【完結】ブラック・ブレット ━希望の星━ (針鼠)
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問題ない

『…………レン………………生きて』

 

 

 唯一覚えているのは、最後にそう言った女性の顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いい!? 絶対に……ぜっっっったいに逃しちゃダメよ!!』

 

 

 音量調整を兼ねて耳元から離した携帯の口からけたたましい絶叫が吐き出される。声はまだ幼さを感じる女性。事実文明機器たるこの向こう側にいるのはまだ高校生の少女である。

 

 一方で、そんな電話を片手に疾走するのもまた年端もいかない少年であった。黒色の髪。黒い瞳。日本人としては体格も並。髪を押さえる白いカチューシャ以外、さしたる外見特徴もない彼に敢えて特徴を挙げるなら、

 

 

「大丈夫。任せろ」

 

 

 いつだって淡々とした口調と表情だろうか。

 

 初対面なら嫌われているのかと勘違いしそうなほどの平坦な態度も、電話口の相手は慣れた調子で怒鳴り返した。

 

 

『本当に? 本当に頼んだわよ!? 今月も事務所の収入ゼロなんだから! 私だっていい加減お腹いっぱいご飯食べたいビフテキ食べ――――』

 

 

 ブチリ、と唐突に電話は少女の叫び声を断ち切った。

 

 

「?」

 

 

 不思議に思い電話の画面を見やると、バッテリー切れの文字がピーピーと断続的な機会音と共に表示されていた。

 またやってしまったらしい、と明星(あきぼし) レンは己の相変わらずさに辟易とする。彼は機械との相性が限りなく悪かった。本人が不得手というのもあるのだが、とにかく相性が悪いのだ。どれくらいかというと、仕事上必須であるからと渡された携帯を壊したことなんと3回。1度目は力加減を誤って砕き。2度目は水に落とし、3度目は原因不明のブラックアウトから遂に目を覚まさなくなった。これが恐るべきことに携帯を手渡された1か月の、いや実際は1か月に満たない間のことである。ちなみにこうしたバッテリー切れはもう数えるのをやめたほど。

 

 振り返ってみると本人の不注意な点がほとんどに思えるし、実際その通りでもあるのだが、レンが文明機器を扱うとろくな事にならないことも事実で、彼の上司――――さっきの電話相手――――と同僚の勧めで電話とメール機能だけ使える簡単電話を現在は愛用している。それでもこうしたシチュエーションはいつまでもなくならない。

 

 遂に暗くなった画面を凝視するレンは神妙な面持ちで――――ただ表情に変化がないだけ――――携帯をポケットにしまうと、

 

 

「うん、仕方がない」

 

 

 バッサリ忘れることにした。彼の上司がこの発言を聞けば激怒していたことだろう。

 

 ちなみに、彼の上司である少女はその頃、突然切れた電話を片手に『また充電忘れてたわね……レン君のお馬鹿ああああああ!!』なんてことを事務所で叫んでいたとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ガストレア。

 

 それは世界の、人類の敵であるモノの名前。

 

 およそ10年前、突如発症したウイルスは瞬く間に感染者を増やした。ウイルスに侵された生物は例外を除き(・・・・・)恐るべき速度で生物のDNAを書き換え異形化させる。侵食率が50パーセントを越えて形象崩壊を経て生まれるモノが――――ガストレアと呼ばれるモノである。

 

 今、里見(さとみ) 蓮太郎(れんたろう)の前にいる異形もまたそう呼ばれる化け物であった。

 黄色と黒の毒々しい縞模様。8本の節足。全身を覆う体毛。そして、赤い光を放つ複眼。モデルスパイダーの因子を持つガストレア。

 

 蓮太郎はベルトから引き抜いた拳銃を構え、発泡。漆黒の弾丸は節足の1本をぐらつかせ、ガストレアが声成らざる悲鳴をあげる。

 傷口から溢れ出る紫色の体液を見て、蓮太郎は手応えを感じる。

 

 ガストレアは総じて超常的な再生能力を有している。しかし目の前の蜘蛛型ガストレアの傷が一向に回復しない。その理由は先ほどの漆黒の弾丸。

 バラニウム。

 ガストレアウイルスが発見され、人類が絶望に心折れる間際に発見された対ガストレア性能をもつ金属。詳しいことは現在でも解明出来ていないが、ガストレアはこのバラニウムを極度に苦手としている。再生能力の阻害。弱体化。

 先ほど蓮太郎が撃ったのは、バラニウムを加工して作られた弾丸である。

 

 悲鳴をあげるガストレアに、蓮太郎は好機とみて全弾撃ち切る。その間ガストレアは体を縮こまらせて一切動かなかった。

 それなのに、

 

 

「ありゃ?」

 

 

 銃口から立ちのぼる硝煙の向こう、ドクドクと体液を流すガストレアにはしかし、放った弾数の半分以下の穴しか空いていなかった。おまけに致命傷部位に当っている様子はない。

 

 

「――――――!!」

 

 

 声なき絶叫。そして突進。

 

 それが怒りの叫びであったかどうか考えるより先に蓮太郎はすぐさま銃を構え直してトリガーを引くが、カチンカチンと空虚な音が響くだけ。

 弾は、先ほど全て撃ち尽くしてしまったのだった。

 

 

「や、やば……っ!!」

 

 

 目に見えて焦った様子で蓮太郎はマガジンを手にするがそれが精一杯。そのときにはすでに眼前に猛毒滴る牙が眼前に迫っていた。

 

 体を硬直させる蓮太郎の目の前に人影が割り込む。耳をつんざく激突音と風圧。

 毒牙は蓮太郎に届くことなく目前で止まっていた。

 トラックほどの巨体のガストレアの突進は、文字通りトラックが衝突するほどの力があっただろう。それを止めたのはなんと学ラン姿の蓮太郎ほどの少年であった。

 

 

「れ、レン!」

 

「……蓮太郎。怪我はないか?」

 

 

 ガストレアの突進を真正面から、それも生身で受け止めた蓮太郎のよく知る少年の顔は、やはり普段と同じ仏頂面だった。今も体を押し込もうとしているガストレアを両の腕で抑えつけているのに顔の筋肉はピクリともしない。

 そもその尋常ならざる膂力に驚くべきことなのかもしれないが、彼のことを知っている蓮太郎からすれば今更な光景なのだった。

 

 

「――――って、レン! お前それ血!」

 

「む?」

 

 

 ツゥ、と顔だけこちらへ向けるレンのこめかみを伝う赤い血。おそらく衝突の一瞬掠めでもしたのだろう。

 

 

「…………」

 

 

 レンはしばらく時が止まったかのように停止して、ぐるりと首を前に戻す。

 

 

「問題ない」

 

「問題ないって――――」

 

「――――――!!」

 

 

 口数少なく話題を終わらせるレンに反論しようとする蓮太郎だったが、どちらでもなくガストレアが2人の会話を打ち切り否応なく視線を引きつけた。

 

 

「……っ」

 

 

 尚押し込まれる巨体を、尚レンはその決して大きいとはいえない体格で受け止める。

 蓮太郎はひとまず口からはみ出しかけていた反論を飲み込んで空のマガジンと予備弾倉を取り替える。

 

 それを撃つ機会は――――なかった。

 

 

「とうっ!」

 

 

 今にもレンに喰らいかかろうとしていたガストレアは突如横合いに吹き飛ぶ。――――否、吹き飛ぶどころではない。あまりに衝撃に大きく膨らんだ腹を爆発させ、石塀を壊しながらその瓦礫に埋もれてしまった。

 

 唖然とする蓮太郎と無表情なレンの前に、ガストレアを蹴り飛ばした(・・・・・・)人物は颯爽と降り立つとクルリとこちらへ振り返った。

 

 

「どうだ蓮太郎!」

 

延珠(えんじゅ)か……」

 

 

 光を幻視するほどの太陽のような笑顔だった。

 10歳前後の年頃の少女は臙脂色のツインテールを兎の耳のように跳ねさせて、藍原(あいはら) 延珠(えんじゅ)蓮太郎の腰辺りに抱き着いた。そうして見上げた目は、褒めて褒めてと訴え輝いてた。

 

 蓮太郎は苦笑に安堵と嘆息を織り交ぜて、小さな頭を左手で撫でる。――――油断だった。

 

 

「…………」

 

「レ、ン……」

 

 

 瓦礫の山の一部が爆発したかのように崩壊。中から飛び出してきたのは蜘蛛型ガストレアの足の一部だった。

 真っ直ぐ蓮太郎に向かってくる凶刃は、しかし蓮太郎に届くことはなかった。その前に遮るように差し込まれたレンの右手を貫いて、止まった。

 

 蓮太郎と延珠、2人が再び臨戦態勢に入ろうとするも、それは無駄に終わる。何故なら、彼女が来たから(・・・・・・・)

 

 

「わたしのレン君になにやってくれやがりますかあああああああああ!!」

 

 

 怒声。次いで瓦礫の山が、上から降ってきた彼女によって爆発する。

 

 瓦礫の山は跡形もなく消滅した。山があった場所は今や逆にクレーターとなって地面より凹み、瓦礫もそこにあったであろうガストレアの死骸も正真正銘跡形もなくなっていた。

 

 クレーターの中心に立つのもまた延珠と同じ年頃の少女だった。袖も裾も長いクリーム色のセーターに、下はホットパンツという出で立ちの少女はクルリと振り返ると、やはり抱き着くのだった。ただし今度はレンに、だ。

 

 

「大丈夫ですかレン君!? 病院……いや救急車!」

 

「問題ない」

 

「血が出てるじゃねえですか! 輸血! いいえ臓器移植!? わたしで使えるものならなんでも使ってくださいです!!」

 

「落ち着けウル」

 

「ぁぅ……」

 

 

 レンは無事な左手で右往左往する少女の頭を押さつけ、そのまま頭を撫でてやる。その撫で方はあまりにも不器用ながら、撫でられるウルは最初は困ったような顔をしていたが、やがて頬を上気させ恍惚としていた。

 

 

「レン、悪ぃ。助かった」

 

「済まなかった。妾も油断していたのだ」

 

 

 蓮太郎と延珠が近付いてくると、トリップしていたウルの目がギンッ! と吊り上がった。

 

 

「延珠! 倒すならきっちり倒しなさいです! いや……そもそもそこのマヌケ三白眼が油断なぞしなければ――――」

 

「そんなことより蓮太郎」

 

「あぅー」

 

 

 同じようなやり取りでウルを黙らされたレンは、先程までよりずっと真剣な眼差しで蓮太郎を見据えた。それに若干の緊張を覚える蓮太郎は知らず喉を鳴らす。

 

 

「やばいぞ」

 

「な、なにがだ?」

 

 

 真剣な顔で、真剣な眼差しで、真剣な声色でレンは言った。

 

 

「もやしが売り切れる」

 

「――――――――しまったッッ!!」

 

 

 今日は近くのスーパーでもやしが1袋6円というタイムセールが実施されるのだ。

 時間を確認して顔を青くした蓮太郎は走りだし、それを延珠が追う。

 

 

「俺達も行くぞ、ウル」

 

「あ、待ってくださいよーレン君!」

 

 

 こうして2組の少年少女は走る。先程までの緊迫感など嘘のように和気あいあいと。




>初めましての人は初めまして。そうでない人は再び会えましてありがとうございます。

>というわけでやるかもやるかもと言っておきながら中々やらなかった新作。しかも今更ながらブラック・ブレットです。どうしてと訊かれればこう答えましょう。書きたかったからです、と。

>大雑把に作品概要を並べますと、基本犠牲がつきものである原作を読んで涙を流した読者様は数多くいるでしょう。故に助けたいという妄想と願望から執筆するのがこの作品のコンセプトです。
アンチタグをつけたのは、なんだかんだと犠牲あればこその原作を、救済はぶち壊してしまうわけなので付けさせていただきました。

>以前投稿分では勘違い要素ありだったのですが、あれははっきり無理でした。途中まではいけましたが勘違いってあれレベル高すぎです!ネタが足りなくてすぐ行き詰まりました。
のでので、相変わらずある程度の強キャラ(最強ではない)を設定に頑張っていこうと思います。

>さて、どこまでいけるかは不明ですが、これからどうぞよろしくお願い致します。


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なにか言い残したことは?

 ガストレアウイルスは主に血液感染、或いはガストレアに襲われ直接ウイルスを注入されることで生物はガストレア化する。一般的に空気感染はしないといわれているが、一部例外が存在した。

 口から体内に入ったウイルスは本来ならば定着することもなく体内で死滅するのだが、それが妊婦の場合、体内に蓄積され稀に腹の中の胎児に感染しそのまま生まれてくることがあるのだ。

 

 そうして生まれた赤子は皆ウイルスに対する抑制因子を持っており異形化することこそないものの、いくつか共通点を持っている。

 ひとつは協力なウイルスが遺伝子にまで作用した結果、生まれてくるのは皆少女だった。そしてもうひとつの共通点は、異形化ガストレア達と同じ赤い眼をしていることだった。

 

 姿形はヒトなれど、彼女達はやはり産んでくれた母、父とは違う『なにか』だった。故に彼女達はこう呼ばれる。

 

 ――――呪われた子供たち、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ぬ前になにか言い残したことはある?」

 

 

 そんな物騒なことを天童(てんどう) 木更(きさら)は言い放った。

 花の女子高生の口から真っ昼間から出てくる言葉とは思えない。しかし彼女の目は本気だった。

 

 陶器のような白い肌。対称的に生まれてこの方染めたことなど一度もないであろう艶やかな漆黒の髪。美和女学院の黒いセーラー服姿で、木更は事務所の内で最も立派な社長机に腰を下ろしている。

 

 木更の前で直立させられている蓮太郎は耐え切れず目を逸らした。

 

 

「す、過ぎたことはしょうがねえだろ」

 

「この――――お馬鹿!」

 

「うおぉっ!? 危ねえ!」

 

「なんで避けるのよ腹立たしいわね!」

 

 

 わーぎゃーと机を挟んで幼稚な攻防を繰り広げる2人を眺めて、事務所の応接用のソファーに座ったレンはひと言。

 

 

「2人はいつも仲が良いな」

 

「「よくない!」」

 

 

 見事にハモった。

 

 

「大体レン君? 貴方も里見君と同罪なのよ!」

 

「そうだぞレン! なんで俺ばっかり木更さんに怒鳴られなくちゃいけないんだ!」

 

「お黙りなさいです根暗コンビ。わたしのレン君に罪などあるはずがねえです。あれはそこのマヌケ三白眼がおマヌケだっただけです」

 

 

 矛先が一斉にレンへ向く。それを一喝で制したのは、現在レンの手にせっせと包帯を巻くウルだった。

 

 ちなみに、すでに人を撲殺出来るくらい幾重にも巻かれた包帯は、少女の心配が目に見えて現れているようだった。

 

 

「それにあそこには貴方が助けた警察がいたんでしょう? 連絡を入れれば報奨が出るんじゃないですか?」

 

「それだ!」

 

 

 どうでもいいと投げやり感たっぷりのウルの言葉だったが、蓮太郎はその意見を解するとすぐに携帯を取り出して警察へ電話をかける。

 ワンコール待たず出たオペレーターの女性に多田島という警部の名を伝える。

 

 しばらくして、壮年の男の気怠げな声が電話に出た。

 

 

『もしもし。多田島ですが?』

 

「多田島警部か? 俺だ! 民警の里見 蓮太郎だ」

 

『おー、先程はどうも。民警殿』

 

 

 どこか皮肉ったような多田島。しかしそこに多くの警察が抱くような心からの嫌悪はなく、旧友との挨拶代わりのような印象が受けられる。

 元々現場を踏み荒らす民警を、ほとんどの警察は好んでいない。現場の末端とはいえこうしてパイプが出来ることは蓮太郎にとって有益なことであった。

 

 だが今はそんなことはどうでもいい。

 

 

「警部、悪いがさっき仕留めたガストレアの報奨をまだ受け取ってないんだが……」

 

 

 電話向こうで多田島はしばし沈黙した。何故か、蓮太郎の脳裏に嫌な予感が過る。

 

 

『んんー? おっしゃってる意味がわかりませんなぁ、民警殿?』

 

「――――な、あんたしらばっくれる気か!?」

 

『いえいえ滅相もない。我々警察は誠実がモットーですよ』

 

 

 思わず素の言葉遣いが出てしまう蓮太郎。

 対して多田島はまるで敬っていない敬語を、しかも煙草を吸いながら応対しているのかわざとらしく息を吐く音を聞かせてきた。

 

 

『ただねえ』

 

 

 紫煙をくゆらせる中年オヤジのにやけ顔が浮かんだ。

 

 

『ガストレアの死体などどこにもないので本当にいたかどうか』

 

「そんなわけ――――」

 

 

 蓮太郎は言いかけて思い出す。ウルの拳で分子レベルまで粉微塵にされたガストレアの最期を。

 

 

『よしんばいたとして、本当に貴方が倒した証拠がないとねえ。申請は出しとりますか、民警殿?』

 

「……地獄に落ちろ」

 

『まあ過ぎたことだし今回はサービスってことにしようや。次の事件の時は優遇してコキ使ってやるからよファハハハハハハハ――――』

 

 

 ガチャリ、と電話は切られた。

 

 蓮太郎はしばらくツーツー、と鳴る携帯を耳に当てたまま固まっていた。

 

 

「里見君、なにか言い残したことは?」

 

 

 満面の笑顔で木更はスラリと鞘から刀を抜いた。

 

 天童 木更は天童式抜刀術と呼ばれる居合の達人である。何故このタイミングでそれを思い出すのかというと、これより身を持って知ることになるからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1階にゲイバー。2階にキャバクラ。4階には闇金という集客要素皆無なビルの3階に天童民間警備事務所は構えている。

 社長の木更は元々の育ちの良さ故にか、絶望的に商才、特に接客能力が無いのである。彼女曰くそれは誇り高いというのだそうだ。

 

 ほぼ毎日顔を合わせていれば立派な顔馴染みとなったキャバクラやゲイバーの従業員達にすれ違いながら挨拶をかわし、レンは東京エリアの街を歩いている。ウルは事務所で留守番中である。

 

 東京エリアの街並みは、以前に比べればずっと賑わいでいる。それはガストレアが出現する前に近づきつつあるらしい。

 ――――らしい、というのには理由がある。

 

 レンには5歳より前の記憶がない。

 

 そしてそれは決して珍しい話ではない。

 およそ10年前のガストレア大戦。多くの死者と共に、残された者達の心には深い傷跡を残した。友人。恋人。家族。

 目の前で化け物に喰われる様を、或いはその化け物となっていく姿を目の当たりにして正気を失う者は多くいた。

 防衛本能が心を守る為に記憶を消すこともやむないことだった。

 

 おそらくはレンもそんな犠牲者の1人だったのだろう。

 

 

「…………」

 

 

 賑やかな大通りから、レンの足は少しずつ人通りの少ない路地へ向く。

 しばらくして、完全に人がいなくなったのを見計らったかのようなタイミングで1台の黒塗りのリムジンが横付けされる。

 後部座席の扉が自動で開かれ、レンもまた躊躇いなく車に乗った。

 

 車が揺れる。どうやら走りだしたようだ。

 外からもそうだったように、扉のガラスは内側からでも外が見えないようになっていた。おまけに運転席との間にまで分厚いスモークガラス。

 広いスペースも相まって、さながら檻のようだ。

 

 そうして外の見えない車に揺られること数十分。揺れが止まった。

 

 乗ったとき同様勝手に開いた扉から降りると、リムジンは静かに発車して薄闇に消えた。

 

 降ろされた場所は中々に広い空間だった。ただし人気はおろか物ひとつない。足元から天井までぐるっとコンクリートの壁に囲われた殺風景な景色。例えるならビルの地下駐車場だ。

 

 レンは車が去っていった方向とは逆の道を歩き出す。

 一本道とはいえ淡々と歩くレンの歩調を考えれば、今ここにいる建物の全貌がかなり広いものわかる。しかし相変わらずそこがどこなのか、わかるような目印はない。

 やがて、道の終わりに階段が現れた。

 

 螺旋状の階段を、これまた昇ったり降りたりを繰り返すことしばらく、ようやく永遠に思える灰色の世界に変化があった。

 重厚そうな扉をレンは包帯の巻かれていない左手であける。

 

 

「――――――」

 

 

 人が、待っていた。

 

 レンが辿り着いたのはおそらくは執務室。

 部屋の立派さに反して絵画や装飾品といった遊び気が一切なく、あるのは資料が収まる大きめの棚と机くらい。部屋の寂しさでいえば先ほどまでと変わらない。

 

 そんな部屋の主は執務机について、部屋唯一の椅子に腰を落ち着け仕事をしていた。

 全体的に洋風な造りの部屋でありながら本人の格好は袴姿と、かなりの違和感を覚える――――が、部屋の主、天童 菊之丞(きくのじょう)が他人の目を気にするなどありえない。なにせ齢60を過ぎて世界を裏表から操る男であるのだから。

 

 キィ、とキャスターが軋む。椅子に座ったまま菊之丞はレンを見やる。

 

 

「始めろ」

 

 

 菊之丞の有無を言わさぬ物言いに、しかしレンは口答えすることなく話す。

 

 天童 木更。そして里見 蓮太郎の監視報告を(・・・・・)




閲覧ありがとうございますー。

>投稿してから思いました。あれ?主人公は??

>本当ならば聖天子様の登場までいきたかったのですが、それを合わせると少しばかり長くなりそうだったので短いながらここで投稿致しました。
次の更新はこっちか問題児か……。今なお悩んでおります。


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だから……

 天童 菊之丞。

 

 政界の怪物天童の君臨者にして、東京エリア国家元首補佐官。表と裏、どちらの世界をも牛耳る実質的な東京エリアの支配者。

 齢60を越えて尚眼光だけで人を竦ませる威圧感を持ち、実際天童式抜刀術免許皆伝という実力の持ち主。

 

 そんな男の太い白眉が怪訝にしかめる。レンから語られる2人の人物の、およそ1ヶ月の監視報告に対して。

 

 その2人とは天童 木更。そして里見 蓮太郎。

 前者は孫娘。後者については、続柄を語るにもどういっていいのかわからない。

 ただ言えることは、2人共に見込みがあった(・・・)ということだ。

 

 レンから語られた2人の監視報告はこれで4度目となる。今日までの2人の成してきたことを総じて、菊之丞は無駄であったと冷たく切って捨てた。

 

 己を含めた天童に復讐を誓った木更は未だ修羅になりきれず停滞している。

 蓮太郎も同じ。そんな木更を支えたいのか、それとも共に堕ちたいのか、まごついている。

 

 どちらも中途半端。それではなにも成せず。なにも掴めない。

 

 

(目的があるならば手段は選ぶなとあれほど教えたものを……)

 

 

 失望のあまり怒りすら湧いてこない。

 

 

「貴様を行かせたのも無駄であったな」

 

 

 菊之丞はそこで今日初めて呼びつけた少年へ目を向けた。

 

 言葉に労いのつもりはない。独り言に等しい単なるぼやきのようであった。

 しかし、

 

 

「そんなことはない。菊之丞にとってはわからないが、俺にとって蓮太郎達と一緒にいられることは無駄じゃなかった」

 

 

 ともすれば反論にも取れる言葉をレンは躊躇なく吐いた。実質日本の5分の1を支配する東京エリアの怪物へ。

 

 菊之丞への反論など、東京エリアに住む者ならほとんどの人間は青ざめる行為だ。ましてや政治家や軍関係者といった権力者ならば尚更。この場にいたならばさぞ肝が冷えたことだろう。

 

 鷹のような鋭い目つきでレンを睨む菊之丞だが、遂にレンに断罪が下されることはなかった。そも、菊之丞とレンはそういった関係ではない。

 

 出会いはそう、菊之丞が、6歳になった蓮太郎を引き取ってしばらくしてからのこと。

 かつての埼玉。現在外周区となったそこは、当時まだ瓦礫の山と生々しい腐敗臭がたちこめる地獄の一丁目であった。

 レンはそこで倒れていた。――――もっと正確にいえば、彼女(・・)が見つけたのだ。

 

 以来、菊之丞は彼女が願うままレンを育てた。名前以外のほとんど全てを失ったレンに一から一般常識を教え、戦い方を教えた。

 ただし、決してそれは菊之丞が蓮太郎にかけたような期待をレンに抱いたのではない。ただ彼女がそう願ったから。

 そしてもうひとつ思惑があったとすれば、万が一、レンが彼女の壁になれるように。

 

 

「――――ついてこい」

 

 

 不意に菊之丞は資料を机に置いて立ち上がる。相変わらずな物言いで命令すると、レンがついてきているか確認もせず部屋を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほどなくして着いた扉の前で菊之丞はようやく後ろの一度だけ見やって確認する。そうしてから扉をノックした。

 

 

「どうぞ」

 

 

 扉の向こうから返ってきたのは若い少女の声。しかし菊之丞は今までの高圧的な態度から打って変わって、開ける前の扉の前で恭しく一礼してから静かに扉を開けた。

 そこに儀礼的な意味や下心などはなく、少女に対するただただ真摯な姿があった。

 

 失礼致します、という菊之丞の言葉と共に開けられる扉。

 

 扉を開けるなり頭を垂れたまま動かない菊之丞の横を通り、レンは部屋へと入る。

 

 まず最初に目に入ったのは天幕のさがった大きなベット。次いで丸テーブルに2脚の椅子。他にはシンプルなデザインの化粧棚等など。

 そのどれもが眩むような白色を基調としていた。

 

 先ほどの声の主は、ベットでも部屋の中央のテーブルでもなく、窓際に佇んでいた。

 

 可憐な少女だった。

 

 歳は蓮太郎やレン達と同じくらい。しかし身に纏う雰囲気というのか、風格は比べ物にならない。

 部屋と同じ純白の服はまるでウエディングドレスのようにも見えて、或いは天の使いたる羽衣のようでもあった。木更も充分な美人だが、目の前の少女のそれはまた違う、どこか人間離れした美しさがあった。

 

 聖天子。

 

 東京エリアの国家元首にして、菊之丞の上に立つ唯一無二の人間。

 

 

「菊之丞さん、どうかなさいました――――」

 

 

 窓の外へと向けていた視線がこちらへ向く。

 透き通るような声音は、扉の前に立つ菊之丞、そしてレンを見ると不自然に止まった。

 僅かに聖天子の目が驚いたように見開かれ、急に俯いてしまう。

 再び顔を上げると、表情はすでに取り直していた。

 

 

「お久しぶりです、明星さん。今日は菊之丞さんとお仕事のお話ですか?」

 

「いいえ、もう終わりました」

 

 

 答えたのは菊之丞。相変わらず頭は下げたままだった。

 

 菊之丞は『では』と言ってそのまま部屋の外へ体を出し、音をたてず扉を閉める。

 部屋にはレンと聖天子が残された。

 

 しばし静寂。

 

 

「――――レンッ!」

 

 

 それを破ったのは無邪気な少女の声だった。

 なんとそれは先程まで菊之丞並の威厳さえ感じさせた聖天子の口から出たものだった。どころか、彼女は小走りにレンに駆け寄るなり無防備に抱き着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです! 本当に……久しぶり……。元気にしていましたか?」

 

 

 言葉の端々に、というか表情から行動まで満遍なく喜びを露わにする聖天子。その姿は歳相応の少女そのもので、普段の彼女を知る者達が見ればまず偽物だと思ってしまうほど今の彼女ははしゃいでいた。

 それは彼女自身自覚している。らしくないということも。

 しかしそれでも抑えきれない感情の爆発がこの一時、彼女に立場も義務も忘れさせた。

 

 

「元気だ。お前は相変わらず細いな。ちゃんと飯、食べてるのか?」

 

 

 言いながらレンは無遠慮に聖天子の体を触る。

 断じてそこに邪な気持ちはなく、レンにとって言葉以上の意図はない。

 

 

「ええ」

 

 

 故に聖天子も拒絶することはない。ただその白い肌はほんのり赤く染まって見えた。

 

 

「ならいい」

 

 

 ふっ、と安心したのか穏やかにレンは微笑む。

 

 絶世の美女と言って過言ではない聖天子に抱きつかれてもレンは動揺のひとつもない。拒絶することはなく、しかしそれ以上踏み込んだ行いも無い。

 だから、いつも最初も最後も聖天子の方から抱き着いて、また離れるのだった。

 

 それが少しだけ、ちょっぴり、かなり、彼女は気にしていたりした。

 

 

「? ――――レン、その手……!」

 

 

 離れ際の感触に違和感を覚えて聖天子が視線を落とすと、包帯でグルグル巻きにされたレンの右手が目に入った。

 急に青ざめた顔で聖天子は両の手でレンの手を包み込む。

 

 

「今日少し怪我をしただけだ。問題ない」

 

「見せてください!」

 

 

 有無を言わさず包帯を剥がしていく。やがて曝け出された手のひらに傷はなかった(・・・・・・)

 

 

「大丈夫だって言っただろ? お前はいつも心配性だ。俺はみんなよりずっと頑丈なんだ(・・・・・・・・・・・・・)

 

「…………」

 

 

 聖天子の表情が曇る。

 

 

「……包帯を巻き直します」

 

「もう治って――――」

 

「巻き直します!」

 

「…………」

 

 

 レンを無理矢理ベットに座らせて、聖天子は棚から救急箱を取り出す。箱の中から一度も使われた様子のない新品さながらの包帯を取り出して、聖天子はまるで跪くように床に膝を折ってレンの右手に包帯を巻き始めた。

 彼女を狂的に信奉する者達がみれば発狂ものの光景だった。彼女に傅くことこそあれ、彼女が誰かに傅くなどあってはならないのだから。

 

 しばらく、無言のまま聖天子の治療が続く。

 

 

「怒ってるのか?」

 

「怒ってません!」

 

 

 本当にわからないというようにレンは首を傾げる。それが聖天子は余計に腹立たしい。

 彼は昔からそうだった。

 

 レンと聖天子は幼いときから一緒だった。

 

 当時、まだ彼女が聖天子の名を継いでいない頃、彼女は菊之丞を供に現在の外周区を見回っていた。幼い頃より次代の聖天子として英才教育を受けていた彼女だが、心の内に元より秘める善なる魂は人一倍であった。

 ガストレアによって破壊された街々を知識として知るのではなく、実際にこの目で見て、臭いを嗅ぎ、触れることで国民の気持ちを一緒に感じたいという彼女の我儘であった。

 

 惨状は、彼女の想像を絶するものだった。

 建物は破壊され、至る所から腐臭が漂う。耳を澄ませば瓦礫の下から人の呻き声の幻聴が聞こえてくるほど生々しい地獄がそこにあった。

 だから、最初は彼の存在もまた幻かと思った。

 

 うつ伏せで倒れる子供がいた。毛布かなにかのボロ布を纏っただけの格好で、打ち捨てられたように路上に転がった男の子。

 投げ出された手がピクリと動いたように見えた。

 

 菊之丞の制止も聞かず駆け寄って抱き上げる。弱々しい呼吸音。しかし確かに生きていた。

 それが嬉しかった。

 この地獄で、これほどの地獄をいずれ変えねばならないことに折れかけて心が救われた。たったひとつの命の鼓動が、彼女にとってはかけがえのない希望だった。

 

 その後は菊之丞の迅速な手配で少年の、レンの命は救われる。しかし彼は記憶の全てを失っていた。言葉を話すことも出来ず、悲しむことも怒ることも、ましてや喜ぶこともない。ただ無表情で呻くだけだった。

 いや、ひとつだけ。彼はひとつだけ覚えていた。

 

 ――――レン、と。

 

 後に聞いたが、それが唯一レンに残された記憶だったそうだ。

 女性の顔。そして彼女が言った『レン、生きて』という言葉。

 

 その女性がレンにとって誰だったかなど考えるまでもない。

 

 

「記憶は、戻らないのですか?」

 

「ああ」

 

 

 レンはおかしなほどあっさりと答える。むしろ辛そうなのは聖天子の方だった。

 

 レンは、菊之丞と聖天子のおかげで今では日常生活に問題がないほど常識や教養といった知識を得た。しかし感情ばかりはそう簡単にはいかなかったのだ。

 感情が無いわけではない。ただレンは感情の起伏が普通の人よりずっと乏しい。

 故にレンは悲しむことが出来ない。それが聖天子には悲しくて仕方がない。

 

 

「なんでいつもお前の方が泣きそうなんだ」

 

 

 そっと差し出される右手が聖天子の頬を撫でた。

 

 

「俺には記憶が無い。でもお前が俺に名をくれた。菊之丞にも戦い方や知識をたくさんもらった。だから俺は寂しくない。だから……だから……」

 

 

 突然うーんと首を傾げ始める。多分、続く言葉が出てこないのだろう。

 

 クスリと聖天子は思わず笑ってしまう。何故なら困った様子のレンのその顔があまりにも子供っぽくて。

 

 

 ――――だから、泣かないでくれ。

 

 

 もしそんな言葉をレンが言いたかったのだとしたら。

 

 彼は感情が無いわけではない。ただ、他人より心を表に出すのが不器用なだけだ。

 

 

「はい、包帯巻き終わりましたよ」

 

 

 聖天子は立ち上がるなりレンへ背を向けた。今の顔を見せるのは、いくら幼馴染であっても……否、彼だからこそ見せられないと思ったから。

 

 

「…………」

 

 

 レンは包帯が巻かれた右手を見やる。まるで人を撲殺出来そうなほど何重にも白い布は巻かれていた。




閲覧ありがとうございますー。

>やっぱりノルマ的な執筆じゃなく書きたいときに書きたいものを書くと妄想……もとい、執筆も進みますね。まあ文字数がいつもの半分な感じなので結局分割しているようなもんですが。

>というわけで、乙女な聖天子様を書きたいというこの作品の最大の目標を達成致しました。
これ聖天子様に限ってキャラ崩壊タグを追加すべきか悩みどころです。

>ちなみに、聖天子様とレン君は便宜上幼馴染という言葉を使いましたが、実際どんな関係かというと、レン君に名前(苗字)をつけた人であり、菊之丞さんと一緒に言葉やらを教えてくれた人であり、命を救ってくれた人であり。
聖天子様からするとレン君は菊之丞とは違った唯一心許せる同い年の友達(友達以上?)であり、ガストレアが蔓延る地獄の中で見つけた希望です。


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やっぱり大物だよ

 壁に埋め込まれた巨大なELパネル。部屋の中央にある楕円形のテーブルの上には、ひとつひとつに名が記された三角プレートと上等そうな革張りの椅子がそれぞれ等間隔に置かれていた。

 席のほとんどはすでに埋まっている。スーツ姿の男達は、皆それなりの風格を備えていた。

 

 そんな中で空席がふたつ。

 

 プレートには『大瀬フューチャーコーポレーション』。もうひとつは『天童民間警備会社』と刻まれていた。

 己の事務所の名が記された席の真後ろの壁に寄りかかりながら、レンは退屈そうに天井を見上げた。

 

 レンとウルは共に朝に弱い。……いや、正確に言い直すなら、ウルは確かに朝に弱いがレンはそれほどでもない。しかし学校に通っているわけでも民警以外の仕事をしてるわけでもないレンは別段朝起きる理由がない。

 時計の無い生活というのか、自然に起きる頃はいつも昼頃であった。

 

 そんな毎日にも例外がある。例えば今日のように木更からの電話で起きる場合だ。

 

 珍しく充電を忘れず枕元に置いてあった携帯の、面白みのない基本設定のままの着信音でレンは覚醒した。

 内容は当然ながら民警の依頼。

 

 

『おはようぐーたら君。仕事よ。今すぐ防衛省の庁舎に来て。私は今から里見君と合流してから行くから。じゃあね』

 

 

 有無を言うどころか返事ひとつ返す暇もない。木更は今日もいつも通りだった。

 

 そんな高圧的な上司のコールにも――――蓮太郎的にはあの態度も木更の可愛げ――――レンは嫌な顔ひとつせず言われるまま支度を始め庁舎(ここ)までやってきたのだった。

 ちなみにウルは寝ていたのでマンションに置いてきた。

 

 と、ここまでの経緯を思い返していたレンは、部屋のざわめきで意識を現在に戻す。

 

 部屋の扉を開けたのはまだ幼いの域を出ない少年と少女。目つきの悪い少年と歩き方ひとつとっても凛然とした少女はどちらも学生服姿。蓮太郎と木更だった。

 

 まずは挨拶をしようと壁から背を離すのと、レンを見つけた木更が眼尻をつり上げてずんずん近づいてくるのは同時だった。

 

 

「レン君、貴方携帯はどうしたのかしら?」

 

「おはよう」

 

「こ、ん、に、ち、は! ――――で? 携帯は持ってる?」

 

 

 何故か不機嫌な木更。

 

 レンは無表情のまま困惑しつつ、懐を弄って、確信して答える。

 

 

「盗まれた」

 

「忘れたのよ家に!」

 

 

 があー、と歯を剥いて怒鳴る。けれど他人の目を気にしてか、小声で、怒り顔もレンと近くにいる蓮太郎にしか見えないよう配慮している辺り流石だ。

 

 

「珍しく充電は忘れなかったと思ったら……。家に忘れてたら携帯電話の意味ないでしょうが!」

 

 

 怒り震える木更を刺激しないように静かに近寄ってきた蓮太郎がレンに耳打ちする。

 

 

「さっき電話したらウルの奴が電話に出て、木更さんに向かって寝取られただのなんだので大騒ぎしてな。おかげでこっちまでとばっちりだ」

 

 

 小声でそう伝えてきた蓮太郎はげっそりとした顔でため息を吐く。

 

 どうやら、寝ているところを起こすのが可哀想だと思って置いてきたウルが、起きたら突然レンがいなくなっていたことに寂しさを覚えて癇癪を起こしたらしい。運悪くそこに木更が家に置き忘れたレンの携帯に電話をかけたのだった。

 

 

「そうか。木更、済まなかった」

 

 

 蓮太郎の説明で事情を知ったレンは素直に木更に謝った。

 しかし気高きお嬢様はふん、と顔を背ける。

 

 

「帰ったらお詫びにもやし料理をごちそうする」

 

「仕方ないわね!」

 

「木更さん……」

 

 

 お嬢様のプライドは特売のもやしよりも安かった。

 

 ひとまず怒りを鎮めた木更があてがわれた席に行こうとすると、ぬっとその前の遮る者が現れた。

 

 

「おいおい、最近の民警の質はどうなってやがんだ。いつからここはガキの遊び場になったんだぁ?」

 

 

 木更の前に立ちはだかった大男。今にも弾けそうなほどタンクスーツを押し上げる盛り上がった筋肉。逆立てた頭髪やギラつく眼光は男の好戦的な意志をこれでもかというほど主張していた。

 

 民警という仕事は常に死と隣り合わせだ。必然的にこの仕事で最も問われるのは力である。

 プロモーターである人間の中には元軍人、武道家、果ては犯罪者といった者も少なくない。そんな人間が多ければ自然と気性の荒い人間も多くなる。

 

 逆にそんな危険な仕事であるが故に蓮太郎や木更、それにレン達のような若者、ましてや未成年の者は少ない。

 蓮太郎達がこの部屋に入ってきたとき部屋がざわめいたのもその珍しさから。もうひとつ付け加えるなら、

侮りからだ。

 

 

「誰だよアンタ。用があるならまず自分から名乗れ」

 

 

 威圧する男から木更を守ろうと割って入る蓮太郎。

 

 タンクスーツの男は怪訝に顔を顰めた。

 

 

「あぁ? なにが名乗れだよボクちゃん。偉そうに……ムカつくな、テメエ」

 

 

 男の殺気が膨れ上がり、蓮太郎も後ろの木更を守ろうと拳を握る。

 

 

「――――レン?」

 

 

 一触即発の雰囲気に部屋中が息を呑んで見つめる中、その中心地に身をさらした人物がいた。

 

 

「なんだテメエは」

 

 

 一層不機嫌さを露わにする男。

 

 それに対してレンは相変わらず眉ひとつ動かさない。

 真面目な顔で真正面から男の顔を見上げ、ゆっくりと右手を持ち上げる。

 

 攻撃かと男は身構えるも、しかし大方の予想は外れてレンの手は人差し指だけを伸ばしてある一点を示した。

 それは男の顔。

 

 そして言った。至極真面目な声で。

 

 

「三角巾は頭にかぶるんだぞ」

 

 

 部屋の空気が凍った。完全無欠に。これ以上ないほどに。絶対零度だった。

 

 

「――――れ、レンあのな? あれはフェイススカーフって言って、その、多分お前が思ってるのとは違う」

 

「そうなのか? あれは掃除するときに頭にかぶるものじゃないのか?」

 

 

 あくまで真面目な顔で言うレンに、蓮太郎はもはや耐え切れず吹き出してしまう。木更も木更で、天童である自分がここで大口開けて馬鹿笑いはしまいと思いながら、しかし壁に顔を押し付けてピクピク痙攣している。

 

 レンとしては、それほど達者ではない常識知識から、男の間違いに対して親切に教えてあげようとした善意から出た言葉だったのだが。

 

 まあ、当然のことながら男はブチ切れた。

 

 

「――――ブッ殺すッッ!」

 

「やめたまえ将監(しょうげん)

 

 

 大男――――将監が背中の巨剣の柄を握るのと鋭い声がそれを制するのは同時だった。

 

 誰もが止まるはずがないと思っていた将監の手は、しかし意外にも寸前で止まった。

 

 それもそのはず。声の主は彼の雇い主である三ヶ島ロイヤルガーター代表取締役、三ヶ島(みかじま) 影似(かげもち)であった。

 

 

「止めないでくれ三ヶ島さん。コイツは今ここでブチ殺す!」

 

「いい加減にしないか。私に従えないなら今すぐここを出ていくか?」

 

 

 将監はそれでもしばらく剣の柄を握ったまま至近距離にいるレンを血走った眼で睨み続けた。しかし、やがてゆるゆると柄から指が離れていき、遂に手を下ろした。

 

 

「……わかったよ」

 

 

 怒りを押し殺した声だった。不気味なほど静かに、その後は他のプロモーター達と同じように三ヶ島の席の後ろへついた。

 

 フォローの為か三ヶ島が木更へ話しかけ、やがては互いに社交辞令といった会話を演劇のように積み重ねる間、レンは言った。

 

 

ドクロスカーフ(あれ)が今時の流行りなのか。今度ウルに買ってやろうかな」

 

「お前、やっぱ大物だよ」

 

 

 呆れと皮肉をこめた蓮太郎の称賛だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎は他の民警達がそうするように木更の後ろに立って彼女の安全の為周囲に気を配る。

 今は木更とここに蓮太郎達を集めた人物――――東京エリア国家元首、聖天子の依頼説明が行われている。

 

 依頼主が聖天子だというのは蓮太郎にとっても驚きだった。そして思考は自然に一体何故彼女がこんな依頼をということになる――――が、その理由について考えても自分の頭で思いつくことに限界があると早々に諦めることにする。

 

 周囲に気を配るとなると、自然に目は部屋の構造に始まり次に人へと移る。

 

 まず楕円形のテーブルには木更達事務所の代表達。学生服の木更を除けば誰も彼もが高級そうなスーツ姿である。

 そうして次に注目するのはそんな代表達を護衛する者達。即ち自分と同じプロモーターとイニシエーター達。

 

 正装の社長達とは対照的に、ならず者に変人と数多い彼等は各々好き勝手な格好をしている。かくいう自分も学校の制服のままである。

 授業中に無理矢理木更に連れ出されたからだと言い訳出来なくもないが、たとえ事前に防衛省に行くとわかっていてもこれ以上の服装をしていたとは思えないのでやめておく。

 

 無意識に視線は、雇用主の後ろに控える他のプロモーター達と違ってひとり壁に背を預けて沈黙する大男へ。

 

 伊熊(いくま) 将監。東京エリアでも超大手、三ヶ島ロイヤルガーターが抱えるプロモーターの1人である。

 

 筋骨隆々の肉体に威圧的な風貌。如何にもなチンピラだが、実力は木更に聞く限りかなりのものだ。なにせ世界におよそ70万以上いるプロモーターとイニシエーターの実力を示す意味で最も有力なステータスであるIP序列というランクがあり、彼はその中で上位1パーセント以内に属する千番台の正真正銘の実力者。

 先ほどは雇用主である三ケ島によって止められたが、あのままやりあっていたらこちらがタダでは済まなかった。

 

 そんなふうに考えながら、蓮太郎の視線は最後に真横にいる同僚に行き着く。

 

 明星 レン。

 

 蓮太郎達が彼と出会ったのは今から約半年前。出会いは運命的とは程遠い。なんというか、事務所の前にレンが行き倒れていた。

 今もそうだが、当時はもっと酷い常識知らずで、度々蓮太郎や木更は頭を痛めたものだ。

 

 そんな彼が、一体なにを隠しているのか(・・・・・・・・・・・・)

 

 蓮太郎達は知らない。彼のことを何も。

 そも行き倒れていただけならまだしも、当時はまだ――――悲しいことに現在もだが――――名が知られていなかった天童民間警備会社でわざわざ働きたいと申し出る時点で妙なのだ。裏があるに決まっている。

 

 確実に別の思惑があると確信しているレンを、何故蓮太郎や木更は近くに置いているのか。それは彼が他の人達とはどこか違うから。

 

 レンは変な奴だ。出会いにしてもさっきのいざこざの件にしても。

 

 常識を知らず空気が読めない。感情を全然表に出さない常に無愛想。口下手。機械を扱うのが極端に苦手。

 

 だけど良い奴だ。

 

 感情を表に出すのが苦手なだけでちゃんと感情を持っている。空気は読めないくせに妙に他人の心の機微に敏いときがある。一般常識には疎いが人としての倫理を持ち合わせている。

 そして嘘をつけない。

 

 最初、彼が事務所に入りたいと言った理由は『天童 木更さんに憧れたから』だ。それを蓮太郎に向かって。しかも超棒読み。

 

 始めは木更が全力で拒否した。馬鹿にするなと刀を振り回しながら。

 それでも毎日やって来るレンに遂に根負けしたのである。

 

 たとえレンがなにを隠していようとも、なにを考えていようとも構わない。蓮太郎は信じているから。レンは、この少年は本質的に善人なのだと。

 それは木更や延珠も同じ気持ちだから。

 

 

「なにを笑ってるんだ蓮太郎?」

 

「いや、なんでもねえよ」

 

 

 隣りにいる当人は蓮太郎に負けず劣らずの無愛想顔を不思議そうに傾げていた。

 

 いつの間にか話は大分進んでいた。依頼内容の不審さに、聖天子に恐れ知らずの木更が物申していたそのとき、

 

 

「――――フフフ、三流喜劇もここまでくると笑えてくるものだね」

 

 

 場を斬り裂く不吉な笑い声に、蓮太郎は肌を泡立たせた。




閲覧ありがとうございますー。

>ようやく影胤さん登場。そしてウルちゃんの次の出番は一体いつ……。

>荒っぽいながら物語はさくさくと進み会議へ。そしてレンと蓮太郎達の出会いはこんなんでした。どうでしょう残念極まりないでしょう!!

>次回はどこまでいけるでしょうか。


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苦しいです

「三流喜劇もここまでくると笑えてくるものだね」

 

『誰です』

 

 

 パネル向こうの聖天子が、部屋にいる全ての人間の視線がその声の方へ集まる。

 

 一体いつからそこにいたのか。テーブルで唯一空席だった『大瀬フューチャーコーポレーション』の座席に足を投げ出して座る男がいた。

 血のように赤い色の燕尾服。舞台役者の衣装のようなシルクハット。そして、不気味な笑みを象る仮面。

 

 不吉を凝縮したような男は、仮面の向こうでキキキと笑いながらテーブルの上に土足で立った。

 

 

『名乗りなさい』

 

 

 部屋の人間達が唖然とする中、聖天子は気圧されることなく問いかけた。

 

 仮面の男は格好に相応しく仰々しい動作で腰を曲げる。

 

 

「これは失礼。私の名は蛭子(ひるこ) 影胤(かげたね)という。お初にお目にかかるね、無能な国家元首殿」

 

 

 仮面の奥でギラついた目が歪に笑んだ。

 

 

「お前……っ!」

 

「フフフ、元気だったかい里見君。我が新しき友よ」

 

 

 仮面の男、影胤の登場に反応を示した蓮太郎。応対する影胤を見ても、どうやら2人は顔見知り程度の間柄ではあるらしい。

 レンは影胤に気を配りながら隣りの蓮太郎に訊ねる。

 

 

「こいつ誰だ蓮太郎」

 

「昨日出会った糞野郎だ」

 

「おいおい、その言い方はあんまりじゃないかな?」

 

 

 喉奥で笑いを零す影胤。

 

 

「気を付けろ。こいつは昨日だけでも警官を2人殺してる」

 

 

 蓮太郎が小声で注意を促してくる。声には強い緊張が感じられた。

 

 

「どっから入ってきやがった!?」

 

「その質問にはこう答えよう。正面から堂々と、ね。途中集ってきた五月蝿い蝿は何匹か殺したが……まあそれだけだ」

 

 

 ゾワリ、と部屋の人間達の肌が泡立った。

 

 影胤の声に緊張は見られない。高揚も、怒りも。

 言葉の通り、この男はただ目障りだからと建物の人間を虐殺してここまでやってきたのだろう。

 

 

「おおそうだ。丁度いいタイミングなので私のイニシエーターを紹介しよう。おいで、小比奈(こひな)

 

「はい、パパ」

 

 

 蓮太郎の脇をするりと抜けていく小さな影。

 

 気付けなかった。声がするまで、この少女が背後にいたことに蓮太郎は気付くことが出来なかった。

 

 フリルをあしらった黒いワンピースを揺らし、ウェーブがかかった短髪の少女は父と呼んだ男の元へとてとてと進む。自分の目線ほどの高さのテーブルを四苦八苦しながらのぼり、ようやく影胤の横に立つと裾を摘んでまるで貴族のように粛々と頭を下げた。

 

 

「蛭子 小比奈。10歳」

 

「私のイニシエーターにして娘だ」

 

 

 少女をイニシエーターと紹介する影胤。ならば彼自身はプロモーターだとでもいうのか。

 

 無言の問に答えることはなく、影胤の仮面はパネル向こうの聖天子へ向いた。

 

 

「このレース、私もエントリーさせて貰おうか。無論」影胤はニヤリと笑って「得た賞品を――――《七星の遺産》を渡すつもりはないがね」

 

「《七星の遺産》?」

 

 

 影胤の口から出たワードを蓮太郎が無意識に繰り返す。

 誰もが聞き覚えのない言葉に困惑を示し、しかし聖天子だけが表情を険しくさせた。

 

 それがおかしくて堪らないとばかりに体を捩らせ哄笑をあげる影胤。

 テーブルの上でクルリと反転して両の腕を広げた。

 

 

「諸君! ルールの確認をしようじゃないか。私と君達、どちらが先に感染源ガストレアを見つけ出し遺産を得られるか勝負といこう。なに、おそらくケースはガストレアの体内に入っているだろうから殺せばいい。――――賭け金(ベット)は君達の命でいかがかな?」

 

「ぐだぐだとウルセェんだよ! テメエをここでブッた斬ればいいだけだろうが!」

 

 

 背中のバスターソードを抜いて飛び掛かったのは将監。

 

 誰もが影胤の作り出した空気に呑まれていた中、飛び出したのは、いや飛び出せたのは彼の肝が座っていたからか。

 

 そして、飛び出せたのはもうひとりいた。

 

 

「!」

 

 

 将監とほぼ同時。同じく一足で飛び掛かったレンを、将監は一瞬煩わしそうに睨むものの、今は影胤への攻撃に集中すべきと切り替える。

 巨漢である将監の身の丈に迫る漆黒の大剣。丸太のような両の腕でそれを操り、渾身の一撃を叩きつけた。

 

 一方でレンは引き絞った拳をただ真っ直ぐ突き出す。しかしガストレアの突進を真正面から受け止めたその華奢な体からは想像もつかない膂力で放たれる拳はコンクリートの壁を砕けるほどの威力がある。

 

 2人の攻撃はほぼ同時に、影胤の横顔目掛けて放たれた。

 

 だが、雷鳴と共にレンの拳も将監の剣も影胤に届くことなく止まってしまう。

 

 

「なに!?」

 

 

 見えない壁。ギリギリと押し付けられた剣は、しかしそれ以上進むことはない。

 

 

「ざーんねん」

 

 

 将監の目が見開かれる。仮面の奥で殺意が光った。

 

 

「下がれ将監!」

 

「下がってレン君!」

 

 

 三ヶ島と木更が叫ぶ。

 

 それを聞くやいなや、レンは連撃を加えようとモーションに入っていた将監の胸板を蹴って左右にバラける。

 将監の怒声は、次の瞬間部屋中の人間が放った銃声に掻き消された。

 

 レンは床を転がりながら体勢を立て直して影胤を見る。

 

 部屋にいたプロモーターはもちろんイニシエーターや代表達、全員が撃ち尽くした弾丸は、しかし影胤に1発たりとも届いていなかった。全てレンの拳を止めたときと同じ、見えない壁に止められていた。

 

 

「バリア……?」

 

「斥力フィールド。私はイマジナリー・ギミックと呼んでいるがね」

 

 

 驚愕する蓮太郎の呟きに、満足気に影胤が答えた。

 

 

「お前、本当に人間か?」

 

「勿論だとも。最も、これを発生させる為に内蔵のほとんどを摘出してバラニウムの機械に詰め替えているがね」

 

「内蔵を、機械に……?」

 

「改めて名乗ろう里見君。私は元陸上自衛隊東部方面隊第七八七機械化特殊部隊『新人類創造計画』蛭子 影胤だ」

 

「新人類創造計画?」

 

 

 これまた聞き慣れない言葉にレンは首を傾げる。

 しかし部屋の人間は、特に蓮太郎の表情は、影胤があの不可視のバリアを発生させたとき以上の驚きをしていた。

 

 困惑する皆を代弁するように、三ヶ島が呻く。

 

 

「七八七……ガストレア戦争が生んだ対ガストレア用特殊部隊だと? 馬鹿な! 本当に実在するわけが」

 

「信じる信じないは君達の自由だ。――――ああ、それとこれは」

 

 

 影胤は右手を掲げて、指を鳴らした。

 

 

「返そう」

 

「――――蓮太郎、木更伏せろ!」

 

 

 影胤の指が高らかな音を立てると同時に空中で停止していた弾丸が、再び凶器となって無秩序に散らばった。

 自分達で放った弾丸に襲われて民警達が倒れていく。

 

 まるで戦争でもあったかのように荒れ果てた部屋の中心に立つのは影胤だけだった。

 

 影胤は木更を庇って伏せていた蓮太郎に何事かを呟きながら小箱を渡し、小比奈と共にガラスを突き破って部屋から消えた。

 

 

「無茶苦茶だ」

 

 

 レンはその背を見届けて珍しくぼやく。

 

 

「苦しいです」

 

 

 はたと声に気付いて下を見る。可愛らしいつむじが見えた。

 影胤が弾丸を跳ね返す直前、咄嗟に近くにいたこの子を庇っていたらしい。

 

 掴んでいた肩を解放すると少女の抑揚のない瞳と目があった。

 

 

「…………」

 

「?」

 

 

 基本口下手なレンだが、少女もまた似た者らしい。無言のまま、表情の無い顔を突き合わせている。

 

 

「あの仮面野郎がふざけやがってッ!」

 

 

 傷付いた者達の呻き声の中で怒声が響く。見れば将監が荒れた様子で大剣を床に叩きつけていた。

 こめかみから血を流している辺り、将監も傷を負っているようだったがあの様子ならかすり傷なのだろう。

 

 

「将監さん」

 

 

 呟くような小さな声で少女が将監の名を呼ぶ。彼の元へ歩き出すところを見るに、どうやら彼女が将監のイニシエーターのようだ。

 

 別段止める理由もなく離れていく少女を見送るレンだったが、ふと少女の足が止まりこちらを振り返った。

 

 

「何故、私を助けたのですか?」

 

 

 声は、表情と同じように平坦なもので落ち着いていた。

 しかし口調とは裏腹に瞳には揺らぎがあった。

 

 困惑。動揺、だろうか。

 

 少女に問われたレンは腕を組んで唸りながら首を捻る。

 

 

「助けるのに理由がいるのか?」

 

 

 その答えに今度こそ少女の黒目がまん丸になった。

 だがすぐにそれは虚ろなものに戻り、ふいと顔をそらして己の主のもとへ行ってしまう。

 

 

「変な奴だな」

 

 

 多分、少女がこれを聞いていれば『あなたに言われたくない』と反論したことだろう。




閲覧ありがとうございますー。

>連日投稿なんていつぶりでしょうか。もう少し話を進めたら他の作品を書くのでまた少しストップですが。

>てなわけで、現状中々出番の多い将監さんと、まだ名前すら出てない夏世ちゃんです。夏世ちゃん可愛いぜ!原作でも好きだったぜ。でも最後は……ああ……。
そして小比奈ちゃんも登場したわけですので、1巻のロリっ子達はこれで全員登場しましたかね。ほんとこの作品は文字通りの女の子達が可愛いから困ります。しかもみんないい子なのだもの。
新しい扉が開いてしまった方も多々いたかと思われます。お気持ちお察しします。


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よく言われるよ

 聖天子が東京エリアトップクラスの民警達に七星の遺産奪取の依頼を出した直後、レンは菊之丞に呼び出しを受けた。

 普段であれば緊急時避難通路を用いて聖居へ招かれる。それは単なる民警であるレンが不定期とはいえ聖居へ頻繁に出入りしていることを隠す為に。

 

 しかし今回は第一区に建つ天童家本家への呼び出し。これは聖居への呼び出し以上に稀なことだが、それでも初めてではない。

 聖居ではなくこちらへ呼ばれるときは、菊之丞が聖天子にさえ隠したい話をするときだ。例えば、天童民間警備会社へ蓮太郎と木更、2人を監視する為に潜入するよう命じたときのように。

 

 兎に角、そうして呼び出されたレンだったが、すでにその足は帰路についている。

 菊之丞からの命令はたったひとつだった。

 

 

『今回の案件については手を出すな。ケースはあの男に奪わせろ』

 

 

 それは聖天子の依頼とは真逆の内容であった。そして、それに対するレンの返答は当然、了承の一択。

 

 疑問がないわけではない。菊之丞の聖天子への忠誠は本物だ。しかしそれは決してあの男がなにもかも聖天子の言いなりで動く、という意味ではない。

 菊之丞は彼女の意志に反するときがある。だがそれは全て、彼女の為に。

 

 だからきっと、この男を飼っているのも(・・・・・・・・・・・)彼女の為なのだろう。

 

 

「やあ、昨日ぶりだね。民警君」

 

「蛭子 影胤」

 

「おや、私の名前を覚えていてくれたのかい。嬉しいね」

 

 

 昼間でも薄暗い路地に怪しげな光が灯る。光は不吉に笑った。

 

 

「少し君と話がしたいんだ。付き合ってもらえるかい?」

 

 

 尋ねているくせに路地からは常人であれば吐き気を催すほどの殺気が放たれている。断れば公然の場であろうと影胤はレンを殺すだろう。躊躇いなく。

 

 レンはそんな殺気を受けるも表情に一切変化を見せないまま路地へ足を踏み入れた。

 

 誘われたそこは路地の奥地。昼間でもほとんど光は届かず、人の気配も一切無い。

 

 廃墟に等しいそんな場所でレンはふと足を止める。

 前方に現れた、いや待っていたのは、紳士然とした正装に身を包む仮面の男、蛭子 影胤。そして彼に並び立つ小柄な少女、影胤の娘。たしか名前は小比奈だったか。

 

 レンは影胤の姿を認めたのを確認すると、影胤はシルクハットのつばを摘んで腰を軽く折る。

 

 

「よく来てくれたね。嬉しいよ」

 

「別に。特に用事もないから」

 

「そうかそうか。ならばゆっくり話すとしよう。なにせ一時とはいえ私達は同僚なのだから」

 

 

 レンの天然発言にも動じず返す影胤は、発言の最後の部分を強調するように言った。

 

 影胤と菊之丞は繋がっていた。やはり、というほどのことではない。

 天童家を出る前から影胤の気配はあった。それはつまり影胤もあの屋敷にいたのだ。

 そして、まったくの他人を、それも聖天子にとっての敵を易々と懐に入れるほど菊之丞は衰えてはいない。

 

 ふと、影胤は今思い出したというようにわざとらしく『そういえば』と前置いてレンを直視する。

 

 

「君の名前は?」

 

「明星 レン」

 

「明星君。うん、いい名だ」

 

「ありがとう」

 

 

 聖天子に貰った名を褒められたことに素直に嬉しくなったレンの言葉。影胤にしても社交辞令なのか本心から出た言葉なのか、その態度から窺うことは出来ない。

 異様な空気だった。

 

 

「ねえパパ、つまらない。暇だからあいつ斬っていい?」

 

 

 今まで大人しくしていた小比奈が無垢な顔で影胤に伺う。表情とは裏腹に、発言の内容は彼女の狂気を表していた。

 

 

「よしよし。だがまだ駄目だ。話の途中だ」

 

「うぅー」

 

 

 可愛らしく小比奈はむくれてしまう。

 

 そんな会話にレンは困り顔で声を挟む。

 

 

「まだもなにも、斬られるのは困る。斬られると痛いんだぞ?」

 

「ヒヒ、小比奈に斬られて『痛い』で済めばいいがね」

 

 

 肩を揺らす影胤は小比奈を一歩後ろへ追いやる。

 

 

「それにしても」影胤は顎に手をあてて「昨日も感じたことだが、君は少しばかり妙な人間のようだね」

 

「……蓮太郎達にもよく言われる。俺って変か?」

 

「この私を相手にそんな質問をしてくる辺り十二分に」

 

 

 レンとしては普通のことを普通にやっているだけなのだが。中々不本意な気分だった。

 

 

「私が恐ろしくはないのかな?」

 

「なんで?」

 

 

 さすがの影胤も虚をつかれたようで、次に口を開くまで一瞬間があった。

 

 

「そう問い返されるとは思っていなかった。そうだね――――言い方を変えよう。この見てくれは怖くないかな? 自分で言うのもなんだがかなり不気味ではないかな?」

 

「変な格好だ」

 

「言ってくれる」

 

「パパ、あいつパパを馬鹿にしてる。斬っていい?」

 

「駄目だと言ってるだろう。愚かな娘よ」

 

「うぅー! パパ嫌いー」

 

 

 父を侮辱されたと思って怒ったのか、小比奈の純粋な殺気は確かに強くレンに向いていた。

 それを制止していた影胤はそこでふむ、と唸った。

 

 

「では小比奈はどうだい?」

 

 

 影胤は娘と呼んだ少女を示した。

 

 

「この子は私の研究成果でね。『呪われた子』を知る為に誘拐した女に対外受精とガストレアウイルスを施して産ませた私の子供だ。実は小比奈の他にも何人か同じように子供を産ませていてね。5年間の洗脳とトレーニングの後、子供達で殺し争わせて生き残ったのがこの子なんだ」

 

 

 狂気の沙汰としか思えない所業を自慢するように堂々と語る影胤。

 異常だった。異形だった。

 影胤という男はすでに人の形をしていながら人の枠を踏み越えてしまっていた。

 

 

「見た目の無垢さからは想像も出来ないかもしれないが、小比奈はすでに何十何百という命を奪っている。人の命を、ね。私が命ずれば今すぐ君も殺すだろう。天使のように笑いながらね」

 

 

 小比奈が腰にさげた二刀を見せつけるように少し抜く。影胤の言う通り、『殺せ』とひと言告げるだけで彼女は一切の躊躇いなくレンの首を落とすだろう。

 その相手がたとえレンではなく女子供であろうとも。

 

 先ほどの影胤への暴言が原因か、小比奈は隠しもせず殺気を放ちながらレンを睨んでいる。

 それを正面から見据えながら、レンは答えた。

 

 

「俺にはわからない」

 

「わからない、とは?」

 

「わからないんだ。『呪われた子』とそうでない子供の違いが」

 

 

 それはレンの本音だった。

 

 瞳が赤い。身体能力が高い。

 『呪われた子供たち』と他の子供の違いはそれだけではないのか。

 瞳の色が違うことなどままある。蓮太郎や木更、菊之丞のように鍛錬の末、ガストレアに対抗出来るまで肉体を高めた者はいる。

 

 体内にガストレアウイルスを保有している。やがてガストレアになる可能性を持っている。

 一方で、ガストレアに遭遇してガストレア化する者がいる。不運な事故であるが、結果だけみれば同じだ。

 

 ならば、皆がそこに感じる差とはなんなのだろうか。

 

 瞳の色。尋常でない肉体。ガストレア化。

 

 世間が、人間と『呪われた子』を分ける決定的な理由とはなんなのか。

 

 レンにはそれがわからない。

 

 

「ふむ」

 

 

 影胤から初めて道化のような軽薄さが消えた。

 ギラついた瞳は真っ直ぐレンを見ていた。

 

 

「君は異端のようだ。私とも違った、ね」

 

 

 興味深そうに影胤はレンを見やり、不意に白手袋の右手を伸ばした。

 

 

「どうかな明星君。私と共に来る気はないか?」

 

「今一緒にいるだろ?」

 

「そういう意味ではないよ。民警を、この世界を裏切ってこちら側に来ないかと訊いているんだ。実をいうと君にはそれほど興味はなかったのだが、いやはや君という存在は中々に面白い。是非とも一緒に来て欲しい」

 

 

 冗談、ではないようだった。

 おどけた調子は戻っているが影胤の誘いは本気だった。

 

 

「それはつまりお前と一緒に東京エリアを壊すのか?」

 

「ああ。東京エリアだけではない。いずれ世界の全てを混沌に叩き落とすのだ」

 

「断る」

 

 

 静寂が落ちる。

 

 両の手を広げて演説していた影胤はカクンと首を横に倒してレンを見る。

 

 

「何故?」

 

あいつ(・・・)はそんなこと望んでない」

 

 

 あの白い少女はみんなを幸せにしたいと言った。その『みんな』にはウルや延珠達のような子供達も含まれている。

 その願いを叶える為にはここを壊すわけにはいかない。

 

 そんなことを考えていたレンはふと思い出す。

 

 

「そうだ影胤」

 

「なにかな?」

 

「お前――――あいつを無能って言っただろ?」

 

 

 直後、影胤は腹部が爆発したかのような錯覚に襲われた。

 

 衝撃が影胤の胴体を吹き飛ばし、手足が遅れて引っ張られる。そのまま為す術なく背中からコンクリートの壁面に突っ込み、縫い付けられたようにしてようやく止まった。

 

 

「が、ふっ……」

 

「パパ!?」

 

 

 仮面の口から赤い血が流れる。

 

 悲鳴のような声をあげて小比奈が駆け寄る。

 

 不意打ち、といえば確かにそうだった。しかし仮にも影胤は東京エリアを敵に回す男。いつ如何なる場面で敵に襲われても対処出来るよう常に警戒を解きはしなかった。それは今も同様である。

 

 しかし、反応出来なかった。今の一瞬、レンの動きを影胤は追うことが出来なかったのだ。

 

 

「あいつは俺なんかよりずっと頭が良い。色んなことを知ってる。体は強くないけど、いつも夜遅くまで頑張ってる。誰より頑張ってる。――――だから、馬鹿にするな」

 

 

 レンは怒っていた。

 

 記憶を失い、感情というものを失いかけていた彼が、明確に怒りを露わにしていた。

 

 

「お前――――ッ!」

 

 

 己の父を傷付けられた怒りによって小比奈の瞳が赤く赤熱する。同時に腰にさげていた二刀を抜いた。

 ガストレアウイルスによって得た超人的な力を爆発させようと膝を曲げて力を溜めて、

 

 

「やめるんだ小比奈」

 

 

 寸でのところで差し出された手によって止められた。

 

 

「でもパパ!」

 

 

 娘の訴えにも影胤は取り合わない。

 ダメージを引きずっているのか体をよろけさせながら、しかし両の足で立つ。

 

 

「――――ヒヒ」

 

 

 俯き気味だった仮面が小さく揺れた。小刻みに、やがて大きく仰け反るようにして哄笑をあげた。

 

 

「ヒハハハハハハ! まさかここで、君を相手に、こんな楽しい気分にさせられるとは思わなかったよ!」

 

「なんだ? お前、痛いのが好きなのか?」

 

「――――ああ、私は闘争が好きなのだよ」

 

「変わってるな」

 

「よく言われるよ」

 

 

 似た者同士かな、と影胤はキキキと嗤った。

 

 

「だが残念。そろそろ時間だ。君にかまけてレースに出遅れては元も子もないからね」

 

 

 言うなり影胤と小比奈は路地裏の闇に溶けるようにして消えた。

 

 

「――――あなたは……」

 

 

 入れ替わるように現れたのは髪を三つ編みに編んだ少女。こんな薄暗い場所に似つかわしくない少女は、あまり感情の見えない瞳でじっとレンを見つめていた。

 

 レンはどこか少女の顔に見覚えを感じつつ首を捻って、ポンと右の手を拳にして左手を叩いた。

 

 

「防衛省にいた変なイニシエーター」

 

「心外です」

 

 

 少女、千寿(せんじゅ) 夏世(かよ)は声にありありと不満を滲ませた。




閲覧ありがとうございます!

>と、こんな感じで影胤さんとはまともに会話をしましたとさ。

>現状妄想の展開では実は影胤さんとの絡みが少なくなってしまいそうで、ここで出なければいつ出るんだと頑張って登場させました。だがしかし、ハレルーヤを言わせてあげられなかった……!


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痛いのが好きらしい

「ほら、食え」

 

 

 差し出されたたこ焼きを夏世は見つめる。たこ焼きと、それを差し出したレンと言うなの少年の顔を見比べて、しばしの間を経てから受け取った。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 素直に御礼を述べる。

 我ながら相変わらずの単調な物言いだったが、どうやら彼は気分を害した様子は無く、同じベンチ、即ち隣に腰を下ろした。

 

 膝の上に置いたたこ焼きはプラスチックの容器を通してもとても温かい。それもそのはず、これは今まさに目の前の屋台で作られた出来たてのものを彼が買ってきてくれたのだ。

 添えられた爪楊枝でプスリと刺して、口に運ぶ。生地のとろみ、ソースの味が口の中に広がる。

 

 

「美味しいです」

 

「それはよかった」

 

 

 またしても淡々と味の感想を述べてしまう。しかし負けず劣らず相手も淡々としたものだった。

 

 レンも自分用のたこ焼きをパクリと食べている。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 夕暮れの公園のベンチ。少年と少女が無表情でたこ焼きを食べている。

 傍目からはどう見えただろうか。

 

 というよりも、

 

 

「あの」

 

「なんだ?」

 

「どうして私は今貴方と一緒にたこ焼きを食べているのでしょうか?」

 

 

 何故こんなことになったのか、夏世は思い出すことにした。

 

 防衛省にて聖天子からケース奪取の依頼を受けた将監と夏世はさっそく別行動を取る。というより、そも将監は戦闘専門で、こういった情報収集等の裏方の仕事は基本夏世が受け持つのがセオリーとなっていた。

 その際、偶然彼女の網に例の仮面男、影胤がかかったのだ。状況によっては将監を呼ぼうとしていたのだが気配はすぐに消えてしまった。

 追えなくはなかったが、単独での接触は極力避けたかった。影胤の戦いを見たのは一度だけだが、1人では勝てるヴィジョンが浮かばなかった。

 

 それに、もうひとり気になる人物を見つけたから。

 

 明星 レン。

 

 今回名だたる事務所が召集された中でも断トツに若い女社長、天童 木更が立ち上げた『天童民間警備会社』に所属するプロモーター。イニシエーターの名前はウル。苗字が無いのは今時分珍しい話ではない。能力は不明。

 

 依頼受諾後、彼に関して集められた情報はこの程度だった。

 

 依頼を共にする同業者の情報を集めることは別段珍しいことではないが、彼に関しては夏世自身興味を抱いていた。

 

 兎も角、そうして気にかけていた人物を見かけて、影胤との関係を含めて色々話を聞こうと思い声をかけたのだが、どうしてか今一緒に公園のベンチに座ってたこ焼きを食べている。

 何故だろうか。

 

 

「たこ焼きは嫌いか?」

 

「そうではありません」

 

「なら腹がいっぱいだったか?」

 

「いえ。むしろお腹は減っていました」

 

「なら遠慮せず食べろ」

 

「………………」

 

 

 言うなり彼の方はパクパクと食べ進めている。

 

 普段周囲から、独特な雰囲気をしていると評される夏世だったが、なんてことはない、隣の少年の方がずっと変だと思う。

 そう思いながら、とりあえず夏世はふた口目を口にするのだった。――――うん、美味しい。

 

 

「それで話ってなんだ?」

 

「唐突ですね」

 

 

 ようやく話が切りだされたのは出会ってからもう1時間は経とうかというタイミングだった。きっかけもなにもありはしない。強いて言うなら、レンの方がたこ焼きを食べ終えたときだった。

 

 呆れたように嘆息しながら、一先ず爪楊枝を置く。

 

 

「蛭子 影胤とはどのような話をしたのですか?」

 

 

 その質問はいきなり核心を突いており、しかし当初彼女がしようと思っていた質問とは違う内容であった。

 それでも彼女がこのことをまず聞いたのは、彼女が私情より依頼を優先したが故に。

 

 

「仲間にならないかと誘われた」

 

 

 レンは顔の表情ひとつ動かさなかった。

 

 

「あとは、自分が怖くないかとか……小比奈が怖くないかとか……。他には俺が変わってるとか」

 

「なんて答えたのですか?」

 

「俺は普通だと思うんだけどな」

 

「そっちではありません。それと貴方は間違いなく変です」

 

 

 思わず突いて出た本音。

 

 レンは納得いかないと首を捻っているが無視。

 

 

「仲間にならないか、と誘われて……どうしたのですか?」

 

 

 質問をしながら、レンに死角になるように手を動かして銃のグリップを握る。答えによってはすぐに戦闘になることを考えて。

 

 しかしそれは無駄に終わる。

 

 

「断った」

 

「そうですか」

 

 

 そう言った彼の言葉を受けて、夏世は握っていたグリップをあっさり手放した自分に内心驚いていた。

 彼の言葉に嘘は無いと、彼の言葉をなんの確証もなく信じていたのだ。

 

 仲間内からは天然だマイペースだと言われる彼女は、実はかなりの頭がキレる。会話ひとつでもあらゆる可能性を思考している。無論、その言葉が嘘である可能性も。

 

 それが、そんな自分が何故こうもあっさりレンの言葉を信じたのか。

 確証も無い。会ったことだってこれで2回目に過ぎない彼のことをどうしてこう容易く信用したのか。

 

 変な奴だからというのは理由にならない。

 けれど理由がわからない。

 

 

「あともうひとつわかったことがある」

 

「なんですか?」

 

 

 困惑を一先ず隅に追いやり、今は敵である影胤の情報収集に努めようと思い直した。

 

 レンは真剣な顔で――――常に真顔だが――――言った。

 

 

「あいつは痛いのが好きらしい」

 

「……もういいです」

 

 

 なんだかとことん彼との会話は馬鹿らしくなってきた。このまま話を続けていても依頼に有益な情報は出てきそうにないと夏世は諦める。

 

 残ったたこ焼きに手を伸ばす。

 

 

「もうひとつ、貴方に質問があります」

 

 

 今度はこちらから会話を切り出した。これは依頼とは関係ない。私情の話。

 

 

「何故防衛省で私を庇ったのですか?」

 

 

 防衛省にて影胤の反撃があった際、彼は自分を身を挺して庇ったのだ。

 

 千寿 夏世はイニシエーターだ。

 

 ガストレアウイルスに侵され生まれ落ちた『呪われた子供』だ。

 その身はイルカの因子を宿し幼くして優れた知能を有し、それを除いても呪われた子供には異常な再生能力と超人的な身体能力が備わっている。

 直接戦闘に不向きである夏世とて、そこいらの成人男性を束にして制圧出来るくらいの力を持っている。

 

 そんな夏世を、レンは守った。

 

 そも自分は彼のイニシエーターではない。同じ事務所の仲間でもない。

 それなのに、彼は自分を守ったのだ。

 

 疑問に思うなという方が無理がある。

 

 しかし、

 

 

「前も言っただろ。助けるのに理由なんか無い」

 

 

 その答えは以前と同じで、夏世が欲しているものではなかった。

 

 

「そんなことはあり得ません。誰かを助ける場合、それはそのリスクに見合う利益があると判断したときだけです。あの場面で私や将監さんに貸しを作っておくことが貴方は益があると判断したのですか?」

 

「難しくてわからん」

 

 

 どこまでも惚けた男だった。

 

 それが急に腹立たしくなってきた。思わず握り締めた手が爪楊枝を折ってしまう。

 

 

「貴方にとって私を助けたのはどういった意図があったのですか? 残念ながら将監さんは私が助けられた程度で恩を感じるようなお人好しでは――――」

 

 

 突然電子音が割って入った。それで熱していた頭が冷静になる。

 

 電話の相手を確認する。将監だ。

 

 

「――――もしもし」

 

『どこほっつき歩いてやがる!? 例のガストレアの居所がわかった。さっさと戻って来い!』

 

 

 まくし立てるなり一方的に電話は切られた。

 切れた携帯をバックに戻す。

 

 

「私用が出来ました。失礼します」

 

 

 ケースを持つガストレアが見つかったとは言わない。

 レンは同じ依頼を受けた同業者であるが、決して仲間ではない。

 

 いずれ知るだろうが敢えて知らせる必要も無い。

 

 ベンチから立ち上がった彼女は数歩進んでから、ふと残ったたこ焼きに目を落とす。

 

 振り返る。

 

 

「これも私に恩を着せるのが目的ですか?」

 

「? 木更が女の子が一緒のときは男が食べ物を奢るのが普通だって言ってたんだ。違うのか?」

 

 

 じっと、その顔を見つめる。

 

 そうして最後の質問を投げた。――――いいや、それは質問ですらなかった。

 

 

「私は呪われた子供です」

 

「そうだな」

 

 

 なにを当たり前のことをとレンは言わんばかりだった。

 

 正しくその通り。

 

 

(私はなにを言ってるのでしょうか?)

 

 

 いつだって最適の答えを導き出す脳は、このときばかりは答えを出してくれなかった。




閲覧ありがとうございます。

>影胤さんは風評被害でレン君を訴えていい。

>およそ三週間ぶりでございます。今回は夏世ちゃんとの絡みでございましたー。この2人の絡みはずーーーーっと淡々としてるので盛り上がりもなければ盛り下がりもないのです!

>ちなみにこの話は延珠ちゃん失踪の間です。こちらでは飛ばしてしまいますが、ちゃんと物語の中では原作通り延珠ちゃんは影胤の馬鹿野郎のせいで学校で迫害され、ガストレアを倒し、蓮太郎は重傷を負っています。あのハレルヤ野郎め。
次回は未踏破エリア突入です!

>そして遂にウルちゃん再登場です!!!!!!


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押し勝てなかった

 事態は影胤がアタッシュケースを得たことで急変した。

 

 夏世が公園でレンと別れた後のこと、アタッシュケースを持っていたガストレアの情報はすぐに他の民警達のしる事となった。そこにいち早く駆けつけたのが天童民間警備会社のプロモーターとイニシエーター。彼等はガストレアを退治、ケースを奪取するも、直後に影胤と小比奈と名乗ったイニシエーターに襲撃され敗北したとのことだった。

 すぐさま依頼内容は変更された。七星の遺産の奪取。及び影胤ペアの撃破。

 

 影胤達はこちらの目を眩ませる為か未踏破エリアに潜伏。依頼主たる聖天子は軍用ヘリを用いて作戦参加を決めた民警ペアを迅速に送り出したのだった。無論、その中には夏世と彼女のプロモーターである将監の姿もある。

 

 ちなみに、前作戦で敗北したプロモーターはこの作戦が始まる直前まで意識を失うほどの重体であったらしい。どうでもいい情報だったか、と夏世はその情報を記憶の引き出しの奥に入れて閉じた。

 

 

「隙見て何人か殺るぞ」

 

 

 ヘリから降りるなり将監はこちらに目もくれずにそう言った。

 

 夏世はさり気なく周囲を確認。参戦人数の都合上、ヘリは複数飛び、また索敵範囲を広げる為着陸位置もズラしている。まだ夏世達と同じヘリに乗っていたペアは目視出来る範囲にはいたのだが、それは彼もわかっていたのか後ろにいる夏世にだけ聞こえる程度には声は抑えられていた。それでも不用意には違いないが。

 

 

「何故ですか?」

 

「あぁ?」

 

 

 とりあえず、形式的な問答はしておこうと夏世は質問する。

 それだけで将監は不機嫌な声をあげてこちらを睨みつけてくる。ギラギラとした目だ。――――が、今更それに怖気づくほど短い付き合いではない。

 

 

「事前の情報によれば、今回のターゲットの序列は百三四位。元とはいえ実力は間違いなく私達より上でしょう。ここは他のペアと連携して戦うことが最も勝率が高いと判断します」

 

「夏世ぉ、テメエ道具の分際でいつから持ち主に逆らうようになった?」

 

「率直な意見です」

 

「五月蝿え同じだ。道具は黙って使われてりゃいいんだよ」

 

 

 それっきり、将監は省みることもせず先へ歩いて行く。

 

 

「はぁ」

 

 

 隠すこともせずため息を吐いた。自分のプロモーターの性格ならこの結果は百も承知だった。それでも直情的な彼をバックアップするのが夏世の役割であり、あとはこれでほんの少しでも彼が冷静になってくれることを願うばかりである。

 

 夏世達はわざと集団から外れるように森を歩いた。異常繁殖した木々が立ち並ぶ森は最早異世界とすら思えるものだ。この森の至る所にガストレアがいる。

 視界は悪く、足場も悪い。

 いつバッタリ遭遇するかもしれない敵に注意しながら将監の背を追い続けて、やがて前を歩く将監の足が止まった。首だけを回して、無言のまま顎でしゃくってきた。応じて今度は夏世が一歩前に出る。

 

 イニシエーターである夏世はイルカの因子を宿している。おかげでもっぱら戦闘向きではないものの、知能は非常に高い。加えて彼女が持つもうひとつの能力。

 

 

「――――――――」

 

 

 口を開けて不動となった夏世。

 

 今、彼女の口からは常人の耳では聞き取れないほどの超高音の声が発せられている。発せられた音は波となって飛び、物に当たって跳ね返ってくる。それをキャッチすることで対象との距離、形状を感知することが可能なのだ。

 

 

「南西に1組――――」一瞬間をあけて「西に1組います。どちらも本命のターゲットではありません」

 

 

 夏世は索敵の結果を伝える。

 

 

「どっちが近い?」

 

「……南西です」

 

「よし。そっちを狩るぞ」

 

 

 獲物を見つけたことが余程嬉しいのか、ドクロスカーフの下で舌なめずりでもしていそうな将監の笑みを浮かべて南西方向へ歩き出す。

 

 

「…………」

 

 

 夏世はしばし西の方向を見つめるもやがて小走りで将監の後を追った。

 

 

 

 

 しばらく歩くと1組の民警が見つかった。プロモーターの男は痩せ型で、年齢は将監と同じか少し上。前を歩くイニシエーターは全体的に大人しそうな印象を受ける黒髪セミロングの少女。彼等が木々に身を隠して潜む夏世達に気付いてる様子は無い。

 この作戦に際して夏世は参加している全ての民警達の情報を記憶している。重要度に応じて差はあれど、名前と顔、それと序列程度ならば全員を網羅している。

 記憶からペアを検索。所属している事務所はお世辞に言って中堅。序列も2万台。大した実績も持っていない。

 

 前作戦の失敗に際して事態を深刻に受け止めた聖天子は報酬の上乗せに加えて、東京エリア全ての民警事務所に有志参加を募った。目が眩んだ者、あるいはこれを機に名を上げようとする者。理由は様々あれど結果有象無象も多く集まった。あれもそんな中の1組。

 

 イニシエーターを先行させて忙しなく視線を動かす小心者の男。イニシエーターの方も、まだ敵も見えていないのにずっと銃を前に掲げてトリガーに指をかけっぱなし。傍目からも怯えているのがわかる。

 

 千番台の自分達の敵ではない。故に、目の前のアレは格好の獲物であった。

 

 

「――――よお」

 

「……っ!?」

 

 

 不用心に姿を晒し、あまつさえ声までかけてしまう将監の浅はかさに夏世は小さくため息をつきながら自分も表に出た。

 

 声をかけられた方は最初こそ飛び出さん限りに目をを見開いて驚いていたが、相手が将監……というよりか、同じ人間であるとわかるとあからさまに安堵したようだった。今から襲われるとは夢にも思っていないだろう。

 だからこそ味方が現れたと誤解ながら余裕を取り戻した痩せ型の男は将監の風貌をまじまじと見る。

 

 

「もしかしてあんた伊熊 将監か……?」

 

 

 目立つ風貌ということもあり将監の名を知っているということは、その実力を知っているということだ。夏世には続く男の言葉が簡単に予想出来た。

 

 

「だったら?」

 

「やっぱりそうか! な、なあ、一緒に仮面野郎を探さないか? 2人で組めば勝てる可能性も上がるぜ?」

 

 

 本音は将監の手柄のおこぼれを狙っているのは明らかである。

 

 将監はククッ、と喉奥で笑って体を揺らす。

 

 

「嫌だね」

 

 

 言って捨てる。背中の黒剣、巨大なバラニウムの塊を研磨して作られたそれを留め金を外して抜く。

 尋常ならざる殺気にさしもの男も異常を感じ取ったらしく数歩たじろいだ。取り戻した余裕はすでに再び失って見える。

 

 

「なんのつもりだ!? お、俺達は仲間だろう!!?」

 

「はぁ? 誰がテメエみたいな腰抜けと仲間だ。――――刻むぞ」

 

 

 一瞬だった。少なくとも、己の腕が舞う姿を呆然と眺める男には何も見えなかっただろう。

 

 大股で踏み込んだ将監の切り上げは男の腕を引き千切るようにして打ち上げた。しばし宙を舞った腕が地面に落ちる。水々しい音を鳴った。 

 

 

「折角の大物……横取りされちゃたまんねえだろうが」

 

「ぁ――――」

 

「…………」

 

 

 事態を理解したのか、それともようやく腕が千切れた痛みがやってきたのか、男が絶叫する寸前に今度は夏世が男に飛びかかり押し倒す。首を挟むように足で跨いで、絶叫を吐き出そうとしていた男の口に手持ちのショットガンを押し込む。ここで叫ばれでもしたら眠っているガストレアを起こしかねない。そうなれば囲まれてこの場の全員餌かガストレア化だ。さすがにそれは御免である。

 

 押し込められた銃口に苦しそうにもがく眼下の男。涙と涎でグチャグチャになった顔。血走った目で見る男へ一言。

 

 

「運が悪かったですね。同情します」

 

 

 そう、ただ彼は運が悪かった。将監達の近くにいた。夏世の索敵に引っかかってしまった。

 そも力も無いのにここにやってきたとこが間違いだったのだ。となれば運が悪かったのではなく、彼の自業自得ではないだろうか。

 

 そうだ。悪いのは彼だ。結論を出して引き金に指をかける。

 

 一方で将監は事態の把握すら出来ず怯えきっているイニシエーターへ足を向ける。少女は銃口を将監に向けているものの震えきった銃口はたとえ至近距離でも当たるとは思えない。

 

 

「あばよ」

 

 

 つまらなそうに言った。

 

 そのとき、夏世の感覚器官がそれを認識した。

 

 

「――――将監さん!」

 

 

 少女の脳天目掛けて真っ直ぐ振り下ろされた大剣が不自然に横にズレた。結果大剣は少女ではなくすぐ脇の地面を叩いた。

 それは決して将監に突如罪悪感やらそんなものが芽生えて温情で外したのではない。故に将監の目は憤怒と警戒がないまぜになって光る。

 

 寸前にあったのは反響音。狙撃だ。誰かが将監の大剣の横っ腹に銃弾を撃ち込んだのだ。

 

 

「夏世! 位置は!?」

 

「左700メートル! 500、450……次来ます!」

 

「ちっっ!!」

 

 

 体勢を低く大剣を翳して備える。次いで銃弾が更に2発盾にした剣を叩いた。

 

 

「将監さん!」

 

 

 相方の名を叫んだのも束の間、夏世の首筋に怖気。感覚器官ではない自身の勘に従って押さえつけていたプロモーターの男の上から飛び退るように退く。瞬後先程まで自分の体があった位置を風を唸らせながら細腕が通り過ぎた。

 

 

「ちっ。外しましたか」

 

 

 大きさの合わないクリーム色のセーターの袖をぶらぶら揺らしながら不機嫌そうに少女は唇を尖らせた。

 

 新手のイニシエーター。しかし彼女に武装は見当たらない。ということは狙撃は別の人物。

 

 そこまで夏世が思考するのを待っていたかのように暗がりの木陰から飛び出す。その人物は振りかぶっていた長物を身を固めていた将監目掛けて叩き下ろす。硬い物質がぶつかる鈍い低音。

 衝撃に低く唸る将監だったが屈強な肉体は伊達ではない。ドクロスカーフの中で歯を喰いしばって踏み止まる。一拍遅れて反撃。

 

 

「だらあっ!!」

 

 

 追い払うように大剣を横薙ぎに。しかし襲撃者は将監が受けきったと見るや即座に後退済みだった。

 

 少女の死角からの攻撃を躱した夏世はさり気なく将監の傍らへ移動。その間も当然銃を脇に構えながら襲撃者を警戒している。

 

 

「押し勝てなかった」

 

 

 声は将監を襲った者のものだった。その喋り方は特徴的な平坦具合で、夏世にはその声に聞き覚えがあった。故に自覚無く少女の眉が険しく寄る。

 彼が近くにいたことは先程の索敵で感知済みであった。それも実は今襲っているペアよりも夏世達との距離は近かった。

 離れていて欲しかった。夏世達が別ペアを襲っている間に索敵すら届かない遠くにいって欲しかった。しかし現実はそうそう上手くは行ってくれない。特に『呪われた子供』として生まれてくるような自分に、世界が都合よく回ったことなどなかった。

 

 

「明星 レン」

 

 

 夏世の口は知らず少年の名を紡いでいた。




閲覧どうもありがとうございましたー。

>あけましておめでとうございます!今年もどうぞよろしくお願い致します!

>実はこれで今年3度目となる新年の挨拶でございます。まさか3度全てを目にしてらっしゃる方がいるとは思いませんが、もしいましたらしつこくてすんませんです。

>さて本編ー。前話に続き夏世ちゃんメイン。というか1巻は夏世ちゃんの為に書くお話と言って過言ではありませぬ。そして朗報!ウルちゃん再登場!皆様忘れてはいらっしゃらないですよね!!?忘れないで!!(必死)

>ではではー、これで新年挨拶も終えてローテーションに戻ります。次回はISの方の作品を1~2話書いてからですかねえ。なるべくお待たせしないよう頑張ります!

皆様の2015年が良いものでありますように。


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わたしも初めてです

 結論から言ってしまえば、レン達がこの場に居合わせたのは単なる偶然であった。

 

 ヘリから降りて蓮太郎達と合流するはずが木更に手渡された無線機が何故か――――案の定というべきか――――動かずにいきなり作戦が破綻。しかし蓮太郎達も目的は同じなので適当に歩いていればそのうち会えるだろうと楽観な調子で森を歩くこと数時間、嗅覚に優れたウルが人の臭いを嗅ぎとってそちらへ向かったところ、血の臭いが混ざったことで異常事態を察知。こうして乱入したのである。

 

 

「………………」

 

 

 レンは今しがた将監を殴りつけた棒――――否、ライフルをクルリと回転させてグリップを握った正しい持ち方に直す。先程は銃口を握ってグリップ部分を槌に見立てたハンマーのような扱いをしていたのだ。奇人変人多い民警広しといえど狙撃銃をそんな使い方する者もレン以外いまい。

 

 将監は喋らない。ただ鋭い視線をレンに飛ばしている。夏世も喋らず、ウルもレンも喋らない。腕を失い過呼吸のような悲鳴を漏らしている男の声だけがしばし場に響く。

 

 レンは辺りを見回した。腕を斬られうずくまる男。おそらく男のイニシエーターであろう少女は放心しているのか座り込んだまま。それから、将監に目を向けた。

 

 

「なんでこいつを斬ったんだ?」

 

 

 その言葉からレン自身の感情を窺い知ることは出来なかった。少なくとも将監達には。レンはただ純粋に疑問を口にしているようにしか思えなかった。

 

 

「こいつ、悪い奴なのか?」

 

「ふ、ふっ、ふざけんなよっ!!? しょ、そいつらがいきなり、襲って来たんだ!!」

 

 

 質問に答えたのは腕を失った男だった。涙と涎でぐちゃぐちゃになった顔を憤怒と恐怖に染めて、ガストレアの森であることさえ忘れて叫んだ。

 

 

「そうなのか?」

 

 

 レンの調子は変わらなかった。

 

 

「なんで襲ったんだ? こいつも俺達と同じ、影胤を追ってたんだろう?」

 

「――――ハッ」

 

 

 将監がマスクの下で吐き捨てるように笑う。

 

 

「邪魔だから斬った。それだけだ。文句あるか?」

 

「無駄ですよレン君。こいつは性根が納豆並に腐ってます」

 

「納豆、旨いけどなぁ」

 

「そうですね! 朝はやっぱり納豆と白いご飯です!」

 

 

 などとレンとウルがやり取りをしている間に、腕を失いうずくまっていた男が放心したイニシエーターの腕を掴んで走りだした。

 

 

「夏世!」

 

「追います」

 

 

 それに気付いた将監ペアの動きは迅速だった。戦闘向きではないとはいえ速力ならば巨体の将監より優れる夏世がまず逃げた2人を追いかける。

 それに一瞬意識を奪われていたレンは将監の突進に気付くのがやや遅れた。

 

 

「……っ!」

 

 

 ライフルを盾に大剣を受ける。が、不意を突かれたこともあり後方に弾き飛ばされてしまう。

 

 

「レン君! ――――っの筋肉マスク!」

 

 

 愛しのパートナーを傷付けられたと激昂するウルだったが、すでに将監は一撃離脱。ペアと夏世が走った方向へ走り出していた。レン達より先に、まずは逃げたペアを仕留めるつもりのようだ。

 

 

「大丈夫ですかレン君!?」

 

 

 数秒前の般若顔は何処やら、今にも泣き出しそうな美少女顔で主のもとへ駆け寄るウル。

 

 

「平気だ」

 

 

 むくりと上体を起こしたレンは傷ひとつ負っていない。銃の防御は間に合っていたし、そもそもあの程度でくたばるほどやわな体ではない。しかしながら大剣の一撃をまともに受けた銃はそうはいかなかった。フレームに罅があったと思うやそのまま砕けた。

 

 

「……壊れた」

 

 

 相変わらずの無表情がどことなくしゅんとして見えるのは錯覚か。

 

 

「いいえレン君をその身を呈して守ったのですから名誉ある殉職です! わたしが仇を取ってあげますから安心して眠っていてください!」

 

 

 砕けた銃に対して心からの最大の賛辞を送るウル。レンはすっくと立ち上がる。

 

 

「どうしますか?」

 

「追う」

 

 

 当然だとばかりにレンは即答。地面に降ろしていたバックを担ぎ直して将監達を追う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ……がはっ! ぜぇ、くっそ! くそくそクソッッ!!!!」

 

 

 荒げた呼吸を無視して男は吐き捨てる。何故、どうして自分はこんな目にあっているのか。斬り落とされた腕からはすでに夥しい量の血が出ていたが男にそれを気にかける余裕は無くなっていた。朦朧とする意識の中で男は再度考える。どうして自分はこんな目に合わなくてはならないのか。

 

 こんなはずではなかった。民警になってなにか大きなことを成し遂げて今まで自分を馬鹿にしていた奴等を見返してやりたい。それは子供の絵本より幼稚で曖昧な夢だった。しかし男にとってそれが全てだった。

 政府が東京エリア全域に出した依頼はその曖昧な夢を実現させるには充分な魅力を秘めていた。だが実際来てみれば、ここは地獄だ。森には至る所にガストレア(化け物)の気配。しかもここには今現在東京エリア全てを敵に回して平然としている異常者がいる。そして極めつけには自分を追ってくる高ランカーの存在。

 

 今更彼等が自分達を襲う理由なんてどうでもいい。というよりもすでに考える力を失っていた。それでもただ生きたいという人間らしい本能が男の足を動かす。――――不意に、駆ける先に光が見えた。ゆらり、ゆらりと手を振るかのような動きで青白い光は揺らいでいる。ほんの僅か男は正気を取り戻した。

 

 

「は、はは! ざまあみろ! ざまあみやがれ!! おい! 助けてくれ!!」

 

 

 あの光に辿り着いたら洗いざらいぶちまけてやる。将監の凶行を告白して追い落としてやる。助かった。これで助かった。

 

 

「――――――――……はれ?」

 

 

 森を抜けた先で男が見たのは奇怪な塊だった。後ろから引っ張っていたイニシエーターが悲鳴をあげたのが聞こえた。男の記憶はそこを最後にブツリと途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な……」

 

 

 逃げたペアを追って森を抜けた先で夏世は足を止めた。まず視界に入ったのは小さな山のように盛り上がった奇怪な塊。所々に不気味な花を咲かせ、チカチカと青白い光を点滅させるそれが生き物であるとわかったのはズルズルと飲み込まれていく逃げたペアの下半身を見つけたときだった。

 ガストレアというのは進化を経るごとに元になった生物の因子がわからなくなる。あまりにも奇形故に判別がつかないのだ。逆に言えばこの世ならざる姿をしたガストレアほどそれは危険だといえる。そのことを踏まえていえば、目の前のそれはとてつもない危険な存在だった。

 

 いつの間にかペアは跡形もなく飲み込まれてしまった。遅れて腐臭が夏世の鼻を刺激する。そのとき、それはズルリと体の向きを変えた。どうやら青白い燐光を灯しているのは尾部らしく、頭部に思われる部分が夏世の正面に向いた。

 

 

「――――――――!」

 

 

 途端それはブルブルと震えて歓喜を示した。群がっていたハエが一斉に飛び上がり夏世の方にまで飛んでくる。途方も無い怖気が夏世を襲った。

 

 

「――――ッ!?」

 

 

 咄嗟の行動だった。腰に下げた手榴弾を投げつける。

 

 

(しまった!)

 

 

 そう気付いた時にはすでに手遅れだった。投げられた楕円形の物体は意外と柔らかかったらしいそれの外皮に当たり爆発を起こす。これで森中のガストレアが目を覚ましてしまっただろう。

 腕で熱風から顔を守りながら夏世はとりあえず敵のダメージを確認しようと目を凝らす。故に気付くのが遅れた。左から粉塵を突き破って襲ってきた犬型のガストレアに気付いたのは左腕に噛み付かれた後だった。

 

 

「づあ……!」

 

 

 夏世は腕を振り回して拘束を外す。肉が千切れ鮮血が宙を散った。襲ってきたガストレアは地面に着地すると再び牙を剥き出して跳びかかってくる。夏世は右手に持っていたショットガンの銃口を片腕で持ち上げて引き金を引いた。今更銃声を気にする必要もない。

 さすがに片腕では反動に耐え切れず腕が踊って体も後ろに引っ張られる。無論照準もズレたがショットガンだったのが幸いしたか、犬型ガストレアの頭部の右半分を食い千切った。

 

 

「っ!」

 

 

 即座に立ち上がって片腕でリロード。呻くガストレアの頭部に銃口を押し当て引き金を引く。

 

 頭部を吹き飛ばせばさすがに動きがなくなった。晴れつつある粉塵。追ってきているはずの将監の姿を探して、気付いた。

 

 

「あ」

 

「――――――――!!!!」

 

 

 金切り声のような鳴き声だった。むせ返るような甘く腐った臭いを放つ巨体が間近にあった。戦闘に集中し過ぎていて接近に気付くことが出来なかった。致命的な距離。夏世は己の死を覚悟して、せめて自決しようと銃口を口内に差し込もうとして、

 

 

「邪魔」

 

 

 目の前の巨体が吹き飛んでいくことをしばらく現実として認識することが出来なかった。呆然と見上げる。

 

 

「よ!」

 

 

 なんともお気楽な調子でそこに立っていたのは明星 レンだった。

 

 

「何故――――」

 

「話しは後にしよう」

 

 

 急激に視界が高く持ち上がる。抱きかかえられたと思えば跳躍。寸後、今までいた場所に触手のような腕が振り下ろされる。

 

 

「危なかった」

 

「いえ、現在進行形で危ないです。背後からきます」

 

 

 その言葉に従ったのか、それとも気付いていたのかわからないが、レンは空中で巧みに体を入れ替えて後ろに迫っていた触手を蹴りで弾く。さらに連撃。触手は衝撃に耐え切れずに千切れた。

 

 

「危なかった」

 

「本当にそうでしょうか?」

 

 

 はたして、レンの今の動きを見れば本当に危なかったのか甚だ疑問である。

 

 

「あー!!!!」

 

 

 今度は何事かと見てみればこちらを指さしてわなわなしているセーターの少女がひとり。

 

 

「貴方は!」触手を殴り潰し「なにを!」触手を踏み潰し「してやがるんですか!!」

 

 

 雄叫びと共に触手を引き千切った。

 

 

「レン君にそ、そんな……お、おおおおお姫様抱っこだなんてええええ!! わたしだってまだしてもらったことないのに! 降りなさい今すぐ!」

 

「わたしも初めてです」

 

「俺も初めてだ」

 

「うあわああああああん! レン君の初めてがこんな馬の骨の女にぃぃぃ!!」

 

「とりあえず逃げるぞ」

 

 

 怒りの鳴き声をあげるガストレアを背に3人は森を駆ける。




閲覧ありがとうございましたー。

>約1ヶ月ばかり更新が空いてしまってすみませんでした。しかも後半部分は文章がそこはかとなくいい加減になりつつあります。気をつけなければ。

>さて1巻ラストが近付いてきましたが、ここまで来てもレン君ウルちゃんのキャラがぶれっぶれで我ながら恥ずかしい。何故こうなった!そして聖天子様お待ちの皆様はもう少しだけお待ちを!とりあえず、さすがに森には連れて来れなかったので!

>では次回までー。次は目標今月中!(フラグではないはず)


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なんか嫌だ

 地響きと共に足音が遠ざかっていくのを耳を澄ませて聞く。念の為完全に気配が遠ざかっても数分はじっと大人しくしてようやくレンは緊張をゆるめた。

 

 光を灯すガストレアから逃走したレン達は偶然見つけた防空壕に身を潜めていた。幸い一番凶悪そうだったあれは動きが鈍重ですぐに逃げおおせることが出来た。だが先程の爆音で活発になったガストレア達の襲撃を次から次に受けることとなった。一々相手にしていられずこうして隠れることにしたのだった。

 

「もう大丈夫だな」

 

 そうレンが言ったのと同時に背後でジャキンという重々しい音を聞く。振り返ると夏世がこちらへ銃口を向けていた。それに対して、ウルが射線に被さるようにして立ち塞がる。

 

「この恩知らずめ。一体誰にそれを向けていやがりますか。……潰しますよ?」

 

 ウルの声音は低く、防空壕内の温度が一気に下がったかのような錯覚を覚える。握りこんだ拳は軋むほど強く握り締められ、あと数秒後には彼女の怒りの沸点は限界を振り切ってその言葉通り夏世を原型残さず潰してしまうことだろう。

 しかしそうはならなかった。何故ならウルを押し退けてレンが前に出たからだ。

 

「レン君危ないです!」

 

「平気」

 

「あいつは自分達の取り分を増やす為に他のペアを襲うような連中です! 今ここでわたしがミンチにしてしまった方が世の為レン君の為です!」

 

「……彼女の言う通りです」

 

 賛同したのは他ならぬ夏世だった。彼女は淡々と告げる。

 

「何故助けるのですか? 味方を襲うような外道を殺したところで誰も文句は言わないでしょう」

 

 問われたレンはしかし尚歩みを止めずに夏世の至近距離まで近付く。向けられた銃口などまるで見えていないかのように手を伸ばして、夏世の傷ついた左腕を優しく持ち上げた。

 

「前にも言っただろ。他人を助けるのに理由なんていらない」

 

 夏世は目を丸くして、俯いた。ウルは主を害された怒りと主の底抜けの優しさに呆れをないまぜにしたため息を吐いた。

 

 

 

 

 治療はすぐ終わった。といっても超人的な再生能力、治癒力を持つ彼女達には大層な治療は必要無い。綺麗な水で傷口を洗い消毒をして包帯を巻いただけだ。

 治療を終えればすぐに出発といきたかったが、しばしの休息を挟むことにした。理由はいくつかあるが一番の理由は未だ影胤達の詳細な居場所がわかっていなかったからだ。闇雲に歩き回るにはこの森は広すぎる。そんなわけで防空壕の中でしばらく3人での時間が過ぎる。隣り合って座るレンとウル。焚き火を挟んで夏世といった具合だ。

 

「あなたは本当に不思議な人ですね」

 

 そんな休息の間に夏世はぽつりと漏らした。

 

「いえ、変な人ですね」

 

「何故言い直した」

 

「何度でも言います。――――何故あなたは私を助けるのですか?」

 

 レンのツッコミはあっさり無視された。

 

「私は呪われた子供です。化け物です。そうでなくても味方を殺そうとした――――いえ、すでに人を殺したことのある犯罪者です」

 

 夏世が自身の手を汚したのは以前に一度。今回とて結果として手負いとなったあのペアを殺した原因を辿れば間違いなく夏世と将監にあるだろう。

 呪われた子供が忌み嫌われていることは知っている。その理由もわかる。誰だって自分と違う存在には少なからぬ恐怖を抱く。それが自分と同じ形をしていれば尚更に。そんな子供達だが、実際に害を為す者は実はほとんどいない。夏世や影胤のイニシエーターである小比奈という少女のような例外もあるが、たとえどんな能力を持っていても結局のところ彼女達の本性は無垢な子供なのだ。強大な力に溺れるほどの欲もまだ持たない。

 

「私は他の子供達とは違う正真正銘の犯罪者です」

 

「そうか」

 

「ええ、ですがあなたは私が他のペアを襲ったことを見た。それだけでも敵と判断するには充分でした。それなのに何故私を助けたのですか?」

 

 1度目はまだいい。防衛省での一件は、あのときはまだレンは夏世という少女のことを知らなかった。しかしさっきは違う。味方である民警を襲い、彼等が死ぬ原因となったことを目撃していた。それなのに何故レンは自分を助けるのか。

 夏世の質問にレンはひどく悩んでいた。たっぷり3分ほど唸りながら考えて遂にこう切り出した。

 

「お前が犯罪者ってことと、俺がお前を助けたことになんの関係があるんだ?」

 

「……は?」

 

 さすがの夏世も無表情を崩してしまう。生まれて初めて苛立ちを覚えたほどに。この男ははたして今の話を何も聞いていなかったのではないか。

 

「だから私は人殺しで――――」

 

「だから、犯罪者を助けちゃいけないのか?」

 

「……あなたは何を言っているんですか?」

 

 あまりの返答に怪訝な顔で問い直す。対してレンは相変わらずマイペースだった。

 

「悪いことをした奴を助けちゃいけないのか? 助けていいのは良い奴だけなのか? そんなの、なんか嫌だ」

 

「あなたは……」

 

 本気でそんなことを言っているのか。夏世は言葉を呑み込む。

 たしかに選んで人を助ければそれは結局選ばなかった方を見捨てたのと変わらない。はたして人の命を平気で見捨てるような輩が本当に善人なのか。だとしても――――

 

「だとしても、裁かれるべき命はあります。許されない罪はあります」

 

 最早夏世は自分が何を言いたいのかわからなくなってきていた。自分はレンにどうして欲しいのか。なんと言って欲しいのか。どうしてここまで自分で自分を貶めるのか。

 答えは出せないまま、それでもレンの答えを待つ。彼はほとんど間をあけずに答えてみせた。

 

「俺にその判断は出来ないし、そもそも俺の仕事じゃない」

 

「だからあなたは助けるのですか? 相手が善人であれ、犯罪者であれ?」

 

「ああ」

 

「それが――――わたしであっても?」

 

「ああ」

 

 迷いなく頷いたレン。それきり夏世は抱えた膝に顔を埋める格好で黙り込んでしまう。レンも特に喋りかけず、ウルは何故か不機嫌そうに頬をふくらませながら隣り合うレンの裾を握ってしかしやはり何も喋ろうとはしなかった。

 

「私は」

 

 唐突に、格好は変えずに夏世は口を開いた。

 

「私は今の自分が不幸であるとは思っていません」

 

 レンは体勢を変えないまま耳だけを傾ける。

 

「むしろどちらかといえば幸運な方でしょう。将監さんは確かに精神年齢が子供並のしょうもない人ですが、イニシエーターに当たり散らすことも虐待紛いのこともしません」

 

 意外にもパートナーをこき下ろす少女だが、彼女の言葉もまた真実である。プロモーターの中にはパートナーであるはずのイニシエーターに様々な暴力行為で己の憂さを晴らす者、悦楽に浸る者がいる。界隈ではパートナー殺しで有名な者だっている始末だ。そして、そんな者達が許されてしまうのが今の世界である。

 そのことを思えば伊熊 将監はまだマシなプロモーターなのかもしれない。

 

「将監さんは言いました。私達に出来ることは戦うことだけなのだと。私はその為の道具であり、それ以上の価値は無いが道具として役に立ち続ける限りその価値は失われないと。それは正しいことなのだと思います。ガストレアという怪物と戦うのに『呪われた子供たち(私達)』ほど都合の良いものはありませんから。――――レンさん」

 

 夏世は真っ直ぐにレンの顔を見た。

 

「もう一度だけ聞きます。こんな道具を、あなたは本当に助ける価値があると思いますか?」

 

「難しい話はわからんが」やはり彼はほとんど間を空けずに「またお前が困ってたら、俺は多分助けるぞ?」

 

 なんてことないようにそう答えた。

 

「……やっぱりあなたは変な人です」

 

 

 




閲覧ありがとうございます!

>今月中の更新達成――――といいたいところですが、文字数があまりにも少なかったので半分達成といったところでしょうか。まあ区切り的にここらへんが妥当かなと思いましたので。

>本当は妄想だともっと夏世ちゃんの場面はがっつりだったはずなのに、いざ書いてみると全然書きたいものと違くて書き直し書き直しを繰り返し、迷走した挙句最後はさっぱりすぎてしまいました。ほんと下書きレベルの出来で申し訳ありません!

>さて次回辺りでいい加減がっつりレン君を戦わせてあげたいと思います。では次回ー


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わたしが潰します

 防空壕から出て3人は森を駆け抜ける。目的地はこの先にあるという海べりの市街地。というのも先程、レンと夏世の無線機に同時に連絡が入った――――レンのはどこかの拍子にスイッチが入ったらしい――――。相手はそれぞれ蓮太郎と将監。内容は影胤の居場所の発覚。そしてそれを多人数での襲撃を仕掛けるということだった。将監は作戦に参加し、蓮太郎は情報を入手し現在街へ向かっているとのこと。自然の足取りで3人も街へ向かうこととなった。

 

 

「ふぅ、途中2回も絡まれるなんて超運がありませんでした」

 

「大分時間をロスしてしまいました」

 

 

 辿り着いたのは街を見下ろせる丘の上。直接街に入る前に一度街の全景を見ておこうという夏世の案だった。

 

 

「静かだな」

 

 

 地図で見た印象より小さい街だった。湾には大戦時に打ち捨てられた漁船やボートが係留したまま放置されている。

 レン達がいる場所から街まではそれほど離れていない。例えば銃声のひとつでも充分聴こえる距離だ。それが聞こえてこないということは、考えられるケースは2つ。

 

 

「まだ襲撃は始まってないか」

 

「もう終わっちまったか、ですかね」

 

 

 レンの言葉にウルが続ける。しかし実のところ答えは出ている。それは夏世が口にした。

 

 

「十中八九終わってますね。急造チームで取れる作戦は精々数任せの電撃戦。私達がここに来るまでに戦闘を2回。時間にしては出遅れていて当然です」

 

 

 元々この作戦自体、タイムリミットが限りなく短いとみている。作戦は急襲で間違いないはずだ。ならば後はどちらが勝ったかだ。――――そのとき、銃声が街に響いた。一発目を皮切りに続けざま鳴り響く。

 

 

「私が超音波で状況を」

 

「必要無い」

 

 

 名乗り上げる夏世を下がらせたレン。目を閉じて集中した様子のレンはふたりに伝える。

 

 

「蓮太郎だ」

 

「……何故わかるのですか?」

 

「音」

 

 

 訝しむ夏世に構わずレンは続ける。

 

 

「銃声は三種類だけ。ひとつは蓮太郎の。もうふたつは……ベレッタ? カスタムしてる」

 

「音だけでわかるのですか?」

 

「わかるだろ? 普通」

 

 

 真顔で首を傾げるレンがどうやら冗談で言っているわけではないとわかった夏世は呆れたようにため息を吐く。

 

 

「わかりませんよ。普通」

 

「さすがレン君です!」

 

 

 ウッキャーとテンションを上げているウル。三者三様、傍から見ればなんとも呑気に見えたことだろう。

 

 

「ともかく」夏世は切り出す「街に向かいましょう。単独で蛭子 影胤を相手にするのは自殺行為です」

 

「それじゃあまあ、ひねくれ太郎が死んじゃう前にさっさと――――!」

 

 

 3人が同時に背後を振り返る。

 

 

「囲まれましたね」

 

「ったく、空気読めってんですよ」

 

 

 暗闇の森。そこかしこからガストレア特有の臭気と殺気が感じられる。数は10か20か。正確な数はわからない。レン達の臭いを追ってきたか、はたまた銃撃戦の音に釣られたのか。どちらにせよここでガストレアを足止めする役が必要だ。でなければ仮に影胤を倒せても、大量のガストレアが街に溢れかえってもれなく全滅だろう。

 

 

「御二人は街へ。ここは私が引き受けます」

 

 

 手持ちの弾薬をその場に広げて徹底抗戦の意志を示す夏世。

 

 

「お前、馬鹿か?」

 

 

 そんな少女の覚悟をレンは切って捨てる。

 

 

「貴方に言われたくありません」

 

 

 心外だとばかりにジト目で返す夏世。

 

 

「この場の足止め役は必須です。でなければ全滅します」

 

「だがそれだとお前が死ぬ」

 

「死ぬ気はありません。いざとなれば逃げますよ」

 

「嘘だな」

 

 

 きっぱりと言い放った。あまりにも即答だったので夏世は思わず言葉を詰まらせて、結局口を噤んだ。それがつまり答えだった。

 

 

「ウル」

 

「はい?」

 

「ここ、任せていいか?」

 

「もちろんです!」

 

「待ってください! ひとりで行く気ですか!?」

 

 

 珍しくいきり立った様子で夏世抗議する。

 

 

「蛭子 影胤は元とはいえ序列三桁。本来ならこの場の3人がかりでさえ勝つことは難しいでしょう。それをここに戦力を割くのは愚策です。それに、今先行して戦っているペアは千番台にも満たなかったはずです。協力したところで勝ち目は薄い」

 

「根暗な上に弱っちいですからね」

 

 

 ケラケラと笑うウル。

 

 

「死にますよ」

 

「死ぬのは嫌だ」

 

「なら!」

 

「でも、お前が死ぬのも俺は嫌だ」

 

 

 夏世がその言葉に呆気に取られている間にレンは丘を駆け下りていってしまう。くらりとする頭を支える。

 

 

「わけが、わかりません」

 

「別に難しく考えることなんかねえですよ。これはレン君がそうしたいからそうしているだけです」

 

「こんな私の命を、犯罪者で化け物の私なんかの命を守る為に自身のリスクを上げるんですか?」

 

こんな私だって救ったんです(・・・・・・・・・・・・・)。そんな優しさがレン君のカッコイイところですよ!」

 

 

 満天の笑顔を浮かべた少女はとても眩しく、そして幸せそうだった。きっと彼女達には夏世には及びもつかない強い絆があるのだろう。それは多分、プロモーターとイニシエーターというビジネスパートナーとは違った形の信頼。

 

 

「万が一、あの人が負けたらどうするのですか?」

 

「億が一にもありえねえですが、そのときは――――」

 

 

 待ちきれず茂みから飛び出してきた犬型のガストレアがウルに牙を剥く。気付いた夏世が銃を構えるより先に隣のウルが動いた。少女の小さな拳からは想像も出来ない膂力で振り下ろされた拳は、飛びかかってきたガストレアの頭部を捉え地面に叩き伏せる。小さなクレーターの真ん中でピクリとも動かなくなったガストレアの頭部は消失していた。

 

 返り血を浴びた少女は、先程とは正反対の氷の如き微笑を浮かべて先ほどの問いに答えた。

 

 

「そのときは仮面野郎はもちろん、レン君のいないこんな世界、わたしが潰します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとり街に入ったレンは辺りの様子を窺う。先程まで銃声は街の中心から聞こえていたが、徐々に音は移動していた。一先ず状況の把握の為にも街の中心へと向かう。無論、ここが未踏破エリアである限り警戒するに越したことはない。

 街の中心に建てられた教会を見つける。建物の全景が見えた頃、背後に気配を感じたレンは腰に差した銃を抜いてそちらを向く。

 

 

「伊熊 将監」

 

 

 半壊した家屋の壁に背中を預けて座り込んでいた大男は、夏世のパートナーである将監だった。顔の下半分を覆うマスクの奥で絶え絶えの呼吸を繰り返す将監は遅々とした動作でこちらを見やる。

 

 

「チッ……まだ、生きて、やがったか」

 

「怪我をしてるのか」

 

「五月蝿え」

 

 

 レンは背負ったバックを降ろして中から救急セットを取り出す。

 

 

「傷は背中だな。見せろ」

 

「ふ、ざけんなッ! 殺すぞ!」

 

 

 荒々しい言葉とは裏腹に抵抗はほとんど無かった。出来なかった、というべきか。深々と背中に走る刀傷。すでに血も夥しい量が流れてしまっている。

 医療は専門外なのでやれることは精々消毒液をぶっかけて包帯を巻くだけだ。

 

 

「……もうやめろ。無駄だ」

 

 

 抵抗も無意味と悟ったか、それとも気勢を張るのも限界だったのか、将監の声は弱々しかった。実際その言葉の通り出血は止まらず、巻いた先から包帯は真っ赤に染まっていく。それでもレンは手を止めなかった。

 

 

「なんで俺を助ける」

 

「お前達はその質問が好きだな」

 

「あぁ?」

 

「千寿 夏世だ」

 

 

 その名前に将監は僅かな反応をみせた。

 

 

「……アイツは生きてるのか?」

 

「ああ。今も戦ってる」

 

「そうか」しばらく沈黙を挟んで「お前の、連れ……アイツが今、仮面野郎と戦ってる」

 

「知ってる」

 

「テメエも、行けよ。殺されるぞ」

 

「安心しろ。蓮太郎は強い。誰が相手でも勝つ」

 

「は、あのもやし小僧が?」

 

 

 嘲るように笑う将監だったが、レンの迷いない顔に口を閉ざす。

 襲撃チームには将監より高位のペアも多くいた。そうでなくても10人以上のプロモーターとそれ以上のイニシエーターがいたのに、まるで歯が立たなかった。イニシエーターの刀使いも悪魔的な強さだったが、影胤本人も複数のイニシエーターを相手にして圧倒していた。影胤は正真正銘の化け物だ。

 

 並大抵の者では瞬殺されて終わりなのだが、今更そのことを自分が追求したところで何も出来やしないのだからとやめた。

 

 

「イニシエーターは道具だ。戦い、敵を殺すだけの道具。夏世にそう教え込んだのは俺だ。そしてそれは――――俺も同じだ」

 

 

 唐突な独白に、レンは声を挟まなかった。聞いているのかいないのかもわからない。朦朧とした意識の中、将監は続ける。

 

 

「生まれた瞬間から望まれちゃいなかった。無駄飯喰らいだ、役立たずの木偶の坊だ。実の親から冷めた目で邪魔者扱いだ。こっちが生んでくれって頼んだわけでもいやしねえってのによ……」

 

 

 ガストレア大戦で母親が死んでからもそれは変わらなかった。真っ当な生き方を夢見た幼き将監の決意は、仕事口を探して訪ねた三軒目で謂れのない罵声と暴力を受けたことによって無残に砕け散った。出生すら定かでないガキを雇ってくれる場所など大戦で疲弊した世の中にありはしなかった。

 野良犬が独りで生きるためには力が必要だった。金、権力、なんだっていいが将監の手でも届く最も身近な力は必然、暴力だけだった。だから将監はそれを振るった。幸いなことにこちらの才能はあったようだった。

 もうひとつ幸運だったのは、真っ当な仕事は無くともアウトローの仕事は大戦後溢れていたこと。ただし、そういった仕事は裏切りが常だった。特に自分達に回ってくるのは大抵使いっ走り。切り捨てるには最適なことだろう。

 

 だが、結局爪弾きはどこにいっても変わらなかった。いつしか外れ者の中でさえ将監の居場所は無くなっていた。裏切り、暴力を振りかざし、殺して奪う。そんな輩に居場所なんてあるはずはなかったのだ。

 

 

「俺達みたいな輩に、それ以上の価値なんざ誰も求めちゃいねえ。それを忘れれば忘れるほど、日常ってやつに触れようとすればするほど……傷を負う」

 

 

 夢を見れば馬鹿を見る。誠実に対して返ってくるのは今までの人生に相応の罵声と拳だった。だったら、初めから求めなければいい。夢なんてみなければいい。

 

 

「だから、俺ぁ三ヶ島さんに感謝してる。こんな屑が生きていける場所をくれた」

 

 

 三ヶ島 影似。三ヶ島ロイヤルガーター代表取締役、将監の上司だ。

 

 

戦場(ここ)はいい。くだらねえ理屈を並べ立てる野郎も、つまらねえプライド振りかざす野郎もいねえ。そんな奴等こそ真っ先に死ぬからな」

 

 

 苦しそうに笑った将監は右腕を上げる。眼前にまで動かして握り締めた拳は情けないほど弱々しかった。

 

 

「戦場だけが俺達の居場所だ。ここはシンプルでいい。生き残った奴こそ勝者だ……俺みたいな馬鹿でもわかりやすい」

 

 

 将監もまた道具だ。影似の駒として働き、戦い、そしていつか死ぬ。だが将監にはそれで充分だった。感謝こそすれ後悔なんてありはしない。

 

 

「平和な世界に俺達の居場所は無い。俺達には……俺には、戦場(ここ)しかない」

 

「千寿 夏世が心配なのか?」

 

「は、言ってるだろ。普通選べやしねえのさ、生き方なんざ」

 

「………………」

 

「だが、俺は少なくとも選べた。道具であることを俺自身が選んだ。だが、アイツは……」

 

 

 言葉を途切れさせた将監に、レンは立ち上がると背中を向ける。ようやく見捨てたか、と思った将監だったが違和感に気付く。

 

 

「おい、仮面野郎はそっちじゃねえだろ?」

 

「千寿 夏世を連れてくる」

 

「テメエ何を――――」

 

「言いたいことがあるなら直接言え」

 

「……言いたいことなんざ、ねえよ」

 

「そうか? 俺にはそう見えなかった」

 

 

 レンはそう言うやいなや走りだす。影胤と蓮太郎が戦う方ではなく丘へ向かって。その背中を、将監は見送るしか出来なかった。

 




閲覧、感想ありがとうございます。

>約2ヶ月ぶりの更新で申し訳ないです!とりあえず別作品区切れましたので、今度はこちらを1巻終了、もしくはいいとこの区切りまで更新してこうと思います。

>夏世ちゃんと将監さんめっさいいコンビじゃないですか!(漫画感想)
本作の将監さんの設定はかなり捏造が混じってますが、漫画を読んで、実はこんなんだったんではないかという妄想爆発の結果がこうなりました。

私のように、まだ漫画版な方には、

原作(アニメ含む)→漫画→原作(アニメ含む)

の三度読みを推奨致します。漫画版はあれですね、絶望色多めの原作に救済の余地を与えていて感動致します。

>ではまた次回!


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さようなら

「はっ、はっ!」

 

 

 夏世は飛びかかってくる犬型ガストレアの牙を前に転がるようにして躱し、体が正位置に戻ったところで反転。装填を完了させた銃を振り返りざまに放つ。バラニウム製の散弾はガストレアの胴体を喰い千切る。完全に仕留めたかどうかを確認しながらすぐさま銃身をスライド。再装填。

 

 

「キリがない……!」

 

 

 今ので倒したガストレアの数は何体だったか。最早数えるのも億劫になっている。辺りを埋め尽くすガストレアの肉片。けれどそれを踏みつけて襲ってくるガストレアの数は一向に減らない。

 持っている弾はあとどれくらいか。そもそも、レンが街に下りてから一体どれほどの時間が経っているのか。あらゆる感覚が曖昧になり始めていた。

 

 

「っ」

 

 

 夏世は明滅する視界を、唇を噛み切る痛みで正常に戻す。

 

 背後からの殺気に、確認もせずに発砲。

 

 

「ギッ……!?」

 

 

 大口を開けていたダンゴムシのようなガストレアの頭部が下顎を残して弾け飛ぶ。血潮と脳漿を全身に浴びながら、このまま一処にいることに危険を感じて遮二無二駆け出す。

 

 状況は絶望的だ。確実に倒しているはずなのに、敵の数は一向に減らない。どころか増えてさえいるように感じる。ウルの方の状況はわからないが、おそらくは同じような状態だろう。はじめは互いにフォローし合っていたがあまりにも数の差がありすぎて途中から分断されてしまった。

 

 だが、このまま倒れるわけにはいかない。倒れればウルの負担は増し、やがては彼のいる街にまでガストレアは進出する。それだけはさせない。

 この強い意志は果たしてどこから出てくるのか。己のことながら夏世は困惑しつつ、今は兎に角自分の戦いを考えるべきだと頭の隅に追いやる。

 

 とりあえず、榴弾で一旦この包囲網を崩す。そう考えていた夏世の周囲が不意に影に覆われた。

 

 頭上。広げられた前足と後ろ足を繋ぐ飛膜を使い、ムササビのように空を滑空するガストレア。思わぬ方向からの攻撃。完全に不意を突かれた形の夏世の眼前にまでそのガストレアは迫っていた。

 咄嗟に構えたショットガンの引き金は、しかし手応えが無い。

 

 

「しまった……!?」

 

 

 弾切れ。残弾数の把握など戦闘で基本中の基本。それを怠った……というより、それほどまでにこの無限地獄のような戦いは夏世の集中力を削いでいた。

 それを後悔する時間を与えられることはなかった。

 

 鋭い前歯を剥き出しにしたガストレアを前に死を覚悟した夏世だったが、ガストレアはそのまま夏世を通り過ぎて地面へ激突してしまう。

 

 

「?」

 

 

 事態を飲み込めず困惑する夏世は落ちたガストレアを覗き込む。無造作に顔面から落ちたガストレアのこめかみ辺りに風穴が空いていた。

 それだけではない。このガストレア同様、特殊な進化を遂げて空を飛ぶガストレアが次々と墜落している。そこでようやく夏世はガストレア達の猛り声の中で一種類の発砲音に気付く。

 

 

「狙撃?」

 

「無事か?」

 

「レン……さん?」

 

 

 いるはずのない青年の声が、存外間近から聞こえてきた。おそらくは今し方空中のガストレアを撃ち落とした銃身の長いライフルを提げて現れたのは、やはりどこからどう見てもレンであった。

 

 

「なんで……どうしてここにいるんですか? 蛭子 影胤は? もう倒したんですか?」

 

 

 戦場の真っ只中であることを忘れたように夏世は質問を重ねる。対して、レンは絶えず周囲を見回しながら質問に答える。

 

 

「いや、街に下りてからそのまま戻ってきた」

 

「…………は?」

 

 

 もし、夏世を知るものがこの場にいればさぞや珍妙なものを見たと驚くだろう。それほどに彼女の呆け顔は珍しい。

 

 

「いえ、その……待って下さい。意味がわかりません」

 

「安心しろ。蓮太郎は絶対勝つ」

 

「その根拠は何ですか?」

 

「あいつは強い」

 

「それは根拠じゃありませんよ」

 

 

 話が噛み合わない。レンの言っていることを、夏世はまるで理解出来ないでいた。ならば何故街に向かったのか。これならばまだ脳筋でも戦いに関しては理に適っていた将監の方がわかりやすい。レンの場合は効率すら度外視で動いているように思える。

 

 頭が痛いと額に手を当てている夏世。

 

 

「それより自分達が生き残ることを考えろ。――――やばいのがいる」

 

「え?」

 

 

 レンの言葉に釣られてそちらを見やる。周囲を徘徊してこちらを窺っていたガストレア達が一斉に森へと引き返していく。しかし、それは決して自分達の不利を悟ったからでも、ましてやこちらに慈悲をかけたわけでもない。ただ、恐怖した。ガストレアにして怖れる存在が現れた。

 まずそれは巨大だった。通常ステージⅠ、Ⅱのガストレアは精々がトラックと同じくらいの大きさだが、それ(・・)は2階建ての建物より大きい。

 

 

「ステージⅢ……」

 

 

 意図せずして声が震えたのを、夏世は自覚出来なかった。自覚する余裕もなかった。

 

 ステージⅢのガストレアを単独でペアで撃破しようとするのは無謀だと謂われている。それが許されるのは最低でも序列三桁クラス。小隊から中隊規模の戦力が必要とされている。

 それを、今ここにいるたった3人で――――、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レン君!」

 

 

 森から現れたガストレア。巨大な蒼い狼といった風貌のそれは、間違いなくステージⅢ以上のガストレア。すぐさま2人の救援に向かおうとしたウルは――――瞬間的に後方へ跳んだ。一瞬前までいた場所に降り注ぐ淡黄色の水。地面が蒸気をあげて溶解していた。

 

 飛んできた方向を見やる――――必要はなかった。頭部は爬虫類。翼があるところをみると鳥類も混じっているのだろう。しかしそれ以上はわからない。わからないほど混じってしまっている。まるでその姿は御伽話のドラゴンのようだ。

 木々を踏み潰して現れたのは、ステージⅣガストレア。

 

 

「~~ッ邪魔!!」

 

 

 チロチロと出した舌が癇に障る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘……」

 

 

 夏世の声が絶望色に染まった。目の前に現れたおそらくはステージⅢのガストレア。(たてがみ)を持つ狼。ゴムを束ねたような隆々とした蒼い体に白毛を逆立てた四足獣。一方で、目の前のガストレアを挟んだ向こう側、ウルの前にもまるでドラゴンのような姿をしたこちらはステージⅣのガストレア。

 異常だ。いくらここが未踏破エリアだとはいえ、ステージⅢ以上のガストレアが同時に2体も同じ場所に現れるなんて。この中の誰かが超級の不運の持ち主なのか、それとも、これも影胤が起こそうとしている大災害の前触れなのか。

 

 

「避けろ!」

 

 

 レンの声で我を取り戻す。それぞれ左右に跳んだレンと夏世の間に狼ガストレアの腕が振り下ろされる。鉄槌のような一撃は地面を割った。

 ぎょっとした夏世とガストレアの黄金の瞳が合った。

 

 

「――――――――!!」

 

 

 狼ガストレアの咆哮に、半ば恐怖に駆られた体は銃を突きつけ引き金を引いた。しかし、

 

 

「え?」

 

 

 すでに狼ガストレアは眼前にいない。――――背筋が凍った。背後に気配。

 一刹那で背後に移動した。この巨体でこの疾さ。

 

 

「ッ……!」

 

 

 気圧されて思わず尻もちをついたのが幸いした。倒れこんだ頭上を暴風が通り過ぎる。だが、そこまでだった。躱したわけではなく倒れただけの今、体勢など作っていない。尻もちをついたそのまま、再度振り上げられた腕を呆然と見上げた夏世は諦観して瞼を閉じた。

 

 

(……ごめんなさい)

 

 

 一体、その謝罪は誰に向けてのものだったのか。夏世自身にもわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衝撃はいつまでもやってこなかった。代わりに夏世の頬は水滴がはねたような感覚を得た。不審に思って瞼を開けた夏世は、目の前の光景に目を見開いた。

 

 狼ガストレアの爪先が目の前にあった。しかしそれを夏世に届かせないように阻むものがある。

 大きな背中があった。隆々とした筋肉の塊。半裸になった上半身に巻かれた乱雑な包帯は、白いところを見つけるのが困難なくらい朱に染まっている。どころか、伝った血は足元に血溜まりを作っていた。

 

 

「将監、さん……?」

 

 

 将監だった。将監が、彼の代名詞たる漆黒の大剣でガストレアの爪を止めていた。全身を使った捨て身の防御とはいえステージⅢの一撃を生身の人間が受け止めた。奇跡といって過言ではない。

 

 なにより、将監がここにいることがわからない。影胤襲撃作戦が失敗に終わった以上、てっきり死んだと思っていた。いやたとえ生きていたとしてもイニシエーターを庇うなんて真似を彼がするとなんて、

 

 

「撃てッ!」

 

 

 将監の叫びに頭より先に体が動く。弾を装填。遥か頭上にあるガスレアの顔に向かって引き金を引いた。直撃と同時に爆発。

 今、夏世が持っている中で最も高い威力を持つ榴弾。この至近距離では少なくない衝撃がこちらにもくるがそんなことは言ってられない。これで通じなければ、

 

 

「――――――――!!!!」

 

 

 やはり、効かない。おそらく狼の他にアルマジロのような硬い表皮を持つ生物の因子を持っている。夏世の持っている今の装備ではこのガストレアを倒せない。

 

 

「夏世おおおおおおおおおぉぉぉ!!」

 

 

 叫んだ将監が大剣をなんと手放した。そして空いた両の腕でガストレアの腕を抱え込んだのだ。夏世の攻撃で怒り狂ったように叫ぶガストレアは将監を振り払おうとするが、払えない。限界を越えて酷使された将監の体がブチブチと内から壊れていく音が聞こえてくる。それでも将監はその手を放さなかった。

 

 夏世は持っていた銃を捨て、将監が手放した大剣を掴む。ガストレアの体を駆け昇る。

 

 金色の瞳を憤怒に濁らせたガストレアは登ってくる夏世の存在に気付いてその牙で噛み砕こうとするが、突如その目が破裂したように血飛沫をあげた。

 レンだ。離れた位置から、動く頭部を狙い過たず撃ち抜いた。速射で二発……速い。そして何より、ゾッとするほどの精密さ。

 

 

(目は潰れた。あとは……)

 

 

 たとえ目を潰しても、いくらバラニウムの剣であっても、刃が通らなければこのガストレアには勝てない。時間をかければレンが潰した両目も再生してしまうだろう。ステージⅢのガストレアの再生速度はステージⅠやⅡとは比べ物にならない。

 

 しかし、夏世は勝機に繋がるヒントをすでに見つけていた。レンの弾は狼ガストレアに確かなダメージを与えた。それはつまり通常兵器でも充分ダメージが通る場所があるということだ。

 狼ガストレアの体皮は硬い。最初はそう思っていたがそれは少し思い違いだった。よく見ればこのガストレアの体は蒼い鱗で覆われている。菱型の鱗。これがこのガストレアの硬さの正体。

 

 硬鱗魚と呼ばれるものがいる。硬骨魚類で菱型の硬い鱗に覆われたそれはかつての海で栄えたものだが、今ではたった一種類の生物にだけ備わっている。その生物とは、チョウザメ類。

 

 

(このガストレアがサメの因子を持っているなら、体の構造にもその特徴を受け継いでいるはず……!)

 

 

 腕を駆け上って肩まで到達した夏世は大剣を横溜めに振りかぶる。

 

 

「はあっ!」

 

 

 気声一閃。薙いだ剣は喘ぐガストレアの鼻っ柱を捉える。鱗が無いとはいえやはり肉が厚い鼻部に刃は半ばまでしか通らない。それでも、

 

 

「ッッッッッッッッ!!!!!」

 

 

 効いた。ガストレアは絶叫をあげた。

 

 サメの弱点は神経の集まっている鼻柱。サメの因子を宿したこのガストレアにもそれは受け継がれていたようだった。

 すかさず夏世は大剣を、大きく開かれたガストレアの上顎に中から突き刺す。悶えるガストレアの口元に立った夏世の手にはピンの抜かれた爆弾。

 

 

「さようなら」

 

 

 放り投げた爆弾は口から内部へ。夏世がその場から飛び降りるのを見計らったようなタイミングでガストレアの頭部が千切れるように吹き飛ぶ。

 グラリと、一瞬直立で硬直したガストレアの巨体は、次の瞬間無造作に大地へ倒れ込んだ。




閲覧、感想ありがとうございます!

>さてさてさーて、蓮太郎君と影胤さんの激戦の裏側の戦い、ということになります。それに伴って原作でも登場したステージⅣドラゴンさんとオリジナルでステージⅢ狼さんを登場させました。
ちなみに、オリジナルの奴は狼、鮫、サイの三重因子設定になっております。重要なのは前2つ。サイは大きさのかさ増しと実は角生えてたとかのビジュアル都合ですので。

>原作の蓮太郎君トラウマは避けましたが次話で……。

>次回もこちらの更新です!一週間から二週間以内には書き上げたい!けど暗い話って苦手です。

>どうでもいい世間話。
最近アニメのダンジョンで略にハマっています。あれも二次書きやすそうですねえ


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生きててよかった

 森は打って変わって静寂に包まれていた。ガストレア2体を殲滅したレン達に恐れを抱いたのか、それともこれもまた事態の終幕を示しているのか。

 どちらにせよ、伊熊 将監という男もまた終わりを迎えようとしていた。

 

 

「将監さん……」

 

 

 夏世の腕の中で将監の体温が刻一刻と下がっていく。破れた肺に血が入ったのか掠れた呼吸を繰り返している。

 元より将監が生き残るのは難しかった。影胤との戦いで負った傷はすでに致命傷だったのだ。そんな体で彼はステージⅢのガストレアと戦い、勝利した。

 

 

「夏世」

 

「はい」

 

 

 虚ろな瞳を動かして間近にいる夏世を見つけた将監は絶え絶えの調子で言う。

 

 

「……お前は、俺の道具だ」だから、そう続けて「俺が死ねば、お前は自由だ」

 

「!」

 

「俺は、俺自身で選んで道具になった。戦場にいることを、望んだんだ」

 

 

 これは将監自身が望んだ結末。日常を捨てて、戦場で生きることを選んだ彼の生き方。しかし、それに夏世を付き合わせる必要は無い。少なくとも、将監はそう思った。

 

 真っ青になった唇を震わせて、将監は静かに瞼を閉じる。

 

 

「……最後まで、他人の話を聞かない……勝手な人ですね」

 

 

 初めて会ったときからそうだった。『テメエは俺の道具だ。それ以上の価値は無い』そう言い放ったのだった。酷い言葉だ。初対面の少女にかける言葉ではない。

 

 けれど、夏世にとって初めてのことだった。今までずっと生まれた意味を見出だせなかった自分に、初めて彼は価値(居場所)を与えてくれた。

 都合の良い道具だったのかもしれない。使い捨ての道具だったのかもしれない。

 

 ――――それでも、

 

 

「私は……」気付けば、夏世の目からとめどない涙が溢れていた「私は貴方の道具で構わなかったのに……!」

 

 

 一番最初に千寿 夏世(わたし)を肯定してくれたのは、伊熊 将監(あなた)だったから。

 

 漆黒の空を、一筋の光が東京エリアに向けて駆ける。それはこの戦いの終結を告げるものであり、或いはこれから起こる戦いを予兆する篝火でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、突如東京エリアに現れたステージⅤ、個体名称《天蠍宮(スコーピオン)》はレールガンモジュール、『天の梯子』によって消滅。東京エリア壊滅を防ぐことに成功した。

 しかし、これによる死者はプロモーター12人。イニシエーター9人。伊熊 将監をはじめとした東京エリアでも名だたる民警が命を落とす結果となった。

 

 生き残った民警にはそれぞれに報酬として序列の格上げと報奨金が支払われた。中でも最も功績をあげた英雄、里見 蓮太郎、並びに藍原 延珠の序列を1000位に認定する。

 

 尚、今回の事件の首謀者、蛭子 影胤の死体は見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京エリア一等地。中でも他の建物と隔絶するように建てられた白亜の宮殿。聖居と呼ばれるその一室に彼女は住んでいる。

 謁見に使う会議室でも公務に使う執務室でも無い。されど、自室といえどそれほど趣味的な物が置かれていないそこは普段でも寝るとき以外使うことはなく、部屋の外に護衛が2人立っているのみである。

 しかし、今だけは部屋にもうひとり存在していた。

 

 部屋の中央にある椅子ではなくベットに腰掛ける聖天子は、窺うように隣を見た。同じようにベットに座ったレンがそこにいて、相変わらず感情の読めない無表情で床の一点を見つめている。

 しかし彼女にはわかる。今の彼は少なからず落ち込んでいるのだと。レンは感情を表に出さないのではない。どう表していいのかわからないだけ。だから、今もただただ押し黙っている。

 

 東京エリアの存亡をかけた先の作戦にレンが参加すると聞いたときの彼女の不安は底知れない。人類の敵、ガストレアが蔓延る未踏破エリアへの進出。さらに相手は元序列三桁の蛭子 影胤。無事に帰ってくる可能性の方が低かっただろう。しかし、一体どうして行かないでくれと言えようか。そもそもこの依頼をしているのは自分を含んだ政府だ。他の民警には危険を承知で依頼しておいて、彼にだけはさせたくないなどとは口が裂けても言えない。言ってはならない。聖天子の名を継ぐ者として、東京エリアの希望たる存在として、平等たる指導者として、ひとりの人物に肩入れすることなど許されない。ましてやそれが私情など以ての外だ。

 

 だから、こうして無事に戻ってきてくれたときは心底安堵した。本当なら泣き崩れたいほどに嬉しい。彼の胸に顔をうずめて、その温もりを感じたいと思った。

 そうしないのは理性からなる自制心から。もうひとつは、彼の悲しそうな顔だ。何があったかは聞いていない。それでも聖天子には、自分だけが寂しかったからと身を委ねることが出来なかった。

 

 その代わりなのか、彼女は無意識にクッションを抱きしめるのだった。そんな今の彼女には、人間離れした神々しい美貌の中に少し歳相応の少女らしい幼さが見えた。

 

 

「助けられなかった」

 

「血を止められなかった。間に合わなかった。助けて、やりたかった」

 

「レン……」

 

 

 レンが言っているのは将監のこと――――だけではない。将監と夏世に追い詰められて喰われたペア、影胤と小比奈に殺された者達、他にもレンのいない場所で失われた命。あのときあの場所で失われた全ての命を、彼は救いたかった。

 子供の戯言だと誰しもが笑うだろう。その通りだ。全ての命を救うなんて無理に決まっている。

 

 けれど、全ての人を救いたいという願いを間違っているなどと、一体誰が言えるだろうか。

 

 戦争を無くすにはどうしたらいいか。子供にそんな質問をすればきっと彼等はそう悩むことはない。仲良しになればいい。友達になればいい。ありがとうと、言い合える存在になればいい。

 当たり前で、単純だ。そしてその単純のなんと難しいことか。

 

 レンは、子供のように純粋過ぎる。

 

 やはり、彼を行かせるべきではなかった。

 

 幼い悩みに暮れる行き場のない手を握りたいと聖天子の手が伸びるが、それが届く前にレンはベットから立ち上がる。視線を彼方へ向けて。

 

 

「誰だ」

 

「やれやれ、お邪魔だったかな?」

 

「え?」

 

 

 返ってきた声に驚き、慌てて聖天子もその場で立ち上がる。レンの視線の先を追って、再び驚き目を開いた。

 窓際の壁に背を預けているのは仮面をかぶった紳士服の男。そして傍らに立つ赤い目の少女。

 

 

「……蛭子 影胤」

 

 

 蓮太郎によって撃退、死亡を伝えられていた人物。今回の事件の首謀者たる男が生きてそこにいた。

 

 

「?」

 

 

 影胤がこちらを、正確には隣りのレンを見ると訝しそうに首を傾げている。

 その間に聖天子が部屋の扉までの距離を考えていたとき、扉は外から開け放たれた。

 

 

「レン君! さっき外であの仮面野郎が……って、もういるじゃねえですか」

 

 

 部屋に飛び込んできたウルは、中の状況を見るなり億劫そうに眉根を寄せた。しかし、これは好機だ。

 

 

「今すぐ助けを!」

 

「無駄じゃねえですかね?」

 

 

 そう答えた彼女の足元にジワリと血が広がっている。外の見張りが殺されている。彼女が、ではないだろうからすでに――――。

 

 

「ヒヒ、こちらの事が済むまでの間黙っていて欲しくてね。まあ少しではなく永遠に喋れないだろうが」

 

 

 キッと聖天子が睨みつけるも何処吹く風といった調子だ。

 

 ひとつ呼吸を挟む。それでスイッチを切り替える。この場で怒りは思考の妨げだ。

 一瞬で彼女は一国の指導者である存在に切り替わった。

 

 

「何の用ですか」

 

「大した用ではないよ」肩を揺らし、恭しく腰を折る「貴方の命、ここで摘んでおこうと思ってね」

 

 

 隠す気のない殺気が部屋を包みこむ。

 

 

「今回はこちらの完敗だ。里見君とはいずれ再会の場を設けるとして、貴方だけは今消しておいたほうがいいと思ってね。参上した具合だ」

 

「何故です?」

 

「貴方の思想は私とは掛け離れ過ぎている。邪魔になることこそあれ、生かしておく価値は見出だせなかった」幸い、と彼は続け「最も厄介な御仁は不在だ。早々に済ませたい。――――だから、そこを退いてくれるかな? 明星君」

 

 

 レンが一歩前に出る。聖天子を背に庇うようにして。

 

 

「断る」

 

 

 影胤は喉奥で嗤う。

 

 

「先日は君と戦えず残念だったよ。まあ、私はそれなりに満足出来たが。……君との語らいは楽しいが、今はその時間が無い。もう一度訊こう、退いてくれないか?」

 

「断る」

 

「そうか。――――小比奈、殺せ」

 

「はい、パパ」

 

 

 一瞬。赤熱した瞳の少女の姿が聖天子の視界から掻き消える。その認識に遅れて、レンの足元からすくい上げるように振られる刃があった。

 

 しかしそれを横から飛び込んできたウルが拳で弾く。小比奈は一回、二回と後ろに跳ねて影胤のもとまで退いた。

 

 

「やらせるわきゃないでしょうが」

 

 

 素手で刀を防いだ。そのことに驚くべきなのに、それを上回る寒気が聖天子の心胆を冷やした。ウルの声に込められた怒気。それは影胤の殺気すら呑み込んでいた。

 

 

「なるほど。それが君のイニシエーターか」

 

「……名前」小比奈は真っ直ぐウルを見て「名前、教えて」

 

 

 己の一撃を防いだ。斬れなかった少女のことを知りたかった。

 

 しかしそれをウルは鼻息ひとつ笑って捨てた。

 

 

「今から殺す相手に名乗る名なんて無い。お前はレン君の敵だ。レン君の敵はわたしが全部叩き潰す」

 

「私に接近戦で勝てると思ってるの?」

 

 

 コテン、と不思議そうに首を傾ぐ小比奈。少女は己の父に懇願の視線を送った。

 

 

「ふむ、こういうのはどうだろうか。君と私のイニシエーターで戦わないかい? 実を言えばまだ私の体はボロボロでね。里見君にやられた傷はまだ治っていない。それに、前にも言ったが私は君も気に入っている。出来ればこの手にかけたくないんだ」

 

「ごちゃごちゃとうっさい」待ちきれないとばかりに踏み出したウル「どうせなら二人がかりで構わないですから」

 

「ヒヒ、元気な子だ。小比奈――――」掲げた指を高らかに鳴らす「殺せ」

 

 

 半月に口を引き裂いた少女は鎖を解き放たれた獣のように跳びかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿な」

 

 

 影胤は、目の前で起こっていることが信じられずにいた。そしてそれは小比奈も同様。――――地面に這いつくばった己の姿を信じられないという顔をしていた。

 

 

「か、はっ!」

 

「口ほどにもない」

 

「くっ!」

 

 

 ウルの発言に触発されて、立ち上がると同時に左の刀を切り上げる。首を傾げて紙一重で躱したウルの首もとへ右による神速の二撃目。

 

 

()った!)

 

 

 打ち合わされる剣撃音。小比奈の刀はウルの細首には届かない。その前に挟み込まれたウルの左手が刀を迎え掴んで止めた。

 小比奈の高速の斬撃を見切られたことも信じられないが、何より、

 

 

「なんで斬れないの!?」

 

 

 ウルは素手だ。腕に手甲を仕込んでいた、特殊なブーツを履いていた、それなら納得も出来ようが彼女は先程から生身の手で小比奈の刀を受けている。それなのに斬れない。

 

 

「接近戦に自信があったんでしょうけど、期待外れもいいところです」

 

 

 亀裂音から間もなく、刀は握り潰された(・・・・・・)

 

 ただただ呆然とその光景を見つめる小比奈。

 

 

「何度やっても無駄ですよ。武器に頼るそんな戦い方してるようじゃあ一生かかってもわたしは倒せない」

 

 

 赤熱した瞳で小比奈を見下ろすウルの右手に変化があった。鋭く伸びた爪。それに手首より先の筋肉が以上に発達しているように見える。

 

 

「『呪われた子供(わたしたち)』にとって武器はこの体です。強靭な肉体。再生力。ただ刀を使う達人ならわたしたちでなくたって出来る。なら、より化け物に近い方が強いに決まってます」

 

「……君の侵食率はまさか」

 

 

 影胤の疑問にクスリと笑んだウルは茶化すように答えた。

 

 

「――――49,7パーセント。わたしはおそらく、現在最もガストレア(あの化け物)に近しい生き物です」

 

 

 驚愕を露わにした影胤と小比奈。それもそのはず。一般的にガストレアウイルスによって形象崩壊を起こすのは50パーセントを越えてからだといわれている。それは抑制因子を持つ『呪われた子供たち』も然り。彼女が今告げた数字が確かなら、その一歩手前、いつガストレア化してもおかしくはないということだ。

 そうすると疑問がもうひとつ出てくる。そんな危険極まりないものを野放しにしていいはずがない。

 

 

「君は」無意識に声が震えた「自身の侵食率をコントロールしているのかね?」

 

 

 返答はなかった。しかし否定もなかった。

 

 

「――――小比奈、退くぞ」

 

「でもパパ!」

 

 

 ややあって、撤退を告げる影胤に悲痛混じりの悲鳴をあげる小比奈。彼女としては蓮太郎、延珠に続いての敗北。しかも今回は一対一での完全敗北だ。負けたくないという思いがある。

 

 

「今のお前では彼女には勝てないよ」

 

「……っっ」

 

 

 死を突きつけられるより辛い父からの宣告。泣きそうな顔を俯いて隠した。

 

 

「それに時間もかけ過ぎた。これ以上はリスクが高い」

 

「黙って見逃すと思いますか?」

 

 

 警告を発する聖天子に、影胤は肩を竦める。

 

 

「させてもらえないようならこの宮殿ごと巻き添えで自爆だ。こんな小物一匹と釣り合うのかな?」

 

「………………」

 

 

 悔しそうに唇を噛む聖天子。そも、この部屋に侵入を許してしまった時点で勝つことは難しかった。

 

 承知した上で堂々と立ち去ろうとする影胤は、ふと足を止めた。

 

 

「ああ、明星君。ひとつわからないことがあるんだ」

 

「なんだ?」

 

「君、何故最初に私を見たときにほっとしたような顔をしたんだい?」

 

 

 ぽりぽりと、頬を掻くレンは少しだけ恥ずかしそうに。

 

 

「いや、生きててよかったなって」

 

 

 仮面の下で影胤がどんな顔をしていたから、この時ばかりは皆見えるようだった。

 

 

「――――君はやはり面白いね」

 

 

 そう言い残して影胤は消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 影胤が去った部屋にはレンとウル、そして聖天子が残された。

 

 無言で影胤が去った窓を見つめるレンの横顔を、聖天子は複雑な表情で見つめる。思い出すのは最後の言葉。

 

 ――――生きててよかった。

 

 影胤は正真正銘の犯罪者だ。殺人を犯し、この東京を滅亡させようとした大犯罪者。その相手に、生きていてよかったなどと、発言そのものは褒められるものではない。けれど、それがレンという少年なのだ。

 

 

「頼みがある」

 

 

 レンの瞳は、やはりどこまでも真っ直ぐで、眩しかった。




閲覧、感想ありがとうございまっす!

>どうにかこうにか次で1巻ラストとなります!今回すっ飛ばし気味だったウルちゃんの詳細とかは次話後、あとがきに書こうかと思います。ちなみに、少しだけ先走りで書くと、これが私なりに考えた『ゾーン』です。

>今回の捏造!
夏世ちゃんの肯定したのは蓮太郎くんが最初というのが原作ですが、こちらでは将監さんマジシブメンにしたかったのでこうなります。とはいっても、ツンデレな彼は決して自分から言いませんが。

>ではではー、おそらくは今週或いは来週には次いけるかと思いますので


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世界一贅沢な悩み

 東京エリア一等地に建つとある高層ビル。敷地入り口、二メートルは優にある門扉は現在開け放たれており、警備服を着た職員に誘導されて車や人が行き交っている。

 レンとウルもそんな人の流れに逆らわず、案内板に従ってビルの中へ。目的の人物は入ってすぐのエントランスで偶然見つけることが出来た。

 

 質の良さそうな黒のフォーマルを着こなした優男。三ヶ島 影似はレン達に気付くと顔だけをこちらに向ける。

 

 

「おや、君はたしか……」

 

 

 煙草に火をつけようとしていた動作をやめる。すると影似の傍らに控えていた夏世が前に出てきた。

 

 

「どうも、レンさん」

 

 

 レンは夏世の姿を見て、僅かに安堵したように雰囲気を和らげる。

 

 

「怪我はもう良さそうだな」

 

「おかげさまで」

 

 

 あの戦いで夏世自身も少なくない傷を負っていたが、こうして出会った今包帯を巻いている様子も無い。元より超人的な再生力を持つ彼女達は数日で大抵の傷も塞がるのだから不思議も無い。そんな彼女の背には漆黒の大剣。彼女のパートナーであった男の形見が背負われていた。

 

 夏世とのやり取りが終わるのを見計らって影似がレンへ声をかける。

 

 

「君はたしか天童家のご息女が経営している事務所の……」

 

「明星 レン。こっちはウル」

 

 

 思えば、レンが影似と会話するのはこれが初めてだった。防衛省のときは木更だけ。レンは将監との諍いがあったくらいである。向こうにとっても零細事務所の職員一人一人覚えているわけでもない。

 一方で、合わせて紹介したウルの方は興味なさげに生返事をするだけ。本当に興味が無いのだろう。

 

 

「三ヶ島ロイヤルガーター代表取締役の三ヶ島 影似だ。君とは防衛省で会ったきりだったかな?」

 

 

 頷くレン。思ったよりも気さくに話してくる影似は重ねて尋ねる。

 

 

「いま来たところだね。良ければ私が案内しようか?」

 

「頼む」

 

 

 ひとつ頷いて請け負った影似は、結局火をつけることのなかった煙草を戻しながら先導する。

 

 影似に連れられて入ったのは1階エントランスから2階に上がり、ほどなく歩いた部屋だった。防衛省で使った会議室の二倍以上はある空間。天童民警事務所とは比べるのもおこがましい。木更が知ればきっと羨むだろうことは想像に難くない。

 

 そんな部屋には左右対称に並べられたパイプ椅子の列がズラリ。意図的に開けられた中央の通路を目で追って、部屋の奥に行き着く。最奥部には部屋の端から端まで届くほどの花の階段。そしてそこに立てられた木札。木札には名前が記されていた。それは――――今回命を落としたプロモーターとイニシエーター達の名だ。

 今日ここでは彼等の告別式が行われている。

 

 影似と目が合い、彼は促すように目を閉じた。レンはウルを連れて参列者の列へ。

 

 プロモーター12人。イニシエーター9人。それが今回の最終作戦での死者数である。

 これはあくまでも最後の作戦時の数で、最初にケースを取り込んだガストレアによる被害及び二次被害、さらに影胤によって殺された者もいるので実際の犠牲者はもっといる。

 

 列に倣って死者への哀悼を終え戻ってくると影似も夏世も同じ場所で待っていてくれた。

 

 

「案内、ありがとう」

 

 

 フッ、と笑って影似は『大したことではないよ』と受け答える。

 

 改めてレンは会場を見渡す。部屋の大きさも去ることながら立派な式場。東京エリア滅亡の為に戦った者達に対して過分のない待遇である。

 しかし、参列者の数は表にいた人を含めてもあまりにも少なかった。今来ている者にしても政府関係者やマスコミが多い。純粋に彼等を弔いに来た人はもっと少ない。

 イニシエーターは言わずもがな、プロモーターにしたってレンや蓮太郎がそうなように元よりの天涯孤独の人間、木更のようにわけありが多い。そうでなくても奇人変人が多いプロモーターに知人友人はそれほど多くない。

 加えて、まともな体(・・・・・)で帰って来る者が少ない。

 

 だから、本来ならたとえ東京エリア滅亡の危機に戦った者達の葬儀といえどこうも公にやられることはない。精々が政府が形式的な弔いを終えて後は記録となって終わる。今回だってそのはずだった。

 そこに名乗りをあげたのが、今レンの目の前にいる男だった。

 

 影似は政府に自ら申し入れ今回の犠牲者全員(・・)の葬儀の手配をした。このビルも彼の持ち物である。

 

 

「葬儀も、ありがとう」

 

 

 レンとしては素直に嬉しさを示した言葉だったが、影似は堪え切れぬように笑った。

 

 

「おかしな事を言うね。それこそ大したことじゃあない。今回あそこ(・・・)に君の会社の者はいないのだろう? 礼を言われる筋合いは無いさ」それに、と続け「我が社としてもイメージアップに繋がる有意義なイベントだよ」

 

「それでもだ」

 

 

 決して揺らがないレンの声音に、影似は呆気に取られたような顔をして、夏世はやれやれと苦笑しながら頭を振る。

 

 ――――そのとき、会場に突然の集団が入ってくる。

 

 先頭3人が揃ったように黒服とサングラス姿。それに付き従うように全身武装した者がぞろぞろと5人続いている。明らかにただの参列者ではない雰囲気の者達は、葬儀場には見向きもしないで影似のもとまで一直線にやってきた。

 

 

「なんだね君達は?」

 

「失礼致しました」

 

 

 いくらか険の篭った影似の問いに答えたのは3人の黒服の内、一番先頭に立っていた金髪の男。男は懐から手帳サイズのケースを見せた。

 

 

「IISO……」

 

 

 それだけで、影似は彼等の要件を察した。

 

 国際イニシエーター監督機構。

 

 彼等は登録されたイニシエーターを管理する特殊機関。プロモーターのパートナーとなるイニシエーターの選別や民警にとって指標となるIP序列の選定など、民警……主にイニシエーターに関わるあらゆる事柄に関わる。

 聖天子も、この機関で重要な立場にあるとレンは以前本人から聞いたことがある。

 

 そんな機関の職員が何をしにきたのか。すぐにそれぐらいはわかった。

 

 

「では、今までお世話になりました」

 

 

 夏世が、影似の側から離れる。影似へとペコリと頭を下げると自主的に職員達の方へ歩み出した。

 

 夏世は今回の一件でパートナーである将監を失った。プロモーターを失いフリーとなった彼女が今後自由に外を歩けるわけがない。そもそもイニシエーターとは、危険であるが戦力としての価値を見出された者達。プロモーターはその監視役が主な役割である。彼等――――否、世間からしても未だ彼女達イニシエーターは都合の良い兵器に過ぎない。制御を失った兵器は即時回収。それが彼等の仕事のひとつだ。

 

 この先夏世がどうなるかはわからない。IISOに引き取られ新たなパートナーが見つかればマッチアップされ、見つからなければ実験動物同様飼い殺しで一生を終えるかもしれない。現状の雇い主である影似には彼女との契約続行の優先権があるが、そうしないのは今彼の会社には空きのプロモーターがいないのだろう。

 

 何も無い部屋で一生を終えるか。はたまた新しいプロモーターと出会うか。たとえ出会えてもそれがイニシエーターに優しい人間だとは限らない。何にしても、

 

 

(私には、選ぶ権利は無い……)

 

 

 諦観めいた夏世の脳裏に、将監の最期が浮かんだ。そのとき、

 

 

「夏世」

 

 

 声が響いた。平坦な、それなのにどうしようもなく足を止めてしまう引力を持った声が。

 

 

「お前に選ぶチャンスをやる」

 

「レンさん?」

 

「勝手な事をされては困ります」

 

 

 足を止めて振り返った夏世。そんな夏世とレンを遮るように職員の男が立ちはだかった。

 

 

「明星 レンさん、貴方にはこれ(・・)に対するあらゆる権利が認められていません。これ以上の会話も謹んで下さい」

 

 

 レンについての情報もすでに集めているようだった。しかしレンも引き下がらない。それは引き下がる理由にならない。

 

 

「そうでもない」

 

「は?」

 

 

 レンの発言に訝しむ男に対して、レンは一枚の書状を見せた。

 それを見た男の顔色が見る見るうちに変わる。

 

 

「馬鹿な!?」

 

 

 ずっと冷静だった男の突然の豹変に他の職員達だけでなく、影似や夏世まで不審がる。唯一、その内容を知るウルはどこか不機嫌そうにしていた。

 

 

「千寿 夏世は俺のパートナーだ」

 

「え?」

 

 

 書状の内容は以下であった。

 

 ――――明星 レン。彼の者を聖天子側付き騎士――――『聖騎士』に任ずる。並びに、彼の者の剣となり盾としてイニシエーターをIISOより派遣するものとする。

 

 概略とすればこうだった。それら云々の最後に聖天子の名が綴られていた。

 

 『聖騎士』とは、遡って一代目となる聖天子を側で支えたひとりの人物に与えられた称号である。彼の存在が単なる護衛や側付きと一線を画していたことから形式上作られた、謂わば名誉職。その証拠に先代にその称号を与る者はいなかった。

 

 誰も言葉を発せずにいる中で、レンが言う。

 

 

「ほらな?」

 

「あり得ない! 一民警に過ぎない貴様が『聖騎士』だなどと……!」

 

 

 平静を欠いて地が出てきたのか、男の目にレンに対する確かな嫌悪が映った。

 

 

「いや待て、貴様はすでにイニシエーターと契約しているはずだ!」

 

「ウルは木更のところのパートナーだ。夏世はこれとは別」

 

「詭弁だ! ひとりのプロモーターにイニシエーターを2人など……」

 

 

 ――――が、現状それに異を唱える権限こそ男には無い。それほどまでに書状の最後に記された聖天子の名が重い。

 

 

「仮に……仮にその理屈を認めたとしても、プロモーターがイニシエーターを選ぶ権利は認められていない! それは我々の権限だ!」

 

 

 往生際悪く男は喚く。元よりプライドが滅法強い上に、今代聖天子の狂信者である彼はどうしてもレンが気に入らない。何としてでもこの場だけでもレンの思惑を外したい。最早子どもじみた我儘。

 

 

「ならば、私がそれを認めましょう」

 

 

 しかし、それすらも通らない。

 

 影似はレンの横へ、男の前へ立った。

 

 

「千寿 夏世との契約優先権はまだ我が社にある。三ヶ島ロイヤルガーター、代表取締役の権限で以って今この場で、彼女の騎士明星 レンのパートナー任命に同意する。必要ならば騎士としての彼を我が社で雇っても構わない」

 

「な、にぃぃっ……!!」

 

 

 『いいだろう?』という影似のウインク混じりの確認に頷いて同意する。これで前代未聞ながら民警ペアの二重契約が成立したこととなる。

 

 

「そんな……だが前例が……」

 

「前例は確かに無い。しかし回収人に過ぎない貴方にそれを決める権限はありますか? なにより――――」影似の目が細まり「聖天子様のご意向に逆らうと?」

 

「いや、そんなことは……」

 

 

 舌戦は呆気無く決着が着いた。元よりこの東京エリアトップクラスの民警会社を束ねる歴戦の経営者たる影似に対して、回収人では荷が勝ちすぎる。

 

 他の職員にも諭され、男達は会場より出て行く。

 

 

「――――夏世」

 

 

 ポツンと残された夏世に、レンは伝える。

 

 

「お前は自由だ」

 

「え?」

 

「さっきはああ言ったけど、別に俺のパートナーとしてこれから先戦う必要はない。俺にはウルがいる。蓮太郎や延珠、木更だっている。これ以上お前が無理して戦う必要なんて無い」

 

 

 レンがしてやりたかったのは将監の最後の願いだった。彼はずっと己の生き方を選べなかったと言っていた。疎まれ、恐れられ、やがて孤独となった。そんな彼は民警として生きる希望を見出した。自分が生きる意味を、価値を、初めて知ったと。

 だから、彼は同じ生き方しか許されなかった夏世に選ばせたかった。自分の生きる意味を、価値を、彼女自身で見つけてもらいたいと思った。

 

 結局将監に出来たのは彼女に課した役割を、己の死をもって解くこと。レンはその続きを夏世に与えてやりたかった。

 

 

「………………」

 

 

 押し黙った夏世の頭はぐるぐると回っていた。立て続けの出来事にさすがの彼女も心乱さずにはいられなかった。突然与えられた自由の権利。今まで井戸の広さしか知らなかった蛙が突然大海に放り出されたってどうしていいかわからないだろう。

 

 

(――――いいえ)

 

 

 違うか、と夏世は思い直す。彼女にはいつだって願いがあった。誰にだって当たり前のようにある、しかし夏世や将監にはなかったもの。でもそれを叶えるのはとても難しくて、叶うはずは無いのだと諦めていたものでもある。

 

 夏世は『人間』になりたかった。

 

 彼女はただ普通に、人間らしく生きたかった。だが生まれた頃から化け物と忌み嫌われてきた彼女にはそれが一体どういうものかわからない。あんなに願って止まなかったのに実際その機会を目の前にしたらどうしたらいいのか驚くほどわからなかった。

 

 ふと夏世は背中の重みに気付く。彼を失ったあの戦場から持ち帰って、結局手放すことの出来なかった大剣。

 

 その重さを思い出すと、いつの間にか混乱していた頭は落ち着いていた。

 

 多分、答えはもうとっくのとうに出ていた。

 

 

(きっとこれは、イニシエーター(私達みたいな存在)には世界一贅沢な悩み)

 

 

 『レンさん』と夏世は呼ぶ。

 

 

「なら、私の……私達(・・)の家族になってください」

 

 

 生まれて初めて出来た家族を守りたい。嫌われ続けたこの力で。それが千寿 夏世の選んだ生き方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 影似に誘われてレンは2人で会場の外へ出た。

 

 正式にレンのパートナーとなった夏世だが、しばらくは天童民間警備会社で一緒に働くことになる。登録上の所属は三ヶ島ロイヤルガーターだが、まあ派遣、或いは共同歩調といった具合になるのだろうか。それも全て影似の取り計らいによるもの。

 

 

「ありがとう」

 

「なに。こちらとしても聖天子様とのパイプが出来た。見返りは充分過ぎる」

 

 

 影似は懐から取り出した煙草に火をつけて、咥えたそれを大きく吸って紫煙を吐き出す。

 

 

「だが、恩を感じたならひとつだけ教えて欲しいことがある」

 

「なんだ?」

 

「将監の最期について、だ」

 

 

 伊熊 将監の最期。

 

 将監は自分を道具だと言った。戦い、敵を殺すためだけの道具。彼はそれで満足だと言っていた。何処にも行き場のなかった彼を唯一平等に扱ってくれたのが戦場だった。だからここは居心地が良いのだと。

 悲しい生き方だと、きっと他人は言うのだろう。少なくとも将監だって最初からそう感じていたとは思わない。平穏な日常が、当たり前の日常が欲しかったはずだ。

 

 だけど、レンは将監が『居心地が良い』と言ったのはなにも自棄になったからだとも思わない。そんな人間に夏世(他人)を思いやることなど出来はしない。

 なら、あの言葉もまた将監の本心だと思う。彼はずっと投げやりな言い方をしていたが、きっとそれだって。

 

 

「あいつは、自分をあんたの道具だと。自分には戦場しかないと言ってた」

 

「そうか」

 

「――――でもこうも言ってた」

 

 

 そうだ。将監は言っていた。

 

 

「あんたに感謝していると」

 

 

 影似の目が僅かに見開かれる。しかしすぐにそれは普段の涼しい顔つきに戻る。

 

 

「そうか。――――ありがとう」

 

 

 影似は一言そう言った。それきり彼は空を見上げる。指先に挟んだ煙草の灰が落ちても、彼はそれに構うことはなかった。




閲覧、感想ありがとうございます。

>これで1巻結。――――で、唐突ですがこの作品はここで一旦の完結として終わります。本当ならオリジナル含めて6巻終了までのシナリオがあったり、聖天子様とのイチャイチャがあったりの構想はあったのですが、なんにしてもちょっと見切り発車過ぎました(汗
一番の失敗としては主人公のレンとヒロイン兼パートナーウルちゃんの設定があまりにも固まらなかった。
とまあ失敗談をここでつらつら書いても皆様への言い訳にもならんのでここらでやめます。

>改めまして申し訳ありません。こんな作品にも感想いただいたり、お気に入り、しおりしてくれた読者様もいまして、先を楽しみにしてくれていた方もいらっしゃったかもしれません。それを1巻区切って半端な感じで終わらしてしまいすみませんでした。

>でもまあ、原作は好きですし、執筆活動も今のところやめる予定はありませんので、先述した通り簡単なシナリオの骨子は出来ていますのでもしかしたらこれから先、改めて練ったやつを書いたりもするかもです。
もしそんな機会がありましたら、また宜しくお願い致します。

ここまで閲覧ありがとうございました。

※もし先のストーリーやら設定やら、ネタバレでも構わないので知りたいという方がいましたらメッセージでお教え致しますので遠慮なく言ってください。


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