Fake/Another apocrypha after (ハトスラ)
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プロローグ
プロローグ そして狂戦士と騎乗兵


 幼い頃、虹を見た。

 雨上がりの空。分厚い雲を引き裂いた日差しに、浮かび上がる極彩色の橋。

 妹と見上げたその景色があまりに綺麗で、喧嘩の最中だったことすら忘れて二人で見入った。

 

『きれいだね』

 

 そう言った彼女の顔は未だ涙に濡れていたけれど、その表情はついさっきまでとは対極のそれで。

 幼い自分は『そうだね』と、短く返して手を繋いだ。

 

 空の綺麗さと妹の表情。喧嘩していたことなんて、その二つを前にはどうだっていいこと。

 頭上にかかる虹を見上げながら、妹の手を引いて家路に就く。

 

 何気ない日常の、なんてこともない一日。

 けれどそんな、なんてこともない一日は自分にとっての特別になっていたらしい。

 妹と見上げた虹を、自分は未だ覚えているから。

 

 

 

 

 

 

 

~~13日前~~

 

 

 

 どうせ召喚するのなら、最強のサーヴァントがいい、と彼女は思った。

 

 七人の魔術師と、七人のサーヴァントで行う聖杯戦争では、自らの持ち駒であるサーヴァントの優劣によって勝敗がきまるといって過言ではない。そう思ったから、彼女はまず強いサーヴァントとは何かを考えはじめた。

 考えはじめて、真っ先にキャスターのクラスを除外した。『対魔力』というスキルがある聖杯戦争では、魔術師のクラスであるキャスターは不利がつきすぎる。

 次にアサシンを除外。このクラスは直接戦闘が苦手だし、なによりアサシン対策が横行している今のご時世では、マスターの暗殺を成功させることは難しい。

 残るは五つある基本クラスだが、この中ならばやはりセイバーだろうか、と彼女は考える。

 最速のランサー。強力な飛び道具を持つアーチャー。同じく、強力な切り札を持つとされるライダー。

 どのクラスも一長一短だが、セイバークラスは癖がなく、どのような局面でもそれなりに活躍できるという前評判だった。

 

 呼び出したいクラスが決まったので、彼女はセイバーを呼び出すための触媒を探しはじめた。

 聖剣や魔剣がそのまま見つかれば手っ取り早いのだが、当然そんな博物館クラスの聖遺物は見つからない。

 それでも彼女は首尾良く、触媒として強力な聖遺物を手に入れた。見た感じはただの石ころだが、どうやらこれは大昔に砕かれた『大理石の破片』らしい。

 それが本当ならば、この触媒で呼び出される英霊はまず間違いなくセイバーだ。それもかなり強力な。

 

 サーヴァント召喚に必要な触媒を用意した彼女は、聖杯戦争開催の地である日本へと飛んだ。入国したその日の内に召喚に適した霊地を押さえ、その晩にサーヴァントの召喚に踏み切った。

 いっそ清々しいまでの迷いのなさである。

 けれど、魔法陣の前で召喚の為の呪文を唱えている時に気づいた。

 

『確かに自分が召喚しようとしているセイバーは強力だ。だけどそのセイバーを狂化(・・)すれば、真実最強なのではないか』

 

 そう思い至った彼女は、今度もやはり躊躇しなかった。

 迷い無くサーヴァントに『狂化』を付与する詠唱を挟み込んで、惜しみなく召喚に魔力をそそぎ込んだ。

 

 サーヴァントを『狂化』すれば、戦闘力の底上げが見込める。代償として、そのサーヴァントからは理性が剥奪されてしまうが、そんなことは彼女にとってはどうでもいいことだった。

 そも、彼女が欲しているのは強力な駒であって、共闘者ではない。戦力を底上げしつつ、駒として運用するのに邪魔な理性が消えてくれるのなら、むしろ願ったり叶ったりである。

 欲しいのは高潔な騎士様ではなく、純粋な戦力なのだ。

 

「────天秤の守り手よッ!!」

 

 そうして詠唱の終わりとともに、理性を奪われた騎士は現世へと召喚される。

 

「オ……ォォオ……ォ……」

 

 呻き声のようなものを上げるだけで、言葉らしい言葉を発しないその様を見て、彼女は歓喜した。正確には、サーヴァントと契約を交わしたマスターとしての透視能力で見た、彼のステータスの高さにだ。

 思った通り、いやそれ以上のステータスに、彼女は勝利を確信する。

 

 やはり自分は間違っていなかった。

 最強の英霊に狂化を施せば、他の誰もが太刀打ちできない最強に出来るのだ。

 

「ふふ。あは! あはははははははははははははッ!!」

 

 喜びから思わず高笑いした彼女が、バーサーカーの桁違いの魔力消費に悲鳴を上げるのは、これより数分後の未来の話である。

 

 

 

 

 

 

 

~~7日前~~

 

 

「今、なんと言いましたか?」

 

 とある高級ホテルの一室に、呆然とも困惑とつかない声が響いた。

 

 声の主は金髪の青年だった。まるで映画の中の登場人物のような、端正な顔立ちの青年である。

 その彼は、深い青色の瞳を目一杯見開いて驚愕の表情を浮かべている。

 そんな表情ですら絵になる、というのは本人的にはどうでも良いことだろう。彼自身、外見より内面が大事だと信じて疑っていないし、その考え方のせいか、枝毛一つ無い金髪は、適当なところで乱雑に切り揃えられている。

 もっとも、それを差し引いても、彼が映画の中から飛び出してきたかのような美青年であるのは変えようのない事実なのだが。

 

「騎乗物は持っていないと言った」

 

 そう返すのは、燃えるような赤い髪が特徴的な青年だ。

 明らかに動揺している金髪の青年とは対照的に、堂々と、むしろ目の前の青年の反応を楽しんでいるようにすら見える。

 すらりとした長身に整った目鼻立ち。こちらも間違いなく美丈夫で通るが、その身に纏った衣装は、控えめな装飾が施された鎧という、どこかのコスプレ会場から抜け出してきたかのような、奇っ怪なものだった。

 

「そ、そんな馬鹿な話がありますか!? 貴方は『ライダー』のクラスで呼ばれたハズでしょう!?」

「初めにそう言ったろ。何だ、その両耳は飾りだったのか?」

「ではどうして!? 騎乗物のない騎兵など、剣のない剣士と同じではないですか!」

「あっはははははは!! なんだそりゃ! そんな剣士いる訳ねえだろ!!」

 

 半ば恐慌している青年を後目に、ライダーと呼ばれた青年は余程面白いものを見たかのように大笑いする。

 

「ライダー!!」

「ああ、いや。悪りぃ悪りぃ、アンタが面白いこと言うからつい。で、質問の答えなんだけどな。どうにも聖杯のシステム的なもんだろうと思う」

 

 諫めるような青年の声に、さすがに笑いすぎた、とライダーは片手を挙げて謝罪した。とはいえ、その目尻に涙が浮かんでいる辺り、まだ余韻は抜けていないようだったが。

 

「なんですって?」

「このサーヴァントシステムって奴は、英霊とセットでその『武具』も召喚してるようだが……、生憎と俺の騎乗物は生き物だ。これが戦車とかなら『武器』扱いで連れてこれたんだろうが、『武器』じゃない時点でシステムから弾かれたんだろうな」

「……他の『亜種聖杯戦争』では、生物系の騎乗物も確認されていますが」

「そういう奴らは『生き物を呼び出す能力』を持ってる英霊か、『生物と荷台がセットで戦車扱い』されてるかどっちかじゃねえか? ま、俺はどっちでもないんでね」

「つまり、本当に騎乗物はない、と」

「最初からそう言ってるべ? つうか、『アレ』は元々借り物だしな」

 

 ま、現地開催ならわからなかったが。と付け足してライダーは皮肉気に微笑んだ。

 

「ともあれ、こんな欠陥性能のライダーだ。単独で他に劣る以上、マスターのサポートが必要不可欠。尚且つ、それがそのまま勝敗に繋がるだろうよ。

 そういう訳で、頼りにさせてもらうぜ? 『マスター』」

 

 騎乗物のない騎兵とは、想定外にも程がある。

 赤い髪のライダーのマスターとなった青年は、開幕から苦労しそうな予感を受けて頭を抱えた。

 




【CLASS】バーサーカー
【真名】???
【マスター】???
【性別】男性
【属性】秩序・狂
【ステータス】筋力A+ 耐久A 敏捷A 魔力B 幸運D 宝具?
【クラス別スキル】
狂化:C
 幸運と魔力を除いたパラメーターをランクアップさせるが、言語能力を失い、複雑な思考ができなくなる。

【固有スキル】
???


【宝具】
???


【召喚に使われた触媒】
 砕かれた大理石の破片


※あらゆる局面に対応できるセイバーつおい→そのセイバーを狂化すればもっとつおい。とかいう小学生並みなマスター現る。
あの、それじゃあらゆる局面には対応できないッス。


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暗殺者

~~6日前~~

 

 

 

 アベル・アッカーソンはこの後の展開を予想して、頭を抱えたくなった。

 

 目の前では彼が仕えるお嬢様と、そのお嬢様に召喚されたサーヴァントが最初の問答を交わしている。

 が、これはよろしくない、とアベルは直感した。

 

 そもそもアベルが仕えるこのお嬢様は、魔術の腕こそ一流だが性格の方に難がある人物である。基本的に甘やかされて育った為に、自分の思い通りにならない、ということに耐性がないのだ。端的に言ってしまえばワガママなのである。

 

 そんなお嬢様は、この度、極東の地で行われるという魔術の競い合いに参加することに決めた。そうなれば当然、彼女専属の使用人であるアベルもその戦いに同伴することになる。

 だが、それはいい。そんなことは使用人である以上当然、とアベルは考える。

 問題なのは、彼女が参加を決めた魔術の競い合いが『聖杯戦争』と呼ばれるものだった、ということ。そしてその戦いは、『魔術師同士の戦い』というよりも、『魔術師が召喚したサーヴァント同士による戦い』と言った方が正しいというものだった。

 

 そう、戦いに参加するのならばサーヴァントを召喚しなくてはならない。それも、他の参加者が召喚するサーヴァントよりも強力なサーヴァントを、だ。戦いはサーヴァント戦だけではないが、それが聖杯戦争の中核になるのが間違いない以上、自分の持ち駒は強いにこしたことはない。

 サーヴァントとは、過去の英雄そのものだ。

 生前、偉業を成して英霊として祭り上げられたものを、一時的に現世に呼び戻し使役する。それが聖杯戦争におけるサーヴァントシステム。

 そして魔術師が召喚するサーヴァントは、召喚の儀式の際、その英雄縁の品を捧げることで、ある程度限定することができる。例えば聖剣の鞘で騎士王を、この世で初めて脱皮した蛇の化石で英雄王を、といった具合だ。その品と英雄との結びつきが強ければ強い程、狙った英雄を呼び寄せやすくなる。

 そういう訳で、召喚の儀式に英雄縁の品を捧げ、自分の理想のサーヴァントをパートナーとする、というのが聖杯戦争に参加する上での最初のステップのようなものなのだが。この点において、アベルのお嬢様はのっけから躓いた。

 

『召喚するのなら、やはりセイバーのクラスよねぇ!』

 

 お嬢様が、そう無邪気に笑っていたのは、かれこれ二週間前の話である。

 

 聖杯戦争におけるセイバーのクラスとは、文字通り剣士のクラスを意味する。高い白兵戦能力と対魔力に優れ、大概の場合は強力な魔剣、ないし聖剣を携えて召喚されるサーヴァントクラスだ。

 その能力値の高さから、最優のサーヴァントとされており、過去三回行われた冬木の聖杯戦争では、いずれも最終局面まで生き残ったらしい。

 亜種聖杯戦争が盛んな今日でも、セイバーのサーヴァントの評価は相変わらず高い。というよりも、頻繁に開催される聖杯戦争で、その性能の高さが改めて浮き彫りになったと言えよう。

 

 そんな訳で、お嬢様がセイバーのサーヴァントをパートナーとして欲しがった、というのは至極自然な流れだった。

 そうなることがわかっていたアベルは、早々にセイバー召喚の為の触媒を手配すべく、あらゆる伝手を使った。

 

 が、世の中そうそううまくはいかない。

 

 亜種聖杯戦争が盛んな今、英霊を呼び出す為の触媒の価値は高騰している。

 世界的に有名な英霊の物から、耳にしたことのないようなマイナーな英霊の物。それが本物だと確定できればまだいい方で、真贋定かでない物ですら、目を剥くような値段がつけられているのだ。

 それもこれもすべては需要に対して供給が追いついていないからで、そんな風に皆が英霊の触媒を求めている時代に、狙った英霊の触媒を手に入れることは非常に難しい。

 

 それでもアベルは方々の伝手を伝って、本物だと言える触媒を手に入れた。

 問題があるとすれば、この触媒を元に呼び出される英霊が、まず間違いなく『ライダー』のサーヴァントである、ということだろうか。セイバーどころか、強力とされる『三騎士』のクラス、そのいずれでもない。

 おそらくアベルは、お嬢様からそれなりのお叱りを受けるだろう。だが、この触媒が現状で用意できた最高の触媒ということには変わりない。お嬢様には、これで満足してもらうしかない。

 

 と、アベルが悲壮な覚悟を決めたのが五日前。

 そして、手配中だった触媒が盗まれたのが三日前だ。

 

 知らせを受けたアベルは、大慌てで次の触媒を探した。

 原因も犯人探しも二の次で、方々を当たり、なんとか本物だと確認の取れた触媒を用意できたのが昨日のこと。最初の触媒を探していた時に作ったパイプが活用できた結果、なんとか聖杯戦争に間に合わせることができた。

 

 そしてアベルが用意した触媒を使い、お嬢様がサーヴァントを召喚したのがつい数分前のことである。

 

 召喚の儀式自体は、お嬢様の魔術の素養もあって滞りなく終了した。

 そばで邪魔にならないように見ていたアベルからすれば、こんなにあっさりと終わってしまうのか、と少々拍子抜けしたのも事実である。

 

 そうして行われた、主従による最初の問答。

 

『現代へようこそ! 私のパートナー!! 早速、貴方のクラスと名前を教えてくれるかしら?』

 

『はい。僕のクラスは“アサシン”。真名は──』

 

『おまちなさい。アサシン? 今、アサシンと言ったの?』

 

 膝を着き、臣従の礼を取ったサーヴァントから聞かされたクラス名に、マスターであるお嬢様だけでなく、そばで見ているだけだったアベルの空気すらも凍った。

 

 アサシン。セイバーでもライダーでもなく、アサシン。“よりにもよって”アサシンのクラスだと、このサーヴァントは言った。

 

 これは、なんというか、相当に、その、よろしくない。

 

 本来、聖杯戦争で呼び出されるクラスは七種類。

 お嬢様が熱望していた最優のクラス・セイバーはその一つであり、アベルが用意し、奪われた触媒から呼び出されたであろうクラス・ライダーもまた、その一つだ。

 そして今、お嬢様の目の前で膝を着いているサーヴァントが語ったクラス。アサシンも七種類の内の一つ。

 最大で七騎。七種類のクラスから、クラスにダブりがないように呼ばれるとされるサーヴァントシステムのことを思えば、まあこういう可能性もあった。なにせ確率は七分の一だ。

 それでも、よりにもよってアサシンとは、と思わざるを得ない。

 

 『暗殺者』のクラスであるアサシンは、文字通り暗殺を駆使するサーヴァントタイプだ。クラス別スキルとして、自らのサーヴァントとしての気配を絶つ『気配遮断』を備える。

 気配遮断スキルは、そのランクにもよるが、基本的には、たとえ相手がサーヴァントであっても、アサシンが攻撃態勢に移行するまでは、その存在を感知できないほどの代物だ。

 アサシン自体は『戦士』ではなく、あくまで『暗殺者』のため、サーヴァント同士の直接対決は不得手な傾向にある。よって、この気配遮断スキルを使って、敵サーヴァントの守りと警戒をすり抜け、敵マスターを暗殺するのがアサシンの基本戦術になるのである。

 真っ向勝負を得意とするセイバーやランサーなどのサーヴァントタイプとは正反対の、相手の寝首を掻く、隙を突く、といったことに特化したサーヴァントタイプであるといえよう。

 

 ところで、このアサシンというクラス。マスターにとっては、他のどんなクラスよりも警戒しなければならないクラスである、というのが聖杯戦争に参加する魔術師たちの共通認識である。

 なにせどんなに警戒していても、気配を感知できない。気配を感じさせない暗殺者、というのはそれだけで大きな恐怖だ。

 自陣で休んでいる時に殺されるかもしれないし、他のサーヴァントとの戦闘中に殺されるかもしれない。

 かといって自分のサーヴァントをずっと護衛につけておくと聖杯戦争を戦えず、戦えたとしてもサーヴァント同士の戦いに巻き込まれて死ぬ可能性がある。

 ある聖杯戦争では、アサシンのサーヴァントが僅か三日で聖杯戦争を勝ち抜いた、という逸話まであるほどである。

 

 故に魔術師たちは対策を練り上げた。練り上げた上で、聖杯戦争が開幕すると同時に、積極的に排除する。

 アサシンをサーヴァントにするということは、そのことを前提として戦わなければならない、ということでもあるのだ。

 

 だが、アベルは理解していた。お嬢様にとっては、そういった事情なぞどうだっていい(・・・・・・・)ことだろう、と。

 真に問題なのは、あらゆる対策を施されたサーヴァントタイプだということではなく、アサシンが真っ向勝負に向かない(・・・・・・・・・・)サーヴァントタイプだということだ、と。

 

 お嬢様は、なんというか目立つことが好きなのである。

 お嬢様がセイバーを欲しがったのも、元をただせばそれが原因だろう。セイバーが強力なサーヴァントタイプだからという理由の他に、『セイバーと言えば聖杯戦争の花形』という認識があったからに違いない。

 それが蓋を開けてみれば、真っ向勝負とは程遠く、さらに目立つことが厳禁なサーヴァントを引き当ててしまった。

 

 アベルの背中を嫌な汗が伝う。

 花の三騎士、とまでの贅沢は言わない。これがせめてライダー、いやいっそのこと、暴れることしか能のないバーサーカーであったとしても文句は言うまい。

 だが現実は非情だ。

 固まってしまったお嬢様の前で、微動だにせずに臣従の礼をとり続けているサーヴァントは、間違いなくアサシンと言ってのけたのだ。

 この事実はもう、変えようがない。

 

 どうするべきか、と冷や汗混じりにアベルは凍ってしまった思考を再開させる。──前に、お嬢様が自分のサーヴァントに背を向けた。

 

「マスター?」

「お嬢様?」

 

 アベルとアサシンの声が重なる。

 アサシンには応えずにお嬢様はアベルを見ると、そのまま足をこちらへと向けて、

 

「少々疲れました。休みます。彼への説明は貴方に任せるわ」

 

 と、そのまま部屋を出ていってしまった。

 

「…………」

 

 お嬢様がサーヴァントの召喚のためにだけ用意した広い部屋には、残された従者が二人。

 硬い声色と口調から、今回のこれは相当に機嫌を損ねたな、と嘆息してからアベルは改めてアサシンを見た。

 

「どうやら召喚早々、僕はマスターの機嫌を損ねてしまったようですね」

 

 マスターのいない状況で礼を取り続ける意味もないと考えたのか、そう言いながらアサシンが立ち上がる。

 

 小さいな、というのがアベルからアサシンへの率直な印象だった。

 長身のアベルはもとより、比較的小柄なお嬢様よりもさらに小さい。ついでに言えば随分と華奢な体格だ。

 サーヴァントである以上、戦闘能力はアベルなどとは比較にならないだろうが、なるほど。確かに正面切って戦うような戦士といった風貌はしていないな、とアベルは思う。

 加えて言わせてもらえば、少々妙だとも。

 

 とある事情から、アサシンのサーヴァントとして召喚される英霊は『一種類』のみという制約が存在している。

 それ故にアサシンたちは、外見、能力を暴かれ対策を施された。

 そしてその情報によれば、アサシンたちは皆一様に黒いローブに身を包み、顔面を覆う髑髏の仮面を着けているらしい。

 

 だが、アベルの前で困ったような表情を浮かべるサーヴァントの顔に仮面はない。黒のローブも身につけてはいない。

 代わりに身につけているのは、この国──極東に見られる戦鎧。頭部に至っては兜すら着けず、墨を流したような黒い髪と、類稀な美形、といっていい顔が惜しげもなく晒されている。

 

「……貴方は、本当にアサシンなのですか?」

 

 あまりにも既存の情報とは違うアサシンの姿に、アベルは挨拶もそこそこに質問を投げかけてしまっていた。

 問われたアサシンの方は気を悪くした様子もなく、「ええ、そうですよ」と答えると、自身の姿を見て、

 

「ああ、この姿がアサシンらしくないと思っているのですね。ええと……」

「失礼。私はアベル・アッカーソンと申します。貴方のマスターに仕える、いわば使用人です」

「そうですか。僕はアサシン。真名は……、すみません。マスター以外には教える気はないんです」

 

 申し訳なさそうにそう語ったアサシンに、アベルは首を振って了承の意を返した。

 サーヴァントにとって真名の開示は致命的だ。アサシンの言い分も当然だろう。

 

 もっとも、彼が従来通りのアサシンであった場合、真名は一つだし、もしイレギュラーだったとしてもアベルには思い当たる真名がある。

 なにせ召喚用の触媒を用意したのはアベルなのだ。

 イレギュラーな召喚として、本来のアサシンが呼ばれていないのなら、このサーヴァントは触媒に引き寄せられた英霊である可能性が高い。

 だとすれば考えられる真名は一つだけだ。

 ただ、その真名がアサシンのクラスに該当するとは思えないからこそ、アベルの困惑は大きいのだが。

 

 お嬢様がこれからの聖杯戦争を戦っていくにあたって、このあたりのことはハッキリとさせておいた方が良いかもしれない。

 

「アサシン」

「なんですか?」

「貴方を喚ぶための触媒は、私が用意しました」

「おや、そうなのですか。それでは貴方には真名を隠す意味がない、ということですね」

 

 そう返したアサシンの言葉はつまり、彼は触媒に引き寄せられて召喚されたイレギュラーなアサシンであることを表している。

 そのことを脳内でかみ砕きつつ、アベルは質問を投げかけた。

 

「それではやはり貴方は、『ハッソウトビ』の英霊に間違いはないのですね?」

 

 言い慣れない単語は、発音も少し怪しい。

 それでもアサシンに言葉の意味は通じたらしい。彼はにこやかに微笑むと、アベルの質問に首肯で返した。

 

「見たところアベル殿は日本の生まれではないようですが、よく僕のような英霊の逸話などご存じでしたね」

 

 感心した、といった様子のアサシンに、アベルは少しいたたまれなくなった。

 

「ああ、いえ。気を悪くしないでほしいのですが、私はこの国の英雄について明るくなくて……、貴方のことは、この触媒を譲っていただいた方から少し聞きかじった程度なのです」

 

 なので、正直に言うと、真名を知っていたところで、アサシンがどの程度戦えるサーヴァントなのか、見当もつかない。

 そう告白すれば、アサシンは「それは残念です」と苦笑を返した。

 とはいえ、口でいうほど残念がってはいない様子だ。むしろ、その程度のことは当然だろうと受け入れているようにすら見える。

 

 英霊というのは皆、なにかしらの偉業を成し遂げた存在だ。

 故に自分の名前には誇りがあり、その誇りゆえに気難しい性格の者が多いのだろう、と思っていたのだが……。

 

「では、アベル殿にも納得していただけるような働きができるよう、力を尽くしましょう」

 

 そう語ったアサシンは穏やかで殊勝、およそ傲慢さとは無縁に見える。まだ少し言葉を交わした程度だが、性格面においてアサシンは扱いやすいサーヴァントであると言っていいだろう。

 これでもし、彼が我の強いサーヴァントであったとしたら、アサシンであることと相まって、お嬢様とは早々に決裂してしまっていたかもしれない。

 

 少なくとも当面はその心配はなさそうだ、とアベルは少しばかり安堵した。

 

 直後に、どうして自分がアサシンのクラスで喚ばれたのか、さっぱりわかりませんねー、と朗らかに笑ったアサシンに、またちょっとばかり頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 サーヴァントの召喚を行った部屋の隣室に入るなり、彼女は思いきりベッドにダイブした。

 服が皺になるのも構わず、長い髪が乱れることも構わず、とにかく形振り構わず枕を引き寄せ顔を埋める。

 

 アサシン。アサシンだ。よりにもよってアサシンなのだ。

 堂々と戦うことが許されず、そんなことをすればあっさり殺されてしまうアサシンだ。

 

『マスター?』

 

 と、そう呼ぶアサシンの声と挙動がまだ脳裏に焼き付いている。

 そうそして自分はそんなアサシンのマスターだ。それはもう覆しようのない事実であると、右手に浮かんだ令呪が告げている。

 

「ああー! もうッ!!」

 

 どうしろというのだ、自分に。

 よりにもよって、あんな……、あんなサーヴァント。

 

 

 あんな美形のサーヴァントを、どうやって運用しろというのだ!!

 

 

「うう……。私、おかしくなってしまったのかしら」

 

 墨を流したような黒い髪。白に黄色を混ぜたような黄色人種の肌。中性的に整った目鼻立ち。神秘的な黒曜の瞳。全身から溢れる濃密な魔力。

 

 その姿を思い出すだけで顔に熱が集まる。胸の高鳴りが静まらない。

 あの場ではなんとか平静を装えたが、次はこうもいかないかもしれない。

 

 だが、自分はマスターなのだ。

 色恋にうつつを抜かすようなマネをしてはならない。己のサーヴァントには毅然とした態度で接しなければ。

 そうしなければ、アサシンに呆れられてしまうかもしれないし、そんなのは絶対に嫌だ。その為にも模範的なマスターとして……、

 

「って、違う違う違う! 何考えてますのよ私!? そうじゃないでしょう! 私はもっとこう……」

 

 けれど、顔を上げたアサシンはやっぱり格好良かったなあ……。ハッ、違う!

 

 などと、一人ベッドの上でもだえながら葛藤を続ける彼女は、傍目から見れば非常に微笑ましい。この場に彼女の他に意志のある生物がいないのが悔やまれるほどである。

 

 とはいえ、こうしてまた一組、新たな主従が誕生した。

 自身のサーヴァントに一目惚れを果たしたマスターがその絆を深めていけるかは、神のみぞ知るところである。




【CLASS】アサシン
【真名】???
【マスター】お嬢様
【性別】男性
【属性】中立・善
【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷A+ 魔力C 幸運D 宝具?
【クラス別スキル】
気配遮断:A(D)
 サーヴァントとしての気配を絶つ。隠密行動に適している。
 ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断は解ける。

【固有スキル】
八艘飛び:A
 ???

???

【宝具】
???

【召喚に使われた触媒】
???



※セイバーさん大人気(召喚されるとは言ってない)
ところでアポクリファではアサシン大変らしいですね。冬木でも大変なのに、こんなに対策された日にはポイズン


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半端者。そして五人目。

~~1日前~~

 

 

 

 つくづく甘い、と(みやび)は自分に対して嫌気が差した。

 

 玄関をくぐってすぐに寝室へと向かった雅は、鞄と制服を乱雑に脱ぎ捨て、そのままベッドへと飛び込んだ。

 ぎし、とマットに仕込まれたスプリングが軋み、雅の体重を受け止めて揺れる。

 

「……制服、架けておかないと」

 

 布団へと顔を埋めながら呟いた。

 あのまま放置してしまっては、皺になってしまうかも知れない。

 ああ、でももう面倒くさいな。ついでに夕飯の準備も、なんならお風呂だって面倒くさい。

 

 こうなってしまうと、もうダメだ。何をする気も起きなくなってしまう。

 ほんの数秒前に制服を脱ぎ捨てたのは自分自身だったが、面倒くさがらずに、その場で架けておくべきだった。

 理屈では動かなければと思うのだが、ダメだ。やはり動く気がしない。

 

 そんな自分の自己評価は過去最低。

 

 けれどそう思うことは、ままある。

 つまりそれは最低を更新し続けているということか、と思い至って、思考を放り投げた。

 

 先に断っておくと、雅は比較的優秀な人間だ。

 

 学校での成績は常に上位に食い込んでいるし、運動神経の方も悪くないと思う。少なくとも二年生になってからも、数多の運動部から勧誘される程度の運動神経はある。

 友人関係も、雅の思う内では良好だし、別に教師たちと折り合いが悪い訳でもない。

 

 だから今、そして過去にあった自分に対する失望は、そういった『日常』のものとは違ったものだ。

 日常の裏側にある、決して表舞台に上がってこない世界。神秘だとかオカルトだとかを、実在するものとして扱う社会に生きる人間たち。

 

 雅は所謂、魔術師、という奴だった。

 

 そして今現在、雅が消えてなくなってしまいたいくらいに凹んでいるのは、その『魔術社会の人間として』に起因する。

 

 とはいっても、前述したとおり雅は優秀な人間だ。

 それは何も、『日常を生きる人間として』だけではない。魔術の扱いに関しても雅は天稟と呼べる才を持っている。魔術の師である祖母からは『覚えが良すぎて虐め甲斐がない』とまで言われた程だ。

 魔術師にとって、才能に直結するといわれる『家柄』だって、雅を数えて八代目。十分に名門と呼ばれる古い家系である。

 それ故に雅は、自分に魔術を扱う才能があること自体は自覚していた。

 

 けれどそう言った才能とは別の一点において、雅はそこいらの三流魔術師にすら劣る、とも自認している。

 

 自分には、決定的に覚悟が足りない。

 

 ただ、それだけだ。

 それだけのことだが、それは雅にどれほどの才能があろうと、すべて無意味にしてしまえるだけの事柄でもあった。

 

 

 魔術師にとって第一の悪は神秘の漏洩である。

 魔術師たちの扱う神秘は、多くの人間に認知されてしまえば神秘ではなく一般常識に成り下がる。それを嫌うからこそ、魔術師たちは世間から隠れて研究を行い、自ら扱う秘術をたやすく明るみには出さない。

 そして万が一、神秘を知られてしまった場合、口封じの為に人を殺す、ということも珍しくないのである。

 

 もちろん、命は大切なものだ。そんなことは魔術師にだってわかっている。

 けれど、魔術師とは神秘の研究者だ。そしてその研究者にとって一番大切なこととは、自分の研究結果とその過程なのである。

 人の命は大切だ。だけど自分の研究はもっと大切だ。要するにこれは優先度の問題なのである。

 程度の差、考え方はまちまちだろうが、魔術師とは概ねそういう生き物であると考えてよいだろう。

 

 そして雅には、その辺りの『初めに持っておくべき覚悟』というものがまるで足りていないのだ。

 

「でも、さ」

 

 誰に聞かせるためでもなく、ただ自分への言い訳の為に言葉が漏れる。

 それに対して、本当に自分はどうしようもないな、と自覚しながらも雅の言葉は止まらない。

 

「そんなこと考える暇なんて、なかったんだよ……、助けちゃったんだよ」

 

 胸にわだかまる想いを吐き出しながら、雅の意識はまどろみの中へと落ちていった。

 

 

 

 猫と少年を助けたのだ。

 

 

 

 いつもの通りの高校からの帰り道、工事現場を通りがかった雅は「ああ、開発もここまできたか」と他人事のように思った。

 いや、正しく他人事なのだが、一応この近辺に住む住人の一人としてはもう少し別のリアクションがあったかもしれない。

 

 ここ冬木の地は中央に流れる未遠川を境に、東側が新都。西側が深山町して分かれている。新都側には高層ビルなどの近代建築が多く立ち上り、深山町側には古い町並みがそのまま残っていた。

 というのは十数年前までのことで、ここ十年程は新都側から徐々に深山町にも新しい建築物が増えてきているのである。

 

 雅が通りがかった工事現場もその一つのようで、工事の内容を示す看板には『深山ショッピングセンター』と書かれていた。

 名前からして、ここらに住む学生や奥様方には嬉しい施設な気がするが、果たして生き残れるだろうか?

 マンションやアパートならばいざしらず、深山町に建つこういったショッピングモール的なものは、最初の頃こそ物珍しさで興味を引くが、最終的に新都の店にお客を取られてしまうのが常である。

 開店一年で潰れるなんてことにならなきゃいいけど、とまだ完成してもいない店の心配をして通り過ぎた。

 

 雅の進行方向では工事の作業員らしき青年が、工事区画内に進入、または出ていく歩行者と車両の誘導を行っている。

 工事が始まってかれこれ二週間ほどだが、こういったものを目にするのが今日が初めてだった。工事の区画が広がって道路側に影響が出てきたのだろう。たしかに工事用車両の出入り口は少々見通しが悪い。

 雅が普段はスルーする工事現場をまじまじと観察していたのもそれが原因だ。

 巻き込まれ事故が一番多いって聞くしね、とため息をついたその瞬間だった。

 

 一匹の猫が道路に飛び出した。

 猫としては普通に道路を横断しようとしただけなのだろう。猫は猫なりに安全を確認して飛び出したのだろうし、雅だって猫一匹なら見逃した。

 けれどその猫を追って、小さい男の子が道路に飛び出したのである。

 そしてそのタイミングで工事現場から大型の工事車両が道路へと進入してきた。猫を追って走っている少年の位置は、ちょうど右折してきた工事車両に巻き込まれる位置だ。

 運転手の不注意、と責めることは出来ないだろう。車両の速度は間違いなく徐行だし、左右確認を怠っている様子はなかった。ただ、見通しの悪い道路を、大型の車両で右折してきた結果、どうしようもない死角が生まれてしまっていただけだ。付け加えるなら、絶望的にタイミングが悪かったとしか言いようがない。

 歩行者と車両の誘導を行っていた作業員も慌てて車両を止めに入るが、どうやったって車両の停止よりも少年が巻き込まれる方が早い。

 

 巻き込まれたら痛いだろうな、と思った。

 少年も運転手も、これからの人生が台無しになるかもなあ、と思った。

 

 思ったときには鞄を投げ捨てて走り出していた。

 一歩目で、走っても間に合わないと気付いたから魔術回路を起動した。

 二歩目で、全身に『強化』と『軽量化』の魔術を施した。

 三歩目で、猫の首根っこを引っ掴んで少年を抱き抱えた。

 四歩目で、思い切りアスファルトを踏みつけて工事車両から飛び退いた。

 

 端から見たら、雅の動きはありえないものだったろう。

 何せ十数メートルの距離をたったの四歩、それもほんの1秒程だ。もしかしたら、周りからは雅が飛んでいるようにすら見えたかもしれない。

 その事に気付いたのは抱えていた猫と少年を手放した時で、同時に周囲から歓声が上がった時だった。

 

 そのあとはもう、何とか周りの人間を誤魔化してこの場を去ることしか考えられなかった。

 幸いにして、事の一部始終を見ていた人間はいなかったらしい。周囲からは『度胸と運動神経が人並み外れた女子高生』という認識で済んだ。

 確かに最後の方だけ見ていたなら、そういう風に見えたかもしれない。というか、そうであってほしい、というのが雅の偽らざる本音だ。

 

 そうやって何とか事を荒立てないように苦心して、工事現場を離れて、そこから家へ向かう道でふと、自分の迂闊さに気付いたのだった。

 

 理由はどうあれ、一般人の目の前で魔術を使った。

 今回はたまたま異常だと思う人間がいなかったが、人前で魔術を使うなという魔術師のルールから外れた。

 

 そのことが雅の胸に重くのしかかる。

 

 では、あの少年と猫を見逃せばよかったのだろうか。

 極論、彼らは雅にとって何の関わりもない人間たちなのだし。そんなものの為に、わざわざ人前で魔術を使うなんて危険を犯す意味はない。

 けれど、自分にはそんな風に割り切れるだけの強さがない。

 では助けるとして、魔術を使わずに助けることができればそれでよかった訳だ。

 訳だが、あの状況ではそんなことは不可能だと理解してしまった。

 

 ならば結局どうすればよかったのだろうか、と考えたところで起こしてしまった出来事はなかったことにはできない。

 だったらせめて、少年たちを助けることができた自分自身に胸を張るべきだ。

 そういう風に考えられたならずっと良かったのに、雅の胸には黒いもやが残る。

 

 もし師匠である祖母が同じ状況になったら、少年を見捨てるだろうか。

 ……きっと助けるだろう。彼女は生粋の魔術師だが、妙なところで人間的だ。

 けどそのことに対して反省はしても後悔はしない。だって間違っていないし、と自分の行動を肯定する。

 もしかすると、もっと上手い方法で魔術も使わずに問題を解決してしまうかもしれない。

 

 では雅の敬愛する祖父ならば。

 彼もきっと間違いなく助けにいく。

 誰かを助けたいと思って力を尽くすことを、彼は否定しない。他人を助けることが最優先だから、きっと戸惑いなく魔術だって使う。

 そして決して後悔はしない。それで助けられる人がいるのなら、絶対に。

 

 自分には決してそんな風になれない。二人ほど自分の行いに対して自信が持てない。行動に伴う覚悟が足りない。

 周囲の歓声で我に返って一番に思ったのが、『助けてしまった』だったから。助けたことにすら後悔をして、そしてそんな風に感じた自分自身に心底嫌気が差している。

 

 

 

「最っ低だ。アタシ……」

 

 

 

 目覚めの気分は最悪だった。

 まだ上手く働かない頭で時計を見ると、時刻は既に深夜を示していた。丸一日以上眠っていた、なんてことはさすがにないだろうが、それでも8時間近く眠っていた計算になる。

 やらかしたー、と頭を抱えて身体を震わせる。やけに寒いと思ったが、そういえば今の自分は下着しか身につけていなかった。

 ベッドから起きあがり、とりあえず脱ぎ散らかした制服をハンガーに架ける。タンスから適当に見繕った服に袖を通すと、雅は足早に寝室を出た。

 

 時刻は深夜一時前。

 雅にとってもっとも波長のいい時間帯。そのピークが午前三時なことを考えると、あまり悠長に時間を使っている暇はない。

 

 魔術師たちによる、たった一つの聖杯を奪い合う殺し合い。聖杯戦争へと参加するため、今宵、雅はサーヴァントを召喚する。

 召喚に失敗は許されない。

 召喚自体は聖杯が行うとはいえ、召喚を成功させたいのなら細心の注意と最大の努力をするべきだ。

 

 だから、今日の夕方に感じた余分なもの(自己嫌悪)は捨てていく。……ことは無理なので、せめて思考の隅に追いやって、今だけは儀式に集中する。

 

「ふう……。じゃあ、少し頑張りましょうか」

 

 声は自分で思っているよりも落ち着いていて、『ああ、これならなんとか誤魔化せるかな』と思った。

 

 

 

 

 

 

 まず敵陣営にライダーを当て、敵の情報を得てからもう一人のサーヴァントを投入する。ライダー陣営の戦略としては、概ねそういったものだった。

 今現在は部屋の中央で、彼のマスターとその師匠(・・・・)がサーヴァント召喚の儀式を進めている。

 

 部屋の隅で壁に背を預けながら、ライダーは中央で作業しているマスターたちを見ていた。

 

「では、これよりサーヴァントの召喚を行う。君は下がっているように」

「はい、師父」

 

 そんな短いやりとりの後、ライダーの元にマスターが歩いてくる。

 これより召喚を行うのは彼の師匠だ。彼らは師匠と弟子、二人一組で聖杯戦争を戦う腹積もりなのだ。

 

 ライダーとしては、その辺りのことに不満はない。

 これは単純な個人の戦いではなく、戦争なのである。同盟という形で他の陣営と協力することは、決して間違った戦略とはいえないだろう。その結果、ライダーが他のサーヴァントの力量を測る当て馬になるのも、それはそれで仕方がない。

 もともと自分一人で全陣営と戦うつもりもあったのだ。他の陣営をすべて倒した後に、協力者と決着をつければそれで済む話である。戦うな、と言われているならともかく、戦え、と言われるのならば文句を言う筋合いはない。

 

「けどマスター。アンタはいいのかよ?」

「いい、とは?」

「アンタだって懸ける願いの一つや二つ持ってんだろ? 自分の駒を使い捨てにするような戦略じゃ、アンタが勝ち抜くのはちょいと難しいぜ?」

「私の願いは師父を勝たせることです。それが叶うのなら、この戦略に文句はありません」

「……さいで」

 

 場合によっては、自分のサーヴァントと決定的な溝が生まれかねない言葉を平然と口にするあたり、このマスターは少々阿呆なのかもしれない。

 そんな風に呆れつつも、ライダーは別に怒りや不満を感じてはいなかった。

 途中で力つきるのなら、それは自分の力量不足。土壇場でマスターに裏切られるのなら、それは信頼関係を築けなかった自分の努力不足。あるいは、それまでに別の信頼できる者を見つけられなかった、自分の間抜けさが原因だ。

 そんな風に考えているから、この場でライダーとマスターが決裂することはない。

 

 だからライダーの興味は別のところに移っていく。

 

「ま、世の中そうそう思惑どおりいくとも思えんがな」

「聞き捨てなりませんね、ライダー。貴方が情報を集め、師父のセイバー(・・・・)が決着をつける。この戦略に何か問題でも?」

 

 聖杯が用意する七つのクラスの内、最優とされるセイバー。

 たしかにセイバーのクラスが噂どおりの性能であれば、この戦略の勝率は多いに高くなるだろう。

 しかし、肝心のサーヴァントの召喚は今からなのである。呼ばれる者がセイバー、それも強力なサーヴァントであるとは限らない。

 己のマスターも、今部屋の中央で召喚の詠唱を始めた魔術師も、自分たちが召喚するサーヴァントがセイバーだと疑っていないが、それこそが穴であろうとライダーは思う。

 

「それこそまさかですよ。あの触媒(・・・・)でセイバー以外が呼ばれるなんてありえません」

「まあ、俺も十中八九セイバーだとは思うが……」

 

 彼らが所有する霊器盤は、既に四体のサーヴァントが召喚されたことを示していた。

 一番手がランサー。次いでバーサーカー、ライダー、アサシンの順である。

 過去の聖杯戦争の事例から、クラスの重複はないとして、喚ばれる可能性のあるクラスはセイバー、アーチャー、キャスターの三つ。理屈としてはまだセイバーを喚べる。

 

 加えて彼らが使う触媒は『血に濡れてどす黒く変色した菩提樹の葉』だ。

 かつてルーマニアで行われた未曾有の聖杯戦争。『聖杯大戦』と呼ばれる戦いで、とある魔術師が用意した触媒と同じ物である。

 亜種聖杯戦争が盛んな今、英雄の聖遺物は基本的に同じ場所に留まらない。さまざまな理由から元の持ち主の手を離れ、次の聖杯戦争で触媒に使われる。その触媒で召喚できる英霊が強力であればあるほどに、それは顕著だ。

 そして、この聖遺物もそういった物の一つ。

 これに引き寄せられる英雄は、()のネーデルラントの大英雄。不死身の竜殺し(ドラゴンスレイヤー)であろう。

 彼ならば問題なくセイバーに該当する。

 ライダーの適正もあるだろうが、その枠はすでに埋められているし、彼に最も馴染むのはセイバーのクラスのハズだ。

 

 そういうわけで、彼ら師弟がセイバーを喚べると確信しているのも無理はないのだが。

 

「なあマスター」

「……なんです」

「葉っぱのせいで不死身になり損なった野郎と、その葉っぱを自分の血で染め上げた野郎。あの葉っぱに縁があるのは、どっちだと思う?」

「は?」

 

 ライダーが挙げたのは可能性の話だ。

 確率としては、ジークフリードが喚ばれるだろうとも思う。

 けれど、それでも。そうそう自分たちの思惑どおりに事が進まないのも世の中だと、ライダーはよく理解しているから。

 もしかしたら、そういうことだって無いとは言い切れないのでは、ないだろうかと思うのは、ある意味で当然だったのかもしれない。

 

 

「天秤の守り手よ!!」

 

 

 その声に、余計なことに割いていた意識を引き戻された。

 部屋中に光が満ち、その直後、水銀で描かれた魔法陣の中心に、圧倒的な魔力を伴った人影が出現する。その存在感は間違いなくサーヴァントのそれだ。

 それはライダーたちの会話を余所に進んでいた儀式が、ここに完遂したことを意味している。

 

 そうして現れた五人目のサーヴァントは、魔法陣の中心から一歩進み出ると部屋中を見渡し口を開いた。

 

「サーヴァント・キャスター(・・・・・)、召喚に応じ参上した。問おう。貴様が我を招きしマスターか」




【CLASS】キャスター
【真名】???
【マスター】???
【性別】男性
【属性】混沌・悪
【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷C 魔力A+ 幸運E 宝具???

【クラス別スキル】
陣地作成:B
 魔術師として、自身に有利な陣地を作り上げる。
 “工房”の作成が可能。

道具作成:-
 『道具作成』スキルは失われている。

【固有スキル】
???

【宝具】
???

【召喚に使われた触媒】
血に濡れた菩提樹の葉



※ゴルドさんとセイバーの聖杯戦争も見てみたかったなあ……
ライダー組はなんていうか、zeroのアサシン陣営的な位置にいますね。
そして甘ちゃん魔術師マジカルみやびん


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槍VS騎  前哨戦

~~当日~~

 

 

 

 

 かつて冬木の地で行われた聖杯戦争。

 三回目の折り、柳洞寺地下から大聖杯が奪われたことによって、冬木の聖杯戦争は終結した。

 この際に広まった聖杯戦争の情報によって、今では世界各地で亜種聖杯戦争が執り行われ、多くの魔術師たちが聖杯を奪いあっている。

 

 その一方で、大聖杯が奪われた後、冬木で聖杯戦争は執り行われていない。

 これは『始まりの御三家』と呼ばれ、聖杯戦争を行うにあたって土地を提供した遠坂が、聖杯戦争から撤退したことが大きいだろう。

 冬木の土地管理者(セカンドオーナー)である遠坂に無断で聖杯戦争を行うことなど、普通に考えればできるハズがない。

 

 だからこそ今回の件、雅は黙って見ていることは許されなかった。

 たとえまだ十代の小娘だろうが、覚悟の決まらない半端者であろうが、この冬木の地を預かる土地管理者(・・・・・・・・・・・・・・・)として、無断で聖杯戦争を始めたバカをぶっ飛ばしてやらなければならなかったのだ。

 

 その為の剣は昨日手に入れた。

 あとは聖杯戦争を勝ち残って、この土地で好き勝手やってくれた何者かに、遠坂を舐めたことを後悔させてやるだけだ。

 

「どうアーチャー。ここから他の陣営は見える?」

 

 冬木センタービルの屋上で、雅は傍らに佇む自らの剣に呼びかけた。

 静かな声で「残念ながら」と、返答したのは長身の青年だ。枯れ草色の外套を風にたなびかせ、眼下に広がる冬木の街を見下ろしている。

 

 サーヴァント・アーチャー。

 昨夜の召喚で雅が引き当てた『弓の英霊』であり、雅とともに聖杯戦争を戦っていくパートナーでもある。

 

 昨夜の内に主従の契約を結んだ雅たちは現在、アーチャーに冬木の案内を兼ねた索敵を行っている。

 とはいえ、さすがに日が高い内から戦うようなマスターはいないらしい。アーチャーの鷹の目を以てしても、他の陣営は捉えられないらしかった。

 それはそれで、考えなしのマスターがいないとわかっただけでも収穫だ。なにより戦いが始まる前に、アーチャーに冬木の全容を案内することができた。

 サーヴァントを召喚して一日目の成果なら、これくらいでも十分だろう。もっとも、雅としてはまだ帰るつもりはない。

 日は徐々に傾き始めている。直に太陽は沈み、夜がやってくる。そこからは魔の時間、本格的な聖杯戦争の時間だ。

 

「できれば、他のサーヴァント同士の戦闘が見たいところね」

「情報はあって困るものではないですが。マスター、無理はなさらぬように」

「む、なによ。私が無理してるように見えるって?」

 

 アーチャーの言葉に思わず問い返すと、彼は瞑目しつつ首を横に振った。

 

「いいえ。少なくとも私の目には、貴女が無理をしているようには見えません。パスを通じて感じる魔力も淀みのないものです」

「そうでしょ?」

「しかしマスター、私は貴女と契約してまだ一日。貴女のこの調子が不調でないことくらいは感じとれますが、良好なのかどうなのかは測りかねます。

 加えて貴女は、私の為に今日一日この街を歩き回っておいでだ。疲労は当然あるでしょう。今日のところは休息にあてるのも良いかと」

 

 なるほど。彼の指摘は的確だ。

 サーヴァント召喚の為に消費した魔力は大方回復したとはいえ、絶好調とは言い難い。歩き通しで足がクタクタなのも事実である。

 今の雅は決して悪いコンディションではないが、戦闘を行うのに万全とも言えないだろう。

 しかし、

 

「もう少しだけ索敵を続けましょう? 既に六騎ものサーヴァントが召喚されているんですもの。そろそろ小競り合いの一戦や二戦起こったっておかしくないわ」

「それは、そうですが」

「ありがとう、アーチャー。心配してくれているのね。でも大丈夫よ。

 目的はあくまで情報収集。別に戦闘しようってんじゃないし、もし向こうから仕掛けてくるなら、今日のところは逃げの一手のつもり」

「了解しました。では、そのように」

 

 気が利く上に、聞き分けもよい。このサーヴァントは間違いなく『当たり』だと思う。

 アーチャーの返事に満足した雅は、踵を返して屋上を後にした。それを追って、霊体化したアーチャーが雅の後に続く。

 

『都合良く戦闘中のサーヴァントが見つかれば良いのですが……。人数が集まったとはいえ、未だ七人には足りていませんし。全サーヴァントが出揃うまで静観を決め込む陣営もあるかもしれません』

「ま、その辺りは運でしょ。目撃できれば儲けモノ、よ。

 それにね、アーチャー。もしかしたらサーヴァントはこれ以上増えないかもしれないわ」

『何故です? 聖杯の知識では、七種類の基本クラスに応じた七騎のサーヴァントが呼ばれると』

 

 アーチャーの知識は正しい。

 かつて、サーヴァントを用いた聖杯戦争を行った冬木の戦いでは、七種類七騎のサーヴァントが現界した。

 しかし、冬木の聖杯を模倣した亜種聖杯戦争では七騎ものサーヴァントの召喚は確認されていない。多くても五騎程度が限界だ。

 それだけ冬木の聖杯を模倣するのが難しかったと言えるだろう。

 

 そして今回の戦いも、カテゴリとしては亜種聖杯戦争に分類される。開催地こそ冬木だが、聖杯自体は模造品だろうからだ。

 だとするなら、今までのデータからいって、サーヴァントの召喚はこの辺りが打ち止めだろう。むしろ亜種聖杯戦争で六騎ものサーヴァントが召喚されるだけでも快挙である。

 そういう理由から先の雅のセリフへと繋がるのだが、これはこれで不安がないわけではない。

 

「規模としてはスノーフィールドの聖杯戦争と同じか……。できれば結末は違って欲しいけど」

 

 スノーフィールドの聖杯戦争。亜種聖杯戦争中最大の、六騎ものサーヴァントで以てして行われたアメリカの聖杯戦争である。

 その結末は史上最悪。英霊同士による宝具の撃ち合いによって、聖杯降霊の地であるスノーフィールドの街は、永遠に地図から姿を消す事態となった。

 この結果に、やれ万能の願望器やら、やれ膨大な魔力炉心やらと浮かれていた魔術師たちは、頭から冷水をぶっかけられたように現実を見せつけられた。そして恐怖した。

 例え令呪があったとしても、例えどれだけ神秘の秘匿に気を配ったとしても、英霊たちが本気で力を行使すれば、所詮はこんなものなのだと。

 そしてこれはスノーフィールドだけの問題ではなく、今世界中で行われている亜種聖杯戦争すべてに言えることなのだと。

 六騎のサーヴァントによる亜種聖杯戦争、というのは聖杯戦争に関わる魔術師たちにとって、特にその土地での神秘の秘匿に多くの責任を抱える土地管理者にとって、もはやトラウマの一種なのである。

 

 それ故、土地管理者である雅の気分が、少しばかり落ち込んだのも無理はないだろう。

 もっとも、雅自身は聖杯戦争の被害拡大防止に努めるのは当然のこととして、その上で優勝を狙っている。気が重くなるのは避けられないにしても、こんなことで後込みするつもりもないのだ。

 

「さ、軽く新都を回ったら、帰るついでに深山町を見て回りましょっか」

『わかりました』

 

 何にせよ、まずは敵サーヴァントの情報収集からだった。

 

 

 

 

 

 

 

 夜の深山町を二騎のサーヴァントが駆け抜ける。

 民家の屋根を、電柱を、舗装されたアスファルトを、時には道路標識すら足場にして跳ね回り、互いの交錯の内に各々の獲物を繰り出す。

 

 双方の獲物は槍だ。

 よって戦いの形も、突く、払う、打つといった、前時代的な白兵戦の様相を呈している。

 

 にもかかわらず、この二騎が振るう猛威はさながら台風のようであった。

 踏みつけたアスファルトが砕ける。

 撃ち合いの余波で街灯が割れる。

 挙げ句の果てには、槍を引き戻す動作でブロック塀が崩れる。

 

 それだけの破壊を生み出しながらも、戦いの中心にいる二騎にとって、これはただの小手調べであった。

 聖杯戦争はまだ序盤どころか、これが緒戦だ。相手を倒せるのならそれが一番いいが、今のところは今後のための情報収集の意味合いが強い。お互いがお互いに、こんな早々に全力を出すつもりはないようだった。

 

 と、絶えず移動しながら槍撃を交わしてきた両者の足が止まる。

 長い三叉槍を右手に持った、中性的な美貌の男が口を開いた。

 

「逃げ回るのはここまでかね、ライダー」

 

 高圧的な響きを含むその問いに、先に足を止めた赤い髪の男が振り返る。

 

「人聞きが悪いこと言うなよ、ランサー。うまいこと誘導した、と言ってくれ」

 

 ライダー、と呼ばれた赤い髪の男が、おどけたような調子で肩をすくめた。その声は、ほんの数秒前まで敵に凶器を向けていたとは思えないほど軽やかだ。

 そのライダーの言葉に対し、ランサーと呼ばれた男は周囲を一別すると、ふんと鼻を鳴らす。

 両者が足を止めたのは、建設中の建物の敷地内だ。既に今日の作業は終了しているらしく、工事現場には槍を構えたサーヴァント二人の他に人影は見つけられなかった。

 

「人目に付かない場所を選んだつもりかね」

「そりゃあ、ちったぁ配慮するだろ。ああいや、俺としてはあのままドンパチでも構わなかったんだが、雇い主がうるさくてね。

 しかしアンタも無茶するよなあ。出会い頭から仕掛けられたとあっちゃ、穏便に場所を変えることすらできやしねえ」

「余計なマネを……。このような場所では、下々の者に我が槍の威光を示すことができんではないか」

 

 そう言ったランサーの言葉には怒りが滲んでいた。

 日が暮れ夜の時間になったとはいえ、人目に付きかねない場所で襲ってきたのは、考えなしだったのではなくどうやら目立つためだったらしい。なんというか聖杯戦争の根底、いやむしろ神秘を扱う者の最低限のルールすら無視した言動である。あくまでも彼の言葉が心からのものだったと仮定するならば、だが。

 

「そりゃ残念だったな。けどまあ、俺はどっちかってぇと上がり症なんでね。観客は少ねえ方がありがたいんだわ。

 アンタだって、上がっちまって実力を発揮できないサーヴァントなんぞ潰しても何の自慢にもならねえだろうしな」

「確かに。だが、観客がゼロでは俺様の興が乗らん」

「そこはマスターで我慢してもらうっきゃねえなー」

 

 苛立ちを含んだランサーの声に、まるで世間話をするような声色でライダーが応じる。

 戦う気があるのか、とすら思えるような態度ではあったが、それでもライダーは戦う為に呼び出された存在だ。気の抜けた声を返しつつも、相手の動向は伺い続けている。

 そしてそれは、この場に観客がいないことを嘆き、憤る様子を見せるランサーも同様だ。

 

 故に彼らは再び激突する。

 相手の挙動に注意を払い、『仕掛けられる』『仕掛けてくる』と感じた瞬間に武器を執りぶつかり合う。

 お互いがこれをただの前哨戦と思いながらも、二騎のサーヴァントによる戦いは際限なく加速してゆく。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 そんな戦いを眼下に見据えながら、遠坂雅は相棒へと語りかけた。

 

「どっちがランサーだと思う?」

 

 彼女が今立っているのは、建設中の建物の鉄骨部分だ。地上十メートル。今もって建設中ということもあって、彼女の足場は不安定なほど狭い。

 それでも傍らにサーヴァントを控えさせている状況で、彼女の心理面に怯えは欠片もなかった。

 

『私見ですが。単純な槍の技量だけを見るのなら、あの三叉槍を持ったサーヴァント……。ああ、そうです。金髪の方ですね。

 そちらの方が、技量としては優れているかと。マスターの意見は?』

 

 問い返された雅はしばし黙考する。

 眼下で繰り広げられる戦いは、両者の速度も相まって雅にはほとんど認識できない。

 それ故にアーチャーと視覚・感覚共有を図って戦闘を見ていたのだが、それにしたって雅は戦いに関して素人だ。アーチャーのように、どちらの技量が優れているかなんてわかりはしない。

 だが雅にはマスターとして、サーヴァントにはない透視能力がある。

 

「そうね……、ステータスで見るなら、あの二人にそう差はないけど。

 ランサーらしい、っていうならアーチャーの言った方ね。ランサーって足の速い英霊が喚ばれやすいって聞いたし」

『ではあちらの赤い髪の英霊は、消去法でライダーでしょうか?』

「多分ね。監督役が言うには、今回はエクストラクラスは確認されてないみたいだし。

 いくらなんでも、アサシンやキャスターがランサーとは打ち合えないでしょ」

 

 無論例外はあるだろうが、そんなものまで考慮していてはキリがない。

 何よりもこの場において、より大切なことはサーヴァントのクラスよりも、ステータスとその戦力である。

 

「宝具の解放、なんて無茶は言わないけど、せめて何かしらのスキルくらいは確認したいわねー」

 

 基本ステータスとスキル。そして切り札たる宝具、すべて合わせてサーヴァントの戦力だ。

 いずれぶつかる敵ならば、より多くの情報を盗み出したいのが人の性だろう。

 無論、戦闘を行っているサーヴァントもそのマスターも、情報を抜き取られる可能性は考慮しているだろうから、なるべく手札は切らずにいるだろうが。

 

『そう言えばマスターの姿が見えませんね』

「そうね。でも、巻き添えの可能性を考えるとサーヴァントと離れて行動するってのは珍しいことじゃないだろうし。

 それに魔術師なら、何かしらの手段で姿を隠して、意外と近くから見てるって可能性もあるわ」

 

 私たちみたいにね、と付け加えて、雅はアーチャーとの視覚共有を左目だけカットした。

 右の視界で目まぐるしく動くサーヴァント戦を捉えながら、左の視界でそのマスターを捜す。

 

 ヒトの形をした者がじゃれあいのような白兵戦を演じただけで、ボコボコにされていく建設現場を流し見ながら、雅は「こりゃ後始末が大変だぁ」とボヤいた。

 と、同時に左の視界にサーヴァントとは違う人影を発見する。

 どっちかのマスターか! と左目に視力強化の魔術を仕込んで、雅は息を止めた。

 

 あれは、違う。魔術師じゃあない。あれからは魔力の痕跡を感じとれない。

 雅の感覚がそう告げる。それを裏付けるかのように、相手の位置がわかる距離にいながら、雅の令呪はその人間に反応していない。

 つまり一般人がマスターに選ばれたわけでもない。

 

 

 夜。人目に付きにくい工事現場。

 だからといって、なぜ結界も張っていない場所に人が入り込まないと思いこんでいたのか。

 

 

 ぎり、と奥歯を噛みしめる。

 雅が人払いの結界を張らなかった理由は簡単だ。

 そんなことをすれば、あそこで戦っているサーヴァントたちに雅の存在を感づかれる。偵察のつもりでいた雅にとって、それは好ましくない展開だ。

 

 だが、それが一般人を巻き込む結果になった。

 巻き込んだ? ああ巻き込んだだろう。たとえ今、彼がなんの危害も加えられていなくとも、この場に居合わせたという事実だけで、殺される理由としては十分だ。

 残像のようにしか見えなかっただろう市街地での移動戦とは違う。足を止め、腰を据えた建設現場での戦いは、神秘を知らない一般人からしても気のせいで済ませられない異常な光景のハズだ。

 神秘とは秘匿されるモノであり、目撃者なんてあってはならない。ならばこそ、彼は口封じのために殺される。

 

 そんなことは、魔術師であるのなら当然のことだと割り切らねばならない。だってそんなの、一番初めに負うべき覚悟のハズだ。

 けど。

 でも。

 だって、それは。

 

 

「……アーチャー」

 

 

 ふうぅ、と息を深く吐き出して雅は決めた。

 自分はどこまで行っても、聖杯戦争なんて戦いに身を投じてからでさえも、所詮半端な魔術師────いや魔術師を名乗ることすらおこがましい。甘さの抜けない魔術使いなのだ。

 

 けれど、どんなに自分を偽っても、雅は雅にしかなれないから。

 こんなのは心の贅肉。きっと行動してから後悔するのもわかってる。

 

 でも、これから起こることを黙って見てるなんて、そんなのは遠坂雅の生き方じゃない────!!

 

「ごめんアーチャー。アタシ、これからバカなマネするかも」

 

 協力者への義務として傍らにいる相棒にそう声をかけると、雅は再び眼下を見下ろした。

 偵察の為でなく、戦う為に。




【CLASS】ライダー
【真名】???
【マスター】???
【性別】男性
【属性】中立・中庸
【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷B 魔力D 幸運B 宝具?
【クラス別スキル】
対魔力:D
 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

騎乗:A+
 騎乗の才能。獣であるのならば幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。ただし竜種は該当しない。

【固有スキル】
???

【宝具】
???

【Wepon】
『無銘・槍』
 短めの槍。長さの調節ができるらしい。
『無銘・弓』
 ライダーのサブウエポン。
 主に騎乗時の遠距離攻撃に使うそうな。

【召喚に使われた触媒】
とある魔術師からパクッた『混成魔獣の牙』



※雅「先生の笑顔好きだな。うちの強欲ばーさんと違って、すごい美人なんだもの」

この世界でのスノーフィールドの聖杯戦争は仁義なき全滅エンドだと思ってもらえれば。いや、hollowが起きないであろう世界ですけど、そこは並列世界ってことで一つ。



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その日 1

 その日の夕方は珍しく気分が高揚していた。

 朝起きて、バイトに行って、帰って飯食って寝る。毎日それの繰り返し。同じことを繰り返すだけのルーチンワークでは、感動なんて中々得られない。

 だけどその日の夕方はいつもと少し違った。

 工事現場から通りに出て行く工事車両の前に、小さな男の子が飛び出してきたのだ。

 危ないと思ったのと、間に合わないと思ったのは同時。慌てて止めようと動き出したけれど、運転手が気付くその時には男の子はタイヤの下敷きだろう。

 1秒未満でその様を想像してしまって、ヒク、と喉が干上がる。

 そんな光景は見たくない。あんな小さな子が、そんな目に遭っていいハズがない。

 

 結果的に、男の子は無傷だった。

 きっと誰もが『轢かれる』と諦めていた中、一人の女子高生が男の子を救ったのだ。

 

 その救出の早技というか、一部始終は男の子に気を取られていた九条(くじょう)には見えなかったけれど、救い出す瞬間の彼女の挙動はとても──とてつもなく速くて、場違いにも『運動神経抜群だな』なんて思ってしまったほどだ。

 その運動神経抜群の女子高生は、周囲からの喝采に苦笑して、ついでに自分が救い出した少年にも笑いかけて、その上で少年にしっかり注意して、とまるで絵に描いたようなヒーロー……もといヒロインっぷりであった。

 

 そのヒロインが放り出したのであろう。歩道の真ん中に投げ出された鞄を見つけた九条は、それを拾うと、救出劇を見ていた人々に囲まれてしまった彼女に近づいた。

 

「これ、君のか?」

 

 年下の女子。それも一躍ヒーローとなった人間への気後れから、思わずぶっきらぼうな言い方になってしまった。

 まずったな。そう思う九条に対し、女子高生の方は特に気を悪くした様子もない。

 

「あ。わざわざありがとうございます」

 

 それどころか鞄を受け取った際に、華のような笑顔で感謝の言葉まで述べてくる始末である。

 ちょっとお嬢さん。貴女、完璧すぎやしませんか。と九条は自分の小ささと比較して泣きそうになった。

 

 よく見ると、彼女は毎日この工事現場を通り過ぎていく、あの(・・)女子生徒だと気付いた。顔見知り、というよりもこちらが一方的に知っているだけだが。

 いや、別に九条がロリコンという訳ではない。だって工事現場で働く作業員はほとんどみんな彼女の顔を覚えている。いや、誤解のないように言っておくが、工事現場の作業員がみんなロリコンという訳でもない。

 ただ、毎朝毎夕────きっと登下校の時なのだろう、この現場を通り過ぎる度に、ここで働く作業員たちに挨拶していくのである。

 

『おはようございます』

『お疲れさまです』

 

 たったそれだけのことだが、それだけのことは意外と記憶に残る。他人が他人に無関心な世相では尚更、そういった挨拶一つで他人の記憶に残ってしまうものだ。

 

 運動神経抜群で礼儀正しくて度胸があって、おまけによく見ると美人だ。

 大切なことなのでもう一度確認しておくが、九条はロリコンではない。ロリコンではないけれど、彼女はおそらくもの凄くモテるだろうな、と思った。というか、九条の中では『こんな人間が存在していいのか』というレベルで、彼女の好感度は上がり続けている。

 女子高生、ということは妹と同じくらいの歳だろうに、世の中には廃スペックな人間というものがいるんだなあ。と九条は思った。

 

 で、その後は誘導係のお前は何をしていたんだと現場監督に怒られ、車両を運転していた先輩も怒られ、とにかく二人して怒られた。

 怒られたがそれだけだ。結局だれも怪我を負わずに済んだ。

 あの娘のおかげだな、という先輩の言葉には全くの同意で、その時になって助けられたのは少年だけでなく自分たちもだったのだと気が付いた。

 その女子高生はこちらにも迷惑をかけた、と謝罪してから帰ってしまったが(そのことについても現場監督からはお叱りを受けた)。

 

 

 とにかくそういうことがあったのが昨日のこと。

 すげー女子高生がいたもんだなあ、とテンション高めに帰宅して、そのテンションのまま今日の出勤である。

 

「で、先輩。これどうしたらいいッスかね?」

「それな。今日は土曜で学校もねーだろうから。明後日、あの娘が登校するときにでも渡せばいいんじゃねえか?」

 

 昨日一緒になって怒られた先輩に相談したのは、あの騒動の時に拾った物のことだ。

 なにやら丸い物体で、何をモチーフにしているのかわからなかったが、どうやらキーホルダーのようである。

 あの娘の物かどうかはわからないが、鞄が落ちていた場所のすぐ近くから見つかったので、鞄を手放した時にストラップのヒモが切れたのだろう、という結論に達した。もちろん、拾った時に周りにいた人間には声をかけたのだが、自分の物だと名乗り出る人間がいなかったので、未だ九条が持っているという訳だ。

 

「もしあの娘が『違う』ってんなら、あとはもう交番行きだな。

 つっても、たかがキーホルダー無くしたくらいで交番まで探しに行く奴なんざいねえと思うけど」

「……俺もそう思います」

 

 とりあえずこのキーホルダーは、月曜日にあの娘が通りがかった時にでも渡すとして……。

 

「先輩」

「あ? んだよ。さっさと着替えて現場出ねえと、もう時間だぞ」

「いや、登校中の女子高生に工事現場のオッサンが声かけていくって、なんか犯罪臭がしませんか?」

 

 割とアウトな絵面じゃない? と、問うてみると先輩は無言で目を逸らしてくださいました。つまり、そういうことですか。

 

 

 

 『深山ショッピングモール』の建設には相当な時間をかけるつもりのようで、現場の側には一日でこしらえた、明らかに手抜き工事の休憩室がある。ただ、それ以外の余計なものを作るつもりはなかったらしく、更衣室なんてものはない。

 作業員の着替えは基本的にここだし、タイムカードだってここで打つ。簡易ロッカーもここにあるので、ただでさえ狭い休憩室は圧迫感を感じるほどに窮屈だ。

 これではここでゆっくり休む気にはならない、というのが現場の作業員の創意で、この休憩室はもっぱら更衣室としてしか機能していなかった。こんな狭いところで休憩するくらいなら、外の木陰のがよっぽど快適だわ! ということである。

 補足しておくと、休憩室には空調システムなんて高尚なものはない。

 

 

 ふう、と汗を拭って九条は、そんな休憩室──もとい更衣室を出た。

 日は既に西に沈みかけていて、「今日も一日がんばったなー」という感想が浮かんでくる。

 今日は昨日のように事故が起きることもなく(昨日のアレは未遂だったが)、終始滞りなく作業が終了した。

 もし昨日のアレが未遂ではなく事故になっていたのなら、今頃はこんな穏やかな気持ちではいられなかっただろう。自分はどうだかわからないが、先輩は間違いなく業務上過失傷害だろう(多分こういう感じの罪だろう)し、あの男の子は小さくない怪我を負っていたハズだ。男の子の怪我が大きくなくたって、バイトの身分である自分は首になっていたと思う。

 決められた期間だけのアルバイトとはいえ、現場の作業員は気のいい人が多く、居心地がいいのでそういうのはちょっと嫌だ。金銭的にも今以上に辛くなるし、精神的にも、男の子と先輩に対する罪悪感が半端ないことになりかねない。

 マジあの女子高生恩人だなー、と今日何度思ったかわからないくらいに思ったことを反芻して、九条は家路に着いた。

 

 

 工事現場から真っ直ぐ、深山町の古い町並みには背を向けて歩き出す。

 九条の家は工事現場からほど近い、安くて狭いアパートだ。冬木市民には海浜公園の近く、と言ったほうがわかりやすいかもしれない。公園を抜けると冬木大橋に出るので、深山町のなかでは新都に近い位置であるとも言えよう。

 もっとも、あの橋を渡るのは結構つかれるので、気軽に新都に行こうという気は九条には中々起きないのだが。

 

「あ。しまった、飯」

 

 家まであと少し、といったところで、九条は自分の部屋の冷蔵庫が空なことを思い出した。つまりこのまま帰っても、食べる物が何もないということである。

 成長期は過ぎたとはいえ、九条だって成人男性だ。それなりに飯は食う。学校の昼休みにプチトマト摘んで「おなかいっぱーい」とか言ってる女子高生とは違うのである。

 加えて言うのなら、今日は昼飯しか食べていない。朝の時点で冷蔵庫が空だった為、朝飯抜きで仕事に行って、昼飯はコンビニおにぎりという始末である。

 

「コンビニ、は物価がなぁ……」

 

 バイトで生計を立てている人間にとって、コンビニの物価の高さは致命的だ。それも昨日、高揚していたテンションに任せて、ちょいとお高めのアイスクリーム(ストロベリー。昨日のうちに始末した)を購入した直後とあっては尚更だ。

 そこで食材が残り少ないことを忘れていた辺り、救いようがない。

 

「……商店街だな」

 

 商店街に行くとなると、きた道を引き返すことになるが仕方がない。

 いっそこのまま歩いて新都のスーパーで食材を買うのも手だが、一人暮らしの自炊は却ってお金がかかったりすることもあるので、食材を買うときは計画的に買うと決めている。

 こういう突発的な出費の場合は、総菜を安く買った方が結果的に出費を抑えられるものなのだ。

 つまり、それなりの量がつまった総菜を低価格で販売してくれる『マウント深山商店街』マジ一人暮らしの味方。

 

 総菜を買い終えて再び帰路につく頃には日は完全に暮れていた。この所、帰る時間帯は明るかったせいか、暗い道を歩いているだけで若干テンションが下がってくる。

 それでも安いコロッケとギョーザが手に入ったので、気分的にはプラスの方が強い。

 これから給料日までどう食いつなぐかは、明日にでも考えるとして、とにかく今は一刻も早く家に帰りたかった。というか、腹が減っていた。

 足早に帰り道を歩いて、ようやく工事現場の前までたどり着く。ここを過ぎれば家までは十数分。ご飯の買い忘れという可愛くも虚しいハプニングを越えて、やっとスタート地点とも言える場所まで帰ってきた。

 

「……?」

 

 と、何か妙な音を聞いた気がする。

 作業現場でよく耳にする、金属と金属を打ち付けるような音。

 出所は今まさに通り過ぎようと思った我らがバイト先だ。

 定時はとっくに過ぎている。まさか誰かが残って作業している訳ではないだろうが、だとすれば一体誰が、何を?

 いやむしろ気のせいか。いつもいつもこの場所でそんな音を聞いているから、そういう音が聞こえるなんて錯覚を起こしたのかもしれない。我ながら仕事脳というか、仕事に病んでいるというか。

 

「いや、まただ」

 

 再び金属音。

 耳をよくすませてみれば、工事区画の敷地内から連続して音が聞こえてくる。これは誰かが中で何かをやっているのは確定的だろう。

 バイトとはいえ九条もここの作業員であることは間違いがない。

 こういう場合は一応、中で何が行われているか様子を見てから、警察あたりに通報すべきなのだろうか?

 

 だがしかし、九条はいま腹ぺこだ。

 このままさっさと帰って、コロッケとギョーザが食べたいのだ。

 

 うん。まあ俺、ただのバイトで責任者とかじゃないし。もし不審者とかだったら怖いし。と、自分に自分で言い訳をして通り過ぎた。

 

 ────ああ、そうやって通り過ぎたであろう。いつもの九条ならば。

 

 けれどその時、なんの因果か、工事現場に入っていく人影を見たような気がしたのだ。

 暗がりでよくわからなかったけれど、そのシルエットが今日ずっと考え続けていた女子生徒に被って見えて。

 『これ、返すなら早い方がいいよな』なんて、そんな風に思った。そう、思ってしまったから。

 

「……よし」

 

 ポケットの中のキーホルダーを握りしめる。

 彼女にキーホルダーも返さなければならないし、音の正体だって割と気になる。そうやって九条の足は、自然と工事現場の中へと向かっていった。




【CLASS】アーチャー
【真名】???
【マスター】遠坂 雅
【性別】男性
【属性】秩序・中庸
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷A 魔力C 幸運E 宝具?
【クラス別スキル】
対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術・儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

単独行動:B
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。

【固有スキル】
???

【宝具】
???

【召喚に使われた触媒】
刃の欠けた古びた剣と刃こぼれにぴったり一致する破片


※名前つきの登場人物三人目 九条君


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その日 2

「なんだ……、アイツら……」

 

 意図せずに、吐息のような声が漏れた。

 ハッとして息を止める。

 見つかったら殺される。そんな状況で声を上げるなんて以ての外だ。

 なにをバカな妄想を。とは思わないし、思えない。

 

 今、九条の目の前では、人の形をしたナニカ(・・・)が斬り合いを続けている。

 赤い髪の男と金髪の男。互いの手に握られているのは、誰がどう見たって立派な凶器だ。

 そんな凶器を、お互いがお互いに躊躇無く振り下ろしている。

 

 普通じゃない。

 

 何が普通じゃないって、こんな状況以前に、あの二人がもう普通じゃない。

 アレは人間じゃない。人の形をしているけど人じゃない。ただ何かを殺す為にだけ存在する生き物だ。誰が見たってそう思う。理屈なんてなくたって、同じ生き物なら奴らがそういうものだってことくらい本能で理解できてしまう。

 

 脳が働かない。

 視線を外せない。

 まるで蛇に睨まれた蛙のよう。

 身体は震えはしなかったけれど、代わりに一ミリすら動けなかった。

 

「っ────────」

 

 声を出せば見つかる。

 一歩でも動けば見つかる。

 呼吸をすれば見つかる。

 

 おかしくなる。

 頭の中は、そんな言葉でいっぱいだ。

 今すぐ叫びながら逃げ出したいほどの恐怖を感じているのに、それをすれば見つかるという判断が、そうすることを許さない。

 

 九条の見ている側では、二人の男による槍撃が、いつ果てるともなく続いている。

 二人が槍をぶつけ合う度、明かりのない工事現場を大きすぎる火花が照らす。それに遅れて、鋼と鋼を打ち合わせた音が辺りに響いた。

 音が映像に追いついていない。

 視覚が動きに追いついていけない。

 まるでコマ落ちした映像を見せられているかのようだ。

 

「ハッ! ……つぇあ!!」

「ふっ、……むうぅぅんっ!!」

 

 激突し、弾かれあう。

 一際大きな火花と音を散らして、両者は互いに大きく距離を離した。

 

 それが契機だったのか、休むことなく斬り合いを続けていた二人の足が止まる。

 殺意で溢れていた工事現場の空気が、その瞬間だけわずかに緩んだ。

 弛緩した空気に、呼吸を再開する。途端、

 

「誰だッ!!」

 

 鋭い声とともに、赤い髪の男の視線がこちらへと向けられた。

 

「あ、う」

 

 その赤い瞳と目が合う。

 死んだ、と思った。

 『死ぬ』、ではなく『死んだ』。

 

 アレを前にして、どうしてただの人間が生き残れようか。

 彼らに認識された時点で、九条に生き残る術などありはしない。

 まだ殺されてもいないくせに、『死んだ』という実感がある。

 

 この状況だけで心臓が止まってしまいそうな九条を余所に、赤い髪の男はのんびりと口を開いた。

 

「おいランサー」

「何かね? ライダー」

「こいつはてめえのマスター……、って感じじゃあねえな」

「その様子では貴様のマスターという訳でもないな。

 ふむ、つまりアレかね? そこの凡夫は我が槍の威容を拝みにきた観客ということかね?

 ふっははははははははは!! 中々見る目があるぞ、小僧!!」

「……悪りぃ、ちっと黙っててくれ」

 

 ランサーと呼ばれた男が愉快そうに高笑いする横で、ライダーと呼ばれた男が心底呆れた様子で、そう呟く。

 二人のやり取りだけを聞いているのなら、随分と和やかな場面だ。

 

 けれど九条が感じている『死の気配』は一向に遠ざかる様子を見せない。

 疲れたような雰囲気を漂わせるライダーの視線は、初めて九条を認識した時から外れていない。ランサーとやり取りをしている時も、今も、九条から注意が逸れることがない。

 逃げられない。

 アイツは九条を逃がすつもりがない。

 

「ランサーのマスターじゃないってことは、他のサーヴァントのマスターか。それとも、迷い込んだ一般人か……。

 さて、こういう時はどうするのが一番なのかねえ?」

 

 言いつつ、ライダーが一歩近づく。それはそのまま死が近づいてくるのと同じことだ。

 この距離はまずい。離れなければ。

 そうは思うのに、身体は脳からの命令を受け付けない。

 

 死への恐怖から焦るばかりの九条をおいて、事態はさらに進行していく。

 

『ライダー。なにをしている』

 

 突如として響いた第三者による声は、不自然な反響を繰り返して、九条にはその出所がわからなかった。

 

 ランサーが「ライダーのマスターか」と、意図のわからない言葉を呟いて辺りを見渡す。

 どうやら声の主が気になるらしい。

 一方の九条は、そんなこと以上に今の状況が最悪だ。死ぬ一歩手前で、そんな余分にまで意識を傾けていられない。

 

 しかしどこからか響く声の、その次の言葉に九条は意識を傾けざるを得なくなった。

 

『殺せ』

 

 簡潔に。簡単に。いっそ清々しいほど明確に。

 それは、ライダーという『凶器』に命令を下した。

 

「────────あ」

 

 どうして? とは思わなかった。

 あの二人の斬り合いを見てからずっと、漠然と『見つかれば死ぬ』といいう確信があったから。

 けれどそのことに対する恐怖は消えない。

 当たり前だ。そんな簡単に死を受け入れられるほど、九条は達観していない。

 

 震えることすらできない九条を見て、何か思うところがあったのか。

 槍を握ったライダーは九条との距離を保ったまま、『殺せ』と命令をかけた声の主に話しかける。

 

「殺せ、ねえ……。そこまでする必要あるのかよ?」

『何をわかりきったことを。

 そんなものあるに決まっている(・・・・・・・・・)

 いいかライダー。見られた以上は殺すのが我々のルールだ。そこの男が一般人ならば《神秘の隠匿》の為。マスターならば、《聖杯戦争勝利》の為に殺さねばならん』

「はああ……。ま、そう言われるとは思ったさ。

 で、ランサー。お前はどうするつもりだ? さっき自分の槍を見せびらかしたいとか言ってたろ。このままじゃ、アンタの言う『観客』が死ぬぜ?」

「うむ。それがな、俺様のマスターも貴様のマスターと同意見らしい。

 貴様が小僧を殺すのを、黙って見ていろときた。命令に従わないのなら『令呪』を使うと脅しをかけてな。

 我が槍に惹かれてやってきた小僧は惜しいが、さすがに令呪を盾に命令されては従う他ない」

 

 意味も意図もわからない言葉の応酬は、ライダーの「やれやれ。じゃあやるか」という、やる気なさげな声で打ち切られた。

 そうしてまた一歩、ライダーが九条へと近づく。

 

「悪いな、兄ちゃん。そういう訳で、アンタにはこれから死んでもらわにゃならん」

 

 片手を挙げて、まるで旧知の友人にかけるような気安さでライダーが死刑宣告を行った。

 

「恨むな、とは言わねえさ。俺がアンタを殺すんだ。せめてしっかりと、俺を恨んで死ぬんだな」

 

 グルリ、と槍の切っ先が九条に向けられる。

 狙いは心臓か。

 そう思ったと同時、体中の血管から血を噴き出すんじゃないかと疑うほどに、心拍数が跳ね上がった。

 

「ここでこうしてるのも何かの縁だ。最後に遺言くらいは聞いてやるぜ?」

 

 さらに一歩。ライダーが九条に踏み込む。

 ことここに至って、九条にできることなどない。

 

 いやそもそも、最初からできることなど何もなかった。

 恐怖に硬直し、逃げることも、震えることすらできなかった自分には。

 

「……に……く、ない」

「ああ? 聞こえねえよ。男ならハッキリ喋りやがれ」

「まだ、死にたくない!!」

 

 出来ることはない。

 もう死ぬしかない。

 でも、だからって死にたいわけじゃあないのだ。

 

 震えもしないほど強ばった喉を動かして、どうにか紡いだのはたったそれだけの、生き物なら当たり前過ぎる意志表示。

 そんな九条の言葉に、ライダーは一瞬だけ目を見張って、

 

「……ああ。そりゃあ、そうだろうさ」

 

 ────ため息とともに、その槍を突きだした。

 

 

 ああ。これで、終わり。

 突き出された槍は、空気を穿って九条の胸板に迫る。

 一秒後の死を幻視する。

 避けられないし、避ける気もなくなってしまった。

 そもそもこの槍を避けられるのなら、九条は今頃この槍の前に立ってはいない。

 九条には槍を避けられない。

 九条には死を避けられない。

 それは絶対に覆らない現実だ。

 

 だから、その覆らない現実が覆るとすれば、

 

「っ……、ちぃっ!? 新手のサーヴァントか!?」

 

 その声を残して、ライダーが一気に距離を離す。

 あと数センチで九条を殺せたのに、そんなことよりもずっと優先すべきことがあるとでも言うように、距離を離したのだ。

 

 同時、逆巻く風とともに九条の眼前に新たな人影が生み出される。

 こちらに対し背を向ける格好で現れたそれは、枯れ草色の外套をはためかせ、まるで九条を守るかのようにライダーと九条との間に立ちはだかった。

 

 ……そう。九条ではどうやったって死の運命は覆せない。

 だからそれが覆るとすれば、第三者の介入によってしかあり得ないのだ。

 

 

 

 

「逃げますよ!」

 

 

 

 そう言って、呆然としている青年の手を取った。

 反射的に振り返ったのだろう青年が、雅の顔を見て目を見開く。

 

「きみ、は」

 

 思わず、といった風に言葉を紡いだ青年に、雅は見覚えがあった。

 なにせ毎朝毎夕この付近で顔を合わす。彼はこの建設現場の作業員だった。

 つまり、忘れ物か何かを取りに来て、この戦いを見つけてしまった。いや、見つけられてしまった、といったところか。

 理由としてはあり得なくもないが、それでも『よりによってこんな日に』と思わずにはいられない。

 

 なんにせよ、まずは彼を逃がす。

 面倒な事情やらなにやらを、聞いたり話したりするのは、それが済んでからだ。

 

 ちら、と目を向けた先には、突如現れたアーチャーを警戒して、踏み込むに踏み込めないライダーの姿があった。

 幸いランサーは積極的に青年を害しようとは考えていない様子だったし、ライダー一人ならアーチャーは問題なく時間を稼いでくれる。

 

『なにをしようとしているのかな、お嬢さん?』

 

 何故か動こうとしない青年の手をもう一度引いた時、不可思議な反響をともなった声が雅の耳を打った。

 先ほどのやりとりを見るに、恐らくはライダーのマスターだろう。幻惑の魔術でも使用しているのか、声の出所が正確に掴めない。

 

『察するに君はそこのサーヴァントのマスターのようだが、その男をどうしようというのかな?

 まさか逃がそう、などとは考えていまい? 仮にもサーヴァントのマスターに選ばれるだけの人間だ。我々のルールくらいは弁えていると思うのだが』

「ルール……。『神秘の隠匿』のことでしょうか?

 そのことならば、ええ。まだ未熟な身とはいえ、これでも魔術師ですもの。当然、その辺りの教育はされていますけれど?」

『ならば、殺したまえ。

 いくら聖杯戦争中だからといっても、いやだからこそ、目撃者の口を封じることは最優先で行わなければならない』

 

 その言葉に、青年は雅の顔色を伺った。

 正確な状況は飲み込めていないだろうが、雅もまた自分を害する存在かもしれないと知って動揺している様子だ。

 

 まあ確かに、それが正しいんだろうけどね。と言葉には出さず、胸の内で呟く。

 

 青年の反応も、ライダーのマスターの反応も、きっとどちらの反応も正しい。ただ、その立ち位置が違うだけで。

 だからこの場で間違っているのは雅だけだ。

 自分でもどうかしてると、この僅かな時間で何度思ったことか。

 それでも、

 

「口を封じるなら何も殺さなくても、もっとスマートな方法があるでしょう?

 忘却の暗示ってご存じですか? ああ、忘却のルーンとかでもいいですけど」

 

 それでも割って入ったのは雅自身の意志だ。

 このままこの青年を見殺しにするのが耐えられないから、そんなのは魔術師として間違っているとわかっていながら割って入ったのだ。

 ならばもう、後悔してでも、やりきるしかない。

 それが間違った自分の、最低限の責任だろう。

 

『質問に質問で返すようだが、君は死人に口なしという言葉を知っているかな?』

 

 返答は大方の予想通り。

 声の主は、何かの拍子で解けかねない暗示より確実な死を与えろ、と言っている。

 まったくもって正論だ。雅だって、これが試験か何かであったのならこの回答を記入する。

 けれど雅は意識して間違った。『ただの遠坂雅』として正しいことをするために『魔術師・遠坂雅』として間違える。

 

「ええ、もちろん。でも、それが何か?

 暗示が解けたのならかけ直せばいい。安直に殺すよりも、よっぽど生産的です。人間一人の命は、あなたが考えているほど安くなくてよ?」

『小娘が。一人の命と神秘の探求なら、そんなもの比べるまでもない。魔導の道とはそこまで軽くはない。神秘の秘匿の為なら一人くらい殺してみせろ』

「あら、遠回しな言い方では伝わらなかったかしら?

 さっきから私、嫌です。と、言っているのですけど?」

『なんだと……?』

「ですから嫌です。さっきも言った通り、私は忘却の暗示で十分だと思っていますし。

 何より。こそこそ隠れて顔を見せる勇気すらない二流魔術師に、偉そうに命令される筋合いもないですし」

 

 言った。言ってしまった。

 どう考えても向こうの方が正論なのに、甘い戯れ言を吐いたばかりか『二流』とまで侮辱した。

 

 案の定、建築現場に流れていた空気がそれまでと一変する。

 

 これは死んだかなー。と思った。

 簡単に殺されてやるつもりはないけれど、相手は多分自分よりも格上だ。魔術の腕ではなく、もっと根本的な覚悟の部分で。

 

『ライダー』

 

 次に響いたその声には、隠しきれない怒りが滲んでいた。

 

『その小娘を殺せ』

「またえらく短絡的だな。バカにされたのがそんなに悔しいのかよ」

 

 主の会話を優先するためだったのか。今まで無言でアーチャーとにらみ合いを続けていたライダーは、姿の見えない魔術師の、その言葉に笑った。

 

『そんな問題ではない。

 その娘には決定的に魔術師としての自覚が足りない。そんなもの、存在そのものが害悪だ』

 

 だから、殺せ。と魔術師は言う。

 本当にね。と雅は自嘲した。

 

「ま、命令ならやるしかねーが。そこの兄さんと違って、お嬢ちゃんにはサーヴァントが付いてるからな。ちょいと簡単には行きそうにねえぞ」

 

 言いつつ、ライダーが間合いを測る。

 ライダーとアーチャーの距離はそう遠くない。ランサーとの撃ち合いを見た限りでも、この程度の距離ならライダーは瞬く暇も与えずに詰め寄る。

 戦いについて素人の雅にだって、これがどちらにとって有利で、どちらにとって不利な間合いなのか一目瞭然だった。

 そしてそんな不利な間合いにアーチャーを飛び込ませたのは、他ならぬ雅自身なのだ。弓兵という性能を正しく活かすなら、ランサーとライダーが戦っている最中に、遠距離から狙撃させれば良かったのである。

 それをさせなかったのは偏に、青年に向かっていくライダーを確実に止めさせたかったからだ。

 

『アーチャー。聞こえる?』

 

 契約の時に繋がったパスを通じて、雅はアーチャーに念話を試みる。

 果たしてその試みはうまくいったようで、すぐさまアーチャーから返事があった。

 

『なんでしょう』

『足止めをお願い。出来るだけ時間を稼いで。ただ、無理はしなくていいから』

『了解しました』

 

 雅にそう返して、アーチャーが一歩進み出る。

 彼の目前にはライダー。その少し後ろには、この状況をおもしろそうに見つめているランサーの姿がある。

 最悪の場合は二対一だ。

 マスターのワガママでそんな状況に放り込まれたというのに、アーチャーは不満一つ漏らさない。

 

『……アーチャー、ごめん。私のワガママで……』

『謝罪は不要です。

 確かにマスターのそれは戦場には不要の感情でしょう。

 ですが私には、貴女のその甘さが好ましい』

『アーチャー……』

『行ってください、マスター。大丈夫。単独行動は弓兵の得意分野ですから。

 それにこの程度なら、まだ不利の内には入りませんよ』

 

 そう言って、アーチャーがさらに一歩前進する。

 弓兵としては既に致命的な間合い。

 それでも今は、大丈夫と言ったアーチャーの言葉を信じる。

 

「行きます! ついてきてください!!」

 

 踵を返し、青年の手を強く引いてスタートを切った。

 足をもつれさせながらも、青年が雅とともに走り始める。

 

 その背後で、雅のスタートに合わせたかのように魔力の奔流が吹き荒れる。

 サーヴァント同士の激突が再開されたのだと理解しながらも、雅は決して振り返らなかった。




※アーチャー「足止めはいいが。別にアレを倒してしまっても構わんのだろう?」

みやびんの感性が普通の人過ぎてつらい。
どうやったら魔道の家系でこう育つというんだ……。


ところでアニメ・fateの一話が放映されましたね。
それまでにもう少し更新したかったなあ……


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その日 3 剣の英霊

 雅が走り出すのと、ライダーが動き出すのはほとんど同時だった。

 

 空気の壁をぶち抜いて、ライダーの槍が猛然と突きかかる。

 

 速い。とアーチャーは思う。

 槍の速度は先ほど遠目に見ていたが、見ているのと実際に対峙するのではやはり印象は異なる。

 さすがに槍の英霊には届かないが、それでもかなりの速度と技量だ。苛烈に攻め立てる槍には引き戻しの隙がほとんどない。

 ライダー、というなら騎兵だろうに、このサーヴァントは自らの足を使った白兵戦も随分と得意らしい。

 

 槍がアーチャーの枯れ草色の外套をかすめる。

 咄嗟に突きをかわしたアーチャーを追ってなぎ払い。

 肋骨を粉砕しかねない一撃を、身を伏せてやり過ごす。

 距離を離そうとした矢先、一瞬にして引き戻された槍から、散弾の如く降り注ぐ槍の雨。

 

 この速度。このタイミングではかわしようがない。

 ライダーの口元が勝利への確信に歪む。

 その様を見ながら、アーチャーは無手だった手元に武器を出現させる。

 とはいえ、この距離で弓は役に立たない。

 ならば、ここで手に執るのは近接戦闘に耐えうる武器(・・・・・・・・・・・)しかあり得ない。

 

「何だとッ!?」

 

 ライダーが驚愕の声を上げる。

 手にした武器で槍を弾いたアーチャーは、衝撃に逆らうことなく身体を流し、ライダーから距離を離した。

 

 彼我の距離は七メートルといったところか。

 未だ弓の間合いではないが、アーチャーの心に焦りはない。

 手にした武装は銀の長剣。僅かな星明かりを受けて、銀の刀身はその存在を主張する。

 

「……その剣。ほう! つまり君はセイバーのサーヴァントということかね!! これは実におもしろい展開だ」

 

 何が嬉しいのか、ライダーとアーチャーの戦闘を眺めることしかしていなかったランサーが、アーチャーの握った武器を見てそう声を上げた。

 一方のライダーは、離れた距離を詰めようとするでもなく、アーチャーの武器を怪訝そうに見つめている。

 

「いいや、違うな。セイバーのサーヴァントはまだ召喚されてねえハズだ。てめえ、一体なんのサーヴァントだ」

 

 ライダーの問いかけに、内心で苦い顔をする。

 アーチャーの本分は言うまでもなく、弓による狙撃だ。

 このまま遠距離攻撃に乏しいセイバーと勘違いしてくれた方が後々動きやすかったのだが、そういうわけにもいかないらしい。

 

「失礼。私はアーチャー。

 今は剣など執ってはいますが、此度の聖杯戦争では弓兵のクラスを預かり現界しました」

「……アーチャー。アーチャーか。

 いくら強力な『三騎士』の一角とはいえ、弓兵風情が接近戦を挑むとはな」

「弓兵といえど必要とあらば剣を執り、槍を執り、手綱を握りましょう。

 それに挑んだのはそちらでは? 私はただ、ここに立っているだけですよ」

 

 もっとも、ここから先へは誰も進まる気はありませんがね。と付け足してアーチャーは笑う。

 そうかい。と吐き捨ててライダーが槍を回した。

 直後、先ほどよりもさらに速い速度で槍が打ち込まれる。

 眉間、肋骨、喉元。

 一息に三カ所。

 閃光のようにしか見えないその突きを、アーチャーの銀剣がはじき返す。

 

「むぅ!?」

 

 衝撃にライダーがたたらを踏んだ。

 その隙を逃すアーチャーではない。

 

 そも、槍使いとは常に相手との距離を離すもの。その長大な射程を活かして、踏み込む敵を迎撃する武器だ。

 その槍使いが迂闊に間合いを詰めれば、今度はその射程の長さが仇となり、容易には懐近くに潜り込んだ敵の迎撃が行えない。

 

 闇の中、いくつもの銀光が奔る。

 顔を歪めながらライダーはアーチャーの連撃を捌くも、長柄武器の宿命ゆえに、どうしても防御が追いつかない。切っ先を返す度に加速していくアーチャーの銀剣に、目に見えて傷を増やしていく。

 

「ちぃ!? クソッ!!」

 

 距離を開こうと躍起になったライダーの悪態を黙殺して、アーチャーはさらに深く踏み込んだ。

 今、ここで避けるべきは槍の間合いに戻されることだ。

 ライダーが槍使いの常道を無視して距離を詰めたのは、自分の腕に自信があったことも大きいのだろうが、何よりも敵が『弓兵』であったからだとアーチャーは思う。言うなれば、『たかが弓兵が接近戦など出来るハズがない』という油断。

 アーチャーが突くのはその油断だ。

 そしてその油断が誘えるのは初見だけ。アーチャーの能力を把握された二戦目以降で、今の距離に踏み込むのは容易ではない。

 

 故に、叩ける敵は今の内に叩く。

 ああ。たしかにアーチャーの役目は、敵対サーヴァントの足止めだ。だが。

 

(倒せる敵なら、倒してしまっても構いませんね? マスター)

 

 そう脳内で呟いて、アーチャーの銀剣が防御に差し込まれた槍を弾き返す。

 生まれたのは刹那の、しかし致命的な隙。

 翻る銀の刃は、槍のそれよりも圧倒的に速い。

 目を剥くライダーの無防備な首を目がけて、アーチャーの銀剣が振るわれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の深山町を一組の男女が駆ける。

 男女ともに必死の形相ではあったが、余裕がないのは明らかに男の方であった。

 息は上がり、足はもつれ、顔面は蒼白。

 一方、僅かに男の前を行く少女は、息を乱すことすらなく軽快な足運びをみせている。

 

「い、いったい……、ど、こまで……! はし……、んだッ」

「新都の教会までです! とにかくそこまで頑張ってください!」

 

 息も絶え絶えな様子の男にそう返して、少女──雅は僅かに思考した。

 

 新都にある冬木教会には、今回の亜種聖杯戦争開幕に際して、聖堂教会から監督役が派遣されている。

 彼らの役目は大ざっぱに言ってしまえば、神秘の隠匿と脱落したマスターの保護だ。

 

 聖杯戦争においてサーヴァントを失ったマスターは、新たにマスターを失ったサーヴァントがいれば再契約を結び、戦線に復帰することができる。

 マスターがマスターを殺そうとするのは、理由としてはこのことが大きい。

 故に、サーヴァントを失い、さらに戦意を失ったマスターは教会に保護を求めることが許されるのだ。無論、その為には令呪をすべて破棄し、今後の聖杯戦争に参加しないという条件が課せられるが。

 

 そしてそういった役目を負う以上、教会側は誰にも肩入れしない中立の立場であらなければならない。

 実際にはなんらかの思惑やら取引やらがあるのかもしれないが、少なくとも表立っては中立の姿勢である。

 

 その中立地帯に攻撃をしかければ、ペナルティは免れない。つまり教会には、よほど無知なマスターか怖いもの知らずのマスターでもない限りは、迂闊な攻撃を仕掛けはしない、ということだ。

 それを知っているから、雅はとりあえず青年の身を守る場所として教会を指定した。

 

 したのだが、

 

(亜種聖杯戦争でどれだけの抑止力があるのかしらね、監督役に)

 

 これが二度、三度と行われたかつての聖杯戦争ならば、『余剰令呪』などを盾に、マスターたちへの抑止力となるのだろう。

 しかしこれはあくまで亜種聖杯戦争なのだ。開催地こそ冬木だが、初回ということで『余剰令呪』など存在するはずもない。

 ほとんど形だけの監督役を、サーヴァントという強力な使い魔を与えられた魔術師が恐れるかどうかは微妙なところである。

 

 とはいえ、現状の冬木で最も安全な場所は冬木教会であろう。

 教会にたどり着けば青年はなんらかの『処理』をされる──或いは雅がする──のだろうが、問答無用で命をとられることはないハズだ。……と思いたい。

 ライダーのマスターも、そういった処理を行われた人間に、わざわざ刺客を差し向けるほど暇、というか無駄なことはしないだろうし。

 

 どれだけ穴のある計画かは、雅自身理解している。

 それでも、とにかくこれが青年の身を守る最善手だと思うことにして、雅は息の上がっている青年の手を引いた。

 

 途端、バランスを崩して青年が転倒しかける。当然だ。息も絶え絶えで走っている最中に、不用意に腕を引かれればバランスを保つことの方が難しい。

 もちろん雅もそんなことはわかっていた。

 そのままさらに強く腕を引いて青年を自分に並列させると、彼が転倒する前に膝裏に手を差し込み抱き上げる。

 強化された腕力にモノを言わせたお姫様だっこの完成だ。

 

「なっ、え!?」

「黙ってないと、舌を噛みますよ」

 

 驚愕の声を上げる青年にそう言って、雅は走る速度を上げた。

 今の雅の身体は、強化の魔術で並のアスリートもビックリするくらいの身体能力を有している。自分より大きな青年を抱き抱えながら、息も乱さず走ってしまえるのはそのためだ。

 こうなれば青年と一緒に走るより、雅一人が彼を抱えて走った方が遙かに速い。

 ライダーのマスターや、同じくあの戦闘を見ていたであろうランサーのマスターが襲撃をかけてくる可能性を考慮すれば、ここで余計な魔力と体力を使うのは避けたいところだが、青年の消耗具合を見ればそうも言っていられない。襲撃時点で彼がまともに動けなければ、雅が足止めに徹したとしても殺されてしまうかもしれないのだから。

 

 青年を抱えて走る雅の行く手に、大きな赤い鉄橋が見えた。

 深山町と新都を隔てる川、未遠川にかかる冬木大橋である。アレを越えればいよいよ新都に入れる。

 そういえばあの橋も、近々老朽化対策として工事が始まるんだったな。と、こんなときにどうでもいいことを思った。

 

 その時である。

 雅の前に立ちふさがるように、一体の人影が現れた。

 

「……あいつ」

 

 腕の中で息も荒く青年が呟く。

 先ほどライダーに殺されかけたせいか、魔術の素養がない彼にも、行く手を阻むモノの正体がわかったらしい。

 アレはサーヴァントだ。

 消去法でいけば、アサシンかキャスター、もしくはバーサーカーのいずれか。強いて言うならば、黒のローブを纏った姿はキャスターに見えるだろうか。少なくとも髑髏の面は付けてはいないから、アサシンの可能性は薄いと考える。

 

 雅からサーヴァントまでの距離は50メートルもない。

 このタイミングで雅たちの前に現れた以上、あのサーヴァントは十中八九、雅と青年に差し向けられた刺客だ。つまりさっきの工事現場には、あの戦闘を見ていたマスターが、さらにもう一人いたということである。

 

 ふう、と息を吐いて、雅は覚悟を決めた。

 サーヴァントと人間との間には、大きな力の差がある。人間ではサーヴァントを倒せない。

 それは雅がどれだけ優秀な魔術師であったとしても、あのサーヴァントがどのクラスであったとしても変えようがない事実だ。

 

 左手の令呪を意識する。

 サーヴァントのマスターに選ばれた証にして、サーヴァントを律する、たった三画の絶対命令権。

 雅ではサーヴァントに適わない。ならばアーチャーを呼ぶしかない。

 離れた場所にいる上、戦闘の真っ直中にいるアーチャーを、瞬時にこの場所に呼び寄せるには、この令呪の奇跡に頼る他ない。

 

「令呪を以て……、」

 

 言いかけた命令は、しかし目の前のサーヴァントに中断させられた。

 膨大な魔力が練り込まれた魔弾が、サーヴァントの右手から発射されたのだ。直撃すれば骨すら残らないだろう、と直感的に悟る。

 一秒未満で両足の強化係数を引き上げて跳躍。

 その直後、雅の足下を通り過ぎた魔弾が、アスファルトをめくり上げて路面へと炸裂した。

 着弾点に色濃く残る魔力が、破壊された路面以上に、今の魔弾の威力を物語る。

 

「……っ!」

 

 一瞬にして立ち並ぶ街灯よりも高く跳躍した雅は、その威力に、眼下を見下ろして思わず唸った。

 

 サーヴァントが人外の能力を有していると言っても、各クラス毎に得手不得手は当然のように存在する。

 それを踏まえた上で残りのクラスを考えれば、あのサーヴァントが何者かは明白だ。

 魔術による攻撃を可能とするクラス。すなわちキャスターのクラスだろう。

 クラス別スキルに『対魔力』が存在する聖杯戦争においては、『最弱』のクラスと称されるサーヴァントクラスだ。

 

 それでも。いや、だからこそ、雅たち魔術師では同じ魔術師であるキャスターには適わない。アーチャーを呼ばなければ、雅も青年もキャスターからは逃げることは叶わないだろう。

 自由落下を始めた身体をまるっと無視して、雅は再び令呪に意識を集中した。

 

 途端、わき腹に突き刺さる灼熱感。喉元をせり上がる不快感に、わけも分からぬまま嘔吐する。

 否、吐き出したのは胃の中身ではなく、赤い血液だった。

 

「あぅ……!?」

「君っ!?」

 

 雅の腕の中にいる青年に赤い飛沫が降りかかる。

 急速に力の抜けていく感覚に、雅は青年を手放してしまった。のみならず、雅自身もバランスを保てずに頭から地上に落下していく。

 その瞬間、雅の瞳が捉えたのは血に塗れた剣を握って空中に制止しているキャスターの姿だった。

 空間転移か単純に速いのか。雅が跳躍して令呪を使おうとした時には、確かにまだ地上にいたはずである。それが意識を令呪に傾けた一瞬で背後に回り込まれ、刺された。

 既に薄れつつある意識の中でそこまで思考すると、重力に身を任せたまま、雅はポケットを探った。

 咄嗟に取り出したのは色鮮やかな宝石。いずれも充分すぎる魔力を蓄積した魔石である。その数、三つ。

 

 こちらを見下ろすキャスターの視線と、雅の視線とがかち合う。

 キャスターが右の掌をこちらに向けているのが目に入った。

 

「五番、三番、四番……!!」

 

 手にした宝石に魔力を叩き込んで炸裂させる。

 躊躇無く投擲した三つの宝石は、雅が十年以上魔力を貯め込んだ切り札(とっておき)だ。ランクにしてA相当の魔術攻撃。

 生半可な対魔力や魔術では相殺できない威力が、キャスターを襲う。

 

 無論、それを甘んじて受けるキャスターではなかった。

 かざした右手から魔弾が放たれたのは、雅の魔術発動と同時。

 

 互いが互いの敵を滅ぼす為に放たれた魔弾は、両者の中間位置で激突し、そして────、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パタタ、と音を発てて赤い血が落ちる。

 

「ぐ……」

 

 呻き声を上げて、しかめ面をさらすのはライダーだ。

 傷による痛みと、アーチャークラスに白兵戦で遅れを取ったことによる苦渋が、ありありとその表情に浮かんでいる。

 

 だが、それだけだ。

 それだけで、ライダーは未だに存命であった。

 

「テメエ……」

 

 その低い声には隠しようもない怒りが滲んでいる。

 しかしその怒りの向かう先は、アーチャーではなかった。

 

「ランサー!」

 

 怨嗟の声を受けたランサーはしかし、そんなモノなぞどこ吹く風といった様子でにやにやと笑っている。

 

「いやぁ、まいった。失敗したなあ。一度に二騎ともを潰せるチャンスだったのだが。

 ま、簡単にいきすぎるのもおもしろくはない。ライダーの左腕と、アーチャーの右肩。とりあえずの成果としては、これで満足しておくか」

「ランサー……、貴方は」

「おいおい。そんな顔をするなよ、アーチャー。

 目の前で二人のサーヴァントが戦っている。隙を見て横槍を入れるのは当然であろう?」

 

 ランサーの言葉に顔をしかめながら、アーチャーは右肩の状態を確かめた。

 血は流れてはいるものの、致命的なものではない。この程度なら、時間さえあれば問題なく回復できるだろう。

 さすがにこの状態で剣を振るうには問題があるだろうが、利き手でない左手でも剣は使える。この場での戦闘も、まだ十分に可能だ。

 

 一方のライダーは、アーチャーの右肩よりも酷い損傷を受けたらしい。

 ランサーによって傷つけられた左腕が、力なくだらりと下げられている。

 それでも傷を負ったのが利き手ではなかったからか、はたまた傷つけられて黙っていられない性質だからか、ライダーの闘志は萎えるどころか、さらに燃え上がっていた。

 

「いい度胸だ。覚悟はできてンだろうな」

「怒るなよ。俺様が横槍を入れねば、貴様は左腕どころか首が飛んでいたのだぞ? 少しは感謝してもいいと思うがね」

「うるせえよ。テメエが割って入らずとも、あの程度どうとでもなった。

 それよりも許せねえのは、アーチャーを傷つけたことだ(・・・・・・・・・・・・・)。一度戦いを始めた以上、こいつは俺の獲物。邪魔立ては許さん」

「なんと。怒りの原因はそこであったか。

 だがまあ、何にせよお門違いであろう。そこな弓兵も、この場で戦うことを決めた以上、俺様と貴様の両方を同時に相手することも覚悟していたハズだ」

 

 そうであろう? と会話の矛先を向けられたアーチャーは、ランサーとの間合いを計りつつ頷いた。

 

「ええ、まあ。状況的にこういう戦いになるだろうことは予想していましたが。

 ……それ故に、ランサー。貴方の意図が読めない。確実に敵を減らしたいのなら、あのタイミングで仕掛けるのはあまりにも中途半端だ。

 仕掛けるならば、私の攻撃が通ったかどうかの判定後。それも私かライダー、どちらかに限定して攻撃を仕掛けた方がより効果的です。

 それをあのタイミングで両者を同時に狙っては、『かわせ』と言っているようなものだ」

 

 実際、ランサーの不意打ちはライダーとアーチャーを傷つけはしたものの、それだけに留まっている。

 これがもし、アーチャーの言うようなタイミングで仕掛けられていたのならこうはいかなっただろう。

 仮に、アーチャーがライダーの首を跳ねていたなら、攻撃後の硬直を狙ってアーチャーを殺せばいい。それで仕留めることができなかったとしても、ライダーは死に、アーチャーも無傷とはいかないハズだ。

 逆にアーチャーがライダーの首を跳ねられなかった場合でも、ランサーがライダーに追撃をかければライダーは脱落しかねないし、アーチャーを狙えば深手を負わせることもできたハズだ。

 ランサーに割り込まれた時はヒヤリとしたが、今にして思えば無駄が多いのである。

 

 アーチャーのその言葉に、ランサーは少し考える素振りを見せると、

 

「いやなに。一人ずつなどと、ケチなことはしたくなくてな。仕留めるなら二人同時にだ。

 故に打って出たのだが、いかんなあ。これでは二人同時に相手をしなければならん(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 マスターからはその展開だけは避けろと言われているのだがなあ」

 

 と、そう言った。

 それの意味するところはつまり……。

 

「ああ、なるほど。つまり舐めてんだな、俺たちを」

「はっはっはっ! 随分はっきり言うな、ライダー。だが少し違う。

 俺様はな、どうせやるならキチンと戦って倒したいのだ。さっきの不意打ちで死ぬような脆弱なサーヴァントなら、戦う意義すらないが、貴様等二人はそうではない。紛れもなく英雄と呼ぶにふさわしいサーヴァント達だ。

 そういう相手とはな、やはり直にやりあって倒したいのだよ。そうでなければ、召喚に応じた意味もないしな!」

「……自分の手で、すべてのサーヴァントと雌雄を決するのが望みだと?」

 

 確認の為にそう口にすると、ランサーは大仰に頷いた。

 

「うむ! 我が槍が『最高』だと思い知らせるには、名のある英雄の首級が必要だろうて。故に雑魚に興味はないが、実力のある英雄には俺様が直に手を下す。

 貴様等のその腕の傷は、その選定と、俺様を無視して戦いを続けていた無礼さのツケと思っておけ」

 

 なんともまあ、面倒くさいサーヴァントもいたものだ。とアーチャーは内心でランサーのマスターに同情した。有利な盤面をひっくり返してまで自分の我を通そうとするサーヴァントなぞ、扱いづらいことこの上ないだろうに。

 

「ところでランサー」

「なにかね、アーチャー?」

「貴方自身が手を下すに値するか。その選定を行った貴方からすれば、我々が生き延びることは貴方の望み通りだったのでしょう。

 ですがこうなった以上、さらなる横槍の可能性を摘む為に、次の行動で私とライダーは真っ先に貴方を攻撃すると思うのですが。自分から積極的に二対一の状況を作ったということを、貴方は理解していますか?」

 

 アーチャーのこれは、嫌みではなく純粋な疑問であった。

 それに対するランサーは、にこやかに笑って答えを返す。

 

「無論だ。そんなものは想定内に決まっていよう!

 アーチャーとライダー。二人の実力者と同時に戦えるとは実に心が躍る。双方を俺様の手でぶちのめせるとあっては尚更だ!」

 

 真正のバカか、余程の自信家か。

 ここまではっきりと『お前たち二人を同時に相手しても負けない』と宣言されてしまうと、アーチャーにはどう判断していいかわからなかった。

 

 だが、この場にいたもう一人は違ったらしい。

 

「そうか」

 

 短い一言に込められた絶対零度の感情が、その発言者に注目を集める。

 声を発したライダーはまるで感情の抜け落ちたような表情で、ランサーを見つめていた。

 

「選定だの、二対一でも負けないだの。つまりテメエは……」

 

 ぐ、とその両足に力が溜まる。

 それを見たランサーの表情から余裕の笑みが消えた。

 再開する。と、アーチャーが確信した瞬間、ライダーがスタートを切った。

 

「やっぱり俺らを舐めてんじゃねえかあぁぁぁぁっ!!」

 

 氷点下から獄炎の怒りへと。一気に感情を爆発させたライダーが、その優れた敏捷性でランサーに迫る。

 彼にとってランサーの言葉は耐え難い侮辱だったのだろう。ライダーの瞳には、既にアーチャーの姿は写っていない。

 唸りを上げる槍が、ランサーの三叉槍とかち合い火花を散らす。

 

 距離を稼ぐなら今だ。

 

 その判断と同時、打ち合う二人のサーヴァントを残して、アーチャーは大きく距離を離した。

 そうして左手に取り出したのは木製の弓。かつて『必中の弓』とまで謳われたアーチャー本来の武装。

 

 ランサーがアーチャーの動きに気が付いたが、もう遅い。

 つがえた矢は一度に五本。標的は、先の宣言通りランサーだ。

 魔力を上乗せされた矢は、尋常ではあり得ない軌道を描いてランサーに迫る。

 

 ライダーの槍を打ち払ったランサーが矢の迎撃に入った。

 音速を越えた五本の矢を、ランサーの槍が打ち落とす。

 だが、それは元々落とさせる為の矢(・・・・・・・・)だ。本命は矢の迎撃時に生まれた隙を穿つ、たった一本。

 先の五本よりも、ランサーの槍よりもさらに速い矢が、完璧なタイミングで放たれる。

 

 アーチャーの鷹の目が、僅かに瞠目するランサーの表情を捉えた。

 直後、その眉間をアーチャーの矢が、容赦なくぶち抜く。

 衝撃に、ランサーの身体が大きく吹き飛ばされた。

 

「……」

「……」

 

 これで幕切れ。いくらサーヴァントであろうとも、眉間を打ち貫かれて生きていられる道理はない。あっけないと言えばあっけないが、人の死とは総じて意外とあっけないものだとアーチャーは知っている。

 

 激情冷めやらぬ表情で、ライダーがアーチャーを見た。

 彼からすれば、アーチャーのこれも横槍か。先のランサーとのやり取りを見るに、怒りの矛先がこちらに向いてもおかしくはない。

 とはいえこの場に残るサーヴァントは二人きり。残った者同士がぶつかり合うのは当然ともいえる。

 先ほどとは違い、こちらは既に弓の間合い。あとはこの距離を維持できれば、ライダーを倒すことも可能かもしれない。

 

 そんなアーチャーの思考は、

 

 

「いや、いい腕だ。さすがに死んだかと思ったな」

 

 

 ────自身の眉間から矢を引き抜きつつ立ち上がったランサーを見て霧散した。

 

「……バカな」

 

 驚愕の声を漏らしたのはライダーだ。

 無理もない。サーヴァントが人の理から外れているとはいえ、それでも頭は現界するにあたって重要な気管である。このランサーのように、眉間を貫かれて平然としていられるハズがない。

 

「……!」

 

 にやり、と笑ったランサーが動き出す。……その直前に、矢を叩き込んだ。

 今度は三本。

 眉間。

 心臓。

 喉元。

 そのいずれもが、サーヴァントにとっても急所になりえる部位だ。

 

「ふふ。どうした、こんなものかね!?」

 

 矢は間違いなく全弾命中。

 それでもランサーは死なない。どころか倒れもしない。まるでダメージそのものが無いかのようだ。

 驚愕に目を剥くこちらを余所に、ランサーがその神速でアーチャーへと大きく踏み込んだ。

 

 槍の英霊を前に、槍の間合いで戦う訳にはいかない。加えてあの謎の不死性だ。

 単純に矢が効かないのか、あるいは物理攻撃すべてが効かないのか。まさか魔術も含めた全攻撃をシャットアウトするということはないと思いたいが、いかんせん初見では情報が足りない。

 

「くっ……!」

 

 対策もないまま近接戦闘に移行させるわけにはいかない。

 結果として、アーチャーには後ろに下がり続けること以外の選択肢が思い浮かばなかった。

 

 アーチャーとて騎士の端くれ。騎士として主の命令があれば、たとえそれが勝ち目のない戦いだろうが、喜んで命令に従い命を捨てる覚悟もある。

 だが、それは今ではない。

 マスターからは、無理をせずに時間を稼いでくれればいい。と命令を受けている。

 それを思えば、ランサーとライダーをこの場に留まらせているこの状況は、そう悪いものではなかった。

 後はなんとかこのままの状況を維持して、しかる後に離脱するだけ。

 

 ライダーとランサー。ともに敏捷の値が高い二騎のサーヴァント。その中でも、とりわけこちらの攻撃を無効化してくるランサーは驚異だ。これ以上の傷を負わずに、この場を離脱することはまず不可能だろう。

 それでもアーチャー自身が存命であるのなら、時間稼ぎの成功と相手の手の内を垣間見たことで、十分釣り合いが取れている。

 

 アーチャーがそう思ったその時、マスターから送られてくる魔力に、澱みが生じた。

 

(っ、マスター?)

 

 アーチャーの心を、言いようのない不安が塗りつぶした。

 サーヴァントとそのマスターは、霊的に繋がっている。それ故に、マスターが「サーヴァントが必要だ」と思えば、それはそういう意思としてサーヴァントに伝わるし、「ピンチだ」と思えばそれも伝わる。

 そして今、アーチャーが雅とのレイラインを通して感じたのは、正しく「サーヴァントを必要とする窮地だ」という雅の感情だった。

 

 その感情に、一も二もなくマスターの元に馳せ参じたいという衝動に駆られる。

 だが今、迂闊に背中を向ければその瞬間自分が終わるだろうことも理解できる。

 この距離を保っての撤退戦ならばこなせるが、それは即刻この場を離脱してマスターの居場所に戻れるということではないのだ。安全に離脱するには、目の前にいる二騎の動向を伺い、機を待ち続ける他ない。

 ここでアーチャーが倒れてしまえば、雅を助けられる者はいなくなる。そうなれば本当に終わりだ。

 それがわかっているから、アーチャーは軽率に離脱行動に入れない。雅が令呪さえ使ってくれれば、その強制力で空間転移も可能だろうが、その気配もない。

 

 使う余裕がないうのか。

 それとも使える状態にない(・・・・・・・・)のか。

 

 願わくば前者であってくれ、とアーチャーは強く思った。

 

 足止めしていた者と足止めされていた者。

 まるで立場が逆転したかのような感覚を味わいながら、アーチャーは弓を執る。

 己がマスターの窮地を救いにゆくために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生きていることが不思議だと思った。

 自分は相当な高さから落ちたハズなのに、まだ息がある。思考できる。痛みはあっても、それ自体は大したものじゃない。

 あの高さから落ちてそれは、いくらなんでも不自然にすぎる。

 

「あー……、痛ってぇ」

 

 呟きつつ、倒れていた身体を起こす。

 倒れる直前に何があったのか、少し判然としない。自分がかなりの高みから落下したことは覚えているのだが、そうなった原因が思い出せないのだ。

 

 そうして辺りを見渡した九条は、その黒いローブ姿を見て、すべてを思い出した。

 

「一工程でAランク魔術を発動させるか。現代にも中々の使い手が残っているな」

「あ」

 

 死地と化した工事現場。

 手を引いてくれた少女。

 現れた新しい敵。

 鮮血と閃光、そして。

 

「……っ!」

 

 九条の視界に、うつ伏せで倒れている少女の姿が写る。

 鮮血が彼女の周囲を濡らしていく。まるで血の池を作っていくかのよう。

 

 

 ────その姿が、いつかの誰か(いもうと)とダブって見えた。

 

 

「君っ!!」

 

 総身にはしる痛みを無視して、九条は思い切り立ち上がった。

 

「腕のいい魔術師だ。それだけに経験不足が嘆かれるな。

 令呪を使うという判断は間違っていなかったが、アレには小難しい詠唱はいらん。『来い』と念じれば、それだけでサーヴァントを律することが可能だった」

 

 ローブの男が何かを言っている。

 だが血溜まりの中にいる少女を前に、そんなものはもはや九条の耳には届いていなかった。

 

 血を流す少女を抱き起こして傷の具合を看る。

 意識がない。全身から力が抜けている。わき腹からの血が止まっていない。

 

 何が『何が起こったか思い出せない』だ。

 助けられた。

 庇われた。

 そのせいで自分より年下の少女にこんな傷を負わせた。

 

 九条が奴らに狙われる理由なんてわからない。

 この少女が自分を助けてくれる理由もわからない。

 けれど名前も知らない彼女が、関わりなんてなかった自分を助けようとしてくれたことだけはわかる。

 

「ああ、そこな小娘に足りないのは冷徹さもだな。あの時貴様を庇わなければ、少なくとも着地に失敗することはなかっただろうに……。

 惜しい気持ちはあるが、生かしておくのも厄介そうだ。危険の芽は早めに摘んでおくに限る」

 

 聞き流していたその言葉に顔を上げる。

 

「なん、だと……?」

 

 今、このローブの男は少女を殺すと言ったのか? 傷つけるだけに飽きたらず、トドメを刺すと、そう言ったのか?

 

「何を意外そうな顔をしている? 敵マスターの排除は当然のことだろうが。

 それにな、小娘がそこまでの傷を負ったのは、そもそも貴様のせいであろう?」

 

 それは、その通りだ。

 言葉の前半部分はよくわからなかったが、後半部分は言い逃れができないほど、ローブの男の言う通りである。

 九条さえいなければ、この少女はきっとこんな目に遭っていない。

 

「さて。では殺すか」

 

 ローブの男が手をかざす。

 ボロボロに焼けただれた右手が見る間に修復されてゆき、次いでその掌に光の玉が出現した。

 

 覚えている。

 あの光球がアスファルトを砕いた。そしてあの光球が少女の放った光とぶつかって、自分たちは地面に落とされた。

 あの光に触れれば、九条はもちろん意識のない少女も、まとめてあの世行きだ。

 

 どうしようもない無力感が九条を襲う。

 何もわからないまま殺されかけて、助けてくれた少女を傷つけて、傷ついた少女を助けることも叶わず、そして今また殺されようとしている。

 

「……ふざけるな」

 

 怖い。

 一日に二度も三度も殺されかけるなんて、そんなの正気の沙汰じゃない。

 今すぐに逃げ出して、戻れるのなら工事現場に立ち入る前の自分に還りたい。

 

 けれどそんなことは不可能だ。

 目の前のコイツからは逃げられる気がしない。仮に逃げることが出来たとしても、きっとまた誰かが追ってきて九条を殺す。

 だから逃げられない。この状況はとっくに詰んでいる。誰かが割って入るなんて奇跡、もう起きるハズもない。九条はきっと死の運命から逃れられない。

 

 なにより、

 

 

「ふざけてんじゃねえぞ、てめえぇぇえええええええええッ!!」

 

 

 ────九条自身が、この状況で逃げることを許せない!

 

 

 吼え声とともに立ち上がり拳を握る。

 

 武器は無い。

 作戦は無い。

 勝ち目は無い。

 

 無い無い尽くしの無謀な突撃。

 

 ああそうだ。自分はこれで死ぬだろう。

 死ぬのは本当に恐ろしい。

 何せ死んでしまっては何も出来ない。恨み言の一つすら、言葉にすることが出来ないのだ。

 逃げられるなら逃げたいと、そう思うのは別段特別でもなんでもない。

 

 けれど、そうだ。死ぬよりも許せないことが、自分の胸には確かに一つあった。

 これはただ、それだけの話。

 我ながらバカだとは思うけれど、どうしたって譲れない。

 

 九条を助けようとしてくれた少女とは、名前も知らない赤の他人同士だったけれど。

 少女は自分の思い出の彼女(いもうと)とは似ても似つかないけれど。

 

 それでも、ここで逃げれば。ここで少女の為に立ち上がれなければ、自分はまたあの時(妹の死)と同じく後悔するだけだろうから。

 

「ああああああああああああああああああッ!!」

 

 恐怖を抱いたまま、ローブの男に突進する。

 彼我の距離は十メートルほど。九条の拳の間合いまでほんの数秒だ。

 しかし男が生み出した光の球は、既に彼の掌を離れ、九条の間近まで迫っている。

 何の抵抗手段も持たない九条は、かわすことも出来ずにあっさりと光の中に飲み込まれた。

 

 

「……っ!?」

 

 

 これで終わりか。

 わかってはいたけれど、結局なにも出来ずに終わってしまうのか。

 

 視界を埋め尽くす光の中、九条の頭にあるのは、何もできなかったという虚しさだ。

 

 自分の身も守れず、少女を救えず、自分たちを殺そうとした者に一矢報いることすらできない。

 

 ふざけるな、と思う。

 これほど自分の無力さに嘆いたのは、あの日以来だ。

 そんな日がこないよう祈って生きてきたのに、現実は無慈悲にも九条に襲いかかってくる。

 

 助けたい、と痛烈に思った。

 自分に関わらなければこんなことにはならなかった年下の女の子。

 妹と同い年くらいの、自分を助けようとしてくれた彼女だけでも助けてやりたいと思った。

 

 助けてほしいと、叶わない願いを抱いた。

 自分の無力さはあの日に痛いほど味わっている。そして今日、追い打ちをかけるかのように再び味わわされた。

 自分一人の力では、少女を救うことはおろか、自分の命を守ることすら覚束ない。

 

 だから、助けてほしい。

 誰でもいいから、こんなふざけた結末を変えてほしい。

 どれだけ身勝手で、無様な願いかはわかっている。でも、九条の力では何もできないから。

 

 

(誰か…………!!)

 

 

 誰にも届かない、けれど確かに誰かを求めた声。

 拾い上げることなど誰にも出来なかったハズのその声はしかし、この時確かに拾い上げられたのだろう。

 

 

「サーヴァント・セイバー。召喚に従い参上した」

 

 

 その声とともに、圧倒的な存在感を放つ人影が九条の前へと降りたった。

 

 それは、まるで魔法のように。

 九条に害なす音と光を一瞬で吹き散らして、こちらへと振り返る。

 

 

「問おう。貴殿が私のマスターか」




※一か月近くもかかってしまった……!!


???「横槍だ。ランサーだけにな」

色々とツッコミどころもあると思いますが、生暖かい目で見ていただければ……


【CLASS】ランサー
【真名】???
【マスター】???
【性別】男性
【属性】秩序・悪
【ステータス】筋力B 耐久E 敏捷A 魔力C 幸運E 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:B+
 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
 たとえBランク以上の魔術であっても、それが性別に依存する魔術ならば効果を軽減できる。

【固有スキル】
???

【宝具】
『???』
ランク:B
種別:対人宝具
レンジ:ー
最大補足:1人
 ダメージを無効化するランサーの肉体。
 以下、詳細不明。


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その日 4 最優対最弱

「問おう。貴殿が私のマスターか」

 

 声に、呆然とその男を見上げる。

 

 武人、という言葉がしっくりくるような男だった。

 短く切りそろえられた青い髪。血の色のような赤い瞳。二メートルを超えるだろう長身と、それを覆う筋肉の鎧。

 右手に長剣。左手には獅子の意匠が施された盾。

 大柄な身体を包むのはピッタリとした青い衣装で、その上から要所を守るように金属鎧が装着されている。

 

「ます、たー……?」

 

 問われた言葉の意味がわからない。

 わかるのはただ、この男もまた、今宵出会った人ならざる者達と同じ存在だということだけだ。

 

 いや、もう一つわかることがある。

 

(こいつは……味方、だ)

 

 確かに一度、この男には守られた。ローブの男の攻撃から助けてもらった。

 だけどそれだけじゃない。

 理屈なんてないけれど、この男は九条を助けてくれるモノだと理解できる。

 

 その理解と同時、右手に痛みが走った。

 

「……っ!!」

 

 まるで火傷を負った時のような痛みに、反射的に右手に目を向ける。

 少女を抱き上げた時、彼女の血で赤く染まった九条の右手。その手の甲に、血よりもなお赤い不可思議な紋様が浮かんでいる。

 

「……?」

 

 なんだこれ。

 そう思った瞬間、九条の眼前で光が弾けた。

 はっ、として顔を上げると、男が剣を振り切った状態でこちらに背を向けている。

 

「令呪を確認した。これで契約は完了だ。マスター、指示を」

「え、契約って……。いや、それよりも────」

 

 その続きは閃光と轟音にかき消された。

 

 都合三回。

 セイバーと名乗ったその男に触れる度、ローブの男が放った光の球が弾け飛ぶ。

 

「……とは言っても、状況は一目瞭然だな」

 

 無傷。

 低く呟いたセイバーが、その言葉だけを残してローブの男に疾走を開始する。

 

 

 

「セイバークラスの対魔力か! 忌々しいなッ!」

「主従の誓いの最中に攻撃とは、あまり行儀がいいとは言えないな。キャスター!」

「ぬかせ青二才が。敵前で悠長に会話なぞしている方が悪い!!」

 

 

 

 憎らしげな声とともに、セイバーに向けて極太の光の柱が放たれる。

 光に込められた膨大な魔力。恐らくはAランクに到達する魔術行使。

 それを理解していながら、セイバーは一瞬たりとも足を止めず、むしろ加速しながら光の奔流に飛び込んでいく。

 直後、先ほどと同じように光が掻き消えた。

 生身の人間が触れれば即、蒸発してしまうであろう光の柱は、その実なんの破壊ももたらすことが出来ないまま、魔力の残滓へと還っていく。

 

「チィッ!?」

 

 自らの魔術が打ち消される様子を見て、キャスターが舌打ちとともに跳びずさった。

 だが、ここは既にセイバーの間合いだ。

 右手に握った長剣が風を切って唸り、後退するキャスターに食らいつく。

 

「くっ!?」

 

 身を裂くかに思われた長剣はしかし、咄嗟に掲げられたキャスターの剣に阻まれた。耳障りな金属音を発して刃と刃が火花を散らす。

 セイバーは僅かに息を呑んだ。よもやキャスタークラスが剣を携え、あまつさえ自分の剣を受け止めるとは思いも寄らなかったのだ。

 が、それでキャスターが有利になったかと言われればそうではない。むしろ状況的には未だセイバーが優位だ。

 

「ハッ!」

 

 息を鋭く吐き出しながら、鍔迫り合う刃を弾く。

 今の僅かな押し合いで、接近戦におけるキャスターの能力は大方把握した。

 

 まず筋力値は自分の方が上だ。

 次に、キャスターはセイバーに対魔力があることを知った上で、魔術による攻撃、あるいは牽制を仕掛けてきた。つまりこれは剣を持ってはいても、近接戦闘で有効に立ち回れるだけのステータスないし、技量が足りていないということ。

 加えて、キャスターの剣からはろくな魔力を感じられない。見たところ儀礼用の剣ではなさそうだが、それでもただの武器の域をでない代物だろう。これが宝具とはどうにも考えにくい。

 

 ならばこの立ち位置でセイバーに敗北はない。

 

 剣を弾かれた衝撃でキャスターが体勢を崩す。

 その体勢が再び整うまでに、翻した長剣の一撃。

 胴へと向かう刃は、今度もキャスターの剣に阻まれた。

 だが構うことはない。ここはセイバーの間合いで、剣を使った白兵戦はセイバーの土俵だ。

 

 二撃、三撃。とさらに長剣を振るいキャスターを攻め立てる。

 その度、耳障りな金属音とともに、火花と言うには大きすぎる光が夜の闇に弾けた。

 

「魔力放出スキル……かッ!」

「さてどうかな」

 

 憎々しげに吐き捨てるキャスターに、セイバーは余裕を持った声色でとぼけてみせる。

 と同時、両者の間で再び刃同士が激突し、一際まぶしい光をともなって弾けた。激突の瞬間に迸った光は、火花というよりむしろ稲光のようにも見える。

 キャスターは今度も防御を成功させるが、その顔には明らかに余裕というものが欠落していた。

 それも当然だろう。剣同士が打ち合うごと、キャスターの側に叩きつけられていく魔力量は尋常ではない。

 剣を通じて返ってくる反動から、セイバーは自分の剣に込められた威力を正確に感じ取った。自分で受けたくはないな、とすら思う。

 剣士であるセイバーですらそうなのだから、自らの不利な間合いで受けに回ったキャスターの心情は推して知るべしである。

 

「むぅっ!?」

 

 五回目の衝突の際、とうとうキャスターの手にした剣が粉々に砕け散った。

 同時に、受けに回ったその身体が、取り返しのつかないほどに大きく傾ぐ。

 訪れた絶好の機会。

 その機を逃すセイバーではない。

 これまでの小手調べとは全く違う、全力の踏み込み。

 長剣を握る右腕の筋肉が盛り上がり、瞬きすら許されない程の速度で刃が振るわれる。

 

「ガッ……!!」

 

 キャスターの苦悶の声。

 長剣は、狙い違わずキャスターの黒いローブへと吸い込まれた。肩から脇腹に抜けるよう、バッサリと袈裟斬り。

 誰が見ても疑いようもない程のクリーンヒット。長剣はキャスターを捉え、その感触を自らの担い手へと返す。

 

 だが、

 

 

「むっ!?」

 

 

 ……苦悶の声と疑念の声は同時だった。

 

 斬撃の衝撃と離脱の勢いそのままに、キャスターは大きく後退しセイバーとの距離を離す。

 一方のセイバーは追撃をかけるでもなく、自らの得物とキャスターのローブ姿を見比べ、足を止めていた。

 

「浅い……、いや()()()

 

 今の一撃は威力、速度、タイミング、どれをとっても申し分ないものだった。仮にキャスターの耐久値がA判定であったとしても、立ち上がれないほどの傷を負わせたであろう自信が、セイバーにはあった。

 にもかかわらず、キャスターは存命である。

 それどころか目に見えた損傷もない。肩口から袈裟斬りにされたローブからは血が滲んではいるが、おそらくは簡単に治癒できる程度のものだろう。

 

「今のは存外堪えたぞ、この馬鹿力めが」

「大した痛手でもないクセに、よく言う」

 

 ヒュンッ、と長剣を振るい、刃に残った僅かな血糊を落とす。

 セイバーの攻撃を受けて軽い切り傷程度。耐久値の高さだけでは説明がつかない頑健さである。

 

「尋常ではない硬さだった。今の踏み込みで、その程度しか刃が通らぬとは。

 そのローブの下、何か仕込んでいるのか」

 

 だとすれば、それは堅牢な鎧か。あるいはキャスターらしく防性の魔術か何かか。もっと別のスキルか。もしかすると、それは……、

 

「宝具、か?」

「答える馬鹿がどこにおる?」

 

 訝しげに目を細めたセイバーの言葉を、キャスターは取り合うことなくあっさり切って捨てた。

 

 サーヴァントとはかつての英雄の写し身だ。そして英雄とは皆、なにかしらの偉業を成し遂げた人物である。

 で、あるなら。英雄たちは偉業を成し遂げるための能力を、道具を必ず持っている。その英雄を言い表すシンボルとも呼べるそれが『スキル』であり、『宝具』である。

 古今東西の英雄を喚びだし戦い合わせる聖杯戦争では、それこそ星の数ほどのスキルと宝具が飛び交う。

 

 未来予知に近い直感。

 日中は能力が三倍になる特異体質。

 因果逆転の槍。

 海魔を喚び出す魔道書など。

 

 その中にあっては、『受けるダメージを軽減する』スキルないし宝具など別段珍しいものでもない。数ある英雄譚の中には『無敵の肉体』を持つとされる英雄が何人もいるのだ。

 

 聖杯戦争のセオリー通りに事を運ぶなら、戦う相手の情報を集め、真名を看破し、伝説からその英霊の弱点を見つけだし、敵のスキルと宝具を打ち破って倒す、という流れを踏むべきだろう。

 実際、相手の能力を知っているのと知らないままでいるのとでは、戦い易さが大きく異なる。キャスターがこちらの斬撃の威力を軽減した能力の秘密さえわかれば、それにうまく対処して、あっさりと殺せるかも知れないのだ。

 セイバーだってそれくらいはわかっている。

 わかってはいる、が。

 

「まあ、なんであれ関係ないか。

 確かに硬くはあったが、全く傷つけられなかったわけでもない。悪いがこのままゴリ押しで勝負をつけさせてもらう」

 

 たとえ何かしらの防御能力があろうとも、そんなものこちらの勝利には関係がない、とセイバーは言い切った。

 

 実際、勝利の天秤は未だこちらに傾いたままだ、とセイバーは考える。

 キャスターは確かにこちらの攻撃を受け、かすり傷程度のダメージしか負わなかった。アレは致命傷には程遠く、僅かな魔力と時間で簡単に治癒できる程度のものでしかない。

 それでも傷を負わなかったわけではないのだ。

 対し、キャスターの攻撃でセイバーは傷を負わない。

 僅かでも傷を負う者と無傷の者。

 最終的にどちらが勝ち残るかなんて言うまでもない。

 

 加えて、相手がキャスタークラスなら安直に退き下がることが上策とは思えない。

 聖杯戦争に呼び出されるサーヴァントたちには、各々割り当てられたクラスによって『クラス別スキル』なるものが与えられている。セイバーなら『対魔力』、ライダーなら『騎乗』といった具合だ。

 その内、キャスターに与えられるのは『陣地作成』。魔術師として自分に有利な工房を作成することが可能になるスキルだ。

 どの程度の工房を作り上げられるかはその英霊ごとに差があるだろうが、それでも確実に言えることはある。

 陣地とは一朝一夕で作り上げられるものではなく、ある程度の時間をかけねば作成できない。

 反面、時間をかければかけるほど趣向を凝らした陣地を作成することが可能である。

 そしてキャスターの陣地が強力になることは、キャスターが強力になることと同意なのだ。悠長に退いてキャスターに時間を与えれば、間違いなくこちらが不利になる。最悪の場合、勝負にすらならずに脱落させられてしまうかもしれない。

 

 故に、この敵は倒せる時に倒す。

 

 長剣を握りなおし、開いた距離を埋めるべくセイバーが疾走を開始する。

 先の攻防から察するに、キャスターを再び剣の間合いにさえ捉えれば、その時点でセイバーの勝ちは決まったようなものだ。

 

 にも関わらずキャスターはその場から全く動くことなく、口元を苛立たしげに歪ませて、迫り来るセイバーを待ち受ける。

 

「勝負をつける? ……あまり図に乗るなよ、小僧ォ!」

 

 まさにキャスターに躍り掛かろうか、というタイミングだった。

 キャスターの苛立ちを含んだ声とともに、彼を中心とした周囲数メートルに濃い霧が発生する。

 

 自然現象ではありえない発生の仕方。なんらかの魔術であることは明らかだ。

 だが、セイバーには魔術を無効化する対魔力が備わっている。たとえこれがAランクの魔術であったとしても、先の攻撃同様セイバーには届かない。

 キャスターは既に目前。セイバーは、円形に広がっていく霧を無視して、眼前のキャスターに剣を叩きつけた。

 

 ザクリ、という感触とともにキャスターの腕から鮮血が舞う。

 セイバーの長剣は、今度もその威力を大きく削られ、キャスターに致命的な傷を与えることが叶わなかった。盾のように差し出された左腕に刻まれた傷は、先ほどよりもさらに浅い。

 秒単位で出血が治まり、次いで斬られた傷が、その痕跡すら残さずに消失する。

 

 その様を見ながら、セイバーは追撃をかけなかった。

 いや、()()()()()()()()()()()()

 

「ガッ……、ハ」

 

 至近距離にいたキャスターから大きく距離を取り、膝を着く。

 喉元にせり上がってくるものを堪えようとして、堪えきれなかったものが口内から溢れた。

 唇の隙間から漏れた鮮血が、口元を伝ってポタポタと地面に赤黒いシミを作る。

 

「キャスターは魔術しか使えぬ、と侮ったな。セイバーのサーヴァント」

「ぐっ……」

 

 キャスターを中心に発生した霧。その向こう側から、こちらを見下すような声が聞こえてくる。

 剣を地面に突き立て膝を着いたまま、セイバーはキャスターを────キャスターの周囲を覆う霧を睨んだ。

 

「その、霧……。魔術では、ないようだな」

 

 言いながら吐血する。

 肺が爛れたような感覚。霧を睨む視界が揺れ、長剣を握る腕にも僅かな痺れがあった。

 

 外側よりも、むしろ内側へ与えられたダメージ。

 おそらくは何らかの毒。それが霧状になってキャスターの周囲を取り囲んでいるのだろう。

 セイバーが吸い込んだ霧は、およそ一呼吸分程度だったが、受けたダメージは甚大だ。

 『触れればアウト』という訳でもなさそうなのが唯一の救いか。もしそうだったとすれば、霧に触れていた身体にも、皮膚が焼ける程度の被害は与えられていたハズだ。

 

「この身は確かに魔術師(キャスター)だがな、それ以前に英霊だ。切れる手札が魔術のみでは、さすがに面白味に欠けようよ」

「なるほど。確かにそれはその通りだが……。さて、まいったな」

 

 キャスターの言葉を受けて、思わず本音が漏れてしまう。

 

 対魔力スキルで無効化できるのは魔術のみだ。

 逆説的にキャスターを取り巻く霧は魔術による攻撃ではない、ということになる。カテゴリーとしては、剣や弓などによる通常攻撃と同じ位置取りか。

 信じられないような話だが、あのキャスターにとってこの霧は、蹴りや拳を放つのと同じようなものらしい。

 

 対魔力スキルが通用しない毒の霧。

 正直な話、とてつもなく厄介だ。

 

 剣士であるセイバーは、剣の間合いまで詰めなければキャスターに攻撃が出来ない。そしてキャスターの霧の射程はセイバーの長剣よりもずっと広い。

 つまりセイバーがキャスターを攻撃するには、霧の中を突っ切るしかないということ。

 しかしあの霧の威力はたった今、身をもって知った。こちらの攻撃を軽減するキャスター相手に、あの霧の中で戦えば、先に参ってしまうのはこちらの方だ。

 

 毒の霧。そのたった一手で有利な盤面を覆されてしまった。

 

「形勢逆転、といったところか。

 まあ、そちらも腐っても英雄。剣士(セイバー)のクラスに据えられているとはいえ、よもや近接戦闘しか出来ない、などということはないだろうが」

 

 自分自身のことを引き合いに出すかのようなその言葉。

 言外に『出来るはずがないだろうが』と言われているような、挑発的な意志を感じとる。

 

「……」

 

 しばし黙考する。

 

 あの霧を攻略しなければ、セイバーに勝機はない。キャスターの防御力を前に、霧の中で長々と戦闘を行えるほど、こちらの体力に余裕はない。

 断っておくが、これはセイバーが低耐久だということではなく、あの霧の威力が尋常ではないというだけだ。数多くいる英霊の中でも、あの霧の中で平然と活動できる英霊は一握りだろう。

 故に、キャスターを倒すには、キャスター自身が言ったように近接戦闘以外の方法が望ましい。七つのクラスで言うなら、飛び道具を所有するアーチャーの相性がいいだろうか。霧の射程外から攻撃することが、単純にして最も正しい攻略法だろうと思う。

 

 そして奇しくも、そういった『霧の射程外から撃てる武装』ならセイバーも持っている。

 他の剣士連中はどうだか知らないが、自分にはあの霧に触れずにキャスターを攻撃する術があるのだ。

 

 だが、それは……、

 

(こちらの()()を晒すことになる)

 

 あえてもう一度言うが、宝具やスキルはその英雄の持つ逸話に密接に絡んでくるシンボルとも言えるものだ。それ故、英雄の真名が割れれば、その英雄がどういった戦力なのかは自ずと知れる。

 そしてその逆もまた然り。宝具が割れればそれを所有する英雄が何者なのかも容易に知れる。

 そのため、聖杯戦争では出来るだけ自分の戦力を隠しながら戦うことがセオリーとされているのだ。

 

 それを、この霧を破るためとは言え、こんな序盤で宝具を開帳するような真似をして良いものか。

 宝具を解放してキャスターを倒せれば問題はないが、もしキャスターが生き残った場合、こちらの手の内を一方的に晒すことになる。そうなれば今次の聖杯戦争において、セイバーは圧倒的不利に立たされることになるだろう。

 

「どうした? 切れる手札があるのなら、今の内に切った方が良いと思うぞ?

 あるいは打つ手が無いと言うのなら……、ここでこのまま引導を渡してやろう!!」

 

 声とともに霧の濃度が、その射程が上昇する。

 キャスターを中心に、遅々とした速度ではあるものの、確かに霧がセイバーに向けて延びてくるのだ。

 

「チッ」

 

 舌打ちを残して後退する。

 セイバーの持つ防御スキルでどうしようもない以上、あの霧には触れぬことが最善だ。

 

 宝具を解放してでも攻めるべきか。

 あるいはこの場ではマスターを連れて逃げるべきか。

 

 迷いしながらも、後のことを考えるならば後者を選ぶべきだと、セイバーは決断を下そうとしていた。

 

 

 

 

 

 一方で、セイバーとキャスターの激突を見ていた九条には、何が起きているのか正確に理解することが出来ていなかった。

 かろうじて理解が追いついたのは、セイバーと名乗った男がキャスターと呼ばれた男を斬りつけたこと。何故かキャスターは死なず、どこからか霧が発生し始めたこと。霧の中に入ったセイバーが、血を吐いてひざまずいたこと。

 今はキャスターを中心に、ゆったりとした速度で霧が広がっている。セイバーはどうやらそれに触れたくないらしい。勢いよく攻め込んでいった時とは裏腹に、少しずつだが後退を始めている。

 

「う……」

 

 九条の腕の中で、少女がうめき声を上げた。

 血を流して意識を失った彼女は、苦悶の表情を浮かべながらも、まだ確かに息がある。

 

 九条を助けようとしてくれた少女。

 

 彼女だけでも助けたいと思った。だから無駄だと思ってもキャスターに立ち向かったのだ。

 結局、九条にはどうしようもなかったけれど、どこからかセイバーと名乗る男がきてくれた。

 セイバーがキャスターを斬りつけたとき、これで助かったと思った。同時に、少女を助けられるかもしれないと希望を抱いた。

 だが実際にはキャスターは死なず、逆にセイバーが追いつめられている。

 

 セイバーとキャスター。相変わらず、彼らがどういった存在なのかはわからない。

 それでも人間の範疇を大きく超えた何かであることは感じ取れた。さらに言えば、二人が対立していることは状況を見れば明らかで、セイバーが九条の味方をしてくれていることもまた容易に感じ取れる。

 

 その上で、もしこのままセイバーがキャスターにやられれば、次は自分たちの番だということはわかった。元々キャスターという男は九条たちを襲撃しにきたのだから。

 

 九条は深く息を吸い込んだ。

 自分が置かれた状況への理解なんて曖昧なままだ。なぜキャスターが自分たちを狙い、なぜセイバーが自分たちに味方してくれるのかもわからない。

 それでも、いい。確かに言えることがあって、僅かでも少女を助けられる目があるのなら、何もわからなくったって構わない。

 

「セイバァァァァァァアッッ!!」

「!」

 

 わからないまま叫んだ。

 その絶叫に、キャスターへと意識を傾け続けていたセイバーの視線が向けられる。

 

「俺には、お前がなんなのかなんてわからない! それでも俺のことを『主人(マスター)』って呼ぶのなら、俺の命令(願い)を叶えてみせろ!」

 

 腕の中にある体温を強く意識する。

 今きっと、九条が叶えたい願いなんて一つだけ。

 

「俺は、この娘を助けたいッ!! そのためには、キャスター(そいつ)が邪魔だ! だから……」

 

 はっきりとセイバーの目を見る。

 感じ取れる圧迫感にも似た気配は、今宵出会った人ならざる者と同じかそれ以上。

 それでも、開き直った九条が後込みすることはない。もっと大切なことを前に、そんなものは些細な障害にもなり得ない。

 

「だから、そいつをぶちのめせ!! セイバーッ!!」

 

 九条の叫びをどう捉えたのか。

 セイバーは僅かに瞠目し、霧の中にいるキャスターは不愉快そうに眉根を寄せた。

 そして、

 

「ク────」

 

 血の跡が残るセイバーの口元が歪む。

 九条の切実な願いを前に、セイバーが漏らしたのは獣めいた笑みだった。

 

「ハハッ、女を救いたい。そして、ぶちのめせときたか……。

 いいぜ、気に入った! ()のマスターになる男はそうじゃねえとな! 了解したぞ、マスター。その命令(オーダー)、たしかに承った」

 

 九条の言葉の、いったい何が琴線に触れたのか。

 心底うれしそうに語るセイバーからは、最初に感じた武人の雰囲気はなりを潜め、代わりに少年のような、あるいは無邪気な獣のような気配が発散されている。

 

「地金が透けているぞ、セイバー」

「おっとこれは失礼。思いもかけず、良いマスターに巡り会えたものでつい」

 

 キャスターの指摘に、笑みを浮かべた口元を隠しもせずにセイバーが答えた。

 対し、キャスターは不愉快そうな顔のままセイバーの言葉を鼻で笑う。

 

「アレが良いマスターだと? そう思っているのなら、随分な節穴だ。見たとこ、魔術の素養もない脆弱な一般人だろうに」

「人の上に立つ者に求められるのは、力よりも心だと思うがね。

 ともあれ我がマスターからの最初の命令だ。謹んで貴公をぶちのめすこととしよう」

「笑わせるな。貴様の攻撃力は実際大したものだが、それでもこの身を殺し尽くすには至らぬ。それは先の突撃で理解していよう? そして貴様には、この霧を防ぐ手だてはない」

 

 セイバーにキャスターは殺せない。

 確かに、セイバーの剣をまともに受けて平然としているキャスターの姿を九条も見ている。そして霧の中に入ったセイバーが血を吐くところも。

 

 だがそれを承知で、九条はセイバーに願いを託した。

 この窮地を脱するには彼の力でなくては不可能だと、彼の力で不足なら諦めるしかないのだと、そう思ったから。無茶だと思う願いを、彼に託したのだ。

 

「ああ。それには全く、反論のしようもないが」

 

 セイバー自身も、キャスターが突きつけた言葉が覆しようもない事実だと認めているのだろう。答える声には反発の色が見受けられない。

 

 それでもセイバーはキャスターに向けて剣を構えた。

 九条の発した無茶な命令。それを押し通そうとでも言うかの如く、剣を構えてくれたのだ。

 直後、彼の持つ長剣から甲高い音と、眩いほどの光が発せられる。

 

「ならば霧の外から、殺させてもらう」

 

 セイバーの声に、九条の身体が総毛立つ。

 あるいはこれが、剣気や殺気と呼ばれる類のものなのだろうか。ライダーやキャスターに殺されかけた時と同様に、九条はセイバーの全身から死の気配を感じ取る。

 

 そしてそれは、直接その気を向けられているキャスターの方が顕著だったらしい。

 

「……宝具!」

 

 そう叫ぶ声には、先ほどまでの苛立ちや嘲りはない。純粋な警戒の色。

 人を大きく凌駕するキャスターをもってしても今のセイバーは危険だということか。

 

「こちらの切り札だ。遠慮せずに貰っておけ」

 

 セイバーが放つ死の気配に呼応するかのように、長剣から聞こえる音が強く高くなっていく。

 刀身から発せられる光は、バチバチと音を発てて弾け、大気を焦がしてゆく。まるで放電現象のよう。

 

 剣としてはあり得ない状態に、九条は臨界寸前の炉心を幻視する。

 そう、炉心だ。

 剣に溜め込まれた『得体の知れないナニか』をぶん回し、熱量を上げて外の世界へと解放していく炉心。

 今あの剣から発せられている音と光は、単にその一部が漏れ出しているだけなのではないかと、そんな風に夢想する。

 

「初戦から大盤振る舞いにもほどがあろう? ここで宝具を晒して我を仕止められなければ、不利になるのは貴様だぞ?」

「忠告、痛み入るが……。後のことは後に考えることにするさ」

 

 セイバーはそう言ってのけ、その後ニヤリと口元を歪ませると、

 

「それにその焦りよう。どうやら私の剣に、それなりに恐怖を感じているようだ。これは、そこそこ以上の成果が期待出来そうだな」

 

 おどけたように、そう結論した。

 

「恐怖だと? この我が貴様程度の剣に? 自惚れも大概にしておけッ!!」

 

 キャスターが激昂する。

 彼の周囲を漂い少しずつ範囲を広げていた霧が、さらに流動を早め展開。否、まるで防壁のように姿を変えセイバーとの間に立ちふさがった。

 

 霧の壁。

 

 白い色の霧は、壁の形に変形してからその色を毒々しく変色させていく。白から赤へ。赤から紫へ。紫からさらにどす黒い色へと。

 

「このまま圧し潰してくれよう!」

 

 キャスターの命を受けて、霧の壁がセイバーに向けて前進する。

 防壁だと思ったものは、その実、やはり攻撃するための武器だったらしい。

 あるいは攻防一体の万能兵器か。あの壁に見た目通りの強度があるなら、防壁としても十分に機能しよう。

 

 迫る霧の壁を前に、しかしセイバーは微動だにしない。

 もはや避ける必要などないとばかりに、帯電し甲高い音を発てる長剣を振りかぶった。

 

 剣に溜め込まれたナニかが、解放される時を感じ取り一際大きな音と光を放つ。

 炸裂するのだ、となんの素養もない九条ですらその瞬間を予感した。

 

「アーチャー」

 

 その、タイミング。誰もがセイバーの剣へと意識を持って行かれたそのタイミングで、九条の耳へと、か細い声が届く。

 え、と思わず声の出所へ視線を移した瞬間。

 

 

 天空から銀の雨が降り注いだ。

 

 

 雨はセイバーとキャスターの中間位置に落ち、セイバーへと迫っていた霧の壁を削り散らしていく。

 否。これは雨ではなかった。正確には雨の如く降り注ぐ矢。矢尻が星明かりを反射して銀の雨に見せていただけ。

 

 それを悟ったセイバーは驚愕する。

 恐るべきはその速射性だ。

 矢を飛ばすなら武器は弓だろう。ひとたび矢を放つ為には矢をつがえ、弓を引き、放すという動作が必要となる。雨と見紛うほどの連射を可能とするには、一体どれほどの修練が必要だというのか。

 セイバーの見立てではかなりの強度があったハズの霧の壁を、通常攻撃に過ぎないだろう矢の連射で無理矢理に削っていく。

 

「「アーチャーか!」」

 

 セイバーとキャスターの声が重なった。

 

 セイバーは宝具の使用を中断。矢の降り注ぐ地点から離れるべくバックステップを踏む。

 対するキャスターはセイバーへと向けていた霧の壁を解除。文字通り霧散した霧を、再び自身の周囲に展開して防御の構えを見せる。

 

 霧の壁を穿っていた矢が、標的の失せた空間を射抜いたのは一瞬。一瞬の後には、目標を再照準して矢が空を走った。

 

「ぬおぉぉ!?」

 

 標的はセイバーではなくキャスター。

 霧による防御も驚異的な矢の連射で削り取り、雨あられと降り注ぐ矢がついにキャスターへと到達する。

 矢の雨に晒されたキャスターからは、驚愕とも苦悶ともつかない声があがった。

 

 その様を見て、セイバーは左腕を構える。左に握るのは長剣ではなく獅子の意匠が施された盾だ。

 アーチャーがキャスターを狙うのなら、セイバーとしてはそれに乗じて追撃をかけるだけ。

 

「我が敵を引き裂けッ!」

 

 左腕を大きく振りかぶり、踏み込みとともに盾を投擲する。

 

 セイバーの盾は、ただの防具ではない。盾の縁を刃としても使用可能なこの盾は、防具でありながら武器としても十二分の性能を持つ。

 ましてそれがセイバーの膂力で投擲されたのなら、並の投擲武器など及びもつかない威力となる!

 

 空気の壁をぶち破って、投げられた盾がキャスターへと迫った。

 矢に晒され続けているキャスターのローブに、獅子の盾が食らいつく。

 矢の雨と獅子の盾の連撃。通常のサーヴァントならばそれだけで脱落しよう。

 

 しかしこのキャスターの耐久に至っては、やはり他のサーヴァントとは格が違った。

 

「ぐ、おおおおお! き、さまら……、図に、乗るなァッ!!」

 

 キャスターが吼える。

 魔力を爆発させて盾を弾き、矢の雨を押し返す。

 僅かに開いた攻撃の隙間で霧の壁を二重、三重に再展開。大きく後退し、狙撃地点から逃れた。

 

「これでも仕止めきれないか」

 

 もはや仕止められないと判断したのか、矢の雨が止む。

 

 ブーメランの如く戻ってきた盾を回収して、セイバーは息をついた。

 真名解放こそしなかったものの、今の投擲にも相当の威力が乗っていたハズだ。加えてアーチャーからの攻撃もある。

 にも関わらずキャスターは健在だ。目に見えて傷は増えているものの、やはり脱落には程遠い。やはりなんらかの宝具かスキルの恩恵があるのだろう。

 

 と、視界の端に一人の青年が着地するのが見えた。

 枯れ草色の外套をたなびかせ、手には木製の弓。とすれば、今し方の乱入者は彼だろう。

 位置取りはセイバー、キャスターからやや離れた地点。三人を線で結んで丁度三角形になるような位置だ。

 

「やってくれたな、アーチャー」

「それはこちらの台詞です、キャスター。私のマスターを傷つけたツケは、その身で支払っていただきましょう」

「馬鹿がッ、傷を負わせるのが嫌ならどこぞに閉じこめておけ!」

「ふむ。状況はよくわからないが」

 

 アーチャーとキャスターの口論に口を挟む。

 

「これは三つどもえか? あるいは、二対一ということでいいのかな?」

 

 二騎の動向を伺いながら問いかける。

 先の行動を見るに、すぐさまアーチャーを敵に回すことにはならないだろうが、断言は出来ない。利害の一致で一時的に共闘関係を結ぶことはあるかもしれないが、最終的には自分以外のサーヴァントは全て敵というのが聖杯戦争である。

 

 アーチャーはセイバーを警戒はしているようだが、弓はキャスターに向けたまま。

 キャスターはセイバー、アーチャーの両者に殺気を叩きつけている。

 

「確認するまでもない。二対一だろうがなんだろうが、我をここまでコケにした貴様らは二人ともこの手で殺す」

「なるほど。これは勇ましいな」

 

 言って、キャスターに剣を向ける。

 これで後はアーチャーの動向次第。三つどもえの展開になれば、射程の問題でセイバーは一気に不利になる。脱落しない為には、今度こそ宝具を解放するしかなくなるかもしれない。

 そうでなくてもこのまま続けるのなら、誰かしら脱落してもおかしくない状況である。

 

 初戦から大きく戦況が動くな、とセイバーが思ったその時。こちらへと殺気をむき出しにしていたキャスターの殺意が薄れた。

 

「退け、だと? ここまで好き放題にされておいて、我に退けと命じるのか!?」

 

 あらぬ方向を睨んだキャスターが、虚空へとそう叫ぶ。

 会話の相手はマスターか。どうやらキャスターのやる気とは裏腹に、キャスターのマスターは彼を撤退させるつもりらしい。

 

「チッ、こんなことで令呪を使われても叶わん。いいだろうここは退いてやる」

 

 苛立ちも露わにそう吐き捨てると、キャスターの姿が薄くなっていく。霊体化して戦場から退散する腹積もりか。

 

「逃げるのですか、キャスター」

「ふん、貴様らはいずれ必ず我が殺す。それまでせいぜい必死で生き延びることだな」

 

 アーチャーの挑発にそう返して、キャスターの気配は戦場から完全に消えた。

 

 正直な話、助かったと言うべきか。今の状態での三つどもえも、宝具の解放も出来ることなら避けておきたかった。

 消えゆくキャスターに挑発めいた言葉をかけたアーチャーも、内心ではセイバーと同じだったのかもしれない。注意深く観察すれば、彼もまた大きく消耗していることが見て取れた。

 

「追わなくてもいいのかな?」

「追えませんね。少なくとも貴方がここにいる状況では」

 

 あえてそう問えば、少しばかり棘のある言葉が返ってくる。

 チラ、と自分のマスターに目を向けて、ああ、とセイバーは納得した。

 

 つまりセイバーのマスターとなった青年が抱えている少女こそが、このアーチャーのマスターであったと、そういうことだろう。

 成る程。確かに傷ついた自分のマスターを、敵対マスターとそのサーヴァントの元に残していけるハズもない。自分がアーチャーの立場であっても同じ行動を取るだろうことは容易に想像できた。

 

 だが、この場においては少しばかり事情が異なる。

 

「あの少女が貴公のマスターか。貴公の心配は当然のものだが、私は私のマスターの方針で彼女には手が出せなくてね」

「……どういうことです?」

「傷を負った彼女を助けたいと、そう言った。そして私はその命令(オーダー)を呑み込んだ。そういう訳で、彼女を助けるまでは私は君のマスターに手を出せないのだ」

 

 こちらに戦う意志はない、と証明するために剣と盾をしまい込む。

 敵対サーヴァントを前に馬鹿げた行動だとは思うが、セイバーは自分のマスターの願いを聞いて、それを叶えてやりたいと本気で思ってしまったのだから仕方がない。

 ここでアーチャーと争うような展開になれば、その分少女の治療が遅れることは明白だ。主人の願いを叶えるためには、アーチャーと戦う訳にはいかない。

 

 こちらの様子を見て、アーチャーから敵意が消えてゆく。弓は手放さないまでも、どうやら戦う意志自体はかなり薄くなったようだ。

 と、その時。

 

「アーチャー、武器をしまって」

「君っ!」

「マスター!?」

 

 鈴の音を転がしたような声に、セイバーのマスターとアーチャーが機敏に反応する。

 声の出所に視線を向ければ、アーチャーのマスターが自らの足で立ち上がるところだった。

 僅かに目を見張る。少女の脇腹から下は少女自身の血でベッタリと赤黒く染まっていた。

 どう見ても重傷。仮に何らかの手段で傷を塞いでいたとしても、あの出血では立っているのも辛かろう。

 

「もう一度言います。アーチャー、武器をしまって」

「……っ、わかりました」

 

 傷を受けたことなど感じさせない静かな声に、アーチャーの手元から武器が消失する。僅かに残っていた闘争への緊張感は完全に霧散した。

 

「君、立っても大丈夫なのか!? 傷は……!」

「ご心配なく。大丈夫です」

「いやでも」

「大丈夫です。それよりも、」

 

 少女を支えようとするセイバーのマスターを片手で制して、少女は自身のサーヴァントに問いかけた。

 

「ライダーとランサーは?」

「何とか離脱はしましたが、追ってきているかも知れません。理想はあの二騎で戦っていることですが」

「そこまで上手くはいかないかしらね。……アーチャー。周囲の警戒を」

「了解しました。……マスター、傷は本当に」

「ごめんなさい、不覚をとったわ。危なかったけれど、本当に大丈夫だから」

「分かりました、その言葉を信じます。ですが、無理はなさらぬように」

 

 主を心配する言葉を残してアーチャーが消える。

 霊体化して周囲の索敵に入ったのだろう。弓兵は総じて目が良いから、役割としてはとても正しい。

 

「しかし、今ライダーとランサーがどうとか聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたが」

「貴方、セイバーのサーヴァントで間違いない?」

「む?」

 

 ここで自分に話を振られるとは思わなかった。

 セイバーとしては先ほどから少女の身を案じ続けている我がマスターと会話してやってほしいところだが、状況と少女の雰囲気を見るにそんなことを切り出せる様子ではない。

 

「いかにも私はセイバーのサーヴァントだ。君の隣に立っている彼に召喚された」

「え、俺が召喚って……」

「そうだと思ってたけど、やっぱりそうなの。……薄々は貴方も気付いているでしょうけど、貴方のマスターは素人ですよ」

「そのようだな」

 

 自分がセイバーを召喚したと聞いて狼狽する青年を見て、半ば確信していたことは確信へと変わった。

 だが例えマスターが魔術師として素人でも、セイバーのやることは変わらない。戦って勝つ。それだけだ。

 

「なので、貴方のマスターの今後の為に、連れて行きたい場所があるんだけど。彼のサーヴァントとして何か意見はある?」

「ふむ。唐突な話……、でもないのかな? 今後のためというのは、私のマスターに聖杯戦争について説明する、ということでよろしいか?」

「ええ。聖杯戦争は殺し合いですけど、やっぱり守らないといけないルールだってありますから」

「そういうことなら私に異論はないが。一つ質問をしても?」

「どうぞ?」

 

 殺し合い!? と、状況についていけずに目を白黒させているマスターを見ながら、セイバーはアーチャーのマスターへと問いかけた。

 

「私たちは君にとって敵のハズだ。その敵に、なぜ塩を送るような真似を?」

 

 アーチャーのマスターである少女は、何を当たり前のことをと言いたげに表情を歪ませて、

 

「魔術師として神秘の漏洩に気を配っているだけです。素人に好き勝手暴れられたら、たまったものじゃないもの。それに……」

「それに?」

「貴方たちにはキャスターから守ってもらいました。私、借りは早めに返しておきたい人間なのよ」

 




※もうじきufo版ステイナイトの2クール目が始まりますね!
 それはそれとして。セイバー、ステータスしっかりして……



【CLASS】セイバー
【真名】???
【マスター】九条 レイジ
【性別】男性
【属性】中立・善
【ステータス】筋力A+ 耐久C 敏捷C 魔力D 幸運D 宝具C
【クラス別スキル】
対魔力:A
 A以下の魔術は全てキャンセル。事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。
 所有する『盾』によって、ランクが向上しており、通常はBランクである。

騎乗:B
 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、魔獣、聖獣ランクの獣は乗りこなせない。

【固有スキル】
???

【宝具】
『???』
ランク:C
種別:対人宝具
レンジ:1~4
最大補足:1人
 獅子の意匠が施された盾。
 装備中は装備者の対魔力をワンランクアップさせる。
 また、縁が刃となっており武器としても使用が可能。真名解放によりその切断力を向上させる。


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教会にて

 夜の新都。

 すっかり暗くなり、人気のなくなった街並みを、少女とともにゆっくりと歩いていく。

 

 工事現場に海浜公園。

 

 今夜だけで何度死んだと思ったかわからない。そんな自分が、今もこうして生きて歩いていることがどこか不思議だった。

 

 思わず深山町の方角に視線を向ける。

 時間帯が時間帯だからか、向こう岸には明かりが少ない。対して、川を挟んでこちら側には、こんな時間でもまだ明かりのついている建物が多く残っていた。

 とは言っても、明るいのは新都の中心部の話。九条たちが歩いている地域は新都でも外れの方になるため、明かりの数は深山町と大差ない。

 

「そんなに気にしなくても、アーチャーが警戒してくれてるから大丈夫ですよ」

 

 九条の様子を、周辺への警戒と考えたのか。少しだけ前を歩いている少女が、立ち止まって声をかけてきた。

 

「それに貴方のセイバーもいます。滅多なことは起きないでしょう」

「ああ、うん」

 

 少女の言葉に曖昧に返す。

 

 サーヴァント・セイバーとサーヴァント・アーチャー。今は『霊体化』しているという、九条と雅の従者。

 深山町から新都に入る途中、九条は少女から、この超常のヒトガタについて大まかな説明を受けていた。

 

 それだけではない。

 この世界には魔術というものが存在していること。

 その魔術を使う魔術師が実在していること。

 そして自分はその魔術師同士の戦いに巻き込まれたということ。

 サーヴァントとはその戦いに使われる『武器』だということ。

 『遠坂雅』と名乗った少女は、何も知らない九条に『聖杯戦争』と呼ばれる儀式について、そのような知識を語ってくれた。

 

 が、申し訳ないことに、九条の頭ではそれらの知識を完全に理解することが出来ない。というよりも、突然魔術だのなんだの言われても信じられない、というのが正直な感想だ。

 もっとも、今夜だけで五人ものサーヴァントと出会い、その内の三人から殺されかけた以上、信じられなくても『そういうものだ』と納得するしかない。

 それに、自分が何か得体のしれないことに巻き込まれたという実感だけはずっとあったので、理解が及ばなくても説明を受けられたというだけで精神的には大分救われた。

 

 それよりも今の九条には、自分の置かれた状況よりもっと気になることがある。

 

「その、遠坂さん」

「なんです?」

「本当に、大丈夫なのか?」

 

 雅の姿を見ながら問いかける。

 血塗れの彼女の下半身。誰がどう見たって重傷だ。

 平然と構えているが、とても立ったり歩いたりしていい傷ではない。

 

 海浜公園から歩き始めてここまでずっと、九条は彼女の傷が気にかかっていた。

 途中、何度か休憩を提案したり、肩を貸そうかと問いかけたりもしたのだが、雅は「大丈夫です」の一点張り。彼女は自分の言葉通り平然と歩いているのだが、九条の方は気が気でない。

 いっそセイバーの力を借りて、無理矢理にでも病院に連れて行った方がいいのでは、と思い始めていた。

 

「え? ……ああ。認識阻害の魔術を使ってますから、通りすがりの誰かが私の姿を見て『怪我人だー!』なんて騒ぎにはならないと思いますよ」

「……」

 

 違う、そうじゃない。

 その展開までは思い至らなかったが、九条が心配しているのはそんなことじゃあないのだ。

 

「?」

 

 微妙な顔をしただろう九条を見て、雅が何もわかっていないような表情で首を傾げる。

 数秒の後、彼女は何かに気づいたように顔を綻ばせて、

 

「九条さんの方にも同じように認識阻害の魔術使ってますから、誰かに見られても『殺人犯だー!』って騒ぎにはなりませんよ」

「……」

 

 だからそうじゃない。

 確かに九条も雅を抱き上げた時に血塗れになっているけれど、心配事はそこじゃない。

 あと、さりげなく雅が被害者で、九条が加害者に見えるって言い方もやめてほしい。傷を負ったのは雅だから、彼女が被害者なのは間違いないのだけれど。

 

「そうじゃなくて傷は……。俺には魔術師がどうとかはわからないんだけど、それでもそんな傷を負ったら動かない方がいいんじゃないのか?」

「ああ、そっち? 大丈夫だって言ったと思うんですけど、心配性なんですね」

 

 いや、普通は心配するだろ。という言葉をすんでのところで呑み込む。もしかすると魔術師という人種には、あの程度の傷は擦り傷程度の扱いなのかもしれない。

 

「……化け物じゃねえか」

「なにがです?」

 

 自分の思考に、思わず戦慄の言葉が漏れた。

 雅の方は相変わらずにキョトンとして、九条の思考などまるでわかっていなさそうである。

 彼女はその内、

 

「心配はありがたいんですけど、それって杞憂ですよ?」

 

 と言って、ほら、とシャツの裾をまくり上げた。

 

「……っ」

 

 何の頓着もなく晒された白い肌に、九条の心拍数が一瞬にして跳ね上がる。

 相手はまだ子供。相手はまだ子供。相手はまだ女子高生!

 場違いな煩悩を振り払うべく、脳内で念仏のようにそう唱えながら、九条は彼女のすっきりとしたお腹回りを見た。

 雑誌やテレビで目にするモデルたちと比べても、遜色ないように思える適度に絞られた腹筋。あばらの辺りから腰にかけて、緩やかな曲線を描くすべらかな腹部には()()()()()

 

「あれ……?」

 

 九条は思わず首を傾げた。

 決して浅くはなかったハズの刺し傷。それが傷痕すら残さず、綺麗さっぱり消えてしまっている。

 腹部にも血の跡は残っているが、傷があったという証明はもはやそれだけだ。血糊を洗い流せば、あんな傷を負った人間だとは誰も思わないだろう。

 

「ね?」

「えっと、なんで?」

「簡単な治癒の魔術です。見たとおり傷は治ってますから、九条さんが私を心配することなんてありません」

 

 シャツの裾を整えながら、何でもないことのように雅が言う。

 対し、九条は二の句が継げなかった。

 実際にどれくらい深い傷だったのか目視したわけではなかったが、尋常ではない出血量から相当に深い傷だと九条は判断していたのだ。最低でも手術室に運び込まれる程度の傷だと、そう思っていたのに。

 ふたを開けてみれば、『自分で治しちゃいました』ときた。魔術師というのは、みんなあのぐらいの傷を簡単に治せるものなんだろうか。

 しかも九条は、雅が自分の傷を治そうと何かをしている場面を見た覚えがない。

 

「……化け物じゃねえか」

「もしかしてそれ、私のこと言ってます?」

 

 再度、先ほどと同じ感想を吐き出すと、やや困惑したような声が返ってきた。何故に自分がそういう風に思われたのか心底わかっていない様子だが、一般人代表としてはとても正しい反応をしたつもりである。

 

「ま、まあ。大丈夫なら、よかった」

「私のことより、九条さんの方は大丈夫なんですか?」

 

 取り繕うように言って、思わぬ返事に面食らう。

 

「俺?」

「はい。突然サーヴァントなんて強力な使い魔と契約したら、魔力が足りなくなったりとか色々で、なにかしら身体に影響でてくるかと思うんですけど」

 

 魔力が足りない、というのがどういった状態なのかはわからないが、今のところ九条の身体に異常はない。

 極度の緊張状態が続いていたから確かに疲れてはいるが、これはそういう『契約が原因の異常』とは違う気もする。

 

「よくわからないな。遠坂さんが言う『影響』っていうのがどういう感じのものかはわからないけど、俺としては普通に疲れてるって感じがするだけで、他は特には」

「そうですか? ……もしツラくなったら早めに言ってくださいね」

 

 こちらを気遣う台詞に、なんだか妙な気分になる。

 いつの間にやら、心配する側とされる側が逆転してしまった。

 

「わかった。ちゃんと言うよ」

「はい。まあ、目的地まではもう少しなんですけどね」

 

 ほら、見えてきましたよ。

 そう続けた雅の言葉に、視線を少女から進行方向に向ければ、成る程。坂道を登っていった先に、教会の屋根が見えた。

 

「教会って聞いて、もしかしてって思ってたけど。やっぱり言峰教会のことなのか」

「ええ。言峰教会……、っていうか冬木教会ですね。

 ここは元々、聖杯戦争の監督のために、『聖堂教会』が建てたって教会ですから。今回の監督役も、ここを拠点にしてるんです」

「……またよくわかんない単語が出てきた気がする。ついでに聞き捨てならないような台詞も」

「聞き捨てならないようなこと言いました?」

 

 はて、と首を傾げながら少女は坂道を登っていく。

 坂の途中にある外国人墓地に少し肝を冷やしながら、九条と雅は登るほどに建物が少なくなっていく坂道を、さほどの時間もかけずに登り終えた。

 

 小高い丘の上にある冬木教会。

 通称・言峰教会。

 長らく神父を務めていた人物が、信仰厚い良い神父と慕われていた為に、いつしか彼の名前で呼ばれることの方が多くなったと聞いている。

 

 ごくり、と唾を呑み込んだ。

 これまでの人生で、こんな場所には縁がなかった。同じ神様ゆかりの建物でも、『神社』と違って『教会』なんてものは九条にとって未知の空間なのである。

 その上ここを訪れた用向きが、よくわからない闘争について説明をされる為、というものなのだから緊張感は半端じゃない。

 

「さ、じゃあ入りましょう」

「お、おう」

 

 なんの気負いもない様子で、雅が教会の扉に手をかけた。

 ギィィ……、と蝶番が軋むような音を発てて、木製の立派な扉が開かれていく。

 

 時間帯が時間帯だからか、明かりは落とされ室内は薄暗かった。

 それでも真っ暗で何も見えない、という事態には陥らない。夜間に訪れる人間を考慮して、最低限の明かりだけは灯されているらしい。

 

 敷地の広さと外観から想像していたが、中も随分と立派な造りだった。

 広い礼拝堂と、それを埋める数多くの長椅子。察するに信徒も随分多いらしい。神父が信仰心の厚い人物だったということの現れだろう。

 

 その薄暗い神の家の中、一人の人物に目を引かれた。

 

「あ」

 

 まさか人がいるとは思わなかった九条の口から、思わずおかしな声が出る。

 

 教会の中にいたのは厳格な雰囲気を持つ神父、……ではなく、どこか近寄りがたいオーラを放っているシスターだった。

 修道服に身を包んだ、金髪の小柄な女。年の頃は20代前半くらいだろうか。明かりが落とされ薄暗い室内では、金糸のような美しい髪が一際目を引いた。

 

「こんばんわ」

 

 こちらに気付いたシスターが会釈をする。

 つられるようにこちらも頭を下げて、さて何を言おうかと迷った。

 

『こんばんわ! 良い夜ですね。ところで聖杯戦争について教えてください!』

 

 ……ないな。

 直球にもほどがある。

 そもそもこの教会の人はみんな『聖杯戦争』について承知なのだろうか? もしかしたら一部の人間だけが関わっていて、あとは知らぬ存ぜぬなんてこともあるのではないか?

 もしこの人が『魔術』なんてものと無縁だった場合、九条はただの頭お花畑な人になってしまう。

 

 などと、九条が何を言うべきか迷っている数秒の間に、シスターの方が再び口を開いた。

 

「ようこそ旅の人。こんな夜更けに、我が教会になんのご用ですかな?」

「……は? え?」

 

 まるで感情を感じさせない声色と表情に圧倒されかかって、いやそうじゃないと心の内で疑問符を浮かべる。

 今、おかしなフレーズが聞こえた。旅の人とは一体。確かに自分はここを訪れるのは初めてだが、旅人に見えるほどに土地の人間に見えないのだろうか?

 

 九条の困惑をよそに、金髪のシスターはさらに言葉を重ねた。

 

「毒の治療なら5ゴールドの寄付を。トーサカを生き返らせるなら3ゴールドの……」

「やかましいわ。あと人の命を3ゴールドとか言うな」

 

 怒濤の勢いでこちらを混乱させる言葉を放ってくるシスターを、割って入った雅の声が黙らせる。

 

「初対面の相手をからかうのは止めなさい。そっちがそんな調子じゃ、こっちの話が切り出しにくいでしょう?」

 

 やや機嫌悪そうに雅が言った。

 ずい、と九条の前に出た少女の背中は、小さいながらもこの場ではとても頼もしい。

 

「あら、生きていたんですかミス・トオサカ。血塗れですから、てっきり死んだものと。あ、食屍鬼(グール)とかマジ勘弁ですので」

「ソレ、笑えないわ」

 

 相変わらず感情の読めないシスターの声音に、相変わらず不機嫌そうなままの声音で雅が応じる。

 

「私はまだちゃんと生きてます。なんならアンタらの神に誓ったっていいけど?」

「おや、つまりそれは魔術協会から離反して、我ら聖堂教会側に付くと?

 ええ、我らの神は寛大です。罪深き貴女も、快く迎え入れられましょう」

「いや、その気はないから。それよりも、今日はこの人の件でアンタに用事があって」

 

 雅に手を引かれて、彼女の隣に並んだ。どうやらこのシスターが聖杯戦争について事情を説明してくれる人物らしい。

 こちらを見上げるシスターの、翡翠の瞳と目が合う。

 目は口ほどに物を言う。とはいうが、このシスターの場合、目から感情を伺うことは不可能な気がする。それほどに目、というか表情がほとんど変化を見せない。

 そのシスターは、改めて九条を上から下まで見つめてから一言。

 

「……結婚式のご相談ですか?」

「は?」

「それならこんな時間でなくとも、もっと明るい時間帯に来てくだされば……」

「違うわ!」

「では殺人の隠蔽ですか? 日本の警察は優秀ですよ。下手なことせずに自首した方が罪は軽いのでは?」

「アンタ、わざとやってるでしょ?」

「まさか。二人して血塗れですから『殺し愛』したのか、誰かを殺したのかと思うのは当然では?」

「……」

 

 相変わらずシスターの表情にも声色にも、特別な感情といったものは乗っていないように思える。

 思えるのだが、さすがにここまでの雅とのやり取りを見ていれば、九条にだって、小馬鹿にされつつからかわれているのだとわかった。

 不機嫌そうな顔のまま、黙り込んだ雅の様子がそれを証明している。というか、そろそろ爆発しそうで怖い。

 

「あの」

 

 意を決して声を上げる。

 シスターと教会の雰囲気に気圧されて、会話を雅に任せてしまっていたが、ここに来たのは九条の事情だ。九条が事情説明を受ける為にきたのだから、やはり自分が口を開かねば。

 

「はい。なんでしょう?」

「俺はセイバーのマスターだ」

「……まあ」

 

 感情の見えなかったシスターの、その表情が初めて変化した。

 目を見開き驚いた様子で、九条から雅に視線を移す。

 

「それは本当よ。っていうか、そのことで話をしにきたの。マスターになった人間は、ここで届けを出すんでしょう?」

「ええ、そういうことになっています。

 しかし驚きました。まさかいきなり()()()()()()()()()()()()()がいるとは」

「まあ私もそう思うけど」

 

 呆れた様子でこちらを見やう雅に、ややたじろぐ。

 まずかった? と少し焦るものの、口から飛び出した言葉はもう引っ込めることなど出来ない。

 

「別にいいですよ。迂闊なこと言って、今後不利になるのは九条さんですし。

 それにそうでも言わないと、このアホシスターは話を先に進ませてくれそうもありませんでしたから」

「まあ、アホシスターだなんて……。なんて口の悪いお嬢さんなのでしょう」

「はいはい、すみませんでした。

 それよりもこの人、ずぶの素人ですから、監督役から聖杯戦争について教えてあげてほしいんですけど」

「あら。そんな予感はしていましたけど、やっぱり素人さんですか。

 それはそれは、この度は大変なことになりましたね」

「へあ!? あ、はい。どうもご丁寧に……?」

 

 こちらに向き直って一礼。

 礼儀作法にはさして明るくない九条でも『綺麗なお辞儀』と思うほどのお辞儀を見せられ、反射的に礼を返す。

 

「それじゃ、後はよろしくお願いします。私は、話が終わるまでそこで待ってますから」

 

 そう言った雅が、礼を交わし合っている九条たちの隣を通り過ぎて、長椅子に腰を下ろした。

 

「遠慮せずに横におなりなさい。ここにはそれを咎める者はいませんよ」

「そ。ならお言葉に甘えて」

 

 シスターの言葉を受けて、長椅子に座り込んだ雅が横になる。

 そのまま「ふーっ」と長く息を吐き出して、眠るように目を閉じた。

 

「まったく。呆れたやせ我慢だこと」

「やせ我慢……? って、やっぱり傷が!?」

 

 ふさがった傷を見せられて納得してしまっていたが、やはりあれだけの出血を伴った傷は魔術師でもツラいものだったのか。

 シスターの言葉を反芻した九条は、雅の元に向かおうと足を向けた。

 

「大丈夫ですよ」

 

 が、目の前のシスターの言葉に足を止める。

 

「相当の出血ですから、それなりに深い傷だったのでしょうけど。それでも彼女は、素養の上なら『化け物』の類です。

 たとえ常人が死に至る傷でも、彼女が受け継いだ『魔術刻印』が彼女を死なせはしませんよ」

「まじゅつ、こくいん? いやそれより君、やっぱり血の跡が見えて?」

「ええ。認識阻害の魔術を使っているようですが、これは『視線を別に誘導する』だけで、血の跡をなかったことにしているわけではありませんから。注意深く観察すれば、当然貴方たちが血塗れなのはわかります」

 

 まあ、通行人の目を欺く程度なら問題はないでしょうが。とシスターは付け加えた。

 

「とにかくミス・トオサカの心配は不要です。

 それよりも自分自身のおかれた状況を心配した方がよろしいかと」

「俺の、おかれた状況」

「はい。では、始めましょうか」

 

 そう言って、表情のないシスターは九条に問いを投げかけた。

 

「私は今回の聖杯戦争の監督を務めさせていただく、ノエル・リヴィエールと申します。貴方のお名前を聞かせていただけますか?」

「九条、レイジだ」

「ではミスタ・レイジ。貴方はセイバーのマスターで間違いはありませんね?」

「これがその証明……、なんだよな?」

 

 右手の甲に刻まれた三画の紋様。サーヴァントを律する絶対命令権にして、マスターの証。令呪。

 

 それを確認して、ノエルは「確かに」と頷いた。

 

「ここに来るまで、ミス・トオサカからなんらかの説明があったかと思われますが?」

「ああ。えっと……、この世界には魔術師がいて、その魔術師同士の戦いが聖杯戦争で、サーヴァントはその為の『使い魔』とかいうものだってことくらい、かな?」

「では、その聖杯戦争を行う目的はご存じでしょうか?」

「目、的……?」

 

 そういえば、状況に翻弄されっぱなしでそこまで思い至らなかったが、戦いを行う以上、そこには何かしらの目的があってしかるべきだ。

 まさか戦うこと自体が目的、なんてどこぞのバトルマニアみたいな理由で戦ってはいまい。

 

「聖杯戦争は戦いであると同時に、ある種の魔術儀式でもあります。すなわち『万能の願望機・聖杯』を降臨させるための儀式ですね」

「儀式……、この戦いが?」

 

 儀式。と聞くと、魔法陣を描いたり、生け贄を捧げたり、釜の中に得体の知れない薬草を放り込んだり、というイメージがある。

 とても今日、体験したような殺し合いとは結びつかない。

 

「儀式です。

 七人の魔術師が七人の英霊を喚び出し、最後の一組になるまで殺し合う。殺し合いの果てに残った者を、聖杯は自らを得るにふさわしい人物と認め、この世界に現れるのです」

「……よく、わからないんだけど。つまりその聖杯? とかいうのが賞品で、それを手に入れるために戦っているってことか?」

「概ねその認識で構いません」

「その聖杯って、そんなにいいものなのか? 人殺しをしてまで手に入れたいって、そんな風に思うほどに? いや、そもそも本当に殺し合う必要なんてあるのか?」

 

 なんとなく、聖杯というものを手に入れる為の『競争』なのだとは理解した。

 けれどそれにしたって殺し合う必要があるのかは疑問だ。それに、九条にはそこまでして欲しい物なんてない。たとえば、周りの人間を殺せば一生困らないだけの金をくれる、なんて言われても、九条には人を殺せない。

 そう思っての質問だったのだが。

 

「魔術師という人種には、貴方の倫理観は通用しませんよ。彼らは自分の利になることがあれば、親兄弟の命だろうと顧みることはありません。

 もっとも、それを差し引いても『聖杯を手に入れたい』という手合いはいるでしょう。なにせ『万能の願望機』です」

 

 あっさりと、魔術師と一般人の感覚を一緒にするなと言われてしまった。

 加えて、先ほども聞いたフレーズがノエルの口から飛び出す。

 

「さっきも言ってたな。『万能の願望機』って。それって一体、どういう意味だ?」

「言葉通りに受け取ってくだされば結構です。

 『万能の願望機』。つまり聖杯は、持ち主のどんな願いでも叶える魔法の釜、というわけですね」

「どんな……?」

「どんな願いでも、です。大金持ちになりたい。世界征服がしたい。()()()()()()()()()()()()

 およそ、生きている人間の望むようなことは何でも叶うんじゃないですか?」

「……っ」

 

 言葉に、詰まる。

 死者を蘇らせる。そんなことが、もし、本当に、可能、だと、したら……。

 

「それから殺し合う必要ですが……、これについては必ずしも必要ではない、という回答になりますね」

 

 ノエルの声に、意識を呼び戻される。

 

「それなら、」

「ただ、敵対サーヴァントは全て倒す必要があります。時が来れば聖杯は現れますが、聖杯は自分にふさわしい持ち主────勝ち残りですね。それを見極めるためにサーヴァントを遣わしますので。勝ち残りがいない時点で、勝者なし、ということになります」

「……それじゃ結局、聖杯を穫るには人を殺すしかないってことか」

「いいえ。先ほども言いましたが、殺し合いは必ずしも必要ではありません。必要なのは敵対サーヴァントの排除だけです。

 なのでマスターの方は、殺さなければならない、という訳ではありません。殺し合いをせずにサーヴァントさえ排除できるのなら、誰も死なないでしょうね。

 もっとも、貴方がサーヴァントも『人間』だと認識しているのなら人殺しは避けられませんが」

「それは……」

 

 確かに彼らの見た目は、九条たちと変わりのない人間だ。

 それでも、今夜の内に彼らの戦いを目にした九条には、彼らサーヴァントが単純に『人間』という枠に落とし込んでいいものとは思えなかった。

 だからといって『兵器』とカテゴライズするのもはばかられる。少なくとも九条が見てきたサーヴァントには皆、自由意志というものが存在していた。

 ならばお前はサーヴァントをどう認識しているのか、と聞かれると困ってしまうのだけれど。

 

「さて。貴方がどう思おうとも、『戦って自分以外のサーヴァントを倒す』これが聖杯戦争のルールです。実に単純明快ですね。

 ですがそれ以外にも留意していただきたいのは、極力、戦いは人目に触れさせない、ということ。

 聖杯戦争ような『世界の裏側』の事情は、表社会に知らせないのが暗黙のルール、ということになっています。そこを忘れて考えなしに戦われると監督役──今回は私ですね──から粛正を受けることになります。また、冬木の管理人も黙っていないでしょう」

 

 ですから、なるべく夜とか人目のつかない時間帯と場所を選んでくださいね、とノエルは締めくくった。

 

「ざっくりとした説明でしたが、なにか質問はありますか?」

「じゃあ、えっと……。さっき聖杯はどんな願いでも叶えるって言ってたけど、それって本当なのか?」

 

 まずその前提条件が疑わしい。

 

 どんな願いでも叶う。

 まるで奇跡のような触れ込みだ。それが本当ならば、成る程。殺し合いの一つでも起きるのは無理ないことかもしれない。

 ただそれは、本当にどんな願いでも叶うならだ。

 実際に殺し合いをして手に入れたそれが、その実なんの価値もないものだったとしたら、殺した方も殺された方もまるで浮かばれない。参加者には徒労と後悔だけが残ってしまう。

 

「確かに疑わしい話ではありますね。実際、余所で行われている聖杯戦争でも『万能』というほどの願いは叶えられていないようですし」

「待った。余所で? 聖杯戦争って別の場所でもやってるのか?」

 

 思わぬ台詞に割り込みをかけると、ノエルは長椅子で横になっている雅に視線を移した。

 

「サーヴァントを用いた聖杯戦争のシステムを築き上げたのは、『始まりの御三家』と呼ばれる三組の魔術師たちです。

 彼らはここ冬木の地で聖杯戦争を繰り返していましたが、三度目の折りにシステムの中核を強奪され、彼らの作り上げたシステムは世界中の魔術師たちに拡散されてしまいました。

 そういう訳で冬木限定だったこの戦いは、今では世界各地で執り行われているという次第です」

「世界中で、こんな戦いが……」

「ええ。それこそ人間のエゴなのでしょう。どんなことをしてでも、自分の願いを叶えようというのですから。

 ……話が逸れましたね。とにかく、世界中で行われている聖杯戦争でも万能の願いが叶えられたという話は聞き及んでいません」

 

 世界的にこんな戦いがあると聞いて驚愕する。

 と、同時にそこまでしても、やはり『どんな願いでも叶う』なんて美味い話はないのだと思った。

 

「それじゃやっぱり、願いが叶うなんて嘘なのか」

「いいえ。『万能』とまではいかないまでも、極めて小規模な──無論『万能』に比べればの話ですが──願い自体は叶えられています。それこそ億万長者になった人間もいたと思います」

 

 それに、とノエルは付け足して、

 

「それはサーヴァントの数が五騎程度の聖杯戦争の話です。

 魔術師ではない貴方にはわからないかもしれませんが、サーヴァントの召喚。それ自体が魔術師にとっては奇跡に近い。魔術師が一生をかけても不可能な奇跡を、聖杯の補助によって可能としているのです。

 それを今回は七騎。五騎程度の召喚しかできない聖杯でも大概の望みが叶うのなら、七騎ものサーヴァントの召喚を可能とした今回の聖杯は、限りなく『万能』足り得る性能があるのではないでしょうか」

「……、じゃあ仮にそれが本当に『どんな願いでも叶う』として、そんな凄い力があるのなら皆で分け合ったりはできないのか? 独り占めしようとするから戦いになるんだろ」

 

 そう言うと、目の前のシスターは嘆息した。

 表情にこそ表れていないが、どうやら呆れているらしい。

 

「話を聞いていましたか? 聖杯はふさわしい持ち主を選びます。いかに聖杯が万能であったとしても、聖杯自身が『持ち主は一人』と定めている以上、奇跡の定員は変わりません」

「あ」

 

 そういえばそんなことを言っていた。

 つまり聖杯というのは七組で殺し合った末、たった一組にだけ許される奇跡の杯なのか。

 だとしたら、それはなんて血塗られた奇跡。

 

「質問は以上ですか?

 ならば今こそ問いましょう。貴方はこの戦いに参加しますか? それとも降りますか?」

 

 愕然としていた九条に、ノエルからの問いが投げかけられる。

 自分の世界とは無縁だったことについて聞き続けたせいだろうか。その言葉の意味を、数秒の間九条は理解できなかった。

 

「……え?」

「貴方は一般人でしょう? つまり、自分から進んでマスターになった訳ではない。

 戦うのか否か。自らの進退を決める権利が、貴方にはあります」

 

 考えてみれば、それは当然のことだ。

 戦いに参加するかどうか。そんなものは一番最初に決めておくべきことである。

 巻き込まれ、なし崩し的にセイバーのマスターになった自分とは違い、他のマスターはとっくに戦うことを決めているハズだ。

 

 それはつまり、自分を助けようとしてくれた雅もまた、これが殺し合いだと了承して戦いに参加しているということ。

 そのことに気付いて複雑な思いが沸き上がるものの、根底にある感謝の気持ちは変わりない。どう繕っても、雅が見ず知らずの自分を助けようとしてくれたことだけは揺るがないのだから。

 

 黙っている九条を迷っていると見たのか、ノエルがさらに言葉を続けた。

 

「降りる場合、貴方は誰も殺さずにすみますし、誰かから狙われるということもほぼないでしょう。……完全にないと言い切れないのが心苦しいですが。

 そして聖杯戦争の終わりとともに日常に帰ることができると思われます。安全な選択肢と言えるでしょうね。

 この場合、貴方には令呪を捨ててセイバーとの契約を切ってもらうことになりますが」

「……契約を、切る」

「はい。

 これは説明していませんでしたが、サーヴァントにも聖杯を使って叶えたい願いがあります。しかしマスターなくしてサーヴァントはこの世界に留まれません。故に、超常の存在であるサーヴァントはただの人間の下の着くのですが……。

 契約を切られれば、例外を除いて、サーヴァントは消えるしかありません。つまりその時点でサーヴァントの願いは叶わなくなる。

 戦いを放棄する、という選択肢は貴方の安全と引き替えに、セイバーの悲願を殺すということです。いわば、セイバーに対する裏切りですね」

 

 サーヴァントにも願いがある。

 なんとなくそういう予感はあった。聖杯なんてものがあったとして、それを欲するのは人間だけではないだろう、と。

 

 ノエルの言葉で予感は確信に変わり、そして知らぬ内に背負っていた責任にも気づかされる。

 九条が我が身かわいさに戦いを放棄することは、九条を助けてくれたセイバーの願いを放棄することと同じだ。

 

「今の話で、セイバーの為に戦おう、などと考えたのならそれは間違いですよ。戦いは誰かの為でなく、自分の為に行うべきものです」

「え」

 

 知らず俯いて拳を握っていた九条は、諭すような声色に顔を上げた。

 目の前のノエルは、変わらずに表情に乏しい顔でこちらを見つめつつ、何事もなかったように言葉を続ける。

 

「さて、もしも戦うならば、言うまでもなく貴方は危険に晒されます。

 それでも、人間は何かしらの欲望を持っているもの。通常の方法では決して手に入らない願いがあるのなら、戦うことは愚かではあってもおかしなことではないでしょう。

 自分の命を掛け金に、他人の命と願いを殺して、たった一つの願いを手に入れる。その覚悟があるのならば、ですが」

「……」

 

 九条だって人間だ。彼女の言うように欲望の一つ二つは、当然のように持っている。

 それでもそれは、他人の命を奪ってまで叶えたいものではなかった。

 

『お兄ちゃん』

 

 いつかの、誰かの声が蘇る。

 

 普通の方法では叶わない願い。胸の内に深く沈み込んだ、最も叶えたくて、しかしとっくに諦めていた願い。

 けれど、それが叶うかも知れないと。その可能性が示されてしまったのだ。

 

 ならば、自分は────、

 

 

「遠坂雅を、殺せますか?」

 

 

 唐突なその言葉。

 オブラートに包むなんて甘いことのされない、直線的で容赦のない質問。

 

「そこに寝っ転がっているミス・トオサカは、魔術師としては致命的なまでに甘ちゃんです。マスターとなった貴方を殺さずに、こんな所に連れてきたのも、その甘さゆえでしょう。

 しかしそれでも彼女はマスターです。貴方が戦うと、敵になったとすれば、迷いながらも貴方を殺しにきます。

 その時に、貴方は遠坂雅を殺せますか? 恐らく、何の関わりもない貴方に肩入れして、こんな所まで貴方を連れてきた彼女を。その恩を忘れて、年端もいかない少女を、その手で殺すことができますか?」

「……っ」

 

 この少女には恩がある。そして、少女は戦うことを良しとしている。

 それはさっき九条も思ったことだ。

 

 ならば九条が戦うことを選べば、雅とはいずれ殺し合うことになる。

 自分の手を引いてくれた。助けようとしてくれた。まだ高校生の少女と殺し合うしかなくなるのだ。

 

 ノエルはそのことを容赦なく突いてくる。

 お前が参加するのは紛うことなき殺し合いで、願いを叶えようとするなら、例え恩人の少女でも殺さねばならないのだ、と。

 そのことから目を逸らすな。

 そのことを誤魔化すな。

 

 いっそ暴力的な、その問い。

 

 返す言葉に詰まった九条は、その問いを噛みしめた。

 噛みしめて、そうして問いに込められたシスターの思いを垣間見る。

 

「……ああ、そうか。君は、優しいんだな」

 

 進むにしても、退くにしても、九条が背負わなければならないものは必ずある。

 それをノエルは示してくれた。ルールの説明だけをすればそれで事足りたのに、わざわざ辛辣な言葉まで用いて九条にそのことを自覚させてくれた。

 その上で九条に進退を問う彼女は、やはり優しいのだろう。そんな風に自分を気にかけてくれる存在がいるのは、嬉しいことだ。

 

「……優しい人間は、このような選択肢を突きつけたりしないと思いますが?」

「いいさ。俺がそう思ったってだけだから」

 

 そう言って、微笑む。

 

 さて、各々の思いはともかくとして、九条はここで進退を決めなければならない。

 最低限それだけのことはしなければ、ここにつれてきた雅にも、ここで話をしてくれたノエルにも申し訳が立たないのだ。

 

 セイバーの願い。それを生かすのか殺すのか。

 自分の願い。その為に他人を殺すのか。願いを捨て去るのか。

 助けてくれた少女。その恩に報いるのか。恩を仇で返すのか。

 

 それを思って、けれどきっと答えなんて決まっていた。

 

 『万能の願望機』が手に入る戦い。

 聖杯が本当に『万能』足り得るのなら、九条が胸の深くで思っていた願いも叶うだろう。

 

 目を閉じる。

 きっと、彼女は喜ばない。他人の命と願いを犠牲にしてまで、そんなことは望まない。

 

 だから一言。

 「ごめんな」と呟いてから、九条は目を開いた。

 

 

 

「答えは決まった。俺は────」




※聖職者と一般人。別名を説明回と呼ぶ。

セイバー「毒の治療をお願いします」
シスター「5ゴールドになります」
クジョウ「それって日本円でいくらなんだ……?」

Fate好きな方々には今更な話のオンパレード。

ところでUBWのBlu-ray届きました。
まだ見れていないんですが、先にブックレットをチラ見した結果、驚くべきことが記載されてました。
長年の疑問であった『-』判定について説明しておられる!?
ただ何の宝具について回答されているのか不明なので一部もやっとした形。記憶に間違いがなければ『-』判定は干将・莫耶のC-だけだったと思うので、たぶん干将・莫耶のことだと思うんですが、だとしたら『-』判定って強くない?
A-の宝具とかあったら超強いよ。A-の筋力とかなら倍加しない限りバサクレスの筋力より上だよ、すごいよ。

と、作者の興奮が止まりませぬ。
きっとこれから先、『-』判定持ちの公式サーヴァントや僕鯖が増えるんだろうなあ、と期待しております。


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始まりの終わり

「これで敵同士ですね」

 

 二人連れだって教会を後にする。

 扉をくぐり外に出た直後に、前を行く雅からそう声をかけられた。

 振り返らずに歩みを進める彼女の表情は、九条からは伺い知ることができない。

 

「……ああ。そうだな」

 

 九条には、そう返す以外の答えが浮かばなかった。

 あのシスターの問いに『戦う』と答えた以上、自分以外のマスターは全て敵だ。それは目の前にいる少女も例外ではない。

 

 自らが欲する奇跡のために、恩人である少女と殺し合う。

 その道の、なんと業の深いことか。

 

 息を深く吐きだして、星明かりを受ける少女の背中を見つめた。

 

 七人のマスターと七人のサーヴァント。

 その中で、最も力の劣るのは九条であろう。雅以外のマスターに会ったことがなくても、それぐらいのことは予見できる。

 

 ならばこそ、戦う覚悟だけは人一倍持たなくては、戦いの舞台にすら立てはしない。

 だから、震えそうになる唇を必死で動かして言葉を紡ぐ。

 

「戦うのか。今、ここで」

 

 殺し合いを始めるのか。

 それを少女へ問う。

 

「……」

 

 問われた雅が足を止め、こちらへと振り返った。

 それと同時。セイバーが九条の前に、アーチャーが雅の隣へと実体化する。

 

 振り返った雅の顔は、思わずゾッとするほど冷ややかだった。

 今まで九条に向けていたものとは、全く違う表情。これが戦士としての、いや魔術師としての遠坂雅ということか。

 彼女の傍らに立つアーチャーからは、すでに雅以上のプレッシャーが放たれている。さすがはサーヴァント。涼しげな表情からは欠片も戦意が感じられないクセに、迂闊なことをすれば殺されるという確信を与えてくる。

 だが、それはセイバーも同じ。

 九条の位置からは表情こそ見えないものの、彼の背中から感じるものはアーチャーのそれと同じ類だ。守られている九条ですらプレッシャーを感じるのだから、直接、気をたたきつけられている雅は、さぞ息苦しいことだろう。

 

 そのまましばらく睨みあって、緊張感で吐き気がしてきた頃、やれやれといった様子で雅が諸手を挙げた。

 

「……やりませんよ」

 

 はあ、なんて大げさに溜め息まで吐いて首を振る。

 雅のその動作で、場を支配していた緊張感は一気に霧散した。

 

「九条さんには関係ない話かもしれないんですけど。一日中歩き回って足はクタクタだし、後ろから刺されるし、血は足りてないし、虎の子の宝石は三つも使い潰すし。

 そんな訳で正直な話、今日はもう帰って寝たいんです」

 

 そう言って、雅はこちらへと背を向けて歩き出した。

 

「えー……、と?」

 

 無防備すぎる背中に困惑する。

 いくら九条が素人であっても、この状況で簡単に背中を見せるのは如何なものか。

 こっちは目の前で宣戦布告をしたようなものなのだし、後ろから攻撃されるかもしれないとか考えないのだろうか。状況的に、普通の神経では、こんな風に背中を晒すなんてこと出来ないだろうに。

 

「我がマスターながら、剛胆なものですね」

「それには全く同意するしかないが。どちらかと言うと、貴公と私のマスターに対する信頼なのだろうよ」

 

 呆れたようなアーチャーの台詞に、セイバーが苦笑する。

 サーヴァントたちにとっても、やはり雅の行動は大胆に過ぎるらしい。

 

「なにやってるんですかー? 帰りますよー。

 それとも、戦うんですかー? そっちが挑んでくるなら、こっちは受けて立ちますけどー?」

 

 と、先を歩いていた雅がこちらへと呼びかけてくる。

 なんというか、彼女の中ではもう完全に帰宅コースらしい。

 

 それでも、こちらが戦うと言えば受けて立つ気があるというのはウソではないようで、彼女の手には煌びやかな宝石が握り込まれていた。

 どういった理屈かはわからないのだが、九条は雅の宝石が攻撃に使えることを見ている。ここで戦うと言えば、あの宝石がこちらに投擲されるのは容易に予測できることだった。

 

「……戦わないよ」

「そうですか。なら、帰りましょう」

 

 そう言い残して、再び雅が帰路に就く。

 九条の言葉をこれっぽっちも疑わない姿勢に、何故か九条の方が不安になった。こちらに彼女を騙す意図はないが、それにしたってあっさりと信じすぎではないだろうか。

 

「確かにアレは、貴方に対する信頼ですね」

「へ?」

 

 雅の後ろ姿を見つめていた九条は、アーチャーからの思わぬ言葉に、そちらへと視線を送った。

 

「貴方なら、背中から不意を討つようなマネをしないという信頼ですよ。その信頼を、どうか裏切ることのないように」

 

 では。と、アーチャーの姿が薄くなっていく。

 霊体化したのだろう。戦いの場以外でサーヴァントを実体化する必要性は薄いらしいと、先ほど聞いた。

 

「良かったのか?」

 

 アーチャーの姿が完全に消えたタイミングで、セイバーからそのように問いを投げられた。

 

「いいんだ。俺はまだセイバーのこともよく知らないし、遠坂さんとアーチャーがどんな風に戦うのかもわからない。

 そんな状態で戦いを挑んだってさ、きっと俺が足を引っ張って負けちまうよ。そのぐらいのことは、素人の俺にだってわかってるつもりだ」

 

 セイバーの顔を見上げながら答える。

 九条もそう背が低い方ではないが、さすがに2メートルを超える長身相手だと自分が小さくなったように感じる。

 

 九条の答えを受けたセイバーは、その内容に納得がいかないのか眉間に皺を寄せた。武人、という印象が強い彼がそのような表情を取ると、それだけでかなりの威圧感がある。

 九条は焦った。自分の判断だけで戦いを取り下げたのはまずかったのだろうか、と。

 しかしそんな心配をよそに、セイバーは首を振って、

 

「いや、そちらの心配ではない」

 

 と、そう言った。

 

「あのシスターが言っていたな。

 『戦う』と答える以上、アーチャーのマスターとも殺し合うことになると。そしてその言葉通り、彼女とは敵同士になってしまった。

 貴殿はそれで良かったのか? と、それを問いたかった。貴殿はあの少女との戦いを望んでいないだろう?」

「そんなことは……、」

 

 ない。とは続けられなかった。

 戦うと決めた以上は、そう答えなければならなかったのに、九条にはそれを口にできなかった。

 

「……ごめん。セイバー」

 

 なんて浅い覚悟。

 奇跡を欲したのに、その代償を提示されていたのに、それを踏まえた上で戦うことを選び取ったハズなのに。実際に戦う立場となってから後込みしている。

 

 他の誰かなら、まだいい。

 でも雅は別だ。九条を助けようと身体を張ってくれたあの少女と戦うことを、九条はどこかで恐れてさえいる。あっさりと「今日は戦わない」と引き下がった雅を見て、安心してしまった自覚だってあるくらいだ。

 

 あのシスターは、サーヴァントにも叶えたい願いがあると言っていた。つまりセイバーにも叶えたい願いがあって、その為に九条と組んでいるということだ。

 それなのに九条がこんな調子では、セイバーとしてもさぞ苦しいだろう。そもそもの性能が一番低いマスターだというのに、敵と戦う覚悟すらままならないのでは、まともに戦うことすら難しいのではないか。

 

「すまない。少し意地の悪い質問だったな」

「え」

「義理、人情、愛情。そういったもので戦う覚悟が鈍るのは、戦士としては致命的だ。だが、人としてはとても真っ当だろう」

 

 何か懐かしいものを見るようにセイバーが目を細めた。その声色に、こちらを攻める色はない。

 

「いずれ腹を括る時が訪れようが、その時はその時だ。今は限られた時間の中で、戦う気持ちを育てるがいいだろう。それまで貴殿を守るのが私の役目でもあるしな」

「……セイバー。その、ありがとう」

「礼は不要だ。サーヴァントがマスターを守るのは当然のこと。そして恐らく、私は貴殿のそういった精神性に引かれたサーヴァントだからな」

「俺の、精神性……?」

 

 思わぬ言葉に首を傾げる。

 意味合いはなんとなくわかるのだが、その実感はない。九条の一般的な精神性の、何に引かれてこの武人が喚ばれたというのだ。いや、そもそもサーヴァントの召喚とはそのようなものなのだろうか。

 

 九条の疑念に答えることなく、セイバーが雅へと視線を向ける。

 困ったように笑いながら、彼は言った。

 

「つまらない質問で引き留めてすまなかった。もう行った方がいい。今、彼女の機嫌を損ねるのはよろしくないだろう?」

「へ? ……あ」

 

 セイバーの視線を追った先では、先を歩いていた雅が立ち止まってこちらを見ていた。心なしか少し怒っているようにも見える。

 

「ご、ごめん」

 

 霊体化するセイバーを横目に、小走りで雅の元へ向かう。

 慌てて雅に並ぶと、彼女はそっぽを向いてしまった。

 

「別に。敵同士ですから、九条さんが私と一緒に帰りたくないのも当然でしょう」

「ごめん。そんなことないから、嫌とか思ってないからさ」

 

 拗ねたように言う雅をなだめつつ、彼女とともに来た道を引き返していく。

 セイバーとの会話にかまけて彼女を放置してしまったのは九条の過失だが、それを気にしてこのような態度を取るだなんて思ってもみなかった。大人びた女子高生だと思っていた雅が、まるで年相応の(あるいはそれ以下の)振る舞いをすることに少しだけ驚く。

 それと同時に、なんだか微笑ましい気持ちにすらなって、九条は緩みそうな口元を必死で隠した。

 

(感化されるな。この娘は敵。敵なんだ)

 

 そう自分に言い聞かせながら坂道を下っていく。

 これ以上、雅に情を移してしまえば、肝心な時に戦えなくなってしまう。

 

「ところで、九条さんの家ってどの辺りなんです? 深山町で働いてらっしゃるみたいですけど、自宅は新都だったりするんですか?」

「……え? あ、ああいや、住んでるとこも深山町だよ」

「そうですか。じゃあ橋を渡るまでは一緒に帰りましょう。そこで解散ってことで」

「あ。う、うん」

 

 こちらの気も知らずに、なんてこともないように雅が言った。

 お互いの住まいが深山町にあるのなら、途中まで一緒に帰るのは何もおかしなことではないのかもしれない。

 

 それでも一応は敵同士なのだし、一緒にいる時間が延びるほど情は移るし。

 なのでせめてもの抵抗として、九条は雅から数メートルの位置を維持して歩く。

 絶妙に会話もし辛い距離感なので、それ以降二人の間に会話はなかった。サーヴァントたちにも積極的に交流する意志がないのか、霊体化して消えた後は言葉一つ発さない。

 

 沈黙のまま坂道を下りきって、新都の街並みを抜ける。

 前方に赤い鉄橋が見えて、そろそろ雅ともお別れかあ、とそんなことを思った。

 

「あの」

「え、何?」

「そんなに離れて歩かなくても、取って食べたりしませんよ。今日はもう戦わないって宣言したでしょう? それを忘れて襲いかかったりなんてしませんから、もう少し近くを歩いたらどうです」

「いや、それは……」

「……別に構いませんけど。そういうの地味に傷つきますから、やめた方がいいですよ」

 

 傷つく、のか? この程度のことで? 敵同士なんだから馴れ馴れしくしないのが普通なのではないのだろうか?

 疑問を浮かべつつも、これ以上距離を詰めるのはやはり戸惑われる。雅に襲われるなんて不安は全くないが、この先もっと九条が雅相手に戦えなくなってしまう。

 

 それでも、年下の女子から面と向かって傷つくとか言われてしまうと、このまま距離をとって歩くのも申し訳ない気がしてきてしまうのも確かだ。

 

 一人悶々とした思いを抱えながら鉄橋に差し掛かる。

 赤い色が特徴的な冬木大橋は、車道と歩道が別の段に据えられている。上が車道。下が歩道といった具合だ。

 

 その分かれ道の直前。

 片側二車線の車道のど真ん中に、一人の女が立っていた。

 

「こんばんわ。いい夜ね」

 

 長い髪が特徴的な女だった。

 足下まである髪を風に遊ばせながら、こちらを見つめている。

 

 九条は眉根を寄せた。

 自分の知り合いではない。何せ言葉の内容こそ日本語だが、女自身は見るからに外国人の装いである。生まれてからこの方、海外の人間と関わり合いになったことなどない九条には、このような知り合いなどいない。

 では雅の知人だろうか、と目を向けかけて、右手の甲がじくりと痛んだ。

 

「え、なに……?」

 

 九条の右手には令呪があるだけ。

 これが、痛んだ? 何故、と思うより早く女が口を開いた。

 

「海浜公園での戦いを見たときは『出遅れた』って思ったのよ? でもまだこんなところをウロウロしててくれたみたいで、私とても嬉しいわ」

「……そう。つまりアンタもマスターってわけ?」

「なっ」

 

 驚愕に目を剥く。

 海浜公園でのやり取りを見られていたということもさることながら、それを知ってここまで出向いてきたということは、この女の目的は一つしかない。

 

「ええ、そうよ。ほら聖杯って全員をぶち殺さなきゃ手に入らないんでしょう? だから、わざわざ工房から飛び出して、他のマスターを殺しにきたって訳」

 

 パチン、と女が指を鳴らす。

 それが合図だったのか、女を庇うように一体のサーヴァントが出現した。

 漆黒の鎧に身を包んだ、騎士風の男だ。右手には鎧と同じく黒塗りの剣が握られている。

 

「バーサーカー」

 

 雅が呟く。

 狂戦士(バーサーカー)。全身から漏れる殺気と、獲物を求めてギラついた瞳。息も荒くこちらを睥睨するその姿は、なるほど。確かにあのサーヴァントは理性のない狂戦士そのもの。分別の利かないケモノといった様子ですらある。

 

「ほら、そっちも早くサーヴァントを出しなさい。それとも、そのまま棒立ちでバーサーカーに挽き肉にされたいのかしら?」

「……っ」

 

 咽が干上がる。

 殺されたいなんて、そんなハズはない。

 

 けれどわかってしまった。

 アレは今夜出会ったサーヴァントのどれよりも強い。それもちょっとやそっとの差じゃない。圧倒的なまでの戦力差。

 

 動けない。

 動けば次の瞬間に死ぬ。

 断頭台で処刑を待つ囚人の気分。

 身震いすら許されない圧倒的な殺意。

 

 だが、

 

「冗談。挽き肉とかご免被るわ……!」

 

 九条の傍らに立つ、遠坂雅にはそんな脆弱さはまるでなかった。

 

 五指を開き、その掌上から光を炸裂させる。

 雅の動きとともに、天空から銀色の雨が降り注いだ。

 主従揃っての有無を言わさぬ先制攻撃。

 漆黒の騎士どころか、そのマスターである女ごと撃ち抜こうというのか。海浜公園での焼き直しのように、無数の矢がバーサーカーたちに襲いかかる。

 

 が、焼き直しというのなら、むしろこの結果は当然ですらあったのか。

 

「オオオォォooooooooo■■■■ッ!!!!」

 

 吼え猛る狂獣が、あろうことか矢の迎撃へと挑みかかった。

 その手に握った剣の一刀のみで、雨と降る矢の迎撃をしようというのである。

 

「なっ!?」

 

 驚愕の声は雅のものだ。

 雅の魔術がぶち当たるのも構わず、バーサーカーが縦横無尽に剣を振り抜く。その度に、無数の矢が地面へと叩きつけられていった。

 アーチャーの放つ矢は、その一矢がもはや砲撃と言っても過言ではないほどの威力である。矢と剣が激突するごと、その余波だけでアスファルトがめくり上げられていくところからも、それがわかる。

 けれど、それだけの威力を乗せた矢を雨と降らせても、バーサーカーは倒れない。どころか、その無数の矢はバーサーカーの後ろにいる女に届くことさえない。

 

「オオオOOoooooooッッ!!」

 

 地面に恐ろしいほどの破壊の跡を刻み込みながら、バーサーカーが矢の迎撃を終える。

 ギロリ、とこちらを見据え、次の瞬間には狂獣は九条の目の前にいた。

 

「は?」

 

 バーサーカーの動きに理解が追いつく前に、吹っ飛ばされる。

 一瞬の浮遊感。

 直後、そのまま背中から地面に落ちて、痛みにうめき声を上げた。

 

「う、痛ってぇ」

 

 顔をしかめながら前を向く。

 直前まで九条が立っていた地点では、既にセイバーとバーサーカーが激しい打ち合いを演じていた。

 

 それでようやくセイバーに助けられたのだと悟る。そうでなければ女の言葉通り、九条はとっくに挽き肉だ。すぐ近くにあった死線に、今更ながら背筋が凍った。

 

「アーチャー、次弾ッ!」

 

 セイバーとバーサーカー。周囲一帯を激しく蹂躙する二人から距離を取りつつ、雅が絶叫する。

 直後、命令(オーダー)に従うようにどこからか弓矢が奔った。

 

 今度は連射ではなく、たった一射。

 それでもその一射は、先の矢が止まって見えるほどの速度で突き進む。

 夜の闇を切り裂いて奔る銀閃が、セイバーのコメカミをかすめてバーサーカーに到達した。

 

「!」

 

 九条は息を呑んだ。

 セイバーと激しい立ち回りを続けるバーサーカー。至近距離で入り乱れる二騎のうち、一騎のみを狙い撃ちにするなど人の技ではない。

 

 故に、その魔技を上回る迎撃を行ったバーサーカーは、真の意味で人を離れてしまっている。

 

「オオオオオオオオォォォォォォォォォッ!!」

 

 吼える狂獣。

 その左手にはへし折れた矢がある。狂戦士は眉間への狙撃を、あろうことか左腕で掴み取ったのである。

 

 無論、至近距離で白兵戦を演じていたセイバーがそれに気付かぬハズはない。

 矢の迎撃に意識を裂いた一瞬を逃すまいと、その長剣が何度も翻る。

 だが狂戦士は崩せない。

 技もなにもあったものではない。右手だけで振るう駄剣。それがセイバーの猛攻を捌き続ける。

 純粋なパワーとスピード。このケモノは、そのたった二つの事柄だけで、セイバーの剣撃もアーチャーの狙撃にも対応してみせるのだ。

 

「……ぐ、人のことは言えないが貴公も大した馬鹿力だなッ!」

 

 攻め手に回っていたハズのセイバーから苦悶の声が上がる。

 攻守なんてとっくに切り替わっていた。

 長剣と刃付きの獅子盾。セイバーはその両方を使って、ようやくバーサーカーの攻撃を受け流す。

 なんてバカみたいな展開。

 最強の攻撃力を最強のスピードで振るえば勝てるなんて、そんな子供の絵空事みたいな理屈がまかり通ってしまっている。

 

「なんて化け物よ、アイツ!」

 

 そう叫ぶ雅の声にも余裕がない。

 マスターとして九条よりも遙かに優秀な彼女は、現状での危機感も九条以上に感じ取っているのだろう。

 

「うふ、ふふ。ふは、あはははははははははッ! いいわ、最高よバーサーカー!」

 

 猛威を振るう狂獣。その手綱を握る女が、さも愉快そうに高笑いする。

 

「さあ。さあ! さあッ! さあッ!! そんな連中、残さずミンチにしちまいなさいッ! ブァサァカァァァァァアアアアアアアッ!!」

 

 

 

 

 

 

「いやいや参りました。まさかアレほどの怪物がいるとは」

 

 冬木大橋を支えるアーチ。そのテッペンに一人の影。

 眼下で繰り広げられる戦闘を見ながら、その人物は溜め息を漏らした。

 

「白兵戦では勝ち目がない。さらに、あの戦闘の最中にアーチャーの狙撃にすら対応可能な勘の良さと視力。そして純粋なスピード。今次の聖杯戦争における最強のサーヴァントは彼でしょうか」

 

 アーチの高さは地上50メートル以上。どんな人間でも落ちればただでは済まない高さにいながら、声の主はそれに全く頓着した様子を見せない。

 

 そんな正気を疑うような場所に立ちながら、その人物の装いは、まるでただの少女のようだった。

 薄手のシャツに、淡い桃色の上着。青のタイトスカート。長く艶のある黒髪は、まとめずにそのまま流している。

 街にいればさぞ目を惹くような容姿の人物。平たく言えば美少女。

 それ故に、違和感は相当のものだ。

 格好自体は何もおかしくはない。だがそれは駅前のアーケードであったり、海浜公園であったり、この冬木大橋の『歩道』を歩いているときならば、だ。このような危険な場所では、その如何にも普段着といった装いこそが強い違和感となる。

 

 それでもここにそんな違和感を指摘する人間はいない。

 加えて、本人もそんな些細なことは気にしていなかった。

 今、ここで大事なのは眼下のサーヴァントたちの動向と戦力だけである。

 

「ところでマスター。見えていますか?」

『ええ、視界の共有は問題なく。それよりも私に裂く心の余裕があるのなら、しっかり敵を観察なさい。貴方の役目は偵察なのよ。それをわかっていて、()()()()?』

「これは失礼を。偵察を続けます」

 

 念話を通じたマスターからの叱責に苦笑する。

 自分はどうにもマスターに好かれていないようだ。アサシンが召喚されてから、かれこれ一週間近くが経とうとしているが、マスターが自分に話しかける時は大概がしかめっ面である。

 今の会話の中にもトゲのようなものを感じたし、自分はとことん誰かの下に就くことが向いてないらしい。何せ、マスターが自分の何を気に入らないのか、全く思い当たらないのだ。

 

「……ままならないものですね」

 

 戦えば敗北は必至のサーヴァントと、マスターに好かれぬ自分の両方に、アサシンは溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ここに全てのサーヴァントは出揃った。

 

 今宵の戦いは、この先の戦いに向けた前哨戦でしかない。

 

 誰もが奇跡の杯を求め、この戦いに命をかける。

 

 ならばこそ、戦いは熱く。激しく。凄惨に。参加者の意志など関係なく。加速し続けてゆく。

 

 

 

 

 

 Fake/Another apocrypha after

 

 

 

 

 奇跡を欲するのなら、汝────、

 

 

 ────自らの力を以て、最強を証明せよッ!!

 

 

 




※アニメ第二クール放送開始おめでとうございます!
いやぁ、今からあんなシーンとかこんなシーンとか楽しみですね!!

【まるで主人公】セイバー陣営
筋力A+ 耐久C 敏捷C 魔力D 幸運D 宝具C

【やだ。私のマスター空気すぎ】ランサー陣営
筋力B 耐久E 敏捷A 魔力C 幸運E 宝具B

【姫と従者】アーチャー陣営
筋力B 耐久C 敏捷A 魔力C 幸運E 宝具?

【かませ】ライダー陣営
筋力C 耐久C 敏捷B 魔力D 幸運B 宝具?

【僕は上司の心がわからない】アサシン陣営
筋力C 耐久C 敏捷A+ 魔力C 幸運D 宝具?

【最強厨】バーサーカー陣営
筋力A+ 耐久A 敏捷A 魔力B 幸運D 宝具?

【レギィンッ!俺は人間を辞めるぞぉッ!!】キャスター陣営
筋力C 耐久B 敏捷C 魔力A+ 幸運E 宝具?

勝ち残るのはどいつだ!?




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プロローグ終了時点での世界観や登場人物

※本編に影響のない軽い説明のようなページ。大雑把なことしか書いていません。


【世界観】

 

 日本のとある地方都市『冬木』で繰り返し行われていた『万能の願望機』を巡る戦い、聖杯戦争。

 

 それは七人の魔術師が、七人の英霊を呼び出して、万能の願望機たる聖杯を奪いあい、殺し合う、血みどろの戦い。

 

 二度、決着を見送られた戦いは、三度目の折り、とある魔術師によって儀式の核となる『大聖杯』を強奪され幕を閉じた。

 

 混沌の第三次聖杯戦争から数十年後。ルーマニアにて『冬木の聖杯』の反応が確認される。それはルーマニアで聖杯戦争が開催されることに他ならなかった。

 

 呼び出されるサーヴァントの数は、通例の倍。

 都合14騎ものサーヴァントで以てして行われる大規模な聖杯戦争、通称『聖杯大戦』(Fate/Apocrypha)。

 

 

 ────その聖杯大戦から60年後。聖杯の失われたはずの冬木に、再び聖杯が現れる。

 

 

 

【登場人物】

 

九条(くじょう)レイジ

 一般人。深夜のバイト先で超常の戦いを目撃する。

 

遠坂(とおさか)(みやび)

 女子高生。冬木の街の土地管理者(セカンドオーナー)

 

ノエル・リヴィエール

 冬木教会のシスター。聖堂教会から派遣された、今回の聖杯戦争の監督役。

 

ライダーのマスター

 外来の魔術師。自らの師匠を勝たせるために聖杯戦争に参加する。

 

アサシンのマスター

 お嬢様。サーヴァントの触媒探しに失敗した。

 

バーサーカーのマスター

 外来の魔術師。最強のサーヴァントを召喚するべく、狂戦士クラスを呼び出すことを決意。

 

キャスターのマスター

 外来の魔術師。弟子との連携で聖杯戦争を勝ち抜こうと画策する。

 

 

【サーヴァント】

セイバー

 剣士の英霊。三騎士クラスの一角。高い白兵戦能力とバランスの取れた能力から最優と称される。能力値の高い一流の英雄のみが該当できる花形クラス。

 青髪赤眼の大男。長剣と刃付きの盾を武器に戦う武人。

 

ランサー

 槍兵の英霊。三騎士クラスの一角。該当するには白兵戦能力と最高ランクの敏捷が必要になる。

 三叉槍を操る美丈夫。不死身の肉体を持つ。

 

アーチャー

 弓兵の英霊。三騎士クラスの一角。遠距離攻撃に特化したクラス。

 枯れ草色の外套を羽織った騎士。弓のみならず剣をも自在に操る。

 

ライダー

 騎兵の英霊。騎乗物を駆って戦うクラス。機動力に優れる。

 さっぱりとした気質の青年。システムに弾かれ、最大の宝具を失っている。

 

アサシン

 暗殺者の英霊。マスター殺しに特化したクラス。反面、サーヴァント同士の直接対決は不得手。

 物腰やわらかな美形。本来呼び出されるハサンではない何者か。

 

バーサーカー

 狂戦士の英霊。理性を失わせる代わりに、肉体に大幅な強化を施すクラス。

 黒塗りの鎧を纏った騎士風の男。圧倒的なパラメーターを持つ。

 

キャスター

 魔術師の英霊。高度な魔術を操るクラス。クラス別能力に『対魔力』がある冬木式聖杯戦争では最弱のクラスとも。

 古びたローブを纏った老人。毒霧を使う反英雄。



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本編
一日目 目覚め


 とある国に一つの騎士団があった。

 

 『騎士団』とはいっても、彼らは現代の人間が想像する騎士像とはまるで別物。実体は傭兵の集まりのようなものだ。

 不忠さえしなければ何をしても許されると思っているような連中だったから、隣国に戦争を仕掛けてその日の晩には忘れるなんてことはザラ。周りの国よりも、むしろ騎士団の内部にこそ油断ならない人間が多いとまで言い出す始末。

 

 そんな荒くれ者の騎士団において、思慮深く、情け深いことで知られる男がいた。

 

 さて、だからといって彼が思慮深いだけの男だったかと言えば、それは間違いである。

 ひとたび武器を執れば一騎当千。七百人力とまで言われる彼の力で振るわれた剣は、あらゆる敵を打ち倒す。彼は『騎士団の誉れ』とまで称された。

 彼は思慮深く、情け深い男ではあっても、やはり他の団員と同じく戦いを愛する戦士でもあったのだ。

 

 また、彼は宴を愛し、女を愛した。

 

 宴に誘われたならば決して断らぬ、と生涯の誓いを立てるほどに。

 抱いてくれと請われれば、どんな女をも抱くほどに。

 

 よく戦い、よく食らい、よく愛する。

 英雄を絵に描いたような男こそが彼であった。

 

 そんな彼だからだったのか。ある日のこと、男は一人の女にこう請われた。

 

『私を抱く代わりに、私の息子を一年だけ王位に就かせてほしい』

 

 男は戦士であり、同時に王の血族である。

 事実、そう請われた時には、彼はその国の王であった。

 

 けれど男は戦いを愛し、女を愛する英雄である。

 男は女を抱き、代償として王座を明け渡した。

 

 王座に未練はない。

 王の責務から解放されて一介の戦士に戻れるのなら、むしろ清々しいくらいだ。そのために女を抱けるのならなおのこと。

 さらに女の息子が、自分以上に上手く国を統治するのを見れば、これが国の為なのだということも理解できた。

 

 

 一年後。男は王には戻らず、ただ一人の戦士となった。

 

 

 それから間もなく、その国の姫君が五十人ばかりの侍女を伴って行方知れずになる事件が起きる。

 王や戦士たちは国中を探し回ったが、女たちの行方はわからないまま。

 やがて力のあるドルイドがこう語った。

 

『彼女たちは常若の国に消え去ったのだ』

 

 その事件からさらに数年。女たちのことがすっかり忘れ去られようかという時に、それは起こった。

 

 その日、数人の戦士を連れて狩りをしていた王は、夢中になってつい獲物を深追いしてしまった。

 随分遠くまで足を延ばした彼らは、とても今日の内には城には帰れぬとその場で野宿することを決めた。

 

 戦士の一人として王とともに狩りに出ていた男は、皆が寝静まってからもなぜか眠れなかった。

 しばらく辺りを散策することにした彼は、そこで行方知れずになっていた姫と、その傍らに立つ美しい青年に出会う。

 

『今日の善き日によくぞ参った』

 

 青年が口を開いた。

 あまりの神々しさに、男は青年が人間ではないとすぐに悟った。

 

 ────人間では有り得ない。ならばこのお方は、まさしく神そのものだ。

 

『私たちは、だれか身内の人間が訪ねて来てくれるのを待ちわびていました』

 

 あまりのことに呆然とする男をよそに、姫が微笑んで彼に言う。

 

『今宵は皆のところに戻るがよいでしょう。そうして夜が明けたなら、私は貴方たちの国に一つの贈り物を差し上げます』

 

 彼女の言う贈り物こそが、いずれ彼の国の盾となるもの。

 そして彼は、その盾を受け取った男であった。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、見慣れた狭い部屋にいた。

 

「あー……」

 

 頭が酷く重い。おまけに何故か全身筋肉痛。

 正直、布団から身を起こすことすら億劫だ。

 今日は幸い日曜日でバイトもないし、このまま二度寝と洒落込むのもいいだろう。

 

 そう思って、再び目を閉じる。

 何故に筋肉痛になっているのか、なんて疑問はさておいて、今はこの微睡みに身を任せてしまえ────、

 

「マスター? 目を覚ましたのではないのか?」

「!?」

 

 枕元で聞こえた声に反射的に身を起こした。

 この部屋で自分以外の声があるハズがない。自分はこの部屋に一人暮らしで、ここの鍵は誰にも預けていない。

 そんな部屋で自分以外の声が聞こえたなら、それは間違いなく不法侵入者である。

 

 慌てて声の方向に向き直ると、そこには青い髪の大男が畳の上にどっかと座っていた。

 

「マスター?」

「あ」

 

 その姿を見て、眠気なんて跡形もなく吹っ飛んだ。

 怪訝な表情でこちらを覗き込んでくる男に、自分は確かに見覚えがある。

 

「えと、セイバー?」

 

 死地と化した工事現場。

 手を引かれて走った街並み。

 海浜公園での襲撃と出会い。

 新都の教会で聞かされた戦いのルールと賞品。

 帰り道、冬木大橋での激闘。

 

 寝起きとはいえ、とんだ巡りの悪さだ。

 こうしてセイバーに対面するまで、それら全てを思い出すことが出来なかったなんて。

 

「ああ。おはようマスター。どうやら調子は良いとは言えないようだが、大丈夫か?」

「ああ、うん。悪い。身体はダルいけど、別に問題はないよ」

 

 こちらを気遣うセイバーに、なんとか取り繕って九条は答えた。

 

「ならいいが、調子が悪いならば無理せずに休むことだ。

 なにせ、昨日は私の召喚直後に二連戦をやらかした。普通の魔術師でもツラいだろうに、貴殿は一般人だったのだからどこかしらに無理は来て当然だ」

 

 それは昨夜、雅にも言われたことだ。

 ただそう言われても、九条には自分の身体のどこに異常が出ているのか把握できていない。自分自身の見解としては、先ほどセイバーに語った通り身体がダルいくらいである。

 なので九条の意識は自分の体調よりも、昨夜巻き込まれたばかりの『聖杯戦争』とかいう戦いの方向へとシフトしていく。

 

「昨日……。二連戦」

 

 特に冬木大橋での二戦目。

 髪の長い女が使役していたバーサーカーは、ただひたすらに圧倒的だった。思い出しただけで、今でも手の震えが止まらない。あれは周囲に死をまき散らすだけの恐ろしい戦闘マシーンだった。

 

「よく生きて帰ってこれたよな……」

「主を守るサーヴァントとしては情けないことこの上ないが。私も同感だ。

 あのタイミングで彼らが退いてくれなければ、こちらの全滅も十分にあり得た」

 

 戦いに関して素人の九条とは違い、セイバーはその道のプロと言っても差し支えない存在だ。そんな彼がそう言うのなら、それは限りなく現実的な可能性だろう。

 

「……なんだかいきなり絶望的だな。あんなの相手に勝ち目なんてあるのかよ」

 

 九条が参加を決意した聖杯戦争で優勝するには、自分以外の全てのサーヴァントを倒さなければならない。その中には当然、昨夜戦ったバーサーカーも含まれる。

 昨日バーサーカー相手にアレだけ苦戦したのだ。はっきり言ってしまって、勝ち目なんてほとんど無いように思われた。

 

 だが、セイバーは九条の不安を吹き飛ばすかのように断言してみせる。

 

「そんなもの────」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あるに決まってるでしょ?」

 

 朝食後のお茶を飲んでいた雅は、アーチャーからの『バーサーカー相手に勝ち目はあると思うか?』という質問にそう返した。

 

「っていうか、あなたは『勝ち目がない』とかって思ってるワケ?」

「いいえ。ただ、昨夜の戦いでは攻略の糸口すら掴めませんでしたから」

「ああ。私が弱気になってるんじゃないかって心配になったのね?」

「あ、いえ。決してそのようなことは……」

「いいわよいいわよ、気にしてない。あなたに比べたら私なんて、戦闘経験皆無のぺーぺーのひよっこだろうから」

 

 ひらひらと片手を振って、雅は気にしていないとアピールする。

 

 確かにアーチャーの言う通り、昨夜のバーサーカー戦ではあの狂戦士相手にこちらは終始圧倒されっぱなしだった。

 今の段階でアーチャーが単身バーサーカーに挑んだ場合、敗色は濃厚と言わざるを得ない。

 

 だがそれはバーサーカーに対して勝ち目が薄いだけで、『バーサーカー陣営』に対して勝ち目が薄いのとは別なのである。

 

「確かにバーサーカーは圧倒的よ。もしかしたらアレは、今次の聖杯戦争で最強のサーヴァントかもしれない。

 でも、どんなサーヴァントでも例外なく大きな弱点を抱えてる。マスターっていう足手まといをね」

 

 そうでしょ? と小首を傾げて見せると、対面に座るアーチャーは満足そうに微笑んだ。

 

「そうですね。高ランクの『単独行動スキル』でも持っていない限りは、サーヴァントはマスターなしでは存在できません。

 現状でバーサーカーが無敵であったとしても、マスターさえ排除出来ればそれで我々の勝利です」

「ああ、そっか。アーチャー以外にもそのスキル持ってる可能性あるのね。うっかりしてたわ。

 でもまあ、バーサーカーに関してはその心配はないでしょ。でなきゃ、昨日アイツがあのタイミングで退いた意味がわからないし」

 

 言いながら回想する。

 

 昨夜冬木大橋で雅たちにしかけてきたバーサーカー陣営は、その暴力的なまでのスペックでセイバーとアーチャーを圧倒した。

 アーチャーの援護射撃を迎撃しつつ、間近で剣を振るい続けるセイバーを追いつめていく悪夢のような光景。

 ほんの数分間の攻防の果て。ついにセイバーが膝を付き、バーサーカーが剣を高く振り上げたその時だった。

 

『止まりなさい、バーサーカァァァァアアアアアアアッ!!』

 

 喉を裂かんばかりの絶叫が辺りに響きわたり、狂戦士の動きが止まった。

 視線を向ければ、息も絶え絶えといった様子のバーサーカーのマスターの姿。

 

『はあ、はあ、はあ……! 今日のところ、はッ、このくらいにしといてあげるわ!』

 

 そう捨て台詞を残して、狂戦士の主従は雅たちの前から姿を消したのだった。

 

「あれは明らかにマスター側の魔力が足りてなかったって感じだったもの。アレ以上続けてたら、マスターの身が持たなかったんでしょうね。

 なんて言うか、あのサーヴァント、大英雄って感じしたし。戦闘能力的に、狂化前でもかなりのステータスだったろうから。

 ただでさえバーサーカークラスはマスターへの負担が尋常じゃないんだから、大英雄なんて狂化したら魔力がいくらあっても足りないでしょうに」

「それでも全くの考えなし、という訳でもなさそうです。

 少なくとも昨夜は、撤退時に私の狙撃に対応させられる魔力を残して戦闘を中断していますから」

「それなのよね。ホントにただの考えなしなら、自滅であっさり脱落だろうから楽で良かったんだけど」

 

 撤退時、アーチャーの追い打ちを切り払いながら逃げていくバーサーカーの姿がよみがえる。

 あのままもうしばらく戦闘を続けていれば、魔力切れで自滅。自滅を免れたとしても、撤退時の追撃に対応できずに敗退していたことだろう。

 引き時を間違えない辺りは、マスターとして最低限の戦略眼があるということでもある。

 

「とりあえず、現状でバーサーカー相手に打てる手は『マスターを狙う』か『相手の魔力切れまで防戦する』ことくらいかしら?」

「ええ。正面からバーサーカーと戦うことだけは避けた方が良いでしょうね」

「真名が割れれば、弱点とかもあったかもしれないけど。ちょっと情報が足りないわよね」

「……申し訳ありません」

 

 突然の謝罪に雅は首を傾げた。

 ここまでの会話でアーチャーが謝るようなことは何もなかったハズだ。

 

「なんで謝るのよ?」

「昨夜の戦いでは、敵を撃破するどころか、その能力を引き出させるほど追いつめることも出来ませんでした」

「それは……、まだ序盤で、みんな能力を隠しておきたいんだから仕方ないでしょ?」

「それだけではありません。

 あの戦いぶりから察するに、私単独でバーサーカーを抑え込むことは難しい。だからと言って、サーヴァントが存命しているマスターの撃破は、アサシンを以てしても容易ではない。アーチャーである私ならばなおのことでしょう。

 もしも私がバーサーカーよりも強力なサーヴァントであれば、こんな風に悩むことなく正面切って対決に臨めたかと思うと……」

「アーチャー……」

 

 彼にしては珍しく、悔しさを滲ませたその言葉。

 確かにアーチャーがバーサーカーよりも強ければ、魔力切れを狙うだとかマスターを狙うだとか、まどろっこしいことをせずに済んだかもしれない。

 

 自身の力不足を嘆くアーチャーの気持ちを読みとって、雅は息を吐く。

 

「バカなこと言ってんじゃないわよ」

 

 次に口を衝いて出てきたのは、そんな辛辣とも取れる言葉だった。

 

「あなた一人で戦ってるんじゃないのよ? 聖杯戦争は基本的には二人一組なんだから。あなたに勝機がないのなら、私が勝機を作る。それがマスターの役目でしょう?

 私、あなたに命令だけしてふんぞり返ってられるほど、神経は図太くないつもりなの。

 大体、クラス特性だってあるでしょうが。バーサーカーにはクラス別スキルで狂化があるんだから、元があなた以下だったとしてもバーサーカーになった時点で、あなたよりステータスは上になるわよ」

 

 真っ正直にバーサーカーとぶつかって勝てれば、それが一番いい。

 けれどそれは難しくて、そして難しいのが当然のことでもあるのだ。味方が時代時代の英雄であるのなら、敵もまた世界に名を馳せた英雄なのだから。英雄同士の戦いに、簡単に決着を着けられようハズもない。

 だからこんな風に、アーチャーが単独で太刀打ちできないサーヴァントが出てくることも、雅としては想定の内であった。

 それになにより、雅はアーチャーを力不足だと感じていない。

 

「あなたは弓兵で、遠距離からの狙撃と単独行動スキルによる負担の軽さが売りでしょう? その辺りはしっかり押さえててくれるんだから、文句なんてないわよ。

 それに、昨日はあなたにかなりの無茶をさせた自覚もあるの。それでもあなたは文句一つ言わずに私の方針に従って、その上できちんと生還してくれたじゃない。

 そんなサーヴァント相手に、『弱くて使えない』なんて言えないし、言わない。あなたはむしろ、私みたいな半端者には過ぎたサーヴァントよ、アーチャー」

「マスター……」

「この話はこれでおしまい!

 初日から無茶もしちゃったし、偵察は使い魔にでも任せることにして、今日は休息に充てましょう」

 

 そう言って一旦会話を打ち切る。

 少し喋りすぎた。これ以上、口から出るのに任せていたら、もっと恥ずかしいことも口にしてしまいそうだ。

 

「あ、暇つぶしがてらに、あなたの話とか聞かせてくれると嬉しいんだけど。竜殺しの話とか。最強の幻想種を相手に、どうやって戦ったのかとか興味あるわ」

 

 雅は恥ずかしさを誤魔化すように言って、紅茶を飲み干したティーカップを片づける為、席を立った。

 

 キッチンに向かう途中、背に「正直、死にかけた思い出しかないな……」とボヤくアーチャーの声が聞こえて、思わず破顔する。

 そうしながらふと、昨夜つかの間の共闘を果たした主従のことを思い出した。

 

「……そう言えば、九条さんは無事に帰れたのかしら?」

 

 

 

 

 

 深山町の西側郊外には森が広がっている。

 冬木市から車でおよそ一時間。滅多なことでは人の立ち入らない樹海。

 

 曰く、その森の中には幽霊城があるらしい。

 鬱蒼と生い茂る木々のせいで、昼なお暗い森の中を進んで、進んで、進んだ先に、場違いなほどの豪奢な城があるという噂だ。

 

 とはいえ、しょせん噂は噂。

 その城を実際に見た、という人間は皆無。そもそも樹海の中に踏み込もうという人間さえもほとんどいない。大体、こんな森の中に城を建てること自体、意味不明に過ぎる。

 

 実在が不確かな幻の城。

 そう言った意味で、それはまさしく幽霊城だった。

 

 

「この、役立たずッ!!」

 

 

 そして、そんなヒステリックな声が聞こえたのは、まさにその幽霊城のロビーにあたる部分であった。

 

「なんなの! 昨日の! あのッ、醜態はッ!!」

 

 女の声がロビーに反響する。

 そこには一々価値を計るのもバカらしくなるくらいの調度品が溢れていた。床に敷き詰められた絨毯は心地の良い反発を足裏に返し、天井からつり下げられているシャンデリアは綺羅星の如く輝いている。

 そこは幻の場所などではなかった。存在があやふやだと思われていた幻の城は、事実としてこの場所にある。

 人の訪れない樹海の奥で、人を待つこともなく、ただひたすらに無駄に豪華なその姿を保ち続けていたのだ。

 

「この私がッ、アレだけ魔力を提供したにも関わらずッ! サーヴァントの一人すら、倒しきれないだなんてッ!!」

 

 そう叫ぶ女の側には、一人の人影がある。

 黒い騎士甲冑に身を包んだ男性。サーヴァント・バーサーカー。

 

 女の罵倒に何一つ言い返さないまま、微動だにしない。

 それもそのハズ。バーサーカーのクラスに収められた時点で、彼のサーヴァントからは理性が剥奪されている。いわば、命令を待つだけの、ほとんど意志のない駒だ。

 故に、どれだけ罵られようと、彼がその女に言い返すことはない。

 

「お前は、この私の……、オリヴィア・プルーストのサーヴァントなのよ!

 それなのに、あんな無様をさらすなんてッ!!」

 

 バチンッ、と乾いた音が城内に響いた。

 女の──オリヴィアの平手がバーサーカーの頬を打ったのだ。

 彼女はそのまま二度、三度とバーサーカーに平手を叩きつけて、息も荒く自身のサーヴァントを睨んだ。

 

「はあ、はあ、はあ……! 魔力喰らいの木偶の坊め……、とんだハズレサーヴァントだわ。

 とにかく、このバカを使うには魔力が全然足りない。魔力……、魔力をもっと集めないと……」

 

 そう結論付けたオリヴィアは、ただ黙って立ち尽くすバーサーカーにはもはや目もくれず、城の奥へ奥へと進んでいく。

 

 残されたバーサーカーは、やはり一言も発さずにロビーに立ち尽くしたまま。罵倒も、体罰も。まるでなかったかのように、その場に留まり続ける。

 彫像のように。あるいは、静かに侵入者を待つ防犯装置のように。

 次の命令があるまで、彼がその場を動くことはない。

 

 

 

 

 

「ステータスっていうの。四人分しか確認できないなあ」

 

 一人暮らしのアパート。その狭い台所で、九条はそう言って首を傾げた。

 

「昨日はセイバー含めて六人のサーヴァントを見たハズなんだけど」

「それはその時、貴殿がまだマスターではなかったからだろう。サーヴァントの能力を把握する透視能力は、あくまでマスターに与えられるものだ」

「ああ、そっか。セイバーを召喚してから見たサーヴァントの能力しかわかんないのか」

 

 言いつつ目を閉じる。

 昨夜見たサーヴァントたちの姿を思い返すと、その大まかな能力値を確認することができた。

 

 ちなみに起き抜けに話していたバーサーカー戦に関しては、相手の魔力切れか、マスターの排除が有効だ、という結論が出ていた。

 曰く、昨夜の戦闘から察するに、マスターの魔力供給が追いついていないとのこと。

 確かにマスターであるあの女は、苦しそうにしながら、自分たちの優勢を放り投げて帰ってしまった。

 

 で、その話の後、九条の腹が空腹を訴えて今に至る。

 よくよく考えてみれば、昨日は家に帰ってからすぐに眠ってしまったので夕食を口にしていないのだ。それは腹が減って当然というもの。

 そんな訳で、現在は朝食の準備中。

 昨日のどさくさでどこかに落としてしまった餃子とコロッケを惜しみつつ、冷蔵庫にあった食材(使い残し)で調理をする。食材自体が乏しいために大した物は作れないのだが、それはそれとして一刻も早く補給しないと九条の腹がもたないのだ。

 

 九条の調理中、セイバーはずっと放置。……なんてことは、さすがにできないので、今後のためにという意味も込めて『マスターとして戦うにはどうすればいいのか?』と話題を振った結果、今の会話の流れとなった。

 セイバーが言うには『サーヴァントと契約によって繋がったマスターには、そのステータスを読みとる透視能力がある』ということらしい。

 戦いに関して素人の九条でも、戦力の把握が大事なことくらいはわかる。

 そのため、うんうん言いながらステータスの把握をしようと試みて、それは思いの外あっさりと成功してしまったのだった。この辺りが『聖杯の補助』というものなのかもしれない。

 

「え、と。セイバーの能力値は……、筋力がA+、耐久と敏捷がC、魔力と幸運がDか」

 

 それが高いのか低いのかの判定もできないまま、能力値を口に出す。

 

「これ、何基準だ? なんとなくAが強そうなイメージだけど……」

 

 自分のパートナーが強いかどうかは、勝敗に直結しそうなのでやはり気になるところだ。

 仮にAランクが一番強いとなると、CやらDはどの程度なのだろうか。A+という表記も気になる。これは字面通りに『Aランクを越えている』と解釈していいものか。

 

「基本的にはAからEの五段階評価だ。Aが一番強く、Eが最も低いランクということになる」

 

 と、ここでセイバーの補足説明。

 九条は脳内でもう一度セイバーの能力値を確認してから、口を開いた。

 

「じゃあセイバーは筋力が最高値で、逆に魔力やら運やらは最低に近いってことなのか」

「そうなるな。我ながら運の悪さは気になるところだが……。

 ちなみに『+』というのは瞬間的に能力を倍加できることを示している。私で言えば、瞬間的に筋力が二倍になるということだな」

「おお! それってすごいじゃないか! つまりセイバーは筋力勝負になれば誰にも負けないってことだろ」

 

 ゲームなどでは何らかのボーナスとして書かれるような表記だったから、何かしらのメリットはあると思っていたが、まさか能力二倍とは。良い意味で予想外である。

 その上、セイバーの筋力は最高評価のAランク。これなら単純な力比べなら誰にも負けはしない。

 そうはしゃぐ九条を余所に、セイバーの顔はやや曇り気味だった。

 

「マスター、その……。私の能力を買ってくれるのは喜ばしいのだが、その前にバーサーカーのステータスを確認してみてくれないか」

「バーサーカーの?」

 

 首を傾げつつ、目蓋の裏でバーサーカーの姿を思い描く。

 セイバーに比べれば開示されている情報の少ない黒騎士の、その基礎能力を目で追った。

 

「は?」

 

 愕然とする。

 昨日、あの橋の上で見たときも圧倒的な強さだと思ったが、改めてステータスを確認してみて、その強さに何かの間違いじゃないのかと本気で思った。

 

「なんっだよ、これッ!?」

「落ち着けマスター。私には、貴殿にどの程度の能力値が見えているのかわからん。口頭で構わない。伝えてもらえると助かる」

 

 落ち着いたセイバーの口調に、少しだけ冷静になる。

 それでも内心は動揺したまま、自分に見えていたものを吐き出した。

 

「……魔力と幸運以外はAランク。幸運はDだけど、魔力もBランクだ。

 それにその、筋力に関してはセイバーと同じA+だった」

「やはりそうか」

「やはりって、気付いてたのか……?」

 

 九条の問いに、セイバーが苦笑しながら答えた。

 

「体感的にな。まともな押し合いで押し切れなかった以上、Aランク相当の筋力があるのでは、と予想はしていた。

 もっとも、まさか私と同じ『+』持ちとは思わなかったが……」

「厳しい……よな? こっちの有利な部分と相手の有利な部分が被ってんだし」

「そうだな。格上相手に自分の持つ最強のカードが通用しないのは、正直なところかなりの痛手だ」

 

 唇を噛む。

 そもそもの前提として九条は全マスター中最弱。戦え、と言われても戦う能力のないマスターだ。

 

 対し、バーサーカーのマスターは少なく見積もっても九条以上に戦えるハズだ。なんせ、巻き込まれる形で参戦した素人の自分とは違って、向こうは聖杯戦争のことを知る魔術師である。

 マスター同士の戦いでは勝負にならない。加えて、サーヴァント同士の戦いでもこちらの方が分が悪い。

 

「そう悲観するな。生きている内は、まだ負けじゃない」

「セイバー……」

「性能が違うなら違うなりの戦い方がある。正面から突破してみせる! と胸を張って宣言できないことは心苦しいがな」

 

 そう言って笑うセイバーに、沈んでいた気持ちが幾分軽くなった。

 

 そうだ。そもそもバーサーカー相手には持久戦を狙おうと話したばかりなのだ。これは、あるとわかっていた戦力差を改めて浮き彫りにしただけ。

 それに、これだけ明確に戦力差が見えているなら、無謀な突撃はしない。躊躇なく、最初に決めた『相手の魔力切れ』を狙った戦いを選択できる。

 

「それはそれとして、マスター。その鍋、もういい具合ではないのか?」

 

 セイバーの指摘に、会話に裂いていた意識を鍋へと向けた。

 ぐつぐつと沸騰する鍋の中身は、もう十分に火が通り、部屋全体に食欲を誘う香りを放っている。

 

「ん? ああホントだ。ちゃちゃっとよそうから、ちょっと待っててくれ」

 

 簡素な戸棚から二人分の茶碗を取り出す。

 炊きあがったばかりのご飯と、作りたての味噌汁をよそって、セイバーの座る丸テーブルへと運んだ。

 

「難しい話は後にして、今はとにかく食べよう」

「……マスター。これは、もしかして私の分だろうか?」

 

 ご飯と味噌汁。日本人的にはオーソドックス過ぎる朝食を前に、そう言って首を傾げたセイバーに、九条は首を傾げ返した。

 

「もしかしなくてもそうだよ?」

 

 何を当たり前のことを、と疑問を抱いて、はた、と気がついた。

 つい自分の基準で朝食を作ってしまったが、セイバーは明らかに外国人(と定義していいかも微妙なライン)だ。もしかしたら、米や味噌汁に抵抗があるのかも知れない。

 とはいえ、現状で九条宅にある食物は、今まさに食卓に乗っているものしかないのだが。

 

 そんな九条の不安を見透かした訳ではないだろうが、セイバーは首を振りつつ、

 

「いや、作ってもらっておいて申し訳ないが、私には食事は不要だ」

 

 と、さらりと衝撃的な事実を口にした。

 

「え、不要って」

「そのままの意味だ。魔力さえあるのなら、サーヴァントは食事も睡眠も不要なのだ。

 実際昨夜から今朝にかけて、私は眠らずに周囲の警戒を行っていた」

「そうなのか」

 

 魔力というものがどういったものなのかは、未だにキチンとわかってはいないのだが、それがサーヴァントたちにとってのエネルギーということには間違いがないらしい。

 それにしたって、食事と睡眠が不要というのは、とんでもない話だと思う。なんせ人間的には食事と睡眠、どちらか片方だけでは生きていくのも不可能だ。

 それを、サーヴァントたちはたった一つのエネルギー元だけで活動可能とは。魔力ってやつはよほどエネルギー効率がいいものなのだろうか。

 

「そういうわけで、私には食事が必要ないから、これはマスターが食べてしまってくれ」

「む」

 

 セイバーの言葉に眉根を寄せる。

 セイバー的に、これは遠慮とこちらへの気遣いだろう。九条としても、その配慮は嬉しい。

 だが、いくら九条が腹を空かせているとはいえ、九条的に『さすがに二人分は多い』わけで。

 

「あのさ。食事は必要ないって言うけど、サーヴァントは絶対に食事ができないのか?」

「? いや、必要性が薄いだけで食事事態は可能だが」

「そっか。ならさ、俺を助けると思って、これは食べちゃってくれよ」

 

 キョトン、とするセイバーに、追い打ちをかけるように言葉を続ける。

 

「二人分はちょっと多いんだ。それに、自分だけ食べてるのも申し訳なくてさ。だから、一緒に食おう」

 

 そう言って、九条は箸を握った。

 対面に座るセイバーは、しばらく九条の顔を食器とを見比べていたが、やがて意を決したように、目の前に置かれた割り箸を手に取った。

 

「……そうか。では、お言葉に甘えて」

「ん。そんじゃ、いただきます」

「いただきます」

 

 二人の声が、狭い部屋に響く。

 誰かと『いただきます』を共有することなんて何時振りだろう、と思いながら口にした味噌汁は、少し塩気が多すぎた。

 

 




※こないだのUBW。アーチャー対ランサーで兄貴がかっこよすぎたので、不定期にでも続き書こうかと思います。
エタるかなー…。

あと、ぼちぼち修正かけてゆきます。
以前公開してたステータスは忘れるのだ……。


橋の戦いから明けての三陣営。

仲が良すぎのセイバー陣営の未来はどっちだ。


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一日目 戦う理由と戦場への招待

 よく食べる奴だなあ。というのが、九条からセイバーへの印象だった。

 

 食事が必要ないとはなんだったのか、と首を傾げたくなる食べっぷり。

 余り物をすべてぶち込んだ味噌汁は、正直な話二人分でも少し多いくらいだったのに、セイバーはもりもり食べて鍋の中身を空にしてしまったのだ。ついでに言えば、炊飯ジャーの中身も空である。

 中途半端に残してしまうのも処理が困るので、それはそれで助かったのだが、これだけ食べて『まだ余裕』な表情をしているセイバーには戦慄を隠しきれない。

 

「すまないな、マスター。私は生来大食らいなもので……、思わず。それに、この味噌汁というものが美味くて……」

「美味かったならいいけどな。それに余らせても仕方ないし」

 

 面目ない、と頭を下げたセイバーに軽く手を振りつつ、食器を洗う。

 

 食事は終えた。

 ならば、ここからは本格的に聖杯戦争について考える時間だろう。

 九条がそう切り出すと、テーブルに座ったセイバーは指を立てて問いを投げてきた。

 

「その前に一つ尋ねたい」

「なんだよ?」

「貴殿が聖杯にかける望みはなんだ?」

「ああ、それか……」

 

 あまねく願いを叶えるという万能の願望器・聖杯。

 聖杯戦争に参加する者は、マスターだろうがサーヴァントだろうが関係なく、聖杯を手に入れようとする理由を抱えている。願望の内容は個人によってまちまちだろうが、だからこそマスターとサーヴァントとの間では『一番はじめに』お互いの願いがなんなのかを把握しておく必要がある。

 何故なら、お互いの願いが相手の願いを否定しなければ叶えられない、なんて場合もあるからだ。土壇場でそんなことになれば、当然目も当てられない状況になる。

 それを防ぐ意味で、一番最初にお互いの願いを吐露しなければならないのだ。と、昨夜教会でシスターにアドバイスを受けていた。

 

『場合によっては令呪を使うことになるでしょう。

 サーヴァントによってはマスターを切り捨てる場合もあります。まず、何が何でも()()()()()()()を確保するように心がけてください』

 

 その時は躊躇うな、とも注意された。

 優しい娘だと思う。表情こそ変わらないように見える少女ではあったが、その言葉は間違いなく九条を案じてのものだった。

 

 ともあれ、今はセイバーの質問に答えなければなるまい。

 九条の願いがセイバーの願いとぶつかる。なんてことは万に一つもないだろうが、この先二人でやっていくことを思うと、黙っていても良いことなんてないだろうし。

 

 一つ息を吐いて、九条は口を開いた。

 

「俺にはさ、年の離れた妹がいたんだけど」

「ふむ。妹君が」

「そう、妹。その妹がさ、結構前に死んじゃったんだよな」

「……、」

 

 思い出すと辛くなる出来事。

 それでも九条にとっては10年近く前のことだ。感情は幾分か風化してしまっている。故に、語る言葉がつっかえることはない。

 

 そんな九条の言葉を受けて、セイバーの表情が曇った。

 その後、間もおかずに痛ましげな表情から『もしや』という表情に変化する。

 

 まあ気付くよな、と九条は内心で笑った。

 

「まあ、そういうこと。まだ小さくて、やりたいこともいっぱいあっただろうし可哀想だなあ、って。その妹を生き返らして、一緒に暮らす。それが俺の願いです」

 

 万能の願望器。そんなものを前にして、我ながら小さな願いだとは思う。これで救われるのは自分だけだ。

 世間様に与える影響は……、ないことはないだろうが、きっと微々たるものだろう。他の人間が叶えるような願いの方が、きっとずっと大層なハズだ。

 

「……なんだよ。そんな変な願いか、これ?」

 

 と、セイバーが薄く笑っているのに気がついて、九条は眉根を寄せた。

 

「いいや、そうではない。ただ、マスターとサーヴァントは似た性質のものが引き合う、という話があってな。それを思い出していた」

「うん?」

 

 首を傾げる。

 確か、昨夜も似たようなことを言われた気がする。セイバーは九条の精神性に引かれた、とかなんとか。

 そうは言われても、やはり九条には自覚はなかったのだが。

 

 そんな九条の様子を見ながら、セイバーは薄く笑って願いを口にした。

 

「私の望みも貴殿と似たようなものだ、ということだ。

 私が無様を晒したせいで失った家族と友人。私は、彼らと過ごす時間が欲しいのだ」

 

 

 

 

 

 

 薄暗い部屋で目を覚ました。

 枕元のメガネを装着し、現在の日付と時刻を確認。速やかにベッドから脱出すると、洗顔を済ませてクローゼットへ。昨夜のうちに用意しておいた服に袖を通して、身だしなみをチェック。

 目に見えておかしな点がないことを確認してから寝室を後にする。

 現在時刻は、目覚ましが鳴る五分前。実にいつも通りの朝である。

 

「おはようございます、アサシン」

 

 踏み入った隣室に、サーヴァントの後ろ姿を見つけて声をかけた。

 

「はい。おはようございます、アベル殿」

 

 振り返ってそう返答した彼は自然体で、後ろから声をかけられたことに対する驚きは見受けられない。恐らくはアベルが声をかける以前から、こちらの気配などとうに認識していたのだろう。

 

 そうやって、『お嬢様の従者』という共通項を抱える二人は朝の挨拶を交わしあった。

 

「お嬢様は、まだお休みのようですね」

 

 無意識のうちに寝室への扉を見つめつつ、アベルが言う。

 従者たるもの、主より早く目覚めて、いつでも主のお世話が出来るように構えていなければならない。

 

 その点で言えば、アベルもアサシンも最低限の役割は果たしていることになる。

 もっとも、サーヴァントには睡眠が必要ないらしいので、アサシンが寝過ごすことは絶対にないだろうが。

 

「私の睡眠中、何か変わったことはありませんでしたか?」

「特には何も。ここの結界の精度が良いのでしょう。侵入者どころか、ここに近づこうという輩もいませんよ」

 

 一応、夜通し警戒はしていましたが。と付け足してアサシンは笑った。

 

「戦いが動くのは基本的に夜でしょう。アベル殿も、もう少しお休みになられていても良かったのでは?」

「いえ、そういう訳にはいきません。お嬢様がお目覚めになられた時に、何のお世話も出来ないなどということは許されませんので」

「そういうものですか」

 

 お勤めご苦労様です。そう言って頭を下げたアサシンに、アベルも釣られて頭を下げ返す。

 

「ところでアサシン」

「はい。なんでしょう?」

「貴方の方こそ、そのような格好でどこかに出かけるのですか?」

 

 アベルの問いに、アサシンは自分の姿を確認しながら首を傾げた。

 

「ええ。少しばかり情報収集でも、と思っていたのですが……。そんなにこの格好はおかしいでしょうか?」

「……、」

 

 問い返された形になったアベルは言葉に詰まった。

 

 現在のアサシンは、召喚された時の戦鎧ではなく、アベルの買い与えた現代の洋服を身につけている。

 襟元から白いシャツの覗く黒いカーディガンを羽織り、長く艶のある黒髪は、背中の低い位置で緩くひとまとめにされている。下半身を覆うのはライトグリーンのフレアスカートで、裾から伸びるすらりとした白い足が惜しげもなくさらされていた。

 

 どこからどう見ても現代の一般女子。一目見ただけどころか、まじまじと観察しても、コレ(・・)がサーヴァントだと気付く人間はいまい。

 それほどの擬態だ。

 故に、アサシンの立ち姿におかしな点は全くない。全くないのだが、彼の性別(・・)を考えるに、それこそがおかしな点なのだ。

 

「おかしくはない、のですが……。その格好で出歩く意味は」

 

 少しばかり眩しい足下から目を背けつつ問う。

 

「ええ。僕は正規のアサシンではないので、こうやってスキルで補わなければ『気配遮断スキル』がうまく機能しないのです。

 ……あれ? というか、この説明はアベル殿にも行ったと思うのですが?」

「ああ、はい。そうでした。説明されていました。はい」

「……?」

 

 あまりにも現代女子の格好に馴染みすぎたアサシンを見て、多少ドギマギしていた、なんて言えようハズもない。

 相手はサーヴァントな上、紛れもなく男性(・・)なのである。

 

「本当なら」

 

 言って、アサシンの身体が光に包まれる。

 

「この格好で出歩けばいいのですが」

 

 次の瞬間にアベルの前に現れたのは、薄布で顔を隠した着物姿のアサシンだった。手には横笛、腰には太刀と、やや奇妙な組み合わせではあるものの、不思議とハマって見える。

 こちらも見た目は完全に女性のそれであった。華奢な体格の和装女子、といった印象だけに、腰に下げられた太刀が一層物々しい。

 

「『気配遮断』とはいえ万能ではありませんから。万一、この格好で発見されたときには言い訳なぞ効かないでしょう。

 その点、先ほどの衣装なら、誰かに見られても一般人を装えますし。どちらの格好でも『気配遮断』が発動するなら、現代衣装の方が得かと思いまして。

 それに、無理を言って購入してもらった衣服ですし、着なければ勿体ないですよ」

 

 手にした笛をもてあそびながら、アサシンはからからと笑った。

 

 この笛と、彼の身につけている着物(水干と言うらしい)がアサシンの『気配遮断スキル』の要らしい。

 所持しているだけでDランク相当の『気配遮断』。身につけるか、それと()()()()()()()()ことで『気配遮断』のランクをAランクまで引き上げることができるとのこと。

 この場合の『同様』とは、女性にみえる格好ということだろう。

 

 アサシン曰く、武蔵坊の勘違いのお陰ですね。

 

 アベルにはよくわからなかったが、そのムサシボーとかいう人物が勘違いしたお陰で手に入れたスキルらしい。

 つまり元々そういう効果のある着物だった訳ではなく、逸話によって効果が付与された物ということだ。

 

「では、僕はそろそろ行きます」

 

 しばらくアベルに見られるがままになっていたアサシンは、やがて元の現代衣装に戻ると、そう言った。

 

「あ、はい。お気をつけて」

 

 元々、情報収集のために外に出て行くところだったことを思い出し、アベルは慌てて道を譲る。

 

「僕が帰るまでの間、マスターをよろしくお願いします」

 

 軽く会釈しながらドアを潜っていったアサシンをみて、アベルはため息を漏らした。

 見た目、仕草ともに完全に女性。アレを初見で男性、それもサーヴァントだと見抜ける者がどれほどいるだろうか、と。

 

 

 

 

 

 とにかく食料を確保しなければならなかった。

 

「ここが深山商店街な。ここにくれば大体の物は手に入る」

『そのようだな。野菜に肉……、なんと酒屋まであるのか』

「や、食い物だけの話じゃねえから」

『む? だが食料品を購入するのだろう?』

 

 霊体化したセイバーと会話しながら商店街を歩く。

 日曜日ということもあって、商店街には人通りも多い。新都の店に客を取られながらも、この商店街はなんとか折り合いをつけてやっているようだ。

 

 それはともかくとして、セイバーの言うとおり食料品は購入しなければならない。

 なにせ冷蔵庫の中は空だ。米びつの方にはまだ余裕があるが、食事が白いご飯のみというのは、さすがに耐えられない。

 

「たしかカボチャとキャベツが安くなってたよな。……ああ、あとモヤシか」

 

 家から引っ張り出してきた広告を確認しながら呟く。

 メニューとして思いつくのは、カボチャの煮付けとモヤシ炒めか。成人男性としては肉類も手に入れたいところである。無論のこと安く。

 とりあえず、と八百屋に入ってカボチャとキャベツ、モヤシを袋に入れると、他にもめぼしいものがないか吟味していく。少しでも安く、少しでも多くは買い物の基本だ。

 

「そういえばさ」

 

 マイタケを手に取りつつ、周囲の目を確認してから九条は口を開いた。

 

「工事現場、海浜公園、冬木大橋って、昨日戦った場所は一応全部回ってみたけど、全部元通りだったな。アレってどういうことなんだ?」

『それは破壊痕が見受けられなかった、ということを言っているのか?』

「そうそう」

 

 昨夜の戦闘。その戦場となった場所には、小さくない破壊の跡があってしかるべきなのに、商店街にくるまでに立ち寄ったそれらの場所には、戦闘があったことを感じさせない穏やかさがあった。

 すべて元通り。戦闘前の状況そのものである。九条は思わず自分の記憶を疑ったほどだ。

 

『神秘は秘匿されるべきものだ。故に、誰かしらが秘匿の為に動いているのだろう』

「……いや、そんだけで済ませていいのか? 簡単に直せそうにないくらい、結構ムチャクチャ壊れてたと思うんだけど」

『魔術師のやることは、時に我々の想像を超えるものだ』

「セイバーが言うなら、そうなんだろうけどさ……」

 

 微妙に納得できないまま、マイタケを戻して代わりにエリンギを袋に入れた。レタス、は平時より高い気がするので断念し、思ったより安かったトマトをいくつか袋に入れて会計を済ませる。

 

「あとは肉屋とー。卵も欲しいか」

 

 卵は確か新都のスーパーの方が安かった気もする。

 粗方買い物を済ませたら、自転車でも漕いで新都に向かうべきだろうか。

 

「つーか、しまった。橋の方覗いたついでに、スーパーまで行けば良かったんだ」

『スーパー?』

「買い物するとこだよ。あー、やっちまったなぁ。めんどくせえ」

『貴殿はすでにここで買い物をしていると思うのだが……?』

「あー、そうなんだけどそうじゃなくて」

 

 なんと言って説明すべきなのだろうか。

 セイバーは見るからに戦士であって主婦ではないし、一円でも安くあげたい九条の心情なんて話しても理解してくれるかどうか。そもそも『英雄』なんて呼ばれる人種が、現代人と同じ金銭感覚を持っているのかも怪しい。

 

 卵は諦めてこちらで買うかな、なんて九条が思い始めた時だった。

 

『気を付けろマスター。サーヴァントの気配だ』

 

 緊張をともなったセイバーの声に身を硬くする。

 直後、九条の視線が見知った人影を捉えた。

 

「あ、いつは……」

 

 遠目でもわかる燃えるような赤い髪。すらりとした長身を、黒のスラックスと白いシャツで包み込んだ美丈夫。

 衣装こそ違っているが間違いない。アレは昨夜、九条を手に掛けようとしたサーヴァントだ。

 

「ライダー……!」

 

 身体が震える。自分の喉が干上がるのを感じた。

 一度殺されかけたのだからそれも当然のこと。

 

 それでも恐怖は三割減だ。

 今は傍らにセイバーがいてくれる。

 

『そうか。アレがライダーか』

「ああ。どうする、セイバー?」

『人目もある。ここで仕掛けるのは得策ではないな』

 

 そう言われて、思わず周囲を見渡す。

 老若男女問わず、商店街の人通りは多い。さすがは天下の日曜日だ。

 こんな中で戦いを仕掛けようものなら、いったい何人の人間が犠牲になるか知れたものではない。

 

 だが、幸いにも向こうはこちらに気付いていないらしい。

 何を話しているのか。ライダーは、一軒の店の前で、店員らしき人物と親しげに会話している。

 遠目なのではっきりと断言はできないが、アレは確か大判焼きの店ではなかっただろうか。サーヴァントが立つにはあまりにも不似合いな場所である。

 とにかく向こうが気付いていないのなら、今のうちに距離をとって向こうに気付かれない位置から様子を伺うのがいいだろう。

 九条はそう思ったのだが。

 

『それに、奴は既にこちらに気付いている』

「え?」

 

 直後、セイバーの台詞を裏付けるように、店員との会話を切り上げたライダーが九条へと向きなおった。

 

「よぉ! 生きてたようで、なによりだ!」

 

 よく通る大きな声。

 通りを行く人々の注目を集めるのも構わず、赤毛のサーヴァントは片手を挙げて、気安げにこちらへと近づいてくる。

 

 九条は平凡な一般人だ。

 それでも、昨日一日で随分『敵意』だとか『殺意』だとかいうものにも慣れた。現在のライダーからは、そう言ったものは全く感じない。

 それでも反射的に後ずさりしそうな足を必死に留めて、九条はライダーを睨んだ。

 

「お前……」

「おー、怖い顔してんな。まあそう力むなって、楽にいこうぜ?」

 

 へらへらと笑うライダーは、九条の敵意なぞどこ吹く風だ。

 のれんに腕押し。この程度の敵意は、正真正銘、彼にとっては涼風と変わらないのかも知れない。

 

 とうとう九条の目の前まで近づいたライダーは、まるで友人に接するかのように九条の肩を叩くと、

 

「昼間は戦わねえから安心しろって。それよりちょっと話さねえか?」

 

 と切り出した。

 

 思いもよらない言葉に困惑する。

 九条と会話して、この男に何の得があるというのか。いや、それよりも昼間は戦わないという言葉は信用していいのか。

 

『どうする、マスター?』

 

 つい先ほどとは逆に、今度はセイバーが九条に問いかけてくる。

 

『私としては提案に乗るのも良いと思うが。上手くいけば、ライダーについて何かしらの情報を得られるかもしれん。

 いざ戦闘になったとしても、そのときには私がいる』

「……」

 

 念話でそう訴えるセイバーの言葉にしばし黙考して、九条はライダーの提案を受け入れることにした。

 

 もしライダーが会話だけで済ますつもりがなかったとしても、その時はその時だ。

 どの道、敵対サーヴァントは全て倒さなければならない。その一人目がライダーであったというだけの話だと、割り切ることにする。

 

「いいぜ。話そう」

「決まりだな。

 じゃあ、ちょいと場所を移そうぜ? サーヴァントとマスターの会話なんて、あんまり人目につかない方がいいだろ」

 

 

 

 

 

 

 

 新都にある高級ホテルの一室。

 普段よりも幾分遅くに目覚めたエヌマエル・ビューロウは、少しばかり重い身体を引きずって寝室を出た。

 

「おはようございます、師父」

 

 部屋に踏み入った瞬間に聞こえてくる挨拶。

 視線を向けると、そこには思った通り、弟子のレオン・モーガンがこちらに向けて一礼しているところだった。

 

「ああ、おはよう。……と、そのような時間でもないか。どうやら寝過ごしたらしい」

 

 挨拶を返しつつ、時計を確認して苦笑する。

 寝室に差し込む陽射しから、今が早朝でないとは思っていたが、もう正午近くである。自分は夜型だが、聖杯戦争中にコレでは、弟子に気が弛んでいると思われても仕方がない。

 

 が、弟子はその辺りのことには一切触れず、食事の手配が必要かの問いを投げかけてきた。

 

「必要ならルームサービスか、私が何か購入してきますが」

「いや、それには及ばん。後で適当に見繕うことにする。それよりも、だ」

「はい」

「ライダーの姿が見えないが、今は霊体化しているのかね?」

「……いいえ」

 

 微妙に間を空けた返答に、やはり、と思う。

 基本的に昼間、ライダーがこの部屋にいることはない。ライダーは現界してからこっち、日中は気ままにどこかをほっつき歩いているらしいのだ。

 

「レオン。いくら戦いの中心が夜間だったとしてもだ、日中に戦いが起きないとも限らない。いざという時、サーヴァントがいなければ困るのは君だぞ」

「……はい」

「自分のサーヴァントの手綱くらいはキチンと握っておきなさい」

「面目ありません」

 

 とはいえ、この件に関してはエヌマエルもあまり弟子のことは言えない。エヌマエルが召喚したキャスターもまた、マスターのことは二の次で、昼間は陣地作成に夢中なのである。

 

 もっとも、キャスタークラスが勝ち残るためには陣地の強化は必須だし、ライダーと違ってキャスターはこのホテルの中にいる。意識すればほんの数十メートルの位置にキャスターの存在を感じ取れるのだ。

 もしも日中に敵襲があったとしても、これならいつでも呼び出せる。そのこともあり、エヌマエルはキャスターの行動に関しては目を瞑っていた。

 

(それに、必要以上に干渉して、刃向かわれたりしたら適わんからな)

 

 そもそも召喚しようとしていたセイバー(ジークフリート)ならいざ知らず、エヌマエルが召喚したキャスターに忠誠心など望めようハズもない。あるのは『聖杯を得る』という利害の一致だけだろう。

 

 せいぜい裏切られんように利用してやるさ、と内心で吐き捨てつつ、ようやく感じ始めた空腹に、エヌマエルはなにで腹を満たすかを考え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「まあ、なんだ。とりあえずコレ食うか?」

 

 商店街を少し歩くと、住宅街に出る。

 その中にある寂れた児童公園のベンチに腰掛け、ライダーはそう言った。

 

「なんだよ、それ」

「大判焼き。うめえぞ?」

 

 ほれ、と手に持っていた紙袋から、ライダーが大判焼きを取り出す。

 どうやら商店街で見たものは、見間違いではなかったらしい。こいつはサーヴァントのクセに、商店街で堂々と買い物をしていたのだ。

 

「……」

「んだよ。そんな警戒しなくても、毒なんて入ってねえって」

 

 違う。そうじゃない。

 微妙な気分になった九条に、ライダーが見当違いのフォローを入れる。

 

 とはいえ、敵サーヴァントと接触する時には、その辺りの心配もするべきなのか。

 毒殺の可能性を全く考慮していなかった九条は、自身の想像力の無さに少々愕然としながら大判焼きを受け取った。

 

「……」

「だから毒なんて入ってねえって。殺すならキッチリ突き殺すわ。

 つーか、受け取ったんだから食えよ」

 

 ったく。そう悪態を吐きながら、ライダーが大判焼きを口にする。

 途端、人のいない公園に大判焼きの甘い香りが広がった。

 

「……、」

 

 匂いというのは不思議なもので、甘いものがそれほど得意ではない九条にも、大判焼きが大変魅力的な品に見えてくる。目の前で美味そうに大判焼きを頬張っているライダーも、そのことに一役買っているのもしれない。

 

 手元の大判焼きとライダーを見比べていた九条は、やがて意を決して大判焼きにかぶりついた。

 温かい皮が破れ、口いっぱいに中の餡が溶けだしてくる。口内を満たす甘い香りと味を一息に飲み込んで、九条は口を開いた。

 

「ライダー、お前」

「な? うめえだろ?」

「美味いけど、そうじゃない。コレ、カスタードじゃないか!」

「?」

「信じられねえ! 大判焼きって言ったら、普通は粒あんだろうが!」

「そうなの?」

 

 はぐはぐ。

 そんな擬音が聞こえてきそうなほどマイペースに、ライダーは二つ目の大判焼きに手をかけていた。辺りに漂う香りから、これはチョコレートだと推察される。つくづく邪道である。

 

「……まあ、いい。それより話ってなんだよ?」

 

 大判焼きは粒あん派な九条は、言いたいことの大半を飲み込んで話を切り替えた。

 そうでもしなければ話が先に進まない。まさかライダーの用事が『一緒に大判焼き食べよう』なんて平和なものだけで終わるハズがない。

 

「別に。見かけたから声かけただけだ。用事らしい用事はないわなあ」

「は?」

 

 だが九条の意に反して、チョコレート味をぺろりと平らげたライダーはそんな言葉を口にした。

 

「いや。まあ、確認作業は兼ねてたか。アンタどうやら、ホントにマスターになったらしい」

 

 さっき、自分がマスターなのを否定しなかったろ? と付け足して笑う。

 

「あ」

 

 そう言われて、ようやく気が付いた。

 九条がセイバーを召喚したのは、工事現場から逃げ出した後だ。状況的に、九条がマスターになったことをライダーが知るハズはないのである。

 

「俺のマスターがそう言っててな。アンタ素人くさいし、半信半疑だったんだが……。殺されかかった相手にノコノコついてくるし、怯えよりも敵意のが大きいときた。

 ホレ、これは確定だろ?」

「……そうだ。昨日みたいにはいかないぞ」

 

 開き直って威嚇してみるものの、ライダーは楽しげに口元を歪ませるのみだった。

 

「そいつはいい。弱いものイジメは趣味じゃなくてな。

 昨日はああだったが、戦いになるんならその方がいいさ」

「よく言うよ。昨日は無抵抗の俺を殺そうとしたクセに」

「あ? そりゃ趣味じゃなくても仕事ならやるさ。

 大体、人目につかないことは大前提のルールだろうが。見られたからにはぶっ殺すしかないわな」

 

 あくまで軽い調子を崩さず、ライダーは言う。

 彼にとって殺人は、本当に言葉通り『やらねばならないのならやる』程度の認識なのだろう。

 人の姿をしているし、言葉だって通じるが、命に関する認識が九条とは絶望的に離れてしまっている。

 

「ま、それよりもだ。今はコイツだな。残りはチーズ、カスタード、シーチキンの三つ。アンタはどれがいい?」

「また絶妙なチョイスを……。その中ならカスタード」

「そうか」

 

 ほれ、と手渡された大判焼きを受け取る。

 九条は今更ながら、敵対サーヴァントと公園で大判焼きを頬張るマスターってどうなんだと思った。よくはわからないが、聖杯戦争ってこういうものじゃないだろう、とも。

 

 そんな九条の心情に気付かず、ライダーはシーチキンを手に取ると、九条の背後に向けて声をあげた。

 

「あまりもんで悪いが、そっちのアンタも一つどうだい? 中々、現代の食ってのはバカにできない美味さだぜ」

 

 思わず背後を振り返るが、そこには誰もいない。

 否、九条の目には見えていないだけで、その場所には確かにもう一人いるのだ。

 

「お前、セイバーが見えて……!?」

「お、やっぱセイバーか。見えててもクラスまではわからんからなー。兄ちゃんにベッタリだから、アンタのサーヴァントだろうとは思ってたが」

「……っ」

「そんなしくじったみたいな顔すんなよ。

 六騎揃った時点で、残った枠はセイバーしかなかったんだ。イレギュラーじゃなきゃ普通に知れる。これもただの確認作業さ」

 

 ライダーは軽く言ったが、もちろん九条としては納得できない。

 元々、ここには何かしらライダーの情報を得られるかもしれないと思って足を運んだのだ。

 それが蓋を開けてみればこの有様で、一方的にこちらの情報ばかりが抜き取られていく。状況だけ見れば、大判焼きで買収されているようなものである。

 

「私のマスターを、あまりいじめないで欲しいな」

 

 唇を噛む九条を見かねてか、九条とライダーとの間にセイバーが実体化した。

 長身のライダーよりもさらに大きいセイバーの登場に、しかしライダーは顔色一つ変えない。

 

「別にいじめちゃいねえよ。ただの確認作業だ、つったろ?」

 

 言いつつ、ライダーがシーチキン味の大判焼きを投げて寄越す。

 放物線を描いたそれを難なくキャッチすると、セイバーは躊躇なく口に含んだ。

 

「ん。たしかにコレは中々……」

「だろ?」

 

 へらりと笑って、ライダーはチーズ味を平らげた。

 

「それで、貴公の用向きは本当にこれだけなのか?」

「おう。つーか、そもそも用事はなかったな。知り合いに出会ったんで、声かけただけ」

「そうか。しかしサーヴァントが勝手な真似をして、貴公のマスターは何も言わないのか? 昼間に出歩いた挙げ句、敵マスターに接触するなど、どう考えても問題だろう」

「ご忠告どーも。けど、知ったこっちゃねえよ。雇い主の方針には従ってんだ。昼間の自由時間くらいは好きにやらせてもらう」

「なるほど。貴公の陣営は、戦いは完全に夜間と割り切っているのか」

「今のところはな。まあ、そっちから仕掛けてくる分には知らんが。

 どうする? ここはちょうど人気もねえし、いっちょ戦り合うかい?」

「いや、遠慮しておこう。いつか戦うことになるのなら、こんな場所よりも、お互いに気兼ねなく戦える状況の方が好ましい」

「違えねえ」

 

 それで何かが通じ合ったのか。二人のサーヴァントは、ニヤリと笑って会話を打ち切った。

 

「大判焼きもなくなったし、俺はそろそろ行くわ。ぶらぶらしてるよりは、まあ有意義な時間だったぜ」

 

 そう言って、ライダーが立ち上がる。

 彼は大判焼きが入っていた紙袋をくしゃくしゃと丸めると、公園の隅にあったゴミ箱へと投擲した。

 

「せっかく昨日を生き延びたんだ。せいぜい頑張って生き残れよ、兄ちゃん。

 それから、もし戦う気があるんなら夜にまた会おうぜ。今夜はこの辺りをぶらついてるからよ」

 

 その言葉とともにライダーは九条の肩を叩いて、そのまま公園を出て行ってしまった。

 

「あ」

 

 公園に残されたのは、終始ライダーにペースを握られ続けていた九条と、その従者だけ。

 あまりにもあっさりとした退場。

 それに呆然とする九条の視界の端で、投擲されたゴミが、寸分違わずゴミ箱に吸い込まれた。




九条レイジ:アレは確か大判焼きの店ではなかっただろうかサーヴァントが立つにはあまりにも不似合いな場所である.

青セイバー:まったくその通りですね!



※一か月で更新してしまった……!


 キャスターの真名特定余裕すぎる話。
 あとライダーはきっと逆ナンとかされたことある。
 アサシンのスキルは超解釈系。

とりあえずの目標は、目指せセイバーの宝具解放! です。


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一日目 炎牙封殺・混沌魔獣

「よう。きたか」

 

 マウント深山商店街。その通りの中心に一人の影。

 赤い髪と赤い瞳。控えめな装飾が施された青い軽鎧と、左腕に銀色の籠手。右手に緩く握るのは、槍としてはやや短めの鈍色の槍。

 

 騎兵の英霊。サーヴァント・ライダー。

 

 時刻は深夜十二時前。まさに日付が変わる直前だ。

 昼間の児童公園での宣言通り、ライダーは人気の絶えたこの場所に陣取っていた。

 

「誘っといてなんだが、素直に来てくれるとは思ってなかったぜ。セイバー」

「居場所が割れているのだ。挑まぬ手はあるまい? 勝ち残るつもりならば、どのみち全ての敵は倒さねばならん。ただ、遅いか早いかの違いだ」

 

 ライダーの言葉に、実体化しつつそう答える。

 右手に長剣。左手に刃付きの盾。闘志は十分。いつ戦闘が始まっても問題はない。

 

「いいね。そういうバカみてえなのは嫌いじゃねえ」

 

 にやり、と喜ばしげにライダーが口元を歪めた。ゆらりと槍の切っ先が持ち上がり、セイバーに照準される。

 それを受けて、セイバーの方もゆっくりと長剣を構えた。

 

「さあて、そんじゃあ……、最優のサーヴァントの実力ってヤツを拝ませてもらいますかねえッ!!」

 

 

 

 

 

 セイバーとライダー。二騎のサーヴァントの激突を遠目で確認しながら、九条は走った。

 商店街のほぼ中心で戦いを始めた二騎は、徐々に町の西側────郊外の方へと移動している。夜も深い時間帯だとはいえ、誰かに見つかるかもしれないことを考えると、戦いの場所を移すのは妥当な判断か。

 とはいえ、単に移動だけでは済ませず、戦いながらという辺り、九条はどうかと思うのだが。

 

 そして今現在、九条は移動する二騎を追う形だ。

 走って、では到底無理なので自転車で。それでも放されていく一方なので、今度からはもっと別の移動手段を用意しようと真剣に思う。

 

「あー、クソッ! アイツら速すぎる!」

 

 悪態をつきつつ自転車を漕ぐ。前かごの中には双眼鏡が揺れていた。これは児童公園でライダーと接触し、今夜戦いに赴くと決めた時に購入したものだ。

 

 戦闘能力のない九条が、セイバーとともに戦場に赴くのは無理がある。サーヴァント同士の戦いに巻き込まれれば死ぬしかないだろうし、敵マスターとの戦いでもそれは同様だろう。

 それはここに来る前にセイバーに言われたことだ。

 だが、そんな有様でも九条はマスターだ。聖杯を欲しいと願ったのも九条なのだ。だから戦闘能力が無くても、敵を恐れていても、すべてをセイバーに任せきりにして、家に閉じこもってしまうのは違うと思ったのだ。

 

 戦えないことと、戦わないことは違う。

 戦闘力が無いなら無いなりの方法で、セイバーの役に立たなければならない。そしてそのための方法が、この双眼鏡だった。

 

 サーヴァントのマスターになった者に与えられる透視能力。一般人でしかなかった九条にも、その能力が与えられていることは、今朝のセイバーとのやり取りではっきりしている。

 ならば今、九条に出来るのは遠目からでも敵の能力を透視して、それをセイバーに伝えることだ。

 

「セイバー、アイツはお前よりも速い。スピードじゃなくてパワーで勝負しろ」

 

 息を切らせつつそう伝える。念話というものに未だ慣れない九条は、一々声に出さねば、セイバーに意志を伝えられない。声に出していてすら、本当にこの声がセイバーに届いているのか不安になるほどだ。

 それでも、セイバーの方がうまくやってくれているのだろう。程なくして『了解した』と短い返事があった。

 

 その頃になると、九条が追う二騎の姿はもうとっくに見えなくなってしまっていた。

 だがマスターになったおかげか、幸いセイバーが戦闘していることは感じ取れる。彼らが走っていった方向に意識を集中すれば、なんとなくの距離感を掴むことも可能だった。時間はかかるかも知れないだろうが、これならいつかは追いつける。

 

 自らの従者に追いつくため、学生時代以来の全力立ち漕ぎで、九条は夜の深山町を疾走するのだった。

 

 

 

 

 

 

 短槍と長剣がかち合い火花を散らす。

 直後、長剣の刀身から尋常ではない魔力が放出された。

 

「ぐっ!?」

 

 槍を通じて身体の芯まで魔力を叩き込まれる感覚。苦悶の声を漏らしつつ後退。追いすがるセイバーを槍で牽制して距離を測る。

 が、こちらへと猛進するセイバーは止まることを知らない。槍を盾で受け流し、勢いそのままにライダーへと長剣を振りかぶる。

 

「ハッ!」

「なろっ!」

 

 長剣を握るセイバーの右腕。

 咄嗟にそれを蹴りつけて斬撃の軌道を逸らす。

 ライダーの代わりに路面を捉えた長剣は、舗装されたアスファルトをまるで水しぶきのように打ち上げた。

 攻撃を外したせいか、セイバーの動きが僅かに鈍る。その隙を逃すライダーではない。

 置きみやげ代わりに数撃見舞うと、セイバーの体勢が整う直前に大きく後退した。

 

「ったく、馬鹿みてえに突っ込んできやがって。猪とか牛とか、そういう類のケモノかテメエは」

 

 息を整えつつそう言う。

 

 何度ライダーの槍に阻まれようと、愚直なまでに接近し剣を叩き込もうとする戦法。

 無論、ライダーを長剣の射程に捉えるには接近するしかないのだが、それにしたって真っ正面から挑みすぎだと思う。少々の傷は度外視して突っ込んでくる姿は、セイバーのクラスというよりはバーサーカークラスのそれに近い。

 実際、ここに来るまでにライダーが負った傷は一つもなく、対照的にセイバーの方には細かな傷が増えていた。

 

 とはいえ、

 

「猪や牛、か。……それは誉め言葉として受け取っておこう」

 

 などとフザケた応えを返すセイバーには、焦りというものが見受けられない。声色にも、表情にも、見た限り体力面でも随分な余裕を残しているといった感じだ。

 そしてそんなセイバーの態度の通り、余裕がないのは、むしろライダーの側であった。

 

 確かにセイバーの戦い方は獣的だ。

 だが強い。

 何度か武器を打ち合わせてわかったことだが、セイバーとライダーとの間には大きな筋力差がある。セイバーの筋力は、恐らくはA判定かそれに準ずるものだろう。対するライダーの筋力はCランクだ。

 ここまで筋力値に差ががあると、まともな鍔迫り合いは、まず発生しない。真っ正直に武器を打ち合わせれば、そのまま力で押し切られてしまう。

 

 そうなると、ライダーとしては筋力値以外のステータスで勝負するしかない。

 それ故に足────速さによる間合いの調整と手数で勝負をかけていたのだが、傷を度外視したセイバーの強引な突撃の前に、思うように距離を離せない。手数の方にも長剣と盾による()()()でしっかりと対応し、致命的な傷だけは避けてくる。

 

(それに加えて、随分と()()()()を使う……)

 

 セイバーの握る長剣。

 ここまでの戦闘で幾度となくライダーの槍を弾き、槍に弾かれたそれは、傷一つないライダーに甚大なダメージを与えていた。如何なる仕掛けか、刃が触れる都度、あの長剣からは膨大な魔力が叩きつけられるのである。

 まるで炸裂弾。

 『相方』からの情報では、セイバーには『魔力放出スキル』があるとのことだった。が、これはそんなものではない、とライダーは思う。セイバー自身の持つ『魔力放出』ならば、長剣だけでなく盾、もっと言うならばセイバー自身の身体からも魔力を叩き込めていいハズなのである。

 にもかかわらず、ここまでのセイバーの攻勢にはその気配は全くなかった。

 思うにこれは、セイバーのスキルではなく、あの長剣の持つ能力。『魔力放出スキル』を持つ剣とでも言うべきだろうか。剣士(セイバー)のクラスだけあって、あの長剣が宝具と見てまず間違いない。

 『真名』を唱えた様子はなかったから、恐らくは利器型に分類される宝具。真名開放型ほどの派手さはないが、少ない魔力消費で確実に戦闘を有利に運ぶ優秀な宝具タイプと言える。

 

 最高クラスの筋力と、その攻撃力を後押しする宝具。ライダークラスの耐久であれば、下手をすれば一撃で倒されてしまうかもしれない攻撃性能だ。

 故にライダーは距離を測り続けるしかない。

 そしてそんなライダーを捉えるべく、セイバーは多少強引にでも攻めかかってくる。ここまでの戦闘はその繰り返しだ。

 

 足の速さでは適わない。だが、力の強さでは負けない。

 セイバーの戦法はそういった、自分の強さと弱さを割り切った戦い方なのである。

 

「ケモノ扱いが誉め言葉とか、頭沸いてんのかテメエ」

 

 セイバーの軽口に返す言葉にも余裕がない。

 

 自分の強さを知り、どうすれば有利な展開に持ち込むことができるのかを理解している敵、というものはとてつもなく厄介だ。持てる力をその展開の為だけに使う。余計なことに意識を割かない分、付け入る隙がないと言っていい。

 

 ライダーとしては、セイバーがこちらの動きに合わせた戦い方をしてくれた方がまだ戦いやすいのだ。

 長剣と刃付きの盾。リーチも形状も全く違う武器を同時に使う以上、小手先の器用さも持ち合わせているだろうに。セイバーは幾度阻まれても頑なに戦法を変えようとしない。

 

「なに、それらのケモノは英雄を殺し、国を傾ける類のものだと思ったのだが。違ったかな?」

「あん? ああ、そういやそうか」

 

 切り込むタイミングを計りつつそう言ったセイバーに、ライダーの中の英雄としての知識が反応する。

 

 カリュドンの猪。

 ミノスの牡牛。

 

 有名どころではこの辺りか。

 確かに猪やら牛やらは、怪物並みに人様に迷惑をかける類のケモノである。奴らのしてきたことを考えれば、セイバーに向けた言葉も一応は誉め言葉になりえる。……のだろうか?

 そもそもライダーとセイバーでは出身が違うのだし、同じケモノでも連想するものは違っていたかもしれない。

 猪。牛。と聞いて、彼が真っ先になにを連想したのかがわかれば、セイバーがどこの英雄かも知れそうなものである。

 

「……ああ、クソ。現実逃避してんな、俺」

 

 そう吐き捨て、軽く頭を抱えた。

 今の思考は、完全に余計なものだ。セイバーの正体を知ることは大事だが、ライダーにとっては現状を打破することの方がもっと重要なことのハズである。

 なにせ正体を知ったとて、このままの状況が続くなら、恐らくライダーは倒されてしまう。目前にある脅威を放置して、別のことに思考を傾けるなど、これが現実逃避でなくてなんだと言うのか。

 

 ふう、と一つ息を吐き出して覚悟を決めた。

 

「やれやれ。このまんまじゃ、負けちまうな」

 

 その言葉にセイバーが怪訝な顔をする。自らの敵が、あっさりと敗北を認めたことが意外といった様子だ。

 それはそうだろう。ライダー自身、こんなにも早く通常戦闘に限界を感じるとは思わなかった。

 

「負けを認めるのか?」

「まあな。腹立つことに、今はテメエの方がどう考えても強い」

「ならば────、」

「だからよ。使()()()()()()()

 

 言い掛けたセイバーの言葉を遮って、ライダーは左腕を掲げた。

 途端、頑なに距離を詰めようとしていたセイバーが、それまでとは逆に距離を離す。

 

「宝具か!」

「使わねえで負けたとか、みっともねえ真似はできねえんでな。出し惜しみは無しだ」

 

 宝具。

 英雄の持つ切り札にして、シンボルとも呼べるもの。

 その名を明かせば、正体を特定されかねない諸刃の剣。

 

 それでも、このまま負けてしまうよりはずっといい。優先順位を間違えて無様をさらす気は、ライダーにはさらさらない。

 

 故に、ライダーは躊躇なくその真名を紡ぎあげた。

 

「いくぜ。炎牙封殺(ブレイカー)混沌魔獣(カオスビースト)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の冬木教会。

 人気の絶え、明かりの落とされた礼拝堂に、一人の男がいた。

 年の頃は三十代前半といったところか。神父服に身を包んだ長身の男だ。

 

 男はじっと動かず、熱心に祈りを捧げ続けているようだった。

 

「おや? 旅人よ、こんな夜更けに我が教会に何のご用ですかな?」

 

 礼拝堂の様子を見に来たノエルは、その男の背後から静かに問いかけた。

 

 ノエルの声に、男が振り返る。

 彫りの深いその顔。意志の強そうなグレーの瞳と目があった。

 

「見ての通り、主へと祈りを捧げていた」

「このような時間にですか?」

「主の懐は広い。どのような時間であれ、祈りは受け止められるだろうさ」

「……それは、そうかもしれませんね」

 

 男の台詞に、少しばかり言葉を濁す。

 人々の祈りに応えてくれるかはともかくとして、どのような時でも祈りを受け止めることはしてくれる。彼の存在に対しては、ノエルも男と同じような認識だ。

 

「それよりも。『旅人』とはどういう意味だ? オレがこの街に来てからそれなりに経つと思うが」

「ちょっとしたジョークです。

 というか、一度はスルーしたことを後で蒸し返すのは止めてください。マジ恥ずかしいので」

「そうか」

 

 質問してきたクセに、こちらの回答をさして気にした様子もなく流す。とはいえ、『恥ずかしい』と言いつつ、自分もまた表情にはさしたる変化もないだろうことは自覚している。

 ある意味で似た者同士か、と思考して微妙な気分になった。

 

「どうした?」

「別に、何も。

 それよりも、ここに来た本当の理由を教えてくださいますか」

「先ほど言った通りだが」

「わかりました。では質問の仕方を変えます。主に祈りを捧げる他に、何か用事があってここまで来たのではないですか?」

「……」

 

 男が黙る。図星と見て間違いないだろう。

 そもそも、この男がここに現れた以上、他に用事がなければおかしい。

 

「冬木教会は不可侵領域です。そして教会を預かる監督役は中立でなければなりません」

「だろうな」

「それを踏まえた上で、もう一度問いましょう。この冬木教会にいったいなんのご用ですか、神父・テオドール」

 

 先ほどよりも、やや厳しめの声で問いかける。

 

 聖堂教会・第八秘蹟会所属、テオドール・デュラン。それがノエルの目の前にいる男の肩書きと名前であった。

 

 聖堂教会とは、とある一大宗教の裏側に存在する組織である。教義に反するモノを異端として葬り去る、一般人には知るよしもない影の存在。

 第八秘蹟会とはその中でも特に『聖遺物の管理・回収』を行う部門である。

 そんな組織・部門に所属する男が、聖杯戦争期間中の冬木市に現れた。彼の目的が聖杯であることは明白である。

 

 だが、それはいい。『聖杯回収』を命じられた教会員が冬木に派遣されるのは何もおかしくはない。実際に()()()()()()()()()だ。

 

 だからこその問いかけである。

 教会からの派遣員としてや、個人として教会に用向きがあるのならば問題はない。

 問題があるとすればそれは、()()()()の用向きがあった時。

 

「個人的な用があるのなら、出来れば日中にお願いします。聖堂教会絡みの用向きならば、今ここで伺いましょう」

 

 テオドールが冬木教会を訪れたのは、今回で二度目。ノエルとの顔合わせも二度目となる。

 一月ほど前に行った、一度目の顔合わせは簡単な挨拶だけで終了し、特に問題も起こらなかった。

 だが、二回目である今回は別だ。彼の用向き如何では、ノエルは彼にそれなりの処分を行う必要がある。

 

 一呼吸おいて、ノエルはその言葉を口にした。

 

「サーヴァントのマスターとしてここを訪れたのなら、内容次第でペナルティを与えることになりますが?」

 

 教会を預かるシスターとしてではなく、聖杯戦争を見届ける監督役としての言葉。

 

 そう問題があるとすればそれは、テオドールがサーヴァントのマスターとして教会に訪れた場合だ。

 

 

 

 

 

 

 

「なに……?」

 

 セイバーは思わず怪訝な声をあげた。

 

 今、ライダーは間違いなく自らの宝具の真名を紡ぎ上げた。

 それはつまりライダーの宝具が『真名開放型』だということ。そして真名開放型の宝具は、文字通り『真名を唱える』ことをきっかけとして、その能力を発揮する。その効果は、大概の場合『利器型宝具』よりも絶大だ。

 にも関わらず、劇的な変化は起こらなかった。真名の解放とともにライダーの魔力が消費されたようではあったが、今のところセイバーに害を及ぼすようなことは何も起きていない。

 

 だが、セイバーが怪訝な声を漏らしたのは、それが理由ではなかった。

 

 劇的な変化は何も。即、こちらを脅かすような変化もなし。

 それでも、変化自体がなかったわけではない。

 

「溶けた……?」

 

 口を突いて出たその言葉。その言葉通り、ライダーの左腕が溶けた。

 否、左腕に装備されていた銀色の籠手が、まるで飴細工のように溶けて落ちたのである。

 ライダーの左腕をしたたり落ちるそれは、もはや籠手などではなく、ただの液体だ。元の形を想像も出来ないほどに変形して、ライダーの足下に銀の水溜まりを作る。

 

 真名解放直後に起こった籠手の変化。

 この籠手がライダーの宝具と見て間違いはない。

 

 だが、籠手を切り札にした英雄?

 そも、アレは本当に籠手か?

 真名解放によって形状が変化したというのなら、今の液体状のものが本来の姿なのではないか?

 だいたいアレはいったいなんなのだ?

 

 様々な疑念が沸いては消えていく。

 セイバーが当惑した理由はそれだ。

 今の形状から、どのような用途で使う宝具なのかまるで想像もつかない。

 

 そんなセイバーの警戒をよそに銀の籠手は完全に溶け落ち、その体積のすべてを銀色の水溜まりへと変えた。

 いや、『体積すべて』というのは語弊があるかもしれない。なにせ、水溜まりの大きさは、籠手一つを溶かした程度では作れないほどのものだ。察するに、小さなバスタブくらいなら余裕でいっぱいにできそうな量である。

 

「どうした、さっきみたいに攻めてこねえのかよ? 面食らうのもいいが、あんまり悠長に構えてっと……」

 

 言いつつ、ライダーの鈍色の槍が銀の水溜まりに触れた。

 直後、鈍色の槍は切っ先から銀色へと染まっていく。その変化に合わせて銀の水溜まりはその面積を減少させていった。

 

 ────籠手だったものが槍に吸い上げられている。

 

 その推察と同時、

 

「……死ぬぜ?」

 

 銀の水溜まりを飲み干した槍が、猛然とセイバーに襲いかかった。

 

「……!」

 

 銀の短槍。

 切っ先がかすんで見えるほどの突き込みを、咄嗟に盾で受け流す。

 そのまま一歩踏み込んで、長剣での反撃。

 ……は、引き戻された槍に阻まれた。剣圧に押されたライダーが後退する。

 開いた距離を詰めるべく、セイバーはさらに前へと踏み込んだ。

 

 ここまでの展開は、先ほどまでと同じ。

 このまま同じことを続けるのなら、ここからの展開もさほど変わらない。間合いを広げようとするライダー相手に、セイバーがひたすら間合いを詰めるだけ。

 

 

 だが、宝具を解放した以上、そんな間抜けな展開で終わるハズもない。

 

 

 詰め寄るセイバーを前に、ライダーが槍を構えた。

 そのままセイバーに向かって横薙ぎに槍を振るう。

 

 間合いとしてはセイバーの長剣の外。さらに言えば、()()()()()()()()()。この攻撃は、届かない。

 

 ────目の前を通り過ぎるだけの槍をやり過ごして、引き戻しの隙に長剣を叩き込む。

 

 一秒未満で下したその決断はしかし、それと同速で却下させられた。

 

「ぐっ!?」

 

 思わず苦悶の声が漏れる。

 セイバーの眼前を通り過ぎるハズだった槍は、なぜかセイバーの顔の真横にあった。

 咄嗟に差し込んだ長剣が間に合っていなければ、今頃セイバーの顔は綺麗に吹き飛ばされていただろう。

 

「チッ、防いだか」

 

 舌打ちとともに、ライダーが槍を引き戻す。

 僅かに後退しつつ、今度は連続突き。

 こちらの手数を上回る突きを、剣と盾の両方を使って対応する。

 

 そうして要所を守りながら、思い返すのは先の薙ぎ払い。

 

(目測を、誤った……?)

 

 単純に考えればそれだ。

 だがセイバーとて英霊の端くれ。生死のかかった戦いで、間合いを見誤ることなどそうは考えられない。

 

 だとすれば、これがライダーの宝具の能力か。

 

「武器の射程を伸ばす能力、か」

「かもな」

 

 余裕の表情で返すライダーとの間合いは、やはり宝具解放前と比べて一歩分────いや二歩分ほど離れている。

 

 その確認の直後、ライダーがさらに間合いを離した。

 にも関わらず、ライダーの槍は問題なくセイバーへと到達し続ける。

 やはり見間違いなどではない。ライダーの槍は間違いなく伸長している。短槍の射程は、今や長槍といっても差し支えないほどだ。

 

「むぅ!」

 

 間断なく襲いかかる槍を捌きながら唸る。思うように距離を詰められない。

 

 射程の変化に伴って、ライダーの戦法も変化していた。

 足の速さと絶妙な間合いを使った突き主体の戦法から、長大な射程を活かし、向かってくる敵を払う迎撃主体の戦法へと。

 

 槍使いの常道とも言える戦法は、基本的であり剣士に対して効果的だ。なんといってもリーチが違いすぎる。

 セイバーとしては何とか距離を詰めたいところだったが、迂闊に懐に飛び込ませるほどライダーも甘くない。

 優先順位が、傷を負わせることよりも、近づけさせないことに切り替わっている。今まで通り、多少の傷は無視するにしても、うまくいかなければ払われてまた距離を離されるだけだ。

 

「ハッ、随分苦しそうだな!」

 

 吼えるライダーの槍が、次第に回転数を上げてゆく。リーチが伸びているにも関わらず、ライダーの攻撃速度はまるで衰えを見せない。

 加えて、信じられないことに槍のリーチは伸び続けている。一撃ごとジリジリと下がるライダーとの距離は、すでに宝具解放前の三倍ほどだ。

 伸びしろの限界が見えない槍もさることながら、それだけ長大になった獲物をなんの問題もなく振り回す技量に感嘆する。

 

「この技量……! ランサーでも通用するだろうに!」

「そいつはどうも。けど、俺は槍使いじゃねえんで……、なッ!」

「ぐっ!?」

 

 連続する薙ぎ払いの中、唐突に差し込まれた突きをなんとか盾で受け止める。

 十分な速度の乗った突きは、防御の上からでもセイバーに衝撃を与え、両者の距離をさらに開いた。

 

「そうらッ!」

 

 僅かに体勢の乱れたセイバーの、その首を刈り取る軌道で槍が振るわれる。

 咄嗟に身を伏せ回避。銀閃は、セイバーの髪を数本引きちぎっただけに終わった。

 攻撃を外したライダーがすぐさま追撃にかかる。

 振り下ろした槍を、直前の軌道をなぞるように振り上げ、再びセイバーの首へ。

 

 それを、

 

「ここだ!」

「何ッ!?」

 

 剣と盾の両方を使って、力業で地面へと押さえ込んだ。

 

「テメエ……」

 

 地面と武器との間に挟まれた槍は、そこから抜け出そうとするもののビクともしない。そういう力のかけ方を、セイバーはしている。

 武器を押さえつけたままジリジリとライダーに接近する。伸びる槍は確かに厄介だが、そもそも振るわせなければ問題ない。このまま間合いに入ることさえ出来れば、勝ちの目も見えてくる。

 

「……とか、思ったか?」

「なに……?」

 

 不穏な言葉の直後だった。

 セイバーの武器をすり抜けるようにして、銀の槍がセイバーの肩を強かに打つ。

 痛みと混乱の中、セイバーは反射的に距離を取った。何が起こったのかはわからないが、わからないまま今の位置ではやられる。

 

「なっ!?」

 

 後ろに下がりながらセイバーの目が捉えたのは、まるで蛇のようにしなる銀の槍。否、これでは槍というよりも鞭だ。

 

「言ったろ? 槍使いじゃねえ、ってな!」

 

 縦横無尽に動き回る銀色の鞭が、後退するセイバーに容赦なく襲いかかる。

 なるほど。セイバーの武器をすり抜けてきたのは、この柔軟さか。確かにこれほどの柔軟さなら、押さえつけておくことは不可能だろう。

 ライダーの宝具の能力は、どうやら『武器のリーチを伸ばす』ことではなく『武器の変形』にあるらしい。

 銀の嵐を捌きながら、そう思考して、そしてこのままでは勝てないと悟った。

 

 槍の軌道ならともかく、これほど自在に軌道が変わる鞭では防ぎきれない。セイバー自身、防戦がそれほど得意ではないことと、こちらの反撃が届かない距離なことも相まって、時間かければかけるほど不利になるのは明白だった。

 

(やるしか、ないか)

 

 こちらが死ぬ前に、全力の一刀を以て斬り伏せる。

 当たり前といえば当たり前の行動に、全力を傾ける決意を固めた。

 

「いくぞ、ライダーッ!!」

「!」

 

 左腕の盾を思い切り投擲する。

 剣と盾の両方を使ってすら防げぬライダーの鞭。当然、盾の守りを失ったセイバーでは対応できない。盾を失った左半身を、ライダーの鞭が強かに打ち据える。

 

 血肉が飛び散り、痛みで視界が明滅した。

 

 先ほどまでのかすり傷とは訳が違う。正直バカに出来ない損傷だ。

 だが、ここで倒れる訳にはいかない。倒れそうになる身体をぐっと堪え、前へ。

 

 前方ではライダーが再び鞭を振り下ろすところだった。

 対象はセイバーではなく、セイバーが投擲した盾だ。

 

 そう。セイバーがライダーに近づけるタイミングがあるとすればここだけ。

 

「うおおおおおぉぉぉぉぉッ!!」

 

 獅子吼を上げてライダーへと肉薄する。

 刃付きの盾が銀の鞭に絡め取られて落ちた。

 だが盾は、ライダーへと接近する隙を作る、という役目を全うした。後はセイバーが剣を叩き込むだけ。

 

 盾を弾いたライダーがセイバーの迎撃体勢へと入る。

 蛇のようにうねる鞭が、目を見張るほどの速さでセイバーへ襲いかかった。盾と同じくセイバーを弾くためのカウンター。

 

 セイバーの長剣か。

 ライダーの鞭か。

 ほぼ同時にお互いの身体へとぶち込まれる攻撃は、しかし、

 

 

「ダメだ! ()()()、セイバーッ!!」

 

 

 意志をもって紡がれた声で中断した。

 

「!?」

 

 膨大な魔力の奔流と同時、セイバーの意志とは無関係に身体が動き、ライダーの目前で横合いに転がっていく。二転、三転と転がり立ち上がった時には、すでに長剣の間合いから随分と離れてしまっていた。

 

 今の声は、セイバーのマスターのものだ。商店街からここまで、どうにか追いかけてきたらしい。

 そして確認するまでもなく、たった今、彼は令呪を使った。サーヴァントのマスターにのみ許された、たった三回の絶対命令権。その一画を、セイバーの攻撃を中断させるために使い捨てたのだ。

 

 だが、咄嗟に喉まで出掛かった文句は、ライダーの姿を見てそのまま消えた。

 

「チッ、邪魔が入ったか」

 

 言い捨てるライダーの目前。ほんの少し前までセイバーが立っていた地点が銀色の針で埋め尽くされている。

 果たして剣山という表現で足りるかどうか。

 足下はおろか、前後左右から無数に伸びる銀の針は、遠目に見る分には美しい花のようにも見える。

 だが、実際にその凶器を向けられた者としては、嫌な汗しか浮かばなかった。あのままライダーを攻撃していれば、今頃あの銀の針に蜂の巣にされていたハズだ。

 

 令呪を使われなければ、死んでいた。

 

 その事実に、生唾を飲み込む。

 そんなセイバーの前で、銀の剣山はどろりと形を崩した。無数の針から一転、銀色の水溜まりに。既知の光景に目を見張る。

 

「その宝具。変形だけでなく、分裂も出来るのか……」

 

 ライダーの足下に出来た銀の水溜まりは、ライダーの持つ武器が今の形になる前に見たものと同じものだった。これもまた、ライダーの宝具の一部とみて間違いない。

 

 とすれば、ライダーの宝具の能力は伸縮、硬化、柔軟といった『変形』の能力の他に『分裂』の機能を備えていることになる。

 

 おそらく鞭でセイバーを打ちつつ、接近された時のために自身の足下にいくつか分裂させていたのだろう。鞭で打ち殺せれば良し。殺せなければ、近づいたところを四方から刺し殺す、といったところか。

 

 変形能力も厄介だが、分裂能力も十二分に厄介だ。目の前で獲物を振りつつ、背後から奇襲をかけられる辺り、事前情報がなければ必殺に近い。

 そもそも、最初のライダーの挙動から、あの宝具が武器に装着しなくても使えるとは思わなかった。その点も鑑みれば、戦いの運び方について完全に負けていたと認めざるを得ない。

 

「あーあ。分裂を見せた以上、今ので殺しときたかったんだがなぁ」

 

 そう言ってライダーが鞭と水溜まりを触れあわせると、いつか見たように水溜まりは鞭に吸い上げられて消えた。

 

「マスターに救われたな、セイバー。素人だと思ってたが、中々。令呪の使いどころを間違わない辺り、アンタのマスター優秀だぜ?」

「……そのようだ。

 すまない。助かった、マスター」

 

 前半部分をライダーに、後半をマスターに向けて口を開く。

 セイバーとライダーから少し離れた地点に追いついていた九条は、肩で息をしながら、こちらと自身の右手とを見比べていた。

 彼の令呪は右手にあったハズだ。自分でも無意識に使用して戸惑っているか、貴重な一画を早々に使い潰して後悔しているかのどちらかだろう。

 だが、あの場で彼が令呪を使わなければ間違いなくセイバーは脱落していたのだ。令呪を惜しむ気持ちがないとは言えないが、彼の使用は的確だった。責められるとすれば、令呪を使わざるを得ない状況に持ち込ませたセイバー自身である。

 

「令呪を使わせてしまったのは私の落ち度だが、おかげで貴公の宝具の能力も見れた。

 マスターも見ていることだし、ここから大逆転とさせてもらおう」

「ハッ! 強がるじゃねえか。確かにこっちの宝具はさらしたが、有利なのはまだ俺だ。このままテメエをぶっちぎって、最初の脱落者にしてやんよ」

 

 九条の手前、強がりを口にしたが、現状はライダーの言うとおりだ。彼の宝具能力が『変形・分裂』と分かったとしても、セイバーの不利は変わらない。

 それでも、能力を知っているのと知らないのとでは雲泥の違いだ。なにより、この程度の不利を覆せなくて何が剣の英霊か。

 曲がりなりにも最優と呼ばれるサーヴァントが、そう簡単に脱落していいハズがない。

 

 ぐっ、と剣を握りしめたセイバーの耳に、マスターの声が届く。

 

「セイバー! ライダーの宝具は一定の範囲内なら自由に変形と分裂ができる。打ち合うならなるべく弾け! ()()()()()()! それから剣の間合いで戦うなら、アイツの宝具に囲まれないようにもしないとまずい!」

 

 九条の言葉に、それまでこちらに顔を向けていたライダーが、目を見開き九条の方を振り返った。

 

「テメエ気付いて……。いや、そうか。元が素人でも今はマスターだ。()()()()ってことか」

 

 サーヴァントのマスターに与えられる透視能力は、文字通りサーヴァントの能力を暴く。

 もちろん、そのサーヴァントを一目見ただけで全ての能力を見通すことなど叶わないだろうが、目の前で能力の発動を見せられれば、それがどれほどのものかくらいは判断がつくようになるだろう。

 つまりライダーの宝具を間近で見た今、セイバーのマスターである九条は、セイバー以上にライダーの『炎牙封殺(ブレイカー)混沌魔獣(カオスビースト)』に対する理解があるかも知れない、ということだ。

 

「思ったよりマスターしてんじゃねえか。ウチのにも見習わせたいぜ、まったく。

 けどまあ、さっき言った通りだ。能力が割れようが、こっちの優位はまだ変わんねえぞ」

 

 身構えつつ、ライダーが言う。

 状況を見れば、どちらが押されていたかは明白だ。ライダーの言葉が正しいことくらい、セイバーのマスターもわかっているだろう。

 

 それでも。

 

「セイバーは、負けない」

 

 九条は、そんな言葉を口にした。

 

 それは信頼だろうか。願望だろうか。それとも他の何かだろうか。

 セイバーには彼が何を想っているのかはわからなかったが、彼が何を求めているのかはわかった。

 

 ここで負けないこと。

 勝つこと。

 聖杯を手に入れること。

 

 マスターがそれらを求めているのなら、サーヴァントとしてそれに応えなければ。なにより、彼が求めたものはセイバーも求めているものだ。

 

 こちらの宝具を解放してでも、ここを凌ぎきる。

 

 その覚悟と、その声は同時だった。

 

 

 

「やあやあ! 随分とおもしろいことをしているな。俺様も混ぜてもらおうか!」

 

 

 

 反射的に声の方角を見る。

 セイバーとライダーの睨み合いを中心として、九条とは対角線上にそれはいた。

 

 右手に長い三叉槍を握った、中性的な美貌の男。少し長めの金髪と、身体を覆う華美な鎧が特徴的だった。

 

「ランサー!」

 

 サーヴァント・ランサー。

 見間違えることなどあり得ない。セイバーを召喚したあの夜、九条はこの男とライダーとの戦いを目撃したせいで殺されかかったのだ。

 それに、マスターとしての透視能力が、あれは間違いなくサーヴァントだと告げていた。

 

 筋力B、耐久E、敏捷A、魔力C、幸運E。

 

 筋力と敏捷がかなり高いが、その反動か極端に耐久が低い。セイバーの攻撃力であれば、まともに一撃いれられればそのまま勝ててしまうかもしれない。

 

 だが、それは一対一の場面ならだ。

 ここにはもう一騎、ライダーがいる。二騎を同時に敵に回すようなことになれば、そのまま脱落してしまいかねない。

 それに、現状でもっともダメージを受けているのはセイバーだ。普通に考えて、三竦みの状況でまず最初に狙われるのは落としやすい敵だろう。

 だからこそ、迂闊には動けない。素人考えながら九条はそう思ったのだが。

 

「テメエ、何しにきやがった」

 

 ランサーとライダー。二騎を警戒して動けない九条たちをよそに、不愉快だ、といった様子を隠しもせずにライダーがランサーに問うた。

 対するランサーはニヤニヤしながらライダーの質問に応える。

 

「サーヴァント同士が出会ったのだ。目的なんぞ決まっていよう?

 それになライダー。貴様には昨夜語ったと思うが、俺様の目的は『倒すに値する英雄』を倒すことだ。そこなセイバーとは未だ戦っておらんのでな。俺様が裁定を下すまでに倒されてしまうのも、少しばかり面白くないのだよ」

「相変わらず高い位置からモノを言いやがって。じゃあ何か? テメエはセイバーを助けにきたってか?」

「いいや? 面白くはないが、貴様に倒されるならそれはそれで仕方ないとは思っている。

 だがまあ、サーヴァントは俺様自身の手で()()()倒したいというのも本音でな。本当なら戦い終わった貴様等を奇襲する手はずだったのだが、思わず出てきてしまった、という訳だ」

 

 漁夫の利を得るつもりだった、とランサーは言う。

 実際、セイバーとライダーが戦い終わってから乱入した方がランサー側にはメリットが大きかっただろう。

 そしてその場合、おそらく倒されていたのはセイバーだ。先のライダー戦を見る限り、仮にライダーに勝てていたとしても消耗は大きい。ランサーと連戦になればやられてしまっていただろう。

 

 だから、これはむしろチャンスなのだと思うことにする。

 少なくともライダーとの決着が着くまでにランサーが出てきたことで、生存の目はゼロではなくなった。どのサーヴァントも迂闊に動けないのなら、隙を見て逃げることもきっとできるハズだ。

 

 そう九条が思った矢先、ランサーの槍がぐるりとセイバーに照準され、そして────、

 

「そんな訳でな、貴様がどの程度やれるのかを確かめさせてもらおうッ!!」

「!」

 

 三つどもえになれば、どのサーヴァントも迂闊には動けない。

 

 そんな九条の思惑を裏切るように、槍の英霊はライダーには目もくれず、セイバーへと突進する。

 高い敏捷値は伊達ではない。九条が瞬きする間に、ランサーはセイバーとの距離をゼロにする。

 迷いのない突撃。そこから繰り出される流星のような突き。

 九条が警鐘を発するより先に交錯する二体のサーヴァント。

 

 故に、離れる時も一瞬だ。

 交錯の瞬間、何が起こったのかを九条の瞳では捉えきれなかった。だが、どちらが勝ったのかはわかる。

 突撃の勢いそのままに、ランサーが大きく吹き飛ばされたのだ。元の位置から動かず、剣を振り切って残心しているセイバーを見れば、ランサーが返り討ちにあったのだと自然と知れる。

 

 が、安堵の息を漏らす間もなく、次なる驚愕が九条を襲った。

 

「いい腕だ! だが、まだ足りんッ!!」

 

 吹き飛ばされたランサーが受け身を取り、再度セイバーへ突撃する。僅かに瞠目したセイバーが迎撃体勢へ。

 今度の交錯は、九条の目でもなんとか見えた。

 身を捻ったセイバーが槍をかわし、そのまま長剣の一撃。剣は吸い込まれるようにランサーの胸板に叩きつけられ、ランサーを大きく吹き飛ばす。

 

 そう。吹き飛ばす、だけ。

 ランサーは平然と、それが当然とでも言うように立ち上がってくる。

 

「嘘、だろ……」

 

 筋力値A相当のセイバーの攻撃を受けて、死なないどころか傷一つない。

 昨夜のキャスターも死にはしなかったが、何らかの痛ようは感じていたようだった。だが、このランサーにはそれすら感じられない。

 ニヤニヤと笑いながら「合格だ」などとフザケたことを口にする。

 

「貴様も俺様に仕止められる価値のある首だぞ、セイバーッ!!」

 

 驚愕の抜け切らぬセイバーに対し、三度目の突撃。

 雷光もかくや、という疾走は先の二回よりもさらに鋭い。これが最速のクラス。

 

 その、最速の英霊に銀の鞭が割ってはいる。

 

「テメエは何度、人の獲物に手を出しゃあ気が済むんだッ!!」

 

 鞭を操るライダーの絶叫。

 自在にうねる銀の鞭はさながら蛇か。ライダーの鞭は、長さと速さ、そしてその変幻自在さによって、最速の英霊を捉えようとする。

 

 鞭をかわすランサーの速度が僅かばかり鈍った。

 

 チャンスはここだ、と直感する。

 

「セイバーッ!」

「わかっている!」

 

 その言葉通り、セイバーはもはや二騎には目もくれなかった。

 あっと言う間に九条を抱き抱えると、激突する二体のサーヴァントを残して戦場から離脱する。

 

 セイバーの腕の中、九条が見たのは二騎のサーヴァントの攻撃が、お互いを貫くところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「チィ、痛ってぇな。ちくしょう」

 

 悪態を吐きつつ、貫かれたわき腹を押さえる。

 致命傷は避けたが大ダメージだ。こちらの宝具をかい潜りながらこれとは。尊大な態度は甚だ気に入らないが、サーヴァントとしてこのランサーは侮れない相手だと認識する。

 

 セイバーとそのマスターには逃げられたようだ。

 この場に集まったサーヴァントの中で、最も消耗が激しかったのはセイバーだ。二騎から狙われるかもしれない状況を見れば、それが正しい判断だろう。

 

 セイバーに逃げられたのは残念ではあったが、ライダーの中での優先順位はランサーの方が上だ。

 このサーヴァントに横槍を入れられるのは今夜で二度目。この先もこういったことをされては堪らない。

 

 故に、このサーヴァントは出来うる限り最速で倒す。

 

 とはいえ簡単にいかぬだろうこともわかっている。

 何せ、相手は『不死』のサーヴァントだ。

 英霊────過去に()()()()英雄である以上、弱点たる死因があるハズだが、現状ではそれがまるで見えてこない。

 加えて、不死性を除いた基本性能もライダーと同等かそれ以上。

 

 宝具展開後から『帰還しろ』と命令を送り続けているマスターは、ランサーが現れてからさらに喧しく念話を送っている。

 気持ちはわからなくはないが、正直鬱陶しい。

 黙ってろ、と念話を送り返して武器を強く握る。最低でも弱点くらいは暴いておかねば気が済まない。

 

「……?」

 

 と、登場からここまで、気にくわないニヤケ面をさらしていたランサーが真顔になっているのに気付いた。足を止め、傷の具合を確かめていたライダーに、追撃の一つどころか軽口一つ浴びせてこない。

 なにやら自分の左肩を凝視したまま、じっと立ち止まってしまっていた。

 

「貴様……」

 

 苛立ち、というよりはむしろ憎しみさえ滲ませた声色で、ランサーが口を開く。

 

「この俺様に、傷を……!」

 

 その言葉とともに、ランサーの左腕から血が滴り落ちた。

 その光景に思わず目を剥く。

 

 そう、血だ。

 アーチャーの矢を眉間にぶち込まれようが、セイバーの長剣を胸板に叩きつけられようが、傷一つなく、ましてや血の一滴たりとも流さなかったランサーが血を流しているのである。

 

 ライダーが受けた傷に比べれば、それこそかすり傷程度。幾多の戦場を駆けたであろう英雄にとっては、傷という認識にもなりはしない程度の傷。

 

 それでも、傷を負うのと負わないのとでは天と地ほどの差がある。

 傷を負う、ということは、このサーヴァントを殺せる、ということなのだ。

 

「貴様の宝具。それは不死殺しの……」

 

 今はライダーの短槍に収まっている銀の宝具。それを睨みつけながら、ランサーが言う。

 対し、ライダーは鼻で笑った。

 

「ハッ、こいつが、そんな大層な宝具に見えんのかよ?」

 

 そもそも、炎牙封殺・(ブレイカー・)混沌魔獣(カオスビースト)に不死殺しの能力があるのなら、昨夜の時点でランサー相手に使っている。

 この宝具にはそういう特性はないし、ライダー自身にも『不死を殺した』なんて逸話はない。

 よって、ライダーにとっては、どうしてランサーが傷ついたのかがわからない。運が良かった、程度のことしか理由が思い浮かばない。

 

 が、ランサーには思い当たる節があったらしい。自分の身体、もっと言えば、おそらくは彼の宝具に関わることだし、それも当然か。

 彼は自分の傷を見、三叉槍を見、続いてライダーを睨みつけ、

 

「では、そうか……。貴様ァ! 海神の眷属か!!」

 

 激情とともに声を荒げ、ランサーがライダーに向かって突進してくる。

 

「!?」

 

 否。突進しようとして、不自然な止まり方をした。

 

「くっ、令呪を……!? マスター風情が、俺様の戦いを邪魔立てするか!」

 

 虚空へと向かって、ランサーが吼える。

 どうやらマスターに令呪を使われたらしい。おそらく命令内容は『撤退しろ』という類のものだろう。ランサーのマスターは、ランサーを傷つけられるライダーの存在を危険だと判断したわけだ。

 それはつまり、先ほどランサーを傷つけられたのは偶然でも運でもないということ。

 ランサー自身の語ったことを参考にするのなら、ライダーが『海神の眷属』であることが大いに関わっているらしい。

 

 ともあれ、ライダーとしてはランサーを逃がすつもりなどない。

 今のままでもランサーの不死性を破れるというのなら、このサーヴァントはここで倒す。出来うる限り早めに、と先ほど決めたばかりだ。

 

「悪りぃが逃がす気はさらさらねえぞ」

「俺様とて逃げる気はさらさらないわ! だが、令呪の縛りがあっては満足に戦えもせん。仕切り直しはさせて貰う!」

 

 言うが早いか、ランサーが撤退に向けて逃走を開始した。

 ライダーもランサーを追うが、徐々に引き離されていく。

 さすがに最速のクラス。ライダーも足には自身があるが、単純な走力では追いつけない。

 

 だが、ここはまだ宝具の射程内だ。

 逃げるランサーの背に向けて槍を照準。走る速度は緩めないまま、一気に武器の射程を伸ばす。

 流星の如く伸びていく槍が、一息で離れていた距離を埋め尽くし、ランサーの背に突き刺さる。

 

 その直前であった。

 

 ランサーの逃走方向とは別の方角から、風切音とともにライダー目がけて何かが飛来する。

 これがただの物理攻撃であったなら、ライダーとて無視もしよう。だが、飛来物に微力でも魔力の気配を感じ取ったライダーは、咄嗟にそれを迎撃してしまった。

 

 結果、飛来物の迎撃に割いた一瞬の隙をつかれて、まんまとランサーには逃げられてしまう。槍兵の姿は、もうライダーには視認できない。

 たとえ視認できたとしても、すでに宝具の射程外だったろう。あの速度で逃げ続けられては、もう追撃はかけられまい。

 

「チッ、ランサーのマスターか? やってくれる」

 

 吐き捨てつつ、迎撃した飛来物に目を向ける。

 サーヴァントの膂力で容赦なく破壊されたそれは、元々は剣だったのだろう。バラバラになっていても、それに柄と刃があったことくらいは読みとれた。

 

 セイバー、ランサーと戦って脱落者はなし。

 こちらは宝具をさらし、向こうは令呪を一画ずつ消費した。

 悲観する結果ではなくとも、誇るような結果でもない。

 微妙に消化不良の気分のまま、ライダーもまた拠点へと足を向ける。

 

 今宵の戦いはここまで。

 次に会ったときランサーは殺す、と決めたライダーの脳内に『黒鍵……』と呟いたマスターの念話が響いた。




一日目終了時点

【セイバー陣営】残り令呪2
【ランサー陣営】残り令呪2
【アーチャー陣営】残り令呪3
【ライダー陣営】残り令呪3
【アサシン陣営】残り令呪3
【キャスター陣営】残り令呪3
【バーサーカー陣営】残り令呪3


※どいつもこいつも真名隠す気ない問題。
っていうか隔月とか言いながら、二ヶ月半以上かかってしまった。もし、お待ちいただいてる方がいたのなら申し訳ないです……。仕事、仕事が忙しいのが悪かったんや……。

と言いつつ、FGOやってますが。楽しいですね、グランドオーダー。
ヘラクレス使ってイリヤ気分を味わってます。バーサーカーは、強いね。

もし誰かフレンドになってくれる奇特な方がいらしたら、フレンドになってやってください。

あとなんていうか、早速ここのサーヴァントとFGOのサーヴァントがかぶりました。
まあ、ですよねー。という心境。
が、気にしない方向で一つ。この辺の問題については考えても仕方ないところあると思いますし。どうしてもこじつけるなら、別側面?
でも正直、うちのキャスターがあの感じで被るとは思ってなかった!

アサシン:被った!
キャスター:なんか被ったって言っていいのか微妙な被りかたした!
ライダー:あの魔獣、ボスクラスのお供につけちゃダメだろ!

この辺はまた、余裕ある時にでも活動報告に書こうかと思います。あとフレンドIDも。







【CLASS】セイバー
【真名】???
【マスター】九条 レイジ
【宝具】
『???』
ランク:C
種別:対人宝具
レンジ:1~4
最大補足:1人
 獅子の意匠が施された盾。
 装備中は装備者の対魔力をワンランクアップさせる。
 また、縁が刃となっており武器としても使用が可能。真名解放によりその切断力を向上させる。

『???』
ランク:C
種別:対人宝具
レンジ:1~2
最大補足:1人
 所有者の魔力を喰らうことで、刀身に魔力を帯びる長剣。
 刀身の魔力はインパクトの瞬間に放出され、斬撃の威力を上昇させる。いわば疑似的な『魔力放出スキル』を持つ剣。


【CLASS】ランサー
【真名】???
【マスター】???
【宝具】
『???』
ランク:B
種別:対人(自身)宝具
レンジ:ー
最大補足:1人
 あらゆる攻撃を無効化するランサーの肉体。 
 ただし海神系のルーツを持つ者には、この宝具の無敵性は発動しない。


【CLASS】ライダー
【真名】???
【マスター】レオン・モーガン
【クラス別スキル】
対魔力:D
騎乗:A+

【固有スキル】
神性:D(B)
 神霊適正を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。
 本来、ライダーは高い神霊適正を持つのだが、現在はランクダウンしている。

【宝具】
炎牙封殺・混沌魔獣(ブレイカー・カオスビースト)
ランク:C++
種別:対人宝具
レンジ:1~12
最大補足:1人
 意志を読みとる液体金属。
 普段は籠手として担い手の腕に装備されているが、真名解放で液体として解放され、敵に襲いかかる。担い手の意志に応じてあらゆる形状に変化させられる他、武器へと装着することで武器のレンジを調節することもできる。



※ところでここまで読んでくださった方の中で、前半はセイバーがライダーを押してたってことを覚えてる方がどれほどいらっしゃるだろうか……


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二日目 海の夢とハンバーガー

 冬木市を大きく東西に分断する未遠川。その川には、東西の住人がお互いに行き来できるよう大きな鉄橋がかかっている。

 冬木大橋。

 片側二車線。歩道と車道を別の段にすえた、赤い色が特徴的な鉄橋は、先日のサーヴァント戦の舞台となった場所だった。

 

 セイバーとアーチャー。その二騎相手に互角以上の戦いを見せたバーサーカー。

 三体の英霊がぶつかり合い、破壊の限りを尽くした鉄橋は、それは無惨なありさまであった。

 

 

 ────昨夜までは。

 

 

 それからおおよそ丸一日。現在の冬木大橋には破壊の痕跡すら見受けられない。

 人の往来が激しい日中になんの騒ぎもなかったことから、一日どころか夜明けまでのほんの数時間の間に橋の修復は完了したのであろう。

 

 その冬木大橋の車道に一人の女が立っていた。

 

 時刻は午前二時に差し掛かろうかというところ。深夜帯の鉄橋にはその女の影しかなく、その他には車はおろか人っ子一人見あたらない。

 

 女は、美しかった。

 

 鉄橋に吹き込む風に弄ばれて、女の肩までかかる金髪が揺れる。街灯に照らされ浮かぶシルエットは、服の上からでも艶めかしい曲線を描いているのがわかった。

 

 女が一歩踏み出す。

 だが向かう先は新都と深山町のどちらでもなかった。踏み出したのは欄干側。つまり橋を渡ろうとするのではなく、川に向かって一歩踏み出したのである。

 そのままふらふらと欄干に到達した女が、川をのぞき込む。

 夜明け前の未遠川は暗く、黒く、底など到底見渡せそうもない。川というよりも、闇そのものといっていい暗さであった。

 

 女の目が細められる。睨むというよりは、なにか懐かしいものを見るかのように優しげに。

 

 やがて女は深く息を吐き出し、次の瞬間、欄干をよじ登って、そのまま宙に身を踊らせた。欄干を蹴った彼女が、重力に従って川へと吸い込まれていく。

 

 一人の目撃者ないまま橋から飛び降りた女は、やはり一人の目撃者もないまま闇の中へと消える。

 

 ざぶり、と人が落ちる水音だけが後に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海が好きだった。

 

 朝日を反射して煌めく海が。

 

 晴れ渡った日に、どこまでも見渡せそうな広い海が。

 

 夕暮れ時に、空と同じ色に染まった海が。

 

 静かな夜に、波の音を聞かせてくれる海が。

 

 

 海が好きだったのだ。

 

 

 海岸線を歩くのは日課だった。

 晴れていれば良し。

 曇っていても良し。

 雨が降っても良し。

 さすがに嵐の日はまいってしまったけれど、普段見ている穏やかな表情以外を知れる気がして、無理して何度か歩いたこともあった。

 

 

 それぐらい海が好きで、けれどもう、今はわからなくなってしまった。

 

 

 何故、自分だったのか。

 暴威。

 暴力。

 理不尽。

 訳の分からないうちに受けたのは、そういう仕打ちで。

 

 きっとその時に人間としての『私』は死んで、英雄としての『俺様』は完成した。

 

 

 

 

 ────欠けた夢を見た。

 

 

 

 

 薄暗い拠点の中で目を覚ます。

 睡眠時間は二時間といったところか。

 

 浅く息を吐いて、自身の身体状況を把握。次いで周辺状況に異常がないかを把握し、身を起こす。

 体感での睡眠時間は、やはり正しかったらしい。

 拠点の外はまだ暗く、空には星が瞬いている。日付こそ変わっているものの、未だ深夜と言っていい時間帯だ。

 

「ランサー。そこにいるな?」

 

 自分の従者にそう声をかけると、ほどなくして暗がりの中から一人の男が現れた。

 

「ああいるとも。マスターの守護はサーヴァントの役目だからな」

 

 サーヴァントとして殊勝な言葉を紡いだのは、華美な装飾の施された鎧に身を包んだ、中性的な美貌の青年。

 サーヴァント・ランサー。

 つい数時間前、セイバーとライダーの一騎打ちに割って入ったサーヴァントその人である。

 

 その彼の顔は、発した言葉の内容とは裏腹に、不満げに歪んでいた。

 

「……先ほどの撤退。まだ引きずっているのか」

「当然だ」

 

 間髪いれずに返された答えに、思わずため息が漏れる。想像通りといえば想像通りの反応だ。

 それほど長い時間を共にした訳でもないが、このランサーの性格はなんとなくわかってきた。

 

「召喚された直後にも言ったが、俺様の望みは『倒す価値のある敵をすべて殺して聖杯を穫る』ことだ。

 あのライダーの首には、俺様に倒される価値がある。それを……」

「知っている。

 だが、こちらも言ったな。オレの望みは『確実に聖杯を確保する』ことだ。そのために危険度の高い相手は避けるべきだと判断した」

「俺様が奴に遅れをとると?」

 

 ランサーの身に纏う空気が変わる。

 こちらの言葉にプライドを傷つけられたらしい。返答次第ではマスターであろうと許さぬと、言葉はなくともその気配が告げている。

 

 対し、こちらは特に気負わずに正直なところを口にした。

 

()()()

 

 ランサーの整った眉が、訝しげに寄せられる。

 

「お前とライダー。どちらが格上なのかは、オレなどより戦ったお前が一番わかっているだろう。

 だが、奴はお前に傷をつけられる。戦闘を避けるには十分な理由だ」

「その程度のことで戦闘を避けるか。

 随分と臆病なマスターもいたものだな。ええ? テオドール?」

「なんとでも。

 お前の最大の武器はその『無敵性』だ。それを無効化されれば強みを失う。こちらの強みを捨ててまで、奴に付き合う義理はない」

 

 ライダーの相手はバーサーカー辺りにでもさせておけばいい、と付け加えてテオドールは手を振った。この話題はこれでおしまい、という意思表示だ。

 

 が、やはりと言うべきか。ランサーの方はそれではおさまりがつかないらしい。

 とうとう槍まで持ち出して、彼はテオドールへと詰め寄った。

 

「その物言い、気に食わんな。

 確かに俺様の最大の武器はこの身体だが、それだけと言われるのはおもしろくない」

「仮にもアルゴー船の英雄にそれだけとは言わん。いざとなれば奴と戦闘もさせる。ただ、今その必要はない、というだけだ。ライダーが最後まで残ったのなら、好きにしろ」

「それまでは奴と戦うな、と? 実際に戦闘を行うのは俺様だぞ?」

「そうだな。だが勝手なマネをするなら、こちらにはコレがある」

 

 言って、左腕にある令呪を見せつける。

 赤い幾何学模様を描くそれは、ランサーに言うことをきかせたために既に一画分が消失していた。

 

「フン、令呪の威力は身をもって知ったがな。令呪をチラつかせて言うことをきかせようとする窮屈なマスターを、サーヴァントが見限るとは思わないのか?」

「考えないでもないが、オレを裏切るには時期尚早だぞ。脱落サーヴァントがいない状況ではぐれサーヴァントとなれば、まず消滅は免れまい。

 それに一画残しておきさえすれば、お前の裏切りも止められる」

 

 サーヴァントとマスターとは、利害と令呪に寄って繋がれた主従の関係だ。

 それでも、令呪の存在があればサーヴァントを制御できるというテオドールの言葉は、事実ではあってもお互いの関係にヒビを入れかねない発言である。

 

 実際、下降気味だったランサーの機嫌は、この言葉でさらに悪くなったようだった。

 

「ほぅ。令呪か俺様の槍、どちらが速いか、試してみるか?」

「試したいのなら好きにするがいい。

 だが忘れるな。マスターなくしてお前たちサーヴァントは存在できない。一時の感情に任せてオレを殺せば、お前も消えるぞ。

 お互いの究極的な目的が聖杯の入手である以上、この場での決裂は無意味だろう」

 

 剣呑な言葉にそっけなく事実だけを返す。

 

 しばらくそのまま主従で睨み合った後、忌々しげに舌打ちしてランサーが槍をおろした。

 これで今度こそこの話題はおしまいである。いや、この場合は保留といった方が正しいか。

 

「それよりも、だ。傷の治癒……、いや『宝具の修復』は済んでいるのか?」

 

 ランサーの手元から槍が消えるのを確認してから問いを投げる。

 テオドールの問いに、ランサーは呆れた顔を見せた。

 

「無論だ。でなければ、こうして貴様の前に姿は見せん。第一、宝具の修復を命令したのは貴様であろうが」

 

 それは、確かにそうだ。

 テオドールは昨夜ランサーを撤退させた後、会話もそこそこに『傷ついた身体の修復』を命じたのである。その点、ランサーがなにを今更、という顔をしているのもわかるのだが……。

 

「ああ。だが事前に聞いていた修復時間よりも短い上に、オレの魔力がそれほど食われていない点が気になってな。まだ夜明け前だろう?」

 

 テオドールが気になったのはこの辺りのことであった。召喚後に行ったランサーの性能把握と、今の状況がかみ合わないのである。

 最初のランサーの自己申告通りならば、宝具の修復には早くて二日。テオドールが要求される魔力も、平時ランサーを運用する時の数倍は必要なハズである。

 

 よって二日間は極力身を潜めつつ、テオドール単身で偵察を行う予定であった。とりわけランサーの宝具を貫けるライダーの情報は最優先で集める必要がある、とそう考えていたのである。

 

 にも関わらず、ランサーは数時間程度で完全回復して、なおかつテオドールが普段以上に魔力を消費している様子もない。

 

 そんなこちらの疑問に、ランサーは「なんだ、そんなことか」と呟いて、一瞬、遠い目をした。

 

「この街には、海があるからな……」

「……そうか」

 

 それだけで納得する。

 と、同時にランサーになんと返答してよいのかわからず、テオドールは口を閉ざした。

 

 しかし微妙な気分となったこちらとは違い、ランサーはあっさりとしたものだった。

 彼は指を立てると、質問へのお返しとばかりに問いを投げ返す。

 

「さて、ではこちらからも質問だ。昨夜、貴様は教会に行くと言っていたが、結局なにか成果はあったのか?」

「別に、めぼしい成果はなかったな」

 

 同じ聖堂教会に所属するものとして何らかのサポートを受けられないか。

 

 まずもって無理な申し出は、予想の通りに却下されたのだった。

 今回の監督役であるノエルは年端もいかない少女ではあるが、『中立の監督役』という職務には忠実なようである。

 不穏当な発言をしたテオドールを、今回だけは、と見逃した辺りは甘いと言わざるを得ないが。

 

 そういう訳で教会に赴いた成果はなし。

 ダメで元々、もしも利用できれば儲けもの、程度の心境ではあったので大した痛手ではないが。

 

 そう告げると、ランサーは呆れたような、あるいはバカにしたような表情でこう言った。

 

「俺様のマスターともあろうものが、自分の同僚の協力も得られんとは。情けないにもほどがあろう? で、俺様を撤退させるまではアレか。年端もいかぬ小娘と、呑気に世間話でもしていたのか?」

 

 ランサーの言葉に言いたいことはいくつか浮かんだが、どれも詮無いことだと切り捨てる。

 それに彼の言葉は全くの的外れでもない。件の監督役と世間話くらいなら確かにした。

 

「そうだな、確かに世間話はした。

 アーチャーとそのマスター。彼らの拠点がどこにあるか程度の、とるに足らない話をな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何故こんなところにいるんだろう、とレオンは思った。

 

 昨夜セイバー、ランサーとの戦いを終えたライダーを迎えて。

 こちらになんの断りもなく宝具を解放したことを叱責して。

 叱責をのらりくらりかわされ、追及はまた明日となって。

 朝がきて、起こされて、連れ出されて、ここにいる。

 

 時刻は朝の六時前。場所は宿泊しているホテルから十分ほど歩いた大通り。七月も後半に入ったこの時期、太陽はすでに昇ってはいるものの、外出するにはまだまだ早い時刻だ。

 この時間に外を出歩いているのは早朝出勤のサラリーマンや、夜勤明けの同じくサラリーマン。アサレンとかいうものに出かけていく学生くらいのものである。

 

 そんな時間に、そもそも外を出歩く必要もない自分がホテルの外にいる。挙げ句、その目的が外食とは。

 朝食を売りにしているカフェであったとしても、開店は早くとも七時を回ってからだろうに。こんな早朝から食事できる店など、簡単に見つかるハズもない。

 サーヴァントが聖杯から知識を与えられているといっても所詮は古代人。現代人の常識とは相容れないらしい。こんな時間に連れ出して、とんだ無駄足を踏ませてくれたものだ、あのサーヴァントは。

 

 

 ────などと、そう思っていたのだが。

 

 

「……日本人はあたまおかしい」

 

 こんな早朝から食事ができる店のテーブル席に座りながら、レオンの口からは、思わずそんな感想が漏れた。

 

 現在時刻は午前六時十二分。

 

 レオンの思惑とは裏腹に、食事できる店はあっさりと見つかった。

 それも一軒や二軒どころの騒ぎではない。小さく、おひとり様大歓迎といった風な店から、明らかに家族連れを狙っているであろうファミリーレストラン。一見さんお断りのお高そうな店に、カロリー計算の狂いそうなジャンクフード店まで。

 この店に落ち着くまでにレオンが目にした『すでに開店している店』は十軒近くに上る。

 大通りを少し歩いただけでこれなのだ。もう少し真剣に探せば、似たような営業時間の店はいくらでも出てくるだろう。

 

 聞けば、どの店もだいたいは『24時間営業』なのだそうだ。加えて言わせてもらえれば、基本的には年中無休らしい。

 商魂逞しいと言うべきなのか、それとも社畜根性ここに極まると呆れるべきなのか。

 それだけならまだしも、この時間帯にも関わらず、店を利用する人間が一定数いることもまた、レオンには驚きである。24時間営業が成り立つのだからそれも当然のことなのだが、それでもレオンの想像よりもずっと客数が多い。

 

 そういう訳で、周囲の客を見渡しながら紡いだ「日本人はあたまおかしい」は、レオンからすれば至極真っ当な感想だったのである。

 

 

 と、ここでレオンをホテルから連れ出した張本人がテーブル席へと戻ってきた。

 整った目鼻立ちに赤い髪が特徴的な青年は、その手に二人分のトレーを抱えている。

 

「ほれ、アンタの分だ」

 

 差し出されたトレーの上には、ハンバーガーとハッシュポテト。それからコーヒーといった『ジャンクフード店の朝食メニュー』が乗っていた。

 赤髪の青年のトレーの上にも同様の商品が乗せられていたが、あちらはそれぞれの量が三倍はある。

 

 朝からそんなに食べるのか。というかアレだけ店の種類があってなんでわざわざこんなジャンクフード店にした。そもそもお前には食事は必要ないだろ。

 と、一瞬で浮かんだそれらの言葉をどうにか飲み込んで、レオンは赤髪の青年────ライダーへと問いかけた。

 

「ライダー」

「あ? なんだよ、間違えたか。たしかアンタ『ソーセージマフィンセット』って言ったよな?」

「いえ、そうではなく。どうして私を連れて出てきたのですか。食事なら一人でもできるでしょうに」

「どうしてって……、一緒に飯食うのに、むしろ理由なんかいるのか?」

 

 きょとんとしながら自分の分のバーガーを頬張るライダーに、思わずため息が出た。

 

「理由もなくマスターを拠点から引きずり出したのですか、貴方は。今は聖杯戦争中なのですよ?」

 

 無意味な外出でマスターを危険にさらしてどうする、と言外に叱責する。

 だが、やはりこのサーヴァントはこの程度では堪えないらしい。眉根を寄せたレオンを気にすることもなく、平然とコーヒーを啜っている。

 

「いいじゃんか別に。サーヴァントとマスターの親交を深めるってことにしとけばよ。

 ああ、いや。アレだな。ほら、俺だけだと言葉は話せてもどんな商品が出てくるかはわかんねえからよ。それにサーヴァントが出先で問題起こさねえとも限んねえんだから、その監視ってことで」

「どれだけ取って付けた理由ですかそれは。だいたい、それは貴方が出歩かなければ、それで済む問題でしょうに」

「あー、それぜってえに無理」

 

 レオンの指摘に、ライダーは軽く手を振りながら断言した。

 

「仮初めとはいえ、せっかく受肉して現代にいるんだ。楽しまなくちゃ嘘だぜ」

「……貴方は戦いにきたんでしょうが」

「おう。けどな、俺はとっくに死んだ人間だ。そいつが限られた期間とはいえ、『生きた人間のように振る舞える』ってのはやっぱりハメの一つも外したくなるほど愉快なもんなのさ」

「……師父のキャスターは貴方のように遊び歩かずに、工房の制作に取り組んでいるようですが?」

 

 皮肉をこめて身近にいる他のサーヴァントを引き合いにだすと、ライダーは何故だか軽く吹き出した。

 

「あー、アレなあ。アレは参考にはならねえよ。バーサーカーと比較してるようなもんだわ。アイツはもう、だいぶ人間辞めてやがるから。

 ついでに言わせてもらえりゃあ、なるべくお近づきにはなりたくねえ類の生き物だな、ありゃ」

「……?」

 

 彼の言葉の意味を捉えかねて首をひねる。人間を辞めている、というのならばライダーを含むサーヴァント全員がそうだろう。

 

「わかんねえならいいよ。どのみち俺からアイツについては、『あのキャスターには気をつけろ』ってことくらいしか言えねえかんな」

「気をつけろ? 彼とは同盟関係ですが……?」

「それとこれとは話が別だろ? アンタ妙に素直っていうか世間知らずっつうか。見てて不安になんぜ、そういうとこ」

 

 あー、うめえ。とライダーは瞬く間に自らのバーガーを食べ尽くしてしまう。

 微妙に釈然としない心持ちのまま、レオンは手つかずの自分のバーガーを見つめた。

 

「ライダー」

「あん?」

「つまり貴方は、キャスターが我々を裏切る可能性がある、と言いたいのですね?」

「アンタの言う『我々』がどこまでかは知らんが、まあそういうことだわな」

 

 それよりそれ食っちまえよ、とバーガーを指さしライダーがせっつく。

 が、レオンとしては食事の気分どころではなくなってしまった。

 

 ライダーの意見をいますぐに師に伝えるべきだろうか。キャスターが裏切る場合、もっとも危険にさらされるのはレオンの師なのだし。

 しかしライダーの言は、単なる勘や感覚といったものの域をでないようにも思う。そんなことでイタズラに師を不安にさせるのもどうなのだろうか。

 だいたい、ライダーがそう思うようなことくらいなら、レオンの師はとっくに感じとっているのではないだろうか。わかりきっていることをわざわざ指摘する愚かな弟子と思われないだろうか。

 

 いや。しかし。でも。だが。

 

 そのような思考のスパイラルに入ったレオンに、ライダーの冷ややかな声がかかる。

 

「アンタが何考えてるかくらい、なんとなく想像つくが……。いろいろ深く考えすぎだろ。あのジジイには適当に注意しとくくらいでいいんだよ」

 

 悶々とするレオンとは裏腹に、あとは自分でなんとかするだろ。っていうかしろ。と、ライダーは随分と投げやりだ。

 

「サーヴァントが裏切るかもなんて、マスターなら常に考えてなきゃダメなんだしよ。ジジイがキャスターに裏切られて痛い目みても、それは自業自得ってやつだぜ」

「……注意しろと言う割には、随分と投げやりではないですか」

「あ? 当たり前だろ。なんで俺があんなオヤジのこと心配しなきゃならねえんだよ。俺が心配してんのはアンタだアンタ」

 

 わざわざこんな当たり前のこと言わすな、とライダーは片手を振る。

 

「は?」

「は? じゃねえよ。アンタは俺のマスターだが、アンタの師匠は俺にとっちゃどーでもいい他人なんだ。そんなら心配するのはあのオヤジじゃなくて、アンタだろうが」

 

 ライダーの言葉は、サーヴァントとしてはひどく真っ当なものだったろう。ライダーがいくら奔放だとしても、彼がレオンによって維持されているサーヴァントだという事実は変わらない。レオンを失えば消えてしまう以上、彼がレオンを心配するのは当然なのである。

 程度の差はあれ、自分のマスターを心配しないサーヴァントはいない。まして自分のマスターより同盟関係のマスターの心配をするサーヴァントなど、サーヴァントとしてはハズレもいいところである。

 

 だがそれは、まともな主従関係、そしてまともなマスター同士の同盟関係だった場合だ。

 

 レオンとライダー。エヌマエルとキャスター。他の主従がどうかは知らないが、この二組については他とは事情が異なる。

 なにせ、レオンはエヌマエルを勝たせるためだけに聖杯戦争に参加しているのだ。レオンの勝利条件が『エヌマエルが聖杯を穫る』ことである以上、ライダーのようにエヌマエルをないがしろにはできない。

 というか、ないがしろにされるべきはむしろレオンである。最終的にエヌマエルが勝ち残りさえすれば、自分を含めたその他がどうなっても構わない。

 

 その辺りのことは、とうの昔にライダーにも語ってきかせている。

 だからこその「は?」である。

 

「ライダー。私は確かに貴方のマスターですが、私の望みは……」

「『師父を勝たせることです』ってんだろ? そんで『私が死んだら、師父と再契約しなさい』だっけか? 聞いたよ。つか耳タコ」

 

 もしやこのサーヴァントは、その普段のいい加減さでもって、この辺りのことを忘れているのでは? というレオンの台詞は、言い切る前に一字一句間違えることなく、言い聞かせるハズだったサーヴァントに紡がれた。

 

「わかっているのでしたら、優先すべき相手がどちらかなのかもわかるでしょう」

「そーだなー。けど、あのオヤジはどうにも好きになれねえからなー。いや、キャスターの野郎も気に入らねえから、あの主従とは相容れねえな俺」

「ライダー」

 

 諫めるようなレオンの口調に、ライダーは苦笑した。

 

「しゃあねえだろ、こればっかは生理的な問題。ああいう『傲慢』で『尊大』な奴らはどうにも。そういう訳なんで、できればあのジジイのサーヴァントにはなりたくねえなあ。

 ってえか、今はまだアンタ存命なんだ。そんならアンタの心配したっていいだろが」

「別に私の心配をするな、とは言いません。ですが私よりも師父を優先しなさい。それが無理ならせめて私と同列に扱いなさい」

「へいへい。善処させてもらいますよー。

 つか、こんなとこで聖杯戦争の話なんかしてて大丈夫か? 俺は気にしねえけど、アンタら魔術師は人目を気にするんだろ」

 

 気の抜けた返事に加え、唐突に繰り出される今更すぎる疑問。

 より腹が立ったのはどちらの方だったのかわからない。ただ、レオンの堪忍袋も、これにはさすがにブルリと震えた。

 

「それを……、よりにもよって……、貴方が、言いますか」

「なに怒ってんの?」

 

 本当に何もわかっていないような目で、ライダーが問い返す。

 師父よりも自分との方がよっぽど相容れないんじゃないか、と思いながらコーヒーを流し込んで、気持ちを落ち着けた。

 

「そもそも……、いえ不毛ですね。辞めましょう。

 貴方の言うとおりですよ、はい。言うとおりですので、さっさとこんな店からは出て、早く工房へ戻りましょう。工房へ戻って作戦会議をしましょう」

「え、やだよめんどくせえ。それにどうせアンタの師匠が起きるまで待たなきゃなんねえじゃんか。

 それよりおかわりしていいか? あの『ほっとけいき』ってやつ食ってみてえ」

 

 お気楽なライダーの台詞に皺が寄りそうになる眉間をほぐしながら、レオンは大きく息を吐き出した。

 

「師父と作戦のすりあわせを行うのは当然でしょう。先ほども話ましたが、最終的な勝利条件は師父が勝ち残ることです。あとホットケーキは好きにしなさい」

「お、やりい」

 

 ホットケーキホットケーキ。と笑う彼に「ライダー」と釘を刺す。

 

「や、すりあわせはいいんだけどよ。あのオヤジ起きてくるのおっせえんだよ。昨日も昼前まで寝てたじゃねえか。それまでホテルに缶詰とかごめんだぜ?

 呼んでくれたら戻るからよ、それまで外でぶらぶらしてていい?」

「却下です。

 忘れましたか? 昨夜の戦闘についての追及がまだです。宝具の使用について師父の前で納得のいく説明をしてもらわねば。それまで貴方には勝手な行動を慎んでいただきます」

「げえ、マジかよ」

「マジですとも。

 ええ、そうです。思えば貴方を自由にさせすぎていた私が悪かったのです。これを機会に今からでも、もう少し自制させることを覚えさせねば」

「アンタは俺の母ちゃんか。そんな決意に満ちた顔で、子供をしつけるみてえなこと言い出すな。ったく」

 

 嫌そうな表情をしながら、ライダーがメニュー表を手に取った。どうやらホットケーキ以外のものも何かしら頼むつもりらしい。

 対し、レオンは大きくため息をついて、手つかずだった自分のバーガーにかぶりついた。時間経過で冷めてしまっていたバーガーは、思った通り大して美味くもない。

 

「そういえば」

「あん? なんだ、アンタも追加注文か?」

「いえ、そうではなく。……貴方はあのランサーについて、何か心当たりがあるのではないですか?」

 

 昨夜、ライダーは無敵の肉体を持つハズのランサーに傷をつけた。その際、ランサーはライダーのことを『海神の眷属』と言ったのである。

 海神系のサーヴァントなら彼を傷つけられる。そう言ったも同然の台詞であるからして、あのランサーが海神となんらかの関係にあるのは明らかである。

 そうなってくると海神の血を引くライダーが、ランサーについてなにかしら思い当たっても不思議ではない。

 

「まあ、あるにはあるが。え? 蒸し返すのかよ、聖杯戦争の話を。今、ここで?」

「……あ。いえ、すみません。そうですね、これは私が軽率でした。ホテルに戻ってからにしましょう」

「別にいいけどよ。ってか、不死身の槍使いなんて、アンタもいくらかは思い当たるだろうに。ああ後アイツ、多分ギリシャ系な。

 これ以上はホテルで。あのオヤジにも同じ説明せにゃならんから二度手間になるし」

 

 と、ここでライダーは何を食べるか決めたのか、メニュー表片手に座席から立ち上がった。

 そんなライダーを見送りながら、レオンはポツリと思いついた英雄の名前を呟く。

 

「アキレウス……?」

「そんなんとやりあったら、瞬殺されとるわ」

 

 困ったように片手を振って、ライダーがレジの方へ消えていく。

 では『カリュドンの猪』を狩った、あの英雄だろうか。と思考しながら、レオンはライダーの戻るのを待った。




ランサー「アキレウスの小僧と同じに扱われるとかないわー」


素直系ポンコツマスターレオン君の明日はどっちだ!?




※ランサーの真名バレ待ったなし!!
どうも、社畜根性丸出しで執筆どころかゲームやマンガの時間すらないような人間です。帰って飯風呂でもう寝る時間とかあたまおかしい。
や、FGOは休憩中こそこそやってたりしましたが。

以下、FGOのネタバレ含む、いんたーるーど

※いんたーるーどは本編とは別次元の、基本的に本編とは関わりのないお話と思ってください


【いんたーるーど】FGOで遊ぶAAA(Fake/()nother ()pocrypha ()fter)のサーヴァント

騎「お、セイバーじゃねえか。……なんだその小せえの? つか何してんだ?」
剣「ライダーか。これは『すまほ』というものらしい。そして私は今、マスターの命令で聖杯戦争をしているのだ!」

スマホ〈マリョクヲマワセキメニイクゾ

騎「あ? どういうこった?」
剣「うむ。どうやらこの『すまほ』という礼装で『げえむ』というものが出来るらしい」
騎「あー……、つまり聖杯戦争云々はゲームの話か」
剣「ああ。私にもよくわからないのだが、ハロウィンイベントがもうじき終わるから追い込みをかけたいそうだ。だがマスターはバイトでな。バイトでプレイ出来ない時間にクエストを回しておいてほしい、と」
騎「はーん。こっちが味方で、こっちが敵かぁ……。ワイバーンやらカボチャ頭やら珍しいのがいるんだな」

スマホ〈ゼッキョウセヨ!!

剣「なんでもこのクエストで手に入る礼装を手に入れておきたいそうだ」
騎「へえ、礼装とかもあんのか?」
剣「ああ。しかしマスターが欲しているのは期間限定品らしい。5枚集めると礼装がパワーアップするから、期間が終わるまでには集めたいと」
騎「5枚ね。ちなみに今、どのくらい集まってんだよ?」
剣「4枚だ」
騎「なんだ。楽勝じゃねえか」

スマホ〈アニウエニハオヨビマセンネ。デナオシテクダサイ

剣「いや、それがそうでもなくてな。マスター曰く、SSRサバより手に入らねえ、だそうだ」
騎「……言葉の意味はわかんねえが、とにかく甘くねえってことだな?」
剣「甘くねえってことだろうな。実際、私もクエストを回してみて気づいたが、これは出ない。すでに30回は回しているのに出ない」

スマホ〈キエルガイイ

騎「大変そうだな。ま、ぼちぼち頑張れや」
剣「ああ。なんとかサーヴァントとしてマスターの望みを叶えたい」
騎「ところで興味本位で訊いとくんだがよ。サーヴァントにゲームやらしてまで欲しい礼装ってどんなだ?」
剣「確かNPアップと宝具威力上昇効果が云々言っていたな。……ええと、確かこの礼装だ」

スマホ〈ハロウィン・プリンセス

騎「へえ、こいつはまた……」
剣「ああ。言いたいことはよくわかる」
騎「……なかなか」
剣「……ああ」

スマホ〈サイダイカリョクハッキシマス

騎「これが5枚でパワーアップか」
剣「ああ。パワーアップだ」
騎「パワーアップ」
剣「パワーアップ」

スマホ〈ヤミノジカンデアル。チノバンサンデアル

騎「腰の……ラインか?」
剣「いや布面積かもしれんな」
騎「……それは、出ねえな」
剣「ああ、出ない。しかしなんとかマスターのために『ドスケベ人妻』を入手しなければ」
騎「ん? 今『人妻』って言ったか?」
剣「ああ。人妻だ」
騎「人妻」
剣「人妻」
騎「……」
剣「……」

スマホ〈ハンエイハソコマデダ

騎「ないわー」
剣「ソソるな」
騎「ん?」
剣「ん?」

スマホ〈イノチハコワサナイ!

騎「なんだ。お前寝取り趣味があったのかよ?」
剣「いや、別にそういうわけではないが。属性が多いのは単純にいい、と思う。そちらこそ人妻は対象外なのか?」
騎「ま、どんだけいい女でも人のモンだしなぁ。その時点でちょっと萎えるわぁ」
剣「そうか」
騎「おう」

スマホ〈タバネルハホシノイブキ、ウケルガイイ!!

騎「ま、せいぜい頑張れや」
剣「うむ。最善を尽くすさ」

スマホ〈エクスカリバー!!


※結局ハロウィン終わるまでにはドロップしなかったそうな



みなさんは礼装ドロップしましたかー!? 駄狐はきましたかー!?

わたしは、オケアノスに期待するとしますー(ぁ

っていうか、オケアノスギリシャ軍団すぎてわくわくすっぞ。『あの船』が出てきたくらいでここのランサーさんはそわそわしてたと思う。多分出番はないけどな!!

……ないよね? ないと思う。まだ三章クリアしてないから、滅多なこと言えません。
とりあえず姉様と牛君が可愛いです。あれやん? ヘラクレスとイリヤに通じる何かがあるような気がしてなりません。どうでしょう?


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二日目 穂群原ガールズトーク

『あっさだよぅ! 起っきるがいいなー! あっさだよぅ! 起っきるがいいなー!』

 

 あっさだよぅ! よぅ……よぅ……よぅ……。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 …………………………がち。

 

「うあー……」

 

 布団から手を伸ばし、耳にキンキンするキャラ声を発する目覚まし(おんてき)を黙らせる。

 気怠げな声を上げつつ引き寄せたキャラ物の目覚まし時計には、『06:32』と割と深刻な時刻が表示されていた。休日ならばともかく、出勤予定のある日にこの時間では、二度寝は不可能である。二度寝した瞬間に遅刻が確定して、まず間違いなく怒られる。自分はバイトの身分だからして、なんだったら首ということまであり得る。

 

「クソ。せちがらい」

 

 悪態をつきつつ、掛け布団をはねのけた。

 始業時間は午前七時だ。移動時間も考えると、ゆっくり食事というわけにもいくまい。こりゃ今日の朝食は無理だな、と半ば諦めの境地で洗面台に向かった。

 

 ばしゃり、と冷水で顔を叩き、眠気を吹き飛ばす。

 と、ここで、

 

「おはようマスター」

「むぐっ!?」

 

 背後から、洗顔の最中に声をかけられ、思わず変な声が出た。

 

 顔から水を滴らせながら振り返ると、そこには青い髪の巨漢。筋肉モリモリで青髪赤目という、あまりにも目立つ容姿のこの男は、二日ほど前から同居人となった人物である。

 

「ああ、おはようセイバー」

 

 自らの従者にそう挨拶を返すと、九条はさっさと洗顔をすませて、足早にタンスへと向かった。

 

「起き抜けから随分慌ただしいが、まだ寝ていなくていいのか?」

「寝てたいとこだけど、そういうわけにもいかないんだよ」

 

 首を傾げるセイバーに答えつつ、タンスの中から作業着を引っ張り出す。

 

「どこかに出かけるのか? それならなおのこと、しっかり身体を休めてから行くべきでは? 昨夜の戦闘で、疲労も残っているだろう」

 

 こちらの身を案じるセイバーに苦笑を返す。

 

 昨夜、九条とセイバーは『商店街で待っている』と告げたライダーに戦いを挑んだ。

 通常戦闘では終始ライダーを圧倒したセイバーだったが、ライダーが宝具を『真名解放』した途端、状況は一変。変幻自在にウネるライダーの武器に苦戦を強いられ、さらには一騎打ちに横やりを入れにきたランサーの脅威もあり、彼らは撤退を余儀なくされた。

 脱落こそしなかったが、傷を負わされ、緊急回避のために令呪も一画使わされた昨夜の戦闘は、十分に敗戦と言っていいものだろう。

 

 ちなみに、戦闘とは言っても、実際に戦ったのはセイバーだけで、九条はずっとその戦いを遠くから眺めていただけだ。

 けれど普段使わない自転車を全力で乗り回したおかげか、セイバーの言う通り九条の身体には疲労が溜まっていて、そしてそれはまるで抜けていなかった。

 

 そもそも九条をたたき起こしたキャラ物の目覚まし時計は、『三番目』にセットされた代物である。

 余裕を持った時間をセットされた一台目。それより少し遅れた時間にセットされた二台目。これ以上は遅刻ですよ、というデッドゾーンにセットされた三台目。

 普段から九条はこの三台の目覚ましを使っているが、実際にアラーム音を聞くのは一台目だけで、二台目以降はアラームが鳴り響く前にオフに設定しなおす。

 最初のアラームで目を覚ます九条が、一台目と二台目のアラームをすっとばして眠りこけていた時点で疲労が残っていることは疑いようもないのである。

 

 ふと、古めかしいデザインのアナログ時計と、100円ショップで購入した安物のデジタル時計が、布団から随分離れた場所に転がっているのが目に入った。

 枕元が定位置のこの二台がこんな位置にある時点で、無意識のうちに九条が放り投げていたことは確定である。

 

(慣れないことをしたとはいえ、我ながら疲れすぎだろ……)

 

 情けない思いを抱えつつ、転がっていた二台の目覚ましを、学生時代に懸賞で当てた三台目の目覚まし時計の隣に立て直した。

 

 正直に言ってしまえば、身体は相当ダルい。何か適当な理由をつけて休んでしまいたい、とすら思う。

 

 それでも先立つものがなければ生活できない。

 九条にも少しくらいの貯金はあるが、生活にそれほど余裕があるわけではないのだ。

 

「今から仕事なんだ。七時までに現場に入ってなきゃまずい」

 

 そういう訳で、疲労の残る身体を圧して、九条は作業服に身を通した。

 

 九条の言葉を受けて、セイバーが微妙な表情をする。

 

「……休むわけには?」

「休みたいけど、金がなきゃ食っていけないんだよ。じゃ、俺は行くから」

「何? 朝食はどうしたマスター」

「無理。遅刻しちまう」

 

 言いつつ、玄関扉に手をかけた。

 それと同時にセイバーの姿が透け、九条の目からは完全に見えなくなる。

 

『私はともかくマスターは生身の人間だ。食事はしっかりしてもらいたいが……。

 とにかく、出かけると言うのなら私も行こう。マスターを守るのもサーヴァントの役目だ』

「ああ、そっか霊体化ね。うん、頼む」

 

 脳内に直接響くようなセイバーの声と、姿は見えずともそこにいるというぼんやりとした感覚。

 既知の感覚に納得をして、九条は今度こそ玄関扉を開け放った。

 

「ところでセイバー」

『どうしたマスター?』

「セイバーなら目覚まし鳴ってたの気付いてたと思うんだけど、なんで起こしてくれなかったんだ?」

『いや、その……。貴殿があまりにも気持ちよさそうに眠っている上に、アレらを勢いよく放り投げていくものだから、睡眠の邪魔をするのはまずいかと思ってな……』

「あー……」

 

 ちょっとした疑問に対する答えを聞いて、やっぱ朝飯が食えないのは自業自得だったかー、と貧弱な自分に軽く頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一年以上通い続けた見慣れた通学路。

 その通学路上では二週間程前から、『深山ショッピングセンター』の開発のために工事が行われている。

 そろそろ見慣れてきた工事現場を通り過ぎざま、いつものように挨拶をしようとして思わず立ち止まってしまった。

 

「あ」

 

 工事作業を行っている作業員の中に、見知った顔がある。

 

 九条レイジ。

 剣の英霊を従えるマスターの一人。

 

 そういえば彼はここの作業員だった、と思い出して、雅は軽く息を吐いた。別に作業員の中に見知った顔があったとして、そしてそれが聖杯戦争を戦う上での敵であったとして、それで雅が何か行動を制限される必要なんてない。

 

「おはようございます」

 

 そう声を上げて、いつものように工事現場を通り過ぎる。

 途中、九条が何か驚いたような顔でこちらを見てきたが、雅は素知らぬふりをした。驚愕の理由は、大方『敵同士なのに気安く挨拶する』とか『聖杯戦争の最中なのに登校しようとしている』とかその辺りだろう。

 

 だが、そんなのは雅の知ったことではない。

 聖杯戦争中に、九条が変わりなく日常を過ごすのは彼の勝手だ。それと同じように、聖杯戦争中に雅がどのように日々を過ごすかもまた、雅の勝手である。

 

 そういう訳で、雅はいつものように工事現場の作業員たちに挨拶を投げかけた後、いつものように登校を再開した。

 

「ああ。おはよう、遠坂さん」

 

 そうして再び歩き出した雅の背に、柔らかい声音が届く。

 

「え」

 

 返ってくることのないと思っていた挨拶に返るもの。それも一番期待していなかった声に、雅は再び足を止めてしまった。

 思わず振り返った視線の先では、作業員たちが慌ただしく動きまわっている。入れ替わり立ち替わりで作業をこなしていく彼らの中から、もう一度九条を見つけることは難しそうだ、と判断して、雅は今度こそ工事現場をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────退屈な夢を見た。

 

 

 

 どうやらそこは暗く、狭い洞窟だった。身じろぎ一つ出来ない、という訳ではないが、思い切り飛んだり走ったりすれば、すぐに身体をぶつけてしまうような窮屈な場所。

 そんな窮屈な場所に、もう何年いるのか。窮屈だと思いながらも、彼はその洞窟を離れようとはしなかった。

 

 理由らしきものは、もちろんある。

 この洞窟の中には、彼が手に入れた彼の財宝が眠っていたのだ。質も量も文句なし。財宝の一握りを手に入れただけでも一生遊んで暮らせるほどの宝である。その存在を知れば、誰もが欲してやまないことだろう。

 故に、薄汚い盗人から自身の財宝を守るため、狭苦しい思いをしながらも彼はずっとそこにいたのである。

 

 もう一つ付け加えるならば、単純に動くことが面倒くさくなってしまった、ということもあった。

 というのも、彼には生きるための食事は必要なく、繁殖のための伴侶は必要なく、強くなるための努力は必要なく、奪い取るための戦いは必要なく、自身の存在を証明することですら必要でなくなってしまっていたからだ。

 

 何をする必要がないのなら、何をする気にもならない。

 当然の帰結に、彼は自堕落な生活に終始した。

 すなわち、寝て、起きて、気が向けば外の小川で喉を潤して、また眠る、といったような生活である。

 

 そのような暮らしを続けていた彼にとって、変化や刺激といったものは必ず洞窟の外からやってくるものだった。

 とはいえ、やってくるものは宝を狙う盗人か、あるいは彼自身を退治しようとする自称勇者であるからして、劇的な変化や刺激というものではなかったのだけれど。

 

『退屈だ』

 

 暗い洞窟の中、宝の番人は一人そう思う。

 宝を守り、それ以外の必要のないことはしない。この生活を望んだのは確かに自分だが、この変化のなさはあまりにも退屈に過ぎる。

 

 他の誰もが手に入れられないような宝を得た。

 他の誰もが手に入れられないような力を得た。

 

 周囲から見た彼は、多くを手に入れた存在だったろう。持つ者、持たざる者で言うのなら、間違いなく持つ者である。

 

 それでも彼は欲しがった。

 

 力も財宝も既に手の内にある。天界にすら轟く悪名もある。

 

 ならば次に欲しいものは……、

 

『我が退屈を満たせる存在を』

 

 この退屈を満たせる者であるのなら、勇者でも盗人でも構わない。

 この姿を見て恐慌しない者であるのなら。

 欠伸(あくび)をしただけで消滅してしまわない者であるのなら。

 何人、何十人、何百人と殺した名もない人間どもよりも頑強であるのなら。

 この自分と、数秒でも遊べる者であるのなら。

 

 暗く狭い洞窟の中。怠惰な彼は、ただひたすらに強欲な願いを抱く。

 そのような者など、この世に存在するハズがないと知りながら。

 そのような者が現れたのなら、もっとも困るのは自分だと知りながら。

 

『欲しい』

 

 欲しがりの怪物(かれ)は今日もまた欲しがり続ける。

 

 

 

 

「────は、」

 

 

 

 

 暗がりのなか目を覚ましたエヌマエルは、身を起こして(かぶり)を振った。

 

 なんだか妙な夢を見ていたような気がする。ひたすらに暗い場所の夢。酷く退屈で、窮屈な体験をさせられたようにも思うのだが、目を覚ますと同時に、夢はその尻尾すら掴まえさせずに、するりと記憶から逃げていってしまった。

 

「う」

 

 思わずコメカミを押さえる。

 

 身体が重い。頭もどこかぼんやりとしている。寝起き特有のダルさ、ではない。

 全力で身体を動かした後のような。限界まで魔術を行使した後のような。有り体に言えば、酷く疲れている。

 

「は、あ」

 

 息を吐き出しながらベッドから降りる。

 部屋に備え付けの時計は正午過ぎを示していて、それは同時にエヌマエルが昨日よりも多く睡眠を取ったことを表していた。

 

 にも関わらず、疲れが消えない。というか、眠たくて仕方がない。

 今し方抜け出したばかりのベッドに、あらがいがたい魅力を感じてしまっている。

 

 それをどうにか無視して、着替えを終えたエヌマエルは緩慢な動きで寝室を出た。

 

「……う」

 

 扉をくぐった先、あまりの光量に思わず目を覆う。

 物理的に閉め切り、光の一切を遮断した寝室とは違い、外の部屋には光が溢れていた。

 

 ()()()()に明るい場所に出たツケか。ただそれだけで少し立ちくらみしそうになる。

 

「おはようございます。師父」

「おーう。ようやっとお目覚めかい、相変わらず自堕落な生活してんな」

 

 自ら目を覆い、視界を遮ったエヌマエルにかかる二人分の声。

 前者が弟子のレオンで、後者がそのサーヴァント、ライダーだろう。

 

「……ああ、おはよう」

 

 どうにか光に慣れはじめた目を開きつつ、エヌマエルはそう挨拶を返した。

 

 と、ここで室内を甘い香りが満たしているのに気が付いた。

 見れば、ソファに座ったライダーが、ドーナツ片手にくつろいでいる。その目の前のテーブルの上にも、いくらか積み重なるようにしてドーナツが置かれていた。

 

 匂いの正体はこれか。と、内心でため息を吐く。

 甘いものが苦手なエヌマエルとしては、起き抜けに嗅ぐドーナツの匂いはそこそこ堪える。

 

「あの……、師父。これは、」

「昼飯代わりだ。アンタ起きてくるのおっせえからな、先に食いはじめてんぞ」

 

 内心が顔に出たのだろうか。

 なにやら言い訳をしようとレオンが口を開き、しかしあえなくライダーによって言葉を被らされてしまっていた。

 

 ライダー! とレオンが彼を睨んだが、ライダー自身はどこふく風でドーナツを頬張り続けている。

 ちなみにライダーを睨みつけたレオンの手にも、しっかりと食べかけのドーナツが握られていた。

 

「ホレ、アンタも食うかい? ずっと寝てて飯なんて食ってねえんだから、腹減ってんだろ」

「いや、私は……」

 

 そのような甘いものなどいらない。ライダーの誘いをそう突っぱねようとして、

 

 

 ────()()()

 

 

 ドクリ、と胸が震えた。

 

「……っ」

 

 反射的に胸を押さえる。

 

 痛みはない。

 震えもない。

 肉体的な異常はまるでない。

 

 一瞬の内に自分の身体を精査したエヌマエルは、そう判断を下した。

 

 だが、だとすれば。今の妙な感覚は一体なんだ?

 

 エヌマエルの脳裏に疑問と、僅かばかりの恐怖が浮かぶ。

 

 しかし、その疑問と恐怖は長くは続かなかった。

 疑問を抱いた。恐怖を感じた、とエヌマエルが自覚した途端に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 否、ことはそれだけに留まっていない。この数分間の記憶自体が酷くあやふやで、現実感を伴わなくなっている。

 

 普通の感性ならば、さらなる恐怖を感じてもおかしくない現象。

 だがエヌマエルは恐怖を感じなかった。何を怖がればいいのか。そもそも異常だと思う事柄なんて、一つでもあったのだろうか、とそう思った。そう()()()()()()()

 

 

「おい、どうした?」

「師父?」

 

 怪訝そうなライダーと、こちらを案じる弟子の声で我に返る。

 寝起きだからだろうか。どうやら少し呆然としてしまっていたようだ。

 

「大丈夫ですか、師父」

「ああ。すまない。まだ少し寝ぼけているようだ」

 

 何故胸を押さえているのか、と首を傾げつつレオンにそう返す。

 こちらの言葉に、不安そうな顔をしていたレオンはあからさまにほっとしたようだった。

 

「お疲れなのでしたら、もう少しお休みになられていた方が……」

「それはさすがに眠りすぎだろう。……食事を済ませたら作戦会議を始めよう」

 

 そう言って、テーブルの上にあるドーナツに目を向ける。

 普段ならこんなもの口にはしないのだが、どうしてだか今日は()()()()()()()()()()()()。たとえ嫌いな甘いものだったとしても、今日ならばいくらでも入る気がする。

 

「洗顔を済ませてくる。そこのそれ、私の分もいくらか残しておいてくれたまえ」

「はい」

 

 返事をするレオンの声を背に受けつつ、洗面所に向かう。

 

 

 ────()()()

 

 

 胸の内に響くナニか。

 

 ふと振り返った先には、次のドーナツに手を伸ばすライダーと、それを(たしな)めるレオンの姿がある。

 彼の右手に浮かぶ赤い紋様に視線を引きつけられつつも、エヌマエルは部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

「遠坂ァ! 昼飯にしようぜ!!」

 

 四限終了のチャイムとともに、同じクラスの柳洞(りゅうどう)双葉(ふたば)が手提げ袋片手にこちらへと突撃してくる。

 筆記具を片づけていた雅は顔を上げると、ため息一つ吐いて彼女を迎えた。

 

「元気ね、柳洞さん。古典の授業中にぐったりしていたから、てっきり体調不良かと思ったのだけれど」

「ハッハッハー! バカめ、このわたしがぐったりして見えたのならそれは錯覚だァ! ご覧の通り、いつものように私こと双葉ちゃんは超元気だぜぇ!」

「そうね。どんなに授業中ダルそうにしていても、昼食の時間になれば元気になるものね、貴女」

「うん! ぶっちゃけ飯の時間が一番楽しいからな。楽しい時間は元気に過ごさないと!」

「そう。そろそろ座ったら? それから喧しいし、少し黙っててちょうだい」

「ひっでぇ!? 遠坂はいちいち物言いにトゲがあるんだよなあ……」

 

 言いつつ、彼女は近くの机と椅子を引っ張ってきて着席する。その拍子に、彼女の手の中にあった手提げ袋が机に引っかかってひっくり返った。

 

「わたしの弁当!?」

 

 黙れと言われた直後に叫びだす友人に、雅は再びため息を吐く。彼女といるとため息が増える気がするのは気のせいではあるまい。

 雅と双葉とは中学からの付き合いだが、初めて会ったときから今日に至るまで双葉はずっとこんな調子だ。三年以上一緒にいる故、彼女の騒々しさには馴れ初めていたが、そそっかしさには呆れることしきりである。

 

 さて、ぐえー、とおかしな悲鳴をあげている双葉の弁当はというと、どうやらひとまずは無事のようであった。

 さすがの双葉も弁当箱の蓋はしっかりと閉めておいたらしい。ひっくり返った手提げ袋から取り出された弁当箱は、中身がはみ出すこともなく密閉状態を保ったままだ。

 

 さすがに目の前で弁当箱の中身をまき散らされても迷惑なので、雅は心からほっとしつつも、自分の分の昼食を鞄から取り出した。

 

「お? 遠坂今日はコンビニ弁当なのか? 珍しいなー」

「作ってる時間がなかったのよ」

 

 言葉通り珍しげな視線を向けてくる双葉にそっけなく返す。

 なお、正確には時間がなかったではなく、材料がなかった、というのが正しい。

 

 普段雅は弁当を用意してから学校に行くが、弁当を作ったことは一度もない。弁当の中身は通いで働きにきている家政婦さん作である。家政婦さんの手の回らない時には、前日に買い込んだ総菜を適当に詰め込んで体裁を繕ったりもするが、雅がやるのは基本的にその程度で、料理はしない。というか家庭科の調理実習でやったくらいで、まともな調理経験がない。

 そして聖杯戦争開幕とともに家政婦さんに暇を出した雅には、弁当を作ってくれる人はいない。おまけに昨日は一日中家の中で過ごして買い出しにも行かなかったので、弁当箱に詰め込むべき総菜すら存在しなかったのだ。

 

 そんな事情もあって、遠坂雅の本日の昼食は、登校途中にコンビニで買った牛カルビ弁当560円(税込み)である。

 ちなみに双葉への返答は完全に見栄であった。とはいえ向こうは何故か雅のことを『完璧超人』と思っているので、料理ができないことは気付いていないだろうが。

 

「つうか遠坂。よりにもよってカルビ弁当とか、わたしへの当てつけか!」

「? 言ってる意味がよくわからないのだけど」

「肉とか肉とか肉とか! こちとらそんなお牛さまのお肉なんて、久しく口に運んでないぞー!」

「……ああ。そういえば、貴女のお家って」

「寺だぞぅ。今時精進料理なんて流行んないよなー」

 

 口をとがらせて言う双葉の家は、この辺りではそこそこ有名な古い寺なのであった。

 名を『柳洞寺』。円蔵山中腹に位置し、現在ここで修行している修行僧は30人だか40人だかに上るという。昔、僧侶ってそんなに儲かるものだろうか? と本気で考えたのは良い思い出である。

 また、深山町最大の霊園を抱えており、雅の祖父は『自分が死んだらここの霊園に埋めてくれ』とかなんとか言っていた。一応、遠坂家の墓は冬木教会近くの外国人墓地にあるので、そんなことは祖母が許さなさそうだが。

 

 と、そういえば柳洞寺のある円蔵山は冬木最大の霊地でもあったことを思い出す。

 

「ねえ柳洞さん。ちょっと訊きたいことがあるのだけど」

「なんだー? 彼氏ならいないぞー」

「知ってる。それは置いといて、最近お山で変わったこととかない?」

「さらっと流すなよぅ……。っていうか、変わったこと?」

 

 弁当箱の蓋を開けた双葉が聞き返してくる。

 

「ええ、例えばそうね……。地鳴りがするとか、知らない内に家人が増えているとか、よくわからない力に目覚めたりとか?」

「遠坂たまに訳わかんないこと言うよなー。ねーよ、そんなオモシロイことなんて」

「本当?」

「ホントだよぅ。つか、これこないだも訊いたじゃん。遠坂的には、うちの寺でなにか起きてほしいのか?」

「別に、そういうわけじゃないのだけど……」

 

 ただ、聖杯戦争が開催された場合、その土地の地脈に何らかの異常が起こるのではないだろうか、と疑っているだけだ。土地の霊脈に手を加えて、サーヴァントを召喚可能にする冬木式のシステムならなおのこと。

 特に柳洞寺のある円蔵山は冬木市にある霊脈の内、もっとも位の高い霊脈である。現在の亜種聖杯戦争ではなく、かつて三度行われた冬木聖杯戦争では聖杯の降霊地候補筆頭でもあった。

 加えて聖杯戦争の要、『大聖杯』が安置されていたのも、この円蔵山である。たとえこの冬木の人間でなくとも、聖杯戦争を始めようとする輩が見逃すような立地ではない。

 

 今回冬木でおきた聖杯戦争は、土地管理者である遠坂の認識していない場所で計画されていたものだ。

 だからこそ雅は参加者の一人として参戦しつつ、冬木の管理人である遠坂を舐めきったバカを見つけだして叩き潰すという目的がある。

 故に、アーチャー召喚以前から雅は冬木の調査を続けていたし、この聖杯戦争を開催しようと企んだ輩を見つけるまでは調査をやめるつもりもなかった。

 

 だが、現状でめぼしい成果は挙がっていない。

 聖杯戦争で必要になるだろう霊脈の加工。その痕跡が一向にみつからないのだ。

 今、ダメもとで双葉へと行った質問も、以前と合わせて二度目。そして返答は二度とも同じものだった。

 

「ま、いいや。それより遠坂、その牛肉サマを一切れでいいんで分けてくれ!」

「……いやよ。そこはせめてトレードでしょう」

「ケチケチすんなよ! いま遠坂の質問に答えてやったろ! お山は今日も変わりなし!!」

 

 だから肉! と教室中に響きわたる声で言う双葉。

 この娘には恥じらいとかないのだろうか、と思い始めたその時、雅の視界に見知った人物たちが映った。

 

 一人は緩くウェーブがかかった髪を派手な金色に染めた少女。

 夏だから、ということを差し引いても短すぎるスカートと、開襟された胸元が眩しい。というか、角度次第で色々見えてしまいそうである。

 古めかしいレッテルを貼るのなら、いわゆる不良少女そのものの見た目をしている。

 

 もう一人は長い黒髪を三つ編みにした眼鏡の少女。

 前述の金髪少女とは対照的に、学校指定の制服をきっちりかっちりきこなしており、化粧っけもまるでない。

 こちらにレッテルを貼るなら優等生、学級委員などそのあたりだろうか。

 

「肉肉うっせえぞ、柳洞」

 

 その人物たちの片割れ。金髪少女が双葉の背後から、彼女の頭をそこそこのスピードで叩いた。スパーン、と小気味のよい音を発てる双葉の後頭部。「あで!?」と悲鳴らしきものを上げて、双葉が机に突っ伏した。

 

「おう、邪魔すんぜ遠坂」

 

 言いつつ、双葉を黙らせた彼女は手頃な椅子を引き寄せると、雅の隣へと腰掛ける。

 

「大丈夫、双葉ちゃん? あ、雅ちゃん。わたしもここ、いいかな?」

 

 金髪に叩かれ沈黙した双葉を案じつつ、黒髪眼鏡少女が雅に問うた。

 

「毎回訊かなくても、桂木さんなら大歓迎よ」

「ありがとう」

 

 どうぞ、と手近な座席を勧める。

 そのタイミングで、突っ伏していた双葉が勢いよく起きあがった。

 

「うあー、いってぇ!? 突然なにしやがる佐伯!」

「うるせえよ」

 

 ギャーギャーわめく双葉にクールに返す金髪女子。

 

 彼女の名は佐伯(さえき)鏡子(きょうこ)。隣の2年B組に所属する雅たちの友人である。

 

「鏡子ちゃん、いきなり叩いたりしたら双葉ちゃんが怒るのも当然だよ? あと、双葉ちゃんもちょっと落ち着こう」

 

 で、双葉と鏡子の間に入っている黒髪三つ編み眼鏡女子が桂木(かつらぎ)千恵子(ちえこ)

 

 遠坂雅の昼休みは大概はこのメンバーでの昼食で始まり、そしてそのまま五限へと突入していく。

 つまりは、今日もいつも通りの昼休みが始まったのだった。

 

 

 

「ところで、何のお話をしてたの?」

「よくぞ訊いてくれた! ちーちゃんも見ろよ、遠坂のこの弁当! これはわたしに対して喧嘩売ってるとしか思えねー」

 

 双葉の台詞によって注目を浴びる牛カルビ弁当560円(税込み)。

 鏡子と千恵子は雅の弁当を見て、双葉を見て、それから双葉の弁当を見て、どうやらすべてを察したらしかった。

 

「自重しろ寺の娘」

「双葉ちゃん。羨ましいからってお友達のお弁当ねだるのはよくないよ」

「厳しい!? くそー、二人とも遠坂の味方なのかよー」

 

 ぶーたれる双葉をよそに、それぞれの昼食をとりだす二人。

 

 千恵子の弁当はいつも通り小さい。そんな量でよく足りるな、と思う反面、その中身は彩りと栄養のバランスがすばらしいお弁当である。

 知り合って間もない頃、このレベルの弁当を毎朝自分で作っていると聞いて戦慄を覚えたのは今でも鮮明に思い出せる。

 

 一方の鏡子もまた、取り出したのはいつも通りの代物だった。

 昼食はコンビニか購買のパン派という彼女の本日の昼食は、穂群原学園購買堂々の一番人気。ミルフィーユカツサンドである。

 

「佐伯さん、購買まで行ってたの?」

「おう、それがどうした?」

「いいえ。うちの購買混むでしょう? それにしては随分早く帰ってこれたんだなーって思って」

 

 というか昼休みが始まってまだ5分程しか経っていない。

 どうがんばっても、2ーBから購買まで行ってここまで来るのに10分以上はかかるハズだ。

 

「遠坂お前な。少しは頭を回せよ。四限さぼって買いに行ったに決まってんだろ」

「私は止めたんだけどね……」

 

 呆れたように言う鏡子とうなだれる千恵子。

 見た目で人を判断するな、とは言うが、この二人の場合だいたい見た目通りの中身である。すなわちテンプレ的な優等生と不良娘の組み合わせ。

 もっとも、不良娘にカテゴライズされる鏡子は、『勉強』だけならこの四人どころか学年でもトップなので、やはり人は見かけでは判断しきれない部分もあろうが。

 

「佐伯お前頭いいなー。そーか四限さぼれば購買一番乗りでカツサンド食えるのかー」

「柳洞。お前は頭足りてねえんだから、おとなしく授業受けてろ」

「ただでさえギリギリの成績がさらに崖っぷちになると思うのだけど?」

「双葉ちゃん、サボりは良くないよ?」

「三人同時にツッコまれた!?」

 

 オーバーリアクションでショックを受けたとか騒いでいる双葉を無視して、とりあえず三人は食事を開始する。いつまでも彼女に付き合って、貴重な昼休みを無駄にするわけにもいかない。双葉には片手間で相手するくらいで丁度いいのだ。

 

「でも雅ちゃん。さすがに焼肉弁当だけじゃ栄養偏らない?」

「わかってはいるんだけどね。とりあえず今日だけよ。明日からはもう少しバランスも考えるから」

 

 小動物的に小首を傾げる千恵子にそう返して、雅は鏡子の方を見た。

 

「それにバランス云々言うなら、佐伯さんの方が問題でしょう? 今日だけの私と違って、彼女ほとんど毎日あの感じじゃない」

「うっせえよ。昼飯くらい好きに食わせろ」

 

 ミルフィーユカツサンド片手に、鏡子が不機嫌そうに返す。

 彼女は右手でカツサンドを頬張りながら、左手で携帯端末をポチポチいじっていた。いつも思うのだが、指の動きが尋常ではないくらいに速い。

 

「ちくしょう。遠坂も佐伯も肉を見せつけやがって、カツサンドとか羨ましいぞ。ケータイいじってないで、わたしにも一口くれよ佐伯ー」

「肉肉うっせえってんだよ柳洞」

「ケータイから目を放しもしない!」

 

 携帯端末を触る鏡子の隙をついて双葉がカツサンドに手を伸ばすも、その手は視線を向けることもしない鏡子によって払われた。

 

「お行儀悪いよ鏡子ちゃん。食べるかケータイ触るかどっちかにしようね?」

「ん、わかった」

 

 千恵子の注意に、大人しく応じる鏡子。

 見た目が派手で態度も大きいが、基本的に鏡子は千恵子の言うことは素直にきく。幼稚園の頃からの幼なじみらしいので、ここに至るまでに色々あったのだろう。この二人のヒエラルキーは、完全に千恵子の方が上である。

 

「っていうか、食事かケータイならケータイ取るのね貴女」

「アレだな。こないだ出来たって言ってた彼氏だな。チクショー! うらやましい!」

「三年の有田先輩だよね? カッコいいよね、あの人」

「あら? 桂木さんはああいう男の人が好みなの?」

「好みって訳じゃないけど……。でも背も高いし、運動神経抜群で女の子にも優しいって有名だよ?」

「あー、わたしも一回しゃべったけど結構感じいい先輩だったなー。モテるだろうに、なんで佐伯の毒牙にかかっちまったかなあ」

「あの双葉ちゃん、毒牙って……」

「毒牙だろー? 佐伯すぐに男を取っ替え引っ替えすっからなー。今回も弄んでぽい、ってことにならないといいけど」

「柳洞さんの言うこともわかるけれど、今回は大丈夫じゃないかしら? 私も少し話したことがある程度だけど、あの先輩いい人よ? アレが桂木さんの彼氏なら、私も安心なのだけど」

「ええ!? 何言ってるの雅ちゃん!?」

「そうだぜ遠坂。たとえわたしらが認めてなくても、ちーちゃんは田中がだな……」

「わー! わー! ホントに何言ってるの双葉ちゃん!?」

「田中君、今日は学食みたいで会えなくて残念だったわね」

「ちょ、雅ちゃん!?」

 

 わーわーと、若干涙目になりながら手を振り回す千恵子は可愛い。

 うっかりすると食事のことも忘れて、昼休み中ずっといじり倒してしまいそうになるくらいには。

 

 と、ここで千恵子いじりに傾きかかっていた空気を引き裂くように、雅の携帯端末が音を鳴らした。

 

「ごめんなさい。着信だわ」

 

 雅は魔術師だ。そして魔術師は、携帯端末に限らず科学的なものを嫌う傾向がある。それは歴史の古い魔術の家系ほど顕著で、実際雅の祖母などは新しい機器が発表される度に『こんなもんいるかー!』と騒ぎたてるほどである。

 いや、この場合は単純に祖母が機械音痴だから新しいものに順応できないだけかも知れないが。

 

 ともかく魔術師というものは科学を軽視し蔑視する。

 そんな魔術師の家系にいながらも、雅の手には科学の結晶ともいえる携帯端末があった。

 

 1990年代後半から一気に普及率が拡大した携帯電話。その後数十年をかけて進化したそれは、雅の生きる現代においては持っていない方がおかしいレベルで普及している。

 というか、ないと生活に支障が出るレベル。電話、メールといった古くも普遍的な機能の他、いまや人口の七割が利用する電子マネー。運転免許証に、パスポート、保険証といった身分証明、バスや電車の定期券にネット接続、テレビ、ラジオなどエトセトラエトセトラ。

 まあとにかく、さまざまな機能が付与されている。これがないと生活に支障が出るが、一つ持っておけばこれだけで生活できるもの。

 普及率は100パーセントを軽く上回り、日本では所持が半ば義務づけられようとしていた。

 

 そういう訳で、魔術師以前に現代を生きる人間として、雅は携帯端末を所持している。

 さすがにここ十年ほどで流行りだしたインプラント────要するに体内に携帯端末を埋め込む────には手を出す気はないが。

 端末の持ち歩きを必要とせず、身体一つでなんでも出来るようになるのは確かに便利だと思うけれど、お金もかかるし、何より副作用がありそうで怖い。

 それに人工的に身体を作り替えている魔術師に、そのようなものを埋め込んだりしたら、魔術回路にどんな影響があるかわかったものではない。

 

「あ、私も」

「んん? わたしもだ」

 

 と、どうやら着信のタイミングが被っていたらしい。

 珍しいこともあるものだと、三人同時に携帯端末を手に取る。

 

「「「あれ?」」」

 

 画面に表示されたのは簡素なメッセージ。

 

『ID変えた』

 

 双葉と千恵子も同様のメッセージだったのだろう。三人で声をハモらせて、メッセージの送り主を見た。

 

「佐伯またID変えたの? 設定めんどくせーんだけど」

「今度はなんで? 迷惑系のメッセージくるなら、ブロック機能があるでしょう?」

「この間のID気に入ってた、って言ってたのに」

 

 三者三様の反応を見せつつ、端末の設定をいじりながら鏡子の返答を待つ。

 端末を操作し終えた鏡子は端末を鞄にしまい込み、机においた食べかけのカツサンドを手に取って言った。

 

「彼氏と別れた。電話もガンガンくるから端末IDごと変えてやった」

 

 あっさりと、まるでなんでもないことのように言う鏡子に、しばし言葉をなくし、

 

「はああああ!?」

「なんで!? 付き合いはじめてまだ一ヶ月だよ!」

「有田先輩いい人じゃない!」

 

 これまた三者三様の反応。

 あんまりな内容に、普段からうるさい双葉だけでなく、雅と千恵子すら絶叫してしまった。

 

「なんでって……、それ聞きてえのかよ」

「聞きたいよ!」

「そうね。貴女、前の彼氏の時は子供過ぎてやっていけないって言ってたけど、有田先輩はそうでもないって言ったじゃない」

「そうだよ。今回は大丈夫かもって、自分でも言ってたじゃん!」

 

 こちらの追求に鏡子の眉間に皺が寄る。

 が、説明自体はしてくれるつもりのようで、「おもしろくはねーぞ?」と前置きしてから口を開いた。

 

「桂木が言った通りアタシと先輩は付き合い始めて一月くらいなんだけどな。まあアレだ。デートってーの? 三回くらいしたんだよ」

「え、たった三回?」

「一応言っとくが、放課後遊びに行くのはノーカンだかんな?」

 

 なるほど。放課後デートをカウントしないということは、彼女の中のデートとは休日をまる一日使ったものなのだろう。それを一月に三回なら、むしろ多い方である。

 

「で、だ。確かにお前らの言うとおり先輩はいい人だったよ。話すとおもしれーし、細けえとこにも気が利くしな。アタシもこれはいい男だなって思ったんだけどよ」

「それがなんで別れるなんて話しになっちゃうんだよ……」

「二回目のデートでヤろうって言われた」

「「ぶっ!?」」

 

 唐突に放りこまれた爆弾に、双葉とともに盛大にむせた。

 涙目になりつつ、雅より若干早く立ち直った双葉が鏡子に詰め寄る。

 

「ヤるって、ヤるって! アレか! き、キスだよな!? キスの方だよな!?」

 

 相変わらず声が大きいが、彼女の気持ちはよくわかる。今の雅には双葉を攻められない。むしろ『キスくらいであってくれ』の心境に、激しく同意である。

 

 さて、そんなこちらの焦りをあざ笑うかのように、鏡子は軽く首を振った。

 

「キスとか中学生か。ヤるったらあっちだろ。古典風に言うとまぐ「わー!」、欧米風に言うと「わーわー!」スって、うるせーぞ柳洞!」

「しょうがないだろ!? ここ教室! それも昼休みだかんな!?」

「今回に限っては柳洞さんに完全同意だわ。佐伯さん、少しは周りの目も考えて」

 

 はあ、とため息を吐く。

 ちなみに残された千恵子は「ヤる?」と疑問符を浮かべているので、いま雅と双葉が会話の何に焦っているのかまるでわかっていないようだ。

 

「それで? あまり聞きたくないのだけど、貴女たちが別れたのってそっちの『相性』的なことだったのかしら?」

「うわー、遠坂やめろよー。わたし聞きたくないよー。想像しちゃうだろー。このワガママボディがその……、」

 

 激しく蹂躙されるとことか。と、後半部分は雅と鏡子にかろうじて聞こえる声量でボソボソと双葉が喋る。

 

 双葉の台詞を受けて、つられるように雅の視線は鏡子の身体へと向けられた。

 ワガママボディとかどんな表現の仕方だと思わなくもなかったが、確かに。下着が見えそうなくらいに短いスカートから覗く足は、適度に引き締まっているし、腰からヒップのラインも美しい。スカート同様に短いシャツのすそからみえるヘソと腹部も綺麗なものだ。そして何より、シャツのボタンが弾け飛びそうなくらいに胸元を盛り上げる二つのメロン。

 言うなればボンッ、キュッ、ボンッ。全体的に短めに改造されている制服も相まって、鏡子の身体は実にエロく……訂正。実に艶めかしく映る。

 

「そうかー。とうとう佐伯も大人の階段上っちゃったかー……」

「人の身体ジロジロ見てから、そういうこと言うんじゃねえよ。それと階段は上ってねえ。きっぱりスッパリ断ってやったよ」

「え、そうなの?」

 

 なるほど。■■■■しよう、という誘いを断った鏡子と、今の状況を照らし合わせれば、事の流れは大体想像がついた。

 

「つまり、貴女にとってその誘いは地雷だったということね」

「別にそうでもねーんだが、まあ直接の原因ではあるか。

 アタシだって男が『そういう生き物』ってことくらいは聞いたことあるからな。失言も一度くらいは笑って許すさ。けど、二度はねーよ」

「ん? 先輩がしつこかったってこと?」

 

 鏡子の台詞を受けて雅が想像したことを、双葉も思ったらしい。

 だが、こちらの予想に反して鏡子は首を横に振った。

 

「しつこいわけじゃないな。アレはむしろ……、わかってない。

 二回目のデートで誘われたとき、アタシちゃんと伝えてんだよ。『そういうことはもっとお互いのことを知って、大丈夫って思えてから』ってな」

「佐伯、お前……」

「以外と乙女なのね……」

「やかましい。ただの親愛表現ならともかく、明確なリスクがある行為だろうが。なら、そのリスクと愛情やら快感やらを秤にかけて何が悪りんだ。たいがい損するのは女の方だぞ」

 

 そう言われるとぐうの音も出ない。

 

「で、昨日のデートでまた誘われてな。なんつーか、この先輩とは感性が合わねえんだろうな、って思ったら別れる決心してた」

「マジか」

「マジ。先輩の『お互いを知る期間』とアタシの『お互いを知る期間』が致命的にズレてたんだ。これは妥協できんと思った」

「そっかー」

 

 先輩と別れた。そう聞いて、一度はいきり立った雅と双葉だったが、とりあえずの納得はした。

 雅的にはもう少し歩み寄る余地があったのでは? と思わなくもなかったけれど、恋愛はやはり当人同士のものだ。鏡子が無理だと思うなら、周りが『まだもう少し』と思っても仕方がないことだろう。

 

「ねえ、三人とも」

 

 と、ここで、

 

「その、途中からお話についていけなかったんだけど……。『ヤる』とか『ヤらない』とか、どういう意味だったの?」

 

 純粋な疑問をたたえた目で、途中から話題において行かれた千恵子が、そう問いを投げた。

 

「……えっ、と」

 

 言葉に詰まる双葉。

 

「どう説明したものかしらね……」

 

 昼休みの教室でする話でもない、と考える雅。

 

「だからアレだよ。セ「わー!?」……またか柳洞」

 

 あっけらかん、と言い放とうとする鏡子。

 三者三様の反応を見せて、鏡子と双葉には任せられないな、と雅は思った。

 

「あのね、桂木さん」

「うん」

「えー……、と。そうね。佐伯さんはユニコーンに乗れなくなりかかったけど、結局は今もきちんと乗れますよって話をしていたのよ」

「ユニコーン?」

 

 自分でも何を言ってるのかわからないというか、たとえ話として伝わるのだろうか、コレ。

 ちら、と横を見てみれば双葉と鏡子は怪訝な顔をしている。

 

「湯にこーん……? 新手のとうもろこしか?」

「ちげーよ、バカ。アレだろ。角の生えた馬だったか、羽の生えた馬だったか」

「うまー?」

 

 首を傾げる双葉はもちろんのこと、ユニコーンがなんであるか説明した鏡子も、雅がどうしてユニコーンなどと言い出したかわかっていない様子だ。

 やっぱりあんまりメジャーじゃなかったかー、と雅が思い始めた矢先、目の前の千恵子がボンッ、と音を発てそうな勢いで沸騰した。

 

「え、あ、ユニコーンって……。あ、ああ、そうなんだ。鏡子ちゃん、先輩と……、わああ」

 

 赤くなりながらチラチラと鏡子を伺う千恵子は、どうやらユニコーンの逸話を知っていた様子。

 

 伝承に曰く。ユニコーンは清らかな乙女しか背に乗せない、とかなんとか。

 

 つまりそういうことであるのだが、千恵子さんよ。話聞いてた? まだ乗れるんだから、ヤってはないよ?

 

「まあとにかく。佐伯が別れたのは悲しいことだが、これで晴れてわたしたちと遊ぶ時間が取れるってことだ! つーわけで、夏休みどっか行こうぜー」

「お前……、少しは傷心のアタシを気遣えよ」

「傷心て……。ぷぷっ、短い期間で男を取っ替え引っ替えしてる悪女にそんな感性あるとは思えませんなー」

「おう、柳洞てめえ。その評価は的確だが腹立つ。一発殴らせろ」

「きょ、鏡子ちゃん。暴力はよくないよー!」

 

 わーわーぎゃーぎゃー。

 鏡子の別れ話を聞かされてなお、いつもの昼休みはやっぱりいつも通りである。

 そのことに少しほっとして、雅は暴走する双葉と鏡子をひっぱたいた。

 

「二人ともうるさい。他の人間の迷惑でしょう」

「ぐっ、遠坂てめえ」

「遠坂がブったー。親父にもブたれたことないのにー」

 

 抗議の声を上げる二人を無視する形で、雅は先ほど出掛かった話題を繋げてしまう。

 

「はいはい、ごめんなさいね。それはそれとして、私は夏休み中忙しいから、たぶん一緒には遊べないわ」

「え、マジかよ遠坂。いつもいつも付き合いワリーぞお前」

 

 双葉の返しに眉尻が下がった。

 付き合いが悪いのは自覚している。その上で毎回懲りずに誘ってくれる彼女のことを思うと、申し訳なさもひとしおであるが、それでも今回ばかりはどうしようもない。冬木の街で聖杯戦争が行われている以上、土地管理人でありマスターでもある雅が指をくわえて戦いを見ているわけにもいかない。

 

「仕方ないでしょ。だから、どこか遊びにいくのなら三人で行ってきてちょうだい」

 

 マジかー、とうなだれる双葉。そんな双葉を、残念だったね、と慰める千恵子。そして、

 

「不幸を重ねるようで悪いが、アタシも夏休み前半……、少なくとも七月いっぱいは無理だな」

 

 完全に追い打ちをかけていく形で鏡子も彼女らとは遊べないと宣言した。

 

「な、遠坂はともかく佐伯まで無理だと……!? なんでだ! まさかすでに次の男が!?」

「それ、どんな悪魔だあたしゃ。そうじゃなくて、七月いっぱいはバイトぎっしり入れててな。身体が空かねーんだよ」

「ば、バイトだとぅ? てめえ、金と友情どっちが大事なんだよぅ!!」

「あー、うるせー。先立つものがなきゃ何にも出来ねえだろうがこのバカ」

 

 再びヒートアップしていく二人をよそに、雅は千恵子に頭を下げた。

 

「ごめんなさいね。ちょっと長引きそうな用事だから、時間が空いたとしても新学期間際だと思うの」

「ううん、残念だけど仕方ないよ。でも、もし時間があったら一緒に遊ぼうね」

「ありがとう桂木さん。

 ところで、佐伯さんのやってるアルバイトって……」

「新都のハンバーガーショップだよ。早朝の勤務だとバイト代割り増しだから、早朝から夕方までフルで勤務入れてお金稼ぐんだーって言ってた」

「そう。やっぱりそれ、単純にお金がほしいだけじゃない?」

 

 友情よりもお金。

 友情をほっぽりだして戦争しにいく雅にどうこう言う資格はないのかもしれないが、鏡子のそれは言い訳のしようもないくらいにお金の為という感じである。

 

「うーん……、そうなんだけど。それだけじゃないんだよ?」

 

 が、千恵子はそんな風に思っていないようだ。というか、雅や双葉の知らない事情のようなものを知っている様子ですらある。

 単純な好奇心に駆られて、雅は千恵子に問いかけた。

 

「なにか知ってるの?」

「知ってるっていうか、当たり前だけどお金がないと遊べないよね? 鏡子ちゃん誰かに払ってもらったりするの嫌いだし、ここ最近は彼氏さんもいたし、なによりお小遣いなんてもらってないみたいだし」

「つまり待ってても収入はないし、誰かに借りを作るのも嫌だから、お金稼ぎに行く、と?」

「それと、夏休み前半にアルバイト詰め込んでおいたら、後半はずっとみんなで遊べるもん。もし誰かが旅行に行こう、って言い出してもこれなら時間もお金もあるし」

 

 なるほど、つまりそれは、

 

「なにー!? ってことは、佐伯はアタシらと遊びたいがために七月はバイト三昧すんのか!」

「そ、そんなんじゃねーよ! つか、千恵子も余計なこと言うんじゃねえ!」

「ツンデレ! うおおっ、佐伯、わたしお前のこと大好きだ!」

「ぎゃあっ!? 柳洞てめえ、抱きつくな!」

「あはは」

 

 じゃれ合う二人と、それを見守る残り二人。

 言葉の裏にどんな感情が隠れていても、結局この騒がしさは変わらないらしい。

 

「おっし! じゃあパーッと遊ぶのは八月として、今日の放課後どっか遊びに行こうぜ。具体的には大判焼きとか食いに」

「柳洞さん。それ、目的地決まっているようなものじゃない」

「い、いまお昼食べてる最中なのに、よく次の食べ物のこと考えられるね」

「ちーちゃん、女子は甘いもの別腹だろー? それにだな、いつも行く『江戸前屋』について実は耳寄りな情報がある」

 

 ウザさすら感じるドヤ顔。大概はろくでもないことを言い出すその表情に、雅と鏡子は顔を曇らせ、千恵子ですら苦笑を浮かべた。

 

「なんだよ、その耳寄りな情報って」

「よくぞ聞いた佐伯。っていうかアレだな、彼氏と別れたばっかの佐伯にはかなり有用な情報だぞコレ。

 実はかれこれ一週間くらい前から、江戸前屋には超絶イケメンな外人が入り浸っているらしい」

「男前の外国人さん? それって赤い髪で背の高い人?」

 

 双葉の言葉を聞いて、千恵子が首を傾げる。

 彼女の口から出た台詞は、単純な疑問というよりは確認といった意味合いが強そうなので、どうやら双葉の言う『耳寄りな情報』というやつをある程度知っているらしい。

 

「知ってんのか?」

「私も聞いただけだけど。日本語のすごく上手な外国人さんが、毎日大判焼き買いにくるって」

「そうそうそれ。日本語は上手くて、すげーフレンドリーなんだけど、日本慣れはしてなさそうなんだってよ」

「へええ、日本慣れしてないってことは多分観光客なんでしょうけど」

「わたしもそう思う。だからさ、いつ帰っちゃうかわかんないじゃん! そのイケメン外人がいなくなる前に、一目見てみたいってのが女心だろ!」

 

 要するに野次馬根性らしい。

 雅は別に興味がないのだが、千恵子や鏡子は好きそうな話題である。

 

 が、雅の予想に反して、鏡子は眉間に皺を寄せつつ「アタシはパス」と一言。これには双葉も目を丸くした。

 

「えー、佐伯イケメンとか好きだろう。彼氏と別れた傷心を、イケメン見ることで癒そうぜー」

「まあどの程度の男前か見てみたくはあるけどな……。今日は放課後バイトなんだよ」

「ぐあぁぁぁぁっ! またバイトに佐伯とられた!?」

 

 なんだ、興味がないわけじゃなくてバイトか。それにしてもよく働くな、と思いかけて、ふと気になった。

 

「ねえ、佐伯さん」

「なんだ遠坂」

「貴女のバイトって何時頃終わるの?」

「四時から三時間……、七時くらいにゃ上がるが、それがどうした?」

 

 午後七時。いまの季節なら、丁度日が沈みきるところくらいか。太陽の気配はまだあれど、夜に片足踏み込んだ時間帯である。

 

「佐伯さん。私からこんなこと言うのもおかしな話だと思うのだけど、勤務時間ってもう少し短く出来ないの? その……、そのぐらいの時間帯ってもうかなり暗いでしょう?」

 

 我ながらどうかと思う提案だ。鏡子にも色々事情があるだろうに、たかが友人が急に何を言い出すのか。文句の一つ二つとんでもおかしくない。

 それでも、いま街で起こっている戦いの事を考えると雅は言わずにはいられなかった。考えたくもないが、不用意に夜に出歩いて、戦いに巻き込まれないとも限らない。

 

 雅の言葉をどう捉えたのか。眉根を寄せた鏡子は、同じく困ったような表情をした千恵子と顔を見合わせて、言った。

 

「なんだ、遠坂も知ってたのか」

「やっぱりこういう話って、誰かから伝わっていっちゃうんだねえ……」

 

 と、二人は雅の予想外の反応を見せる。

 何のことを言っているのかわからない雅の心を代弁するかのように、双葉が二人に問いを投げた。

 

「こういう話ってなんだー? 双葉ちゃんだけのけ者かー?」

「ごめん、そういう訳じゃないんだけど」

「飯時にする話でもなかったから、黙ってたんだよ。どうせ帰りのホームルームで先公が喋るだろうしな」

「先生が? 佐伯お前、そんなやばいことしたの?」

「アタシじゃねーよ。ただ……、昨日新都の方で殺人があったんだよ」

「「え」」

 

 驚きの声は双葉と被った。

 毎日耳にするニュースでそのフレーズは別に珍しくもないが、頭に『新都で』と付くと急に緊張感が変わる。テレビの中の出来事として、どこか現実感の薄いニュースとは違い、身近な人から聞く地元での出来事は、すぐそこに差し迫った恐怖を与えてくる。

 

「今朝、登校中に結構な数のパトカーが停まっててな。何かと思ったんだが」

「夜の内に一家惨殺された、って通りがかりで警官さんに聞いたの。それも一軒だけじゃなくて4、5軒」

「見つかったのが今朝でな。それも次々似たような通報がくるとか言ってたから、今はもう少し増えてるかもしれん」

「それでね、やっぱりちょっと怖いから、鏡子ちゃんのバイトの時間減らした方がいいんじゃない? って、ここにくるまでに話してたの」

「アタシもまあ、普通に怖えしな。今日のバイトで勤務時間の相談をするつもりだったんだが……、おい。どうした遠坂?」

「はっ、え……?」

 

 思わず思考の渦に入りかけた雅を、鏡子の声が引っ張り上げる。

 

「え? じゃねえよ。すげー難しい顔してたぞ」

「顔色もあんまりよくないよ?」

「ごめん、大丈夫よ。ただ少し……、怖いなって思っただけ」

 

 そう言ってお茶を濁すも、思考の片隅には今の話がべったり張り付いてしまっていた。

 

 つい先日始まったばかりの聖杯戦争と、今回の新都での殺人事件。別々に考えるには、いささか時期が一致しすぎている。どこかの組のサーヴァントかマスターが下手人であったとしても不思議ではない。

 

「ぐあー! 暗いよ、怖いし! 飯時になんて話をぶっこんでくるんだ、この新都出身組は!」

 

 と、重くなった空気を払拭するように、双葉が声を上げた。

 

「やめやめ! 佐伯はさっさと帰って、わたしらも夜は出歩かない。それでこの話はおしまいっ! だから楽しい話しよう。なんせ今週乗り切ったら夏休みだからなー!!」

 

 あははははー、と笑う双葉はいつも通りにうるさいが、その笑い声がいつもより渇いているのを、雅は聞き逃さなかった。おそらく他の二人も同様だろう。

 それでもそれを指摘して、空気を変えようとしてくれた彼女の好意を無碍にするようなことはない。

 

 故に三人一緒に顔を見合わせて、紡ぐ言葉は異口同音。

 

「「「うるさい」」」

「お前らひどいなっ!?」

 

 いつも通りの空気に戻った昼休み。双葉の絶叫が教室に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『よろしかったのですか?』

 

 放課後。1人での帰り道で、唐突にそう問われた雅は、首を傾げつつ問い返した。

 

「よかったって、何がよ?」

『ご学友に誘われていたではないですか。断ってしまってよろしかったのかと』

 

 会話の相手は霊体化したアーチャーだ。

 聖杯戦争を戦うサーヴァントらしからぬセリフに、雅はますます首を傾げた。

 

「え? そりゃ断るわよ。今は聖杯戦争優先だもの。

 それでなくとも、今日は学校帰りに寄るところがあるって言ったでしょ?」

『それは、そうなのですが……』

 

 雅の言葉にそう返すアーチャーは、随分と歯切れが悪い。

 

「何? 言いたいことがあるなら、きちんと口にして。それで怒ることとかないから。……多分」

 

 よほどのことでないのなら、雅が感情を荒げることはないだろう。

 というか、基本的にアーチャーはマスターの方針を第一に考えている節があるので、彼の言葉が気に障ったとしても、それは恐らく雅のことを思ってのことなのだと思う。

 

『……では、無礼を承知で言わせていただきます』

 

 と、彼の騎士はそう前置きして、ゆっくりと口を開いた。

 

『マスター。聖杯戦争を戦う魔術師として、あなたの行動は正しい。友人との時間など、聖杯戦争中は優先順位も下がるでしょう。

 しかし、心開ける友人というものは得てして得難いものです。私のように『終わった者』ならいざ知らず、マスターは今を生きる人間だ。戦いが終わった後も人生は続く。現状では難しいかも知れませんが、ご友人との時間は大切にされた方がいい』

 

 そこまでを一息で言い切って、彼は躊躇ったようにさらに付け加えた。

 

『でなければ、いつか私のように後悔することになるかもしれません』

 

 ────私のように。

 

 その言葉の裏に、どれほどの出来事があったのか。アーチャーではない雅には、彼の心情を正確に把握することなど出来ない。

 それでも、『後悔している』と言った彼の気持ちを、想像することくらいはできる。掛け値なしの英雄である彼が口に出してしまうほどに、彼は友情を守れなかったことを悔いているのだ。 

 

「アーチャー、あなた……」

 

 雅は深く溜め息を吐いた。

 

「大丈夫よ。あなたが心配してるようにはならないから。

 だって、私が付き合い悪いことなんて、あの子たちとっくに知ってるもの。今更今日のことくらいでどうこうならないし、この先もきっと大丈夫よ。そういう……口に出すのははばかられるんだけど、その、良い娘たちだと思うから」

 

 心配性のサーヴァントを安心させるために、そう言い切る。が、今の台詞回しはいささか以上に恥ずかしくなかっただろうか。

 だんだんと恥ずかしさの込み上げてきた雅は、アーチャーに深く突っ込まれる前に話題を切り替えることにした。

 

「それにしても、前からそうじゃないかなー、とは思ってたけど。あなた結構心配性っていうか、過保護なのね」

『は? な、そのようなことはないでしょう! サーヴァントがマスターを心配するのは当然のことです』

 

 こちらの指摘に、彼はムキになって反論する。

 お、これは図星かな? と、雅は口端をつり上げた。

 

「そう? 戦う上での忠告ならともかく、今回のは完全にお節介の部類だと思うわよ?」

『……う、いえ、しかしですね』

「はいはいわかったわかった」

『わ、私のことなどより! い、一体どこに寄られるおつもりなのか!』

 

 普段落ち着いた口調で話すアーチャーには珍しく、随分と早口である。

 うわー。話題変えるの下手ー。と呆れてしまうが、雅自身、先ほど話題転換した前科がる。

 焦るアーチャーは面白かったが、大人しく逸らされた話題に付き合ってやることにした。

 

「私の魔術の先生のところよ」

『というと、マスターのお婆様のところですか』

「あー、そういえばアーチャーには私の師匠がお婆様だって話はしたんだっけ?」

『はい。この街の案内をされているときに話題に』

 

 そういえば退屈しのぎにそんな話もした気がする。

 だが、生憎と雅の祖母はこの街にはいない。というか日本国内にすらいない。家督を雅の先代────雅の父だ────に譲ったあとは、一年の大半をイギリスで過ごすことが多く、日本にいることの方が珍しい。

 それは雅が当主に代わってからも変わらず、今回の騒動も雅の手並みを見極めるのだと言わんばかりに静観を決め込んでいた。

 

 なので、当然、

 

「そっか。でもごめん、違うわ。お婆様は確かに私の師匠なんだけど、今日会いにいく人は別の人なの」

 

 と、アーチャーには答えることになる。

 

『そうなのですか?』

「うん。私にはお婆様の他に魔術の先生って呼べる人がもう一人いて、今日会いにいくのはそっち」

『二人の師、ですか』

「そう。魔術って基本的に一子相伝だから、家系の魔術は先代とか先々代とかに教わらなきゃなんだけど。それ以外。極端な例だと、魔力の扱いなんて基礎中の基礎なら、教えるのが別に家系の魔術師じゃなくてもいい訳でしょ?

 うちのお婆様もあれで忙がしい人だから、私にばっかり構ってられなくてね。今日会うのは、そういう秘伝の魔術以外を教えてくれた人なの」

 

 答えつつ、かつての指導を思い返して微笑んだ。

 今よりももっと子供だった時代に、先生に指導してもらったことは、雅にとって大切な記憶だ。

 

『なるほど。いうなれば、マスターの家庭教師のようなものですか』

「まだ語弊がある気がするけど、まあおおむねその認識で間違ってないかな。

 それでね、その先生が明日には国に帰るって言うから、今日のうちに挨拶しておきたくって」

『国に帰る……。つまりその方は、この国の人間ではないのですね』

「ええ。遠坂の遠縁に『エーデルフェルト』って魔術の名門があってね。先生はそこの魔術師なの。

 エーデルフェルトの本家はフィンランドにあって、今日を逃しちゃうと次も簡単に会いましょうって訳にはいかないから」

 

 一応でも冬木の土地管理人である雅は、たやすくこの街を離れられない。なので先生に会えるのは、基本的にこうして向こうが冬木に出向いてくれた時だけだ。

 雅が家督を次いでからは、冬木を訪ねてくることも随分減ってしまったので、先生が帰る前にもう一度会いたい気持ちは大きかった。

 

「それに言いたくはないけど、歳も歳だしね。長距離の移動はやっぱり身体に障ると思うのよ」

『ご高齢なのですか?』

「ええ。お婆様と同世代だと言っていたから。なんでも学生時代はこっちに留学して、お婆様と一悶着あったらしいわよ?」

『一悶着、とは?』

 

 アーチャーの質問に苦笑する。

 その辺りの出来事は、当事者たちに訊いても何も教えてもらえなかったのだ。

 

「それが訊いても教えてくれなくてね。お祖父様も苦笑いしてたから何か知ってるんでしょうけど……。

 とにかく親戚なんて言っても、当時は随分疎遠だったらしわ。けどまあ一悶着(そういうこと)があったからか、お婆様が当主を次ぐ頃には結び付きも前より強くなってね。

 お互いに無関心だったものが、私の指導をしてくれるくらいには親密になったの」

 

 そうそう。それから大切なことを言い忘れるところだった。

 

「あなたの触媒を融通してくれたのも先生なのよ」

『なんと!』

「実は今回の来日はその関係でね。

 あなたたち英霊からしたら面白い話じゃないだろうけど、世界中で聖杯戦争をやってる今のご時世だと、召喚の触媒ってバカみたいな価値があるのよ。それこそ盗みとか殺人とか、墓荒しなんかが横行するくらいにはね。

 で、そんな価値のあるもの輸送途中に何があるかわからないって、わざわざ自分で届けにきてくれたのよ」

 

 それについては本当に頭が上がらない。

 輸送事故を防ぐために自ら触媒を持ってきてくれたことも去ることながら、そもそも触媒自体を提供してくれたことにもだ。

 

「と、ここだわ」

 

 気付けば目的地のすぐそばまできていたらしい。

 足を止めた雅は、目の前の日本家屋を見つめた。

 

『これは、随分立派なお屋敷ですね。武家屋敷、というのでしたか』

「あなた、西洋の英霊のクセにそんな言葉まで知ってるの?」

 

 アーチャーの語ったように、雅の前にある屋敷は『立派』と称して問題がないほどの大きさの日本家屋だった。聞いた話だと、築70年だか100年だか200年だか。とにかく古い物件らしく、こういう住居はきょうび日本でも珍しい。

 なんのこだわりがあるのか。雅の先生はフィンランドの名門の出のクセに、日本にくると必ずこの武家屋敷に滞在するのだ。

 補強のために度々工事はしているが、ここまで古い物件だと色々不便で仕方がないだろうに。

 

 その立派なお屋敷に恥じぬ立派な門の前まで来た雅は、門戸のすぐ隣に据え付けられたチャイムを鳴らした。

 待つこと数秒。インターフォンの向こうから、雅の想像通りの声が聞こえてくる。

 

『はい。どちら様でしょう』

「先生。雅です。お伝えしたように、先生に会いに伺いました」

『まあ雅ちゃん。少し待っていて下さいね』

 

 ややあって、門の向こう側から鈍い音が響く。恐らくカンヌキを外した音だろう。それに一拍遅れて、大きな門戸が重々しく開いた。

 

「いらっしゃい。雅ちゃん。こうして会うのは1週間ぶりかな?」

 

 そういって雅を出迎えたのは、長い白髪を結い上げた老女だった。

 あまり主張しない色合いの洋服に身を包み、優しげな表情でこちらを見つめている。

 手足は細く、身体つきもそれに比例するように小さい。昔本人が冗談めかして言ったことだが、会うたびに縮んでいるような気もする。

 歳を重ねるごと数を増やしていくシワは、まるで年輪のように老女の顔に刻まれ、それだけで彼女がかなりの高齢なのだと匂わせていた。

 

 彼女を言い表すのなら、こじんまりとした可愛いお婆ちゃん、といったところか。

 

 それでも、しっかりと自分の足で立って歩き、腰も曲がらず背筋もまっすぐなその立ち姿。耳が遠い訳でもなく、ましてやボケている訳でもない彼女は、とても80に手が届くような老人には見えない。

 

「すぐにご挨拶にこれなくて、申し訳ありませんでした」

 

 雅は頭を下げた。

 アーチャーの召喚。負傷。休息。これらのことが重なって、雅は彼女に面と向かって、然るべき報告を行っていない。

 すなわち、『あなたの用意してくださった触媒で、無事にサーヴァントが召喚できました』という報告を。

 

「やだ、気にしないで。今日こうして雅ちゃんが会いに来てくれただけで嬉しいから」

 

 一方の老女は雅の態度に少し慌てつつ、やんわりと頭を上げるように促した。

 そうして自身は半歩分下がると、顔を上げた雅に向かって手招きをする。

 

「さ、どうぞ」

「はい、先生」

 

 軽く一礼してから門をくぐる。

 定期的に手入れされているのだろう。門の内側にあった庭の様子は、幼い頃からずっと変わっていない気がした。

 

 その庭を横目で眺めながら、先行する先生について歩く。

 さほどの距離もかけずに玄関前までたどり着くと、するりと玄関を上がった先生が、再び雅に手招きした。

 

「ようこそいらっしゃい雅ちゃん。どうか遠慮せずにあがってくださいね」

 

 手招きされるまま玄関の敷居をまたぐ。靴を脱ぐ前にその場でもう一度頭を下げてから、雅は家の中に上がった。

 

 

「お邪魔します。サクラ先生」




金髪ドリルロール:ふぁっ!?
黒髪ツインテール:ふぁっ!?


原作キャラ/Zeroでお送りしています!


※新キャラ大放出回!(ただし物語に絡むとは言ってない)

 ちまたでは欲しいサーヴァントを描くと、それが触媒になってガチャで引ける、って都市伝説があるらしいですね。
 自分は絵心ないので、せめてfate関連の小説を書こうと、この小説をせっせか書いてました。
 つまり何が言いたいかって言うと、更新予定が来年だったこの話が今年の内に更新されたのは、欲しいサーヴァントがいたからってことです。(なお、この小説には登場しないので多分触媒にはなってない)

 っていうか、この話はサクッと終わると思ってたのに前の話の二倍くらいあるよ……。でもストーリーはまるで進展がないという(なお長すぎたのでこの話に入れる予定の話を次に回している模様)



以下、FGOのネタバレ含むオマケのいんたーるーど。

【いんたーるーど】FGOで遊ぶAAAの弓陣営


雅「走れソリよー、風のようにー」
弓「ご機嫌ですね、マスター」
雅「特異点をー……って、き、聞いてたのアーチャー!?」
弓「はい。何かまずかったでしょうか?」
雅「別に、まずくはないんだけどさ……」
弓「? それより、今のはいわゆるクリスマスソングというやつですか」
雅「え、ええ。こないだ九条さんに教えてもらったソーシャルゲームでクリスマスイベントやっててね。サンタがどうこうって」
弓「サンタ、ですか?」
雅「そ。とあるサーヴァントがサンタに扮してって内容で。ゲームの話とはいえ、夢があって、」
弓「クリスマスに人々、特に子供の願いを魔力に換えて、その夢を叶えるという幻想の住人ですか」
雅「……えっ、とアーチャー?」
弓「はい?」
雅「まさかそれ、ソリの燃料がくつ下とか言わないわよね?」
弓「くつ下ですか? 確かに具体的な品があれば、魔力効率はよいでしょう。ただ、願いさえこもっていれば別にくつ下に限らないと聞き及びましたが?」
雅「あー……、そうなんだー……」
弓「マスター? なぜスマホと私を見比べておられるのですか?」
雅「いや、別になんでもないけど。……。へー……、いるんだサンタって」
弓「?」
雅「あ、そうだアーチャーもやってみる? 今のイベントは結構衝撃受けるかも知れないけど」
弓「はあ……。マスターがやれとおっしゃるのなら」


~数分後~


雅「どうアーチャー。あなた的には中々衝撃的なサンタだったと思っ……て、どうしたの? なんだか暗いわよ?」
弓「クリスティーヌ……」
雅「……………は?」
弓「私にクリスティーヌ・クリスティーヌ! と叫べば良かったとおっしゃるのか!?」
雅「なに言ってるの、あなた?」





赤「こんにちは、メリー!!」
青「ローマうぜええええ!!」
黒「お前らじゃない座ってろ」

そんなFGOクリスマスイベント


さりげなくここのバサカとアーチャーがいつか参戦するような期待が高まるセリフ多くていいですね


トナカイの皆さまガチャ回してますかー?

本能寺、ケルトと抜けてクリスマスイベントまでの間がない。マスターには休む暇ありませんね!

自分、本能寺は結局終盤にナメプしても180万ポイントとかあって余裕でした。

対して師匠ピックアップは課金しましたよね。するよね。
というか、FGO始まる前から師匠追加されたら引けるまで課金すると決めてたので課金余裕でした。
あと、ここ読んでくださってる方は気付いておられると思うのですが、叔父貴も引けるまで課金するつもりだったので、叔父貴星3でホントに良かったという心境

ここまでノー課金だったので大量の石で回しまくることにビビりました。
あと当然課金前に貯めてた石と呼符使いきるべく回してたのですが、無料分では当然のように師匠きませんでした。(別の星5鯖が二人ほどきて友人にぶん殴られましたが)


ところで皆さまのところにはピックアップサーヴァントってどれくらいピックアップされてるんでしょうか?
いや、自分師匠引けるまで引いて、叔父貴もディルもギリギリ宝具レベル5になるかならないかだったので。お前らホントにピックアップかと

猪と旦那は超来てくれたけどな!


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二日目 白昼堂々

「遠坂も佐伯もよー、付き合い悪りぃよなー」

「二人とも用事があるんだし、ある程度は仕方ないよ」

「ちーちゃんは甘いんだよー」

 

 ぶーたれる双葉を宥めながら帰り道を歩く。

 雅とは教室前の廊下で、鏡子とは昇降口で別れ、現在は千恵子と双葉の二人で下校中。

 新都に自宅がある千恵子と、円蔵山に自宅がある双葉とでは帰宅ルートは異なるが、そこはそれ。昼休みに話していた通り二人の足は深山商店街へと向かっていた。目的は言わずもがなである。

 

「ちーちゃんはさー、どんな感じのイケメンなら嬉しい?」

「嬉しい……?」

 

 双葉からの質問に千恵子は首を傾げた。

 これから見に行こうとしている『商店街に現れる赤髪の外国人』は、千恵子の聞いた前評判では『ワイルドなイケメン』とのことだった。その情報から、千恵子はなんとなくワイルド系のハリウッド俳優のような見た目を想像していたのだが。

 

 どんなイケメンなら嬉しいか。は、ちょっと考えていなかったというのが正直なところである。

 

「うーん……、どうだろう? 綺麗な顔立ちだと嬉しい、かなぁ?」

「なるほどなるほど。わたしはワイルドなマッチョとかだと嬉しいなー! ほら、やっぱり男らしさ? みたいなのって必要だと思うんだよ」

「マッチョさんかあ。ワイルドなイケメンって聞いたから、もしかしたらマッチョさんなのかも知れないね」

「おっ、そうなの!? いやあ楽しみだなー」

 

 しかし情報では、そのイケメンはどうやら大判焼きを買いに毎日商店街に通っているらしい。

 大判焼き大好きなマッチョのイケメンってどうなんだろう。と想像して、意外とありだなと内心で結論を下す。度を過ぎなければ、それはギャップ萌えってやつだと、以前何かの雑誌で読んだ。

 

「今日も商店街にいるといいね」

「いるだろ。つーか、いてくれないと困る。この暑い中、商店街まで歩くのって体力使うし」

「最高気温33度だって言ってたよ」

「死ぬ!」

 

 そう言いながら、双葉が制服の首もとをパタパタと動かす。蒸れる制服から熱を逃がそうというのだろう。

 はしたないとは思うけれど、この暑さでは仕方ないとも思う。千恵子にしたって、もしも人目がなければ制服なんて全部脱いでしまいたいくらいだ。

 

 今日は天気もいいし、気温も高い。アスファルトからの照り返しもあって、屋外と室内との体感気温の差は実際の気温差よりも随分と大きい。意識しないようにしていたが、ひとたび話題に上ってしまうとどうしてもこの暑さが気になってしまう。

 

「そのイケメンがどの辺のホテルに泊まってるか知らないけどさ、このあっついのに毎日大判焼き買いに行くなんて、よっぽど気に入ったんだろうな」

「まだ観光客かはわからないけどね。けどホント、毎日こんなに暑いのに通い詰めるってすごいね」

「なー。…………暑い」

「ねー。…………暑い」

 

 力ない笑みを浮かべながら歩く。

 校舎を出た当初は元気だった二人だが、やはりこの気温の中、数分も歩いていれば体力はみるみる吸い取られていく訳で。典型的な屋内型の千恵子はもちろん、バリバリ屋外体育会系の双葉でさえ徐々に口数は少なくなっていた。

 

「なー、ちーちゃん」

「……うん。どうしたの?」

「コンビニ寄らねえ?」

 

 首もとの汗を拭いながら双葉が指をさす。

 彼女の人差し指が示す方向には成る程。車道を挟んで向かい側に、見慣れた青い看板のコンビニエンスストアが見えた。

 

「このまんまじゃ熱中症だよー。少し涼もうぜー」

「……そうだね。ちょっと今日は暑すぎるかも」

 

 ここから深山商店街までは、そう遠くはない。

 けれどこの炎天下の中を歩いていくと考えると、商店街までの残りの道のりはとてつもなく長いものに思えた。

 

 恐らく冷房の行き渡っているであろうコンビニ。

 この気温の中、屋外にいる二人の女子高生にとってはまさに砂漠に現れたオアシスに等しい。

 

 涼を取れるというあらがいがたい魅力に引き寄せられ、二人の足は特に用事のなかったコンビニへと向かってしまう。

 

「喉も渇いたなー。アイス食おう、アイス!」

「ええ!? 江戸前屋行ったら大判焼きも食べるのに!? それにアイスは飲み物じゃないよ!?」

「失礼な! アイスは立派な飲み物だ!! それにアレだな、女子的には甘いものは別腹ってことで」

「ええー……」

 

 双葉の言葉に納得しきれないまま、千恵子はコンビニへと踏み入った。

 

 

 ────余談だが、おいしそうにアイスを頬張る双葉を見て、千恵子もアイスを購入してしまったことをここに記す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今お茶を淹れるから、少しだけ待っていて頂戴ね」

 

 雅を居間に通した先生は、そう言って台所へと引っ込んでいった。

 手近な場所にスクールバッグを置いた雅は、その言葉に慌てて台所へと顔を向ける。

 

「そんなっ、お構いなく。っていうか、手伝いますよ先生!」

「ダメでーす。お客様はお客様らしく、そこでくつろいでいてください」

「そんなこと……」

「じゃあこれは先生として。私が戻るまで大人しくしていなさい」

「うっ……」

 

 ぴしゃりと言い切られて、雅は動きを止めた。

 伊達に雅の先生をやっている訳ではない。流石に、彼女は雅の扱い方をわかっている。

 『客』ではなく『生徒』として彼女を手伝おうとした雅は、『先生』として紡がれた言葉にはどうしようもないのだ。

 

 それに、誰かをもてなすことは、もはや先生の趣味のようなものだ。最初のやり取りで譲る気がなかった以上、ここからどんなに言葉を重ねても彼女の意志を曲げさせるのは無理だろう。

 

 仕方なく居間に腰をおろした雅は、久しぶりに来たこの部屋の中をぐるりと見渡した。

 

 畳敷きの床。数人が並んで座れる大きめの座卓と座椅子。窓の側には花の生けられた花瓶。間仕切りは障子で、座卓から見やすい位置には大きめのテレビがある。

 

 相も変わらず、いかにもテンプレ的な和風の居間だ。ここに来る度に思うのだが、何故にフィンランド名家の先生がこの屋敷に滞在するのか理解できない。住みやすさという点ならば、遠坂の邸宅の方が遙かにマシだろうに。

 雅としてもそちらの方が嬉しい。

 なんて、そんな本音はさておき。ややあって、お盆にお茶とお茶菓子を乗せた先生がニコニコしながら居間へと入ってきた。

 

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 出されたのは冷茶と水羊羹(みずようかん)。視覚的にも涼しげなもてなしは、炎天下の中を歩いてきた雅には非常に嬉しい。

 薦められるままお茶を一口頂いて喉を潤すと、早速とばかりに雅は口を開いた。

 

「それで、先生。今日こちらに伺ったのは……」

「待って、雅ちゃん。その前に、貴女のサーヴァントはここにいますか?」

 

 雅の言葉を遮って、先生が言う。

 首を傾げながらも、雅は先生の問いに答えた。

 

「はい。今もそこに」

 

 そもそも今日の用向きは、先生に融通してもらった触媒で無事にサーヴァントを喚び出せた、という報告とお礼、そしてある一つのお願いだ。

 聖杯戦争中ということと今日の報告の件から、雅が傍らにアーチャーを控えさせていないなんてことはあり得ない。

 

 先生にはメールを使って簡単な報告は済ませていたが、アーチャーの召喚後に雅が先生と直接顔を合わせるのは初めてである。先生としても、自分が送った触媒で、どのような英霊が呼び出されたのか興味があるのかもしれない。

 或いは、聖杯戦争を勝ち抜くにあたって、自分の生徒がマスターとしての基本(この場合は不用意にサーヴァントと離れないことだろう)をきちんと出来ているのか、という確認か。

 

 だが、続く先生の言葉は雅にも予想が出来ないものであった。

 

 

「そう、三人分淹れて良かった。せっかくだから、みんなでお茶にしましょう?」

「え?」

 

 

 そういう流れで、三人でお茶会である。

 

 なんというか、これは一体なんだろうか。と雅は思った。

 自分のサーヴァントを見せる目的でここにきたのだから、アーチャーを実体化させることは何の問題もない。先生とアーチャーが会話するのだって当然だ。

 だけれど、自分と先生とアーチャーとで、冷茶をすすりつつ水羊羹を口に運ぶ現在の状況は、正直言って訳がわからない。いや、アーチャーのことも客人としてもてなしたい先生の心理はわからなくもなかったが、それにしたってこう、これは聖杯戦争期間中に似つかわしくない光景なのでは、と思ってしまうのだ。

 

 実体化し、雅の隣に腰をおろしたアーチャーに目を向ければ、彼もやはり現在の状況に困惑していることが見て取れた。

 

「貴方も遠慮せずに召し上がってくださいね」

「……はあ」

「あら? もしかして緑茶は苦手なのかしら。それとも羊羹が? ごめんなさいね、気が付かなくて」

「ああ、いえ。そうではなくて……。私はサーヴァントですから、このようなお気遣いなど無用です」

「そう? でも私にとっては貴方もお客様ですし、何より雅ちゃんを守ってくれる大事な人ですから。これくらいはさせてくださいね」

 

 ニコニコと上機嫌で先生は水羊羹を口に運ぶ。

 困惑からこちらを伺うアーチャーに『こうなったら諦めてもてなされなさい』と念話で伝えて、雅も水羊羹を口に運んだ。

 口の中に広がる上品な甘さを堪能して、一息ついた雅は今度こそ用件を口にする。

 

「それでその、先生」

「はい。何かしら?」

「今日こちらに伺ったのは、彼を────アーチャーを先生に見せるためです」

 

 あら、と先生の視線が雅からアーチャーに移される。

 水羊羹の切り分けに四苦八苦していたアーチャーは、視線を受けて居住まいを正した。

 

「先生の用意してくださった触媒で、このとおり無事にサーヴァントを召喚出来ました。ご挨拶が遅れてしまいましたが、改めてお礼を述べたいと思いまして」

「気にしないで。私が好きでやったことだから」

 

 柔らかい笑みを浮かべて老女はそう言う。

 

 好きでやったことだから。

 そういう風に言った彼女に、雅は何度助けられたかわからない。

 

「ところで、私が用意した触媒から召喚されたのなら、アーチャーの真名は────、」

「おそらく貴女が想像しているとおりでしょう、レディ」

「そうですか。アレを使って『セイバー』ではなく『アーチャー』として喚ばれたのは、貴方の適正か、それとも雅ちゃんの適正でしょうかね」

 

 セイバーかアーチャー、どちらの方が良かったのかしら。と、思案するかのような先生に、意を決して雅は声をかけた。

 とりあえずの報告はここまで。肝心要の用件が一つ、雅には残っている。

 

「あの、先生」

「はい、どうしたのかな?」

「実は先生が用意してくださったあの触媒、お返しすることが出来ません。本当にごめんなさいッ!!」

「……はい?」

 

 雅の急な謝罪に、キョトン、と老女が首を傾げる。

 自分でも大概なことを口にしている自覚を持ちながら、雅は続きを吐き出した。

 

「アーチャーには『剣の宝具』はありません。いえ、正確には『クラスの枠』に弾かれて『剣の宝具』はオミットされてしまいました」

 

 頭を上げないまま、そう報告する。

 雅が口にしたクラスの枠とは、いわば英霊の『再現度』を決めるものであり、サーヴァントの限界値とも言えるものだ。

 

 最大で七騎のサーヴァントを喚び出し、殺し合わせる聖杯戦争。

 だが、英霊たるサーヴァントの召喚は魔術師には不可能に近く、聖杯の補助があったとしてもそれは難しい。

 そのため、聖杯はあらかじめ『七つの筐』を用意する。

 

 すなわち、

 

 剣士(セイバー)

 槍兵(ランサー)

 弓兵(アーチャー)

 騎乗兵(ライダー)

 暗殺者(アサシン)

 狂戦士(バーサーカー)

 魔術師(キャスター)

 

 の七つであり、聖杯は、英霊をこれらの役割に即した一面に限定することで召喚する。

 そのためサーヴァントが生前の能力すべてを発揮することは叶わない。

 

 剣士としても優秀な技量を持ち、剣自体も相当な業物であったハズのアーチャーが『剣の宝具』を所有していないのもこの為だ。

 弓兵というクラスの枠に押し込められた結果、本来所有していたハズの武装を『弓兵には必要のないもの』として弾かれてしまったのである。

 

 そしてそれはアーチャーに限らない。

 セイバーもランサーも、ライダーだって本来ならもっと多くの能力、もっと多くの武装を備えていたとしてもおかしくはないのだ。

 

「ですが、」

 

 さて、ここで一つ確認をしよう。

 サーヴァントとは英霊である。

 そして英霊とは『過去、なにかしらの偉業をなしとげた者』である。

 

 

 ではもしも、それら英霊の使っていた武装そのものが現代まで残り続けていたとしたら?

 そしてもしも、上記の理由によって武装を取り上げられたサーヴァントに、それらの武装を返せたとしたら?

 

 

「アーチャーには、先生が用意してくださった触媒が……、あの銀剣があります」

「アレは間違いなく私の物でした。弓兵(アーチャー)として現界させられても、アレの扱い方は忘れていません。必要ならば真名解放も可能でしょう」

 

 雅の言葉を引き継ぐように、アーチャーが言う。

 

 ただの触媒だった、刃の欠けた銀剣。

 それはアーチャーが現界し、アーチャーの魔力を通すことによって宝具としての輝きを取り戻した。

 

 現代まで残り続けた彼本来の武装。

 それを彼に返すことによって、アーチャーは弓兵でありながら弓兵が本来持ち得ない武装()を獲得した。

 

 言うまでもなくそれはサーヴァントの強化だ。

 他のサーヴァントが持ち得ない雅たちの強みだ。

 

 けれどこの触媒は雅自身が用意したわけではない。雅の先生が、雅のためにと何とか融通してくれたものなのだ。

 亜種聖杯戦争が盛んなこの時勢。英霊ゆかりの品は、それがどんなものであれ目が剥くような値段が付けられている。このアーチャーをほぼ確実に呼び出せるだろう銀剣など、一体どれほどの価値があるのか雅には想像もできない程だ。

 

 頭を下げれば済む問題ではないことくらいはわかっている。

 ここまで世話を焼いてくれた恩師に、この上さらに迷惑をかけようなどと、正気の沙汰ではない。

 師弟の縁を切られるどころか、遠坂とエーデルフェルトで戦争が起きるかもしれない。

 

 それでも戦力として、アーチャーからあの銀剣を奪うのは惜しい。

 

「聖杯戦争が終結した暁には、きっと銀剣は返しに伺います。ですから、それまでは……、それまではどうか、私にアレを預けては頂けないでしょうか!」

 

 座したまま、さらに深く頭を下げた。

 その雅の隣では、アーチャーが同じように頭を下げる気配がある。

 彼にしてみれば、この話は完全に予想外だろうし、もとを糾せば銀剣は彼の所有物である。にも関わらず、何も言わずに彼は雅に付き合ってくれている。本当に自分には過ぎたサーヴァントだ。

 

「……顔を上げて頂戴」

 

 厚かましいにも程があるお願いをした自覚があるせいで、そう言われてもしばらく雅は顔を上げることが出来なかった。

 

「雅ちゃん」

「マスター」

 

 頭を下げ続ける雅の頭上から降る二種類の声に、雅は緩慢な動きで顔を上げる。

 視線を上げた先にいた先生の顔は、怒るでも失望するでもなく、ただ真剣なものだった。

 

「ねえ雅ちゃん。貴女の今の言葉、『聖杯戦争が終わったら、触媒を返しに行く』っていうのは本当?」

「は、はい。もちろんです」

「誓える?」

「誓います。遠坂八代目当主として、サクラ・エーデルフェルトから借り受けた触媒を、私が存命である限り必ず返しにいくことを」

「……そう」

 

 その一言とともに先生は目蓋を閉じ、そして────、

 

「ふふっ、言質は取りましたから、ちゃあんと返しにきてくださいね。雅ちゃんっ」

 

 なんて、老女とは思えないくらいに無邪気に笑うのだった。

 

「え、先生……?」

「あ、今更やっぱり返しに行くのは面倒くさい、なんて言うのは無しですからね? しっかり雅ちゃんが()()()私の所まで返しにきてください」

「あ、はい。

 じゃなくて、その。怒っていないんですか?」

「怒ってませんよ? 雅ちゃんが私の所まで借りた物を返しにきてくれるって聞いて、むしろ喜んじゃってるくらいです」

 

 予想外の反応に呆然とする。

 そんなこちらには構わず、先生は嬉しそうな顔のまま言うのだ。

 

「最近は日本に来られることも少なくなったし、可愛い生徒に会える機会が減ってしまって寂しかったんですよ?

 それなのに、その雅ちゃんが『私の所まで来てくれる』って約束してくれたんですもの。嬉しくないハズがないでしょう?」

「ありがとう……、ございます」

 

 この先生には本当に頭が上がらない。

 

 再び俯いてしまった雅に、先生からの優しい声音が届く。

 

「だから、きちんと()()()()()私の所まで来てくださいね」

「……はい!」

「アーチャーさんも、この子のことをよろしくお願いします」

「我が弓にかけて、誓いましょう」

 

 『勝ち残って』ではなく『生き残って』。

 それはきっと彼女の優しさであり、願いだったのだろう。

 そんな風に思われている自分は、きっと先生に恵まれた。

 

 この戦いが終わったら、きっと先生に会いに行こうと決意を新たにして、雅はもう一度頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深山商店街へ向かう坂道を下る。

 

 現在時刻は午後三時過ぎ。

 太陽の位置は高く、ピークこそ過ぎ去ったものの、気温は未だ高い。

 

『暑いのなら上着くらい脱げばよかろう。見ているこっちが暑いわ』

 

 脳内に響く声を無視して進む。

 日本の七月といえば夏真っ盛り。その中にあって、長袖のカソック姿で街を行くテオドールはさぞ目を引くことだろう。道行く人々がちらちらとこちらを見てくるのは、テオドールが外国人であるということだけが理由ではないハズだ。

 実際ここにくるまで、『この暑いのにあんな厚着なんて頭おかしいんじゃねーの?』とでも言いたげな視線を何度も感じた。

 

『この暑いのにそのような厚着で通す。貴様、体調管理ができないバカか?』

 

 というか、言葉こそ違えど現在進行形で自分のサーヴァントに言われた。

 

 確かに暑い。

 心頭を滅却すれば、とはこの国のことわざだったか。生憎とテオドールはその域に達していないので、普通に暑い。

 

 暑いのだが、それを理由に脱ぐ訳にもいかない。この服には一応、対魔術的な加工が施されている。サーヴァントの持つ対魔力とは比べるべくもないが、それでもある程度の抗魔力は期待できる。魔術師との戦闘が予想される聖杯戦争において有効な装備を、わざわざ捨てる選択などありはしない。

 特に、今し方偵察に行ってきた魔術師の工房などでは、いったいどれほどの魔術的仕掛けが施されていてもおかしくはないのだ。備えあれば憂いなし。万全の装備で事に当たるのは、負けられない戦いをする者にとって当然のことである。滅茶苦茶暑いが。

 

『たいしたやせ我慢だな。暑さで頭がやられて、判断ミスなどしたら笑うに笑えんぞ』

「さすがにそこまで愚かではない」

 

 黙殺するつもりが、ついつい反論してしまった。この暑さで多少イライラしているらしい。

 というよりも、苛立ちの原因は先ほどから念話を飛ばし続けてくるランサーかもしれない。なにせ、つい一時間ほど前に切り上げた工房の調査中にも、このサーヴァントはずっと口喧しかったのだ。

 

『フン、どうだかな。貴様は先ほど、トオサカ邸の偵察にも俺様を使おうとしなかったくらいだ。既に判断力が鈍っている可能性すらあるぞ』

「……」

 

 思い返した途端コレである。

 テオドールはこれ見よがしにため息を吐いた。このサーヴァント相手では意味のないことだろうとは思っても、ため息をつかなければいられなかった、というのが正しい。

 

「お前に、魔術師の工房の調査が出来るとは思わん」

『調査も何も、中に入ってすべて叩き潰せばよいだろうが』

「それを口にした時点で、お前に遠坂邸への偵察は任せられない。先ほどもそう言ったハズだ」

 

 魔術師の工房というのは、魔術師にとっての研究施設であり、寝床であり、敵を叩き潰すための処刑場だ。

 その魔術師にとって有利になる地形に装置。敵の力をそぎ落とす呪いにトラップ。挙げ句の果てには魔獣や怨霊の類まで飼っている、なんてことも珍しくはない。

 

 人間であるテオドールはもちろんのこと、サーヴァントであるランサーであろうとも、下手を打てばやられてしまいかねない場所である。また、仮に工房のトラップや迎撃魔術がランサーに通用しなかった場合でも、そこに敵サーヴァントが加われば一気にこちらが不利になる。

 それ故に、工房の攻略は慎重に行わなければならない。相手が工房の外に出る機会が多いのであれば、わざわざ工房攻略などせずに、外で戦うというのも一つの手になってくる。

 

 そういうものは、すこし考えれば子供でもわかるようなことだろう。

 それをして『中に入ってすべて叩き潰す』などと宣ったランサーの方こそ、テオドールからしてみれば『暑さで頭がやられたバカ者』そのものであった。

 

 ちなみにテオドールたちが偵察してきたのは『遠坂邸』。ここ冬木の土地管理者(セカンドオーナー)にしてアーチャーのマスターでもある魔術師・遠坂雅の拠点であり、テオドールはこの情報を昨晩、監督役のノエルから聞き出していた。

 ノエル曰く、冬木の聖杯戦争においてこの程度の情報は基本知識に等しいため、ペナルティにはならないだろう、とのこと。

 実際、この地で聖杯戦争が行われるのなら遠坂の魔術師はマスター候補筆頭である。彼の一族は別に隠れ住んでいる訳でもないため、遠坂邸の場所も容易に知れる。テオドールの知識の中にも、警戒すべき魔術師として遠坂は存在していた。確かにここまでなら基本知識と切って捨てても問題ないレベルかもしれない。

 

 が、遠坂のサーヴァントがアーチャーと知れたことは基本知識の枠には止まらないだろう。遠坂がマスターだと確定したこともまた、情報としては大きい。冬木の地に派遣されるにあたって、遠坂の魔術師の戦闘方法については調べてある。完全な情報とは言えないかもしれないが、これがあるのとないのとでは、戦闘の難易度が大きく変わる。

 

 なお、まだ日が高いことと、防性結界の強固さから本日の工房攻略はいったん中止した。ランサーがずっとやかましいのは、工房探索をさせてもらえなかったばかりか、早々に攻略自体を中止したことも手伝っているのだろう。

 現在は深山商店街に向かっている最中だ。なんでも最近外国人が入り浸っている店があるらしい。それが聖杯戦争の関係者とは限らないが、()()という辺りが妙に引っかかる。

 そういうわけでダメで元々。深山商店街で調査をすることにした。

 

『ふん。昼間から堂々と姿を曝すサーヴァントか』

「まだサーヴァントだと確定した訳ではない。そもそも聖杯戦争関係者とも限らん。ただの観光客の可能性もある」

『やはり沸いているのか? ()()()()()()()()()()()など、あのライダーに決まっていよう』

「だからその確認をするのだと何度……、」

「きゃっ」

 

 言い返しかけた言葉は、曲がり角から飛び出してきた影のせいで途切れた。

 

 どん。

 べちゃり。

 

 文字として起こせば恐らくはそんな音を発て、テオドールの腹部の辺りに軽い衝撃と冷たいものが押し当てられる。

 

「む」

 

 眉を寄せながら自らの腹の辺りを見れば、そこには無惨にもソフトクリームまみれになったカソック服がある。

 冷たさの正体がわかったところで、衝撃の元凶に目を向ければ、そこには少しだけ涙目になった少女が、尻餅をついてこちらを見上げていた。

 

 幼い顔立ちに大きなメガネ。黒く艶のある髪は三つ編みにしている。着ているものはどこかの学校の制服だろう。

 

 年の頃は中学生くらいか。

 いや、東洋人は若く見えるから実際にはもう少し上だろうか。

 そういえば彼女の着ている制服は、事前の調査で知った、この辺りにある高等学校のものではなかっただろうか。確か名前は『穂群原学園』。

 

 そのようなことを考えながら少女を観察していると、こちらを見上げる黒目と視線がかち合った。

 

「あ、あ……、ご、ごめんなさい!?」

 

 途端、怯えたような表情の少女の口から、勢いよく謝罪の言葉が飛び出してくる。

 状況から察するに、どうやら角から飛び出してきた彼女と、出会い頭にぶつかってしまったようだ。テオドールの腹を汚したソフトクリームは彼女が食べていたものだろう。

 

『ふ、は……』

 

 と、ここでテオドールの脳内に響く声。

 

『ふはははははははははっ!? 貴様どれだけ注意散漫なのだ! 俺様と会話していたとはいえ、このような者にぶつかられるまで気付かぬとか! ふはっ、ふひっ、ふははははっ!?』

 

 ランサーである。というか、笑いすぎである。

 

 念話であるからして、この不愉快な笑い声はテオドールの脳内にしか響いてはいない。それ故、目の前の少女にランサーの存在を気付かれることはないが、直接笑い声が脳内に響くテオドールからすればたまったものではないのだ。

 

 いったい何がそんなに壷に入ったというのか。

 うるさすぎて、いまいち状況認識能力が下げられている気がする。この少女とぶつかったのも、お前がねちねち面倒くさかったからではないのか、と言いたくなる程である。

 

 とはいえ、ランサーの言うことも一理ある。

 暑さと会話とで、自分で思っているより注意力が散らされていたのか。実際にぶつかってみるまで他人の気配に気付かなかったのは、間違いなくテオドールの落ち度だ。

 

 まだ昼間とはいえ、冬木は既に敵地。その地で気を緩めるなど、自殺行為に等しい。

 代行者として幾つもの戦場を駆けた自分は、そのことを身を以て知っているハズだ。気を引き締め直す必要がある。

 

「別にこの程度は問題ない。……立てるか?」

 

 そう言いながら手を差し伸べると、少女はおっかなびっくりこちらの手を取って立ち上がった。

 

「え、あ、日本語?」

「少しだけなら話せる」

 

 驚いたような少女に、簡潔に答える。

 冬木に派遣されるにあたって、現地での不便がないよう、テオドールは日本語を学んでいた。日常生活で困らない程度には話せるつもりである。

 

「そ、そうなんですか。あ、あの! 本当に私の不注意で……、クリーニング代は私が出しますので!!」

 

 そう言って、彼女は深々と頭を下げた。

 というよりは、むしろ体を折り曲げた、といった表現が似合いそうなほどの角度だ。

 

「いや、こちらも注意散漫だった。大丈夫だから頭を上げろ」

「は、はい……。あ、そうだ!」

 

 恐る恐る顔を上げた少女は、次いで何かに気付いたかのように、道路脇に転がったスクールバックに駆け寄った。

 尻餅をついた拍子に落としたのだろう。躊躇なく中を物色する辺り、アレはこの少女の持ち物で間違いなさそうだ。

 

「おい、なにを、」

「私、ハンカチ持ってます! とりあえずそれで……」

 

 言い掛けたテオドールを遮って、少女はハンカチを取り出した。薄いピンクの、いかにも少女が好みそうな小さなものだ。

 

 ソフトクリームでべったりと汚れた服が、いまさらあの程度でどうにかなるとは思えない。

 それでも、必死な様子の少女はそれに気が付かないのか、はたまた何もしない訳にはいかないと思ったのか。とにかくその小さなハンカチ片手に、こちらへと駆けてくる。

 

 テオドールとしては、こうなった以上、服はもうどうでもいい。

 汚れた服は確かに煩わしいが、着ていられない程ではないし、そもそもこれは戦闘服だ。戦闘中に汚れることが前提である以上、少々の汚れくらいは許容範囲である。

 

 このあと商店街での調査や、戦いが始まるであろう夜への準備時間を考えると、いつまでもこの少女と関わっている訳にもいかない。どうみても彼女は聖杯戦争とは無関係の女子高生なのだから、少女のお詫びなど断ってさっさとここを立ち去るべきだ。

 頭ではそうだとわかってはいるのだが、怯えた目と表情でハンカチを差し出す少女を置いていくことは、さすがのテオドールにもはばかられた。

 

 とりあえずの汚れを拭き取らせるくらいなら、そう時間もかかるまい。

 

 それで少女の気が少しでも晴れるのなら、好きさせよう。と、半ば諦めの境地で大人しくする。

 

 

 

 ────恐らくは、それが間違いだったのだ。

 

 

 

 ハンカチを手にした少女がテオドールの至近まで近づく。

 怯えた表情のまま。傍目には何の驚異もない仕草で。

 

 だが、ハンカチが汚れたカソック服へと伸ばされる瞬間、テオドールは見た。

 少女の口端が酷薄につり上がるのを。

 ハンカチが一瞬の内に凶器へと入れ替えられるのを。

 

 

「死んでください」

 

 

 耳朶に触れるのは冷淡な言葉。

 

 もしもテオドールが並の人間だったならば聞こえなかっただろう。見えなかっただろう。何もわからず、事が終わっていただろう。

 けれど並の人間を遙かに凌駕するテオドールは、それらに気付いた。……気付いてしまった。

 

 

 果たしてそれは、幸せなことだったのだろうか。

 

 

 目の前で振るわれるのは、陽光を反射して輝く日本刀。

 テオドールの知覚速度ギリギリで翻るそれが、テオドールの首もとへと吸い込まれていく。

 

 見えることと、動けることは違う。

 差し迫る驚異を前に、けれど身体は反応できないまま。

 

 

 白昼堂々首を()ねられたテオドールの聖杯戦争は、こうして幕を閉じた。




唐突なデッドエンド!


※昼間だろうと油断してはならない。それが聖杯戦争。


今回はアーチャーの銀剣はアヴァロン枠って話でした。
剣技もすごいけど、肝心の剣をもっていないアーチャーだったのに、触媒が剣だったもんだからさ……

あと雅と先生は、先生と生徒というよりおばあちゃんと孫なイメージ。みやびんはおばあちゃんっこ。





では、材料チョコこんなに集まんねえだろ!? とか思いながら、FGOイベント回してきますm(__)m


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二日目 槍VS殺 波濤旋風

 見えていても、動けない。

 動けなければ、かわせない。

 かわせなければ、死ぬしかない。

 

 視界の天地が入れ替わり、視線が一気に落ち込んでゆく。

 

 首を()ねられたテオドールの聖杯戦争はここに終わってしまった。

 

 

 

 ────その、ハズであった。

 

 

 

「おや?」

 

 頭上から怪訝な声が聞こえる。

 首を飛ばされ、死んだというのに、いまだに視覚も聴覚も生きているらしい。

 

 が、それももう数秒のことだろう。

 代行者として鍛え上げられた肉体を持つテオドールであっても、首を()ねられて生きていられる道理はない。

 故に、この意識もすぐに消え去ってしまうハズだ。

 

「まったく、いつまで呆けておる?」

 

 と、頭上からさらに別の声。

 視線は無意識に声の出所を追い、そして捉えた。

 

 ()()()()()()()、少()()()()()()()()()()()()()()

 

「さっさと立って指示をだせ。マスター?」

「!」

 

 その視覚情報とランサーからの声で完全に覚醒した。

 

 咄嗟にその場から飛び退き、状況を確認する。

 まず首は……、繋がっている。身体にも異常はない。前方では少女の日本刀を、実体化したランサーが防いでいる。

 

「これは……」

「ふん。俺様に礼の一つでも言うのだな。咄嗟に庇ってやらねば、今頃貴様の首は胴体と泣き別れだ」

 

 相応の力がかけられているのだろう。長い槍の柄で受け止めた日本刀からは、ギチギチと金属同士が擦れ合う耳障りな音が響く。

 

「……すまん」

「うむ。殊勝な心がけ、だッ!」

 

 ひときわ大きな音を発て、ランサーが少女の日本刀を弾いた。

 その衝撃に逆らわず、少女が後退。ランサーとの距離を離す。

 

「いやはや、確実に首を飛ばせたと思ったのですが」

「最初からマスターを狙うあたりは、アサシンらしいと言えなくもないがな。俺様の目の前で、それも正面からとは……。暗殺者と言うには随分杜撰(ずさん)だ」

「それはまあ、自覚はありますが。そちら、随分油断されていたようなので」

 

 その姿に不釣り合いな凶器を握り、少女が困ったように笑う。

 ここにきてテオドールのマスターとしての透視能力が、ようやく機能し始めた。

 

 

 サーヴァント・アサシン。

 クラス別スキル・気配遮断:A。

 

 

 ただの少女にしか見えない者から見える能力に息を止める。

 もはや気配を隠す必要もないと考えたのか、少女の全身からは濃密な魔力が溢れ出していた。

 職業柄、魔術師と出会うことは多かったが、少女の魔力量は人間などとは格が違う。それこそランサーに匹敵するほどの、魔力の塊。圧倒的な死の気配。

 

 聖杯戦争において、全マスターが最も警戒しなければならないクラス。気配遮断スキルで忍び寄り、マスター殺しを専門とする暗殺者。

 知識では知っていた。だが実物を見て、始めて自分の認識の甘さに気がついた。

 

 これだけの気配を持つものが、攻撃の直前まで気配を関知されない? そんなもの悪夢以外のなにものでもないではないか。

 

 そう思ったと同時、テオドールは決断を下していた。

 

「この先、寝首をかかれても適わん。ランサー、そいつは今ここで仕止めろ」

「よーしよし。戦えということなら異論はない!」

 

 直後、口角を吊り上げたランサーが、アサシンへと突進する。路面を爆発させたとしか思えないほどの踏み込みの勢いでもってして、ランサーの槍がアサシンの喉元へと叩き込まれた。

 

 が、戦闘に向かないクラスといえどアサシンとてサーヴァント。

 たとえどれほどの速度が乗ろうとも、なんのフェイントもかけずに正面から撃たれた突きなど容易く防がれてしまう。

 ガキリ、と金属同士のかち合う音が響き、突きを止められたランサーが停止した。

 

「ふん。よく止めた……、なッ!」

 

 言いつつ、ランサーが体位を入れ替える。

 流れるような槍捌き。ランサーの三叉槍を止めていた日本刀が、まるで絡め取られるかのようにランサーに引き寄せられた。

 

「っ!?」

 

 日本刀ごとランサーに引き寄せられたアサシンに、驚愕の色が浮かぶ。

 このままではマズイと思ったのか。ランサーの間合いを外そうと、アサシンが後退の素振りを見せた。

 

 だが、ランサー相手にそれでは、いささか遅すぎる。

 

「そうらッ!!」

 

 気合いのこもった回し蹴りがアサシンの胸板に突き刺さり、アサシンが苦悶の声をあげて大きく後退した。

 

「死ね」

 

 それでもそこは、未だランサーの攻撃圏内だ。

 爆発的な勢いで距離を詰めたランサーの、その手に握る長槍がギラリと凶悪に光る。

 

 アサシンの細い首を刈り取る軌道での薙ぎ払い。

 

 神風めいた一撃は、今度も差し込まれた日本刀に阻まれた。

 ただ、体勢の整わぬまま攻撃を防いだ代償だろう。アサシンの身体は傾くどころか、吹き飛ばされ勢いよく転がっていく。

 

 そこからはもう一方的だ。

 

 ひたすらに後退し続けるアサシンと、追撃をかけ続けるランサー。

 ランサーが攻め、アサシンが防ぐ。

 ランサーの攻撃を紙一重で防ぎ続けるアサシンからは、徐々に余裕がそぎ落とされていっているようだった。

 

 考えてみればそれも当然の結果か。

 七つのクラス中、特に近接戦闘に優れるランサーと、マスター殺しに特化したアサシン。この二騎が戦えば自然とこうなる。ランサーの勝利もそう遠くないだろう。

 

 もっとも、高速で動き回り、とうとうテオドールの可視範囲から離脱してしまった二騎の戦いの行方を、自分はもう想像するしかないのだが。

 

「ランサー、油断はするな。宝具の解放も、お前の判断に任せる」

 

 二騎を追いつつ念話を送る。

 こんな命令を下した以上、ランサーは確実に宝具の解放に踏み切るだろう。周囲への影響も、自身の優勢劣勢も関係なく確実に。

 自分が従えるランサーというサーヴァントは、そういう男だ。

 だがそれでもいい。テオドールの中の戦闘者としての直感が、アサシンを確実に始末しておけと告げている。そのためになら、多少のリスクは冒さねばならない。下手にランサーの能力を制限して、もし返り討ちにでもあえば、それこそこの先が絶望的だ。

 

 そうやって物事に優先順位をつけながらも、出来ることなら宝具の解放前に決着を着けろと思ってしまうテオドールであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 逃げるアサシンを追う。

 屋根を、壁を、時には街灯ですら足場に、冬木の街を駆け抜け殺し合う。

 

 否。これはもはや殺し合いではない。一方的な虐殺だ。

 

 自分の攻撃を防ぎ、時にかわすアサシンは成る程。たしかに相当な敏捷値を持っているのだろう。

 でなければ、ここまで逃げることも出来ずにとっくに槍の餌食になっていたハズだ。ランサーの敏捷数値にすら匹敵する敏捷値は、サーヴァントの中でも最高クラスのものに違いない。

 

 だがそれだけだ。

 速度だけで言えば先日のセイバーやライダーよりも上だろうが、それだけではランサーはアサシンに驚異を感じない。

 アサシンには速さがあってもパワーがない。仮にパワーがあったとしても、ランサーの攻撃にカウンターを見舞う技術がない。ただ速いだけの敵など、攻撃が多少当てにくいただの的と同じだ。

 

 もう何度目かになる接触で、ランサーの槍がアサシンを大きく吹き飛ばした。

 苦悶の声を上げながら、空中で体勢を整えたアサシンが転身。こちらには目をくれることもなく、民家の屋根を蹴って冬木市の中心部へと走っていく。

 

 アサシンとしては逃げの一手なのだろう。

 暗殺者は文字通り暗殺を成してこそのクラス。戦わずして相手を殺すことこそが彼らの常道である。それ故に()()()()()()()()()敗北は濃厚であると言わざるを得ない。

 

 だが、だからといってランサーが手を抜く理由はない。

 戦えば勝てる相手。弱い敵との戦いなどモチベーションが上がるとは言い難いが、どんな相手であれ勝利の味というのは格別だ。

 ランサーの中では、先ほどの遠坂邸で『待て』を喰らった分の憂さ晴らしも兼ねて、アサシンは全力でボコボコにすると決定している。

 

 背を向けたアサシンに悠々追いつくと、背後から三叉槍をフルスイング。とっさに振り返って受け太刀したアサシンが、砲弾もかくや、という速度で吹き飛び()()する。

 

 冬木市を新都と深山町とに分断する未遠川。

 移動に移動を重ねた二騎は、いつの間にやら冬木の中心まで来ていたらしい。

 

 ざばり、と水を滴らせながら、川に落ちたアサシンが立ち上がる。

 いずこかで調達したのだろう現代衣装も、その長い黒髪もびしょ濡れだ。ここまで余程全力を振り絞ってきたのだろう。息を切らすその頬はほんのりと赤く染まっている。艶やかなその姿は、見る者が見れば劣情を催していたかもしれない。

 

 が、そういった性的嗜好に乏しいランサーには、それはただただ弱った獲物の姿にしか見えず、実際今のランサーの頭の中では、どうやってアサシンを解体するかしか考えられてはいなかった。

 

 おあつらえ向きに、ここは河川である。それも海にほど近い。

 この条件で、相手が今の今まで圧倒し続けアサシンであるのなら、こちらの手札(宝具)を解放することもなく、相手が切り札(宝具)を解放する間を与えることなく圧殺できる。

 

(とはいえ、トドメはやはり俺様の『槍』だな)

 

 ストレスの発散を兼ねている以上、必要不必要に関わらず宝具の解放はもはや決定事項だ。

 常なら口うるさいだろうマスターからも、すでに『解放はお前の判断に任せる』と言質を取っている。ランサーとしては心おきなく槍を解放できる状況という訳だ。

 

 

 ────適当に手足を削ぎ落としてから宝具でカタを着けるか。

 

 

 そう決めて、ランサーは()()()()()した。

 

 川の中で、アサシンが眼を見張る。

 水面に立てることが余程珍しいのだろうが、ランサーにとっては別段特別なことではない。

 

 

 地形適応スキル。

 

 

 ランサーの持つ固有スキルの一つだ。

 戦場における地形条件によるステータスの低下を防ぎ、条件次第では能力の上昇すらも見込めるスキル。

 そして河川・海などといった地形条件は、ランサーにとって最も力を発揮できる場所なのである。

 

「さあて、鬼ごっこはここらでおしまいにして、そろそろ死んでもらおうじゃないかねッ!」

 

 水面を蹴りつけ、加速する。水面を踏みしめる一歩ごと、足裏から魔力(マナ)を吸収し肉体を活性化させてゆく。

 市街地での戦闘などとは比べものにならぬほどの速度を以て、ランサーの三叉槍がアサシンを襲った。

 

「くっ」

 

 剛速の三叉槍を日本刀が阻む。

 が、速度が違えば威力も違う。威力に押された日本刀が弾かれ、三叉槍がアサシンの腕を浅く引き裂く。アサシンの掲げた日本刀と噛み合ったかに見えた三叉槍は、その実アサシンの防御を上から叩き潰していたのだ。

 

 苦悶の表情を浮かべるアサシンに迷わず追撃。

 振り上げた槍が川の水を汲み上げ穂先に集める。槍の刃を水塊が包み、シルエットだけならさながら棒付きの鉄球だ。

 

「ハッハァ!!」

 

 振り下ろしたと同時、穂先の水塊が弾け飛び、槍撃の威力を底上げする形でアサシンへと襲いかかる。

 刃を受け止めたアサシンを、弾けた水塊が怒濤の勢いで押し流し、吹っ飛ばした。

 

 まるで水切り石。

 吹き飛んだアサシンが二転三転と水面を跳ねて転がっていく。

 

 その様に追いすがるランサーの槍の穂先には、先ほどと同じく水塊がくっついている。周囲が水で満たされている限り、この槍には水塊が装填されるのだ。

 そしてランサーの肉体は、河川・海といった場所でこそ最大の戦力を発揮する。この場所でなら、万が一のまぐれすら起こるまい。

 

 アサシンの側もさすがにそのことに気が付いた。

 再度の接触時にアサシンの視線がちらりと動く。視線の先には大きな下水管。人一人どころか、小さな車両であっても呑み込めそうなほどの大きさだ。

 

 接触の反動をも利用して、アサシンの身体が明確な目的地を目指して吹き飛ぶ。すなわちその下水管へと。

 

 河川での戦いでは話にならないのだ。アサシンの読みと選択は正しいといえよう。

 

 それ故ランサーは、そうはさせじと、水面を強く踏みしめる。

 一足飛びでアサシンに追いついたランサーは、未だ空中にいるアサシンを串刺しにすべく槍を突き込んだ。

 

「むぅ!?」

 

 が、当惑の声を漏らしたのはランサーだった。

 アサシンの心臓目がけて突き出した槍の穂先を、空中で器用に体勢を入れ換えたアサシンが蹴りつけたのである。

 思わぬ衝撃によって槍は軌道を逸らされ、あらぬ方向を突く。のみならず、一瞬とはいえ足場を得たアサシンが、弾けた水塊の力をも借りて下水管へ向かってさらに加速する。

 

「貴様……! 俺様の槍を足蹴に!」

 

 怒りを露わにするこちらに一瞥もくれることなく、アサシンが下水管へと逃げ込んでゆく。

 

 下水管の中にも水が流れているとはいえ、未遠川のような本物の河川とではスキルによって受けられる恩恵に雲泥の差がある。

 加えてあそこは周囲を壁で覆われた空間だ。長槍を振るうのに適しているとは言い難い。こちらの動きは多少制限されることだろう。

 

 だが、ランサーは一切の恐れなく下水管へと飛び込んだ。

 胸を占めるのは、簡単に仕止められるハズの敵に逃げ続けられている苛立ちと、槍を足蹴にされたことへの怒りだけだ。この力量差で敗北への恐れなどあるハズがない。

 

 果たして下水管への侵入を果たしたランサーは、薄暗い空間でこちらに背を向けて走るアサシンの姿を捉えた。

 

「ここでなら、勝ち目があるとでも思ったかねッ!」

 

 言うが速いか、ランサーの槍が背後からアサシンを強襲する。

 その一閃を、こちらを振り向かないままでアサシンがかわした。

 思わず目を見張る。

 今までのような余裕がない回避ではない。アサシンはこちらに一瞥もくれていないままで、まるで見えているように軽く回避したのだ。

 

 驚きのままで二回、三回と槍を振るうも、アサシンには当たらない。

 そのまままんまと距離を取ったアサシンは、暗がりの中立ち止まると悠々とこちらへと振り返った。

 

「いやはや。水上でのあの性能は正直予想外でしたが、なんとかここまで引っ張ってこられて良かった」

「貴様……!」

 

 ぎりり、と槍を持つ手に力が籠もる。

 

 

 ────手を抜かれていた。

 

 

 ランサーが思うのはそれだ。

 未遠川での水上戦はともかくとして、深山町での地上戦ではアサシンにここまでの機動力はなかった。市街地での戦いを参照するのなら、アサシンがランサーの槍を軽々かわすことなど不可能なのである。

 

「なめた真似をしてくれる」

「その言葉はそっくりそのままお返ししますよ。貴方は遊ばず、一気呵成に僕を殺してしまうべきだった。こんなところまで連れてこられた貴方の負けです」

「ハッ、言ってくれるではないか。ここは確かに多少槍が使いにくいが、その程度でもう勝った気でいるとは」

「まあ確かに、僕が貴方を倒すことは難しいですが」

 

 アサシンはそう言って一度言葉を切ると、彼方を向いてこう続けた。

 

 

「分断に成功した以上、今回はこちらの作戦勝ちってことにしていただけませんか?」

 

 

 ぞわり、とランサーの全身に流れる魔力に淀みが走った。

 これはランサー側の異常ではない。マスターから提供される魔力の流れだ。

 

「今頃は僕のマスターも戦闘の頃合いでしょう。

 本当は、僕が貴方のマスターを殺せていれば分断策など使わずに済んだのですが……。貴方にはどうにも、僕の()()()()()()()()()()ようだ」

 

 その言葉をランサーは半分ほども聞いていなかった。

 

 言葉半ばでアサシンに突進し、槍を繰り出す。

 神速の槍撃はしかし、余裕の顔でアサシンに止められた。

 ここが河川であれば穂先の水塊で防御の上からでもダメージを与えられただろうが、あいにくとここは下水管の中だ。穂先に装填されていた水塊は、この場所に入った瞬間にただの水へと還ってなくなってしまった。

 

「即断ですか。この状況でマスターの護衛ではなく、敵を打倒する方を選ぶとは中々」

「ふん。確かにこちらのマスターも戦闘に入ったようだが、アレもそう簡単にはやられまい。さっきも言ったが、こんな程度でもう勝った気でいるとはな!」

 

 突きから、円を描くような槍撃へと切り替える。槍の売りはこの攻撃範囲の広さだ。

 このような空間では確かに槍の動きは制限されようが、そこは槍の英霊。持ち手を調整し、外と変わらぬ速度で槍を振るい続ける。

 

「ここで貴様を倒し、しかる後に奴のところまで戻れば、それで良かろう。本当の窮地になれば、奴とて令呪の一画くらい使うだろうよ!」

「素晴らしい信頼関係です」

 

 にこり。とそんな表現が似合うほど可憐に笑って、アサシンがランサーの槍を捌く。

 外での余裕のなさはやはり演技だったらしい。こちらの攻撃のことごとくをアサシンは余裕の表情でかわし、逸らしていく。

 

「ですが、それは貴方が僕に勝てるという前提と、貴方のマスターが瞬殺されないことが必須条件でしょう?

 貴方は本当に、貴方のマスターが大丈夫だと言い切れますか? 本当に自分が勝てると、そうお思いですか?」

「ぬかせ、初めから負けを意識するなど、勝負を捨てた者のすることぞ! 勝ちを描けぬ者には最初から勝機など無いわッ!」

 

 苛烈に、豪快に、槍の回転数を上げていく。

 地形適応の恩恵を得られないとはいえ、意識を攻撃だけに割いた今の槍撃は、ほぼランサーの最大戦速だ。アサシンがいかに速かろうと、そう簡単に避けられるスピードではない。

 案の定、かわすことから受け主体になったアサシンを、ここぞとばかりに攻めたて、固める。足を止めてしまえれば、あとは筋力と武器の威力で以てして、その防御を叩き潰すだけた。

 

「いや、全く。この空間で、僕がかわしきれない槍捌きとは……。

 とんでもない槍の使い手もいたものだ。ははっ、武蔵坊とどちらが上かな?」

 

 と、なにやら訳の分からぬことを呟いて、アサシンが薄く笑う。

 無数の槍撃を弾いていた日本刀が、とうとう攻撃の重さに耐えかねたのか、あらぬ方向へと逸らされる。

 

(首を穫るッ!!)

 

 人間の限界を遙かに越えたサーヴァントといえど、首は現界するのに必要な気管だ。首を刎ねられてなお現界を保てるサーヴァントなど、そうはいない。

 

 ぐらつき、その白いうなじ(さら)すアサシンへと三叉槍が牙を剥いた。

 

 剛速の槍がアサシンの首へと吸い込まれてゆく。

 穫った、とランサーは勝ちを確信した。

 

 

 

「な、に……?」

 

 

 

 だが、驚愕の声を漏らしたのはランサーの側だった。

 

 手応えのない槍と、眼前には標的の失せた空間。

 死体どころか、攻撃を防いだ姿すら見受けられない。そも、目の前にいたアサシンの姿が、どこにもない。

 あの一撃の瞬間には、確かにそこにアサシンはいたハズだ。そしてランサーは、アサシンから目を放すことなどしていない。だが、事実としてランサーはアサシンの姿を見失った。

 これではまるで攻撃の瞬間に消え失せたとしか。

 

 バカな。

 そんな言葉が口を突きそうになった時、振り抜いた槍の先端に僅かな重み。

 

一足(いっそく)八艘(はっそう)……」

「!」

 

 ランサーが目を向けるのと、()()()()()()()()()()アサシンが鯉口を切るのは同時だった。

 

天狗風(てんぐかぜ)!」

「ッ!?」

 

 ランサーのどんな反応よりも素早く。穂先にいたアサシンの姿が、再びかき消える。

 

 

 

 ────首を裂かれた。

 

 

 

 ランサーがそう認識したのは、間抜けにも(かかと)を引き裂かれた後であった。

 そしてその認識の最中には、すでに手首が、太腿が、肩が、胸が、両眼が。身体のありとあらゆる部位が切り捨てられていた。

 

 驚くべきは、その攻撃速度か。

 斬られたと、ランサーがそう感じた時点で、アサシンはもう次の箇所への攻撃を終えている。

 ランサーの反応速度を以てしても、アサシンの動きを捉えられない。アサシンは確かにこちらを攻撃しているハズなのに、その残像すら目に写らない。

 

 姿形無く、それでも確かにこちらを撫でつけるそれは、まるで一陣の風。

 ただし、触れたものを一方的に斬り裂いてゆく死の風だ。そして風である以上、人の目では到底捉えられまい。

 

 総身を斬り刻まれる感覚の中、ランサーは己が握る槍へと魔力を注いだ。

 

 まったくもって気にくわない話だが、ランサーの反応速度ではどうあってもアサシンを捉えられない。それは認めるしかない。

 だがこちらを斬りつけている以上、姿は捉えられずとも手の届く距離には絶対にいるのだ。

 

 半端な攻撃速度では避けられる。高速で動き回り、その残像すら捉えさせないアサシンに、当てずっぽうの槍が当たることなどないだろう。

 かくなる上は、

 

「目覚めろ、我が最高の槍! その威を以て俺様の敵を薙払えッ!」

 

 ()()宝具を以てして、周囲一帯ごとアサシンを吹き飛ばす!

 

偽・信仰集めし海神の槍(イドロ・トリアイナ)!!」

 

 真名解放とともに地面に突き立てた三叉槍が、ランサーの魔力を喰らい起動する。

 その間にも全身は斬り刻まれ続けているが、ランサーはそれを無視した。そも、この程度の攻撃ではランサーは死なない。血を流すことすらない。アサシンではランサーの不死身の肉体を突破できない。

 

 お互いがお互いにダメージを与えられない千日手。

 だが、その均衡はランサーがアサシンを捉えられれば破ることができる。

 

 突き立てた槍が周囲から水という水を集め、穂先へと収束・圧縮を続ける。

 未遠川からそう距離がなかったのが幸いしたのだろう。収束速度は通常陸で使う時の倍以上。ほぼ一秒未満でチャージの終わった三叉槍は、ついにその猛威を周囲一帯へと放った。

 

「さあ、消え去れ!」

 

 突き立てた槍を中心に逆巻く波。穂先へと圧縮されていた水が、魔力を伴った大渦(おおうず)となって周囲一帯を激しく蹂躙する。

 下水管の中を一息で満たした怒濤の波濤は、それでもなお収めきれない勢いと波の量を以て、四方を囲う壁ごと削り散らして外へ外へと溢れ出そうとする。

 

 まるで巨大なミキサー。

 

 床も。天井も。壁も。大渦は全てを飲み込み、削り散らして拡大してゆく。

 これがただの槍からもたらされる破壊だなどと、にわかには信じられまい。

 

 だがこれがサーヴァント。これが槍の英霊。これが対軍宝具。

 

 周囲一帯を飲み込んだ波の後には、何枚ものぶち抜かれた壁と崩落しきった天井。瓦礫のほとんどは大波に押し流され残ってはいないが、それでもここで起きた破壊の凄まじさは伺えよう。

 かつての下水管の面影は、すでにここにはない。そして宝具の直撃を受けたであろうアサシンの姿も。

 

「ふん。さすがにこれで」

 

 崩落した天井から差し込む日差しに、目を向けながらそう呟いた。

 

 まさにその、タイミング。

 

「ええ。おしまいでしょう」

 

 その声は至近から。

 直後に自身の胸から生える日本刀。

 

 背後から、肩甲骨の間を刺されたのだ。

 

 その理解とともに、ランサーは大きく身を捻ると、手にした三叉槍で薙払った。

 

 

 

「おっと」

 

 

 

 振るわれた槍をかわす。

 前方には怒りと戸惑いがない交ぜになったような表情を浮かべるランサー。

 

「貴様……、どうやって」

「さて、どうやってでしょうね?」

 

 へらり、と笑って見せながら距離を計る。

 あちらはアサシンがどのようにして対軍宝具から身をかわしたのか気になっている様子だが、それはこちらも同じこと。アサシンもまた、ランサーの不死身を突破する糸口が掴めない

 

 眉間や首といった人体急所は当然のこととして、アキレス腱や背中などの『特定の不死者の持つ弱点』箇所への攻撃すら無効化されている。

 単純に、アサシンが攻撃した箇所以外の弱点があるのならばよい。

 だが仮に、ランサーの不死にはそういった弱点箇所が存在しないとしたら。先日、ランサー自身が語った『海神の眷属』による攻撃でしか傷を負わないとしたら。

 

 ちら、と周囲を伺う。

 アサシンがランサーを誘い込んだ下水管は、ランサーの対軍宝具によって無惨にも破壊しつくされてしまった。かろうじて残っている壁や柱はあるが、ほぼ全壊である。その残りの壁にしてもいつ崩れるかわからないのが現状だ。

 

「しかし閉鎖空間で対軍宝具とは。一応、周りへの影響も配慮した方がよろしいのでは?

 貴方が派手にやったおかげで、すぐに人が集まってきてしまいますよ」

 

 これだけの規模の破壊。下水管だけでなく、地上にも相当な影響があるに違いない。魔術師・一般人含めて、人が集まってくるのにそう時間はかからないだろう。諸々の事情を鑑みると、この辺りが撤退の頃合いである。それはアサシンだけでなく、ランサーも。

 

 が、三叉槍を構え、こちらの隙を伺っているランサーに撤退の意志はないようだった。

 そもそも、こんな場所で躊躇なく対軍宝具を解放したサーヴァントである。神秘の秘匿、一般人への配慮といった感情に乏しいのかもしれなかった。

 

「ふん。神父あたりは口うるさいだろうが、優先事項は貴様だアサシン。ここまでコケにされたのだ。ただで帰したとあっては、俺様の槍が泣くわ」

「僕としては、この辺りで痛み分けにして欲しいのですがね」

 

 苦笑しつつそうこぼした。

 

 アサシンの見立てでは敏捷値はほぼ互角。

 長槍の使いにくい空間、スキル『八艘飛び』による瞬間速度、宝具による攻撃の先読みによって、アサシンはランサーの攻撃のことごとくを捌いていたが、アサシンにとって有利な地形であった下水管が破壊されてしまった今、先ほどまでと同じように攻撃を回避するのは難しいだろう。こちらからの攻撃にしても、壁や天井といった()()のない広い空間では『天狗風』は使えない。

 さらにパワーとリーチは向こうに分があり、耐久値に関しても攻撃の無効化といった反則じみた能力をもっている。

 

 現状はアサシンが大幅に不利。

 宝具を開帳すればまだ戦局はわからないが、アサシンにその気はない。

 

 サーヴァントとマスターを引き離し、足止めする。アサシンの役目はその一点だ。あわよくばランサーの弱点を見つけることも命令の内だったが、ランサーを倒すことまでは期待されていない。マスターからの許可が降りるのなら、今すぐにでも撤退するのだが。

 

『マスター。次の手は、』

 

 どうしましょうか。と、そう問うハズだった念話を、アサシンは頭に直接響く声によって中断した。

 文字として起こせば「シャア」だとか「フシュウ……」だとか、そういったまるで蛇の鳴き声のような声である。

 これはアサシンにのみ聞こえる声。アサシンの持つ宝具の能力であった。

 その意味するところを瞬時に悟ったアサシンは、素早く周囲を見渡して、『八艘飛び』による最大速度でその場を大きく離れた。

 

「んん?」

 

 突然のアサシンの行動に怪訝な顔をしたランサーが、とにかくこちらを追おうと踏み出しかけ、そして唐突にその場にうずくまる。

 

「ガッ、ゲボ……!?」

 

 直後、口元を押さえたランサーが盛大に吐血した。

 

「き、さま……ッ!」

 

 血の溢れる口元を手で被ったランサーが、顔面蒼白でアサシンを睨みつける。この突然の怪異をアサシンの仕業だと断定したらしい。

 確かに彼からすれば疑わしいのはアサシンだろう。直前まで戦っていた相手を疑わない方がどうかしている。

 

 だがこれはアサシンの仕業ではない。

 さらに言えば、アサシンの宝具が反応を示していた以上、狙われていたのはアサシンも同じである。

 

 よくよくランサーに目を向ければ、彼の周辺、アサシンが先ほどまで立っていた地点も含めて、うっすらと霧のようなものがかかっている。

 ランサーに血を吐かせた物の正体はこれか。物理攻撃というよりは、恐らくはなんらかの魔術に類するものだと思われるが、それにしてもランサーの不死の肉体を突破する代物とは。

 あるいは、この攻撃を仕掛けた者は、ランサーの弱点を知っている者なのかもしれないが。

 

 三叉槍を杖代わりに、緩慢な動きで立ち上がろうとするランサーを黙殺して、アサシンは周囲の状況を探った。

 現状での危険度は、ランサーよりも正体不明の襲撃者の方が上だ。先ほどから頭に響く蛇の鳴き声を頼りに索敵。程なくして、アサシンの目は一人のサーヴァントを捉えた。

 

「血を吐いた、か。どうやら奴の読み通りのようだな」

 

 崩落した下水管を見下ろす形で、ローブに身を包んだサーヴァントが呟く。

 霧を使った攻撃とその姿。アサシンは彼に見覚えがある。

 

「キャスター、ですか」

「何……?」

 

 アサシンの呟きにランサーが反応した。

 視線をアサシンと同じ方角に向けると瞠目、次いで苛立だしげに舌打ちする。

 

「チッ、魔術師風情が俺様の戦いに水を差すかッ!」

「吠えておれ、死に体が。こちらの攻撃が通ると知れた以上、貴様なぞ驚異でもなんでもないわ」

 

 噛みつくランサーを軽くあしらって、キャスターが右手を掲げた。

 直後、かつて下水管だった場所に霧が充満し始める。

 

 この霧がなんなのかは未だわからないが、一息でも吸えばまずい。

 アサシンの知る限り、セイバーの対魔力を突破し、不死身の肉体を持つランサーにすら傷を負わせた代物だ。

 

 霧から逃れるため、アサシンとランサーは崩落した天井から外へと飛び出した。それぞれが敵から一定の距離を置いた場所に着地する。

 

『マスター。キャスターが現れました。どうしましょうか?』

 

 念話でマスターにそう問いつつ、アサシン自身は撤退の一手だと思い始めていた。

 

 現状で最も有利なのは横やりを入れてきたキャスターだ。逆に、最も不利なのはアサシンだろう。

 

 不意打ちを受けたランサーのダメージは尋常ではない。

 口元の血は拭い切れていないし、手足もかすかに震えている。戦闘能力はそれなりに落ちているとみて間違いない。

 だがアサシンからランサーへダメージを与えられないことには変わりなく、あのランサーを不意打ち一発でここまで追いつめたキャスターの攻撃を受ければ、アサシンであればそのまま脱落してしまいかねない。

 それに対セイバー戦を見た限り、キャスターにもなんらかの防御スキルが備わっているようだった。

 こちらの攻撃が通用しない二騎相手に、これ以上ここで戦うというのはさすがにリスクが高すぎる。

 

『貴方に脱落されては困ります。撤退なさい。貴方のスキルならば、撤退も容易なハズよ』

『承知』

 

 マスターからの念話に頷く。

 幸いランサーもキャスターも、それぞれに意識を割り振っている。自分一人に意識を割かれている訳でない分、離脱は容易だ。加えてマスターの言うとおり、アサシンの持つ『八艘飛び』は戦闘からの離脱にこそ真価を発揮する。

 

 そうして機を見て離脱しようとしていたアサシンは、続くマスターからの念話に足を止めた。

 

『それからアベルがやられました。彼の回収を』




※説明説明また説明回。でも説明足りてませんね……

ちなみにランサーがバカスカ攻撃食らうのは、彼の技量が低いのではなく「無敵ゆえの慢心」から。その点アサシンには油断とか慢心とかないんで、必死に防ぐし必死によける。


諸々のシーン。惜しむらくば、もっとかっこよく描写してあげたかった……。

【ステータスが更新されました】
【CLASS】ランサー
【真名】???
【マスター】テオドール・デュラン
【性別】男性
【属性】秩序・悪
【ステータス】筋力B 耐久E 敏捷A 魔力C 幸運E 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:B+
 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
 たとえBランク以上の魔術であっても、それが性別に依存する魔術ならば効果を軽減できる。

【固有スキル】
地形適応:C
 地形に適応する能力。
 地形条件によるステータスの低下を防ぎ、地形によっては自身のパラメーターをランクアップさせる。
 ランサーは特に海・河川への適応が高い。

【宝具】
偽・信仰集めし海神の槍(イドロ・トリアイナ)
ランク:C
種別:対人宝具
レンジ:2~4
最大補足:1人
 ランサーが『最高』と豪語する三叉槍。
 穂先へと周囲の水分を収束・圧縮し、相手へと叩きつける。
 河川や海など、周囲が水で満たされている場合、ランクと種別が向上する。


【CLASS】アサシン
【真名】???
【マスター】お嬢様
【性別】男性
【属性】中立・善
【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷A+ 魔力C 幸運D(E) 宝具C
【クラス別スキル】
気配遮断:A(D)
 サーヴァントとしての気配を絶つ。隠密行動に適している。
 ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断は解ける。

【固有スキル】
カリスマ:E(C+)
 軍団を指揮する天性の才能。
 アサシンとして召喚されたためか、現在は大幅にランクが下がっている。

八艘飛び:A
 特殊な歩法。人類が体得できる歩法の到達点の一つ。
 『縮地』と『仕切り直し』『地形適応』を併せ持つ特殊スキル。

幻装魔笛(げんそうまてき):D
 水干(すいかん)と横笛のセット。
 Dランク相当の気配遮断スキルを獲得。
 また、これを装備する、もしくは装備した場合と類似した姿をすることにより気配遮断のランクを向上させることもできる。

軍略:C
 一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。
 自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。

一足八艘(いっそくはっそう)天狗風(てんぐかぜ)
ランク:ー
種別:対人魔技
射程:1~5
 スキル・『八艘飛び』と宝具の能力を最大限に駆使した連続多角斬撃。宝具による動きの先読みから『八艘飛び』によって常に相手の死角に回りこむため、危機回避スキルのないサーヴァントでは、回避は非常に難しい。
 また技の性質上、足場は多ければ多いほど手数と命中率が上昇する。そのため、壁・天井などを足場として使える屋内戦闘において無類の強さを誇る。


【宝具】
『???』
ランク:C
種別:対人宝具
射程:1~2
 時代とともに担い手と銘を変えてきた刀。
 所有者の幸運をワンランクアップさせ、スキル『心眼(偽)』に類似したスキルを与える。
 また敵意に反応し、所有者にしかわからない鳴き声でそれを伝える能力も持つ。
 本来はさらに多くの能力を持つ宝具なのだが、アサシンの適正では全てを引き出すことはできなかった。



以下FGOネタバレ含むいろいろ





アンリマユが実装されましたね。原作に恥じない最弱ぶりに喜んだファンも多いと思います。弱くて喜ばれるって相当なアレですが、これも愛ってことで一つ。
自分は一人引けましたが、二人目はまだきません。
どうやら星5よりレアなサーヴァントってことになるらしいです。クソ雑魚なのにな。仕方ないな。

あとうちのエースである文明ぶっ殺すウーマンさんより先に、他のサーヴァントがスキルマという状態に。
骨が足りないのが悪いんや……、あと金。


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二日目 白昼の血闘

「「本当にいた……」」

 

 マウント深山商店街に到着した千恵子と双葉は、その光景を見て異口同音に呟いた。

 

 深山商店街に出店する屋台・江戸前屋。たこ焼き、鯛焼き、どらやき、大判焼きと、さまざまな種類の商品を扱うこの店の前に、噂の『赤い髪の外国人』が立っている。

 白いシャツと黒いスラックスに身を包んだ長身の男だった。

 手には今し方購入したのだろう『江戸前屋』とプリントされた紙袋を抱え、気安い表情で屋台の店員と談笑している。

 千恵子たちからは位置関係の問題で横顔しか見えないが、それだけでも相当整っている顔だと思われた。

 

「ど、どうする、ちーちゃん。ホントにいたぞ」

「う、うん。ホントにいたね。ど、どうしよう」

 

 どうしようもこうしようもない。

 というか、何故ヒソヒソと声量を落として会話しているのだろうか。別にやましいことなど一つもないハズである。

 

 二人が商店街に来た目的は、赤髪の外国人を見るためだったので、目的自体は既に果たされてしまっている。

 しかしながら、この炎天下の中を延々歩いてきた身としては、『一目見たから満足ですわー』とはならないのである。

 だからといって、見知らぬ外国人に突撃していくなんてことは出来そうもない。人見知りする千恵子はもちろんのこと、割と誰にでも話しかけることが出来る双葉にしたって、完全に初対面の外国人が相手では後込みしてしまうらしい。

 そもそも日本人という人種自体が、『外国人』というカテゴリを苦手にしている節がある。

 

 そういった『暑い中ここまで来たのに見ただけでは満足できない』と『だからって初対面の外国人に話しかけるなんて逆ナンパ紛いのことは出来ない』が噛み合って、双葉と二人、お互いの顔を見ながらオロオロと立ち尽くしてしまう。お互いの口から漏れるのは「どうしよう」「どうする」「ドウシヨウ」「ドースル」ばかりという体たらくだ。

 この場に雅か鏡子がいたのなら、もう少し違った反応があったのだろうが、生憎とここにいるのは引っ込み思案な千恵子と、残念な頭脳を持つ双葉だけ。

 

 そんな風にオロオログダグダしている二人の頭上に、不意に影が差した。

 ハッとして顔を上げると、高く昇った太陽を遮る形で、件の外国人がこちらを覗き込んでいる。

 

「え……?」

「ふぁっ!?」

 

 双葉と同時に驚愕の声を上げた。

 これほどの目立つ容姿、加えて先ほどから彼をチラチラと見ていたにも関わらず、ここまで近寄られるまで彼の接近にまるで気が付かなかった。

 

 突然の(少なくともこちらにとっては)ことに戸惑う千恵子たちを余所に、赤髪の外国人は大判焼きを摘みながら首を捻る。

 

「俺になんか用かい?」

「へあ!?」

「な、なんでそう思うんです?」

「や、さっきからチラチラ見てたろ。お嬢ちゃんたちとは初対面だと思うが、俺になんか言いたいことでもあるのかと思ってよ」

「……う」

 

 特に言いたいことがある訳ではないが、チラチラ見ていたのは事実である。ついでに言えば、ここに来た成果も欲しかったので、どうにか彼と接触できれば、と思い始めてもいた。

 

 そんな折りに、まさか向こうから会話を振られるとは思いもしなかったのだ。

 そしてその内容が、『あなたたちの行動なんて筒抜けでしたよー』だなんて、想像すらしていなかったのだ。

 

 初対面の外国人と向き合っているという緊張と、その初対面の外国人にこちらの行動を見透かされていた恥ずかしさから、千恵子は思わず俯いてしまう。自分では確認出来ないが、きっと緊張と羞恥とで、自分は赤面しているだろう。

 現実逃避のためか、千恵子の脳内では『あ、本当に日本語ペラペラなんだ』なんてどうでもいい感想まで浮かんでくる始末である。

 

 そんな千恵子に代わって口を開いたのは双葉だった。

 

「あー、用事とかは特にないんだけど。最近噂のイケメン外人が、実際どんくらいイケメンなのか確かめようと思ってさー」

 

 さすがは穂群原が誇るノーテンキ娘・柳洞双葉だ。きっかけさえ与えられれば、彼女は物怖じしない。

 先ほどまでのオロオロした態度は一体なんだったのか、と思うほどの開き直りっぷり。いっそ清々しいほど開けっぴろげに、ここに来た理由と彼を見ていた理由を語る。

 

 そんな双葉の言葉に、赤髪の青年は手にしていた大判焼きを一口、二口。辺りをチラりと見渡して、さらに一口。手にしていた大判焼きをきっちり食べきって、それからそこでようやく気が付いたかのように口を開いた。

 

「あ、それ俺か」

「あなたです」

 

 その鈍さに、千恵子は思わずツッコんでしまった。

 ツッコミを入れられた青年は、さして気にすることもなく紙袋の中から次の大判焼きを取り出して口に含む。

 

「はーん。しっかし、この暑いのにわざわざそんだけの為に出向いてくるとか……。お嬢ちゃんたち、アレか。暇なんか? それかすげー物好きなのか?」

 

 大判焼きを頬張りながらの、まさかのマジレスである。

 いや、彼からすれば当然すぎる感想と疑問だから、千恵子たちには何も言えないのだけれど。

 

「いいだろー別に」

 

 と思った矢先に、双葉が青年に噛みついた。

 

「普通の女子高生の毎日には刺激が足りないんだよぅ。少しくらい面白いこと探そうと思ったっていいじゃんかー」

 

 なんていうか、これぞ柳洞双葉である。

 ひとたび会話の流れさえ掴めれば、大体いつものペースに持って行く。友人や知人どころか、初対面の相手にすらいつも通りな彼女に、千恵子はいっそ尊敬の念すら抱いてしまうほどだ。

 

「面白いことねぇ。で、実際に出会ってみて、お嬢ちゃんたちは満足したかい?」

「いやぁ、正直ビミョーだなー。確かにイケメンだったけど、このクッソ暑い中歩いてきたんだし? 見ただけじゃ割にあってないっていうか」

「おう。まあ、そらそうだわな。人の顔見て、腹が膨れるわけねえし」

 

 あまりにも明け透けな双葉の態度に、千恵子は青年が気分を悪くしないか心配になったが、どうやら杞憂だったらしい。

 赤髪の青年はむしろ楽しそうに笑って、持っていた紙袋に手を突っ込むと新たな大判焼きを取り出して言った。

 

「なんなら食うかい? 美味いもん食えば、多少は満たされるもんだろ」

「え、マジ? いいの!?」

「ちょっ、ダメだよ双葉ちゃん!!」

 

 差し出された大判焼きを、あっさり受け取りそうになった双葉を慌てて止める。

 

「え、なんだよちーちゃん」

「何だよ? じゃなくてね、いくらなんでも知らない人から食べ物貰うのは……」

「大丈夫だろ。この(あん)ちゃん良い人っぽいし」

「出会って数秒だよ!?」

 

 いや、確かに気の良いお兄さんという印象は受けたが。

 それにしたって、もう少し警戒心というか、遠慮というか。そういったものは必要だと思う。知らない人には付いていかない、物を貰わない、なんてことは小学生どころか幼稚園児ですら言い聞かせられることである。

 

「ハハッ、まあ警戒は当然だわな。それに俺はお嬢ちゃんの言うような良い人ってわけじゃねえし。けどアレだ。これには毒なんて入ってねえから安心しろって」

「いや毒とかの心配はしてないんですけど」

 

 現代日本で、しがない女子高生の自分たちがいきなり毒殺されるなんて事態、そうそう起こり得るとは思えない。というか、そんな可能性なんて千恵子には思いつきもしなかった。

 咄嗟に『毒』なんて言葉が出てくるあたりが、外国人と日本人の発想の差なのだろうか。

 

 戸惑う千恵子を余所に、いつの間にやら大判焼きを受け取っていた双葉が呑気に言った。

 

「兄ちゃん面白いな! 気前もいいし、日本語上手いし! やっぱ粒あんは最高だし!」

「双葉ちゃん最後関係ない」

 

 っていうか止めたのに受け取っちゃったんだね。などと、やや肩を落としながらツッコミを入れる。

 ちなみに、千恵子は粒あんと()(あん)なら漉し餡派である。さらに付け加えるならカスタードこそ至高だと思っている。

 

 そんなわけで、状況に流されるまま千恵子が受け取ったのはカスタード味の大判焼きであった。

 双葉に注意した手前、ばつが悪い思いはあったのだが、甘いものが別腹な女子高生としては差し出された誘惑に勝てなかったのである。

 

 と、カスタード味を受け取った千恵子を見て、青年が一言。

 

「お。カスタードも食うんだな」

「……? あ、はい。好きな味なので」

 

 意図が掴めない言葉に首を傾げると、青年は思い出すかのように口を開いた。

 

「いやな、昨日セイバーの……。ああ、いや、この国にいる()()に『大判焼きって言ったら粒あんだろうが!』って怒られちまってよ。現地民からすっと、粒あん以外は認められてねえのかと」

「そんなことないですよ。カスタードも、なんならチョコレートも美味しいです」

「その友達さ、頭固いか妙なこだわりがあるめんどくせえ奴じゃねーの? 確かに粒あんは至高だけど、他も美味いよなあ」

 

 千恵子と双葉の言葉に気をよくしたのか、青年は「だよな」と嬉しそうに笑った。

 

「ん? この国に友達がいるってことは、兄ちゃんはその友達に会いに日本にきたのか?」

「あ、もしかして日本語お上手なのも、そのお友達さんのお陰なんですか?」

 

 ふと思い立ったかのように質問した双葉に便乗して、千恵子もまた疑問を投げかける。

 冬木には外国の血筋が入った現地人も多いが、彼のここまでの言動と噂の内容から、千恵子は赤髪の青年が冬木の人間には思えなかった。

 

 さて質問を受けた青年はと言うと、千恵子たちの質問に一度首を振ってから、

 

「いんや、こっちには仕事でな。日本語は……、まあ仕事の為に覚えたんだ」

「ほえぇ……。仕事の為に外国語勉強しなきゃとか、社会人は大変なんだなあ……。わたし大人になりたくねーぞ」

「ふ、双葉ちゃん。いま相当情けないこと言ってるよ……?」

 

 確かに仕事の為に外国語を学ぶのは大変だろうが。

 特に日本語は世界でも難しい部類の言語らしいから、目の前の青年も学ぶのは苦労したのではないだろうか。

 

「苦労は別にしてねえな。気づいたら覚えてた感じだし。ここまで上手く会話できるのには、正直自分でもビックリしてるんだけどよ」

「気づいたら覚えてた!? 兄ちゃん天才って奴か!」

「おう、天才って奴さ」

 

 おどけたように言って、青年は次の大判焼きを取り出した。その光景に千恵子は若干の戦慄を覚えた。

 なにせ千恵子が見ただけでも、これはもう三つ目の大判焼きである。千恵子と双葉が受け取った分も合わせると、青年の紙袋からは既に五つの大判焼きが取り出されている計算になる。

 これだけの数の大判焼きを一人で食べようとしていたのか。そもそも紙袋の中にはまだ中身が詰まっていそうなので、大判焼き六つ以上は確定である。すらりとしたモデル体型のどこにそんなに入るというのか、体重の増減で一喜一憂する身としては切実に知りたい。

 

 知りたいが、まあそんな訳のわからないことを訊ねられるハズもない。

 戦慄と羨望を隠しながら、千恵子が問うたのは当たり障りのないことだった。

 

「えっと、お兄さんはどこの出身なんですか?」

「ん? ギリシャ」

「ギリシャかあ。わたし行ったことねーわ。いいとこ?」

 

 ギリシャどころか、海外に行ったこともない双葉が問う。

 赤髪の青年は首を傾げて、

 

「どうだろな? ニッポンもいいとこだし、お嬢ちゃんたちみたいな可愛い女子もいるしな」

「「かわっ……!?」」

 

 唐突なその言葉に、二人して赤面する。

 世辞の類だと頭では理解できるのだが、如何せんこんな男前から正面きって可愛いなどと言われたことのない千恵子たちには刺激が強すぎた。

 ろくな反応も出来ない千恵子たちに、青年はいいね、と笑う。

 

「そういうとこがな。俺の周りにゃ押しが強えのしかいなかったからなあ……。その点、この国の女子は慎み? とかそういうのがあっていいわ」

 

 どこか遠い目をして青年が言った。

 女性関係で何かあったのだろうか。千恵子には縁がないが、これほどのイケメンになると、そういう異性関係の悩みも増えるのかもしれない。

 

「っと、悪い」

 

 言って、青年が片手を挙げて千恵子たちから距離を置いた。

 

 突然のことに顔を見合わせるこちらを置いて、青年は彼方を向いて、なにやら一人で話始める。

 

「あー、なんだよ。……おう、おう。それはいいじゃねえか、ちゃんと作戦会議には出席したろ」

 

 コメカミの辺りを押さえながら、そう言う彼の手に携帯端末らしきものは握られていない。

 とはいえ、彼の口から吐き出されている言葉は明らかに誰かと会話しているようなものだ。

 

「うっわ。わたし、インプラやってる人間初めて見た」

「ああ、そっか」

 

 驚愕の表情で言う双葉に納得する。

 

 携帯端末のインプラント。

 今や現代人には必須アイテムとなった携帯端末を身体に埋め込む最新技術である。

 インプラント技術が日本国内で認可されたのがここ数年であるため、まだまだ日本人のインプランター(端末インプラントを行っている者をこう呼ぶ傾向にある)は少ないが、海外ではそれなりに普及している技術だそうだ。

 

 つまり、携帯端末を持たずに誰かと会話している様子の青年は、そのインプラント技術を使っている者なのだろう。

 双葉の言うとおり千恵子もインプランターを見るのは初めてだったため、その可能性に思い当たるまでに時間がかかったが、言われてみれば納得である。

 

「……はいはい、わかりましたよっと。ったく、まだ昼間だってぇのに」

 

 それで会話は終わったのか、軽く頭を振った青年が苦笑しつつこちらに向き直った。

 

「なんだ。話の途中に悪かったな」

「いえ。その……、今のは電話、ですよね? 私たちインプラントやってる人って初めて見ました」

「端末なしで電話するって、外から見るとあんな感じなんだなー。電話とか着信音は、やっぱ直接頭に音が響く感じで聞こえるのか?」

 

 生でインプランターを見た千恵子たちの感想に青年は怪訝な顔をしつつ、

 

「いんぷら……? まあよくわからんが、直接頭に声が聞こえる感じではあるな。

 それはそうと、悪いなお嬢さん方。ホントなら夜まで暇だったんだが、マスターからのオーダーでね。これから一仕事しなけりゃならん」

「お仕事、ですか」

「そういや仕事で日本に来たとか言ってたけど、兄ちゃんはなんの仕事してんだ?」

「んー、説明が面倒くせえな。まあ『運転手』みたいなことやってる」

「運転手? 金持ち乗せてリムジンとか運転すんの?」

「まあ、この先そういうこともあるかもな。

 そういう訳で、俺はもう行かなきゃならんのだが。その前にコイツだな」

 

 そう言った青年が差し出したのは、先ほどから大判焼きを取り出し続けていた紙袋である。

 

「ちょっと仕事場には持っていけなくてな。お嬢ちゃんたちと知り合ったのも何かの縁だ。捨てちまうのも勿体ねえし、これ貰ってくれねえか?」

「え、いいの? 貰う貰う!!」

 

 もはや脊髄反射と言っていいほどの早さで即答した双葉に、千恵子は軽く頭を抱えた。

 

「双葉ちゃん。さすがにそろそろ遠慮した方がいいと思うよ? お兄さんも、これ以上は申し訳ないですし、受け取るわけには……」

「なんだよー、くれるって言ってるんだから貰ったらいいじゃんかよー」

「あのね、双葉ちゃん」

 

 子供か。

 駄々をコネる双葉を窘めるべく口を開こうとすると、その前に青年が片手を挙げて千恵子を制した。

 

「いいっていいって、貰ってくれ」

「いえ、でも」

「ただで貰うのに抵抗あんなら、そうだな……。ここいらで美味いもん食える場所を教えちゃくれねーか? それでチャラってことでいいだろ」

「美味しいもの、ですか?」

「おう。仕事で来てるとはいえ、やっぱ日本を満喫しなきゃ嘘だろ?」

 

 ニッ、と笑ったその顔に嘘は無いように思われた。

 けれど、きっと彼の台詞は、こちらに余計な気を使わせない為の配慮だったのだろう。

 

 そんな彼の配慮に気付いてか、それともやはりただの脊髄反射だったのか。千恵子の隣にいた双葉が、勢いよく挙手して口を開いた。

 

「はいはいはーい! 新都の『風来軒』の味噌ラーメンとか絶品だぞぅ。あと、この商店街ん中だと『泰山』の麻婆豆腐とかオススメ!」

「え、『風来軒』はともかく『泰山』は……」

 

 自信満々に告げられた店名とメニューに戦慄する。

 風来軒のラーメンは味は濃いが確かに絶品だ。

 けれど、泰山の麻婆豆腐は食べる人を選ぶというか、まず間違いなく万人向けではない。アレは何というか、辛さという地獄というか、地獄という辛さというか。

 

 だが基本辛党というか、辛さに対して随分耐性がある双葉には千恵子の言わんとしていることが理解できなかったようだ。

 単純に泰山の麻婆豆腐を貶されたと思ったのか、不満げに口元を尖らせながら反論する。

 

「なんだよ、美味いじゃんか。麻婆豆腐。他には、新都駅ビル食品コーナーのカスタードシューとか?」

「それが有りなら『喫茶アテネ』のレアチーズケーキとかも有りじゃないかな?」

「あー、アレな。お小遣いが無尽蔵なら毎日食いに行くのにな」

 

 その意見には全く同意するしかない。

 あるいは、雅くらいのお金持ちであれば毎日くらい食べても平気なのかもしれないが。平凡な一般庶民である千恵子には、まずもって無理な話である。

 

 そんな千恵子と双葉のやりとりを見て、まるで微笑ましいものでも見たかのように青年が目を細めた。

 

「フウライケンとタイザン、そんで駅ビルとアテネな。覚えた。今度食いに行くわ」

 

 そう言って青年は大判焼きの入った紙袋を双葉に手渡すと、こちらが何か言うよりも早く、商店街の人の流れに乗っていってしまう。

 

「そんじゃあな、お嬢ちゃんたち。縁があったらまた会おうぜ」

 

 言いながら、あっという間に雑踏の中に溶けていくその背中に、千恵子たちは慌てて声をかけた。

 

「あ、これありがとうございます!」

「またなー、兄ちゃん!!」

 

 青年は振り返らないまま片手を振って、こちらの声に応えると、

 

「おう。あー、それから……、あと一時間くらいは未遠川に近づかねえ方がいいぞ」

 

 そんな言葉を残して、青年の姿は雑踏に紛れて消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘を開始したランサーとアサシンを追って、テオドールは深山町の町並みを駆け抜けた。

 

 パスを通じて感じるランサーの位置情報では、戦場は冬木市の中心。未遠川周辺だと思われる。

 ランサーの性能を考慮するに、その場所での敗北は万が一にもないだろうが、かといって座して待つわけにもいかない。宝具の解放を許可した手前、敗北はなくともやりすぎてしまうことは大いにあり得るのだ。

 

 それに一対一の戦闘に問題がなかったとしても、そこに敵マスターが加わった場合、あるいは他のサーヴァントに乱入された場合には、ランサーの勝利が確実とも言い切れない。

 特に、ランサーの防御宝具────『海神の祝福(ポセイドーン・アマルティア)』を突破することのできるライダーに乱入された場合を考えると、緊急撤退・瞬間強化などに令呪を切れるテオドールがいた方がランサーの生存率も上がるだろう。

 

「む?」

 

 と、それまで休むことなく走り続けていたテオドールは、肌に感じた不穏な気配に足を止めた。

 感じたのは肌を刺す殺気と、渦巻く魔力の気配。

 まさに深山町の町並みを抜け、そろそろ未遠川の河川敷に差し掛かろうかというタイミングである。

 

(この、タイミング)

 

 内心で舌打ちしつつ、テオドールは勢いよくその場から飛び退った。

 直後、テオドールがいた空間を熱風が吹き抜け、無数の光の飛礫(つぶて)が上空から降り注いだ。

 テオドールを捉え損ねた光の飛礫は、アスファルトにぶち当たると『じゅう』と焼けるような音を立ててその場に広がっていく。その様相は、まるで突然の雨に水たまりが広がっていくかのような────否、アスファルトの上で日差しを反射するそれは、真実水たまりである。

 光の飛礫に見えたものは、その実ただの水滴────無論、なんらかの攻撃的魔力が込められたものだろうが────だったらしい。

 

「いや。熱湯か、これは」

 

 形成された水たまりを見て、テオドールはそう呟いた。

 今日は日差しも強くアスファルトから照り返す熱も相当にキツい。だが、水たまりから感じる熱はその比ではなかった。よくよく見れば、水たまりは沸騰している。

 先に飛礫とともに吹き抜けた熱風もさるものながら、飛礫自体に込められていた熱も相当なものである。直撃を受けていれば火傷ではすまなかっただろう。

 

「吹き抜けよ不吉の風、地に注ぐは不幸の雨。巡り、溢し、災禍を運べ」

「!」

 

 耳朶を打つ詠唱。

 咄嗟に視線を向けた先には、こちらに手をかざす一人の魔術師。

 

凶兆東風(エウロス)!」

 

 その言葉とともに、再びテオドールに襲いかかる熱風と熱湯。

 

「チッ」

 

 舌打ち一つを残してそれらをかわす。

 目に見えない風だけならともかく、目に見える水滴がセットの魔術ならば、かわすことなぞ造作もない。

 そして敵が姿を見せているのなら反撃もまた容易い。

 

 懐に手を突っ込んだテオドールは、かわした魔術の行方にはもはや目もくれずに、投擲武器を撃ち放った。

 

 風を裂き、魔術師に迫るのは三本の剣。

 聖堂教会の代行者が使う『黒鍵』と呼ばれる投擲用の武装である。

 

気流操作(はじけ)!」

 

 標的に向かって真っ直ぐ突き進んでいた黒鍵は、魔術師のその言葉とともにあらぬ方向へと軌道を逸らされる。

 本来の目標とは程遠い場所に飛んでいった黒鍵は、そのまま手近にあった街路灯を二本ほど切断して地面へと突き刺さった。

 

「……黒鍵。やはり代行者ですか」

「…………」

 

 ふう、と一息ついて、魔術師がそう呟く。

 それには答えず、テオドールは改めて敵の姿を観察した。

 

 二十代後半の、どこか神経質そうな男だった。

 艶のある黒い髪と切れ長の瞳。服装は黒のスーツに白の皮手袋。

 一見すると、魔術師というよりはどこかの執事のようにも見える長身痩躯の男はしかし、アンダーリムのメガネの下から、射殺すような視線をこちらにくれていた。

 

 このタイミング。そして躊躇無くテオドールへと攻撃を仕掛けてきた積極性。

 

 テオドールはこの男こそがアサシンのマスターだと断定した。

 アサシンによる奇襲が失敗に終わった今、マスター同士の対決によってランサーを脱落させようという魂胆だろう。

 ランサーの援護に行けないのは痛いが、この展開はテオドールからしても願ったりな状況である。積極的なアサシンの排除を決めた以上、マスターを殺して魔力供給を絶つことも視野のうちに入る。

 なにより、ここでテオドールがアサシンのマスターを押さえておけば、ランサーがアサシンを追いつめた時、令呪による緊急撤退を行使されずに済む。

 

 懐に忍ばせた黒鍵の()を握り込み、構えた。それぞれ右手に一つ、左手に三つ。

 対し、魔術師はスーツの内ポケットから、拳大の楕円形の物体を取り出した。見た目は陸上の円盤投げで使う円盤そのもののような形をしている。

 

狂騒西風(ゼピュロス)

 

 魔術師のその詠唱が契機となった。

 

 事ここに至っては、もはや殺し合うしかない。とばかりに、かける言葉もなくお互いに動き始める。

 

 先手を打ったのは魔術師。

 

「嫉妬に狂え、豊穣の風」

 

 詠唱の直後から魔術師の周囲を浮遊し始めた円盤が、追加の呪文でテオドール目がけて飛んでくる。単純な速度なら、先ほど見た熱湯の魔術よりも上だ。

 

 だがやはり見えている攻撃。それも正面から向かってくるものに、テオドールは恐れなど感じない。

 

「邪魔だ」

 

 両手に握り込んだ黒鍵の柄に魔力を込める。

 魔力を込められた柄から刃が伸び、黒鍵が剣の形状を取る。

 

 代行者の中には黒鍵を柄だけ大量に持ち運び、現地で刃を生成する者たちが存在する。そしてテオドールもそんな中の一人である。

 

 左手の黒鍵を三本とも投擲。

 同時、魔術師との距離を詰めるテオドールと魔術師の放った円盤とが交錯し、飛来した勢いそのままに円盤が弾かれた。

 円盤を弾いた右の黒鍵を手に、テオドールはさらに距離を詰める。

 

 その様を見るや否や、魔術師が再び呪文を紡いだ。

 

「嫉妬に狂え、豊穣の風」

 

 耳に届くのは先ほどと同じ詠唱。

 テオドールがそう認識するのと同時、たしかに弾いたはずの円盤が、再びテオドールに向かって飛来する。

 

「ふっ!」

 

 今度は弾かず、体捌きのみで円盤をかわした。

 そのテオドールの視線の先で、魔術師に向けて投げた黒鍵がその矛先をテオドールへと変更する。

 

気流操作(返せ)!」

 

 投げ放った勢いそのまま────否。むしろさらに加速した黒鍵が、元の持ち主を串刺しにするべく宙を走る。

 単純な投擲の時ですら人体を貫通させるほどの威力を持った代物だ。それにさらに加速がついたとなれば、テオドールの持つ防御礼装────特殊な処理の施されたこのカソック服だ────程度では防ぎきれない。

 

 それをわかっていながら、テオドールはさらに強く踏み込んだ。

 恐れる必要はない。防御が不可能なのだとすれば、触れる前に落とせばいいだけのこと。

 右手に握り込んだままだった黒鍵を投げ、飛来する三本の黒鍵をまとめて叩き落とす。その挙動と平行して左手に黒鍵を握り、テオドールの背後から後頭部を打ち抜こうとしていた円盤を斬って捨てた。

 真っ二つになった円盤が、急速に勢いを失って墜落する。二つに分かれた円盤は、弾き飛ばした一度目や、触れずにかわした二度目とは違い、テオドールを追撃しようとしない。それどころか動く気配すらない。

 これは恐らく『円盤』を操る魔術だったのだろう。真っ二つになることで対象が『円形』でなくなってしまった結果、もう操ることが出来なくなってしまったとみた。

 

「……!」

 

 目を見開いた魔術師が後退の素振りをみせる。

 前進を続けるテオドールに、彼の魔術師としての適正距離が潰されかかっているのだろう。

 仮に一工程(シングルアクション)や一小節で発動できる戦闘用の魔術を持ち合わせていたとしても、そもそもの話、魔術の発動のために詠唱を必要とする魔術師は、戦闘中に距離を詰められたがらない。

 魔術の発動に失敗すれば、待ち受けているのは自滅である。それ故戦闘中の魔術師は、魔術の射程距離はもちろんとして、己が集中を乱されない距離を保とうとする。

 

 要するに、だ。

 このままあと、三メートル。いや、二メートルも距離を詰めれば、目の前の魔術師は反撃の余裕がなくなるだろう、ということだ。

 

「吹き抜けよ不吉の風、地に注ぐは不幸の雨!」

 

 後退しつつ、魔術師が詠唱を始める。これは最初に見た、熱風と熱湯の魔術だ。テオドールが距離を詰め切る前に足を止めようというのだろう。

 

 だが遅い。

 テオドールの出来うる最速で黒鍵を投擲。

 

 初撃は逸らされ、二撃目は跳ね返された黒鍵だったが、魔術師が別の魔術を発動させようとしている今、その心配はない。

 仮に黒鍵を返されたとしても、それはそれで敵の攻性魔術を妨害できたということである。

 

「……ッ! 巡り、溢し……!」

 

 逡巡は一瞬だった。

 このまま攻撃魔術を使うべきか、それとも黒鍵を返すべきか。

 魔術師がそれを迷い、詠唱が止まったのは、時間にして一秒にも満たない一瞬のことだった。

 

 そして、その一瞬があればテオドールには十分であったのだ。

 

「災禍を運べ、凶兆東風ッ(エウロス)!」

 

 魔術師が詠唱を完成させる。

 熱風と、飛礫の如くばらまかれる水滴が投擲された黒鍵を弾き、テオドールへと襲いかかる。

 

 既に至近と言っていい距離から放たれた魔術。常であれば回避のしようもなかっただろう。

 しかしこれは既に二度見た魔術であり、来るとわかっていた魔術でもある。加えて先ほどの、魔術師の硬直。

 この条件でかわせない方がおかしい。

 

 前進の勢いを殺さぬまま、迫る熱波を横合いに転がって回避すると、起きあがる勢いとともに黒鍵を抜き放った。

 

 狙うは必殺。

 魔術を外して無防備を晒すその首を切り落とし、確実に始末をつける。

 

 ついに魔術師を己の攻撃範囲に捉えたテオドールが、黒鍵を振りかぶった。

 

破壊の南風(ノトス)

 

 そのタイミングで魔術師の口から、新たな詠唱が漏れた。

 だが、今からテオドールの攻撃を防ぐ魔術など間に合うはずがない。テオドールの黒鍵は、既に魔術師の首すじ数センチまで迫っているのだ。

 

 あるいは相打ち狙いの攻撃魔術か。なんにせよこの首だけは落としたと、テオドールが確信した瞬間。

 

風速歩法(ジェットステップ)

 

 とてつもなく重い打撃が、テオドールの腹部を打った。

 

「ガッ……!?」

 

 不意打ちに近い衝撃に身体が浮き上がり、攻撃の目測を誤る。結果、首を落とすハズだった黒鍵は、何もない空間を素通りするに留まった。

 のみならず、テオドールの身体はそのまま二、三メートル以上も吹っ飛ばされる。

 

 攻撃の瞬間に聞こえた声が、魔術師のそれと認識できたのはその後だ。

 

「ぐっ……」

 

 思わぬ攻撃にうめき声を上げながらも、何とか受け身を取ったテオドールが立ち上がる。

 その視界に飛び込んでくるのは、片足を高く上げ、今まさに振り下ろそうかという魔術師の姿だった。

 

「ちぃっ」

 

 舌打ち一つを残してその場を離れる。

 

 直後に振り下ろされる蹴撃。まるで削岩機を叩きつけたような震動と轟音を響かせ、魔術師の足はそれがさも当然かのように舗装された路面を砕いてみせた。

 

風速歩法(ジェットステップ)

 

 そして再び耳朶を打つ詠唱。

 アスファルトを蹴り砕いた魔術師が、その驚異の脚力で以てしてテオドールに追いすがる。

 

 身体強化系の魔術、とテオドールが思い至る頃には魔術師は既に右腕を振りかぶっていた。

 離脱の最中、迎撃体勢の整わぬテオドールに容赦なく魔術師の右腕が襲いかかる。

 

 アスファルトを容易く砕いた脚力だ。腕力も相当な強化が成されているとみるべきだろう。まともに受ければ骨の一本二本では済むまい。

 それでもテオドールにはかわす選択肢は残されていなかった。

 顔面を狙う掌底打ちに、咄嗟に左腕を差し出す。直後、左腕にとてつもない衝撃がはしり、テオドールの身体ごと数メートル以上も押し込んでいく。膝を折り、歯を食いしばって衝撃に耐えるも、おそらくこれで左腕は折られた。

 それでもこの距離ならば、テオドールから差し返せる。

 衝撃にぐらついた身体を奮い立たせて、テオドールは右腕を────、

 

 ぼぎり、と鈍い音が響いた。

 

 テオドールが受け止めた魔術師の掌底。その右腕が、差し出されたままだったテオドールの左腕を握りつぶしている。

 驚愕に目を剥くこちらをよそに、魔術師はさらに右腕に力を込めるとテオドールを地べたへと引き倒した。

 

荒天拳打(ブーストナックル)

 

 右腕一本でテオドールを押さえつけた魔術師が、残った左腕を振り上げる。左の拳に渦巻く膨大な魔力。

 再度、顔面を照準した攻撃がテオドールに牙を剥いた。

 

「……砕ッ!」

 

 魔術師の拳はまたもアスファルトを砕き、拳を中心にした一帯に、もうもうと土煙を起こす。

 魔術によって強化(ブースト)されたその拳は、サーヴァントにすら通用する代物だったろう。そして受けるのが生身の人間であるのなら、到底耐えきれる威力ではない。

 

「そう簡単にはいきませんか……」

 

 が、土煙の中、ゆらりと立ち上がった魔術師はそう呟いた。

 一陣の風が土煙をさらい、魔術師の足下を露わにする。その足下には拳による破壊の爪痕が残されてはいたものの、そこにあるハズのテオドールの姿はどこにもなかった。

 

 だらり、と魔術師の右腕が垂れ下がる。スーツの長袖に覆われた彼の右腕は、二の腕の辺りを切断寸前まで切り裂かれていた。

 

「……格闘の適正があるとは思わなかった」

 

 顔面を粉砕される直前、魔術師の右腕を切り裂き、辛くも身をかわしていたテオドールが言う。

 実際、相当に危うい回避ではあったが、なんとか生き残った。

 そして生き残った以上、ここから巻き返しを図るのみである。

 

 戦況は五分。

 魔術師に握りつぶされた左腕は使い物にならないだろうが、あちらも右腕は使えまい。奇しくも隻腕同士なら、戦力差は万全の時とそうは変わらないハズだ。

 魔術師には遠距離魔術があり、こちらには黒鍵の投擲がある。

 強化魔術による近接格闘には正直肝を冷やしたが、既に『来る』とわかっている動きならば対応もできる。

 

 残った左腕で、魔術師がメガネの位置を整えた。

 再度の激突の、それが契機となった。

 

 一旦距離を取ったとはいえ、間合いは未だ遠距離魔術のものではない。自然、お互いが選んだのは格闘による近接戦闘であった。

 

風速歩法(ジェットステップ)

 

 魔術師がそのあり得ざる脚力で、彼我の間合いを食い尽くす。コマ落ちした映像を見せられているかのような移動速度は、距離を取るにも詰めるにも、悪夢のような性能だ。

 そしてそこから繰り出される拳打もまた、魔術師という人種では考えられないほどの速度とキレであった。強化の魔術にかまけた身体能力だけではない。明らかにそういった訓練を受けた者の拳なのである。

 

 が、それを受けて立つのは代行者。

 先ほどのように不意をついた攻撃ならばともかく、知っている動きに対応することなどテオドールには容易い。

 

 瞬きすら許されぬ拳を首を振るだけでかわすと、テオドールは魔術師の懐深く踏み込んだ。ほぼ密着状態の魔術師の腹部に、折り畳んだ膝を叩き込む。

 鈍い打撃音が響き、魔術師が身体を激しく揺らした。

 だがテオドールの攻撃はこれで終わりではない。身体をくの字に折り曲げた魔術師の襟首を掴むと、思い切り引き寄せて頭突きを見舞う。互いの額を割るほどの頭突き。双方が受けた衝撃は推して知るべしである。

 それでも仕掛けた側であるテオドールの方が立ち直りが早いのは当然。よろめく魔術師から手を離すと、テオドールは拳を握った。

 一歩踏み込み、腰の捻転を利かせ、魔術師の顔面目がけて拳を叩き込む。

 

「……!」

 

 手応えはあり。

 テオドールの渾身の一撃は、魔術師の頬を捉えた。

 同時、魔術師の左拳がテオドールの頬に突き刺さる。

 テオドールの視界の外側から放たれた左フック。クロスカウンター気味の打撃がテオドールを打ち据えたのである。

 

「「……ッ」」

 

 双方ともにお互いの拳の威力で弾き飛ばされた。

 恐るべきは人一人を軽く吹き飛ばす拳の威力か、はたまたそれに耐える肉体の頑健さだったのか。

 

 吹き飛ばされ、お互いに地べたに転がされながらも、当然といった体で立ち上がる。片腕が使えなくなろうが、内蔵に深刻なダメージがあろうが、今の一撃がアゴにきていようが、そんなものは関係がない。

 互いに相手を撃滅すると決めた。ならば己の肉体にどんな損傷があろうが、敵を滅ぼすまで動きを止める訳にはいかない。動きを止めた時点で、それは敗北であり死である。

 

 息を深く吸い込み、ゆっくりと吐いた。

 たったそれだけの動作で全身が悲鳴を上げる。それはもう動くな、という身体からの警告だ。魔術師の一撃は確実にテオドールの骨を砕き、内蔵を潰している。

 

 だがテオドールは止まらない。

 止まれと訴えるその痛みが戦闘の妨げになるのなら、そんなものは見て見ぬふりをする。もとより、任務の為に肉体を限界まで酷使してこその代行者。

 

 踏み込み、振りかぶり、打つ。

 いま、このときだけは、それだけを行う機械でいい。

 

 軋む身体を無視して、テオドールが魔術師に肉薄する。

 対峙する魔術師は口元の血を拭うと、テオドールの突進を真っ向から受けてたった。

 

 そこからはもう互いの血肉を削りあう格闘戦だ。

 

 魔術師の拳を捌き、こちらの拳を叩き込む。

 かわし損ねた蹴り足がテオドールの胸板を砕く。

 黒鍵が敵の太股を裂き、掌打がこちらの肩を外す。

 

 血を吐き、骨を砕き、肉を抉る。

 

 ものの数分で満身創痍になった二人は、どちらからでもなく距離を置いた。

 

破壊の南風(ノトス)

 

 全身血塗れ。右腕に至っては辛うじて繋がっているだけの魔術師が、それでも少しの闘志も萎えさせずに呟く。

 この短時間で数度耳にした詠唱。おそらくは身体強化の起点。

 ここから『風速歩法(ジェットステップ)』で脚力、『荒天拳打(ブーストナックル)』で腕力を強化する。腕力、脚力ともに、恐るべき威力に引き上げられるが、どうやら強化の重ねがけは出来ないらしい。出来ているのなら、テオドールはとっくに挽き肉だからだ。

 今の詠唱は、強化の重ねがけではなく、強化のかけ直しだろう。距離を取る一瞬、魔術師の動きが鈍くなったようにテオドールには見えた。強化の持続時間そのものはそれほど長くないらしい。

 

 その考察の直後、テオドールたちから数キロ離れた地点で、突如として大きな破壊音と震動が起こった。

 音は未遠川を挟んで向こう岸から。離れていてもなお音が聞こえてくる程度には、大きな破壊だったらしい。

 

 互いに一瞬だけ音の方角に目を向けたが、それだけだ。

 今はそんなことよりも目の前の敵をぶちのめすことの方が先決なのである。

 

 恐らくこれは、ランサーが宝具を解放したことによる破壊だ。

 契約によってランサーと繋がっているテオドールは、破壊音の寸前、自分の身体から相応の魔力が引っこ抜かれていくことに気がついていた。

 

 あちらは決着が近いか。あるいはもう着いてしまったか。

 どちらにせよ、こちらの戦いも終わるまでにそう時間はかからない。

 

「……風速歩法(ジェットステップ)

 

 呟いた魔術師が、路面を自身の血で染め上げながら、テオドールへと迫る。満身創痍とはとても思えない速度。

 振り上げた拳が、テオドールをぶち抜く為に加速する。

 

 対し、黒鍵を構えたテオドールが狙うのはカウンター。

 拳をかわし、魔術師の心臓にこちらの牙を突き立て終わらせる。

 

 きっとどちらも、この一秒未満の交錯ですべてが決着すると予感していた。

 

 

 

 ────だから、それは完全に不意打ちだったのだ。

 

 

 

 テオドールへと飛びかかり、拳を振り下ろそうとしていた魔術師が、まるで何かに縫い止められたかのように空中で制止した。

 

「……!」

 

 あり得ない制動に瞠目する。

 同時、脳が警鐘を鳴らす。カウンターのタイミングを外された。

 

 が、驚愕はテオドールのものだけではなかった。

 動きを止めた魔術師が目を見開き、そして吐血する。

 

 魔術師の胸からは鈍色の穂先が生えて────、

 

「まずは一人」

 

 テオドールが状況を飲み込む前に、そんな声が耳へと届く。

 そしてその時にはもう、状況は変わりすぎていた。

 

 まるでボロ雑巾を放るように、赤い髪の男が穂先へと突き刺さった魔術師を投げ捨てる。

 こちらの動揺など歯牙にもかけず、魔術師を背後から突き殺した男はテオドールへと槍を向けた。

 

 赤い髪。赤い瞳。青い軽鎧に銀色の籠手。その手に握る鈍色の槍が、錆びた残像を宙に描く。

 

「そんで、これで二人だ」

 

 血に塗れた切っ先が、風を裂いてテオドールへと撃ち込まれた。

 心臓に照準されたであろうそれは、受けてしまえば文字通り致命の一撃だ。

 

 驚愕も動揺も、状況の理解すら置き去りにして、無我夢中でその槍撃を防ぐ。

 槍撃になんとか差し込むことが出来た黒鍵は、一秒の拮抗すら許されずあっさり砕かれた。それでも防御と同時に身をひねったおかげか、槍はテオドールのすぐ脇を抜けてあらぬ方向を突く。

 

「来い」

 

 瞬く間に引き戻される槍を見ながら、無意識にテオドールの唇が動いた。

 舌打ちし、槍を再照準する男の動きより、テオドールの言葉が吐き出される方がほんの僅か早い。

 

「……ランサーッ!」

 

 直後、その声をきっかけにして、膨大な魔力が命令を遂行するために迸る。

 

 まるでガラス窓を突き破ったかのような音が、辺りに響いた。

 同時に、空が砕けたとしか言いようのない現象が起き、砕いた空から一人のヒトガタ────ランサーが出現する。

 ランサーは、テオドールへ矛先を向ける男の遥か頭上から、三叉槍を手に容赦なく襲いかかった。

 

 音と、魔力と、殺気。

 赤髪の襲撃者が、自らの頭上に注意を向けるには十分すぎたらしい。

 ぎょろりと視線が空を向き、すぐさま男は横合いに転がって、突き込まれる三叉槍をかわした。

 

「っとぉ!」

 

 赤髪の男を捉え損ねた三叉槍が路面を砕く。

 攻撃を外したと見るや、すぐさま槍を引き戻したランサーが、地面を転がる男に追撃をかける。

 

炎牙封殺(ブレイカー)……混沌魔獣(カオスビースト)!」

 

 だがランサーの追撃は、解放された流体金属によって阻まれた。

 それどころか流体金属は無数の針に枝分かれし、攻撃回数と攻撃面積の両方を武器に、ランサーに襲いかかる。

 

「チィッ」

 

 全身を貫かんとする針を全弾叩き落として、ランサーが流体金属から距離を取った。

 その間に、赤髪の男は悠々と体勢を整える。

 

「令呪か。いいね、そうこなくっちゃよ。仕事とはいえ、奇襲の上に弱いものイジメじゃあ、後味悪いと思ってたとこだ」

 

 にやり、と口角をつり上げて赤髪の男が言った。

 彼の足下には、今し方ランサーを迎撃した流体金属が付き従っている。

 

 この姿。この宝具。間違いない。

 テオドールとアサシンのマスターとの戦いに割って入ったのは、燃えるような赤い髪が特徴的なサーヴァント・ライダー。

 無敵の肉体を持つランサーに傷を付けられる、海神の眷属である。

 

 マスター同士の争いに奇襲をかけ、一挙に二つの陣営を潰すのが狙いだったか。

 背後から胸の中心を穿たれたアサシンのマスターは、ライダーに投げ捨てられてからぴくりとも動かない。うつ伏せに倒れたまま血を流し続けている辺り、おそらく即死だったのだろう。

 令呪によるランサーの転移が間に合わなければ、テオドールもあの魔術師同様、今頃は胸を穿たれて倒れていたハズだ。

 

「ま、そのザマじゃあ正々堂々って言うわけにゃあいかねえだろうが」

 

 鈍色の短槍をランサーに向け、少しだけ気が抜けたような口調でライダーが言う。

 アサシンのマスターに気を裂いていたテオドールは、ライダーの台詞に目を見張った。正確には、ライダーに揶揄されたランサーの状態を確認して絶句した。

 

「ランサー?」

 

 何人たりとも傷つけることが出来ないハズのランサーが、口元から血を流している。のみならず、全身は僅かに痙攣し、顔面は蒼白であった。

 どうみても普通の状態とは思えない。さらに、ランサーのマスターであるテオドールは、ランサーの損傷が見た目以上に深刻なことを見抜いてしまった。

 

 戦闘行動は行えるだろうが、戦闘能力は著しく下がっている。

 他のサーヴァント相手ならともかく、今の状態でこちらにダメージを与えてくるライダーの相手は出来ない。

 

「悪りぃが、見逃す気はねえぞ。雇い主からの命令もあるし、何より今まで横やり入れてくれやがった自業自得ってやつだ」

 

 言いつつ、間合いを計るライダーの槍に、銀の流体金属が装着されていく。

 その様子を見ながら、テオドールの脳内にランサーからの念話が届いた。

 

『業腹だが、退くぞ神父』

 

 苛立たしげに、ランサーが言った。

 出来ることなら撤退なぞしたくないと、その口調が物語っている。

 それでも現状での不利もしっかりわかっているのだろう。ランサーが撤退を提案しなければ、テオドールが命令を下していた程度には、ランサーは消耗している。

 

 ランサーに視線を合わせ頷いてみせると、彼は迅速に行動に移った。

 ライダーにはもはや目もくれず、こちらの隣に移動したランサーがテオドールを抱き抱える。テオドールを連れての、一も二もない逃走の構えである。

 

「逃がす気はねえって、言ったろうがよッ!」

 

 撤退の動きを見たライダーが吠え声を上げた。

 鈍色の槍に装着された流体金属がこちらに向かって伸び、まるで鞭のようにしなりながらランサーを打つ。

 しかし、負傷したとはいえどランサーは最速の英霊だ。しなる銀の鞭を危なげなく回避し、ライダーから距離を取ろうと走る。

 だが、思うように距離が離せない。それどころか、伸長し続けるライダーの鞭に徐々に追いつかれはじめていく。

 

 自身の負傷。

 マスターという荷物。

 間合いを潰すライダーの宝具。

 

 この三つが噛み合って、ランサーとライダーとの間にあった敏捷値の差が埋まってしまったのだ。

 このままでは離脱前に追いつかれる。追いつかれれば、少なくともテオドールは死ぬだろう。そうなれば魔力切れでランサーも消滅だ。

 

 勝ちの目を感じとったのか、ライダーの槍が鋭さと回転数を上げてランサーに襲いかかる。

 しなり、伸び、変幻自在に軌道を変える槍撃を、とうとうランサーが回避し損ねた。テオドールを片手に抱えたまま、やむを得ず迎撃を選択する。

 

「足を止めたな?」

 

 そして一旦足を止めてしまったのなら、もうそれでおしまいだ。回転数を上げ続ける槍の前に、守りに入ったランサーはその場で釘付けにされてしまう。

 

「このまま削り殺してやる!」

「ぬかせ、海神の小倅(こせがれ)風情がッ!」

 

 槍を捌くランサーが激情のまま叫んだ。

 それと同時、テオドールの脳内に『多少の被害には目をつぶれ』と念話が届く。

 

「あまり俺様をなめるなッ!!」

 

 何を、とテオドールが問うよりも早く、防御の構えを解いたランサーが槍を投擲した。

 

 ライダーとテオドール、双方が目を見開く。

 戦場で、それも敵の攻撃を防いでいる最中に武器を放り投げるなど、尋常ではない。

 

 案の定武器を失ったランサーは、ライダーのしなる槍に打たれて大きく損傷した。

 咄嗟にテオドールと自身の頭を庇うように動いたようだが、被害は甚大。戦闘の続行などもはや不可能なレベルだ。

 

 一方で、投擲された三叉槍はすさまじい勢いで飛んでゆく。わざわざ防御を捨ててまで投げただけのことはある。命中すれば、ライダーにも大きな被害を与えられたハズだ。

 

 だが、無情にも三叉槍がライダーに命中することはなかった。

 すさまじい勢いで突き進む槍は、ライダーを捉えるどころか、かすりもせずにライダーの遥か後方へ飛んでゆく。

 

「ハッ、どこを狙って────」

「狙い通りだ、バカ者めッ!!」

 

 嘲るライダーを遮って、血塗れのランサーが吼える。

 

(イドロ)……」

 

 三叉槍が消えていった方角に、ランサーが手をかざす。

 ざぶり、と遠くの方で、何かが着水する音を聞いた。そして、

 

「……信仰集めし海神の槍(トリアイナ)ッ!!」

 

 真名の解放を以て、投げられた槍が起動する。

 

「!」

 

 まず初めに異音があった。地鳴りのような、低く、そして腹の底に響いてくる音。

 次いで、膨大な魔力の塊がライダーの遥か後方からせり上がってくる気配。

 

「なんだと……!?」

 

 思わず、といった体で振り返ったライダーが、驚愕の声を漏らした。

 そしてその感情はテオドールも同じだ。目の前の光景に、言葉を失うしかない。

 

 テオドールの目に映ったのは、こちらへと押し寄せる津波の姿であった。

 

 波の高さは三十メートル以上。横幅は────この辺り一帯なら間違いなく余裕で飲み込む規模。

 ただそれだけで圧倒的な破壊のエネルギーを持つ津波は、しかしこの時においてはそれだけに留まらない。

 巨大な津波から感じるのは確かな魔力の気配。そしてその魔力はランサーの宝具のそれだ。

 

 迫り来る津波に目を凝らせば、荒れ狂う波濤の中に魔力を放ち続ける三叉槍の姿が見て取れた。

 

 やはりこれはランサーの宝具。だが、これだけの津波を起こせるほどの水量を一体どこから。

 

 が、テオドールの疑問が解消されることはなかった。

 押し寄せる津波に思考する時間はあれど、質疑応答を行う時間など、それどころか逃げまどう間すらない。

 

 程なくして到達した津波が標的ごと深山町を飲み込み、破壊の爪痕を刻み込んでゆく。

 

「ラン、サァアアアアアアアッ!!」

 

 その最中、テオドールはランサーの腕の中で、ライダーの怨嗟の声を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ざばり、と水を滴らせながらライダーは立ち上がった。

 

「クソッ、二度も逃げられてちゃ世話ねえな」

 

 ガシガシと頭をかきながら吐き捨てる。

 

 言葉の通り、ランサーには主従共々逃げられてしまった。

 双方ともに戦闘不能寸前であったのでしばらくは戦場に出てこないだろうが、そんな状態の敵に逃げられたライダーのプライドは傷つき気味である。

 

『逃げられはしましたが、成果もありました。キャスターの攻撃が通るとわかった以上、ランサーはそう倒しにくい敵ではありません。

 ランサーの真名は貴方の予想通りとみていいでしょうね』

 

 こちらの独り言に念話を返したマスターに苦笑する。

 

「ま、真名関連はお相子だろ。向こうも俺の正体に感づいてたみてえだしな」

 

 海神の小倅。

 

 前回の戦闘では『海神の眷属』と称したライダーを、今回の戦闘ではそう呼んだあたり、ライダーの正体はバレている可能性が高い。

 同じギリシャ系のサーヴァント。お互いに海神と関わりがあり、目の前で宝具まで解放したのだから、気付かない方がどうかしているレベルだとは思うが。

 

『ランサーの宝具で人払いの結界も破壊されてしまったでしょう。人が集まってくるまでに帰還しなさい』

「はいよ」

 

 ため息を吐きながら辺りを見渡す。

 辺り一面は酷い有様だった。

 未遠川方面から押し寄せた津波は堤防を乗り越え、容赦なく深山町を蹂躙していった。ライダーがざっと見渡した限りでも、倒壊した建物、押し流された自動車、ひしゃげた道路標識、砕かれたアスファルトにそこかしこに溢れる瓦礫、と散々なものだ。

 

 不幸中の幸いだったのは、これが自然発生した津波ではなく、ランサーの宝具によって引き起こされたものだった、という点だろうか。

 広範囲を巻き込んだかに見えた津波は、深山町に到達した途端、周囲に拡散するのではなく、その圧倒的な水量を一点に集め始めたのである。

 その一点とは倒すべき敵であり、この場合であればライダーということになる。到来した津波は、その後渦巻く水流となってライダーを襲ったのだった。

 結果、あれだけの津波が押し寄せたとは思えないほど、深山町の被害は小さい。あくまでも同様の自然災害が起きた場合の比較ではあるのだが。

 

 それと反比例して、津波を一点に集められたライダーの周囲は目も当てられない惨状である。ただ対軍宝具の直撃を受けただけとは思えない破壊の痕がそこかしこに刻まれている。

 

 ただ水は、本来あり得ない速度で引き始めていた。

 魔力で無理矢理に持ってこられた反動だろうか。津波となって押し寄せた大量の水は、破壊の限りを尽くした後、元の場所────未遠川へと還り始めている。

 

『貴方の宝具がアレに耐えられたことも、こちらとしては嬉しい誤算でしたね』

「だから令呪の強制送還はいらんと言ったろう? ま、相性が良かったってのも大きいがな」

 

 今でこそ攻撃に転用しているが、ライダーの宝具、炎牙封殺(ブレイカー)混沌魔獣(カオスビースト)は本来防御の為の宝具だ。

 通常の状態ではただのCランク宝具に過ぎないが、相手の攻撃を防ぐ場合には元々のランクにプラス補正が加わった状態の防御宝具として使用できる。

 ライダーは津波に巻き込まれる瞬間、展開していた炎牙封殺(ブレイカー)混沌魔獣(カオスビースト)で自身の周りに防壁を築き、ランサーの宝具を防いでいたのだった。

 

「しかしまあ、滅茶苦茶やりやがるな、()()()

 

 最後にそう呟いてから、ライダーは霊体化した。

 あとに残ったのは、破壊され尽くした町並みだけであった。




※ランサーの真名特定余裕過ぎな件。あとライダーも。
テオドールと交戦していた彼は、魔術師というよりも魔術使い。詠唱はきっと外国語で言ってるんだろうけど、どうせ綴りとか間違えてボロがでるので、日本語で書いてます。脳内変換してください。

前回のお話読んでもらえればわかると思いますが、今回のこれも踏まえると、前回ラストのアサシンへの念話と彼が刺されたタイミングがほぼ一致で

アサシン念話→即ランサー強制送還となるので、アサシンが撤退命令受けた瞬間くらいにランサーが消えていたり。
満を持して出てきたのに、速攻でランサーに消えられて、呆然としている隙にアサシンにも撤退されてぽかーんしているキャスターが目に浮かぶようだよ(愉悦)

【ステータスが更新されました】
【CLASS】ランサー
【真名】???
【マスター】テオドール・デュラン
【性別】女性
【属性】秩序・悪
【ステータス】筋力B 耐久E 敏捷A 魔力C 幸運E 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:B+
 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
 たとえBランク以上の魔術であっても、それが性別に依存する魔術ならば効果を軽減できる。

【固有スキル】
地形適応:C
 地形に適応する能力。
 地形条件によるステータスの低下を防ぎ、地形によっては自身のパラメーターをランクアップさせる。
 ランサーは特に海・河川への適応が高い。

【宝具】
海神の祝福(ポセイドーン・アマルティア)
ランク:B
種別:対人(自身)宝具
レンジ:ー
最大補足:1人
 あらゆる攻撃を無効化するランサーの肉体。
 物理・魔術問わず、あらゆる攻撃を無効化するが、海神系のルーツを持つ者には、この宝具の無敵性は発動しない。


偽・信仰集めし海神の槍(イドロ・トリアイナ)
ランク:C
種別:対人宝具
レンジ:2~4
最大補足:1人
 ランサーが『最高』と豪語する三叉槍。
 穂先へと周囲の水分を収束・圧縮し、相手へと叩きつける。
 河川や海など、周囲が水で満たされている場合、ランクと種別が向上する。


【CLASS】ライダー
【真名】???
【マスター】レオン・モーガン
【性別】男性
【属性】中立・中庸
【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷B 魔力D 幸運B 宝具?
【クラス別スキル】
対魔力:D
 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

騎乗:A+
 騎乗の才能。獣であるのならば幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。ただし竜種は該当しない。

【固有スキル】
神性:D(B)
 神霊適正を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。
 海神ポセイドンが父であるとされるライダーは、本来なら高い神霊適正を持つのだが、現在は大幅にランクダウンしている。


【宝具】
炎牙封殺・混沌魔獣(ブレイカー・カオスビースト)
ランク:C++
種別:対人宝具
レンジ:1~12
最大補足:1人
 意志を読みとる流体金属。
 普段は籠手として担い手の腕に装備されているが、真名解放で流体として解放され、敵に襲いかかる。担い手の意志に応じてあらゆる形状に変化させられる他、敵の魔力に反応してある程度の自動迎撃も可能。
 また、武器へと装着することで武器のレンジを調節することもできる。
 この宝具の本来の用途は攻撃ではなく防御であり、盾などの形状に変化した際には攻撃を反射する特性を持つ。




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二日目 その女たちは

「これは……!」

 

 マスターからの念話を受け、キャスターからまんまと逃げおおせたアサシンが見たのは、巨大な高波に飲まれようとする深山町の姿であった。

 

 波から感じるのは、先ほど間近で見た槍の魔力。

 とすれば、この大波を引き起こしたのはランサーか。

 アサシンが撤退命令を受けた直後に、令呪による強制転移を行使された槍の騎士は、どうやらここに呼び戻されていたらしい。ランサーのマスターはアベルとの戦闘中だったハズだが、劣勢になったことでランサーを呼び戻したのか。

 

 そう判じかけたアサシンはしかし、今まさに飲み込まれようとする町並みにランサー以外のサーヴァントを見咎めた。

 赤い髪に鈍色の槍、銀の流体金属を従えるサーヴァント。ライダーの姿である。

 

 ならばこれはもう、魔術師同士の戦いではなくなってしまっていたのだろう。アベルは恐らく、その過程で倒された。

 

「! アベル殿!!」

 

 地面へと倒れ伏し、血溜まりを作っているアベルを見つけたアサシンは、声をかけつつ彼を抱き起こす。

 

 深山町が津波に飲まれたのはそのタイミングだ。

 凄まじい波の圧力によって、未遠川沿岸部分の町並みが一挙に破壊されてゆく。建物、自動車、街路樹、お構いなしだ。破壊の規模を考えると人や動物が巻き込まれていたとしてもおかしくない。

 

 その破壊の波濤を()()()()()、アベルを抱えたアサシンは拠点へとひた走る。

 

 アサシンの保有する固有スキル『八艘飛び』は、人が体得できる歩法としてはほぼ最上位に位置する。

 いかなる地形であっても走力の低下を防ぐ『地形適応』。

 戦闘から離脱する『仕切り直し』。

 体捌き、呼吸、死角、あらゆる現象を絡み合わせ完成する歩法、『縮地』。

 『八艘飛び』は、それらのスキルを内包する特殊スキル。魔力に依らない歩法術の極み。

 

 アサシンのスキルランクはA判定。仙術に片足踏み込んだそれは、限定的ではあっても、歩法による空間跳躍すら可能にする。

 

 先のランサーの対軍宝具を回避できたのは、この『八艘飛び』による空間跳躍よるものである。そして今、町を飲み込む津波を飛び越えたのも、このスキルによるものであった。

 

 『八艘飛び』での最高速度を維持しつつ、あっという間に冬木の街並みを駆け抜けたアサシンは、とうとう自身のマスターの待つ拠点へとたどり着いた。

 

「マスター! アベル殿が!」

 

 マスターであるお嬢様の姿を見るが早いか、アサシンはアベルを抱き抱えたままで叫ぶ。

 

 腕の中のアベルは、今この時もだんだんと冷たくなっていた。

 右腕は切断寸前。頬骨は砕け、全身には裂傷と打撲痕。なによりも胸の中心には深い深い刺し傷がある。

 どう考えても致命傷。すでに助かる見込みは薄く、なんなら今のアベルの姿は死体に見えなくもない。

 というよりも、数多の戦場で死体を見慣れていたアサシンには、今のアベルは死体にしか見えなかったのだ。

 それでも、僅かでも希望があるのなら。さらに言うなら、最悪でもお嬢様がアベルの死を看取れるようにと全速力で拠点まで戻ってきた。

 

 アサシンを出迎えるように拠点の入り口にいたお嬢様は、アサシンとアベルの姿を一瞥すると、こちらへと背を向けて拠点の奥の部屋を指差す。

 

「落ち着きなさいアサシン。アベルを私の部屋に運んでちょうだい。彼はまだ、助かります」

「! ……はい!」

 

 落ち着き払ったお嬢様の声にそう返事を返して、アサシンはアベルの身体をお嬢様の私室へと運び込んだ。

 

「ベッドへ」

 

 言われた通り、ベッドにアベルの身体を横たえる。

 こうして改めて見下ろしてみても、アサシンにはアベルが死んでいるようにしか見えなかった。

 

「これから彼の治療を開始します。アサシン、あなたは外に出ていてちょうだい」

 

 白い皮手袋を身につけながら、お嬢様がドアの外を指差した。

 彼女の足下には、施術に使う道具が入っているのだろう大きなトランクが置かれている。

 

「マスター、僕にも何か手伝えることは……」

「ありません」

 

 アサシンの言葉を半ばから遮るようにして、お嬢様は冷たく言い放った。

 

「魔術に精通しているであろうキャスターのクラスならともかく、アサシンのサーヴァントに出来ることなど、この場にはありません。

 それにあなた程の魔力の塊が側にいれば、ただそれだけで私の魔術を阻害する恐れすらあるわ。ですから、出て行きなさいアサシン。あなたはいるだけで邪魔になります」

「……承知」

 

 そうまで言われれば大人しく引き下がるしかない。

 実際、彼女の言うとおりアサシンには治療魔術の心得などない。簡単な応急手当くらいならば可能ではあったが、それは傷を誤魔化し治療までの時間を稼ぐことができる程度のもので、ここまで損傷した肉体を治せるようなものではないのだ。

 

 いるだけで邪魔になるのというのならば、アサシンに出来ることは治療の成功を祈って、部屋から────拠点から出ていくことだけである。

 

 やるせない気持ちを抱えたまま、部屋を出てゆく。

 

「アサシン」

 

 と、背中にかかる声。

 扉を閉めようとしたアサシンは、その声に手を止め、視線を向けた。

 

「……ありがとう。よく、アベルを連れて帰ってきてくれました」

 

 相変わらず視線はこちらに一瞥もくれないまま。

 それでも、それまでのどんな声音よりも柔らかな響きで、彼女はその言葉を紡ぐ。

 

 ほんの少しの驚きとともに、アサシンは動きを止めた。

 

 アサシンには主君の気持ちがわからない。

 何をすれば喜び、何をすれば怒るのか。

 何をすれば期待され、何をすれば失望されるのか。

 生前も今も、アサシンにはそれがわからない。

 

 だから驚いた。

 自分のことを疎んじているような素振りを見せていたマスターが、こんなにも素直に礼を言ったことに。こんな自分が、マスターから礼の言葉を受け取ることが出来たということに。

 

「アベル殿を、よろしくお願いします。マスター」

「……ええ。任せておきなさい」

 

 状況は予断を許さないまま。

 それでもほんの少しだけ、マスターとの距離を縮められた喜びを抱いて、アサシンは霊体化した。

 

 

 

 

 

 

 

「戻ったぜ」

 

 そう言って、戦場からの帰還を果たしたライダーが実体化する。

 ランサーを一方的に追いつめ、ほぼ無傷の帰還を果たしたというのに、その表情は晴れやかとは言えないものだった。

 

 大方、あれだけ追いつめたランサーに逃げられたことを気にしているのだろう。その程度のことが読みとれるくらいには、レオンもライダーとの対話に慣れはじめていた。

 

「ライダー、あまり気にしないように」

「あのような場所で対軍宝具を使われたのだ。取り逃がすのも仕方あるまい。生き残っただけでもよしとしたまえ」

 

 レオンの言葉を引き継ぐように、レオンの師匠────エヌマエルがそう続ける。

 こちらの言葉に、ライダーは「別に気にしてねえよ」と吐き捨てて、部屋をぐるりと見渡した。

 

「キャスターの野郎は? まだ戻ってねえのか」

「いや。奴なら既に工房に引っ込んでいった」

「ああ、そうなん? 相変わらずマイペースなこって」

 

 そう言ったライダーが、三人掛けのソファにどっかと座る。彼の言い分も尤もだ。

 ライダーに先んじて帰還を果たしたキャスターは、こちらへの報告もそこそこに工房へ引っ込んでしまっていた。一応、彼の戦闘記録はマスターであるエヌマエルの感覚共有と、使い魔による映像記録として残ってはいるが、それにしたって少し報告が雑ではないだろうか。

 陣地作成スキルのあるキャスターが工房に閉じこもるのは仕方ないにしても、せめてライダーの帰還を待って、直接情報のすり合わせを行うべきではないかと、レオンは思う。

 

「キャスターのことは放っておけばいい。アレも最低限の仕事は果たしている」

「その分、俺の仕事が多くなるとかじゃねえよな、それ」

 

 エヌマエルの言葉に、げんなりといった表情でライダーが返す。

 それには特に何も返答しないまま、エヌマエルは次の話題を繋いでしまった。

 

「ランサーに関しては大方の予想通り、キャスターの攻撃も通用するとわかった。こちらには君もいる。アレはもう、それほどの驚異にはならないだろう」

「おいこら、話を聞けよ」

「真名もライダーの予想通りでしょうね。我々はランサーに対して、かなりの有利があります」

「いやだから、オメーら話」

 

 ライダーの抗議を無視して、今日の戦闘でわかったことを再確認する。

 その中でレオンは、エヌマエルの起き抜けに行った作戦会議のことを思い返していた。

 

 

 

 

 

 

「カイネウス?」

 

 作戦会議が始まるや否や、ライダーが口にした名前にレオンは首を傾げた。

 

「おう。カイニスって言った方が通りはいいのか? とにかく、それがランサーの正体だと俺は思うぜ」

 

 などと、ドーナツ片手に言うライダーは自信満々である。たった二度の戦闘にも関わらず、よほどの確信を持っているらしい。

 英霊の知識に関して、レオンよりも上の知識量を持っているライダーがそう断言するのなら、恐らくその通りなのだろう。

 それはそれとして、レオンだけならともかく、エヌマエルがいる作戦会議中にもこの態度というのは些かいただけない。

 レオンはライダーを睨んだが、ライダーはどこ吹く風でドーナツを咀嚼し続けていた。

 

「ふむ。無敵宝具、三叉槍、海神と関わりがある、か。なるほど、確かにカイネウスならそれら全てに該当するな」

 

 ライダーの告げた真名に、エヌマエルが納得顔で頷く。

 その一方で、レオンは微妙な心持ちであった。

 

「あの、師父」

「なにかな、レオン?」

「その……、カイネウスというのはどういった英霊で?」

 

 残念ながらレオンの持つ知識の中に、カイネウスという英霊は存在しなかった。ライダーが真名の予想を立ててくれても、それがどのような英霊なのか皆目見当もつかないのである。

 恥を忍んでそう問えば、対面に座るライダーが驚いたような顔をした。

 

「なんだ、知らねえのか」

「う、自分でも知識不足だとは思っています。ギリシャ関連の不死身の英雄など、アキレウスかメレアグロスぐらいしか思いつきませんでしたし」

「まあそいつらに比べたらマイナーだろうよ」

 

 ライダーがカラカラと笑う。嘲笑というより、純粋にこちらの反応を見て楽しんでいる様子ではあるが、レオンとしては複雑な心持ちだ。

 

「カイネウスはテッサリア、ラピテース族の王、神への冒涜が原因で命を落とした英雄だよ」

 

 レオンへ言い聞かせる最中、ライダーの方へ意味ありげな視線を向けてエヌマエルが言う。

 視線を受けたライダーは「あいつら心が狭いんだよ」とこぼして、エヌマエルの台詞を引き継いだ。

 

「元々はカイニスっつう女でな、それはスゲエ美人だったそうなんだが」

「女?」

 

 思わず口を挟む。

 中性的で見目麗しい姿ではあったが、レオンから見てランサーは男性のように思われたので、ライダーのその言葉は意外だった。

 

「早とちりすんなよ、()()()つったろ?」

「美しい女だったカイニスは海神ポセイドンの目に止まり、無理矢理に犯された。行為の終わった後、償いを申し出たポセイドンに、彼女は男の身体になることを望んだ。……そうだったね、ライダー」

「……おう」

 

 そう確認するエヌマエルに、ライダーはどこか遠い目をして頷く。

 

 それはきっと不幸な話。女が受けたのは、許されざる理不尽だったのだろう。

 ましてや加害者は神そのもの。不幸に嘆こうとも、理不尽に怒ろうとも、決して人の身ではどうしようもない存在だ。

 

 

 ────二度とこのようなことがないように、私を男にして下さい。貴方はどんな願いでも、きっと叶えてくださるのでしょう?

 

 

 そう言って、男になることを望んだ女の姿を夢想する。

 

 男となって二度と犯されないようにすることは、ただの人であった女にできる精一杯の反撃だったのかもしれない。

 

「……つまり、ポセイドンは彼女の願いを叶えて男にした。それがあのランサーだと」

「ああ、ポセイドンはカイニスの願いをきちんと叶えた。カイニスは、屈強で、どんな野郎にも負けない、()()()()()()なったんだよ」

「!」

 

 まさかそこで不死身の肉体に繋がるとは思わなかった。性転換がそのまま無敵の肉体の正体だったとは。

 しかし同時にライダーがランサーの正体をカイネウスだと断定した理由に納得もする。確かにカイネウスという英雄は、海神と関わりがあり、不死身の肉体を持つ英雄だ。

 

「それで、そのカイネウスの弱点は?」

 

 レオンは問う。

 相手の正体、逸話を予想できるのならば、その弱点にも予想が立てられるハズだ。

 得られた情報から相手の真名を暴き、弱点を見つけることこそが聖杯戦争の常道でもある。

 

 しかしレオンの問いに、ライダーは無情なる一言で答えた。

 

()()()

「は……?」

「カイネウスに肉体的な弱点はねえ」

「なっ……!?」

 

 驚愕に目を見開く。

 不死身の英雄には、その不死性を突破することのできる弱点がついて回るのが常だ。彼の竜殺しジークフリートは背中が。トロイア戦争の大英雄アキレウスは踵が弱点といった風に。

 

 だがカイネウスには、それが無い。

 それすなわち、真実完全無欠の肉体を持っているということ。

 殺すことが出来ない。そんな英雄がいたとして、そんなもの呼び出した時点で勝ちが決まっているも同然ではないか。

 

 破格の性能にひとしきり驚き、頭を抱えそうになったレオンは、しかしそこでふと思い出した。

 

「いや、待ちなさいライダー。貴方はランサーに傷を負わせていたでしょう?」

「それは私も気になっていたところだ。ライダーの言う通り、伝承ではカイネウスに弱点らしい弱点はない。にも関わらず、君が奴の無敵を突破できた理由は何かね?」

 

 レオンとエヌマエルの追及に、ライダーは「それなあ」と気の抜けた声で返事をする。

 

「野郎が自分で言ってたじゃねえか。『海神の眷属か』って。だからだろ」

「伝承にはそういった記述もないのでしょう? カイネウスではない別の英雄だった、ということはないのですか?」

「……そういう可能性もないではないが。

 そうさな。例えばの話、アンタがどんな格上の魔術師もぶっ殺せる魔術を開発したとする」

 

 そう言って、ライダーはエヌマエルを指差した。

 指名されたエヌマエルは、ふむ、と軽く頷く。それを見たライダーは、エヌマエルを差していた指をレオンに向けると、

 

「で、その魔術をアンタの弟子────まあ俺のマスターだわな、そいつに教えることにした」

「ああ。そういうこともあるかも知れないね」

「さあ、じゃあ聞くが。アンタそんな危険な魔術を、何の保険もかけずに他人に教えられるのかい?」

「……それは」

「無理だろ? そこのソイツが、どんなにアンタを慕ってたってよ、いつ何がきっかけで心変わりするかなんざ、わかんねえもんな。うっかりすると、教えた魔術でアンタが殺されちまうかもしれねえ」

 

 ライダーの言うことは、レオンにも理解できた。

 レオンはこの先何があってもエヌマエルを裏切るつもりはないが、エヌマエルがレオンをそういう人間だと思っているかは別問題である。

 レオンにしたって、仮に自分を慕う人間がいたとして、その人間にそのような魔術を無条件で教えられるかと問われれば否と答えるだろうし。

 

「神様連中ってのはケチで陰険で保身ばっかだかんな。人間でも躊躇するようなこと、連中にできるとは思えねえよ」

「つまり何か。ランサーを傷つけることが出来るのは、ポセイドンのかけた保険だと?」

「そうだろ? 不死身の身体で反逆なんかされた日にゃ、困るのはポセイドン自身なんだからよ。それはもう、自分にだけはカイネウスを殺せるようにしてるんじゃねえか?

 俺みたいなのが野郎に傷を負わせられるのは、そのオマケとかおこぼれだろうよ」

 

 理屈としては理解できる。

 もしもカイネウスが完全なる不死身の肉体を手に入れたとして、それで神々に反逆でも起こそうものなら、神ですら手に余る事態になっていただろう。何せ殺せない敵なのだ。

 カイネウスに神に反逆するという思考があったかどうかは定かではないが、可能性の話としてはポセイドンが保険をかけたくなる気持ちもわかる。

 

「しかしそうなってくると、現状でランサーを倒せる可能性があるのは貴方だけということですか。ランサーが海神の眷属と口にした段階から予想はしていましたが……。中々に厳しい」

「そうだな。だが、ここはむしろ喜ぶべきところだよレオン。他の陣営と違い、我々にはランサーを倒す術がある、とね」

 

 それはその通りである。

 それでもレオンには、ライダーが倒れれば勝機がなくなるという現状は不安で仕方なかった。

 

 そんなレオンの内心を知ってか知らずか、ライダーが「他の連中もやりかた次第だろ」と呟く。

 

「? 貴方以外にもランサーを倒せると……?」

「試してみなけりゃあわからんがな。アンタは知らんだろうが……。エヌマエル、アンタなら知ってるだろ」

「なにをかね?」

「カイネウスの死因だよ」

「……ケンタウロスによる撲殺、いや。たしか()()()ではなかったか」

「ご名答。身体は特別製でも中身────肺の機能はそのままだったってことだな。

 つまりだ、息さえ止められりゃあ、傷を負わせなくてもぶっ殺せるってことだろ」

 

 ランサーの息を止める。

 レオンはランサーがどのような死に方をしたのか知らない。だが、確かにランサーの死因が窒息死だったというのなら、それは間違いなくランサーの弱点だ。

 伝承に残るほどにはっきりとしている死因であるのなら、サーヴァントとして現界した今も、それなりの因果が残っているだろう。

 つまりランサーの窒息狙いならば、他のサーヴァントにも勝ち目が見えてくる。

 

 問題はあれほどの近接戦闘能力を持つランサーを、どうやって窒息させるかということだ。

 直接首などを絞めようにも、アレはそう簡単に捕まりはしないだろう。そして魔術攻撃による窒息狙いは対魔力スキルで弾かれてしまう。

 

「その辺は問題ねえだろ。キャスターの野郎には関係ねえじゃねえか。ホレ、あの毒霧」

「あ」

 

 そう言ったライダーに、レオンは少しばかり驚いた。

 

 ライダーの言うとおり、キャスターが操るあの毒霧には対魔力スキルは関係がない。

 あの霧は魔術ではなく()()。人が息を吸って吐く。それと同じこと。魔術を弾く対魔力に阻まれる理由がない。

 そして対魔力に阻まれないのならば、キャスターの毒霧はランサーに届く。ランサーの肺機能が無敵ではないのなら、毒を吸い込んだ時点でダメージは入るはずだ。

 

 が、レオンが驚いたのは、キャスターの攻撃が通用すると気がついたことが理由ではない。驚いたのは、それを指摘したのがライダーだった、ということだ。

 相手方の真名を暴き、死因を知り、弱点を衝く。ライダーのしていることは、そういう聖杯戦争の常道であった。

 つまり、普段の態度がアレなライダーが、そういう風にまじめに対策を講じようとしていることがレオンには意外ですらあったのだ。

 

「おいマスター。アンタなんか失礼なこと考えちゃいねえか?」

「え? ……いいえ。そんなことはありませんよ?」

 

 思わず目を逸らしながら言う。

 ライダーが冷たい視線をくれている気がするが、レオンは気のせいだと思うことにした。

 

 

 

 

 

 と、そのようなことがあり、ランサーの性能を暴ききるためにも今度の戦闘ではキャスターを使うことになったのだった。

 その結果、ランサーはキャスターの攻撃を無効化できず、尋常ではないダメージを負った。それはつまり、こちらの予想通りランサーの肺機能に無敵性能は付与されていないことを示している。

 ランサーの真名を知り、その上で彼の無敵宝具を突破できるサーヴァントが二騎。アドバンテージとしては中々のものだ。

 

「ランサーの件もそうだが、戦果としてはマスターを一人排除できたことが大きい。状況を見るに、あのメガネの男はアサシンのマスターで間違いないハズだ」

「ま、戦闘中に横やり入れて、背後からの奇襲で仕止められない方が問題だわなあ……」

 

 そうエヌマエルに返すライダーの声には、先ほどまでの軽妙さはない。

 これまでのライダーの言動を考えるに、今回の奇襲は彼にとっては不本意なものだったのだろう。

 それでも最終的には仕事だからと割り切れるあたり、サーヴァントとして最低限の自覚はあるらしい。もっともそうでなくては、マスターであるこちらは困ってしまうが。

 

 それはさておき、アサシンが脱落したという前提で話を進める二人に、レオンは言わねばならないことがあった。

 

「……いえ、アサシンは健在でしょう。ライダーが仕止めたあの男は、恐らくアサシンのマスターではありません」

「? なんだ、なんか知ってんのか?」

 

 こちらの言葉に、エヌマエルとライダーの視線が向く。

 レオンはライダーが刺し殺した男の顔を思い出しながら、口を開いた。

 

「……あのメガネの魔術師は、とある魔術の家系に仕える使用人です。名をアベル・アッカーソン」

「詳しいな、知り合いか?」

「知り合いというほどでもありませんが。

 ライダー、貴方を喚ぶための聖遺物はアベルが仕える人間からかすめ取ったものです」

 

 ライダーからの疑問を軽く流して、エヌマエルの様子を伺う。

 この時点で、エヌマエルはレオンの言いたいことを察したようだった。「なるほど」などと溢してレオンの言葉に頷いている。

 

「そして、アベルの主人が聖杯戦争への参加を諦めていなかったとしたら、当然他の聖遺物を探して参戦しようとしたことでしょう」

「つまりアレか。あのメガネは替え玉で、本当のマスターはメガネのご主人様だと」

 

 ライダーの言葉に首肯する。

 

「ええ、そう考えるのが妥当だと思います。アサシンとしてもマスターが戦場に出てくることは好ましいことではないでしょうし、何よりアベルという男は主人を危険に晒そうとはしません」

 

 レオンの中では、既にアベルがマスターである可能性は潰えていた。

 あの忠犬が主人を差し置いて自分だけ聖杯戦争に参加するハズはないし、彼の主人は主人で、聖遺物を失った程度で聖杯戦争を諦めるような性格ではない。

 残る可能性としては、向こうの陣営もこちらと同じく二人のマスターで結託しているというものだが、確認できたサーヴァントとマスターの組み合わせを考えると、アベルがマスターとして参加する空きがない。

 やはりアベルの主人がアサシンの正規マスターであり、アベルはそのサポートと考えるのが妥当であろう。

 正直な話、聖遺物を盗んだ時についでに殺しておけば良かったと、心から思う。

 

「そんで? そこまであのメガネに詳しいんなら、そいつの主人ってのも知ってんだろ?」

 

 その質問に、内心忸怩だる想いながらを抱えながらレオンは頷いた。

 

「アベルの主人の名はレオナ・モーガン。モーガン家の次期当主であり、私の姉です」

 





※ちょっと円卓地獄ですか!? トリスタンとガウェインのピックアップはよう!!(FGO感)
それはそれとしてランサー身バレ回。たぶん正体はバレバレだったのでいまさらな話。


【マスター情報が更新されました】


【レオナ・モーガン】
年齢:24歳
性別:女性
身長:166cm
体重:56kg
マスター階梯:第三位
好きなもの:アベルの煎れた紅茶、アクション映画、ヒーローの変身シーン
苦手なもの:じめじめした空気、恋心を自覚した自分
天敵:アサシン


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二日目 夜更ける

『冬木市で水道管破裂』

 

 バイトから帰宅し、とりあえずテレビを点けた九条は、そのニュースの見出しを見て目を丸くした。それと同時に、水が出ないと困る、と洗面所の蛇口を思い切り捻る。

 問題なく流れ出した水流にほっと一息つくと、ついでに風呂の準備をして人心地ついた。

 

「どうやら昼間から派手にやっている陣営があったようだな」

 

 そう言って実体化したセイバーに、九条は冷蔵庫を開けようとしていた手を止める。

 

「……どういうことだ?」

「先ほど未御川方面で膨大な魔力の流れを感じた。恐らく通常戦闘に留まらない、宝具を用いた戦闘だったのだろう。

 その記事にある現場と時間もほぼ一致するから、そこでサーヴァント戦が行われていたのは間違いないハズだ」

「マジか」

 

 対決は秘密裏に、というのが監督役であるノエルから告げられたルールのハズだ。

 昼間から宝具を用いた戦闘なんて、悪目立ちするだろうに。戦闘を行っていた者たちにはその辺りの配慮が足りていないのか、あるいは教会が与えると言っていたペナルティが恐ろしくないのか。

 これまでに数回、間近でサーヴァント戦を見てきた九条としては、ただでさえ派手になりがちな戦闘を、目撃者の多くなるだろう昼間に行うこと自体がちょっと信じられなかった。

 

「やむを得ない事情もあっただろうが、他の陣営に目撃されるリスクを考えると、日中の宝具解放は上策とは言えないな」

「だよな。まあ確かにバレないんなら、夜も昼も関係無いのかもしれないけどさ」

 

 そう言って九条は今度こそ冷蔵庫を開くと、目当ての物を取り出して、そこではたと気付いた。

 

「……」

「どうかしたか、マスター?」

「いや、つい癖で飲みかかったけど、この後戦いに行くなら止めといた方がいいよな、って」

 

 言いつつ、手にした350ml缶を冷蔵庫に戻す。

 炎天下での仕事明け、ついついビールが欲しくなるタイミングではあるが、そんなもの飲んだら戦いに行けなくなる。アルコールの耐性自体はそれほど低くはない九条だが、それとアルコールが入っている状態で動けるかどうかは別問題なのである。

 そういう訳で缶ビールの隣に置いてあったコーラに手をかけて、九条は冷蔵庫を閉じた。

 

「それは?」

「ただの炭酸飲料。暑い日にはやっぱ冷えた炭酸だよな」

 

 プルタブを起こして缶の中身をあおる。キンキンに冷えた液体が口内を満たし、弾ける泡が喉に痛みにも似た刺激を与えて通り過ぎていく。

 

「ぷはっ、うめえ。 ……セイバーも飲むか?」

「ふむ、そうだな。貴殿さえ構わないのなら是非」

 

 そう答えたセイバーに、冷蔵庫から新たなコーラを手渡すと、彼は九条がそうしたように缶の中身を一気にあおった。

 

「んく……、なるほど。これは確かに美味いな」

「おう。口にあったなら何よりだ」

 

 そう言って二人でコーラを飲み干しあう。

 一人暮らしの狭いアパートで、仕事終わりにこうして誰かと一緒に飲み食いするというのは、どうにも慣れずに不思議な気分だ。その相手が過去に勇名を馳せた英雄というのなら尚更である。

 それでもそれは不快な感覚ではなく、むしろ喜びに近いものだと九条は思う。どうやら自分はここ数年の一人暮らしに、知らず寂しさのようなものを感じていたらしい。

 

「以前、貴殿に味噌汁を振る舞われた時にも思ったが、現代の食というのは美味い物ばかりだな」

「そりゃ良かった。けど、具材寄せ集めの味噌汁と、一本60円均一のお買い得品コーラで満足気にされると、逆になんか申し訳ないぞ」

 

 空き缶を回収しながら笑う。

 現代の食は、コーラや味噌汁、この間食べた大判焼きだけではない。九条がセイバーに与えたものなど、現代食の一端にしか過ぎないものだ。

 セイバーのいた時代の食事事情がどんなものかはわからないが、九条が与えるような些末なものだけで満足させてしまっては、現代の食に関わる人々にもセイバーにも、ちょっと申し訳が立たない。

 

「美味いものなら、まだそこらにいっぱいあるからな。なんか興味があるんなら、言ってくれればご馳走するよ。

 まあ俺の薄給で手が届く範囲でだけどな」

 

 そう言って苦笑する。

 美味いものを食べさせてやりたい願望も、美味いものを食べたい願望も持ち合わせているものの、やはり何をするにも先立つものが必要だ。

 

「いや、それは流石に遠慮しておこう。私は本来戦うためだけのモノだ。基本的には食事自体必要ないのだし、これ以上貴殿の好意に甘えるのはよくないだろう」

「気にすんなよ。……っていうか、こっちはロクに戦えもしないマスターなんだぜ? 普段なにもしてやれないんだから、ちょっとくらい良いカッコさせてくれた方が心が安まるんだよ」

「……そういうものか?」

「そういうものです」

 

 九条がそう言うと、セイバーはやや思案顔になって、

 

「では……」

「ん? 早速なんかあるのか?」

「ああ、その、舌の根も乾かぬ内に心苦しいのだが……。現代の酒というものに興味がある。いや、先ほどの飲み物も確かに美味かったのだがな。やはり戦意を高揚させるには酒が一番いいというかなんというか」

「お酒ね。缶ビールでいいなら冷蔵庫にあるけど、今夜も戦いに出るんだし、今は控えた方がいいよな?」

 

 つい先ほど自分が飲酒を控えた理由を思い出しながら言う。

 すると、セイバーはきょとんとした顔をして首を傾げた。その表情に、思わず九条の方も首を傾げてしまう。

 

「あれ? おかしいこと言ったか、俺」

「おかしいという程ではないが、戦いに出るから酒類を控えた方がよい、という理由がわからなくてな」

「え、だってアルコールなんか入っちまったら、動けなくないか? 戦えなくなっちまうだろう」

 

 え、違うの? と信じられないような面もちでセイバーを見ると、むしろセイバーの方がわからないという表情を浮かべていた。

 

「私の生きた時代は、戦いの前には食事と酒、戦いの後にも食事と酒。なにはなくとも食事と酒、というような状態であったからな。貴殿の言うことがいまいち感覚として掴めない」

「おいマジか。すごいとこだな、お前の時代」

 

 っていうか食って飲んでばっかりだな、と脳内でツッコミを入れつつ、それならと九条は冷蔵庫を開いた。

 

「ほら、ビール。安酒だけど、暑い日に飲む分には世界で一番うまいと思うぞ」

「なんと! それは楽しみ……、というかこれは頂いても?」

「いいよ。そのつもりで出したんだし、飲みたいなら遠慮せずに飲んじゃってくれ」

「そうかっ」

 

 明らかに喜色を浮かべるセイバーに、こちらまで嬉しい気持ちになる。

 コーラに比べると割高ではあるのだが、こんな風に喜ぶのなら、戦ってもらっているお礼も兼ねて、セイバーの為にビールを箱買いするのもいいかもしれない。

 

 そんな風に思いながらセイバーを見ていた九条だったが、そこでおや、と首を傾げた。

 あんなにも嬉しそうにビールを受け取ったセイバーが、なぜだか缶を握りしめたまま一向にビールに口をつけようとしない。

 

「どした?」

「いや、貴殿は飲まないのか?」

「うん。飲んだら動けなくなっちまうって言ったろ? 俺のことは気にせずに飲んでくれればいいよ」

 

 ひらひらと手を振りながら答える。

 話を聞くに、セイバーはちょっとやそっとのアルコールではどうにもならないらしいが、九条は別だ。

 これから命のやり取りを行うというのに、飲酒が原因で足下が覚束ないなど笑い話にもならないだろう。それに、曲がりなりにもマスターとなった自分が、そんなくだらないことでセイバーの足を引っ張るわけにはいかないのだ。

 

 そういった九条の考えを知ってか知らずか、セイバーが神妙な面もちでぽつり、と口を開いた。

 

「……なあ、マスター」

「なに?」

「飲食は誰かと共にしてこそだと、私は思うのだ。それは親、兄弟、友人、恋人、時には敵であったとしても。それがともに戦うと決めた戦友ならばなおのこと」

「……それで?」

「一日くらいは休養日が必要だとは思わないか?」

 

 そのセイバーの言葉に、九条は思わず笑ってしまった。

 笑ってしまって、それから透けて見えるセイバーの欲求と気遣いに、うん、と一つ頷いて。

 

「……そうだな。よし、じゃあちょっと待っててくれるか? 風呂入ってくるから、上がったら一緒に飲もう」

 

 グラスを傾ける仕草をして風呂場へと向かう。

 

「……ああ。器の大きいマスターで良かった」

 

 喜ばしげなセイバーの声を背に受けて、九条は「後でつまみ買ってくるかなあ」と頭をかいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生前は縁のなかった日本家屋。

 その縁側で一人佇みながら、ぼんやりと夜空を見上げる。

 死後、英霊となってから新たな経験を積むというのは、やはり妙な気分だ。

 

「ここから見る月は、本当に綺麗なんですよ」

 

 と、背後からかけられる声。

 気配と声色から、その人物が誰なのかを察したアーチャーはゆっくりと振り返った。

 

 振り向いた先には、アーチャーの想像通り、白く長い髪を結い上げた老女の姿。この武家屋敷の主、かつて遠坂雅に魔術を教えていたという、サクラ・エーデルフェルトその人がそこに立っていた。

 

「それは残念です」

 

 優しげに微笑む老女に、そう率直な感想を漏らす。

 

 空には生憎と雲がかかっていた。星も月も隠れてしまった夜空は、少しばかりもの悲しい。

 強い日差しが降り注いだ日中から一転、夕暮れ過ぎから立ちこめ始めた雲は、今も少しずつ量を増しているようだった。この様子だと明日は雨か。少なくとも今日のような日差しは望むべくもないだろう。

 もっとも、アーチャーのマスターである雅は強い日差しに辟易している様子だったから、これはこれで良いことかもしれない。

 

「マスターはまだ入浴中ですよ」

 

 逸れかけた思考を元に戻しつつ、アーチャーは口を開いた。

 

 家主であるサクラの勧めもあって、雅たち主従は今夜この武家屋敷に宿泊することを決めていた。同時に今夜はもう戦いに赴かないとも。

 何せサクラは明日には日本からいなくなってしまう。聖杯戦争の苛烈さを思えば、これが今生の別れとなってもおかしくはない。サクラを慕う雅の姿を見ていたアーチャーは、少しでも二人の時間が作れればと思っていた。

 夕方過ぎに教会の方からなにやら電話があった時はどうなるかと思ったが、どうやら雅が出張っていくほどではなかったらしい。「事後処理のこと考えろっての」とボヤいてはいたが。

 

 そんな雅は現在入浴中。

 雅が入浴中であるタイミングを見計らってわざわざアーチャーに声をかけてきたのならば、彼女が用があるのはマスターではなく自分かもしれない。

 

「それとも私に用でしょうか、サクラ」

 

 そう問いを投げかけたアーチャーの思考を裏付けるかのように、老女は一度コクリと頷いた。

 

「……ええ。一度雅ちゃんのいないところで話しておきたくって」

 

 ふむ、と首を傾げる。

 マスターである雅には知られたくない話題ということだろうか。とはいえ、やましい内容ではないだろう。老女の纏う雰囲気からは、そういった後ろめたいものは感じられない。

 

「アーチャーさん。昼間にも言いましたけど、どうか雅ちゃんをよろしくお願いします」

 

 さてどんな話だろうか、と耳を傾けたアーチャーに、サクラはそう言って頭を下げた。

 

「教え子への欲目を差し引いても雅ちゃんは優秀な生徒です。

 今回の聖杯戦争で、どの程度のマスターがいるのかはわかりません。それでもきっと、魔術師としての能力だけ見るのならば、雅ちゃんは上から数えた方が早い。そのくらい才能があって、能力がある子です」

 

 老女は我が事のように誇らしげに、教え子についてそう語る。

 雅がサクラのことを慕うように、彼女もまた雅のことを大切に思っているのだろう。アーチャーがそう思う程度には、彼女の浮かべた笑みは優しかった。

 

 そしてだからこそ、続く老女の言葉に、彼女の心配事が何であるかを察してしまう。

 

「だけどあの子は甘い。優しい。非情に成りきれない。私はそれを美徳だと思っています。だけど戦うとなればその美徳は欠点に変わってしまう」

 

 だから貴方が助けてやってくれ、と老女は言う。

 雅がその甘さから判断を間違えたときは、代わりに非情になってくれと。

 

「ごめんなさいね。こんなこと頼まれても困ってしまうでしょう。貴方にも望みがあって、そのために仕方なく雅ちゃんと主従関係を結んでいるのだから」

「…………」

 

 眉尻を下げながら言ったサクラに、アーチャーは沈黙を返した。

 

 実際、彼女の言うことは事実である。

 聖杯戦争において魔術師たちが使役するサーヴァントは、いずれも人類史に名を馳せた英雄。英霊の座にまで上り詰めた彼らにしてみれば、現代を生きる魔術師など取るに足りぬ存在だ。

 それでもサーヴァントがマスターに従うのは、利害の一致から。自らが果たせなかった悲願を聖杯に託すため、取るに足りぬ魔術師の使い魔に成り下がって契約を結ぶ。

 

 英霊にとって、聖杯を穫る、という目的のために魔術師と手を組むことは問題ない。

 けれどそれ以外の部分は契約外の事柄だ。サーヴァントにしてみればマスターなどただの依り代。聖杯を勝ち取るまで魔力を提供してくれるなら、その後でどうなろうとも知ったことではない。

 

 きっと多くの英霊の中には、本気で『マスターの願いを叶えるためだけ』に召喚に応じる英霊もいるのだろう。英霊たるサーヴァントに、本気で『この人に仕えてみたい』と思わせるマスターもいるのだろう。

 けれど、多くの英雄はそれほど自分を安売りしまい。

 英雄を心酔させられるだけのマスターだって、そこまで多くはあるまい。

 

 そしてアーチャーもまた、『マスターの願いを叶えるためだけ』に現界したサーヴァントではなかった。

 この身には確かに身を焼くような無念と、何をしてでも果たしたい悲願がある。

 

「サクラ。確かに貴女の言うとおり、マスター────ミヤビは甘い。そのことはつい先日、我が身をもって知りました」

「……!」

 

 無関係の人間を庇うために飛び込んだ夜の工事現場。

 あの場で雅が戦場に飛び込む理由はなかった。今後のことを考えるなら、あのまま物陰に隠れて、他のサーヴァントを食い合わせるほうがよほど雅たちとっては都合がいい。無関係の一般人など、見捨ててしまえば良かったのだ。命をかけた戦いで、危険も顧みずに他人を助けようなどとは、正気の沙汰ではない。

 それがろくに会話もしたことがないような相手なら尚更だ。

 

 雅自身も語っていた。『バカなこと』だと。アーチャーだってそう思う。

 その後結果はどうあれ、雅の甘さによってアーチャーたちは脱落寸前まで追い込まれてしまっている。今回は運良く生き残ったが、これからもこのようなことが続くのであれば、それは致命的だ。アーチャーとしては、最悪別のマスターに乗り換える、という選択肢も候補に入るほどである。

 

 つまるところ遠坂雅は能力値の高さから『依り代』としては優秀でも、その甘さから『指揮官』としては無能である、ということだ。

 

「貴女が釘を刺すほどですから、ミヤビの甘さは筋金入りなのでしょう。サーヴァントの立場としての意見を言わせてもらえば、そんなマスターとは一刻も早く手を切って、もっとマシな相手を捜すべきだ」

 

 それはアーチャーの抱えていた偽らざる本心。

 きっと多くのサーヴァントが、雅の甘さをみればそう思う。

 

 けれど、

 

「ですが、私個人の感想で言えば、彼女のあり方は非常に好ましい」

 

 顔を上げた老女に笑いかける。

 

「これは既にマスターにも話したことですが。彼女の持つ優しさ、甘さ、戦場には不要のもの。そういったものこそを、私は好ましく思っています」

 

 アーチャーは聖杯戦争のために呼び出されたサーヴァントだ。そして召喚に応じる以上、アーチャーにも叶えたい悲願がある。

 願いを叶えるために聖杯を穫る。結果だけがすべての戦い。

 

 その戦いの中にあって、だけどアーチャーは結果だけがすべてではないと願っている。結果だけを追い求めて、過程を顧みないのは間違っていると、かつて戦場に立った者とは思えないほど、甘い幻想を胸に抱いているのだ。

 

「ミヤビの持つ甘さは『魔術師』には不要でも、きっと『人間』には必要なものです。

 彼女が人間のまま悩み苦しんで出した指示ならば、どのようなものでも私は喜んで従いましょう。そして彼女が正しく人間である限り、私は全霊を以て彼女の力になると誓いましょう」

 

 目的のため非情にならなければならない場面は、いつか必ずやってくるだろう。

 その時、雅がどれほど残酷な指示を下したとしても、あるいは情に流され的確な指示を下せなかったとしても、それでアーチャーが雅を見限ることだけは絶対にない。その命令を下すまでに、彼女に人間らしい葛藤があったのなら、それこそがアーチャーが剣を預けるのに足る理由だからだ。

 

「……驚きました」

 

 ぽつり、とサクラが呟く。

 

「何にでしょう?」

「貴方は今、自分が仕える人間に、有能さを求めていないと言ったのよ」

 

 サクラの言葉に、アーチャーは口元を綻ばせた。

 成る程。下される命令の優劣よりも、命令を下すまでの葛藤を重要視すると言ったアーチャーは、確かにサクラからはそう見えるだろう。

 

「まさか。私とて、指揮官は有能な方が良いに決まっています。

 けれど、そうですね。それは仕えていて楽な主ではあっても、仕えてみたい主とは別なのです。

 私にとって『自分はこの方に仕えているのだ』と胸を張って誇れる主が、ただ有能なだけの主ではなく、戦場には無用の『人間らしい甘さ』を持った人間だった、というだけの話で」

 

 これはただ、アーチャーの中での優先度の話。始めに言った通り、そういう甘さを持った人間が好きだから、雅がそうある限りはどんな命令を下されようが、彼女を見限るつもりはないのだ。

 

「そういう未熟な主を支えることを生き甲斐にしている、と? 騎士というのは、みんなそんな風なのかしら?」

「確かに多くの騎士は、弱者を守り、未熟を正すことを好んではいるでしょうが……。私のコレは、そのような大層なものではありませんよ。それに、私のように扱いにくい騎士は稀でしょう」

 

 アーチャーの言葉に、老女は首を傾げた。

 

「扱いにくい? 貴方が?」

「ええ。命令という結果よりも、その過程に執着するような者ですから」

 

 その言葉の意味するところを、老女は正確に理解したようだった。

 僅かに目を伏せ、一言ずつ噛みしめるように言う。

 

「ああ、成る程。そうかも知れませんね。つまりどれだけ優秀な指揮を採っても、その心根に甘さがなければ、貴方にはいつか……」

 

 彼女はそこで一度瞳を閉ざすと、次の瞬間、華の綻んだような優しげな笑みを浮かべた。

 

「でも、それなら安心ですね」

 

 サクラの真意を捉えきれずに首を傾げたアーチャーに、彼女は微笑んだまま、 

 

「だって雅ちゃんのアレは筋金入りですから」

 

 と、そう続けた。

 

「……ええ、それなら安心ですね」

 

 アーチャーは決して雅を見限らないだろう。遠坂雅がサクラの知る遠坂雅のままであるのなら。

 そしてこの老女がそう断言するのなら、雅はそういう人間なのだとアーチャーもそう信じられる。

 

「冬木を離れる前に貴方とこうして話せて良かったです。貴方ほどの英雄が雅ちゃんを見捨てないでいてくれるのなら、きっと大丈夫」

 

 そう言ったサクラは、安心しきった声音と表情で。アーチャーはそれを守らねばならないものだと思った。誰よりも何よりも雅のために。

 

「月並みな言葉ですが、その期待を裏切らぬよう死力を尽くしましょう」

「ふふっ、心配事が少しだけ減っちゃいました」

 

 満足げに、まるで童女のような表情で言い切って、サクラはそれからゆっくりと縁側へと腰掛けた。

 

「ごめんなさいね。安心したら気が抜けてしまって」

「いえ、どうぞ遠慮なく」

「貴方もどうぞ、お座りになって。そもそもこんな話、立ったまますることでもなかったわね」

 

 私ったら恥ずかしいわ。などと微かに頬を染めながら、サクラはぱたぱたと手を振る。

 年配の方に下す評価としては不躾なものかも知れないが、アーチャーはサクラを可愛らしい人だ、と内心で評価した。

 

 サクラの勧めに従って、アーチャーも縁側へと腰を下ろす。

 視線が低くなったおかげか、立ったままの時よりも縁側から見える庭の様子がよくわかった。

 アーチャーは庭の造形に明るくはないが、随分と細やかに手入れがされていることくらいはわかる。この屋敷の持ち主であるサクラのこだわりだろうか。

 

「ねえ、アーチャーさん」

 

 ややあって、老女が思い出したかのように言った。

 

「あの銀剣は、本当は自分のために用意したものなのよ。雅ちゃんを戦わせるくらいなら私が戦おうって」

 

 何気ない会話をするような声色で、彼女はそんなことを言う。

 サクラの思惑通りに事が進んだのなら、きっとアーチャーのマスターは雅ではなくサクラになっていたのだと。

 

「けれど聖杯は私を選ばなかった。令呪は私じゃなくて雅ちゃんに宿ってしまった」

「……マスターとは、なろうと思ってなれるものではありません。そして他人にその役目を渡せるものでもない」

 

 悔いるようなサクラの台詞に、ついアーチャーは口を挟んでしまった。

 

 マスターは聖杯によって選別される。

 強い願いを持つ者。戦う意志のある者。魔術の使い手である者。選ばれやすい傾向はあろうが、それは絶対ではない。

 

「令呪があるからマスターの資格があるのではない。マスターたる資格がある者に令呪が宿るのです」

 

 この老女が魔術師で、いくら戦う意志があろうとも、聖杯に選ばれなかった時点で、彼女には令呪が与えられることもサーヴァントを与えられることもなかっただろう。

 逆に魔術師でなくとも、戦う意志が希薄であろうとも、聖杯が選びさえすれば令呪とサーヴァントは与えられる。そう、セイバーのマスターのように。

 そしてそれは彼女の過失ではない。ある意味で運とも言える要素だ。

 

「ええ、そうね」

 

 相も変わらず、彼女の声音は平静なまま。アーチャーに雅を頼むと言った時とは感情の揺れ幅が違う。

 あるいはサクラは自分がマスターに選ばれなかった時に、自問も後悔も自責も、とっくにすべて終わらせていたのかもしれない。

 

「こうなってしまった以上、私は雅ちゃんを生き残らせてあげたい。出来る限り助けてあげたいけれど、私がいると足を引っ張ってしまうから」

「まさか、貴女が冬木を離れるのはそれが理由ですか」

「なるべく近くで見ていてあげたいけれど、あの子は優しいから。もし私が人質になんてなったりしたら、きっと戦えなくなってしまうわ」

 

 これは雅ちゃんには内緒ね。と老女はイタズラっぽく笑った。

 

「マスターに選ばれてしまったのなら、せめて真っ先に教会に駆け込んで、聖杯戦争が終わるまで待っていてほしかったけれど、それも無理ね。あの子は覚悟が半端なクセに、責任感だけは人一倍強いから」

「……ミヤビは貴女の弟子ですから、心配なのはわかりますが」

「過保護でしょう? 先生失格ね。でも、移ってしまった情は、簡単には戻ってこないから。

 だから迷惑だろうとわかっていて、貴方にお願いをしたのよ。改めて、雅ちゃんをよろしくお願いします」

 

 縁側に座りながら、器用に身体を折り畳んでサクラが頭を下げた。

 その様を間近で見て、改めて思う。雅は愛されている。魔術師の師弟関係がどのようなものかはアーチャーの知るところではないが、サクラが雅に向ける感情は、弟子に対する心配というよりもむしろ家族に対する愛情だ。

 

「それに対する答えは先程述べた通りです。私は、私の主が正しく人間としての葛藤を抱える限り、死力を尽くして仕えましょう」

「……ありがとう」

 

 顔を上げたサクラが微笑む。

 その時と同じくして、アーチャーの聴覚がこちらへと近づいてくる足音を捉えた。気配、足音、魔力の感覚からして、近づいてくるのは十中八九雅であろう。

 アーチャーは思わず少しだけ吹き出してしまった。今まさに会話が終わったというタイミングでやってくる、己のマスターの絶妙な間の取り方に。これを狙ってやっていない辺り、ある意味で恐ろしくすらある。

 

「アーチャー……と、先生? なにやってるんです、こんなところで?」

 

 ひょこ、と廊下の角から顔を覗かせた雅が問うた。顔には純粋な疑問が張り付いていて、アーチャーとサクラはまた少しだけ笑ってしまった。

 

「少しだけお話させてもらっていたのよ」

「お話、ですか? もしかして聖杯戦争についてなにか?」

 

 前半をサクラに、後半をアーチャーに向けて雅が言う。

 

 さて、なんと答えるべきだろうか。

 アーチャーは咄嗟には声を出せなかった。聖杯戦争関連の話をしていたことは事実なのだが、恐らく雅が考えているような内容とは違うハズだ。

 

「アーチャーさん」

 

 しぃ、とサクラがアーチャーにだけ見える角度で、口元に人差し指を当てていた。俗に言う『黙っていてくださいね』のポーズだ。

 雅に隠し事をするのは気が咎めるが、ここでの会話は積極的に吹聴するようなことでもあるまい。話した当人が内緒にしたがっているのなら、アーチャーも黙っていようと思う。

 

「いえ、他愛のないことですよ。今夜の食事がとても美味しかった、といったような」

「そりゃ先生の作る食事は絶品だもの。っていうか、本当にそんな話を?」

「後は……、そうね。雅ちゃんが自炊できるか、しっかり見守っててくださいってお願いかな」

「うっ」

 

 横から口を挟んだサクラに、雅がうめき声を上げた。

 反応からして、どうやら雅は自炊が苦手らしい。視線をサクラに合わせずに泳がせている辺り、以前から注意されていてなお上手くいかない事柄、といったところだろうか。

 アーチャーが召喚されてからまだ日が浅いが、そういえば雅が自分で何か作って食べたのを見た記憶はない。日常生活に於いては何でもソツなくこなすという印象だっただけに、マスターの思わぬ弱点に微笑ましくなる。

 

「そ、それは本当にどうでもいいことじゃないですか。自分で作らなくても生きてはいけますし、そんなことアーチャーに頼むだなんて」

「あら。引き出しは多い方が、いざという時困らずに済みますよ。人生、どんな能力が必要になるかはわからないんですからね」

「……魔術師的には料理スキルなんて必要にならないかなー、なんて」

「薬品の調合なんかには、とても必要なスキルだと思いますけどねー? それは身を以て知ってるでしょう」

「うぅ、薬品と料理は別物だと思います……」

 

 反論しつつも、雅の声は徐々に小さくなっていく。形勢は雅に不利、というよりも最初から勝ち目はなさそうだ。

 話の内容が、雅自身が苦手意識を自覚している事柄であることに加えて、そもそも二人の力関係的に、雅ではサクラには勝てまい。

 

「聖杯戦争中はなるべく自炊をする。うん、これを課題にしましょうか」

「へ? いや、先生それは……」

「聖杯戦争に決着がついたら、きちんと成果を確認させてもらいますからね」

「あれー!?」

 

 魔術と直接関係ない課題が出ちゃった!? と頭を抱える雅を後目に、サクラがアーチャーへと向き直った。

 老女の優しげな目からは、相変わらず雅への心配と親愛が容易く窺い取れる。

 

「そういう訳ですから、アーチャーさん。しっかりと雅ちゃんを見守ってあげてくださいね」

 

 冗談めかしたその声色。

 けれど、これは先程の『内緒話』の続きだ。

 とすれば、アーチャーからサクラへの答えなど一つだけ。

 

「はい。我が弓にかけて」

 

 老女を安心させるため。そして自らに誓いを立てるため、アーチャーは努めて真面目に宣言した。

 

 夜の武家屋敷に「弓にかけてまで!?」と、雅の絶叫が響いた。




※ハートフルな聖杯戦争! 二日目が終わらねえ!!

剣と弓陣営はまだ二日目だというのに主従仲良すぎで、戦争しろよ
あと、みやびんと先生は教師と生徒というより孫と祖母みたいな関係(前にも言った)
みやびんが甘ちゃんなのは、だいたいこの先生のせい


【CLASS】アーチャー
【真名】???
【マスター】遠坂 雅
【性別】男性
【属性】秩序・中庸
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷A 魔力C 幸運E 宝具?
【クラス別スキル】
対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術・儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

単独行動:B
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。






ここからFGOの六章とこのSSのネタバレ含む愚痴というかなんというかな文章。ネタバレいくない!って人はスルー推奨





















うちのアーチャーのキャラクター性のようなものが、思ってたより公式と被っててどうしようかと思った! いや、当方ガーデンオブアヴァロンは未読(手元にはある)なので、厳密にはどの程度被ってるといっていいのかわかんないんですけど。これ、FGOのマイルームで聞けるボイスを元にキャラクター性を考えると、この話でアーチャーが言ってる「人間である限り」の部分が相当もにょる。
あとね、ステータスがね。思ってたより被ってた……、っていうか想定してるステータスと一部を除いて一致しすぎてて僕は。

まあ公式が最大手なので、仮にここのアーチャーの真名がわかっても、「まあ別側面ですしおすし」って言ってもらえれば幸いです。


それはそれとしてハロウィンイベントでロマニ礼装を限凸させようとフレポ召喚まわしてたらアンリ二枚きました。宝具レベルは無事3へ。でもロマニはこなかった。
あとヴラド(extra)欲しかったから10連回したけど、ヴラド(バサカ)しかこなくて、違うそうじゃない。うれしかったけどそうじゃない。ヴラドきませんでした。


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Interlude 夜更ける ~冬木市民の日常~

 夜が来る。

 

 七騎のサーヴァントが揃って既に二日。

 冬木の街には徐々に、だが確実に魔の気配が漂い始めていた。

 

 魔の気配に敏感な者たちは、既に冬木が自分たちの知っている冬木とは違うものになりつつあると感づいているだろう。

 そうでない者たちも、微かな違和感程度なら感じ始めていた。

 

 それでもやはり、()()()()でもある。

 誰もが『何かが違う』と感じながらも、それをどこか他人事のように思っていたのである。

 

 そしてその夜の彼女もまた、そんな風に街に不穏な空気を感じながらも外出していた一人であった。

 

 現在時刻は午後九時。いくら夏の日が長いとはいえ、既に太陽は沈みきり、街には夜の帳が降りている。

 新都では昨夜、押し入り強盗による一家惨殺事件があったそうだ。犯人はまだ捕まっておらず、もしやまだ新都周辺にいるのではないか、と会社で話題になっていた。

 昼休みにその話を聞いた時は、普通に恐ろしいと感じたものだ。にも関わらず、こんな時間帯の新都を一人で歩いている。

 何もかもお盆前の繁忙期とかいう奴が悪いのだ。残業に呪いあれ! 心の中でそうグチをこぼしながら、彼女は足早に駅を目指す。

 

「やあ、こんばんは」

 

 と、どこからか声をかけられたのはその時だ。

 

 決して大きな声ではなかった。

 特定の誰かにかけられたような台詞でもなかった。

 

 それでも彼女は、その声が自分に向けられているように感じて足を止めてしまった。夜の新都なんてさっさと抜けて家に帰りたいのに、足を止めずにはいられなかった。

 

「そんなに急いでどこに行こうというのかな?」

 

 振り返り、声の出所に目を向ける。

 声の主は、ことのほかあっさりと見つかった。

 

 街路灯の立ち並ぶ表通りではなく、ビルとビルの隙間。照明の影にとけ込むように、壮年の男が立っている。

 

 ぞわり、と彼女は自分の背筋に怖気がはしるのを感じた。

 

 彼女は別段、聴覚に優れているだとか、そういう体質ではない。

 それでも、さして大きくもないその声を正確に聞き取り、ビルの影に隠れるように立っていた男を簡単に発見することができたのだ。

 呼び止められたときと同様、まるで感性だけが自分の手を離れていってしまったような感覚を覚える。

 さっさと帰ってしまいたいのに、視線をその男から離せない。逃げ出したい意志に反して、足が縫い止められたように動かない。

 

「君の帰り道は、そちらではないだろう?」

 

 優しく問いかけるようでありながら、その声には反論を許さない響きがあった。

 それと同時、彼女はそうかもしれないと思ってしまった。私の帰り道は本当にこちらだったのだろうか、と。

 

「きなさい」

 

 言葉とともに、ふ、と彼女の内にあった不安が消えた。

 そも、自分は本当に不安など感じていたのだろうか。感じていたとしたら、いったいなにに?

 

「君の帰り道はこちらだ。帰る場所、帰りたい場所はこちらだ」

 

 優しい声音で男が手招きする。

 

「君の『欲しいもの』が手に入るのも、こちらだ」

「……欲しいもの」

 

 そのワードに、ふらり、と縫い止められていた足が動き出す。

 

 ────行かなくちゃ。

 

 ぼんやりとそんなことだけを思いながら、彼女は男へと向かって歩き出した。

 帰る場所、欲しいもの。それが与えられるなら、行かなくては。それを手に入れられるのが男の下なら、この男に連いていかなくては。

 

 最初に抱いていた恐怖はもはや影も残さず消え去り、強迫観念めいた意識だけを向けて彼女は男に近づいていく。それが日常に別れを告げる行動だと、気付きもせずに。

 

「いい子だ。連いてきなさい」

 

 手招いていた男が、彼女の手を取り、満足そうに言った。

 

 男はそのまま踵を返し、ビルの暗がりへと消えてゆく。その男に連れられた彼女もまた、光差す道から暗い影へと。

 

 こうして冬木市の行方不明者リストに、また一人新たな名前が連なった。

 

 

 

 

 

 

『海に行こうぜ!』

 

 七月中旬。周囲の学生に比べて少し早い夏休みに入った彼は、同じ学部の友人にそのように誘われた。

 海のない町に生まれ育ち、大学生の今まで海に行ったこともなかった身としては、その友人の提案はそれなりに魅力的なものに聞こえる。

 なにより、大学進学を機に冬木に越してきた彼としては、こちらで出来た初めての友人の誘いを断るのは気が引けることでもあった。

 

 が、友人の誘いはなにぶん時期が悪すぎた。

 なにせ友人が誘いをかけてきた日付は、彼が以前から楽しみにしてきた新作ゲームの発売日だったのである。

 どれほど楽しみにしていたかと言うと、ゲームの発売にあたり、バイトを増やし、周辺機器の新調まで行ったほどだ。ついでに言えば、クリアするまで自室で籠城できるように、食料の買い込み、部屋の空調のメンテ、寝具の調整も完璧なのだった。

 たかがゲームに、と言ってしまえばそれまでだが、楽しみにしていたものは仕方がない。人の趣味に文句をつけるなとさえ思う。

 

 そういうわけで、彼が友人からの誘いを断って自室でゲームに明け暮れているのは、ある意味で当然の帰結であった。

 

 ところで、彼はゲームのプレイ中はかならずヘッドフォンを装着している。

 良質な音声を楽しむため、というのが最大の理由ではあるのだが、その実理由の四割くらいは隣人関係に起因するものであった。

 

 というのも、彼の隣の部屋には一組の夫婦が住んでいて、その夫婦の間にはまだ小さな子供がいたのだ。

 部屋の前で何度か顔を見た程度ではあったが、確か三つか四つくらいの小さな女の子。

 あれぐらいの年の子はみんなそうなのか、それともその女の子が特別そうだったのか。外でも内でも、まあ声が大きい。彼の住む集合住宅はそこそこに壁が薄かったので、隣人の女の子がちょっと大声を上げると、彼の部屋にまでその声は響いた。

 前述の通り、彼は快適な環境でゲームをプレイすることを至上の喜びにしている。そんな彼が雑音を遮断しようと思うことは当然のこととも言え、同時に『大音響でゲーム(エロゲ)をプレイするわけにもいかない』という配慮も彼の中にはあった。

 

 そうして、ヘッドフォンを装着して部屋に引きこもり始めて数日。その日の夜も、彼はそれまでの数日と同様に、朝からぶっ続けでゲームをプレイし続けていた。

 どうしてもシナリオが埋まりきらない。シナリオ達成度は七割ほど。細かな選択肢の差異はあれど、これはさすがにどこかに隠しルートがあるだろうテキスト量だ。しかしそのフラグを見つけられない。おそらくこのポンコツ聖女ルートだと思うのだが……。

 ネットなどで調べれば、フラグの立て方など容易く検索できるのだろう。しかしそれは彼のプライドが許さなかった。

 というより、フラグを見つけだすことも楽しみの一つだと思っているので、彼は今しばらくは他人の力を借りる気はなかったのである。

 

 大丈夫。焦ることはない。今は夏休みだ。水も食料も大量に買い込んであるし、友人には事前に『時間が取れるようになるまで連絡できない』と言ってある。出かける必要もないし、不意に知人が訪ねてくることもないハズだ。

 この快適な環境で、心行くまでゲームを楽しんでいられる。

 頭の隅でそんなことを思いながら、彼はあらゆる情報を遮断したままでゲームをプレイし続けていた。

 

 

 彼は知らない。

 つい昨晩、この付近で、少なくない世帯の惨殺事件があったことなど。

 

 彼は聞こえない。

 さきほど隣の部屋から小さくない物音が響いていたことなど。

 

 彼は気付かない。

 物音は既にやみ、いつも聞こえてきた喧しくも幸せそうな声が、二度とは響かないことも。

 

 

 知らない。聞こえない。気付かない。……気付きたくなんて、ない。

 

 

 テレビもネットも電話もラジオも。ありとあらゆる情報を遮断していたから、この街に何が起こっているかなんて本当に何も知らない。

 

 ヘッドフォンを着けて雑音をかき消していたから、物音なんて聞こえる訳がない。

 

 知らず、聞かずで過ごしているから、隣の部屋でどんな凄惨な行いがあったかなんて、気付けるハズもない。

 

 

 知らない。知らない。知らない。

 聞こえない。聞こえない。聞こえない。

 だから気付かない。

 物音なんてなかった。物音(悲鳴)なんてなかった。物音(命乞い)なんてなかった。

 

 知らないことだ。聞こえないことだ。だから自分がこうしているのも仕方がないことだ。

 何も知らず、聞かず、ただここで引きこもっていればいい。それが自分にとっての普通だ。何も気が付かない者の普通だ。

 

 気が付いていない。気が付いていない。気が付いていないから、どうかここにはこないでく────、

 

『こんばんは』

 

 ガチャリ、と鍵をかけていたハズの玄関ドアが開く音がした。

 

「…………っ!?」

 

 息をのむ。

 ヘッドフォンからは相変わらずゲーム音声が流れている。

 にも関わらず声が、足音が聞こえる。足音が、人の気配が彼のいる部屋へと近づいてきている。耳元で聞こえるゲーム音声に重なるようにして、ひたひたと近づく足音がある。

 

 気のせいだ。音など聞こえるハズがない。鍵のかかった我が家に、侵入できる者などいるハズがない。

 そう言い聞かせる彼を嘲笑うかのように、それは震える彼のいる部屋へと、ついに到達した。

 

『はあい。あら? 返事がないと思ったら、そんなモノを着けていたのね』

 

 声は日本語ではなかった。英語のような、そうではないような。

 外国語に詳しい訳ではない彼には、侵入者がなにを話しているのかなどわかるハズもなかったというのに。不思議な響きを伴った声の意味を、彼は何故か理解することができた。

 

 同時に、もうどうしようもない程、訳の分からない者が自分の部屋へと侵入してしまったことを認めなければならなくなった。

 

「だれ、だ……」

 

 無意識に漏れた声は震えていた。

 モニターから目を離し、部屋の入り口────侵入者の方へと振り返る。

 そこにいたのは背の高く、髪の長い女だった。黒のドレスを身に纏い、陶酔したような表情でこちらを見ている。

 室内の照明に照らされた髪は艶のあるダークブラウン。青と緑の中間のような色の瞳。色素の薄い肌と整った鼻梁。おおよそ美しいと形容される容姿だと思われた。

 そしてその美しい容姿を、彼はただ恐ろしいと感じた。なにせ、この女は得体が知れない。

 

 ヘッドフォンを外し、立ち上がる。

 途端、両肩にとてつもない重さを感じて倒れ伏した。

 

「ぐっ!?」

『大人しくしてね? 抵抗は無意味で無駄だから』

 

 不可思議な現象に慌てて身を起こそうとするも、肩に感じた重圧はすでに全身に及んでいる。どれほどの力を込めても立ち上がれる気がしない。

 

『今夜はアナタで八人目なの。この後のことを考えると、ここで無駄な時間をかけたくもないし、さっさと用を済ませて……あら?』

 

 余裕の表情でこちらを覗き込んだ女が、何かに気が付いたかのように首を傾げた。

 

『アナタ、そこそこいい顔してるじゃない』

 

 言いながら女がパチン、と指を鳴らす。

 直後、なんらかの力によって右腕が折られた。

 

「ぎ────」

 

 悲鳴は、声にもならなかった。

 否、声を出すことを女は許さなかった。

 

『近所迷惑でしょう?』

 

 くすり、と笑って、女が彼の唇をなぞると、彼の口は見えない糸に縫いつけられたかのように開かなくなったのだ。

 閉じきられた口ではくぐもったうめき声しか上げることが出来ない。あげく全身には謎の重圧がかけられ、右腕は折られている。

 身動きはおろか、声すらも上げられなくなった彼を前に、女が満足そうに笑みを浮かべる。

 

『困ったわ。さっきの家でも()()()()()()()しまったから、時間をかけすぎてしまったのに。

 アナタも聞いたでしょう? ふふっ、面白いくらいに泣き叫んで……、全員エサにするつもりだから救いなんてないって言うのに。

 ああ、それとも、ヘッドフォンなんてしていたから、聞こえていなかったかしら? まあどうでもいいことだけれど』

「────っ!?」

 

 左腕を折られた。今度は謎の力ではなく、女自身の手によって。

 その細腕のどこにそんな力が秘められているというのか、次いで女は彼の左足に手をかけ、事も無げにへし折った。

 

 激痛が脳を焼く。こんな痛みには耐えられない。

 そのくせ、何故か意識を手放すことができない。気絶さえしてしまえば、そのまま何もかも終わるのだとわかっていても、意識がどうしても飛んでくれない。

 

『刺して、折って、(えぐ)って殺したわ。悲鳴と命乞いが楽しくてね。でもほら、アナタはそこそこ好みの顔をしているから、そんな風に殺すだけじゃもったいないでしょう? 楽しみ方はそれぞれだものね』

 

 女は、とうとう残った右足を破壊した。折る、などという生やさしいものではなく、太股のあたりから無造作に引きちぎった。

 

「────────」

 

 声にならない悲鳴を上げる。狭苦しい室内に肉片が飛び散り、鮮血が辺り一面を濡らす。

 どうして自分がこんな仕打ちを受けているのかわからなかった。いったい自分がどんな悪いことをしたというのだろう? 自分はただ、この部屋に引きこもってゲームをしていただけなのに。

 

 痛みと理不尽から、滂沱と涙を流すこちらを無視して、女は血に染まった自らの手を舐めた。

 

『アナタもエサよ、私のバーサーカーの。けれどそれだけじゃあもったいないから、楽しみましょう? どうせ死んでしまうのなら、最期くらい楽しいこと、気持ちいいことをしましょう?』

 

 一方的にそう言って、女は彼の上へと馬乗りになった。表情には恍惚とも嗜虐的とも言える笑みが張り付いている。

 

 そこまでされて、ようやく彼は悟った。

 これは自分たちとは違う生き物だと。何故、という疑問を浮かべるだけ無駄な人でなし(モンスター)。あるいはこちらのすべてを奪い尽くす侵略者(インベーダー)だと。

 

『夜は長いわ。さあ、死ぬまで楽しみましょう?』

 

 そしてその彼の想像通り、女はすべてを奪っていった。

 命を、尊厳を、未来を。

 後に残ったのは、彼の残骸と二度とは使われないゲーム機だけだった。




※更新遅くなって申し訳ありませんでした。
ようやく二日目終了です。今回は日常回。


二日目終了時点

【セイバー陣営】残り令呪2 酒盛り中
【ランサー陣営】残り令呪1 負傷につき療養中
【アーチャー陣営】残り令呪3 スヤァ...
【ライダー陣営】残り令呪3
【アサシン陣営】残り令呪3
【キャスター陣営】残り令呪3
【バーサーカー陣営】残り令呪3 





以下、FGOのネタバレ含むオマケのいんたーるーど。

【いんたーるーど】FGOで遊ぶAAAの弓陣営


クリスマス頃

雅「クリスマス追加鯖、イシュタルとかアホかー!?」
弓「ま、マスター?」
雅「ほんと、ほんと勘弁して……。恥ずかしいわ、なんだってもう……」
弓「と、言いつつ何故に召喚ボタンを押しておられるのか」
雅「そりゃ引くわよ! 身内的に引かなきゃいけないでしょ、こんなの!?」

年末頃

雅「絆レベル10とか無理……。っていうかうちのスタメンが弓だらけで、ランサーの相手がつらい。ついでにラスボスも」
弓「相性の有利なサーヴァントに差し替えればよろしいのでは? 難しければバーサーカーを入れればよろしかろう」
雅「…………」
弓「なにか?」
雅「アナタ、たしかセイバー適正もあったわよね」
弓「……? はい、ありますが」
雅「セイバーの方の実装はまだなの!?」
弓「え、そんなこと私に言われましても!?」

新年頃

雅「マーリンピックアップ終わってた!?」
弓「運営から年末までと告知されていたではないですか」
雅「ちょっと、術の確定召喚にいないの? いない? いると思ってた、どうしよう……」
弓「まあ、戦力的に惜しくはありますが。現状でも戦えますし、無い物ねだりはよくないですよ」
雅「世の中、綺麗事だけじゃやってけないのよー! 期間限定召喚とかやめてよね。っていうか、曜日クエスト魔神柱狩りはまだ実装されないわけ!?」
弓「わたしのマスターは運営の心がわからない」


※エルメロイ二世の事件簿とFGOマテリアル買えました。
事件簿最高だし、マテリアルもアヴェンジャーのクラススキルについて言及されてていい感じ。
ところでエミヤの項目でイシュタルについて言及→イシュタル実装の流れだったので、今後もその流れだと思っているのですが、ローランが楽しみなような、ちょっと複雑な気持ちです。
あとラスプーチン……。お前さ、愉悦神父じゃなかろうな……。

アポのアニメも楽しみですね。


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三日目 とある騎士の話

 ────熱に浮かされた夢を見た。

 

 

 彼にとっての始まりは一体どこだったのだろう。

 

 祝福されなかった生誕か。

 養父に育てられたときか。

 あるいは誘拐されたときか。

 それともやはり、叔父である王に仕え始めたときだったか。

 

 

 客観的に見て、彼は凡そ非の打ち所のない騎士だった。

 

 

 剣を執れば負けなし。弓を外すことなどあり得ない。

 余所者でありながら、その国の誰よりも王に忠義を示し、尽くす。

 その一方で、彼は誰に対しても礼を忘れず、傲慢な振る舞いなどとは縁遠かった。

 また、琴を奏でれば右にでる者はおらず、その旋律は多くの人の心を癒したという。

 

 強く、優しく、忠義に厚い。

 

 王はそんな彼に大層信頼をおいていた。それはもはや王が騎士に寄せる信頼というよりも、父が息子に向ける信頼と言っていいほどに。

 家臣の中には『得体の知れない余所者をそれほど重用するなんて』と口をとがらせる者も少なくはなかったが、王は聞く耳を持たなかった。

 

 騎士もまた、流れ者の自分にこれほど良くしてくれる王に感謝した。自分のことをまるで家族のように扱ってくれる王に、必ず報いようと忠誠を新たにした。

 

 恐らく、この頃が彼の幸せの絶頂期。

 あらゆる運命に翻弄され叔父の元へとたどり着いた彼は、今度もまた運命に翻弄され転落してゆく。

 

 転機はきっと、とある騎士との一騎打ち。

 年貢と称して国の少年少女たちを連れ去ろうとした他国の騎士を、彼は死闘の末に討ち取った。

 国の誰もが恐れ、戦いを挑むことすら出来なかった騎士を、腕が立つとはいえ、当時まだ少年だった彼が倒してしまったのだ。

 少年の────、英雄の勝利に国は沸いた。これ以上、もう誰も差し出す必要はないのだと、国中の人間が喜んだ。

 その代償がなんであったのか、気付くことすらなく。

 

 彼が討ち取った騎士の武器には毒が塗られていた。

 刃をかすめればたちまち全身に毒が回り、決して助かることはないだろう程の、強力な毒が。

 決闘に勝利し、栄光をつかんだハズの少年は、しかし死の定めに囚われていたのである。

 

 熱を帯びる身体。

 ふさがらぬ傷。

 生きながら腐り始めた手足。

 

 養父と叔父の手当も虚しく、毒は確実に少年を蝕んでいった。

 

 ────自分はきっと、死ぬのだろう。

 

 地獄の責め苦を味わいながら、自らの死期を悟った少年は、王である叔父に一つの頼みごとをした。

 

 もはや自分は助からぬ。どうせ死んでしまうのならば、最期の成り行きは天に任せてみたい。もし自分が、ここで死ぬ定めでないのならば、きっと助かるハズだから。

 

 少年の願いを王は叶えた。

 少年を小舟に乗せて、たった一人海に送り出し、その道行きを祈った。

 

 やがて少年は、とある国へとたどり着く。

 その国にあったのは運命の出会い。

 少年の命を救うという意味でも、その後の運命を決定づけてしまったという意味でも、まさに運命としかいいようのない出会いだった。

 

 一命を取り止めた少年が国に帰ってしばらくした頃、重臣たちから王に婚姻の話が持ち上がった。

 国の将来と王の幸せを願う口振りではあったものの、その実は王の寵愛を受ける少年を締めだそうという企みによるものだった。

 

 自らの命をかけて国を護った英雄を、彼らは疎んじたのだ。

 王の信頼厚いこの騎士が、そのまま次の王になってしまうのではないかと、たかだか余所者の騎士に自分たちの立場が脅かされてしまうのではないのかと。

 

 なんていう身勝手。

 国の危機に戦いもせず震えていただけの連中が、王への忠義だけで命をかけた騎士を追い出そうだなんて。

 

 王も騎士も、重臣たちの進言から透けて見える本当の意図などわかりきっていた。

 わかりきっていたから、王は望まぬ結婚を避けるためにこう言ったのだ。

 

 

『ツバメがくわえてきたこの金髪。この美しい髪の持ち主となら、喜んで結婚しよう』

 

 

 それは果たされるハズのない要求。

 だが騎士は、その髪の持ち主を知っていた。知らぬふりを通せば良いものを、王への忠誠心から嘘を吐けない彼は、王の望む女性を知っていると打ち明けてしまう。

 でまかせを言うなと罵る重臣たちを前に、後に引けなくなった騎士は金髪の持ち主を連れてくるべく国を出た。

 

 美しい金の髪を持つ女性。その名を、イゾルデ。

 かつて彼を死の淵から救った女性、その人であった。

 

 

 ────やだな。

 

 

 ここまでを見て、遠坂雅はそう思った。

 

 やだな。この先は見たくないな。

 

 だってこの先の展開は知っている。

 これはアーチャーの過去で、雅の見ている夢。契約によって繋がったサーヴァントの記憶を、パスを通じてマスターが垣間見てしまうという現象に他ならない。

 

 そして伝承に語られるアーチャーは、この後悲運の死を遂げるのだ。

 

 王の為にイゾルデを連れ帰ると約束した彼は、その忠義のままに剣を振るって、とうとう竜まで打ち倒し、王との約束通りイゾルデを手に入れて。

 けれど国へと帰る船の上で、誤って飲んだ媚薬がすべてを台無しにした。

 

 金髪のイゾルデと彼────マルクの騎士トリスタンは恋に落ちてしまった。

 

 二人は悩んだ。

 マルク王への忠誠を果たすためにイゾルデを連れ帰る自分が、そのイゾルデに懸想しているなどと許されるハズがない。

 自らの国のため、マルク王に嫁ぐと決めた自分が、マルクの騎士を思い煩うなどあってはならない。

 

 悩めども、彼らは自分の心に嘘はつけなかった。

 際限なく湧き出る恋慕の情に突き動かされ、彼らは夜毎密会を重ねた。

 

 いっそマルクが悪人であったのなら、二人も思い悩むことなどなかっただろう。

 だが王はどうしようもなく善人で、そしてトリスタンを信じていた。妃となったイゾルデを深く愛してもいた。

 

 

 でも結局、そんなのは無理だったんだろうな、と思う。

 そんなこといつまでも隠し通せるハズがない。だから事が露見して、彼が国を追われるのは当然の成り行きだった。

 

 国を出て、彼はあらゆる国をさまよった。

 マルクとイゾルデ。彼らと別れた胸の穴を埋めるかのように、あらゆる王、あらゆる領主に騎士として仕えた。

 時に人と戦い、時に巨人と戦い、時に怪物と戦い、時に癒し手として歌を歌い、忠義を果たしては次の国へと渡り続けた。

 そんなことをしても胸に空いた穴が塞がることなどないと、自分が一番知っていたくせに。

 

 

 ああ、もうやめてほしい。

 だってこれは絶望の物語だ。彼は胸の隙間を埋められぬまま、国から国へ渡り続けて、その果てに毒に倒れて死ぬのだ。

 最期に、愛した人に一目会いたいと。そんなささいな願いさえ踏みにじられて、絶望のままに死んでゆくのだ。

 

 そんなのは見たくない。あんな絶望を感じるのは一度で十分だ。

 この夢を見るのは、彼を召喚した日と合わせて二回目で。一度目の時、なぜ防壁を張らなかったのかと自分に嫌気が差す。

 この物語の結末を、自分はもう知ってしまっている。

 

 トリスタンは、イゾルデと別れるときに交わした一つの約束をずっと覚えていた。

 

『どんな障害があろうとも、この証を見せれば、必ずや私は貴方のもとへ馳せ参じましょう』

 

 その約束を覚えていて、だけど決して使えないと思っていた証を、死の淵で使うのだ。

 それはイゾルデが彼の毒を打ち消せる癒し手だからではなく、彼が彼女を愛していたから。たとえ助からなくても、最期に一目彼女の顔を見ることができればそれでいいと、彼がそう願ったから。王妃という立場をなげうってでも自分のもとに駆けつけてくれたのなら、それだけで報われるとそう思っていたから。

 

 なのに彼の切実な願いは、たった一つの小さな悪意(嫉妬)で叶わない。

 

 毒の回りきった身体で数日耐え続け、その果てに愛する者に見捨てられたと伝えられた彼の、その絶望はいかほどだったのか。

 精神的な支柱を折られた彼は、速やかに毒死した。それまでの奮闘が嘘のようなあっけなさで。

 

 けれど、その瞬間がきた時、契約で繋がっていた雅にはわかってしまった。

 彼の絶望の深さ。彼女が来ないのなら、それは彼にとって死と同義。

 契約で繋がり、多少の共感状態にあるといっても、所詮雅は彼の記憶をのぞき見ているだけの存在だ。

 それなのに、そのあまりの絶望に、雅は死んでしまうかと思った。より正確には生きていたくないと、本気で思ってしまった。

 

 覗き見しているだけの雅でこれなら、彼が真に感じた絶望なぞ、この比ではない。そして、それほどの絶望を感じて、生きていられる生き物はきっとこの世にはいない。

 身体が生きていても、心が先に死ぬ。そして心が死んだなら、身体だってその機能を停止する。

 

 だからきっとトリスタンは毒に殺されたのではなく、その心に感じた絶望に殺されたのだ。

 

 その悲惨な結末を、すでに一度見ているから、雅はこの夢の先を見たくはなかった。

 

 幸いにも夢だと自覚できている。ならば夢から抜け出すことは、さほど難しいことではない。

 そうして夢から抜け出そうと意識を現実へと傾けて、

 

 

『そなたは、狩りが得意なのだな』

 

 

 ────なにか、眩しいものを見た。

 

 

 一瞬。夢から現実へと意識がシフトするその一瞬に見えた、なにかとても眩しいもの。

 国を追われて以降、悲しみに塗りつぶされ続けてきた彼の、その内側にあった大切な記憶。

 

 初めて触れたそれがなんであるのか知りたくて、雅は思わず夢の中へと踏みとどまった。

 直前まで抜け出したいと思っていた物語の、(ページ)の切れ端を必死につかんで浮上する意識に抗った。

 

 そうして雅の目に飛び込んできたのは、若葉の生い茂る新緑の森。

 その中に佇む彼と、そんな彼を馬上から見下ろす少年の姿だった。

 

『そなたは、狩りが得意なのだな』

 

 木漏れ日を返す金砂の髪が揺れる。こちらを見下ろす緑の瞳が優しげに細められ、緩く円弧を描いた口元が柔らかな声音を紡ぐ。

 

 それはなんてこともない光景のハズだった。

 騎士として優秀だった彼は、同時に優れた狩人でもあったから、狩りの腕前を褒められることなんて、さして珍しいことでもなかったハズなのに。

 こんな日常の一幕を、マルクやイゾルデとの日々と同じくらい大切なモノだと、彼は感じている。色褪せてしまわないように、大切に心の引き出しの中にしまいこんでいる。

 

『私は、騎士である前に狩人でしたから』

 

 照れくさそうに、けれどどこか誇らしげに彼が言う。

 馬上の少年が、また少しだけ笑った。

 

 それだけ。

 それきりで舞台は別の場所に移っていた。

 けれどその場所もまた、雅が初めて目にする光景であった。

 

 白亜の城。

 凱旋する騎士たちと、それを迎える大勢の民。

 騎士たちを従えるのは、新緑の森で見たあの少年。

 

 ああ、そうか。と、誰に言われたわけでもないのに理解する。

 

 ここは誉れ高い騎士の国。

 遙かなるキャメロット。

 彼がマルクの騎士ではなく、円卓の騎士として生きたその時間。

 

 

 なんだ、と安心する。

 その国で彼は笑っていた。彼にとって、心から笑える場所があったのだと知った。

 

 そこは決して豊かな国ではなかった。

 資源には限りがあって、人々は贅沢とは遠い日々を暮らしていた。

 それよりも何よりも、ブリテンは侵略者の恐怖に常に晒されていたのだ。長く続く戦いに、国は疲弊していた。

 

 けれど、その国では多くの人が笑っていた。

 戦いに疲れてはいても、悲観はしていない。人々の顔には希望の色があった。

 

 そう、ここは決して豊かではない。

 それでもここには護るべき民がいて、戦うべき敵がいて、背中を預けられる仲間がいて、仕えるべき主君がいた。

 彼にとってはそれで十分。否、きっと彼の仲間たちにとってもそれで十分だったのだろう。理想の王に従えられた彼らは、騎士の誇りを胸に抱いて国を護る。

 

 戦いの連続だ。どれだけの手練れだろうと、辛くないハズがない。

 だけどその日々は、彼にとっての宝物だった。その国での思い出は、まばゆいばかりの美しさで彼の胸に焼き付いている。

 

 

 ああ、イゾルデたちと別れた胸の穴は塞がらないけれど、この日々にはその寂しさを上回るほどの充実感がある。

 

 

 そんな彼の胸の内を、僅かでも感じ取ったから雅は安心した。

 きっと彼はマルク以来の仕えるべき主君を戴いて、信頼できる友と国を護るために戦っていくのだ。

 万人の思う幸せではなくとも、騎士としての幸せを謳歌して、このブリテンで生きていくのだろう。

 なら大丈夫。彼の人生には悲劇も多かったけれど、これからは幸せな人生が待っている。

 

 そんな風に思って、雅は安心した。……安心してしまった。

 

 

 なんて、間抜け。

 お前は彼の末路を見たと言ったハズだ。

 あの悲劇の最期を知っているなら、彼にこの幸せが続くことなどないとわかるハズだろうに。

 

 

 これは彼の人生の記録。

 それをかいつまんでのぞき見する夢の話。

 だから、その日は迅速に訪れた。

 

 場面がまた移り変わり、彼の前にはいつかの少年がいた。

 あの森の中で感じた柔らかな印象は欠片もなく、いまはいっそ冷たいと感じるほどの澄んだ瞳で彼を見つめている。

 少年は王であった。

 ブリテンにて騎士たちを束ねる少年王。

 その王と彼とが向き合っている。

 

 あ、ダメだ。と雅は感じた。

 パスで繋がったアーチャーの意識が、雅へと流れ込んでくる。この先に取り返しの付かない出来事があるのだと、どうしようもないほどの後悔があるのだと訴えてくる。

 

『王は────』

 

 夢の中で彼が口を開く。

 ダメだ。その先を口にしてはいけない。だって、その先は決定的な言葉だ。

 彼が何を言うつもりなのかはわからないけれど、それを口に出せばすべてが終わってしまうということだけはわかる。この国で感じた幸せすべてを失おうとする行為なのだと、アーチャーの記憶(後悔)が告げている。

 そうなればきっと、彼はこの国に来る前の生活に逆戻りだ。胸に空虚なものを抱えたまま、あらゆる国をさまよう騎士。その果てに絶望を約束された、悲劇の男。

 

 それはダメだ。

 せっかくこの国に居場所を見つけたのに、自分からそれを壊すなんて、そんなことはダメだ。

 

 それなのに、夢の中の彼は口を閉じようとはしなかった。

 あたりまえだ。

 これは彼の記憶。すでに録画された過去の映像。

 すでに撮られた映画の結末を変えることなど、雅にはできない。

 

『人の心が』

 

 待って。と雅は声をあげたつもりだった。

 けれど制止の声は形になることすらなく。雅の焦燥をよそに、ついに彼は決定的な言葉を口にする。

 

『わからない』

 

 

 

 

 

 

 暗がりで目を覚ます。

 最初に飛び込んできたのは、普段とは違う、けれどそれなりに見慣れた天井だった。

 畳敷きの床に布団を敷いている現状を顧みて、昨日は先生の家に泊まったんだったな、と思い至る。

 

 が、それよりもなによりも、今し方見ていた夢の内容を思い返して雅は頭を抱えた。

 

「ああ、もう……!」

 

 気分は最悪だ。

 夢の内容にというよりも、結末を理解していたくせに迂闊にも最後まで夢に付き合ってしまった自分自身に対して、雅は嫌気が差した。本当、間抜けにもほどがある。

 アーチャーの末路は一つだ。その過程にどんな起伏があったとしても、絶望を感じたあの結末だけは変えようがない。

 それなのに、彼の人生に救いがあったかもしれないだなんて、そんな淡い期待を抱いて結局最後まで見てしまった。救いなどないとわかっていたハズなのに。

 

 いや、確かに救いはあったのだろう。

 実際に、今回雅が見た夢は、彼にとっての救いであったハズだ。そうでなければ、記憶をのぞき見した雅が、あんなにも温かな気持ちになるハズがない。

 

 でも、だからこそ、彼の結末が悲しかった。

 そして、あの時あんな台詞を口にした彼の意図がわからなかった。

 彼は予感していたハズなのだ。この台詞を口にしたら最後、キャメロットにはいられなくなるだろうと。

 にも関わらず、あんな言葉を口にして。そして自分の予感通りに国を出て行った。

 やっと見つけた温かな居場所を、自らの手で破壊して、再び放浪の騎士へと戻ったのだ。

 

 彼は、そんなにもあの王へ不満があったのだろうか。

 だとしたら何故、あの森の中での光景を、あんなにも尊いと感じていたのだろうか。何故、あの言葉に後悔を感じているのだろうか。

 夢をのぞき見しただけの雅には、彼の感じたすべてを理解することなどできない。

 

 わかるのは、彼がどうしようもなく後悔しているということだけ。

 

「マスター、起きていますか?」

「!」

 

 と、(ふすま)で仕切られた部屋の向こうから、当のアーチャーの声が聞こえて、雅は身を竦ませた。

 

「え、ええ。今、起きたところよ」

 

 上擦りそうな声を意識して押さえ込んで、雅は返答する。

 

「そうですか。もうすぐ朝食ができるので、起きるようにとサクラが」

 

 声は依然、襖の向こうから。

 一応、こちらに気を遣っているのだろう。

 雅が『起きている』と返答したにも関わらず、アーチャーは部屋に進入する素振りを見せない。

 心の準備をしたかった雅としては、彼の気遣いは素直にありがたかった。

 

 ふう、と一息つくと、すっくと立ち上がって手早く着替えを済ませる。

 手櫛で軽く髪をすいて体裁を整えると、襖を開けて部屋の外へと飛び出した。

 

「おはようございます、マスター」

「ええ。おはよう、アーチャー」

 

 なんとか平静を装えたことに安心した。

 マスターとサーヴァントの関係である以上、ある程度の記憶の共有はされてしまうものだが、彼の過去を覗いたことにはやはりそれなりの罪悪感がある。のぞき見した部分が、彼にとって大切な記憶だと確信しているから尚更だ。

 

「朝食は和風だそうですよ。それと、どうやら私の分の食事も用意されているようでして……。私に食事は必要ないと言ったのですが」

 

 こちらの内心を知ってか知らずか、アーチャーは少し困り顔でそんなことを言う。

 

「先生はもてなしたがりだから……、諦めなさい。昨日の夕飯もそうだったでしょう」

 

 昨夜、遠慮しつつも、結局誰よりも多く食事を口に運んだ騎士にそう返す。昨日の夕飯は洋風だったので、彼の口にも馴染んだのかもしれない。

 

「顔を洗ってくるから、先に行っていて頂戴」

 

 雅がそう言うと、アーチャーは頷きを一つ返してこちらに背を向けた。

 その背中が、夢で見た彼の去り際に重なる。

 

 理想の王と、信頼できる仲間。彼にとっての輝きがあった国。

 それらを捨て去るあの言葉。

 貴方はどうして────、 

 

「……アーチャー」

「なんでしょう?」

 

 気づけば声が漏れていた。

 振り向いた彼の目に浮かぶのは、純粋な疑問の色。

 

 

「貴方は────、」

 

 

 そんなにもあの王に不満があったの?

 そんなにもあの国にいたくなかった?

 

 問いかけて、バカな、と思う。

 違う。彼は心底、あの少年王を好いていたし、あの国のことも好きだったハズだ。だから尚更、雅にはわからないのだ。

 

 数秒考え込んで、結局雅は疑問を口には出せなかった。

 

「ごめん。なんでもないわ。もう行って」

「? はい」

 

 首を傾げながら居間に向かうアーチャーを見送って、雅は自分の頬を軽く叩いた。

 わからないことを考え込んでも仕方がない。悩む時間があるなら、もっと他にやるべきことがあるハズだ。今は命をかけた戦いの最中なのだから。

 そう自分に言い聞かせながら、雅は洗面台へと向かって歩き出した。

 

 

 ────アーチャーに直接疑問をぶつけることを恐れたのだと、心のどこかで自覚しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっちまった……!」

 

 けたたましく鳴り響く目覚ましの中、九条レイジは頭を抱えた。

 現在時刻は午前五時四十分。三台セットした目覚ましの内、一番目が鳴り始めた時刻である。

 昨日のような、始業時間ギリギリの起床ではない。むしろ余裕をもった起床だったのだが、九条的には今日の方がやらかした感が半端じゃない。

 

「飲み過ぎた……、きもちわる」

 

 うぷ、と吐き出したくなる気持ちを抑えて洗面台に向かう。

 昨夜は酒を飲みたいと言ったセイバーに付き合って二人で缶ビールを開けたのだが、完全に自分の許容量を見誤ってしまった。誰かと飲み明かす、なんて学生時代以来だった上に、セイバーのハイペースに釣られてあれよあれよのうちに酔いつぶれてしまったのである。

 要するに今の九条は、どんな言い訳のしようもないほど、二日酔いなのだった。

 

「……マスター、大丈夫か? 顔色がすぐれないが」

 

 九条が起き出したのを察知してか、セイバーが実体化してこちらの様子を窺う。その顔は、昨日あれほどのハイペースで缶を空けていったとは思えないほどいつも通りだった。

 

「ただの二日酔いだから、心配すんな」

「そうか? ……いや、これは私の過失だな。マスターがそれほど酒に強くはないと気が付かずに付き合わせてしまった」

「……」

 

 ────お前が強すぎるだけだからな?

 

 その言葉を寸でのところで飲み込んで、九条は手早く洗顔を済ませた。

 バシッ、と自らの両頬を叩き、気合いを入れる。気分の悪さは拭えないものの、とりあえず目は覚めた。

 気分も体調もすぐれているとは言い難いが、このまま家でダラダラやっていられる身分ではない。

 であるなら、やるべきことをやらなくては。

 

「とりあえず……、朝飯の準備、するかあ」

 

 米炊いたっけな? と自らの不確かな記憶をたどりながら、九条にとっての聖杯戦争三日目が幕を開けた。




※三日目が開始されました。相変わらず戦ってませんすみません。
真名は特定余裕だったと思うアーチャーですが、実際には読んでくださってる方の内、どのくらいのかたが察していたのだろうか。


【ステータスが更新されました】

【CLASS】アーチャー
【真名】トリスタン
【マスター】遠坂 雅
【性別】男性
【属性】秩序・中庸
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷A 魔力C 幸運E 宝具?
【クラス別スキル】
対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術・儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

単独行動:B
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。

【固有スキル】
愛の霊薬:B
 かつて飲み干した媚薬による強烈な恋愛感情。
 アーチャーは既に強力な魅了状態にあるため、他の精神干渉系のスキルを高確率で無効化する。







※FGOでは新宿解放されましたね。とりあえずクリアしましたが、楽しかったです。
あと我が王優遇されすぎじゃない? 差分に加えてラストのアレとかずるいわ……。


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三日目 それぞれの休息

「告げる」

 

 チョークで描かれた簡素な魔法陣を前に、男が手をかざす。

 これより行われるは英霊召喚の儀。

 多くの魔術師にとっては、自らの悲願を果たすための第一段階。

 男にとっては任務を果たすための第一段階。

 

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」

 

 悲願と任務という違いはあるものの、両者ともにこれはまだ、ただの準備段階。まさかこの段階で失敗するわけにはいかない。

 故にこそ男は、魔術に疎い身でありながら、召喚の儀式に全神経を傾けていた。

 

「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 召喚の触媒に使うのは、任務達成のため協会より預かった布切れ。

 否────、()()()()()()。その切れ端。

 魔術師たちが聞けば、こぞって欲しがるだろう破格の触媒。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者。

 我は常世総ての悪を敷く者」

 

 チョークで描かれただけの魔法陣が、男の詠唱とともに起動し、眩い光を放ちだす。

 同時に、男の身体からは相当量の魔力が引き抜かれてゆく。

 一瞬にして立っているのが億劫になるほどの疲労感が押し寄せるが、ここで意識をとばすわけにはいかない。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ」

 

 右腕に浮かび始めた令呪を意識して、最後の一説を紡ぐ。

 

「天秤の守り手よ!」

 

 途端、魔法陣の光は極限まで強くなり、男の視界を白く白く塗りつぶした。

 同時に、魔法陣の中心に降り立つ、人ならざるものの気配。

 

「サーヴァント、ランサー。召喚に従い参上しました」

 

 強い光に目を焼かれ、一時的に視力を失った男に、儚げに響く声が届く。

 

「問いましょう。貴方が私のマスターですか?」

 

 ────それは、男が思い描いていた英雄像とはかけはなれた、弱々しい女の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……」

 

 身体中にハシる痛みに目を覚ます。

 うめき声を上げながら身を起こすと、身体のそこかしこから骨の軋む音がした。

 

「……我ながら手酷くやられたものだ」

 

 見下ろした自身の身体は、血の滲んだ包帯でぐるぐる巻きにされている。

 一見して雑な治療に見えるが、この包帯は協会からの支給品だ。こうして雑に巻いているだけでも、それなりの治療効果はあるのだった。

 もっとも、テオドールの受けた傷は多少の治癒では回復が間に合っていないのも事実なのだが。

 

 しかし、懐かしい夢を見た。

 アレはつい一ヶ月程前に行った、サーヴァント召喚の儀式の夢か。

 自分にとってはそれなりに衝撃的な出来事だと思ってはいたが、まさかこうして夢に見るほどだとは思わなかった。

 

 と、テオドールがぼんやりと夢の内容を反芻していると、

 

「あら? 目が覚めたのですね」

 

 などと言う女の声が、テオドールの耳へと届いた。

 

「……っ」

 

 反射的に身構えかけて、構えを解く。

 この声には聞き覚えがある。

 

「……()()()()

「はい」

 

 テオドールの呼びかけに、女の声は肯定の意を示した。

 次いで、部屋のすみの暗がりから、ゆったりとした足取りで女がこちらへと歩み寄ってくる。

 

 美しい女だった。

 艶やかな金の髪と、青く澄んだ瞳。染み一つない白い素肌に、桜色の唇。貫頭衣の上からでもわかる、滑らかな曲線を描く肢体。

 

 そんな女が、優しげな表情で口を開く。

 

「拠点にたどり着いた途端に倒れたときは、どうなることかと思いましたが。目を覚まして良かった」

 

 貴方に死なれては困ります。

 そう続けて、女は立ち上がりかけていたテオドールの肩に手を置いた。

 

「まだしばらくは眠っていてください。下手に動き回ると、傷が開きますよ。……ああでも、包帯は替えておきましょうか」

 

 肩に置いていた手を這わせるようにして、女の手がテオドールの血塗れの包帯に触れる。

 こちらを労るような台詞と、優しくこちらに触れる手つき。

 白くすべらかな細腕が、テオドールの包帯をはぎ取っていく。

 

「……」

 

 それを、されるがまま見ていた。

 

 あるいは、傷が熱を持ち始めていたのかもしれない。

 彼女の行いに、口を挟むのが随分と遅れた。より正確には、口を挟むという思考にたどり着くまでに時間がかかりすぎた。

 

「ランサー」

「多少の痛みは我慢してくださいね。……大丈夫。すぐに終わりますから」

 

 その言葉の通り、包帯の交換自体はすぐに終わるのだろう。

 こういった行為にそこそこの経験があるのか、女は随分慣れた様子だった。

 

「ランサー」

「なんです?」

 

 再度のよびかけに、女がテオドールに目を向ける。ただ、手は止めないままだ。

 

「お前、宝具をどうした?」

「修復中です。ただ、損傷が酷かったので……」

 

 端的な質問に、少し沈んだ声で女が答える。

 その言葉の続きが、思わしくないものだろうことは容易に想像できた。

 

「……完全修復は難しいか?」

「いいえ、それは問題では。ただ、宝具の修復だけに時間を費やしても、完全修復には三日はかかるかと」

 

 三日。

 確かに先日の宝具修復時間と比較すれば長すぎる時間だ。

 

 だが、そもそもの話、先日の件は、テオドールの想定以上に宝具の修復にかかる時間が少なかった。

 ランサーとの契約時に交わした情報では、彼の無敵の肉体────すなわち宝具『海神の祝福(ポセイドーン・アマルティア)』はその無敵性の代償か、一度傷つけられると、それがどんなに僅かな傷であっても、修復に膨大な時間と多大な魔力が必要とのことだったのだ。

 それを『海がある』という理由だけで、たった数時間で完全修復できたのである。

 ランサーが傷つけられることがあれば、必要な時間だけ修復に専念させようとしていたテオドールにとって、それは嬉しい誤算だった。

 

 そこにきて今回の三日。

 長い。が、最初の想定通りの時間ではある。

 むしろアレほど手ひどくやられたにも関わらず、完全修復まで三日で済んだことは僥倖とさえ言える。

 

「そうか、オレの傷もある。動けるにしても、早くて二日後だな」

 

 そう所見を述べると、女は目に見えて沈み込んだ。

 

「申し訳ありません……」

 

 消え入りそうな声で、女が謝罪する。

 

「……」

 

 その様子に、テオドールは眉根を寄せた。

 普段のランサーの様子を見知っているだけに、この女の言動一つ一つに強い違和感がある。

 仮に彼がテオドールの言葉を聞いたのなら、『二日だと? ノロマめ、さっさと治して偵察なり戦闘なりに行ったらどうだ。むしろ治らなくとも戦え』、くらいのことは返してきそうではある。

 

 テオドールにはランサーを揶揄するつもりも、ましてや責めるつもりもない。先の言葉はただの事実確認である。

 なので、女の反応は不本意ではあったし、とりわけ違和感が強くなる事柄でもあった。

 

 だからだったのか。

 包帯を巻き直す女の手が止まった瞬間、テオドールは自分でもどうかと思う質問を投げかけてしまっていた。

 

「お前、本当にランサーなのか」

「……はい?」

 

 きょとん、とした顔で女が首を傾げる。自分が今、何を言われたのか理解できない、と言った顔だ。

 

 そしてそれも当然だろう。

 他のマスターやサーヴァントからの質問ならともかく、テオドールは正真正銘ランサーを召喚したランサーのマスターだ。

 マスターとして聖杯から与えられる透視能力も、目の前の女がランサーのサーヴァントだと告げている。

 

 テオドールとてわかってはいる。理解しているつもりではある。

 ランサーの宝具『海神の祝福(ポセイドーン・アマルティア)』は無敵の肉体であると同時に、その者の性別を反転させるものであると。

 精神が肉体の変化に引きずられるのなら、宝具展開中とそれ以外ではある程度の性格差が出てもおかしくはないと。

 

 だが、それでも。この変わり様はなんだろうか。

 性別が違うことによる多少の違い、などでは言い表せないほど、普段のランサーとこの女とには大きな溝があるように思える。

 それこそ、テオドールが『やりづらい』と思ってしまう程度には。

 

「今のお前は、あまりにも普段の振る舞いと違いすぎる」

「ああ、ええ。そうですね。……その、すみません。普段の私は相当に使いにくいでしょう?」

 

 そうではない。

 そうではないが、使いにくいのは事実だったので、テオドールは思わず頷いてしまった。

 すると女はますます萎縮して、

 

「マスターは今生の協力者ですから、もっと友好的に接しなければならないと思ってはいるのですが……。()にはどうしても難しいらしくて」

「その物言い。まるで、他人事のようだが。まさか……」

「いいえ。いいえ、違います。正真正銘、彼もまた、私です」

 

 ですが、と女は一度断りを入れてから、

 

「マスターは私の伝承を知っているのでしょう?」

 

 などど、今更なことを訊ねてくる。

 それに、テオドールはゆっくりと頷いた。

 

 美しい女・カイニスは、その美貌ゆえ海神に犯され、贖いとして男性の身体を賜った。

 不死の肉体でもあったその身体を手に入れた彼は、戦士としていくつかの冒険を繰り広げ、その果てにゼウスの怒りを買って殺されてしまう。

 彼の死後、その身体は元の女のものに戻っていたという。

 

 大雑把ではあるが、カイニス────いや、男性名でいえばカイネウスか。彼の伝承はこのようなもののハズだ。

 

「はい。この時、私が望んだ『男性の肉体(カイネウス)』というのは、どうにも私がイメージしていた『男性像』を強調されているようで」

「アレがお前の、理想の男性像だと?」

「まさか、違います。ええと、理想だとかそういうものではなく、私が『男なんてみんなこんなものだろう』とイメージしていたものに近い性質を強調している、というか」

 

 女の────カイニスの言葉を受けて、テオドールはふむ、と顔を撫でた。

 

「つまりは、傲慢で、我が儘で、頭が足りていない。お前は世の男性全般にそういうイメージを抱いていて、あの身体になるとそのように振る舞う、ということか」

 

 テオドールの言葉にカイニスは僅かにたじろいで、

 

「そ、そんなに酷い振る舞いでしたか?」

 

 などと口にする。

 テオドールとしては自身の認識を言葉として吐き出しただけなので、「ああ」ときっぱり肯定してやった。

 

「貴方がそう思うのなら……、そうなのでしょうね。我ながら酷いという自覚はありましたが」

「ああ、酷い。

 協力者としては苛つくし、配下としては扱いづらいし、アレを上司になぞ死んでも御免だ。そういう意味で、お前は────カイネウスは酷い。酷すぎる。

 だが……、」

 

 言い掛けて、思い直す。

 

「『だが』、なんです?」

 

 カイニスがそう問うてくるが、テオドールは首を振って話題を打ち切った。

 

お前(カイニス)は、そういった者()たちにそういう(理不尽な)振る舞いをされてきたのだろう?』

 

 そんな慰めにも似た言葉は、今の自分たちには余分に過ぎる。

 テオドールとランサーは、聖杯を入手するという目的だけで繋がった主従関係である。

 目的を果たせば解消される関係であり、目的のために利用しあう関係だ。だから、目的のために互いの性能把握は必要でも、それ以上の踏み込んだ会話なぞ必要がない。

 

 くだらない台詞をうっかり口にしそうになる程度には、テオドールは女の姿(カイニス)のランサーに動揺しているらしい。男の姿(カイネウス)の時との言動の落差に、テオドールの処理能力が追いついていない。

 召喚後、初めて目にしたのは女の姿(カイニス)の方だったというのに。

 

「別になんでもない。今の姿の方が、会話が成立すると思っただけだ」

「い、いくらなんでも会話くらいは成立していましたっ! もう、マスターはいちいち嫌みたらしいんですから」

「……」

 

 目眩がする。

 思わず目頭を押さえると、カイニスが気遣わしげな声をあげた。

 

「大丈夫ですか? 貴方がいくら頑丈でも、重傷なのに変わりはないのですから、無理はなさらないでください」

「……」

 

 そういうところだ。とは思ったものの、テオドールは口にはしなかった。

 どのみち三日後、いや二日もすればカイニスは修復した『海神の祝福(ポセイドーン・アマルティア)』の効果でカイネウスになる。このむず痒くなるやり取りも、そこで終わりだろう。

 

「とにかく、これから二日間は回復に努める」

 

 そう言って携帯していた薬を2、3種類飲み干すと、テオドールは再び横になった。

 

「はい、そうですね。今はゆっくり休んでください」

「…………」

 

 女の声を聞きながら目を閉じる。

 まずは服薬。睡眠。あとは食事。それから動ける程度に回復すれば、敵陣営の偵察、調査だ。やることは山積みだが、ひとまず一つずつこなしていくしかない。

 

「……」

「……」

「…………」

「…………」

 

 自分のすぐそばに人の気配がする。

 静けさの訪れた拠点のなかで、人の息づかいが二人分聞こえる。

 

「……おい」

「はい?」

「何をしている?」

 

 思わず再び身を起こすと、テオドールの傍らに座り込んでいたカイニスに問いかける。

 

「え、看病をしようかなって……。ほら、宝具(アレ)がないと私には戦闘能力なんてありませんし。ですから、私には気にせずお休みに……、」

「いらん世話だ。むしろ気疲れする」

「ああ! じゃ、じゃあ偵察! 偵察にでも行ってきましょうか! 今の私は戦闘力がない代わりに、気配がサーヴァントとしてはすごく弱くなってますし。よっぽど気配察知に優れているサーヴァントじゃないと、私がランサーだと気付かれませんよ」

「ランサー」

「はい」

「回復に努めると言ったぞ。お前も休め。オレが動けるようになっても、貴様が使えないのでは話にならん。霊体化なりなんなりして、とっとと宝具を直せ」

「……はい」

 

 しゅん、としぼんでしまったカイニスを見て、テオドールは改めて思った。

 こいつは男でも女でも使いにくい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四限終了のチャイムが鳴り響く。

 いつもであれば、友人である遠坂雅の机に突撃する柳洞双葉はしかし、自分の席で静かに弁当箱の蓋を開いた。

 

 本日の献立は、卵焼きにきんぴらごぼう、キャベツとタマネギの野菜炒めに、おかかの混ぜご飯。

 なんというか、いつも通り肉っけがない。昨日、雅が持ってきたカルビ弁当とはいわずとも、ベーコンの一切れくらいあってもいいのではないか。

 内心でぶーたれながら、お茶を取り出して一口。冷たく冷やした麦茶は、夏場には最高の飲料である。否、冷えていればたぶん麦茶でなくても美味しい。

 

 ふう、と一息ついてから、双葉はきんぴらに手をつけた。

 弁当用に濃いめの味付けがされているゴボウは、それだけで食べると喉が渇く。きんぴらを二口ほど口に含んでから、おかかご飯を一口。

 月並みな感想だが、おいしい。鰹節ってやつは、醤油と一緒にご飯に混ぜ込むだけで、どうしてこんなに美味くなるのだろうか。

 

「あ、いたいた。双葉ちゃん」

「おう柳洞、邪魔すんぜ」

 

 双葉が自分の弁当に舌鼓を打っていると、背後からそのように声をかけられた。

 振り返って確認するまでもなく、それが顔なじみの二人だと理解した双葉は、箸をくわえながらおざなりに返事をする。

 

「んー、ふぅひゃん、ふふふー」

「なに言ってるかわかんねーよ」

「お、お行儀悪いよ?」

 

 それぞれ異なる反応を示した双葉の友人二人は、適当な席から椅子をひっぱってくると、そのまま双葉の机の近くに着席した。

 

「今日も暑いねぇ」

 

 そんなことを言いつつ、黒髪三つ編み眼鏡属性を兼ね備えた桂木千恵子が弁当の包みを開く。

 いつもの光景ながら、そこには栄養バランスのとれたお弁当サマが鎮座しておられた。野菜、ご飯はもちろん、双葉の弁当に圧倒的に不足しているお肉サマも余裕のエントリーである。羨ましいことこの上ない。

 

「エアコンの設定温度28度とか、都市伝説なんだよ。せめて25度くらいにしてもらわなきゃ、授業受ける気もなくすっつうの」

 

 千恵子とは対照的に、髪を派手に染め、制服を派手に着崩している所謂不良少女系な佐伯鏡子は、自身の鞄からコンビニのビニール袋を取り出した。

 中身はカツサンドと、たまごサンド、そしてジャムパンである。

 ジャムパンとたまごサンドはともかく、日々肉が欲しいと喚いている双葉にはカツサンドは酷く眩しい。

 

「うう……、ちーちゃんも佐伯も嫌がらせかなんかか? わたしの前でお肉さまを食らうなどと!」

「え、ええー……。そんなつもりはないんだけど」

「うるせえ、黙って自分の弁当食ってろ」

 

 困ったように眉尻を下げた千恵子とは違い、鏡子の返答は実にそっけない。

 というか、さっそく見せつけるようにカツサンドを頬張り始める始末である。そっけないを通り越して、もはや血も涙もない。

 

「それより柳洞。お前、遠坂はどうした?」

「購買かな? めずらしいね」

 

 くう、と目頭が熱くなってきたこちらを無視する形で、千恵子と鏡子はそんなことを言う。

 そういえば、この二人が今日このクラスにくるのって今が初めてだっけ? と記憶を掘り返しながら、双葉は二人の疑問に答えた。

 

「遠坂なら、今日はきてないぞー」

 

 瞬間、二人の表情がピクリ、と緊張で強ばったように、双葉は感じた。

 

「それ、大丈夫なの?」

 

 いや、表情だけではない。実際にそう問いかける千恵子の声色にも、隠しきれない不安のようなものが混ざっていた。

 遠坂の奴、なんかしたの? と双葉の頭に疑問符が浮かぶ。雅とは昨日は学校で別れた後、それきりで、それは千恵子も鏡子も同じだったハズだ。

 

「大丈夫って、なにが?」

「なにがって、お前なんにも知らないのかよ」

「?」

 

 呆れたように返す鏡子に、双葉は首を傾げるしかない。

 このままでは埒が明かないと思ったのか、食事の手を止めて、千恵子がこちらに話しかけてきた。

 

「あのね、双葉ちゃん。昨日、みんなで話してたことって覚えてる?」

「昨日? イケメンの外人見に行こうって話?」

「バァカ、それじゃねえよ。察しろよ。殺しの方に決まってんだろ」

「あー……、そっちかぁ……」

 

 双葉的には、そんな暗くて怖い話は忘れていたかったのだが、そうもいかないらしい。

 険しい顔をした鏡子が、吐き捨てるように言った。

 

「昨日も何件かやられてたらしい。聞いた話じゃ、アパートのワンフロア丸々だったんだと」

「うぇ!? わ、ワンフロアって何人だよ! めちゃめちゃヤバイやつじゃんか!」

「うん。それでね、それとは別に何人かの行方不明事件も起きてるみたいで……」

「行方不明? いなくなった連中も、みんな殺されたって話か?」

「さあな。けど、警察やらはその線でも操作してるんだとよ」

 

 鏡子と千恵子が話す内容に、背筋が冷えるのを感じる。

 自分たちの住む街に、得体の知れない連続殺人鬼がいるというのだ。

 フィクションの中の話ならば『探偵役やってみてえ!』などと、脳天気な台詞も出てきただろうが、生憎とこれは現実である。

 普段から脳天気だの図太いだの言われていたって、双葉だって普通の女子高生だ。怖いものは普通に怖い。

 

「あのさ。それ、犯人とか、もう目星ついてたりしねーの? 今のままじゃ、新都危険地帯過ぎるだろ」

「危険地帯なのは同意だが、どうなんだろうな。今朝、家にも警察が聞き込みにきたけど、捜査状況は明かせないって言われたし」

「あ。家も同じ。気にはなるけど、やっぱりそういう話ってしてもらえないんだよねえ……」

「警察が家にくるとか、ドラマの中だけにしてくれよ……」

 

 当たり前のように『警察がきた』と話す二人に、双葉は少しげんなりした。こちとら、食事中に恐ろしい殺人事件の話をされただけでいっぱいいっぱいだというのに、この上現実感のない話題を続けないで欲しい。

 

「もうやめようぜー。飯がまずくなるよ。わたしは怖いよ」

「あのな、新都に住んでるアタシらの方が怖い思いしてんだよ。柳洞は山の上なんだから、黙って聞けよ」

「佐伯が意味のわかんない横暴さ!」

「ま、まあまあ。双葉ちゃんの言うことももっともだよ? でもその、私たち的にはもうちょっと聞いて欲しいかなって」

「むぅ」

 

 千恵子にそう改まって言われてしまうと、文句の言いようがない。というか、そもそも何故こんな話になってしまったのだっけ?

 

「あのね、話はちょっと戻るんだけど」

「うん」

「連続殺人って結構無差別っていうか、傾向にまとまりがないらしいんだ」

「けど、行方不明事件の方は全員に共通点があってな。みんな()()()なんだと」

 

 そこまでを聞いて、『あ、なるほど』と思った。

 要するに千恵子も鏡子も、今日学校に来ていない雅が、連続殺人事件やら行方不明事件やらに巻き込まれていないか不安だったのだ。

 

「あのな、二人とも。遠坂がそんな事件に巻き込まれてたら、アタシこんなところで昼飯食ってねえぞ?」

 

 双葉はそう前置きしてから、

 

「遠坂なら大丈夫だよ。なんか、親戚の婆さんの見送りに行くから、今日は学校休むって今朝連絡あったし」

 

 そう言った。

 それを聞いた友人たちの顔に、あからさまな安堵が広がっていく。

 

「柳洞、お前そういう大事な話は一番最初にしろよ。使えねえな」

「佐伯、キレ味鋭すぎるだろ。……だいたい、変な方向に話を持ってったのはそっちじゃんか」

「ああ?」

「ま、まあまあ二人とも。落ち着いて、ね?」

 

 どうどう、と千恵子が双葉と鏡子の間に割って入る。

 なんだかんだ千恵子には頭の上がらない鏡子がそれで引き下がると、双葉もこれ以上なにか言うことはしなかった。

 

「とにかく、雅ちゃんがそういうことに巻き込まれてないんならいいんだ。……ところで、雅ちゃんの親戚のお婆さんって?」

 

 微妙な空気を払拭したいのか、千恵子が話題を転換する。

 双葉は昔聞いた話を思い出しながら、口を開いた。

 

「フィンランドだったかアイルランドだったか、とにかくなんたらランドに住んでる、遠坂の遠い親戚って話だったかな」

「わぁ、雅ちゃん外国に親戚がいるんだ」

「え、うん。あいつの家ってセレブだし? 実際、遠坂の祖父(じい)さん祖母(ばあ)さん────あ、こっちは直接の祖父母な。二親等ってやつ? それはイギリス住まいだって」

 

 へえぇ! と千恵子が感激で目を輝かせている。

 生まれてから日本以外の地に行ったことがないと、外国に対して妙な憧れや劣等感、偏見など諸々あるものだ。千恵子の反応もまあ、普通だろう。

 実際初めて聞いた時は、双葉も『遠坂の外国かぶれ!』と思ったものだ。

 

「洋館なんぞに住んでるから外国かぶれだと思ってたが、血筋からして外国かぶれだったのか?」

 

 と、双葉と同じような感想を持ったらしい鏡子が、そんなことを口にする。

 

「血筋っていうなら、遠坂はドイツの血が混ざってるらしいぞー」

「うわマジかよ。ハーフにゃ見えねえから、クォーターか?」

「いや、祖母さんがクォーターって言ってたような……? 遠坂自体は八割型日本人だと思うぞ」

 

 いや、祖母はハーフだっただろうか。なにぶん中学の頃に一度聞いたキリの話題なので、双葉も情報に自信がない。

 

「じゃあ雅ちゃんのお家って、もしかしてそのドイツ人のご先祖さまが建てたのかな?」

「かもな。アレ相当古い洋館みてえだし」

「うちの坊さんに言わせると、あそこ幽霊屋敷らしいけどなー。一匹二匹じゃきかないくらいいるって」

 

 え、と双葉の台詞を聞いた千恵子が硬直する。

 ちーちゃんはわかりやすいな、と視線を巡らせると、あの鏡子までもが割と本気で嫌そうな表情を作っていた。

 

「柳洞、お前んちの坊主が言うとシャレにならねえんだよ」

「え、なんで?」

「去年の夏休みに、双葉ちゃんの家でやった肝試し大会……。思い出したくないけど、アレ本当に()()よね……」

 

 そういえばそんなこともあったような気がする。

 今更だが双葉の実家は寺をやっていて、寺のすぐそばにはそこそこの大きさの墓地があるのだ。

 当時はたしか双葉が肝試しをやろうと提案して、それは雅も千恵子も鏡子も賛成だったのだけれど、そのとき寺に詰めていた坊主の一人が、

 

『今日はよくないものが出そうな日和ですので、やめた方がよろしい』

 

 などと言ったのだ。

 その後、紆余曲折あって結局肝試しをやったのだが、そこで参加者みんなが不可解な現象に遭遇した。実害こそ全くなかったが、あまりの気味悪さに、千恵子も鏡子も()()と騒ぎ立てた。

 ちなみに雅は嫌そうな顔こそしたものの普段通りで、霊感なぞ全くないと思っている双葉も、あの時にあったことはすべて気のせいだと思っている。

 

「んー、でも遠坂の家は大丈夫だろ。幽霊屋敷にしてもそうじゃないにしても、遠坂が今まで生きてるんだし、わたしだって何回も遊びに行って無事だし」

「これからもそうだとは限らないんだよ……」

「遠坂も柳洞も、呪いとかじゃ死にそうにねえからな。その点、アタシらは普通の人間だから、そういう実体のないものは怖いんだよ」

「ん? ちょっとまて佐伯。それわたしと遠坂が普通じゃないって言ってないか?」

 

 双葉はツッコミを入れたが、二人は軽くスルーして各々の弁当をつつき始めた。多少、げんなりとした顔はしていたが。

 というか、なんで楽しい飯時に、殺人事件やら幽霊屋敷やら暗い話題になってしまったのだろう。

 

 双葉は首を傾げながら弁当の残りを平らげると、たった今思いついたことを口にする。

 

「そういえば、肝試しの話で思いついたんだけど」

「いい、言うな。どうせ、ろくでもねえことだろ」

 

 ジャムパンを頬張りながら、にべも無く鏡子が切り捨てる。

 

「きょ、鏡子ちゃん。決め付けはよくないよ。一応、聞いてあげよう?」

 

 対する千恵子はさすがのフォーロー力だった。

 もっとも、『一応』と前置きするあたり、なんだかんだ千恵子もろくでもない話題だと思っている可能性が高い。

 

 少し肩を落としながら、双葉は言った。

 

「もうすぐ夏休みじゃんか。二人とも、夏休み中はうちの寺にこないか?」

「双葉ちゃんのお家に?」

「そう。だってほら、新都危険地帯すぎるしさ」

 

 双葉の実家である柳洞寺は、新都から未遠川を挟んで深山町側。それも円蔵山を登った地点という、新都からは正直アクセスしづらい場所に建っている。

 普段ならこの立地に文句の一つもこぼすものだが、今回は逆に立地が悪くて良かったとさえ思った。

 

 新都に連続殺人鬼が潜んでいる今、新都から少しでも離れた場所に友人を避難させたいというのは、双葉的には普通の感覚だった。

 それに、もしその殺人鬼が柳洞寺にまで足を延ばしたとしても、柳洞寺には住み込みの坊主どもが何人もいる。少なくとも、新都の一般家庭よりは安全だろう。

 

 そんな双葉の心情を察したのか、はたまた彼女たちも以前から新都を離れたいと考えていたのか。

 双葉の提案を聞いた二人は揃って思案顔を作ると、ややあって口を開いた。

 

「わたしは、行きたい、かな。やっぱり今の新都は怖すぎるし、双葉ちゃんのお家の人がいいって言ってくれるなら」

「ま、アタシも桂木と同じだな。夏休み中柳洞の家にずっといるかはわかんねーが、殺人騒ぎが一段落するまでは、なるべく新都にいたくねえってのが本音だ」

「お、じゃあ決まりか!」

 

 もちろん、家族の同意やらどのくらいの期間やら、決めなくてはならないことは山ほどあるのだろう。

 それでも、双葉からすれば、二人に夏休み中いてくれてもいいと思っている。なにせ、柳洞寺には無駄に広い部屋がいくつも余っている。千恵子と鏡子の二人ぐらい、なんならその家族つきでも問題ないくらいだ。

 

 これは毎日がお泊まり会コースか、とそんなことを思いながら、双葉はここにはいないもう一人の友人を思い出していた。

 

「せっかくだから、遠坂も呼んでやるかー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふう、と額に滲んだ汗を拭う。

 鞄から取り出した水筒をぐいっと呷ると、九条はため息を吐いた。

 

 我が事ながら、真夏に屋外労働とか、正直な話気が狂っているとしか思えない。科学が発展した今、真夏の屋外でも涼しくすごせる何かの開発とか進んではいないのだろうか? もしもすでにあると言うのなら、10万くらいなら衝動的に買ってしまいそうだ。

 

 そんな本日の天候は曇り。直射日光を浴びないだけマシだが、七月も半ばともなれば普通に気温は高いのだった。

 

「あっつ……」

 

 そう呟きつつ、適当な場所に腰を下ろすと、九条は鞄からオニギリを取り出した。

 

『暑いのならば屋内に避難してはどうだ? たしか空調というのが効いているのだろう?』

 

 ラップで包んだオニギリに口を付けたタイミングで、霊体化したセイバーがそんなことを言う。

 彼の言うことはもっともな意見なのだが、九条が働くこの工事現場には、まともな屋内施設が事務所兼休憩所のプレハブしかない。そしてあそこには空調なんて高尚なものはない。

 つまり風通しがいいぶん外の方がマシというありさまなのだ。

 

「まあ近場のコンビニに避難してる連中もいるみたいだけどな」

『貴殿はそうしないのか?』

「買い物もしないのに、コンビニに入ることに抵抗あるんだよ」

 

 我ながら小市民である。

 コンビニでオニギリでも買えば、堂々と空調の行き届いた室内で昼食兼休憩もできるのだろうが、生憎と九条の昼食は大体手製のオニギリである。

 寝過ごしたり、前日に弁当を作る気力がない日にはコンビニを利用もするのだが、平時は今日のように手製の弁当か、前日に買った商店街の総菜の残りである。貧乏人にとって、コンビニの食事はやはり高いものなのだ。

 

『そうか。だが、せめて水分補給は怠らないように。貴殿に倒れられては、私も困る』

「わかってる、わかってる」

 

 言って、もう一度水筒を呷った。

 少し濃く作りすぎた麦茶を嚥下して、汗を拭うと、辺りに誰もいないかを確認して、九条は口を開く。

 

「ああ、そうだ。セイバーも、もうわかってると思うんだけどさ」

『む。なんだろうか?』

「今夜は、戦いには行かねえから」

 

 そう言うと、セイバーはやや黙って、それから合点がいったような口振りで声を上げた。

 

『……ああ。先ほど何やら通信していたが、その件に関わることか?』

「うん。昔の知り合いに連絡が取れたから、仕事が終わったら会いに行くことになった」

 

 つい先程のことである。バイトの昼休憩が始まってすぐに、九条は知人に連絡を入れた。

 ド平日の昼間に電話を取ってくれるかは怪しいものだったのだが、そんな九条の心配をよそに、先方はあっさり応対。久しぶりの会話に、少し懐かしい話題で盛り上がりかけたりもしたのだが、昼休憩の短さを鑑みて用件のみを伝えると、名残を惜しみながらも早々に通話を打ち切った。

 

「そいつ今は冬木に住んでなくてさ。移動に時間もかかるから、今夜は戦いは休みな」

『それは構わないのだが、この期間にわざわざ会いに行かねばならない人物とは、いったい何者だ?』

 

 当然と言えば当然の疑問に、九条は頬をかくと、

 

「いや、別にそいつがどうこうってわけじゃないんだけどさ」

 

 と、返す。

 

『?』

「えっとな。こないだ、俺にも機動力があればな、って話したろ?」

『ああ。自転車では無理がある、とも言っていたな』

「そうそれ」

 

 九条はビシッ、と指を立てた。

 

『それ、とは?』

「うん。だから機動力だよ。自転車以上の機動力を持ってるブツを、気前良く貸してくれそうなのが、そいつしかいなかったんだ」

『ああ、成る程。つまりパトロンに会いに行くのだな』

「パトロンは……、なんか違くね?」

 

 適切なのかそうでないのかわかりにくい理解を示したセイバーに、思わず苦笑する。

 けれど、そう。とりあえず今日の方針はこれだ。

 

「今夜は、機動力を取りに行く」

 




※なんとか五月中に更新できました!

今回も戦闘はなし。たぶん次回も戦闘ないんじゃないかなー……、聖杯戦争とはいったい……。

ちなみに、ランサーが女性に戻っているのは『生前、女性から男性になり。なおかつ死亡時に女性にもどっていた』からです。
自分の肉体に関わる常時展開型宝具(類似するものだと、ヘラクレスのゴッドハンドやジークフリートのアーマーオブファフニール)なのに、割と自由に性能封印(のようなこと)してるのはこれが理由。死亡時に元に戻っていた、って逸話がなければ、きっとランサーはずっと男でした。
やったね! 貴重な女子だよ!(なお、宝具の修復が終わればいつもの野郎に戻る模様)





以下、FGOのネタバレ含む、いんたーるーど










【いんたーるーど】FGOで遊ぶAAAの剣陣営

レイジ(以下レ)「BBスロット辛すぎる!!」
剣「む? マスターは今日もイベント周回というやつか?」
レ「うん。ずっと放置してたイシュタルのスキルレベル上げようと思って」
剣「イシュタルというと、メソポタミアの神ではなかっただろうか」
レ「うん。その女神サマ。すっごく強いんだけど、鳳凰の羽根が足りてなくてさー」
剣「私にはゲームのことはよくわからないが、つまりその足りないものを集めている……ということか?」
レ「そうそう。正直な話、アーチャークラスはアーラシュだけでいいかなって思ってたんだけど」
剣「アーラシュ……ペルシャの大英雄か」
レ「おいすげえな、そんなことまで知ってるのか。俺なんて名前みてもピンとこなかったのに。……まあとにかく、今はイシュタルのスキル上げのために羽根周回中ってこと」
剣「戦力が増えるのはいいことだろう。それが神霊クラスともなれば、なるほど。確かに彼のアーラシュにも匹敵する戦力だろうな」
レ「いや、うん。戦力的な目算もあるっちゃあるんだけどさ」
剣「他にもなにか?」
レ「……これ」

セイバー、ゲーム画面確認中……

剣「これは、なんというか……。どことなくアーチャーのマスターに似ていまいか」
レ「やっぱそう思うか? だからなんか、育てないのが申し訳なくって」
剣「貴殿も中々難儀な性格をしているな」
レ「そうかな? 普通だと思うけど……。あ、あとアレだよ。このBBちゃんもしっかり育てないと」
剣「BBちゃん? 聞かない名だが、強力なサーヴァントなのか?」
レ「それもあるけど、遠坂さんが『絶対、しっかり育ててくださいね!』って熱いプレゼンしてきたから」
剣「……そういうところが、難儀な性格だと言うんだ」



※CCCコラボ終わったのに、CCCコラボの話。羽根、鎖、宝玉のドロップがおいしいイベントでしたね!!


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三日目 情報整理

 聖杯戦争三日目。午後。

 どんよりと曇った空の下、拠点にほど近い歩道橋の上で、アサシンは何をするでもなく、ぼんやりと佇んでいた。

 

 見る者が見れば、それはとても無防備な姿に見えたであろう。

 霊体化するでもなく、周囲に気を巡らせている様子もない。纏っている衣装は現代風のもので、戦闘時における武装ではない。

 もしも不意打ちでもされようものなら、たちまちのうちに敗退させられてしまいそうですらある。

 

 戦いは原則的に夜間に行うものだとはいえ、昼間にしかける陣営がいないとも限らない。

 実際に昨日などは、むしろアサシンが仕掛けた側ですらあったのだ。

 そのことを踏まえてみても、やはり今のアサシンは無防備に過ぎる。

 

 もっとも、現在進行形で高ランクの気配遮断スキルを使用しているアサシンを感知できるサーヴァントとマスターなぞ、そう多くいるとは思えないのだが。

 

「……」

 

 静かに息を吐いて、歩道橋から眼下の道路を眺める。

 平日の昼間であるからか、歩道を行く人はまばらだ。歩行者よりも、時折歩道橋の下を走り抜けていく自動車の方が数が多いくらいである。

 騎馬よりもアレの方が攻撃力がありそうだな、などと思考を持て余しつつ、手すりにもたれ掛かった。

 

 背中から落ちそうになるくらいに手すりに身を預けてみても、道行く人々はアサシンに関心を示さない。気配遮断スキルの影響で、関心を示すことすらできはしない。

 

 ただただぼんやりと、取るに足らない思考と観察を繰り返す。

 聖杯戦争の期間中であるというのに、ほとんど丸一日このような無為な時間を過ごしている。

 

 自分はアサシンのサーヴァントだ。

 クラス傾向として、戦闘はともかく、気配遮断を活かした諜報活動ならば優れている部類に入るハズだ。

 にも関わらず、こんなところで呆然と突っ立っているだけ。

 

 アサシンには主君の気持ちがわからない。

 生前も、こうしてサーヴァントとして召喚された今も。

 

 だから、何をすればいいのかがわからない。

 何をすれば、主に喜ばれるのか。何をすれば疎まれるのか。何をすれば、主の為になるのかがわからない。

 だから動けない。少なくとも、マスターがアベルの治療に手一杯な内は、身勝手な行動など何一つ取れはしない。

 

「我ながらなんとも」

 

 情けないものだ、と自嘲する。

 生前はもっと自由だった。もっと自由に戦場を駆け、自由に戦ったハズだ。

 

 だが、今は────、

 

 そこまで思考しかけた時、アサシンはマスターの異変に気が付いた。

 昨日から絶え間なく治療に使われていたマスターの魔力が停止している。

 

 直後に、そのマスターからの念話。

 

『どこをほっつき歩いていますの? さっさと帰ってきなさい、アサシン』

 

 ともすれば身勝手とも取れる言葉には何も返さず、アサシンは命じられたまま、拠点を目指す。

 八艘跳びで一瞬の内に拠点へと舞い戻ったアサシンが見たものは、憔悴した顔つきのマスターと、それに支えられたその従者の姿だった。

 

「アベル殿!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ?」

 

 適当なファストフード店で購入したハンバーガーをパクつきながら拠点へと戻ってきたライダーは、その存在を認めて眉を寄せた。

 

 一辺が異様に長い廊下の先に、見覚えのない女がいる。

 気配から察するにサーヴァントではない。かといってマスターでもない。

 

「おいアンタ」

 

 ここは自分たちの拠点だ。

 聞けば、新都にあるホテルのワンフロアを借り切って工房化しているらしい。敵サーヴァントや敵マスターの侵入を防ぐため、マスターたちがそれなりの結界を張っているのだそうだ。

 

 そんな拠点にマスターでもサーヴァントでもない人間がいる、というのはいささか不自然にうつる。

 

 無論、マスターたちが張ったという結界も完璧ではないだろう。

 それにしたって、一般人がうっかり迷い込むことは考えにくい。

 マスターのどちらかがルームサービスでも頼んだのだろうか、とも考えたが女の服装はホテルの従業員のものではない。街のそこいらで見かけるような、若い女の私服姿である。

 

 その女は、ライダーの声には反応を返すことなく、フロアの一番奥の部屋────エヌマエルが幾つか確保していた部屋の一つのドアノブに手をかけた。

 

「待ちな」

 

 瞬間、ライダーは彼女がノブを回すよりも早く、その腕を捻り上げた。

 

 さすがにこれ以上は、黙って見ているわけにいかない。

 一般人だろうが、マスターだろうが、みすみす雇い主の部屋への侵入を許したとあってはライダーの名が廃る。

 この女が何者で、なんのつもりかはわからないが、少なくとも偶然ここを訪れたわけではないようだ。偶々ここにきて、偶々見知らぬ部屋に侵入してみたくなったなどど、そんなバカな話があるハズがない。

 それでも極力、ライダーは音便にすませようと、努めて落ち着いた声音で言った。

 

「お姉さん、悪いことは言わんから帰りな。若い身空で、まだ死にたくはねえだろう?」

 

 このフロアの各部屋は、それぞれに役割を定められ、その役割にふさわしい魔術品が置かれている。

 ライダーにとっては無価値に見える物たちだが、マスターたち魔術師にとってはそうではないだろう。

 そもそもにして、サーヴァント戦を目撃した、というだけで一般人を始末しようという倫理観の持ち主たちである。

 この女が何もしなくても、魔術品を見たというだけで殺しにかかる可能性は十分だったし、もっと言えば招かれてもいないのにこんなところに入ってきている時点で、盛大にアウトな気もする。

 彼女を生きて帰そうと思うのなら、マスターたちに見咎められる前に、ここを離れさせなければならない。

 

 ライダーの台詞は、そういった気遣いと若干の脅しを含んだものだったのだが、女はやはりなんの反応も返してはこなかった。

 言葉だけならともかく、現在進行形で腕を捻り上げているというのに、だ。

 

「その手を放したまえ、ライダー」

 

 いよいよこいつは妙だな、と考え始めた矢先、このタイミングで最も聞きたくなかった声が聞こえた。

 

「……エヌマエル」

 

 現れたのはキャスターのマスターにして、この工房の主、エヌマエル・ビューロウであった。ライダーのマスターであるレオンにとっては師匠にあたる。

 

「アンタと廊下で鉢合わせるのは珍しいな。最近じゃ寝てるか、起きてても部屋に閉じこもりっきりだってえのに」

「耳が痛い指摘だな。実際に、今もほとんど起き抜けのようなものだよ」

 

 エヌマエルはライダーの言葉に笑いもせずにそう返して、

 

「それよりも、だ。もう一度言うが、その手を放したまえ。彼女は私の客人でね」

「あん?」

 

 ライダーにとって、この言葉は完全に予想外だった。

 この女は、てっきり招かれざる客であり、且つ可哀想な生け贄かと思っていたのだが……。

 

 しかし、客というにはこの女は少々妙な気がしなくもない。

 さっきも言ったとおり、魔力の気配も感じないし、そもそもただの現地人にしか見えないのだ。

 

 とはいえ、エヌマエルが客だというならそうなのだろう。

 微妙に納得のいかないまま、ライダーは手を放した。

 

 途端、女はするりとエヌマエルの部屋の中に入っていってしまう。

 ライダーに声をかけられたことも、腕を掴まれたことも、まるで気にしていないどころか、気づいてもいないような素振りであった。

 

「では、彼女を待たせてもいけない。私もこれで失礼するよ」

 

 言って、エヌマエルもまた、女が入っていった部屋へと入っていこうとする。

 

「ああ、それから。私がいいと言うまで、この部屋には入らぬように。余計な面倒事を増やしたくないのなら、ね」

 

 そう言い添えて、エヌマエルも部屋の中へと消えていってしまった。

 

「なんだありゃ」

 

 ガシガシと、一人廊下に残されたライダーは頭をかく。

 エヌマエルはあんな女を連れ込んで何をしているのだろうか。

 そもそもあの女は何者なのか。女自身には一見して危険な様子はなかったから、あの部屋でエヌマエルが危機に陥ることなどまずないだろうが。

 

「アレはもうダメだな」

 

 不意に、背後からそんな声が聞こえた。

 ゆるりと振り向けば、そこにいたのは古めかしいローブ姿のサーヴァント。

 

「キャスターか。テメエまで部屋から出てくるとか、珍しいことは重なるもんなんかね」

「さてな。我はこの階に、我の知らぬ有象無象が集まっていると思って出向いたまでよ」

「ってえと、アレか。あの女のことはお前も知らなかっ……、まて。有象無象だと?」

 

 ライダーの疑問に、キャスターはふん、と鼻を鳴らして、

 

「そうとも、あの女一人ではない。どうやら、マスターが招き入れているようだが……。ふん、この分では何十人連れてきたのやら」

「はあ? 何十人って、そんなに人を集めて何しようってんだ」

「知らん。知らんが、まあ想像はつくな」

 

 キャスターは不愉快そうにそう言い切った。彼の中では、エヌマエルの行動になんらかの確信を得ているらしい。

 一方のライダーは何もしっくりきていないので、置いてけぼりにされた感がひどい。

 

「……一応、同盟相手ってことになってんだ。隠し事はなしにしてもらいたいもんだね」

「バカか。相手が誰だろうが、人間は隠し事をするものだ。それがいずれ競争相手に変わる者なら尚更だろうに」

「はっ、違げえねえ」

 

 とはいえ、もやもやは晴れない。

 キャスターが放置している以上、エヌマエルに危険はないだろうが、とばっちりでこちらが迷惑を被ることになる展開だって、ないとは言い切れない。

 大体、エヌマエルやキャスターに無害だからと言って、レオンにも無害だとは限らないのだし。

 

「別に貴様の心配するようなことは起こるまいよ。そもそもが、貴様が見て取ったように、あの女は一般人だ」

「だよなあ。俺の感覚がおかしくなったかとも思ったが、やっぱそういうことじゃないよなあ」

 

 こちらの思考を見透かしたかのようなキャスターの言葉に、そう相づちを打つ。

 ただの一般人なら、まあレオンが後れをとることはないだろう。その点では安心した。

 

「けど、やっぱ納得ってのとは別問題だな。あのオヤジなに考えてやがる」

「ここまで材料が出揃っていて、まだその言葉が出てくるあたり、貴様はそうとう鈍いな。いや、ある意味で純粋なのかね」

「あ?」

 

 誉められたような呆れられたような。

 微妙な言い回しをするキャスターに、思わず睨みを利かせると、ローブのサーヴァントは尊大な態度を崩しもしないまま口を開いた。

 

「力のある男が、力のない女を複数人囲っている。これはただ、それだけの話だろうに」

「……は?」

 

 予想を超えた言葉に、思わず素っ頓狂な声が出る。

 

「んなバカな。猿じゃあるまいし、この戦争中に盛ってるってのか」

「だから言ったろう? アレはもうダメだ、と」

 

 確かにこのサーヴァントはそんなことを言っていた。

 ライダーは、てっきり部屋に踏み行った女のことを指しているのかと思っていたのだが、この言いようではどうやらエヌマエルのことらしい。

 

「兆しはあったが、思いの外早かったな」

「なに?」

「……次を探すか」

 

 ぼそりと、聞き取れるギリギリの声音でキャスターが言う。

 ライダーは眉間に皺を寄せた。

 

「次? テメエ、マスターを切り捨てるつもりか」

「なんだ。ダメになった同盟者を切り捨てるのは、勝つために必要なことだろう?」

「……」

 

 それは確かにそうだ。

 マスターに心底惚れ込んで、その願いを叶えてやりたいと思っているのでもなければ、サーヴァントがマスターを切り捨てることは、別におかしなことではない。自分たちにも悲願があるのだから、むしろ積極的に強いマスターと再契約を結びに行ったとしても、それはそれでありだろう。

 

 無論、ライダー個人の感性で言えば気に入らない。

 だが感情論を抜きにすれば、キャスターの言葉を咎めるのはお門違いである。

 

 気に入らないながらも、一応はキャスターの言葉を飲み込んで、ライダーはそれとは別に引っかかっていた問いを投げた。

 

「兆しとか言ったな? そりゃどういう意味だ。テメエ、なにを知ってる?」

「知っているもなにも、サーヴァントとマスターは互いにある程度の影響を与えあうものだ。大方アレは、無意識のうちに我が魔力に当てられたのだろうよ」

 

 ハッ、と吐き捨てるようにキャスターが言う。その態度にライダーは目を細めた。

 言葉の意味は全くわからない。そもそもライダーの問いに対する、答えになっていない。

 わかるのは、そう語ったキャスターが、今の状況をあまり好ましく思っていないだろう、ということだけだ。

 

 訝るこちらに対し、キャスターはこれ以上の説明をするつもりはないらしい。話すことは話したとばかりに、ローブを翻し、こちらへと背を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

「それ、ベレロフォンですわよ」

 

 あっけらかんと告げられた名前に、アサシンはお茶を飲む手を止めた。

 

 テーブルに置かれたお茶菓子から目を上げると、何事もなかったかのようにカップに口をつけるお嬢様の姿が目に入る。

 

「ベレロフォン?」

「ええ、キマイラ殺しのベレロフォン。馴染みがないかしら? そこそこ有名でしてよ?」

「キマイラ、というと鵺のような?」

「ぬえ?」

 

 こてん、とアサシンの主が首を傾げた。

 すぐ脇のソファからアベルが立ち上がり、全身包帯だらけの痛々しい姿ままお嬢様に耳打ちする。

 お嬢様は「ああ」となにやら納得して頷いてみせた。

 

「混ざった獣ということなら、似たようなものかしらね」

「どの国にも似たような伝承がある……、というよりはもしかすると同じ物だったのかもしれませんが」

 

 お嬢様の言葉にそう言い添えたアベルを一瞥して、アサシンは目を細めた。

 治療により一命をとりとめたとはいえ、彼は間違いなく重体患者だ。実際に、今も顔色は酷いものだし、ちょっとした挙動にも精彩欠いているのがわかる。

 本来はこんなところで作戦会議に参加などしていないで、別室で安静にしているべきである。

 

 それでもアサシンが何も言わないのは、動くと言って聞かなかった従者としてのアベルの意志を尊重したからである。

 もっともアサシン的には、その心意気自体は立派だとは思っても、今のこれは無駄な意地だと思わなくもない。

 身分や立場がどうあれ、休まなければならない時には休まなければ、相応の能力は発揮できないものだ。

 少しばかり効率が悪いな、と感じてしまう。サーヴァントの分際で、決してそれを口に出すことはしないが。

 

「しかしベレロフォンでしたか。随分と正体に確信を持っていらっしゃるようですが……、根拠など伺っても? 海神の眷属、というだけでは根拠として弱いでしょう?」

「英雄ベレロフォンは、キマイラの口内に鉛を投げ入れ、キマイラの吐き出す炎を跳ね返して勝利した、というのが通説です。

 あの『炎牙封殺・混沌魔獣(ブレイカー・カオスビースト)』という宝具、アレが件の鉛でしょう。『混沌魔獣』ってキマイラのことでしょうし」

「アレが鉛、ですか」

「ええ。より詳しく言うのなら『鉛付きの槍で喉を突いて』だとか、『吐き出す炎に溶かされた鉛が、キマイラの喉を塞いで焼いた』だとか、そういう表現になるそうですわよ。

 あのサーヴァントの宝具も、『溶けて槍に装着された』ようですし、名前といい、ほとんど決まりではないかしら?」

 

 なるほど。

 宝具とは英雄のシンボルだ。宝具の能力から、あのライダーの真名を探る推理としては、概ね正しい道筋な気がする。

 

「しかしその推理が正しかったとして、鉛が宝具とはまた卦体(けたい)な……。世界は広いですね」

「女装で気配遮断が発動する貴方には言われたくないと思いますけれど? ……まあその話は置いておいて、大切なのはどう対策をするか、という話でしてよ」

「ええ。その通りです。見た限り、ライダーのあの宝具は随分と融通がきくようですし」

 

 自在な変形。射程の調整。分裂。

 アサシンが偵察で見たそれらの能力に加えて、さらにもう一つ、使い魔からの記録映像で明らかになった能力。

 

「高ランクの防御性能」

「防御というよりは反射かもしれませんわね、アレ」

 

 溜息混じりにお嬢様が言う。

 

 アサシンがアベルを抱えて離脱した戦場には、情報収集のためお嬢様が放った使い魔がいた。

 小鳥を模したその使い魔は、ランサーの宝具によって起こされた津波とその被害、そしてそこからまんまと生還して見せたライダーの姿を、上空からしっかりと捉えていたのである。

 

「ランサーの宝具は、少なく見積もってもCランク以上の対軍宝具。それを完全に防いでみせたとなれば、ライダーの宝具が特別防御に優れているか、そういう特性を持っていると考えるのが妥当でしょう」

「さきほどベレロフォンは『炎を跳ね返してキマイラを倒した』と仰っていましたね。なら防御力よりは反射かな……。いえ、もちろん素の防御力も優れているのでしょうが」

 

 なんにせよ、難敵です。とアサシンはこぼした。

 

「攻略は難しいですか?」

 

 と、アベル。

 アサシンは頷いて、自らの所感を語った。

 

「少なくとも、僕にランサーほどの攻撃力はないですから。ライダーがあの宝具で防御を取った場合、僕では突破することは不可能かと」

 

 アサシンに対軍宝具に匹敵するほどの火力はない。

 これが他の適正クラスで喚ばれていた場合、また違った感想だったのかもしれないが、それは言っても詮無いことである。

 

「防御の堅さを抜きにしても、あの自在性は驚異です。少し程度の速さは、あの宝具の隙のなさに埋められてしまう」

 

 事実、宝具展開後のライダーはランサー相手に互角の勝負をしてのけている。

 それは少なくともランサー以上の技量、速度、破壊力を持ったサーヴァントでなくては、宝具展開後のライダー相手には優位に立つことが出来ないということだ。

 

 確定的な情報だけでもこちらに不利な事柄ばかりだが、それに加えてもう一つ。ライダーの戦力を考える上で無視できない事柄がある。

 

「それにライダークラスである以上、当然アレ以外にも宝具を所有していると考えざるを得ない」

 

 アサシンは、ライダーが複数の宝具持ちである可能性を訴えた。

 

 ライダーとは騎兵、つまりは『何かに乗って戦う』サーヴァントクラスである。

 であれば、セイバーが剣を、ランサーが槍を持って召喚されるのと同じくして、ライダーとして召喚された時点で、その者はなにかしらの乗り物を所有して現界するハズであろう。

 

 馬、戦車。それがなんであれ、ライダークラスの持つ武装ともなれば、宝具である可能性は大いにある。

 

「彼の愛馬。ペガサスも宝具として持ち込んでいる可能性が高い────いいえ、ライダークラスである以上、確実に所有していると考えるべきですわね」

 

 アサシンの言わんとしているところを察して、お嬢様が言う。

 ここまでで、こちらに有利な情報がないためか、その表情は少しばかり暗い。

 

「過去の亜種聖杯戦争で」

 

 と、同じく暗い顔をしたアベルが切り出した。

 

「ペガサスを宝具として使ったサーヴァントがいたそうです。その時の推定宝具ランクはB~A+程度。種別は対軍」

 

 もっともその英霊はベレロフォンではなく、ペルセウスという話でしたが。とさらにアベルが付け加える。

 

「それ、ペルセウスでも同じことでしょう? ベレロフォンのペガサスは元々ペルセウスの所有していたものですもの」

「うーん……、データがあるのは僥倖でしたが、推定Aランクの対軍宝具ですか」

 

 アベルとお嬢様からもたらされた情報に、アサシンは渋面を作った。

 

 宝具の種別は、その特性ごとにいくつかに分類分けされる。

 

 対人宝具。

 対軍宝具。

 対城宝具。

 

 さらに細かく分けることも可能ではあるが、宝具の種別といえば概ねこの三種類である。

 このうちペガサスの宝具タイプだと思わしい対軍宝具は、その名のとおり『軍隊のような複数人を相手にできる』タイプの宝具である。個人を狙い撃ちにする対人宝具とでは、文字通り効果を及ぼす範囲が違う。

 

 無論、対人と対軍。どちらが優れているというわけではないが、それでも広範囲をまとめて吹き飛ばす対軍宝具は脅威だ。効果範囲が広いということは、それだけ避けにくいということでもある。

 

 加えて、推定宝具ランクA。

 CランクないしBランク宝具だと断定されたランサーの槍ですら、未遠川沿岸部を大きく蹂躙した。

 単純に考えれば、ランサーの槍よりもライダーが持つとされるペガサスの方が、ずっと威力が高いということなのである。

 

「使い勝手のよい対人宝具と、火力を備えた対軍宝具を持つサーヴァント。……わかってはいましたが、やはり聖杯戦争は一筋縄ではいかないようですね。

 ただ……」

「ただ、なんです?」

 

 首を傾げるお嬢様に、アサシンは意識して笑顔を向ける。

 

「僕はアサシンですので、必ずしもサーヴァントと正面衝突する必要は薄いかなー、なんて」

「それは……そうですけれど。それを言い出したら、敵方のサーヴァントの戦力分析なんて無意味になってしまうじゃないの」

「いえいえ。奇襲、暗殺、正面突破。どれを選ぶにしても、敵方の戦力把握は大切ですよ。

 実際、ランサーには僕の気配遮断が通用しませんでしたから。いやあ、肝が冷えました」

 

 アサシンが告げた内容に、お嬢様とアベルの表情が凍り付いた。

 

「それは……、本当ですか? あのランサーは攻撃態勢に入った貴方を見て、迎撃を選択したのではなく、初めから貴方がサーヴァントだと気づいていた、と?」

 

 それが事実だとすると、アサシンにとってランサーは天敵だ。

 

 アサシンのクラスが持つスキル・気配遮断は、文字通りスキル所有者のサーヴァントとしての気配を絶つスキルである。

 スキルランクが高ければ高いほど効果は上がり、Aランクの気配遮断ともなれば、たとえ目の前で会話を行おうとも、そのサーヴァントの姿を認識できないほどのモノと化す。

 

 そしてこのアサシンの持つ気配遮断ランクはD。

 アサシンクラスの持つ気配遮断としてはランクは低めだが、彼の持つスキルは少々特殊だ。女性に見える格好────端的に言えば女装することで気配遮断のスキルランクを大幅に引き上げることができるのである。

 その場合の気配遮断スキルはAランク相当。

 

 件のランサーとの接触時、アサシンは地元の女学生風の格好をしていた。スキルランク上昇の条件は揃っていた訳である。

 その上でランサーに気配遮断を破られたというなら、ランサーにはなにか、気配遮断スキルを無効化する能力があるということ。

 直接戦闘型とはいえないアサシンクラスにとって、気配遮断を無効化してくる三大騎士クラスなぞ、悪夢に等しい。こちらのもつ唯一といっていいほどのアドバンテージを無力化されるのだから。

 

「ランサーは気配察知に優れているというよりも、むしろ観察眼に優れているのだと思いますが」

「? それは貴方が見せた挙動から、一般人ではないと見破った、ということですか?」

「いいえ? それならば気配の弱さで、僕をマスター辺りに誤認するでしょうね。ただ、彼は『僕がサーヴァントである』と確信していたように思うので」

 

 そうでなければ、いかなランサーといえども、マスター狙いの一閃を容易に止められはしまい。

 ならば、考えられるとするなら、

 

「彼には僕の性別が、きちんと男に見えていたということでしょう。僕の気配遮断スキルは『女性に見える姿』を取ることで向上しますが、逆に言えば、そう見えなければスキルランクは変動しない……どころか、スキル自体が上手く働かない事態も考えられます」

 

 アサシンの言葉に、人間二人がしばし絶句する。

 何かおかしなことを口走っただろうか、と首を傾げるアサシンに対して、ややあってお嬢様が口を開いた。

 

「貴方の()()を、初見で男だと見破った……ですって?」

「基本、僕は間違いなく男ですので。まあ、そういうこともあるでしょう」

「……納得いきませんわ。どんな穿った見方をすれば、アレが男に見えるというの」

 

 ブツブツと、まるでなにかの呪詛を唱えるかのようにお嬢様が言う。

 

 こちらのスキルに信頼をおいてくれるマスターに申し訳なく思う一方、アサシンとしては先に語った見解のとおりである。

 すなわち、まあそういうこともあるだろう。

 

「そういう事情ですので、ランサー陣営に対しては少しばかり暗殺が難しいと思っていただく必要があります」

 

 わき道に逸れかけた話題を修正する。

 

 相変わらず顔色の優れないアベルが口を開いた。

 

「ランサーには積極的に仕掛けず、他のサーヴァントに倒させる方向にした方がいいかもしれませんね」

「確かにランサー単独で見た場合はそうですね。あちらには無敵宝具があり、こちらにはそれを破る手段がない。加えて、彼には僕の気配遮断は通用しない」

 

 自分で言っていて、中々ひどい相性だと思う。

 なんの準備もなくランサーと一騎打ちとなれば、まず間違いなく敗北してしまうだろう。

 

「ただ、まあ、これは聖杯戦争ですので。ランサーに勝てなくても()()()()()()を脱落させる方法はあるのですけど」

「マスターの排除? けれど貴方、先ほど自分でランサーには気配遮断が通用しないと言ったばかりでしてよ」

 

 こちらの言葉を先読みしてお嬢様が言う。

 彼女の言うことは、もっともな意見だ。なにしろアサシン自身が『気配遮断が通用しないから暗殺は難しい』と言ったのだ。

 けれどそれは、マスターがランサーを側に控えさせていた場合の話。

 

「ランサーとマスターを引き離せば、問題なく殺せますよ」

「理屈はわかりますが、どうやって? 一度奇襲に失敗している以上、あちらはこちらを警戒しているのでは?」

「どれだけ警戒していても、四六時中一緒にはいられませんよ」

 

 アベルの反論に、アサシンはそれは問題ないと笑顔を作った。

 

「戦争も終盤だったのならわかりませんが、まだ情勢の混迷としている序盤です。聖杯を穫るつもりがあるのなら、敵の情報を探るために、無敵を盾にしてランサーは積極的に戦闘させるべきだ。

 少なくとも、僕ならそうします。向こうのマスターもそう思ってるんじゃないかな?」

 

 そう。勝つつもりがあるのなら、できるだけ早く、多く、敵の情報を入手しなければならない。

 そして無敵の肉体があるランサーにとって、もっとも手っ取り早い情報の取得手段は戦闘のハズだ。

 一回の戦闘で手に入るデータは、ちまちました偵察で得られるものより何倍も大きい。

 

 ランサーの戦闘中はマスターが一人になってしまうが、そのリスクを負ってなお、得られる情報のメリットのほうが大きいハズだ。

 勝つためなら、多少のリスクは負わねばならない。

 

 アサシンが狙うとすれば、そのタイミングだろう。

 それに、

 

「それに、あちらは僕が脱落していることも視野に入れていると思いますよ? なにせ『アサシンのマスターは背中からライダーに一突きにされてしまった』んですから」

「「あ」」

 

 アサシンの言葉に、二人が間の抜けた顔をする。

 

 先日の戦闘で、アベルはおおよそアサシンのマスターらしい振る舞いをした。

 ならばあの戦闘を隠れて見ていた者も、実際に戦闘を行った者たちも、アベルをマスターだと誤解しても不思議はあるまい。

 

 その上で、あの戦闘から見たこちらの情報を整理するのなら、アサシンたちは『生死不明のマスターとそのサーヴァント』ということになる。

 そしてその認識は、アサシンたちにとって有利に働くだろう。

 

「数回の偵察と戦闘で敵の情報はいくらか集まった。マスターが外にでないおかげで、こちらのマスターの正体を知るものはいない。情報の上ではそれなりに有利です」

 

 確かに、アサシンはランサーと戦闘を行えば、いずれ敗北してしまうだろう。

 確かに、アサシンはライダー相手に有効な攻撃手段を持たないだろう。

 

 それはこれらの陣営を敵に回すにあたって、とても不利な事柄だ。

 

 だけど不利だと、それがわかっている。

 そしてアサシンがこの戦争に勝ち筋を見いだすには、たったそれだけで十分だった。

 

「アサシンが脱落していないことは、そのうち誰かが気付くことでしょうが、今はこれを隠れ蓑にして、ゆっくり一人ずつ殺していきましょう」




ライダー:騎乗物は持っていないと言った(震え)




※更新遅れまくりですみませんでした。誰か読んでくれているといいな……


作中でアベルくんが言ってたように、この世界線では亜種聖杯戦争が多発しているので、過去の聖杯戦争からの情報で、ある程度宝具ランクなどにあたりがつけられます。
アポクリファマテリアルでは聖杯戦争wikiなる存在も示唆されてましたね。


【ステータスが更新されました】

【CLASS】ライダー
【真名】ベレロフォン
【マスター】レオン・モーガン
【性別】男性
【属性】中立・中庸
【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷B 魔力D 幸運B 宝具A
【クラス別スキル】
対魔力:D
 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

騎乗:A+
 騎乗の才能。獣であるのならば幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。ただし竜種は該当しない。

【固有スキル】
神性:D(B)
 神霊適正を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。
 海神ポセイドンが父であるとされるライダーは、本来なら高い神霊適正を持つのだが、現在は大幅にランクダウンしている。


【宝具】
炎牙封殺・混沌魔獣(ブレイカー・カオスビースト)
ランク:C++
種別:対人宝具
レンジ:1~12
最大補足:1人
 意志を読みとる流体金属。
 普段は籠手として担い手の腕に装備されているが、真名解放で流体として解放され、敵に襲いかかる。担い手の意志に応じてあらゆる形状に変化させられる他、敵の魔力に反応してある程度の自動迎撃も可能。
 また、武器へと装着することで武器のレンジを調節することもできる。
 さらに怪物殺しの特性も持つため、怪物属性を持つ者に追加でダメージを与える。
 この宝具の本来の用途は攻撃ではなく防御であり、盾などの形状に変化した際には攻撃を反射する特性を持つ。



※ここから読まなくてもいい話。




どうでもいい話ですけど、ペルセウスくんが参戦したのは亜種聖杯戦争inギリシャとかいう設定。
圧倒的な知名度補正と多彩な宝具で他を圧倒! ……しましたが、あえなく敗北。
本人は「まさかペガサスで轢き殺してる最中に殺されるとは思わなかった」などと話しており、作者的にはやっぱり十二回のガッツは反則だと思うよ君の子孫


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三日目 そもそもの話

「ここまでで大丈夫ですよ」

 

 駅にたどり着くなり、先生ことサクラ・エーデルフェルトがそう言った。

 

「いえ、せめてホームまで送らせてください」

 

 サクラのキャリーバックを引きながら、雅は答える。

 

 そもそも『見送りはいらない』というサクラに対し、『見送らせてください』と強引にここまで着いてきたのだ。ここで別れるくらいなら、最初から着いてきてなどいない。

 

 あの武家屋敷から駅までの道もそうだったが、駅のホームにも当然段差くらいあるだろう。

 サクラは御年80歳に届こうか、とは思えないくらいに足腰のしっかりした老女だが、それでも荷物を抱えながら軽々と段差を歩ける訳ではないと思う。

 魔術を使えば話は別だろうが、こんなことで魔術を使わせるのもなんだかバカバカしい。荷物持ちはいて損はないだろうし、そもそも雅がサクラとの別れに名残惜しさを感じている。

 

「そう? じゃあ、お言葉に甘えちゃいますね」

 

 にっこりと笑って、サクラが駅の発券窓口へと歩き出した。

 最寄りの空港がある都市への切符を購入する彼女を横目で見ながら、雅自身は券売機で一番安い入場券を購入する。

 

「そういえば、まだ訊いていなかったんですけど」

 

 揃って改札を抜けると、そんな風にサクラが切り出した。

 

「今回の聖杯戦争の首謀者について、なにかわかりましたか?」

「……いいえ。残念ながら、まだなにも」

 

 唐突な質問に、一瞬言葉が詰まった。

 否。言葉に詰まったのは唐突さとは別の理由だ。

 彼女の問いは唐突ではあっても、魔術協会に属する魔術師が、土地管理者へと投げかけるものとしては、なにもおかしくはないものだった。

 サクラの問いにすぐに答えられなかったのは、単純に雅が現状に情けなさを感じてしまっているからだ。

 

 そもそも、雅が今回の聖杯戦争に参加したのは、聖杯を手に入れるためではなく、『遠坂の管理する土地で、勝手に大規模な魔術儀式を始めたバカ』をとっちめる為である。

 

 七騎のサーヴァントが召喚され、本格的な聖杯戦争が開幕して既に三日。ここに至ってもまだ、雅は首謀者の尻尾すら掴めていない。

 首謀者の影が見えないこともさることながら、そもそも聖杯戦争を始めさせてしまったという負い目もあって、雅は言葉に詰まったのだった。

 

「そうですか。焦る気持ちもあるでしょうけど、あまり気負い過ぎないようにね」

「……はい」

 

 サクラはそうは言ってくれるが、負い目は消えない。

 現在世界中で行われているサーヴァントを用いた聖杯戦争。所謂『冬木式聖杯戦争』では、聖杯戦争を執り行うための前準備として、その土地の霊脈に手を加える。

 それはつまり今回の聖杯戦争でも霊脈に手を加えられたということであり、自らの土地で聖杯戦争を始めさせてしまった雅は、土地管理者でありながら、自らの管理する土地で好き勝手土地を弄くられてしまった、ということである。

 

 サクラの方もそれは承知の上だろう。それ故、次に飛んできたのはこんな質問だった。

 

「雅ちゃんは、今の冬木の霊脈に異常を感じていますか?」

 

 その土地の霊脈に手を加えるということ。

 それは元々その土地に流れていた魔力の流れを、儀式にとって都合のいい方向に誘導するということだ。流れ自体をせき止めることだってあるかも知れない。

 例えるなら元々あった水道管に、新たにパイプを付け足したり、元のパイプを取り外したり、といったところだろうか。

 

 当然、そんなことをすれば、霊脈の正常な流れを知っている者達は普段との違いに気が付く。

 そしてそれに気付いたなら、霊脈を加工した痕跡にも気が付ける。

 痕跡さえわかれば、そこに残された情報から、どんな人物が聖杯戦争を始めようとしたのか、その推察ができる。

 

 サクラの質問の意図は、まあそういうことだろう。

 しかし彼女の意図を察しながら、雅はこう答えることしか出来なかった。

 

「いいえ」

 

 そう、『いいえ』だ。

 聖杯戦争を行うために霊脈の加工が必要なことは、当然雅だって知っていた。知っていたからこそ、聖杯戦争の兆候が現れた時点で冬木の土地自体への調査は済ませてある。

 

 その上での結論が、聖杯戦争開始前と後とで、冬木の霊脈に異常は見られない、ということであった。

 

 無論、そんなことは普通に考えればあり得ない。

 あり得ないが、雅の感覚では霊脈に加工を施された痕が見つけられないのも事実である。

 

「そうですか。私の調査が甘い訳ではなかったんですね」

「先生?」

 

 サクラの言葉に思わず首を傾げると、老女は困ったように笑って、

 

「私も私で、冬木にいる間に調査をしていたんですよ。雅ちゃんの言うように、私の方も何も見つけられなかったんですけど」

 

 などと、口にした。

 

「先生でもダメなんですか?」

「ええ、ダメですね。以前の冬木の霊脈と、今の冬木の霊脈を照らし合わせてみても、異常らしい異常はなにも。誰かが、何かをしたような痕跡は見つけられませんでした」

 

 だけど、実際には起こるはずがない聖杯戦争が始まってしまっている。

 

 考えられるとすれば、と前置きして、サクラが己の推論を語り始めた。

 

「この聖杯戦争を仕組んだ者は、私たちより遙かに格上で、霊脈の加工痕を私たちに認識させないほどの魔術師だった」

 

 それは、確かにいないとも言い切れないだろうが。

 それでもその可能性はかなり低いと思わざるを得ない。雅だけならまだしも、サクラの目をも誤魔化すほどの魔術師となれば、いったいどれほど格上なのか想像もできない。

 

「或いは、私たちの記憶、感覚が狂わされていて、実際には霊脈は大幅に弄くられている可能性」

 

 こちらもあり得ないとは言い切れないが、いまひとつ現実味に欠ける。

 雅とサクラ。両方の魔術的感覚を狂わせるとなれば、冬木市全体に魔術の認識阻害結界なりなんなりが必要だろう。都市一つ覆うほどの魔術結界なんて、作成しようとした時点で気付いてしまう。

 都市ではなく個人へ認識阻害をかける場合でも、土地管理者である雅はともかくとして、部外者であるサクラにまで術をかけるのは不自然だ。

 

「もしくは、冬木の霊脈を聖杯降霊用にイジるのではなく、聖杯の方を冬木の霊脈に合わせて作ってあるか」

 

 故に、雅はこの三つ目の推論が一番しっくりくるな、と思った。

 聖杯用に霊脈をチューニングするのではなく、むしろ聖杯を霊脈に合わせてチューンする。これなら少なくとも雅たちに霊脈の改竄痕を発見されることはない。そもそも霊脈を弄ってすらいないのだから。

 もっともこの場合だと、霊脈を弄くる場合よりもさらに精密に、冬木の土地に詳しくなければならないだろうが。

 

「雅ちゃんは、いまの推理だと三つ目が好みのようですね」

「なんでわかっ……!? ……いえ、そうですね。だって可能性としては一番でしょう?」

「そうですねー。私もそう思いますけど」

 

 話しながら三番ホームに降り立つ。

 平日の昼間だけあって、ホームにいる人の数はまばらだ。

 備え付けの電光掲示板には、あと四分ほどで目当ての電車が到着すると表示されていた。

 

 『乗車位置』と書かれたホームの一角に立ち、列車を待つ。

 それから数秒もせず『四番線を電車が通過いたします』と構内アナウンスが入り、そのアナウンス通りに向かいのホームを特急列車が通過してゆく。

 

 ゴオッ、という風の音に混じって、サクラの声。

 

「そもそも、冬木で聖杯戦争が起こせないという前提条件が、私には疑わしいです」

 

 あまりにも自然に、この結論に達するのは当然という風にサクラが言う。

 一方で、その言葉を聞いた雅はすぐに何かを返すことができなかった。

 

「…………え?」

 

 ぽかん、と口を開けて固まる。

 ホームを通過していく特急列車が完全に見えなくなるまで、たっぷり数秒間。雅はゆっくりとサクラの言葉の意味を飲み込んでいく。

 

「え、え、だって……。冬木の大聖杯は盗られ、え、あれ? だから、えっと、そうです!

 そんなのあり得ないでしょう。冬木から大聖杯がなくなった上、遠坂が聖杯戦争から手を引いたんですから、ここでそんな儀式はどうやったって成立しない」

「ええ、そうです。でもそれは、本当に冬木から大聖杯がなくなっていて、本当に遠坂家が聖杯を諦めていたら、という条件付きでしょう? 私は、そもそもそこが疑わしいと言ったのよ」

「それは……、そんなハズ。だって六十年前に、冬木の大聖杯はルーマニアで発見されました。そして……、」

 

 第二次世界大戦の最中、開催された混沌の第三次聖杯戦争。

 ナチスドイツ軍とユグドミレニアによって、冬木から強奪された大聖杯。

 その後、半世紀以上の時を経てルーマニアで開催された『聖杯大戦』。

 大戦の幕引きは、セイバーによる聖剣の真名解放────すなわち、宝具による大聖杯の完全消滅。

 

 それは、聖杯戦争に関わる魔術師にとっての常識だ。

 冬木から大聖杯がなくなっていない、となれば、それら全ての常識が裏返される。

 そもそも、冬木の大聖杯が強奪されていなければ、世界中で亜種聖杯戦争が始まることもなかったハズだから、いくらなんでも、サクラの言うことは無理があるというものだ。

 

「そうね。第三次聖杯戦争で、強奪は確かにされたのでしょう。世界中に聖杯戦争の行い方も普及した。

 けれど、その後は? 本当にルーマニアで大聖杯は消滅したの? 遠坂は本当に聖杯を諦めた? 未だ聖杯を諦めないアインツベルンと一緒になって、もう一度この土地で聖杯を作ったという可能性は?

 私はね、そんな風に思ってしまうのよ」

「そんなのあり得ません。だって……、だって、()()()()()()()()

 もし本当に遠坂が、冬木でもう一度聖杯を作ろうとしていたなら、それは私に知らされていなければ……!」

 

 雅は思わず叫んでいた。

 この身は遠坂家八代目当主遠坂雅だ。未だ修行中、覚悟すら伴わない未熟者であっても、確かに先代から家督を継承した遠坂家の当主なのである。

 他の家系の事情ならいざ知らず。遠坂家の事情について、雅が知らされていない、というのはあり得ない。

 

 ────あり得ない、と思いたい。

 

「そうね。でも、可能性はゼロではないから。

 だから、盲目にならないように、柔軟な発想でことに当たってね、という忠告程度に捉えてくれればいいですよ」

 

 気遣わしげな表情を浮かべて、老女が言う。

 けれど、ただの忠告というには、彼女の言葉は雅に刺さった。

 

「……もしも」

「はい」

「もしも先生の仰るとおりなら、霊脈の調査は無駄ということですか」

「無駄ではないでしょうが、私たちには異常を関知しづらいでしょうね。そもそも正常だと思っていた冬木の霊脈が、既に聖杯戦争用に整地されたものだったわけですから。私たちは、正常な────大聖杯に接続されていない冬木の霊脈を知らないことになる」

「……っ」

 

 沈黙を埋めるかのようなタイミングでホームアナウンスが入った。

 

『まもなく3番乗り場に電車がまいります』

「あら、来ましたね」

 

 言葉通り、アナウンス通りに、サクラが乗り込む予定の電車が、雅たちの立つ3番線へと滑り込んでくる。

 

「それじゃあ雅ちゃん。私はこれで、帰ってしまいますけれど」

「あ、はい」

 

 知らず俯いていた雅は、サクラの言葉に顔を上げた。

 老女はサクラの顔を見つめながら優しく微笑む。

 

「なにかあれば、頼ってくださいね」

「え」

「貴女は責任感が強いから、なんでも抱え込みがちですけど。人間一人で出来ることは、そう多くはないんですからね」

 

 かつて指導していた時のように、老女は優しく諭すような声音で雅に言った。

 

「ましてや聖杯戦争。熟練の魔術師でも、一人きりなら二日と持たない戦いです。誰かを頼ったって、それは恥ずかしいことじゃあないのよ」

 

 停車した電車の扉が開く。

 数人の乗客が車両から吐き出され、代わりにホームにいた別の数人が飲まれてゆく。

 

「むしろ意固地になって、目的を果たせないことの方が恥ずかしいわ。だから、なにかあれば頼ってね。私でもいい。アーチャーさんでもいい。他に信頼できる人がいれば、それでもいい。だけど一人きりで戦おうとはしないでね」

 

 きゅっ、とサクラが雅の手を取った。

 しわがれた、けれどひだまりのように落ち着く、温かな手。雅を安心させる先生の手のひら。

 

「落ち着いたらまた会いましょう」

「は、はい。最後までお気遣いいただき、ありがとうございました」

 

 握っていた手を放したサクラに、慌ててキャリーバックを手渡した。

 荷物を引いて、サクラが電車へと乗り込む。ドアから数歩離れた場所に立った彼女が、ゆっくりと振り返った。

 

「最後に一つ。時計塔では、いま冬木の聖杯戦争のことでスゴくゴタゴタしているそうですよ。亜種聖杯戦争なんて、この百年で捨て置くくらいに慣れたものだった魔術協会が」

「え?」

 

 それは、いったいどういうことだろうか。

 最大規模だった60年前の聖杯大戦や、街一つ消し飛ばしたスノーフィールドの聖杯戦争ならともかく、今回の聖杯戦争は位置づけ的にはただの亜種聖杯戦争だ。戦争も序盤ゆえ、まだ協会が焦るほどの神秘の漏洩だって起きていない。

 この段階で魔術協会が浮つく理由なぞ、一つだってないハズなのに。

 

 けれど雅の疑問が言葉になる前に、雅たちを遮るように、電車の扉が閉まってしまった。

 その鉄製の扉の向こうから、やや聞き取りにくい声。

 

「それじゃ、またいつか。きっと生き延びてね、雅ちゃん。()()()()()()()、きっとそう思っていますよ」

 

 サクラを乗せた電車がホームを発つ。

 その様を呆然と見ていた。

 何を発することもできないまま、雅はただ、その電車を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アサシン」

 

 そう呼びかければ、一秒とかけずに彼は姿を現した。

 

「お呼びですか、マスター」

 

 部屋に響く、落ち着いた声音。

 こちらを見上げる黒曜の瞳。

 戦鎧の隙間から覗く、きめ細かい黄色の肌。

 濡れ羽色の髪は、窓から差し込む西日に照らされ、いっそう艶やかな光沢を放つ。

 

「……」

 

 思わず、見惚れた。

 いい加減見慣れてもいいハズなのに、何度見ても彼の姿に胸が高鳴る。

 

「マスター?」

「っ、楽になさい。少し……。ええ、少し話をしたいのです」

 

 ため息を漏らしかけたところで、アサシンの声に引き戻される。

 跪き、こちらを見上げ続けている彼に一声かけて、お嬢様ことレオナ・モーガンは近くのソファへと腰を下ろした。

 

「まずは、アベルの件。よく生きて連れ帰ってくれました。改めてお礼を言うわ」

 

 アサシンが対面の椅子に着席するのを見計らって、レオナはそう口にする。

 アベルがとてつもなく頑丈だということは、他の誰でもなくレオナが一番知っていることではあったが、今回の戦闘では正直な話、助かる見込みはないだろうと思っていたのだ。半ば永遠の離別を予測していただけに、彼が一命を取り留めたのは、レオナにとって嬉しい誤算に他ならなかった。

 

 ────否。そんな言葉では誤魔化しきれない。レオナは彼が生きていてくれて、とても……。そう。とても、安心した。

 

 対するアサシンは、レオナの言葉に微笑みを一つ浮かべて首を振った。

 

「いいえ。アベル殿を救ったのは、マスターの治癒術です。僕はなにも」

「私の治癒魔術で治せるのは生きているものだけです。貴方がもう少し遅ければアベルは死んでいた。そうなれば、私には為す術がなかったでしょう」

 

 貴方のおかげよ、と重ねて告げる。

 

 実際にそのとおりである。レオナの技術でアベルを救えたのは、アサシンが迅速に彼を運んでくれたからだ。ほんの少しでも治療開始が遅れていれば、彼の命は無かっただろう。

 今さっき、ようやく隣室に寝かしつけた従者のことを想って、レオナは頭を下げた。

 

 アサシンは少しだけ視線を彷徨わせると、ややあって口を開いた。

 

「……では、ここは二人の手柄ということで。僕としては、マスターの手柄の方が大きいとは思うのですが。これ以上は言っても詮無いことですし」

 

 にこりと笑うアサシンに、再び心臓が跳ねる。

 弛緩しそうになる表情筋を引き締めると、気持ち固い声を意識して口を開いた。

 

「ええ。それなら、そういうことにしておきます」

 

 オイ、なんだそれは。

 

 脳内で、自分自身にツッコミを入れる。

 

 固い声どころか、威圧的な声音である。挙げ句、言葉の内容も随分威圧的だ。

 それがなんであれ、アサシンと何かを共有できたことが小躍りするほど嬉しかったクセに、欠片もそれが表に出ていない。

 いや、そんなもの表に出せばマスターとしての体裁が跡形もなく吹き飛ぶので、その点では良かったのだけれど。それにしたって、この声音でこの台詞は酷いに尽きる。

 アサシンに目立った反応がないのが唯一の救いか。

 

 照れを隠そうとし過ぎて、つい声音が固くなる。というか、トゲというか針というか、とにかく鋭いものが混ざってしまう。自分ではわからないのだが、この分だともしや表情も酷いことになっているのだろうか。

 

 いや、大丈夫だろう。

 大丈夫のハズだ。

 キリッ、と凛々しいマスター然とした表情になっているハズだ。そうだといいな。

 

 動揺とともに浮かんだ雑念を振り払うかのように、レオナは次の話題を切り出した。

 

「話は変わりますが。昼間、ライダーの真名について話したでしょう?」

「ええ。たしかベレロフォンだと断定しておいででしたね。まだ他の英霊だという線も残っていましょうが、早期に敵方の真名を予測できたのは大きい」

 

 レオナの言葉に、アサシンが応じる。

 平静そのものな彼の声音に、こちらの動揺は伝わらなかったと判断して、レオナは言った。

 

「それについて一つ。貴方に伝えていないことがあります」

「何でしょう?」

 

 小さな呼吸を一つ。

 アベルの件とは違い、こちらは告げるのに少しばかりの覚悟が必要だ。

 

「アベルはきっと、私の名誉のため────いいえ。貴方と私との関係のために口にはしないでしょうが。

 初め私は貴方ではない英霊を召喚しようとしていました」

 

 自分のサーヴァントと、険悪になる覚悟。 

 

「召喚用の触媒は『とある合成魔獣の牙』。そしてそれに引き寄せられるであろう英霊は一人」

 

 僅かに眉根を寄せるアサシンに向かって、一息に告げる。

 

「『ギリシャ七英雄』の一人。キマイラ殺しのベレロフォン。予想されるクラスはライダー」

 

 それは、あの赤髪のライダーの真名として最も有力な英雄の名であった。

 

「ですが、彼の召喚は叶わなかった。実際には、私は貴方を呼び出しました」

「理由をお伺いしても?」

「簡単なことです。触媒は、私の手元に届くまでに何者かによって盗み取られました。そして、それこそがそのままあのライダーへの真名予測に繋がるのです」

 

 奇しくも、レオナが召喚予定だったサーヴァントと同じサーヴァントを敵対マスターが召喚した。

 そんな偶然を信じ込むほど、レオナは間抜けでもなければ箱入りでもない。

 

「なるほど。つまりマスターは、自分の元から触媒を奪い取った何者かが、そのままその触媒を使って今回の聖杯戦争に参加している、と」

「ええ。タイミングと、あのライダーの能力を鑑みれば、そう考えるのが妥当でしょう」

「そうですね。他人から盗むほど触媒を必要としていたなら、どこかの聖杯戦争に参加して然るべきだ。マスターたちが、あのライダーの真名に確信を持っておられた理由がわかりましたよ」

 

 疑問が解けてすっきりした、といった様子でアサシンが言う。

 その姿に、レオナは逆に不安を駆り立てられる思いだった。

 

「あの……」

「はい」

「怒らないんですの?」

「怒る? 僕が、マスターにですか? それは何故?」

 

 怒るどころか、何を問われているのかすらわかっていない表情でアサシンが問い返す。

 

「だって、私は『貴方以外のサーヴァントを喚ぶつもりだった』と言ったのよ。貴方は所詮第一希望のサーヴァントではない、と」

「いえ、別に。聖杯戦争ですから、理想や希望のサーヴァントがいて当たり前でしょう。そのようなことで気分を悪くしたりはしませんよ。実際にマスターに呼び出されたのは僕ですし」

 

 当たり前と言えば、当たり前のその理屈。

 けれど、人は理屈だけで動ける訳ではない。

 

 アサシンの気分を害するのではないか。

 アサシンとの関係に亀裂が入るのではないか。

 レオナが危ぶんだそれらを吹き飛ばすように、彼はあっさりとそんなことを言う。

 

「さすがにライダーを引き合いに出されて『あちらの方が良かった』などと言われた日には、少しばかり落ち込むかもしれませんが。マスターもアベル殿も、そういったことは仰いませんから」

 

 アサシンは怒るどころか、にこにこと笑っていた。

 初めて話したときから思っていたが、彼は奉仕体質というか、根っからの従者気質なところがある。基本的にこちらの言うことや、やろうとすることに逆らわない。

 

「……」

 

 召喚の件での不安が消えた代わりに、今度は別の不安がむくむくと顔を出す。

 

「あの」

「はい」

「貴方は、私に……」

 

 ────不満はないのか。その従者気質で不満を押し殺しているだけなのではないか。

 

 その問いを投げかける勇気は、今のレオナには持てなかった。

 もしも彼に、マスターとして認めていないと言われてしまえば、立ち直ることが出来そうになかったから。

 

「いいえ、なんでもありませんわ。気にしないで」

 

 首を傾げたアサシンから目を逸らし、窓の外を見る。

 日が傾いているのだろう。窓の外の世界は、赤く鮮やかに彩られていた。

 

「そろそろ日が沈みますね。アベル殿の治療で疲れておいででしょうし、今日はお早めにお休みになられては?」

 

 レオナの視線を追って、窓の外を見たアサシンが言う。

 工房の守りはお任せを、と彼は笑った。






※先生はすぐ土壇場でこういうこと言うー



三日目が終わらないばかりか、戦闘もなくてすみません。次も戦闘ないです……。

さておき。活動報告にてちょっとみなさまに読んでほしいことがあるので、もしお時間あれば、ちらっと見て行ってほしい所存です。


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三日目 穂群原OB会

 冬木市から電車を乗り継いで片道二時間半。県を二つほど跨いでたどり着いた駅のホームで、九条は思い切り伸びをした。

 

「うーん、疲れた」

 

 ばきり、と骨の鳴る音がする。道中ずっと座っていただけあって、身体が固まってしまっている。

 二、三回屈伸して身体を解すと、九条は足早にホームを後にした。

 

 改札を抜け、すっかり暗くなった外へと飛び出す。

 現在時刻は午後十時を軽く回っている。日の長い夏場とはいえ、流石にこの時間では太陽の姿はどこにもない。

 

「おーっす、九条!」

 

 さて、まずはタクシーでも拾おうか。と辺りを見渡した九条は、離れた場所からかけられた声に顔を向けた。

 

 九条の立つタクシー乗り場から、車道を一本挟んだ向こう側の歩道に、懐かしい顔がある。

 声の出所を確認した九条は、その人物に応えるように片手を挙げた。

 

「伊勢三!」

「おう、久しぶりだなぁ」

 

 言いながら九条の旧友・伊勢三(いせみ)玄馬(はるま)が車道を横切って、小走りにこちらへと駆けてくる。

 

「悪い、迎えにきてくれたのか」

 

 九条がそう言えば、玄馬は人懐っこい笑みを浮かべながら、

 

「いいって。それより何年ぶりだ? 成人式以来だから5年ぶりくらいか? 少し痩せたんじゃねえの?」

 

 などと、気安げにこちらの肩を叩いてきた。

 以前と変わらぬその様子に、九条も思わず破顔して言い返す。

 

「そっちこそ、その金髪似合ってねえぞ。つか、俺が大学卒業した時にも会ったじゃんか。せいぜい3年ぶりくらいだろ」

「それでも間が空きすぎだって! お前ぜんぜん遊びにこねえからな」

「それそっくりそのまま返すわ。たまには冬木に帰ってこいよ」

「いやー、俺様は生粋のシティ・ボーイだからして? 冬木のような田舎は肌には合わんよ。

 ま、積もる話は後にしようや。飯は?」

「電車ん中でおにぎり食った」

 

 友人関係というのは不思議なもので、3年もまともに会っていなかったにも関わらず、まるで昨日も会っていたかのようにスムーズに会話が成り立った。

 いや、この場合は友人関係が、というよりも『伊勢三玄馬』だから会話が成立したのかもしれない。

 ともあれ、『なんだそりゃ。それご飯とは言わねーよ』『うるせえコンビニおにぎりに謝れ』、などど言い合う様は学生時代さながらだ。

 

「よーし、どっかで適当に食うべ。つーか、飲むぞー」

「いや、そんな金はねえよ。貧乏人なめんな」

「バッカお前、俺の奢りに決まってんだろ。空気読め、この貧乏人。金持ち舐めんな」

「わー、伊勢三くんかっこいいー。まあでも、用事済ませたらすぐ帰るつもりだったから、悪いんだけど飲みはパスで」

「ばぁか。お前電話で明日休みだって言ってただろうが、忘れてねえぞ」

「いや言ったけども。そもそも飲んだら帰れねえじゃんか。飲み代もないのに宿代なんかもっと……」

「うるせえ、ウチに泊まってけばいいだろ。っていうかそれ以外の選択肢など俺様が認めねーわ。

 つーことで、飲み屋にゴーッ!!」

 

 

 そんなこんなであれよあれよのうちに飲み会である。

 

 

「「かんぱーい!」」

 

 ガツン、とビールジョッキを打ち合わせて歓声を上げる。

 この後の予定と金銭事情を考えて一度はシブりはしたものの、やはり飲み会はいい。それが他人の金で飲む酒ならなおのことだ。

 

 お通しに出されたお浸しと刺身をぺろりと平らげて、九条は枝豆と焼き茄子を注文した。

 

「お、茄子か。いいねえ」

 

 そう笑った玄馬がサラダとポテトフライ、小サイズのピザを注文する。

 あ、ピザいいなあ。などと思いながらビールを流し込んで、注文早々に運ばれてきた枝豆を口に放り込んだ。

 

「うまそう」

「食えよ」

 

 ほれ、と枝豆の入った器を差し出すと、玄馬は遠慮なくパクつき始めた。というかそもそもこいつの奢りで飲みに来ているので、遠慮もなにもない。

 その後は互いに注文した品を適当に取り分けながら食べて飲んで、注文して、そして食べて飲んでの繰り返し。

 

 気付けば九条はジョッキ三杯、玄馬はジョッキ四杯と日本酒を空けていた。玄馬はどうか知らないが、九条は完全に飲み過ぎである。まだ余裕はあるし、学生時代はもっと飲んだ記憶があるが、最近の飲酒量を鑑みるとそろそろ控えた方がよさそうだ。

 つい先日二日酔いの憂き目に遭って早々に同じ事を繰り返すわけにはいかない。

 

「そういえばよ」

 

 そろそろウーロン茶でも頼もうかな、と考えていた矢先、玄馬が本当にいま思い出したかのようにそう切り出した。

 

「九条は知らないと思うんだけど。日比乃のやつ、こないだ結婚したんだぜ」

「は? 結婚? 日比乃って、日比乃ダイキのことか?」

「そう、その日比乃」

「うっわ、なんだよそれ。知らなかった!」

 

 日比乃とは、玄馬と同じく高校の時の同級生である。まさか久しぶりに聞いた同級生の名前が、結婚にまつわる話題で登場するとは思わなかった。

 結婚どうこうなんて、自分は意識したことすらなかったが、同年代のそういう話題を聞くと、恋人すらいない自分がなんだか取り残されたような気になって少しだけ切ない。

 

「ちなみに相手は二階堂ゆい」

「ぶっ!? そっちも同級生じゃねえか、あいつらデキてたの!?」

 

 同級生が結婚した、というだけでも取り残された感がヒドいというのに、その相手まで同級生とか。

 彼らが交際していた事実を知らなかったことといい、結婚したことを知らなかったことといい、疎外感も割と強い。

 

「やっぱ知らなかったかー。教えといて良かったぜ。万が一、本人たちに会ったときスゴいショック受けそうだしな、お前」

「ショックなら現在進行形で受けてるよ。はー……、あいつらがなあ。いったいいつから付き合ってたんだ?」

「付き合いはじめは高3の冬じゃなかったかな。結婚はホント最近。先月結婚式行ってきた」

「……呼ばれてねーぞ。疎外感がすげえ」

 

 若干肩を落としながら言うと、玄馬が苦笑した。

 

「それなあ。日比乃はお前のこと呼ぼうとしてたらしいんだけど」

「けど、なんだよ?」

「二階堂に止められたっぽいぞ。『やめてー、九条くんは呼ばなくてもいいでしょー』って」

「……俺、二階堂に嫌われてたのか? 高校の時、そこそこ仲良く話してた気がするんだけど」

 

 なんというか、ショックすぎて玄馬の下手なモノマネにツッコミを入れる気力も出ない。

 呼ぶのを忘れていたとかならともかく、招待の候補にあがってからわざわざ却下されたというのは。日比乃夫妻との交流が九条と同程度だったハズの玄馬が結婚式に呼ばれていたのだから尚更だ。

 

 そんなこちらの反応に、玄馬は「違う違う」と顔の前で手を振って、

 

「お前が、っていうよりほら。お前の彼女がって話だよ」

「……は? ケンカ売ってるのか、彼女とかいねえぞ」

「そっくり返すわその言葉。蛍塚だよ、ほ・た・る・づ・か!」

 

 強い語調で言う玄馬に、九条は眉根を寄せた。

 確かに彼の言うとおり、九条は蛍塚という名の同級生との交際経験がある。だが、

 

「いやだから、りょう……、蛍塚には高校の時振られてんだよ。みんな知ってるじゃねえか」

「知ってるよー? 知ってるけどほら、二階堂には『もしよりを戻してたら?』って思われてたっぽいからな。お前を呼んだら、蛍塚も呼ばねえとおかしくなるじゃん」

「意味わかんねえ……。りょ……、蛍塚と二階堂は仲良かったじゃんか。なんでそんなことまでして、結婚式に呼びたくないんだよ」

「うわぁ、九条お前マジか」

 

 本気で引いたような顔をする玄馬に、九条の方が少し焦った。

 

「え、なに?」

「二階堂は蛍塚のこと嫌ってたぞ? まあ蛍塚の方は仲良くしようとしてたみたいだけどな。そんなん見てりゃわかるだろうに」

「ええ……」

 

 全然、まったくわからない。九条の目から見て、当時の彼女たちは仲のよい友人同士にしか見えていなかった。

 何かにつけて一緒に行動して、よく九条や玄馬たちに話しかけてきてくれたというのに。

 

「それ、二階堂は日比乃にモーションかけてただけだから。俺らはたまたま近くにいただけのオマケよ」

「うわ……」

「っていうか、もうめんどくさいから全部言うけど、二階堂は日比乃が好きで、日比乃は蛍塚が好きで、蛍塚はお前が好きっていう少女マンガだったから!」

「えー」

「日比乃が俺らと一緒にいたのは蛍塚に構ってもらえる率が上がるからだし、二階堂が蛍塚と一緒にいたのは日比乃に構ってもらえる率が上がるからだから。そして二階堂は内心で『この女、さっさと九条くんと付き合ってしまえばいいのに』ってずっと思ってたから」

「やめろ、なんか居たたまれない!」

「居たたまれないのはこっちだったっつうの! 当事者でもないのに、なんで目の前でそんな茶番みせられにゃならんの!? 気ぃ遣って、気付かないふりすんのしんどかったんだけど!」

「ごめん伊勢三!」

 

 やはりそれなりにアルコールが回っていたのだろう。

 過去のことを話す玄馬も、その話を聞く九条も、普段以上に声を張り上げて回想してしまっている。

 

「大体な!」

 

 中身の半分ほど残っていた九条のジョッキを取り上げて一気にあおると、玄馬はジョッキをテーブルに叩きつけながら言った。

 

「蛍塚に憧れてたのは日比乃だけじゃなかったからなー。美人だったからなー。みんな好きだったからなー。俺も好きだったしなー」

「え、それ初耳なんだけど!?」

「言えるかぁ! お前、俺は蛍塚から『九条くんのこと好きなんだ』って相談受けてたんだぞ!? それなのにテメエ、すぐに蛍塚と別れやがって!」

「わかっ、別れた……、けども! アレは涼子(りょうこ)が俺を振ったんであって、俺がどうこうってわけじゃねえって言ったろ!?」

「うるせえ、原因がわからない時っていうのは、たいがい男の方が悪いもんなんだよ! あとさりげなく蛍塚を下の名前で呼ぶのをやめろぉ!」

「納得いかねえ!」

 

 玄馬の言う『男の方が悪い』という理論はなんとなくわかる。

 別れる原因になった側には、おそらく自覚がなく、それ故に相手はそのことを許せずに別れてしまうのだ。

 

 けれど、付き合いはじめて二ヶ月少々が経過した時に「なんか、違う」の一言で別れを切り出された身としては、やはり自分が悪かったなどとは納得できない。

 せめて悪い点の一つでも上げてくれれば納得も出来たかもしれないが、「ごめん、そうじゃないの」の一点張りでは、自分の何が悪かったのかもわからないのだ。

 

「はあ……。もうなんつうか、なんで別れちゃったのかねえ。あんなにお前のこと好き好きオーラ出してたのに」

「付き合ってみたら、思ってたより好きじゃなかったってだけじゃないのか。原因に思い当たる節がないしさ。まあ、それはそれで凹むんだけど」

「九条」

「なんだよ?」

「次、蛍塚がお前のこと好きじゃなかったなんて言ったら、ぶん殴ってやっからな」

「目が笑ってねえし、怖いわ!」

 

 九条がそう叫んだタイミングで、テーブルに肉巻きポテトが運ばれてくる。

 店員から皿を受け取るとともにウーロン茶を注文すると、九条は仕切り直しとばかりに息を吐いて、玄馬に視線を向けた。

 

「まあなんだ。この話題は止めとこう。蛍塚とのこと思い出して色々ツラくなる」

「あんな可愛い彼女と別れたんだから、そのくらいの苦痛は甘んじて受け取れ」

「理不尽すぎないかそれ」

「あー、俺も彼女ほしいなー」

 

 肉巻きポテトをパクつきながら玄馬が漏らした願望に、九条は首を傾げた。

 

「彼女いないのか? なんか意外だ。お前モテるだろうに」

 

 お世辞でもなんでもなくそう思う。

 オシャレでイケメンで社交的で明るくて、オマケに気前のいい金持ち。

 九条から見た伊勢三玄馬という人物像は、大ざっぱに言ってしまえばそういうものになる。これでモテない訳がない。

 

 とはいえ、九条の感覚が世間一般の感覚とズレている可能性だって否定しきれない。実際、オシャレとイケメンと社交的と明るいと気前がいい、は九条の主観によるところが大きすぎる情報だ。

 

 さて、ではどういう男がモテるのかと言えば、世間様ではモテる男というのは、『高学歴』『高身長』『高収入』と相場が決まっているらしい。

 で、客観的に見て、玄馬はその内の『高身長』と『高収入』に当てはまっている。

 いや、厳密に言えば『高収入』は少し違うのかも知れないが、今現在彼が自由にできる金は、庶民代表の九条とは文字通り桁がいくつか違うので、金持ちなのは間違いがない。

 

「伊勢三くらいになると、女の子は選り取りみどりなのかと思ってた」

 

 なので、九条が正直なところを話すと、玄馬は何故か微妙な顔をした。

 

「あのな、九条。モテることと、彼女ができるかどうかは関係ない」

「?」

 

 よくわからない。

 いい意味で女子に注目されているのなら、そこから彼女候補も見つけられるだろうし、相手が自分のこと好きなのがわかっているのなら、告白やらなにやらもスムーズに行えるのではないのか?

 

「九条はさ、蛍塚と相思相愛だったからわかんねえんだよ」

「言い方。むずがゆい上に居たたまれねえよ」

「だから、向こうが俺のこと好きでも、俺が向こうのことどうでもいいと思ってんだよ。どうでもいい連中となんて付き合えるか」

「あー……」

 

 どうでもいいという言い方は少しキツいが、いわんとしていることはわかった。

 しかし、それはそれとして、玄馬に恋人がいないのは妙だという感想は消えはしない。

 玄馬が所謂『いい物件』なのは揺るぎない事実であるからして、玄馬自身が好きな女子にアプローチをかければ、簡単に落とせそうな気がするのだ。玄馬が積極的に恋人を作る意志がないのならともかく、先ほどの『恋人欲しい』宣言を聞いている以上、今の状況は妙だと言わざるを得ない。

 

「好きな娘とか、気になってる娘いねえの?」

「……いても大抵彼氏持ちなんだよ。それか、相手されない」

「お前が? 女子に相手にされない?」

「どうでもいいと思われてんだろうなー」

「伊勢三をどうでもいいとか、どんだけ理想高い女だそれ」

「ばっか九条。むしろ俺の理想が高すぎて、彼女がみつかんねーんだっつうの」

「えー」

 

 まるで納得できない。

 俺が女子なら、伊勢三に口説かれた時点でコロンといってしまいそうなのにな。とぼんやり考える。

 そもそも玄馬が考える、高すぎる理想とはどんなだ。

 

「どんなって……、俺が価値を感じられる女子?」

「また曖昧な。美人だとか、金持ちだとかって話か? それか話が合うとか、家事が出来るとかって、そっち?」

「どっちかってえと後者かなあ。金はまあ、ありすぎて困ることねえとは思うけど、今の収入でも生きてくには十分すぎるしな」

「まあ金はそうか」

 

 聞く者が聞けば嫌みにしか聞こえない台詞だったが、九条は普通に流した。玄馬が金持ちなのは今にはじまったことでもない。

 

「俺はさ、自分で言うのもなんだけど金持ちだろ? そんでこれから先、普通に資産を増やしていくと思うんだよ」

「ああ、うん。それで?」

「うん。で、その俺に金目当てで近づいてくる女が出てくるのもまあ、わかるわけよ」

「うん」

「それはそれでいいんだ。なんのかんの言っても、資金力も俺の一部みたいなもんだし、それは割り切れるんだよ。

 でもなあ……、それで寄ってくるのが、今のところバカばっかだからさぁ」

「んー? なんかさらっと凄いこと言ったな。金目当てでも別にいいって。そいじゃ、お前の好みさえ満たせれば、お前じゃなくて金の方が好きな女とも付き合えるって?」

「あたりまえだろ。なに言ってんだ?」

 

 いや、そんなキョトンとした顔をされても。と九条は思った。

 自分のことを好きでいてくれるのって、彼女としては最低条件なのではないだろうか。それとも九条が子供すぎるだけで、世間一般では好きあってもない男女がカップルになれるのだろうか。

 

 そんな九条の内心には気付かず、玄馬は追加の注文を果たすと、話の続きを始めた。

 

「金目当てってのは、俺の価値を資金面に見てるってことじゃんか。例えば九条は、年下が好きだろ? それって年下ってものに価値を見てるってわけで、それを金に置き換えただけの話」

「おいこら、誰が年下好きだ。ぶっとばすぞ」

「で、俺の資金力ってのはこの先増え続ける。金目当ての女からしたら、俺の価値は上がり続けるってことなんだが……」

「聞けよ話」

「そういう女に限って、上がり続ける俺の価値に、見合うだけの自分の価値ってやつを提示できねえんだよなあ」

 

 はあ、なんて溜息をつきつつ、玄馬が冷め切った唐揚げをつまむ。

 九条はというと、そんなこと考えてたら彼女つくるの難しいよな、と微妙に納得しかけていた。

 

「お前の彼女になれる女子は、必然的にハイスペックにならざるを得ないな」

「金基準ならな。例えば顔が好きだとかって寄ってきてくれるんなら、もうちょっと査定のハードルも下がるよ。顔面なんてなんの拍子で台無しになるかわからんし、そもそも年取ったら崩れるしな」

「ふうん。じゃ、もうちょっと具体的に訊くけどさ。相手がお前をどう見てるかってのは置いといて、伊勢三が考える理想の女子像ってなんだよ?」

「? 最初から言ってるじゃんか。俺が、『あ、俺に釣り合うな。いや向こうの方が尊いな』って価値を見いだせる女」

「ぜんぜん具体的じゃない……」

「だから美人でもブスでも金持ちでも貧乏人でもノッポでもチビでもSでもMでも日本人でも外国人でも年上でも年下でも、どうだっていいんだって。ただ、俺がいいなって思えるところが一つあってくれれば、それでいいの」

「……蛍塚にはそれがあったって?」

 

 少しだけ間をあけて、九条はややためらいがちに訊いた。

 

 玄馬の好きの基準は、たぶん損得の感情に寄っているのだと思う。この女と付き合って、自分は得だったと感じられるか、という考え方をしているのだ、たぶん。

 そしてその損得の勘定は、きっと九条が思っているよりもシビアだ。

 だからこそ、高校時代『蛍塚が好きだった』と言った彼が、彼女にどんな価値を見いだしていたのか気になった。

 

「あったよ」

 

 たぶん九条は酔っぱらっている。それもかなりひどく。

 とっくに別れた女の子のいいところを、自分ではなく他人の口から聞いてみたいだないんて。

 

「俺なんて眼中にないくらいに、お前を好きなところが最高だと思ったね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言えば、二人ともべろんべろんであった。

 

 同級生の結婚話から玄馬の恋愛観の話になり、そこからどう派生したのか最近の政治事情やら芸能人のスキャンダルの話に移って、あれよあれよの内に気付けば三軒目の飲み屋に来ている。

 

「九条はさ」

「んー?」

 

 三回目になる乾杯をした後、とっくにキャパオーバーしている自覚を持ちながら酎ハイを流し込んでいると、玄馬が神妙な顔つきでそう切り出した。

 

「いま彼女とかいるのか?」

「いないよ」

「そっか」

 

 アルコールのせいでぼんやりする思考を回しながら、言葉少なに返答する。

 

「九条はさ」

「んー?」

「いま元気でやってっか?」

「げーんきだよー」

「そっか」

 

 二軒目では余裕の顔をしていた玄馬も、さすがに酔いが回ってきたらしい。最初に投げつけるような質問を今更投げつけてくる上、お互いに返事がおざなりだ。

 

「ねーちゃんがさぁ」

「うん」

「九条に会うなら、訊いといてって。いま思い出したわ」

「ふーん?」

 

 ねえちゃん。ねえちゃん。ねえちゃん……? とモヤがかかったような脳内で検索をかける。

 玄馬が「ねえちゃん」と呼ぶからには、自分たちよりも年上の女性のハズだ。九条と玄馬の共通の知人で、年上の女性? 誰かいただろうか。

 そもそも玄馬と違って、九条の交友範囲は狭い。知人だとか友人なんかはすぐに思い出せるような数しかいないハズなのだが。

 

「ねーちゃんの方はさ、いま佐賀だっけ? 熊本だっけ? いや長崎だっけか? まあなんか、九州の方に出張とかって出かけるらしくってなー」

「……うん?」

「久々に会わせてやろうかと連絡してやったのに、タイミングわりーなーとか」

「ひさびさ……? 会わせる? あ。杏樹さんのことか」

 

 九条との共通の知人前提な上、玄馬があまりにも親しげに話す様子から、九条はここでようやく誰のことか思い当たった。

 玄馬が話しているのは、彼の実姉・伊勢三(いせみ)杏樹(あんじゅ)のことであろう。

 

 最後に会ったのは、確か九条の大学入学の時だったろうか。入学祝いに、といくつか品物を受け取った記憶がある。

 玄馬とつるんでいた九条を、何かと気にかけてくれる、九条にとっても姉のような人物であった。

 

「えー、なんだよ。九条、ねーちゃんのこと忘れてたのかー? はっくじょー」

「忘れてねーよ。ただお前の呼び方が変わってるからしっくりこなかっただけ」

「?」

「普段は姉貴って呼んでたろ? それをねーちゃんって」

「なに言ってんのおまえ。あねきはねーちゃんだろぉ?」

「そうなんだけどさー」

 

 もう一度言うが、互いにべろんべろんである。

 べろんべろんではあるが、玄馬の言う『ねーちゃん』を『杏樹』に即変換できなかったのは、さすがに擁護のしようがない、と自分ですら思う。

 

「九条はさ」

「んー?」

「いま彼女いないんだろー?」

「そうねー」

「それはやっぱ年下が好きだからかー? 年上とか論外?」

「誰がロリコンだ。だから年上とか年下とか関係ないね」

「なるほどー? じゃあ年上でちょっと性格キツめのキャリアウーマンとかせーへき? あとロリコンは言ってないぞー」

「性癖ってほどじゃないけど、普通にありでは?」

「髪はロング派? ショート派? おっぱい大きい方が好き? それとも……って、九条は小さい方が好みだよなごめん」

「髪にこだわりはないし、胸も特に好みはないっていうか、誰がロリコンだコラ!」

「ロリコンは言ってないし、こう聞くと意外と九条ってば雑食」

 

 いがいー、と玄馬はケタケタ笑って、累計何杯目になるかわからないジョッキを干す。

 その様を横目で見ながら、九条も自分の分の酒を飲み干した。

 

「というか、これなんの話?」

「せっかくだし九条のせーへき探ろうって。上は何歳くらいまでいけるー?」

「いや、せっかくの意味わかんねえし」

「ねーちゃんくらいの差までならいけるか? いけない? 中学生以上はババア?」

「話聞け、ロリコンじゃねえし、あと杏樹さんくらいなら余裕でいけるわ。ってあれ? いくつ差?」

「よっつ」

「よっつかぁ。たったそんだけで随分大人に見えてたんだなあ」

 

 九条から見て、伊勢三杏樹という女性は随分大人に見えた。

 知的で、クールで、そのくせ世話焼きで。あと玄馬がそうなように、非常に顔が整っている。

 九条の中では、いわゆる高嶺の花みたいな立ち位置にいた人物である。

 

「そういや、杏樹さんは誰かと結婚したんか?」

 

 事前に同級生の結婚話と自分たちの恋愛話が出ていたせいか、自然とそんな言葉が滑り出していた。

 

「いんや、まだ独り身よぉ」

「ふぅん」

 

 意外という他ない。

 いや、彼女のスペックを鑑みればそうでもないのだろうか。そう簡単に釣り合いがとれそうな男がいるとは思えない。

 

「杏樹さんくらいになると、釣り合う野郎がいないのな」

 

 はー、と息を吐きながら正直な感想を告げる。

 するとだし巻き明太をつまんでいた玄馬が箸を止めて、盛大なため息を吐きながら肩を落とした。

 

「釣り合いとかじゃねえって。もっとこう、好みのタイプっていうか。片思い拗らせてるっつうか……」

「んん?」

「や、いいよ。お前がそういう奴だってのはよく知ってるし。

 それよか、自分より背が高い女はどう思う?」

「また話が飛んだなー」

「いいから、どうよ?」

「まあ、どの程度かにもよるかな。さすがに2メートル越えとかは無理じゃね?」

「2、いや5センチくらいなら?」

「なんだそれ? 別に気にならねーよ」

 

 ケタケタと笑いながらカツオのタタキをいただく。

 アルコールの回りもさることながら、そろそろお腹もいっぱいである。にもかかわらず、ちょこちょこツマミを注文してしまうのは、玄馬と飲んでいる状況のせいだろうか。

 つい学生時代のノリで追加注文を行ってしまうのだ。

 あの頃よりも随分キャパシティは下がったハズなので、本当にもういい加減にしておかないと後が怖い。

 

 一方の玄馬と言えば、ペースも落ち、顔も赤くなってきたものの、一向にジョッキを手放す気配がない。

 あいまあいまにウーロン茶やら水やらを挟んでいる九条ですら限度を遙かに越えているというのに、こいつの内蔵はどうなっているのだろうか。

 

 あるいは、自分の限界をまったく意識していない系のバカなのかもしれない。

 大学生の頃の玄馬は、適宜撤退を決めていたので、さすがに今更酒に飲まれるなんてことはないとは思いたいのだが。

 

「よっし、じゃあ朝まで飲むかー!」

「あ、こいつバカだ」

 

 そろそろジョッキ持つ手が震えだした九条は、目の前でアルコールを追加注文する友人を見て、そう思った。






※そろそろ忘年会シーズンですね!

あいかわらず戦闘してない&本当に聖杯戦争に関係あるのかわからない回。

年末進行でいろんなことが進む時期ですが、当SSも年末進行でお送りいたします。


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Interlude とある勝者の話

「頑張れよ!」

 大切な人に向けて、有らん限りの声を絞った。
 聞き届けた彼が、これから先の苦難など感じさせない笑顔で叫び返す。

「ああ! 君も、頑張れ!」

 それを、覚えている。

 自分はどうしようもないバカだけど、その声と言葉をずっとずっと覚えている。




 執務室兼研究室の扉が勢いよく開け放たれた。

 

「やっほー! 遊びにきたよ!」

 

 扉が開くと同時に聞こえたのは、底抜けに明るい声。

 その声に頭を抱えながら一言。

 

「……帰れ」

 

 おおよそ予想通りの訪問者に、部屋の主は盛大なため息を吐いた。

 仮にも自分を訪ねてきた客に対する態度ではないが、そこはそれ。来客者との付き合いはもう随分長いし、普段から割と迷惑もかけられているし、なによりここ数日は厄介な案件に掛かり切りで忙しかったし。

 要するに客として対応するのも面倒くさいので、サクッと帰ってくれませんか。もしくは、こちらの精神をすり減らさない程度に用件だけ済ませてくれ、というこちらからのささやかな意思表示であった。

 

 一方の来客者は、そんなこちらの意図そのものに気が付く様子もなく、不満気に口を尖らせた。

 

「む。なんだよ、せっかく遊びにきたのに。っていうか、イギリスに寄ったら必ず顔を出せって言ったのはそっちじゃんか」

 

 返答は、まさかのド正論である。

 確かに過去、こちらは彼に対してそう注文をつけていたので、注文を守った彼に対して『帰れ』というのは、さすがに横暴にすぎるだろう。

 

 とはいえ『帰れ』と言ったのは、何も彼の相手が面倒くさいというだけではない。一応、それなりの理由があるにはあるのだった。

 

「言ったけどな。いまちょっとゴタゴタしてて。時計塔(ここ)()()()いるのはまずいんだ」

 

 目の前の来客者を見つめて言う。

 かれこれ()()()()()()()()()になる彼は、出会った頃と全く変わらぬ風貌のまま、これまた以前と同じような仕草で小首を傾げて見せた。

 

「それって、どっかでやってる聖杯戦争絡みのことかい? それならなんとなく知ってるし、ちょっと小耳に挟んだからここに来たんだけど」

「はあ?」

 

 思わず耳を疑った。

 彼の言うことは間違っていない。こちらのゴタゴタは、彼の言う聖杯戦争絡みのことである。

 問題なのは、それを『小耳に挟んだ』ことの方だ。どうやったら、秘密裏に執り行われる決闘儀式の情報を、『ちょっとそこで噂してたよ』とかいうノリで入手できるというのか。

 

「まあ、細かいところはぜーんぜん知らないんだけどねっ。なんか時計塔がざわついてるって聞いたから」

「……そんだけでこっち来たのかよ」

「そりゃあ、なにか力になれるかもしれないし。キミ、いろいろ結構大変だろう?」

 

 じっ、と澄んだ瞳がこちらを見つめ返す。

 思わず気圧されそうになって、首を横に振った。

 彼の言うことはある意味正しくて、ある意味では正しくない。

 

「大変は大変だけど。お前がいると、余計に話が拗れてくるんだよ」

「えーっ、なんでさ! こんなにも頼りなる()()()()()()なのに!」

「それがダメだって気付いてない時点で、話が拗れるのが目に見えてんだよなあ……」

 

 彼の言い分に、はあ、とこれ見よがしなため息を吐いた。

 

「聖杯戦争の件でゴタついてる時に、一応でも聖杯大戦の生き残りマスターと、一応でも聖杯大戦の勝ち残りサーヴァントが一緒にいちゃ、ややこしいことになるんだよ」

「一応ってなにさ! ボクはちゃんと最後まで残ったし、キミだってちゃんとバーサーカーのマスターだったろう?」

「いや、まあ。言い方が悪かったよ。とりあえず一応ってのは置いとけ。

 とにかく俺とお前が一緒になにかやってるってのが、もうまずい。諸々の権利を剥奪されて弱体化したっていっても、ユグドミレニアは聖杯大戦で協会にたてついた側だからな。ユグドミレニアの生き残りが、聖杯戦争の時期にサーヴァントとなんか一緒にいたら、『こいつまた何かやるんじゃ』って思われても仕方ないだろ?」

「でもキミ、そういう野心とは無縁じゃないか」

「無縁じゃあないが、反逆する気は全くないな」

 

 魔術師としての向上心とか、野心というにはちっぽけなものくらいは、さすがに持っている。

 持ってはいるが、魔術協会にたてつこうなんて無謀なことは全く考えていないし、なんなら聖杯大戦(一回目)で反逆には懲りている。自分の人生で、二度も魔術協会に反逆することはないだろう。

 

「ともかく、俺がどう思っていようが勘ぐる奴はいるもんだ。そんで、面倒くさいことに、俺とお前が一緒にいると勘ぐってくる連中がもっと増えることになるんだよ。わかったか?」

「んー、まあ」

 

 そう言った彼は、しかし頭が弱いので、こちらの話をちゃんと理解しているのか大いに不安が残るところである。とにかく、自分と一緒にいるとこちらが迷惑を被る、ということだけわかってもらえればそれでいい。

 

「カウレス」

「なんだ」

「キミ。ボクと会うとき、いつも厄介なことになっていないかい?」

 

 もしかしてトラブルメイカー? などと悪意無く首を傾げた彼に、カウレスはこの日何度目かになるため息を吐いた。

 

「それ、半分以上お前が原因のトラブルだけどな。ライダー」

 

 

 

 ともあれ、これが元・黒のマスター・カウレス・フォルヴェッジと黒のライダー・アストルフォの再会であった。

 

 

 

 コーヒーを二杯。自分の分は気持ち濃いめに。アストルフォの分にはミルクとガムシロップを注ぐ。

 

「ほれ」

「ありがとー」

 

 机に散乱していた実験道具やら書類の類を片付けてスペースを作ると、カウレスは着席して眉間の皺を伸ばした。

 

「お疲れだねえ」

「たったいま疲れることが増えたんだよ」

 

 手元に残したタブレットを2、3回操作すると、画面に今現在のカウレスの工房────すなわちこの場所だ────の状態が映し出された。次いで、一族の魔術師から何件かの連絡がある旨が記される。

 ちなみに魔術師は現代機器を嫌う傾向にあるが、カウレスは使えるものは使う主義だ。自分の能力で及ばない、あるいは処理が厄介なものを現代の科学技術で補えるのなら、迷い無くそうする。自身の非才さは身に染みてわかっているので、魔術以外で才能を埋め合わせられるのなら、科学技術だって使うのだった。

 

「前にも言ったと思うんだけどな」

「ん、なにー?」

「ウチにくるなら、事前に一報をいれてくれよ。本当に、いろいろ大変なことになるからさ」

「連絡入れるより直接会った方が早くない? キミ結構忙しいだろうし、いなきゃいないでボクは余所に行くし」

 

 こう、予想通りの返答が来て、思わず眉間を押さえる。

 

「あのな」

「うん」

「お前が俺の断りもなく工房に入ると、工房の魔術防壁がメチャクチャになるんだよ」

「あー、そっちの話かー」

 

 ライダーは気の抜けた声で言うが、カウレスにとってはそう気楽なことではない。

 魔術師にとって自分の魔術工房というのは、研究室であり、研究成果を保管する保管庫であり、外敵から身を守る要塞でもある。カウレスはそれほど才能のない魔術師だが、それ故に魔術工房の防衛機構には人一倍気を払っているのだった。

 

 しかし、魔術師相手にある程度効果が見込める防衛機構でも、目の前にいるサーヴァントにはほとんど意味をなさない。

 

 なにせこいつの対魔力ランクは最高のA評価。現代の魔術師では傷一つつけられない上、サーヴァント同士の対決でも魔術の類はほとんど効果がないだろう。

 実際、聖杯大戦終盤ではライダーの絶大な対魔力に大いに助けられた。攻性魔術も防性魔術もお構いなし。直接攻撃も罠の類も全部吹っ飛ばす。この破格の対魔術性能は、敵対するアサシン(キャスターでないあたりが聖杯戦争の妙である)への切り札でもあったのだ。

 

 で、そんな対魔力を持ったサーヴァントが、防衛機構の働いている魔術工房に迂闊に踏み入ればどうなるか。

 

 まず工房は、主の許可無く工房内に立ち入ろうとした者に対し、速やかなる攻撃を開始するだろう。

 警報。幻惑。魔術攻撃。呪いに魔獣に悪霊とエトセトラ。侵入者が工房の奥に進もうとした時点で、こういったものの驚異にさらされるハズだ。

 

 そして対魔力を持つライダーは、それら全てをぶっ飛ばす。

 神代の魔術すら通用しないサーヴァントが、どうして現代魔術師の工房如きで止まるというのか。工房からの攻撃全てを跳ね返した上で、罠を無傷で踏み抜き、魔獣や悪霊は使役さえさせず、警報を無力化して、幻惑なんてなかったことにする。

 そして後に残るのは、彼の侵入ルートに合わせてごっそり無力化された無惨な工房の姿である。つまり今のカウレスの工房だ。

 

 タブレットに表示された魔術工房の被害状況を見るに、防壁を完全修復するには最低でも二日かかるだろう。せめて事前にこちらに来ることがわかっていれば、工房の侵入者対策をもう少し調整するか、ライダーが来る時だけ防壁をオフにしたというのに。

 ライダーがお気楽にカウレスを訪ねてくるたび、毎度こういう自体になるので、いい加減一報が欲しいのだ。

 

「やー、ごめんごめん。ボクにとっちゃあ、魔術工房なんてあってないようなもんだからさ。忘れてたよ」

「だよな、お前そういう奴だよな……」

 

 あっけらかんと言うライダーに、ガックリと肩を落とす。

 嫌味とかそういうことではなく、ライダーにとっては現代魔術師の魔術工房攻略など、本当に他人の家の戸をノックするのと変わらないのだ。そして、そんなどうでもいいことに気を払えるほど、このサーヴァントは頭良く(理性残って)ない。

 

「ところで、結局ここでコーヒーなんかもらっちゃったワケなんだけど。キミ、ボクを追い出さなくて良かったのかい? 大変だー、って自分で言ってたと思うんだけど」

「言った。言ったけど、接触しちまった以上、もう仕方ないだろ。俺が魔術協会から目をつけられてようが、つけられてまいが、お前と接触した時点で面倒事は始まってるようなもんだ。今更ジタバタするのもバカらしい」

「ふーん。キミ、変なところで剛胆だよね」

「誰かさんに振り回されてるうちに、繊細な神経じゃやっていけなくなっただけだ」

「いやあ、それほどでも」

「……さすがに、皮肉だってわかって反応してるんだよな?」

 

 はあ、とため息を吐いてコーヒーを啜る。

 一族からの連絡には後で返事をすることにして、カウレスはタブレットを脇にどけた。

 

「そんで? 今度はどこを回ってきたんだ?」

「いろいろ!」

 

 にこやかにそう答えたサーヴァントは、カウレスの知る限り、一つの土地でじっとしていることをしない。

 聖杯大戦終了時に『世界を巡ってみる』と宣言し各地を旅した彼は、そこでどうにも放浪癖のようなものがついてしまったらしい。かれこれ60年近く、あっちへふらふら、こっちへふらふらを繰り返している。

 

 サーヴァントを好き勝手放浪させるなど、普通の魔術師が聞けば正気の沙汰ではないと思われるだろうが、カウレスとしては、彼が誰にも行方を告げずに放浪している方が都合が良いと思っていた。

 このサーヴァントの性質を考えるに、手元に残しておいても御しきれないだろうし、協会側に彼が聖杯大戦の勝ち残りサーヴァントだとバレると、結構な大事になりそうなのである。それならいっそ、誰にも縛られずにその辺をふらふらしていてくれた方が、遙かに心労は少ないのだ。

 

 もちろん、協会の中にもライダーがサーヴァントだと気づいている人間はいるだろうし、それが聖杯大戦の勝ち残りだと勘づいている者もいるだろう。全員に隠し切れていると思うほど、カウレスも脳天気ではない。

 それでもそれは、ライダーが協会に捕まりさえしなければ確証は得られない話だし、彼が一人きりなら、魔術師程度にはまず捕まりはしない。カウレスの工房の中に仕舞い込んでおくより、一人きりで外に放り出しておく方が遙かに安全なのである。

 

 そんな事情を知ってか知らずか、今回も無事にふらふらしてきたサーヴァントは無邪気な笑顔のままこう続けた。

 

「今回は南米の方に行こうかと思ってたんだけどね、途中で道に迷って、気付いたらインドだった」

「また盛大に迷ったな……」

「うん。でね、そこで聖杯戦争やってたからチラッと様子をうかがって」

「うかがうな。また、ややこしくなるだろ」

「聖杯の暴走が起きたから、聖杯を壊すのを手伝って」

「インドでの亜種聖杯の暴走って……。そういや二年くらい前にあったな、そんな話」

 

 なんでそんなもんに都合良く遭遇できるのか、と呆れるべきなのか、関わろうとするな、と諫めるべきなのかわからずに、カウレスは頭を抱えた。

 

「いちおうキミに伝えとこうか、と思ってイギリスを目指してたんだけど、その途中の国でもおもしろいことが色々あってさ。さっきまで忘れてたんだよね」

「そんな大事な話を忘れんなよ……」

 

 とはいえ、このポンコツさがライダーがライダーたる所以である。目の前のサーヴァントに対して、理知的な行動を求める方が大間違いなのだ。

 

「そうそう! おもしろいことって言ったら、ここに来るまでにケイローンに会ったよ!」

「ケイローンに?」

 

 ライダーから飛び出した名前に眉根を寄せる。

 

 古代ギリシャの英雄ケイローン。

 ヘラクレスやアキレウスといったギリシャ神話における英雄たちの師匠であり、彼自身も優秀な弓使いでもある。

 

 当然、現代を生きる者たちと彼の英雄とに面識などあるハズがない。ついでに言えば、『ちょっとそこで会った』なんてことも起きるハズがない。相手は千年以上前に没した英雄である。

 

 ただ、例外があるとするならば、

 

「お前それ、どんだけ聖杯戦争に遭遇してきてんだよ」

 

 そう。聖杯戦争のサーヴァントとして、再びこの世に召喚された場合であろう。

 実際、カウレスがケイローンと出会ったのも先の聖杯大戦での話だ。そして『ケイローンと会ってきた』と語る目の前のコレも、遙か昔に死んで、60年ほど前に現世に召喚された英雄である。

 

 亜種聖杯戦争が盛んな昨今では、さまざまな場所でさまざまな英霊が召喚される。

 ケイローンほどの英霊であれば、サーヴァントとして引く手数多であろう。それはつまり、他の英雄よりも聖杯戦争に喚ばれやすいということ。現代でも遭遇しやすい英雄だとも言える。

 

 とはいえ、それは他の英雄と比較した場合の話だ。星の数ほどいる英雄の中から、ケイローンに偶然出会える確率はかなり低い。

 そもそも聖杯戦争自体が秘匿されるものだ。秘密裏に行われる決闘に遭遇するばかりか、そこで特定のサーヴァントに出会うこと自体がちょっとあり得ない話なのである。

 

「いやあ、実際びっくりしたよね。あれは……、たしかブルガリアあたりだったかな」

「ブルガリアって……。ギリシャにだいぶ近いぞ。そんな場所でケイローンって」

 

 サーヴァントの強さは、主に『生前の能力』『マスターの能力』『その英雄の知名度』によって決定される。要するに同じ英霊を呼び出したとしても、呼ばれた場所とマスターによって能力にバラツキが出るということ。

 英雄の知名度なんてものは、その英雄の出身地に近ければ近いほど上がっていくと相場が決まっているので、ギリシャの隣国で召喚されたギリシャ英雄というのは、能力にそれなりのボーナスをもらって召喚されているハズだ。

 挙げ句、その知名度補正を受けるサーヴァントが()()ケイローンでは、他のサーヴァントではまず歯が立たないだろうに。ケイローンを召喚したマスターは、触媒探しを相当うまくやったのだろう。

 

「ケイローンと会うのは、この60年で四回目だけどさ。相変わらず先生してるみたいだったよ」

「……ってことはお前、聖杯戦争やってるサーヴァントに話しかけに行ったんだな?」

「見知った顔が見えたからつい。戦闘中に出会ったなら逃げるところだけど、休息中みたいだったから」

「よく攻撃されなかったな。お前がその聖杯戦争の参加者じゃないにしても、相手はそんなことわかんないだろうに」

「ケイローンは話のわかるやつだからね! キミだってそれはよく知ってるだろう?」

「それは、まあ」

 

 それにしたって、とは思うが。

 聖杯戦争中のサーヴァントにサーヴァントが近づいていけば、まず警戒される。問答無用で攻撃されてもおかしくはない。

 それに、仮にケイローンに攻撃の意志がなかったとしても、そのマスターまでそうであるとは限らない。

 

 というかそもそも、『ケイローンに会うのは四度目』というのにツッコミを入れるべきなのだろうか。一度目は聖杯大戦、四度目は今回としても、さらに別口で二回ケイローンと出会っている計算である。

 

 亜種聖杯戦争なんて、狙って遭遇できるものでもないだろうに、このトラブルメイカーはどれだけトラブルを引き寄せる体質なのか。と、そこまで考えて、カウレスはバカバカしくなった。ツッコミを入れ出すとキリがない。思考を放棄したとも言える。

 

「ケイローンとは何を?」

「んー、昔は同じ陣営でよろしくやってたよねって話とか? 実感はないけど、そんなこともあった気がしますって言われた」

「ま、そうだろうな」

「うん。あとは今のマスターの話とか。この聖杯戦争では、このままじゃたぶん負けるなって話とか」

「負ける? ギリシャ近くでケイローンがか?」

 

 思わず口を挟んだが、ケイローンの戦力分析は正確だ。むしろ、それだけに信じられない気持ちがある。

 

「なんかバカ強いセイバーがいたらしくってねー。向こうがバーサーカーで呼ばれてたら、それこそ一ミリも勝機がなかったから、まだマシとは言ってたけど」

「そこまでのサーヴァントなのかよ……。いるとこにはいるもんだな。聖杯大戦で出会わなくて良かったぜ」

 

 心の底からそう思う。

 聖杯大戦も化け者どもの集まりではあったが、ケイローンを以てして太刀打ちできないサーヴァントなどそうはいなかった。なにせケイローンは、ギリシャ最大の英雄・アキレウスともまともに勝負ができるサーヴァントだったのだ。

 そのケイローンをして、勝てないと確信させるサーヴァントとは。それはもはや、英雄全体を通してトップクラスの猛者なのではないだろうか。

 

「興味本位で聞くけど。それ、単にケイローンと相性がメチャクチャ悪いってだけじゃないんだよな?」

「今回、向こうはセイバーだから()()()()()()()()だろうし、だったら別に相性が悪いってワケでもないって言ってたかな」

「おいまて」

 

 それはつまり、場合によっては弓を持ってこれるようなサーヴァントということか。

 

 セイバーとアーチャーとバーサーカーに該当できる能力を持つ英雄で、ケイローンが勝てないと断言するような強さで、もし弓を持ってきてたら相性が悪いような相手とか……。

 

「……ヘラクレスじゃないだろうな、そいつ」

「そこまでは聞いてないけど。でもさすがのボクも、きっとヘラクレスなんだろうな、とは思ったよ」

「もし本当にヘラクレスだったんなら、数奇な巡り合わせだってつくづく思うよ。俺らが知ってるだけでも二度目だろ。弟子との対決」

「教師って大変なんだね」

「すげえ雑にまとめたな、おい」

 

 とはいえ、そういうことだ。

 ケイローンの心労を思って息を吐いたカウレスに追撃をかけるかのように、ライダーが言った。

 

「あ、そうだ。久々にケイローンに会ったから、キミのお姉さんにも会いに行ったよ」

「なにしてくれてんだ、お前」

 

 カウレスの姉・フィオレは、かつての聖杯大戦でケイローンのマスターだった。ライダーがケイローンを見て、フィオレを思い出すのもまあ無理からぬ話ではある。

 

 あるのだが、そういうのはちょっとやめて欲しい。

 聖杯大戦の最中、紆余曲折あってカウレスはフォルヴェッジ家の後継者となった。同時に、本来家督を継ぐハズだったフィオレは魔術師を辞め、一般人としての生活を始めた。

 以来カウレスたち姉弟は別々の道だ。

 神秘を扱うカウレスは一般人の領域に立ち入らないように注意して生きているし、一般人となったフィオレは二度と魔道とは関わらないだろう。

 血を分けた姉弟として寂しくないと言えば嘘になるが、二人とってはこれがきっと一番いい。

 

「キミがそう言うと思って、遠目にチラッと見ただけだよ。孫に囲まれて、幸せそうなおばあちゃんになってた」

「ああそう。そりゃよかった」

 

 カウレスの感想は無論、二重の意味である。

 せっかく一般人になれたのに、今更こんなの(サーヴァント)と再会したらどうなっていたか。

 

「にしても」

「なんだよ」

「フィオレは可愛いおばあちゃんになってたっていうのに、キミはあんまり変わんないね。それ、若返りの魔術かなにか?」

 

 ライダーの言葉に、思わず鏡を見た。

 そこにはメガネをかけた、やや神経質そうな30代前半くらいの男の姿が映っている。

 

「魔術師のアンチエイジングなめんな。っていうか、お前がそれ言うのか」

「ボクはほら、サーヴァントだから」

 

 この60年でまるで容姿の変わらないライダーが、あっけらかんと言う。

 

 サーヴァントは基本的に、その英雄の全盛期の姿で召喚される。

 その例に漏れず、60年前の聖杯大戦で、ライダーは十代後半の少女然とした姿で召喚された。そして60年経った今でも、変わらず以前のまま、少女のような外見を晒している。

 60年も現界し続けた希有な例であっても、ライダーは基本的にはただのサーヴァントである。なんらかの形で受肉したならともかく、霊体であるサーヴァントが年を取ることなどないだろう。

 

 一方のカウレスは実年齢80歳間近のジジイだが、外見年齢は30代前後で止まっている。要するに若作りだ。

 普段なら自分の外見など取り繕わずジジイの姿のまま応対するのだが、目の前のライダーは別だ。昔からの知人に、弱った老人の姿を見せるのはなんとなく抵抗がある。それも、向こうが年を取っていないのだから尚更だ。言ってしまえば、これはちっぽけなプライド。意地である。

 もっともカウレスのこれは外見を若く見せるだけの魔術なので、実際にはジジイであることに間違いはないけれど。

 

「キミ、いま80歳だっけ?」

「78だよ」

「そっか。もうそんなになるんだね。そりゃ色々あるわけだよ」

「なんだ急に年寄りみたいなこと言い出して。いや、60年も現世を生きてたらそうなってもおかしくないのか?」

「どうだろ? でもほら、まだ若い時から知ってた人間が結婚したりとかおばあちゃんになってたりとか、あるいは死んでしまったりとか。そういうの見てくると、年寄り気分にはなっちゃうのかも」

 

 ライダーの言い分に、カウレスは、ああ、と頷いた。

 

「こないだゴルドのおっさんの葬式があったんだったか」

 

 ゴルド・ムジーク。かつての聖杯大戦で黒のセイバーのマスターだった男の名前だ。

 

「うん。知らせを聞いたときには地球の反対側にいたから、葬儀には顔を出さなかったけど。一昨日墓参りには行ってきたよ」

「まさかサーヴァントに墓参りされるとは思ってもなかっただろうな。それもお前に」

 

 サーヴァントは基本的に、呼び出された用件が済めば、現世から『英霊の座』に帰る。マスターがなんらかの要因で急死しないかぎりは、現世に生きる人間より、サーヴァントが消える方がどうやったって早いものだ。

 加えて、気ままに生きているライダーと、サーヴァントはマスターに従っていればいいと思っていたゴルドは大戦中から相性が悪かったような気がする。

 

「ま、そうだろうね。でも一応、彼はボクのマスターの生みの親みたいなところあるし」

「驚いた。お前意外と義理堅いとこあるんだな」

「意外とはなにさ! 義理と人情には人一倍厚いぞ、ボクは! キミの方こそ、親戚だったんだからちゃんとお葬式に出たんだろうね?」

「出られるわけないだろ」

 

 ライダーの言うとおり、カウレスとゴルドはかつて同じ一族だった。それぞれユグドミレニア一族として、長であるダーニックの下に集い、魔術協会に宣戦布告。聖杯大戦に参加したのである。

 けれど大戦はユグドミレニアの事実上の敗北という形で幕を閉じた。カウレスたちは大戦を生き残ったものの、魔術協会から様々な罰則、制約を受けることとなった。

 そのうちの一つが、『ユグドミレニアの解体・および集会の禁止』。要するに、お前たちは二度と結束しないように、別々に生きていけ、といったようなものである。

 

 そういうわけで、カウレスはゴルドの葬式には出席していない。もちろん死に目に立ち会うことすらもなかった。

 

「ま、さすがに墓参りくらいはしてやろうと思ってるよ。アレで結構、身内には甘いところあったからな」

 

 たとえばそれは、自分の言うことをさっぱり聞かなくなってしまったホムンクルスたちだとか。

 結果だけを見れば、そのホムンクルスたちをそそのかすこととなった、ライダーのマスターだとか。

 

 気にくわない、とイライラしながらも、結局のところそういう者たちの世話を焼いてしまう辺りが微妙に憎めない人物だった。

 

「そっか」

 

 カウレスの言葉に、ライダーが満足そうに笑う。

 そうしてコーヒーを飲み干すと、ふう、と一息ついてこう切り出した。

 

「ボクはこの60年、いろんなところを回ってきた。その度に一回二回は聖杯戦争を見かけるんだけどね」

「頻繁に遭遇しすぎだ。もっと避けろ」

 

 つっこむまいと思っていたのに、思わずツッコミを入れてしまった。

 早々に話の腰を折られたライダーが、不満気に口を尖らせる。

 

「知らないうちに巻き込まれてるんだからしょうがないじゃないか。……それで、さっきも言った気がするんだけどケイローンとは四回会ったんだ」

「ああ。そんで?」

「アキレウスには三回、アタランテには二回? あとはヴラドにも会ったっけ。あの戦争に関わってたサーヴァントには割と会ってると思うんだけど」

 

 んー、と指折り数えながら(このサーヴァントには珍しいことに)何かを考えるように言う。

 

「けど、なんだよ」

「フランケンシュタインには会ったことないなって。あとルーラー……、は仕方ないか。あ、ジャック・ザ・リッパーも見ないな」

「そりゃ、ルーラーとジャックは特殊な例だからな。あと聖杯戦争は基本的に強いサーヴァントを呼び出すもんだ。近代の英雄なんて呼んだって、どうしようもないだろ」

 

 聖杯戦争におけるルーラーのクラスは、文字通り戦争のルールを司る者。彼らは自らのための願望を持たず、特定の誰かに仕えず、聖杯戦争そのものを守るためにのみ、聖杯によって召喚される。

 要するに、聖杯大戦のような異常事態でもなければ、まずお目にかかれないクラス、ということだ。

 

 一方のジャック・ザ・リッパーは、『正体不明の怪人』という属性が強調されているのか、呼ばれるたびどうにも姿が安定しない。

 カウレスたちの見たジャックは幼い少女の姿だったが、別の場所では大柄の男性の姿だった、なんてこともあったらしい。

 

 フランケンシュタインに関してはカウレスの言ったとおり、近代の英雄だからだろう。

 神秘を打ち負かすにはより強い神秘が必要になる。そして神秘とは時代を遡れば遡るほどに強くなって行くものだ。

 神秘のぶつかり合いとも言える聖杯戦争において、時代の浅い英雄なんてそれほど重要視されないのだ。

 

「ボクとしちゃ、キミが聖遺物握ってるからだと思うんだけど」

「……さあな」

 

 ライダーの指摘に目を逸らす。

 聖杯大戦の折りに手に入れた『人造人間の設計図』は、確かに今もカウレスの手の中だ。

 

 亜種聖杯戦争が盛んな昨今、英霊召喚の為の触媒は、それがどんな物でも高値で取り引きされる。

 近代の英雄が重要視されないことは紛れもない事実ではあったが、だからといって彼女を呼び出す触媒が全くの無価値という訳ではない。それこそ、ノドから手が出るほど欲している魔術師だっているハズだ。

 

 にも関わらず、カウレスは触媒を手放さない。

 それが感傷からくるものなのか、単に資産として手元に置いておきたいからなのかは、もはやカウレス自身にもわからないことだった。

 なので、今更ライダーにその辺りのことをツッコまれるのは、なんというか正直困る。

 

 そんなカウレスの内心を読んだわけではないだろうが、ライダーはそれ以上この件について言及するようなことはなかった。

 

「うん、そう。まあキミの言うとおり、聖杯戦争には強いサーヴァントが呼ばれる。だからケイローンやアキレウスによく会うのはわかるんだ。でも、不思議なことにジークフリートにはまだ会ってない」

「ま、確かにセイバーとしちゃ最高クラスかもしれんが。そもそも聖杯戦争に遭遇できるだけおかしいんだ。そこで知ってる顔に出会えなかったからって、不思議じゃあないだろうよ」

「そうかなあ……。あいつくらいになれば、ひっぱりだこだと思うんだけど」

 

 黒のセイバー・ジークフリート。

 ニーベルンゲンの歌に語られる万夫不当の竜殺し。

 伝説に恥じない強さを誇った彼は、確かにサーヴァントとして引く手数多だろうが。

 それでも遭遇できるかは運である。というか、会える可能性なんてゼロに近いくらいだろうに。

 

 だいたいカウレスと同じく、ゴルドだってあの触媒を手放してはいなかったハズだ。遺品整理で売り払われでもしていなければ、触媒は未だにムジーク家にあることになる。

 アレ以外の触媒では絶対に召喚できないわけではないが、それでもジークフリートを呼ぶのにアレ以上の触媒はあるまい。

 

「はあ」

「なんだ」

「一度くらいはまともに話してみたかったからさ。ちょくちょく聖杯戦争に関わると、どうしてもね」

 

 珍しく沈んだ様子でライダーが言う。

 

『もっとちゃんと話せばよかった』

 

 消滅した黒のセイバーを指して、ライダーがそう言っていたのだと、いつだったかケイローンに伝え聞いたのを思い出した。

 

 ちゃらんぽらんで脳天気で何も考えてないように見えても、コレで意外と普通の人間のように後悔したりもするのだろうか。

 60年付き合ってきて初めて、カウレスはそんな風に思う。

 

「どうせお前はこの先も行く先々でトラブル起こして、ついでにトラブルに巻き込まれるんだ。そんときにお前が死んでなかったら、そのうちに会えるだろ」

「うん、そうだね! なんだ。キミ、意外といいこと言えるじゃないか!」

 

 なんとなく根拠のない慰めを口にすると、ライダーは花の咲いたような笑顔を浮かべた。

 驚くほどに立ち直りが早いのは、間違いなくこのサーヴァントの長所だろう。

 

 そんな風に、取り留めのない話をした。

 古めかしい時計が、ボーン、ボーンと、何度目かの仕掛けを鳴らす。

 

「と、ボクはそろそろ行くよ」

「ああ。まあ、長居されても困るから行くならさっさと行ってくれ」

 

 都合、三杯目になるコーヒーを飲み干しながら応えると、ライダーはむっと眉を吊り上げた。

 

「もうちょっと別れを惜しむって気持ち、キミにはないのか!」

「どうせまた三年もすれば、今日みたいにふらっと現れるだろうが」

「じゃあもうちょっと心配とか!」

「どんだけ心配しても、厄介事に頭から突っ込んで行く奴心配するだけ損なんだよ」

 

 それがこの60年間で、カウレスがこのサーヴァントから学んだ数少ない教訓である。

 さらに付け加えておくなら、どんな厄介事からでも無事に帰ってくるだろうな、という信頼もある。本人には絶対に言わないが。

 

「ヒドい奴だな」

「そう思うなら、もうちょっと大人しく旅をしてくれ」

 

 でもそれは、多分ライダーがライダーである限り不可能なのだろう。

 

「それじゃ、改めて行ってくるよ」

「おう。まあ久々に話せて楽しくはあった」

「素直じゃないね、キミも」

「ほっとけ」

「じゃ、また」

「おう」

 

 気安い見送りをして別れる。

 二人が離れるのに、そう大仰なものは必要ない。カウレスとライダーとの間にはそれほどの絆があるわけでもないし、そもそもこれが今生の別れというわけでもないのだから。

 

 と、一つ大切なことを言い忘れていた。

 こちとらこの案件のせいで、最近忙しかったのである。

 

「あ、そうだ。お前、いま冬木には行くなよ! 絶対ややこしいことになるから、日本の冬木には行くなよ!」

「わかったー!」

 

 既にカウレスの工房から出掛かっていたライダーにありったけの声で叫ぶと、ライダーは片手をあげてお気楽に返した。

 

「当面の目的地は天草だから、大丈夫!!」

 

 その声を最後に、ライダーはさっさと外へ飛び出していってしまった。

 後には呆然としたまま取り残されたカウレスが一人。

 

 カウレスはこの後の展開を思って、声を上げた。

 

「アマクサって……。日本じゃねーか、アイツなにもわかってねえ!?」




※原作キャラ/ゼロとは……?

今回登場の彼は外見年齢に、精神年齢が引きずられてる事例です。普段はもうちょっと老成しているハズ。

???「ボクが関わったことで、何かが変わるかもしれないし。なにも変わらないかもしれない」

だからきっと、この世界線の彼はずっと世界をふらふらしてるんじゃないかな?

ちなみに本編とはまったく関係ないけど、一応各亜種聖杯戦争内訳

インド聖杯戦争

セイバー:ラーマ
ランサー:カルナ
ライダー:ダレイオス三世
アサシン:百貌のハサン

顛末
 アサシンによる暗殺でライダーのマスターが死亡。セイバーと戦っていたライダーは魔力供給を失いセイバーに敗北。
 アサシンは次にランサーのマスターを狙うも、ランサーによって撃退。
 撤退経路からアジトを割り出され、ランサーが宝具でアジトごと吹き飛ばす。アサシン自体は事前にいくつか分身体を避難させていたが、アジトごとマスターが死んでしまい魔力不足で消滅。
 セイバー対ランサーの超インド対決勃発。無敵の鎧、対神宝具で優勢かと思われたランサーだったが、魔力を使いすぎるとマスターが干からびるので宝具はおろか魔力放出すら出し惜しみ。結果同じく超インド鯖であるセイバーに終始圧される事態になる。
 ランサーのマスターは令呪ブーストでの魔力確保、宝具での一撃決着を提案。ランサーも了承するも、そこで聖杯が暴走。器から漏れ出した魔力が周囲を汚染し始める。
 周囲への被害と神秘の秘匿を考えた結果、セイバーのマスターとランサーのマスターは結託。セイバー、ランサー、通りすがりのアストルフォの三騎による攻撃で聖杯を破壊。勝者不在のまま終幕。



ブルガリア聖杯戦争

セイバー:ヘラクレス
ランサー:ヘクトール
アーチャー:ケイローン
バーサーカー:ペンテシレイア
キャスター:メディア

顛末
 聖杯降霊予定地はギリシャだったため、みんな必死にギリシャ英雄の触媒を探したが、なんのミスか聖杯はブルガリアに出現。地獄のギリシャ戦争inブルガリアの幕開けである。それはそれとしてメディアさんは泣いていい。
 全サーヴァントが一同に会する混沌とした初戦。セイバーがあまりにもアレすぎたため、残りの四陣営が結託。対セイバー同盟を結ぶ。
 フロントをバーサーカー。フロントの隙を守るランサー。それらを援護するアーチャーとキャスターの遠距離射撃という布陣でセイバーに挑む同盟。
 対するセイバー陣営は、キャスターが工房を完成させると厄介になると見て、四対一の状況にも関わらず同盟相手に短期決戦を臨む。
 が、四人相手ではさすがに攻めきれないセイバー。一方で同盟側もセイバーを殺しきれない膠着状態────つまり攻撃を受ける度に耐性を得るセイバーが徐々に優勢になる悪夢のような戦闘。
 長引かせても、仕切り直しても状況が悪くなると判断した同盟側は宝具の使用を解禁。結果、見事にセイバーを一殺するものの、セイバーは『殺されながら』一番厄介なランサーを撃破。『復活しながら』バーサーカーを撃破。
 一つの命で前衛を殺しきり、セイバーは後衛に肉薄。確実な撤退をするために、アーチャーはやむなく宝具を使用。見事二つ目を奪いつつ撤退。

 だが、キャスター。貴様は逃がさん。

 元々の『キャスターの工房作成を妨害する』という目的を果たすために、撤退するキャスターを追って、追って、追いまくって撃破。メディアさんは本当に泣いていい。

 セイバーとアーチャー。最終戦は運命の師弟対決と相成った。
 セイバーの宝具により、もはや自分の宝具が通用しないだろうことを察したアーチャーは、最後の決戦に弓を捨て、スキルランクA相当のパンクラチオンで挑み、そんな師匠の心意気に胸を打たれたセイバーもまた、彼から仕込まれたパンクラチオンで迎え撃つ。
 地獄のギリシャ戦争inブルガリア決勝戦は、まさかの素手での格闘戦になったとかならなかったとか。


以下ネタ


【いんたーるーど】剣弓陣営が正月してるだけ


九条レイジ(以下九)「もぉ~い~くつ寝~る~とぉ、おーしょーうーがーつー♪」
雅「いえ、寝るどころか当日ですよ。今日」
九「あ、遠坂さん。明けましておめでとうございます」
雅「あ、はい。明けましておめでとうございます」
九「はいこれ。少ないけどお年玉」
雅「へ? おとし……、え? え?」
剣「マスター。アーチャーのマスターが随分混乱しているようだが、お年玉とはいったい?」
九「うちの国では、新年になると、年長者が子供にお小遣いあげる風習があるんだよ」
剣「なるほど。ニホンの新年の祝い事なのだな?」
九「まー、そんな感じ。あ、セイバー雑煮あるけど食う?」
剣「ゾーニ?」
九「餅の入った……ってわかんないか。まあ美味いから食ってみろよ」
剣「ではお言葉に甘えて。……む、これは中々」
九「だろ? 餅はノドにつまりやすいから、しっかり噛んでな」
雅「子供じゃあないですし!」
九「うお!? ビックリした、どうした!?」
弓「マスター、マスター。ツッコミが遅い上に、それは子供の言い分です」
剣「マスター。おかわりをいただけるか?」
九「あ、うん。ゴボウも入れるか? かつお節もあるぞ?」
剣「ほうほう。いただこう。アーチャー、貴公も一杯どうだ?」
弓「いえ、私は」
剣「なに。遠慮をするな。食事は大勢の方が美味く感じられるものだ」
九「そうそう。正月くらい気張らずに、まあのんびり餅でも食ってくれよ」
弓「では、そのご厚意に甘えましょうか」
雅「そこ! 無視しないでください!」
九「ああ、ごめん! 無視したつもりはないんだけど。あ、遠坂さんも食べる?」
雅「お年玉なんて、普通親類に渡すくらいものでしょう!? 受け取れません! あとお雑煮はいただきます!」
九「うんうん。あ、簡単だけどお節もあるから。エビとか食べる?」
雅「昆布巻きをいただきます! っていうか、なんですあの額!? 私はアナタの孫かなにかですか!?」
弓「むぐむぐ……、なんと。マスターはセイバーのマスターの孫だったのですか」
剣「もぐもぐ……、いや、親類内という話ではないか? 身内で聖杯戦争とはまた業が深いな。……で、一杯どうだ?」
弓「いただきましょう。……ふむ。これは中々」
剣「ああ。現代の酒も中々」
雅「アンタたちがお餅に夢中でなにも聞いてないことだけは、よーっくわかりました!」
剣「もぐもぐ……、貴公のマスターはなにをそんなに怒っているのだ?」
弓「むぐむぐ……、おそらく子供扱いが気に入らないのでしょう。マスターは多感な年頃ですので」
剣「背伸びをしたい年頃、という奴だな! 愛嬌があってよい!」
雅「聞こえてるわよ!」
九「まあまあ。新年早々、そう怒らなくても。お年玉の中身が少ないのは謝るからさ」
雅「話聞いてました!? 多すぎるって話ですよ!?」
剣「マスター! マスター! このだ、だ、だ?」
九「だ? ……ああ、獺祭?」
剣「そうだ。このダッサイ? 開けてしまっても?」
九「いいよ。どうせ伊勢三からのもらいもんだし。俺、日本酒得意じゃないし」
剣「だ、そうだぞ。アーチャー」
弓「ご相伴に預かりましょう」
雅「なんで飲み会はじめようとしてんの、このサーヴァントたち!?」
九「お正月だからじゃないかなあ? 今日くらいはいいと思うよ」
雅「って、そうじゃなくて! お年玉、お返しします。私と九条さんは他人な上に、こんなにもいただけません」
九「うーん。そうは言ってもなあ。これは遠坂さんに用意したものだし、他に渡すアテもないから貰ってほしいんだけど」
剣「では何か食い物を買ってくるというのはどうか!」
弓「そうですね。追加の餅などよろしいかと!」
剣「うむ。餅や酒など最高だな!」
雅「思ってたより、外野がお餅にハマってた!」
九「いやそれお前等が食いたいだけじゃ? 別にお年玉崩さなくても、追加の餅くらい買ってくるよ」
弓「なんと!」
剣「さすが私のマスターだな!」
九「ああ、でも。現金じゃなくて物に還元して渡すってのはありなのか。遠坂さん、なにか欲しいものある?」
雅「え、いや。そもそもそういうことしてもらう理由がないですし」
九「つっても、子供にはお年玉あげるものだしなあ。っていうか、俺が遠坂さんにプレゼントしたいだけっていうか」
弓(聞きようによっては、口説いているように聞こえますね……)
剣(聞きようによっては、口説いているように聞こえるな……)
雅「この人なんで素面でこういうこと言うんだろう……?」
九「あれ? おかしいこと言った?」
雅「いえ、別に。他意がないのはわかってますし」
九「? まあアレだな。すぐに思いつかないなら、一緒に買い物でも行って、そこで欲しいもの言ってもらえれば」
雅「……」
九「え、なに?」
剣(デートの誘いか)
弓(これはデートの誘いですね)
雅「……デートにでも誘ってるつもりですか?」
九「あれ!? どこからそんな話に!?」


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四日目 騎英の手綱

 目の前で人が一人死んでいる。

 胸に去来するのは『どうしてこんなことになってしまったのか』という、強烈な感情。目の前の死体には見覚えなど全くないハズなのに、それを見た瞬間から意味もなく泣きたくなってくる。

 

 理解不能な感覚に目を閉じると、次に飛び込んできた光景はどこぞの玉座の前だった。

 

 ────ここは、どこだ?

 

 そう呟いたつもりの唇は、その実なんの音も発しない。

 困惑のまま辺りを見渡して、玉座の前に跪く一人の青年の姿が目に入った。

 

 燃えるような赤い髪と、血の色を写したかのような瞳。控えめな装飾が施された軽鎧に身を包み、膝をついて玉座を見上げる彼を、レオンは知っていた。

 

 サーヴァント・ライダー。真名をベレロフォン。

 強者ぞろいのギリシャ英雄の中でも、ギリシャ七英雄の一人に数えられるほどの勇者である。

 

 彼の見上げる先には一人の王。

 王は一通の手紙を取り出すと、勇者に向けてこう言った。

 

『この手紙を持ち、リュキアの王を訪ねるがよい』

 

 手紙を受け取った勇者に対し、王はこうも続けた。

 

『ただし決して手紙の中身は見ないこと』

 

 そこまでを聞いて、レオンはこの光景が夢なのだと、ようやく悟った。

 これはサーヴァントの記憶。契約で繋がったサーヴァントの記憶を、夢という形で共有してしまう、一種の共感状態に他ならない。

 

 その理解と同時、またも場面が切り替わり、レオンの目の前には一面の雲海が広がっていた。

 見渡す限りの青い空と、眼下に広がる雲海。頬を撫でる風は冷たく、夢とは思えぬほどの感触をレオンに与えてくる。

 

 飛んでいるのだ。

 それも、雲すら見下ろすことができるほどの高みを。

 

 ゴオッ、と耳鳴りのように風を切る音がする。

 高く高いこの場所を、凄まじいまでの速さで移動しているのだろう。眼下の雲海が勢いよく後方へと流れてゆき、とうとう雲間から地上を見下ろすことができた。

 

 

 ────遠い。

 

 

 それはレオンにとって、おおよそ地図のようなものに見えた。

 

 地上の地形はよくわかる。

 どの辺りに人の住む土地があるのかもわかる。

 けれど、そこにどんな人がいて、どんな暮らしがあるのかなど全くわからない。全体図が見えても、細やかな場所はさっぱりわからないものだった。拡大できない航空写真を眺めているのに似ている。

 

 それほど、ここ()と地上は遠く離れすぎていた。

 

 それにも関わらず、レオンは全く恐怖を感じていなかった。

 空の美しさに瞳を奪われるほどの余裕を残しているほどだ。

 これだけの高度を、いつ振り落とされてもおかしくないようなスピードで飛んでいるというのに。

 

 無論、これが夢であることも原因の一つではあっただろう。

 しかしそもそも、この(記憶)の本来の持ち主が、この光景をちっとも恐ろしいと感じていない、という点が大きかった。

 この程度、勇者にとっては日常茶飯事。景色を楽しむ余裕はあっても、落下の恐怖などとはほど遠い。

 なによりも、勇者は相棒に全幅の信頼を置いていた。

 

 ギリシャ七英雄・キマイラ殺しのベレロフォン。或いは、天空騎兵ベレロフォン。愛馬とともに自在に空を駆け、恐るべき魔獣を討ち滅ぼした英雄。

 人馬一体。空を自在に駆ける勇者と天馬にとって、天空(ここ)こそは彼らの力が最も発揮できるホームグラウンド。恐怖などありはしない。

 

 

 ────あるとするならばそれは、これより戦うことになる魔獣への恐れのみ。

 

 

 これは英雄ベレロフォンの記憶。

 彼を戦士から英雄へと昇華させた魔獣との戦い。レオンはその追体験をさせられている。

 

 気付けば雲を眼下に捉えていたほどの高度は随分と落ち、目の前には荒れ果てた岩山。そしてそこに住む怪物の姿。

 

 伝承に曰く、それは獅子の頭と山羊の胴体、蛇の尾を持ち、近づく者を焼き払う死の猛獣である。

 ギリシャ最大最強の怪物・テュポーンと怪物たちの母・エキドナから生まれた、まさに怪物の中の怪物。魔術協会における『動物学科』の別名、あるいはその学部で扱われる合成獣たちの名、その語原。

 

 合成魔獣キマイラ。

 火山を縄張りにし、周囲へと破壊をまき散らすリュキア王国の災厄。

 リュキアの王より討伐を命じられた、ベレロフォンが倒すべき怪物である。

 

 目が合う。

 獅子の眼光。こちらのことなど、蹂躙すべき獲物としか見ていない冷ややかな視線に、レオンの背筋は凍り付いた。

 

 が、これは勇者の記憶。

 恐るべき魔獣へ立ち向かう恐怖。それすら超えられずに何が英雄。何が勇者か。

 咆哮し飛びかかるキマイラを前に、勇者と天馬は引くどころか前へと踏み込んだ。

 

 交錯の瞬間、振るわれる死の鉤詰め。

 ギラリと光る凶器を軽くいなし、勇者の槍が魔獣の肩口を抉る。

 魔獣の絶叫を背に、すれ違った勇者が手綱を振るうと、天馬は乗り手の意志を汲んで急上昇。

 直後、キマイラの(大蛇)が標的の失せた空間に叩きつけられた。ずしり、と重々しい音とともに大地が割れる。

 上空よりそれを見たベレロフォンはしかし、一切の恐れを感じさせない果敢さで、再びキマイラに向かって急降下を仕掛けた。

 二度目の交錯。キマイラの牙も爪も巧みにかわしきった勇者の槍は、魔獣のわき腹を貫き、そして貫いた直後には魔獣の手の届かない上空へと逃れている。

 

 勝った、とレオンは思った。勇者が仕掛ける鮮やかすぎるヒットアンドアウェイ。

 いかに魔獣の攻撃力が優れていようとも、当たらなければ効果はない。そして魔獣には上空に逃げる天馬を追うすべがない。

 加えて勇者には油断も慢心もない。多くの戦士を屠ってきた魔獣を前に、勇者の気が緩むことなど断じてない。

 

 再三の突撃。

 与えられる傷は僅かだが、確実にキマイラに蓄積されていく。

 対する勇者と天馬は未だ無傷。

 これならばキマイラが不死身でもない限り、負けようがない。

 

 そんなレオンの楽観は、十数度目になる突撃の折り、あっけなく打ち砕かれた。

 

 勇者がすれ違いざまに振るった槍。キマイラの背に直撃したそれが、耳障りな音を立てて弾かれる。

 瞠目した勇者の挙動が一瞬停止。その隙を突いて、切り返された魔獣の爪が勇者を襲った。

 が、驚愕から反応の遅れた勇者に代わり、彼の足となっていた天馬が咄嗟に空へと舞い上がる。狂爪は勇者と天馬のどちらもかすめることなく、空気を裂くに留まった。

 

 上空へと逃れた勇者が、怪しげに魔獣を見る。

 勇者の槍は確かに魔獣を捉えていた。それも加減のわからなかった初撃とは違い、この戦法に慣れつつある今の一撃は、ざっと見積もって初撃の三倍ほどの威力が乗った一刺しだ。万に一つでも弾かれる可能性などありはしない。

 それが弾かれたというなら、原因は恐らく────、

 

 そう思考を巡らせる勇者の前で、キマイラの体色が変化していく。

 鮮やかな金の体毛を持つ獅子の頭も、黒く艶のあった山羊の胴体も、すべらかに光を反射する緑の鱗持つ蛇の尾も。それら一切合切が濃い赤銅に染まってゆく。

 まるで錆びた金属のような。否、事実それは金属であったのだろう。赤銅色に染まった魔獣が身じろぎするたび、ギシリと金属が擦れる音が響き、赤い錆が地面へと落ちた。

 

『GAAAAAAAAAAAAAA!!』

 

 魔獣が吼える。

 耳をつんざく咆哮とともに、赤銅色の魔獣が天馬のいる空へと飛びかかってくる。

 

 勇者の判断は迅速であった。

 即座に天馬を後退。飛びかかる魔獣をやり過ごすと、落下していく無防備な背に槍を突き立てるべく、手綱を操り加速する。

 十分な速度の乗った突きは赤銅色の背を捉え、魔獣の血をまき散らしながら抉りとった。

 だが浅い。

 初撃の感触でいえば、魔獣の身体を貫通させていてもおかしくはない一撃は、僅かに魔獣の肉を抉りとっただけ。やはり勘違いなどではなく、この魔獣は堅くなっている。

 

 舌打ちを一つ。

 それだけでこの事態を飲み込んだ勇者は、落下しうずくまる魔獣に追撃を仕掛けるべく再びの加速。

 硬化しているのならその防御を貫く速度を以てして刺し殺す。

 

 一方で勇者に叩き落とされた魔獣は、うずくまったままビクビクと痙攣し始めた。

 赤い錆を落としながら震える魔獣の背にヒビが入る。ビシリ、ビシリ、と音を立てながら亀裂が大きくなる。

 

 これ以上の変化なぞさせまいと、勇者の槍がその背へと突き込まれた。

 ガギン! と鈍い手応え。

 まるで硬い岩盤を突いたかのような感触を訝る間もなく、ヒビ割れの中に吸い込まれた槍が、凄まじい反発力で以て弾き返される。

 

 再び舌打ち。

 苦々しい思いは浮かべど、勇者にはもはや驚愕などない。皮膚の硬質化は既に見ている。そのことで二度も三度も足を止める必要はない。

 迅速に冷静に、ベレロフォンは距離を取った。速度を乗せれば威力が乗る。そのためには助走距離が必要だ。次は今の倍の速力を以て貫く。

 

 助走距離を稼ぐために離脱した勇者の眼下で、うずくまるばかりだった魔獣がついに再起動を果たした。

 痙攣しながら立ち上がり、ぶるぶると身体中から赤錆を落とす。

 直後、背中のヒビ割れが葉脈のように魔獣の全身に広がり、そのままビシリという音を立てて砕け散った。

 まるで魔獣そのものが砕けたかのように思われたが、そうではない。砕けたのは魔獣の全身を覆っていた赤錆だけである。

 

 或いは、魔獣の行う一連の変化は、昆虫でいう変態のようなものだったのか。

 (さなぎ)が蝶に変わるように、古い外装を脱ぎ捨てたキマイラは、それまでとは姿が一変していた。

 

 獅子の頭部と山羊の胴体。その接続部から不自然に山羊の頭が二つ生えている。蛇の尾は三つ叉に分かれ、それぞれの先端から大蛇の頭が舌を伸ばし、毒を滴らせる。

 身体自体も二周りほど大きくなっているようだが、変化はそれだけではない。なによりも大きな変化が一つ。

 キマイラの黒い胴体から、一対の黒い翼が延びている。

 

 白馬と白鳥が調和したような天馬の美しさとは違う。

 激しく混ざり合った獣たちに、ついでだからとコウモリの羽根を付け加えてみたような歪さ。

 

 ぞわり、と勇者の背筋に悪寒が奔る。

 直後、絶叫とともに魔獣が飛んだ。

 それまでの放物線を描くような飛びかかりではない。キマイラを見下ろすベレロフォンに向け、真っ直ぐ飛翔したのである。

 

 速く、鋭い。

 

 その認識と同時に打ち払う。

 助走の為に距離を離していたことが幸いした。彼我の距離を一瞬にして食いつぶす程の速力は、ベレロフォンの予測を遙かに超えている。初見で打ち払えたのは運が良かったとしか言いようがない。

 ビリビリと、槍を持つ手が震えた。魔獣の強襲、その余韻が痺れとなって勇者の腕に残っている。

 

 ベレロフォンはすぐさま振り返った。

 が、その時には既に、槍に弾かれたハズの魔獣が再び迫るところだった。

 手綱を操り急旋回。乗り手を振り落としかねない挙動で、天馬が魔獣をかわしきる。

 

 ベレロフォンの脳裏に、捨て去ったハズの驚愕が蘇った。

 

 

 ────速いのは直進飛行だけではない。初めて空を飛んだとは思えないほど、あの魔獣は空中での旋回速度に優れている。

 

 

 そこからはもう一進一退の空中戦だ。

 目まぐるしいほどの急旋回、急加速、急停止、急上昇、急降下。互いに激突し、かわし、かわされ、また激突する。

 時に平行し、時に螺旋を描いて天馬と魔獣が空を駆ける。

 

 それは誰もが知らない戦いだった。

 獅子の頭、山羊の胴体、蛇の尾。誰もが知るキマイラは、空など飛ばない。翼などない。ベレロフォンと天馬を相手に、互角の戦闘をすることなど適わない。

 

 何度かの激突を介し、勇者は互いの戦力を分析する。

 機動力、突進力、防御力はこちらが上。

 対し、攻撃力と耐久力は魔獣が一歩上だ。

 天馬の有する加護は魔獣の攻撃を大幅に軽減するが、それにも限度はある。殺しきれなかった威力は、確実に勇者と天馬を傷つけていく。

 一方、天馬のような加護の力を持たない魔獣は、勇者と天馬の攻撃に激しく傷ついているものの、そのタフネスが尋常ではない。機動力も攻撃力もそのままに、こちらへと襲いかかり続ける。

 

 このまま空中戦を続けるのならば、恐らくは相打ち。否、天馬が健在でも先に勇者がまいる。いかな英雄といえど、幻獣と魔獣とのスタミナ勝負についていけるほど頑健ではない。

 そして勇者が脱落すれば、その先に待っているのは天馬の敗北だ。

 そもそもの話、この天馬は戦いに全く向いていない。基礎スペックで魔獣を上回っているものの、優しすぎて戦闘行動そのものを不得手としているのだ。闘争の為だけに存在するかのような魔獣とは根本からして違う。

 現状の戦闘は、天馬の性能を勇者が戦闘向けに引き出しているからこその五分だ。乗り手の判断に大きく依存した戦闘で五分なら、乗り手を失った天馬が敗北するのはどうあっても避けられない。

 

 故に勇者たちが勝利するためには、今すぐに魔獣を粉砕するしか道はなかった。

 

『やるか、相棒(兄弟)

 

 そう言って、勇者が天馬の首筋を撫でる。応えるように(いなな)いて、天馬は魔獣との距離を引き剥がしにかかった。

 

 切り札はこちらにあり。

 その使用の為には、充分以上の加速距離がいる。

 

 だが、魔獣はそれを許さない。

 自らの攻撃圏外に逃れようとする勇者たちを執拗に攻め立て、離脱を妨害する。

 それは魔獣の本能だったのだろう。ここで距離を離されたら最後、必滅の一撃がくるのだと確信している。

 

 もつれ合いながら飛ぶ天馬と魔獣。

 爪を、牙を巧みにかわしながら、どうにか魔獣の足を止めようと、勇者の槍が何度も翻る。

 手応えはある。けれど槍は魔獣を削り穿つものの、有効なダメージを与えられない。血塗れになりながらこちらに向かってくる魔獣は、何度突かれようとも止まらない。

 それどころか、魔獣は逆にこちらの足を止めようと()を伸ばしてくる。勇者が振るう槍を掴んで、引き落とそうというのだろう。

 四足獣にはおよそ不可能な芸当ではあるが、今のキマイラはそれが可能なほどに変化している。

 

 

 ────リュキアの民が言うには、それは元々、一頭の山羊であったらしい。

 

 

 山羊は、自らを捕食しにきた獅子を逆に平らげ、次いで近くを縄張りにしていた大蛇をも喰らいつくした。

 山羊はその時点ですでに山羊ではなく、獅子の頭と山羊の胴体、蛇の尾を持つ奇っ怪な生物へと変わっていたという。つまり、伝承に残るキマイラの基本的な姿だ。

 

 けれど肝心な話はむしろここから。

 キマイラへと変化した山羊は、リュキア火山を縄張りとして、多くの生き物を喰らった。肉食獣も草食獣も、野生も家畜も関係なく。

 そうなればリュキア王国から、魔獣の討伐隊が派遣されるのは時間の問題であり、実際に討伐隊はキマイラを討つべく火山へと派遣され、そうして大敗した。

 弓を、剣を、槍を用いて戦って、何度も何度も敗れたのだ。リュキア王が、『この魔獣には勝てない』とそう諦めるまで何度も。

 そう、何度もこの魔獣に『進化の為の餌』を与え続けた。それとは知らず。

 

 ベレロフォンの視界を共有しているレオンは、恐怖とともにその魔獣を見た。

 

 まず目に入るのは、黄金のたてがみを持つ獅子の頭。その両脇から無理矢理繋がっている山羊の双頭と、二対の黒翼。

 一対はコウモリの羽根を巨大化させたようなものであり、もう一対はカラスの羽根のようでもある。

 翼のある胴体からは、さらに()()()()が四本ほどぶら下がり、それぞれが何か歪な武器のようなものを握っている。

 尾は今や八つに分かれており、蛇の頭以外にも、猛毒を滴らせるサソリの尾までが混ざっていた。

 

 これはレオンの推測でしかないが、キマイラとは『混ぜ合わせた獣』ではなく、『混ざり続ける獣』なのではないだろうか。

 

 よくよく見れば魔獣の爪はただの爪ではなく、いくつもの剣を重ね合わせたものだし、牙だって恐らくは鋼鉄性だ。一見ただの体毛に見えるものだって、鉄や青銅といったもので構成されている。

 つまりは、今まで喰らってきたものたちの属性だ。そしてこの獣は、何かを喰らい続ける限り際限なく混ざり続ける。

 

 それが、レオンには恐ろしい。今でさえ手が着けられないというのに、この先この魔獣はどこまで変化してしまうのか。これ以上餌を与えれば、世界すら食い尽くすほどに成長してしまうのではないか、と不安になる。

 

 きっとその不安は勇者も抱いていたことだったのだ。

 変化に次ぐ変化。次第に失われていく優勢。冷静にそれを認識しているのに、『撤退』ではなく『決着』を選んだのは、今すぐに魔獣を滅ぼさねばならぬと感じたからだ。

 

 槍を掴もうと伸ばされた腕を、天馬の後ろ足が蹴り潰す。同時に、こちらへと巻き付こうと迫る蛇の尾を、勇者の槍が切り払った。

 血と肉をまき散らしながら潰れた部位を、如何なる原理か、魔獣はその身体から切り離した。まるで根菜を引き抜くように、潰された腕とともに()()()()()のようなものが、ずるり、とキマイラの身体から抜け出て地上へと落下してゆく。

 が、腕はまだ三本健在であり、蛇の尾も残り二本ある。キマイラは攻勢を緩めない。

 その上、切り離した部分からはまた新たな部位が生まれようとしていた。

 そも、キマイラがこれまでに喰らった生き物の数は、それこそ十や二十では利かない。キマイラが喰らったものの特性を得るのならば、変化するための材料などまだいくらでもあるハズだ。

 果たして、勇者と激しい立ち回りを演じるキマイラからは、猛禽の頭部と切り払われる以前よりも太くなった大蛇の尾が生まれたのである。

 もはやなんでもありの魔獣を見て勇者は軽く笑みさえ浮かべたが、

レオンは寒気が止まらなかった。

 

 直後、キマイラの口腔から炎が放たれる。

 獅子、山羊の双頭、猛禽、蛇の尾。それらの顔を持つ部位からの、炎による一斉射撃。広範囲に吐き出される炎は、魔獣との距離も相まってかわしようがない。

 だが、かわせなければ勇者はここで終わりだ。

 キマイラの炎は、元々岩をも溶かすほどの代物である。元の形態から変化して頭部を増やした今の火力は、少なく見積もってその数倍。天馬の加護があるとはいえ、まともに受ければひとたまりもない。

 

 自らを破滅させるであろう炎をしかし、勇者は獰猛に笑って歓迎した。

 

『そいつを待っていた!』

 

 勇者の左腕。そこに装着された銀の籠手が、雫となってキマイラの炎の前に落とされる。

 銀の雫は一瞬にして肥大化すると、炎ごとキマイラを包むように展開した。

 

 

 炎牙封殺(ブレイカー)()混沌魔獣(カオスビースト)

 

 

 炎を反射し、キマイラを焼き殺したと言われる宝具。

 その伝承の通り、銀の流体金属は拡散する炎の勢いをそのままキマイラへと跳ね返す。

 のみならず、大きく展開された銀色の宝具は、まるで絡みつくようにキマイラへと襲いかかった。

 

 魔獣の絶叫。

 宝具によって拘束されたキマイラが、反射された自らの炎で身を灼かれてゆく。翼を、たてがみを、腕を、尾を、身体中の様々な部分を焼け落としながら苦悶の声を上げ、炎から逃れようとする。

 だが、勇者の宝具はそれを許さない。魔獣の全身を包み込んだ流体金属はその動きを阻害するどころか、灼かれ続ける魔獣をそのまま絞め殺さんとばかりに拘束を強めていく。

 

 魔獣からすれば、もはや勇者と天馬を追うどころの騒ぎではない。

 そして魔獣が動きを鈍らせた隙を逃すほど、勇者は甘くはない。

 もがく魔獣を後目に、天馬は大きく加速して魔獣を引き離した。

 

 速く、速く空を駆ける天馬は、まるで一条の流星。

 白昼の流星は天へと還ろうとするかのように高度を上げて、さらにさらに加速してゆく。

 

 流れゆく景色の中で、勇者は眼下を流し見た。

 上空から見下ろす空には、拘束されもがき続ける魔獣の姿。

 恐らくは、あのまま放置しておいても死にはしないだろう。現にあの魔獣は、身体中のあらゆる部位を削ぎ落として炎と宝具から逃げおおせようとしている。

 

 ならばこそ勇者は、さらなる必殺を以て魔獣を粉砕する。

 

 天馬を操る手綱が、眩く輝いた。

 遙か高みへと昇りゆく天馬の限界が、一つ、また一つと外れてゆく。その度に大きく加速する天馬は、加護の力すらも倍加させて天上を駆ける。

 

 求められるのは完全必殺。

 それ故の長い長い加速距離。加速しながら大きな円弧を描いて、天馬がついに最高速度に達した。

 

 決着の時は今。

 輝ける手綱をしっかと握りしめ、勇者は高らかにその真名を紡ぎ上げる。

 

騎英の(ベルレ)……、手綱(フォーン)ッ!!』

 

 真昼の白い流星が、空を切り裂いて天上から地上へと奔った。

 ただ空から流れる一条の光は、射線上の一切を粉砕して────、

 

 

 

 

 

 

 

「……う、ん」

 

 ぼんやりとした思考のまま、レオンは目を覚ました。

 脳裏にはたった今見た夢の内容がこびり付いている。

 魔獣キマイラと英雄ベレロフォンによる戦い。神話の内容を間近で見せられて、レオンは身が竦む思いだった。

 

 神話に語られるベレロフォンは、神々からペガサスとそれを操る手綱を与えられ、リュキア火山に棲みついていたキマイラを上空から一方的に殺したとされている。

 だが、蓋を開けてみれば一方的などとはほど遠かった。ペガサスを自在に操った高速戦闘でようやく互角。

 そもそもからして、あのキマイラの形態も、その特性も誰もが知らないものである。神話に語られるキマイラなどよりも、ベレロフォンの記憶にあるものの方が遙かに強力で凶悪だった。

 

「というか、英霊たちはあんなものたちを……」

 

 呟きながら寝所を後にする。

 世界に刻まれる英雄たちは、ベレロフォンがそうであるように、多かれ少なかれ怪物の類を殺してきた者である。それが聖杯戦争に喚ばれるような者たちであるのなら尚更だろう。

 

 改めて英霊たちの凄まじさを思い知った気持ちだ。

 今後はライダーに対する態度を少し改めようか、とそう思った。

 

 そう、思っていたのに。

 

「……なにをやっているんですか、このサーヴァントは」

 

 レオンの目の前には、気持ちよさそうに寝こけるライダーの姿。

 身支度を整えて自分の部屋から出た矢先、共有スペースの長椅子に横になっているライダーを発見したのだ。

 

「起きなさい!」

「ふあ……?」

 

 すかー、と気持ちよさげな寝息を発てるライダーに、思わず声を荒げる。

 今さっき見た夢のおかげで幾らか回復していたライダーへの畏怖やら尊敬の念は、普段着のままだらしなくソファで熟睡している彼のせいで一瞬にして瓦解した。

 なんだか裏切られたような気分になって叫んでしまったのだが、ライダーからすれば全く以て身に覚えのないことであろう。寝ぼけ眼をごしごしとこすりながら、うーんと大きく伸びをしてライダーが身を起こした。

 

「おう、なんだ。敵襲か?」

「敵襲か? ではありません。貴方はこんなところでなにをしているのですか!?」

「寝てたんだけど……?」

 

 キョトンとした顔でライダーが言う。

 怪訝そうな彼の視線はレオンから壁掛け時計に移って、ますますわからないという顔になった。

 

「まだ5時前じゃねえか。こんな朝っぱらから、サーヴァントを使うような仕事があんのか」

「5時……!? いえ、そうではなく。なにはなくとも周囲の警戒は貴方の仕事でしょう。今は聖杯戦争中なんですよ。だいたい、そもそもからして貴方に睡眠は必要ないでしょう」

 

 現在時刻を把握していなかったレオンは、ライダーの言にたじろいだ。が、それとこれとは別問題だと切り替える。

 ライダーの方はそんなレオンの様子を、どこか呆れ顔で眺めていた。

 

「しつこいね、アンタも。ここにゃアンタらの張った結界と、キャスターの奴が作った工房があるんだから、別に俺の警戒なんていらねえだろ」

「そういう問題ではありません。だいたい、休むなら休むで霊体化すればいいだけの話でしょうに。なぜにわざわざ実体化して睡眠の真似事など……」

「そいつは昨日だか一昨日だかに言ったぞー?」

 

 仮初めとはいえ、せっかく受肉して現代にいるのだから楽しまなければ嘘、だったか。それは確かに聞いてはいたが、やはり戦闘のために呼び出されたサーヴァントが、という感情は拭えない。

 

「っていうか、アンタも勤勉だねえ。なんか昨日もそれなりの時間まで起きてたんだし、昼間くらいはもうちょい寝ててもバチあたんねえと思うぜ?」

「私だって、こんな時間に起きるつもりは……」

 

 言い掛けて、口をつぐんた。

 ライダーの過去を夢見たせいで目が冴えてしまったなどとは、なんとなく本人には言い出しづらい。

 

「いえ、私のことはいいのです。師父の力になろうと思うのなら、いくら努力をしても足りないくらいなのですから。それよりも、問題はむしろ貴方のやる気の方で……」

「あー、はいはい。わかったわかった。明日から頑張るから、マジで」

「それはわかっていない者の発言でしょう!?」

 

 ひらひらと、やる気なさげに片手を振るライダーに声を荒げる。ライダーは盛大なため息をついた。

 

「はあ、俺ってそんなに信用ないかねえ。一応、アンタのオーダー通りの仕事は一通りこなしてると思ってんだが。戦闘にも意欲的よ、俺」

「それはっ……」

 

 思わず言葉に詰まった。昼間の態度はどうあれ、確かにライダーは言われた仕事をきっちりとこなしている。

 特にランサーに対しては、あちら側の真名と弱点を暴くといった成果も挙げているのだ。これで彼が仕事をしていないと評価するのは、いくらなんでも横暴である。

 

「し、仕事をしているとかしてないとかではなく……。こう、普段の態度をもっと改めるべきというか……」

「起き抜けで気ぃ立ってんのか知らんが、今日はいつもより小言多い……、いや。ああそうか。アンタ、焦ってんのか」

「え」

 

 思ってもみなかった言葉を返されて、ぽかんとする。

 こちらの様子を意に介さず、ライダーは諭すように続けた。

 

「なにに焦ってんのかは知らんが。ま、未だに誰も脱落してねえとか、自分のサーヴァントが大して強くないとか、大方そんなとこかね。

 けどな、焦りすぎても良いことないぜ? アンタに関しちゃ、もうちょい肩の力抜いた方が良いよ」

 

 焦り。自分は焦っているのだろうか? ライダーの言うようなことに?

 

 確かに彼の言うとおり未だに脱落サーヴァントはいないし、ライダーもそう強力なサーヴァントとは言えないかもしれない。

 だが脱落はさせていないとはいえ、自分たちが不死身のランサーに対するアドバンテージを有していることは先日確認済みだ。それは他の陣営に比べ、聖杯戦争を勝ち抜くのに相当有利な事項のハズである。

 ライダーのスペックに関しても、他のサーヴァント相手に戦えない程ではない。むしろ自在に変形するあの宝具の存在は、ステータスの低さを補って余りある。

 

 ライダーが指摘するような焦りは、自分の中にはあるハズも────、

 

(ああ、そうか……)

 

 そこで唐突に思い至った。

 今し方見た夢。強力に過ぎるライダーの『騎乗宝具』。ライダーが持ってこれなかったと言った、ライダーの象徴とも言えるそれ。

 

(……私は、このサーヴァントに最強の武器を使わせてやれないのだ)

 

 レオンに焦りがあるとすれば、きっとそれが原因だ。

 

 ライダーは『システムに弾かれた』と言っていたが、本当にそうだろうか。レオンではなく、レオンの姉やエヌマエルなどといった魔術師に召喚されていれば、あの宝具も持ってこれたのではないか。未熟なマスターのせいで、彼は強力な武装を失ってしまっただけではないのだろうか。

 そもそも、サーヴァントのステータスはマスターの能力値に影響されるものだ。だから彼のステータスが強力とは言えないのも、レオンのせいではないのか。

 

「言ってるそばからか。辛気くせえツラだこと。普段はもっとふわっとしてるくらいでいいんじゃねえの? ずっとそんなだと持たねえだろ。切り替え大事よ?」

 

 こちらの気も知らずに、ライダーはそう言ってレオンの肩を叩いた。

 

 ぐっ、と拳を握る。

 あれだけの怪物を殺してのける英雄が、レオンがマスターだということで理不尽な弱体化を強いられているのかもしれない。レオンにはそれが悔しい。

 だって夢の中の彼はあんなにも強かった。あの天馬さえあれば、ライダーが他のサーヴァントに負けることなんてあるハズがない。

 

「ライダー」

「おう、とりあえず朝飯にすっか。二度寝もいいが、せっかくだしな」

「私がマスターでなければ、貴方の騎乗宝具は使用可能でしたか? いえ、それでなくとも貴方はもっと強力なサーヴァントだったのでは?」

「なんでえ、藪から棒に。……ああ、んだよ。もしかして自分がマスターとして未熟なのでは? とかって焦ってたのか? 大丈夫大丈夫、アンタはよくやってるって」

 

 だからメシ、と続けて、部屋を出ていこうとするライダーを、レオンは強めの声で呼び止めた。

 

「ライダー!」

「よくやってるって言ったろ。宝具もステータスも、元々の実力やら知名度やらが影響してくるんだし、アンタが良いとか悪いとかじゃあねえよ」

「それでもマスターによって変わることもあるでしょう」

「そうさな、そりゃもちろんあるが。俺からマスターに関して言えることっつったら一つだしなあ」

「なんです?」

「運用を間違えるな、ってそれくらい。で、それについてはアンタよくやってるよ、ってさっきから言ってる」

 

 そう言って、彼は子供にするようにこちらの頭をぽんぽんと叩くと、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「はい。この話はこれで終了ー。メシ行こうメシ」

「待ちなさい、まだ話は」

「終わってるよ。ほれ、アンタも一緒に行こうぜ。この時間だとアレだな。ぎゅ、ギュードーンとか? あとカツドゥンとかの店だな」

「ちょ、ライダー」

「まあまあ、拠点周りの哨戒と思えば有意義だろ。哨戒ついでにメシ食うだけだって」

 

 ぐいぐいと、こちらの手を引きながらライダーは笑う。まるでなにか、よほど喜ばしいことがあったかのようにニコニコと。

 

「いやいや、まったく。朝っぱらから愉快なこともあったもんだな!」

「はなっ、放しなさい! 自分で歩きます。なんなのですか急に!?」

「えー? だってマスターとしての体裁を気にするくらいには、俺のことを自分の持ち駒だって認識してくれたワケだろ? 真っ当な主従関係に一歩近づいた記念に奢ってやろう!」

 

 なんだそれは。

 ライダーの言い分では、まるでレオンがライダーのことを自分のサーヴァントと認識していなかったかのようではないか。

 いや、確かにレオンは『自分が死ぬか、キャスターが消滅したら、エヌマエルと再契約しろ』とライダーに伝えていたし、自分よりもエヌマエルを優先しろとも言っていたが。それにしたって流石にライダーが自分のサーヴァントである自覚くらいはあった。

 ただ単に『エヌマエルを勝たせる』という優先順位の問題である。そして今もその優先順位は変わっていない。いざとなれば、このライダーをエヌマエルと再契約させる。

 それはそれとして、自分のせいでライダーが弱いのは我慢がならなかった、というだけで、ライダーが喜ぶような心境の変化とかいったものはないのだ。

 

 けれど、それを指摘したところで良いことなんて一つもないのだろう。そも、このサーヴァントが話を聞いてくれるとも思えないし。だからレオンが指摘するのは別のこと。

 

 上機嫌で前をゆくライダーに向かって、レオンは声を上げた。

 

「奢るもなにも、そのお金の出所は元々私のものでしょうが!」




※???「俺のサーヴァントは最強なんだ!」


当SSでのギリシャ七英雄は

ヘラクレス
テセウス
メレアグロス
オルフェウス
イアソン
ペルセウス
ベレロフォン

という説を採用しています。
化け物連中と同じ格として扱われるイアソン様、マジイアソン。


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四日目 友情・契約・願い

「バイバイ、お兄ちゃん!」

 

 そう言って、まだ幼い少女が、ぶんぶんと腕がちぎれるんじゃないかと思うほどに激しく手を振る。

 微笑ましい様子に笑みを浮かべて、九条は手を振り返した。

 

「うん。バイバイ」

 

 空いた手を母親に引かれて去っていくその姿を、見えなくなるまで見送って、九条はそっと息を吐いた。

 

「良かった……」

「だな。お前が迷子見つけたときにゃどうなることかと思ったけど、ちゃんと母親が出てきてくれて助かったよ」

 

 そう言って同意した玄馬に苦笑を返す。

 

「助かったって……、普通、母親なら名乗り出るだろ」

「いやぁ、そう簡単にいかないことってのも世の中にはあるもんよ?」

「母親が迷子の娘をほったらかしにする理由なんてあるか?」

 

 本気で首を傾げると、なにやら微笑ましいものを見るかのような、生温かい視線を受け取った。九条はあくまで常識を語っているだけなので、この反応は妙に納得がいかない。

 

「ま、九条が子供に甘いのは昔からだしな」

「それはまあ、自覚してるけどさ。今のとそれとは関係なくないか?」

「無条件に『子供が優しくされて当たり前』とか思ってるあたりがもうね」

「は? そんなん当たり前じゃ……」

「そういうとこ九条は九条だわ。ぶれねーな、さすがロリコン」

「おいこら、ロリコンどっから出てきた。ぶっとばすぞ」

「うわー、こわーい!」

 

 なんて、そんなやり取りをしたのが一時間ほど前。

 百貨店の迷子センター前でひとしきりじゃれ合ってから、各々買い物を済ませてしまおうと別れた。今現在の九条は玄馬と別れ、一人で百貨店の洋服コーナーを漁っている。

 

「お、これとか良さそうだな」

 

 数あるメンズ商品の中から一点、落ち着いた雰囲気のシャツを手にとって言うと、途端に九条の脳内に低い男性の声が響いた。

 

『たしかにそうだが。それはサイズが合うまい』

「あー、セイバーデカいもんなぁ」

 

 今も自分の傍らに控える従者の姿を思い描く。今は霊体化して姿は見えないが、実体化した彼は身の丈2メートルを越えるムキムキマッチョである。

 うん。どう考えても、このシャツ入らねえな。どっかの世紀末救世主並みにシャツが弾け飛ぶわ。

 

 シャツを戻すと、九条は次の商品を物色し始めた。

 

『というか、なぜ貴殿のものではなく私の洋服を?』

「まあ折角だし。どうせ伊勢三の金だしな。お! これは……、あーダメか、小さいな」

 

 続いて手に取った商品も、おそらくセイバーには小さすぎるだろう。

 身長と筋肉があればシンプルなシャツでも劇的に格好良く見える、というのが九条の持論なのだが、ありすぎても着れる服がなくなってしまうようだ。

 

『……数日過ごした程度の私が言えたものではないのかもしれないが』

「なんだよ? ……と、これはダサいか」

『意外だな。友人関係はそれぞれだと思うが、貴殿の彼に対するそれは、随分と遠慮がなさすぎるような気がする』

「んー? アイツ相手だと、俺がズケズケ物を言うって?」

『それもある。が、私が気になったのはそこではなく、見ようによっては貴殿が彼に寄生しているような態度を取っているということだ』

「ああ、そういうやつか」

『私にすら遠慮する貴殿だ。たとえ気心の知れた友人だろうとも、一方的な施しは嫌いそうだと思ったのだが』

 

 それは、確かにそうだ。他はどうだか知らないが、少なくとも九条は、友人関係とは対等でなければならないと思っている。

 人によって対等の度合いなども違ってこようが、少なくとも九条と玄馬のこれは、九条の考える対等とは違うものだ。

 けれど、

 

「伊勢三からの施しは、黙って受け取っとかないと、アイツが嫌がるんだよ」

『む?』

「セイバーは、昨日の俺たちの話覚えてるか?」

『すべてではないが、ある程度は』

「そんときに伊勢三の恋愛観って話題でたろ? そういう価値観」

『自分と釣り合う、だったか?』

「そっちじゃなくて……、いやそうなんのかな? とにかく損得勘定中心の生き方みたいな?」

『ますますわからないのだが。それだと、今の貴殿は真っ先に切り捨てられないか? 貴殿に施しを与えるだけでは、彼は一文の得もないだろう』

「お前、結構辛辣だな。まあ、俺と付き合って得することはないだろうけど」

 

 セイバーのド正論に九条は思わず吹き出した。

 確かに損得勘定だけで言うのなら、九条は玄馬に真っ先に切り捨てられる存在だ。

 

「もうわかると思うんだけど、アイツさ、金持ちなんだ。それもとんでもなく」

『ああ』

「そんでまあ、小さい頃から金目当てで近づいてくる奴らが多かった……、っていうか、そういう奴らしかいなかったっぽいんだよな。そのせいで人間関係なんてのは損得勘定前提だ、って刷り込まれちまったみたいでさ」

 

 結構中々、ハードな子供時代だったのではないか、と九条は思う。

 

「損得関係なしに親しくなろうとする人間との距離感っていうの? そういうのがわかんないらしい。どうも、自分が何もしてないのに、相手が親切にしてくれたりっていうのが気持ち悪いんだと」

 

 ちょっぴり寂しいよな、と九条は笑った。

 例えば、友達付き合いなんてものに損得勘定を持ち込んだ記憶なんて、九条の中には一件しかない。

 そしてその一件とは玄馬との付き合いであり、先に損得勘定を持ち込んだのは玄馬だ。九条は玄馬がそれを望むから、仕方なく今の付き合い方をしているだけである。

 

「俺と伊勢三は幼なじみってヤツでさ、割とガキの頃から一緒だったんだけど。なんかそういう事情で、俺がなんの要求もなく友達面してくるのがちょっと怖かったらしい」

『ふむ? では、それで貴殿は彼から施しを受けていると?』

「まあ、平たく言えばそんな感じ。なんもなくても俺は伊勢三と友達だと思ってるし、幸い向こうも俺と友達でいたいって思っててくれるみたいなんだけど、それじゃあ伊勢三自身が納得できないっぽい。

 で、まあ俺が仲良くしようとしたせいでアイツがモヤモヤすんのも本意じゃないから仕方なく、な」

 

 最初は駄菓子。次は読み終わったマンガ雑誌。で、おさがりのゲームソフトあたりにグレードアップしてから、『ん? これはもしや伊勢三リサイクルシステムではない?』と疑問に思い始めてすぐ、新品の自転車が飛び出してきて思わず彼を問いつめたものだ。

 その時にまあ、それなりに長い時間をかけてお互い話し合って、なんとか妥協点を見いだした。高すぎるものは受け取れないし、そんなことしたら友達やめるぞ、とやや脅し気味に言いながら『これはなんかおかしくないか?』と自分自身にツッコミを入れたりもした。我がことながら奇妙な友達付き合いである。

 

「つっても、昨日の夕飯はありがたく頂いたけどな。どの口でそんなこと言ってんだ、って思われるかも知れねえけど食欲には勝てなかったぜ」

 

 あと、他人の金で飲む酒は美味い。どのくらい美味いかと言えば、友人から施しを受ける後ろめたさを軽く吹っ飛ばすくらいだ。

 

『そういえば、昨夜の貴殿は随分と美味そうに料理と酒を口にしていたな』

「実際、美味かったからな。……あ、もしかしてセイバーも食いたかったか?」

『うん? それはもちろん! と胸を張って言えるが。だが、そうだな……、貴殿が美味いと感じたのは『人の金で飲む酒』だったからだけではなく、『友人と飲む酒』だったからなのでは? と、そう思ったのだ』

「ああ、成る程」

 

 それはまあ、セイバーの感じた通りだろう。

 先日、セイバーと食事を共にした時ですら、いつもよりメシも酒も美味く感じた九条だ。この上、数年ぶりに会う、気の置けない友人との食事が楽しいと感じない訳がない。翻って、玄馬との食事はとても美味かったということだ。

 

「伊勢三は今言った損得勘定みたいなめんどくさいところはあるけど、普通に良いヤツだからな。そりゃ楽しいし、メシも美味く感じるよ」

『そうか。そういう風に感じられる相手は、出会おうと思っても中々出会えるものではあるまい。貴殿は数年ぶりに会ったと言っていたが、彼のことはこの先も大事にしていくべきだ』

「おい、急にどうした? お前は俺のオカンかなにかか?」

 

 思わず吹き出すと、念話を通じてセイバーも笑っていることに気が付いた。

 

『すまない。先に生きた者として、つい世話を焼きたくなってしまうようだ』

「そりゃ、お前から見たら俺なんか子供みたいなもんだろうけどさ……」

『そうむくれてくれるな。貴殿には以前も話したが、私が聖杯にかける願いも友人にまつわるものだから、それも含めて人間関係には少し過敏なのだ』

 

 大きな世話だとは思うが。と彼は笑った。

 

 セイバーの願い。

 確か、喪った家族と友人たちとの時間を取り戻す、だったハズだ。それはつまり、彼が家族や友人を大切に思っていて、そして喪ってしまったことを深く後悔しているということだ。

 それを思えば、成る程。友人との良好な関係を維持しろ、という忠告もわからなくはない。彼は九条に、同じような後悔を抱えてほしくはないのだろう。

 例え九条が既に家族を亡くしていて、その痛みから聖杯戦争に参加したことを知っていたのだとしても。いや、だからこそこれ以上の痛みを増やさない為に。

 

 九条は自身の口角が上がっていることを自覚した。

 戦士。武人といった雰囲気が強いクセに、基本的にこのサーヴァントは保護者気質だ。生前は優れた戦士であったと同時に、さぞや面倒見のよい男であったのだろう。

 

「まあ、忠告はありがたく受け取っとく。仲良くやるよ。俺がアイツに切り捨てられなきゃの話だけどな」

『それはそうだな。だが、昨日や今日の様子を見るにその心配は必要なさそうだ』

 

 冗談めかして言うと、セイバーもまた軽い調子でそう答えた。

 

『それに、貴殿がそうであるように、彼もまた貴殿のことをよく理解しているようだ。それほど理解が深いのなら、そう簡単に離縁することもあるまい』

「お、おう?」

『ほら、彼が言っていたろう? 貴殿はロリコンだと』

「おいこら」

 

 セイバーまで何を言い出すのか。

 まさか玄馬の言うことを真に受けたとでもいうのだろうか。だとしたら大問題だ。玄馬は一発殴らねばならないし、セイバーには令呪の一画でも使っておく必要がある。

 

「唐突なロリコン扱いは納得できねえ。っていうか、お前ロリコンの意味わかって言ってるか?」

『童女趣味ということだろう? ……ははっ、そう睨むな。冗談だ』

 

 だが、とセイバーは続けて、

 

『貴殿が子供に甘い、というのは事実ではあるだろう?』

「それはまあ」

『ここに来るまでにな、それなりの少年少女とすれ違ったが、そのいずれを見る目も貴殿は随分と優しかった。先ほどの迷子の少女の件もあったしな』

「うーん……、子供に優しくするのは当たり前じゃないのか?」

『その通りだとも。が、貴殿のそれは少々度が過ぎているように思うのだ。私の考えすぎかとも思ったが、彼が貴殿の性質に言及したので確信した』

 

 確信? 九条は首を捻った。

 

『貴殿は周囲の子供を、まるで自分の身内かのように扱うのだ』

「うん?」

 

 そうだろうか?

 確かに子供に甘い自覚はあるのだが、セイバーが言うように子供たちを扱っているかどうかは疑問だ。そもそもセイバーの前で明確に子供に触れあったのなんて、さっきの迷子の女の子だけだろう。それだけで九条がそういう質だと断定されるというのはどうなのだろう。

 

 うーん、と九条が微妙な顔をしているのを察してか、セイバーがさらに言葉を続けた。

 

『多くの場合、子供は庇護対象だ。なるべくなら優しくしたい、というのが人情……、多数派ではあるだろう。

 だが、貴殿のその目はなんというか、『なるべく』ではなく『必ず』優しくしなければならない、と思っているような人間の目に見える』

「……えっと、そんな風に見えてるのか俺」

 

 さすがに困惑する。

 確かに九条がそういう人種であるのなら、『子供を自分の身内のように扱う』というセイバーの印象通りの人間だろう。というか、なんならそれは、子供を身内以上に扱っている節まである。

 

 そして九条が何より困惑したのは、そのセイバーの言葉を全く否定できなかったことだ。

 今まで自覚はしてこなかったが、確かに九条は『子供は必ず優しくされるべき』と思っている。そしてそれが叶わないのなら、自分くらいは『必ず優しくしなければ』とも。

 

「まいったな。全然否定できないぞ」

 

 故に九条は渇いた笑みを浮かべることしか出来なかった。

 成る程。つまり伊勢三は、九条のそういう部分を指して『ロリコン』と揶揄していたのか、と妙な納得までしてしまったくらいだ。

 

『他人に押しつけたり、誰かに迷惑をかけるほど暴走しなければ、貴殿のこれは美点だろう。追及しておいてなんだが、気に病むような性質ではあるまい』

「そ、そうだよな。うん、美点美点」

『それにしても、何故貴殿がそういう価値観に至ったのかは気になるところだが』

「え、何故って……」

 

 はて、それは何故だろう?

 特に意識したことはないので、生まれつきじゃないかなあ、と思う九条であった。

 

 

 

 

 

 

「ねむ……」

「まだ昼間でしょう」

 

 ボヤく従者にレオンの鋭いツッコミが入る。

 ホテルにほど近い牛丼屋で朝食を終えた二人は、ホテルへと戻って各々の作業を行っていた。

 

 レオンは主に偵察用の使い魔の作成・調整を。

 先ほどまでコンビニで購入した雑誌をペラペラとしていたライダーは、現在はこれまたコンビニで購入した総菜パンを咀嚼している。

 

 戦闘は夜。そして昼間の諜報活動は主に使い魔に行わせるとはいえ、相変わらずなライダーの態度に、レオンはこの日何度目かになる溜め息を吐いた。

 

「ライダー」

「おう、どうした?」

「無闇に出歩くな、と言ったのはこちらですが、やることがないならないなりに、霊体化するとかあるでしょう。実体のまま、いつまでダラダラやっているつもりです」

「今朝もしたぞ、この問答。いいじゃん、別にアンタの負担にはなっちゃいねえだろ」

「いえ、確実に負担になっていますが?」

 

 サーヴァントを実体化させるにはマスターの魔力が必要だ。霊体化している時に比べれば、こうしてダラダラしているだけでも、レオンの魔力は持って行かれている。

 もっともそれは、無視できる程度の魔力消費でもある。戦闘時であったり、レオンの自身の魔力が残り少ないのならともかく、平時にダラダラさせるくらいなら、魔力消費などあってないようなもの。

 

 自分のサーヴァントが何をするでもなくダラダラしている。

 

 レオンにとって、単純にそれが気に入らないというだけの話である。朝方見た夢に感じた畏怖など、この半日ちょっとで吹き飛んでしまった。主にずっとダラダラしようとするライダーのせいで。

 

「ケチケチすんなよ。アレか、昼飯も食わずに工作なんかやってるからイライラすんだな。腹が減ってはなんとやらだぜ?」

 

 ほれ、食うか? などと、お気楽にライダーが総菜パンを差し出してくる。

 レオン的には断りたかったのだが、生憎と空腹を覚えていたのは確かだ。見れば現在時刻は午後二時を回っていて、ライダーの態度に呆れ返りながらも、それなりに作業に没頭していたことを知った。

 

「……これは?」

「ハムマヨロール。こっちはソーセージサンドで、こいつがヤキソバパン」

「………………ソーセージを」

 

 なんだか色んなことを飲み込んでソーセージサンドを受け取ると、ライダーがニヤリと笑って立ち上がった。

 

「おう。ついでに何か飲むか? 冷蔵庫に買い置きしといたからよ」

「…………」

 

 今更ながら何をしているのか、このサーヴァントは。

 そもそも買い置きしなくてもルームサービスで飲料は手に入るし、飲み物を買い置きさせるためにサーヴァントに自由行動を許していた訳でもない。

 

 軽く頭を抱えかかったレオンに、やはりお気楽なライダーの声がかかる。

 

「コーヒーと紅茶、抹茶ミルクにコーラ。サイダー、ビール、梅酒、ウイスキー……どれがいい? オススメは無難にコーヒーだな。こっちの青い缶より、この金の缶のが美味いと思うぜ」

「ではそれで」

 

 その充実したラインナップはなんなのだろう。

 飲み物の種類も豊富だが、各カテゴリーにつき最低三種類のメーカーのものが用意されている徹底ぶりだ。

 もしやこのサーヴァント、古代人の分際でレオンより現代日本の食に精通していないだろうか。

 

 ライダーから缶コーヒーを受け取ってプルタブを起こす。

 同じタイミングで自分の缶を開けているライダーと目が合った。

 

「あん? ああ、コイツはコーヒー風味のコーラらしいぜ? ……と、うわマジでコーヒーみたいな匂いしやがるな」

 

 いや、別に興味ない。

 

 はー、ともう一度溜め息を吐いて缶を煽る。

 口いっぱいに広がるコーヒーの苦みと酸味。缶コーヒーというからには安物だろうに、不思議とマズいとは思えなかった。むしろスッキリとした飲み口は好ましい部類にすら入る。

 

「……ううん、ダメかと思ったが、意外とクセになるな。妙な感じだぜ」

「……」

「お、どした? 難しい顔して」

「いえ。私も貴方と同じ意見だ、というだけです」

「?」

 

 首を傾げたライダーを無視して、パンとコーヒーを平らげる。

 さて作業を再開しようか、というところで、ライダーがレオンの目の前に置かれていた使い魔をつまみ上げた。

 

「なにをするのです、ライダー」

「怖い顔すんな。別に壊しゃしねえよ。ただ、こんな木偶(デク)みてぇなのが偵察できるってのが不思議なだけ」

「神代の英雄が何を。使い魔など見慣れているでしょうに。あと、それは『みたい』ではなく、正真正銘木偶です」

 

 言ってライダーの手から木偶を取り返すと、レオンはナイフで木偶に

紋様を刻み始めた。

 

「俺は魔術師ってぇより戦士だからな。そういうのはあんまり目にしたことねえんだ。しっかし、ほーお。そんなんでそいつが動くのか」

「刻んだ命令通りの動きを」

 

 ナイフを動かす手は止めぬままレオンが魔力を込めると、テーブルの隅に転がっていた別の木偶がいくつか立ち上がった。

 

「おおー」

 

 そのまま隊列を組んで、木偶たちがテーブルの上を行進し始める。単調ではあっても一糸乱れぬその行進に、ライダーが関心したような声を上げる。

 

「細かな制御をするには、適時私の操作が必要になりますが。冬木を歩き回って、映像を記録して、拠点まで帰ってくる。この程度の命令ならば、事前に刻んだ命令だけで事足りるでしょう」

「へーえ。小せえし、動くと結構可愛いなこいつら」

「話を聞いていますか?」

 

 別にいま、使い魔の可愛さなどは話題にしていなかっただろう。木偶の身長が七センチほどなので、確かに小さくはあるだろうが。

 

「冬木の街には既に10体ほど木偶を放しています。今日の夜までに、できればもう20体ほど解き放ちたい」

「んー? ここで行進してんのが、ひい、ふう、みい、……7体か。あと13? 昨日の夜からやってこれだろ? さすがにその数は無理じゃねえか?」

「できれば、と言いました。たとえ20に届かなくても、使い魔が一体でも増えれば情報収集のレベルも上がります」

「そりゃそうだが。ま、あんまり根を詰めすぎんなよ。偵察も大事だが、肝心なのは実際の戦闘だからな」

 

 とりゃ、とライダーが先頭を行く木偶を指で弾いた。弾かれた木偶に巻き込まれるようにして、行進していた木偶たちがドミノ倒しのように次々と机の上に倒れ込んでいく。

 

「……ライダー」

「悪い悪い、ついな」

 

 言葉とは裏腹に、ライダーはまったく悪びれた様子もなく笑っている。

 はあ、とまた深い溜め息を吐いてレオンは作業を再開した。

 

「精が出るな」

 

 声をかけられたのは、そんな時だ。

 

 慌てて振り返ると、声の主を確認してレオンは居住まいを正した。

 

「師父、おはようございます」

「ああ。……もっとも、おはようと言うには、もう日が高くなりすぎているが」

 

 自嘲気味に言ったのは、レオンの師・エヌマエルである。

 そんなエヌマエルを鼻で笑って、ライダーが口を開いた。

 

「まったくだぜ。それに比べてアンタの弟子ときたら、俺がいつ起こされたと思う? 5時前だぜ、5時前! 朝飯食おうにも、24時間のチェーン店しか開いてなかったぜ。まあ、三種のチーズのせ牛丼は美味かったけどよ」

「ライダー!」

「んだよ、事実だろ。アンタが早起きし過ぎたのも、エヌマエルが自堕落な生活してんのもよ」

 

 それについては同意だが、もう少しオブラートに包むということをできないのか。

 そもそもの話、聖杯戦争は基本的に夜が主戦場だ。日中を休息に充てるのは間違いではないし、大体にして昼間は好き勝手遊び歩いているサーヴァントが言えたことではない。

 

(ライダーは、師父に対して当たりが強くないだろうか……?)

 

 ふと、そんなことを思った。

 ライダーが脱落しない限り、ライダーとエヌマエルの付き合いは続いていく。自分(レオン)が脱落したらエヌマエルと再契約しろ、とも言い含めているし、自分とライダーよりもエヌマエルとライダーの方が長い付き合いになるハズだ。

 それを思うと、後でライダーに言っておいた方がいいかもしれない。いざ再契約してみたものの、ライダーが反発して話にならない、など笑い話にもならない。

 

「レオン」

「っ、はい」

 

 エヌマエルの声に、思考に沈みかけたレオンの意識が浮上する。

 彼はライダーの言葉などまるで気にしていないような素振りで告げた。

 

「今夜も街に出る。場合によってはライダーも借りるが構わないかね」

「もちろんです」

 

 うむ、とレオンの返答に頷きを返して、エヌマエルはそのまま部屋を出ていった。

 再び二人きりになった室内に、ライダーの盛大な溜め息が木霊する。

 

「平然と、自分のサーヴァントを貸すとか言うなっての。それも本人の前でよ」

「今更でしょう。貴方には、私よりも師父を優先しろと何度も伝えていますし」

「耳タコだし、マスターからの命令ならあんま反発する気もねーんだけどさ……」

 

 やる気がなあ、とコーラ片手にガリガリと後頭部をかく。

 

「なあ、アンタ。もっぺん聞いとくけど、なんか聖杯への願いとかねーの?」

「それも何度目ですか。師父を勝たせることが目的で、それ以上は望んでいませんよ」

「うーん、これだもんよぉ」

 

 はーあ、と大げさに頭を抱えるジェスチャー。

 

 このサーヴァントとのやり取りも随分パターン化されてきた。

 日中に遊び歩くライダーにレオンが苦言を呈し、自分よりもエヌマエルを優先しろと命令を与え、それはそれとして聖杯にかける願いは、と問われる。都度、レオンに返せる答えは決まって『師父を勝たせる』しかないのだけど。

 

「せっかくマスターになったんだからよ、もうちょい欲深くなってもいいんじゃね?」

「師父と敵対するつもりは全くないので、考えるだけ無駄ですね」

「夢がない……、いや野心がねえなあ。……ん? じゃあアレだ。あのオヤジがアンタより先にくたばったらどうなんだ?」

「は?」

 

 全く想定していなかった問いに、レオンの思考が凍る。

 

 エヌマエルが死ぬ? それもレオンよりも先に?

 

「それもありえない仮定でしょう。私より師父が先に、などと」

「そうか? あのオヤジ進んで出歩くし、可能性は大ありだと思うがねえ」

「そうならないようにするのが貴方の役目でしょう」

「お? まあそうか? ……いやでも、アイツ別に俺のマスターじゃないしな」

「……ライダー?」

「わかってる、わかってる。せいぜい最善を尽くすよ、それは約束するって!」

 

 知らず不穏な声音になるこちらに、ライダーは取って付けたようなフォローをする。

 この辺りはいつものやり取りではあるのだが、直前の『エヌマエルが死んだら』という仮定のせいで、レオンの内心は穏やかではない。

 

「ライダー。何度も言いますが、くれぐれも師父を」

「だから最善は尽くすって! 口にした約束くらいは守るよ。……それよりも、だ。可能性はゼロじゃあねえんだから、アイツが死んだ時の身の振り方くらいは考えといて損ないと思うぜ?」

「……考えたくありません」

 

 子供(ガキ)か! とライダーが声を上げて笑う。

 

 ライダーの言うことは正論ではあると思うのだが、如何せんその状況を想定したくない。

 そして仮に────あり得てはならない事態だが────そうなってしまったとしたら、レオンの聖杯戦争はそこで終わりだ。エヌマエルを勝たせる以上の望みなんて、レオンにはないのだから。

 

「まあ忠告はしたぜ。せいぜい思い悩めよ青少年」

「……もしかして、私の反応を見て楽しんでいますか?」

「まさか! まじめな忠告のつもりよ。見てておもしろいのは否定しねえけどな」

 

 話は終わり、とばかりにライダーが立ち上がった。

 出入り口の方に向かうのを見るに、どうやらまた街に繰り出すつもりらしい。それもおそらく、偵察などの目的ではなく遊び歩くために。

 

「もし」

 

 レオンの声に、ドアノブに触れたライダーの動きが止まる。

 

「あ?」

「もし師父の願いが、貴方の願いと対立するとしたら、貴方は師父を殺しますか?」

「なんでえ、藪から某に。今の話の流れで、どうしてその質問が出るんだよ」

 

 振り返ったライダーの顔は笑っていたが、レオンにとっては笑い事ではない。

 

 エヌマエルを殺してメリットがある者。

 結界やキャスターの目をかいくぐれる者。

 そして自分より先にエヌマエルが死ぬ、という状況。

 

 そういうことを考えた場合、エヌマエルを最も簡単に殺せる者、且つ殺す理由のあるのは、目の前のこの男である。

 

「それが理由になることはねーと思うから、心配しなくてもいいんじゃね?」

 

 レオンの心底からの心配を、ライダーは軽い調子でそう断ずる。

 あまりにも軽い調子なので、誤魔化されている感がヒドい。というか、完全に誤魔化されていると思う。

 

 さすがに納得が出来ずにライダーを睨むと、ライダーは軽薄な笑みをようやく引っ込めた。

 

「じゃあアンタが不安になるとわかった上で言うが。俺はあのオヤジが嫌いだし、一応でも競争相手なんでさっさと消えて欲しくはある。けど、今は殺す理由が薄いんで、殺さねえだけ」

 

 ライダーは真顔で、本当に不安になるようなことを平然と言ってのける。

 

「理由があれば殺すと?」

「んー、どうだろな。今はアンタの命令があるし、殺るにしてもアンタとアイツだけ残った場合だろ」

「その場合は令呪がありますので」

「真顔でそういうこと言うんだもんなー」

「……では私が死んでいて、貴方が師父と再契約していた場合はどうです?」

 

 溜め息を吐くライダーに重ねて質問を投げつける。

 ライダーは理由が薄いから殺さないと言った。そして殺す理由が出来たとしても、レオンさえ残っていればライダーを止められることはわかっている。

 では、レオンがいなくなった後は? ライダーがはっきりと『嫌いだ』と言ったエヌマエルを殺さないと言い切れるだろうか。

 

「あー、それは大丈夫。アイツ殺す理由って、聖杯戦争勝ち抜けのためくらいだし。よっぽどムカつかねえ限り、アンタがいない状態でアイツ殺すことはねえんじゃねえの?」

「とても不安が残るお言葉をありがとうございます」

「よせ、褒めんなって」

「耳が腐っているのですか?」

 

 げんなりと言うが、ライダーはカラカラと笑うのみだ。

 

「要するに、貴方が師父を殺す理由は絶対に消えはしないけれど、現状その可能性は限りなくゼロに近い、と」

「おう。納得したなら、俺はこれで」

「いえ、待ちなさいライダー」

「んだよ、まだなんか心配事か?」

 

 その通りだ。

 そもそもこの男、

 

「貴方はまだ、私のした最初の質問に答えていないでしょう?」

「んあ? ああー、願いどうこうってやつか。それはその場で答えたろ? あのオヤジ殺すのに、願いが理由になることはねーって」

「その口振りでは、貴方は師父の願いを知っているのですね?」

「いんや?」

 

 眉根を寄せる。

 エヌマエルの望みを知らずに、なぜ自分の願いとぶつからないと断言できるのだろうか。

 

 サーヴァントが聖杯にかける願いと、マスターの願い。

 それらは聖杯戦争を戦う上で最初に確認しなければならないことであり、聖杯戦争中もずっと主従に付きまとう問題だ。願いを叶える為に聖杯戦争に参加する以上、ここだけはおろそかにしてはいけない部分のハズ。

 なんせ、お互いの願いが相容れないものだった場合、そのまま仲間割れで脱落なんてことも考えられるのだ。

 

 それを、どうでもいいとばかりに、目の前のサーヴァントは『願いを知らなくても大丈夫』などと言ってのける。

 

「なぜ、そんな風に断言できるのです? そもそも、貴方の望みとはなんですか?」

「うっわマジか。まさかここでくるかね、その質問。できればエヌマエルの為じゃなくて、自分の保身の為にして欲しかったなあ!」

「質問に答えなさい!」

 

 ライダーが肩をすくめる。

 一方で、レオンはずっと真剣だ。最終的にエヌマエルを勝たせると決めていた以上、自分の願いもライダーの願いもどうでもいいことだったが、ライダーが願いの為にエヌマエルを手に掛ける可能性に思い至ってしまった今、そうも言っていられない。

 最悪、令呪を切ってでも口を割らせる。そうでもしなければ、身内に爆弾がいるかもしれないという状況に、レオンは耐えられそうもなかった。

 

 そんなレオンの心中を察した訳ではなかろうが、ライダーは至ってまじめくさって言う。

 

「俺に願いはねえよ。だから、アンタやあのオヤジと願いが対立することだけは絶対にない」

「なっ……、は……?」

 

 まったく思いも寄らない言葉にレオンは絶句した。

 

 願いがない? 願いもなしに聖杯戦争に呼ばれるサーヴァントなどいるのか?

 

 思わずそんな疑問が脳裏を過ぎる。

 だが、真剣な顔つきのライダーからはこちらを謀ろうとする意志は感じられない。

 

「もっと正確には、召喚されて願いがなくなった。座にいた頃にはちゃんと願いがあったんだが……」

「……それは、記憶に混濁がみられるとかそういう?」

「いや、そうじゃねえよ。ただ、そう。この時代に喚ばれた時点で、()()()()()()()()()()()()

「……え?」

 

 立て続けに浴びせられる、頭を殴られたような衝撃を伴う言葉。

 

 願いが叶っていた。

 

 それは一体どういうことだろう。

 この冬木に来てからライダーがやったことなんて、僅かばかりの戦闘と街の観光程度だ。まさかその程度が聖杯にかける英雄の悲願とも思えない。

 そも、『喚ばれた時点』と言っている以上、なにかするまでもなく願いは叶っていたと受け取るべきで。だからこそレオンには、この英雄の願いがなんであったのかさっぱりわからない。

 

 難しい顔になっていたであろうレオンに対し、ライダーはウインクを一つ寄越すと、

 

「だって、今の世界に神なんていねえだろう?」

 

 その言葉だけを残して、ライダーはとうとう部屋から出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新都に出るわ」

 

 夕闇に染まる遠坂邸。学友から伝え聞いた話を元に、遠坂雅はそう宣言した。

 傍らで弓の調子を確かめていたアーチャーが振り返る。

 

「マスター。では」

「ええ。新都の連続殺人事件と連続失踪事件、どっちも聖杯戦争と無関係とは思えない。まず間違いなくマスターかサーヴァントが絡んでるハズ」

 

 する、と自身の腹部を撫でた。

 先日受けた傷は癒えた。血も魔力も回復した。先生の見送りも済ませた。アーチャーも既に戦闘出来る状態だ。

 冬木に着実に訪れる不穏な気配を前に、これ以上拠点でじっとしている選択肢なんて雅にはない。

 

遠坂(ウチ)の管理下で好き勝手やってくれたバカに、思い知らせてやらないとね」

 

 ぐ、と魔力のこもった宝石を握り込む。

 

「さあ、出陣よアーチャー。敵対する相手は全員倒す。こんなバカげた儀式は早々に幕を引いて、黒幕をとっちめてやらなきゃ!」

「心得ました、我がマスター。貴女に勝利を」

 

 

 

 ────聖杯戦争四日目。転換の夜が始まる。






※FGO第二部配信された昨今、いかがお過ごしでしょうか。

改めまして、こちらのSSと公式で鯖がかぶっても、『別側面』とかこちらのSSは『異聞体やで』くらいで流してもらえると……!!


セイバー:かぶった!
アーチャー:かぶった!
ライダー:あの魔獣もはや雑魚扱いなのワロタ
アサシン:かぶった!
バーサーカー:今度、スイッチでも我が王出るでヨロシク! それはそれとしてオレの立ち絵イケメンやろ?
キャスター:そろそろ公式で掘り下げくるやろこれ

ランサー:かぶった!!←!?



正直お前はぜったいかぶらないと思ってた……

あとこのSSのライダー陣営は、お互いに『しょうがねえなコイツは』と思っていそう。


以下、FGO二部一章のネタバレ含む話



テオドール(以下テ):……むぅ
ランサー:どうした神父。いつにも増してしかめ面で
テ:お前、神霊だったか?
槍:は?
テ:神霊との交わりはあったが、神霊ではなかったハズだ。あとお前が神聖視していたのは、お前自身ではなくお前の槍だったような?
槍:訳の分からんことをグダグダと
テ:あとあの格好で、男と通すのは無理だろう? ポセイドン仕事してなさ過ぎでは?
槍:なんの話かは知らんが、あの神への侮辱は許すが、俺様への侮辱は許さんぞ?
テ:いつも通りすぎて、ちょっと安心した




ちなみに当SSのランサーですが、『男性であり女性である』『女性であり男性である』とかいうややこしい設定なのです。
FGO的なスキルとか宝具の話で解説添えると

ジャックの宝具→特攻が乗らない
エリザのスキル→二重バフがかかる
ファントム、ディルム、エウエウの魅了→効果なし
エウエウ宝具→特攻乗らない
黒ひーのスキル→回復増える
温泉クエスト→両方イケルに決まっておろう?

などなど、性別依存のスキル、宝具の恩恵だけ受けてデメリットは受けないとかいう設定なのですが、公式で実装されたらどうなるんでしょうかね?



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