もしも彼女にもハーレム因子があったなら (温玉屋)
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第1話 ”彼”を襲ったあとのこと

タイトルとあらすじでお察しいただけるかと思いますが、以下の要素を含みますのでご注意願います。

・逆ハー的要素
・オリジナル設定
・オリジナルキャラ

逆ハー要員のオリジナルキャラは完全オリジナルを投入するのもアレなので、原作のキャラからインスパイアされたものを投入しています。
が、読者の方から見れば結局オリキャラじゃねーか! という感は否めないと思います。

ですのでオリキャラアウトな感じの方はご注意を願います。


「私はお前だ。織斑一夏」

「な……」

 

 間抜け面で口をぱくぱくさせている“ヤツ”に向けてマドカは告げ、両手で構えた拳銃を発砲する。ブローニング32口径からの照準は正確に頭部に二発、両手でつけた狙いならば外す距離ではなかったが、マドカの殺意はターゲットまで到達しなかった。銃口から飛び出した7.65ミリ弾は空中を緩慢に動き、やがて“ヤツ”の目の前で停止した。

 

「一夏!」

 

 アクティブ・イナーシャル・キャンセラーだ。マドカが認識すると同時に暗闇を裂いて少女の声が耳に入ってくる。パワード・スーツを部分展開した少女が一夏の前に走り込むなり、マドカに向けてナイフを投げた。

 

「邪魔が入るか……!」

 

 飛んでくる凶器を受けるつもりで、右手に皮膜装甲を部分展開しながら受ける。予想より重い一撃だったためにはじき返すことは叶わず、そのまま切っ先がてのひらに刺さった。肉を分けて金属が手に入り込んでくる不快感はあったものの、戦闘向けに調整した痛覚で痛みは感じなかった。

 

 左手の拳銃をホルスターに収める。空いた利き手でナイフを握ると、返すぞ、と言い捨て即座にそいつを投げ返した。マドカは暗闇の中、刃がドイツ人に飛ぶことだけ見ると脚部のISを部分展開し、隘路へ身を投げた。

 

「待て!」

 

 ドイツ人少女のISからAICのエネルギーがマドカのいた空間に集中しようとする。プロファイルによれば現役のルフトヴァッフェ少佐だというドイツ人の攻撃である。が、同じ情報の中に付記されていたとおり、彼女はまだイメージ・インタフェースの使用に難があった。集中が乱れる状況だと停止結界の展開に時間がかかるのだ。

 

「大丈夫か、ラウラ!」

「私を誰だと思っている。お前こそ無事か」

 

 事実、マドカの身が街頭の光も届かない暗闇に落ちると、それだけで追撃の気配は途絶える。この場から逃れるのには、なんの問題もなさそうだった。

 

「ラウラの左目って、綺麗だな――」

「な、なんだと!?」

 

 強化された聴覚には、後方での謎会話としか言いようがないやりとりがまだ聞こえている。もちろんマドカには気にする暇も事情もない。常の人間では追い切れないだろう速度で、日本の住宅地にありがちな家々の隙間を駆け回りながら逃走した。彼等の様子から見るにすぐに追っ手が来るとは考えがたい。が、警戒するにしくはなかった。昼間の交戦でISを完全展開するだけのエネルギーは既に尽きており、追撃がもしあれば通常戦力が相手でも敗北する可能性がある。

 

 このまま追跡の可能性を振り切りつつ、潜伏先に戻るべきか。時間が経ちヤツらが通報すれば、当局や学園側が出張ってくる可能性もある。一度繁華街に出て、街に紛れるべきだ。マドカは結論づけ足を市街の方へ向けた。

 

 そう長く時間はかけられない。身をくらましたと思われれば、スコール・ミューゼルがマドカの体内に仕込んだナノマシンの反乱抑止機能を作動させる怖れがある。当局や学園などに捕まっても同じ結末となるだろうが、この状況下ではこちらから通信することもできなかった。この点についてはスコールの寛容さか、あるいは気まぐれに期待するしかない。

 

 ――それにしても。

 

 内心で歯がみをする。“ヤツ”に一発も浴びせられなかったのは誤算だった。“ヤツ”に傷を付けるなり、命を奪うなり出来れば、きっと“姉さん”を引きずり出すことができただろう。ISの技術も戦闘訓練も、全てその一つを心の支えにして身につけてきたというのに。

 

 昼間の戦闘では邪魔が入った上、さらに再度の交戦可能な距離にヤツが来たところで帰投命令が出た。当初の作戦計画では、ステルスモードで戦場を離脱後、追跡を捲きながら潜伏先へ迎え、ということだったが――帰還ルートの途上にこうして長い寄り道を入れたのは、もちろんマドカの独断である。

 次のチャンスは。あるいは、生きていることができるのかも定かではない。そう思うと今日の機会は、安売りするべきではなかったのではないか。

 

 そんなマドカの思考は、街にいくつかある支線道路に出たところで止まった。眼前に古くさいワゴン車、年代物とわかるハイエースがマドカの前に停車したのだ。

 

「マドカちゃん、乗って!」

 

 スライドドアを明けて少年が叫ぶ。黒髪黒目、絹糸のように細い髪質の長髪を後ろで一つにした日本人で、背はマドカと同じくらい。男性としては小柄だろう。鼻筋のすっきりした小顔も相まって、どこか女性的にすら見える美少年だった。意表を突かれてマドカは立ち止まる。

 

 あり得ない、と一瞬、目の前の現実を否定しそうになった。今日、“ヤツ”を襲撃することは、もちろん誰にも知らせていないのだ。迎えなど来ようはずがなかった。

 

 だが迷っている暇はなかった。ここまで来ると周囲にも通行人がおり車の通りもある。彼がどうして来たかを考えるのは後にすべきだ。

 

 手を取ろうとする少年を無視し、マドカは身体ごと体当たりして三列シートの真ん中へ転がり込んだ。後ろ手で扉を叩きつけるように閉じると、同時に車は音もなく車道へ出る。

 普通の人間なら全力疾走となる運動を続けた後でも、マドカの息は乱れていなかった。深く短い呼吸をついて精神の動揺を鎮め、また目の前の少年に注意を向ける。

 

()()()()(ほうき)――なぜここにいる。迎えなど頼んだ覚えはないぞ」

 

 マドカは言った。声をかけられたほうは、勢いのまま突っ込んだ彼女の隣で、叩きつけられたカエルよろしく伸びている。

 

「そういきり立たないでください、マドカ。事情は説明しますから」

 

 別の声が、車内の後ろから響いてくる。迎えはむろん篠ノ之彗一人ではなかった。シートの最後列から、別の少年が声をかけている。わずかに下がった目尻が柔らかい印象を与え、緩くウェイブのかかったミドルの金髪で、街を歩いていれば振り返る者もいるだろうというほどの顔つきだ。物腰からはどこか上品な、貴族然とした雰囲気を滲ませていた。

 

 ――手元に見えるごついマイクロウージーを別にすれば、だが。

 

「“セシル・オルコット”……!」

 

 ニコニコと笑う彼の表情を見て、マドカは天を仰ぐ思いで呻いた。オルコットまでここにいると言うことは、既にこの襲撃が味方の間でも相当に既知であるということだ。誰かに知られるような迂闊は犯していないはずであるのに、何故ここまで知れ渡ったのか。

 

「オルコット! 頭上げるのはいいけどそいつは見えねーとこにしまっとけって!」

 

 そして車内にはもう一人男がいる。運転席から悲鳴に似た警告を出すのは、一目でアジア系と分かる長身の少年だ。切れ長の瞳、短く切りそろえた黒髪に八重歯が口元に覗く。篠ノ之やオルコットと呼ばれた少年と同じように、これまた耳目を集めるような顔つきだが、こちらは見た目だけなら青年と見えるぐらいに大人びていた。

 

「それと篠ノ之! いつまでのびてる。さっさとマドカの手当をしてやれ」

「はいはーい」

 

 軽く答えた篠ノ之がむくりと起き上がり、マドカの手を取る。いらない、と言おうかと思ったが、手際よく消毒して止血され、包帯を巻かれたので抵抗する間もなかった。

 

 少年は運転席からちらりとその様子に目をやり、マドカに呼びかける。

 

「――ところでー……、マドカ。俺もこうして車転がして迎えに来てるんだが、オルコットや篠ノ之みたく、名前は呼んでくれないわけ?」

「……」

 

 マドカは口を閉じたまま応える気配がない。不機嫌そうな顔つきで腕を組んで席に背を預けていた。代わりにというわけではないだろうが、篠ノ之が媚びるような声で運転席に声をかける。

 

「じゃあ僕が呼んであげるよ、ね、“凰鈴詩(ファン・リンシー)”」

「変な声を出すな、篠ノ之。それと気持ち悪い口調で喋るな。俺はヘテロなんだよ。オータムと違って」

「ひどいよ、僕あのビアンと同じ扱い? マドカちゃーん、鈴くんがいじめるよう。なぐさめて――あいたたたたたっ!」

 

 少年らしい高い声で篠ノ之が泣き真似をする。そのままマドカにじゃれつこうとして、彼女に両のこめかみを握りしめられていた。急所を押さえられて相当に痛いはずであるが、なぜか嬉しそうにも聞こえる悲鳴が響く。事実、マドカの手のひらで押さえ込まれた顔面には笑顔が浮かんでいて、それがまたマドカを戸惑わせた。

 ひとしきり篠ノ之を制裁すると彼を解放し、荒く息を吐き捨てる。

 

「なぜ来たんだ、お前たち。私は迎えを頼んだ覚えはないし、このことを――織斑一夏を襲うことを、誰かに言った記憶もない」

 

 騒がしい車内を制するように、低いマドカの声が響く。声に含まれる苛立ちを感じ取ったのか、じゃれ合いで騒がしくしていた車内の空気がわずかに堅くなる。

 筋目を考えれば、問い詰められるべきは独断で行動したマドカである。だが少年たちはそれを責める気はないらしい。彼女を拾った時点で、事も気も半ば済んだ、というような顔だ。

 結果として、咎人といっていい立場のマドカばかりが検事のように少年らを問い詰めていた。

 わずかに間を置いて、オルコットが口を開いた。

 

「……マドカ、貴女の帰投が遅れた時点で、私たちが行動したんです。

 今回の任務は、例の六機を襲撃して離脱、“あちら”のオルコットを引きずり出して交戦する。一当てして実戦でのBT稼働率と戦闘能力を確認したら、そのまま離脱の予定でした。交戦時間は長くとも一時間。当然、計画では日没までには潜伏先に帰投できるものと見ていましたから」

 

 オルコットは淡々とした口調である。事実を確認しているだけ、という声音で、怒りや苛立ちといった感情は全く見られない。

 

「……しっかし、マドカちゃんがこんな無茶するとは思わなかったよ。“あれ”を殺してみたがってるのは知ってたけれど、まさか手ずから銃弾を撃ち込みにいくとはね」

 

 篠ノ之が言った。マドカが襲った人物に対し、人とも思わぬような呼び方をしているが、特に口調に憎しみは感じさせない。彼女が殺したいと望んでいる人物は、彼にとってはどうでもよい男であるようだ。オルコット、凰の方も意見は似た様なものなのか、篠ノ之の言葉に肩だけすくめてみせる。

 

「篠ノ之だけじゃない。俺も、オルコットも、“ラファエル・ボーデヴィッヒ”も、スコール・ミューゼルの大姐(ダージエ)も当初はお前さんの行き先がどこかは見当がつかなかったようだ。

 だが、別口で五反田弾をマークしていた“シャルル・デュノア”が、ヤツらが誕生パーティーとやらで集まるらしいってな情報を寄越してな。まあ、襲撃があった当日ということを考えればにわかには信じられん情報だったが――俺たちがおっとり刀で駆けつけて、ハイパーセンサー反応をおっかけながら車を回したわけさ」

 

 凰が仔細を語り締めくくる。全てを聞いてもマドカは機嫌の悪そうな表情のままだ。彼らに助けられたこと自体が気に入らぬとでも言いたげである。

 

「……ヤツを殺せば帰投するつもりだった。それが成し遂げられれば……」

 

 マドカはつぶやくように言って言葉を切り、(かぶり)を振った。

 彼女自身、自分が無茶をしたということはわかっているのだ。命令違反、サボタージュととられて当然だし、それで構わない。それほどまでに自らの手で織斑一夏を傷つけること、そしてその背後にいる“姉さん”を引きずり出すことに執着していたのだ。

 そのまま言葉を探すように黙り込んで、マドカは大きく息をついた。気怠そうな仕草をして視線を落とす。今ごろになって疲労として身体にのしかかって来たらしく、身体が重かった。

 

「マドカちゃん。手、傷む?」

 

 ようやく静かになった彼女に篠ノ之が言い、篠ノ之はタオルと暖かい茶を差し出す。マドカは彼の問いに首だけを横に振り、黙って受け取った。清潔な布でわずかに浮いた汗を拭って、身体を温める。

 

 マドカの目が、篠ノ之の表情をとらえる。笑ってはいるようだが、どこか不安を殺したような表情だ。先ほどまでの軽口や悪ふざけの色は既になく、かといって、マドカを咎めるというような表情でもない。色々な感情がないまぜになっているようで、真意まではマドカがつかめるものではなかった。

 

「僕は、マドカちゃんがしたことを咎めたりしないさ」

 

 彼は包帯に包まれたマドカの右手に手のひらを添えて、その表情のまま、ぽつりとつぶやいた。

 

「……僕たちにはそんな意志も権限もないし。それに、マドカちゃんが望んでいたことを成し遂げるチャンスに、巡り会ったわけだから」

 

 小柄な少年の声が、車内の沈黙に染みいるように響く。望んでいたことを、という言葉がマドカの耳にも残った。凰はハンドルを握ったまま喋らず、オルコットも後部座席で姿勢を低くしたままだ。何も言わないと言うのは同意の表れのようだった。

 

「――俺も篠ノ之に同意だが、ミューゼルの大姐に通じるとは思わねーほうがいいだろーな。ボーデヴィッヒが取りなしてくれるだろうけど、どうなることか」

 

 しばらくして、車が高速道路に乗ったころ、また凰が口を開いた。指摘されるまでもない。スコール・ミューゼル――あのねちっこいサディストが、どんな懲罰を与えてくるか考えると今から気が重かった。

 

「もとより、覚悟の上だ。それに私は、一人でやりたかった。これは私の問題だ。行動が生む責めも結果も、私だけのものだ」

 

 最初から、誰にも気づかれたくなかったし、気づかれたとすればその責めはマドカ一人で負うつもりだったのだ。別に彼らを思いやったわけではないが、この行動が自分一人のためのものであるならば、その責めもまた一人で負うのが筋だ。

 

「マドカちゃん」

 

 篠ノ之がマドカに対してよりそって、手にてのひらを重ねる。背の丈がマドカと同じ――つまり、少年としては小柄な彼がそうすると、どうしても小動物を想起させた。

 

「でもよかった、マドカちゃんが生きていられそうで」

 

 篠ノ之にこにこと笑うばかりだが、言葉にはかみしめるような真摯さがあった。マドカがここにあることを、確かめようとしているような。マドカも彼の先ほどまでと違う気色を察したのか、今度は振り払わない。

 

「私を迎えに来ることを、スコールには言ったのか?」

「当然だろ。まあ、ミューゼル大姐には止められたけど。でも、明日の朝までに戻らなかったら、反乱抑止機能を作動させる、なんて聞かされたらしょうがねーさ。そこのセシルなんざ、対物ライフルやら小銃やらの長物まで持ち出しかねない剣幕だった」

「ああ、セシル君は凄かったねえ。日本に銃刀法があることを説明するのがあんなに面倒くさいとは思わなかったよ」

「ええ、私は日本という国が窮屈だってことを学ぶことができました。とてもいい勉強になりましたよ」

「……色々と突っ込みどころはあるが、銃刀法というよりは目立つかどうかの問題だ。だいいち、俺だって日本での自動車免許を持ってないんだからな。今、お巡りさんに捕まったら最後だぞ」

「あれ、鈴くん。免許は? アメリカで取ってたでしょ」

「国際免許は十八からだ。俺はまだ、十七歳だよ。交通課のパトカーがきたら教えろよ。どっかに乗り捨てて、走って逃げるんだ」

 

 マドカは短く溜息をついた。今度は先ほどのとは違う、どこか軽く困惑したような仕草で――使い道の分からぬ贈り物に困惑するかのような表情だった。

 

「……なぜお前たちはそうまでして、私を助けようとするんだ。――危ない橋を渡りすぎている」

「何言ってるの。決まってるじゃない」

 

 篠ノ之が、なぜか得意げな口調で言う。身をちょっと離して、彼女の前に身を出し、マドカの目をのぞき込むようにして、

 

「みーんな、マドカちゃんのことが大好きだからだよ」

「――う……!」

 

 直截な表現に、マドカは息を詰まらせて目をそらす。その頬はわずかに赤みがさしたようだ。

 

 そしてマドカは一瞬ののち、篠ノ之の胃の辺りを掴んで思いっきりひねり挙げた。

 

「どこを触っている、篠ノ之彗……」

 

 照れ隠しではない。先ほどから彼女のてのひらに添えられていた篠ノ之の手が、いつの間にか移動して彼女のささやかな胸部のふくらみに触れていたからである。

 

「いい痛だだだだだっ! ごめんなさい、マドカちゃん! これ、これは、そう溢れる愛のせいだから!」

「お前の愛などいらない」

「いたたたたた! 振られたのに心より体が痛いよ!」

 

 篠ノ之が悶絶しながらよく分からないことを喚いている。中座席から聞こえてくる漫才に、凰とオルコットは笑うだけだった。

 

「篠ノ之、愛で全てが解決すると思ったら大間違いだぞ。一世紀は遅れてる」

「第一、私たちにふさわしいとも思えませんね」

「志が低いよ、鈴くん、セッシー! いたたたた! テロリストや悪党にだって愛はあるんだよ!」

 

 制裁を受けながらも、口だけは減らさない。三人の中で一際小柄ながら、どこにそんなエネルギーがあるのかと思いたくなるほどだ。

 

「どうですかね。ただの悪党なら良いでしょうが」

「何しろ俺たちの役どころは亡霊やらピエロやらで、オマケに名前は織物業だからな」

 

 ふざけすぎていますね、とオルコットは言って、肩をすくめた。

 

「全く愛などと。くだらんな」

「身も蓋もないね、マドカちゃん。やっぱり僕が愛を教えてあげ――たたたたた!」

 

 二人の後を引き取るように吐き捨てたマドカに、篠ノ之が言う。身を寄せようとしたところでまた引き剥がされ、悶絶していた。

 

「愛ねえ」

「愛ですか」

 

 騒がしい二人をよそに、凰とオルコットはつぶやいた。苦笑しながら凰は、マドカからの視線を遮るようにミラーの位置を直した。マドカの位置から鏡越しに見えていた彼の自嘲的な笑いが隠される。

 

「まあ、この世は愛こそ全てだからな」

「愛されない子供にとっては、救いようがない世界です」

 

 明るく笑いながら、虚無的な響きのある二人の会話だった。矛盾した雰囲気を同時に出しながら彼ら二人は肩をすくめる。

 

「いたっ! ああ、でもだんだん良くなって……。だあーっ、やっぱだめっ。僕、好きな()でも気持ちいいのじゃなきゃ無理いいい!」

 

 騒々しい篠ノ之の声だけが、明るく車内に響いていた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 ――亡国機業(ファントム・タスク)の実働部隊、スコール・ミューゼルの隷下に少年のエージェントがいる。

 

 言語としては何の誤りもない一文であり、事実をそのまま表している文章である。だが、聞く人によっては意味合いとして奇妙な――人間が犬を噛んだという文のような――箇所をいくつも孕んでいる。

 亡国機業が何をしている組織であるか知らない者にとっては、そもそも彼らが何であるか、ということからして不明であろう。一方、その組織の仔細について承知している者にとっては、亡国機業の構成員に少年を供するなど悪ふざけにしか聞こえない。

 そしてさらに、スコール・ミューゼルの部隊が何を目的として動いているか、そして彼女の為人がどんなものかを知っている者からすればこういうだろう。

 

「ありえねえ……!」

 

 少年は吐き捨てた。もっとも、彼がそう言ったのは全く別の理由からだったが。

 

 場所は都内の高層マンションだ。組織がスコール・ミューゼルの潜伏先として用立てた部屋であり、日本での彼女の拠点の一つでもあるが、ホテル暮らしを好む彼女のため、調度ばかり奢侈で生活感はあまりない。モデル部屋そのままといってよいローテーブルやら、背の低い棚やらに当たりながら、彼は叫んだ。

 

「何考えてんだよっ! マドカっ!」

 

 一見すると女性的にも見える中性的な顔つき、だが声に含まれる怒気と苛立ちは、紛れもなく男のものだ。金髪を後ろで束ねた、暗い碧眼の美少年であるが、顔全体の怒気がそれを台無しにしている。

 

「騒ぐな、デュノア」

 

 その少年――シャルル・デュノアに対し、対照的に静かな声でもう一人の少年が言う。風貌はゲルマン風だが、短髪に切りそろえた髪は銀色で、両目ともに紅色の虹彩が人目を引く。彼の名は、ラファエル・ボーデヴィッヒという。

 

 彼等二人の前に、マドカが腕を組んで対峙している。篠ノ之たちは、今は後ろのソファに身を預けてそれぞれに表情を浮かべながら、成り行きを見守っている。篠ノ之はやや心配そうに、オルコットは感情の読めない微笑で、凰は泰然として。

 

「騒がずにいられるか、ボーデヴィッヒ! マドカ――お前は命を落とすところだったんだぞ。それも、自分の愚行で。お前の存在と機体がどれだけの稀少物か、理解してないわけじやねーだろうがっ!」

 

 シャルルが険悪な視線で、むっつりと返事もしないマドカに顔を近づける。

 

「お前を鎖にでも繋いどくべきなのか、俺たちは。ああ? なんとか言ったらどうだ」

「言い過ぎだ。黙れデュノア」

 

 他の者が物静かな分、一人騒ぎ立てているデュノアに、ボーデヴィッヒが重々しく告げる。五人の少年たちの中で一際落ち着きがあり大人びた銀髪の少年――彼がこの集団のリーダー格らしい。

 

「懲罰が必要ならば、ミューゼル様が決定なさる。貴様が注意することではない」

「……ああ、そうかよ! じゃあ俺は休ませてもらうぜ。誰かさんのせいで、こっちは交代もとれなかったんだ」

 

 言い捨てると、荒々しく後ろ手に扉をしめ、デュノアは隣室に消えていった。騒々しい彼がいなくなったことで、部屋は水を打ったように静かになる。

 

「シャルも素直じゃないね。あんなにトゲトゲしなくったっていいのに」

 

 マドカは篠ノ之の言葉に応じるように、ただ(かぶり)を振った。篠ノ之がぽつりと言った言葉が、部屋の沈黙の中に溶けていくようだ。彼だけは、デュノアや他の少年たちを愛称で呼んでいた。親しみを込めて、かは分からないが。

 

「怒ってるのは事実だから、素直ではあるんだが……。でもまあ、マドカを見つけて一報入れて、一番喜んでたのはあいつだったな」

「僕らがマドカを失探したとき、一番大騒ぎしたのも彼です。私なんて可愛いものでしたよ」

「……AW50を担いで車に乗ってきたお前さんが言うと、不思議な含蓄があるな。主観はともかく、俺からすりゃオルコットもデュノアも似たようなもんだったさ」

 

 オルコットの言に答えつつ、凰がため息をつきながら立ち上がる。

 

「で、だんまりの我らがお姫さんに対して、大隊長殿はどうなさる?」

 

 凰が視線を向けているのは、銀髪のゲルマン人だ。彼は眉一つ動かさず凰を見返す。

 

「貴様らの数は小隊にも及ばんぞ」

「ああ。まあ冗談だよ。それよか、マドカの処遇だ」

「先も言ったが、ミューゼル様次第だ。あの方の考えは――俺などには判らん」

 

 冗談の通じないらしい彼の態度に、凰が辟易した表情になる。ボーデヴィッヒは片手を腰に当て、姿勢をのばしながら応じた。

 

「いずれにせよ、報告は明日だ。昼間の騒ぎも収束して、マドカの襲撃が公になった情報もないが――通信での報告やこれ以上の夜間行動はできん」

 

 部屋に沈黙が落ちる。マドカは首を巡らし、少年たちを見た。

 

 篠ノ之彗。

 凰鈴詩。

 セシル・オルコット。

 シャルル・デュノア(は休憩に入ったのでいない)。

 ラファエル・ボーデヴィッヒ。

 

 全て亡国機業IS部隊指揮官、スコール・ミューゼルがどこからか連れてきた者たちである。いずれも出自ははっきりしない。風貌や特徴からかろうじて人種ぐらいは判るが、どこで生まれ何をしてきたのか――本人たちもそれをはっきり話そうとしないのだ。

 

 例えば彼等のうちの一人、篠ノ之彗にお前は何者だと聞くと、人なつっこく見える笑顔でこう答える。

 

()()()()()()だよ。だから、篠ノ之束の弟でもある、ということになるのかなー」

「……組織のプロファイル上、あの二人には他に兄弟姉妹はいない」

「ありゃ。マドカちゃんは僕を疑ってるの?」

 

 マドカは篠ノ之を胡散臭そうな目つきで見る。そんな目で見られているのに、篠ノ之は自分への関心が好もしくてたまらないという風で、いかにも人の悪い笑顔を浮かべてマドカに応じた。

 

「僕がどこからひり出されたのか、そんなに知りたいのかな。僕自身はどうだっていいんだけれど。あ、もしかしてこれって愛? 好きな人のことを知りたい、みたいな」

「……聞きたくもない。戯れ言だった。忘れろ」

「じゃあ、マドカちゃんにだけ本当のことを教えてあげる。僕は実はね、篠ノ之束が夕食で余った豚肉と、実験で余ったカリウムやらで作った人造人げ――痛い! なんで殴るの」

「黙れと言った。それに、前回聞いた時、お前の原材料は堕胎された新生児だった」

「同じネタを言ったことがないのに、よく覚えてるね……」

 

 同じように、凰鈴詩に出自の由来を尋ねると、「ああー、凰鈴音の兄だ。彼女のお袋さんがね、こう、故郷の上海にいる結婚前のときに、えいやーって感じで産まれたの。たぶん。うん、きっとそれであってる」と答える。

 ちなみにオルコットに聞けば「セシリア・オルコットの遠縁です。先代のオルコット男爵(バロネス)が死んでいなかったら、僕は彼女の執事にされていたでしょう。彼女が死んで得をしたのは、僕ぐらいでしょう。と、まあそういうことになっています」と。また、シャルル・デュノアに聞けば「シャルロット・デュノアの双子の兄だ、って話だ。顔を合わせたこともねえけど。なんでも見た目はそっくりらしい」とだけ、答えてくる。

 

 五人の中で比較的出自がはっきりしているのは、ラファエル・ボーデヴィッヒだろう。何しろ、彼だけは書面でどうやって製造されたのか、記録が残っている。

 

(ラウラ)・ボーデヴィッヒが産まれた試験管――正確には人工子宮だが、その三つ右で同じ研究員管理から産まれたのが、(ラファエル)・ボーデヴィッヒなんだとよ。生まれた時期は半年か一年ぐらい、こっちのボーデヴィッヒの方が早かったらしいがね」

 

 凰が言う。本人からは聞く機会もなかったので、知ったのは周囲の面々がふと漏らしたときだった。

 

「右だからRでラファエル。左だからLでラウラなのか、なんて、初めて聞いた時は挑発していましたね、シャルル?」

「そんな品のいいこと言ったっけか? 『畑から産まれたなら産地(トレーサビリティ)タグでもあるのか、農家の名前はどこだよ』だった気がするんだが」

「……そうでした。当時は今より、口が悪かったですね」

「奴の堅物も今以上だったよ。製造者はアドルフ・ボーデヴィッヒだ、って普通に答えやがった、あのジャガイモ野郎」

 

 デュノアが面白くなさそうに吐き捨てた。少年らのうち三人は軽口を叩くだけだったが、一人反応が違った。篠ノ之が、子供のように頬をふくらませてマドカに訊ねてきたのだ。

 

「そんなにラファの事が気になる? やっぱファースト幼なじみってやつですか」

 

 妙な響きの言い方に、マドカは思わず顔を(しか)めて聞き返す。

 

「……なんだその気色が悪い言い方は」

「マドカちゃんの()()()が言った呼び方。一人目の幼なじみがファースト、二人目がセカンド。だからマドカにとってはラファ・ボーデヴィッヒがファースト幼なじみで、シャルがセカンド幼なじみだね」

 

 マドカは無言で額に手を当てて溜息をつくだけだったが、その呼び名はなぜかデュノアの勘に障ったらしい。聞きつけた彼は額に青筋を浮かべて篠ノ之の肩を掴んだ。篠ノ之が悲鳴を上げる。

 

「いたたたた。何すんの、シャル」

「誰が二号(セカンド)だ、篠ノ之? 命が惜しかったらその呼び方は今すぐやめろ」

「それって……いや、わかった、やめるって! でもこの呼び方を考えたのは、僕じゃないから」

 

 ……。五人がことごとく織斑一夏の関係者――正確には、織斑一夏に好意を寄せている女たちの“兄弟”を名乗っていることが、そこまで気になるわけではない。彼らの出自が、ことごとく偽装じみていることも、だ。

 

 マドカが彼らについて気になることは二つだけだった。一つには、彼らの行動に何の意味があるのかという点だ。それは彼らにそのような振る舞いをするよう、命じた人物しか知らない。

 

「スコール・ミューゼルに聞けば――“それ”の理由が分かるのか?」

 

 かつて、マドカはラファエル・ボーデヴィッヒに訊ねたことがあった。スコール・ミューゼルは彼らの直属の上官でもある。彼らの挙動には少なからず、彼女の意向が差し挟まれているはずだ。

 

「聞いて、どうする」

 

 訊ねられたボーデヴィッヒが重々しい声で答える。彼は元来静かで無駄口を叩かない男だった。ちなみにマドカは五人の中では彼が一番付き合いやすいと感じている。なぜなら他の少年たちと違い、喋らないからだ。

 

「どうもしない。ただ、あの女の動向を把握しておくことは、私の身の安全や行動に直結する要素だ」

「……悪いが、今の俺たちの権限では答えられん」

 

 答える権限がないならば、マドカに質問の動機を聞く必要もない。一瞬そう思った後、ボーデヴィッヒの顔を覗き込んで、マドカには彼の言葉の意図が分かった。鉄仮面と表現するのがぴったりの表情だが、僅かに瞳が揺れている。付き合いが長いマドカには何とか分かった。心配されているのだ。

 

「……気を回さなくてもいい。嗅ぎまわったりはしない」

「済まない、いつかは……」

「謝る必要もない」

 

 いつか、必要になれば――と、篠ノ之からボーデヴィッヒまで、口の重さも硬さも様々な五人が、この件については揃ってごまかそうとする。となれば、マドカにはもう探りようがない。いつか分かるかもしれないこととして、念頭に置いておくだけだ。

 

 そして、もう一つの気になること、それは一つ目に比べればそこまで大事ではない。鬱陶しさでは比にならないが、少なくともマドカの大きな目的を妨げるものではなかった。

 

「マドカ」

 

 ボーデヴィッヒに呼びかけられ、マドカは物思いから戻る。ボーデヴィッヒがマドカに歩み寄り、彼女を正面から見据えていた。マドカも彼と視線を合わせる。ボーデヴィッヒは凰より背が高く、五人の中で一番の長身である。マドカの方が見上げる格好になった。

 

「……無事で良かった。安心した」

「……そうか」

「生きたままのお前と、また会えてよかった」

「……」

 

 篠ノ之とはまた違った直截な言い方に、マドカは何とも言えず困惑する。彼が何を思っていたのかは聞かずとも分かる。ボーデヴィッヒの表情には、紛れようもなく深い安堵の色があった。

 

 篠ノ之も、ボーデヴィッヒも。口には出さないが凰とオルコットも。そして心配の裏返しに口数多く説教をしてくるデュノアも含めて皆、同じ思いを臆面もなく向けてくる。マドカに生きていてほしい、マドカに望みを叶えさせたい。マドカを助けたい。今日までにも、そして今も、言外にあるいは言葉にして、五人の誰もが彼女に伝えてきている。

 

 ボーデヴィッヒの真摯な表情から目をそらすように、わずかに顔を背けた。視線の先には、なぜかニヤニヤと底意地の悪い笑いを浮かべている篠ノ之がいた。

 

「なるほどー。マドカちゃんにはそういうアプローチの方が効くのかー」

 

 篠ノ之がしたり顔で言う。マドカも今度は動じずに、ふんと鼻を鳴らして応じた。

 

 もう一点のマドカの気になること――それがこれだった。彼等が揃いもそろって、彼女に異性として好意を抱いているというのだ。戦うことと、“姉さん”に近づくことしか欲していないマドカに。彼らの思いや行動の理由は、マドカには理解できないものだ。愛情や恋、友情。そういったものは彼女には理解の外にある存在なのだった。

 

「……お前たちが何をしようとも、私は何も与えたりしない。見返りなどないぞ」

「知っている」

 

 マドカの言葉にボーデヴィッヒは短く応える。

 

「分かってほしいな。僕たちが明日も生きていたいって思えるのは、君がいるからだよ、マドカちゃん」

「……ふん」

 

 付き合っていられない、という意思を示すつもりで首を振って、マドカは踵を返した。部屋から出ようとするその背中を追うように、また篠ノ之の声がかかる。

 

「僕たちの存在は、君がいることで意味が――」

 

 マドカかは脚を止め振り返った。向けられた鋭い視線の先に、篠ノ之とボーデヴィッヒの顔があった。眉間にしわを寄せて珍しく表情を崩しているボーデヴィッヒに対し、篠ノ之はいつもの屈託のない笑顔だった。

 

「……篠ノ之。喋りが過ぎる」

 

 ボーデヴィッヒが静かに強い口調で言う。黙れということらしい。はあい、と言って篠ノ之は悪戯っぽく笑った。

 

「客用の寝室が空いている。マドカ、朝まで休め。明日は長い」

 

 マドカは黙って頷き、部屋の外へ出た。廊下は照明が落とされていて、暗く長い。しばらく行くと少年達の騒々しい声も聞こえづらくなる。

 

「私は何も与えない。与えられるものなど何も持っていない」

 

 周囲に人の気配もなくなり、暗闇の中に一人きりになったところで、マドカはぽつりと(つぶや)いた。その呟きがどのような思いを表しているのか――口に出した途端、マドカにもよくわからなくなる。

 

 彼女はまた頭を振って物思いを振り払い、一人の暗い通路を歩き始めた。

 




オリキャラについて、本文で大体書いているのでここでは説明しませんが、一夏ハーレムズの要素を反転したキャラ、ということにしています。
篠ノ之箒が「ネンネ・堅物・コミュ障」なので篠ノ之彗は「耳年増・オープンスケベ・お喋り」という感じ。

キャラの関係や属性も大体反転。ただし中にはこれのどこが反転キャラやねん、と言われそうな方もいそうです。


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第2話 亡霊たちのテーブル・トーク

 その日、マドカは夢を見た。“姉さん”の夢だった。

 浅い寝心地の中の短いイメージだった。その中では、マドカも姉さんも、”ヤツ”も十年ほど前の姿をしている。姉さんはヤツの手を引いて、どこかへ行こうとしていた。マドカは彼らの姿をどこかの施設の中から、分厚い硬化テクタイトごしに見送っている。

 

 ややあって姉さんが振り返り、マドカに一瞥をくれた。何の感情もない視線――モノを見るような眼差しは、マドカ自身、そしてマドカのいる施設のあたりを捉えているようだった。

 

 そんな夢のせいもあって翌朝のマドカの寝覚めは最悪だった。夜明け前に眼を覚まし、身体中に寝汗を浮かばせて身を起こす。

 外は雨模様で、起きた瞬間から傷の残る左手に痛みを感じた。血は昨日受けた措置で止まっていたが、刺された箇所の奥がしくしくと痛んでいる。

 

 気分は良くなかった。実は同じ内容の夢なら、もう何度も見たことがあったのだ。ただ、夢を見るのも、姉さんの夢を見るのも久しぶりだった。久しぶりにそんな夢に堕ちてしまったのは、ヤツと会ったせいだろうか。

 

 下着の上下だけで寝床から抜け出したマドカは、部屋の隅に置いてある荷物まで脚を運んだ。色気のないカーキの軍用バッグに手を突っ込んで、無針注射器(ハイポスプレー)を取り出す。活性化ナノマシンと痛み止めの混合アンプルをセットして、静脈に一発。そのまま痛みがひくまで、乾いた血の色に染まっているガーゼと包帯を眺めていた。傷はもうふさがっているが、内部の組織まで傷んでいる。治癒には数日かかるだろう。痛み止めが効き始めたあたりで、張り付いたガーゼをはがし包帯をかえ始めた。

 

 部屋の入口に気配を感じたのは、そのときだった。

 

「ハイ、エム。入るわよ……。思っていたより元気そうね」

 

 マドカは声のした一瞬だけ手を止め、視線を走らせる。彼女にしてみれば最大限の警戒だ。

 

 呼びかけがとんできた方には、プラチナブロンドとアイスブルーの瞳が印象的な女が立っていた。明るいベージュのジャケットに身を包み、彼女はマドカを見下ろすように目を向けている。

 

 この女がスコール・ミューゼルだった。モデルのような小顔、八頭身半はありそうな起伏に富む肢体、そして女優なみの端正な容姿を持つ美しい女だ。浮かべている表情も柔らかい笑顔で、立っているだけで絵になる。

 彼女が非合法活動組織、亡国機業実戦部隊のリーダーだと一目で分かるものは、恐らくこの世のどこにもいないだろう。もちろん、彼女の目の奥の方に潜む剣呑な色さえ見なければ、というただし書きは付けるべきだろうが。

 

「織斑一夏と接触したそうね。そんなことを許した覚えはないのだけれど――説明はしてもらえないのかしらね」

 

 マドカは応えなかった。そもそも、スコールの方も返事など期待はしていないのだ。わかりきったことをあげつらうのは、上官が兵隊にする応答と同じだった。情報を遣り取りしたいのではなく、マドカの立ち位置を分からせようとするための会話だろう。

 

「ずいぶんとドラマティックな出会いだったらしいけれど。あまり無軌道に動かれるとね……って、この辺りはシャルルあたりから昨晩、さんざ言われたかしら」

「ああ。分かっている」

 

 振り返らずにマドカは言った。包帯で右手を固定する。深い傷の時に動かすと筋が傷む、これを教えてきたのはボーデヴィッヒだったか、篠ノ之だったか。

 

「貴女の任務は各国ISの“強奪”だから――イギリス製の出来の良いおもちゃを与えたのは、貴女の遊びのためではないのよ」

 

 彼女が言いながらベッドに近づく。そこで何かに気付いたようで、枕元に手を伸ばした。スコールが手にとったのは、マドカが寝る前に外した細いチェーンの付いたロケットペンダントだ。

 

「まして、貴女の自分探しのために一から百まで協力してあげる気はないの。織斑マドカさん」

 

 ペンダントを目の前に差し上げて、スコールは言った。それまで表情を浮かべなかったマドカは顔つきを一変させ、口元を怒りに歪ませてスコールを睨む。

 

「それから手を離せ……!」

 

 怒りにまかせて瞬時にマドカのIS(ゼフィルス)の浮遊砲台が展開される。砲口はマドカの肩口、そしていつの間にか回り込んでスコールの背面から狙いを付けていた。あらあら、とスコールは緊張感の欠片もない口調で言って歩み寄り、ロケットをマドカに渡した。マドカは左手でそれをひったくり、またスコールに険悪な目つきを向ける。

 

「貴女が亡国機業の“エム”のつもりでいてくれれば、私は何も言わないつもり。いくら織斑マドカとして振る舞ったところで、咎めはしないわ。まあ、なるべくなら専らエムとしていてくれると助かるわね」

「決着を付けるまでは、そうするつもりでいる」

「織斑姉弟との?」

 

 マドカはその言葉を鼻で笑った。

 

「ヤツのほうはどうでもいい」

「なら織斑千冬の方か。現役を引退して二年。ISの高速戦闘をやるには眼が死ぬようなブランクだけど」

 

 スコールが口にしたのは一般論だろう。ISに限った話でなく、洗練されたプロフェッショナルでも二年をトップレベルの現場から抜けた状態で過ごしていれば、腕は鈍る。見えるものも見えなくなる。

 

 だが、マドカの耳には別の意味に聞こえたようだった。瞬時に激発したマドカは、傷を負っていない左の掌底をスコールの顔に向けて突き出す。見切るのも難しいすばしっこさの一撃を、スコールは右の細腕でがっちりそれを受け止めて見せた。

 

 マドカが傷を負っているはずの右手を翻したのはその直後だった。寝るときも腿に付けているホルダーから、シースナイフを逆手で握ってスコールの顔に向けて叩き付ける。がん、と岩盤を叩いたような激しい手応えがして、マドカの手はスコールの顔面から数センチのところで止まった。スコールがISを部分展開し、シールドでそれを受け止めているのだ。IS同士でやりあったときのように火花こそ散らなかったものの、刃物を受け止めた空間はわずかに発光している。その光越しに、スコールが何故か凄絶に笑っているのがマドカからも見えた。

 

「……舐めるな。お前など姉さんの足下にも及ばない……!」

 

 力のせめぎ合いをしながら、マドカはそう吐き捨てた。

 

「知っているわ。おそらく、貴女よりもずっとね。ねえ、ナイフを引いてくれる?」

 

 ISの力を足しても、スコールの防御は突破出来ない。それに、柄にもなく激昂しすぎた。マドカはナイフを引いて、ホルダーに収める。

 

「足下にも、か。現役の彼女となら、実際はつま先ぐらいじゃないかしら。彼女とISでやり合って持つような人間は少ないし、まして私はそうじゃない。伊達にあなたより長く生きているわけじゃないの」

 

 ふん、と頷いてマドカは身構えを解いた。手の奥の方に滲むような痛みが残っている。右手を手のひらを床にかざしつつひらひらと振った。

 

「はい、どうもありがとう。素直な子って素敵よ。それにしても……決着ねえ。なら、それまでに貴女も強くならないとね」

 

 スコールは立ち上がり、わざとらしく膝を払いながら、マドカに顔を近づける。

 

「お前に言われるまでもない」

 

 マドカが言い返すと、何がおかしいのかスコールは意味ありげに笑った。

 

「そうしないと、あの子達が先に殺しちゃうかも」

「あの子達?」

「貴女にゾッコンのあの男の子たち」

 

 虚を突かれた格好になりマドカはスコールの顔を見返す。何を、と言い返そうとしたところでスコールが後を続けた。

 

「彼ら、表向きは忠実だけど。食わせ者ばっかりよ。貴女が無事なうちは大人しいけれど、貴女の命がかかってるってなったら、何だってやる。昨日のことで分かったでしょう。私は自重しろって言ったのに、少しも聞かなかった。

 彼らの優先順位ははっきりしてるわ。第一が貴女の命。第二が、貴女の望みが叶うこと。……私の言いたいこと、分かるでしょう?」

 

 もし、マドカが姉さんに負けるような状況がきたら。スコールはそう言っているのだ。今の力量を考えれば、十分にあり得る展開だろう。マドカの頬が紅潮する。

 

「……姉さんが、あいつら程度に殺されたりするものか」

 

 ようやくそれだけを応えて、マドカはまたスコールを睨め付ける。

 

「だから、何だってやるって言った。彼らは、自分が弱いことも分からないほど愚かじゃないわ。たとえ織斑千冬がISに乗っていなくても、まともに挑んだりはしないでしょう。

 貴女が彼らの強さを虫か鼠か、あるいは織斑千冬をゴリアテだと思っているなら、彼らも同じように認識している。だから、やるとしたら虫が巨人を殺すような方法を、ちゃんと考えるでしょうね」

 

 スコールはマドカから離れると、あくびを一つついて扉の所に立った。

 

「私は少し休むけれど、《ゼフィルス》は(ほうき)に預けておいてね。点検をかけたいそうよ。それと、昼から昨日のことも含めて報告会をします。貴女にも同席してもらうからそのつもりで」

 

 マドカはうなずいた。結構、と短く言ったスコールが、扉を閉める直前に肩越しに声をかける。

 

「よく考えて行動なさい、マドカ。貴女のためにも、ついでに彼らのためにもね」

 

 言い残してスコールは去った。後には明かりのない部屋にマドカ一人が残される。彼女の右手の包帯には、先の遣り取りで薄皮が破れたのか、少し血が滲んでいた。ナイフの柄にもこぼれた血が付いている。ホルダーから刃を抜き取り、床に転がっている捨てた包帯を手にとって、血の雫を拭き取った。

 

「よく考えてか……大きなお世話だ」

 

 毒づきながら、ふと目の前に刀身をかざす。すると、自分の顔が――織斑千冬とそっくりな顔をした少女の顔が、そこに映っていた。

 

 どこか幼さを感じさせるそれが、マドカには気に入らなかったらしい。マドカはナイフをベッドに放り投げると、荷物をひっつかみ、寝汗を流すためのシャワー室へと消えていった。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 スコール・ミューゼル指揮下の全員がマンションに揃ったのは、昼過ぎのことだった。所用で外に出ていたらしいデュノア、オルコット、さらにスコール部隊最後の一人の巻紙礼子――もとい、オータムが訪れた。

 

「よお、ずいぶん派手に命令違反したらしいじゃねえか」

 

 マドカの姿を認めるなり、オータムはニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら近づいてくる。

 

「しかもそうまでして、あの織斑一夏(オスガキ)を殺し損ねた。大した戦果だな、おい?」

 

 オータムは別の任務についていたのか、ストライプのスーツ姿だった。見た目だけなら普通のビジネスパーソンに見える格好だ。その美貌と、悪意に歪んだ醜い表情が度を過ぎているせいで、どこにでもいるような、と言うことは出来ないが。

 

 スコールの第一の部下を自認している彼女は、スコールの愛人でもあった。それ自体は別にマドカが気にするようなことではない。問題は彼女が組織の関係と愛人関係を混同している節があることだった。他の部下がオータムを差し置いて命令を受けるだけで、彼女は嫉視を隠さない。

 

「楽しみだぜ、スコールに仕置きされて手前(てめえ)が泣き面になるのがよ。五体満足で明日を迎えられるよう、お祈りでもしとくんだな」

 

 マドカは応えなかった。応える必要を感じなかったのだ。ISドライバーとしての実力はともかく、エージェントとしての彼女の実力は、ボーデヴィッヒらと比べても数段落ちる。理由は、彼女が今している安っぽい挑発を聞けば、言わずもがなだろう。

 

「祈る神を持っていたというのは初耳ですね。後学のためにマドカがどんなふうに祈るのか、教えていただきたいものです」

 

 オータムが勝ち誇った鬱陶しい顔を近づけてきたとき、オルコットが突然割り込んできた。

 

「何だ、オルコット。近づいてきてんじゃねーよ。男臭え。刻むぞ」

 

 オータムの顔はあからさまな不機嫌となった。彼女が人間の中で一番嫌っているのはマドカだが、生き物の中でもっとも嫌っているのは人間の男なのだ。

 

「それは失礼。ただ、敬虔なキリスト者の貴女と違って、マドカの信仰の在処は知らなかったもので。軽食、いかがですか」

 

 オルコットは平然と笑みを浮かべて、サンドイッチの載った皿を差し出す。食欲をそそる香りがマドカの鼻腔を突いた。

 皿の上は、固くならない程度に炙って風味をふくらませたパンに、ベーコン、トマト、ピクルスを挟んだ種々の取りそろえだ。彼のサンドイッチは、何か仕掛けがあるのかと思うほどにうまい。マドカはそこから、たっぷりのホイップと一緒に蜜柑とバナナを挟んだやつを一つ手に取った。

 オータムは皿に見向きもせず、オルコットに噛みついている。

 

「誰がクリスチャンだ! 男の神なんぞに祈ったりするかよ。ブチ殺されたくなかったら――」

「深夜になると許して、許して、とよく祈っていますね。毎度、いかせて欲しいともお願いしてますが、あれは天の国に、という意味ではないのですか?」

「なっ――手前っ!」

 

 目を白黒させてオータムが応じる。あまり察したくない会話だが、反応からするとオルコットのいったことは本当らしい。

 

「貴女の声があまりに可愛らしいので、不寝番をしたことがあるものはきっとみんな知っていることですよ」

 

 くっ、と言いつつ顔を耳まで赤くして、オータムは離れた。お食事は、と繰り返すオルコットに、皿から四、五個ほど纏めてひったくり、マドカから離れた。リビングの上座に一番近い席を確保して、鼻息を荒くしながらぱくつき始める。

 

「……余計なお世話だったでしょうか?」

 

 声を少し低くして、オルコットがマドカに言った。

 

「その通りだ」

 

 マドカは悪びれることもなく言った。オータムのあしらいくらい、ここ一月で慣れているのだ。第一、鬱陶しさという意味では彼らが向けてくる好意と同等でしかない。

 

「手厳しい。まあ、貴女のためだけではないのでお気になさらず。あの人はからかうと非常に可愛らしいので、私個人の楽しみでもあります」

「……虎の口に頭を突っ込んで遊ぶようなものだぞ」

 

 口元をゆがめてみせるオルコットにマドカは言った。オータムは知性に難があるが、挑発すれば何をするか分からない女である。それを楽しいと言い切る彼の笑顔を見ていると、食わせ者、という今朝のスコールの言葉が脳裏に浮かんだ。確かにオルコットに関してはその通りかもしれなかった。

 

「もちろん牙が付いているかは確認していますよ。彼女の専用ISはIS学園文化祭の戦闘で、整備どころか、コアだけになって組み直しです。それに生身でのやり合いなら、篠ノ之君以外は彼女相手にそう遅れは取りません。お茶はいかがです?」

「……もらう」

 

 器用に腕だけで皿を支えながら、オルコットはポッドから紅茶を注いでマドカに渡した。マドカはそれを受け取りつつ、もう一切れを皿から取った。一口かじると、独特の酸味と肉の味が口に広がる。蒸し煮したソーセージとザワークラウトで、悪くない味だった。

 

「それはラファエルのお気に入りです。いい味でしょう?」

 

 オルコットは笑いながら離れていき、オータムに茶を勧める。突っぱねられてコーヒーを要求され、はいはいと笑いながらキッチンとリビングを往復していた。

 

 しばらくすると、リビングには全員が揃った。テーブルにはオルコットが用意した軽食と茶が並んでいる。中央の席にスコールが座し、隣にオータム。右サイドには篠ノ之、凰、彼らの正面にデュノア、オルコットが控える。マドカは一人離れたところにダイニングの椅子を引いていた。

 

 全員の視線はリビングの大型の液晶テレビに注がれている。何に使うのか、と思うほど大きなディスプレイにはラップトップから映した画像が投影されている。レース会場を中心とした市街地。先日マドカがIS学園の六人と交戦したCBF(キャノンボールファスト)の会場と、戦場となった市街上空の略図である。

 

「……1100。ボーデヴィッヒ、凰、オルコットの三名で、会場内の洗浄(クリアランス)を開始。同フェーズは予定を若干オーバーし、1220に終了。遅延の理由は、更識(さらしき)系と思われる日本情報コミュニティのNOCが想定よりも多かったためです。全員を相手にするには手が足りないため、排除は試みませんでした。こちらに気づいたものについては別ですが」

 

 ポインターで会場の図を指しながら、ボーデヴィッヒが解説する。

 

「今の当主はIS学園生だっけ? なるべくこっそりやったけど、俺たちの情報もある程度は向こうさんに知られたと見るべきだろーなー」

 

 凰が言った。茶に対して角砂糖を三つもいれながら、渋い顔をしている。

 

「おそらくは、ね。会場警備からして、更識の当主が直率していたみたいだから」

「それにしたって、もっとしっかりして欲しいもんだ、凰。相手は家内制で防諜してるような連中だぞ。そんなのに尻尾を捕まれてるなんて、屈辱だぜ」

 

 スコールが応じて、さらにデュノアが感想を述べた。凰はそれを聞き流すように、茶の香りを吸い込み、音を立てて茶をすすった。ボーデヴィッヒが、続けてもいいか、という風に目でスコールを見やる。彼女が頷くのを待ち、彼はまた口を開いた。

 

「同時刻からボーデヴィッヒ組は観測フェーズに移行。市内三箇所から、交戦予定地域にてIS戦闘の観測を開始しています。

 1300、会場から五百メートル離れた市内の廃ビルから、篠ノ之が調整したマド――失礼、“エム”の《ゼフィルス》が遮蔽(ステルス)モードにて離陸。篠ノ之はその場から証跡を消し、別ポイントから観測態勢に参加しています。

 《ゼフィルス》は上空で1330に戦闘待機開始、1400に状況を開始。初弾で《レーゲン》と《ラファール改》を中破。続く戦闘において《甲龍》を撃墜しました。また、《白式》と《赤椿》には、手をださない予定でした。この二機の足は短いため、無補給で追撃してきても振り切れると見込んでいたからです」

 

 会場から、《ゼフィルス》を表すらしいアイコンと、もう一機のアイコンが伸び、市街上空から郊外に向けて移動していく。

 

「そして、当初の予定より十分早い1420に《ゼフィルス》と《ティアーズ》が単騎で格闘戦を開始しました」

 

 そこで、画面の画像が切り替わる。三つの角度から観測された映像は、いずれも《ゼフィルス》と《ティアーズ》を捕らえていた。さらに画面の下の小さなウィンドウに、Operating Ratio(稼働率)と表示があり、両機が使用するエネルギー効率、リソース使用効率が表示されていた。

 

「細かい戦闘経過は()()()()()()ため省略します。機体性能、ならびに搭乗者の技量で劣る《ティアーズ》は最終的に、高速起動パックにより封止されていたビット砲口を、エマージェンシーモードで起動してフル出力で射撃。この際にエネルギー効率、ビーム制御系、情報リソース制御系――総称するところのBT稼働率が8割をオーバー、偏向射撃での《ゼフィルス》攻撃を実現しました」

 

 映像の中で、マドカが無様に背面から射撃を食らうところが移る。異なる角度から、三回も。必要な映像ではあるが、三度も再生するほどではない。マドカはボーデヴィッヒにやや険悪なまなざしを向ける。彼は肩をすくめ、篠ノ之に視線を向けた。

 

「こういう表情も良いよねー。マドカちゃん綺麗だー」

「いや、お前、それは引くわ……」

 

 苦痛が浮かぶマドカの映像を見て、何故か恍惚とした表情を浮かべている篠ノ之だ。彼の傍から、本気で嫌そうな顔つきで凰が離れようとしている。マドカは無言で歩み寄り、篠ノ之の背後から左手を翻した。鈍い音がなり、頭頂に大きなコブを作って変質者の少年は机に沈んだ。

 

「その後、《白式》が合流して戦闘に参加。これは予定外でしたが、《ゼフィルス》はミューゼル様からの命令でそのまま離脱。戦闘終了は1500でした。

 このオペレーションの主目的である『《ティアーズ》並びに搭乗者セシリア・オルコットのBT兵器稼働率採取』については、篠ノ之が詳報を別紙に纏めています。

 内容は彼女の戦闘開始時からの稼働率推移、さらにこちらから仕掛けた結果、稼働率が上がるまでの経過も含めています。解説は――」

「そちらは結構。始まる前に眼を通したけれど、まあ十分でしょう。文言は細かくいじるけど、“依頼人(クライアント)”も満足する水準だった」

 

 スコールの言に首を縦に振り、ボーデヴィッヒはポインターをしまう。質問があれば、と促すような視線をスコールに向けた。

 

 歳に似合わず落ち着いたスマートな説明は、彼の性格をよく示していた。そして誰も彼の説明に異議や疑義を差し挟まないところを見ると、ボーデヴィッヒの論の大前提――昨日の学園イベント襲撃の目的が、IS《ブルー・ティアーズ》との戦闘、ならびにデータ採取だけにあった、ということは、彼らにとって周知の事実であるらしい。スコールの口にした“依頼人”という言葉もそれを裏付けている。

 

 スコールは概ね満足そうだったが、口元に手を当てて考え込むと、やがて口を開いた。

 

「いくつか聞きたいことが残っているわね。順番に行きましょうか。まず、会場に更識の手が多かった、というのは?」

 

 この質問にはオルコットが答えた。

 

「あちらの観測手段を無力化する際に判明しました。確認できただけで十七名です。学園生の布仏(のほとけ)姉妹に加え、学園生名義で二名、関連企業名義で九名、当局名義で四名。こちらが無力化したのは二名ですね」

「確かに多いわね。どこからそれだけ動員したのかしら……。ちなみに無力化はどうやって? 殺した?」

「目立つ手段は使えなかったため、眠らせました」

 

 そう、と応え、スコールは何故か安堵したように頷いた。何故かスコールは、マドカにも彼らにもなるべくなら殺しをするな、と命じている。

 

「次、戦闘に使用した《サイレント・ゼフィルス》の具合は?」

 

 オルコットに替わって、篠ノ之が立ち上がり応える。電子ペーパーに纏めた資料に手元で操作を行うと、ディスプレイに彼の纏めた簡単なメモ書きが映った。

 

「《ゼフィルス》はC整備が相当かな。重大な損傷箇所はなかったけれど、初の高速戦闘の後なんでフレーム構造と制御系が傷んだかどうかも見たいしね」

 

 午前中に点検をかけた結果の報告する。スコールは口元に長い指を這わせながら、思案するような表情を見せた。

 

「すると、二週間ほどはしばらくは動かせるISもなくなってしまうわね。私が直接動くわけにはいかないし」

「無理をさせるなら《ゼフィルス》も動かせますけど。ただでさえ部品も足りないんで、あんまり無茶させたくないなーってのが本音です。新品ですけど所詮は試作機ですから、安定感がね。

 あと、とりあえずこれが、当座必要な交換部品のリストです」

 

 朝に預けてまだ数時間だが、篠ノ之の言は淀みない。五人の中で一番身体が小さいが、その分知識や技術に長けているのが彼だった。とくに《ゼフィルス》についていうなら、マニュアルも設計書もろくにない状態でうまく運用出来ているのは(ひとえ)に彼の力と言ってよい。

 

「俺の機体はどうなったんだよ。もう二週間は経ってンだぞ」

 

 それまで黙っていたオータムが口を開いたかと思うと、不機嫌そうに篠ノ之を睨む。そこで凰が挙手をして、彼女を遮るように口を開いた。

 

「そっちは俺の担当だ。《アラクネ》級ISフレームがアメリカでもう生産されてないことは知ってるだろ? お前さんが派手に自爆させちまったせいで、次に合わせるフレームの選定をしてるところだよ」

「どんだけかかってんだ。仕事が遅えぞ」

「お前さんがアメリカの量産フレーム《ヘルハウンド》やイギリスの《メイルシュトローム》でも更識の親玉に勝てるなら、一週間で用意できたところなんだけどなー。

 今、組織の他の部隊と連携しながらデュノア社の日本法人を口説いてる。うまくいけば二週間以内に開発中のデュノア社新鋭機が、フレームだけなら手にはいるはずだ。そこに俺らで作ったIIF(イメージインタフェース)武装をカスタムで乗っける、ってのが基本方針だ。うまくいって、作業完了まで含めて一月半ってところかね」

 

 のんびりした口調で凰が語る。テンポの違いがオータムを苛つかせるようで、オータムは指先で腕を叩きながら怒鳴った。

 

「遅すぎる。半月でやれ!」

「フレームとコアと武装だけで引き渡すことになるだろうな。空中でバラバラになりたくなかったら、頼むから忍耐を身につけてくれや、オータム小姐」

「……使えねえヤツ」

「お互い様だろう? 早く一人で更識楯無(たてなし)をあしらえるようになってくれよ」

「手前ぇ!!」

 

 オータムが激昂しかけたところでスコールが介入した。手で彼女を制止しながら、性的パートナーの癇癪に溜息をつく。

 

「よしなさい、オータム。鈴、あなたも挑発するような発言はよして頂戴ね」

「チッ……」

「承知です、大姐」

 

 凰が拱手しつつ、スコールに一礼して従ってみせる。質疑の種も尽きたのか、スコールはいったんそこで言葉を切って少年らの顔を見回し、改めて首を縦に振った。

 

「さて――ここまで特に問題はなかったわね。とりあえず、ご苦労様と言っておくわ。初めて現場の指揮から実行、後始末まで貴方たちに任せてみたけれど、悪くない成果よ。

 学園やら学生やら相手で、私が指導した貴方たちが向こうにまわすには役不足な感はあったけれど、更識の手の者も自力であしらえたなら、及第点」

 

 一瞬、少年らの雰囲気が安堵に緩む。スコールの査定をくぐり抜けた、と感じたのだろう。だがそのタイミングを見計らったようにスコールの言葉が続いて、部屋の空気が変わった。

 

「ただし予定していた任務(タスク)に 限定すれば、だけどね。ねえ、ラファエル・ボーデヴィッヒ。この話には続きがあるはずよ。戦闘が終了したら作戦が終了するわけじゃない。エムはどういうルートで帰投したのかしら」

 

 誰も姿勢を変えないが、触れられたくない話題に達した、という気配が五人の間に張り詰めている。一方オータムは、一転して楽しそうな気色を浮かべた。デュノアが露骨に舌打ちをするのが聞こえる。

 

「……お咎めナシかと思っていましたよ、大姐」

「そんなわけないじゃない、鈴。ボーデヴィッヒ、続けなさい」

 

 肩をすくめる凰にスコールが言った。ボーデヴィッヒは促されてようやくが口を開く。

 

「……戦闘後、“エム”は遮蔽状態で市内に降下。織斑一夏を追跡しつつ、潜伏。学園側の生徒がイベント後のパーティーらしいものの実施の最中、彼が一人になったところを狙い、襲撃しました」

 

 ラップトップを操作して、映像を切り替えている。織斑一夏の家周辺と、マドカが襲撃時に取ったルートの画像が映された。用意だけはしておいたらしい。準備のいい男だ、とマドカは思った。

 

「我々は予定の地点でエムとは合流できず、一端市内の拠点に引き上げています。以後、デュノアからの連絡を得る夜半まで、彼女の所在については情報を得られませんでした。後の経過については既知の通りです」

「あなたたちの行動についてはいいわ。問題にしたいのは、当然だけどエムの行動ね。作戦に含まれない動きだったうえに、殺せと別に命じてもいなかった人物を殺害しようとする。結構な命令違反ね。これは」

 

 手元の資料に目を落としながら、その口調はどこかわざとらしい。顔にはどこかイベントを楽しむような表情があり――決まってそういうときには、面倒なことを言い出す。

 

「今更でしょうけれど、私たちも一応組織の形態をとっている。無制限の自由を与えるわけにはいかないの。エム、あなたには罰が必要です」

 

 スコールが言った。篠ノ之らは目に見えて動揺しているが、マドカは存外平静だ。予想通り、といったところだった。むしろ罰するなら早くやればいい。

 

「で、スコール? どうやってコイツに身の程を分からせるんだ?」

「オータム、ずいぶん楽しそうね?」

「コイツの澄まし顔が崩れるとこが見たいだけさ」

「貴女の期待に沿えるかしら。自信がないわね」

 

 スコールは苦笑するが、オータムは少年達とは別の意味で平静になれない様子だった。他に顔色を変えていないのはボーデヴィッヒぐらいのものだが、彼の表情も、それに続くスコールの台詞で崩れた。

 

「じゃあボーデヴィッヒ。マドカに下す罰を決めて。貴男がね」

「……!」

 

 銀髪のゲルマン人は、かすかに動揺したようだった。いかにもスコールらしい。本当に罰したいなら、既にマドカの命はスコール自身の手で吹き飛ばされているだろう。それをしないのは、彼女にも本気で罰する気がないことを意味している。マドカの行為はボーデヴィッヒらの忠誠を測るダシにされたのだ。

 

「おい、スコール! こいつらになれ合いを許す気か」

「彼を今回の件のリーダーにした以上、こういったこともやってもらう。当然でしょう?」

 

 オータムが抗議するのを押しとどめつつ、スコールが言い返す。彼女の意図はボーデヴィッヒも分かっているだろう。彼が躊躇っているのは、罰が軽すぎればスコールに咎められ、重ければマドカを痛めつけかねないからだ。そのあたりまで見越してこんな命令をするあたり、スコール・ミューゼルという女の性格がよく表れている。

 

 茶番だな、と思いつつマドカは溜息をついて、口を開いた。

 

「ボーデヴィッヒ。早くしろ……時間の無駄だ」

「あら、素敵」

 

 マドカの宣言をどう見たのか、のどを鳴らしてスコールが含み笑いを漏らす。ボーデヴィッヒが言った。

 

「……“エム”には重営倉(じゅうえいそう)待遇三日か、何らかの懲罰的任務を与えるのが適当と考えます」

「フン……」

 

 マドカは気に入らない、と言いたげに鼻を鳴らす。罰の内容よりは、状況に対しての所作である。

 

「……陰険なババアだ」

 

 デュノアが漏らしたのを、スコールは聞き逃さなかった。「シャルル?」と圧力混じりの視線を彼に向ける。デュノアが悪態をついた。フランス語で言っていたため、マドカには内容が分からない。それを聞いたスコールが、また獰猛な笑いを浮かべたところをみると、間違っても上品な言葉ではないだろう。

 

「命令違反の罰としては軽いけど、まあいい。我々は軍隊ではないしね」

「スコール、認めるのかよ。軽すぎだろ!」

 

 スコールの態度は確かに軽いものだった。マドカの胸に、何となく不穏な予感が漂う。言い渡される懲罰任務の内容にもよるが、スコールの態度はあっさりしすぎている。

 

「落ち着きなさいな、オータム。懲罰任務の方は、そう軽くならないから。

 ただ、あまりマドカの体力を落としても、困るのは我々だからね。重営倉は二日。残りは懲罰任務で行きましょう。ちょうどいい任務があるからね」

 

 その予感を裏付けるように、スコールは人の悪い笑顔で懲罰の内容を確定させ、マドカに向けてウインクした。それは間違いなく、マドカの短い生涯に受けた中で一番邪悪なウインクだった。

 

「エム、貴女にはIS学園に潜入してもらいます」

 

 スコールがにっこり笑って後を続ける。

 

「何……?」

 

 聞き違えたかと思い、マドカは思わず彼女の顔を見返した。彼女の聴力が確かならば、スコールが口にしたのは間違いなく、彼女にとっての敵の本丸であり、用意なしに――というかISなしには、近づくことも出来ないような場所だった。

 

「はい?」「え」「えっ」「マジで?」「……!?」

 

 五人の少年らの眼もスコールに集中する。スコールは彼らの視線を浴びながら、楽しそうに次のマドカの任務の詳細を告げた。その内容はこんなものだった。

 

 任務内容――IS学園への潜入。敷地内に潜入し、IS学園内の人物と接触を取り、こちらからあるデータの引き渡しを行うこと。

 潜入手段はIS学園制服とIDを偽造してのなりすまし。

 日時は、次の日曜日とする。

 

「ええええええっ!?」

 

 リビングに、悲鳴にも似た少年達の台詞が響き渡った。

 




ちょろいさん「ちょろい・お嬢様・料理ベタ」→ちょろくないくん「ちょろくない・執事・料理スキル有」

細かく描写してはいるけど、背の順も実は逆になっている。
一夏ハーレムは
もっぴー=(身長160cmの壁)>せっしー>しゃるるる>(身長150cmの壁)=すぶたちゃん>ゲルマン幼女

マドカハーレムは
ゲルマン兄貴>(身長180cmの壁)>鈴>(身長175cmの壁)>フランス野郎>ちょろくない>(身長170cmの壁)>エロショタもっぴー

です。どうでもいいって? いやまあそうですね……。

全体的に、キ  ャ  ラ  大  杉。会話ばっかりやのに前と大して変わらん長さとかどういうことなの……。あと、見れば分かりますが原作に比べて描写を細かく細かく変えています。

大部分は別に重要な意味がある変更ではなく、趣味とネタが混じっています。変えたネタが全部分かった人はトモダチになりましょう。


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第3話 少女的なインテリジェンス

一方その頃、デストロン基地……ではなく、学園サイドでは、というお話。

なんと原作キャラのみ。しかも下手すると主人公のまどっちが喋るよりみんなたくさん喋っている。このあたりからタイトル詐欺傾向に入ります。


 IS学園は日本国の太平洋岸沖合にある人工島上に建造されている。ISという兵器自体が登場してからまだ十年も経っていないため、ISの操縦を教導するこの学園の歴史もまた短い。最も古い設備でもまだ七年と経過しておらず、新しい設備だと一年ようやく経つところ、というものすら珍しくなかった。

 

 学園生徒会室はそのうち一番新しい建屋にある。海に面した南向きの一室で、眺めの良い最上階だった。マンションであれば最高の間取りだが、あいにくそこは人が起居するための部屋ではない。

 

「本当に、残念だなー……」

 

 窓から差し込む秋の日差しを受けながら、スカイブルーの髪色の少女が呟いた。大きな部屋の中央に、彼女の体格と歳には不釣り合いなほど大きな執務机が置かれており、少女はそこに自分の腕で枕をしながら、電子ペーパーで新聞記事を追っていた。彼女が指を滑らせると、有機ディスプレイの表示は各国のクオリティ・ペーパー――コメルサント、WSJ、タイムズ、フィガロ、アル・ラーヤ、読買新聞などに変わる。

 少女は画面を気怠げに見つめつつ、時折机の上で身をのばしては欠伸(あくび)をついていた。物憂げな仕草はどこか猫科の生き物を想起させる。よく見ると眼はせわしなく記事を追っていて、ただ怠けているわけではないことが分かるのだが。

 彼女のところに五分袖の制服着た眼鏡、三つ編みの少女が歩み寄った。茶器と柔らかそうな葛菓子の盆を持った彼女は、気遣わしげに執務机の方に呼びかけた。

 

「お嬢様、お茶をお煎れいたしました……お疲れなのは分かりますが、しゃんとなさってください」

「ありがとー、(うつほ)ちゃん、了解よ。それと、学校ではお嬢様はでなくて、会長」

 

 会長と自らを呼んだ少女は身を起こし、虚の煎れた茶器を手元に寄せる。虚がその間に、執務机の上で倒れたままになっていた、会長の名札を立て直す。深い黒のセラミックに白塗りの文字で「更識楯無」と刻まれていた。女性にはおよそふさわしくない、源氏八領が鎧の一つ、“楯無”。それが“会長”と呼ばれる少女の名前らしい。

 楯無は香りを楽しむように鼻を鳴らしてから一すすりし、深く息をついた。多少力は抜けたようだが、眉間に薄く入った皺は消えなかった。

 

「残念なのは、このお天気を室内で過ごさねばならないから、ですか?」

「……虚ちゃん、私を必要以上に子供扱いしてない?」

 

 子供にかけるような言葉を言われ、流石にむっとしたようだ。頬を少しふくらませつつ、彼女は抗議する。虚の本名は布仏虚といい、幼い頃から楯無の側仕えとして育った身である。一つ年上で、何くれと世話を焼かれたせいか、今でも楯無は彼女に幼いときのような扱いを受けることがある。

 

「失礼。冗談です」

「……冗談なんて言わないような子だったのに、やっぱ『彼』の影響かしらねー」

 

 じとっとした目つきになりながら楯無は虚を横目で見て言った。彼、という言葉は名も指していなかったが、二人の間では誰を指すのか明確らしい。冷静そうな虚の顔に、さっと朱の色が走る。

 

「――なんのことでしょう。からかうのはおよしになってください」

「この前の織斑君の誕生日会でも、主賓の織斑君を視界にも入れないで彼と楽しそうに話してたし? 朝はすっごく寝不足そうな顔で休憩の度にモバイルを気にしてたし? あの虚ちゃんがねえ……やっぱ彼がいると変わるのかしらね……」

「おやめください。それに彼、なんて、私たち、まだそんな関係では……」

「あらー、私は彼って言っただけよん。彼氏なんて言ってないのにな。私たち、だって。あらあらふふふー。五反田くんとはうまくいってるみたいね」

 

 私も彼氏作ろうかな、などと言いながら、菓子楊枝を操って葛菓子を分ける。頭でリズムを取りながら歌まで歌っていて、それはよく聞くと“Voi che sapete che cosa e amor...(恋ってどんなものかしら……)”という歌のワンフレーズなのだった。

 

「――と、まあ虚ちゃんをからかうのはこれくらいにして。仕事に戻りましょうか」

 

 楯無が宣言する。赤くなっていた虚はやや露骨に胸をなで下ろすと、自分の器にも茶を注ぐ。楯無のすすめる椅子に座り、彼女が纏めていた一般紙の記事を確認した。

 

「残念なのは、この前スコール・ミューゼルを取り逃したことよ。あの状況で、私の力では捕捉できないのは分かっていたけれど、戦略的には彼女を捕らえることが望ましかった。私単独で出来ないなら、彼女を捕らえうるような戦力を揃えるべきだったわね」

「亡国機業の件ですか……」

 

 先日、マドカたちが襲撃したIS学園の高速機動競技会(キャノンボール・ファスト)、そこで楯無はスコール・ミューゼルと対峙していた。学園のイベントに対して襲撃を繰り返し、そのたびに専用機ドライバーを狙っていく組織。その指揮官クラスを目の前にはしたが、結局いいようにあしらわれて逃げられてしまっている。

 

「そうそう、知ってる? 日本の情報(インテリジェンス)コミュニティで彼女と接触したのは、私が初めてらしいわ。そのせいか、仕事用のアドレスにはアポのメールがひっきりなしよ。専用窓口を作ろうかってぐらいね」

「公安も防衛省も、内調もですか? 意外ですね。あの組織については戦中から存在が確認されている、というのに」

「他の亡国機業の実戦部隊、それも下っ端なら、公安あたりが捕まえたという例はあるらしいけどね。組織の全容だけは分かっている、というのはそのせい。

 ただ、スコール・ミューゼルについて言うなら、IS保有部隊の指揮官を間近で見たのは私一人。それほどの貴重なチャンスだったの」

 

 自分で切った葛菓子を口に運ぶ。楯無は口の中で菓子が溶ける触感を楽しんでから、またため息をついた。

 亡国機業、それが昨今の楯無の敵の名だった。戦前から戦中にかけて生まれ、非合法物資の輸送・取引・輸入、紛争の扇動、軍事行動――とかく法的にきな臭い事業ばかりに関わっている国際組織だ。ここ数年の特に目立つ活動としては、明らかになっているだけで三、四個のISを奪い、それらを運用しつつ各国保有のISを集めている、という。

 

「キャノンボール・ファストのときには、家のものにも無理を言って人を出させたのに、無駄にしちゃった。ちょっぴり自己嫌悪。まさか指揮官級が出てくると思わなかったけれど、私も『楯無』としてはまだ未熟ね」

「お嬢様……いえお館様」

「学校では会長、よ」

 

 更識の血族は、今代(いまよ)でこそそれなりの名門とされているものの、明治より前にはその家系を遡ることが出来ない。伝承では代々当主に引き継がれてきた名“楯無”が示すとおり、武田氏の透破を起源とすると伝承されているものの、実際のところは明かでなかった。古くは、実在したか疑わしい軍師である山本勘助が始祖だった、という説までもあるほどだ。

 

 起源がはっきりしない名門、というのは語義矛盾のようであるが、更識家についていうならば、一つだけはっきりしていることがある。それは更識家、さらに更識家を屋形とする一門――布仏家など――が、遅く見積もっても明治以降から、日本の諜報分野の歴史に深く関わっている、ということだ。

 

 もちろんそんな事実は官報に載っていない。だが、歴代の官僚名簿の名前、民間協力者の記録、あるいは軍人、特別高等警察などの人員リストを注意深く攫ってみると、更識とその一門の名をいたるところに見つけることができる。戦中にはある期の中野学校の卒業生のうち、三分の一が更識一門かその眷属だった、という冗談のような話まであるほどだ。

 

 つまり更識とはこの国における諜報・防諜のスペシャリストを輩出する一族とその家来筋であり、その御館の名前“楯無”を継いでいるこの少女は、日本の暗部の根深いところまでも影響力を持つ首領でもある。

 

「しかし、本当に――亡国機業は、何を目的としているのでしょう」

「そこそこ。それが分からないのよね……」

 

 虚の言に、楯無が額に拳を当てつつ首を傾げる。

 

「誰が黒幕か分からないときは得をした人間を見ろ、というけれど。この場合誰になるのかしら」

 

 IS学園がこれまでに受けた亡国機業からの襲撃は二回だ。一度目は学園祭の混乱に乗じて、織斑一夏の機体と命を狙うというものだった。これはまだ分かる。貴重な男性操縦者、そして男が使ったという事実に関係なく、世界的に貴重なIS。どちらも、黒幕がどこであろうと手を出したくなる代物だった。それにしては襲撃してきたエージェントがお粗末で、自分の使っている兵器の特性を知らないわ、無駄口を叩いては撃破されるわと不手際が目立つが、目的だけならばはっきりしている。

 

 だが二度目、これが全く分からない。IS高速機動競技会、通称キャノンボールファストに乱入し、ひとしきり暴れたあげくセシリア・オルコットにBT偏向射撃を食らって撤退。当事者はこちらもむこうも、誰も得をしていない。強いて言うなら、セシリアが念願のBT稼働率八割超え、偏向射撃を実現できたことぐらいか。

 

「だからって、まさかセシリアちゃんがそう、なんて訳がないし」

「あるいは、邪魔をすること自体が目的、という線は?」

「“ばいきんまん”みたいね」

 

 楯無が苦笑する。もちろん虚も、可能性の一つとして挙げただけだろう。

 

「仮説の一つとしてはありだし、素敵な話だけど、支持はできないな。悪いことをするためだけに存在する悪党なんてこの世にいないもの。何か目的があるはずよ。私たちの思惑を超えた戦略がね」

 

 溜息をついて、楯無は湯飲みをあおり残った茶を乾かす。おかわりは、と訊ねる虚に、無言で首を横に振った。

 

「敵の目的がどこにあっても、関係ない。生徒会長として、全て撃破して学園を守る! ……なーんて宣言出来ればいいんだけれど」

「織斑君ならそれで許されましょうが、会長にはお立場があります」

「……一夏君には厳しいね、虚ちゃんは。まあ、立場の違いというならそうなんでしょうけど。

 降りかかる火の粉を払うのは当然、でも、矢で打たれてから射手を探すようでは、私が会長をしている意味がない。会長として、専用機持ちISドライバーとして、この学園を守らないとね」

 

 楯無は言った。日本国の暗部からの守護者としてだけでなく、IS学園に在籍する専用機持ちの生徒として、そして学園の生徒会長として、学園を守る。それが彼女の意思だ。

 実際のところそれは日本の国益にも叶う。IS学園は国際的には国際IS委員会下の組織であるが、学園の管理運営は日本国の責任とされている。学園で起きた有事の責任は日本国の失点にも繋がるのだ。要するに楯無の立場、地位、血脈、そういったもの全てが、彼女に御役目を発揮することを求めているのだった。

 

「それで、虚ちゃんの方は何か分かったかな。確か、私がオシントをやってる間に、虚ちゃんが米軍、英軍の情報を見てくれてたのよね」

 

 楯無の言に、頷いて虚は書類を差し出す。三種のISの諸元と、事件らしいものの報告書、それを虚がよんで纏めたものであった。

 

「強奪が確認されているIS三機の諸元、ならびにそれら事件の詳報の分析結果です」

「あら、諸元も報告書もたくさん。意外に気前よく提示してくれたんだねー。アメリカもイギリスも」

 

 意外そうな口調で言ったが、虚は黙って首を振る。

 

「量だけです。内容は芳しくありません。《アラクネ》にせよ《サイレント・ゼフィルス》にせよ、先日強奪されたばかりの《銀の福音》にせよ、どうも肝心の所をぼやかしている感じで」

「……自軍の恥を隠すため?」

「いいえ。その辺りはずいぶん明けひろげにしています。接近を許した原因・警備上の失態・連絡体制の不備といった事件が起きてからの経緯は、わかりやすいほど克明に記録されています。

 ですが、何故このような事件が起きたか、亡国機業になぜISの所在をキャッチされたのか、内部情報の漏洩を許したのか――要は事件が起きるまでの経緯、今後の予防的情報となるようなデータだけがことごとく“不明”とされています。

 しかも書きぶりからすると、報告者は本当に今もってどうやったか、見当もつかない、と言った思いのようですね。まるで、事件だけが忽然と現れて去った、とでも言いたげです」

 

 楯無の空色の眉がぴくりと動いた。それまで身に纏っていた軽かった雰囲気に、わずかに不快げな重さが混じる。

 

「そのまま信じるべき?」

「“書類には”、偽りはないと思います。ご覧になっていただければ分かるかと思いますが」

「書類には、か。確かに、これを書いた人と、これを私たちに提示してきた者の意図は別ということ、でしょうね」

 

 何かを聞かれて、「知らない」と回答する人間は二種類に分けられる。一つは本当に知らない場合。この場合は、報告書の作成者――恐らくは、強奪の現場に居合わせた指揮官たちがそれだ。事件への対処を迫られた彼らにとって、事件が起きる経緯を自分の担当範囲を超えて把握するのは難しい。彼らが予防的な情報の多くについて不明と回答するのは、楯無にとっても不思議ではなかった。

 

 そしてもう一つは、「知らない、わからない」と回答することでその者が利益を得られる場合である。大抵の場合において知らずに犯した罪は、故意の罪よりは軽く見られる。場合によっては罪とさえ認められず、無能・無力を装うことでかえって利得を得ることができるのだ。

 

「調査した事件の経緯、周辺状況を説明できない、ということは、現場指揮官レベルならともかく、この情報を提示してきたもの――上位の司令部や情報機関にしてみれば無能の証明みたいなものよ。シリアスなシーンで無能さをアピールしてくる人を、本物のバカと誤認するほど、ピュアな生き方はしていないのよね」

 

 報告書に「わかりません」と書くことは、自分が無力であったと同意することに等しい。そして現場指揮官は知り得ない情報についての分析は、統括している者にとっての義務だ。それをやらないのは、バカであるからか、バカの振りをしているからか。

 

「バカの振りをしている、に一票かな。私としては」

「私もそう思います。しかしやはり、その場合も何のために、という疑問が再燃します」

「確かにね……」

 

 仮にこの情報を提供したものがいたとして、何を得ようとしているのか。読み切るにはデータが少ない気がする。そう思い、楯無はまた首をひねった。

 

「この件にだけ、かかわりあってる訳にもいかないんだけどな……頭が痛いよ」

「専用機持ちドライバーの強化計画と、米英が提示した事件の報告書解析は平行して行います」

「苦労をかけるわね。私も織斑君に……」

 

 何か言おうとしたそのとき、生徒会室のインターホンが鳴り、来客を知らせた。楯無が執務机の上の電話を操作し、小型の投影ディスプレイから来客者の姿を(あらた)める。来たのは二人で、いずれも学園の生徒だ。机上の電子ペーパーの表示をオフにしてから、楯無は入室を許可した。

 

「二年三組、英国代表候補サラ・ウェルキンです。……ご機嫌よう、会長」

 

 肩までの栗毛に柔らかくパーマをかけた女子が執務室に入ってくる。身長は楯無と同じくらいで、英国人としては平均的。落ち着き払った口調でひざをすこし曲げ、長めのスカートをつまんで持ち上げて一礼(カーテシー)する。二年ということはまだ一六、七のはずだが、柔らかく笑って見せる様は、それ以上の落ち着きを感じさせた。

 

 もう一人は、黒に近い茶色の髪をベリーショートにまとめた小柄な少女。リボンからすると一年生だった。小脇に書類封筒を抱えていて、それが生徒会室に来た用向きとわかる。

 

「い、い、一年三組! ティナ・ハミルトンです! 失礼します!」

 

 緊張しきっているうわずった声は、楯無の微苦笑を誘った。こちらはウェルキンとは対照的だ。楯無と一つしか違わないはずなのに、子供が大人の前に引き出されたような振る舞いである。

 

「いらっしゃい。ずいぶん可愛らしい娘を連れているのね、サラ」

 

 ウェルキンと楯無は同級生だ。楯無は今でこそ自由国籍でロシア代表をやっているが、その前は当然代表候補だった。その関係で、候補生のウェルキンとも知らない仲ではない。

 

 だが、“連合王国(イギリス)”の代表候補か、と楯無は内心でつぶやいた。友人の顔を、楯無は改めて見つめる。にこやかで柔らかい笑顔は、その奥に何の考えがあるのかまでは伝えてこない。ウェルキンは表情を崩さず、いかにも淑女、といった感じでしとやかにハミルトンに目をやる。

 

「あら、偶然ですのよ。会長にお目通りに参りましたら、この方がついそこで、生徒会室を探して迷っておられたので。ご一緒しましょうってお誘いしましたの……貴女、御用なら先に済ませておしまいなさい。私は後からでも結構」

「は、はい!」

 

 促されて、ハミルトンが一歩前に出る。がちがちになりながら、両手で脇に抱えていた書類を差し出した。

 

「榊原先生から、プリント預かって来ました! 職印と別に認め印を押して、提出するように、とのことです!」

「はい、ご苦労様。ごめんなさいね、雑用なんてさせてしまって」

「いえ、ちょうど寮に戻るとこだったので」

 

 楯無は受け取って、そのまま机上で山になっている未決箱に放り込む。そのままハミルトンに笑いかけると、彼女はどぎまぎした様子で、西洋人にも拘わらず日本風に一礼した。それは良いのだが、足取りがなんとも危なっかしい。

 

「そ、それでは失礼します……きゃあっ!」

「あら、しっかり。大丈夫?」

 

 言わないうちに倒れ込みそうになったハミルトンを、ウェルキンが支えた。小柄な女子は、ウェルキンの腰にしがみつくようにして、ようやく転倒を避ける。

 

「す、すいませんウェルキン先輩。ありがとうございます。失礼します!」

 

 失態に顔をまた赤く染めながら、足早に少女は執務室を去った。後にはクスクスと笑いを漏らすウェルキンと、楯無が残された。

 

「可愛らしいことです」

「一年前は私たちもああだったのかしらねー」

 

 楯無が言うと、ウェルキンは楯無の顔を見る。そして、何がおかしいのか笑い方の調子を変えて、口元を押さえて笑い出すのだった。

 

「そんなにおかしい?」

 

 あんまりな反応に、楯無は渋い顔で彼女を見る。

 

「失敬。だって、一年次から誰より大人びてらした会長が(おっしゃ)るんですもの」

「貴女もね、サラ。今はすいぶん丸くなったけど、最初はセシリアちゃんくらい尖った英国淑女だったよね」

「あら? 手袋の投げ方も知らなかった可愛らしい(レイディ)と、一緒にしてもらっては困ってしまいますわね」

 

 決闘を挑む仕方くらい、英国淑女のたしなみだとでも言いたいのか。栗毛を揺らしながら笑う友人の顔を見ながら、食えない娘だ、と楯無は自分のことを棚に上げて思った。

 

「あの娘と貴女以外に、決闘を挑んだ英国人、なんて知らないんだけれどね……それで、貴女は何か用があってこんなところに?」

 

 問われると、ウェルキンは頷いて、胸元からてのひらサイズの光メモリを取り出した。机上に差し出されたそれを、ウイルスチェックをしてから執務机のコンピュータで読み込む。中には英国公式の書式に沿った書類があった。

 

「オルコット卿の怪我の予後と、《ブルー・ティアーズ》の損傷の報告です。オルコット卿は本日より検査と再生治療に入っているため、彼女の名代として私が参りました」

「ふむ」

 

 楯無の前に展開された書類を見ながら、サラがすらすらと内容を述べてくれる。だが、セシリアの容態についても、機体についても特に新しい情報はなかった。競技会で襲われたセシリアの怪我の具合は、本人からも医者からもそれとなく聞いているし、《ティアーズ》の点検整備に当たった三年の整備科については、虚が直接に担当班から情報を聞いている。

 

「セシリアさんに対する処分は、特に無いのでしょうか?」

「はい?」

 

 茶を煎れ直し、執務室に戻った虚が聞いた。ウェルキンは表情を崩さない。小首を傾げて、意味が分からない、と言いたげである。

 

「どうしてオルコット卿が処罰される必要があるのでしょうか、布仏先輩。あ、恐縮ですが緑茶でしたら砂糖を一つ、添えて下さいますかしら」

「……。勝てる確証もないまま、《ティアーズ》単機で性能で上回る後発機、《ゼフィルス》に挑むという無謀をした以上、英国の立場からお咎めがあってもよさそうなものですが。織斑君が間に合わなければ、彼女は戦死していた可能性もあります」

 

 虚は緑茶の入った湯飲みを彼女に差し出しつつ指摘する。ウェルキンは湯飲みに角砂糖を一ついれ、楽しそうにマドラーでかき混ぜながら答えた。

 

「オルコット卿は、亡国機業――あのテロリストが奪った王立空軍の機体を取り戻すため、勇敢に戦ったのです。もちろん戦術的な敗北は喫しましたが、結果的にはあれを撃退し、さらに機体を奪われることもなく偏向射撃まで実現できた。彼女を褒めこそすれ処罰するものなどおりませんわ。

 流石に勲章を与えるというほどではありませんが、すばらしい働きをしておられます」

 

 ウェルキンは長々と、しかもどこか芝居がかった調子で述べている。彼女の発言を要約すると、心意気を買うし、そして結果的に勝利したのだから問題ない、ということになるだろう。あり得ないな、と楯無は思った。英国の国家戦略が、心意気と結果論で少女を褒める。真実だとするにはずいぶんグロテスクな構図だ。

 

「……それは英国の意思ですか?」

「公式に明言されたわけではないので、女王陛下の名にかけて、とは申せませんが。英国代表候補であるこの身にかけて、虚言ではないと申し上げましょう」

 

 ウェルキンは相変わらずだった。彼女が真実だと言い張る以上、仮面をかぶっているのか本音を出しているのか、確証まではとれまい。

 それでも一つだけ確かなことはある。虚の言うとおり無謀ともいえる追撃を仕掛けたセシリア・オルコットを、英国は咎める意志がないらしい、ということだ。機体を損傷させられたことさえ、不問となるだろう。

 

 虚は茶を置くと 、そうですか、とだけ言い、盆を抱えてその場に控えた。楯無と視線を合わせず、ウェルキンを冷徹な目つきで見ている。

 虚の意図は楯無にも伝わっていた、昨日の事件を英国がどう捉えているか――虚はそれを探るため、敢えて楯無の替わりにつっこんだ質問をしたのだ。

 

「それを聞いて安心したわ。彼女の専用機が剥奪、ということになると、また面倒だもの」

「それは重畳ですわ」

「……だけど、それだけのために来た訳じゃないんでしょ? 今までの話、わざわざ来てもらわなくともできることだもの。何かあるなら、もったいぶらず言ってくれないかな」

 

 組んだ手の上に顎を載せ、楯無は言う。眼がやや鋭くなり、ウェルキンを捉える。

 

「さすが楯無ですね」

 

 そこでウェルキンが楯無を始めてファーストネームで読んだ。

 

「もう一つ私事で、友人として相談をお願いしたいことがありましたの――ちょっと失礼」

 

 ウェルキンが執務机の上に身を乗り出し、楯無の端末を操作する。表示されているデータが切り替わった。光メモリの中には、医者の診断書と学園整備科の点検報告の他に、もう一つファイルがあったらしい。

 

 ウェルキンの手が残っていたもう一つのファイルを開く。それは学園に対する公式の申請書で、楯無にとってはやや懐かしいものだった。表題は「IS学園生徒 専用機保持申請書」とある。一年と半年前、彼女も書いたものだ。生徒の中でも専用機を保持するものが、待機形態でISを所有することを許可されるための書類である。

 

「実は私、このたび専用機を王立空軍より預からせていただくことになりましたの。それで、書類の書き方と不明点を、ご教示いたたけないかしら、と思いまして。もちろんお忙しいようなら、結構なんですけれど」

 

 楯無の眉がぴくりと動く。専用機か、それもわざわざこの時期に、と楯無は思った。頭の中は忙しくその意味を考え始める。ウェルキンの意図、そしてその背後の英国の意図。もちろんそのあたりはおくびにも出さない。

 

「すごいわね――貴女の実力なら、確かに話があってもおかしくないとは思っていたけど」

「光栄なことですわね」

 

 席から立ち上がって、楯無はウェルキンの近くに寄る。虚には眼だけで合図をした。虚は承知の意を黙礼で表し、未決箱の書類を抱えて場を辞する。

 

「……さてと。オーケイ、サラ。分からないところがあれば聞いてちょうだい。確かにあの書類、初めてだと意味不明なくらい難しくて長いからね」

「ありがとう。フォルテさんにも聞いたのですけれど『忘れた』の一点張りで、全く頼りにならなかったので」

 

 ウェルキンは丁重に一礼した。

 友好的なウェルキンの仕草だったが、その彼女の姿を見て、不意に楯無の双眸が険しくなる。

 

「待って」

 

 楯無はウェルキンを制止すると、懐から扇子を取り出す。女性の嗜みとしてはやや大きく、無骨なそれを楯無は握りしめ――ウェルキンの腰のあたりに軽くそれを当てた。

 

「た、楯無。何を?」

「ちょっと、動かないで」

「くすぐったいですわ。変なところを触らないで――きゃあっ!?」

 

 ウェルキンが嬌声に似た悲鳴をあげる。楯無が当てた扇子から、電気か、振動か、子細はわからないが、飛び上がるほどの衝撃が走ったのだ。

 

「本当に、いきなり何を……」

 

 膝と腰を砕きそうにしながら、抗議するウェルキンに楯無はにっこり笑いかけた。

 

「失礼――ちょっと虫がいたからね」

 

 楯無は、いたずら好きの子供のような笑顔を浮かべつつ口元を広げた扇子で覆った。




原作読んでるかたはお気づきでしょうが、更識家の設定とか大半が筆者の捏造です。「楯無」の名前と対暗部用うんぬんという単語だけから、妄想の翼をばっさばっささせて考えました。

対暗部用、というからには更識家のおじいちゃんとかお父さんとかは、小林多喜二をスパンキングしてSATSU☆GAIしたり、松川事件で国鉄の電車を転覆させたりしていたのでしょうか。胸が赤くなるますねえ。

そんなどうしようもない妄想をする作者が書いたので、楯無のキャラが原作からかけ離れた気がいたします。原作だとほとんどただの微エロなおねーさんでしたが、まあ本気だしたらこんな顔になるんだよ、という結論で一つ。

サラ・ウェルキンとティナ・ハミルトンも一応原作組です。数行から一行しか描写されないので、登場人物と言っていいのか微妙ですが。


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第4話 リーズンとフィーリングの間

『ちょっと、動かないで』

 

 耳に当てているヘッドフォンから、女子の声が聞こえる。向こうで状況が変わったらしい。

 

「やべっ、外せ!!」

 

 隣でヘッドフォンを装着していた凰が装置を投げ捨てるように外す。マドカも彼に(なら)い耳から離した。

 

 直後に強烈なノイズが、発音部分から噴き上がるような勢いではき出される。耳から十数センチ離してもマドカが顔を顰めるほどの音量だ。装着したままなら間違いなく耳を痛めていた。

 

「耳をやられるとこだったなー。何をされたんだ?」

 

 凰が訊ねる。彼は言いながら、自分のPCを操作しつつ、回線に二度三度応答確認をおくっていた。マドカは残響の残る耳を叩きながら答える。

 

「流体操作ナノマシンから振動か電流を打ち込んたのだろう。オータムの交戦記録からも、更識楯無のISがその機能を兵装に使っていることは知れている」

「……なるほど。クリスタルマイクの固有振動に合わせたのか。聞いてるやつの鼓膜でも破る気だったのかね。ひどいことをする――嫌がらせかな」

「更識の首領がそんな無意味なことをするものか。気づいているぞ、という示威だ」

 

 マドカが答えると、凰は頷きつつイヤーパッドを片手で耳に当て、舌打ちをした。漏れ聞こえる音はノイズだけで、人の耳にも意味のある音は拾えない。

 

「ま、さっきの会話を聞いただけでも、嫌がらせするような可愛らしい娘さんじゃないわな。うん、マイクだけじゃない、学園内の網のうち、生徒会室から中継してたユニットからして殺されてる。もう繋がらねーや」

「マスターとの回線も切ったほうがいい。スレイヴだけをつぶして終わりということはまずありえん」

「あいよ」

 

 武骨なヘッドフォンをケースにしまいながらマドカが言う。凰も同じ思いだったのか、いつもと変わらない調子でのんびり答え、回線を落とした。耳障りな夾雑音が消え去り、がらんとした畳敷きの部屋には沈黙が響くように広がる。

 

 日付は九月三〇日、営倉入りから明けての翌日だった。マドカと凰がいるのは、IS学園の対岸にほど近いアパートだ。この部屋は亡国機業の息がかかったオーナーの持ち物であり、狭苦しい畳敷きの六畳間ほどの部屋には、普段誰も住んでいない。凰はそこにアンテナと受信装置を持ち込んでいた。何をしているのかは見ての通りだ。

 

 作業に来ているのは二人だけである。篠ノ之もオルコットもデュノアもボーデヴィッヒもいない。そのせいか、やけに凰の機嫌がよかった。

 

 常ならこういった仕事――ISを使わないような任務は、スコール部隊では篠ノ之らの仕事だが、マドカの《ゼフィルス》は地上整備中であり、日曜日まで彼女は手すきである。手ならいつも足りない小所帯のスコール隊にあって、遊ばせる人員はいないという理屈でマドカも彼らの作業を助けていた。

 

「しかし惜しかったな。生徒会室に入ったユニットは初めてだったからなー。まあ盗聴ユニットも転送網も、俺らが仕込んだもんじゃねーから良いんだけどさ」

 

 彼らがキャッチしていたのは自前の盗聴網の電波ではない。どこぞの諜報機関がしかけた盗聴網であり、それも正規ではなく漏洩電波の横取りである。組織としてのインフラやまとまった資産を持たない亡国機業は、基本的に自力で何とかする、ということが少なかった。ISにしろこうした情報網にしろ、大抵は国や企業から正規・不正規に提供を受けるか、強奪・詐取して使用している。この盗聴もその一環というわけだ。

 

「あれ、仕込んだのはやっぱ、あのイギリスのねーちゃんかな?」

「可能性は高いな。夾雑音の大部分は衣擦れの音だった。身体に付着した状態で持ち込まれていたのだろう」

 

 マドカは懐から写真を一枚取り出して、窓から差す光にかざして眺める。イギリスのファッション誌から取った一人の少女の一枚写真だ。栗毛で髪の毛がなんだかふわふわしていて、かわいらしい。マドカは笑顔の少女が映る写真を見ながら、無意識に自分の無造作な髪を手でさわっていた。

 

「……おかげでターゲットの声は確認できた」

「サラ・ウェルキンか。可愛いが性格は悪そうだ」

 

 首を伸ばしてその写真を覗いた凰が言う。推測する口調ではあるものの、やけに確信ありげな言い方である。

 

「なぜ性格までわかる?」

「性格のいい女にあのやりとりはできんだろー。おまけにこの年になるまで、お人形さんみたいな見た目を保ってるとくれば、完璧な訓練を受けてるよ。大方、所属は英の秘密情報部かね」

 

 そういうものだろうか、とマドカは思うだけだった。もとより彼女は他人に対して無関心である。他の面々よりも人生経験が多そうな(自称十七歳の)凰の言うことを疑えるだけの根拠もなかった。

 

 軽口を叩きながらも凰は休みなく手を動かし、取得したデータの確認をしていく。大半は学園の少女達の他愛もない会話だが、マスなレベルで解析をかけると情報の断片が意味を成してくる。

 

 英国情報部はどうだか知らないが、おそらくこの瞬間に同じことをやっている諜報部員が、この街やIS学園内にもいるはずだ。IS学園は国際的に中立であり、いかなる国家も団体もその活動を掣肘しない。だがそれは裏を返せば、いかなる国家の法も学園内には及ばないということでもあった。

 学園理事会には敷地内における最低限の自治行政権があるものの、法的・司法的な権力がない。つまり警察組織やら公安組織はもちろん、防諜を担当する専門機関もまた存在しないのだ。当然の帰結として、現状の学園はどこの国であれ、入り込むスパイを一切コントロール出来ていなかった。このため専用機乗りのうち新鋭機を送り込んで来ているような連中は、開示範囲にあたらない技術についてちゃんと自前でガードするように躾けられている。

 

「おし、とりあえずデータは取れてるな。じゃあ怖いお姉さんがこないうちに、撤収しますかね」

 

 作業が終わったのかおどけた調子で言いながら、凰はコンピュータの電源を落としアンテナを畳んでいく。撤収を決めるにはまだ早い、というのがマドカの印象だ。盗聴データも手当たり次第に抜いただけだし、最小限の確認しかしていない。

 

「……逆探知された可能性があるのか?」

「いや、わからない。ただ俺は臆病なんだ。もしかしたら、ってだけで落ち着かない。今ここでしかできないことはもう終わったし、さっさと戻ろうや」

「お前のは臆病というより、慎重なように見えるが」

「嬉しいね。誉めてくれてんの? 死を恐れないのと、死にたいというのは違う、ってね」

「評価しただけだ。下手な卑下はむしろ見苦しい」

「……さいですか」

 

 がっくり肩を落としている。その間も手は展開状態から機器を取り下げ、偽装されたエレキベースとキーボードのハードケースに、手際よく押し込まれた。

 

 マドカがキーボードケースを持ち、凰がベースに偽装した方を担ぐ。二人はそのまま部屋を出て徒歩で繁華街の方面に向かった。マドカも凰も着ているのは安っぽいジーンズと、一世紀は前のバンドのロゴが印字されたTシャツだ。傍目には金のない高校生バンドのメンバーが、アベックで歩いているようにしか見えなかった。

 

「マドカは派手なドンパチのある任務のほうが好きか?」

 

 まっすぐ拠点には向かわず、人混みと遠回りを繰り返す。その道すがら、ふと凰がマドカに訊ねた。

 マドカからすると本当に前触れもなく聞かれたので、何故そんなことを聞くのか――胡乱(うろん)げな思いを載せた目つきで彼を見やると、凰は肩をすくめた。

 

「顔つきが浮かないから。まあ確かに俺らの仕事はオータムやマドカに比べりゃ、地味なのばっかりだし」

 

 マドカは自分の顔に手をやる。読まれるほどわかりやすい表情をしていただろうか、という疑念からだ。マドカ自身が言うのもなんだが、彼女は無表情である。考えが読めるような顔つきはしていないはずだ。少なくともマドカはそう思っていた。

 

「……好んで荒事ばかりに手を出している訳ではない。成り行きだ。私の目的を達成するための」

 

 IS部隊の一員であるものの、男である凰らは当然ISを使えない。マドカたちが“ドンパチ”をする環境を整えるのが彼らの仕事だ。例えば篠ノ之は専ら技術・開発的な仕事を担当する。今も《ゼフィルス》整備――それと、先日強奪した《銀の福音》の解析作業を行っているはずだ。オルコットは主に調達。シャルルは五反田弾などの亡国機業から見て要注意人物とされるもののマーク。ボーデヴィッヒはスコールの副官・秘書官あたりの役目を兼ねていて、彼女に同行している。

 彼らに対し、凰の役目は専らオータムの機体の世話である。周知の通りオータムが機体を消し炭にしてしまったため、マドカと同様に凰もしばらくは手隙が続く。二人がそろって同じ仕事を割り振られたのは、そういうわけだった。

 

「目的ね。お姉さん、織斑千冬に復讐する、だっけ?」

 

 マドカは答えなかった。姉さんとの関係に言及されるのは、好きではない。あれはあくまでマドカ個人の問題だ。

 

 無視された凰は悲しそうに溜息をついて、またしばらく二人は無言で道を歩く。何やら考え込んでいる様子を見せていたが、道行きが駅前通りにさしかかり、目の前には大型のショッピングモール《レゾナンス》が見え始めたところでまた彼が口を開いた。

 

「……その復讐さ、なんなら俺が()()()()やろうか」

 

 ぶっきらぼうに投げ槍に、凰が言った。マドカはゆっくりと隣を歩く彼の顔に視線を定める。

 

「織斑千冬だって人間だ。人間なら俺たちでも殺せる。

 たとえば、そこのショッピングモールは彼女もよく利用するらしい。普段着ているスーツのオーダーも、そこにテナントに出店してるテーラーだ。建屋にいるうちにフロアごと爆破する。昔ドイツ人がチョビ髭伍長を殺ろうとしたときには失敗したが、他じゃ成功してるオーソドックスな手だ」

 

 凰の目がマドカを捉える。普段の彼があまり見せないような色のない目つきだった。《レゾナンス》の前の広場に入って、凰が立ち止まり、巨大な建屋を見上げている。マドカもキーボード・ケースを持ったまま、彼の顔を見つめた。いつの間にか彼女の表情はこわばり、睨むような形相で凰に釘づけていた。

 

「あるいは、彼女が運転する電気自動車(エレカー)に爆弾を仕掛ける。うまくいけば弟の方も一緒に始末できるだろう。記録では、彼女自身はそういう汚い手に狙われた事がないらしく、今のところノーマークだった。彼女がウィークエンドを楽しもうと、静脈認証で車を立ち上げた瞬間――」

「……黙れ、凰鈴詩」

 

 マドカは低い声で言った。低い声はざわめきの中でもよく通ったはずだ。それでも凰は軽い口調のお喋りを辞めなかった。握り拳を作って自分の顔の前にかざし、ぱっと開いて見せて、後を続ける。

 

「――ぼーん。ブリュンヒルデと、彼女の愛する『世界で唯一ISが使える男』の丸焼きができあがる」

「黙れと言っている……!」

 

 マドカはさっと手を伸ばした。反応を許さないほどの素早さで、凰の襟首を掴む。マドカが見せた感情を見て、凰がなぜか不敵に笑った。自分より小さい少女に重心を崩されながらも口を動かすのを止めない。

 

「あるいは、織斑一夏を餌にすることにこだわるなら、まず五反田弾を使うという手もあるなあ。そもそも、ミューゼル大姐がデュノアをしてあの赤毛をマークさせてるのは、いざって時に使うためだしな。

 彼を(さら)って――そうさな、人差し指から順番に関節を一個ずつ増やしてる映像を送れば、簡単にあの男を釣れるだろ」

 

 マドカは掴んだ腕に力を入れた。彼女より十センチ近く高い凰の顔が、ぐぐっと間近まで引き寄せられる。

 

「随分怒るねえ。復讐の手段にもこだわりがあるんだな? まあ、回りくどい手を取ってるから、なんか狙ってるんだろう、とは思ってたけどねー」

「私の邪魔をする気か」

「それが質問なら、答えはノーだよ。篠ノ之じゃないが、俺もお前さんの望みが叶うことを願ってるさ。それと、良ければ離してくれや。注目の的だ」

 

 ふん、と鼻を鳴らしてマドカは彼を解放した。痴話喧嘩? などという声が漏れ聞こえてくる。周囲の視線がマドカたちに集まりつつあった。

 

「私を怒らせて、どうするつもりだ。聞きたいことがあるならはっきり言え」

 

 安い挑発であることはわかりきっていた。忌々しいことに、彼らは徐々にマドカの感情の在処を把握しつつある。マドカの神経全てを逆撫でするような真似をすることも、意識すればできる、というわけだ。たとえば、先の彼の発言のように。

 

「すまんなー。ただ、こうでもしないと話してくれないし」

「御託はいい。早くしろ」

 

 オータムが乗り移ったように、マドカは凰の態度にイラ付いていた。確かに彼は、こちらの呼吸を乱すほどにマイペースに話す。マドカの声音にやや感情的な色が混じったのを聞き、凰の顔からはおどけた風が消えた。

 

「……本当に聞きたかったのは、一つだよ。次の任務でお前さんが織斑千冬やら織斑一夏に突撃するのかどうか、ってことだね」

 

 凰は広場の中央まで歩み寄り、噴水の縁に腰をかける。マドカは彼の前に立ち、凰の顔を見下ろす格好になった。

 

 マドカはすぐには答えなかった。この前のCBF(キャノンボールファスト)襲撃でした彼女の行動を鑑みれば容易く予想できることだろうが、凰の口にしたようなアイデアはもちろんマドカの中にもあった。IS学園への潜入は、かつて無いほど姉さんに、あるいはヤツに対し、物理的に接近するチャンスである。危害を加えるにしろ、会話をするにしろ――マドカがただ織斑姉弟に執着するだけ女なら、ここを逃す手はない。

 

 凰が聞いて来たのも当然のことだ。次のオペレーションでマドカが織斑姉弟に対して強行的に接触すれば、彼らとて前の時のようにマドカを迎えにくることは出来ないだろう。

 

「私が答えると思うのか?」

 

 マドカは言った。凰の声に合わせ、周囲に聞こえないように低くトーンを落とす。

 

「わからん。答えてくれそうな気もするし、突っぱねられそうな気もする。どっちも同じくらいあり得ると思う。ただ俺は、どんな答えでもお前さんの気持ちを聞いてから行動する」

 

 まるで忠誠の在処がマドカにあるような言い草だ。実際には彼らがマドカの言うことを諾々(だくだく)と聞くことなどあり得ない。スコールは気にくわないが、少年らに対する判断は、マドカも同意見だった。

 

「結局、最終的には自分たちの判断で動くのだろう? なら、私の考えなど聞く必要もあるまい」

「聞いた結果が、マドカに100パー忠実になるとは限らんってだけさ。俺たちは人間だ」

 

 二人の視線の衝突はにらみ合いに近くなっていた。間に漂う緊張感を感じたのか、また周りからの注意が濃くなりつつある。早々に立ち去った方がいいな、と考えながら、マドカは凰から目をそらさなかった。

 

「難しく考えんなよ。俺たちを利用できると思えば、使えばいいってそれだけの話だ。話したいことだけ話して、本当に話すべきことがないならそうすればいい。全ては、マドカ次第だ。

 さらに言うなら、たとえ忠実でなくても、俺たちはお前さんのために行動するさ」

 

 マドカは溜息をついた。話すべきか、黙っているべきか――理性はもう、彼らには自分が何をするつもりなのか、喋ってしまう方がよいと理解している。邪魔をしているのは感情だった。姉さんのことだけは自分だけのこととして扱いたい。

 凰とマドカは黙って対峙した。合理と非合理を意識の下でまる数分戦わせた後、マドカは口を開いた。

 

「……取引だ」

「え?」

 

 取引、というそれまでと違う流れの言葉に、凰は虚を突かれたようだった。

 

「スコールの考え、お前達がIS学園側の血縁を名乗っている目的について――話してもらう。そうすれば、それに応じて私が今後どうするつもりか、話す」

 

 凰は一瞬呆気にとられていたようだが、すぐに苦く口元をゆがめて、片手を上に向けた。

 

「お姉さんのことになるとクレイジーなのに、そんなところだけ理性的なんだから……」

 

 凰はしばらくぶつぶつと何か言っていた。俺だって死ぬのは怖いんだけどなあ、とか、ばれたら他の連中に締め上げられるだろうな、とか。クセの少ない髪をがりがりと掻いて、彼はやがて言った。

 

「オーケイ。背に腹は、だ。ほんの少し話す。ただし全部は無理だ。俺だってミューゼル大姐の考えてることなんて、わかりゃしねーんだからな。それから、話すのはマドカからで頼むよ」

「ならば私も、今回の件に関してだけ話す」

「オーケイ、頼む」

 

 マドカはハードケースを縦に置き、腕を組んで凰を見据えた。なぜか緊張に似た思いが自分の中にあるのを感じる。そう言えば、自分から誰かに気持ちを開く、ということを、彼女は今までしたことがなかった。

 

「今回に関しては、あの人のところに向かう気はない。学園内で居場所がどこにいるかも定かでないし、ISも私の手元にない。

 さらに言うなら、ただあの人を消せば、それでいいというものではないのだ。私は、自分の力を示す必要がある。その為に、他の連中などどうでもいいが、姉さんだけは正面から叩き潰す」

「正面からね。ISを使う、この星で一番強い女が一番強い兵器に乗っているときに打倒したい。そういうわけか」

「ああ」

 

 マドカは頷いた。凰はしばらく思案した後、右手の人差し指を差し上げて彼女に問う。

 

「だがもし作戦行動中に織斑千冬の居場所が知れたらどうする。目の前に据え膳が来たとして、黙って見過ごせるのか」

「……」

 

 しばらく答えなかった。予想内の質問ではあったが、マドカに答えを用意できる質問でなかった。

 

「わからない。そのときにならなければ。私は理性的に判断するかもしれない。あるいは、その場の衝動で動くかもしれない」

「――うん。とりあえず、そこまで聞ければ十分だ」

 

 凰は言いながら立ち上がった。

 

「お前さんの心づもり、聞かせてもらって助かった。この内容、ボーデヴィッヒ辺りに聞かせてもいいか」

「元よりそのつもりだ。お前との秘密にしたところで、どちらにもメリットはない」

 

 マドカもまた感情のこもらない声音に戻って言い放つ。凰は唇を結んで、また何かぐちぐちと呟いている。いやまあ、二人の秘密だなんて期待してはいなかったけどね、とか何とか。マドカには意味があまりよく判らない。

 

「じゃあ、俺からも話すよ。続きは、歩きながらしよう」

 

 頷いて、今度は並んで歩き始める。隣の凰の口からぽつぽつと語られる言葉に、マドカの顔が彼女にしては珍しい表情――驚きに染まるまで、そう時間はかからなかった。

 




凰鈴音「考えるより行動派・ちみっ子ちっぱい・“二組なのでいない”」→凰鈴詩「一番の慎重居士・色々でかい・“作者の好みでなぜか優遇される”」

凰くんが一番うまく男体化? できなかった気がするんよねえ。まあ誰も気にしてないからいいか。

今回の捏造箇所はIS学園内の刑法等取り扱いについて。あれほんと、いったいどうやっているんでしょうね?


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第5話 ルックアップ

にじファンからちょこっと改稿しています。尺縮め工作です。


 ――ねえエム、貴女にとって過去はどんなものかしら?

 

 数日前、正確にはマドカが営倉入りしていた日の二日目に、スコールが現れそんなことを聞いて来た。彼女はよく戯れのように、マドカや他の少年達にこんな哲学的とも取れる質問をする。普段は実利一辺倒の話しかしないのに、だ。

 

 マドカは答える。本当はスコールにそんな個人的なことを答えたくないのだが、答えないと後が鬱陶しかった。

 

 マドカの過去にあるのは、ただ姉さんに見捨てられたという事実だけだ。それ以上でもそれ以下でもない。マドカはたしかそのとき冷たく答えたはずだが、なぜかスコールは慈悲深げな笑みを浮かべ苦笑した。

 

 ――本当にあなたはお姉さんばかりね……。織斑夫妻は?

 

 両親と呼ばれる二人は、マドカの遺伝子の元であるというだけだ。マドカの過去の中にはいるが、重要な存在ではなかった。

 

 ――ふうん、一応親については認識してはいるのね。

 

 だから何だというのか、とマドカは言った。わけしり顔で言うのが気に入らない。

 

 ――自分がどこから来たのか、ちゃんと認識しているのはいいことだと思ったの。過去が貴女を縛っているように見えるけれど、貴女が貴女であることを保証してくれるのもまた、過去だけだからね。

 

 エム、と名乗れとマドカに名を捨てさせようとしているスコールがそれを言うのはおかしい、とマドカは指摘した。名を捨てるのは過去を捨てることに等しいのだ。

 

 ――そうね。でも、貴女にはタフになってもらう必要があるのよ。織斑一夏よりも、織斑千冬よりもタフに。エム、と呼ぶのは、織斑マドカの部分を残しつつ、次のステージにあがってほしいと。まあそういう意図があってのことだと思って頂戴。

 

 まるでスコールが、マドカの味方であるような口ぶりだ。

 

 ――私は貴女の味方でもあるし、敵でもある。貴女にとって良いことと試みるし、貴女を破滅させようとすることもある。

 

 矛盾している。全て同時にやるのは理が通らない。

 

 ――そう見えるかしら。ある一点においては一貫しているのだけれどね。

 

 誤魔化されているような気もするし、見透かされているような気もした。どちらにせよマドカには気に入らなかった。

 

 ――とりあえず、今の時点で伝えることとしてはね。織斑マドカの過去にケリをつけるためなら、今のエムがどうなってもいいなんて考えられると、困っちゃう、ということ。

 

 つまり、亡国機業のエムがいなくなるのは困る、と。結局は自らの都合ということか。

 

 ――貴女がそう認識するのは自由。エムでいるのも織斑マドカでいるのも、貴女の自由であるように。

 

 その言葉にマドカは答えなかった。スコールは肩をすくめて、そのまま立ち去った。禅問答のような会話の後、マドカはどっと疲れて眠りそうになった。スコールと話すのは、いつも疲れる。オータムはよく好きこのんで彼女の愛人になどなるものだ。

 

 スコールがただの強いISドライバーというだけなら、マドカはそこまで彼女を気にかけなかっただろう。ISに限らず戦闘での強さは、戦う前の備えや力量の向上で逆転することもできる。

 

 だが、スコールの感じさせる脅威はそれだけではない。彼女は何を考えているか底が知れないのだ。本当に味方のように振る舞って見せたり、そして思い出したように痛めつけて来たり。優しくされたと思ったところで、それに迂闊に寄りかかれば谷底に突き落とされるような目にあわされる。彼女の視点は高みにあり、マドカやボーデヴィッヒたちにも見えないものを見ていた。

 

 そしてその高い視野から、スコール・ミューゼルはいつもマドカ達を見ている。マドカも少年達も、警戒しつつも彼女の下であがくしかないのだった。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 マドカと凰が互いに話をしてから二日後のことだ。日付は月をまたいで十月二日、計画の実施まで二日となった。

 

 マドカは夕方になって走りにでかけ、一時間ほどして戻った。そして玄関の戸を開けたところで、何か騒々しい音が聞こえる。楽しげな声のため異常事態ということではないだろうが、ここまで音が聞こえるあたり随分な騒ぎだった。

 

「何だ?」

 

 怪訝な顔で首をひねる。その場では判りようもないため、居間の方にやや警戒気味に歩みを進め、自らの疑問の答えに出会う。

 

「ははは、どうかなー、似合う? モッピー知ってるよー。シャルはかわいい男の()だって」

「誰がかわいい、だ」

 

 リビングにIS学園の制服を着た“篠ノ之箒”と“シャルロット・デュノア”がいた。“篠ノ之箒”はスカートの裾をつまみ上げて何が楽しいのかくるくると踊っており、“シャルロット・デュノア”はそれをとりわけ不機嫌そうな顔で睨みながら、ソファでミニから覗く長い脚を組んでいた。

 

「……お前たち、何をやっている」

 

 マドカは驚くより先に呆れて、思わず言った。おかえりー、と言って“篠ノ之箒”が人懐っこくマドカに飛びつこうとしたので、腕を取りながら半歩後ろにさがりつつ、脚を払って床に叩き下ろす。目を回してぶっ倒れた“篠ノ之”であるが、その姿をよく見ると、胸の辺りがぶかぶかしている――というか、胸部のふくらみが全くなかった。一方の“シャルロット・デュノア”のほうは、改めて見なくても身体のサイズが女子離れしている。

 

「マドカ! おい、そんな目で見るな。この格好はだな……」

 

 限りなく氷点下に近いマドカの視線を受け、言い訳するように“シャルロット”が立ち上がる。その身長が一七〇センチオーバー。顔は確かに似ているものの、お前のようなシャルロットがいるか、という話である。

 

「ただいまー、って、なんだ、こりゃあ……」

 

 そこに、別の作業で外に出ていた凰がやってきた。肩に“剥離剤(リムーバー)”がダースで入ったケースを抱え、部屋に脚を踏み入れた彼は、心なしか女臭い部屋の風景に目を剥いたようだ。

 

「おいおい、随分可愛らしくなったもんだな。篠ノ之はずいぶん楽しんでるようだが、デュノアは? 脚の毛まで剃って――趣味か?」

 

 凰がケースを床に置きながら言った。顔を赤くして否定していた“デュノア”は一転して険悪なまなざしを凰に向ける。

 

「うっせえ、ぶっ殺すぞ中国野郎(シントック)。ミューゼルのババアが言い出したせいで、無理矢理試着させられたんだ。体毛は元々薄いんだよ。

 ああくっそ、もういいだろ、オルコット! お前の仕事は最高だ! サイズはムカツクくらいぴったりだよ!」

 

 改めて説明する必要もないだろうが、この“篠ノ之箒”と“シャルロット・デュノア”はIS学園制服を着た篠ノ之彗とシャルル・デュノアである。どちらも女顔だけあり、やや背の高い女と見ても違和感がないうえ、色々なところのサイズにさえ目をつむれば“本家”とよく似た見た目に仕上がっている。

 

「ああ、お疲れ様です、シャルル。もういいですよ。

 それとお帰りなさい。マドカ――帰って早々ですが、学園の制服が用意できましたので、試着をしていただけますか?」

 

 部屋の奥から現れたオルコットが言った。手にもう一着制服を持っている。それがマドカのぶんらしい。マドカは頷きつつも腰に手を当てて困惑する。

 

「それはいいが、この騒ぎはなんだ? 潜入役は私だろう。篠ノ之とデュノアの分を用意する意味も、わざわざ着る意味もない」

 

 口では意味がないと言うだけだが、マドカは若干()()()いた。デュノアはサイズが本物より二十センチ近く背が高いが、それ以外はシャルロット・デュノアと実によく似ているし、特に背格好が近い篠ノ之は、胸さえないことを除けば篠ノ之箒に瓜二つだ。正直にいえば、服装と髪型を合わせただけでここまで近づくとは思っていなかった。似すぎて不気味である。

 

「ミズ・ミューゼルのお考えです。マドカ以外にも女子の制服があれば、潜入して工作するのに便利だ、ということで。デュノア君は相当嫌がっていたようですが、ボーデヴィッヒ君が何とか説得してくれました」

 

 手柄顔で語られるオルコットの台詞のうち、マドカ以外にも、という箇所を聞いたところで凰の顔色が変わる。

 

「……待てオルコット、まさかお前や俺、ボーデヴィッヒの分まであるんじゃないだろうな」

「まさか。必要に応じて作ったマドカはともかく、シャルル、彗の二人はたまたま合う型紙が手に入ったので、作ってもらっただけです」

 

 凰が懸念していたのは、スコールの思いつきが自分にも及ぶことだったようだ。マドカも思わず想像した。頭からつま先まで男そのものの凰、オルコット、ボーデヴィッヒが、女子用の学園制服を着ている図。昆虫の交尾を無理矢理見せつけられるほうがマシだった。

 

 そうか、と凰は安堵した。そしてオルコットは、凰が気を抜いたタイミングで言葉を続ける。

 

「私は肩幅が、鈴とラファエルは肩幅以外に身長も大きすぎます。作るとしたらフルオーダーですねえ」

「作る気はあるのかよ!」

 

 オルコットは楽しそうだった。この男はいつも大体正体の読めない笑顔だが、こういう下らない騒動をしているときは一際おかしそうに笑う。

 

「マドカちゃーん、ねえねえ、早く着てみてよ。お揃いで写真とろ?」

 

 復活した篠ノ之が起き上がり、目を輝かせながら抱きついてきた。彼が近づくと、どこからか甘い匂いが鼻腔をくすぐってきて、なんとそれは篠ノ之から発されているのだった。何故においまで女のそれになっているのか。マドカは強引に振り払い、オルコットから衣服を受け取った。

 

「撮らん。着てくる」

「ああっ、いつもどおり冷たい。悲しい。でもぞくぞくしちゃうなー」

「……お前さんはどうしてそうノリノリなのさ。というか、《ゼフィルス》の整備と《福音》の解析はどうした」

「んー? 《ゼフィルス》は本体が交換部品足らずで手詰まり、武装を全外しして、アンロックモードで点検だけはした。《福音》も最後の関門以外はできたよ。仕事はほっぽりだしてないから、安心して」

 

 呆れ交じりに追及する凰を、篠ノ之が歌うようにかわしている。彼らの会話を背に、マドカは衣服を持って別室に向かった。

 

 部屋に入ったところで、シャツとパンツを脱ぎ捨てて下着と肌着だけになる。マドカの手の中には、白を基調としたIS学園の制服が丁寧に畳まれていた。

 

 マドカはそれをじっと見つめた。ヤツや学園側の娘達が着ている衣服であり、IS学園の生徒達の社会的地位(ステータス)を示す記号だ。

 

 この衣服を着てマドカも四日後、IS学園に潜入する。そのことには何の感慨もなく、気負いも、感情の高ぶりもない。もちろん危険があることは理解できるが、理性で感じる以上の懸念はマドカの中には起こらなかった。

 

 姉さんに関係しない任務ではいつもこうだ。亡国機業のエムとして生きている自分をリスクの中に投げこむことに、マドカは何の痛痒も感じなかった。姉さんに関わる任務と関わらない任務、その二つに対してわき起こる感情に、大きすぎる温度差がある。故に、いざチャンスがごろりと目の前に投げ出されと仮定しても、そのときマドカは自分が何をするか判らない。その点でスコールや凰の懸念は的を射ていた。

 

「気に入らない」

 

 口の中で小さくマドカは呟いた。誰かに気遣われている事実は、自分が取るに足らない存在であることを示しているようで、名状しがたい()()()()を感じさせた。凰に向けて取引などと言い出したことの背景にはそういう感情もある。――自分と少年らは対等であるという立場に留めたかったのだ。

 

 背後で扉が開いた。マドカは物思いから戻り、肌着のまま振り返る。

 

 視線の先には銀髪の少年の姿があった。ボーデヴィッヒだった。軍用のトレーニングジャージを羽織っただけのシンプルな格好で、一度だけ半裸のマドカに視線をやる。

 

「帰っていたか」

「……ああ、ついさっきな」

 

 マドカの格好を前にして、ボーデヴィッヒはほんの一瞬眉を引きあげる。驚きを表すときに彼がいつもする仕草だが、反応はそれだけだった。マドカの方もことさらに悲鳴を上げたりはしない。今さら恥じらうような仲でもなかった。

 

「ご苦労だった」

 

 マドカの身体から顔を外しつつ、ボーデヴィッヒは言った。一応、礼儀のつもりなのだろうか、と彼女は思った。

 

「途中、不審なことはなかったか」

「いや。それらしい気配はなかったが……?」

 

 糊のきいたシャツに袖を、スカートに脚を通しつつ、マドカは答える。簡単な遣り取りだったが、単純なことをいちいち訊ねる内容に、彼女は若干不審げに眉を(ひそ)めた。

 

「そんなことを、今さら聞くのか」

 

 シャツのボタンを留めながら、彼の方を見やる。外に出るときは、尾行があればそれを察知するため、人通りの多いところを選んで通っている。子供のころから習い性になっているような行動だ。そしてそういった“常識”に関しては、原則として何かあったときに報告、ということが普通だった。

 

「……先ほど、二日前にお前達の行ったアパートに、布仏(のほとけ)の姉妹が来ていたとオーナーから連絡があった」

 

 彼は荷物を手にとって立ちながら言った。顔に不安の色はないが、声は平坦だ。

 

「デュノア、オルコット、凰からも報告が上がっている。更識の一門と思われるものが、こちらのフロント企業と接触を図ろうとしているようだ」

 

 ほう、とマドカは息をついた。感心するほどに動きが早い。そういった感想も含めた、敵への賛辞を込めた所作だった。

 

「更識楯無か」

「おそらく。ミューゼル様に情報をあげてはいるが、前の襲撃から相当警戒を強めたらしい」

 

 そうだろうな、とマドカは思った。目と鼻の先で同じ組織による襲撃を繰り返された。現当主の実力を疑われることにも繋がるし、なにより武家よろしくの主従制で保っているヤクザな更識一門だ。その権威が傷つかないはずはない。

 

「だが、それがどうした。秘密にするような情報でもないだろう」

 

 上着に袖を通し、マドカはボーデヴィッヒに向き直る。彼も正面からマドカを見ていた。何かを言いにくそうにしている彼にまた苛立ちが起こり、マドカはやや強い口調で続きを促す。するとボーデヴィッヒが、静かな声でためらいがちに口を開いた。

 

「……中止を」

 

 途切れ混じりの台詞だ。マドカは言い直しを促すように顎をしゃくった。

 

「今回の計画(プラン)の中止を考慮している」

 

 一瞬、彼がなんのことを行っているのか判らなかった。彼の行っている計画が、次の日曜日に実施予定の仕事のことであると理解するまで、少し時間が必要だった。

 

「今さらか? スコールに提言するということか」

 

 意外そうにマドカは眉を引きあげた。スコールの指示に従う、という意味においては、彼は何事も感情任せのオータムよりもよほど忠実だ。凰ではないが、ボーデヴィッヒなら女子の制服を着ろ、と命じられても、それを口にしたのがスコールならば従いかねない。そう認識していただけに、彼が異を唱えるのは珍しいと感じた。

 

「それはもうした――だが、入れられなかった」

「ならば、私たちに是非はない。違うのか?」

 

 マドカにさえ、今の段階でスコールに逆らうという意思はない。まして、ISも使えず、国籍さえないようなボーデヴィッヒが反抗するなど。そのため、彼が口にした次の台詞はマドカの予想を超えていた。

 

「――あの方の判断がどうあれ、今回の現場指揮も俺だ。俺が実行直前で中止する、と宣言し、そのままマドカを含む全員が何もせず撤収すれば、全ては終わる」

 

 思わず息をのんだ。平静な口調だが、内容は命令違反の予告だ。それも、スコール・ミューゼルの手に真っ向から噛みつくに等しい過激さだった。

 

「……元々の計画では更識の警戒を潜って、クライアントの連絡員と接触する予定だったな」

「ああ。学園内とはいえ、あの広大な敷地と多くの建物を更識は全てカバーできない。その権限もない。更識楯無との接触が回避できると十分に保証できれば問題はなかった」

「状況が当初から変わったのか」

 

 我知らず、マドカはボーデヴィッヒに詰め寄っていた。彼はそんなマドカの肩に手を置いて続ける。

 

「更識楯無は、学内の生徒何人かに絞ってマークを付け始めた。クライアントの連絡員もその中に含まれている」

 

 マドカは荒く息ををついた。更識楯無はなかなかに度胸のある女だったらしい。ボーデヴィッヒの言を信じるなら、足りない要員で対処できるよう、亡国機業のためにメンバーを全て割り切ってきたということだ。勘か洞察か、判断の根拠はこちらが知る由もないが、外れていた場合はそちらが空になることを考えれば相当な決断である。

 

「それで、お前は自分の責任で全て片付けるつもりか」

 

 マドカは言った。ボーデヴィッヒは腰に手を当ててマドカを見、小さく頷いた。

 

「それをやって、どうなる? お前がスコールに咎められて終わりだ」

「網が張られているところへ行けばお前が死ぬ」

 

 いつもの鉄仮面のまま、ボーデヴィッヒは言った。揺らぎのない表情には感情どころか迷いもない。

 

「織斑千冬への復讐を果たせないうちに、死ぬわけにいかないのだろう」

 

 結論は既に出ていると言わんばかりの顔を、マドカは見た。自分の命を投げることに何の痛痒もためらいもない――ある意味で非人道的とも言える顔が、目の前にある。何のためにと言えば、それはマドカのためなのだ。

 

 彼の顔を見ているマドカは、内心に何か感情が起こるのを感じた。

 

 ――気に入らない。

 

「気に入らない」

 

 マドカは心中に浮かんだものをそのままに呟いた。

 

「何だ?」

 

 ボーデヴィッヒが短く聞き返す。

 

「気に入らないと言った」

 

 マドカは歩き回り、自分の荷物を蹴って立ち止まる。

 

「……何が?」

「お前のその保護者面だ。お前はいつから、私の命と私の復讐に、責任を持つようになった」

 

 ボーデヴィッヒは口を結んで黙り込んだ。意味が伝わっているのかいないのか――それを考える間もなく、マドカは畳みかける。

 

「その二つは私のものだ。お前に訳知り顔でどうこうされる言われはない。まして、お前が犠牲になってそれを守るなど」

「犠牲というつもりはない。コストだ」

「言葉遊びが趣味か? 意味は同じだ。いつからスコール・ミューゼルの衒学(げんがく)趣味に影響された」

「お前こそおかしい。何を感情的になっている」

 

 確かに、マドカは感情的――というか、理性などまるで働かせていなかった。内心のむかつきをはき出そうと、思いつくままに言葉を口にしている。

 

「第一、なぜわざわざ私に事前に言った。やりたいなら一人でやればよかっただろう」

「お前を潜入させる、という計画の性質上、当日は別行動になる。中止の意図が存在することだけは前もってお前に知らせる必要があった」

 

 ボーデヴィッヒは困惑しているようだった。彼の“贈り物”をマドカは何の気もなく受け取るだろうと思っていたらしい。マドカは大きく一つ、息をついた。

 

「私は認めない。お前とは確かに付き合いは長いが、私を理解したような顔をして、私のことを語るな」

「ならばどうする。更識楯無はISを持っている。今、我々に稼働可能なISはない。後は必要な犠牲をどこに付けるか、問題はそれだけではないか?」

 

 マドカは口元に手を当てて思案した。

 

「スコールが計画を遂行しろと言ったのだな。どんな口ぶりだった」

「その通りだ。更識の現当主を、もう一度あしらって見せろと」

 

 スコール・ミューゼルは打算も理性もある女だ。理不尽な命令を出すようで、その実は頭を使えば実現可能であることも多い。あの女がやれ、といったなら、何か確証があったと見てよい。

 

「何かあるということだ。更識楯無を封じるような要素が」

「あの女に傷があるということか」

 

 それは、おそらく今までの計画――(ねずみ)よろしく、更識の目を潜って連絡員と接触する、というだけの観点では見つからないようなものだ。

 

「視点を変えれば何かが見つかる、といいたいのか、マドカ」

「だから、スコールはお前の提言をいれなかった。計画を実行するにせよしないにせよ、まずはそれを探すべきだ」

 

 マドカはボーデヴィッヒのジャージの襟首のあたりを掴んだ。なんだか先日から男の胸ぐらを掴んでばかりいる気がするが、マドカは今日はただの激情ではなく、自分の意思でそれをやっていた。

 

「それに、私は()()お前を失うつもりはない。私の復讐である以上、確かに全ては利用する――だが、お前が命を投げ捨てるというなら、どこでそいつを投げ捨てるかも、私の一存でさせてもらう」

 

 首元の自由を奪われたボーデヴィッヒは、呆気にとられたようにマドカを見ている。睨み合うように見つめ合ってしばらく後、その沼のように起伏のない能面が崩れた。

 

 そして、珍しい表情がそこに現れる。彼の口元を、わずかな笑みが走ったようだった。彼が笑うのを見るのは、初めてだな、とマドカは思った。

 

「お前の命はお前自身のものだが、俺の命はお前の一存なのか?」

「言葉のアヤだ。私はお前と違い、お前の命をわざわざ守ってやるつもりはないぞ」

 

 ボーデヴィッヒは頷いて、息をついた。どこか満足そうな雰囲気だ。

 

「……それでいい。ただ、少し計画の修正には付き合ってもらいたい。いいか。俺以外の視座を持つ意見が欲しい」

「ここまで来たなら。だが、他の者の意見はいらないのか?」

「俺は、お前の考えが欲しい」

 

 何故かそこだけ頑なにボーデヴィッヒが言う。マドカは手を離した。まあ、人数を増やしすぎたところで方針が乱れるだけでもあるし、構わないだろう。肯定を返すと、彼の表情はまた元のそれに戻った。

 

 そのボーデヴィッヒの目がマドカの首のあたりに行き、何かに気付いたように動く。

 

「リボンが歪んでいる」

 

 マドカの手を掴んで外させ、指摘する。

 

「結ぶ。少しじっとしていろ」

「ん? ああ……」

 

 マドカはボーデヴィッヒのしたいようにさせた。しゃがんだ彼が見上げるような姿勢になり、大柄な手が手際よくリボンを結んでいく。

 

 彼が離れて、マドカはドレッサーの前に立った。IS学園の一年生の服を着て、織斑千冬によく似た顔の少女がそこにいた。スカートは膝丈、上着は標準。マドカはしばらく、その鏡の前に立った。鏡の中の自分の姿には、なぜか違和感を感じる。普段()かないスカートの感触は落ち着かないが、それだけではないような気がした。

 

「似合っている」

 

 鏡越しにボーデヴィッヒが言った。

 

「……それは褒めているのか?」

「違和感がない、という意味だ。溶け込めるだろう」

 

 ふん、とマドカは息をつく。スコール付きで人前に出ることも多い彼がいうなら、そうなのだろう。

 

 マドカは脱ぎ捨てた衣服を畳むと、元の部屋に戻った。ボーデヴィッヒはラップトップを取りに別の部屋にいったようだ。

 

「《ゼフィルス》は武装だけ使える状態、ということですか。コアなしで使えるものと言えば――《スターブレイカー》ライフルぐらいでしょうかね」

「あの機体、コアに繋がないで使える装備、あんまりないからねー。あと《福音》についてだけど。ISとして運用するには制御系の生体認証ロックを通す必要があるみたいなんだよね」

「隔離封印した機体に生体認証なんかが残ってたのかよ。アメリカの考えることはわからんな。どうやって外すんだ? 登録済みパイロットをさらうわけにいかんし」

「米軍データバンクの照合用データがあれば解決するかな。暗号復号の式はなんとかわかったし。ただ(なま)データは直接米軍から頂きますしないと。地力で調べると数週間がかりになるし」

 

 出て行く前にしていた話が続いていたらしい。珍しく篠ノ之が真面目な顔で話している。服装は女子制服のままだが。

 

「福音事件の痕跡は? 今回の《福音》の解析ではそちらが勘所ですが」

「そっちはばっちり。篠ノ之束がどうやって事件を起こしたか、よくわかったよ。生体認証がいるのはコアネットワークとかの立ち上げだからね。それさえうまくいけば、福音事件の再現だってできるよ」

 

 話が途切れたところで、マドカは声をかける。

 

「オルコット、いいか。サイズは問題ない。これで――」

 

 篠ノ之、凰、オルコットの視線がマドカを捉える。彼等の顔がマドカの姿に釘付けになる。ちなみにデュノアは、着替えに行ったのでいない。

 

「おおー! かわいー! これで僕とおそろだねー」

 

 篠ノ之が目を輝かせたのは予想通り、といったところだ。残りの二人の反応も似たようなものだった。

 

「……いや、驚いた。見違えた。スカート一つで新鮮なもんだな」

「すばらしいですね。マドカ」

 

 揃いもそろった感じの顔でマドカを見ていた。普段は出さないが、案外欲望に忠実な連中である。マドカは言葉を重ねた。

 

「似合うか似合わないかはどうでもいい。違和感のない服装になっているかが重要だ」

 

 マドカがぴしゃりと言うと、誰も違和感はない、という。

 

「あ、ラファだー。どうどう、僕のこれ、似合うかな?」

 

 そこに、遅れてボーデヴィッヒがやってきた。彼は篠ノ之に一瞥をくれると、また眉を上げた。篠ノ之がふざけて“篠ノ之箒”の格好で(すが)り付いている。身長差だけなら、男に女がじゃれついているように見えるが、もちろんボーデヴィッヒは顔色一つ変えなかった。

 

「……ついでにお前も、潜入させるか」

「似合ってるってこと? はは、うれしーなー」

 

 ボーデヴィッヒが短く言い、篠ノ之が笑う。ボーデヴィッヒが手元の端末を操作すると、部屋のモニターの画面に地図が立ち上がった。映っているのは、巨大な人工島の詳細な図だ。北側に本土側との連絡ラインである搬入路とモノレール、及び駅舎、敷地のかなりの部分を占めるグラウンドと海港・空港エリア、中央に位置する校舎、学生寮、アリーナ。言うまでもなくIS学園の図だった。

 

 ボーデヴィッヒは立ち上がった。篠ノ之がその勢いで振り回され、きゃ、と女子のようにふざけた悲鳴を上げながら彼から離れる。踊るようにステップを踏んで姿勢は崩さず、篠ノ之は姿勢を持ち直して、マドカの背もたれに寄りかかった。

 

「皆、いいか」

 

 ボーデヴィッヒが静かな声で呼びかける。全員の視線が、彼に集まった。

 

「今日の夜、ブリーフィングをしたい。作戦プランが少しかわる予定だ」

 

 少年達の雰囲気が変わり、空気は温度が下がったように冷えて引き締まる。

 

 無言で頷いて皆、準備に散った。

 




シャルロットさん「女子力高い・人当たりがよい・“作者の一存で優遇される”」→シャルルくん「男子力低い・人間力低い・“~なのでいない”」
ゲルマン幼女「妹キャラ・天然・兵隊キャラ」→ゲルマン兄貴「兄貴キャラ・常識人・指揮官タイプ」

我ながら突っ込みどころ多し。

企画段階ではシャルル君はそのままシャルロットになれるような子だったのですが、身長の設定をしているうちに、そのままではシャルロットと間違いようがない感じになってしまいました。

実際身長の設定を確認すると、ISキャラは女子にしても身長が低く、一番長身の箒さんですら160センチしかなく、長身と言われる千冬さんでも、166センチしかないのですね。デュノアさんたちの入れ替わりネタを暖めてはあったのですが、こんな身長の男子はおらん、ということで箒、じゃない放棄されました。


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第6話 誰かにとっての長い一日

にじファンから改稿しています。途中シーンを少し足しています。


 十月三日の土曜日。エリート校ではあるものの、一皮むけば女子校でしかないIS学園はどこか浮ついていた。休日ということもあるが、特に今週は学園に常にない噂が持ち上がったこともあり、誰も彼もが好奇心をこぼれさせた女子の顔をして歩き回っている。

 

「ねえサラ、聞いた聞いた? 織斑君がなんか、一人の女の子を追いかけ回してるんだって」

 

 昼、学生食堂で食事をしていたサラ・ウェルキンもその噂を聞いた一人だ。内容は学園唯一の男子、織斑一夏のものだった。何でも、普段から五人の女子に追いかけ回されている彼が、今回は次のトーナメントで組む相手として一人の女子、日本の代表候補を執拗に狙っているという。

 

「聞いておりますわ、京子。一大事――なんでしょうね」

 

 織斑一夏は世界でただ一人ISを使える男であり、また本人の気だてがいいこともあって、学園では大層モテていいる。上級生の中にさえ、あわよくば、と本気で狙っているものがいるというのだから、彼の恋愛動向が学生達の噂に載るのは当然だった。

 

「サラは気にならないの?」

 

 同席の少女が首を傾げながら、ウェルキンに訊ねた。ウェルキンは微かな苦笑を浮かべながら肯定を返す。

 

「私はあまり……。彼自身については気になりませんわ」

「サラはクールだからなあ。あ、噂をすれば、だね。来たみたい」

 

 きゃ、と小さくはやすような声が上がり、友人たちの目が食堂の入り口を向く。スカート姿の女子が目立つ中、一人男子の制服を着た織斑一夏が入ってきていた。彼が追いすがるのは更識楯無――に、そっくりな空色の髪をした少女だ。ウェルキンはそれが誰だか知っていた。日本代表候補生、更識簪。姓と容姿の共通点が表すとおり、更識楯無の妹である。

 

「彼が“自分で”彼女をパートナーに選んだならよいことです。学園も(つつが)なくなることでしょうね」

「はは、まあ織斑君の周りはいつもラブコメ空間だもんねえ……」

 

 友人が答える。ウェルキンは周りの熱気から一歩引いた冷徹な目つきだった。パンを千切って口に運びつつ左右に眼を走らせる。ウェルキンと同様に一夏の動向を冷静に観察しているものが幾人かいた。どれも“留学生”ばかりだ。

 

 ウェルキンや彼女らが気にしているのは、一夏の動向ではない。気になるのは彼の行動の背後にいる者の意思である。隠す必要もないので率直に言えば、それは楯無の意志だった。

 

 織斑一夏という人は基本的に受け身の人物であり、彼が自らの意志で動き出す、ということはあまりない。彼の行動原理は、今までの行動を見れば判る通り、姉である織斑千冬の名誉を守る、女を守る、弱い者を守る、うんぬんと言ったところで、脅かされたものを守るとか、攻められて守るとか、誰かに挑発されて行動するとか、要はリアクションから動くことを基調としている。逆に自分から何かをしようということはない。

 

 これらはウェルキンだけが言っていることではなかった。本国のプロファイラー・チームが寄越した解析結果が言っているのだ。彼には将来の理想・目的やビジョンがなく、それゆえに行動を起こすには動機付けを欠いている。よって、彼が常にないような行動を起こしたなら、それは誰か――この場合は、楯無が尻を叩いたからだ。

 

 そして楯無が動いた理由、こちらも推測するにそこまで複雑なものではないだろう。先日の学園祭ならびにCBFで、亡国機業による専用機持ちの襲撃があった。ただの攻撃ならともかくISによる強襲 であり、そこから身を守るには専用機ドライバー各員の力量強化、そして相互で防衛できるような関係作りが必要になる。そのため、本人の気性もあって孤立しがち簪のパートナーに一夏をあてがった。おおよそそのような事情と思われた。

 

「苦しいですわね」

「ん、サラ食べ過ぎ?」

「違いますわ。織斑くんのことです」

「あー、彼、あんなに拒否られんの初めてだろうしね。(はた)で見てるだけで、なんか新鮮かも」

 

 目の前では(すが)っては拒絶される一夏という、学園では珍しい光景が見られる。友人はしきりに楽しげに頷いているが、ウェルキンが気にしているのは彼の心情のことではなかった。正確に言うなら、楯無が妹のパートナーとして織斑一夏を当てざるを得なかったことについて、である。

 

「京子、フィー。また夜に。私、昼からアリーナの予約がありますの」

 

 ウェルキンは手を振って席を立った。留学生たちの視線が一度だけ一夏からウェルキンに集中して突き刺さる。ウェルキンは彼女らにきつい一瞥をくれてから、食堂を出た。

 

 食堂のある校舎を出て、通路から学園北側へ向かう。予約時間まではやや間があるが、受領間もない彼女の専用機は調整をする必要があった。

 

 そして、アリーナの入口にさしかかったところで、意外な人物に出会った。教師が実技指導をするときのジャージを着た黒髪の女性。ウェルキンや楯無よりも高い背の人影を見て、ウェルキンは思わず立ち止まった。

 窓口の前で手にタブレット端末を持ち立っているのは、学園で最も強く、同時に一番政治的に関心を置かれている教師――織斑千冬だった。

 

「織斑先生、何を?」

「ああ、二年のサラ・ウェルキンか。見回りだよ」

 

 千冬は応える。彼女は去年も一年を担当しており、今年の二年は半数ほどの生徒が彼女の指導下に入ったことがあった。ウェルキンもその一人だ。どうやら、顔を覚えられていたらしい。問いかけられても千冬は平静な顔をしていた。

 一方でウェルキンは驚いていた。今日のアリーナ担当は彼女以外で、ウェルキンとしてはこんな場所で遭遇する心算はなかったのだ。

 

「そう驚くほどのことでもないぞ。襲撃が続いているから、教師でも可能な限り巡回を、という下達があってな。効果があるかはわからんが」

「なるほど。お疲れ様です」

「貴様は……今から訓練か」

 

 千冬の双眸(そうぼう)に晒され、ウェルキンは少し肩をすくめた。どこの国の“留学生”でも織斑千冬はマークするように言われている。ウェルキンも例外ではない。だが、その事情とは全く別にウェルキンは彼女が苦手だった。打てば響く反応をしてくれる楯無や他の教師たちと違って、ウェルキンの冗談やら戯言(たわごと)が通じにくいのだ。そういう堅いところを勘の鋭さやカリスマで補えているので教師としてはやっていけるのだろうが、彼女としてはやりにくいことこの上なしだった。

 

「昼にはアリーナや校舎を、それと夜には寮周辺を巡回する。……判っているとは思うが、私が咎めねばならんような真似はするなよ?」

「あら、それはいらぬ注意と存じます。一年とは違いますもの。そうやんちゃは出来ません」

「ふむ。無茶は出来なくなるが、慣れと経験で賢しくなるのが二年だからな。特にお前と更識楯無は、一年の時からくせ者だった」

 

 千冬の口許が軽く上がる。威圧されているのかと一瞬思った後、どうやら冗談混じりに笑っているらしいことに気付いた。ウェルキンも遅れて愛想笑いを合わせる。

 巡回の予定をあっさり聞かせているのは、学園としては敵が外にいることになっているからだろう。どこまでが学園の本音で建前なのかは不明だが、図らずも重要な情報を得たウェルキンは内心のメモに強く覚え書きしておいた。

 その間に、そういえば、と思い出したように千冬が声を上げる。

 

「専用機を受けたそうだな。おめでとう、と言っておこう。お前の実力ならいつ話があってもおかしくないとは思っていた」

「お耳が早いですのね。誰からです?」

 

 聞いたのはウェルキンの担任のジェシカ・エドワースだという。確かにウェルキンが書類を提出した相手は彼女だった。あらあら、と口許をてのひらで押さえつつ、彼女はお喋りなカナダ人教諭を内心で軽く罵っていた。

 ウェルキンの実力なら、という千冬の言い回しは楯無と同じ表現だが、()()と違って他意がなさそうな口ぶりだ。表情はウェルキンを労う言葉そのままに屈託がなく、ただの高校教師のように見えた。

 

 この時期にウェルキンが専用機を下賜される理由について、何も思うところはないのか。千冬の底意を図りかね、ウェルキンはままよ、と思った。いっそ自分から探りを入れてみようと考えたのだ。

 

「ええ、先生にも指導していただきました、それも含めての成果と思っております。お礼申し上げますわ。

 ただ今のタイミンクでの専用機については……本国より命を賜りましたので私には“従うよりない”、というところですわね」

 

 やむなし、という言いかたをしてみせる。案の定、千冬の眉がくっと持ち上がった。

 

「不本意だという言い方に聞こえるな?」

「名誉あることなのは確かですが、時期が悪いですわ。今年度に入って以来学園はトラブル続きですもの」

 

 少し言葉を切り、ウェルキンは千冬の様子を見た。彼女の目には意図を探っている色がある。

 

「特に――特に最近は、専用機持ちが大変な目にあっております。それも生命に関わるほどに……先生も、今年の一年は大変ですわね」

 

 ウェルキンは今年の、ということを強調している。半ば皮肉、三割本音、後のニ割が探りのつもりの問いかけだった。唯一の男性搭乗者である一夏に加え、一年に候補生たちが次々入学・転入し、さらには数々の襲撃が相次いでいる。今の千冬の立場は、ひいき目ぬきに難しいところにあった。

 そしてウェルキンが知りたいのは、千冬が学園内でどのポジションにいるか、楯無や一夏の動向を彼女や学園がどの程度気にかけているのか、ということだ。問いかけの意図をどう取ったのか、千冬はあまり表情を変えずに応じた。

 

「……そのためにこちらでも手は打っている。今度の臨時トーナメントと、それに伴うトレーニングもその一環だ」

 

 学園の公式の回答と同じだ。聞きたいのはそういうことではなかった。ウェルキンはさらに問いを重ねる。

 

「――更識楯無が()()()のところに押しかけたり、彼を日本の代表候補にけしかけたりしていることも含めて、ですか?」

「ウェルキン……」

 

 千冬の声が低くなる。少しあからさまにしすぎたかもしれない。そう思った直後、千冬の手が(ひるがえ)るのが視界に映った。怒りの到来を予期して、彼女はとっさに身を固くする。

 

 が、千冬の手は意外なことに、手持ちの端末で軽くウェルキンの頭を小突いただけだった。端末の裏面が当たった拍子に声をあげてしまったものの、実際にはさして痛くもなかった。

 

「貴様が何を聞きたいのか追及せんが。学園でのあれのことは、私も一教師として以上には関知していない。ヤツももう子供ではない以上、自分の責で動く」

 

 千冬は言った。噂よりは過保護でないと言うことかな、と思いつつ、ウェルキンは打たれた頭を片手で押さえて千冬を見た。

 

「なるほど。しかし、()つ必要はなかったように思いますわ」

「……相当に個人的なことに質問したのだ。リスクの結果と思え」

 

 もちろん千冬も本気で叩いたわけではない。たしなめるような軽い打擲だった。関係ないと言いつつも、一夏のことはプライベートで相当気にしているとうことだろう。

 

「何であれ行動には代償がつく。過去にやったことや今やってしまったことからは逃れられん、ということだな」

「……傷み入ります」

 

 殊勝に答えつつ千冬の顔を窺い――そこに浮かんでいる表情を見て、ウェルキンは何とも言えずに肩をすくめた。校舎を廻る、と言い残して千冬はアリーナからの通路から校舎に向けて去る。後にはウェルキンが残された。

 

「学園も織斑先生も、今は楯無を静観しているということですか」

 

 ウェルキンは溜息をつきながら言った。千冬と話して判ったことがある。学園側は恐らく、楯無を指示下においておらず、またその動きを掣肘(せいちゅう)もしていない。楯無のここ最近の動きは、やはり彼女自身の考えによるものだ。

 

「……それにしても“行動には代償”、“過去からは逃れられない”、ね」

 

 去る千冬の背中を見つめながら、ウェルキンは呟くように言った。自分は歩みをアリーナの奥に向ける。

 

「織斑先生が言うと含蓄があるというべきでしょうか」

 

 小首を傾げて、頬に人差し指を当てて言った。先ほど覗いた千冬の顔には、一見では名状する言葉が浮かばなかいような複雑な表情が浮かんでいた。後悔や諦念を混ぜたような大人の女性のそれだ。

 

 彼女にとっては、過去は払うべき負債の集積であるということか。ウェルキンはそこまで考えたが、ただの推測に過ぎないなと自分でも思い、首を振って思推を打ち切った。

 

 不意に声をかけられたのは、その時だった。

 

「ハァイ、サラ」

 

 また意外な人物との邂逅に、ウェルキンは驚く。彼女は直前まで思案で捻っていた首を巡らして声の方を向いた。

 

 更識楯無がそこにいた。扇子で元を覆いながら、いつものように笑っている。どこにでもいて、どこにでも現れる、まるでチェシャ猫だな、とウェルキンは頭の片隅で他人事のように思った。

 

    ◇    ◇    ◇

 

「私も“たまたま”昼からアリーナ予約してたのよー。時間は貴女のあとだけどね」

 

 楯無が言った。猫のような切れ長の釣り目で射られ、ウェルキンは我知らず身体が硬くなるのを感じる。あれから二人して移動し、更衣室でISスーツを着用して格納庫に入った。楯無の扇子の面には「邂逅遭遇(かいこうそうぐう)」と文言が浮かんでおり、あくまで偶然だと彼女は言いたいらしい。

 

「それにしても随分お早いですのね。お昼も早々に切り上げたのではなくて?」

「んふふ。まーね。自分の機体の調整をしたかったの。そしたら貴女の予約も後に入っていたから、受領した《メイルシュトローム》を見れるかなーってね」

 

 ウインクしながら語る楯無にウェルキンは薄く笑った。偵察の目的は隠すつもりもないらしい。どちらかと言えば、威嚇の意図もあるのかな、とウェルキンは察する。

 そうでなくともここ数日、ウェルキンに対する監視は厳しくなっていた。学内の更識一門下のメンバーは、ウェルキンが掴んでいるだけで五人――布仏の姉妹二人、他に表にあまり出てこないがサポートで二人、そして目の前にいる楯無本人だが、そのうち誰かが常に彼女のマークについているのだ。

 

「今さら第二世代機をご覧にですの。もうロシアも日本も、この機体の量子ビットOSの次数まで把握しているのではなくて?」

「それはまあ、ね。ただ同級でも艤装が違うことはあるでしょ? 臨時とは言え公式戦も開かれることになったし、敵情視察というわけ」

「あらあら、怖いですわ」

 

 口元を押さえながら、出来るだけ明るくウェルキンは笑う。

 

 更識楯無が特殊なシフトを敷いてきた理由には、いくつか思い当たる節はある。

 一つはウェルキンの本国の動きだ。欧州統合調達計画はそろそろ量産試作機の第一機就役が近いが、英国は性能面で若干ドイツの《シュヴァルツェア()レーゲン()》級に後れをとっている。それは、IS学園でのラウラ・ボーデヴィッヒとセシリア・オルコットの模擬戦成績からも明かだった。

 英国としては、来年のイースター明けに行われる量産試作モデルのトライアルまでに、その穴を埋める――あるいは競合で負けても、そのオプションに噛めるようなカードが必要だった。その意向は英国の軍需企業BASシステムズも含め、英国空軍においても公式(オフィシャル)にアナウンスされている。英国に近く何か動きがある、と見るのは自然だ。

 

 もう一つは先日の生徒会での一件だろう。あれは単純にウェルキンの失態だった。あんな単純な手で出し抜かれ、よりによって楯無の目を引きつけるとは。思い返しても、彼女自身に腹が立つやら赤面するやら。

 

「そこまで言われるなら、お見せいたしましょう。ただ、何も面白いものはありませんよ」

 

 答えながら、ウェルキンは胸元に仕込んだネックレスに、衣服の上から手を当てた。

 

 来い、と内心でわずかに呟く。同時に周囲に点のような光が明滅する。次の瞬間、暗蒼色を基調としたパワード・スーツがウェルキンを中心として展開された。

 

 全高にして五メートルほど。ISとしては大型の部類に入る。ブルー・ティアーズに比べてもほっそりしている脚部に対し、不釣り合いなほどがっしりとした腕部と肩部が印象的である。これは兵装支持架を腕部と肩部に備えているためであり、初期展開の状態では両肩部に一二七ミリIS用速射砲および空対空ミサイルが装備されている。いずれも同級の標準的な初期装備だった。

 

 サラ・ウェルキン専用機の《メイルシュトローム(渦潮)》級七番機《フィアレス(不敵)》。五番機《マドリガル(抒情歌)》、六番機《ナイキ(勝神)》に続く同級最後の機体である。

 

 ほう、と楯無がため息をついたのは、ウェルキンの展開速度に対してか、機体に対してか。ウェルキンにはわからない。

 

「無骨ね。砲撃戦重視の“空飛ぶ戦闘艦”。公式戦以外で見るのは初めてだけど、間近で見ると想像以上に迫力があるな」

「今ではその名称はただの皮肉でしてよ。“空飛ぶ戦闘艦”――モンド・グロッソでは公式に一勝もしたことがないことの方が有名な、鈍重な機体ですわ」

 

 楯無が挙げた感嘆を、ウェルキンが皮肉げに口をゆがめて打ち消した。この機体の就役は今年の年初だが、調達は本機を保って打ち切られている。次年からは欧州統合調達計画の英国一番機の生産が始まる予定だ。

 

「うーん、そこまで母国の機体を皮肉ることもないんじゃない? 一年前のワールドユースでは、セシリアちゃんが同級でベスト8まで行ったんじゃなかったかしら」

 

 苦笑しながらのフォローをしてくる。確かにプライドの高いセシリア・オルコットならば自らの成績を盾にこの機種の優越を主張するだろうが、他ならぬ英国代表候補生として同級の欠点も知り抜いているウェルキンとしては、素直に肯定しがたいところだ。

 

「オルコット卿の技術に加えて、あのときの機体は相当にカスタムされていましたから。初期装備の肩部主砲、さらに量子領域内(クォンタム)仮想()ミサイル発射()装置()を外して、実弾兵器を増強。できあがったカスタム機は、機体コンセプトからして砲撃戦型から高機動型に変わっていましたもの」

 

 砲撃戦型IS。より正確には、古き良きWW2の戦闘艦の戦術をコンセプトとしたというべきだろうか、とウェルキンは思う。命名規則が艦艇のそれ――ネーム艦ならぬネーム機を等級の名とし、一機ごとに名前が付く――に準じていることから察されるかもしれないが、英国軍はこのISを当初、空飛ぶ戦闘艦艇として位置付け、開発を行っていた。

 

 どうしてそうなったのかは判らないが、ウェルキンが物心つくころにはそういう理論が英国内でトレンドになっていたのだ。いわく、堅固な装甲(シールド)を備え、戦闘艦なみの打撃力をもってしか撃破できないISの戦闘コンセプトは、かつて戦艦を破るには戦艦をもってするしかなかった大艦巨砲の概念の相似形である、と。シールドで身を守り、多量のミサイル打撃力を量子領域内に格納したミサイルランチャーによって備え、艦船並の砲をもって戦うべきである。ついでにいうと、戦闘艦艇の打撃力を持たせておけば、削減される一方の海軍艦艇の役割も期待できるではないか。一挙両得、一石二鳥、二兎を追って二兎を得るべし。

 

 今から考えると噴飯ものの結論だろう。それでも数年前、ISが兵器としてようやく完成を見始めたばかりの頃、暗中模索の開発を進めていた英国の技術者には、この空論が(すが)るべき(わら)に見えたらしい。このため、初期ベースラインの《メイルシュトローム》は、十二インチ(三〇・五センチ)十口径砲を両肩に備えるというとんでもない機体になった。

 

「まーね。単機で巡洋艦なみの爆装、打撃力。発煙弾や対空ミサイルみたいなものから、IS発射型弾道ミサイルや巡航ミサイル、慣性誘導爆弾も使用可能――だけど、機動性が犠牲になっているのよね」

「結果、高機動系統の他級第二世代には抗すべくもなく。モンドグロッソでもユーロ大会でも、グループリーグで敗退しましたわ」

 

 どのような理論も机上では完璧である。理論を妨げる負の要素を排除して試行できるからだ。

 結論から言うと、ロールアウトした《メイルシュトローム》級は《ラファール》型のようなちょっとでもすばしっこい機体相手には全敗する、早い話が欠陥機として完成した。至極当然の話だが、いくら砲撃力が高くても、当てられないなら意味がないのだ。勝てるのは、同じく比較的重装甲型の《打鉄》ぐらい。それでもキルレシオが1:2を割らないあたり、この機体の鈍重さが判ろうというものだ。

 

 ちなみに欠陥の代名詞だった両肩の主砲は、《フィアレス》が属するベースライン3の段階では平均的なIS用一二七ミリ速射砲に付け替えられている。

 

「いいじゃなーい。私、第二世代機では《メイルシュトローム》が一番好きよ? なんか愛嬌があって。ほら、このゴツイ肩とか、かわいーじゃない」

「は、はあ、かわいい、ですの……?」

 

 楯無はウェルキンの装着したISに寄り、肩の砲口を指す。かわいい、という楯無の評価にはウェルキンも困惑するばかりだった。評価そのものに加えて、英語で言うところのCuteもPrettyもLovelyも全て片付けてしまうこの言葉と、日本人のメンタリティは未だに掴めない。

 

 鼻歌でも歌うように上機嫌で歩む楯無を視界の端に捉えつつ、ウェルキンは飛行前の最終チェックをかけた。ハードウェア温度正常、フライバイライト異常なし、QPU使用率正常値内、PICエンジンならびにプラズマジェットスラスター異常なし。各種計器オールグリーン。最後にファイアリングロックの正常を確認し、モニターから顔を上げる。

 

 そこで、楯無と目があった。彼女はにっこり笑い、目の前で身体を宙に浮き上がらせる。PICの部分展開だ。楯無は地上の重力から解放されたように舞い上がり、空中で一回転してからウェルキンの機体の肩口の辺りで制止した。

 

「この()、《フィアレス》っていうのね」

 

 細い指で、肩口に印字された『HMW-17 Fearless』の文字をなぞる。PICの部分展開だけで、地面に立っているかのようにバランスを崩していなかった。本当に猫か、そうでなければ妖精のような娘だ。手の中で扇子が広げられて「大胆不敵」という文字が浮かんでいる。たしかに、Fearlessを四字熟語で表すとしたら、その語が当たるだろう。

 

「んふふ。サラにぴったり。《フィアレス》ちゃん、サラをよろしくねー。仲良くしてあげてね」

「何を呼びかけているんです。それに、その言い方はなんですの」

「あら、知らない? ISってこうして呼びかけてあげるとちょっと機嫌が良くなったりするの。あと、不敵、っていうのはサラにぴったりじゃない」

 

 ちょっと怪しい新興宗教のようだ、と思った。ウェルキンが実際にそう指摘すると、楯無は懐かしいと言って笑う。彼女らが入学したころ、植物や水に呼びかけてあげると綺麗になるのだ、というエセ科学じみた話が流行ったことがあった。

 

「確かに、少し懐かしいですわね」

「そうねー。っていっても、まだ一年前だけれどね」

 

 実は、ウェルキンと楯無が話すようになったきっかけもそれだ。あるとき、クラスメイトがその下らない話で盛り上がり、非科学的なとバカにする生徒で喧嘩になりかけた。それはいいのだが、傍で大騒ぎをされたため、幾度かの注意の後、ウェルキンがキレた。

 自分の席の隣でそんな下らない喧嘩をした少女二人をネチネチと追い詰め、ついにその場で泣かせてしまったため、当時はクラス代表だった楯無がウェルキンをなだめてすかして仲裁したのだった。

 思えば、それが楯無とウェルキンがまともに付き合いだした契機だった。今の仲から考えると意外だが、実際のところそれまでまともに話したこともなかったのだ。

 

「懐かしいついでに、どう? 久しぶりに模擬戦。そっちはアリーナ、昼イチから予約を取ってるんでしょ」

「喜んで――といいたいところですけれど、ごめんなさい。先約がありますの」

 

 ウェルキンがやんわりと断ると、楯無は足場にしている《フィアレス》の肩口を蹴った。からかうような顔つきになり、パワード・スーツを装着したウェルキンの身体があるあたりまでPICで降下してきて、つん、と胸のあたりを扇子を持たない方の手指でつつく。

 

「へえ、サラに私より大事な人がいるんだー。妬けちゃうわね」

「バカなことを言っていないで、離れて下さいませ。ほら、約束していた方が来られましたので」

 

 言いながら、ウェルキンは機体を足下駆動輪で転回させ、ピットの入り口に向ける。そこには、既にISを装着して訪れている少女の姿が合った。

 

「遅くなりました。すみません、ウェルキン先輩!」

「ごきげんよう、ティナ、今日は《ラファール》ですのね」

「今日はよろしくお願いします! あ、更識会長もお疲れ様です」

 

 元気よく挨拶をしたのは、楯無も見覚えがあるだろう少女、ティナ・ハミルトンだった。小柄なブルネットと少女らしいほっそりした身体を学校指定のスーツで包み、モスグリーンの無骨なパワード・スーツを着用している。

 

「あら、ティナちゃん。一年と二年で模擬戦って珍しいわね。……何繋がり?」

 

 楯無が《フィアレス》から離れた場所に空色の髪をなびかせて降りながら訊ねる。

 

「先日、生徒会室に二人で伺ったでしょう? あの後に二人でお話する機会がありまして」

「はい、学園のこととか、進路のこととか、色々お話していただきました」

「ホントについこの前ね。むー、わたしも混ぜてくれればよかったのに」

 

 すこしふざけてむくれて見せながら、楯無が言った。ハミルトンは楯無の前に出たため、やや堅くなりながら笑う。

 

「彼女の話も聞かせていただきましたよ。ティナはロングアイランド出身だそうです」

「そういえば、ニューヨーク出身だったっけ。へー、ティナちゃんってお嬢なのねー」

「とんでもない! うちなんてただのミドルですよ。先輩たちみたいなホントのお嬢様とは違いますから」

 

 ぶんぶんと装甲に覆われた手を振って、顔を赤くして否定する。その様が好ましく見えたのか、楯無はまた人の悪い笑みを浮かべて扇子で口元を覆った。

 

「あらー、おねーさんも普通の女の子のつもりなのに、そんな言い方ちょっと悲しいわー。しくしく」

「ロシア代表の日本人が普通なら、日本人は世界中の辞書を今すぐリコールすべきですわね」

「そこは内面の問題でしょ! それに、もともと日本はあんま階級とか意識しない社会なの!」

 

 その上更識の当主だしとまでは、ウェルキンも空気を読んで言わないが、世界規模の珍物扱いされ、楯無も突っ込みに回る。

 

「あの、お二人って仲がよろしいんですね」

 

 クスリと笑った後、おずおずとハミルトンが訊ねる。二人はそれはもう、と言わんばかりに頷いて、肩をすくめた。

 

 楯無とウェルキン、二人は仲が悪いわけではない。勝つ必要があるツーマンセルをやるなら、特に事情が内限り大抵この二人で組む。茶を飲み、二人して遊びに行ったこともある。彼女らとて十七才であり、普通の女子と変わりないのだ。

 

 違うとすれば、どちらも腹に一物あるが故に、どんな悩みでも話すという風にはならないだけのこと。年頃の少女のように感情が妨げとなって互いの距離を詰められないのではなく、理性でもって一定の距離を、牽制し合うように保ち続ける。楯無とウェルキンはそういう仲だった。

 

 ハミルトンの《ラファール》から飛行前チェック終了を示す音が鳴る。時刻もまもなく予約時間だ。休日とはいえ、勤勉な生徒のおかげでいつもアリーナの予約は難しい。ウェルキンはハミルトンを促すようにしつつ、足下駆動輪をふかした。

 

「楯無、またお話しましょう。今日は私もこの後用がありますから、明日のティータイムにでも。よければ三人で。ティナも、いいかしら?」

「ええ。日当たりのいいテラスでね。行ってらっしゃい」

 

 ウェルキンはうなずき、はい、と元気よく応えたハミルトンを伴いつつアリーナに出る。

 

「先輩、明日は楽しくなりそうですね」

 

 地上から飛び立つ直前、ハミルトンが笑いながら言う。無邪気に見える笑顔は、何気なく言ったものだろうか。ええ、とウェルキンは笑わずに答えつつ、機体を空中に上げた。

 

「ええ。本当に、長い一日になるでしょう」

 

 嘆息するようにウェルキンは言った。回線は切っているので、その声は誰にも届かない。近くにいたならば聞こえただろう声は、機体の駆動音で消えていた。

 

 楯無のいたピットに目を走らせる。

 

「苦しいですわね……」

 

 回線を切ったまま、ウェルキンは食堂で口にしたことをもう一度そのままに呟いた。

 

 楯無は織斑一夏を買っているようだが、彼の技量はお世辞にも高いとはいえない。客観的に見た彼の実力は機体性能を抜けば専用機持ちの中では最低で、一部の一般生徒にさえ彼より上の者がいるほどだ。妹の更識簪を守るつもりでいるなら、一夏本人の意欲はさておき、適性としては下である。

 

 それでも楯無が一夏を起用したとしたら、答えは一つしかない。更識の周りには他に頼みにする人間がおらず、信用をおけるだけの人物が不足しているのだ。

 

 セシリア・オルコットやラウラ・ボーデヴィッヒに初対面のものを導く人格は期待できない。凰鈴音、シャルロット・デュノアは人格的に問題はなさそうだが、それぞれバックにいる中国、相当にメンツを潰されたはずなのに未だに援助だけ続けているデュノア社が信用できない。篠ノ之箒は更識簪とは別の方向で人見知りなのに加え、実力的には一夏と大差ない。一年の彼女らが無理ならニ年のフォルテ・サファイア、三年のダリル・ケイシーという選択肢もあるが――彼女らに借りを作る、あるいは腹を探らせた結果がどうなるかは読みがたい。

 

 更識の戦力は多くなかった。それこそ、当主自らが透破の働きをしてウェルキンに張り付かねばならないほどに。

 

「楯無……」

 

 ウェルキンは、また口の中で言った。それは友人としての憂慮だっただろうか、あるいは、彼女の立場から来る計算だったか。そのどちらであったか、口にした彼女自身にも区別がつかない。むしろ、どちらも矛盾しながらウェルキンの中で併存しているように思われた。

 

 ウェルキンの社会的立場とは何か。一つは言うまでもなく、英国代表候補であるが、表向きにはしていない役目がもう一つあった。

 

 英国秘密情報部IS学園向けエージェント、サラ・ウェルキン。

 

 それがウェルキンが女王陛下より拝命した、公式には決して明かされることのない――そして、彼女が極東の国にやってきた本来の御役目の名であった。

 

『ウェルキン先輩! 始めましょう!』

 

 ハミルトンがウェルキンの思案を遮るように、開放回線越しの大声で言った。見れば、場内掲示の時計が、ウェルキンのアリーナ予約時間が来たことを知らせている。

 

「あと一日、ですね」

 

 またウェルキンは誰にも聞かれないよう独りごちる。何まで、とは少なくとも彼女にとっては言うまでもない。

 

 本国経由でウェルキンに命じられた“彼ら”――亡国機業との接触時間まで、残り三十四時間だった。

 




ウェルキンさん……作者の考えたさいこうにちょろくない英国淑女。セシリアいわく「優秀な方ですわ」ということでこんな人になった。

《メイルシュトローム》級……弾いわく、IS/VSでは「コンボが繋がりにくい」。たしかにコンボとかつなげにくそうな機体になった。

ティナ・ハミルトン……たしか原作に容姿説明がなかったので勝手に作者が設定した。姓から考えてスコッチアメリカン。


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第7話 ペネトレーション/侵入・洞察

ちょこちょこ加筆したりしているので投稿が遅いです。


 翌日、十月四日の夜二〇時頃のIS学園では、本土と学園を繋ぐモノレールの学園前駅が混雑を見せていた。

 

 世間的にはエリート扱いの学園の生徒とはいえ、オフぐらいは休む。部活動で予定が埋まっているか、本人がものぐさでなければ街に繰り出す者も多く、また同じ都市圏に親がいるような生徒は週末ごとの帰宅を望むものも少なくなかった。それゆえ、普段は厳しい寮の門限も週末だけは少し遅く、帰島のピークの一つもまたこの時間帯にある。

 

 三つしかない駅舎の改札機に列をなして、学園生の少女達がIDと掌静脈の認証を通していく。今日は外で人と会っていたのか、友達も連れず退屈そうに一人でモバイルを見ながら歩いている少女もいれば、制服姿で互いに腕を組みながら行く三人組の娘たちもいる。

 

「今日の大学生さ、微妙。ちょー微妙。ていうか、ないわ」

「よねえ……。同年代の()じゃアレかなーと思ってたけど、ちょっと上の人らもアレだったなあ」

「男の人ならもーちょっと気遣いとか余裕が欲しいよね」

 

 彼女らの近くを通ったときに、そんな会話が聞こえた。

 

 ――くだらないな。

 

 マドカは心中でその会話を切り捨てながら、偽造したIDで改札のチェックを通していた。

 

 容姿も格好も雑多な少女たちの中に紛れるようにして、マドカはいた。纏っているのはボーデヴィッヒたちに先日見せたのと同じ制服で、見た目を誤魔化すために多少の化粧を加えて髪をアップにしていた。

 

 ――IS学園生というのは、こういうものか。

 

 道を行きながら、マドカは思う。想像していたよりは随分幼く、今どきの女らしい女尊感情に裏打ちされた会話が聞こえてくる。

 

 少女達の群れは制服と私服が半々程で、制服姿のマドカがひとり紛れ込んだくらいでは違和感がない。休日というのに制服姿が多いように思われるが、以前デュノアが訳知り顔で語ったところによると、学園生が私服を選ぶのを面倒くさがるから、またそれに加えて外でも学園の制服は人気があるから、という理由らしい。

 

「そんなものか?」

「そんなものさ。学園の制服を喜ぶヤツも外にはいる。その制服はブランドなんだよ。ナマのそいつの値段、知ったら驚くぜ」

「……? フルオーダーなら確かに数十万だが」

「そういう意味じゃねーよ」

 

 彼がことさらにいやらしい顔つきで言って見せたところによると、外では“ナマ”の学園制服が、驚くような値段で取引されているという。

 

 そのときは首を傾げるだけのマドカも、今ならデュノアの言った意味がよくわかる。電車に乗り込む前に通った本土側の駅改札では、手を振って別れる学園生と私服の少年という年相応の健全そうなカップルもいれば、抱き合って離れない学園生と大学生くらいの男などもいた。似たような光景は、多くはないが目に止まるくらいには散見されている。そんな中でも、社会人くらいの男の車から、やけに親密そうな雰囲気の少女が降りてきたのには、さすがのマドカも若干閉口した。

 

 もちろん実際の彼ら彼女らの関係がどうであるかは、マドカの知るところではない。互いに好き同士付き合っているものもいるだろうし、そうでない者もいるだろう。どれもたぶん事実なのだ。学園の“ナマ”の制服が、この世のどこかではエレカーの新車と同じ値段で売り買いされる、ということが事実であるように。

 

 マドカはため息をついた。そういえば、彼女が同年代がこんなにたくさんいるところに出くわすのは初めてだ。そのせいか、学園生――年頃の女たちの様子に、マドカは少々戸惑っていた。

 

 ――自分たちがどのようなポジションにいるか、自覚がないのか。

 

 マドカは思う。ISが世を変えたといっても、現実の全てが変わったわけではないのだ。女尊男卑とは言うが、社会の構造はそのまま残っている。天下のIS学園生でも内心見下している男と互いに求め合おうとするし(オータムのような種類のマイノリティを除けばだが)、財を持っている者、貧しい者は変わりなく存在する。権力という点ではIS操縦者の地位だけが上がったところで、結局頂点に国民国家が幅をきかせている状況が変わるわけではない。別に新たな階級ができたわけではないのだ。社会の関係で富と社会資本の比重が、女の側にやや傾いた、というだけ。

 亡国機業に、というかスコール・ミューゼルの配下に属して良いことなどマドカには一つもなかったが、あえて一つだけ何か選ぶとすれば、“男女が戦争すれば男は三日持たない”などというIS学園でさえはびこっているらしい妄言とは、こうして無縁でいられたことが挙げられる。彼女の下でいる限り、自分の頭で考えることを強いられるため、そういう()()()()に付き合っているヒマはなくなるのだった。

 

 IS中心の視点から少し身を引いた視点を持てば、世に弥漫(びまん)しているものは、本質的には女尊男卑などではないことに気付かされる。世に伏流しているのは、実際には強烈な結果主義と弱肉強食の競争主義である。教育と社会投資について、目に見える成果を欲しがり、形になる結果が残らないならば社会から退場せよと男女問わず、老若男女に突きつける、ある意味での平等主義だ。

 そんな世にあって、社会が女たちに資本を与え、力を付与するのは、彼女らへの投資がISとIS関連産業という結果として財や権力に跳ね返ってくるからだった。女尊男卑はそうやって女に投資を集中する方便と、その結果生じた状況――男女の教育や地位の格差について、説明を兼ねた表現であるに過ぎない。

 

 ――ISがあろうがあるまいが、結局変わらないものがある。男と女がいて、金や権力を持つ者、なにも持たない者、生きている者と死んでいる者がいる。マドカと姉さんと、ついでにヤツがいる。ISがあるせいで一見ややこしく見えるが、事実はいつだって単純なのだ。

 

 スコールの視点は女尊男卑とは無縁で、判断基準は色々とあるものの、最終的には己の役に立つかというシンプルな()()()()で判断している。だからISドライバとしての腕を買ってマドカやオータムを、各々の得意分野の優秀さをもって篠ノ之たちを傍に置いていた。大胆なほどの実利主義は女尊男卑主義者などよりよほど世の本質を突いている。

 

 ――そのスコールの視座から、いつか逃れることができるのか。

 

 少し離れてみるとあの女の厄介さが分かる。いつかはそうしなければ、姉さんと対峙することも能うまいが、どうすれば可能なのかまだ見当もつかない。

 マドカは首を振った。とりあえず、今はこの夜を凌ぐことだけを考えるべきだ。

 

 ともかく、スコールのように視座を高く持ち、より事態をシンプルに捉えた者が相手より優位に立つことが出来る。“敵”である更識楯無や、ターゲットのサラ・ウェルキンがそう思っているかはわからないが、マドカはそう考えていた。恐らく、ボーデヴィッヒたちも。

 

 寮へ向かうらしい帰路の列から不自然でない程度にマドカは徐々に離れ、グラウンド方面へ繋がる道へ入った。帰寮する道を外れると街灯が減った。監視カメラの類も殆ど見られない。

 

 途中、身を素早く翻して物陰に入ったところで上着のボタンをゆるめ、マドカはブラの下に押し込んでいたブローニングM1910を引っ張り出す。細かな点検は出る前に済ませてあった。弾倉に初弾を装填した後に安全装置を再確認して、鞄の中からレッグホルスターを取り出し、スカートをまくり上げた。翻った布の下に、ポップな色合いのボクサーショーツと、無駄な肉の少ない腿が覗く。マドカは下着と膝の真ん中あたり、左太腿の半ばの位置にベルトを止めて、拳銃を固定した。手荷物検査を恐れたため、愛用のシースナイフは持ち込めていない。どちらもIS相手には気休めにもならないが、生身の人間を想定するなら刃物がないのは痛かった。

 

 最後に、眼球表面に仕込んだレンズ様の戦闘用微細薄膜(ナノスキン)を調整する。暗視、通信、アドホックな戦術データリンク、視界に戦闘補助の拡張現実(オーグメンテッド)まで投影可能な、今の時代の戦場ではメジャーなウェアラブル・デバイスだ。暗視機能とコンピュータ機能のテストをして、マドカは立ち上がった。

 

 衣服を整えつつ、マドカは今回の目的とタイムテーブルを確認する。サラ・ウェルキンに接触し、亡国機業が保持するある情報を直接受け渡しする――それがマドカに与えられた第一のタスクだった。何も妨害なく接触し離脱出来たならば、マドカはそのまま学園駅発の最終で離脱する。ここまでは当初の計画通りで変更はない。

 

 変更があるのは当初の計画が潰れた後の想定と、それに対応するためのこちら側の体制だ。サラ・ウェルキンには更識の目がはりついている。ウェルキンが無能でないならば、なんとかそいつを撒こうとするはずだが、それが現実に可能かどうかは判らない。よってマドカたちは、九分九厘は更識の妨害があるものと考えて行動する必要があった。

 

 先に進入したマドカが水中監視装置を一定時間使用不能にし、その後少年らが時間をずらして海側から学園敷地内に上陸し待機する。最初の予定では学園沖合で待機し、必要時にのみ支援に入る予定だったが、対応レベルを一つ繰り上げるのだ。更識が仕掛けてきた場合、こちらも即応で手荒い手段でもってあしらうことになる。

 

 更識楯無は当然自分の英名愛称《ミステリアス・レイディ》――ロシア次世代機S-81《シュペルトゥマーン》を投入してくるだろう。まともにやり合えば命がいくつあっても足りない。もちろん、相手の有利なとおり組み合うつもりはなく、ボーデヴィッヒらとの合流地点と体制も、すでに設定済みだ。後は、更識とウェルキンがどう考え、動くか。

 

 深く息を付いて、マドカは呼吸を落ち着かせた。心の底に薄い緊張があるのを感じる。そういえば、ISを身に付けずにする仕事は久しぶりである。それでも不思議と大きな不安や恐れは感じなかった。しくじれば死を伴うようなリスクは毎度のことだが、ただ危うい状況に慣れたから、というだけではなかった。

 

 マドカの目的はただ一つだ。姉さんに“復讐”も果たさないまま、こんなところで死ぬつもりはない。そのためにやれることはやった。ボーデヴィッヒらと綿密にミーティングをしたのも、その一つだ。

 彼らに頼る、という少し前なら忌避していたようなことも、今のマドカはむしろ積極的にやっている。数日前のボーデヴィッヒとの会話以来、マドカはどこか開き直った心境に変わっていた。少年らがマドカに使われたいというなら、利用してやる、という思いを抱くようになっていた。

 

 彼らならば利用するに足る、という認識も、確かにマドカの中には生じていた。マドカ自身にとってはほとんど無意識であり、人が人に向ける信頼というには冷たく、愛用のナイフに向けるような思いと今は区別がついていないものの、他者への信頼という今まで抱いたことのない感情が、マドカの中に現れつつある。

 

 脚に拳銃の堅い感触を感じながら、マドカは海港のある学園人工島南部へ歩みを進める。指定されたのは海港近くの第三グラウンド脇だ。指定時刻までは二時間だが、ボーデヴィッヒらの上陸工作を仕込むことを考えると、そう時間に余裕はない。

 

 月が雲間に隠れる暗闇の中、マドカは灯りもない道を迷わずに進み始めた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 時刻としてはマドカが侵入して約一時間後、学園の側でも事態に変化があった。サラ・ウェルキンが行動を開始し、なおかつ更識らが学園に何か事が起こりつつあるのを、察知したのである。

 

「動いたわね」

 

 灯りを絞った生徒会室の中、楯無が短く言った。その声には固さがあり、普段の彼女のどこかおどけた感じはあまり見られない。

 

 彼女の前の端末、虚が席について操作しているそれの画面には少女たちの監視映像が映っていた。複数ある画面はどれも寮内の数室をライヴで映している。ディスプレイを見れば、画面にいるのはどれも英国籍の人物ばかりであり、楯無の命で更識一門が監視下においた人物ばかりだった。蛇足ながら付け加えると、英国代表候補生のセシリア・オルコットもちゃんと対象に含まれており、一番端のウィンドウでベッドの中で織斑一夏の写真を見ながら、幸せそうな顔をしてころころしていた。

 

 そして、最重要の監視対象、サラ・ウェルキンが表示されているのが、その隣の映像である。小さなウィンドウの中の彼女はISスーツにランニングバッグを付けた姿をとっており、今からどこかに出かけようとしているらしい。

 

「ウェルキンが寮から外に出るようですね……。この時間に?」

「ランニングか。普段やっているトレーニングのようにも見える、わね」

 

 布仏虚と楯無の声が静かに響く。夜というのに二人は制服を纏って、険しい表情で画面を睨んでいた。

 

「いつもの彼女の習慣ならそう。でも、今日に限っては恐らく別の目的がある――そうよね、本音ちゃん?」

 

 楯無は振り返り、生徒会室のソファで端末をいじっている少女に声をかけた。

 

「はーい。そだよ~」

 

 袖あまりの制服を纏って、眠そうな垂れ目をした少女が答えた。どうやっているのか判らないが、指先から数十センチあまりの布越しに器用にキーボードを叩いている。布仏虚の妹、布仏本音である。

 

 普段は楯無の妹である簪の側仕えが(もっぱ)らの彼女であるが、ここ数日はその任の一部を解かれて助力を命じられていた。

 

「さっき認証と寮管理のシステムのログを見たら、おかしなとこがあったからねー。警備部の人は気付かないだろうけれど、たぶん侵入者ー」

 

 のんびりした口調で、事実なら緊急事態に相当するようなことを彼女は述べる。

 

「学園駅の認証は全部正規扱いで通ってるけれど、他のシステムと見比べるとおかしなところが出てくるよー。寮の外泊管理を見ると、全生徒が帰寮したことになってるのにー、人数が、帰島した生徒より()()少ないことになってる」

 

 慌ててもいないしふざけているようにも見えないが、本音の言っていることに偽りは含まれていなかった。

 楯無は口元に愛用の扇子をあてながら、本音の後ろに回る。本音が操作する端末の画面には、二種類のシステムログのリダイレクトが映っていた。一つは駅で認証される学園のログ。そしてもう片方は、楯無たちも暮らしている学生寮の外泊管理システム――要は、普通の学生寮の名前札を電子化したものである。

 

 ちなみにこの時点では、学園の警備部は事態を把握していない。彼らが無能なのではなく、IDを偽装して侵入を実行されたような場合、認証システムでそれを弾くことは基本的に不可能なのである。登録済みのデータと一致すればそれはシステムにとっては正常なのであり、たとえ人の目からは異常な人物やIDであろうと、機械的にそれを防ぐことはできない。学園に限った話ではないが、システムが正常を吐いてもなお疑え、というのは品質()保証()契約()に基づいて仕事をする民間警備会社のエージェントには酷な話だ。SF映画よろしく施設内の人物を常時監視下に置いて、移動パターンを解析すれば不審点ぐらいは浮かび上がって来ようが、実現するには技術的にも政治的にも無理がある。

 どのみち緊急時、本当に最後の異常を捕捉するには人の認識に頼るしかない――そして、このときもそうであり、把握できたのは非正規に活動している更識の者たちだけだった。

 

「サラたちの動向を見るために使ったハックだけど、侵入者の気配まで察知することになったは望外の成果ね。お手柄よ、本音ちゃん」

「てひひ~。私、出来る子ー」

 

 口元をつり上げて笑う楯無の傍らで、本音がにこにこと無邪気に見える顔で笑う。

 外泊管理は織斑千冬など寮監が生徒の出寮・帰寮を管理するためのシステムであり、本来はセキュリティと全く関係ない。それを楯無らは全く別の目的、すなわち出帰寮を監視してサラ・ウェルキンの学内での動きを見ることに利用するつもりだったのだが、今はさらに目的と別の成果を楯無たちにもたらしていた。

 

 画面に映っている情報だけを見ただけでは、どちらにも一目で分かる異常はない。だが、ログの内容を見て本音が計算した数値を見れば、確かに帰島した生徒の数と帰寮した生徒の数が合っていないのだ。機械的には正常だが、人間から見れば異常、というのはこういうことである。おそらく認証システムの方にも、侵入者の通した偽造IDによる認証も記録として残っているだろう。

 

「まあ、効果があったからって、これから何度も使うことになる、という展開は避けたいけれどね……!」

 

 ちなみに生徒である彼女らには、学園のシステムを操作する権限は本来ない。準備としてはウェルキンのことがある以前、楯無が入学して以来仕込んであったものだが、実際に使われたのは数度であり、今年に入ってからは初めてである。非常の手段まで使ったせいか、髪をかき上げつつ言う楯無の口調はどこか荒々しかった。顔ににじんでいる興奮に似た表情は今まで待ちに徹した焦れによるものであろうか。

 

「侵入者って、やっぱりあの人達かな~。幻影機業(ファンタズム・テクスタイル)

「本音。亡国機業(ファントム・タスク)です。わざとらしい間違いはおよしなさい」

「はーい。ごめんなさい、お姉ちゃん。真面目にやるよー。まあ、あの人たち以外に考えにくいけどね」

 

 虚にたしなめられて本音は笑う。だが、本音の言のうち後半については楯無も虚も同意するところだった。元より学園を襲撃しようと考える勢力などそう多くはない。篠ノ之束か、そうでなければ亡国機業。学園と積極的に対立したい国家も団体も、表だっては存在しない。

 

「……ウェルキンを捕捉いたしますか?」

 

 虚が冷徹そのものといった口調で述べる。普段と変わらない平静さは、彼女の主とは対照的だ。楯無は口元に手をやりつつ、首を振った。

 

「まだよ。サラは――ウェルキンは、泳がせる。侵入者に接触するまでは。侵入者は捉えられても、彼女の身柄をこちらで押さえる名聞も立たない」

「承知しました」

 

 楯無は侵入者だけでなく、ウェルキンの身柄もまた押さえるつもりだった。英国の本当の目的がどこにあるのかはまだ突き止めていないが、先のCBFから考えて、彼らが学園や日本に脅威をもたらすことを(いと)うつもりがないことは明らかだ。ならば、機会を見つけこれを捕らえる。そうする必要が、更識楯無にはあった。たとえ、入学以来の友人であっても、だ。

 

 もちろん、楯無の今の権限では、他国の候補生を拘束することはできない。裏に回れば暗部の一族の棟梁である更識楯無であるが、逆に言えば表での彼女は権限を持たない小娘だ。正当な権威を持たない以上、楯無がそれをやり遂げるには、彼女が何か不正な動きを見せたところを押さえねばならなかった。

 

 そう、たとえば国際的な不法集団である亡国機業と、接触しているところを押さえる、というような。

 

「さあ、こちらも始めるわよ。ことは手はず通りに進めます。本音ちゃんは四十院神楽ちゃん、二年の相川ちゃんに声をかけて。虚ちゃんは、このまま私のサポートに回ってもらいます。ただし、相手がISを出してくる恐れがあるから、私が下知するまで控えてね」

 

 楯無の言に、はあい、と本音が、承知しました、と虚がそれぞれに答える。楯無は彼女らに背を向けつつ、その場で上着とスカートを外し、脱ぎ捨てる。僅かな衣擦れの音とともに、衣服の下に纏っていたISスーツだけが彼女の肢体が現れた。学校支給のスイムスーツ型のものではなく、ウェットスーツのように手足首までを覆い、対小銃弾レベルの防弾防刃機能まで備えた有機単分子・金属複合繊維の軍用品だ。公式戦規格ですらない、ロシア軍制式採用のISスーツ。

 

「今回は()()()()()わよ」

 

 袖口のたるみを整えながら、楯無は呟く。執務机の上に彼女が投げかけた制服を、虚がものも言わず畳み、椅子の上に置き直す。

 

()()()()()()()()()……!」

 

 楯無は生徒会執務室の窓を開け放ち、ISを部分展開しつつ、三階の高さから身を闇中に躍らせる。形のよい口元から漏れるその言葉は、普段から飄々としている彼女にしては珍しいほど、明確な決意と闘争心を伴っていた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 この夜の事件は公式には記録されておらず、おそらくは発表もされない。戦闘の参加者が、ほぼ全て、ダークサイドの人間ばかりだった故である。更識楯無、織斑マドカら亡国機業、そしてサラ・ウェルキンなど各国の情報部系の人間。学園内外に暗躍する者たちだけがぶつかるのは、これが初めてのことだった。

 

 それぞれに思惑を持ち、それぞれに目的があって始まったこの事件は、始まる前から互いの視界の不透明さ故に微妙な食い違いを見せつつ始まることになる。

 

 更識楯無は、亡国機業が侵入者であることに早期に気付いていたが、差し向けられたのはスコール・ミューゼルの隷下勢力にすぎず、指揮官は直接関わっていないことに気付いていない。

 そして織斑マドカらは潜入が察知されることは予期していたが、偽造IDの使用をこれほど早期に気付かれることまでは当初の予定に入れていなかった。

 

 少女ら少年らの思惑からの外れ、それぞれに見えているもの、いないものが微妙に絡み合い事態を不透明なものにしている。

 事件がどう転んでいくのか、この時点ではまだ判別できる者はいなかった。

 




スコールさんageな描写が何気に多い今回。

女尊男卑については今までいくつかの作品であった、「IS世界では実際に女の能力の方が高い傾向がある」というアイデアに加えて、どうしてそんなことになったんだろうな、という因果に強引に理由付けをしています。

キチガ……ではなく、頭の愉快なことになっているお姉さんが暴れる、というだけの女尊男卑だけでなく、実際に社会的な階層差が生じつつあるんだよ、という背景をプラスした感じですね。

しかし、そろそろ作者が小説の体を借りて設定語りをしたい設定厨であることが明るみに出つつあるようだな……(迫真)


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第8話 コンタクト/接触

朝の閑散期に更新。


 学園島南部のエリアは昼間でも人影が少なく、夜はその静けさはいっそう深まる。そもそも港というものからして夜には人気がないものだが、学園のそれは一般的な商業/工業港のような産業港ではなく、実際の船の入りも少なかった。水深的には大型船舶さえ寄港可能でも、この学園では降ろす物資の種類も量も限られてくる。このため、自ずと寄港する船も限定されるのだ。立派な港湾は実際には持ち腐れと言っていいのが実情だった。

 

 まして夜となれば昼間はある人の行き交い――学園と取引のある業者やら、港湾倉庫から物資を運び出す職員さえもなくなる。夜間の港湾エリアはわずかな監視装置以外、基本的に無人のエリアといって良かった。周囲には、波が岸壁にぶつかって散るときのわずかな音と、強い海風が遠くまで響いているだけで、動く物の気配すらなかった。

 

 その一角、今はタグボートが停泊している岸壁の水面がわずかに揺れ、波間から人の頭が覗く。閉鎖回路式のスキューバをつけた男が数人。先に接岸した大柄な方の二人が足場になり、後の者たちが肩を蹴って、水面から二メートルはある壁を上がってきた。先行する上陸者は周囲を警戒しつつ、ここまで牽引してきたらしい浮体付きのコンテナ・ケースや足場になっていた二人を引き上げる。

 

 大人の背ほども水面から高さのある岸壁は、本来なら船が接岸するためだけの場所だ。そこから強引に上陸した男たちは、もちろん正規の来訪者であろうはずがなかった。彼らは人目を避けるように周囲を覗いつつ、沿岸に並ぶ建屋の裏手へと走る。二人一組になって手に引きあげたハードケースを運んでいた。二基の箱は彼らが地面を蹴るたび微かに重い音を立てている。響きだけでも相当な重量があるのが推測されるところだが、彼らの足取りはそれほど重くない。それぐらいの重量物を運ぶのも慣れている、という走り方だった。

 

 建物の陰まで入ると、男たちは音を高くしないよう注意しつつケースを地面の上に降ろし、フルフェイスのマスクを外してその上に置いた。潜水マスクの下から現れたのは、学園生徒たちと同じ年頃の少年――ラファエル・ボーデヴィッヒ達の顔だった。

 

 オルコットが腕のダイヴコンピュータに目を走らせている。普段は金髪のミドルを肩まで垂らしている彼だが、今は水中浸透のために後ろで一つに括っているようだった。

 

「二一時四五分……予定時刻の十五分前ですね。急ぎませんと」

 

 オルコットは軽く唇を噛みつつ言った。片膝を地面についた姿勢で、コンテナの蓋を持ち上げて、中身を取り出そうとしている。曇りがちで月の明かりも弱い夜闇の中である。そのままでは手作業も適わないため、すかさずデュノアが水中ライトを取り出し、オルコットの手元を照らして補助していた。

 

「水中ビークルを繋留するのに思ったより時間がかかりましたね」

「想定してたのと違って、岸近くも流れがキツかったからな。さあ、時間がねーんだ。口より手ぇ動かせ、オルコット」

 

 デュノアが毒づきながらオルコットを促す。オルコットは反論せずに肩をすくめて、コンテナの中身に目をやった。蓋の下から現れたのは大型の銃器らしい機械と、目の辺りを覆う型になっているバイザースコープだ。

 オルコットは乾いた布で自分の濡れた手を拭いてから、銃把を持ち上げて一通りの確認をした。

 

「水損はないようです。組立には、予定通り十分ほどいただければ」

 

 言いながら、オルコットの手はそれの復元を始めていた。彼が触っている銃器は、部品を一見する限りは自動小銃である。しかしどう見ても人間が一人で運用するには長大すぎるような大きさだった。冷却装置を含めたバレルは重機関銃のそれより一回り大きい程のサイズで、銃把・銃床の大きさも、成人並の体格であるオルコットに比してさえ過大なように見える。

 

 ちょうどパワードスーツを着た人間なら、苦もなく運用できるような、それくらいの大きさだ。

 

「こっちも大丈夫だ」

 

 そのオルコットの隣では凰がもう一つのコンテナを開いていた。彼が取り出したほうの中身は見ればすぐにわかる――とまではいかないが、日本でもガンマニアか一部の自衛隊員なら一見して判別がつく、ドラム型弾倉をぶら下げたミニミ軽機関銃だった。

 

「……IS相手にこの豆鉄砲で、何が大丈夫かって話はあるけどな」

 

 三点支持の負い紐(スリング)で銃器を身に付けながら凰が言う。心なしか表情が硬く、額に汗らしいものが浮かんでいた。

 

「顔色が悪いですね、鈴」

「IS相手だってんでビクついてんだろ。コイツが()()()なのは今に始まったことじゃない。肝の小せーやつだぜ」

「“慎重”だと言ってくれ。ISに対抗しようってのに、お前らみたいにケロッとしてるほうがおかしい」

 

 不思議そうに言うオルコットに対し、デュノアが性根の悪い餓鬼の顔で言った。数日前、女装を強いられていた少年は、今は顔つきを歪めて笑いながら、自身の携行していた小さめのコンテナから、金属の直方体を取り出す。辞書ほどの大きさのそれは、亡国機業でもひと月ほど前にようやく試用された兵装――剥離剤だ。

 

「剥離剤も持ってきたし、オルコットの使う“そいつ”もある。手も足もでないわけじゃないだろうが」

「それに、どのみちやることははっきりしています。今更迷うにも及びません」

「大したもんだよお前ら。オータムじゃないが、剥離剤はそこまで当てにならん。更識楯無相手じゃ取り付ける前に皆殺しだ。頼みにしてるよ、オルコット」

 

 言いながら、凰がオルコットの肩をたたく。オルコットは頷いた。少年たちの顔つきは様々だ。歯をむき出しにして笑うデュノア、落ち着いた風貌で淡々と語るオルコット。凰は不安を隠さずに浮かべていた。

 

「各自、そこまでにしろ。凰とデュノア、俺の装備の確認を済ませたら行程の最終確認を行う。オルコットは()()の準備をしながら聞け」

 

 そしていつも通り、彫りの深い顔に無表情という表情を浮かべてボーデヴィッヒが言った。彼の態度は、他の者たちに比してなお普段と変化がない。あるいは、付き合いの長いマドカあたりがいれば、普段よりなお彼の表情から感情の色が消えている、という事実を、指摘できるのかもしれなかった。

 

 ISと戦闘になる可能性なら彼らも認識している。デュノアがやけに攻撃的であるのも、オルコットが諦念に似た表情を浮かべているのも、凰の不安も、その一環だ。だが、彼らの誰もその可能性と向き合うこと自体には、否やもなにもないらしかった。恐れも闘争心も覚悟も、どれも戦うことが前提の感情なのだ。少年らの態度は、彼らに共通するものをよく表しているように見えた。マドカが引くまでは引かない。それがシンプルな彼らの意志だ。

 

「はいはい。お前によし、俺によし」

あいよ(ドゥービ)了解(ドゥーブ)

 

 デュノアが軽口で、それを受けて凰がスラングで肯定の意志を表した。二人の態度を軽いものと見たのか、ボーデヴィッヒはやや冷たくきつい一瞥をくれる。首をすくめる彼らから目を外し、ボーデヴィッヒは腰のポーチから地図を取り出した。

 

「現在地だ」

 

 指先で指したのは、港湾部、倉庫と記述されたエリア。学園の東南端に位置する。地図の一部、第三グラウンドと記述された辺りは赤い円で囲まれており、ボーデヴィッヒの手が示す位置とはかなり離れていた。地図上の直線距離で一キロほどだ。

 

 地図上には他にもいくつか円で囲まれた場所がある。いずれの場所からも第三グラウンド付近へのルートと射界が書き込まれている。ボーデヴィッヒらが火器で支援する際のポイントだろう。今彼らがいる位置から一番近いポイントは港湾部の近くだったが、グラウンドに近づくほど円の数が多くなる。

 

「予定の待機地点に移動。接敵後は遅滞戦闘に入る」

 

 地図上の距離を見たデュノアの口許から、舌打ちの音が響く。遠いな、とその口から呟きが漏れた。言いたいことは彼の表情に現れている。現在地が予定上陸地点よりずいぶん東にずれているのだ。顔つきが少し固くなり、焦りも滲んだようだった。

 

「クライアントの連絡員――サラ・ウェルキンが更識の監視を撒いていれば、私たちが移動する時間くらいはあるはずですが」

 

 オルコットの呟きに、ボーデヴィッヒは首を横に振る。期待はするな、ということらしい。

 

「どのみち、狭いエリアでの話だ。察知はされる。問題は更識が()()()()戦闘を続けるつもりかということだが――」

 

 ぴっ、という電子音が彼らの思考を断ち切ったのはその時だった。音を発したのは、オルコットの調整していたバイザー型の装置である。オルコットは組み直していた銃器を足許(あしもと)に起き、バイザーを手に持って表示を確認する。

 

「ハイパーセンサー反応です」

 

 少年らの間に(にわか)に緊張が走る。距離は、と凰が言いかけて舌打ちをして口を閉じた。こちらから探信したわけでないのに感知できた以上、今の反応は受動探知(パッシヴ)だ。三点測量でなければ正確な位置が測れない理屈と同じで、複数点測量の体制を取っていないこの状況では、方位すら完璧には分からない。

 

(クラス)は」

 

 その替わりに、というわけではないだろうがボーデヴィッヒが短く聞いた。オルコットは待ってください、と言ってバイザーを装着し、そいつに袖に着けたウェアラブル・キーボードを接続して操作する。照合結果は数秒で出た。オルコットの顔に、隠しようのない緊張が走る。

 

「S-81《シュペルトゥマーン》です……! 更識楯無の機体と同型ですね」

「それ以外誰がいるよ。ロシア空軍基地(チカロフスキー)の機体がこんな所にいてたまるか! 間違いなくあの女の機体だぜ」

 

 オルコットの言葉に、デュノアが強い口調で応じる。チカロフスキーは《ミステリアス・レイディ》と同じフレームを持つ実験機、S-81が配備されている唯一の基地である。モスクワ州で量産試作している段階の機体が移動したという話はない以上、デュノアの言が正しいはずだ。

 

「オルコット以外の全員で所定の位置に移動する。オルコットは準備を終えた時点で、自分の判断で最適な位置に移動しろ」

 

 全員が首肯を返す。誰も騒ぎ出しはしないものの、少年らの顔は色を失っているのが見て取れる。ボーデヴィッヒはその表情を確認してから短く深い呼吸を一つし、少し口調の早さを緩めて続ける。

 

「急ぐ必要はあるが、焦るな。無線は指示するまで原則封止。さらに、今回は作戦行動中、我々もコードを使用して各自を呼ぶ。オルコットはA、俺はB、凰はF、デュノアはD、篠ノ之はS、マドカはMだ。覚えているな?」

 

 了解、の低い声が全員から返される。ボーデヴィッヒの声に効果があったかは不明だが、少年らは一度、自分たちの焦りを自覚したらしい。少しだけ落ち着きが戻った様子を見てから、またボーデヴィッヒが付け加えるように口を開く。

 

「最後に。全員、なるべく死なないよう」

 

 彼が作戦中に指示以外のことを口にするのは珍しい。全員がちょっと意表を突かれたようで、凰が眉を持ち上げ、こう言った。

 

「――珍しいことを。生きてもいいけど、必要ならちゃんと死ねよ、っていうのが俺らの方針じゃなかったっけ? 冗談なら面白いね」

「確かにそうだが今回は違う。誰か死ぬと、おそらくあいつが怒る」

 

 ボーデヴィッヒが首を振る。“あいつ”が誰のことか、少年らは一瞬考え込んだようだ。至極真面目な顔つきのボーデヴィッヒに、デュノアが先に気付いたらしく、あ、と声を上げた。

 

「マドカか!? そんな話聞いてねーぞ。お前ら、二人きりでいつそんな話を……」

「……。一斉前進で移動する。Dが先導。テールにはFが付け。移動開始」

 

 色を変えたデュノアから顔をそらし、ボーデヴィッヒが指示を出す。

 

「急いでください。反応がまたありました。恐らく同方位ですが、今度は別型です。イギリス空軍の《メイルシュトローム》級」

 

 オルコットがバイザーを装着し、手元の機器を組み立てながら続報を告げる。デュノアは何事か仏語で悪態をついて小銃を手に持ち、手でボーデヴィッヒらを促した。

 

クソ()った()れめ()。行くぞ、お前ら。Mが挽肉にされる前に、さっさと動くんだよ!」

 

 悪態をついたデュノアが立ち上がる。その際に水中ライトが切られ、辺りはまた暗闇一色に戻った。時を置かずに、編み上げのブーツが地面を蹴る音が静寂の中で響き、遠くに離れていく。

 

「更識とM。それにサラ・ウェルキン。複雑過ぎる戦場ですね……」

 

 しばらくして、そこで一人呟いた者がいる。大型の銃器の準備を任じられ、今ようやくその復元を終えつつあるオルコットである。彼は大きく息をついて、手元の武器を持ち上げつつ立ち上がった。凰のミニミはもちろん、汎用機関銃よりでかいそいつは、組み上げてみると光学ライフルらしい姿になっていた。小銃なら薬室があるあたりにレーザー発進用の励起チャンバー、銃身はそれ自体よりも大きく太い液冷装置に包まれている。改めて見ても歩兵携行には大きすぎるが、オルコットは何とかそれを抱きかかえるようにして胸の前に持っていた。

 

「さて、Sの方は順調でしょうかね」

 

 誰にともなく、この場にいない少年――篠ノ之のコードを呟き、彼もまた暗闇の中へ移動し始める。

 後には、申し訳程度に茂みに突っ込まれて偽装されたコンテナだけが残された。そのころ、時刻はちょうど二十二時で、マドカとサラ・ウェルキンが接触する予定時刻に達していた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 サラ・ウェルキンがマドカとの合流場所に着いたのは、指定時間の数分前のことだった。

 

 部屋を出てから一時間弱。徒歩で向かっても学生寮から第三グラウンドまでは十分とかからない距離である。そこをわざわざ迂回したのは、もちろん監視を撒くためだ。

 

 このときのウェルキンが、自分にかかる監視の目を完全に把握できていたか、といえば否である。だが部屋の監視カメラ、あるいは盗聴器、人の目による追跡などそういったものが存在すると推測することは容易で、かつ論理的にも自然だった。学内の英国と更識家の力を比較すれば、数的に不利なのはウェルキンの方であり、更識がウェルキンを監視することは難しくないためだ。

 

 寮の部屋を出たウェルキンは、正面ゲートを使わずに廊下の窓から抜け出てると、学園内の敷地を走った。ISの部分展開さえ使いつつ、何度も道を変える。時には開け放されている窓や戸から建物の中屋上まで通った。人の身で自動車なみの速度を出し、自動車には通れない隘路や建屋内を移動する――移動する速度と空間にギャップを作って追っ手を振り切るのは、尾行を振り切るときの常套手段だ。ただ並の尾行撒きと違うのは、使っているのが電動自転車やバイクでなく、部分展開したISであるということぐらいだった。

 

 そうして第三グラウンドに足を踏み入れたのが、二十二時の数分前である。辺りには人の気配はもちろん、灯りも光量の少ない常夜灯しかなかった。ウェルキンは脚部の部分展開を収めて、脇の倉庫まで歩み寄る。分厚く冷たいコンクリートに背中を預け、微かに上がる呼吸と心拍を押さえながら時刻を待つ。

 

 近づく人間の気配を感じたのはそれから間もなくだった。学園の制服を着た少女が、海港側の方面から近づいてくるのが分かった。

 

「サラ・ウェルキンか?」

 

 灯りの光で微かに判る相手の姿を見て、ウェルキンは()()、と息をもらした。精巧な学園の衣服を着て、一見すれば生徒と変わらないような見た目だが、もちろんその程度の偽装で意表を突かれたわけではない。

 彼女が驚いたのは、その少女の見た目だった。化粧っ気を出し髪をアップにしてごまかしているが、よく見るとその顔はある女に似ているのだ。学園生徒の憧れであり、全ての国の情報部の人間にとって最重要マーク対象の一人――織斑千冬と、その少女はそっくりだった。

 

「ええ。そのとおりです」

 

 ウェルキンはにこやかに答えながら、少女の様子を覗っていた。こんな時間に生徒が第三グラウンドまで来ることは、基本的にあり得ない。目の前の少女が十中八九今回の仕事の相手なのであろうが、警戒は絶対に必要だった。

 腕に展開イメージを集中していく。両掌部ハードポイント、ならびに武装。右はナイフとしても使えるIS用銃剣で、左に三十ミリIS用機関砲。どちらも対人には過ぎたる武器だが、《空飛ぶ戦闘艦》である《フィアレス》の武装としては、どちらも最小クラスの武器である。いつでも展開できる状態で予備待機をしてから、次の口を開く。

 

「あなたが“亡霊さん(ファントム)”のお使いの方かしら?」

 

 目の前の少女はウェルキンの誰何(すいか)に対して答えを返さない。ウェルキンは若干不快げに眉を上げる。

 

「だんまりですの? そちらは私のことを見知っておられるようですが、私は貴女のことを存じませんのよ」

「こちらの身の(あかし)は引き渡すモノで立てる。それ以外に必要か?」

 

 少女は感情のない声で答えた。彼女の手がぶしつけに手持ちの機器をウェルキンに向けてくる。スキャナとマイクで生態認証を取っているようだ。最低限の礼儀も何もなしか、とウェルキンは溜息をつきたい気分に駆られた。エージェントというよりは兵隊が派遣されたらしい。それも戦闘訓練だけを施されて生きてきたような。

 

「貴様の声紋、顔認識は一致した。念のため専用機を起動してもらう。コアナンバーで確認する」

 

 あらあら、と呆れ口調で言って、ウェルキンは肩をすくめる。気にくわないが、従うのが上策だ。逆らう余裕も押し問答をする気分も、ウェルキンにはなかった。尾行を撒くような手間を挟んだ以上すぐに楯無が来るとは思えないが、亡霊(ファントム)とティータイムが出来るほど時間があるわけでもないのだ。

 

 言われるままにISの展開を開始した。先ほどまで予備展開していた武装に対し、さらに固定した想像(イメージ)を与える。両腕部が展開時のわずかな光とともに顕現し、さらに掌部ハードポイントに、それぞれアサルトライフル型IS用機関砲と銃剣が握られた。同時に皮膜装甲とパワーアシストを全身に行き渡らせる。ウェルキンの体感的にはほとんど変わらないが、数十ミリ秒の間で彼女の身体の上で、戦闘車両を凌駕する武装が完了していた。

 

 発砲する意志がないことを示すため、機関砲の銃口をウェルキンから見て真横に向ける。補助AIが兵装主スイッチをオンにするかと聞いてくるが、イメージインタフェースから(ノー)を伝えた。ここで発砲する気はない。発砲せずに済ませられれば、それに越したことはない。

 

「確認した。これが我々から引き渡す媒体だ」

 

 稼働中のコアナンバーの情報を受け取ったらしい。彼女はモバイルを手に収めると、小さなクリアケースに収められた光メモリを投げて寄越した。ウェルキンは右手の銃剣、ならびに腕部の展開を収めてそれを受け取る。

 

「暗号化した引渡物が入っている。貴様の組織の鍵で復号できることと、中身を確認しろ」

 

 またも命令口調で少女が告げる。そう言えば織斑千冬――何度か接触したあの人も、常に命令口調で話す女性だった。目の前の少女とは年も雰囲気も異なるが、それが妙に似つかわしい。

 

 案外、織斑千冬も彼女ぐらいの年齢の時から今のままだったのかもしれないと、そんなことをウェルキンは考える。目の前の少女と織斑千冬を無根拠に結びつけているわけだが、これだけ瓜二つ、クローンといった方が良いくらい似ている少女を見て、赤の他人だと信じ込む方がクレイジーだ。

 

 受け取ったメモリを手持ちのモバイルで読み込んでスキャンをかけ、英国情報部のワンタイムパスで復号する。画面から情報の一部を確認した。中身は――亡国機業が観測した、過日のセシリア・オルコットの《ブルー・ティアーズ》ならびに《サイレント・ゼフィルス》の戦闘情報だった。

 

 ……内心の思いを押し隠して、ウェルキンは平然とした様相で口を開く。

 

「確認いたしました。確かに」

 

 ランニングバッグにメモリを収納した。まだISは収納しない。目の前の少女に対して警戒を解いたわけではなかった。スカートの辺りに膨らみがある。恐らく拳銃だろう。サイン代わりのつもりか、受け取ったという主旨のウェルキンの音声が録れたことを確認して少女は手に持った機器を懐にしまう。

 

「確かに、媒体は渡した」

「ご苦労様。お帰りは、お送りする必要がありますかしら?」

 

 ウェルキンは慇懃な口調で聞いた。要る、と言われたところで送ってやるつもりはもちろんない。もうウェルキンが危ない橋を渡る必要はないはずだった。

 

「エスコートは不要だが、まだ用は済んでいない」

 

 少女がやや曖昧な言い方をする。まだ何かあるのか、と思うと、ゆっくり彼女がウェルキンの方に歩みを寄せて来た。十メートル程空けていた距離を、にじり寄るように、八メートル、六メートルと詰めてくる。次の瞬間、彼女が地面を蹴って、地を這う獣のようにウェルキンの至近へと飛び込んできた。

 

 何を、と問う前に、ウェルキンは反射的にISを完全展開する。同時に、ISがイメージインタフェースから警告を伝えた。ロックオンアラート。

 飛来したハイパーセンサーの探信を、彼女の《フィアレス》補助AIが検知したのだ。それも、今し方、懐に飛び込んできた少女が発したというわけではない。もう少し距離を置いたところからの探信波だった。

 

 どこから、と考える前に、兵装主スイッチをオンにして、一度だけ短距離のハイパーセンサーを飛ばした。探知される恐れはもちろんあるが、数度の短距離探知なら学園警備部のセンサーぐらいはごまかせるはずであるし、だいいち物事には優先順位というものがある。暗闇で、接近してきている敵からは丸見えなのに相手の所在は分からないというのは、掛け値なしに最悪だ。

 反応はあった。グラウンドのフェンス側、ウェルキンの位置からは、数十メートルの距離だ。型名、搭乗者名までがはっきり脳裏に送られてくる。ウェルキンは舌打ちを鳴らしたい気分に駆られた。淑女のたしなみとして、産まれてこのかたそんな行為をしたことはなかったが。

 

「――流石に優秀ね、英国じゃ、そういう後ろ暗いISの使い方も教えているのかしら」

 

 ウェルキンに取っては聞き慣れた、だが今は一番聞きたくない女性の声が常夜灯の陰の向こうから響いてくる。回線越しではなく肉声で、まだるっこしい通信機器など必要がないくらいよく通る美しい声だった。

 フェンスの向こうで、ふわりと何かの影が動く。高さ十数メートルのソフトボール用フェンスを、PIC独特の重力を無視した軌道で乗り越え、人影が地面に降り立つ。優美な様は、猫か妖精のようだった。

 

「それともセシリアちゃんの名誉のために、英国情報部では、と限定した方がいいのかしらね、サラ」

 

 不明瞭な灯りの中、わずかに半身だけ照らし出された更識楯無――ロシア新鋭の試作機《ミステリアス・レイディ》を完全展開で纏った学園生最強の少女が、威圧するように口元をつり上げて立っていた。彼女の眼はウェルキンと、ウェルキンの傍にいる少女を、冷たさと高揚の混じったような目つきで睨み付けていた。

 

「それと、初めまして亡霊さん。ようこそIS学園へ。誰も招いてはいないけれど、私が歓迎するわ。盛大にね」

 

 いつの間にか、ウェルキンを盾にするように背後に隠れた亡霊(ファントム)の少女が、それを聞いて盛大に舌打ちを漏らすのが聞こえた。

 




男子組参戦。オルコット君が持っているのはいったいなんなんでしょうねえ(棒)

若干短めですが次から、2~3話を改稿圧縮したような感じになると思います。


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第9話 暗闘

楯無VSサラ・ウェルキンといったところでしょうか。

このあたりからにじふぁん版と割と別物に。ややテンポ上がってると思います。


 わずかな灯りの中、マドカの眼前で二機のISが対峙している。暗青色、無骨なウェルキンの機体と、空色が基調となった軽装甲な楯無の機体。両者の間にある距離はせいぜい十数メートルで、瞬時加速を使わずともミリ秒で詰められる――すなわちISにとってはゼロ距離に等しい空間だった。だが、楯無とウェルキンは動かず、互いに兵装を向け合ったまま制止している。彼女らの間にはハイパーセンサーにも映らない不可視の高レベルシールドがあるかのようだった。

 肉眼では視界の効かない色濃い暗闇ではあるものの、マドカの視界には二機の様子がはっきり見えている。島に入ったとき確認した微細薄膜(ナノスキン)レンズが、夜間の視界を補正していた。

 

「二人とも、(だんま)りなのね。まあ仕方ないか」

 

 楯無が言いながら、にじりよるように半歩前に出た。これに応じてウェルキンがわずかに利き足を下げる。彼女のこめかみには薄く汗が滲んでいた。

 

 HMW-17《フィアレス》を纏う栗毛の少女は、30ミリのアサルトライフル型機関砲を構えている。着剣金具には超高密タングステン合金の銃剣が顕現し装着されていた。刃渡りだけで50センチあるそれは、先程までウェルキンが手に握っていたものだ。対する楯無は半身で両手で腰の辺りに長槍を水平に構え、重心を低くしてウェルキンに狙いを定めていた。

 

 早すぎる、とマドカは思っていた。言うまでもなく楯無の到来のことだ。事前に思案・試行したとおり、更識一門に潜入を察知される事態は想定内であった。それにしても、待ち伏せをかされたかと思うほどぴったりのタイミングで介入があるというのは試算の中でも最悪のパターンだ。

 

「聞きたいことは色々あるけれど。とりあえず今私から貴女たちに言うことは一つよ。身柄を押さえさせてもらうわ。大人しく降伏なさい」

 

 マドカは大きく息をついて呼吸を整える。原因の追求を望む思考を断ち切り、この場に意識を集中させた。降伏はあり得ない――少なくともマドカにとっては。しかしこちらに向かっているはずのボーデヴィッヒとはまだ合流出来ていない。

 考えつつ、目を自分の前に立つ少女の顔に走らせた。彼女、サラ・ウェルキンの事情はどうか。斜め後ろから見たウェルキンの表情は、よく見えなかった。

 

「降伏に拘束、ね。私がなぜそんな待遇を受けねばならないのか、判りかねます……」

 

 ウェルキンは銃剣の切っ先を少し下げて力を抜いている。その彼女の口が、小さく深い呼吸を一つつくのがマドカにも聞こえた。

 

「私はただ、トレーニングでここまで来ただけでしてよ?」

 

 穏やかにさえ聞こえる口調だった。現場を押さえられた状況でよく言ったものだ。ウェルキンの物言いにさすがの楯無もこれには鼻白んだ様子だ。清々しいほどの図々しさ。面の皮が厚くなければ英国人はやっていられない、ということか。

 

「ふうん。サラはそういう言い方でくるのねー。じゃあむしろ、そちらの入島許可もなければ、たぶん国籍も定かじゃない、名無しさん(マーシャ・ププキナ)に事情を聞いた方がいいのかなー」

 

 ウェルキンとは対照的にねっとりとした言い方で、マドカに声をかけてくる。彼女の瞳がマドカの顔を、パーツ一つ一つを舐めるように()めつける。

 

「ねえ、貴女はどう思う。亡霊さん? いや――《サイレント・ゼフィルス》のドライバーさんと呼んだほうがいいのかしら」

 

 楯無が《サイレント・ゼフィルス》という名を発したことで、ウェルキンの意識がわずかにマドカへと重心が向いた。ハイパーセンサー越しに注意を飛ばしたことが微かな気配の変化で感じ取れる。言葉には出さずとも、ウェルキンもマドカの正体が気になっていたのだろう。

 馬鹿め、とマドカはこの英国人を内心で罵倒し、小さく叫んだ。

 

「前!」

 

 ウェルキンが再び前方に注意を戻したときには、楯無は踏み込みをかけていた。ウェルキンの反応を引き出すために、マドカはだしにされたのだ。

 瞬時加速こそ使わないものの、楯無はただの二歩で一瞬前までの距離を詰め切った。無駄のない体裁(たいさば)きで振るわれた槍の穂先が、ウェルキンに向けて袈裟懸けに打ち下ろされる。

 ウェルキンは噛み締めた歯の間から声を漏らしつつ、とっさの判断で半歩前に踏み出した。楯無が最後の一歩で踏み込こもうとした場所を自らのステップで埋め、《レイディ》の動きを制限する。そしてそのまま打ち上げるような動きで、長槍の柄に銃身を叩き付けた。ライフルと槍が激しく衝突し、派手な金属音が響き渡る。矛先はウェルキンの眼前まで押し込まれ、ようやく止まった。

 

「不意を突くとか、そういうこともさせてもらえないのね」

「あら、私なんて、スキの多い女ですよ……! ただ、貴女がそれを見つけられていないだけ」

 

 言葉だけ拾えば友人同士の会話といえる。それを否定するのは語調の激しさと、互いの眼前でぶつかり合う武装の存在だ。

 競り合いの傍らにいるマドカの顔に水の飛沫(しぶき)がかかった。夜空は曇天だが雨の気配はない。雫は楯無の長槍の矛先から来たものだった。

 楯無の使うIS用長槍《蒼流旋》は、先端部分を流体操作ナノマシンと流体で覆った、槍とは名ばかりの長柄つきの高周波カッターと言うべき代物だ。ナノマシンが矛先表面に保持された流体――つまり水――を高振動させ、打・突・斬いずれの動作に際しても接触物に物理的なダメージを与える。シンクロとバレエに並ぶロシアのお家芸、流体力学の成果が産んだ兵器だった。ロシア軍の諸元を信じるならば、第二世代兵装のIS用防御盾や装甲程度なら一撃で破砕できるはずだ。

 初手、ウェルキンが自ら踏み込んで動きを封じに行かざるを得なかったのはこのためだった。機体の性能について質的な差まで抱えている彼女にとって、攻撃を食らうという選択肢は最初からない。避けるか受け止めるか。そして、避けられないなら受けるしかなかった。

 

 長槍の重い一撃が立て続けに打ち込まれる。穂先で円を描き、上体を捻って体重とパワーアシストを載せた振りを、ウェルキンはかろうじて受け止めていた。均衡していた槍と銃身の交差は、今はじりじりとウェルキン側に押し込まれつつある。状況は言うまでもなくウェルキンに不利だった。旧式・砲撃戦用の《メイルシュトローム》級と新鋭機で格闘戦用の《レイディ》では、腕部パワーアシストの出力に目に見えるほど差があるのだ。

 

「どうしたの。授業で《打鉄》を使ってた時の方が良かったわよ」

 

 楯無が煽り立てる。打ち合いは十数合を重ね、ウェルキンは攻めを払うだけで精一杯だ。

 

「私とも互角だったのに、その専用機ではね。イギリスの候補生、向いてないんじゃないの!」

「……! 向き不向きで辞められるものでは――ありません!」

 

 ウェルキンが叫ぶように応えながら、銃剣の振りに主機を全開にした機体の挙動を合わせた。相手に比して不利な腕力を、推力を載せて補うつもりだ。制御の大雑把な主機の挙動を格闘に合わせるのは並の腕では無理だが、ウェルキンは難なくやってのけた。

 銃身と長柄が一際激しく衝突する。機体の推力まで加えた返しで一瞬《フィアレス》が優位になった。

 

「――くっ!」

 

 押し負けを嫌った楯無が、ウェルキンの一撃を逃がす形で後退し距離を置く。さらに間髪いれず、ウェルキンは動いた。ライフルを胸の前に抱えて立った直後、彼女の周囲の空間が揺らめいて、細かい粒子が明滅し始める。量子領域内の兵装が実体化する光だ。《メイルシュトローム》級の武器は他に速射砲、空対空ミサイルなどがある。何を出す気か。

 

「ちょっと、正気(マジ)?」

 

 楯無はウェルキンが何を放とうとしているかに気付いたようだ。やや慌てた様子に、マドカにも察しが付いた。ウェルキンの機体にはライフルと銃剣以外にも初期装備がある。量子領域内に装填状態でミサイルや慣性誘導爆弾などを待機させ、実体化と同時に出現面に対して垂直方向に運動量を加えて打ち出す仮想発射装置(Vertial Launch System)である。

 

 ただしミサイルや爆弾というものの性質上、当然近距離での使用は考慮されていなかった。戦闘艦に倣っていうならこれは艦砲射撃に当たる。離れた標的、あるいは対地目標を狙うためのものであり、目の前でキロ級の花火を焚けば撃つ側のISもただでは済まない。

 

「私はいつだって真面目です。仮想発射装置、セル三二から四十まで開放」

 

 ウェルキンがきっぱりした口調で言い放つ。同時に彼女の周囲から鉛直方向に物体が投射された。物体は十メートル足らず飛び上がった後、重力に引かれて落下する。

 

 マドカは投射された物体を見た。弾体は八発。うち六発は、本来なら空中から地上に投射するための精密誘導爆弾だ。そして先発とわずかにタイミングを遅らせて放たれた、細長い形状をした、種類の異なる二発。飛翔する弾の種類を見て、マドカはウェルキンの本当の“狙い”を悟った。

 先発の爆弾に注意を引かれた楯無は、眼前で爆発されてはたまらないと《蒼流旋》を構え直してガトリングを放つ。空中で大口径の弾丸が命中すると、どれも爆発することなく破壊される。地面に落ちた弾体の様子を見て、楯無が露骨に舌打ちをした。誘導爆弾に見えたものは、全て演習用の模擬弾頭だ。

 小声で毒づきながら、残りの二発、先の六発と形状が違うそれらに楯無が狙いをスライドさせた。火線が細長いその弾頭に向かうところで、マドカは腿のブローニングを抜く。ダブルタップで二度発砲し、放たれた四発の拳銃弾は、弾体の脇につけられた翼に吸い込まれるように命中した。弾道を制御するための箇所を撃たれて軌道を乱し、うち一発だけは楯無の迎撃をすり抜け、地面近くまで落ちてから作動した。

 

 鼓膜を裂くような爆発音――は響かず、ぼん、とやや軽い音が辺りに響く。炸裂点からは重く立ちこめる暗雲のような煙幕が、一気に周囲に広がった。

 

「スモークディスチャージャー……」

 

 マドカが呟く。八発の中に混じっていた後の二発は発煙弾だったのだ。恐らくはハイパーセンサー妨害効果を持つタイプ。ISのVLSは空中発射も想定としているため、慣性誘導兵器やこんな撹乱兵器を発射することもできた。

 弾着地点を中心にもうもうと上がった煙が舞い、夜の闇とはまた別の理由で視界を奪っていく。楯無の新鋭機でも無視界の状況では迂闊に動くことができないだろう。

 立ち込める煙から目鼻をかばいながら、マドカは感心していた。ISを使った銃剣術のセンスもそうだが、先にウェルキンの発射した模擬弾は牽制目的で、最初から迎撃されるものと当て込んでいた。やりたかったのは楯無の手を塞ぐことであり、後の二発に本命としてこんな小細工を仕込んでいた。競技ISの候補生がやるとは思えない小賢しい、そして有効な手口だ。

 

「助かりました。貴女が撃たなければ、迎撃されていましたね」

 

 マドカにウェルキンが声をかける。足下駆動輪を動作させ、更識のいた方角を警戒しながら後退してきた。

 

「私も色々貴女に聞きたいことができたのですが、今は状況が状況です。確認ですが、貴女、今はISを持っていませんの?」

「ああ」

 

 マドカは短く応えた。ウェルキンは天を仰ぐ。あてにされていた訳ではないだろうが、それだけ彼女が苦境にあるということだろう。

 

「なら、早くお下がりなさい。私にはISがありますから、楯無にも少しは抵抗できます。最悪でも学園に訴えれば言い逃れぐらいは出来る。ただそれは、貴女が拘束されねばの話です」

 

 ウェルキンは言った。楯無が現場を押さえにきた意味――“現行犯”を押さえにきた――は、ウェルキンも理解しているようだ。だが、マドカは肯定を返さなかった。

 

「貴様が単独で更識楯無をあしらうことは不可能だ。何もしなければ貴様は撃破され更識に捕捉される。時間稼ぎにもならない」

「それは、貴女がいても同じでしょう」

 

 直截な物言いにさすがに気を悪くしたらしく、ウェルキンはなお言い募る。マドカは首を横に振って返答とした。

 

「異なる。だが今は議論するような時間はない。こちらはこちらで行動して更識を退かせる。安心しろ。そちらの損にはしない」

「……。心強いことですわね。しかし――」

 

 ウェルキンが続けようとした直後、何かの臭いがマドカの鼻孔を突いた。ウェルキンも何かに気付いたようで、言葉を切って周囲に注意をやった。空気中に水が飽和したような――平たくいえば、降雨の前触れのような水のにおい。状況の異変に気づいたとき、拡張現実ディスプレイは、周囲の湿度が一〇〇を超えたことを告げていた。

 

 まずい、と咄嗟に察し、耳を塞ぎ口を空けて体育倉庫の影に身を転がした。視界の端に、ウェルキンが回避動作を始めるのが映る。「もうっ!」と苛立った彼女の声が耳朶を打った。

 直後、空間を裂くような爆発音が響く。音の割に衝撃は少ない。しかし、発生した爆風で煙幕が払われ始めていた。

 ウェルキンが腐心して楯無から奪った視界が、僅かの間に用を為さないほどにクリアになる。そして、その爆風の中心に《ミステリアス・レイディ》と更識の姿があった。

 空気中にナノマシンと流体を散布し、高振動で一気に気化させて爆発的な運動を起こさせる《レイディ》の技。楯無が使ったのはそれの威力を抑えたものだった。煙幕を払うために爆発を利用したのだ。

 

 重い機銃の弾着音が聞こえ、マドカとウェルキンが数秒前いた空間を掃射が通り過ぎる。楯無の射撃はマドカの付近にも着弾して地面や舗装をめくり上げた。マドカ自身を狙ったものではないようだが、迂闊に射線に出れば最期だ。ISを使っている状態ならば致命には至らない兵器でも、脆弱な人体を同じ重量のパテに変えるだけの威力がある。

 

 弾着で跳ね上がった(れき)が飛び、マドカの頬を叩いた。浅い傷から血が垂れて、においが鼻腔を刺激する。弾に耕された地面の破損は拳が入るほど大きく、肌が自然と泡立った。脳が理解するより先に身体で感じる恐れが、マドカの感覚を刺激している。

 

「やるじゃない。ちょっと焦ったわ」

 

 ガトリングで弾を撒きながら、楯無が言う。本当に焦ったのかどうか、表情までは確認できない。流れ弾がマドカの周囲にも着弾するため、マドカは身を低くしたままなのだ。

 ウェルキンの方もマドカと同様あるいはそれ以上に余裕がなく、楯無に対して応えることもできないでいた。回避を繰り返しつつ、狙いもつけずに応射している。が、既にいくつか被弾があるのが機動を見れば分かった。《戦闘艦》の異名に相応しい大きく鈍重な機体は、隠れることも避けることもウェルキンに許さない。

 

「涼しい顔で……何を!」

 

 立て続けに火線で機体を捉えられたウェルキンがようやく口を開く。弾幕射撃に(たま)りかねて拡張領域から防御盾を取りだし、機関砲は片手で持って楯無に狙いを定めた。回避が入らない分、正確な射撃が望めると見込んだらしい。

 

 ウェルキンが数少ない選択肢から取った手段――だが今度のそれは悪手だった。ウェルキンが自分の片手を盾で塞ぐのを見た瞬間、楯無は瞬時加速を連発して距離を詰める。

 楯無相手に距離を保って銃撃・砲撃戦をするなら確かに防御盾は役に立っただろうが、高周波カッターを持った敵を相手取る状況で、金属・セラミック複合型のハードバリアは手を塞ぐ重荷にしかならない。近距離に迫る楯無を見てウェルキンが自分の愚手を悟ったときには、もう彼女には次に取るべき手はなくなっていた。

 

 ブーストの勢いを借りた横薙ぎの一撃をたたき込まれ、防御盾は上半分を千切るように吹き飛ばされる。でかい破片が宙を舞い、グラウンド脇のクヌギをへし折って地面に刺さった。さらに楯無は一度目の動作で余った運動量を無駄なく使い、続く一撃を放つ。狙われたのはウェルキンの肩口だ。ウェルキンは反射的に手に持った機関砲をかざして身を庇おうとするが、盾で抗せないものを遥かに脆弱な銃身で耐えられるはずもない。ハンドガードの辺りから断ち切られ、一閃が右肩部から胴体に入った。

 

 深い一撃。今ので間違いなく絶対防御が発動した。

 

「く、う、ああああっ!!」

 

 ウェルキンが言葉にならない叫びを上げる。マドカたちとは違い、競技ISのドライバーは戦闘用の痛覚調整ということをしない。相当な痛みが走ったはずだった。

 悲鳴を上げるウェルキンにも顔色を変えず、楯無がまた槍を構え直す。見開いた目でその様子を見たウェルキンは、歯を食いしばって武器をコールした。無事な左肩部パイロンに展開時の明滅光を閃かせ、一二七ミリ速射砲を出現させる。そのまま狙いもつけずに目の前の楯無に向けて連射。近接信管が発射の直後に作動し、破片と爆風が楯無とウェルキンに等しく襲いかかる。今度は攪乱もなにもなし、ただの捨て身攻撃だ。

 だが苦し紛れ、安全距離を無視した攻撃も二度目となれば、楯無に通じるわけがない。アクア・クリスタルが動作し、機体周辺の流体が触手のように砲弾のいくつかをはじき飛ばした。さらに爆発を水のヴェールで減衰させる。最後の抵抗は、ろくなダメージも与えられずに終わった。

 

 次の一撃で間違いなくウェルキンが撃破される。()()か――マドカの中にも焦りが生まれた。

 

 ナノスキンで補正された視界の端に、指向性の強い光が明滅したのは、そのときだった。フィルター機能なしの肉眼では見えない可視光線外の波長で、同じパターンが続けて三度。発光信号だ。マドカは“待っていたもの”がようやく来たことを悟った。

 

「おい!」

 

 身をわずかに起こして叫ぶ。もちろんウェルキンに言っているのだが、聞こえたかどうかは定かでない。

 

「残った盾を上げて伏せていろ……! 撃ち方始め(オープンファイア)!」

 

 手を振り下ろした。マドカの合図と同時に、周囲の茂みから黒い小さな影が飛んだ。一、二秒置きに三カ所から、携行の擲弾発射機による射撃だった。

 

「新手か!」

 

 楯無は即座に反応し、弾頭を流体で跳ね飛ばす。さらに弾き損ねた数発については、槍を一瞬構えかけ――思いとどまって腕を引き、機体周辺のシールドの偏向率を変えて対処した。

 流体にはじき飛ばされた弾の半分は爆発したが、残りのシールドに当たった弾が黄色の激しい光を放ちながら燃焼している。焼夷手榴弾のスーパーサーマイト反応だ。超高温の燃焼が《レイディ》のシールド表面で起こっていた。さらに、弾き飛ばした数発はグラウンド周りの茂み数カ所に火を点けている。

 

 舌打ちの音が聞こえ、楯無の表情がわずかに崩れた。華氏四〇〇〇度の燃焼にはシールドエネルギーも少しは削れたのか。シールドではなく槍で受けてくれれば武器を破壊できていたかもしれないのだが、楯無も飛来する弾の種類を見て咄嗟にシールド偏向での防御に切り替えていた。この女が難敵であることが、改めてマドカにも理解される。その間にウェルキンは、半分になった盾を構えつつ楯無とのクロスレンジから避退していた。

 

 彼女の様相は満身創痍というに相応しい。右肩部ハードポイントは根元から弾け飛んでおり、左手側の装甲も機関砲と一緒に引き裂かれている。ウェルキンは使い物にならなくなったその二つの装甲を切り離し地面に捨てた。破損した箇所が消えた分むき出しの面が露わになり、いや増した機体の不均衡さは彼女の窮地を強調しているようだった。

 

 擲弾の射撃から間髪入れず、ミニミとバトルライフルの火線が楯無に飛ぶ。マドカはナノスキンで味方が行った射撃位置を確認した。楯無を囲むように半円形に狙っており、人数は三人。予定通りなら、オルコットと篠ノ之はここにいない。

 

「M!」

 

 横合いの茂みから声をかけられる。全身をウェットスーツとフードで覆ったデュノアが駆け寄るところだった。

 

「何とか無事か、安心したぜ。首尾はどうだよ」

「媒体は渡した――だが、()()そこまでだ」

「そうかい。じゃあ()()だな」

 

 二人して会話を交わす。よく意味の通らない会話だが、マドカとデュノアは理解しあっているらしい。グラウンドには凰やボーデヴィッヒのものらしいの射撃音が散発的に起こっていた。最初の奇襲ほどの正確さはないが、楯無の後背側など、射撃がしにくい側を狙って移動しながら牽制している。デュノアは背負っていた回転弾倉式のグレネードランチャー、それに背嚢からISスーツと同じ素材を使った防弾上衣を手渡してきた。使え、といいながら、マドカに押しつける。

 

「あれが更識楯無か。初めて見るが、うるさい女だ」

 

 デュノアは、目を楯無にやりながら口を開いた。普段ならそんな軽口にはマドカは応じないのだが、次の一言でつい反応を返した。

 

「……スコールのババアみてーだな」

「うるさいのは確かだ。そこまでスコールに似ているとは思わないが」

「そうかい? まあ落ち着きと経験、それに両性愛(バイ)っけ足りないが、将来似たよーな女になるぜ。やだやだ」

 

 デュノアは言って、口許をゆがめる。マドカは首を振った。ろくに話したこともない女についての揶揄など、取り合う気にもなれない。

 

「まー、一番はあの余裕面だな。ぶっ殺してやりたくなるね」

「軽口はいい。それよりは……撃て!」

 

 マドカとデュノアは散開し、同時に火器を放った。楯無の注意が凰のいたあたりに向き、掃射が放たれていた。体育倉庫の影から銃身だけをだし、マドカがグレネードを、デュノアが携行していたFALの七・六二ミリ弾を楯無に放つ。

 

 楯無は後背からの攻撃に舌打ちで応じ、流体の膜とシールドではじき飛ばす。何発かすり抜けて当たってはいるようだが、牽制とウェルキンの支援ぐらいにしか役には立っていない。減っているシールドエネルギーもミリ単位だろう。

 

 ナノスキンで被覆された視界に移る数字が、戦闘状況が始まって三十分以上が経過していることを示していた。疲労は感じないし、まだ生きている。幸運だ――だが、その状況もいつまで続くかは分からない。あとさらに半時間同じ状態が続けば、恐らく確実な破滅がマドカ達を待っているだろう。状況を維持することは出来ても、打開することは出来ないのがマドカ達の立場だった。

 

 ふと、視界の端に短文が映った。軍用ナノスキンに付随するショートメッセージ機能だ。

 

 ――封止を解除。アドホック戦術データリンクを要請。

 

 送り主を表すコードは“B”。ボーデヴィッヒだ。マドカ達に掃射が来ており顔を出せないため、通信機を使ってきたらしい。デュノアを見ると、同じ内容が来たようで、「オーケイ(ダコール)、オーケイ! さっさとしろ!」と無意味に喚いている。要請に対して、マドカも許可(イエス)を選択した。

 

 リンクを繋ぐと同時に、さらに別箇所からのメッセージが転送で送られてくる。また短文で内容は、

 

 ――“銀の弾丸”の準備が完了。

 

 送り主のコードは“S”。マドカは内心小さく舌打ちをする。こんな詩的な呼称を使えとは、もちろんマドカもボーデヴィッヒも言っていない。とはいえ、状況を動かす時が来たことをマドカは理解した。

 懐から化粧用のコンパクトを取り出し、鏡越しにISのいる方を確認した。マドカの目は楯無ではなく、ウェルキンに注がれていた。ウェルキンはスクラップと化した機関砲を捨てて、手持ちの装備をハンドガンとナイフに変え散発的に射撃を繰り返している。

 マドカたちの用意した手。それを使うためには、彼女にもう一度近づく必要があった。

 

 そしてマドカが動くべき機を見たとき――果たして楯無も次の動きを始めていた。

 

「M、来てるぞ!」

 

 デュノアが叫び声で警告を発する。楯無が加速をかけてマドカのいる方角へ突進してきていた。しぶとく抵抗を続けるウェルキンより先に、ぶんぶんと五月蠅い歩兵どもを片付けると決めたらしい。マドカは舌打ちをして地面を蹴り、身を転がして避けようとする。

 気付いてすぐに動いたものの、間に合わない、とマドカは思った。IS相手には遅すぎたのだ。楯無はマドカに回避させない速度で接近してくる。とっさに腰に手を伸ばしフラッシュグレネードを投げた。それすら見え透いた手だったようで、弾着前に量子領域から取り出した蛇腹剣で一刀のもとに切り捨てられ、不発に終わる。

 

 《レイディ》は肩口からマドカにぶつかった。マドカの身はもんどりを打って吹き飛びかけ、その直前に楯無の自身の手で襟首を掴まれ引き留められた。首の辺りでマドカの身体が反り返って伸びきり、一瞬息が止まる。

 

「捕まえた。見たところ、あなたが仕切っているように見えたからね」

 

 楯無は眼前にマドカ差し上げた。掴まれている首がきりきりと締まる。例によってマドカは戦闘用の痛覚調整を行ってはいるが、身体の方が徐々に酸素の不足を訴え始める。

 

「これで女王(クイーン)を獲った、ということになるのかしら」

 

 と、楯無。獲物を捕らえたしたり顔の笑みで、マドカの表情を覗いている。

 誰が女王だ、と思ったものの、マドカは《レイディ》の腕部を掴んで身を支えるのが精一杯で答えられない。

 

「マドカ! こんの――売女(ピュタン)が!」

 

 激発したデュノアが地面を蹴って背後から楯無に走り寄る。手には剥離剤(リムーバー)が握られていた。《レイディ》を無力化するつもりらしい。

 

 ――馬鹿、よせ。

 

 マドカは内心でデュノアを叱った。楯無相手にそんな手が通じるはずがない。

 楯無は振り返るのも面倒、と言いたげに周辺の流体を操作して背後のデュノアを撃つ。マドカの視界からも、弾丸のように飛んだ水がデュノアの腕と腹を貫くのが見えた。頭や胸を狙ったものを上手く避けられたのは幸運と考えるべきだろう。剥離剤を取り落とした彼を、楯無は無造作に後ろに回した脚で蹴る。装甲に包まれた脚部の衝撃をくらい、デュノアは猫を踏んづけたときのような声を漏らして吹き飛んだ。

 

「剥離剤……それって亡霊さん達には標準装備なのかしら。残念だけど、一度見た手にかかって差し上げるほど迂闊じゃないのよね」

 

 彼の様子を後方視界に見ながら、楯無が言った。視界が狭まる。デュノアは倒れたまま動かない。マドカに当たるのを恐れてか、ボーデヴィッヒと凰らは射撃を止めていた。

 

「さてさて。貴女を捕まえると射撃が止んだ……ということは、貴女がこの場のボスってことでいいのかしら。それとも――周りの亡霊さんたちには、他に撃てない理由があるのかな?」

「――楯無!」

 

 楯無の背後からウェルキンが狙いを定める。狙いを付けられた方は、振り返りもしなかった。撃てるなら撃てと言わんばかりに余裕がある。

 

「サラ、これで()()()よ。今の貴女、対IS用の武器はそのハンドガンとナイフ、速射砲ぐらいしかないんでしょう。量子領域内(クォンタム)VLSの武装は、さっき打った誘導爆弾みたいにほとんどが模擬弾みたいだし、その装備じゃ私は倒せない。

 さらに言うなら、亡霊さんたちはずいぶんこの娘が大事みたいね。戦闘を止めてくれそうよ」

 

 楯無の言に、ウェルキンは歯がみをするに(とど)まった。ハンドガンの射撃なら流体で防げるし、懐に飛び込んでくるなら銃剣を失ったウェルキンには長槍でも剣でも優位に立てる。命中率だけは高いうっとおしい小蠅どもを先に片付けることにしたのにも、そういう理由があったのだろう。

 

「まだ続ける? 今からでも、降伏するなら悪いようにはしない。英国と決定的な対立にしたいわけじゃないのよ――こちらの庭で好きにされると困っちゃう、という話なんだから。実際のところ、貴女が退いてこの娘を捕まえられれば白星、というところ。ああ、もちろん何か取引してたものについては、渡して貰うけどね」

 

 楯無は言った。彼女の敵にもはや抵抗の手段もないと見ているのだろう。ウェルキンについてなら、それは正しい。

 

 ――ウェルキンについては、正しい。ただ、私たちにとっては。

 

 内心でつぶやく。徐々に手足がしびれつつある。夜闇とは別で暗くなる視界の向こうに、マドカはボーデヴィッヒたちのいる方角を捉えていた。彼らは動く素振りも気配も見せない。よく(こら)えている、とマドカは思う。(ちなみにデュノアは負傷しているので動けない)そしてその手前にはマドカを見て焦燥を浮かべるウェルキン。眼前には、薄く笑みを浮かべてマドカを捉えている楯無がいた。楯無の注意は、今大半がマドカに向いていた。

 

 ――頃合いだ。

 

 自らの窮地を半ば無視するようにマドカは思った。

 

 楯無も、それにウェルキンも油断なくマドカを見ている。事態が終わったと彼女らが確信し、注意が周辺警戒から外れた瞬間。マドカたちが待っていたなかでも最良のパターンだ。

 

「それにしても……さっきの男の子といい、本当に“誰かさんたち”にそっくりね。影分身(ドッペルゲンガー)みたい」

 

 呆れたように楯無が言う。マドカは口許を歪めた。自嘲ぎみの薄い笑いが彼女の顔の上を通り過ぎる。

 

 ――確かに我々は影だ。日の当たるところにはいられない。暗闇の中で戦うしかない。

 

 マドカは視線をボーデヴィッヒのいるあたりに向ける。

 

 ――それでいて、どうしようもなく奴らと似せられているのだ。

 

 心中でつぶやいた。

 そのとき、夜陰の中に、わずかに“金色の光”が煌めくのが、マドカの目に映った。

 




手を入れだしたら止まらなくなり間が開きました。次話と繋げるつもりでしたが、ここでいったん切る。

ところで、低評価がモリモリ入っておりますね。うーむ。まだ読む以前の問題があるんやな。

お手すきの方が読者さんにおられましたら、ここを直すとよろしい、という点を指摘していただけると助かります。


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第10話 銀の弾丸

間が空いてしまいました。話を忘れられている可能性がありますので、前回までのあらすじを書いておきます。

1.マドカさんとウェルキンさんは学園内でこそこそ取引をしようとしておりました。
2.しかし正義の痴女・更識楯無により痴女特有の勘でああああっという間に看破され、いいようにやられてしまいます。
3.首を絞められて本格的♀降伏勧告をされるマドカさんですが、その目は野獣の眼光で一転攻勢の機会を狙っているのでした。


 分隊規模の歩兵を討つのにISを用いる。楯無の行動は、さしずめ牛刀もて鶏を割くの現代版と言ったところだ。楯無の実感としては故事とは逆に大げさすぎてかえって処し難いというところだった。少女の細首に車両の装甲さえねじ切るISの腕をかけるというのは、それほどにアンマッチで威力過多な行為であった。

 

 当初の想定では、楯無は初動で奇襲でもってウェルキンとISを制圧し、しかる後に亡国機業エージェントを押さえるつもりだった。実現していればウェルキンもなんなく撃破できるし、亡国機業も捕らえうるわけで、理想的であっただろう。実際には、あの織斑千冬に似た少女が楯無に真っ先に気づいたことで出鼻を挫かれ、計画は始まる前に頓挫していた。

 その後の展開は語るまでもない。ウェルキンが発煙弾頭で視界を乱して抵抗したりはしたが、楯無は小技で撹乱を破り彼女の機体には中破もしくは大破の被害を与えている。その後は、亡国機業の兵たちの妨害が激しく、ウェルキンにとどめは刺せずに膠着を作られ掛けたが。

 

 ――これで、チェック。

 

 それもこうして亡霊のリーダーと思しき少女を捕らえたことで終わった。射撃も今は止んでいる。ほぼフルオートで撃たれた割に驚くほど精度のある銃撃で、兵らの攻撃だけでシールドが二パーセントも減っていた。学園に入って以来、ウェルキンやフォルテ・サファイアなどの専用機持ち以外にこれほどシールドを減らされた記憶はちょっとない。

 

 とはいえ、実際の所、強引にウェルキンや亡国機業を制圧することはできた。《フィアレス》を性能差で押し切り、歩兵はISの頑強さに任せて虱潰しに無力化すれば容易にこの場を制圧可能だったに違いない。が、その場合亡国機業の兵は死傷させざるを得ないし、《フィアレス》撃墜に際しても歩兵たちを倒すのにもさらなるエネルギーの損耗は避けがたいだろう。

 

 この状況で楯無をして判断をせしめたのは、彼女の脳裏を占めている疑問である。

 

 ――亡国機業の兵がこの場に踏みとどまっている理由は?

 

 この一事が、先ほどから彼女の頭から離れなかった。分からないのだ。確かにウェルキンを見捨てたところでさしたる時間稼ぎにはならなかった。しかし、そのことを勘案しても、劣勢な立場で戦闘を維持している割には彼らの士気が高すぎた。

 義理や付き合いで戦っているとは思えない。彼らがただの無能であることを期待するつもりもない。いたずらに破滅を先延ばしにしているのではなく、おそらく待つこと――この膠着が続くことが、彼らの助けになるのだ。

 

 例えば、彼らにも増援のISが来る、というような。そして、楯無の掴んでいる限り、亡国機業が所持しているISでまともに動員可能なのは、スコール・ミューゼルの機体だけだ。

 

 スコール・ミューゼル。その名が思い浮かべると、楯無は表に出さずとも唇を噛む思いがする。彼女がもし来たとしたら勝てるのか。あるいはその前に、戦果としてこの兵らを捕らえて退くべきか。

 ともあれ、どちらの場合でも事態が引き延ばされることは楯無にとって望ましくはなかった。

 

「さあどうするの、サラ・ウェルキン!」

 

 慎重に亡国機業の少女の喉頸(のどくび)を掴みながら言った。細い首筋は気を抜くと()()折れそうだ。少女も苦しいのか、楯無の腕を掴んで吊られた身体を支えている。

 

 ウェルキンは唇を噛んでいた。迷うのも無理はない。いまさら降伏するか、楯無の手の内の少女を顧みず望みの薄い戦いを続けるか。すでにウェルキンの手札にはリスクを負って被害を小さくするカードしかなかった。

 

 と、そのときになって、少女の顔に不意に笑みが浮かんだ。無理に笑ったような表情の変化をし、口の中で何か呟いている。楯無は訝しげな顔つきになった。視線か少女を捕らえると、彼女はその不敵な面持ちのまま口を開いた。

 

「……捕縛と……サラ・ウェルキンの降伏にこだわるのは、更識の立場があるからか」

 

 あざ笑うように楯無に語りかけてくる。窮地にいるのも忘れて、相手をなぶるような表情だった。楯無は、目だけ油断ない色を保ったまま応じた。

 

「あら、この期に及んでお喋り好きになるなんて思ってもみなかった。

 まあ、有り体に言えばそうよ。うちの家もヤクザな一族でねー。ナメられたら終わりってとこがあるの。だから、貴女については、そう優しくしてあげられない。ごめんなさいね」

 

 楯無は彼女の態度を虚勢とは考えなかった。何かたくらみがあるのは分かる。首に回した力を少し緩めた。少女は傷めつけられていた喉に呼気を取り戻し、激しく咳き込んだ。

 

「――違う、な」

 

 切れ切れの息の合間から少女は言った。

 

「貴様が気にしているのは更識の直接的な権威ではない。日本国内での()()()()()だ」

 

 楯無は目をすっと細める。浮かべていた人を食った笑みが、潮でも退くようにどこかへ去っていく。一方、それを見ていたウェルキンの目には怪訝(けげん)な色が宿る。無理もない。マドカの口にした言葉は唐突で、パワード・スーツで首を掴まれながら言うにはおよそ場違いな言及だ。

 マドカは続ける。顔には薄い嘲笑らしいものを浮かべたままだった。

 

「……更識の行動には、そもそもおかしな所があった。四月からここまで織斑一夏がらみで起こった連続するトラブルの発生をほとんど無視し、学園の夏期休暇が終わってから思い出したように事態への干渉を始める。支離滅裂だ。手違いか、学園内の手勢が足りないのか。

 あるいはただの“無能”か」

 

 少女が(ろう)する言辞に、楯無は自分の顔からさらに感情が去っていくのを感じる。少女は続けた。

 

「そもそもあのイレギュラーの入学で起こるトラブルが予測できなかった、ということがあり得ない。加えて都合三度も起こったヤツがらみのトラブルを、阻止するそぶりすら見せなかった理由は、先の三つの他ない……当初はそう思っていた。先のIS学園のイベントまではな」

 

 いったんそこで言葉を切る。楯無に視線を重ねてから、続けた。

 

「おかしいと思ったのは、先日のキャノンボール・ファストだ。会場にいた情報系の警備には更識の手勢が十七人。が、それだけいたのに――()()()()()()()が一人もいなかった。

 学内ならともかく、あの会場は日本国内だ。もし政府に本気で警備する気があるなら、自衛隊でも公安でも、あるいは政府系PMCでも、人員を向けることは可能だったはず。

 やれるのにやらなかった、となれば答えは一つだ。更識は学園内で手勢が不足だけではない」

 

 少女は楯無の肩越しにウェルキンに目をやる。

 

「――貴様、日本国内で孤立しているな。政治的に、それも増員も手配も、全て一族の家内で(まかな)わねばならないほどに。理由までは知らんがな、ロシア代表の日本人。

 大方、亡国機業の兵とサラ・ウェルキンを捕縛して見せて、政治的なカードに使うつもりか」

 

 背後でウェルキンの視線が少女と楯無を捉えているのを感じる。楯無は応えなかった。少女の言が正しくとも謝っていようとも、応えてやる必要や義務はない。少女もウェルキンも、答え合わせが欲しい訳ではないだろう。勝手に考えさせればよい。

 

「自分の想像ばかり、よく喋るわね。仮に貴女が正しいとして、今それを言うことになんの意味がある?」

 

 冷たい声音が辺りに響いた。口にした楯無自身が驚くほど、平坦な色の声だった。

 

「意味はある。一つには、……そこのイングランド人に、苦しい状況は貴様も同じということを伝えられる」

 

 少しきつくなった首元に顔を(しか)めながら、少女は答える。言いながら、少女は目をウェルキンの方へ走らせていた。

 恐らくウェルキンは楯無がどういう状況にいるかまでは理解していなかったはずだ。だから楯無の談判に逡巡した。そして今その表情は、再び焦燥の熱から覚めつつある。結局のところ、苦しい状況にいるのはウェルキンだけではない。楯無も、亡国機業の少女らも、この場にいる全員がぎりぎりの立場に頭まで浸かって戦っているのだ。ウェルキンは今、ようやくそれに気付いた。精神的に全員が対等になってしまった。

 

 ただ、もちろん亡国機業の狙いはそれだけはない。気の持ちよう一つで勝てる、ということがない以上、次の手があるのだ。

 

「もう一つの理由は……」

 

 来る。楯無はハイパーセンサーのパッシヴレーダーに意識を集中した。おそらく狙いはISによる増援。楯無はそれの気配を察知しようとセンサーの感度を超望遠の範囲に引き上げていた。

 海港エリア全体はもちろん海上まで、キロメートル単位の検知で範囲にいれる。ステルスを使っていてもめいっぱい感度を上げておけば接近は感知できるはずだ。来ると分かっていれば、受けられる。

 

 どこから来る。どこから――、海側から低空侵入、あるいは上空から急襲。楯無がレーダーの感度を、そして意識を遥か遠くにやったそのとき、彼女が警戒していたものの到来がイメージ・インタフェースから告げられる。ハイパーセンサーによるロックオンだった。

 

 ただしそれは遠距離からでも上空からでもない。距離は後方()()()()()()。しかも、地上からだった。

 

「何!?」

 

 それまで冷静たった表情に驚愕が浮かび、楯無は後方視界に注意を飛ばす。ハイパーセンサー反応の元には、バトルライフルを構えた背の高い銀髪の兵が姿を見せていた。

 

 フードを外している顔から少年と分かる。彼の珍しい髪色に楯無は見覚えがあった。ラウラ・ボーデヴィッヒ。男でその上、短髪の長身と全てにおいて正反対ではあるものの、銀髪で彫りの深い少年の容姿は、彼女も知るドイツ人の学園生とよく似ていた。

 

 そして彼の()()は今、ラウラ・ボーデヴィッヒの片眼――眼帯の下の瞳と同じ、金色に染まっていた。

 

「疑似ハイパーセンサー!?」

 

 生身でも最長二キロまで狙いをつけられる視覚強化。性能で言えば比べようもないが、ISのそれと仕組みを同じくするシステムだ。《レイディ》が発したハイパーセンサーへのアラートはこれに対するものだった。

 

 溶かした金のような強い輝きを見て、楯無は一転狙われた獣のように身を翻そうとする。疑似ハイパーセンサーは彼女をロックした。そして、彼らは先ほどから局地データリンクらしいものまで使っている。つまりこの男は、楯無の位置情報をどこかに送っているのだ。そこまで考えれば、次に起こる事態は予想できた。

 

 完全に思考がISへの警戒に居付いていた回避は遅きに失した。回避動作に移るのとほぼ同時に、《レイディ》のアクア・クリスタルに向けて遠距離、一五〇〇メートル空間を置いた地点から、狙撃手が発砲したのである。

 

 狙撃。それも実弾ではなく対人・対物ライフルでもない。放たれたのはIS規格のX線レーザーが二条だ。位相と振幅を揃えた不可視の光線は、正確に《レイディ》のアクア・クリスタルに命中した。

 

「――!!」

 

 やられた、と思った。高出力のレーザーが易々とシールドを、そしてアクア・クリスタル自体を貫通する。二基の特殊兵装は激しく発光部を明滅させながら緊急停止した。楯無は思わず少女を掴んだ手を緩める。少女は《レイディ》の機体を蹴って拘束から逃れ、地面に転がって伏せた。

 その間に、《レイディ》戦術AIは楯無に対して荒々しく警告メッセージを叩き付け、次いで両肩の部品を自動で切り離した。一基は機能を失ったままグラウンドに落ち、もう一基は分離直後に爆発を起こして四散する。至近からの衝撃は《レイディ》本体を襲って、シールドエネルギーを削った。

 

 次が来る。楯無は地を這うようにPICを動作させ避退、グラウンド脇のコンクリート塀の影に飛び込んだ。

 アラートを鳴らし続ける戦術AIは、三次元レーダーによる射撃位置逆算に加え、一連の攻撃を行った兵器の推定を提示していた。

 

 BASシステムズIS用二〇ミリX線レーザーライフル――通称《スター・ブレイカー》。

 

 戦闘を始めてから数十分、このとき楯無の表情が初めて歪み、噛みしめた唇からは僅かに音が漏れた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

「……ヒット」

 

 港湾エリアのとある建屋の屋上でセシル・オルコットの声が響く。辺りには人影、灯りの類はなく、声に出して確認したのは彼自身への確認のためだ。

 

 人工島南部を視界に収める高所にセシル・オルコットは一人、都市迷彩・対赤外線のシートを被って伏せっていた。水中浸透の際使った浮体をクッション替わりに、目許には《ゼフィルス》のバイザーを装着しており、また手には同機のレーザーライフルを構えている。水損に気を遣いながら慎重に運び込んだうえ上陸直後に彼が組み立てていたあの銃器は、このIS用ライフル《スター・ブレイカー》だった。楯無の《レイディ》、正確には特殊兵装アクア・クリスタルを狙い撃ったのは、もちろん彼だ。

 

 現在の位置は楯無の地点からは一五〇〇メートル強離れている。五人の中で最も遅れて行動を開始した彼は、上陸地点からマドカたちの居る地点から離れる方向に移動していた。狙撃に際し、射界を最も広く確保できる地点を保持するためだ。

 

 ただしこの距離では完全な視界があっても命中は難しい。まして今は真夜中に近い視界ゼロの状況である。何らかのアクティヴ探知手段がなければ照準さえ不可能だ。しかし相手はIS――世界で最も鋭敏な探知機器、ハイパーセンサーを装備した敵である。レーダー波を頼りに狙撃するなど、銅鑼を叩きながら奇襲することに等しかった。

 

「いい仕事です、B」

 

 オルコットはバイザーの表示を読むと呟く。彼の視界には楯無がアクア・クリスタルを喪失した旨の情報が通知されていた。

 この制限下で正確に狙撃を実行するための鍵が敵前で観測を行ったボーデヴィッヒだ。彼が疑似ハイパーセンサーで取得した位置情報・三次元データ・現地の大気状態が、全てデータリンクを介してオルコットのバイザーに転送されている。オルコットは受領した情報だけを頼りに、間接射撃でレーザーを《レイディ》に放ったのだ。

 

 彼女ほどの実力者をISを着けた状態のまま撃つにはこれしかなかった。ハイパーセンサーの探知からも見逃されるほどの悪条件ごしに狙撃を行うのが、楯無に損傷を負わせる唯一の方法だったのだ。

 

「M……。皆、御無事で」

 

 額の前で十字を切った後、オルコットはレーザーライフルを抱え上げた。彼の視線はライフル側面のコンソールに走る。整備士――スコール部隊の場合は篠ノ之――が調整をするために使うディスプレイの表示は、チャンバー内のエネルギー残量がゼロに近いことを通知していた。ISの兵装はコアのラインに繋いでいることが実用稼働の前提条件である。この状態では、出力を絞っても二回が限度だ。

 

 オルコットは長い銃身を支えたまま、足を振り上げてブーツの底で弾倉交換レバーを蹴りつけた。体重を乗せた衝撃でも弾倉部分はなかなか外れない。もともとがISの力で動作するレバーである。何度も蹴りつけることでようやく動作し、がこん、と音を立ててエネルギー弾倉が地面に落ちた。オルコットはすぐに傍らの荷物に手を伸ばす。地面に予備のマガジンと、それに直結したアダプター付きの外部エネルギーパックが一つだけある。着用して再度狙撃体勢に入るつもりだ。更識楯無は遮蔽物の影に隠れたらしいが、出てくれば撃つ。今度は別の武装、あるいはボディを狙うところだろう。

 

 彼の荷物は少ない。持っている武器といえばせいぜい腰のホルスターの拳銃くらいで、レーザーの予備弾倉は他に見あたらない。つまり撃てるのは後多くとも2発だ。重機関銃なみに重量のあるIS用ライフルを担いでこの建物に移動したことを考えれば当然とも言えた。

 

「どのみち余裕はありません。上首尾(うま)くいってくれれば良いのですが」

 

 オルコットの独語が小さく漏れる。一人で暗闇の中待機する彼に、いつも浮かべているような笑みはない。笑って見せるような他者がいないためか、あるいは本当に笑う余裕もないものか、どちらであるかはオルコットにしか分からなかった。

 彼の着けたバイザーの中には、データリンクで送られた最後の味方の位置が映っている。学園島の半分ほどが映った画面には、彼から一番近い位置に、夜闇の向こうで敵と対峙するマドカたちの位置が表示されていた。

 そのディスプレイの中をよく見ると、マドカたちからかなり離れた位置にも友軍を表すマークがある。戦闘地域よりさらに北側、学園生徒たちの生活圏にもかかる辺りだ。そこには篠ノ之を表すSのコードが表示されていた。

 

「しかし、“銀の弾丸(Silver Bullet)”ですか。ずいぶん見得を切りましたね」

 

 表示を見てオルコットは呟く。篠ノ之が送ったという、マドカたちの奥の手を表すコードだった。口振りからすると、彼が“銀の弾丸”というわけではないらしい。

 

 篠ノ之と同じ位置にはさらに記号があり、そこには《YF-51 SG》と表示されている。ISや戦闘機など、何らかの機体の存在を示すコードだ。そして、その記号で呼ばれる亡国機業の機体は一つしかない。

 

「“その機体”に掛けたんでしょうが……。大きく出たからには頼みますよ、S」

 

 涼しげにも見える額を、一筋汗が垂れ落ちる。

 

    ◇    ◇    ◇

 

「《ゼフィルス》のX線レーザー……」

 

 ウェルキンは眼前の光景を見て唸った。指向性の高いレーザーはハイパーセンサーでも不可視だが、大気中ならその通り道に残る温度変化が軌跡となって検知できる。また戦術AIは大気の変化を検出と同時に記録し、注意が足りない人間にも知らせてくれていた。

 

 ウェルキンは《フィアレス》からの報せで、目の前で起こっている事態をようやく理解した。亡国機業は一〇〇〇メートル以上離れた場所からX線レーザーライフルでアクア・クリスタルを撃ち抜いたのだ。

 

 凄まじい腕だった。先ほどの疑似ハイパーセンサーの位置情報だけを頼りに射撃したはずなのに、()()はおそらく最初から楯無の特殊兵装だけを狙って放たれていた。

 

 この距離ならセオリーではボディーショットを狙うところである。得物がレーザーだろうと対物ライフルだろうと変わりない。

 実際には彼らはそれをしなかったわけだが、理由はウェルキンにも想像が付いた。生身の人体相手なら胴体でも致命となりうるが、ISでは違う。操縦者が死傷するような箇所を狙った場合、命中したとしても間違いなく絶対防御――《ブレイカー》の出力なら十分シールドは貫ける――に攻撃が阻まれる。エネルギーを大幅に削れるものの二発では撃墜することができない。狙撃したところで戦闘能力がそのままの残るなら、楯無は優位なままだ。それではISなしで戦う彼らにも、性能に致命的な差があるウェルキンにも意味が薄かった。

 

 これに対し武装を狙って《ブレイカー》で狙撃すれば、絶対防御は発動しない。そのうえシールドを貫通すればまず一撃でターゲットの兵装を破壊できる。あの厄介なアクア・クリスタルを喪失すれば、《レイディ》はその性能を相当に下げる。おそらくは、ウェルキンでも与しうるほどに。

 

「しかし、本当に無茶をします」

 

 言うだけなら易いが、その為に彼らが乗り越えて見せた壁は多大だった。長大な距離越しの夜間精密射撃。しかも、楯無の「清き熱情」の余波で湿度が増し、屈折率が不安定になっていたことを考え合わせれば、身体のどこかに命中すれば幸運と言うべきレベルだ。

 

 《レイディ》はもちろんウェルキンの《フィアレス》にも、本当に撃たれるまで射手の位置が分からなかった。アンブッシュしたときの隠密性ならば、生身の歩兵とISを比したとき、前者に軍配が挙がる。また少女が殊更に長広舌を振るったのも、今なら狙撃のに最適な状況を作り出すための行動だったと分かる。あれの狙いは味方への合図とともに、おそらく楯無の動きを止めることにあった。

 

 その楯無は今、狙撃手の射線に身をさらすことを嫌って、いったん遮蔽物に退避している。ウェルキンは彼女から距離を起きつつ、塀の開口部にIS用拳銃をポイントした。

 

 ウェルキンの三六〇度の視界の中で動いたものがいた。地面に転がって楯無の爆発から逃れた少女、そして、あの銀髪に疑似ハイパーセンサーの少年、さらにその後ろの茂みから、背の高い、八重歯に切れ長の目をしていたアジア系の少年が現れる。彼はどことなく顔つきが、一年の中国人に似ている気がしていた。ちなみに、ウェルキンは彼女の名前を忘れている。確か代表候補だ。

 彼はのびているシャルロット・デュノア似の少年を起こし、彼が取り落とした装備を回収する。たしか剥離剤と楯無が読んでいた装備だ。彼らの様子からしてISに対して効果があるらしい。彼は、手に取った剥離剤を、少女に向けて投げ渡した。

 

「大口を叩くだけのことはありましたわね。大した物です。あれがあなた方の“銀の弾丸”というわけですか」

 

 ウェルキンは少女に向けて言った。亡国機業の事情を知らないウェルキンがその単語を選んだのは偶然だった。困難な問題を片付ける、たった一つの冴えたやり方。ただのイディオムとして、ごく自然に口に出したつもりだ。

 

「いや……」

 

 少女は曖昧に応え、首を振る。アジア系の少年から放られた剥離剤を手に取った。

 ウェルキンが述べた感嘆にも眉一つ動かさない。戦闘前、合った当初と変わらず、静かな表情のままだ。そういうところは“本家”と違うな、とウェルキンは思う。今助け起こされている“デュノア”も含め、どうも彼女ら/彼らがIS学園の一年生グループと似ているのは姿形だけで、人柄は似ても似つかない。例えば、さっき少年が楯無を罵った英語で言えばBワードに相当する単語など、シャルロット・デュノアは知りもしないだろう。

 

「Dの怪我は?」

 

 少女が“D”を起こした少年に聞いた。彼は「よくねーな。銃創っつーか刺創っつーか。流体が貫通してる傷もひどいが。それよか頭を打ってるらしいのが」と応える。意識を失っているらしい少年は、一番大柄な銀髪が背負った。

 

「そうか」

 

 少女の顔に初めて表情の変化が現れた。唇を噛み、小さく舌打ち。僅かな変化だが、冷たく平らな感情に表れた些細な変化は嫌でも目につく。

 

「それで、あなた方はどうするつもりですの。まさか永遠にこの体勢をとり続ける心算(つもり)でもないでしょう。

 ……負傷者もいるようですし」

「気遣いのできるスパイさんって、素敵だねえ」

 

 ウェルキンが言うと、彼らのうちアジア系の少年が口を開く。軽く叩いた無駄口に、少女と銀髪が二人して彼を睨み付けた。少年は溜息をついて肩をすくめる。嘆息したいのはウェルキンの方だ。

 

「特殊兵装を喪失させた《レイディ》を《フィアレス》に牽制させて離脱。そのつもりだったのでは?」

 

 彼らの力単独では、楯無を退けられない。もちろん、ウェルキン単独でもそれは同様だ。彼らが兵装を狙って破壊したのには、初めからウェルキンの戦力を当て込むところがあったはず。この場における弱者同士が協力して生き残る。

 ウェルキンはそう考えていたし、客観的に見ても手持ちの材料からすれば、彼女の判断はほぼ合理的だった。

 

「およそ、その通りだ」

 

 彼女は言って、ウェルキンに近づいた。手には、剥離剤を持ったままだ。何をするのか、とは、このときウェルキンは思わなかった。

 

「――ただ一つ、足りないことがあるが」

 

 その後の行動が、ウェルキンの予測を超えていた。彼女はさらにウェルキンの近くに身を寄せる。ちょうど身体に手が触れられるほどの距離だ。

 

「え」

 

 そしてそのまま、手に持った剥離剤――百科事典ほどの大きさ、厚みの金属と、ISにとりつくための脚を持った装置を、ウェルキンに押しつけた。皮膜装甲とスーツで覆われたウェルキンの腰の、ちょうどくびれの辺りに甲虫のように張り付く。

 思わず間抜けな声を上げたウェルキンは、彼女の表情を見た。一瞬前までよぎっていた微かな感情は、もうどこかへ去っていた。残っているのは底冷えするような目つきだけ。物でも見るような眼差しに、寒気が降りるのを感じる。

 

 少し遠くから、声が聞こえた。

 

「貴方たち、何を!?」

 

 楯無が叫んでいる。遮蔽物から半身を出した彼女はガトリングの銃口を向けていた。楯無が彼らを撃とうとした直後、彼女の足許でアスファルトの地面が小爆発を起こす。レーザーによる狙撃はまだ彼女を狙っていた。

 

「サラ、それを外して!」

 

 楯無は歯がみをしながら言った。彼女はこれの効果まで知っているらしい。反応からすれば間違っても楽しい装置でないことは確かだ。それどころか、彼女の声はウェルキンを案じているようにさえ聞こえる。

 しかし結局、ウェルキンが腰の機械を払いのける間はなかった。ウェストの一番細いところに張り付いた機器は、前触れもなしに動作し――激しい衝撃が彼女の肢体を襲った。

 

 悲鳴をあげる暇もなかった。いつぞや楯無に当てられたショックを上回る衝撃だ。身体的なものだけでなく、意識にスプーンを突っ込まれて乱暴にかき回されるような感覚がウェルキンを駆け抜ける。

 自分の身体とISに何が起こったのか、定かには悟る余裕もないまま、サラ・ウェルキンの身は投げ出された。固いグラウンドに背中から叩きつけられ、そのまま転がる。すさまじい嫌悪感が身体を駆け下り、口の中に砂の味を感じる。

 

「何、を……」

 

 起き上がろうとするが動けなかった。自分の胸が息をつく度に上下しているのを、ウェルキンは他人の身体を見る思いで認識していた。思考は妙に鮮明だが、身体がぴくりとも反応しないのだ。意識と身体を繋ぐ大事なラインを、どこかで切られたかのようだった。

 なんとか自由になる目だけを巡らし、ウェルキンは周囲を見る。そして気付いた。すぐ近くに暗青色の大型ISが立っている。誰の、どこの所属の機体であるかは、間違いようがなかった。それは紛れもなくつい先刻までウェルキンが装着していた《フィアレス》だ。授業で生徒の搭乗を待つ訓練機がそうするように、完全展開状態でそこに鎮座していた。

 

 そんな、どうして、と、自分の口がそんなことを言った気がした。起動状態のISに直接手出しを出来るような手段など、ウェルキンは聞いたことがない。彼女が無知だったのか、別の理由があるのか。経緯はどうあれ、結果は眼前で展開している通りだ。

 

「な、ぜ――」

 

 次いで、なぜ自分が攻撃を受けたのか、疑問が口を割って出た。ドライバーを引き剥がすのがあの剥離剤の効果だということはさすがに理解できる。それをしたのが亡国機業だということも含めてだ。しかし今のウェルキンには、この状況で一体誰が得をする、ということが分からない。第一、彼らは母国との取引相手だったはずなのに。

 《フィアレス》には銀髪の少年と少女が近づき、機体にある整備用コンソールに手を触れていた。何を入力したかは不明だ。少年が少女に指示を投げかけ操作をしている。

 

「く……それに、触るな……さわらないで……」

 

 動ける物なら飛びかかって制止しただろう。今は、口で制止するのが精一杯だった。声に出して何になるのかと思うくらい無意味で弱々しい抵抗だ。銀髪の少年は一瞥だけをくれた。少女の方は制御部の操作に忙しく、見向きもしなかった。

 

「コアネットワーク接続。PtPデータリンク。《YF-51 銀の福音》……開始」

 

 少女が簡潔に、ウェルキンの手から離れたウェルキンの機体に指示を与える。そして、制御部にキスでもするように顔を近づけ、ぼそりと“何か”を呟いた。

 一瞬の間があった。ひどく長く感じられたが、実際には一秒もなかっただろう。《フィアレス》は静かに電子機器だけが音を立てている。コアネットワークへ接続しただけではISに目に見える変化は生じない。

 

 よって、その次の瞬間に《フィアレス》に起こった“変貌”は、コアネットワーク接続のによるものでなくその結果――彼らの命じたデータリンクの結果、接続先から送られた情報によるものに相違なかった。

 

 暗闇の中に不意に光が走り、ウェルキンは思わず目蓋を閉じた。《フィアレス》が、ウェルキンの機体が、カラーリングと同じ暗青色の光を放っている。光は機体の中心、コアが座しているはずのあたりから放たれていた。

 目を閉じていてもなお痛いほどの光度だ。ウェルキンの目許にはいつの間にか滲んだ涙が滴になっていた。眩しさのためか、身体の嫌悪感からくる生理的なものか、あるいは精神的な事由か、ウェルキン自身にも判然としない。

 

「気持ち悪いかい? すまんねー」

 

 アジア人がウェルキンのことをのぞき込んでいる。欠片もすまないと思っていなさそうな口調で、なぜか苦笑を浮かべてウェルキンと視線を合わせてきた。

 

「ま、しばらくすりゃ楽になるよ。キツめの金縛りと二日酔いが一緒に来たようなもんだからさ。なんせ、量子的精度の意識情報連結から強引に引き剥がされたんだ、無理も……って、おわわわ!」

 

 彼は最後まで言い切ることができなかった。空気を裂く瞬時加速の爆発音が、ウェルキンの耳にも届く。《フィアレス》の変容を見た楯無が、遮蔽物から飛び出し突貫してきたのだ。彼女を警戒させていた狙撃は、なぜかこのとき楯無を撃たなかった。肉眼では追いかねるほどの速度で、ウェルキンとの戦闘で見せたものを速度で上回る踏み込みだった。 が、今回は先ほど、亡国機業の少女がやられた時とは同じ展開にはならなかった。楯無の進路、ちょうど延長線にウェルキンの肢体が横たわるところに、暗闇の中で蒼い光を放つ大きな“何か”が飛び出したのだ。

 

「……《フィアレス》!」

 

 ウェルキンの口から呟きがもれる。楯無の進路を塞いだのは、誰も搭乗していない《フィアレス》だった。HMW-17、女王陛下の翼(Her Majesty's Wing)の建造番号十七番。ウェルキンに貸与された機体が無人で再起動し、向かってくる楯無の前に飛び出していた。

 

「自立行動で!?」

 

 楯無が声を上げる。満身創痍の装甲で向かってきた《フィアレス》を認め、驚きながらも《蒼流旋》を構える。そのまま先刻ウェルキンに食らわせた一撃のように打ち下ろした。相対速度、双方の軌道を考えれば、新鋭機でさえ回避できない斬撃だ。こと、変容が起こる前の鈍重な《フィアレス》に対するならば十分を過ぎたはず、だった。

 

 楯無の振りを受けた《フィアレス》は機体各部のスラスターを、スペックを大幅に上回る勢いで噴射する。本来補助動力に過ぎないそれは、ウェルキンさえ主機かと見紛うほどの出力と加速に変貌しており、機体は弾かれたように加速した。当然、二機の距離は予期よりも早く、計測困難なほど短い一瞬で消滅する。スラスターとコアの放つ光の向こうに、楯無の目が驚愕で開かれるのがウェルキンからも見えた。

 完全に槍の軌道の内側に飛び込んだ《フィアレス》は無駄のない所作で体を裁き、機体を捻るようにして両腕を振りぬく。楯無の槍の柄、そして左前に構えた楯無の右手をつかみ、非対称に四つに組んだ形になった。

 それだけなら、先ほどまでなら簡単に負けていたところだ。しかし、変容によりスラスターだけでなく各部パワーアシストの能力まで跳ね上がっているらしい。右腕と槍、先ほどの戦闘で装甲面が剥離した左腕と右腕がぶつかった瞬間、衝撃だけで楯無が()け反るほど《フィアレス》が激しく押し勝った。

 

「ちょっとっ……!」

 

 出力に勝る機体と組み合うのは、楯無に不利だ。楯無もそれを見切ったらしく、直後に地面を蹴った。PICで重心を支えながら、脚部装甲で《蒼流旋》を上から下へ蹴り抜く。競り合いと違う方向から力を加えられ、衝撃で二機がともに槍を取り離した。力比べから解放された長槍は上空へ跳ね上がり、《フィアレス》のすぐそばに落ちて突き刺さる。

 楯無はそのまま低い軌道で後方へ舞い、距離を置いて着地した。一方の《フィアレス》も僅かに移動し、背後に亡国機業の兵らを――いや、その後ろのウェルキンを隠すようにして、楯無の前に立ちはだかった。

 

 その間にもコアの光は強さを増している。光が機体に及ぶと、その形状が変容を始めた。兵装支持架がある大型の左肩部装甲がばつん、と音を立てて切り離され、瞬時に量子化する。その他も機体各部の重装甲が次々と音を立てて切り離され、機体は肉がそぎ落とされるように、シルエットさえ変えていった。上体に装甲が集中した逆三角形ぎみのシルエットから、ライダースーツのようにスマートな形を成形しつつある。そして、装甲が落ちた箇所には、全て今までなかった小型のスラスターが発現していた。

 

 ウェルキンの中でぐるぐると廻っていた言葉が、結論になってようやく唇を割って出た。

 

「自立行動――いや、暴走と二次移行(セカンド・シフト)を、《フィアレス》で……」

 

 頭痛が走り始め最後は言葉にならなかったが、《フィアレス》に起きているのは、まさに口にしたとおりの事象だった。形態が変容し、機体に不足していたものが形成されていく。

 

「福音事件!」

 

 楯無がウェルキンの呟きの後を引き取るように言った。その事件は、情報部の間では周知の事実だ。七月、ハワイ沖から日本近海のエリアで米国の機体が暴走し、学園一年生の専用機ドライバーと交戦した事件。そこでは篠ノ之箒の単一仕様発現に加え、世界でも例の少ない二次移行が二件が同じ現場で起こったという。二年のウェルキンと楯無には見られなかった起こった事象の一部が、目の前で事実として再演されていた。

 

「その機体に何が起こっているかは、説明するまでもないようだな。見ての通り、福音事件の再現だ。その《メイルシュトローム》級は、自立行動状態に陥り、今二次移行を果たした」

 

 少女が言った。胸の前で腕を組み、今度は彼女が睥睨するように楯無を見つめている。両脇には、少年三人(一人は背負われて気絶しているが)、周囲を警戒していた。

 最近に亡国機業に奪われたという合衆国の機体。《銀の福音》という名、二次移行、合衆国の機体、といういくつかの単語がウェルキンの脳裏を廻っていた。

 

「シフトに伴い出力と機動が上がったようだ。並の第三世代機では相手になるまい」

 

 いいながら、少女はウェルキンに一瞥をくれる。ウェルキンの視線の先では、彼女の手を離れた彼女の機体が、静かにうなりを上げ、機体周辺のPICの重力の影響で、砂が波紋を作るように僅かに動いていた。

 

「これが()()の“銀の弾丸”だよ」

 

 ウェルキンの言に答えるように、少女は言った。

 

「合衆国から機体を“奪った”のは、このために……」

 

 少女の言を聞きながら、ウェルキンは身を起こそうともがいていた。ようやく動くようになった身体は、首をもたげる度に頭蓋にひびが入ったのかと思うほど激しい痛みに見舞われる。

 苦痛の海に沈んでいるような状況の中で、ウェルキンの思考はある一つの疑義に達しつつあった。

 彼らはコアネットワーク越しに《銀の福音》に接続したが、ウェルキンの知る限り合衆国の機体もまた他の国の軍用機と同様に、一機辺り一人から数人の登録済みパイロットしか起動出来ない。認証はパスワードに加え、虹彩・静脈等の生体データを用いる。ハッキングでそれ突破しようとすれば、ISコアの量子コンピュータ性能をフルに活用しても、並の技術者では一年以上はかかるだろう。

 そして、福音が強奪されたのは九月末。これが意味することは一つだ。

 

 ――合衆国(ステイツ)も、彼らに協力している。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 時刻は少し戻り、二十二時すぎごろ。戦闘の状況で言えば、《レイディ》とウェルキンの戦闘が開始する頃のことである。

 

「鈴、鈴、りーん。ねーねー、アロマいれていいかな」

 

 IS学園の寮の一室で、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身のティナ・ハミルトンが、ルームメイトの小さな背中に抱きついていた。楽しげに鼻歌を歌いながら、自分より小柄な彼女を強くハグしている。

 

「あーもう、うっとうしい。髪とかしてんだから、くっつくなー! いーわよ、アロマなら。好きにして」

 

 ハミルトンのルームメイトの少女は、髪にヘアブラシを入れながら、鬱陶しそうに彼女を払いのける。本気で嫌そうにはしていない。ただ、自分がぬいぐるみよろしく抱かれるのが気に入らないというという表情だった。

 普段彼女がしているツーテールの髪は今は解かれ、長いストレートぎみの黒髪が背中まで降りている。ちょうど風呂から上がったところらしく大きめのジャージ姿で、頬にはやや赤みが差していた。

 

「ていうか、ティナはなんで夜中なのにそんなテンション高いのよ」

 

 若干渋い顔になりながら、やたらに元気がよく、しかも空気を読まない友人を見ている。ルームメイトの少女の足許には、衣服がいくつかと、駅前のショッピングモールに入ったアパレルの紙袋が置かれていた。今日の昼間、街にショッピングに出ていたらしい。

 ハミルトンは頭を掻いて笑うと、デスクの上のディフューザーに寄った。

 

「いやー、昼にウェルキン先輩、それと生徒会長のお茶会にお呼ばれしちゃってねー。憧れのおねーさま方との同席で、私はテンション上がりまくってずーっと戻んないってわけですよー」

 

 舌を出して笑いながら机のディフューザーの電源を入れる。静かに霧が吹き出して、二人部屋の空間をラベンダーの香りが満たした。ハミルトンは「いい香りだー!」と言ってベッドに飛び込んだ。効能の鎮静作用が疑わしくなるでかい声だ。

 そんな彼女を、ルームメイトの少女はじとっとした目つきで見つめている。

 

「更識会長と、ウェルキンってイギリス代表候補か。あの二人が憧れねー……。あんたってやっぱり色々変わってるわ」

 

 ルームメイトは言った。部屋に舞うミストで深呼吸して気を落ち着けている。ハミルトンが頼んで使わせてもらった芳香だが、今はむしろ彼女の安らぎに寄与しているようだ。

 

「そーお?」

 

 ハミルトンはベッドに仰向けになったまま、首だけを反らせてルームメイトを見る。

 

「そーよ。あの人を食ったような会長と、あとウェルキン先輩って、ちょろいとこの全くないガチガチの英国淑女でしょ?」

「そそ。けど、どっちも優しい人だよー、基本的には」

「基本はね。あの人たち、基礎が終わったら応用編・実践編、おまけにチャレンジモードと後が続きそうなのよ」

「ははは、何それ。ビデオゲームみたい。まあ、確かに底は見えない人たちだね」

 

 ハミルトンは笑った。友人の評は的確だと言いたげである。

 さらに、どんな話をしたの、と利いてくるルームメイトに、ハミルトンは語った。

 ウェルキンと楯無、そしてハミルトンの三人で行われたお茶会は――驚くべきことに全く和やかなものだった。牽制も威嚇も含みも何もなし。ウェルキンが茶と菓子を、楯無も茶請けを沢山持ち寄り、女子三人で全く他愛ない話に興じたのだ。

 

「……普通ね」

「でしょー」

 

 友人の話、異性の話、趣味の話。特にハミルトンのやっているアロマテラピーの話では二人が興味津々だった。腹の中には一物どころでないものを抱えていそうな二人であるのに、本当にごく普通の少女で、年相応の友人同士のようだった。

 

「それが大人ってやつなのかなー」

 

 ハミルトンは小さく呟いた。諸々の事情を腹に飲んでさえ、日常では普通の少女らしくいられる、そういうタフネスの持ち主なのだ、彼女らは。

 ハミルトンのわずかなつぶやきにルームメイトが反応し、切れ長の目を怪訝な色にしてハミルトンを見る。

 

「なーんか言った?」

「ん、ああ。まあ、二人とも鈴の言うとーりだわ。人としてでかいというか。奥深いところがあるよねって」

 

 耳ざとい相手を適当にごまかしつつ、ハミルトンは脚を振って勢いよく起き上がった。立ち上がって冷蔵庫に寄り、中から菓子を取り出す。扉を閉じると彼女の手の中には葛菓子と可愛らしいクッキーの包みがあった。

 

「食べる?」

 

 ひらひらと包みを振ってルームメイトに言った。

 

「食べない。アンタと違ってこの時間は太るし」

「おいしーよー? 実はこれ、先輩達の手作り御菓子でお茶会の()()()なのだよ。ほれほれー」

 

 返答を無視して、葛菓子を一つ、クッキーを数枚皿にのせ友人の机に置く。自分は残りを口に運び、頬に手をあてて幸せそうに味わっているように、見せた。

 

「へへー。時間たってもおいしいわー。幸せー」

 

 だらしなく相好を崩し、これ見よがしに食べている。ちらちらとわざとらしい視線を浴びせてくる彼女に、ルームメイトは手を止めて歯がみをする。

 

「人がダイエットに苦心してるのに、その横で……この鬼畜!」

「食べたらいーじゃん。大丈夫、毎朝トレーニングやってんでしょ?」

「うううー……じゃあ一個だけ」

「どっちか一個?」

「どっちも一個ずつに決まってるじゃん!」

「正直でよろしい。ほら、口空けて」

 

 ハミルトンは鼻息荒いルームメイトの口に、クッキーを一つあてがった。小さな口で一つ囓ると、よほど美味だったらしく、彼女の顔がふにゃっと溶けるように相好を崩す。

 

「ほんとにおいしー! 何これ」

「ふふーん。ウェルキン先輩から直伝のレシピも貰ったので、機会があれば披露してしんぜよう」

 

 ルームメイトとハミルトンはひとしきり菓子を賞賛し、大騒ぎして取り合うように一つどころか二人してあるだけ全部食べてしまう。ルームメイトがつい女子の欲望に負けてしまう様を見て、ハミルトンは手を叩いて笑っていた。

 そして、落ち着いたところで、ようやくルームメイトが口許を拭きながら話し始める。

 

「ごちそうさま……ふはー。ていうかやっぱ、すごい人たちよね」

「うん。女子力高いわ。というか――人間力?」

「まあ、私が直接話したのは楯無会長だけで、ウェルキン先輩はあんまりだけど。優しい人とは思った……でもちょっと苦手。勘とか色々鋭そうで、こっちを見透かしてそうで」

「あー、わかるかもかも。ちょーと怖いとこはあるよねぇ」

 

 ハミルトンは頷く。二人を前にして恐れを感じないようなのは、相当の向こう見ずか鈍感だ。それは彼女らの事情を知っているかどうかとは無関係な話だとハミルトンは思う。ただ、ルームメイトの言い方だと悪いように取られかねない。口を開いて少し付け加える。

 

「でもさ、本当に優しい人って、ちょっと怖いとこあるじゃない?」

「ふーん?」

「うん。今日も言われたのよー。ええと、先人ミズ・サラ・ウェルキンいわく」

 

 ハミルトンは言葉を切り、わざとらしく咳払いをして声音を変える。

 

「“思い遣り深い母親は、自分の子がどうなれば傷つくか、どうすれば死ぬのかを知っています。

 同じように、本当に優しい人とは相手の活殺の在処(ありか)を理解している。そういった怖さも持ち合わせた人のことを言うのですわ”……って。要はさ、優しいだけじゃアレだよね、てよく言うじゃん?」

「――ティナ。先人って、昔の人のことだから、同時代に生きてる人には使わないわよ」

 

 得意げに目を細めて語るハミルトンに、ルームメイトは注意する。彼女は中国籍だが、八歳まで日本暮らしで父親も日本人の日本語ネイティヴだ。スクール通いで日本語を覚えた留学生よりよほど詳しかった。

 

 指摘を受けて、ハミルトンは慌てる。枕元に起きはなされたタブレットから日本語の用例を検索し、声を上げる。

 

「うげ、マジだ。普通に間違って覚えてたよー。先輩ごめんなさい! 日本語ってトゥーマッチディフィカルトね」

「急に怪しいアメリカ人になるな! しかし、優しさに怖さね……どうなんだろうな」

 

 言いながら、ルームメイトはブラシをデスクの上の鏡の前に置いた。ハミルトンの引いたウェルキンの言葉を考え込んでいるらしい。髪を纏めることもなく、頬杖をついて黙り込む。

 ハミルトンはタブレットで次に買う菓子やらアロマやらの検索に熱中し始めたようで、話しかけない。しばらく沈黙があった。

 どれくらいの時間そうしていたかだろうか。ルームメイトの目尻はとろんと下に下がり始め、自分の腕を枕にする。やがて、子猫が喉を鳴らすような音を漏らして、デスクにうずくまって眠り始めてしまった。

 

「あーほらほら。髪とかしたんじゃなかったの?」

 

 仕方ないなあ、と言いながらハミルトンはディフューザーに歩み寄って、ミストの放出を止めた。次いでルームメイトの傍によると、肩を叩いて、続けて彼女の柔らかい頬を二、三度つついてみせる。眠っている。揺すっても起きないことを確認して、彼女はひとまず安堵の息をついた。

 友人が落ちたことを(あらた)めた後、ハミルトンは机の上からティッシュ・ペーパーを手に取り、もう片方の手で口に指を突っ込んだ。えずくように奥まで喉を犯し、口腔から出てきた指先には、唾液にまみれたハンカチほどの大きさの薄膜が(つま)まれていた。

 

「入眠剤が効かなくなるとは聞いてたけど……」

 

 ハミルトンは独りごちる。

 

「味がしなくなるってのは聞いてないよ。昼間の味を思い出してなんとか顔は作ったけど、焦るわ」

 

 ハミルトンは薄膜を包んだティッシュをルームキーパーから見つからない場所に隠し、眠るルームメイトに歩み寄った。彼女の首を支えつつ手早く髪を一つにまとめ、デスクに置き放されていたナイトキャップをかぶせる。そのまま、横抱きに彼女を抱えてベッドに運んだ。

 

「……髪、てきとーになっちゃってごめんね」

 

 いとけない表情で眠りに沈むルームメイトに、ハミルトンは言った。

 

「それとさ、私もさっきの話の時、言われてたんだ、ウェルキン先輩に。私もちょっとだけ怖い、ってね」

 

 独り言をもらした後、ハミルトンはタブレット端末を持ち、生態認証鍵付きの引き出しから自動拳銃のグロック34を取りだした。普段使いらしいそれの安全装置を外すと、窓から離れたベッドに腰掛ける。

 

 やがて、彼女の身体が向いた先――庭に面した窓をノックする音が聞こえた。銃を片手で構えて、「開いてる、ゆっくり入って」とハミルトンが言うと、ガラス窓は音もなく開いて、外から白い影が身を翻して進入してきた。

 

「いらっしゃい。へえー。こりゃびっくりだ」

 

 自ら招き入れた相手の姿形を見て、ハミルトンは感心したように、呆れたように言った。もちろん手は握った拳銃の照準を乱していない。

 銃口の向いた先には、IS学園女子の制服をまとい、黒い絹糸のような長い髪を後ろでポニーテールに束ねた“少女”がいた。

 

「篠ノ之さん、じゃないのよね?」

 

 思わずといった口調でハミルトンが訊ねる。それほど“少女”はIS学園一年の篠ノ之箒によく似ていた。

 

 しかしハミルトンの印象は、次に“彼女”が浮かべた表情で裏切られる。ハミルトンの問いかけを聞いた途端、端正な顔に嘲笑するように歪んだ感情が浮かんだ。本物の篠ノ之箒ならどう転んでも浮かべないような、冷笑的で悪意に満ちた表情だ。

 

「さあね。君にとってそんなに大事? 僕がどこからひり出されたかってことが。別に大したことでもないでしょ……CIA(カンパニー)のオフィサーさん」

 

 その表情と、少女としては低い声が“彼”が男性であることに確信を抱かせる。彼は腕につけたブレスレットを見せた。

 

「頼んでたものを受け取りに来たよ、さ、《銀の福音》の操縦者、ナターシャ・ファイルスの生体認証データをくれ」

 

 スコール隊のうち、この夜の戦闘に参加していない最後の一人であった、篠ノ之彗が言った。

 




にじファン版の10話と11話をなんとかくっつけました。それでも引っ張りすぎな気がしますが。

今さらですが、原作ヒロインの一人がゲスト登場しています。
それなりに可愛らしくかけたんじゃないかと思います。


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第11話 決着(前編)

前回のあらすじ。

1.ダークニンジャのタテナシ=サンがマドカ=サンとかに気を取られているうちにスゴイツヨイ・Xレイレーザーで撃たれる。命中を受け、アクア・クリスタルはしめやかに爆発四散。
2.これで優位を確信したウェルキン=サンだが、いきなし亡国さんたちにISを剥離剤で奪われる。彼女のISは暴走機めいた自立行動と二次移行を始めた。ナムアミダブツ! 福音・インシデントの再現である。
3.事件の再現の影には、実はCIAのサラリマンだったハミルトン=サンが関係していたのだった。サツバツ!

逆ハー? あ、ごめんなさいそれ次回からなんですよ。ごめんなさいね。


 ティナ・ハミルトンが命令を下されたのはわずか数日前のことだった。定常任務の他、必要なときに必要なだけの任務を果たすのも彼女の役目であるが、いくらなんでも急な話だ。

 任務内容はあの組織と接触し、《銀の福音》のロック解除用のデータを渡すこと。聞く人が他にいたなら驚くような指令だったろうが、聞いたときハミルトンに浮かんだ感想は一つだった。

 

 ――よくまあ、ここまで軍の勘に触りそうな事案を通してくるものだ。

 

 ISドライバーを目指している学生、という(てい)が今のハミルトンの立場である。数少ない留学組ということもあり、実は米国IS戦略軍所属の軍人・軍属搭乗者とも会わせて貰ったことがあった。時期は出国前、相手は(くだん)のナターシャ・ファイルス、イーリス・コーリングの両大尉だ。

 二人とも多少レズっ気を感じさせるところはあったものの、悪い人ではない、と思った(同性愛者というのはハミルトンの直感でしかないけれど)。特にナターシャ・ファイルス大尉などは、おどおどする未熟な少女を演じているハミルトンをなで、きっといいドライバーになれるわ、と励ましてくれたものだ。

 情に篤く、身内と見た者に対しては優しさがあり、血気もある。ハミルトンの経験と見聞から言うと、ああいう手合いは何よりテリトリーを部外者が荒らすのを嫌っているタイプだ。すなわち、敵と同等かそれ以上に、旗を同じくする他部門の人間が縄張りを荒らしたときに、一番怒る種類の人間だった。

 まあ、軍人としては別に悪いことではないが――この世で一番恨まれたくないカテゴリの人である。

 

「……それ、絶対あのおっかないビアンさんたちの怒り、買いますよ、おとーさん(ダッド)

 

 深夜に通信を受けたとき、ハミルトンは部長(ディレクター)に対してそう言った(彼は部門で父さん(ダッド)という符牒で呼ばれていた。理由までは知らない)。命令自体に否やとは言わず控えめに、不幸な未来があり得ることを指摘したわけだ。無駄と思いつつ、言わずにおれない気持ちだった。

 

 もちろん、時差でちょうどランチタイムにあたるヴァージニアの上司が意に介すわけもない。返ってきたのは軽い言葉であった。

 

「我々の関与は表にはならないよ。万が一なったとして、情報公開するときには君も、私の息子さえ家を買って悠々過ごしてるような頃さ。戦略軍(STRATCOM)の女傑二人も、流石にその時まで現役ではない」

 

 同じように言っていた事案がいくつ、二度と消せない恥になりましたっけ、とハミルトンは思った。(ダッド)の全能感に満ちた台詞を聞いていると、神父(ファザー)と会話している気にさせられる。実際、マクレーンのオフィスで使われる言語と教会の言葉には共通点があった。どちらも()()()に乗っていて、形而上(けいじじょう)の概念ばかりが(つづ)られているのだ。

 

「――カンパニーが今晩見たい夢については、理解しました。で、実際には? あにはからんや、“彼ら”が大暴れしてウチらの干渉がバレることに、みたいな感じになるわけですか?」

「……。口が過ぎる。慎みなさい、ミス・ハミルトン」

 

 かけられる言葉が頭ごなしになり、固くなる。組織人としてのトラウマに触れてしまったらしい。ハミルトンは回線の向こうに向けて肩をすくめた。

 

「失礼しました。ただ、“彼ら”は身内ですらないので、本当のところで何を考えてるかはわかりません。当然、彼らがこちらの予想外の行動を起こしたり、コントロール不能になったときのことは考えないと、なのです。

 その場合、私はどこまで自分の裁量で動いていいんです?」

 

 返ってきたのは、確認する、という言葉の後の短い保留時間と、いつも通りの回答――学園の動きには静観を貫き、関与が感知されないことを優先せよ、といういつも通りの言葉だった。

 

「必要ならば、東アジアのフロントからも支援を行う」

「つまりそこも、いつも通りってわけですね。了解です。頼みにしてますよ。こっちはニンジャ崩れやらボンド・ガール候補生までいるような異常地帯なんですから。よろしくです、ダディ」

 

 ほんの少し皮肉を込めて、ハミルトンは通信を切った。その夜はよく晴れていて、月の明るい夜だった。

 ちょうど三日前の夜、ハミルトンが今いる寮の屋上での話である。あれから日付が立ち、場所は同じだが今日は星の光もない曇天だった。

 そして傍らには、先日はいなかった連れがいる。別に嬉しくも何ともないけれど。

 

「データ転送、終わったよ」

 

 その連れ――例の篠ノ之箒似の少年が言う。彼は地べたにぺたんと座り込み、投影型キーボードをいじっている。操作している画面が見当たらないのは、瞳の微細薄膜に直接ディスプレイを見せて作業をしているためだろう。

 

 ハミルトンは頷いて、左腕に抱えたタブレット端末を見た。右手には消音器付きのグロックを構えて、辺りの警戒を続けながらだ。衣服は薄いジャージとショートパンツにパーカを羽織っただけで、秋の夜風が少し寒い。

 部屋で少年と合流してから、屋上に出ていた。ハミルトンは《銀の福音》ロック解除用のキーを渡したあと、そのまま彼の作業に立ち会って結果を見届けている。事態はおよそ予定通りに進んでいた。上手くいきすぎている程だ。

 少年が作業の結果が手元の画面にでている。バックライトを絞ったディスプレイの隅に、どこからか転送された映像が来ていた。場所は海港エリア付近のグラウンド、つまり楯無たちの戦闘地域だ。画質は良くないものの、現地の様子をざっと見るには十分だった。

 

 暗闇の中、二機のISが対峙している。言うまでもなく《フィアレス》と《レイディ》である。相対する二機の構図だけは戦闘端緒と同じで、機体の状況が著しく異なっていた。《レイディ》が特殊兵装を(うしな)い装甲にも傷が目立つのに対し、《フィアレス》は文字通り今生まれ変わったばかりの姿だ。

 今度はその《フィアレス》が先に動いた。右手に銃剣兼用のタングステンナイフを顕現させ、地面を足で、空間をブーストで蹴って突撃してくる。二次移行した《フィアレス》の所作は全てが冗談のように速く、ナイフは楯無の身体をとらえていた。

 

 更識楯無は落ち着いていた。目で刃を追うような愚はせず、相手の体の動きを認めて攻撃を受けている。速度と鋭さで上回る攻撃が受け流されていた。彼女の技量はやはり高い。

 

 だが《フィアレス》も、攻撃が通らないと見るや挙動を変えてくる。数度目の交叉がかわされた直後に、移行で顕れたスラスターを噴かした。格闘の合間に推力が加わり変則的な動きが入る。補助動力だけで強引に機体ごと転回し、紙一重で空振った刃を有効打に変えてみせた。

 IS格闘でもそうそうあり得ない動きに楯無の反応が遅れた。剣で逸らすのは間に合わない。《レイディ》は手甲でもってそれを迎え直撃を避ける。シールドエネルギーが消費される光が散り、勢いを殺されながらそれを破った刃が複合金属と激しく擦れあう。装甲面の破断は免れたが、ナイフの通った軌道に沿って(わだち)めいた跡が機体に残された。

 

 更識楯無は舌打ちを隠さず、満身でもって《フィアレス》を蹴る。叩きつけた脚部からの力で勢いよく後ずさった。

 そして十数メートル空間を置いて後、彼女が構えを変える。蛇腹剣《ラスティー・ネイル》の切っ先が地面を向き、正眼から下段へ。構えの変化は、彼女の意識の変化でもあった。あの学園最強を自他にて任じ、事実それだけの技量もあった女性が、守りに入ったのだ。

 

「いやー、すごいな。これ」

 

 ハミルトンの口が声を漏らした。ディスプレイに映っているのは監視装置からの情報だ。学園内には、こんな風に彼女や彼女の同僚たちが仕掛けた監視装置やら盗聴機何やらがそこかしこにあった。ハミルトン自身も仕掛けた例でいえば――先日の生徒会室のがあげられる。ウェルキンにしがみつく振りをして機器を仕込んだときのやつだ。

 まあ、あれはすぐ更識楯無に気付かれた失敗例である。しかもあのとき以降更識一門の注意がウェルキンに集中したため、見ようによっては、今夜の事態の原因にはハミルトンも一役か二役ぐらいは買っているのかもしれない。

 

「桁外れじゃん……二次移行(セカンド・シフト)って」

 

 ハミルトンが短めの髪を掻きながら言った。声の色はやや寒々しい。気温によるものではなく、もちろん《フィアレス》の発揮している性能故である。更識楯無と第三世代機を退けるような暴走機となれば、相手取れるのも限られた要員だけになるだろう。

 

 少年は、ハミルトンの方を見ず、口を開いた。

 

「ISの自律稼働、それに二次移行。《福音》の機体から、篠ノ之束があの事象を引き起こした要因を拾って再現した。それだけだよ。別に独創的なことをしたわけでもない」

「それだけ、ねえ。十分大したことなんだけどな」

 

 少年はにこりともしなかった。会って一時間足らず、二人の間に漂っている雰囲気は固い。多分、どれだけ長く二人でいても和らぐことはないだろうな、とハミルトンは思う。口をきかなくとも彼がこちらを軽んじていることは判るし、それ以上に彼に対してハミルトンは何か得体の知らないものを感じていた。女装に違和を感じさせないところも、語り口も、はっきり言って不気味だ。

 

「結局のとこ、あんたたちが《福音》を“強奪”したのには、こういうわけがあったってことか」

 

 《銀の福音》は近年に篠ノ之束が痕跡を残した数少ないISの一つである。二次移行を果たし、候補生相手とはいえ一個飛行小隊のISを蹂躙する戦闘ぶりは、戦力としても技術的にも解析にすることに大きな意義があった。

 しかしハミルトンが聞く限り、現有の技術ではろくに解析が進まず、結局ロッキーだかアラスカだかにある基地に封印する他なくなったはずである。それをあっさり解決したというのだから、亡国機業の技術水準は相当高い。あの剥離剤という兵器も含めて、IS学園や国家が知りうるレベルの技術すら超えて、どちらかと言えば篠ノ之束に近づいているようにさえ思える。

 CIAを始めとする米国の当局が、むざむざ機体を亡国機業に“奪われた”のはなぜか、ハミルトンにもわかった気がした。

 

「で、これはどうやってるわけ?」

 

 映像の中で能力を発揮している《フィアレス》を指して訊ねる。少年はひときわ面倒くさそうな様子を露わにしたが、「ウチとアンタらの取引要項にも入ってたっしょ」と念を押すと、ようやく口を開く。

 

「――ナターシャ・ファイルスについてのレポートはもう読んだかい? 福音事件の経緯がドライバー側から記録されているやつ」

「それなら読んだよ。この二晩で、なんとかね」

 

 任務にあたり、最低限の情報は解放されている。福音事件におけるナターシャ・ファイルス大尉関連のレポートはその中にあり、極秘案件としてロックがされていた。本来ならハミルトンの情報適格性では、資料の存在すら知り得ないレベルの機密だ。

 答えたハミルトンの顔を少年が見据える。視線を合わせて、彼女は自分の感じる不気味さに、理由が見つかった気がした。彼はパーツひとつまで篠ノ之箒とよく似た顔をしているのに、“本家”と比しても幼い雰囲気を持つ。女装しても声を発しなければ無垢な少女に見えるほどだ。そして、見目の印象に反して、彼が発している語調は理知的だった。外見と中身がアンバランスなのだ。

 

「なら、彼女の証言も読んだはずだよね」

「ええ。だけど、大尉のレポには、篠ノ之束がどうクラックしたみたいな情報はなかったはず。それどころか、暴走の契機みたいな証言もなかったよ」

「だろうね。そりゃそうだよ」

 

 スカートから脚を投げ出して、ぱたぱたと動かしながら喋っている。

 

「あの事件で篠ノ之束から《銀の福音》に仕掛けられたのは、ハッキングじゃないもん」

「はい?」

 

 思わず聞き返した。意味がよくわからなかった。クラックと暴走をほとんどセットで考えていたこともあり、ハミルトンは虚を突かれる。驚くハミルトンをよそに、少年はぶらつかせていた脚を止めて続けた。

 

「《福音》はあの事件で暴走したって言われてるけどさ、そもそも、機械が暴走するってどういうことかわかる?」

「どういうって……制御を受け付けなくなる、入力を受け付けなくなる、正常の終了手順が通らなくなる、そういう状態のことを言うんじゃないの」

「うん。大体合ってるね。正確には、最後に行われた入力をトリガーに、機械――機構、論理回路、動力、その他諸々が、あらゆる入力を受け付けず実行状態を続けること、それが暴走だ。

 車輌なら走り続け、論理回路ならリソースを使い果たすまでループし続け、反応炉なら炉心が吹っ飛ぶまでエネルギーを生産し続ける。

 じゃあ、ISでは?」

「……主機のPICが止まらなくなるとか、武器が停止しなくなる、ってとこかしら」

 

 首を捻りながら言ったハミルトンに少年はうなずいて返した。話すうちに興が乗って来たのか、満足げに後を続ける。

 

「間違いじゃない。実際にそういう事象が発生したら、誰だって“ISが暴走した”、というだろう。――だけど、福音事件で起こった事象は、それとちょっと違う」

 

 彼は言葉を切り、人差し指を上げ顔の前で振った。

 

「福音事件では、ISは主機・銃器・エナジー系、情報系、いずれも暴走していなかった。それどころか、《銀の福音》は敵の脅威度まで判定しながら戦闘を続け、戦闘が不要な状態になったら空中でエネルギー放出を押さえて休眠した。これらは、通常のISの機能であり、ISという機械に期待されている機能要件を全て満たしている。

 つまり、全ての機関は秩序だって、“正常”に動作していたんだよ。これは、アウトログやら機体側の記録を見ても判ることだ」

「ちょーっと待った。《福音》はファイルス大尉の入力を無視して動いてたんでしょ」

 

 ハミルトンが思わず遮る。少年は首をかしげてことも無げに、

 

「そうだよ?」

「そうだよ、ってね。じゃあ、正常とは言えないでしょ。ドライバーを認識してないんだから」

 

 ハミルトンは呆れたように言う。彼の意見を暴論と見たのだ。しかし次の瞬間彼の口許がにやりと歪んだのを見て、彼がこの反論を予期していたことに気付いた。議論を誘導されていたらしい。

 

「ISコアは、ドライバーの存在を認識はしていたよ。そうでなければ、絶対防御も生命維持も発動せず、ドライバーは今ごろ“あれ”に叩き切られて国立墓地行きだ。つまり、『福音事件』において《福音》はファイルス大尉の存在を認知しておきながら、入力だけは無視してたことになる。

 その間の操縦は、他の何かがドライバーとしてやっていて――それが誰かについては、もうファイルスさん自身が資料で言ってるね」

 

 彼はブレスレットを見せつけるように腕を顔の前にあげ、反対の手でそれを叩いて示す。

 

「『あの子は私を守るために』、だっけ? 泣かせる話だね」

 

 言葉だけの共感を口にしながら、彼は腕の《福音》を見せつけた。ハミルトンは、白銀に輝くそれを見つめながら――ゆっくりと噛みしめるように、少年に導かれた結論を口にする。

 

「篠ノ之束は、IS自身にISを操縦するように仕向けたってこと」

「ほぼ正解。正確にはISコアに操縦するように仕向けた、だけどね。彼女がやったのは、ハッキングよりもっとシンプルなことだよ。具体的に言うなら、ISコアの意識体、常ならドライバーとリンクしている子に向けて呼びかけ、煽ったんだ」

 

 ハミルトンは、ファイルスの報告書に別紙として添えられた資料のことを思い出した。福音事件の資料であり、報告書に載せるには当たらないとされたファイルスの証言を集めたものだ。『私は許さない、あの子の判断能力を奪い、全てのISを敵に見せかけた元凶を(……)』と彼女は語ったらしい。

 証言では名指しこそされないものの、誰であるかは明白なそいつがしたことを、彼は静かに告げた。

 

「そうだね、たとえばこんな感じかな――『人間たちは《福音》の大事な操縦者、パートナーを害そうとしている。お前たちの味方はこの世界にはいない。他のISコアでさえ、お前の敵だ。その人間のことなんて、何とも思っちゃいない。今彼女を守れるのは、お前だけだ』ってね」

「ISコアの意識体と、明確にコミュニケートしたっていうの! あの女は一体どうやって……というか、そもそも、そんな幼稚な教唆で、あの騒ぎが起こったっていうの」

 

 悄然とした様子でハミルトンは言う。声がわずかに震えているようだった。少年の言が事実なら、ISコアの潜在的な危険性は現在認知されているそれをさらに上回る。篠ノ之束だけでも相当なのに、子供のように気まぐれな意志に支配された最終兵器など冗談ではない。

 少年は答えなかった。ハミルトンも絶句したままだ。屋上には遠くの虫の音ぐらいの微かな音しかなく、二人の間に数十秒とも数分とも思えるような長い沈黙があった。

 

「ISコアはどれも満年齢で十歳以下だ。大切な存在が奪われるとなれば、パニックを起こしてもおかしくない」

 

 やがて少年が沈黙に飽いたように静かに口を開いた。

 

「ヒトと同じ基準で考えるわけには行かないけど、彼女らは人間が考えてるよりは幼くナイーブで傷つきやすくて、そして、愛されたい子供なのかもしれない。

 二次移行も唯一仕様も、そんな追い詰められた子か見せる変化なのかな。――うん、まあ、最後のは、ただの僕の妄想だ」

 

 少年は続けて言った。彼のやけに感傷的な言葉は夜の分厚い静寂にぶつかって消えた。ハミルトンからはそんなことを気にしている余裕が消えたようで、続けて訊ねる。

 

「それで、篠ノ之束と同じ方法で《フィアレス》のコアを暴走させたことまではいいけど、止める算段はあるの?」

「うん? まあ、一応はあるよ。用意してはいる。たぶん、うまくいくはずさ」

 

 彼の答えは曖昧でかえってハミルトンの不安を刺激する。良くも悪くも“襲撃慣れ”した学園だが、今は夜半である。彼女の脳裏には、自室に寝かせたままのルームメイトや、休日の最後の一時間を過ごしているだろう、たくさんの友人の顔が浮かんでいた。

 

「一応ってね……。止まらなかったら、本当に福音事件の再現よ。しかも学園のど真ん中で、そのうえこの時間。恐ろしい被害が出る」

「失敗すればそうなるね。あの《メイルシュトローム》級、予想よりかなり強く二次移行したし。他のISが敵だと思ってるから最初に狙われるのは専用機持ちだろうけれど――運の悪いのが、一人二人、死ぬかもね」

 

 明日の天気でも説明するように、少年は淡々と言う。ハミルトンの表情がはっきり強ばった。

 

「その中には私の友人もいるんだけど。というか学園をめちゃくちゃにする気なの」

 

 知らずに語調が荒くなっている。ハミルトン自身も冷静さを欠いているなと思った。情報機関の担当官としては不適格な、まるでただの学園生――子供としての言葉だった。

 そしてもちろん、この少年が動じるようなことは全くない。

 

「君の言うような展開になったとしても、悪者になるのは僕らであって、君たちじゃない。全て悪は僕らにあり、君らの組織は何もしないし、何も知らなかった。“そういうことになっている”、だろ?

 互いの組織が納得した上で、君個人で誰か傷つけたくない人がいるというなら、それは取引の範囲外だ」

 

 彼の言わんとすることはシンプルだ。彼女の意向は察した。そして、その上で意に介さない。確かにハミルトンの組織にとっても彼らにとっても、日本人が何人死のうが、まして中国人が死んだところで痛痒(つうよう)を覚えるわけもないのだ。

 

「おっしゃる通り。正論屋ね、貴方」

 

 ハミルトンは毒づいた。“本家”と違い口が達者だ。そして彼に感じる不快な印象は膨れ上がるように増しつつある。ハミルトンは感情を隠さない瞳で彼を睨んでいた。

 

「まあ、そんな微調整はそもそも不可能だけどね。もう言ったけど、今の《メイルシュトローム》級は、混乱して刃を振り回してる子供だ。誰某(だれそれ)を狙うな、なんて物言いは通用しないし、僕らが言って止まる相手でもない」

「ふうん。止める手段もない、と言っているように聞こえるわ」

 

 ハミルトンは言った。台詞に込めた皮肉を感じて少年はうるさそうな表情で続ける。

 

「しつこいな。手はある。あの子は――《メイルシュトローム》級はただ、怯えて暴れているだけなんだから、正気に戻るよう呼びかけてやればいい。ただ、それができるには二つ必要な条件がある。まず、大前提として、コアと情報連結(リンク)ができる――つまり、ISを操縦できること。これがないと、そもそもコアの意識体に接触できないからね。

 そしてもう一つ、それ以上に重要なのが、コアを“引き戻せる”ぐらいに、強い繋がりを持つことだ」

 

 言い終わると少年は立ち上がり屋上の端に歩み寄る。地面を蹴って身軽に飛び上がり、手すりに腰掛けた。

 

「その実演を君に見せてから、撤収することにするよ」

「ずいぶん親切ね?」

 

 うろんげな目つきでハミルトンが言った。少年は彼女の視線を受け流しつつ、風に後ろで束ねた長い髪をたなびかせながら脚を組んだ。

 

「たぶん、そこまではする必要はない、と思うよ。……ただ、結果も見せる前にさようならじゃあ、君が納得しないだろ。さっきからずーっと、僕のことが気に入らないって顔してるし。帰り際に背中から撃たれたりしたら、ヤだからね」

 

 少年が言う。ハミルトンの内心など把握済みだといいたげな顔だった。やはりこの少年は気に入らないと彼女は思う。喋るほどに嫌悪を感じさせる関係から目を外し、手元のタブレット端末に目を落とした。

 

 画面の中では戦場の二機が再び、動きだそうとしていた。

 

   ◇    ◇    ◇

 

 今度もまた仕掛けたのは《フィアレス》からだった。二次移行した《フィアレス》と《レイディ》は既に打ち合うこと数十合で、楯無は時間とともに押し込まれつつある。短い交戦時間でサラ・ウェルキンは確信した。今の状態の楯無では、《フィアレス》に勝てない。機体性能のうち、格闘戦に関わる箇所のそれに差がありすぎるのだ。

 もし《レイディ》が万全の状態でなおかつ特殊兵装があれば単純な能力差を跳ね返せた可能性はあるが、そいつは今、複合金属のスクラップになって楯無の足許に転がっていた。

 楯無は険しい顔で荒く息をついている。呼吸にあわせて形のいい胸とその下の身体のラインが動いている。呼吸もまた、楯無のリズムと同様に乱れていた。

 

「楯……無……!」

 

 ままならない身体を虫のように這わせながら、ウェルキンは腕を地面について頭をもたげる。かすれ気味に発された声だった。誰の耳にも届くとは思えない。それに楯無に届いたとして何を言いたいのかも、ウェルキンの中ではっきりしていなかった。逃げろといいたいのか、あるいは謝罪か。一番の友人でもありながら敵でもある。ずっと続けてきた曖昧な関係が、楯無にかけるべき言葉をウェルキンから奪っていた。

 

「虚ちゃん、本音ちゃん――聞こえてる?」

 

 楯無が言った。通信回線に向け声を流しているようだ。相手は待機している布仏姉妹だろう。

 

「ええ。本音ちゃんは轡木(くつわぎ)さんに連絡と報告を。虚ちゃんはそのままの位置を抑えてちょうだい。私は――」

 

 楯無は指示してのちうなずいた。深く一度息をついて、眼前の敵を見る。

 そのとき、彼女の視線がウェルキンに走った。短い時間に二人の視線が交錯する。

 

「面倒をかけます、楯無……」

 

 ウェルキンは絞り出すような声でいい、重い意識に引きずられて突っ伏した。楯無が頷いたのが、くずおれる前の視界に見えた。

 

「私は……私が、ここで押さえる」

 

 独語は虚たちへのものにも、ウェルキンに掛けたようにも、彼女自身の覚悟のためにも聞こえた。

 直後、また《フィアレス》が動いた。楯無は自身を襲うナイフを蛇腹剣のリーチでもって防ぐ。得物の長さは技量以外で彼女に残された唯一の優位だ。敵機もそれを判っているので強引に懐に割りこんでくるが、そうなったら一気に後進して間合いを稼ぐ。

 勝つための戦いから負けないための戦いへ戦闘の質が変わった。戦闘の主導権を放棄して、ひたすら時間稼ぎに終始する楯無――彼女のそんな姿を見るのは、ウェルキンも初めてだった。

 背進を強いられ、楯無は島の北側へと移動していた。交差する剣戟の音が徐々にグラウンドから離れていく。

 ウェルキンは身を動かそうとするが、手も足も恐ろしく緩慢で、死にかけの老馬よりも力がない。金属同士がぶつかる音が視界の外側で徐々に遠ざかることだけが、まともに知覚できるただ一つのことだった。

 

「よ、まだ辛そーだなー」

 

 突然そんな声をかけられた。傍らに気配を感じ、近くに誰かが立っていることに気付いた。暗闇の中、男が立っていた。長身で短い黒髪の、亡国機業のアジア系の少年だ。辺りにはいつの間にか彼の他には気配がなくなっていた。

 

「ま、普通か。やっぱり“あれ”みたいに、剥離剤食らってすぐ復帰とかありえんわ」

「――何です」

 

 きつい眼差しでウェルキンは彼を睨み付ける。恐れは正直に言えばあった。彼らの意図も利害のありかも、先刻襲われたことでまるで判らなくなった。逃げも抗いもできない立場が、恐怖だけをちりちりと刺激している。

 

 ウェルキンの警戒をよそに彼は腰の医療キットから無針注射器を取り出し、彼女の首に押し当てる。圧搾空気の音がして、静脈に薬液が注入された。嫌がる暇もなく首に冷たい感触が走った。さらに手際よく携帯型の光学装置を手に取り、彼女の前に晒す。「はい、ぴかっとするよ」と医者のような台詞を言った直後、ペン型の機器の先端がフラッシュした。何色とも判らない閃光が目に入り、一瞬意識がぐらりとする。

 

 顔面から地面に突っ伏しかけたとき、立てた腕に不意に力が戻り上体を支えることができた。ずれていた意識と身体のピントがぴたりと会うような感覚に、嫌悪が胃の辺りから駆け上がる。次いで激しい嘔吐感が彼女を襲ったが、吐くものがなかったため醜態は免れた。昼の茶会から水以外口にしていなかったのが幸いした。

 

「数分で気分がましになる。動けるようにもなるはずだ」

 

 少年は言って、背中に手をやりウェルキンを支えた。彼の言うことに嘘はない。痺れから覚めるようなむずがゆさと共に、手足に力が戻りつつある。

 やや自由に近づいた身体をもたげウェルキンは険しい視線を向けた。

 

「本当に……何がしたいのです、貴方たちは」

「最初にあいつの言った通りとおりだよ。そっちの損にならないよう行動している」

 

 あいつ、というのはあの少女だろう。呼び方に軍隊らしくない娑婆っけを感じさせる。理由を追及する気にはなれなかった。それよりも不条理に対する怒りが優先する。

 

「私のISを――私の《フィアレス》を暴走させておいて、よく言います。あれほどスペック差があっては、楯無にも止められない。このままでは私の母国は汚名を受けますし、楯無も私自身も破滅を免れ得ません」

「うーん。ま、そう思われんのも無理ないわ。説明も何もなかったし」

 

 恨みがましい響きの言葉に返ってきたのは苦笑だった。口下手どもばかりですまんね、とまたよくわからない謝罪をして、彼は続けた。

 

「さて、無駄口を言ってもなんだから、結論から言うとさ。止めるのは不可能じゃないんだよ、アレ」

「何……?」

 

 何をとは言うまでもない。ウェルキンは彼を見た。怪訝な表情の彼女に少年は続けた。

 

「むしろ、あんたにしか止められないんだ。今のあの機体は。そして、そこまで伝えることで、やっと俺らの今夜の取引は完了する。――そーいうことさ。知らされてなかったみたいだけれど、今ならこの意味、アンタならわかるんじゃない」

 

 軽い口調の彼をウェルキンは睨んだ。含みを持たせた言葉の意味をウェルキンは思考の奥で考えている。彼の言をまともにとるなら、《ゼフィルス》の戦闘データだけでなく、《メイルシュトローム》を暴走させ、そしてウェルキンに止めさせることまでが“取引”だったということになる。

 先ほどからぐるぐると廻っていた言葉がどこかで出口を見つけた気がした。この夜の出来事の本当の意味。亡国機業と母国が本当に取引せねばならないものは何だったのか。ウェルキンはなぜか知らされていなかったそれの内容が、今わかった気がした。

 

「さーて、どうする?」

 

 少年が言った。ウェルキンは頷いた。ウェルキンの腹は一つだ。止められるというなら、止めてみせるしかない。

 

「逃げ道を絶って話を進めるような遣り口は気に入りませんが」

 

 ぼそりとウェルキンは言った。少年はよく聞こえなかったようで、

 

「ん、なんか言った?」

「いえ。いい性格をしていらっしゃる、と思っただけです」

 

 嫌みに対して彼は肩をすくめた。自分が責められるのは理不尽だと言いたいらしい。

 

「そりゃ、お互い様だ。あんたMI6なんだろ? この取引に同意したのはウチのボスだが、場をセットしたのはあんたの上司(ミスターM)だよ。責任の半分はそっちにもある。

 いいか、伝えるからよく聞いてくれよ」

 

     ◇    ◇    ◇

 

 楯無は一方的に打ち込まれる攻撃をひたすら耐えていた。

 性能差のある機体との戦闘なら経験はある。《レイディ》を専用機とする前はロシアの量産機の《トゥマーン()》型で仏の《ラファール(疾風)》型とやりあっていたし、《レイディ》を受領してからの実戦形式の訓練にあって、機体機能を制限した状態で戦闘を行ったこともあった。

 しかしキルレシオを計ったら倍以上、下手すれば三倍以上になるような敵機を相手にするのはさすがに初めてだ。

 

 《フィアレス》に圧されて徐々に北へ流されている。場所は既にグラウンドから学園エリアへの街路に移っていた。被害拡大を避けるためには海側へ誘導するべきだ。できないなら、武器を破壊するなりして戦力を殺ぐなりしたかった。

 そんな正論や、やりたいことならばいくらでも思いつくものの、それらを現実にできる力は楯無の手元からははるか遠くにある。要するに典型的な負け戦だった。

 

 だか退くわけにはいかなかった。彼女の後背には無防備に眠りにつく学園がある。妹がいる。そして専用機《フィアレス》がそこに突入すれば、ドライバーのサラ・ウェルキンはその責任を免れ得ない。

 敵対したとはいえ何度も降伏を勧めたことでもわかるように、楯無はウェルキンの破滅を望んでいるわけではなかった。互いの立場が道を選ばせただけだ。まして横から出てきた亡霊どもに友人を暗部の奈落にたたき落とされるなど、認められるはずがない。

 

 振り下ろされる刃を刀身で受ける。組み合うと力負けするため、相手の勢いに合わせて受け流すように衝撃を払った。敵との剣戟は均衡を保っている。

 

「格闘型に移行してくれて、まだよかったわ……!」

 

 凌ぎきれているのは、砲撃戦用の《フィアレス》が格闘型に移行してくれたことが大きい。《福音》と同様に《フィアレス》が持ち前の砲爆撃能力を高め無差別に暴れ回るようなことになっていたら、そんな悠長なことは言っていられなかっただろう。

 常に後の先を取らねばならないため状況が危機的であることに変わりはないけれども、楯無にとって利点はあった。敵の格闘挙動は、ウェルキンの操る《フィアレス》のそれとよく似ているのだ。機体に蓄積された情報を基に戦っているのかもしれない。

 

「サラと仲良くしてね、って言った甲斐があったわー。情けは人のためならずね」

 

 見慣れた動きなら捌ける。動きが読めれば、速度差もなんとかなる。

 

 そう考えた直後、《フィアレス》が突っ込んできた。主副どちらも優勢な機動力を生かし大きめに旋回して後方に回ろうとしてくる。楯無は後ろを取らせまいとその場で転回しながら、半身になって正面斜めで受けた。

 

 身に引き付けた刀剣とナイフが交叉する。握りしめた《ラスティー・ネイル》が嫌な音をあげてしなり、両刃造りの刃が楯無の空色髪に触れる。二、三本の髪が切り落とされ舞い落ちた。

 得物があげる軋みを手で感じて、楯無は考えを改めた。《ネイル》は蛇腹剣、つまり刀剣の形と鞭状の形態を取る武装である。間合いの自在さが攻勢に有利な兵器である一方、構造上強度に難があり防御に向かない。

 

 ――このやり方でも武器が保たないか。

 

 守りを固めてなお粘ることはできないらしい。《ネイル》にせよ《レイディ》にせよ、もともとそういう兵器ではないといえばそれまでだ。

 

 ひたひたと楯無の心の底に溜まっていくものがある。楯無の前に迫っている未来に対する感情だ。彼女にとっては最初で最後になるだろう被撃墜、そしてその後に待っている楯無自身の最後。恐れはもちろんある。焦りも後悔も、たった一人の妹に、まだ大したことをしてやれていないという思いもその中には混じっている。

 ただ、暗部などというろくでもない生き方をしてきたのだ。まともな死に方をできないのは以前からわかっていた。何せ楯無でもう十七代の更識家だ。早逝したもの、無残に死んだものも多く、当主の中にあってさえ人知れず消えていった者もいる。更識の系図は安楽でない死の見本帳であり、そして楯無はそこに乗る最新の一人になる。それだけのことだ。

 

 ただし一言付け加えておくなら、わずかな時間稼ぎの代償にくれてやるほど、十七代目楯無の命に安値をつけるつもりはない。

 

 楯無はその場で短くターンし同時にブーストをかける。鋭角な軌道で旋回した。敵機は楯無より大回りを取っているが、それでもついてくる。埒があかず、距離も開かない。遮蔽物か障害物のある場所で戦うべきだ――と、半秒以下の短い思惟(しい)でもって決断した。楯無は機体を傾け路を逸れて脇の短い防風林に突入する。《フィアレス》は素直にその後を追ってきた。進路が妨害される環境なら、機体は小さい方が有利なはず、そう考えたのだ。

 

 結果から言えば試みは敵機の優勢を殺ぐような効果には繋がらなかった。《フィアレス》は細い樹木は体当たりで倒し、数本まとめてへし折って進んでくる。飛来する幹でかえって楯無の軌道が制限されるほどだった。

 

 むしろ、状況に変化が生じたのは、狙いとは別のところだ。

 《フィアレス》は自分で倒した跳ねる樹を肩で吹っ飛ばしながら《レイディ》に迫る。そのとき二機の間に、視界を塞ぐ形で樹木が複数倒れ込んだ。身体ごとぶつかろうとする寸前で《レイディ》が視界から消えて《フィアレス》が速度を緩める。再度《レイディ》をサイトに収めるまで、数十ミリ秒間が空いた。

 楯無はその一瞬を逃さなかった。

 

 樹木が地に落ち、また《フィアレス》の視界は開ける。暴走ISはナイフを前面に出して再加速しようとし、先ほどまでいた敵機の姿が消えていることに気付いた。攻撃は空を打ち《フィアレス》が再度敵の姿を確認するまで時間が要る。

 

 ハイパーセンサーは楯無の機体を《フィアレス》のほぼ直上に観測した。実際にあったのは一瞬以下の機械時間であり、その間だけで楯無には十分だった。

 

「いああああああ!」

 

 横倒しに空中姿勢を取ってマニュアルPICをフルに使って機体を自転させた。全推力を回転に乗せて蛇腹剣を振り下ろす。楯無の得物が曲線を描いて延び敵機へ襲いかかった。

 戦闘が始まって初めて蛇腹剣が鞭の形をとった。リスクをかける以上楯無には狙いがあり、それは眼下に結果として現れる。

 

 単分子繊維の収束でできたワイヤーが、周囲の木を巻き込んで《フィアレス》の右腕とナイフに巻き付く。半ばまで折られた幹や地面に倒れ落ちた丸太をウェイトさながらに結びつけ、ついでに手近で一番太いカエデやらたまたまそこにあった避雷システムのポールを巻き込んで、得物ごと右腕を縛り上げた。

 再度獲物をとらえた敵機は動こうとし、木と金属柱をしならせてがくんと停止する。楯無は右手で蛇腹剣を、左手でワイヤーを繰った。

 

「暗部は暗部でも、仕事人って感じねー。……狙いとは違うけど結果オーライってとこかしら」

 

 機動性に勝る敵の動きを封じることができた。《フィアレス》は、ままならない右手を引っ張って自由になろうとする。さすがに無駄だ。《ネイル》のワイヤーは見た目は登山用ザイルより細くとも、護衛艦の牽引すら可能な高度技術の束である。引っ張り耐性は異様に高い。ナイフがあれば切断できるだろうが、それも今は捕縛の中だ。また、とっさにアンカーに選んだ樹も柱も、そう簡単に破壊できない大きさである。

 

 《レイディ》で押さえつけておく必要はあるものの、これで相当の時間を確保できたはず。楯無はそう思った。《フィアレス》も数度の試行で徒労に気づいたようで、無意味な綱引きはやめる。辺りに静けさが戻った。

 

 ただし、一瞬だけ。

 

 楯無が安堵しかけた直後、補助AIが眼前の《フィアレス》の異常を叫んで楯無に報せた。敵機内に異常発熱を検知。楯無はすぐに命じた。推論を提示せよ。答えはこうだった。制限装置を解除し、主機・副機にエネルギー投入するものならん。

 

 楯無は怪訝な表情をとった。

 

 ――アンカーを引きちぎる気か?

 

 流石にそれは無理だろう――と考え、次に《フィアレス》がとった行動に、顔を強張らせた。

 

 人間なら諦めるか別の駆け引きにでたところだろう。どちらにせよ時間を求める楯無の意の上で歩いてくれたに違いない。しかし機械は諦めることも迂回することも知らず、さらに愚直さでは楯無の予想を上回った。

 

 《フィアレス》は繋がれた右腕を残す格好で、スラスター、主機、脚部――その他自分自身に向けて作用する全ての力を用い、自機を前方に押し出した。当然吊られたままの右腕は限界まで延びきる格好になる。張られたワイヤーが三味線のように音を立てた。そのまま軋みをあげる自らの腕にかまわず、《フィアレス》は推力を高めていく。

 天下無敵のISといえど、機械部分には相対的に弱い箇所が存在する。たとえば、構造的に強化しにくい関節部分など。多重皮膜装甲のみで覆われたそこは、変形は柔軟に受け止める一方で、破・断・裂にきわめて弱い。

 

 右腕から一番近い関節に負荷が集中する。後は単純な材料力学の問題だった。延びきった腕に向けて(こた)えられないほどの張力がかかり、肘部の半ばから引きちぎれた。破断する金属の甲高い音とともに、ナイフを握りしめたままの右腕が宙を舞う。飛び出しざまにそれを左手でひっつかんで拘束から引き抜き、《フィアレス》は溜め込んだ推進力で弾かれたように加速した。

 

「うっそ……!」

 

 補助AIより早く、楯無は自ら判断して蛇腹剣を半ばで切り離した。刀剣にして五分ほどの長さになってしまうが、絡みついた箇所を振りほどく余分な時間がない。

 より正確には、余分でない時間すら残されていない、というべきだった。《レイディ》と《フィアレス》にはそもそも加速に差があり、さらにこのときのタイミングでは楯無の反応がわずかに敵機よりも遅かった。

 

 苦心して確保していた間合いがまばたきする間もなく消失する。《フィアレス》は《レイディ》を抱きしめられるほどの距離まで機体を投げ出し、左手で掴んだ腕を楯無の胸部に何度も叩きつけた。右手が握ったままの刃が深くあたり、シールド防護が作用するときの光を発する。槌が衝突したような衝撃で内臓が突き上げられる。苦痛の声を漏らしそうになったところで、左脚部の一撃が腹に入り、呼吸と一緒に声をキャンセルされた。息を詰まらせた彼女の背に、スラスターで転回した右脚部でさらに強い追撃。

 《レイディ》は低い軌道で弾むように飛ばされた。制御を失い、頭を下にして地を這うように林を抜け、開けた広場中央の時計台に衝突してようやく止まる。

 

「ぐ……」

 

 楯無はうめいた。脳が揺れていて働かない。その呆然とする意識野に向けて、けたたましい警告が次々発されていた。シールド系、制御系、戦闘補助、そのほか全システムから、補助AIがアラートを投げていた。最近ついぞ聞かないほどの量に楯無は顔をしかめる。

 

 全ては確認し切れない。ただ内容は見なくてもわかる。沈みつつある船がそうであるように、機体のあらゆる箇所が機能不全を訴えているのだった。試しに警告のうち優先度の一番高い二つを開いてみる。シールド、アクチュエーターの自己点検の結果で、それぞれ現在の出力は二割未満、五割弱という値だった。後者はもちろんだが前者が特に派手に減っている。食らった攻撃のうち複数で絶対防御が発動したらしい。

 

 ――軽く見てもC整備か。虚ちゃんに怒られちゃうなー。

 

 最低でもそれである。最悪はもちろん機体は丸ごとスクラップ、そして楯無自身は地獄行きだ。そうなったら逆に泣かれるかしら、と口に出して笑おうとして、楯無は声が出せずに咳き込んだ。口内でべたついている唾を吐き出した。

 

「楯無!」

 

 そのとき、意外な声が彼女に届いた。数少ない正常稼働中の機構、ハイパーセンサーが歩み寄る影をとらえている。サラ・ウェルキンだった。まだふらつきながら、グラウンドの方から近づいていた。

 

「サラ! 何をしに来たの。危ないでしょう……!」

 

 楯無は非難じみた声で(なじ)った。立ち上がろうとするが、膝がまだ笑っていて上手くいかない。ウェルキンはよろめく彼女を支えようとし、果たせずに一緒になって倒れた。

 痛みにうめきつつウェルキンは口を開いた。

 

「この期に及んで私の安全など、世界中のどこにもありません。あなたが敗れて死ねば私の破滅も確定します。私たちは同じボートの上です」

 

 楯無の脇に肩を入れ立たせながら言う。楯無の方は焦燥の上に渋い表情を浮かべ、

 

「一蓮托生ってわけ? それはそうだけどね、ここに貴女がいてもできるのは私と心中することだけよ。私、一緒に死にたいほど貴女が好きなわけじゃないわ」

「私もです。日本人の貴女にいうのも悪いですが、極東なんかで人知れずのたれ死ぬなんて、私の趣味ではありませんわ」

「なら、どうして……ああもう、また!」

 

 他の警告を押しのけ、最優先で接近警報がAIから投げられる。楯無はとっさにウェルキンを横抱きにして地面を蹴って逃れた。直後、楯無の寄りかかっていた大時計が破裂するようにコンクリートの噴煙を巻き上げた。

 

 土煙の中には当然《フィアレス》がいた。しつこいなあ、と吐き捨ててから楯無は何か気付いたような表情になる。

 

「しまった。何でサラをお姫様抱っこしてんのよ、私」

 

 とっさに抱え込んでしまったが、よく考えれば突き飛ばすなりして楯無から離れさせた方が安全だ。心中だの何だのと要らぬを喋ったせいだろうか、余計なことをしている。

 

「いいえ。このままで結構。むしろ好都合です。これなら、《フィアレス》の注意は常に私に向きます」

 

 ウェルキンが言った。彼女の様子を見て考えなしに来たわけではないらしいと楯無は気付く。

 

「どうする気?」

「《フィアレス》を止めます。貴女も協力してください」

 

 片腕を楯無の首に回してしがみつく。その視線が持ち上げられ、楯無のそれと重なった。

 

「剥離剤についてご存知なら、使用後の副作用にも通じているはずですね。剥離剤を使用されたISに備わる性質を使います」

「そうか」

 

 完全に虚を突かれた思いで楯無は声をあげる。

 

「遠隔コール……!」

 

 剥離剤は、展開状態のISを強制解除して待機状態に戻すが、これを使われたISには、後遺症とでも言うべき特殊な性質が二つ備わる。一つは、剥離剤への耐性。ISコアという代物は適応能力がやけに高く、一度使われた剥離剤は二度と効果を発揮しない。

 そしてもう一つの後遺症として、通常なら身につけていないと顕現できないISが、ある程度なら距離をおいた状態でも手元に呼び出せるようになる。あの暴走状態のISにも効くならば、活路なしのこの状況を打開できる。

 

「剥離剤について知っていたようなので、貴女もご存知とばかり思っていましたが」

 

 実際のところウェルキンに指摘されて初めて思い出した。剥離剤の副作用とISの暴走、その二つとも楯無は知っていたが、結びつけて考える発想はついぞなかった。

 

「悪かったわね。貴女がぶっ倒れた時点で、頭から吹っ飛んでたのよ」

 

 赤面する思いで楯無はぼそりと言い返す。ウェルキンは口元を緩めた。少し意地悪い具合だった。

 

「あら、ずいぶん心配して下さったようで。恐縮ですわ」

「当然でしょ……。ただ剥離剤の作用も暴走してる機体に利くかなんて、試したこともないわ」

「暴走ISなど《福音》と《フィアレス》しかないのですから、それについても当然ですわね」

 

 ウェルキンは片手を楯無の首から外し、自分の胸に手を当てる。目は前方に向いている。楯無も彼女を支えながら同じものを見ていた。

 二人の前には《フィアレス》がいた。それまでの躍動が鳴りをひそめ、距離を置いたまま彼女たちの様子を伺っている。心なしか戸惑っているようにさえ見えた。

 

「どのみち、坐して待てば死ぬだけです。理論上は成功可能性があるようですし、私は試みてもよいと考えます」

「理論上、ね。……そういえばさ」

 

 不敵な表情で語ってみせるウェルキンに対して、楯無は指摘する。

 

「副作用のこともそうだけど、剥離剤の効果なんて、あれの存在も知らなかった貴女が誰に聞いたのかしら。あの亡霊っぽい人たちとは、トレーニングの途中でたまたま会った、という話じゃなかった?」

「あ」

 

 今度はウェルキンが口元に手を当てた。自分で言った“設定”を忘れていたらしい。

 

「……喋りすぎました。そういう詮索は、生き残ってからに致しましょう」

 

 顔をそらされてしまう。ウェルキンがミスをすることはあるが、ただの不注意で口を滑らすというのは珍しかった。というかそんな彼女を見るのは――極めつけに恥ずかしげに顔を背ける表情も含めて、二年間で今が初めてだ。

 

 二人は互いに顔を見合わせ、どちらからともなく声を漏らすように笑いあった。

 

「お互い、しまらないわねぇ」

「まったくです」

 

 異常な事態にあって互いがした馬鹿みたいな些細なへまがおかしい。短い時間笑みを送り合い、楯無は口を開いた。

 

「――それで? “出所不明なその情報”によると私は、どうしないといけないのかしら」

「“通りがかりの通行人の助言”によると、私と《フィアレス》ならば遠隔コールが可能なのは最大で七、八メートルです。できれば、五メートル以内まで近づくことが望ましい」

「最低でも教室の前から後ろまでぐらいか。ISにしたら近距離ね。必要な時間は?」

「そこまでは、判らない、と。私がコツを掴めば数秒で。もし感覚を掴めないならば、何時間でも」

 

 結構な無茶だと楯無は改めて思う。ウェルキンが表情を曇らせて続けた。

 

「ですから、貴女が保つだけの時間でチャレンジします。どの程度保ちますか」

「そうねー。大言壮語できる状態じゃないし」

 

 楯無は目前の《フィアレス》を見つめる。片腕をもいでやったとはいえ、優位になった訳ではない。こちらの悪条件に目を向ければ、シールドや出力の低下は楯無の確実な死を予告している。

 

「……ここは謙虚に三分と言っておきましょうか」

 

 楯無は首にウェルキンをつかせたまま、刀剣形態にしてIS用小太刀ほどの長さになった蛇腹剣を構える。腿の辺りで刃を構えゆっくりと距離を詰めた。

 《フィアレス》は自分からは動かず、楯無が距離を詰めるに任せていた。十数メートル、十メートル、近づいても静止したままだ。

 

「来なさい、《フィアレス》……!」

 

 距離が十メートルを割ったとき、ウェルキンが言った。二者の間の見えない壁が破れたように、《フィアレス》がぶつかって来た。

 振り下ろされる左手――右腕を掴んだままのそれを、楯無は剣を携えた方の腕でブロックする。腕部へはシールドを一局偏向させている。振り下ろされる腕ごと刃の軌道を逸らすのだ。ナイフは楯無の横の空間を通過し、その間に《レイディ》は蛇腹剣をボディに向けた。刃が薄く入り、ダメージを与えた手応えがあった。

 《レイディ》と《フィアレス》が何度か交錯を続ける。腕以外が無防備になるうえ衝突のたびにシールドが減るので、この手は長く続かない。シールド残量一割のところで、まだか、と思いつつ楯無はウェルキンに視線を走らせた。

 

 彼女は、至近距離の《フィアレス》だけを見据えていた。欠片も不安の色はない。信頼されているということ、やるしかないという覚悟、両方がウェルキンの表情の中にあった。

 

 ならば、楯無はそれに答えるだけだ。幸い振り下ろされる切っ先の速度はやや鈍い。なぜかと考え、先ほどの《フィアレス》の姿――ウェルキンを守るようにして楯無の前に立っていた姿を思い出した。

 この子はウェルキンが傷つくのを嫌っているのだ。気付いた楯無は敵機に対して総身を晒し、叫んだ

 

「来なさいよ、《フィアレス》ちゃん! 大事なサラはここよ!」

 

 言葉と所作でした挑発に敵機は乗った。今までにも見せた爆発的な加速で楯無たちに襲いかかる。

 

 ウェルキンを抱えたままの楯無相手に敵機が狙える場所はどこか。顔、肩口、腹、下半身、選択肢は限定される。姿勢から下を狙っていないとわかった。なら肩より上のどこかだ。

 

 突進に合わせて楯無は軌道を完全に読んだ。姿勢を低くして切っ先をくぐり、肩から突っ込む。腕を肩部装甲に当てて押さえ《ネイル》を振って左の関節を狙った。手応えあり――《フィアレス》左肘に深々と切っ先が食い込む。

 

 やったか、と思った直後に、腹部に衝撃があった。フィアレスの膝が腹に入って息が詰まる。それ以上刃を下ろせなかった。

 

 苦痛が楯無の肉体を支配している中、ウェルキンの声がすぐ近くで聞こえた。

 

「戻ってきなさい」

 

 《フィアレス》は機能不全で曲がらなくなった左腕を楯無に延ばす。攻撃が入らないよう、楯無はウェルキンを庇った。《フィアレス》がウェルキンを避けても、万が一がある。《レイディ》のシールドも絶対防御もウェルキンにはもちろん効かない。

 伸びる手が眼前にまで迫ったとき、今度ははっきりと、ウェルキンが声を張り上げた。

 

「私の友達を傷つけないで。貴女はそんなことのために、私のパートナーになったわけじゃない。あるべきどころに戻りなさい、私の《フィアレス》!」

 

 《レイディ》の肩まであと数十センチ、というところで、《フィアレス》は止まった。間をおかず機体は量子化の光を閃かせ、装備と装甲を納めていく。

 やがて、無数の光に紛れるように《フィアレス》は消えた。楯無は腕の中のウェルキンを見下ろした。彼女の胸には暗蒼色のネックレスが戻っていた。

 

 辺りには虫の声しかしない静寂だけが残った。今までの騒音が逆に悪い夢だったようにさえ思われる。百年前から続いていたかのような、静かな夜だった。

 

「はあ」

 

 楯無は思わず息をついた。安堵した身に急に疲労がこみ上げてくる。楯無は不時着するように膝から着陸して、ウェルキンを地面に転がし手をついた。乱雑に扱われたウェルキンも文句も言わず、脚を崩してへたり込んでいた。

 楯無の周囲で量子化の光がまたたいて、機体が待機状態へと移行した。楯無はそのまま、仰向けに地面に転がる。

 

「さすがに、もう限界……」

「ええ……」

 

 二人して息を荒くしながら長く黙り込んでいた。相手の荒い息だけが互いの耳を打つ。やがて、ウェルキンが口を開いた。

 

「――楯無、ありがとう。迷惑をかけました」

 

 彼女を救ったことか、《フィアレス》を救ったことか。あるいはこの夜の騒動全てについてか。どこまでの礼かは言及しないものの、深い感謝の色を込めてウェルキンは言った。その一言を聞いて、疲労した楯無の肉体に穏やかな達成感が染み渡った気がする。楯無は柔らかく相好を崩し、乾いた声で笑って応じた。

 

「ホントにねー。ひどい目にあったよ。別に、恨んだりするようなことでもないけど――私たちの関係、もともとこんなもんでしょ」

「そうですわね。ここまで直接にぶつかったのは初めてですが」

「ええ、もう、まったく……」

 

 二人は揃って首を振り穏やかに苦笑した。笑った拍子に互いに痛むところがあったらしく、楯無は背中に手を当てながら咳き込み、ウェルキンは肩の辺りを押さえた。

 先に呼吸が落ち着いてたウェルキンが立ち上がり、立てますか、と楯無に手を差し出す。楯無は立とうとして力なくへたり込み、尻を地面につけたまま笑う。

 抱えていけ、とふざけてねだる楯無に取り合わず手を引き、ウェルキンはそのまま肩で支えた。二人は寄りあいながら、ゆっくりと歩み始める。楯無が痛みに顔つきを変えるたび、気遣わしげにウェルキンが背中をさすった。

 

 歩みを寮に向ける。互いに支え合いながらなので歩みはのろのろと遅い。疲労のためか二人とも口を開かず、道中は沈黙が落ちていた。

 ただ、不快な静寂ではなかった。不思議と以前よりも、それどころかほんの一日前よりも、ウェルキンを近くに感じるような気がする。話すことがありすぎて言葉が出てこない、そういった類の距離感だった。

 

 道半ば、というところまで来たころで、楯無はぽつりとつぶやいた。

 

「明日から、私たち、また元通りかしらね」

「さあ、どうでしょう」

 

 ウェルキンが答える。曖昧な口調だった。ごまかされたわけでもなく、本当にわからないと言いたいようだ。楯無も、同感だった。明日はやそのさらに先は、分厚い壁の向こう側のように不明確だった。楯無たちにとって、未来はもとよりそういう不条理なものだった。ある種の自動機械のように、彼女たちには止めようもない場所と仕組みで動き続けている。

 

「少なくとも、今は友人です」

 

 迷いなく言うウェルキンに、楯無は少し、嬉しくなって笑みをこぼした。

 

「ええ。そうね」

 

 はっきりとした声で答えた。今夜のことや亡国機業の狙いなど、まだ色々と考えるべきことや決断すべきことは楯無にもウェルキンにも残っている。それらも、今このときは保留にしたかった。

 

 そして、楯無とウェルキンとの関係もひとまず、友人のままだ。少なくとも寮にたどり着くまでは。できれば、明日朝目覚めるまで。もし可能なら、次に対立するときまで。その時はできるだけ遠ければいい、と楯無は思った。

 

 見上げると、天候が晴れ間に変わっており、遠い微かな星の光を見つけることができた。日付が新しい日に変わる頃の少し暖かい風が、彼女らの周りを通り抜けた。

 

 

    ◇    ◇    ◇

 

 

 ――楯無とウェルキンは、寮までの道を二人で歩く。ゆっくりと、肩を組みながらだ。

 

 体調が万全なら十分ほどでいける道程だがこの早さでは三十分ほどもかかる。誰がみても亀の歩みというべき早さで、短いようで長い道のりを消化した。

 

 そして半ば辺りまで来たところで、楯無が傍らの連れに声をかけた。

 

「そういえばさ、あの亡霊さんたちはどうしたんだっけ?」

 

 落ち着いてきてようやく思い出したらしい。楯無はウェルキンを覗き込みながら言う。

 

「彼らならいつの間にか消えていました。もとより、騒ぎに乗じて逃げるつもりだったのでしょう」

「んん、ま、あの場にいた子たちもそうなんだけどさ。ほら、亡霊さんはみんな“あの子”たちに似てたじゃない?」

 

 明言せずに言っているものの、()()を見てきた楯無とウェルキンの間でならば誰のことを指しているか明らかだ。ウェルキンはうなずいて続きを促した。

 

「確かに、そうですね……」

「ね。となると、足りない子がいるのよ。虚ちゃんから連絡があったんだけど、狙撃の場所を押さえてさ。狙撃手の子はイングランド人っぽかったらしい。結局そっちも逃げられちゃったんだけどね。

 だから、私たちが遭ったのは、イングランド、中国、ドイツ、フランス。あとの一人は、向こう側にはいないのかしらーって」

「……確かに、気にはなりますね。まあ、その一人がいたとして、もう脱出しているに――あ」

 

 話しながらウェルキンの方も何か思い出したらしい。口に手を当て何か思案を始める。楯無は首をかしげた。何か忘れものでもしたのかと訊ねると、ウェルキンは慌てたように楯無を物陰に引き込み周囲に目をやり始める。

 

「どうしたの?」

「忘れていました。もう寮の近くですから。警戒が必要です」

「確かに寮からも見える場所だけど。警備部ならこの時間には巡回はないはずよ」

 

 不思議そうに訊ねる楯無。学内の警備について楯無はオフィシャルな内部情報を持っている。

 

「寮の辺りを()()()()()()()()()()()()()はずです――彼女から土曜日、直接聞いたのに、今まで忘れていました」

 

 楯無にとっては寝耳に水の情報であったようだ。目が抜き打ちテストを食らったときの一般学園生のように見開かれる。

 

「それ、私も知らなったな。確かな感じ?」

「教員が内部的に実施しているようです。まだ知れていなくても無理はありません」

 

 通常スケジュール以外の巡回とは、効果があるかはともかく楯無のような立場にとっては厄介だ。目前まで来て部屋にたどり着くには時間を要しそうである。

 

「危ないね。もしそんな巡回があると知らないで侵入してたら……」

「ええ。思い出してよかったです、うかつにうろついているような輩は、見つかって大変な目に遭うでしょう」

 

 二人は強張った面もちでやりとりをしている。先ほどまでとは種類が違うとはいえ、緊張の度合いは同じくらいだ。インテリジェンスとしての顔ではなく、学園の規則破りをした女子高校生として――どちらも彼女らの本当の顔であるから、こちらでも真剣になるのは当然だった。

 

 実際のところ彼女らに知る由もないことだが、このときに二人が警戒する必要はほとんどなかった。

 

 楯無が言及した人物、そしてウェルキンが思い出して警戒した人物がその原因だ。

 




ドーモ、ここまで読んで下さったドクシャ=サン。クローン作者のオンタマヤです。

仕事でひぎぃしていて遅くなりました。厳密に言うと今もひぎぃ中なのですが、後編は1~2週間目処で上げたいとおもいます。

というかマ ド カ = サ ン 出 番 な し。そしてタテナシ=サンの主人公アトモスフィアを重点しすぎた気がする。影で苦労してる人、というのが好きなせいですが、自分の好みに寄せて書きすぎたかもしれません。


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第12話 決着(後編)

※おことわり 今回の本編中にキャラが千冬さんを問い詰めるようなシーンがありますが、アンチやヘイトを意図したものではなく、

マドカさんの立場を考えるとこういう過去もありかなあ、というこの二次創作での捏造設定、プラス苦い過去がある大人キャラって素敵やん、という作者の趣味によるものであるとご理解いただければ幸いでございます。

というか作者は、好きなキャラが痛めつけられているシーンを見るとときめいてしまっ……グワーッ! サヨナラ!

    ◇    ◇    ◇

前回のあらすじ。

1.篠ノ之選手、魂のIS講義。ハミルトン広報に福音事件の真相教える!
2.【悲報】楯無選手「戦力が足りなかった」新生メイルシュトロームに対し打つ手なし
3.ウェルキン選手「いける」剥離剤の効果でIS奪還や!

4.そういえば、千冬ちゃんが見回りするとか言ってなかったっけ? ←ファッ!?

誰も待ってなかったでしょうけどもう終わりますから(震え声)


 織斑千冬は寮内を巡回していた。

 常夜灯のついた寮内を懐中電灯片手に行く。消灯時刻が過ぎているのに明かりのついている部屋があるなら、都度扉を叩いてその旨を通告する。生徒たちの騒がしい音が扉の向こうで聞こえ、室内灯が消える。

 いつもこれの繰り返しだった。フロアを巡回し、扉や窓の施錠を確認しつつ、織斑千冬は声に出さずつぶやいた。

 

 ――これには、防衛上はもちろん防犯の効果もない。

 

 先の高速機動競技会(キャノンボール・ファスト)の数日後からこの巡視は始まった。教員による当番制で日に二度校内を巡回するのだが、彼女だけでなく多くの教員もこの行為に十分な意義を見いだせずにいる。

 

 つまらない泥棒や変質者の類を警戒するなら、教師が寮内をうろついていることに意味はある。だが、本土からの接続も侵入ルートも限定された人工島では、普通の学校が警戒するような犯罪者が入る余地がそもそもない。

 さらに、正面の認証を破ったり、学園に海上・海中・上空から入り込んだりできるような人間は間違いなく特殊(S)作戦(O)部隊(F)相当の訓練を受けている。そんな相手に生身の教師がうろついて何になるのか。彼女ならずともそう考えるのは無理もないことだった。

 

 効果を見込むなら巡回に際してISを持たせるか、最低でも二人一組にすべきだ――千冬の訴えは一応受理されたが、未だ学内では検討中の箱に入れられたままだ。却下でも採用でもない宙づりにされている理由は三つで、予算の不足、人員の不足、ISの不足だという。

 もちろん、建前である。今月の小遣いがないからといって、家の戸に壊れた鍵をぶら下げておく人間はいない。例外があるとすれば、その壊れた鍵に鍵をかける以外の意味があるというときだ。つまり鍵をかける意志はあるという対外的なポーズか、精一杯好意的にみて、ちゃんと鍵を整えるまでの時間稼ぎというところ。

 

 小賢しいと思われるだろうが、学園が限られた予算で運営されているのも事実である。何もしないわけにいかないという上層部の判断も、納得はしないが織斑千冬にも理解はできた。学園を取り巻く状況はそれほどに変化しているのだ。

 

 相次ぐトラブルと襲撃――特にそのうち、特に文化祭と高速機動競技会を襲った者たちについては、オフィシャルには不明とされているものの、内々には襲撃者たちの組織名が伝わっている。

 

 彼らの名を想起し、織斑千冬は苦い表情を浮かべた。

 

 亡国機業。彼女にとってはただの非合法組織以上の意味を持つ、忘れようもない名前だ。その名が想起させる千冬自身の繋がりも含めて、彼女の人生に残った巨大な重石だった。彼女の脳裏をいくつかのイメージが突く。それは、今では遠い彼方にしかイメージできない、何人かの者たちの顔だった。大人の男女、そして子どもらだ。その中の一人の少女は、彼女自身によく似た姿の――。

 

 電子音が鳴って、彼女の思考を遮った。左腕の時計が日付が変わったことを告げている。柄にもなく過去への物思いに(ふけ)っていた、と気付いたのか、彼女は歩調を速める。巡視は三階ももう終わるところだ。寮監室に戻り、明日の授業の教材研究にレポート、これの他にも仕事は残っていた。教師としてはまだ若い織斑千冬の時間は、一日が何時間あっても足りない。

 生ぬるい風が彼女の頬をなでた。

 

「――ん?」

 

 違和を感じた。間違いではない。顔に感じるのは確かに空気の流れだった。ここまで窓や扉の施錠は全て見ている。残っているのはまだ見ていない三階より上にあるフロア、つまり()()だけだった。

 

 彼女が屋上への階段の前に立つと、扉に少し隙間が空いているのか、星明かりがフロアに漏れ出していた。夜に屋上に入り閉めずに降りたのか、もしくは。

 

「誰か……いるな」

 

 気配を殺した足取りで向こうを伺いつつ、彼女は屋上への廊下を進む。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 戦闘終了直後と同時刻の、学生寮屋上。ハミルトンは短い髪を吹きさらしになびかせ、悄然としたまま佇んでいた。

 

「剥離剤……副作用なんて」

「言ったでしょ。ちゃんと用意してあるって。後はサラ・ウェルキンがそれを使えるかどうか。不確定要素はそれだけだったのさ」

 

 ハミルトンの眼前で少年は言う。手元の端末の中では、今、ウェルキンが自身のISを取り戻し、大事そうに握りしめているところだった。戦場から遠く離れたここでは、決着は着いた戦闘の顛末についてハミルトンに最低限の説明をしてくださる、というわけだ。

 

「剥離剤の原理と副作用について説明するには、その前提となる概論を理解する必要がある。ISの自己認識についてだ。それには、まずISの機能のうち自己修復能力について聞いて貰うのが手っ取り早い」

 

 少年のしゃべり方は訥々(とつとつ)としていて、さながら講義だった。ただし、聴衆はハミルトン一人である上に、彼女の様子も熱心な受講者とは言えなかった。目の前の少年からの言葉や雰囲気に押し流されるように、ハミルトンは顔を強張らせ、腰を引きつつある。先ほどまで不快感が浮べていた表情は、今はこの得体の知れない少年への怖れに変わっていた。

 

「ISに限ったことじゃないが、自己を修復する能力が適切に働くためには、自己のあるべき姿を何らかの方法で認識し、そして同時に、自己と自己でないものの区別をつけることが必要だ。

 もし前者がなければ、例えば破壊された組織があったとして、そこに何を修復したらいいのか分からない。皮膚の痕には皮膚を、血管の痕には血管ができてもらわなきゃ、再生と言うことすら不適切だ。

 そして後者がなければ、再生するにあたって負傷部位に異物が入り込んでいたときそれを拒絶できずに取り込んでしまう。極端な話でいうと、例えば僕の腕を切り落としたとして、そこに君の腕を切断してあてておけば、そのままくっついてしまうことになる」

 

 内容は学園の内容では扱わない領域に入っている。ハミルトンの様子をよそに少年は、身振りを交えながら目だけが活き活きとして喋り続けていた。

 

「有機生命体ならそれらは生体情報として保持する。自己修復能力がある以上、ISコアも似たものを持っていてるんだけれども、やり方の方までと同じというわけにはいかない。

 有機生命体は発生の過程で組織の全箇所にほぼ同一の生体情報を持つよう分化するため、それを自己認識の指標として使える。だが、ISにはそれに相当する物がない。

 というかそもそも、ISコアにとってコア部以外の機械部は、自己とは縁もゆかりもない所で発生した外付けの金属塊だ。よってISコアは、自前の体ではない金属の構造物――ISフレーム部のどこまでが自分の体で、そいつがどうなっているのが自分にとって“正常”であるのか、後天的にコア自身のリソースを使って記憶する必要がある。

 これをやっているのが、よく知られているところではISフレーム換装時の固着と呼ばれる工程だ。コアにフレームを馴染ませるなんて言われているが、要はコアにフレームのどこまでが自己であり、どの形が正常であるかを保持させている。その方法の詳細もすっごく面白いんだけど、話が逸れるから置いとこう。

 ここで重要なのは、ただ一つ。ISにとって、どこまでが自己で、あるべき自分の姿が何かを持っているのは、ISコアだということだね」

 

 彼は組んだ足を解き、手の中で《福音》をそっと触る。

 

「さて、ここまでは自己修復能力の話だったけど、もう一つ、ISコアがコア本体以外に働きかける現象がある。外部状況に応じて搭乗者の免疫や生態、すなわち内部状態の最適化を行う、恒常性維持機能(ホメオスタシス)だ。

 相手が有機体か無機物がという違いはあるが、これも“搭乗者”という外付けの物体について、作用する点では同じだし、その個体のあるべき姿を認識し、他の個体と区別しなければ不可能。

 具体的に言えば、まずはISに触れている“肉の塊”のどこまでが、搭乗者であるヒトの個体なのか、その搭乗者は他のヒトの個体と、どうやって区別を付けるのか。これは言うほど簡単じゃない。

 例えば個体としては別だが遺伝子的には同一の――一卵性双生児が同時にISと接触した場合は、ISは何を基準に区別するんだろう。あるいは逆に、人間としては一個体でも、遺伝子的に異なる生体が外科的には接続された人間が触れていたら、ISは彼女をちゃんと個体として判断できるんだろうか。

 そして次に、もし区別がついたとして、内部状態については、どう調整すればいいんだろうか。例えば肉の塊の中を通る無数のチューブ内の液体成分は、どうなっているのが適正なんだろう。肉体に内蔵されている、たくさんの袋の機能は? ほとんどのIS搭乗者の股には三つ()があるけれど、真ん中の穴の奥の袋と後ろの穴の奥の袋はどう違うのかな。ISコアはそれらをどう管理するべきなのかな?」

 

 言いながら、彼の視線がハミルトンの頭頂から下腹、つま先までを通過する。不躾な視線だが性的なニュアンスは全くない。ハミルトンは身をよじるようにして彼を避ける素振りを見せた。目の前の少年の視線は、人間を解体可能な肉の塊と見なしている者のそれだったのだ。

 

「――まあ、こっちもやり出すときりがないから止めるけど、要点だけ抜くと言いたいことは同じだ。タンパク質と水、脂肪、リン、その他もろもろの微少金属でできた有機的機械についても、ISコアは金属と同様に自己の延長線上の存在と見なしている。そしてコア部において個体区別のための情報を持ち、外部状態に応じてどう変化させるのが最適か、判断しているわけだ。それも人間の免疫なみの精度でね。あ、さすがに、一卵性の双子が来た場合、結構混乱するみたいだよ」

 

 幸い彼の視線はすぐに身体を外れ、ハミルトンの顔をとらえた。くりっとした形のいい瞳――少年であれ少女であれ美しいことに間違いない――が、彼女の顔をのぞき込む。不躾だが、顔を見るときの視線は人間を見るときの目つきに戻っている。身体を見下ろされるよりましだった。不快感をこらえてハミルトンは視線を合わせた。

 ここまではいいか、と少年は確認を取る。ハミルトンはうなずいた。「いいね。スマートな人は嫌いじゃない」と彼はいいうなずきを返して、

 

「さて、ここでようやく本題、剥離剤の仕組みについてだ。まあ、今いった概論を理解してもらえれば、剥離剤の説明は八割終わったも同然だけど。今まで話したISの自己認識、すなわちISコアと、コアの外付け部位の関係について理解したある人間は、こう考えた。

 ISコアは自分と自分ではないもの、あるいは自分と一体になることを許しているものを、コアでもって判別している。ならばもしコアによる自己認識のプロセス――すなわちフレームや搭乗者の肉体を認識する過程に対して、妨害や夾雑を混ぜたら、どうなるかな?」

 

 そこで言葉を切り、ハミルトンを見つめる。沈黙が二人の間を通る。しばらくして、ハミルトンは少年が彼女に答えを促しているのだと気づいた。ハミルトンは口を開いた。さんざん有機生命体の例を引き合いに出した理路から、当たりはつく。

 

「……本来なら自己ないし、それに近いものと見なすべきドライバーが、そうでないナニモノかであると認識される。そしてISコアは、それを異物として排除するか攻撃する。ちょうど自己免疫不全みたいに」

 

 ハミルトンは不承不承に答えた。自分の中にため込んだ理解を引きずり出されているような気分だ。およそ望む答えだったらしく、少年は満足げにうなずいた。

 

「正解。ISコアに対し、正常なドライバーがあたかも異物であるかのようにコアに認識させる。剥離剤の機能はそこにある。

 後は、コアが勝手に仕事をしてくれるのさ。自分からフィットしたドライバーを、何かよくわかんない異形だと見なして物理的に排除する。さらに、ハイパーセンサーを含む意識・無意識を含めた量子レベルの情報連結をIS側から強引に切断するんだ。個人差はあるけど、特に適性が高い人ほどリンク切断の際に乗り物に酔いを強烈にしたような、ひどい症状が出る」

 

 手元の端末の中では、まさにそれの効果が発揮されているところだった。簡単な治療を受けたウェルキンだが、まだ自由が利かない様子だ。楯無を助けながら、ふらふらと立ち上がるところだった。

 

「……遠隔コールが備わる理屈も、厳密にいえば剥離剤自体よりISの適応反応が大きく作用してる。

 ISの適応能力はすごいってのは既知だけど、剥離剤に対しても発揮されちゃった。一度剥離剤を使うと、まず使用した撹乱パターンに対してはすぐに免疫がつき、同じ剥離剤は二度と使えなくなる。

 さらに、発揮された抵抗力はもう一つあった。ドライバーから剥離するという“症状”に対抗する資質として、探知できる距離にドライバーの生体があったら、コールに応じて実体化可能となる。剥離状態そのものを解消しようとするわけ。これが遠隔コール、ってやつだよ」

 

 少年はここまで話してようやく口を閉じる。一仕事終えた表情から、話が終わったらしいことをハミルトンは理解する。

 手元の端末の中では、先ほどの戦闘をスローで再生している。その中では、彼の言うとおりの効果が発現されていた。剥離剤、その副作用の遠隔コール、さらに付け加えるならその前の「福音事件」の再現まで、全て彼の言うとおりだった。

 

「……同じ攪乱パターンが効かなくなるとか、予防的な力を持つことまでは予測してたけど、対症的な抵抗性まで持つのは正直なところ予想してなかった。この効果には驚いたね」

 

 全ては、彼の言うとおりだった。戦闘も、その後のことも、まるで魔法(アブラカダブラ)でも使ったかのように、言うがままに状況が展開し決着を見ている。

 

「そんな、ISって一体どういう……。いやそれ以上に、貴男――貴方たち、何者なの」

 

 ハミルトンは訊ねた。彼女の態度には隠しようもなく、ISと、そして少年や彼の仲間に対しての脅威がある。ISについて誰もが知らないことを語り、行動する者たち。合衆国の市民としてだけではなく、もっと単純なもの――未知の存在への恐れが彼女をして質問せしめていた。

 

 情報官(オフィサー)としての立場から外れた曖昧な質問を受け、少年は一瞬虚を突かれた顔つきになる。次いで、口元にわずかな苦笑を浮かべた。

 

「エージェント、PMC、兵隊、テロリスト、犯罪者……僕らの公的な呼び方なら、いくらでもある。それも君たちがつけたやつが」

 

 彼は答える。それはもちろんハミルトンの求める回答ではない。表情はまだ、恐れと疑問をないまぜにしている。

 

「ただもし、僕や僕の仲間が何者か――どうしてこんなことを知っていて、こんな顔やあんな姿をしてるのかという意味なら、それは……」

 

 次に彼は何を言おうとしたのだろう。答えられないという回答か、あるいは別の言葉で実のある説明だったのか。いずれにせよ、ハミルトンがそれを聞き出す機会は失われた。

 ハミルトン自身が手で彼の言葉を制したのだ。

 

「待って」

 

 ハミルトンは手元の端末に目を落とす。顔を覆っていた少女らしい恐怖が、一瞬でエージェントの表情に塗り替えられていく。

 

「誰かここに向かってる……屋上へのルート、最上階の廊下」

 

 彼らの潜む場所へ近づいている者がいる。ハミルトンが気づいたのは、例によって学園各所に仕掛けられた監視装置のためだった。戦闘地域や生徒会室の他、普通の廊下にも仕掛けていたのだ。届いた映像から直にそれが誰であるかも知れた。

 

 髪の一部を肩まで降ろした、日本人にしては長身の女性教師だった。おそらくこの界隈では一番有名な女であり、その名を取り違えるものなどいない。ハミルトンは口に手を当ててつぶやく。

 

「嘘……」

 

 絶句する。少年もすぐにその正体を悟り、顔を強張らせた。この夜初めて彼が見せた動揺の表情だ。ハミルトンが呆然とした様子で続ける。

 

「なんで、この時間に」

「理由なんてどうでもいい。これくらいは予想できるだろ。逃げ道は?」

 

 絶句するハミルトンに少年は言った。少年の顔にも声にも焦りが見える。予想できる、などといいながら、この展開は彼にも予想外だったようだ。

 

「この時間に巡視なんて今までなかったもの」

 

 ハミルトンが言い返す。教員が突然始めた慣習までは、彼女にとっても完全に探知の外だった。部長(ダッド)に向けて偉そうなことを言いながら、結局彼女にも想定外の事態はあった、というわけだ。笑えない巡り合わせである。

 

「そうかい――まずいな……空にでも逃げなきゃ、道もない」

 

 悪態まで口から吐いて、少年は髪を掻きむしる。リングが揺れて、外れそうになっている。

 ハミルトンの端末の中では、女性教諭――織斑千冬がゆっくりと屋上への階段を上りつつあるところだった。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 少年らが上陸した海港エリア付近でマドカは待機していた。

 

 近くにはボーデヴィッヒ、グラウンドから今引き上げてきた凰、脳震盪を起こしていたデュノアも意識を取り戻しており、今は止血して寝かされている。

 

「ま、うまくいったわ。あのねーちゃんが《メイルシュトローム》級を取り戻すとこまでは確認した。実際のところ大したもんだよ、あのイギリス娘」

「……そうか」

 

 マドカの向かいで凰がしきりに感心している。一方、ボーデヴィッヒは簡単に答えるだけだ。単純に興味がないらしい。ただ、それも彼が平常であるということは意味していなかった。普段のボーデヴィッヒならば、こういう状況では凰の喋りを咎めている。作戦の主たる目的を果たし、彼も興奮しているのかも知れなかった。

 

 無理もないと思う。ISを駆る国家代表を、手玉に取って退けた。小細工を弄しサラ・ウェルキンを()めた上のことだが、完勝といっていい。正直に言えばマドカも多少の昂揚を感じている。

 

 ボーデヴィッヒたちの力を借りて、少年らと協力して。マドカ一人ではおそらく何もできなかった。それどころか、彼女だけではいたずらに命を無駄にしただけだ。逆に、少年らだけでも不可能だった。

 

 今回の成功そのものが、世にはどうやってもマドカ一人ではできないことがあり、打ち倒せない敵や、状況があることを、ある意味で示している。少し前なら、マドカはその事実に屈辱しか感じなかっただろう。自分一人では何もできないことを憎み、己を許さなかったはずだ。

 

 今のマドカには無力さも悔しさもなかった。それどころか、達成感のようなものさえ抱いている。

 

 ――よく考えて行動なさい、マドカ。貴女のためにも、ついでに彼らのためにもね。

 

 スコールに言われた言葉が蘇る。あのとき突っぱねた言葉を、今改めて飲み込んでいた。マドカ自身のため、彼らのため。スコールが何を考えさせたかったのか、マドカは初めてまともに考えていた。

 

 マドカは彼らを仲間と思っているということなのだろうか。自らの過去を乗り越えること以外、生きること自体に意味を見ていなかったマドカに。

 

 ――貴女にとって過去ってどんなものかしら。

 

 マドカにとって過去は、千冬との別離、千冬から離れた期間、それだけだった。さらに言うなら、マドカの現在もその延長線上にある。そして未来もだ。全てはマドカの過去と千冬が支配していた。

 

 彼女は強くありたいと思っていた。正確に言えば、姉さんに見捨てられた無力なガキを、過去の織斑マドカを憎んでいた。頑なに自分の力に拘ったのは、行動の起点が全てそこにあったからだ。その最中にあっては、マドカ自身の意思さえ添え物であり、些事であり、余計物だった。

 マドカの現在はマドカの過去の従者だ。過去に――織斑千冬の影に首根っこを掴まれて、どこまでもそれに引きずられていく。

 

 それでいいのか。今、知らずにそんな問いが胸を突いてくる。

 自分の運命を誰かに世話されるなどと思い、少年らを使ってやると啖呵を切って、マドカは彼らと共にこと成す選択肢を選んだ。全ては、誰かに勝手に自らの運命を左右されるのを厭がってのことだ。

 

 過去が彼女の生き方を覆い尽くしている状況は、さんざん嫌っていた、他人に自分の運命を勝手に決められるのと何が違う。

 

 ――今のエムがどうなってもいいなんて考えられると、困っちゃう、ということ。

 

 スコールの言葉が、マドカの思考の上をいくつも去来する。スコールが発した問いは、どれもいつも、いつまでも脳裏に残る。その理由は判っている。スコールが言葉にして見せかけた問いは、実のところマドカ自身がいつも抱えていたものだった。

 

 一瞬のち、彼女は小さく(かぶり)を振り、思考を逸らした。 今答えを出す必要はない。他に考えることがあるのだ。

 

 以後の予定は決まっている。オルコット、篠ノ之の二名が合流し次第、水中から離脱し、手配した船までたどり着く。所要時間にして半時間強、最後のきつい行程だ。一時意識を失っていたデュノアと、まだ姿を見せないオルコット、篠ノ之という不安材料もある。

 

 離脱をしくじれば全てが台無しになるのはいうまでもなかった。今、スコールの言葉などで考え込むのはよくない。少なくともこの敵地を脱するまでは棚上げにするべきだった。

 マドカは思惟を断ち切って立ち上がろうとする。

 

 そこで、彼女を引き止めるようなタイミングで、通信が入った。篠ノ之からだ。少年らが反応する様子を見せないことから、彼女にだけ送られたことが察される。

 マドカはメッセージを受け、読んだ。短い文章だった。内容を理解した彼女は、一瞬身を硬直させて、何度か繰り返しそれを読んだ。

 

「オルコット!」

 

 三度それに目を走らせているとき、周囲で声がした。マドカは顔をあげる。狙撃地点から戻ったオルコットが加わりつつあるところだった。彼の手には携行させていた《スターブレイカー》がなく、顔と左の肩、腕に傷を受けている。簡単に止血はしているが、楽な退路ではなかったようだ。

 

「すいません。撤退時に布仏虚に発見されました」

 

 戦闘中姿を見せなかった楯無の従者は、彼の元へ向けられていたらしい。

 少年らの表情が固くなる。楯無との交戦で用意していた装備をほとんど使い切っていた。余力はもうない。ボーデヴィッヒたちが一番それを理解していた。

 

「レーザーライフルを手持ちの火器で破棄しました。その混乱に乗じて撒いて来ましたが、追っ手は来るかもしれません。私のミスです」

「気ぃ落とすな。ISを狙った以上、ハイパーセンサーでポイントを探知されるのはわかってたんだ。顔あげろ」

 

 オルコットは気落ちした様子を隠せていなかった。血が彼の顎を反って地面に落ちている。凰は軽く気遣いを向けてから彼に上を向かせ、怪我に携行していた飲料水をぶっかけた。傷口を洗浄される痛みに彼が小さな悲鳴をあげる。

 

「更識楯無の反応から、向こうにも余力がないことは見えたが――学園正規の要員が動く可能性がある。撤退を急ぐぞ。収容予定だった兵装は全て海中に投棄する」

 

 ボーデヴィッヒが言う。現状の事態はよくないが、彼はまだ想定内だと考えているようだ。戦闘終結からまだ十分と経っておらず、まだ脱出する時間くらいはあるはずだ。すぐに行動すれば問題ない。

 

 もしも、今このときここに全員合流できていたならば、だが。

 

「……おい。篠ノ之はどうすんだよ」

 

 地面に転がされているデュノアが言う。オルコットは今彼が覚醒していることに気づいたようだ。

 

「D、無事でしたか」

「お前が戻ったときから起きてた。数分気絶してただけなのに、大袈裟なんだ」

 

 不機嫌そうな語調で地面に転がされた者の口が答えた。

 

「逃げ出すのはいいが、あいつはどうする。合流を待つのか。予定ならもうここに来ていいはずだ。なのに、まだ姿も見せない。置いてくのか、待つのか。はっきりさせようぜ」

 

 残る問題はそれだ。一人、合衆国の担当官のところへ向かった篠ノ之だけが帰っていない。

 ボーデヴィッヒは答えを返さない。口元に手を当て考え込んでいた。彼ならぎりぎりまで篠ノ之を待とうとする。今考えているのはいつまで止まる時間があるかということだ。彼を待ちつつ、脱出できる時間がある刻限はいつまでか。

 

 マドカは彼の横顔に向けて宣告した。

 

「――やつが合流できる見込みはない」

 

 少年らの視線がマドカの方を向く。顔中に疑問を浮かべた彼らに意味を問われる前に、マドカは繰り返し言葉を継いだ。

 

「ついさっき、ちょうど数十秒前にやつから通信があった。転送する」

 

 各員の微細薄膜に、マドカが受け取った通信を転送する。各員の眼前に、マドカが見ているのと同じ文言が表示されたはずだ。

 全員の表情に、さっきよりもずっと大きな動揺が走る。声を上げるものさえいない。マドカの受け取ったメッセージはこうだった。

 

 ――“彼女”と遭遇した。

 

 少年らがなんの前置きもなく“彼女”と人を呼ぶとき、それは常にただ一人の人物を意味していた。マドカにとって常に同じ位置をしめ、世界でただ一つ意味をもつ人物であると同時に、亡国機業にとっても唯一無二の価値を持つ女、ただ一人のことだ。

 

「やつは、()()()()に追われている。通信はこれだけだが、状況は判るだろう。あいつが自力でここまで来るのは不可能だ」

 

 その人物の名をマドカが口にした。一番大きなアクシデント要素がオンになった。

 

 少年らの表情は変わらない。だが、あたりの空気が一際冷たく、色を変えたようだった。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 階段をゆっくりと上がり、織斑千冬は扉の前に立つ。ハンドライトをいったん消して、慎重にノブに手をかける。音も光も通らないような分厚く重い鉄扉である。それも関係なく、向こうに何らかの気配を感じ取ったのか、彼女は軽くうなずくと、扉を一息で開けた。

 

 蝶つがいが(きし)みをあげ、風が強く吹き込む。空気の流れは肩下までの黒髪を、後ろになびかせた。

 

 織斑千冬の強い警戒に見合わず、空に面した階上は音もない無人の空間だった。

 

 千冬は手元のハンドライトのスイッチを点けなおし、周囲を警戒しながらフロアに歩み入る。

 

「ただの閉め忘れか……?」

 

 扉を開ける前から人の気配を感じていたらしく、途中で少し首を傾げていた。

 フロアの距離を半ばまで進んだところで、彼女が何かに気づいた。足元にわずかな陰影の違いがあることに気づいて視線を動かし、上方を見上げる。

 

 そこに姿があった。空中に浮かぶ人型の影、頭部と各部装甲の一部、背面ユニット、スラスターとウィングが非対称に一基という格好のパワードスーツ――彼女にも見覚えのあるISが、不安定にゆるゆるとスピンしながら空中に浮かんでいる。

 

 不完全な展開だ。部分展開とさえ言えなかった。なんらかの理由で装備も装甲も半端な状態になっている。千冬が声をあげその機体の名を呼んだ。

 

「《銀の》……《福音》!?」

 

 彼女が叫ぶと同時に、顔面を装甲に覆われたドライバーが叫んだ。

 

「飛べ!」

 

 機体への命令である。それも、学園の教育課程では咎められる発声を伴う機動だ。実際のところ、入力をイメージでもってするISでは、発声や暗示が起動でもマニューバでもかなりの助けになる。

 

 逆に、馴染まないイメージの具象化、およびその操作がどれほど難しいかは、ISに乗ったものでなければ想像するに余る。具体的には入学したばかりの頃のセシリア・オルコットが近接ナイフのコールに、織斑一夏が飛行一つに手間取っていたシーンを思い出すとわかりやすい。

 当時の彼らの未熟さをさっ引いても、専用ドライバー用に調整された機体でさえ不自由を覚えるくらいなのだ。初心者や不慣れな搭乗者に無調整の機体を与えたとしたら、運がよければ顕現できるかどうか、というところだった。搭乗者の肉体・身体特徴、イメージ入力パターンを覚え込ませるスタートアップ・フィッティングやそれを補う機械的調整をすれば別だろうが、あいにく時間がない。

 篠ノ之が手元にISがあってもすぐにそれを使おうとしなかったのは、それを知っていたからだ。

 

 ISは三階建ての屋上から手すりを越え飛び出す。よく見ると、そのISの肩には、すがりついている者の姿があった。言うまでもなく、篠ノ之彗だった。空中投影のディスプレイは展開したまま、飛びながら調整を行っているらしい。この有様で空を飛んでいるのは、彼の功績なのかもしれない。

 

 ただし努力が実を結んだのもそこまでで、後の事象は予期できる範囲に収まった。《福音》は、装甲が不完全なだけでなく翼とスラスターもほとんど展開できてないのだ。かろうじて背部ユニットとPICは動作させているようだが、飛ぶほうがおかしい状態で空中を転回している。

 

「……進まない!?」

 

 ドライバーが悲鳴を上げた。低重力下のようになだらかな放物線を描いて落ちている。篠ノ之が叫んだ。

 

「当たり前だ! 近場で降着して!」

 

 六機のISを相手取った《福音》も、今は降下装置の代替品になるだけだ。自由落下より少しはまし、という速度で片足はかろうじて地面に着いたが、そのまま勢いを余らせて転倒、そのまま回転して、街路樹にぶつかって止まる。

 両手で捕まっていただけの篠ノ之はその過程で振り落とされ、地面に転がる。痛みにうめきながら起き上がった彼は、立ち上がると《福音》に這い寄った。

 

「織斑……先生は……」

 

 《福音》の操縦者が息も絶え絶えに尋ねる。声とシルエットが示しているとおり、搭乗しているのはハミルトンだ。篠ノ之は織斑千冬が迫る中最小限の調整だけをして、ハミルトンに《福音》を装着させたのだった。

 

「必要なら追ってくるよ、彼女は」

 

 起きあがれずにいるハミルトンを横寝にさせ、篠ノ之が整備用コンソールを起動する。

 ぼたぼた、と音を立て、ハミルトンのそばで何かのしずくが滴る。雨の先触れかと思ったらしく、篠ノ之は空模様を見る。上空の雲は厚く天気は悪いが降雨の気配はない。落ちているのは別の液体だった。

 

「……あんたの血」

 

 ハミルトンが指摘する。垂れているのは、篠ノ之の頭頂あたりの傷から出た血液だった。篠ノ之の髪の生え際から顔の輪郭沿いにいくつも血が筋を作っている。篠ノ之は目に入る液体を白い袖で拭い、コンソールから機体のファームウェアをセーフモードで起動した

 

「関係ない。それよりISを返してくれ。いろいろあったけど、今夜はこれでお別れだ」

「……オーケイ」

 

 今のハミルトンは自力で待機形態にすることもできない。篠ノ之は整備用の操作で待機形態に戻すつもりだ。

 

 そのとき篠ノ之の後背、寮の方から盛大な音が響いた。何の音かすぐには判断がつかない。ちょうど建屋の屋根やら壁を破壊し踏み抜いたらこんな音になるだろう、というような――ハミルトンは怪訝な顔をして首をもたげ、小さく悲鳴を上げた。

 

 わずかな光源が照らす寮の南側が正面にある。今しがた彼女らが飛び降りてきた寮の壁面では、先刻まで無事だった(とい)や外壁の一部、屋根までもが盛大に壊れている。そしてその元に、地上に人影が一つ降りたっていた。膝を浅く曲げた女性――織斑千冬。彼女は建物の外装をつたい、屋上から飛び降りたのだ。

 

マジかよ(デュード)っ!」

 

 ハミルトンは小声で叫んだ。その日何度目かの驚愕だった。いったいどんな身体の作りをしていればそれが可能だというのか。織斑千冬は生身でISとチャンバラできる――という誇張とも賞賛ともつかない噂を裏付けるような光景だった。

 

 織斑千冬が顔を上げ、ハミルトンらを捉える。そのタイミングで篠ノ之は入力を終え、間髪入れずに振り返り何かを投げる。円筒形のシルエットを持つ手榴弾だった。

 

「――!?」

 

 千冬がひるんだような表情を見せる。直後、爆発を伴わない閃光が当たりを満たした。閃光手榴弾だ。視界を覆う輝きの中、弱い光を明滅させ《福音》が待機形態に戻った。

 

 篠ノ之とハミルトンは起き上がり、同時に別の方向へと散った。辺りが夜の闇と静けさを取り戻す頃には、二人の姿はもうない。

 ISの生々しい着陸痕が残るその中で、千冬が一人たたずんでいる。彼女は目元を押さえて膝を突いていた。閃光弾の一発は彼女にも効いたらしい。

 

 常人ならしばらく身動きできず、時間稼ぎになっただろう。相手がまともであったなら――だが、織斑千冬は時間にして数秒で立ち上がった。稼げたのは追われる者からすればそれでも気休めにしかならない、わずかな時間だった。

 

「箒……ではない。あの姿は」

 

 千冬はつぶやく。さすがにすぐに視力は戻らないらしく目許を押さえたままである。千冬の視界に残るのはまだ残像だけだった。

 

 そこには、一瞬の映像がまだ焼き付いていた。彼女の教え子であり親友篠ノ之束の妹でもある篠ノ之箒と気持ち悪いくらいに似ていて、だがどこかが決定的に違っている“何者”かの姿だ。

 

「まさか……!」

 

 織斑千冬は、はっきりした口調で言った。その何者かに彼女は心当たりがあるらしい。彼女は強く歯噛みをし、篠ノ之の後を追い始める。

 彼女の足取りも平衡感覚は確固としていた。タフや頑丈という言葉だけでは考えられない、人間離れした身体能力である。しかも、まるで何か目標がどこにいるかわかっているとでも言うように、真っ直ぐ篠ノ之彗が行った方向を追い始めていた。視覚が半ば麻痺した状態であるにも拘わらずだ。

 

 彼女が去ってしばらく経った後、動いた者がいた。寮のそばの藪から、逃げたと思われたハミルトンがひょっこり顔を出す。彼女は織斑千冬が去ったことを見て取ると、安堵の息をついてその場にへたり込む。

 

「行ったか……先生、まだ夜目も効かないだろうに、どうやって追ってるんだか」

 

 ハミルトンは荒い息をついていた。彼女のほうに目立つ怪我はない。ISによる搭乗者保護機能の恩恵は不完全な展開でも及んでいた。

 ただし、全く無事とは言えないようで、どこか動かそうとするたび身体が痛むのか、身じろぎしては短く悲鳴をあげる。

 

「しかもなんですぐ動けんのよ。会長といい、ウェルキン先輩といい、織斑君といい……いい加減にしろよ、IS学園」

 

 かすれ声で泣き言を言い、ふらつきながら立ち上がる。織斑千冬は行ったが騒ぎを聞きつけて警備部が来るかもしれない。この状況では、身体に鞭でもなんでも打てるものは打って逃げるべきだから、彼女の行動は正しかった。見ている者がいればじれったくなる緩慢さでハミルトンは立ち上がって歩もうとする。

 

 辺りの樹木にすがりながら歩く彼女が、ふと思い立ったようにつぶやく。

 

「彼が捕まるのと逃げ切るのと、死んでくれるのと。どれが一番いいのかな」

 

 少年の印象が強く残ったようだ。短い時間でもおよそ発言を聞いただけで、およそ人を人とも思わない倫理的な(たが)がイカれた人物であることは明かだった。

 

 ただの狂人であったならそこまで不安がるにはあたらない。不快なだけだ。しかし残念なことに、彼は理性的で――あの口ぶりからすれば、剥離剤や、亡国機業のIS研究にかなりの部分食い込んでいる人物でもある。

 

 彼女自身の理性と感情は、彼のような人間が亡国機業のようなコントロール不能な組織にいるのは危険すぎると叫んでいた。そして、やろうと思えばその思いのまま彼を撃つこともできたはずだ。

 

 ただそうしなかったのもまた、彼女の意思だった。彼女が合衆国に逆らうことはない。というかこの期に及んで人倫だとか正しさに基づいて行動するような権利は彼女にはない。そんなことをするぐらいなら、(はな)から任官を拒否している。ハミルトンもまた、とうの昔に明るいだけの生き方からは背を向けているのだった。そしてどこまで行っても、自分自身の過去の選択は彼女を追ってくる。

 もちろん、それに縛られた結果が常に正しいとは限らない。ハミルトンのしたことは、二人目の篠ノ之束が目の前を去って行くのを見逃しただけかもしれないのだ。彼女がスルーしたのが、ろくでもない未来に蓋をする貴重なチャンスだったとしたら。

 

神の加護がありますように(ゴッドスピード)

 

 つぶやいた言葉に答えるものはもちろんいない。誰に対しての幸福を望んだのかは、口にしたハミルトン自身にも判然としなかった。

 

    ◇    ◇    ◇

 

「……篠ノ之は織斑千冬に追われている」

 

 少年らを前に、マドカは繰り返した。少年らの反応は様々だった。悪態をつくデュノア、項垂(うなだ)れるオルコット、考え込む凰。ただし、どれも考えていることは同じだろう。彼が死地に残されたことを悟ったのだ

 

「おのお喋り……余裕ぶっこいてCIAと乳繰りあってたな」

 

 凰が声を上げる。節介焼きの彼は、知識以外ではどうも頭の緩い篠ノ之の面倒をよく見ていた。兄が不出来の弟にするように悪態をつき、

 

「俺が行く。まだ間に合うかもしれない。弾も百発ほど残ってる。小銃を貸してくれ」

 

 ボーデヴィッヒはすぐには答えなかった。少年たちの中での最終的な決断は彼が下す。全員の視線が、彼の相貌に集まった。

 

 彼は数秒、目を閉じて意識を思考に沈め、やがて彼が口を開いた。

 

「……許可できない」

「あー、や、なにも死にに行くつもりはないんだ、な、ちょっと行って、ダメそうなら引き返すって」

 

 凰は未練がましく、すがるように言葉を重ねる。ボーデヴィッヒは黙って首を横に振った。

 デュノアが彼に向けて起き上がり、口を開く。

 

「男同士で心中したいなら止めねーがな。本気で間に合うと思ってんならさっさと行ってこいよ。お前がそんなバカだったなら、早死にしてくれた方がよっぽどこっちの寿命にいいぜ」

 

 険悪な口調で言う。そういう彼は先刻の戦闘で、真っ先に激高して楯無に飛びかかったのだが、言っていること自体は正しい。

 

 織斑千冬を相手取ることを考えれば、篠ノ之を拾って逃れるだけでも実現できるか疑わしい。現状はその上に、学園の警備部が来てもおかしくないところだ。判断の段階は、すでに行くか行かないかというところを超えていた。篠ノ之は地雷原に取り残されたのと同じだ。

 

 オルコットは何も言わない。表情を見れば凰と同じことを言いたいのは見て取れる。彼を責める者は誰もいないだろうが、篠ノ之が死地に陥った契機には彼が発見されたことが関わっている。責任が彼に彼に沈黙を強いているようだった。

 

「このまま撤退する。待つ必要もなくなった。武器はすべて廃棄しろ。残している弾も含めてだ」

 

 やりとりをよそに、ボーデヴィッヒは繰り返した。

 結論は出た。こうなれば、凰もデュノアもオルコットも従う義務がある。誰もが黙り込んでいた。表だって反抗する者はいないが、すぐに手を動かしているものもいない。凰を厳しく(なじ)ったデュノアさえ、不愉快そうに唾を吐いて、歯を鳴らしていた。見捨てたい者は誰もいないのだ。

 

 彼らの中にあって、マドカは一人考えていた。彼女は何をすべきか、彼女が何をできるのか、彼女は何がしたいのか。

 

 “姉さん”が、マドカの脚でも数十分とかからないところにいる。側に行きたいかと問われれば、当然行きたいと答える。ただ、それで死んでも満足かというと、そのためだけに死ぬのはごめんだ、と今のマドカは思う。

 

 反対に、ただ生き残りたいだけなら、篠ノ之は見捨て“姉さん”からも逃げ出すべきだ。だが彼女がこんなところに来たのは、何のためだったか。自分のために他人に犠牲面をされること、何かを失うに任せる無力感を嫌ったためであり――そもそも彼女が今まで生きてきたのは“姉さん”に背を向けて逃げ出すためではない。

 

 いくつもの考え、意思、欲求、理性がマドカの中にあった。それぞれはバラバラの気泡のような思いが、胸の奥で渦を巻いているようだ。

 そして渦になったいくつもの衝動が、身体の奥の方で収束するような感覚を覚える。それまで全てのことを千冬との関係でとらえ、自分自身の迷いや葛藤を知らなかった彼女には、それは初めての経験だった。

 

 ――“姉さん”からは逃げない、立ち向かう。そして何も失わず生き残る。

 

 戸惑うような感覚ははない。全て、彼女自身の意思なのだ。

 

 マドカは口を開いた。

 

「私が戻ろう」

 

 全員の視線が、弾かれたようにマドカに集まる。驚きに目を見開いている顔が多い。何を聞いたのか判らない、という顔をしている何人かのために、マドカは繰り返した。

 

「私が戻る。“姉さん”に対峙し――そして篠ノ之をつれて脱出する」

「バカなことを(おっしゃ)らないでください」

 

 オルコットが言った。弱々しいがはっきりした声での制止だ。

 

「シャルルが言ったとおり、助けに向かって戻れる保証はありません。それは行くのが誰であっても同じです。第一、何があっても貴女の命を賭けるということ自体が選択肢としてありえません」

「お前たちには不可能だが、私にはできる。そして、私の命を賭けたくないというのは、お前たちの都合だ」

 

 確信を持って言い切ったマドカに、ボーデヴィッヒが答える。

 

「死にに行くつもりではないようだな……どういうつもりだ」

「死ぬ気が全くないのはその通りだ。もちろん、ただ“あの人”に会いたいがため危険を冒すつもりもない」

 

 首を横に振った。

 

「少し、自分の意思で行動してみたくなった。そして、それを果たせるだけの状況も、今の私にはある。それだけの話だ」

 

 ボーデヴィッヒは少し考え、マドカの考えに思い当たるものがあったらしい。少年らには無理でも彼女にはできる、というところで感づいたようだ。

 

「ISを使う気か。篠ノ之が所持している《YF-51 銀の福音》。合流した後、あのISを使って脱出する?」

 

 マドカはまた肯定する。別の意味で慌てる気配が少年らに走った。凰が縋るようにマドカに声をかける。

 

「……おいおい、それこそ無謀だ。他人専用に調整済みな上、数ヶ月ロックされて塩漬けになってたISだ。フィッティングなしじゃ飛ぶもんか。宙に一度でも浮かべばラッキーってとこだぞ」

「なら、フィッティングさせればいい」

「簡単に言うな。あんなもん、篠ノ之や俺が補助して、大急ぎでやっても二十分はかかる。その間に叩きのめされて終わり――おい、聞いてるのか!?」

 

 マドカは食い下がる凰に構わず、通信を開いた。彼らに説明している時間が惜しい。宛先を手早く選んで、ショートメッセージを送付した。

 

 ――S。現在地を知らせろ。

 

 待つまでもなく、すぐに返信があった。追われる身にもまだ少しは余裕があるということだろう。

 

 ――寮の近くから東側へ移動中。

 ――了解。今から(わたし)が救助に向かう。指示を出すから従え。

 

 今度はしばらく間があった。一秒でも惜しい時に、何を考えることがあるのか、と少し苛立ったあたりで、やっとメッセージが投げ返される。

 

 ――拒否(ネガティブ)。危険すぎる。

 

 どうにも状況を読めていない(通信の向こう側にいるのでは無理もないが)返答に、マドカは口元を苛立たせた。五人の中で一番幼く見える篠ノ之にまで、マドカは保護者面をされているのか。ため息をつきたくなるのをこらえてマドカは続ける。

 

 ――拒否は認めない。

 ――いや、だからダメでしょ、Mちゃんが死んだら台無しじゃん。

 

 不毛な押し問答が始まりそうだ。そういえば、この少年が一番いつもマドカの言うことを聞こうとしないのを忘れていた。説得するなら、彼を最初にすべきだった。

 とはいえ今さら考えても埒があかない。苛立った勢いで、ナノスキンのイメージインタフェースから通信を送る。

 

 ――命をかけるつもりはない。

 ――いや、でもね。やっぱダメだって。

 

 頑なな応答だけが返ってくる。このままでは本当に時間の無駄だ。徐々にマドカの機嫌が悪くなりはじめた。この場のことだけでなく、篠ノ之の軽い語調で普段のことや、ついでに彼がマドカに今まで何度も何度もなんどもしてきたことを思い出し、眉が危険な角度に上がり始める。

 マドカは息を一つ深く吸い込んで、送信した。

 

「うるさい。この期に及んで私を信じないのか――お前が頑ななままなら、この話は破綻だ。生きてもう一度私の顔が見たいなら、指示に従え!」

 

 また間が空いてから、答えが返ってくる。今度は短いセンテンスだった。

 

 ――りょ、了解。

 

 ようやく返ってきた従順な台詞に荒々しく息をつき、マドカは指示を出し始める。

 

「よし。今からは逃げるな。一度“あの人”に捕まれ。そして《福音》を調整するんだ」

 ――わからない、君は何を?

 

 困惑したようなメッセージが返ってくる。

 

「私が使えるよう搭乗者初期設定をしろ。その状況ならば、()()()()()()

 

 威圧するようなメッセージでも、マドカは彼なら判ると確信している。

 

 ――ああ、なーる。了解(ウィルコ)だよ。

 

 案の定すぐ返事が返ってくる。打てば響く応答に、マドカは口元を少し歪めた。

 

 ――三十分以内に向かう。間に合うか。

 ――必要機能に限定すれば、二十分かからない。

 ――誤差も見込んで調整しておけ。以上。

 

 マドカは通信を打ち切った。荒々しい息をつく。ふと顔を上げると、そこで少年らがまだこちらを見て、唖然としている様が見られた。

 

「なんだ、どうした」

 

 怪訝な顔をして訊ねる。皆、言おうにも言葉が見つからない、というような微妙な表情をしている。デュノアだけが苦笑しながらマドカの視線を迎え、こう言った。

 

「最後の方、声出てたぜ」

「……ああ?」

 

 険悪な口調と目つきになって確認し、直後彼がうそを言っていないと気づいた。ナノスキンと連動したウェアラブルコンピュータには、ISのイメージインターフェースが応用されている。声を出せば強いメッセージになるわけだが――その様子を他の連中も見ていたらしい。皆困惑したような顔つきをしているのだ。デュノアがおかしそうに笑いをもらしながら、

 

「『私を信じないのか!』ってお前の口が言うのかよってセリフだな。ただ、ああ言われたら篠ノ之じゃあ言うこと聞くしかないし。ズルいね。そーいうのは嫌いじゃねーけどさ」

「……苛立って、とっさに出ただけだ」

 

 マドカはむすっとした顔で応じる。つまり天然か、とか彼が言っているのが聞こえた。意味がよくわからないが、時間がないので追及はしない。

 

 咳払いが聞こえる。目の前のボーデヴィッヒからだ。さっきまでうるさかった凰は突っかかろうとした姿勢のまま、彼に制止されていた。

 

「貴様が想定していることは、判った」

 

 ボーデヴィッヒが言う。漏れ聞いた説明で理解したのだ。二人とも――いや、周りの全員が得心した表情に変わっている。

 

「危険はあるが、無謀とまでは言えない。それに俺たちがいても邪魔になるだけだな。いいだろう。やってみろ」

「おいおい……」

 

 凰が言った。彼だけは振り上げた拳の降ろしどころを見失った格好で、毒気を抜かれた顔をしている。

 

「我々は保護者ではない。この女がやりたいというなら、それを認める――この前のように全く何も考えていないならともかく、生きて帰る算段を付けているなら、止めるには当たらん」

「……うん。まあそうだけど。ていうか、お前意外と根に持ってたのな」

 

 凰が言った。失態を蒸し返してとがめられ、マドカも少し顔をしかめる。ボーデヴィッヒはマドカの顔を見て続けた。

 

「つい先日のことだ。忘れられるわけもない。……あの時は、生きた心地がしなかった」

「今回は違う。そうならない」

「……そうあれかしと祈っていますよ。マドカ」

 

 オルコットは言いながら、使ってください、と《ゼフィルス》のバイザー型ハイパーセンサーを渡した。マドカはうなずいて受け取り、腿のブローニングを抜く。薬室に弾を送ってからマガジンを外すと、弾は二発しか残っていなかった。それを見て、デュノアが自分のマガジンを放ってよこし、

 

「しかし、“あの人”がすぐに篠ノ之を始末するってことはねーのか? 生かしとく理由もない気がするぜ」

 

 いかにも彼らしい問いで、もっともな疑義でもある。マドカたちはテロリストだ。事情がなければ生かしておく理由もない。追っているのが学園の警備部あたりなら、篠ノ之の確保と射殺がほとんど同じ事象をとなるのはあり得る展開だ。

 

 それでも、マドカは首を振って否定した。彼女には確信があった。

 

「あの人は私の“姉さん”だ。あの人の考えること――考えざるを得ないことはわかる。あの人は篠ノ之を見ても殺さない。少なくとも、すぐには」

 

 おそらく彼の言うとおりにはならないとマドカには断言できる。もし織斑千冬が篠ノ之を捕らえたら、必ずその場で追及する。どのような形でその場にけりを付けるにせよ、問答もなしに命を取りはしない。

 

 「もう行く」と短く漏らし、彼らに背を向けた。少年らからはうなずくような気配だけがあり、声をかける者はいない。マドカは振り返らず、学園側のエリアへと駆け始めた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 篠ノ之は暗闇の中を走っている。暗視機能による視界と拡張現実が教えてくれる地図を頼りに、彼は移動を続けていた。

 

 追う者の姿は見えない。ときおり警戒するように振り返る。そして、寮の周辺から学園島の東側――備品倉庫や車両倉庫の付近まで着たところで、彼は足をもつれさせるように、そばの建物の影に転がり込んだ。

 

 口を押さえて荒い息をつき、尻を地面にぺたんと地面につけてへばっている。止血用にスカートの端を破ったらしく、膝丈まであった裾が少し短くなっていた。切り取った布地は彼の額に当てられ血の色に染まっている。髪の先からは血が、汗が滴るように垂れていた。

 

「血が止まんないや……」

 

 ため息をつく彼の頭部では、布が湿った音を立てている。目元の血を鬱陶しそうに拭い、傷に手を当てながら、リュックからペットボトルの飲料を出し、口に軽く含んではき出した。

 呼吸が落ち着くまで時間が必要だった。五人の中で一番小柄な彼は、体力的にも不利な立場にある。

 

「マドカちゃん……」

 

 切なげに二、三度と深く息をつき、篠ノ之は自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。疲労はさほどでもない。顔を覆っているのは、濃い色の不安だ。

 

「僕も覚悟を決めるかな」

 

 少女の名を口に出して、ようやく落ちついたしい。篠ノ之箒の弟、という過去を騙っている彼の覚悟とは何か、血の跡だけが生々しい表情だけでは伺い知れない。

 手の血を拭った篠ノ之は待機状態の《福音》に対しコンソールを起動、次いで初期操縦者設定を待機状態にさせ、倉庫の壁を背に立ち上がった。

 

「逃げなくていいってのはいいんだけど、けっこう距離は離したはずなんだよね」

 

 捕まれ、というマドカの命令はシンプルだったものの、タイミングを計りかねている。彼が振り向きざまに投げた閃光手榴弾は、確かに織斑千冬の前で炸裂した。千冬にそれが効いたと思っているようで、視界を奪えた以上まともに追うことはできない、と見ていた。その考えに基づくなら、一分ほど距離が空いていることになるだろう。

 

 そして実際のところ、彼の認識は前提から間違っている。

 

「どうするかなー。いっそこっちから近づくか」

 

 そうして、追跡者の存在を確認しようとした直後のことだ。篠ノ之は、自分の背後に彼よりやや高いくらいの、女性にしてはやや長身の気配を感じ取った。

 

「え?」

 

 彼は振り返る。視線の先に人影があった。自分の身体でできたものかと思い、少し反応が遅れる。そうではない、と気づくのとほぼ同時に、長い脚が視界の端をよぎるのが見えた。

 

「あ……」

 

 反応する間があるはずもない。右脇腹に肝臓を打ち抜く形で靴先が入った。悲鳴すら上げられず、篠ノ之はバランスを失い倒れかける。影はそのまま首元を掴み、少年の身体を軽々と釣り上げた。

 苦痛が意識を染める中、篠ノ之の視界に現れたのは、マドカによく似た顔の女性だった。

 

「織斑……千冬……!」

 

 篠ノ之の首は、音を立てるかというほど強く締められている。千冬は少年とは対象的に汗一つかいていない。涼しい顔で侵入者の首もとを押さえ込んでいた。

 

「どうやって。夜目もきかなかったはずなのに」

「ああ。あれには参った――だが、追うのは別に難しくなかったよ」

 

 悲鳴混じりに絞り出された疑問に、千冬が答えた。血の滴が彼女の手首にたれ落ちている。彼女はそこに向けて顎をしゃくった。

 

「これの臭いがしていた。亡霊の()えた血の臭いがな」

 

 不快そうに吐き捨てる。それでようやく篠ノ之も、苦しげながら腑に落ちたようだ。閃光は彼女の視界を確かに奪っていた。ただ、少年の頭から流れ落ちる血の跡、そして垂れ流していた血の臭いが、千冬に足取りを教えていた。

 

 気道を締める腕を、少年の手が押さえる。その手にはリングがあり、またよく見ると少年とわかるかたちをしていた。その二つを目に入れ、千冬は得心したように言った。

 

「男か……どうりでISを使わないわけだ」

 

 彼が男性であることには驚かないらしい。リングを握り込むと、千冬は冷たい目つきで続けた。

 

「今度はこちらが聞かせてもらおう。――お前は何者だ。なぜ、篠ノ之箒と同じ姿形をしている」

 

 感情のない声である。普段の彼女、威厳と威圧をもって人を惹きつける千冬と話したことがあるものでも、ぞっとするような(くら)い声だった。そして、無機物を射るような冷たい視線。学園での千冬を知っているものならば、彼女が人間にそんな目を向けると、誰が信じるだろうか。

 

 篠ノ之は問われて、一瞬鋭い眼差しを彼女に向ける。ただ、それはほんのわずかな時間で彼の上から去った。

 

「さあ、どうかなぁ。何を聞かれているのか、よく判らないや」

 

 篠ノ之はいつもの柔らかい笑みを浮かべてはぐらかす。

 

「ほう……」

 

 首に回された手に力が入る。少年の身体が片手で持ち上げられ、壁に叩きつけられた。彼女の空いた手はぶらりと横に垂れていて、拳が軽く握りしめられている。

 猫を挽き潰したような声を出して、しばらく篠ノ之は背中の苦痛にもがく。千冬は彼の喉頸を捕らえていた。篠ノ之は酸素をもとめて両手でその腕にすがる。銀のリングが涼やかな音を立て、千冬の腕に触れた。

 

「……痛いよ、教師なのに、ガキに暴力を振るうのかい?」

 

 痛みが通り過ぎて落ち着いた後、やっと篠ノ之が口を開く。口調は大人をからかう子供、と言ったところだ。

 

「私が守らねばならんのは、生徒と学園、それに家族だけだ。いくら若年でも自らの意思で武装した者をガキとして扱う気はない――ましてそれが私の守るものに手を出すなら、なおのことだ。“敵”に優しくする必要は、私にはない」

 

 千冬の全身は激しい暴力の気配をたぎらせている。

 一方で表情に怒りは微塵もない。彼女は、これが大人と子供の会話だとは思っていないのだった。彼女が露わにしているのは感情のない追及、相手を害する意思しかない暴力である。彼女の弟にも生徒にも見せない姿を露わにしている理由は一つ――篠ノ之に、そして彼の背後にあるものに、彼女自身の敵を見いだしているのだ。

 

「敵か。そうだね。僕は……僕たちは、貴女の敵だ」

 

 一瞬彼が宙を見つめた。そこに何かを見つけ、考えるような顔つきをし、言葉を継ぐ。

 

「ここまで熱烈にしてくれたんだ。ちょーっとだけ、吐いちゃおうかな」

 

 彼はあっさりと宣言した。それを聞いてわずかに首の締め上げが緩む。篠ノ之は少しだけ自由になった息で、溺れたように喘ぎつつ、話し始めた。

 

「僕は篠ノ之(ほうき)。彗星の(すい)と書いて(ほうき)。篠ノ之箒の弟さ。だから、篠ノ之束の弟でもある。篠ノ之家の長男として生まれた。箒ちゃんのちょうど一年後のことだ」

 

 ゆっくりとした口調で、唄でも歌うように篠ノ之は言う。無表情な千冬とは対照的に、整った顔は見る者の気分を悪くさせる薄ら笑いを浮かべていた。

 ふざけた語りにわずかに千冬の感情が反応する。怒りとも嫌悪ともつかない。ただそれは、驚きではなかった。

 

「もちろん千冬さんの弟くんのことも、よーく知ってるよ。僕は箒ちゃんと彼に手を引かれて、よく学校に行ったんだ。篠ノ之道場にもね。彼はよくモテたねえ。僕の友達の女子もみーんな彼に夢中だった。

 一度同級生に頼まれて、彼を紹介してあげたことがあったなあ。その日は一日、ずーっと箒ちゃんの機嫌が悪かったよ」

 

 ゆっくりとした速度でその一方はっきり淀みなく、篠ノ之が語る。その言の中では、千冬の弟や篠ノ之束の妹の側に、いなかったはずの彼がいたことになっている。放置すれば彼や千冬の弟が小学生の時代を全て語り尽くしそうな流暢さだった。

 

「束と箒に弟などいない。そもそも柳韻さんの子は、二人だけだ」

 

 そしてそんなものを聞く必要がない、とばかりに千冬が遮った。千冬が驚かなかったのは、あからさまに彼の言が嘘だと判ったからだ。聞いた端から偽りとわかる話に驚きもない。篠ノ之家の子は確かに二人であり、家長の柳韻は自身の倫理については極めて厳格な人物だった。妻以外に子を成すはずがないのだ。

 

 虚言を断たれても、篠ノ之は少しも動じる気配がなかった。眉を差し上げ、残念そうな顔になると、また続けて口を開く。

 

「あららー。そうだっけ? じゃあ“こう”しよう。僕は篠ノ之束が入手した、どこぞの堕胎児をいじくってできた人造人間だ。表向きは篠ノ之家の第三子。生まれたのはISができた後だったかな。

 《暮桜(くれざくら)》の調整にはね、実は僕も拘わっていたんだよ」

「束は、少なくとも失踪するときまで人造生命に手を出していない。第一回大会終了まで、《暮桜》は全て束の調整だ」

「へえ、さすが親友。よく知ってるね。それなら、“こっち”でいこう。束さんは、雲隠れした後、箒ちゃんの誕生日に弟をプレゼントしてあげたかったらしくてね。豚肉と万能細胞から僕を作ったのさ!

 箒ちゃんは僕を見て、気持ち悪がって怖がって、泣いちゃったけどねー。それで僕はポイされちゃったわけー」

「……それも嘘だ。ここ数年の篠ノ之箒が束と接触したのは、先日の臨海学校だけだ」

 

 次々と出てくる篠ノ之彗の過去、そのことごとくを千冬は否定する。彼女自身の記憶と異なるとすぐに判るものばかりなのだ。

 

「まるででたらめだ。支離滅裂で――最初の話と最後の話でさえ矛盾している……」

 

 篠ノ之が吐き続ける妄言に、とうとう千冬が声を荒げた。苛立ちをにじませていた。鋭い視線が彼を射る。それでも篠ノ之は動じる気配を見せない。自らの虚構で千冬の過去を冒涜するのが楽しくてたまらない、というように、くふふ、と喉奥から笑い声を漏らした。

 

「そうだね。僕の話は貴女の話と一つとしてつじつまが合わない。僕の言ったことの()()()は、確実に嘘だよ」

()()()嘘だ。何一つ事実ではない」

 

 千冬は吐き捨てた。彼女の夜半の湖面のように静謐(せいひつ)だった顔に、今は感情のさざ波が走りはじめている。篠ノ之の狙いがそこにあるのは明かで、そして彼の振る舞いは成功していた。今千冬の顔にあるのは、嫌悪だった。

 

「はははっ! そうだね、貴女の言うとおりだ。僕の話が本当でないことは、そうやって貴女が担保してくれる」

 

 彼は心底おかしそうに笑い――ふっとまじめな顔に戻って、千冬に語りかけた。

 

「けど、貴女の話が本当だって、誰が保証するの?」

「何……?」

 

 少年の言で千冬の柳眉が逆立つ。篠ノ之が続けた。

 

「僕の話は嘘かもしれない、いや、たぶん嘘だ。だからって、貴女の話がすべて事実とは限らないんだよ。もしかしたら逆に貴女が、僕が過去にいたことを忘れたのかもしれない。皆が僕のことを忘れたのかもしれない」

「私は自分のことぐらい覚えている。お前がいくら妄言を吐こうと、それは変わらん」

 

 千冬が自らの記憶を頼みにした瞬間、篠ノ之の口元がぐっとつり上がる。まるで、その言葉を待っていたかのようだった。

 

「自分のことぐらいは覚えてる、かー」

 

 やや緩んだ千冬の腕を、篠ノ之の手が絡みつくように強く握る。

 

「そんなに自分の記憶に自信があるのなら、答えてみてよ。貴女は自分のことを、ちゃんと覚えているのか」

 

 彼は少ない息を振り絞るようにして声を上げた。

 

「織斑一夏は六歳以前の記憶がない。織斑千冬、貴女はどうなんだい。貴女は、彼の生まれた日を覚えているのかな。

 貴女は、織斑夫妻が“失踪”した日のことを覚えているのか。本当に家族は織斑一夏だけなのか。織斑一夏さえ覚えてない、昔の記憶――生まれてから篠ノ之家に会うまで、その記憶を、ちゃんと持って、いるのか!!」

 

 最後はほとんど叫ぶように声を上げていた。彼の口からでた虚言以外の言葉に、千冬の表情にも何かへの理解が影をさす。

 

「お前は……」

 

 千冬が言った。苦々しげに歯をかみしめている。

 少年は、喉から笛のようなかすれ声を漏らす。よく彼の表情を見たなら、それが笑い声の変性だということに気づけただろう。

 

「やっぱり貴女も自分の記憶や自分の過去に、後ろ暗いところがあるみたいだね。単に忘れていたのかな、覚えているのに知らないことにしているのかな?」

 

 千冬の動揺を引き出した彼は、今までの薄ら笑いを更新して、してやったりという顔で笑んでいた。悪意と血にまみれて、その顔は汚れている。

 

「それとも――最初から、どこかで記憶が欠落しているのかな。貴女の弟や……僕たちみたいに」

 

 篠ノ之が言う。また千冬の表情に変化がある。千冬の冷静さが崩れつつあるのが見て取れる。少し入った仮面の亀裂から、彼女が心の底に隠している感情が漏れ出しているようだった。そこから今度影を差したのは、小さくない驚きだった。

 篠ノ之の言葉は彼や少年たちが記憶操作を受けていることを示していた。そして、彼らはそれに自覚的でもある。

 

 ――そして、織斑千冬と篠ノ之彗の二人とも知るよしもないことだが、千冬が浮かべた驚きの表情は、数日前に学園の帰りに凰から、少年らの秘密について話されたときの表情と全く同じかたちをしているのだった。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 マドカは港湾部から島の東部へ、道のない道を突っ切っていた。

 

 メガフロート上の島である学園は全体的に平坦で、野戦の行軍より遙かに動きやすい。身体能力の高いマドカには負荷も少ない道行で、思考にも余裕があった。

 

 ――俺たちの話なあ。あれたぶん、ほとんど嘘だわ。

 

 このとき思い出していたのは、先日、学園の盗聴からの帰り、凰とした会話のことだった。彼らが学園の五人と重なるような出自を名乗っている、その経緯についてだ。

 

 マドカがわずかに自分の気持ちを話した後、凰は言った。レゾナンスの前の広場から離れ、公園に続く臨海通りだ。彼はキーボードケースを肩に掛け、歩きながらぽつぽつと語る。

 

 分かり切っている話を、とそのときのマドカは思った。彼らの経歴が全て本当なら、“やつ”の取り巻きは半数以上が身の上をまるごと偽って“やつ”に近づいている、凄まじい女の集団ということになってしまう。

 

 ――そんな目で見るなよ。嘘だったのは、経歴のことだけじゃない。五人は、それぞれ異なるタイミングで、スコール大姐の下に入ったわけだが。俺らのうち、客観的な記録と経歴が一致しているのはボーデヴィッヒだけだ。

 

 もちろん実際の彼女らは、マドカさえ知るとおり無垢(ナイーヴ)すぎるほど善良で、そんなことはまずありえない。今さら何を言い出すのか、と思っていたが、次の彼の言葉で表情を変えた。

 

 ――あと、組織に拾われる前の“記憶”がちゃんとあるのも、ボーデヴィッヒだけなんだ。

 

 そのとき、マドカは確かに驚いていた。ある年齢より下の記憶がないということに、どうしても思い出される男がいたからだ。

 マドカをよそに凰は彼らの経歴を話した。彼らの記憶と、たどることのできた彼らの記録を元にした過去の話だ。

 

 まずラファエル・ボーデヴィッヒ。アドルフ・ボーデヴィッヒ博士の作ったジーンリッチのCタイプ。ナンバリングされた(らん)のうち無事生まれた個体の一人、男性タイプC-〇〇一〇。アドヴァンスド計画と呼称されたジーンリッチ計画は、その後A・ボーデヴィッヒの研究グループからドイツ軍で握られた。が、ISの兵器化見通しに伴いまず八年前に男性が、その後は一部を除き女性型も破棄されている。Cナンバーもそこに含まれ、公式に生きているボーデヴィッヒは、この過程で今学園にいるラウラ・ボーデヴィッヒだけになった。

 スコールがラファエル・ボーデヴィッヒを拾ったのはドイツが男性型を全て破棄したときで、少年らのうちマドカより古株なのは彼だけだった。

 

 この経歴だけでも相当にむちゃくちゃだが、彼は記録から過去を追うことができ、さらにジーンリッチ計画の素材だったときのことを覚えている。

 出鱈目なのは後の連中だった。それもスコール麾下(きか)に入ったのが遅くなるほど、どんどんひどくなっていく。

 

 まずシャルル・デュノア。彼の公式に追える一番古い記録は、八年前にストラスブールの孤児院から亡国機業のどこぞのグループに引き上げられるまでで、それ以前は不明。顔が恐ろしく似ているから確かにデュノア社長の種という線はないでもないが、根拠も同時にそれしかない。また、シャルロット・デュノアの双子の兄という可能性はゼロだ。彼女が単生児であることは、パリの公立病院のセキュリティ・ペーパーによるカルテ上にちゃんと残っていた。彼自身の記憶は、その孤児院にいた数年分しかない。

 

 セシル・オルコット。セシリア・オルコットに同名の遠縁の親戚がいたというのは事実だ。ただし、この名前の人物は六年前にリヴァプールで死んでいる。事故死だ。ちなみにオルコット自身はいちおう、その“血統書付き”のセシル・オルコットが死んだのと同時期に、亡国機業に入っている。彼には、組織に入る以前の記憶がほとんどない。

 

 凰鈴詩(ファン・リンシー)。凰鈴音が生まれる一年前、彼女の母が上海で暮らしていたことまでは事実だ。だが、彼がそこで生まれたという形跡は全くない――というかこれが真実だとするには話自体の理路に無理がある。凰鈴音の母は当時、上海で働くバリバリのビジネスパーソンで、周囲に気づかれずに子供を産むのはほぼ不可能だった。さらに凰鈴詩の足跡と記憶はわずか五年前のシンガポールで、組織の東南アジアグループに拾われたところで途切れている。二つをつなぐ根拠が全くない。

 

 ボーデヴィッヒ以外の彼ら三人は亡国機業の他部隊にいたところをスコールに引き抜かれ、自分たちの“過去”を知らされた。寝耳に水の話で、一度は半分信じかけたらしい。

 

 ――何しろ俺ら、ボーデヴィッヒやお前さんと違って、満足に記憶もなかったわけだから。

 

 ただしそのまま信じ続けるほど彼らは素直でなかった。特に、三人の代表候補生は有名人だ。ストーリーの不自然さは嫌でも鼻につく。彼らは互いで互いのことを調べ上げることで、一定の答えを得た。

 

 明確な結論はない。ただ、彼らが過去に存在したことを証明するよりは、過去に存在しなかったと考える方がよっぽど容易で、かつ論理的に自然である。

 

 ――つまり、俺たちにとって、過去というのはないも同然ってこと。

 

 遠くに汽笛が聞こえる。夜の空を、短い音が二つ駆けるように通り過ぎた。マドカは拡張現実で今の自分の位置を確かめた。地図があっても暗闇で、すぐ自分の現在地を誤りそうになる。

 

「思ったよりも近かったな」

 

 確認した位置は、篠ノ之の知らせた位置から百数メートル。目の前には変電施設とおぼしき建物と柵がある。この向こう側に姉さんがいる。篠ノ之もいる。

 

 ――篠ノ之も俺たちと同様、組織に拾われる前の記憶がほとんどなかった。ただ一点俺たちと違ったところがある。

 

 そして凰が最後に話したのが、篠ノ之のことだった。

 

 ――あいつだけは最初っから、自分の過去なんて嘘っぱちだって、はっきり判っていたらしいってことだ。

 

 篠ノ之の記憶は少年らのうちでも分けても短い。わずか三年前に組織に拾われたときがその始まりで、それ以前は霧の中である。ただし、その時点ですでに彼には年不相応なほどの知識と技術があり、一年は亡国機業内の研究グループにいた。剥離剤を開発したのと同じ部隊だ。

 

 “篠ノ之箒の弟”などという戯れ言を誰から聞いたのか、それをどういう思いで受け止めているのか、彼自身は言わない。ただ篠ノ之彗が篠ノ之家の血ということはありえない。マドカが考えてもその“設定”には無理がある。

 

 数年前までの篠ノ之一族に対する防諜施策の固さは、マドカのような実戦要員にも聞こえるところだった。日本の情報コミュニティが珍しく挙国一致で、柳韻・彼の妻・箒に近づいた蟻さえ殺すほどの体制が続いていたのだ。ちなみにそれを仕切っていたのは先代の内閣情報官、十六代目の更識楯無であり、亡国機業のエージェントが何人も日本の公安にあげられたのもこの時期だった。

 最近は篠ノ之箒が実名で剣道の大会に出てしまうほどになったようだが、そんな愚手が見られ始めたのは、彼が三年前に“不慮の事故”で死んでからだ。以前は夫妻の行った交渉の日から過去に会話した者の親族まで把握されている状況であり、箒の弟が人知れず生まれると言うことがあり得ない。

 

 篠ノ之は最初会ったときから、過去について同じ話をしたことがなかった。やれ篠ノ之柳韻の拾い子だの、篠ノ之束が夕食前の暇な時間に余り物で作っただの――思いのほかバラエティに飛んだストーリーに、少年らやマドカが破綻を指摘して笑い話(マドカは笑わないが)にするというのが、会話の枕によくやるやりとりだった。

 

 自分の過去が無意味だからいくらでも矛盾したことを言える。あるいは、虚構を重ねて相手を煙に巻きたいのか。

 

 ――よかった、マドカちゃんが生きていられそうで。

 

 数日前、初めて聞くほど真剣でマドカにすがるようだった篠ノ之の声を思い出す。あるいは彼自身が抱いている不安を、虚構をもてあそんで押し隠すためか。

 

 マドカは視界の一角に扉を見つけ前に立った。小さな電子錠の器械部分に拳銃を当て、発砲で錠前を破壊する。解放された柵を蹴って前に進んだ。施設の屋根の一角が少し低くなっている。マドカは外装を伝って身軽に上がり、高所に上がった。

 

 風が強く吹いている。マドカは高性能コンクリートのルーフに片膝をついて、バイザーの暗視望遠をオンにした。ナノスキンと同じ機能でも、IS用の視界は遙かに性能で上回る。学園島全てを捉え、先ほど汽笛を鳴らした船舶の姿さえ捉えていた。

 

 島全体はまだ、夜の底に沈んでいた。明け方まではまだ遠い。

 

 少年らの過去、篠ノ之の気持ち――そしてマドカ自身の気持ち。まだまだ、マドカにはわからないことだらけだ。ただ今、一つ確かなことがあった。篠ノ之彗を前にすれば千冬は動揺せざるを得ないということだ。日の当たるところで築いてきた千冬の今までを愚弄するような彼の“過去”と性格、“やつ”を想起させずにはおれない記憶の断絶。

 

「――捉えた」

 

 マドカは周囲を見回し、つぶやいた。正面、建物の端から策の向こう側、数十メートルあまりに、組み合う姿がある。視界の中に、他の人影はない。マドカは乾いたブーツのつま先で地面を叩き駆け出した。

 

 千冬にとって、篠ノ之は単なる敵であるにとどまらない。ただの敵意であれば千冬は何者が来ても恐れないだろう。しかし、もしその敵が、自らの過去、咎、負債を想起させる者だったときも、彼女は平静でいられるのだろうか。

 

 千冬がどれだけ今まで日の当たる場所で苦心して生き抜いたかは、マドカも知っている。その光が明るいからこそ、昔に置き去った昏い過去は、その深さを増す。

 

 篠ノ之は曖昧な起源ゆえ、彼女が捨てた場所や逃げ出した所、なかったことにした過去を否応なく想起させ、そしてその性根ゆえに千冬の気性を殊更に逆撫でするだろう。そして真っ直ぐな性質を持つ千冬なら、そこから目をそらすことはできまい。ある意味でマドカ以上に適任である。

 

 マドカは力強く踏み込んで屋根を蹴り、宙を低く長く飛んで柵を乗り越える。別の建屋上に降り立った彼女は安全装置を外して、バイザーは近接に切り替えた。

 

「思い出せ、“姉さん”」

 

 人が黙殺したもの、昔置いてきたものから立ち上がる意思――それを何と呼ぶか、マドカは知っている。

 

「あなたが捨てたものが、あなたの前に現れている」

 

 自らが捨てさった過去から来る敵を、人は亡霊と呼ぶのだ。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 千冬に浮かんだ表情の変化を篠ノ之は見逃さなかった。もう装う必要もないとはっきり顔を悪意に染めて、千冬を煽る。

 

「あれ、そう意外な顔をされるとは思ってなかったなぁ。ありそうな話でしょ。何しろ貴女の弟は、六歳までの記憶が全くない。それなのに、彼自身は自分に何の違和感も持っていない。普通はそんなことはあり得るもんか。――自分が自分であることを保証してくれるのは過去だけなのに、昔を全く覚えていなくて疑問にも思わない? そんな細工が可能なんだ、何だってできるさ」

 

 篠ノ之はたたみかけるように言った。わずかに見えた、千冬の無感情の裂け目に向けて、しゃべれるだけの言葉をたたき込む。

 千冬の驚きはすでに顔の上を通り過ぎていた。今の彼女は奥歯を噛むだけだ。

 

「僕の話すことは話したよ。そうだ、よかったら次は貴女の話が聞きたいなあ。ねえ、織斑夫妻から離れた後、どうやって生き延びたの。どうやって篠ノ之家と近づきになったの。なぜ、篠ノ之束と一緒になってISを作ったの?」

 

 千冬は答えない。篠ノ之がしているのはただの挑発、あるいは嗜虐だとかりきっているからだ。問いの形をとって、千冬の過去に無遠慮に手をつっこんで見せているだけだった。彼女が付き合ってやる必要はない。

 

「……どうして、白騎士事件なんて起こしたの。学園の教師になんてなったの――答えてよ、()()()

 

 ただ、その挑発が、あまりに私的な領域にならねば。最後の一言を聞いた瞬間、千冬の口がひときわ不快げに結ばれた。

 

「必要なことは聞かせてもらった。身柄は学園警備部に引き渡す。それまで口は閉じていてもらおう。私情で悪いが、不快なんだ、お前の物言いは」

 

 千冬は無言で、首に掛かる力を一際強くした。本当に怒ったときの感情の波面は静かになるタイプらしい。

 

 篠ノ之の顔から血の気が引き始める。わざと苦しめているわけではなく、首をへし折らないように慎重に力を強めているようだった。生身でISの斬撃を受ける彼女だ。本気でやれば片手で人体を破壊することもできるはずだった。徒人(ただびと)でいうと豆腐でもつかむような、優しくさえ見える仕草だった。

 

「よかっ……た……ね」

 

 篠ノ之はさすがに苦しげな顔で、つぶやいた。その顔がままだ笑っているように見えるのは、たいした精神力である。彼は、自由にならない手を左手のリングにやり、そっと乾いた血塗れの指先で触れる。

 

「ただ、必要な……時間なら……僕も」

 

 ずっと千冬の身体に触れていたリングが、それを契機に変化を始めた。わずかな光を発し、数秒後にその光を納める。

 千冬はその反応で、リングの反応が何を意味しているのか気づいたようだ。

 

「……フィッティング!?」

 

 搭乗者初期設定は完了した。調整対象は、今ここにいてずっと《福音》に触れていた女性――すなわち、()()()()である。リングの反応は、彼女をドライバーとして《銀の福音》が使用可能であることを示していた。

 

 篠ノ之の視界をもし共有しているものがいたなら、ISから発信されたメッセージを見ることができただろう。彼の笑みの理由はそれだった。

 

 光が収束する。直後に、発砲に伴う光と音が響いた。弾が千冬の手を掠める。射撃の瞬間に動いていた千冬は、舌打ちをして篠ノ之を投げ飛ばし、樹木の陰に身を隠した。銃弾は止まっていれば腕を抜いていた。

 

 射線は上方、建物の上からだ。投げられた篠ノ之は地面を人形のように転がり、そこから飛び降りてきた誰かの脚にぶつかって止まる。人影はサッカーボールをトラップするように彼の身体を受け、勢いを殺した。

 

「――立て! いつまで寝ている!」

 

 それまで不在だった者の声が鋭く暗闇を抜けた。声の方角を確かめようとした千冬を、九ミリ弾が樹木を抉ることで脅す。

 

 彼女が投げようとした視線の先、そこでは学園制服姿の少女が拳銃を構えていた。バイザーで目元を覆った、篠ノ之よりやや背の低い女子。篠ノ之はその足元におり、立ち上がろうとしてふらついている。首から上に血が一気に流れ込んだらしく、少女の腰にすがりつきながら何とか肩を並べた。

 

「お前は……」

 

 千冬が言った。バイザーごしでも彼女には誰か判ったようだ。少女は応じず、篠ノ之の身体を背中から乱暴に抱き寄せ、リングをはめた彼の手を掴む。左手には拳銃を構えたまま、

 

展開(デプロイ)

 

 銃の発火炎とは比べものにならない展開光が辺りを照らした。《福音》の名を持ちながら、後光でも差したのかというほどだ。そしてその目映(まばゆ)さの中、少女の身を装甲が覆っていく。胴、脚部、背面ユニット、スラスター。完全な展開ではないが、先刻の《福音》がさせられた出来損ないの展開とも違う。必要なモジュールをそれぞれ呼び出す部分展開だ。

 

 腕部は生身、首から上には《福音》の頭部装甲ではなくバイザーのようなものを装着したまま、《福音》は地を蹴って空中へ上がる。飛び立ちざまにわずかにかかったスピンの勢いをPICで鋭く止め、仮初めの搭乗者に操られた《福音》は千冬を眼下に睥睨(へいげい)する。

 

 動作の練達は細部に宿る。国家代表候補生とも遜色ない機動は、二つのことを意味していた。一つは搭乗者の少女はISに慣れているということ――そしてもう一つ、さきほど終了したフィッティングのデータが彼女に適合しているということだった。

 

 少女は本来、千冬本人でなければ使えないはずのデータに自分自身を適合させて、ISを起動させている。クローンか一卵性双生児でなければ、誤認すらしないようなISで。

 

 搭乗者の少女は生身のままの右で篠ノ之を抱き、左で構えたままの拳銃をポイントし続けていた。ターンして高度を稼ぎながら、射撃音が断続的に二回響く。千冬の足下には弾が二つ痕をうがった。

 

 機体が旋回するわずかな時間、千冬の顔に向く射線が空いた。銃口を間に挟み、千冬と少女の視線が一瞬重なる。

 

「お前は――」

 

 千冬が何か言おうとするのを聞き、少女が機動を止める。拳銃のトリガーガードに指をかけ、左手でバイザーを外した。目元を覆う機器に押し込まれていた肩までの髪がふっと舞うようにこぼれて、下の顔が(あら)わになる。

 

 ISのスラスターが逆光になる中、見えたのは織斑千冬――と、並んでもうり二つというほどそっくりな、少女の顔だった。彼女は口を引き結んで、千冬の顔を真っ直ぐ見据えていた。千冬は思わず叫んだ。

 

(まど)……!」

 

 最後まで言うことは出来なかった。ひととき視線が交錯した後、少女はバイザーを自分が抱いている少年に押しつけ、ブローニングを構え直す。ISを螺旋の軌道で駆け上がらせながら、牽制するように断続的にダブルタップの射撃を二回放つ。一発が千冬の頬を、残りはジャージの腕と腿をかすめた。

 

遮蔽(ステルス)装置の起動を確認!」

 

 少年が叫ぶ。しがみつきながら、調整を続けていたらしい。少女は彼の声にうなずいて、

 

「離脱する――口を閉じろ、舌をかむぞ」

 

 少女は少年を離さないようしっかり抱きながらISを駆り、多段ブーストで空間を蹴った。機体はスラスターを光らせながら、舞うように地上から離れていく。

 千冬は擦過で生じた傷を押さえながら、天を仰いだ。

 

 機体は二度、三度と増速しつつ上昇する。もう千冬を振り返ることなく、光をひらめかせながら上空へ消えていった。

 

 後には千冬だけが残された。彼女は言葉を失った様子で空を仰いでいた。彼女はひとり、暗い空の下で誰にも見せたことのないような苦い表情を浮かべ立ち尽くしている。

 

「お前は、私の……」

 

 頭を垂れ、彼女はつぶやいた。拳が硬く握られるが、後の言葉は続かなかった。

 

 空の光の一つが地上の千冬をよそに、東へ向けて飛び去っていった。




場面転換が多かったこともあり三万字あまりになりました。ハメだと改行が四文字扱いになるのでけっこうぎりぎりです。

剥離剤の仕組みについては、原作で見えている限りの設定だけを使って何とか理屈が通るようにしたらこんな感じに。

マドカちゃんは何とか姉離れを達成されたようです。というかこんだけ大騒ぎして具体的に彼女がやったのってそれだけ(ry

これで本編は一応おわり。エピローグが一本あります。


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エピローグ1 光なきうちは闇の中を進め

ここまでのあらすじ

1.なんやかやで学園に潜入してウェルキンと取引をすることになったマドカ一行。しかし楯無に見つかって戦闘に。学園最強の前に圧倒される。
2.マドカはウェルキンのIS《フィアレス》を暴走させて楯無を撃退。楯無は自身は大破しながら、暴れる《フィアレス》をウェルキンの力でなんとか待機状態に戻して事なきをえる。
3.騒ぎの隙になんとか逃げ出したマドカたちだったが、部隊のメンバー一人がなんと織斑千冬に捕まってしまう。助かる見込みなしと見捨てそうになるところ、マドカは一人彼の救出に向かい、千冬のフィッティングデータを使ったISを使用することで脱出するのでした。


学園サイドのエピローグです。亡国機業サイドの話は夜に投稿いたします。
 →※1/27夜半追記 推敲が間に合いませんでした……。エピローグ後半は1/28夜中に投稿します………。



 十月五日、月曜日。人知れぬ騒動から一夜明けた、週始めの学園は、いつもの喧騒の中にあった。

 

 たとえどんなトラブルがあったにせよ、大半はそれを知る由もない生徒たちには関係のないことだ。そして、年頃の女子が百人あまり同じ学舎に集うからには(かしま)しいのは常態であった。

 

 そして、その賑やかな騒ぎの中心にあるのはいつものように一年一組、織斑一夏のいるクラスだった。今も、金色の髪のボーイッシュな少女、銀髪と右目の眼帯が目立つ幼げな少女、そして長い黒髪を後ろで一つにした少女が、彼を囲んでいる。彼は今日も、四組の日本代表候補生のところに行くようで、それを咎められているようだった。

 

 彼は話題の中心。いつもと変わらない、今年四月からの学園の風景である。

 

 一方、一組の二つ隣の教室――比較的静かな一年三組では、少女がひとり自分のデスクに突っ伏していた。ベリーショートのブルネットの小柄な背中は、放課後だというのに机に張り付いて、動く気もないという意思を全身で表現していた。

 

「ティーナっ」

 

 彼女の背中に、ちいさな手がぱしんと置かれる。さして強くない手つきだが、叩かれた方は電流でも受けたように反応した。

 

「うわああ! いったーい! そこは昨日の夜打ったとこなのー!」

 

 ハミルトンは痛みに仰け反り大声で反応した。その後はしおれるように机にへたり込み、首だけ巡らして恨めしげに友人に目をやる。視線の先にいるのは髪の毛を両サイドでツーテールにした、彼女のルームメイトだった。

 

「ひどいよお、りぃいいん」

「大袈裟ね。昨晩ベッドから落ちただけなんでしょ。てゆーか、ホントに痛いなら診てもらいなさいよ。……ほら、ここ?」

 

 ルームメイトが呆れたように言う。口は辛辣に、手では気遣わしげにハミルトンの背中をいたわっている。ハミルトンは大仰に聞こえるほどうなり、それを受けていた。

 

 深夜、亡国機業の兵と別れてほうほうの体で戻ったハミルトンだが、ことはそれで終わりといかなかった。乱暴な降着の際に打った背中と捻った肩は痛み、湿布を貼って一晩横になって泣く羽目になったのだ。

 

 そして今朝になってもまだ痛みは去っていない。深い眠りから覚めたルームメイトに対しては、痛みはベッドから転落したものだとすり替え、ごまかしていた。

 

 さすられて少し楽になったハミルトンが深く息をつきながら口を開く

 

「ああ~、鈴、いつもすまないねぇ……」

「もう、それは言わない約束でしょう……って違う! アンタ、どこでそんな言葉覚えてくるのよ」

 

 気怠げな声でされたフリに思わず応じてから、ルームメイトは言う。ただ、ハミルトンが訴えている気分の悪さは、本物のだった。背の痛みのほか、さらに寝不足気味で顔色がやや悪い。今日の授業も一日無理をして出ていたのだ。

 

 正直に言えば、学業にそこまでの愛着を持っているわけではなかった。ただ、学園では健康優良で通っている彼女がこんな時期に怪我で休んだとなれば、無用に耳目を引くだろう。そこで気力と演技で全ての苦痛を封印し、やっと放課後を迎えたのだ。ルームメイトさえ、ハミルトンはベッドから落ちた打ち身が痛いだけなのだと思ってくれている。本当は、一歩動く度に筋肉が反乱を起こしていた。

 

「テレビの深夜アニメ(カートゥーン)でやってたのー……。背中さすられたらこー言わなきゃなんでしょー?」

「リアルの日本にいて、よくそんな間違った日本観だけ見つけてくるわね……てゆーか、そーいうの見るような時間まで起きてるから、体調もおかしくなるのよ」

「うるさーい……」

 

 一通り自分の振りに付き合わせた後、またハミルトンは情けなく机に倒れ伏し、続ける。

 

「てーか、わざわざ二組から来て、私になんか用があったんじゃないの? いつもこの時間はあっちの“戦場”にいるじゃん」

 

 ハミルトンが逆に水を向ける。首だけ動かし顎をしゃくって、電子黒板の向こう――一組を示した。話題の中心、織斑一夏。常の彼女なら、ハミルトンや他の友人への挨拶もそこそこに彼のもとへ飛んでいき、心理的にも物理的にも他の娘と彼の取り合いをしているところだ。

 

「うん、まーね。その前にちょっと聞きたいことがあってさ」

 

 彼女の言に、ハミルトンは何か、とやや不機嫌な顔で応じた。いつものハミルトンは彼女を応援している。彼女は友人だし、恋はハイスクールの花だ。見ているぶんにも背中を押す分にも楽しい――ただそれも体調と気分が万全ならの話だ。今日だけは、正直なところ勘弁してもらいたい、というのが本音だった。

 

「悪い。すぐ済むからさ。ウェルキン先輩のことなんだけど――なんか今日怪我で全日休んでるらしいんのよ。あんた昨日の昼、会ってたって言ったじゃん。何か知ってる?」

 

 ハミルトンの眠たげな目が開く。顔からは痛みて曇っていた気配が、すっと消えていくようだった。

 

「怪我で、それで欠席……か」

 

 訝しげな顔になる。ルームメイトは頷いて続けた。

 

「そうそう。昨晩の話じゃ元気そうだったから。何か知ってるかなって」

 

 机に頬を当てたまま、忙しく頭を動かし始めた。ウェルキンが休んだという意味、昨夜の事件での彼女の様子が脳裏を巡る。ハミルトンは身を起こし、彼女に向き直った。

 

「しかし、どーしてまたそんなこと気にすんの。あの人のこと、苦手なんじゃなかったっけ?」

「用があるのは私じゃない、セシリアよ。今日から復帰だから、怪我の間世話してくれたあの人に報告があるのと、なんか昼に()使()()から連絡を受けてて、渡すものがあるらしいんだけど……教室行ってもいなかったらしくてさ」

「あー、なるほど」

 

 高速機動競技会――正確にはその後の戦闘――で負傷したセシリアも、今日から元通りということらしい。近頃の再生医療の進歩には目を見張るばかりだ。

 再生医療、万能細胞、クローン技術、とハミルトンの頭の中が、不毛な連想ゲームを始める。その先に篠ノ之箒とそっくりな少年や千冬とよく似た少女が思い浮かんだところで、彼女は脈絡も根拠もない想像を打ち切った。

 

「知らない。まあでもそんくらいの怪我ならよくあるじゃん? 昨日元気だったのに一晩寝て起きたら、隣のやつが死体になってました、みたいなの」

「ないわ、それこそアニメか! ……っていいたいけど。今のアンタがいうと妙な説得力かあるわね」

「でしょでしょー」

「褒めてないわよ」

「はは。そうねえー……」

 

 ハミルトンは顎に手を当て、しばらく思案する。

 

「行きそうなとこっていったら、医務室じゃないかな。知らないけどさ」

「……その意見は普通なのね」

「うーん? まあねー」

 

 ハミルトンは緊張感のない笑いを浮かべ、友人に言った。怪我だから医務室、という程度の意味に取られたらしい。そういう観点なら確かに平凡と言える。

 

 ルームメイトの方もそれ以上追及する気はないようだった。友人の尋ね人に気を利かせた、それだけらしい。彼女は「悪かったわね」と片手を振って、廊下へ行った。そして出たところでちょうど、通りがかりの一組の金髪巻き毛の少女と出会い、今ハミルトンから聞いたばかりの情報を伝えている。彼女たちが一組の方へ遠ざかるのを、ハミルトンは視界の端に見ていた。

 

 姿が消え、声がアリーナの方に行くまで、ずっと追っていた。

 

「さて……ウェルキン先輩がね。となると、私ももう一仕事しなきゃだな」

 

 身を起こし眼を擦って、ゆっくり立ち上がる。タブレットとバッグを持って、アリーナとは反対の方角に歩みを向けた。

 

「怪我で休み、ねぇ」

 

 思案げにつぶやいて首を捻っては、痛む箇所に響いて小さく悲鳴を上げる。鋭い痛苦が去った後、にじんだ涙を指で拭った。そして、また部長(ダディ)に連絡しなくちゃ、とひとりごち、人気のない方へ歩みを寄せていく。

 

「……げっ」

 

 その道半ばで彼女は身を強ばらせ、言った。廊下の人影を見つけたのだ。誰の物かはすぐにわかった。昨晩とは違ってスーツ姿だがシルエットはほぼ同じ。

 

「織斑先生じゃん。マジかー……ってあれ?」

 

 昨日の今日のことである。彼女を視界に入れて一瞬身を固くしたハミルトンだったが、次の瞬間彼女の頬を見て怪訝な顔になる。大きめの絆創膏が目立つ位置で貼られていた。

 

「こんにちはです、織斑センセ」

「……ハミルトンか。挨拶はきちんとしろ」

 

 気安さを装って声をかけると、織斑千冬はきっぱりと答えた。厳格な口調は単にだらけた態度への叱責であって、それ以上のものはない。どうやら、昨夜の屋上にいたことはばれていないらしい。ハミルトンは安堵しながら頬を指し、彼女に語りかけた。

 

「はーい。つーか、どーしたんですか、その怪我。ほっぺのばんそーこ」

「これか? ああ。かすり傷だ」

「いや、そうでなく」

 

 貴女がかすり傷を負うって、どういうことかわかってますか――とか、色々と突っ込みたいところはあったが、ハミルトンはぐっとこらえて最優先の質問をした。

 

「どしてまた、そんなところに怪我を?」

 

 普通の生活ならばそんなところに傷を負う者はいない。IS学園での生活は平凡とは言いがたいかも知れないが、少なくとも顔に傷を受けて目立たないほど荒れたものではないはずだ。部活をやっていたとしても、顔にバンデージをせねばならない怪我は相当珍しい。

 

 千冬が答えるまで、一瞬間があった。しばらく頬に手を当て、彼女は思案してから口を開いた。

 

「これは……まあ。古傷のようなものだ」

「は、はあ。なるほど。そんなもんですか」

「ああ。そうだ」

 

 有無を言わせぬ口調だった。聞くな、と言われたような気がして、ハミルトンはうなずくしかない。もちろんハミルトンの知る限り古傷など彼女にあった試しはなく、さらに言えば昨夜最後に見たときさえ、彼女は怪我一つなかった。もしあったら織斑一夏がもっと騒いでいる。

 

「お大事にしてくださいね」

「ああ」

 

 ハミルトンは心中のいろいろな言葉をのど元でこらえて、千冬を見送った。彼女の背中が廊下の角に消えてから、古傷ねえとつぶやいた後、思い出したように言う。

 

「昨夜あれからどうなったか、ってところね。そういや、会長がどうしたかもまだ知らないな……」

 

 事件後の対応――戦闘区域の封鎖などが朝には既になされていたから、彼女がすでに仕事をしているらしいことは見てとれる。今朝確認すると、第三グラウンドのうち一部が覆われ、全体は進入禁止とされていた。名目は水道管の破裂だ。生徒会長権限でできることではないから、学園の責任者に報告をあげたのだろう。

 

「あんだけのことがあったのに、すごいねえ……いやいや、感心ばっかしてる場合じゃないけど」

 

 何人かいる学園内の同僚たちは彼女やウェルキンの動向まで掴んでくれているだろうか。ハミルトンは思案する。

 

「たぶん、会ってるんでしょうけど。また調べなきゃだわ」

 

 ハミルトンの仕事に終わりはない。友人の知らないところで、ずっと続くのだ。おそらくいつまでもずっと。

 

「……部長への連絡ついでに、保険付きの診療とお小遣いでもおねだりしちゃおっかな。そんぐらいはないとね」

 

 彼女は小さくため息をつきながら、校舎の裏手側への消えていった。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 IS学園の一画、特に風通しの良い場所に、IS学園の医務室はあった。学舎の中では外れの辺りに位置するこの部屋は、学園島全体でも意外といえる空白地帯だった。学園のカリキュラム上、生傷を抱えた生徒にはことかかないものの、入院がいるような怪我人がいないときのこのエリアは常にがらんとしている。

 

 その閑散とした病室のベッド、いくつかある中の一つに、サラ・ウェルキンはいた。

 

 制服の下に着ているのは身体を締め付けない緩いシャツで、左肩のあたりが三角巾で固定されていた。胸には《フィアレス》の待機形態である、細工の精緻な暗い蒼のネックレスが下がっている。

 彼女は膝の上に、通信機と繋がったラップトップを置いていた。病室で電子機器を使うのは褒められた話ではない――というか、校則でも定められた禁止事項である。もっとも、(S)(I)(S)エージェントの彼女が、校内規則を常に遵守しているはずもない、と言えばそれまでだ。

 

 画面には簡潔に箇条書きで記された作戦の結果と付記がある。(いわ)く、取引は成立し媒体は受け取った。作戦の過程で婦人(レイディ)の妨害はあったが、撃退している。HMW-17(フィアレス)は“彼ら”に剥離剤と工作を受け、暴走と二次移行。当該機は現在は回収済み。

 

 要点と事実しかない、その場で記述した短いテキストだ。それを事前に合わせた指定周波数、指定時間に一度きりのバースト通信で送る。諜報では使い古した手だが、未だに効果のある、替えの効かない方法だった。

 

 傾く日がカーテンの隙間から、彼女の相貌に差しかかる。遠くの海からの照り返しがひらめいてまぶしい。サラ・ウェルキンはその光に顔をしかめながら、端末を前に待っていた。数分が経過し返信があった。こちらも短い文章だ。

 

 ――()()()予定通り終了したことを確認した。追って連絡する。

 

 云々(うんぬん)

 

 必要な言葉までそぎ落とした言い回しだった。しかも語の選び方にどこか妙なところがある。そんなメッセージでもウェルキンには理解できたらしく、彼女は文面に目を通すなりうなずいた。

 

「……なるほど。“全て”が、か」

 

 呆れたような口調で端末を閉じ、かたわらのサイドチェストにかかった上着に袖を通す。固定された肩を通せないため、左だけが羽織る形になった。

 

 ウェルキンが今回の指令を受けたのは高速機動競技会より前、学園祭が終わってすぐの時期だった。街で使っている連絡用のコインロッカーに、今回の作戦命令があった。

 彼女が受けたのは、命令に能って本当に最小限の指示だけだった。《フィアレス》を持って彼らと接触し、あの情報媒体を受け取れということ。それ以上は情報適格(ニード・トゥ・ノウ)の向こう側だ。亡霊たちの素性についても、今まで知らなかったし、これから知ることもないだろう。

 

 亡霊、すなわち亡国機業はいかなる国家、宗教、思想、民族にもよらない組織――つまり、“いかなる国家、企業、団体からも独立した存在”であり、行動理念も目的も不明と“されている”。事実、ある国の非合法取引を仲介したと思えばその翌年はその国の仮想的と交渉する。まるで悪事をなすためだけの集団とさえ写る連中。

 

「亡国機業、ね」

 

 右の手で髪をかき上げながら、ウェルキンは送られてきたメッセージの内容を反芻する。テキスト自体は、確認とほぼ同時に消しているが、文面は残響のように彼女の脳裏に残っていた。急な任務の目的、任務中に聞いた発言、そもそもの始めに彼女が専用機《フィアレス》を下賜されたこと。それらの意味をウェルキンは洞察せざるを得なかった。

 ウェルキンは深々と息を吐いて立ち上がる。どこからか聞き覚えのある声が飛んできたのは、そのときだった。

 

「亡国機業。目的不明の秘密結社。思想や信条、経済的利益は目的とせず、その活動が誰の利益にもなっていない。活動に一貫性がまるでないし、彼ら自身さえそれで利益を受けていない」

 

 涼やかな声が静かでひやりとした空気を割って響く。ウェルキンは、そのときになって部屋の入り口に、戸を背にして立っている人物の姿を見つけた。

 

「しかして、その実態は? 何と、国家が行えない悪事のアウトソーサー。彼らは、本当に悪いことを行うため――国ができぬ悪事を変わって行うための組織だったのです。目的がないのは当たり前。目的ができたときのための組織なのですから」

 

 整った顔だちに切れ長の瞳、空色の髪と同性でもうらやむような起伏に富んだ肢体。講談口調でふざけて語る声は、(すず)を転がすような柔らかさだった。そんな人物は、学園では他にいない。

 

「はぁい、サラ。怪我はどう、大事ない?」

 

 更識楯無が手をひらひらと振っている。小脇に何かの書類封筒を挟み、彼女はいつもの食えない笑みを浮かべて、いつの間にかそこにいた。

 

「亜脱臼していたそうです。朝一番にトレーニングして、ということにしました。校医さんには叱られましたけれど。

 それにしても、楯無……何です、今のは」

「サラが意味ありげに亡国機業、なんて言うのが聞こえたからね。ちょっと今回の事件で得た推論を謡っただけ。当たらずとも、じゃない?」

 

 ウェルキンは彼女を認めて何か言おうとする。しかし言うべきことが見つからず、やがて複雑な表情を浮かべ、首を振った。もういい加減、こんな展開にも慣れている。

 

「盗み聞きとはいい趣味です」

「お褒めに(あずか)り――って言いたいとこだけど、残念ながら端末を閉じたとこからしか見てないの。通信してたみたいだけど、内容も傍受できてないし。

 今日欠席してるって聞いたから、これでも学園中探し回ったんだから」

 

 皮肉っぽい口調でいうウェルキンに、楯無は肩をすくめて歩み寄る。探した、というのは嘘ではなさそうだと、とウェルキンは思った。邪魔だてするならもっと良いタイミングがあったし、今日一日泳がせておく理由も少ない。

 

 楯無はウェルキンの寝台の側まで来て、腰かける。寝台は沈んで、軋みもあげずに彼女の体重を受け止めた。IS学園の設備らしく、こんなところにも金がかかっているのだ。

 

「おおー、ふかふかしてるけど適度に固い。さすがIS学園」

「どこに感心してますの。それに、一年半もこの学校にいて、今さら驚くことですか」

 

 封筒を枕元に置き、感心してはしゃぐ楯無に、ウェルキンは無事な方の腰に手を当てて呆れた。

 

「実は医務室って、今まで来る機会がなかったのよ。ほら私、学園で一番強いから怪我しなかったじゃない。今まで」

「……なるほど」

 

 納得したようにうなずく。子供がするようにベッドを弾ませる楯無に、彼女もそれなりに負傷していたはずだが、とウェルキンが訊ねる。

 

「私は怪我なんて平気よー。今日も、ちゃんと授業出てたんだから」

 

 偉いでしょう、と言わんばかりに楯無は得意げに鼻を鳴らす。確かに口調は苦しさを感じさせない。が、身体の姿勢がやや不自然に見える気がした。ウェルキンは無言で彼女に近づき、背中を軽く叩く。反応は劇的だった。一瞬固まり、楯無は言葉にならない悲鳴を上げた。

 

「貴女が私より軽傷のはずがないでしょう。(あばら)ですか?」

 

 楯無はうつむいて震えている。ふるふる、と首を振る頭部を見下ろしていると、返事があった。

 

「……会長にはねー、意地と体面とスケジュールってものがあるのよー……ていうか、痛いところまでわかってるなら、優しくしてくれてもよくない?」

 

 ことさらに哀れっぽい声で楯無は答える。目には、涙まで溜まっていた。どうやら本当に痛かったらしい。

 

「空気を読め、と。あいにく私は日本人ではないのです」

 

 からかいと牽制。この一年半でお馴染みになったやりとりだ。少しひどくしすぎたかなとは思いつつ、

 

「先ほどの話でしたら、残念ながら、この身は貴女に肯定も否定も与えません――推理小説なら、文芸部にお持ちになってください」

 

 ウェルキンは頭を振る。これ以上彼女に腹を探られて平然といられるほど、余裕はなかった。別に予定はないが、この場を去るに強くはない。ウェルキンは楯無に背を向けた。

 

「待って。お願い」

 

 その背中に向けて、楯無が声をかける。ウェルキンは足を止め、肩越しに振り返る。いつの間にか身体を起こした楯無が、彼女の方を見ていた。二人の視線が重なる。楯無の瞳は、こちらの思考を洞察してのけるような深い色をしていた。

 

「少し。少しだけ、時間をくれない。今回のことで、話したいことがある。貴女を追及するつもりもないの」

 

 彼女にしては珍しく、人をからかうような笑みを浮かべていなかった。本当は何もかも見透かされているのではとさえ思えてくる。そういえば昨夜のことも含め、この娘にマークされて出し抜けた試しなどなかった。そのことを、ウェルキンは今更ながらに思い出していた。

 

「明日するわけにはいかない、そんな話ですか?」

「ええ。むしろ今日だけ、って内容ね。互いに二度と、これから話すことを他言しない。二人きりで腹を割ってする、そんな会話」

 

 楯無には、いつもと違う雰囲気があった。言っていることの意味はさすがにウェルキンでも察せられる。すがるようにさえ見える彼女の表情――それに少し押され、ウェルキンはうなずいていた。

 

「……いいでしょう」

「ええ、ありがとう」

 

 彼女は相好を崩す。やはりこの娘は猫のようだな、とウェルキンは頭の片隅で思った。ベッドの隣に椅子を引く楯無を断り、ウェルキンは壁に背中をつけた。

 

「それで? 亡霊たちが国家の合間を暗躍するアウトソーサーだなんて――どこからそんな想像が出てきたのです。そして、それが正しかったとして、我が国はその彼らを使って何をした、というのです。我が国は彼らにISを奪われているのですよ」

「ええ。確かに損失ね。もし“本当に”ISを本当に奪われたとしたら」

 

 楯無は言った。ベッドの上でしどけなく脚を崩し、ウェルキンを見上げてくる。

 

「どういう意味です」

「弾道弾の迎撃さえ可能な兵器を奪われた。それも、《アラクネ》、《ゼフィルス》、《福音》、当時の次世代試作機が相次いで、ね。当事者のアメリカとイギリス二カ国にしてみれば大損に見える。

 ところが、奪う側――亡国機業の側から論理からすると、ちょっと変なのよ。アメリカとイギリスって世界で最も優れた情報部を持つ二カ国なのよ。およそISを奪われるということに関しては、最も似つかわしくない国が二つを相次いで狙うなんて、非合理的だとは思わない? スポーツじゃあるまいし、なぜ一番強そうな連中に挑もうなんて思ったのかしらね」

 

 楯無は指を二本立てながらが言う。普通に考えれば、その命題を解く鍵は見つからない。ただ、彼女が口にしているのは問いの形をした思索だ。彼女はそれをもう、掴んでいる。

 

「だから、逆に考えた。もし、全てのことが当事者にとって――奪われた側にとっても合理的なメリットがあるようにことが進んでいるとしたら、どうかってね。

 易々と奪われたのは、自分の手元から一時的にせよ手放したかったから。手放すのに奪うという形を取らせたのは、“自国の意志から完全に離れた”ということを明確にしたかったから。今の時点をもってもろくな追跡をしていないのは、したくないからじゃないのか、って。

 ――私に、『亡霊さんたちが実は、“被害者”に頼まれて悪事を引き受けているんじゃないか』って疑う想像力が出てきたのは、このあたりよ」

 

 彼女は脚を組み替え、ベッドから立ち上がった。徐々に熱が入りつつあるのか、部屋の中をゆっくりと、身振りを交えて歩き始める。

 

「自国の管理外に出てしまったISならば――『悪用されました』という名目で条約に違反するような行為や実験だってできる。たとえば実戦に投入して、本気の戦闘に放り込んだデータ収拾をしてみる、とかね。

 それだけじゃない。剥離剤に対IS戦闘、ひょっとしたら《福音》の二次移行の研究もそれに入るのかしら。スコール・ミューゼルのやっていることは、条約で縛られた各国がやりたくてもできない情報収集だらけ。そのフィードバックを受けられるとしたら、ISを十機以上もつような大国にとっては、奪われた機を補って余りある。

 この例に沿って推測するなら、今回の侵入で渡した媒体。あれの中身だけど――英国が依頼した、ということから考えれば、このまえの高速機動競技会における《ゼフィルス》と《ティアーズ》の実戦データ、といったところかしらね」

 

 楯無はそこで言葉を切った。強い眼の光が彼女を射ている。ウェルキンは、彼女の目から視線を外せなかった。

 

「……面白い推理です」

 

 ウェルキンは深く息をつき、何とか口を開く。小さく手を叩いた。左肩を固定しているのでいい音は出なかったが、賞賛は心からのものだ。多くの者が「不明」という結論の向こうに置き去った亡霊たちについて、彼女は自力でその答えまでたどり着いた。

 

「たとえ考えが的を射ていたとしても、私からお墨付きはあげられませんが……。昨夜のことは結局、実戦データのやり取りだったと、そう(おっしゃ)りたいのですね?」

 

 事実、ウェルキンの受け取った媒体にはそのデータが入っていたのだ。楯無の想像はほぼ事態を正しく言い当てている――。

 

「いいえ」

 

 その楯無が、一言でウェルキンの思考を遮った。彼女はゆっくり首を横に振って、ウェルキンの近くに立つ。

 

「私は、昨夜やり取りした媒体の中身について言っただけよ。おそらくそれは取引の主な目的じゃない」

 

 楯無の声が低くなる。彼女の考えを聞き返そうとしかけたところで、楯無ウェルキンの胸元に手を伸ばした。ウェルキンは彼女の細い指が指す先を追った。そこには、暗い青色の金属をあしらったネックレスがある

 

「今回、亡国から結果的に手に入れたものが、もう一つあるでしょ」

 

 褐色の瞳でウェルキンを見つめるそれは、待機形態の《フィアレス》があった。中空でぴたりと止まった手は、《フィアレス》を示していた。

 

剥離剤(リムーバー)を使われたIS。それに備わる剥離剤耐性、および遠隔コール。さらに加えて、二次移行」

 

 楯無はウェルキンの前に立ち、彼女の周りの空間を侵すように乗り出してくる。ネックレスに伸びていた手は、ウェルキンの肩のすぐ脇、背を預ける壁についた。

 

「剥離剤は今のところアラスカ条約でも禁止の兵器になる。使用も研究もおおっぴらにはできず、その効果を受けているのは今まで《白式》だけだった。そして二次移行したISに至っては、《白式》と《福音》だけ。

 そしてあの夜を経て、貴女のISはその両方を手に入れた。現行稼働機では《白式》しか持たない二つの性質を、ね。

 ……そもそも、ただの媒体のやりとりなら、候補生に名を連ねる貴女を投入する意味はないし、取引場所をIS学園とする必要もない。貴女が投入されたのは、ISを使用せざるを得なかったから、IS学園が場所に選ばれたのは、ISの展開や戦闘が発生してもその秘匿が比較的容易だから」

 

 ウェルキンの表情をのぞき込むように楯無が顔を合わせてくる。楯無の目は真剣だった。

 

「英国の今回の本当の狙いは、おそらく、剥離剤を受けたIS、強制二次移行をしたISを入手することだった。英国が貴女にその“本当の目的”の方を教えずに今回のことをやらせたのだとしたら――英国は貴女を、危険な挑戦への道具に……ストレートにいうなら、実験台にした、ということになる」

 

 彼女の切れ長の瞳を見ながら、ウェルキンは思っていた。

 

 ――ごまかそうか、と思っていたのだが、それは適わなかったらしい。

 

 本当は気づいていた。本国の狙いは、二つのこと――この時期に《フィアレス》が彼女に下賜された意味、そしてあのアジア人の少年が言った「そこ(剥離剤使用後にの遠隔コール性が備わること)まで伝えることで、やっと俺らの今夜の取引は完了する」という言葉に込められている。付け加えるなら、報告の返信は、『“全て”が予定通り』だった。ウェルキンからすれば予期しない剥離剤と《福音》の再現があったにもかかわらず、だ。全ては最初から予定されていたのだ。

 

「貴女の本国の意向はこの際どうでもいいの。ただ少しだけ聞かせて。貴女は母国で安全な立場にいるのかどうか」

 

 そして、なぜ楯無ほどの女性が、人払いまでして腹を割って話そうなどと言い出したのかも、ウェルキンにはやっと判った。さっき感じていた違和感はこれだったのだ。

 英国の狙いを察したくらいなら、彼女はウェルキンを呼んで推理を披露したりしない。どこぞの私立探偵ではあるまいし、楯無は暗部の人間なのだ。

 

「貴女が……捨て駒として扱われたんじゃないのか」

 

 楯無はただ友人としてウェルキンを案じ、二人きりで話そうと言ってきたのだ。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 長いこと、二人は顔を寄せて見つめ合っていた。楯無は顔だけは平静とさせつつも、自らの心臓が早鐘を打つのを感じていた。

 柄にもなく緊張しているらしい。別に、他人にアプローチするのは初めてではない。なぜだろうと彼女は自問し、すぐ答えに気づいた。

 

 ――そういえば、打算も何もなしにこんなことをするのは、まだ経験がなかったな。

 

 十七代目として楯無を継いで数年、いろいろなことをやった。男を敵にしたことも、女と相対したことも、老人を、大人を、自分と変わらない年の子と協力したこともある。

 

 だが、友達が敵になったのも、敵を友達にしたのもこれが初めてのことだった。

 

「……もしそうだとしたら、どうします」

 

 やがて、ウェルキンの表情が崩れた。ふっと口元に淡い笑みを浮かべて、逆に彼女の方が楯無を慈しむような顔で見ている。

 

「もちろん、私からはどうすることもできない。英国が自国の候補生をどう扱おうが、攻める筋合いじゃないし。働きかけようにも大した権力を持ってるわけじゃないからね」

 

 楯無はウェルキンの側に着いていた手をはがし、壁から離れる。ベッドに向かい、そこに置きはなしになっていた書類封筒から中身を一通取り出した。

 

「ただ、貴女が望むことによっては、力を尽くす方法はいくらでもあるし、私が伸ばせる手もある」

 

 透かし入りのセキュリティ・ペーパーで印字された、数枚綴りの書類だった。ウェルキンの前の机上に置く。表紙にあたる面には、英、日、仏、独、中、露、葡、西、亜――アラスカ条約内の主な言語で、印字されている。

 

IS及び()関連兵器()に関わる()運用規制()条約 自由国籍条項申請書類”。

 

「これは……」

 

 ウェルキンもさすがに驚いたようで、絶句して書類と楯無を交互に見た。

 

「一夏君の真似をするみたいだけれど。ここは学園よ。あなたがいたいなら、ここにいればいい。その間に自由国籍を取って選ぶこともできる。……移る先、国によっては私が口を聞ける先があるかもしれないし、そのときは少なくとも貴女をチップに博打をするような真似はさせない」

 

 楯無は毅然と宣言した。ウェルキンは書類を受け取り、ぽつりと言った。

 

「大胆なことを、なさいますわね」

 

 珍しげに文言の記入事項を眺めている。無理もない、と楯無は思った。大抵の生徒には目にすることもない紙だ。ウェルキンは()めつ(すが)めつ書類を一枚ずつ確認してから、顔を上げる。

 

「独り言を言ってもいいでしょうか」

 

 ウェルキンが言った。楯無は呆気にとられかけてから、彼女の意図を察して首を縦に振った。もとよりその為の人払いだ。

 

「――欧州統合調達計画」

 

 ウェルキンがぽつりと言った。

 

「いわゆるイグニッションプランが、次の四半期に最終フェーズに入ります」

 

 ナレーションでも読み上げるような落ち着いた声だ。淡々とした言い方に耳を傾けつつ、楯無は腰を、ベッド脇のフットレストに預けていた。

 

 イグニッションプランについては、楯無も常識として知っている。英が《ブルー・ティアーズ》三番機を、仏が開発中の第三世代を、イタリアが《テンペスタ》型を、そして独が《シュヴァルツェア・レーゲン》型をそれぞれ発表しており、次のイースター明けに量産試作機がトライアルに投入される。今のところ、スペックと実績による技術点で英と独が他を圧倒しており、試作機の完成度から価格点の面でも目算が立っている。伊は実績に、仏は価格に何がありそれぞれ話にならないと見られていた。

 

「このまま行けば我が国の蒼滴(ブルー・ティアーズ)級とドイツの黒雨(シュヴァルツェア・レーゲン)型の一騎打ち、と専門誌あたりでは言われている。ただ、実際はそうならないだろうと考えられています」

 

 主体がぼかされている。ただ、それが誰かは聞かずともわかった。ウェルキンは内部関係者の話をしている。

 

「IS学園で行われた模擬戦において、オルコット卿はミズ・ボーデヴィッヒが負け越しています。確かに両者に実力的な差があり、ショートレンジに穴のある機体特性がIS学園規格のアリーナ戦闘に合わない、という理由もあります。ですが、それにしても成績がひどすぎる。単純に性能面にもカタログ以上の差があるのです。

 三番機を調整はするでしょうが、すでに設計を大きく変えられる段階でもない。このままいけば黒雨型の圧勝でしょう」

 

 セシリアは常々こぼしているが、口にするのは装備のバランスの悪さだけだ。残りの二つを周囲に言わないのは彼女本人と国の体面があるからか、真意はわからない。それも当事者たちには知れたことであるのだろう。

 

「かかる状況にあっては、機体の実戦データ取得にも、もちろん意味はありました。負荷のかかる高速戦闘下のデータをフィードバックすれば、ある程度技術点を稼げる。どこの国も苦労している特殊兵装についても、実戦下の記録があれば目処をつけやすい」

 

 楯無は小さく何度か相槌を打っていた。英国も別に第三世代機のコンペティションを捨てたわけではない、ということだ。《ブルー・ティアーズ》級の開発は進める。

 

「ただ、それがうまくいく保証はどこにもない。プランBとして、剥離剤研究と二次移行研究ってわけか」

「我が国としても自国の開発力とBAS社を守る必要がありますから」

「でしょうね。ところで、独り言じゃなかったの?」

 

 ウェルキンは楯無の方を見て応答を返している。少し笑ってそのことを指摘すると、

 

「今日は空耳がひどいのです。昨日の晩、ロシアかぶれのニンジャにひどく槍で打たれたせいかもしれません」 

「あらー、奇遇ね。私も昨日の夜イギリス製のISにボッコボコにやられたのよ。お腹なんて痣になってんだから。見せてあげよっか」

 

 制服の裾に手をかける楯無に、ウェルキンは肩をすくめて首を振る。

 

「結構です。というか、実習の着替えのときどうしたんです? 目立つでしょう」

「そりゃ朝にメイクしたのよ。目立たないように。顔に化粧するより、ここにかけた時間の方が長かったんたから――何が悲しくて早朝からお腹にファンデ塗ってんだろって、泣きたくなったわ!」

 

 楯無は自分の腹をさして愚痴る。ウェルキンが思わず噴き出し、口元を押さえて横を向いた。楯無も彼女の声に誘われるように笑う。強っていた空気の硬さが、それで解れていくような気がした。

 

 ややあって二人の笑いが収まった頃、ウェルキンが口を開いた。

 

「……ありがとう、楯無」

 

 彼女は目元を軽く拭う仕草をみせ、楯無に言う。浮かんでいるのは柔和な笑顔だった。

 

「それから、ごめんなさい」

 

 その口が続けてはっきりした口調で言う。楯無は唇を結んで彼女を見た。噛み締めた奥歯の力で、怪我のあたり――身体の奥の方が痛んだ。

 

「貴女の言うとおり。もし昨夜、失敗していれば私は捨て置かれたでしょう。今回はたまたまうまくいったからそうならなかった、というだけのことです。付け加えるなら、私は当初は計画の子細について――本当の目的については知らされていませんでした。知らされず窮地に送り込まれたことが、どういう意味かは自分でもわかります。

 私は本国にとっては失っても致命傷とはならない。賭けるにちょうどいいリスクだったということです」

「そこまで理解して、それでも受け入れるのね」

 

 楯無が言うと、ウェルキンはゆっくり首を横に振った。楯無に向けられているのは、穏やな拒絶だった。

 

「我が身の安全だけを顧みれば、貴女の申し出を受けるのが正着なのはわかります。ただ私は……」

 

 ウェルキンはそこで、長いこと逡巡するように宙を見つめた。楯無はその表情に見覚えがあった。難しい立場に追い込まれた人間が、何とかして今の自分の状態を言葉にしようと試みるときの表情だ。

 

 結局何も見つからないまま、時間が過ぎる。ウェルキンが深いため息をつくのを聞き、楯無は補うように口を開いた。

 

「自分の生まれた国を、離れる気にはなれない?」

「それもあります」

 

 ウェルキンはうなずいた。そして楯無が投げた一言がきっかけになったように、ウェルキンはぽつりぽつりと話し始める。

 

「その他にも、たくさん。捨てがたいものがあります。国にも友人や家族――義兄(あに)と姉がいますし、今まで生きてきた中でこのような立場を選んだのは、自分自身でもある。今回のような危ない賭けに出るような国でも、奉職を望んだのは私です」

 

 ウェルキンは肩の辺りをそっと押さえた。彼女の目は、楯無を向いてはいたが、少し遠くを見ているようでもあった。

 

「愚かだとお笑いになってもいいですよ。ただ、昨夜も言いましたが、向き不向きや好悪で変えられるものでもないのです」

「笑うわけないでしょ。理解は……できるから」

 

 ウェルキンは少し自嘲気味に続ける。彼女の選択を道理で責めることはいくらでもできる。だが楯無にとってもウェルキンにとっても、そんなことに意味はなかった。

 

「というかそもそも――私の身の上のために、貴女に迷惑をかけるわけにはいきませんしね」

 

 ウェルキンが最後に、冗談めかして付け加えた。思わず苦笑で応じる楯無に、ウェルキンの手が黙って手にした書類を差し出した。楯無は黙ってそれを受け取った。

 

「これはもう不要ね」

 

 楯無は自らの手でそれを裂く。乾いた紙の破れる音が、やけに高く部屋に響いた。ゴミになった申請書は、楯無が持ってきた書類封筒に入れておく。

 

 その直後のことだった。

 

「失礼いたします――」

 

 廊下の側から入室を求める声が聞こえた。医務室には今、他に誰もいない。楯無はウェルキンの隣の扉から、のぞき込んで誰何する。そこには意外な人物がいた。ブロンドの長い髪を巻き毛にして青いヘアバンドをつけた――学園では知らぬ者のいない英国人の一年生だった。

 

「あら、セシリアちゃんじゃない。どしたの?」

「あら、会長。ご機嫌よう。こちらにミズ・ウェルキンがいるかもしれないと伺いまして、参じたのですが」

 

 丁寧だが硬い態度で楯無に告げる。彼女がウェルキンを探すのは珍しいな、と楯無は思った。学内の英国留学生の取りまとめをしているのとウェルキンなので、彼女からほかの英国人たちに連絡をやることは多い。ただ、その逆というのは少なかった。

 

「ごきげんよう、オルコット卿。私に御用とは?」

 

 部屋の中からウェルキンがやってきて、型どおりの挨拶を英国人どうしで交わす。

 楯無はいつになく真剣な英国人少女の様子を、小首を傾げながら見ていた。少女の態度はウェルキンだけを見ており、あからさまに楯無を疎外している。ここ一か月にさんざん彼女の想い人をからかった楯無に含むところがある――というわけではなさそうだ。これは英国人同士、内輪の話なのだ、と言いたいのか。

 楯無は声をかける。

 

「急ぎならここで話していったらどうよ? 私の用事は……終わったところだから」

 

 何なら、楯無は出ていてもいい。そう申し出たものの、態度は煮え切らない。

 

「ありがとうございます。しかし……」

「いいえ。この場にしましょう、オルコット卿。それに楯無、席を外してもらうには及びません」

 

 逡巡する少女に向けて、きっぱりとウェルキンは言った。ウェルキンにそう言われては従う他なく、少女は部屋に入る。ウェルキンが近くの椅子についたところで、彼女も懐から封筒を取り出した。

 

「今日の()()、学園に来た大使館の職員からこれ受け取りましたの。ミズ・ウェルキンに手渡してその場で確認していただくように、と言付かっておりますわ」

 

 ウェルキンが手紙を受け取る。英国外務省の公証(ノータリー)シールで封をされた手紙だった。封筒を受け取った彼女は器用に片手で開き、中身に目を通す。

 直後、彼女の顔が眉を動かして驚きを表現した。

 

「ほう」

 

 ウェルキンは紙面を見つめていた。しばらくして彼女は、手紙を持ってきてくれた少女に向けて、

 

「確かに内容を拝見しました、オルコット卿。ご足労をおかけしまして」

「いえ。それでは、私は失礼いたしますわ」

 

 一礼し、肩で風を切りながら去って行く。姿勢良い後ろ姿を見送り、後にはまた楯無とウェルキンだけが残された。

 

 ウェルキンは手の中の書類にずっと眼を落としている。彼女が何も言わないため、楯無は所在なげに机の辺りで脚をぶらつかせていた。横から窺ったウェルキンの瞳は、心なしかどこか揺れているように見えた。

 

「楯無。もう一つ、謝罪することができたようです」

 

 ウェルキンは唐突にいい、立ち上がって楯無に手紙を差し出した。見ろ、ということらしい。

 

 見ても良いのか、確認してから中身を開いた。広げた封筒の中からは、音を立てて紙が二枚出てきた。一枚はアルビオン・エアウェイズの成田-ロンドンのチケットであり、もう一つには、英国空軍IS部隊司令官、英国IS委員会議長のサインが入り、次のように題が打たれた書類であった。

 

召喚状(サモンズ)

 

「連合王国IS委員会は貴公、代表候補生サラ・アビゲイル・ウェルキンに対し、ロンドン時間十月十二日までに帰国することを命ずる。貴公はIS学園の定める手続きに従って休学申請を行い、日本国入国管理局にて出国手続きを行うこと。

 本命令は、アラスカ条約第九十七条第二項並びにIS学園運営に関する規則特記事項五十一により、被命令者に対して強制力を持たない。ただし、被命令者が指示に従わなかった場合、連合王国の公的機関は、国外における被命令者に対する身元、身分保証義務の一切を喪失する」

 

 ウェルキンが楯無の手元にある英文を、日本語で読み直して告げる。言葉は仰々しいが内容はシンプルな帰国命令だった。

 

 本文の後半に続く言葉は、留学生や候補生が本国から命令を受けるときの定型句だ。学園生に対して本国は強制力も執行力もない、ということになっているが、実際に母国から切り離されるわけにはいかないものだ。よってやむなく命令を発するときは、このような但し書きを入れるのが通例だった。ロシア代表候補であり、日本国の情報コミュニティと繋がる楯無も、文面自体はよく見る。

 

 そして、多くの留学生がそうであるように、ウェルキンに従う他の選択肢はない。

 加えてこの書類が届いたタイミング。手紙を届けた娘は昼に受け取ったと言っていた。すなわちこの召喚状とチケットはあらかじめ発行されていたのであり――成否に拘わらず、始めから彼女を本国へ戻す心算であったのだ。

 

「部屋を、片付けねばなりません。手伝っていただけませんかしら」

 

 言いながら、ウェルキンは天井を仰いだ。

 

「それと……お別れを言わねば」

 

 腕を目元に当てて言った。深く長い息が、彼女の口から漏れた。ウェルキンが帰国したならば、もう日本に戻ることはないだろう。もとより休学者がやすやす復帰できるような学園ではないし、彼女の場合はさらに格段の理由がある。

 楯無はソファに歩み寄り、そっとウェルキンの肩と背中に手を回した。胸の奥の痛みが強くなったような気がした。口を開こうとして言葉が見つからず、身体を寄せた。

 

 国は違うが、学園では一番つきあいの長い少女。楯無とも全く臆さず対等に接し、友人であり、そして敵でもあった彼女。ウェルキンは楯無にとって間違いなく特別な存在である。楯無は彼女に対して何かを言いたい衝動に駆られた。彼女にだけ贈るべき特別な言葉をかけたかった。

 

 だが楯無にはそんな言葉を、今この短い時間で見つけることはできなかった。自分は存外平凡な人間らしい、と彼女は思う。しばらくして口にできたのは、こんな月並みな言葉だった。

 

「貴女がいなくなると、寂しい……辛いわ」

 

 かけた声に対して抱擁が返される。最初はおずおずと、次いで強く。

 

「私もです」

 

 ウェルキンは楯無の肩に顔を寄せた。彼女が今どんな顔をしているのか、楯無からは見えない。

 

「今まで選んだ道を後悔したことはありません。ですが、もしも――」

 

 ウェルキンはそこで言葉を切る。続きにどんな語が来るのか、楯無が聞くことはできなかった。ウェルキンが内心の思いを実際に言葉にすることはなかった。

 ただ、楯無には聞かずとも察せられるような気がした。おそらくウェルキンの思いは自分のそれと同じようなものだ。

 

 楯無は優しくウェルキンの背中を叩く。ウェルキンが、楯無の耳元で何かつぶやき、彼女はうなずいた。

 

 熱く小さな何かが、楯無の肩に落ちた気がした。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 ……どれくらい時間が経っただろうか。窓の外では日が落ちかかり、暗い夜がすぐそこまで迫っている。

 ウェルキンはすでに部屋に戻っていた。楯無は生徒会室に戻って自分の執務机の椅子に身体を預け、目をつむっていた。疲労が今頃になって背中にのしかかってきている。昨夜、ろくに眠る時間がとれないまま事態の後始末をし、その上昼の授業にウェルキンとの会談までこなした。多少の気だるさは当然だ。

 

 扉が開く音が、楯無の意識の遠くに聞こえる。かけられた声があった。聞き慣れた従者の声だ。

 

「お嬢様、お休みならば部屋にお戻りを。お風邪を召します。ただでさえ怪我を押してらっしゃるのですから」

 

 虚の声が響く。わかっている、と返したくなる。楯無はうなずき身体を起こした。

 

「どうかされましたか」

 

 気遣わしげなまなざしで、虚が声をかけてくる。楯無は椅子の肘掛けに身体を預けた。身体の奥の痛みは弱くなっていたが、鈍く重くなっているように感じられた。

 

「――友人がひとり、離れていってしまったから」

「責任を感じておいでですか」

 

 楯無の言葉に虚が訊ねる。楯無は首を振って否定した。罪悪感や後悔など、そんな話をしているわけではない。

 

「私が責を負える筋のことじゃない。二人とも自分のやるべきことをやっただけよ。ただ……もっとうまいやり方があったんじゃないか、というのはいつでも思うの。成功したときでさえ。そしてうまくいかなかったときは、特に」

 

 深い息をついた楯無の前に、虚が淹れ直した新しい茶器が置かれる。濃い色の番茶だった。楯無は顔をしかめた。

 

「欲しくないわ」

「必要と感じましたので」

 

 楯無は、結局それに手を伸ばす。口に含むとタンニンの渋みが口内に広がった。虚の淹れた茶はいつも苦い。だが、香ばしい匂いと合わさって、頭にかかった霞が晴れるような心地にさせてくれた。

 

「虚ちゃんの言うことは、いつでも正しいね」

「左様なことは。ただ、お嬢様のことなら、ある程度はわかります」

「十分すごいわよ、私は自分のこともわからないわ。ありがとう」

 

 礼を言い湯飲みを置く。少し思考がクリアになった。今の確かに楯無に求められている感覚だ。必要なものと欲しいものは、しばしば食い違う。今回で言えば、学園を守り抜き、《レイディ》を墜とされなかった楯無は、必要なものは守りきったことになる。

 

 ただ、求めたものは――何一つ手に入らなかった。

 

「また負けてしまった。亡国機業に、スコール・ミューゼルに」

 

 楯無は率直に言い、まだ熱い器を握りしめた。結果について取り繕う気にもなれない。

 

「今回のことも、糸を引いたのは彼女と?」

 

 首を振って肯定する。この規模の行動があの少女たち単独でないことは考えずともわかる。

 

「しかし彼女は自分自身も、自分のISも投入しませんでした。我らは侮られたのでしょうか」

「こちらの戦力を見極めてられたのは事実でしょう。ただ、彼女が出張らなかった理由は判らないわ。今回の戦闘経過から言って、ISを使わずに勝てると確信できるほどではなかっただろうし」

 

 楯無は奥歯を噛む。こうして敗北して、改めて痛感する。スコール・ミューゼルは強大だ。単に戦技だけでない。彼女は楯無に見えないものも見ている。

 

「もうこれ以上負けられない。戦力不足、実力不足も、三度目はただの言い訳になる」

 

 楯無が言った。虚は淡々と「はい」とだけ答え、神妙に応じる。

 

「簪ちゃんの打鉄弐式完成も、箒ちゃんの戦力化も待ったなしね。二人とも最低限自力で身を守れるようにはなってもらわないといけないし――箒ちゃんには一夏くんの背を守れるくらいになってもらわなきゃ。ISの修復が済み次第、私は箒ちゃんに付く。《レイディ》の状況は?」

 

 問うた楯無に対し、虚が電子ペーパーを差し出す。《霧纏の淑女》のデータだ。もちろん、両肩のアクア・クリスタルは喪失したままである。

 

「《レイディ》の検査は今日の夕に終わりました。結果から見るとなんとかB整備ですみそうです。遅くとも一週間で修理を終えます」

「吹っ飛んだ特殊兵装の交換は後回しにして。今の箒ちゃんの実力なら、鍛えるのにアクア・クリスタルは要らない。それにあの娘の性格からも槍と剣だけの方がいいでしょ。それで何日?」

「それでしたら、三日いただければ」

 

 早い答えが返ってくる。楯無が言い出すことは予期されていたらしい。思わず苦笑して、楯無は続けた。

 

「よろしい。じゃ、下がって。作業は明日からでいいわ。今日は貴女も疲れたでしょう」

「はい。ですが、お嬢様のお世話は……」

 

 虚も楯無と同様、ろくに眠らず事態の収拾に努めている。彼女も休ませる必要があった。本人は楯無が寝たあとに休むつもりだったようだが。

 

「いいわ。今日はもう更識一門は閉店よ。お下がりなさい。命令です」

 

 気遣わしげな彼女に向けてきっぱりと言い切る。椅子に身体を沈め、目を瞑り、

 

「それにね。私も今日は少し、一人に、なりたいの」

 

 言ってから、大きく息をつく。虚はそれで了解してくれたようだ。彼女が扉を閉めて部屋から去る音がした。部屋に残ったのは楯無だけとなった。

 海からの風音が窓の外で響く。楯無の唇が、それに紛れるように小さな音を紡ぎ出した。

 

「――もしも、か」

 

 ウェルキンか口にした言葉を反芻する。考えているのは、昔のことだった。

 

 もしも、ウェルキンが組織(SIS)の一員でなかったら。もしも、楯無が更識家の名を追っていなかったら。もしも、英国がイグニッション・プランで勝てる算段が付いていたら。あるいは、楯無がウェルキンを打ち倒し、強引に身内に引き込んでいたら。

 

 もしも、という言葉は、取り替えようもない過去の中にかけがえのないものを失った人間が口にする言葉だ。楯無の脳裏ではそれがいくつも、共鳴するように果てしなく響き合って繰り返されていた。あり得たかも知れない未来。それはいつも、頭がどうにかなりそうなほどに美しく見える。まして、それが自分の手で砕かれたものなら。月に繰り返し手を伸ばすように、ただ詮ないだけの過去への思慕が、楯無の中で募る。

 

「サラ……」

 

 友人の名を口にした。先ほど抱擁したとき、彼女に言われた言葉があった。

 

「スコール・ミューゼル……」

 

 ――亡霊たちに注意を。

 

 ウェルキンは続けて言った。

 

 ――貴女の推測どおり、亡霊たちは我が国の意向で今回の行動を起こしています。ただ彼らに接触して感じた雰囲気では、彼らは我々に隷従しているような人間ではないと見えました。我々の意向を果たす、という以外にも目的がありそうと感じたのです。

 

 彼女が最後に残した助言だ。危険を冒してまで伝えようとした、彼女の最後の思い遣りを、楯無は噛みしめながら思考を巡らそうとする。

 英国に本当の狙いがあったように、スコール・ミューゼルやにも彼女独自の狙いがあったとしたら? 楯無はウェルキンの示唆を受け、初めてその可能性に思いを至らせていた。

 

「自分のISを投入しなかった、というところまではいい……。生身のドライバーを、ISに当たらせるようなリスクを負ったのには、何か他に目的があったのか。いや、スコールだけじゃない、織斑先生似のあの女の子にも、自分自身の狙いがあり、内心別々の目的を抱えているとしたら」

 

 現時点で結論の出る答えではない。だが楯無は考えずにおれず、しかも疲労のためか思考は千々に乱れつつあった。ウェルキン、スコール、あの少女、学園、妹、一夏たち、楯無自身。過去と現在と未来、味方と敵のことが様々に交錯し、疲労もあって楯無の脳裏は混沌としている。

 

「……わかってるわよ、前に進むしかないって」

 

 楯無は自分自身に聞かせるように、小さい声で言った。

 

 明日の朝日が昇るころ、楯無はまた十七代目更識楯無としての日を始めるだろう。そのためには、誰にも見られず、誰にもとがめられないひとときのこの時間が、楯無にとって、どうしても必要なものだった。

 




楯無、サラ・ウェルキン、ティナ・ハミルトンのエピローグがこれにておしまい。

前書きの繰り返しになりますが、亡国機業サイドは夜半に投稿いたします。
 →※1/27夜半追記 繰り返しですが、エピローグ後半は1/28夜中に投稿します。

それにしても遅筆過ぎました。エピローグの真ん中で投稿が空くのは流石に許されないと考えて溜めたのですが、あらすじを見てさえどういう話だったか思い出していただけるかどうか。

続きがあるかどうか観察して下さっていたかたがおられましたら申し訳ないです。あとちょっとだけ続くんじゃよ。

今回も原作の設定を使い切りながら捏造設定てんこもりにするという私なりの平壌運転ですが、捏造箇所については全体通してあとがきを書く時間があったらそのときにでまとめようかと思います。



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エピローグ2 もしも彼女にも……

こちらはエピローグ2です。この話の前にエピローグ1があります。


 マドカは夢を見ていた。深く長い夢だった。

 

 夢の中でマドカは、今と同じ十五歳だ。ただ、いる場所はいつも潜伏しているマンションでも、IS学園でもなかった。病院のような学校のような、コンクリート造りの暗い施設だ。そこは、かつてマドカがいた施設だった。

 

 そして、いつも見る夢と同じように、千冬が織斑一夏を伴って遠くに去って行くのが、施設の窓から見えた。

 

 姉さんは振り返らなかった。織斑一夏の手を引いて、迷わず去っていく。夢の中の曖昧なイメージのため、どこへ向かったものかはわからない。ただ、彼らの進んだ先は明るい光があるようにマドカには思われた。

 

 そして、もう一ついつもの夢と違うことに、マドカの傍らにも人がいた。プラチナブロンドの髪に美しい碧眼。容姿だけなら天使といっていいくらいの美女だ。彼女は人の悪い笑みを浮かべ、マドカに語りかけた。

 

「……お姉さん、追いかけないでよかったの?」

 

 スコール・ミューゼルだ。マドカは黙って首を縦に振った。このとき、夢だとはまだ自覚していなかったが、マドカはスコールに対して自然に話しかけていた。

 

「必要ない」

「へえ。貴女はお姉さんのことばっかりかと思ってたのに。心境の変化かしら?」

 

 声にはからかうような響きが多分に含まれている。しかし、マドカはいつものように苛立つことも噛みつくこともなかった。少し考えてから、彼女は頷いた。

 

「ああ、そうだよ。単純なものだ。姉さんも“やつ”も私の過去だ。だが、あの人たちにこだわることに意味があるとは、今ではもう思えない」

 

 マドカは窓枠に乗りかかり、遠くを見た。いつの間にか千冬と織斑一夏の姿は消えている。後には、目が眩みそうなほど深い暗闇があった。

 

「貴女の今までの人生に意味があったとは初耳ねえ。お姉さんの後をついて回るだけだったじゃない。それもやめて、一体何をしようというのかしら」

 

 スコールは言った。あからさまな挑発だ。問いかけの振りをして、実は相手から答えを引き出すためのやりとり――彼女がよくやる手だった。マドカは鼻を鳴らしてそれに答える。

 

「あれにも意味はあった。残された直後の私は無力なガキで、姉さんは生きていく上でただ一つの(よすが)だった」

 

 常になくマドカは饒舌だった。何故これほどよく口を利いたのかわからない。初めて話すことを得た子供のように、マドカはとめどなく喋り続けた。

 

「今は違う?」

 

 問いかけに、マドカは考えた。その答えはノーでもありイエスでもある。マドカは今でも無力だった。一人で何もできないほどではない。力は強くなったし、ISの操作にかけてはそれなりのものだが、やりたいこととできること、二者の間にある距離は以前より開いた気がする。

 

 より正確には、その二つの間には大きな距離が空いていることに気づいたというべきかもしれない。

 

「姉さんと私の関係は同じだ。姉さんは私を置いて去った。私は無力な子供として後に残された。ただ今の私が、それどう捉えるかは変わりうる」

 

「なるほどね。で、どうする。現在(いま)の貴女は、何がしたい?」

 

 スコールがおかしそうに口に手を当てながら言った。

 

「私のしたいことか……。そうだな、それは――」

 

 何か言おうと言葉を探しかけ、そこで足下が崩れるような感じを覚えた。周囲が一瞬で暗くなり、身体が闇の中に放られたような心地になる。

 

 次の瞬間、マドカは目覚めていた。深い眠りから覚醒したとき特有の水底から浮上したようなふわふわした気配がまだ身体に残っている。目を覚ましたのは、以前も不快な夢を見た同じベッドの上である。彼女はいつもの潜伏先の部屋に戻っていて、数日前と同じように寝ていたのだ。

 

「何だ、今のは」

 

 マドカは、夢の内容を細大漏らさず覚えていた。最悪の気分だ。スコールと二人して話し込んだうえ、自分の心情までぺらぺらと喋るなど、夢の中の自分が目の前にいたら、正気に戻れと張り倒してやりたい。今の彼女の偽らざる心境だった。

 

「朝……いや、夕方か」

 

 ずいぶん長く眠ったらしい。窓を見ると、カーテンから傾いた日差しが差し込んでいた。薬物の力で眠ったときのような感覚だ。

 

 マドカは離脱した後のことを何とか思い出そうとする。篠ノ之を抱え《福音》を纏うマドカは、上空からIS学園付近の沖合に停泊する船に着船した。ボーデヴィッヒらは水中から先に乗船しており、その後、全員の無事を持って引き上げた。たどり着いたのは早朝になってからで、全員ものも言わず眠りについた。ただ、最後の方は疲労であまり記憶がない。

 

 今が何時にせよ、それからかなり時間が経っているのは間違いなかった。モバイルで時刻を確認しようと、マドカは床に転がしたままの荷物に身体を伸ばそうとする。

 

 そして、そのままバランスを崩し、ベッドから一回転して床に盛大に倒れ込んだ。

 

「――?」

 

 自分の身体が背中からフローリングに落ちる音が響き渡り、マドカは呆然とする。寝返りをして腕をついて起き上がろうとし、今度は勢い余ってぺたんと背中をベッドの横に預けてしまった。うまく身体を支えられない。自分の手足を見て、マドカは目を(しばたた)かせる。

 

 部屋の外から、床を蹴るせわしない、だが軽い音が響いた。違和感を覚えさせる手足――動作としては軽々動くものの、自分で思っているより()()感じる――を見つめながら、マドカはその音を聞いていた。

 

「マドカちゃん! 目、覚めた!?」

 

 予想通り、やってきたのは篠ノ之だった。もう衣服は上下とも男性のものになっており、篠ノ之箒と見紛うことはなくなっている。

 

「よかったー。なかなか目を覚まさないから、心配してたんだよ。大丈夫だったんだね」

「無事、ではない。身体に違和感がある。これは……?」

 

 マドカは首を捻りながら篠ノ之に訊ねる。篠ノ之はマドカに現れている症状を訊ねて、腑に落ちたように頷いた。

 

「遺伝子的にほぼ同一の“姉妹”とはいえ、成長度合いが全く別の個体のフィッティングデータを使ったせいかな。後遺症だろうね。頭の中に彼女の身体を動かすような感覚が残っているのかもしれない。似たような実験ならしたことがあったけど、遺伝子的にほぼ同一個体だと、そういうことが起こるのかな。確かに不思議ではないけど」

「知らん。感覚としては剥離剤使用後に似ているが、吐き気や気分の悪さはない」

「面白い。ちょっとみせてくれる?」

 

 マドカの手足を取り、問診するように身体感覚を問う。目が知的好奇心で輝いており、性的なニュアンスは全くない――人間を有機物で構成される機械と見ている者の目線だ。ただ手つきは壊れ物にさわるように優しい。少なくとも、マドカに不安を覚えさせるようなことはなかった。

 

「うーん、お姉さんのデータからネガティヴ・フィードバックがあったのかな……。《福音》がフィッティングデータが正しいものとして、そこに対してマドカちゃんの身体感覚を合わせにいっちゃったのかも。数日違和感は残るかもしれないね」

「遺伝子的には同一のデータを使ったのにか」

「同一だからだよ。全てが同じなのに、成長度だけが違う、って珍しい個体の接触は、全世界にもマドカちゃんが初めてでしょ。合いすぎるせいで逆に違和感が残るって感じか。普通なら、そもそもそこまでフィットしないもんね」

 

 篠ノ之は言いきって腕を叩いた。要は、ISの調整機能がおかしな形で働いた、ということらしい。確かに痛覚も鈍っている気がする。

 

「まあ、じきに正常な身体感覚が上書きするだろうから、しばらく休めば心配は要らないと思う。合わないブラを着けてると、身体が下着に合わせてしまう、みたいな感じだよ」

「……なるほど」

 

 ある意味でわかりやすい説明だ。なぜ女性下着に喩えるのかという点は気にしないようにしつつ、マドカはうなずいた。篠ノ之は彼女を支えてベッドに腰掛けさせると「待ってて」と言い残してキッチンに走る。

 

「はい、お腹すいたでしょ?」

 

 トレイにおにぎりとマグカップに入れた味噌汁を持ってきた。彼が作ったらしく、大きく不格好な米の塊が差し出されている。半日近く寝ていたせいか、確かに空腹がひどい。

 

「確かに軽く腹に入れておきたいが……」

 

 案の定、この身体ではうまく食べることこともできなかった。口に運ぼうとして手を伸ばすが、取り落としてしまう。皿の上に転がる再び手を伸ばすと、今度はうまく握れずに潰してしまった。

 もどかしい、そう思った直後、イヤな予感がしてマドカが顔を上げると、先程とは別の意味で目を輝かせた篠ノ之と視線が合った。

 

「食べさせてあげる!」

 

 なぜそんなに嬉しそうなのか、何が楽しいのか、と聞きたくなるほどいい笑顔だった。あーん、と間抜けな声を上げ、顔中を笑みにして握り飯を差し出してくる。マドカはたいへん激しく抵抗したが、それで手足の感覚が戻るわけでもない。篠ノ之には、「感覚が戻るのは短くて一両日、長くて三日ぐらい。その間ずーっとお腹空かせるの?」と締まりのない顔で言われる。

 

 その上に追い打ちをかけるように、マドカの腹が空腹を訴える音が響いた。意外なぐらい大きな音が高い天井に響いて、マドカは頬に熱いものが走るのを感じる。

 

「……好きにしろ」

「はーい」

 

 ぶすっとした表情を隠さず、マドカは口を開いて篠ノ之の行為を受け入れる。篠ノ之は実に嬉しそうだった。餌付けされる鳥の気分をたっぷり味わって、何も喰っていなかった胃にものを入れる。塩が身体にしみていくようで、飢えた身体に心地よい。味を聞いてくる彼に、悪くない、とだけマドカは答えた。

 

 食事が落ち着いたところで、あることに気づき、マドカは喉のものを飲み込んでから口を開いた。

 

「他の連中はどうした?」

 

 建物の中はずいぶん静かで、マドカと篠ノ之以外に気配がなかったのだ。

 

「鈴くんはクライアントからの連絡を確認しに、セシルは英外務省からのメッセンジャー役に随伴だって言ってたかな。シャルは腹を貫かれたから入院してていないけどね。ラファエルはスコールさんとこで報告をしてるところじゃないの」

「お前と私だけ残されたのか?」

「そ。一番負担の大きかったマドカちゃんはお休みで、その原因で責任者の僕は残れって言われちゃった」

 

 マドカはため息をついた。疲れているのは皆同じだろうに、一番体力のない二人に気遣いをしたのだろう。ただ正直にいえば、この身体の状態にはありがたい扱いではある。

 

「あ、そー言えば。スコールさんからメッセージがあったんだっけ」

 

 最後にスコールのことが出て、マドカは顔を上げた。口の中のものを飲み込み、おぼつかない両手でマグを支え、続きを待つ。

 

「朝起きたら、一言だけ伝えてきてたよ。マドカちゃんには必ず伝えるようにって言われてる」

 

 篠ノ之は口元に指を当て、思案のあとで答えた。彼が聞いた、というスコールのメッセージはこんなものだった。

 

 ――素晴らしかったわ。一部については私の予想を超えているぐらい。

 

 マドカは首を傾げる。スコールが、それを口にしたなら、おかしなところがいくつかあった。

 

「……作戦結果、経過の報告には触れずにか?」

「うん。正式な報告は今してるところだからね。聞き間違いはないよ。僕らがあの人の言うこと、違えるはずがないもん」

 

 言葉だけを取れば手放しの絶賛だ。ただ違和感がマドカの脳裏に走る。なぜ彼女は、結果の確認もせずにマドカたちが賞賛に能うと判断したのか。

 

「みんな変だなって思ったみたいなんだけどね。仕事をさせて、結果もよく見ずに褒めるなんてあの人らしくないなって」

 

 篠ノ之の言うことはマドカにも同意できた。今回の仕事は、楯無のことがなくとも薄氷だったのだ。リスクをかけた仕事であった以上、スコールもそれなりのリターンを望んでいたはずだ。

 

 ――あの女の狙いは……。

 

 さっきまで見ていた夢の内容がマドカの脳裏に閃くようだった。

 

 夢の中にはスコールが出てきていたが、もちろん夢の中で起きたことまで彼女に帰するのは筋違いだろう。――まあ、ひょっとすると本当は夢に干渉するぐらい、あの女なら記憶操作の類としてできてしまうのかもしれないが、やるにしてもそれなりに準備がいるはずだ。少なくとも今のこの部屋では不可能だろう。

 

 要するに、マドカ自身が変わったということだ。どこが、と言われてもすぐには答えがたい――たとえば、マドカの考え方、あるいは思いの変化、視点の変化。今のマドカは、少しだがスコールの視座に近づいたらしい。彼女の考えも、一部なら理解できる気がした。

 マドカは少しマグの中身を喉に通し、篠ノ之に言った。

 

「ありがとう」

 

 何気なく声をかける。本当に特に意識もせずに発した言葉だったが、効果は劇的だった。

 

「はい?」

 

 篠ノ之は坂のように口を開けて唖然とし、マグが置かれたトレイをそのまま取り落とした。彼の膝の上に、まだ熱いミソのスープがかかり、悲鳴を上げる。

 

「熱っ! わわ!」

「何をやっている……これで拭け」

 

 枕元にあったフェイスタオルを出した。マドカがあっさり礼を口にしたのがよほど驚きだったらしい。相当に失礼な反応をされている気がして、さすがにまどかも憮然とする。

 

「ごめん、びっくりしちゃってさ。急にやさしいこと言うから。あー……あのね、ただ、それだけでもないんだよ」

 

 衣服と床の汚れを取って、篠ノ之は頭をかいた。

 

「僕はまたマドカちゃんに助けられたから。先にお礼を言わないといけないのは、本当なら僕の方じゃない。それで意表を突かれちゃった、って感じかな」

「好きでやったことだ。それに、また、というのはおかしい。お前を私から助けたのは初めてだろう」

 

 正面から感謝をぶつけられるのは、マドカにとっては初めてだ。思った以上に面映ゆく、マドカはごまかそうと顔を顰めた。

 

「マドカちゃんはそう思ってるだろうけどね、僕らからすれば、初めてじゃないんだ」

 

 篠ノ之は目を伏せ。いったん言葉を切る。盆に食器を置き直して、また続けた。

 

「僕らはまともな過去なんてないから、自分がどうして生まれてきたのか、一人じゃ何のために今生きてるのかもはっきりしない。現在がないから、その上に未来を思い描くこともないのさ」

 

 篠ノ之が顔を上げる。マドカと交錯した彼の視線は、いつか見た真摯な色のそれだった。

 

「程度も気持ちも差があるけど、きっとみんなそうなんだよ。マドカちゃんが将来何をするのか、どう生きるのか。みんなそれが知りたいから生きてみようかなって思ってるんだよ」

 

 大層な扱いをされたものだった。彼らに取っての生きる目的がマドカだというのだ。ちょうど、マドカがかつて千冬を頼みにしていたのと似ている。違うところがあるとすれば、マドカは千冬を通して自分の過去を見、彼らはマドカを通して未来を見ていることだろうか。

 

「好きにすればいい。私もどうせ、お前たちを頼ることになる」

「いつでもどうぞ、だよ。お任せあれー」

 

 マドカはそれも、悪いとは思わない。誰だって未来に生きる必要があるのだ。彼らの未来とマドカのそれは、今のところ繋がっていた。

 

 未来、将来。今まであまりマドカの脳裏に浮かんだ試しのない単語だ。これからは、それについて考えることも多くなるのだろうか。まだ、マドカには判らない。ただその言葉を考えたとき、浮かんできた顔があった。マドカが乗り越えなければならない、最も手近な存在の姿だ。

 

「いつでも、か。なら、早速頼らせてもらう」

「――へ?」

 

 マドカは寝間着代わりの衣服を脱ぎ捨て、部屋の隅に放る。慌てたように篠ノ之は手で自分の視界を遮った。

 

「普段は頼みもしないのに触ろうとするくせに。何をしている――というか、隠すならちゃんと隠せ」

「いや、あの。そんな急にされたらさ、心の準備が……」

「何をずれたことを言ってる」

 

 覆った手指から垣間見(かいまみ)している彼に、脱いだ衣服を投げつけた。顔の辺りに当たって、息が止まる変な音が響いた。

 

「ランドリーに放り込んでくれ。着替えたら外に出るぞ。ボーデヴィッヒはスコールに報告しているんだったな?」

「え、そーだけど、何で? てゆーか僕も? どこ行くのさ?」

 

 もはや目の前を隠すふりもせず、抗議じみた声で篠ノ之が叫ぶ。彼に向けてマドカは頬を歪め、不敵に笑った。

 

「今回の“元凶”のところだ」

 

    ◇    ◇    ◇

 

 同日、マドカが目覚める一時間ほど前――時刻としてはちょうど学園でサラ・ウェルキンと更識楯無が話を終えた頃であり、場所は市内にある《テレジア・グループ》ホテルの上階。

 

「……〇一一七に、《銀の福音》を装着したマドカと輸送された篠ノ之はIS学園上空を離脱します。〇一二九、遮蔽(ステルス)状態のまま、沖合に停泊していたコンテナ船《ピエ・トランスパシフィーク》号に着船。〇二三〇に、上陸艇に乗り換えて近くの港湾から上陸し、一人重傷だったデュノアを病院に搬送。〇三〇〇、全員が拠点に帰還します」

 

 明るく天井の高いスイートの空間である。柔らかな照明が光り、時間までゆっくり流れそうな室内を、およそ似つかわしくない乾いた報告が響いていた。

 

「以上、作戦開始から約七時間で終了です。マドカの離脱、並びに戦闘でかかった合計三時間が、そのまま予定からの超過時間となりました」

 

 声の主は銀髪の少年、ボーデヴィッヒだ。ホテルの施設内に入るため、グレースーツを纏っていた。着慣れてはいるようだが、よく見れば年齢の印象に比べて不釣り合いな印象を受ける。

 

「予定外事態として戦闘の発生、織斑千冬との遭遇が発生していますが、《ゼフィルス》並びに《ティアーズ》の戦闘データ、そしてクライアントのISに対する剥離剤等の使用は完遂しました」

 

 彼の手には電子ペーパーがあり、昨晩学園潜入直後に広げていた物と似たような地図が写されている。内容は昨日の任務経過報告だった。

 

「当初の目的は果たせたわけね」

 

 そして彼の報告を聞いているのは、ただ一人――バスローブ姿でくつろぐスコール・ミューゼルだ。彼女の方はボーデヴィッヒの姿とは対照的だった。衣服の乱れからから脚と胸元を覗かせ、窓際の最も眺めの良い席に腰掛けている。手元には資料を映す端末の他にワイングラスがあり、時折酒の色を愉しむように杯を揺らしていた。

 

「オーケイ。では作戦の結果が一日明けてどうなったか聞かせて」

 

 スコールは端末から顔を上げて言う。ボーデヴィッヒはうなずき、電子ペーパーから目を外した。

 

「学園内については調査中です。ただ今のところ隠蔽に走っているようで、織斑千冬を含め、目立った動きはありません。更識楯無の機体は中破として修理が開始されているのは確実ですが、損壊の詳細は同様に不明です。

 一方、クライアントについては、今日の朝の時点で、英国大使館も作戦の完了を確認したようです。今日の一六〇〇、凰が連中に指定されたコインロッカーから、“代金”となるの物品リストと、それを搬送してくるコンテナ船のスケジュールを回収しました。内容は《ゼフィルス》の交換・換装部品、一個分隊分の歩兵用対IS兵装備、通常火器です」

「英国内の動きは?」

「《メイルシュトローム》級《フィアレス》については、英国内に戻して、研究に回されます。既にIS本体に対しては移送命令が下されました。移送警護には我が組織の手が入ったPMC、並びに英国からIS一個エレメントを含むSASの分遣隊が展開される予定です」

「早いわね。作戦の成否に(かか)わらず、そうするつもりだったのかしら」

「おそらくは。BAS社の内部資料では、先月末の時点で、《ブルー・ティアーズ》関連プロジェクトへの増員が完了しています」

「なるほどね」

 

 ボーデヴィッヒの補足に、スコールは満足げに破顔してそれに応じた。

 

「よろしい。英国の動きはまあ、いいとして。今回の仕事は成功と認めます」

「はっ」

 

 ボーデヴィッヒは踵を合わせて、硬い声で答えた。彼の主人は享楽的な態度を取っているが、もちろんそれは彼が同様に振る舞ってもよいということではないのだ。

 

「まあ、せっかく手にした二次移行発現のキーまで気前よく上げちゃったのは、私としてはちょっともったいなかった気もするけれど」

「更識楯無を退けるには他に方法がありませんでした。事前に承認はいただいているはずですが」

「判ってるわよ、もちろん。どうせ後しばらくしたら流しちゃわないといけない技術だし、それに私個人の()()だから気にするまでもない。貴方はよくやってくれたわ」

 

 律儀な確認に苦笑しながらスコールは肩をすくめ、杯をあおる。ボーデヴィッヒの眼は彼女の喉を見ている。スコールだけが楽しそうにする一方で、彼の紅い瞳にはほんのわずかだが感情らしいもの――よく見なければ気づかないような色があった。

 

「賞賛ならば全員に、特にマドカに帰するべきです。《福音》を使う手はマドカが言わなければ考えませんでしたし、さらに篠ノ之の撤収については我々の誰も、彼女に言われるまで手があることにさえ気づきませんでした」

「持ち上げたものねえ。あの娘がそんなに良いかしら」

 

 揶揄とからかいを込めて、スコールが少年に語りかける。しかし少年は頑なな態度を崩さない。

 

「申し上げているのは()()ではなく、事実です。あれはよくやっている」

 

 報告と同じトーンの声で、仲間、特にマドカへの賞賛を漏らす。スコールと同じ言葉をわざわざ選んでいるのは、口調からして明らかだ。スコールも意味を察したようで、眉根を上げ、眼は彼の顔に浮かんだわずかな色を捉える。

 

「感想ではなく事実、ねえ。貴男がそうやって私に突っかかるような物言いをするのは、久しぶりね。拾ったとき以来――ちょうど十年ぶりぐらいかしら」

 

 スコールが言った。青い瞳が閃き、声は少し低くなる。ボーデヴィッヒはぐっと喉を鳴らし、顎を引く。目の前の女に気圧されつつ、何とか彼女を見返していた。

 

「じゃあ次も本当のことを言ってもらいましょう。貴男……いえ、もしかしたら貴男も含め、セシルもシャルルも鈴も彗も思っているのでしょうけれど。何か私に言いたいことがあるんじゃないの? 貴男さっきから、とっても怖い目つきをしている。その紅い瞳が金色になりそうなくらいね」

 

 スコールは言いながら、長い指で彼の眼を示してみせた。バスローブを纏っている彼女は化粧を落としており、ネイルアートのある手足の爪だけが血のように赤い。

 

「お聞きしたいことは、確かにあります」

「なら聞けばいい。口から声を出す自由くらい貴男にもある」

 

 あくまで行動をうながす口調だ。もしその内容が愚かな物なら、スコールは彼をどう扱うか。彼女の与える自由とはそういうものだった。ボーデヴィッヒは与えられた“自由な”機会を噛みしめるように時間をかけて、しばらくして口を開いた。

 

「今回受けた仕事について――ミューゼル様の目的はなんだったのでしょうか」

「あら、そんなこと? 仕事前に説明したはずね。クライアントにISの技術を渡し、我々は物資を得る。まあ、罰、ということであの娘にきつい仕事をさせてやろうというつもりもあったけれど」

 

 スコールは挑みかかるように笑い、ボーデヴィッヒを眼だけで射すくめる。

 

「《ゼフィルス》のパーツ、物資の入手は貴重です。しかしただの補給のためというには、今回の件はあまりにリスキーでした。更識楯無の警戒が高まったところに、満足にISも使えない状況でマドカを送るなど。今回の件ではあれが死ぬ可能性すらありました」

「罰として与えた任務といったでしょう。もう忘れたの?」

「懲罰と死が同義という扱いは、安い値段の生命に限って許されることです。小銃を持たせただけの素人を前線送りにするのとは違う。貴女はマドカをあそこまで育て上げるのに、相当な投資をしているはずだ。雑な作戦に、他に手に入れる方法がある物資を代価にマドカを投入する方が、理に合いません」

 

 彼の抗弁は続き、その仮定で徐々に声が高くなりつつあった。問答の中で熱が入りつつある――というか、スコールがそれを引き出すやりとりをしている。誰かが端で見ていたならばわかっただろう。

 

「理屈は通っているわね。さて、ボーデヴィッヒ。私に演説を聞かせたいわけではないでしょう。結論から言いなさい」

 

 口元を意地悪く歪めてスコールが言う。ボーデヴィッヒは唇を噛んで続けた。

 

「貴女は、最初から“仕事の対価とは別のことを目的にしていたように見える”、ということです」

 

 言い切り、彼女を見据えた。

 

「加えて今朝のことです。貴女は、作戦の結果も検討せず我々を賞賛した。貴女の狙いは、少なくとも任務を終えたあと、結果の確認を必要とするものではなかった。

 いっそ、仕事を終えたあの時点で、任務が失敗していようがいまいが、貴女にとってはもう何かが完了していた。そう考えたのです」

 

 ようやくボーデヴィッヒは言葉を切った。彼の呼吸は軽く乱れていて、静かな部屋に音が響いている。他には空調がワインを揺らす音しかしないほどの静寂だった。

 そこに、場違いなほど軽い拍手の音が鳴った。スコールが、両のてのひらを打ち合わせていた。

 

「なかなか素敵よ、ラファエル。色々ヒントはあったわけだけど、よく勘づいたわね」

 

 ボーデヴィッヒは答えずに彼女を見ていた。目つきは、もうはっきり睨んでいると評して差し支えない。スコールは彼の視線を浴びながら気にするそぶりもなく、

 

「ただ、それじゃ五〇点というところかしら。追及しても、私が何をしたいのか言えないのでは台無し」

 

 スコールは立ち上がると彼の側に立つ。スコールは長身だが、さすがに百八十センチを超えるボーデヴィッヒよりは低く、彼の方からは見下ろす形になる。少年が何をするのかと眉を寄せたところで首の後ろに手をやり、腕を回して巻き込むようにボーデヴィッヒの顔を引きつけた。接吻できるほど近い距離に顔を置き、ボーデヴィッヒの白い耳に口を近付ける。

 

「私の意向を探りたいならもっと想像力を働かせること。加えて、相手を問いつめるなら、もっとしっかり準備をすること。少なくとも論理的に物理的に、その者を殺せるくらいにはね」

 

 彼女は二本の指を伸ばし、ボーデヴィッヒの首をかき切る仕草をする。少年は一瞬身構えた。彼の眼前数センチの距離では、スコールの金色のイヤリングが揺れている。スコールは今このときもISを持っていた。その気になれば男を紙を千切るように殺すことぐらい容易いのだ。

 

「……何のお話を、しておられるのですか」

「貴男に思い出して欲しくてね。私は貴方たちの敵ではないけれど、味方でもないわ。まして肉親ではない。子供がするように教えろ、とねだったことを教えてあげる筋合いはないのよ」

「理解はしています。しかし」

 

 彼はなおも言いつのろうとし、言葉を詰まらせる。彼の頬にスコールが口づけていた。言葉とは裏腹にその仕草は優しげでさえあった

 

「それと半分は忠告。貴男は知らないかもしれないけれど、子供がそうやって危ないことを――今回なら、味方でもない人に甘えるようなことをしたら、大人は忠告するものなの。死にたいの? ってね」

 

 言いながら、スコールは片手で軽くボーデヴィッヒの肩口をつついた。それだけで彼の長身が軽く傾いだ。ボーデヴィッヒは片足をずらしてなんとかバランスを保つ。

 

「貴男を始めとした男の子たちは、これから常に自分より圧倒的に――何倍も何百倍も強いものと戦うことになる。何をするときも、相手を殺すつもりでいなさい。貴男たち、今の時代の男としてはタフだけど、まだ私の考えでは十分じゃない。ISを持つ女はしようと思えばいつでも貴男を殺せるし、貴男たちには同じことはできない。

 敵対するときだけでなく、今みたいに笑ってる女を前にしても、相手に殺されるかもしれないと思いながら行動するの。次の瞬間、彼女が貴男を殺すかもしれないからね」

 

 スコールは一息でそう言うと、最後に冗談めかした目つきと声になって、付け加えた。

 

「それを心に留め置きなさい。言葉を交わすときも、抱擁するときもキスするときも、それから愛するときも、ね」

 

 最後のほうは冗談めかした口調になる。その頃には、先程まで漂っていた冷たい気配は去っており、スコール自身は窓際の席に戻った。ボーデヴィッヒは唇で触れられた頬を押さえ、呆けたようにスコールを見つめている。

 

「ただ、そうねえ――もし、どうしても、どうしても私が何を考えていたか知りたいと言うのなら、今夜一晩くらい付き合ってもらえば、考えてもいいかしら」

 

 スコールは余っていた杯にワインを注ぎ、彼を見つめながら手渡そうとする。ボーデヴィッヒは逡巡していた。戯れ、からかいの類だと彼もわかっているらしい。ただ拒否したものか、判断を迷っているようだった。

 

「私はまだ、この国では十七ということになっているはずですが」

「ああ、そんなこと? それなら貴男は今日から二十歳ということになったから。ちなみに鈴とセシルは十九、シャルルは十八、彗は十六。彗以外は申請すれば国際免許も通るわよ。これが身分証だから、取っておきなさい」

「……。了解しました」

 

 スコールは懐からカードと身分証を出し、彼に放る。外国人登録と身分証だ。投げてよこされそれを素直に受け取っている。自分の年齢が免許証より簡単に更新されたことについては、特に言うこともないらしく、カードを懐にしまった彼はためらいがちに手を杯に伸ばす。

 

 ちょうどその時、廊下の方角から騒がしい音が鳴った。すぐに部屋の呼び鈴を鳴らす音がして、来客が有ることを知らせる。ボーデヴィッヒの顔つきは色を塗り替えるように兵隊のそれとなり、懐に手を入れて拳銃の安全装置を外した。

 

「あら……来たのね。ラファエル、扉を開けてくれる?」

 

 スコールは少し驚いたような顔で彼から離れ、悠々椅子に腰を落とす。彼女の方はこれから何が起こるか把握しているようだ。その口が笑いを含んだのと、ボーデヴィッヒがカウントしてから扉を勢いよく開けたのとは、ほぼ同じ瞬間だった。ボーデヴィッヒが銃口を、スコールがこんな言葉を、扉の向こうに同時に向ける。

 

「いらっしゃい、()()()

 

 ボーデヴィッヒの眼が驚きで見開かれた。彼はすぐにトリガーからも指を外し、銃口を床に向けていた。

 

「そう驚くことでもないでしょう。私がここにいるのは知らせてあったんだから。ご苦労だったわね。貴方たちにはオレンジ・ジュースでも出した方がいいかしら?」

 

 スコールが柔らかい笑みを向ける。その先にはマドカがおり篠ノ之の肩を借りながら険のある目つきでスコールを睨んでいるのだった。

 

    ◇    ◇    ◇

 

「どうしたの。入ってらっしゃいな」

 

 スコールが呼びかける。マドカは彼女に視線を固めたまま、にじるように少しずつ近くに寄った。

 

「ああ、そういえば貴女には直接言っていなかったわね。お疲れさま。なんだか辛そうだけど、身体は大丈夫?」

「……必要ない」

 

 マドカは言い切った。正直にいえば、少し辛い。身体的な不調はないが、手足の自由が効きにくいまま長い距離を来るのは結構な労働だった。しかし、今後に及んでスコールの施しを受けるようなことほどバカらしい話はない。

 

「飲料も労いも不要だ。お前から貰うものは、今回の事件だけで十分だ」

 

 篠ノ之の肩を借りながら部屋に入り、手近なソファで身を支えつつスコールを睨む。ISなら一ステップで詰まる距離を挟んで、マドカはスコールと視線を重ねていた。

 

「貴様、どうやってここまで……篠ノ之か。何故連れてきた!」

 

 ボーデヴィッヒはその間に立ち、視線を迷わせていた。

 

「頼まれちゃったからさー。あ、スコールさん、僕はグレープジュースでお願いしま――あたたたっ」

 

 薄い怒りを滲ませるボーデヴィッヒに、篠ノ之は脳天気に答えようとする。最後の悲鳴は、余計なことを言おうとしてマドカが尻をひねったものだ。

 やりとりを見ながら、スコールが肩をすくめる。

 

「私だけでことを起こしたわけじゃないんだけれどねえ……。依頼あっての仕事だったんだから」

 

 苦笑いを口元に浮かべている。様子からすると、マドカが来るのは予見のうちということらしい。事実、篠ノ之に肩を借りつつここまで来たが、いざホテルまで来るとあっさりと部屋まで通されていた。どこまでも人を食った女だと、感心するほどに思う。

 

「持ち込まれ方はどうあれ、お前は喜んで受けた。今回の仕事は端から勝算の見えにくいものだった。大きすぎるリスクが見えているのならば、仕事を避けることは不可能ではなかった」

 

 余裕ありげな態度は勘にさわった。マドカは努めて自身を冷静に保とうとしながらスコールを睨み続ける。

 

 先の仕事が依頼あってのもの、というのは事実だ。ただ、受けるスコールにもそこまで切迫した事情がない以上、強いてそれを撥ねのけられぬ理由もなかった。付け加えるなら、失敗してマドカたちが敵の手に落ちれば、困るのはクライアントも同じである。

 

「そのうえ、もし避けがたい難しい仕事だというなら、体制を見直せばいい。実行可能なように増員をかけるなり延期するなり。実際にはどちらも試みる影すらなかった」

「なるほどね。で、貴女の中では、そうまでして私は一体何をしたかったことになっているのかしら?」

 

 スコールはマドカだけを見ながら、機嫌良さそうに杯を傾けている。マドカは息をついた。実際にはスコールは見直しをするどころか、彼らだけで強行させた。中止を進言するラファエルを退けて。

 

 まるで、“マドカたちだけ”で行うことになにか理由でもあるかのように。

 

「お前のやりたかったことは、私を――私たちを死地に放り込むこと、それだけだ。今回の仕事を私たちに、私たちだけでやらせること、それ自体が目的だった。そうだろう」

 

 一歩踏み出そうとして、膝が崩れる。舌打ちをしながらソファの背にすがろうとして、誰かに支えられた。長身の影が近くから、筋肉質の腕を彼女の脇に引っかけていた。ボーデヴィッヒがいつの間にかマドカのそばまで来て支えていたのだ。

 

「貴様の言うことは、ある程度理が通っている。だが、なぜ……?」

 

 まだ納得しかねているらしい。理解は早いが頭は固い男だな、と少し思った。「

 

「この女に何か意図があって仕事を受けたことまでは感づいているだろう?」

 

 マドカは彼の肩に手をかけ、顎でスコールを示しながら言った。

 

「その考えは正しい。そもそも懲罰任務などと言いながら、今回の仕事で費やしたリスクも資材は、別に私の命だけではない。お前たちの命も賭けていたんだ」

 

 武装、剥離剤を始めとするIS技術、スコールが十年かけて集め、育てたボーデヴィッヒや篠ノ之たち。スコールは金や技術に加え、今までかけた長い時間さえ投入したに等しい。

 スコールのやったこと、事実だけを並べると、ことはシンプルになる。

 

 資材を集め、人を育て、そして今回の事件を使ってそれらに失敗するかどうかぎりぎりの負荷をかけ、くぐり抜けるかどうかを確認した。それだけの行為を一般では何というか。

 

「……テストだったんだよ」

 

 少し唐突にマドカは言った。マドカの頭より一つ上にある顔と、少し下にいる篠ノ之が彼女を見ていた。

 

「私とお前たちが窮地にあって、どう行動するか。手持ちの材料から解決策を見つけられるか。誰かを犠牲にして生き延びるか、それとも全員で帰って来られるか。この女はそれが見たかったんだ」

 

 仕事の結果を見る前に全てが終わったような態度を取ったのは、その時点で目的が終わっていたからだ。それがテストだというなら、無事帰ってきた時点で彼女の目的は終わっている、というわけだ。

 詳しいことは後で説明してやる――まだ当惑しているボーデヴィッヒに口を開きかけて、スコールの言葉に遮られた。

 

「素晴らしい」

 

 あたりに笑い声か響いていた。誰のものかは言うまでもない。この場で笑う自由があるのは、スコール・ミューゼル一人だ。彼女は杯を干すと、珍しいことに声を上げ、可笑しそうにしていた。

 

「嬉しいわ、わかってもらえて。気持ちが伝わるって素敵なことね」

 

 思ってもいないことを、とマドカは鼻白む。彼女の反応を見てスコールは、

 

「あら、私、貴女にはわかって貰いたいと思ってる、本当よ? 私だって誰かに判ってほしいと思うもの。ね、ラファエル」

 

 彼女は意味ありげにボーデヴィッヒに目を向けた。彼女の前には杯が二つある。一つはスコールが口にしているもので、もう一つは誰も手をつけていない。

 

「ねーねー、ラファ。ほっぺに痕がついてるよ」

 

 出し抜けに篠ノ之が自分の頬を指して言う。ボーデヴィッヒは思わずといった風に、顔に左手を当てた。マドカが見る限り、そこには何もついていない。

 

「うっそだよん。あは、引っかかった」

「貴様は……!」

 

 からかわれて怒りかけ、彼は何故かマドカの方を所在なげに見る。スコールは彼の背後で、したり顔でやりとりを見ており、片目を瞑った。

 

「私だって人恋しいことぐらいあるし、ね」

 

 意味はマドカにもなんとなく判る。そして気に入らない。マドカはボーデヴィッヒの顔にやや冷たい一瞥をくれ、

 

「――なら、今夜はオータムでも呼ぶことだな」

 

 彼女に言い放ち、自分の隣の長身をネクタイを掴んで引き寄せた。首根っこを押さえられて、ボーデヴィッヒががくんと姿勢を崩しかける。少年は目つきで抗議を向けてくるが、マドカは視界の端に入れながらそれを無視した。

 

「あら、何?」

 

 マドカが乱暴に出たのは予想外だったらしい。スコールはこの日初めておどろいたような顔を見せた。マドカは逆に薄い笑いを見せ、

 

「私が何をしに来たと思っている。お前相手に口上を吐くためだけに来たかと思ったのか?」

 

 手にした布を引いて見せる。

 

()()を回収しに来たのだ。運良く全員が生き残れたから、今晩は祝いでもしようと思ってな……連れて帰らせてもらうぞ」

 

 もちろん、半分ははったりだ。今思いついた口上ばかりである。祝いなどするつもりも準備もしていないはずだ。ただ、スコールに何もかも思うとおりに進めさせる理由は、ないと感じた。それだけだった

 

「おい、ネクタイを持つな――ミューゼル様」

 

 彼は自分の主に助けを求めるような視線をやっている。はじめ呆気に取られていたスコールは、次いで肩をすくめて苦笑していた。

 

「なるほど、それでここまで来たのね。オーケイ。ボーデヴィッヒ、行ってきなさいよ。私は構わないわ」

「は、はあ。了解しました」

「貴男が聞きたかったことなら、たぶんその娘が教えてくれるでしょう。それとも、私のところにいたいというなら止めはしないけど――」

 

 含み笑いで付け加えた言葉に、少年は迷いながら、だがゆっくりと首を横に振る。スコールは手で追い払うようにして、自身は杯に残ったワインをあおる。マドカは彼女に背を向け、篠ノ之たちを伴って彼女に背を向ける。

 

「ああ、それとマドカ。もう一つ忘れていたわ」

 

 部屋を出ようとするマドカの肩ごしに、スコールが声をかけてくる。何か、と胡乱げな目つきでマドカは振り返った。

 

「誕生日、おめでとう」

 

 彼女に向けてスコールが言う。何を言われたのか一瞬判らなかった。内容もそうだが、スコールの声にわずかに、優しげな雰囲気がよぎったのだ。間違いかと思うほど気づきにくい僅かさではあったが。

 

 マドカは彼女の表情を見た。眼前にいるのはいつも通り、マドカにとって敵でも味方でもある女であり、彼女は食えない笑みでこう続けた。

 

「ちょうど一週間前が九月二十七日だもの。“貴女も”十六歳になった。――そうでしょう?」

 

     ◇    ◇    ◇

 

 マドカ達が去ってしばらく経った後。スコール・ミューゼルは同じ部屋、同じ窓辺で一人で杯を傾けていた。

 スコールは上機嫌で、今にも歌い出しそうにしながら外の風景を眺めていた。この部屋にマドカ達がいた頃は見向きもしなかった、夜景だ。彼女の視線の先には二十七階に及ぶ建屋の地上付近があり、つい十分ほど前にボーデヴィッヒが呼んだらしいタクシーが走り去ったところだった。

 

 自ら取ってきたのか卓上のワインクーラーに置かれた(びん)の数は増えていて、今の彼女の感情と酔いが今、どのあたりにあるのかを示している。

 

 部屋のチャイムが鳴る。スコールは手元の端末を操作して来訪者の顔を検め、解錠、と命じた。音が鳴ってオートロックが外れる。

 

「入って」

 

 彼女が言うと扉が開き、部屋に踏み込んできた者がいた。ピンストライプのスーツを着た壮年の男だ。黒髪黒目、口周りによく揃えた髭のあるコーカソイドで、背はスコールよりやや低いぐらいである。

 

 スコールの様子からして知己らしいその人物だが、もちろん彼女指揮下の人物ではなかった。マドカたちはもちろんのこと、少なくともオータムよりは年上であることは間違いない。

 

「邪魔するよ、スコール・ミューゼル……おや、一人か。意外だな」

「あら。(ひと)の部屋に呼ばれた男が言う台詞じゃないわね?」

「このところ、いつもあのドイツ人の少年か、おっかないオータムが一緒にいるからね。部屋に入るだけで葬式の心配せずに済むのは、気が楽だ」

「貴男がそんなに怖がってみせるなんて。私の子たちもずいぶん評価されたものね、ミスター・ダブルオー」

 

 最後の言葉は揶揄を多分に含んでいる。呼びかけられた男はため息をついて肩をすくめた。

 

「私はそんな大層なセクションの所属じゃないぞ。今回はちゃんと大使館の正規職員(オフィシャル・カバー)として来てる。それにJ.B.みたいに背も高くないし顔もこんなだし――というか、色事も荒事も君の方が上手(うわて)じゃないか」

 

 彼は自虐的に言う。言葉の通り彼は平凡な容姿である。人種のほとんどがモンゴロイドで占められるこの国さえ人目を引かずにいられるほどだ。身分秘匿捜査(アンダーカバー)に限れば何事にも目立つスコールより適任かもしれない。

 

「じゃ、今は何と呼ぶのが良い。昔のように“ウィンター”とでも?」

 

 スコールは彼の率直さに笑いながら訊ねかえす。彼は片手をあげ、

 

「今は専ら本名で通してる。だからウィルフレッドでいいよ」

「オーケイ」

 

 スコールは応えながら彼のための杯を差し出す。彼女の所作に応じ、男の方は鞄から書類封筒を取り出した。一角獣と獅子が王冠を支える英政府の公証入りで、印字から英外務省――秘密情報部もこの省庁の傘下にある――とわかる。

 二人して杯と書類を交換するように取りあった後、スコールは口を開いた。

 

「それじゃ、ひとまず乾杯と行きましょう。ウィルフレッド・()()()()()

 

 男は立ったまま、スコールは席に着いたまま、杯を掲げあう。その後、ウェルキンと呼ばれた男の方は、自分がその姓で呼ばれたことに少し意外げな表情を浮かべた。

 

「知っていたのか? 私が結婚したこと」

「今回貴方たちが使ったサラ・ウェルキンの姉のところへ、今年のイースターに婿入りしたんでしょ。それぐらいの情報は入ってくる」

 

 スコールの方は掲げた杯をそのまま干し、悪戯っぽく笑って彼に付け加えた

 

「どちらかといえば、女の情報網だけどね」

「女の……“うちの組織の”Mか、参るな。私は義妹を死地に放り込むひどい男ということになっているわけか」

 

 彼はしばらく掲げた杯をのぞき込んでから、僅かに口に含んだ。

 

「誰も責めちゃいない。あれだけ優秀な娘なら、誰だって使うでしょ――というか、あんないい娘がまだいたなんて、知らなかったわ」

「うちの秘蔵っ子だった。ただ、もうSISの宝ってわけにはいかないだろうな。おそらく彼女は二次移行した《フィアレス》の専属ドライバーとして、本国のIS部隊傘下に正式に配属されるだろう」

 

 今度はスコールが、感心したように目を開いて彼を見た。ウィルフレッド・ウェルキンと呼ばれた男は続けて説明する。曰く、次のモンド・グロッソ、および次のユーロIS代表は恐らくセシリア・オルコット他数人候補生から選ばれるだろうが、向こう数年のスポーツでない本国IS防衛の要は彼女になる。二次移行を遂げ、現役機体ではほぼ最強クラスとなった《フィアレス》、そして当該機を扱うならば、最高の相性を持つ彼女は絶対に外せない。

 彼女は英国本土に据えられ、下にも置かない待遇を受ける。だが、恐らく今後数年は英国を離れ得ないだろう。好きに友人と会うこともできなくなるのだ。

 

「ひどい扱い。しかもあの娘、今回は報されずに送り込まれてたみたいだし。愛想を尽かされたらどうするつもりだったの?」

「今回は、彼女のためにもなるいい機会だった。彼女は達観しているように見えるが、あの年頃の少女ってのはどこかで信じているもんだ。自分は何だかんだ言っても平凡な友情、恋愛、幸福と縁があると。しばらく前なら、大抵の者は努力と心がけでそれを掴むことはできたが――」

 

 残念ながらここ十年来、人類のうち四六七人及びその関係者は、人間らしい権利を失っている。彼女もその一人になる、というわけだ。

 

「彼女にも、それを自覚して貰う必要があった――更識楯無の誘いも断ったみたいだし、まあ結果も含め成功だった」

 

 IS関係者に課せられる規制は厳しい。IS学園を見ているとそうは思わないだろうが、まともな国なら本国IS防衛に貼り付けられた人間は監視と警護の対象下に置かれる。ちょうど、一時期の――先代の更識楯無が死ぬまでの篠ノ之箒がそうだったように。米国などが本土ISの一部を秘匿基地(イレイズド)に置いていたのにはそういう理由もあるのだ。

 

「わたしは、()()()()()が気に入らないんだけどね。”今の世界”が、貴男みたいな認識が当然ってなっていることが」

 

 ぼそりとスコールが言った。声には一瞬冷たいものが混じる。彼の方も聞き逃さず、漏れ聞いた発言に怪訝な顔を返した。

 

「……どういう意味だ?」

 

 問われても、スコールは答えない。発言自体がなかったかのようなしたり顔で、微笑んで男の方に続きを促す。

 

「……まあいい。教えてくれなくて。君がそういう顔をしている話題は、口を挟むとろくな事がない」

 

 あくまでこの場の支配者は彼女、ということを示しているようだった。ウィルフレッド・ウェルキンは(かぶり)を振り、付け加える。

 

「ただ、聞きたいことがないわけじゃないぞ」

「へえ?」

 

 問いかけを受け、酒精で少し和らいでいたスコールの目つきに、一瞬素面の冷たい気配が混じった。

 

「“織斑の娘”を使って、一体君は何を企んでいる。今回のことに限っても、君が何をしたいのかは、はっきり言って私には意味不明でね」

 

 彼が肩をすくめ、愚者めかした表情をとってみせる。彼のおどけた表情にスコールはからかうような声をあげた

 

「ストレート過ぎるわね。少しは考えた?」

「考えたさ。“織斑の娘”についても。彼女は確かに“特別”だが――君が自分以外の誰かを中心に据えようとする、というのが驚きだ」

「ああ。そっちなら、答えてあげてもいいわね」

 

 スコールは微笑しながらじっと彼の表情を見ている。何から説明しようか、思案するように手元の杯をまわし

 

「一番強い集団、というのを考えたとき、貴男は何を思いつく?」

「唐突だな。私ならSASとかSBSの連中、それ以外なら……プレミア・リーグのトップチームとか、そんな連中かね」

 

 何気なくウィルフレッド・ウェルキンが答える。

 

「そうね。国民として国家への忠誠を、あるいはプロとしての忠誠を脳の髄まで教育された連中――そう言った子たちが、今のところ一番集団としては強力な人々だと、私も思うわ。

 それに比すれば、亡国機業のグループなんて弱いものよ。利で繋がり恐怖で縛られた人間は、与えられた以上の利や恐怖を突き付けられれば必ず裏切るか、離散する」

 

 スコールは続ける。

 

「今までは別に、それでも構わなかった。利を争うだけならば。現に亡国機業はずっとそうして来たものね。

 しかしもし、利も恐怖も越え、身を捧げても戦えるような集団が必要になり、それを作ろうとするにはどうすればいいか。

 特にラファエルたちみたいに優秀で、しかも表面上強いモノには従ってみせながら、いつだって反抗しかねないような精神の持ち主を従えるには。

 組織にそれだけの忠誠に足る魅力はないし、私個人には、オータムみたいに素直じゃない子じゃないと付いてこないわ」

 

 スコールは言った。私個人としては、反抗的な子はおいしくて好きだけどね――と口元を釣り上げる彼女に、ウィルフレッド・ウェルキンも納得したように応じる。

 

「ああ、なるほどね。それで“織斑”の子を選んだのか」

 

 織斑、という姓に特に意味を込めて言っている。スコールは肯定した。二人の間には、その姓に関して共通の理解があるらしい。

 

「“織斑の娘”にはああいう個性的な子たちを惹きつける力があるかもしれない――ちょうど、“織斑”一夏がそれを発揮しているように」

 

 織斑一夏の周りには奇妙ともいえるほど彼を中心とした人の縁ができている。篠ノ之姉妹、各国の代表候補、女たち。彼らの物言いでは、それが何か織斑一夏と織斑マドカに共通の資質であるかのように聞こえる。

 

「最初から気づいてたわけじゃないけどね。あの娘と一緒にいるうちに、気づいた。あの娘にもそういう資質がある。なら、利用するに()くはないでしょ」

 

 スコールは杯を置いた。

 

「彼女や彼のもとにあれば、本来自由であるものが愛情で自らを縛りつけてでも身を尽くす。誰に命じられたわけでもなく、自分から誰かに従う――それがもしうまくいけば……」

 

 自由意志に基づいて隷属を選んだ者が、この世で一番強い。彼らは強制されずに服従し、求められずとも忠誠を傾ける。たとえ不利になっても逃げ出さない。なんのためにそうするのかという事はさておき、スコール・ミューゼルが必要としているのは、そういう集団らしい。

 

「だから。もしもあの子にも人を惹きつける力が――彼女にもそういう因子があったなら、彼女を中心に、グループを作ってみようと思った。そして私はそれにベッドしたいと思った」

 

 スコールはそこまで言って、やっと先ほどから差し出されていた書類封筒に手を伸ばした。コインほどの大きさの公証シールを綺麗にはがして手指の間に挟み、封の中身を確かめ始める。ウィルフレッド・ウェルキンはそれを見ながら頷いていた。

 

「なるほどね。ひとまず納得はしたよ。彼女なら、あの少年達の――本当は()なか()()()()()のくせ者連中の軸になれかもしれない、そう期待していたわけか」

 

 スコールは首肯する。少年達にウェルキンがつけた、意味のよくわからない形容も含めて、彼女は否定しなかった。

 

「それで、賭の結果は? 今回のことを、君はどう判断するんだ」

 

 スコールは手に挟んだ円形のシールを、小さなテーブルの中央に滑らすように押し出す。

 

「そうね――」

 

 彼女はワインの栓をぬき、その口元にふっと息を吹きかけてから、少し間を置く。やがて、また続けた。

 

「そろそろ、賭け金をつり上げようかなと思い始めたところ、かしら」

 

    ◇    ◇    ◇

 

 マドカたちを乗せたタクシーが、マンションの近くの大きな通りにさしかかる。助手席のボーデヴィッヒが車を停めさせた。

 すでに時刻は十九時をとうに過ぎている。さすがに日も落ちきり、あたりは暗い。マドカは篠ノ之の肩を借りて降車、歩みだそうとし――そこで料金を払い終えたボーデヴィッヒが背を向けて彼女の前にしゃがむ。

 

「マドカ、乗れ」

 

 意図するところが判り、少し躊躇する。マンションの上下動まで勘案すれば、彼に頼った方がよほど楽なのは確実だ。マドカは黙って頷き、大人しく彼の背中にすがった。幸い、辺りに人目はない。妙な集団と思われることもないだろうし、マドカが担がれていても視線を気にする必要もない。

 

「あー、あー。背が高いと、そーいうことができるのがいーよね」

 

 ……篠ノ之がうるさいことを除けば、とマドカは内心付け加えた。ボーデヴィッヒはそのまま、彼女を背負ってゆっくりと歩き出す。篠ノ之は前に歩いて回り込み、騒いでいた。子供か、とマドカは内心で思う。

 

「貴様の体格なら、本来はマドカぐらい背負える。こいつは軽いんだ。貴様は鍛え方が足りないだけだ」

「ひどい、虚弱なんだよ、僕はー」

「貴様の身体の都合までは知らん」

 

 ぶっきらぼうに言い放ち、彼はずり落ちそうなマドカを引き上げる。彼女の腕は首にかかってはいるが力の調整が付かず、うまくしがみつけないでいた。首の骨をへし折るくらい締めようというなら容易なのだが、ちょうどいい案配の力加減、というのが全くできなくなっている。

 そんな中でボーデヴィッヒは苦もなく彼女の体重を支えていた。自分はそんなにも軽いのか、と少しだけ複雑な気分になる。

 

「マドカ」

 

 マドカがの眼前にある首が、肩越しに彼女に語りかける。心なしか、その声は穏やかな響きをしていた。

 

「さっきのことだが……」

「……ああ。だが、あれ以外に、特に説明することは残っていないぞ。後付け加えるとしたら、今後、また(ろく)でもないことをスコールが我々に命じるだろう、ということぐらいだ」

 

 不安定に揺られながら、マドカは無愛想に応える。

 スコールの今回の目的は、マドカを中心とした少年らのグループが、チームとして機能するかの確認であり、それはもう達成された。今回確認した以上、次に来るのはスコールにとっての本命――本当に困難な仕事に違いない。

 

「今回の仕事を与えたのも、成長を引き出そうとしてのことだったのだろうか……」

 

 ボーデヴィッヒが言う。マドカは頷いた。

 

「恐らくは、そうだな」

 

 いつか、スコールが言っていたことを思い出す。彼女はマドカにとって味方でもあるし、敵でもある。矛盾しているように聞こえたが、それはある観点から見れば筋が通っている。

 守りもせず殺しもせず、ただ傍にいる。大人が子供に対するときの――大人が子供に成熟を促すときの態度だ。守らなければ、生きていくことはできないが、傷つけられなければ成長もしない。二つが矛盾していると感じる者がいるとしたら、そいつが敵と味方で全てを判断しているからだ。

 

「結局今回も私たちは、あの女の掌のうちだったということだ」

「そう思うと、ちょっと口惜(くや)しいね」

 

 篠ノ之が言った。口をへの字に結んで、頭の後ろに両手をやって溜息をつく。

 

「あ、けどさ。最後、マドカちゃんがラファのネクタイを“くいっ”ってやったときさ、ちょっとビックリしてたじゃん、あの人」

 

 言いながらボーデヴィッヒの首元に手を伸ばす。ボーデヴィッヒの方は、背中にまわした手を一瞬ほどいて、(したた)かに彼の手を叩いた。篠ノ之が悲鳴を上げて手を引っ込める。

 

「いったいなー。冗談なのに」

「……二度も、しかも男にそれをやられるのは不快だ」

「一回目のマドカちゃんが特別って? ……わかるけど。ま、それはともかくさ、あの人のことも驚かしたんだから、マドカちゃんも勝ち点取ったってことになるんじゃない?」

 

 手をさすりながら、篠ノ之が主張する。確かに、ボーデヴィッヒを連れに来たと言ったとき、スコールは驚いていた。だがそれが何になる――マドカは呆れて嘆息をついた。

 

「ガキの脅しあいではあるまいし……。やったやられたで勝ち負けなどつくものか」

「いーじゃん。あ、それにラファも満更じゃなさそうだったし」

「それこそ何の関係もない。というか、そうなのか? ボーデヴィッヒ」

 

 何気なくマドカは問う。そんなことで喜ぶ人種がいるとは思わなかったため聞いたのだが、マドカの眼前の背中からは、少し慌てた様な気配がする。「いや、俺は……!」などと言ったきり彼は二の句が継げず、三人はしばらく無言で道を進む。くふふ、という篠ノ之のいやらしい含み笑いだけが響いている。マドカはその間、ボーデヴィッヒが何を喜び、恥ずかしげにしているのか理解できず、首を傾げた。

 ボーデヴィッヒが咳払いをしたのは、ようやく建物が見えてきた頃で、しかも全く違う話題だった。

 

「……それで、マドカ。全員が帰還できた祝いというのはやるのか?」

「あ、それ僕もきになってた。いいじゃん。せっかくみんな無事だったし、パーティやろうよ」

「なんだ、お前たち。そちらも本気にしていたのか?」

 

 今度もまた意外な思いに駆られながら、マドカが問い返す。

 

「あれはスコールへのはったり、口実だ。もちろん、準備もしていない」

「えー、いいじゃん、パーティー的なの。やろーよ。ね、いーでしょ、ラファエルー」

 

 祝い事と聞いて目を輝かせ、篠ノ之が主張する。マドカが乗り気でないと見るや、ボーデヴィッヒの腕にすがってねだる。聞き分けのない弟のようだ。

 

「いや。準備をしていないならいいんだ。俺は、祝うほどのこととは俺も思わん」

「そうかなー……」

 

 ボーデヴィッヒはぶっきらぼうに否定する。篠ノ之は悲しげに目尻を下げ、諦めたような態度を取りかける。

 

「あ、そーだ!」

 

 次の瞬間、何かに気付いたように笑顔を弾けさせた。マドカとも目が合い、彼女の内心を嫌な予感が去来した。彼がこういう笑顔になるときは、たいてい良くないことが多い。

 

「もう一個あるよ、お祝い事。マドカちゃんが誕生日とか言ってたよね!」

 

 予想通り、とんでもないことを言い始めた。

 

 ――私の誕生日を、祝う?

 

 そういうことを普通の少女がされる、というのは流石にマドカでも知っている。だが、自分の誕生日を誰かが祝福するというのは、彼女の想像の埒外にあった。というか、そんなことをされても、どんな顔をすればいいのかさえ全く判らない。

 今度はマドカが慌てなければならなくなった。何を、と言いかけるマドカの言葉を聞きもせず、篠ノ之が続ける。

 

「誕生日って確か、みんなでお祝いするものなんでしょ?」

「……そうなのか? 俺は知らん」

「いや、ラファ。そうなんだって。ケーキを贈ったり、小麦粉と卵をぶっかけたり、耳を年の数だけ引っ張ったりするんだって」

「そうなのか……」

 

 どう聞いても世界中の習慣がごっちゃになっている。篠ノ之に誕生日を祝われた経験があるか不明だが、おそらく資料で読んだだけなのだろう。しかもボーデヴィッヒには、社会的な常識はともかく、出自からして文化的な素地というものがほとんどない。違う方向の世間知らず二人に会話させていると、どこに話が転がって行くか判らなかった。

 

「おー、マドカ。どーした、こんなとこで」

「随分賑やかですね。三人一緒とは聞いてませんでしたが、どうかしましたか?」

 

 親しげな声が聞こえたのは、その時だった。聞き慣れた声だが、マドカには少しだけ、救いの声に見えた。背の高い、二人の男の影。凰とオルコット――さらによく見ると背中に背負われているもう一人の姿もある。

 

「こんなとこで騒いでんじゃねーよ。ただでさえ、手前(てめ)ーらは目立つんだからよ」

 

 憎まれ口だけはそのまま、傷口は包帯で固められているデュノアの姿である。聞けば、二人は今日の作業を終えて合流したあとデュノアを見舞っていたが、彼があまりにも連れて帰れとせがむので仕方なく退院させたらしい。

 肩と腹を抜かれているはずだが、もう顔色まで良さそうなのは、医療技術のためか彼の気性のためか、マドカには判断が付かない。そのデュノアに向け、篠ノ之が言った。

 

「ごめんごめん、でもさ、仕方ないと思うんだー。マドカちゃん、先週誕生日だったんだって。十六歳になるらしい」

「へえ……」

 

 デュノアは舞い上がったテンションには付き合わず、落ち着いた口調で応える。彼の存在は、今のマドカにはありがたい。浮かれたことには何事にも文句を言う彼なら、マドカの誕生日を祝うなどということを制してくれるかもしれない。

 

「じゃあ、パーティでもしねーとだな。ちょうどいい。全員生きて、あのくそったれな楯無から逃れたわけだし。それも兼ねてな」

「だなー。今からだとちょっと時間かかりそうだが。ま、いーだろ。てーかマドカ、教えといてくれりゃ準備したのにさ」

「私も、知っていたらパイを焼いたのですが。簡単な料理でも良いなら、今からやりましょう」

 

 マドカが期待したのは、間違いだった。実に役に立たないことに、デュノアがあっさりと、凰とオルコットがやけに乗り気で返事を返してくる。

 物事は期待通りには進まない。似たようなことが前にもあったのを、マドカは思い出していた。それこそ一週間前――“やつ”を襲った九月二十七日に、頼みもしないうちに彼らが助けに来たときのことだ。あのときと同じ、事態はマドカの手を離れ、勝手に動き出しつつあった。

 

「おい、お前たち……」

 

 マドカは言いかける。スコールは、マドカの命がかかるときには彼らは勝手に動くだろう、などと言ったが、話が違う。瞬く間にその場で役割分担が決まり――けが人と篠ノ之だけをとりあえず部屋に置いて、準備を始めることになってしまう。

 

「楽しくなりそーだね、マドカちゃん」

 

 篠ノ之がほくほくした顔でマドカに語りかけた。見ていると無性に腹がたつ表情だ。マドカは応えず、仏頂面をして加減の聞かない手指で彼の額を叩いた。篠ノ之は大袈裟に悲鳴を上げて打たれたところを押さえる。その顔は、やはり笑っていた。

 

「いたたた……。ごめんね。そういう反応になるのは判ってたけどさ。でも、せっかくだから」

 

 篠ノ之が改まって言う。何か、と思いマドカは訝しげな目で彼を見――少し虚を突かれた。篠ノ之が、いつか見せた真摯な表情で、マドカの方を見ていた。

 

「みんな嬉しいし、マドカちゃんにありがとうって言いたいんだよ。それには、みんな生き残って、しかもマドカちゃんの誕生日も近い今日って、すごくいい日だと思ったんだ」

「昨日の礼なら、もう聞いた。何度も言われる筋合いはない」

 

 自分でも冷たい言い方だな、と思いながら、マドカは言った。どのみちそんな口の利き方しか、マドカは知らないのだが、少し内心に咎めるものがある。

 

「違うちがう。昨日のことだけじゃなくてさ」

「……まだあるのか? 私には、他に感謝される覚えがない」

 

 当惑するマドカに、篠ノ之は黙って首を振る。

 

「マドカちゃんはそう思ってるだろうけどね、僕からすれば、初めてじゃないんだ。僕が――僕らが明日も生きていたいのは、マドカちゃんが将来何をするのか、どう生きるのか。それを知りたいからなんだ」

 

 篠ノ之は目を伏せる。いったん言葉を切ってから、また続けた。

 

「何しろ、まともな過去なんてないから、自分がどうして生まれてきたのか、一人じゃ何のために今生きてるのかもはっきりしない。現在がないから、その上に未来を思い描くこともないのさ。程度も気持ちも差があるけど、きっとみんなそうなんだよ」

 

 周囲を見た。誰も篠ノ之の言葉を否定せず、付け加えることもしない。静かに肯定しながら、全員が歩いている。

 

 大層な扱いをされたものだ、とマドカは思った。彼らに取っての生きる目的がマドカ、だというのだ。ちょうど、マドカがかつて千冬を頼みにしていたのと似ている。マドカは千冬を通して自分の過去を見、彼らはマドカを通して未来を見ている。違うところがあるとすればそこだった。

 

「好きにすればいい。私は、自分のできることしかできん」

 

 どんな対象として見られたところで、自分を変えることができるとは思わない。彼らがそうしたいなら、そうせねば未来に生きられないならすればいいし、マドカも少しぐらいは手を貸せるかもしれない。

 

「うん。そう言われるだろうとは思ってたけどね」

「……篠ノ之。難しい言い方は不要だ」

 

 奥歯に物が挟まったような言い方をしている彼に、ボーデヴィッヒが言った。

 

「うん。そだね。ラファの言うとおりだ。だから、つまり、何が言いたいかっていうとマドカちゃんにさ、生きていてくれてありがとうって、そういうことだよ」

 

 篠ノ之が無邪気に言う。無言で肯定する気配が、マドカを背負っている背中からもあった。

 

「生きていて、か」

 

 マドカは一言だけ口にしたものの、二の句が続かなかった。答えようとして言葉が見つからなかったのだ。生まれてこの方、そんなことに礼を言われるとは、思ってもいなかった。

 

「……気持ちは、受け取っておく。私がどうすればいいのかは、判らんが」

 

 随分時間を空けてから、何とかそれだけ答える。言葉にしたのは、嘘ではなかった。贈られたものがあるというのは感じる。ただそれをどう返せばいいのかは、見当も付かなかった。以前の彼らの気持ちの方がまだ理解しやすかった、とさえ思う。何かをされたら何かを返せばいい。だがこの場合何を返せばいいのだろう。マドカは一人、戸惑いを感じている。ただその困惑は、別に悪い気分だけではなかった。

 

「未来、か」

 

 マドカは誰にも聞こえないように、口の中で一人つぶやく。彼らと進む道を見ながら、彼女はこれから先の事を考えていた。未来、将来。どちらも今まであまりマドカの脳裏に浮かんだ試しのない単語だ。遠くないうち、それについて考えることも必要になるのだろう。

 

 明日より先のことはもちろん、考えたところで判らない。ただ、彼らと前に進めば道は見えるのかもしれない。居心地の悪さと、ほんの少し心に浮かぶ高揚――感じたことのない不思議な感覚を、今のマドカは胸中に抱いていた。

 




1/29の早朝に投稿していますが、営業日時間的にはまだ前日だから(震え声)

最終回で新キャラを出すというビーンボールやちょいと強引な結末も使っておりますが、なんとかこれでオワリです。

今日の夜か明日の夜に、あとがきらしいものを書いて見ようとおもいます。ここまで読んで下さった根気強い方のうち、この変な作品の作者が設定をどう作ったとか原作の設定をどう悪用したのかというネタを知りたいかたが折られましたら、よければご覧になって下さい。

マドカの誕生日会? そんなものは知らん!(笑)


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あとがき

 拙作お読みのかたも、さきにあとがきを開かれた方も、お越しくださりありがとうございます。作者の温玉屋でございます。

 

 ここからは「もしも彼女にも~」というタイトルの作品の設定だとかを、下記に書いていこうと思います。何度も公言しておりますとおり筆者はSF厨の設定厨なため、設定厨がどういう考えでSSを書くのかという話になったりもします。

 

 ネタとしては大体こんな感じです。以下のタイトルの四項目で、設定について筆者がドヤ顔をするというだけの項目のため、お時間のあるときにお気に召した方だけどうぞ。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 コンテンツ

 

 1.なんでマドカ主人公なの、という話

 2.登場人物の皆さんについての話

 3.ストーリーの流れに触れながら、設定についての話

 4.雑記

 

 

    ◇    ◇    ◇

 

 1.なんでマドカ主人公なの、という話

 

 1.1 マドカさんという人物

 

 あらすじと第1話までお分かりいただける通り、この話においてもマドカさん自身のポジションは原作とあまり変わりません。つまり、

 

 ・千冬さんと見た目がそっくりで

 ・千冬さんに執着しており

 ・我らがアイドル一夏ニキに「私はお前だ」と言い放ち矢玉を浴びせて帰って行く

 ・悪の組織「亡国機業」さんの一員

 ・一夏さん曰く、妹?(姉ではないらしい)

 

 という5点。

 

 ぶっちゃけこれでクローンとか、生き別れの兄弟的なとか、そんな感じでなかったら逆にビックリする感じですね。

 

 それはともかく、兄弟、双子、クローンなど、いわばもう一人の自分が攻めてくるというのは、それなりに燃える展開であります。元々一つだったものが別れてまた出会う、ということは、お話論的には数奇な運命を期待せずにはいられません。「テッカマンブレード」のブレードとエビルしかり、「トライガン」のヴァッシュとナイブスしかり、「からくりサーカス」の白銀と白金しかり。たとえが古いな。

 

 とにかくお話的に“生き別れた兄弟”が現れたなら、そいつらは必ず宿命を賭けて対立してもらわねばならん。映画で意味ありげに出てきたスイッチが全て押されなければならんのと同じようにです。

 よって筆者としては、原作のマドカも、彼女と一夏さんとのバトルがストーリー全体の山場になるとか、お話の結末に繋がるとか、彼女自身が影の主人公というようなポジションに収まるのはアリだなと、一瞬思ったりしたわけです。

 

 が。

 

 もちろん原作でそんな展開になるはずもない。何しろマドカさんは女の子で、原作であるISはハーレムものなんですから。ハーレムものに出てきた適齢の女の子というのは、すべからく主人公のハーレムに入るべしってな感じで、決まっているわけです(恐らく)。

 

 妹であることが障害になるはずもないのは言うまでもありません。(もうすでにお姉さんが準ヒロインですし)また、他のヒロインの皆さんはハーレム入りする前も後も、ISでぶん殴るとか刀で斬りかかるとか発砲するとか、相当にファンキーな愛情表現をしておられます。マドカさんの殺意は勿論、銃弾の百発や二百発打ち込んだところで、今さらハーレム入りを妨げる要素にはなりません。

 現在(七巻刊行時点)ではまだマドカさんは殺す気満々でいるようですが、実際のところ彼女もハーレム入りするんでしょう。ヒロイン化しない確率は、Civilization 5でフン族が隣国に攻め込まない可能性と同じくらいであろうと思われます。

 

 

 まあ、原作はそれで良いのですが、筆者にはこのマドカさんの「もう一人の一夏」という要素が、他のいろんな要素――ラウさんの人造生命設定とか、セシリアさんの両親とか――と同様に“なかったこと”になってしまうのが、勿体ないなと思ったわけです。

 もとよりもう一人の自分、という設定が好きだったということもありますし、また、作品のジャンルさえ違えばもう一人の主人公にもなれたはずのマドカさんがただのハーレム要員で終わるというのはいかにも切ないのもあります。

 

 というわけで、せっかく二次創作を書くならマドカさんの設定を使い切り、主人公格にしようと。それも、“この世界観の中では、何があっても一夏の味方にはならんだろうな”という、一夏に対するもう一人の主人公になりそうなマドカさん、というキャラ立ちの世界線を作ってみようと考えたわけです。

 

 

 1.2 主人公マドカさんには色々足りない

 

 そんなわけでマドカさんを主人公にするわけですが、正規主人公の一夏さんと較べると色々と持っていないところが目立つ人でもあります。

 単純に描写が少ない、ということもありますが、それ以上に、

 

 ・何がしたいのか、一夏さん以上に判らない(ひょっとしたら本当に原作でも何も決まってないのかもしれない)

 ・マドカ←よわそう 千冬←つよい(確信)

 ・友達がいない。仲間らしい仲間がいない。

 

 この背景で仲間いっぱい、仲間含めて全て最新鋭機か現役機、本人は次々世代機かつ必殺技持ち、最強千冬さんとチート科学者束さんつき、学園という拠点持ちの一夏軍に挑まねばなりません。……こうして書き出すと思ってた以上に一夏軍が大正義に聞こえる。

 

 マドカはんは一夏ニキが持っているものは基本的に持っていません。

 特に、上であげた三つ目。マドカはんは亡国機業スコール隊の一員ですが、そのメンバーは本人を入れて現在判っているだけでたったの三人です。チンピラと殺人狂を足しっぱなしのオータム、姿は見せるがまだ意味のあることはほとんどしていないスコールさん。はっきりいって手も足りなければ人材も足りない。というか原作では彼女たちは機体の修理とかどうしてるんでしょう。

 

 マドカさんはこれ以外にろくに人との交流もなさそうなので、彼女は真性のぼっちと言って過言ではないわけです。人間らしいつきあいというものをほとんど持たないし、持つ機会もない。

 

 原作では、彼女が人並みに友人や家族を持って幸せになる展開というのは、デレて一夏の仲間になるぐらいしかないわけです。真性のぼっちですね。悪役をやるか、ハーレムに入って幸せになるか。そんな二者択一しかない。

 

 そう考えると、やっぱり彼女にも主役になるような話が二次創作にはあってもいいんじゃないかなあと思います。せめて、一夏さんが持っているものの一部くらいは、マドカにもあっていいんじゃないかな、と思ったわけで。

 

 中でも一番、主人公である一夏ニキだけに許された資質といえば何か、といえば、なんと言ってもハーレム要素だろうと思ったわけです。

 

「私はお前だ」

 

 とそんなにどや顔で仰るなら(第六感の最後の挿絵はスゴイ顔です)、じゃあその要素も持って貰いましょう、ということで。これがあらすじで記載した発想に至った経緯、ということになります。

 

 

    ◇    ◇    ◇

 

 

 2.登場人物の皆さんについての話

 

 登場人物について。

 

 2.1 織斑マドカ

 

 マドカさんについては第1項ででは原作と本作全体の立ち位置を話しましたが、こちらは本作中の彼女の話。

 

 主人公です。ですが、正直なことを言えば一番この娘が書きづらかった。

 

 原作では彼女については、お姉さんへの執着以外の価値観がこの娘さんについては報されていません。繰り返すように描写が少ない、ということもありますが。

 

 

 単純に深みを出そうとするなら、複数の判断基準がキャラの中にあって葛藤する、というパターンが一番鉄板です。友人と恋人とか、仕事とプライベートとか、金と女とか、あとは、過去と未来とか。

 

 二つの軸のどちらか選ばないといけない、となったとき、どっちゃを取るのかということで簡単にそのキャラのテーマというのが簡単に明らかになってくれます。ただこの娘については、ねーちゃんにこだわること以外とくに目立った価値観がない。

 

 単一の価値観しかないというのは、キャラクター性についていうならいっそデメリットです。その人物について測ることについても、単一のモノサシで測ることしかできないからです。マドカさんについて言うなら、千冬さんとの関係をどうするか、という以外で彼女の価値を計ることができなくなってしまう。

 

 今回の話では、無理矢理彼女の中に葛藤を生じさせる形で主役っぽいメンタリティを得てもらいました。マドカさんは原作的にプライドが高そうなので、マドカを他の人に助けられるというシチュに追い込むことで、仲間と協力するのかどうか、ということで話を進めています。

 

 実際マドカさんの心理描写の辺りはとにかく荒いです。筆者も首を捻りながら書いているので、マドカさんが出てくる度に更新が止まるくらいには迷いながら書いていました。主人公なのに。それでもとにかく荒くて厳しいですね。

 

 

 2.2 亡国少年団の皆さん

 

 マドカさんのために用意した逆ハーレム要員×5。名前は篠ノ之彗(しのののほうき)凰鈴詩(ファン・リンシー)、セシル・オルコット、シャルル・デュノア、ラファエル・ボーデヴィッヒ。

 

 完全オリジナルな男を五人も考えるのもアレだなと思い、マドカさんの出自も考えて原作のシャドウキャラを投入しました。ですが、今から考えるとその配慮(?)というか躊躇(ちゅうちょ)に意味があったかは疑問。どのみち人によってはここでバックしたんでねーかなと思います。テンプレな「原作キャラの兄弟/親戚/クローン」ですから。

 

 個人的には、誰某の兄弟で……とかちまちますることやるなら、全員に兄弟()がいたことしちまえばいーじゃねーか! というのは我ながらキチガイじみた思い切りで悪くなかったなと思います。

 

 後はこの子達についていうなら、何度か各話あとがきで明言してきましたが、一夏ヒロインのみなさんとは基本的に逆の属性持ちです。

 

 一緒にしなかったことの一番の理由は、この作品におけるハーレム主人公がマドカさんだと言うことにあります。

 別に原作ヒロインズと大体同じ性格にしたってキャラ的に書けないことはないのですが、マドカさんに対して、下手にツンデレなんぞすると逆にブチ殺されてしまうんじゃなかろうかと思います。というか、彼らの行き先はIS学園ではなくて亡国さんです。環境的にそんな余裕のある恋愛をしてるひまはないし。

 

 よってキャラは全員最初からマドカに対する好感度マックスの素直デレ(わずかにデュノア君がツンデレしているくらい)になる必要がありました。さらに付け加えると、五人は下手に対立しているとまとめてスコールさんに処分されかねないため仲良し、マドカを中心とした一致団結となりました。

 

 で、ここまで反対になるなら一緒にするよりは反転の方がよかろうというわけで、個々のキャラについても皆さん原作ヒロインとは反対のキャラになっていただくことになりました。

 結果的にはそれぞれキャラが立ってくれたと感じています。もともと原作がキャラ立ちしているから反転キャラが立つと言うこともあるのでしょう。男子高校生的な雰囲気というか、どの子も書いていて楽しかったのはよかったですね。

 

 

 彼らの正体が何かということは、そこまで深く考えてないです。篠ノ之君は設定的にクローン確定、ボーデヴィッヒ君はラウさんの人工子宮を分けた兄弟、ということぐらいは決まっています。真ん中の三人がオーガニックヤクザなのかバイオヤクザなのかは今もって筆者も決めてません。

 というか、彼らは本当はどうだったのかがどうでもいいキャラなので、兄弟とかいうのは嘘だなということが誰の目にも明らかであれば、どうでもいいぐらいです。

 

 彼らについて、絶対にISを使わせないということだけは一番初期段階から決まっていました。

 全員何がしか有能なのは、その反動みたいなものです。ある程度有能でないとスコールさんが彼らを飼っておく理由もないですし。篠ノ之くんは束さんの下位互換で、残りはSOF相当の訓練を受けたくらい。中独仏英の四人が年齢の割に強すぎる気がしますが、これだけやってもまともに学園勢には勝てないので、これくらいは許してやってください。

 

 

 2.3 更識楯無

 

 私見では原作に一番近いキャラになったお人。ただし原作での微エロ要素をポイーしたので、暗い背景が目立つキャラになりました。ご本人が「うちら暗部じゃけえ」、と盛んにおっしゃるので、まあ多少はね? という感じで設定を盛っていったら、結果がこんな感じです。

 

 キャラ造形にあたっては、原作の文章に加えて原作の設定から「こんぐらいのことはできそう」という感じで積んでいくようにキャラ特性を足しています。

 なので、原作よりも当主としての彼女と、上流っぽいとこが重点された形です。色々考えながら動いたり、ときどきカネモチっぽいことをさせているつもりです。

 

 結果的には情の篤い陰謀家、という筆者の趣味を全開にしたキャラに落ち着きました。家系的にはダークニンジャですが、やってることはIS学園のダークナイトです。別にバッツを意識したわけではないのですが、途中からは趣味を反映してだんだんハードボイルド風味になりました。

 

 設定からするとこれくらいの性格でもおかしくねーしと思っているのですが、どうでしょう。やっぱ明るい楯無さん好きには受け入れられ難いかな。核爆弾ぶらさげてゴールデンブリッジを越えていく、みたいな展開にはなりませんでしたけど、コレジャナイと思った人はいるかもしれません。

 

 サラ・ウェルキンとの絡みで彼女の楽しそうな書いてるときは、シリアスなとことの差もあって良かったですね。表裏のくっきりした人は書いてて充実感がありますね。。

 

 またマドカはんがISをほぼ使わない話ということもあり、ISバトル要素も大半がこの方の担当でもあります。

 

 2.4 サラ・ウェルキン

 

 本作品におけるMVP候補。

 

 ・騒動の仕掛け人をやり

 ・本国に与えられたISは自分の特性と合わず

 ・楯無さんと亡国の両方にひどい目に合わされ

 ・専用機まで利用され

 ・あげく留学中断で呼び出され本国に帰される

 

 およそ作品内に出てくる負の結果を一身に集めてもらった格好です。

 

 この話の後に原作七巻に続く以上、楯無が負けて死ぬわけにも行きませんし、敗北≒死のマドカさんたちが負けるわけにもいかないため、誰かに負け成分を引き受けてもらう必要がある、という事情もありました。

 

 重要な役目を果たした彼女ですが、一番初期のプロットでは、彼女の登場予定はありません。

 

 楯無の友人ポジションの人はいたのですが、それはイギリス人ではなくロシア人のオリキャラで、敵ではなく楯無の協力者であり、量産型《ミステリアス・レイディ》を使って戦うという予定でした。《シュペルトゥマーン》なる《レイディ》の型名(捏造)が出てくるのはその名残だったりします。

 

 そこまでできてたのに彼女に変えたのは、上記の男どもに加えて追いオリキャラが発生する事態を避けようとしたからです。今から考えると何をためらったのかという感じですね。

 

 で、使えそうな名前と立場の二年生キャラを探した結果、原作に出番がないこの方しかいないと言う結論になってしまいました。残りはどう考えてもスパイに向かないフォルテさんや日本人しかない。

 

 未登場キャラゆえにビジュアルも性格もわからん。なら好きにしていいと考えた結果、原作の空気とは全く合わないゆるふわパーマの腹黒淑女ができあがりました。ミドルネームのアビゲイルはもちろん捏造。この娘は本当に趣味全開です。

 

 彼女の視点で書いているときが一番楽しかったですね。

 

 2.5 ティナ・ハミルトン

 

 魔改造キャラ二人目。ルームメイトさんが有名人なので、本編でも脇の中では登場頻度が高い人です。

 

 原作では菓子喰ってる以外にろくに描写がないのでどんなキャラか不明。なのでビジュアルも含めて好きに設定しました。姓からスコッチ系、名前からアメリカ人とアタリを付けて、CIAから来たことに。

 

 とっぽい感じと見せかけて全部演技でしたー、というところは、この手の話ではいかにもテンプレでしたね。

 

 ルームメイトさん、ウェルキンさん、楯無さんたちと仲良くしているのは別に演技でなく本心です。一夏ハーレムを外から眺めたりして、学園生活も精一杯楽しんでるんですが、いざとなると、オフィサーらしいところが出てくるという。一番したたかさがあり、ポテンシャルが高い気がする。

 

 この子は書いてるウチにだんだんキャラが立ってきた感じです。

 

 2.6 織斑千冬

 

 マドカさんの話なので、どうしても千冬さんが絡まないわけにはいきません。そこまで深くは出てきませんが、マドカはんの成長を表すシーンとしては、「千冬に背を向ける」ということ以外はあり得ないでしょうから、重要なかませ役と言うこともできます。

 

 もっと話が続けば彼女と一夏とマドカの話を掘り下げることもできるし、やりたかったけれども尺の関係でカット。千冬さんは原作的には一番好きなキャラではあるのですが、あまり前面に出てくると風呂敷が大きくなりすぎるのでこれぐらいにするしかなかったということもあります。

 

 七巻時点の原作では彼女のマドカに対するスタンスは不明です。認識はしているようです。また、一夏さん視点だと彼女はとにかく超人ですが、この作品ではちょっとメンタル的に少し弱体化。

 

 マドカさんの内面を本文でそれなりに描写したので、その状態で「妹? 知らんな」と言わせるわけにはいかなかった。実質アンチみたいなことになってしまいます。性格の悪いショタに煽られて傷ついたりしているのは、彼を悪役にして千冬さんをageようとしたんですがうまくいったかは微妙。

 

 超人要素は3階建て学生寮の屋上から飛び降りるとか閃光手榴弾を食らっても追い続けるとかで出しました。本気で敵対する側に立って描写すると彼女のタイラントめいた身体能力は実際脅威。ISと生身で鍔迫り合いができるなら屋上から降りるくらいは何とかできるんじゃないかな。

 

 やっぱ強い人は敵に回してなんぼですね。

 

 2.7 スコール・ミューゼル

 

 原作(七巻時点)でまだとくに何も行動していないということもあり、かなり変わったキャラです。

 

 マドカの保護者でもあり、悪いことはだいたいこの人のせい、という意味で学園側の束さんとかにも相当するポジションです。登場シーンは多くないのにageまくったのでやたら存在感があります。

 

 幹部会が彼女の上にありスコールへの仕事の指示はそこから出ているのだろう、というイメージをしていますが、この話では彼女自身も何か狙いがあるという書き方。将来は亡国機業を乗っ取ったりするんでしょう、多分。マドカのボスであるため、大立て者をやって貰った格好です。本筋とは関係ないですが私見ではビアンと言うよりバイっぽい。

 

 少年5人の仕込みをしてもらった、という点で、作者目線でも重要な人物です。5人オリキャラを投入しておいて自然に話を続けるのは不自然だなと思い、この若干面倒くさい形を取りました。

 彼らはどんな形で投入してもうさんくさいので、それらも含めて作品中の設定にするための措置。作者がついた嘘ではなく、作中でスコールさんがついた嘘が彼らなんだよ、ということです。

 

 また彼女がマドカさんに繰り返し示す態度は本文中の通り。平たく言うと「成熟しろ、でなければ死ね」という形です。少年達に対してもそう。千冬さんにせよ他の人にせよ、作中で子供に「大人になれよ」とメッセージを発するキャラはあまりいないので、原作の空気感からは相当に離れたかもしれませんね。

 

 彼女としては、マドカがうまく今回のテストをこなせないなら、失敗したなーといって処分していたと思います。一応彼女なりに、マドカや少年たちとは本当のことしか言わない誠実な付き合いを心がけている、ということにしています。

 

 彼女の本当の狙いは固めていないです。よくあるようにISの社会的無力化、というあたりが妥当かな。

 

 ただ、この話の主題はマドカはんが大人になるかどうかなので、そこまで設定する必要もなかった、という事情もあります。

 

 

 2.8 凰鈴音、セシリア・オルコット

 

 メインヒロインズから参戦。ただ、話が話なのでできるだけ背景に後退してもらう必要がありました。

 

 二人ともそれなりにらしく書けたんじゃないかなと思います。特に鈴さんは「ルームメイト」としてかなり登場機会があり、その分描写も気合い入れてました。

 

 セカン党が来るとは思えないような作品なんですが。睡眠導入剤をサーッ! と盛られて寝落ちするところは、かなり可愛らしく書けたんじゃないかなと思っています。マニアック過ぎる萌え要素ですかね。

 

 どちらかと言えば、ハミルトンさんやウェルキンさんと一夏軍団の距離感を表すために投入された格好です。

 

 

 2.9 オータム

 

 楯無さんより原作に近いかもしれない。原作に何も足さないし何も引かなかった、というだけなのですが。

 没にした原稿ではエピローグあたりで再登場してスコールにかわいくあしらわれるシーンもありましたが、尺の関係でカット。

 

 原作から変わったのは彼女本人ではなく、スコール隊配下の力関係です。彼女自身は男どもを見下していますが、少年達には完全に同格と見なされています。マドカさんは彼女はISドライバーなだけで明らかに少年たちの方が使えると見ています。スコールからは愛玩されていますが、能力的には微妙。

 

 彼女の話もちょっと書いてみたいかな。

 

 

 2.10 ウィルフレッド・ウェルキン

 

 最終話で追加オリキャラ投入というひどいビーンボールとして出てきた男。

 SISからの出向だかなんだかで大使館の職員という設定です。見た目的にはウェールズ人。

 

 いわゆる一つの“吐き気を催す邪悪”的なポジションの方。SISは一応あの国じゃ外務省の管轄下ですが、大使館へ出向、というようなことが有るかは知りません。さすがに調べようがなかった。

 

 スコールさんを超強化した結果、立場的に対等に話せる人が原作中だと轡木のじっさまぐらいしかいなくなったため、投入せざるを得なかった形です。

 オータムさんがもう少し優秀なら最後のシーンは二人がピロートークして幸せなキスをして終了、だったのですが、いかんせんオータムさんがアホの子すぎて頭使ってるっぽいシーンには入れられない。

 

 亡国機業にスコール、学園に千冬がいる、ということですし、英国とウェルキンさんにも何かくせ者っぽい大人がいていいかな、と考えました。結果的にはウェルキンさんの悲劇性も強調できたので悪くはなかったかな。

 

 あと、若い子ばっかり書いてたので少しオッサンが書きたくなったという事情も。

 

 余談ですがIS世界のミッション・インポッシブルは、ジャスティン・ビーバーみたいな可愛らしい青年がボンドで、ボンド・ガールが活躍するシーンが大半になっている、という設定を造ってました。なんでも次回作はジェームズ・ボンドというコードネームの女とボンド・ボーイが出るとか。もちろん使う機会はありませんでした。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 3.ストーリー、設定についての話

 

 

 この話のスタンスは、「原作の設定を基本的に肯定する」です。原作の設定や登場人物の行動には全て合理的な意味があるものとして考え、理由説明がないものについては既設の設定から頑張って理由付けをする、という姿勢。

 

 短い話なので、捏造したり悪用した設定に焦点を当てて話していきます。各項括弧内はその設定が登場したあたりです。

 

 一部はにじふぁんの割烹に載せてたネタとも被っています。

 

 3.1 時系列(第1話~エピローグ)

 

 この話は原作で言うところの七巻冒頭です。キャノンボール・ファストが六巻で終わり、マドカはんが「私はお前だー!」とやってから、約一週間の話となっています。時期的には七巻冒頭です。

 

 一夏ニキが簪さんを誘っていますけど、だいたいそのあたりとお考えくださるとイメージしやすいかもしれません。特に九話~十二話までの戦闘の日は、一夏ニキともっぴーちゃんがグラビア撮影されてた日の真夜中になります。

 

 お話的にはマドカ、楯無、ウェルキンを軸に進み、あと少しハミルトンさんが入る、という形になります。この四人が出てくるところでは三人称でも彼女たち誰かの視点に固定して進めています。

 

 この話が終わった後、楯無さんの負傷と機体修理の時間がトーナメントに間に合うのかについて若干苦しい気がしますが、そこは虚さんと、あの世界の医療技術に頑張って貰いましょう。

 

 医療技術について、今見たら原作のセシリアが腕をぐっさりやられて次の日にもう復帰してたりしてるのは内緒。

 またにじファン版では一夏さんが簪にすげなくされるシーンが日曜日になっていて、グラビア撮影のスケジュールと完全に矛盾していたので、移転に当たりこっそり修正したのはここだけの話。

 

 3.2 更識一門の設定(第3話)

 

 ISの原作は、なんだか色々と思わせぶりな設定はたくさんあるのですが、細かい背景の描写について非常におおらかなところがあります。その一つが更識さんたちの家業の設定。

 

 楯無さんが「私たち、対暗部用暗部なの」といえば、何をしているのか具体的にわからなくてもその通りに。「『結果』だけだ!!この世には『結果』だけ残る!!」と言う感じですが、他人の庇を借りている二次創作として同じ事をやるわけにはまいりません。

 

 というわけで、楯無、という源氏八領の鎧に因んだ名前から甲斐源氏に起源を持つという伝説をプラスし、さらに明治以降の防諜・諜報にずっと携わってきた官僚一族、という設定を追加。脳内では更識家はゾルゲ事件調査とか、戦後には列車転覆事件とかにも関わっていたことになっています。

 

 ただし、この作品内での国内での政治的な立場は現在弱めです。国内親ロシア派の力が弱いとか、名前だけ出てきた十六代目楯無が死んでからとかいろいろありますが、その辺りは尺が足りないのでカット。

 

 

 3.3 学園の地形(第5話、第7話)

 

 学園の地形については捏造がかなり入っています。原作出てくる地形情報としては「IS学園のグラウンドは一周5キロ」というぐらいでしょうか。

 

 正直情報が少なすぎますが、これだけ広いグラウンドとなると相当な敷地になるだろうことは簡単に想像できます。

 

 一周5キロですので、トラックが日産スタジアムのグラウンドと同じ長径短径比率とすると、大体950メートル×640メートルぐらいでしょうか。サッカーグラウンドが70個ほど入る広さです。グラウンドの真ん中で体調不良を起こすと命に関わるんじゃなかろうか。

 

 また、グラウンドを入れてギチギチにすると砂が流出したりして大変なことになりますので、周辺を暴風防砂林で囲んだり、余裕のある道を敷設したりするとやっぱり学園エリアは数キロ×数キロになりそうです。

 

 筆者はアニメのイメージで人工島だろうと思い込んでいたので、メガフロートを太平洋に浮かべている感じです。原作には、海の上に浮かんでいるとも書いていませんので、もしかしたら陸上にあるのかも。

 

 レイアウトとしては北側が本土と学園、南側が捏造した港湾倉庫エリア。幅数キロなら関西国際空港よりでかいので、捏造箇所の滑走路や港湾エリアについては作ることはできるな、という感じで書いています。

 

 

 3.3 亡国機業(第2話、エピローグ1、エピローグ2)

 

 秘密結社、ということになっています。ただし原作中ではあまり激しく対立していないので微妙な立ち位置。この話では、国家・企業・団体に頼まれて悪事をアウトソーシングする人たちになっています。第2話辺りから別に隠すこともなく書いてましたね。

 

 元はISが簡単に奪われすぎ、という事実に対して、どーしても合理的な理由が思いつかなかったため、なら奪われる側もグルだったことにすれば理屈が通るんじゃねーの? と考えてこうなりました。

 

 それにつれて、下記の亡国さんたちの悪事、

 

 ・一夏さんのISを奪おうとして逆に剥離剤でパワーアップさせる

 ・学校のイベントを襲撃して帰って行く

 ・アメリカとイギリスのISを強奪している

 

 これら別に彼らが得してる訳でもない各種の事象についても、全てなんらかの理由があったからというふうに捏造。

 

 彼等が何かたくらんでるじゃなくて、それで利益を得たものがいるんだよ! という理屈です。彼らの行動が彼ら自身合理的であるという説明をするには、行為それ自体が目的だった、という理由付けしかできなかったわけですね。

 

 

 3.3 ISの命名規則(第6話)

 

 原作では《シュヴァルツェア・レーゲン》型の一番機がレーゲン、二番機がツヴァイクであり、BT型は一番機がブルーティアーズ、二番機がゼフィルスでした。

 

 最初はISの位置付けが戦闘機だったので、なんで機ごとに名前が違うんだろう、と思っていたのですが、艦船の命名規則みたいにしてると考えれば理解できなくもないな、と。その規則を採用してる英国や独国ではフラッグ機が一機あって、同型異名の機体がずらっと並ぶという設定になっています。

 

 それに合わせて、《メイルシュトローム》級には各機ごとに名前がついていることにしてもいいよね、と考え、好きに命名しました。《フィアレス》までの機体名は全て、とあるSFの戦艦名を借りているかたち。紅の勇者オナー・ハリントンという宇宙戦艦SFが元ネタです。当該作品はさらに18世紀英国海軍をネタにしたホーンブロワーシリーズを下敷きにしているので、英国の魂を孫引きで輸入したつもりでいます。BTを蒼涙級とかレーゲンを黒雨型と漢字にするのもハヤカワ版オナー・ハリントンの翻訳を真似しています。つまり趣味ですね。

 

 国によっては《ラファール》や《打鉄》は何機あろうが同じ名前、という国もあるのかもしれませんが、英国とドイツは機体ごとに名前が変わるんだろうということですね。

 

 英国ならインドミタブルとかイラストリアスとかも形容詞系の名前が響きが好きですね。日本だと川の名前がつく巡洋艦とか、あとは歴史上の人名を冠した機体とかが出てくれると嬉しいなあ、と個人的には思います。ロシアとかは大祖国戦争に女性英雄が多いので、エカテリーナ・ブダノワとかリディア・リトヴァクとかに因んだ機体とか。誰か書いてくれないかな。

 

 

 3.4 《フィアレス》(第6話~最終話)

 

 二次移行前は重装甲巨砲主義ISという、英国面に頭まで浸かったクソ機体でした。しかもウェルキンさんが一番得意なのは第9話で書いているとおり格闘戦なので、本当にとりあえず空き機体が英国から送られてきた形です。

 

 肩に載っけたアホみたいにでかい砲塔と、量子領域内のミサイルランチャーが主力。といってもそんなものがISには当たるはずもないので、実質第二世代最弱機体ということになります。

 

 多分IS以外には弾切れ知らずで鬼のように強いと思います。ミサイル駆逐艦ぐらいの火力はあるんじゃないかな。ICBMを積んだりもするんだろうと思います。

 

 二次移行については「その場で必要な方向に変化する」という原作の設定に倣い、不足している機動力やら格闘能力が向上する形になりました。

 

 

 3.5 女尊男卑(第7話)

 

 原作でも二次創作でもトップクラスの死に設定であるのが女尊男卑設定ですが、二次創作での基本路線は黙殺、原作でもイマイチ生きていない感じですね。

 

 原作ではセッシーさんがえばってみせたり、頭の不自由そうなお姉さんを登場させてみたりしているようです。不条理にも女性が上位に立って威張っているというのをもって女尊男卑の描写としようとしたのでないかと推測いたしますが、ぶっちゃけそれが女尊男卑的な感じがするかというと微妙。

 

 男尊女卑に限らず、社会的な格差というのは金とかセックスとか教育とか権力とかにアクセスしやすいか否かで現れるわけで。具体的に言えば、頑張って勉強したくても金が無くて高等教育にアクセスできないとか、特定の人種は別の学校に行かないとやってけないとか。社会の階層に流動性があるかないかという形で現れるんですよね。

 

 今回の話では、「元々機会平等をかなぐり捨ててでも成果主義に走る下地があった」→「ISがきっかけの一つとして男女間の教育制度に格差が発生」→「本当に男女間の能力水準には差が生じている」という理路にしている。

 

 女尊男卑が実際に「男女間で教育水準に差が生じている」もしくは「能力に差がある」という作品はありました。私の解釈はそれらをパク……い、インスパイアし、何でそんな社会への変化を容認したかという理由もあったんだよ、という話にしております。

 

 IS学園もそうですが、どうも子供が非道い目にあっているようなあの社会って「有史以来」どころか現在進行形で格差が開いていっている気がするんですよね。

 

 IS社会って我々の社会に近く見えるけど、実はヒャッハーな弱肉強食社会なんじゃねーの? というのも私の独自解釈というわけではなく、理想郷の設定突っ込みスレ等でよく言われていることだったりします。これらのネタは、既にあるネタの混合型というわけです。

 

 

 3.6 福音事件と二次移行(第10話)

 

 福音事件については、原作中で大体語られている通りで踏襲。割烹に書いたとおり、珍しく原作中でも束さんがどうやって何をしたのかがわかりやすいことになっています。

 

 篠ノ之くんが本編で解説した通り、三巻での描写――福音は暴走していたけれどもISの機能は保っていた、さらにナターシャ・ファイルスの証言から、福音自身がその操作をしていた、ということまでは判ります。

 

 原作に出てくる設定なので、今さら篠ノ之君(と作者)はなんでドヤ顔で喋ってるのか、あるいはハミ子さんがなんで怯えているのか、と思われたかもしれません。

 

 補足しておくと、読者ならばこれらの設定を全部読むことができるんですが、作中人物のうちナターシャの証言を知っている人物はほとんどいません。仕掛け人の束さん、直接彼女と会話した千冬さんぐらいのものです。

 

 上記の他にも、米国ならば調査を当然しただろう、という仮定ぐらいは立てられます。ただし、原作でかの国は最終的に封印という措置をとっていますね。

 したがって、何をされたのか見当も付かなかったか、あるいはアタリぐらいはついたけど技術的にそれ以上調査ができなかった、という結論になったんだろうと推測できます。

 

 この話では以上の推測に基づき、亡国機業スコール隊に調査が投げられた、という流れになっています。その過程で篠ノ之君は読者と同じ情報を全て拾い、かつ篠ノ之束がやった二次移行の方法にもアタリを付けられた、という扱いです。

 

 

 3.7 剥離剤とISの自己修復(第11話)

 

 ISの自己修復能力というのについてちょっと考えたときに思いついた設定。一応整合性は取れていると思うのですがどうでしょう。

 

 ISの設定には目立つポイント(女尊男卑・IS学園など)が多いせいかあまり気にしませんが、SF厨的にはもっと気になるポイントがあります。

 

 ・どうやってISが自分とそうでない者を見分けているのか(自己修復はどうやっているのか)

 ・どうやって生物の中から人間を区別しているのか(猿やブタではISは起動しないのか?)

 ・人間の個体を識別しているのか(フィッティング、恒常性維持機能)

 ・どうやって人間のうち女性を見分けているのか(女性限定の起動能力)

 

 というポイントにあります。どれも追究すれば一作品できあがるほどのネタです。中でも一番でかいのは、コアはどうやって男女の別を付けてるの、ということだろうと思いますが、ネタ的に扱うにはでかすぎるので涙を飲んでスルー。

 

 今回はこのうちISコアの自己認識とヒトの個体識別という問題を使いました。これも上記と同じくらい難しい問題です。実際のところ、人体にとって適切な生理的動きを機械が把握する、というのは相当に難しいんですね。

 

 外付け機械で体内環境をコントロールする、ということですと現実の人工心肺機能というのが似ている事物として存在します。

 

 現在だと人工心肺もかなり初期に較べかなり安全になっていますが、初期はかなり不安定だったそうです。生理的な動きに比べて機械的にすぎるため、送りすぎたりして身体がどんどん壊れて言ってしまうんだとか。 最新の設備でさえ、長時間の人工心肺使用は深刻な合併症を引き起こすらしい。抗凝固剤や低体温に加え、非生理的な血液循環(血液の送りすぎ/不足・高血圧/低血圧)というのは相当身体に負担をかけるもののようです。

 

 ISコアに繋がることで死んだりあちこちの臓器に重篤な障害が起こったりしない以上、ISコアは身体の各所で生じている生理現象について、まるで人間の身体がするように知っていなければならない、ということになります。

 

 本編中で思うさま篠ノ之くんに語らせたのであまり付け加えることはほとんどありませんが、剥離剤はこのISの優秀すぎる恒常性維持、免疫系の機能を悪用したもの、ということになっています。

 

 

 3.8 フィッティングとISの動作(12話・エピローグ2)

 

 フィッティングしなかった機体があまり動かない、というような描写は原作にはありません。一夏さん普通に動かしてるし。

 すでに調整済みの機体を慣れないハミ子さんが動かしたから動きにくい、という言い訳にしています。

 

 若干自身がないのは、ISを動かすのが難しいのか簡単なのか、原作を見ているとイマイチよくわからないからです。いっそ一夏ニキがスペシャルな存在なので動かせるんだぜ! と明言してくれれば設定厨としては気が楽です。

 

 ここでは話の展開的に、あまりすいすい逃げられてしまうという事情もあります。ので、イメージ入力についてもフィッティング前後で差が出るのだ、というようなつもりで書いています。

 

 マドカについては千冬さんと相当に生体が近かったという描写に留めています。本当は精神的な繋がり、類似性も関係していて……という流れにできれば言うことなかったのですが、この前の前半でさんざん生理的な話に終始したので、今さら入れることができず。

 

 エピローグ2のマドカの後遺症は、いくら近いとは言っても影響はあるよね、ということで思いついた感じの描写です。

 

 3.9 英国の狙いは(エピローグ1、エピローグ2)

 

 まあ一応、それらしいことは第6話ウェルキンさんが内心でつぶやいていた(トライアルで落ちても開発に噛めるようにしないと、みたいな)ので、伏線は張っていたのですが、エピローグで楯無が彼女を誘う展開にするためだけのものなので、「あっそう」と言われても仕方ないですね。

 

 次期欧州主力はシュヴァルツェア・レーゲン型になるとして、恐らくそれが一線配備されるまでウェルキンさんは英国から出ず、新生《フィアレス》を駆ることになるのでしょう。

 

 

 3.10 スコールさんとマドカさん(エピローグ2)

 

 マドカさんは結局少年たちを仲間として戦うことを受け止めたようです。第1話の不利からしてこのラストになるだろうな、というアタリには収まっています。

 

 スコールさんがマドカを選んだ理由は本文の通り。ややこじつけ臭いですが、エンドマークにはちょうど良かったんじゃないかな。

 

 

    ◇    ◇    ◇

 

 4.雑記

 

 作品を書いてみて、私的なこと。

 

 小説らしいものを今まで書いたことはあったのですが、SFを書くのも連載をするのも初めてだったので色々戸惑うことはありました。後半になるほど分量が増えたり後からあの伏線を張っておけばよかった、と思うこともしばしば。良い勉強をさせて頂きました。

 

 かき上げて見ましたが、逆ハーというのは未だによくわからんです。ハーレムものよりは書いてて楽しいと思いますが。評価は並み、ユニークアクセス数は2013/2/2時点で9000足らず。マドカのファンなんて聞いたこともないし、癖の強いネタなのですがそれなりにご来訪頂いた方かなと感じています。

 

 コンセプト的にもともとオリ主やら何やらの多い現在の二次創作で、とりあえず変なタイトルで変わったことをする――「オフィス街のインド人のカレー屋」的な立ち位置なので、ああ、何か変わったものを喰って気分転換に良かったなと思って頂ければ成功かなと思います。

 

 色々続きを想像させるラストにはしましたが、この設定で続きを書くことはありません。

 

 マドカさんがみんなの力で一夏ヒロインズ相手に無双したり

 オータムさんが新型の亡国版デュノア社第三世代機で戦ったり

 一夏ニキと亡国少年たちがISvs歩兵の非対称戦闘をやったり

 一夏ヒロインズと少年達と遭遇したり、マドカが織斑姉弟と何らかの形で決着を付けたり

 

 ある程度想像は出来るのですが、最初に書きましたとおり、マドカさんが主役の世界観を作り、なおかつその中では絶対に彼女はハーレム入りはしないだろうな、という話を作るということが目的だったので、やることをやったらさっさと退散いたします。原作8巻も出るようですし、原作でも二次でも魅力的なマドカさんが出ればいいですね。

 

 最後に、投稿させて頂いたハーメルン、およびシステム管理人の作る人さんには感謝しております。とにかく使いやすいし、かゆいところに手が届く感じが素晴らしい。質的に理想郷には上げにくい作品なのでこちらに移行させていただかなかったらこんなに見て頂くことはできなかっただろう、と思います。偏にハーメルンのおかげです。

 

 ISの二次としては設定厨的にまだ書きたいことがいくつか残っているので、しばらく書きためたらまた発表したいと思います。女だけがなぜ起動出来るのか、ISコアの意識って何とか、出来たらオリ主ってのも一度やってみたいですね。それもあんまり来ない国。ブラジルのオリ主とか、今回出せなかったロシア人とか。

 

 ただ、次やるのは咲-saki-の二次創作の予定です。次は理想郷にも投稿できるクオリティにできたらいいなあ。

 

 以上。あとがきまで長くなりましたが、こんな変わった作品を最後までご覧頂きありがとうございました。



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