白銀のアルビオン (りれっと)
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プロローグ

 朝日に照らされながら、きらきらと一面に広がる白銀の世界。昨晩から降り始めた雪は、昨日まで窓から見えていた色とりどりの景色を、ほんの数時間でそんな光景に変えてしまった。

 季節は冬真っ只中で、始祖ブリミルの降臨祭が始まってから三日目の朝。刺すような寒さに思わずうんざりしてしまいそうになる。更にそこへ雪なんて降ったものだから、余計にそれを感じずにはいられなかった。

 一面に雪化粧をされたアルビオン大陸の首都ロンディニウム。普段は石造りの建物が並ぶだけのこの街も、雪によって白く彩られたその姿は極めて幻想的で、且つ美しいものへと変わっていた。

 そしてそれは、ロンディニウム郊外に位置するテューダー魔法学院の付属寮も例外ではなかった。

 

 

 寮のとある一室。控えめな装飾が施された大きなベッドに窓から朝日が差し込む中、その中心で一人の少女が眠たそうに瞳を擦りながら目を覚ました。

 本当ならもう少し眠る事ができたのだが、今朝はいつにも増して冷え込んでいる。

 何やら嫌な予感がする。そう感じた彼女は、ベッドから勢いよく起き上がるとそのままの足で窓へと向かった。そして案の定、外の景色を見た彼女はすぐに落胆する事になる。

 

 「最悪だわ・・・・・・」

 

 昨日まで眼下に広がっていたはずの芝生は見る姿も無いほど白く、西洋風の建築を施された建物も同様、白一色と化していた。

 その光景を目の当たりにした彼女は、思わず大きな溜め息をついた。

 普通の人間からしてみれば、季節の節目を感じる事ができるこの景色に抗議する者は少ないだろう。しかし彼女にはそんな光景に心を踊らす余裕も無く、再び大きな溜め息をつく事しかできない。

 しかしそれは、何も目の前の景色に文句をつけたかったわけではない。なぜなら彼女自身も、目の前に広がっている光景が否定のしようがないくらい、幻想的で美しい事はわかっている。

 ただ彼女からすると、目の前に広がる美しい景色と共にやってきた、この寒さに腹が立っただけなのだ。

 

 「いったいどうして、私が嫌いな冬がやってくるのかしら。景色だけならこんなにも美しいのに・・・・・・」

 

 窓から外の景色を確かめながらぶつぶつと独り言を呟き、眠そうに瞳を擦る。そしてゆっくりと、近くにあるクローゼットへと重い足を向けた。

 

 ──どうして今年に限って雪が積もるのかしら

 

 そもそも寒さが極端に苦手な彼女にとっては、真冬の朝が一番辛い。

 今朝がここ最近で一番冷え込んでいるのは、外の様子を見れば誰もがわかる。そしてそんな朝だから、彼女の機嫌は絶好調に悪い。

 

 「もう!どうしてこんなに寝グセがついてるのよ!」

 

 まるで雪のように長く美しい白銀の髪にクシを入れながら、不機嫌そうな顔で身支度を始めた。

 クローゼットから引っ張り出した純白の学生服に素早く身を包み、準備しておいた杖をポケットにしまう。

 そうして一通りの身支度を済ませると、テーブルの上に無造作に置かれた鞄を手に取り、部屋の出口へと向かった。

 よし、出よう。そう思い部屋の扉に手をかけたとたん、大事なものを忘れた事に気づく。

 

 ────いけない、ブローチ!

 

 すぐさまクローゼットの横の化粧台に駆け寄り、小物入れに大切に入れておいたシルバーのヘアブローチを手に取る。それを慣れた手つきで前髪を脇に寄せ止めると、再び部屋の扉へ向かう。

 

 ────嫌だわ。こんな寒い日に限って使い魔召喚の儀式なんて・・・・・・

 

 なんだか嫌な予感がする。そう思いつつも、彼女は駆け足で寮の廊下を駆けて行くのだった。

 

 

 

 




-あとがき-

はじめまして。数ある作品の中より、当作品に興味を持って頂けた事に大変感謝しております。
この度自らの中で妄想していた世界を書き留めておきたいと思い、書かせて頂きました。個人的趣味のレベルで、誤字脱字や誤った文法等とても読めた物ではないかと思いますが、もし宜しければ一読頂けると幸いです。ついでに感想とか置いていって頂けたらもっと嬉しいです・・・・・・。
これから少しずつ連載させて頂きますので、どうぞ宜しくお願い致します。


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第一章
白銀の世界


 「本当に最悪だわ」

 

 目の前に現れた光景を見て、彼女はまたもや同じ発言をする羽目になった。朝から感じていた『嫌な予感』は見事に的中し、その体はあまりの怒りからわなわなと震えている。

 やはり寒い日は嫌なことしか起こらない、というか何をやってもうまくいかない。もはや頭の中にはそれしかなく、朝から続く機嫌の悪さが手伝って、怒りの頂点はすでに限界まできていた。

 そしてその様子は、周囲にいる同じような純白の学生服を着た少年少女達にも、感じてとることができるほどであった。

 

 「な、なあ、リズ。こ、こういうこともあるって・・・・・・」

 「そうよ!ちょっと・・・・・・その、特殊だからって・・・・・・あまり気に病むことないわ!」

 

 周囲の数人が勇気を振り絞り、怒りで震えるリズと呼ばれた少女をなだめるように声をかける。

 

 「ちょっとですって?」

 

 そう言うとリズは妙な冷静さと怒りを含んだ声で周囲を睨んだ。その眼光はまるで、ヘビがカエルを捕まえる時のそれに似ていた。そのあまりの迫力に、とある少年は声を出すことさえできずに座り込んでしまい、そして数人が恐怖から半泣きで抱き合った。

 しかしそんな様子を気にしたそぶりもせず、リズは怒りの元凶へさっさと視線を戻す。

 

 「ねえ、なんでくぐったの?」

 

 視線の先には少年らしき姿が見える。しかし気を失っているようで、返事が返ってくる様子はない。

 

 「いつまで寝てるのよ。起きなさいよ!」

 

 先ほどから体をゆすったりつついたりしているが、全く反応はない。死んでるのかと思ったが、息はしているみたいだ。

 するとのその様子に段々と苛立ちを覚えたリズは、ついに杖を取り出した。

 

 ──あったまきた!

 

 その怒りは半ば理不尽なものであったが、気を失っている少年に対する怒りと朝からの機嫌の悪さで、もはやリズにそれを気づく余裕はなかった。

 そして取り出した杖を少年に向かってかざし、呪文を唱え始める。

 それと同時に、その様子に気付いた数人が必死で叫んだ。

 

 「ま、待ってリズ!お願いだから魔法を使わないで!」

 「そうだ!頼むからやめてくれ!」

 

 よほど魔法を使わせたくないのか、周囲からリズを制止しようとする必死な声が聞こえてくる。

 

 「うるさーいっ!」

 

 しかしそんな制止も構わず、リズは杖を振り下ろした。

 すると次の瞬間、とんでもない爆発と共に周囲もろとも吹っ飛んだ。

 そして少年が目を覚まし始めたのは、その爆発の直後の事だった。

 

 ──あれ、どうなってんだ・・・・・・

 

 なにやら周囲が騒がしい。そして頭痛に目まいがする。意識がもうろうとする上に、何故かものすごく寒い。

 そんな状態だから、周囲の喧騒は今の彼にとって非常に不愉快極まりないものだった。

 

 ──なんだよ、せっかく人が気持ちよく寝てんのに!

 

 最初は気にしないようにしていたが、徐々にそれがうっとうしく感じてくる。そして暫らくしないうちに、その我慢は限界を迎えた。

 

 「うるさっ・・・・・・」

 

 勢いよく体を起こした彼は、周囲の喧騒を制止しようと、思いっきり叫ぼうとした。

 しかしすぐに視界に飛び込んできた光景に、思わず言葉を失ってしまう。

 最初に見たのは、一面に広がる銀世界。そしてその中にいる、うっと息を呑むような白銀の髪の美少女。彼女の透けるような青い瞳と白い肌は、どこか遠い異国を思わせる。白い学生服を身にまとったその姿は、一瞬であったが妖精でもいるのかと錯覚させるほど美しかった。

 そんな光景に思わず口を半開きにして固る彼をよそに、リズは苛立ちを隠す様子はなかった。

 

 「やっと起きたの?」

 

 その言葉で我に返る。

 

 「そりゃまあ、これだけ騒がしければ」

 

 見れば周囲はパニック状態だった。何故か黒こげになっている者や泣きわめく者。大声で助けを呼ぶ者もいれば、気を失っている者もいた。それは誰が見ても大惨事と言わざるを得ない光景だった。

 

 「・・・・・・何があったの?」

 

 一番事情を知っていそうなのは目の前にいる彼女だった。

 

 「な、なんでもないわ」

 

 冷や汗をかかんばかりに、リズは視線を逸らしながら言った。

 

 「んなわけねえだろ!」

 

 すかさず突っ込みを入れる。するとそれに続き、周囲から罵声が飛んでくる。

 

 「だから言ったんだ、やめとけって!リズが魔法使って爆発しなかった試しなんてないんだよ!ちくしょう!」

 「ほんとよ!制服がボロボロじゃない!」

 

 そんな周囲からの声も意に介さず、リズは澄ました顔で立っている。

 

 「爆発したの?」

 「ほんの少しだけよ」

 「これで?」

 

 何故爆発したかはわからないが、お世辞にも少しとは言えない状況だった。しかしそれは彼女自身も重々承知のようだ。

 

 「う、うるさいわねえ!そんな事はどうでもいいじゃない!それよりあんた誰よ!」

 

 無茶苦茶だ・・・・・・。そう思いつつも、渋々答える。

 

 「おれ、浅海清太」

 「アサミセイタ・・・・・・?変な名前してるわね」

 「余計な御世話だ。そういう君は?」

 「リズ・リーデルよ。テューダー魔法学院の二年生」

 

 ──魔法学院ときたか・・・・・・

 

 全く聞きなれない言葉に、清太は少しばかり動揺した。アニメや漫画の世界なら耳に入ってきそうな言葉だが、今は現実世界。夢を見ているわけでもなさそうだし、聞き間違いか何かだろう、清太はそう判断した。

 

 「で、あんたはどこの学校の生徒?見慣れない制服だけど・・・・・・そもそもアルビオンの人間?」

 

 清太の服装を見て、リズは不思議そうな顔をする。

 今着ているのは通っている高校の制服だ。何か特別なコスプレではないし、本よりそんな場所に来た覚えもない。

 

 「どこの制服って、高校のだけど」

 「高校?なによそれ?」

 

 今までの表情と打って変わって、きょとんとした幼いものだった。そのギャップに思わず心臓が跳ねる。

 

 「なによそれって。君たちも高校生じゃないの?」

 「さっきも言ったじゃない。ここはテューダー魔法学院よ!」

 「だから魔法ってなんだよ!」

 

 そう言うと、リズは突然考え込むように黙り込んだ。そして暫らくして、おもむろに口を開く。

 

 「ねえ。そんな格好してるけど、あんたもしかして平民?」

 

 少しばかり困ったような表情でこちらを覗き込んでくる。

 

 「平民ですと?」

 「そうよ。魔法知らないんでしょ?」

 「ああ、知らん」

 「なら平民じゃない。その制服どこで手に入れたのよ」

 

 いよいよ彼女──リズと呼ばれた少女の言っている事がわからなくなってきた。会話が噛み合っていないのか、そもそもお互いの理解の範ちゅうを超えているのか。

 清太はそれに少しばかり苛立ちを覚える。

 

 「それと俺の制服に何の関係があるんだよ!」

 

 思わず声を荒げてしまったが、当の彼女は気にした様子も無く、淡々と説明を続けた。

 

 「だって魔法の存在さえ知らないって事は、メイジでもなければ貴族でもないでしょう?」

 

 言ってる事も理解できないが、それよりも貴族という言葉に驚かされた。

 そんなもの、歴史の教科書でしか見たことがない。やはり何かの冗談か、もしくは夢か。

 いろいろ考えているうちに、清太はいくつか不審な点に気づく。

 

 ──あれ、そもそもここどこだ?

 

 混乱していた為考える余裕がなかったが、今おかれている状況は理解しがたいものであった。

まずは後方に見えている西洋建築の城。そして次に、見渡す限り一面に積もった雪。日本国内にあんな城があることは知らないし、ましてや雪が降るのは季節的に早すぎる。

 そして唯一そこからわかることは、少なくとも自分が元いた場所ではないということ。

 清太はそれを確かめるべく、リズに自らが住んでいた地名を尋ねることにした。

 

 「あのさ、もしかして・・・・・・」

 

 だが、清太がたどり着いた答えをリズに確認するよりも少し早く、何者かによってその会話が遮られた。

 

 「はいはーい!おしゃべりはそこまでよ!」

 

 自分達を含め、周囲にいた全員がその声の主に注目した。

 どこにいても目立ちそうな、長く燃えるように赤い髪。どこか気品の高さを感じさせる高くも低い声。そして一言で体型を表すなら、ナイスバディ。そんな一人の女性が、手を叩きながらこちらへやってくる。そしてリズと清太の前で立ち止まると、にっこりとほほ笑んだ。

 

 「こんにちは、リーデルさん。それと黒髪の坊や」

 

 そんな彼女を余所に、リズと清太は茫然と女性を見つめた。

 

 「あらあ、そんな心配しないで?別に怪しい物じゃないわよ?」

 

 そう言うと、彼女は懐から羊皮紙を取り出した。

 その羊皮紙には清太が見たことがない文字が書かれていたが、リズはスラスラと読んだ。

 

 「テューダー魔法学院教授補佐、キュルケ・フォン・ツェルプストー・・・・・・?」

 「そうよ、はじめまして。今年からあなた達の授業のお手伝いをする者よ」

 

 それでもいまいち状況が飲み込めないのか、リズは漠然としない表情だった。

 

 「驚かせてごめんなさいね。ちょっと彼を借りたくてお邪魔したのよ」

 

 そう言うとキュルケは清太を見つめる。その大人びた表情は、年上特有のどこか吸い込まれそうになるものがあった。

 その大人びた雰囲気と、キュルケの胸元で揺れる二つのそれに、清太は動揺と期待で顔を真っ赤にした。

 リズもそれは大そうな美人だが、キュルケはそれで素晴らしいものがあった。そして清太は無意識のうちにリズとキュルケを見比べるのであった。

 

 「お、俺ですか?」 

 「そうよ。それで、ちょっと借りていいかしら?」

 「はい。まだ契約の儀式もしていませんし、そもそも彼は私の物ではありませんので・・・・・・」

 

 少し困った表情で、リズは首を縦に振った。

 

 「そう。じゃ、ちょっとごめんなさいね?」

 

 キュルケはすぐに清太に腕を回すと、そう言い残して半ば無理やり城の方へと引きずって行く。

 そしてそんな二人を見ながら、リズは思うのであった。

 

 ──あの人、何だか気に入らないわ。それに清太とかいったかしら。あいつ、私とあの人を比べた・・・・・・

 

 次第に小さくなっていく二人の姿を見ながら、リズはきゅっと唇を噛むのだった。 

 



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魔法の世界

 「やっと信じる気になったかしら?」

 

 腰を抜かした清太の目の前で、半ば呆れた表情のキュルケは溜め息をついた。

 

 「はあ。信じますよ・・・・・・」

 

 そしてまた、えらく元気を無くした清太も溜め息混じりの返事をするのであった。

 

 「あなた、ずいぶんと往生際が悪いわね」

 「そう言われても。いきなり魔法を信じろって方が無茶ですよ・・・・・・」

 

 そう言うと清太は肩を落とし、二度目の溜め息をつく。

 つい先ほど、中庭より見えていた西洋建築の城──正しくはテューダー魔法学院の本校舎──へと連れて来られた清太は、その中にある少しばかり広めの部屋に案内されていた。そこでキュルケによって、それまで全く信じていなかった魔法をまざまざと見せつけられ、見事腰を抜かす羽目になった。

 彼女によって披露された魔法は様々で、最初は単純なコモンマジックから始まり、やがてはトライアングルクラスの上級魔法までフルコースであった。しかし魔法の存在を知らない清太にとっては、コモンマジック程度だと何かの手品にしか見えないのが現実である。

 するとそこで『もっとすごい魔法を見せてくれ』なんて言ったものだから、魔法を信じたくない清太と、信じさせたいキュルケの壮絶な戦いが始まってしまったのだった。

 結果としては清太が惨敗、というよりもやむなく信じる形になったのだが、最後に見せたキュルケのファイアーボールは流石に応えたらしい。清太は驚きから床に座り込んでしまった。

 

 「いや、驚かせてしまってすまない」

 

 そう言って口を開いたのは、部屋の隅でキュルケと清太のやりとりを見守っていた男性だった。

 彼は身の丈ほどの大きな杖を持ち、眼鏡をかけていて、年は三十代後半といったところだろうか。足首までありそうなローブを身に纏い、いかにも〝魔法使い”と言わんばかりの格好である。

 彼は腰を抜かした清太にそっと手を差し出すと、そのまま引き揚げた。

 

 「いえ、気にしないでください」

 「そうか、ありがとう。私はジャン・コルベールだ」

 

 そう言うと再び彼は手を差し出す。清太はその手をとり、がっちりと握手をした。

 

 「浅海清太です」

 「どうも、セイタ君。それで・・・・・・あちらにいらっしゃるのがこのテューダー魔法学院の学院長、ホーキンス・アルスター学院長だ」

 

 コルベールはそう言うと、部屋の奥にある立派な椅子に腰かけたもう一人の男性に目をやる。

 

 「はじめまして。ホーキンスだ」

 「は、はじめまして・・・・・・」

 

 清太は先ほどの魔法に続き、またもや驚いた。ホーキンスはにっこりとほほ笑んではいるが、その貫禄はどう考えても一般の人間が持ち合わせているものではない。もしこの世界に戦争があるならば、一つや二つくぐり抜けていてもおかしくはなさそうだ。何も知らない清太が見てもそう感じてしまうので、よほどの人物なのは間違いないだろう。

 

 「はて、本題に入ろうか」

 

 いつの間にかホーキンスの笑顔は消え、その表情は硬く真面目なものへと変わっている。

 

 「セイタ、これから話す事を落ち着いて聞いてもらっていいかしら?」

 

 それはキュルケやコルベールも同様であった。

 しかし未だに混乱から解放されない清太にとって、今更冷静になるのは不可能であった。

 

 「はい・・・・・・」

 

 力無く頷く清太に、キュルケは少し困りながらもゆっくりと説明を始めた。

 

 「魔法は信じてもらえたかしら?」

 「ええ、まあ」

 

 最初は半信半疑だったが、もはや手品の域を超えた現象に、信じる他選択肢は無かった。

 

 「なら早いわね。薄々は気づいていると思うけど、ここはあなたがいた世界ではないのよ」

 「やっぱりそうですよね・・・・・・」

 

 どうか違ってくれと思っていた自らの予想は、見事に的中してしまった。やはりここは自分が元いた世界ではない。つまりそれは“異世界”を意味する。

 中庭から見えた風景と聞きなれない地名、降るはずのない雪と手品を超えた超常現象。もはや異世界ではないと否定するほうが困難である。

 

 「あら、そこだけは素直に受け入れるのね」

 「そりゃあ、あんなもの見せられたら」

 

 しかしここで疑問に思うことがあった。

 

 ──なんでこの人達は俺が異世界から来たって知ってるんだ?

 

 それはごく自然な疑問であった。自分でさえ異世界と気づいていないのに、それを彼らが先に気づくはずがない。現にリズと名乗る少女は、別の世界の人間と疑いもしなかった。

 では魔法を知らないからだろうか。そうとも考えたが、それをリズに説明した途端に“平民”などと言われてしまった。

 出口の見えない疑問にしばらく自問自答を繰り返したが、満足のいく答えは一向に出ない。困り果てた清太は、やむなくその答えを知っているであろう彼らに尋ねることにした。

 

 「あの、一ついいですか?」

 

 しかしコルベールの答えは、清太が期待していた答えの遥か先だった。

 

 「君が異世界から来たことをなぜ知っているか・・・・・・かね?」

 「は、はい」

 

 まるで最初から知っていたかのような口ぶりに驚きを隠せない。

 

 「驚くのも無理はない。私たちは過去に君と同じような少年と出会っているんだ」

 

 そう言うとコルベールは、この“異世界”に関する事を話してくれた。

 清太が召喚された使い魔召喚の儀式、貴族と平民の違い、そしてこのハルケギニアやアルビオンの歴史。どれもかなり大まかではあったが、ある程度の事はかろうじて理解することができた。

 そしてもう一つ、清太に関わるかもしれない重要な事として“虚無の担い手”と“伝説の使い魔”という話があった。それは清太がこの世界に召喚された理由や、その結果何が起こるかなど、どれも信じるのはまだまだ難しい内容ばかりだった。

 

 「つまりその・・・・・・彼と同じように、オレが伝説の使い魔だと?」

 「いや、あくまで仮定の話だがね」

 「その彼は今どうしているんですか?」

 

 自分が伝説だろうが、もはやどうでもよかった。今の清太には、少しでも元の世界に帰れる手がかりを見つけたい。そしてもし彼がすでに元の世界に帰ることができていたなら、自分もきっと帰れるはずである。清太は微かに見え始めた光にすがりたかった。

 しかしコルベールから返ってきた答えに、その希望は一瞬にして掻き消されてしまう。

 

 「彼は・・・・・・亡くなったよ」

 「え・・・・・・」

 「残念だが、もうずっと昔のことだ・・・・・・」

 

 清太はへなへなとその場に座り込んでしまう。その様子を見たキュルケは心配そうに体を支えた。

 

 「大丈夫よ、あなたが帰る方法を私たちも一緒に探すわ」

 「そうだセイタ君。我々も手伝おう。まだ帰れないと決まったわけではないぞ」

 「はい・・・・・・」

 

 しかしそんな言葉も、ほとんど耳に届いていなかった。

 果たして本当に帰れるのだろうか。もしかしたら死ぬまで一生このままかもしれない。そんな不安が清太を支配していた。

 するとそれまで黙っていたホーキンスがゆっくりと椅子を立ち、清太の目の前までやってくる。

 

 「彼は・・・・・・帰れないかもしれないという運命を背負いながらも、この世界で勇敢に戦った。なぜなら、この世界で“守るべきもの”を見つけたからだ。そしてそれを守るために、自らが得た力を正当に駆使した。結果として彼は英雄と称えられ、今でも伝説として受け継がれている」

 「オレにも・・・・・・そうなれと?」

 「いや、違う」

 

 ホーキンスはなぜか優しくほほ笑むと、清太の肩に手を置きながら言った。

 

 「せめてこの世界にいる間は・・・・・・我々はできる限り君を守ろう。何かの縁があって巡り合わされた不思議な力だ。もし君が彼と同じ力を得たとして、それをどう利用しても構わない。無論その力を使っても、使わなくても、だ」

 

 何を言っているんだろう。清太はただ茫然とホーキンスの話を聞いた。

 

 「だから君は好きに生きなさい。何かに囚われて己の本当の希望を失ってほしくない。君がもしかしたら得るであろうその力は、例え自らが望んでいなくてもこの世界を変えてしまい、そして何より君自身を大きく変えてしまう」

 

 窓からの景色を見ながら、どこか遠くを見るような瞳でホーキンスは呟いた。

 清太はわずかながらも、彼らが自分を案じてくれているんだと悟った。それは今の清太にとってこの上ない救いである。

 

 「だがもし、君がこの世界に留まる事になったのであれば・・・・・・」

 

 再び清太の方を向くと、今までにないくらい優しく笑った。

 

 「嫁くらいは探してやろう」

 

 そう言うと、かっかっかと高笑いをしながら扉へと向かって行く。そして去り際に、ホーキンスは気になる事を言い残した。

 

 「ああそうだ、大事なことを忘れていた。彼女・・・・・・リーデルとキスをするときは覚悟をもってしたまえ」

 

 そう言って去っていく。そしてしばらくしないうちに、部屋の扉が誰かにノックされた。それに気付いたキュルケが声をかける。

 

 「はーい、どなた?」

 「リズ・リーデルです。お呼びでしょうか?」

 「ああ!リーデルさんね!ちょっと待ってちょうだい!」

 

 それを聞いたコルベールが急いでこちらに駆けよってくる。

 

 「いいかいセイタ君。これから言うことは一度しか言わないよ。さっき説明した平民と貴族の違いは覚えているね?」

 「は、はい」

 「これから君は記憶を無くした貴族だ。だから魔法もその使い方も、自分の故郷も覚えていない」

 「は、はあ」

 「当然、異世界から来たなんて間違っても言ってはいけないよ。それを知っているのは、先ほどまでこの部屋にいた学院長を含め四人だけだ」

 「わ、わかりました」

 「よし。何か困ったことがあったら、学院長か私、もしくはキュルケ君へ遠慮無く言ってくれ」

 「はい」

 

 コルベールは無言で頷くと、キュルケに視線で合図する。それに気付いたキュルケはゆっくりと扉を開けた。

 

 「待たせちゃってごめんなさいね」

 「いえ・・・・・・。それで要件は何でしょうか?」

 

 長く待たせすぎたのか、リズは少しばかり不機嫌そうな顔で中の様子を覗いた。

 

 「彼の面倒を見てもらいたいのよ」

 「えっ」

 

 清太は驚きの声をあげた。

 

 ──なんでよりによってコイツが!

 

 それは嫌だと、必死で目で抗議するが完全に無視されている。それどころか、キュルケに紹介されるような形で清太は前へと押し出された。しかしリズはそれに気づいていないかの如く、清太を無視する。

 

 「なぜ私が?」

 「彼ね、記憶がないのよ。どうやらどこかの貴族の子らしいんだけど、全く見当がつかなくて」

 「だからってなんで・・・・・・」

 「召喚したのあなたでしょう?」

 

 意地悪そうな笑顔でキュルケはリズに笑いかける。そんなキュルケに言い返す言葉が見つからないのか、悔しそうな顔で黙っている。

 

 「別に隅々まで見ろってわけじゃないんだから。それとも何?夜のお世話までするつもりでいたのかしら?」

 「そんなわけないじゃない!」

 

 リズは顔を真っ赤にしながら勢いよく叫んだ。

 

 「ごめんなさいね、冗談よ。てことで、はい」

 

 そう言ってリズに羊皮紙を一枚手渡す。それは先ほどホーキンスが机の上で何やら書いていたものだった。

 

 「これは・・・・・・」

 「そうよ。そこに彼がこれから生活する部屋、当面の資金、日用品の調達まで大体の事は書いてあるはずよ」

 「これ、私が管理するんですか?」

 「違うわよ、彼にその手伝いをしてあげてほしいだけ」

 

 それでも不服そうな顔をしている彼女に、キュルケは小包を投げてよこした。

 それを受け取ったリズは、中身を確認して驚いた顔をする。

 

 「これ・・・・・・」

 「火竜のツメよ。やたらと探しまわってたみたいじゃない」

 「いったいどこで・・・・・・」

 「細かい事は気にしないの。ほら、彼を宜しく」

 

 清太は勢いよく背中をどつかれ、部屋の外へと追い出された。それと同時に扉が閉まる音がする。

 

 「いってえ・・・・・・」

 

 清太は背中をさすりながら無意識に顔をあげた。すると息のかかるくらい近くにリズの顔が映る。目線は彼女のほうが一回り下ではあるが、その端麗な容姿は一切そのことを感じさせない。

 空のように透き通った青い瞳と白銀の髪。雪のように美しい白い肌は、そんな彼女の美しさを更に引き立てる。

 何度見ても見とれてしまいそうになる光景に、清太は思わず息を呑んだ。簡単に言ってしまえば、こんな可愛い女の子に一度として出会った事がないのである。

 しかし、ただ茫然と立ち尽くす清太に対し、不機嫌なリズはお構い無しだった。

 

 「近いんだけど」

 

 突然かけられた言葉で、清太は我に返る。

 

 「ご、ごめん!」

 「あまり人の顔をじろじろ見ないでくれない?頭くるから」

 

 ──ぜんっぜん可愛くねえ・・・・・・。

 

 リズに対する評価が急降下する。しかしそれでも可愛く見えてしまうリズに、清太は少しばかり腹が立った。

 

 「はいはい。わるかったよ」

 「・・・・・・まあいいわ。ところであんた何者?」

 「何者って・・・・・・そう言われてもなあ」

 「仮にどっかの貴族にしても、いくらなんでもこの待遇は良すぎるわ」

 

 キュルケから渡された羊皮紙を開きながら、リズは驚いた顔でそれに見入っている。清太は試しに覗いてみたが、やはり文字が読めないので意味が無い。

 

 「学院寮の一室を与え、そこでの生活またはそれ以外での活動における経費の提供。個人の活動に対して制限は設けない・・・・・・」

 「そうやって書いてあるんだ・・・・・・」

 

 言っている事もあまりわからないが、それなりに良い待遇を用意してもらえたようだ。しかし清太からしてみると、その待遇よりも早く元の世界に帰りたいのが本心である。

 

 「あんた、まさか字も読めないの?」

 「うん」

 「完全に平民じゃない。やっぱりどっかの貴族なんて嘘でしょう!きっとあの赤い髪の人も学院長もあんたに騙されてるんだわ!」

 「え!ちょっとまった!き、記憶が無いんだってば!」

 「言い訳はあんたが灰になってから聞いてあげるわ!」

 「灰になったら言い訳できないよ!」

 

 しかしそんな叫びも空しく、リズはまたもや杖を取り出し、それを清太に向ける。

 そんな時、先ほどの光景が頭を過ぎる。目覚めた時にはすでに爆発した後でどれほどの規模かは把握できていないが、あの状況からすると相当な爆発だったに違いない。そんな事をここでされたら一溜まりもないのは目に見えている。

 

 「ちょっと!杖はやばいって!爆発するよ!」

 

 しかし清太のその一言に、リズはピタリと動きを止めた。

 

 「今、何か言ったかしら?」

 

 そこで清太は、自分がとんでもない失敗をしたことに気づく。間違いなく言ってはいけない言葉を口にしてしまった。恐らくそれはリズの起爆剤とも言える言葉だ。

 

 ──恐らくコイツは“爆発”という単語に対して過剰に反応する・・・・・・

 

 先ほどの出来事から推測するに、恐らく間違いないだろう。それにいち早く気づいた清太は、必死で言い訳を考えた。

 

 「え、えと・・・・・・ほら!す、素敵な花火がドーンって・・・・・・」

 

 両手を広げて花火を表現する。だがあまりにも苦しい言い訳に、額から冷や汗が垂れるのが感じられる。

 そして当然、そんな苦しい言い訳が通用するはずもないのである。リズが必死で冷静を装っているのが見て取れるほどに、体がわなわなと震え始めた。

 

 「そ、そのドーンは何を表わしているのかしら・・・・・・?」

 

 さっそく追い詰められた。これではどっちにしろ“爆発”という単語を使わなければならない。しかしそれを言ってしまえばそこまで、清太は灰になるだろう。

 必死で逃げ道を考える清太に、痺れを切らしたリズが詰めに入った。

 

 「どうしたの?黙ってちゃわからないわ」

 

 突然飛んでくる大きな威圧感。その先にいるリズを見た清太は、あまりの恐怖から後ずさる。

 言ってはいけないのはわかっている。しかし、次第に大きくなっていくリズのドス黒いオーラによって、それすら理解できなくなっていた。

 

 「ば・・・・・・」

 「ば?」

 「ばくはつ・・・・・・?」

 

 気付いた時には遅かった。次の瞬間、ドーン、という大きな音と共に清太は白い光に包まれた。

 その様子を見たリズは満足したのか、ぽつりと呟く。

 

 「やだわ。魔法って一度もまともに成功したことないのよね・・・・・・。私って才能ないのかしら」

 

 リズは少しばかり不思議そうにしながらも『まあいいわ』なんて呟きながらその場を後にした。

 そしてそれを聞いた清太は『じゃあやるなよ・・・・・・』と言おうとしたが、そこで力尽きてしまうのであった。

 

 

 

 その頃、コルベールとキュルケは日が昇りきった空を窓から眺めながら、午後のひと時を楽しんでいた。

 

 「何かしら、今の揺れ」

 「さあ、何かあったんだろう」

 

 空になりかけたカップに、キュルケが紅茶を注ぎ足す。それを確認したコルベールは礼を言うと、カップを口に運んだ。

 

 「ところでジャン、あんな嘘ついてよかったの?彼にとってあまり良いことでは無いと思うんだけど・・・・・・」

 「サイト君のことかい?」

 

 キュルケは無言で頷く。それを見たコルベールは、窓の外に視線を向けた。

 正直なところ、コルベールもあの時の“サイトの死”という嘘は咄嗟のものだった。本当は真実を教えてあげたいし、虚無の力をもってすれば元の世界に帰れることも教えてあげたい。それは彼自身の本心であり、良心である。

 しかしそれをしなかったのは、何かまた不吉な事が起こる前触れではないかという不安がコルベールにあったことと、そしてもう一つ、個人的な理由があった。

 

 「そうだな・・・・・・。何故かわからないが、彼に期待してみたくなったんだ」

 「期待?」

 

 それを聞いたキュルケは不思議そうな顔をするが、コルベールはそれ以上何も語らない。だがキュルケも何かに気づいたように、それ以上何も口にしなかった。

 そんな二人は、日が茜色に変わるまで、ゆっくりとその小さな時間を満喫するのであった。

 




-あとがき-

多くの方に目を通して頂けている事に感謝しております。
週一回程度(月曜日の深夜)の更新を目途に、時間を縫って書いていこうと思っています。
もし宜しければ、続編にもご期待頂けると幸いです。


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冬の朝に

 「おーい、清太!早くしないと先行くぞー!」

 

 十一月半ば、マフラーが欠かせないほど冷えた朝。閑静な家々が立ち並ぶ住宅街の一角で、自転車に乗った同級生がこちらに向かって叫んでいる。

 その声に気づいた清太は、中途半端に制服を着込んだ状態で自室の窓から叫んだ。

 

 「すまん、先に行ってくれ!すぐ追いつく!」

 「またかよー、遅れんなよー!」

 

 浅海清太、十七歳。苦手なもの、冬と朝。そんな彼はこの季節になると決まって寝坊をする。冬の刺すような寒さは彼にとって非常に辛いものであり、ましてやどんな時でも秒単位で長く寝ていたい彼に、もはや布団から出る理由はない。

 そして今日も当たり前のように寝坊をする。ベッドや机の上に置かれた目ざまし時計は、全くもってその役目を果たせていないのであった。

 

 ──いっけね、もう出ないと遅刻する!

 

 時は一刻の猶予も無かった。光の速さで準備を終え、朝食を食べることも忘れた清太は、急いでガレージに止めてある自転車に飛び乗った。

 勢いよくこぎ出した自転車で、刺すように冷たい風を切りながら疾走する。自宅を出て直ぐの角を曲がり、人で込み合う大通りを抜け、そしてお決まりの上り坂へと辿り着く。多くの人はこの急な坂を嫌い迂回するが、清太はある理由から好んでこの坂を選ぶ。

 通常、迂回せずにこの坂を進めば、当然の事ながら時間の短縮にもなるのだが、それとは別に大きな理由がもう一つある。

 それは坂を登りきった時に見れる景色だ。自分が住む街を一望することができるこの景色は、季節に応じて色々な顔を日々見せてくれる。

 そんな辛い坂を登りきった人だけが手に入れることができる喜びを満喫するのが、清太の日課であった。

 

 ──よし、行こう!

 

 ほんの少しの時間ではあるが、今日の景色をしっかりと目に焼き付けた清太は、再び自転車を走らせる。

 当たり前の事だが、登りきった後には下り坂が待っている。そしてその先には清太が通う学校が見えている。しかし学校までの最後の道のりは、少しばかり気分が沈んでしまう。

 

 ──今日も同じ朝か。きっと一週間先も、一か月先も変わらないんだろうなあ。

 

 いつもと変わらない風景が流れていく。それが少しばかり寂しかった。新しい何かをしたいわけでもないし、大きな変化が欲しいわけでもない。ただせめて何か世界の変化を感じたくて、清太は毎朝のようにこの坂を上った。だから次第にいつもの時間へと戻されてしまうこの下り坂が、清太はあまり好きではなかった。

 しかしそういった変化は、突如として現れる事がある。それに巡り会えるのはごく一部だが、いつかそうなりたいと願う強い気持ちはきっと裏切らない。

 

 「うわ!なんだあれ!」

 

 坂を下っている最中、突如として現れたそれに清太は思わず叫んだ。数メートル先に大きな鏡のような物が現れたのである。

 急な下り坂、今からブレーキをかけても明らかに遅い距離。清太はそのままの速度で、鏡らしきものへと衝突する。

 

 「うわぁぁああっ!」

 

 すぐにガラスを突き破るような音が聞こえてくる・・・・・・はずだった。しかし、聞こえてきたのは女の子の驚いたような声だった。

 

 「きゃぁっ!」

 

 驚きのあまり、勢いよく体を跳ねあげる。何事かと周囲を確認すると、先ほどの廊下と驚いた顔をしてこちらを見ている一人の少女が目に入った。

 

 「あれ・・・・・・夢か・・・・・・」

 

 どうやら先ほどリズにやられた爆発の衝撃で、そのまま眠りこんでしまったようだ。

 窓から差し込む光はいつの間にかオレンジ色に変わり、周囲の気温も少し下がってきたせいか、先ほどよりも冷え込んでいる。

 そして自分は何故か長椅子に寝かされ、その体を覆うように見覚えのある白いブレザーがかけられていた。そのサイズはかなり小さい。清太の横で心配そうな顔をしている少女のものだろうか。

 

 「ご、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだ!」

 

 少女は大丈夫と言わんばかりに、勢いよく首を横に振った。その様子を見て少し安心する。

 

 「ところでこれ、君の?」

 

 そう言うと、何故か申し訳なさそうに首を縦に振る。明らかに年下と思わせる幼い顔立ちと、大きな瞳。どこか親近感を覚える長い黒髪のツインテールが、彼女の動きに合わせてゆっくりと揺れる。

 

 「本当にありがとう。とても助かったよ」

 「い、いえ・・・・・・」

 

 少し嬉しそうな顔をしつつも、うつむき加減にこちらを確認しながら、少女はゆっくりとそのブレザーを受け取った。その上目づかいのようなしぐさに、清太は一瞬ドキッとさせられてしまう。

 

 「ご、ごめんね。俺のせいで冷えちゃったりしてない?」

 「そ、そんなことないです!全然平気です!」

 「それならよかった」

 

 清太はゆっくりと立ち上がる。しかし先ほどの爆発がよほど効いたのか、足元がふらついてうまく立てない。

 

 「くっそー、ほんと容赦ねえな・・・・・・」

 「何があったんですか?」

 「ちょっと爆発に・・・・・・」

 

 その言葉で思い当たる節があるのか、少女はハッとした顔をする。

 

 「もしかして・・・・・・リズさんですか?」

 「え、知ってるの?」

 「私、いつもお世話になってるアリー・ペントレイトと申します」

 「清太です」

 

 アリーは軽くお辞儀をする。

 

 「ごめんなさい。私、少し人見知りで・・・・・・。リズさんのお友達の方だったんですね」

 「友達というか・・・・・・」

 「違うのですか?」

 

 少し不思議そうな顔をする。実際のところ友達ではないし、ましてや知人といえるほど中も良くない。だがそれを否定するのもアリーに悪い気がして、清太は誤魔化すことにした。

 

 「まあ、そんなところ・・・・・・」

 

 疲れ切ったように呟く清太の様子を見て、アリーは何故かクスクスと笑った。

 

 「ごめんなさい。リズさんは行動こそちょっとアレですけど、本当はとてもお優しい方ですから。どうか許してさしあげてください」

 

 だがその様子は何故か嬉しそうだった。清太もそんな優しい笑顔を見ていたら、どうでもよくなってしまった。

 

 「ところでどうしてさっきから敬語なの?そんな丁寧に喋らなくたって・・・・・・」

 「リズさんと同学年の方ですよね?私、一つ下の一年生なんです」

 

 少し申し訳なさそうにしている様子に、やっと気付く。そもそも、自分もリズと同学年なのだろうかと疑問に思ったが、そこは触れないでおくことにした。

 

 「ああ!でも気にしなくていいよ、俺そういうの嫌いだし」

 「いえ!そんな失礼なことはできません!」

 「どうしても?」

 「は、はい・・・・・・」

 

 アリーは少し困った顔をして、申し訳なさそうにする。そして清太も困っていた。今の状況を傍から見ると、いたいけな少女に変な質問を浴びせているようにも見える。

 この状況、なんだかよろしくない。何故かわからないが、清太の本能がそう知らせる。

 だがその心配もつかの間、突然ゴンッという鈍い音が響き、頭にとてつもない衝撃が走る。

 

 「ぐおっ」

 

 あまりの激痛に思わず頭を抱える。すぐに何が当たったのかと正体を確かめると、足元に辞書ほどの厚さの本が落ちていた。頭をさすりながら、それを拾った清太はゆっくりと顔をあげた。

 

 「アリーに手え出すんじゃないわよー!」

 「うげぇぇええっ!?」

 

 更にそこへ不意打ちで飛び蹴りを食らった清太は豪快に吹っ飛ぶ。その様子をアリーは焦りながら見ていた。

 

 「待て!待ってくれ!待ってくださいお願いします!」

 「いいわ、二秒あげる。その間に懺悔しなさい」

 「言い訳じゃなくて懺悔!?ていうか短くない!?」

 

 そこには怒りで燃えるリズの姿があった。どうやら一番見られたくない状況を覗かれたようだ。

 次こそは終わりだ・・・・・・清太は覚悟した。だが幸いなことに、アリーが間に割って入る。

 

 「ちょっと待ってくださいリズさん!セイタさんは、私に手を出すとかそんなでは・・・・・・ってあれ?手を出すって・・・・・・」

 

 その言葉を少しばかり違う方向に解釈したのか、アリーは顔を真っ赤にする。

 

 「と、ともかくです!そんな変な事はされてないので心配しないでください!」

 「あら、そうだったの」

 

 そんなアリーの言葉で、何事もなかったかのようにリズは落ち着いた。

 

 「ていうかあんた、ここで何してたのよ。せっかく人が色々と用意してあげてるのに」

 

 お前のせいだよ、と喉まで出かかったが、命がいくつあっても足りなさそうなので我慢した。

 

 「用意ってなにを?」

 「ほら、そこに落ちてるじゃない」

 

 先ほど飛んできた分厚い本を指差した。

 

 「これ何?」

 「文字を覚えるための教科書よ。あんた文字読めないんでしょ?」

 「あ、ありがとう・・・・・・」

 

 字も読めないのに本を読めるはずもないが、そこはリズなりに気を使ってくれたのだろう。素直に感謝した。

 

 「セイタさん、貴族の方ではないのですか?」

 

 アリーが不思議そうな顔をすると、リズがやれやれといった感じで説明を始めた。

 説明の最中、リズも把握できていないことがあるのか、時折清太に話を振られる。だが清太自身も、この世界について知らない事が多すぎるため、誤魔化す事が多かった。だがそこはお決まりの“記憶がない”で難を逃れるのだった。

 

 「ていうことだから、アリーも少し手伝ってあげて?」

 「はい!そういうことでしたら喜んで!至らない事が多くあるかと思いますが、これから宜しくお願いします!」

 「こちらこそ宜しく。色々迷惑かけるけど・・・・・・」

 

 そうして一通りの説明と挨拶をすませる。

 

 「ところでセイタさんって、リズさんの使い魔になるんですよね?」

 

 さっき学院長が言ってた使い魔という言葉。その点に関しては曖昧なところが多く、清太も把握しきれていない。だが先ほどの話からすると、すんなりと使い魔になってしまうのもあまり良い事のように思えない。

 だがそんなアリーの質問に、リズは困った顔をして答えた。

 

 「困ったわ。そもそも前例が無いし、ましてや人間じゃ使い物にならないじゃない。契約できるかさえ怪しいのに」

 「わるかったな」

 「ほんとよ。それに万が一契約できたとしても、あんたと一生一緒にいるなんて御免だわ」

 「一生ですと!?」

 「そうよ。サモン・サーヴァントは、一生を共にする使い魔を召喚し、それによって進むべき属性を定める儀式なの」

 「なんとかならないの?もう一回その、サモンなんとかをしなおすとか・・・・・・」

 

 リズは大きく溜め息をつく。

 

 「できたらやってるわよ。もう一度サモン・サーヴァントをするには、召喚した使い魔が死ななきゃだめなの」

 

 清太は固まった。召喚した使い魔の死。つまりオレ、異世界にて死す。

 

 「まあ死んでもらった方が早いけど、それは少し気が引けるわね。幸いまだ契約もしてないし、なんとか方法を探しましょう」

 「さらっとひどいことを言うな・・・・・・」

 「あんたがゲートをくぐったのがいけないんじゃない!」

 

 そこで清太は経緯を説明しようとするが、あくまで自分は記憶喪失の身。設定上、記憶があるかのような話はできない。悔しいが、ここは黙って認めるしかない。

 

 「まあまあ、お二人とも。難しいお話はまた今度にして、食事でもいかがでしょう。そろそろ食堂も開いている頃かと思いますよ?」

 

 見かねたアリーが話題を変える。気付くと窓の外は暗くなっていた。

 

 「そうね。考えても埒が明かないわ。ひとまず食事にしましょう」

 「そういえば朝から何も食べてないや。一緒に行ってもいい?」

 「もちろんそのつもりです!ご案内します」

 

 そうして三人は、本塔の上階にある食堂へと赴く。向かっている最中、数人の生徒らしき人とすれ違った。皆リズやアリーと同じ純白の制服を着ているせいか、一人だけ違う清太の格好を興味深そうに横目で見ているのが感じられた。

 

 「ここです」

 

 到着した食堂は、自分が想像していたそれと全く違った。

 驚くほど広いホールに吊るされている豪華なシャンデリア、丸いテーブルにきっちりと並べられた椅子。どこかのパーティ会場のような雰囲気に、清太は思わず絶句した。時間帯が早いせいか、人はまばらだ。

 

 「そこでいいかしら」

 「はい」

 

 三人は適当に開いているテーブルを選び、腰かける。するとそれを見計らったかのように、どこからともなく給仕と思われる人たちが料理を運び始める。そしてあっという間にテーブルに並べられた料理は、まさに貴族の食事であった。

 

 「これ、全部食べていいの?」

 「もちろんです。足りなければ給仕さんが持ってきて下さいますよ」

 

 元いた世界ですら中々ありつけない豪華な食事に、清太は我を忘れて食べ始める。そしてしばらくすると、リズは食事の手を止めた。

 

 「ねえ、もっと上品に食事できないの?」

 「ご、ごめん。朝から何も食べてなくて・・・・・・」

 

 流石にがっつきすぎたのか、清太は反省した。ここは貴族の食堂、元の世界でいうなら格式の高いホテルやレストランだ。あまりみっともない食べ方はよろしくないのだろう。

 だがアリーは清太のそんな姿を見て、少し嬉しそうな顔をしている。それを見た清太が不思議そうな表情を浮かべている事に気付いたのか、アリーは戸惑った様子だ。

 

 「ご、ごめんなさい。三人でするお食事って、なんだか賑やかでいいなって思って。あ!でもでも、リズさんと二人でするお食事も大好きですよ!」

 

 慌てるアリーを見て、リズと清太は笑った。それからしばらくの間、三人は談笑しながらゆっくりと食事を楽しむのであった。

 

 

 

 「では、私はここで」

 

 上へと続く階段の手前、アリーは立ち止まる。あれから食事を終えた三人は、寮塔へと向かっていた。清太がこれから生活する寮の部屋をリズに案内してもらうのだが、一年生であるアリーは階が違うようでここで別れる事になる。

 

 「今日は色々ありがとう」

 「い、いえ!これから困ったことがあったら、なんでも言ってくださいね」

 「うん、そうさせてもらう」

 

 アリーは優しくほほ笑むと、挨拶をして階段を上っていく。二人はそれを見送ると、再び歩き出した。

 

 「ねえ、あんた一体どんな魔法使ったの?」

 「だから魔法は使えないって・・・・・・」

 「違うわよ。アリーのこと」

 「へ?」

 

 リズは不思議そうな顔をする。

 

 「あの子、すごい人見知りなのよ。だから見ず知らずのあんたとあんな楽しそうに話すなんて不思議で仕方無くて。何か弱みを握ってるようにも見えないし・・・・・・」

 「お前なあ」

 

 どんだけ信用無いんだよ・・・・・・。清太は少し落胆した。だがそれを聞いた清太も、不思議に思うのだった。

 ゆっくりと他愛もない話をしながら、同じような扉がいくつも続く廊下を歩く。そしてリズはある扉の前で立ち止まった。

 

 「ていうかここ、私の部屋の隣じゃない」

 

 リズはゆっくりと扉を開けた。そのまま二人で中に入ると、まずベッドと丸い机に椅子、化粧台が目につく。備え付けられた窓からは、うっすらと月明かりが差し込んでいるのがわかる。清太は早速、その窓からの景色を確認しようと覗いた。

 

 「うわぁぁああっ!」

 「ちょっと!どうしたの?」

 

 焦ったリズがこちらへ駆けよってくる。だが驚きのあまり言葉を失った清太は、その問いに答える余裕すらなかった。

 元の世界でも毎晩のように姿を現す月。本来は白く美しい月が一つ、夜空に浮かんでいるはずだ。清太自身もそれが当たり前と思い、外の景色を覗いた。だが実際目にしたのは、輝く二つの巨大な月だった。

 

 「つ、月が二つ?」

 「当たり前じゃない。あと何個あれば気が済むのよ」

 

 やれやれといった様子で、リズは首を横に振った。

 清太は完全に油断していた。さきほど三人で食べた食事の辺りから、ここが異世界であることを半ば忘れかけていた。そこへ見たことも無い光景が飛びこんできたものだから、一気に現実へと引き戻されてしまった。

 

 「い、いや、なんでもない。ごめん・・・・・・」

 「まったく。どっから来たのよ・・・・・・」

 

 動揺する気持ちをなんとか抑えようと、清太は必死に耐えた。

 もう、戻れないかもしれない。家族や仲の良かった友人、見慣れた街の風景。学校帰りに友人と寄ったファミリーレストランや本屋。それらにもう二度と触れることができなくなるかもしれないと思うと、何とも言い表せない恐怖が襲ってくる。

 

 「ねえ、大丈夫?」

 

 その様子に気づいたのか、リズが心配そうな顔で覗いてくる。怒りっぱなしだった彼女の表情は、心配からか優しいものへと変わっていた。

 

 「う、うん。ごめん・・・・・・」

 「ならいいんだけど・・・・・・。あ、そうだ!」

 

 そういって何かを思い出したように、突然リズは部屋から出ていく。そして数分も経たない内に戻ってきた。

 

 「はい、これ。中庭に置きっぱなしだったわよ」

 

 ぼすん、と清太の目の前に置いたものは、学校の通学に使っていた鞄だった。

 礼を言ってそれを手に取ると、中から携帯電話を取り出した。そこには当然『圏外』の文字が虚しく表示されているだけで、携帯電話という機械としてはもう使い物にならない。だがそれは唯一、清太がこの世界の人間ではないと証明する物である。そしてまた、必ず元の世界に帰ってやると、そう心に決めさせてくれる物でもあった。

 

 「それ、なあに?」

 

 リズが興味深そうに携帯電話を覗いてくる。

 

 「さあ、なんだろう。俺にもわからないや」

 「そうよね。記憶がないんだものね・・・・・・」

 

 怪しまれないようにスイッチを押し、携帯電話の電源を落とす。異世界である以上、これはしばらく必要ない。

 だがリズは、何故か寂しそうな顔をしている。

 

 「どうした?」

 「ううん。なんだか可哀想だなって思って・・・・・・」

 

 その言葉に清太は少し安心する。やはりなんだかんだいって、リズも心配してくれてるのである。まだ出会って一日しか経っていないが、どうやら悪いヤツではなさそうだ。

 

 「か、勘違いしないで!あんたがいつまでもここにいたんじゃ、新しく使い魔召喚できないじゃない!あんたの記憶が戻ったら、まずその方法を一緒に探してもらうんだからね!」

 「はいはい」

 「ちょっとー!何よそれー!」

 

 清太は何だか嬉しくなって笑った。異世界に来てしまった事は今でもまだ信じられないし、決して喜べる事ではない。だが、幸いな事に一人ではない。学院長や先生、アリーにリズ、それぞれに理由はあるだろうが、自分を助けてくれる。そう思うと、先ほどまで心を支配していた恐怖はいつの間にか消えていた。

 それからしばらく経っても、相変わらずリズはがみがみと騒いでいる。そしてそれに釣られ、清太は笑う。テューダー魔法学院の一角、寮塔のとある一室では、双月の夜が更けるまで賑やかな声が響くのであった。

 

 

 

 

 

 




-あとがき-

多くの方に目を通して頂き、またお気に入りへ登録してくださった方、励ましのお言葉を送ってくださった方々に大変感謝しております。
これからも続編をどんどん書かせて頂こうと思っております。時間がございましたら、是非覗いて頂けると嬉しいです。批評等も、もし宜しければお聞かせ下さると幸いです。


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妖精亭のティータイム

 「腰が痛い……」

 「ほんっとに情けないわね。全然動いてないじゃないの」

 

 清太は腰を痛そうにさすり、リズはその様子を見て苛立つ。

 テューダー魔法学院から馬で約一時間、首都ロンディニウムの大通り。降臨祭で賑わうさなか、それに比例して人々で混み合う大通りを、清太とリズは必死でかき分けながら歩く。

 

 「あなたたち、会話が卑猥よ?朝っぱらから一体何してたの?」

 

 それに続くキュルケが、二人のやり取りを聞いてにやりと笑う。

 

 「どうしてそうなるんですか!何もしてません!ほら、あんたも何か言いなさいよ!」

 

 顔を真っ赤にしたリズが大声で叫び、それを困ったような顔でアリーが見ている。一方の清太は、腰の痛さでそれどころじゃないといった様子だ。

 

 「あんな長時間馬に乗って、よく腰が痛くならないよな……」

 「あんたが弱すぎるのよ!だいたい馬にも乗ったこと無いって、ますます平民じゃないの!」

 

 この世界にやってきてから二日目、朝からリズは買い物があると言って清太とアリーを叩き起こし、半ば無理やり街へと連れてきた。その際に街までの移動手段として使用したのが、馬であった。

 元の世界の普通の人間であれば恐らく乗った経験が無いであろう馬。しかし清太は初っ端から一時間も跨るハメになったあげく、この先しばらく続くであろう腰痛に悩まされる事になる。

 

 「まあそう言わないの。でもどうして馬車呼ばなかったのよ」

 

 キュルケが不思議そうな顔をするが、リズは対照的に更に苛立ちを募らせていた。

 

 「知りませんよ!休日だからみんなが乗って行っちゃったんじゃないですか?」

 

 ふんっ、とそっぽを向く。だがそんなリズにはもう一つ、苛立つ理由があった。

 

 ──あのキュルケって人!あの人がいると、あのバカがすぐ鼻の下伸ばす!

 

 当初キュルケは同行する予定ではなかった。街でたまたま出会っただけなのだが、暇つぶしにと、清太たちについて行く事にした。だがリズはそれをあまりよく思っていなかった。

 言ってる傍から清太の視線はがっつり開いたキュルケの胸元にくぎ付けだ。そんな様子を見たリズは、思いっきり清太の腰を蹴り上げる。

 

 「いってぇぇええっ!何すんだよ!」

 「うるさいわねえ!」

 

 清太が自分とキュルケを比べていたのを知っている。リズにはそれがどうしても気に食わなかった。

 

 ──そりゃ胸はないし、身長は高くないし、あんな大人びた雰囲気は持ってないしで惨敗だけど……

 

 だがそこは年頃の女の子。自分よりも魅力的な女性に対して、特に意味のない嫉妬心を振りまくこともある。

 そこに恋愛感情のような特別な物が一切なくてもだ。

 その様子に気づいたキュルケは、リズをからかうように色々な質問をしている。そんな様子を見ながら、清太とアリーはその後ろを付いて歩くのだった。

 

 「なあ、なんでこんな人が多いんだ?」

 「えっとですね、降臨祭といって始祖ブリミルの誕生を祝う期間なんです」

 「へえー」

 

 人でごった返す大通り。そんな中を小柄なアリーは歩き辛いのか、時折人の波にさらわれそうになっている。

 

 「ほら、危ない。今だけ我慢して」

 

 はぐれそうになるアリーの手を、清太は咄嗟に握った。

 

 「は、はいぃ……」

 

 それに驚いたアリーは他に言葉も見つからず、清太にされるがまま引っ張られていく。

 今まで男の子と手をつないだことなんて一度も無い。だから最初は驚いたし、少し抵抗があった。でも嫌ではなかった。何故だか清太を見ていると、どこか親近感が沸く。同じ黒髪だからかな?なんて考えたりもしたが、それだけではあの時廊下で倒れていた清太を助けようなんて、普段の自分だったら考えもしない。おまけに、人見知りの自分が気にせず笑っていられる事も、アリー自身は疑問に思っていた。

 

 ──でも、ずっとこのままでもいいかも……

 

 清太としっかり繋がれた手を見て、アリーはそっと思う。そうしてしばらくの間、されるがままに引っ張られる。

 

 「んにゃっ!」

 

 すると突然、思いにふけって前を見ていなかったアリーは、ぼふっと何かにぶつかった。見上げると、何かにくぎ付けになっている清太がいた。

 どうしたんだろう?アリーはその視線の先を追う。

 

 「さあー、よっていきなー!かの有名な風の剣士ヒリーギル・サートームの歌劇、『アルビオンの剣士』はまもなく開演だよー!」

 

 まるで宮殿のような立派な作りをした劇場、ロンディール・デ・ザール座の前で、威勢のいい男が大声で歌劇の宣伝をしている。

 

 「あれは十年以上も続けられている歌劇です。なんでもここアルビオン大陸で、進軍する七万の兵をたった一人の剣士が止めたっていう実話からできたみたいです」

 「へえー、そりゃすごい」

 

 頷きつつも、劇場に入って行く老若男女、家族連れやカップル等、元いた世界とあまり変わらない光景についつい目がいってしまう。

 

──そういえば昔、ばあちゃんによく連れて行ってもらったっけ……

 

 清太はそっと思い返していた。異世界に来てからたった二日しか経っていない。しかし、実際はそれよりももっと長く感じてしまう。

 今朝も少しばかり期待していた。一晩寝れば夢が覚めるのではないか、と。そして夢から覚めた自分は、いつものように学校へ行き、友達と遊び、そして家に帰り夕食を家族と食べる。

 そんな当たり前の生活が今は少しばかり恋しかった。

 

 「清太さん、大丈夫ですか?」

 

 思い返しているうちに、いつの間にか考え込んでしまったようだ。

 

 「ご、ごめん!ついぼーっとして……。ぜんぜん大丈夫」

 「それならよかったです……。でもそのお話も、今では本当かどうかわかりませんけど。ただ、とても人気のある歌劇である事は間違いありませんよ」

 「ずいぶん詳しいんだね」

 「ここまで大々的に宣伝していれば、嫌でも耳に入ってきてしまいます」

 

 アリーは自嘲気味に笑う。

 だが実際、この歌劇の宣伝はとても大々的な物だった。街中には宣伝用の張り紙がされ、各所で劇場の従事者が同じように宣伝をする。始祖ブリミルの降臨祭とあって、書き入れ時のようだ。

 しばらくその宣伝にアリーと見入っていると、先を歩いていたリズが叫んだ。

 

 「ちょっとおー!置いてくわよー!」

 「あ、はい!直ぐ行きます!」

 

 今度はそれに気付いたアリーが、清太を引っ張るような形で歩きだす。

 

 「いったい何してたのよ」

 

 待たされたリズは少し機嫌が悪そうだった。すると、清太の代わりにアリーが答えた。

 

 「歌劇の宣伝についつい見入ってしまって……」

 「ただの剣士が七万の兵士を止めたっていう話よね」

 「はい」

 「でも本当なのかしら?そういうのって、だいたい噂が独り歩きしてるのよね」

 「それ、わかります」

 

 アリーとリズは顔を見合わせて笑う。信じられないような伝説には、いつも尾ひれが付いて回る。この『アルビオンの剣』という歌劇ができてから早十年、今ではその話を信じる者は少なくなっていた。

 

 「なあ、ところで何を買いに来たんだ?」

 「うるさいわねえ、もう着くわよ」

 

 清太に対してはものすごく機嫌が悪いリズ。その理由をわかっていない清太は、ただ首をかしげるばかりだった。

 それから石造りの建物が並ぶ通りを少し歩くと、華やかな外観の店が見えてきた。

 

 「あら、ここって有名な酒場じゃない」

 

 リズがその前で立ち止まると、キュルケはすぐにわかったのか、驚いた顔をする。

 

 「知ってるんですか?」

 「知ってるも何も、魅惑の妖精亭はもともとトリスタニアのお店よ。戦時中に支店は出したとは聞いていたけど……まさかそのまま根付くなんてね」

 

 懐かしそうにキュルケは目を細めた。立派な石造りの建物に、華やかな装飾。一目見ただけでもそこが特別である事が見て取れる。そんな場所に気分が上がったのか、キュルケは足早に店内に入っていった。

 だが一方のリズは、それを不思議そうに見つめた。

 

 ──戦時中って、もう十年以上も前の話じゃない……。なんでそんな事知ってるのかしら?

 

 首をかしげる。しかしいくら考えても仕方がないと、リズもそれに続く。清太とアリーも恐る恐るといった足取りで、店の入り口をくぐった。

 

 「ええぇぇ……」

 

 だが店内に入った途端、清太は呆気にとられた。

 まず店内に入ると同時に目についたのは、きわどい衣装を着た若めの女性たち。そしてそれを束ねるように立っている、性別不明に近い男性。

 

 「あっらーリズちゅわーん、待ってたわよおー!」

 

 きわどい衣装を着た女性よりもはるかに目立っている彼は、ガタイの良い体をクネクネとさせながら、リズを見るなり嬉しそうに叫ぶ。

 

 「ごめんなさい、スカロンさん。いつもご迷惑をおかけして」

 「とんでもないわよお!かわいいリズちゃんのためなら喜んで、よ!」

 

 スカロンと呼ばれた男は、小さな袋をリズに手渡す。

 

 「でも驚いたわー。まさかキュルケちゃんとリズちゃんがお知り合いだったなんてー」

 「私も驚いたわよ。でもスカロンさん、あなたトリスタニアにいたんじゃないの?」

 「それがね、降臨祭で人手が足りなくて。だからこっちの支店にお手伝いに来てるのよ」

 「そうだったの」

 

 キュルケとスカロンの会話からして、随分と古い仲なのだろうか。ますますリズは不思議に思うのだった。

 

 「ところで後ろの子たちは?」

 

 先ほどからきわどい衣装の女性たちに目が行きっぱなしの清太と、どうしたらいいかわからず固まっているアリー。そんな二人が気になったのか、スカロンは興味津々といった様子で見ている。

 だがリズは、スカロンの質問に答えるよりも先に清太を蹴り飛ばす。すると余所見ばかりしていた清太は、それをもろに食らい吹っ飛んでいった。

 

 「……失礼しました。彼女はアリーです。それと今のはセイタです」

 「あらあ、そうだったの。アリーちゃんもとってもかわいいじゃない!ウチの店で働かない?」

 

 どう答えたらいいかわからないアリーは、ただ苦笑いをするのであった。

 

 「二人とも私の教え子よ?」

 「あらま!キュルケちゃん先生になったの?」

 「先生というより、ジャンの助手だけどね」

 「そうだったの。ところでリズちゃんて、ちょっとルイズちゃんに似てるわね」

 

 そう言ってスカロンとキュルケは昔話をしながらクスクスと笑う。

 ルイズって誰だろう?リズはまたもや首をかしげるのだった。

 

 「そうそう、リズちゃん。この前頼まれた火竜のツメだけど……」

 「それなら私が用意したわ。ていうかリーデルさん、あなたスカロンさんに何をお願いしてたの?」

 

 不思議そうな顔をするキュルケと対照的に、リズは少し恥ずかしそうな顔をする。

 

 「私、使い魔の召喚が少し遅かったので……。まあ、召喚できても結果的にアレでしたが」

 

 最後の語尾には少しばかり怒りがこもっていた。

 しかしそれですべてが繋がったキュルケは、納得したように手を叩いた。

 

 「そっか、二学年になると使い魔じゃないと取りに行けないようなアイテムがあるものね。でも、どうしてスカロンさんに?」

 

 それを聞いたスカロンが、リズの代わりに答えた。

 

 「ほら、アタシって仕事柄多くの人に会うでしょう?だからある程度の物なら伝手で用意してあげられるのよ」

 「なるほど、そういうことだったの」

 

 本来は二学年に進級する際、その絶対条件とされる使い魔召喚。本来であれば春に行われすでに使い魔がいるはずなのだが、リズは前述の通り全く魔法ができない。それはもう驚くほどにできないため、どの系統にも属さないコモンマジックさえ成功しなかった。

 しかしそれを見かねた学院長であるホーキンスは、特例としてリズを二学年に進級させる替わりに、“使い魔の召喚を二学年中に成功させる”という約束をさせた。

 結果的にそれは成功したのだが、そこで召喚されたのは幻獣や可愛らしい動物といった類の生物ではなく、まさかの人間であった。

 

 「それで、俺が召喚されたと」

 「そういうことになるわね」

 

 いまいち状況を理解していない清太と、何故それを理解しないんだと苛立つリズ。そんな二人を余所に、他の三人はスカロンが用意した紅茶とお菓子をつまみながら、酒場にそぐわないティータイムを満喫していた。

 

 「そういえばシエスタはどうしたのよ?まだド・オルニエールにいるの?」

 「そうそう、まだサイト君の所で楽しくやってるみたいよ。でも今は降臨祭でしょう?シエちゃんとジェシカにトリスタニアの店を任せてきちゃったわ」

 「あの子も物好きねー。ルイズも相変わらずかしら」

 

 並べられたカップの一つを手に取り、キュルケはゆっくりと紅茶を飲みながら旧友を思い出していた。

 

 「わあ、これとてもおいしいです」

 

 すると、注がれた紅茶を口にしたアリーが驚いた声を上げる。

 

 「あらアリーちゃん、この紅茶の味がわかるの?」

 「わかるといっても、素人目線ですけども……」

 「嬉しいわ!これはね、アンリエッタ王女様も好んで飲んでいらっしゃる、トリスティン原産の珍しい茶葉なのよおー。よかったら少し持って帰る?」

 「い、いいんですか?」

 「もちろんよおー!」

 

 するとスカロンは嬉しそうにクネクネとしながら店の奥へと消えていく。それと同時に、店の扉が大きな音を立てて開いた。その場にいた四人は、驚いて扉の方を見る。

 するとそこには、ガッチリとした体型をした男が三人立っていた。彼らは揃って白い軍服のような物に身を包み、腰には剣を下げている。

 

 「おい、店のもんいるか?」

 

 そのうちの一人がそう叫ぶと、それに驚いたスカロンが飛んできた。キュルケもただ事ではないと察したのか、今までのクセから咄嗟に杖を握る。

 

 「まあ、自警団の方々!いったいどうしましたあー?」

 「こんなヤツが店に来なかったか?」

 

 そう言って男は、羊皮紙に書かれたローブのような物を身にまとった少女の画を見せる。

 だがスカロンを含めたその場にいる全員が、知らないと首を横に振る。

 

 「見てないわ~。それよりも、アタシと一緒に一杯飲んで行かないかしら?」

 

 より一層体をクネクネとさせながら、スカロンは男に詰め寄る。しかしその迫力に押されたのか、男は後ずさった。

 

 「い、いや。し、知らないなら、いい。すまなかった」

 

 そう言って一人が扉に向かって歩き出す。するとそれに続くように、残る二人も店の扉に向かう。だがそこで、そのうちの一人がリズの前で立ち止まった。

 

 「ほう。なかなか美人じゃねえか。せっかくだ、一杯付き合えよ」

 「はあ?」

 

 リズは何を言っているんだと言わんばかりに、その男を睨んだ。

 美人と言われた事は……まあいい。でも、こんな解せない男と酒を飲むなんて間違っても嫌だ。

 

 「嫌に決まってるじゃない。あんたみたいなボンクラと飲むなんてごめんだわ」

 「なんだと貴様!我々が誰か知っているのか!ロンディニウム自警団だぞ!いくら貴族だろうと、我々を侮辱する事は許されない!」

 

 そういって男はリズの腕を無理やりつかむと、どこかへ連れて行こうとする。

 

 「きゃあっ!な、なにするのよ!離しなさいよ!」

 

 必死で抵抗するリズ。その様子を見たキュルケは、きゅっと唇を噛みながら腰にさした杖を抜こうとする。

 しかしその時、リズを掴む男の腕に、清太の腕が横から割って入った。

 

 「なんだきさま……っぐ、うっ……」

 

 余裕の表情をしていた男の顔が、突然苦痛で歪み始める。

 それを見た清太は、その腕を握りつぶすような勢いで、より一層握る力を強めた。

 

 「な、なにをしているかわかってるのか……」

 「うるせえ」

 

 男の声を無視して、そっと低い声で清太は呟く。その様子は今までからは到底想像もつかない姿であった。

 次第に男の腕から解放されたリズは、急いでその場から離れる。そしてただ唖然と清太を見つめた。その間も、その腕には力が入ったままだ。

 

 「リズはな……確かに可愛いかもしれないがな、お前は一つ重要な点に気づいていない……。それはお前の許されない罪となる」

 「な、なんだと……?」

 

 リズを含めたその場にいる全員が、何故か清太の気迫に押され息を呑んだ。

 

 「誰もが見返すであろうきれいな髪!それに大きな青い瞳と透けるような白い肌!そりゃどこからどう見ても美少女だ!少しアレな性格を入れたとしても、はっきり言ってこんな可愛いヤツには今まで出会ったことがない!」

 

 清太は叫び、それを聞いたリズは顔を真っ赤にする。

 

 ──最初は何を言い出すのかと思ったら、アイツ、私のことを可愛いとかキレイとか……しまいには出会ったこと無いような美少女だって。てか誰が?私が?いやいやそんなことはどうでもよくないけどいいの。それよりも!出会って二日も経ってないのに、こ、これじゃまるで……

 

 「愛の告白ね」

 

 何故かつまらなそうに呟くキュルケ。隣ではスカロンが両手で頬を抑え、興奮気味にその様子を凝視していた。

 

 「だがな……」

 

 しかし清太は一息つくと、そのまま言葉を続ける。それは誰もが予想していなかった展開だった。

 

 「よく見ろ!何か重要な点が、大切なものが著しく欠けていると貴様は思わないのかぁぁああ!」

 

 もはや演説だった。都市部の駅前で車に乗ってメガホンを使い叫んでいるアレである。

 すでに自警団の男は唖然として言葉も無く、ただ首を横に振るしかできない。

 

 「なら教えてやる!いいか、よく聞けぇぇええっ!」

 

 そう言うと、清太はリズの胸の辺りを指さし、そして叫ぶ。

 

 「よく見ろぉぉおおっ!胸が無さ過ぎるだろぉぉおおがぁぁああっ!」

 

 その場にいた全員が固まった。いや、もしかしたら全世界の時の流れが一瞬だが止まったかもしれない。

 中でもリズは、あまりにも理解不能な発言を前に、色々な意味で理解の範ちゅうを超えてしまったようだ。

 

 「わかったか!貴様がさっき言った言葉は、それを踏まえてでも言えるのか!どうだっ!どうなんだぁぁああっ!」

 

 自警団の男を激しく揺さぶる清太。だがこのとき、まだ彼が自らのプライドと言う名の欲求に任せて、とんでもない事を口走っている事に気づいていない。

 

 「いいか、これに懲りたらもう二度と……」

 

 突然、清太はおぞましいほどの殺気に包まれた。そのあまりにも強大な殺気に、体が自然と震えてしまうほどだ。

 そしてそこでやっと、自らが犯したとんでもない罪に気づくのだった。

 

 ──また、やっちまった!

 

 「ねえ、セイタ」

 

 だが時すでに遅し。ガクガクと震えながら、清太は恐る恐る振り返る。するとそこには、杖を手に持ち、誰が見てもわかるほどドス黒いオーラを身にまとったリズが立っていた。

 

 「最初のほうは……そうね、まだいいわ。私も性格が少しアレだとは思うの。当然自覚もあるわよ?だからそれは許してあげるわ」

 「ひゃ、ひゃい……」

 

 清太は追い詰められるようにして壁際へと這って逃げていく。

 

 「でもね、一つだけ許せない事があるの。それはなんだと思う?」

 

 わかっている。それはどう考えても明白な事であった。だがもしここでそれを口にすれば、いつかと同様、間違いなく命はない。

 かといって成す術もなく、清太はわからないとばかりに首を振るしかできない。

 

 「な、なら教えてあげるわ……。わ、私だって、わわ、わかってるわよ。む、胸がないことくらい……。でもね……」

 

 ブレザーのポケットにしまってある杖を、リズは取り出した。それを清太に向けると、叫んだ。

 

 「私だって、大きくしようと頑張ってるんだからぁぁああっ!」

 「ぎぃぃやぁぁぁぁぁぁああああっ!」

 

 ズドーン、という大きな爆発と共に、清太は豪快に吹っ飛んだ。

 そしてそれからすぐに、自警団はリズの剣幕に腰を抜かし逃げていく。

 その様子を見ながら、椅子に腰かけたリズはゆっくりとカップを口に運んだ。足元には気絶した清太が転がっている。

 

 「ねえリズちゃん。あなた絶対、将来は亭主を尻に敷くタイプよね」

 

 とスカロン。それに続くように、アリーとキュルケは頷く。だがそんな言葉を余所に、リズは思いふけっていた。

 先ほど清太が言った、最初の言葉。あれがもし本当だったらと、少しばかり落ち込んでいる自分がいる事に気づく。いままであんな事一度も言われた事がない。だからこそ純粋に嬉しかったのかもしれない。

 でもやはり最後の言葉はとても気に障った。だがそれと同時に、足の下で伸びているこの少年がなんだか憎たらしくもなった。何故だか理由はわからない。きっとそれに気付くのもずっと先だろう。

 

 「いやだわ……」

 

 喧騒の後の静けさにゆっくりと流れる時間。誰にも気づかれないよう、リズは紅茶を飲みながら、そっと呟くのだった。

 




-あとがき-
 
最後まで目を通して頂けました事に感謝しております。
今回、少しばかり時間が押していたため、誤字脱字、文章の乱れが多少あるかもしれません。内容は一切変えず、後々修正するかもしれませんが、ご了承頂けると幸いです。
これからも本作を宜しくお願い致します。


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遠き日の幻影

 深く暗い夜。身の丈に余るほど大きなベッドの上で、まだ幼いリズは目を覚ました。真夜中というのに、なにやら騒がしい。

 

 ──どうしたんだろう……

 

 気になったリズは急いでベッドから飛び起きると、自室の扉をそっと開けた。

 するとそこでは、給仕や鎧に身を包んだ人たちが焦りながら廊下を走り回っている。

 そんな様子に見入っていると、一人の給仕がリズの姿を見つけるなり大声で叫んだ。

 

 「まあ、リズ様!急いで支度をしてくださいませ!すぐに敵軍がこちらへやってきます!」

 

 そこで何事かを察したリズは、大急ぎでクローゼットを開く。その中には、思わず目移りしてしまいそうなほど煌びやかな衣装や小物がずらりと並んでいる。

 だがそれには一切目もくれず、足元に無造作に置いてあった袋の中から地味な洋服を取り出した。そしてそれに急いで着替えると、リズは大切な物だけを急いで鞄に詰め込み、そのまま部屋を飛び出す。

 いくつもの豪華絢爛な調度品が飾られた廊下を抜け、長く続く階段を駆け降りる。時折つまづきそうになりながらも、豪華なシャンデリアが飾られた大広間へと辿り着いた。

 

 「ああ!私の可愛いリズ。どこへ行ったかと心配していたのよ!」

 

 シルバーの髪を後ろで束ね、リズと同じように地味な洋服に身を包んだ女性が小走りで駆け寄って来るなり、リズを抱きしめる。

 

 「お母様、ごめんなさい」

 「いいのです。あなただけは何があっても守ります」

 

 その様子を見ていた給仕の一人が、焦った様子で耳打ちをする。

 

 「ウェーリン様、そろそろ出発せねば……」

 「わかっております。戦というものはこんな些細な時間でさえ奪おうとするのですね……」

 

 リズの母であるウェーリンは、悲しそうな目でそう呟いた。

 今、アルビオン王国政府やそれに属する多くの貴族達は、突如として現れたレコンキスタによる陰謀と反乱により、強制的な服従に迫られている。そしてそれは、ロンディニウム郊外に位置するリーデルの領地も例外ではなかった。

 領主であるエフケス・リーデル侯爵は、ジェームス一世やウェールズ・テューダー皇太子が率いる反乱軍の一員となり、すでに戦地へと赴いていた。

 だが、つい一昨日までは反乱軍によりなんとかアルビオン軍の侵攻が抑えられていたが、それも時間の問題であり長くは持たない。兵の数は圧倒的差であり、さらに勢力を強めつつあるレコンキスタの力は、早くもリーデルにまで迫ってきていた。

 

 「では参りましょう」

 

 ウェーリンの言葉を合図に、玄関の扉がゆっくりと開く。すると目の前には、すでに馬車が数台止まっていた。

 そしてその場にいた数人が急いでそれに飛び乗ると、馬車はすごい勢いで走り出した。

 

 「これからどこへ行くのですか?」

 

 揺られる馬車の中、リズは母であるウェーリンに尋ねる。

 

 「古城です。かつて栄えた、名誉ある城へと向かいます」

 

 次第に小さくなっていくリーデル城を背景に、どこまでも続く草原を馬車は全速力で駆け抜ける。夜空には、こんな夜に似つかわしくない満点の星空と美しい月が輝いていた。

 古城への道中、山や川にうっそうと茂る森林をいくつも抜ける事になる。本来であれば丸一日かかってしまうような距離を、途中馬を変えながら一晩中走りぬける。

 それからどれくらい走り続けただろうか、なんとか無事に目的地である古城へと辿り着くことができた。

 

 「リズ、着きましたよ」

 

 ウェーリンに肩を揺さぶられ、リズはゆっくりと目を覚ます。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 すでに目の前には、白く美しい古城が姿を見せている。

 

 「お母様、あれですか?」

 「そうです。ニューカッスルという古城です」

 

 古城に到着するなり、中から数人の男女が小走りで出てくる。

 

 「リーデル様、お待ちしておりました。どうぞ中へお入りください」

 

 先導されるままに、白い城壁を淡々と日光に照らされ輝くニューカッスル城内部へと案内される。

 いくつもの扉が並ぶ長い廊下を抜けると、すぐにホールへと辿り着いた。

 

 「ウェーリン!リズ!」

 

 すると二人の姿を見つけた男性が、こちらへ走ってくる。それと同時に、それを見たリズも叫んだ。

 

 「お父様!」

 

 駆け寄るリズを抱きしめながら、エフケスはウェーリンへと目を向ける。

 

 「すまない、城を守れなくて。それにこんな格好までさせてしまって……」

 

 貴族らしからぬ地味な洋服。平民が普段着るものを着させてしまっていることから、どこまでも申し訳なさそうにするエフケスを見て、ウェーリンは優しくほほ笑んだ。

 

 「いいのよ、あなたのせいじゃないわ。それよりも無事再会できた事に感謝しましょう」

 「ああ、そうだな」

 

 そういって三人は抱き合う。

 ジェームス三世が率いる反乱軍はアルビオン軍との攻防に敗れた後追いやられ、最終的にここニューカッスルの古城へと退却する事となる。

 出発前にリズやウェーリンが着ていた服は、万一アルビオン軍に止められた際にも、避難する平民を装うためであった。

 

 「お父様、もうどこへも行かない?」

 

 長期間、父と離れていたリズはとても不安そうな顔をする。それを見たエフケスは、胸を締め付けられる思いでリズの頬を優しく撫でた。

 

 「ああ、大丈夫だ。もうどこへもいかないよ。だから安心してお母さんと一緒にいなさい」

 

 それを聞いたリズは嬉しそうな顔で再びエフケスに抱きついた。

 

 「ではリーデル様、お部屋をご用意しております。夜の晩餐会までお休み下さいませ」

 

 後ろで待機していた一人の給仕がそう告げると、リズとウェーリンは古城の一角にある部屋へと案内された。そこで二人はしばらくの間休息をとる。

 そして夜になると、用意された華やかな衣装に着替え、晩餐会が開かれるホールへと再び赴いた。

 仮にも戦時中だというのに所せましと広げられた豪華な料理の数々と、まるで園遊会のように着飾った人々。そんな不思議な光景が広がっている。ホールの中央で簡易に組まれた王座では、年老いた王ジェームス一世とウェールズ皇太子の姿も見えた。

 

 「リズ、ウェーリン。ゆっくり休めたか?」

 

 エフケスが二人の姿を見つけ駆け寄って来る。

 

 「ええ、ゆっくりと休ませてもらったわ」

 「それならよかった。もうじき晩餐会が始まる」

 

 だがリズはまだ疲れが取れず、眠そうに眼をこする。まだ六才である彼女にとっては、一日の動きが少しばかり激しすぎた。

 しばらくすると、ジェームス一世がよろめきながらも立ちあがった。その様子を見て、周囲から激励の言葉が飛び交う。

 

 「陛下!お倒れになるのはまだ早いですぞ!」

 「そうですとも!せめて明日までは、お立ちになってもらわねば我々が困る!」

 

 するとその言葉にジェームス一世はにかっと笑い、叫んだ。

 

 「あいやおのおのがた。座っていてちと、足が痺れただけじゃ」

 

 そんなジェームス一世をウェールズが支えながら、言葉は続いた。

明日の決戦は一方的な虐殺になってしまうであろう事。そんな戦に最後まで共に戦ってくれることへの感謝と謝罪。

 それらは決して明るい内容ではないのに、ジェームス一世の言葉が終えるたびに周囲から歓声と激励が飛ぶ。皆が酒を飲み、料理を食べ、終始賑やかな晩餐会となった。

 それからしばらくして夜も更けた頃、リズは部屋でぐっすりと眠っていた。その隣ではウェーリンとエフケスがその様子を見守っている。

 

 「この寝顔を見れるのも、今夜が最後なのね……」

 「なあ、ウェーリン。やはり君も一緒に逃げてはくれないか?」

 「何を言っているの?私はこの子を命に代えても守ると決めたわ。」

 「しかし……」

 「仕方がないの。私も本当はこの子が大人になるまで傍にいたいわ。でもね、もし今ここで逃げてしまったら、その未来さえも奪ってしまいかねないの」

 

 ウェーリンの目からは断固として変わらぬ意思が見て取れる。そんな様子を見たエフケスは溜め息をついた。

 

 「わかった……。そこまで言うなら諦めよう。この子の為に二人で戦おう」

 「ええ……」

 

 ウェーリンとエフケスは、そっとリズの寝顔を眺める。おそらく家族三人で過ごす事ができるのはこれが最後であろう。ほんの数秒でも長く、二人はそうしていたかった。

 だがそんな尊い時間ほど早く過ぎてしまうものはない。気付くと遠くの空はうっすらと明るくなり、アルビオン軍との決戦は刻一刻と迫っている。

 それからしばらくして、朝日が昇ると同時にニューカッスル地下に造られた鍾乳洞の港へとリズを連れて向かう。そこではすでに、ニューカッスルから疎開する人々でごった返していた。

 その一角でウェーリンとエフケス、リズ、専属の給仕であるグロリアの四人は船に乗る準備をしていた。

 

 「お母様とお父様はこないの?」

 

 不安そうにするリズに、ウェーリンとエフケスは言い聞かせる。

 

 「大丈夫よ、後で必ず向かうわ。だからグロリアと一緒に先に船に乗ってくれるかしら」

 「でも……」

 

 それでも動こうとしないリズ。そんなリズに、ウェーリンは自らの前髪を止めていたシルバーのヘアブローチを取り外し、リズに移し替える。

 

 「これを私だと思って持っていてくれるかしら」

 

 それはウェーリンの母が生前付けていたもので、ずっと大切に持っていたものだった。そんな大切なものを預けられたリズは、その言葉が本当であると思う他なかった。

 

 「ぜったい、ぜったいに来てよ?」

 「もちろんだ」

 「もちろんよ」

 

 ウェーリンとエフケスは口を揃えて言う。それを確認したリズは、手元に置いた鞄を手に持った。

 

 「すまない、グロリア。こんな事を任せてしまって……」

 

 エフケスの言葉に、事情を知るグロリアは悲しみをこらえるように首を横に振った。今自分が泣いてしまっては、リズに全てがバレてしまう。それはなんとしても避けなければならなかった。

 

 「い、いえ。先に……船でお待ちしております」

 「ああ。すまないな」

 

 深く一礼すると、グロリアはリズの手を引きイーグル号へと向かう。その様子を、ウェーリンとエフケスは見守った。

 恐らくこれが最後であろう、愛娘の後ろ姿をしっかりと目に焼き付けるように。

 そしてリズも、何度も繰り返し振り返っては両親の姿を確認した。そしてそれが最後に見た、両親の姿であった。

 

 

 

 時刻は正午を半刻ほど過ぎた頃。日が昇りきっても、テューダー魔法学院周辺に広がる白銀色の景色は変わらないままだ。そんな中を、少しばかりげっそりとした清太はリズに引きずられるようにして中庭を歩いていた。

 

 「な、なあリズ。もういいだろ……」

 「いいえ、ダメよ。あんたがまともに魔法を使えるようになるまで目を離すなと言われたわ」

 

 初回授業、当然魔法の使えない清太はそれどころではない。そして結果的にその主となってしまうリズも巻き添えを食らってしまう。とはいっても、リズも元々魔法が使えないため結果はあまり変わらなかったかもしれない。

 そんな二人は魔法がまともに使えるようになるまで、授業の合間の休み時間や放課後の時間を利用して魔法の練習をする事になった。

 

 「自分はいいのかよー」

 「うっさい!」

 

 リズが杖を取り出し呪文を唱える。目の前にあるグラスを浮かせようとするが、一向に動く気配がない。それどころか、何かに叩かれたように突然グラスが砕け散ってしまう。

 

 「あれ?成功したじゃん」

 

 リズがやろうとしていた事を清太は知らない。なので何かしらグラスに変化が起きれば、それが成功したように見えてしまう。

 

 「してないわよ」

 「なんで?グラス吹っ飛んだけど……」

 

 するとどこからともなく聞こえてくる、嘲笑うような声。

 

 「グラスを浮かせようとしたのよね?」

 「シスカ・エストラーデ……」

 

 リズが睨んだ先には、長く美しいブロンドの髪が目につく少女が一人、立っていた。その見た目はリズよりも少しばかり幼く、かといって年下に見えてしまうほどでもない。

 

 「でもまさか粉々にしちゃうなんてね。あなた、魔法の才能がありすぎるんじゃない?」

 「……馬鹿にしにきたの?」

 「嫌な言い方ね。たまたま通りかかった所にあなたがいたものだから、声をかけてあげただけじゃない」

 

 リズとあまり身長の変わらないシスカは二人の隣までやってくると、取り出した杖を軽く振った。

 すると、粉々に砕けたグラスの破片がゆっくりと集まり始め、あっという間に元のグラスへと姿を戻してしまう。

 

 「あなた、コモンマジックでさえまともに成功しないのね。それに唯一成功した使い魔の召喚がまさかの人間でしょう?ほんと、色々と驚かされるわ」

 「うるさいわねえ。あんたの胸の無さにも驚かされるわよ」

 「な、なんですって!」

 

 ただでさえ胸がないリズ。だがそのリズにさえ胸がないと馬鹿にされるシスカ。清太からしてみるとどちらも同じように見えるのだが、さすがにそこで口をはさむほどぬけていない。

 

 「あなたに言われたくないわよ!魔法も成功しないうえに胸もないなんて、メイジどころか女としてすら危ういじゃない!」

 「なっ!それならあんただってこの前男に逃げられたでしょう!なんていったっけ、あの女ったらし!」

 「違うわ!私がふったのよ!だいたい、男性経験が皆無のあなたに言われる筋合いはないわ!」

 「いいの。そのうちとてもいい男性がきっと現れるから。あんたみたいにがっついてるわけじゃないのよ」

 

 余裕の表情のリズ。だがその表情は何か悔しさを隠しているようにも見えた。

 

 「ふん。まあいいわ。どのみちあなたの魔法技量とその使い魔じゃ、次の自立試験は絶望的ね」

 「自立試験?」

 

 首をかしげる清太を見たシスカは、やれやれといった表情で説明を始める。

 

 「そうよ。使い魔との絆をより一層強くするため、二学年の後半に行われるの。内容は全員共通で、だいたいはレアアイテムの収集。使い魔との連携が重要になってくるから中途半端にはできない試験よ」

 「ふーん」

 「まあ、あなたでは難しそうだけどね」

 

 意地悪そうな笑みを浮かべるシスカを、リズは睨む。だがそんな二人を余所に、二人とも喋らなければものすごく可愛いのにと考える清太であった。

 

 「じゃ、せいぜい頑張るのね」

 

 満足したのかシスカはそう言い残すと、本校舎のほうへと消えていくのだった。

 

 「なあ、今の子は誰なんだ?」

 「シスカ・エストラーデよ。アルビオンの中でもとりわけ歴史のある名家の出身で、学校での成績は上の中」

 「なるほどね……。でもさ」

 「なによ」

 「使い魔の契約もしてないのに、そんな試験できるのか?」

 「知らないわよ。でもどのみち契約したところで、あんた何にもできないでしょう?」

 「たしかに……」

 

 そう言われると、自分の存在って一体……と落胆してみる清太であった。

 それからというもの、魔法の練習は一向に成功する気配も無く、淡々と同じ事を繰り返すだけの時間が続く。特に自分が何かできるわけでもないので、それを見ているのにも飽きてきた。

 そこで清太は適当な理由をつけて、その場を抜け出す事にする。そしてそれはまんまと成功した。

 

 「やってらんないよ……」

 

 行くあてもなく一人で校内を散策する。最初は部屋に戻ろうかなとも考えたが、それではあまりにもつまらない。

 そこで未だに行った事のない図書館を、興味本位で覗いてみようと考えた。

 

 「うえ、なんだこれ」

 

 だがここは異世界であり、また魔法の国でもある。当然のごとく清太の知っている図書館とはスケールが違っていた。

 それは天高く積み重なる本棚と、幾重にも別れた先の見えない通路。昔何かの映画で見たような、そんな光景が広がっている。

 そんな圧巻の光景に見入っていると、突然後ろから誰かに声をかけられた。

 

 「セイタさん!」

 

 声のする方へ振り向くと、そこにはアリーがいた。

 

 「あれ、アリーか」

 「はい!図書館にご用ですか?」

 「いや、ちょっと散歩してたらたまたま……」

 「そうだったんですね。そういえばセイタさん、文字のお勉強されました?」

 「いいや、全く。リズに魔法の練習付き合わされて、それどころじゃなかったよ」

 「あはは……。ではせっかくなので、一緒にお勉強しますか?私で宜しければお手伝いしますよ」

 「とても助かる」

 

 では……と、清太を端のテーブルへと案内する。すると、アリーはそのまま幾重にも広がる通路へと何かを探しに行った。

 そしてしばらくすると、両手に本を抱えたアリーが戻って来る。

 

 「お待たせしました」

 

 分厚い本が二、三冊ほど机に広がる。アリーはそのうちの一冊をとると、清太の目の前に広げて説明を始めた。

 文字の発音から文法、意味に至るまで、一通りの文章として読めるまでの基礎が中心だった。

 だが不思議な事に、“文字”としての発音は清太の全く聞き慣れない言葉なのだが、それが“文章”もしくは“単語”という形になると、例えそれが特殊な言い回しであっても清太の耳にしっかり日本語となって届く。

 

 「じゃあこれは、彼が国を裏切ったって意味?」

 「すごいです……」

 

 ほんの数十分、特に何か特別な事をした覚えもないのに、すでに文章が完璧なまでに理解できるようになっている。それは異国の言葉を同等の時間で覚えた事と同じであり、普通であればありえない。

 そもそも、異国以前にここは異世界。こちらに来た時点で言葉が通じている事すらおかしい話であった。

 

 「記憶がないだけで、元々言語としての知識は残っていらっしゃるんですかね……」

 

 アリーは不思議そうにしている。しかしそれは清太も同様であった。

 今の今まで、お互いが自分の世界の言葉を話しているようにしか認識できていない。だが実際は、それぞれの事なった言語が耳に届くまでに自動で翻訳されている。

 いざこうして文章という矛盾に当たるまでは、この先その事実に気づく事はなかっただろう。

 

 「でも、なんだか残念です……」

 「へ?なんで?」

 

 アリーの突然の言葉に、清太はとても焦った。

 

 「だって、セイタさんがこんなに早く文字を読めるようになるなんて思っていなかったから……」

 

 ああ、まずい。アリーに嫌な思いをさせたら、リズに何をされるかわかったもんじゃない。冷や汗を垂らしながら、必死で思考をフル回転させる。

 だが実際にアリーの考えていた事は、それまでの心配をことごとく消し去るものだった。

 

 「その、たくさん……一緒にお勉強できたらいいなって……」

 「ぷっはあ……」

 

 一気に力の抜けた清太は、そのまま机に突っ伏した。

 

 「ご、ごめんなさい!そんな大それたこと……」

 

 清太の勘違いなのだが、それが自分のせいだと申し訳なさそうにしているアリーを見て、清太は胸が締め付けられる。

 

 ──こんなに優しくていい子が世界にはいたのか!あ、でもここ異世界か。

 

 だが今の清太にはそんな事はどうでもよかった。

 なんて言ったらいいのか、アリーのこの引き気味な感じ。リズはもう無茶苦茶だし、キュルケって人はなんだか別物だし。さっきのシスカときたらツンケンしてて嫌みっぽいし、スカロンさんは……って男じゃねえか。

 何にしても、目の前にいるアリーという少女が天使に見えて仕方が無い。

 

 「あ、そ、そんなことよりも!セイタさんに渡したいものが……」

 

 顔を真っ赤にしながら、アリーは鞄から本を一冊取り出した。

 

 「アルビオンの……剣?」

 「はい。先日の出先でセイタさんが見ていたのを思いだしまして……」

 

 ロンディニウムに出かけた際に見た、歌劇の宣伝を思い出す。

 

 「それでわざわざ用意してくれたの?」

 「はい……ご迷惑でしたらすみません……」

 「迷惑だなんてそんな、本当にうれしいよ」

 

 本を受け取ると、アリーは嬉しそうに笑う。

 数ページめくって中身を確認すると、自分の世界でいう小説の類であった。この程度であれば、今の自分でも読む事ができそうだ。

 

 「それではすみません。私、これから用事があるので……」

 「そっか。本当にありがとう」

 「い、いえ。……あの……」

 「うん?」

 「また今度……一緒にお勉強してくれますか?」

 「もちろん。むしろ俺がお願いしたいくらいだよ」

 「よかった。それでは」

 

 そっと胸をなでおろしたアリーは、嬉しそうな顔で出口に向かう。そんな後ろ姿を目で追いながら、清太はとても重要な事を思い出した。

 

 「やっべえ!そういえばリズを忘れてた!」

 

 窓の外を見ると、すでに夕日で辺り一面がオレンジ色に変っている。未だに溶ける気配の無い雪が、キラキラと反射して幻想的な世界を作り出していた。

 先ほどアリーから受け取った本を急いで手に取り、先ほど来た道を駆け足で戻って行く。

 

 ──さすがに悪いことしたな……

 

 間違い無くご立腹なリズを想像して、少しばかり気が引けてしまう。

 すぐに先ほどの中庭についた清太は、恐る恐る様子を確認した。

 きっとイライラしたリズが、待ち構えているだろう。そう想像していたのだが、意外な事にその姿は見当たらなかった。

 

 「あれ、どこいった?」

 

 ゆっくりと周囲を見渡すと、近くに設置されたベンチに横たわるリズの姿を見つけた。

 

 「リズ?」

 

 慌てて駆け寄るが、どうやら寝ているだけのようだった。

 すー、すー、と寝息を立てるリズを見て、清太はそっと胸を撫でおろす。

 しかし季節は真冬、当然この時間であれば気温は更に冷え込む。このままではいけないと、清太はリズを担いで部屋まで運んだ。

 だが無断でリズの部屋に入るとなんだか怒られそうなので、悩んだあげくやむなく自室のベッドに寝かせる事にした。

 

 「よっこらせ……」

 

 リズをベッドに寝かすと、清太は窓際に置いた椅子に腰かけた。窓から差し込む夕日が、一日の終わりを告げていた。

 

 ──そういえば皆、今頃どうしてるかなあ……

 

 この世界に来てから数日が経つが、帰れる気配が全くない。そんな中、心配しているであろう両親や友人の事を考えると、やるせない気持ちになってしまう。そんな気持ちを少しでも紛わせようと、清太は外の景色を眺めていた。

 そして一方のリズはというと、いつも見る夢にうなされていた。大好きだった両親と離れ離れになる夢。自分の一番辛い思い出は、十年近く経った今でも悪夢となって甦る。夢の最後はいつも、船に乗って両親の名を叫ぶ自分の姿。

 そしていつものようにそこで目を覚ましたリズは、そっと目を開けた。

 

 ──あれ、なんでベッドに……

 

 ゆっくりと視線を動かすと、窓際に腰かけ遠くを見るような眼をした清太の姿が見えた。どうやら自分は、清太の部屋のベッドに寝かされているようだ。

 

 ──なんだ、アイツが部屋まで運んでくれたんだ……

 

 長時間待たせたあげくに、居眠りさせるなんて……と怒ろうかとも思ったが、清太はリズをわざわざ部屋まで運んでくれた。おまけにレピテーションや同等の魔法を一切使えないので完全に自力である。

 大変だっただろうな……。そう思うと、リズは自然と温かい気持ちになった。

 そしてそれは、いつもであれば心に靄がかかったような悪夢からの目覚めも、綺麗さっぱり晴れさせてくれるのであった。

 

 

 




─あとがき─

度重なる投稿予定日の延期を深くお詫び致します。予定よりだいぶ遅くなってしまいましたが、ようやく完成致しましたので投稿させて頂きました。定期的に覗いて下さっている方や少しでも興味を持って下さった方々、最後まで目を通して頂けた事に感謝しております。これからもどんどん新章を投稿していきますので、当小説を宜しくお願い致します。


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自立試験

 「忘れ物は無い?」

 「忘れ物も何も、そもそも所持品すら無いんだけど……」

 「そう。ならこれお願い」

 

 そう言ってリズは無造作に置かれたバッグを指差す。ずっしりと重くなったバッグは、背中に担いでやっと持てる重さであった。

 

 「何入れたらこんな重くなるんだよ……」

 「つべこべ言わないで持ちなさい。ほら、置いていくわよ」

 

 どこまでも澄み渡る空は、まさに快晴。降り注ぐ朝日の光は温かく心地よい。一面に積もった雪は未だに溶けることなく、キラキラと照らされ幻想的な世界を演出していた。

 そんな一日の始まりに、清太とリズはテューダー魔法学院を後にする。

 今日は二学年後期の通例行事である『自立試験』当日。前日に学院側より公示された薬草や鉱石を、二週間以内に収集し学院まで帰って来る。

 だが当然それは辺りの山に転がっているわけでもなく、ましてや商人から簡単に買えるものでもない。そういったアイテムをレアアイテムと総称するのだが、その類のアイテムは地道な探索力と使い魔の野生の感性をもってして初めて見つける事ができる。一日や二日で手に入る物ではない為、試験期間の二週間というのはそういった理由から設けられた期間である。

 

 「なあ、さっきから何見てるんだ?」

 「地図だけど」

 

 リズは目の前に広げた紙を熱心に覗く。そこには大陸と思しき画が描いてあり、方角、地名等、ごく一般的な地図であった。

 

 「で、これのどこに行くの?」

 「こんな近くにあるわけないでしょ?これアルビオン大陸しか載ってないのよ」

 「まさか別の大陸?」

 

 清太の言葉を聞いたリズは、当たり前といった表情でもう一枚の地図を取り出す。

 

 「ここよ。それで、今私たちはロサイスっていう港街に向かってる」

 

 二枚目の地図を見ると、一か所に赤い丸でマークがしてある。だがその地図の縮尺とマークの位置までの距離に違和感を感じた。アルビオン大陸の地図だけでもかなり広大で、ましてや出発してからかなりの時間が経っているというのに、未だに中間地点のサウスゴータを過ぎたところだ。これから向かうロサイスまでは、今進んできた道を同等距離進む必要があった。

 どこまでも続く草原の中を馬車はひたすら走る。テューダー魔法学院を出発してから半日以上、いくつもの山や川を越え、日が傾くころには第一の目的地であるロサイスへと到着した。

 

 「今夜はここで一泊して、朝一の船でラ・ロシェールまで向かうわ」

 「へーい……」

 

 元の世界であれば数時間で移動できる距離を、数日かけて移動する。清太はこの世界の文明を少しばかり恨んだ。

 実際のところ、この世界には未だに車や鉄道といった技術が確立されていない。もしかするとアルビオン大陸のみの問題かもしれないが、それが別の大陸でも普及しているようには思えなかった。

 

 「ねえ、いつ文字読めるようになったの?」

 「んー、この前アリーに教えてもらったー」

 

 清太は部屋に置かれたソファーに寝転がりながら、アリーから渡された『アルビオンの剣』を読む。最初はベッドにしようかとも思ったのだが、どうやらカップルと勘違いされた二人は一つの大きなベッドがあるだけの部屋に案内されてしまった。

 当然そこに清太が陣取る事が出来るわけもなく、即座にソファーへと追いやられた。

 

 「ふーん……」

 「どうした?」

 「ううん、なんでもない」

 

 再び本へと視線を戻す。時間を見つけては読むようにしていたおかげで、今では問題無く文章を読めるようになっていた。

 

 「ところでさ」

 「なによ」

 「虚無ってなに?」

 

 『アルビオンの剣』に出てくる“虚無”という力。その力は四つあるどの属性にも当てはまらない、言わば特別な力である。

 

 「この前説明した四大属性のどれにも当てはまらない系統よ。遠い昔から存在する力だけど、使える人間は限られてる。まさに伝説ね」

 「なるほどねえ……。でもまあ、無縁だよね」

 

 するとそれを聞いたリズは、無言で机に置かれた杖を握った。

 

 「ごめんなさい嘘です」

 

 その様子を見た清太は即座に謝る。

 

 「絶対わざとよね。最近調子乗って私の事バカにしてるでしょ?」

 「いえ、そんなことはございません?」

 「なんで疑問なのよ……」

 「さーて、寝よ寝よ」

 「あ、ちょっと待ちなさいよー」

 

 しかしリズの声を無視して、清太は毛布をかぶる。

 さすがにリズと同じベッドで寝るわけにもいかず、渋々追いやられたソファーが清太の定位置となった。

 

 「おやすみー」

 「ちゃんと朝起きてよ?船に乗り遅れたら大変なんだから」

 「わかったよー」

 

 ──コイツ絶対わかってない……。

 

 リズはそう思いつつ、寝息を立てる清太に舌を出す。それから夜も更けた頃、二人はぐっすりと眠りについた。

 そして翌朝。二人は街の大通りを船着き場に向かって大急ぎで走っていた。

 

 「ほんとに!あれほど!言ったじゃない!なんで寝坊するのよ!」

 「ちょっ!お前だって寝坊したじゃん!」

 「うるさいわねー!」

 

 朝が極端に苦手な二人。特に冷え込んだ日は尚更それが出てしまう。普段は対照的な二人も、この面に関しては唯一似ている所だった。

 あと数分で船が出港してしまう。先を走るリズの後を清太は追った。

 しかしそんな二人の努力も報われず、本来乗るはずであった船の出港合図である汽笛が聞こえてくる。

 

 「なあ、今の!」

 「ええ、多分間に合わなかったわ……」

 

 まだ船の姿を確認していないが、この時間帯に出向する船は限られているため大体の想像はできた。

 息を切らした二人は、茫然と立ち尽くしす。

 そんな中、突如聞こえてくる地響き。その音に驚いた清太は周囲を見回した。

 

 「地震?」

 「何言ってるのよ。あれよ」

 

 リズがゆびを指した方向を見た途端、思わず声を上げた。

 

 「はあ!?」

 

 大きな帆を張った巨大な船が、大きく低い音を立てながら頭上を通過していく。その圧巻な光景に思わず声を失った。

 本来であれば海の上に浮いているはずの船が、何故か空中に浮いている。それだけでも十分な要素であったのだが、今回はそれだけではなかった。

 

 「海は……?」

 「そんなもんあるわけないじゃない。海はもっと下よ」

 

 恐る恐る岸壁から下を覗く。すると遥か下の方に海が見えた。それは飛行機の窓から眺める景色に似ていて、今いる場所がかなり高い位置である事がうかがえる。

 無数に浮かぶ雲と数隻の船。断崖絶壁から飛び出すような形で港がつくられ、そこに大小合わせて二十隻以上の船が停泊している。

 魔法があるので何ら不思議な光景ではない。だが想像していた以上の光景である事は確かだった。

 

 「なあ、アルビオンが浮いてるなんて事ないよな?」

 「浮いてるわよ」

 

 あー、やっぱり異世界だ。信じられない光景を前に溜め息をつきながら肩を落とした。

 

 「そんなことよりも、ロサイスまでの船を探さないと……」

 「次はいつ出るんだ?」

 「そんなの知らないわよ。学院からは遅くてもあの船には乗ってくれって言われてるんだから」

 「じゃあどうするんだ?」

 

 リズはしばらく考えた後、渋々といった様子で口を開いた。

 

 「仕方ないわね……あんまり気が向かないけど……」

 「飛び降りるの?」

 「もちろんあんたが行くのよね?」

 

 清太は黙って首を横に振る。冗談を言いすぎると本当に落とされかねないので、清太は黙って様子をうかがうことにした。

 まず最初にリズは、近辺に停泊している物資輸送用の小型船に向かった。ラ・ロシェールまで向かう船に便乗させてもらおうという考えのようだ。

 しかしいくらも経たないうちにリズは戻って来る。どうやらどの船もロサイスに着いたばかりのようで、すぐにラ・ロシェールに向かう船はないようだ。

 

 「次にラ・ロシェールに向かう定期船は二日後。それじゃ間に合わないわね……」

 「何か他の手は?」

 「ガリア経由で向かう手もあるけど、それだと更に時間がかかるわ」

 

 手も足もでない状態に、清太とリズは困惑する。困った二人はひとまず近くの酒場へと足を運んだ。

 

 「どうしよう……」

 

 運ばれた料理を口にしながら、二人は何か手は残っていないかと試行錯誤する。

 リズは時折地図を広げてはあーでもない、こーでもないと独り言を呟いた。

 それからしばらくして、店内が突然騒がしくなる。何事かと思い周囲を見回すと、いかにもガラの悪そうな男たちが一人の男を囲っていた。

 

 「なあ、頼むぜ。すぐに金は返すって」

 「てめえ、何度同じ事言ってんだ?一か月前にも同じ事聞いたぞ?」

 

 あまり穏やかではないようだ。必死で言い訳をする若めの男に対して、周囲の男たちは今にも飛びかかりそうな勢いだ。

 

 「なんならお前の船、回収してやってもいいんだぜ?」

 「おいおい、それは勘弁してくれよ!あれがないと商売ができねえ!」

 「あんなボロ船、あってもなくても変わんねえだろ!」

 

 一人の男がそう叫ぶと、周囲からどっと笑い声が上がる。

 それに腹を立てたのか男は飛びかかっていったのだが、多勢に無勢。あっという間に返り討ちに合っている。

 その様子を見たリズは深く溜め息をついた。

 

 「見てらんないわね……」

 「関わらないほうがよさそうだな」

 「それには同感ね」

 

 関わったら非常に面倒な事になりそうなので、二人はそのまま食事を続けることにした。

 だがそれからしばらくして、先ほどの集団が酒を飲んでは騒ぎ始める。店内にいる客は清太とリズ、ガラの悪い男たちと、気を失って倒れこんでいる男のみ。

 

 「おーい、この店に女はいねえのか!」

 

 一人の男がそう叫ぶ。しかし店主はすでに裏方へと避難したのか、どこにも姿が見えない。

 つまらなそうに舌打ちをする。しかし男はすぐにリズの存在に気づくなり叫んだ。

 

 「おお、貴族の嬢ちゃんがいるじゃねえか。お前、ちょっとこっちこいよ」

 

 清太もリズも無視をしてやり過ごそうとする。しかし男はそれに機嫌を悪くしたのか、更に大声で叫んだ。

 

 「てめえ!俺の声が聞こえねえのか!」

 

 下っ端と思われる数人の男が立ち上がり、こちらへと向かってくる。だがリズはそんな様子を見ても余裕の表情で地図を眺めていた。

 

 「おい、親方がお呼びだ。来い」

 

 だがリズは反応すらしない。それどころかテーブルに置かれたカップを手に取り、ゆっくりとそれを口に運ぶ。

 

 「んだよ、小娘が」

 

 男達はあっけなく引き下がると、元のテーブルへと戻っていく。

 

 「随分あっけないな……」

 「あーいうのは無視するのが一番効果的よ」

 

 澄ました顔でリズは言う。それを見た清太は少しばかり感心していた。リズの事だから、どうせまたすぐに杖を取り出すのだろうと思っていたからだ。

 一方先ほどの男達は、親方と呼ばれた大柄な男に何やら報告をしているようだった。その声は少し離れた席に座る二人にも聞こえる大きさだった。

 

 「親方、あの貴族の娘っ子はだめでっせ」

 「ああ、その通りだ。なんせ胸がない」

 

 そう言うと男達は大声で笑う。だがそれと対照的に、リズの顔から一瞬で余裕の表情が消えた。

 そして彼女の手に持たれていた筆がパキンと音を立てて折れる。

 

 「あの歳であれじゃあ、一生あのままだろうな!」

 「一緒にいる男も可哀想だぜ。あんなまな板じゃ何にもできねえだろ!」

 

 清太はリズに抑えるようにと言おうとしたのだが、すでに限界を超えているようだ。

 もう一方の手に持っていたカップがカタカタと震えているのが見て取れる。

 

 「リ、リズ!お茶!お茶こぼれるから!」

 

 それを聞いたリズは紅茶を一気に飲み干すと、勢いよく立ちあがり無言のまま男達の方へと歩いて行く。

 

 「お?なんだ?まな板がこっちに歩いて……ひっ!」

 

 だがその様子を見た一人の男が悲鳴をあげる。それほどリズから出ているオーラが黒かったのだ。

 清太は思わず男達に向かって手を合わせた。彼らはもはや死んだも同然なのだ。

 

 「お待たせしました……まな板の到着です……」

 

 ぶつぶつと何かを呟くと、杖を男達に向けた。

 

 「んだてめえ!たかだか魔法で俺らが怯むとでも思ったのか!」

 

 リーダー格の男はそう叫ぶと、リズに向かって行く。だがそれと同時に、杖から放たれた白い光が男達を包む。

 そして響き渡る大きな爆発音。店内はもはやぐちゃぐちゃで、その奥には先ほどの男達が黒こげになって倒れている。

 

 ──やっぱりこうなったかあ……

 

 清太は溜め息をつくと、再び椅子に腰かける。リズは満足したのか、いつもの調子に戻っていた。

 

 「いやあー助かったぜ」

 

 気付くとそこには、先ほどの若い男が立っていた。

 

 「あれ、気絶してたんじゃないんですか?」

 「いや、気絶したフリだ」

 「あー」

 

 清太は思わず納得する。しかしそんな二人を余所に、リズは相変わらず地図と睨めっこをしていた。

 

 「なあ、譲ちゃん。さっきの魔法はなんて魔法だい?あんな爆発今まで見たことないぜ!」

 

 男は興奮気味に言う。しかしそれでもリズは口を聞こうとしない。もはや存在に気づいているのかすら怪しい雰囲気だ。

 

 「いっつもあんな感じなのか?」

 「まあ、そんなとこです」

 

 困った顔で清太に助けを求めてくる。

 

 「ところでよ、こんな所で何してんだ?お前ら魔法学院の生徒だろ?」

 「トリステインに行かなきゃいけないのよ」

 

 そこでやっとリズは口を開いた。だが視線は相変わらず地図に向けられたままで、一向に会話をしようとしない。

 

 「一番近い港まで行く船なら二日後だぜ?」

 「乗り遅れたんです」

 「なるほどな。それでさっきから地図と睨めっこしてんのか」

 

 広げられた地図を見て納得したようだ。

 

 「なんなら、ラ・ロシェールまで送ってやろうか?」

 

 するとさすがのリズも反応したのか、男に詰め寄る。

 

 「ねえ、今の本当?」

 「ああ、別に構わないぜ。だがタダでとはいかないけどな」

 「助けてあげたじゃない!」

 「それとこれとは別だ。素直に感謝はするがな」

 「……いくら?」

 

 すると男は少しばかり考える。

 

 「三十エキューでどうだ?」

 「ふざけないで、高すぎるわ。定期船の十倍じゃない」

 「当たり前だ。こちとら用事のある場所じゃねえんだし」

 「……わかったわよ。いつ出港できるの?」

 「そうだな、まだ船員達が集まってねえだろうから、早くても夕方か?」

 「それじゃ遅いわ!」

 

 リズがそう叫んだ途端、店の扉が大きな音を立てて勢いよく開く。

 

 「いあした!アイツです!」

 

 先ほどの連中が仲間を引き連れ戻ってきたようだ。その様子にいち早く気づいたリズは、咄嗟に杖を握った。

 

 「あー、さっきの夕方って話だが……今すぐに変更だ!」

 

 男はそう言って大きめの窓を開けるなり、そこから勢い良く飛び出した。急いで二人も後に続く。

 

 「どーしてこーなるのよー!」

 「まあいいじゃん。これで遅れも取り戻せそうだし」

 

 先ほど来た道を港に向かって引き返す。走る三人の後ろから、大勢の男達が追いかけて行く。

 

 「あの船だ!」

 

 見るとその先に少し古そうな船が一隻停泊している。

 

 「あんな古そうな船、ちゃんと飛ぶの?」

 「なめんなよ、譲ちゃん。空を飛ばせたらハルケギニアで一番早いぜ!」

 「船員は大丈夫なんですか!?」

 「ああ!どうやら問題ないみたいだ!」

 

 三人はそのまま船へと飛び乗ると、そこではすでに数人の男達が大急ぎで出港準備をしていた。

 

 「お前ら!よく出港するってわかったな!」

 「当たり前じゃないっすか!ダナーさんを探してアビレンの奴らが数人来たもんですから、どうせまた何かあったんだろうって話してたんです!まあ、大当たりでしたけどね!」

 

 そう言うと、その男はさっさと持ち場へと戻って行く。その間も追手の様子を確認していた清太が大声で叫んだ。

 

 「あいつらが来ます!」

 「おい皆、聞こえたか!出港だ!」

 「まってましたー!」

 

 その合図で船の帆が一杯まで張られる。それと同時に、船を固定していた縄が解かれた。

 するとすぐに船が揺れ、岸からゆっくりと遠ざかって行く。

 

 「艦首下げろ!ロサイスの上は通るなよ、恰好の的だ」

 

 すると船が一気に高度を下げ、アルビオン大陸の下へと向かっていく。分厚い雲の中へと沈む間際、岸から悔しそうにこちらを覗く先ほどの連中の姿があった。

 

 「いやー、騒がしくてすまなかった」

 「ほんとよ」

 「でも無事に出港できて何よりです」

 

 リズはいかにも機嫌が悪そうな表情だ。

 

 「自己紹介が遅れた。俺はこのイーグル号の船長、ウェルト・ダナーだ」

 「アサミセイタです」

 「リズ・リーデルよ」

 

 するとリズの名を聞いたダナーは驚いた表情をした。

 

 「おいおい譲ちゃん、リーデルってあのリーデルか?」

 「他のどこにリーデルがあるのよ。それとその譲ちゃんっていうのやめて」

 「リズってそんな有名なの?」

 

 不思議そうにする清太に、ダナーは知っているのが当たり前といった調子で続けた。

 

 「リーデルを知らんのか?かの有名なエフケス・リーデルの……」

 「その話はもうやめて。それより休める部屋はないの?」

 「あ、ああ。そこの扉を開けて階段を下りた先に、船員用の部屋がいくつかある。好きな所を使ってくれ」

 「セイタ、後でそこの荷物持って来て」

 

 そう言い残し、リズは扉の方へと向かう。

 

 「ところで坊主、あの譲ちゃんとどんな関係だい?」

 「あー、ただの同級生で……」

 「なるほどな。思い人ってわけでもなさそうだしな」

 「勘弁して下さい」

 「わるいわるい。それよりもほれ、見てみろ」

 

 そう言ってダナーは遥か上にあるアルビオン大陸の方を指差す。その先にはタイミング良く雲が切れ、その間から巨大なアルビオン大陸の一部が顔を覗かせていた。

 アルビオン大陸は空中に浮いているため、本来行きつく先は海であるはずの川の水も行き場を失い、切り立った崖より空中へと放たれる。そしてその水はすぐに霧と化し、そこに太陽光が当たる事で虹を作り出す。その姿は雲に浮かぶ大陸のようだった。

 そんな元の世界であれば一生拝めないであろう幻想的な風景に、清太は思わず見惚れてしまう。

 

 「綺麗だろ?あれこそアルビオン大陸が『白の国』なんて洒落た呼ばれ方をする所以だ」

 

 一生見ていてもきっと飽きないだろう、清太はそう感じた。そして同時に、この世界をもっと見てみたくなっている自分がいる事に気づく。

 きっとこの世界は自分の想像の遥か先を行っている。その好奇心はいつの間にか“元の世界へ帰る”という気持ちを少なからず忘れさせてくれるのだった。

 

 

 




-あとがき-

最後までお読み頂き有難う御座います。近頃不定期になりがちでしたが、次回作からまた毎週月曜日の更新へと徐々に戻していこうかと思います。
たびたびご迷惑をおかけしますが、これからも『白銀のアルビオン』を宜しくお願い致します。


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