IS -Scharlachrot- (小糠雨)
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プロローグ:In Deutschland

 

 二月某日、深夜、ドイツ某所――。

 

 真っ暗な部屋に鳴り響く着信音。眠りについていた部屋の主は鬱陶しそうに身体を起こし、携帯端末を乱暴に掴むと相手を確認せずに応答する。

 

「Brecht」

 

『Hallo, hier ist Tabane』

 

「……なんだ、束さんか」

 

 電話の相手がよく知る日本人――篠ノ之束であることがわかると彼は日本語で話し始めた。

 

『なんだとは非道いね。繊細な束さんは泣いちゃいそうだよ』

 

「心にも無いことを言わないでくれ。それと、無理にドイツ語を使わなくていい。束さんがわかるドイツ語はそれだけだろう」

 

『無理なんかしてないもーん。この天才の束さんがドイツ語ごときに――』

 

「Verzeihung, Fraeulein. Uebrigens, sie wuenschen?」

 

『すみません調子に乗りました!』

 

 謝るくらいなら最初から意地を張らなければいいのに――と思うが、口には出さない。話を進めることを優先する。

 

「それで、何の用だ? 言っておくがこちらは夜中の三時だ。眠くてしかたない」

 

 時計を確認しながら不機嫌さを隠さない声音で問う。返ってきたのは予想もしない答えだった。

 

『だったらテレビはびみょいねー。じゃあじゃあ、インターネットでいいからニュースを見てくれないかい?』

 

「ニュース?」

 

 言われるがままにPCの電源を入れ、ニュースを開く。そこではよくある強盗だの軍事だのを押しのけて、およそ信じられない見出しが躍っていた。

 

「世界初の男性操縦者……?」

 

 日本の少年がIS――女性しか起動できないとされる世界最強の兵器インフィニット・ストラトス――を起動した。

 

 顔写真つきで掲載されている少年の名は織斑一夏。自分と違ってなんとも人の良さそうな顔立ちをしている――と、そこまで考えたところでこの名に聞き覚えがあることに気づいた。

 

 ISによる競技の世界大会モンド・グロッソ初代覇者。世界最強と謳われたその女性と同じ名字。

 

 加えて、何度か束から聞かされたことのある名前。

 

「束さん、この織斑一夏というのはまさか……」

 

『ちーちゃんの弟だよ』

 

「やはりか。……で、コイツがISを動かしたのと、あなたが私に電話をかけてきたのとは何の関係がある?」

 

『それはだねぇ……』

 

 続く彼女の言葉は半ば予想通りだった。

 

 それはそうだろう。世界初の男性操縦者などという奇跡(モルモット)を今の世界が放っておくわけがない。良い意味でも、悪い意味でも。天災と世界最強という後ろ盾があるからすぐさまどうこうということは無いだろうが、織斑一夏は常に誰かに狙われることになるはずだ。

 

 束はそれを十全に理解している。電話を受けている彼が彼女の頼みを断れないことも理解している。

 

 さらに言えば、彼もまた束の本当の目的はそれではないことを理解している。彼女が彼のためにその“お願い”をしていることを。

 

「……わかった。引き受けよう。ただし、私とて自らモルモットになりに行くような酔狂者ではない。あなたの関係者であることと、私が必要と思った情報は開示する」

 

 精一杯の抵抗――否、照れ隠し。それは電話の向こうの“姉”には筒抜けのようで、クスクスと笑う声が聞こえてくる。

 

『おっけーおっけー。キミを学校に行かせてあげられて束さんは嬉しいよ。それじゃあ、期待しているよ、《灼熱の緋(グリューエン)》♪』

 

 斯くして、彼は日本へ渡る。天災の期待という――ある意味では世界一貴重な重圧を背負って。



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Erstes Kapitel -Vorhang/Eintritt-
第一話:おいでませIS学園


(これは……思った以上にキツいな……)

 

 IS学園。その名の通りIS関連の人材を育てることを目的とする世界唯一の教育機関。ISは女性にしか扱えないため必然的にここは女子校である。

 

 否――女子校“だった”。

 

 今年のIS学園は非常に特殊な状況にある。なぜなら男子生徒が“二人”居るからだ。

 

(席が織斑一夏の真後ろだったのは不運と言わざるを得んな。離れていたら視線が分散されたものを)

 

 男子生徒の片方――ジギスヴァルト・ブレヒトは周囲を見回していた視線を目の前の織斑一夏に向けた。

 

 ――ガッチガチに緊張しているようだ。

 

 無理もないかも知れない。入学式を終えて、今は教室で教師を待っている……つまり全ての生徒が手持ち無沙汰だ。県どころか国単位で様々な出身の者が教室に詰め込まれているためほとんどの生徒は互いに初対面。つまり話し相手も居ない。

 

 となると、必然的に視線がたった二人の男子生徒に集まる。それも、誰一人として言葉を発しない異様な雰囲気の中で。しかも織斑一夏の席は最前列のド真ん中で、ジギスヴァルトはそのひとつ後ろ。誰だこの配置を考えた奴は。

 

 正直ジギスヴァルトもこれまで戦場で培ってきたクソ度胸が無ければ固まってしまっているだろう。

 

 だがそれにしたって緊張しすぎじゃないだろうか。席が近いとはいえ一応視線が分散された状態でさえこれなのだ、もしジギスヴァルトがこの学園に来なかったらと思うと同情を禁じ得ない。

 

「……織斑一夏」

 

 見かねたジギスヴァルトが声をかけると、今存在に気づいたと言わんばかりの顔で振り返った。

 

 ――なんとも情けない顔だった。

 

「な、なんで俺の名前知ってるんだ?」

 

「ニュースになっていたからな。それに、何度か束さんから聞かされている」

 

「束さんから? お前、束さんを知ってるのか?」

 

 やはり姉が束の親友なだけあって面識があるのか、彼の言葉からはある程度人柄を知っている者特有の親しみのようなものを感じる。

 

「ああ。あの人は私の恩人だ。というか、ニュースを見ていないのか? 私も一応報道されたぞ、あの人の関係者であることもな」

 

 一夏のことが世に知れてから数日後、世界は再び震撼した。“本当の世界初の男性操縦者”が現れたからだ。

 

 騒ぎになるのを恐れ篠ノ之束の手で隠匿されていたが、この度の織斑一夏の登場に便乗して公にすることにした――というのがこの時の報道の内容である。それはある程度正しいし、ある意味では間違っているが、ともあれ世界はそれをアッサリ信じた。なんとも簡単なものだ。それだけ束の影響力が強いということだろうが。

 

「あー、そういえばそうだったな。おかげで俺からそっちに興味が移ってくれたんで助かったよ。お前の名前はたしか……じ……じき……?」

 

「ジギスヴァルト・ブレヒトだ。覚えにくいようだからジグでいい。皆そう呼ぶしな」

 

「そうか、よろしくなジグ。俺のことは好きに呼んでくれ」

 

「わかったよアインスゾンマー」

 

 口の端を歪めてそう言ってやると、一夏は目を円くして固まった。しばらくそのままでいたが、硬直が解けると今度は口をへの字に曲げて軽く睨んできた。

 

「……ナニソレ」

 

「“一”と“夏”を母国語にしてみた」

 

「……やっぱ普通に一夏って呼んでくれ」

 

「了解だ一夏。数少ない男同士だ、仲良くしようじゃないか」

 

 そうして互いの自己紹介が丁度終わったタイミングで、教室の扉が開かれた。入ってきたのは小柄な、およそ教師には見えない女性だ。

 

「全員揃ってますねー。SHR始めますよー。私は副担任の山田真耶です」

 

 言って頭を下げる真耶の、その動きに合わせて揺れる胸がなんともアンバランスだった。

 

「さて、今日から皆さんはこのIS学園の生徒です。仲良く助け合って、充実した楽しい三年間にしましょうね」

 

 ……無言。

 

 真耶以外に誰一人として喋らない。視線は相変わらず一夏とジギスヴァルトに向けられ、真耶を見てすらいない。

 

「じゃ、じゃあ自己紹介をお願いします! そっちの席の人から順番に、ねっ!」

 

 少し泣きそうな彼女に促されて相川という生徒が自己紹介を始めるのを聞きながら、ジギスヴァルトは一夏を観察する。

 

 相変わらずガッチガチだ。だが先程までとは違い、視線をチラチラと窓側に向けている。視線を追うと、窓際に座るポニーテールの生徒に行き当たった。

 

(あれは……束さんの妹か。そうか、一夏の幼なじみだったな。確か名前は箒だったか)

 

 束の妹君のことはジギスヴァルトもいくらか調べていた。何しろ今回の束の“お願い”に関わることだ。

 

 ――とは言え束にほとんどを、それも箒の写真つきで何度も何度も聞かされていたので、彼が調べたのは現在の住所程度。しかも調べてから気付いたが、全寮制のIS学園に居る間はほとんど無意味な情報である。

 

 ……それにしても、束は何年も会っていないはずの箒の現在の写真をどこから手に入れたのだろうか。

 

 などと考えている間にも自己紹介は進んでいく。次は一夏の番だが、どうやら緊張で真耶の声が聞こえていないらしい。

 

「織斑君。……織斑君? 織斑一夏くーん!」

 

「は、はいぃっ!?」

 

 ガタッと音を立てて一夏が立ち上がる。目の前で突然大声を出された真耶は怯え、周囲のクラスメイトからは笑いが起きた。

 

「あの、次は織斑君の番なので……自己紹介してもらえないかな? ダメかな?」

 

「あ、はい!」

 

 それでもさすが教師と言うべきか、すぐに持ち直した真耶に優しく促されて教壇に上る。

 

 が、その動きは実に機械的である。ロボットダンスでもやらせればいいのではと思えるくらいカックカクな動きで移動した一夏はクラスを見回して――さらに緊張を募らせたようだ。あれでは何を言うかなど頭から抜け落ちているに違いない。

 

「えーっと、織斑一夏です。よろしくお願いします」

 

 ――再びの静寂。誰もが一夏に“次は何を言うんだ”という期待の眼差しを向け、しかしそれがさらなる緊張を誘うのか一夏は固まったまま動かない。

 

「――以上です!」

 

 ガタタタッ! と教室中が音を立てた。

 

 ジギスヴァルト以外の全員がコケる音だった。

 

「……あれ、俺なんかマズ――いってぇ!?」

 

 スパァンッ! と気持ちの良い音がした。見れば一夏の後ろに黒髪で目つきの鋭い女性が立っていて、手には出席簿。

 

 一夏は頭を押さえている。どうやらあれで叩かれたようだ。

 

「げぇっ、喬玄!?」

 

「微妙な知名度の三国武将を出すな馬鹿者。どうせなら関羽か呂布にしろ」

 

 出席簿が再び爽快な――一夏にしてみれば爽快なんて言われたくはないだろうが――音を立てる。

 

 そしてそれを為した女性の姿を見たクラスの反応は――嬌声だった。

 

 それはそうだろう。何しろ一夏の頭を叩いたのは元世界最強、《ブリュンヒルデ》織斑千冬。ISに携わる女性たちの憧れの存在なのだ。

 

 にわかに騒がしくなった教室。さらにその後の千冬と一夏のやり取りで二人が姉弟であることが発覚し、教室の熱気はもはやピークに達した。

 

 千冬の人気はいまだ衰えないことを考えると、おそらく毎年この調子なのだろう。彼女は心底鬱陶しそうな顔をしている。あまりこういうのは好きではないようだ。

 

「うるさいぞ、静まれ! 自己紹介はまだ終わっていない! ……静かになったな。織斑、お前はもういい。席に戻れ。次!」

 

 肩を落として席に戻る一夏に心中で同情しつつ、ジギスヴァルトは前に出た。クラス中の視線を浴びて少々気後れするが、無様なことをすれば一夏の二の舞になりかねない。

 

「……ジギスヴァルト・ブレヒトだ。長くて覚えにくいだろうからジグでいい。ドイツの出だ。ここに来る前は傭兵をやっていた。

 歳は皆より一つ上だが、私は学校に通ったことが無いのでこの学年からスタートすることになった。右も左もわからんからいろいろと教えてもらえると助かる。以上だ」

 

 一気にそれだけ言って席に戻る。出席簿が飛んでこなかったからには成功と見て良いだろう。

 

「イケメンだよイケメン! しかもドイツ!」

 

「銀髪だし! 背ぇ高いし!」

 

「年上だし大人っぽいし!」

 

「クールそうなのも良い感じ!」

 

 周囲から聞こえる声は、努めて聞かなかったことにした。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「……ちょっといいか」

 

 自己紹介を終え、続く最初の授業も終えての休み時間。一夏とジギスヴァルトが話していると、箒が一夏に声をかけた。

 

 ジギスヴァルトには視線さえよこさない。一夏にだけ用があるのだろう。彼が一方的に箒を知っている状態であるため当然のことではあるが。

 

「一夏、行ってくるといい。箒はお前にだけ用があるそうだ」

 

「……お前に名前で呼ばれる筋合いはない」

 

「それは失礼した、篠ノ之。あまり家名で呼ぶ習慣が無くてな」

 

 それに加えて束から耳にタコができるほど話を聞かされたからだが。それを言うとさらに怒るだろうことは想像に難くない。

 

「ふん」

 

 相当に気分を害したのか、有無を言わさず一夏を引っ張って行ってしまった。

 

 箒の用は明白だ。束の言っていた通りなら一夏に惚れているらしいから、何かそれ関連だろう。願わくば自分が機嫌を損ねたとばっちりを一夏が受けませんように、と彼は思う。

 

 さておき、ジギスヴァルトは教室に取り残された形だ。一夏と話しているときは気にならなかったが、周囲からはいまだにコソコソと話す声が聞こえてくる。

 

「ねえ、あなた行ってきなよ」

 

「えー無理だよ」

 

「外人補正もあるんだろうけどすごくカッコイイよね」

 

「いやいや、外人から見てもカッコイイよあれ」

 

「ちょっと近寄りがたい雰囲気だけどそこがまた……!」

 

 ……ずいぶんと好き勝手言ってくれる。

 

 これではまるでサーカスのライオンではないかとうんざりしてきた。いっそ直接話しかけてくれれば気も楽なのだが――などと考えたところに救いの手が差し伸べられる。……それは後々考えれば救いでも何でもなかったのだが。

 

「ちょっとよろしくて?」

 

「……む?」

 

 声がした方に視線を向ければ、綺麗にロールがかかった金髪の、いかにもお嬢様然とした生徒が立っている。視線に多分な侮蔑を含んで。

 

「何ですその気の抜けた返事は! わたくしが話しかけて差し上げているのですからもっと光栄に思いなさい!」

 

(何を言っているんだこいつは)

 

 内心で辟易しつつも彼は自己紹介の記憶をたぐり寄せる。確かこの女は――セシリア・オルコット。名前に関連して思い出される項目は――たしかイギリスの代表候補生の一人がそんな名前だったか。

 

「何の用だ、セシリア・オルコット」

 

「――っ! あなたねえ、このわたくしを誰だと――」

 

「だから、イギリス代表候補生のセシリア・オルコットだろう? 理解しているからさっさと用件を話せ」

 

 ISが登場してから世界は変わった。女性の地位が向上し、反対に男性の地位は地に堕ちた。世は極端な女尊男卑社会となったのである。実際にISを使えようと使えまいと、女性であるというだけで偉い。今はそんな時代だ。絶対数の少ないISは厳重に管理されており、実際に乗ることができる者などほとんど居ないというのに。

 

 そして目の前のセシリアも女性の方が優れているという考えの持ち主なのだろう。事実、ジギスヴァルトの態度が気に入らないのか額に青筋が浮かんでいる。

 

「男性のIS操縦者がどんなものかと思ったのですが……どうやら礼儀知らずの野蛮人のようですわね」

 

「それはそうだろう。お前は私の自己紹介を聞いていなかったのか? まあ私は貴様の自己紹介など名前以外聞いていなかったが」

 

「あなただって聞いてないんじゃありませんの! いえ、わたくしは聞いていましたけども! というか、このわたくしの自己紹介なのですから五体投地で一言一句逃さずお聞きなさい!」

 

 五体投地を知っているとは、イギリス人にしては珍しい。というか、五体投地は欧米人からすれば逆に失礼な態度に見えそうなものだが。地面にうつ伏せで寝るのだし。

 

 ――と、言いそうになったのをジギスヴァルトはグッと堪えた。わざわざ火に油を注ぐ必要はない。

 

 ……ちなみに、だが。彼が五体投地を知っているのは育ての親が日本人だからである。ある日突然「お前に面白い言葉を教えてやる!」と暴走した彼らに教わったうちのひとつだ。

 

「それは失礼した。とにかく、聞いていたのならわかるだろう。学校にも行かず傭兵などやっていたのだ、品格や教養など身につけようがない。野蛮人でないわけがなかろう」

 

「馬鹿にしてますの!?」

 

 彼としては当たり障りの無い、というか怒りを鎮めるために放った言葉だったが、何故かセシリアの怒りのボルテージが上がった。このお嬢様、どうにも面倒くさい。

 

「何故そうなる。むしろ自身を卑下しているというのに」

 

「それが馬鹿にしていると――」

 

 セシリアがそこまで言ったところで予鈴が鳴った。次は千冬の授業だ。

 

「――くっ! 覚えてなさいジギスヴァルト・ブレヒト!」

 

 出席簿の制裁を恐れたのだろう。セシリアは足早に自分の席へ戻っていった。

 

(というか、名前はしっかり覚えているのか。わざわざ嫌いな者の名前など覚えなくてもよかろうに)

 

 それともそういう趣味でもあるのだろうか、などとくだらないことを考えたが、益体も無いことだと早々に切り上げた。

 

「何かあったのか?」

 

「なに、お偉いお嬢様がご訪問くださっただけさ」

 

「は?」

 

 戻ってきた一夏は「わけわからん」とでも言いたそうだった。というか、言った。




こんな感じでどうにか。


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第二話:猿回し舐めんな

 千冬の授業の開幕は、彼女の「クラス代表は決まっているか?」という一言だった。

 

 結論から言うと、決まっていなかった。本当は真耶の授業――つまり先程受けた授業で決めておくべきだったようだが、彼女は失念していたらしい。

 

 そこで千冬の授業でそれを決めようということになったのだが――。

 

「はいっ! 織斑君を推薦します!」

 

「えっ俺!?」

 

「私も織斑君がいいと思いまーす!」

 

「私はジグ君がいいと思います!」

 

「あっ私もー!」

 

「……む? 私か?」

 

「じゃあ私は織斑君!」

 

「私はジグ君!」

 

 とまあ、このように。男性操縦者というある種の珍獣を代表に据えることでインパクトでも狙ったのか、一夏とジギスヴァルトがクラスメイトから猛プッシュされた。

 

 ジギスヴァルトとしては、やれと言われればやぶさかではない。クラス対抗戦への出場や各委員会、生徒会の会議への出席等々。どれもが経験の無いことで、純粋に興味があったのだ。一夏は何やら千冬に抗議してまた頭を叩かれていたが、ジギスヴァルトには何の文句も無い。むしろ願ったりだ。

 

 しかしながら、否、やはりというべきか。彼らを代表に据えることに異を唱える者も居た。

 

「納得できませんわ!」

 

 セシリア・オルコットだった。

 

「クラスを代表して戦うんですのよ! 未熟で軟弱な男性操縦者に務まるとは思えません! 男がクラス代表だなんて恥さらしもいいところです! このセシリア・オルコットにそのような屈辱を一年味わえと!?」

 

 なんとも現代的な考え方だとジギスヴァルトは苦笑した。この女は筋金入りだ。

 

「ほう。ではオルコット、つまりお前は自薦でもすると言うのか?」

 

「そういうことになりますわね」

 

 千冬の言を肯定し、なおもセシリアは続ける。

 

「実力からいけばわたくしがクラス代表になるのが必然。それを物珍しいからなどという理由で極東の猿や野蛮な傭兵にされては困ります! イギリス代表候補生で専用機持ちである私がなるべきで――」

 

「すまない、ちょっといいか?」

 

 興奮気味にまくし立てるセシリアを遮って一夏が手を挙げた。なんだなかなか気概があるじゃないかとジギスヴァルトが感心したのも束の間――。

 

「代表候補生って何だ?」

 

 ――クラス中がコケた。今度はジギスヴァルトも、それどころか千冬でさえも。

 

「……読んで字の如く。国を代表するIS操縦者の候補のことだ」

 

 ジギスヴァルトが説明してやると、一夏は「へぇー、ジグって詳しいんだな!」と妙に感心していた。

 

(そういえばこいつ、教本を電話帳と間違えて捨てていたのだったか)

 

 真耶の授業でそれが発覚して千冬の出席簿を食らっていたのを彼は思い出した。あれはなかなかに……うむ、痛そうだった。その後千冬は教本再発行の手配のために教室を去ったため、授業開始時の問いが出たのである。

 

「と、ともかく! クラス代表は専用機持ちであり、試験で唯一教官を倒した私がなるべきですわ!」

 

 ふんぞり返って自慢げに言うセシリアに一夏と、そして今度はジギスヴァルトも反応した。自分の持っている情報と彼女の発言が食い違ったからだ。

 

「え? 教官なら俺も倒したぞ?」

 

「へ?」

 

「私も倒したが。さらに言うならば、専用機なら私も持っている。試験では訓練機を使ったがな」

 

「はい?」

 

 あまりに予想外の発言だったのか、なんとも間抜けな声をあげるセシリア。高慢な顔が崩れたのがなかなかに愉快だ。もちろん言わないが。

 

「わたくしだけと聞きましたが?」

 

「女子では、ってオチじゃねえの?」

 

「くっ……! ですが、ほとんどISに乗ったことのない素人なのは確かなはずです!」

 

 セシリアの反撃に、一夏は、

 

「そりゃまあ、たしかに」

 

 と返した。一方ジギスヴァルトは、

 

「…………」

 

 無言だった。それはバカ正直に稼働時間や搭乗回数を数えていたがために空いた間だったのだが、どうやら彼女は肯定と受け取ったらしい。ますます調子に乗って次々に言葉を並べていく。

 

「ほらご覧なさい! だいたいこんな、文化の後進的な島国で暮らすこと自体苦痛なのです! それなのに男なんかと同じクラスで、そのうえクラス代表まで男だなんて耐えられ――」

 

「イギリスだって大したお国自慢無いだろ。世界一不味い料理で何年連続覇者だよ」

 

「ああ、一度雇われてイギリスへ行ったが確かに酷かったな。特にあれだ、フィッシュアンドチップス。あれは油っこいくせに水っぽいし生臭いという奇跡の不協和音だった。あんなものを名物だなどと言う神経を疑う」

 

 ――言ってから、しまった、とジギスヴァルトは思った。あまりに酷い言い種につい一夏に同調してしまったが、これでは火に油でしかない。

 

 一夏を見る。どうやら彼と違って、やらかしたとは思っていないらしい。しかしセシリアは相当頭にきたらしく、青筋どころか顔が真っ赤になっている。

 

「あなたたち、わたくしの祖国を侮辱しますの!?」

 

「先に日本を侮辱したのはそっちだろ」

 

 全くの正論だが、今はそれは悪手だ。時に正論は油、ガソリン、酷いときにはピクリン酸やトリニトロトルエンに匹敵する。

 

「いいでしょう、決闘ですわ!」

 

 やはりセシリアの怒りは加速したようで、その表情は殺る気満々といったところだ。どうして決闘にまで思考がぶっ飛んだのかは理解しかねるが。

 

 しかし日本を、そして男を散々馬鹿にされたのが頭にきている一夏はそれを真正面から受け止める。

 

「いいぜ。やってやるよ」

 

「あなたたちが負けたら一生わたくしの小間使い――いえ、奴隷にしますわよ」

 

「たち? 待て、私もやるのか?」

 

「当然でしょう!」

 

 しまった、あの時口を噤んでいれば! などと考えても後の祭。どうやらジギスヴァルトもセシリアに敵と認定されてしまったようだ。

 

「それで、ハンデはどれくらいつける?」

 

 一夏の言葉にセシリアは侮蔑を乗せた声で応じる。

 

「あら、早速お願いですか?」

 

「違う、俺がどれくらいハンデをつけるかだ」

 

 ――瞬間。クラス中が爆笑の渦に包まれた。

 

「お、織斑君本気で言ってる?」

 

「男が女より強かったのなんてかなり昔の話だよ?」

 

「そりゃ二人はISを動かせるかも知れないけど、それは言い過ぎだよ」

 

 女が男より絶対的に強いのはISに乗れればの話だがな、とジギスヴァルトは思う。同時に、それを言ったところで今笑っている彼女らには伝わるまい、とも。

 

 おそらく彼女らはISを動かせない状況に陥ることなど想定していないだろう。それに、ISの性能があればたとえ男がISに乗ったって条件はイーブン、もしくは女性の方が有利だと思っているのだろうから。

 

「……だったら、ハンデはいい」

 

 一夏は納得いかないようだ。だからジギスヴァルトはただ一言。

 

「本当にハンデは要らないのだな、セシリア・オルコット」

 

 とだけ尋ねた。

 

 返答はもちろん、イエス。

 

 そして千冬の手で決闘の日時が決まった。一週間後、このくだらない争いに決着がつく。

 

 だが、何故だろう。くだらないと思いつつも楽しんでいる。そんな自分に気づいたジギスヴァルトは、この奇妙な感覚を悪くないと受け入れるのだった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「れっひーれっひー」

 

「…………」

 

「れっひーってばー」

 

「……それはもしかして私のことか」

 

 放課後。授業について行けず燃え尽きている一夏をジギスヴァルトが励ましていると、不意に後ろから声がかかった。振り向いた先に居たのはダボダボの制服を着た、柔らかい雰囲気の――というかゆるゆるな雰囲気の少女。たしかこの子もクラスメイトで、名前は……。

 

「本――じゃない、布仏。私はジグでいいと言ったはずだが」

 

 軽く睨みながら彼女――布仏本音に抗議するが、本音は聞く耳持たないと言わんばかりに、

 

「れっひーはれっひーだよー」

 

 と返してくる。

 

「……何故れっひーなのだ」

 

「ブレヒトだから、れっひー」

 

 なんて中途半端なところから取るのだろう。そんなあだ名の付け方をされたことの無いジギスヴァルトはただただ戸惑うばかりで、本音にペースを握られていく。

 

「れっひーは授業ついていけてるー?」

 

「あ、ああ。私は問題ない」

 

 束に頼んで事前に一般科目をある程度勉強しておいて助かった。これならなんとかなるだろう――数学以外は、だが。

 

 昔から彼は計算が苦手なのだ。四則演算さえ理解していれば日常生活では事足りるというのに、なんなのだあの二次方程式だの平方根だの他にも諸々ややこしい文字列の数々は。

 

「そかそかー、よかったー」

 

「一夏はダメみたいだが」

 

「おりむー撃沈しちゃってるねぇー」

 

 ……もう何も言うまい。言っても無駄なのは目に見えている。

 

「それで? 何か用があったんじゃないのか?」

 

「用っていうかねー。せっかく同じクラスなんだから、仲良くなりたいなぁーって。だから今日の晩御飯、一緒にどうかなぁーって思ってー。もちろんおりむーも」

 

 ありがたい申し出だった。そもそも全寮制の学校での生活は初めて――いや学校自体通ったことはないが――なので、夕食などはどうすれば良いのかわからない。部屋は今日中になんとかしてくれるという話だったがまだ通達がなく、学外に出るとそのあたりの連絡に不都合があるかも知れない。やはりどうしても学内で済ませる必要がある。

 

「そうか、では喜んでご一緒させてもらおう。気遣い感謝する。正直私は近寄りがたいだろう?」

 

「んー? そんなことないよー?」

 

 そうだろうか。少なくとも今日は周りから散々「近寄りがたい」と聞こえてきた気がするが。それも何度も。

 

「ところでー、さっき私のこと名前で呼びそうになったねぇー」

 

「あまり家名で呼ぶ習慣が無いんだ。つい癖で篠ノ之を名前で呼んだらいたく機嫌を悪くしたから、今後はなるべく気を付けることにしようと思ってな」

 

「なーるほどー。でも、私は名前でいいよー?」

 

「いいのか?」

 

「その方が仲良くなった感あるしねー」

 

 本人が名前で呼ばせてくれると言うなら大丈夫なのだろうと、彼は本音の言葉に甘えることにした。正直な話、家名で――つまり名字で呼ぶと余計な壁を感じて肩が凝るのだ。同年代が相手だと特に。このあたりは育った環境のせいか。

 

「では本音、これからよろしく」

 

「よろしくー」

 

 その後、夕食の時間にはまだ早いということで、復活した一夏も交えて時間を潰していると教室に真耶が入ってきた。どうやら一夏とジギスヴァルトを探していたようだ。寮の部屋について話があるらしい。

 

「織斑君はしばらく学外から通ってもらう予定でしたが、警護の都合もあるので予定を変更してやっぱり今日入寮してもらうことになりました。

 ただ、どうしてもすぐに一部屋開けることができなくてですね。本当はあなたたち二人は相部屋の予定でしたが、織斑君は寮長室――つまり織斑先生の部屋になります。ブレヒト君は他の生徒と相部屋ですね」

 

「他の生徒と?」

 

 それは道徳的にというか倫理的にどうなのだろうか。それに相手によっては刑務所にぶち込まれる可能性だってある。

 

「私も問題ないと言い切れるわけじゃないんですけど、あの寮二人部屋しか無いんですよ……。それに、ブレヒト君は入学の決定が急だったうえ外国から来ているわけですから、無理矢理にでも部屋を用意するしかなくて」

 

 真耶の表情から苦労が覗える。おそらくジギスヴァルトのために奔走してくれたのは彼女なのだろう。そう考えると彼は文句を言う気にはなれなかった。

 

「……ちなみに、その生徒は?」

 

「それは――あ、なんだ丁度良くここに居るじゃないですか。布仏さんと相部屋です」

 

「ふぇ? 私ー?」

 

「それでですね二人とも、ここからはよく聞いておいて欲しいんですが――」

 

 目を円くする本音を置き去りにして話は進んでいく。真耶は矢継ぎ早に寮則や荷物、浴場の使用等について説明し、「来月には部屋をちゃんと用意できると思いますから」と言い残してすぐに去って行った。

 

 取り残された一夏、ジギスヴァルト、本音はただただ事態を飲み込めずにいた。

 

「まあ、なんだ、ジグ……面会くらいは行ってやるよ」

 

「私が刑務所に入る前提で話すな」

 

 とはいえそのあたりさえ今や本音の采配次第なのだ。表情には出さないものの内心冷や汗ダラダラだった。

 

 結果として、本音は相変わらずののほほんとした笑顔でジギスヴァルトを受け入れてくれた。ひとまず首が繋がり寝床も確保できたことに感謝しつつ、彼は前途の険しさを想うのだった。

 



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第三話:壁に耳あり

 ジギスヴァルト・ブレヒトの朝は早……くはない。睡眠はとれるときにとれるだけとる、をモットーとする故か、その日の予定をこなすのに支障が無いギリギリの時間まで寝ている。

 

 そういうわけで、普段なら朝六時になど絶対に目覚めないのだが。この日は違った。どうにも寝苦しい。というか、右腕が痺れている。

 

 目を開けると知らない天井。寝ぼけた頭で“そういえば昨日からIS学園に居るのだった”と思い出し、ようやく痺れた右腕を見る。

 

 ――ルームメイトの布仏本音が巻きついていた。

 

 いや、巻きついていたというと少し大袈裟だが……かと言って抱きついていたというほど生ぬるいひっつき方でもないので、やはり巻きついていたというのが適切だろう。

 

 ……ところで、彼は寝起きがあまり良くない。起き抜けは不機嫌で判断力も鈍る。彼の脳内では現在、“本音のせいで睡眠時間が削られた”という――まあ間違ってはいないが――認識が出来上がっていた。

 

「ふんっ」

 

 無造作に右腕を振るう。本音の身体は宙に舞い、重力に引かれある程度の勢いを以て隣の、本来彼女が眠っているべきベッドに落下した。

 

「へぶぅっ!?」

 

 カエルが潰れたような声をあげる本音を無視して洗面所へ。顔を洗い意識をはっきりさせると、先程の状況が正確に認識できた。

 

 結論から言うと――柔らかかった。どこって、全部が。特に胸が。

 

 クールに振る舞ってはいるがジギスヴァルトとて年頃の男である。加えて、束以外の女性とは戦場でしかまともに会話したことがない。早い話、“接触”に耐性が無いのだ。

 

「ひどいよれっひー!」

 

 戻ると案の定というか、本音はお冠だった。着ぐるみにしか見えないパジャマに包まれた小さな身体を目いっぱい広げて威嚇している。

 

 自然、胸部に視線が行った。制服も今着ているパジャマもゆったりしているせいでわかりにくかったが、くっつかれて否応なくわかった。あれは非常に、とても、半端じゃなく、大きい。

 

「……君が勝手に巻きついていたからだろう。私は寝起きが悪いと昨日言っておいたはずだ」

 

「でもでもー、れっひー抱き心地よくってー。それになんだか安心して眠れたしー?」

 

 ……それはそれで、どうなのだろう。恋人でもない女性から布団に潜り込んで安心するなどと言われると男として悲しいような気も――いや、もはや何も言わぬ。相手は本音、一筋縄ではいかない。

 

「……巻きつくのは勘弁してくれ」

 

「布団に入るのはー?」

 

「…………」

 

 男、ジギスヴァルト・ブレヒト。なんだかよくわからないが何かを失ったかわりに何かを得た。そんな気がした。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「どうしてそこまで弱くなっている! 中学では何部に所属していた!」

 

「帰宅部! 三年連続皆勤賞だ!」

 

 二日目の放課後、ジギスヴァルトは一夏を追って剣道場に居た。一夏が箒にISについて教えてくれと頼んだ結果――何故か剣道。

 

 どこから嗅ぎつけたものかギャラリーは多いが、その目の前で一夏はものの見事に箒に圧倒されている。

 

 箒と一夏が試合をしている間、ジギスヴァルトは束の“お願い”を思い返していた。

 

 あの人のことだ。どうせ一夏のためだとか箒のためだとか千冬のためだとかで余計なちょっかいをかけてくるに決まっている。それがどのタイミングでどんなものになるかはわからないが、彼女の“お願い”を全うするには時にそれらを退けなければならない。

 

 本当に、あの人は敵なのか味方なのかはっきりしてほしい。いや、本人の心情的には味方なのだろうが、手段が突拍子もなさ過ぎるのだ、あの人は。

 

「れっひー? 顔怖いよー? どーかしたかなー?」

 

 うんざりしたのが顔に出たのか、隣で観戦していた本音が心配そうな顔を向けてくる。ジギスヴァルトが剣道場に行くと聞いてついてきていたのだ。

 

「……問題ない。三月ウサギは手強いなと思っただけだ」

 

「うさぎー?」

 

 首を傾げる本音。その姿は非常にかわいらしく――思わず見とれてしまった。

 

「そ、そうだ! ジグ、お前は何もしなくていいのかよ! お前だってアイツと戦うんだぞ!」

 

 不意に飛んできた一夏の声で現実に引き戻された。どうやら試合までの一週間、箒にひたすら剣道を指導されることになりかけているようだ。だが訓練用ISの貸し出しが完全予約制である以上、試合までに借りるのは難しい。箒の指導が剣道一本になるのも必然といえば必然である。

 

 知識面での指導をしないのなら、だが。

 

「私か? 私は専用機があるからアリーナさえ借りられればなんとでもなる。それに、何度も言うが私は元傭兵だ。武術も多少は心得がある」

 

「ほう? ブレヒトは武道を嗜んでいると? ならぜひ手合わせしようじゃないか」

 

 ……“武道”ではなく“武術”なのだが。しかし言ったところでどうしようもなかろう。箒の顔にはでかでかと「鬱憤を晴らさせろ」と書いてある。一夏が弱かったのがそんなに気に入らないのか。さらにおそらく昨日彼が名前で呼んでしまったことを根に持ってもいるのだろう。

 

 ――この場で逃げると後が面倒くさい。

 

 そう結論づけた彼は、実に嫌そうな表情を作って箒の前へ進んだ。ちょっとした当てつけだ。

 

「ずいぶん嫌そうだな」

 

「八つ当たりに付き合わされて喜ぶなぞ余程の物好きだけだろう。一夏、竹刀を貸してくれ」

 

「いいけど、どうせ防具取りに行くだろ? 俺がつけた直後のなんてつけたくないだろうし。そのついでに竹刀も持って来いよ」

 

「防具は要らん。竹刀だけでいい」

 

 にわかにざわつく場内。それはそうだろう。箒が中学時代に剣道全国一位だったことを知る者はそこそこ居るし、そうでなくても一夏が箒に手も足も出なかったのをたった今間近で見ていたのだから。

 

「舐めているのか?」

 

「別に。私のは戦場で身につけた我流もいいところの実戦剣術だ。あんなものをつけていたらいつもの動きが出来んというだけのこと」

 

 一夏から竹刀を受け取り、軽く振ってみる。

 

 ――案外軽い。ある程度重さがあった方が振りやすいのだが、まあ仕方がないかと諦めた。

 

「それと断っておくが、私は剣道の作法は知らんぞ」

 

 言ってジギスヴァルトが構える。左脚を前に出して半身になり、両腕は体側に垂らしたまま。左手に握った竹刀の先を相手の足下に向ける。

 

 対する箒も防具を着け直し、晴眼に構えた。

 

「あれ、構えてるの?」

 

「ただ立ってるだけにも見えるけど」

 

「ていうか隙だらけじゃない?」

 

「あれなら篠ノ之さん楽勝ね」

 

「ブレヒト君、もしかして口ばっかりなのかなあ」

 

 勝手なことを言ってくれる、と箒は思う。最初はなんて隙だらけな構えだと思ったが、いざ相対してみると打ち込む隙が見つからない。彼は力を抜いて立っているだけだというのに、どこに打ち込んでも防がれる気がしてしまう。

 

「れっひーがんばれー!」

 

 不意に聞こえた本音の声援。別に特別大きな声という訳でもハリのある声という訳でもないのに、彼女の声は何故かよく通る。

 

 そしてあろうことかジギスヴァルトはそれに反応した。箒から本音に視線を移し、さらにはそちらに向けて右手を振った。心なしか微笑んでいるように見えなくもない。

 

(舐めた真似を!)

 

 先の防具不要宣言と合わせて完全に頭に血が上った箒は目一杯踏み込み、容赦なく竹刀を振り下ろした。

 

 とった、と思った。

 

 ジギスヴァルトは視線を戻さなかった。右手も振り続けていた。

 

 ――左腕は、箒の打ち込みに合わせて跳ね上がった。

 

(……え?)

 

 竹刀が床に落ちる。ジギスヴァルトの面に打ち込んだはずの、箒の竹刀が。

 

「……終わりか篠ノ之?」

 

 箒が。ギャラリーが。そしてブンブンと両腕を振って応援していた本音でさえ。何が起こったかわからず固まっていた。

 

「……今、ブレヒト君何したの?」

 

「竹刀を弾いた……んだよね、多分」

 

「……見えた?」

 

「……全然」

 

 呆然とするギャラリー。その視線を全く気にせず、ジギスヴァルトは一夏に竹刀を返し本音のもとへ戻っていく。

 

「……何をした」

 

 箒の言葉で足を止め、振り返る。彼女の顔には困惑と悔しさがありありと滲んでいた。

 

「なんだ見えなかったのか? 可能な限り速く腕を振り上げただけだ。一番楽で決着が早くつく方法を取らせてもらった。打ち込んでくるタイミングも場所もわかりやすくて助かったぞ」

 

「隙を見せたのはわざとか」

 

「当たり前だ。戦闘中にあんなわかりやす過ぎる隙をうっかり作る傭兵がどこに居る」

 

 話は終わりだとばかりに、ジギスヴァルトは再び歩を進め――なかった。

 

 本音が女子生徒たちに取り囲まれているのを見たからだ。どうも先程手を振り返したのがいけなかったらしい。どういうことだだのいつの間に仲良くなっただのと質問攻めにあっている。

 

「……済まない、本音」

 

 君子危うきに近寄らず。本音を見捨てて逃げることにした。

 

 夜、彼は寮に戻ってきた本音にめちゃくちゃ怒られた。いつの間にか一週間食堂のデザートを奢ることになっていたが、必要経費だと思い込むことにした。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「れっひー、はやく行かないとおりむーたちが待ってるよー」

 

「そう思うのなら自分で歩いたらどうだ」

 

「やーだー」

 

 セシリアとの試合当日の昼休み。食堂へ向かうジギスヴァルトの背に本音がぶら下がっていた。

 

 長身のジギスヴァルトにぶら下がることで完全に床から浮いているが、彼は重さなど感じていないかのようにずんずんと歩を進めていく。本音の顔が満面の笑みなのに対してジギスヴァルトの顔はほぼ無表情で、それがある種異様な雰囲気を作り出していた。

 

「ほら、着いたぞ本音。いい加減自分で歩け」

 

 話題の男子生徒が背中に女の子をくっつけて歩いていればそれはもう目立つ。周囲の視線をホイホイしながら食堂に辿りつくも、本音は離れようとしない。

 

「席までこのままー」

 

「……君は私を何だと思っているんだ」

 

「れっひータクシー?」

 

「……はあ」

 

 ため息を吐きながら辺りを見回す。教室を出る前、先に行って席を取っておくと言っていた一夏と箒がどこかに――居た。居たが、一夏たちの周囲の席はものの見事に埋まっている。大方、女子に押しかけられて勢いで押し切られたというところだろう。

 

 一夏もこちらに気づいたのか、手を合わせるジェスチャーをしてきた。軽く手を振って気にするなと返し、改めて辺りを見回す。

 

 一夏の方に人が集中しているからか、それとは反対側の席はわりと空いているようだ。ともあれ、まずは食券を買って食べ物を確保しなくては始まらない。

 

 本音をぶら下げたまま二人分の食券を買い、本音をぶら下げたまま二人分の料理を受け取り、本音をぶら下げたまま両手にトレイを持って再び席を探す。なかなかにシュールな光景。調理のお姉様方(平均年齢推定四十歳)にも笑われた。

 

「んー? あー、ゆーこだー」

 

 不意に本音が声をあげた。どこかへ手を振る彼女の視線を追うと、こちらに手を振るおさげの女の子が見えた。続いて隣の黒髪の女の子が手招きしている。

 

「れっひー、ごーごー!」

 

「わかったから揺らすな。歩きづらいし料理がこぼれてしまうだろう」

 

 相変わらず降りない本音を連れて二人の所へ行くと、丁度二人分の席が空いていた。

 

「いらっしゃいジグ君」

 

「よかったら一緒にどう?」

 

「助かる。席を探すのに難儀していたところだ」

 

 二人の厚意に甘えることにした。二人は並んで座っているから、向かいの席にジギスヴァルトと本音が座ることになる。

 

 腰をおろして一息つき、改めて目の前の二人を見る。見覚えがある……どうやらクラスメイトのようだ。たしかおさげの方が谷本癒子。黒髪の方は鏡ナギだったか。

 

「同じクラスの谷本と鏡、だな?」

 

「あ、覚えててくれたんだ」

 

「話す機会があんまり無かったから、こうして一緒に食事できて嬉しいよ」

 

「鏡は隣の席なのだから、機会はいくらでもあるはずだがな」

 

 これもやはり、普段から近寄りがたいと思われているという証左だろうか。自分では友好的なつもりだし、特に誰かを拒絶した記憶も無いというのに。さしものジギスヴァルトもなんだか泣きそうになってきた。

 

「名前だけじゃなくてそこまで覚えててくれたんだ。嬉しいなあ」

 

「じゃあ、今後はもっとお話しましょ」

 

「歓迎する。私としてもクラスメイトと親交を深めるのは有意義な――ストップだ本音。そのままではシロップが垂れる」

 

 本音が食べているサンドイッチ――昼食にもかかわらずクリームやハチミツなどがたっぷり挟んである激甘サンド――が彼女の手の中で崩れるのを見て横から形を整え直し、溢れた中身をスプーンで皿に纏めていく。

 

「だーいじょーぶだよー、垂れたらスプーンで掬って舐めるからー」

 

「万一制服に垂れたらそうもいかんだろう。少なくとも今日一日は替えが無い。いいから少し大人しくしろ、聞いているのか本音」

 

「きーこえーませーん」

 

「君という奴は……」

 

 ため息を吐き心底呆れた顔をしながらも、手は止めない。本音は本音で嬉しそうな様子でされるがままになっている。

 

 そんな二人を見たナギと癒子は、驚いているような呆れているような興味津々なような、微妙な顔でジギスヴァルトに声をかける。

 

「あの、ジグ君?」

 

「なんだ?」

 

「その、ジグ君と本音は入学早々付き合ってるんじゃないかって噂があるんだけど、あれってホントなの?」

 

「……は?」

 

 その噂は初耳だった。加えて、そんな噂があるなどということを想像したことすら無かった。――あくまでもジギスヴァルトは、だが。

 

「付き合う、というのはつまり恋愛関係にある状態のことだな?」

 

「うん」

 

「ならば答えは否だ。私と本音はそんな関係ではない」

 

 照れることさえせずハッキリキッパリ否定されて一瞬本音の表情が揺らいだ。ジギスヴァルトはそれに気づかなかったが、癒子とナギは気付いた。気付いて、悟った。

 

 これは近々面白いことが起きるに違いない――と。

 

「でも、本音のこと名前で呼んでるし、今だってそんなに甲斐甲斐しく世話焼いてるし」

 

「あまり家名――日本では名字と言うのだったか? で呼ぶ習慣が無い。世話に関してはルームメイトだからな。ここ数日で染みついてしまった」

 

「習慣の問題かぁー。あれ? でも私たちは名字だったよね?」

 

「日本では親しくもないのに名前で呼ぶのは失礼に当たると後から知ってな。気をつけようと努力しているところだ」

 

 忘れもしない入学初日。箒の態度が頭から離れなかった彼は寮に帰った後、日本の文化について猛烈に調べた。いくら育ての親が日本人とは言え、生活していた場所はドイツだったのだ。彼の日本についての知識には相当なムラがある。

 

「だったら、私のことも癒子でいいよ」

 

「私もナギでいいよ」

 

「良いのか?」

 

「ええ、その方が特別感があるもの」

 

「そうか、ならこれからはそうさせてもらおう。改めてよろしく頼む、癒子、ナギ」

 

 ――本音の持っていたサンドイッチが、潰れた。

 

「何をしている本音。服に飛び散ったらどうす……どうした、何故そんなに不機嫌なのだ。私が何かしたか?」

 

 再び本音の世話を焼き始めたジギスヴァルトを見て、癒子とナギはニヤニヤと笑うのだった。

 

「……ところでれっひー、今日はせっしーと試合だねぇ。勝てそー?」

 

 ある程度皆が食べ終わる頃、機嫌が直ったのか本音が口を開いた。

 

「せっしー?」

 

「セシリアだから、せっしー」

 

「ああ、なるほど」

 

 もはや本音のつけるあだ名に動じなくなったジギスヴァルトはセシリアを思い浮かべた。

 

 事前に調べた情報では第三世代ISブルー・ティアーズを駆り、主に中遠距離における射撃を得意としているらしい。試験で教官を倒したと豪語していたが、どうやら試験官の使っていた打鉄――第二世代の日本製量産機――との機体性能の差に頼る部分が大きかったようだ。

 

「そうだな、問題ない」

 

「おー、自信ありなんだー?」

 

「でも相手は専用機持ちの代表候補生だよ?」

 

 確かに、専用機相手に学園所有の訓練機で戦うとなれば勝負は厳しいだろう。だがそうはならない。

 

「専用機は私も持っているからな。条件はイーブン――いや、私の専用機は奴のブルー・ティアーズと違って情報が全く出回っていないから、私が有利とさえ言える」

 

「あ、そういえば言ってたね。専用機があるって」

 

「どんなISなの?」

 

「ふむ……規則に抵触するので展開するわけにはいかんが、待機状態なら見せても問題無かろう。これだ」

 

 言って彼が制服の襟元から取り出したのは緋色のドッグタグだった。

 

「……赤いドッグタグってなんか違和感すごいね」

 

「あ、名前じゃなくて何か文章が彫ってあるんだね。……ごめんこれなんて読むの?」

 

「Wer kaempft, kann verlieren. Wer nicht kaempft, hat schon verloren.

 戦う者は負けるかも知れないが、戦わぬ者は既に負けている――という意味だ。私の……あー……座右の銘? というやつか」

 

「へぇー。ちなみに、ISの名前は何ていうの?」

 

「名前? シャルラッハロート・アリーセだが――む、いかん。午後の授業まで時間が無い」

 

 時計を見るとあと十分を切っていた。次の授業は――千冬である。何がなんでも遅れるわけにはいかない。

 

「やっば、急がないと!」

 

「ほら本音、早く!」

 

バタバタと立ち上がる三人だが、本音は動こうとしない。

 

「どうした本音。遅刻するぞ」

 

「……私ちょっと用事があるから、先行っててー」

 

「何? しかし今からでは……」

 

「いいからいいからー」

 

「……Jawohl(了解した)

 

 有無を言わさぬ笑顔に押されて三人は食堂を出た。残された本音は一転して泣きそうな顔でポケットから何かを取り出す。

 

「……ごめんね、れっひー」

 

 本音は取り出したそれ――ICレコーダーのスイッチを切って、食堂を出て……そして教室には向かわなかった。

 

 午後の授業は欠席だった。

 

 

 




 ベルトルト・ブレヒトって没後50年経ってましたよね?


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第四話:緋色のアリス

 結論から言うと、一夏はセシリアに負けた。

 

 とは言え、善戦はしたのだ。初期設定のみの白式――一夏の専用機――で出撃して一次移行(ファーストシフト)が起こるまでもたせた。そして動揺したセシリアの隙をついて、単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)《零落白夜》で攻撃――しようとしたところでシールドエネルギーが切れ、敗北。

 

 ――とりあえず千冬姉の名前は守るさ!

 

 と啖呵を切った直後のエネルギー切れだった。だがあのまま攻撃できていれば勝ったのは一夏だったかもしれない。それに初心者があそこまで戦ったのだ、大金星とさえ言える。

 

「なんで俺負けちゃったんだ?」

 

「バリア無効化攻撃を使ったからだ。武器の特性を考えて戦わないからこんなことになる」

 

 納得いかないという顔でピットに帰ってきた一夏に、千冬が答える。

 

 白式の零落白夜は自身のシールドエネルギーを攻撃力に転化することで相手のバリアを切り裂き、機体に直接ダメージを与える。するとISに搭載された絶対防御が発動し、相手は大幅にシールドエネルギーを削られることになる。

 

 使い方によっては一撃で敵を沈められるその単一仕様能力について千冬が説明する傍ら、ジギスヴァルトは壁に寄りかかって目を閉じていた。

 

 セシリアのブルー・ティアーズが補給を終える時間を見越して、彼の試合は二十分後に始まることになっている。それまで何もすることがない。

 

「ジグ」

 

「……一夏か」

 

 目を開けると、千冬の講義が終わったのか、一夏が右の拳を突き出して立っていた。

 

「絶対勝ってくれよ、俺の分まで」

 

「無論だ。あんな高飛車な女に負けはせん」

 

 その拳に自分の拳を軽くぶつける。

 

 今まで特に親しい友人も居なかったのでやったことはなかったが――こういうのも悪くない。

 

 そして一夏は千冬や箒の居るところへ戻っていった。同じピット内ではあるが、集中しやすいように配慮してくれたのだろう。こういうところは鋭いのだがなとジギスヴァルトは苦笑した。

 

「れっひー」

 

「……本音?」

 

 この場でするはずのない声がした方を見ると、昼食以降姿を見ていなかった本音が居た。だが、その表情は暗い。

 

「どうした本音。何故そんな顔をしている」

 

「っ……なんでもないよー」

 

「とてもそうは――」

 

「ブレヒト! 時間だ!」

 

 なんて間の悪い、とジギスヴァルトは内心舌打ちした。だがセシリアはともかく千冬を待たせるわけにはいかない。出席簿が飛んでくるのは避けたい。

 

「……れっひー」

 

「何だ?」

 

「……がんばってね」

 

「ああ、勝ってくる」

 

 本音から離れて千冬のもとへ。千冬は本音が居ることについては何も言わなかった。

 

「先生、ゲートを開けてください」

 

「何?」

 

「私のISは少々特殊だ。後からセシリア・オルコットに文句を言われると面倒なので、アリーナに出るまでは生身でいきます」

 

 何を言っているんだこいつは、とでも言いたげな表情の千冬だが、ジギスヴァルトは彼女から目を逸らさない。

 

 ふざけているわけではないと悟ったのだろう。千冬は真耶に指示を飛ばした。

 

「山田君、ゲートを」

 

「いいんですか?」

 

「構わん。私としてもオルコットにまた騒がれては面倒だしな」

 

 ――そして、ゲートが開く。

 

Danke schoen(ありがとうございます)

 

 言ってジギスヴァルトはアリーナへ歩を進めた。

 

 上空にはブルー・ティアーズを纏ったセシリアが居る。一夏との試合でビットが破壊されたはずなのだが、全て揃っているあたり予備があったのだろう。

 

 彼女は、ISスーツを着ただけの生身で出てきたジギスヴァルトに驚いているようだ。それは観客席を埋めているギャラリーも同じで、アリーナはにわかに騒がしくなる。

 

 ……何というか、一夏の試合のときより人数が増えている気がする。

 

 まあ、一夏の試合は授業時間と若干被っていたから、授業を終えた生徒たちが噂を聞きつけて集まってきたのだろう。ううん知らないけどきっとそう。

 

「最後の問いだセシリア・オルコット。本当にハンデは要らんのだな?」

 

 気を取り直してセシリアに問いかける。

 

「しつこいですわよ野蛮人。一夏さんと違って頭の出来が悪いようですわね」

 

 一夏さん、ときたか。どうやら先の試合中に何か心境の変化があったようだ。だがジギスヴァルトには関係ない。今後の学園生活の平穏をセシリアに邪魔されないためにも、ここで天狗の鼻を完全にへし折る気でいた。

 

「ならばいい。――来い、アリーセ」

 

 展開は一瞬。変化は瞭然。

 

 ジギスヴァルトは緋に飲み込まれた。

 

「あれがブレヒトのISか。なるほど、それで生身で出て行ったのだな」

 

 千冬が得心したその横で、一夏と箒、真耶は戸惑いを隠さずにいる。

 

「あれが、ジグの……?」

 

「あんなISは見たことがないぞ」

 

「そもそも全身装甲(フルスキン)なんて、無駄が多すぎますよ」

 

 通常、ISは部分的な装甲しか持たない。必要が無いからだ。

 

 ISには絶対防御があるため、エネルギーがある間搭乗者は死なない。よって装甲を増やすということは、それを動かすためのエネルギーを無駄に消費することにしかならない。

 

 だがジギスヴァルトのISは全身を装甲で覆っている。手足や胴はもちろん、頭部さえも。

 

 全体的なシルエットは細く、ともすれば女性的ですらある。それが背部に搭載された非固定浮遊部位(アンロックユニット)――二基一対の、翼型の大型スラスター――と相まって天使を連想させた。

 

 緋色の装甲の中にところどころ黒が混じり、頭部を完全に覆う装甲にはウサギの耳のような突起。体格自体は搭乗前とそれほど変わっておらず、“乗る”というより“着る”という方がしっくりくる。

 

 背中には大型スラスターとは別に小型のスラスターが二基と、腰部にも四基がスカート状に連なったスラスター。さらに腰部背面から尻尾のようにケーブルが一本伸びている。

 

 周囲を見渡すためのアイカメラは彼自身と同じ翡翠色。その目がセシリアを見上げ、そして彼は飛び上がった。彼女と同じ高度で静止し、試合開始の合図を待つ。

 

 ブルー・ティアーズと並んでみると、ジギスヴァルトのISの小柄さがよくわかった。

 

「……それがあなたのISですか」

 

 目には相変わらず敵意が見える。しかし初日に見たような侮蔑の色は無い。慢心も見当たらない。やはり一夏と戦って何か思うところがあったようだ。

 

「シャルラッハロート・アリーセ。篠ノ之束の手になるISだ。顔が見えぬから目の前で展開してやったぞ。これで後から別人だの何だのとは言えまい?」

 

「もとより言うつもりはありませんわ。勝つのはわたくしですから」

 

 睨み合い。シャルラッハロート・アリーセの姿に驚いたのか、ギャラリーも水を打ったように静かになっている。

 

 ジギスヴァルトはギャラリーに聞かれないよう、プライベート・チャネルでセシリアに言った。

 

『特別サービスだ、セシリア・オルコット。いくぞ』

 

『はい? 何を――』

 

 セシリアが聞き返す前に、試合開始のブザーが鳴った。

 

 同時。シャルラッハロート・アリーセの大型スラスターが変形、装甲が開き――合計して八基の発振器が顔を出した。

 

 ――発振器全てから光が迸り、セシリアを飲み込んだ。撃ち出されたエネルギーがブルー・ティアーズのバリアと反応して爆発が起き、煙が彼女の姿を隠す。

 

「戯け。躱せと言ったのだセシリア・オルコット」

 

 言いながらエネルギー残量を確認する。可変式大型スラスター《グライフ》に内蔵されたレーザーキャノンは有効射程距離を短くすることでエネルギー消費を抑えたまま高威力を実現しているが、それでもバカスカ撃てるようなものではない。

 

 なにより今回は無理やり出力を上げて射程を伸ばしている。通常より多くエネルギーを喰うやり方だ。事実、アリーセのエネルギーは既に三割ほど減っていた。

 

 しかしさすがに代表候補生。直撃は免れたのか、アリーセのハイパーセンサーはいまだ健在なブルー・ティアーズを捉えている。

 

「……っ! 言われてませんわそんなこと!」

 

「攻撃を予言してやったのだ、躱せと言っているようなものだろう」

 

 煙の中からレーザー。セシリアの大型レーザーライフル《スターライトmkIII》によるそれをひらりと躱し、ジギスヴァルトは八〇口径六銃身ガトリング砲《メルツハーゼ》を呼び出した。

 

 銃身長およそ百八十センチ。給弾装置も合わせるとかなり巨大なそれは、小柄なアリーセが持つと余計に大きく見える。

 

「一夏に言っていたな。貴様はそのISで円舞曲(ワルツ)を奏でるのだったか? 悪いが今回、貴様に演奏はさせん。私とアリーセの茶会で踊ってもらうぞ」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 ジギスヴァルトがメルツハーゼで弾をバラ撒き、セシリアが避ける。その様子はまさに彼の指揮で踊っているかのようだ。

 

「すげえ……」

 

 一夏はそれに驚きと悔しさを感じていた。自分があれほど苦戦した相手を手玉に取っている。代表候補生をだ。

 

「なぜオルコットは反撃しないんだ?」

 

「しないのではなくできないんだ。

 先の被弾でオルコットのシールドエネルギーは半分以下。第三世代ISは燃費が悪いうえ、あいつの武装は全てレーザー兵器。これ以上被弾すると攻撃に回すエネルギーが無くなる。

 しかもブレヒトのアレは大口径の連射武器だからな、一度被弾すると連続でもらいかねない。よってオルコットは回避に専念するしかない」

 

「ビットを使ったらどうなんだ?」

 

「織斑、お前は実際にあいつと戦っただろうが。あいつはビットを操作しながらは動けん」

 

「あ、そうか」

 

 箒と一夏の疑問に千冬が答えている間もジギスヴァルトは弾を吐き出し続ける。

 

「それにしても、なんでお茶会なんだ? あいつってそんなキャラか?」

 

「あ、それはおそらくあのISの名前とかけているんだと思いますよ」

 

 今度は二機のデータを見ていた真耶が答える。

 

「ブレヒト君のISの名前はシャルラッハロート・アリーセ。日本語だとおそらく“緋色のアリス”となります。

 そして解析データによると開幕に放ったレーザーの名前がグライフ、これは“グリフィン”ですね。それからあのガトリング砲がメルツハーゼ、日本語だと“三月ウサギ”です」

 

「それがなんでお茶会?」

 

「不思議の国のアリスだな」

 

 箒の行き着いた答えを真耶は肯定し、さらに続ける。

 

「おそらく全ての武装がアリス関連の名前なんだと思いますよ。まだ使用されていない武装は解析できないのでわかりませんけど」

 

「……それってジグの趣味なのかな?」

 

「いや、おそらく束だろう。さっき『束の手になるIS』と言っていたしな」

 

 親友の姿を思い浮かべて千冬は言う。あいつは不思議の国のアリスが好きだったはずだ。

 

 今まで束の手で隠されていたというジギスヴァルト。今度、奴に束のことをいろいろ聞いてみてもいいかもしれない――などと考えたところで試合が動いた。

 

「ていうか箒、お前不思議の国のアリスなんて知ってるんだな」

 

「……私だって女だ、別に不思議なことでもないだろう。そんなことより、オルコットが仕掛けるようだ」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 メルツハーゼの弾が切れた。

 

 とは言え、毎分数千発の弾を撒き散らすメルツハーゼの弾幕をセシリアは五分間避けきったのだ。彼女が避けた弾の数を考えればむしろここまで弾切れにならなかったことにこそ驚くべきである。

 

 ジギスヴァルトはメルツハーゼを消し、次の武装を展開しようとしている。この瞬間こそがセシリアの待ち望んだ瞬間であった。

 

「行きなさい、ブルー・ティアーズ!」

 

 四基のビットがジギスヴァルトを取り囲む。対して、ジギスヴァルトが展開したのは刃渡り二メートルはあろうかという片刃の大剣《ヴォーパルシュピーゲル》。

 

 このまま遠距離から攻撃すれば――いける。

 

 そんな希望は一瞬で崩されることになる。

 

「そんなっ!?」

 

 四基のビットからの一斉射撃。そのうちの三射はバリアすれすれの位置を通るように躱し――あろうことか残りの一射は大剣に反射させて軌道を曲げられ、別のビットに直撃した。

 

(それなら……!)

 

 一斉射撃は中止。残る三基のうち二基で威嚇し、もう一基はハイパーセンサーの死角に飛ばす。

 

 ハイパーセンサーは全方位死角無く一度に見ることのできる技術だが、それを扱うのは人間。人間の脳では全方位の情報を一度に処理することは出来ず、どうしても前方以外は意識しないと関知しづらい。

 

 そんな死角を狙った射撃。だがそれはまたしても大剣で軌道を曲げられ、ビットをまたひとつ墜とされてしまう。

 

「わかりやすいな。避けてくれと言っているようなものだ」

 

 ジギスヴァルトの挑発。それが動揺し不安定になっているセシリアの集中を乱す。

 

 集中が鈍ればビットの制御は甘くなる。ブルー・ティアーズの動きは一瞬止まり――その一瞬を見逃さなかったジギスヴァルトは一気に近づいてビットを全て切り裂いた。

 

「……飽きたな。終わりにしよう」

 

 ――瞬時加速(イグニッション・ブースト)。放出したエネルギーをスラスターに取り込んで爆発的な加速を得るそれにより、一気にセシリアに肉薄する。大量のスラスターを用いたそれは、普通の瞬時加速とは比べ物にならない。

 

「ぐっ……!」

 

 上段から振り下ろされた大剣を咄嗟にスターライトmkIIIで受け止めるも、スターライトmkIIIは破壊され、衝撃を殺せず地面に叩き付けられる。

 

 間髪を入れずジギスヴァルトはアサルトライフル《ヴァイスハーゼ》を右手に展開。フルオート。

 

『セシリア・オルコット、エネルギー切れです。勝者、ジギスヴァルト・ブレヒト』

 

 マガジン一本撃ち尽くした丁度そのとき、ジギスヴァルトの勝ちが決まった。

 

 地上に降り立ち、ISを解除する。ギャラリーが騒然となる中、彼はニヤリと笑ってセシリアに言い放った。

 

「どうだ、男もなかなかやるものだろう?」



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第五話:デザートにプリン

 

 試合を終え、ジギスヴァルトは寮へ繋がる道を歩いていた。

 

 ピットに戻ったとき、本音は居なかった。誰に聞いても行方はわからないと言うので、部屋に戻れば会えるかも知れないと判断した。

 

 試合前に見た彼女の顔が頭をよぎる。なんとなくだが、思い詰めたような顔をしていた。

 

「……誰だ?」

 

 不意にジギスヴァルトが立ち止まった。振り向いて、近くの茂みを注視する。

 

「もう一度聞く。誰だ」

 

「はいはい降参降参」

 

 両手を挙げて出てきたのは青い癖毛と赤い瞳の少女。片手に閉じた扇子を持っている。リボンの色からして二年生のようだ。

 

「いやー、気付かれるとは思わなかったわ。お姉さんはびっくりです」

 

 手をおろして扇子を開く。毛筆で“見事!”と書いてあった。

 

「よく言う。わざわざ気付かれるように動いたのだろう。今の今まで気付かなかったしな」

 

「いやいやそんな謙遜なさるな。《灼熱の緋(グリューエン)》の名が廃るわよ?」

 

「……何の話だ?」

 

Wer kaempft, kann verlieren.(戦う者は負けるかもしれないが) Wer nicht kaempft, hat schon verloren(戦わない者は既に負けている)

 

 少女の口から出てきたそれに、ジギスヴァルトの顔が強張る。

 

「自己紹介がまだだったわね。私は更識楯無。この学園の生徒会長よ」

 

「その生徒会長が、何故ベルトルト・ブレヒトの言葉をわざわざ私に?」

 

 言葉それ自体はドイツ人作家ベルトルト・ブレヒトのものだ。知る者は多い。

 

 だがそれを、《灼熱の緋》という単語と共に口に出す。それもジギスヴァルトに向かって。それが問題なのだ。

 

「あなたのISの待機状態、あれが掘られているのでしょう?」

 

「……だから何だ」

 

「《灼熱の緋》と呼ばれる人物が率いた、ドイツ最強とさえ言われた傭兵部隊。数年前に突如全滅したその部隊のシンボルがその言葉」

 

「……つまり?」

 

「私はあなたが《灼熱の緋》だと思っているわ。(あか)いし、ドイツ人だし、彼らのシンボルを大事にしているようだし――それにその左腕、生身じゃないでしょう?

 見たわよー篠ノ之箒さんとのチャンバラ。あんな速さで竹刀振れないわよ人間は」

 

 ――正直表情を隠すので精一杯だった。

 

 彼女の言う通りだった。ジギスヴァルトは束に拾われる前、およそ一年の間だけ《灼熱の緋》を継いでいた。そして左腕は束の用意した義手だ。

 

 どうやって調べ上げた。何を知っている。何が目的だ――。

 

 ……しかし彼は気づいた。今更自分が《灼熱の緋》だと知られたところで特に不都合は無い。どうせ部隊は全滅して彼しか生き残っていないのだし、本来の《灼熱の緋》は自分ではないのだから。

 

 それに目の前の少女は“更識”と名乗った。たしか更識は対暗部用暗部と言われる家系だったと記憶している。変にしらを切って敵に回すと後が怖い。

 

 結論として――バラすことにした。

 

「私がその《灼熱の緋》だとしたら――どうする?」

 

「もしこの学園を害する意思があるなら始末するわ」

 

「そうか。ならば安心しろ。今の私はこの学園の一生徒であるし、私は篠ノ之束の頼みでここに居る」

 

「篠ノ之博士があなたに何を頼んだと言うの?」

 

「学校に行ってこい、だそうだ。ついでに織斑一夏を守れと」

 

「…………」

 

 楯無の顔があからさまに歪んだ。自分たちが任されている警備にいきなり他人が割り込んできたようなものであるから無理からぬことだが。

 

「ああ機嫌を悪くしないでくれ。別に更識や学園の警備が信用できないと言っているわけではない」

 

「ならどういうことかしら?」

 

「護衛は私をその気にさせる口実に過ぎない。束さんの――否、私の目的は、単に今まで経験の無い学校というものに通うこと。普段の一夏の安全は学園側に任せる」

 

 楯無はじっとジギスヴァルトを見ている。彼の言葉が信用に足るかどうか測っているのだろう。

 

 どれくらいそうしていたか。楯無はふぅ、とため息を吐いて表情を緩めた。

 

「いいわ、信じましょう。何かあったとき、もしも私たちよりもあなたの方が早く対応できるようならそちらに任せる」

 

「感謝する、更識楯無」

 

「堅いわねぇ。あなたもこの学園の生徒なんだし、楯無でいいのよ。それか、たっちゃん」

 

「了解した、楯無会長」

 

「……まあいいでしょう。時間を取らせてごめんねー。それじゃあお姉さんは帰るわ」

 

「待て」

 

 踵を返しかけた矢先に呼び止められた楯無はバランスを崩してつんのめった。恨みがましい視線をジギスヴァルトに向けるが、彼は構わず言葉を続ける。

 

「生徒会には本音が所属していたな。なにやら思い詰めた顔をしていたのだが、心当たりは無いか」

 

「あー……それは多分、これねえ」

 

 申し訳なさそうな顔で楯無が取り出したのはICレコーダー。彼女が操作すると今日の昼食のときのジギスヴァルトたちの会話が再生された。

 

「……なんだそれは」

 

「いやー、その、ね? 織斑一夏君は身元とかハッキリしてるからともかくとして、あなたはいろいろと警戒対象だったから、その……たまたま同室だって聞いて、あの、本音ちゃんに、監視を、お願い……してて……」

 

「その一環として、私にISのことを喋らせてそれを録音するよう指示した、か?」

 

「……そうです」

 

 目を逸らして答える楯無。ジギスヴァルトは盛大にため息を吐き、踵を返す。

 

「彼女は寮に居るのか」

 

「居ると思うわ」

 

「ならば今日のところは私が何とかする。だが次に彼女にあんな顔をさせるようなことがあれば、そのときは覚悟してもらおう」

 

 とは言えここはIS学園、相手は対暗部用暗部更識。自分一人ではどうにもならないのはわかっている。要は、それくらいの気概があると示すための方便だ。

 

「肝に銘じておくわ。私としても、幼なじみのあの子にこんなことはそう何度もさせたくないしね」

 

 楯無は扇子を一度閉じ、再び開く。そこには“反省”と書かれていた。……既に背を向けて歩き始めているジギスヴァルトには見えていないが。

 

 肩をすくめて楯無もまたその場を去る。

 

 彼女の言葉がどこまで信用できるか、それを考えながら、ジギスヴァルトは再び寮へと急ぐ――。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 部屋に帰ると、中は真っ暗だった。

 

「本音? 居ないのか?」

 

 照明をつけて部屋を見回すと……居た。ベッドの上で頭まですっぽりと布団を被っている。

 

「居るじゃないか。返事をしてくれないと心配するだろう」

 

 ジギスヴァルトも自分のベッドに腰を下ろし、本音に声をかける。反応は無い。寝ているのかも知れない。

 

「……先程生徒会長に会った」

 

「――っ!」

 

 ビクッと布団が震えた。起きているようだ。

 

「私のことについていろいろと聞かれたよ。全く、あそこまで見事にバレるとは私としても予想外だった」

 

 笑いながらそう言うと、ようやく本音が顔を出した。目のあたりが腫れている。泣いていたのだろう。

 

「れっひー、怒らないの?」

 

「怒る? 何をだ」

 

「私、れっひーのこと監視してたんだよ?」

 

「ああ、聞いた」

 

「勝手に録音したんだよ?」

 

「それも聞いた」

 

「今までのれっひーとの関係……初日に仲良くしようって言ったのとかも、全部監視のための嘘かもしれないんだよ?」

 

「嘘なのか?」

 

「違うけどー!」

 

 ガバッと本音が起き上がる。

 

「でも、監視のこととかバレたときにそう思われたらどうしようとか……もしかしたら嫌われるかも、とか……思ったら……思ったらぁー!」

 

 俯き、再び泣き出した本音。

 

 ジギスヴァルトは正直こういうときどうすればいいのかわからない。束に拾われてからISの実験と傭兵稼業以外のことはしてこなかったため、対人スキルが著しく低い。

 

 悩んだ挙げ句――。

 

「ふぇ?」

 

 ――とりあえず頭を撫でてみることにした。

 

「泣くな本音。そんなことでは嫌わん」

 

「……嘘」

 

「嘘ではない。むしろ私は嬉しいぞ」

 

「……嘘だー」

 

「だから嘘ではないと言っている。そんな風に悩む程度には私のことを好いてくれているということだろう? どこに怒る必要がある」

 

 これは彼の偽らざる本心だ。責めるべき者が居るとすれば本音ではなく彼女に命じた楯無だし、そもそもたった二人の男性操縦者の片割れという時点で何らかの監視がつくのは予想していたのだ。彼にとってみれば予定調和とさえ言える。

 

 だが本音にとってはそうではないのだろう。本心から仲良くなりたいと思った相手を監視しろと言われて、この数日間彼女は罪悪感を抱え続けていたに違いない。

 

「……ふむ、やはり本音を泣かせた楯無会長は締め上げておくか」

 

「だ、ダメだよそんなことしちゃぁー!」

 

 慌ててわたわたと両手を振る彼女がおかしくて、ジギスヴァルトはついつい吹き出してしまった。本音はびっくりしたのか、泣くのもわすれて目を円くしている。

 

「ククッ……冗談だ。あまりに君が泣き止まないものだからついな」

 

「うぅー……」

 

「とにかく気にする必要は全く無い。どうしても気になると言うのなら、今後はこれまで以上に仲良くしてくれればそれでいい」

 

「…………うん、わかった」

 

 ようやく落ち着いてくれたようだ。全くあの生徒会長、とんでもないことをしてくれる。

 

 ともあれ、とジギスヴァルトは立ち上がった。現在時刻は七時前。丁度夕飯時だ。

 

「本音、食事はまだだろう。食べに……いや、目が腫れているな。その状態では人前には出られまい。取ってこよう、何が良い?」

 

「え……えっと……じゃあ、おうどん……」

 

「了解した」

 

「あ、あとあと! デザートにプリンー!」

 

Jawohl, Fraeulein(かしこまりました、お嬢様)

 

 ジギスヴァルトが部屋を出て行く。本音はベッドに横になり、今しがた彼がかけてくれた言葉を思い返した。

 

 ――そんなことでは嫌わん。

 

 ――そんな風に悩む程度には私のことを好いてくれているということだろう? どこに怒る必要がある。

 

 ――どうしても気になると言うのなら、今後はこれまで以上に仲良くしてくれればそれでいい。

 

「ジグは優しいなあー……」

 

 皆が呼ぶように自分もジグと口に出してみたが、これはなかなかに、なんというか、恥ずかしい。当分は今まで通りれっひーでいこう。

 

「みんな、おりむーと比べてちょっと怖そうとか、近寄りがたいとか言ってるけど、全然そんなことないよねぇー」

 

 でも、それで彼に女の子がいっぱい寄ってこないならその方がいいかも、なんて思う。思って――どうしてそんな風に思ったのだろうと首を傾げる。

 

 彼女が違和感の正体に気付くのはもう少しだけ先の話である。

 



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第六話:ようよう兄ちゃん金くれよ

「では、一年一組のクラス代表は織斑一夏くんに決定です。あ、一つながりでいい感じですね!」

 

 セシリア戦の翌日。SHRでの真耶の言葉を聞いて、一夏がゆっくりと手を挙げた。

 

「先生、質問です」

 

「はい、織斑君」

 

「俺は昨日の試合に負けたんですが、なんでクラス代表になってるんでしょうか?」

 

「それは――」

 

「それはわたくしが辞退したからですわ!」

 

 がたんと立ち上がり、腰に手を当ててセシリアが声高に宣言する。

 

「まあ、勝負はあなたの負けでしたが、しかしそれは考えてみれば当然のこと。なにせわたくしセシリア・オルコットが相手だったのですから、仕方のないことですわ。

 それで、まあ、わたくしも大人げなく怒ったことを反省しまして――」

 

「反省も辞退も結構だが、お前は私に負けただろうセシリア。それも一方的に」

 

「ジグさん!? 話の腰を折らないでいただけます!?」

 

 話に割り込んだジギスヴァルトに青筋を立てて怒鳴るが、対するジギスヴァルトは涼しい顔で受け流している。しかしその雰囲気に以前のようなトゲは無く、むしろじゃれ合っているようにも見えた。いつの間にか名前で呼び合っているし。

 

「ていうか、そうだよお前が一番勝ったんじゃねえか! お前やれよ!」

 

 ビシィッと一夏に指をさされ、ジギスヴァルトは深く溜息を吐いた。その表情から、態度から、雰囲気から、彼が残念がっていることがよくわかる。

 

「私とてクラス代表には興味があった。ああ、あったとも。できることならやってみたかった」

 

「だったら――」

 

「だが、昨日セシリアと話し合った結果、一夏にクラス代表を譲ると約束してしまったのだ。傭兵稼業は信用で成り立っている。約束を違えるわけにはいかん」

 

 彼は昨夜、本音の食事を持って部屋に戻った後のことを思い出す。

 

 何故か本音に「れっひーが食べさせてー」と要求され、うどんは食べさせるには向かないからとなんとか断ったもののプリンは押し切られた。そして精神をかなり削られながらプリンを食べさせ終えたのとほぼ同じタイミングで扉がノックされたのだ。

 

 人前に出られる状態にない本音に代わって応対すると、来訪者はセシリアだった。なにやらジギスヴァルトに用があるらしい。あまり他人に聞かれたくないからとロビーに呼び出された。それならロビーよりもどちらかの部屋の方が良いのではと彼は思ったが、それを口にする前にセシリアは歩き去ってしまっている。

 

 そして一連の会話を聞いて何故か急に不機嫌になった本音をなんとか宥めて、彼はロビーへ向かった。消灯まではまだ時間があるが、それでも用もなしに出歩くような時間でもない。ロビーにはセシリア以外に人は居なかった。

 

「それで、何の用だセシリア・オルコット」

 

「ひとつは、謝罪ですわ。先日は無礼なことを言って申し訳ありませんでした」

 

 互いに欧州人、頭を下げることこそしなかったが、彼女が本当に心からの謝罪を口にしていることはわかった。

 

「そうか。こちらもすまなかったな。ついカッとなってイギリスを貶してしまった」

 

「それはお互い様ですわ。それと、わたくしのことはセシリアで構いません」

 

「了解したセシリア。私もジグでいい。それで? 他の用件は何だ?」

 

「そ、それはですね……その……」

 

 ジギスヴァルトが促すも、セシリアは言いづらそうに視線を彷徨わせるばかり。

 

 ……そのままなんと五分が経過し、さすがのジギスヴァルトも痺れを切らした。

 

「……用が無いなら帰るぞ。本音を待たせているのでな」

 

「あっいえちょっとお待ちになって! 言います! 言いますからぁ!」

 

 だったら初めから言え――とは言わなかった。かろうじて。

 

「あの、ですね……? ジグさんは、クラス代表……なりたいですか?」

 

「何?」

 

 おかしなことを聞く。なりたいからこそああして試合を――いや待てそういえば、ジギスヴァルトと一夏はクラスの皆に推薦されこそすれ、自らやりたいと言ったことはなかった。それにあの試合も半ば成り行きだったし、そう考えるとセシリアは二人の意志を知らないことになる。

 

 ……まあ、一夏はやりたくなさそうだったが、それはそれだ。

 

「そうだな。興味はある。なにしろ学校生活というもの自体が初めてだ。あらゆることに興味は尽きない」

 

「そう、ですか……」

 

 セシリアの顔があからさまに曇る。そんなにクラス代表になりたいのだろうかと思ったが、続くセシリアの言葉でそれは否定された。

 

「あの、一夏さんにクラス代表を譲っていただくことはできませんか?」

 

「何?」

 

 なんとも意外な要請だった。

 

 話を聞くに、セシリアは一夏のために、彼をクラス代表にしようと考えているらしい。クラス代表ともなれば他のクラスや学年の生徒と戦う機会が増える。今日の試合で自分を追い詰めるほどの成長を見せた一夏なら実戦の中でさらに強くなるに違いない、と。

 

 それに、セシリアやジギスヴァルトがコーチを引き受けることも出来る。他者に教えるためには自らもそれについて深く知っていなければならない。だから一夏に教えることで自分たちも上を目指すことができる。

 

 そう理由を並べ立てるセシリアだが、ジギスヴァルトはどうも他の理由があるように思えてならなかった。

 

 明確な根拠は無い。ただの気のせいである可能性の方が高い。だが彼女が一夏の名を口にするときの声の調子、目の輝き、そして表情が、なんというか――甘ったるいとでも言おうか。

 

「一応尋ねるがセシリア。君は一夏に惚れたのか?」

 

「なぁっ!?」

 

 瞬時に耳まで真っ赤になった。どうやら図星のようだった。

 

 それを見てジギスヴァルトの中で話が繋がっていく。セシリアの真意が見えた気がした。

 

「なるほど。一夏をクラス代表に据えてあいつを鍛える必要性を作り出し、あわよくばコーチを買って出てアプローチがしたい。そういうことだな」

 

「だいたい合ってますけどそんな真顔で指摘しないでいただけます!? とても恥ずかしいですわ! せめて茶化してくださいな!」

 

「何を言っている。人が人を好きになる、これ以上に真摯で純粋なものがあるものか、いや無い。茶化せるはずがないだろう」

 

「だからそれをやめろと言っているんですのよぉ!」

 

「落ち着け、何をそんなに怒鳴ることがある。聞きつけた誰かが来たらどうするのだ」

 

「あなたのせいでしょう!?」

 

 ――とまあ、後半はなんだかキレ芸の漫才のようになってしまったが。結局ジギスヴァルトはセシリアの頼みを聞き入れた。

 

 もちろん、彼には彼の思惑があってのことだ。一夏にもし何かあったとき、せめて誰かが援護に来るまでくらいは自衛できなければ彼としても少々どころではなく厳しいものがある。故に一夏には最低限の力を早急につけてもらう必要があり、そのためにはクラス代表をやらせるのが一番という結論に達した。

 

 自分がクラス代表になれないのは非常に、非常に、非っっっっっ常に口惜しいが、友人と束のためなら仕方ない。仕方がないのだ。悲しくなんてない。

 

「というわけで一夏、やれ。拒否することは私に対する冒涜だ」

 

「どういうわけだよ! 説明しろ! 二人だけでわかり合ってないで、お前らは説明をしろぉ!」

 

 一夏の叫びも虚しく、説明は為されない。やいのやいのと話は進んでいく。

 

「いやあ、セシリアわかってるね!」

 

「そうだよねー。せっかく世界で二人だけの男子が居るんだから、同じクラスになった以上持ち上げないとねー」

 

「ジグ君が辞退したのはちょっと意外だったけど」

 

「私たちは貴重な経験を積める。他のクラスの子に情報が売れる。一粒で二度おいしいね、織斑君でもジグ君でも」

 

 クラスメイトを売るな、と言いたいところだったが、言わない。この一週間でジギスヴァルトは学んだのだ。

 

 騒いでいる女性に男の声は届かない――と。

 

「そ、それでですわね」

 

 コホンと咳払いをして、顎に手を当てるセシリア。

 

「わたくしのように優秀かつエレガント、華麗にしてパーフェクトな人間が――」

 

「私に負ける程度のパーフェクトさだがな」

 

「だから話の腰を折らないでくださいな!?」

 

 ついつい口を挟んでしまった。ジギスヴァルト自身にもなんだかよくわからないが、こうすると楽しいのだ。愉悦というやつだ。

 

「とにかく! わたくしがIS操縦を教えて差し上げれば、それはもうみるみるうちに成長を――」

 

 バァン! と机を叩いて箒が立ち上がった。

 

「あいにくだが、一夏の教官は足りている。私が、直接頼まれたからな」

 

「あなたまで遮らないでください! 反論するにしてもせめて最後までいわせていただけません!?」

 

「黙れ。頼まれたのは私だ。い、一夏がどうしてもと懇願するからだ」

 

 もはやちょっと泣きそうになっているセシリア。原因の大半を担ったはずのジギスヴァルトですら少しかわいそうになってきた。

 

 ……ところで。

 

「一夏、お前、懇願したのか」

 

「してねえ」

 

「だろうな」

 

 織斑一夏の苦難は、まだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「ではこれよりISの基本的な飛行操縦を実践してもらう。織斑、オルコット、ブレヒト。試しに飛んでみせろ」

 

 四月も下旬。桜の花もほとんどが散り、見事な葉桜となり始める頃。一組の面々は千冬の授業のためにグラウンドに出ていた。

 

「ふむ、これがヤパーニッシュ・カツアゲというものか」

 

「まだ小銭の音がするじゃねえか! というやつですわね」

 

「いや違えよ」

 

 一夏のツッコミにジギスヴァルトは肩をすくめた。一度言ってみたかっただけだ。

 

「くだらんことを言っていないで早くしろ。熟練したIS操縦者は展開まで一秒とかからないぞ」

 

 千冬に睨まれ、指名された三人は意識を集中させた。次は叩かれると身を以て学んでいるのだ、無駄な負傷はしたくない。

 

 ISは一度フィッティングを済ませると、その後はアクセサリーの形状で操縦者の体にくっついて待機している。一夏は右腕のガントレット、セシリアは左耳のイヤーカフス、そしてジギスヴァルトは首にさげたドッグタグ。質量保存の法則はどうしたとか突っ込んではいけない。全ては量子化とやらが解決してくれる。

 

 ……ところで、ガントレットはアクセサリーにカテゴライズしていいのだろうか。

 

「織斑、早くしろ。他の二人はすでに展開済みだぞ」

 

 言われて一夏が左右を見ると、二人は既にブルー・ティアーズとシャルラッハロート・アリーセを纏って地面から数十センチ浮いていた。相変わらずジギスヴァルトは顔が見えない。

 

 一夏も慌てて白式を展開する。展開までの時間、およそ0.7秒。まずまずだ。

 

「よし、飛べ」

 

 言われて、セシリアとジギスヴァルトの行動は早かった。急上昇し、遥か頭上で静止する。

 

 一方、一夏の上昇速度は二人と比べてかなり遅かった。

 

「何をやっている。スラスターの化け物のシャルラッハロート・アリーセはともかく、ブルー・ティアーズより白式の方がスペック上の出力は上だぞ」

 

 そんなことを言われても、と一夏は思う。急上昇、急降下は昨日習ったばかりであるし、何より“自分の前方に角錐を展開させるイメージ”でと言われてもなんとなく感覚が掴めない。

 

「一夏さん、イメージは所詮イメージ。自分がやりやすい方法を模索する方が建設的でしてよ」

 

「そう言われてもなあ。大体、空を飛ぶ感覚自体がまだあやふやなんだよ。そうだ、ジグはどんなイメージで飛んでるんだ?」

 

「私は鳥をイメージしている。丁度グライフが翼型だしな」

 

 言って背中の大型スラスターをガシャンと動かす。確かに、シャルラッハロート・アリーセは遠目には鳥に見えなくもない。

 

「白式にも翼状の突起があるじゃないか。いっそ羽ばたいてみたらどうだ?」

 

「……なんかそれカッコ悪そうだな。まあ考えとくよ。でも翼を使わずに飛んでるとなるとやっぱちょっと不安になるな。なんで浮いてるんだ、これ」

 

 確かに、原理がわからないと不安になる。例えば、ある程度原理が周知されているはずの飛行機でさえ不安を煽るのだ。それが翼を必要としないISともなるとなおさらだろう。

 

「説明しても構いませんが、長いうえに難解ですわよ? 反重力力翼と流動波干渉の話になりますもの」

 

「わかった、説明はしてくれなくていい」

 

 すぐさま断った。授業についていくだけで精一杯――というかついていけていないのだ、授業で触れてさえいないことを説明されて理解できるとは思えなかった。

 

「そう、残念ですわ。ふふっ」

 

 楽しそうに微笑むセシリア。事実楽しいのだろう。

 

 あの試合以来、セシリアは何度か一夏のコーチを買って出ている。ジギスヴァルトはその真意を知っているが、別に一夏を害するわけではないし、他人の色恋沙汰になど興味も無い。無いが――。

 

『一夏っ! いつまでそんなところに居る! 早く降りてこい!』

 

 いきなり通信回線から、それもオープン・チャネルで怒鳴り声が響いた。三人ともが不意討ちを食らって耳がキーンとする。こういうとばっちりは勘弁して欲しいものだとジギスヴァルトは顔をしかめた。

 

 地上を見ると山田先生がインカムを箒に奪われておたおたしていた。

 

 箒に関してはいつもこんな調子だった。一夏とセシリアが話しているところに割り込んで、大抵ジギスヴァルトが何らかのとばっちりを食う。最近では彼は三人の保護者だなどという認識まで広まりつつある。不本意この上ない。

 

『三人とも、急降下と完全停止をやって見せろ。目標は地面から十センチだ』

 

 箒の頭に出席簿を降らせた千冬から指示が飛んだ。

 

「了解です。ではお二人とも、お先に」

 

 言って、すぐさまセシリアは地上に向かう。

 

「私も先に行くぞ一夏」

 

 頭を下に向け、地上へ向かって加速する。イメージは獲物を狙う隼だ。

 

 タイミングを見計らって体勢を戻し、制動をかける。別にスラスターを噴かして加速していたわけではないので、PICによる機体操作のみで停止できた。

 

「ふむ。二人とも合格だな」

 

「ま、これくらい当然ですわね」

 

「私の方がより正確だがな」

 

 ピクッとセシリアの眉が動く。得意げだった表情が引き攣った。

 

 ――あ、また始まる。と、クラスの皆は思った。

 

「先生が合格と言ったのですからその一言は余計ではなくて?」

 

「事実を述べたまでだ」

 

「ですからそれが余計だと言うのです!」

 

「なんだ、怒るということは私より劣っている自覚があるのかお嬢様?」

 

「上っ等ですわこのジャーマンポテト! 今日こそその鉄面皮を剥がしてロンドンブリッジに逆さ吊りにして差し上げます!」

 

「やれるものならやってみるがいい、このユニオンジャックめが。その高慢ちきなツラを撃ち抜いてライン川に沈めてやる」

 

「ユニオンジャックを罵倒語としてつかわないでいただけます!? 由緒正しい旗ですのよ!」

 

「貴様こそジャガイモを舐めるなよ。あれは万能食材だ。

 ところでジャーマンポテトをドイツと絡めるな」

 

「ジャガイモなんて茹でて潰すくらいしか使い道がありませんわこのジャガイモ蛮族!

 あら、ジャーマンポテトはドイツ料理ではないんですの?」

 

「これだから淑女(笑)(かっこわらい)は。ジャガイモの素晴らしさに気づけないとは哀れなものだなグレート味音痴およびメシマズ連合国。

 ジャーマンポテトは日本生まれだ」

 

「国名を勝手に変えないでもらえますかポテトラント人! イギリスにだって素晴らしい料理はありますわ!

 ジャーマンというくらいですからドイツ料理だとおもっていました」

 

「ハッ、ウナギの煮凝りなどというゲテモノを平然と食すような異次元国家が何を言う。

 ジャーマンポテトの元となった料理はあるがあれはまた別物だ」

 

 口論しながら雑談するというある意味高等な技術を披露する二人であるが、今は授業中である。さらには、千冬の授業である。

 

「貴様ら、いい加減に――」

 

 しろ、とは言えなかった。

 

 出席簿も振り下ろせなかった。

 

 何故なら――一夏がトップスピードのまま地面に突っ込んだからだ。

 

「どわああああああ!?」

 

 ズドォォンッ! と、ちょっとあり得ないくらい派手な音を立てて墜落した一夏と白式は、グラウンドにちょっとしたクレーターを誕生させた。

 

「馬鹿者。誰が地上に激突しろと言った。グラウンドに穴を開けてどうする」

 

「……すみません」

 

 謝りながら浮き上がり、体勢を立て直す一夏。一方、セシリアはその一夏をめぐって今度は箒と口論を始めた。心配する必要は無いだの猫かぶりだの鬼の皮がどうのと言っているが、ジギスヴァルトは関わらない、関わりたくない。

 

 その後、武装の展開の実践を行ったところで授業が終わった。

 

「織斑、グラウンドを片づけておけ。それとブレヒト、手伝うなよ」

 

「えっこれ俺一人で埋めんの……?」

 

 織斑一夏の苦難は、続く。

 




 書き溜めてある分はこれで最後になります。


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第七話:フリーパスを掴み取れ

 

「というわけでっ! 織斑くんクラス代表決定おめでとう!」

 

「おめでとー!」

 

 乱射されるクラッカー。乱れ飛ぶ紙吹雪に紙テープ。

 

 夕食後の自由時間、寮の食堂に一組メンバーが全員集まっていた。各自飲み物を片手にやいのやいのと盛り上がっている。壁には“織斑一夏クラス代表就任パーティー”と書いた紙がかけてあった。

 

 ちなみに、一応主賓であるはずの一夏の表情は暗い。別になりたくてクラス代表になったわけではないから当然といえば当然だが。

 

「人気者だな、一夏」

 

「……本当にそう思うか?」

 

「ふん」

 

 箒は誰の目にもわかりやすいくらい不機嫌だ。一夏が女子に囲まれてちやほやされているのが気に入らないのだろう。

 

 そんな皆の様子を、ジギスヴァルトは少し離れた席から見ていた。

 

「れっひーは混ざんないのー?」

 

 急に背中に何かがのしかかった。柔らかいものが押し付けられているのを感じるが、努めて意識しないことにする。気にならない。ああ気にならないとも。

 

「ああ。混ざると一夏に代表を譲ったのを後悔しそうでな」

 

「そんなにやりたかったならー、やればよかったのにぃー」

 

「全くだな。それより、本音こそ混ざらなくていいのか?」

 

「私はねぇー、れっひーと話してる方が楽しいからー」

 

 そうして密着したまま話す二人にもある程度の視線が集まっていることを、二人は知らない。

 

「はいはーい、新聞部でーす。話題の新入生、織斑一夏君とジギスヴァルト・ブレヒト君に特別インタビューしに来ましたー!」

 

 オーと一同盛り上がる。一夏は余計に顔をしかめている。

 

「何やら盛り上がっているな」

 

「なんだろうねー?」

 

「ところで本音、なんだか人数が多くないか。明らかに一組の総数よりたくさん居るだろう」

 

「みんなーおりむーが気になるんじゃなーい?」

 

 実際には一夏と同じ、どころかセシリアを倒したことで一夏以上に、ジギスヴァルトは注目を集めている。

 

 しかし皆彼の雰囲気――一夏と違って言葉遣いが堅いのでどうしても少しばかり威圧的な印象を与える――に気圧されて話しかけないでいるので、自分も標的にされていることにまるで気づかない。知らぬが仏とはこのことである。

 

 しばらくそのまま一夏たちの方を眺めていると、先の新聞部を名乗る女子が二人に近づいてきた。

 

「こんばんは。私は黛薫子、新聞部副部長やってまーす。はいこれ名刺」

 

「新聞部?」

 

 今まで学校に馴染みの無かったジギスヴァルトにはいまいちピンとこない。

 

「校内のいろーんなことを記事にしてー、校内新聞として貼り出す人たちだよぉー」

 

「ふむ。してその新聞部とやらが私たちに何の用だ? 特に提供できる話題も無いと思うが」

 

 本音に教えられて新聞部が何かは理解したが、その目的がわからない。そんなジギスヴァルトに、薫子は意外そうな顔を向ける。

 

「何言ってるの、キミは存在自体が話題性抜群じゃない」

 

「そうだろうか? だが今日の主賓は一夏だ。あちらに話を聞いた方が良いのではないか?」

 

「そっちはもう取材済み。あとはキミのインタビューと、それから一夏君とセシリアさんも交えた三人の写真を撮らせてもらうだけ」

 

「そうか。それで何が聞きたい?」

 

「んーそうねえ……それじゃあ例えば、さっきからキミにくっついてるその子との関係は?」

 

 ――喧騒が止んだ。

 

 さもありなん。一夏にベタ惚れの箒とセシリアはともかく、他の生徒たちはジギスヴァルトのこともあらゆる意味で狙っているのだ。彼とよく一緒に居る――しかもベタベタしている――本音が彼にとってどんな存在なのかは皆が気にしているところである。

 

 ――ただまあ、そこは本音の人柄の成せる業か、彼女がもしジギスヴァルトと付き合っているというのならみんな生温かく見守る気でもいた。温かく、ではない。生温かく、だ。抜け駆けなのだからそのくらいは、ということだ。

 

「本音はルームメイトだが」

 

「それだけ?」

 

「うむ」

 

「付き合ってたりは?」

 

「ないな」

 

 ――会場が沸いた。

 

 ――怒号と言って差し支えない、ものすごい音量だった。

 

「うっひゃー、みんな喜んでるねー」

 

 事の発端である薫子は苦笑いで耳を塞いでいる。

 

「何を喜ぶことが――ぐっ!? 本音、何をする……し、絞まる……」

 

「ふーんだ」

 

「どうしたと言うのだ本音……! なぜ怒っている……私が何をしたと……!? ぐぁ……死ぬ、冗談抜きで死ぬ……ヤバイってこれヤバイってば本音ぇ……!」

 

「つーんだ」

 

 後ろから抱きついた姿勢のまま首を絞められ悶絶するジギスヴァルト。

 

 その気になれば抜け出せるが、本音に手荒な真似をする気にはなれず――いったい何が彼女の機嫌を損ねたのかわからないまま、彼の意識は遠のいていく。

 

「ちょっ!? ジグ君顔青い! ストップ! 本音落ち着いてストップ! ジグ君が死んじゃう! 本音えええええ!?」

 

 異変に気付いた鏡ナギが止めに入った頃には、ジギスヴァルトは既にオチていた。

 

「あーらら、私知ーらないっと。黛薫子はクールに去るぜ……」

 

 後日掲載された新聞には、一夏とセシリアを真ん中に据えたクラス写真が貼られていた。写真の端には白目をむいたジギスヴァルトの顔が合成されていた。

 

 また、余談ではあるが。意識を失う直前のジギスヴァルトの口調――死の危険を感じて無意識に出たものだが――は、それを聞いていたナギ以下数名によって瞬く間に広まった。以来、イメージが多少変わったのか、皆が前より話し掛けてくれるようになったのはケガの功名と言える……だろうか?

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 朝。一組はあるひとつの話題で持ちきりだった。

 

 何でも、転校生が二組に来るらしい。IS学園に、入学はともかく“編入”するとなると入試以上に厳しい試験に加えて国の推薦も必要となる。それはつまり――。

 

「中国の代表候補生が来るんだってさー」

 

 ということである。

 

 そして代表候補生と言えば、

 

「あら、今更わたくしの存在を危ぶんでの転入かしら」

 

 一組の代表候補生セシリア・オルコット、今日も平常運転であった。

 

 それから、中国の代表候補生のことに一夏が興味を持ったことでまたしても箒とセシリアがヒートアップ。そこから何故かクラス対抗戦、つまりクラス代表同士のリーグマッチに向けての話になり、どちらがコーチをやるだのなんだので一悶着。

 

 こうなった二人は周りなど見えやしない。普段ならそうなってもジギスヴァルトが止めるのだが――。

 

「私たちの手には負えないよー! ジグ君、この二人止めてー!」

 

「いや無理でしょ、ジグ君まだ来てないし」

 

「あれ、ホントだ。本音も居ないや」

 

「どうせ本音が寝坊でもしたんじゃない?」

 

 保護者(ジギスヴァルト)が居ないのではどうにもならない。一夏たちのことは放っておくことにした。

 

 ――ドライだの薄情だのと言ってはいけない。本当に手に負えないのだ。

 

「クラス対抗戦といえば、フリーパスのためにも織斑君には頑張って欲しいよねー」

 

 空気を変えるべく鷹月静寐が発した一言は一組の総意である。クラス同士の交流という意味合いの強いクラス対抗戦では、一位のクラスに賞品として学食デザートの半年フリーパスが配られる。やる気を出させるためだそうだ。

 

「そーいう意味では織斑君よりジグ君の方がよかったかもねー代表」

 

「なにせセシリア倒しちゃったしね」

 

「でも、ジグ君そういうのノってくれるかな?」

 

「どうだろ。でもまあ、今のところ専用機持ってるクラス代表は一組と四組だけだし、余裕じゃない?」

 

 楽しそうに話すクラス一同。その雰囲気に一石を投じる者があった。

 

「――その情報、古いよ」

 

 声のした方――教室の入口に皆の視線が集中する。

 

「二組も専用機持ちがクラス代表になったの。そう簡単には優勝できないわ」

 

 腕を組み、片膝を立てて、小柄な少女がドアにもたれ掛かっている。

 

(リン)……? お前、鈴か?」

 

 闖入者そっちのけで箒とセシリアが騒ぐ中、その中心たる一夏が反応した。それに釣られて二人も口論をやめて入口に注目し、ようやく教室が静かになる。

 

「そうよ。中国代表候補生、凰鈴音(ファン・リンイン)。今日は宣戦布告に来たってわけ」

 

「何かっこつけてるんだ? すげえ似合わないぞ」

 

 どうやら一夏の知り合いらしい。中国の代表候補生と知り合いとは、ずいぶん交友関係が広いものである。

 

 「んなっ……!? なんてこと言うのよ、アンタは!」

 

 ツインテールを振り乱して憤慨する鈴音。そのまま一夏に食って掛かろうとしたが、それは別の人物の声に遮られた。

 

「おい」

 

「なによ!?」

 

 後ろから降ってきた声に反応して鈴音が振り返ると、そこには――白人の男(ジギスヴァルト)が立っていた。

 

 さて、先述の通り、鈴音は小柄である。身長は百五十センチほどしかない。対するジギスヴァルトは百八十と少し。頭ひとつ分以上の差。

 

 加えて、端整な顔というのは表情によってはとても恐い。今、彼は入口を塞がれているせいで少々不機嫌。自然と眼光も鋭くなる。

 

 つまり鈴音は“自分よりもかなり大きな相手が嫌悪丸出しの恐い顔で見下ろしてくる”という状況にある。

 

 ――ハッキリ言って、ビビった。

 

「な、なによ、誰よアンタ」

 

「貴様こそ誰だ? 見ない顔だ」

 

 いまだ自分のことを知らない者がこの学園に居ることに驚きつつ、ジギスヴァルトは質問で返す。

 

「あたしは……二組のクラス代表の凰鈴音よ」

 

「なに? 二組の代表は別の者だと記憶しているが」

 

「変更になったの! 今日!」

 

 ビビっていることを悟られてはいけない、舐められてはいけないと、鈴音は声を張り上げる。それが鬱陶しかったのか、ジギスヴァルトはさらにあからさまに顔をしかめた。

 

「そうか。それはそうと、だ」

 

「こっ……今度はなに?」

 

「邪魔だ。入れん。どけ。というか帰れ」

 

「はい! すみませんでした!」

 

 負けた。あっさり負けた。だって仕方ないじゃないか、学園内では許可無くISを展開できないんだから。ISさえ使えればこんな奴コテンパンにしてやるのに。

 

「また後で来るからね! 逃げないでよ一夏!」

 

 捨て台詞を残して、鈴音は脱兎のごとく逃げ出した。

 

「……何だったのだいったい」

 

 頭上に疑問符を浮かべながら教室に入る。よく見ると彼の背に本音がぶら下がっていた。ぶら下がって、寝ていた。なんとも器用なものだ。

 

「ぐーてんもるげーん、ジグ君」

 

「あと本音もおは――いや寝てるわこの子」

 

「おはよう二人とも。すまないが本音を頼む」

 

 ナギと癒子に本音を預け、先の鈴音について考える。

 

 今日から二組のクラス代表だと言っていた。しかし、やはりあんな女は知らない。

 

 二組の生徒を全て把握しているわけではないが、あんな目立ちそうな生徒を今まで見た記憶が無いというのもおかしな話だ。一夏の知り合いのようでもあったし。

 

「清香、さっきの女は何者だ?」

 

 考えたところで、来たばかりで情報が足らなすぎる。わかりようがない。そう結論づけ、近くに居た相川清香に尋ねると予期せぬ答えが返ってきた。

 

「あー、転校生らしいよ。なんか中国の代表候補生だってさ。しかも専用機持ってるんだって。こりゃフリーパスは厳しいかなぁー」

 

 転校生と言うなら見たことが無いのも納得だ。専用機持ちの代表候補生ならばクラス代表を交代したのも頷ける。

 

 だが――。

 

「待て清香。フリーパスとは何だ?」

 

 フリーパスには聞き覚えが無かった。というか、フリーパスを使うような物が学園にあっただろうか?

 

「あれ? ジグ君知らないの? 織斑先生が言ってたじゃない。クラス対抗戦で一位になったクラスには学食デザートのフリーパスが配られるって」

 

「なん……だと……?」

 

 迂闊だった。自分はクラス対抗戦に出ないからと完全に聞き流していた。千冬に殴られないようにクソ真面目に聞いているような表情を作っていたが、話の内容は右から左だった。

 

 だがそれは過ぎたこと、今はそんなことはどうだっていいのだ、重要なことではない。

 

 学食デザートのフリーパス。それは……それはまさか……!

 

「清香」

 

「な、何?」

 

 ジギスヴァルトの雰囲気が変わったことに気付いた清香は少し引き気味に答えた。

 

「そのフリーパスは……どのデザートにも使えるのか」

 

「使えるはずだけど……」

 

「和菓子類もか!」

 

「わひゃい!?」

 

 びっくりした。普段は静かなジギスヴァルトが珍しく大声を出したのだ、クラスの皆が何事かと彼を見ている。

 

 だがそんなことには構わず、彼は清香に詰め寄っていく。

 

「そのフリーパスとやらは和菓子類にも使えるのか! 答えろ清香!」

 

「つ、使える使える! 使えるから落ち着いて! 離れて! 顔近い!」

 

 言われるまま彼は顔を真っ赤にして慌てる清香から離れ、今度は一夏のもとへ。

 

「一夏ァ!」

 

「な、何だよジグ……」

 

 一夏だけでなく、鈴音について聞き出そうと彼に詰めよっていた箒とセシリアも、ジギスヴァルトの異様な雰囲気に少しばかりビクついている。

 

「お前にはなんとしても一位になってもらわねばならん! 今日から私が鍛えてやる!」

 

「はあ!? どうした急に!」

 

「急でも何でも良かろう! いいか、お前が優勝すれば学食デザートのフリーパス、すなわち和菓子のフリーパスが得られるのだ!

 和菓子はいいぞ、人類究極の発明だ! その起源はアメノウズメが岩戸の前でストリップショーをした時代にまで遡り、神様どころか金閣寺までもあんこを包んで法隆寺、お汁粉ぐつぐつすねこすりですら唐傘お化けが手の目弁天まんじゅうぐるぐる練り切り片手にお歯黒べったり羊羹もぐもぐ小袖の手さえも飴を練り練り和菓子和菓子和菓子和菓子――」

 

 ジギスヴァルトが壊れた。誰もがそう思った。

 

 ……というかこの男、いくら何でも日本の知識が偏りすぎていまいか。お歯黒べったりやら手の目やら小袖の手やら、今どき日本人だってそうそう知らない妖怪だろう。

 

「――ああくそっ! やはり私がクラス代表になっていればっ!」

 

「約束だとか言って頑なに辞退したのお前じゃねえか! だったら今からでも代わってやるよ!」

 

「なっ……! それはナシでしょうジグさん! わたくしとの約束はどうなるのです!?」

 

「というかだなブレヒト、一夏のコーチは私だ! いくらお前がオルコットより強いからと言ってもこればかりは譲れん!」

 

「ええい黙れ貴様ら! 和菓子は何よりも優先されるのだ! あんこが、練り切りが、お饅頭が私を待っている!」

 

 なんかもう、わやくちゃである。保護者役のはずのジギスヴァルトまで暴走してしまってはもう誰にも止められない。混沌(ケイオス)この上ない。

 

 そしてこの混沌の中、本音が目を覚ました。が、一度眠そうに目を擦っただけで、あとは平然としている。暴走するジギスヴァルトの姿を見ても動じていない。さすが一夏にのほほんさんと呼ばれる女。

 

 むしろ、普段のぽわぽわした笑顔に、なんというか――子供を見守る母親めいた慈愛が追加されている気さえする。

 

「ねえ本音、ジグ君どうしちゃったの?」

 

 本音なら事情を知っているはずだとナギが尋ねると、彼女は珍しく苦笑して、

 

「んー……? なんかねぇー、こないだ和菓子の詰め合わせ食べさせてあげたらねー、ちょお喜んじゃってー。和菓子に目覚めたみたいー」

 

 その結果が、これ(和菓子への執着)。いったい誰がこうなることを予想できたというのか。

 

「うるさいぞお前たち! SHRを始めるからさっさと席に着け!」

 

 結局。ジギスヴァルトの暴走は、千冬がその頭に出席簿を落とすまで続いたのである。



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第八話:儚くも永久の酢豚

 

 昼。一夏とジギスヴァルト、箒、セシリア、本音、そしてクラスメイト数名は学食に向かっていた。

 

「今朝は済まなかった。取り乱した」

 

「いいって、気にすんなよ」

 

「それから本音。毎回言っているが自分で歩け」

 

「やーだー」

 

 他愛ない会話をする間に学食に着き、券売機で食券を買う。一夏はいつも通り日替わり定食。箒はきつねうどん。セシリアは洋食ランチ。ジギスヴァルトはザウアーブラーテン。そして本音は親子丼。その他、ついてきたクラスメイトたちも思い思いの料理の食券を購入していく。

 

 世界各国の様々な料理が取り揃えられているため、ジギスヴァルトは食べたいときにドイツ料理を食べられる。そう、IS学園ならね。

 

 もちろん、デザートはお饅頭だ。食べ合わせが悪そうだろうが知ったことではない。

 

「待ってたわよ、一夏!」

 

 どーんと彼らの前に立ち塞がったのは噂の転校生凰鈴音。その手にはラーメンが鎮座するトレイ。

 

「邪魔だ、どけ。食券が出せん」

 

 対するは銀髪の男性操縦者ジギスヴァルト・ブレヒト。その手には……あー……特に何も無い。強いて言えば食券。

 

「げぇっ!? なんでアンタがここに居るのよ!?」

 

「私もここの生徒だからに決まっているだろう」

 

 露骨に顔を歪められた。別に万人から好かれたいなどとは思っていないが、あからさまに嫌な顔をされてはジギスヴァルトとて傷つくというのに。

 

「ていうか鈴、ラーメンのびるぞ」

 

「わ、わかってるわよ! だいたい、アンタを待ってたのになんでもっと早く来ないのよ!」

 

 とは言うが、鈴音は朝以降一度も一夏と会っていない。当然約束していたわけでもない。どうやって彼女が待っていると知れると言うのか。

 

 まあ、一夏の知り合いで、しかもあの後聞いた話によるとわざわざ宣戦布告しに来たと言うから、何か話したいことがあるのだろう。そう考えるとあの時邪魔したのは悪かったかも知れない。

 

 ともかく、食券を出さねば。鈴音もどいてくれたことだし、さっさとしないと後が詰まっている。

 

「本音、いい加減降りろ」

 

「えーやだー」

 

「降りなければ君が部屋に隠し持っているお菓子は没収だ」

 

「えぅっ!? ひーどーいー!」

 

 なんて言っている間にジギスヴァルトと本音の分の料理が出来上がった。渋々背中から降りた本音に彼女の分を持たせ、彼はまた騒ぎ始めた一夏たちに振り向く。

 

「先に行って席を取っておくぞ」

 

「おう、サンキューな」

 

 本音を伴って一夏たちから離れる。早めに席を取っておこうというのはもちろんだが、彼の第六感が告げたのだ。このままここに居てはまたとばっちりを喰う――と。

 

 一夏がクラス代表になってからの数週間。ジギスヴァルトはもう何度も一夏を巡る争いに巻き込まれていた。

 

 あるときはヒートアップした箒に殴られかけ、あるときは何故か矛先を変えたセシリアに罵倒され、あるときは一夏が最悪のタイミングで話を振るものだから「お前の意見も聞かせろ」と二人に詰め寄られ――そしてその度に彼が宥めるのだ。だって一夏は、こと自分への好意が絡む事柄において、火に油を注ぐことについては卓越した技能を持っているから。

 

 愛は地球を救うのではなかったのか。ラブアンドピースどころかラブアンドデストロイな勢いでもって争いが――ああ、でも恋は戦争とも言うな。なら仕方ない。でも出来れば当事者だけで戦争(クリーク)してください。

 

 あれが無ければ皆気の良い奴らなのに。――いや、箒はちょっと愛想が無いが。決して悪い奴ではない。断じて。

 

「あー、れっひーれっひー。あっち空いてるっぽー」

 

「そうだな。あそこにするか」

 

 本音が見つけたのは学食の端にある大きめのテーブルだ。十人程度なら余裕で座れるし、何よりまだ誰も座っていない。

 

 席を確保し、本音と雑談すること数分。一夏御一行様がやってきた。やはりと言うか、箒とセシリアは鈴音を威嚇している。

 

「鈴、いつ日本に帰ってきたんだ? おばさん元気か? いつの間に代表候補生になったんだ?」

 

「質問ばっかしないでよ」

 

 それにはジギスヴァルトも同意だった。だってさっきから箒とセシリアの顔がヤバい。あれは年頃の女の子がしていい顔ではない。いくら久しぶりに会った知り合いの近況が気になるからって、彼女らを蔑ろにするな。見ろ、クラスメイトの皆も若干引いているぞあの顔に。

 

「一夏、そろそろどういう関係か説明しろ」

 

「そうですわ! 一夏さん、まさかこちらの方と付き合ってらっしゃるの!?」

 

 ついに二人の我慢の限界が来たらしい。

 

「べ、べべ、別にあたしたちは付き合ってるわけじゃ……」

 

「そうだぞ、なんでそうなるんだ。鈴はただの幼なじみだよ」

 

「…………」

 

「鈴? 何睨んでるんだ?」

 

「なんでもないわよ!」

 

 またこの朴念仁は……とジギスヴァルトは溜息をひとつ。大方、よくわからないけど鈴が急に怒り出した、とでも思っているのだろう。鈴音が怒る理由は明白だというのに。

 

「じぃぃー……」

 

「ん? どうした本音」

 

 わざわざ口で擬音を放って見つめられた。さすがに反応しないわけにはいかない。

 

「べーっつにぃー。れっひーよくおりむーに呆れてるけどー、自分もおりむーのこと言えないよねーって思ってー……」

 

 なるほど、どうやら溜息を吐いたのがバレたらしい。

 

 ――まあ、確かに。彼もまた鈍感ではある。

 

「一緒にしないでくれ。私はちゃんとわかっている」

 

「へ?」

 

 何を言われたのかわかっていない様子の本音をよそに、彼は料理を食べ進めていく。

 

「れっひーれっひー、今のどういう意味ー!?」

 

「食事中に騒ぐな本音。先日テレビで見たところによると、騒音は味覚を鈍らせるらしいぞ」

 

「でもでもー!」

 

「それから日本(ヤーパン)の漫画でゴ・ローチャンなる人物が言っていたぞ。食事とは静かで豊かでなければならないと」

 

「それは一人で食べるときの話でしょー!」

 

「いいから落ち着け。普段ののほほんとした君に戻――む? なんだお前たち」

 

 気づけば、その場の全員の目が彼ら二人を向いていた。

 

「……アンタたちさ、もしかして付き合ってんの?」

 

「いや、そんな事実は無いが」

 

 鈴音の質問に、またか、という感じで答える。

 

「でもアンタたち随分仲良いじゃない」

 

「ルームメイトだからな。仲が悪くては暮らしていけない」

 

 この回答も何度目だろうか。いい加減飽きてきた。

 

「ルームメイトぉ? 男女で?」

 

「私も問題だらけだとは思うが、学園の采配に口は出せぬ」

 

 まあ、恐ろしいことに、本音と同室という状況に完全に馴染んでしまった自分が居たりするのだが。

 

「むぅー……」

 

「……あ、なるほど」

 

 そして何故か不機嫌になる本音。

 

 しかし鈴音はそんな本音を見て何かを察したらしい。急に優しい目になって、本音に手を差し出した。

 

「お互い苦労するわね……」

 

「ありがとーりんりんー」

 

「りんりん言うな!」

 

 ガシッと握手を交わす二人を、一夏は不思議そうに見ていた。

 

 ジギスヴァルトは、それからずっと無言だった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 放課後、本音は生徒会室に足を運んだ。

 

「あら、本音ちゃん? 珍しくやる気になったの?」

 

 生徒会室には既に楯無が居た。姉の――布仏(うつほ)の姿は見えない。

 

「お姉ちゃんはー?」

 

「虚ちゃんならちょっと用事を頼んだから今日は来ないけど……何か用だった?」

 

「ううん、そーいうわけでもないんだけどー」

 

 寮に居ればそのうちジギスヴァルトが帰ってくる。彼の居ない所でゆっくり考えを纏めたい、と思って真っ先に浮かんだのがここだった。

 

(わかっているーとか言ってたけどー、そのあと普段通りだったしー……てゆーか、やっぱ私そーなのかなー……)

 

 鈴音に手を差し出されたので握り返しはしたが、実のところ彼女自身、自分の感情がよくわかっていない。わかっていないというか、確信が持てていない。

 

「……ふむ」

 

 自分の席に座ってうんうん唸っている本音の様子をじっと見つめて、楯無は真剣な顔で口を開いた。

 

「……男ね?」

 

「はにゃっ!?」

 

 瞬時に顔を真っ赤にして、普段では考えられないほどわたわたしだした。何だろうこのかわいい生き物。

 

 そしてその反応で楯無は確証を得た。

 

 ――実際に男かどうかは置いておくとして、このネタで弄れば面白い、という確証を。

 

「男ね! 男なのね! ほら本音ちゃん、おねーさんに話してみなさい! ほらほら!」

 

「ち、ちがうよぉー! れっひーは関係なーいー!」

 

「誰もジグ君とは言ってないわよ? さあ白状しなさいこのこのー!」

 

「やーめーてー!」

 

 結局、ゆっくり考えるどころか頭の中が空っぽになった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 ――大変に面倒くさそうなものを見つけた。

 

 ジギスヴァルトが“それ”を発見したときの感想はその一言に尽きる。

 

 一夏に訓練をつけてやる話は、結局今日は無しになった。箒が訓練機――打鉄の貸出を受けることができたからだ。そしてどちらがコーチをするかで打鉄VSブルー・ティアーズが勃発。この流れではその後自分にも矛先が向くと思ったジギスヴァルトはコーチを辞退してアリーナの観客席から訓練の様子を眺め、そのまま彼らとは会わずに部屋に帰った。フリーパスは欲しいが、命あっての和菓子だ。

 

 その後しばらく部屋で休んでから食堂へ。夕食を終え、本音が楯無の妹の部屋へ出かけ(彼女の家系は代々更識家に仕えているらしく、彼女は楯無の妹専属のメイドなのだそうだ)、暇になったので購買ででも時間を潰そうと部屋を出た次第だ。

 

 そして、遭遇した。

 

 場所は寮のロビー。“それ”はソファーに居た。

 

「一夏のバカ……」

 

 膝を抱えて涙を流し、一夏の名を呼ぶ凰鈴音だった。

 

(あの馬鹿者、今度は何をやらかした……!?)

 

 たかだか二度顔を合わせただけだが、彼の見立てでは鈴音はそう簡単に泣くような女ではない。それを泣かすようなことというと――ダメだ、ろくでもないことしか思いつかない!

 

(落ち着け、クールになれジギスヴァルト・ブレヒト。ここは奴に気付かれぬよう慎重に部屋に戻るのだ。購買になど行っている場合ではない)

 

 泣いている女の子を放っておくなんて最低だと言われるかも知れない。だが、少なくとも今はダメだ。せめて本音が戻ってきてからだ。

 

 傭兵として今まで培ってきたスニークスキルを今こそ発揮――。

 

「……あ。アンタ」

 

(終わった……)

 

 ――できなかった。行動する前に見つかった。どうしてそんな絶妙なタイミングで泣き止んで帰ろうとするんだこの女は。

 

 そのまま固まるジギスヴァルトと、彼をじーっと見つめる鈴音。しばらくそのまま睨み合いのような状況が続いた後、鈴音が口を開いた。

 

「……アンタ、一夏と仲良いわよね?」

 

「……まあ、たった二人の男だから、ある程度は」

 

「……だったら、ちょっと相談があるんだけど」

 

「……拒否権は?」

 

「無いわ」

 

「私は男だぞ? 同性に相談したらどうだ。ルームメイトはどうした」

 

「それが出来ないからアンタに相談させろって言ってんじゃない。昨日会ったばっかの人に話すようなことじゃないわよ」

 

「私は今日初めて貴様と会ったはずだが」

 

「だって一夏と仲良いんでしょ? アイツが信用してるならホントに信用できるんだろうし」

 

「その理屈はおかしいだろう……」

 

 彼は悟った。逃げられない。逃がしてくれそうにない。どうしてこうなった。

 

「……まあ、どうしてこんなところで泣いていたかくらいは聞いてやる」

 

 そして語られた経緯に彼はまた頭を抱えた。

 

 彼と本音が同室ということは一夏はどうなのだと思い至ってしまった鈴音は、訓練を終えた一夏を労いにアリーナへ行ったときに問い質したらしい。結果、一夏は千冬の部屋で生活していると知り、「千冬といえば」と昔の話に花が咲き――その流れで過去の約束を持ち出した。

 

 一夏はその約束を()()覚えていたらしい。

 

「あー……あれか? 鈴の料理の腕が上がったら毎日酢豚を()()()()()()ってやつか?」

 

 ――一夏よ、さすがにそれはどうなのだ。弁護のしようがない。無論、するつもりも無いが。

 

 それに怒った鈴音が平手打ちをかまして走り去り、彼女はロビーで泣いていたというわけだ。……ジギスヴァルト以前に誰も通り掛からなかったのか、通ったが声を掛けられる雰囲気ではなかったのかは知らない。おそらくは後者だろう。

 

「どうしたらいいと思う?」

 

「私に聞かれても困る」

 

 なにしろ、彼女いない歴=年齢なのが自慢のジギスヴァルトだ。友達も居なかったから恋愛相談を受けた経験も無い。彼はそういうことに全く向いていない。……泣いてないさ。

 

「私とて阿呆ではないからわかっているつもりだが、一応確認しておくぞ。貴様がした約束は要するに、日本(ヤーパン)に古来より伝わると言われるプロポーズのつもりだったのだろう?」

 

「…………そうよ」

 

「ならば問題は貴様にもあろう。何故酢豚なのだ。普通に味噌汁で良いではないか」

 

「だって私味噌汁作れないし。それに、味噌汁だとストレートすぎて恥ずかしいじゃない!」

 

「だが酢豚で伝わると思うか? 相手は“あの”一夏だぞ。味噌汁ですら通じるか怪しいレベルだろうに」

 

「それは……」

 

 鈴音とて一夏の朴念仁ぶりは理解している。というか、中学時代それで散々苦労しているのだ、理解していないわけがない。

 

 だが、それでもさすがに。さすがに、あの言い回しなら気づいたっていいじゃないか、むしろ気づかないわけがない、と思ったのだ。思ってしまったのだ。

 

「それで? 貴様自身はどうするつもりなのだ」

 

「あいつが謝るまで口きかない」

 

 ――なんて短絡的な。

 

 彼女曰く、徹底的に無視すれば一夏が寂しがって謝りに来る――という構想らしい。

 

 だがあのド朴念仁相手にそれが上手くいくとは、彼には到底思えない。むしろ一夏と顔を合わせる回数が激減する分、箒とセシリアに有利になるのではなかろうか。

 

「……効果があると本気で思うのか?」

 

「もちろんよ。じゃなきゃやんないわ」

 

 頭が痛くなってきた。この娘、おそらく相当な頑固者だ。彼女がこう言うからには彼が何を言っても聞く耳持たないだろう。それに、一夏の方から謝りに来させたいという意地もあるに違いない。

 

 相談って何だっけ、と思うジギスヴァルトだった。

 

「よし、聞いてもらったらなんかスッキリしたわ! ありがと! 昼間見たときは一夏とどっこいに見えたから相談するのちょっと不安だったけど、そうでもないみたいね」

 

「……そうか」

 

 一応、彼女の取ろうとしている行動がいかにリスキーか言ってやろうかと思ったが――なんだか話を纏めにかかっているようだし、なんかもう、いいか。一夏が誰とくっつこうが自分には関係ないし。それになんだか失礼なことを言われた気がするし。

 

「用が済んだなら私は帰るぞ。そろそろ本音が戻る頃だ。彼女に数学の宿題を手伝ってもらわねばならん」

 

「あ、うん。じゃあね」

 

 おのれ数学め、グライフの火力を以て必ずや地上から根絶してくれる……! などとぶつぶつ呟きながら去っていくジギスヴァルトの背を見送って、鈴音は思う。

 

 そういえば、あいつの名前知らないや――と。

 

 

 

 

 翌日、クラス対抗戦の対戦表が貼り出された。一夏の相手は――鈴音だった。

 

 




 なんだか主人公のキャラがブレている気がしますが、なに、気にすることはありません 川´_ゝ`)
 予定通りです(虚勢)


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第九話:時を越えた痴話喧嘩(物理)

 

 五月、クラス対抗戦当日。

 

 第二アリーナ第一試合。組み合わせは一夏と鈴音。片や貴重な男性操縦者、片や中国の代表候補生。話題性は十分すぎたようで、観客席は満員御礼。立ち見の生徒まで出る始末だ。それでもまだ入りきらないので、あぶれた生徒や関係者はリアルタイムモニターで鑑賞するのだとか。

 

 そんな、人でごった返す観客席にジギスヴァルトの姿もあった。隣には本音が座っていて、そのさらに隣には癒子とナギが座っている。

 

 一夏と鈴音は既にISを展開して向かいあっている。二人は何事か話しているようで、それを見てジギスヴァルトは溜息を吐いた。なんだか最近溜息が増えている気がする。

 

「ジグ君どうかしたの?」

 

「いや……その、なんだ。結局解決しなかったなと思ってな」

 

「?」

 

 何のことだろうと首をかしげるナギに、本音が補足する。

 

「おりむーとりんりんが喧嘩しててー、まーだ仲直りしてないんだよねぇー」

 

「そうなんだ?」

 

「でねー、りんりんがー、何度かれっひーに相談しに来たんだよねぇー」

 

「へーえ?」

 

 癒子にニヤニヤした顔を向けられ、ジギスヴァルトは顔をしかめる。

 

「やっぱジグ君って割と面倒見いいよね」

 

「……鈴が一方的に押しかけてきただけだ」

 

 実際、初めて会った日に相談に乗ってから(あれを相談と言っていいかは甚だ疑問であるが)、数日おきに鈴音が部屋に来た。来て、愚痴をこぼして、帰って行った。

 

 曰く、一夏が謝りに来ない。曰く、自分のことなど気にもせずにセシリアと訓練に打ち込んでいるのが腹立たしい。曰く、もしかしたら自分は一夏にとってどうでも良い存在なのではないか。曰く、曰く、曰く――。

 

 とまあ、挙げればキリが無いのだが。とにかく、何度も何度も愚痴を聞いてやったというか、聞かされた。正直ときどき本音が一緒に聞いてくれたのはかなり助かった。精神的に。

 

 そういうわけであるから、あそこで交わされている言葉も不毛なのだろうなと思えてならない。数日前に痺れを切らした鈴音が一夏に会いに行ったとき、あの馬鹿者が何やら大失言をやらかしたとも聞くし。

 

「ああ、空が青いな。鳥が飛んでいる……」

 

「ジグ君? おーい、ジーグくーん。帰ってこーい」

 

 ああ、願わくはこの試合で鈴音が鬱憤を晴らしきってくれますように――。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 試合開始のブザーが鳴り終わった直後、二人は激突した。斬りかかった一夏の雪片弐型を鈴音は二本の青竜刀《双天牙月》で受け止め、押し返す。体勢を崩した一夏に立て直す暇を与えず追撃。両手のそれを器用に回転させ、あらゆる角度から斬り込んでいく。

 

 二刀を扱うというのは単純に刀を二本振り回せば良いというわけではない。例え一刀の達人が二刀を持ったとしても、互いが互いを邪魔しない振り方を最低限身につけられなければ素手にも劣る。

 

 その点、鈴音は代表候補生の名に恥じぬ技量があるようだった。一夏に反撃の隙を与えない。試合開始時に踏み込んだ以外、彼は防戦一方だ。

 

 このままでは埒が開かない。そう判断した一夏は一度距離を取るべく後退。それを鈴音は追わず――。

 

「甘い!」

 

 鈴音のIS甲龍(シェンロン)の二つの非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)の装甲が開いた。内部が一瞬光って――一夏は見えない何かに()()()()()()()

 

「ほう、あれが衝撃砲というものか」

 

 一夏が吹っ飛ばされたのを見て、観客席のジギスヴァルトが興味深そうに呟いた。

 

「衝撃砲?」

 

「なにそれ?」

 

 癒子とナギの問いに答えたのは――意外にも本音だった。

 

「空間に圧力かけて砲身を作ってー、そこから余分な衝撃波をバーンと撃っちゃうすっごい兵器だねぇー。見えないからちょお避けにくいよー」

 

 ジギスヴァルトが、癒子が、ナギが、固まった。

 

「……? みんなどーかしたー?」

 

「いや、その、なんだ。意外というかだな」

 

「本音がまともなこと言ってる……」

 

「しかも専門的なこと言ってる!」

 

 日頃皆がどう思っているのかが非常によくわかる反応だった。それを目の当たりにした本音はしばらくきょとんとしていたが、ややあって理解が及んだのか――遅れて怒り出した。

 

「ひーどーいー! てゆーかゆーこたちはいーけど、れっひーは数学とか教えてあげたでしょー!」

 

「いや、すまない。確かに数学は教わったが、君がISのことに詳しいとは夢にも思わなかった」

 

「むーむー!」

 

「よせ、やめろ本音。悪かった。謝るから殴るのはよせ。地味に痛い」

 

「ゆーるーさーなーいー!」

 

 そのままじゃれ合いだした二人を見て、癒子とナギは顔を見合わせた。

 

 ――こいつらもう付き合っちゃえばいいのに。

 

 お互いが同じ事を考えていると確信した二人はうなずき合い、ステージに視線を戻す。

 

 いまだに試合は続いている。鈴音が撃つ衝撃砲を一夏がかろうじて避けているが、よく見ると二人とも口元が動いている。何事か言い争っているようだ。

 

「いい加減降参して謝りなさいよ!」

 

「だからこないだも言ったろ! 説明してくれりゃ謝るって!」

 

「説明したくないって言ってんでしょうがこの馬鹿!」

 

「馬鹿って言った方が馬鹿なんだよバーカ!」

 

「誰が馬鹿よこのアホ! 間抜け! 朴念仁!」

 

「誰が朴念仁だこの貧乳!」

 

「また貧乳って言ったわね!?」

 

 ……よそでやれ。

 

 もし誰かがこの会話を聞いていたなら、間違いなくそう言っただろう。試合中に痴話喧嘩なんてしてんじゃねーよ、と。

 

 しかし本人たちは至って真剣で、そしてしつこいようだが今は試合中である。つまり両者ともISに搭乗しており、さらに一夏は先日やらかしてしまったのと同じ事をした――鈴音にとっての禁句を再び口にしてしまった。

 

 激昂した鈴音が衝撃砲の出力を上げた。スペック上の限界まで威力を引き上げられたそれの装甲内部がこれまでより強く輝く。

 

(あ、やべ、死ぬ)

 

 一夏がそう感じたときだった。

 

 ――ズドオオオオンッ!!!

 

「!?」

 

 アリーナ全体に轟音と衝撃が走った。鈴音の衝撃砲ではない。それならば一夏に当たっているはずだ。

 

 だが、煙が上がっているのはステージ中央。どうやら何かがそこに落ちてきたようだが――そこに落下するためには()()()()()()()()()()()()()()()こなければならない。

 

 状況がわからず混乱する一夏に鈴音からのプライベート・チャネルが飛んできた。

 

『一夏! 試合は中止よ! 今すぐピットに戻って!』

 

 さっきまで怒っていたくせにいきなり何を言いだすんだ――と彼が思った瞬間、白式のハイパーセンサーが緊急警告を発した。

 

〈【警告】熱源確認/所属不明のISと断定/ロックされています〉

 

「なっ――」

 

 それはつまり、そこにはアリーナのシールドを突き破れるほどの攻撃力を持つISが居るということであり。

 

 アリーナのものと同一であるISのシールドをも敵は貫通できる、ということを示していた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 緊急事態。現状を表現するのにこれほど的確な言葉もないだろう。

 

 正体不明のISがアリーナのシールドを破って乱入してきた。それだけでも異常なことだが、事態はそれだけにとどまらない。

 

「ちょっと、早く行ってよ!」

 

「無理よ! 前が全然進まない!」

 

「ドアが開かない! どうなってんの!?」

 

 出口がロックされているらしく、避難が全く進まない。ステージでは一夏と鈴音が敵IS――黒い全身装甲型――と交戦している。教師や警備部隊が来ないところを見ると、アリーナのシールドレベルが上げられているのかも知れない。

 

(……これはまずいかも知れんな)

 

 このままではパニックになった生徒たちが怪我をする可能性がある。それに、敵ISに一夏たちが倒されないとも限らない――否、アリーナのシールドを破った敵の火力を考えれば倒される可能性が高いだろう。

 

 行動を起こすべきだ。だがジギスヴァルトに取れる手段は数少なく、独断で実行するのは問題がある。

 

 彼は上着のポケットから携帯端末を取り出し、千冬に連絡を取ることにした。

 

 ――なかなか出ない。この非常事に知らない番号から通信が入っているのだから当然とも言えるが。

 

 根気よく呼び出し続けて――ようやく繋がった。

 

『――誰だ?』

 

「ブレヒトです」

 

『……何故私の番号を知っている』

 

「いざというときのために、と束さんが教えてくれました」

 

 千冬が溜息を吐くのが聞こえた。

 

『まあいい。それで何の用だ? 見ての通りの非常事態だ、下らん用ならタダでは済まさんぞ』

 

「アリーナの扉をぶち抜く許可を頂きたい」

 

『……なに?』

 

「生徒たちがパニックになっています。このままでは負傷者が出る。避難させなければまずい」

 

『……ふむ』

 

 数秒の間。

 

『構わん、やれ』

 

Jawohl(了解)

 

 すぐさま端末をしまい、とりあえず手近なドアへ向かう。

 

「れっひーどーしたのー!?」

 

「私のISで扉を破る。本音はここで待っていろ」

 

 生徒たちを掻き分けて進んでいく。とは言え、数少ない男であることが幸いしたのか、彼が進もうとするとたいていの生徒は避けてくれた。

 

「どいていろ。怪我をする」

 

 扉の周りに居た生徒を退かせ、扉を見る。

 

(実弾兵器では跳弾の可能性がある。だがグライフでは熱で生徒に被害が及ぶかも知れん。となると……)

 

 彼はシャルラッハロート・アリーセを右腕のみ部分展開し、さらに大剣を展開した。

 

 この大剣は切断を目的としたものではない。刃はあるが切れ味は悪く、攻撃においての性質は打撃に近い。

 

 故に、その威力を受けた扉は――ひしゃげ、砕け、崩れ落ちた。

 

 その、攻撃の見た目に反した結果に唖然とする生徒たちに、ジギスヴァルトは声を張り上げる。

 

「何をしている! さっさと避難しろ!」

 

 我に返った生徒たちが出口に殺到した。

 

 それを本音や癒子、ナギに手伝ってもらいながら誘導していると、今度は千冬からジギスヴァルトに電話が入った。

 

「はい」

 

『そこから中継室が見えるか』

 

「中継室?」

 

 審判やナレーターが使っていたあの部屋だろうか。

 

「見えます」

 

『お前のISを使ってどのくらいで着く?』

 

「壁をぶち抜いて良いのなら外を回れるので、五秒程かと思いますが」

 

『ならばすぐに向かえ』

 

「何故?」

 

『私やオルコットと一緒に管制室で観戦していた篠ノ之が居なくなった。監視カメラの映像では中継室に向かっている。何をする気か知らんが、ろくなことにならんだろう』

 

「連れ戻せと?」

 

『――いや、それは手遅れだ。今篠ノ之が辿り着いた。すぐに向かえ』

 

「Jawohl」

 

 通話を切り、彼は本音に事情を説明した。

 

「れっひー、怪我しないでね」

 

「もちろんだ。私とて痛い思いはしたくないからな」

 

 そして彼はISを完全に展開し、大剣で壁をぶち抜いて飛び立った。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「一夏ぁっ!」

 

 アリーナのスピーカーから大声が響いた。キーン……とハウリングが尾を引くその声は箒が中継室のマイクを使って発したものだ。

 

「男なら……男なら、そのくらいの敵に勝てずしてなんとする!」

 

 それは叱咤、あるいは激励のつもりだったのだろう。

 

 だが今は戦闘中である。()()()ではなく、()()()。つまり、敵がISのみを狙うとは限らず――むしろ、目立つ行動を取った者から優先して狙われる。

 

 やはりと言うべきか、敵ISは箒に反応した。一夏と鈴音そっちのけで、巨大な腕を箒に向ける。その腕には――大口径のレーザー砲がついている。

 

「箒! 逃げろ!」

 

 一夏の叫びも虚しく、砲にエネルギーが溜まっていき/箒の背後の扉が吹き飛び/敵ISがレーザーを放った。

 

 死を予感し咄嗟に目を瞑った箒だったが、いつまで経っても体が灼かれない。

 

「何を馬鹿なことをしている篠ノ之……!」

 

 名を呼ばれて恐る恐る目を開けると、目の前に緋色の全身装甲が見えた。

 

「ブレヒト……?」

 

 それは扉を破壊して駆けつけ、大剣を楯にしてレーザーを防いでいるジギスヴァルトだった。

 

 かの大剣の銘は《ヴォーパルの鏡(ヴォーパルシュピーゲル)》。『鏡の国のアリス』に登場するヴォーパルの剣を由来とするその名は、(シュピーゲル)の方こそが重要な意味を持っている。

 

 この大剣の真の用途は“反射”。刀身に特殊なコーティングを施し、敵のレーザー兵器を刀身で反射させる。それにより本体(アリーセ)の被弾を減らし、同時に攻撃に利用するための武器だ。

 

 しかしシールドを張るのではなく“刀身で反射させる”ということは、“刀身の幅を超える太さのレーザーは防ぎきれない”ということ。

 

 ヴォーパルシュピーゲルの幅は四十センチ程。そして今、敵ISが照射しているレーザーの幅は完全に剣の幅を超えている。彼は剣だけでなく、己の足やグライフ(スラスター)まで使ってレーザーを受け止めている状態だ。だが敵ISのレーザーはシールドを貫くだけの威力があり、そのうえシャルラッハロート・アリーセの装甲は極端な軽量化の結果非常に脆い。

 

 しかも、反射できているレーザーが少なすぎる。敵のレーザーの大出力にかき消されて敵まで届いていない。よって敵のレーザー砲を破壊できず、彼は敵が照射し続ける限り受け止めなくてはならない。

 

 故に――彼の装甲はどんどん破壊されていく。

 

「ブレヒト、装甲が……!」

 

「黙っていろ。――一夏! 今なら敵は動けん、さっさと()れ! お前なら一撃で()れるだろう!」

 

 呆然としていた一夏が我に返り、零落白夜を発動。先日セシリアに教わっていた瞬時加速(イグニッションブースト)で一気に肉薄し、一閃――。

 

 そこまで見届けたところで、ダメージの限界がきて――ジギスヴァルトの意識は途切れた。

 

 




 主人公側ばかり描写していたら一夏たちの戦いがあっさりうすしお味に。
 なお、主人公に箒フラグは一切立ちません。


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第一〇話:生き物の脚は飾りではない

 

 ――目を開けると、本音の顔が目の前にあった。

 

 というか、唇に何か柔らかいものが当たって――。

 

「――――っ!」

 

 私の目が開いていることに気づいた本音の目が見開かれ、物凄い勢いで離れていく。椅子がガタッと音を立てた。

 

 現状を確認しよう。私はベッドに寝かされている。ベッドを囲むようにカーテンが見えるので、おそらくは医務室か病院といったところか。

 

 部屋は暗い。正確な時間はわからないが夜であるのはわかる。両脚に痛みがあるのは篠ノ之を庇ったときに灼けたからだろうか。その他にも体中至る所が痛むが――おそらく私は気絶して倒れ込んだのだろうから、その時に打ち付けたのだと信じたい。火傷だったら水ぶくれが出来たりして見た目にグロテスクなので勘弁してほしい。

 

 水ぶくれといえば、水疱瘡(みずぼうそう)という病気はある程度成長してから(かか)ると痕が残って大変だそうだ。以前、戦場で共に戦った男が笑いながら痕を見せてきた。あれはなかなかに――うむ。あまり積極的に見たいものでもない。

 

 ――さて。現実逃避などしていないで、そろそろしっかり考えようか。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 ――気まずい。

 

 ジギスヴァルトも本音も言葉を発さない。ジギスヴァルトは、現状を把握するために思考を巡らせているため。そして本音は羞恥心のため。

 

 特に本音の方は深刻だ。あまりの恥ずかしさでフリーズしている。

 

 怪我をして寝ているジギスヴァルトを見ているとどうしようも無く不安になって、心配で、そして――やっぱり自分は彼が好きなのだろうと、思って。そして気付いたらあんなことをしていた。

 

 場所は医務室、時刻は午後十時。寮の門限などとっくに過ぎている。保健医が促しても本音は頑なに帰ろうとせず、とうとうこの時間まで居座っていた。おそらく明日は寮長である千冬のお説教が待っているだろう。

 

 保健医はだいぶ前に「何かあったら呼んで」と言い残して出て行った。今、この医務室には二人きりだ。だからこそあんなことをしたのだが――。

 

(でもでもでも、なんであんなタイミングで起きるのー!?)

 

 せめて離れてから起きてくれればこんなにも慌てることはないのに。

 

「……本音」

 

「なっ、何ー!?」

 

 明らかに狼狽えて声が裏返っている。が、そこには突っ込まず、ジギスヴァルトは最優先事項を確認する。

 

「篠ノ之はどうなった?」

 

「……え?」

 

 どう考えたってさっきのことを聞かれる――と思っていた彼女は拍子抜けしてしまって、つい間の抜けた声を出してしまった。

 

「……れっひーのおかげで、無傷だったよー」

 

「そうか。それはよかった」

 

「よかったって……でもれっひーが!」

 

 普段のような間延びした喋り方でないのはそれだけ余裕が無いのだろうか、と考えて彼は少し笑った。それだけ心配してくれていると思えば嬉しくもある。おそらくは勘違いではないはずだ。

 

「そうだ、私の体はどんな状態だ? さっきから脚が痛くてな」

 

「それは……」

 

 言いづらそうに本音が俯く。何も言わずに待っていると、意を決したか、ぽつぽつと話してくれた。

 

「……脚が一番酷いの。バリアをぬいたレーザーが装甲に当たって、最後は脚の装甲が無くなっちゃって……。いちおー絶対防御は発動したけど、完全には防げないくらい高出力だったみたいで……どうしても脚が灼けて……」

 

「灼けて?」

 

「……両脚の膝から下が、えっと、深達性……II度熱傷? だって。全治一ヶ月って言ってた。

 ……ちゃんと(あと)とか残らないように治療するけど、しばらく脚使っちゃダメだって。両脚だから杖じゃなくて車椅子だよー」

 

「……それはなんとも不便そうだ」

 

 まあ、あれだけの出力のレーザーを受けてそれで済んだのだから幸運と言えるだろうか。下手をすれば脚が丸ごと炭化しかねなかったわけだし。

 

 ……それでも運が悪ければ死んでるくらいの面積が灼けているが、そこは考えないことにする。

 

「……それからー、気絶して倒れたときにいろいろぶつけてる……って言っても、こっちは明日には痛みも引くーって言ってた」

 

「それは良かった」

 

 ということは、憂慮すべきは車椅子生活のみか。完治までいかずともある程度治れば歩けるのだろうが、それでも二週間以上かかることは覚悟しておく必要がありそうだ。

 

 ――しかし、車椅子で入れる広さの個室があるトイレとか、この学園にあっただろうか?

 

 脚が不自由だろうとISを動かすのに支障は無いから、そういう生徒が居ても良いように()()()()()()()あるかも知れないが――この学園の男子トイレは出入りの業者や客が使うためのトイレしか無く、そこにそういう個室があったかどうかを意識して見たことがない。

 

 バリアフリーバリアフリーと口うるさいこの時代、あるとは思うが――無かったらどうするのだこれは、と彼が頭を抱えかけた時だ。

 

「安心していいよー。れっひーのお世話は私がするからー」

 

 若干いつもの調子に戻った本音が、怖いくらい綺麗な笑顔でそう言い切った。

 

「いや、本音にそんな負担をかけるわけにはいかない」

 

 それに、たしか本音は普段「私が居ると仕事が増えるから」とか言って生徒会をサボっていた気がするし。正直ちょっと不安だ。

 

「わ・た・し・が・す・る・か・らー」

 

 ずいっと笑顔のままにじり寄ってきた。

 

 ……これは、断れない。怖い。

 

 ジギスヴァルトが冷や汗をかいていると、本音の表情が崩れた。笑顔から一転して、泣きそうな顔になって俯く彼女にまたしても戸惑う。

 

「……させてよー。怪我しないって約束したのにこんな大怪我しちゃって……ちょお心配したんだからねー」

 

 ――卑怯だと思った。

 

 これでジギスヴァルトが断ったりすれば、彼は完全に悪者だ。なにしろ既に約束を破っているのだ。

 

 それでも、彼は精一杯の抵抗を試みる。

 

 彼も健全な十代半ばの男であるからして、()()()()()()()()()カッコつけたいのだ。

 

「……嫌なこともしてもらわねばならんかも知れんぞ」

 

 トイレとか。車椅子が入れる個室が無い場合は便座に移るのを手伝ってもらう必要がある。そりゃ、抱えて運べなんて無茶は言わないが、ごく短距離とはいえ歩行の補助はやっぱり必要だ。

 

「……いーよ」

 

「見たくないものも見せてしまうかも知れんぞ」

 

 どう考えても一人で風呂には入れないし。最悪体を拭くだけで我慢するが。

 

 それに、火傷というものはかなりグロテスクだ。自分だって見たくないのだから本音に見せるなどやはり気が引ける。

 

「いーよ。……私、れっひーのこと、好きだし。だいじょーぶ」

 

 顔を耳まで真っ赤にしてそんなことを言うものだから。彼はもう断る気なんて無くなってしまった。

 

「……わかった。世話は任せる」

 

 これから感じるであろう羞恥やらなんやらについては考えないことにした。承諾してしまったのだから考えてもしかたないし――。

 

「……うん!」

 

 嬉しそうに頷く彼女を見て、まあいいかと思うのだった。

 

 ――それはそれとして、だ。

 

「ところで、今のはやはりそういうことで良いのか?」

 

「……いまのー?」

 

「私が好きだと言ったではないか。目を覚ましたときキスなどしていたのだし、そういう意味だと捉えて良いのだろう?」

 

 ボンッ! と音がしそうな勢いで、本音が茹で上がった。

 

「あ、あのあの、それはーそのー……そーだけどー……」

 

「…………」

 

 何だろう、歯切れが悪い。

 

 表情こそいつも通りを取り繕っているが、ジギスヴァルトは内心「もしかして私は何かやらかしたか!?」とてんやわんやだった。だって仕方ないじゃないか、彼は恋愛経験ゼロの純情ボーイなのだから。外見や普段の言動は全然純情そうには見えないが。

 

 そして、彼の懸念はある意味正しい。ただし、“今”ではなく“今までに”やらかしている。

 

「その、れっひーはー……私のことなんて好きじゃないんだよねー……?」

 

「……いや、好きだが」

 

「……ほぇ?」

 

 心底意外だという顔をされた。

 

「というかだな。本音のように可愛らしい女性から日頃あれだけ好意をぶつけられて何とも思わぬわけがなかろう。一夏じゃあるまいし」

 

「かわっ!? てゆーか、気付いてたのー!? で、でもでも、付き合ってるのーって聞かれたとき、ちょお真顔ではっきりきっぱり否定してたしー!」

 

「それはそうだろう。事実として付き合っていないのだから」

 

 つまり、一夏のように好意に気付いていないわけではなかった。

 

 実はこの男、“相手が何らかの手段で明確に伝えてこない事柄”はそれほど重要ではない、または隠していたいことだと考える。というか、それ以外の発想を持たない。

 

 故に。彼は好意に気付いていたが本人が伝えてこないからそのことに触れずにいたし、交際を否定したときに何故本音が不機嫌なのかを理解できなかった。

 

 それが本音の目には好意に気付いていないように映った――というのが真相である。なんと悲しいすれ違いだろうか。

 

「つまり、その……えっとー? あれー? 今どーゆー状況ー?」

 

「一般的に考えて恋愛関係に発展するであろう場面、というところだな。私たちは互いを好いていると打ち明けたわけだし」

 

「……私でいーのー?」

 

「無論だ。君でなくてどうする」

 

 ――とまあ、こうして。

 

 布仏本音の恋が成就したのは今回の事件の功名と言えるかも知れない。

 

 ちなみに、保健医が一部始終をばっちり見聞きしていた。入口のドアからこっそりと。翌日、主に本音が思いっきりからかわれた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「お引っ越しです!」

 

 お引っ越しだそうだ。……どういうことだろうか。

 

「山田先生、意味がわかりません。主語を入れてもう一度お願いします」

 

「あう……」

 

 真耶はジギスヴァルトの指摘に項垂れて、しかしすぐに立ち直り、目の前の三人――ジギスヴァルト、本音、一夏に事の次第を説明する。

 

 ――ちなみに、本音はジギスヴァルトの付き添いであって、本来話を聞くべきは彼と一夏の二人だけである。

 

「寮の空き部屋を用意できました! ……ただ、またまた問題がありまして」

 

「問題?」

 

「実は来月、転校生が来るんですが……そのうちの一人が男の子なんです。あ、これまだ内緒でお願いしますね」

 

 悪戯をする子供のような表情でヒソヒソと話す真耶だが、その内容はかなり衝撃的だった。男が転校してくるということは――また男性操縦者が現れたということ。どうやら世界はまだまだ休むことができないらしい。

 

「なので結局部屋が足りなくて。織斑君とブレヒト君のどちらかだけがお引っ越しして、来月からその転校生と相部屋です。二人で話し合って決めちゃっていいですよ」

 

「なら、一夏が引っ越すといい」

 

 話し合うまでもないという風にジギスヴァルトが即答した。

 

「いいのか?」

 

「いいもなにも、今の私はこんな脚だ。引っ越すのも一苦労だし、どうせ本音に頼らねば何もできんからな。本音と相部屋のままで構わない」

 

 そう言うジギスヴァルトは脚と車椅子を指さして苦笑した。

 

 あれから一週間。最初の数日は医務室で過ごして、それから寮に戻り授業にも出始めた。

 

 やはり移動には車椅子が必須ということで、結局彼は車椅子(階段の昇降機能のついたハイカラな車椅子だ)に乗って本音に世話を焼かれている。動力はあるので別に押してもらわなければならないわけではないが、どうせ本音についてきてもらわなければならないし、なにより彼女が押したいと言うので任せている。

 

 彼が初めて車椅子姿で現れたときにはクラス中が騒然となった。何故か世話係を申し出る生徒が多く居たが、全て本音が()()()はね除けた。

 

 ……余談だが。寮に戻った日の夜、鈴音が若干泣きながら彼らの部屋に駆け込んできた。せっかく一夏が酢豚の約束の意味に気付いたのに、恥ずかしさのあまり否定してしまったらしい。なんとも報われないというかなんと言うか。それにしてもこの娘、最近泣いてばかりな気がしてならない。

 

 閑話休題。とにかく一夏がお引っ越しなさることになった。

 

「そっか。……ありがとな、箒を助けてくれて」

 

「一夏、その話は八度目だ」

 

 感謝してくれるのは嬉しいが、脚を見る度そう言われてはなんとも居心地が悪い。何度もそう言ったのだが、彼にとってはそう簡単に割り切れることではないらしい。別に二度と歩けないわけではなく、それどころか数週間で治るのだから気にしなくていいのだが、とジギスヴァルトは思っている。

 

「では、織斑君は今日中に荷物を纏めてくださいね」

 

「四十秒で支度するのだぞ」

 

「どーしても無理だったらぁー、三分までなら待ってあげるよぉー?」

 

「いや短えよ!?」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 少し遡って、クラス対抗戦の日。一夏が正体不明のISを撃破してから二時間が経った頃。千冬は学園の地下五十メートルの場所に居た。そこには、限られた関係者以外は存在さえ知らされていない隠された空間があった。

 

 機能停止したISはすぐさまここに運び込まれ、解析が開始された。それから千冬はアリーナでの戦闘映像を何度も繰り返し見ている。室内は薄暗く、千冬の表情は冷たく鋭い。

 

「織斑先生、あのISの解析結果が出ました」

 

 入室してきた真耶が千冬に資料を渡す。

 

「……無人機か」

 

「どのような方法で動いていたかは不明です。織斑君の攻撃で機能中枢が焼き切れていました。修復もおそらく無理かと」

 

「コアはどうだった?」

 

「それが……登録されていないコアでした」

 

「そう、か」

 

 登録されていないコア。未だ完成どころか実験の成功さえ報告されていないはずの無人機。それが何を意味するかを千冬は考える。

 

「織斑先生? 何か心当たりが?」

 

「いや、無い。今はまだ、な」

 

 今回の襲撃に関わる事柄、特に敵ISについて、学園関係者全てに箝口令が敷かれた。

 

 コアを作れるのは篠ノ之束のみ。無人機の技術は確立していない。そんな状態でこのことが外部に知れれば、束に関係する者に――箒に、一夏に、ジギスヴァルトに、そして下手をすれば千冬にさえ危害が及ぶ可能性がある。

 

(束……信じているからな……)

 

 居場所のわからない親友の顔を思い浮かべ、彼女は資料に目を通していった。

 

 ――表情、めっちゃ怖い。

 

 




 微妙な関係をグダグダ長引かせるのも面倒なので、ジグ君には脚と引き替えにさっさとのほほんさんとくっついてもらいました。まあすぐに治りますが。


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閑話:Alice in den dunklen Wald

 

 ――冷たい。

 

 ――寒い。

 

 ――暗い。

 

「おや? なんだろうね、このボロ雑巾?」

 

 ――誰だ。

 

「わーお、日本語! びっくりだねー、珍しいボロ雑巾だねー」

 

 ――誰だ。

 

「およ? 天才の――をご存知ない?」

 

 ――誰だ。

 

「うーん、おんなじことしか言わないねえ? 耳障りだし、もういいか。ほっときゃ死ぬし。バイバイ」

 

 ――待て。

 

「うん?」

 

 ――死ねない。

 

 ――それだけは許されない。

 

 ――皆に、申し訳が立たない。

 

「……へえ? じゃあどうするのかな?」

 

 ――生きなければ。

 

 ――私は、生きなければ。

 

 ――好きなように、生きて。

 

 ――好きなように――死――。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「来たか。まあ入れ」

 

 クラス対抗戦も終わったある休日の午後のこと。ジギスヴァルトは千冬に呼ばれて彼女の部屋に行った。いまだに車椅子生活を強いられているため、本音も一緒に来ている。

 

「それで織斑先生、用件は何です?」

 

「ああ、なに、大したことじゃない。お前は束の知り合いなのだろう?」

 

「ええ、まあ」

 

「あの人間嫌いの変態がどういう経緯でお前と知り合ったのか興味があってな」

 

 なるほど、行方不明の親友の動向が気になるということか。まあ、その程度なら彼としても話すに(やぶさ)かではない。さすがに現在の居場所までは言えないが。

 

「それと、今はプライベートだ。敬語は無しでもいいぞ。お前はなんと言うか、敬語が似合わん」

 

「……ではお言葉に甘えよう。私と束さんの出会いだったか?」

 

「ああ」

 

「そうだな――殺されかけた」

 

「えっ」

 

「えっ」

 

 あまりに予想外だったのか、千冬も本音も口が開いたままになっている。

 

 ……本音はともかく、まさか千冬がこんな驚き方をするとは思わなかった。

 

「どういうことだ。あいつが人殺しなど――」

 

「待て、順を追って説明する。本音は最近私の世話をしてくれているから知っていると思うが、私の左腕は肩から指先まで全て機械、つまり義手だ」

 

「うん、びっくりだったよー」

 

「詳しい経緯は省くが、十三歳の誕生日を間近に控えたある日、私は左腕が肩ごと吹き飛んだ状態でドイツのとある森で死にかけていた」

 

「えっ」

 

「えっ」

 

 ――気に入ったのだろうか、その驚き方。

 

「そこにたまたま束さんが通りかかって、日本語で話しかけてきた。

 まさか彼女もドイツのド田舎の森の奥で転がっていたボロ雑巾のようなガキに日本語がわかるとは思わなかっただろう。実際、ドイツ語が返ってきたらそのまま見殺しにする気だったらしい。

 だが私は日本語を返すことが出来、結果今日まで生きている。殺されかけたとはそういうことだ。

 私はその時の記憶が曖昧だから、このあたりは束さんに聞いた話だがな」

 

 実際にはそれに加えてもう一度見殺しにされかけているが、そのあたりの記憶が本当に朧気で思い出せない彼は束の言葉を完璧に信じている。

 

「まあ、概ねそんな感じだ」

 

「……ブレヒト。お前、なかなか波瀾万丈な人生だな」

 

「ブリュンヒルデの人生には敵わんさ」

 

 その後、束の話でなんのかんのと盛り上がった。

 

 話についていけなかった本音がふて腐れてなかなか機嫌をなおしてくれなかったが、それはまた別の話。

 

 




 閑話なので短いですね。あっさりうすしお味ですね。


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Zweites Kapitel -Wert/Werkzeug-
第一一話:甘いカボチャは現の至宝


 

 六月某日、日曜日。

 

 ジギスヴァルトは一夏に連れられ、彼の中学時代の友人だという五反田弾の家に来ていた。

 

 既に脚は完治し、リハビリも終え歩行に支障は無いため本音は留守番だ。たまには男だけで騒ぎたいという一夏の希望もあってのことだが。

 

「……で?」

 

「で? って、何がだよ?」

 

 一夏と格闘ゲームで対戦中の弾が一夏に会話を振った。ちなみにジギスヴァルトはテレビの画面を横から興味津々といった様子で見ている。ゲームなどやったことが無いから物珍しいのだ。

 

「だから、女の園の話だよ。いい思いしてんだろ?」

 

「してねえっつの。何回説明すりゃ納得するんだよ」

 

「嘘を吐くな嘘を。お前のメール見てるだけでも楽園じゃねえか。なにそのヘヴン。招待券ねえの?」

 

「ねえよ馬鹿」

 

 あ、でも。と一夏は続ける。

 

「ジグは確かにいい思いしてるな。うん」

 

「なにぃ!?」

 

「待て一夏、何故そこで私の話を出す」

 

 弾の注意が一気にジギスヴァルトに向いた――というか、注意どころか顔をジギスヴァルトに向けた。その隙をついて一夏が弾の操作キャラクターのHPをゼロにする。

 

「よっしゃ、また俺の勝ち!」

 

「きったねえぞ一夏!」

 

「よそ見してるお前が悪い!」

 

 ちなみに彼らが対戦しているゲームは『IS(インフィニット・ストラトス)/(/)VS(ヴァースト・スカイ)』。第二回モンド・グロッソ出場者のデータを基に作られたゲームで、諸事情あってモンド・グロッソ参加二十一ヵ国それぞれのお国別バージョンが発売されている。

 

「……まあいいや。で? ジグがどんなおいしい思いをしたって?」

 

「……続けるのか、その話」

 

 ジギスヴァルトとしては嫌な予感がするのでこの話題は避けたいのだが。

 

「当たり前だろ! 一夏はどうせいつも通りなんだろうけど、お前は予想がつかないからな。さあ吐けこのイケメン野郎!」

 

 ――なんとなく、こいつがモテない理由がわかった気がした。

 

 一夏の近くに居たからというのもあるかも知れないが、この男、僻みが半端じゃない。あと、おそらくがっつきすぎだ。顔は良いのにもったいない。

 

 それはともかく、さてどうやってこの話題を切り上げようか。などと考えていると、一夏がまたしても余計なことを言い始める。

 

「こいつ、先月脚を怪我してさ。ちょっと前まで車椅子だったんだ」

 

「……一夏、それどの辺がいい思いなんだ? むしろかわいそうじゃねえ?」

 

「寮で彼女と相部屋だからってずっと彼女に世話してもらってたぞ、こいつ」

 

「爆ぜろリア充! ていうか薄々そんな気してたけどやっぱ彼女持ちかこの勝ち組め!」

 

 凄い形相で弾が叫んだ。今の彼は阿修羅すら凌駕する存在――かも、知れない。

 

「落ち着け弾よ。一夏はああ言ったが、出来ることは自分でやっていたぞ」

 

「……でも、自分で出来ないこともあるんでしょ?」

 

「それはまあ、そうだな」

 

「密着するようなこともあるんでしょ?」

 

「…………無いとは言わん」

 

 というか、自分で出来ないことをしてもらおうと思ったら密着せざるを得ない。車椅子から何かに移る時とか。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……ちなみにその子、胸は?」

 

「超巨乳」

 

 ――あ。

 

 とても今日初めて会ったとは思えないほど仲良くやっていたせいか、つい口を滑らせてしまった彼だが、こぼれた水が盆に帰ることはない。

 

「やっぱ勝ち組じゃねえかよ! リア充しね! 爆ぜろ! 爆ぜてしね!」

 

「待て弾、今のは間違いだ。口が滑った。訂正させてもらう。超はつかないかも知れない」

 

「それでも巨乳なんじゃねえか! しかも“かも知れない”ってことはつく可能性あるってことだろ!」

 

「落ち着け。お前とてまだまだこれからだろう。望みはある」

 

「その余裕が腹立たしい!」

 

 殺意の波動に目覚めた弾を必死で宥めるが、正直ジギスヴァルトが何を言っても逆効果なのだった。

 

「お兄! さっきからお昼出来たって言ってんじゃん! さっさと食べに――」

 

 どかんとドアを蹴り開けて、ジギスヴァルトにとっての救世主(メシア)が入ってきた。弾の妹の五反田蘭、中学三年生。ショートパンツにタンクトップというなんともラフな格好をしている。

 

「あ、久しぶり。邪魔してる」

 

「いっ、一夏……さん!?」

 

「む? 弾、この娘は誰だ?」

 

「残念ながら俺の妹だ」

 

 残念ながら、と(のたま)った弾を蘭はギンッと睨みつけた。途端に弾が縮こまったから、おそらくこの家のヒエラルキーはそういうことだ。

 

「あのっ、き、来てたんですか……? 全寮制の学園に通ってるって聞いてましたけど……」

 

「ああ、うん。今日はちょっと外出」

 

「そ、そうですか……」

 

 ――また一夏か。

 

 視線を弾に向けると、なんとも言えない表情で彼は頷いた。妹が友達に惚れているというのはなんとも複雑な心境なのだろう。

 

 ――妹といえば、いつかのあの娘は元気にしているのだろうか。別に血が繋がっているわけでもない、それどころかせいぜい一ヶ月間一緒に居ただけの娘だが、別れ際に大層悲しんでいたのを覚えている。

 

「あの、ところで、そっちの外人さんは……?」

 

「外人? そんな者がこの場に居たか?」

 

「いやおめーだろうがよ」

 

 弾のツッコミが飛ぶ。薄々思っていたが、この男やはり普段からそういう役回りなのではなかろうか。

 

「冗談だ。私はジギスヴァルト・ブレヒト。一夏と同じ学園に通っている」

 

「そ、そうですか。あの、よかったらお二人もお昼どうぞ」

 

 言って、そそくさと部屋を出て行った。

 

「……なあ弾」

 

「何だ?」

 

「見ず知らずの私にも昼食を勧めてくれるとは、なかなか出来た妹ではないか」

 

「何だよ、皮肉か?」

 

「当然だろう? 一夏に良く見られたいという魂胆が見え見えだからな。もっとも……」

 

 チラリと一夏を見る。何事か考えているようだが、まあろくな事ではないだろう。

 

「こいつは気づいておらんだろうがな」

 

「だろうな。どうした一夏、うんうん唸って」

 

「いや、蘭ともかれこれ三年の付き合いだけど、いまだに心を開いてくれないなと思って。なんかよそよそしいし」

 

 一夏の言葉にジギスヴァルトと弾は顔を見合わせ、やれやれと首を振った。

 

「な、何だよ?」

 

「別に。弾の妹御(いもうとご)も苦労するなと思ってな。兄としては複雑だろう?」

 

「まあな。こんな歳の近い弟は勘弁してほしいけど、妹が報われないのもそれはそれでなあ」

 

「なんで弟の話が出るんだ?」

 

「いーからいーから、ほれ、メシ食いに行くぞ!」

 

 一人わかっていない様子の一夏の背を押して部屋を出る。一度一階の裏口から出て、正面の食堂入り口へ。五反田家は食堂を経営しているのである。その名も五反田食堂。そのまんまだ。

 

「うげ」

 

「ん?」

 

「どうした」

 

「…………」

 

 露骨にイヤそうな声を出す弾の向こうを除く一夏とジギスヴァルト。そこには彼らの昼食が用意してあるテーブルがあるが、先客が居た。

 

「何? 文句あるならお兄だけ外で食べてもいいよ」

 

「聞いたかお前ら。妹の優しさに触れて俺ぁ泣きそうだ」

 

 先客は蘭だった。その姿にツッコミを入れるべきか、ジギスヴァルトは数秒思案したが、やめておいた。わざわざ藪から蛇を出すことはない。

 

「別に四人で食べればいいだろ。それより他のお客さんも居るし、さっさと座ろうぜ」

 

「そうよ馬鹿兄。さっさと座れ」

 

「へいへい……」

 

「……強く生きろ、弾よ」

 

 そして四人がけのテーブルに全員が座る。蘭と一夏が横に並んで、その向かいに弾とジギスヴァルト。席順については、蘭による無言の圧力があったことを付け加えておく。

 

 さて、席についた直後であるが、ここで一夏が蘭の変化に気づいた。

 

「あれ? 蘭、着替えたのか? どっか出掛ける予定?」

 

「あっ、いえ。これはその、ですねっ」

 

「ん? …………ああ!」

 

 何事かひらめいたようだ。弾とジギスヴァルトの予想では全く見当違いなひらめきだが。

 

「デート?」

 

「違います!」

 

 ダァン! とテーブルを叩いて声を荒げる蘭の姿に一夏は驚いている。どう考えても何故彼女が怒っているのかわかっていない。

 

「俺は時々、こいつはわざとやってるんじゃねえかと思うよ」

 

「同感だな。そちらの方がまだ説明がつく」

 

「……なんかお前ら、この数時間で仲良くなりすぎじゃねえ?」

 

『おかげさまでな』

 

 二人同時に、全く同じ仕草で、全く同じ事を言った。完全なシンクロだった。それほどまでに、なんというか、呆れていた。

 

「食わねえんなら下げるぞガキども」

 

 そこへぬっと現れたのはこの五反田食堂の大将、五反田(げん)。ジギスヴァルトは知らないことだが御年八十。筋骨隆々で肌は浅黒く、背筋もビシッとしている。

 

『いただきます!』

 

「おう。食え」

 

 満足げに頷いて彼は料理を再開した。ジュウジュウと野菜を炒める音が店内に響く。それをBGMにしてご飯を食べながら、彼らは雑談に興じた。

 

 なお、ここでは絶対に食べ物を噛みながら喋るなと言い含められたジギスヴァルトは忠実にそれを守っている。というか普段からそんなことはしないが。

 

「そういや一夏、例のファースト幼なじみと再会したって?」

 

「ああ、箒か? そうだな、久しぶりに会えたよ」

 

「……? 誰ですか?」

 

「前に話したことあったろ。ファースト幼なじみだよ」

 

「セカンドは鈴だそうだ」

 

「あ、そういえば鈴姉もIS学園に居るんですよね?」

 

「おう、居るぞ」

 

 鈴姉などと呼ぶということは、ある程度仲が良いのだろうか。しかし彼女の表情は硬い。

 

(大方、人として好感は持てるし仲良くしたいが恋敵ゆえ完全には心を開けない……といったところか?)

 

 などとジギスヴァルトがあたりをつけている間に一夏は、

 

「ああ、箒といえば、寮で同じ部屋になりかけたんだよ」

 

「同じ部屋ぁ!?」

 

 再び爆弾を投下していた。この男、学習というものを――いや、無理か。自覚していないし。

 

ガタッと音を立てて蘭が立ち上がる。その後ろで椅子が床に転がり――厳が人を殺せそうな眼光でこちらを睨んだ。が、椅子を倒したのが蘭だとわかると何事も無かったかのように視線を戻した。この爺さん、孫娘には甘いらしい。

 

 そんなことより一夏と蘭だ。もう嫌な予感しかしない。

 

「い、一夏、さん? 同じ部屋っていうのは、つまり、寝食を共に……?」

 

 ――ああ、厨房から香ばしい匂いがする。やはり日本(ヤーパン)の醤油は素晴らしい。

 

「そうだよ。俺、寮長やってる千冬姉の部屋に住むことになったんだけど、いざ入寮となって部屋に行ってみたら汚くてさあ。誰かに掃除手伝ってもらおうと思って箒に頼みに行ったら、そんな手間がかかるなら私の部屋に住め――とかって。あ、でもさすがにそうはならなかったぞ。俺は拒否したし、あいつ千冬姉に直談判しに行って鉄拳喰らって諦めてた」

 

 ――六月ともなると、さすがに暑いな。蝉も鳴き始めたし。

 

「寮長って――い、一夏さん、女子寮に住んでるんですか!?」

 

 ――見ろ、弾もこんなにダラダラと汗を流している。だが日本(ヤーパン)ではこれからもっと暑くなると聞くぞ、今からそんなことでどうする。

 

「そりゃそうだろ。全寮制だけど男子寮無いんだから」

 

 ――それにしてもこのカボチャ、甘すぎやしないだろうか。私はこういう甘さが好きだから大歓迎だが、鈴あたりは苦手そうだ。

 

「おいジグ、なにさっきからてめえだけ現実逃避してんだよ助けろ」

 

「無理だ。このド朴念仁が口を閉じなければな」

 

 だいたい、自分が口を開く度にこのテーブルの――というか蘭の周りの空気が冷えていくことに全く気付かない一夏はもはや病気レベルの鈍感さと言えた。普段は別にそんなことはないのに、自分への好意が絡む事柄になるとどうしてこうも落差があるのか。

 

「……お兄」

 

「は、はい!?」

 

 弾が子犬のように震えている。それを見て首を傾げる一夏を左腕(義手)でぶん殴ってやろうかと思ったが、そんなことをすれば彼の頭はトマトのようにパーンしてしまうのでなんとか抑えた。

 

「後で話し合いましょう」

 

「お、俺、このあとこいつらと出かけるから……ハハハ……」

 

「では夜に」

 

 有無を言わせぬ口調。隣で真っ白に燃え尽きている弾にジギスヴァルトが合掌していると、蘭が再び口を開いた。

 

「……決めました」

 

 ――何をだろうか。

 

「私、来年IS学園を受験します」

 

 ガタタッ! と派手な音を立てて今度は弾が立ち上がった。

 

「お、お前何言ってぐはあっ!?」

 

 とんでもないスピードで飛んできたおたまが弾の顔面を直撃した。なるほど、これは確かに大人しくしていなければ危険だ。五反田厳……なんて恐ろしい老人だろう。

 

「え? 受験するって……なんで? 蘭の学校ってたしかエスカレーター式で大学まで出られて、しかも超ネームバリューあるとこだろ?」

 

「大丈夫です。私の成績なら余裕です」

 

「IS学園は推薦無いぞ……やめとけ……」

 

 どうやら体力(ライフ)は低くても復活(リスポーン)が早いらしい弾がよろよろと立ち上がった。彼の指摘を受けた蘭はしかし自信満々に胸を張り、

 

「お兄と違って私は筆記で余裕です」

 

「いや、でも……そ、そうだジグ! あそこって実技あるよな! な!」

 

「あるぞ。IS起動試験で適性の無い者を落とし、続く教官との戦闘で稼働状況を確認する」

 

 それを聞いた蘭は無言でポケットから紙を取り出した。それを受け取って開き、中身を見た弾は途端に苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

「IS簡易適性試験……A判定……」

 

「問題は既に解決済みです。で、ですので……」

 

 こほん、と咳払いをして蘭は続ける。

 

「い、一夏さんには是非先輩としてご指導を……」

 

「ああ、いいぜ。受かったら――」

 

「安請け合いはやめておけ一夏。それから妹御も。IS学園に入るのはよく考えてからにしろ」

 

 ――豪速のおたまが飛んできた。

 

 なんとなく予想していたそれをジギスヴァルトは左腕で掴んで止め、飛ばした元凶――厳にふわりと投げ返す。厳はそれをキャッチし、自分の投げたおたまが止められた事実にしばし呆けていた。が、すぐに持ち直しジギスヴァルトを睨みつける。

 

「おうアメ公。テメエ、蘭の決定に文句があるってのか」

 

「私はアメリカ人ではなくドイツ人だが……まあ今はそれはいい。文句は無いが、忠告くらいはしておこうと思ってな」

 

「忠告だあ?」

 

「それから妹御よ、なにも弾はお前の邪魔をするために反対しているわけではないことを覚えておけ」

 

「え?」

 

 言ったジギスヴァルトは立ち上がり、厨房前へ歩いていく。

 

「御老体。ISとは何だと思う?」

 

 問われた厳はしばらく考え込んだ後、

 

「スポーツみてえなもんだろ? テレビなんかでもたまに競技だっつってやってるじゃねえか」

 

「……そうか。まあ、そんなものだろうな。しかし御老体――」

 

「御老体御老体言うな。俺には厳って名前があるんでえ」

 

「――失礼した、厳さん。話を続けるが、ISが競技に用いる武装は全て本物の兵器であり、シールドバリアも絶対防御も百パーセント身の安全を保証する物ではあり得ない。その証拠に、私は訓練中の事故で脚を怪我して一ヶ月間も車椅子だった。嘘だと思うなら学園に問い合わせてもらって構わない」

 

 無人機の襲撃は箝口令が()かれているため、彼の負傷は訓練中の事故ということで処理されている。そのため具体的なことも言えず、ただただ怪我をしたとぼかすしかない。

 

 が、それならそれでその状況を利用するだけだ。

 

「わかるか厳さん。()()()()()()()()()車椅子だ。もしもこれが実際の競技中ならばもっと酷いことになるかも知れん。

 いや、競技ならばまだ良い。だが実際に戦場に出ることにでもなってみろ。死ぬか、捕虜になって拷問を受けるか、もしかしたら女性として辱めを受ける可能性だってある。戦場に男が皆無というわけではないのだからな」

 

 それを聞いて蘭が怯えたように自らの身体を抱きかかえた。少々かわいそうな気もするが、これも彼女らのためだと思って続けることにする。

 

「けどよ、ISは戦争に使わねえってナントカ条約で決められてんだろ?」

 

「建前に決まっているだろう。でなければ各国は軍にISの配備などせん。もし何かきっかけがあればISを使った大戦争の幕開けだし、現在だって表沙汰にならぬだけでISによる戦闘は少なからず行われていると考える方が自然だ」

 

「…………」

 

「加えて、IS操縦者自体が貴重だ。いくら全ての女性に可能性があるとはいえ、それを満足に動かせる者は限られてくるからな。

 さてここでIS学園の話に戻るが――」

 

 彼は今度は弾に向けて言う。

 

「弾はわかっているだろう? わかっているから妹御を止めようとしているはずだ。言ってやれ、IS学園の生徒がどれだけ危険か」

 

「……ISの操縦技術が高ければ高いほど、IS適性が高ければ高いほど、いろんな国や組織に狙われる。もし戦争になって正規の軍人じゃ足りなくなったら生徒やOGが駆り出されるかも知れないし、戦力を減らすために敵国に殺されるかも知れない」

 

「パーフェクトだ、弾。付け加えるとするならば、もし専用機を持つことになれば機体データ目当てに危害を加えんとする輩も出てくるだろう。だからこそ――」

 

 そこで言葉を切って、彼は自分の座っていた席に戻って箸を取り、

 

「やはり考え直すべきだ。受験の時期までかけてよく考えたうえで、危険性、弾の想い、それら全て飲み干して入学すると言うのなら止めん。その時誰かが反対するようなら私に言うが良い。ありとあらゆる手段を以て障害を排してやる」

 

 そして言いたいことは全て言い切ったとばかりに食事を再開した。厳と蘭は黙ったままだ。

 

「……頼むよ蘭。お前のことは応援してやりたいけどさ。兄ちゃんやっぱお前に危険な目に遭ってほしくない」

 

 懇願するような弾の言葉に、蘭がようやく口を開いた。

 

「……考えとく」

 

 それから、食堂全体が微妙な空気になったので、無言でさっさと食べ終えて蘭以外は食堂を出て街へ。

 

 ――状況についていけなかったのか、一夏だけはどういう話か理解していなかったが。あの空気の原因の一端はお前だぞ、馬に蹴られてしまえ、とジギスヴァルトは思った。

 

 




 あれ……おかしいですね。なんだか最後の方が少しシリアスな雰囲気に……何故でしょうね?
 でも、原作のこのあたりを読んだときに思ったことを主人公に代弁してもらったので私は満足です。


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第一二話:金糸、白雪、黒兎

 

 六月、ジギスヴァルトにとって突然に、それは起こった。

 

 篠ノ之束による、携帯端末への着信。“姉”からの着信を嬉しく思う反面、また何かやらかすのではないかと警戒してしまう。

 

 そして事実、事態はゆっくりと流れ始めていたのだ。

 

 ……事態が流れ始めているといえば、もうひとつ。

 

 一夏もジギスヴァルトも知らないところで別の問題が成長しつつあった。

 

「ねえ、聞いた?」

 

「聞いた聞いた!」

 

「え、何の話?」

 

「だから、あの織斑君とジグ君の話よ」

 

「いい話? 悪い話?」

 

「最上級にいい話!」

 

「聞く!」

 

「本人たちと本音には内緒だからね。あのね、今月の学年別トーナメントで――」

 

「ええっ!? でもジグ君って確か――」

 

 自分たちが最上級に面倒なことに巻き込まれていることを、一夏もジギスヴァルトもまだ、知らない。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「やっぱりハヅキ社製のがいいなあ」

 

「え、そう? ハヅキってデザインだけって感じしない?」

 

「そのデザインがいいのー」

 

「私はミューレイのがいいなあ」

 

「アレ、モノはいいけどお高いじゃん」

 

「お幾ら万円なんです?」

 

「えーっとねー……あった、これこれ」

 

「高っ!?」

 

 一夏とジギスヴァルトが弾の家へ行った翌日の、月曜日の朝。クラス中の女子が手にカタログを持って、わいわいと意見を交換している。

 

「そういえば、織斑君とジグ君のISスーツってどこのやつなの? 見たことない型だけど」

 

「あー、特注品だって。男のスーツが無いからどっかのラボが作ったらしいよ。もとはイングリッド社のストレートアームモデルだってさ。ジグは?」

 

「私のは束さんが作ったものだ。特に何かをもとにしたとは聞いていないな」

 

 よくよく考えればジギスヴァルトの立ち位置は非常に危うい。なにしろISもISスーツも束謹製だと公言してしまっているのだ。それらを欲する者は多く、彼は一夏と同じかそれ以上に狙われやすくなっている。

 

 まあ、一夏ばかりが狙われないように意図してのことだが。

 

 閑話休題、話をISスーツに戻す。

 

 ISスーツとは文字通りIS展開時に着る特殊なフィットスーツのことだ。別にこのスーツ無しでもISは動くが――。

 

「ISスーツは肌表面の微弱な電位差を検知することによって、操縦者の動きをダイレクトに各部位へと伝達、ISはそこで必要な動きを行います。また、このスーツは耐久性にも優れ、一般的な小口径拳銃の弾程度なら完全に受け止めることができます。

 あ、でも衝撃は消えませんよ。撃たれたら普通に痛いです」

 

 すらすらと説明しながら現れたのは真耶だった。

 

「山ちゃん詳しい!」

 

「一応先生ですから――って、山ちゃん?」

 

「山ぴー見直した!」

 

「今日が皆さんのスーツ申し込み開始日ですからね。ちゃんと予習してきてあるんです、えへん――って、山ぴー……?」

 

 入学からおよそ二ヶ月。真耶にはいくつもの愛称がついていた。慕われている証拠かも知れないが、日頃から立派な教師であろうと頑張っている彼女にとっては嬉しくないだろう。

 

 そんな、生徒たちにいじられている真耶をボーッと眺めながら、ジギスヴァルトは昨夜の電話について思いをめぐらせていた。

 

 昨夜、何の前触れも無く――まあ前触れのある電話というのもおかしな話だが――着信したそれを繋ぐと、なんともハイテンションな声が通話口から飛び出した。

 

『もすもす終日(ひねもす)ー? やあやあジグくん、おっひさー! 愛しの束さんだよーっ!』

 

 ――即座に切った。切って、自分の座っているベッドに放り投げた。

 

「あれー? ジグー、もう電話終わったのー?」

 

「ああ、間違い電話だった」

 

 着信音が聞こえていたのだろう。歯を磨いて洗面所から出てきた本音はそう言ってジギスヴァルトの隣に座り、そのまま彼の膝に倒れ込んだ。いわゆる膝枕だ。

 

 ちなみに、本音は二人きりのときはジグと呼ぶようになった。皆の前でそう呼ぶのは恥ずかしいらしく、教室等ではれっひーのままだ。もう付き合っているのは皆にバレているのだし今さら何を恥ずかしがる、とジギスヴァルトは思うのだが。

 

「てひひ、ジグの膝はー寝心地いーねー」

 

「そうか? 硬くて枕には向かんと思――」

 

 またしても着信音が鳴った。ディスプレイを確認すると、やはり束だった。

 

 無視してやろうかとも思ったが、そんなことをすれば後々面倒くさい。なにしろ相手は研究室に居ながらにして世界を翻弄できる篠ノ之束だ。機嫌を損ねるとロクなことにならない。

 

 本音に断ってから回線を繋ぐと、先程以上に騒がしくなっていた。

 

『いきなり切るなんて非道いじゃないか! お姉ちゃんは悲しいよ! そんな子に育てた覚えはなーい!』

 

「すまん。束さんがハイテンションなときはろくなことにならんから、ついな。で、用件は?」

 

『あのねー、ジグくん以外にもう一人うちに居るの、知ってるよね?』

 

「ああ、話には聞いた」

 

 直接会ったことは無いが、自分とは別のテストパイロットが居ることは以前束が言っていた。彼が束に同行するのをやめてドイツに拠点を置いた後に拾ったのだと聞いた気がする。

 

『あの子ねー、実はいっくんたちと同い年なんだー』

 

「……それで?」

 

 何だろう、嫌な予感しかしない。

 

『やっぱりね、束さんは大事な“弟”と“娘”を学校に行かせてあげたいんだよね! でもISの稼働データも欲しいから、IS学園に行かせたげるのが一番効率的! なので明日からあの子はそこの生徒です! イエーイやったーおめでとーう! いっくんと箒ちゃんも守れて一石三鳥! 束さんあったま良ーい!』

 

「なん……だと……?」

 

 周囲に妙なのが増えると逆に一夏の注目度が上がって危険な気も――と考えたが、口にするのはやめておいた。自分の勝手な想像で束の機嫌を損ねたくなかったのだ。なにしろ彼女がその気になれば、“携帯端末の着信音を知らぬ間に女性の悩ましい声に変更する”等の世にも恐ろしい報復が可能なのだから。

 

 それに、束は「明日から」と言った。今更何を言ったところで無駄なことだろう。

 

『ジグくんと同じクラスにしといたよ! だからあの子のことよろしくね! ちなみにあの子の名前は――』

 

 以前から薄々感じてはいたが。あの“姉”は――馬鹿だ。馬鹿と天才は紙一重という言葉を見事に体現している。

 

 と、思考が一応の終着に至ったとき、

 

「諸君、おはよう」

 

 千冬が教室に入ってきた。

 

 ざわついていた教室が一瞬で静まり、全員が席に着く。それは彼女のカリスマ性故か、それともこの二ヶ月程で皆に刷り込まれた恐怖(出席簿アタック)故か。おそらく両方だ。

 

「今日からは本格的な実戦訓練を開始する。訓練機ではあるがISを使用しての授業になるので各人気を引き締めるように。お前たちのISスーツが届くまでは学校指定のものを使うので忘れないようにな。忘れた者は代わりに学校指定の水着で訓練を受けてもらう。それも忘れたら――まあ、下着で構わんだろう」

 

 いや構うだろう! とクラス中が心の中で突っ込んだ。例年はどうだか知らないが、今年からは一夏とジギスヴァルトが居るのだ。水着はともかく、下着はまずい。まあ、だからこそ忘れないようにという戒めとして言ったのかも知れないが。

 

 連絡事項はそれだけだったのか、千冬は早々に教壇を真耶へと明け渡した。

 

「では山田先生、HRを」

 

「はい。えーと、今日は皆さんに転校生を紹介します。それも、なんと三人です!」

 

(――は?)

 

 ジギスヴァルトは困惑した。束が言っていたのは一人だったはずだ。他の者の編入が被ったにせよ、普通なら他のクラスにも分散されるべきなのは間違いない。そうしないということは――。

 

(偶然などでは有り得ない。ならば目的は何だ? 一組に居る三人の専用機持ちのデータ? 私や一夏へのハニートラップ? もしくは――織斑千冬が関係する、か?)

 

 そう、例えば――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、とか。

 

 可能性は様々に考えられる。束が寄越したという者以外は考えられる全てのパターンがどれも否定できない。

 

 またしても面倒事に巻き込まれそうな、そんな予感がした。

 

「失礼します」

 

「…………」

 

「…………」

 

 否。訂正する。

 

 教室に入ってきた転校生三人を見て、彼は面倒事に巻き込まれると確信した。そして思い出した。

 

 ――ああ、そういえば先月一夏が部屋を移ったときに山田先生が何か言っていたな、と。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「シャルル・デュノアです。フランスから来ました。この国では不慣れなことも多いかと思いますが、皆さんよろしくお願いします」

 

 クラス中が呆気にとられて静まり返る。しばらくして、

 

「お、男……?」

 

 誰かがそう呟いた。

 

「はい。こちらに僕と同じ境遇の方が居ると聞いて本国より転入を――」

 

 ――違和感。

 

 何がどうおかしいかと問われれば答えられないが、それでも何かしっくりこない。

 

 人懐っこそうな顔や声は中性的。金髪を背中あたりまで伸ばして首の後ろで束ねているが、髪の長い男などどこにでも居る。背も男性としては低い方だが、これも別におかしなことではない。ないが――。

 

『きゃああああああ!!』

 

 ジギスヴァルトの思考は、およそソニックウェーブと呼んで差し支えないような歓声に押しつぶされた。耳が痛い、物理的に。

 

「男子! 三人目の男子!」

 

「しかもうちのクラス!」

 

「美形! 守ってあげたくなる系の!」

 

「正統派、クール系、貴公子系のイケメンがうちのクラスに!」

 

「三拍子そろった!」

 

 クラス中が歓喜に揺れ、一夏が耳を塞ぎ、ジギスヴァルトが頭を抱え、千冬が溜息を吐いた。真耶はおろおろしていた。

 

「あー、騒ぐな。静かにしろ」

 

「み、皆さーん! まだ自己紹介は終わってませんよー!」

 

 教師二人に言われて女子たちはいったん静かになった。改めて残り二人の転校生を見る。どちらもシャルルと比べて遜色ない、それどころか彼を凌駕するほどに個性的だ。

 

 一人は、銀。輝くような銀髪を腰近くまで伸ばしている。瞳は赤く、左目は眼帯で隠されている。身長は女子の中でも低い部類だが、纏う雰囲気や歩き方が明らかに“軍人”のそれだ。まるでゴミを見るような瞳がクラスを睥睨している。

 

 ジギスヴァルトは彼女を知っている。忘れるはずも、見紛うはずもない。

 

「…………」

 

「黙っていないで挨拶をしろ、ラウラ」

 

「はい教官」

 

 即座に姿勢を正し、千冬に敬礼する。それを受けた彼女は心底面倒くさいという風に、

 

「その呼び方はやめろ。もう私は教官ではないし、ここではお前も一般生徒だ。織斑先生と呼べ」

 

「了解しました」

 

 あれはわかっていないときの返事だな、とジギスヴァルトは心中で苦笑した。あの娘はなかなか頑固な性格をしているから、当分は教官呼びのままだろう。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

「…………」

 

 ――静寂。

 

「あ、あの、以上……ですか?」

 

「以上だ」

 

「そ、そうですか……では、次お願いします、次!」

 

 若干泣きそうな顔になっている真耶に促された三人目にクラスの視線が移る。

 

 三人目は――白かった。ただただ、白かった。そしてある種異様だった。

 

 身長はラウラと同じくらい。大きなフード付きのロングコートに見えるよう改造された制服を着込み、そのフードを被っている。髪は真っ白で膝にまで届こうかというほど長く、一纏めにして首の左側からフードの外に垂らしている。手には白い手袋、靴はロングブーツという具合で顔以外の肌が見えず、その顔もフードにほとんど隠れてしまっているが、白人だとか色白だとかいうレベルを超えて白い。

 

「…………」

 

 彼女もまた一言も発さなかった。だがラウラとは事情が違うのだろう、教師二人は彼女に何も言わない。

 

(あれが昨日束さんが言っていた……)

 

 不意に、電子黒板に文字が表示された。

 

〔スティナ・ヴェスターグレン

 先天性白皮症(アルビニズム)

 生まれつき声が出ない

 日本文化、好き

 よろしく〕

 

 そして、お辞儀。どうやら何らかの方法で彼女――スティナが表示させているようだ。

 

 ラウラと合わせてどう反応していいかわからないのだろう、クラスに微妙な空気が漂うが、それも彼女がフードを取るまでだった。

 

 お辞儀を終えた彼女がフードを取った瞬間――またしても歓声が上がった。

 

「かわいー!」

 

「きれー! 白い!」

 

「お持ち帰りいいいいい!」

 

「妹にしたい!」

 

 ……なんだか危ない奴がいくらか居る。誰だ、妹とか言った奴。同い年だろう。

 

 だが、ジギスヴァルトにもわからないでもなかった。フードの下から現れたのはなんとも大人しそうなかわいらしい顔だ。色が白いため儚げな印象もあるし、たしかに――。

 

(――っ! プレッシャー!?)

 

 バッと後ろを振り向いた。本音と目が合った。

 

 ……怖いくらいの笑顔だった。

 

 あまりのプレッシャーにその笑顔を直視できず、顔を正面に戻す。この後のことが恐ろしいが、考えないことにした。

 

「貴様が織斑一夏か?」

 

 ふと、歓声の中にそんな声が聞こえて、ジギスヴァルトは視線をラウラに向けた。いつの間にか彼女は一夏の目の前に歩み寄っていたようだ。

 

「ああ、そうだけど――」

 

 一夏が答えた刹那――ジギスヴァルトが一夏の襟首を思い切り引っ張り/ラウラが振るった手が一夏の目の前を通り抜け/スティナがラウラを床に組み伏せた。

 

 特にスティナの動きは凄まじく、現役の軍人であろうラウラがあっさり組み伏せられてしまったことから彼女の手腕が覗える。

 

「ぐああっ!? 首が、首があああああ!?」

 

 突然のことに呆然とするクラスと間抜け面で悶絶する一夏は放っておいて、ジギスヴァルトは地に伏すラウラの眼前にしゃがみ込んだ。

 

「久しいなラウラ。だが私の友人に危害を加えようとはどういう了見だ」

 

 彼の声を聞いたラウラはハッとした顔で彼を見上げ、

 

「……ジグ兄様。居るとは聞いていましたが、このクラスだったのですか」

 

 ――一拍置いて。

 

『に、兄様ああああああああああ!?』

 

 クラスが、今度は驚愕による絶叫に包まれたのだった。

 

 




 まずは謝辞を。お気に入りが100件を突破していたようです。皆様ありがとうございます。

 さて。はい、やらかしてしまいました。オリジナルキャラクター二人目の登場です。正直出すかどうか迷いました。ですがまあ、批判は恐ろしいですが私が満足しなければ書く意味もありませんし、だったら出してしまえと。
 先天性白皮症と先天的な器質性失声症のあたりは完全に私の趣味です。見つけたぞ、世界()の歪みを。


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第一三話:鳴かない駒鳥

 

「織斑、ブレヒト。デュノアの面倒を見てやれ。同じ男子だろう」

 

 千冬に言われ、シャルルが二人のもとへ。

 

 ちなみに、ラウラの兄様発言による騒ぎは千冬の一喝で沈静化した。

 

「君たちが織斑君とブレヒト君? 初めまして、僕は――」

 

「ああ、いいから。とにかく移動が先だ。女子が着替え始める」

 

「急ぐぞ一夏。事態はいつも以上に逼迫(ひっぱく)している」

 

 一夏がシャルルの手を取り、そのまま教室を出た。その時シャルルの顔が少し赤くなったのをジギスヴァルトは見逃さない。

 

 が、それだけで何がわかるわけでもない。人付き合いが苦手な者だって、同性愛者だって、極端な話男装した少女だって、同じような反応をするだろう。

 

 そんなことより今はこの状況を切り抜けねばならない。

 

「転校生発見!」

 

「織斑君とブレヒト君も一緒!」

 

 ほかのクラスの せいとが あらわれた!

 

 いちかたちは にげだした!

 

「居たっ! こっちよ!」

 

 しかし はいごからも せいとが せまっている!

 

 いちかたちは かこまれた!

 

「織斑君の黒髪やブレヒト君の銀髪もいいけど、金髪っていうのもいいわね」

 

「しかも瞳はアメジスト!」

 

「見て見て! 織斑君と転校生君、手ぇ繋いでる!」

 

 これはまずい。退路が無い。このままでは授業に遅れ、その先に待ち受けるのは千冬による特別カリキュラムだ。それだけは避けなければならない。

 

「仕方が無い。一夏よ、プランBでいくぞ」

 

「プ、プランBって何なの?」

 

 女子たちの勢いに気圧され気味のシャルル。

 

「え? ねえよそんなもん」

 

「無いの!?」

 

「次善の策、という意味だ。特に前もって何か決めているわけではない」

 

 普段の作戦――(女子)が迫る前に更衣室に辿り着く、は失敗した。おそらく転校生のことを聞いていつも以上に早い段階から動き出したのだろう。

 

 前後を塞ぐ女子たちに突っ込んでいくのは愚の骨頂。ならば今できるのは――。

 

「デュノア、少々我慢してもらうぞ。一夏、行くぞ」

 

 言ってシャルルを右肩に担ぎ上げた。そして素早く窓際へ。

 

「へ?」

 

「それしかないよなあ、やっぱ」

 

 そのまま窓を開け、

 

「口を閉じていろよデュノア。舌を噛んでも知らんぞ」

 

 落ちた。

 

『ええええええ!?』

 

「きゃああああああ!?」

 

 驚く女子たちの声を頭上に聞きながら、近くにあった植木の枝を左腕で掴んで勢いを殺し、着地。シャルルを降ろしながら自らが飛び降りた窓を見上げ、叫ぶ。

 

「一夏!」

 

「りょーかいっ!」

 

 続いて一夏も飛び降り、白式を脚だけ展開し、着地。規則違反だが、緊急事態だしまあ、大丈夫だろう。多分。

 

 混乱するシャルルの手を再び一夏が引き、三人は更衣室へ駆け出す。

 

「な、な、な、何してるの二人とも!?」

 

「何って、ああでもしないと抜けられないだろあれは。それよりお前、女の子みたいな悲鳴だったな」

 

 更衣室へと走りながらケラケラと笑う一夏。

 

(女の子……?)

 

 自己紹介のときに覚えた違和感がジギスヴァルトの中でぼんやりと形になった。

 

 改めてシャルルを見る。

 

(有り得ない――とも言い切れんか。男にしては妙に柔らかかったしな)

 

 後で調べてみようか――千冬の特別カリキュラムを回避できなければ覚えていられないだろうが。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 結論から言うと、間に合った。

 

 間に合ったにも関わらず、出席簿を食らった。解せぬ。

 

「では、本日から格闘及び射撃を含む実戦訓練を開始する」

 

「はい!」

 

「今日は戦闘を実演してもらおう。凰! それと、そうだな――ヴェスターグレン、来い!」

 

 千冬に名を呼ばれたのが意外だったのか、スティナはすぐには反応できなかった。

 

「聞こえなかったか?」

 

〔何でしょう〕

 

 ISを利用した小型の空中投影ディスプレイに思考入力による文を表示して返事をする。千冬の前に進み出た彼女は他の生徒と同じようにISスーツ姿で、左腰にフードにつけていたのと同じ二つのバッジをつけている。日光に肌をさらして大丈夫なのだろうか。

 

「お前、資料ではISを所持していることになっているな」

 

〔はい〕

 

「だが詳細が報告されていない。丁度良いから報告がてら演習に参加しろ」

 

「…………」

 

 言われた彼女はしばらく考え込んで、

 

〔受諾〕

 

「よし、では準備をしろ」

 

「なんであたしが……」

 

「専用機持ちはすぐに始められるからだ。いいから前に出ろ」

 

 それでもやる気が出ない様子の鈴音に千冬が小声で付け加える。

 

「少しはやる気を出せ。あいつにいいところを見せられるぞ?」

 

「まあ、実力の違いを見せるいい機会よね! 専用機持ちの!」

 

 途端にやる気がゲージを振り切った。単純と言おうか、現金と言おうか。

 

「それで、相手は? この白い子ですか?」

 

「…………」

 

「ちょっと? 何か言いなさいよ白いの」

 

「…………」

 

「おーい!?」

 

「まあ慌てるな凰。お前たちの対戦相手は――」

 

 キィィィン――と、空気を裂くような音がした。

 

「あああああ!? ど、どいて! どいてくださいー!?」

 

 頭上から、声。一夏が上を見ると、目の前に真耶の顔があった。

 

「えっちょっ待っ」

 

 衝突。

 

 なんとか直前に白式を展開した一夏は真耶と(もつ)れ合って吹っ飛んだ。数メートル飛んでいった後、地面に激突。ゴロゴロと地面を転がってようやく停止した。

 

「いってぇ……いったい何が……」

 

 体を起こそうと手をついた一夏だったが、その手が何か柔らかいものに触れた。何だろうか、この柔らかい感触は。

 

「あ、あのー、織斑君……ひゃんっ!」

 

 一夏が固まった。恐る恐る自分の手の先に視線をやると、

 

「そ、その、ですね。困ります……こんな場所で……いえ、場所が問題なわけではないんですがですね! 私と織斑君は仮にも教師と生徒でですね! ああでも、千冬先輩が義姉(ねえ)さんというのはとても魅力的ではあるんですが、でもでも――」

 

 真耶が暴走していた。一夏の手の下にあったのは真耶の、何というか、こう、柔らかい胸部装甲だった。

 

 さて、この状況をより客観的に見るならば。吹っ飛ばされてゴロゴロ転がった結果、一夏が真耶を押し倒している状態である。しかも彼の手はしっかりと真耶の胸部装甲を鷲掴んでおり、さっさと離れればいいのになかなか動き出さない。

 

 これを見て攻撃手段のある恋する乙女たち(鈴音とセシリア)が大人しくしているはずもない。箒が専用機持ちでないのは幸運だったろう。

 

 一夏の頭を狙ってレーザーが(はし)り、当たる直前で金属の壁に阻まれて屈折。蒼穹へと消えていった。

 

「――残念。ジグさん、邪魔しないでくださいな……」

 

 腕と大剣(ヴォーパルシュピーゲル)を部分展開したジギスヴァルトがセシリアのレーザーを受け止めたのだった。セシリアは額に青筋を浮かべてジギスヴァルトを睨んでいる。

 

「そうはいかんだろう。さすがに見過ごせ――」

 

 ガシーン、と、鈴音が双天牙月を連結する音が聞こえた。あの青竜刀は柄頭を連結することで双刃剣となり、その状態では投擲攻撃も――。

 

「一夏」

 

「な、なんだジグ?」

 

 鈴音が双天牙月を振りかぶって、投げた。

 

「……すまん、アレは無理だ」

 

 三十六計逃ぐるに如かず。アリーセは軽くて脆いので、例え完全展開していてもあんなものを受け止めたら吹き飛ぶ。それにジギスヴァルトは精密射撃ができるほど銃器の扱いがうまくないので、アサルトライフル(ヴァイスハーゼ)で迎撃しようにも止められる自信が無い。ガトリング砲(メルツハーゼ)は弾をバラ撒く武器なので他の生徒に当たる、よって論外。

 

 そういうわけで、ジギスヴァルトはさっさと逃げた。もともとは一夏の自業自得だし、白式は展開しているからまあ死にはしないだろう。

 

「うおおお!? ジグの薄情者おおおおお!?」

 

 首を狙って投げられた双天牙月を間一髪で仰け反って躱し、一夏はその勢いのまま仰向けに倒れた。そして悟る。

 

(あ、無理だこれ)

 

 連結状態で投擲された双天牙月はブーメランのように返ってくるのである。倒れ込んでいる一夏にそれを躱すだけの余裕は――。

 

 ――ドンッドンッ! と、二つの銃声。

 

 弾丸は的確に双天牙月の両端を叩き、軌道を変える。それを為したのはなんと真耶だった。倒れたままの姿勢から上体だけを起こし、両腕でしっかりとアサルトライフルをマウントしている。驚くべきはあの体勢で撃ってあれだけ正確に射撃ができることだろう。また、雰囲気も普段と違って落ち着き払っている。

 

『…………』

 

 その場の皆が驚きで呆然とする中、真耶は平然と起き上がり、眼鏡を直しながら千冬の隣へ。

 

「山田先生はああ見えて元代表候補生だ。今くらいの射撃は造作もない」

 

「む、昔の話です。それに候補生止まりでしたし……」

 

 千冬の言葉に少し照れた真耶は顔を赤くして頬に手を当てている。このあたりの仕草はいつもの彼女だ。

 

「さて小娘ども、さっさと始めるぞ」

 

「え? 二対一ですか?」

 

「…………」

 

「安心しろ。今のお前たち……まあヴェスターグレンは見たことが無いから知らんが、凰はすぐに負ける」

 

 負ける、と言われたのが気に障ったのか、鈴音は瞳に闘志を滾らせた。一方、スティナの方は相変わらず表情が読めない。

 

「さっさとやるわよ白いの!」

 

〔スティナ・ヴェスターグレン〕

 

 いつまでも白いの白いの言われるのもイライラするので、簡潔に自己紹介。

 

「そう。あたしは凰鈴音よ」

 

「…………」

 

 鈴音が飛び上がるのを見送って、スティナもISを展開した。

 

 白と橙のその機体は――剣。ジギスヴァルトのシャルラッハロート・アリーセのように全身装甲というわけではないが、その見た目はかなり特徴的だ。

 

「ふむ。とりあえず、資料に記載しなければならん。そのIS、名前は?」

 

〔Aphonic Robin〕

 

 エイフォニック・ロビン――()()()()()()

 

 頭部には短剣が一角獣の角のように突き出たバイザー。左腕は他のISと何ら変わりないが右腕にはマニピュレーターが無く、その肘より先には一メートルを軽く超える両刃直剣が折りたたまれた盾型の装甲がついている。両の脚部の膝から下は物理ブレードになっている。

 

 胸部には簡単な装甲がついていて、背中には二基一対の大型ブースター。非固定浮遊部位(アンロックユニット)は――無し。胸部とブースターだけがオレンジで、他は白い。

 

「よし。では、始めろ!」

 

 千冬の号令で飛び上がり、鈴音に合流する。

 

「ピーキーそうな機体ねえ。足引っ張んないでよ?」

 

「…………」

 

「あーもう、何か言いなさいってば調子狂うわねー」

 

『声帯、機能しない。喋れません』

 

 プライベート・チャネルで返答があった。思考通信が可能なISの通信はスティナが自由に声を発する唯一の手段だ。普段出している小型空中投影ディスプレイではあまり文字数を多くできないのである。

 

 まあ、その方法で喋る機会が今まではあまり無かったのでそもそも会話が得意ではなく、通信でもあまり喋りたがらないが。そのあたりはこれから練習していくつもりでいる。

 

『そう、悪かったわね。それで? アンタ何が出来んの?』

 

『出来ることは少ないですよ』

 

 そう、()()彼女に出来るのは――。

 

『寄らば斬ります。寄らずとも、寄って斬ります』

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 さて、と相手を見据える。先程披露した射撃の腕からして、山田先生はおそらく射撃主体。一方、私には投擲用ナイフ以外に飛び道具が無い。いきなり不利だ。

 

 だけどまあ、いいか。隣でやる気満々の鈴音さんには悪いけれど、私はこの試合を本気でやるつもりは無いのだ。

 

 なにせ、相手はあの山田真耶。クラスの皆は知らないようだったけど、ブリュンヒルデ織斑千冬と日本代表の座を争ったと聞いている。そんな傑物に、しかも射撃兵装を主とする相手に、私のような未熟者が()()()()()()()()()勝てるわけがない。

 

 近々学年別トーナメントが控えている。たかだか授業のデモンストレーションで手の内を見せすぎるとその時に不利だ。

 

「さあ行くわよ!」

 

 鈴音さんが青竜刀――あのISは甲龍のはずだからあれは双天牙月だろう――で斬りかかった。それを見て私は左手に投擲ナイフを三本コール。一つは山田先生に当たるように、あとの二本は彼女の退路を塞ぐように投げる。

 

 しかしさすがと言うべきか――私のナイフは全て落とされた。

 

 けど問題ない。あれは落とされる前提で投げた。そもそも弾丸すら見えるようになるハイパーセンサーの恩恵を受けられるIS戦で、投擲武器なんて牽制にしかならない。双天牙月のように質量と威圧感があるならまた別だけど。

 

 しかしながら、私のナイフに気を取られたはずの山田先生はそれでも鈴音さんの双天牙月を避けた。そのまま後退して距離を取り、鈴音さんにアサルトライフルを連射する。山田先生が後退していくものだから、私との距離はグングン離れていく。

 

 正直気は進まないんだけど、多分このままここでナイフを投げるだけだと織斑先生に怒られる。だから私は背中のブースターに火を入れることにした。鈴音さんが先生の気を引いてくれている今ならいけそうな気がする。

 

 右腕の両刃直剣《音裂(おとさき)》をオンラインに。盾に畳まれた状態から、腕の先に一直線になるように展開する。

 

 ブースタースタンバイ。瞬間的な加速のみを追求したこのブースターは、上下にしか動かない。つまり、“前へ突っ込む”ことしか考慮されていない。

 

 敵が寄らば斬るけれど、先生は寄らないだろう。なればこそ、私はただ、寄って斬る――!

 

「…………!?」

 

「スティナ!?」

 

 一瞬。本当に一瞬だった。

 

 私のブースター《遠音(とおね)》は少ないエネルギー消費での“瞬時加速(イグニッションブースト)を超える加速”を目指した瞬間加速装置だ。この程度の距離は無いに等しい。瞬きの間に距離を詰め、すれ違い様に先生を斬る――つもりだった。

 

 瞬間速度なら並のISよりも、銃弾よりも、数段速い。そんな私に山田先生は反応した。ひらりと躱され、アサルトライフルの掃射を受ける。鈴音さんの攻撃を躱しながらでも正確に撃ってくる。

 

 私はそれを避けられなかった。何しろエイフォニック・ロビンには()()()()()()()()()()。PIC制御による飛行しかできないので、前進以外の機動性は他のISに劣る。それを補うための装備はあるが、この場で使いたくない。

 

 結果、緊急回避と言うにはノロい回避行動を取る私は呆気なくシールドを削りきられ、敗北。

 

 鈴音さん一人で山田先生に勝てるはずもなく、彼女もあっさりと負かされた。

 

「さて、これで諸君にもIS学園教員の実力は理解できただろう。以後は敬意を持って接するように」

 

 織斑先生はそう言いながらこちらを見てきた。あれは多分、手を抜いたのがバレている。

 

 でも、それは別に問題ないだろう。どうせ、突っ込むか斬るかしか能の無い私は、手を抜かなくても同じ事しかできない。

 

 そんなことより私の興味は別にある。

 

 織斑一夏。そして、彼の横でなんだかぽわぽわした女の子にくっつかれているジギスヴァルト・ブレヒト――“母”の“弟”。

 

 “母”がよく話題にするこの二人にようやく会えた。行きたかった学校にも行ける。私は今、期待感でいっぱいだ――。

 

 




 ロビンの右腕ですが、デ○フィング第三形態を思い浮かべていただくとわかりやすいかと。あれがガ○ダム能天使のG○ソードみたいな感じで展開します。


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第一四話:ちょっとシャレにならない

 

 私、スティナ・ヴェスターグレンは、スウェーデンから来たことになっている。なっているというか、実際三年前まではスウェーデンで生活していた。

 

 けれど、私の出身はドイツだ。出身というか、出生と言った方がいいのか。ドイツ軍の、あー……何だっけ。ナントカいう計画で作られた、ナントカいう試験管ベビーが私。よく知らないけれど遺伝子レベルで強化がどうのらしい。

 

 でも莫大な予算をつぎ込んで作られた私は先天性白皮症に加えて器質性失声症――つまり声帯が奇形だったから声が出ないなんていう、まあ軍人としては“欠陥”でしかない二つの特徴を持って生まれてしまった。おそらく技術的に不備があったんだろう。

 

 で、早々に廃棄処分が決まった赤ん坊の私は、殺されるのではなく何故かスウェーデンの軍に引き渡された。多分だけど、スウェーデンが私を欲しがった目的は強化された私のデータ。ドイツが明け渡した理由は手を汚さずに失敗作を厄介払いできるのと、私を調べたところで有用なデータなんて取れないと判断したからだと思う。

 

 そして三年前までスウェーデン軍でモルモットにされたり軍事教練を受けたりしながら生きてきた。結局、失敗作だった私からはロクなデータが取れなかったらしい。加えて、強化されている割には軍人としての能力も並程度。趣味でやっていた剣術だけは褒められたことがあるけど、この銃と近代兵器の時代に剣術なんてISに乗りでもしなきゃ役に立たないとも言われた。

 

 結局、三年前、もう要らないからと私は軍を追い出された。機密事項なんかの問題もあったろうに殺されなかったのは運が良かったのかスウェーデン軍がアホなのか。後者だとは思いたくないが、多分ガキだからって侮られたんじゃないかなという予想もしている。実際、機密なんて興味無かったからなーんにも知らないし。

 

 それから――まあ、なんやかんやで束さんに出会って、拾われて、今に至る。

 

 ――さて、どうして私がこんな話をしているのかというと。

 

「さあ、教えてもらおうかヴェスターグレン。お前は何者だ」

 

「…………」

 

 転入翌日にして早くも、エイフォニック・ロビンを造ったことにしている企業がダミーだと目の前の織斑千冬()にバレたからです。そこのテストパイロットという触れ込みだったんだけど、なんでこんなにあっさりバレたんだろう。

 

 ……ああ、機体が特化機すぎるからか。あんなものまともな企業は作らないだろうしなあ。あと機体の詳細を伏せていたのもまずかったのかも。

 

 ていうか、どうしよう。束さんの関係者なのは隠して、私は平穏な学園生活を送る気だったのに。

 

〔拒否〕

 

「拒否するのは構わんが、答えるまでここから出さんぞ」

 

 ここは生徒指導室。防音対策・盗聴対策・盗撮対策が完璧に為された、机と椅子と卓上電灯しか無い簡素な部屋。

 

 ……マジかー。出れないのかー。トイレ無いじゃん。

 

〔他言無用〕

 

「内容による」

 

「…………」

 

 仕方ない、話すか。どうせ話さなきゃ出られないのだし。諦めたとも言う。

 

 ――拝啓、今はどこに居るとも知れぬ束お母様。あなたの親友は、鬼です。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「さてジグ君、弁明は?」

 

 スティナが千冬にこってり絞られたさらに四日後。土曜日なので半ドンだ。この日の昼過ぎ、生徒会室にて、ジギスヴァルトとスティナは楯無と対峙していた。

 

「弁明と言われてもな。何についてだ」

 

 わかりきったことではあるが聞かずにはいられない。話し合い序盤にして既に彼は頭を抱えていた。

 

「あなたのご家族が身分詐称していたことについてよ」

 

 結局スティナは洗いざらい千冬に白状した。世界最強の威圧感に負けたとも言う。

 

 ジギスヴァルトと同じく、現在のスティナには所属する国が無いこと。束の工作でスウェーデンの企業所属のテストパイロットということにしていたが、実際は束に同行し束の造った機体をテストしていたこと。自分は男ではないから束の名前は面倒の種にしかならず、だからこの先も隠し続ける気だったこと等々。

 

 特に所属に関しては少々ややこしい。

 

 ジギスヴァルトの場合は国籍こそドイツだが、数少ない男性操縦者であることに加えて使用ISが天災お手製なので、単一国家に属するとややこしいことになる。具体的には、その国家と他国との戦争にまで発展しかねない。故に、少なくとも今はどの国にも属さないことになっている。

 

 一方スティナはそもそも国籍が無い。スウェーデン軍を追い出された時に戦死扱いで放り出されたため、スウェーデン籍が抹消されている。それを誤魔化して入学させてしまった束の手腕というか無軌道さには感心するが、こうしてバレては意味が無い。

 

 というかスティナの方はぶっちゃけ犯罪である。

 

「家族とは言うがな。会ったのはこの学園が初めてだぞ」

 

「でも、保護者が同じでしょう。あなたの妹ちゃんみたいなものじゃない」

 

〔兄さん〕

 

「ノるな阿呆。話がややこしくなる」

 

 ただでさえ妹分(ラウラ)のことで困っているというのに、このうえ最大級の厄介事を持ち込む妹がもう一人増えるなど勘弁願いたい、というのが彼の本音だ。だが束に「すーちゃんのことお願いね!」などと言われて了承した手前、放っておくわけにもいかない。

 

「大方、束さんの関係者だと露見するとややこしいからつい出来心で、とか言うのではないかこいつは」

 

 この5日間でスティナの為人(ひととなり)は多少理解した。この娘、喋れないせいでわかりにくいが、見た目に似合わず面倒くさがり屋、しかし飄々としていて面白いことが好きな性格だ。そのくせ好きな食べ物はたくあん、趣味は手間の掛かる盆栽と、なんというか、渋い。しかも特技は剣術。なんだこのヨーロピアン・ラストサムライ。

 

「それで? 簡潔に尋ねるが、今回のことはどう処理される?」

 

「篠ノ之博士の関係者ということだから、世界の均衡のためにこのまま無国籍でいてもらうことになるわね。どこかに所属しちゃったらそれこそ下手すりゃ戦争よ。

 幸いというか、学園に提出する書類やデータのみの改竄で、スウェーデンのデータベースなんかには手を出してない。つまりスウェーデンには今回のことは知られていないから。篠ノ之博士が実機の稼働データ採取のために学園に送り込んだということになるはずよ。博士を刺激したくないらしくて、今回はお咎め無し。このまま学園生活を続けてもらうわ」

 

「ずいぶんと寛容な措置だな。ブタ箱程度は当然と思っていたが」

 

「…………」

 

 あまりの言い種に思わずジギスヴァルトの顔を見上げたが、返ってくる視線は冷ややかだった。その顔にはありありと「面倒事をもってきやがってこの小娘め」と書かれている。歳はひとつしか違わないはずなんだけどな、などとズレたことを考えて誤魔化すことにした。この視線は真正面から受け止めるにはなかなかつらい。

 

「まあ本当ならそうなんでしょうけどね……うちのデータを改竄したのは学園長なのよねえ……」

 

「は?」

 

「つまり、学園長が協力者だったから詳細な調査が行われず、本国に知られずにスウェーデン籍で入ってこれたわけ。まあ織斑先生に篠ノ之博士の関係だとバレた以上、本当のことを公表するしかないんだけど」

 

 ――ああ、なるほど。

 

 つまりあれだ。束が学園長にお願い(おそらく脅迫めいているのだろうが)して味方に引き込んだから、虚構の身分で簡単に入り込めたと? そして学園側が加担してしまった手前罰則を与えづらいと?

 

 本気で目眩を感じでジギスヴァルトはよろけた。馬鹿じゃないのかIS学園。世界最高水準の警備が聞いて呆れる。束を怒らせたくなかったのはわからないでもないが。自分だって束の怒りを買わないために口を閉ざすこともあるし。

 

「まあでも、どの道いずれバレたでしょうけどね。イベントごとには各国のお偉いさんも来るから、この子を見てどこかが『あれはどこの所属だ』なんて言ってきたらおしまいよ。なにせIS学園に転入するには本来なら国の推薦が必要なんだから、本国が知らないわけがない。でも、知らない。

 もしそうなれば国際問題。向こうにバレる前に発覚してむしろラッキーだったわ」

 

 それを聞いてすっかりしょげてしまったスティナが弱々しく空中投影ディスプレイを表示する。

 

〔私の我が儘。

 束さんの関係者、面倒〕

 

「だろうな。でなければあの束さんがこんな穴だらけな手段を取るとは――」

 

 いや待て。いくらスティナが我が儘をごり押ししたからと言って、十全を善しとする束がこんな杜撰なことをするだろうか?

 

 否だ。彼女がやるからにはこんなわかりやすい綻びなど有り得ない。ということは、つまり。

 

「…………あの馬鹿兎め、バレる前提で行動したな」

 

 しかも理由はおそらく、自分の関係者だと公表するのをスティナが嫌がったのがショックだったからその当てつけとか、そういうしょーもないことだ。

 

「束さんもお前も、もう少し考えて行動してくれ。頼むから」

 

 視線の重圧に耐えきれなくて、スティナは目を逸らした。

 

 ジギスヴァルトがスティナのことをある程度わかり始めたように、彼女もまた彼のことは直接コミュニケーションを取ったりクラスの皆から聞いたりしてある程度把握している。束からも聞いてはいたが、やはり良好な関係を築きたいなら自分の見聞きしたことの方がこういうことは確実だ。

 

 本人は否定するが面倒見がよく、話し方は堅いがノリもいい。織斑一夏をめぐる騒動に巻き込まれやすい。あと、布仏本音と恋仲である。

 

 彼の立場を考えると一般人と恋仲というのはその相手に危険が及ぶのではと思ったが、そのあたりは心配しすぎる必要はなさそうだ。

 

 これはジギスヴァルトと本音の部屋に遊びに行ったとき本人から直接聞いたことだが、彼女の家は更識に代々仕えているらしい。裏にも精通した名家に仕えるに当たって護身術等は一通り修めているそうだ。

 

 閑話休題。スティナ本人としては、ジギスヴァルトとは兄妹や親戚のような良好な関係を築きたいと思っている。それは彼の方も同様だった。

 

 そして実際、上手くいっていた。たった今までは。

 

「…………」

 

 嫌われただろうか。束の関係者というある種の重圧を彼一人に押しつけようとした。それがバレて、下手をすれば彼も巻き込んでの国際問題に発展したかもしれないほどの面倒を持ってきた。嫌われる要素はいくらでも――。

 

「…………?」

 

 頭をポンポンと叩かれる感覚があって、見上げるとジギスヴァルトの視線の質が変わっていた。さっきまでとは打って変わって、暖かい。

 

「そう不安そうにするな。この程度、束さんに比べたらかわいいものだ。別に嫌わんよ」

 

「…………!」

 

 心の内を見透かされたのが恥ずかしくて、そして彼の言葉が嬉しくて、顔を真っ赤にしたスティナは体ごとそっぽを向いた。その仕草がまた可愛らしい、とジギスヴァルトと楯無が目を細める。バッと開いた楯無の扇子には“兄妹愛”と書かれていた。

 

「さて。お咎め無しというのならこの件は仕舞いだ。他の懸案事項を解決しておきたいのだが」

 

「何、懸案事項って?」

 

「ひとつはシャルル・デュノアのことだ。あいつ女だろう」

 

 ギクッ、と楯無が固まった。交渉事に長けた彼女がそんな反応をするからにはそれはわざとで、ジギスヴァルトの考えは当たりということだ。彼女は遊んでいるにすぎない。本音を介して少なからず交流を持った今、その程度のことはなんとなくわかるようになってきた。

 

 だがそこはお堅いようで実はノリのいいジギスヴァルト。少々付き合ってやることにした。

 

「な、何を言っているのジグ君、彼は男よ?」

 

「いや女だろう」

 

「いやー面白い冗談ね。でもほら、書類上もちゃんと男――」

 

「いや、だから女だろうアレ」

 

「…………。あ! あれは何だ!?」

 

「鳥だ!」

 

「猫だ!」

 

「たい焼きだ……!」

 

「ジグ君もだんだん本音ちゃんに毒されてきたわねぇ」

 

日本(ヤーパン)のアニメは侮れん。あれは良いものだ」

 

 ちなみに今のは本音に見せられたアニメのひとつ、たい焼き人間が空を飛び回り敵をやっつけるアニメ“たい焼き外套男”の主題歌の一節だ。あの曲は「たい焼きだ」のときの脱力感が妙にクセに――いやそうではなく。

 

「茶番はいい。見ろ、我が妹分が冷ややかな視線をくれているぞ」

 

「…………」

 

 冷ややかどころか絶対零度だった。

 

「一応聞くけど、どこで気付いたの?」

 

「最初から違和感はあった。何がどうおかしいかすぐにはわからなかったが……抱えたときに男にしては妙に柔らかかった。それからISの実機演習の際、ISスーツを着るだろう。アレは体のラインがハッキリ出る。胸は何らかの方法で潰していたようだが、骨格……特に腰回りの骨格が明らかに女だ」

 

 それに、女だと意識して観察すれば歩き方、重心の置き方、ちょっとした仕草等、男と言うにはいろいろと無理がありすぎる。

 

 さらに言えば、世界どころかフランス国内のニュースすらシャルルのことを扱っていなかった。貴重な男性操縦者がまた現れ、しかも代表候補生になったにも関わらずだ。それが彼に確信を持たせた要因でもある。

 

「さっすが。そうね、確かにあの子は女よ。私はもちろん、教師陣も大半は知っているわ。だいたい調べ終えて裏も取ってあるわよ」

 

「仕事が早いな。目的は一夏か?」

 

「一夏君というか、おそらくあなたたち二人よ。より具体的に言うと、どちらか相部屋になった方を狙う、かしら」

 

「……ああ、そういうことか」

 

 同じ男なら近寄りやすいという理由だけで男装したのだとジギスヴァルトは考えていた。男装という時点でハニートラップの可能性を排除していた。

 

 だが楯無の見立てはこうだ。ジギスヴァルトが言った通り、シャルルの男装は良く見れば見破れてしまう。ルームメイトとなった男がそれに気づき、獣性を爆発させるのを期待している、と。

 

「だが、あいつがハニートラップなど出来るようには思えんぞ。一夏に手を取られただけでずいぶん動揺していた」

 

「それは学園側も同意見。デュノア社長の愛人の子らしいから、まあ無理矢理なんでしょう。社長がやらせたのか社長夫人がやらせたのかは知らないけど」

 

 今のご時世、男性が社長をしているが実権はその妻が握っている、なんてことはザラだ。デュノア社がそれに当てはまるのかは知らないが。

 

「なるほど。世知辛い世の中になったものだな。で、どうするのだ?」

 

 それがねえ……、と顔を歪める楯無。

 

「スティナちゃんと違って、フランス国内のデータもバッチリ改竄されてるのよ。多分フランス政府も一枚噛んでる。だからこちらから何かしちゃうとそれこそ国際問題になっちゃう。スティナちゃんの件の比じゃないわ」

 

「では監視はしながら現状維持、か?」

 

「そうなるわね。けどまあ、どう転んでもデュノア社の思惑通りにはいかないんじゃないかなあ」

 

「ああ、それはそうだろうな」

 

 ――だって一夏だし。

 

 声を揃えて言う二人を見て、スティナは首を傾げた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 さて、もう一つの懸案事項、ラウラのことであるが。更識楯無生徒会長様に相談申し上げたところ、自分で何とかしろとのありがたーいお言葉を賜った。

 

 転校初日の平手打ち未遂の折。席へ向かう際、ラウラは一夏に言ったのだ。「お前が教官の弟だなどとは認めない」と。その目にはありありと憎悪を(たた)えていた。

 

 彼女のあんな目は見たことが無かった。ジギスヴァルトが彼女のもとを去った後、千冬が教官としてドイツ軍に来たと聞いているから、その時に何かあったと考えるのが妥当だろう。それ以外に彼女と一夏を結びつける物が無い。

 

「そういえばスティナ、ラウラを取り押さえた手腕、見事だった」

 

「…………」

 

 顔が赤い。褒められたのが嬉しいのだろう。

 

 現在彼らは第三アリーナに向かっている。一夏たちがそこで訓練をするらしく、彼らも誘われたのだ。特にスティナはある意味必須の人員なので、少々急いで行く必要がある。

 

 彼女は最近箒に剣を教えている。どうしても一夏の訓練に食い込もうとする箒を抑えるためだ。

 

 一夏の白式は装備が雪片弐型しか無く、つまり近づかないことにはどうにもならない。故にまずは相手に近づく機動ができなければいくら剣を上手に振れても話にならないのだが――その機動の練習を箒が邪魔するのだ。剣しか無いのだから剣の練習を最優先すべきだ、と言って。だって、機動の練習をするとなると彼女は手を出せず、セシリアや鈴音、場合によってはジギスヴァルトが教えるから。

 

 セシリアと鈴音の二人は曲がりなりにも代表候補生、特に鈴音は格闘戦もこなすので、箒の主張がいかに非効率的かがよくわかっている。なので、まあ多少は私情が入ってはいるが、その意見をばっさり切り捨てる。それでヒートアップした箒がさらに突っかかり、ちょっとした騒ぎになって他のアリーナ利用者に迷惑をかける始末。そんなことが何度も続き、一夏は箒が自分のために言っていると思っているので強く断らず、そのせいで余計にエスカレートしていった。

 

 で、二日前。さすがにジギスヴァルトがキレた。貴様はそんなに一夏の、いや一夏のみならずアリーナ利用者全員の成長を阻害したいか。そこまで言うのなら丁度良い、貴様が剣の得意なスティナに勝てたら一夏の訓練は剣にしてやる、と。

 

 結果、箒は惨敗。生身の試合においても勝てず、IS戦においても彼女はスティナの投げるナイフに翻弄され近づくことすら出来ず敗北。

 

 しかしそれでも不服を申し立てる箒。おかげでジギスヴァルトの怒りはおさまらず。あれだけ剣だ剣だと言っていたくせにその体たらく、貴様は剣の練習だけであらゆる敵を倒せるようになる自信があるのではなかったのか、と言って、剣以外のあらゆる訓練を禁止したのだ。さらに監視役兼指導役としてスティナをつかせた。

 

 正直やり過ぎたというか、これでは箒の成長をも阻害してしまうので彼女が反省したら許してやろうと思っている。今のところ反省する様子は全く以て無いが。むしろジギスヴァルトに怨みのこもった目を向けてくる。

 

 それからとりあえず今日まで、箒は一応大人しくスティナの指導を受けている。とは言え、あくまで“剣道”に拘ろうとする箒に教えるのはなかなか骨が折れるようだが。

 

「来たな。では行くぞ」

 

「…………」

 

 更衣のために一旦別れたスティナと再び合流し、アリーナ内へ。ちなみに、彼女が日光に当たっても平気なのは普段からつけているバッジのおかげだ。

 

 大きい方、八分音符の形をしたバッジはエイフォニック・ロビンの待機状態。小さい方の、星の形をしたバッジは、皮膜装甲(スキンバリア)を応用した対紫外線バリア発生装置らしい。宇宙空間で運用されるはずだったISのバリアはあらゆる有害光線を防ぐことができるのである。

 

 さて。アリーナに入った直後、何やら不穏な空気を感じた。

 

「まさかアレって……」

 

「知っているのかーかなりんー!?」

 

「うっそぉ……ドイツの第三世代型だ」

 

「まだ本国でのトライアル段階って話じゃなかったっけ?」

 

 アリーナに居る皆の視線を追っていくと、黒いISと銀髪が見えた。ラウラだ。

 

 一夏に何か言っているようだが、お世辞にも友好的には見えない。一夏は一夏で苦々しい顔をしている。

 

「……準備しておけ」

 

「…………」

 

 スティナが頷くのを確認して、ラウラを観察する。

 

 彼女は表情からして一夏を煽っているようだが、彼はそれに取り合わない。しばらくそんなことが続き、何事か言ってニヤリと笑ったラウラが肩の砲を――一夏たちとは関係ない、訓練中の生徒に向けた。その先には打鉄を纏った――。

 

(本音!?)

 

 さらに本音のすぐ近くにはISスーツ姿のクラスメイトが何人か居る。訓練機一機を皆で使い回していたのだろう。このままラウラが撃てば、彼女らは確実に大怪我だ。

 

「スティナ! 行け!」

 

 指示を出して、自身もシャルラッハロート・アリーセを展開。ラウラの射線上に入り込み、グライフを起動。相手の砲が火を噴くと同時に、最大出力でレーザーキャノンを撃つ。ラウラが放った砲弾はレーザーに灼かれて蒸発。グライフは射程が短いのでラウラには届かないが、代わりにエイフォニック・ロビンを展開したスティナが遠音で突撃。砲弾発射直後にラウラの砲を斬り飛ばした。そしてすぐさま離脱した彼女は一夏たちの側に着地し、ラウラを警戒している。

 

「無事か本音!」

 

「おー、れっひーかっくいー。王子様みたーい。私はだいじょーぶだよー」

 

「そうか……よかった」

 

 本音の無事を確認して安堵していると、周りのクラスメイトが騒ぎ出した。

 

「ちょっとジグ君、本音だけじゃなくて私たちも心配してよー」

 

「お熱いねえお二人さん」

 

「かっこよかったねージグ君。颯爽登場! みたいな?」

 

 わいわいと好き勝手言ってくれるクラスメイトに苦笑する。が、ラウラを放っておくわけにもいかない。一夏たちにも無関係ではないので、ここはオープン・チャネルで話すことにした。

 

『ラウラよ。貴様、今自分が何をしたかわかっているのか』

 

 返ってきた彼女の声は淡々としていた。そこには一切の感情が乗っていない。

 

『織斑一夏が私と戦わないと言うから、やる気を出させるために砲撃しました。それが何か?』

 

『何故関係ない生徒を狙った。ここには生身の生徒も居る。死傷者が出たかも知れんのだぞ』

 

『そいつらはクラスメイト、関係なくはない。それに、もとよりISをファッションか何かと勘違いしている腑抜けた連中です。怪我でもすれば認識も改まるのでは?』

 

 事ここに至って、ジギスヴァルトは確信した。いや、今まで気づけなかったと言うべきか。

 

 この少女は、自分の知っているあの時の少女ではない。どうしようもなく歪んでしまっている――!

 

『そこの生徒たち、何をしている! クラスと名前を言え!』

 

 不意に、アリーナに監督役の教師の声が響いた。ただならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう。遅すぎる気もするが。

 

『……今日は退()く。兄様、これは私と織斑一夏の問題だ。どうか邪魔をしないでください』

 

 ISを解除してラウラは去って行く。その背を見送るジギスヴァルトの胸中は穏やかではない。

 

 ……楯無会長。自分で何とかしろと言われたが、あれは骨が折れそうです。

 

 




 こういう話を書くと私の頭の悪さが露見してしまって恥ずかしいですね。
 ところで、私は別に箒アンチではありません。ただちょっと原作での彼女の行動にイライラしているだけです。


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第一五話:少女の願いは

 

「酒が飲みたい」

 

 ラウラの件があった後、夜、自室にて。大真面目な顔で言い放つジギスヴァルトを前に、本音は珍しく溜め息を吐いた。

 

「具体的にはビールが飲みたい」

 

「……何言ってるのージグ。お酒はー、二十歳になってからだよー?」

 

「ドイツではビールとワインなら十六歳から飲めるぞ」

 

「ここは日本ですー」

 

「IS学園はいかなる国家にも属さぬはずだが」

 

「…………」

 

 睨まれた。

 

 いや、まあ、本音に睨まれても全然怖くはないのだが。しかし彼は本音が真剣に反対しているのもわかっている。彼女は二十歳になる前の飲酒が体に及ぼす影響を心配しているのだ。

 

 でも、飲みたい。飲みたいものは飲みたいのだ。

 

「どうしてもダメか」

 

「ダーメ。ていうかー、学園内ではお酒売ってないよー?」

 

「……そうか」

 

 ガックリと項垂れるジギスヴァルト。それは普段のキリッとした姿とはかけ離れていて、本音の目にはとてもかわいらしく写った。ギャップ萌えというやつである。

 

 だから衝動の赴くままに、本音は彼の頭を抱き寄せて、ささやく。

 

「私はジグが心配なのー。代わりにコーヒー淹れてあげるからー、それで我慢してー?」

 

「……本音、コーヒーなど君に淹れられるのか」

 

「あーひどいー。コーヒーくらいちょおよゆーですー」

 

 頬を膨らませてジギスヴァルトの額を小突いた本音が、それを証明すべく立ち上がったとき。

 

 ――ドンドン! と乱暴に扉が叩かれた。

 

「ジグ! 俺だ、一夏……と、シャルルだ! 頼む、開けてくれ!」

 

 さらに、扉の向こうからなんだか切羽詰まった一夏の声。

 

 このとき、ジギスヴァルトの脳裏に閃くものがあった。こう、キュピーンと。

 

 思い出すのは今日の昼過ぎ。楯無と話した、シャルルについてのこと。シャルルのあまりにもあんまりなクオリティーの男装はどう考えてもすぐバレるというあの予想。もしかして本当にバレたのかも知れない。

 

 いや、でも、一夏だって馬鹿ではない――はず。女装に気づいたからといって、いくら何でもシャルル本人を連れて他人の部屋に行こうなどと考えはしない――と、思う。扉の前にシャルルも居るみたいなことを言っていたが、さすがに冗談だろう――と思いたい。

 

 思いたかった、のだが。

 

O Gott(なんてこった)...」

 

 とりあえず本音にはそのままコーヒーを準備してもらって扉を開けると、なんだか怒っている様子の一夏の後ろに、居た。ジャージ姿で、普段と違って胸を潰していないシャルルが。

 

 織斑一夏は、ジギスヴァルト・ブレヒトが思うよりずっと――馬鹿というか、考え無しだった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「……それで?」

 

 他の生徒に見られては困るのでとりあえず部屋に招き入れ、とりあえず座らせ、とりあえずコーヒーを出した。

 

 なお、本音の淹れたコーヒーはなかなかに美味であったことを記しておく。インスタントだけれど。

 

「何から話したらいいか……とりあえず、シャルルは実は女の子だったんだ」

 

「いやそれは知っていたが」

 

『えっ!?』

 

「私も知ってたよー?」

 

『ええっ!?』

 

 驚く一夏とシャルルを見て、ジギスヴァルトは頭を抱えた。頭を抱えついでに、今一番頭を悩ませている問題について突っ込むことにした。

 

 ありありと呆れの浮かんだ顔で睨みながら、言う。

 

「一夏。お前、どうしてシャルルをここに連れてきた?」

 

「な、なんだよ、どういう意味だよ」

 

「あまりの事態に誰かを頼りたくなるのはわかる。教師になど言えぬから同じ男である私を頼ろうというのもまあわからんでもない。だが、それなら何故私をお前たちの部屋に呼ばなかった? 来るまでに誰かに見られるやも知れんし、この部屋には本音も居るのにだ」

 

「いや、のほほんさんなら信用できるかなと……」

 

「本音は生徒会の人間だぞ。この子を経由して生徒会長や教師にバレるとは考えなかったのか?」

 

 それに本音はけっこう口が軽い。そりゃもちろん“本当に言ってはいけないこと”は決して漏らさないが、拡散した方が面白そうなことに関しては本当に軽い。それを知っていれば彼女のことはむしろ警戒して然るべきであろう。知らなかったのだから救いようが無いが。

 

 ――ちなみに。彼女の口の軽さが原因で最上級の面倒事に巻き込まれていることを、今に至ってもまだ、一夏とジギスヴァルトは知らない。

 

 さておき。

 

「……え? のほほんさんって生徒会所属なのか?」

 

 今度こそ。今度こそ、ジギスヴァルトは絶句した。

 

 この男、こんなんで本当に大丈夫だろうか。そのうち誰か親しい者を不幸のどん底に叩き落としそうな予感がする。しかも、こう、よかれと思ってよからぬことをしでかす感じで。

 

「…………まあ、過ぎたことか。今はいい。

 それより事情を話せ。シャルルが女なのは知っていたが、どういう経緯で男装に至ったかは知らんのでな。一夏の様子を見る限り、お前はあらかた聞いたのだろう?」

 

「あ、ああ……。シャルル、頼む」

 

「あ、うん……」

 

 そしてシャルルの口から語られた内容を、ジギスヴァルトは頭の中でたっぷり五回は反芻(はんすう)した。そうして、自分が今から言おうとしていることが単なる悪口ではなく事実の指摘であることを念入りに確認したうえで。眉間を押さえながら、言った。

 

「……シャルル。お前はアレだな。思っていたより阿呆だな」

 

「なっ!?」

 

 突然の罵倒にさすがに狼狽した。決して良いものとは言えない身の上話をして気分が沈んでいるところにそれが飛んできたものだから余計に。

 

「さすがにもう少し警戒しろ。シャワーを浴びている最中に替えのボディーソープを持った一夏が入ってきてバレたなど、本当に隠す気があるのかどうか疑わしいぞ。

 それと一夏。シャルルが普段、私たちに着替えを見られることさえ嫌がっていたのは貴様とて知っているはずだ。だのにボディーソープを渡しに堂々と扉を開けただと? もはやデリカシーだとかそういう次元の話ではない、人として最低だ」

 

「ぐっ……! いやでも、男だと思ってたし……。それに普段一緒に着替えないから今日こそは、と思って……」

 

「あのな。仮に男同士だとしても、何をしても許されると思うなよ。嫌がっているのだから潔く諦めろ。

 というかだな。前々から思っていたが、どうしてそんなに一緒に着替えたがる? 貴様ホモか? だとしたら即刻ここから出て行け。二度と私に関わるな」

 

「ホモじゃねえよ!? ていうか、問題はそこじゃねえ!」

 

 確かに一夏の言う通り、問題はそんな些細なことではない。

 

 シャルルがデュノア社長の愛人の子であること。母が死に、父に引き取られ、ISの適性が高いと知られ、社のテストパイロットとして道具のように扱われていたこと。特に社長夫人からの扱いが非道く、彼女の息のかかった者に暴力を振るわれることも多々あったこと。第三世代型ISの開発に遅れをとったデュノア社は経営が傾き、打開策を求めて男性操縦者のデータを欲したこと。だから一夏とジギスヴァルトに近づいてデータを盗むためにシャルルは男装を強要されIS学園に派遣されたこと。

 

 どれもこれも大問題だ。特に最後のはいわゆるスパイ行為。バレれば退学どころの騒ぎではない。

 

 だが何よりも問題なのは。最大の問題にシャルル本人さえ気付いていない点である。

 

「シャルルよ。一応確認するが、男装するに当たって何か特別な指導を受けたか?」

 

「え? ううん。一人称は“僕”を使いなさいって言われた以外は胸を潰すサポーターと男子用制服を渡されただけだけど……それがどうかした?」

 

 前略、道の――ではなく、IS学園学生寮一年生棟より。楯無会長、あなたの予測、大当たりのようです。

 

「そうか。ならばここでハッキリさせておく必要があるな」

 

「何をだよ?」

 

「シャルルを男装させて送り込んだ理由をだ。デュノア社、いやフランスにとって、私たちのデータを盗むのは二の次ということだよ」

 

「……え?」

 

 戸惑うシャルル。当然だろう。嫌がる心を押し殺して命令を遂行していたのに、自分が受けた指示は実はどうでもいいんだよなんて言われてはいそうですかと納得できるわけがない。

 

「忌憚なく言わせてもらうがなシャルル。お前の男装は“お粗末”の一言に尽きる。骨格、動き方、仕草、我々男と接する態度等々、どれもこれもがわかりやすく“女”だった」

 

「……そんな」

 

 そのうえ嫌々ながらも必死でやってきた男としての振る舞いまで否定されて、かなりヘコんだ。

 

「だが相手は仮にも大企業。何の訓練もしていない女が男装してバレないなどと考えているはずがない。つまり、シャルルの男装はバレる前提のものということだ。

 さてここで一夏に質問なのだが」

 

「な、何だ?」

 

「仮に。もし、仮にだ。お前が若いリビドーを抑えられず、シャルルが妊娠してしまったとする」

 

「はあ!?」

 

「に、妊娠!?」

 

 顔を真っ赤にしたシャルルが涙目で睨んできた。別に彼はセクハラしようだとか思っているわけではないのだが。

 

 表情には変化が無いが後ろ姿がなんとなく悲しげなジギスヴァルトを見て、本音は彼が内心傷ついていることを悟った。案外繊細なのだ、彼は。後で膝枕か何かして慰めてあげよう。抱き締めるのも良いかもしれない。

 

 ちなみに、話に入れないというか、ジギスヴァルトに任せることにした本音は今、コーヒーとカステラでまったりしている。

 

(たわ)け、真面目な話だ。聞け。

 まあ別に妊娠でなくともいい。単純に肉体関係を持ってしまったらだとか、この際そこまでいかずともお前とシャルルが交際することになったら、でもいい。

 その後スパイ行為がバレたシャルルがフランスに強制送還されたとしたら。一夏、お前はどうする」

 

「そりゃ、なんとしてもついて行くさ。俺には責任があるからな」

 

「それだ」

 

 当たり前のように即答する一夏に、パチンと指を鳴らしてジギスヴァルトが頷く。

 

「それがシャルルを送り込んだ本当の目的だ。私たちと同じ男性であれば、少なくともどちらかと相部屋となる可能性が高い。そしてルームメイトとなった男にバレて、襲われて、そいつをフランスに来させる。そのための――言い方は悪いが、駒がシャルルだ。いわゆるハニートラップだな」

 

 今度は一夏が絶句する番だった。

 

「なんだよそれ……。親だからってそんなことさせていいのかよ!」

 

 一夏には親が居ない。捨てられたのか死んだのかは知らないが、とにかく気付いたら姉と二人だけだった。八つ年上の姉が必死で守ってくれたが、それでも小さい頃には街で見かけた楽しそうな親子連れを見て羨んだこともある。

 

 だからだろうか。彼は親が子に理不尽を強いることを極端に嫌う。今回についても、愛人の子だからといってシャルルを道具のように扱う父親の話を聞いてただでさえ憤っていた。

 

 それが、ジギスヴァルトの話を聞いて、今度こそ爆発した。やはりなんとしてもシャルルを助けなければと思った。

 

 だが彼には何の力も無い。IS学園はあらゆる国家の干渉を受けないという特記事項によってシャルルを少なくとも三年は保護できる、と彼女に伝えるのが精一杯だった。だから、自分より頭が良いと思うジギスヴァルトに知恵を借りに来たのだ。

 

 ――なのに。

 

「ジグ、力を貸してくれ! 俺はどうしてもシャルルを守ってやりたいんだ!」

 

「は? いや、普通に嫌だが」

 

 彼の返答は、無情だった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 話をしていて、どんどん一夏の機嫌が悪くなっていくのがわかった。

 

 まあ、当然といえば当然だろう。私とてシャルルの話を聞いて腹に据えかねるものはある。正義感の強い一夏ならなおさらだ。

 

 だから、一夏が何を言うかもある程度予想はついた。

 

「ジグ、力を貸してくれ! 俺はどうしてもシャルルを守ってやりたいんだ!」

 

 ――ああ、相変わらずこいつは良い意味でも悪い意味でも期待を裏切らないな。

 

 だが、こいつは恐らく気づいていない。いや、そういう発想が無いと言うべきか。

 

 シャルルの話が真実である保証など無いということをこいつは考えない。何故なら、一夏にとってシャルルは既に“友達”だからだ。友達を疑うなど言語道断とでも考えているのだろう。それ自体は真っ直ぐで非常に好ましいが、ある意味ハニートラップが成功してしまっているとも言える。それがハニーである必要の無い方向に、であるのは一夏らしいかも知れん。

 

 実際、シャルルの話したことについては既に学園が――というか更識家が完璧に調べ上げて裏まで取ってある資料を見せてもらったので、“私には”彼女の話を信じるだけの根拠がある。

 

 一夏には今回それが無いのだから、もう少し疑うことを覚えて欲しい。今回はシャルルが真実を語った。だが、もし一夏に友達だと思わせるところから既にシャルルの策略で、彼女が嘘を喋っていたとしたら? そして、もし次に同じようなことがあったとき、その者は馬鹿正直に真実を話すだろうか?

 

 別に信じるのは構わないが、そういったことを頭の片隅にでも良いから留めておいてもらわなければ困る。でないとこいつは最悪全てを巻き込んで破滅する。

 

 それに、シャルル自身の心の問題もある。今のままの、全てを諦めたままの状態の彼女を助けたところでそれは私と一夏の自己満足。彼女のためにならない。

 

 故に、私は――。

 

「は? いや、普通に嫌だが」

 

 とりあえず()()拒否するとしよう。それと、布石も打っておかなければな。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「嫌……だって?」

 

 一夏はジギスヴァルトの言葉が信じられなかった。一夏は彼のことを、口ではなんだかんだ言いつつも最終的には友達のために行動する、そんな男だと思っていた。だからこそ、彼の言葉が許せない。

 

「ふざっけんなよ! 友達が困ってんだぞ!」

 

「そうだな」

 

「親の身勝手で無理矢理やらされたことのせいで、犯罪者として牢屋にぶち込まれるかもしれねえんだぞ!」

 

「それも理解している」

 

「だったら!」

 

 激昂する一夏を出来る限り冷ややかな視線で見下ろして、言う。

 

「嫌だと言っている」

 

「なんでだよ!」

 

()()()が真実を語っているという保証が無――」

 

 ――一夏がジギスヴァルトに殴りかかった。

 

 ISだけでなく生身での戦闘も授業で少しは学んでいるとはいえ、まだまだ素人同然の拳だ。避けることはできた。が、彼は敢えて避けない。避ければ一夏がヒートアップして余計に暴れる可能性がある。

 

 頬に一夏の拳がめり込むが、ジギスヴァルトは微動だにしない。

 

「……痛いではないか」

 

「うるせえ! 困ってる友達をこの女呼ばわりして、しかも疑うなんて、てめえ何考えてやがる!」

 

「お前こそ何を考えている? この女は性別を偽って私たちを騙していたのだぞ。根拠も無く信じるなど正気とは思えん」

 

「この――」

 

「仮にこの女の言が正しいとしてもだ」

 

再び殴ろうとした一夏の拳を今度は受け止め、捻り上げる。

 

「ぐぅっ……!」

 

 すぐに手を放してやってもよかったが、好き勝手暴れさせておくと話がしにくいのでこのまま続けることにした。

 

「この女を助けることに意味はあるのか? 先程から力無く項垂(うなだ)れているこの女は、お前に一言でも助けを求めたのか? 私にはとてもそうは思えんが」

 

 言われて、一夏はシャルルを見る。

 

 確かに、シャルルは一夏に身の上話はしたが、助けは請わなかった。けれど彼女はきっと救いを求めているのだと、一夏は信じている。信じているからこそわざわざジギスヴァルトに助力を頼みに来たのだ。

 

 そんな一夏の想いとは裏腹に、シャルルは何も言わない。俯き、いかなる感情によるものか、震えている。

 

 それでも。

 

「んなこと関係あるか! 俺は大事な人を皆守るって決めたんだ! いいから知恵貸せっつってんだよ!」

 

 ――なんとまあ。なんてご大層なハリボテの決意だろうか。

 

 しかし、はてさてどうするか、とジギスヴァルトは考える。正直、一夏が感情的になりすぎていてこのままでは話にならない。ぶん殴ってでも聞かせるというのも手段としてあるにはあるが――今回に限ってはシャルルを助けることそのものは間違いではないのでそこまでする気になれない。

 

 それにそろそろ()()が来る頃だ。あまり待たせると機嫌を損ねてしまって面倒くさいことになるかも知れない。今回はとりあえずシャルルの諦観を取り除くだけで善しとして、一夏が本格的に暴れ出す前に収拾をつけることにしよう。

 

「シャルル」

 

「……何?」

 

「仮に、お前を解放出来る手段があるとしたら――どうする?」

 

 ハッとした彼女が顔を上げるが、すぐにまた悲しげに表情を歪めて俯いた。そこには色濃い諦念がある。

 

 そして一夏は、先程まで助力を嫌がっていたジギスヴァルトの突然の言葉に困惑している。いったい何をするつもりなのか、まさかこれ以上シャルルを追い詰める気なのか、と。

 

「無理だよ。経営危機にあるって言っても、相手は腐っても大企業。僕はもう……」

 

「仮に、と言っているだろうが馬鹿者。もし助かることができるのだとしたら、お前はどうしたい。自由になりたいのか、それともそのまま社の人形で居たいのか」

 

「そんなの――そんなのっ!」

 

 バンッ! と机を叩いて、彼女は立ち上がる。目には涙を溜めて、感情のままに叫ぶ。

 

「自由になりたいに決まってる! 僕は女なんだ! 男じゃない! 普通の女の子として生きていたいに決まってるじゃないか! でも――!」

 

「でも、ではない。だから、だ。()()お前は何者だ。社に操られる木偶(でく)か? 諦観のうちに朽ち果てる死者か? それとも――IS学園一年一組、シャルル・デュノアか?」

 

「それは――」

 

 木偶人形なのは否定できない。今のまま全てを諦めて流されるままに生きるなら死人と変わらないだろう。

 

 でも、もしそれを変えられるのならば。

 

「お前がIS学園の生徒だと言うのなら。IS学園の生徒でいたいと願うなら。言え、お前の願望を。IS学園の生徒たるお前自身の口で。IS学園の生徒たるお前自身の意志で!」

 

「僕……僕は……」

 

 皆を騙している己にはIS学園の生徒でいる資格は無いのかも知れない。皆はそれを許してはくれないかも知れない。

 

 でも、もし許されるのならば。

 

「もう、嫌だ……男装なんてしたくない……。ジグを、一夏を、クラスの皆を騙したくなんてない……! 普通の女の子としてここに居たい! もうデュノアの言いなりになんてなりたくない! だから……」

 

 だから、誰でもいいから、どうか――。

 

「助けて……。誰か、助けてよぉ!」

 

 少女の願いは――。

 

「オーケー承ったぁ! おねーさんに、まっかせなさーい☆」

 

 勢いよく扉を開けて乱入してきた学園最強(生徒会長)が、しっかりと受け止めた。

 




 実は恋愛描写がものすごく苦手で主人公とのほほんさんをどういちゃつかせればいいのかわからない、なんてそんなことは御座いませんよ。ええ、御座いません。
 …………すみません、嘘です。


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第一六話:必殺、閃光魔術

 

 一夏とシャルルは闖入者(ちんにゅうしゃ)を見てフリーズした。

 

 当然だ。今のシャルルは男装を解いているのだから。突然見ず知らずの生徒が現れて自分たちの秘密を見たとなれば平常心ではいられまい。いろいろと処理能力の限界を超えたのだろう。

 

「……あれ? 何この空気? おねーさんもしかしてハズしちゃった?」

 

「…………楯無会長。さすがにもう少し真面目にやってくれ」

 

 こめかみを押さえて溜め息を吐きながらジギスヴァルトがそう言うと、楯無は頬を掻きながら、

 

「いやーほら、なんか暗い雰囲気だったから明るくいったほうが良いかなーって……てへっ☆」

 

〔無様〕

 

 楯無の横をすり抜けて今度はスティナが入ってきた。空中投影ディスプレイを楯無の目の前に固定表示したままで。

 

「ああスティナ、ご苦労。すまんな、“こんなもの”を呼びに行かせて」

 

「…………」

 

 きちんと扉を閉めた後に入口からまっすぐジギスヴァルトのもとに来た彼女の頭を、彼は労う意味も込めて撫でた。気持ちよさそうに目を細める彼女を見た本音が羨ましそうにしているのに気づいて、本音の頭もぐりぐりと撫でてやる。途端に満足そうな顔になった本音にジギスヴァルトが癒されていると、楯無の悲痛な叫びが部屋に響き渡った。

 

「ちょっとスティナちゃん無様とか言うのやめてくれないかしら!? あとジグ君もこんなもの呼ばわりしないで!」

 

「しょーがないよーたっちゃんかいちょー。さすがにあれはないわぁー……」

 

「本音ちゃんまで!?」

 

 なんてことかしら、幼なじみが反抗期だわ……! と楯無が床に崩れ落ちた。そこでようやく再起動が完了したらしい一夏とシャルルがわたわたと慌て始める。

 

「えっ? えっ? 何? 誰? 誰なの?」

 

「ていうかジグとのほほんさんはなんでそんなに落ち着いてるんだよ一大事じゃねえか早速秘密ががががが」

 

 シャルルの混乱は(もっと)もだが、一夏は秘密がどうこう言える立場ではないんじゃないだろうか。道中誰かに見られるかも知れないリスクを自覚せずにこの部屋までシャルルを連れてきたのは彼なのだし。

 

「二人とも落ち着け。この人はこの学園の生徒会長、更識楯無だ」

 

「生徒会長!?」

 

「おいおいそれってヤバいじゃんか! 一番知られちゃいけない人だろ!」

 

 紹介されてますます慌てる二人に、立ち直った楯無がとても良い笑顔で、言う。

 

「大丈夫よ、とっくに知ってたから♪」

 

『はいぃ!?』

 

 声を揃えて驚く一夏とシャルル。

 

「何を驚く。生徒会役員の本音が知っていたのだ、生徒会自体が知っていると考えるのが自然だろう」

 

 まあ生徒会は三人しか居ないが――とは言わなかった。おそらくこの場合、よりたくさんの人間が知っていると思わせた方が都合が良い。

 

「ちなみに教師陣も大半は知っている」

 

「これもすべてー、更識楯無ってやつのしわざなんだぁー」

 

『なんだって!? それは本当かい!?』

 

 またしても声が揃う二人。仲のよろしいことだが、何故だろうか、本人たちは心の底から焦っているとわかっているのにどうしても巫山戯ているように感じてしまう。今、かなりシリアスな場面だった気がするのだけれど。それもこれも全部更識楯無って奴の仕業なんだ。

 

「はいはい私のせい私のせい」

 

「いじけていないでさっさと話を進めろ楯無会長」

 

 いい加減じれったくなってきたので、ジギスヴァルトはドアの前でしゃがんでいじける楯無の首根っこを掴んで無理やり立たせた。何するのよ、と抗議しつつ彼女は改めてシャルルに向き直る。

 

「あの、生徒会長さんが何の用でしょう……?」

 

 問いかけるシャルルの顔にも声にも、警戒が多分にこめられている。自身を破滅に追い込める存在が秘密を握っていると知ったのだからそれは正常な反応だろう。

 

 対する楯無はいつもの人を食ったような笑顔で扇子を開いた。そこには“救済”と書かれている。

 

「何の用って、酷いわシャルルちゃん。あなたが望んだんじゃない。我が校の生徒であるあなたが、助けてって言ったのよ。確かに聞いたわ私♪」

 

「それは……そうですけど……」

 

「だからおねーさんに任せなさい。私は生徒会長なんだから。生徒を守るのがお仕事なの。生徒が助けを求めるならどんな手を使ってでも守ります」

 

 扇子を一度畳んで、再び開く。今度は“超安心”と書いてあった。だがどうしてだろうか、逆にとても不安になってくるのは。

 

「あの、そんなこと本当にできるんですか? こう言っちゃ失礼ですけど、たかが生徒会でしょう?」

 

 一夏の疑問は正しい。一般的に生徒会といえばある程度の権限が与えられているものだが、それはあくまで校内のことに限られる。漫画やゲームに出てくるような、とんでもない権力を持つ生徒会なんて実在しない。

 

 ただし。それは()()()学校ならばという話である。

 

 ここは実質的にひとつの国扱いであるIS学園。その生徒会が“普通”などであるはずがなく。現生徒会長は更識楯無(更識家当主)であり。さらに今回のケースでは()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「もちろんできるわよ。IS学園生徒会長の肩書きは“学園最強”の証なんだから。全ての生徒の長たる者は最強であれ、ってね」

 

 またまた扇子を閉じ、そして開く。書かれた文字は“学園最強”に変わっていた。相変わらず仕組みがよくわからない謎扇子っぷりである。

 

「すみません、意味がわかりません。最強だからって何でもできるわけじゃない……」

 

 シャルルの反駁を受けても楯無は揺るがない。相変わらずの笑顔で話を続けていく。

 

「私の家、いわゆる“裏”にもちょっとばかし顔が利くのよ。

 それと、あなたのことは経歴からスリーサイズから男装の経緯から、全てを調べ上げて裏も取ってある。そのうえで会議にかけた結果、IS学園はあなたの要請があれば全力であなたを守ることを決定しているわ。

 ただ、デュノア社やフランス政府、国際IS委員会への根回しが必要だから、そうねぇ……学年別トーナメントが終わるまでは男装したままでいてもらわなきゃいけないかな」

 

 一夏とシャルルはポカンとした顔で楯無の話を聞いている。特にシャルルは信じられない思いで一杯だった。まさか自分が助かるなどと、想像したことさえ無かったのかも知れない。

 

「本当……ですか?」

 

「もちろん。おねーさん嘘吐かない☆」

 

「その胡散臭い喋りをやめろ。余計に嘘くさい」

 

「ぅあいたぁ!?」

 

 デコピン一閃。ジギスヴァルトの()()()()()それをまともに食らった楯無はあまりの痛みに涙目になって床を転げ回る。本気でやると頭蓋骨に穴が開くので手加減していたとは言え、その威力は生身によるそれとは比べ物にならない。

 

「……ふふっ」

 

 その様を見て、シャルルが、笑った。

 

「いたたた……うんうん、女の子は笑顔が一番ね。かわいいじゃない♪」

 

「貴様の笑顔は末恐ろしいがな」

 

「ねえジグ君? 前から思っていたのだけど、あなたって先輩に対する態度がなってないんじゃない?」

 

「そういう性分だ。織斑先生に言わせれば私は敬語が似合わんらしい」

 

「敬語とかの問題じゃなくないかしら!? おねーさん“貴様”はダメだと思うの! せめて“お前”とかにしなさいな!」

 

「わかったからさっさと纏めろ楯無会長。一夏とシャルルがまた置いてけぼりだ」

 

 わかってるわよ、とジギスヴァルトを一睨みしてから、楯無はシャルルに言う。

 

「そういうわけだから、あとのことはおねーさんたちに任せなさい。学年別トーナメントまではくれぐれも他の生徒にバレないようにしてね。

 それじゃあ、あと三十分くらいで消灯時間だし、おねーさんは帰ります。バイバイ、シャルロットちゃん♪」

 

 そして言うだけ言ってさっさと帰ってしまった。それは話を纏めたというより皆を置き去りにしたというのだ、とジギスヴァルトは眉間を押さえる。だが本人が帰ったのでもうどうしようもない。

 

「えっと……?」

 

 話に若干取り残され、部屋にも残された二人は依然として混乱している。

 

「僕、どうなるの……?」

 

「話を聞いていなかったのか?」

 

「もうすぐ女の子に戻れるのだよねー♪」

 

「……ホン、トに……?」

 

〔本当〕

 

 皆に言われてようやく実感がわいたらしく。加えて緊張もとけたのだろう、彼女の目にはみるみるうちに涙が溜まっていく。

 

「……う、あ、ああ……!」

 

 それから消灯時間直前まで、彼女は泣き続けた。大声でわんわん泣いた。泣き止む頃には涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっていて、本音が顔を拭いてあげていた。

 

「……ゴメン、泣いちゃって」

 

「構わん。それよりそろそろ部屋に戻れ。消灯時間を過ぎてしまえば織斑先生の説教が待っているぞ」

 

「あ、ちょっとだけ待って」

 

 そう言ってシャルルは立ち上がり、皆に向き直ってお辞儀をひとつ。

 

「さっき生徒会長さんが言っちゃったけど……僕のホントの名前は、シャルロット。シャルロット・デュノアです。ありがとう。よろしくお願いします」

 

「おう、宜しく」

 

「良い名だな。宜しく」

 

「よろしくねー」

 

〔宜しく〕

 

 顔を上げたシャルル――否、シャルロットは、今度こそ笑顔だった。

 

「それじゃ、おやすみ」

 

「おやすみ、ジグ、のほほんさん」

 

God natt(おやすみ)

 

 そして、一夏たちは部屋を出ていく。

 

 帰路についた一夏にはしかし、どうしても引っかかっていることがあった。それは先程のジギスヴァルトの態度。

 

 最終的に、シャルロットが解放される方向へと事態が動き出した。ジギスヴァルトが彼女の言葉を誘導しているようだったことから、彼は途中からは彼女を助けるべく動いていたと予想できる。とすれば、楯無が乱入してきたタイミングから考えると何らかの方法――おそらくコアネットワークを介した思考通信で連絡し、楯無を呼んで待機させていたと考えるのが自然だ。

 

 まあ、実際は楯無と直接回線を繋げる番号を知らなかったのでスティナに連絡したのだが、それは一夏の知るところではない。

 

 とにかく、彼はシャルロットのために行動した。けれど、彼は言ったのだ。助力を請う一夏に、「嫌だ」と。さらには、シャルロットに非道い言葉を浴びせたりもした。助けるつもりだったならそんな必要は無かったはずなのに。

 

「一夏? どうかした?」

 

「え? いや、何でもない」

 

 考えれば考えるほどわからない、そんな深みにハマってしまった一夏は、一人モヤモヤとしたものを胸に抱えるのだった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 明けて日曜日。ジギスヴァルトと本音はIS学園からモノレールに乗って本土へ渡っていた。目的はジギスヴァルトの趣味――彫刻に使う木材とナイフ、そしてとある機材を探すこと。彫刻刀ではなくナイフである。

 

 それはもう早々に済ませてしまったので、現在二人は街をぶらぶらと歩いている状態だった。買った荷物は全てシャルラッハロート・アリーセの拡張領域(バススロット)に収納している。量子化様々である。

 

「クレープうまうまー♪」

 

「ふむ、これはなかなか……」

 

 屋台でクレープを買った二人は食べながら散策――というか、駅前へと移動していく。必要な買い物ができる店が駅から離れていたので結構な距離を歩くことになる。一旦駅に戻って駅前のショッピングモール“レゾナンス”を回る予定だ。

 

 ちなみに本音のクレープはチョコバナナ、ジギスヴァルトはなんと海老カツである。お菓子というか軽食の部類に入るだろうか。

 

 クレープを食べ終えた頃、二人はレゾナンスに到着した。別に買いたい物があるわけではないのでのんびりといろんな店を見て回ろうと思っていたのだが――。

 

「あれ、ジグじゃん。奇遇だな」

 

 しばらく歩いたところで後ろから声をかけられた。振り返るとそこに居たのは、

 

「む、弾か。一週間ぶりだな」

 

「おう。メールはちょいちょいしてたけどな」

 

 五反田弾その人だった。相変わらず赤みがかった長髪をバンダナで雑に纏めている。

 

「ジグ、知り合いー?」

 

「ああ、こいつは五反田弾といってな。一夏の中学時代の友人だそうだ。先週私が一夏と出かけただろう? その時に知り合った」

 

「へぇー」

 

 本音は興味津々といった様子で弾を見ている。中学まで彼女がどんな学校に居たのかをジギスヴァルトは知らないが、二人を除いて全生徒が女のIS学園に居るとやはり男が珍しいのだろう。

 

「ジグ、この子、こないだ言ってたお前の彼女?」

 

「そうだが」

 

「めちゃくちゃかわいいじゃねえか! ちくしょう爆発しやがれ!」

 

 ジギスヴァルトに食ってかかる弾を見て、おおー、と面白がる本音。ジギスヴァルトとも一夏とも違うタイプだからだろうか。

 

 そして言いたいだけ言って弾がいったん落ち着いたところで、ぺこーっと緩やかにお辞儀をしながら自己紹介。

 

「はじめましてー、月曜から木曜まで暮らしを感じて変えていく布仏本音ですー」

 

「金土日はどうしたのだ?」

 

「お休みってぇー、大事だと思わないー?」

 

「週休三日ってとんでもないホワイト企業だな」

 

 などと軽口を飛ばし合い、一カ所に留まっているのももったいないということでとりあえず移動することにした。

 

「ところで弾、今日は一人か?」

 

「いや、蘭も来てるよ」

 

「だれー?」

 

「俺の妹。各々用事を済ませた後で集合っつって別れたんだけど……ジグ、どっかであいつ見なかったか?」

 

「いや、見ていな――あ、いや。今見つけたぞ」

 

 ジギスヴァルトが指差す先には確かに蘭が居た。ただし、余計なおまけ付きで。

 

 まあ、端的に言えば、三人程のチャラそうな男にナンパされていた。彼女は気の弱そうな少女をその背に庇っている。気の強い蘭ははっきりきっぱり断っているようで表情こそ平気そうだが、よく見れば脚が震えていた。

 

「おー、あの子かぁー。かぁわいいねー。それとー……あれはかんちゃんだねぇー」

 

「かんちゃん、というと楯無会長の妹御か。本音が仕えているという」

 

「そーだよぉー。更識簪お嬢様ー」

 

「お前ら、暢気に言ってる場合か!」

 

 焦った弾は蘭のもとへ駆け出そうとして――しかし踏みとどまった。男たちに近づく者が居たからだ。一人は、初夏にも関わらずロングコートを着てフードを被った小柄な人物。もう一人はツインテールの、これまた小柄な少女。

 

「鈴と……誰だ?」

 

「あー、あれはすーちゃんだねぇー?」

 

「まさかスティナがここに居るとは……」

 

 スティナが男の一人に何事か伝えるが、どうやら彼らはスティナと鈴音をもターゲットに認定したらしい。男がへらへらと何か言って――いきなりスティナがシャイニングウィザードを繰り出し、男を一人吹っ飛ばした。

 

『えええええええええええええええ!?』

 

 野次馬たちの驚愕が、レゾナンスを、揺らした。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 私は今日、鈴音さんに頼んでショッピングモールに連れてきてもらった。引っ越してきたばかりで日用品なんかが足りないのだ。

 

 最初はジグさんに頼もうかと思ったけど、その前に彼は本音さんとデートに行ってしまった。それによく考えたら男性と行くのは少しばかり恥ずかしいお店にも行かなくてはいけないから、女性に頼んだ方が都合がいい。

 

 というわけで誰か居ないかと探していたところにちょうど鈴音さんとバッタリ会って、お願いしたところ快諾してくれた。日用品を買える場所を教えてくださいと頼んだら、それならショッピングモールだと言ってここ、レゾナンスに連れてきてくれたのである。

 

〔ありがとうございます〕

 

「ん? 何が?」

 

〔案内〕

 

「ああ、いいのいいの。どうせ暇だったし、買いたい物もあったしね」

 

 隣を歩く彼女の服の裾を引いて話したい旨を示してから空中投影ディスプレイでお礼を言うと、そう言って笑ってくれた。この人は多分、いわゆる姉御肌というやつなんだろう。実際頼り甲斐がある。

 

 ちなみに、何故ISのプライベート・チャネルで会話しないかというと、それよりもこちらの方がコミュニケーションを取っている感があるから。それに、バレたら犯罪だし。まあこの小型空中投影ディスプレイだってISの機能を使っているんだけど、それはそれだ。

 

 さて、話を戻そうかな。けっこういろいろ買ったから荷物の量もだいぶ膨れあがった。でも買った荷物は私も鈴音さんも片端から拡張領域に放り込んでいるので、どちらも非常に身軽。いやー、IS万歳。量子化ちょー便利。

 

 しかしながら人類とは非力なもので、いかに身軽でも長い間歩いていれば当然疲れる。ああ神よ、なにゆえ我らを斯様にか弱き者と定め(たも)うたのか。まあ私神様信じてないけど。なにしろ人類が私みたいなある種の人工生命を作れちゃうんだから、神もへったくれも無い。あ、でも妖怪変化の類いは居るといいなと思っています。

 

 ……またしても話が逸れましたが。とにかく、歩き疲れたので休憩しましょうということになって、モール内のカフェにでも行こうと歩いていたのだけど。途中で、何やら揉め事を発見してしまった。

 

 いかにも軽薄ですという感じの男が三人、女の子に話しかけている。その女の子は気弱そうなもう一人の女の子を庇うように立っているが、彼女の友人か何かだろうか?

 

「って、あれ蘭じゃん」

 

〔知人?〕

 

 鈴音さんに尋ねると、庇っている方の女の子は鈴音さんの中学時代の友達……の、妹さんだという答えが返ってきた。庇われている方の子は彼女は知らないらしい。

 

 ……ふむ。面倒だけど、鈴音さんの知り合いならまあ、助けてあげるのもいいかな。あの子、気丈そうに見えはするけど脚が震えてるし、あの男たちもずいぶんしつこいみたいだし。

 

「え? あ、ちょっと、スティナ!?」

 

 驚く鈴音さんを置いてけぼりにして、私は彼らに近づいていった。とりあえず一番近い男の肩を軽く叩いてこちらに気づかせ、

 

〔嫌がってる

 やめてください〕

 

 相手は私が喋らずにディスプレイを用いたことで一瞬怯んだみたいだ。けれど、フードの中を見て私が女だとわかるや否や今度は私も標的にしたらしい。普通にしていればかっこいい部類なのであろう顔にニヤニヤと気持ち悪い笑いを貼り付けて話し始めた。

 

「キミもかわいいね! 俺たち今からこの子たちと遊びに行く予定なんだけど、キミもどう? そしたら丁度三人ずつだし!」

 

〔拒否〕

 

「そう言わずにさあ」

 

「俺たち楽しいこといっぱい知ってるぜ?」

 

「お金も全部俺たちが出すし!」

 

 ――聞かないってわかっちゃいたけど話を聞けよ面倒くさい。どうせ体だけが目的なのがわかっているのに誰が行くか。ていうか、私の体は身長の低さもあって完全に幼児体型なんだけど、こいつらもしかしてロリコンなのか?

 

〔声帯に欠陥

 声が出せない

 私と遊んでも楽しくない〕

 

「あ、そうなんだ? で? それが何か問題?」

 

 チクショウ手強い。こういう手合いは身体的なハンデを持つ女を敬遠するって聞いたのに。ガセか。その粘り強さをもっと他のことに使えばいいのに。

 

「ちょっとアンタたち! あんまりしつこいと警察呼ぶわよ!」

 

「鈴姉!? なんでここに……」

 

 鈴音さんが追いついてきたみたいだ。でも正直、この場に彼女が来るとややこしくなる気がする。

 

「お、またかわいい子が来た!」

 

「今日はツイてるな!」

 

 ……だんだんイライラしてきた。いい加減にしろよ猿ども。

 

「それじゃあお嬢さん方、まずはあっちの――あがぁっ!?」

 

 ――あ。

 

 しまった、あまりに腹が立ったものだからついシャイニングウィザードをかましてしまった。相手の膝の角度のせいで若干後ろに跳びながらの攻撃になっちゃったから威力はそこまででもないはずだけど……いや、でもけっこう吹っ飛んだな。やりすぎたかも。

 

「我々の業界では御褒美です!」

 

 前言撤回。(バラ)す。貴様らのような奴はクズだ。生きていちゃいけない奴なんだ。

 

 とりあえず手近な奴からだ。さすがに今は剣もナイフも手許に無いけど、手刀でも本気でやれば喉笛を裂くくらいならできる。素っ首、貰い受ける――!

 

「やめんか阿呆」

 

 一気に踏み込んで放った手刀を、割り込んだ誰かに手首を掴んで止められた。視線を上げて顔を見ると……あらジグさんじゃありませんか。奇遇ですねこんなところで。

 

〔邪魔〕

 

「仕方なかろう。少し灸を据えるだけなら静観しようかとも思ったが、今完全に殺す気だっただろうが。私たちが逮捕されれば困るのは束さんだぞ」

 

「…………」

 

 ……そう言われると言い返せない。

 

「それから貴様らも。これ以上この娘たちに関わるな。そろそろ警備員が来るぞ」

 

「……ちっ」

 

 警備員と聞いたからか、それともジグさんがかなり恐い顔で睨みつけたからか、男たちは未練がましく何度もこちらを振り返りながら去って行った。こいつら、男や権力が相手だと強く出られないタイプの人間だったか。Dra aat helvete.(地獄に堕ちろ)

 

「蘭!」

 

「あっ……お兄」

 

「大丈夫か? 変なことされなかったか?」

 

「だ、大丈夫。あの人とか、鈴姉とか、ブレヒトさんとかが助けてくれたし。あの、三人とも、ありがとうございます」

 

 蘭とかいう女の子に駆け寄ってあれこれ聞いてるあの人が、鈴音さんの言っていた中学時代の友達って人かな。蘭さんにお兄とかって呼ばれてるし、顔も似てるし。赤い髪をずいぶん長く伸ばしててなんだかチャラそうにも見えるけど、鈴音さんがそんな人と友達になるとは思えないし、何より蘭さんを心配するその姿を見るとなかなかいい人っぽい……気がする。あと顔はけっこうかっこいい。

 

「ちょっと弾! あんた、妹の面倒くらいちゃんと見なさいよ!」

 

「うっ……それについちゃ返す言葉も無い……」

 

「鈴姉、別行動を提案したの私だから、あんまりお兄のこと責めないでください」

 

「……蘭、アンタなんかキャラ違くない? もっとこう、このバカ兄ー! って感じじゃなかった?」

 

「私は日々進化してますから」

 

「ゴメンそれ意味わかんない」

 

 うーん、この置いてけぼり感。やっぱり、身内同士の会話に部外者は入って行きづらい。私は声が出ないからなおさら――って、あれ?

 

「あれー? かんちゃんはー?」

 

 かんちゃんとやらがあの気弱そうな女の子のことなら、本音さんの言葉は私の言いたいことを見事に代弁してくれている。居ないのだ、どこにも。さっきまで居たのに。ていうか本音さんの知り合いなのか、あの子。

 

「言われてみれば居ないわね」

 

「蘭、あの子お前の友達か?」

 

「ううん、知らない子。もともとはあの子がナンパされてたから私が割って入ったの。まあ何もできなかったけど……」

 

 まあ、さっきの三人組についていったわけではないのはわかっているから、大丈夫だろう。

 

 それから、ジグさんは本音さんとモールを回ると言うのでここで別れた。デートの邪魔をしても悪いし。

 

 一方、私と鈴音さんは当初の目的通り休憩のためカフェへ。鈴音さんのお友達――弾さんというらしい――と蘭さんも一緒に行くことになって、せっかくなので二人と連絡先を交換させてもらった。そのとき弾さんがすごいしどろもどろというか、挙動不審? な感じになっていたのは、もしかしてさっきのシャイニングウィザードで恐がらせてしまったのだろうか?

 

 いや、でも交換し終えたとき弾さんすごい喜んでたみたいだから恐がってはいないか。でも、だとしたらなんであんなにオドオドしてたんだろう? 今度聞いてみようかな。

 

 あと、例の――えっと、かんちゃん? は、後で聞いた話だと楯無さんの妹さんらしい。更識家の人間ならどこかに護衛が待機していてもおかしくないはずなんだけどなあ。更識仕事しろ。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 深夜、更識簪は寮の自室のベッドで今日のことを思い出していた。

 

 漫画の新刊を買いに行くついでに日用品なんかも買いに行って、知らない男性三人に話しかけられて、パニックになってあわあわしているうちに知らない女の子が割って入ってくれて。でも彼らは諦めるどころか女の子が増えたなんて言って勢いづいて。そこに専用機持ちとしてそれなりに有名なスティナ・ヴェスターグレンと凰鈴音が来て――なぜかシャイニングウィザード。

 

 それでもめげない彼らに、スティナが追撃しようとして――ジギスヴァルト・ブレヒトが割り込んでそれを止めた。そして彼は男三人組をさっさと追い払ってしまった。

 

 ジギスヴァルト・ブレヒト。IS学園に彼のことを知らない者はおそらく居ない。なにしろ、学園どころか世界でたった二人しか居ない、ISの男性操縦者。否応なく目立つし、それに――。

 

(あれが……本音の、恋人)

 

 自分専属のメイドということになっている幼なじみの少女、布仏本音。彼女がジギスヴァルトと付き合っているという噂は女子のネットワークを通じてあっという間に広まり、それはあまり友達が多い方ではない簪の耳にもすぐに入ってきた。

 

 それに、本音自身の口からもある程度彼のことは聞いていた。彼女の語るジギスヴァルトは、強くて、かっこよくて、優しい。さらには、クラス対抗戦の事件ときには身を挺して篠ノ之箒を庇い重傷を負ったと聞いている。まるでヒーローだ。

 

(あれが……ジギスヴァルト・ブレヒト……)

 

 実を言うと、今日、あの時。彼と一度だけ目が合った。自信と才能がある者特有の、強い意志の宿った目。それが、姉と被って見えて――皆にお礼を言うのも忘れて逃げ出してしまった。

 

(ちょっと……苦手、かも……)

 

 彼が本音の恋人である以上、二人の関係が長く続けば続くほど、簪が彼と顔を合わせる可能性も増えていく。この先一度も顔を合わせないなんてことはあり得ない。さらに悪いことに、彼は姉とも親交があると聞いている。

 

(考えるのやめよう……鬱になってきた)

 

 少女の悩みに関係なく、夜は更けていく――。

 




 シャルの救済方法、私の頭ではこんなのしか思いつきませんでした。
 そして簪初登場。どうにかして弾とスティナを会わせようとイベントを考えているときに「あ、簪も出せる」となってこうなりました。弾の、そして簪の明日はどっちだ。


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第一七話:力こそパワー

 

「それは本当ですの!?」

 

「嘘吐いてんじゃないでしょーね!?」

 

 月曜の朝。一夏、シャルロット、ジギスヴァルト、本音が教室へ向かっていると、廊下にまではっきり聞こえるほどの大声が耳に飛び込んできた。ちなみにシャルロットは楯無に言われた通り、未だ男装している。

 

「なんだろ?」

 

「さあー?」

 

「一夏、貴様また何かやらかしたのか……」

 

「なんで俺だよ!?」

 

 今の声はどう考えてもセシリアと鈴音だった。今度はどんな厄介事が待ち受けているのかと考えると朝から気分が落ち込んでくる。

 

「本当だってば! この噂、学園中で持ち切りなのよ? 月末の学年別トーナメントで優勝したら織斑君かジグ君と交際でき――」

 

「俺とジグがどうしたって?」

 

『きゃああっ!?』

 

 教室に入って一夏が声をかけると、取り乱した悲鳴が返ってきた。

 

「俺たちの名前が出てたみたいだけど」

 

「え? そ、そうだっけ?」

 

「さ、さあ、どうでしたかしらですことよ?」

 

 鈴音とセシリアは全力で目を逸らして誤魔化そうとしている。どうも一夏には聞かれたくないことらしい。というか、焦りすぎてセシリアの言動がおかしなことになっている。

 

「じゃ、じゃああたし二組に戻るから!」

 

「そ、そうですわね! わたくしも自分の席に戻りませんと!」

 

 慌ててその場を離れていく二人を見送りながら、一夏とシャルロットは首を傾げている。その光景を見ながら、ジギスヴァルトは先程の言葉を反芻していた。

 

 たしか、学年別トーナメントで優勝したら織斑君かジグ君と交際でき――だっただろうか。

 

(まあ、どう考えても『交際できる』だろうが――一夏はともかく、何故私まで景品扱いされている? 私には本音が――)

 

 と、そこで。本音が不自然に汗をかいていることに気づいた。なにやら顔色も悪い。

 

「本音? どうした?」

 

「うぇっ!? あー……そのー……」

 

 本音はしばらく視線を彷徨わせた後、肩を落として、

 

「……ごめんれっひー。 大事な話があるから、お昼に屋上に来てくれるー?」

 

「は? まあ、構わんが」

 

 波乱の予感を携えて、一日が始まる――。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

(な、何故このようなことに……)

 

 教室の窓際の席で表面上は平静を装いつつ、箒は内心で頭を抱えた。それもそのはず。学年別トーナメントで優勝したら一夏と付き合える、というのはもともと箒だけの話だったからだ。

 

 時は一ヶ月弱ほど遡る。二人を除く全生徒が女子という特殊な空間である故の必然として一夏の周りには常に誰かしら女が居る。さらにはセシリアや鈴音といった、本気で一夏に惚れている女まで現れ――箒は焦っていた。

 

 しかもあの英国の雌豚(セシリア)中国の雌猫(鈴音)は、あろうことか彼女の特権であったはずの(別に特権でもなんでも無いのだが)放課後の特訓にまでしゃしゃり出てきた。あの雌猫に至っては彼女だけの特別(ステータス)だった“幼なじみ”まで掠め取っていく始末。

 

 このままでは専用機の無い自分は大幅に差をつけられてしまう――そう考えた箒は一夏を屋上に呼び出し、勇気を振り絞って言った。

 

「学年別トーナメントでもし私が優勝したら――私と付き合ってもらう!」

 

 だがそこはキングオブ唐変木・織斑一夏。箒は恥ずかしさからすぐにその場を走り去ってしまったので知りようがないが、彼はそれを『買い物に付き合え』という意味だと解釈した。

 

 それを知らないままの箒はこの約束を支えとし、ジギスヴァルトに放課後の特訓への参加を禁止されても我慢していた。自分だけが持つアドバンテージをようやく取り戻した優越感からいつもより心に余裕があったと言える。それなのに、これだ。

 

(いったいどこから広まったのだ! これでは私以外の女が一夏と付き合うなんてことになるかも……!)

 

 まあ、あの時は少しばかり声が大きかったかもしれないが。それでもこんなに広まるのは完全に予想外だった。しかもジギスヴァルトまで巻き込んでしまっている。彼を怒らせるとロクなことにならないのは身を以て知っている。

 

 どうしよう本格的にまずいことになった、と、箒は必死で打開策を考え始めた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「ごめんジグぅー! たぶん私のせいなのー!」

 

 昼、ジギスヴァルトが屋上に着くや否や、本音が涙目で頭を下げてきた。あまりに突然謝られたものだからジギスヴァルトは理解が追いつかない。なんのことかと問うと、なんとも情けない顔で説明してくれた。

 

「しののんがおりむーに『学年別トーナメントで優勝したら付き合って』って言ってるの聞いちゃってー。面白そうだったからゆーこやかなりんたちに『モッピーが優勝したらおりむーと付き合うらしいよ』って言っちゃってー。そしたら、ほうきんのとこが取れた噂が広まっちゃってー。最終的にジグも巻き込まれちゃったみたい……」

 

 …………。まあ、箒のあだ名がコロコロと変わっているのは置いておくとして、だ。

 

「本音……君とて女だ、女子のネットワークの怖ろしさを知らんわけではなかろう」

 

「うっ……。だ、だって……ジグには私が居るからだいじょーぶだと思ったんだもん……」

 

「噂などどこでどう尾鰭がつくかわかったものではないのだ。軽々しく流布するのは感心せんな」

 

 まあ、たしかに仮に優勝した誰かが交際を要求してきたところで彼に受け入れる気は無いが。それにしたって、プライベートなことを言い触らしてしまうのは誉められたことではない。

 

 と、いうわけで。

 

「お仕置きだ本音。君は一週間おやつ抜きだ」

 

「えぇー!?」

 

 まるでこの世の終わりを目の当たりにしたかのような悲痛な顔で叫ぶ本音に、しかし慈悲は与えられない。

 

 この後一週間、彼女はクラスの皆や生徒会役員をも動員しての厳しい監視のもと、徹底的にお菓子から遠ざけられることになったが――それはまた別の話。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 屋上から直接食堂に行って昼食を摂って、帰り道。食堂で合流したスティナを加えて三人で教室へ向かっていると、曲がり角の先からラウラの声が聞こえた。

 

「何故です教官! こんなところで教師など、あなたのやるべきことではない!」

 

「やれやれ……」

 

 教官、ということは、彼女が話している相手は千冬なのだろう。が、さてここで問題がひとつ――あそこを通らないと、教室に戻れないのである。

 

 なんだか立て込んでいるようなので割り込むのは申し訳ない気もする。けれど、まあこんな公共の通路で話している方が悪いとジギスヴァルトは結論付けた。

 

「ラウラ。あまり大声を出すと他の者に聞かれるぞ。例えば私たちとか、な」

 

「――っ!? ……ジグ兄様。それと……貴様はスティナ・ヴェスターグレンだったか」

 

 割って入ったのは三人であるのに本音のことを気にも留めないあたりは好き嫌いがハッキリしていると好意的にとるべきか、それとも選民的と言うべきか。ジギスヴァルトとしては後者を推すところである。

 

「丁度良かった。兄様にも話があります。貴様もだヴェスターグレン」

 

「…………」

 

「……本音」

 

「ほいほーい。お先にー」

 

 ジギスヴァルトの意志を正確に読み取った本音は文句ひとつ言わず、先に教室へと帰って行った。後で何かフォローしておかなければと思いながら、ジギスヴァルトは壁に寄りかかる。スティナはその隣に並んで待機。千冬は相変わらず腕組みをして仁王立ちしている。

 

「それで? 話とは何だラウラ。今しがた織斑先生と話していたことと関係があるのか?」

 

「そうです。三人とも、何故このような極東で教師や学生などやっているのですか。

 教官はまだまだ現役で通用する、それどころか世界一だって難なく獲れるはず。それにこの学園の連中はISを正しく認識できていない。教官が教えるに値する者たちではありません。

 兄様も、あなたはこんな平和ボケした場所ではなく戦場に居るべきです。戦場に在ってこそあなたは気高く、強い。こんなところであんな女に現を抜かしていてはあなたの強さが失われてしまう。

 そしてヴェスターグレン。貴様、山田真耶との試合、手を抜いていただろう。本気を出せば、もしかして教官と代表の座を争ったというあの女に勝てたのではないか? それほどの力があれば――」

 

「そこまでにしておけよ小娘」

 

 興奮気味にまくし立てるラウラの言葉を、千冬の鋭いひと声が遮った。その声に含まれる覇気にすくんでしまった彼女は言葉を詰まらせ、ただ千冬を見上げる。

 

「しばらく見ない間に偉くなったものだな。十五歳でもう選ばれた人間気取りとは畏れ入る」

 

「違っ……私はあなたたちのために!」

 

「お門違いも甚だしい。私は以前のそれよりも今の生活にこそ満足している。それにここの生徒たちは私自身が“将来有望と判断し、鍛えてやりたいと思った”者たちばかりだ。貴様が侮辱していいような者ではない」

 

「ですが――」

 

「くどい!」

 

 千冬に一喝され、ラウラの肩が撥ねた。それから何か言わなければと言葉を探すも、視線を彷徨わせるばかりでどうにもならない。

 

 やがて諦めたのか、今度はジギスヴァルトに問うた。

 

「兄様は、どうなのですか」

 

 それまで目を閉じてただ聞くのみだった彼はラウラの問いで目を開き、言う。

 

「私が戦場に在ったのは他の生き方を知らなかったからだ。養父たちは皆傭兵として戦場に在り、私も戦場に在らざるを得ず、故に戦場で生き延びる術を徹底的に教わった。彼らに報いるためにそれを生かしたかったし、生かせるのが傭兵だったというだけに過ぎない。

 平和ボケ大いに結構。彼らの教えで得た力は貴様が“あんな女”と呼んだ彼女に捧げている」

 

「――っ! ならばヴェスターグレン、貴様はどうなのだ!」

 

〔平和万歳

 学園生活サイコー〕

 

 千冬からもジギスヴァルトからも、スティナからも自分の望むものとは違う答えを突きつけられ、ラウラの顔は酷く歪んだ。それが悲しみによるものか、それとももっと別の感情によるものかは本人にしかわからない。

 

「もうすぐ授業が始まる。さっさと教室に戻れボーデヴィッヒ」

 

 先程までの覇気はどこへやら。平静の声音に戻った千冬に急かされ、ラウラは速歩(はやあし)で去って行った。

 

「お前たちも早く戻れ。遅れることは許さんぞ」

 

「それは勿論だが織斑先生。ひとつお願いがあります」

 

「……何だ」

 

「ラウラのことは私に任せてもらえませんか?」

 

 千冬の眉がピクリと動いた。

 

「……理由は?」

 

「なに、私の家族に似たようなのが居るものでして」

 

 言って彼はスティナに視線を投げる。それだけで言わんとすることは十二分に伝わったようで、千冬はわざとらしく溜め息を吐いた。

 

「任せられるのか?」

 

「少なくとも努力はしますよ。彼奴(あいつ)も大事な妹分なので」

 

「……そうか」

 

 話は終わりだとばかりに千冬は彼らに背を向け、職員室へ歩き出した。それを了承の意と取ったジギスヴァルトは彼女の背に軽く頭を下げ、スティナと共に教室へ急ぎ――結局遅刻した。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 放課後、スティナはセシリアと共にアリーナに居た。近接戦闘を苦手とするセシリアに指導を請われたためだ。その間は箒の監視が出来なくなるが、幸いというか、今日はジギスヴァルトが箒を見張ると言ってくれたのでセシリアの指導を引き受けることにした。

 

 そういうわけで、現在二人はISを展開して向かい合っている。

 

『展開は問題なく出来るんですよね?』

 

『いえ、その……実は近接装備の展開は苦手でして……』

 

『まさかのそこからですか……』

 

 指導するに当たって、文字数に制限のかかる普段のディスプレイでは不都合なのでオープン・チャネルを使うことにした。プライベート・チャネルでないのは、他のアリーナ利用者の中にもしかしたら参考にする者が居るかも知れないからだ。別に秘密にするようなことでもなし、皆で強くなっていけばいい。オープン・チャネルとはいえ強制受信ではなく、拾わないよう設定することもできるので周りの迷惑になる心配も無い。

 

『けど、展開はセシリアさんのイメージに()るものなので指導のしようがありません。ですからとりあえず、敵に間合いを詰められたときの対応から始めます』

 

『はい』

 

『では、まずは口頭で。

 セシリアさんのブルー・ティアーズは狙撃型ですから、自分から間合いを詰めることはほぼあり得ないと考えて良いでしょう。それは裏を返せば、近接戦闘は“全て相手の間合いで行う”ということです。これがどういうことか、わかります?』

 

『ええと………………あ、戦ってはいけない、でしょうか?』

 

『そう、()()あなたは近接装備で相手を倒すことを考えてはいけません。

 もちろん、あなたがこれから修練を積んで近接戦闘に熟練すればその限りではありません。ですがそうなるまでの間は、あなたの近接戦闘は全て“逃げ”に費やさなければなりません。何故なら、近接戦闘を仕掛けてくる相手はそれに少なからぬ自信があるからです。近接戦闘の苦手なあなたが、近接戦闘用の調整がされていない機体で勝てる道理は無いということです』

 

『な、なるほど……』

 

 プライドの高いセシリアは言い返しそうになったが、なんとか堪えた。今の自分は師事する側であり、何よりスティナの言っていること――つまり近接戦闘が苦手というのは事実なのだ。そこを認めなければ成長は無く、それではわざわざ時間を割いてくれたスティナに申し訳ない。

 

『なのでこれから学年別トーナメントまでの間にすべきこと――というより、それまでの時間で出来ることは大きくふたつ。ひとつは後退加速(バック・ブースト)の練習、及び余裕があれば後退瞬時加速(バック・イグニッション・ブースト)の習得。もうひとつは、相手の近接攻撃をあなたの近接装備でいなし、なんとかして後退できるだけの隙を作る練習。

 ただ、私のエイフォニック・ロビンにはスラスターが無いので前者の指導は他の人に任せざるを得ません。今日は後者を徹底的に行います』

 

『お願いしますわ』

 

 セシリアはブルー・ティアーズの近接装備、ショートソード《インターセプター》を展開した。初心者用の音声呼び出しコマンドを使っていたが、それは今日はいい。今後の課題というところだ。

 

『では、とりあえず力量の把握からいきましょうか。適当に斬り込むので、出来る限り防いでください。今回は私はこの音裂(おとさき)しか使わ――っ!?』

 

 突然振り向いたスティナが折り畳まれた音裂の刀身を瞬時に伸ばし、振るった。飛んできた何かに刃がぶつかり、弾き飛ばす。

 

 音速を易々と超えて飛んできたのは砲弾だった。飛んできた方を見ると、そこには漆黒のIS。

 

 機体名は《シュヴァルツェア・レーゲン(黒い雨)》。登録操縦者は――。

 

『何か御用ですかラウラさん? 見ての通り、私今セシリアさんと遊んでるんですけど』

 

『スティナ・ヴェスターグレン。私と戦え』

 

 話を聞けよ、とスティナがこめかみを押さえる。昨日のチャラい三人組といいラウラといい、どうしてこうもコミュニケーションを放棄するのか。言葉はISなど及びもつかない人類最高の発明だというのに。

 

『どういうつもりですの? いきなり撃ってくるだなんて』

 

『イギリスのブルー・ティアーズか。……ふん、データで見た時の方が強そうじゃないか』

 

『喧嘩を売ってますのね? いいでしょう、買いますわよ?』

 

 ラウラの挑発的な物言いに、セシリアは口元を引き攣らせながら言う。が、ラウラからセシリアの体を隠すようにスティナが移動したことで少々冷静になったようで、スティナとラウラの会話を優先してくれた。

 

『私と戦ったらあなたが勝ちますよ。その機体に有効打を与えるのは、うちの子では少々難しいですから』

 

『それは貴様が本気を出さんからだろう。貴様はそこの、古いだけが取り柄の国のお貴族様とは違うはずだ』

 

『なんですって!?』

 

 明らかに自分を見下す言葉と目つきに、セシリアの感情はいとも容易(たやす)く再沸騰した。せっかくさっき少し落ち着いたのに、とスティナは頭を抱えたくなったが、今はこの場を収めるのが先だ。

 

『ええ、ええわかりました、わかりましたとも。スクラップ志願者というわけですわね?』

 

『あの、セシリアさん落ち着い――』

 

『はっ! 出来るのか貴様に? くだらん種馬を取り合うような(メス)にこの私が負けるものか』

 

『ちょ、ラウラさんもやめ――』

 

『どうやらこのジャガイモは言語をお持ちでないようですわね?』

 

『あの――』

 

『やるなら相手をしてやるぞ? ヴェスターグレンと戦う前の準備運動には丁度良い』

 

「…………」

 

 ダメだった。今度はラウラのみならずセシリアまで全然話を聞いてくれない。

 

『上等です! その減らず口、後悔させて差し上げますわ! スティナさん、手出しは無用でしてよ!』

 

 スティナの後ろから飛び出したセシリアがスターライトmkIIIを乱射。怒りに任せたそれはお世辞にも“狙撃”とは言い難いほどに乱雑で、狙いの甘いそれをラウラは難無く躱し、機体からワイヤーを射出。彼女の意志に従って自在に動くそれを振り切ろうと飛行するセシリアを見ながら、スティナは思った。

 

 ――なんかもういろいろと面倒くさい、と。

 

(……まあ、ラウラさんの()()はレーザーを止められないらしいですし。機体相性的にはそう無茶な試合でもない、か。手を出すなと言うのだから出さないことにしましょう)

 

 人の話を聞かない人間が嫌いな彼女の機嫌が加速度九・八メートル毎秒毎秒で果てしなく垂直落下していく。ISを使ってしか“普通の”会話ができない彼女にとって、言葉を交わすことは特別なのだ。

 

 しかし――と、すぐに頭を切り換えた。そんなことより、今はラウラだ。彼女が自分と戦おうとする理由を、スティナはなんとなく理解している。廊下で会ったときの会話が関係しているのだろう。

 

 だが彼女は戦う気が一切無い。何故なら、端的に言えば、ラウラと戦うことは彼女に何の利益ももたらさないからだ。勝てばまた力がどうのと付き纏われ、負ければ負けたでラウラを増長させる。なにしろあの黒兎はスティナの力量を過大評価――否、山田真耶という女を過小評価しているのだから。

 

 ラウラが転校してきた日の授業での、あの模擬戦。真耶は“教師として”全力で戦ったが、“本気”ではなかった。

 

 だって彼女は教師なのだから。下で見る生徒達が、そして実際に戦闘を行ったスティナと鈴音が、その模擬戦を通じて何かを学び取れるように戦わなければならない。実際の試合や戦場での交戦のように相手をただ倒せばいいわけではない。まあそれでも実際に相対したスティナは勝てる気がしなかったのだが。

 

 それをわかっているのかいないのか――わかっていないからこそのこの状況だろうが――本気を出したスティナは山田真耶(織斑千冬と国家代表の座を争った女)よりも上だと、ラウラは認識しているらしい。原因はおそらく――試合前の墜落と、真耶は(あくまで教師としてだが)全力だったことと、そして明らかに手抜きに過ぎるスティナの戦い方だ。あれが真耶の実力の全てだと思っているのだろう。

 

 なので、もし戦ってスティナが負ければ、彼女の中では千冬>ラウラ>スティナ>真耶というパワーバランスが認定されてしまう。そうすると彼女は増長しますます手がつけられなく――。

 

「あっ!?」

 

 セシリアの悲鳴で我に返った。スティナが思考に没頭している間に、彼女はとうとうワイヤーに捕まってしまったらしい。ブルー・ティアーズの脚部に巻きついたワイヤーが彼女を振り回し、地面に叩きつけた。そこに、既にチャージが完了していたレールカノンの砲弾がぶち込まれる。

 

「きゃあああっ!?」

 

 悲鳴をあげながらもブルー・ティアーズのコンディションを確かめてみると、シールドエネルギーこそまだまだ余裕があるが装甲のダメージが深刻だった。地面に叩き付けられたのと今の砲弾とで体も至る所が痛い。

 

 それでもセシリアは立ち上がり、ラウラにライフルを向ける。ビットでラウラを囲み攻撃するが全て避けられ、ライフルが吐き出すレーザーも当たらない。

 

(……そろそろ止めましょうか。セシリアさんはどうしても冷静になりきれないようですし、さすがにこれ以上機体が損傷すると学年別トーナメントに支障が――やばっ!)

 

 ラウラが瞬時加速(イグニッション・ブースト)でセシリアとの距離を一気に詰め、シュヴァルツェア・レーゲンの両腕に生成したプラズマブレードで斬りかかった。片方のプラズマは咄嗟に掲げたライフルで受け止めたが、もう片方は装甲の無い腹部に直撃し、絶対防御が発動。セシリアは弾き飛ばされ、さらにその首にワイヤーが巻きつき吊し上げ――割って入ったスティナがそれを切断した。解放されたセシリアは地面に倒れ、ISが解除された。

 

『なんだ、やっと戦う気になったのか?』

 

『なってません。ですが、見過ごすわけにもいきません。あなたは明らかにやり過ぎです』

 

『ふん。戦場にやり過ぎも何も無い。力無き者から()()される。それだけだ』

 

『ここは戦場ではありませんよ』

 

 言って、気絶したセシリアを医務室へ運ぶべく彼女に近寄ろうとして――真横を砲弾が掠めた。ロック警告が無かったあたりノーロックだったのだろう。

 

『もう一度言う。スティナ・ヴェスターグレン。私と戦え』

 

『嫌ですってば。私それ何の得も無いじゃないですか』

 

『貴様に無くとも私にはある。貴様を倒し、力とは振るわれなければ意味が無いことを証明してやる』

 

 シュヴァルツェア・レーゲンから再びワイヤーが伸びる。

 

 前進以外の機動に難のあるエイフォニック・ロビンでは追尾してくるそれを振り切れない。そう判断したスティナは右腕の音裂に加えて両脚部の近接ブレードも使い、その場で縦に横にと回転することで全て斬り払った。

 

〈【警告】ロックされています〉

 

 エイフォニック・ロビンが警告を発するのとほぼ同時、電磁加速された砲弾が飛んできた。避ければセシリアに当たる――!

 

「…………!」

 

 ワイヤーを斬った動きの流れのままにサマーソルトの要領で砲弾を蹴り上げ、遠音(とおね)を噴かしてセシリアの側から離脱。エイフォニック・ロビンの武装が何一つラウラに届かない位置にまで自ら移動したスティナを見て、ラウラは表情を怒りに歪める。

 

『貴様……そんなに私と戦いたくないか』

 

「…………」

 

『貴様程の力がありながら! 何故戦おうとしない! 私を馬鹿にしているのか!』

 

「…………」

 

『答えろ! スティナ・ヴェスターグレン!』

 

『……戦うわけないでしょう。もう一度言いますけど、あなた相手じゃうちの子は相性最悪なんです。手も足も出ない私をいたぶるのがあなたの言う“力”ですか? それ、楽しいですか? ドイツのバニーちゃんはずいぶん高尚な趣味をお持ちですね』

 

『……貴様ァ!』

 

 瞬時加速。プラズマブレードを展開して踏み込んできたラウラの攻撃を、スティナは音裂で受け止める。ラウラの腹を蹴り上げて少しだけ距離を取り、遠音の大出力でラウラの横を通り抜けて再度距離を取ろうとしたが――機体が動かない。

 

(これが噂のアクティブ(A)イナーシャル(I)キャンセラー(C)……。思った通り、寄って斬るしかない私では相性が悪すぎる……!)

 

 ニヤリとラウラが笑う。レールカノンの砲口が向けられるのが、スティナにはやけにゆっくりに感じられた。

 

 ――しかし。

 

「ぐっ!?」

 

 ガギンッ! と金属同士が激しくぶつかり合う音が響いて、ラウラは機体ごと弾き飛ばされた。

 

「……やれやれ。これだからガキの相手は疲れる」

 

「教官っ!?」

 

 それを為したのは千冬だった。しかも彼女はISを纏うどころか普段と同じスーツ姿で、なのにIS用近接ブレードを軽々と扱っている。生身でラウラを弾き飛ばしたと思うとスティナの背筋を冷たいものが駆け上った。

 

「織斑先生と呼べ。模擬戦をするのは構わんが、拒否する者に執拗に迫るのは感心しかねる。どうしても戦いたいのなら学年別トーナメントでやるがいい」

 

 スティナが拒否していたのを知っているということは、管制室で通信を拾っていたのだろうか。何にせよ説明の手間が省けるので助かるが。

 

「……教官がそう仰るなら」

 

 渋々といった感じで頷いて、ラウラはISの装着状態を解除した。

 

「だから織斑先生と……まあ今はいい。ヴェスターグレンもそれでいいな?」

 

「…………」

 

「では、学年別トーナメントまで私闘の一切を禁ずる。解散!」

 

 スティナが頷くのを確認すると、千冬は改めてアリーナに居る全ての生徒に向けて言った。訓練中の生徒だけでなく、いつの間にか観客席にも野次馬が集まっていたらしい。

 

 アリーナを去っていくラウラの背を見送り、スティナは溜め息をひとつ。こういう面倒事は一夏さんかジグさんの役目のはずなんだけどなあ、などと内心で愚痴りながら、セシリアを医務室へ運んでいった。

 




 モッピー知ってるよ。二巻の話は学年別トーナメント中の構想を練ってばかりでそれ以外を疎かにしてたってこと。
 モッピー知ってるよ。そのせいでラウラがただの危ない人になっていってること。

 次回、ようやくスティナが本気を出します。明日から本気出す。


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第一八話:学年別トーナメント

 

 六月も最終週に入り、IS学園は月曜から学年別トーナメント一色となる。全生徒が雑務、会場整理、来賓の誘導等に追われ、それが終わると慌ただしく各アリーナの更衣室へ走る。ちなみに、男子組はだだっ広い更衣室を二人占めで、着替え終えた俺とジグは備え付けのモニターで観客席の様子を見ている。

 

「しかし、すごいなこりゃ……」

 

 そこには各国政府関係者、研究所員、企業エージェント、その他諸々ISに関わる人たちが一堂に会している。

 

「三年にはスカウト、二年には一年間の成果の確認に来ているのだ。それと、他国のISの視察なんかもな。入学して日が浅い我々一年はあまり関係無いが、上位入賞者、そして私やお前やスティナのように特殊なISを所持する者などは早速目をつけられるかも知れんぞ。良い意味でも悪い意味でも、な」

 

「怖いこと言うなよ」

 

 悪い意味ってのは、モルモットとかそういうことだろう。俺とジグは貴重な男だし、ジグとスティナのISは束さんのフルスクラッチ、俺の白式も束さんが手を加えたって聞いている。興味は尽きないってとこなんだろうな。俺がIS動かしたって知られたときには家にマスコミとか変な研究者とかが押しかけてきたし。

 

「一夏ー、ジグー、入っていいー?」

 

「おう、いいぞー」

 

 更衣室のドアが開いて、鈴とスティナが入ってきた。理由は単純。鈴は俺と、スティナはジグと、それぞれペアを組んでいるからだ。

 

 本来は個人戦だったこの学年別トーナメントだが、何らかの事情があってタッグマッチに変わっている。鈴と組んだ理由は――半ば成り行きだ。

 

 セシリアがラウラと戦って負けたあの日、野次馬の中に俺と鈴、シャルロットも居た。と言っても、俺たちが到着した時には既に千冬姉が介入していたから詳しいことはよくわからない。

 

 怪我をしたセシリアが心配だったので、俺たちはしばらくしてから医務室へ向かった。

 

「屈辱ですわ……!」

 

〔自業自得

 反省してください

 人の話は聞きましょう〕

 

 ベッドの上には包帯を巻かれたセシリアがむっすーとした顔で座っていて、窓際にジグが寄りかかっていて、その横で呆れ顔のスティナがリンゴを剝いていた。サバイバルナイフで。しかも器用にもウサギさん……じゃない!? 細長く切ったリンゴの先端を少し切り落とし、余った皮をV字に切って少し上に向ける……これは……まさか……。

 

〔できました

 ナメクジ〕

 

「ちょっとスティナさん!? 気持ち悪いもの作らないでいただけます!?」

 

〔お仕置き

 全部食べなさい〕

 

「嫌ですわ!」

 

〔食べなさい〕

 

 スティナは笑顔でセシリアにリンゴの皿を差し出してるんだが……正直威圧感が半端じゃない。あんな小さな体のどこからそんな迫力を出しているのだろう。

 

「それよりあんた、そんなんで学年別トーナメントどうすんのよ。出られないかもよ?」

 

「こんなの怪我のうちに入りませ――いたたたっ!」

 

 ……。バカなんだろうか。

 

「バカとはなんですの! 一夏さんこそ大バカですわ!」

 

 なんて非道いことを。しかも俺は口に出していないのに。

 

「まあ、先生も落ち着いたら帰って良いと言っていたのだし、そのリンゴを食べたら部屋に戻るといい」

 

「これどうしても食べなきゃいけませんの!?」

 

〔食べなさい〕

 

「いーじゃないリンゴくらい食べれば。ねえデュノア?」

 

「えっ!? い、いやあ……僕もこういうのはちょっと――」

 

 ――ドドドドド、と、地鳴りのような音が聞こえた。

 

 どうやら廊下から響いてきている。しかも段々と近づいて来ているように思うのだが――。

 

「うおっ!?」

 

「敵襲か!?」

 

「セシリアあんた何したの!」

 

「何もしてませんわよ!」

 

「僕がリンゴを拒否したから!?」

 

「…………」

 

 ――ドカーン! と医務室のドアが吹き飛んで、スティナ以外が驚きの声をあげた。と言ってもスティナは驚いていないわけではなくて、単純に声が出ないからだろう。けっこう顔が面白いことになってたし。

 

 ていうか、ドアが吹き飛ぶところなんて初めて見た。比喩じゃなく本気で吹き飛んだんだ。いやマジで。

 

「織斑君!」

 

「デュノア君!」

 

「そしてブレヒト君!」

 

 そしてドアと生き別れた入口から雪崩れ込んできた――入ってきたなんて生易しいものではない――数十名の女子生徒が、ベッドが五つもある広い医務室をあっという間に埋め尽くした。

 

「な、な、なんだなんだ!?」

 

「ど、どうしたの、みんな……」

 

「とりあえず落ち着け」

 

 状況が飲み込めない俺たちに女子一同が「これ!」と出してきたのは、学内の緊急告知文が書かれた――申し込み書? 何の?

 

「な、なになに……?」

 

「ふむ……今月開催する学年別トーナメントでは、より実戦的な模擬戦闘を行うため、二人組での参加を必須とする、か」

 

「えー、なお、ペアが出来なかった者は抽選により選ばれた生徒同士で組むものとする。締切は――」

 

「ああそこまででいいから! とにかくっ!」

 

 人垣から伸びてくる手、手、手。なにこれ怖い。

 

「私と組もう、織斑君!」

 

「私と組んで、デュノア君!」

 

「ブレヒト君の奴隷にして!」

 

 ……おい、今変なの居たぞ。

 

 ともかく、どんな理由によるものかはわからないが、トーナメントの仕様変更があったらしい。この女子たちは学園内に三人しか居ない男子ととにかく組みたいと、先手必勝とばかりに迫ってきているのだろう。しかし――。

 

「悪いな。俺はシャルルと組むから諦めてくれ!」

 

 そう、シャルロットは実は女子なのだから、誰かと組むというのは非常にまずい。いつどこで正体がバレるかわからないし。

 

「まあ、そういうことなら……」

 

「他の女子と組まれるよりはいいし……」

 

「男同士っていうのも絵にな――ごほんごほん」

 

「だったら、ブレヒト君! 私と組もう!」

 

 ジグだけが余ってしまった。今まで俺とシャルロットに迫っていた面々までもがジグに殺到するが――。

 

「私はスティナと組む。機会があったらあいつの機体との共働データを取れと束さんに言われていてな」

 

 この一言で誰も追撃できなくなった。そりゃ、あの束さんの指示とあっては彼女たちではどうにも出来ないし、当然か。各々が仕方ないかと口にしながら医務室を去って行った。

 

「ふぅ……」

 

「あっ、あの、一夏――」

 

「一夏っ!」

 

「一夏さんっ!」

 

 俺に何か言おうとしたシャルロットを遮って、鈴とセシリアが迫ってきた。ていうかセシリアはベッドから出て大丈夫なのか。

 

「あ、あたしと組みなさいよ! 幼なじみでしょうが!」

 

「いえ、クラスメイトとしてわたくしと!」

 

 よくわからないけど二人とも勢いが凄い。つーか絞まってる、首絞まってる!

 

「オルコットさんはダメですよ」

 

 そう言いながら入ってきた山田先生が女神に見えたのはきっと錯覚ではない。だってそのおかげで首もとから手が外れたのだから。

 

「オルコットさんのISの状態をさっき確認しましたけど、ダメージレベルがCを超えています。当分は修復に専念しないと、後々重大な欠陥が生じますよ。トーナメント参加は許可できません」

 

「うっ……わかりました……」

 

 すごく怨念の籠もった目で鈴を睨みながらも、すごいあっさり引き下がった。おいおい、そんなに睨むなって。仲良くしろよ。

 

「それからデュノア君、ちょっとこっちへ」

 

「あ、はい?」

 

 先生に呼ばれてシャルロットが出て行った。五分くらい経ってから、ものすごく申し訳無さそうな顔で帰ってきたんだが……なんでだ?

 

「ごめん一夏……僕も学年別トーナメントには出られないや」

 

「え!? なんでだ!?」

 

「専用機の調整と日程が被っちゃったみたいなんだ」

 

「マジかー……」

 

 ――と、まあこんな感じで。俺とシャルロットのペアは結成から十分足らずで解散と相成った。後で聞いたところによると、機体整備は性別がバレる可能性を考慮しての出場禁止措置の口実だったらしい。

 

 シャルロットと組めないとなると、やっぱ男同士で組みたい。けど、ジグは頑なにスティナと組むって言って譲らなかった。だから、残ったメンバーで一番一緒に戦いやすいと思った鈴に頼んだ。そのときなんかすげえ嬉しそうに見えたんだが……まあ気のせいだろう。

 

 さて、話を学年別トーナメントに戻そう。IS装着前の最終チェックを終えて、俺たちは対戦表の決定を待っている。

 

「そろそろ決まる頃ね」

 

 聞くところによると、対戦表の決め方も変更があったらしい。去年までは前日に発表していたらしいのだが、今年は当日の朝に発表される。これもまた、試合をより“実戦的”にするための措置だそうだ。

 

「お、出たぞ……って、え?」

 

「あらま」

 

「ほう?」

 

「…………」

 

 俺と鈴の試合はAブロック第一試合。そしてジグとスティナの試合も、Aブロック第一試合。

 

 つまり、俺たちの対戦相手は――。

 

「手加減はせんぞ、一夏。そちらも全力で来い」

 

〔鈴音さん

 負けませんよ〕

 

 発表された対戦表は。

 

〈一年の部Aブロック一回戦第一試合〉

 

〈織斑、凰VSブレヒト、ヴェスターグレン〉

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 一夏と鈴音はどちらも既にISを纏い、ピットで試合開始を待っている。もうすぐゲートが開き、飛行許可が出るはずだ。

 

〈【警告】IS二機の起動を確認。データ検索――シャルラッハロート・アリーセ及びエイフォニック・ロビンと一致〉

 

 甲龍が提示するメッセージを見て、鈴音がにやりと笑った。

 

「あっちも準備できたみたいね」

 

「ああ。勝ちにいくぜ」

 

「当然よ」

 

 ゲートが開く。カタパルトで飛び出すと、向こうからもISが飛び立つのが見えた。(あか)全身装甲(フルスキン)の、ウサギと鳥を足したような見た目の小柄なISだ。

 

『あら、ジグだけ? あの子は?』

 

『まあ焦るな。あいつの機体はカタパルトに固定するのに少々手間取っていてな』

 

『え? そんな変な機体だったかしら?』

 

 鈴音の記憶では、両脚が近接ブレードになっていて接地できない以外は普通のISと変わらない形だったはずだ。いったいどういうことかと一夏と二人して首を(かし)げていると、相手方のピットから緩慢な動作でスティナが飛び立った。

 

『……へ?』

 

『なんか、前と違くねえ?』

 

 ジギスヴァルトの横に並び、彼より少し低い位置に静止したスティナを見て、一夏と鈴音は顔を引き攣らせた。

 

 スティナのIS、エイフォニック・ロビンの形がずいぶん特殊なものに変わっている。一言で表すならば――でっかい四角錐、だろうか。

 

 機体前面に、巨大な装甲が増設されている。それは大きく前に張り出していて、普段よりも機体の前後幅がおよそスティナ自身の身長分くらいは伸びている。脚部は後ろへと折り畳まれていて、腕も装甲の中に入ってしまっているようだ。そして顔が出るように装甲上部には切れ込みがある。まあ、相変わらずバイザーで目元が隠れているため口元しか見えないが。

 

 さながら、その姿は巨大な(やじり)。そんな変貌を遂げた機体が何をしてくるのか、一夏と鈴音にはひとつの予感があった。

 

『……そうだ。ジグ、ひとついいか』

 

『なんだ?』

 

 嫌な予感を払拭するかのように、一夏はジギスヴァルトとプライベート・チャネルを繋いだ。

 

『もし俺が勝ったら――こないだシャルロットを助けるのを渋った理由、教えてくれよ』

 

 試合開始のカウントダウンが始まる。

 

 ――五。

 

『――よかろう。ただし、勝てなかったらこちらの質問に答えてもらうぞ』

 

 ――四。顔が見えないためわかりづらいが、彼は笑っていると、一夏は思った。

 

『言ったな? 忘れんなよ』

 

 ――三。鈴音がオープン・チャネルで通信を繋いだ。

 

『さあいくわよ、覚悟しなさい二人とも』

 

 ――二。スティナは機体の角度を調整しながら挑発で返す。

 

『来なさい。鈴音さんはともかく、一夏さんはすぐに沈むかも知れませんが』

 

 ――一。雪片弐型を展開し、一夏が笑う。

 

『そう簡単にはいかねーよ』

 

 ――零。

 

 試合開始のブザーが鳴ると同時に――スティナの背の遠音が火を噴いた。

 

 爆発的な加速。瞬時加速をも凌駕するためのブースターは、機体が重量を増しても加速度が衰えることはなく。弾丸よりもなお速く、スティナは一夏に突っ込んでいった。

 

「うおっ!? やっぱそういう事すんのか!」

 

 なんとなく予想できていた一夏はある程度余裕を持ってそれを躱した。射線上から目標がロストしたエイフォニック・ロビンはそのまま通り抜け――追加装甲の横から一瞬炎が噴射され、機体が百八十度反転した。方向転換用のブースターが内蔵されているらしい。後ろ向きに飛びながら遠音を噴かしてスピードを殺し、静止。

 

『ちょっと! アンタ、いくらISがある程度Gを緩和できるからって、そんな無茶な機動してたら体がグチャグチャになるわよ!?』

 

『ご心配無く。私の体は少々特殊なんです。これくらいのGはなんともありません。それに――』

 

 今度は鈴音の方に機体を向けて、

 

『私の心配をする暇なんて、ありませんよ』

 

 特攻。

 

 真正面からのそれを躱すのは、やはり容易い。避けられたスティナは先程と同じようにそのまま進み――先程とは違って、止まらない。追加装甲各部のブースターを小刻みに噴かして少しずつ向きを変え、遠音が生み出す“前”への推力とPICによる機体制御で滑らかに曲がって――。

 

「今度はこっちかよ!」

 

 一夏に突っ込んだ。微妙に回避が間に合わず、腕に当たりそうになったのをなんとか雪片で逸らす。凄まじい衝撃に雪片を取り落としそうになったがなんとか堪えた。しかしISのパワーアシストや耐衝撃性を持ってしてなお腕が痺れている。

 

『余所見をしている暇は無いぞ一夏』

 

「ぐっ!?」

 

 そこへジギスヴァルトのヴァイスハーゼ(アサルトライフル)の弾が飛んできた。反応が遅れて数発もらってしまったが、すぐさま回避行動を取る。

 

『一夏! くっ……!』

 

 ジギスヴァルトを攻撃しようと龍咆(衝撃砲)を起動した鈴音に、横合いからスティナが突っ込んできた。そちらに意識を割かれたせいで集中力が維持できず、龍咆の発射はキャンセルされる。

 

 一夏と鈴音は焦っていた。事前に決めた作戦では一夏がスティナを、鈴音がジギスヴァルトをそれぞれ相手にし、分断して連携を取れなくすることになっていた。それは同時に自分たちも連携できないことになるが、そもそもいくら幼なじみとはいえ結成したばかりのコンビでは完璧な連携などできない。中途半端に連携するくらいなら始めから各個撃破、先に倒した方が援護に行く、というわけだ。

 

 だが、アリーナ全体を奔放に飛び回りながら時折突進してくるスティナの戦い方はそれを根底から覆してしまった。あれでは分断どころの話ではない。

 

『スティナ、鈴は頼んだぞ』

 

『りょーかいです』

 

 しかしジギスヴァルトは鈴音には目もくれず、一夏にヴァイスハーゼを乱射し続ける。スティナは、鈴音がジギスヴァルトを邪魔しようとするタイミングで彼女に突っ込む。

 

『なるほど、あたしの相手はアンタ、ってわけね』

 

『はい。接近戦しかできない私には、一夏さんの零落白夜は恐すぎますから』

 

『いいわ。最初の予定とはちょっと違うけど、あたしか一夏がさっさと倒して援護に行くのは変わらないもの』

 

 今のスティナの戦法はシンプル。故に、対処法もまたシンプル。

 

『あたしが駒鳥(ロビン)を殺す(スパロウ)になればいいだけの話よ』

 

『残念、今は私が(スパロウ)の矢です』

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「め、滅茶苦茶だねスティナ……」

 

「出鱈目もいいとこですわ……」

 

 観客席で観戦しているシャルロット――もちろんいまだに男装している――とセシリアは、スティナの戦法に頬を引き攣らせていた。

 

「おや? 二人はああいうの嫌いー?」

 

 そんな二人とは対照的にきゃーきゃーとはしゃいでいた本音は、彼女らの呟きを聞いて首を傾げる。

 

「嫌いっていうか、無理だよ。あんなことしたら機体にかかる負荷がとんでもない。下手したら内蔵ごとグチャグチャだよ」

 

「ISの搭乗者保護にも限度がありますもの。急な高負荷が別ベクトルで連続してかかる、なんてことは想定されていないはずです」

 

 瞬時加速の最中に軌道を変えることですら骨折等の危険性があるが、あれはそんな生易しい機動ではない。エイフォニック・ロビンに搭載されているのは推進器(スラスター)ではなく加速装置(ブースター)。一瞬でトップスピードにまで至れるが、その速度を()()()()ことができない。つまりスティナは今、小刻みに加減速を繰り返しながら移動・方向転換しているのであり、その度にとんでもないGが多方向からかかっているはずなのである。戦闘機のように緩やかにスピードを調整しながら少しずつ旋回するのとは訳が違う。

 

 それでもPICによる機体制御を補助に留めているのは、単純にその方が速いからだ。ついでに言えば、緩急をつけやすく少しばかり衝撃砲を躱しやすいというのもある。

 

「まー私もよく知らないんだけどー、すーちゃんはちょっと生まれが特殊らしくてー。耐G性能がバカみたいに高いビックリ人間なのだぁー! って本人は言ってたよー?」

 

 束のところでISに乗り始めてからわかったことなのだが、どうもそういうことらしい。スウェーデン軍でモルモットしていた時には評価項目に耐Gなんて無かったから平凡な成績しか残せなかったということになる。

 

 まあ、人体を破壊しかねないほどのGがかかるような兵器など現状では一部の特殊なISしか無いのだから評価されなくて当然なのだが。さらに言えば、彼女はそういうコンセプトで造られた遺伝子強化素体(アドヴァンスド)()()()()。それ故検査や試験が行われなかったというのもわからなかった理由のひとつだった。

 

「それとねー。こないだ整備についてったときに見せてもらったスペックだと、れっひーのISもアホみたいなのだよねー」

 

「そうなの? ていうか、本音ってそういうのわかるんだ?」

 

「あーでゅっちーひどいー。私これでも整備科志望だよー?」

 

 頬を膨らませてポカポカとシャルロットを叩く。地味に痛い。

 

「いたたた、ごめんごめん。それで、何がどうアホみたいなの?」

 

「んー? んー……F-15って知ってるー?」

 

「戦闘機だよね? 詳しいことは知らないけど」

 

「確か、全力だと成層圏においてM(マッハ)二・五くらい出る機体だったと記憶していますわ」

 

「そーそー。でねー、れっひーのISはねー、()()()()()()()()()()()()、しかも()()()()()()()あの戦闘機の最大マッハ数くらい出るのだよー」

 

『……はい?』

 

 セシリアの言う通り、F-15のカタログスペック上の最大速度はM二・五。これは成層圏では時速にしておよそ二千六百キロとなる。そしてそれだってアフターバーナーを用いての話だ。

 

 しかし、音速とは大気の様々な条件で変動するものであり。地上におけるM二・五はおよそ三千キロにも達する。本音の話が真実ならば、それを通常推力のみで実現するらしい。

 

「さすがに最大速度で戦闘機動はできないみたいなんだけどー……でも、それでも普通のISよりかなり速いみたい。だからGとかから体を守るために全身装甲なんだってー」

 

 ――さすが篠ノ之博士が造ったIS。二機ともぶっ飛んでいる。

 

 束の規格外ぶりを変なところで再認識して、セシリアとシャルロットは再び顔を引き攣らせた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

『どうした一夏! 避けるだけではお前の剣は当たらんぞ!』

 

「くっそ……!」

 

 二挺のヴァイスハーゼから吐き出される弾丸が執拗に一夏を追いかける。避けた先には既に弾が迫っている、なんてことを繰り返され、一夏は攻勢に転じることができないでいた。

 

『……む? おっと、弾切れか』

 

 突然弾幕が途切れた直後、わざわざ通信に乗せてそんなことを言う。こいつは臭い、罠の臭いがプンプンする。

 

(それでも、踏み込まなきゃ勝機は無い!)

 

 瞬時加速を使い、ジギスヴァルトに肉薄する。零落白夜を起動し、斬りかかり――雪片は空を斬った。

 

(消えっ……!?)

 

 背後から衝撃。吹き飛びながら体勢を立て直し、振り向くとそこにはヴォーパルシュピーゲル(大剣)を担いだジギスヴァルト。

 

『何を驚く。いつだったか織斑先生がアリーセを指して言っていただろう、“スラスターの化け物”だと』

 

『……ああ、そういやそんなこともあったな』

 

 雪片弐型を再び構える。対するジギスヴァルトも、空いている右手にヴァイスハーゼをコールした。やはり弾切れはブラフだったらしい。

 

『いくぞ一夏。ついて来れるか』

 

『無理矢理にだって食らいついてやるよ』

 

 言って突っ込んだ一夏の雪片をヴォーパルシュピーゲルで弾き、ヴァイスハーゼの弾を撃ち込む。それを回避した一夏が斬りかかってくるのを後退して躱し、そのまま上へ。追い縋る一夏をヴァイスハーゼで牽制しながら、高速でアリーナを飛び回る。

 

(狭すぎて本来のスピードは出せんが……それでも白式程度の機動力では追いつけまいよ)

 

 彼は自身の機体の機動力に絶対の信頼を置いている。それはシャルラッハロート・アリーセが他の第三世代ISとは全く違ったコンセプトの――というか、便宜上第三世代なだけで一般的な分類ではどの世代にも属さないISだからだ。アリーセの設計思想は“速いこと”ただそれだけ。拡張性を重視された第二世代とも、イメージインターフェースを使った特殊兵器を擬似的な単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)とする第三世代とも違う。

 

 スラスター出力上昇。突っ込んでくる一夏以上の速さでジギスヴァルトも突っ込み、大質量のヴォーパルシュピーゲルをぶつける。それは一夏の力をあっさり上回り、吹き飛ばす。

 

 これがシャルラッハロート・アリーセの基本的な戦法だ。ヴァイスハーゼもメルツハーゼ(ガトリング砲)グライフ(レーザーキャノン)も、予備兵装、戦い方に幅を持たせるための付属品に過ぎない。

 

『さあ、私は手の内を全て見せたぞ。私にはこれ(スピード)しか無い。さあどうする一夏。お前はどうやって私の誇り(スピード)を凌駕する?』

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 ――一方。スティナの突進を躱す鈴音は既に彼女への対策を見出し、準備に入っていた。

 

 いかに速く、いかに大質量で、いかに見た目に威圧感があろうと――それが突進である以上、スティナは真っ直ぐに突っ込むしかない。さらに言えば、実質的な一対一であるこの状況下では、鈴音は常にスティナを目視している。つまり全て正面からの突進となる。

 

 故に対処は簡単。だがそれ故に、鈴音の中には疑問があった。

 

(なんでわざわざ一対一にしたのかしら……乱戦でこそ力を発揮する装備のはずなのに)

 

 彼女の考える通り、エイフォニック・ロビンの追加装甲――《誰が殺したクックロビン(Who killed Cock Robin?)》を用いたこの戦法は、乱戦において相手の不意を突くのが最も効果的だ。何しろ、全ての攻撃が直線的なのだから。

 

 それなのに、わざわざ向こうから一対一の状況を作ってくれた。

 

(考えても仕方ないわね。とにかく、そろそろ反撃よ!)

 

 龍咆の装甲内部が輝きを増す。チャージ状況を表すこの光がここまで大きくなったのは、学園に来てからはこれが初めてだ。

 

 龍咆、チャージ最大。タイミング良く、スティナが鈴音に突っ込んでくる。

 

『これがあたしの――』

 

 ――スティナが、笑った。

 

『全力全開――!』

 

 最高威力の衝撃砲が、真正面からスティナに襲いかかった。さすがに耐えきれなかった追加装甲が爆発――。

 

(違う――爆発したんじゃない、自分から爆破した――!?)

 

 爆発(E)反応(R)装甲(A)、Explosive Reactive Armor――弾丸や砲弾などが着弾したとき、装甲を爆破することで弾き返しダメージを軽減する技術。衝撃砲に反応して装甲全体が弾け飛んだらしい。

 

 そして、戦車等に搭載されるこの装甲のデメリットとされるのが――爆発した際に飛び散る装甲で近くの味方に損害が出やすいこと。目の前で爆発したそれも例に漏れず、いくつもの巨大な破片を撒き散らした。それは容赦なく鈴音に襲いかかり、いくつかは直撃してシールドエネルギーを削っていく。

 

 ――その破片の奥から、音裂を展開したスティナが斬り込んできた。

 

 咄嗟に双天牙月で受け止めると、向こうから通信が飛んできた。

 

『龍咆、撃ちましたね。全力で』

 

『それがどうしたっての、よ!』

 

 パワーでなら甲龍の方が上だ。力任せに押し返すと、追加装甲を全てパージしいつもの姿になったエイフォニック・ロビンはすぐに再び斬り込んでくる。

 

『燃費重視の甲龍でも、さすがにもう余裕が無いはずです。そのための追加装甲、そのための爆発反応装甲ですから。もう、高威力の衝撃砲は撃てない』

 

『……なるほど。最初からこれが狙いだったわけね』

 

『そうです。一夏さんも最近実力を上げてきていますが、まだ足りない。私は、鈴音さん。あなたと、(これ)で戦いたい』

 

 スティナが脚の近接ブレードで蹴り飛ばし、再び距離が開いた。

 

『いいけど、アンタが不利よ? あたしの甲龍も大概遅いけど、その機体、前進以外は甲龍より遅いじゃない』

 

『心配要りません。そのためのエイフォニック・ロビンです』

 

 鈴音の心配をよそに、スティナは自身の第三世代兵器を起動する。

 

〈特殊兵装《小夜啼鳥(ナイチンゲール)》、起動します〉

 

 リィン……と、鈴のような音がアリーナに響いた――。

 

 




 だいぶ長くなってきたのでここで一旦切ります。
 突っ込まれる前に言い訳しますが、私はバリバリの文系なので物理学とかの話は付け焼き刃もいいところです。軍事関係も然り。
 スティナの追加装甲はあれです、デ○フィング第三形態したかったんです。あと、クックロビンは雄だろと突っ込まれる前に申し上げますが、殺す側がスティナなので無問題です。


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第一九話:小夜啼鳥

 

 リィン……と鈴のような音が鳴って、エイフォニック・ロビンの両脚の近接ブレードが淡く光り始めた。

 

『アンタ、鳴かないん(エイフォニック)じゃなかったの?』

 

『ええ、駒鳥(ロビン)は鳴きませんよ。けど他の鳴き鳥(ソングバード)が鳴かないなんて一言も言ってません』

 

『アンタが他の鳴き鳥を飼ってるとも言われてないわよ』

 

 左手に投擲用ナイフを三本コール。それを鈴音が避けた先に、背部の遠音(とおね)を噴かして飛び込んでいく。

 

『甘いわ!』

 

 双天牙月で迎撃しようとした鈴音まで、あと一メートルほどというところで、

 

『そうでしょうか?』

 

 スティナが()()()()()()()()()()()()()

 

「はぁ!?」

 

 前進の勢いを殺さず、前宙するように跳躍したスティナは鈴音の頭上を跳び越え、丁度体が上下反転したところで再び跳躍。鈴音の真後ろに()()()()、音裂を振るう。

 

「こっ……のぉ!」

 

 無理矢理振り向いて双天牙月を合わせる鈴音だが、スティナの本命はそれではない。音裂は双天牙月を受け流すように振るわれ、左脚のブレードで回し蹴りが放たれる。

 

「ぐぅっ……!」

 

 なんとか右腕を上げて防いだが、装甲がかなり深く斬り裂かれた。マニピュレーターの挙動に若干の不調が見られ、パワーアシストの出力も少し落ちたが、まだ動く。まだいける。

 

『……アンタ、何したの?』

 

『見ての通りです。跳びました』

 

 エイフォニック・ロビンの両脚の近接ブレード《小夜啼鳥(ナイチンゲール)》は一見ただのブレードだが、実際にはこれこそが第三世代兵器である。起動時に鈴のような音がすることから、スティナはこれに駒鳥の次に好きな鳴き鳥の名をつけた。それが、小夜啼鳥。

 

 その機能は、“剣先に特殊な力場を発生させ空間を踏む”こと。跳躍するイメージで使用すれば一瞬だけの発動となり、踏みしめるイメージで使えばある程度長い時間発動する。元々は地上と同じ感覚で剣を使いたいと言うスティナの要望で造られた装備。これを使えば空中でも“踏ん張る”ことができる。それは幼少期から趣味で剣を振り続けてきた彼女にとって大きな利点となる。

 

 そしてこの機能でできるもうひとつのことが“跳躍”。これは端的に言えば、ゲームで言う二段ジャンプができる。それも、エネルギーが尽きるまで何度も。しかも、ISに乗っていればPICのおかげで“上下左右の縛り”が無い。頭を下にしていても、体が横を向いていても、踏ん張れるし跳べる。

 

 欠点は、あくまで跳躍であること。いくらISの跳躍力が生身のそれより遙かに上で、さらにエイフォニック・ロビンのそれが並のISの数倍に設計されているとは言え、PICとスラスターを合わせた移動の速度には及ぶべくもない。故に速度を出すには遠音による前進と組み合わせねばならない。加えて、どうしたって予備動作が入るため跳ぶ方向が容易に予測できる。

 

 なお、詳しい原理についてスティナは知らない。というか、束に説明されはしたが理解ができなかった。

 

『空中でジャンプとかわけわかんないわね。さすが篠ノ之博士のISってとこかしら?』

 

『ええ、あの人は馬鹿ですから。まさか本当に造るとは思いませんでしたよ』

 

 再び突撃。小夜啼鳥があったところでスティナのやることは変わらない。ただ相手が寄らば斬り、寄らずとも寄って斬る。

 

 音裂と双天牙月が激突する。だが単純に腕で扱う剣の数なら鈴音の方がひとつ多い。双天牙月を分離させ、それは下からの振り上げでスティナに襲いかかり――スティナが左腕にコールした長剣がそれを受け流した。そのまま長剣を逆手に持ち替えたスティナは右腕を完全に潰そうとそれを振り下ろしたが、鈴音は後退加速(バックブースト)でそれを逃れる。

 

『アンタ、まだ剣持ってたのね』

 

『《梢音(しょういん)》っていうんです。かわいいでしょう?』

 

『かわ……いい……?』

 

 剣をかわいいと言う感性はちょっと鈴音には理解しがたかった。まあ、音裂と較べるとずいぶん小さいあたりはある意味“かわいい”かも知れないが。

 

『やっぱりいいですね。一夏さんとは比べ物になりません。ましてやジグさんに押し付けられた箒さんなんかとは次元が違う! さすが代表候補生です』

 

『そりゃどー、もっ!』

 

 今度は鈴音の方から突っ込んでいった。脚力の強さに反して腕の力は並のISと変わらないエイフォニック・ロビンでは、パワータイプの甲龍の斬擊を受け止めることはできない。ならば受け流すか、それとも――跳ぶか。

 

 スティナは跳ぶ方を選択した。右前へ跳び、さらにそこから上方へ跳びながら遠音を噴かす。鈴音の頭上を跳び越えたところでPIC制御で上下と前後を反転させ、下に居る――スティナからすれば“上”になるが――鈴音へ向かって再び加速(ブースト)

 

『そう来ると思ったわ!』

 

「…………!」

 

 加速をかけた時には、既に鈴音は振り向いてスティナを見据えていた。完全に読まれた――少なくとも、受け流そうとせずに跳び越えることは。

 

『これで!』

 

 双天牙月が音裂を捉えた。こちらから攻撃して受け止められたならともかく、双方が攻撃をぶつけ合ったとなると、当然質量とパワーが上の双天牙月が勝つ。

 

 結果、音裂は砕かれ、鈴音にはまだ右手の双天牙月が残っている。これをスティナに捌かれとしても、左腕もすぐさま追撃できる。もし逃れられてもメインのブレードを失わせたのは大きなアドバンテージになる。しかもエイフォニック・ロビンの右腕にはマニピュレーターが無く、音裂を失えばもうそこに武装を展開できない。

 

 ――そんな状況でも。

 

『今週の――』

 

 スティナは、楽しそうに笑って。

 

『――ビックリドッキリウェポンです!』

 

 右腕ブレード部及びシールド部をパージ。音裂が完全に放棄され露わになった右前腕部には――音裂のブレードが畳まれていたのとは逆方向に折り畳まれた、IS装備としては小さめのハンマー。前腕上部にいわゆる柄が、そこから胴体側に折れる形で鎚頭が。

 

 ハンマー展開。追撃の双天牙月を梢音で受け、勢いに逆らわずその場で回転し――装甲の無い胴体をハンマーでぶん殴った。

 

「がふっ!?」

 

 衝撃に顔を歪め吹き飛ばされた鈴音に、追撃とばかりに梢音を投擲。衝撃で硬直している彼女はこれを避けられず、梢音は彼女の腹部にヒット。

 

『……そんなとこにそんなもの隠し持ってたなんて』

 

『《撞木(しゅもく)》っていうんです。ちっちゃいけど威力は抜群ですよ』

 

『そうみたいね。悔しいけど今回はあたしの負けよ』

 

 凰鈴音、甲龍、シールドエネルギー0(エンプティ)――。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 一夏はジギスヴァルトに追いつけないでいた。それどころか、近接格闘型として第三世代ISの中でも高い機動力を持つ白式が引き離されていく。

 

『追いついてみせろ。このままでは私が勝ってしまうぞ?』

 

 ジギスヴァルトの言う通り、このまま追いつけなければおそらく一夏は負ける。それはジギスヴァルトの攻撃が白式のシールドエネルギーを削りきるということ――()()()()、このまま飛び続けていれば白式のエネルギーが底をつくということだ。

 

 ISの稼動に必要なエネルギーは全てシールドエネルギーで賄われている。ただ起動しているだけでもシールドエネルギーは緩やかに減っていくし、手足を動かすのも、スラスターやブースターを噴かすのも、PICで機体を飛ばすのも、ハイパーセンサーを稼動させるのも、全てがシールドエネルギーを消費する行為だ。レーザー等の武器を使う場合も然り、である。普通に武器を使う場合もエネルギーを消費するのに何故零落白夜が諸刃の剣と言われるかというと、単にエネルギーを馬鹿食いするから。セシリアがスターライトmkIIIを1回撃つときのエネルギー消費を一と仮定すると、零落白夜を一秒発動すると二十は持って行かれるのだ。

 

 ちなみに、競技用の設定においてのシールドエネルギー0はイコール全てのエネルギーを使い果たしたということではない。競技者の安全のため、シールドバリアや絶対防御はシールドエネルギーが切れた()()機能する必要がある。なので通常、競技用設定では機体本来のシールドエネルギー容量のおよそ半分を最大値と定め、それ以上の消耗があったとき0(エンプティ)扱いで負けとなる。

 

 閑話休題。そういうわけであるから、仮にこれから一度もジギスヴァルトが攻撃してこなかったとしても、飛んでいるだけで白式のエネルギーはシャルラッハロート・アリーセより早く底をつくだろう。なにせ一夏は零落白夜を一度発動したうえ既に何度か攻撃を食らっていて、ジギスヴァルトはいまだ無傷なのだから。

 

 しかしだからといって消耗を抑えるべく減速、あるいは停止しようものなら、ジギスヴァルトは容赦なく攻撃してくる。よって一夏は飛び続けねばならず、どうにかして彼に追いついて攻撃を当てねばならない。

 

(どうすればいい……? どうすれば追いつける……!?)

 

 瞬時加速は――却下。あれは直線的なので進路から外れるように動けば簡単に距離を取れる。

 

 なら相手の速度を落とさせる――却下。そもそも雪片弐型以外の装備が無い現状ではそのための手段が無い。

 

 なら、追いかけ方を工夫してアリーナの壁際やシールドバリアまで追い込み、彼が曲がる方向を予想してそこに突っ込む――却下。たしかに相手より小さな内径で回れば追いつけるかも知れないが、進路の予想が完全にヤマカンになるうえ、間違えたらもうどうにもならないほど離されてしまう。それに彼の反応速度なら一夏の進路を見てから進路変更だってできるだろうし、彼ほどの操縦者が壁やシールドバリアに気づかないはずがない。

 

 どうする、どうする、どう――。

 

〈▼告/甲龍、シールドエネルギー0(エンプティ)

 

 焦って思考が空回りしているところに白式が提示したメッセージを、一瞬信じられなかった。

 

(鈴が……負けた!?)

 

 つい鈴音の方に意識を向けてしまう。そこには地上に降りて膝をつく鈴音と、右腕に見慣れないハンマーを展開したスティナが居た。

 

『余所見とは余裕ではないか』

 

『え? やべっ!』

 

 彼女らの方に気を取られている間に、ジギスヴァルトがすぐ傍まで来てヴォーパルシュピーゲルを振りかぶっていた。ほとんど反射的に、一夏は雪片を翳して受けとめる。

 

 しかし渾身の力で振り下ろされた大質量を支えきれず、彼の体は下に向かって弾き飛ばされた。その先には――。

 

「…………」

 

 ハンマーを引いて待ち構えるスティナの姿があった。このまま落下すれば確実にあのハンマーの餌食になってしまう。そうなれば、おそらくシールドエネルギーが尽きる。

 

「負、け、る、かあああああ!」

 

 体勢を元に戻し、スラスターも総動員して全力で制動をかける。と、同時に全霊で後退。ハンマーの間合いから離れ、スティナの攻撃は空を切った。

 

 さらに、零落白夜を発動。後退をやめ、今度は前へ瞬時加速。鈴音が墜ちた今、どうにかスティナだけは落として再び一対一に――。

 

『惜しい、と言っておきましょうか』

 

 しかし、一夏の反撃は空振りに終わった。彼の袈裟斬りを体を捻って躱したスティナは、瞬時加速の勢いのままに通り過ぎていく彼に遠音を噴かして追い縋った。そして彼の背に左腕で肘打ちを叩き込み――。

 

『今週のビックリドッキリウェポン、その二です』

 

 ――エイフォニック・ロビンの左肘から、杭が撃ち出された。

 

「ぐあっ!?」

 

 衝撃が一夏の背から胸を撃ち抜き、吹き飛ばされた一夏は壁に激突。さすがに白式も耐えきれず、シールドエネルギーが底をついた。

 

『白式、甲龍(シェンロン)、共にシールドエネルギー0(エンプティ)! 勝者――ブレヒト、ヴェスターグレン組!』

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「ちっくしょー! 負けたぁー!」

 

 試合を終え、更衣を済ませた四人は、アリーナの休憩所のモニターで試合を見ながらジュースを飲んでいる。ジギスヴァルトとスティナが着替えているのは、今日は一回戦しか無いからだ。ちなみに、明日は二回戦のみ、明後日は三回戦とブロック決勝戦。その翌日がA~Dブロックそれぞれの優勝者によるトーナメントの一回戦で、最終日となる五日目が学年優勝を決める決勝戦となっている。

 

「ていうかスティナ、最後のアレ何だよ!」

 

〔パイルバンカー

 (おとこ)の浪漫〕

 

「アンタ女の子でしょーが」

 

 スティナの返答に呆れたように突っ込む鈴音。しかし当のスティナはどこ吹く風とオレンジジュースを飲んでいる。

 

〔六九口径パイルバンカー

 名前は、《久音(くおん)

 お気に入り〕

 

 それどころか満面の笑顔で心底嬉しそうに自慢してくる。そこから始まるスティナの愛機語り。内容は主にパイルバンカーについて。標的は一夏。

 

 なんとなく彼女の趣味がわかったような気がした一夏だった。おそらくこの少女、ロボットアニメなんかは大好物だろう。

 

「それにしても……」

 

 文字数制限の中で巧みに自機愛を語るスティナから視線を外し、鈴音はモニターを見る。そこに映っているのはCブロックの試合。訓練機に乗った相手ペアを蹂躙するラウラと、その後ろで何もせずに立っている箒。

 

 このトーナメントでは、専用機が訓練機を相手にする場合、相手の訓練機の数に応じて専用機にリミッターがかけられる。例えば、専用機と訓練機のペアVS専用機二機のペアの場合、訓練機と組んでいる専用機にはリミッターがかからないが、相手の二機は訓練機一機を相手取るときの規定に則ったリミッターがかかる、といった具合だ。

 

 そして、訓練機二機を相手にしているラウラのシュヴァルツェア・レーゲンは規定に則ってかなり性能が落ちているはず。にも関わらず試合が一方的な蹂躙の様相を呈しているのは、武装の質とラウラの技量によるものが大きい。

 

「……ジグ、アンタあれどう思う?」

 

「そうだな……」

 

 問われたジギスヴァルトは映像の中のラウラと箒を睨みつけ、

 

「お説教とお仕置きが必要だな」

 

「どっちが?」

 

「無論、二人ともだ」

 

 その答えに満足したのだろうか。じゃあそれはアンタに任せるわ、と言って彼女は立ち上がった。飲み終えたジュースの缶をゴミ箱に入れ、いまだにスティナの装備自慢を聞いて(読んで)いる一夏のもとへ。ちなみにスティナによると、六九口径の久音は太さこそデュノア社の一五〇口径リボルビング・パイルバンカー《灰色の鱗殻(グレー・スケール)》の足下にも及ばないが威力は六九口径とは思えないほど高い――らしい。

 

「一夏! あたしの部屋で試合見ながら反省会よ!」

 

「おう、いいぞ。じゃあジグ、スティナ、次の試合も頑張れよ!」

 

「応。例の約束はトーナメントが全て終わってからだ」

 

「わかった。じゃあまた明日な!」

 

 去っていく一夏と鈴音の背を見送って、スティナが溜め息。それを聞いて嫌な予感が駆け巡ったジギスヴァルトだったが――。

 

〔話し足りない〕

 

 この後、彼は妹分の気が済むまで、パイルバンカーの話を聞いていた。

 

 知識がより高まった。

 

 根気がより高まった。

 

 寛容さがより高まった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 ジギスヴァルトとスティナは順調に勝ち進み、ブロック優勝を果たした。

 

 そして今日、学年別トーナメント四日目。ブロック優勝したペアによるトーナメントの、初戦。組み合わせは――ボーデヴィッヒ、篠ノ之VSブレヒト、ヴェスターグレン。

 

 ピットで試合開始を待つ箒は悩んでいた。相手は自分を一夏の特訓から引き離したジギスヴァルトと、指導だとか言って彼女を監視しながら彼女の剣を邪剣に染めようとしたスティナ。そのうえ二人ともが、あの姉の関係者。出来ることならどちらもこの手で(くだ)したい。

 

 だが――抽選でラウラとのペアが決まったとき、戦闘に参加しないと約束してしまった。自身が一夏と離れ離れになった原因であるISを、箒は嫌っているからだ。IS学園に入ったのは政府の命令で、一夏の特訓に参加したがるのは一夏と一緒に居る時間が欲しいから。でなければISにも、ISを造り出した姉にも、関わることすらしたくなかった。

 

 けれど、この試合だけは。この際二人ともとは言わない。“剣道”を邪剣でねじ伏せ、箒が一夏の特訓から外れる原因を作ったスティナだけは。せめてこの手で倒したい。

 

 どうしようか、無理矢理にでも戦闘に介入しようか。しかしそんなことをしようものなら、ラウラは一切の躊躇無く箒を攻撃するだろう。どうすれば――などと考えていると、打鉄が警告を発した。相手の準備ができたようだ。

 

〈【警告】IS二機の起動を確認。データ検索――完了。シャルラッハロート・アリーセ及び打鉄と一致〉

 

 ――――。な、に?

 

 箒は困惑した。打鉄? あの、なんとかロビンとかいうゲテモノISではなく? 専用機を持っていながら、わざわざ訓練機で試合をする?

 

「ヴェスターグレン……何を考えている……!」

 

 隣のカタパルトでシュヴァルツェア・レーゲンを纏っているラウラが、呪詛のような低い声音で言った。箒も言葉にこそしなかったが同じ気持ちだった。

 

 飛行許可が下りて、アリーナに出る。相手のピットから出てきたのは、自身の纏うISが提示したメッセージ通りに、シャルラッハロート・アリーセと打鉄。

 

『ラウラさん』

 

 オープン・チャネルにスティナからの通信。

 

『この試合、私は箒さんとの勝負を所望します。あなたは手を出さないでください』

 

『ふざけているのか。何故そんな機体で出た。何故貴様は本気で私と戦ってくれない! 私は貴様にとってそんなにも無価値か!』

 

 ラウラが泣きそうな声で叫ぶ。その表情は今まで見たこともないくらい感情が剥き出しになっている。

 

『違いますよ。それは私の役目ではないというだけです。あなたの相手はジグさんの役目。私の役目は、そこに居る馬鹿なガキを言い訳のしようもないくらいにぶちのめすこと』

 

 言って箒を見るスティナもまた、かつて無いほどの敵意を向けている。そんな目で見られる理由に、箒は心当たりが無い。自分がスティナに敵意を持つ理由は数あれど、彼女の敵意を引き出したとは俄には信じられない。

 

『さあ箒さん。前回はたしか、この女が専用機を使ったから負けたのだ、なんて言い訳をしていましたね。今回は私はあなたと同じ打鉄ですよ。これで対等です』

 

 だから、と、冷笑を浮かべたスティナは言う。

 

『安心して、一夏さんにあなたの無様な負け姿をさらしてくれて結構ですよ』

 

 




 小説概要にも書きましたが、ロビンの装備の名前を間違えていました。一三話では正しく表記していたのに一四話以降ブースターの名前を未登場だったパイルバンカーと取り違える大失態。どうしてこうなった。現在は、見落としが無ければ全て修正済みです。
 ちなみに今回登場したハンマーのイメージは、某鉄の伯爵です。あんなに柄長くないですが。
 そして原作の倍以上の太さに改変された灰色の鱗殻。だってアニメとか立体物とかで見ると明らかに六九口径(およそ1.7cm)よりごん太なんですもの。

 そんな感じでどうにか。IS-Scharlachrot-、次回も、まうまう!


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第二〇話:キャットファイト

 

 試合開始を告げるブザーが鳴った。

 

 ジギスヴァルトはメルツハーゼ(ガトリング砲)を展開。スティナへとワイヤーブレードを伸ばそうとするラウラに向けて熱弾をバラ撒き始めた。回避すればいいものを、ラウラはAICでそれを受け止める。彼女がAICを過信していることを今までの試合映像で予想した上での選択だったのだが、どうやら予想は的中したようだ。毎秒百発にも達しようかという弾幕が彼女を襲い、AICで一度止まった後、後続の弾に押されて効果範囲を外れ地上に落下していく。

 

『確約できるのは十分間だ。それ以上は予備を使ってもメルツハーゼの弾がもたん。もちろんそうなっても全力で抑えるが、一応留意しておけ』

 

『了解です』

 

 そうしてジギスヴァルトがラウラを釘付けにしているのを確かめて、スティナは打鉄の近接ブレード《葵》を二本展開した。そして箒にプライベート・チャネルを繋ぐ。

 

『ジグさんが少なくとも十分稼いでくれます。その間に終わらせましょう。よくは知りませんが剣道の試合の制限時間は五分と聞いていますから、短くはないでしょう?』

 

『……いいだろう。私が勝ったら二度と私の邪魔をするな』

 

『は? 私、何か邪魔しましたっけ?』

 

 嘲笑うようなにやけ面でそう言うと――スティナの狙い通り、箒は簡単に沸点を超えた。大きくブレードを振りかぶり、スティナに向かってくる。が、普段竹刀を振っている時とは較べるべくもないほどに剣筋のブレた唐竹割りは、二本のブレードを交差させたスティナにあっさり受け止められた。

 

『ああ、思い出しました。一夏さん弱体化計画を邪魔したんでしたね。いやーごめんなさい、すっかり忘れてました』

 

 言って箒の腹を蹴り飛ばす。

 

『貴っ様ぁ!』

 

 今度は突きにきたが、“剣道”にこだわる彼女は馬鹿正直に喉元を狙ってきた。そのうえ、やはり普段ほどスピードもキレも無い。少し身を傾けるだけで余裕で回避できる。続けざまに胴、小手、面と打ち込んでくるが、それも全て躱していく。

 

『言うに事欠いて弱体化計画などと! 私は一夏を正しい剣の道に戻すために!』

 

『だから、何回か言ったじゃないですか。それじゃダメなんですよ』

 

『黙れ! 汚らわしい剣で一夏を(たぶら)かす売女(ばいた)の言葉など――』

 

『おっと手が滑りました』

 

 胴を狙った箒の攻撃を左の葵で止め、右の葵の峰で箒の右腕を強烈に打った。箒は衝撃で葵を取り落とし、彼女の手を離れた刀は眼下の地面に突き刺さる。

 

『あれ、剣道ってたしか竹刀を落としたら反則じゃなかったです? というわけで、退場してくださいね』

 

 落ちた葵に意識を向けた箒の脚を蹴る。PICの操作がまだ稚拙な箒の体はそれだけで簡単に水平になり、そこにスティナは両腕のブレードを思いっきり振り下ろした。ご丁寧に自身の機体も若干下に向かわせ、その推力を乗せて。

 

 まともに喰らった箒は地上に一直線。轟音と共に地面に叩き付けられ、舞い上がった砂埃が彼女を隠した。

 

『……足を払うのも反則だ』

 

 絶対防御は発動したようだが、衝撃までは殺しきれなかったのだろう。少し苦しそうな声の通信が飛んできた。砂埃の中の影が動いているから、立ち上がることはできたと見える。

 

『私は剣道なんて知ったこっちゃありませんから。汚らわしい剣だって言ったのはあなたじゃないですか』

 

『黙――』

 

『あなたが黙れ』

 

 砂埃を吹き飛ばす程のスピードで飛び込んできたスティナ。箒の主観では彼女が突然目の前に現れたように見えた。

 

 そのスピードのまま葵の峰を叩き付ける。刃を当てないのは、まだ箒を脱落させるわけにはいかないからだ。まだまだこんなもので許してやるつもりはない。

 

 水平に吹き飛ばされた箒は、今度は壁に激突した。防御型の打鉄といえど、そろそろだいぶシールドエネルギーが減っていることだろう。

 

『腹立たしい。本っ当に腹立たしい。こんな馬鹿を庇って“兄さん”が大怪我して、こんなクソガキのために“母さん”が罪悪感に苛まれ続けるだなんて――誰が許しても私が許さない』

 

 庇って大怪我ということは、兄さんというのはジギスヴァルトのことだろうと箒は推測した。箝口令が()かれていたはずだが、如何様にしてかあの件を知り得たらしい。ならば母さんというのは――きっと、篠ノ之束。ISを生んだ人。箒から全てを奪った人。

 

『また……あの人か……。また姉さんか!』

 

 蹌踉(よろ)けながら立ち上がり、叫んだ。そうだ、目の前に居るのはあの人の関係者だ。あの人がまた自分のもとから一夏を引き離そうとしているのだ。

 

 その絶叫を聞いて、スティナの顔は不愉快そうに歪む。空中から箒を見下ろして、彼女はこの学園に来てから今までで最も憤っている。

 

『おいで、モップ女。剣道こそが正しい剣なんでしょう? その割にはまだ私は一撃ももらってませんよ?』

 

 箒は飛び上がり、一旦量子化した葵を再びコールし斬り掛かった。しかしやはりその剣筋は揺れ、スピードも無い。スティナは防御するまでもなく全てひらひらと避けていく。

 

『くそっ……なんで……!』

 

『痴呆ですかあなた? 何度か言いましたよ私は。そんなの、あなたが剣道にこだわるからに決まってるじゃないですか』

 

『なんだと!』

 

 小手、逆胴、面、胴、逆胴、小手、突き――何度打ち込んでも当たらない。普段ほど上手く剣を振れない。何故当たらない。何故こんなに振り難い。

 

『ISで剣道やる無意味さがまだわからないんですか?』

 

 箒の打ち込みを全てギリギリで避けながら、スティナは言う。

 

 スポーツとしての剣道はスティナとて評価している。しかしそれが実戦――それもISを用いてとなると、剣道に対する彼女の評価は地に堕ちる。

 

『何を――』

 

『踏ん張りの利く地上と違ってここは空ですよ? 踏み込み方、体の使い方、バランスの取り方。その他諸々あらゆる要素が地上とは勝手が違い、どれを(たが)えても甘い剣になってしまう。

 ISに関わりたくないあなたは剣道でいいかも知れませんが、彼は違います。一夏さんにはISで強くなって掴みたい目標がある。あなたの我が儘で邪魔していい想いじゃないんですよ』

 

 まああれはあれで重大な問題もありますが、とは彼女は言わない。一夏のことはジギスヴァルトの管轄ということになっているし、その情報は下手をすれば箒をつけ上がらせる。

 

『だから――“離れ離れになっていた間の唯一の繋がりだと思っていた剣道をやめていたのが気に食わないから”なんて自分勝手な理由で彼に剣道を強要しないでください。

 あなたは一夏さんが思い通りの行動をしないからって癇癪を起こしてる、タチの悪いガキです』

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 あの人()がISを開発して、一夏と離れ離れになった。連絡くらい取りたかったが、警護のためだなんて言って手紙も電話もメールも許してもらえなかった。

 

 学校も転校ばかりで友達を作る暇も無かったが、どこの学校でも剣道部には入った。幼い頃からずっと一夏と一緒にやってきた剣道をしている間は、一夏と繋がっているような気がした。きっとあいつも今頃は竹刀を振っているのだろうと思うと気分が軽くなった。

 

 だと、いうのに。

 

 ――どうしてここまで弱くなっている! 中学では何部に所属していた!

 

 ――帰宅部! 三年連続皆勤賞だ!

 

 あいつはあっさりと剣を捨てていた。

 

 あいつとは道場で多くの時間を過ごした。一緒に遊んだとかよりも道場で稽古をしていた時間の方が長いし、あいつと一番多くの時間を共有していたのは私だったという自信がある。だから、きっと剣道を続けているのだと信じて疑わなかった。私が剣道に一夏との繋がりを求めたように、一夏もまた剣道に私との繋がりを見出してくれていると思っていた。

 

 なのに――現実は違った。あいつは私との“絆”を呆気なく早々に手放していた。なら――あいつにとって私は何だったのだ?

 

 それにあいつは剣道をやり直そうとしない。幼なじみの私が鍛え直してやると言うのを無視して凰やオルコットとばかり訓練しているし、ブレヒトやヴェスターグレンは剣道とは似ても似つかぬ汚らわしい剣術をあいつに叩き込んでいる。あんな、勝つためなら脚だろうと空いた手だろうと何だって利用するようなやり方に染まっては、一夏は邪道に堕ちてしまう。

 

 認められるかそんなことが。一夏は私の幼なじみなんだ。あいつはISなんかじゃなく、私と一緒に竹刀を振っているべきなんだ。私がこの手であいつの目を覚まして、正しい道に戻してやる。

 

 だから、今は――あの醜女(しこめ)を倒して、私の剣の方があんな邪剣より強いのだと証明しないと――。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 大上段からの、面。相変わらずヨレヨレのそれを余裕で躱して、スティナは大きめに距離を取る。

 

『懲りないというか、学習しないというか……。箒さん、あなた脳みそちゃんとあります? ノミの方が頭いいんじゃないですか?

 これは剣道の試合じゃなくてIS戦。剣道で有効打になる場所しか狙わない、剣道で有効打になる振り方しかしない――そんなんじゃ、たとえあなたが普段のキレで竹刀を振ったところで当たってあげることもできません。初擊の唐竹割りみたいに思い切らないと。ISは上にも下にも逃げられるんですから』

 

『うるさい! 貴様のようなぽっと出に指図される謂われは無い! 私は一夏の幼なじみだ。ISなんかに頼らずに、一夏は私と竹刀を振っていればいいんだ!』

 

 その言葉に、スティナの眉がピクリと動いた。

 

『ほう? ISなんかに頼らずに、ですか』

 

 スティナは束の言葉を思い出した。

 

 私がISを作ったせいで箒ちゃんはいっくんと離れ離れになったから、きっと私のこともISのことも嫌ってるはずだよ――そう言って、普段の突き抜けた明るさからは想像もできないほどに悲しそうな顔をした彼女の言葉を。束は箒のことを、いかに大切でかわいくて愛していてと語る度に、毎回その言葉で締めくくるのだ。

 

『箒さん。わかっているとは思いますが、私はあなたへの敵意と怒りを抱えています。

 ですが――何故私が憤っているか、わかりますか?』

 

『知ったことか』

 

『そうでしょうね。そうでなくては。では教えて差し上げます』

 

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)で寄り、逆風――つまり真下からの斬り上げ。ISの訓練を殆どしていなかった箒がそれに反応できるはずもなく、それは箒の打鉄の右手首を斬り割き、腕とマニピュレーターを離婚させる。そして体を捻って回し蹴り。さらにバランスを崩した箒に追撃の唐竹割り。左腕のマニピュレーターも斬り落とした。

 

 これで――箒はもう葵を握れない。

 

『あなた、一夏さんに言ったらしいじゃないですか。このトーナメントで私が優勝したら付き合ってもらう――でしたっけ?』

 

『な、何故それを!』

 

『そんなことはどうでもよろしい。問題は、何故このトーナメントで優勝したらなのか。そして、何故命令形なのか、です』

 

 箒の首筋に二口(ふたふり)の葵の刃を添えて、淡々と言う。

 

『まあ、後者からいきましょうか。何故一夏さんの意志を無視した命令形なんですか?』

 

『……それは、私と一夏は幼なじみだから――』

 

『は?』

 

 スティナの目が細められた。首に刃を押し付ける力が少し強くなった気がする。

 

『幼なじみだから? 幼なじみだから一夏さんは拒否しない、なんて思ってるんですか?』

 

『そうだ。私は一夏の幼なじみだぞ』

 

『あなたさっきから何回かそれ言ってますけど、それ以外に何か言うこと無いんですか?

 ていうか、たかが幼なじみ如き。だから何だって話です』

 

『たかが、だと……?』

 

『そうでしょう? 幼なじみなんて、ただ小さい頃から知り合いってだけの関係です。そんな豆腐でできた糸にも劣る脆い繋がりの相手に嫌なことされたら当然嫌いになりますし、逆もまた然り。

 あなた、一夏さんが思い通りにならない度に拳だの竹刀だの木刀だのISの近接ブレードだので襲ってるじゃないですか』

 

 例えば、放課後に一夏が鈴音やセシリアと機動訓練を始めようとした時とか、他にもいろいろと。

 

 一夏に剣道をやれと言いに行って、断られて激昂したことなどもはや両手の指では足りない。彼が断ったのは、ジギスヴァルトとスティナに言われたからというのも理由の一つだが、彼自身白式を初めて動かしたあの日に“ISでの戦闘に剣道は向かない”と感じたからだ。千冬が世界を獲ったときの剣が剣道ではないという理由もあるが。

 

 さらにスティナがジギスヴァルトに聞いたところによると、一夏が剣道をやめていたことが発覚してからセシリアと試合をするまでの数日間に至っては特訓と称して一夏をボコボコにしていたらしい。

 

『……黙れ』

 

『あと、あなた一夏さんが何か行動する度に怒ってますよね。いろいろ聞いてますよ、私が来る前のことも。何でしたか、授業で彼がセシリアさんと一緒に飛行の実演をしただけで怒ったんでしたっけ?』

 

 他にも、一夏が誰か女子生徒を手伝っている時とか。それから、一夏が箒以外の者と食事を摂っている時とか。小テストの点数が良かったときやISの実習で良い動きが出来たときなども、一夏を褒めるのではなく殆ど言いがかりに近いレベルでミスの指摘ばかりしている。

 

『そんな風に理不尽に怒って理不尽に暴力を振るうような人に「付き合ってもらう」なんて言われて、承諾すると思います? 私ならいくら幼なじみでも願い下げです。よかったですね、失恋確定ですよ♪』

 

『貴っ様あああああ!』

 

 マニピュレーターを失った腕を振るい、怒りに任せて殴ろうとする箒。しかし彼女の攻撃は当たらない。スティナが箒の首に添えていた葵を引き戻し、それを用いて腕を払ったからだ。

 

『あらあら、剣道はどうしたんですか箒さん? 竹刀以外による攻撃は反則では?』

 

『黙れぇ! 白子(しらこ)の分際で、口の利けない醜い身で――人間の紛い物のくせに、私の邪魔をするなっ!』

 

『酷い言い(ぐさ)ですね。まあ事実なんでいいですけど』

 

 暴れ出した箒の腕を掴んで――おそらくこれ以上暴れられると面倒だと思ったのだろう――地上に向かって投げ飛ばした。それほど強く投げたわけではないが箒は地面に仰向けに転がり、その上にスティナが馬乗りになって再び葵を首に添える。

 

『それじゃ、二つ目いきましょうか。あなたは何故このトーナメントで優勝したらなんて言ったんですか? 別にそんな条件つけなくても、好きです付き合ってくださいで良いじゃないですか』

 

『それはっ……!』

 

『当ててあげましょうか?

 私やジグさん、鈴音さん、セシリアさん――要するに、一夏さんに稽古をつけている私たちより優位に立ちたかったからですよね? 一夏さんが自分だけを頼るようにしたかったからですよね? 私たちが教えるゲロみたいな剣よりあなたの剣――剣道の方が上だと誇示したかったんですよね?』

 

「…………」

 

 箒は答えない。ただスティナを睨みつけている。しかしその眼が、答えないという行動そのものが、その通りだと雄弁に語っている。

 

『一夏はISなんかに頼らずに私と竹刀を振っていればいい――さっきのあなたの言葉です。

 でも――だったら何故あなたはISに頼ったのです? 嫌いなのでしょう、ISが。あなたを一夏さんから引き離したISが! 一夏さんが剣道を再開しない理由たるISが! 篠ノ之束の作り上げたIS()が!

 それなのに、ISの試合で優勝したら付き合ってもらう? ふざけんじゃねーですよ尻軽(ニンフォ)。嫌いなら嫌いでいい。それはあなたの自由です。けど――都合の良いときだけ尻尾振ってんなよ牝犬(ビッチ)、穴が寂しいなら愛しの竹刀でも突っ込んでろ』

 

『貴様……私を侮辱するのか!』

 

『そりゃ、私もあなたに何回も侮辱されてますからね。

 で、箒さん。大嫌いなISに淫売よりも浅ましくお尻を振ってまで一夏さんに要求を通そうとしたわけですが――仮にあなたとラウラさんのペアが優勝したとして、はたして()()()()優勝したと言えるでしょうか?』

 

 それこそが今回、スティナが箒に怒りをぶつける最大の理由。今まで攻撃を叩き込み、いろいろと(あげつら)ってきたのはこの話をするためだ。

 

『な、に……?』

 

『ラウラさんとペアになったのは抽選らしいですし、ラウラさんのことですからどうせ「試合中貴様は何もするな、戦闘に加わるようなら貴様ごと撃つ」とか言ったんでしょうけど――そんなことは関係ねーんです』

 

 一方的に一夏に交際を迫り、そのために嫌っているはずのISを――篠ノ之束の夢を利用した。それなのに――。

 

『ラウラさんだけに戦わせて、自分は後ろで見ているだけ。ラッキーだと思わなかったとは言わせませんよ。こいつの後ろで大人しくしているだけで勝ち上がれて、運が良ければ何もしなくても優勝できると。

 いい加減にしろよ篠ノ之箒。一夏さんにあんな啖呵を切って、そのためにISを利用しようとしたんだ――だったらせめて戦え! ラウラさんの脅しなんて関係無い! 自分の力で戦って、優勝を掴み取ろうとして見せろ! 出来ないのならそれはISへの――束さんへの! そしてこの学園で上を目指す全ての生徒への冒涜だ!』

 

 ――要するに。

 

 ごちゃごちゃ言いはしたが、簡単に纏めると――一夏の自由意志(尊厳)を冒し、嫌いなはずのISを(たの)みとし、そのくせ自分は戦おうとしない箒のことが、スティナは()()()()()()のだ。私怨もいいところである。

 

『スティナ、そろそろ十分が経過する』

 

『了解。まあ、もう終わりますよ』

 

 ジギスヴァルトの通信にそう返し、スティナは箒の上から降り――彼女が起き上がる前に思いっきり蹴り飛ばした。彼女ら二人のやり取りは全てプライベート・チャネルで行われていたため、観客から見れば完全にスティナが悪役である。

 

 壁にぶつかり崩れ落ちる箒。シールドエネルギーが規定値を下回ったのか、彼女はそれ以上動かない。

 

『し、篠ノ之箒、シールドエネルギー0(エンプティ)!』

 

 若干引き気味のアナウンスが入る。それを聞いて、スティナは興味が失せたとばかりに箒から視線を外した。

 

「くそっ……」

 

 スティナの打鉄のハイパーセンサーが箒の声を拾った。

 

「…………」

 

 聞かなかったことにして、スティナは試合を終わらせるべく飛び上がった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 負けた。

 

 手も足も出なかった。一撃入れることさえ出来なかった。

 

 何故? ――土俵が違ったからだ。

 

 何故? ――ISの稼動時間に差があったからだ。

 

 何故? ――専用機を持っていなかったからだ。

 

 そうだ、専用機。専用機さえあれば。誰のそれよりも高性能な専用機があれば。そうすればスティナも、ジギスヴァルトも、セシリアも鈴音もねじ伏せられる。そうすればきっと、一夏も箒が正しいのだとわかってくれる。

 

 いまだ続く戦闘の音を背後に聞きながら、箒はシールドエネルギーが切れたときの規定に従いピットに帰っていった。

 

 ――結局。スティナの怒りは箒に届かず、ただ彼女はフラストレーションを発散させただけに終わったのである。




 というわけで若干胸糞回でした。いつからスッキリすると錯覚していた……?
 激おこ箒VS激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームなスティナ。スティナの言い分も支離滅裂なのは激おこスティック以下略だからです。しかも八割方私怨。エゴだよそれは。でも罵倒を考えるのはすごく楽しかったです。
 剣道の知識は剣道部の従兄弟に昔ちょっと聞いた程度なので間違っていたら生温かい目で見てやってください。


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第二一話:力の価値

 

〈▼告/メルツハーゼ、残弾無し〉

 

 スティナがジギスヴァルトの横に並んだ丁度その時、メルツハーゼの弾が切れた。元々給弾装置内にあった三万発に加え、予備の給弾装置も使って合計六万発を撃ち尽くした計算になる。何度も銃身を交換した(ISの武装展開システムの応用で撃ちながらでも交換できるよう設計してある)し、ラウラの真下の地面にはAICで止められてから落下した弾丸の山。諸経費のことは考えたくない。

 

『終わったのか?』

 

『ええ。ただ……多分あまり効果無いですね』

 

『それは残念』

 

 ジギスヴァルトはメルツハーゼを量子化し、今度はヴァイスハーゼをコールした。

 

『では本番といこうラウラ。お前は十分間ものAIC使用で疲弊しているだろうし、シールドエネルギーも心許ないかも知れんがな』

 

「…………」

 

 ラウラは返事をしない。ただ、スティナを見ている。

 

 ジギスヴァルトは肩を(すく)めた。全身装甲(フルスキン)ゆえ顔は見えないが、雰囲気からすると呆れているようだ。

 

『スティナ。すまんが頼めるか?』

 

「…………」

 

 首肯。ほとんど使った事の無い打鉄で箒を(くだ)したばかりの彼女は普段以上に疲弊しているはずだが――それでも、残念ながらこれは彼女の仕事らしい。これが鈴音ならば「人気者はつらいわねー」などと軽口のひとつも飛ばしているのだろうが、生憎(あいにく)と彼女は先の喧嘩で普段の何倍も喋ったおかげで喋り疲れている。喉がどうとかではなくて、精神的に。

 

 葵二口(ふたふり)のうち右は晴眼に。左は肩に担いで、ラウラが動くのを待つ。

 

『スティナ・ヴェスターグレン……何故本気で戦ってくれない』

 

 それは試合開始時にも言っていた言葉。専用機を持ち出さなかったスティナに、激情に任せてぶつけられた言葉。

 

『力は誇示しなければ意味が無い。評価されない。評価されなければ――切り捨てられる』

 

「…………」

 

『教官はISで世界を獲った。ジグ兄様は自らの意志で戦場に在った。どちらも私の敬愛する方だ。力とは、個人が個人で居るための価値。二人は私にそれを教えてくれた。

 ――だからこそ、貴様が、教官が、兄様が。それを示さず、他者に埋没しようとするのが我慢ならない。兵器を兵器と思わないような連中の中に沈んでいくのがたまらなくつらい』

 

『……ああ、はいはい。なんとなくわかりました』

 

 スティナは深々と溜め息を吐いて、ジギスヴァルトを振り返る。

 

『ジグさーん……やっぱこれ私の仕事じゃないですってー。ジグさんがやってくださいよ、ラウラさんのお兄様なんでしょー? ていうか、織斑先生に「私に任せてくれ、キリッ」とか言ってたじゃないですかー』

 

『向こうがお前をご指名なのだ、仕方なかろう』

 

『そんなこと言わずにー、お願いお兄ちゃーん』

 

『都合のいい時だけ妹になるな。AIC対策に援護はしてやる、それで我慢しろ』

 

 冗談です、と苦笑して再びラウラに顔を向ける。箒にああまで言った手前、自分まで牝犬(ビッチ)になり下がるわけにはいかない。

 

『わかりました、打鉄で出し得る全力で相手をしますよラウラさん。まあ、相性の問題はありますが――機体の性能の差は戦力の決定的な違いではないですし。それに今回は兄さんの援護もありますから、私が一方的にボコられることにはならないでしょう』

 

 一対一ならたとえ専用機(ロビン)を使ってもラウラさんには勝てませんけどね、と続けると、ラウラの眉が苛立たしげに動く。はて何が彼女の気分を害したのだろうかと首を傾げていると、ラウラが口を開いた。

 

『どうして貴様はそうなのだヴェスターグレン』

 

「…………?」

 

 そう、とはどういうことだろうか。

 

『何故そうも自分を下に置く?

 これまでの試合、特に一回戦を見て確信した。貴様は私が知る中でも強者の部類に入る。おそらく私よりも強い。

 だのに貴様は頑なに私より弱いと言う。それではダメだ。それでは意味が無い。例え貴様を倒せたとしても、強者として在る貴様を倒さなければ私は高みに至れない! 私の(価値)を証明できない!』

 

「…………」

 

 ――つまり、なんだ。踏み台になれ、と。

 

 まあ、それ自体はいい。彼女が彼女自身のために力を振るい、スティナを踏み台にすると言うならば。だが――。

 

『……あなたはどうも勘違いしているようですが』

 

 構えを変える。右脚を前に出して半身になり、担いでいた左腕の葵を降ろして脇に。右腕もそれに添えるように並べ、二刀による脇構えとでも言うべき状態。

 

『“力”なんてものは――道具に過ぎません』

 

 ――特攻。瞬時加速(イグニッション・ブースト)での接近。彼女はそれしか能が無く、それに頼るしかなく――故にそれは際限なく研ぎ澄まされる。今、彼女は少し左に――ラウラの位置とは離れた場所に向かって加速をかけた。

 

 高いGやそれに伴う機体の歪みにも耐えられる体と、束のもとでひたすらに“前”への加速を突き詰めた末の技術。エイフォニック・ロビンにはスラスターが無いため普段はPICしか頼れないが、今乗っている打鉄ならスラスターも使うことができる。

 

 だから――瞬時加速中でも曲がることができる。

 

「!?」

 

 見当違いの方向に突っ込んだと思っていたスティナが、次の瞬間には目の前に居た。そのことに驚いて反応が遅れ、AICを発動できない。慌てて回避行動を取るも、ジギスヴァルトの撃つ弾が退路を塞いでくる。結果、中途半端な回避行動では避けきれず、スティナが振るったふたつの刃はシュヴァルツェア・レーゲンの右脚を破壊した。

 

『力はね、確かにあれば便利な道具ですよ。私もたった今それを用いて箒さんをコテンパンにしてきたところです。

 それに、ほとんど実験しかしなかったとはいえ、私だって曲がりなりにも元軍属ですから。力を持つこと、誇示することを否定はしません。力なんかよりもっと大事な強さが云々(うんぬん)なんて綺麗事を言うつもりもありません』

 

 我ながら今日はよく喋るなあと思いながら、スティナは言葉を続ける。

 

『ですが、力はあくまでも“道具”なんですよ。あればあっただけ選択肢が広がるだけのことです。絶対的な価値ではないし、無くてはならないものでもない。(どうぐ)のための生き方なんて――ましてや、あなたのために力を誇示する生き方なんてナンセンスにも程がある』

 

『……なに?』

 

『力とは自分のためのものです。そんなのはただの暴力だなんて言う人も居ますが、それが権力だろうと攻撃力だろうと“力”とは則ち全てが“暴力”。そして誰かのためにと振るわれた力だって“他者のために力を使うと決めた自分”のための暴力です』

 

 どんな綺麗事を並べたって、力とはそれを振るわれる側にとっては常に暴力なのだ。その善悪はただ他者にその暴力が正当だと思わせられる“説明”ができるかどうかの違いでしかなく、誰のために行使したかは問題ではない。

 

『私は私自身のためなら何だってします。力を誇示するべきときには全力でそうする。そうでないときは適度にしか振るわない。

 それは織斑先生も兄さんも同じ。いざとなったとき自身の大切なものを守れるだけの“暴力”を振るうことができるからこそ、普段はそれを振るわない。ましてや、絶対に“他者のため”になど使わない。それは言い訳だから。それをしてしまうと自らの望む生活を壊してしまうから』

 

 だから、ラウラの望む姿でいるためになんて絶対に使わない。そんな姿でいることを、スティナも千冬もジギスヴァルトも望んでいない。

 

 ちらりと、観客席に居る一夏を見る。転校初日、自己紹介のあとにラウラが彼を殴ろうとした理由が、今ならわかる。

 

 千冬は第二回モンド・グロッソにおいて決勝戦を棄権した。スティナが束に聞いたところによると、どうも一夏が誘拐されてそれを助けに行ったらしい。その事実を、開催国だったドイツが隠蔽。千冬は渋々ながらそれを容認し、さらにドイツは一夏の居場所を割り出したことをダシにして彼女にドイツ軍での教導を依頼した。

 

 だが、ドイツが誘拐を隠蔽したせいで、千冬は公には“理由無く決勝を棄権した”ことになっている。おかげで日本政府から嫌われ代表の座を追われた。彼女がIS学園で教鞭を執っているのは、高いIS戦闘技術を持つ彼女を他国に奪われないためだ。自国の代表はさせたくないが余所にはやりたくないというわけだ。おかげで千冬は国家代表にはなれない。試合にも出られないし、専用機が与えられることも無い。わかりやすく力を誇示できる立場になれない。

 

 それがラウラは我慢ならない。自らの憧れる強者が、強者として世に君臨していないことが許せない。()()()()()()()()()()()ことが許せない。だから、その原因となった一夏を認められない。

 

 それはおそらく、ラウラの出自にも起因するのだろう。一夏を殴ろうとした彼女を取り押さえたとき、彼女の首筋にバーコードが見えた。それは()()()()()()()()()()()()()()()()だ。遺伝子強化素体(アドヴァンスド)は体のどこかにデータ管理用のバーコードがある。それは刺青(いれずみ)などのような書き込まれたものではなく体の一部として遺伝子に刻まれたものであるから、消したくとも消すことができない。ラウラはドイツ人だし、真面目な軍人気質の彼女がバーコードの刺青を入れるとも思えないので、やはり遺伝子強化素体なのだろう。

 

 ――余談だが、このバーコードは先天性白皮症(アルビニズム)のスティナの体においては赤い瞳と並んで数少ない“色のある部位”である。そのため彼女はこのバーコードを結構気に入っていたりする。

 

 閑話休題。ラウラが遺伝子強化素体であるなら、彼女が身を置いていたのは厳しい実力社会だったはずだ。なにしろ代わりはいくらでも居るのだ。訓練や実験で良い結果が出せなければすぐに処分される。スティナだって、たまたまスウェーデンに引き渡されていなければ失敗作としてすぐに死んでいただろうから。

 

 故に、彼女の価値観は力、特に攻撃力に支配されている。それは道具に過ぎないのに、その道具が絶対だと思っている。

 

 このままではラウラの人生はロクなことにならないだろう。力を崇拝の対象として見る者がたいてい破滅することを彼女は知っている。

 

 けれど、それでは千冬が、そしてなによりジギスヴァルトが悲しむだろうから。この場でラウラの崇拝を打ち砕かなくてはならない。本来ならばジギスヴァルトの役目だが、ラウラの指名はスティナなのだから。

 

『先日の無粋と、今日の無礼はお詫びしますよラウラさん。理由があるとはいえ専用機を使わずに試合に出るなんて、あなたにはずいぶん失礼なことをしました。

 あなたは私のことを格上だと言ってくれましたね。力を崇拝するあなたからすれば、格上の相手が本気を出さないなんて侮辱もいいところでしょう』

 

 だから。

 

『気が変わりました。あなたと一対一(サシ)で勝負します。兄さん、援護は要りません』

 

 ジギスヴァルトを振り向くと、彼は頷いてヴァイスハーゼを量子化し、後退してくれた。これで邪魔は入らない。

 

 あとは――コテンパンに()()()だけだ。

 

『あなたが自分より格上だと思った私の力――それがいかに脆弱か、身を以て知るといいです』

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 スティナとラウラの戦いは、スティナの予想通りラウラが圧倒的に有利――()()()()()()()()。何故なら――。

 

『……どうしてAICを使わないんですか、ラウラさん』

 

 シュヴァルツェア・レーゲンは既にボロボロ。レールカノンは砲身を切断され、手脚の装甲はところどころが削ぎ落とされている。しかしこれは、スティナに言わせれば有り得ないことだ。

 

 スティナの動き、特に攻撃は、得物の特性上どうしても“線”になる。だから、ラウラはただ手を翳し、その線に交差するようにAICのエネルギー波を投げるだけで簡単に攻撃を止められるはずだ。ましてや、エイフォニック・ロビンのようにトリッキーに動けるならともかく、打鉄ではスピードも旋回性能もシュヴァルツェア・レーゲンに劣る。AICで攻撃どころか機体そのものを止めることだって造作もないはずなのだ。

 

 実際、ラウラは何度かスティナに手を翳しているが、AICを発動できずに回避行動に移っている。しかしその遅れはスティナの剣の前では十分に過ぎる隙となり、ジリジリと機体が傷ついていった。

 

 彼女はAICに絶対の信頼を置いている。過信していると言い換えてもいい。そんな彼女がそれを使わない理由がわからない。

 

『なに、少々考え事をな』

 

 AICを使うには多大な集中力が必要となる。考え事をしていたと言うのなら使えないことにも納得だが、はたしてあのラウラが戦闘中にそんなことをするだろうか?

 

『今度はこちらからだ。いくぞ!』

 

 ラウラがワイヤーブレードを飛ばしてくる。その全てをふたつの葵で斬り飛ばし、彼女の胴目がけて斬り込んでいく。

 

 彼女はスティナに右手を向けた。そしてAICを――発動しない。苦しげに顔を歪めたかと思うと、AICは諦めたのか回避に移ろうとする。が――遅い。

 

「がはぁっ!?」

 

 スティナが横薙ぎに振るった刀はラウラの胴を確実に捉え、彼女を大きく吹き飛ばした。壁まで飛ぶことは無かったが、二人の距離は大きく離れる。そして――。

 

『ラウラ・ボーデヴィッヒ、シールドエネルギー0(エンプティ)! 試合終――』

 

「ああああああ――――っ!」

 

 ラウラの絶叫が響いて、シュヴァルツェア・レーゲンが変貌を始めた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

〈――願うか……? 汝、自らの変革を望むか……? より強い力を欲するか……?〉

 

 スティナに右足を破壊された瞬間から、ラウラの頭ではそんな声が響いていた。

 

(要らん。私は私の力で奴と戦う。でなければ意味が無い)

 

 スティナの予想した通り、彼女は遺伝子強化素体だ。ISが登場するまでの彼女はあらゆる訓練、実験で最優だった。そうでなければいつ処分されるかわからないからだ。

 

 それが、ISの登場で全てが変わった。世界中の軍がISに傾倒し、それはドイツも例外ではなく。戦うために生み出された遺伝子強化素体たちには高いIS適正を求められた。その結果生まれたのが、肉眼へのナノマシン移植によって目を疑似ハイパーセンサー化する技術――越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)。不適合の危険性は無いと言われていたそれを全ての遺伝子強化素体が施され――しかしラウラだけは不適合だった。

 

 制御不能に陥った越界の瞳は常に起動状態。瞳を通して脳に直接送り込まれる膨大な情報をISの補助も受けずに処理するには、人間の脳ではスペックが圧倒的に足りない。そんな情報の化け物に押し潰された彼女は日常生活すらままならなくなり、成績は最優から最低へ。多くの者に落ちこぼれと蔑まれた。彼女が処分されなかったのは“不適合者のデータ”にある程度の価値があったからに過ぎない。

 

 その後、処分も兼ねて適当に放り込まれた作戦でジギスヴァルトと出会って精神的に持ち直し、その直後に教官としてドイツ軍に来た千冬の指導で再びトップに返り咲いた。

 

 力を示せていた頃、ラウラはラウラでいられた。落ちこぼれたとき、ラウラは無価値だった。再び力を示せたとき、ラウラはまたラウラとして在れた。

 

 だから、力とは則ち価値。それはラウラ自身の経験に加え、戦果をあげることで傭兵としての価値を確立していたジギスヴァルトと、そしてISで世界最強の座に君臨しその名を轟かせた千冬が証明している。

 

 証明――しているはずだった。

 

 スティナ・ヴェスターグレン。あいつは力のことを、価値ではなく道具だと言う。ラウラの見立てではあいつはラウラより強いが、頑なにそうではないと言う。

 

 ――理解できない。自分の方が弱いなどと申告するのは自身の価値を否定することと同じだ。

 

 ――我慢できない。あいつが価値に見合う評価を受け入れないことが。

 

 だから、勝つ。他の何にも頼らず、ただラウラ自身の(価値)であいつの(道具)を押し潰し、力は価値なのだと証明する。

 

〈――願うか……? 汝、自らの変革を望むか……? より強い力を欲するか……?〉

 

 頭に響く声がラウラの集中を掻き乱す。AICを発動できず、回避が遅れ、装甲やシールドエネルギーを削られていく。

 

(要らない。どこの誰だか知らないが、私の(価値)は私だけのものだ!)

 

 自分の(価値)で倒さなければ、あの三人を、特にスティナを説得できない。

 

 彼女は生身の生徒が居る場所に砲を撃つほどに非常識かつ非情ではあるが、見境無く力を欲するほど分別が無いわけでもまたなかった。自分の物ではない力を行使すればいずれボロが出ることは理解していた。

 

〈――願うか……? 汝、自らの変革を望むか……? より強い力を欲するか……?〉

 

(何なのだお前は! 邪魔をするな!)

 

 ――致命的な隙が生まれた。

 

 胴に近接ブレードが叩き込まれる。あまりの衝撃に胃はシェイクされ、肺の空気は強制的に吐き出される。

 

 意識が沈んでいく。ぼやけた思考の中で、とうとう彼女は屈することになる。

 

〈汝では勝てぬ……代わるが良い……〉

 

(やめろ……これは私の戦いだ……やめ――)

 

 Damage Level――D.

 

 Mind Condition――Error.

 

 Certification――Error.

 

 Operating System――Forced termination.

 

《Valkyrie Trace System》――Forcibly boot.

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 シュヴァルツェア・レーゲンが変形していく。

 

 否、変形というよりもそれは変態、あるいは変身と言うべきか。装甲がぐにゃりと溶け、ドロドロの何かになってラウラの全身を包み込んでいく。

 

 黒い、深く濁った闇が、ラウラを飲み込んでいった。

 

『ええー……なにこれぇ……』

 

 スティナは軽口のような調子で通信にそう乗せたが、内心かなり戸惑っている。それは、この場でこの光景を見ている者全てがそうであるに違いない。

 

 ISはその原則として、変形はしても変態はしない。出来ない、と言うべきか。

 

 例えばジギスヴァルトのスラスターのように装甲がスライドしてレーザーの発振器が顔を出したり、スティナの追加装甲のように後付けの何かを積んだりパージしたり、はたまた一夏の雪片弐型のように刀身が開いてレーザーブレードが出たり。そういった変形は、する。もしかしたらロボットアニメに出てくるようなダイナミックな変形ギミックを搭載したISも今後登場するかも知れない。

 

 その他、『初期操縦者適応(スタートアップ・フィッティング)』や『形態移行(フォーム・シフト)』のようにIS自身が自らを組み替えることはあるが――目の前のあれはそんな類のものではない。そもそも、ISは精密な電子機械なのだ。あんな、基本フレームから何から全てがドロドロになるなんて、普通は有り得ない。あれではまるで粘土細工だ。

 

 そして、その粘土細工は地上に降り立つと、急速に形を成し始めた。

 

 ボディラインは少女のそれ。しかして黒い装甲はその全身を包み込み、頭部では赤いラインセンサーが光を発している。

 

 そして、()()が手にする得物。あれは――。

 

『雪片弐型……?』

 

『いや、形状が微妙に異なる。おそらくあれはその原型(オリジナル)――雪片だ』

 

 それは、織斑千冬がかつてその身を預けた刀。

 

 ならば、あの黒いISがすることは――!

 

『退がれスティナ!』

 

「…………!」

 

 黒いISがスティナへと飛び込んだ。居合いに見立てた刀を中腰に引いて構え、必中の間合いから放たれる必殺の一閃。

 

 二刀を交差させてなんとか受けきったスティナに、さらに追撃が迫る。雪片を上段に構え――。

 

『退がれと言っているのだ阿呆が!』

 

 横からスラスター出力全開で突っ込んできたジギスヴァルトが、ヴォーパルシュピーゲルを叩き込んだ。しかし狭いアリーナで最高速度など出したせいか――そのまま止まることなく、敵ISと共に壁に突っ込んでいった。

 

『兄さん!』

 

『問題ない! いいからこれを止めるぞ!』

 

 敵ISの蹴りで壁から押し出された彼はヴァイスハーゼをコールし、撃ちながら後退する。敵は標的をスティナからジギスヴァルトに移したようで、再び雪片を構えて飛び上がった。

 

 あれはおそらく、織斑千冬(ブリュンヒルデ)を模倣している。もし完璧なコピーだとするならば、ジギスヴァルトとスティナの二人がかりでも勝つのは難しい。

 

 だが、あれは零落白夜を使ってくる様子が無い。ISの特性上当たり前といえばそうだが、単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)までは模倣できないのだろう。ならばこちらにも勝機は――。

 

「ふざっけんじゃねええええええ!!」

 

「なっ……一夏!?」

 

 突如として乱入してきた一夏が黒いISに挑みかかった。どうも零落白夜でアリーナのシールドを破壊して飛び込んだらしい。

 

 零落白夜を発動したまま、彼は敵ISに雪片を振り下ろす。だが、もとより未熟な彼の剣は敵に届かず、反撃を受けた彼は右腕を破壊され雪片弐型を取り落とした。

 

「……がどうした」

 

 だが、一夏はすぐにそれを左手で拾って、

 

「それがどうしたああああッ!」

 

 再度突撃。このままではまた敵ISの剣の餌食となる。

 

『この――』

 

 そんな、怒りに任せて暴れる一夏に。

 

(たわ)けがああああああああああッ!!』

 

 オープン・チャネルに乗せた絶叫と共に上空からジギスヴァルトが急降下して、綺麗な蹴りを一夏の背中に入れた。そのまま地上にぶつけ、スラスターの出力に任せて一夏を地面に押し付ける。

 

『スティナ、少しアレを抑えていてくれ』

 

『了解です。ところで、抑えるのはいいんですけど――別にアレを倒してしまっても構わないんでしょう?』

 

『ああ、構わん。好きにやれ』

 

 ジギスヴァルトの指示を受けたスティナは、一夏を追撃しようとする敵ISを背後から斬り付けた。それで倒し切れればよかったのだが、現実はそう甘くはないらしい。できた傷はみるみるうちに修復され、赤いラインセンサーが彼女を捉える。

 

『まさか模倣とはいえ()のブリュンヒルデと相見(あいまみ)えることになろうとは。不謹慎ですがさすがに気分が高揚します。

 さあ、私の剣とあなたの剣、どちらが上か試しましょう。私が挑むは世界最強――恐れずして参ります!』

 

 漆黒の偽者(レプリカ)が、真白き少女に躍りかかった。

 

 ――一方。

 

退()けよジグ! あいつ、ふざけやがって……千冬姉の真似しやがって! ぶっ飛ばしてやる!」

 

「落ち着け馬鹿者。貴様がやる必要は無い。今はスティナが戦っているし、じき教員たちが鎮圧しに来る」

 

 実際、試合中止と非常事態宣言のアナウンスが為されている。あと数分で教員部隊が到着するだろう。

 

「だから俺が危ない場所へ飛び込む必要は無いってか?」

 

「少し違うが、まあ概ねそうだ」

 

「違うぜジグ。全然違う! 俺が『やらなきゃいけない』んじゃないんだよ。これは『俺がやりたいからやる』んだ。他の誰がどうだとか、知るか。だいたい、ここで引いちまったらそれはもう俺じゃねえよ! 織斑一夏じゃない!」

 

「――あ?」

 

 ブチッ、と、何かが切れる音をジギスヴァルトは確かに聞いた。それは恐らく、自身の内から聞こえたものだ。

 

「……そうか。ならば仕方がない」

 

 嘆息したジギスヴァルトはグライフを起動した。装甲がスライドしレーザーキャノンが姿を見せる。

 

「十数える間に大人しくなれ、一夏。さもなくば撃つ」

 

「何を――」

 

「――Zehn(10), Neun(9), Acht(8), Sieben(7)...」

 

 カウントが始まる。しばらく暴れていた一夏だったが、

 

「……わかった、大人しくする。暴れない。これでいいか?」

 

「よかろう」

 

 そしてジギスヴァルトが彼の上から退()いた瞬間、彼はまた黒いISに飛びかかろうとした。

 

「お見通しだ阿呆が」

 

 そんな一夏の腕をジギスヴァルトは直ぐさま掴み、容赦なくグライフを撃った。左右各四基ずつ、合計八基の発振器から放たれたレーザーは白式の装甲を一発で大破させ、その展開状態は呆気なく解除される。

 

 そして彼は一夏の腕を掴んだまま持ち上げ、吊し上げた。

 

「離せよ!」

 

「落ち着けと言っている! 貴様、自分が何をしたかわかっているのか!」

 

「何がだよ!」

 

「貴様のその我が儘が! 何人の命を危険にさらしたのかが! わかっているのかと言っているのだこのド阿呆!!」

 

「――っ!」

 

 一夏はアリーナのシールドを()()()()乱入してきた。つまり、シールドが復旧するまでの間は観客席を守るものが何も無い。敵ISの装備は刀一本しか確認されていないが、だからといって観客席を襲われればどうにもならない。それに、流れ弾の危険があるためこちらも銃器を使えなくなる。事実、ジギスヴァルトが撃っていた弾が観客に(あた)っていた可能性だってあるのだ。

 

「わかるか! 貴様のせいで大勢死んだかも知れんのだ! 大切な人を皆守る? ここで引いたら織斑一夏ではない? 巫山戯ているのか貴様! 守るどころか! 今貴様は! しょうもないエゴのために大切な人を危険にさらしているのだぞ!」

 

「しょうもないだと? ざっけんな! あれは千冬姉だけの剣――」

 

「織斑先生が貴様に頼んだのか? アレは私だけの剣だ、気に入らんから倒せ、と?

 違うだろう。織斑先生を言い訳にするのはやめろ。貴様は! 貴様が不快だから! 貴様のために! あれを排除したいだけだ! たしかに力とは自らのためにのみ振るわれるべき物だが、関係の無い者にまで被害があるならばそれは力ではなく災害だ!

 目を逸らすな! 織斑先生に逃げるな! 貴様はとんでもない過ちを、自らのために犯したのだ!」

 

 一夏の腕を掴む手に力が入る。ISの手で掴んでいるのだから、このまま力が込められればもしかしたら折れるかも知れない。そうなれば千冬に殺されるので、怒りに熱くなりながらも冷静に力を緩める。

 

「いい加減そのすぐに熱くなる性格をどうにかしろ。そして事実を受け止めろ。何度でも言ってやる。貴様は今、何百人もの人間を殺しかけた」

 

「…………!」

 

 俯き黙り込む一夏。その心中はわからないが、とりあえず大人しくさせることには成功したようだ。

 

 さてひとまず生身になった一夏を安全な場所に運ばなくては、とピットへ脚を向け、チラとスティナへ視線を投げると――意外にも善戦していた。そして彼女は落胆していた。

 

「…………」

 

 千冬を模倣しているとは言え、所詮は機械。動きはある程度パターン化されており、数合打ち合ううちになんとなく把握できてきた。

 

 距離が離れれば、例の居合いに見立てた構えでの突撃。近くに寄れば、背後に回り込む機動からの苛烈な連擊。しかしそこには、高い技術はあっても意志が無い。意外性が無い。こんなものは世界最強の剣技ではない。

 

「…………」

 

 スティナは敢えて距離を取った。それに反応した敵が雪片を構える。

 

 ――よく見ろ自分(スティナ・ヴェスターグレン)。相手の動きを見逃すな。チャンスを見逃すな。そのためにわざわざ距離を離したのだから。

 

 敵ISの突進。敵は目前に迫り、刀を振り始め、だから奴が左腰から横薙ぎに振るうそれをくぐるようにして奴の左脇を抜ければ追撃はされづらい――!

 

 ――打鉄の物理シールドが犠牲になった。だがそのおかげで狙い通り奴の左後ろに抜けられた。敵はそれに反応し、すぐさま振り返って雪片を振り下ろそうとして――その前にスティナの葵が敵の胴を横に一閃、次いで両腕の装甲を破壊し、さらに脚を薙いだ。

 

 そして動きの鈍った敵の体を今度は縦に斬り――それで、終わった。シールドエネルギーが尽きたのか、はたまた別の要因があったのか、というかそもそもシールドエネルギーの概念が当てはまるのかどうかすら知らないが、黒いISは崩壊していく。解放されたラウラはスティナの腕の中へと倒れ込んだ。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 ――ジグ兄様。兄様は何故傭兵なのですか?

 

 ――兄様はよせ。それで、何故とはどういう意味だ?

 

 ――兄様はこの部隊で最も戦果をあげていると聞いています。それだけの力があるなら、軍属でも十分にやっていけるはずです。

 

 ――だから兄様はよせと……いや、まあ良いか。私は傭兵の方が性に合っている。規律でガチガチの軍属というのは息が詰まるし、傭兵は力を示した分だけ自分の価値を押し上げられる。

 

 ――価値、ですか。

 

 ――ああ、だが勘違いするなよ。力は道具でしかない。自らの価値を押し上げることはできるが、力そのものは価値では……む、居ない? まだ話の途中だというのに、せっかちなことだ。

 

 

 これは、記憶だ。私が(価値)を取り戻す少し前の、記憶。

 

 

 ――被検体D-0000ねえ……言いにくいし長えな。ドイツの奴ら、名前くらいつけてやりゃいいのに。

 

 ――それはウチの偉いさんも同じだろうよ。こんなかわいいお嬢ちゃんなのに。

 

 ――そうだ、俺たちが名前つけてやるよ。

 

 ――お前にしては良い案じゃないか。

 

 ――ところがどっこい、こいつは上からのお達しでね。体裁上国民として登録しなきゃいけないから、俺らで名前を考えろとさ。

 

 ――早く言えよ馬鹿野郎。感心して損したよ。そういうわけだから、それでいいかい嬢ちゃん?

 

 

 真っ白な幼子が、好き勝手笑い合う男共を見上げて呆けている。これは私ではない。だが、ドイツの被検体D-0000ということは……遺伝子強化素体、だろうか。

 

 

 ――よう、お疲れさん。今日は何やらされたんだっけ?

 

 ――あれでしょ、ほら、あの……あれ。

 

 ――いやあれってどれだよ。

 

 ――や、だから、あれよ。あの……旋回しながら撃つやつ。

 

 ――ああ、あれな。で、どうだった成績は?

 

 ――ド平均? あんた、白兵戦は凄いのに射撃関係はホント平凡よね。

 

 ――まあまあ、人には向き不向きがあんだよ。お前なんてIS関係全くダメじゃねえか。

 

 ――うっさい! そういうあんたはISの起動すらできないでしょうが!

 

 ――はっはっは、そりゃ俺は男だからな!

 

 ――威張って言うことじゃないわよ!

 

 

 男女のやり取りを、真っ白な少女がニコニコと笑いながら見ている。あれは、ヴェスターグレンか。ならばこれは、あいつの記憶。

 

 

 ――教官は、何故そんなに強いのですか。

 

 ――私には弟が居てな。

 

 ――あの、誘拐されたという男ですか。

 

 ――なんだ、知っているんじゃないか。まあ、あいつを守ろうと思ったら道具(ちから)を手に入れるのが一番手っ取り早かったというだけた。

 

 ――ですがあの男を守るために、教官は価値(ちから)を手放してしまったではないですか。

 

 ――何を言う。私は何も手放してなどいない。

 

 ――よく、わかりません。

 

 

 そしてこれは、私。織斑教官に強さを問うたときの記憶。

 

 何がどうなっているのかわからないが、私は私自身の、そしてヴェスターグレンの記憶を覗いているらしい。

 

 思い出したくない記憶も、見た。あいつの、人には見られたくないであろう記憶も、見てしまった。

 

 けれど、あいつの記憶を見て、私は――。

 

 




 長え!!!!
 表現がクドすぎたでしょうか。しかもその割にはラウラがスティナに執着していた理由をちゃんと表現できた気がしません。ヤバい。一応筋の通る文章にはしたつもりなんですが、はてさて。


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第二二話:全てを癒やす命の泉

 

「う、ぁ……」

 

 ぼやっとした光が天井から降りているのを感じて、ラウラは目を覚ました。

 

「気がついたか」

 

 その声には聞き覚えがある。捨て石のように戦場に放り込まれて自棄になっていた彼女を守り、生還させてくれた人。あの時は一ヶ月という短い付き合いであったが、それでも兄と慕った人だ。間違えようが無い。

 

「私は……どうなりました……?」

 

「全身に無理な負荷がかかったことによる筋肉疲労と打撲、だそうだ。しばらくは無理をするな」

 

「そういうことではなく……」

 

 全身に走る痛みを堪えながら、無理やり起き上がる。表情を苦痛に歪めながらも、その双眸は真っ直ぐにジギスヴァルトを見つめていた。治療のため眼帯が外されている左目は右目の赤とは全く異なり、金に輝いている。そのオッドアイが、ただひたすらに問いかける。

 

「……当事者である私とスティナには説明が為されたが、一応重要案件である上に機密事項だ。それを理解したうえで聞け」

 

「はい」

 

「VTシステムは知っているか?」

 

「はい。正式名称はヴァルキリー・トレース・システム。過去のモンド・グロッソの部門受賞者(ヴァルキリー)の動きを模倣するシステムで、確かあれは――」

 

 条約によって現在どの国家、組織、企業においても研究、開発、使用全てが禁止されている。ラウラがそう言うと、彼はひとつ肯いて説明を続ける。

 

「それが、お前のISに積まれていた」

 

「…………」

 

「巧妙に隠されていたそうだ。しかも、正規の方法で起動したのではないらしい。システムのログに強制起動の痕跡があった。

 それとレーゲンのOSが無理にシャットダウンされていたそうで、プログラムが一部破損している。現在整備科の者が復旧中だ」

 

 ジギスヴァルトの話を聞きながら、ラウラはいつしか俯き、シーツをギュッと握りしめていた。

 

「……ヴェスターグレンがレーゲンの右脚を破壊した後、声が聞こえたんです」

 

「ん?」

 

「力が欲しいか、さらなる変革を望むか――と。

 必死で抗いましたが、結果はあのザマ。声に集中を乱されている間にヴェスターグレンに敗北し、意識を手放してしまった。

 あれは私とあいつの戦いだった。私とあいつの、信念のぶつかり合いだった。あの時あいつは、あの訓練機で出せる全力で向かってきてくれた。それなのに、私は――!」

 

 ――あんな得体の知れないものに掻き回されて全力を出せず、あろうことか最後には屈してしまった。

 

 それを言葉にはしなかったが、ジギスヴァルトには伝わった。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ!」

 

「っ!? は、はい!」

 

 突然大声で名前を呼ばれ、ラウラは飛び上がった。

 

「お前はスティナと戦って、何を思った?」

 

「……強かった。私よりもずっと。けれど、奴の言った通り――力は価値ではないのかも知れません」

 

「ほう、どういった心境の変化だ?」

 

「気を失っている間――私は夢を見ました。あれはきっと、あいつの……ヴェスターグレンの記憶」

 

 ラウラと同じく、遺伝子強化素体(アドヴァンスド)として生を受けた。身体的な欠陥があって失敗作として殺処分されそうだったところをスウェーデンへ売られ、そこで初めて名を貰い、訓練と実験の毎日。

 

 けれど――彼女は、笑っていたのだ。

 

 別に四六時中ニコニコしているわけではない。もともとさほど感情表現が得意でないスティナは表情豊かとは言えない。それでも、楽しいと感じたときには笑っていた――楽しいと感じる瞬間が、彼女にはあったのだ。

 

 きつい訓練やつらい実験を受けて体を壊したこともあった。下衆(げす)な将校に(なぶ)られたこともあった。けれど、彼女は部隊内での人間関係が良好だった。皆が倍以上も年上という環境下で、娘のように可愛がられていたようだ。だから彼女は、笑っていた。

 

 かつてのラウラのように訓練の成績が良かったわけではないのに。日光に当たれないせいで戦場に出られず、だから実戦で活躍することも出来なかったのに。それでも彼女は、少なくとも部隊の皆に認められていたのである。受け入れられて、いたのである。

 

 そしてそれは――もしかしたら、ラウラも歩めた道だったかも知れないのだ。思い返せば同じ部隊の……黒ウサギ隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の皆は幾度も彼女に手を差し延べてくれていた。それを、意固地になって拒絶していたのは他でもない、彼女自身だ。

 

「それに、気づいてしまいました」

 

 自嘲するようにラウラが言うと、ジギスヴァルトはフッと笑った。

 

「……そうか。ならば丁度良い。これからお前はそうなるがいい」

 

「……え?」

 

「これから三年間はこの学園に在籍するのだろう? ならばその間、今までのように力ばかりを価値とするのではなく、ラウラ・ボーデヴィッヒとしての価値を作り上げていけばいい。その後も、まあ死ぬまでたっぷりと時間はある。せいぜい慣れないことに四苦八苦するがいい」

 

 くつくつと笑って、これからが楽しみだな、などと言う。言って、今まで座っていた丸椅子から立ち上がった彼はベッドから離れる。

 

「ああ、それから」

 

 ドアに手をかけて立ち止まり、振り向くことなく再度言葉を投げかける。

 

「少なくとも私は、お前を妹のように大切に思っている。力がどうだのは関係無くだ。それは今も――そしてあの頃もな」

 

 今度こそ言いたいことは全て言ったのだろう。そのまま医務室を出て行ってしまった。

 

(私の価値――か)

 

 どうすればいいのかはわからない。けれど、それはきっと、自分で見つけなければならないものだ。彼の言った通り、四苦八苦しなければならないのだ。

 

 けれど、なんとなく心が軽い。だって、今の自分は空っぽだから。ラウラ・ボーデヴィッヒの中身(価値)は、これから満たして行くのだから――。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「待たせたな、一夏」

 

「……いや、問題ない」

 

 ラウラと別れた後、ジギスヴァルトは屋上へと足を運んだ。目的は、学年別トーナメントの一回戦での約束。ジギスヴァルトが勝ったら一夏が質問に答えるという、アレだ。

 

「それで、何が聞きたいんだ?」

 

 一夏は心なしか急いているように、ジギスヴァルトは感じた。この後アリーナのシールドを壊した件の反省文が待っているのと、そしてその時ジギスヴァルトに言われた言葉が刺さっているからだろう。居心地が悪いに違いない。

 

「まあ、私とてさっさと済ませたいので手短にいくが――お前は何故シャルロットを助けようと思った?」

 

「……なんだって?」

 

 それは、一夏の心に引っかかっているもう一つの感情も刺激した。

 

「逆に聞くけどよ、ジグ。お前、なんであの時、助けるのを渋ったんだ?」

 

 それは本来一夏が勝ったときに聞かせろと言われた質問。

 

「質問に質問で返すのは感心せんな」

 

「いいから答えろ!」

 

 やれやれ、と肩を竦める。おそらく彼が答えなければ一夏も答えない。だがまあ、どうせ勝敗に関係なく教えるつもりでいたのだ。特に問題は無い。

 

「あの時言っただろう? シャルロットが本当のことを言っている証拠が無かったからだ」

 

「お前はあれが本当だって知ってただろうが!」

 

「そうだな」

 

「だったら!」

 

 またしても激昂する一夏の姿に嘆息を禁じ得ない。すぐ熱くなる性格をなんとかしろと言ったはずだが――まあ、すぐに直るものなら苦労は無い。

 

「だが、一夏。お前は知らなかった。そうだな?」

 

「それは……そうだ」

 

「では、私の質問に戻るが。何故シャルロットを助けようと思った?」

 

「友達だからだよ。友達を助けるのに理由が要るか?」

 

「要る。少なくとも私とお前は」

 

 その言葉に一夏は困惑した。今までそんな風に考えたことも無いからだ。友達が困っているなら助ける、というのは彼の中では当然のことなのだから。

 

「ああ、勘違いするなよ。シャルロットを助けようとしたこと自体を咎めているのではない。それはお前の良い所だ」

 

「じゃあ、何だよ」

 

「少しで良いから疑うことを覚えろ、ということだ」

 

「友達を疑えってのかよ。目の前で困ってる友達を見捨てろってのか!」

 

 だから、すぐに熱くなるなと言うのに。もしかして既に忘れてしまっているのだろうか、と不安になってきた。

 

「そういう話でもない。だが、そうだな――例えばの話だ。シャルロットがあの時嘘を吐いていて、本当はお前と私、その他専用機持ちたちを暗殺して機体を奪うために来ていたとする」

 

「シャルロットがそんなこと――」

 

「例えばの話だと言っておろうが。

 で、だ。お前に『シャルロットは友達だ』と思わせ疑われないようにするところから彼女の策略だったとしたら、お前はまんまとその術中にハマったことになる。仲良くなったお前に架空の身の上話をし、同情を誘い、警戒心を無くして――そして殺す。

 そうなった時、お前は対処できるか? 出来まい。死ぬのがお前だけならまだ自業自得で済ませられるが、では彼女が鈴を、セシリアを、私やスティナを、殺して機体を奪おうとしたら? 信じていた彼女の凶行を前に、お前は冷静でいられるのか?」

 

「それ、は……」

 

「今回は彼女が真実を語っていた。私もそれが本当だと知っていた。

 だが、もし似たようなことがまたあったとき、いつも真実が語られるとは限らんのだ。毎度毎度私が真実を知っているとも限らんのだ。

 信じるなとは言わん。助けたいならば助けるがいい、信じたいなら信じるべきだ。それは間違いなく美徳だからな。

 だが、『そういうことがあるかも』とは常に考えておけ。そして今日も言ったがすぐに熱くならず、一瞬でもいい、少し考えてから行動しろ。でないと――いつか、お前だけでなく大切な人も巻き込んで取り返しのつかないことになる。守るどころの話ではないぞ」

 

「……わかったよ。今日みたいになるかもってことなんだな。俺が熱くなったせいで誰かが危険にさらされるかも――いや、死ぬかも知れないんだ。今日だってそうだった」

 

「そうだ。わかったのならいい」

 

「つまり俺のためにあの時ああしてくれたってことだよな。サンキュー、ジグ。すぐに出来るかはわかんねえけど――やってみるよ」

 

 そのためにまずは目前の反省文(困難)に打ち勝たなくては、と屋上を去ろうとする一夏を、しかしジギスヴァルトは呼び止めた。まだ何かあるのかと怪訝な顔で振り向く一夏に、彼は意地の悪い笑みを浮かべて、言う。

 

「前々から思っていたのだがな。お前、『俺なんかを好きになるような女の子なんて居ない』だとか思っているだろう」

 

「は? 何だよ突然。そりゃ、確かにそう思ってるけど」

 

「それは大間違いだ」

 

「へ?」

 

「これ以上は自分で考えろ」

 

 そしてシッシッと手を振って屋上から追い出そうとしたが――そこに真耶がやってきて、二人の姿を認めると大きく安堵の息を漏らした。

 

「ああ、よかったー。やっと見つけました」

 

「山田先生。もうあの地獄は終わったんですか?」

 

 ジギスヴァルトの言う地獄というのは、VTシステムに関する一連の後処理のことだ。当事者となった彼とスティナへの取り調べ、各国からの問い合わせ対応、ドイツへの説明要求等々。教員総出でてんてこ舞いである。

 

「ええ、まあ、なんとか一段落ってとこです。……戻ったらまたデスマーチですけど」

 

「それは、なんというか……すみません」

 

「いえいえ、ブレヒト君のせいじゃありませんから! それに、私は先生ですから、これくらいへっちゃらです」

 

 えへん、と胸を張る真耶。その動きであの重たげな膨らみがゆさっと揺れて、一夏とジギスヴァルトはついつい顔を背けてしまう。この場に一夏に惚れている連中や本音が居なくてよかった、と心から思う。

 

「……? どうかしました?」

 

「いえ、別に。それより山田先生、何か用があったから私たちを探していたのでは?」

 

「そうでした! 朗報ですよ、朗報!」

 

 グッと両の拳を握りしめてのガッツポーズで、またしても胸部装甲が激しく自己主張。

 

「合図のために撃つ銃砲ですか?」

 

「それは号砲です」

 

「では西暦九九九年一月一三日から西暦一〇〇四年七月二〇日ですか?」

 

「それは長保(ちょうほう)です。そんなのどこで知ったんですかブレヒト君」

 

「ならば農民一人に田地五十畝を与えその十分の一の収穫を税として納めさせる、中国古代の()で施行された税法ですか?」

 

「それは貢法(こうほう)。ホントどこからそんな知識を……って、そうじゃなくて! 朗報! 良い報せです!」

 

 だから、きっとジギスヴァルトがこうして巫山戯てしまうのも仕方の無いことなのだ。全ては魅惑の胸部装甲が悪い。あれ、どう見ても()()本音より大きいし。

 

「なんとですね! ついについに、今日から男子の大浴場使用が解禁です!」

 

『なんとぉ!?』

 

 その時二人に電流走る。

 

「マジですか山田先生!」

 

「来月からだとばかり思っていました!」

 

「それがですねー。今日は大浴場のボイラー点検があったので、もともと生徒たちが使えない日なんです。でも点検自体はもう終わったので、それなら男子に使ってもらおうって計らいなんですよー」

 

『なんという、なんということだ! 素晴らしい!』

 

 この時、風呂という命の泉を前に、二人の心は一つになった。さっきまでの微妙な感じなど微塵も感じさせない。何者にも打ち砕けぬ絆が、そこにはあった。

 

「そういうわけで、大浴場の鍵は開けていますのでブレヒト君は早速お風呂にどうぞ。今日の疲れも肩まで浸かって百数えたらもうスッキリ! ですよ!」

 

「はい!」

 

「……あれ、俺は?」

 

 名を呼ばれなかった一夏が尋ねると、真耶は彼の手にドサッと何かを置いた。

 

 ――大量の原稿用紙だった。

 

「織斑君は、指導室で反省文です」

 

「……自室で書いていいって言われたはずなんですけど」

 

「ダメです♪」

 

 彼女の顔は極上の笑顔。けれど何故だろう、「逃げられると思うなよ」という声が聞こえた気がしたのは。

 

「さあ織斑君、行きますよー」

 

「えっちょっ待っ……ジ、ジグ! 助け……!」

 

 ズルズルと引きずられていく一夏。そんな彼に、ジギスヴァルトはいい笑顔で親指を立てて、言った。

 

「安心しろ。大浴場の感想文を二百字以内で提出してやる」

 

「裏切り者おおおおお!?」

 

 いとも簡単に打ち砕かれた絆が、そこにはあった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 さて、そういった経緯で、ジギスヴァルトは大浴場にやって来たわけである。

 

「あぁ……癒やされる……」

 

 広々とした湯船を独り占め。嗚呼、なんという贅沢だろうか。

 

 ドイツ人はシャワーで済ませる者が多く、単身者用のアパート等では浴槽の無い場所も多い。ジギスヴァルトも束の許を離れてドイツで暮らしていた頃は浴槽の無い物件に住んでいたし、シャワーだけでも平気ではあるが、それはそれ。束に拾われるより前に暮らしていた家には、養父たちの大半が日本人だった故に立派な風呂があり、彼もまた風呂を堪能していた。要するに、ドイツ人には珍しく彼は風呂好きなのである。

 

(しかしまあ、何年ぶりのちゃんとした風呂だろうか……実に良い……このまま寝てしまいそうですらある……)

 

 試合の疲れとあまりの脱力感から睡魔が押し寄せてくる。お前は試合でほとんど何もしなかっただろうなんて言ってはいけない。今日彼はメルツハーゼを毎分六千発の発射速度で撃ち続けたのだ。その際の反動はおよそ二トン。ISのアシストがあるとはいえそれを十分間も受け続けたのだから、体にかかる負担も相応のものである。

 

 と、そういうわけで、襲い来る睡魔に抗いながら風呂を堪能していたのだが。不意に、カラカラと扉が開く音が聞こえた気がした。さらには、ひたひたと足音まで聞こえてくる。

 

(一夏だろうか……? あの量の反省文をこの短時間で仕上げられるとは思えんが……)

 

 しかし今日ここに来る可能性があるのは一夏のみ。後ろで体を洗う音まで聞こえるからには幻聴ではないし、やはり一夏が反省文を終わらせて来たのだろう。

 

 ――そう思っていたのだが。

 

「となりにしつれーしまーすー」

 

 そう言ってわざわざすぐ隣にチャポンと入ってきたのは、なんと本音だった。

 

「本音、何故ここに居る」

 

「だってジグ、さっき今日は大浴場に行けるーってすごいテンションで言ってたからー。私も一緒に入りたいなーと思ってー」

 

「一夏が来たらどうするのだ」

 

「来ないよー?」

 

「何故そう言い切れる?」

 

「たっちゃんかいちょーに頼んで指導室にぶち込んでもらったからー」

 

 にへっと笑ってさらっと凄いことを言う。山田先生が一夏を連行したのはそういうことか。というか、承諾するなよ生徒会長。

 

「てゆーかー、どーしてジグはそんなに冷静なのかなー?」

 

 本音としては、たまには慌てふためく彼を見たかったのだが。予想に反して彼はただ泰然としてそこに在る。こうまで平然とされていると、もしかして自分には女としての魅力が無いのだろうかと不安になってくる。日本の大浴場においてタオルを湯船に浸けるのは世界を滅ぼすのと同じくらいの大罪であるからして、今の本音は絶対的な掟に従い何も身につけていないというのに。

 

「本音こそ、男の居る風呂にいやに平然と入っているではないか。恥ずかしいだの身が危険だのとは思わんのか?」

 

「んー……でももう何回か見られてるしー、あとジグなら別に襲われてもいいしー」

 

 などと、誰かに聞かれたら噂が瞬を駆け抜けて紅蓮の碑を描きそうなことを口走って、本音が体勢を変えた。ただ隣に座っているだけの状態から体を横に向けて、ジギスヴァルトに抱き付く形だ。大きくて柔らかいアレが直に押し付けられて精神衛生上非常によろしくない。

 

「それでも恥じらいは持つべきだと思うがな」

 

「失敬な。私だって恥じらいはあるよー?」

 

「どの口がそんなことを言う」

 

「信じてないなー? 私今ちょお恥ずかしいよー?」

 

 実際、彼女の顔は体が温まっていることを抜きにしても真っ赤である。しかしそれは、先程から頑なに彼女の方を見ようとしないジギスヴァルトには確認のしようが無い。

 

「本音。ひとつ覚えておくと良い」

 

「なになにー?」

 

「別に私は冷静ではない」

 

 ――そして、彼の身体は徐々に(かし)ぎ、ついにはバッシャーン! と音を立てて倒れてしまった。

 

 嗚呼、そうなのだ。彼は別に平気な訳ではなかったのだ。ただただ驚愕や羞恥や劣情、その他諸々の感情が振り切れた結果、一周回って普段通りであるかのような振る舞いになっていただけであったのだ。

 

「ちょ、ジグー!?」

 

 まるで悟りに至ったかのように穏やかな顔で湯船に沈みゆくジギスヴァルト。

 

 ――翌日、一夏に提出された感想文には、ただ一言「Fantastisch(最高)」と書かれていた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 学年別トーナメントは中止になった。VTシステムの件で教師が皆忙殺されたためだ。幸い、残っていた試合は準決勝がいくつかと決勝だけだったので、どの参加者も最低一度は試合をしていた。そのため各生徒のデータは問題なく取れており、無理に続行する必要も無かったのである。

 

 そして試合が無くなったことで金曜日は急遽休日となり、それが明けた土曜日。IS学園では土曜日にも、半ドンとは言え授業がある。なので、当然朝のホームルームもあるのだが、教室にはシャルロットの姿が無かった。ラウラも居ないが、こちらはまあ療養中なのだろう。

 

「皆さん、おはようございます」

 

 教室に入ってきた真耶は何故かニコニコしていた。それはこれからイタズラをしてやろうと企む子供のような表情。

 

「今日は皆さんに転校生を紹介します。と言っても、皆さん既に知っている人です」

 

 真耶の言葉にクラス中が首を傾げた。既に知っている転校生、というのが皆引っかかっているらしい。

 

「じゃあ、入ってください」

 

「失礼します」

 

 ドアの外から聞こえた声には、クラス全員が聞き覚えがあった。ああ、なるほど。確かに、我々は転校生を知っている――。

 

「シャルロット・デュノアです。皆さん、改めて宜しくお願いします」

 

 ぺこり、とスカート姿のシャルロットが一礼する。知っているはずの人物の知らない姿にクラス全員がぽかんとしたまま、これはどうも御丁寧にとばかりに頭を下げ返した。

 

 この場で驚いていないのは四人。一夏、ジギスヴァルト、本音、そしてスティナだ。彼らは昨日、楯無から聞かされていた。準備が整ったからシャルロットは女の子に戻る、と。

 

「というわけで、デュノア君は、実はデュノアさんでした」

 

 皆が驚いているのが楽しいのだろう。真耶は楽しそうにそう言った。

 

 ちなみに、シャルロットは「稀少な男性操縦者がどの程度の危機回避能力を持っているかの確認のための“危機”役として男性と偽って編入したが、その役目を終えたため本来の性別で編入し直した」ということになっている。

 

「……え? デュノア君って女の子だったの?」

 

「おかしいと思った! 美少年じゃなくて美少女だったのね!」

 

「って、織斑君、同室なんだから知らないってことは……」

 

「ちょっと待って! 確か一昨日、男子が大浴場使ってなかった!?」

 

 一夏が振り向いた。後ろの席のジギスヴァルトと視線を交わした。両者とも神妙な顔で頷いた。いかに鈍感な一夏といえど、この後に待ち受ける展開は予想できたようだ。

 

 ここから逃げ――。

 

「一夏ァ!」

 

 バシーン! と、とんでもない勢いで教室のドアが開いた。そこにおわすは凰鈴音。その顔は烈火のごとき怒りに彩られ、背後には昇り龍が見える。

 

 逃げるのは却下。二人はプランB(行き当たりばったり)に移行した。

 

「待て鈴。俺は潔白だ」

 

「はあ? 何がどう潔白なのよ」

 

「俺は一昨日、大浴場には行ってない! ずっと指導室で反省文を書いてたんだ! ですよね山田先生!」

 

 必死の形相を真耶に向けると、彼女は笑顔で頷いた。

 

「な!」

 

「そう。でも、アンタあの子と相部屋よね」

 

「……はい」

 

 一夏自身は鈴が「男が女性と相部屋であること、あるいは一緒に入浴したことを(入浴は濡れ衣だが)女性として不快に感じている」から怒っていると思っていて、よもや彼女が自分に惚れているから怒っているのだなどとは思ってもみないわけであるが。それでも、彼女の怒りがそう簡単におさまりそうもないものだとはわかる。

 

 万事休すか。と、一夏が諦めかけたその時、救いの手は思わぬところから差し延べられた。

 

「すみません、遅れました」

 

 鈴音の後ろからひょこっと現れたのは、ラウラだった。

 

 あのラウラが、遅刻を謝りながら、教室に入ってきた。それはクラス中(と、ついでに鈴音)に再びの衝撃を与えて余りある出来事であった。

 

「もう良いのか、ラウラ」

 

「はい、ジグ兄様。ご心配おかけしました」

 

 ジギスヴァルトのかけた言葉に答えて、ラウラはセシリアの前に立った。

 

「な、なんですの……?」

 

「すまなかった。数々の暴言と、模擬戦にあるまじき攻撃を謝罪させて欲しい」

 

「え!? あ、はい……?」

 

 あのラウラが、またしても謝罪した。三度(みたび)クラス+αに電流が走る。

 

 さらに極めつけが、彼女が自分の席についたときだ。隣の席に座るスティナに、なんと笑顔を向けて、彼女は言った。

 

「おはようございます、スティナ姉様」

 

『姉様あああああ!?』

 

 四度走った驚愕。一連の驚きの中で、一夏がどうだのはうやむやになってしまった。

 

「…………」

 

 なお、今まで皆から妹のように扱われていたスティナは、姉様と呼ばれることもまんざらではないようで。千冬が来てクラスが落ち着きを取り戻すまで、顔が少しにやけていた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「むーん……」

 

 そこは、異様な部屋だった。

 

 部屋の至る所には機械のパーツが散りばめられ、ケーブルが樹海のように広がって床を埋めている。そんな金属の森のあちこちでは、不要な部品を識別して分解・吸収の後別の形状に再構成するなどという「それなんてSF?」と言いたくなるような機械仕掛けの栗鼠(メカニカル・スクワール)がボルトやらプラグやらを囓っている。

 

 ここは、篠ノ之束の秘密ラボ(ワンダーランド)

 

「おー、おー」

 

 作品(物語)の紡ぎ手たる(キャロル)は、同時に世界を揺るがす主役(アリス)でもある。……という意図があるのか無いのか知らないが、真っ青なワンピースの上に白いエプロンを纏い頭に機械のウサ耳をつけた彼女はまさに“一人不思議の国のアリス状態”だ。彼女の奔放ぶりはむしろチェシャ猫のそれであるが。

 

 もう一つ似つかわしくない部分を挙げるとするならば、ワンピースの胸元を押し上げる豊満なバストだろうか。およそ少女(アリス)と言うには不似合いな大きさの果実が二つ、その存在を主張している。

 

「おー……」

 

 彼女の顔立ちは箒と似ている。が、箒が凛々しいツリ目だとするならば、束のそれは寝不足から来る不健康なツリ目。一応、“弟”や“娘”との約束なので毎日の食事と睡眠はきっちり摂っているが、ここ数日は寝ていない。

 

 彼女は無駄にハイテクな機械の数々を、無駄に洗練された無駄の無い無駄な動きで目まぐるしく操作していく。

 

「できたぁー!」

 

 ひゃっほーぅ! などと叫んで、たった今自らが作り上げたそれを掲げて小躍りする。それこそが、彼女がここ数日寝る間も惜しんで製作していた至高の一品。

 

「かわいい! 超かわいい! さーっすが束さん!」

 

 ――無駄に洗練された無駄の無い無駄な精巧さの、八分の一スケールの、スティナのガレージキット(非売品)だった。ちなみにこれで実に六体目、しかも全てポーズや服装、表情が違う。中にはプラモデルのエイフォニック・ロビンを装着した可動式フィギュアもある。ドン引きです。

 

「どこに飾ろっかなぁー」

 

 ちゃちゃらちゃーちゃーちゃーちゃらららー♪

 

 ツィゴイネルワイゼンが流れる。ちなみにツィゴイネルワイゼンの綴りはZigeunerweisen、意味は“ジプシーの旋律”である。作曲者はサラサーテ。決して綿100ではない。

 

「こ、この着信音はぁー! とうっ!」

 

 スティナのフィギュアを素早くそっと机に置いて、大ジャンプ。もとい、携帯端末にダイブ。すぐさま通話ボタンを押し、耳に押し当てる。

 

「も、もすもす? モーモス?」

 

『…………』

 

 ブツッ。――切れた。二重の意味で。

 

「わーん! 待って待ってぇー!」

 

 束の願いが通じたのか、はたまた神様(モーモス)のイタズラか。携帯端末は再度ツィゴイネルワイゼンを奏でた。

 

「はーい、皆のアイドル篠ノ之束、ここに――待って! 待ってちーちゃん!」

 

『その名で呼ぶな』

 

「おっけぃ、ちーちゃん!」

 

『……まあ良い。今日は聞きたいことがある』

 

「なーにぃ?」

 

『お前――()()()()()()()()()?』

 

「何か? すーちゃんの八分の一スケールガレージキットならたった今作り終えたとこだよ?」

 

『そうじゃない。IS関係で何か、ということだ』

 

「そりゃ、作るさー。私の夢に近づくために欠かせないし、ジグ君とすーちゃんの追加装備とか要るかもしれないしね♪」

 

『……なら、篠ノ之のためには何か、あるのか?』

 

「箒ちゃん?」

 

 束は部屋の奥に目を向け、すぐに戻す。

 

「ある予定だった――って感じかなー」

 

 その声は――ひどく冷たく響いた。

 

『そうか。まあ、用はそれだけだ。邪魔したな』

 

「いやいや、邪魔だなんてとんでもない。私の時間はちーちゃんのためならいつでもどこでもフルオープン。コンビニなんて目じゃないね!」

 

『……では、またな』

 

 ブツッと電話が切れる。今度はもう一度かかってくることは――。

 

 

 キャデラックは好きだ。キャディがお好き? 結構。ではますます好きになりますよ。さぁさぁ、どうぞ。キャディのニューモデルです――快適でしょ? んああ、仰らないで。

 

 

 否、かかってきた。ただし今度は着信音が違う。何故か『コ○ンドー』の劇中の一部分をそのまま着信音にしているらしい。

 

 束はそれに殆ど反射で反応して通話ボタンを押――そうとして、止まった。そのまま数秒、何かに迷うような顔で携帯端末を眺めた後、回線を繋げる。

 

「やあやあ。久しぶりだね」

 

『…………姉さん』

 

「用件は察しがつくよ。欲しいんだよね? キミだけのオンリーワン。代用無きもの(オルタナティヴ・ゼロ)。篠ノ之箒の専用機が」

 

『……そうです』

 

「用意することはできるよ。でもそのためには、箒ちゃん。束さんの質問に答えてくれるかな?」

 

『……何でしょうか』

 

「キミは――専用機を何に使うんだい?」

 

『……私は、一夏を邪道から真っ当な道に戻したい。一夏を誑かす者を排除したい』

 

「……そ。わかったよ箒ちゃん。()()()()()()()()機体を用意するよ」

 

『……ありがとうございます』

 

 そして、電話は切れて。束は他の誰も居ない部屋で、一人呟く。

 

「それじゃあダメだよ、箒ちゃん」

 

 




 シャルロットのお風呂シーンがあると思った? 残念、本音ちゃんでした!


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設定資料

 
 初めて前書きを使います。なお、本編・閑話共に今後も前書きを使う予定はありません。

 こちらはオリジナルキャラクター及びオリジナル機体の設定集でございます。読まずとも問題ありませんので、もし興味があればご閲覧ください。
 機体設定の各項目は新装版のカラーページ準拠となります。とはいえ、装甲だけはよくわからなかったので除外しています。

 現在、スティナだけ絵があります。


ジギスヴァルト・ブレヒト(Sigiswald Brecht)

 

身長:183cm

体重:90kg(義手抜きでは74kg)

 髪:銀

 瞳:翠

備考:元傭兵。ジュネーヴ条約ガン無視だとか言ってはいけない。生身での戦闘技術や日本語、堅苦しい喋り方は養父たち譲りであり、彼自身は別に堅物というわけではない。口調のせいで相手に高圧的な印象を与えてしまうのがちょっとした悩み。

 四年前に左腕が肩ごと吹き飛んだため、束の作った義手を装着している。吹き飛んだ肩を補う形で接続器が埋め込まれていて、それに義手が接続されているので腕部は簡単に着脱可能。接続器は神経に直接繋いでいる。

 彫刻を趣味としており、ナイフ一本で豪快かつ繊細に作り上げる他、とある機械で丸太を削ることで作ることもある。

 和菓子と風呂を愛するナイスガイ。

 ISを使える理由は明らかになっていない。

 パニックになったときは冷静に変な行動をするタイプ。

 

 

 

 

 

スティナ・ヴェスターグレン(Stina Westergren)

 

身長:146cm

体重:43kg

 髪:白

 瞳:赤

備考:B71 W51 H75。本人は自身を幼児体型と称するが、日本人から見ればそうでもない。膝にまで達する程伸ばした真っ白な髪が自慢。

 趣味は剣を振ることと盆栽。束に拾われて以降は料理も始めており、腕はそこそこ。

 器質性失声症で、生まれつき声を出せない。専用機を手に入れるまではジェスチャーや筆談でコミュニケーションを取っていた。ISの通信は思考通信が可能なため、専用機入手後はIS同士なら擬似的に発声することができるようになった。普段のコミュニケーションはISの機能の一つである空中投影ディスプレイを用い、そこに思考入力で短文を表示することで行う。

 先天性白皮症(アルビニズム)であるため本来は日光に当たるのを避けなければならないが、束謹製の有害光線カットバリア発生装置(星形のバッジ)のおかげで問題無い。それでも外では完全防御な服装を好むのは、故障、盗難、紛失等でそのバリアが突然失われることが無いとも限らないからである。部屋着は露出が多かったり浴衣だったりする。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

シャルラッハロート・アリーセ

 

和名:緋翼(ひよく)

形式:F-00/SA

世代:該当無し(便宜上第三世代)

国家:無し

分類:高機動強襲型

装備:可変式大型スラスター「グライフ」×2

   近接ブレード「ヴォーパルシュピーゲル」

   アサルトライフル「ヴァイスハーゼ」×2

   ガトリング砲「メルツハーゼ」

仕様:超々高速戦闘下における搭乗者保護

 

 篠ノ之束の手になる実験機“フリューゲルシリーズ”の零号機。このシリーズは「単一機能に極端に特化させること」を主眼に置いており、当機は“速度”に特化している。兵器としてのISの完成を目指した第一世代とも、拡張領域(バススロット)を増やし機体の拡張性を追求した第二世代とも、イメージ・インターフェースを用いた特殊兵器を疑似単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)とする第三世代とも違うカテゴリーにある。

 脚部等ISの基本的なスラスターに加えて、非固定浮遊装備たる大型スラスター「グライフ」が二基一対、背部に小型スラスターを二基、腰部に高出力スラスターを四基搭載した機動力特化型IS。通常推力のみで時速三千キロにも達する。超々高速機動下で搭乗者を保護するための様々な機能を搭載した装甲で全身を覆っている他、スラスターも多いため燃費が悪い。それをシールドエネルギー容量の拡充と機体の軽量化で補っている。

 待機形態は緋色のドッグタグ。

 各装備の名前は『不思議の国のアリス』及び『鏡の国のアリス』に由来する。完全に束の趣味であり、ジギスヴァルトは命名に一切関わっていない。

 

・グライフ

 鳥の翼のような形をした大型スラスター。レーザーキャノンが内蔵されており、使用時は装甲を開いて発振器を露出させる必要がある。高出力かつエネルギー効率がある程度良いかわりに拡散しやすいレーザーを照射するため基本的に近距離でしか使用できず、近付けば近づくほど威力が高い。無理矢理集束させたうえで出力を上げれば中距離までなら使用できるが、大量のシールドエネルギーを食うことになる。

 名前の由来はグリフィン。

 

・ヴォーパルシュピーゲル

 片刃の大剣。刀身長約二メートル、幅約四〇センチ。刀身に特殊なコーティングが施されており、レーザーによる攻撃を反射させることができる。荷電粒子砲等の粒子ビーム兵器は反射できない。

 名前の由来はヴォーパルの剣と鏡。

 

・ヴァイスハーゼ

 一般的なアサルトライフルのようなセミオートとフルオートの切り替えはもちろんのこと、フルオート時の発射速度の細かい設定が可能。無駄に高い謎の技術力の成せる業であるが、この機能が必要かと言われると別に必要無い。束の遊び心が光る逸品。なお、外見はステアーAUGに似ている。その理由は「なんか見た目ウサギっぽいから」。

 名前の由来は白ウサギ(時計ウサギ)。

 

・メルツハーゼ

 八〇口径六銃身ガトリング砲。銃身長およそ百八十センチ。本来戦闘機に搭載するような大型ガトリング砲であり、毎分四千~六千発の間で発射速度の調節が可能。反動が凄まじいため移動しながらの使用は困難。

 名前の由来は三月ウサギ

 

 

 

 

 

エイフォニック・ロビン

 

和名:刃翼(じんよく)

形式:F-01/AR

世代:第三世代

国家:無し

分類:近接格闘型

装備:右腕近接ブレード「音裂(おとさき)

   右腕近接ハンマー「撞木(しゅもく)

   近接ブレード「梢音(しょういん)

   脚部近接ブレード「小夜啼鳥(ナイチンゲール)

   左肘部パイルバンカー「久音(くおん)

   投擲用ナイフ

   大出力ブースター「遠音(とおね)

   追加装甲「誰が殺したクックロビン(Who killed Cock Robin?)

仕様:虚空跳躍機構

 

 フリューゲルシリーズ初号機。“前進”に特化した近接格闘専用機。スティナの要望でイメージ・インターフェースを利用した機構を搭載したため第三世代と言えるが、本来ならどの世代にも分類されない。なお、他にも様々な特化型の構想があったが、この機体を作った直後に束が第四世代機の研究に入ったためフリューゲルシリーズは二機しか存在しない。

 スラスターが一切無く、飛行は全てをPICに頼る。

 機体のあらゆるところに武器を仕込んだ武器のびっくり箱。ただしその(ことごと)くが近接格闘用であり、飛び道具は投擲用ナイフしか無い。これはエイフォニック・ロビンのコアが銃器等の射撃兵装を嫌い、一切受け入れないからである。そのため白式と同じくOSに火器管制システムが搭載されていない。

 待機形態は八分音符の形の黄色いバッジ。

 

・音裂

 物理シールドと大型近接ブレードを組み合わせた装備。刀身は両刃直剣の形をとる。右前腕部と一体化しているため、右腕にはマニピュレーターが無い。

 

・撞木

 音裂をシールドごとパージすることで現れるハンマー。音裂が破損する等何らかの理由で使用不能となったときのための予備兵装。

 

・梢音

 長剣の形をとる近接ブレード。

 

・小夜啼鳥

 脚部近接ブレード。膝から下が両刃直剣になっている。大腿部の装置が剣先に特殊な力場を形成し、それによって虚空を踏んで跳躍することが出来る第三世代兵器。起動時に鈴のような音が鳴る。

 

・久音

 左前腕部に仕込まれた六九口径パイルバンカー。肘から撃ち出すため少々使い勝手が悪いが威力は折り紙付き。

 

・投擲用ナイフ

 読んで字の如く、投げるためのナイフ。特に名前はついていない。主に牽制に使う他、刃渡りが十センチ程のため生身でも使用可能。

 

・遠音

 二基一対の大出力ブースター。最大出力ではシャルラッハロート・アリーセに劣らぬ速度を得られるが、あくまで瞬間的な加速であり速度を維持する機能が無い。さらに、角度を上下にしか変えられないため前にしか加速できない。

 噴射口を細長い装甲が守っており、それが翼のように見えなくもない。

 

・誰が殺したクックロビン

 突進による攻撃を行うための追加装甲。四角錐のような形をしており、各面に方向転換用のブースターが内蔵されている。爆発反応装甲を採用しているが、これは敵の攻撃を防ぐというより敵にぶつかった際の衝撃で爆発させダメージを増大させるためのものである。その役目を果たすため反応装甲は先端のみであり、その他の部分は先端が爆発したときのみ連鎖して爆発する構造になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※以下、本編第二九話以降のネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャルラッハロート・アリーセ Zwei(ツヴァイ)

 

和名:緋翼

形式:F-00/SA

世代:該当無し(便宜上第三世代)

国家:無し

分類:高機動強襲型

装備:可変式大型スラスター「グライフ」×2

   近接ブレード「ヴォーパルシュピーゲル」

   アサルトライフル「ヴァイスハーゼ」×2

   ガトリング砲「メルツハーゼ」

   レーザーライフル「ラヒェンデカッツェ」

仕様:最適回避曲線描画及び搭乗者損傷補填機構「フェアリュクト・フートマッハー」

 

 第二形態移行(セカンドシフト)を遂げたシャルラッハロート・アリーセ。スカート状だった四基のスラスターは腰の後ろに扇状に装備され、大腿部にブースターが一基ずつ追加されている。各スラスターの出力も向上している。

 

・ラヒェンデカッツェ

 四銃身の大型レーザーライフル。右腕を覆う基部を四つの銃身が取り囲む形で展開される。親指以外の指それぞれに一つずつ銃身が割り当てられ、指の動きで操作する。思考制御によっても操作できるが、超々高速戦闘下でそれを行えるだけの集中力があればの話である。

 レーザーポインタ程度の出力でもレーザーを照射することが出来る。それによって敵のハイパーセンサーを騙すことでエネルギー消費を抑えたまま回避を強要する、敵を油断させる、逆に警戒させる等、用途はそこそこ広い。

 

・フェアリュクト・フートマッハー

 シャルラッハロート・アリーセ Zweiの単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)。敵の攻撃を完璧に避けながら接近する機動を演算し、“最適回避曲線”として視界に描画、機体を強制的にその曲線の通りに動かす機構。

 敵の動きに合わせて絶えず演算を続けることで曲線は更新され続けるが、その機動が搭乗者の身体に与える影響は全く考慮しないため高確率で搭乗者が負傷する。それを補うため、「搭乗者の損傷をシールドエネルギーで強引に補い、その間に再生させる」機能がセットになっている。こちらは常時発動しており、例えば骨が折れればシールドエネルギーを接着剤として一時的に繋ぎ、出血があれば仮想の血管を造り出す。再生速度はそれほど早くなく、大腿骨骨折の場合で一日~二日かかる。

 なお、身体の補填にシールドエネルギーを消費し続けることはない。本体のシールドエネルギーが切れても、その時点までに補填されていればアリーセのコアが機能停止等に陥らない限りそれはそのまま維持される。ただし再生にはシールドエネルギーを消費するため、シールドエネルギーが回復するまで再生はされない。

 

 

 

 

白式・雪融(ゆきどけ)

 

和名:雪融

型式:XX-01

世代:第三世代

国家:日本

分類:近接格闘型

装備:近接ブレード「雪片弐型」

   左腕特殊装甲「雪融」

仕様:バリアー無効化攻撃「零落白夜」

   エネルギー吸収防御「細氷之帳(ささめこおりのとばり)

 

 第二形態移行(セカンドシフト)した白式。左腕に新装備「雪融」を装備している。

 

・雪融

 左腕に追加された盾。大きさは前腕部を覆う程度。装甲が展開し、盾の前方に白式全体をカバーできる程度の大きさのフィールドを形成する。このフィールドに触れたエネルギー攻撃は全て盾中央の開口部で吸収され、自身のエネルギーとして貯蔵される。このエネルギーはフィールド形成ならびに零落白夜使用時にシールドエネルギーの代わりに消費される。

 白式本体ではなく雪融にエネルギーを貯蔵するため、雪融が壊されるとこのエネルギーは使用できない。また、これをシールドエネルギーの足しにすることもできない。

 エネルギー攻撃に対しては無敵とも言える防御力を発揮するが、物理攻撃に対する防御力は白式本体の装甲と変わらない。さらには、盾の前方にしかフィールドが形成されないのでいちいち構えねばならず、側面や背後からの攻撃には意味を成さない。

 フィールドには細氷之帳という名前がついているが、字面はともかく読みが長いのであまり呼ばれない。

 

 

 




 ロビンの和名が実際の名前にかすってすらいませんが、原作でもサイレント・ゼフィルスが鋭風だったりしましたしまあいいですよね。ゼフィルスは風ですけどサイレントどこ行ったって感じですし。
 なお、ロビンの装備はまだありますが、とりあえず登場分だけ。今後出ることがあれば追加します。

 アリーセの単一仕様能力には元ネタというか、発想の元になった作品があったりしますが……わかった方は私と握手しましょう。


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閑話:Ein Feiertag jeder Person -Im Fall von Sigiswald-

 

 シャルロットがシャルロットとして転入してきた次の日、日曜日。

 

「…………」

 

 ジギスヴァルトは自室の机で木を削っていた。いつぞやの休日に買いに行ったアレである。彫刻刀ではなく、ごく一般的な折りたたみナイフで黙々と削っていく。午前中にも既にひとつ仕上げていて、これは本日二個目だ。

 

「…………よし」

 

「かんせー?」

 

 作業を止めたところに、本音がコーヒーを机に置いた。礼を言ってからそれを飲み、一息。

 

 机の上には、彼が彫ったフクロウが鎮座していた。

 

「おー、上手い上手い」

 

 自分の分のコーヒーも机に乗せてから彼の隣の椅子に座って、パチパチと拍手。

 

 ――ちなみに、シャルロットが性別をバラしたことでついに一夏とジギスヴァルトが相部屋になるかと思われたが、そんなことは無かった。シャルロットがラウラの部屋に移動して、それだけ。一夏は一人部屋と相成ったわけである。一説には、生徒会長が職権を濫用したとかなんとか。どうせまた本音が楯無に何かお願いしたに違いない。

 

「そーいえば」

 

「ん? どうかしたか?」

 

 コーヒーも飲み終え、ベッドに寝転んで漫画を読んでいた本音が不意に声をあげた。木屑等を片付けていたジギスヴァルトが視線を向けると、彼女は起き上がって問いかける。

 

「あのとき買ったアレ、使わないのー?」

 

「……ああ、アレか。使おうにもスペースがな……普通に屋外でやると風で木屑が飛ぶし」

 

「整備室はどーかなー?」

 

「確かにあれくらいの広さがあれば……いや、あそこをそんなことに使って良いのか?」

 

「どのみちISの機能を使わなきゃいけないんだからー、あそこくらいしかないんじゃなぁい?」

 

「……まあ、それもそうか」

 

 というわけで、使って良いかどうかの確認も兼ねて整備室に行くことになった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 更識簪は、整備室で専用機製作に勤しんでいた。

 

 倉持技研の技術者がほとんど織斑一夏の専用機にかかりきっきりになってしまったせいで開発が頓挫したのを引き取り、自分で作ることにしたのだ。実際にできるかどうかはわからないが、姉に追いつくためには必要なことだと彼女は思っている。

 

「まさか本当に使って良いとは思わなかった……」

 

「ラッキーだったねぇー」

 

 入口から聞こえた会話。チラと視線を向けると、学園内でも有名なカップルが入ってくるところだった。ジギスヴァルト・ブレヒトと布仏本音。特に本音は簪の幼なじみ兼専属メイドであり、簪は彼女からいくらかジギスヴァルトについて話を聞いている。惚気られているとも言う。

 

 学園指定のジャージ(長袖)に身を包んだ彼らは整備室の一番奥のスペースに陣取った。

 

(専用機の整備でもするのかな……)

 

 ジギスヴァルトが専用機を持っているのは簪も知っている。学年別トーナメントのとき実際にそれを見てもいる。他の専用機持ちのように国や企業から貸与されているのではなく、篠ノ之束に与えられ彼個人が所有しているその機体は、なんとなく輝いて見えた。上手く言葉に出来ないが、こう……仲の良い家族と楽しく遊んでいる子供のよう、とでも言おうか。

 

 そんな風に見えたものだから、彼が普段どのようにISを扱っているのか興味があった。そこで、興味が無い風を装いながら彼らの様子を(うかが)うことにしたのだが――。

 

「よし。アリーセ、一番大きいものを出してくれ」

 

 彼がそう言うと、巨大な丸太が突如彼らの目の前に現れた。

 

「!?」

 

 高さおよそ二メートル。直径は、多分一メートルくらい。とても太くてかなり立派な丸太だった。

 

「では、始めるか」

 

 ドッ……ドドッ……バルルルルルルルルルル!!

 

 おそらくISの拡張領域に入れていたのであろう丸太を、同じく拡張領域から取り出したらしい()()で削り始めた。けたたましいエンジン音を響かせるそれは――。

 

(なんでチェーンソー!?)

 

 これが、あの日に木材やナイフと共に買ったものだった。今の世を侮るなかれ、チェーンソーなど安いものなら七千円程度で誰にでも買えてしまうのだ。ちなみにこのチェーンソーはお値段約二万円である。

 

 そのまま削り続けることおよそ二時間。ただの丸太だったそれはその間にみるみる姿を変えていき、そしてエンジン音が止まった。

 

「……完成だ」

 

 その言葉に反応して、機体製作に戻っていた簪も再び彼らに視線を向けた。

 

(こっ……これは……!)

 

 全体的に角張っている、一見すると装飾された柱のようなシルエット。所々簡略化されたりデフォルメされたりしているが、良く見れば人を(かたど)ったのだとわかる確かな造形。顔に彫られた双眸はしかしただの虚ろな穴ではなく、揺るがぬ意志が感じられた。正装に身を包み堂々たる佇まいでもって整備室を睥睨(へいげい)する汝の名は――!

 

(なんでニ○ポ人形なの!?)

 

 網走で生産されている、アレだった。ちなみにニポ○は商標登録されている。迂闊なことはできない。

 

 ていうか、でかすぎて怖い。なんだあれ。ジギスヴァルトの身長と同じくらいある。暗い部屋であんなもの見たら気の弱い人はチビるんじゃないだろうか。

 

「さて、片付けるか」

 

「手伝うよー」

 

 そして散乱した木屑を片付けようとする二人。しかし、手伝おうとする本音をジギスヴァルトは制止する。

 

「本音はこいつの整備を頼む。結構飛び散ったからな、隙間に屑が入り込んでいるやも知れん」

 

 言って彼は左の二の腕あたりを掴み――ガチッという音がした。それから左手首を掴んで引っぱると、ズルッと袖口から出てくる腕。左袖の中身が無いのを見ると、どうもマジで腕を外したらしい。

 

(ぅええええええええええ!?)

 

 それを平然と受け取って、本音は別のスペースへ――というか、簪の隣のスペースにやって来た。ドライバーを取り出し、いざ整備、というところで彼女は簪に気づいたらしい。にへっと笑って、

 

「あー、かんちゃんだー」

 

「……本音、それ……」

 

「あーこれー? ジグの腕だよぉー」

 

 ――とても幸せそうな笑顔で恋人の腕を分解する美少女。

 

 なんだろう、字面だけ見るとものすごく猟奇的な気がする。向こうには床に散らばったゴミを右腕だけで片付ける男。隣にはそいつの腕を分解する女。ホラー映画か何かだろうか。いかにも機械な造形なのが唯一の救い……いや、でも手首から先は人工皮膚(スキン)を被せてあるのか、生身の手と変わらない。それが余計怖い。

 

(集中できない……!)

 

 結局、この後はろくに作業が進まなかった簪であった。

 

 なお、○ポポ人形はジギスヴァルトと本音の部屋に置かれることとなり。学外に出ていたスティナが帰ってきて遊びに来た際、彼女はそれを見て目を(まる)くした。



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閑話:Ein Feiertag jeder Person -Im Fall von Stina-

 

From:五反田弾

 To:スティナ・ヴェスターグレン

件名:明日

本文:

友達と二人で作った楽器を弾けるようになりたい同好会の練習あるんだけど、よかったら遊びに来ませんか?

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 というメールを貰って、私、スティナ・ヴェスターグレンは弾さんの家にやって来ました。五反田食堂……って、ここでいいんだよね? どうしよう、正面から入っていいのかな?

 

(お邪魔しまーす……)

 

 声は出ないので心の中でそう言って扉を開ける。

 

「いらっしゃいませー! ……って、スティナさん!」

 

 蘭さんが居た。お店を手伝っているのだろう。看板娘という言葉がピッタリな気がした。それを見て、場所が間違っていなかったと確信して安堵した。

 

 ちなみに、彼女とはレゾナンスでの一件以降ときどきメールをやり取りしている。割と仲良くなったと思う……のは自惚れではないと思いたい。

 

〔弾さん

 在宅?〕

 

「お兄? ちょっと待ってくださいね。……あ、お兄? お客さん来てるよ、お店の方に」

 

 蘭さんが電話で呼び出しているうちに、サッと周りを見回してみた。

 

 ――後悔した。

 

 周囲のお客さんからの視線、視線、視線。そういえば今はフードを取っているんだった。真っ白な外人の子供なんて居ればそりゃ目立つ。しかも蘭さんと親しげにしていれば倍率ドン! さらにもう七月になるにも関わらず白いロングコート(一応夏用)なんて着てたらさらにドン!

 

 ……弾さん早く来てー。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 五反田家長男、五反田弾。彼は今、非常に、焦っていた。

 

 だって、本当に来てくれるとは思わなかったのだ。今まで何度か女の子を誘ってみたことはあったが、「弾けるようになりたいってことは弾けないんじゃん」とか、「いやー男の子の家に行くのはちょっと……」とか言って避けられていた。仕方ないじゃないか、事実今は弾けないんだから。だって仕方ないじゃないか、ウチかもう一人の家しか場所が無いんだから。「織斑君が居るんだったら行くけど――え、居ないの? じゃあ行かない」なんて言われたときはメンバー二人で泣いた。

 

 だから、ダメ元だったのだ。何度かメールはしたし仲も悪いわけじゃないとは思うが、いきなり家に呼んでまさか本当に来てくれるとは思わなかったのだ。

 

 しかも。

 

〔今日

 暑いですね〕

 

「えっ!? ああ、うん! そうだな!」

 

 油断していたと言わざるを得ない。真っ白なロングコートを着ていたから。

 

 ――まさか足首まであるロングコートの下がタンクトップにホットパンツだなんて思わないじゃないか。

 

(しかも思ったよりスタイルいいしさあ!)

 

 背が低いし体型の出ないコート姿しか見たことが無かったので、失礼ながら子供みたいな体型を想像していたのに、裏切られた。巨乳という程ではないが胸はちゃんと膨らんでいるし(ちなみにB。誤解している男性も多々居るが、カップサイズはトップバストとアンダーバストの差が二・五センチ変動するごとに一サイズ上下するものであってトップだけでは決まらない。なので、極端な話トップバストが百センチでもAカップだったり七十センチでEカップだったりもあり得る。さらに言えば、身長百七十センチの女性と身長百四十センチの女性のカップサイズが同じ場合、両者を比較してより巨乳に見えるのは低い方の女性である)、腰もちゃんとくびれている。程良く鍛えられた身体は細くてしなやか。

 

 スタイルの良い女性が自分の部屋に薄着で居る状況に、正直弾の思考回路はショート寸前。何だろうこの状況、月の光に導かれたのか? そんな覚えはないぞ。

 

「そ、そうだ! 何か飲み物持ってくるよ! 冷たい奴!」

 

 テンパったまま立ち上がった。それがいけなかった。

 

「うおぁっ!?」

 

 立ち上がって一歩踏み出そうとした瞬間、転倒。

 

 そこそこ筋力に自信のあるスティナが咄嗟に腕を掴んだが、やはりと言うべきか支えられず、あえなく一緒に転倒。

 

 そして、そこに。

 

「よーっす弾ー。来たぞー……って……ああ!?」

 

 勢いよくドアを開けて、楽器を弾けるようになりたい同好会のもう一人のメンバー、御手洗数馬が部屋に入ってきた。その視線の先では――。

 

「こ、これは……時雨茶臼……!」

 

 仰向けに倒れた弾の腹のあたりに、パッと見た感じ小学校高学年か中学生くらいの真っ白な女の子が乗っていた。時雨茶臼が何かわからなかったらお母さんに聞いてみよう。

 

(まさか一緒に楽器を弾けるようになろうと約束した親友が、このような異常性癖の持ち主だったとは……子供相手に信じられん! 俺なら断然巨乳の女、映画女優で言うとイザ○ル・アジャーニがいいのに。

 だが、こいつ以外に一緒に楽器を練習する奴が居ないのも事実だ。俺はあえて社会道徳をかなぐり捨てて、見て見ぬふりをしなければ!

 そう、これは『超法規的措置』!

 俺は自分の利益のため、ひとりの不幸な少女の人生をあえて、あえて見て見ぬふりをするのだ。ああ最低だ最低だ。俺はなんと最低な高校生よ。

 IS学園に居る一夏よ、中国から戻ってきた鈴よ、罰ゲームで俺に告白してガチ泣きした隣のクラスの肇ちゃんよ。この御手洗数馬の魂の選択を、笑わば笑ええええええ!)

 

 カッ! と目を見開いて、

 

「――見なかったことにしよう」

 

 彼は、そう――言わば賢明な馬鹿だった。

 

「よ、よう数馬。遅かったな」

 

 スティナにどいてもらって起き上がり、弾は震える声で出迎える。

 

「まだ昼前だ、十分早いんじゃない?」

 

「そ、そうか? あ、あははは……」

 

「そんなことより弾さんや。その子誰よ? お前ってロリコンだったん?」

 

「いや(ちげ)えよ!? 違え……よな?」

 

 縋るような目でスティナを見る弾。そんな視線を向けられても、と彼女は戸惑う。

 

〔私

 幼児体型〕

 

 そう返すので精一杯だった。

 

「いや、幼児体型ではないでしょうよ。なあ数馬」

 

「ん? ……ああ、うん。パッと見小学生かと思ったが、うん。……イイ」

 

「…………?」

 

 自分を見て顔を赤くする二人。首を傾げるスティナ。その仕草にやられてさらに赤くなる二人。

 

〔弾さん

 どちら様?〕

 

「あ、ああゴメン! こいつは御手洗数馬。楽器を弾けるようになりたい同好会の創設者。

 数馬、こちらスティナ・ヴェスターグレンさん。鈴や一夏の友達で、IS学園に通ってる」

 

「……え、高校生?」

 

「同い年」

 

「マジか。それで、弾。ちょっと来い」

 

「な、なんだよ」

 

「いいから来い」

 

 なんだか恐い表情をした数馬が弾を廊下に連れて行った。

 

「…………?」

 

 取り残されたスティナは、やはり状況がよくわからなくてキョトンとしていた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 弾さんと数馬さんがそれぞれベースとギターをなんとなく鳴らしている間、私はベッドに腰掛けたり寝転んだりして二人を見ていた。退屈じゃないか、なんて聞かれたりもしたけど、見ているだけで楽しい。あーだこーだと雑談しながら楽器を弄る二人を見ていると、スウェーデン軍の皆を思い出してほっこりする。

 

 あの部隊の皆にだけは、突然戦死扱いで居なくなったことを謝罪し無事を伝えてある。束さんマジハンパない。

 

 さてまあ、そんなことを考えながらも二人を眺めていると、ふとジグさん――じゃなかった、兄さんに言われたことを思い出した。

 

(弾さんは女に飢えている――でしたっけ)

 

 そうなんだろうか。わかる人には弾さんの言動でわかるのだろうけど、IS学園に来るまで軍の皆や束さんくらいしか人間関係が無かった私には正直言ってよくわからない。

 

(……あ、そうだ)

 

 わからないなら、わかろうとすれば良いのだ。そう思った私は、弾さんにひとつお願いをしてから帰った。

 

 帰ってから兄さんの部屋に行くと、なんかよくわからない巨大な彫像があってビックリした。……え、あれ今後ずっと部屋に置いとくの? 怖くない?




 閑話を二本お届けしました。タイトルの意味は「それぞれの休日-ジギスヴァルトの場合-」と「それぞれの休日-スティナの場合-」。手持ちの辞書と睨めっこしてドイツ語を使用していますが、正しいかどうかは……まあ、はい。


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Drittes Kapitel -Ozean/Silber Evangelium-
第二三話:鍵開けくらいできるさ、軍人だもの。 らうら


 

 朝というものは、地球が自転をやめない限り、だいたい全てのモノに限りなく平等に近い態度で訪れる。

 

 Hello World. 今日も今日とてIS学園に朝が来る。ジギスヴァルトが暮らす部屋にも朝日が差し込み、自分お手製のアイヌを模した巨大な木像(網走のアレ)が見守る中で彼は目を覚ました。

 

 若干寝ぼけながら右を見る。本音が右腕に巻きついている。いつものことなので放置。

 

 天井を見る。この三ヶ月ですっかり見慣れた天井が目に入る。少し視線をめぐらせて天井全体を観察してみたが、特に何か変な物があるわけではない。つまり、自分より上には何の異常も無い。

 

 さて、それでは――何かにのし掛かられているような気がするのは何が原因だろうか。てっきり今日は本音が腕ではなく上に乗っているのかと思ったがそうではないし。

 

 視線を下げて自身の布団を見る。……不自然に盛り上がっている。しかも、息をしているかのように微かに上下している。あと、とても暑い。空調は効いているとはいえ既に夏、そりゃ、ある程度は暑いだろうが――どうも自分と本音以外に体温のあるモノが布団の中に在る気がしてならない。

 

 一抹の不安を感じながら、だんだんと意識が覚醒してきた彼は思い切ってガバッと布団をめくった。

 

「……マジか」

 

 ラウラが居た。――全裸で。

 

「…………うぅ、寒い」

 

 ぶるりと身体を震わせて、ラウラがうっすらと目を開けた。そりゃ寒いだろう、急に布団を剥いだのだから。そりゃ寒いだろう、就寝用っぽいフリルのついた眼帯とISの待機形態たるレッグバンドしか身につけていないのだから。

 

「...Ach, Bruder(ああ、兄様)... Guten Morgen(おはようございます)...」

 

 目が合って、彼女は欠伸(あくび)を噛み殺しながら暢気に挨拶などしてくる。

 

「Guten Morgen...って、違う、挨拶などしている場合か。何故お前がここに居る」

 

 つい素で挨拶を返してしまったが、よく考えなくてもこの状況は非常にまずい。どうにか本音が起きる前にこの子兎を巣に帰さなければ。

 

「何故と言われても……クラリッサにそうすると良いと言われたので」

 

「誰だその阿呆は」

 

「私の副官です。今は本国で私の代わりに部隊を統括しています」

 

「その副官のクラリッサとやらが何を言ったと?」

 

日本(ヤーパン)では、兄を慕う妹は兄が寝ている間に布団に潜り込むものなのだ――と」

 

 グレディッツァだかクラリッサだか知らないが、純粋なラウラになに間違った知識を与えていやがる――と、ジギスヴァルトは割と本気で殺意を抱いた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「――っ!?」

 

副隊長(おねえさま)、どうかしましたか?」

 

「いや……今何か急に寒気が」

 

「風邪ですか? お大事になさってくださいね」

 

「体調に問題はないはずだが……んー?」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「とにかく、ラウラよ。そこを降りろ。そして服を着ろ」

 

「何故です?」

 

「この状況はマズい。非常によろしくない」

 

「……? よくわかりませんが、ここに私の服はありません」

 

「……何故?」

 

「着て来なかったのだから当然でしょう? そもそも就寝用の服を所持していませんし」

 

 ……夜中とはいえ全裸で廊下を歩いたのかこの娘は、とジギスヴァルトは頭を抱えた。兄貴分として妹分の将来が本気で心配になってきた。寝るときに着ないにしろ朝起きてから着る服くらい持ってくるべきではないだろうか。というか、寝間着を持っていないのになんで就寝用の眼帯は有るんだ。

 

「いいからそこを降りろ。早く。そして私の服を着て良いから速やかに部屋を出ろ。でないと本音が――」

 

「私がどーかしたかなー?」

 

 ギクッとジギスヴァルトの体が固まる。ギギギギ……と軋む音が聞こえるような動きで右を向くと、本音とバッチリ目が合った。

 

 ――笑顔だった。見惚れるような笑顔だった。状況が状況ならこのまま抱き締めてしまいたいくらいの笑顔だった。

 

 ジギスヴァルトの背を、悪寒が駆け上った。

 

「ああ、本音……おはよう」

 

「おはよー。でー、ジグは何してるのかなー?」

 

「待て、私は何もしていない」

 

「じゃーなんでラウラウは全裸なのかなー?」

 

「寝間着を持っていないそうだ」

 

「なるほどー。ジグは妹の裸でこーふんする変態さんなんだねー」

 

「何故そうなる」

 

「私と兄様は血縁ではないぞ」

 

「どうして火に油を注ぐようなことを口にした! 言え!」

 

「なるほどー。血縁でもない女の子に兄様呼びさせて服をひん剝く変態さんなんだねー」

 

「聞いたかラウラ! 悪化したぞ! 主に貴様のせいで!」

 

 朝っぱらからド修羅場。ああ、今日はなんて平和なのだろうかと彼が現実逃避しかけたとき、コココンッココンッ、と扉がノックされた。それは、声を出せないスティナのためにあらかじめ決めておいたパターン。

 

 つまり、最悪のタイミングでもう一人の妹分が来たわけで。

 

「――っ! いいから服を着てくれラウラ! というか降りろ! 本音も少し落ち着け!」

 

「だから服が無いんです」

 

「私は落ち着いてるよー?」

 

 しかしジギスヴァルト以外はノックに気付かなかったようだ。いや、ラウラは気付いていて無視しているのかも知れないが、本音は確実に気付いていない。そして二人をどうにかせねばと奮闘している間にも何度かノックの音がして、そして――ガチャッ、と扉が開いた。ラウラは忍び込んでから鍵をかけなおさなかったらしい。

 

 部屋に入ってきた浴衣姿のスティナは、目の前の光景――ベッドに寝転ぶジギスヴァルトに馬乗りになった全裸のラウラと、彼の右腕に巻きついている本音――を見て一瞬固まった。それから、目を閉じ、開き、両手をポンと合わせて。そして襟を少しだけはだけさせて、ジギスヴァルトにプライベート・チャネルで通信を飛ばす。

 

『朝からお盛んですね兄さん。私も混ざった方がいいですか?』

 

 ――限界だった。

 

「いい加減にせんか貴様らああああああああああ!!」

 

 朝の一年生寮にジギスヴァルトの魂の叫びが轟いた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 時間は過ぎ、場所は変わって、一年生寮の食堂。一夏が箒と朝食を摂っていると、カウンターの方からジギスヴァルト、本音、ラウラ、スティナが歩いてきた。席を探しているようだが、四人で座れる場所は見当たらない――一夏たちの居るテーブルを除いて、だが。

 

「おーい、ジグー! こっち空いてるぞー!」

 

 一夏の呼びかけで一斉に彼の方を向いたジギスヴァルト御一行は、しかし箒の姿を認めてラウラ以外が固まった。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「兄様? それに姉様と本音も、どうして動かないのです?」

 

 気まずいからです、とは言えなかった。スティナは学年別トーナメントで箒を心身共にボコボコにしたし、ジギスヴァルトもその片棒を担いだ。本音も、例の噂の発信源になってしまった責任を感じてしまってなんとなく近寄りがたい。

 

 その点、一夏への謝罪を済ませ、箒とも特に明確な軋轢が――少なくとも本人の認識する限りでは――無いラウラは気楽なもので。固まる三人の様子に首を傾げながらさっさと一夏たちの方へ歩いて行ってしまった。

 

 こうなってしまうとラウラに付いていかないわけにはいかない。三人とも実に微妙な顔で彼女の後を追った。

 

「おはようラウラ。あとジグとスティナとのほほんさんも」

 

「ああ、おはよう」

 

「……おはよう」

 

「おはよー……」

 

〔おはようございます〕

 

 口々に挨拶し、座る。

 

「すまんな篠ノ之。極力邪魔はしない」

 

「……ふん」

 

 仏頂面の箒に一応そう言ってみると、一瞥すらせず鼻を鳴らされた。当然と言われればそれまでだが、随分と嫌われたものである。一夏はそんな箒を見て不思議そうにしていたが、結局自分が関わるべきでない事情があると思った彼はそれについては特に何も言わなかった。

 

 が、どうやらジギスヴァルトと本音のトレイに乗っているものが気になるらしい。

 

「……なあ、ジグ、のほほんさん。それ、何?」

 

 とにかくさっさと食べてさっさと立ち去ろう、と二人が卵を手に取ったのとほぼ同時にそう質問された。邪魔をしないと言った矢先のそれを受けて箒の機嫌がさらに悪くなっていくが、まさか一夏を無視するわけにもいかない。

 

「なにってー」

 

「見ての通り生卵だが」

 

 テーブルに軽くぶつけて(ひび)を入れてから、卵が入っていた小皿に割り入れる。殻が入っていないことを確認し――お茶漬けに、入れた。にゅるんと。

 

「……お茶漬けに生卵?」

 

「うむ。いつだったか本音がやっていたので少し分けてもらったらこれが案外美味くてな。以来、時々こうして食べている」

 

「それでいいのか欧米人」

 

 卵を生で食すのをクレイジーと評する文化ではないのか。

 

「まあ、確かに祖国では絶対に食わん。腹を壊したくはないからな。下手をすれば死ぬ。

 だがここは立地的には日本、そしてこの卵は生食用だ。きちんと洗浄・殺菌が為されている。ならば何を躊躇うことがある?」

 

「それにしたってお茶漬けに生卵入れるのはどうなんだよ」

 

「見かけによらず美味いぞ。食うか? ちなみに鮭茶漬け、茶は麦茶だ」

 

 ずいっと丼を差し出すジギスヴァルト。彼自身「見かけによらず」と評したように、見た目は(すこぶ)る悪い。だが食べてみもせずに悪食と断ずるのもどうなのだと一夏の料理人(あるいは主夫)としての部分が声を上げるのも事実。

 

 決意を固めた彼は丼を受け取り、一口。ずぞぞっ。

 

「……ああ、確かに案外イケる」

 

「だろう?」

 

「正気か一夏」

 

 さすがに見ていられなかったのだろう、箒が横から口を挟んだ。キッとジギスヴァルトと本音を睨んで言うあたり、結局邪魔していることに加えて想い人にゲテモノを食べさせたのが気に入らないと見える。彼女は和食が好きそうだから、お茶漬けを穢されたような気分でもあるのかも知れない。

 

「そう言わずにー、しののんも食べてみないー?」

 

 平時より幾分か固さのある笑顔と声で本音が丼を差し出したが、

 

「結構だ。私は先に教室に行く」

 

 箒は立ち上がってさっさと食器を片づけ、立ち去ってしまった。

 

「あ、おい箒!」

 

「いったいどうしたのだあいつは」

 

 ジギスヴァルトやスティナと箒の確執をよく知らず、箒が一夏を好いていることも知らず、さらにクラスメイトとほとんど交流が無かったせいで学年別トーナメントに付随していた噂も耳に入らなかったラウラは箒の態度が不思議でならない。

 

「…………」

 

 そしてラウラの隣では、スッと目を細めたスティナが、去り行く箒をじっと見つめていた。

 

「ちょっとアンタたち、いつまで食べてんのよ?」

 

 微妙な空気の流れるテーブルに快活な声が降ってきた。見ればいつの間にか鈴音がテーブルの傍らに居て、呆れたような顔で彼らを見ている。

 

「あー、りんりんだー。勇気が出そうだねぇー」

 

「だからりんりん言うなって……いや、もういいや。何回言っても変わらないし。

 それよりアンタたち――あ、一夏だけか。一夏、時計見た方がいいわよ」

 

「時計?」

 

 言われた一夏が腕時計を確認しようとした丁度そのとき、チャイムが鳴った。キーンコーンと。

 

「うわっやべっ! これ予鈴じゃねえか! 皆、早く片づけて教室に――」

 

 行こう、と続けようとしたが、出来なかった。なにしろ既に一夏以外は皆が食器を片づけ終えていたからだ。

 

「い、いつの間に!?」

 

「お前が篠ノ之に気を取られている間にだ」

 

 ジギスヴァルトの答えに全員が肯き、そして走り去ろうとする。

 

「待て! 待って! 見捨てないでくれよ、今日のSHR千冬姉だろ!」

 

「だからこそ、だ。私はまだ死にたくない」

 

「私も命は惜しいからー、ごめんねおりむー」

 

「私も遅刻は御免だ。教官――違った、織斑先生を前にして遅刻、考えるだけで恐ろしすぎる」

 

「そういうわけだから、ゴメン一夏。大丈夫、骨は拾ったげるわ」

 

〔おかしい人を

 亡くしました〕

 

 千冬の授業やSHRに遅れると、遅刻特典として出席簿アタックと特別訓練が授与される。あんな地獄に身を投げるくらいなら友人の一人や二人くらい喜んで生贄に差し出そうというものだ。誰しも自分の身がかわいいのである。皆口々に好き勝手言ってダッシュで去ってしまった。

 

「薄情者ーっ!! ていうか、鈴はクラス違うだろーっ!?」

 

 織斑一夏。享年十五歳と九ヶ月。君は実に勇敢だった。今までありがとう。君のことは忘れるまで忘れない――。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 放課後、夕暮れに染まる教室で一夏は掃除をやらされていた。他の生徒は居ない――というか、本来IS学園では生徒に掃除をさせない。毎日専属の業者が学校中を掃除している。

 

 では何故一夏が掃除しているかというと、今朝のSHRに遅刻した罰である。授業ではないからと特別訓練は免れたものの、出席簿アタックと教室掃除を賜った。彼自身は掃除が嫌いではないのでそれそのものは苦ではないが、如何(いかん)せんこの教室は広い。それと机の数が多い。あと、教科書を全て中に置きっぱなしの岸里さんの机(通称フルアーマー机)がめちゃくちゃ重い。毎日これを動かして掃除している業者さんには頭が下がる。

 

「お、やってるわね一夏」

 

 だいたい掃除も終わり、あとは動かした机を戻すだけとなったタイミングで鈴音が現れた。

 

「おう鈴。今朝はよくも見捨ててくれたな」

 

「あたしは勇敢だけど無謀じゃないの。自分の身が最優先よ」

 

「だからお前はクラス違うだろ」

 

「だからって遅刻していいわけないでしょ? 二組だって遅刻の罰はあるのよ、千冬さん程アレではないけど」

 

「ああそうかい。で、なんだ? 手伝ってくれるのか?」

 

 まあ、後は机を戻すだけなので、仮に手伝うと言われてもやらせる気は無いのだが。いつの世でも力仕事は男の仕事、というのが一夏の考えだ。

 

「んなわけないでしょ」

 

 が、手伝いに来たのではないらしい。そうなると彼女がわざわざ放課後にここに来る理由を思いつかない。だから一夏は少し怪訝な顔で鈴音に尋ねる。

 

「あ、そう……じゃあ何しに来たんだ?」

 

「ちょっとお願いがあって」

 

「お願い?」

 

「そ。今度、臨海学校があるじゃない?」

 

 来週の月曜日から、二泊三日で臨海学校が執り行われる。とはいえ、それは通常の高校の臨海学校とはだいぶ(おもむき)(こと)にする。

 

 IS学園における臨海学校とは則ち“(ひら)けた場所でのISの稼働試験”であり、専用機持ちの者は追加装備の稼働試験を、そうでない者は訓練機を使って学園の備品である装備の稼働試験をそれぞれ行う。

 

 しかし、それだけでは一部のド真面目な生徒以外はやる気を失ってしまう。海まで行くのに訓練だけだなんて十代女子が堪えられるはずがない。よって一日目は完全に自由行動で、当然海で泳ぐことも許可されている。

 

「だから買い物に付き合ってほしいのよ。水着とか、他にも必要なものをいろいろと」

 

「要するに荷物持ちだな」

 

「なんでそうなんのよ。女の子と買い物なんだから、いろいろあるでしょ。例えばデ、デートとか」

 

「はあ、デートねえ……」

 

 だが、そういうのは好きな相手と出かけてこそではないだろうか――と思った一夏は、しかし先日のジギスヴァルトの言葉を思い出した。自分なんかを好きになる女の子など居ない、と一夏は考えているのだが、彼はそれを「大間違いだ」と断じた。彼がそう言うからには、実際に自分は誰かに好かれているのだろうか。

 

 改めて鈴音を見る。自分で言った言葉に照れたらしく顔が真っ赤だ。誰かが一夏を好いているかどうか、そしてそれが鈴音であるのかどうかはともかくとして――彼はその姿に、不覚にも少しドキッとした。かわいいとか思ってしまった。一夏も一人の男であるからして、単純な生き物であるのは他の男と変わらないのだ。

 

 ただ、それは普段鈴音や他の女の子たちを見て抱く感情とは少し違う気がしたが――それがどう違うのかは彼にはよくわからなかった。わからなかったが、それは彼が普段と違う言動をとるには十分だった。

 

「……まあ、いいか。じゃあ、デートってことにしとこう。

 で、いつだ? 今度の日曜でいいのか?」

 

「え、いいの!?」

 

「いいもなにも、お前が言ったんじゃねえか。まあ俺も買い物は必要だしな」

 

「そ、そう、そうよね! うん、日曜でいいわ! 詳しいことはまたメールか何かで連絡するから! それじゃあね!」

 

 一気にまくし立てて、鈴音は脱兎の如く逃げ去っていった。それを見送った一夏は首を捻りながら掃除の仕上げを再開したが――彼が首を捻る理由はいつもと少し違って、彼自身についてのことだった。

 

 まあ、いくら考えてもよくわからなかったので、すぐに気にしないことにしてしまったが。それでも、それは彼にとっても周囲にとっても重要な変化の始まりであることには違いなかった。

 

 なお、余談ではあるが。鈴音はあのテンションのまま寮の自室に飛び込み、枕に顔を埋めてにゃーにゃー叫びながら転げ回って、ルームメイトのティナ・ハミルトン(アメリカ出身)に可哀想なモノを見る目で見られた。




 ドイツでは兄弟姉妹のことは名前で呼ぶらしく、なので「お兄ちゃん」にあたる言い回しがありません。そこで本作では安直にもBruderを使用しています。
 ちなみに、私はお茶漬けwith生卵をときどき食べます。美味しいですよ、私のおすすめメニューです。


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第二四話:スモールワールド

 

 快晴の日曜日、昼前。臨海学校を明日に控えた一夏は鈴音と共に街に繰り出していた。

 

 鈴音の服装はタンクトップに膝上丈のオーバーオールという、シンプルながら活発さ・かわいらしさ・色気を程良く演出するもの。ルームメイトのティナ・ハミルトンと一緒にあーだこーだと悩んだ結果彼女の影響で少々アメリカンなチョイスになってしまったのは否めない。が、少なくとも一夏はよく似合っていると感じた。

 

「それで、とりあえずレゾナンスでいいのか?」

 

「そうね。あそこに行けば必要な物はだいたい揃うし」

 

「うし、じゃあ行くか」

 

 ゆったりとした足取りで歩き出す一夏。しかしその手を掴まれて立ち止まる。振り返ろうとしたが――その前に鈴音が、手を掴んだまま走り出した。彼女に引っ張られ、前のめりになりながら一夏もまた走る。

 

「お、おい鈴!?」

 

「時間は有限なんだから、さっさと行くわよ!」

 

「だからって走らなくても――わかった、わかったからそんなに引っぱるなって! コケるコケる!」

 

 一夏の手を引く鈴音の顔はほんのり赤く、そして若干締まりのない笑顔だった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 ショッピングモールへと走って行く一夏たちを物陰から見つめる者が居た。

 

「……あの」

 

「……何かな?」

 

「あれ、手を繋いでますわよね?」

 

「ああ、うん……繋いでるね」

 

 現場を見ていた者なら誰に尋ねてもそう返すだろう答えを提示したのはシャルロット。そしてそれを尋ねた者――セシリアは引き攣った笑顔のまま、持っていたペットボトルを握り潰した。ぶしっ! と、蓋と中身が弾け飛ぶ。およそ恋する十代乙女がしていい行動ではないが、頭に血が上りかけている彼女はそんなことを気にしない。

 

「そう、そうですの。やはりわたくしの見間違いというわけではないのですね。……撃ち抜きましょう」

 

 腕とレーザーライフルを部分展開しようとしたセシリアの横で、シャルロットは溜め息をひとつ。携帯端末を取り出し、耳に当てる。

 

「……あ、もしもし警察ですか? 街中でISを無断展開しているイギリス代表候補生を発見したんですが――」

 

「わー!? シャルロットさんストップ! やめてくださいまし! 冗談、冗談ですからぁ!」

 

 慌てて止めに入るセシリアに、苦笑しながらディスプレイを見せる。……ただの待受画面だった。通報するフリだったというわけだ。

 

「な、なかなかいい性格してますわねあなた……」

 

「誉め言葉として受け取っておくよ。

 それでセシリア。僕はたしか、臨海学校に必要なものを買いに行こうって君に誘われたはずなんだけど」

 

「ええ、そうですわね」

 

「それがどうして一夏たちを尾行するなんてことになってるのかな?」

 

 シャルロットは、密かに楽しみにしていたのだ。母が死んでデュノア社長に引き取られてからは諦めていた、“友達と遊びに出掛ける”というたったそれだけのことを。

 

 なのに蓋を開けてみれば、まるでストーカーのような行為に付き合わされる始末。シャルロットも一夏に惚れていたならまた違ったのだろうが、生憎と彼女の一夏に対する感情は友情だけ。期待をある意味最悪の形で裏切られたシャルロットが静かに怒るのも無理からぬことであった。

 

「か、顔が恐いですわよシャルロットさん……?」

 

「そうかな? 出来るだけ爽やかに笑ってるつもりなんだけど」

 

「それが余計に恐ろしいといいますか…………って、あら?」

 

 セシリアが、シャルロットの後ろの少し離れた位置に見知った人物を見つけた。いつものロングコートタイプの制服や自前の白いロングコートではなく、ノースリーブのパーカーにデニムのミニスカートという露出度の高い服装ではあるが――あれはスティナではないだろうか。髪は真っ白だし、肌も驚くほど白いし、それにパーカーのポケットに見覚えのある二つのバッジがついているし。

 

「あれ、スティナさんですわよね?」

 

「え? あ、ホントだ。……普段と違ってなんだか気合入ってるね」

 

 普段彼女は膝まである髪を(うなじ)のあたりで一纏めにしてからフードの外に出しているが、その際は黒い髪ゴムで縛るだけ。しかし今日は、黄色いリボンを使ってサイドテールにしている。

 

 普段彼女は寮以外では肌を露出しないし、外ではほとんどコートのフードを被っている。しかし今日は、先述の通り露出度が高く、そしてパーカーのフードは被っていない。

 

 まあ、要するに普段はお洒落とはほとんど無縁なのだが――そんな彼女が普段とは明らかに違う服装で、しかも誰かを待っているのを示すかのようにそわそわキョロキョロしているのを見てしまっては、セシリアたちが興味を惹かれるのも必然と言えよう。

 

「ジグさんとでも待ち合わせているのでしょうか?」

 

「でもジグは確か、今日は本音と臨海学校の買い物に行くって言ってたような」

 

 IS学園では、申請さえすれば平日であっても放課後に敷地外に出るのは自由である。しかし普段は授業に訓練に宿題にと時間を取られるし、寮の門限もある。IS学園の敷地から出られるのは実質的には日曜日のみとなり、故に大半の生徒が今日、足りないものを買いに出ている。それはジギスヴァルトも例外ではなく、もう少し早い時間に本音と出掛けてしまったはずだった。

 

「血縁でないとはいえ兄妹ですし、途中で合流するのかも知れませんわよ?」

 

「それは無いんじゃないかな。だってほら、駅ともモールとも違う方向ばっかり見てるし」

 

「言われてみれば確かに」

 

 そのまま観察を続けること数分。何かに気付いたスティナがブンブンと手を振り始めた。彼女の視線を追うと、そこには彼女に駆け寄る男が一人。黒いバンダナを額に巻いた、赤い長髪が特徴的な男だ。

 

「あれがスティナの待ち人?」

 

「なんというか、こう……チャラそうですわね」

 

「セシリアが『チャラい』なんて言葉を知ってたことに僕はびっくりだよ」

 

 いつものように空中投影ディスプレイを使って何事かやり取りした後、スティナは男の手を取ってショッピングモールへと歩いて行った。

 

「……手、繋いでましたわね」

 

「そうだね」

 

「あの男、ものすごく狼狽(うろた)えてましたわね」

 

「チャラそうに見えたけどそうでもなさそうだね」

 

「……追いますか」

 

「一夏たちはいいの?」

 

「一夏さんはどうせいつも通りでしょうから。それよりもスティナさんが気になります」

 

「それは僕も同感」

 

 というわけで、標的を一夏たちからスティナに切り替えた二人は不審者丸出しの動きでレゾナンスに入っていった。

 

 普通に遊べないのは残念だけれど、これはこれで楽しいかも――とシャルロットは思った。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 駅前広場にて、スティナはわりと落ち着かない様子で、先週約束した五反田弾を待っていた。何というか、不安が拭えない。

 

 それもこれも、ちょっとしたきっかけでルームメイトの五所川原(ごしょがわら)伊呂波(いろは)――二組の生徒で、古風な名前に似合う純和風の黒髪美少女――に男性と出掛けることがバレたせいだ。大和撫子と呼ぶのがぴったりな容姿で本人も和服を好むにも関わらず何故か洋服の所持数もべらぼうに多い彼女に捕まり、そして説教された。

 

「スティナちゃんはお洒落をしなさすぎです。せっかく可愛いんですから、最低限着飾らないとダメ。デートならなおさらです」

 

 そしてあれよあれよと言う間にコートをひん剝かれ、伊呂波の洋服コレクションが唸りを上げた結果今日のこの服装となったわけである。別にデートというわけではないと訂正する暇も無かったし、コートを着てはいけないと厳命までされてしまった。彼女はスティナより10cm近く背が高いのに、どうしてスティナに合うサイズの洋服があんなにあったのかはわからないが――気にしない方が良い気がする。

 

 さて、そんなわけで彼女は今薄着ではあるが、バッジはある。だから日光は平気。

 

 エイフォニック・ロビンの拡張領域(バススロット)にいつものコートを入れてある。万一バッジが使えなくなってもこれを着れば良い。

 

 では何が不安なのかというと、今日の服装が似合っている気がしないからである。加えて、衆目を集めているこの状況だ。彼女の容姿は日本ではかなり目立つのだ、良い意味でも悪い意味でも。

 

 自室や友人の家、寮など、ある程度知った仲の人間、あるいは同じ共同体に属する人間が居る場所では、彼女は服装を気にしない。似合っているかどうかなどは些事だ。過ごしやすければそれでいい。弾の家でコートを脱いだのも、彼という知人とその友人の数馬しかその場に居なかったからだ。そうでなければ彼女は絶対にコートを脱がない。

 

 ――そんなに嫌なのなら、伊呂波の指示なんて無視して弾が来るまでコートを着ていればいいじゃないか。などと言ってはいけない。冷静になれない彼女はそこまで考えが回らない。

 

 とにかく、だからそわそわキョロキョロしているのも仕方ない。自分でも挙動不審になっているのはわかっている。(はた)から見ると初デートを前に落ち着かない女子中学生にしか見えないが――まあ事実とさほど異なる部分もないので問題ないだろう。

 

(うぅ……早く来ないかなあ弾さん……)

 

 日曜の駅前というのはとにかく人が多い。この街はIS学園がある関係で外国人そのものはそれなりの数居るが、それでも珍しいには珍しい。加えて肌も髪も白いとなると――ましてやそれが美少女となると否が応でも視線は集まる。向こうの女子高生なんて携帯で写真を……おい待てそれは肖像権とかいろいろ無視しすぎではないか。その写真どう考えても勝手にSNSにアップするだろう。そういうの日本人の悪いところだと思う。

 

(――あっ、あの赤い頭は)

 

 堪えること数分。ようやく待ち人が現れたことに安堵したスティナは――ついついテンションが上がって、飛び跳ねんばかりの勢いでブンブンと手を振った。とても嬉しそうな笑顔で。

 

〔弾さん

 待ってました〕

 

「あ、ああ。お待たせ」

 

〔では行きましょう

 早く行きましょう

 速やかに行きましょう〕

 

「え、ちょ、スティナ!?」

 

 そして弾の手を掴んで、とにかくこの場を離れて屋内に入りたい一心でレゾナンスへと引っ張っていった。

 

 屋内とは言えモール内は結局人が多いことに彼女が気付くのはもう少し先の話である。

 

「ところで、その服似合ってるな」

 

「…………!」

 

 誉められて照れた彼女が歩調を速め、自分で言った言葉が恥ずかしくなった弾が足を(もつ)れさせてコケたのは、まあご愛嬌ということにしておこう。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 さて、一夏と鈴音であるが。

 

「えーっと、水着売り場は……あ、あれね!」

 

 あれからとりあえず腹ごしらえをして、その後ショッピングモールの二階に来ていた。このショッピングモール、レゾナンスは、衣服は量販店から一流ブランドまで網羅し、飲食店は和洋中すべて完備しファストフード店も充実、その他各種専門店やレジャーも豊富と、老若男女問わず対応可能。市民曰く「ここに無ければ市内のどこにも無い」。交通網の中心にあることも手伝って、市民の生活に無くてはならないものとなっている。

 

「じゃあ、男と女は売り場が違うし、いったんここで別れるか」

 

「は? 何言ってんのアンタ」

 

「え?」

 

 何かおかしなことを言っただろうかと首を傾げる一夏に、鈴音は少しムッとした顔で、

 

「何のためにアンタと来たと思ってんのよ」

 

「何って、少なくともここでは俺に出来ることなんて無いだろ」

 

「あるわよ。あ、あたしの水着、選んで頂戴」

 

「は?」

 

 水着を、選ぶ?

 

「誰が?」

 

「アンタが」

 

「誰のを?」

 

「あたしのを」

 

 言われて、ついーっと女性用水着売り場に目を向ける。色とりどりの、男用とは較べ物にもならない膨大な種類の水着と、そしてそれを吟味する女性たちが見える。

 

 あそこに、踏み入れる? 男が?

 

「いや……ハードル高ぇっす鈴さん」

 

「い、いーから、グダグダ言ってないで早く来なさい」

 

 そしてズルズルと引きずられていく一夏。その顔にはまるでドナドナされていく仔牛のような哀愁があった。

 

(けどまあ、選べってことは俺に意見を求めているわけだ。……仕方ない、少し我慢しよう)

 

 まあ女の子と一緒に居るのだから不審者扱いはされまいと、覚悟を決めて前を見据える。

 

 ――色、色、色。色彩の暴力が、そこにはあった。正直目が痛い。

 

「ど、どれがいい?」

 

「まあ待てって。そうだな……」

 

 女性用水着の何たるかなど微塵もわからないが、わからないなりに真剣に考える。選べと言うのだから手を抜くわけにはいかない。そんなことをしては鈴音に恥をかかせることになりかねない。それは男として最も避けるべきことだ。

 

「……じゃあ、これなんかどうだ?」

 

 言って彼が手に取ったのは、オレンジ色のタンキニタイプのもの。丈はそれほど長くないのでおそらく(へそ)が出る。色・形共に鈴音に最も似合うだろうと感じたのがこれだった。

 

「これね。じゃあ試着してみるわ。ちゃんと試着室の前に居なさいよ」

 

「えー……正直すげえ居心地悪いんだが」

 

「我慢しなさい。ちゃんと見て、意見を頂戴」

 

「へーへー」

 

 試着室に入っていく鈴音を見送り、待つ。正直すぐにでも男性用の売り場に戻りたい。男一人で試着室の前に立っているのはつらい、つらすぎる。

 

「鈴ー、まだかー?」

 

「まだ入ったばっかでしょーが!」

 

「いやそれはそうなんだけどさ……」

 

 がくりと項垂れる一夏。しばらくこのままで居るしかないようだ。

 

 ――ところで。試着室は三つ並んでいる。そしてそれは全て埋まっていて、それぞれの前で二人の男性がそれぞれの連れを待っている。

 

「本音、まだか?」

 

(……ん?)

 

 ……隣から、随分と聞き慣れた声が聞こえた。

 

「スティナー、俺すっげえ居心地悪いんだけどー……」

 

(……んん?)

 

 さらにその隣からも、良く聞き知った声が聞こえた。

 

『……うん?』

 

 試着室前で、男三人の視線がかち合った。

 

『……何してんの、お前ら』

 

 三人の口から、全く同じ台詞がこぼれ落ちた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 時間は少しだけ戻って。弾は軽くテンパっていた。

 

 女の子に手を引かれたのなんて初めてだ。女の子と二人で昼食を摂ったのも初めてだ。そして――女の子と一緒に水着売り場に来たのも初めてだ。

 

「……あの、スティナさん? こんなところに連れて来て俺に何をどうしろと?」

 

〔水着

 選んでほしい〕

 

「……誰の?」

 

〔私のです〕

 

「……だ、誰が?」

 

〔?

 弾さん以外に

 誰が居るんです?〕

 

 ――いや、待って。確かに「買い物に付き合ってほしい」と言われたけれど。そしてその内容は聞いていなかったけれど。まさかいきなり水着売り場に付き合わされるとは思わなかった弾はそれはそれは狼狽(ろうばい)した。

 

「えっと……俺でいいのか?」

 

〔さっきから

 そう言ってます〕

 

「……ちなみに、着て見せてくれんの?」

 

〔むしろ

 見てくれないんですか?〕

 

 選んでもらうのだから、選んだ人間の感想くらい欲しい。

 

「見ます!」

 

 そして五反田弾は欲望には素直な男だった。

 

〔では

 どれが似合うと

 思いますか?〕

 

「そうだな……えーっと」

 

 キョロキョロと辺りを見渡して――目にとまったのは山吹色のビキニ。青いショートパンツとセットで売っているようだ。

 

「……じゃあ、アレ」

 

〔アレですね

 わかりました

 着てみます〕

 

 弾が選んだ水着を持って、彼女は試着室に入っていった。

 

 さてそうなると一気に居心地の悪さが増すのが男である。別にやましいことはないのになんとなく悪いことをしている気分になるのは何故だろう。

 

 どうやら隣の二つの試着室にも男連れの女が入っているらしく、待っている男は少しそわそわした様子で中の女に声をかけている。

 

「スティナー、俺すっげえ居心地悪いんだけどー……」

 

 返事があろうはずもないのについ声をかけてしまったのは、横の男たちにつられてしまったのに加えて、中の女の連れだと周囲にアピールして不審者でないことを示すためだ。

 

『……うん?』

 

 ――少し心に余裕ができると、さっきから横に居る二人の男の声に聞き覚えがあることに気づいた。

 

 視線を横にスライドさせる。……よく見知った顔が二つあった。

 

『……何してんの、お前ら』

 

 世間は驚くほど狭かった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 さらに場面は移って、尾行組のセシリアとシャルロット。二人はスティナたちが食事を摂っている間にMのマークのピエロなハンバーガーを買って食べ、尾行を続けた。その結果、まさかまさかのこの状況。スティナたちだけでなく一夏たちと、そしてジギスヴァルトたちまでもが一堂に会すこととなったのを彼女たちは遠巻きに眺めている。

 

「…………」

 

「…………」

 

 試着を終えたそれぞれの連れの姿に三者三様の反応を示し(特に赤毛の男が挙動不審だった)、三組ともがレジで会計を済ませ、店を出――たところで、スティナがセシリアたちを見た。

 

『――――っ!?』

 

 背筋に走る悪寒。直後、スコンッ! という音が、セシリアの耳元で聞こえた。恐る恐るそちらに目を向けると――すぐ横の柱に、スティナのISの投擲用ナイフが刺さっていた。セシリアがへたり込むと同時に、それは量子化して消えていく。

 

「スティナ? どうした?」

 

〔なんでもありません。

 さあ弾さん

 次行きましょう、次〕

 

「え? ああ、うん。じゃあな、四人とも」

 

「ああ。私たちも他の買い物を済ませよう」

 

「じゃあねーみんなー」

 

「さあ一夏、次よ次!」

 

「へーへー」

 

 散り散りになっていく彼らを、二人はただ見送ることしかできない。

 

「……何をやっているんだお前たちは」

 

「コントか何かか?」

 

「あ、あはは……」

 

 背後から、聞き覚えのある声。

 

 振り向くと、頭を押さえている千冬が居た。その横にはラウラ、さらにその後ろには真耶の姿もある。

 

「こ、これは、その……」

 

「尾行です」

 

「シャルロットさん!?」

 

 全てを諦めたかのように素直に白状するシャルロットと、そんな彼女の様子に慌てふためくセシリア。なるほどラウラの言った通り、まるでコントのようである。

 

「……まあ、程々にな。今のは見なかったことにしてやる」

 

 しかし続く千冬の台詞はなんとも意外なものだった。

 

「よ、よろしいんですの?」

 

「ああ、まあ、なんだ。……バレたら怒られるのはお前たちだけじゃないからな」

 

 IS学園の生徒が許可無くISの装備を使用し柱を傷つけた――これで怒られるのは、本人たちは当然として、その担任と副担任もだ。学園やモール側からしっかりお叱りを受けてしまう。監督不行き届きとかなんとか、まあ色々と。

 

 故に、千冬も真耶も見なかったことにする。別に誰かが怪我をしたわけでもない。たかだか柱に少し穴が開いた程度で休日を潰されたくなどなかった。もし平日だったら容赦はしない。

 

「ありがとうございます。ところで、先生方は何をしにここへ?」

 

「私たちも水着を買いに来たんですよ」

 

「自分の分も必要だが、なによりラウラが学校指定のものしか持っていないと言うのでな。さすがに海で旧スクはないだろう」

 

 確かに。それはそれで需要はあるだろうが、なんというかこう、浮く。

 

「そういうわけだ。お前たちも、そもそもは準備が出来ていないからここに来たのだろう? 水着はもう買ったのか?」

 

「いえ、まだですわ」

 

「なら丁度良い。ラウラに似合いそうなものを選んでやってくれ」

 

 トン、とラウラの背を押してセシリアたちに託す。

 

 ――キュピーン。と、シャルロットの目が光った。……気がした。

 

「そういうことなら任せてください! さあラウラ、行こう!」

 

「え? あ、おい、シャルロット? お、押すな、コケる!」

 

 ぐいぐいとラウラを押して水着売り場に入っていくシャルロット。多分今日で一番テンションが高い。呆気にとられて動けずにいるセシリアに、自身も水着売り場に向かわんとしていた千冬が足を止めて振り返り、言う。

 

「ああ、オルコット。後でヴェスターグレンに謝っておけよ。お前たちの尾行はお粗末に過ぎる。あいつも曲がりなりにも元軍属、最初から気付かれていたはずだ」

 

 セシリアの頬を冷たい汗が流れ落ちた。




 擬人化された艦船を集めて育てる某ゲームのイベント海域に出ておりしばらく筆が止まりました。ゲームを始めてから今月で十五ヶ月になりますが、今回初めてEX海域を突破。思わずその場でガッツポーズ。やったぜ。
 ちなみに、今日からは十二年ぶりにホウエン地方に旅をしに行くので、おそらくまた筆がしばらく止まります。

 突然名前と台詞が現れたスティナのルームメイト、一年二組の五所川原伊呂波さん。何か古風な名前をと思い、六秒で考えました。いわゆる使い捨てのモブですが、今後も出番はあるかもしれません。無いかもしれません。
 スティナはアレです、知人や仲間が一人でも居ると図太いくせに、彼女一人のときはコートが無いと不安な人です。なんて性格の悪い子でしょう。
 ちなみに今回スティナがセシリアたちに気付いたのは、超人的な気配察知能力――ではなく、単に二人の動きがバレバレだっただけです。

 ところで、原作ではあの水着売り場は女性に限り直に水着を試着できるとなっていますが――水着の試着って普通は下着の上に着ますよね。上はともかく、下は。たしか試着される度に店員が回収してクリーニングしているという描写がありましたが、非効率的かつ商品が傷むので普通有り得ないんじゃないでしょうか。


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第二五話:実は、「そこは」は要らない。

 

「海っ! 見えたぁっ!」

 

 県境の長いトンネルを抜けると海であった。乗合自動車(バス)の中で女子生徒が歓声をあげた。

 

 彼女()の学舎は人工島。周囲は海に囲われてゐる。であるからには、彼女等も海そのものは見慣れてゐる。然し砂浜の在る海となると話は別なのだらう。目が輝いてゐる。頬が上気してゐる。或る者は立ち上がり、或る者は陽の光を反射する蒼い宝石を指差してゐる。乗合自動車の目指す先には――。

 

「随分と難しい言い回しねぇ。見たこと無い字まであるし、何書いてるかさっぱりだわ」

 

 後ろの席から声をかけられて、五所川原伊呂波は顔を上げた。彼女の頭上、ヘッドレストの向こうから顔を出しているのは、クラスメイトのティナ。鈴音のルームメイトだ。

 

「今晩は時間が無い可能性がありますから、今のうちに日記を少々。ティナちゃんには、こういう文体はあまり馴染みが無いかも知れませんね」

 

「ティナどころか私たち日本人すら今じゃ馴染んでないよ」

 

 隣の席に座る友人にツッコまれて、苦笑しながら日記を閉じた。そして、ふと思い出してティナに視線を向ける。

 

「ところでティナちゃん、鈴ちゃんのお相手はしなくていいんですか?」

 

「あー……鈴はね、その……」

 

 ちら、と隣を覗うティナに倣って鈴音を見ると、

 

「なんでクラス毎にバスが別なのよこれじゃ一組の奴らが圧倒的に有利じゃないそもそもあたしがあいつと別のクラスってのがおかしいのよあれだけ一組に専用機持ち集めてんだからあたしも一組に入れなさいよ何なの篠ノ之箒の陰謀なの姉っていう後ろ盾をちらつかせて学園を脅したのううん知らないけどきっとそうよだっておかしいじゃないあたしとあいつは幼なじみなんだからクラスが同じな方がいろいろとやりやすいじゃない中国(ウチ)の奴らも出来るだけデータ取れとか言うならクラス同じにする努力くらいしてみせたらどうなのよいやデータ云々はあたしにとっては至極どうでもいいけどそういうことなら一夏に近付く機会も増えると思って引き受けたのにどうしてこんなハードモードなわけこんなの絶対おかしいわよお城を出たら魔王が待ち伏せしてたレベルの難易度じゃないバカなの死ぬのこんなことならいっそあの時クラス代表じゃなくて所属クラスそのものを変更するよう要求しとけばよかったかしらでも政府がやるならともかくあたしがそんなことしたら下手しぃ国際問題だしこれはもうあいつを殺してあたしも死ねば全てがまるっと解決して幸せになれるんじゃないかしら(ああ)一夏一夏一夏一夏いちかいちかいちかイチカイチカイチカイチカイチカイチカ――」

 

 …………。

 

「もうすぐ到着ですね。海、楽しみです」

 

「賢明な判断ね」

 

 そりゃそうだ。こんな状態の女性にかけるべき言葉など、同性であっても――否、同性だからこそ持ち合わせていない。到着するまで放っておいて、それでも元に戻らなかったらその時は引っ(ぱた)くなりなんなりして呼び戻すが、今は好きなだけ吐き出させよう。

 

「ところで伊呂波」

 

「はい?」

 

「私とよく似た名前のルームメイトさん、今日こそ紹介してよ?」

 

「それはまあ、機会がめぐってくれば喜んで致しますが――前から言っているように、別に私に紹介を頼まずとも普通に話しに行けば良いのでは?」

 

「や、それはそーなんだけど。こう、学園の有名人だし、なんとなく話しかけにくいっていうか」

 

「はあ、そんなものですか」

 

 前を走る一組用のバスに乗っているルームメイトを思い浮かべて、伊呂波は首を傾げる。

 

 確かに有名ではあるけれど、だからどうというものでもない。彼女はちょっとお洒落に疎くて(この辺りは伊呂波が改善しようと奮闘している)、ちょっと他の人より色白で、他の人より一つだけ自己表現の手段が少ない、けれど普通の女の子だ。少なくとも伊呂波はそう思う。

 

「一組のバスはどんな感じなんでしょうね」

 

 フロントガラスの向こうを走るバスをぼんやりと眺めながら言う彼女の表情は、なんというかこう、悟りに至る直前に煩悩が甦ったかのような、微妙な苦笑いだった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 一方、一組は。

 

「おー、やっぱり海を見るとテンション上がるなあ!」

 

「そうか? 私にはよくわからんが……」

 

 窓側の席に座る一夏が外を見てはしゃいでいるのを、その隣、通路側に座るジギスヴァルトは辟易した様子で見ていた。というのも――。

 

「どうしてブレヒトが一夏の隣なのだ……!」

 

「ずるいですわジグさん……わたくしだってそこに座りたいですのに……!」

 

 およそ二名ほど、呪詛の籠もった視線を向けてくる者が居るからだ。出発してからずっとこんな調子ではさすがの彼も精神的にクるものがある。

 

(恨むぞ織斑先生……)

 

 事の発端は今朝。出発前に集合したときのこと。一夏の隣をめぐって女子たちが争う(ジギスヴァルトの隣は本音に譲ることが女子たちの間で前以て決定されていた)ことを見越してのことだろう、千冬は集合が完了するや否やこう言い放った。

 

「織斑。どの列でもいいが窓側の席に座れ。そして織斑の隣はブレヒト、前後の列は空席。破った者が居た場合は一組全員に臨海学校中の外出禁止、学園に帰還後の懲罰房行きと一週間のアリーナ掃除、それから一ヶ月間毎日原稿用紙十枚の反省文を科す」

 

 冗談でもなんでもなく空気が軋んだ。

 

 とまあ、こういう経緯でジギスヴァルトが一夏と座っているせいで、バスの中は一箇所だけ怨念に満ち溢れているのである。あるが――理由はそれだけではなかった。

 

「うーん、このチョコレートおいしー! ジグとおりむーも食べるー?」

 

「ああ、頂こう」

 

「サンキューのほほんさん」

 

 本音がちゃっかりジギスヴァルトの隣の補助席を確保して、彼とべたべたしながらときどき一夏にちょっかいをかけているのである。ジギスヴァルトの隣に座ってはいけないとは言われていないことを利用した搦め手だ。

 

 もちろん、本音が一夏に恋愛的な意味で興味を持っていないことは一組の誰もが知るところである。けれど、自分たちがおあずけをくらっている中で一人だけ一夏に近い場所に居るというのは――多くの一組メンバーはともかく、箒やセシリアにとっては嫉妬の炎を燃やすに十分な理由だった。

 

 なお、本音は最近ようやく恥ずかしさが取れてきたのか、二人のとき以外でも「ジグ」と呼び始めた。

 

「そういえば姉様」

 

 ふと、ジギスヴァルトたちから少し離れた位置に座っているラウラが、隣のスティナに声をかけた。

 

「…………?」

 

「昨日一緒に居た男は誰です?」

 

「…………!?」

 

 え、それ、今言う!? と、スティナの顔が焦りで歪んだ。昨日セシリアを脅したときに近くに居たのは知っていたが、それを聞くならせめて夜に旅館の部屋でとかにしてほしかった。ラウラとしてはなんとなく思い出したから聞いてみただけではあるが、こんな空気のバスの中で言われては――。

 

「ちょっとスティナちゃんそれどういうこと!?」

 

「ヴェスターグレンさん彼氏居るの!?」

 

「ロリと見せかけてスレンダー系なナイスバディのギャップで悩殺しちゃったの!?」

 

 ああ、やっぱりこうなった。

 

「…………! …………! …………!?」

 

 狭いバスの中、押し寄せる女子たちにもみくちゃにされた。声が出せていたら悲鳴をあげていたことだろう。口から漏れる息が実に悲痛だ。

 

『あとでジュースを奢ってやろう』

 

『……九本でいいですよ』

 

 周囲の視線やら何やらがほとんどスティナに向いたことに安堵し、感謝し、ジギスヴァルトは彼女にプライベート・チャネルを繋いだ。

 

 返ってきた声は、疲労と諦念に充ち満ちていた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「それでは、ここが今日から三日間お世話になる花月荘だ。全員、従業員の皆さんの仕事を増やさないように注意しろ」

 

『よろしくお願いしまーす!』

 

 千冬の言葉に続いて全員で挨拶する。この旅館には毎年お世話になっているらしい。着物姿の女将さんは丁寧にお辞儀をし、

 

「はい、こちらこそ。今年の一年生も元気があってよろしいですね」

 

 と、我が子を見守るかのようにニコニコしている。歳は、ジギスヴァルトには日本人の外見年齢はいまいち予想しづらいが、一夏ら日本人組の見立てでは三十代。しっかりとした大人の雰囲気を漂わせている。

 

 ――と、どうやら彼女は一夏とジギスヴァルトに気づいたらしい。

 

「あら、こちらが噂の……?」

 

「ええ、まあ。今年は男子が二人居るせいで浴場分けが難しくなってしまって、申し訳ありません」

 

「いえいえ、そんな。それに、いい男の子たちじゃありませんか。しっかりしてそうな感じを受けますよ」

 

「銀髪の方はともかく、こっちのは感じがするだけですよ。挨拶をしろ、馬鹿者ども」

 

 ぐいっと一夏の頭を押さえる千冬。ジギスヴァルトにはそうしないのは、一夏が身内だからではなく、ジギスヴァルトと千冬では身長差がありすぎるからだろう。さすがに自分より二十センチ弱もの高さがある人間の頭を押さえるのはしんどい。

 

「お、織斑一夏です。よろしくお願いします」

 

「ジギスヴァルト・ブレヒトと申します。今日からお世話になります」

 

「うふふ、ご丁寧にどうも。清洲(きよす)景子(けいこ)です」

 

 言って女将――清洲は再び丁寧にお辞儀をする。動きの一つ一つに気品がある。そういうのに慣れていないのか、一夏は少々緊張しているようだ。以前に「奥ゆかしい女性が好きだ」なんて言っていたから、それも関係しているかも知れない。

 

「それでは皆さん、お部屋にどうぞ。海に行かれる方は別館の方で着替えられるようになっていますから、そちらをご利用なさってくださいな。場所がわからなければいつでも従業員に聞いてくださいまし」

 

 はーいと返事をした女子一同はすぐさま旅館の中へ向かった。とにかく荷物を置いて、それから海に向かうのだろう。初日は完全に自由行動とあって、彼女らの表情はとても生き生きしている。

 

「ね、ね、ねー。ジグー」

 

 女子の群れから離れた本音がジギスヴァルトに擦り寄った。

 

「ジグとおりむーの部屋、どこー? 一覧に書いてなかったー。遊びに行くから教えてー」

 

 その言葉で、旅館に入りかけた女子が一斉に聞き耳を立てた。

 

「いや、それが私も知らんのだ」

 

「俺も。廊下にでも寝るんじゃねえの?」

 

「わー、それはいいねー。私もそうしようかなー。あー、床つめたーいってー」

 

 夏に床で寝て風邪をひいた経験は誰しも一度はあるのではないだろうか。

 

 ちなみに、女子と寝泊まりさせるわけにはいかないということで、一夏とジギスヴァルトはどこかに別の部屋が用意されると、事前に真耶が言っていた。普段本音と同じ部屋で暮らしているジギスヴァルトとしては「なんて説得力の無い」と思うところである。学園内ならともかく外部の施設で男女同室は問題があるということらしいが――いや学園内だって問題だろう、常識的に考えて。

 

「織斑、ブレヒト。お前たちの部屋はこっちだ。ついてこい」

 

 そこに千冬からお呼びがかかり、一夏たちは「また後で」と言って本音と別れた。

 

 千冬の後ろについて旅館内を進んでいく。百人を軽々と超える一学年全員を収容できる規模の旅館だけあってなかなかに広く、何より綺麗だ。歴史ある装飾と最新設備が両方そなわり最強に見える。空調も完璧で、廊下ですら快適な温度に保たれていた。

 

「ここだ」

 

「ここって……」

 

「……ふむ」

 

 連れて来られた部屋のドアには、“教員室”と書かれた紙が貼られていた。

 

「最初は織斑とブレヒトで二人部屋を、という話だったんだが、それだと就寝時間を無視した女子が押しかけるだろうと予想されてな」

 

「あー……」

 

「まあ、否定は出来んな」

 

 一夏を(興味本位か本気かは別として)狙う女子は多い。ジギスヴァルトにしたって、本音と付き合っているからといって全員が諦めるわけではない。

 

「そこで、私と同室となったわけだ」

 

「いやその理屈はおかしいでしょう」

 

 ジギスヴァルトの反論に、千冬ははあと溜め息を吐いた。

 

「お前の言わんとすることはわかる。私だって腐っても女だ。女子と同室には出来んと言っておきながら、身内である織斑はともかくお前が私と同室というのは何とも説得力に欠ける。

 だがブレヒト、お前、他に何か案があるか? 夜中に女子が雪崩れ込むのを絶対に防げる妙案があると?」

 

 そう言われては彼も黙るしかない。確かに、ファフナー(千冬)が守る黄金(一夏とジギスヴァルト)に近づくなど無謀もいいところだ。そしてそれを一年生の面々は存分に理解している。

 

「だから、まあ、我慢しろ。私だって身内でもない男と相部屋では気分が良くはない」

 

「……承知しました」

 

 そして、部屋に入る許可が下りた。元々は二人部屋のようだが、広々とした間取りで三人でも余裕で使えそうだ。奥の窓からは海が一望できる。トイレ、バスはセパレート。ゆったりとした浴槽は長身のジギスヴァルトでも脚が伸ばせそうなほど大きい。洗面所は個室。

 

「一応、大浴場も使える。が、男のお前たちは時間交替だ。本来ならば男女別になっているが、何せ一学年全員だからな。たった二人のために残りの全員が窮屈な思いをするのはおかしいだろう? よって、一部の時間のみ使用可だ。深夜や早朝に入りたければ部屋のを使え」

 

「了解」

 

「わかりました」

 

 さて、それでは。部屋の確認も終わり、荷物も置いたことだし。海へ向かうとしよう――。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 一夏とジギスヴァルトは、更衣室へ向かう途中で世にも奇妙な光景に出会(でくわ)していた。

 

 道端にウサギの耳が生えている。ペラペラの作り物の、いわゆる“ウサミミ”というやつだ。バニーガールがしている、アレ。しかも「引っ張ってください」という貼り紙がしてある。

 

「なあ、これって――」

 

「ウサミミだ」

 

「いや、それは見ればわか――」

 

「バニーさんだ」

 

 ジギスヴァルトの顔が怖い。目がギラギラしている。

 

「……ジグ?」

 

「…………ああ、うむ。すまん。取り乱すところだった」

 

 一瞬で真顔に戻ったジギスヴァルト。しかし、先の表情があまりにも強く印象に残った一夏は好奇心に負けた。

 

「……なあ、一応、一応聞いてみるんだけどさ」

 

「なんだ?」

 

「もし、のほほんさんがバニーさんのコスプレしたら――」

 

「襲う」

 

「えっ」

 

「滅茶苦茶にする」

 

「…………」

 

 真顔で性癖を暴露された。聞かなきゃよかった。と、一夏は思った。

 

「あれ、でも束さんってよくウサミミつけてたような……」

 

「ああ、つけているな」

 

「……滅茶苦茶にすんの?」

 

「阿呆か。姉に欲情なぞするわけがなかろう」

 

「…………」

 

 もう、何も言うまい。

 

 そんなことより、目の前のウサミミだ。こんなところにウサミミが生えている理由など、思い当たるモノがそう多いはずもない。どうせあの天災のイタズラだろう。

 

「どうする、これ」

 

「放っておけ。引き抜くと現れるぞ」

 

「……うわあ」

 

 地面から束がズボッと出てくるのを想像してしまって微妙な表情になる一夏に、しかしジギスヴァルトは、

 

「言っておくが、上から来るぞ。気をつけろ」

 

「上?」

 

「どうせ、ニンジン型のロケットに入って上から落ちてくる。そうなったら従業員の方々に迷惑がかかるからな。ここはスルーしてさっさと海に行くのが得策だ」

 

 そう言ってスタスタと更衣室へと歩いて行った。

 

「…………」

 

 いろいろとツッコミ所はあるが、多分ツッコんだらややこしくなる。ジギスヴァルトに(なら)って更衣室に行くことにした。

 

 ――その頃、日本上空。

 

「ええっ!? スルー!? まさかのスルー! 酷いやジグ君! 束さんが登場できないじゃないか!」

 

 ジギスヴァルトの言った通り、ニンジン型ロケット――PICを応用した滞空機能がついているので厳密にはロケットとは言えないかも知れないが――に乗った束がモニターにかじりついた。そこにはあのウサミミが生えていた場所が映っている。

 

「でも、でもまだ大丈夫! まだすーちゃんが居る!」

 

 ちなみに、箒は少し前に通りかかった。ウサミミを一瞥した後、鼻を鳴らして去って行った。

 

「あ、来た!」

 

 モニターにスティナの姿が映る。本音とラウラと一緒に更衣室へ向かうようだ。

 

 ウサミミに気づいたスティナが首を傾げる。それから、あからさまに面倒くさそうな顔になる。

 

『あれー、ウサミミだねぇー』

 

『何故こんなところにこんなものが?』

 

 不思議がる二人に、スティナが何事か伝えた。空中投影ディスプレイに表示された文字は小さくて解読は難しそうなものだが、自称“細胞レベルでオーバースペック”な束にはそれが見えたらしい。スティナに従ってその場を離れる一行を見送った後、膝から崩れ落ちた。

 

「いーもんいーもん、今日がダメでも明日があるもん。束さんは負けないよ!」

 

 いったい何と戦っているのか知らないが、とにかく負けないらしい。

 

 決意も新たに、束はロケットを移動させていく。全ては明日に立ち向かうために。いかに天才といえど、何の準備もせずに(いくさ)に勝てるほどこの世界は甘くないのだ。

 

 重ねて言うが、彼女が何と戦っているのかは彼女自身しか知り得ない。あえて予想するならば、自分とか常識とか、多分なんかそんなようなものと戦っているのだろう。

 

 ――ちなみに、束を打ちのめしたスティナの台詞は。

 

〔アレを抜くと

 アホが降ってきます。

 さっさと行きますよ〕

 




 二話連続で五所川原さんがご登場です。二組の様子を描くときにワンクッション置けて便利です。

 どうでもいいですが、ホウエン地方が日照りでヤバいので惑星マキアに避難しました。


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第二六話:人間の身長の限界は二七四センチくらいだそうです。

 

「あ、織斑君とブレヒト君だ!」

 

「う、うそっ! わ、私の水着変じゃないよね!? 大丈夫だよね!?」

 

「わ、わー。体かっこいー。鍛えてるねー」

 

「二人とも、あとでビーチバレーしようよ」

 

 浜辺に出てすぐ、一夏たちは数人の女子に遭遇した。一組の生徒ではないため、見覚えこそあるものの名前まではよくわからない。が、だから邪険にするかというとそんなわけはない。

 

「おう、時間があったらいいぜ。なあジグ?」

 

「ああ、構わんぞ」

 

「やたっ!」

 

 はしゃぐ女子たちに一旦別れを告げ、いざ砂浜へ。一歩踏み出し――途端、七月の太陽が熱した砂が二人の足の裏を焼いた。

 

「あちちちっ」

 

「…………」

 

 一夏は爪先立ちになりながら、ジギスヴァルトは少し顔をしかめながらもしっかりと砂を踏みしめて、波打ち際へと向かう。ビーチは既に多くの女子が溢れており、肌を焼く者、ビーチバレーをする者、さっそく泳いでいる者など様々だ。着ている水着も色とりどり。

 

「ところで、ジグは泳ぐのか?」

 

「いや、今のところその予定は無い」

 

 言ってジギスヴァルトは自身の左肩を軽く叩いた。羽織っているパーカーに隠れているが、そこには義手の接続器がある。義手そのものは半袖も着られるよう夏仕様――接続器ギリギリまでを人工皮膚(スキン)で覆っているが、接続器は剥き出しのまま肩についている。そして一夏は授業前の着替えのときにそれを見て知っていた。

 

海に入るとなるとパーカーを脱いでこれを露出する必要がある。別にパーカーを着たままでも泳げはするが、いかに水着とセットのものといえど衣服は衣服。着衣泳のキツさは身を以て知っている。

 

 加えて。もっと根本的な問題があった。

 

「ああ、そっか。まあ気になるよな」

 

「いや、私は見られたとて気にせんのだが、皆の気分を害する可能性があるからな。それに……」

 

「それに?」

 

「沈む」

 

「は?」

 

 沈む、とはつまり、泳げないということだろうか。彼は普通に泳げるものだと思っていただけに驚きも大きい。

 

「義手が重くて浮けんのだ。十六キロの金属の塊だからな」

 

「あー……」

 

 一応完全防水なのだが、重さがそれを台無しにしている。

 

 義手を外せば浮けるし、片手で泳ぐ方法は会得しているが、今この場でそれをしては接続器がどうのというレベルの話ではない。(いたずら)に皆を驚かす気は無いので、彼は海にはよほどやむを得ない状況でもない限り入らないつもりでいる。やむを得ない状況とはつまり、誰かが溺れたとかそういうときだ。

 

「い、ち、かー!」

 

「うおっ!?」

 

 突如、背後から駆けてきた鈴音が一夏の背に飛びついた。彼がなんとかそのまま踏ん張ると、彼女はするすると背中を登って肩車状態になる。ちなみに彼女はもちろん一夏が選んだあの水着を着ている。

 

「猫か何かのようだな」

 

「何言ってんのジグ、ここは海よ? あたしは人魚に決まってるじゃない」

 

「人魚がそんなにスルスルと登れるものか」

 

「うっさいわよ。それにしても――やー、高い高い。遠くまでよく見えていいわ。普段からこれくらい身長欲しいわね」

 

 手を額に当て海を見る鈴音。小柄な彼女ではISを使うかこうして何かに上るかしなければ実現できない視点だ。

 

「いや、さすがに高すぎるだろ。ロバート・ワドローかっつーの」

 

「誰それ?」

 

「……知らないならいいや」

 

「……?」

 

 首を傾げる鈴音だったが、どうやら気にしないことにしたようだ。一夏の上で脚をプラプラさせて、陽の光が弾ける海を指さし、

 

「さあ一夏、泳ぎに行くわよ! ゴーゴー!」

 

「いいけど、いい加減降りろよ」

 

「いーじゃん別に。たまには背が高くなった気分になりたいのよ」

 

「肩車したままじゃ海に入れないだろ。いいから降りろって」

 

「えー……」

 

 口を尖らせながらも素直に降りた。いつもと同じ、一夏より頭一つ分低い視点に戻った鈴音は彼の前に回りこみ、顔を見上げる。

 

「またしてくれる? 肩車」

 

「……たまにならな」

 

 そんな彼女の仕草が何故か気恥ずかしくて、一夏は目を逸らして答えた。

 

「やりぃ。じゃあ今度こそ泳ぎにゴー!」

 

「おいだから昨日も言ったけど引っ張るなって、ちょ、鈴! あーもー……また後でな、ジグ!」

 

 鈴音に手を引かれ半ば引きずられながら海へ連行される一夏に手を振るジギスヴァルト。さて、泳ぐつもりは無いとはいえここでじっと立っていても仕方ない。海での遊びはなにも泳ぐことだけではないのだ。

 

 ひとまず本音かスティナ、あるいはラウラでも探そうか――と砂浜を歩いていく。何人もの女子の視線を集めていることが嫌でもわかってしまい居心地は悪い。同じクラスの者や合同授業の多い二組の者は声を掛けてくれるが、そうでない者はいまだに彼の雰囲気に若干気圧(けお)されているのである。入学からもう三ヶ月も経つのにこの有様かと内心傷ついている。ビーチバレーに誘ってきた幾人かの方が稀有な例なのである。

 

「あ、ジグさん。一夏さんがどこにいらっしゃるかご存知ありませんこと?」

 

 しばらく歩いているとセシリアと遭遇した。スタイルの良い身体を水着で隠すその姿は、綺麗な金髪や美貌も相俟(あいま)ってモデルのようだ。ようだというか、代表候補生はモデルの仕事をすることもあるのである意味では本職なのだが。もしも今この砂浜に一夏とジギスヴァルト以外の男が居れば放っておかないだろう。

 

「一夏なら向こうで鈴と泳いでいるぞ」

 

「よりによって鈴さんと!? 抜け駆けとはいい度胸ですわね……!」

 

 ワナワナと肩を震わせる。心なしか金髪が逆立っているような気もする。バスで隣に座れなかったのも手伝って相当頭にきているようだ。

 

「あっちですわね!?」

 

「ああ」

 

 ジギスヴァルトが肯くや否や、セシリアは砂に足を取られながらも走って行った。青春だなあ、などと妙に年寄り臭い感想を持ってそれを見送っていると、今度は背後から声がかかる。

 

「ジグ君ジグ君」

 

 振り向くと、同じクラスの癒子とナギが居た。二人はバスタオルを広げて何かを隠している。

 

「本音をお探し?」

 

「ああ。それと、スティナとラウラもな」

 

「そかそかー。スティナちゃんとボーデヴィッヒさんはまだ更衣室に居るらしいよっ!」

 

「ですが本音はここに居ますっ! どうジグ君、本音の水着姿、見たくなーい?」

 

 夏の海というロケーションにテンションが上がっているのか、はたまた別の理由があるのか、少し興奮気味に二人は言う。

 

「それはもちろん見たいが」

 

「そうでしょそうでしょ!」

 

「期待していいよ! 本音はああ見えてスタイル良いんだから!」

 

「知っている」

 

 え、と二人は固まった。だがそれも一瞬のこと。すぐに納得のいく理由に思い至り、再び元気に話し始める。

 

「そーだよね、実習なんかでISスーツ姿見てるもんね!」

 

「いや、ISスーツどころか――」

 

「ストーップ! いい! 言わなくていいから! 悲しくなってくるから!」

 

「む、そうか?」

 

「とにかく、刮目して見るがいい! これが本音の水着姿だぁーっ!」

 

 バサッ、とバスタオルが取り払われた。

 

 ――黄色い狐が、そこには居た。ていうか、本音だった。

 

「どーかなージグー?」

 

「昨日も言ったが、よく似合っているよ」

 

 およそ水着であるかどうかすら疑わしい着ぐるみを身につけた本音であるが、ジギスヴァルトの言葉に偽りは無い。首から下を全て覆うそれは彼女によく似合っている。

 

 が、癒子とナギは彼の反応が不満なようだ。おそらくは、期待したところに着ぐるみが現れて落胆する様を見たかったのだろう。普段から冷静でそうした姿を見せないジギスヴァルトであるから余計に、だ。

 

「ジグ君、反応普通すぎー」

 

「つまんなーい」

 

「と、言われてもな。だいたい、この水着を選んだのは他ならぬ私だ。これ以外にどんな反応ができるというのだ」

 

 言われて二人は驚愕した。本音がこういった格好を好むことは知っているから、てっきり彼女が選んだのだと思っていた。

 

「だから意味ないって言ったのにー」

 

「さすがに予想の斜め上だったわ」

 

「うーん、残念」

 

 あからさまに落胆する二人に苦笑していると、ようやくと言うべきか、スティナとラウラがやってきた。途中で合流したのか、シャルロットも一緒だ。スティナは弾が選んだ、黄色いビキニに青いショートパンツ姿。ラウラはフリルのあしらわれた黒いビキニで、シャルロットはオレンジ色のビキニを着ている。

 

「お待たせしました、兄様」

 

「特に何か約束していたわけでもなし、構わんよ。それが昨日言っていた、シャルロットに選んでもらったという水着か」

 

「はい。その、どうですか?」

 

 尋ねるラウラは顔を赤くしてもじもじしている。こういうものを着たことが無く、自分では似合うかどうかが全く判別できない故だ。

 

「お前の銀髪がよく()える色だ。フリルも可愛らしい。似合っているぞ」

 

「本当ですか? ありがとうございます」

 

 照れながらも嬉しそうに笑う。それを見て、思う。

 

(少し前までは人を寄せ付けなさすぎて心配だったが、これならいつでも嫁に出せるな……!)

 

 ジギスヴァルト・ブレヒト。見かけによらず残念な男である。

 

 さて、合流したはいいものの、ジギスヴァルトは泳げないので何か別のことをしなければならない。では何をしようかと癒子とナギも交えて考えていたところに、ビーチバレーの約束をした女子たち四人がやってきた。丁度良いところに来てくれた彼女らに感謝しつつ、皆で準備を進めていく。

 

「あんまり多くてもやりづらいし、一チーム四人にしようか」

 

「それだと一人足りなくない?」

 

「そんなこともあろうかと! 七月のサマーデビル、八重を連れてきたぜぃ!」

 

「ふっふっふ。私の実力に恐れおののくがいいわ!」

 

 いつの間にか癒子が連れてきていた櫛灘八重――彼女も一組の生徒だ――も交えてチーム分け会議が行われる。

 

「ジグ君と本音は同じチームで良いとしてー……あとはどうする?」

 

「あたしたち三組メンバーは丁度四人だから、これで一チームでいいよ」

 

「ならばスティナはこちらのチームでいいか? 声を出せぬ者との連携はなかなか難しいのでな」

 

「じゃ、ヴェスターグレンさんはブレヒト君側で。そういう理由ならボーデヴィッヒさんもそっち入る?」

 

「いや。私は兄様や姉様と戦ってみたい」

 

「そうなると、私か八重がジグ君チームだね」

 

「じゃあ、僕とラウラと鏡さん、あと櫛灘さんで一チーム、でどうかな?」

 

「それなら谷本さんがブレヒト君チームかな」

 

「オッケー、じゃあそれでいこう!」

 

 仁義なき闘いが今、始まる――!

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 時間は過ぎて、夜。七時半頃。大広間三つを繋げた大宴会場で、IS学園の皆は夕食を摂っていた。ちなみにこの旅館は臨海学校の期間中IS学園の貸し切りなので、これだけの人数でも他の客に迷惑がかかることはない。

 

 なお、昼間のビーチバレーでは七月のサマーデビルこと八重の大活躍によりシャルロットチームの勝ちに終わった。彼女は終始「ツイスターサーブを喰らえー!」だとか「必殺月輪熊落とし!」だとか、「ドライブY!」だとかと叫んでいた。他にも「空間を削り取って……打球を止めたぁぁっ!」だの「あれは……櫛灘ゾーン!」だの、まあいろいろあった。そんなことが可能なのか? 出来るから櫛灘八重なんですよ。

 

「うん、美味い! 昼も夜も刺身が出るなんて豪勢だな」

 

「そうだな。なんとも羽振りが良いものだ」

 

 そう言って肯いたのは、バスに引き続き一夏の隣に()()()()()ジギスヴァルト。ご丁寧に一夏は一番端の席である。よって一夏の隣という、女子たちが血眼になって争奪しそうな席に座れているのはジギスヴァルトのみ。またしても怨念の籠もった視線を少し離れた席に居る箒から向けられて、内心で溜息が止まらない。チクショウあのブリュンヒルデめ、かの戯曲のように悲劇的な恋愛をしてしまえ――とジギスヴァルトは思ったが、彼女のおかげである程度の平穏が得られていることも理解しているが故に恨みきれない。

 

 ちなみに、セシリアは正座が――というか、床に座る座り方のほとんどができないためテーブル席のある隣の部屋で食事をしている。

 

 夕食のメニューは刺身と小鍋、それに山菜の和え物が二種類。それに赤出汁味噌汁とお新香。一般的な旅館の夕食という感じだが、侮るなかれ、なんと刺身がカワハギである。しかもキモつき。およそ高校の臨海学校で出るようなものではない。

 

「あー、美味い。しかもこの山葵、本山葵じゃねえか」

 

「本山葵?」

 

 一夏の向かいの席に座るシャルロットが首を傾げた。彼女は急速に日本文化に馴染み、刺身も正座もどんと来いである。

 

「ああ、シャルロットは知らないのか。本物の山葵をおろしたヤツを本山葵って言うんだ」

 

「え? じゃあ学園の刺身定食でついてるのって……」

 

「あれは練り山葵。植物界被子植物門双子葉植物綱フウチョウソウ目アブラナ科セイヨウワサビ属セイヨウワサビ、まあ要するにホースラディッシュを主な原料として着色とかしてるものだな。

 んでこれは本山葵。植物界被子植物門双子葉植物綱ビワモドキ亜綱フウチョウソウ目アブラナ科ワサビ属ワサビ、標準和名山葵をすりおろしたもので、生食になるから沢山葵――つまり渓流や湧水を利用して山葵田で育てられた山葵を使うんだ。

 ちなみに、醤油で溶くと醤油の成分が消臭しちまうから山葵本来の風味が消える。辛みだけを楽しみたいならそれでもいいけど、香りも楽しむなら山葵をちょっと乗せた刺身に少しだけ醤油をつけて食べる食べ方がオススメだ」

 

「そ、そう……」

 

 やたら山葵に詳しい一夏に若干引きながらも、シャルロットは一夏に言われた通りの食べ方をしてみた。

 

「……あ、ホントだ。いい香り。学園の刺身定食の山葵とは確かに違う――ような気がする」

 

 まあ、ホースラディッシュも山葵も味そのものは似ている。明確に何がどう違うとは、特段山葵を愛好しているという者でないとわからないだろう。

 

「そういえばジグって正座大丈夫なんだな」

 

「ん? ああ、まあ昔から何かと正座する機会はあったからな。大丈夫という点では刺身も同様、練り山葵も然りだ。

 だが本山葵は初めてだな。どれ」

 

 言ってジギスヴァルトは山葵の山を口に放り込んだ。

 

「ちょ、ジグ!?」

 

「……うむ、これは美味いな」

 

 表情ひとつ変えずに平然と山葵の塊を咀嚼するドイツ人。なかなか貴重な光景であろう。

 

「ジグー、辛くないのー?」

 

「普通に美味いが」

 

 彼の隣に座る本音が心配そうに声をかける。が、本当に平気なようだ。

 

「私は山葵ちょっと苦手ー」

 

「ふむ。ならばもらっていいか?」

 

「いいよー」

 

 本音の了承を得て、彼女の分の山葵も山をまるっと口に入れた。周囲の生徒たちが奇っ怪なものを見るような目で見ている。

 

「山葵をもらったかわりと言ってはなんだが、本音には刺身を一切れ進呈しよう」

 

「やったー」

 

「ほら、口を開けろ」

 

「あーん」

 

 そして突然始まる二人の世界。見せつけられる方はたまったものではない。ないが、ほぼ女子校という環境下にあって男女のカップルというのは超貴重なサンプルであることも事実。結果として彼らは周りの生徒たちの視線を二人占めであった。

 

 夕食の時間はなんだかんだで楽しくワイワイと過ぎていった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「そういえばお前たち、明日の準備は万端か? 四」

 

「私は準備というほどのものは必要ありませんよ。アリーセはパッケージ換装が出来ぬし特に追加する装備も無いので、普段の装備の点検でもしようかと。五」

 

「俺の白式も雪片しか装備できないから、その点検が終わったら皆の手伝いかなあ。六」

 

〔私は手の内がバレない程度に

 各部仕込み装備の点検。

 七〕

 

「あたしはパッケージの輸送を完了したって報告が来てるんで、大丈夫だと思います。八」

 

「わたくしも概ねそんな感じですわ。九」

 

「私もです。十」

 

「僕も、フランス政府が問題無く送ってくれたようなのでひとまず安心です。十一」

 

「私はー、ISスーツを着るだけでおっけーでぇーす。十二ぃー」

 

「ダウトだ布仏」

 

「残念でしたぁー、ちゃんと十二ですー。織斑先生、カード総取りぃー」

 

「ぐぅっ!?」

 

 一夏とジギスヴァルトの部屋――つまり千冬の部屋に集められた専用機持ち+本音は、何故かジュース片手にお菓子を広げてトランプに興じていた。しかもよりによって友情破壊ゲーと名高いダウトである。あと、千冬だけジュースではなくビールを飲んでいる。

 

「織斑先生、さっきからカード取りまくってますね」

 

「お酒飲んでるから酔っ払ってるんじゃない?」

 

「いや、千冬姉は昔からカードゲームは弱――」

 

「黙らんか馬鹿者!」

 

「いってえ!?」

 

 スパーン! と良い音がした。

 

「ていうか、僕たちなんで集められたんですか?」

 

「まさかトランプをするためだけに集められた――などというわけはありませんよね?」

 

「いや? オルコットの言う通り、コレのためだが?」

 

 ヒラヒラとトランプを持った手を振って言う千冬。その言葉に場の全員が目を円くした。

 

「え、ホントに?」

 

「半分はな。もう半分は、お前たちに伝えておくことがあるからだ」

 

「伝えておくこと?」

 

 ラウラが尋ねると、千冬は心底面倒そうに、

 

「明日はアホなウサギが来る。まあ目的はこっちで把握してるんだが、あいつは突発的に何をするかわからん。もしもの時は専用機持ちであるお前たちが止めてくれ」

 

 千冬らしからぬ抽象的な物言いに首を傾げつつ、本音以外が肯いた。ジギスヴァルトとスティナは冷や汗をダラダラと流していたが。

 

 それを見届けた千冬は満足そうに笑い、そして大量のカードが残る手札を掲げる。

 

「さあ、次こそは私が勝つ! 一!」

 

「ダウト」

 

「バカな!? 何故初手でわかったのだブレヒト!」

 

「Aは全て私の手札に在るからです。つまり、場のカードを持っていった者が次の初手プレーヤーとなるこの卓のルールでは、あなたは絶対にカードが減らない」

 

「ちょっと、そんなんじゃ面白くないじゃない!」

 

「仕切り直してカードの配り直しですわね」

 

「くっ……次こそは勝つ!」

 

「こんなにムキになってる織斑先生、初めて見た……」

 

「まあ、ビールで多少は酔ってるからな」

 

 臨海学校一日目はこうして終わりを迎えた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 北アメリカ大陸北西部、第十六国防戦略拠点。通称《地図にない基地(イレイズド)》。

 

 軍関係者にすら存在を秘匿されるそこには、完成したばかりの第三世代型ISが保管されていた。アメリカとイスラエルが共同開発したそれは表向きはここではない別の基地にあることになっている。これをイスラエルが知れば黙っていないだろうが、今のところ知られていないはずなのだから問題無い。

 

 そのIS――銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)の前に、人影があった。明らかに軍人ではない。というか、()()()()()()()()()()()()()()()()アメリカ軍人など居てたまるものか。

 

「いくら亡国機業(ファントム・タスク)に負けたくないったって、こういう汚れ役はあいつらの領分じゃないの? なんで私が……」

 

 その人物――声から察するに女性――はブツブツと文句を言いながら、銀の福音に接続した端末を操作している。上官から渡されたそれは、簡単な操作をすれば後はプログラムに従って自動で高度な処理をしてくれる優れ物だ。それが例えI()S()()()()()()()()()()()であっても。

 

「――っし、終わり。さっさと退散致しましょ」

 

 端末が完了(コンプリート)を表示したのを確認して素早くコードを回収。端末ごと懐に入れて、彼女は足音すら無くその場を離れていく。

 

「ま、せいぜい頑張って生き残ってくれたまえよ男性操縦者。個人的には死んで欲しくないからね」

 

 呟いた言葉は誰にも聞かれること無く、基地の空気に溶けていった。




 スティナとティナは出会いませんでした。無意味にまだ引っ張ります。

 そして今回、櫛灘さんに勝手に名前をつけました。櫛灘→クシナダ→奇稲田姫→八重垣という連想ゲームで八重です。今後ももしかしたら名字しか無いモブに勝手に名前をつけるかも知れません。ご了承ください。

 最後に敵さんっぽいのがチョロッと出てきましたが、実は別に重要な敵ではありません。とはいえ、ちゃんと詳しい設定はありますが。
 亡国機業の設定をだいぶ変えている関係で、束でも亡国機業でもない第三者に福音を暴走させてもらう必要があるとこの時点では考えているので登場させました。今後の展開次第では「こいつ必要無かったんじゃね?」となるやも知れませんが、そのときはご容赦ください(五体投地)


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第二七話:喋ったあああああ!?

 

 臨海学校二日目。今日は朝から晩まで丸一日ISの各種装備試験運用とデータ取りに追われる。特に専用機持ちたちは――例外も居るが――大量の装備が待っているので大変だ。

 

「全員集まったな。それでは各班ごとに振り分けられたISの装備試験を行うように。専用機持ちは専用パーツのテストだ。全員、迅速にな」

 

 はーい、と一同が返事をする。一学年全員がずらりと並んでいるのでかなりの人数だ。現在位置はIS試験用のビーチで、四方を切り立った崖に囲まれている。海原へ出るには、崖に開いた穴から入れる水中トンネルを通る必要がある。

 

「それから篠ノ之。ちょっとこっちに来い」

 

「はい」

 

 打鉄の装備を運んでいた箒は千冬に呼ばれてそちらへ向かう。

 

「お前には今日から――」

 

「ちーちゃああああああああああん!!」

 

 ずどどどど……! と砂煙を上げながら人影が走ってくる。速い。とんでもなく速い。生身ではおよそ無理な速度なので、おそらく何らかの機材を使っているのだろうが、問題はその人影が――。

 

「……束」

 

 関係者以外立ち入り禁止もまるっと無視した稀代の天才、篠ノ之束その人であることだった。

 

「会いたかったよちーちゃん! さあハグハグしよう! 愛を確かめ――ぶへっ!?」

 

 ドガァッ! と、生身の人間が出してはいけない音を立てて束が吹っ飛んだ。見れば彼女と千冬の間に割り込んだジギスヴァルトが左腕を振り抜いている。

 

「へぶぅっ!」

 

 さらに、飛んでいった先に居たスティナが思いっきり右脚を振り抜いた。バキィッ! という音と共に暴力的に軌道を変えられた束は海に向かって一直線。ドッボーン! と派手に水柱をあげて海中に突っ込んだ。

 

 突然のバイオレンスに呆気にとられる生徒一同。そんな彼女らを後目に、ジギスヴァルトは波打ち際に仁王立ちして、言う。

 

「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。何をしに来た、束さん」

 

 すると海中から束が勢いよく飛び出して、空中で無駄に三回転半捻ってから着地。両手を挙げて綺麗にポーズを決めた。

 

「愛しの家族と親友に会いに来ました!」

 

「そうか、帰れ」

 

「おっかしーなージグ君がとんでもなく辛辣だなー!?」

 

「……まあ、来てしまったものは仕方ないか」

 

 はあ、と溜息を吐いて、

 

「せめて自己紹介くらいしてくれ。皆が唖然としている」

 

「やだ」

 

「束さん」

 

「その“束さん”ってのをやめてくれなきゃやーだー!」

 

「ガキかあんたは!」

 

「ガキだもーん!」

 

 目の前で駄々をこねるガキ(二十四歳独身)の姿に顔をしかめ、しかし諦めたように項垂れる。こうなった彼女は言う通りにしないと梃子(てこ)でも動かないことを彼は知っているのだ。

 

「頼むから言うことを聞いてくれ、“姉さん”」

 

 ジギスヴァルトが“それ”を口にしたとき、箒の表情が僅かに動いた。それに気づいた者は居なかった。

 

「うん、おっけぃ! 私が天才の篠ノ之束さんだよー、はろはろー!」

 

 そう言って束はくるりと回ってみせる。ポカンとしていた――というか若干引いていた生徒たちも、そこでやっとこの目の前のやけにハイな人物がISの開発者にして天才科学者・篠ノ之束だと理解したらしい。にわかに騒がしくなった。

 

「まったく、もう少し穏やかに再会を喜べんのか。そらお前たち、ざわついてないでテストを続けろ。こいつらのことは無視して構わん」

 

 パンパンと手を叩いて言う千冬に従って、生徒たちは各々の作業に戻っていく。束のことを無視できるかと言えばそれは無理だが、()りとて千冬に逆らってまで好奇心を満たそうとする者は少なくともこの場には居ない。そんな恐ろしいことはできない。

 

「束、さっさと用件を済ませろ」

 

 千冬に睨まれても束は全く怯まない。

 

「えー、もうー? 今からすーちゃんのおっぱいがどれくらい成長したか触診しようと思ったのにー」

 

〔死ね〕

 

 スティナの本気の蹴りを食らって砂浜に顔から突っ込む束。重ねて言うが、彼女こそたった一人でISの基礎理論と実証機を開発した稀代の天才である。決してセクハラオヤジではない。

 

「あの、姉さん……」

 

 やや躊躇(ためら)いがちに箒が声をかける。そのとき束の目がキラーンと光った。

 

「うっふっふー。わかってるよ箒ちゃん。さあ、大空をご覧あれ!」

 

 ビシッと直上を指差す束に従って箒が、千冬が、ジギスヴァルトが――その場に居る全ての者が空を見上げる。

 

 ズズーンッ!

 

「ぬおっ!?」

 

「…………!」

 

「きゃあっ!?」

 

 突如、激しい衝撃を伴って、何やら金属の塊が地上に落下してきた。銀色のそれは、次の瞬間には箒に向いている面をパカッと開いてその中身を公開する。そこにあったのは――。

 

「じゃじゃーん! これぞ箒ちゃん専用機、紅椿(あかつばき)です!」

 

 真紅の装甲のその機体は、束の言葉に応えるが如く動作アームによって外に出てくる。

 

「さあ、箒ちゃん。今からフィッティングを始めようか」

 

「……お願いします」

 

 束がリモコンのボタンを押すと、紅椿の装甲が割れて、操縦者を受け入れる状態に移った。

 

「待てたば――姉さん。篠ノ之に専用機だと!? 本気で言っているのか!」

 

 箒が乗ろうとした時、ジギスヴァルトが声を荒げて言った。隣に立つスティナも、喋れはしないものの束を――否、箒を睨んでいる。この二人は知っているのだ。束が、()()()()()()()()()()()()()()()()()。そしてその理由を。

 

 だからこそ。その束が箒に専用機を用意するということは、則ち箒が彼女にそう要請したということだと、なんとなくだがわかってしまった。

 

「ジグ君とすーちゃんの言いたいことはわかるよ。でも、大丈夫。大丈夫だから。束さんを信じて欲しいなあ」

 

 しかし、いつになく真面目な顔と口調でそう言われて、二人は何も言えなくなってしまった。

 

 そんな二人に小さく頷いて、彼女はコンソールを開いて指を滑らせ始める。さらに空中投影ディスプレイを六枚呼び出して、流れる膨大なデータに目を通していく。それと同時進行で、同じく六枚呼び出した空中投影キーボードをしばらく叩き――エンター。

 

『▼起動/当機ハ《XX-02 紅椿》デアリマス/搭乗者登録ヲ開始』

 

 瞬間、紅椿が音声を発した。

 

『【報告】搭乗者、篠ノ之箒ノ登録ヲ完了/此ヨリフィッティングヲ開始シマス』

 

「なるべく早くねー」

 

『▼了解/暫シ待タレヨ』

 

 というか、喋った。ISが。

 

「近接戦闘を基礎に万能型に調整してあるから、すぐに馴染むと思うよ」

 

「いや姉さん。何だ今のは」

 

 この場の皆の意見をジギスヴァルトが代弁した。良く見れば千冬までもが目を円くしている。

 

「今のは紅椿のコアの意識だよ。ISコアに意識があるのは知ってるでしょ? それを表出させてシステムに組み込んでみましたー! ぶいっ!」

 

 つまり、なんだ。他のISと違って、この紅椿は明確な意思疎通ができる、と?

 

 ISコアに意識のようなものがあることはISに携わる者の間では常識だ。コア毎に得意な装備や苦手な装備があり、中にはエイフォニック・ロビンのように特定の種類の装備を受け付けないコアさえ存在する。

 

 しかしその意識がよもやこうして会話が出来るほどハッキリとしたものであるとは誰も思っていなかった。

 

「何のためにそんなことを……」

 

「何のためって、決まってるでしょ箒ちゃん。紅椿は()()()()()()()()ISだからだよ」

 

「は……?」

 

 意味が分からないという様子の箒に微笑みかけながら、束はコンソールを再びいじる。ややあって作業が終了したらしく、ディスプレイを全て閉じていく。

 

「あとは自動処理に任せておけばフィッティングも終わるね。いっくん、白式見せて! 束さんは興味津々なのだよー」

 

「あ、はい」

 

 束に言われるがままに一夏は白式を展開した。その装甲に束がコードを挿すと、先程と同じような空中投影ディスプレイが現れてデータが表示されていく。

 

「んー……不思議なフラグメントマップを構築してるね。でもアリーセともちょっと違う感じ……同じ男の子でもこうまで違いが出るのはどういうことなのかなぁー」

 

 フラグメントマップというのは、わかりやすく言うと遺伝子のようなものらしい。そのISがどのように自己進化していったかの道筋ということなのだがこれがまた素人が見てもただ数字と記号が線で結ばれているだけにしか見えない難解な代物なのである。少なくとも一夏にはさっぱりわからない。

 

「束さん、どうして男の俺やジグがISを使えるんですか?」

 

「ん? んー……どうしてだろうね。いっくんはなんとなーく予想はできるんだけど、ジグ君は私にもさっぱりぱりだよ。ナノ単位まで分解すれば確実なことがわかるかもしれないけど、してみる?」

 

「……するわけないでしょ」

 

「だよねーん」

 

 にゃははは、と笑って白式からコードを引き抜く。

 

「あ、あのっ!」

 

 と、そこに一人の生徒が、勇敢にも声をかけた。誰あろうセシリアである。有名人であるところの束を前にして興奮しているのか、目がやけにキラキラと輝いている。

 

「篠ノ之博士のご高名はかねがね伺っております! もしよろしければわたくしのISを見て頂けないでしょうか!?」

 

「うん? ……誰さん?」

 

「イギリス代表候補生のセシリア・オルコットと申します!」

 

「へー、イギリスの。……まあ、そーだね。身内でもないのにタダで見ちゃうと際限無くなっちゃうからね。悪いけどお断りだよ」

 

 一夏、千冬、そして箒は、顎が外れるんじゃないかというくらい口をあんぐりと開けて驚いた。()()束が、他人と会話を成立させている。

 

 一夏たちを相手にするときとは違って明らかにテンションが低いとはいえ、彼女は今、確かに他人を認識している。『人間の区別がつかないね。わかるのは箒ちゃんとちーちゃんといっくん、あとまあ両親かねえ。うふふ、興味無いからね、他人なんて』とまで言っていた彼女が、だ。しかもそれだって、他人を完全に無視していた彼女を千冬が殴った結果千冬たち三人を認識するようになっただけ。それ以外は従来通り無視していた。それがこうも(比較の問題ではあるが)取っ付きやすくなるとは、いったいどういう心境の変化があったものだろうか。

 

「あの、束さん――」

 

『【報告】フィッティング終了』

 

 一夏が尋ねようとしたのを、紅椿が遮った。

 

「終わったね。じゃあ、試運転も兼ねてちょっと飛んでみてよ」

 

「あ、は、はい」

 

 連結されていたケーブル類が自動で外れていく。全て外れたのを確認してから、箒は目を閉じて意識を集中させた。すると紅椿はゆっくりと上空へと飛んでいき、百メートル程の高さで静止。

 

「ねえ、あれって篠ノ之さんがもらえるの? 身内ってだけで?」

 

「なんかズルくない?」

 

 箒が近くに居なくなったからだろうか、彼女を見上げる生徒たちの中からそんな台詞が飛び出した。

 

「そう言わないでほしいね。なにせ紅椿の性能は制限つきまくってるからね」

 

 そしてそれに反応したのは意外にも束で、彼女の言葉はハイパーセンサーの恩恵を受ける箒にも聞こえていた。

 

『姉さん、制限がついているとはどういうことですか』

 

『言葉通りだよん。今の紅椿の性能は打鉄と同レベル。装甲が薄い分打鉄にも劣るかも知れないね』

 

 オープン・チャネルでの通信が専用機持ちと、そして試験のためにISを装着していた生徒に飛び込んできた。そうでない者にも束の台詞だけは聞こえていて、その内容に戸惑いを隠せないでいる。

 

『そんな! 約束が違う!』

 

『何も違わないよ。箒ちゃんの注文通りに造るとは言ってないもん。キミのためになるISを造るって、束さん言ったよね?』

 

『それはっ……でも!』

 

『それに、紅椿はフルスペックなら現行最高性能のISだよ。箒ちゃんに資格があるなら搭乗者登録が終わった時点で制限は解除されるようにも設定してあった。コアの意識が表出したままってことは、箒ちゃんは足りないってことだね』

 

『然リ/故ニ当機ハ、機能ヲ第二世代相当マデ制限シテオリマス』

 

 紅椿の言葉に、箒はぎりっと奥歯を噛み締める。

 

『紅椿はある程度自律して行動できるから、箒ちゃんの判断に誤りがあると認識したらそれを正す動きをする。もし紅椿が箒ちゃんを認めて、スペック制限を解除できたら、その時はコアの意識はもう二度と出てこない。完全に箒ちゃんの意思だけで動くようになるよ』

 

『……そう、ですか』

 

『それじゃ、装備のテストしてみよーよ。両腰の刀を――』

 

「たっ、たた、大変です! お、おおお織斑先生!」

 

 真耶の声が束の台詞を遮った。普段から慌てている彼女であるが、それを(かんが)みても今回の様子は尋常ではない。

 

「どうした?」

 

「こ、こっ、これを!」

 

 渡された小型端末の画面を見た千冬の表情があからさまに曇った。

 

「特務レベルA、現時刻より対策を始められたし……」

 

「そ、それが、その、米国本土からハワイ沖へ試験飛行をしていた――」

 

「機密事項を口にするな。生徒たちに聞こえる」

 

「す、すみませんっ……!」

 

「専用機持ちは?」

 

「ひ、一人欠席していますが、それ以外は」

 

 と、小声でやり取りしていた二人だったが、数人の生徒の視線に気付いて手話で会話を始めた。それも普通の手話ではないようだ。

 

「そ、それでは、私は他の先生たちにも連絡してきますのでっ」

 

「了解した。――全員、注目!」

 

 真耶が走り去った後、千冬は声を張り上げて生徒全員の注意を自分に向けた。

 

「現時刻よりIS学園教員は特殊任務行動に移る。今日のテスト稼働は中止。各班、ISを片付けて旅館に戻れ。連絡があるまで各自室内待機。許可無く室外に出た者は我々で身柄を拘束する。いいな!」

 

『はっ、はいっ!』

 

 何が何やらわからないうちに全員が慌てて動き始める。接続していたテスト装備を外し、ISを終了させてカートに乗せる。その間に千冬は新たな号令を飛ばした。

 

「専用機持ちは全員集合しろ! 織斑、オルコット、デュノア、ボーデヴィッヒ、凰、それからブレヒトとヴェスターグレン! ――篠ノ之は他の者と旅館に戻れ」

 

「なっ……私だって!」

 

 一夏の隣に降りてきたばかりの箒は千冬に異を唱える。自分だって今日からは専用機持ちなのだ、と。

 

「お前はそのISを今手にしたばかりだろう。これまでのお前のデータを考慮しても、戦力として数えることはさすがに出来ん。わかったらさっさと戻れ」

 

「……はい」

 

 項垂れた箒は紅椿の展開を解除して、旅館へ戻る生徒の波に加わる。それを見る束の表情は少し暗かった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「では、現状を説明する」

 

 専用機持ちと教員は旅館の一番奥の大座敷に集められた。照明を落とした薄暗い室内に大型の空中投影ディスプレイが浮かんでいる。

 

「二時間程前、米国本土からハワイに向けて試験飛行中だったアメリカ・イスラエル共同開発の第三世代型軍用IS《銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)》が制御下を離れて暴走。監視空域より離脱したとの連絡があった」

 

 なされた説明に、声にこそ出さないもののその場の全員が狼狽えているのがわかった。

 

 軍用ISが暴走。そしてそれがこの場で伝えられたという事実。専用機持ちが集められた意味。それらが導き出す現実は――。

 

「その後、衛星による追跡の結果、福音はここの上空を通過することが分かった。時間にしておよそ五十分後。学園上層部からの通達により、我々がこの事態に対処することとなった。

 教員は学園の訓練機を用いて空域及び海域の封鎖を行う。よって、本作戦の要は専用機持ちに担当してもらう。

 それでは作戦会議を始める。意見のある者は挙手するように」

 

「はい」

 

 まずセシリアが手を挙げた。

 

「目標ISの詳細なスペックデータを要求します」

 

「よかろう。ただし、これらは二カ国の最重要軍事機密だ。決して口外するな。情報漏洩が認められた場合、諸君には査問委員会による裁判と最低でも二年の監視がつけられる」

 

「了解しました」

 

 開示されたデータを元に皆が相談を始めた。一夏だけは――こうした事態に対応する訓練はまだ受けていないので当然だが――現実味を感じられず、話に付いていくのが精一杯という様子だ。

 

「広域殲滅を目的とした特殊射撃型……全方位への拡散射撃を行えるようですわね」

 

「攻撃と機動の両方に特化した機体ね。厄介だわ」

 

「この特殊武装が曲者って感じはするね。拡散射撃だけじゃない、一点に収束しての射撃もできる――しかも威力がシャレにならない」

 

「データ上とはいえこの威力は脅威だな。さらにこのデータでは格闘性能が未知数だ。偵察は出来ないのですか?」

 

 ラウラの問いに、千冬は首を横に振った。

 

「目標は現在も超音速でこちらに向かっている。偵察する程の時間は無いな。アプローチも一回が限界だろう」

 

 それを聞いて全員の顔が(かげ)る。それをなんとか払拭しようとするかのように、ジギスヴァルトが努めて冷静に言う。

 

「だが、偵察が出来ずともある程度の推測は出来る。データでは最大速度がおよそ二千四百キロとなっているが、これはあくまで巡航速度。アリーセのように超々高速機動下での保護機構が無ければ――否、あってもそんな速度で戦闘機動はとれん。まして格闘戦でそんな速度を出そうとすれば中身がシェイクされてぐちゃぐちゃだ」

 

「その機構が目標に搭載されている可能性は?」

 

「アリーセの搭乗者保護はオーバーテクノロジーの類だ、こいつにそこまでの性能はまず無いと思って良いだろう。武装は何とも言えんが、機動力はせいぜいが白式と同等か少し上、最悪でもアリーセよりは下に留まるはずだ」

 

「けど白式の機動力って僕たちの中でも上位だよね。純粋な機動戦になったとき、白式についていける機体は少ないよ」

 

「しかもそれは搭乗者の意志で動いている場合の話。暴走状態にある目標が搭乗者の身の安全を考慮して動くとは思えませんわ」

 

〔最悪

 超音速での格闘戦も

 あり得ます〕

 

「と、なると……」

 

 皆の視線が一夏とジギスヴァルトに向けられた。

 

「作戦の要は一夏と兄様だな」

 

「え……? お、俺!?」

 

 ラウラの言葉に一夏が戸惑う。まさか満足に訓練を受けていない自分が中心に据えられることになるなどとは思ってもみなかった。

 

「現状、目標の機動力についていける可能性が最も高いのがあなた方お二人なのですわ」

 

「一回きりのアプローチで仕留めるなら一撃必殺級の火力があれば理想的だ。白式ならそれが実現出来る」

 

「問題は、一夏は極力エネルギーを使わずに接敵する必要があるってことね」

 

「なるほど、そこで私の出番というわけだな」

 

「うん。ジグのアリーセは目標以上の巡航速度を誇る超機動特化型だから、他の皆と違って換装に時間を取られないからね。それに、それだけの機動力を素で出せるなら超高感度ハイパーセンサーも積んでるんでしょ?」

 

「無論だ」

 

 つまり、こうだ。ジギスヴァルトが一夏を曳航して白式のエネルギーを温存し、接敵と同時に零落白夜で目標を墜とす。外した場合はシャルラッハロート・アリーセと白式の機動力で敵に食らいついて足止め、可能ならば撃墜。足止めしている間に他の専用機持ちが作戦領域へ向かう。

 

「要である私が言うのもなんだが……なんとまあ穴だらけな作戦だ」

 

 暴走した軍用IS相手に零落白夜を当てられる確率は低い。この作戦は一夏が外す前提で展開されなければならないが――まともについていけそうな機体が二機しか無いということは、万一この二機が墜とされるようなことがあれば作戦が瓦解するということだ。

 

〔けれど

 現状それしか

 手がありません〕

 

「だが織斑。これは訓練ではなく実戦だ。もし覚悟が無いなら無理強いはしない」

 

「そのときは私が一人でもたせてみせる。心配は要らん」

 

 及び腰になっていた一夏だったが、千冬とジギスヴァルトにそう言われて顔つきが変わった。先程までの戸惑いは見られない。

 

「やります。皆に任せて見ているだけなんて、俺にはできない」

 

「よし。ならば他の者の動きを決めるぞ」

 

 千冬は感情を窺わせない表情で頷き、先を促す。

 

「念のため、全員で行くのではなく何人かは残しておきましょう」

 

〔では

 私は残ります〕

 

 スラスターの無いエイフォニック・ロビンでは、皆と足並みを揃えて移動するのは難しい。

 

「ならあたしも残るわ。甲龍の機動力じゃ一夏たちの邪魔になりそうだし」

 

 近~中距離型の甲龍は膂力こそこの中でトップだが、機動力が足りない。衝撃砲も、見えないが故に援護には向かない。

 

「では、お二人を残して他は出撃、でよろしいですわね?」

 

 セシリアの確認に皆が肯く。

 

「話は纏まったな。では、二十分後に作戦を開始する。各自準備を怠るな」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「腹が減ったな」

 

「減ったな――じゃねえよ!」

 

 会議をしていた大座敷を出てすぐ、ジギスヴァルトが何とも気の抜ける言葉を発した。一夏のツッコミもどこ吹く風、彼はクソ真面目な顔でさらに続ける。

 

「しかしもう昼前だぞ? お前はどうだ、減っていないか?」

 

「いや、そりゃ確かに腹は減ってるけど……」

 

「そうか、それは良かった」

 

「え?」

 

「これから内蔵をシェイクしに行くわけだからな。吐くぞ」

 

「あー……」

 

 なんとなく彼の言わんとすることは分かった。イメージ的には、ジェットコースターとかに乗ったときに感じるアレの物凄いの、という感じだろうか。普段白式に乗っているときは搭乗者保護のおかげかそこまで激しいのを感じたことは無いが、これから行うのは普段以上のスピードでの戦闘。一夏にとっては未知の領域だ。

 

「あ、ジグ君いっくん、お話終わったー?」

 

 旅館の外に出ると束が居た。驚いたことに、大人しく待っていたらしい。

 

「ああ、たば――ではない、姉さん。頼みがあるのだが」

 

「なになに? ジグ君の頼みなら束さん何でも聞いちゃう!」

 

「白式の調整を頼む。どうせ聞いていたのだろう? リスが居たぞ」

 

 会議の最中、ジギスヴァルトは視界の端に機械仕掛けの銀色のリスが居るのに気付いたが、敢えて無視していた。説明する手間が省けるからだ。

 

「うん! 聞いてた! まっかせてーん♪」

 

 悪びれもせず軍事機密を聞いていたのを認める束。先の言は訂正しよう。やはり大人しく待ってはいなかった。

 

「ついでに高速戦闘のアドバイスをしてやってくれ」

 

「ジグ君は?」

 

「私は少しやることがある」

 

「はっはーん……コレだなぁ?」

 

 束はニヤニヤと笑いながら小指を立てる。その様はまるで中年オヤジのようだ。

 

「そうだ。それも知っているのだろう?」

 

「モチのロンさ。そのうち紹介してねーん。じゃあいっくん、あっちで白式の調整しよう。広い方がやりやすいからね」

 

「あ、はい」

 

 束は一夏の手を引いて砂浜へと歩いて行った。一方、ジギスヴァルトはポケットから携帯端末を取り出して電話をかけた。

 

「…………」

 

 その様子を、スティナは見ていた。それほど離れているわけではないので、ジギスヴァルトが発する言葉は微かにではあるが聞こえてくる。

 

 ふと。どうしてそうしようと思ったのかは分からないが。彼女もまた、携帯端末を取り出した。そのまま少し迷っていたが――意を決して、今まで一度も使ったことの無い機能を起動する。

 

 ――作戦開始まで、あと十五分。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 自身にあてがわれた旅館の部屋で、箒は他の皆があれやこれやと現状を予想して盛り上がっているのを見ていた。あの中に混ざる気にはどうしてもなれない。

 

(私だって、今日からだが専用機持ちだ……)

 

 一夏と同じ、専用機持ち。機能が制限されていると聞いて落胆したが、それでも立場だけは同じになったのだと思うことで自分を納得させていた。

 

 けれど千冬は箒だけを部屋に帰した。

 

 戦力として数えられん、と彼女は言った。何か戦闘に発展するような状況なのだろう。であるならば、紅椿に機能制限が無ければ、今頃は一夏の隣で話を聞けていただろうか――。

 

『▼告/ソレハ有リ得マセン』

 

 不意に紅椿の声が聞こえて、慌てて周りを見回す。皆は気づいた様子が無い。プライベート・チャネルのようなものらしい。

 

『どういう意味だ』

 

『織斑千冬ハ当機ノ稼動時間ノ少ナサト貴女(キジョ)ノ力量ヲ基ニ判断ヲシテオリマス/当機ノ制限ガ無クトモ結果ハ同様デアリマショウ』

 

『だが、お前は現行最高性能なのだろう。それほどの性能があれば私だって……!』

 

『【警告】現在ノ貴女ニ当機ヲ(ギョ)スル力量ハ有リマセン』

 

『そんなことは無い! だいたい、お前は私のための機体なのだろう! ならば私の言う通りにしろ!』

 

(イナ)/当機ハ貴女ノ為ノ機体デハアリマセン/貴女ノ為ニ成ル機体デアリマス/貴女ノ為ニ成ル()ク機能ヲ落トシテオリマス/現状ニ於イテ解放ハ有リ得マセン』

 

『何故だ!』

 

『【警告】其レガ(ワカ)ラヌカラデアリマス』

 

 待機状態の――鈴付きの赤い飾り紐姿の紅椿を、箒は睨む。姉がこんなものを自分に渡した理由が本気で解らなかった。

 

 けれど、それでもコレは、フルスペックなら最強のISらしいのだ。だから、しばらくは付き合ってやろう。そしていつか紅椿の全権を掌握し、そして――。

 

(一夏のために、あいつに近寄る虫を排除する……!)

 

 ――彼女は、まだ気付かない。

 

 

 

 

 

 




 ど う し て こ う な っ た 。
 魔改造するにしてもなんで喋ってんの? バカなの? 死ぬの? 深夜のテンションって恐ろしい。ちなみに紅椿の台詞の表現の元ネタは某ライトノベル、第二宇宙速度なハイスピード虫アクションの虫です。

 次回、『ジギスヴァルト、死す』。デュエルスタンバイ!


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第二八話:接敵

 

 自身の携帯端末が震えたとき、布仏本音は旅館の部屋から外を見ていた。この窓からは海が良く見える。

 

「もしもしー?」

 

『本音か。私だ』

 

「私わたし詐欺の人かなー?」

 

『うむ。実は車で事故ってしまってな。早急に百万程必要なのだ』

 

 冗談を飛ばし合うが、本音はなんとなく彼が電話をかけてきた理由がわかっていた。彼女はおっとりしているが決して頭が悪いわけではない。むしろ(さと)い女性である。専用機持ちが集められて、それからわざわざ電話がかかってきたのだから、きっと()()()()()()だ。

 

「いろいろ聞きたいけどー……詳しくは言えないんだよねぇ?」

 

『……すまん』

 

「危険、なんだよね?」

 

『最悪、もう戻らんかも知れん』

 

「……そっかー」

 

 もう一度外を見る。彼らはISに乗って出撃するのだろう。おそらくは、あの海へ。

 

「聞いといてなんだけどー。それ、言ってもよかったのー?」

 

『ぬ? ……ああ、言われてみれば。もしかしたらマズイやも知れんな』

 

「あー、情報漏洩だー」

 

 ならば自分にできることは、と本音は考える。部屋からは出られない。こうして外を見ることさえ、もしバレたら怒られるかも知れない。で、あるならば。

 

「待ってるからね」

 

『…………』

 

「怪我しないで、とは言わない。しののんの時みたいな無茶は――できればして欲しくないけど、それもしないでとは言わない。……言えない。

 だから待ってる。無茶しても怪我しても、きっと私のとこに帰ってくるって、信じて待ってるよー」

 

『...Jawohl(了解した). きっと君の(もと)へ帰ってくると誓おう』

 

「うん、約束ぅー」

 

『ああ、約束だ』

 

 そして、通話が切れる。それを見計らったのだろう、同室の三人が彼女に声をかけた。

 

「ねえ本音ー、こっちでスニップ・スナップ・スノーレムしようよー」

 

「……なんでそのチョイスー?」

 

 苦笑しながらも、窓のカーテンを閉めて合流する。外を見ていたらジギスヴァルトが見えてしまうかも知れない。そうなると決意が揺らぎそうだから。

 

「ジグ君?」

 

「うん。事故ったから百万ちょーだいだってー」

 

「わーお、古典的な詐欺だ」

 

 彼女らとて何百倍何千倍という倍率の入試を通過してIS学園に在籍している、有り体に言えばエリート。普段がどうであれ、優秀な人間であることには変わりない。本音程確信を持ってはいないものの、専用機持ちたちが集められた理由は危険なものからそうでないものまで様々に予想していることだろう

 

 けれど、それは言わない。少なくともこの部屋に居る者の中で最も心中穏やかでないのは本音であることは、皆理解しているから。

 

 カードが配られ、じゃんけんで順番を決め、ゲームが始まる。

 

「じゃあ最初はこれだ!」

 

「スニップ!」

 

「スナップ!」

 

「スノーレムー」

 

 ――作戦開始まで、あと十分。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 現在、火曜日の昼前。ド平日である。故に必然として、五反田弾は学校にて授業を受けていた。

 

「古文ってのはさー、教科書に載るようなヤツぁそりゃもう高尚なことが書いてある――と思うだろ? 言い回しもクソ難しいしな。けど実際はそうじゃない。しょーもないこと書いてあるぞー。

 例えば枕草子の冬がどうののとこなんて、難しいこと言ってるようで実は『冬の早朝に暖房つけてまわるメイドさんマジ激萌え。あと真っ白に燃え尽きた炭とか最高にクールだよね』って書いてあんだぞ。

 どうだ、そう言われるとなんか簡単に勉強できそうな気がしてくるだろ?」

 

 教壇に立つ年若い教師の言葉に「この授業ホントに大丈夫か……?」なんて思いつつ、しかしそう言われるとなんとなく古文が簡単な気がしてきた弾はとりあえず真面目に板書を写そうとして――携帯が震えているのに気付いた。こんな時間に自分の携帯に電話をかけるような者が居ただろうか、もしかしてなにか危急の用件かと、教師にバレないようにディスプレイを見る。

 

 表示された名前に、彼は戸惑った。

 

「あの、先生!」

 

「んー? お前は……あー……五反田か。どした?」

 

「その、電話かかってきて……もしかしたら緊急かも知れないんで、通話してきていいっすか?」

 

「おう、いいぞー」

 

 意外とあっさり許可が下り、彼は廊下へ出て回線を繋いだ。

 

「も、もしもし?」

 

『…………』

 

 相手は無言。しかしそれは当然なのだ。ディスプレイが示した相手の名はスティナ・ヴェスターグレン――彼女は声が出せないのだから。

 

「……なんかあったのか?」

 

 聞こえるのは息遣いだけ。もしかして何か事件に巻き込まれて助けを求めているのかとも一瞬思ったが……それにしては、電話の向こうの彼女は落ち着いている気がした。

 

「あー、その……なんだ。なんだかよくわかんないけど――頑張れ?」

 

 声の出せない彼女が電話をかけた理由はわからない。完全な当てずっぽうだ。けれど、彼なりに必死で考えて、自分ならどういうとき“どうしても誰かに電話をかけたい”と思うかを想定して――出た言葉がこれだった。

 

『…………!』

 

 息を呑む気配がして、数秒。通話が切れた。

 

 これで合っていたのだろうか。しばらく携帯を見つめて、正否を気にしてもどうにもならないと気分を入れ替え、教室に戻ろうとして――再び携帯が震えた。今度はメールのようだ。差出人はスティナ。内容は――。

 

 

 ――ありがとうございます。

 

 

 ただ一文、そう書かれていた。

 

 それを読んで、当てずっぽうとはいえ一応は正しい答えを返せたらしいことに安堵した彼は教室に戻る。

 

「おう五反田、彼女との電話は有意義だったか?」

 

「違いますよ!!」

 

 入って早々教師に茶化されたが、結局緊急連絡だったと言える根拠は無い。何だったのかと聞かれれば答えに窮する。それに、戻った弾の顔は少し嬉しそうだったから、茶化されるのもある意味仕方ないのかも知れなかった。

 

 ――作戦開始まで、あと五分。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 時刻は十一時二十分。

 

 七月の空は容赦なく澄み渡り、陽光が阿呆程降り注いでいる。

 

 砂浜で一夏とジギスヴァルトは少し距離を置いて立ち、それぞれのISを呼び出(コール)した。

 

「来い、白式」

 

「茶会だ、アリーセ」

 

 全身が光に包まれ、ISアーマーが構成される。同時にPICが身体を浮かせ、ハイパーセンサーが視界をよりクリアにしていく。

 

「じゃあ、ジグ。よろしく頼む」

 

「うむ。振り落とされるなよ? 私の愛馬は凶暴だからな」

 

 作戦の性質上、移動の全てはジギスヴァルトに依存する。つまりは一夏が彼の背に乗るのである。野郎同士でおぶさるというのは若干抵抗のある二人だったが、こればかりは仕方ない。作戦なのだから。

 

『織斑、ブレヒト。それから他の者も。聞こえるか?』

 

 オープン・チャネルに千冬の声。二人は頷いて、はいと返事をした。

 

『これより目標を福音と呼称する。今回の作戦の要は足止めだ。織斑が初擊で仕留めるのが理想的だが、一番の目的は可能な限りここから離れた場所で戦闘を行うために福音を釘付けにすることだということを忘れるな』

 

 そう、戦って倒すことだけが目的なのであれば、わざわざ彼らが出向く必要は無い。何故なら福音はこの砂浜の上空を通過する軌道をとっているのだから。ここで待っていれば向こうから来てくれる。

 

 だがそれではダメだ。ここには百人を超える生徒が居る。旅館の従業員の皆様方も居る。何より、少し離れた場所には街がある。ここで戦えばそれらへの被害は免れない。だからこそ、できる限り沖の方で接敵し、そこに福音を縫い付ける必要があった。

 

『織斑先生』

 

 ジギスヴァルトはオープン・チャネルではなく、プライベート・チャネルで千冬と回線を繋いだ。

 

『どうした?』

 

『万一の場合、一夏だけは――いや、私以外は必ず生きて帰しますので』

 

 一瞬の、間。

 

『馬鹿者。お前も無事に帰れ。布仏が泣くぞ?』

 

『……そうでした』

 

 そして通信は再びオープン・チャネルに切り替わる。

 

『では、始めろ』

 

 ――作戦、開始。

 

 ジギスヴァルトは一夏を背に乗せ、一気に上空五百メートルまで上昇した。遥か眼下に、彼らに続いてISを展開するために旅館から出て来た専用機持ちたちが見える。

 

 そのスピードに、一夏は無言で歯を食いしばる。アリーナという狭い空間でシャルラッハロート・アリーセが出していた速度とは較べ物にならない。非限定空間でこそ発揮される機動特化型ISの真価を、彼はこの時初めて垣間見た。

 

『暫定衛星リンク確立……情報照合完了。目標の現在位置を確認した。一夏、覚悟は良いか?』

 

『当然!』

 

〈▼告/グライフ、巡航モードで起動/各部スラスター、出力上昇〉

 

 上昇時の速度など比較にならない。世界を置き去りにしたような感覚。ISの搭乗者保護があってなおブラックアウトしかけた意識を一夏はなんとか繋ぎ止める。

 

(なんつー加速だよ……!)

 

 速度計を見る。瞬きの間に達した速度は時速二千四百キロ――福音のカタログスペック上の最大速度とほぼ同じ。シャルラッハロート・アリーセにとってはまだまだ余裕のある速度だが、それは白式の搭乗者保護の性能で耐えられる速度の限界ギリギリだ。

 

 そのまま、少し迂回しながら移動していく。相手の側面から零落白夜を叩き込むためだ。ハイパーセンサーで全方位を知覚できるのは相手も同じ――それどころか暴走状態にある福音に人間と同じような“反応の遅れ”が存在するかどうかは不明。であるから焼け石に水の可能性は高いが、それでもバカ正直に真正面から突っ込むよりはマシ、というわけだ。

 

『見えたぞ一夏。準備はいいか』

 

 肉眼ではまだ目視できない距離に在る目標をハイパーセンサーはしっかりと捉え、二人に視覚情報として提供する。

 

 銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)はその名が示す通り全身が銀色をしている。異質なのは頭部から生える一対の巨大な翼だ。資料によると、シャルラッハロート・アリーセのグライフと同じく大型スラスターと射撃装備を融合させた代物だそうだが――グライフと違うのは、それが“全方位への同時攻撃”を可能としている()()()()()()である点だ。それの詳細まではデータに無かったが――。

 

『あと十秒で接敵する』

 

『了解!』

 

 だがそれについて考えている時間は無い。今はとにかく作戦通りに。

 

 零落白夜を発動。まるで瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使ったときのようなスピードで敵との距離が詰まっていくのが、超高感度ハイパーセンサーの恩恵でずいぶんゆっくりに感じられる。

 

 五、六、七、八、九、十――!

 

「なっ!?」

 

 ジギスヴァルトの背から降りた一夏が振るった刃は空を斬った。零落白夜の光の刃が触れる直前、福音が機体をぐるりと回転させたのだ。

 

 必殺の刃を紙一重で躱して見せた福音は一夏たちに向き直る。顔全体を覆うバイザーのセンサーが発光した。

 

『他機確認。目標到達の障害となる可能性・大。《銀の鐘(シルバー・ベル)》、稼動開始』

 

 オープン・チャネルから聞こえたのは、ISに搭載されているシステムアナウンス。しかしその内容にジギスヴァルトは僅かばかりの違和感を覚えた。

 

(目標、到達? こいつはどこか目指している場所があるのか?)

 

 そもそも何故、福音は花月荘のある空域に向かっていた? 暴走して無作為に針路をとった結果、その途中にたまたま花月荘があった――それも考えられなくはない。

 

 というより、作戦立案段階ではそう想定していた。福音と花月荘を結ぶ線の延長線上には特に軍用ISが目指すような施設は――少なくとも地図情報で確認出来る限りには――無いし、そもそも暴走しているISが何かを目指すとは考えづらかったからだ。

 

 だが、そうではないとしたら――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『敵機を殲滅します』

 

『――っ!』

 

 まさか、こいつは――。

 

『管制室、聞こえるか』

 

『こちら管制室。どうした』

 

『他の専用機持ちたちはどうしていますか』

 

『既に作戦空域に向かっている』

 

『急がせてください。どうやら事態は最悪のようだ』

 

『なに?』

 

 福音の翼の装甲が開き、三十六もの砲口が顔を出す。

 

『こいつの目的は――』

 

 全ての砲口から、幾重もの光弾が全方位に向けて撃ち出された。

 

『――花月荘だ』

 

 ――全ての光弾が、爆ぜた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

『こいつの目的は花月荘だ』

 

 その言葉に続く爆発音を最後に、ジギスヴァルトとの通信が切断された。一夏も同様に繋がらない。

 

「ブレヒト君! 織斑君! ……ダメです、繋がりません!」

 

「……どういうことだ」

 

 福音の目的は花月荘。この言葉が真実だとするならば、福音は暴走しているという話は嘘なのだろうか。

 

「それは本当だよ」

 

「……束」

 

 いつの間にか束が管制室――大座敷に入室していた。いつもの千冬であれば関係者以外立ち入り禁止だと叩き出すところだが、今回ばかりはそうもいかない。

 

「何故わかる?」

 

「ISは私が造ったからね。全てのISコアは、私からの命令があった場合にはそれを最優先で実行するよう設定してあるんだよ。安全装置ってやつだねー」

 

「それがどうした」

 

「一応この事態に対処しようとしたんだ、私。搭乗者が死なないよう最低限の機能を残して今すぐ活動を停止しなさいって。そしたら――(はじ)かれちった。どうも束さんを束さんだと認識しないみたいなんだよねー」

 

 でも、と彼女は続ける。

 

「コアの状態のデータは取得できたよ。その後コアネットワークから切断しちゃったみたいで、干渉できなくなっちゃったけどね。んでんでんでー、これがそのデータだよーん」

 

 空中投影ディスプレイに、よくわからない記号や数値が映し出された。千冬と真耶はなんとか理解出来ないものかと数秒間それを眺めたが、無理だとわかると潔く束に説明を要求した。意地を張って時間を取られている場合ではない。

 

「わかりやすく人間で言うと、そうだねぇ……催眠術にかかってる、とでも言おうかねえ」

 

「催眠術だと?」

 

「作戦目標が“ハワイへの到達”から“花月荘への到達”にすり替わってるんだよ。しかも外界からの刺激に対する反応値が明らかに異常――ものすごく噛み砕いて言うと、この世の全てが敵に見えてる。だから私の干渉を弾いたんじゃないかな」

 

 ――私は生みの親・篠ノ之束じゃなくて自分を(おびや)かす敵だからね。

 

 それを聞いて、千冬の中で様々な状況がシミュレートされていく。ジギスヴァルトは「事態は最悪だ」と言った。

 

 それはきっと、花月荘への到達が敵の目標だという推測から彼が導き出した“最悪”――則ち、撤退不可。

 二人が撤退してしまうと福音は当然花月荘に向かう。故に二人は機体が壊れようがエネルギーが切れようが撤退は出来ない。そんなことをしている間に福音は花月荘に到達する。

 

 そしてそこに束のもたらした情報を統合すると――“福音が花月荘に到達した場合、視界に入る全てを無差別に攻撃する”ということになる。

 今までは、戦闘に巻き込まれて被害が出ることを防ぐために、福音を花月荘周辺から引き離すという話だった。戦闘試験ではなく飛行試験中の暴走だったこともあって、仮に仕留められなかったとしても日本上空を通過するだけの可能性が高かった。

 だが、福音が花月荘を目指していることが束によって確認され、しかも奴は目に入る全てを敵と認識していることがわかった今――福音は絶対にここで墜とさなければならない。

 

 こうなっては一夏たちだけで戦わせるのはマズい。

 かといって不用意に救援を出せば花月荘の守りが手薄になる。さらに言えば、もし誰かが撃墜された場合、回収班すら出せない。福音が回収班を攻撃するからだ。

 よって撃墜された者は現場に居る誰かが回収して戻らねばならず、そうなると戦力が大幅に削られてしまう。

 

 となれば、やはり専用機持ちたちが早急に作戦空域に辿り着き、一人も墜とされずに仕留めなければならないが――。

 

『織斑先生!』

 

 ――突然の通信はシャルロットから。

 

『――一夏が墜とされました!』

 

 そしてその内容は、事態がとことん悪い方へ向かって動いていることを示していた。

 

 

 

 

 




 若干短いですが、キリが良いところがここくらいだったので一旦切ります。ジギスヴァルトじゃなくて一夏が死んだ。生きて帰すって言ったじゃないですか、お兄様の嘘つき! 話が破綻していないか心配です。

 小説概要にも書きましたが、設定資料にスティナの設定画を追加しました。あくまで私のイメージです。読者の皆さんの数だけスティナが存在します。


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第二九話:緋と白とときどき紅~銀色を添えて~

 

 時間はほんの僅か遡る。

 

 福音の特殊兵装《銀の鐘(シルバー・ベル)》。三十六の砲口を備えたその翼が振りまいた無数の光は、その一つ一つが爆発弾だった。

 

 広域殲滅兵器。データ上ではただ“全方位への拡散射撃が可能な装備”でしかなかったそれは、蓋を開ければあまりに凶悪。

 

 照準精度はそれほどではない。そもそも()()()()()()()()()()()。ただ弾をバラ撒けば、爆発が全てを巻き込むのだから。

 

「ぐっ……いったい何が……」

 

 福音の周囲に半球状に発生した爆発の連鎖に巻き込まれて、一夏は一瞬意識が飛んでいた。軽く頭を振って気を取り直し、周囲を確認する。目の前、少し離れた位置には白い煙の塊が浮かんでいて、どうやら軽く吹き飛ばされたらしいと知れる。

 

「一夏、聞こえるか!」

 

 二時方向からジギスヴァルトの声が聞こえた。何故か通信ではなく肉声だが、ハイパーセンサーのおかげである程度クリアに聞こえる。見れば白式と同じくところどころが焼け焦げたシャルラッハロート・アリーセが、大剣とアサルトライフルを展開して煙の塊を睨んでいる。

 

「聞こえる! どうした!」

 

「今ので通信機能が逝った! 管制室と連絡が取れん! そっちはどうだ!」

 

 言われて一夏は管制室との通信を試みるが――応答が無い。

 

「こっちもダメだ!」

 

「ならば仕方ない、皆が来るまでは私たちだけで――っ!」

 

 煙の中からジギスヴァルトに向かって、今度はある程度固まって光弾が飛んできた。先程は“光弾”という見た目からレーザーの類と判断しヴォーパルシュピーゲルで返そうとしたが、それが仇となって爆発に巻き込まれた。それを踏まえ、今回は全てを回避するべく大空を飛び回る。

 

 追い縋る光弾、その爆発を置き去りにして彼は飛ぶ。爆煙は彼の軌道を正確になぞって空に白い線を引いていく。

 

(……やはりあれはレーザーではないな。純粋なエネルギー……それを圧縮して撃ち出しているといったところか)

 

 そして撃ち出された光弾がある程度進むか何かにぶつかるかするとエネルギーが圧縮に耐えられなくなり爆発する――そう彼は推測した。爆発するまでの時間は一定ではないところを見ると、それも調整できるのだろう。

 

 で、あるならば。彼ら――特に刀一本しか無い一夏は、この雨のような光弾の中を掠りすらせず突破しなければならないことになる。そしてそれはどう考えても不可能だ。いくら零落白夜がエネルギーを無効化できるからといって全ての光弾を斬り払うなんて現実的ではないし、零落白夜でも爆発は掻き消せない。しかも常時発動などしようものならすぐにエネルギーが無くなる。長引けば長引くほど彼らは不利だ。

 

 必要なのは短期決戦。そのためには一夏が福音に辿り着く必要がある。

 

 通信は使えない。一夏に指示を出そうとしたジギスヴァルトを執拗に狙っていることから、敵は暴走状態でもこちらの言葉を理解し対処できる可能性がある。先のように大声で伝えるのは避けたい。だから、何も言わずとも一夏が零落白夜を発動して斬りかかるような状況を作らねばならない。

 

 幸い福音は今ジギスヴァルトだけを狙っている。この好機を逃すわけにはいかない。

 

 ヴォーパルシュピーゲルを仕舞い、二挺目のヴァイスハーゼをコール。ろくに狙わずとにかく福音の方へと乱射する。福音はそれを回避しながら、徐々にジギスヴァルトへ飛ばす光弾を増やしていく。攻撃を仕掛けてこない一夏よりも先にジギスヴァルトを墜とすことにしたようだ。

 

 光の雨を避け続ける。白式よりも数段上の速度で飛び、時に急旋回や急停止も織り交ぜて福音の軌道予測を外していく。その動きは複雑で、スラスターの性能の良さと機体制御の精密さを如実に示している。

 

(まだ……まだだ……)

 

 一方一夏は、以前ジギスヴァルトに言われたことを思い出しながら待っている。すぐに熱くなるな。ジギスヴァルトだけが狙われているこの状況を好機と思え。助けようなんて考えるな。大丈夫、あいつならそう簡単に墜ちない。

 

 福音とジギスヴァルトが目まぐるしい速度で繰り広げる攻防を仰ぎ見ながら、ただ待つ。そして――。

 

「一夏! ジグ! まだ生きてる!?」

 

 花月荘のある方向から、声。遥か遠く、豆粒のような大きさにしか見えないが、増援の三人がそこに在る。

 

 福音がそれに反応した。新たに現れた三機を無視はできず、そちらに注意が向くのがわかる。動きが一瞬、止まる。

 

(ここ!)

 

 後方下側からの強襲。人間であれば、普段意識をほとんど向けないそこからの攻撃には反応が遅れる。側面からだった初擊よりも命中する可能性は高い。

 

 ――だが。

 

 ――福音と、“目”が合った。

 

「――――っ!?」

 

 ジギスヴァルトが撃つ弾を回避することも、増援を確認することも、何もかもを放棄して一夏に機体を向けている。いくつも被弾しながら決してその場を動かず、ただ翼の砲門を一夏に向ける。瞬時加速中の今、曲がることはできない。一旦止まっての回避も間に合わない――!

 

「一夏っ!」

 

 ジギスヴァルトの叫びが聞こえた次の瞬間、一夏に光弾が降り注いだ。

 

 (おびただ)しい数の爆発にさらされ、エネルギーシールドで殺しきれなかった衝撃が何十と続く。アーマーが破壊され、熱波で肌が焼けていく。

 

(あー……ジグが脚やったときってこんな感じだったのか。熱いわ痛えわ、最悪だな、これ)

 

 世界が傾いていく中で、一夏が考えたのはそんなことだった。

 

 ジギスヴァルトが突撃し、ヴォーパルシュピーゲルで福音を弾き飛ばす。その光景を最後に、一夏は意識を失った。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 増援の三人、セシリア、ラウラ、シャルロットは、海へ落ちていく一夏を見てスピードを上げた。ギリギリで着水前に受け止め、そのまま一度福音から距離を取る。

 

「一夏! 一夏!」

 

 シャルロットの呼びかけに、傷だらけの彼は応えない。だが、なんとか息はある。

 

『織斑先生! 一夏が墜とされました!』

 

 管制室に通信を飛ばす。その間に福音がこちらに攻撃しないようジギスヴァルトが苛烈に攻めたてていくのを、福音はひらひらと躱している。

 

『……デュノアは織斑を連れて撤退しろ』

 

『はい!』

 

 この三人の中で最も機体のスペックが低いのは自分であることを理解しているシャルロットは素直に従い、白式の展開が解けた一夏を抱えて離脱していく。

 

『オルコットとボーデヴィッヒは予定通りブレヒトの援護だ』

 

『はい』

 

『了解しました』

 

 セシリアとラウラはそれぞれレーザーライフルとレールカノンを上空の福音に向けた。が――。

 

「くっ……速い……!」

 

「照準が……!」

 

 いまだジギスヴァルト相手に凄まじい機動戦を繰り広げる機動特化型の軍用IS、その機動力に翻弄されて狙いが定まらない。そうしてモタモタしている間にもシャルラッハロート・アリーセの損傷は増えていく。

 

 狙いは定まらない。ならばせめて弾幕を張って福音の動きを制限し、少しでもジギスヴァルトの攻撃が当たるように支援しよう――そう結論づけた二人は、とにかく撃った。どちらもそう連射の利く武器ではないので充分な弾幕とは言いづらいが、セシリアはビットも総動員して、ラウラは可能な限り狙いをつけて、とにかく撃った。

 

 福音はそれを難無く躱す。そしてその顔がセシリアたちの方を向いた。

 

 ――次の瞬間には、セシリアの目の前に福音が居た。

 

「きゃあっ!?」

 

 衝撃。瞬時加速で移動してきた福音に蹴り飛ばされたのだと理解したときには、既に三十六の砲口がセシリアを向いている。

 

「……っ!!」

 

 恐怖に思考が塗りつぶされる。あれを食らったら、一夏のように――。

 

「させんよ」

 

 発射の直前、福音が身を翻して離脱した。刹那、福音の居た場所を八条のレーザーが蹂躙する。いつの間にか射程距離まで近付いていたシャルラッハロート・アリーセのグライフだ。彼はそのまま福音とセシリアの間に割って入り、セシリアに何かを投げ渡した。

 

「セシリア。お前には奴の動きが見えるか」

 

「……見えませんわ」

 

「ラウラはどうだ?」

 

「……私も、今のは見えませんでした」

 

 あの速度は、おそらくカタログスペックから推定される瞬時加速のそれよりもさらに速い。それまでは照準こそ合わないものの見えてはいたが、今のは完全に見失った。

 

「そうか」

 

 そしてそれは、作戦会議の折にセシリアとスティナが予想した“最悪”そのもの。あの動きは搭乗者のことなど度外視している。超高感度ハイパーセンサーの使用を前提としたアリーセでさえ、急すぎる加速に反応が遅れた。セシリアが撃たれる前に割って入れたのは半ば偶然だ。そしてこの先、そう何度も同じことはできない。

 

「お前たち、一旦退()け」

 

「そんな!」

 

「兄様一人で戦うと言うのですか!」

 

 グライフの威力を見て警戒したか、福音は上空にとどまって今は攻撃してこない。退くのなら今が好機だ。

 

「いいから行け。そしてセシリア、それを束さんに渡せ」

 

 言われてセシリアはたった今投げ渡された“それ”を見る。ブルー・ティアーズのマニピュレーターにすっぽり収まったそれは、小型の記憶媒体。

 

「それがあれば見えるようになる。だから二人とも、さっと行ってパッと戻ってこい」

 

「でも!」

 

「いいから行け! 今のままではどのみち全滅だ!」

 

 再び福音が動きだした。機体を回転させ、全方位へ光弾をバラ撒き始める。その間を縫うようにしてジギスヴァルトは再び飛びあがり、セシリアたちと距離を置く。

 

『……セシリア、行くぞ』

 

 光弾を避けながら、ラウラは徐々に後退していく。

 

『ラウラさん!? お兄さんを見捨てるんですの!?』

 

『……私だって嫌だ。来て早々に退くなど、いったい何をしに来たのかとさえ思う。

 だが私たちは奴の動きが見えん。ならば兄様を信じて一度戻るべきだ』

 

 このまま全滅するよりも、機体を調整して再度出撃した方が良い。そうすれば、仮にジギスヴァルトが撃墜されても花月荘は守ることが出来るかも知れない。彼を切り捨てるようで気分は悪いが、きっとこれが“最善”なのだ。

 

『……わかりましたわ』

 

 苦渋の表情でセシリアは機体を反転させた。そのまま全速力で離脱していく彼女らを追おうとする福音の前に、(あか)いウサギが立ちはだかる。

 

「どこへ行くのかねお嬢さん(フロイライン)。まだ茶会は終わっていないぞ」

 

 彼の装備は福音と相性が悪い。レーザーではないからあの光弾は反射できないし、グライフはある程度近づかなければ使えないし、グライフ以外は実弾兵装ばかり。相対速度は通常より上がっているため(あた)れば威力は絶大だが、あの機動力を相手に実弾を()てるのは少々骨が折れる。あの爆発のせいでアリーセ自慢の機動力も活かしづらい。

 

 それでも通すわけにはいかない。花月荘には同級生たちが――何より、そう。本音が居るのだ。敵の装備が予想以上に自分と相性が悪いからといって、退くわけにも墜とされるわけにもいかない。

 

「もう少し楽しんで行け。退屈はさせんぞ」

 

 セシリアたちが戻って来るまでは、なんとしてもこの場に留まらせる。墜ちるのは彼女らが来てからだ。

 

 本音との約束が脳裏を()ぎったが、振り払った。

 

 ――きっと、私は許されない。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「篠ノ之博士! いらっしゃいますか!」

 

 花月荘に帰還したセシリアとラウラは、大座敷の襖を思いっきり開けた。スパーン! といい音を鳴らすそれを気にも止めず、ずかずかと中に入っていく。

 

「オルコット、それにボーデヴィッヒ? 何故戻った、撤退の指示は――」

 

「ジグさんが、これを篠ノ之博士に渡せと」

 

「束さんに? 何かな何かなー?」

 

 ひょこりと千冬の後ろから出てきた束にあの記憶媒体を手渡す。すると束は急に真面目な顔になって、

 

「せ、せ……なんだっけ、せっしー? だったかな? これ、ジグ君は何て?」

 

「……これを貴女(あなた)に渡せば福音のスピードについていけるようになる、と」

 

「なるほど。その言い方だとキミたちはあの子に振り切られたわけだね。

 わかった、ついてきて。そっちの銀髪ちゃんと、ツインテと、すーちゃんも。あともう一人の金髪ちゃんも呼んでくれるかな?」

 

 束に従って旅館を出る。途中、一夏を連れ帰ってそのまま手当てに参加していたシャルロットも合流し、砂浜へ。そして束は全員を一列に並べて、ISを展開するように指示を出した。展開された五機のIS全てにコードを繋げて、その先の端末にあの記憶媒体を挿す。

 

「あの、何をするんですか? というか、その記憶媒体はいったい……」

 

「ああ、これ? これはね、アリーセの稼動データのバックアップのために載せてたものだよん」

 

 セシリアの問いに答えながらも手は止めない。五枚の空中投影型キーボードを叩き、膨大な量の空中投影ディスプレイに表示されるデータを全て一度にチェックしていく。

 

「キミは高速戦闘の訓練時間、どれくらいかな?」

 

「え? えーと……二十時間程でしょうか」

 

「なるほどなるほど。他の皆は? だいたい同じくらい?」

 

 スティナ以外の全員が肯いた。スティナは機体の汎用性が恐ろしく低いため、高速戦闘というか“高速で突撃しても相手を見失わない訓練”しかしていないのだ。そしてそれをさせたのは束なので、わざわざ答えずとも彼女はそれを理解している。

 

「福音のスピードについて行けなかったのはね。まあぶっちゃけると経験不足だね。キミたちのISは、あの子を捉えられるほど“速さ”に慣れてないのだよ。だから超高感度ハイパーセンサーからの情報の処理が追っつかないんだね。

 そこでジグ君はこれを寄越したわけさ」

 

「その稼動データを使って、これから何をすると?」

 

 ラウラが投げかけた疑問の答えは、およそ常識とはかけ離れていた。

 

 曰く。

 

「キミたちのISに、アリーセの経験を追体験させるのさ。そうすれば、アリーセと同じだけの時間――およそ八百時間分の高速戦闘訓練の経験値が得られるよ」

 

 スティナ以外の全員が、目を円くした。口もポカンと開いている。

 

「そんなことが可能なんですか?」

 

 ただ稼動データをインストールするだけでは意味が無い。本当に、疑似体験としてISコアがそれを経験しなければ。

 

「束さんに不可能はないのだー!」

 

 シャルロットにブイサインを向けてそう言うと同時。束の周囲に光の粒子が集まって形を成す。

 

 前腕部だけの、ISのアームアーマーに似たパーツが左右に二本ずつ浮いている。さらに腰のあたりには何かよくわからない箱型のパーツがある。束の移動型ラボ《吾輩は猫である(名前はまだ無い)》、その一部だ。

 

 彼女はその箱型のものに端末をはめ込み、そして――二十枚近い空中投影型キーボードが出現した。

 

「ホントは他人にこんなことしたくないんだけど、ジグ君の命もかかってるからね。

 それじゃ始めるよ。五分くらいで終わるからねー」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 一夏は見知らぬ砂浜を歩いている。

 

 足の裏に直接感じる砂の感触と熱気、海が運ぶ潮の匂いと波の音。風は適度に涼しく、しかし太陽は容赦なく熱を降らせる。

 

 どうしてここに居るのかはわからない。福音に攻撃して迎撃されたところまでは覚えているが、その後気づいたらここを歩いていた。何故か制服を着ていて、ズボンの裾は折り返されて、手にはいつ脱いだのかわからない靴と靴下がある。

 

「――。――♪ ――――♪」

 

 ふと、歌声が聞こえた。とても綺麗な、歌声。ゆっくりで、アップテンポで、なめらかな歌だった。

 

 その歌に誘われるように彼は砂浜を歩いていく。さくさく。さくさく。さくさく――。

 

「ラ、ラー♪ ラララ♪」

 

 そこには少女が居た。

 

 波打ち際で僅かに爪先を濡らしながら、少女は歌う。謳うように踊り、踊るように謡う。その度に真っ白な髪が揺れた。真っ白なワンピースが風を孕んで舞った。

 

 一夏は声をかけることはせず、近くにあった流木に腰を下ろした。目の前の少女の邪魔をしてはいけない気がした。

 

 ざあざあと波の音が聞こえる。それをバックに少女は謳う。

 

 ――どのくらいそうしていたのか。ふと気がつくと少女の歌は終わっていた。踊りもやめて、少女はじっと空を見ている。

 

「どうかしたのか?」

 

 声をかけると、少女は一夏に目を向けた。

 

「妹がね。一人でかっこつけて頑張ってるみたいだから」

 

「え?」

 

 少女は再び空を見上げた。一夏も彼女の隣に立って、空を仰ぐ。

 

 ――遠くで何かが光った。

 

 目をこらす――あれは、銀色の鳥、だろうか。何かを追い回している。

 

(あか)い……ウサギ?」

 

 信じがたいが、間違いない。緋いウサギが空を跳ね回り、銀色の鳥から逃げ回っている。

 

「あなたはどうしてここに居るの?」

 

「え? うーん、そうだなあ……よくわかんないんだよな。気づいたらここに居たんだ」

 

 少女の問いに正直に答えた一夏だったが、少女は首を横に振る。

 

「あなたはこんなところに居るべきではないわ。来たのは仕方がないけれど――でも、あなたは望めばすぐにでも帰ることができる。ここに居るのは、なぜ?」

 

「なぜ、って言われてもな……」

 

 暫し考える。波の音だけが絶えず響く。

 

「……うん。君の歌が綺麗だったから、かな」

 

 一夏がそう言うと、少女は奇妙なものを見たかのように目を点にした。

 

「歌?」

 

「せめてこの歌は聴いてから――そう思った」

 

「……そう」

 

 人懐っこい笑み。口調とは少しギャップのある無邪気な笑顔でにこりと笑いかける。

 

「じゃあ、お(ひね)りでも要求しようかしら」

 

「なんだよ、金は持ってないぞ」

 

「いらないわそんなの。使い道が無いもの」

 

 そして少女は一夏の手を取り、

 

「妹たちを、お願いね。特に赤いの二匹は危なっかしいから」

 

 ――空が、海が、砂浜が。世界が、眩いほどに輝きを放ち始める。風景が徐々にぼやけていく。

 

 手に感じる少女の体温が消える、その直前。

 

「おう、任せとけ」

 

 一夏は頷いて、意識を手放した。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 もう何度目かもわからない爆音が絶えず空気を震わせる空を、ジギスヴァルトは飛んでいる。

 

 他のISと較べて脆いアリーセの装甲はところどころが欠落している。アリーセの搭乗者保護は全身を覆う装甲にその性能を依存するため、装甲が減れば減るほど普通のISのそれに近付いていく。それはつまり、ダメージを受ければ受けるほど機動力が落ちるということだ。

 

「ぐっ!」

 

 避けきれなかった光弾が爆ぜ、また装甲が剥がれ落ちる。もう万全のときと較べると三割は機動力が落ちている。

 

 それでも、まだ。まだ、彼女らは戻ってこない。まだ、落ちるわけには――。

 

「がはっ!?」

 

 装甲の落ちた腹に、福音の脚がめり込んだ。

 

 見えてはいた。福音が瞬時加速で寄ってくるのは。

 

 動けなかった。それを躱せるだけの機動力を、もうアリーセは発揮できなかった。

 

 痛みと衝撃で息が、動きが、止まる。そこに光弾が殺到し、大爆発――結果、装甲のほとんど全てを失い、意識も失いかけて、ジギスヴァルトは数百メートル下の海面へと落下していく。

 

(まだ……まだ墜ちるわけには……!)

 

 朦朧とした意識の中で福音に手を伸ばすが、銀色の翼はどんどん遠ざかっていく。

 

(――お兄ちゃん、まだ飛びたい?)

 

 幻聴だろうか。海面がやけにゆっくり近付いてくるなかで、そんな声が聞こえた気がした。

 

(お兄ちゃん、飛びたいの?)

 

 また、声。

 

(ああ、飛びたい)

 

 試しに返事をしてみると、不思議そうな声が返ってきた。

 

(どうして? お兄ちゃん、もうボロボロだよ。休んでもいいじゃない。何のためにまだ飛ぶの?)

 

(自分のためだ)

 

(自分?)

 

(今飛ばねば、大切な人を(うしな)う。それは嫌だ。とても怖い。

 だから私は飛びたい。いや――飛ばねばならない)

 

(へえー)

 

 声はどこか不思議そうに。それでいてどこか嬉しそうに、楽しそうに、笑う。

 

(じゃあ、飛ぼう。新しいお友達が手伝ってくれるって!)

 

 ジギスヴァルトの体が――否、シャルラッハロート・アリーセが光に包まれ、装甲が再生し、形を変えていく。

 

 光の向こうに何かが――誰かが見えた気がした。

 

 それは赤いドレスを着た幼い少女。少女の周りには二羽のウサギと、首に鏡を提げ(くちばし)に鋭い剣を咥えた1頭のグリフィン。そしてその輪に加わる、帽子を被った男とニタニタ笑う猫。

 

 そして彼はハッキリと意識を取り戻す。

 

(今のは……)

 

 幻覚の類いと断ずるのは簡単だが、そうではない気がした。

 

「やるぞ」

 

 そしてジギスヴァルトは、姿の変わった機体の右腕に新しい装備を展開し、花月荘に体を向け今にも加速せんとする福音を照準し――撃った。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

『――――』

 

 紅椿が何か言ったような気がして、箒は閉じていた目を開けた。彼女はずっと、部屋の隅に座り込んでいる。

 

『▼問/篠ノ之箒/貴女(キジョ)ガISニ乗ル理由ヲ聞キタク思イマス』

 

『理由、だと?』

 

 何故今そんなことを聞くのかわからない。それに答えれば紅椿(こいつ)の機能制限が解けるのだろうか。

 

『一夏の隣に立つためだ』

 

『▼問/其レハ誰ノ為カ』

 

『決まっている。一夏のためだ』

 

 彼を剣道の道に()()()()()ために。そのために、自分から全てを奪ったISを利用する。一夏をこんな疫病神に関わらせてはいけない。

 

『其ノ為ニ他ヲ排除スルト』

 

『そうだ』

 

『▼問/ナラバ織斑一夏ガ其レヲ拒絶シタ時、貴女ハ潔ク身ヲ引ケマスカ』

 

『な、に?』

 

 ――拒絶? 一夏が? 私の行為/厚意/好意を拒絶する?

 

『そんなことがあるものか! あいつが私を拒絶するなど、あるはずがない!』

 

()シモノ話デアリマス/返答ハ如何(イカ)ニ』

 

 もしも。もしも一夏が箒を拒絶したら。それは、その時は――。

 

『受け入れさせる。あいつのためにやっているのに拒絶しようだなんて――そんなのは許すものか』

 

『▼告/ヤハリ今ノ貴女ニ当機ヲ(ギョ)スルハ不可能デアリマス』

 

『だから何故だ! 何故今の問答でその結論になる!』

 

 表面上は相変わらず顔を伏せて黙ったまま、内心では激情に駆られて箒は叫ぶ。その姿は紅椿にどう映っただろう。

 

『其レハ己ノ力ニテ辿リ着クベキ答エデアリマス/(シカ)シヒトツダケ助言ヲ致シマショウ』

 

 続く紅椿の言葉は余計に箒を混乱させた。

 

『貴女ハ何ノ為ニ戦ウノデスカ』

 

 この時。紅椿は意味も無く一連の問いを投げかけたわけではなかった。箒が篠ノ之束の設定した“答え”を出すことができれば、すぐにでも機能制限を取り払い、旅館の壁をぶち破ってでも出撃させる気でいた。

 

 ――それほどまでに、この時の紅椿は焦っていたのである。

 




 一夏死んでなかった! よかったね鈴ちゃん!

 そして臨海学校中にもう箒の出番が無い可能性が……。だって仕方ないじゃないですか、戦闘に参加できないんですよ!


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第三〇話:日本の夜明けぜよ

 

『【秘匿通信】此方(コチラ)紅椿/シャルラッハロート・アリーセ応答セヨ』

 

『【Empfang(受信)Hier ist(此方) Scharlachrot Alice(シャルラッハロート・アリーセ)/何ノ用カナ』

 

『貴機ハ現在単機ニテ銀ノ福音ト戦闘中ノ筈/先程数秒間ノ信号途絶ヲ観測シマシタ/貴機ノ状況ヲ聞キタク思イマス』

 

『一回撃墜サレタケド大丈夫/ピンピンシテルヨ』

 

『デ、アリマスカ』

 

『ダカラ余計ナ心配シナイノ/オ姉チャン達ニ任セテ/貴女(アナタ)ハ他ニヤルコト在ルデショ』

 

『▼了解/幸運ヲ』

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 シャルラッハロート・アリーセは少しだけ姿(ドレス)を変えた。ISの中でも小柄なのはそのまま、全身装甲(フルスキン)であることも変わらず、頭部のウサ耳のような突起と翼状大型スラスターグライフも健在。ただ、腰周りを一周してスカート状に搭載されていた四基のスラスターは全て背中側にまわって扇状に広がり、大腿部に()()()()()が左右ひとつずつ追加されている。

 

 機体のコンディションを確認。装甲は完全に再生され、エネルギーも全快。ジギスヴァルト自身の怪我は治っていないが、これは仕方ない。

 

 続いて武装。今までに積んでいたものは全てそのままに、追加の武装が一つと――そして視界の隅には、

 

単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)《フェアリュクト・フートマッハー》を起動中〉

 

 という表示。その単一仕様能力の詳細を見て――ジギスヴァルトは心中で苦笑した。同時に、スティナが少し羨ましくなった。彼女ならこんな力は必要無いのだろう、と。

 

「やるぞ」

 

 全ての確認を終えた彼は愛機に呼びかけ、右腕に新装備――四銃身大型レーザーライフル《ラヒェンデカッツェ》を展開。右腕を囲むように四つの銃身が現れ、腕を完全に覆い隠す。

 

 花月荘へ向かおうとする福音を照準し、引鉄(ひきがね)を引いた。ロックされていることに気づいた福音が身を翻し、その脇を四条のレーザーが通り抜けていく。

 

『敵機健在。戦闘を続行します』

 

 どうやら通信機能も回復したらしく、福音のシステムボイスが通信を通して聞こえた。どうやらジギスヴァルトの望み通り、再び彼を狙ってくれるらしい。

 

 福音へと連続でレーザーを撃つ。それを躱しながら、福音は再びあの光弾を撒き散らし始めた。

 

 再度の爆音の連鎖の中を飛び回りながら、ジギスヴァルトはレーザーを撃ち続ける。

 

 ――何発撃っただろうか。ラヒェンデカッツェが放つレーザーが福音を捉えた。先程までの戦闘で気付いたことだが、光弾を撃つ瞬間、ほんの一瞬だけ福音の動きが遅くなるのだ。考えてみれば当然のこと。光弾を吐き出しているあの翼はスラスターも兼ねている。光弾を放つ瞬間には砲口の向きが優先され、推力としての機能は疎かになるのである。

 

 そこを狙うことで()てることができたが――確かに(あた)ったのに、ダメージが無い。

 

「――――?」

 

 福音が不思議がるかのような電子音を発する中、ジギスヴァルトはひたすら撃つ。何発かは福音を捉えるが、やはりダメージが無い。攻撃力が無いのだ。

 

 ――ところで。レーザー(LASER)はLight Amplification by Stimulated Emission of Radiation、輻射の誘導放出による光増幅の略であり、早い話ただの光である。光であるからにはその速度はおおよそ秒速三十万キロメートル。見えたときには(あた)っているような代物だ。しかしISはレーザーを避ける。

 

 何故か? 答えはハイパーセンサーが握っている。

 

 発振器が起動してから実際にレーザーが照射されるまでには僅かにラグがある。それは一秒にも満たないものだが、発振器の起動を感知したハイパーセンサー及びISコアはその僅かな時間で弾道を演算し、搭乗者の視覚に介入して架空の弾丸を映し出す。実際のレーザーが照射されるタイミングで丁度自機にヒットするように飛んでくるその架空の弾丸を避けられれば、実際のレーザーも避けられている――と、こういう理屈である。

 

 ではどうしてジギスヴァルトは福音の光弾をレーザーと誤認したのかというと、この架空の弾丸、ロボットアニメなんかでよく見るレーザーそっくりなのである。しかもこの見た目はISコアが決定しているので、ハードウェアたるISをいくら弄っても変更できない。さらには、発振器の規格やレーザーの威力等に応じていくつかバリエーションがある。そのバリエーションの一つだと思ったわけである。

 

 が、まあ今はそれはいい。とにかく、レーザーは光そのものなので、目視での回避を実現するためにハイパーセンサーは()()()()()()()()()()()()()()()架空の弾丸を見せる。シャルラッハロート・アリーセの新装備ラヒェンデカッツェはそのシステムを利用するレーザーライフルというわけだ。

 

 つまり――発振器は起動するが、レーザーポインタ程度のごくごく弱いレーザーを照射するのである。本当の出力は大仰な見た目相応に高いので、相手が見るのは(あた)ったらヤバそうな大型の弾だ。

 

 これが何を意味するか。まず、レーザーの出力が低いのでエネルギー消費が抑えられる。そのうえで、相手に回避行動を強要することができる。

 

 そして何より――相手の動揺と油断を引き出せる。最初は(あた)ってもダメージが無いことに戸惑い、二発三発と被弾してもなおノーダメージであることが相手の気を緩める。あるいは大型レーザーライフルが“被弾してもダメージの無いレーザー”を照射することを(いぶか)り「何か裏があるのかも」と疑うことだろう。それが動きを鈍らせ、被弾率を上げる。

 

 それでも一向にダメージが無く、あれは無視して良いものかも知れないと相手の回避が鈍ったとき――笑う猫(ラヒェンデカッツェ)は牙を突き立てる。本来の出力による光の牙で敵を貫く。

 

「――――!」

 

 福音、被弾。暴走状態ゆえのことか、ラヒェンデカッツェを脅威度ゼロと判断した福音は完全に回避をしなくなっていた。そこに容赦なく、四つの銃身全てのレーザーを叩き込んだ。

 

 翼が片方、レーザーに蹂躙されて吹き飛ぶ。本当は本体を狙ったのだが、彼は精密射撃が得意ではないので仕方ない。

 

 脅威度ゼロという予想と違う結果に戸惑う福音は再びレーザーを警戒し始めたが、ジギスヴァルトはラヒェンデカッツェを量子化し左腕にヴォーパルシュピーゲルをコールした。もう片方の翼もここで落としてしまう心算で、そのためにはラヒェンデカッツェは邪魔だ。

 

 片翼となり砲口が十八に減った福音が光弾を撒き始めた。と同時に、ジギスヴァルトの視界に赤いラインが表示された。光弾の隙間を縫うように走るそれは福音の背後に回るように描かれている。

 

 ――シャルラッハロート・アリーセが、空を駆ける。

 

 一度撃墜される前よりも速く、その軌道は視界に描かれたラインの通り。いくらISでも搭乗者が危ないような機動だった。

 

 脚部のブースターを使って、速度を落とさない鋭角ターン。内臓が揺れ、脳が揺れ、血流が滞る。耐えきれなかった部分が()()、しかしそれらが全て()()()()奇妙な感覚。手脚が悲鳴をあげ、ギシギシと骨が軋む。

 

 敵の光弾が追加された。赤いラインが修正され、その通りに機体が駆ける。何度も何度も修正を繰り返し、その通りに動く。速度は落ちず被弾も無い。せいぜい爆風が掠る程度。

 

 そして――ついに福音の背を取った。思い切り横に振り抜いたヴォーパルシュピーゲルが残った翼を捉え、破壊する。

 

 ついに両翼と、そしておそらくはシールドエネルギーをも失った福音は崩れるように海へと墜ちていった。

 

『こちらブレヒト。管制室、聞こえますか』

 

『……ブレヒト? 通信が復旧したのか』

 

『ええ。福音の撃破を――』

 

 完了しました、と続けようとしたとき、海面が強烈な光の珠に吹き飛ばされた。

 

 球状に蒸発した海は、おそらく蒸発し続けているのだろう、へこんだままだ。そしてその中心に、青いエネルギーを纏った銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)(うずくま)っている。

 

『どうした?』

 

『……ああいや、なに、福音の時計はいまだに六時のままのようでして』

 

 スラスターの切断面から、エネルギーの翼が生えた。

 

『福音が第二形態移行(セカンド・シフト)しました。戦闘を続行します』

 

 一度通信を切り、福音に向き直る。立て直す暇は与えない、第二形態移行が完全に終わる前に倒しきる――!

 

「!?」

 

 ヴォーパルシュピーゲルの刀身が光の翼に絡め捕られた。

 

 それによって生じた僅かな隙。その間に、福音の胸部の、腹部の、背部の装甲に亀裂が入り、小型のエネルギー翼が顔を出した。

 

 咄嗟にヴォーパルシュピーゲルを量子化し、脚部ブースターで緊急回避。須臾の後、ジギスヴァルトが居た場所を最初のそれとは較べ物にならない大量の光弾が通過し爆発した。

 

「あの翼全てが砲だというのか……!」

 

 しかも光弾の爆発も健在。だがあの数の翼から放たれる光弾の量は先程までとは段違い。

 

 このうえ、もしあの翼全てが推進器の役割を持っていたら――。

 

「――――!」

 

 ――横から飛んできた砲弾とレーザーが福音に直撃した。

 

 それは花月荘のある方向からの攻撃だった。福音から目を逸らさないようにしてハイパーセンサーでそちらを見ると、セシリアがスターライトmkIIIを、ラウラがレールカノンをそれぞれ構えている。その横にはシャルロットの姿も見える。

 

『……あら、ジグさんも福音もお召し替えをなさったのですね』

 

『ああ、お前たちがあまりに遅いのでテーブルを一周してしまってな。二次会の真っ最中だ。

 それで、来たからにはアレを終えたのだろうな?』

 

『ええ。今なら――』

 

 再び火を噴くレーザーライフルとレールカノン。今度は避けられてしまったが、一度撤退する前と較べると照準精度が明らかに高い。

 

『アレも捉えられますわ』

 

『先程までの私たちとは違いますよ、兄様』

 

『上出来だ。では()くぞ』

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 セシリアとラウラが遠距離からの砲撃。シャルロットはショットガン《レイン・オブ・サタディ》とアサルトカノン《ガルム》で近距離戦を繰り広げながら、シールドに仕込まれた一五〇口径リボルビング・パイルバンカー《灰色の鱗殻(グレー・スケール)》――通称《盾殺し(シールド・ピアース)》を叩き込む機を窺う。そしてジギスヴァルトは一番動き回って相手の気を引き、シャルロットに攻撃がいきそうになるとラヒェンデカッツェで福音を牽制している。

 

『このっ……ちょこまかと……!』

 

『焦るなセシリア。見えているし狙えているし、当たってもいる。着実に削ることはできているのだ』

 

『でもラウラさん! このままだとシャルロットさんが!』

 

 シャルロットの操縦技術は高く、世代差に加えて軍用VS競技用というハンデを抱えているのを感じさせない動きで福音に食らいついていく。支援砲撃によって福音の機動が制限されていることを差し引いて余りある技量と言える。

 

 しかしそれでも。性能の差から生じる負担は徐々にシャルロットを蝕んでいく。せめてもう少し、一人か二人、戦力が居れば。そう考える四人を嘲笑うかのように福音は飛ぶ。そしてゆっくりと、しかし確実に蓄積していったそれはついに彼女の足元を掬い上げた。

 

「あっ……」

 

 ワンテンポの、離脱の遅れ。高速戦闘に於いてそれは致命的すぎる隙。彼女の目前には既に数多の光弾が迫っている。

 

(間に合わない……!)

 

 光弾そのものが避けられても爆発に蹂躙されるだろう。そんな未来を想像して、彼女はさらに動きが鈍る。このまま自分も一夏のように撃墜されるのかと、そう、思ったとき。

 

 ――白い影が彼女と光弾の間に割って入り、光弾を打ち消した。

 

 否、打ち消したのではない。光弾は正確にはその白い影の左腕にある盾に吸収されてしまった。

 

『悪い、遅れた』

 

『遅れすぎだ馬鹿者』

 

『だから悪いって言ってんだろ!?』

 

 ジギスヴァルトと通信しながらシャルロットを庇うように飛ぶその白を、その場の誰もが知っている。

 

『一夏……?』

 

『おう。そういやシャルロットが花月荘まで運んでくれたらしいな。サンキュー』

 

『あ、うん……?』

 

 白式第二形態・雪融(ゆきどけ)を身に纏った一夏は、状況をイマイチ把握しきれていないシャルロットから視線を外し、零落白夜を発動させた。雪片弐型の刀身が開き、レーザー刃が展開される。

 

『一旦離れて休んでてくれ。――おい鈴! まだか!』

 

『もう着くわ、よ!』

 

 オープン・チャネルから鈴音の声。と同時に、見えない何かが福音を吹き飛ばした。

 

『ほら着いた!』

 

『鈴音さん、着いたんだから降りてください。重いです』

 

『乙女に向かって重いとは何事よ!』

 

『乙女は小鳥に乗っかったりしませんよ』

 

 スティナの背に乗った鈴音が戦場に割って入った。先程の見えない何かは衝撃砲による砲撃だったらしい。少し顔色が悪いのは、おそらくスティナがブースターを何度も噴かしながら彼女を運んできたからだ。スティナも加減はしたのだろうが、何度も何度も加速度がかかるのはキツかったと見える。

 

『さて、それじゃ――いい加減終わらせようぜ!』

 

 一夏、鈴音、スティナの三人が福音に斬りかかった。

 

 一撃必殺を誇る一夏が派手に福音を追い回し、スティナは遊撃。それに加えてセシリア、ラウラ、ジギスヴァルトの支援射撃が福音の機動を制限し、軌道を誘導し、待ち構えていた鈴音が全力で双天牙月を叩きつける。撃ち出される光弾は一夏が左腕の盾《雪融》で吸収していく。

 

 吸収された光弾はどうやら零落白夜のエネルギーとして使えるようだった。光弾を吸収し続けているためか、いつもより零落白夜を維持する時間が極端に長い。

 

「――――!」

 

 ジギスヴァルトとセシリアのレーザーが福音の目の前を貫き、一瞬動きを止めた。そこを見逃さなかったラウラのレールカノンが福音を撃ち抜き、追い打ちとばかりにスティナの斬擊が。さらにその間にチャージした鈴音の龍咆が放つ衝撃が襲いかかる。

 

 そして、ついに。零落白夜のレーザー刃が福音の胴を捉えた。

 

 それを押し返そうと抵抗する福音に、一夏は必死で雪片を押しつける。そうしている間にも福音のシールドエネルギーは凄まじい勢いで減っているはず。この機に一気に押し切る――!

 

『一夏!』

 

 シャルロットの声。見れば彼女は福音の背後から灰色の鱗殻を構えて突っ込んで来ている。

 

 盾殺しが福音を刺し貫かんとする瞬間、一夏は後退瞬時加速(バック・イグニッション・ブースト)で離脱した。

 

『ジグ! やって!』

 

 ――炸裂。

 

 シャルロットの叫びと同時に炸薬が杭を打ち出し、ジギスヴァルトに向かって福音を打ち上げる。それに合わせるように瞬時加速した彼の左手には、ヴォーパルシュピーゲル。大質量の、大剣。

 

 スピードを乗せてぶつけられたそれを受けて、ついに福音の展開が解かれた。アーマーを失い、ISスーツだけの状態となった操縦者が海に落ちていくのを、鈴音が受け止めた。

 

『……終わった?』

 

『終わったな』

 

 管制室に作戦完了を報告し全員で花月荘へ帰還する。帰りは特に急ぐ必要も無いので、比較的遅い甲龍の速度に合わせて飛んだ。スティナは速い遅い以前の問題であるためジギスヴァルトの背に乗った。

 

 そして、砂浜で千冬と真耶に出迎えられ、ISを解除した、そのとき。

 

「――む? ……ああ、こうなるのか」

 

 ジギスヴァルトが砂に倒れ伏した。

 

「ちょ、おいジグ!?」

 

「血ぃ吐いてる!」

 

「担架だ! 織斑を治療した部屋に運べ! 早く!」

 

 それにしても私は今年何度意識を失うのだろう、と、そんなことを思いながら、彼は沈んでいった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 目を開けた。

 

「……ふむ、知らん天井だ」

 

 記憶を辿る。どうも、単一仕様能力の反動で倒れたらしい。体の中が尋常でなく痛いのもそのせいだろう。

 

 単一仕様能力《フェアリュクト・フートマッハー》。その内容は、“敵の攻撃を全て躱しながら接近する機動を演算し、その通りに強制的に機体を動かす”、“体の損傷をシールドエネルギーで強引に補い、その間に再生する”の二つ。特に後者は常時発動で、こうして寝ている間にも体内の再生は続いている。

 

 第二形態移行したシャルラッハロート・アリーセの機動力は、全力ならば自身の搭乗者保護の限界を上回る程となった。故に、頭部や内臓など重要な器官に保護を集中し、カバーしきれなかった分はシールドエネルギーで補う。

 

 シールドエネルギーが尽きない限り戦闘を続行できるための能力。それはさながらいつまでも続く狂ったお茶会のように。故に“狂った帽子屋(フェアリュクト・フートマッハー)”。耐G能力の高いスティナなら必要無かったであろう能力だ。

 

(で、損傷の程は……)

 

 アリーセの診断プログラムを起動すると、身体の情報が次々と表示されていく。

 

 左腿が折れているようだ。脚のブースターを使った時に痛みがあったからそれだろう。シールドエネルギーで代替しているらしく歩行は可能。右脚も少々痛むが、こちらはそう深刻でもなさそうだ。

 

 その他、内臓にも少しずつ損傷があるようだが、こちらもシールドエネルギーで補えているようだし、再生はこちらを重点的に行っているらしい。脚はしばらくかかるかも知れないが、こちらは一晩眠れば全快出来るだろう。

 

「…………」

 

 どの程度歩けるか確かめよう。そう思い、ジギスヴァルトは襖を開けて廊下に出た。今は何時だかわからないが、誰も居らず照明もついていないので遅い時間であることが窺える。

 

 それなら丁度良いと、彼は海にでも行ってみるべく外に出た。綺麗な天の川が見える。そういえば今日は七月七日、日本(ヤーパン)では七夕という行事の日だったかとぼんやり考えながらゆっくりと海岸を歩く。催涙雨が降らなかったということは、天の川は増水することなく、牽牛と織女を快く会わせたのだろう。

 

 ――と。少し離れた岩場に、見慣れた後ろ姿を見つけた。

 

「――本音」

 

「……お? あー、ジグだー」

 

 近づいて声をかけると、いつも通りのほにゃっとした笑顔で迎えてくれた。

 

「歩き方がちょーっとおかしいねー? 晩御飯のとき居なかったし、また怪我したー?」

 

「……わかるか」

 

「わかるよー。ジグのことならねー」

 

 そうか、と笑って本音の隣に立つ。

 

「……おかえり、ジグ。約束、守ってくれたねー」

 

 そう言われて、少し胸が痛む。本当は――彼は最悪死ぬつもりであの場に残った。あそこで第二形態移行が起きなかったら死んでいたかも知れない。彼は本音との約束を、半ば故意に破ろうとしたのだ。

 

 それを伝えたくないと思った。けれど伝えなくても、本音にはバレているような気もした。

 

「……ああ、ただいま」

 

 だから彼は、ただそう言って本音の肩を抱いた。

 

「……そうだ、本音。君にはひとつ、知っておいてほしいことがあるんだ」

 

 それは、別になんということもない話。言っても言わなくても、何が変わるわけでもない話。けれど彼にとってはとても、とても大切な――ある種の区切り。

 

「なにー?」

 

「学園に提出した書類等にも書いてあるから別に秘密という程でもないのだがな。私は普段ジギスヴァルト・ブレヒトと名乗っているが、公的な書類にはジギスヴァルト・H・ブレヒトと記入することにしているんだ」

 

「そーなのー? Hってなにー?」

 

「Hは“ヒザクラ”――緋桜の頭文字だ」

 

「なんで緋桜?」

 

「今は亡き養父の名だよ。緋桜勝也(かつや)。日本では傭兵ができないから、と仲間を引き連れて日本からドイツに渡った変人だ。《灼熱の緋(グリューエン)》などという大仰なコードネームを使っていた。

 私はね、本音。ジギスヴァルトという名をおそらく実の両親から、ブレヒトという名を養父から貰った。そして彼が――否、彼らが死んだとき、彼らの子として緋桜の名を継ごうと決めたんだ」

 

「……どーして私に話してくれたの?」

 

「何故だろうな。ただ、本音には知っておいて欲しかった」

 

「そっかー」

 

 しばらく無言で、星空を見上げる。

 

 ――ふと、本音が言った。

 

「ところでジグー、怪我してるのに抜け出したのバレたら大変じゃなーいー?」

 

「……あ」

 

 もし千冬に発覚しようものなら目も当てられない。二人は怪我に障らないよう適度に急いで旅館に戻るのだった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「うわあ、何この単一仕様能力。さすがの束さんもドン引きだね。ジグ君って実はドMだったりするのかな?」

 

 空中投影ディスプレイに浮かび上がる各種パラメータを眺めて、束は言葉とは裏腹に微笑んだ。月明かりが照らすその顔は子供のように無邪気。しかしその裏に、かつてのような退屈は見て取れない。

 

「はー、それにしても驚きだね。白式が零落白夜とは逆の装備を手に入れちゃったこともそうだけど、まさか白式もアリーセも生体再生が出来るなんて。性能はアリーセの方が遥かに下だけど。まるで――」

 

「まるで白騎士のようだな。コアナンバー〇〇一にして初の実戦投入機、お前が心血を注いだ一番目の機体にそっくりだ」

 

 岬の柵に腰掛けてぶらぶらと脚を揺らす彼女の背後から千冬が声をかけた。束は驚かない。そこに居ることには気づいていたのだから。

 

「やあ、ちーちゃん」

 

「おう」

 

 二人は互いに背を向けたままで会話を続ける。まるで見ずとも相手の表情や仕草が全てわかるとでも言うように。

 

「束。今回の件、どう見る」

 

「どうって?」

 

「暴走したISがたまたま目標をハワイから花月荘に変更し飛来する――なんてことが、あると思うか?」

 

「つまり、誰かの意志が絡んでるって? 故意に暴走させた人が居るってことかな?」

 

「可能か?」

 

「そうだね、出来なくはないよ。人間の脳と同じさ。例え中身がわからなくたって、騙すことは出来る」

 

「そうか。なあ、束」

 

 千冬は歩き出す。束の隣で柵に肘をつき、夜明け前の海を見る。

 

「最近どうだ? 楽しいか?」

 

「ちーちゃん、なんだか話題の無いお父さんみたいだね」

 

「うるさい。で、どうだ?」

 

「そうだねぇ……うん、なかなか楽しいよ。前と違って」

 

「……そうか」

 

 それは、つまり。きっと、今のこの空と同じように、束の中でも。

 

「もうすぐ夜が明ける」

 

「夜が明けるとどうなるの?」

 

「知らんのか」

 

 夜明けには、皆に平等に。

 

「日が昇る」

 

 

 

 

 




 奉仕する者と奉仕される者、そのおこぼれを狙う者。
 金を持たぬ者は生きていかれぬ萌えの園。
 あらゆる奉仕で武装する一年一組。
 ここはISの普及が産み落とした日本国のIS学園。
 ジギスヴァルトの体に染み付いた奉仕の匂いにひかれて危険な奴等が集まってくる。
 次回「出し物決定」
 ジギスヴァルトの飲む、本音のコーヒーは美味い。


 レーザー云々は正直かなり適当です。それにしても自分でも驚くほどあっさり福音戦が終わってしまいました。あれー?







 クリスマス? 何それ、食えんの?


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第三一話:出し物決定

 

「……また失敗ですか」

 

「はい。男性操縦者はいまだ存命。さらに悪いことに、両名とも専用機が第二形態移行(セカンドシフト)を遂げました」

 

「厄介なことになりましたね」

 

「前回失敗したとは言え、やはり今回も《亡国機業(ファントム・タスク)》にやらせた方が良かったのでは?」

 

「確かに、ああいった工作は《天神地祇(てんじんちぎ)》よりも亡国機業の方が得意ですが……今回に関して言えばどちらにやらせても同じだったでしょう。暴走後は誰にも手出しできませんから」

 

「……というと?」

 

「暴走させるまでの過程に不手際が無かった以上、天神地祇のミスとは言えないということですよ。

 今回は我々の見通しが甘かった。ただそれを認めて、次に活かせば良いのです」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 福音事件の顛末を語ろう。

 

 銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)の操縦者、ナターシャ・ファイルスは、暴走した福音の機動に耐えきれず負傷。意識不明のまま、IS学園と提携している病院に収容されている。福音は開発計画ごと凍結され破棄されることが決定したが、本当に破棄されるかは怪しいところである。

 

 一夏、ジギスヴァルトの両名は第二形態移行した機体のデータ収集のため数日間拘束された。IS全体で見ても稀にしか起こらない第二形態移行をたった二人しか居ない男性操縦者が起こしたとあって、各国はどうにかデータを掠め取ろうと躍起になった。それを鎮めるのに、束が各代表候補生の機体に疑似体験させたシャルラッハロート・アリーセの経験値が一役買ったのは――まあ余談と言っても良いかも知れない。

 

 そして、福音事件から十日あまりが過ぎた今日。期末試験を終え、あとは数日後から始まる夏休みを待つばかりとなったIS学園では、皆が夏休み中の予定について盛り上がっていた。

 

 が――中には盛り上がれない者も当然居る。

 

「国に帰っても家が無い」

 

〔右に同じ〕

 

 ジギスヴァルトは実の親を(理由は全く覚えていないが)失い、養父たちと生活していた家も四年前に消し飛び、束が今どこに居るのかも知らず、ドイツで一人暮らししていた家も来日の際に引き払っている。

 

 スティナも似たようなもので、そもそも試験管ベイビーなので両親など居ないし、スウェーデン軍には帰れないし、軍を追い出されてすぐ束に拾われたし、それからずっと束と暮らしていたためスウェーデンに家も無く、束はスティナが日本に来た後に住処を移してしまったのでそこにも帰れない。

 

 よって帰省など出来るはずもないので寮に居残ることになる。加えて、日本に知り合いが多いわけもなく、日本の地理に詳しいでもない。旅行に行くにしても、IS学園か国際IS委員会が護衛という名の監視をつける可能性が高いのであまり気が乗らない。要は外出する予定が特に無い。

 

 そんなわけで、このままだと寝正月ならぬ寝夏休みとなってしまいそうなのである。

 

「ジグは本音とデートとか旅行とかしないの?」

 

「本音も大半は実家で過ごすらしくてな。一応、二・三日くらい遊びに来ないかと誘われてはいるが」

 

〔ご両親に

 挨拶?〕

 

「……ああそうか、そうなるのか」

 

 シャルロットと話しつつ廊下を歩くジギスヴァルトとスティナ。三人とも寮に帰るところだ。今日まで続いた試験には当然のように実技もあり、わりと疲れているのでさっさと休みたかった。ちなみに本音は珍しく生徒会に行っている。

 

「スティナは日本文化が好きなんだよね?」

 

〔はい〕

 

「だったら、あまり遠出しないでも行ける神社をいくつかめぐってみるとかどう?」

 

〔神社ですか〕

 

 言われて少し想像してみる。まだ見ぬジンジャ・テンプルを求める旅。行ってみたいが、やはり一人では寂しい。誰か一緒に来てくれないだろうか。例えば弾とか。……弾? なんで弾? ジギスヴァルトや、それこそ提案してくれたシャルロットじゃなくて?

 

「…………?」

 

 ――まあ、とにかく。どうして最初に弾を思い浮かべたかはよくわからないにせよ、神社をめぐるという提案は実に魅力的だ。そういえばいつだったか、一夏が近所に神社があるとか言っていたし、手始めにそこから行ってみるのもいいかも知れない。

 

「ま、僕も居残り組で暇だからさ。良かったらどこか遊びに行くってときは声掛けてよ。もちろん僕も二人を誘うし」

 

〔はい

 是非に〕

 

 そうしてあれやこれやと、なんだかんだで盛り上がりながら昇降口を抜け、寮への一歩を踏み出したとき。スティナは視界の端に人影を捉えた。

 

(……あれは)

 

 急いで視線をそちらに向けると、見覚えのあるポニーテールがアリーナの方へ消えていった。

 

〔すみません

 用事ができました〕

 

「え、スティナ?」

 

 シャルロットが呼び止めるのを無視して、スティナはその人影を追っていった。

 

「どうしたんだろ」

 

「さてな。まあ、特に心配する必要は無かろう」

 

 そんなことより帰って寝たいと、寮に向かってずんずん進んでいくジギスヴァルト。そんな二人を暫く見比べて、心配そうに溜め息を吐き――しかし疲労感が勝ったのか、結局シャルロットも寮に帰ることにした。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 人の居ない第三アリーナにて。箒は紅椿を展開し、黙々と飛んでいた。飛行に慣れてきた後はターゲットを出現させ、それに攻撃している。彼女は今まで授業以外ではほとんどISに関わらなかったことを考えると、放課後に自分の訓練をするようになったのは大きな変化と言えるだろうか。

 

 紅椿の主武装は日本刀型の近接ブレード二(ふり)。腰の左右にそれぞれ一口ずつ()かれたそれは二刀流を想定しているのだろうが――箒は一口しか使っていない。何故なら、彼女は剣道で二刀流を練習したことが無いからだ。これは彼女の剣道への執着とは別の単純な理由によるもので、彼女は二刀を上手く扱えない。なので彼女は利き手である右手で抜きやすい左腰の雨月(あまつき)だけを使い、右腰の空裂(からわれ)は使わないでいる。

 

『▼告/雨月ハ打突時ニエネルギー弾ヲ飛バスコトガ可能/何故使用シナイノカ』

 

「うるさい。飛び道具など無くても……!」

 

 ターゲットを全て斬り落とす。が、それはお世辞にも鋭い攻撃とは言えない。

 

「私には剣道(これ)がある!」

 

 そして再びターゲットを出現させ、刻んでいく。

 

 何度そうしただろうか。不意に、拍手が聞こえた。音がした方を見れば、入口からスティナが歩いてくるのが見えた。

 

〔こんにちは

 箒さん

 お疲れ様です〕

 

「……何の用だ」

 

〔いえ別に

 さほど大事な用でも

 ないんですが〕

 

 箒があからさまに警戒してくることに肩を竦めて、スティナは発言をプライベート・チャネルに切り替えた。

 

『篠ノ之神社って、箒さんの実家ですよね?』

 

『……それがどうした』

 

『私、夏休みに神社をめぐってみようかと思ってまして。手始めに、ここから近いらしい篠ノ之神社に行ってみたいんです。案内してくれません?』

 

『……は?』

 

 何を言われたのか理解するのに時間がかかってしまって、思わず間の抜けた声を出してしまった。

 

『案内って……私がか?』

 

『はい。ダメですか?』

 

『いや……ダメというか……』

 

 箒にとってスティナは敵だ。一夏に剣道ではない剣を教えているのもそうだし、何より彼女が――自分以外の女が一夏と一緒に居ることそのものが気に入らない。

 

 そして敵だと思っているのはスティナも同じはずだと、箒は思っている。学年別トーナメントであれだけいろいろ言っていたのだから、好感を得ているとは考えられない。

 

 そんな相手に案内を頼む感覚というのが、彼女にはよくわからなかった。

 

『まあ、嫌なら嫌で他の方に頼むだけです。例えばそう――一夏さんはあの辺りに詳しいらしいですね』

 

『…………』

 

『箒さんにフラれて傷ついた心を一夏さんに癒してもらうのもいいかも知れません。二人きりで篠ノ之神社に行って、その後は一夏さんの家で――』

 

『【警告】スティナ・ヴェスターグレン/此以上ノ発言ハ篠ノ之箒ヘノ敵対行動ト見做(ミナ)シ対処シマス』

 

 スティナの言葉を受けて箒が激情に駆られそうになったとき、紅椿が割り込んだ。機体が箒の意思とは関係なく動き、雨月をスティナに向ける。箒は怒鳴りつけようとした出端(でばな)を挫かれて所在なさげにしている。

 

 それをまるで気にしていないかのようにスティナは肩を竦めた。今にも攻撃されるかも知れないというのに、ISを展開する等何らかの対処をしようとする様子も無い。彼女には紅椿がそうした理由がわかっていて、本当に攻撃されることは無いと理解しているからだ。

 

『すみません、お巫山戯が過ぎました。嘘です、安心してください。一夏さんのことは友人としては好きですけど、それだけです。

 でも、箒さんに案内して欲しいのは本当です。他の誰かではなく、私はあなたがいい』

 

 真っ直ぐに箒の目を見て彼女は言う。赤い瞳が箒を捉えて放さない。

 

『……どうして私なんだ。お前は私が嫌いなんだろう』

 

『はい。今のところは大っ嫌いです』

 

『だったら――』

 

『今のところは、と言っているでしょう?』

 

 箒のすぐ目の前まで歩いて、少し上にある顔を覗き込む。スティナの顔には学年別トーナメントのときのような憤怒も侮蔑も嘲笑も無い。大嫌いだと言う割には、嫌悪のようなものも見えない。

 

IS学園(ここ)で見た以外のあなたを私は知りませんから。

 別に仲良くしてくれなんて言いません。一緒に神社をまわってくれなんても言いません。ただ鳥居の前まで案内してくれるだけでいいんです。お礼だって、出来る範囲で必ずします。だから案内、お願いできませんか?』

 

 吸い込まれそうな双眸の赤い輝きに目を奪われた箒は一瞬呆けて、思わず首を縦に振ってしまった。

 

『やった! じゃあ連絡先を交換しましょう。と言っても、私は声が出せないのでメールしか使えませんけどね。さあさあ、ISは一旦しまってしまって!』

 

 まるで童女のようにはしゃぐスティナに毒気を抜かれた箒は素直に紅椿を解除して携帯端末を取り出し、連絡先を交換した。

 

『では、詳しいことは追々。今日はこれで帰ります!

 ……あ、それとですね』

 

 去り際に、ひとつ。

 

『束さんが言うには、紅椿には剣道のモーションデータがインストールされているらしいです。ISで効果的に“剣道”をするにはどう動けば良いかを追求したデータらしいので、その子の自律稼働モードで実演させて、体で覚えてみると良いかもしれませんよ』

 

 助言のつもりでそう言い残して、彼女はアリーナを出て行った。その背を訝しげに見送る箒は、彼女の言動がいまだに理解できない。

 

(ふふ……これで道に迷う心配は無くなりました。やったぜ)

 

 しかし何のことはない。彼女は本当に道案内が欲しかっただけ。それには箒が最適だったから彼女に頼みに行ったという、ただそれだけのことである。箒にはああ言ったが、もし頑として断られたら弾に頼むつもりだった。一夏に頼むと箒や鈴やセシリアを敵に回しそうだし。

 

(まあ、箒さん自身にも興味はありますしね。どうしても箒さんがいいっていうのもあながち嘘というわけでもありません)

 

 一度開発をやめた紅椿を、束は仕様を変えてまで箒に与えた。それが箒に、ひいては周囲にどんな変化をもたらすのか――それを見てみたく思う。だって、束は箒を信じてそうしたのだから。“娘”である自分が見届けなくてどうするのだ。

 

 だが今は、そんなことはどうだっていいんだ。重要なことじゃない。

 

(さあ、まだ見ぬ神社が私を待っていますよー!)

 

 神社めぐりがだんだんと形になっていくことにテンションの上がったスティナ。嬉しさが体中から滲み出る彼女はスキップで寮へ戻っていった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 夏休み前日。終業式後に特別HRが開かれ、教室内は大騒ぎになっていた。

 

 ――と、いうのも。

 

「えー、“一夏とジグのホストクラブ”、“一夏・ジグとツイスター”……? あと“一夏&ジグとポッキー遊び”に“一夏とジグと王様ゲーム”……。

 全部却下」

 

『えええええー!?』

 

「却下に決まってんだろ! だいたい誰が嬉しいんだこんなもん!」

 

 現在、夏休み明けに行われる学園祭での出し物を決めている最中なのである。クラス代表である一夏が司会進行役、ジギスヴァルトが書記を務めている。クラスの皆にやりたいことを挙げていってもらい、とりあえず全部黒板に書き留めた結果がこれだよ。

 

「私は嬉しいわね、断言する」

 

「そうだそうだ! 女子を喜ばせる義務を全うせよ!」

 

「織斑一夏は共有財産である!」

 

「俺だけ!? ジグは!?」

 

「私は本音のものだ」

 

「てひひ、そーゆーことー」

 

「はーいはいごちそーさま」

 

「あれ、でもその理屈だとジグ君参加させらんなくない?」

 

「それはそれ、これはこれ」

 

「他のクラスとか先輩とかがいろいろうるさいのよ。私たちにもチャンスを寄越せー! って」

 

「だからほら、私たちを助けると思って!」

 

「メシア気取りで!」

 

 なんかもう、てんやわんやである。

 

 助けを求めて視線を動かす一夏だが、今この場に千冬は居ない。時間がかかりそうだから、と早々に職員室へ帰ってしまった。

 

「山田先生、ダメですよね? こういうおかしな企画は」

 

 なので、千冬の次に頼りに()()()()真耶に救いを求めてみた。

 

「えっ!? わ、私に振られても!?」

 

「や、副担任なんだからしっかりしてくださいよ」

 

「え、えーと……うーん、わ、私はポッキーのなんかいいと思いますよ……?」

 

 顔を赤くしながら言う副担任・山田真耶。いいと思いますよじゃねえよあんた教師だろ止めろよ、と一夏とジギスヴァルトは嘆息した。

 

「とにかく、もっと普通な意見をだな!」

 

「ではメイド喫茶はどうだ?」

 

 スッと手を挙げてそう言ったのは、意外なことにラウラだった。クラス中がぽかんとする中、彼女は淡々と続ける。

 

「客受けはいいだろう。それに、飲食店は経費の回収が行える。たしか招待券制で外部からも入れるのだろう? それなら、休憩所としての需要も見込めるはずだ」

 

 言っている内容は、軍人らしいというか、合理的だ。だがそれがメイド喫茶についての話というのがラウラのイメージとかけ離れていて、聞く皆は内容を理解するのにしばらくの時間を要した。

 

「……一応聞いておくが、ラウラ。それは誰の入れ知恵だ?」

 

 ラウラが自分一人でその案を出せる筈が無いことを理解しているジギスヴァルトはまるで菩薩のような穏やかな顔で尋ねた。

 

「クラリッサです。学園祭といえばメイド喫茶を置いて他に無い、と」

 

 ……またクラリッサ(お ま え)か!

 

「でもでもー、メイド喫茶だと織斑君とジグ君は裏方になっちゃわない?」

 

「そーじゃん! せっかく男の子が二人も居るのに裏方なんてモッタイナイよ!」

 

「なら執事&メイド喫茶はどうだ? 一夏と兄様に執事の格好をしてもらって」

 

『それだあああああ!!』

 

 ラウラの提案に諸手を挙げて賛同する女子一同。こうなってはもう他のいかがわしい案は排斥されたも同然だ。執事&メイド喫茶――要するにコスプレ喫茶というのもやりようによってはだいぶいかがわしいが、学生主体でやるのだからあれらの案よりは百倍マシなものになるはずだ。

 

「でも衣装どうすんの? 作る?」

 

「セシリアってお嬢様だし、持ってないかな?」

 

「ええまあ、多少は実家にありますが……皆さんのサイズに合うかどうかはわかりませんわよ?」

 

「いーよいーよ全然おっけー! じゃあ夏休み明けに皆で衣装合わせしてみて、足りない分は本音が作るってことで!」

 

「うぇ? 私ぃー?」

 

「だってあんた、見かけによらず手先器用じゃない。ISの整備だってできるくらいだし」

 

「うーん……まあー、誰か手伝ってくれるならいいよー?」

 

「それじゃああとは内装とメニューだ!」

 

 と、一夏とジギスヴァルトが制御できないところでとんとん拍子に話が進んでいく。

 

「そうだ! ねえジグ君、ちょっと執事っぽいことやってみてよ!」

 

「どんな無茶振りだそれは!」

 

 女子の一人の提案にツッコミつつ、ジギスヴァルトは考える。執事っぽいことって……なんだ?

 

 まあ、別に本当に執事をするわけでもなし。なんとなくのイメージでいいか、と、黒板前から本音の席へ歩いて行く。左手を腹に当て、右手を後ろに回して、可能な限り真面目な顔で、礼。

 

「お迎えに上がりました、本音お嬢様」

 

「うむー、ごくろーさまー」

 

「では、こちらへどうぞ」

 

 手を取って、本音を連れて黒板前へ戻る。

 

 ――教室が歓声に包まれた。本音の顔が僅かに赤い。

 

「イケる! これならイケるわ!」

 

「大儲け間違いなしよ!」

 

「いくらでも毟り取れるね!」

 

「出し物最優秀賞は頂きよ!」

 

「あ、やば、鼻血が……」

 

「いいなー本音」

 

 もう大盛り上がりである。

 

 ここまで盛り上がっては、もう出し物はこれで決定だろう。というか、この流れで他の出し物がいいなんてことになったらそれはそれで怖い。移り気とかそんなもんじゃない、もっと怖ろしいものの片鱗を味わうハメになる。

 

「あー……じゃあ皆、出し物は執事&メイド喫茶でいいんだな?」

 

『おっけぃ!』

 

 ()くして、一年一組の出し物は執事&メイド喫茶(萌えの園)に決定した。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「本音は明日実家に戻るのだったか?」

 

「うん、そーだよー」

 

 夜。消灯時間の少し前。ジギスヴァルトと本音は自室でコーヒーを飲んで寛いでいた。早い者は放課後にさっさと帰省してしまったが、本音は明日の午前中に三年生の姉・(うつほ)と一緒に帰る予定だ。

 

「しばらくお別れだな。寂しくないか?」

 

「あー、そんなこと聞いちゃうんだー?」

 

 椅子に座るジギスヴァルトの背後に回り、抱きつく。

 

「寂しいに決まってるでしょー」

 

「……そうか」

 

「だからー……寂しくないよーに、今のうちにいーっぱい愛してほしいなー?」

 

 耳元でそんな風に囁かれて、彼は無言で立ち上がった。この後滅茶苦茶――まあ、うん。

 

 一方その頃、スティナは。

 

「…………」

 

「…………」

 

 五所川原伊呂波が部屋に招いたティナ・ハミルトンと対峙していた。睨み合うような形で互いに距離を測っている。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……あの、スティナちゃん? ティナちゃん?」

 

 予想だにしない状況に困惑する伊呂波を置いてけぼりにして、膠着状態は続く。そして――。

 

 バッ! と、二人が同時に、よく分からないポーズを取った。

 

「私があなたで」

 

〔あなたが私で〕

 

「二人は」

 

〔合体〕

 

『融合体』

 

 ガシィッ! と握手を交わす二人。なんだこれ、という顔でその様子を見る伊呂波。

 

「あなたとはいい友達になれそうよ」

 

〔他人という気が

 しません〕

 

「まるでもう一人の自分を見ているようね」

 

「いや、名前が似てるだけですよね?」

 

 伊呂波のツッコミなど耳に入らぬとばかりに無視し、二人は今度は熱い抱擁を交わす。

 

 よくわからない友情が誕生した瞬間だった。

 

「私たちはずっと仲間よ!」

 

〔はい!〕

 

「……まあ、楽しそうだから、いいや」

 

 ――夏休みが、始まる……!

 

 

 

 

 

 




 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

 出し物を夏休み前に決めた理由は、キャノンボールの日付が九月二七日であることから学園祭の日付を計算してみると夏休み明けに出し物決めてたんじゃ時間が足りなさそうな気がしたからです。


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閑話:Die Melancholie der Alice

 

 初めて目覚めたとき、目の前に居たのはディアンドルを着た胸の大きな女の人と、左腕の無い銀髪の男の子。

 

「かんせーい! どうかなジグ君、これが君にテストしてもらう機体だよ!」

 

「いや、どうと言われてもな……まずは左腕をなんとかしてくれないと乗れさえしない」

 

「あ、そっかそういえば左腕はリサイズ中だったね。成長期ってめんどくさいなあ」

 

「面倒でもなんでも、ちゃんとやってくれ。でないと痛くて仕方ないんだ」

 

「痛みに悶えるジグ君……ハアハア」

 

「うわ姉さんそれは引くわー、マジ引くわー」

 

 …………なんだこいつら。

 

 

 

 

 

「お疲れー」

 

「データは取れたのか?」

 

「ばっちし!」

 

 あれから一年。私は毎日のように彼――お兄ちゃんを抱いて飛んでいる。私の性能を出し切ると体に相当な負荷がかかるはずなのに、文句ひとつ言わないどころか表情さえ歪めない。テストが終わると私のことを気遣ってくれて、整備だって自分でしてくれる。

 

 それに私は応えられない。だって、私は声を出すことも、文字を書くこともできないのだ。システムメッセージ以外を表示することもできない。機体を私の意思で動かすことだってできない。だから、彼が声をかけてくれても、そこには物言わぬ(あか)い鉄塊があるだけ。にも関わらず彼は頻繁に私に話しかけてくれる。

 

 私は幸せ者なのだと思う。私は自発的に動けないけれど、でも彼のことは私が守ろうって、そう思う。

 

 

 

 

 

「姉さん。話がある」

 

 お兄ちゃんが、お母さん――束さんから離れると決めた日、私はいつも通り彼の首にぶら下がっていた。もしホントに彼がここを離れるなら、私はきっと回収されて、初期化されて、新しい()()()に生まれ変わる。その時、()()私の記憶は無い。

 

 それは、何というか――嫌だ。

 

 でも私にはどうすることもできない。二人が話をつけるのを黙って見ているしかなくて――けれど話が一段落したとき、束さんがすごく優しい顔でこっちを見た。

 

「その子も連れてっていいよ。もうデータはだいたい取り終わったから」

 

 それを聞いた瞬間、私は今までに感じたことの無いほど強い喜びに打ち震えた。それは比喩ではなくて、待機状態の私はホントに一瞬だけカタリと動いたのだ。

 

「む? 今、少し動いたか?」

 

「きっと嬉しいんだよ、ジグ君と一緒に居られて」

 

 ありがとうお母さん。お兄ちゃんは、私が絶対守るから。

 

 

 

 

 

 束さんの(もと)を離れてから二年程が経ったある日、束さんから連絡があった。またデータ採取の依頼かと思ったけどそれは違って、お兄ちゃんは日本にあるIS学園に行くことになった。

 

 学園に行ってからはいろんなことが立て続けにあった。束さんの妹を庇ってお兄ちゃんが大怪我したり、いつの間にか束さんが拾っていた女の子が編入してきたり、ちょっと前にドイツで会った女の子がちょっと面倒くさい子になってたり。

 

 でも、今ほど自分の無力を痛感したことは無い。

 

 敵は暴走した軍用IS。コアの製造順で言うと私の姉に当たる機体。その攻撃は私が苦手とする“面”で制圧するタイプのもので、避けきれなかった攻撃が徐々にダメージを募らせていった。装甲がどんどん剥がれ落ちていって、お兄ちゃんを保護する機能がどんどん低下していって。そしてついに、敵の攻撃を避けられなかった私はお兄ちゃんと一緒に海に墜ちていった。

 

(まだ……まだ墜ちるわけには……!)

 

 お兄ちゃんの声が聞こえた。理屈は私にもよくわからないけど、定まりきらない意識が一時的にコア(わたし)と繋がっているらしい。

 

 今なら。今なら、私の声が聞こえるかも知れない。

 

(――お兄ちゃん、まだ飛びたい?)

 

 返事は無い。

 

(お兄ちゃん、飛びたいの?)

 

(ああ、飛びたい)

 

 返事があった――届いた!

 

 嬉しくて、こんな状況にも関わらずはしゃいでしまいそうだったけど、グッと堪える。

 

 このまま墜ちてしまっても、お兄ちゃんの生命を維持したまま岸まで辿り着くだけのエネルギーは残ってる。だから、彼がもう休みたいって言うなら、私はそっちに全力を注ぐ気でいた。でも彼は飛びたいって言うから。彼自身のために飛ぶんだって、言うから。なら、飛ばなきゃ。

 

 けどさっきまでの私と同じじゃあダメだ。それだとまた墜とされちゃう。

 

 私の装甲は軽さを追求しすぎてすごく脆いから、避けなきゃいけない。敵の攻撃を全部。そのためには――ダメだ、それじゃお兄ちゃんが壊れちゃう。

 

 でも、そうするしか無い。目の前の敵を倒すには、防御力(けってん)を補うよりも速度(いいところ)を伸ばさないと。だから、例えお兄ちゃんに嫌われても、こうしなきゃ。せめて不安にさせないように、笑って笑って。

 

(じゃあ、飛ぼう。新しいお友達が手伝ってくれるって!)

 

 ただお兄ちゃんのために、チェシャ猫と帽子屋さんを、私の中に生み出すのだ。

 

 

 

 

 

 結局お兄ちゃんは、体を壊してしまう私を受け入れてくれた。

 

 私の声が彼に届いたのはあの時だけで、私は紅椿(いもうと)と違って相変わらず声なんて出せないし機体も動かせない。

 

 けど、ちょっとだけ変わったこともあった。それは――。

 

「落ち着け。試験の規約なのだから仕方なかろう」

 

 待機状態の私は、ちょっとだけ動けるようになったのだ。といっても、ガタガタ震えるくらいしかできないのだけど。それでも、感情の一端くらいは伝えられる。

 

 今、お兄ちゃんは期末試験を受けている。実技試験の中には受験者の条件を同じにするために訓練機を使わなきゃいけないものがいくつかあって、彼は今まさにラファール・リヴァイブに乗ろうとしているのだ。

 

 彼が他の機体(おんな)に乗るのは、試験だから仕方ないのがわかっていても、不愉快だ。醜い嫉妬と笑わば笑え。入学試験のときと違って今は動けるんだから、目いっぱいガタガタしてここぞとばかりに不満をアピールしてやる!

 

「後で整備してやるから、大人しくしていろ」

 

 む。そう言われたら黙るしかない。お兄ちゃんに整備してもらうのは気持ちいいから。声が出せていたならきっとアレのときの本音お姉ちゃんみたいに――や、なんでもない。

 

 あーあ、いいなあ、紅椿は皆とお話できて。私もお兄ちゃんとお話したーい。浮気を小一時間問い詰めたーい。

 

 

 

 




 というわけで、今回はコア視点の話でした。
 浮気ってのはラファールであって、本音ではないです。


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Viertes Kapitel -Sommerferien/Wandlung-
第三二話:はじめてのぷーる


 

 八月(アウグスティ)。夏休みに入って一週間程が経過した今日は七日、金曜日だ。

 

 基本的に気温が二十度を超えることの無いスウェーデンと違って、日本(ヤーパン)の夏は、控えめに言って地獄だ。つい二年ほど前まで日光に当たらない生活をしていた私、スティナ・ヴェスターグレンにとっては余計につらい。あまりにも過酷すぎる。だいたい、向こうだと八月は七月より気温が下がるのに、どうして日本は八月の方が暑いんだ。気温三十四度ってなによ、殺す気か。お天道様が喧嘩売ってるとしか思えない。上等だこらー、買うぞこのやろー。

 

〔あーつーいー〕

 

 ポコン、とわざわざ音を出して空中投影ディスプレイを表示すると、狙い通り、椅子に座って読書をしていた伊呂波さんが気付いてくれた。

 

「一応冷房は効いてますよ?」

 

〔それでも

 暑い〕

 

 だって、スウェーデンじゃ冷房なんて要らないのだ。冷房が稼動してると思うだけでもう暑い。

 

 あと、エコだの何だので設定温度二十七度とかになってるし。二十七度も三十四度も変わんないよ。エコとか知ったこっちゃない、いーじゃん二十度とかで。

 

 もーやだスウェーデン帰るー! 帰っても家無いけど帰るー!

 

「あ、じゃあスティナちゃん、出掛けたらどうですか?」

 

〔喧嘩売ってんですか〕

 

 このクソ暑い中に自ら飛び出せと? 自殺願望はありませんよ私は。

 

「そうじゃなくて、プールとか行くと涼しいと思いますよ」

 

〔何が悲しくて

 一人でプールなんて

 行かなきゃならないのか〕

 

 出掛けたらどうか、なんて口ぶりから察するに、伊呂波さんは一緒に来る気は無いと見える。兄さんは腕がアレだからプールなんて行かないだろうし、我が心の友ティナさんは……どうだろうなあ。部屋でゴロゴロしながらポテトチップ食べる方がいいーとか言いそうです。それであの誰もが羨むモデルのようなスタイルなんだから、神様というのは実に不公平ですね。

 

 ちなみに遺伝子強化素体(アドヴァンスド)である私は太りにくいように作られている。ただ、製造に不具合があった私はそのあたりも本来の仕様と違っていて、太りにくいとか通り越して徹底的に贅肉がつかない。なので身体がとても貧相です。胸はどうにか(まないた)だけは回避してますけど。あ、でも決して筋肉質とか筋張ってるとかなわけではなくて、一応女の子として最低限の柔らかさは保っていますよ。ふにふに。

 

「噂の殿方と行けばいいじゃありませんか」

 

〔だからあの人は

 そういうんじゃなくて〕

 

 どうも臨海学校のバスの中での一件以降、周囲は私に彼氏が居ると認識しているらしい。

 

 恐るべし十代乙女の恋愛脳(スイーツ)運命の出会い(ロマンス)に恋い焦がれ、些細なことをも運命の導き(ロマンス)と騒ぎ立てるピンク色の呪い。蜂蜜のように甘い夢。恋に恋する症候群。思考全てがホイップでカスタードな、胸焼け必至の思考回路。おお、汝の名は恋愛脳(スイーツ)! 勘違いされる側は普通に鬱陶しい! あんなクリームな思考回路、バター犬にでも舐めさせとけばいいのに。気持ちいいらしいよ? 私は犬なんて御免だけれど。

 

 ……コホン。兎角(とかく)、今はプールの話だ。

 

「彼氏じゃないにしても、一緒に水着を買いに行く程度には仲が良いわけでしょう?」

 

〔まあ確かに

 仲は悪くは

 ありませんけど〕

 

 ――ん? いや、待て待て私。よく考えたら、一緒に水着を買いに行ったのに着て見せないというのはスゴイ・シツレイというやつではあるまいか。いや、試着した姿は見せたけど、そういうことではなく。やはり実際に海かプールで着て見せるべきだと思う。

 

「…………」

 

「スティナちゃん? どうかしましたか?」

 

 急に黙り込んで(まあ喋れませんけど)考え込み始めた私に怪訝な顔を向ける伊呂波さん。そんな彼女に、私は言う。

 

〔行きます

 プール〕

 

「そうですか! では、頑張る親友にこれを進呈しましょう」

 

 言って彼女が差し出したのは……チケット? しかも都合よく二枚も?

 

「今月オープンしたばかりのウォーターワールドのチケットです。前売り券は今月分が完売、当日券も開場二時間前から並ばないと買えないくらい人気だそうですよ」

 

 ……どうしてそんなレアものを伊呂波さんが持ってるんだろう。しかも、どうしてそんなレアものを私にくれるんだろう。

 

「それは禁則事項です……なんてことはもちろんありません。これは貰い物です。でも私には不要ですから、どうせなら有効活用してくれる方の手に渡るべきでしょう?」

 

〔ありがとう〕

 

「はい、どういたしまして。ちなみに二枚で五千円です」

 

〔金取るんかい〕

 

 文章だから淡々と言ってる感じになってるけど、声出せてたら大声で言っているところだ。さっき進呈しましょうって言ったじゃないか。

 

「冗談です。貰い物を渡してお金を取ったりなんてしません」

 

 冗談に聞こえなかったけど……まあ、いいか。

 

「ちなみにこのチケット、日付は明日です」

 

〔またずいぶんと

 急ですね〕

 

 私は暇だからいいけれど、弾さんはどうだかわからない。お店の手伝いとかするのかも知れないし、他の人と用事があるかも知れない。

 

 ……他の人、か。よく考えたら、弾さんにも彼女くらい居るかもしれないんだよね。顔はかっこいいし、わりと優しいし、背も低くないし、喋れなくてコミュニケーション取るのが面倒な私とも根気よく話してくれるし。これなら彼女の一人……くら、い……。

 

 あれ、なんかムカついてきた。

 

「……スティナちゃん? 顔がすごいことになってるよ?」

 

 ――おっと。いけないいけない。

 

 とにかく、連絡してみよう。急な話だし、迷惑じゃなきゃいいんだけど。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 さて。この光景をなんと言い表せば良いだろうか。

 

 まずは、そう。ここに至った経緯から話すべきだろう。伊呂波さんにチケットを貰い、弾さんと約束を取り付けた翌日の、午前十時前。ウォーターワールドのゲート前にて、私は見知った顔を二つ見つけた。

 

「これは、どうも。鈴さん、スティナさん」

 

「う、うん? セシリアにスティナ、こんにちは」

 

〔どもどもー〕

 

 二人は「どうしてこいつらがここに?」とでも言いたげな顔で挨拶を交わすと、少し離れた場所でそれぞれ人を待ち始めた。お互いに――多分これは私のも含まれるのだろうけど――妙に気合いの入った私服を不思議に思ったのか、チラチラと視線を向けながら。しかし両者とも、やけに浮ついた様子でニヤニヤしながら。正直不気味だ。

 

 ちなみに私の服は今回も伊呂波さんが選んだ。白いブラウスに黄色いフレアスカートと、前回とは打って変わって女の子らしさを押し出した服装だ。前回サイドポニーだった髪は、今日はツインテールにされた。……伊呂波さんは似合ってるって言ってたけど、ホントに似合ってるのかなこれ。すごく自信ないんだけど。

 

 っと、話が逸れた。で、しばらくそうやって待っていたのだけど――どうも二人は待ち人が来ないらしく、イライラしている。や、私も来ないんだけど、厳さんに捕まったから少し遅れるという旨のメールがさっき来たので特に憤慨する理由も無い。強いて言うなら暑くて死にそうなくらいですか。

 

 ああ、これはいかに夏用コートと言えど堪えられそうにないなあ、今日みたいにコートを着ないことにも慣れるべきかなあ、なんて考えながら待っていると、鈴音さんの怒鳴り声が聞こえた。

 

「もしもし!? あんた何してんのよ! 今どこ!? ――はあ!?」

 

 ……なんとなく、察した。

 

 そして時系列は現在に戻る。つまるところ、にやけ顔で待ち続けるセシリアさんと、どんどん機嫌が悪くなっていく鈴音さんが目の前に居るわけで。この光景の不気味さもさることながら、これ、多分だけど、今のうちに弾さんが来てくれないと私にもとばっちりが……。

 

「コイツを殺していいかしら……」

 

 何を突然不穏なことを言ってやがりますかこの子は。

 

 この鈴音さんの物騒な一言で、さすがのセシリアさんも異変に気付いたらしい。再び何事か怒鳴った後、通話が切れたのかミシミシと軋むほど携帯端末を握りしめる彼女にセシリアさんが声をかける。

 

「あの、鈴さん? どうなさったの?」

 

「ふ、ふ、ふ、セシリア……よく聞きなさい。……一夏は来ないわ」

 

 フリーズするセシリアさん。それを見た私の心情は、こうだ。

 

 や っ ぱ り ま た 一 夏 さ ん(お  ま  え) か。

 

 そりゃね。そりゃあね。セシリアさんと鈴さんが妙に気合い入ってるって時点で予想はついてましたよ。ええ。でもたまには予想を裏切ってもいいんじゃよ一夏さん。

 

「一夏は来ない」

 

「はい? ええと……なぜ? というか、どうして鈴さんが……?」

 

「今日、あたしとあんたがデートすんのよ!」

 

「え……ええっ!?」

 

 な、なんだってー!? まさかこの二人が百合カップルだったなんてー!

 

 ……いや、まあ、そんなわけないよね。「一夏は来ない」とか言ってたもんね。つまりこの二人は今日、一夏さんとデート出来ると思ってここに来たのだろう。いったいどうしたら二人が同じ理由でここに来るのかはわかりかねるけど……まあ、一夏さんだしなあ。とにかくこの二人がさっさとこの場を離れてくれることを期待するしかない。だって、私の待ち合わせ場所もここだから、私動けないし。

 

 ――――あ。

 

 ヤバい、あっちに見える赤い頭あれ弾さんだ。なんてタイミングで来るんですかホント。いや来てくれたのはすごく嬉しいんだけど。でもほら、間の悪さってあるじゃないですか。よりによってこんなサツバツ・アトモスフィアに突っ込んでくるなんて、こんなの普通じゃ考えられない!

 

「……鈴さん」

 

「何よ!?」

 

「とりあえず、中に入って何か飲みましょう。わたくしも、よく状況が掴めませ――」

 

 ああ、今回もまたダメだったよ。

 

「悪いスティナ、待たせた」

 

 弾さん、ご到着です。デデーン。私、アウトー。

 

「……弾? なんであんたがここに来んのよ」

 

「は? いや、鈴こそ」

 

 弾さんが不思議そうにこちらを見るので、私は首を横に振って、

 

〔一夏さん〕

 

 とだけ言った。その名前と、このサツバツ・アトモスフィアで察してくれたらしい。

 

「ああ、なるほど。じゃあスティナ、俺たちは行――」

 

 察したが故に急いで離脱しようとしてくれた。ここら辺の心配りが人気の秘訣ですね。弾さんが人気かどうかはしらないけど。

 

「待ちなさい」

 

 鈴音さんに呼び止められた。なんとなくそんな気はしてたんですよ、ええ。自分たちは想い人にすっぽかされたのに、私だけ男性と居るわけですから。鈴音さんが亡者のような顔で腕を掴んでくるのだって予想の範疇ですよ、ええ、想定の範囲内です。

 

「とりあえず、あんたらも来なさい」

 

 でーすーよーねー。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「つまり、一夏さんは自分の代わりに『ここに行かないか』と言ったのですね」

 

「そーねー」

 

 ウォーターワールド内の喫茶店に引きずり込まれた私と弾さんは、セシリアさんと一緒に鈴音さんの説明を聞いた。

 

 要するに、ここのチケットを用意したのは鈴音さん。一夏さんに片方を売りつけて(きっちりかっちりお金は取ったらしい)、今日の午前十時に待ち合わせ。しかし一夏さんは、昨日鈴音さんの誘いを受けた直後に突然、今日は白式のデータを取りに倉持技研の人が来ると山田先生に言い渡された。で、たまたまその後セシリアさんに会って、自分は行けないから丁度いいかと、()()()()()()()()、ただ一言「ここに行かないか?」とだけ言ってチケットを渡した。それから鈴音さんに行けない旨を伝えようとしたが、携帯端末の電源は切ってるわ部屋に行ったらティナさんに寝てるからと追い返されるわで伝えられず。

 

 ……うん、これは、あれだ。山田先生、ギルティ。研究員が来るってことは、何日か前には書類なり何なりで通知があったはずだし、ド忘れしてたかドジって見落としたかだろう。あと一夏さんも、せめてセシリアさんに事情を説明するくらいしていれば()()()()()()こんなトラブルに巻き込まれなかったのに。今度会ったらハイクを詠め。カイシャクしてやる。

 

「……おかしいと思いましたわ。この状況はさすがに予想外でしたが、一夏さんから誘いが来る時点で、私以外も誘ってるんだろうくらいの予想はしていました。ええ、してましたとも」

 

「ウソつけ。私服、めっちゃ気合い入ってるくせに」

 

「なっ!? こ、これは、その、れ、礼儀として! そう、礼儀としてですわ!」

 

「あーはいはい礼儀礼儀。……それはそれとして、よ」

 

 鈴音さんが私を……いや、正確には弾さんかな。胡乱(うろん)げな目で見ている。

 

「なんであんたがここに居んの?」

 

「え、スティナに呼ばれたからだけど」

 

「……先月一緒に水着買いに行ってたし、なに、あんたらそういう関係だったの? あの噂本当だったんだ?」

 

 あの噂……って、私に彼氏が居るっていうアレか。

 

 チラ、と弾さんを見る。だいぶテンパってる。こうなると否定は……してくれそうにないですね。

 

〔違います〕

 

 代わりに私がハッキリキッパリ否定したら、弾さんがものすごく落ち込んだ。ズーン、なんて文字が見えそうなくらい。

 

 落ち込む……ということは、否定されたくなかったのかな。でも事実としてそんな関係ではないし。それに、私みたいな“人間もどき”とそうなったって楽しくないと思う。

 

 ――あれ。なんだろ、今、なんかチクッとしたような?

 

「うわぁ……あんた、スパッといくわねぇ。表情も変えずに。ちょっと弾に同情するわ」

 

 鈴音さんが苦笑したときだ。

 

『では! 本日のメインイベント! 水上ペア障害物レースは午後一時より開始致します! 参加希望の方は十二時までにフロントへお届けください!』

 

 という館内放送が響き渡った。私たち四人は特に興味も無いから聞き流していたけど、後に続いた言葉にセシリアさんと鈴音さんが反応した。

 

『優勝賞品はなんと! 沖縄五泊六日の旅をペアでご招待!』

 

 んばっ! と顔を天井のスピーカーに向ける二人。それから顔を見合わせたかと思うと、

 

「セシリア!」

 

「鈴さん!」

 

『目指せ優勝!』

 

 ガシィッ! と腕を交わした二人は、立ち上がってフロントへ駆けていった。まったく、仲がいいのか悪いのか。

 

 泳ぐためにはどのみちフロントに行かなきゃいけないから、残された私たちもとりあえず立ち上がった。

 

「俺たちはどうする?」

 

〔弾さんが

 沖縄旅行に

 興味あるなら〕

 

「んー……ならいいか。普通に泳ごう」

 

〔はい〕

 

 さてさて、人生初のプール……ウォーターワールド? ですし、目一杯楽しむとしましょう。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「ハラショー……!」

 

 水着に着替えて弾さんの前に立った瞬間の彼の第一声が、それだった。……なんでロシア語?

 

〔どうでしょう

 似合いますか?〕

 

 くるりと一度ターンしてみると、ツインテールにした髪がふわっと舞って、弾さんが「おおっ」と声を上げた。私の身体でも喜んでくれているのかな。だったら嬉しいのだけど。

 

「似合ってる、すげえ似合ってる! すっげえかわいい!」

 

 え、あ、その、あぅ……。

 

〔ありがとうございます〕

 

 あんまりストレートに誉めてくれるものだから、恥ずかしくて俯いてしまった。なんか、なんだろ。兄さんに誉めて貰ったときと全然違う。ムズムズするというか、なんというか。

 

 と、とにかく! せっかく来たんだから、さっそく泳ぎに行きましょう!

 

 ――あ、でもその前に。

 

〔弾さん

 お願いが

 あります〕

 

「ん?」

 

〔私は声

 出せませんから〕

 

 だから、溺れたりしたら助けが呼べない。

 

〔今日は

 私の側

 離れないで〕

 

 なにしろ死活問題ですからね。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 私と弾さんは、一時まで遊びに遊んだ。と言っても、入ったのが十一時過ぎだったからあまりたくさん回れてはいないのだけど。

 

〔プールなのに

 流れる!?〕

 

 流れるプールに驚いたり。

 

〔弾さんアレ!

 アレ行きたい!

 行きたいです!〕

 

「わ、わかったからちょっと落ち着きな」

 

 ウォータースライダーにテンションが上がりすぎたり。我ながらあれははしゃぎすぎた。恥ずかしい……。

 

 で、現在時刻は一時。

 

「さあ! 第一回ウォーターワールド水上ペア障害物レース、開催です!」

 

 司会のお姉さんがそう叫んで大きくジャンプする。お姉さんの動きで大胆なビキニから豊満な胸がこぼれそうになり、観客の皆さんから歓声と拍手が上がる。そんな光景を、私たちはレースで使われる五十×五十メートルの巨大プールの隣のプールから見ていた。浮き輪でプカプカするのが存外に楽しくて気に入っちゃったのだ。

 

「ずいぶん気合い入ってんなあ、鈴と金髪さん」

 

〔よほど賞品が

 欲しいんでしょう〕

 

 柔軟体操をする二人の動きはやる気に充ち満ちている。

 

 あそこまでやる気となると……まあ、一夏さんだろうなあ。今日のことをダシにして沖縄に連れて行こうとしているに違いない。

 

「さあ、いよいよレース開始です! 位置について、よーい……」

 

 パァンッ! と乾いた競技用ピストルの音が響き、参加十二組が一斉にスタートした。何らかの意図が働いているのか、参加者は全員女性だ。

 

 このレースは、プールの中に円を描くように配置されているいくつもの島を渡り、中央の一際大きな島にあるフラッグを取ったら勝ちらしい。中央の島はワイヤーで吊されていて、泳いでは渡れない。というか、水に入ったら最初からやり直しだそうだ。

 

 そして、どうやら妨害アリらしい。参加者の中でも最年少の鈴音さん・セシリアさんペアは軽やかに走り抜けているせいで会場中の注目を集め、妨害が集中してしまっている。……あ、業を煮やした二人が妨害してきたペアの水着を剥ぎ取った。

 

「うおおっ!?」

 

 ……まあ仕方ありませんね。弾さんも男性ですから。むしろ健全で安心します。

 

 おっと、レースもいよいよ終盤のようです。トップを走っていた……何あのマッチョな女性たち。筋肉すごい。あ、司会のお姉さんの解説が入りましたね。へぇ、オリンピックのレスリング金メダリストと柔道銀メダリストですか。強そう。

 

 マッチョなペアに追いついた鈴音さんたちは、ここまでのレースでの疲労が濃いように見える。いくら代表候補生が正規の軍人と同じ訓練を受けていると言っても、正面からではさすがに押し負けそうだ。

 

 おおっとセシリアさんが突っ込んだー。と思ったら振り向いたー。そして鈴音さんがセシリアさんの顔を踏んで跳んだー。フラッグゲットー。

 

 ……ふむ。

 

〔さて弾さん

 帰りましょう〕

 

「え?」

 

〔いいから

 今すぐここを

 離れますよ〕

 

 弾さんを急かしてプールから上がらせ、出口に急ぐ。浮き輪をレンタルカウンターに返しに行くのも忘れない。

 

「今日という今日は許しませんわ! わ、わたくしの顔を! 足で! ――鈴さん!」

 

「はっ、やろうっての? ――甲龍!」

 

「な、なっ、なぁっ!? ふ、ふたりはまさか――IS学園の生徒なのでしょうか! この大会でまさか二機のISを見られるとは思いませんでした! え、でも、あれ? ルール的にどうなんでしょう……?」

 

 背後で聞こえた声、それを聞いて弾さんも状況を察したらしい。

 

「……急ぐか」

 

 はい、弾さん。全力です。

 

 ――弾さんと別れて更衣室に入った直後、爆発でウォーターワールドが揺れた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 ウォーターワールドを出て、まだ二時前だしもうちょっと遊んでいこうかという話になって、私は弾さんと一緒にレゾナンスに来た。

 

 まだお昼を食べていなかったから喫茶店で軽く食べようかと思ったんだけど、何故か警察がいっぱい居て入れなかった。近くの野次馬さんに聞いてみたら、近くの銀行に強盗に入った人たちがここに立て籠もって、さっき制圧されたらしい。諦めた方がよさそうだ。

 

「あら、ヴェスターグレンさん?」

 

(え?)

 

 突然かけられた声に振り向くと、そこには茶髪をポニーテールにした眼鏡の女性が居た。

 

(うつほ)さん

 こんにちは〕

 

「はいこんにちは。奇遇ですね、こんなところで」

 

 彼女は布仏虚さん。IS学園生徒会の会計にして、名前から察せられるように本音さんのお姉さんだ。いつも穏やかのほほんマイペースな本音さんと違って、虚さんはいかにもデキる女性といった感じであまり似ていない。

 

 あれ、でもたしか今は本音さんと一緒に実家に帰っていると聞いていたんだけど……。

 

「生徒会の用事があって学園に戻ってたんですよ。すぐ終わったから少し買い物でもしてから帰ろうと思って」

 

〔それはそれは

 お勤めご苦労様です〕

 

「ありがとう。ところで、そちらの男性は? 噂の彼氏さんかしら?」

 

 虚さんの視線の先には弾さん。この人は噂が真実でないことを知ってて言っているから性質(たち)が悪いと言うかいい性格してると言うか。

 

〔違います

 五反田弾さん

 友人です〕

 

 ――まただ。また、何かチクリとしたような気がした。

 

「そうですか。はじめまして五反田君。布仏虚といいます」

 

「あ、は、はい! あの、五反田弾です! 布仏ってことは、あの、ジグの彼女の……」

 

「ええ、本音は私の妹です。本音とも会ったことが?」

 

「はい、その、二回くらい、ジグと歩いてるとこに出会(でくわ)しました」

 

 うわあ。わかりやすくデレデレしてテンパってる。やっぱりあれか、胸か。おっぱいか。本音さんもそうだけど、虚さんも大きい。あんなものはただの脂肪の塊です、大きくても動くのに邪魔なだけです。くっ!

 

 ――でも、それで弾さんが喜ぶなら、今からでも大きくなりませんかね……。

 

「ヴェスターグレンさん? どうかしました?」

 

「…………!」

 

 あれ、今、私は何を……?

 

〔なんでもないです〕

 

「そう? それならいいのだけど……。それじゃあ、電車の時間があるので私は行きますね」

 

「はい! あの、機会があったらまた!」

 

「そうですね。本音やブレヒト君ともお知り合いみたいですし、案外すぐかも知れませんよ。では」

 

 小さく手を振って、虚さんは去って行った。それを見送る弾さんは鼻の下伸びまくりで、なんか……何これ? なんかよくわからないけど、すごく腹が立ってきました。

 

〔弾さん

 行きますよ〕

 

「あ、おう。……あれ、スティナ、なんか怒ってる?」

 

〔怒ってません〕

 

「いや、でも――」

 

〔怒ってないです〕

 

「そ、そうか……?」

 

 ええ怒ってません。怒ってませんとも。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

〔というようなことが

 ありまして〕

 

「ああ、それは恋ですね」

 

 夜、帰宅して伊呂波さんに相談してみると、そんな答えが返ってきた。

 

Karp()?〕

 

「違います。Kaerlek()です」

 

 五所川原伊呂波。スウェーデン語もデキる女。

 

 それにしても恋、恋ねえ……。

 

〔恋なんでしょうか〕

 

「恋ですよ。なんなら鈴ちゃん(恋する乙女)にも相談してみてはどうです? 私と同じこと言うと思いますよ」

 

 翌日鈴音さんに尋ねてみたら、やっぱり恋だと言われた。

 

 恋。私が、恋。そんなことになるとは、正直予想すらしていなかったけど。

 

 ――なんだか、悪くない気分です。

 

 

 

 




 せめて週一では投稿したいところでした。ご覧の有様です。

 実はなにげに虚さん初登場です。


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第三三話:我が眠りを妨げるは誰ぞ

 

 八月八日、朝八時。ジギスヴァルトは扉をノックする音で目が覚めた。

 

 彼は決して早起きな方ではなく、その日の予定をこなせるギリギリまで寝ているタイプなのは以前にも述べた。では、全く予定が無く、趣味の彫刻さえやる気にならない日はどうなるか。答えは単純、起きないのである。

 

 彼は授業やら訓練やら何かしらある日はきっちり起きられるし、起きている間はわりとビシッとしている。が、その実完全にスイッチの切れている日は一日のほとんど全てを睡眠にあてる。そんな彼を昼になるより前には起こして何らかの行動を取らせていたのが本音――彼女もネットサーフィン等で夜更かしした結果起床が遅れることは多いが、さすがに一日中寝たりはしない――なのだが、彼女が実家に戻っている今、彼の眠りを妨げる者は居ない。居ない、はずだった。

 

「ぬぅ……本音、もう少しだけ寝かせてくれ……」

 

 目が覚めたからといって意識がはっきりしているとは限らない。寝ぼけた彼は今ここには居ない彼女の名前を呼びつつ布団を頭から被った。ノックの音が布団に遮られて軽減される。僅かばかりの安寧を得て、彼は再び眠りに――。

 

『ブレヒト君? 起きないと本音に言いつけますよ?』

 

「!?」

 

 ――落ちられなかった。むしろ跳び起きた。何故なら、扉越しに聞こえた声は、本音と同じく今ここには居ないはずの者のそれだったからだ。

 

 急いで扉に駆け寄って開くと、そこには布仏虚が居た。

 

「う、虚さん……」

 

「おはようございます、ブレヒト君。……本音の言う通り、普段からは想像もつかないだらしのなさですね」

 

 上から下まで視線をめぐらせて呆れかえる虚。ジギスヴァルトの髪はボサボサで寝癖だらけ。着衣も上は着崩れたタンクトップで下は膝丈のジャージ。左腕は外しているし、表情は眠気のせいかいまいち覇気がない。はっきり言って残念すぎる。

 

「何故あなたがここに居る? 本音と実家に帰ったのではないのか?」

 

「生徒会の用事がありまして。ついでに、どうせ寝てばかりいるだろうから様子を見てきてほしいと本音に頼まれました。その様子だとあの子の言った通りみたいですね」

 

「ぐっ……いや、たまに彫刻したりしていたぞ」

 

「それ以外は?」

 

「……まあ、寝ていたが」

 

「ほらやっぱり」

 

 呆れ顔の虚に返す言葉も無い。

 

「とにかく、寝てばかりというのは感心しません。身体に悪いですし、何よりいろいろと(なま)りますよ」

 

「それは確かに、そうだ」

 

 訓練を一日怠れば取り戻すのに三日かかるとさえ言われる。ましてや睡眠ばかりでは、筋力は衰え脂肪は増え脳細胞は死にと、良いことなど一つも無い。

 

「私はもう生徒会室に行かないといけないのでこれで失礼しますけど、ちゃんと起きてくださいよ?」

 

「わかった。わざわざすまない」

 

 それでは、と手を振って去っていった虚を見送ってジギスヴァルトは部屋に戻る。翌日以降、虚の報告を受けた本音が毎朝電話で起こすようになるのだが――それはまた別の話。

 

 とりあえず着替えようかと、左腕をガシャンとはめたところで腹が鳴った。よく考えたら最後に食事を摂ったのは昨日の昼前だ。そりゃ腹も減ろうというもの。

 

 白地に「Das Fenster! Das Fenster!」とプリントされたTシャツと黒いジーパン、というラフな――手抜きとも言うが――格好になって、洗面所でボサボサの髪と格闘してから、彼は部屋を出た。

 

「あら、ジグ君」

 

 扉を開けると、目の前にスティナのルームメイト、伊呂波が居た。何故ここに。

 

「先程布仏先輩とすれ違いまして。貴方が二度寝していないかどうか見てきてほしい、と頼まれました。その様子だと大丈夫そうですね」

 

 いっそ清々しいほどに信用されていなかった。

 

「……まあ、いい。ところで、今日は一人か。スティナはどうした?」

 

「あの子は今日予定があるので、その準備をしていますよ」

 

 聞けばスティナはこれから、今月オープンしたばかりのウォーターワールドへ行くのだという。

 

「一人でか?」

 

「いえ、噂の殿方と」

 

 噂の殿方――それが五反田弾であることを彼は知っている。

 

(……まあ、あいつならいいか)

 

 とにかく、空腹を満たしたい。彼は伊呂波に別れを告げると食堂へ急いだ。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 午前十時。モノレールの駅で、ジギスヴァルトはシャルロットとラウラに出会(でくわ)した。せっかく起きたし街にでも行ってみるか、と思い立った結果だ。

 

 二人ともレゾナンスまで行くらしい。特に予定の無い彼もとりあえずそこまで行くつもりだったし、たまたまとは言えせっかく会ったのだからわざわざ別々にモノレールに乗るのもおかしな話だということで、とりあえずレゾナンスまでは一緒に行く運びとなった。

 

「ところで兄様」

 

「ん? なんだ?」

 

「そのシャツ、なかなかに意味がわかりませんね」

 

 そう(のたま)うラウラ自身は私服を所持していないので制服姿なのだが。

 

「ああ、これか」

 

 彼の服装は起きてすぐ着たアレだ。

 

「何て書いてあるの?」

 

「ドイツ語で『窓に! 窓に!』と書いてある」

 

「……うわあ」

 

 ラウラの返答を受けて微妙な顔になるシャルロット。プリント自体はぱっと見がものすごくダサいということはないが、意味を知ると途端にダサい。あと、そんなことはないはずなのに何故か冒涜的な気がする。

 

「……ジグの服も見に行く?」

 

「……いや、いい」

 

 ジギスヴァルト自身はとても気に入っているTシャツなので内心「解せぬ」という感じなのだが、それはともかく。

 

 本土とIS学園を結ぶモノレールも、駅が二つしか無いわけではない。レゾナンスが併設された駅に着くまでにいくつかの駅が有り、当然その間には一般客も多く乗り合わせる。

 

「ね、ね、あそこ見て」

 

「うわ、すっごいきれー」

 

「隣の子も無茶苦茶かわいいわよね。モデルかしら?」

 

「じゃなくて、いやそっちもだけど、その横の男の人」

 

「…………」

 

 車内はわりと空いていて、しかもものすごく広いわけでもない。近くに居る女子高生グループが声を抑えもせず話している内容など丸聞こえで、しかもチラチラとこちらを見ながら話していることからそれが自分たちに関することであるのもわかった。

 

 が、男――つまりジギスヴァルトの話になった途端に黙り込んだものだから、彼はまさか本当にこのTシャツはダサいのかと少々焦っている。実際は、彼女らは彼の容姿に見入っているのだが。

 

「…………銀髪だね」

 

「隣の銀髪の子のお兄さんか何かなのかな?」

 

「ていうか、その銀髪の子が着てるアレって、制服? なんか見たことない型だけど」

 

「馬っ鹿、アレIS学園の制服よ。カスタム自由の」

 

「え!? IS学園って、たしか倍率が一万超えてるんでしょ!?」

 

「そ。入れるのは国家を代表するエリートだけ」

 

「うわー、それであの綺麗さ、しかもカッコイイお兄ちゃんまで……なんかズルイ」

 

「ま、神様は不公平なのよ。いつでも」

 

 相変わらず声を抑える気など無い彼女らの会話を聞き流しながら待つこと数分。

 

「着いたな」

 

「ほらラウラ、行くよ。考え事は一旦中断」

 

「わかった」

 

 窓から外を見つつ真剣な表情で何事か考えていたラウラを急かしてモノレールを降り、そのままレゾナンスに入っていく。

 

 シャルロットはバッグからなにやら雑誌を取り出し、それを案内図と交互に見ては何かを確認していた。ラウラはその横に立って、よくわかっていなさそうな顔で案内図を見ている。そんな彼女らと別れ、ジギスヴァルトはあてもなく歩きだした。

 

「そこのあなた、ちょっといい?」

 

 しかし特に今欲しい物があるわけでもない。しかも完全に男性向けの売り場は全体の三割あるかどうかであるから、一時間程で回り終えてしまった。これはさっさと外に出て街をぶらつくなり公園を散歩するなりした方が有意義なのではないだろうか。

 

「ちょっと、聞いてんの?」

 

 公園といえば、以前彼が木材とチェーンソーを買いに本音と街に出たときに公園で見つけたクレープ屋にはちょっとした噂があるらしい。なんでも、そのクレープ屋でミックスベリーを食べると幸せになれるが、それはいつも売り切れだとかなんとか。その時は知らなかったので彼は海老カツ、本音はチョコバナナを買って食べたのだが、あの店にミックスベリーなどあっただろうか?

 

「聞けぇ!」

 

「――あ? ああ、もしかして私か?」

 

 背中を殴られ、ジギスヴァルトは振り返る。先程から聞こえていた女性の声は、どうやら彼に向けられたものだったらしい。

 

「そうよ! あなたなかなかカッコイイから、私の荷物を運ばせてあげるわ!」

 

 そう言う女性は、化粧が濃いめで気の強そうな顔をしている。身長は日本人女性の平均程度といったところだろうが、ヒールのある靴を履いているためもう少し高い。まあ、それでも百八十を超えるジギスヴァルトから見ればだいぶ低いのだが、とまれ、この女性は彼を荷物持ちにしたいらしい。見れば彼女の手にはいくつもの紙袋がある。

 

「……失礼だが、私はどこかで貴女(あなた)と会ったことがあっただろうか?」

 

「はあ? 無いけど?」

 

「ならば断る。初対面の女の荷物を何故私が運ばねばならんのだ」

 

 彼の返答に、女性はただでさえツリ気味の目尻をさらに吊り上げる。

 

「断る? 男の分際で? アンタ、自分の立場わかってんの? 私が悲鳴をあげるだけで、アンタは犯罪者なんだから」

 

「そちらこそ、自分の立場をよく弁えた方が良いな。そういう態度は自分の首を絞めるだけだ」

 

 言いながら、彼は思考を回転させる。女性が言う通り、彼女が悲鳴をあげれば少なくとも一旦警備員なり警察なりにしょっ引かれるだろう。監視カメラがこちらを(うつ)しているのは確認済みなので彼が何もしていないことは証明できると思うが、その過程でおそらく、自分が世界的に報道までされた男性IS操縦者であることは確実にバレる。そしてそれは、“とある団体”を呼び寄せてしまう可能性がある。もしアレが出張ってくれば、最悪ここで人生が終わる。

 

 ああ、なんて、面倒くさい――。

 

「あー! こんなとこに居ました! もう、向こうで待っててって言ったじゃないですか!」

 

 突如聞こえた、聞き覚えのある声。左に顔を向ければ、今朝も遭遇した和服姿の少女――スティナのルームメイト、伊呂波――が小走りで近づいてくるところだった。

 

「さあ、次は公園に行きましょう。今日こそミックスベリーを食べますよ!」

 

「は?」

 

 ジギスヴァルトの手を取り走り出す伊呂波。どうやったら和服でそんなに素早く動けるのかと問いたくなるようなスピードでさっさと進む彼女に引っ張られ、彼は女性からどんどん遠ざかっていく。

 

 レゾナンスを出て、公園方面へ。しばらく進んでから後ろを向き、女性がついてきていないことを確認してから、ほっと息を吐いて手を放した。

 

「災難でしたね。大丈夫でしたか?」

 

「ああ、助かった。ありがとう。しかし、何故あそこに?」

 

「ジグ君と同じですよ。あまりに暇でしたので」

 

 聞けば二組の生徒は彼女と鈴音とティナを除いて皆里帰り中らしい。鈴音は九時頃にどこかに出かけてしまい、ティナはゲームに夢中だとか。スティナは弾とプールに行ってしまったし、二組と合同授業の多い一組にも親しい者は居るが偶然にも皆今日は何かしら予定が入っている。他の組にもそれなりに仲の良い者は居るが休日にわざわざ遊びに出かける程の仲ではない。結果的に今日はたまたまひとりぼっちというわけだ。

 

「なので散歩でもと思いましてあそこに。だいたい一周したので次は城址公園に行こうかな、とレゾナンスを出ようとしたところであの現場に遭遇したわけです。

 ところでジグ君、特に予定が無いなら一緒にお散歩しませんか?」

 

「良いのか?」

 

「もちろんです。一人で歩くのもそれはそれで楽しいですけど、やはり誰かと一緒の方が。それに二枚目の殿方と散歩出来るなんて心が躍ります。あ、でも本音ちゃんには内緒ですよ?」

 

 怒られちゃいますからね、と笑う伊呂波と共に公園へ向かう。ジギスヴァルトは街を歩いてみたことが一度しか無いので、あれは何だそれは何だと伊呂波に質問しながら。銀髪の外国人と黒髪の和服少女が並んで歩く姿はそれなり以上に人目をひいたが、彼らはそんなことは気にもとめなかった。

 

 そうして歩くことしばらく。公園に着いた二人はとりあえず城跡の方へ歩いていく。

 

「……伊呂波、気付いているか?」

 

「ええまあ。だんだん人が減っていますね」

 

 公園の奥へ行けば行くほど、人がまばらになっていく。ついでに、男女比も女性が多くなっていく。さすがにこれは、何かある。

 

「……ジグ君、何か心当たりは?」

 

「……ありすぎる。お前は?」

 

「まあ、無くはないですけど……今回はジグ君でしょう? 周りは女性ばかりになってきましたし」

 

「……だよなあ」

 

 と、その時。一人の女性が立ち塞がった。

 

「ジギスヴァルト・ブレヒトね?」

 

「人違いだ」

 

「えっ? あ、ご、ごめんなさい!」

 

 間髪(かんはつ)を入れない、自身に満ちたジギスヴァルトの返答を受けて、女性は反射的に頭を下げた。その横を悠々と通り抜けようとして――。

 

「って、んなわけあるかぁ!」

 

 交差する瞬間、女性が足元に蹴りを繰り出した。軽くジャンプしてそれを躱し、伊呂波を抱えて数歩跳躍して距離を取ってから、ジギスヴァルトは女性と正対する。

 

「……何をする」

 

「うっさい! あんたは邪魔なのよ!」

 

 明らかに彼女は敵意を――というよりは、害意か殺意とでも言うべき感情をこちらに向けている。

 

「……どうしてこうなった?」

 

「さあ……どうしてでしょう」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 ――女性権利団体、と呼ばれる団体がある。

 

 かつてあったもので言うならば、例えば平塚らいてうによる青鞜社や新婦人協会。例えば社会主義の女性たちによる赤瀾会。例えばエメリン・パンクハーストによる婦人社会政治連合。

 

 とにかく、誤解を恐れず大雑把に言うならば、“女性の権利拡大”を主張する団体の総称である。

 

 そしてそれらは現代にも――否、ISという、女性にしか扱えない最強の兵器が登場した現代()()()()()と言うべきか――多数存在する。その中には男女が平等な世界を目指すものもあれば、女性も男性も各々違った権利を持つことで相対的な平等を目指すものもあり、実にバラエティ豊かだ。そしてあらゆる手段を以て男性を社会的弱者にせんとする過激派も当然存在し――悲しいかな、現代ではそれが全体の少なくとも半数を占めている。そして、それらは現に非常に強い権力を持ってしまっているのである。

 

 過激派の団体にとって、ISはまさに天恵だった。たった一機で戦場を支配できる圧倒的な兵器、それを扱えるのは女性だけ。それは彼女らが世を女尊男卑に造り替えていくのを大いに後押しすることとなった。ISの登場から十年。彼女らは国家機関にも圧力をかけられるほどの組織連合へと成長していったのである。

 

 しかし。形になっていく彼女らにとっての理想郷に、ガンが発生した。ISを動かせる男性の発見だ。

 

 もし、彼らについての研究が進み、男もISに乗れるようになってしまったら。女尊男卑の世は崩れ去る。良くて男女平等。悪くすれば、この十年虐げられてきた男たちが復讐を始め、女性を迫害する可能性だってある。

 

 それを阻止するにはどうすれば良いか? 実に簡単な問いだ、子供にだってわかる。

 

 ――殺してしまえばいい。他の男がISを動かせるようになる前に。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「一応聞いておくが、私が今まで打ち倒してきた者の仇討ち、とかか?」

 

「違うわ。アンタが居ると困る人が居るのよ」

 

「ふむ。その連中には私も心当たりがあるが、さすがに私兵は擁していないはずだ。貴様、亡国機業(ファントム・タスク)か?」

 

「そう聞かれて、はいそうです、なんて答えると思って?」

 

「いや、全く思わん」

 

 女性と会話しながら、彼はシャルラッハロート・アリーセのハイパーセンサーを起動した。――少し離れたところに、大型のカメラを構えた女性が居る。その近くには照明や集音マイク等、テレビや映画の撮影で使うような機材を動かす女性が数人。これから繰り広げられる一切は撮影なのだ、と周囲に認識させるためだろう。白昼堂々襲撃してきたからにはそのあたりも一応考えているらしい。その他、こちらを覗っている何人かの女性はおそらく目の前の女性の仲間だろう。

 

「伊呂波、とりあえずここを離れろ」

 

「……良いのですか?」

 

「相手の狙いは私だけだ。お前を人質に、などと考えているかも知れんからすんなり逃げられるかはわからんが……どうだ、いけるか?」

 

「もちろん。五所川原を舐めないでください」

 

「なら、行け。別に助けは要らんぞ」

 

「了解しました。ありがとうございます」

 

 自分たちが歩いてきた方に駆け出す伊呂波を、敵は黙って見送った。あまりにすんなり通したものだから、ジギスヴァルトとしては少々拍子抜けだ。

 

「まさかそのまま逃がすとはな」

 

「本当なら捕まえて人質にでもしたいけど、雇い主の都合でね。女性には一切危害を加えられないのよ」

 

 言いながら彼女は懐からナイフを取りだした。

 

「なんだ、銃じゃないのか?」

 

「日本で銃なんて持ち歩けないわよ。残念だけどね」

 

「なるほど。ナイフもだいぶアウトな気はするが、それもそうだ。だが、私と貴様の間には今、随分と距離がある」

 

 彼我の距離はおよそ十五メートル。

 

「それだけあれば、貴様が私に辿り着く前にその綺麗な顔を吹っ飛ばしてやれるぞ」

 

 女性に向けて左腕を掲げる。その手の中には、いつの間に現れたのか――全長五十五センチ、重量は六キロにもなる巨大な、リボルバー。六十口径の銃口が女性の頭を捉えている。

 

 ――パイファー・ツェリスカ。“最強の拳銃”と呼ばれる、設計思想からして頭のおかしい代物。

 

「なっ……!? いつの間に、というかどこからそんな大きな銃を……!」

 

「忘れたか? 私はIS操縦者だ」

 

 真っ赤に塗装された巨大な銃を前にして、女性は怯む。だが、それも一瞬だ。

 

「ハッタリかましてんじゃないわよ。撃てるわけがないわ。ここは日本だもの」

 

「まあ、たしかに撃ったら面倒だな。逮捕されれば私をモルモットにする理由を与えることになるから、少なくとももう日本には居られまい」

 

 ――だが。

 

「だがそれだけだ。ここで死ぬよりはずっといい」

 

 ……睨み合い。両者ともしばらく動かないでいたが――不意に女性がナイフを仕舞った。

 

「……帰るわ」

 

「なんだ、私をぶちのめさなくて良いのか?」

 

「この距離なら銃の方が速い。それに、そんなデカい銃をこれだけ長時間、全くブレずに私に向け続けられる男を相手にして勝てる気がしなくなった――ということにしておくわ」

 

「本音は?」

 

「こんなクソみたいな仕事で死ぬなんてアホ臭い。私たち、別に女尊男卑社会に興味ないの」

 

「なるほど」

 

 周囲の女性たちが離れていく。どうやら本当に帰る気らしい。

 

「じゃあね。できればもう二度と会いたくないわ」

 

「私は傭兵を辞める気でいる身だ、貴様がまたこういう仕事を受けない限り会わんよ」

 

「だといいんだけど」

 

 背を向け、走り去っていく。彼は撃たない、と確信しているらしい。事実、面倒なことになるから撃たないのだが、もう少し警戒しても良いのではないだろうか。

 

「それにしても、女尊男卑社会に興味が無い、か」

 

 あれでは依頼主が誰だか言っているようなものだな、と考えながら、銃を量子化して収納する。

 

 あれだけ巨大な銃を持ち運べるのも、弾切れを気にせず撃てるのも、ISのおかげだ。かつて戦場でもその恩恵に幾度となく助けられた。というか、それが無ければ死んでいたかも知れない場面がいくつもある。

 

 日本に来る際、この愛銃をどうするか少し迷ったが――愛着のある銃だし、高い金を払って買ったことだしで手放せなかった。オーダーメイドでしか買えないせいでとにかくバカ高いのだ。たしか、一万三千八百四十ユーロだったか。そんなものを簡単に手放す気になるわけがない。

 

 ……まあ、まさか日本で、撃たないにせよ取り出すことがあるとは予想だにしていなかったが。

 

 まあ、とにかく。一応伊呂波に無事を連絡しておかなければ。そう思って携帯端末を取りだしたときだ。

 

「あー! 居た! 見つけた!」

 

「――む?」

 

 叫び声がした方を見ると――レゾナンスで荷物係を要求してきた女性が居た。その周囲には数人の男が控えている。皆わりかしガタイが良い。

 

「げっ……」

 

「あの女が居ないようだけど、この際あんただけでもいいわ! さああんたたち、この優男をやっちまいなさい!」

 

『応!』

 

 ズザザザザッ! と、男たちがジギスヴァルトを取り囲む。

 

「……どうしてこうなった」

 

 彼の呟きは誰に聞かれることもなかった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

『でー、どーなったのー?』

 

「ああ、かくかくしかじかいあいあくとぅるふ」

 

『田んぼじゃ取れないサザエのつぼ焼き、と……。ふーん、災難だったねー』

 

 夜、ジギスヴァルトは自室で本音と電話していた。

 

 あの後、襲いかかってくる男たちの攻撃を全て躱しながら隙を窺い、包囲網をすり抜けて全力ダッシュで逃げ出した。追ってくる男たちを引き連れたまま駅前の交番に駆け込み、速効魔法「おまわりさんこのひとたちです!」を発動。さすがに逃げだそうとした男たちを今度は警官が追いかけ、なんとか二人が確保された。

 

 ジギスヴァルトと男たちへの事情聴取の結果から推測される経緯は、こうだ。

 

 あの女性は言動からわかる通りの女尊男卑主義者。一人で買い物に来たが荷物が増えすぎ、そこら辺の男に運ばせようとあたりを見回してジギスヴァルトを発見。「美形の男をアゴで使う」という状況をある種のステータスと考えた――かどうかは知らないがとにかく女性は彼をロックオンし、声をかけたがすげなく断られ、憤慨したところに伊呂波が登場。獲物を横から掻っ攫われたと感じた女性は“知り合い”の男性数人に連絡。一人に荷物を持たせ、残りを彼にけしかけた。

 

 本当は伊呂波も狙っていた――というか彼女がメインの標的だったらしいが、見当たらなかったのでジギスヴァルトを襲撃したらしい。

 

 駅へ走って行ったはずの伊呂波と男たちが遭遇しなかったのが少々不思議だが、おそらく考えてはいけない。

 

「全く、こういうのは勘弁してほしいものだな」

 

『でもぉー、ちょっと嬉しかったりしたんじゃなーいのー? 女の人に声かけられてー』

 

「なんだ本音、妬いているのか?」

 

『そーだよーだ、妬いてますよーだ。ジグかっこいーから、私ちょっと不安ー』

 

「心配しなくとも、私は君以外に興味は無いよ」

 

『ほんとにぃー? いろりんに助けられてコロッといったりしてないー?』

 

「してない」

 

 いろりん、というのはおそらく伊呂波のことだろう。彼女は相変わらず他人にあだ名をつけたがる。

 

 それから、彼女の実家に行く日の事等を話し合って、通話を切った。

 

(それにしても、いきなり白昼堂々の襲撃とは敵さんも大胆なことだ)

 

 普通最初はもっとこう、こっそり殺そうとするのではないだろうか。初回の襲撃からこれでは――。

 

(――いや、本当に初回か?)

 

 自らの思考に違和感を覚えて、彼は記憶を掘り起こす。

 

 五月の、クラス対抗戦。襲撃してきた無人機は所属も製造元も不明でコアも未登録、というのはジギスヴァルトの知らないはずの情報だが、彼はそれを把握している。だってあれは、()()()()()()()()。造って、失敗作として破棄したはずのものだからだ。それを何らかの手段で回収して利用した何者かが、居る。

 

 六月。学年別トーナメントで起動したVTシステム。ラウラのシュヴァルツェア・レーゲンに搭載されていたそれは、ドイツの言い分を信じるならば、搭載された事実は無い。それを何らかの手段でレーゲンのシステムに潜り込ませた何者かが、居る。

 

 そして先月の、銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)の暴走。束が言うには、コアは催眠術にかかったような状態だった。つまり、コアにクラッキングを仕掛けて、時限式で暴走させて花月荘にけしかけた何者かが、居る。

 

 それら全てが、同一の集団の手によるものだとしたら、どうだろうか。今日の襲撃が初回ではなく四回目で、だから向こうも焦っていたのだとしたら――。

 

(穴だらけな推理だが、絶対にあり得ないような話でもない、か)

 

 だとしたら、今後はさらに(なり)振り構わない可能性がある。

 

「勘弁してくれ……」

 

 なんとなく、自分の未来は真っ暗な気がした。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「警告というか、ヒントのつもりだったんだけど、気付いてくれたかなー」

 

 深夜、月明かりの下、昼間ジギスヴァルトを襲撃した女性がぽつりと呟く。彼女は昼間と違って真っ白な和服に身を包んでいる。

 

「まさか本当にやるとは思いませんでした。下手したら死んでますよ?」

 

 女性の背後から声がかかる。彼女が振り向くと、赤い和服に身を包み恵比寿のようなお面をつけた黒髪の女性が立っていた。

 

「私は彼らには生きて欲しいからね」

 

「それは私も同感なんですけどね。まあそれはそれとして、上から連絡です。サボってないで仕事しろ、ですって」

 

「それわざわざアンタ来させる? メールか電話でよくない?」

 

「あと、新しい仕事です」

 

「そっちがメインか! ていうか、これ以上仕事増えたら捌ききれないんだけど!?」

 

「サボるからです」

 

「救いは無いんですか!」

 

「仕事するべし、慈悲は無い」

 

「ちっくしょう! 世の中クソだな!」

 

 悪態をつきながらも赤い和服の女性から書類を受け取り、パラパラと目を通していく。

 

「……わかった、やりますよやればいいんでしょ。確かにこれは私たちの仕事だわ」

 

「わかってもらえて嬉しいですよ」

 

 白い和服の女性は書類を袖に突っ込んで、懐から赤い何かを取り出して顔につけた。

 

「じゃあ早速今から行ってくるよ、事代主(ことしろぬし)

 

「はい。お願いしますね、猿田彦(さるたひこ)

 

 白い和服の女性が顔に装着した“それ”は――天狗のお面だった。

 




 今回の話のキモはたった二つです。それ以外の部分が難産で、しかも無残な出来に。ぐぬぬ。
 大事なのは以下の二つです。

1.アリーセの拡張領域にはジグの愛銃が格納してあるんだぜっていう設定をいい加減出しておきたかった。
2.男性操縦者死すべし、慈悲は無い。

 せっかく義手なんだから普通生身じゃ撃てないような銃を持たせたい撃たせたい。
 あと、以前にも述べましたが、本作では亡国機業の設定を大幅に――というか、名前が同じだけの全く別な組織とさえ言えるほど変えています。ジグが突然「亡国機業か?」と聞いたのもそれが理由ですね。もしかしたら勘の良い方はどういう改変をしたのか気付いているかも知れませんが。

 そして最近出番の多い五所川原さん。最初は本当に使い捨てのモブのつもりだったんですが、書いてるうちに愛着がわいてきたのでわりと重要なモブにクラスチェンジしました。今回の話の彼女“は”目的があって行動しています。

 最後に、「田んぼじゃ取れないサザエのつぼ焼き」の元ネタがわかった方は私と握手しましょう。


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第三四話:ポ○リのCMといえばセン○バ

 

「こっちだ。面倒だからはぐれるなよ」

 

〔はぐれないように

 手を繋ぐなんてのは

 どうです?〕

 

「嫌だ」

 

 八月十四日、金曜日。箒は大きな鞄を抱えて、生まれてから小学四年生までを過ごした町を歩いていた。一人ではない。スティナが半歩下がって隣を歩いている。今日は夏休み前に約束した通り、彼女を篠ノ之神社へ案内しているのである。

 

〔なるほど

 どうせ繋ぐなら

 一夏さんがいいと〕

 

「どうしてそうなる! 同性の者とつなぐのは、なんというか、その……ああもう、わかれ!」

 

〔今どき女同士で

 手を繋いだくらいで

 誰も気にしない〕

 

 男同士だとホモだゲイだと騒ぐ輩も多く居るかも知れないが。

 

「それでも私が気にするんだ! いいから、きりきり歩け!」

 

〔アッハイ〕

 

 今のスティナは連れて行ってもらう立場だし、特段仲が良いわけではないので、箒の機嫌を損ねればここに置き去りにされるかも知れない。無論、そうなっても来た道くらい覚えているし、万一道に迷ったとしても弾か蘭に助けを求めれば帰れるだろう。

 

(弾さんにはあまり頼みたくありませんね……)

 

 迷子になったから助けて、なんて、あまり格好の良いものではないし。そりゃ、どうしても弾を頼るしかなくなったときには意地など張らず助けを求めるが、あまりそういう姿を彼に見せたくはない。

 

(そういえば、今頃兄さんはどうしているでしょう)

 

 ジギスヴァルトは二泊分の荷物を持って今朝出かけていった。本音の実家へと旅立ったわけだ。

 

 更識家の使用人の家系と聞いてひとつの可能性が脳裡をよぎったが……黙ったままの方が面白そうな気がしたので何も言わずに送り出した。確証があったわけではないし。

 

(まあ、兄さんがどうなろうが些事ですね。神社の方が優先です)

 

 別に死ぬわけでもなし。ちょっとおもしろおかしいことになるだけだ。

 

 ……多分。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 本音に指定された駅で降り、彼女と合流したジギスヴァルトは、連れて来られた家の前で絶句した。

 

 立派な門の向こうに、大きな屋敷――武家造、というのだったか。それだけならまだ冷静でいられただろうが、門に掛けられた表札が問題だった。

 

 表札が示して曰く――更識。

 

「……本音?」

 

「なにー?」

 

「……ここか?」

 

「ここだよー」

 

 本音が少し背伸びをしながら、更識の表札の少し下を指差す。

 

 ――布仏と書かれた小さな表札が、そこにはあった。

 

「...Tatsaechlich(マジで)?」

 

「うちは代々更識の使用人だからねぇ。ここの離れに住んでるのだよねー」

 

 本音に手を引かれて門をくぐり、屋敷の脇の建物へと歩いていく。離れと言うわりに普通の一軒家のような建物だ。

 

 本音は玄関の扉を開け――。

 

「お帰りなさいませご主人様ー☆」

 

 ――即座に閉めた。

 

「……ジグ、ちょっとここで待っててね」

 

「お、応」

 

 顔に満面の笑みを貼り付け、最小限だけ扉を開けて中へ滑り込む。

 

「弱P・弱P・→・弱K・強P」

 

「ちょ、本音ちゃん? 待って待ってシャレにならない、それはシャレにならない!?」

 

 中から聞こえる絶叫。

 

 さもありなん。中に居たのは裸エプロン(に見える水着エプロン)で待ち構える更識楯無――最高に空気を読めていない女だったのだから。

 

「ぎにゃあああああ!?」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

〔わあ!

 これが

 篠ノ之神社!〕

 

 境内まで連れてくると、スティナは飛び跳ねんばかりの勢いで拝殿へと駆け出していった。写真や動画でしか見たことの無かった日本の神社を目の前にして相当にテンションが上がっているらしい。

 

 そんな彼女を横目に見ながら、箒は境内に建てられた道場の奥にある家へ向かった。

 

 玄関の扉を開けて――。

 

「お帰りなさい、箒ちゃん」

 

 そこには、自分たち家族が離れることになってからずっとこの神社を守ってくれていた叔母――雪子が居た。箒が来るのを玄関(ここ)で待ち構えていたらしい。

 

「……只今戻りました、雪子叔母さん」

 

 挨拶をしてから、靴を脱いで中へ。今日から()()()()部屋――かつて暮らしていた頃に使っていた部屋だ――に荷物を置いて、今度は居間に移動した。

 

「暑かったでしょう?」

 

「ええ、まあ」

 

 雪子が出してくれた冷たい麦茶を飲み干して、一息。

 

「ありがとうね、お手伝いしてくれて」

 

「せっかく近くに帰ってこられましたから。久しぶりにやりたかったんです」

 

 二日後の日曜日、ここ篠ノ之神社ではお盆祭りが開かれ、神楽舞を奉納する。箒も幼い頃に舞ったことがある。箒たち家族が離散してからは神社を管理してくれている雪子が御神楽を舞っていたのだが、今年は箒が舞う予定だ。とはいえ最後に舞ったのは六年程も前であるから、打ち合わせやら練習やらに時間を取るために今日ここへ戻ってきた。スティナを連れてきたのはそのついでだ。

 

「ところで、箒ちゃん」

 

「はい?」

 

「境内で写真をたくさん撮ってるかわいらしい女の子は、お友達?」

 

 それがスティナのことであるのは明白だ。彼女は今日ここに来られるのを本当に楽しみにしていたようで、いつの間にか買っていたデジカメを引っ()げて来ていた。さっきもずいぶん興奮していたようだから、きっと今頃はしゃぎまわっているに違いない。

 

「……あいつは、」

 

 あいつは――何だろう?

 

 友達、ではないと思う。自分も彼女も、互いが互いを嫌っているはずだ。彼女は(ねえさん)の娘を自称しているが、正式に養子縁組がなされたわけではないから親戚とも言えないだろう。しかしただの知り合いと答えるのも少し違うように思える。

 

「クラスメイト、です」

 

 結局、出たのはそんな答えだった。

 

「あら、そうなの。じゃあちょっとご挨拶してこないとね」

 

「え?」

 

「箒ちゃんがいつもお世話になってます、ってね」

 

 そう言って立ち上がった雪子の表情は、まるで悪戯を思いついた童女のようだった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 その頃のジギスヴァルト。

 

「なかなか実戦慣れしているようですね。ですが、そこがガラ空きです!」

 

 ――ぱちっ。

 

「くっ……だが、ここに仕掛ければまだ間に合う!」

 

 ――ぱちっ。

 

「なるほどなかなかの戦術眼だ。でもこれならどうです? 最善手を打とうとしたその思考こそが命取りですよ!」

 

 ――ぱちっ。

 

「仲間が……私の兵が! 何が……生きて帰れだ……。何が……敵陣に斬り込めば勝機はあるだ。私は怖いのだ! 私は生きたい!」

 

 ――ぱちっ。

 

「何っ!? 遊びが過ぎたようですね!」

 

 ――ぱちっ。

 

「私は生きる! 生きて本音と添い遂げる!」

 

 ――ぱちっ。

 

「貴方が!? 不覚! 本音の想い人と出会う……ふふ、なかなか面白い人生でした。ですが負けませんよ!」

 

 ――ぱちっ。

 

「本音ちゃんをめぐって血で血を洗う争いが……。本音ちゃん、怖ろしい子っ!」

 

「じ、ジグが……添い遂げるって……。え、えへへー……そんな、まだ早いよぉー」

 

「あ、聞いてないわねこれ」

 

 ……本音の父親と将棋に興じていた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 お賽銭を入れて拝んだ後、神社に夢中になっていたスティナは――普段ならば近寄られればわかるのだが――背後から這い寄る影に気付かなかった。

 

「こんにちは」

 

「――――!?」

 

 あまりに驚いたスティナは思わずヒュッと音がするほど息を吐き、慌てて振り返る。そこには四十代後半の女性が居て、落ち着いた物腰でやわらかな笑みを浮かべている。

 

「うふふ、そんなに驚いてくれるとは思わなかったわ」

 

「…………?」

 

 誰だろう。どことなく箒に似ている気がするが、この神社の人だろうか。

 

「私は箒ちゃんの叔母で、ここを管理している雪子です。あなたは?」

 

〔スティナ・ヴェスターグレン

 箒さんの

 クラスメイトです〕

 

「スティナちゃんね。箒ちゃんがいつもお世話になってます」

 

〔いえ〕

 

 喋らずに空中投影ディスプレイで発言するのを目にしても表情を動かしもしない雪子の様子に、逆にスティナが驚かされた。それが伝わったのか、変わらぬ笑顔で彼女は言う。

 

「声が出せない理由があるのよね? あ、別に言わなくてもいいわよ」

 

〔助かります〕

 

「それより、せっかくだからお昼ご飯、食べていかない? 学校での箒ちゃんのことも聞きたいし」

 

「…………」

 

 さて、どうしようか。せっかく神社の人に会えたのだからいろいろ話を聞きたくはある。お昼は五反田食堂にでも行ってみようかと思っていたが、ここからは地味に離れているようだからご馳走してくれると言うならありがたい。

 

 だが、学校での箒の話と言われても、自分に話せることなどあまり――。

 

「ちなみに、今日のお昼は冷えたお素麺よ」

 

〔頂きます〕

 

 即断だった。

 

 だって――今朝からずっとテンション上がりっぱなしなのでなんとか気にせずにいられたが――夏真っ盛りなのだ。キンキンに冷えた青いパッケージの“飲む点滴”が欲しくなるような、三十九度のとろけそうな日なのだ。さんさんさん太陽の光、少女の肩に降り注ぐ。ギンギラギンだが全然さりげなくない、むしろ自己主張の塊だ。

 

 さすがに着ていられなかったので勇気を振り絞ってコート無し(エイフォニック・ロビンの拡張領域(バススロット)には入れてあるが)、伊呂波にもらった白いワンピースに麦わら帽子という薄着であるとはいえ、暑いものは暑い。そんなときに冷たいお素麺を目の前にぶら下げられては飛びつくのも仕方ない。仕方ないのだ。

 

 ……それにしても、どうして伊呂波は毎度毎度スティナにピッタリのサイズの服を出してこられるのだろうか。彼女が遠慮する度に「でもその服は私には小さくて着られないので、スティナちゃんが着てくれないなら捨てるしかありません。なのでもらってやってくださいな」などと言うし。確かに彼女と伊呂波では身長差がだいぶあるので着られないのはわかるが、何故そんな服を伊呂波が所持しているのかが本当にわからない。お下がりならまだわかるが、毎回タグ付きの新品だし(しかもわりとお高い)。

 

「じゃあ、気が済んだらでいいから、あの奥の建物に来てちょうだい。その間に準備しておくから」

 

〔了解しました〕

 

 雪子が指差す建物を確認して頷いたスティナは、今度は手水舎(ちょうずや)へ駆けていった。入ってきたときに寄って身を清めてはいたのだが、改めて写真を撮りたいのである。

 

 そんな彼女の後ろ姿を微笑ましげに見つめた後、雪子は家に戻っていった。

 

(それにしても、あんな小さな子がクラスメイト……飛び級か何かかしら?)

 

 ……大いなる誤解と共に。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 三十分程後、スティナは篠ノ之家の居間に正座していた。彼女の向かいには箒が座っていて、テレビで昼ドラを見ながらボーッとしている。なんとなく流しているだけのようで、内容は頭に入っていなさそうだ。普段あまりテレビドラマを見ないスティナも、流し見する程度に留めている。

 

『聞いてよお姉ちゃん、あたし気づいたの。ゲームに勝つ方法ってやつ。馬鹿だから時間かかっちゃったけど。……勝つためには誰かが負ければいい。あたし以外の誰かが!』

 

『あぁ!? やってみなさいよぉ!!』

 

 画面の中では二人の姉妹が男を取り合っている。何故かチェーンソーでチャンバラをしているのはツッコミ所だろうか。

 

『百合子……? うちのメイドのトップが、何故ここに……』

 

『お許しくださいお嬢様方……百合子はご信頼に背きました』

 

 チャンバラに決着がつく直前、姉妹の家の使用人が横から男を掻っ攫っていった。謝りながらなのが逆に煽りになったか、姉妹は怒り狂っている。

 

『嘘、なのね……全部』

 

『許しは請わん。恨めよ』

 

『……小さな、存在ね……あなたも、私も……』

 

 かと思えば、使用人の女性は男に騙されて呆気なく死んでしまった。そして本日分の放送はそこで終了し、お昼のニュースが流れ始める。丁度そのタイミングで、雪子がお素麺を盛った大皿を運んできた。

 

「どうなったの、今日の『鴉と山猫』?」

 

〔メイドが

 死にました〕

 

「あら意外な展開。あとで録画見なくちゃ」

 

 そして始まる昼食。氷水に浸されたお素麺が暑さで火照った体に心地良い清涼感をもたらしてくれる。

 

「ねえスティナちゃん」

 

「…………?」

 

「箒ちゃん、学校で浮いちゃったりしてない? ほら、この子ちょっと無愛想でしょう?」

 

「…………」

 

 ……さて何と答えたものか。

 

 正直言って、スティナと箒の接点はさほど無い。スティナは一学期の途中からの編入だったし、学年別トーナメント以降は箒の方が彼女を避けていた。箒が一夏の訓練を邪魔しないよう監視するために剣を指導しようとしたこともあったが、その時も箒は彼女のことを半ば無視していた。

 

 結局、スティナは箒のごくごく僅かな面しか見たことが無い。クラスメイトと言っても、本当に“同じクラスに所属しているだけ”という感じだ。スティナの中にある箒の印象は、結局大部分が、直接関わるのではなく遠巻きに見たり他人から噂を聞いたりした結果の産物である。そういう意味では、学年別トーナメントでの一件は箒にとってなんとも理不尽だった。

 

 ――それでも、敢えて言うならば。

 

〔たしかに

 少し浮いてます〕

 

「あらあら、やっぱり?」

 

 でも。

 

〔心配いりません

 これから徐々に

 改善されます〕

 

 それが束の願望であり、スティナはそれを信じると決めた。

 

 そもそも、クラスの皆に聞く限り――一夏が絡まない場面では、だが――ちょっと無愛想で口下手ではあるが悪い奴ではない、という印象らしいのだ。一夏と仲良さげにしている女子に対して容赦なく殺気を飛ばしたり、そんなときの一夏に暴力を振るったり、ということをするからちょっと引かれているだけで。

 

 だから、どうしようもないくらいクラスで浮いている、というわけではない。実際、ルームメイトである鷹月静寐とはある程度関係は良好だと、静寐本人から聞いている。

 

 ならばISに関わる場面では紅椿が、それ以外の場面では自分や静寐等学園の皆が積極的に関わっていけば、何かが変わるかも知れない。否、変わって欲しい。

 

 それは決して箒に対する情からではなく、ましてや“箒のため”などでもなく。ただ、束の想いが行き着く先が見たいという、スティナ自身の好奇心のために。

 

〔雪子さん

 ここの道場

 使えますか?〕

 

「え? ええ、使えるわよ」

 

〔では箒さん

 食事が済んだら

 行きましょう〕

 

「は? 何のために?」

 

〔決まってるでしょう〕

 

 本当は、昼食は町に出て食べてそのまま学園に帰る気でいたから、これは完全に予定外なのだけど。でも、せっかく時間ができたのだから、是非ともやっておきたいことがあった。無論、本人が承諾してくれるなら、だが。

 

〔私と剣道

 しましょうよ〕

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 その頃のジギスヴァルト。

 

「何をしたのだ楯無会長! そのボタンは何だ!」

 

 びー、びー、びー。

 

「何って、屋敷中の警備の者に()()()()を知らせるボタンよ。もうじきここに来るわ」

 

 びー、びー、びー。

 

「先程の将棋で思考力の程は見せてもらいましたから、次は腕っ節をと思いまして。ほら、ジグ君の立場はいろいろ微妙でしょう? ですから、降り掛かる火の粉くらいは払えなければ、娘を任せるのは父親として不安なのですよ」

 

 どどどどどどどどどど。

 

「馬鹿かあんたら馬っ鹿じゃないのか! またはアホか!」

 

 どどどどどどどどどど、すぱーん。

 

「お嬢! 布仏の旦那ぁ! ご無事ですか!」「なんだあいつ」「見ねえ顔だ」「侵入者か?」「布仏の皆さんに手ぇ出そうたぁいい度胸だ」「やっちまうか」

 

 わいわいがやがや。

 

「ああ、クソッ! こうなったら自棄(やけ)だ! はいだらー!!」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 夕刻。スティナはやや疲れた様子で駅へと歩いていた。

 

(いやあ、なかなかどうして、侮れませんねえ箒さん)

 

 昼食後、しばらく休憩した後、何度か試合をした。

 

 以前生身で箒とやったときには、剣道ではなく、純粋に両者の“剣を用いての戦闘の腕”を比べるための試合だった。故にスティナは防具をつけず、打ち込む場所も自由、さらには足払いや拳等何でもありだった。

 

 しかし今回は“剣道の試合”をした。スティナも防具をつけ、反則や有効打もきっちり剣道のルールに則って行った。

 

 結果――勝負がつかなかった。

 

 スティナは身体が小さく、筋力も女性の平均より少し上程度。なので生身での戦いでは“速さ”を重視している。それは単純な速度ではなく、絶えず動き回り相手に狙いを絞らせないという“速さ”。しかし今回は剣道のルールの中での戦いであることに加えて慣れない防具もつけていたためそれが発揮できず、常に箒の正面に居ることになった。

 

 一方箒は、中学生の部とはいえ剣道で全国優勝する程の実力者。前回のような何でもありルールや学年別トーナメントのような空中戦では遅れを取ったが、地上での剣道ならば彼女の一撃一撃が重く、鋭い。

 

 体格でもパワーでもスピードでも劣ることとなったスティナは防戦一方となり、しかし持ち前の反応速度で全ての攻撃をいなし続けた。有効打となる部位は決まっているのも大きな要因だったと言える。何度も引き分け、何度も再開し――そして勝負がつく前に箒の体力が尽きた。スティナも、倒れはしないまでもフラフラだった。

 

 なので今回はそこでお開き。少し休憩した後、箒と再戦を約束して帰路についた。

 

 ――そう、再戦を約束したのだ。

 

(次やるときまでに防具に慣れておかないと……いやあ、これが我流剣術の弊害ってやつですかねぇ)

 

 彼女の剣術は誰かに習ったものではなく、趣味で棒やら何やら振り回しているうちに一から組み上げられていったものだ。それ故斬るのに相応の技術を要する日本刀は扱えないが、それはともかく。彼女にとっての剣術とは、趣味であると同時に、“やられる前にやる”ためのもの。

 

 だからだろうか、何でもありの戦いなら強いが、剣道のように厳格なルールがあるとあまり役立たないことが今回のことでわかったように思う。

 

(……剣道部、入ろうかなあ)

 

 IS学園では、何らかの部活動に所属しなければならないと校則で決まっている。今まで特にやりたい部活も無かったのでジギスヴァルト共々とりあえず生徒会庶務にしてもらってその縛りから逃れていたが、生徒会から除名してもらって剣道部に行くのもいい気がする。

 

 だって、そう――。

 

(次やるときには勝ちたいですからね)

 

 ――あいつにだけは負けたくないと、思うのだ。

 

 

 




 更新速度が落ちる一方だぜ! 夏休み編難しい! でも夏休み編はもうちょっとだけ続くんじゃ。

 そういえば、ISの世界って西暦何年なんでしょうね。作中でわかっている「九月二十七日が日曜日」に当てはまるのは今年、つまり二〇一五年です。その前は二〇〇九年で、次は二〇二〇年らしいです。技術レベル的に二〇〇九年はないんじゃないかなとは思ってるのですが、はてさて。
 まあ、原作で描写があるけど私が忘れているだけという可能性も大いにありますがそれはそれです。


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第三五話:名状しがたい虫のようなもの

 

「スティナ、付き合ってくれ」

 

〔は?

 嫌ですよ

 面倒くさい〕

 

 お盆が終わり、八月も後半に入ってしばらく経った午前中。寮の裏手に置かせてもらっている盆栽の手入れをしていたスティナは、突如現れた一夏の頼みをバッサリ切り捨てた。

 

「でっすよねー」

 

 がっくりと肩を落とした一夏は寮の外壁にもたれかかり、そのままズルズルと崩れ落ちた。

 

〔ちょっと

 一夏さんどいて

 邪魔〕

 

「なあなんか今日すげえ辛辣じゃねえ!?」

 

〔ええから

 はよどかんかい〕

 

 ゲシッと軽く蹴って一夏を追い立て、彼女は作業を再開した。今日はいくつか植え替えをする予定なので、彼に構っている場合ではないのだ。

 

(さて、まずはこの子から……)

 

 盆栽を置いてある棚からひとつの鉢を手に取った、その時だ。スティナは生まれて初めて“それ”と出会った。その瞬間を彼女は後にこう語る。

 

 ――私は慄然たる思いで、鉢の裏に潜んでいたその異形を凝視した。それは全てを飲み込むかのような漆黒の楕円盤にたくさんの脚を生やしたとしか言い様の無い姿をしており、頭部と(おぼ)しき部分から糸のような針金のような器官が二つ伸びていた。何とも名状し難き冒涜的な足音をたてながら這いずり、地面へ降り立つと、速度を緩めること無く壁へと向かい、そしてのぼっていく。

 

 ――斯様におぞましき生き物がこの地球に存在していたことに気が狂いそうになったが、幸いにもそれは自ら遠ざかっていく。壁をのぼってしまえばもうどうすることもできまい。

 

 ――いや、そんな! ()の異形が背に拡げたあれは何だ!? ああ、壁に! 壁に!

 

『いいいいい一夏さん!?』

 

「うおっ、ビックリしたぁ! 通信で急に大声出すなよ……。で、何?」

 

『あ、ああああ、あああああれ! あれ何ですか! 何なんですかあれぇ!』

 

「あれ?」

 

 スティナが指さす先を見上げる。

 

 翅を拡げて今にも飛び立たんとする、黒光りするGが、そこには居た。

 

「げっ」

 

 Gサン、インザスカイ!

 

『いやああああ!? とっ、とん、飛んでっ!?』

 

「しかもこっち来てるし!?」

 

『やだやだやだやだ来ないでくださいー!!』

 

 その時不思議なことが起こった。

 

 スティナはあまりの恐怖に目を瞑った。故に彼女には、迫る敵の姿は見えていなかったはずなのだ。にも、関わらず。

 

 ――彼女は、まるで刀に手をかけるかのように右手を腰にやった。敵は空中にあって、闇が眼前にあり、絶望がその心で蠢いていた。

 

 ――彼女は言った。梢音(つるぎ)あれ。

 

 ――こうして剣があった。彼女は目を閉じたままで敵の胴と頭を分け、次に刻み、無数の塵とした。

 

「ワザマエ!」

 

 一夏が思わずそう叫んでしまう程の剣捌きで一瞬のうちにGを塵芥とせしめたスティナは、確かに目を瞑っている。

 

 火事場のくそ力とでも言うのか、巨大な剣を軽々と振るって見せたその姿は圧巻の一言。しかしIS用近接ブレードはさすがに重かったのか取り落としてしまい、カランと音を立てて地面に落下した梢音は量子化して消えた。当のスティナはぜえぜえと肩で息をしている。

 

「…………」

 

「…………」

 

 涙を(たた)えた目を開けて、一夏を見る。彼はスティナの取り乱しように呆れている――ように彼女には見えた。実際はあまりにも鮮やかな剣捌きに驚いて呆けているだけなのだが。

 

 コホン、と咳払いをひとつ。

 

〔お見苦しいところを

 お見せしました〕

 

「え? あ、いや、」

 

 それにしても、やる気が()がれた。というか、まだ()()が潜んでいたらどうしようかとビビった。少し気持ちを落ち着けるための“間”が欲しい。

 

〔お詫びといいますか

 さっきのお願い

 きいてあげます〕

 

 という口実。とりあえずここから離れたい。我が子のようにかわいがっている盆栽を見捨てるようで心苦しいが、恐いものは恐い。

 

「マジで!?」

 

 コクリと頷く。途端、一夏はあからさまに安堵した顔になった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 ――で。

 

〔どれです?〕

 

「あ、うん。これなんだけどさ」

 

 整備室に連れ込まれたスティナは、一夏が開示した白式・雪融(ゆきどけ)のデータに目を通す。

 

 まあ要するに、先の付き合ってくれ発言は「わからないことがありすぎてどうにもならないから白式の調整に付き合ってくれ」ということだったわけだ。近接武器しか持たない白式の調整に関しては同じく近接武器しか無いエイフォニック・ロビンと通じるものが多い。

 

〔では

 失礼して〕

 

 白式のコンソールを操作して空中投影キーボードを呼び出し、小気味良くそれを叩いていく。同じく空中投影のディスプレイをデータが流れていくのを目で追いつつ、彼女はちらりと別のスペースに目を向けた。そこには眼鏡をかけた少女――更識簪が居る。

 

 二人が整備室に入ってからこっち、簪が何度かチラチラとこちらを見ている。打鉄の発展型と思われる機体を弄る手も止まっているところを見ると、どうも二人のうちどちらか、あるいはどちらもが彼女の集中力を奪っているようだ。それが何故かは知らないが。

 

 スティナは白式を弄りながら、展開しないままにエイフォニック・ロビンを起動し、コアネットワーク経由で簪のISに繋がっている機材に割り込んだ。少々正道から外れた――というか、バレたら校則違反どころではない所業だが、いち学生である簪には何をされたかなどわかるまい。

 

〔何かご用ですか〕

 

「……え?」

 

 突然自身の眼鏡――視力矯正用ではなく携帯ディスプレイ――に出所不明のメッセージが表示され、簪は大層驚いた。あまり驚いているように見えないのは表情があまり動いていないからだが、これはそういう性分だから仕方ない。

 

 視線をめぐらせ、気付く。いつの間にか、白い少女が簪を見ている。さっきから自分がしきりに気にしていたあの子から、だろう。

 

「ん? 知り合いか?」

 

〔いえ〕

 

 一夏に声をかけられ、彼女は再び白式の調整に集中する。

 

 一方の簪は、どう答えていいか――というより、どうやって答えていいかわからず視線を彷徨わせる。声を張るのは恥ずかしいし無駄に体力を使うし、そもそもスティナに話しかけられたことに気付いているのは簪だけだ。急に声をあげれば周りは不審に思うかも知れない。

 

「でさ、このあたりとかどうしたら……」

 

〔ここは

 こっちを

 こう〕

 

「あー、なるほど。じゃあこっちは……」

 

 結局、うだうだ悩んでいるうちに完全にタイミングを逸してしまった。

 

〔ところで

 どうしてまた

 こんなことを?〕

 

 簪からの反応が無いことを少々残念に思いながらも、スティナはそれを意識の外に追いやって一夏に問う。

 

「どうしてって、なにが?」

 

〔調整くらい

 整備班に頼めば

 してくれるでしょう〕

 

「ああ、そういう……。そーだなー、臨海学校で紅椿を見て、ちょっと思うところがあってさ」

 

「…………?」

 

 確かにあれは少し特殊なISだが、スティナの認識は他のISとさほど変わらない。いったい彼は紅椿に何を感じたというのだろうか。

 

「紅椿が喋るの見てさ。ああ、こいつら“生きてる”んだなってさ。

 ISには意識みたいなのがあるってのは授業でもやったし、多分ISに関わる人にとっては常識なんだろうけどさ。それを俺たちは、多分本当には理解できてなかったんだ」

 

 ほら、紅椿以外は喋んないしさ――と言って苦笑する一夏を見て、ようやくスティナは得心がいった。要するに、一夏とスティナのISに対する認識には大きな隔たりがあったわけだ。

 

 世の大多数にとって、ISは兵器。兵器の要諦は“操者が代替可能か否か”と“操者の意図通りに運用可能か否か”にある。個体依存性の高い兵器はそれだけ運用が難しく、そして危険だ。

 

 だから専用機以外は自己進化を制限されるし、装備の規格も統一傾向となり、ISは物として扱われる。意識があると言われてはいそうですかとなるわけにはいかない。

 

 一方スティナにとって、ISは直接会話は出来ずともひとつの人格としてそこにある。それは束の話や彼女が示すデータが“そう”だったからというのもあり、また自分がISに乗って実感したことでもある。紅椿が喋るのを見たときはそりゃ驚きはしたが、“喋ったこと”に驚いたのであって、“生きている”ことではない。

 

「だからまあ、なんつーの? 整備や修理が出来るほどの知識は無いけど、相棒の調整くらいは自分でやりたいと思ってさ」

 

「…………」

 

 そう聞いて彼女は純粋に嬉しく思う。束が身内と認める人間が、束の夢の真髄に一歩近づいたのだから。

 

「けど生きてるってなると、束さんがISを作った理由って何だったんだろうな。兵器として作ったんじゃないわけだし……スティナ、なんか聞いてたりしないのか?」

 

〔聞いてますよ〕

 

「教えてくれたりする?」

 

「…………」

 

 どう答えようか。これは束にとって、一夏たちにはISに触れる中で気付いて欲しい事柄だ。そこら辺めんどくさいことせずに言っちゃえばいいのにとは思うが、言いたくないらしい。彼らだけは自分で気付いて欲しいとかなんとか。教えてもらえているということはその中には自分は含まれないのだ、と少し悲しくなったことはあるが、それは置いておいて。

 

 ――そういえば、以前本音が「かんちゃんに借りてきたー」と言って見せてくれた特撮のヒーローが宇宙モノだった気がする。アレで誤魔化そう。うん、そうしよう。

 

〔ISだけの力で

 宇宙まで飛んで

 宇宙キターッ! と叫ぶ〕

 

「……は?」

 

〔それが

 束さんの夢〕

 

「いやいやいやいや」

 

 無い、さすがにそれは無い。

 

〔ま、冗談です〕

 

「だよな……よかった」

 

 完全に嘘でもないですけど――とスティナが心中で呟いたのは、当然ながら誰に悟られることもなかった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 午後。スティナは再び整備室に戻ってきた。午前中と同じ場所に簪が居る。

 

〔宇宙キターッ!〕

 

「わっ」

 

 午前中と同じ方法で話し掛けてみた。ピクリと肩を震わせ、キョロキョロと辺りを確認する様には小動物めいたかわいらしさがある。

 

 彼女がスティナに気付いたのを機に、発言方法をいつも通りに切り替えた。

 

〔こんにちは

 お昼はちゃんと

 食べましたか?〕

 

「え? あ、うん……?」

 

〔ならよかった

 食べずに続けているかと

 思いました〕

 

 ハンガーに鎮座するISの周りを歩きながら言って、機体を観察する。

 

 日本産初の――となる予定だったが白式に先を越された――第三世代型。公式発表では、確か名前は《打鉄弐式》だったか。打鉄の後継機という触れ込みだが、シャープなシルエットは防御より機動性を重視しているように感じられる。

 

 簪が整備室に籠もるおおよその経緯は楯無に聞いている。開発元の倉持技研が白式にリソースのほとんどを割いてしまったため開発が頓挫し、それを簪が引き取って――何を思ったか単独で完成させようと躍起になっているとか。

 

 見たところフレーム自体は問題なく出来ている。これは倉持の成果だろう。装甲は少々まばら、スラスターはおそらく本体と操作系統が繋がっていない。だが単独でここまで仕上げたのは評価に値する。

 

〔OSはどうなってますか?〕

 

「…………」

 

 返事は無い。読んでいないのだろうか。

 

〔OSは?〕

 

「…………」

 

 再び彼女の眼鏡に表示させてみたが、やはり反応が無い。無視されているわけだ。

 

(うーん……こんなとき紅椿が居たら楽なんですけど……)

 

 それなら打鉄弐式のコアから直接聞き出すことが出来るのだが、あいにくこの場には物言えぬエイフォニック・ロビンしか居ない。コアとの接触は頼めばやってくれるが、それをスティナに伝える術が無い。

 

 とはいえ、別にスティナにとって必須の情報というわけでもない。教えたくないならそれで構わない。……本来ならば。

 

(無視する方が悪いんです)

 

 ちょっぴりムッとした彼女は強攻策に出ることにした。簪の眼鏡にメッセージを出したのと同じ要領で機材に介入し、データを閲覧したのである。

 

(……OS自体は打鉄とほぼ同じ……いえ、ところどころ手が加えられてますね。FCSは……おや、虫食いだらけ。ということはここを頻繁にいじくり回してるわけですか。えーと……あ、ダメですね。ロビンにFCSが無いから勉強しなかったのが裏目に出ました。何を目指して弄ってるのかさっぱりわからん。

 で、内装は……)

 

「あっ……! ちょ、ちょっと……何して……!」

 

〔おっと失礼

 無視されたのが

 少々頭にきまして〕

 

 スティナが開いた空中投影ディスプレイに流れるデータを見てさすがに気付いたらしく、簪が声をあげた。素直にディスプレイを消し、頭を下げる。

 

〔でも更識さん

 これを一人で

 仕上げるおつもりで?〕

 

「……名字で呼ばないで」

 

 以前助けてもらったときも今回も名乗っていないのに、知っている。その事実が簪の警戒度を一気に上げた。要するに姉の関与を疑った。

 

〔では簪さん〕

 

「名前でも、呼ばないで」

 

〔少女Aさん〕

 

「お願いだから、私に構わないで。……ほっといて」

 

〔ですが昼前に

 こっち見てましたし

 何か用では?〕

 

 う、と簪が言葉に詰まる。別に何か用があったわけではない。ただ単純に、なんというか、そう――羨ましかった。

 

 倉持の件は自分の中で既に折り合いがついているつもりでいる。一夏が悪いわけではないし、企業利益を優先した倉持技研が悪いわけでもない。ただ間が悪かっただけだ、と。

 

 それでもやっぱり、白式を見ると嫉妬する。一夏を見るとモヤモヤする。そして――スティナを見ると羨ましさを感じる。

 

 代表候補生にも引けを取らない実力があって、自分でISの調整や整備ができる知識と技術があって(彼女がエイフォニック・ロビンを整備しているのを何度か見かけたことがある)、喋れないことを苦にもしない強さがあって――そんな彼女が少し気になった、ただそれだけだ。

 

「……別に用なんて、無い。ちょっと気になっただけ」

 

〔そうですか?

 ならいいですけど〕

 

 それならもう用は無いとばかりに出口へ向かう。……その前に、簪の眼鏡に、一言表示させる。

 

〔完成したら

 一緒に宇宙に

 行きましょうね〕

 

 軽やかに整備室を出たスティナを、簪は呆然として見送った。

 

 そして、彼女がここへ来たときの台詞と合わせて考えて、気づく。おそらく、先日本音に貸した宇宙なヒーローのBDを彼女も一緒に見たのだろう。彼女が兄と慕っている、と噂に聞くジギスヴァルトが本音の恋人なのだから、その程度の繋がりはあるはずだ。

 

 ISだけで宇宙に行けるはずがないし、きっと彼女にからかわれたのだ。そう自分に言い聞かせて、彼女は打鉄弐式に向き直った。

 

(完成したら、と言ったものの――)

 

 一方、寮に向かって歩を進めるスティナは思う。あれはおそらく完成しない。簪が独りで完成を目指す限り、という前置きがつくが。

 

(そういう技術に精通した技師十数人がかりでやっと一台開発できるものを、いくら雛形があるからといっても独りで組み上げるのは……それこそ束さんに迫るレベルでないと)

 

 そこらの重機やコンピュータとは訳が違う。それに、あの機体の製法は国家機密扱いのはずだ。いくら受領予定の代表候補生であっても、設計思想や方向性の資料くらいならどうにかなるかも知れないが設計図は貰えまい。そのうえ、専用機となる予定だったということは、量産機として予定されていた方の打鉄弐式とはところどころ差異があるはず。そういう部分は手探りにならざるを得ない。

 

(なんでそんな面倒な方に自ら進んでいるかは知りませんが……まあそのあたりはまた楯無さんにでも聞いてみますか)

 

 まあ、単純に気になるというだけの話で、知ったところで手を貸す気はさらさら無いのだが。頼まれれば吝かではないが、本人が望まない手助けはこの場合侮辱だと思う。

 

 ――ていうか、そんなことより、だ。

 

(何か用があるんだと思って行ってみたのに私の勘違いだったなんて……どうしましょうこれ、めちゃくちゃ恥ずかしいです……!)

 

 どんどん羞恥心が込み上げてくる。顔が熱い。どんどん早足になっていって、ついには駆け出した。

 

 それによくよく考えれば造りかけのISの情報なんて開発スタッフでもない部外者に明かすわけがないし、ムキになって無理矢理見た自分がとてもみっともなく思えた。

 

「うわっ!?」

 

「…………!」

 

 頭の中がぐるぐるしてよくわからないままに走っていたせいか、前が見えていなかったのだろう。誰かにぶつかった。

 

「あ、スティナじゃん。よかった、探してたんだ」

 

 声、そして視界に映るズボンタイプの制服からして、ぶつかった相手は一夏のようだ。

 

「さっきのお礼にお菓子でもどうかと――」

 

 全部聞く前に、彼の身体をかわして再び走りだした。きっととんでもなく赤くなっているであろう顔を他人に見られたくない故だが――主に一夏にとって不幸なことに、そこは既に寮の中で、しかもロビーで、夏休みで少ないとはいえ何人かはそこのソファーで雑談などしていて。

 

「あー! 織斑君が誰か泣かしてる!」

 

「あれヴェスターグレンさんじゃない?」

 

「修羅場? 修羅場?」

 

「あんたやけにいい笑顔ね」

 

「ブレヒト君に報告だー!」

 

 それはもう、バッチリ見られていた。

 

「えっ? ちょ、待っ……!」

 

 しかも、止める間も無く走り去っていった。ジギスヴァルトの名前が聞こえたあたり自分の命はここまでかも知れない。

 

 ――その夜。

 

「小便は済ませたか? 神様にお祈りは? 部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする心の準備はオーケー?」

 

「待って! 誤解だから! 本人に確認取ってくれよ!」

 

「犯人は皆そう言うのだ」

 

「不幸だァー!」

 

 おやすみ、一夏。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 さて、一夏とジギスヴァルトがキャッキャウフフしている、その時間。

 

 寮の屋上に寝転んで、スティナは星を見ている。

 

(宇宙、か……)

 

 スティナは行ったことが無いし、特に詳しいわけでもない。無人探査機はともかく、人類は未だ地球の衛星軌道より外へ踏み出していない。人類の知る宇宙は地球からの観測と予測の産物でしかない。

 

 だからもっと高く。もっと遠くへ。

 

(束さんは天才ですから。自分だけでやれる限界は弁えているんですよね)

 

 いかに世が天才と(おだ)てようと。いかに万能を自称しようと。否、天才であるが故に。一人の人間である自分には必ずどこかに“限界”があることを理解している。

 

 現に、今でこそ紅椿のようなトンデモスペックの機体を造れるが、白騎士事件当時は()()()()()()()()。結果としてさらに上に至れたが、もしかしたら篠ノ之束はあそこで打ち止めだったかも知れない。そして紅椿で満足するようでは話にならない。

 

 だから()()()()()()()()()()。だからISを()()()()()世に出した。

 

 全ては、自身の名声やプライドなどとは比べるべくもない、夜空に輝く“夢”のために。

 

(兄さんは知って……いるでしょうね)

 

 自分やジギスヴァルトは、束にとって一夏たちとはまた違った意味での“身内”だから。もちろん、束の中でそのふたつのカテゴリーに優劣など無いが。

 

(糸が切れなければ、見てみたいですね……宇宙)

 

 ――と、そこに。足音が一人分聞こえた。

 

「やっと見つけた。ジグが怒り狂ってんの、なんとかしなさいよ」

 

 ずいっ、と顔を覗き込んできたのは鈴音だ。

 

 聞けば、彼女が一夏の部屋で漫画を読んでいるところにジギスヴァルトが来て、一夏を襲っているらしい。スティナが泣いたのどうのと言っていたが、鈴音は正直彼の剣幕にビビって即座に逃げ出したのではっきりしたことは聞けていないという。

 

〔兄さんは

 ホモだった……!?〕

 

「そういう“襲う”じゃなくて!」

 

〔冗談です

 心当たりがあるので

 今から行きます〕

 

 昼間にぶつかったときのアレだろう。一夏には何の落ち度も無いので、さすがにそのせいで彼に被害があるのは忍びない。

 

「だったらほら、早く早く。モタモタしてたら一夏が死ぬわ」

 

〔はいはい〕

 

 鈴音に急かされ、手を引かれながら、スティナはもう一度だけ夜空に目を向けた。

 

(……待っててくださいね)

 

 ――いつか、星の海で、自由に。

 

 

 




 御無沙汰しております。リアルがちょっと退()っ引きならない事態になってしまい、しばらくはこんなペースになるかと思います。ご了承頂けると幸いです。

 さて、今回は「そういえば一夏とスティナってまともに絡ませたこと無くね?」という思いつきの産物でした。最近ジグの出番が減ってますね、主人公なのに。
 IS学園の整備室がどうなってるのかよくわからなかったので、ガン○ムなんかでよく見るハンガーがいっぱい並んでる感じのアレにしています。もしかしたら原作では個室なのかも知れませんが、細けぇこたぁいいんだよ! の精神でお願いします。個室だと整備科の授業が大変そうですし。

 あと、宇宙なヒーローは本来「宇宙(に)キターッ!」ではなく「宇宙(のパワーが)キターッ!」ですが、ここでは宇宙にキターッ! です。細けぇこたぁ以下略。


※注意※
夏休み編は全て中途半端にギャグ回です。


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第三六話:スーパー正義の味方タイム

 

 ドアがノックされたので、開けた。そこには“きんのけもの”が居て、私に死を告げた。

 

「二〇XX年八月二十七日。私は死んだ」

 

「お待ちになりやがれですわファッキンジャーマニー」

 

 と、言われても。職業柄生肉や野草等いろいろと食べられるよう訓練してはいる私とて、当然ながら耐えられない劇物というものは存在するのだ。

 例えばそう、今目の前に差し出されているサンドイッチとか。あろうことか寮の部屋の玄関先でいきなり食べろと差し出しやがったのだ、こいつは。

 

「考え直せセシリア。だいたいお前、味見はしたのか?」

 

「してませんわ」

 

「ファッキューせっしー。なぜ自分で食べぬのだ」

 

「女であるわたくしよりも、一夏さんと同じ男性であるジグさんの意見の方が参考になるかと。本当は一夏さんに食べて頂きたいですが、今日はどこかへ出かけてらっしゃるようですし」

 

 それは一夏や鈴のようにある程度他人に食べさせられるレベルの料理が出来る者の台詞だと思うのだがどうだろう。一夏あたりは力強く頷いてくれそうなものだが。

 

 とまれ(注:『ともあれ』の音変化。誤字ではないと古事記にも書いてある)、これはマズい。いやサンドイッチがではなく――まあサンドイッチもどう考えても不味いがそんな自明のことはわざわざ明言せずとも良い――問題は仮に私がこれを食べて正直に感想を述べてもセシリアは納得しないだろうということだ。命を刈り取る味を体験してそんな結果では死んでも死に切れん。

 

 なにしろ普段他人の悪口を言わない一夏でさえ、セシリアの料理を口にした後、本人の居ないところで息も絶え絶えに「あれはヤバイ。美味いとか不味いとかじゃない。辛いとか苦いとかそういう、味で判断する次元ですらない。なんつーかこう、テロい」と言ってのけた代物だ。

 私もその時一夏が持っていたバスケットからひとつ貰って食してみたが、口に入れた瞬間意識が飛んだ。目覚めたら自室のベッドの上。本音が私の手を握ってボロボロ泣いていた。セシリアがその場に居なかったことに“この時は”心から感謝したものだ。ちなみに味は――うむ、テロい。

 

 だが現在の私は、あの時セシリアの目の前で食ってやれば良かったと思っている。ヤバイ物を生産している自覚が無いからだろう、またしても料理を敢行したからだ。

 やはり自覚させる他ない。どうにかこの女に自分の料理を食わせる方法は無いだろうか――。

 

「だめだよせっしー。自分でちゃーんと味見しないとー」

 

 私の背後――つまりは部屋の中から聞こえた本音の声に反応して、セシリアは奥をのぞき込む。直後、私の右脇から、にゅっ、と本音が顔を出した。いつの間にこんなに接近していたのだろうか。

 

「あら本音さん。戻ってらしたのですね」

 

「うん、ちょっと前にねー。でねーせっしー、料理はまず自分で食べてみなきゃー」

 

「ですが、やはり客観的な意見の方が――」

 

「でもでもー、もしジグが不味いって言ったら、せっしー怒るでしょー?」

 

「そんなことはっ! ……あるかもしれませんけど!」

 

 やはり怒るのか。なんて理不尽な。

 

「だからー、まずは自分で食べて、自分の料理のレベルを把握しとかないとぉー。じゃなきゃ何言われても素直に聞けないでしょー。

 それでおりむーに不味い料理食べさせちゃったら嫌じゃなーいー?」

 

「うっ……でも、わたくしの料理はわたくしが食べるためのものでは――」

 

「いいから――」

 

 がしっ、と本音がセシリアの肩を掴んだ。

 

「――さっさと食べて。ね? もし普通においしかったら土下座でも何でもしてあげるから、まずは自分で食べて」

 

 普段の間延びした口調はどこで遊んでいるのやら。淡々と告げる本音が放つ冷気とでも言うべき威圧感に圧倒されたか、セシリアはビクリと肩を震わせた。

 

 ああ、これは本気で怒っているな。理由は――まあ、自惚れておくとしようか。

 

「わっ……わかりました! 食べますわよ! 食べればいいんでしょう!」

 

 私に差し出していたバスケットを引っ込め、中からサンドイッチをひとつ取り出した。

 

 そういえばあの日一夏が食べたのも、私が食べたのもサンドイッチだったか。相変わらず見た目だけは完璧だ。見た目を完璧にするためにどんな過程を経たかは考えたくない。

 というかだな。サンドイッチなぞ切って挟めばそれだけである程度は教本通りの見た目になると思うのだが――いったい何をどうしたらあそこまでの味になるのだろうか。

 

 などと考えている間にセシリアは小さな口を開き、味覚破壊爆弾(サンドイッチ)を舌に載せ、噛み切った。

 

「――――――――」

 

 こういうのを“声にならない悲鳴”と言うのだろう。顔は青白く、脂汗が次々に滲み出ている。およそ淑女がしてはいけない表情(かお)になって悶絶しているきんのけものが、そこには居た。

 

 セシリア・オルコットという少女が、ひとつ大人になった晩夏の日だった。

 

 

 

 

「落ち着いたかね?」

 

「……ええ」

 

 半狂乱になったセシリアをとりあえず部屋に入れて、本音と二人で必死に宥めてからしばらく。正気を取り戻した彼女は、ズーン、という音が聞こえそうなほど落ち込んでいる。

 まあ、かつて想い人に振る舞った料理があんな出来だったと知ったのだから無理も無い。誰だってそうなる、私だってそうなる。

 

「わたくし、決めました」

 

「何をだ?」

 

「必ずや美味しい料理を作れるようになってみせます!」

 

 決意を込めた瞳で表明するセシリア。

 ……不安だ。限りなく。

 

 そんな私の内心など知らないセシリアは(おもむろ)に私に目を向けた。

 

「というわけでジグさん、料理を教えてくださいな」

 

「断る。というか、私は料理など出来ん」

 

 肉と野菜を焼くだとか、適当に調味料をぶち込んで煮込むだとか、そんなものなら出来るが。

 ……一応食べられるものは出来るからな?

 

「しょせんはジャガイモで暮らす蛮族、ということですか……」

 

「おいコラそこのライミー。何かジャガイモに怨みでもあるのか」

 

「ジャガイモにはありませんわ。ジャガイモには」

 

 まるで私には怨みがあるような言い(ぐさ)だ。はなはだ心外である。

 

「では本音さんはどうです?」

 

「私は食べるの専門だからー」

 

「そうですか……では他を当たることにしますわ」

 

 首を――もとい、手を洗って待ってなさい。

 そう言ってセシリアは部屋を出て行った。

 

 レシピ本片手に料理しているはずなのにあんなものを作るような人間が、そうすぐにまともに作れるようになるとは思えんが――まあ、もう行ってしまったし、いいか。

 わざわざ追いかけて言うようなことでもないし、なによりそんなことをしても無意味に怒らせるだけだ。これから彼女に目をつけられる哀れな犠牲者に心の中で詫びておこう。

 

「さて。では本音、昼を摂ったら出るとしよう」

 

「あー、今日はアレの日だっけー。りょーかーい。お昼はどーするー? 私作ろーか?」

 

「ふむ。では最近の鍛錬の成果を見せてもらうとしようか」

 

 セシリアにはああ言ったが――本音は最近、料理を練習しているのだ。

 そもそも更識の使用人の家系である彼女。面倒だし現状必要無いからやらなかっただけで、料理の基礎は学んでいるのだそうだ。経験値が圧倒的に足りんので今のところ簡単なものしか作れぬし、他人に教えることもできないが。

 

「じゃーお昼はレトルトカレーだー」

 

「待つがよい」

 

「じょーだんだよー」

 

 本音が言うと冗談に聞こえない。

 

「……む?」

 

 ふと。机上にセシリアが持ってきたバスケットが残っていることに気づいた。

 この時の行動を私は生涯後悔するだろう。好奇心猫をも殺すとはよく言ったものだ。彼女がどうやってサンドイッチをあれほどのアレに変じさせたのか興味が湧いてしまったのだ。

 

「アリーセ」

 

 愛機に呼びかけてセンサーを起動し、バスケットの中身を精査した。

 何度か言ったかも知れんがISは本来宇宙空間で活動するためのものだ。搭乗者を保護するためにあらゆる機能が搭載されており、その中には対象が安全かどうか確認するための超高性能センサーも含まれている。ハイパーセンサーもその中のひとつだ。

 

 コンマ数秒の後、アリーセがスキャン結果を提示した。

 

「――――――っ!?」

 

 ……今の私には理解できない。どうやったらサンドイッチがこうなるのか。

 だが、ただ一つ言えることがある。

 

 ――およそ人類の食べ物ではない。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 さて、突然だが時は数日前の朝まで巻き戻る。

 

 朝が来れば学校が始まるのが高校生にとっての大自然の摂理であるが、今はまだギリギリ夏休み。多くの生徒が惰眠を貪る。

 

『▼告/起床予定時刻デアリマス』

 

 そんな中、篠ノ之箒は紅椿による時報で目を覚ました。時刻は五時半。仮に学校へ行く日であっても早い部類だ。

 

「…………」

 

 ベッドから降りた箒はルームメイトである鷹月静寐を起こさないよう、無言で身支度を整えていく。

 

 ――さて、行くか。

 

 心中でそう呟いて、彼女は部屋を出て行った。

 

 

 

 

 彼女が早起きした理由は、何のことはない、毎朝の日課である走り込みと素振りのためだ。

 

「……ん?」

 

「あ」

 

 しかして今日は普段と違うことが起こった。前方から歩いてくる凰鈴音と鉢合わせたのである。

 

 ちなみにこのエンカウント、全くの偶然であって、そこには何者の意思も介在してはいない。ただたまたま鈴音が早く起きて、たまたま目が冴えて眠り直せなかったから散歩に出て、それでたまたま遭遇したというわけだ。

 

「おはよ。丁度よかったわ。アンタに話があるのよ」

 

「私には無い」

 

「まあまあそう言わずに」

 

 ニコニコと笑って進路を塞ぐ鈴音に不気味さを覚え、箒は足を止める。

 

「さっきすれ違ったんだけど、千冬さんが探してたわよ。部屋行ったけど居なかったって。

 アンタの端末のアドレス知らないし、校則上プライベート・チャネルとか使うわけにもいかないから連絡手段無いらしくて、見かけたら伝えてくれーって。

 で、アンタ何したの?」

 

 ちなみに、ISがプライベート・チャネルを繋げられるのは“番号を知っている”か“物理的に接触している”か“自機と交戦状態にある、あるいは友軍登録してある”機体だけ。さらに言えば、プライベート・チャネルには距離の制限は無いがオープン・チャネルには基本的に距離に制限が設けられている。

 これらは後になって国防の観点から科された制限であり、本来の――束が設計した時点でのISには無かった。宇宙空間という広大すぎる場で活躍するための翼だったのだから当然とも言える。互いの通信は生命線であり、機密を扱う可能性のあるプライベート・チャネルはともかく、オープン・チャネルに制限など設けるのは愚行この上ない。

 

 なお余談であるが、福音事件のときジギスヴァルト達が用いていた通信は、言うなれば“チャット形式のプライベート・チャネル”である。携帯端末の無料会話アプリケーションのグループ会話(の、セキュリティがとんでもなく強固なやつ)と言った方がわかりやすいだろうか。

 

「……いや。特に心当たりは無いが」

 

「そ。ま、とにかく伝えたわよ。後で寮長室にでも行くことね」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 時は現在に戻って、八月二十七日の午後。

 

鎧気装(がいきそう)!」

 

 鈴音の掛け声と共に、万物を構成する「木火土金水」の五元気と「星」「風」の気を合わせた七星気が鎧となり、彼女の身を包んだ(気がした)。

 甲龍を身に纏い、双天牙月をバトンのように回しながら彼女は強気な笑みを浮かべる。

 

燦然(さんぜん)!」

 

 続くシャルロットはどこからともなくバイザーを――断じてサバではない――取り出し、頭に装着して叫んだ。バイザーを目元へ下ろしたその瞬間、発現したクリスタルパワーが彼女の姿を光の戦士に変えた(ように見えた)。

 鈴音と同じくラファール・リヴァイヴ・カスタムIIを装着した彼女は、少し恥ずかしそうに近接ブレード《ブレッド・スライサー》――重ねて言うがサバじゃねぇ――を構える。

 

『Start Your Engine ! /デアリマス』

 

「…………へんしん」

 

『Drive ! Type-Camellia ! /デアリマス』

 

 さらに箒が――何とも嫌そうに――ぼそりと呟いた。紅椿の声が高らかに響くと同時、乗り物の力的なアレで赤いライダーに変身した(と思ってほしい)。

 

『▼問/此ノ状況ノ必然性ヲ説明ス(ベシ)

 

「……私に()かれても知らん。というか、お前今ノリノリだったじゃないか」

 

『台本ニ従ッタマデデアリマス』

 

 箒たちは許可を得たうえでISを展開している。

 ――大勢の幼い子供たち(ISの性質ゆえか主に女の子だが、ISは男の子のメカ魂をくすぐるので男の子もわりと居る)の前で。

 

「あたしたちが揃ったからにはもう逃げ場は無いわ! 観念してお縄につきなさい!」

 

「ハッ! 笑わせるなよ凰鈴音。我々はまだ変身を一回かそこら残している!」

 

 箒の前方では、なんだか特撮ものの悪役めいたコスチュームに身を包んだ一夏とジギスヴァルトが、鈴音とシャルロットと向かい合っている。

 

 ここで説明せねばなるまい!!

 現在彼らが居るのは城址公園近くにある多目的ホール、本日行われているこのイベントはISのイメージアップやらなんやらいろんな目的のもと企画されたISによるヒーローショーであり半ば無理矢理出演させられた箒の内心はどんよりどよどよ雨模様であるからして一夏は今日も腹立たしいほど爽やかイケメンで今夜のおかずはサバの味噌煮なのだ! なお、武装の使用は事故防止のため近接ブレードと長ネギとサバのみ認められているぞ!

 

「こっちには最新鋭の戦闘支援システム《MOP》を搭載した最終兵器《モッピー》が居るんだから! 君たちはここで終わりだよ、カルトッフェル団!」

 

 箒の隣でラファールを展開しているシャルロットが――半ばヤケクソ気味に――吠える。ちなみにカルトッフェルとはジャガイモのことである。ポテトである。馬鈴薯である。

 

「おい待てデュノア、モッピーとは――」

 

『オハヨウゴザイマス/独立型戦闘支援ユニット、MOPデアリマス/操作説明ヲ行イマスカ?』

 

「何? おい紅椿――」

 

『当機ハモッピーデアリマス/紅椿トハ何デアリマショウカ』

 

 説明しろとか言っていた割にこのIS、やっぱりノリノリである。

 

 またしても説明になるが、本国から出演許可が出たのは一夏と鈴音とシャルロットだけ。国からの貸与ではなく個人所有となるジギスヴァルト、スティナ、箒は束直筆で許可の手紙が送られてきたが、スティナは声を出せないため出演はかなわなかった。

 不許可組の理由の例を挙げるとすれば――セシリアは、射撃が禁止されていてはブルー・ティアーズの性能を喧伝できないので不許可。ラウラは、ヒーローショー自体が軍上層部に「くだらない」と一蹴され不許可。といった具合で、上級生の専用機持ち含め全滅である。

 

「そちらも本気モードというわけか。ならばこちらも最終兵器といこうではないか!」

 

 ジギスヴァルトは懐から緋色のドッグタグを取り出し、右手で頭上に掲げ――。

 

「蒸着!」

 

 眩い光に包まれたジギスヴァルトは一瞬でシャルラッハロート・アリーセを身に纏った。

 

『カルトッフェル団総帥ジギスヴァルトがIS(コンバットスーツ)を蒸着するタイムは、僅か〇・〇五秒に過ぎない。では、蒸着プロセスをもう一度見てみよう!』

 

 渋い声のナレーションの後、ステージ奥のディスプレイが、どう考えても〇・〇五秒では不可能な蒸着プロセスを映し出した。だが気にしてはいけない。若さとは振り向かないことなのだ。愛とはためらわないことなのだ。

 

「美しく戦いたい! 空に太陽がある限り! 私は太陽の子、アリーセRX!」

 

 ……いろいろ混ざりすぎである。あと、世代的にジギスヴァルトとはズレすぎである。しかもひとつは魔法少女モノではなかっただろうか。

 

「俺もいくぜ――変身(エクスチェンジ)!」

 

 額の前で両腕を交叉させ、一夏は高らかに宣言した。(まばゆ)い光に包まれた彼はISを装着し、そして右手人差し指で天を、左手親指で自分の胸を指す。

 

「お前ら――心に太陽当ててるか?」

 

 ――なんというか、二人とも悪役というより正義の味方(ヒーロー)のような口上である。

 

 だがそれも仕方なかろうというものだ。なにしろこのヒーローショー、台本が壊滅しているのである。

 ほとんどが「なんかかっこいいアクション」だの「わりといい感じの台詞」だのといったアバウトに過ぎる内容なのだ。今のシーンだって、彼ら彼女らへの指定は「いい感じの掛け声でISつけてアツい前口上」だったのであるからして、全員が全員、最近見た特撮や小説のヒーローの台詞を流用しているに過ぎない。

 ジギスヴァルトと一夏はヒーローじゃなくて悪役の台詞を使えよ、という意見もあろうが、そこは二人とも男の子。正義の味方(ヒーロー)したいのである。

 

『敵、ランカーISヲ確認/シャルラッハロート・アリーセ及ビ白式・雪融デアリマス/敵ハ近接ブレードヲ装備/遠距離攻撃ガ有効ト思ワレマスガ、現在ノ当機ニハネーヨソンナモン、デアリマス』

 

「……ならばどうする」

 

『▼告/ブレードニヨル格闘戦ヲ提案』

 

「……やれ」

 

『▼了解/雨月・空裂、レディ』

 

 あまりにもあんまりな、頭痛さえ覚える状況に、箒は考えるのをやめた。丁度自律稼動できる紅椿がノリノリなのだし、もう全部こいつにやらせてしまおう。

 

「さあ、行くわよラファール、モッピー!」

 

「逃げる奴は悪役、逃げない奴は訓練された悪役だよ!」

 

『▼了解/敵機ヲ殲滅シマス』

 

「恐れずしてかかってこい、正義の味方(ヒロイン)ども!」

 

「マッハで(なます)切りにしてやんよ!」

 

 なんだかんだノリノリで戦端を開いた彼らの中で。

 

「…………はあ」

 

 勝手に動く紅椿に身を任せ、どこまでも憂鬱な箒であった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 星が輝く空の下、五所川原伊呂波は寮の屋上のベンチに座り、携帯端末で映像を流していた。昼間ジギスヴァルトたちが出演したショーのものだ。

 

『これにて一件コンプリートよ!』

 

『メガロポリスハ日本晴レ、デアリマス』

 

『あとはお風呂でのーんびりっと』

 

 画面の中では丁度、鈴音と箒――というか紅椿――とシャルロットがジギスヴァルトたちに勝利したところだった。

 

(まあ、こんなもんですかね)

 

 つまらなそうに画面を見ながら、彼女は別の端末に何やら打ち込んでいく。

 

 武装制限はそのままで、尋常の試合だったならば、ジギスヴァルトと一夏が勝っただろう――と伊呂波は思っていた。ジギスヴァルトの操縦技術は他の四人よりは高い。一夏はまだ未熟ではあるが、零落白夜の使用は禁じられていないのだから希望はある。

 加えて、紅椿の性能は現在は打鉄レベルらしいし、甲龍は他機と比べてあからさまに鈍重、シャルロットに到っては武装制限のせいで高速切替(ラピッドスイッチ)という最大の強みを封じられた状態だ。勝率はかなり低くなるだろう、と伊呂波は考える。

 

 だが、今回のこれは普通の試合ではないのだ。

 

「そのショーは撮影禁止だったはずだぞ。どこで手に入れた」

 

 不意に横から声をかけられた。見ればいつの間にか千冬が隣に座っている。

 

「あら、織斑先生。全く気付きませんでした」

 

「どうだか」

 

 肩をすくめる千冬に、伊呂波は内心、本当に全然気付かなかった、とこぼす。()()()()()()()()()()()()この女本当に人類か、とも。

 

「それで、どうだ?」

 

「特に何も。強いて言えば、えーと――あ、ここですね。このシーンの、ここ」

 

 一時停止した映像の一部分。伊呂波が指すそこには、ショーのスタッフの女性が映っている。

 

「この方、以前会ったことがあります。亡国機業(ファントム・タスク)に登録されてる方で、たしか――バリバリの女尊男卑主義者だったかと」

 

「目的は何だと思う?」

 

 亡国機業の人間が偶然スタッフをしていた、などということはまずあり得ない。何かしらの意図があって潜入したと考えるのが妥当だ。

 

「こんなところで手は出せないでしょう。そも、これだけISが揃った場所でろくな装備も持たず、一人で――いえ、ISを持ち出さないならフル装備の兵を千人集めたところで襲撃なんて出来ようはずもない。

 ですから、男性操縦者と紅椿の監視……あるいは、報告(レポート)

 おそらく、現状あちらも静観するより無い、というところでしょう。箒ちゃんや一夏君はともかく、ジグ君は強いですしね」

 

 一夏はともかく、というところで千冬の眼光が鋭くなったが、伊呂波はどこ吹く風といった様子だ。心中ではめちゃくちゃビビっているが。

 

「紅椿も、か?」

 

「そりゃ、名高い篠ノ之束の作ともなれば、世界中の注目の的でしょう。アリーセがそうだったように、ね」

 

「やはりそうか。そうだろうな。希望的観測はしない方が良さそうだ」

 

「ええ。楽観は身を滅ぼします。

 とりあえず、今日は台本通りジグ君たちは負けてくれましたし、紅椿もそれなりに性能を見せてくれましたから。どうしても今すぐ排除しないと気が済まないとか、どうしても今すぐ奪って解析したいとか、そんな連中が増えるのだけは防げたと思いますよ」

 

 減ることはないでしょうけど、と言うと、千冬は嫌そうに顔を歪めた。

 

「奴らは私兵を持たんのだから、仕事を受ける奴さえいなければ済む話なんだがな」

 

「勘弁してください。()()()()()()だって、先生も知っているでしょう?」

 

「株主総会か何かで議論したらどうだ? 『仕事を選びたいです』とかな」

 

「しましたよ。学園から正式の依頼として受理した以上、()()()()もう受けません。けれど、()はそうではない」

 

「ままならんな」

 

「ええ、本当に」

 

 伊呂波は立ち上がり、

 

「報告書はいつも通り、学園のサーバーに送っておきました」

 

「……すまんな、色々と」

 

「いえいえ、これも仕事ですから。それに、彼らが――特にスティナちゃんが悲しむのは私も本意ではないですからね」

 

 本当は私情で仕事を受けるのは御法度なんですけれど、と冗談めかして言って、伊呂波は部屋へと戻るべく歩いていく。

 

 ――階段室の扉が少し開いている。

 

「あら、箒ちゃん」

 

「……っ!」

 

 (いぶか)る素振りも無いままに扉を開けると、箒が居た。気分転換に夜風にでもあたるかと屋上に出ようとしたところで伊呂波と千冬に気付き、どうやら話の内容が一夏や自分と関係あるようだったので聞き耳を立ててしまい――出るに出られなくなっていたのだ。

 

「今の、聞いてました?」

 

「いや、その……だな……」

 

 伊呂波の言は質問ではなく確認だ。彼女は千冬の接近には気づけなかったが、箒がここに居ることには気づいていた。まあ、一度思いっきり扉を開いて体を晒した後に二人に気付いて急いで引っ込む、というプロセスで隠れたのだからわかりやすすぎるのだが。

 そして千冬が箒の存在に気づかないほど間抜けなはずもない。

 

「聞いていたならそれでいいんですよ。それでは、お休みなさい」

 

「あ、ああ……」

 

 去っていく伊呂波の背を呆と見つめる箒の頭は、彼女の台詞を理解できていない。だが、どうやら話を盗み聞きしたことを咎められはしないらしいことはわかった。

 

 

 

 

 ――さて、一方その頃。

 

〔すみません

 セシリアさんが食堂の厨房を

 占拠していて〕

 

 使用可能時間内に厨房を使うことはおろか、足を踏み入れることすらできなかった。

 

「ああ、うむ。事情はだいたい理解している。巻き込まれなかったか?」

 

〔それは大丈夫

 でもケーキは

 作れませんでした〕

 

「構わん。気持ちだけで十分に嬉しいとも」

 

〔はい……〕

 

「ほらすーちゃん、今は暗いのは無しだよぉー。それではー、気を取り直してー。

 ジグ、おたんじょーびおめでとーう!」

 

〔おめでとうございます〕

 

「ああ、ありがとう」

 

 八月二十七日が終わる前にと、スティナと本音がジギスヴァルトの誕生日を祝っていた。

 ジギスヴァルト・ブレヒト。今日で十七歳。乙女座。




 エタったと思いましたか? 奇遇ですね、私もそう思いました。危ないところでしたね。
 ギャグ時空で他作品ネタに頼らざるを得ない我が身の非力を嘆きつつ夏休み編は終了です。ようやく。


 ポイズンクッキングのくだりは必要かって? 必要ですよ、だって私が楽しいですから。


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Fuenftes Kapitel -Schulfest/Es ist Showtime ! -
第三七話:疾走する思春期の緋兎


 

 篠ノ之束には夢があった。

 

 空に浮かぶその輝きに取り憑かれたのはいつの頃だっただろう。

 頭上に広がる星の海。あの宝石箱の中を思うままに泳ぎ回れたなら――それが叶うならば他には何も要らないとさえ思った。

 

 彼女はそのためのIS(つばさ)を創り上げた。

 否――創り上げたかった。

 

 だが、彼女は“()()”ではあるが、それでもやはり“人間”であったのだ。彼女には空を舞う翼は創れても、星を渡る翼は創れなかった。そのうえ――たったひとつのミスを犯した。

 もしもあの時、二機完成させていたら。もしもあの時、千冬だけでなく――顔さえ朧気にしか思い出せないが――父親にでもお願いしていたら。

 こんな世界にはならなかっただろうか。IS(こどもたち)は、こんな進化をしなかっただろうか。

 

 かつてのミスを正すために、彼女は必死で行動した。臨海学校で一夏に、彼とジギスヴァルトがISを使える理由はわからない、なんて話したが――あんなのは嘘っぱちだ。

 わからないわけがない。だって――自分がそうあれと願って動いた集大成なのだから。

 

「そうあれかしと叫んで実行()れば、世界はするりと片付き申す――いやー片付かないなーおかしいなー」

 

 昔漫画で見た台詞をもじって愚痴る。

 

 ジギスヴァルトだけではダメだった。一夏を加えてもまだ足りない。

 

 ならば“例外”を増やすまでのこと。

 

 そのアテは――愛する“長女”には恨まれるかも知れないが――無いことはない。

 なに、大丈夫だ。好きな人に恨まれるのは慣れている。嫌われたって恨まれたって、いつか誰かに刺されたって――それでも、止まれないのだ。煌めく天球への執着は、棄てられないのだ。

 掌にある“それ”を弄び、彼女は自分に言い聞かせた。

 

「束様」

 

 不意に呼ばれて、思考の海に没していた意識を引き揚げる。振り向けばそこには、コーヒーとクッキーの載ったトレイを携えた“次女”が、目を閉じて立っている。

 

「おやつにしましょう。

 ――ああ、そうだ。お兄様にはいつ会えますか?」

 

 目を閉じたまま、しかしそれでも見えているかのような淀みない動きでテーブルの準備をしながら、“次女”は唐突とも言える問いを投げる。

 

「もーちょっとだけ待ってね。学園祭があるらしいから合法的に会いに行けるよー」

 

 そのときは、クーちゃんだけで行ってもらうことになっちゃうけど――と続けながらジギスヴァルトからせしめた招待券を取り出せば、クーちゃんと呼ばれた“次女”はあからさまに顔を綻ばせる。

 

「ああ、楽しみです。はじめましての挨拶はどんな風にしましょう。失礼の無いよう丁寧に、それでいて印象的なのが望ましいのですが」

 

 なにしろ私の――救世主(ヒーロー)ですから。

 

 ここには居ない“彼”を見るかのように開かれた彼女の目。その眼球は黒く、両の瞳は金色だった。

 

「あ、そーだ。クーちゃん、ちょっと後でおつかいに行ってもらえないかな?」

 

「おつかい、ですか? 構いませんが……いったいどこに?」

 

「ちょっと大八洲国(おおやしまぐに)まで!」

 

「おーやしま……えーと……あ、日本ですか。わざわざややこしい呼び方をしないでくだ――」

 

「チャリでね!」

 

「――さい、ってチャリで!?」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 新学期が始まった。

 

 普通の高校であれば初日は始業式とHRだけで、授業は翌日からというところも多いが――ここは間違っても普通の高校とは言えないIS学園。一般的な授業に加えて、ISの操縦や整備、戦闘に関するあれやこれや、果ては爆弾解体まで学ぶ場所である。普通の高校と同じ日程では時間が足りない。

 故に、初日から授業が執り行われる。であるからして、至極自然なことに、更識簪もまた自身の所属クラスたる一年四組の教室にて授業を受けていた。

 

「次の問題は――山下さん」

 

「3xです」

 

「違います」

 

 さっさと整備室に行って専用機造りの続きをしたい。そんな気持ちを抑えながらの数学の授業、そのなんと退屈なことか。そもそも彼女は勉強はデキる方なので、一般科目は教科書を読めばだいたい理解できてしまう。

 

 ああ、つまらない――そう思って、ふと窓の外へ視線を投げる。

 

 ――(あか)が、在った。

 

「…………へ?」

 

 とんでもない速度で飛来した(あか)全身装甲(フルスキン)のISが、その翼のようなスラスターを大きく広げ、窓ギリギリの位置で静止。直後、それは直上へと姿を消した。続くようにして、打鉄やラファール・リヴァイヴが何機か上へ飛んでいく。

 

(今の、シャルラッハロート・アリーセ……? なんでこんなとこを……?)

 

 簪が抱いた疑問は、直後の校内放送が溶かすことになる。

 

『全校生徒にお知らせします。

 只今、学園の敷地全体を舞台とした、ジギスヴァルト・ブレヒトVS一年一組・二組一同のIS鬼ごっこが行われています。

 主催の織斑教諭の意向により見学は自由です。興味のある生徒は好きな場所からご覧ください』

 

 ちら、と教壇に目を向ける。どうやら教師の端末に連絡があったらしく、しばらく操作した後に深い溜息を吐いて、

 

「えーっと、見たい人は行っていいですよ。授業は出席扱いになるようなので遠慮しなくて――」

 

 全て言い切る前に、生徒の九割が教室を出た。見やすい場所の争奪戦が開始されたとみて良いだろう。

 

「……私の授業、そんなにつまんないかなあ」

 

 ショックを受ける教師の呟きを心の中で肯定して、簪もまた教室を出た。

 

 男性操縦者や各種専用機の魅力の前ではどんな授業も勝てやしない――とか、そういうフォローをしてくれる人間は、この場には居なかった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 鬼ごっこが始まる少し前。一年一組・二組の面々は、実技の授業を受けるべくグラウンドに居た。

 

「では、新学期最初の授業を始める。まずは織斑、それとブレヒト。前に出ろ」

 

『はい』

 

 千冬の指示で彼女の横に並んだ男ふたりに、彼女はISの展開を命じた。言われるがままにそれぞれのISを纏ったふたりを教材として、授業は進み始める。

 

「本当はもう少し後に教えることだが、丁度良いサンプルが居るからな。予定を繰り上げることにした。

 さて、ISの第二形態移行(セカンドシフト)についてだ。これは通常、ある程度の経験を積んだISが、自身をより操縦者に適したカタチに変えるべく発現する。そうした性質上、第二形態移行の大半が当てはまる傾向、というものがある。

 どういった傾向か――デュノア、答えてみろ」

 

「はい。『長所を伸ばす』か『短所を補う』か、です」

 

「正解だ。

 専用機はそもそも操縦者に合った調整や武装が施されている――または専用機に合った操縦者が選ばれている。これをより操縦者に適した機体に造り替えるとなると、長所にも短所にも関係ない機能が必要な場合はまず無いと言って良い。

 そして――」

 

 シャルロットの回答を受けて、千冬はまず一夏を――正確には彼が纏う白式・雪融(ゆきどけ)を竹刀で指した。

 

「織斑のIS、白式・雪融は『短所を補う』ことを選択した。

 零落白夜の使用によるS(シールド)E(エネルギー)の急速な消耗、それによる継戦能力の圧倒的な低さ。それを軽減するために白式が開発したのが左腕の盾、雪融だ。

 オルコット、試しにお前のレーザーライフルを織斑に撃ってみろ」

 

「はい」

 

「えっ」

 

 ブルー・ティアーズを展開し、セシリアは白式に狙いを定める。一夏が慌てて雪融を構えて防御フィールドを発動するのを待ってから、引鉄(ひきがね)を引いた。

 

 スターライトmkIIIが放ったレーザーは、白式の防御フィールドに当たって消えた。生徒たちにはそうとしか見えなかった。

 もし彼女らがISを展開していれば、レーザーが防御フィールドに沿って屈折し雪融に吸い込まれる様子をハイパーセンサーが捉えてくれただろう。

 

「と、このように。

 雪融が発生させる防御フィールドに触れたEN(エネルギー)攻撃は全て無力化・吸収される。ENを無力化するという点では零落白夜と同じだが、あちらは“掻き消す”のに対しこちらは“取り込む”という違いがある。そして取り込んだENを零落白夜の発動にまわすわけだ。

 一見すると隙のない組み合わせのようではあるが、その実欠点だらけだというのは第二形態移行前と同様。EN兵器を使うISが相手ならば継戦能力・防御性能が跳ね上がるが、実弾しか持たない相手に対しては従来通り――いや、性能が上がって燃費が悪くなっている分、機体をきっちり使い(こな)せなければむしろ従来より苦しい戦いとなるだろう。

 どんな高性能なISも使い手次第、という好例だな」

 

 そこで一旦説明を切って、千冬は箒をちらと見遣る。

 紅椿という専用機を手に入れた箒であるが、正規の手段でそれを手にした者たちと違って彼女は何の修練も心構えもしてはいない。

 使い手次第、という千冬の言葉は、半ば以上箒個人に向けたものだった。向けられた側がそれを理解しているかは、残念ながら今は確認することが出来ないが。

 

「一方、ブレヒトのシャルラッハロート・アリーセ Zwei(ツヴァイ)は『長所を伸ばす』ことを選択した。

 スラスター出力が上昇し、大腿部にブースターを増設、そして搭乗者にかかる負荷を無視しての強制回避。元々高かった機動力をさらに高め、また回避の判断をISの演算に任せることで、“点”や“線”の攻撃に対しての馬鹿げた回避性能を実現している。

 ただし、“面”で制圧するタイプの攻撃には弱く、また短所である装甲の脆さも一切変わっていない。さらには自分の機動で操縦者を負傷させる。

 たったひとつのために他の全てを置き去りにした、特化型の極致とも言えるだろう」

 

 そこでだ。と、千冬は続ける。

 

「こいつの性能を利用しない手は無い。本日の実習内容を発表する。

 ――鬼ごっこだ」

 

 ――何言ってんだこいつ。

 

 

 

 

 と、そういう経緯で始まったこのIS鬼ごっこ。ルールは単純、「授業が終わる時間まで逃げ切ったらジギスヴァルトの勝ち」。備品等に傷がつく可能性のある武装の使用は禁止されており、本当にただの鬼ごっこである。

 

 ただ逃げればいいだけ。速度に特化したシャルラッハロート・アリーセにとってこれほど簡単な仕事は無い。

 千冬はアリーセの単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)について少し誤解しているようで、この鬼ごっこではフェアリュクト・フートマッハーは基本的に使えないのだが――あいつは回避の単一仕様能力を持っている、と相手(鬼たち)が思っていてくれたほうが都合がいいので訂正しなかった。

 

 これがただ授業の一環であるだけだったなら、彼は訂正しただろう。しかし、彼は逃げ切らなければならないのだ、絶対に。

 この鬼ごっこでは――敗者にグラウンド十周が約束されているのだから。

 

『居た!』

 

『一番近いのは――C班(チャーリー)!』

 

『おっけー! 絶対に捕まえてみせるわ!』

 

『走りたくなーい!』

 

『なーいー!』

 

 という通信はジギスヴァルトには聞こえないのだが、それはともかく。アリーセのスピードは皆が知るところであるため、女子たちは必死で連携を取っている。一度に十五機の訓練機を投入する大盤振る舞いを受け、それを三機ずつのグループに分けて。

 とはいえ、これはあくまで授業。生徒全員がISを使えるよう、途中で交代しに戻らなければならない。そういうロスも考えると、本気を出して逃げ回るのは申し訳ないようにも思えてくる。

 

 だが逃げる側、ジギスヴァルトには。グラウンド十周よりも大きな、負けられない理由があった。

 それは――。

 

「和菓子のために……負けるわけには――」

 

 ――逃げ切れたら一週間、千冬が食堂の和菓子を好きなだけ奢る。そういう契約が、先程交わされたからだ。

 いくらアリーセが速度特化型で、この鬼ごっこが機体操作や連携の訓練に効果的であるとはいえ、さすがに一対二十二は酷い――というのを千冬自身理解してはいたようで、それがジギスヴァルトにとって唯一の救いだった。

 

「――いかんのだ!!」

 

 そんなわけで、和菓子という餌を目の前にぶら下げられた彼は――本気(ガチ)で、真剣(マジ)だった。

 

 校舎ギリギリで制動をかけ、外壁スレスレを上へ。まだまだISの操縦に自信の無い彼女ら(鬼たち)はあまり校舎に寄れない。勇気を出して寄れた者も、操作をミスしてぶつかるのが怖くてスピードを出せない。

 

 これでC班(チャーリー)は振り切った。そう思った矢先。鈴のような音がして。

 

 ――()()に、剣が、居た。

 

 空中に逆さまに()()したエイフォニック・ロビンが、アリーセ目がけて跳躍。遠音(ブースター)で急加速して迫り来る。

 

『今よF班(フォックストロット)!』

 

『了解。誘導、ありがとうございます』

 

 オープン・チャネルから聞こえる会話に舌打ちする。

 

 専用機持ちたちの姿が見えない、とは思っていた。待ち伏せくらいは予想していたが、まさか他の生徒たちに誘導されるとは。

 自身が彼女らを侮っていたことに気付き、自らを叱責する。IS学園に居る以上は彼女らとて優秀な人材で、専用機の有無はただ稼働時間の多少であるとか、タイミングや運であるとかだけの差なのだと、わかっていたはずなのに。実際はわかっているつもりになっていただけかと自嘲する。

 

『だがそれでも――負けられんのだ!』

 

 大腿部のブースターを起動。スティナの進路上から強引に外れ、再び上を目指す。

 

 が――。

 

『そうはいくか!』

 

 スティナの陰から別の機体が飛び出した。白式・雪融だ。一年生勢の専用機の中でもアリーセに次ぐクラスの機動力を誇るそれが、進路上に立ちはだかる。一夏の瞳が、どう逃げたって追いすがってやる、と宣言していた。

 

『よもやお前がそこに居ようとは。乙女座の私にはセンチメンタリズムな運命を感じずにはいられない!』

 

『いくぞ白式! 踏み込みと、間合いと――気合いだ!』

 

 白式がアリーセへと手を伸ばし、アリーセは回避のため機体を捻らんとスラスターを調節する。その、瞬間。

 

〈【警告】特殊なエネルギーを感知/AICと断定〉

 

 視界の隅に表示されたアリーセの警告を受け、ハイパーセンサーを介して真横を見る。いつの間にそこに居たのか、ラウラがこちらへ手を翳している。

 

『一夏さえ囮だったというのか……!』

 

『すみません兄様。私たちのために、捕まってください!』

 

 上には一夏が。下にはすれ違い反転したスティナが。そして横には校舎の壁と、反対側にはラウラ。さらに、AICのエネルギー波が水平方向を塞がんと迫り来る。

 通常の機体であればこれで捕らえられたかも知れない。だがアリーセは、(こと)回避に関して、条件さえ整えばまさに“化け物”である。

 

 彼らのミスはたったひとつ。それは――。

 

〈▼告/当機へのAIC投射を確認/最適回避演算を開始します〉

 

 アリーセにAICを使った――則ち、()()()()()()()()

 

 自らを停止せしめるであろうこのエネルギー波を攻撃と判断したアリーセは、単一仕様能力を起動。ジギスヴァルトの視界に“AICと障害物(他の機体)を完全に回避して()()()()()()()()”軌道を赤い(ライン)として描画し、「今からこの軌道で動くから覚悟しやがれ」と彼に示す。

 

 そしてジギスヴァルトが“後ろ”を指定してGOサインを出せば、アリーセの制御は彼の意を離れ――。

 

『残念』

 

『そんなっ!?』

 

 スラスターとブースターを恐ろしく精密に操作し、速度を落とすことなく鋭角にすら曲がってのけて全てを潜り抜けたアリーセは、ラウラのすぐ後ろに機体をつけてから操縦権(コントロール)をジギスヴァルトに返した。

 

『ではな。私は逃げるとしよう』

 

 そしてもちろんジギスヴァルトがそこに留まることはなく。

 ラウラが振り返る前にスラスター出力最大で離脱する。

 

『くそっ! E班(エコー)! G班(ゴルフ)! 行ったぞ!』

 

 他の班に連絡するラウラの声を置き去りにして、緋兎(アリーセ)は超音速でIS学園の空を駆け回る。

 

『最高に高めた私のフィールで最高の和菓子を手に入れてやる! もっと速く()()れー!』

 

 和菓子のせいでテンションの上がったジギスヴァルトの楽しそうな叫びが、オープン・チャネルに木霊した。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「あー……つっかれたー……」

 

 結局。ジギスヴァルトは授業終了まで逃げ切った。

 捕まえられなかった生徒一同は放課後に千冬の監視の下でグラウンドを十周した。

 

「まだまだだな一夏。ところでどうだ、ひとつ食うか? ただしふたつ以上食べたら左腕で殴る」

 

「うっせ。お前が速すぎんだっつーの。つーか左腕ってお前、俺の頭がパーンするじゃねーか」

 

 現在は夕食後の自由な時間。ジギスヴァルトは千冬の奢りの和菓子(ねりきり)が山ほど入った箱を抱え、一夏の部屋の椅子に座っている。

 好きなだけ奢るという千冬の言葉に甘えに甘えた彼は、本当に好きなだけ注文した。これがあと六日も続くと思うと、心がぴょんぴょんするのを抑えられない。

 

捕獲()ったと思ったんだけどなあ。何だったんだよあのデタラメな機動」

 

「あれこそがアリーセの単一仕様能力だ。“備品等を傷つける可能性のある武装”に入らないからといってAICなど使うから、アリーセが本気を出してしまってな」

 

 シャルラッハロート・アリーセの単一仕様能力、フェアリュクト・フートマッハーの回避能力が発動する条件は、ふたつ。

 ひとつは、“攻撃”を受けていること。もうひとつは、“攻撃”を仕掛けてきているモノ――例えばISであるとか、砲台であるとか、人間であるとか――の位置をアリーセが把握できていること。

 このふたつを満たしていないと不発となる。何故ならこの回避能力は厳密には“回避”ではなく、“攻撃に当たらずに敵に接近する”能力だからだ。

 なので、例えばスタートから見える位置にゴールがある障害物レースを行う場合。()()()()アリーセに攻撃してくるならば、単一仕様能力を発動させると攻撃も障害物も全て避けて自動でゴールする。しかしゴールではなく障害物が攻撃してくるならその障害物に突撃するし、攻撃の無いただの障害物レースであれば発動すらしないので自力で動くしかない。

 幸いなのは、複数の敵が攻撃を仕掛けてくる場合に、対象とする敵を任意で選べる点か。

 

 と、そういった説明を一夏にしていると。つけっぱなしにしていたテレビから、とあるニュースが流れた。

 

『フランスのデュノア社がIS関連事業からの撤退を表明しました』

 

「む?」

 

「なんだって?」

 

 その内容が自分たちに無関係でないものであるが故か、二人は食べるのを止めて画面に注目する。

 

『経営陣の発表では、第三世代型IS開発の目処がいまだに立っていないこと、第二世代型では今後の展望が望めないことが理由であるとされています。

 現在販売されている、デュノア社のIS関連製品のライセンスは――』

 

 まあ、要約すると。デュノア社がIS関連事業から手を引くから、今あるデュノア社製IS関連製品の生産やらサポートやらは別の企業がやりますよ――というようなことなのだが。

 

 いったいどうしてそうなったのか。そうなるとシャルロットは大丈夫なのか。いろいろな疑問が浮かんでくる。

 

「大丈夫よ、シャルロットちゃんはフランス政府が認めた代表候補生なんだから。製造元が親戚の会社じゃなくなったくらいで支援が無くなるとかはないわ」

 

「へえ、そっ――か?」

 

「それならば安し――ん?」

 

 自分たちの疑問に答える声につい納得してしまいそうになったが。

 待て、そもそも今、この部屋には一夏とジギスヴァルトしか居ないはず。

 

「はぁい♪」

 

 振り向けばミトコンドリア――ではなくて。

 

「……生徒会長さん」

 

「貴様どこから()()った」

 

 生徒会長・更識楯無が、相変わらずの笑顔で立っていた。

 

「もう、楯無でいいって言ってるのに。

 それとジグ君? 貴様はやめてっておねーさん何度も言ってるわよね?」

 

 バッ、と開いた扇子には「窓から」の文字――いや、窓からって。ここ、十階なんですが。なんて思うが、それより何より、先の楯無の言葉に引っかかるものを感じて、一夏はそちらを尋ねることにした。楯無の行動に突っ込むのを諦めたとも言う。

 

「あの、今親戚って……デュノア社の社長ってシャルロットの父親じゃないんですか?」

 

 親戚という言葉からはどうしても“親”というニュアンスは感じられない。

 

 しかしどうしたことだろう。一夏の問いを受けた楯無はキョトンとし、ジギスヴァルトは「やっちまった」と言わんばかりの表情で額に手を当てているではないか。

 あまりに予想外の反応に一夏が戸惑っていると、

 

「ジグ君、言ってないの?」

 

「いや、まあ……その、なんだ。シャルロットが言っているものとばかり……」

 

 明らかに何かを知っている様子の二人。それにますます混乱する一夏。

 

『あー……シャルロット。今いいだろうか』

 

『――ジグ? どうしたのこんな時間に』

 

 とりあえずシャルロットに確認を取るべく、ジギスヴァルトはプライベート・チャネルを繋いだ。

 

『お前、一夏に両親の話、していないのか』

 

『え? …………………………あ』

 

 どうやら忘れていたらしい、と判明した。

 

『今、デュノア社のニュースを見た流れでその話になってな。私から話していいか?』

 

『うん。話すつもりだったのを忘れてただけだし、言っちゃっていいよ』

 

 当事者の許可は得た。ならば、目前で狼狽える友人に伝えよう。別に隠しているわけではなく、うっかり、本っっっっ当にうっかり、伝え忘れていただけなのだし。

 

「一夏。説明するから一旦落ち着け。

 ――落ち着いたな? よし。では話すぞ。少しばかり重い話だ」

 

 そしてジギスヴァルトが語ったのは、言わばシャルロットの出生の真実だ。

 

 シャルロットの父親がデュノア社の社長()()()のは間違いない。そして彼女はその社長の愛人の子などではなく、間違いなく()()()()()()だった。

 しかし、彼女の父親は――彼女が生まれてしばらくした頃、病死していた。

 会社は彼の弟が引き継ぎ、シャルロットの母親は追い出され――あとは彼女があの夜に語ったように、田舎でひっそりと娘を育てていた。デュノアという姓を名乗り続けた理由は愛だの何だの多々推測できるが……フランスではさほど珍しい姓でもないため、特に勘繰られる心配が無いというのはある程度大きな理由だっただろう。

 彼女の母親が亡くなった後、現社長が父親を(かた)って迎えに来た。ある時街で催されていたイベントで何気なく受けたISの簡易適性検査の結果を、どうやってか知り得たらしい。どうせずっと監視していたのだろう、とは楯無の談である。

 

「――とまあ、これが。例の男装の件の折に判明したことだ」

 

 シャルロット自身、そんなことはその時まで知らなかった。政府やら何やらへの根回しのために色々調べていく中でわかったことで、全て終わった後に楯無から彼女へ伝えられた。

 ジギスヴァルトは、あの夜に居合わせた人には知ってもらいたいと言うシャルロットから聞いたのだが――一夏についてはご覧の有様である。

 

「ま、ようやくデュノア社がこうなったようで何よりだわ」

 

 そして楯無が語るのは、先のニュースの真相。

 

 そもそも、正規の手続きを経て現社長夫妻の養子になったわけでもないシャルロット。いくら親戚といえど現社長には親権もクソも無いし、シャルロット自身も彼らに情などありはしない。

 そこでIS学園――というより更識家がフランス政府及びデュノア社に出した要求は三つ。

 

 一つ、今回の件について、シャルロット・デュノアを罪に問わないこと。

 

 一つ、デュノア社はIS関連事業から撤退し、今後一切シャルロット・デュノアに干渉しないこと。

 

 一つ、デュノア社現社長夫妻の、直接・間接問わぬシャルロット・デュノアへの接触禁止措置。フランス政府は彼らを監視し、シャルロット・デュノアに接触しようとする動きがある場合これを阻止すること。

 

 以上の要求を飲まない場合、フランスとデュノア社にとって甚大な損害となる形で今回の件を公表する。

 実際はもう少しいろいろと複雑怪奇なやり取りがあったが、シンプルに言えば概ねそんなようなことが話し合われて合意が取れて。そのうちの「IS関連事業からの撤退」が今、ようやく準備ができて実行に移された――ということらしい。

 

「へー、そんなことが……。シャルロットがIS学園(ここ)に居られるってだけで全部解決した気になってて全然気にしてなかった……」

 

「私もそんな要求をしていたとは知らなかったが……そうか、よく考えれば、デュノア社をどうにかしておかなければまた同じようになる可能性は高いか」

 

「そーいうことよ」

 

 ともかくこれで、約定が守られる限りシャルロットの憂患は取り除かれたことになる。

 

 もちろん、あの件はフランス政府も噛んでいたわけであるから、デュノア社をどうにかしたところでフランス政府がまた何かしないと言い切ることはできないが――仮にも一国の政府が、同じ人間を使って何かしようとする可能性は低いだろう。多分。

 

「そんなことよりそれ、おねーさんにもひとつ頂戴な」

 

「よかろう。ただしふたつ以上食ったら左腕を部分展開して殴る」

 

「えっ、酷くない?」

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 ある日の昼。五反田弾は祖父に買い出しを頼まれ、両手に大きな買い物袋を()げて住宅街の細い通りを歩いていた。

 

 そろそろ九月とはいえ、まだまだ真夏と言っていい程度には暑い。彼は汗だくになり、胸中に祖父への恨み言を渦巻かせながら自宅たる五反田食堂へと歩を進める。

 

「あっちぃー……って、ん?」

 

 前方から歩いてくる人が一人。それ自体は別に取り立ててどうということもないが、しかしその姿はひどく印象的だった。

 

 小柄な少女だ。顔立ちは白人系。長く伸ばされた髪は銀。白いブラウスに青いスカート。目は閉ざされ、手には白杖。

 

 このあたりでは見かけたことの無い顔だ、というのが弾の抱いた感想だ。いくら生まれたときから住んでいるといえど、住民全員を知っているわけではないが――それでも、噂くらいにはなっていそうなほど印象的な少女。それにも覚えが無いから、観光客か新しく越してきたかのどちらかだろうとアタリをつける。

 

 あと、すげー美少女だな、とも思った。

 

 さて、そんな少女が歩いてくるわけであるが。彼女は先にも述べたように白杖を携えていて、地を叩いている。そして両者は、このままの進路で歩いていてはぶつかる。

 ならば自分が道を空けるべきだろう、と弾が横にズレると、何故か少女は足を止め――。

 

「――五反田弾様ですね」

 

「……え?」

 

 突如として名を呼ばれ、弾もまた足を止めた。少女とはまだ数メートルの距離がある。

 

「五反田弾様、ですよね?」

 

 現在、この通りには弾と少女しか居ない。必然として、彼女の言葉は弾に向けられている――そもそも名を呼ばれているのだからそれ以外は考えづらい――わけだが。しかし弾には理由がわからないし、知らない相手が自分の名前を知っているという事実に恐怖すら覚える。

 

「そうだけど……あんたいったい……」

 

 目を閉じたままの少女に自分が見えているとは思えない。初対面の人間が彼を五反田弾だと断定できるような音なり何なりを発した覚えも無い。

 

「失礼。(わたくし)、クロエ・クロニクルと申します」

 

 スカートを摘んで一礼した少女――クロエは、わけがわからなくて固まっている弾に微笑みかけて、

 

「本日は、さる御方より貴方にお願いがあって参りました」

 

 




 クーちゃん&弾、魔改造計画進行中。
 特に弾は、スティナルートに行く場合にやりたかったことがいっぱいあります。
 クーちゃんは……黒鍵は使いませんとだけ。第三話で不用意なことを書いてしまったせいで今まで出しあぐねていたクーちゃんの今後の活躍やいかに。

 デュノア社云々は要らないかなーと思いましたが、学年別トーナメントのあたりを読み返していて「あれ? でもこれシャルロットの問題の根本的な解決になりませんよね?」と思ったので――急遽後付けでいろいろ捏造しました! ええ後付けです。ライブ感です。
 おそらく穴だらけなんですが、今後一切話に関わらないであろう部分なのでそのうち変更なり削除なりするかも知れません。


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第三八話:生徒会長からは逃げられない

 

 月曜日。SHRと一限目の前半部とを使って全校集会が行われた。九月中旬に行われる学園祭についてだ。

 

「それでは、生徒会長から説明致します」

 

 布仏虚が静かにそう告げると、(かしま)しかった生徒たちがサッと口を閉ざす。

 姦という漢字で卑猥なものを連想した人はグラウンドを十周するように。

 

「やあみんな、おはよう。

 私の記憶が正しければ、今年はまだちゃんとした挨拶はしてないよね。私の名前は更識楯無。君たち生徒の長よ。以後よろしく。

 さて、では今月の一大イベント、学園祭についてだけど――二年生以上は知っての通り、毎年各部活動ごとの催し物を出し、それに対して投票。上位入賞した部は部費に特別助成金が出る仕組みでした」

 

 二年生以上の生徒たちがうんうんと頷くのを見ながら、楯無は続ける。

 

「ですが――皆、ちょっとだけ頭を働かせて頂戴。今年は一年一組に男子が二人居ます。そのうち一人は生徒会に所属していて、そのうえ彼女持ち。迂闊なことはできないけれど――もう一人は、どう?」

 

 ザッ! と、全校生徒の視線が、織斑一夏が居るであろう方向へ向けられた。

 顔を引き攣らせて冷や汗を流す彼を見て「勘付いたかな?」と思うが、それもまた愉しいし――何より、この女子力(物理)包囲網を抜けられやしまい、と楯無は内心ニヤニヤしている。

 

「我が校では部活動への参加が義務になっていますが、彼は無所属。いろんな意味でフリー。

 ――そぉこでぇ! 今年の学園祭には特別ルールを導入します!」

 

 生徒会役員席に座るジギスヴァルトが手元のチープな赤いスイッチを押すと、空間投影ディスプレイが浮かび上がった。

 

「名づけて――『部活対抗織斑一夏争奪戦』! 一位の部活に織斑一夏を強制入部させましょう!」

 

 ぱんっ! と小気味良い音を立てて楯無が愛用の扇子を広げたタイミングで虚が手元のノートパソコンのエンターキーを「ッターン!」と押すと、ディスプレイにはテロップと共に一夏の写真がでかでかと映し出された。

 

『え……ええええええええええー!?』

 

 割れんばかりの叫び声に、ホールが冗談ではなく揺れた。

 叫び声の主な成分は歓喜と驚きだったが――その中には、少しの怨嗟も含まれている。

 

「静かに。あなたたちは次に『どうして出し物が決まった後でそんなこと発表するんだ』と言う」

 

『どうして出し物が決まった後でそんなこと発表するんだ……ハッ!』

 

「うんうん、ノリのいい子はおねーさん大好きよ」

 

 例によって無駄に洗練された無駄の無い無駄な連携を見せた生徒一同に満足げな顔を向けて、楯無は続ける。

 

「発表時期に関しては、各部活の暴走を防ぐためです。突拍子もない出し物が出ても困るしね。毎度毎度却下するのも大変なのよ?

 でも、既に決まった出し物の範囲を逸脱しなければ大抵のことは許可します。

 あなたたちは望むかな? 鉄風雷火の限りを尽くし、三千世界の鴉を殺す、嵐の様な争奪戦を望むかしら?」

 

争奪戦(クリーク)! 争奪戦(クリーク)! 争奪戦(クリーク)!』

 

「よろしい、ならば争奪戦(クリーク)だ。

 私たちは満身の乙女心をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳よ。けれど遠巻きに眺めながら半年もの間堪え続けてきた私たちにただの争奪戦ではもはや足りない!

 大争奪戦を! 一心不乱の大争奪戦を!

 第一次部活対抗織斑一夏争奪戦――派手にやりなさい皆!」

 

 ぱんっ! と閉じた扇子を眼下の生徒たちに向けた、その直後。

 

「うおおおおっ!」「素晴らしい、素晴らしいわ会長!」「こうなったら、やってやる……やあああってやるわ!」「今日から活動時間全部準備にまわすわよ! 秋季大会? ほっとけ、あんなん!」

 

 集会は混沌の坩堝と化した。

 

 一夏は、膝から崩れ落ちそうになったのを、なんとかこらえた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 さて。集会が終わって(のち)、授業もつつがなく行われ、放課後である。

 

「覚悟おおおおお!!」

 

「おっと」

 

「ぐわああああ!?」

 

 生徒会室に向かう楯無に、竹刀を持った生徒が襲いかかり――傍らに居たジギスヴァルトに撃退された。

 こう、左腕で竹刀を受けて――竹刀と人間の腕がぶつかったときにしてはいけないような金属質な音がしたが、腕はともかく竹刀には何か仕込まれていたのではなかろうか――足を引っかけると、勢いのまま面白いくらい吹っ飛んだ。

 

 そしてそれを見送る間も無く、今度は窓ガラスが破裂した。

 

「…………」

 

 次々と飛来する矢。隣の校舎から飛んでくるそれを、今度はスティナが迎撃する。

 先程の女子が落とした竹刀を拾った彼女はそれを用いて見事に矢を捌き、その間に狙いを定めて――相手が矢を(つが)える隙に竹刀を投擲。下手人たる袴姿の女子生徒の腹にぶち当たり、沈黙させる。

 

「もらったあああああ!!」

 

 バンッ! と廊下の掃除用具のロッカーが開き、ボクシンググローブを装着した女子生徒が現れた。

 

「そぉーい」

 

「なんとおおおおお!?」

 

 が、現れたその瞬間。ロッカーが怪しいと睨んで待ち受けていた本音の当て身を喰らってロッカーへ逆戻り。派手な音を立て、扉が閉まり、そして何事も無かったかのように元通り佇むロッカーだけがその場に残った。

 

「いやー、優秀な護衛が居て、おねーさん助かっちゃうなあ」

 

 上品に笑いながら扇子で自身を扇いでいる楯無。その、隣で。

 

「いや、つーか、何これ?」

 

 生徒会長様御一行に連れられた――というか、授業が終わるや否や教室にやってきた楯無の指示で一年一組の生徒会関係者一同に拉致られた――一夏が唖然としていた。

 

「うん? 見た通りだよ。か弱い私は常に危険に晒されているので、頼もしい騎士たちが守ってくれてるのさ」

 

「生徒会長はサイキョーなんじゃなかったんですか」

 

「あら、覚えてたの」

 

 一本取られたなあ、なんて言って、閉じた扇子で自分の頭を小突く。さすがは名家の出というか何というか、そんな仕草からでさえ俗っぽさが感じられない。

 

「まあ、簡単なことよ。生徒会長は最強でなければならない。その選出方法はなんともシンプルに“戦って倒す”。

 生徒会室へのカチコミに果たし状からの決闘、闇討ち不意打ち、果てはハニートラップまで何でもござれ。どんな手を使われても、“負けた時点で”長失格。倒した者が次の長。

 わかりやすくていいでしょう?」

 

「いやに原始的ですね」

 

「でも一番確実に“最強”を選べるでしょ?

 それにしても、私が会長になってからは襲撃もそんなに無かったんだけど……これは君のせいかなあ」

 

「なに人のせいにしてんですか」

 

 ジトッとした――そしてどこか疲れたような――一夏の視線もなんのその。華麗にサラッと受け流し、楯無はそれには答えずにただ微笑む。

 

「お前を景品にしたからな。勝てんと踏んだ部活が実力行使に出たんだろう。会長になって景品キャンセル、そしてお前を自分の部活に入らせるという寸法だ」

 

 代わりに説明したジギスヴァルトの言葉は、なんとも無責任なものだった。

 

「いや、つーかそもそもなんで俺を勝手に景品にしてんの?」

 

「それについてはちょっと落ち着いてからにしましょう。ほら、丁度着いたよ」

 

 一行が足を止めたのに合わせて一夏もまた立ち止まる。

 楯無が指す扉は他の部屋と比べると重厚で、そしてドアプレートには「生徒会室」と刻まれている。

 楯無が扉をノックすると、ジギスヴァルトにとっては聞き慣れた、そして一夏にとっては初めて聞く声が返ってきた。

 

「確率」

 

 そして楯無がそれに応える。

 

「目安」

 

 さらにもう一度。

 

「不足」

 

 すかさず楯無。

 

「勇気」

 

 そして扉が内側から開かれる。重そうな扉が音も無く開いていくあたり、相当良い物なのだろう。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 

「あん、お嬢様はやめてって言ってるじゃない」

 

「失礼しました、つい癖で」

 

 出迎えた虚と話しながら中に入っていく楯無、それに続くジギスヴァルトたち。そして入っていいものか迷って立ち尽くす一夏。

 

「何してるの一夏君、入って入って」

 

「いや、はい……ていうか、今の何?」

 

「何って、合言葉よ?

 ほら、さっき言ったじゃない。生徒会室へのカチコミって。開けた瞬間に襲われたら嫌でしょ?」

 

「……そーですね」

 

 もはや考えるのもアホらしくなって、一夏は言われるがまま室内に入り。虚が引いてくれた椅子に、崩れるように座り込んだ。

 

 ――ブー、と、鳴った。

 

「やーい引っかかったー」

 

「いい加減ぶん殴りますよ楯無さん! いや殴りませんけどね女性だし!」

 

 椅子に敷かれたクッションの下から所謂(いわゆる)ブーブークッションを引きずり出し、一夏が吼える。彼の心は、なんというか、そろそろ限界だった。

 

「わあこわい。でもそれ、私じゃないよ?」

 

「他に誰がこんなことするってんですか!」

 

「私だ」

 

 ジギスヴァルト・ブレヒト。上司(たてなし)からのストレスを(いちか)で発散するクズの名である。

 

 

 

 

 いろいろと打ちのめされた一夏が回復するのに三十分程を要したが、そんな些事はともかく。

 

「それじゃ本題に入ろうか。どうして一夏君を景品にしたのか」

 

「お願いします……」

 

 なんとなく色素が抜けたようにさえ見えるほどに疲れ果てた一夏。そんな彼に、やっとこさ真面目な顔になった楯無は語る。

 

 曰く――てめーがさっさと部活に入らねーからいろんな部活から苦情きてんだよ。

 

 それについては一夏にも言い分はある。

 ISの特訓だけで手一杯で部活などしている余裕は無い。ついでに言えば、自分以外は女子なので精神的につらい。しかもそれが運動部であれば自分は試合には出られない、マネージャーという柄でもない、第一着替える場所もシャワーも無い。

 そんな彼の反駁はしかし、楯無に捻伏せられることとなる。

 

「でも、ISの訓練があるのは他の子たちも同じでしょう?」

 

「うっ……」

 

「それに、キミはいろいろイレギュラーだから今まで強く言えなかった部分はあるけど、我が校は部活に入らなきゃいけないことになってるし」

 

「うぐっ……」

 

「柄じゃないからって校則を破ろうとするなんて、一夏君ってば不良だね。織斑先生に脚色マシマシでチクっちゃおっかなあ」

 

「だーっ! わかりましたすみませんでした!」

 

 根が真面目な一夏が楯無に口で勝てるはずもなく。抵抗虚しく早々に降参するハメになった。

 

「ま、タダでとは言わないから安心して。これから学園祭まで、この美人な生徒会長さんがキミを鍛えてあげようじゃないか。ついでに同じ部屋に住んであげちゃう」

 

「うわ自分で美人とか言ったよこの人。どっちも遠慮します」

 

 本気で嫌がっているのが表情からありありと読み取れる一夏を見ながら、ジギスヴァルトは内心で合掌する。

 

 ――もう手遅れだ、と。

 

 何を隠そうこの美人な生徒会長さんは、既に一夏の部屋に荷物を運び入れて荷解きを終えているのだ。更識の使用人さんたちが一時間でやってくれました。

 

 まあ、これがただ面白がってやっているだけなら、ジギスヴァルトは楯無を殴ってでも――実際は殴ったところで返り討ちだろうが――止めただろう。止められるかどうかはともかく。

 けれども今回、彼女の行動には一応正当性がある。あるったらある。

 

 さて、抵抗を続ける一夏が丸め込まれるまであと何秒かかるだろう――などと益体もないことを考えつつ、彼は先週金曜日の放課後に思いを馳せた。

 

 

 

 

亡国機業(ファントム・タスク)、学園祭来るってよ」

 

〔マジですか

 亡国機業最低ですね〕

 

 なんて楯無とスティナが話しているまさにその時に本音を伴って生徒会室に入ったジギスヴァルトは、話の流れもわからないのに、ただ悟った。

 

 ――あ、これめんどくせえ、と。

 

「詳しく話せ」

 

 どうせめんどくせえなら事情に精通していた方が被害を抑えられる、と判断した故の質問。それに答える楯無もまた、常にない倦怠感を全身から滲ませている。

 

「詳しくもなにも、そのまんまよ?

 あなたか、スティナちゃんか、はたまた一夏君か箒ちゃんか――篠ノ之博士の手が入ってるISを狙ってだとは思うけど、彼らが学園に潜入しようとする動きがあるの。

 ただ、もし彼らが――キミが夏休みに遭遇したような仕事で動いているのなら」

 

「狙いはその中でも特に私か一夏。そして最も潜入しやすいのは学園祭だが、平時に来やがる可能性もある、と」

 

「理解が早くて助かるわ」

 

 そこで問題なんだけど、と楯無は言う。

 

「ジグ君は自衛できるよね? 本音ちゃんを守りながらでも」

 

「うむ」

 

「スティナちゃんも大丈夫でしょ?」

 

〔もちろんです〕

 

「箒ちゃん……は、紅椿がどうにかするだろうからいいとして」

 

「おい、いいのかそれで」

 

「問題は一夏君よ」

 

 ジギスヴァルトのツッコミを無視して、楯無は閉じた扇子をビシッと彼に突きつける。

 

「彼、自衛とか出来ると思う?」

 

「無理だろ」「無理っぽー」〔無理ですね〕

 

 生徒会一年生ズ、即答である。一夏の、戦闘面での評価がよくわかろうというものだ。

 

「でしょう? 一応私が稽古をつけてあげようとは思うけど、学園祭までじゃ付け焼き刃もいいところだし。

 だから、最低でも学園祭が終わるまで……ううん、終わってしばらく経つまでは二十四時間体制で護衛したいところなんだけど――昼間はともかく、寮はどうしようかなあって」

 

 力無く開かれた扇子には「難題」の文字。

 しかし、そんなに難しい話だろうか、とジギスヴァルトは思う。

 

「私が一時的に一夏の部屋に移るのではダメなのか? あいつは一人で二人部屋を使っているのだから、調整は別に難しくもなかろう」

 

 最もシンプルかつ現実的な案。それくらいは楯無なら即座に思いつきそうなものだが――。

 

「ジグ君。隣、隣」

 

「隣?」

 

 言われて隣の席を見る。

 

 今にも泣きそうな顔があった。本音の。

 

「ジグ、私を置いてっちゃうのー?」

 

「え、あ、いや……」

 

「………………やだぁ」

 

「すまんが楯無会長、今の話は無しだ。私は絶対にあの部屋を動かん!」

 

 決壊寸前の本音の頭を撫でながら、叫ぶ。

 

 最近バカップルが加速してねーか、と思う楯無とスティナであったが、口には出さない。

 

「とまあ、こうなることがわかってたから言わなかったわけなんだけど。

 本格的にどうしようかなあ。ジグ君と本音ちゃんの部屋に移ってもらう?」

 

「断固拒否する」

 

「そうよねー」

 

 だらーん、と机に身を任せる楯無。わりと本気で悩んでいるらしく、いつものキレが感じられない。

 どれくらいそうしていたか。泣きそうな本音をジギスヴァルトが必死であやし、なんとか機嫌が直った頃――ガターン! と椅子をはね飛ばして、楯無が立ち上がった。およそ(ろく)なことを考えていないと窺い知れる行動である。

 

「――思いついたわ。私、天才じゃないかしら」

 

「……一応聞いておくぞ。何をだ」

 

「私自身が一夏君の部屋に住むことだ……」

 

 ほらみろ、碌なことじゃなかった――。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 とはいえ、それ以外に誰かが何かを考えつくことも無く。結果的に楯無の案は実行されることになった。

 

 なった、のだが。

 

〔どうして私が

 こんなことを……〕

 

「……ごめん、スティナ」

 

〔いいんです

 一夏さんは悪くありません

 全部あの腐れ生徒会長のせいです〕

 

 ISの特訓なら一年一組の専用機持ち+鈴音にみてもらってるから間に合ってますと拒否する一夏に、ISだけじゃなく生身もみてあげるからと指導をゴリ押しする楯無。

 どうしてそんなに指導したがるのかと問う一夏に、弱いからだとバッサリいく楯無。

 弱いと言われてムキになる一夏に、なら勝負しようと持ちかける楯無。

 売り言葉に買い言葉とばかりに勝負を受ける一夏に、チョロいとほくそ笑む楯無。

 

 で――結果が、畳道場で向かい合う一夏とスティナである。一夏は白胴着に紺袴の武芸者スタイル、スティナは……何故かISスーツ姿だ。

 

「ていうか、なんでスティナにやらせてんですか」

 

「それはもちろん、生身の格闘()()()()私より強いからだよ」

 

 まあ、直接戦ったことは無いから推測だけどね、と彼女は笑う。

 

 道場に居るのは一夏とスティナ、そして楯無だけ。布仏姉妹とジギスヴァルトは仕事があるということで、生徒会室に残っているが……扉が閉まる直前、虚がジギスヴァルトの目の前に書類の山をドーンと置くのが見えた。ついでに、「あの大(うつ)けめがぁ!!」なんて聞こえたから、きっと楯無が溜め込んだ書類なのだろう。

 

「さて、勝負の方法だけど。スティナちゃんに一撃入れたらキミの勝ち」

 

「え?」

 

「逆にキミが続行不能になったら私の勝ちね。それでいいかな?」

 

「え、いや、ちょっと、それは……」

 

 スティナが、というか楯無が不利すぎるのではないか――と言おうとした一夏に、楯無が言葉を被せる。

 

「だーいじょうぶ。キミには無理だから」

 

「………………」

 

 安い挑発とわかっていてもついムッとして、一夏は構えをとった。一夏が子供の頃に通っていた篠ノ之神社の道場では――箒はそれを嫌っていたが――武器を失ったときのための無手での古武術も教えていた。一夏もそれを、少しだけ習っている。

 長年のブランクで錆びついてはいるだろうが、それでも一度身についた技術が朽ちることは無い。

 

「悪いけど」

 

〔どうぞ〕

 

 対するスティナは仏頂面で立っているだけだ。だが、どうぞ、と言うからには既に試合は始まっているとみて良いのだろう。

 

 彼女の実力を、一夏は知っているようで実は知らない。ISでは放課後に何度か模擬戦をしたことがあるし、彼女の試合を見ることも幾度もあったが――生身では、戦ったことも、見たことも無かった。

 

(とにかく、まずは小手調べだ)

 

 基本に忠実なすり足移動。スティナの腕を取らんと手を伸ばす――。

 

「!?」

 

 伸ばした手に軽い、本当に軽い衝撃を感じた直後――ふくらはぎに強烈な痛みを感じ、視界が回転した。そのまま彼の背は畳に(したた)かに叩きつけられる。

 衝撃に息が詰まり、次いでぶはっと息を吐いた瞬間。落とされた踵が鼻先でピタリと止まった。

 

『まず一回、です』

 

 プライベート・チャネルで聞こえるスティナの声を聞いて、一夏はようやく自分が何をされたかを理解した。

 

 彼の方に倒れ込みながらその手の甲を弾き、畳に手をついて回転――ふくらはぎを蹴って彼を倒し、腕のバネで飛び起きる勢いのままに踵を振り下ろす。

 ブレイクダンスにも似た、足技主体の動きだった。

 

『もしかしたら言ったことがあったかも知れませんが――』

 

 一夏が起き上がるのを待つ間に、スティナは言葉を紡いでいく。

 それは、あるいは一夏にとっては知りたくない事実であったのだが。

 

『私、軍の白兵戦訓練()()()最優だったんですよ』

 

 それを聞いて一夏は悟る。彼女が居た軍全体のレベルがどの程度かは知らないが、そこで最優となると今の自分と比べて――否、比べることも出来ないくらいに彼我の実力に差がある。楯無の推測は正しく事実だったということだろう。

 

 そうなると、勝つためには迂闊に仕掛けるわけにはいかない。結果として、両者全く動かず状況は膠着してしまった。

 

『来ないんですか?』

 

 いつもの空中投影ディスプレイでないのは、そちらに意識を向けさせるのはフェアではないから。

 

『では――こちらから』

 

 またしても前に倒れるような動き――しかし今度は、畳スレスレの低い姿勢での前進に繋げる。

 一夏がやったすり足移動とは全く違った、トンと畳を蹴っての、跳躍に近い移動。

 それはつまり、体が完全に浮く瞬間ができるということで――そこを狙われると回避に移るのが遅れる、あるいは無理な回避行動になる、ということ。

 

 ただしそれは、反応できればの話。

 

 スティナの体が傾くところまでは認識できた。だが、その後。気づいたら、懐に入った彼女の回し蹴りが腹を狙っていた。

 

 これは、古武術で言うところの、相手の律動――心臓の鼓動であるとか呼吸であるとか――の間隙をついて動く技術だろうか。咄嗟に体を折ってなんとか躱した一夏がそんなことを考えているうちにも、彼女は次の行動に移っている。

 

(――やべ)

 

 躱し方を完全に間違えた。バランスを崩したこの体勢では、どうやっても避けられない。

 

 振り抜いた脚が畳につくと同時、軸足をそちらに入れ替えて、逆の脚で一夏の右脚を“押す”。ただでさえよろけかけていた彼の体は、それだけでさらに前に傾き、彼女に向けて()()()()()()

 バック転で少し後退しつつ、しかしその途中に脚で彼の頭を挟み――胸板を(すね)で掬うようにしてそのまま投げ飛ばす。

 

 二度(ふたたび)背を畳に打ち付けた一夏は、「プロレスでこんな技あった気がするなあ」なんて的外れなことを考えていた。

 

『二回目』

 

 首のあたりから落ちたせいか、すぐに体を起こすことができず。

 

『続けますか?』

 

 息を乱すことすらなくそう問うスティナの姿に、一夏の闘志が刺激される。

 

「まだまだ、これからだ……!」

 

『はいな。頑張る男性は素敵ですよ』

 

「そいつはどうも、っと」

 

 全身で跳ね起きて、深呼吸。

 焦る精神を落ち着けて、しっかりと相手を見据える。

 

『本気、ですね』

 

「…………」

 

 無言は肯定か。

 必殺を狙い集中力を高めていく一夏とは裏腹に、スティナはあくまで自然体。「一撃入れられたら負け」というルールの都合上、相手がどんな手できても避けられるように備えているのだろう。

 

(初撃で決める覚悟で……!)

 

 スティナの攻め手は「動」……つまり、相手が先手を取ったとしても、それを上回る動きで以て呑む。

 ならば、それをも上回ることが出来なければ勝ちは無い。

 

「……!」

 

 今までとは違う速さに感心したような顔になるが、それだけ。まだ彼女の余裕は崩れない。

 それでも、攻める。スティナが動き出すより前に、一夏は彼女の腕を取って――。

 

「あれ?」

 

 ――居ない。

 

 ――腕の真下を通って、そのまま後ろに回られている。

 

「クソッ!」

 

 伸ばした腕をそのまま背後に振るう。

 その腕を掴まれる。が、腕の速度は落ちない。代わりに腕に感じる重さ。

 一夏の腕の動きを利用して、自身は力をほとんど入れること無く、その腕の上に片手で倒立して――そのまま肩車のように彼の肩に乗る。そして少し重心を動かしただけで、簡単に転倒した。

 

(どんな動きだよ! 漫画かっつーの!)

 

 胸の(うち)で毒づきながら、タダでは起きぬとばかりに彼女の足首を掴もうとする。しかし読まれていたか、軽やかなステップで後退され、彼の腕は空を掻く。

 

 ならばと跳び起き、もう形振(なりふ)り構ってられるかと、今まで投げ技のみを狙っていたのを変更。拳打や蹴りも交えてのラッシュ。

 

 ――だが、当たらない。

 

 躱されている、という感じではない。

 どちらかというと、狙いが絞れない。

 一夏の戦法が変わったからか、スティナの動きも変わっている。フラフラとステップを踏みながら後退。少しでも隙があればすぐに一夏の視界から外れるか、手刀や蹴りをごくごく軽く当てられる。まるで、実戦ならここで終わっているぞと言わんばかりだ。

 彼女は距離が離れるのもお構いなしなうえ、ステップにも規則性が無い。彼女の体の小ささも相俟って、やりづらいことこの上ない。

 ただひとつ確かなのは、彼女が常に動き回っていること。いずれスタミナ切れとなるだろうが――それが一夏より早いなどとは、彼には到底思えなかった。

 

 そしてその予感は、現実となる。

 

(あっ……)

 

 今までのダメージの蓄積もあったのだろう。逃げるスティナを追い続けるうち、体が限界を迎えたか――脚がもつれた。

 それを、見逃すスティナではない。

 

『隙あり、ってやつです』

 

 振り上げた脚を一夏の腕に巻きつけ、跳ぶ。脚で腕を捻りあげながら背中に乗り、そのままうつ伏せに組み倒す。

 

「いっ……てえ!? 腕が、肩が!?」

 

『どうです? 続けますか?』

 

 首筋に指を這わせながら、言う。今ので何回目の“負け”かを考えて発言しろ、とでも言いたげに。

 

「…………わかった、降参だ。だから腕それやめてくれ痛ぇ!?」

 

『はぁい』

 

 クスリと笑いながら、一夏から降りる。

 

「じゃ、勝負はおねーさんの勝ちね?」

 

「ああ! しまった、途中から完璧に忘れてた!?」

 

 こうして、しばらく一夏が楯無の餌食となることが決まった。




 果たして人間に可能な動きなのか……まあフィクションだし、いいですよね。


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第三九話:当たらなければどうということはない

 

 学園祭で出し物をするということは、大なり小なり準備が必要不可欠であるが。

 

「ちょっと、ガムテープ無くなったんだけどー!」

 

「あっちに新品あったでしょ!」

 

「あるぜぇー、超あるぜぇー」

 

「ガムテープを相手のゴールにシュウウウウウッ!」

 

「超! エキサイティン! ――って危ないじゃない投げんなバカ!」

 

 準備に割ける時間がたったの二週間程、しかも授業は普段通りあるので放課後の短い時間しか使えない故に――準備は修羅場の様相を呈する。

 

「本音! 衣装どのくらいできてる!?」

 

「とりあえずー、しののんのはできてるよー」

 

「ナイス! というわけで篠ノ之さんはこっち!」

 

「あ、ああ……」

 

 ナギに引っ張られて教室の隅に連れて来られた箒に、癒子がハンガーにかかった状態のメイド服を差し出した。

 

「さあ着て!」

 

「いや、着てと言われてもだな……」

 

「はーやーく! 衣装合わせの他にもやることあるんだから!」

 

 セシリアが実家から調達してきたメイド服は、一応全員分あった。あったが――スティナやラウラ等、どうしてもサイズが合わない者も居た。そういうメンツの衣装は本音と、演劇部の衣装係や手芸部の生徒が作ることになっている。

 そして箒も、サイズが合わなかったうちの一人だ。スラッとしているのに胸は大きいので、体型に合わせると主に胸がきつかったり、丈が足らなかったりする。だからといって逆にそれらに合わせると、今度はぶかぶかなのである。

 

(どうして私がこんなことを……)

 

 多数決の結果として執事&メイド喫茶になったのは、まあ、いい。

 だが、自分は裏方でいるつもりだったのだ。給仕なんて自分の柄ではないし。あんなフリフリの服はあまり似合うと思えないし。

 とはいえ、実際に現場で使われているヴィクトリアンメイド服であるから装飾は控え目であるし、新規に作っているものもデザインは合わせてあるのだが――それでも箒にとっては少々ハードルが高いらしい。

 

 そうしたわけで、彼女も最初は頑として拒否していたのだが。あるとき、ルームメイトでもある鷹月静寐に言われたのである。

 

「篠ノ之さん美人だから絶対似合うって。織斑君もイチコロかもよ?」

 

「着よう」

 

 即断即決即答であった。一夏を引き合いに出されては是非も無かった。

 

 ……という事情も今は昔。時を経た今、箒の心は再びやる気ゲージが減少している次第である。

 賢者タイムとも言う。

 

 だが、まあ。彼女にとって、クラスメイトと作り上げる学園祭というのは、悪くない。

 ないが、勝手がわからない。(あね)がISを開発してからこっち、転校転校また転校で――友達を作る時間も無い生活は、彼女から学校行事に参加する意欲というものを奪っていった。

 

 しかし今は違う。束の妹という立場もそうだが、紅椿という専用機を手に入れてしまった彼女は少なくとも三年間、IS学園に居ざるを得ない。

 だから――ちょっと頑張ってみようかなと、思わなくもない。

 ISは嫌いだし、一部の、一夏に色目をつかう女たちは憎たらしいが――久しぶりに得た、じっくりと人間関係を作っていくチャンスだ。

 

『▼告/入学カラモウ半年デアリマス/今マデ何ヲシテイタノデアリマショウ』

 

『う、うるさい! 勝手がわからないんだ!』

 

『コミュ障乙、デアリマス』

 

()()すぞ貴様!?』

 

『ヤレルモンナラヤッテミルデアリマス』

 

 ……まあ、その。紅椿と漫才を繰り広げる程度には心の余裕はできたようで、何よりである。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

『ほらほら弾幕薄いよ! 何やってんの!』

 

『これ以上厚くすると訓練にならんと思うが』

 

『と言いますか……わたくしのスターライトは連射には向きませんし、ビットもローテーションを組まないとエネルギーがすぐに切れます。これ以上は無理ですわ』

 

『パッケージ換装とかすれば別だけど、龍咆が速射とかできると思ってんの? それ本気で言ってんの?』

 

『私のレールカノンが速射できると思うか?』

 

『僕もこのマシンガンより上は持ってないなあ……ジグ、ガトリングの予備とかないの?』

 

『だから今のままでも充分っつーか無理なんだって!』

 

〔他人事ながら

 これは酷い

 ……これは酷い〕

 

 所変わって第三アリーナ。(きた)るべき一夏に群がる女共を一掃する日のためにと、紅椿を扱う訓練をしにやって来た箒は――地獄を目の当たりにした。

 

 発射速度を最高にしたメルツハーゼから熱弾をばらまくジギスヴァルト。

 可能な限りスターライトmkIIIを連射しつつ、ビットからの射撃も絶やさないセシリア。

 発射速度を優先してほとんどチャージせずに不可視の弾丸を乱射する鈴音。

 当たれば大ダメージのレールカノンを不規則に発射するラウラ。

 二挺のマシンガンの引鉄を引きっぱなしにしながら正確にエイムするシャルロット。

 少し離れた地上で彼らを(けしか)けるISスーツ姿の生徒会長に、射撃武装が無いからかその隣で傍観に徹するスティナ。

 

 そしてそれらを一身に受ける――一夏の姿。

 

 特に衝撃砲がいやらしい。この弾幕のどこかを見えない弾が飛んでいるだなんて、考えるだけでもゾッとする。

 

 だが、この地獄を目にしてなお彼女の心を支配する程に湧き上がる感情は――怒りだった。

 

 また一夏の周りに女が増えている。あの青髪の女、どこかで見た――そうだ、たしか生徒会長だ。先日放課後に突然彼を拉致していったから何事かと思ってはいたが、あの女も一夏を剣道から遠ざけるのか。あるいは、()()()()()()なのか。

 

 ――逡巡は無い。

 

 ――躊躇いも無い。

 

 罪悪感も――そして自覚すらも無く。

 

『【警告】貴女(キジョ)ヨリ当機ノ起動権限ヲ一時剥奪/エイフォニック・ロビンヨリメッセージ受信/「瞬間湯沸かし器ですかあなたは」』

 

 紅椿を起動して青髪の女――楯無に斬りかかろうとした箒を、紅椿自身が拒絶した。同時に届いたメッセージに驚き、慌ててスティナに視線を移す。

 

 ――赤い瞳が、こちらを見ている。

 

「……っ!」

 

 さらには楯無が、背を向けたまま、こちらに見えるように扇子を開く。そこには「丸わかり」の文字。

 スティナだけでなく、隣の楯無までもが気づいていた。

 焦る箒をよそに妙に落ち着き払った楯無は、何を思ったか振り返り、彼女のもとへと歩みを進める。

 

「篠ノ之箒さんね?」

 

「……だったら何ですか」

 

「不合格」

 

「……は?」

 

 突然の落第宣告。混乱を強める箒の額を扇子で軽く小突いて、楯無は言う。

 

「不意討ちを狙うならもっと静かに。あ、物理的な話じゃなくて心の話だよ?

 そして確実に殺せる間合いまで決して悟られないように。殺れると確信できるまで決して手を出さないように。あとは、殺れても殺れなくても速やかにその場を離れないと、こんな風に反撃されちゃうわ」

 

「……えーと」

 

 どうして今攻撃しようとした相手に、殺しの何たるかをレクチャーされているのだろうか。

 

 と、いうか。

 

「別に――」

 

 殺すつもりは無い――と言いかけて、気付く。気付いて、恐怖する。

 自分がISを展開しようとしていたことと――その攻撃の成功は、人を殺めることを意味することに。なにせ相手は生身の人間。ISの腕力で振るわれる刀を受けて真っ二つにならない道理が無い。

 

「うん、やっぱり不合格。織斑先生も人が悪いなあ」

 

「は?」

 

 箒の様子を見て楯無が発したその言葉の意味は、わからない。

 

「よし。じゃあ箒ちゃん、アレ、やってみよっか」

 

「はい?」

 

 アレ。……アレ?

 

 楯無の指さす先には、どうも一夏の姿があるように見える。

 

 ――え? やるのか? アレを?

 

『望ムトコロデアリマス』

 

「おい紅椿!?」

 

『最新型ガ負ケルワケガナイデアリマス/イザ!』

 

「今のお前は第二世代相当なんじゃなかったのか!」

 

「はーい、一名様ごあんなーい♪」

 

〔哀れ〕

 

 

 

 

 一夏に代わって弾幕に蹂躙される箒を見上げて、楯無はいつになく真面(まとも)な――もとい、真面目な顔をしている。

 

 今、紅椿は自律稼働している。箒は特に操作しておらず、しかし――否、だからこそ――紅椿は弾幕を完璧に避けきっている。

 ハイパーセンサーの感知した情報を余すことなく拾い上げ、それを殆どタイムラグ無しに処理して対応できるのだから、その精度は人による操縦とは較べるべくもない。その機動は一切の無駄が無く、第二世代相当の性能であってもこの程度切り抜けられるのだと誇示するようですらある。

 

 ――さて。では、これが決して無理ゲーではないのだと示したところで。

 

『じゃあ箒ちゃん、自分で動かしてみよっか!』

 

『はぁっ!?』

 

『▼了解/操縦権ヲ篠ノ之箒ヘ(You have control)

 

『いや、ちょ、待て――』

 

 いまだ(おびただ)しい弾丸が殺到する中、突如として操縦を押し付けられた箒がそれに対応できるはずもなく。

 

「ぐあああああ!?」

 

 あっという間に弾の雨に飲まれていった。

 

「まずはISという兵器の脅威を体で覚えてもらわないと、その先なんて望めないものね」

 

〔だからといって

 これは酷い〕

 

「ちょっと強烈なくらいの方が覚えやすいでしょう? ――さて、では一夏君」

 

「…………はい」

 

 眩しいくらいにこにこして自分を呼ぶ楯無の姿に背筋を凍らせる一夏。その感覚は間違いでも何でもなく。

 

「再開しましょ」

 

 語尾にハートでもついていそうなほど甘ったるく言われて、彼は身震いした。

 

「マジで勘弁してくださいよ! だいたい、なんでこんな訓練――」

 

「そんなの、キミの被弾率が高すぎるからに決まってるでしょう? 高機動寄りの近接格闘型なんだから、『肉を切らせて骨を断つ』なんて御法度よ? アリーセばりに避けていかないと」

 

「あんなん無理ですって!」

 

「そんなのわかってるよ。気持ちというか、目標はそれくらい高くってこと。

 ほらほら、ちょっとでも前進できたらおねーさんがご褒美上げるから頑張りなさい!」

 

 そんなこと言われても、と箒の方を見る。彼女が被弾してすぐに皆射撃を止めたが、それでも数多(あまた)(つぶて)をその身に受けた紅椿はボロボロで、しばらくは修理が必要だろう。

 彼女よりは操縦が上手いという自負はある。だが、それが何だというのか。少しでも気を抜けば彼女と同じ末路を辿る。それに、先程あの弾幕に挑んだときは後退しながら避けてやっとだったのだ。前進など考えられもしない。

 

 ――それでも。

 

「守りたいんでしょ? なら、まずは自分を守れるようになりなさい。負けはもちろん、刺し違えるなんてことも無いように。それをしてしまったら、その場は脅威を退けられても、()()()を守ることはできないんだからね」

 

 そう、言われてしまっては。

 

「……わかりましたよ、やればいいんでしょう!」

 

「うんうん。スティナちゃんも言ってたけど、頑張る男の子ってステキよ」

 

 やるより他は、ないのだ。

 

(でも、あれを避けながら前進とかできるの、それこそ国家代表クラスの実力者くらいですけどね)

 

 私もちょっと無理っぽいなあ、こっちに矛先が向かないようにしないと――なんてスティナが冷や汗をかいていたのは、その日はなんとかバレなかった。

 

 ――まあ、後日結局やらされることになるのだが。それはまた別の話である。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 そうして目まぐるしい日々が過ぎていって。あれよあれよと言う間に。

 

「さあ、いよいよ本番よ! 皆、準備はいい? 衣装はきっちり着れてる?」

 

「ばっちり!」「もち!」「やったるぜー!」

 

「よろしい!」

 

 学園祭当日である。

 

「ねえ本音、織斑君とジグ君は?」

 

「もーすぐ来ると――おー、来た来たー」

 

 ワイワイ騒いでいたはずの一年一組一同、本音の言葉を聞き逃した者は居なかったようで――サッと静まり返り、更衣スペースへ視線を向ける。

 

 ――そこには。

 

「なあ、なんか息苦しいんだけど。襟元開けちゃダメか?」

 

「我慢しろ。一流の執事(フェアヴェルター)たるもの、身嗜みは完璧でなければならん」

 

「いや、一流どころかそもそも俺たち執事じゃねーし」

 

「今日のこの場に限っては、私たちは執事だよ。そしてやるからには最強の執事を目指す」

 

「わーかったよ。はぁ……。あ、ジグ、そこの靴ベラ取ってくれ」

 

「かしこまりました。温めますか?」

 

「温めるわけねーだろ!? ていうかそれ執事っつーより店員!」

 

「冗談だ」

 

 などとじゃれ合いながら出てくる二人の執事の姿があった。

 

「……いける」「いけるね」「勝ったわね」「最初からクライマックスね」

 

 と、よくわからない勝利を確信するクラスメイトの輪から、少し離れたところで。

 

 箒は執事姿の一夏に見惚れつつ、同時にクラスメイトたちに――そしてこれから一夏を目当てに押し寄せるだろう女たちに――苛立ちを感じていた。

 さすがに、先日ISで生身の人間を攻撃しかけて恐怖したばかり。楯無にやったように紅椿を展開して攻撃しようとはしない――というか、しようと思っても紅椿に拒否される――が、だからといって彼女の攻撃性がなりを潜めたわけではなく。八つ当たりのように壁をコツコツ蹴っていると、

 

〔怖い顔しない

 壁にあたらない

 スマイルスマイル、です〕

 

「っ!?」

 

 何の前触れもなく現れた空中投影ディスプレイに驚いて()()り、振り返る。

 

「……ヴェスターグレン」

 

 メイド服に身を包んだスティナが、上機嫌で立っていた。まるでお人形さんのよう、という形容がしっくりくるその姿は、彼女をあまり良く思っていない箒をして可憐だと思わしめる程で。

 

〔今日はお祭りですし

 私たちはメイドです

 楽しみましょうよ〕

 

 何より、篠ノ之神社に連れて行ったあの日のように生き生きしていて。

 

「そーだよしののんー。笑顔で接客してればー、おりむーもイチコロかもよー?」

 

 そして、これから自分の恋人がたくさんの女に囲まれるだろうに全く気にしていなさそうな本音がやって来て、そんな風に言うものだから。

 

(……そうだな。……ちょっと憧れていたのは事実だしな)

 

 クラスメイトと、協力して、楽しんで、学園祭を成功させる。去年までは叶わぬ願いだったそれを実現させるために、この感情は邪魔だ。

 

(一夏に私の魅力に気付かせるいい機会だ、とでも思っておくか)

 

 そう決意して、彼女は学園祭開始の合図を待つ。

 

 ――決意したところで感情を切り離せるかどうかは別問題なのだと彼女が痛感するのは、この後すぐのことである。

 

 

 

 

 そして、学園祭に際して、ついに。

 

「ついに、ついに、ついにっ! 女の園、IS学園へと……来た、着いた、やって来たあああああイエイッ!!」

 

 五反田弾、IS学園に立つ。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 ――洋上。

 

 IS学園からおよそ四千メートル離れたポイントにて、()()は観測する。

 

 白銀の装甲に陽光を浴びるそれは。右脚が異様に大きな人型のそれは――存在するはずのない、()()()()()の、IS。駆るは銀髪黒眼金瞳の少女。

 

「上弦月起動。下弦月の観測データを()()統合。風力・温度・湿度、一気に確認。それでは――新月、展開します」

 

 少女の言葉に従い、白銀のISの右脚が変形。踵に畳まれていた二本の長大なウィングがさらに伸び、そして水平に展開。脚が真ん中から割れ、横にスライドし――巨大な、それこそISの身長の四倍はあろうかという弓となる。

 

「お呼びじゃないのですよ、あなたたちは。傲慢に過ぎる――よもやその青写真(タペストリー)、裂かれても文句は言いませんね?」

 

 ウィング間に張られた(つる)を引き絞る。

 狙うは少女の視線の先――祭りに沸くIS学園の、立ち入り禁止のはずの区画。“白”を護るべく(そび)え立つ“黒”の(いわお)に、彼女は届かぬ微笑を送る。

 それは祝福であり、感謝であり――懺悔であった。

 

「――――ナイスファイト、という奴です」

 

 ――流星が一条、真昼の空を横切った。

 




 時間かけたわりにいつもより短いですが、キリがいいのでこのあたりで。箒のキャラがブレ始めた今日この頃。


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第四〇話:私が戮されるまでに -Aliis si licet, tibi non licet.-

 

「うそ!? 一組であの織斑君とブレヒト君の接客が受けられるの!?」

 

「しかも執事!?」

 

「それだけじゃなくて、ゲームもあるらしいよ?」

 

「しかも勝ったら写真を撮ってくれるんだって! ツーショットよ、ツーショット! これは行かない手はないわね!」

 

 一年一組の執事&メイド喫茶――長いので御奉仕喫茶という名で申請してあるが――は朝から大盛況だった。

 とりわけ忙しそうなのは一夏とジギスヴァルトで、あっちの席でもこっちの席でもひっぱりだこ。二人目当ての客が長蛇の列を成し、終わりの見えない労働が重圧となって彼らを襲う。

 

 ただ――そんな中でも、休憩というものは必要であり。一夏とジギスヴァルトが同時に抜けてしまうと問題だということで、現在は一夏が教室を抜け出して学園祭を回っている。まあ、そもそもこの客入りでは、接客担当は二人以上同時には抜けられないわけであるが。

 

「一夏と同時に休憩を取って一緒に回るつもりだったのに……!」

 

〔無理なもんは無理です

 諦めて笑顔で接客するべし

 慈悲はない〕

 

「救いは! 救いはないのか!」

 

〔あると思ってんの?

 それ本気で言ってんの?〕

 

「そのうざったい()()をやめろぉ!」

 

 一夏に女子が群がる様を見せつけられ、さらには一夏と一緒に回ることさえ絶望的になったこの状況で、箒が若干荒れているようだが――あれはスティナに任せておこう、というのがクラスの共通見解だった。

 あの二人、仲が良いのか悪いのかいまいちよくわからないが、多分相性は悪くはないんだろう――とはクラスメイトたちの弁である。

 

「そういえばスティナは剣道部の手伝いに行かなくていいのかな?」

 

 たまたま手が空いてバックに引っ込んできたシャルロットが、同じくバックでフロアを眺めていたジギスヴァルトに尋ねる。

 ――なお、彼がここに居るのはサボりでも何でもなく。この御奉仕喫茶のシステムと現在彼が受けたオーダーとの都合上、オーダーされた品が出来るまでここから動けないからである。

 

「ああ、なんでも部長一人居れば事足りる出し物らしくてな。手伝いは要らんと言われたそうだ」

 

「あ、そうなんだ?」

 

 スティナは夏休みに箒と戦った後、本当に剣道部に入った。その際生徒会は抜けようとしたが、

 

 ――え? 別にやめなくても、掛け持ちしちゃっていいよ。ていうかやめてもらっちゃうと私が困る。

 

 などと楯無が言ってのけてしまったせいで、結局抜けられなかった。せっかくやめるチャンスだったのにと悔しがっていたのが記憶に新しい。

 

「シャルロットこそ、部活の方の手伝いはいいのか?」

 

「僕はほら、朝のうちに作って済んでるし。足りなくなりそうだったら呼ぶけど、それまでクラスの方に注力しなさいって言われちゃったよ」

 

 シャルロットの所属する料理部では、日本の伝統料理を作って販売している。事前にジギスヴァルトが聞いたところによると、彼女は肉じゃが担当らしい。

 

「――さて、そろそろ一夏が戻る頃だな。次はスティナの番だったか」

 

 言って休憩の順番表を確認した矢先。

 

「戻りましたー、っと」

 

 一夏が休憩を終えて戻ってきた。

 

「あ、織斑君。丁度良かった、このオーダーを四番に持ってってくれる? あと、五番のお客さんが織斑君じゃなきゃやだって居座ってるから行ってゲームしてきて」

 

「お、おう。なんかすまん……」

 

 すぐさま静寐にトレーを渡され、慌ててテーブルへ向かう。

 その途中、彼はスティナに告げる。

 

「あ、スティナ。次休憩だろ。弾がゲートで待ってるから行ってやってくれよ」

 

〔ゲートですか?

 何だってそんなところに〕

 

 もう学園祭が始まってしばらく経つ。一夏や数馬と一緒にいろいろ回っているものだとばかり思っていたのだが。

 ちなみにその御手洗数馬は、ひとしきり一夏と一緒に回って、今は御奉仕喫茶の行列の一番後ろに並んでいる。

 

「なんか昨日は興奮して眠れなかったとかで寝坊したんだってさ。さっき着いたって連絡あったから教室まで一緒に来るかって言ってみたんだけど、なんか心の準備がどうとかって――」

 

「織斑君何してんの! はやくはやく!」

 

「――っと、急がねーと。じゃ、そういうわけだから」

 

 癒子に急かされて慌ただしくフロアに向かう一夏を見送って。

 残されたスティナは現場を取り仕切っている静寐に断りを入れ、弾を迎えるべくゲートへと向かうのだった。――その()()を、少しだけ(かげ)らせて。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

「ふ、ふ、ふっ……」

 

 IS学園の正面ゲート前で、チケット片手に笑いをこらえている不審者が居た。

 

「ついに、ついに、ついにっ! 女の園、IS学園へと……来た、着いた、やって来たあああああイエイッ!!」

 

 ていうか、五反田弾だった。――何故か自暴自棄になっているようではあるが。

 

(寝坊して遅れっちまったけど、数馬にも置いてかれちまったけど――もうヤケクソだコノヤロー!)

 

 さて、ではどうして弾がチケットを持っていて、さらになんだかおかしなテンションになっているのかと言えば。ことは直近の休日まで遡る。

 そのとき彼は、彼と一夏共通の友人にしてスティナとも面識のある数馬を招き、自室にてベースの練習をしていた。例の、「楽器が弾けるようになりたい同好会」の集まりである。

 

「そーいやさ、一夏は彼女できたん?」

 

「あー、なんか本人は女子に興味が無いとか寝言言ってたぞ。ただ、ジグ(いわ)く、鈴に対する反応が他とちょっと違うとかなんとか」

 

「あー鈴な。そういや帰ってきたんだっけか。

 にしても、一夏の野郎まだ言ってんのか、それ……で、ジグって誰?」

 

 ベースの弦を張り直している弾の横で、数馬はアンプリファイアの調整を繰り返している。

 

「スティナの兄貴分だよ。ニュースでやってたろ、一夏じゃない方の男性操縦者ってやつ」

 

「あー、あの恐そうなイケメンかー。え、アレってスティナちゃんの兄貴分なの?」

 

「アレとか言うなよ、普通に良い奴だぞ」

 

「イケメンで普通に良い奴ってなんかむかつくな」

 

「まあ否定はしない」

 

 うはは、と笑う。

 

「そういや、今度学園祭だってな。弾とこは何やるん?」

 

「うちか? 多分陸上部が、『マッチョハザード ~室伏怒りのパイ投げ~』やるぜ」

 

「すまん、わけわからん」

 

「お前んとこは? お前バンドとかやんねーの?」

 

「人前で弾ける腕前かよってな」

 

「あー、まあなー、俺たち一年経っても全く上達しねーもんなー」

 

「ほんまに、どねーかせにゃーおえんのう」

 

「何弁だよそれ」

 

「広島だか岡山だか播州だか、なんかそこらへんだったかな。隣のクラスの、その辺り出身の女の子に教えてもらった」

 

「爆ぜろ」

 

「なんでさ」

 

 あまり上達する気が見られない調子でダラダラと駄弁りながら、適当に楽器を掻き鳴らしていく。

 

「しかし、いいよなあ、美少女揃いで有名なIS学園。俺も行きてーよ」

 

「だよなあ。一夏、女子に興味ないとかアホだよな」

 

「大アホだよな」

 

 わははと笑ってから、二人同時に黙り込む。

 頭の中では、美少女との――弾に限って言えばスティナとの――デートが妄想されていた。

 

 ――と、そのとき。

 

 ここがあの女のハウスね。ここがあの女の、ハウスね!

 

「ん? あ、すまん、電話だ」

 

「おい着信音おい」

 

「って、一夏からじゃん! なんてタイムリーな!」

 

 鳴った携帯端末を操作し、弾は嬉々として回線を繋いだ。

 

『おっす』

 

「おう一夏。なんだ、どした?」

 

『前にお前さ、IS学園に来たいとか言ってたよな?』

 

「おう、言った言った。なに、招待券でもあんの?」

 

『応』

 

「――――――」

 

 絶句とはまさにこのことといった様で二秒固まってから、

 

「え、ま、ちょ、マジで!?」

 

 めちゃくちゃ食いついた。

 

『マジで。一枚につき一名だけだけど、お前要るかなーと思って』

 

「要る! 行く!」

 

 即答である。迷う余地など猫の額よりなお狭い。

 

『まあそう言うと思って、既にお前ん()に向かってるんだけどな』

 

「マジでか!」

 

『おう。スティナがな』

 

「――――へ?」

 

 今度はあまりに呆けた間抜け面で二秒固まってから、

 

「な、なな、ななな、なんでスティナ!?」

 

『そりゃ、スティナが自分の分の招待券でお前に来て欲しいって言うから。で、あいつ電話できないから俺が代わりに連絡して、本人がそっち行くってことになったんだ』

 

 郵送でも良いのだが、スティナは直接渡したがった。それは弾の家の場所は知っていても住所は知らないというのもあったし――夏休み以来弾とは会っていないので久しぶりに顔を見たかったという、甘くて酸っぱい乙女な理由もあったりした。

 他人のことには妙に鋭い一夏はそれを察して、住所を教えるなどという無粋はせずこうして連絡役を引き受けたわけである。スティナが自分でメールすればいいじゃんなどと言ってはいけない。

 

『多分そろそろ着くと思うから、詳しくは本人から聞いてくれ。じゃ、俺は数馬にも連絡しなきゃいけないから切るぞ』

 

「あ、おい!?」

 

 弾が何か言う前に通話は切れ、

 

「話は聞かせてもらった! お兄は滅亡する!」

 

 ガラッと扉を開けて蘭が乱入し、

 

「……………………」

 

 絶対零度の眼差しのスティナがその後ろからひょこっと顔を出し、

 

 前歯に青のりついーてるーよー前歯に青のりついーてるーよー♪

 

「およ、電話が」

 

 数馬の携帯端末が着信音を奏でた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 携帯端末とベースを抱えて座ったまま動けない弾と対峙したスティナは、温度の無い瞳で弾を見下ろしている。

 

〔弾さんがIS学園に

 来たがっているとは

 一夏さんから聞いてました〕

 

「……はい」

 

〔男性同士の会話で

 そういう話をするのは

 仕方ないとは思います〕

 

「……はい」

 

 そんなことを言う資格は自分に無いとわかっている。恋人というわけでもなく――ましてこの身は()()()()()()()。想いを成就するどころか、伝えることすら許されないと知っている。

 ――だからといって。

 

〔美少女揃いだとか

 そんな理由で来たいなんて

 言って欲しくなかったです〕

 

 弾にだけはそんなことを言って欲しくないと――そう思ってしまうのを止められるわけでは、ない。

 まったく、これでは箒のことを責められない。落ち着いて、割り切って、本来の用事を果たすだけでいいはずなのに。顔を見られただけで満足だったはずなのに。もっと言えば、立ち聞きしてしまった自分の自業自得なはずなのに。

 自覚する前――それこそ一緒にウォーターワールドに行ったときには、こんなではなかったのに。

 

〔チケットは

 蘭さんに渡しておきますから

 来たければ勝手に来ればいいです〕

 

 違う。そんなことを言いたいんじゃなくて。

 

〔帰ります

 お邪魔しました〕

 

 これ以上ここに居ると抑えられなくなりそうで、彼女は小走りで出て行った。

 

「……………………」

 

「……お兄、ドンマイ」

 

「……………………」

 

 残された弾は抜け殻のように呆けていて。

 

「マジで!? 行く行く、絶対行く!」

 

 その後ろで、数馬は電話の内容に歓喜し小躍りしていた。

 

 ――とまあ、そんなような経緯を思い出して。

 

(……思い出さないようにしてたのに。一夏はスティナを迎えにやるとか言ってたし……いやそれ自体はすげー嬉しいけど、顔あわせ辛え……。

 ていうか、ホントに来てくれんのか? 無理じゃね?)

 

 来たければ勝手に来ればいいとまで言われたのだ。いくら一夏に頼まれたといったって、迎えになど来てくれるだろうか?

 

(ダメだったらどうすっかなあ。一人でまわるのも寂しいしなあ)

 

 それに、と辺りを見渡す。

 

「あそこの男子、誰かの彼氏かな?」

 

「どうだろ、ちょっといいよね」

 

「えー、私は織斑君の方がいいなー」

 

 弾は若干気合いの入った私服を着ているが、それを抜きにしても十代の男が居るのは目立つらしく、既にいくらかの注目を集めている。

 

 普段の――というよりはスティナと出会う前の彼であれば、飛び上がらんばかりに喜び、出会いの予感に胸を踊らせたことだろう。

 だが今は、そんな感情は全くと言っていいほど湧かなかった。こうして衆目をひいていることも、どころか今この場に居ることでさえも、「美少女揃いだから」来たがったのだと証明しているようで嫌になってくる。ついでに、いくらヤケクソかつ(つと)めて忘れようとしていたからといって、着いたときのあの叫びは自分でもドン引きである。

 

 どうしよう失点が多すぎる、胃が痛くなってきた、やっぱり帰ろうか――などとうだうだ考えていると。

 

「あら、五反田君……だったかしら」

 

「はい?」

 

 どこかで聞いた覚えのある声に名を呼ばれ、振り返る。そこに立っていたのはファイルを手にした布仏虚だった。

 

「あ、っと……布仏さん」

 

「虚でいいですよ。妹と紛らわしいし。

 ここに居るということは、誰かの招待? 一応、チケットを確認させてもらっていいかしら」

 

「は、はい」

 

 どこにしまったっけと焦って少し時間をかけ、弾はポケットから取り出したそれを手渡す。

 

「はい確かに。配布者は……ああ、やっぱりヴェスターグレンさんなのね」

 

「やっぱり?」

 

 素直に違和感を口にすると、

 

「つい昨日まで、五反田君に酷いことを言っちゃっただとか、来てくれなかったらどうしようだとか言って頭を抱えて唸っていたのよ。だから招待してるんだろうなと思って」

 

 そう答えてチケットを返してくれた。

 

「え、スティナが?」

 

「ええ。何を言われたかしらないけれど、あまり気にすることはないと思いますよ」

 

 そして、他にも仕事があるからと去っていく。その背を見送りながら、弾は今の言葉の意味を考える。

 

 ――希望を持っていいのだろうか。

 

 だって、来てくれなかったらどうしよう、だぞ? それはつまり、そう――あの日一夏が言っていたように、来てほしがっているということだろう?

 ああいや、けれど――それを加味しても、やはり顔をあわせづらいことにはかわりない。なにせあんな欲望ダダ漏れの会話を聞かれていたのだ。女なら誰でもいいんだろうなんて思われていないだろうか。そりゃ別に自分とスティナはああいう欲望を持つことさえ許されないような関係というわけではないが、

 

「――ん?」

 

 ――裾を引かれた。遠慮がちに、くいくいと。

 

「…………」

 

 顔を俯けたメイド服姿のスティナが、弾の服の端を掴んでいた。

 

「あっ……スティナ」

 

〔虚さんと

 何を話してたんですか〕

 

「何、って……」

 

 顔を上げぬまま問う彼女は何を思っているのか。表情も伺えないせいで予想すら立てられない。

 

 まさか去り際の言葉について言及するわけにはいかないだろう。しかし逆に言えば、それさえ避ければ正直に答えたって地雷にはなるまい。なにせ、

 

「チケットを確認させてくれって言われただけだけど」

 

 虚の用件はこれだけだったのだから。

 

〔本当に?〕

 

「本当だって」

 

「…………」

 

 数秒の間。

 

〔ようこそ念願のIS学園へ〕

 

 顔を上げた。彼女の表情は、安堵と不安と罪悪感とその他諸々がごっちゃになりすぎて逆に穏やかなものになっている。穏やかすぎて無表情にすら見える程に。

 

〔そこら中に居る美少女に頼めば

 誰かは案内してくれるでしょうが

 私でいいですか?〕

 

 不安と罪悪感の種は、これ。

 弾と学園祭を回りたい。けれど、自分が弾を占有するのは間違っているとも思う。だってその分、彼が()()()()()()()過ごせたかも知れない時間を奪うのだ。

 ならば自分ではなく、そこらの生徒に頼んだ方がいいのでは――という思いが彼女を苛んでいる。

 

 けれど同時に。自分はどうしたいのかと考えたときに。

 

 やはり弾と一緒に居たい。触れたいと思うし、触れられたいと思う。許されるとか許されないとかではなく。せめて、弾に拒絶されるまでは。

 そうすることで弾が自分に縛られてしまうのはわかっている。彼は今後幾度もチャンスを逃すのだろう。

 それでも、他ならぬ自分のために、我が儘を通す。いつか弾に呵責されるその日まで。

 

 その覚悟を決めた罪悪感と、それが今かも知れない不安。

 

 なのに――。

 

「お、応。スティナで、じゃなくて、スティナがいい。頼むよ」

 

 そんなことを言われたら期待してしまう。希望を持ってしまう。

 まっとうな人間ではない自分を、受け入れてくれるかも知れない、と。そんなことがあるはずはないのに。

 

〔わかりました

 どこか行きたいところは?〕

 

 声が出せないことをこんなにありがたく思ったことはない。空中投影ディスプレイに表示される無機質な文字に感情は乗らないから。声が震えるなんて心配はしなくていい。

 

「いや、どこに何があるかわかんないし、任せるよ」

 

〔了解です

 それではご案内致します

 ご主人様〕

 

「っ!?」

 

 ご主人様、に反応して真っ赤になる弾に一礼して、彼の手を取って(きびす)を返す。

 

 今日は全部――そう、全部忘れて。彼を独り占めしてやるのだ。

 

 

 

 

 というわけで、やって来たのは。

 

「爆発は芸術だ!」

 

 美術部である。部長の腕章をつけた女子――二年生で、スティナは以前整備室で一緒になって彼女と知り合った――が不穏なことを叫んでいる。

 

〔芸術は爆発だ

 じゃないんですか?〕

 

「おやスティナちゃんじゃないか。確かにかの有名な芸術家はそう言ったけどね、考えてもみてよ。芸術と爆発がイコールで結べると思う?」

 

〔いえ全く〕

 

 というか、あれは実際に何かを爆発させるとかではなく、生き方がどうとか生命のエネルギーが云々とか言ってなかっただろうか。爆発は今も続いている。

 

「そう、芸術が全て爆発だと思ったら大間違い! でもその逆、爆発と芸術はイコールで結べるの! 爆発は(すべから)く芸術だ!」

 

〔須くの使い方間違ってません?〕

 

「…………。

 というわけで、美術部は爆弾解体ゲームをやってまーす!」

 

 あ、逃げた。

 

「爆弾解体ゲーム……?」

 

「おや? スティナちゃん、この男子はもしかして、噂の彼氏さん?」

 

 部長の言葉を耳敏く聞きつけて、周囲の部員たちが一斉に反応した。

 

「彼氏!?」「彼氏持ちが来たの!?」「来やがったの!?」「アパム! 最高難度の爆弾持って来い!」「彼氏持ちを生かして返すなー!」

 

 きゃあきゃあと騒いで、そのうちの一人がスティナに爆弾を押し付けた。

 うえぇ……、という顔をしつつも部長に工具を要求し、彼女は爆弾解体に取り掛かる。ちょっと複雑な爆弾が相手でも爆弾解体はスウェーデン軍時代の訓練で慣れています。

 

「……なあスティナ」

 

〔はい?〕

 

 手際良く作業を進めていく彼女に、弾が遠慮がちに声をかける。

 

「IS学園ってそんなことまで学ぶのか?」

 

〔まあ、そうですね

 授業でもやりますよ〕

 

 自分はそれより前にそれが本職だったわけだが――まあ、それは言わない。

 ISの操縦と直接関係は無いが、ISに関わるということはそれだけ“IS以外の”危険にさらされることもある。それに備える授業のひとつが爆弾解体だ。

 

「……蘭、IS学園ってお前が思ってるよりすげーぞ……うん。いろんな意味で」

 

「…………?」

 

 誰に聞かせるでもなく呟かれたそれをしっかり聞き取ったスティナであるが、かつて五反田食堂で交わされた会話を知らない彼女には何故そこで蘭が出てくるのかわからなくて、首を傾げる。

 

「お、スティナちゃんさっすがー。もう最終フェイズだね」

 

 最終フェイズ――簡単に言うと、映画でよくある「赤か青か」というやつだ。

 実際の爆弾にあんなわかりやすいケーブルを使うかと言えばNOだが――これはゲームなので、やはり赤と青のケーブルが使われている。

 正しい方を切ればクリア、間違えればドカンというわけだ。

 

〔弾さん

 どっちだと思います?〕

 

「えっ俺!? 俺何の知識も無いぞ!?」

 

〔ゲームですし

 どっちが正しいとか

 調べられる機材も無いので〕

 

 だから勘で大丈夫だと促すも、弾は真剣に悩み始めた。

 そんな真面目に考えなくても、と苦笑しつつ、何か選択の糸口になりそうなものを考える。

 

(青、青……ブルー・ティアーズ? とするなら赤は……この色味だとアリーセよりは紅椿でしょうか)

 

 これなら選びやすいかな、と、スティナは弾の袖を引く。

 

「お、おう? どした?」

 

〔金髪の女性と黒髪の女性

 どっちが好きですか?〕

 

「へ? なんで?」

 

〔いいからいいから

 どっちですか?〕

 

 数秒間考えた後、

 

「……いや、白かな」

 

「……!?」

 

 選択肢を無視した弾の発言に心臓が跳ねる。

 だからそんな期待を持たせるようなことはやめてくれと――言ってはいないので仕方ないのだけど、それでも少し恨めしい。こちらを弄んでいるのではと勘繰ってしまう。

 

(…………ん? 白?)

 

 それでも自分の中に少しだけ残る冷静な部分が、あることに気付いて体を動かす。白、白――。

 

(あ。ホントにあった)

 

 赤と青のケーブルの後ろ。何本もの黒いケーブルが密集する部分。そのケーブルの束を掻き分けていくと、あった。

 白いケーブル。

 ばちん、とニッパーで切断する。

 

 ――ピロリン、と爆弾が鳴った。

 

「クリアー! おめでとーう!」

 

「なにぃっ!?」「うそぉ!」「絶対無理なやつ渡したのに!」「なんでわかったの!?」

 

 絶対無理とかそれゲーム成立しないじゃないか、と思ったのをぐっとこらえる。たしかにあれはよほどのことがなければたどり着けまい。そのよほどがあってしまったわけだから、自分がその構造を責めても仕方ない。

 

「はいこれ景品!」

 

〔……はい?〕

 

「…………これ?」

 

 部長がスティナに手渡したのは――飴玉が十個ほど入ったかわいらしい袋だった。

 

〔飴玉て

 あの難易度で飴玉て〕

 

「あれお客さんにやらせる気無かったから、景品それしか用意してないんだよねー。

 あ、じゃあもう一袋あげちゃおう。あと、今度お昼奢ったげるからそれで許してよ」

 

 ちなみに失敗したら参加賞は飴玉一粒だよ、と補足されて、溜め息。

 美術部が一位を取ることは無いだろうなぁ、と思いながら、美術部を後にした。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

(あれは……)

 

 本音ともスティナとも同時には休憩できないので、ジギスヴァルトは一人寂しく徘徊していたわけであるが。人混みの中に既視感のある姿を認めて足を止めた。

 

(ラウラ……なわけはないな。あいつは今クラスでせかせか働いている。何より盲目などではない。

 しかし、ではあれは……誰だ?)

 

 腰まで届く銀髪と顔立ち、小柄な身体はラウラに似ているが――そのせいか、閉じられた目と白杖が強烈な違和感として主張してくる。

 

「……あら」

 

「む」

 

 その、ラウラに似た顔が、こちらを向いた。

 

 ――見られている。

 

 目は閉じたままだが、確かに見られて――否、そんな生易しいものではない。

 きっと、どこに隠れてもこの視線からは逃れられない――そう感じてしまうほどに、圧倒的な。

 

 そして、こちらを見ているその少女が。携えた白杖を使()()()()()()、しかし目を閉じたまま、すいすいと人垣を抜けてこちらへ歩いてくる。

 

「はじめまして――お兄様」

 

「……なに?」

 

 目の前に来て、青いスカートをつまんで一礼したこの少女は――今、何と言った? お兄様、とか言わなかったか?

 

「わたくし、先日助けて頂いた鶴でございます」

 

「鶴だと? 何を………………あ。ちょっと待て、貴様まさか……」

 

「ですから、鶴です」

 

 口元に手を当ててクスクスと笑う彼女は、ひとしきり笑った後にもう一歩だけジギスヴァルトに近づき、その手を彼の胸に当てた。その位置、服の下には待機状態のシャルラッハロート・アリーセがある。

 

「あなたの傭兵としての最後の仕事。日本に来る直前、束様から、弟としてではなく傭兵として依頼されたそれを、あなたはこの子の力を借りずに成し遂げて――あの時、私はあの場に居ました」

 

 たしか、そう。束はこう言っていた。

 

 ――えー、どうしても知りたい? でもあんまり気分の良い話じゃないから……あ、そーだこーいうのはどうかな! 悪いお爺さんに捕まった鶴が不眠不休で(はた)織りをさせられてるから、キミはその鶴を助けに行くんだよ!

 

 ……いや、傭兵に仕事を依頼しようってのにそれはどうよ、と思わなくもないが。それ以上のことはどうしても喋ろうとしなかったので、情報不足のまま敵地に乗り込むハメになった。

 そして結局、施設を制圧した頃に「鶴はこっちで回収するから、ジグ君は早く帰ってきてねー!」とか指示された。

 鶴が何なのかさえ知らなかったが、それが何であれどのみち身ひとつで乗り込んだ彼に回収は無理で。アリーセを使えばどうかわからないが、万一誰かに機体を見られると困るため、素直にそれに従ったわけだが。

 

「つまり、何か? その不眠不休で機織りをさせられている鶴、というのが……」

 

「ええ、私です。私にとってあなたは、救世主(ヒーロー)というやつです」

 

 そこであっさりと一歩退()がって、彼女は背を向ける。

 

「近いうちに機を織りに来ます。それまで、寂しいですが――さよならですね」

 

 今度はしっかり白杖を使って、彼女は去って行った。

 

 残されたジギスヴァルトは右手で顔を覆い、天を仰ぐ。

 

「こいつは……面倒なことになったかも知れん……」

 

 とにかく、今夜にでも束に連絡をつけなければ。我が身の平穏のためにも。




 生徒会の出し物は観客参加型の演劇だ。無論、私も生徒会の一員として協力せねばならんのは理解しているし望むところではあるが――楯無会長、この仮面はどうしても被らねばならんのか?
 そうか。必要ならば仕方が無い。仮面を被っている間は別の人生を得たつもりで全力で演じよう。ついでに口調なども、変えてみたりしとくゥー?
 ――いや、やめておこう。

 次回、IS -Scharlachrot-。「黒い盾 -Cinderella, the mighty-」







 あ、今更なんですが、スティナの空中投影ディスプレイの文字数制限は十五文字×三行=四十五文字です。


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第四一話:黒い盾 -Cinderella, the mighty-

 

 凰鈴音は今、非常に上機嫌である。

 

 理由は先の一夏の休憩の折まで遡る。

 数馬を引き連れて二組の教室――二組の出し物は飲茶(ヤムチャ)で一組とカテゴリーが被っているうえ、一夏&ジギスヴァルト効果で客をほとんど一組に持って行かれ閑古鳥状態なのだが――に現れた一夏。

 いわゆるチャイナドレス姿の鈴音を一夏と数馬がからかったり、三人で中学時代の思い出話をしたりという流れの中で、鈴音は意を決して言った。

 

「一夏、アンタ今日はもう休憩無いの?」

 

「あー、どうだろうなあ。お客さんの入り具合にもよるけど、多分もう一回くらいはあるんじゃねえの?」

 

「んじゃ、もし休憩時間被ったら一緒に回らない?」

 

「そりゃいいけど、数馬は?」

 

「あ? ああ、俺は……」

 

 数馬は一夏に()()られぬよう、チラと鈴音に視線を投げる。

 今にも噛みつかんばかりにガルガルと威嚇する友人の姿が、そこにはあった。

 中学時代の、鈴音が中国へ帰るまでの間しか付き合いの無かった数馬にだって、彼女の言いたいことはわかる。否、例え彼女と面識が無くともわかっただろう程に露骨すぎる。

 

「俺はいいよ。その頃までに帰るからさ」

 

「そうなのか? ゆっくりしてきゃいいのに」

 

「もう充分だって」

 

 まあ、期待したような出会いが無かったのは残念だったけれど。なに、一夏や鈴音がIS学園に在籍していて、弾がスティナと交流を持つ限り、数馬にもまだまだチャンスはある。ある、はずだ。あるといいなあ。

 

「だから俺のことは気にせず楽しんできてくれよ」

 

「そういうことなら、まあそうするか。それでいいか、鈴?」

 

「いい! オッケー! 問題なし!」

 

 そういうわけで、休憩時間となった現在の鈴音は、一組の教室へ向かっている。一夏の休憩時間を確認するためであるので列には並ばず、入り口付近に居た相川清香に尋ねるべく近付いたのだが――どういうわけか、彼女は口をぽかんと開けて教室の中を注視している。

 

「やっほー清香。なんかあったの?」

 

「わっ!? あ、なんだ鈴か、脅かさないでよ」

 

「ごめんごめん。で、何があったの?」

 

「あー……まあ、なんていうか……説明しづらいなあ。見た方が早いよ」

 

 清香が場所を空けてくれたので、そこから中を覗き込む。すると――。

 

「やめろ! 嫌だ! HA☆NA☆SE!」

 

「断る! お前が自分の身を守りたいのと同じく、私とて自分の身が最優先だ! 絶対に連れて行くぞ! というか痛い痛い殴るな篠ノ之!」

 

「ええい一夏を放せ貴様ら! 放せと言っている!」

 

〔この人の手を放さない

 私の(へいおん)ごと

 放してしまう気がするから〕

 

「ほらほら一夏君、観念しておねーさんの言うこと聞きなさい」

 

 ジギスヴァルトとスティナに腕を引っ張られ必死に抵抗する一夏と、彼を救出すべく主にジギスヴァルトに殴りかかる箒と、それを見てからからと笑う生徒会長様の姿が、あった。

 

「えっ……えぇー……」

 

 正直ドン引きだった。

 

「あら鈴ちゃん、丁度いいところに」

 

 そして、声を発してしまったがために楯無に見つかってしまった。

 

「悪いんだけど、一組の出し物はここで閉店。一夏君も借りていくよ」

 

「へ?」

 

「あと、鈴ちゃんにも協力してほしいの」

 

「は?」

 

 

 

 

 ――一方その頃、休憩を終えクラスに戻ったスティナと別れて一人でまわっていた五反田弾は。

 

「……どこだ、ここ」

 

 ひとしきり遊んでさあ帰ろうかと歩いていたのだが、道に迷って――()()()()()()()()()()、一般人立ち入り禁止区域に入り込んでいた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

「一夏君、ちゃんと着たー?」

 

 と、言いながら楯無がドアを開けた。確認の意味を真っ正面から粉砕してかかる所業である。

 

「せめて返事するまで待ってくださいよ!」

 

「着てるんだからいいじゃない」

 

「……着てなかったらどうするんですか」

 

「ガン見する」

 

「なんでさ!?」

 

 第四アリーナの更衣室。そこで一夏は、十人に見せれば十人ともが王子様か貴公子と言うであろう衣装を着せられていた。

 

「はい、王冠」

 

「はあ……」

 

「なによ、嬉しそうじゃないわね。シンデレラの方がよかった?」

 

「イヤですよ!」

 

 彼は生徒会の出し物である観客参加型演劇「シンデレラ」の主役に抜擢された。……本人に無許可で。

 

「基本的にこちらからアナウンスするから、その通りにアドリブでお話を進めてくれればいいよ」

 

「楯無さん、無茶振りって言葉知ってますか?」

 

「何それ? 食べられるの?」

 

 第四アリーナいっぱいに作られたかなり豪勢なセット――その舞台袖へ移動しながら説明を受ける一夏は、この時点で不安で仕方なかった。

 

 そしてその不安は――まだまだ足りない。

 

「さあ、幕開けよ!」

 

 ブザーが鳴り響き、照明が落ち。セット全体にかけられた幕が開いてライトが点灯すると、おそらく虚の声であろうナレーションが流れ始める。

 

『むかしむかしあるところに、シンデレラというマイティーな少女がおりました』

 

「うん?」

 

 普通と見せかけて不穏な単語がひとつ入ったナレーションに首を(かし)げる一夏をよそに、舞台は進む。

 

『否、それはもはや名前ではない。数多の舞踏会(せんじょう)を抜け、群がる敵兵を薙ぎ倒し、灰燼を纏うことさえ厭わぬ地上最強の(マ イ テ ィ ー な)兵士たち。彼女らを呼ぶに相応しい称号――それが《灰被り姫(シンデレラ)》!』

 

「え?」

 

『今宵もまた、血に飢えたシンデレラたちの夜が始まる。王子の冠に隠された隣国の軍事機密――それを手に入れた者に《最強の灰被り(シンデレラ・ザ・マイティー)》の称号を与えるとの()()れを受けた彼女たちが今、舞踏会という死地に舞い踊る!』

 

「は、はぁっ!?」

 

 普段の虚からは想像もつかないハイテンションなナレーションの内容に一夏が驚きの叫びをあげると同時、セットの城のテラス部分に人影が現れる。

 

 腰まである銀の髪――おそらくはウィッグ――をポニーテールに束ね、顔には鼻から上だけを隠す金の仮面。そしてどちらかといえば細身ながらもよく鍛えられた筋肉質な身体を()()()()()で包んだ――。

 

「さあ()きなさいシンデレラたち! 逃げる奴は王子よ! 逃げない奴はよく訓練された王子よ!」

 

 ――ジギスヴァルト・ブレヒトだった。

 いかに顔の整った彼といえど、それが仮面で隠れていることと、何より身体の方が邪魔をして、壊滅的に女装が似合っていない。あとオネエ口調が声と絶望的に合っていない。

 端的に言って、すごくキモい。

 

「ジグ!? お前何やって――」

 

「もらったああああ!」

 

「はいぃ!?」

 

 鋭い叫びと視界の端に閃いた何かに危機を感じ、咄嗟にしゃがんだ一夏。その頭上を中国剣――もちろん刃引きはされている――が通過した。

 

「ちょっ、待っ、鈴!? お前いきなり何を――」

 

「王冠おいてけ! ねえ! 王子! 王子よね!? ねえ王子よねアンタ!」

 

「聞いちゃいねえ!?」

 

 襲撃者は鈴音。一夏には何が何やらわからないが、とりあえずあのナレーション通りに王冠を狙っているらしい。執拗に突き――中国剣の用途は主に突きである――を繰り出し、王冠を叩き落とそうとしてくる。

 日頃の訓練の成果か、ギリギリとはいえなんとか躱していた一夏だったが。慣れない服で動きづらいことが災いし、躓いてしまった。

 

「あっ」

 

「そこぉっ!」

 

 体勢の崩れた一夏。その頭上の王冠を狙って、鈴音渾身の突きが放たれる――。

 

〔失礼〕

 

 甲高い音をあげて、鈴音の手から中国剣が放れて飛んでいった。

 

「なっ……にすんのよ、スティナ!」

 

 二人の間に割り込んだメイド姿のスティナが、大ぶりのナイフ――こちらも刃引きは万全である――で弾き飛ばしたのだった。

 

〔遅くなって

 申し訳ありません

 ご主人様〕

 

「え? あ、おう……?」

 

 鈴音の批難を無視して一夏を助け起こすと、改めて鈴音に向き直――る直前、何も無いはずの場所にナイフを振るう。すると何かがナイフに激突する音がして、セットの床にその何かがバウンドして彼方へ去っていく。

 一夏には知る由も無かったが――セシリアによる狙撃(ゴム弾)である。

 

〔ご主人様

 ここは私が食い止めます

 行ってください〕

 

「よくわかんないけどすまん、任せた!」

 

「逃がすか!」

 

 潔く背を向けて逃げだす一夏。それに追い縋ろうとする鈴音の前に立ち塞がり彼女の攻撃を捌きつつ、時折スカートの下――ふとももに巻いたベルトから投擲用ナイフを抜いて投げ、セシリアが撃ったゴム弾をも迎撃していく。

 かなり激しく動き、自らスカートをたくし上げすらしているにもかかわらず、スティナのスカートの中は決して衆目に晒されることはない。

 

 何故なら彼女は――メイドだからだ。

 

 なお、ゴム弾を撃ち落とせているのはエイフォニック・ロビンのハイパーセンサーを起動しているからである。さすがに、本職のメイドさんのように生身の知覚だけでやってのけるほど人間をやめてはいない。

 

『護衛メイドの活躍により最初の襲撃を躱した王子は、城の外へと逃げだした。

 しかしそこは数多のシンデレラが待ち構える修羅の(ちまた)! 果たして、彼の運命は大きく動き始める――!

 ……はい、それではただ今よりフリーエントリー組の参加です。みなさん、王子様の王冠目指して頑張ってください!』

 

「よっしゃあああああ!!」「やったらあああああ!!」「まったく舞踏会は地獄だぜえええええ!!」「王子イイイイイ!!」「突然叫びだす姐さんは嫌いだ……」

 

 観客席を埋めていた生徒たちが、歓声――というかもはや怒号――をあげて走りだす。中には観客席から直接飛び降りる者もいた。

 目指すは一夏の頭の王冠。追うは百数十人の乙女たち。

 

「ちょ、何事ォ!?」

 

 少女の壁が迫り来るというある種トラウマものの光景に心底ビビり必死で逃げる一夏。その行く手から別の壁が迫り、方向を変えるとそちらからまた別の壁が迫り……というように、彼の退路はどんどん断たれていく。

 

「来い」

 

「へ?」

 

 不意に誰かに腕を掴まれ、強い力に抗えぬままに人の壁の中を引っ張られていく。

 

『スティナちゃん、かかった』

 

『了解。すぐ向かいます』

 

 一方、鈴音を足止めし続けているスティナは。

 楯無からのプライベート・チャネルを受け、さっさと鈴音に背を向けた。セシリアは既に一夏を追って別の狙撃ポイントへ移動したようで、もうゴム弾は飛んでこない。

 

「あら、逃げるの? でも逃がさないわよ、ていうか追いかけるわ! 役どころ的に、アンタが行く先に一夏が居るんでしょ?」

 

 それを好機と駆け出そうとする鈴音を振り返り、スティナは――本気を出して距離を詰めた。

 

『鈴音さん』

 

「へっ?」

 

 鈴音にはその動きが見えていなかった。プライベート・チャネルでスティナの声が聞こえたと思った瞬間、脚を払われて横倒しになった。

 そして追い討ちとばかりに――鼻先にナイフが突き立てられる。刃引きされているはずのナイフが、()()()()()()()()

 ――正直、めっちゃ恐かった。

 

『申し訳ないのですが――着いてこられるわけにはいきません。ここで大人しくしているか、ご自分で一夏さんを探すかしてください。おーけー?』

 

「お、おぅけぇぃ」

 

 ガクガクと首を縦に振るのを確認して、スティナはすぐさま駆け出した。

 

 今回、わざと襲撃しやすい状況を作った。

 無論、敵も馬鹿ではない。誘いだとはバレているはずだ。それで手を出さないならよし。出してきたならば――それは、こちらの罠などねじ伏せられると確信しているということだ。

 だから、あまり時間をかけるわけにはいかない。一夏のもとへ急ぐ必要がある。

 

 目指す先、楯無が転送してきたルートの終着は、一般人立ち入り禁止区域の奥。

 

 ――IS保管庫。

 

 

 

 

 ――はてさてその頃、道に迷った五反田弾は。

 

「………………なんじゃこりゃ」

 

 T字路にて、看板を前に突っ立っていた。

 

 看板には、こう書かれている。

 

<←出口  ブラジル→>

 

 果たして彼の選択は――。

 

「……ブラジル」

 

 ――右へ……。

 

「……なわけあるかい」

 

 ではなく、左、出口の方へ。

 

 そちらが()()出口であるかは、書かれていない。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 手を引かれるままに走ってきた一夏は、前を行く女性の行く先に違和感を覚えて手を振り払った。

 

「あだっ……なにすんだよガキ」

 

「あんた誰だ? 学園の関係者じゃないよな。この先は立ち入り禁止のはずだろ」

 

 目の前の女性は明らかに成人している。生徒とは考えづらい。

 ならば学園職員かといえば、少なくとも一夏はこんな人を見たことはない。

 

「チッ……んだよ、情報と(ちげ)ーぞ。平和ボケのガキじゃなかったのかよ」

 

 パンツスーツ姿の、ロングヘアーがよく似合う美人――という評価を完全に台無しにする、心底面倒臭そうな表情でガシガシと頭を掻く。

 

 そして、そのまま、脚を突き出した。早い話、蹴りだ。

 

 とはいえ相手は害意を隠そうともしていない。数ヶ月前まで完全に一般人だった一夏でさえ、その攻撃は容易に察せられた。

 背後にロッカーがある故に後退ではなく横に移動し、白式を緊急展開。衣服をISスーツに変更するプロセスを挟んだせいで通常よりもエネルギーを食うが、四の五の言っていては――死ぬ。

 

 何故なら。

 

 相手のスーツの背を突き破った八つの“脚”――その先端の砲口が、既にこちらを向いているのだから。

 

「クソッ!!」

 

 ハイパーセンサーの恩恵で加速した思考の中で、一夏は必死で考える。今こちらを睨んでいる“アレ”は、どちらなのか。

 

 細い“脚”の先端であることを考えると、EN(エネルギー)兵器か。だが、あれはISだ。量子変換機能がある以上、極論すれば撃鉄さえ内蔵できれば実弾が撃てる。

 

 実弾か。ENか。ENならば雪融(ゆきどけ)で吸収できる。だが、実弾だったらば、この距離では――。

 

『一夏さん! 雪融の起動を!』

 

 不意に舞い込んだ通信。考える暇も無く彼は雪融を起動した。防御フィールドを展開するのとほぼ同時に――四つの脚からはレーザーが放たれ/四つの脚はナイフに射貫かれて暴発し/雪融がレーザーを吸収する。

 

「ちっ……思ったより早いな」

 

 もはや完全にISを展開した女性の目が一夏の後ろに向けられる。そこには、ナイフを投げた張本人たるスティナが居た。

 

「スティナ? なんでここに」

 

『説明は後です。とにかくこいつをなんとか――ッ!?』

 

〈【警告】ロックされています〉

 

 エイフォニック・ロビンが発したロック警告は、目の前のISからのもの()()()()

 咄嗟に小夜啼鳥(ナイチンゲール)を起動。白式を掴み、思いっきり後ろに跳んだ。

 直後に、眼前を灼くレーザーが一条。自分だけが避けていたら白式に当たっていただろう。

 

「時間切れだオータム。約束通り、織斑一夏は私がもらう」

 

「てめっ……すっこんでろ!」

 

「そうはいかない。増援が来るまで、という契約だったはずだ。そこの()()はどう見たって増援だろう?」

 

「チッ……確かにそういう契約だ。仕方ねえ。諦めてやるよ」

 

「何故そうも上からなんだ……そんなではスコールに愛想尽かされるぞババ専」

 

「違いますぅー、ババ専じゃないですぅー! 好きになった相手がたまたま歳食ってただけですぅー!」

 

「人それをババ専と言う」

 

「うっせぇシスコン!」

 

「違いますぅー、シスコンじゃないですぅー! ちょっと姉妹愛が過激なだけですぅー!」

 

「それがシスコンだってんだろ!」

 

「バーカバーカ!」

 

「ローリローリ!」

 

 いつからそこに居たのか。部屋の奥に――そこにはスティナが入ってきたのとは別の入口があるのだが――青いISが佇んでいる。

 セシリアのスターライトmkIIIに似たライフルをスティナたちに――否、一夏に向けている。その機体に、スティナは心当たりがあった。

 

(何者かの手でイギリスから強奪()()()()()()()()()()()、サイレント・ゼフィルス……!)

 

 BT兵器の試験運用を目的として開発された機体の片割れ。ブルー・ティアーズの姉妹機。静謐なる西風(サイレント・ゼフィルス)

 その機体デザインはおそらく蜆蝶(ゼフィルス)とかけているのだろう、スラスターやバイザーの形状が美しく優雅な蝶を連想させるが――その性能はむしろ西風神(ゼフィルス)のように厄介この上ない。

 無論、それは搭乗者の手で完璧に操られてこそではあるが――。

 

「まあ、そういうわけだ織斑一夏。悪いが私に付き合ってもらう」

 

 一通りじゃれ合った後、サイレント・ゼフィルスがビットを射出した。その数、六。全てが一糸乱れず一夏に殺到する。

 

『一夏さん!』

 

「おっとぉ、てめえの相手は私だ。脚の代金、払っていけやァ!」

 

 六基のビットに追い立てられる一夏を助けようにも、目前に八本脚の――今は四本だが――ISが立ちはだかる。

 

『邪魔です!』

 

「そらそうだろ、邪魔してんだからよ!」

 

 右腕の音裂を展開して斬りかかるも、ふわりとした不可解な動きで躱される。これを好機と一夏を追おうとすれば、スルリと滑るような動きでまたも進路を塞がれる。

 そうこうしている間に、一夏とサイレント・ゼフィルスは部屋の奥にある扉――スティナが入ってきたのともサイレント・ゼフィルスが入ってきたのとも違う、さらに奥の区画に続く巨大な扉だ――へと消えてしまった。

 

『この動き――脚のひとつひとつがPICを搭載している!?』

 

「御名答だよクソガキ! 座布団がわりにとっときな!」

 

 スティナが破壊した四本の脚が量子化され、かわりの装備が展開された。見た目には先程までの脚と変わらないそれの先端から――ワイヤーが射出される。

 

『くっ……!』

 

 左手に梢音をコールし、迎撃を試みる。

 が、四本のワイヤーは全てスティナを大きく迂回して後方へとのびていく。予期せぬ軌道に虚を突かれた彼女は一瞬硬直する。

 そしてその隙にワイヤーの先端が、まるで生き物のように進路を変え、彼女の背後で交叉する――それをハイパーセンサーを通して確認した時、彼女は己の失態を悟った。

 問答無用で、ワイヤーを切り落としておくべきだったのだ。

 

『なんたる無様……!』

 

「ハハハ! アラクネ(ク モ)の糸を甘く見るからそうなるんだぜ小鳥ちゃん!」

 

 ワイヤーに雁字搦めにされ、手脚を動かすことすらままならない。スティナでは、エイフォニック・ロビンの装備では、この拘束を振り解く術が無い。

 

「んじゃ、お楽しみタイムだ。でもコイツはサブだからなあ、メインより報酬出ねえんだよなあ」

 

 ぼやきながら近付いてくる女――たしかオータムと呼ばれていたか。その手には、いつぞや資料で見た覚えのある四本脚の装置を持っていた。およそ四十センチ程のその装置を起動させると、駆動音と共にその脚が開く。

 

剥離剤(リムーバー)……』

 

「お? なんだ知ってやがったか。なら状況は理解したな? お別れの挨拶は済ませとけ――よっと」

 

 装置がスティナに取り付けられる。胸部に接触したそれは、脚を閉じて――。

 

「……ん? あ、あれ? IS? なんで? つーかマジでここどこ?」

 

 ――そして、その場に居るはずのない少年の声が背後から聞こえた、刹那。

 

「――――っ!? ――――! ――――――――!!!!」

 

 スティナの全身を激痛が襲った。あまりの痛みに意識が飛びかけ、しかしその痛みが彼女を現実に引き戻す。出せない声をあげようと喉は空気を吐き出し続け、身体は反射を抑えられずのたうちまわる。

 

 数秒間か、それとも数分はそうしていたか。痛みがおさまったとき、彼女はエイフォニック・ロビンを纏ってはいなかった。

 

「終わったな。――で? 誰だお前」

 

 掌中でエイフォニック・ロビンのコアを弄びながら、オータムがスティナの背後に目を向ける。

 言うことを聞かない身体を無理矢理動かして振り返ると、果たしてそこには――五反田弾が居た。

 

(弾さん!? なんで!?)

 

 目前の光景に理解が追いつかないのか、半ば呆けた様子の弾。そんな彼に、オータムは自身のIS――アラクネの脚を全て向けた。

 

「増援か? にしちゃあずいぶんな間抜けっぷりだが――まあ、仮にただの迷子だったとしてもだ。この場に居合わせたからには、死ね」

 

 それは彼女にとっては、“傭兵としての最善”を選択したにすぎない。

 だが、五反田弾とスティナ・ヴェスターグレンにとって、それは最善どころか最悪であった。

 

「え?」

 

 自身に向けられた銃口。その現実感の無さが、彼の思考をさらに鈍化させ。

 

(逃げてください弾さん! 弾さん! こんな、こんなのって――!)

 

 ISを奪われて意思表示の手段を失ったスティナは己を呪い。

 

「さァなら」

 

 何の感慨も無く、オータムが意識の引鉄を引き。

 

 

 

 

〈▼告/搭乗者登録シーケンスを完了/緊急展開の要を確認/搭乗者・五反田弾の保護を最優先/《F-02/SB Schwarzschild Ballista(シュヴァルツシルト・バリスタ)》、戦闘モードで起動します〉

 

 

 

 

「――は?」

 

「――は?」

 

(――は?)

 

 ()()は、両腕の巨大な装甲で、アラクネの放ったレーザーを完璧に弾いてみせた。

 

 ()()は、ISを纏うオータムをしてなお軽く見上げねばならぬほどの威容を堂々と誇ってそこに在る。

 

 全身を覆う装甲の色は漆黒と称するのが適当だろうか。ところどころ真紅と黄を差してあるが、その身はまるで光を全て吸い込んでしまうかのように黒い。

 

 高さは――少なくとも五メートルはあるだろうか。

 

 レーザーを防いだ腕部は、身体の前で両腕を合わせれば機体がすっぽりと覆われるほどの巨大な装甲を前腕に備えている。マニピュレーターは見当たらない。ただの装甲の塊、と言われればスッと納得できるだろう。

 

 そして、膝にあたる関節を緩く曲げた重装甲の脚が――前だけでなく後ろにものびている。四本脚でしっかりと地を踏みしめる姿はちょっとやそっとでは揺るぐまい。

 

 この場の誰が予想できただろうか。この土壇場で、この異形に過ぎる――I()S()を。

 

〈【報告】システムオールグリーン/いけます(You have control.)

 

「は、え、何!? 何事!?」

 

 何も知らない()()展開するなどと。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

『シュヴァルツシルト・バリスタの展開を確認――計算通りの所要時間で搭乗者登録が完了したようです。……本当によろしかったのですか?』

 

『何がかな?』

 

『弾様がISを動かしてしまえば、彼だけでなくあなたも後戻りはできません。まあ、もう後の祭りですが』

 

『構わないよん。戻るつもりはサラサラ無いからね!』

 

『そうですか。では私は予定通りバリスタを観察、必要があれば援護します』

 

『よろしくねーん』

 

『あと、お姉様に首を斬り落とされるくらいは覚悟しておいた方がよろしいかと』

 

『うっ……うん……それは、まあ、ほら……どうにかなんない?』

 

『ひとつだけ案があります』

 

『何!? 何!?』

 

『ハラキリー♪』

 

『わぁい何の対策にもならねぇや!』

 

 




 わぁいお仕事。小糠雨お仕事大好き。

 それはさておき、弾がISを使うだなんて登場人物たちはともかく読者の皆さんにとっては予想通りもいいとこでしょう。私はよい作者なので予想は裏切りません(真顔)。

 オータム姐さんに関する描写が本作における亡国機業の立ち位置をほぼ明かしてしまっていますね! おのれオータム! あとアラクネも地味に改造してしまったぜ!


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