさんやすずかさんだって、束さんとはそこそこ良く付き合ってるのです。
と、そんな短編。


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