Re:IS (葉巻)
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第1話

 俺には二人の幼なじみがいる。

 

 一人は物心が付いて間もない頃に知り合った、剣術道場の女の子――篠ノ之箒(しのののほうき)。江戸時代の侍を神様が気まぐれで性転換させて現代に呼び出したような、男勝りでとことん融通の利かない奴だ。

 そしてもう一人は、中学校に入ってから知り合った海外からの転校生――凰鈴音(ファン・リンイン)。思い切りが良過ぎて頭より手が先走るという、別ベクトルで面倒な少女だ。

 他にも友達や知り合いは何人かいるし、そいつらと比べて特別親しい仲にあったってわけでもない。けれども、何かといえばその二人のことを思い出してしまうくらい、強烈な形で脳裏に刻まれてしまっている。そりゃあ、毎日のように目の前で大喧嘩を繰り広げてたら嫌でも忘れられなくなるかもしれないが。

 

 ともかく、そんなはた迷惑な二人とともに、俺は何気ない日常を送って『いた』。正確には、送ったつもりになっていた、とでもいうべきなんだろうか。通学と授業と遊びという定まったルーチンの間に食事風呂睡眠諸々を挟む、ごくありふれた子供の一日。そういうつまらないけどつつがない生活ってものが大きくなるまで延々と続いていくもんだと、ずっと俺は勝手に思い込んでいた。

 ――そう。目の前で絶望的な光景が繰り広げられる今この瞬間までは。

 

『…………ゥゥゥゥゥゥンン』

 

 首の後ろがぞわっとするような唸りを聞いて、思考が現実に引き戻された。同時にシャツを伝う汗の感触と、不快極まりない喉の渇きを脳が捉える。

「何なんだよ、一体」

 半ば理解はしていながらも、俺は自分自身に現状を確認させるかのように呟く。

 今立っている場所は篠ノ之神社の鎮守の森の中、林道から少し外れた場所にできた平地。周囲には今しがた切り倒されたばかりの巨木が数本、内外からの視界を塞ぐように横たわっている。

 そして、先ほどからずっと怪音を発しているのは正面に立つ漆黒の人影。正しくは、そいつが手に握っている棒状の何かだ。多分、人の目ではわずかにぶれて見える筐体が高速で振動しているんだろう。『それ』を振り回せばどうなるかは、先ほど目の前でわざわざ実演してくれたおかげで嫌というほど理解できている。

 この状況で背を向けて走れば運良く逃げられるだろうか。ほんの一瞬そんな考えが過ぎったものの、追いつかれて綺麗に胴を両断される姿が思い浮かぶばかりだったのですぐに諦めた。

 残された選択肢は二つ。相手の心が少しでも揺らぐことを祈って命乞いするか、覚悟を決めてばっさり切られるか。とはいえ、後者は論外だから実質一択しかない。意を決した俺は、震える指先を握り締めながら声を張り上げた。

「な、なあ! お前は何が目的なんだ?」

「目、的?」

 呼びかけに対して、頭らしき場所からくぐもった声が響く。どうやら意思疎通ができないってわけでもないようだ。おかげで少し緊張も解けた。

 ひょっとしたら好意的な答えが返ってくるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、俺は再び口を開いた。

「そう、そうだ。お前の目的は何なんだよ? 俺にできることなら手伝うから、今は見逃してくれないか?」

「……っ」

 異形の存在は、わずかに躊躇うような素振りを見せた。――が、次の瞬間。

「不可、能。お前も、標的」

 片言のように喋ったかと思うと、相手は得物を俺に向けて構えていた。

 交渉失敗。もはや意思疎通に応じる気はないのか、鳥肌が立つほどの殺気を全身から迸らせている。このまま相手が飛び出せば、かわす間もなく俺の体はあの武器に抉られるなり切り裂かれるなりするだろう。

 マジかよ、冗談じゃねぇなんて恰好つけた台詞は口から出る筈もなく、俺は確実に訪れる死に震える奥歯をぐっと噛み締めながら、ただ機を待つ相手を見据えることしかできずにいた。

 一秒が十秒に、いやひょっとすると百秒以上もの長い時間に感じられるほど、精神的に追い詰められた末に。

 相手は、ゆっくりと片足を踏み込――。

 

「一夏ああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

 ――もうとして、不意の叫びに硬直した。

 まさか、拾っていた外部音声よりも大きな声が響いて驚いたなんてことは……。って、そんなことはどうだっていい。

 考えるよりも先に自然と足が動く。相手が止まっているうちに一歩でも早く、遠くへと。生命の危機に曝されているおかげというのも変だが、自分でも驚くほどスムーズに倒木を乗り越え、声のした方へと一目散に駆けていた。

 あれほど大きな声だったのだから、あいつはそう離れていない場所にいる筈だ。それは、彼女が俺同様危険に曝されるということに他ならない。

「そこから離れろ! 早くっ!」

 森の外へと走りながら、彼女に向かって必死で呼びかける。きっとこの声も聞こえている。おそらくは敵にも。

「逃げろ箒!」

 叫んだ瞬間、急に視界が開けた。森の外、ちょうど神社の裏に出た俺を、いつになく心配そうな顔の箒が竹刀を握り締めた姿で出迎える。おそらくは神社の手伝いをしていたのだろう、学校の制服でも道着でもなく巫女装束を着た彼女は、俺の姿を見るなり駆け寄ってきた。

「一夏? 無事なのか一夏?」

「バカ野郎、待ってないで今すぐ離れろ!」

 怒鳴りつけざまに彼女の手を引いて、境内の中央へと走る。少なくとも人気のないこの場所は危険だ。本殿の前か、社務所か……とにかく誰かに目撃されうる場所へ行けば、敵も襲撃を躊躇するかもしれない。

「一夏、一体何が起きたのだ? 森の中から木が倒れる音が聞こえたがあれは――」

 箒が疑問を口にする前に、木々を掻い潜ってその張本人が現れた。薄暗い森の中では大まかな姿しかわからなかったが、ここでははっきりと全身を捉えることができる。だがそれは同時に、相手への絶望をより深める要因でもあった。

「こいつまさか、IS(アイエス)!?」

 漆黒の装甲に守られたその異形を見て、思わず声を上げる。無理もない。IS――正式名称『インフィニット・ストラトス』、当初は大気圏外での運用を目的として作られたマルチフォームスーツであり、現在は全世界が最悪の脅威と見なす戦略兵器(バケモノ)――その実物が、今自分達の目の前に立っているのだから。

 テレビの中では何度も見たことがある。国際的に暗躍していた犯罪組織が奪取し、その後数々のテロに用いてきたということも知っている。けれども、それがよりにもよって自分達へと差し向けられるなんて誰が想像できるだろうか。

「――目的は姉さんか」

 いや、想像しておくべきだった。狙われうる人物が身内にいるのなら尚のこと用心しておかなければならなかったんだ。箒の口からこぼれた言葉に、今さらながら後悔の念を抱く。

「篠ノ之、束。関係者。皆、殺し」

 片言で喋るその声は、簡潔にその目的を告げていた。関係者というのがどこまでの範囲を含めてなのかは知らないが、相手は戦略規模の超兵器。この町ひとつ滅ぼすことが皆殺しって解釈でもおかしくはない。

 くそっ、一体どうすれば――。

「……ものか。させるものかああぁぁぁぁっ!!」

 もはやどうすることもできない状況に頭を抱えたくなったその時、箒が俺の手を振りほどいた。そのまま竹刀を手に黒塗りの敵へと切りかかる。

「お、おい!」

 無茶だ。現行の重火器でさえ歯が立たなかった相手に、よりにもよって竹刀だなんて。

 構えを取りもしないIS目掛け、彼女は上段から会心の一撃を叩き込む。――その切っ先は相手の装甲に触れる寸前で何かに弾かれ、その反動で柄が握り締める両手から弾き飛ばされた。

「なっ――」

「無駄」

 驚きと振り抜いた直後で無防備になった箒へと、武器を持たない方の腕が振り上げられる。あの状態から殴打をしのぐことは不可能だ。そして、機械の腕力で殴られれば人間がどんなことになるかなんて、考えるまでもなくわかっている。

「やめろぉ!」

 とっさに飛び込んで箒ともども地に伏せる。――当然ながら、彼女の上から遅れて被さる形になった俺の方は間に合わなかった。

 ほんのわずかに引っかかった拳が脇腹にめり込む。骨が軋み、衝撃にヒビ割れ、内臓が想定外の強さで揺さぶられて悲鳴を上げる。アクション映画かよ冗談じゃねぇ、と痛みに揺らぐ意識の中で考えながら真横に突き飛ばされた俺は、一瞬の後に境内を横断してどこかの扉へと打ち付けられた。

 正直生きてるのが信じられない、いやもうすぐ死ぬけれどなんて馬鹿げた考えと共に鉄臭い液体が喉を勢いよく逆流してくる。

「……かはっ」

 耐えられずにぶちまけたそれの色さえあやふやなほど、俺の脳は心身ともども限界まで追い詰められていた。

「ほ、うき……」

 ぼやけた視界の中に幼なじみの姿を探しながら、なんとか意識を保とうと努力する。今すぐ逃げてくれ、一秒でも長く、俺より生き長らえてくれと祈りながら。

「一夏ぁ!」

 おいバカ野郎、俺のことはいいから今すぐ逃げろ。駆け寄ってきた箒を叱りつけようと思っても掠れた息しか出ない。くそっ。

「死なせない。一夏は絶対に私が守る」

 このまま俺は、俺達はこいつにやられるのか。箒の親父さんも、おばさんも。

「殺させるものか。絶対に」

 鈴も。友達も、クラスメートも。

「私の命に代えても」

 千冬姉。くそっ――そんな、そんな不条理は。一方的に奪われる結末なんてものは、絶対に認められない。

「だから――」

 だから。どんな形だっていい。たった一度きりでもいい。

 俺の大事な人達を。目の前にいるこいつを。

 

「「守る力を――――ッッ!!!!」」

 

 ――もし、『奇跡という概念をわかりやすく目に見える形にしてみなさい』という問題があったとしたなら。

 それはきっと、今まさにこの場で起こった出来事がもっとも適切な解答なんじゃないか。

 俺と箒の両方がそう思うくらいには、あまりにもご都合的で準備の良過ぎる『力』が。

 

識別称号(コード):白式、登録者の起動コールを確認。承諾』

 

 その瞬間、望み通り俺達の目の前に顕現した。

 

<第1話 了>




本当はブルブルする剣を一夏に突き立てたかった(物理攻撃的な意味で)


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第2話

 『それ』は、文字通り突然目の前に現れた。

 襲撃者と対極を成すかのような純白。その一色に彩りを添えるかのごとく、センサーが青く光っている。

 一点の曇りもない清廉(せいれん)な輝きをまとった機体は、ただ静かに、うずくまる俺と庇うように立つ箒を脅威から切り離す形で直立していた。

「……何者だ?」

 口にするまでもなく、箒が先に疑問をぶつける。俺達を守る形で出てきたとはいえ、本当に味方なのかどうかはわからない。警戒心をあらわにして身構える箒を背中で捉えたまま、白いIS(アイエス)は彼女の問いかけに答えた。

『はい。私は識別称号(コード)白式(びゃくしき)。篠ノ之箒と織斑一夏を所有者(マスター)として登録する自立稼働型ISです』

「コード? それに私と一夏が所有者というのは一体」

 首をかしげる箒。このIS、納得できる説明をするどころか余計にややこしくしてくれた気がしなくもない。大体、自立稼働型のISってなんだよ。その兵器は人間が乗るものじゃないのか。

『現時点での説明は不可能です。脅威の排除を最優先します』

 訊き返す間もなく一方的に対話を拒絶すると、『それ』は虚空から剣の形をした物体を抜き放った。これが量子展開という奴なのかどうかはさておき、この白式とかいう機体とその持ち主は、俺達の眼前で今から戦いを繰り広げようとしているらしい。

「邪魔、排除」

 敵が振動する剣を構える。対する白式もまた、今しがた呼び出したばかりの武器を両手で握り初撃に備えていた。二体の超兵器が剣豪同士の死合(しあい)でもするかのように向かい合っている姿は非常にシュールな光景だった。

 いや。

 お互いに常識を外れた暴威の塊だからこそ、泥臭さすら覚えるほど陳腐な睨み合いに徹しているのだろう。ともすれば一撃ですべて決着してしまうのだろうから。

『――――参ります』

 先に動いたのは白式の方だった。

 踏み込みとともに振り上げた太刀が敵を射程に捉える。一方の黒いISは、得物で斬撃を凌ぐつもりかその刃をかざしていた。

 てっきりあの見えない壁で防ぐのかと思ったが、さすがにIS同士ではそうもいかないようだ。 

 ――と。

「ア……ッ」

 悲鳴ともつかない声とともに、斬り下ろしを受け止めようと掲げられた腕を線が走る。直後、黒いISの右腕は肘のあたりから綺麗に分割されて石畳を跳ねた。

 ただのフェイクというわけじゃない。確かに初撃は(・・・)受け止めていた。それが単なる剣戟であれば、そこからの反撃に持ち込むことだって容易だったに違いない。

 それを不可能にしたのは捕捉が追いつかない速度での二撃目が放たれたからだ。

「一閃……二断……」

 信じられないといった様子で箒がその奥義の名を口にする。

 鋭い一撃目を放った上で打ち込まれる本命の斬撃。防御に専念しなければ最初の剣戟は防げず、応じれば認識外からの連撃に肉体の反応は追いつかない。

 篠ノ之道場に伝わる二撃必殺の技を、あのISは実際に振るって見せたのだ。それも本来の二刀ではなく一振りの剣で。

 箒が、そして俺がその現実に驚かないわけはなかった。

「貴様」

 俺達が目を見張る中、残った腕が新たな武装を呼び出そうとする。けれども、白式は反撃を許す筈もなく。

『はあっ!』

 突き出された剣先が手首を穿ち、その勢いのままに斬り飛ばした。両手と攻撃手段を失った敵は俺達と白式をそれぞれ一瞥し、更なる追撃を避けるように後ろへと跳躍する。

 ふわりと宙を舞うような機動で森の中へ消える敵を白式は一瞬追おうとしたが、さすがに俺達を置いて離れることはできないのか、その歩みをすぐに止めた。

「奴は逃げたのか……?」

 おそるおそる尋ねた箒へと白い機体が向き直る。

『はい。おそらく再びの襲撃は困難なものと思われますが、一応用心に越したことはありません』

 冷静に分析する白式。その姿を見て、俺はそれをまとっているのが女の子なのだとようやく気付いた。

 ISを駆るのが女性だけなのだからすぐにわかって当然の筈だが、どうも異常な光景ばかり見せられたせいで俺の認識能力が追いつけていなかったようだ。

 こうして間近で見ているとどことなく俺にそっくりな気がしなくもない。それとも千冬姉似だろうか。どちらにしても、俺の姉ないし妹と言って紹介したら十人中九人はその言葉を信じてしまいそうなくらい似通っている。

 ひょっとして俺の両親の隠し子とか――いや、考え過ぎか。

『マスターの肉体に深刻な損傷が見受けられます。この場で緊急治療措置を実施しますがよろしいでしょうか』

「……悪い、助かる」

 マスターなんて呼ばれるのには少々違和感を覚えるが、今だけは気にしていられない。あまりの衝撃で痛覚こそ麻痺していたものの、まったく身動きが取れないくらいには重傷だ。

 とはいえ、あんな機体で殴られて即死しなかっただけでもまだ運が向いていると言えるだろう。

『では』

 承諾を得て、白式は非常にスムーズかつ不自然さを一切感じさせない挙動で俺に近づくと。

 

 ――何の予備動作もなく唇を重ねていた。

 

 …………はぁ?

「……何をやっている」

 

 いやちょっと待て治療のどこにキスする要素があるんだってか箒睨んでるめっちゃ睨んでる額に青筋浮かんじゃってるこれじゃ傷の手当てする前に致命傷負っちゃうって頼む助けて許してごめんなさい。

 というか、口移しで何かが体内に流れ込んでくるんだがこれは一体――。

『医療ナノマシンの投与を完了しました』

「ふざけるなこの不埒者」

 つうっと謎の液体の糸を引きながら口を離す白式目掛け、箒が素手で殴りかかろうとする。

 気持ちは理解できなくもないし、とっさのアクシデントを防げなかった俺も申し訳ないやら恥ずかしいやらで一杯だが、悲しいかな相手はIS。いくら理不尽でも人間の徒手空拳が通用する相手ではない。

 案の定、彼女の渾身の拳は先刻の竹刀同様本体に到達することなく弾かれた。

「くっ……。なぜ一夏が唇を奪われるところを目の当たりにしなければならんのだ」

「言っとくが箒、一番ショックを受けるのは奪われた方だ。初めてだったんだぞ……」

 せめて気心の知れた相手と初めての口づけを交わしたかった、なんて遅過ぎる後悔をよそに、全身の重さが急速に薄れていく。

 内側から傷が癒えていく感覚というのだろうか。破壊された肉体が時間を巻き戻すように元へと戻っていくような気がした。形はどうあれ、ひとまず治療をしたというのは確かなようだ。

「ここにじっとしているのも何だし、とりあえず場所を移そうぜ」

 動けるようになったと確信できるまでに快復した俺は、境内に転がる敵の残骸をちらりと見てから言った。

 もしかすると、あいつの仲間か何かがあれを取りにもう一度戻ってくる可能性もある。そうでなくともこの場所に留まり続けるのは勘弁願いたい。そんな俺の気持ちを察してか、箒は頷き返した。

「道場へ行こう。今は父が留守にしていて無人の筈だ」

『承知しました』

 

    ■ ■ ■

 

 篠ノ之神社に隣接した剣道場は、稽古が休みということもあってか静寂に包まれていた。

 広い室内に踏み込んだ俺と白式の背後で、箒が照明の電源を入れる。徐々に明るさを増すナトリウムランプの下、俺は機械の鎧を着込んだ少女と正面から向かい合った。

 見た目からすると年齢は今の俺達と大差ないだろうか。短く切り揃えられた髪は、まとうISと同じく真っ白だった。いわゆるアルビノという奴なのかといえばそういうわけでもなく、露出部からは健康的な肌色が覗き、鳶色の瞳がこちらを静かに見据えている。

 言ってみれば、ごく一般的な日本人から体毛だけが脱色されたような、違和感に満ちた容姿だった。

「ひとまず脅威の排除ってのは終わったし、せっかくだからお前がどういう存在なのか教えてくれないか?」

 相手からは喋る気配がないので、まず気になっていた疑問を彼女に振ってみる。すると、彼女は淀みのない口調で語り始めた。

『私は所有者の身の安全を保障し、外部の脅威から保護するために作られた自立稼働型の機体です』

「ええっと。自立稼働型っていうのは、要するにロボットってことなのか」

『その定義は正確ではありません。有機体組織にISコアと稼働に必要なユニットを組み込んだ生体連動型。そのうち人工合成によって先天的に生み出された個体を自立稼働型と製造者は呼称しています』

 なるほど、何を言っているのか俺にはまったく理解できない。その通りの表情を浮かべていたのか、白式は軽くため息をついてから言い直した。

『より連想しやすい形で呼ぶのであれば、サイボーグでしょうか』

「サイ……ボーグ」

 急激に理解しやすくなった。と同時に彼女を生み出した人物の狂気を垣間見たような気もする。

 倫理なんてものを初めから無視しきったような代物を一から作るなんて、一体どこの誰がそんな所業をしでかしたんだ――。

「誰がお前を作ったんだ? 製造者っていうからには、誰か手がけた奴がいるんだろ?」

『篠ノ之束。マスター、篠ノ之箒の実姉にあたる人物です』

 前言撤回。言うまでもなくあの人くらいしかいなかった。

 妹のためなら倫理も法律も物理法則さえも全力でぶち壊すような天災、もとい天才が、あろうことか自分の身内にいたことをすっかり忘れていた。

 でも、それなら余計にわからないことがある。普段のあの人なら完成次第真っ先にその存在を教える筈だ。箒に気に入られようが入られまいが、とにかく自分がその発明を手掛けたことと、それら全ては箒のためにやったことだと得意げに話す筈なのだ。

 けれども、目の前の少女のことは箒も知らなかった。あえて知らない素振りをしていたとは到底思えない、明らかに素で初見とわかる反応を見せていた。

「じゃあ、今になって初めて現れた理由は何なんだ?」

『質問の意図が不明です。私が起動したのはつい先ほど、マスターの起動コードを認識したためです。それ以前の状況については知り得ません』

「何だよそれ。ずっとどこかに停止した状態で保管されていたみたいな言い方じゃないか」

『詳細は不明です。起動の時点で指定された座標に転送するよう設定が施されていたようですが、それ以上のデータを持ち合わせていません。転送装置も私の保管設備に組み込まれたもので、私には指示コードと座標の変化のみが――』

 ああもう、ややこし過ぎる。俺の頭じゃ理解が追いつかない。

「わかったもういい。詳しいことは束さんに訊くとして、名前を教えてくれ」

『識別称号:白式――』

「そうじゃなくて、お前自身の名前だ。ISじゃなく人としての名前」

 束さんのことだからきっと何か呼びやすい名前を付けている。少なくとも、白式なんて名称よりはまともなのが何か――。

 そんな期待に反して、少女は首を傾げた。

『残念ながらマスター、私に白式以外の呼称は与えられていません』

「そんな馬鹿な」

 思わず口に出してしまうほど意外だった。まったくもって、束さんらしくない。

「名前など後でどうにでもなるだろう。それよりも肝心なことを訊き忘れている」

 ひとり唖然とする俺を横目に、箒は白式へと歩み寄りつつ問いかけた。

「私達を襲ってきたIS、あれの所有者は誰だ。前もって私達を守る手段を講じていたくらいだ、あれを差し向けたのがどういう手合いの者かも把握しているだろう」

『正確な解答としての確信は持てませんが』

 そう前置きして、白式は答える。

『ファントム・タスク。あるいはその関連組織によるものと見るべきでしょう』

「ファントム・タスク……」

 名前だけなら以前にも何度か耳にしたことがある。世界各地で軍事拠点や交通機関への襲撃テロを繰り返している凶悪な犯罪組織だ。

 ISを所有する世界の敵であり、そして――。

 

『――しばらく留守にする。万が一、私の身に何か起きた時は束に頼れ』

 

「千冬姉」

 三年前、高速列車を標的にした襲撃で乗り合わせた各国の要人や旅行客を虐殺した、史上最悪の犯罪集団。

 俺にとって唯一の肉親の命を奪った仇敵(かたき)だ。

「だが束姉さんは今アメリカへ――――っ!? くそっ、そういうことか!」

 何か重大なことに気が付いたのか、箒は電話機のある休憩室へと走っていく。受話器に飛び付くや否や、躊躇いなくどこかの番号をダイヤルした。

『はいもしもーし』

 受話器から漏れ聞こえてきたのは、深刻さからほど遠い陽気な声だった。電話の向こう側がやかましいのか、だいぶ大きな声で喋っているようだ。

「篠ノ之です、突然の電話申し訳ありません」

『あぁ、束博士の妹さんね。ちょうど今こちらから連絡しようかと思ってたところだったのよ』

「それはどういう――」

 

『貴方のお姉さんの乗った飛行機が先ほど消息を絶ったの。乗客の生存は絶望的だそうよ』

 

 困惑する箒に、声は淡々と告げた。

 

<第2話 了>



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第3話

 航空機というのは運用回数に対して事故を起こす確率が非常に低いと言われている。けれども、それはごく当たり前の運用方法で、なおかつ悪意を持った誰かの破壊工作が及ばなければという前提条件があってのことだ。

 そして、万が一事故が発生した場合に命が助かる確率もまた――非常に低い。

 

『貴方のお姉さんの乗った飛行機が先ほど消息を絶ったの。乗客の生存は絶望的だそうよ』

 

 だから、電話口で告げられたその言葉は、半ば死刑宣告と言っていいようなものだった。

 箒が誰に電話をしているのかはまったくわからないし、その情報を寄越した人物がどれだけ正確に状況を把握しているかも不明ではある。だがおおよそ見当はついているのだろう。

 『篠ノ之束の乗った飛行機はファントム・タスクの標的になり、彼女一人を抹殺するためだけに撃墜されたのだ』と。

「そんな……」

 思わず膝をついてしまうほどのショックを受け、箒の顔は絶望一色に染まっていた。

『現在は信号の消失地点を中心に捜索範囲を広げているわ。高高度での空中分解となると飛散した範囲も相当広くなるでしょうけど、痕跡が見つかるまでそう長くはかからないと思う。新しい情報が入ればまた連絡するわ。それと、貴方の方は大丈夫だった?』

「はい。今の、ところは」

 今にも倒れそうな状態で辛うじて踏みとどまりながら、電話に応対する箒。今すぐにでも替わってやりたい。そう思ったものの、このタイミングで面識のない俺が出たら逆に怪しまれかねないとつい二の足を踏んでしまっていた。

『できるだけ早いうちに護衛を付けるわ。それまではくれぐれも用心して』

「お心遣い、感謝します。では失礼します」

 震える手で受話器を下ろした箒に、白式(びゃくしき)が歩み寄った。

『こうなることを予見して私を用意した方です。きっと襲撃に際しても何らかの対抗手段を備えていたに違いありません』

「憶測だけで語るな!」

 おそらく励ますつもりで言ったのだろうが、今の箒には逆効果でしかなかったようだ。彼女は反射的に立ち上がると、直立するISへ掴みかかろうとした。

「やめろ、怪我するぞ!」

 俺の静止も利かず突き出された彼女の手は――防御に阻まれることもなく首許のアーマーを掴み取っていた。

「どういうつもりだ、貴様」

 意図的に防御を解いた白式を引き寄せ、箒が詰問する。空いた方の手はきつく握り締められ、今にも振り下ろさんと震えている。そんな箒を静かに見つめながら、白式は答えた。

『私を殴ることでマスターの怒りが少しでも和らぐのならどうぞ。今の私には、貴方の感情を身をもって受け止める以外の対処手段が思いつきません』

「……くっ」

 何度か迷った末に、箒は拳を解いた。そうして軽く突き飛ばすようにアーマーから手を離し、白式から顔を背ける。

「白式」

 黙り込んだ箒に代わって、俺は白式へと呼びかけた。

「箒のこと、今はそっとしておいてくれないか。こういう状況で慰められるほど腹立たしいものはないんだ」

『マスターの指示ということであれば、今後は留意します』

 納得した、というよりは自身の規則に加えたと言わんばかりの口調で彼女は答える。IS(へいき)としては完成していても、人間としてはその概形すらできてはいないんだろう。今日になって初めて目覚めたばかりの存在に無理を言うこと自体がナンセンスではある。

「ところで、俺も箒も両方『マスター』って呼ぶのはどうかと思うぞ。せめて一夏とか箒とか、名前で呼んでくれないか」

『承知しました。では今後、貴方のことを『イチカ』と呼ばせていただきます』

「あと、お前のことは『シロ』って呼ぶからな。さすがに『白式』なんていちいち呼ぶのは恥ずかしいっていうか」

 そう言いながらも、『でもシロって安直過ぎる気もしてきたな。なんかペットの名前みたいで嫌だ』なんて考えが浮かんできた。ああ、駄目だ。何かもっといいアイデアは――。

「――――ユキ」

 顔を背けたままの箒から、不意にその二文字が転がり出た。

「結うに希望と書いて結希(ゆき)。私達に妹ができたら母がつけるつもりだった名前だと、小さい頃束姉さんから聞いたことがある」

「希望を結う、か。俺はシロ以外の名前が浮かばなかったし、センスのある箒のアイデアでいいんじゃないか」

「そ、そうか。センスが良いのならそう呼ぶことにする」

 単純に白式から取るよりはマシだと思って言ったつもりなんだが、どうも随分と好意的な受け取られ方をしてしまったような。まあ、それでいいか。ムスッとされるよりはよっぽど気分がいい。

『ではイチカ、ホウキ。これからは私のことをユキと呼んでください』

「ああ」

「って、急に機嫌良くなってないか箒」

 何だよその爽やか成分100%の『ああ』は。訃報(仮)を聞かされたのがつい数分前だってのにえらい気の変わりようだな。そう思っていると、箒はため息を吐いた。

「何を言っている。先程は気が動転していたが、冷静になって考えてみればあの人は殺しても死なない類の存在ではないか。今は無理でもいずれ元気な姿を見せに帰ってくるに違いない」

「どういうポジティブ思考なんだよ、それ」

「そう捉えでもしないとこの先どうなるかわからないからだ。どういう形であれ、敵は私達を仕留め損なった。一人の標的を消すのに航空機ごとやる連中が、たった一度の失敗で消すのを諦めると思うのか?」

 言われてみれば、確かにそうだ。今回こそ窮地は脱したものの、俺達が篠ノ之束の関係者であることには何ら変化はないし、襲撃者の姿を見られている以上野放しにはしておけない筈だ。となれば、いずれまた俺達を狙ってやってくる可能性は十分にある。

「束姉さんが戻ってきた時に私達が故人では申し訳が立たんだろう。だからあの人は必ず生きていると信じて、再会する時まで必死に生き残ってみせる。そう決意したのだ」

「なるほどな。言ってることは無茶苦茶だが、俺達が生き残ることを考えるってのには賛成だ」

『私もお二人を守るにあたって、マスター自身が生存の意思を示されることは良い傾向であると考えます』

 三者三様ではあるものの、それぞれ襲撃から生き残ることに全力を尽くすという決断は変わらない。よし、今の俺達ならどんな敵が現れても大丈夫な気がしてきたぞ。

「ところで一夏。実はひとつ相談があるのだが」

「おう、何でも言ってくれ」

 今にして思えば、気を良くして威勢よく答えてしまったのが運のツキだったのかもしれない。

「私は神社にいて、お前は自分の家に住んでいるだろう」

「おう」

 何当然のことを訊いているんだ、と最初は思った。誰だってそう思うだろうよ、こんな確認の仕方をされたら。

「護衛対象が二人なのに離れて暮らしているのは危険だ。そう思うだろう?」

「確かにそうだ。いくらユキがISっていっても一人で別の場所の二人を守るのは無理だからな」

 こういう場合は両方がすぐ近くに住んでいるか、もしくは同居していることが望ましい。

 ……ん、同居?

「そこで提案があるのだが――」

 首を傾げる俺の前で、箒は赤面しながらその先の言葉を紡いだ。

 

    ■ ■ ■

 

「今日は私のご飯当番ー♪リクエストは中華料理ー♪」

 台所で、凰鈴音(ファン・リンイン)は鼻歌交じりに夕ご飯の支度をしていた。

 この家の家主は彼女ではなく、織斑一夏。かつてはその姉の千冬がこの家を管理していたが、三年前の事故で故人となって以来、実弟であり唯一の肉親でもある彼が遺産を引き継ぐ形で住んでいる。彼女はあくまで期限未定の家出中であり、絶賛居候中の同級生である。

 さすがに何年にも渡って住みついていると元の家族よりも家庭に溶け込んでしまうもので、今となっては半ば織斑家の一員と化している。ちょうど今も、一夏と交代制の食事当番として中華鍋を振るっている最中だった。

(今日は一夏直々のジャンル指定まであったくらいだし、ここは私の腕の見せ所よね)

 同居人をいろんな意味で魅了するには絶好の機会。それだけに彼女の鍋捌きにはいつも以上の気迫がこもっていた。

 とっておきの一品、酢豚が出来上がったところでチャイムが鳴り、彼女はステップを弾ませながらインターホンの前へと向かった。

「はーい、織斑でーす」

「ちっ。篠ノ之だ。一夏も一緒にいる」

 期待していた声とは異なる――というより学校以外では絶対に聞きたくないと思っていた声を舌打ち入りで聞かされ、彼女の浮かれた気分は奈落の底へと突き落とされた。

「ちょっと、なんでアンタが訪ねてくるのよ」

 一オクターブくらいはトーンが下がっているのではと疑うほどドスの利いた声で尋ねる鈴。その脳内ではいかにして相手を物理的にノックダウンさせるかの算段を付け始めていた。パンチ、キックの類は初手で封じられたことがあるから駄目。関節技を決めるには体格差が大きく影を落とす。そうなると残った手段は一つ。

「そういう貴様はいつになったら実家へ帰るのだ。いい加減一夏も迷惑しているだろうに」

「またそうやって人の心抉って! そこで首を洗って待ってなさいよ!」

 床を思い切り踏み締めながら玄関へと向かった鈴は、鍵を開けると同時に膝を屈め、構えを取った。やがて扉が開き、人影が踏み込んでくる。

「覚悟しなさいこの武士(さむらい)女!」

 両手に大きな荷物を抱えたその人に向け、彼女は脚のバネを開放して飛びかかった。

「ふぐぅっ!」

 渾身のタックルが鳩尾に刺さり、あわれな被害者が屈み込む。やったわ、と鈴が達成感に顔をほころばせたのもつかの間。くるんと視界が回ったかと思うと、縫い付けられたかのように俯せで床に押しつけられた。さらに両腕を背後で固められ、彼女は痛みのあまり身動きが取れなくなった。

『危害を与えた人物を確保しました。イチカ、この人物の処置方法を指示してください』

「いてて……とりあえず離してやってくれないか。鈴に悪気はない筈だ」

『了解、拘束を解きます』

「なんなのよ、もう」

 動けるようになった鈴が起き上がると、腹部を押さえた一夏の姿が視界に入った。どうやらろくに確認せず攻撃を仕掛けたせいで、ぶつかる相手を間違えてしまったらしい。それは自分の落ち度としても、と先ほど自分を捕えた相手に目を向けると、彼女は訝しむような眼差しを鈴へと向けていた。

(この子、一夏の親戚かしら……)

 その疑問を口にする前に、収拾がついたのを見計らったかのようなタイミングで箒が入ってきた。といってもそれは鈴の視点であって、荷物とうずくまった一夏のせいで扉が塞がれて家の中へ踏み込めなかっただけなのだが。

「まったく、来訪者に肉体言語で挨拶とは失礼だな。これだから野蛮な女は困る」

「別に無差別で仕掛けてるってわけじゃないわよ。それを言うなら、アンタだって似たようなもんでしょうが」

 痛恨のミスをまんまと利用され、鈴は不満げに頬を膨らませた。

(この女、私が何かやってくることを知ってて先に一夏を行かせたのね。ある物は何でも利用する外道だわ)

 などと勝手な妄想を膨らませていると、一夏が歩み寄ってきた。

「とりあえず飯にしよう……って、さすがに二人分だけしかないよな」

「だ、大丈夫! 明日のお弁当の分もと思って多めに作ってあったから、一人や二人増えたって問題ないわ」

 さすがに気合を入れて作り過ぎてしまったとは言えない鈴だったが、結果的に過不足はなくなりそうだと安心する。皮肉にも箒に助けられた形だ。

(せっかくの二人っきりの時間を邪魔されるのは癪だけど、まあたまには賑やかに食べるのもアリよね)

 飲むには苦痛を伴いそうな状況に無理矢理にも結論付けて納得すると、彼女は服についた砂を払った。

「それにしても、この荷物の山はどうしたの? まるで引っ越しみたいだけど」

 玄関脇に積み上げられた二つのキャリーケースと箒の下げているボストンバック。これから旅行に行くと言われたら鈴でなくとも『一体どこへ出かけるつもりなのよアンタ』と思わず問いただすこと間違いない量だ。

「え? ああ、そのことなんだけどな――」

 言いかけた一夏を手で制し、箒は屈託のない笑顔を鈴に向けてきた。普段のしかめっ面を嫌というほど拝んでいるのもあってか、思わずぞっとするほどの晴れやかな表情だった。

 一体何を言い出すのかと身構える彼女に、箒は明瞭な声で、はっきりと告げた。

 

「これからしばらく織斑家で生活することになった。よろしく頼むぞ、鈴」

 

 ――直後、鈴の形容しがたい獣のような叫びが家中に響き渡った。

 

<第3話 了>



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第4話

 はてさて、どうしたものか。

 黒いIS(アイエス)の襲撃と箒の『押しかけ』から一夜が明け、俺はフライパン片手に悩んでいた。事情はさておき同居人が増えた織斑家での目下の課題、それは部屋割りだ。

 実際、この家は二人で住むには広すぎる間取りだし、千冬姉がいなくなってからは上にも下にも空き部屋ができている。だからキャパシティー自体にはさほど問題を抱えていない。ところが、単純なスペースの宛がい方では解決できない問題が浮上した。それがまたどうでもいいレベルで厄介なものなのだ。

 

『誰がユキと一緒の部屋を使うか』

 

 いやおかしいだろちゃんと人数分の個室あるだろ、と真っ当な反論を試みはしたのだが、互いに我を張る二人にはこれっぽっちも聞き入れてもらえなかった。というか、奴らの争奪戦が始まった時点で、俺が介入できるような状況からはほど遠くなってしまっていたわけで。

「この子って一夏の妹みたいなもんでしょ? それなら私が面倒を見るわ」

 と左腕に手を回す鈴はいつになく興奮気味で。

「何を馬鹿なことを。名前を付けたのは私で作ったのは束姉さんだ。つまり私の妹として扱うのが妥当ではないか」

 そう言って右側から抱き寄せようとする箒もやけに熱心で。

 ――正直に言って二人とも理屈がおかしいし、テンションも異常なのだ。そうしてお互いにもっともらしい理由を挙げては、無理を押し通してでも彼女と一緒の部屋になろうとしていた。ユキはぬいぐるみじゃねぇんだぞふざけんな。

 とはいえ俺とユキが同居するのはこいつらに任せるよりも深刻な問題になってしまう。双方の意見を無視して別室を与えたとしても、こいつらのことだからどちらが入室の権利を先に手にするか争い始めるに違いない。

 まったく、一体どうすりゃ丸く収まるんだ。あの二人の冷戦を穏便な形で終結させる方法を思いつく奴がいたなら、俺は是非ともノーベル平和賞を送りたいね。

『おはようございます、イチカ』

 ソファーから起き上がったばかりのユキがカウンター越しに呼びかけてきた。初めて俺達の前に姿を現した時の鎧ではなく、サイズが合わずダボついた箒の服を身にまとっている。袖口や裾丈はともかくとしても、胸回りの生地が相当だらしない見た目なのはその……視線のやり場に困る。肉体年齢が俺達と大差なく平均的な体格はあるだけに、余計意識してしまいそうだ。

 ちなみに何故ソファーで寝ていたかといえば、昨晩は結論が出ないままお開きとなってしまったせいで、結果的にリビングが彼女の寝床になってしまったためだった。たった一日くらいならまだいいだろうが、いくら頑丈だったとしてもこんな劣悪な環境で生活させるわけにはいかない。どういう形であれ、健康に影響が出ない内にはっきりと決めてしまわないとな。

 そんなことを考えながら、俺は出来上がったばかりのオムレツを皿に盛り付けた。

 ――ちょっと待て、サイボーグって体調崩したりするのか? それに人間と同じ食事で大丈夫なのか? 昨日は何かあったら困るってことで食べさせなかったけど、万が一ダメなら今の状況にもう一つ面倒な問題が積み重なるんじゃ……。

『私の顔に何か異常が見受けられますか?』

 よっぽど変な表情を浮かべていたのだろう。ユキが怪訝な顔をこちらに向ける。

「いや、そういうわけじゃないんだ」

『それなら良いのですが』

 うーん。物は試しと言うし、とりあえず朝食を食べさせて様子を見てみるべきだろうか。

「朝食用意したけど食べるか?」

『はい、いただきます』

 今しがた出来上がったばかりの食事を見せると、彼女は首を縦に振った。

 

「いつも通り作ってみたけど、もし口に合わないようなら言ってくれ」

『問題ありません。摂り込んだ限りでは、身体が拒絶を起こすような成分は含まれていないと断言できます』

 普段食べているのと同じ献立を、目の前のユキは淡々と口に運んでいる。ややこしい言い回しのせいで理解が遅れたが、とりあえず体に害はないらしい。

「美味しいか?」

『イチカ。食物の摂取はこれが初めてです。私にはまだ判断指標がないため評価の付けようがありません』

「え? ま、まあそうだよな……すまん」

 一瞬キョトンとしてしまったが、考えてみれば当然の話だ。彼女が目覚めたのはつい昨日で、それまでの記憶は一切ないのだ。初めて訪れた外国でご当地料理を初めて食べた直後、『どの店のが美味しかった?』と訊かれたら誰だって答えに苦しむ。そりゃあ、口にするにはきついような不味さだったら『不味い!』と即答できるだろうけど。

『ですが、少なくとも摂取に支障を来たす味ではありません』

「そりゃ良かった」

 そんな会話をしていると箒がリビングに入ってきた。今から朝の鍛錬でもするつもりなのかジャージ姿だ。

「あ、おはよう箒」

「うむ。そういう一夏も早起きなのだな」

 壁に掛けられた時計は六時前を指している。学校へ行くにはまだ早過ぎる時刻だ。ぐっすり眠っている鈴を起こしに行くにしても三十分以上の余裕がある。

「言っとくけど、家を出てジョギングとかは駄目だからな」

「そのくらいわかっている。庭を借りて素振りの稽古をするだけだ」

「振り回すなら物干し竿を外してからにしてくれよ」

 ついでに言うなら、洗濯機が止まり次第洗濯物を干すのを手伝ってほしい。人数が増えた分、一人でやるのはなかなか骨が折れそうだしな。

 そうして竹刀片手に玄関へ向かおうとする箒だったが、突然はっとしたように振り向いてきた。

「ユキが朝食を食べているだと!?」

「別段驚くことじゃないだろ。半分ISってだけでもう半分は人間なんだからさ」

 というか、自分で言ってて今更気がついた。彼女曰くサイボーグなんだし、俺達と変わらない部分は俺達が考えているほど少なくない筈だ。

「それはそうだが……。ええい! とにかく剣を振ってくる!」

 何か言わんとしていたものの、喉まで出かかったそれを飲み込んで彼女は去って行った。

『行動の意図が理解できません』

「無理にわかろうとしなくていいと思うぞ」

 ぶっちゃけた話、箒の行動なんて俺には理解しかねるものばかりだからな。

 

    ■ ■ ■

 

「――ところでアンタ達、ユキちゃんをどうやって校内に入れるか考えたわけ?」

 学校へ向かうモノレールの中、鈴は俺達の顔を交互に見比べながら尋ねた。さりげなく『ちゃん』付けしているのにはツッコミを入れるべきだろうか。

 ちなみに俺達がISに襲われたこと、ユキが束さんによって有事のために用意されたISであることと、安全の面では箒とユキをうちに住まわせた方がいいので連れてきたという経緯については昨晩の時点で説明済みだ。案の定彼女は猛反対していたものの、最終的には渋い顔をしながらOKサインを出してくれた。

「その点は問題ない。私には姉さん絡みで協力してくれる人がいるからな」

「へぇ、便利な人脈があるもんね」

「あくまで緊急にのみ頼れる相手だが、今はまさしくその時だ。使わない手はないだろう」

 そう言って胸を張る箒。昨晩もうちの電話を使って何か話していたみたいだし、おそらくはその時に協力を依頼したんだろう。とは言ったものの、俺も箒の立てた作戦を知らないので何もコメントできずにいるというのが現状だった。

「まあいいわ。山田に『新しい転校生ですぅ』ってホームルームで紹介されるのが目に見えてるけど」

 こら、担任を呼び捨てにするな。

「ふっ、そんな下手な潜入など意味がない。第一、生徒の立場では行動を制限されるではないか」

「だったらどうするのよ」

 『どうせろくでもないこと考えてるんでしょ』と言わんばかりに懐疑の目を向ける鈴に対して、箒は自信を崩すことなく答えた。

「ユキの容姿は一夏とよく似ている。だから親戚と偽ったところで誰も疑うことはない」

「それが何よ?」

「しかも、藍越学園には『親類縁者など生徒の関係者が諸事情により校内に立ち入る場合、生徒本人の申し出があれば職員室にて預かることができる』という規則が存在している」

「御託はいいから、さっさと結論言いなさいよ」

「つまりだ。一夏が『自分の遠い親戚をうちでしばらく預かることになったので、学校にいる間職員室で面倒を見てほしい』と言えば、何の疑いもかけられることなく留め置くことができる!」

 なるほどなぁ。素晴らしい作戦だと感心するがどこもおかしくはない。問題は、誰かがユキの個人情報を探ろうとしたら一発で嘘吐いたことがばれるって点だけど。

「戸籍についてはあちら側でどうにかするそうだ。後は一夏が山田先生に申し出てユキを預かってもらえばいい。どうだ、完璧だろう」

 得意満面でこちらを見つめる箒に、俺と鈴はそこはかとない不安を感じた。

「完璧過ぎて、見落とした穴がどこかに隠れてないか心配だよ俺は」

「まったくだわ。てっきり脳筋全開な解決方法でも持ってくるかと思ってたのに、誰かに入れ知恵されたみたいな完成度じゃない」

「失礼な! ちゃんと私が考えた作戦だ」

 その言葉を聞いた途端、余計心配になってきたのはどうしてなんだろうな。

 とはいえ作戦内容そのものは悪くない。もしユキが生徒として入り込めば、緊急時には真っ先に避難を促されるだろうから下手に動けなくなる。その上、俺達以外の生徒を危険に巻き込む確率だって跳ね上がるだろう。余計なリスクを背負い込まないに越したことはない。

 それに、教室にいるよりも職員室の様子を伺っていた方が異常を察しやすい筈だ。他のクラスで何かあっても棟が違えば気付かない、なんて状況は大いにありうるし、初動の機を失わないためにもできる限り情報の集まる場所で待機している方がいい。

 ――実のところ、箒の奴がそこまで考えて出したとは到底考えにくい。せいぜい非常時に動きやすいから程度の認識だろう。もしそこまで深読みしての提案だったなら、今日から彼女に対する認識は根本から改めざるを得ないことになる。

「その顔は私を疑っているのか」

「やだなぁそんなわけないじゃないか。ほうきはかしこいこだっておれはちゃんとわかってるぞ」

「嘘を言うな」

 さすがに猜疑に歪んだ瞳がせせら笑ったりはしていなかったが、わざとらしい口調の俺に向かって超不満げな表情を向けてきた。

 そうは言うけど、普段のお前を見てたら素直に褒められないぞ、マジで。

「アンタ達ねぇ、いつまでそうやってるのよ? 今すぐ降りないと乗り過ごすわよ」

 呆れる鈴の背後で扉が開く。おっと、通学途中だったことをすっかり忘れてた。

 足元の鞄を引っ掴み、俺は大慌てで席を立った。

 

    ■ ■ ■

 

 箒の立てた作戦通りにユキを職員室に預けた俺達は、普段と変わらない風を装いながら教室に踏み込んだ。ただひとつ違うとすれば、いつもは別々に来る筈の俺達三人が全く同じタイミングで登校してきたことだろうか。鈴はともかく箒まで一緒という珍しい光景にクラスメート達の視線が一瞬集まったが、あえて注目するほどのことでもないと気付くなり仲間内の会話に戻っていった。

 やっぱりユキを転校生として忍び込ませなくて正解だったかもな、等と考えつつ席に鞄を乗せたところで、先に来ていた友人ズが声をかけてきた。五反田弾と御手洗数馬――俺と鈴、そして箒とは中学校以来の付き合いがある二人組だ。

「よう。篠ノ之と連れ立ってお出ましたぁ珍しいな」

「たまたま行きがけに出会ったんだよ」

 『今俺の家に住み込んでるんだよ』なんて言えるわけもなく、俺は無用な詮索を避けるためにもっともらしい嘘を吐いた。

「それにしたって喧嘩せず登校してくるのは珍しいよね」

「それな。あの二人が顔を合わせて衝突起こさないなんて奇跡だぜ。お前まで居合わせてるなら尚更な」

 どういう捉え方してるんだよお前らは。

「いやさ、いくらなんでもそういう言い方は失礼なんじゃないのか?」 

「まぎれもない事実だろ。目の前で何度見せられてると思ってるんだよ」

 うっ、確かに……。

 初対面での口喧嘩から最近の殴り合いに至るまで一通り思い返してみたら、大体俺が関わってる気がしなくもなかった。だからといって、俺の絡まない状況では仲良しなんてこともないだろうが。

「そんなことより今は転校生だ転校生。さっき学長室から出てくるところに遭遇したんだが、それがもう発狂しそうなほど可愛いかったんだよ」

「へー」

「反応薄っ! せめて興味くらい示せよ」

 興味も何も、未だ会っていない誰かに思いを馳せるほどロマンチックな頭を持ち合わせてないんだっての。

 ついでに言えば、高等部一年の四月三週目なんて変な時期に越してくる理由がイマイチわからない。両親の都合で越してくるには遅過ぎるし、それ以外の目的でやってくるにはまだ早過ぎる。

 第一、この藍越学園もその他の高等教育機関と同じく、転入には書類での手続きと試験が必要になる筈だ。おまけに送って受けてハイ終わりというわけではなく、学校側の審査と判断を経なければならない。だから普通は入試で入ってくるし、転入手続きをこなした上での転入だったならもっと遅い時期になる。

 ――本人と会ってもいないのにきな臭い印象を抱いてしまうのは、俺の勝手な思い込みなんだろうか。

「あのパツキンは間違いなく留学生だ。顔立ちが明らかに西洋人だったからな」

「弾、この前『大和撫子然とした女の子こそ理想形だ』って言ってなかったっけ?」

「それはそれ。これはこれだ。グラマラスな体型の女の子に目を奪われない野郎なんてどこにもいないだろ」

 相変わらず転校生について語る弾。その熱弁ぶりすらどこか遠い場所の出来事のように感じながら俺は思考を巡らせる。

 海外からやってきた女の子、ねえ。確かにスケジュールが狂って遅れて入ってきた可能性は考えられなくもない。とはいえ、やはりおかしな時期の転入であることに変わりはない筈だ。

「――みなさーん、席について下さーい。朝のホームルームを始めますよー」

「っと、いけね」

 予鈴と担任の山田先生の声で我に返った俺は慌てて弾を追い返した。ついでに先生の表情をちらりと伺ってみる。

 ――昨日までと変わらない、のか? 俺が見る限り、何か隠し事をしている様子はないように見える。

 席へ戻っていくクラスメート達を待っていた彼女は、鼻先からずり落ちそうな眼鏡を両手で元のポジションへと戻してから話し始めた。

「今日はみなさんに新しいクラスメートを紹介します。二週間遅れでの入学ですが、仲良くしてあげて下さいね」

 まだ噂も広まっていなかったのかざわつく教室内。その喧騒が収まる間もなく、スライド式の扉が静かに開け放たれる。

「失礼いたします」

 その一言とともに足を踏み入れた少女は弾の言った通り金髪だった。均整なプロポーションを目の当たりにするなり、あいつが鼻の下を伸ばすのも無理はないと確信する。モデル雑誌から直接飛び出してきたような彼女は教室をぐるりと見回し――。

 

「ふふっ」

 

 ――ちょうど俺に視線が向いた辺りで、口許に意味深げな笑みを浮かべた。

「それではオルコットさん、自己紹介してもらえますか?」

「わかりました」

 違和感を覚えないほど流暢な日本語で答えると、彼女は教壇に上がって俺達へと一礼した。山田先生が電子黒板にマーカーで片仮名綴りの名前を刻み始める中、彼女は明らかに俺の方へと目を向けて話し始める。

「わたくしはセシリア・オルコット。この学園へは長期留学という形でほぼ三年間籍を置かせていただくことになりました。手続きが少々長引いて一足遅れての入学となりましたが、気兼ねなく接してくだされば幸いですわ」

 いかにもお嬢様然とした丁寧な言葉遣い。大半のクラスメートは、これといって疑念を覚えてはいない。

 けれども、少なくとも俺と箒は『何か裏がある』という空気を彼女の態度からおぼろげに感じ取っていた。

「わたくしからは以上ですが、何か質問があればどうぞ」

 朗らかな表情を浮かべる一方で、俺に向けられた碧い双眸は決して心地の良いものじゃなかった。あれは、今まさに獲物を射んとする狩人の眼差しだ。殺意というほど刺々しくはないものの、初対面の相手には絶対向けないような、攻撃的な視線が絶えず突き刺さっていたことに変わりはない。

 

 ――――こいつ、一体何者だ。

 

 恭しく一礼する彼女へと、俺は警戒心に満ちた目を向ける。

 その疑念が半分は(・・・)正解であったことを今だけは知る由もなく。

 

<第4話 了>



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第5話

「いーちーかー♪ 今日は食堂でお昼にしましょ?」

 午前中最後の授業が終わるなり鈴が駆け寄ってくる。そういや今日は弁当作ってきてなかったんだった。売店で適当に買って済ませてもいいんだが、せっかくの機会だし一度食べに行ってみるのも悪くない。

「私も一緒に行くぞ」

 間を置かず箒もやってきた。学校内でもできれば離れ離れにならない方がいいってのは確かなんだが、別の意図があるような気がしないでもない。まあ、いいか。

「……本当は二人きりが良いのだがな」

 よく聞き取れないくらいの小声でぼやく箒。対する鈴は相変わらず意地の悪い笑顔を浮かべて言った。

「残念だったわね、一夏の隣はいつでも私のものよ」

「ならば一夏の向かい側は私が独占しよう。どうだ悔しいか」

「べ、別にそんなんじゃ揺らがないわよ! 隣に座ってる方が一夏に絡みやすいし?」

 ――なあお前ら、どうでもいいことで張り合うのはやめてくれないか。見ているこっちが恥ずかしくなってくるんだが。

「何よ」

「いや。年相応の分別をそろそろ付けるべきかなって思っただけだ」

 少なくとも外見は子供を脱し切れていない幼なじみからわずかに目を逸らす。これで高校生らしさもなかったら完全に中学未満のガキだよな。

「随分と賑やかな方達ですわね」

 騒ぎを聞きつけたのか、例の転入生までもが俺の傍へ寄ってきた。真意の伺えない微笑み顔で見つめてくる彼女に思わず鳥肌が立つ。とはいえ、何の根拠もなしに冷たく当たるというのも失礼だからな。今は警戒するだけに留めておこう。もしかしたら、俺の勝手な思い過ごしなのかもしれないし。

「えーっと、オルコットさんと呼べばいいかな」

「わたくしのことはセシリアと呼んで構いませんわ。織斑一夏さん」

 名前呼びは馴れ馴れし過ぎるかなと遠慮する俺に、彼女は優しく笑いかける。

 どうしてだろう。ただ単にフルネームで呼ばれただけなのに底知れない恐怖を感じる。あくまで、あくまで気のせいならいいんだが……。

 半ば疑心暗鬼に陥っている俺をさて置き、セシリアは柔らかな笑顔を浮かべたまま箒達へと向き直った。

「もし良ければ、わたくしも昼食に同席させていただきたいのですけれど」

「うむ? 別に構わないが」

「いいわよ別に。私達だけだとそこの女侍が何をしでかすかわかんないしね」

 了承ついでに煽る鈴を箒がきっと睨みつける。ホラそこの二人、せめて初対面の子の前では仲良くしろっての。

「お二人とも面白い方ですわね」

「別に受けを狙ってるわけじゃないと思うけどな。とにかく、席が埋まらないうちに食堂へ行こうぜ」

「賛成。さっさと行って窓側のテーブルを確保しましょ」

 見れば他のクラスメートも数人集団で動き始めている。先を越されまいと急かす鈴を先頭に、俺達四人は別館の学生食堂へと歩を進めた。

 

    ■ ■ ■

 

 渡り廊下を移動する四人の生徒達の姿を『目』が捉えた。

 校舎脇に植えられた卒業記念樹。その生い茂った葉の奥で、望遠レンズが微かな駆動音を響かせる。誰にも気付かれることなく仕掛けられた高性能監視カメラは、暗号付きの通信路を介しその映像を監視者へと送っていた。

 リアルタイムで受け取られる情報の行き着く先――並べられた電子機器が唯一の明かりとなった暗室。その中央で、メイド服を着た女性が手元の立体キーボードを絶えず操作していた。半周囲型の投影スクリーンに表示される複数の映像を切り替えてチェックしていた彼女は、件の人物が映っていることを確認するなり、耳に取り付けたインカムで別行動中の味方へと呼びかける。

「ビショップよりクイーン。ポイントA‐7で対象を視認しました。どうぞ」

『こちらクイーン、了解しましたわ』

 マイクでの通話よりも明瞭な音声がヘッドホン越しに伝わってくる。まるで機器の側で音を起こしたかのような、ノイズひとつない声だ。

「今一度指示の確認を。別館一階の学生食堂とその周囲を重点的に監視すればよいのですね」

『ええ。座席を確保次第、正確な位置を指示しますわ。近づいてくる人物がいればすぐに連絡を寄越すように。よろしくて?』

「はい、お任せください。お嬢様と対象の安全は確実に保障してみせます」

 別館周辺に配置したカメラからの映像を重点的に表示しつつ、彼女は答えた。その力み気味な応答を案じてか、相手が落ち着いた口調で呼びかける。

『いつも通りで構いませんわ。それと、もう『お嬢様』と呼ぶ必要はありませんのよ。今のわたくし達は、共に作戦に従事する同僚なのですから』

「それでも、私にとっては『お嬢様』です」

 決して一言では言い尽くせないいくつもの感情が胸中を満たす中、彼女はあえて簡潔に応える。それは相手に対する忠誠と信頼の形であり、彼女自身にとっての『線引き』でもあった。

「では、ご武運を」

『お互い善処しましょう。通信終了(オーバー)

 待機状態となった画面を隅へと追いやり、視線は再びカメラ映像のマス目へと戻る。再びの静寂の中、彼女は命じられた監視任務を再開した。

 

    ■ ■ ■

 

「ちょうど四人用のテーブルが空いてて良かったわ」

「まったくだ。ここだけ都合よくノーマークなんてぶっちゃけ奇跡だろ」

 メニューを選びに行った二人を待ちつつ、留守番役の俺と鈴は会話に花を咲かせていた。ちなみに俺を起点に鈴、箒、セシリアと時計回りで席を確保した形だ。定位置についた二人はともかく、結果的に俺の逆隣をキープしたセシリアも意外とちゃっかりしているというかなんというか。どうせなら箒も隣に来れば良かったのに。

「ねえ一夏」

「ん、どうした?」

 はしゃいでいた鈴が急に神妙な顔つきになる。もしくはセシリアが見ている状況では何も疑ってない風に装うつもりなのかもしれない。その目が受け渡し口へ向いているのを確認して、彼女は俺の耳元へと顔を近づけた。

「あの子、なんか怪しくない?」

「……やっぱりそう思うか」

 小声の鈴に、俺もひそひそ声で答える。

 案の定と言うべきか、こいつも異質さに気が付いていたらしい。一見好意的に振る舞っているようで、その実何かを裏で進めているような、そういう怪しさが明らかに滲み出ている。多分、箒の奴も警戒心を抱いているに違いない。

「まさかとは思うけど、人気のない場所に呼び出して襲いかかってきたりはしないわよね」

「そもそも、まだ敵と決まったわけじゃないからな。裏で何か考えてるってのには同意するけど、それ以上の判断材料がない」

「どうだか。待ってればすぐに尻尾を出すかもしれないわよ」

 俺以上に(から)い評価なのはいわゆる女の勘って奴なのだろうか。どっちにしろ俺達の方からアクションを見せるのはよろしくない。ここはひとつ、相手の出方を見守ってみるとするか。

「お待たせしましたわ。思っていた以上に献立が豊富なものですからついつい悩んでしまって」

 トレーにワンプレートの洋風セットを載せたセシリアが戻ってきた。豪華なおかずにスープと主食がついて五百円未満というのだから、随分と破格な値段設定だ。ただ、その中身以上に気になるのは絶えず俺に向けられている彼女の視線だった。

「どうして俺ばっかり見つめてるんだ?」

 カマをかけるつもりであえて質問を振ってみる。セシリアは相変わらず微笑みを浮かべたまま小首を傾げた。

「さあ、どうしてでしょう。そこまで意識しているつもりはないのですけれど」

「そうか。いや悪い、俺が自意識過剰になってるだけだよな」

 そんなわけあるか、と心の中でツッコミを入れつつ俺は席を立った。

 監視のつもりか襲撃の機会を見計らっているのかはわからないが、そんなにジロジロ見てたらどんな鈍感野郎でも気付くに決まってるだろうに。わざとか。

「あ、待ってよ一夏。セシリアはこのテーブルをキープしといてね」

「ええ、お任せください」

 券売機へ向かうふりをしてセシリアの視界が届かない場所へ速やかに移動。追ってきた鈴に目配せし、食堂の出入り口付近まで足を進める。

 とりあえず距離は取った。ここなら相手に会話を聞かれる可能性は極めて低いだろう。軽く安堵のため息をついてから、俺は鈴に向かって話しかけた。

「で、具体的にはどうする」

「急に聞かれても困るわよ。ただ、相手が敵だとしたら採る手段はかなり限定される筈よ。殺しに来たなら私達を孤立させにかかるし、ただの監視役ならしつこく付きまとってくる。このいずれかを選んでくるようなら対処は簡単でしょう?」

「つまり、そういうアクションを見せるまで普段通り過ごして見守ってろってことか」

 ある意味理に適っちゃいるが、その前提に当てはまらない相手だったらどうしようもなくなるんじゃないのか。

「後は私達から隙を見せないよう気を付けるだけね。対応が後手に回った時点でISのない私達は不利になる。そうでしょ?」

「ああ。ユキ一人しかISに対抗できない以上単独行動は危険だ。できるだけ三人でまとまって動こう」

 ――ん、よく考えたら現在進行形で一名が孤立状態のような。

「んじゃ、作戦会議はこれで終わりってことで。箒にはアンタが伝えなさいよ。私の言葉じゃ絶対に言うこと聞かないもの」

「言われなくたってわかってるよ」

 隠れて話していた時間はほんの数分だったが、あまり遅いとセシリアに怪しまれかねない。結果的に置いてきた形になっている箒のことも心配だ。

 俺達はお札一枚で二枚分きっかり買える日替わり定食を選ぶと、いかにも列が混んでいましたという風を装って食堂内に戻った。

 

    ■ ■ ■

 

 そして再び時間は流れて放課後。ゲーセン行こうぜという弾の誘いを断り、俺達はユキを伴って帰路についていた。留学生なら学園内の学生寮で生活することになるだろうし、まっすぐ帰るつもりの相手に理由をこじつけて付きまとうのは無理だろうと考えた上での選択だったのだが。

「一夏。どうして彼女が一緒なのだ」

「んなもん知るか。訊きたいのは俺だって同じだよ」

 隣を歩く箒と背後を覗き見る。そこには、学園指定の鞄と笑顔を携えてぴったりとついてくるセシリアの姿があった。

 どうして寮生じゃないんだこいつ。たまたま行先が同じだけでどこかに下宿先があるパターンかもしれないが、それにしたってしつこ過ぎる。もはやストーカーと言っても過言ではないその行動に恐怖心と警戒心のゲージがぐんぐん上がっていくのを覚えた俺は、堪えきれずに彼女へと振り返って尋ねた。

「なあセシリアさん。失礼かもしれないけど、一つ訊いてもいいかな?」

「ええ、構いませんわ」

 ニッコリ微笑むセシリアに対し、俺は一呼吸置いてから明瞭な声で問いかけた。

「このまま俺達を家まで追跡するつもりじゃないよな。あるいは人通りのない場所でタイミングよく仕掛けるとか、さ」

「あなたの仰っていることが今ひとつ理解できないのですけれど」

「これ以上下手な演技を続けるのはやめにしないかって言ったんだ。――ユキ!」

 わかっていながら肩をすくめる彼女を前に、あえて先手を仕掛ける。無関係の人間に秘密を知られるリスクは覚悟の上。あわてて止めようとする鈴からも意識を切り、ただ目の前の不審人物にのみ集中する。

 とぼけるつもりなら、本性を見せざるを得ない状況に持ち込んで真偽のほどを確かめてやる――!

量子展開(オープン)、識別称号:白式――戦闘モードへ移行』

 ユキのまとっていた服が光の粒子へと変わり、間を置かず純白の鎧がその身を包みこむ。本来の姿となった彼女を前に、セシリアはさして驚いた様子もなかった。

「なるほど。あえて人気のない場所を歩くのは変だと思っていましたけれど、IS(それ)を持ち出すとは」

 俺達の目論見を冷静に分析しながらも、余裕の笑顔は崩さない。西日に輝く金色の髪をかき上げ、耳につけたイヤリングをこれ見よがしに見せつけたかと思うと。

「――来なさい、『ティアーズ』」

 彼女もまた自らの甲冑を召喚(コール)した。

 成層まで澄み渡る蒼穹を凝縮したような青のISは、その出現と同時に身の丈サイズの巨大な銃を手の中に呼び出す。ユキの白式とは対極に、遠距離戦に向いた機体なのだろう。両肩を覆う大型の推進装置から光を明滅させるセシリアを前に、ユキもまた自らの武装(けん)を展開した。

「それで、わたくしに刃を取らせた上でどうするつもりかしら。『ブリュンヒルデ』の弟さん?」

「――っ!?」

 その呼び名を聞くことになるとは思いもしなかったが、今は動揺している場合じゃない。俺はユキに次の行動を指示しようと口を開き、しかしすぐ閉じることになった。

 

 ――理由は単純。

 対峙する俺達に割り込もうとする『三機目』が姿を現したからだ。

 

『高熱量を探知。出力をシールドに再配分、最適な突入位置と予想される被害を算出。――実行』

「撃ち抜かせなどさせませんわ」

 遥か上空から放たれた無数の凶弾。その射線上へと二機はほぼ同時に飛び出し、その身をもって受け止めた。流れ弾に抉られた舗装が頬を掠め、肌を浅く裂く中で、俺は奇襲を仕掛けてきた相手へと自らの視線を投じる。

「標的健在。追撃、開始」

 無機質な音声を響かせながら、黒一色の敵機は砲口の覗く歪な両腕を構えた。

 

<第5話 了>



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第6話

『――こちらビショップ。お嬢様、お怪我はありませんか?』

『まったく問題ありませんわ。人形の相手をするには少し窮屈ですけれど』

 緊急回線で呼びかけてくるサポート役に、セシリアは口を動かすことなく答えた。体そのものの動きと神経のパルス信号、そして装着者の思考をトレースして動作するISだからこそ可能な通話機能だ。

(とはいえ、そんな悠長なことを言える状況ではないですわね)

 周囲を見回しつつ、彼女は現状を瞬時に整理する。先ほどの一撃は大部分をシールドに吸わせたとはいえ、逸れた弾が周辺を大きく抉り取っている。幸い無関係な人間は巻き込んでいないものの、このまま本格的な戦闘に持ち込めば確実に被害が拡大するだろう。だからといって戦いを避けられる空気でもない。

『現段階で無人の区画は?』

『現在の位置を中心に半径およそ九十メートル。交通遮断を図ったとしても半径三百メートルが限界です。付近には民家も密集していますから、完全な隠蔽は不可能かと』

『構いませんわ。最低五分持たせてくれれば対処できますから、それまで人払いを徹底して頂戴』

 そう言って、足底で地面を蹴る。制御された力場によって持ち上げられた機体は、推進器のパワーを借りて敵機と同じ高度まで上昇した。

 白いISの方はと見下ろせば、織斑一夏を含む一般人を守るように地上で待機している。少なくともこの空中で助力を求めるのは無理だろう。

「さて、わたくしと輪舞曲(ロンド)を踊る覚悟(したく)はできたかしら?」

 長大なライフルを構え、砲口を真っ直ぐ向ける敵を双眸に捉えた彼女は静かに言い放った。

「……邪魔者、破壊」

 対する敵も両腕に電光を迸らせる。お互いの動きが一瞬だけ止まり、静寂に包まれる――。

「墜ちなさい!」

「抹消」

 ほぼ同時にトリガーが引かれた。赤い光線が黒鉄(くろがね)の脚部を削り、吐き出されたプラズマが散弾となって宙中(そら)にばら撒かれる。それらを紙一重でかわしての二発目は的を外れてパラボラアンテナをリング状に溶解させ、散逸しきらなかった紫電が屋根の表面を歪に抉り取った。

 二機のISは、穿てる距離を保ったまま激しい機動戦を繰り広げる。

 上昇と下降。

 緩急をつけた旋回に急制動。

 それら全てを織り交ぜての逃走と追撃。

 二機の取る軌道は生身の人間が眼で捉えられる領域を超え、時折降り注ぐ流れ弾とそれに起因した破壊の連鎖だけが、異次元レベルの戦闘が今まさに行われていることを雄弁に物語っていた。

 一見すると互角に思える戦いだったが、その主導権はセシリアが握りつつあった。追いつ追われつの応酬を繰り返しながら、彼女は徐々に戦闘域を狭めていく。何の疑いもなく追いすがる敵機は軌道を限定され、異常を感じ取る前にその行き場を封じられ始めた。

 ハンターが逃げ惑う獲物を追い詰めるように繰り出される、精密な機動と行く手を阻む牽制射撃。相手のロジックを掌握しきった動きは一切の反攻を許さず、一方的に攻防を制限していく。

 ――ついに、眼前に放たれたレーザーがついに相手の足を踏み止めさせた。

「かかりましたわね」

 その瞬間、セシリアは確信を得たように笑った。同時に肩のユニットが展開し、嵌め込まれていたパーツが静かに剥離する。

「『ブルー・ティアーズ』――――!!!!」

 ユニットの分解は投棄ではなく、武装の展開。鋭角的なフォルムの『(しずく)』が飛翔し、それぞれ独立した軌道を描いて敵機の背後へと回り込む。

 同時に、彼女も携えた銃の先を真正面から敵の中心部――胸部へと定め、力強く指を引いた。

 前後五箇所、逃げ場を封じた上での全方位射撃(オールレンジ)

 深紅のガイドレーザーに沿って不可視の光線が放たれ、膨大な熱量が四肢の付け根と胴の芯を焼き貫く。

 致命打を受けた黒いISは空中での支えを失い、重力に対して無抵抗に落下していった。

『撃墜を確認。もうしばらく封鎖を張っておいてもらえるかしら?』

『わかりました』

 簡単な業務連絡を済ませ、セシリアは墜落地点へと降下した。

 重量物の激突によってクレーターのように陥没した道路。その傍に着地した彼女は動かなくなった相手へと静かに歩み寄った。

 バリアが機能しない状態で地表に叩きつけられた敵は、撃ち落とした時よりも一層破壊が進んでいる。急所を撃ち抜かれているため、当然ながら再度動き出す様子はない。

 損傷部位を一つずつ確認しながら、セシリアは足先から頭へと視線を移していく。何かを期待するような表情は半ば溶解した大破口を見る度薄まっていき、最後に落下時砕けた頭部外装――顔を覆うバイザーの奥に覗く無機質な制御機構を見つけると、彼女は心底つまらなさそうな顔でため息を吐いた。

「単なる消耗品(つかいすて)ですわね。確かにターゲットが一般人なら十分だけれど、わたくしを考慮に入れていなかったのは甘かったと言う他ありませんわ」

 仕上げに残骸に残留していたコアの破片を引き剥がし、その場で情報体へと量子変換させて回収する。彼女は光の粒となって消えていく部品を眺めてしばし物思いに耽っていたが、不意に背後から近づく気配を察して振り返った。

「あら織斑さん。大した怪我もなかったようですわね」

「ユキのおかげで何とかな」

 織斑一夏、篠ノ之箒、凰鈴音という三人の民間人。そして、人一倍に警戒の眼差しを向けているIS操縦者の少女が彼女の前にいた。都合三人の『保護対象』と一人の同業者を前に、セシリアは言葉を選びつつ呼びかけた。

「まずは場所を変えましょう。事後処理に付き合いたいというのであれば別ですけれど」

 

    ■ ■ ■

 

 ISを待機状態へと戻したセシリアを連れ、俺達は織斑家へと移動した。訊きたいことは山ほどあるのだが、何から尋ねればいいものか。迷っている俺に、セシリアは自ら話を切り出してきた。

「最初にわたくしの立場を明らかにしておいた方が良さそうですわね」

「そうね。助けてもらったとはいえ信用はしてないし」

「お、おい」

 いくらなんでも失礼だろ、と咎めかけた俺を制して、彼女は優しく微笑みを返した。

「素直で結構ですわ。わたくしも簡単に信じていただけるとは思っていません。それに、あなた方の置かれている状況をちゃんと理解して頂いてからの方が良いでしょうし」

「置かれている状況……」

 いつになく真剣な顔を浮かべる箒。確かに、今の俺達は『わかっている気』になっているだけだ。実際に何が起こっているのか理解していないし、それを聞き出せる状況にもいなかった。もしセシリアが詳しいことを知っているのであれば、この場で聞かない手はない。

「『レイス』という組織に聞き覚えは?」

「いや」

 その単語自体はゲームに出てきたりするから知ってはいるんだけどな。えーっと……確か幽霊のことだっけか。昔、弾と遊んでた時にそういう名前のモンスターが出てきた憶えがある。

「では、『ファントム・タスク』はどうでしょうか」

「そっちならわかる。ISを使って国際的に暗躍してる犯罪組織だ」

 十年前の強奪襲撃事件以来、度々マスコミを騒がしている連中だ。今どきその存在を知らない奴なんていない。

 でも、そのファントム・タスクとレイスに一体何の関係があるっていうんだ。片や亡霊、片や死霊でオカルト繋がりってことならまあわからなくもないんだが。

「そのファントム・タスクを取り締まるのがレイスです」

「取り締まる? ICPO(インターポール)みたいなもんか?」

 どこかの大泥棒にご執心な刑事のイメージしかないが、国を跨いだ大組織をとっちめる警察機関といえばあそこだろう。とはいっても、やっぱりレイスなんて組織に聞き覚えはない。ゴールデンタイムや深夜にやってるニュースですらそんな名前扱ってないぞ。

 俺の理解度を察したのか、彼女は少し間を置いてから説明を始めた。

「レイスは国際規模でのISによる犯罪を調査し、場合によっては実行前に阻止を図る多国籍諜報機関。わかりやすく言うなら、IS専門の警察みたいなものですわ。そしてレイスが最重要視しているのが、三年前から活動を活発化させているファントム・タスクというわけです」

「じゃあ、セシリアはそこのエージェントなのか」

「そういうことになりますわね」

 エージェントか。エージェントっていうとやっぱり007だよな。セシリアも秘密道具っぽい武器を隠し持ってたりして。

 ――って、IS自体隠し持つのが容易な武器か。それもとびきり強力な殺戮兵器ときてるわけで。

「三日前、篠ノ之束博士の暗殺計画であることを突き止めたレイスは、急遽エージェントを日本に派遣することになりました。それでわたくしを含む数名が送り込まれたのですが」

「ですが?」

「天候不良に起因する遅延で、わたくし達の乗った便が十一時間も遅れてしまいましたの。到着した時にはもう篠ノ之博士の搭乗した便が出てしまっていたのですわ」

 もし時間通りに到着していれば、束さんが発つ前に危険を伝えるなり犯人を確保するなりできた可能性があったってことか。天候のせいとはいえ、惨劇を止められたかもしれないという事実を知った俺は悔しさに唇を噛んだ。

「その後、本部の指示を待っていたところに日本支部からの要請が届き、わたくしが護衛として送り込まれることになったのですわ。勿論、わたくし以外のエージェントも同じ任務の下行動していますけれど」

「……あからさまな嘘を言っている様子はない。しかし」

 そう呟く箒は釈然としない顔だった。

 確かに話の筋は通っている。が、俺達を欺くためにそういう作り話をしている可能性は否定できない。さっきの戦闘だって、俺達の味方だと思わせるために自作自演で戦ってみせたのかもしれない。

 疑念を抱けば抱くほど、彼女のことが再び胡散臭く感じられてしまう。そんな空気を察してか、セシリアの表情も心なしか険しくなったように見えた。

「わたくしを信じるようにとは強制しません。けれど、わたくしには与えられた任務があります。織斑さん、篠ノ之さん、凰さん。あなた方三人をファントム・タスクの脅威から保護するという役目が、わたくしには課せられているのですわ」

『イチカ、ホウキ。私の観測結果では、嘘を吐いている確率は限りなく低いと思われます。先刻の戦いも、被害状況を見た限りでは付随被害をできる限り抑えるよう考慮した上で戦っていたと断言できます。ここは彼女を信用すべきではないでしょうか』

 セシリアの主張に加えて、彼女の意思を肯定するかのようなユキの提案。そこまで言うのなら、ある程度は信じてみてもいいのかもしれない。

「セシリアが来た理由はわかった。俺達に敵意を持ってないってことも納得したよ」

「良いのか一夏? もし仮に敵だとしたら――」

 なおも警戒心をあらわにする箒を止め、一呼吸を置いた。

 彼女は敵じゃない(・・・・・)。少なくとも、俺達に今ある刃を向けるつもりはない。だからある程度まで近づくことは問題ない。

「ただし。もしこの場で懇願されたとしても部屋を貸すつもりはない。それだけはわかってくれ」

「ええ。こちらとしても、あなた方の生活圏にまで干渉するつもりはありませんわ。家の内部を監視するような真似はしませんから、安心して生活を送ってくださいな」

 監視は認めるが線引きはしろ。少し曖昧だが『安全地帯』を確保する条件を取り付けたことで、最悪の状況における保険はひとまず整った。

 まあ、家ごと吹き飛ばされたらどうしようもないんだが、彼女に手段を選ばず強行するような雰囲気はない。とりあえずは肩の力を抜いても大丈夫だろう。

「戦ってお腹も減っただろ。今夕食を作るから待っててくれ」

「お言葉は嬉しいのですけれど、まだやるべきことが残っていますから。今日はこれにて失礼させていただきますわ」

 準備をしようと立ち上がったところで丁重にお断りされてしまった。そいつはちょっぴり残念だ。

「料理を振る舞うなど、別に今日でなくてもいいだろう。また機を見て誘えば良いのではないか」

「そういうことでいいか。とりあえず今日はありがとな、セシリア」

「当然のことをしたまでのことですわ。ではまた、ごきげんよう」

 つい先ほどまでの胡散臭さは錯覚だったのか、セシリアは爽やかに微笑む。玄関先まで見送りに出た俺に、彼女は上品な仕草で一礼すると優雅な足取りで去って行った。

 疑い過ぎだったのかね。俺は少々きつくなり過ぎた感のある自分に反省しつつ玄関扉を閉めた。

 

    ■ ■ ■

 

 門を出て数歩。セシリア・オルコットはその足取りを急に止めた。そうして今一度、すでに扉の閉ざされた織斑家へと向き直る。その表情はいつもの笑顔で取り繕ったものではなく、年相応のあどけなさを漂わせる少女の顔だった。

「やっと逢えた」

 小さく、けれど明瞭な声でその言葉を噛み締める。以前会った時よりは背が高くなり、声も低くなった。喪失感に打ちひしがれる無力な少年ではなく、地をしっかりと踏みしめて力強く生きる男子に成長を果たしていた。それでも、彼女が『約束』した相手に間違いなかった。どんな手段を講じてでも護りたい(すくいたい)と心に決めたその人だった。

 名家の跡継ぎとしての名声も莫大な遺産も捨て、ただ一つ残された才を限界まで研ぎ澄ます。誰もに愛される可憐な花ではなく、ただ一人の守護のため他全てに刃先を向ける鋭利な剣となる。常識外れで過酷な道へとあえて進むことを決意させたきっかけ。その人物との邂逅がこんな形で遂げられるなど、奇跡以外の何だというのか。一人になって初めて、彼女は再会への感慨を抱いていた。

 ――どれほど時間が経っただろうか。あまり長居はしていられないと思考が警告を告げる。きっと彼女達は自分の帰還を待ち望んでいる筈だ。

 群青色を星が彩り始める空の下。去り際に、セシリアは今一度決意を口にする。

 

「織斑一夏。あなたを必ず護ってみせますわ」

 

 されど、その言葉は『想い人』には届かない。

 

<第6話 了>



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第7話

 再びの襲撃から一週間が経った。

 立て続けに襲いかかってきたと思えば、あれ以来平穏な日常が続いているのだから奇妙なものだ。多分、セシリア達『レイス』の動きを警戒してのことだろうが、ある意味有難いことではある。気を張り詰めて生活しなくてもいい『今』が延々と続いてくれれば、なんて都合の良い現状維持を願うのはさすがに勝手過ぎるだろうか。

 そんなことを考えながら俺は玄関扉を開けた。

「おはようございます、織斑さん」

 開けた視界の先、織斑家の門の前でセシリアが微笑む。もしかしなくても、俺達が出てくるまであの場所で待ち構えてたんだろうな。まあ、気にしたところで改善は見込めないだろうけど。

「ふわぁー……っ。相変わらず読めない顔してるわね」

 欠伸をしながら現れる鈴。昨晩はあまり眠れていないのか、その目元にはくっきりと隈が浮かんでいた。

「そういう凰さんはわかりやすい表情ですわ。また夜更かしですの?」

「まーね。たまってた宿題を片付けてたのよ」

 答えつつ、彼女は目の縁を指先でこすった。

 そういえば箒とユキがまだ来ないな。朝食の時は一緒だった筈なのに、あいつら一体何をやっているんだ?

「待たせてすまない。着替えに手間取ってしまってな」

 俺が振り向いたのと同じタイミングで、彼女が新品の服に袖を通したユキとともに現れる。毎日通っているのによれた衣装ではだらしがない、と週末買いに行った外行き用の服装だ。フォーマルな装いを意識して女性陣に選んでもらったそれは、ユキの華奢ながら出るところの出た体型によく似合っていた。

 白く艶やかな髪の上に留められた銀色のヘアピンがふと目に入る。十字架型の飾りがついたそれは、ともすれば鋼の長剣に見えなくもない意匠だった。

「あら、私のプレゼントも着けてくれたのね」

 頭のアクセサリーに気付いた鈴が嬉しそうな声音を上げる。

 そういえば昨日『アイツに先んじて一歩接近してやったわ』ってしきりに自慢してたな。具体的に何をやったか言わないもんだから何のことだかさっぱりだったが、ユキにとって初めての贈り物を用意したってことだったのか。

 ――至極どうでもいいってか、まず競うようなことじゃないだろそれ。

『初めて頂いた物なので、さっそく身に着けてみました。どうでしょうか?』

「とってもいいじゃない。私の見立て通り、ユキちゃんにぴったりだわ」

 そう言うと、鈴は疲労の吹き飛んだキラキラな表情で彼女の両手を取った。

「ユキちゃん。私のことは『お姉ちゃん』って呼んでもいいのよ? ねぇ問題ないわよね一夏」

「えっ?」

 いやちょっと待て、なんで俺に確認を取るんだよ。

「だって一夏似だし、立場的には一夏の妹みたいなもんじゃない。それなら私は立場上義理の姉ってことになってもおかしくないでしょ?」

「その理屈はおかしい」

「細かいことは気にしなくていいの。さ、遠慮せず呼んでユキちゃん」

 全然良くないし当の本人も困惑してるだろうが。

『……これからもリンと呼びます』

 少し迷ったのか、やや沈黙を置いてから答えるユキ。

 ある意味律儀な性格で良かった、とひそかに思う。変に機転を利かせて『お姉ちゃん』コールを連発されたら、鈴が今以上に暴走しかねない。そして箒も別の意味で暴走しかねない。

「茶番も結構だが、時間を潰している余裕はないぞ。私達が全員揃って遅刻などだいぶ洒落にならない状況ではないのか?」

「そ、そうだな。次の列車が来るまであまり時間もないし出よう」

 少し苛立たしげな表情の箒に急かされ、織斑家を後にする。

 以前よりは賑やかになったものの、ほとんど変わらない平和な朝の時間。けれども、それが一時の静寂に過ぎないことを俺達は心のどこかで察していた。

 

    ■ ■ ■

 

「よう一夏。相変わらずハーレムを謳歌してるみたいだな」

「そういう関係じゃないって言ってるだろ。幼なじみと親戚とお向かいの同級生ってだけだ」

 授業の合間の休み時間。話しかけてきた弾に、俺は冗談交じりで答えた。

 鈴と箒については中学時代から知っている連中がいたから良かったが、転校生と初日から仲良くしていたところを目撃されてから噂話に尾鰭が付き始めた。用事で職員室を訪れた生徒達が必然的にユキと遭遇する状況も話の肥大化に一役買ったらしく、今じゃ『声をかけるだけで女の子を陥落させる生粋のジゴロ』だとか『歩く少女ホイホイ』だなんて不名誉な称号がいくつも付いている。

 まあ、傍から見ればハーレム以外の何物でもないのだから、噂されない方がおかしいというものだ。そう呼ばれているからといってクラスメートから距離を置かれているわけではないし、変な連中がちょっかいを掛けてくる様子も今のところない。そういうわけで、一応こちらが気に留めなければ実害自体はなかったりする。

 弾も数馬もその辺りの事情はなんとなく理解しているのか、羨ましい等と言いつつも接し方は普段通りだ。

「分岐前のメインヒロインを侍らせてる主人公とどう違うんだよ」

「ゲームのやり過ぎでそう見えるだけなんじゃないのか」

「いいや、完全にエロゲーの展開だな。そして今のお前は、攻略サイトを見てしまったがためにどの個別ルートに行くべきか悩んでいる初見プレイヤーだ!」

 ビシィッと擬音が付きそうな勢いで指先を向ける弾。でも俺にはそんな考えはないし、箒達とはそんなつもりで行動を共にしているわけじゃない。ということで、今から口説きにかかるつもりだと言わんばかりのこいつの推測は見事に的を外れていた。

 そもそも成人向けのゲームって十八歳未満は購入できないんじゃなかったか。一体どこから仕入れてるんだよお前。

「いいかね一夏クン。隠したところで同性の魂胆などまるっとお見通しなのだよ」

「ねーよ」

 よーくわかってるんだぜ俺はといった調子で肩に手を乗せてきた弾を、俺は呆れ顔で見つめ返した。

 少なくとも今のこいつに俺の魂胆はちっとも読めていない。いや簡単に読まれてしまってもそれはそれで困るんだが。

「まあそいつは冗談として、今日の放課後ゲーセンに行かないか。先週はお前の都合で無理だったし、久々に遊ぼうぜ」

「ああ、別にいいけど」

 答えつつ、なんとなしに箒のいる方へと視線を向ける。ちょうど他のクラスメートと話している最中らしく、眼鏡をかけたその子の言葉を熱心に聞いているようだ。人に教えを乞うなんて、あの箒にしては珍しいな。

 しかし音沙汰がないとはいえ、依然として単独で動くのが危険な状況であることに変わりはない。最善を採るなら今回も断っておくべきなんだろうが、あまり頑なに拒んでいると逆に怪しまれかねないしな……。どうしたものかね。

 約十秒程度の短い沈黙。その間あれこれ考えた末に、俺は意を決して口を開いた。

「――――箒達も誘っていいか?」

 ひとまずの妥協案として同行を提案してみる。これが駄目なら、適当な理由でも付けてまた断るしかないか。

「オーケー問題ない。むしろ大歓迎だ。つか、やっぱりお前付き合う気があるんじゃねぇか」

「いやまあ、どうでもいいと思ってないのは確かだけどそれとこれとは別――って誤解広めんなよ? 絶対だぞ」

 間違いなくネタフリにしかなっていないとわかりつつも、真剣に釘を刺す。とはいえわかった上でからかってるので、こいつらが自分から流布することはまずないだろう。傍から見ている連中はどうだか知らないが、噂が立ったところで今更余計な騒ぎになるとは考えにくいし。

「んじゃ授業終わったらまた声かけに来るわ。数馬には俺から説明しとくんで女子の方はよろしく」

「おう」

 授業開始を告げるチャイムとともに弾は席へと戻っていった。

 さてと。四人の乙女達(あいつら)にはどう説明したらいいものかね――。

 

    ■ ■ ■

 

「――なるほど。これが噂に聞く『クレーンゲーム』という遊びですのね」

「噂にって、今まで見たこと一度もなかったのか」

 のっけから『このぬいぐるみが欲しい。取ってくれ』と箒にせがまれ、頼りないアームを引っかけ重量物を持ち上げるという不毛な遊戯に手を出した俺を、セシリアは興味津々といった様子で見つめている。その顔に浮かべているのは普段の包み隠した微笑と違う心からの笑顔だ。

 日本に来たばかりの彼女に街を案内したいからとそれらしい理由を付けて来たが、意外にも好評みたいで少し安心する。

「よし、脇にかかった!」

 数回の失敗と位置調整を経て、ツメの部分が腕と胴体の隙間に差し込まれる。ここまでで既に五百円玉が二回分飲み込まれているだけに、一回で決めてしまいたい。

 アームが持ち上げられ、危なげに揺れ動きながら落下口へと向かう。そして初期位置でツメが開かれ――。

「ありゃ?」

 あまりに上手いこと差さってしまったらしい。お目当ての景品はぶら下がったまま落ちてくる気配がなかった。

「一夏! 一体何をやっているのだ!」

「あれ、おっかしーな……」

 依頼人兼出資者の箒が吠える中、俺は首を傾げた。イメージでは、こうストンと綺麗に落っこちる筈だったんだが。

「店員さんを呼んで……きたら初期位置に戻されそうだしなぁ。箒、あと百円プリーズ」

「千円だけで何とかならないのか」

「微妙にケチだなお前」

 催促する俺の前に置かれた百円玉を受け取り再度チャレンジ。ほんの少しだけ動かして揺らすと、ぬいぐるみは緩慢な動きで穴にずり落ちた。

「ほら、約束通り取ったぞ。ちょっと予算はオーバーしたけどな」

 隙あらば介入しようと待機していたスタッフに拍手されながら、俺は頼まれたブツを箒に手渡した。

 しかしどうして女の子ってこういうのが好きなのかね。普通にショップへ行って買った方が安く手に入ると思うんだが。その感覚がまったくもって理解できん。

「ま、まあ百円程度の出費は問題ない。こうして真っ先に取ってもらえたのだからな」

 少し不満げながらも、箒は嬉しそうな面持ちでぬいぐるみを抱きしめる。それに対して、鈴の奴はあまり面白くなさそうな表情だった。

「はいはい。これから店内歩き回るんだから忘れないようにしなさいよ」

「なっ――――! そんなことするわけないだろう!」

 顔を真っ赤に染めながら反論する箒。

 あっはい、そうですね。いつだったか『店に○ッキーちゃんを忘れた! 今から取りに行くから一緒に来てくれ!』って電話口で喚いていたのも多分俺の記憶違いですね。

「まだ入り口で粘ってたのかよ」

 先に奥のガンシューティングの筐体へ向かった弾が呆れ顔で戻ってきた。

 って、もうゲームオーバーになったのか。早いな。

「いやまあ、ちょっとしたアクシデントがあってだな」

「ふうん」

「なんだよニヤついて」

「いや別に?」

 そう言いながらも弾の奴は意味ありげに笑っている。何だってんだよもう。

「それよか久しぶりにレースしようぜ。カード持ってきてるよな?」

「前来た時に作った奴だっけ? 一応あると思うけど」

 確か財布の中に入れてた筈――お、あったあった。俺は財布の隅からイラストの貼り付けられた安っぽいカードを引っ張り出した。

「よっしゃ。数馬が待ってるから早く来いよ」

「おう、今行く」

 答えてから箒達の方を見やる。ひいふうみぃ……あれ、ユキがいない。

 慌てて目で探すと、別のUFOキャッチャーの筐体の前で景品をじっと見つめている彼女の姿があった。カゴ状の棚にうず高く積まれたキーホルダーがどうも気になるらしい。

「ん、もしかして取ってほしいのか?」

『……そういうわけではないのですが』

 俺にはそういうようにしか見えなかったんだが。

『それよりも、先ほど奥へ来るよう催促されていたのでは?』

「え? ああ、そうだったな」

 はぐらかされるように指摘されたのが余計気になったが、多分訊き返しても取り合ってはくれないだろう。俺は仕方なく弾達の待つ筐体へと向かうことにした。

 

    ■ ■ ■

 

 あの後、弾達と峠道のカーチェイスを繰り広げたり、セシリアが初めてのシューティングゲームで独走していたハイスコアを大きく更新する快挙を見せたりしているうちに時間は経ち、夕飯時になった。

 『せっかくだから俺んちで食べて行けよ』という弾の誘い――ちなみにあいつの家はこの辺りで有名な大衆食堂だったりする――を丁寧に断り、俺達は同級生二人と別れて帰路についていた。日はとっくに地平線へと沈み、月明かりと街灯だけが足元を照らしている。

 静かな夜だ。心を波立たせるような気配はなく、ただ心地よい静寂だけがある。

「セシリア、楽しかったか?」

「ええ。友達付き合いというのは良いものですわね」

 微笑む彼女は本心からそう答えているように見えた。任務のために潜入しているとはいえ同年代の女の子。たまにはこうして普通の学校生活を謳歌したっていい。

「織斑さん。またいつか遊びに誘ってくださいな」

「ああ。弾にも楽しんでたって伝えとくよ」

 

 この笑顔が非日常への緊張に塗り潰されなければいいのに。

 俺のそんな想いは、無残にも即座に打ち砕かれた。

 

「――――随分と腑抜けた面してるなァ、レイスの猟犬さんよォ!」

 乱暴な口調の声が頭上から響く。俺達は一斉にその声の主を見上げて身構えた。

 電柱の上に立つその機体は、降り注ぐ月光に禍々しい色彩を輝かせる。

 『毒蜘蛛』

 そう形容するに相応しい凶悪さを溢れさせながら、ファントム・タスク(てき)の差し向けた刺客は眼下の標的を悠然と見下ろしていた。

「ようやく現れましたわね、『オータム』」

 セシリアから笑みが消え、碧眼に鋭く冷たい輝きが宿る。少女から戦士の顔に戻った彼女へと、オータムと呼ばれた人物は嗜虐的な眼差しを向け返した。

「これでテメェとカチ合うのは二度目だったか。一度目(ベルリン)じゃあ決着つかずだったが、今度はそうはいかねェからな。悪いがここで死ね」

「それはお互い様でしてよ」

 鞄を地面に置くと同時、セシリアはほんの一瞬で自らのISを展開する。

 以前戦った時の余裕あり気な印象は欠片もない。全力をもって相手を仕留める、そう語るだけの気迫が傍にいるだけでひしひしと伝わってくる。

「いけすかねェ小娘が――ここでガキどもと一緒にお寝ンネしなッ!!」

 光を背に、オータムもまた全身から殺気を迸らせていた。

 因縁同士による一触即発の睨み合いが始まる中、三機目のIS(イレギュラー)であるユキは胸に手を置いたまま、じっと二人の姿を見据える。

 

 俺達にとって三度目の戦い――その火蓋が今まさに切られようとしていた。

 

<第7話 了>



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第8話

 ――その女性は、ソファーの上で浅い眠りを続けていた。

 漆黒のスーツをまとった肢体は柔らかなクッションの上で呼吸に合わせて小さく揺れる。蛍光灯の眩い輝きで満たされた室内にもかかわらず、その光に休息が阻害されている様子は一切なかった。

 閉じられた瞼の裏で何を考えているのか、時折無音の呟きを漏らす彼女。一見奇妙にも思えるその光景こそが、この時間帯におけるこの家の『日常』だ。

 昼間の護衛に就く同僚の帰還を待つ間、体力と精神力の消耗を最小限に留めるための彼女独自の策。それがこの仮眠だった。万が一の事態にも即対応できるよう意識を保ちながら、思考速度は必要最低限まで落とし、全身を支障のないレベルまで自己弛緩させての待機。こんな器用な眠り方ができるのは、組織内でも彼女ひとりくらいなものだろう。

 同僚の帰宅と同時に目を覚ますつもりでいた女性は、しかし何かを察知したかのごとく急に飛び起きる。その前触れのない挙動に自身の黒髪が揺さぶられ、大きく跳ね動いた。

「――ブランケット」

 一瞬のうちに肉体を覚醒させた彼女は、リビングテーブルで端末を操作するもう一人の同僚へと声をかける。

 決して毛布を要求したわけではない。キーボード上で巡るましく指先を躍らせる彼女の名字(なまえ)である。

「チェルシー・ブランケット。状況を説明しろ」

「わざわざ訊かずとも、あなたのISが情報を逐一受け取っています。その上で確認したいのであれば説明致しますが」

 再度呼びかける女性に、チェルシーは目も向けず落ち着いた口調で答えた。

「いや、いい。再び連中が動いたとわかればそれで十分だ」

「では今すぐお嬢様の援護に向かってください」

「寝起きの相手に有無を言わさず出撃しろとは、随分と人使いの荒い小間使いがいたものだな。…………まあいい、支援を任せるぞ『ビショップ』」

 そう言って、女性は廊下へと歩いていく。その背中に向け、チェルシーは静かな声で呼びかけた。

「どうかご武運を。『魔術師(マギエル)』ハルフォーフ」

 

    ■ ■ ■

 

「ハハハハッ! 庇ってばっかじゃ話になんねェぞ小娘ェ――ッ!!!!」

 オータムの背中から伸びる八本の『腕』が、それぞれ手にした機関銃を立て続けに乱射する。

 撒き散らされる銃弾から俺達を庇うようにして、セシリアは敵機の前に立ち塞がっていた。

「テメェの機体特性はとうに解明済みだ。空に上げなけりゃろくに攻撃もできねェなんざ、情けねェ奴だよなァ!!」

「くっ!」

 反撃を試みるものの、間髪なく叩き込まれ続ける弾幕に武装の展開さえも封じられる。距離を取ろうにも、オータムが戦う術を持たない俺達にのみ・・銃口を合わせているせいで、下手に動けない状況だ。防戦一方のセシリアは奥歯を噛み、敵を睨みつけた。

『はあっ――!』

 一方へ火線を集中させた隙を突いて、ユキが剣を手に斬りかかる。

 だが――。

「おっと危ねェ」

 オータム自身の腕が腰アーマーと一体化していた短剣を抜き放ち、俊速の一撃を容易く受け止めた。さらに空いた手でもう一つの刃を動きの止まったユキ目掛けて突き出す。

 少しの躊躇も見られない俊敏な剣戟。狙い澄まされた急所への刺突を辛うじて弾いたものの、衝撃で浮いた彼女の体は続けざまに強烈な足蹴を受け、そのまま道端の塀へと激突した。

「ユキっ!」

『問題、ありません』

 瓦礫を払って起き上がる彼女。しかし、シールドの防御を貫いた一撃は胸部を包む装甲を砕き、パーツ全体に及ぶほどの大きな亀裂を刻んでいた。

「仕留めたつもりだったんだがなァ。ちィっとばかり狙いが逸れたか」

 装甲の隙間からスパイクの飛び出した脚部をあえて見せつけるようにしながら、オータムは嬉しそうに口角を吊り上げる。俺達を足止めする一方、唯一自由に動ける筈のユキを片手間に圧倒してみせるその実力は、今までに対峙してきた二体の敵をはるかに凌駕していた。

「とはいえだ。碌にISの性能を引き出せてねェガキにしてはよくやるなァ『白いの』。敵だが少しは褒めてやるよ」

「なんですって…………?」

 小馬鹿にしたように言うオータム。その言葉が響いた途端、セシリアが驚きの声を上げた。

「あん、気付いてなかったのか?」

 彼女の反応を、怪訝な表情を浮かべた『蜘蛛』が嘲笑う。

「そこの『白いの』はまだ一次移行(ファースト・シフト)もできてねェ出来損ないだ。空は飛べねェ、武器も仕掛けなしの安っぽい近接兵装(けん)だけ。シールドだってそんだけ壊れりャまともに機能しねェだろう。そんなポンコツ相手にあたしが負けるわきャねェってわかんねェかな?」

「ユキさん! まさかあなた、初期状態で戦っていたんですの!?」

『…………っ』

 ユキは何も言わなかった。

 ただ手にした剣を構え、煽るオータムをまっすぐに見据えている。その眼差しには怒りも、秘密を知られたことへの動揺の色もなかった。

 自分の状態を理解した上で、心配させまいとあえて黙っていたんだろう。それが彼女にとっても、依存する俺達にも危険を伴うような行動だとわかっていてなおそれを選んだんだ。

 そして、今もまだ戦い続けようとしている。実力はおろか、明らかに性能差で上を行く相手に噛みつこうとしている。

 その理由が束さんの与えた命令か、自ら課した義務によるものなのかは彼女しか知りえないことだ。けれども――。

 

 けれども、このまま戦闘を続ければ、ユキは確実に殺される。

 

「とはいえよく頑張ったな。このオータム様が直々に褒美を与えてやる」

 俺達を執拗に付け狙っていた銃口が一斉に動き、ユキへとその照準を定める。さらに上乗せとばかりに、オータムは両手に大型のライフル銃を展開した。

 勇敢を通り越し無謀を見せつけた相手に対する破壊行為の準備を終え、遂に彼女は死の宣告を与える。

「――――無念もろとも霧散しろ、白ガキ」

 

 そして、引き金が引かれた。

 

    ■ ■ ■

 

 ISと操縦者、合わせて十本の腕が携える武装が一斉に火を噴き、銃身(バレル)を滑り抜けて鉛の凶爪が一人の少女へと殺到する。

 その身を守る不可視の防御を失い、手にした剣もこれより降りかかる猛攻を防ぐにはあまりにも頼りなく。

 ただ死を待つばかりの彼女へと向けられた殺意は、宣告の通りにその命を刈り取る――筈だった。

 

「行きなさい、ティアーズ!」

 

 不意に射線上へと割り込んだ青い盾が狂蟲の爪牙を遮る。

 本来なら高速飛行と必殺の一撃に消費されるエネルギーを、防御と空中静止にのみ費やして展開された蒼穹の雫(ブルー・ティアーズ)。表面を高威力の対物火器に絶えず削り取られながらも、少女を守護する最後の防壁は、決して猛攻をその奥へと通さない。

 オータムが『防御の死んだ相手を仕留める』という一つの行動にのみ気を取られたことで生まれた隙。到底回避不能な攻撃に介入できる唯一の機会を、セシリア・オルコットは見逃さなかった。

 わずか一瞬のうちに武装を展開し、コンマ数秒の優勢を確約できうる位置へと迷いなく子機を送り込んだ手腕は、彼女の並外れた素質と血を吐くほどの鍛錬の末に成し遂げられた神技。彼女と愛機でなければこの窮地を脱することはできなかっただろう。

「チッ! とんだ横槍を――」

 攻撃の失敗を敵が知覚した瞬間、セシリアの手には既にレーザーライフルが握られていた。遠隔兵器の操作に意識の大半を向けながらも、残ったリソースを武装の展開へと注力していた彼女は、自分に再度照準を合わせようと動く敵へ向け必殺の光線を放つ。

 付随被害をも厭わない大出力で放たれたその一撃は、軌道に沿ってアスファルトの表面を熱で融解させ、とっさに身を逸らしたオータムの『腕』のうち半分近くをバターのように抉り取った。

「いい加減邪魔ァすんなよ小娘ェッ!!!!」

 ユニットを大破させながらも、オータムは余裕を崩さない。銃を投げ捨てるなり両の手に短剣を掴み、残った『腕』を鋭敏な鋼の『脚』に切り替えてセシリアとの間合いを一気に詰める。

「貴方の思い通りには、させませんわ!」

 既に携えている銃を右手で盾として翳しながら、彼女は新たな武装を呼び出した。片手で扱える長さの両刃剣を逆手に握り、二方向から振るわれる凶刃を立て続けに弾き返す。

「ほらよォッ!」

 振り切った瞬間を狙い澄まして『脚』が突き下ろされた。が、それもセシリアの『読み』の範疇でしかない。

 急所目掛け迎い来る軌道へ合わせるようにして、彼女は手にした得物の銃身(バレル)を衝突させた。金属の『脚』はその筐体を貫きながらも、勢いを殺されたことでその場に縫い留められる。

「お返しです、わッ――!」

 動きの止まったオータムの体をISの腕力で押し返すとともに、刃を銃のパワーセル目掛け突き立てる。所有者自らの破壊行為によって不安定になった動力供給装置は、電光を迸らせながらそのエネルギーを暴発させた。

 

 わずか一分足らずの攻防。それにもかかわらず、周囲には紛争地域の激戦地をイメージさせるほどに深く凄惨な傷跡が残されていた。

 耳を劈くような爆発音が轟く中、セシリアは酷使で刃が大きく削がれた短剣を捨て両拳を構える。有効打は与えたものの、自身は一切の武器を喪失し相手は未だに健在だ。猛攻に耐えて唯一残っていた盾も力尽きて路面に墜ち、もはや回収は叶わない。

 だが、再びの窮地に立たされてなお、彼女の顔から力強い意思の光は消えていなかった。

「クソったれが」

 微かに残った炎を払い、オータムが立ち上がる。

 背中でぎこちなくうごめく『脚』は無残にひしゃげ、もはや武装としての機能を喪失していた。彼女は双眸に怒りをひしひしと滲ませながら、足元に落ちたライフルを拾い上げる。

「相変わらずうざってェ奴だよテメェは」

 二つの銃口をあと一歩まで追い詰めてきた少女へと向けつつ、オータムは暴力的な口調でそう吐き捨てた。

「どこまでも追いかける執拗さがなければ猟犬は務まりませんわ」

「言ってろ。どれだけ吠えたところで戦闘能力を失ったテメェには勝ちの目なんざ残っちャいねェ筈だ」

 苛立ちを強く含んだ指摘に、セシリアはまったく余裕を崩さない。むしろ勝ちを確信したような表情で彼女を見据えていた。

「なんだその顔は? ピンチ過ぎて頭でもおかしくなったんじャねェだろうな」

「まさか。わたくしは至って正気のままですわ。狂っているのはあなたの方ではなくて?」

「ほざけ小娘ッ――――!!!!」

 煽り立てられたオータムはグリップを壊れんばかりに握り締め、その引き金を引――こうとして自らに及んでいる異常をようやく認識した。

 身動きが取れない。

 手だけでなく脚も、機体も。

「なん、だこれッ!?」

 戸惑いの声を上げる彼女を前にセシリアはほくそ笑み、そして――ようやく現れた『増援』に不満を漏らした。

「随分と待たせましたわね、クラリッサ」

「人目を避けて飛んでいたのでな。ともあれ間に合ったのだからさして文句は出まい」

「ご冗談を。危うく全員死ぬところでしてよ」

 オータムの数十メートルほど後方。片腕を前方に向けて静止する暗灰色の機影が応える。肩外装の一部が開いたそのISからはブレードの括り付けられたワイヤーが射出され、その軌道のままに先端部を虚空へと刺し留めていた。

強制停止結界(AIC)…………!? テメェ、『義眼の魔術師(マギエル=グラスオージェス)』か!!」

「正直、その呼び名は好きではないのだがな」

 驚く彼女に、女性は不機嫌な声音で肯定する。

「セシリア、そして見知らぬ操縦者。よくぞここまで持ち堪えてくれた。後は私に任せて休むといい」

「そうさせて頂きますわ」

 答えて構えを解くセシリア。一方のユキは緊張の糸が解れたのか、剣を握り締めたままその場に両膝をついてへたり込んでいた。

「武装を解除しろオータム。元より手負いの貴様では応戦も適わんだろうが、この状況下では我々もさして変わらん。もっとも、交渉のテーブルに着く気がなければ問答無用で切り伏せるまでだが」

「ちっ」

 オータムが一時的に拘束の解かれた両手から力を抜くと同時、二丁のライフルは射出された別の刃によって砕かれた。使用不可能なレベルまで損壊した最後の武器は、何度か地面を跳ねた後に他の瓦礫と混じって散らばる。

 依然として動きを封じられたままの彼女に、『魔術師』は告げた。

「去れ。さすれば我々はこれ以上の危害を加えることもない。だが再び現れた時には、容赦なくその首を落とすと忠告しておこう」

「いいのか? あたしはテメェらの敵でそこのガキどもを殺そうとしてる犯罪者だっていうのによ」

「これは交渉だと言った筈だぞオータム。私の知っている貴様なら、私がこの手で心の臓を貫く前に弱者を一人でも多く撃ち殺すことを考えるだろう。それでは我々も任務失敗ということになるのでな。この場での損が後々多大な益を生むとすれば、今ここで貴様を見逃した方が結果的には得というわけだ」

「何でもかんでも損得で考えやがって。どこまでも打算的なクソ女め」

 そう吐き捨てたオータムの腕が再び見えない枷に封じ込められる。

 逆らうな、条件を飲めと言わんばかりの見下した態度に、彼女は苛立ちを覚えつつも了承した。

「まあ生き長らえられるなら悪くはねェ話だ。乗ってやるよ」

「これで交渉成立だな。セシリア、そこで腰を抜かしている娘を護衛対象と一緒に背後へやっておけ。武器がなくとも盾はまだ機能するのだろう?」

「ええ」

 頷くセシリアに目を向けながら、クラリッサはオータムと交戦した機体の被害状況を大まかに確認する。

 まずは彼女のブルー・ティアーズ。武器とユニットの一部を失ってはいるものの、機体そのものはほとんど無傷だ。反対に、もう一人の――称号データにないISをまとった少女――は深刻なダメージを負っている。まともに立ち上がれない状況から見ても、基礎構造にまで影響が及んでいたとして何らおかしくはない。並行して搭乗者自身の検査も行った方が良いだろう。そうクラリッサは頭の中で結論付ける。

 蹲った白髪の少女を抱えて下がるのを見届け、クラリッサはようやくお尋ね者の枷を解除した。

「クソがッ! 次こそはツケをきっちり払わせてやる」

「それは私の台詞だ。再び目の前に現れたなら、その首必ず貰い受けよう」

 捨て台詞を吐いて逃走するオータムに向け、クラリッサもまた冷たく言い放つ。その語気には因縁に増幅された明確な殺意が込もっていた。

 

 再び決着を預けた相手が探知領域から消えたのを確認し、自らのISを解除する。同じく愛機を格納したセシリアと向き合った彼女は、一部始終を見ていた護衛対象(ターゲット)達へと言葉を投げかけた。

「話を聞かせてもらおう。その白いISについても詳しく、な」

 

<第8話 了>




※まだ夕飯にありつけてない主人公とゆかいな仲間達。


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第9話

「――スキャンした結果、肉体に異常は見受けられませんでした。IS自体の損傷も部品さえあれば修復可能なレベルに留まっています」

 空間投影型のディスプレイに取得したばかりの機体状況(ステータス)を表示しつつ、メイド姿の女性が告げる。その背後には半円筒の機械に固定されたユキの姿があった。

 専門知識のない俺には使い道のよくわからない大型機械がスペースの大半を埋める部屋。セシリア曰くIS用のメンテナンスルームなんだそうだが、ぶっちゃけ悪の組織の改造手術室にしか見えない外観だ。

 そんな不気味な場所に突然放り込まれた俺は、『誰か説明してくれよ!』と言わんばかりの困惑した顔を目の前のメイドさん(?)に向けていた。ちなみに、肝心の彼女は視線のひとつもくれず手元のデバイスを操作している。俺がいることは把握していても、それ以上の確認を取る気も必要もないと言わんばかりの態度だった。

「それにしても生体連動型とは……。ここまで完成度の高い代物を作れたのは『彼女』ゆえ、でしょうね」

「それって、もしかして束さんのこと――」

「それ以外に誰がいるというのですか」

 当然だとばかりに言い切るメイドさん。

 というか、なんでさっきからディスプレイと睨めっこし続けてるんだこの人は。せめて顔くらい俺の方に向けて話してくれないもんかね。

「で、もう一度確認するけどユキは大丈夫なんだよな?」

「ええ。あくまで体力の過度な消耗で一時的に気を失っているだけです。本来であればISを解除して寝かせるべきでしょうが、こちらの介入強制操作(ハッキング)を受け付けないので機体ごと保持させて頂きました」

 両手足をアームに掴まれ、それ以外の各部にも固定具が挟み込まれた姿で眠る彼女。完全に意識が落ちているのか、俯くその顔は微動だにしない。目の前の画面に表示された生命兆候情報(バイタル)だけが、彼女の鼓動が未だ止まっていないことを俺に伝えてくれていた。

「とはいえ」

 懸念の色を帯びたその声ではっと我に返る。視線を戻すと、メイドさんは眉間にしわを寄せてISの状態表示へと切り替えた画面を見つめていた。

「ISの修復にはしばらく時間を要しますし、完了したとしても一次移行(ファースト・シフト)前の機体では足手まといにしかなりません。今後いかなる状況であろうと戦闘に参加させるべきではないでしょう」

「でもユキは俺達を守るために――」

 守るために束さんが用意していた切り札だ。

 そう言い返そうとした俺を、彼女は手を挙げて制止した。

「仮に貴方の言うとおりだとしても、未完成のISを出撃させるのは無謀でしかありません。現に敵が有人機を投入してきた以上、単純なスペックでも劣る機体で戦わせることは自殺と同義です。事態の収拾まで彼女には一時凍結処置を施しますから、貴方がたも彼女頼りの行動を今後は謹んでください。よろしいですね?」

「……はい」

 俺からは何一つとして反論できない。

 実際、先ほどは危険な目に遭ったんだ。生きて帰れたとはいえ、セシリアがあの場にいなかったら俺達ともどもオータムに殺されていてもおかしくはなかった。

 たとえ俺達を守ることが彼女の役割であったとしても、今のまま戦いを続けさせることなんてできない。

 そんな無謀を許して、いざとなれば彼女を犠牲に助かろうなんて考えるほど。

 暗に『俺達の為に死ね』と告げるほど、俺は非道にはなれない。

「しかし博士の手腕をもってしても不完全止まりとは。あの計画しかり、やはり私達の手には余る代物なのでしょうか……」

「えっ?」

 メイドさんが何か呟いたように聞こえたものの、俺には何のことだかさっぱりだった。

「独り言です。どうかお気になさらず」

 キョトンとする俺の前で彼女はディスプレイを畳みながら言った。ユキについて何か言い忘れたことでもあったのかと思ったんだが、どうも違うようだ。

「ハルフォーフ達の聴取も済んだ頃でしょう。貴方を含め全員に話しておくべきこともあります。どうぞリビングへ」

 席を立った彼女に連れられ、俺は部屋を後にした。

 

    ■ ■ ■

 

 壁に区切られた部屋の中が異質なら、案内された広間もまた同様に異質な空間だった。

 隅の一角に大型テレビが鎮座し、いかにも高級そうなソファーが置かれているところまではいい。問題は、後で来た俺達二人以外が今囲んでいるテーブルだった。

「何だこれ!?」

 アクリルの天板上でゆっくりと回るISの立体映像(ホログラム)。目の前に浮かび上がったそれは、反射的に声を上げてしまうほどに精緻な造形だった。

 ――やべぇ、コレすごくカッコいい。

「ブリーフィング用の空間投影装置を組み込んだテーブルです。IS関連事業を持つ企業では当たり前のように使っている機材ですが、それほど珍しいものでしょうか?」

「珍しいも何も、こんなすごい機械をこの目で見たのは初めてだ。で、一体幾らするんだこれ?」

「物によりけりですが、この投影サイズでの価格だとおよそ二千万でしょうか」

 興味本位で尋ねると、メイドさんは少し考え込む素振りを見せながら答えた。なるほど二千万かぁ、道理で近未来的な機能が備わって――って、えぇっ!?

「にせっ……! さ、さすがにドル換算じゃないよな?」

「円換算で二千万です。大企業の設備投資対象としては妥当な額ではないかと」

 その言葉を聞いてほっとする。

 確かに二千万ドルだったらこんな手軽に持ってこれないよな。いやぁ冷静になって考えればあり得ない話だった。これは失敬――。

「って、そんなハイテク家具がなんでこんな場所に!?」

「先ほど言った通り、私達がブリーフィングに使用する為に持ち込んだ機材です。何か問題でも?」

「はい、まったく問題ございませんっ!」

 ――思わず敬礼を返す俺がいた。

 しかしまあ、なんだ。映画の小道具で出てくるような装置が当たり前のように置いてあるってどんな家だよ。そりゃあ、IS使ってる組織のエージェントが住んでたら色々必要だってのはわかるけど、冗談抜きにウチとココとで文明レベルが一世紀近く違うんじゃなかろうか。

「ともかく空いた場所に座ってください」

「あ、はい」

 指示の通りにソファーの隅っこへ腰を下ろす。ユキ以外の全員がこの場に揃ったのを確かめて、最奥に座る黒髪の女性は静かに口を開いた。

「まずは先の戦い、全員無事に生還したことを率直に評価しよう。セシリア、よく奴の猛攻を凌ぎ彼らを守ってくれた」

「いいえ。ユキさんの助力あってこそですわ」

 セシリアが謙遜する。けれども、実質は彼女の働きでどうにかなったようなものだ。

 とっさの防御がなければ間違いなくユキはやられていただろうし、その後オータムとの一騎討ちになっていたなら俺達全員でここへ来ることもできなかったに違いない。

「とはいえ、ほぼ全ての武装を失ったのは手痛い被害だ。奴がすぐに仕掛けてくることはないだろうが用心に越したことはない。襲撃に対応できるよう速やかに補充を済ませておけ」

「そうさせていただきますわ。合わせて念のため補助兵装を追加するつもりですが、問題はなくて?」

「構わないが使用時の付随被害には十分留意しろ。レーザーと違って加減が利かんからな」

 そう言ってから、女性は俺達へと視線を転じる。その鋭い眼差しに射抜かれて、一瞬体が強張った。

「織斑一夏。なるほど、『ブリュンヒルデ』の実弟とは奇妙な巡り合わせを感じるな」

 きつい目つきを少し緩ませて、彼女が呟く。

 その呼び名を知っているのなら、おそらくは軍の人間――より正確に言うならドイツの特殊部隊の所属――だ。

「千冬ね……姉のことを知っているんですか?」

「何度か作戦行動を共にしたからな。私と大して歳も違わないというのに、大した度胸と実力のある奴だったと記憶しているよ」

「そう、ですか。そう言っていただけると姉も喜びます」

 高校を出てすぐ働き始めた姉がどんな仕事をしていたのか。

 三年経った今でも、俺は千冬姉の足取りを詳しく掴めていない。けれどもそれが血生臭く、絶えず命のやり取りを求められるような過酷なものだったことは確かだ。

 俺の知らない場所で働いていた千冬姉を知る人達は揃って軍事関係者。そして、誰もが彼女のことを『ブリュンヒルデ』と呼んでいた。

 『機密に関わるから』と当時のことを教えてくれることはなかったけれど、あの人達にとっての千冬姉は確かに戦女神だったんだろう。それが俺の知る千冬姉とは違った姿だとしても、確かにその場所を居場所(よりどころ)としていた筈だ。

 千冬姉と縁のある人に出逢えた嬉しさと同時、何とも言えないやるせなさを覚えながら、俺は彼女の言葉に応えた。

「あとは篠ノ之博士の実妹と――そこにいる少女は?」

「鈴よ、凰鈴音。一夏とは長いこと同居させてもらってる関係だけど?」

 怪訝な顔を向けられたのがむかついたのか、鈴は『何か文句でもある?』と言わんばかりに相手を睨み返した。

「つまるところ居候というわけか。まあいいだろう」

「居候言うな!」

「いや、そこは否定できないのではないか」

 なおも突っかかろうとする鈴に、箒が適切なツッコミを入れる。

 まあ、鈴にも鈴なりの事情があるのだから怒る気持ちはわからなくもない。でも居候であることには変わりないような。

「ハルフォーフ。いい加減本題に入らないとキリがないのでは?」

「む。では忠告に従うとしよう」

 傍らに立つメイドさんに促され、彼女は姿勢を正した。

 

「まずは映像を見てほしい」

 そう言って、ハルフォーフさんは俺達の前に投影されたISを指さす。テレビで報道されるような軍のISと違って、その機体は頭の先から足先に至るまでの全てが重厚なアーマーに覆われていた。

「これまで我々が幾度となく対峙してきたのは、この『ゴーレム』と呼ばれる無人機だ。言うなればファントム・タスクの尖兵といったところか」

「性能は私達や各国の軍隊が有する機体と比べ劣っていますが、生産効率と運用コストの低さに大きく優れています。襲撃に際して、通常は単独で出現することはなく、最低四機単位での連携行動を基本としているという分析結果が上がっています」

「ゴーレムはこれまで確認され、撃破した機体だけでもゆうに百機を数える。諜報部の見立てでは、連中は最低でもその三倍の機体を保有しているとのことだ。おまけに、それだけの戦力を用意している筈の生産施設は未だ場所の特定すらできていない」

 それはすなわち、今後もゴーレムが増産されるのを黙って見ているしかないということを意味する。

 俺達にとっては危険極まりない相手でも、彼らにとっては使い捨てても痛みすら覚えない消耗品。性能差を絶対数で埋められるだけの余裕どころか、一斉にけしかければ強引に押し切ることさえできる戦力を相手は有している。

 その事実に、俺は愕然とするしかなかった。

「一方、我々が現在保有しているものを含めて、世界各国に配備されているISの現総数はわずか467機。それも、およそ半数以上は配備された基地を離れられない状況にある。自由な運用が利くのはほんの230機余りというわけだ」

「でも、ISは世界中で作られている筈じゃ――」

「確かに各国ともあらゆる策を講じて増産を急いではいる。しかし、いかんせんコアの製造数には限界があるのでな。理想的なペースで一年きっかり製造を続けたとしても、戦闘で生じる損耗分を差し引けばせいぜい五十機程度の増数しか見込めん」

 つまり、ファントム・タスクとの戦いが長引くほど情勢は不利に傾いていくということになる。

 こうして目の前で説明されなければ、俺達はなす術もなく蹂躙を許すその時まで窮地を知ることはなかったに違いない。直接の危険に曝されない大多数と同じく、いずれ脅威は去ると信じ切っていただろう。

 こうして知らされたことが幸運かどうかはさておき、彼女の言葉を通しての『現状』を見せつけられた俺達は、揃って険しい表情を浮かべていた。

「ここまではあくまで絶対数の話だ。そもそもISは人間の操る兵器だからな。兵力の大半を無人機械に頼る彼らとは事情も大きく異なる。数で対抗が難しければ質を高めるまでの話だ」

「質を高めるって言っても、相手は性能差を数で埋めてくるんですよね? それじゃ、結局優勢を握るなんて無理じゃないですか」

「そう簡単な理屈で語れないのがISだ。とりわけ『世代』という概念が大きく絡んでいるだけにな」

 

 ――パッと画面が切り替わり、ゴーレムの全身像に代わって見たことのない機体が現れた。

 武骨な鎧を持たず、飾り気のない造形のパーツが全身を包み込む構造。それは、空を舞う兵器というよりも、百科事典で見るような宇宙服を思わせる形だった。宙に浮くその機体を指で示しながら、彼女は再び口を開いた。

「これがISの原型、マルチフォームスーツとして研究が進んでいた頃の機体だ。厳密にはISでないが、我々は第ゼロ世代と呼んでいる」

「第ゼロ世代……」

 続いて映し出されたのは、ゴーレムによく似た全身装甲の機体だった。違う部分があるとすれば、無人機のそれより大柄で着込む印象が強いことだろうか。

「その第ゼロ世代に複合的な防御能力と火器運用能力を追加したのが第一世代。十年前ファントム・タスクが奪取し、ゴーレムの基本設計にも用いている機体はこれだ」

「勿論ゴーレムがこの機体と同等というわけではありません。しかし、機能を追加していてもあくまで設計思想はこの第一世代のままです」

「つまるところ準第二世代が限度というわけだ。そして、ここからが本題とも言える」

 現れたのは、画面の中でもよく見かける機体。前二つとは打って変わり、部分部分で生身が露出するような構造になっている。

 特徴的な背中の推進ユニットを背負ったそれを回しながら、ハルフォーフさんはさらに説明を続けた。

「第二世代型、フランスの『ラファール』だ。この機体に搭載された慣性力制御機構(イナーシャル・キャンセラーシステム)によって、ISはそれまでの在り方を大きく変えることとなった。より機敏かつ高速度での機動を、搭乗者を保護しながら行うことが可能になったからだ。さらにシールドの常時展開と量子格納・展開能力が付与されたことで、それ以前とは別次元の兵器へと進化している」

「同時に全身を物理的に防御する必要がなくなったことにより、一部のパーツを除去、頭部センサーを小型・軽量化し、搭乗者への物理的な負荷を軽減できたことも特徴のひとつと言えるでしょう。現在各国で運用されているISは、ほぼ全てこの形式を採用しています」

「このラファールは、自国単独での大規模運用を前提とした米国やロシア、旧連邦諸国への輸出を基本戦略とするイギリスを除けば、最も運用数の多い傑作機だ。準第三世代化された改修型の『ラファール・リヴァイヴ』やライセンス生産機も合わせれば、世界一の運用実績があると言える。我がドイツにも『ヴィントシュトース』の名で配備されているほどだ。これら第二世代型機を普及させ、敵を性能で圧倒すれば良いと考えていたのが三年前までの話になる」

 三年前。言うまでもなくあの事件のことだろう。彼女は当時を思い返すように言葉を続けた。

「事実、連中の動きは沈静化しつつあったからな。各国政府とも『忌々しいファントム・タスクをようやく掃討できる』という達成感に溢れていた。だがそれも単なる慢心だったというわけだ」

「そして、多くを失うこととなった。数多くの尊い命も、築いてきた戦力的優位も、すべてがあの事件で奪われたのですわ」

 そう呟くセシリアの表情は固かった。この場に束さんがいたなら、きっとあの時の俺と同じ顔だと指摘していたに違いない。

 彼女にとっても、あの事件は大切な誰かの『喪失』をもたらしたんだろう。レイスに所属しているのも、それがきっかけなのかもしれないと俺は思った。

 俺達が沈鬱な表情を浮かべていると気付いたのか、ハルフォーフさんは軽く咳ばらいした。

「話を戻そう。優勢だった状況を崩された我々は、その突破口をISの進化に求めた。単なる補助でしかなかった人工知能をより強化し、思考制御装置(イメージ・インターフェース)を搭載することで操縦者に応じた固有の戦闘能力を引き出そうとした。それこそが第三世代型IS――」

 ラファールが消え、再び新たな像が虚空に描かれ始める。ほどなくして現れたそれは、俺達のよく知る青色の機体。

 

「――すなわち、我々の持つ機体だ」

 

 セシリアの駆る『ブルー・ティアーズ』の映像を前に、彼女はそう言い放った。

 

<第9話 了>



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第10話

 一般に、設計段階における兵器は『個性』とは無縁の存在である。いかなる種類、いかなる効果範囲を持つものでも、その傾向は等しく在る。

 コンセプト通りの機能を満たし、定められた性能を忠実に発揮する。それこそが武器に求められる要件であり、不特定多数の為の道具として分配される物全てに備わっているべき特性。

 ゆえに製造時に生じるわずかな誤差や運用による多少の変化は許されても、設計段階で一つ一つに明確な違いが生じることを確約するような仕様は認められない。

 信用のおけない不安定なものを生み出せば、必要な機能を満たすどころか、使用者を危害に曝すことにも繋がりかねない。殺傷能力のある兵器ともなれば、尚のこと慎重を期する必要がある。

 それは均一な品質を保証するとともに、安全を保障するためのリミッター。制御不能な怪物を生み出さないための、あらゆる可能性を封じる枷である。

 

 ――だが、そのやり方では彼らに勝てなかった。

 

 『個性』の否定を前提に成り立つ以上、その枠を自ら食い破ることはできない。定められた強さをはみ出すことができない物同士がぶつかれば、総合的に戦力を上回った側が必ず勝利する。

 たとえ一機で性能を上回ろうと、どれだけの技量を一人の遣い手が持ちえようと、絶対数でそれらを上回るモノには決して敵わない。どれだけ改良し限界を押し上げたとしても、数さえ揃うなら一で押し切れない多がいずれ上回り蹂躙する。

 必ずしも理論値を引き出せない有人機に対し、敵は無人機。

 『無個性』の極致であるがゆえに、単体での実力は変動がなく、その練度も紛い物の人格ではたかが知れている。だが整った凡庸な爪牙は、その群勢を一度聡明な指揮官に率いられれば、いかなる英雄をも打倒しうる無敵の怪物へと変貌する。

 

 ――ならば、いかにしてその優位を打ち破る?

 

 度重なる問答と思索の果てに、当代の識者達が探り当てたのは二つの方策だった。

 一方は、どのような遣い手でも理想値を引き出せる高性能な量産型。性能の発揮を機体が担い、操縦者は半ば委ねる形を採ることで、いついかなる場合においても最大のパフォーマンスを生み出すという考え方だ。

 そしてもう一方は、これまで当たり前のように封じてきた『個性』への枷を取り去ること。枠を外れてでも既定の性能、完成された形を越えるような進化を求めるという、あまりにも常識を外れたコンセプトだった。

 

 やがて前者は第二世代型の改修という形で実を結び、後者は新たな世代を担う機体としてこの世に送り出される。

 その記念すべき初の第三世代型IS。

 それこそが、イギリスが己の威信を賭けて製作した試作攻撃機であった。

 

    ■ ■ ■

 

「――第三世代型の最大の特徴は、当時研究段階にあった思考制御装置(イメージ・インターフェース)の導入と、ISコアとの同期を前提とする単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)システムの搭載だ。この機構の搭載には、それまでの身体動作と神経信号のハイブリット方式よりも追従性を高める、という狙いもあった。だが本来の目的は、ISコアの人工知能に操縦者の思考を学習させ、互いの特徴を理解し、最も必要とする機能を新たに生み出すことにある」

 説明を続けるハルフォーフさん。

 知らない俺達の為にみっちり講義してくれているのはありがたいのだが、俺の脳味噌では正直もうついていけそうにない。

 そもそも横文字が多過ぎる上に、普段は一切聞かないような単語だらけなのだ。頑張ってイメージを浮かべようにも、キーワードの一つ一つが理解できないのでは何がどうなってるのかなんてさっぱりだ。

 頭の上に特大の疑問符が乗っかっているのでも見えたのか、話が途切れたのを見計らってセシリアが口を開いた。

「簡単に言えば、わたくしの思考を読み取らせた上で、ISの中に『もう一人のわたくし』を構築するといった感じでしょうか。わたくしをサポートするのがわたくし自身なら、得手不得手をすべて理解した上で一番適切な解答を引き出せる。そのような理論の下に装置を組み入れて作られたのが、この『ブルー・ティアーズ』なのですわ」

「自分の分身を作る、ねぇ」

「決して困難な話ではありませんわ。ISコアは高性能な量子演算装置、一般的な計算機とは前提理論も性能も大きく異なります。その性能をもってすれば、物真似程度の知能なら簡単に再現可能でしてよ」

 相変わらず理解は追いつかないが、それがとんでもない技術だということは何となく想像がついた。

 ――それにしても、だ。

 こうして話を聞かされていると、ISって本当にとんでもない代物なんだな、と改めて実感させられる。人工知能なんて乗っかっていたのかという驚きもあるが、それを更に学習させて育てるだなんて、正直突拍子の無さ過ぎる話だ。それを現にやってのけるというのだから、科学の力というのは凄いもんだとつくづく思う。

「とはいえ、戦闘に用いるとなれば桁違いの完成度が求められる。コアがあらかた学習を終える為の操縦時間も当然馬鹿にはならん。それもあってか、第三世代型ISは開発した各国とも、未だ単一仕様能力の発現に至っていない状況だ。最も先を行く『テンペスタ(デュオ)』でさえ、持ちうる最大の性能を発揮した上での限定的な発動に留まっている」

 えーっと……。つまり、どういうことなんだ。

「第三世代型の機体はいずれもまだ未完成ということですわ。もちろん、『進化するIS』というコンセプト通りではありますけど、まだ量産を始められる段階にはありませんの」

 相変わらずわかりやすい説明をどうも。

「元々理論実証機としての役割が大きい上に、操縦者側は思考制御装置への高い適性が必要となるからな。まだ扱える操縦者がごく少数というのも影響してか、現時点で配備されているものは全て一体限りの専用機(ワンオフ)と言ってもいい状況だ」

「それって、兵器としては欠陥品もいいところじゃないですか。そんな機体を運用する意味なんてあるんですか?」

「しいて言うなら現行の量産機へのフィードバックか。第三世代型機を駆る我々が最適解を見つけ出し、それらが他の多数にとっても適当であれば模倣する。一から開発するよりは効率的に強化できるから都合が良い、といったところだな。量産機にない突出した性能が、我々エージェントがこなす単独や少数での作戦行動に向いている、というのも長所の一つと言える」

 ついきつく問いただす形になった俺の方を見つつ、ハルフォーフさんは淡々とした口調で答えた。

 というか、『欠陥機をどうして使ってるんですか?』なんて質問を操縦者本人へ投げるなんて、衝動的だったとしても失礼極まりないよな。見つめられた時は本気で怒られるんじゃないかとビクビクしてたが、意外にもそんなことはなくてちょっと安心した。

 ――まあ、それでも失礼だったことに変わりはないし、一応後で謝っておこう。

「ところで、そんな秘密を私達にペラペラ喋って問題ないの? まさかとは思うけど、後で口封じしようだなんて考えてないでしょうね?」

「この程度は機密でも何でもない。今こうして語っているのは、興味のある者が調べればすぐに出てくる情報ばかりだ。滅多に見られない物といったらせいぜいそこの立体映像くらいなものだろう」

「どうかしらね」

 怪訝な表情で睨む鈴。

 警戒心を失わないのは大切だが、そうやって一方的に疑うのは良くないと思うぞ。

「私がここまで話したのはあくまで前提としての知識だ。肝心な部分だけを話しても良かったのだが、君達に話したところで理解が追いつかないのは目に見えているからな。助けになる程度には補足を加えておいた」

 ハルフォーフさんは得意げにそう言った。

 その目論見はある意味的を得ているんだろうが――なんだろう、すでについて行けなくなってるのは気のせいだろうか。箒に至ってはあまりの難解さに考えること自体放棄して寝てるし。

 

「先ほど話した通り、第三世代型ISは画期的ではあったが数を揃えての運用には向いていない。限られた操縦者にのみ扱えるとなれば尚更だ。前提としての高いハードルは優越主義を生む土壌となり、個人に強大な戦力を委ねることは新たな脅威を生むきっかけとなりうる。ゆえに、研究者達が次に求めたのは、その敷居を下げる方法だった」

「でも、性能を落としたら第三世代である意味がなくなるんじゃ――」

「その通りだ。劣化を許せば準第三世代で事足りてしまうが、性能の維持に固執すれば運用の難易度は下げられない。そこで考案されたのが生体連動型というコンセプトだ」

 立体映像が再び切り替わる。今度はISではなく、人間の体を模した半透明の模型だった。

「思考制御を通して繋がれるといっても、操縦者とISはあくまで別個の存在だ。思考のトレースと学習には展開を必要とするため、どれだけ訓練の機会を設けようと常時繋がっていられるわけではない。それゆえに、まともな機体として運用するまでには長い準備期間が必要となる。では、その制限を取り払うことに成功したらどうなるのか」

 透けた胴体の内部――ちょうど心臓の辺りに赤い光が点く。

「人体とISコアの結合。ほんの一秒たりとも離れず命を共有する理想の状態に置けば、その学習速度は思考制御装置を持たずとも飛躍的に高まる。半ば倫理を外れた発想だが、効率のみを考えればこれ以上に素晴らしいものはない。実際、戦闘で負傷した操縦者の同意を前提として何例かの臨床実験が行われ、その効果を実証することに成功している。そのプロジェクトに関わっていた一人が篠ノ之束博士――そこで寝息を立てている篠ノ之箒の姉だ」

「束さんが?」

 驚いて訊き返す俺に、ハルフォーフさんは頷いて肯定する。

「博士が担当したのは、移植したコアに調整を施し、被験者との同調率を高めるプロセスだった。生体連動型のISを安定して運用するには欠かせない技術だ。ファントム・タスクが博士を狙ったのは、システムの完成度を左右する彼女を消せばプロジェクトそのものが停滞、最悪の場合瓦解すると踏んだからだろう」

 その上で、万が一の保険として何らかの技術情報を託しているかもしれない身内にも襲撃を仕掛けたってわけか。といっても、束さんは箒の親父さんや叔母さんとそりが合わなかったから、その対象は俺達にのみ絞られる。

 なるほど、ピンポイントで俺と箒を襲ってきた理由がおぼろげだけど見えてきたぞ。

「生体連動型は一応の成功を見た。だが、優秀な操縦者を対象とすることや手術の必要があることなどから、依然として標準の兵器とすることは難しかった。第三世代型と生体連動型は先進技術発掘のベースとして、思考制御に依存しない準第三世代型を主力とするのが望ましいと結論付けた研究者は数多くいた。だが、一部はその域に留まることを良しとせず、より狂気的な研究に手を染めた」

「もしかして、それって――」

「そう、それが自立稼働型IS。『操縦者すら人為的に作り上げる』という発想のもとに手掛けられた異端の結晶だ。もっとも、目論見通りの完成を見た研究者は一人として存在していないのだがな」

 彼女の説明を聞きながら、俺は自然とユキのことを思い浮かべていた。

 自ら自立稼働型だと名乗ったあの子も、実際は不完全な形でISを展開して無理矢理戦っていた。本来あるべき形になれない理由、それはきっと、人工的に生み出された彼女から『何か』が欠如しているからだろう。

 でも、一体何が抜けているんだ。

 俺達と一体何が違っているというんだろうか……。

「博士の安否が掴めない今、ファントム・タスクにとって君達は優先すべき攻撃対象として挙げられている筈だ。今後も機を見て襲撃を掛ける可能性は十分にある。ここに二機の第三世代型がいるとわかった状況でこれまでのように襲ってくることはないだろうが、君達から迂闊な行動をとるような真似はしないでほしい」

「わかりました。それで、ユキの方は?」

「説明した通り、ISの展開ができないよう一時凍結処置を施すつもりだ。彼女には沈静化まで君達同様に保護対象として生活してもらう」

 そう言ってから、ハルフォーフさんの表情がわずかに曇った。

「――あのような(なり)とはいえ、篠ノ之博士の置き土産だ。いずれは然るべき研究機関で身柄を預かることになる。それだけは前もって理解をしておいてほしい」

「でもっ――」

 反射的に言い返そうとしたものの、すぐに口をつぐむ。

 俺達にとっては妹や友達のような感覚でも、束さんの遺した貴重な検体(サンプル)であることに変わりはない。このままあの人が帰ってこなければ、ユキの存在は研究を進める上で唯一の手がかりになるだろう。

 納得できなくても俺達に大人の決めごとを覆す方法はない。悔しいがそれが事実だ。

「彼女の処遇については、我々からも十分に配慮するよう要請しておく。それに、いつになるかもわからん話だ。彼女とは今まで通りに接するといい」

 黙って拳を握り締める俺に、ハルフォーフさんは優しく声をかけた。

「私からは以上だ。セシリア、お前から何か言っておくことはあるか?」

「ありません。わたくしはこれまで通り、織斑さんとみなさんを護衛するだけですわ」

「ブランケット。お前はどうだ?」

「貴方が話した以上のことは特に。念のためユキさんについては一晩お預かりしますので、それだけはお二方ともご理解頂けますか」

 メイドさんに尋ねられ、俺と鈴はほぼ同時に頷いた。

 俺達が連れ帰ったところで、万が一何か起きたとしても彼女に何ひとつしてやれない。他人に任せるのは不安だが、この三人なら少なくとも危害を及ぼすような真似はしない筈だ。

「ユキをよろしくお願いします」

 席を立った俺は、そう言って彼女に深々と頭を下げた。

 

    ■ ■ ■

 

 その頃、ISを解除したオータムは海の上にいた。

 正確には海面に浮かぶ潜水艦――退役した攻撃型原子力潜水艦を改造し、VLSからの無人機射出を可能とした潜航輸送艦――の甲板上。時折波しぶきの散る湾内に光はなく、その異質な艦形は闇の中に隠匿されていた。

「クソが、二度もあたしの邪魔をしやがって! ぜってェただじャおかねェぞあの小娘」

 悪態を吐きながら艦橋に登った彼女は、ハッチを開く寸前で『連絡』に気付いた。

『こちらオータム、最悪な気分だから手短に済ませ――』

『あら、随分とご機嫌斜めね。寂しい独りの任務を押しつけて御免なさい』

 繋いだ暗号通信越しに甘い声が響く。その途端、彼女の刺々しい態度は一気に軟化した。

『あ、いや。そういうつもりじゃないんだ。その、ちょっとばかし状況が良くないからつい苛立っただけで……』

 顔を赤らめながら答える彼女は、普段とは似つかない少女のような反応だった。緊張と恥ずかしさに声を上ずらせるオータムに対し、通信相手はいたずらっぽく笑った。

『ええ、こちらでも確認しているわ。あなた一人では荷が重過ぎるわよね』

『そ、そんなことはない!』

『無理はダメよ、オータム。あなたは私の大事な恋人なんだから』

 恋人という単語を聞くなり肩がびくんと跳ねる。数週間前、今では遥か昔のことにさえ思える夜の逢瀬を思い出し、彼女は真っ赤な両頬をさらに火照らせた。

『そういうわけだから、今の任務はひとまず休んで頂戴。その間別の仕事を任せるわ』

『あ、ああ。――で、別の仕事ってのは?』

『ある『届け物』の確認と回収よ。本当はもうひとつ前で止めるつもりだったのだけど、レイス(あちら)にも随分と勘のいい子がいたようでね。五日後に近くの埠頭まで運び込まれる筈だから、あなたの方で見つけ出してもらえないかしら』

 直後、待機状態のISが情報を受け取る。オータムは届いたばかりのそれを携帯端末に転送し、詳細を確認した。

 指定された場所は総合リゾート施設と隣接する民間のコンテナ埠頭。だが、肝心の『荷物』の場所はそこに示されていなかった。

『ちょっと待ってくれ。その『届け物』はどの区画に届くんだよ?』

『船が到着しないことには指示のしようがないわ。ただ、外見は随分と変わってるからすぐ見分けがつく筈よ。同封した画像を見て』

 添付画像を開くと、一般的な貨物コンテナとは異なる灰色の箱が映っていた。縁を鋼板で補強し、意図的な衝撃でも容易く打ち破られないよう内部が複合装甲板の二重構造で構成された、軍用の特殊輸送ユニットだ。

 当然その中に収められるものは兵器。それも、箱を破壊しての奪取を恐れるような重要な代物と限定される。

『へぇ。中身は言わずもがなってわけか』

『私達にとっては貴重な補給物資よ。無事に手に入ったらたっぷりお礼してあげる。お金も、あなたの欲しいモノもね』

『そいつはいい、最高だ』

 オータムはそう言ってほくそ笑む。

 ISの補修にかかる時間を考えればギリギリの日程だが、戦力が整うまでの暇潰しにはちょうどいい。連中は要人警護がメインだろうから、こちらから手を出さない限りは邪魔もしてこないだろう。

『回収は必ず成功させる。楽しみに待っててくれよ』

『ええ。頑張ってね、オータム』

 自信満々で答える彼女に、通信相手の女性はいたずらっぽい声音を響かせた。

 

<第10話 了>




※説明がくどい、-10点。


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第11話

 ――物心付いたその時から、俺はただ守られ続け生きてきた。

 

 ある時は千冬姉に。

 道場からの帰り、夜道が怖くて立ち竦んでいた俺の手を、あの人はいつも優しく握って連れ帰ってくれた。差しのべられたあの手の暖かさを忘れたことは一度としてない。

 

 別のある時は束さんに。

 普段は他人とのかかわりを嫌うくせに、俺が神社へやってきた時のあの人はもう一人の姉みたいな人懐っこさを見せてきた。千冬姉の訃報を聞いた時だって無理矢理付き添って、茫然自失の俺の代わりに一切の手続きをこなしてくれた。

 自分では人見知りだと言いながらも、いつだって気にかけてくれるあの人の優しさを俺は知っている。

 

 ――だから誰かを守りたいといつも思っていた。

 

 母親から貰った大切な名前をいじめっ子にからかわれて、それでも気丈に振る舞おうとしていた女の子を。

 突然異国からやってきたというだけで敬遠されて、クラスの中で孤立していた転校生の子を。

 それだけじゃない。いつも困っている誰かの味方になりたいと、不条理を挫く正しい人間である為に戦っているつもりでいた。

 でも力任せの介入で状況は何一つ変わらない。一人の拳でどれだけ戦ったって、大勢の拳には敵わない。わかっているのに毎度首を突っ込んで、大事にして千冬姉に叱られて。挙句助ける筈だった相手に自分の窮地を救われたりもして。

 結局、俺は誰かに守られ続けているだけだった。どれだけ強さを求めても、どれだけ自分の力を正しく振るったつもりでも、その状況だけは変わらなかった。

 

 ――人を守るために振りかざそうとした『強さ』は、俺の虚構(うそ)だった。

 

 千冬姉がいなくなってから、あの人が本当に守っていたのは俺の心だったんだ、とようやく思い知った。

 みんなに慰めの声を掛けられる度、心の穴を意識してしまう。鈴にも、箒にも、束さんでさえ埋められない穴。そこから俺の『強さ』が絶えず零れ落ちていくように思えてならなかった。

 

 あの人だけにしかわからない俺の弱さ。

 あまりにも奥深くにしまい込んだせいで自覚できなくなっていた恐怖心。

 それを何となく理解して封じ込めてくれていたからこそ、誰かを守る自分を目指す無謀に踏み切れた。

 

 ――でも、その栓はもう存在していない(いなくなった)

 

 底が割れた水瓶のように、根拠を持っていた筈の自信が、強さへの自負が、とめどなく流れ出しては虚無に消えていく。

 そうして最後に残ったのは包み隠してきた『弱さ』。

 俺の存在の否定という原初の『恐怖』。

 鋭く突き刺さる棘に苛まれて、十年を超える歳月の中で育まれてきた精神が砕かれ壊れていく。

 そんな風に衰弱を重ねていた織斑一夏(おれ)は、崩れる一歩手前でまた篠ノ之束(あのひと)に助けられた。

 

『――――だったらいい方法があるよ、いっくん』

 

 その時の束さんは慈愛に溢れる表情を浮かべていた筈なのに、俺には人を誘惑して魔道に堕とそうとする悪魔のように見えていた。

 ――いや、悪魔そのものだった。

 千冬姉の喪失をきっかけに狂ったのは決して俺一人だけじゃなかったと、ようやく初めて実感することができた瞬間だった。

 

『いっくんを責めるソレは、普通の人にとっての薬でも、今の君にとっては苦痛をもたらす毒でしかない。だったら、影響がないようにきれいさっぱり取り去ってしまわないといけないよね』

 一歩ずつ歩み寄りながら彼女は言った。

 その通りだ。突き刺さり傷を付けるだけの痛みには何の利点もない。だったらさっさと取り去ってしまえばいい。

『大丈夫だよいっくん。欠けた分は新しく作って補ってしまえばいいんだから。このらぶりぃ☆束さんがいれば、いっくんはいつだってハッピーになれるんだよ』

 優しく抱き寄せながら彼女は言った。

 そうだ。束さんにできないことは何一つ存在しない。この人がいれば、俺の地獄を消し去ることだって不可能じゃない。

『だからねいっくん。お姉さんとひとつ約束してくれないかな?』

 無抵抗の俺を抱きしめて、彼女は耳元で囁いた。

 その心地良さに身を委ねながら、唯一俺を守ってくれる温もりの中で小さく頷く。その感触に一段と表情を緩めつつ、彼女は言った。

 

『壊れた人格(ソレ)を全部取り去って、複製人格(マガイモノ)と入れ替えてもいいって、そう言ってくれないかな?』

 

 ――悪魔は魂を対価に奇跡を叶える。目の前の彼女もまた、その対価を求めていた。

 だからこそ、織斑一夏(おれ)は承諾した。

 自らの魂を対価に、傷付くことのなかった『織斑一夏』を実現するという奇跡の体現を。

 

 ――果たして望みは叶えられ、『織斑一夏』は実姉を未曽有の悲劇の中で喪いながらも、友人達とともに強く生きる少年となった。『彼』の中にかつての彼はなく、傷付き壊れた魂は契約の記憶ともども、その肉体から引き剥がされて消えた。

 

 だとしたら、この記憶を持つ俺は誰だ。

 過去の出来事を思考の中で回帰させている俺は何者だ。

 知りえる筈のないことを知っている俺は、喪失をきっかけに独り傷付き壊れた織斑一夏であっても、今あの場所に()る『織斑一夏』ではない。

 

 それが事実だとしたならば、(わたし)は一体――。

 

    ■ ■ ■

 

 目を覚ましたユキが家に戻ってきたのは次の日の夕方だった。

「朝の時点で処置を済ませて引き渡そうとしていたのですが、頑なに拒絶されてしまいまして。遅れてしまい申し訳ありません」

 俺の家の玄関先。頬を膨らませたユキの両肩に手を添えながら、ブランケットさんは俺達に向かって頭を下げた。

「別にそんな、謝らなくても大丈夫ですよ。今朝はだいぶ急いでましたし」

「いえ、こちらに不手際があったのは事実ですから。とりあえずISの展開に制限を掛けておきましたが、見ての通り納得して頂けてはいないので、貴方からも厳しく言い聞かせて頂けないでしょうか」

「えっと……わかりました、そうします」

 彼女の要請に、俺は頷いて答えた。

 とはいえ、俺達を守ることが使命のユキに『戦わないでくれ』ってお願いするのはちょっと気が引けるな。うん、どう説得したものかね――。

「それではお気をつけて」

「どうもありがとうございました」

 立ち去るブランケットさんを見送った後、俺はなんとなくユキの方に目を向けた。

 彼女やハルフォーフさんに何かきつい言い方をされたんだろうか。あまり感情を表に出さない彼女にしては珍しく、険しい面持ちだった。

 仕方ないっちゃ仕方ないんだろうが、なんだかかわいそうに思えて仕方がない。まあ、説教よりもまずはこれまでの彼女を労おう。美味しいご飯を食べれば少しは元気を取り戻してくれる筈だ。

「――飯の準備もあるし、とりあえず中に入るか。ユキも腹減っただろ?」

 そう言って差しのべた手が払われる。

 いつものように優しく呼びかけたつもりだった筈なのに、彼女は怯えるように体を震わせて見上げてきた。

 

 ――見捨てないで。

 

 暗い眼差しが俺を捉えた瞬間、一瞬思考にノイズがかかったような感覚を覚えた。

『イチカ…………。怒らないのですか?』

「怒るって、何を?」

『ISを展開できない私にはイチカやホウキを守ることはできません。護衛が不可能な以上、私が存在する意味はないのではありませんか?』

 確かに、敵のISと戦えないなら俺達を守ることはできない。

 だとしても、その事実とユキの存在を否定することとは決してイコールじゃない筈だ。

 それに――脅威と戦う術を失ったといっても、誰かを守る事自体ができなくなったわけじゃない。多分、ユキはそれにまだ気付いていないんだ。

 だったら、この場で伝えればいい。

『私の居場所など、ここには存在しないのでは――』

「なあユキ」

 気付いた時には両脇から肩を掴んでいた。光を失いかけた双眸と真正面から向き合いながら、俺は呼びかける。

「見ての通り、俺は守られる側の人間だ。昔は千冬姉に守られて生活してたし、今だってセシリア達が護衛してくれる中で生きてる。だけどなユキ、俺は一方的に守られてる(・・・・・・・・・)とはまったく思っちゃいない」

『意味がわかりません。理論的に矛盾しています』

「そう思うのは、お前が脅威と戦うことだけを守ることだと考えてるからだ。そうだろう?」

『それはっ――! でも、私はっ――!』

「だけどなユキ。人を守れる奴ってのは、誰かがその気持ちを支えてくれるから動けるんだ。力があるからってだけじゃない。守りたいと動く想いを受け止めて認めてくれる人がいて、そこでようやく誰かを守ることができるんだ」

 必至になって言い聞かせるうちに、昔一度だけ聞かされた千冬姉の言葉を思い出した。

 

『いいか一夏。強さというものは孤独の先には決して存在していない。己の持つ力を他人に認められて初めて、己の強さとして成立するんだ』

 

 あの時の千冬姉は、師範である箒の親父さんに教えられた話をそのまま俺にして、ちょっと格好付けてみたかっただけだったらしい。くだらない顛末だが、今にして思えば大切な心得だ。

 力はどれだけ磨いてもただの力。それを評価してくれるからこそ、その人自身の強さになる。

 だからこそ、俺は俺を守ろうとする人達の強さを認め、信じようと心に決めた。守る強さの拠り所になって、みんなを守りたいと心から思うようになったんだ。

「俺を守る誰かがその場にいるなら、俺はその想いを守る人間でありたいと思ってる。セシリア達のことも、お前のことも、同じように信じてる。だから俺は誰かに守られる側で、誰かを守る側なんだ」

『そんなものは屁理屈です。私の存在を肯定する根拠にはなりえません』

「それでもいいさ。お前が何と言おうと俺はお前の強さを信じてる。現に三度も俺達を守ってくれただろう?」

 一度目はゴーレムの襲撃から救い出し、俺を治療してくれた。

 二度目はセシリアが戦闘を繰り広げる中、身を挺して流れ弾を防いでくれた。

 三度目は到底敵わない相手と知っていながら、俺達を守るために大破してでもオータムに挑んでくれた。

 たとえ彼女がどれほど今の自分の無力さを嘆いたとしても、俺達の為に持てる力と勇気を奮ってくれた経歴(かこ)が覆ることは決してない。それは彼女が俺達を守った確かな証だ。

「もし戦う力がないって言うなら、今度は俺がお前を守る。ISなんて天地がひっくり返っても動かせないけど、できる限りのことはやってみせるさ。だから、今度は俺の想いを守るためにこの家に残ればいい」

『…………本当に、無茶苦茶なことを言う人ですね』

 ユキは呆れ顔で言った。

 もしかしたら、引き留めるつもりで必死に主張しているようにしか見えていないのかもしれない。それでも俺は、あくまで真面目に俺自身の在り方を示しているつもりだ。

 たとえ彼女に否定されようと、それが俺にとっての人を守る方法。無防備な守り手達の心を守る、唯一絶対の守護だと確信している。

 だからこそ、この信念は変わらないし、容易く曲げたりはしない。

「今はわからなくてもいい。無力でも嘆かなくていいんだ、ユキ。もう一度力を取り戻した時に、今まで通り俺達を守ってくれ。それまでは俺がお前のことを必ず守ってみせる」

 言い聞かせる俺を振り払い、彼女は一歩後ずさった。深く俯いているせいで表情は見えないが、多分困惑していることだろう。

 ――さすがに熱がこもり過ぎたか。いかんな、もっと冷静にならないと逆効果だ。

『イチカの主張は理解できませんし、納得もできません』

 そう答えると、ユキは静かに顔を上げる。その目は、ほんの少しだが輝きを取り戻していた。

『……ですが、私の存在を否定していないことはわかりました』

「当たり前だ。どこにも嫌う要素なんてない、そうだろ?」

 たとえもう二度と戦えなくなっていたとしても、この一週間を共に過ごしてきた彼女は俺達にとってかけがえのない存在だ。

 ISが使えないくらいがなんだ。無力なだけで拒絶するような人間なら、こうして一つ処に寄り集まるようなことは初めからしていない。そんな奴は、彼女を『兵器』としてしか見ない筈だ。

 俺達が好きだと思ってるのはユキ自身。そこからISという要素が抜けたとしても、俺達の中での彼女は彼女のままだ。だから、誰も否定しない。誰も嫌ったりなんてしない。

「だから安心してこの家に残ってくれ。『白式』としてじゃなく、ユキとして」

『その提案には即答しかねます。……しばらく、考える時間を頂けますか』

「構わない。ゆっくりと結論を出せばいいさ」

 そう、時間はまだ十分にある。

 もしこの家に残りたいと思ったなら、俺はどんな手を使ってでも彼女をこの家に引き留めてみせる。誰かの思惑で引き取られそうになったとしても、どこにも連れて行かせはしない。

 仮に出ていくと決めても、その時はユキが気兼ねなく暮らせる場所を見つけ出してみせる。それが俺にできる唯一の務めだ。

「――まったく、黙って聞いていれば気恥ずかしくなる台詞ばかり口にするな。どこまでもお前らしいと言うか」

 後ろで見守っていた箒がそう言ってため息を吐いた。とはいえ、彼女も俺の意見におおかた同意してくれてはいるようだ。

「ま、一夏なりの説得方法なんだからいいじゃない。私は結構好きだけど?」

 腰に手を当てて聞いていた鈴も頷く。多少考えに差があっても、ユキに留まってほしいのはみんな同じだ。

「とりあえず、ユキちゃんは普通の女の子として生活してみればいいんじゃない? ユキちゃん自身が考えをまとめるには、もっといろんな経験を得ることが必要だと思うの」

「知る世界が広がれば考え方もまた自ずと変わっていくだろうからな。剣を究めることだけが剣士の糧となるわけではない、と父もよく言っているぞ」

『一理あります。私には、戦闘以外の知識は現状で最低限しか備わっていません』

 口々に言う二人を前に、ユキも少しばかり平静を取り戻していた。この調子なら、いずれは落ち着いて自分なりの回答を出せるようになるだろう。

 そう思いながら、俺は三人の少女に呼びかけた。

「三人とも思うことは色々あるだろうけど、まず真っ先にやるべきことがある。そうだろ?」

「やるべきこと?」

 首を傾げる鈴。

 いや、あるだろう。人間が生きる上で最も大切なことが。

 

「腹が減ってはなんとやら。まずは夕飯を作って食べないか」

 

 ――その瞬間、俺達四人の腹の虫が一斉に鳴き声を上げた。

 

<第11話 了>



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第12話

 次の日から、俺達はユキを連れていろんな場所を見せて回った。

 

 篠ノ之神社の道場で箒が親父さんと稽古する姿を見学したり、鈴の安全確保を兼ねてバイト先のファミレスで何時間も粘ったり、弾の実家の食堂で夕ご飯をご馳走になったり。

 たとえ限られた範囲の中での経験でも、俺達の日常を彼女に知ってもらえば少しは考えるヒントになるかもしれない。そう考えた上での行動だった。

 ――まあ、珍しく顔を出したからって無理矢理稽古に付き合わされたのは予想外だったし、長居し過ぎて店員さんから渋い顔を向けられたりもしたんだが、それでも、少し表情の柔らかくなったユキを見る限りは決して無駄でなかったと思う。

 

 そんなこんなで三日が経ち、休みを翌日に控えた真夜中。

 夕食の片付けを済ませた俺が独りリビングで一息ついていると、セシリアからの着信コールが急に鳴り響いた。

 『何かあった時に連絡を入れるから』とだいぶ前に番号を交換していたのだが、こうして直接掛かってくるのは初めてだ。何か不味いことでも起きたんだろうか。

 俺は緊張気味に携帯端末を開くと、彼女に呼びかけた。

「もしもし、織斑ですけど」

『わたくしです、織斑さん。こんな夜分遅くに申し訳ないのですが、ちょっとお話ししてもよろしくて?』

 声に緊迫感が一切ないだけに、俺は逆に首を傾げてしまった。なんだろう、何か用事でも思い出したんだろうか。

 あ、もしや宿題を写した時に間違えてセシリアのノートを持っていっちゃったとかじゃないよな? まあ、お向かいに住んでるからすぐ持って行けるんだけど。

「別に構わないけど、どうかしたのか?」

『大したことではないのですけど、ひとつ確認しておきたいことが』

 確認? どうしようか、ご飯の後でみんなそれぞれで行動してるし……。

「えーっと……みんなを呼ばなくても大丈夫か? 大事なことなら全員に伝えた方が――」

『いいえ、織斑さんが聞いていらしているのであればそれで結構ですわ』

「ん、そうか」

 彼女にそう言われて、俺は少し安堵した。

 ちょうど箒がユキと入浴してる時間帯だし、呼びに行って慌てて上がらせるのは気が引けるからな。最悪脱衣所で着替える前の彼女達とエンカウントする可能性もあるし、家の空気を気まずくするようなトラブルを前もって避けられたのは本当に良いことだ。

 ――といっても、俺自身は女性の裸なんて千冬姉と暮らしていた時点でとっくに見慣れている。だから、今さら見たところでなんとも思わなかったりする。だから万が一の状況に遭遇しても平然と扉を閉めて終わりなんだが、肝心の見られた側はそうもいかないわけで。

 昔、赤面した鈴の掌底を食らって昏倒した経験があるだけに、その手のトラブルに関しては日頃から警戒しているのだ。そう、入浴時間を決めたら徹底的に守るよう、しつこく言い聞かせるくらいには。

『実は明日、臨海地区のリゾート施設で織斑さん達と遊んでくるよう、上から直接の指示を頂きまして』

「リゾート施設……っていうと、あの最近できたばかりの所か」

 フロンティアラグーン。ショッピングモールにアミューズメントパークや温水プール、ホテルなどが併設された、総合商業施設だ。

 確か国内最大級の規模って触れ込みで、テレビでも頻繁にCMを流している。

「でもあそこって完全予約制だろ? もう明日分の予約は締め切ってるんじゃないのか?」

『その点は問題ありませんわ。既にこちらで人数分の予約は済ませてあります。ですから、あとは織斑さん達の都合次第ですわ』

「明日ねぇ……。俺も箒もこれといって用事はなかった筈だし、鈴もバイトのシフトが入ってなければ大丈夫だと思うけど」

 ただ、鈴の予定は俺も把握し切れていない部分がある。ひょっとすると駄目かもわからんね。

「ちょっと鈴に訊いてみるから待ってくれないか」

『ええ、どうぞ』

 ウフフフッと上品な笑い声が受話器越しに響く。俺は端末をテーブルに置くと、廊下に出てすぐ隣の部屋をノックした。

「鈴、ちょっといいか」

「んー?」

 ガチャリと扉が開き、シャープペンを手に鈴が現れる。

「え、あっ……。別に何でもないわ! 何か用?」

 珍しく手書きで紙切れに何か書いていたらしい彼女は、後ろ手にそれを隠しつつ訊き返してきた。一瞬しか見えなかったのでよくわからなかったが、誰かへの手紙だろうか。あまり詮索するのも野暮だろうからわざわざ問いただす気はなかったものの、なんとなく意識してしまう。

「えっと、明日は暇……だよな?」

 とりあえず用件だけさっさと訊いてしまおう。

 そう思いつつ投げかけた質問に、鈴はちょっと考えてから答えた。

「ま、一応はそうね。ホントはバイトが入る筈だったんだけど、店長から『他の子とシフトを代わってくれ』って頼まれて休みになったの。それがどうかした?」

「セシリアから明日遊びに行かないかって誘われた。ほら、最近よく宣伝してるリゾート施設あるだろ?」

 時々ドラマやニュースを見ている彼女にはすぐ理解できたのだろう。あるいは予約が埋まるくらい人気だって噂を耳にしていたのかもしれない。

 知った経緯はさておき、彼女は俺が説明した途端に目を輝かせながら飛びついてきた。まるで『遊園地に行こうか』と母親から誘われた子供みたい――っていっても俺自身に経験がないから合ってるのかわからんが。とにかく好奇心と幸福度のゲージがMAXになっているのは間違いなさそうだった。

「ホント? あそこに一夏と一緒に行けるの?」

「えっと……みんな一緒だから当然そうなるな」

 思わずドン引きそうになるくらいテンションが高い。そもそも俺以外――特にこの手のイベントでは必ずケンカになる箒――も必然的について来ることになるんだが、その辺りわかってるんだろうか。

 まあ、今の鈴に何を言っても通じないだろうしな……。

「やったぁ! じゃあ、あっちでのスケジュールは私の方で決めるからってセシリアに言っといてくれない? 後でデータにして送るからって」

「わかった。そう伝えとく」

 上機嫌の彼女にそう答え、俺は再びリビングへと戻った。

 ひとまず了解は取り付けたし、箒も鈴が行くと聞けば張り合ってついて来るだろう。ユキにとっても、遊んだり買い物を楽しむという経験には持ってこいの条件だ。

 まあ、スケジュールの方はセシリア側で既に色々決めている可能性もあるけど、そこはうまく調整すればいいか。

「――もしもし、セシリア? 明日はみんな大丈夫だから行けそうだ」

『それは良かったですわ。ところで、当日のスケジュールはわたくし達がお決めしてもよろしくて?』

「鈴が決めたいって言ってたぞ。出来上がったらそっちにも送るらしいし、そいつを参考にしてくれないか」

 その後、俺達は集合時刻と最低限準備するものなど必要な確認をお互いに取ってから通話を切った。しかし、こうして打ち合わせしていると小学校の遠足を思い出すな。配られた予定表を眺めながら夜遅くまで起きてて千冬姉に怒られたっけ。

「よし、全員に伝えとくか」

 打ち合わせのメモ内容をまとめた俺は、箒達の端末にメールを一斉送信した。

 

    ■ ■ ■

 

 午前十時、休日の開場を迎えたフロンティアラグーンの正面ゲート前。雲一つない快晴の空の下で、俺達はハルフォーフさんからリゾート内での注意事項について長々と説明を受けていた。といっても、大半は中の看板にも書いてありそうなことだったが。

「四月の下旬でまだ暑くはないが、陽射しの差す場所は数多くある。くれぐれも熱中症には気を付けるように。ああ、それと途中ではぐれるようなことがあれば、携帯端末で連絡を入れるように。居場所がわからなければサービスステーションで迷子アナウンスを頼んでもいい。多少恥ずかしくても安全のためだ、我慢して利用しろ。それから――」

「ハルフォーフ。そこまで詳細に言い聞かせる必要はありません。お嬢様を何歳だと思っているのですか」

「別にセシリアだけに注意しているわけではない。それに、万が一の用心に越したことはないだろう」

 ムスッとした表情のハルフォーフさん。いつも堂々とした態度だけど、ああ見えて心配性なところがあるんだろうな。

 対するブランケットさんはある程度割り切ってるのか、一定の信頼を置いているというのか……。セシリアの話じゃ小さい頃から専属の使用人として彼女に仕えていたらしいけど、その要素がもはやメイド服にしか残ってないんじゃないかと思うくらい淡白だ。

「……とにかく、だ。私達二人が離れている間は迂闊な行動を控えるように。異常があればすぐに連絡しろ」

「ええ。そちらもどうかお気を付けて」

 朗らかな笑みを浮かべてセシリアが応える。

 彼女曰く、俺たちが遊んでいる間に片付けなければならない『別件』があるらしい。諜報組織のエージェントって、その道のエリートだけあってやっぱり多忙なのかね。

「では行きましょうか」

「そうね。せっかく開場に合わせて来たから時間を無駄にしたくないし」

 いつになく上機嫌な鈴。まあ昨晩話題を振っただけであの喜びようだったしなぁ。さすがに興奮し過ぎて眠れなかったなんてことはなさそうだが。

「じゃあアンタ達、私について来なさい! まずは温水プールよ!」

 テンションが上限突破な鈴に引っ張られつつ、俺達はリゾートの改札口へと向かった。

 

    ■ ■ ■

 

「――行きましたか」

 ゲートの向こうへと歩いていく少年少女達を見送った後で、チェルシー・ブランケットは冷静に呟いた。

 今日の観光は確かに上層部から指示を受けてのことだったが、それはもう一つの仕事を任せる間の時間潰しに過ぎない。

 今回、任務中の彼らに与えられた指令はレイス日本支部直々の要請であり、本来であれば彼らが命じる必要もなかった非常事態への対処だった。

「それにしても、輸送予定の試作機をコンテナごと別の貨物船に紛れ込ませるとは。日本支部も厄介なことをしてくれる」

「ですが、間一髪で強奪を免れたのはその機転があってのことです。もし第三世代型が奪われれば現在の情勢は最悪な形に傾きかねませんから、あの場では最良の一手だったのでしょう」

 不満を漏らすクラリッサに対し、彼女はそう言い聞かせる。

 

 ――きっかけは約一週間前。最新鋭のISを輸送する予定の軍用貨物機がファントム・タスクの襲撃を受けたことに端を発する。

 搬送用の強化コンテナを積み込んで日本国内の基地へと輸送を行う予定だったその機材は、レーダー網を掻い潜って突如出現したゴーレムの攻撃を受け大破、全損。幸い死傷者は出なかったものの、積み込まれていた貨物は彼らにまんまと持ち去られてしまった。しかし、それは日本支部が奪取を見越して先に積み込ませたダミーだった。

 本物のISが入ったコンテナは擬装が施された上で民間の貨物船に載せられ、今朝早くにこの港湾地区のコンテナ埠頭へと到着している。支部のエージェント曰く、ここが最終の荷揚げ先になっており、他のコンテナ全てと同様の形で集積場の一角に積み上げられているのだという。

 ただ、相手の追跡を避けるために発信機の類を一切取り付けていないため、擬装かどうかをこちらで確認して人手で見つけ出さなければならない。しかしその在り処を敵に知られては困る手前、回収の為に多くの人員を動かすわけにもいかない。そこで、ちょうど付近で任務にあたっていた彼女達に白羽の矢が立ったというわけだった。

 

「とはいえ、現場近くにこれほど立派な物が建っているのは幸運というべきだ。護衛対象を連れての行動など自殺行為だからな」

「ええ。前もって配置しておいた探知機類と自動迎撃システムのおかげで、周囲の安全もある程度は保障されています。私達だけが動いて各個で襲撃を受ける可能性を考えれば、即救援に向かえるこの位置は非常に都合が良いと言えるでしょう」

 クラリッサの言葉にチェルシーもまた同意した。

 更に言えば、万が一の事態に備えやすい状況が整っているというのも、護衛対象のここでの遊楽を選んだ理由だった。港湾関係者には政府の人間を通して捜索中の現場退避を命じてある。リゾート施設側も、緊急時の避難が迅速に行えるよう人員を配置しているということだった。

 これだけ周到に準備した上での任務だ。よほどの不測の事態(イレギュラー)が生じない限り、護衛対象へ直接危害が及ぶ恐れはないだろう。

「それでは早速取り掛かりましょう。貴方の『眼』と私の情報処理能力があれば、遅くとも日没までには見つけられる筈です」

「そう上手くいけば良いのだがな」

 クラリッサは意味深げに呟く。ファントム・タスクは一度の失敗で食い下がるような組織ではない。こうして秘密裏に運び込んだといっても、一切目星を付けていないということがあるだろうか。

「万が一にも遭遇した場合の対応は心得ておかなくてはな」

「ええ。少なくとも、彼らがここに来ていると覚られないよう気を付けましょう」

 互いに頷き合った二人は、色鮮やかな箱の積み重ねられた埠頭へとその行き先を定めた。

 

<第12話 了>



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第13話

「しかしなんだ、夏場でもないのに泳ぐのって変な感じだな」

「いいじゃない、気温も水温も快適なんだし。大体、競泳選手とスイミングスクールの生徒は年中泳いでるわけだけど?」

「そういう人達は泳ぐのが日課だろ。季節感っていうか、とにかくだな――」

 ガラス張りの天井越しに陽光が差し込むプールサイド。その輪郭に沿って並べられたベンチに腰掛け、俺と鈴は二人してよくわからない問答に興じていた。

 この施設は本格的に泳ぐためのエリアと遊びがメインのエリアに区切られているらしい。しかも、両者をつなぐ通路にはそれなりの規模のフードコートも併設されている。小腹が空いても大丈夫な作りになっているというのはなかなか嬉しい環境だ。

「それにしても、人が多いな」

 オープンしてから日が経っていないのと、連休を間近に控えていることもあってか、どちらのエリアもだいぶ賑やかな印象を受ける。実際、エリア間の往来は一瞬たりとも途切れる気配を見せないから、相応の人数は滞在しているのだろう。

 鈴のスケジュールを見た時には、季節外れの水遊びなんて誰も興が乗らないと思っていたんだが、案外そんなことはないのかもしれない。

「一夏」

「ん、どうした?」

 急に呼びかけられ、何気なく鈴の方へと振り向く。あれ、妙にそわそわしているような気がする。

「い、今さらこんな風に自慢するっていうのもアレだけど……どう?」

 立ち上がり羽織っていた上着を脱いだ彼女は、少し頬を染めながら両手を背中へと回してポーズを取ってみせる。要するに見てくれってことらしい。

 快活な彼女のイメージにピッタリな、暖色をストライプにあしらったタンクトップ・ビキニ。機能性を優先していながら、アクセントとしてかわいらしいリボンを配置しているのが特徴的だった。これまた随分と高そうなもんを買ったなお前。

 でも、去年弾達と一緒に海水浴に行った時は別の水着だったような。体格的にはまだ着れそうな感じがしたんだが、買い換えなきゃいけないほど成長していたってことなのかね。あれもなかなか似合っていただけに勿体ない。

「……ねぇ。何か感想は?」

「そうだな、鈴らしくてかわいいと思うぞ」

 俺はお世辞でも何でもなく、事実を素直に伝えた。

「そ、そう? ……って、ありきたりな感想じゃない。せっかく着たんだから、もうちょっと気の利いたこと言いなさいよ」

 一瞬喜んだと思ったら、途端に不満げな表情へと転じる鈴。

 そんなこと要求したって、異性のファッションセンスに大して詳しくない俺には大雑把な評価しかできないんだが。

「はぁ。朴念仁なアンタにちょっとばかり期待した私がバカだったわ」

「歯の浮いた台詞ひとつ言えないような男で悪かったな」

 額を押さえて呆れる彼女に、俺はムスッとしつつ応える。

 とはいえ、鈴がそういうロマンチックなものを期待しているのは多少なりともわかる気がする。何しろ同い年の異性と一つ屋根の下で生活しているのだ。一度くらいは同居人との胸高鳴る一瞬というものを味わいたいと思ってもおかしくはない。

 問題は、その対象である俺に、ロマンス感漂うイケメンを演じきるようなスキルがこれっぽっちも備わっていないという点だ。

 まあ鈴のことだし、理解した上であえて俺にネタを振っているんだろう。

「でもまあ? この格好は嫌いってわけじゃないのよね?」

「当たり前だ。いくらなんでもお世辞や嘘は言わないぞ」

 でもほんの少しだけ欲を言うなら、年上で背もすらりと高いお姉さんの方が――――。

 そんな俺の考えを見透かしたように、鈴はムスッとした表情をこちらに向けてきた。

「悪かったわねチビッ子で。これでも牛乳は毎日欠かさず飲んでるのよ」

「知ってる。そもそも買いに行ってるのは俺なんだが」

 もう一つ言うなら、成長しないのは多分夜更かしが多いせいだと思うぞ。似たような生活リズムで大して背も高くない俺が言うってのもアレだけど。

「一体何を話しているのだ?」

 ほら、健康優良児が来たぞ鈴。不摂生な生活を一切せずに適度に運動していればこれくらいには……いや、さすがに無理か。この立派な体格は束さん同様、血筋絡みの産物だろうし。

「別に? 私ののろますぎる成長期について語らってただけよ」

 一層不機嫌な顔になりながら鈴は言った。

「ほう、確かに深刻だ」

 煽り立てるわけでもなく、素直に頷く箒。まあ彼女からしてみれば、一向に背が伸びる気配のない鈴は心配になるだろうさ。

 女子のクラスメートを背の高さ順で並べるなら、彼女はだいぶ後ろの方にくる。一方の鈴は学年全体で見たとしてもかなり小柄な方だ。

 中学時代も同じくらいの背丈だった子達にどんどん追い越されていった経験がある分、鈴が自身の成長を気にかけるのは無理もない話だ。とはいえ、結局は早く寝ればいいだけの話なんだが、一度培われた習慣というものはそう易々と変えられないわけで。

「でも、急に成長すると困ることって多いと思うぞ。成長痛とか酷いだろうし、服のサイズもすぐに合わなくなるしで」

「私と大差ない緩慢さで、何一つ不自由してなさそうなアンタに言われてもピンと来ないわよ」

「そうは言うけどな、鈴。こう見えて俺だって年に何センチかは伸びてるんだぞ。ミリ単位の変動しかない誰かさんと違って」

「ぐぬぬぬ……」

 悔しがる鈴を前に、俺はため息をついた。

 とはいえ、成長痛とも衣類の都合とも無縁ということに変わりはないからな。ここはひとつ、一番発育の良い箒にその秘訣を伝授してもらうべきかもしれない。効果があるかどうかは別としてだが。

 ――それにしても、高校生になって余計に大人っぽくなったな。そう思いつつ、俺は箒の全身を今一度眺めた。確かに『笑顔を振り撒いてたら街角で男に言い寄られてもおかしくない』って弾が言うだけのことはある。

 惜しむべきは同い年ということと、滅多なことではその引き締まった表情を緩めたまま歩き回ったりしないってことか。

 うむ……。

『ホウキ。イチカの視線が不自然な位置に向けられています』

「なっ!? は、破廉恥な……」

 半目になったユキの指摘で、顔を真っ赤にしながら胸元を隠す箒。何か誤解されているような気がしなくもないが、見惚れていたのは確かだ。

 綺麗な子に視線を奪われるのは男の(さが)だって箒の親父さんも言ってた。

「あれ、セシリアは?」

 周囲を見回していた鈴が尋ねる。確かに、ここへ戻ってきたのは箒とユキだけだ。付近にはブロンド髪の女の子なんて歩いてないし……。

「そういえば、少し甘い物が食べたくなったと言っていたな。おそらくフードコートにいるのではないか?」

「ん、そっか」

 箒の言葉に、彼女は納得したように頷いた。

 ここからならそう離れてはいるわけでもないし、心配なら俺達も行けばいいだけの話だ。

「じゃあ俺達も泳いでくるかな。とりあえずこのベンチは使っていいぞ」

「わかった。ありがたく使わせてもらおう」

 立ち上がった俺に、箒は何やら嬉しそうな顔で答えた。

 ちなみに大半の荷物はロッカーに預けてあるが、体を拭くタオルや羽織るための服なんかはまとめて持ってきている。今しがた泳いできた彼女達は、荷物番の交替ついでに休憩というわけだ。

『それにしても、二人ともやけに気合が入っているように見受けられますが』

「まあ、これからちょっとした勝負だからな」

「勝ったらデザート一つ奢るって決めたの」

 こういう場所だからということもないのだが、外に遊びに出た時の俺達二人は、何かにつけて競い合おうとするところがある。ただ勝敗を決めるだけというのも面白くないので、食事を奢ったりお土産を代わりに買ったりと、あまり値の張らない範囲で賭けごとを愉しんでいるわけだ。

 といっても隙のないこいつのことだから、勝った暁には一番高い奴を注文する気でいるだろう。わかっている以上は、俺の財布の為にも絶対に負けられない。

「距離は五十メートル、先にターンして戻ってきた方が勝ちで合ってるよな?」

「そうよ。でもって泳ぎ方は自由。ま、速さ的にはクロール一択よね」

 お互いに条件を確認しつつ体を軽くほぐす。久しぶりに泳ぐのもあってあまり自信はないが、状況自体は鈴も同じ。条件がイーブンなら、有利なのは俺の方だろう。

「じゃあ行ってくる。ついでにセシリアの様子も見てくるよ」

「ああ、任せたぞ」

 箒とタオルを被ったユキに見送られながら、俺達は通路の方へと歩いて行った。

 

    ■ ■ ■

 

 一方その頃、コンテナ埠頭には通路を歩き回るオータムの姿があった。

「クソが、どのコンテナも似たり寄ったりで違いが全くわからねェぞ」

 そう毒づいて手元の端末を操作する。画面いっぱいに映し出された『対象』の外観と並べられた無数のコンテナとを見比べるものの、視界に映るそれらに類似する特徴は見受けられなかった。

 そもそも擬装を施しているのなら目視での区別は不可能だ。いっそISを展開して複合高感度センサーの力で一気にスキャンしてしまうのも手だったが、ここに潜入する時点で無理だと判明してしまった。

(厳重なセキュリティを敷かれてる以上は下手を打てねェ。アイツらとやり合うにしても、ここは人目に付き過ぎる)

 このエリアを囲むように設置されていた対IS用の探知機は、コアの作動を察知して管理者に異常を知らせる仕組みになっている。待機状態の今は気付かれなくても、展開すれば即座に位置がばれてしまうだろう。

 埠頭内の監視カメラはゴーレムを介してのクラッキングで沈黙させられたが、探知機の方は独立した電源を持ち、構築されたネットワークも外部からの介入が不可能な独自のものだ。無理に捻じ込むにしても、ユニットが一つ欠けるにしろ増えるにしろ、変化があった時点ですぐに気付かれるのでは妨害の意味がない。

 したがって、相手の警戒を強めずに探索する最良の方法は、こうして地道に探し回ることだった。

(しっかしなんだ。これだけ警戒心を剥き出しにしてるってことは、連中もブツを探しに来てるってことか?)

 もしそうだとしたら、捕縛して上手いこと脅せば目的の物まで辿り着けるかもしれない。問題は居場所をISで探知できないことだが、適当に歩いていればその内遭遇するだろう。そう、物音が聞こえるほど近くまで寄れば――。

「ん?」

 足音と話し声に気付き、彼女はコンテナの壁に沿うようにして身を隠した。通路を一つ挟んで通り過ぎる音を静かに追いかけながら、時折聞こえてくる会話に耳を傾ける。

 トーンから考えると女性、それも若い人間のそれだろう。口振りから察するに別の誰かと話しているようだが、足音は一人分だけだ。おそらくは音声通信を介して誰かと確認を取っているのだろう。会話の内容が気になったが、それ以上に聞き覚えのある声音が彼女の神経を逆撫でた。

(この声、間違いねェ。あの『魔術師(クソオンナ)』が来てやがる)

 五日前の戦闘で水を差しておきながら、あろうことか敵である自分を見逃すという暴挙に出たIS操縦者。しばらくは顔を合わせることもないと思っていただけに、驚きと同時に封じかけていた筈の殺意がふつふつと湧き上がってきた。

 とはいえ、この状況でいきなり仕掛けに行くのはあまりにも分が悪い。彼女が独りで動いていることは確かでも、付近には別の操縦者が同じように歩いている可能性も考えられる。すぐにゴーレムを呼び出せない以上、単純な性能差で劣る彼女が敗北することは明らかだった。

(とりあえず出撃準備だけは整えておくか? ――いや待て、この警戒の中発進させたら母艦も特定される可能性があるな)

 端末を操作しようとして、その手がふと止まる。

 自分は単独で作戦に従事している。当然、ゴーレムを格納している潜水艦も無人の状態だ。したがって、もし位置が特定されて艦内に踏み込まれた場合、こちら側の機密情報が簡単に奪われてしまう可能性がある。

 最悪自爆させるという手もあるにはあるが、あの規模の艦が吹き飛べば大騒ぎになるだろう。他のエージェント達も国内で動いている手前、目立って一切の身動きが取れなくなるのは不味い。

(仕方ねェ、今は泳がせて様子を見るか)

 因縁の相手とはいえ、単なる私怨で下手を打って組織の危機を招くなど論外だ。荒れ狂う心を無理矢理落ち着けると、彼女は去っていく音を追って移動を始めた。

 

<第13話 了>



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第14話

「いっただっきまーす」

 フロンティアラグーンの商業エリア。その中にあるイタリアンレストランで、俺達五人は一緒に昼食をとっていた。

 隣に座る鈴がいつも以上に嬉しそうなのは気のせい――じゃないな、間違いなく。そりゃあ、こういうお店で好きなデザートを注文してもいいって言われたら誰だって喜ぶさ。

「しかし一夏、お前が泳ぎで鈴に負けるとはどういうことだ。やはり日頃の鍛錬を怠った影響が出ているのではないか?」

「どっちかというと鈴の体力が予想以上にあったって感じだけどな」

 箒に答えながら、俺は先ほどのレースのことを思い返した。

 飛び込んでから折り返し地点までの二十五メートルはずっと俺が優勢のままだった。そこまでは予想していた通りだったし、このまま逃げ切って勝てると確信も抱いていたのだ。

 しかし、そこから先の追い上げが予想以上だった。俺が逃げ切るつもりで最初から飛ばしていたのもあるのだが、水底に映る影がぐんぐん迫ってきたかと思うとそのまま抜き去られ、俺が必死に水を掻いて対岸に辿り着いた時には、既にゴールした鈴が隣のレーンで得意満面の笑みを浮かべていた。

 火事場の馬鹿力ならぬ水場の馬鹿泳ぎというべきだろうか。もしかすると、スイーツが懸かっている時の女の子のスペックは当社比1.5倍くらい底上げされるのかもしれない。そう考えると女子力って結構すごいんだな。

『イチカ。この丸い刃の付いた器具はどうやって使うのでしょうか』

 声のした方を見ると、ユキがピザカッターを手に取って首を傾げていた。確かに、初めて見る調理器具としては見た目が奇抜だからな……。

 よし。

「ちょっと貸してくれないか。今やってみせるから」

 俺は彼女からカッターを受け取ると、マルゲリータの載った大皿を自分の方に寄せた。

「これは切り分ける時に使うんだ。ほら、こうやって刃を押し当てて――」

 力を入れ過ぎないよう注意しながら、刃のついた車輪を押しつけながら前後に動かす。何度か往復したところで、円形のピザが二つの半円に分かれた。

 一方の半円を適当に四分割したところで、俺はユキに器具を返した。

「せっかくだしやってみるか。失敗しても大丈夫だから、とりあえずチャレンジしてみようぜ」

『はい。試行します』

 皿を寄せると、彼女は少し慣れない手つきでカッターの刃先を生地の上に這わせた。さすがに初めてとあって真っ直ぐな切れ目はつかないが、力加減はかなり上手な方だ。

「なかなか上手いじゃない。後は今切った奴をそれぞれ半分にすればオーケーよ」

「ちゃんと均等に切れている。筋は良いな」

『はい……ありがとうございます』

 横合いから二人分の声援がかかる中、ユキは俺の倍の時間をかけてピザを切り分け終えた。カッターを置くなり、彼女は感想を求めるように俺を見つめ返す。

『どうでしょうか』

「初めてやったにしては十分よく出来てる。さすが、刃物の扱いには慣れてるな」

『それは褒め言葉のつもりでしょうか……』

 ――まあ、一応は。

 ちょっとしたジョークのつもりで言ったんだが、彼女には上手く伝わらなかったようだ。

『ですが、喜んで頂けて何よりです』

 困惑しながらも、ユキは嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 刃物の使い方は束さんが知識として吹き込んでいるだろうし、戦いの中で剣を手にしたことは幾度となくあった。けれど、日常の中で料理の為に刃物を使うという経験はこれが初めてと言ってもいい。だからこそ、とても新鮮味を覚えているに違いない。

 これからは料理の手伝いをしてもらうのも良さそうだ。そう思いつつ、俺は八等分したうちの一片を早速自分の皿に取った。

「――で、なんで八分割なのよ。五人いるんだから、普通は十分割するべきじゃないの?」

「やったことない人にそんな高等技術を求めるのかお前は」

「そんなもの、気合で大体何とかなるわよ」

 何とかなるようなバランス感覚があるのはお前くらいだぞ、鈴。

「賑やかなのは結構ですけれど、あまり騒ぐと迷惑になりますから注意してください」

「はーい」

 セシリアからにこやかに注意を促され、鈴と俺は二人して会話のトーンを落とした。

 

 ――あれ、よく見たらパスタが一皿丸ごと空になってないか? それもセシリアが頼んでた、クリームソース仕立てのすごくカロリー重そうな奴。しかも二人前。

 

 そんなまさかと思いながら、俺はテーブルを恐る恐る見回した。

 箒は和風スパゲッティーとかいうのを量少なめにして頼んでいたし、ペペロンチーノもユキと鈴の二人で分けている。俺は一人でミートソースのパスタを食べているけど、あの大盛りパスタだけは来てから誰一人として手を付けていなかったような……。

「なあ、ひとつ訊いていいか?」

「ええ、構いませんわ。どうかしましたの?」

「まさかとは思うが、このクリームパスタを食べてたのってセシリアだけか……?」

 空になった大皿を指さして尋ねる。頼む、目の前のお嬢様然とした子が二人前を軽く平らげる大食漢だなんてこと、俺の単なる早とちりか誤解であってくれ。

「ええ。それなら今しがた食べ終わったところですけれど」

 セシリアは涼しい顔をして答えた。

 ――『どうしてそんな決まりきったことを訊くのか?』と言わんばかりの口調で言われただけに、ショックは相当に大きかった。

 というか、よく思い返してみたらプールでも間食摂ってたな。確か、三個大玉が乗っかったアイスクリームだったか。いや、まさかエンゲル係数が跳ね上がりそうなタイプの女の子だったなんて考えもしなかったぞ。それでいてこの完璧な体型か。

 ……うーん。人体の不思議を垣間見てしまった気がする。

「そんなに食べるとふと……体型に響くわよ?」

 思わず『太る』と言いかけつつも忠告する鈴に、彼女は笑顔のまま答える。

「いえ、問題はありませんわ。むしろ食べないと痩せてしまうくらいにカロリーを消耗しているので、普段から摂取量には気を遣っていますの」

 気を遣うって、普通は制限する方向での気遣いだよな。より食べる方向で気を遣うなんて、斬新にも程がある。

「何よそれ、羨ましい!」

「そう喜べることではないと思いますわ。どうしても質より量を採らざるを得なくなりますし、一度に食べられる量にも限度がありますから、進んで頻繁な摂取を心掛けなければいけませんから。鈴さんのように、少ない量を味わって食べられる方がよほど幸せですわ」

 確かに、彼女の言うことには一理ある。いくら食べても太らない体質だからといって、その分だけ味覚を楽しめるとは限らない。食事量が多ければその分食費も増えることになるのだから。

 まあ、鈴の場合は小食というよりも、後に控えるデザート盛り合わせの為にあえて少な目で留めてるだけなんだが。

「織斑さん、そこのマルゲリータを取っていただけますか? 二切れほどお願いしますわ」

「お、おう」

 とはいえ、ちょっと食い過ぎだよなぁ……。

「その体質は生まれつきというわけでもないようだな。そのような病気にでも罹っているのか?」

 少し心配そうな表情で箒が尋ねる。そういう難病も世の中にはあるだろうから、そう不安がるのも無理はない。

 しかし、セシリアは首を横に振った。

「しいて言うなら『副作用』でしょうか。担当の医師からは『思考制御装置(イメージ・インターフェース)の負荷で脳が活性化し、消費カロリーが大幅に増大した結果』だと伺っていますわ」

「つまり、ずっと頭が冴えてるみたいな状態ってことなのか」

「ええ。第三世代型の搭乗者にはよくあることですわ。医療用ナノマシンのおかげで健康に支障を来たさないレベルには抑えられていますけれど、いつでも展開できるように覚醒レベルは一定のまま保たれ続けています。ですから、必然的にカロリーの消耗が常人よりも多くなるのですわ」

 なるほどなぁ。さすがに寝る時だけは別なんだろうが、かなり苦労をしそうな体質だ。それだけ大変な思いをしてまで俺達の護衛を担当していると思うと、何だか申し訳ないという気持ちが心の奥から溢れてくる。

「――セシリア、好きなデザートを頼んでくれ。今日は俺が奢るよ」

「よろしいのですか?」

 感極まってつい口走ってしまった俺を彼女が見つめる。

 一瞬早まったなと考えたものの、言い出した手前撤回するわけにはいかない。なあに、値が張ってもたかだか千円くらいは大丈夫だ。

「どうせ四人分はまとめて俺が支払うからな。セシリアのデザート分くらいはどうってことない」

「ではご厚意に甘えさせていただきますわ」

 セシリアは嬉しそうに微笑むと、手元の呼び鈴を鳴らした。

「はい、ご注文を伺います」

 混雑しているにもかかわらずすぐやって来た店員さんに、彼女はメニューを開きながら注文する。それも一つではなく、次から次へと――。

「このリンゴのタルトとベリークリームシフォン、それからこちらの――」

 

「……セシリア、とりあえず三つまでな」

「え? はい、わかりましたわ」

 ――やっぱり、勢いだけで良いことを言うもんじゃないな。

 

    ■ ■ ■

 

『ビショップよりナイトへ、状況報告を願います』

「こちらナイト。ブロックC-2の探索を完了したが、回収対象は見当たらない。続いてC-3の確認に入る」

 チェルシーに現状を伝えながら、クラリッサはコンテナの積み上げられた一帯を歩き回っていた。手元の端末には彼女の『眼』によって捉えられた赤外線透過画像が映し出され、同時にネットワークを介してチェルシー側にも情報が送られている。機械の眼とISという超高速演算装置の存在が揃うことで初めて成り立つ業。それを惜しげもなく使いながら、彼女達は淡々と荷物の捜索を進めていた。

『それにしても便利な眼ですね』

 唐突なパートナーの評価に、クラリッサは微妙な面持ちを浮かべる。

 確かに使い勝手は優れているし、ISを扱う上でも生身以上に無茶な扱いが利くという利点はある。実際、この眼を得たことで第三世代型ISを十全に乗りこなせる状況が整ったと言っても過言ではない。

 だが、どれほどの機能を備えていようと『生身』の代替品であることに変わりはない。そう、あんな事件(・・・・・)さえ起こらなければ。

(三年前……あの事件で瀕死の重傷を負うことさえなければ、こんな義眼に視覚を頼ることもなかった)

 そんな思いを抱きながら、彼女は答えた。

「あくまで軍の医療研究プロジェクトの被験者として都合が良かったというだけの話だ。その目を抜いてまで義眼に替えたいと考えているのなら私は奨めんぞ」

『わかっています。どの道、私は荒事向きではありませんから無用です』

「フン。冗談は程々に控えておくべきだ、ビショップ」

 そう言いながらも、彼女はその便利さを自身でも少なからず認めていることに嫌悪を覚えた。

 数多くの戦友があの事件で命を落としたにもかかわらず、自分だけは片目とマイクロチップで補える範囲の神経組織を失った程度。おまけにその傷さえも機械で補って、こうしてのうのうと生き長らえている。その事実を認識する度、未だに生き恥を晒し続けている自身と、その状況を甘受しつつある自身の心に、どうしようもなく腹が立つのだ。

「ブロックC-3にも対象を発見できず。引き続いてC-4を――」

 苛立つ気持ちを抑え込み、彼女は再び現状を報告した。

 ――直後、背後に何者かの気配を感じて振り返る。当然誰も立ってはいなかったがこの状況下だ。錯覚と済ませるには少々危険が過ぎる。

「ビショップ。誰かに後をつけられている可能性がある。しばらくの間会話を控えるぞ」

『はい。データの方は引き続きこちらへ送ってください』

 勿論、IS側から暗号通信を介しての無発声通話でやり取りする方法もないわけではない。が、いずれ襲撃を掛けてくる可能性がある以上、出来る限り戦闘以外での消耗は避けておきたい。

(敵に回収される恐れも出てきたか。これは少々急がなければならんな)

 消えた気配に警戒心を覚えたクラリッサは、わずかに探索の速度を早めた。

 

    ■ ■ ■

 

 昼食を終えた俺達は、エリア間を繋ぐ巨大なアーケードを悠々とした足取りで進んでいた。

「ご馳走様でした。織斑さん、本当にわたくしが払わなくてもよろしかったのですか」

「ま、まあ問題ないぞ。言い出した以上、約束は守らないといけないしな」

 鈴のデザート盛り合わせとセシリアのケーキ三つ分でだいぶ軽くなった財布を気にしつつも、俺は笑顔で答えた。

 まあ、同居人達の食費は後で清算するから損失自体は大した額じゃないんだが、問題は軽い気持ちでデザート代を出してしまったことだ。

「私は何ひとつ奢られていないのだが……」

『同感です。ホウキと私にも同等の甘味を要求します』

 揃って不満そうな顔をしている箒とユキ。鈴一人ならまだ納得もしてもらえただろうが、堰を自ら崩してしまった以上、そう簡単には引き下がってくれない。

「いや、鈴のは勝負した結果であってだな――」

『では私も勝負を挑みます。鈴との間で成立した協定であれば、私達とも成り立つ筈です』

「そうだ、それがいい。私達が勝てばちゃんと奢ってくれるのだろう?」

 必死に宥めようとする俺の言葉も虚しく響くだけだった。

 というか、『俺に勝ったら奢る』ってルールが当たり前のように成り立っているんだ。あくまで賭けだぞ、賭け。俺が勝ったらお前らが奢ることになるってことをちっとも理解していない気がする。

「鈴も何とか言ってくれよ」

「ん、なに? もう一つおまけしてくれるの?」

 いやそっちじゃない。箒達を止めてくれって言ってるんだ。

「それは良いのですけれど、篠ノ之さん達はどうやって勝敗を決するつもりですの?」

「あっ――」

 はっとしたように足を止める箒。どうやらそこまで考えが至っていなかったらしい。

 というかお前、言い出しておいて何も決めてなかったのかよ。

「そうね、あんまり難しいもので競っても負けるだろうし……エアホッケー辺りが手軽でいいんじゃない?」

 腕を組んで考え込む彼女に、鈴が助け船を出した。確かに、変に凝ったことで競うよりは単純で勝敗もわかりやすい。

『リン、より詳細な説明を求めます』

「円盤を打ち合って相手のゴールに入れる遊びよ。ま、やってればわかるくらいには簡単だから、箒とダブルス組んで一夏相手にやればちょうどいいんじゃない?」

 その仕様、俺がかなり不利になると思うんだがいいのか。そりゃあ、一人が初心者ならそこまで差は出ないだろうけど。

「いいだろう。午後のおやつは私とユキとで頂きだ」

「そうはさせるか。俺が勝ったら箒の奢りだから覚悟しとけよ」

 俺と箒はお互いに不敵な笑みを浮かべる。

 箒には悪いが、このまま負けっぱなしってわけにもいかないからな。最初から本気で行かせてもらうぞ。

「じゃあ、ゲームセンターのあるアミューズメントエリアに――」

 鈴が案内図を片手に言いかけたその時、爆発音とともに館内が揺れた。

「きゃっ!? なに、今の?」

「中からではなさそうだが、随分と近かったな」

 冷静な表情で箒が判断をつける。さすがに何度も襲撃を受けただけあって動じていないが、他の客達はそういうわけにもいかなかった。

 周囲の人達が恐怖と混乱に包まれた通路を我先にと駆け出す中、セシリアは端末を操作してブランケットさんを呼び出した。

「こちらクイーン。一体何が起こりましたの?」

 呼びかけた彼女に呼応して、ブランケットさんの顔が画面に映し出される。ちょうど他の作業も並行させているのだろう、彼女の両手はキーボードの上をせわしなく動き回っていた。

『ちょうど報告しようとしていたところです、お嬢様。今すぐその場を離れてください』

 彼女が緊迫した表情で言ったその時、地面を黒い影が過ぎ去った。鳥にしては巨大で速度が乗り過ぎたそれは、長く開いた天窓に沿ってその影を走らせる。

 ゴーレム。俺達を襲撃したのと同じ無人のISは、付近のどこかへと向かって飛んでいるようだった。

「まさか――」

『はい、敵襲です』

 

 ――その瞬間、見上げた窓の端に炎が煌めいた。

 

<第14話 了>



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第15話

 一夏達が来襲するゴーレムを目の当たりにした、その数分前。

 試作ISを積み込んだコンテナを探して歩き回っていたクラリッサは、ある一角に差し掛かったところで不意に立ち止まった。理由は単純、視界の端に捉えたうちのひとつ――積み上げられた貨物の最上段に強烈な違和感を覚えたからだった。

(ISコアとリンクして精密スキャンを……)

 彼女は顔を上げ、対象を視野の中央に合わせた。同時に、義眼に仕込まれた高性能センサーが作動し、擬装の金属板を透過して内部を正確に写しとる。

 瞬時に解析されて端末に送られた画像を見るなり、彼女は自らの見立て通りだったという確証を得た。

「こちらナイト。ようやく探し物が見つかった」

『はい、こちらでも確認しました。早速回収の段取りを――』

「少し待て。その前に片付けておくべき物がある」

 淡々と手順を進めようとするチェルシーを制し、クラリッサは背後を振り返った。

「――よう、随分と早い再会だったな」

 視線を向けた先に、何日か前に見たばかりの女性が口角を歪めながら立っている。その姿を確認した彼女は、相手から銀色に輝く拳銃を突き付けられながらも冷静に尋ねた。

「やはり貴様か、オータム。私のことを長々と追跡していたようだが何が狙いだ」

「とぼけるなよクソ女。これだけ厳重な警戒網を敷いておいて、今さら『知らねェ』なんざ言わせねェぞ」

 引き金に指をかけた状態で笑うオータムを、クラリッサは静かに見据える。

(やはり狙いはISか。だが、織斑一夏には気付いていないようだな)

 様子から一瞬で相手の状況を察すると、彼女は待機状態のISが収まったブレスレットに意識を集中させた。

「おっと。この状況でISを展開しようったって無駄だぜ。この距離なら起動させたISがシールド張るより、銃弾が脳天ぶち抜く方がはえェからな」

「確かに、今になって呼び出すのは遅過ぎるな。だが――」

 そう言って、彼女はISと()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 撃つべき場所の指示は、義眼と機銃側の照準装置を同期させての交差座標指定。その視線がオータムの心臓の位置を捉えると同時に、機銃が彼女の意思のままに軸を合わせる。相手の急所が交差点上に来た瞬間、彼女の口許は静寂の中で笑みを浮かべた。

「――ISあっての『魔術師』と侮るなよ」

「っ!? テメェッ――――!!」

 何か仕掛けてくると気付いたのか、オータムが後ろへ飛び退く。次の瞬間、機を逸した弾丸が傍にあったコンテナの側面を蜂の巣のように穿った。

「ふざけた真似しやがって! 絶対(ぜってェ)ブッ殺す!!」

 怒りをあらわに拳銃を乱射する彼女。しかし、回避に費やしたほんの一秒ほどの隙は、クラリッサがISを展開するに十分過ぎる時間でもあった。

「さっさと撃っていればいいものを。それとも、脅して位置を聞き出す算段でも付けていたか?」

 シールドが弾丸を受け止め弾く中、クラリッサは冷静な口調で相手を嘲笑った。

 オータムは仕掛けるまでは慎重だが、一度頭に血が上れば勢いのままに行動するきらいがあることを彼女は知っていた。無論、拳銃が利かないとなれば自らのISを呼び出すに違いない。

 そう考えつつ静観していると、相手は予想通りに弾の尽きた銃を投げ捨て、八本の機械腕を持つ異形をその場に展開した。

「殺す殺す殺す殺すッ! ベルリンとこの前の屈辱、まとめてテメェに投げ返してやるッ――――!!!!」

「どこまでも短慮な輩だ」

 剣を抜いて飛びかかってきたオータムを機体の急上昇でいなし、彼女は両肩から複数の刃を射出した。放射状に飛んだワイヤーブレードが空中に突き刺さり、振り向いた相手ごとその場に縫い付ける。

「ゆえに罠にも嵌めやすい」

「クソが、またそれかよッ!!」

 毒づくオータムを見下ろす冷徹な眼差し。わずか一瞬で勝敗を決した彼女は愛機を労わるように、宙に張り付いた『魔法の枝』と繋がるワイヤーに軽く指先を沿わせた。

 強制停止結界(AIC)。本来は機動の補助として働く慣性制御機構(イナーシャル・キャンセラー)を攻撃に転用した特殊兵装が、発生装置を兼ねたブレードの周囲の空間ごと、展開された球形状の強力場によって固定し拘束したのだ。

 不可視の檻によって行動を封じられた敵を目の前に捉えたまま、クラリッサはチェルシー宛の暗号通信回線を開いた。

『ビショップ。ファントム・タスクの工作員を発見し確保した。速やかに近隣で待機中の部隊を寄越すよう伝えてくれ』

『了解しました。ですが、捕縛したといっても、まだ何らかの手札を持っている可能性があります。くれぐれも注意を――』

 チェルシーが言いかけたその時だった。

 突如、クラリッサの思考内――疑似視覚情報として投影されているステータスウインドウ内部に警告が表示された。それは埠頭近辺に張り巡らせていた探知機が、ISコアの反応を検知したことで自動的に送信されたもの。

 ――すなわち、新たな機体がこちらへ近づいていることを示すものだった。

(未確認のIS……。この複数の反応から考えると、連中の無人機(ゴーレム)か)

 おそらくはISコアを介しての操作で機体を出撃させたのだろう。体が動かせない状況でも、思考制御装置(イメージ・インターフェース)があればネットワーク経由で簡易的な命令は出せる。その中にゴーレムの起動と発進を行わせるものを設定しているなら、自分のいる場所まで誘導するくらいのことは容易い。

『やはりそう来ましたか』

 感知した機体が十を超えてもなお、チェルシーは冷静さを欠いていなかった。クラリッサもまた、その場に留まったまま対処への思案を意識に挟み込む。

(強制停止結界を起動した状態では回避機動すら碌に取れん。だが、今拘束を解くとなれば、奴までも敵に回さざるを得なくなる――)

 いずれかを選択したとしても不利になることに違いはない。だとすれば、採るべき策はただひとつ。

 彼女の手の中に大口径のアサルトライフルが呼び出された。対IS戦闘を前提として作られた、最新鋭の対物火器。そのマガジンには、全周囲に張り巡らされたシールドをも貫徹できる特殊な弾頭が装填されている。身動きの取れない相手に撃ち込めば、その命など容易く刈り取れるだろう。

 オータムの頭部に狙いを絞り、彼女は宣言した。

『こちらナイト。緊急事態における特例事項に基づき捕縛中の対象を射殺する』

 引き金に掛けた指が握り込まれ、装填された弾丸の底をハンマーが打つ。炸裂の衝撃は弾頭を長い銃身(バレル)へと押し込み、側面に旋条の痕跡を刻みつけて――。

 

「――――ッ!?」

 

 ――横合いからの着弾に大きく跳ね上げられ、狙いの逸れた銃口から弾丸を吐き出させた。

「索敵範囲外からの狙撃、だとっ――?」

 予想外の一撃に驚きながらも、クラリッサは破壊されたライフルを投げ捨てる。おそらくは敵からの妨害だろうが、こちらが一方的に捕捉できるほど高性能なセンサー類を備えているとなると厄介だ。

 彼女は強制停止結界を解除してブレードを巻き取ると、続けて飛来した弾丸を全速の回避機動によって危なげなくかわした。

『状況の報告を。一体何が起こったのですか』

『新手だ。こちらの射程外から狙撃できるISが付近に潜んでいる模様』

 チェルシーに答える間にも、複数の銃弾が予測軌道上を的確に穿ってくる。彼女は回避と防御を繰り返しながら、コンテナの壁を急場しのぎの盾にして身を隠した。

(完全に裏をかかれたな。おまけに、一対二どころかゴーレムの救援まで駆けつけてくるとは……。私もなかなか、運に恵まれない性質と見える)

 そう自嘲しつつも、戦意は未だ失っていない。彼女はISの量子格納領域(バススロット)から新たにグレネードランチャー付きの小銃を呼び出すと、両手で抱え込むようにして構えた。

「――ったく、頼んでもいねェのに援護する奴がいるたァ素直に喜べねェな」

 一方、力場が消失したことで身体の自由を取り戻したオータムは不満げな声を上げる。その口振りはまるで何も知らされていなかったかのようなニュアンスを含んでいた。

「だが悪くはねェな。あたしを有利にしてくれるんならむしろ願ったり叶ったりだ。――さあ、出てきやがれ『魔術師』! ビビッて隠れてもテメェに逃げ場所はねェぞ!」

「やはり貴様はどこまでも短絡的だ」

 一転して強気を見せる彼女に、クラリッサはひとつため息を吐いた。よくそんな気性で工作員が務まるものだとも言いたくなったが、そんな台詞をぶつけたところで挑発にしかならないのは目に見えている。

 敵の援軍が来るまでごくわずか。味方の支援はそれよりもはるかに時間を要するだろう。ならば、一人でこの場を持ち堪えるしかない。

「いいだろう。少しばかりの間、貴様の相手になってやる」

 そう言って、彼女はグレネード弾を打ち上げた。その炸裂によって一気に広がった煙幕に遠方からの視界が閉ざされる中、空へと身を躍らせる。

 ――これで、しばらくの間は邪魔が入らずに済む。

「さあ、来い!」

 ブレードのひとつを手甲に装着した彼女は、勢いよく切りかかるオータムに向け、その刃を力強く振りかざした。

 

    ■ ■ ■

 

 すぐ近くに爆発の炎が見えたことで、リゾート内の喧騒はそれまで以上に大きくなっていた。日常離れした光景にぼんやりとした顔で見入っていた悠長な人達も、今は我先にと非常口の方へ走っている。

 未だに動けずにいるのは俺達を除けばほんの数人。その残った最後の客達ですら、出てきたスタッフ達の誘導で徐々にその場を離れつつあった。

「織斑さん。今すぐここから逃げましょう」

 セシリアに真剣な顔で促され、俺は黙って頷き返した。今この場に俺達がいると知られたら、相手は何を仕出かしてくるかわからない。被害を大きくしないためにも、避難してどこかに身を隠した方がいいだろう。

「箒、ユキ。お前らもついて――」

 そう言いかけて、付近に鈴の姿が見当たらないことに気が付いた。

 あれ、確かついさっきまで俺達と歩いてた筈だよな。

「箒、鈴はどこ行ったんだ?」

「何? ……私達が目を離している間に移動してはぐれたようだな。まったくもって困った奴だ」

 呆れる箒の様子から察するに、彼女も今になってその事実に気付いたらしい。しかし、誰一人として鈴の動向を見ていなかったのは痛いな。一足先に逃げたのならいいんだが、いくらあいつでもそういう行動は採ったりしないだろうし。

 腕を組んで悩んでいると、不意にユキが口を開いた。

『イチカ。彼女のことは私に任せて頂けませんか』

「任せてって……駄目に決まってるだろ! こんな状況で、たった一人で探しに出歩くのがどれだけ危険なことか――」

『それはリンも同様です。それに、ISの通信機能を使ってセシリアに連絡できるのは私だけしかいません』

 確かに、端末を使えない状況下で連絡を取る術が俺や箒にはない。だからといって、このままユキを一人にするわけにもいかないのもまた事実だ。

「ひとまず凰さんの携帯端末に通話してみるべきでは? まだ近くに居る可能性もありますし、連絡が付けば合流もしやすくなる筈です」

「そうだな。とにかく一度掛けてみよう」

 セシリアの提案に同意した俺は、すぐに自分の携帯端末を取り出して鈴に通話した。待機を告げるコールが普段より妙に長く感じられるのは焦っているからだろうか。三十秒ほどの間を置いてようやく通話状態に切り替わった端末を耳元に寄せながら、鈴に呼びかける。

「もしもし、もしもし! 鈴、聞こえてるのなら返事してくれ!」

「……いち、か? 一夏、一体どこにいるの?」

 置かれた状況に混乱しているのか、彼女の声はどことなく頼りない響きだ。

 それに、絶えず聞こえてくる遠方からの銃声と爆発音は明らかにリゾート内で聞いているものとは違う。もっと近く、反響の少ない場所で音を拾っているような聞こえ方だった。

「――まさか、外にいるのか!?」

「よくわからないの。記憶が何だか曖昧で、気がついたら大きなコンテナだらけの場所にいて……」

 なんとなくだが、嫌な予感がした。

 彼女は避難の波に飲み込まれて動くうちに、間違って現場近くの出口から外へと出てしまったんじゃないか。もしそうだとしたら非常に危険な状況だ。一刻も早く、その場から離れるよう伝えないと――。

「鈴、そこから建物までの道はあるか?」

「そんなこと言われても地図には載ってな――きゃあっ!?」

 最後まで言い終わることなく、悲鳴とともに通話が途切れる。慌てて掛け直したものの、『お掛けになった番号は、端末の電源が入っていないか、特定ダイヤルからの通話を拒否する設定になっています』という音声だけが帰ってきて再び切れてしまった。

 まさか、あの場で戦闘に巻き込まれでもしたんじゃないよな……?

「一夏! 鈴は一体どうなったのだ?」

「わからないけど、コンテナのある場所に迷い込んだって。くそっ、このままじゃ鈴が――!」

 何度呼び出しても通話に切り替わらない端末を握り締める。他の端末でやったとしても、おそらくは同様に繋がらないだろう。

 こうなったら直接探しに行くしかない。でも、そうすれば行った俺達までも危険に曝される。そうなれば鈴の心配ばかりなどしていられなくなるだろう。

『イチカ。彼女を連れ戻しに私を行かせるか、このまま私達だけで避難するか決めてください。このままでは私達も危険な状況に陥る恐れがあります』

「鈴を置いて逃げるなんてできるかよ」

 彼女は大事な幼なじみで、俺や箒にとっては長年の付き合いがある無二の友人だ。連絡が途絶えたからといって、そう簡単に諦めるわけにはいかない。

 けれども、ユキ一人を行かせることにも賛同はできない。今の彼女はISを使えないひとりの女の子だ。もし敵に遭遇すれば対抗する術は俺達同様に持ち合わせていない。かといって、セシリアを動かせば俺達が避難した先で襲撃を受けた場合に対応できなくなってしまう。

 ――時間にして一分足らず。悩みに悩み抜いた末に、俺は結論を出した。

「セシリア、箒を頼めるか」

「一夏さん!? あなた、一体何を考えていますの?」

「俺とユキとで鈴を探してくる。ユキだけじゃ鈴を連れて動くには時間がかかるからな。こういう時は男手があった方が上手くいく」

 勿論、それが危険であることには変わりない。それでも俺は鈴も、ユキのことも放ってはおけない。

「一夏。本気で助けに行くつもりなのか?」

「ああ」

 心配そうな箒にはっきりと答える。

 様子をじっと見守っていたセシリアも、考えが定まったのか静かに口を開いた。

「本来なら意地でもわたくしが止めるべきでしょうけれど……わかりましたわ。チェルシーにはわたくしから連絡しておきます」

「ありがとう、セシリア」

「ですが、絶対に戦おうなどと考えてはいけません。危険を感じたら、鈴さんを保護したかどうかにかかわらず、その場から離れてください。それだけはよろしくて?」

 彼女の忠告に、俺は素直に頷く。当然ながら、そのことだけは重々承知している。

「さあ箒さん、わたくし達は一足先に避難しましょう」

「待て、早まるな一夏!」

 手を取ったセシリアに引きずられながら、箒が声を上げる。

 悪いな箒、お前を危険には曝せない。万が一何かあったりしたら束さんに顔向けできないからな。

『本当に、わたしに随行するつもりですか』

「そう決めたんだ、当然だろう」

 確かめるように尋ねるユキに答え、俺は携帯端末上に港湾地区のマップを呼び出した。

 鈴の話ではコンテナが沢山あるということだった。ここからそう離れていない場所に大型貨物船の利用するコンテナ埠頭があるから、おそらくその場所のどこかにいる筈だ。

「急ぐぞ、ユキ!」

『はい』

 ユキに呼びかけ、俺はリゾートの外へと繋がる通路へと足を進めた。

 

<第15話 了>



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第16話

「――――っつう」

 痛む頭を押さえ、凰鈴音は上半身を起こした。

 幸いにも大した怪我は負っていなかったが、鈴もろとも吹き飛ばされた端末は、落下の衝撃で大きく亀裂が入ってしまっている。素人目に見ても、もはや使い物になる状態ではなかった。

(一体どうなってるのよ。気がついたらこんな場所にいるし……)

 突然誰かに『呼ばれた』ような気がしたと思ったら、自然とその足が動いていた。まるで誰かに操られるように、曖昧な意識の中でその『声』の呼ぶ先へと歩いて――。

 そうして、気が付けばこの場所に立ち竦んでいた。

「まったく、オカルト体験だなんて冗談じゃないわ」

 よろめく足で立ち上がった彼女はそう呟いた。我に返った時には漂う煙のせいでよく見えなかったが、周囲には嵐の過ぎ去った後を思わせるような破壊痕が幾つもある。おまけに、うっすらと残る煙の向こう側では、未だに銃声と金属同士のぶつかる音が絶えず響いていた。

「よくわかんないけど……この場所に留まっているのは危険よね」

 いつこちらに再び被害が及ぶかわかったものではない。彼女は脅威から遠ざかろうとして――その行く手を黒い影に阻まれた。

「目標、確認」

「なっ――!?」

 刺突用の武器だろうか。杭のようなものが突き出た武装を両腕に一本ずつ装着したゴーレムが、彼女の目の前に佇んでいた。そのラインセンサーアイが攻撃対象を捉えると同時に、片腕が大きく振り上げられる。

「破壊する」

 その抑揚に欠けた声に恐怖を覚えた鈴が逆側の腕へ走り込んだ瞬間、拳が叩きつけられた。ほんの一瞬遅れて脇をすり抜けた一撃は、近くに転がっていたコンテナの側面を貫き、大きくひしゃげさせる。続けて打ち込まれた杭の衝撃が破孔を内側から食い破り、何倍にも拡大させた。

「初撃回避。目標、再捕捉」

 原形を失った貨物から腕を引き抜いたゴーレムは、首だけを回してその目に鈴の後姿を捉えた。

「修正。逃走経路、破壊、最優先」

 射出態勢の整った側の腕を構えて敵が跳ぶ。その目標は彼女ではなく、通路脇に積み上げられたコンテナの一角。落下とともに打ち出された拳は『壁』を吹き飛ばし、走る鈴の眼前にその残骸を降り注がせた。

(まずいっ!)

 すぐさま足を止めた鈴は、進行方向とは逆に走る。わずかな間ではあったが、その努力は落下物の回避という形で実を結んだ。だがそれは唯一の逃げ口を失い、袋小路に追い詰められたということでもあった。

「目標、再捕捉」

 彼女の目の前に再びゴーレムが現れた。左右は壁、後方は瓦礫で埋まり、どこにも逃げ場は残っていない。

「……最悪だわ」

 なんでこんな目に遭わなければならないのか、と文句を垂れなければやりきれない気分だった。仮に運よく回避できたとしても、また回り込まれて道を塞がれるだろう。そして、遅かれ早かれあの凶器に穿たれることになることは確実だ。

(正直、こんな人生の終わり方ってないと思ってたんだけど)

 ファントム・タスクが世界各地で事件を引き起こしているといっても、その頻度はあくまで重大な事故が発生する程度のものだ。だから大半の人間は、世界の脅威とは無縁のまま生を謳歌している。そういう意味では、自分は悪い方向で非常にツイているのかもしれない、と鈴は思った。

 ついでに『奇跡の生還』という幸運も上乗せされることを望みたかったが、この状況ではそうも上手くはいかなさそうだ。

(せめて『辞世の句』みたいなものは残しておきたいけど、それも無理そうよね)

 半ば諦めムードを漂わせながら、彼女はゴーレムを見つめる。その背後に先ほど貫かれていたコンテナの残骸を見つけた瞬間、不意に体が強張った。

 『声』が聞こえる。あの中から何かが呼んでいる。

「回避行動、未確認。装填、完了」

 敵の機械的な音声もまともに入ってこないほどに、鈴は意識を吸い寄せられていた。足が自然と動き、前に踏み出し始める。

 あろうことか敵へ向かって走る彼女へと軸を合わせ、ゴーレムは両方の腕を振り上げた。

 大雑把なモーションで繰り出される二つの拳。確かに標的を捉えた筈の殴打は――。

 

 ――不思議なことに空を切った。

 

 単なる偶然か、それともあえて狙ったものかはわからない。いずれの形であれ攻撃を回避した彼女は、無防備な敵の脇を抜け、その奥の残骸へと走り込んだ。

 すぐ傍まで寄ったことで、鈴はコンテナの悲惨な状態を目の当たりにすることとなった。頑丈そうにも見える外壁は、杭の射突によって大きくひしゃげ、人が容易に通り抜けられるほどに広く抉り取られていた。

 追撃を恐れる素振りすら見せず、鈴はコンテナの中へと入る。内側の空間も同じく衝撃でひどく損壊していたが、彼女はそこに鎮座する『何か』だけは無事だという確信を抱いた。外からの光に反射する、擦り傷ひとつないその表面に、彼女は右手を伸ばして触れた。

 

 その瞬間、彼女の中に情報の奔流が押し寄せた。

 

 それは、目の前の物体に記録された稼働の為の情報。あるいはその核に刻み込まれた運用の記憶。入り混じり渦のように暴れるそれらが、彼女の脳内に必要とする知識体系を強制的に築き、操縦の感覚を意識の深層へと繋げていく。

 激しい頭痛と吐き気に襲われながらも、鈴は意識と関係なしに言葉を紡いだ。

「動きなさい、甲龍(シェンロン)

 装甲の継ぎ目、エネルギーラインの走る内部構造に桜色の輝きが灯る。名を呼ばれたことで起動したISは、その重厚な鎧の内部へと彼女を飲み込んだ――。

 

    ■ ■ ■

 

「セシリア」

 スタッフの誘導で埠頭とは逆側にあるゲートに辿り着いた箒は、すぐ隣に立つ護衛の少女へと呼びかけた。

 ここへ来るまでにも何度か爆発音を耳にした。建物に隠れているせいで何が起こっているのかは確認できないが、少なくとも向こう側で戦闘が続いていることは確かだろう。

 一夏やユキ、それに鈴の安否が心配で居ても立ってもいられない。まさしくそんな状況だった。

「一夏達は……あいつは、大丈夫なのか?」

「ええ。きっとみなさんは無事ですわ。ですから、今はこの場で係員の指示を待ちましょう」

 不安を隠しきれない彼女に、セシリアは落ち着いた口調で言い聞かせた。

 とはいえ、あまり楽観できないことも確かだ。一夏達は真っ直ぐ埠頭を目指して走っているが、すぐに鈴と合流できるとは到底思えない。しかも、現場では今もクラリッサがオータムとゴーレム数機を相手に戦っている最中だ。

 チェルシーのサポートで戦闘区域を避けて動くように指示は出しているものの、何かの拍子にクラリッサが捕捉しきれなかった敵と遭遇する可能性もある。最悪の事態に至らないことを心の底から祈りながら、彼女はあくまで箒を不安がらせないよう平静を装っていた。

 

 ――その時、待機中のISからセシリアの意識内にコールが届いた。

 チェルシーからの暗号通信。それも、個人端末宛てではないことからして緊急のものに違いない。彼女は即座に思考を切り替えて応答した。

『クイーンよりビショップ、何か起きましたの?』

『はいお嬢様。埠頭内にて新たなISの反応を確認しました』

『新たな……? ユキさんのものではなくて?』

『いいえ』

 訊き返す彼女に対し、チェルシーは緊迫した声音で答えた。

『現在登録されている機体との照合を行っているのですが……これはまさか!』

『その反応からおおよその見当は付きましたわ』

 そう言って、セシリアは静かに息を吐き出した。

『移送中の試作機。いえ、正確には中国の手掛けた第三世代型IS、『甲龍(シェンロン)』のもの。そうですのね?』

『はい、その通りです。ですがお嬢様、どうしてそうと言い切れるのですか』

『同じ第三世代型の操縦者としての直感、でしょうか。単なる偶然かもしれませんが、曰くつきのアレなら尚のことあり得る話でしょう』

 以前から、『時としてISに人が操られる』というオカルトめいた噂はあった。勿論それは根も葉もないものだが、あの『甲龍』に限っては――『IS殺し』と呼ばれ恐れられるあの機体だけは――嘘とも言えない。

 研究施設での稼働試験がある日に限って、待機を命じられていた筈の操縦者が勝手に乗り込み、試験中のISに襲いかかる。それが基本運用試験であろうと模擬戦闘であろうと構わず乱入し、敵と認識したISを問答無用で叩きのめすのだという。

 当然、第三世代型に攻撃された側は大抵無事では済まず、試作機の破損、設備の損壊、操縦者の負傷など、研究施設には甚大な被害が生じた。事後に降りてきた操縦者を捕えて事情聴取しても、操っていた筈の当人は揃って『声が聞こえた瞬間意識が遠くなり、気がついたら拘束されていた』と答えるばかり。挙句、ISのデータログにはコア自身の厳重なロックが掛けられているせいで戦闘中の挙動分析もできない始末だった。

 そのような事故が何例も続いたせいで、日本が国産機の『打鉄』三機分のフレームと交換で引き取るまで、運用試験から外され厳重に封印されていたとも聞いている。

 貴重な操縦者まで巻き込んで暴走するような代物を引き取る日本も物好きだが、その特殊性を知った上での取得ゆえに、敵の襲撃を避けて別ルートでの搬入を試みたのだろう。しかし、この場で戦闘が発生したことで『甲龍』が目覚めたのだとしたら――。

(あまり考えたくはありませんが、ここから詳細を把握するのは不可能。ここはチェルシーとクラリッサに任せるしかありませんわ)

 ふと鈴の姿が脳裏に浮かぶ。彼女は操縦者ではないし、ISを見たとはいえ直接触れる経験はしていない。だが、それでも可能性は否定できない。

「セシリア、表情が険しいがどうかしたのか?」

「いいえ。大丈夫ですわ」

 一瞬思い浮かんだ最悪の状況を払うように、彼女は首を左右に振った。

 

    ■ ■ ■

 

『――寄越セ。コノ身ヲ駆ル身体(チカラ)ヲ寄越セ』

 頭の中に響くざらついた声に不快感を覚えながら、鈴は意識を覚醒させる。

 さっきまでのこめかみを締め付けられたような頭痛、胃がひっくり返りそうな強い吐き気は不思議となかった。代わりにこの耳障りな声が耳の奥、脳そのものにしつこくまとわりついてくる。

(って、何なのよこれ。なんか患ってる変な奴みたいなこと喚いてるし)

 嫌悪感を募らせつつも、彼女はひとまず状況を確認しようと見回す――必要がなかった。後ろにも真横にも、上下にさえも目がついているかのように全方位が知覚できる。まるで意識だけが飛び出して、目の前の自分を俯瞰しているようにさえ感じられるほどだ。

 機械を全身にまとったその姿を見て、彼女はISを装着しているのだと初めて理解した。同時に、これがどんな機体なのか、どう動かせば良いのか『わかって』いることにも気付く。この『甲龍』というIS、言っていることは物騒だが、乗せる上で一応の準備は整えてくれたらしい。

『寄越セ寄越セ寄越セ――』

「だぁっ、うっさい! アンタなんかに渡すもんなんかないの!」

 延々と続く呻きにひとり怒鳴り声を上げ、彼女は装甲に覆われた腕を動かした。重厚な見た目に反して重さはほとんど感じられない。

(まずはこの中から出ないと駄目ね。よっこら、せ!)

 軽く拳を壁にぶつけてみるが、反応はない。さすがはこの機体を封じ込めていた輸送設備、そこまで柔にもできていないらしい。

(って、そんなことしなくても穴空いてるし)

 もう一度と拳を構えたところで、彼女は側面の破壊痕を見つけた。中へ飛び込む時に使った大穴だ。この場所からなら、ISを装備していても出られそうに見える。

 問題は外に待ち構えているであろうゴーレムだが、ISがある今なら対抗できる筈だ。そう考えた鈴は、呻き続けるISに大声で呼びかけた。

「えーと、アンタ『甲龍』って言ったっけ? ちょっとばかし力貸しなさいよ」

『ナラバソノ身体(チカラ)ヲ寄越セ』

「アンタ、馬鹿じゃないの!? 動かすのがこの私、従うのがアンタなの!」

 相変わらずの相手に彼女は憤慨した。全くもって、主従の関係というものをこのISはわかっていない。とんでもなく失礼な機体だ。

 それに、この頓珍漢は自分をここへ連れてくるまでの間さんざん危険な目に遭わせてくれたのだ。こうして操縦者として乗せた以上、その苦労にはちゃんと報いてもらわないとこちらの気が済まない。

(何としても従わせてやるわ。全ては私を甘く見た罪よ!)

 半ば意地のような意思をもって、彼女は『甲龍』に命じた。

「『甲龍(こうりゅう)』、アンタは私の手足よ。今すぐ、私の言うとおりに動きなさい!」

『我ガ名ハ『シェンロン』――』

「アンタなんか『こうりゅう』でいいの。これは決定事項よ、け・っ・て・い・じ・こ・う。偉そうに言ったって、操縦者がいなきゃただのポンコツなんでしょ?」

 的確な指摘に黙り込む『甲龍』。対する鈴は追撃の手を緩めない。

「大体身体(チカラ)を寄越せって何なのよ偉そうに。それとも体だけが目当ての変態親父みたいなISなの、アンタは?」

『ム……』

「いい、世の中にはユキちゃんみたいに従順で真面目なISだっているの。だから私の中のISに対するイメージは概ねユキちゃんだったのよ。それをアンタみたいな横柄で喧嘩腰な奴にぶち壊されるなんて、到底許されることじゃないの。アンタのその言葉、行動は、全てのISに対する冒涜よっ!」

『我ノ否定……何トイウ想定外ノ事態……』

 驚愕――ISにそんな感情があるとするならばだが――したように呟く『甲龍』を相手に、鈴は勝ち誇った表情を向けた。

 ただしその相手は自身の装着する兵器。当然ながら、他人にはひとり喚き立てているようにしか映らない行動である。誰一人として見聞きしていないのと、彼女にその自覚がなかったことが不幸中の幸いだった。

「いい、『甲龍』。私はこの場の窮地を切り抜けたいの。でもってアンタは私を操縦者として認めたIS。ここはお互い協力し合うべきじゃない?」

『戯言ヲ。我ハ我ノ為ニ身体(チカラ)ヲ求メタダケダ。貴様ヲ主トハ認メ――』

「今だけは認めて。さもなきゃここで共倒れよ」

 出口に手を掛けながら、彼女は『甲龍』に言い聞かせた。

「大体、協力っていっても簡単なことじゃない。目の前の敵をぶっ飛ばすだけなんだから」

『敵ヲ倒ス。ナルホド、我ガ行動ノ理ニ適ッテイル』

「いい具合に脳筋で助かったわ」

 彼女はようやく意思疎通できたような、けれどそうでもないようなISの言葉に呆れながら、コンテナの外へと出た。姿を捉えて振り向く漆黒のゴーレムに、構えを見せつつ対峙する。

 同時に、『甲龍』の機体構造が高速で組み変わっていく。ISコアが全力稼働して一次移行とやらを進めているのだろう。疑似投影されたステータス画面の巡るましい変化を確認しつつ、彼女はISに呼びかける。

「さあ――()るわよ」

『承知』

 両拳を握りしめ、『甲龍』は眼前の敵に殴りかかった。

 

<第16話 了>



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第17話

 薄い煙と燃焼した花火のような臭いが漂う通路。金属の打ち合う音が響く中、俺達は周囲を注意深く見回しながら歩いていた。

『――イチカ。正体不明のISの反応を検知しました』

 不意にユキが立ち止まる。

 正体不明というのが少し気になるが、この辺りにいることは間違いないだろう。『用心して進もう』と彼女に言いかけたその時、行く手の壁が勢いよく弾け飛んだ。

「うわっ!?」

『危ない!』

 通路の内側へと押し寄せるコンテナに思わず足が竦む。

 幸いにもユキの手に引き寄せられたおかげで瓦礫の下敷きにはならずに済んだものの、俺達は進路を塞がれてしまった。崩れたコンテナの山を乗り越えて進むにしても、今度は戻ってこれなくなる危険がある。

 くそっ、引き返すしかないのか……。

『無理は禁物です。戻って別のルートを探すべきかと』

「ああ。でもこんな調子じゃ時間が――」

 こうやって危険に曝されているのは鈴も同じだ。一刻も早く見つけ出さないといけないっていうのに、こんな場所で進めなくなるなんて。

『ですが、それ以外に進む方法は――!?』

 突然ユキの口が止まる。何かに気付いたらしい彼女は、先ほど崩落を起こした辺りに鋭い視線を向けた。

 ん、何か良い方法でも見つけたのか?

『気を付けてください。ISがこちらに接近してきます』

「接近? どうするんだよ、俺達じゃどうすることもできないぞ」

『退避は間に合いません。接敵まで約三秒』

 最悪だ。こんな状況で会敵なんてしたら鈴を探すどころの話じゃない。とにかく距離を――そう、出来る限り離れてほんの一瞬分でも時間を稼ごう。

 思考に従って体が動き、何歩か下がったところで轟く轟音。そうして、目の前の壁がまた雪崩れ落ちる。

 既に山を築いていた残骸の上に積み重なるような形でコンテナが落ち、激突の衝撃で大きくひしゃげる。同時に、聞き覚えのある声が上空から響き渡った。

「あちゃー。さすがにやり過ぎたわね」

 積み上がった歪な丘、その頂点に件のISが音もなく降り立つ。桜色の光に彩られる機械の鎧を身に着けた幼なじみは、俺達をキョトンとした表情で見下ろしていた。

「って、一夏!? なんでアンタまで来てるのよ?」

「訊きたいのはこっちの方だ。大体、なんでお前がISなんかに乗ってるんだよ」

「んー……成り行きって奴?」

 そう言って首を傾げる鈴。

 成り行きってお前、世の中ちょっとした偶然から超兵器とランデブーするなんてことはそう滅多に起こらないだろうが。

 それはいいとしても、一体どこで見つけたんだよ。ISって、その辺に適当に放ってあるような安っぽい代物じゃない筈だと思うんだが。

「まあ、細かいことはいいじゃない」

「全然良くない。――まあ、元気そうなのは何よりだ」

 笑って誤魔化す彼女に呆れながらも、俺はその姿を見たことで少し安堵した。一方ユキはといえば、相手が鈴とわかった今でも警戒心を露わに身構えている。確かにこいつがISに乗ってるのは変かもしれないが、それにしたって用心し過ぎているような……。

『リン。その機体は私を敵視しているようですが』

 ユキは鋭い目つきで鈴を――正しくは彼女のまとっているISを――睨みつける。対する鈴は、その様子に軽くため息を吐いてから答えた。

「ユキちゃんにはわかるんだ」

『ISコアを通して『彼女』の敵意が伝わってきます。今のところ、リンの意思には従っているようですが』

「当然! 散々説教したのに反抗するようなら、仏並みに慈悲深い私だって許さないわ。その辺はこいつもわかってくれてるから大丈夫よ」

 ――お前に限って仏の顔はないと思うぞ、鈴。

 とはいえ、彼女が言うほどに制御し切れているかどうかを確かめる術はない。今は、その言葉通りにISの手綱をしっかり握ってくれていると信じよう。

「ひとまずこの場を離れよう。鈴もこれ以上は戦わなくていい」

 俺は鈴に呼びかける。ISがあるといっても、セシリア達と違って素人だ。たとえ無人機が相手だとしても、慣れていない彼女には相当の負担になるだろう。その上無防備な俺達が傍にいるとなれば、思うように戦えなくなることは想像に難くない。

『イチカに同意します。敵の襲撃に警戒しつつ撤退しましょう』

「そうね。こうして立ち話してる間に追手が来るかも――」

 その鈴の言葉は、半ばで上空の爆発に遮られた。

 

 轟音に見上げた視界に映る漆黒の機体。

 両肩に巨大な箱状の武装を担いだゴーレムが手の先を向ける中、鈴は地面を蹴って相手に突進をかける。発射の直前、彼女の振るった拳に先端を押し潰され、砲と一体化した敵の腕は暴発を起こした。

「言ってる傍から襲い掛かってくるなんていい度胸ね」

 鈴は余裕の漂う声とともに、もう一撃を胴体へと打ち込んだ。武器もなしの近接格闘は損傷こそ与えられなかったものの、その衝撃に突き崩された相手は空中で大きくバランスを崩す。更に彼女は無防備となった敵機に追い打ちを掛け、強引に俺達から引き剥がした。

 一見優勢な状況にも思えるが、武装を持つゴーレムに対して鈴のISは丸腰。ほとんど勢いだけで押し切っている以上楽観はできない。

「ユキ、一旦どこかに隠れよう。それとセシリア達に何とかして連絡をつけてくれ」

『今やっています。『ブルー・ティアーズ』『甲龍(シェンロン)』とのローカルネットワークを構築。各種データ共有により甲龍の機能解除をサポート』

 ISコアの処理内容を呪文のように唱えるユキ。その瞳は『白式』のアクセントカラーと同じ青い輝きを宿している。

 そんな彼女の手を引いて、俺はまだ積み重なったコンテナの影に隠れた。

『イチカ、端末を使ってセシリアと交信してください。バックエンドの処理は私が引き受けます』

「えっと……わかった、任せろ」

 彼女に促され、俺は携帯端末を取り出した。すでに通話状態に切り替わっているそれを耳に押し当てながら、返答を待っているであろうセシリアに呼びかける。

「セシリア、聞いてるか?」

『はい、一夏さん。『ティアーズ』経由で声を受け取っていますわ』

 やけに明瞭な声がスピーカーから響く。口振りからすると、ISを使って直接話しかけてきているのか。

 いや、今はどうだっていい。まずは何とかして、俺達の置かれている状況を打開しないといけないのだ。

 そう心に決めて、俺は彼女に問いただす。

「鈴が今ISに乗ってる。多分だけど、セシリア達もそれは確認してるよな?」

『ええ、所属不明機の起動信号を新たに検知したことは、……今何と? 凰さんが乗っているっておっしゃいました?』

「そうだ、経緯はわからないけど乗ってる」

 結局鈴からは何の説明もなかったし、俺にはそうとしか答えられない。

「――とりあえず武器が必要だ、鈴のISが武装を展開できるように手助けしてやってくれないか?」

『そういうことでしたら、まずはデータリンクの為のネットワークを……あら。既に構築済みなら話は早いですわ』

「それなら早いとこ頼む。今ゴーレムと戦ってる最中なんだよ」

 答えつつ、落下してきた残骸から逃げるように場所を移す。直接拳を交えている鈴は勿論、こうして隠れ凌いでいる俺達もそう長くは持ちそうにない。

 そんな窮状を聞かされたセシリアは、ため息を吐きつつ言った。

『できれば戦闘は避けてくださいと伝えた筈ですけれど、遭遇した以上仕方ありませんわね。――量子格納領域(スロット)には近接武装が一セット、それ以外は輸送の為に外されています。とりあえずこちらを取り出せるよう操作制限の強制解除を試みていますわ。あとは、機体内蔵の特殊兵装ですか。こちらは鈴さんがすぐに扱えるものでもありませんから後回しにしておきましょう』

「詳しいことはわからんが、とにかく任せた」

 ISの知識はまったくと言っていいほどない俺だ。説明されたところで脳味噌が理解することを拒絶してしまう。こういうことは専門家に任せるに限る。

 セシリアのサポートを取り付けたところで、俺は何となくユキに視線を向けた。

『何でしょうか?』

 問いかける彼女は、どこか張り詰めたような面持ちを浮かべていた。本来なら守るべき対象の鈴に戦いを任せ、自分は物陰に隠れているという状況への不満。守られる側に回っている事への苛立ち。その気持ちは、何となくわからなくもない。

 その一方で、俺達を守るために戦う鈴の身を案じているのも確かだった。彼女はきっと大丈夫だと信じて、今の状態でも助けになれることを全力でやろうと足掻いている。

 だからこそ、俺は彼女に言葉をかける。

「大丈夫だ、ユキ。直接戦いには加われなくても、俺達にできることはある。鈴の助けになれることがきっとある」

『わかっています、イチカ。振るわれる力だけが誰かの守護になるわけではないと教えてくれたのは貴方です』

 ユキは頷く。たとえその心の半分は納得していないとしても、その行動が彼女の理解を反映してくれている。だからこそ、俺達の手助けはきっと実を結ぶ。

 緊張を解いた彼女に俺は笑いかけ――。

 

「――対象、確認」

 

 無機質な声のもとに、思考が現実へと引き戻された。 

 

    ■ ■ ■

 

「もう一機――――!? 一夏ぁ!」

 突如一夏の眼前に出現したゴーレムに、鈴は思わず悲鳴を上げた。

 上空の敵機に肉薄した分、甲龍は彼らから遠ざかっている。今引き返したとして、相手の攻撃を食い止められるかどうか――。

 それでも彼の前に割って入ろうと、彼女は機体を反転させた。

『後方ヨリレーダー照射』

「追加でシールド張って! 一夏が最優先よ!」

 隙を曝す形となった甲龍目掛け、ゴーレムが残った武装を向けた。赤く禍々しい光とともに両肩の箱が展開し、連装式の大型砲へとその姿を転じる。警告を促す甲龍のコアAIは、彼女の命令に従い後方のシールドの出力を引き上げた。

「そこを退きなさいッ!!!!」

 咆哮とともに、ゴーレムに向けて直下蹴りを繰り出す鈴。だが、その一撃は予測していたかのようにかわされた。目標を失った一撃は地面を砕き、着地の反動が慣性制御機構(イナーシャル・キャンセラー)の抑制限界を超えて彼女の動きを一時的に封じ込める。

『敵ノ射撃ヲ確認!』

「しまっ――」

 AIの警告に、硬直した彼女の目が見開かれた。

 あれは単なる奇襲ではなく、一夏達の防衛に回るであろう彼女を見越しての動きだったのだ。あわよくば一夏を討ち、阻止されたとしてももう一機の攻撃で彼女ごと倒す為の作戦。ISをまだ理解しておらず、見聞から無人機と侮っていた彼女に、ゴーレムの連携の脅威はわかる筈もない。

 仮にこの場に居たのがセシリア・オルコットやクラリッサ・ハルフォーフであれば、看破した上で覆す策を講じていただろう。が、今しがたISに乗り込んだばかりの凰鈴音には、気付くことも、ましてやその戦術に対抗することも叶わなかった。

「逃げて一夏――――っ!」

 鈴が足を竦ませた織斑一夏に叫ぶ中、上空のゴーレムは四門の火砲を斉射した。炸薬を充填した弾丸が、着弾とともに周囲を揺さぶるほどの大爆発を引き起こす。衝撃に煽られ、壁に勢いよく叩きつけられた彼女は意識を失った――。

 

    ■ ■ ■

 

『――ちか。……いちか』

 誰かに呼ばれている。確か、俺はゴーレムに襲われそうになって、鈴が飛び蹴りを食らわせようとして――。

『イチカ、起きてください。いつまで気を失っているつもりですか』

 その後、何か降ってきたと思ったら爆発して。

 もしかして、俺……。

『『死んだ』とは言わせませんよ』

「うわぁっ!?」

 恐る恐る目を開けたそこには、ユキの姿があった。その背後には燃え盛るコンテナの残骸とクレーターのように深く抉れた地面が見える。

 どうやらここはあのコンテナ埠頭で、俺達は辛うじて命拾いしたらしい。一体どうやってあの状況を乗り越えたんだ――。

「って、なんでお前『白式』を展開できてるんだよ」

 よく見ると、ユキがISを展開している。ついでに言えば、その両腕に俺を抱えた状態だった。どうりで、いつもよりも目線が微妙に高くなっているわけだ。

『緊急事態ということで、強制的に解除しました』

「いや勝手に外しちゃマズいだろ。おかげで助かったけどさ」

『それは何よりです』

 そう答えて、彼女は第二射を準備する頭上のゴーレムを睨みつけた。シールドに守られているとは言っても周囲にこれだけの被害が及ぶような砲撃だ。それに、もう一体がどこから襲ってくるかわからない。射撃は何とか防げたとしても、俺を抱えたままで近接攻撃を捌くのは不可能に近いだろう。

「ユキ。セシリアのサポートを受けて一次移行させるってことはできないのか?」

 俺が尋ねると、彼女は首を横に振った。

『駄目です。確かに演算の補助は可能ですが、形態移行の発動キー自体が『白式』にありません』

「発動キー?」

『製造者が自立稼働型ISをマスターの命令に従わせる為の枷として独自に設定したものと推測されます。解析した結果、外部に思考制御装置(イメージ・インターフェース)を形成する必要があるようですが』

 外部ということは、ISであるユキとは別にそれがもう一つ必要になるってことか。操縦者ではないけれど、ISを正しく動かすために繋がる必要がある……。いかにもあの人がやりそうなことではある。

「でも、どうやってそんなことを?」

『ナノマシンを体内に注入し、浸透させることで外部装置として機能させるようですが』

 ナノマシンを注入って、まさか――。

『すなわち、経口投与による所有者・IS間のデータリンク構築ということになります』

「待ってくれ。それってやっぱりキ――」

 言いかけたところで再び弾丸が降り注ぐ。俺達を狙っての四連射はシールドに直撃した。

 防御の中にいるといっても、爆発を目の前で受け止めているだけにかかる衝撃は想像を絶する規模だ。振り向けられる暴威に思わず目を瞑りながらも、俺はユキを問いただした。

「やっぱりその……キス、するのか?」

『そういうことになりますが……イチカはなぜ恥ずかしがるのですか』

「そりゃそうだろ! だって、男の子が女の子と唇を合わせるっていうのは、その――」

 その、なんというかだな……。

 あえて言葉にしようと思うと余計に恥ずかしくなってくる。ホラ、漫画やアニメでもキスシーンってここぞという時に入るものじゃないか。

『時間がありません。実行します』

「だから待てって! 急に顔を近づけられても――んむっ!?」

 抵抗する間もなくユキと口許が触れ合う。そういえば、こうして唇を奪われるのは二度目か。くそっ、ファーストどころかセカンドキスまで強引に持っていかれるなんて思いもしなかった。

 口を通して流れ込む液体が舌に広がり、喉へと染み込んでいく。広がる異物感で咽そうになっても彼女の頭が離れる気配はない。やばい、このままじゃ息が――。

『――投与を完了』

 おぼろげになった意識に彼女の声が響く。

 いや、これは耳から聞いているんだろうか。彼女の唇はまだ俺に触れているから喋ることはできない筈だ。じゃあ、この声は一体――。

『ナノマシンの浸透を確認。神経組織周辺に共鳴制御機構(ハウリング・インターフェース)を構築開始。ISコアとの同期まで残り五秒』

 脳が灼ける。内側から燃え上がったかのように熱い。目を開けている筈なのに視界が暗闇に閉ざされている。手足がびくともしない。まるで錘を括り付けられでもしたかのように挙動が重い。息ができない筈なのに、窒息の苦しさを少しも感じられない。

 体が、隅々までもが異常を訴えている筈なのに、それでいて嫌悪も恐怖も一切感じない。

 なんだこれは? 俺の体に、今何が起きているんだ?

 戸惑う俺の脳内に、再びユキの声が響く。

 

『三、二……同期開始』

 

 カウントが止まり、俺と『白式』とが繋がる。その瞬間、頭の中に莫大な量の情報が雪崩れ込んできた。

 無機的なデータではなく誰か(・・)の記憶。意図的に欠落させた部分を補完するような、ある人間の有機的な情報(かんじょう)。そうとしか形容できないものが俺の脳の空白を埋める。

 そして――情報の渦に飲み込まれる直前、俺は『それ』が何なのかを理解した。

 

『――識別称号:白式、パーソナルネットワーク構築完了。一次移行を開始します』

 

<第17話 了>



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第18話

 ――俺は千冬姉のことをおぼろげにしか憶えていない。

 

 何かの拍子に切り取られてしまったかのような穴だらけの面影。それさえも彼女が高校生だった時までで、それ以降のことは全く記憶になかった。確かにその場所にいて、俺と生活を共にしていた筈なのに、どういうわけかその姿を思い出せずにいた。

 最初は熱を出して倒れたせいかと疑ったものの、俺を診察した医師は『病気や事故による記憶障害ではなさそうだ』と結論付けた。あり得るとすれば心因性の記憶障害――要するに、強いショックを受けたことで一時的に思い出せなくなった――だろうと言われたものの、当時の俺にはそれらしい出来事を思い出すことはできなかった。

 大体、千冬姉が死んで半年も経っているのに、今になって急に発症するというのもおかしな話だ。鈴にも突然性格が変わったと言われるくらいだから、何の前兆もなく起こったことなんだろう。

 

 結局、その時に原因を突き止めることはできなかった。けれども俺は、千冬姉を思い出せないという状況に納得したわけじゃなかった。

 自分が知らないなら、彼女を知っている誰かに尋ねて回るしかない。たとえ、それが俺の視点とは異なる姿だとしても、そこに確かに存在していた千冬姉の姿なら代わりに記憶の中に留めておきたい。そんな強い思いに引きずられて、俺は彼女の足跡を幾度となく訪ね歩いた。

 行動する上で必要となるものは大体揃っていた。血の繋がった親族ということで、俺が思っていた以上に情報は集まりやすかったし、それでも探れないことは束さんに頼んで調べてもらうことができた。必要な旅費も、千冬姉が遺していた貯金や支給金のおかげで困らない程度に確保できた。それらを使って、俺は連休や長期休暇の度に千冬姉のいた場所を訪れ、事情を話して彼女のことを訊き出した。

 

 ほとんどは軍隊の関係者で、機密にかかわるからと教えてくれないことも多かった。それでも話せる限りの千冬姉の姿を、俺の目の前で懐かしそうに語ってくれた。

 話の中の千冬姉は、大抵『ブリュンヒルデ』と呼ばれていた。その由来は、神話に現れる戦女神の名前。作戦中に誰かが適当に与えた呼び名が、いつしか広まって彼女の代名詞として扱われるようになったらしい。そんな彼女に窮地を救われたIS操縦者や兵士が数多くいたのだと、ある軍服を着たおじさんは語っていた。

 誰かを守るため奮戦する。それは、俺の知っている千冬姉の姿そのままだった。

 

 けれども、ただ一方的に、ただ一人で他人を守っていたわけではなかった。誰かを守る千冬姉がいて、その背中を守る誰かがいる。その人の背中を守る人も、更にその背を守ろうとする人も。互いに守り守られるからこそ戦えるのだ、そう俺は言い聞かされた。

 

『他人を守るために何かと向かい立つ時、その背中はがら空きになる。そのままなら刺され放題、やられ放題だ。だから俺達はお互いの背中を預け、守り合って脅威と対峙するんだ』

 

『坊主、お前の姉ちゃんはいつも心配してたぞ。『あいつは何もかも背負おうとして、周りを見ない』って言ってな』

 

『嘆く必要はないんだ。無防備な背中を守るのは腕力だけじゃあない。心の支えになるってのも、立派な誰かを守る行為だ』

 

 それは俺の思い込みを砕く言葉だった。誰かを守るというのは誰かに守られないこと。誰にも頼らないことだと信じてきた俺に、あの人達の言葉は深く突き刺さった。

 

 誰かに守られる自分を受け入れる、それが屈辱なことだと信じ切っていた。

 千冬姉にとって大きな負担になっているとばかり思い込んでいた。

 力任せでも不条理を打ち砕くことが誰かの幸せになると誤解していた。

 

 でも、それは違う。誰かの手に守られていても、たとえ自分が無力な存在だとしても、必ず誰かを守る方法はある。力を振るい物理的に対処する以外にも手段はある。

 俺はそのことを、数多の守られ守っていた人々の言葉を聞くことでようやく知ったんだ――。

 

    ■ ■ ■

 

 ――篠ノ之束の切り離した『記憶』がその心に触れる。

 道を踏み違えて自壊したかつての自分が、異なる道を歩み直した『自分』と交わる。

 

 それは『白式』に刻み込まれた織斑一夏と、織斑一夏に書き込まれた『織斑一夏』の邂逅。同じ者から出でて別の物へと変わった異物の接触。

 二者の交錯は双方に大きな変化をもたらし、未知の反応を思考の奥底へと伝搬させる。

「そういうこと、だったのか」

 その瞬間、『織斑一夏』は納得したように呟いた。

 ユキの――『白式』を内包する少女の――言動を引きずっていたのは、誰でもない自身の亡霊(きおく)。ゆえに、あの時自分は違和感を覚えたのだろう。

「――でも、あいつの中にいるのは(かこ)であって『俺』(いま)じゃない。今の『俺』は俺自身で、ユキはユキそのものだ。彼女は俺でも、俺の分身を宿す器でもない」

 こうして繋がったからこそ、直に触れたからこそ、その違いが理解できる。だからその在り方を、信条を理解しても、過去あったそれにまた従う謂れはない。忘却を取り戻そうとする中で見つけ出した、新しい自分のやり方を貫き通してみせる。自分はそう心に誓ったのだ。

『力を望むのか?』

「いいや」

 問いただす自分の影に、『織斑一夏』は静かに答えた。

「力なんてなくても、彼女の背中は必ず俺が守ってみせる」

『ふざけるな。力もなしに守れる存在などいない』

「できるさ。たとえ俺にできなかったことでも、今の『俺』は信じて貫ける」

 はっきりと告げて、彼はその存在を真っ向から見つめ返す。束が『白式』に織斑一夏の人格を書き込んだ真の理由はわからない。しかし、その力を御す為に、『彼』を重要な構成物(ファクター)とするシステムを組み込んだことは確かだった。

 ――ゆえに彼は問い、『彼』は力の在り方を指示する。

「お前はユキの力だ。ユキだけが行使できる、彼女自身の力だ。『俺』にはできない形で彼女の支えになってくれ」

『それでいいのか。『白式(コレ)』は異端だ。望めば前提すら覆し、器の意識すら塗り潰して、お前の手足となり得る力なんだぞ』

「まだわかってないのか」

 ため息を吐いた『彼』は、向かい立つ『白式』を相手にはっきりと言い放った。

「『俺』が信じてるのは『白式』じゃない。『白式』(そのちから)を使って俺達を守ろうとする、ユキの想いだ」

『――なるほど。予想外だが面白い回答だな。こうしてまみえるまでは複製と思っていたが、随分と別物に仕上がっているというわけだ』

 『白式』は笑い声を上げた。

『かくいう俺も単なる情報でしかない以上、本物とは言い難い。少なくともお前が書き込まれる以前の織斑一夏は保持されているが、所詮はコア上に構築した模倣人格だ。曲がりなりにも人間のお前の方が、より織斑一夏として相応しいのかもしれない』

「それには賛同しかねるな」

 もしかしたら、鈴や箒から見た織斑一夏は『白式』の方がらしいのかもしれない、と『彼』は思った。

 あくまで自分が千冬姉の記憶を失った直後の話ではあるものの、鈴がその変化に驚くくらいだ。今の『彼』とそれ以前とは大きく差があるに違いない。仮に同じだったとしても――具体的にどうだと指摘できないとはいえ――意図的な忘却と三年足らずの歳月が『白式』のソレとは別の存在に変貌させたことは確かだった。

『まあいいだろう。お前は答えを出し、後は俺が従うだけだ』

 『白式』の声が徐々に遠くなっていく。過剰な同調状態が振り戻されつつあるのだろう。再び曖昧になる意識の中で、『織斑一夏』は彼の最後の言葉を聞いた。

『心の守り手として彼女の背中を預かってみせろ、織斑一夏。それこそがお前の示した『守る力』だ』

 

 そして意識は――現実へと引き戻される。

 

    ■ ■ ■

 

『――白式、一次移行(ファースト・シフト)完了』

 少女の背に純白の翼が開く。大型の推進器を内包したそれは、ほんのわずかな出力で彼女を持ち上げ、慣性制御機構(イナーシャル・キャンセラー)の補助を得て空中に留めている。

 身にまとう外装もその形状を大きく変えた。着込んだ鎧のように重厚な印象さえあったそれは各部で分割・展開され、以前よりもフォルムに沿った形で彼女を包み込んでいる。

 これこそが白式本来の形態。ユキ単独では解放しえなかった本来あるべき彼女の姿だった。

「――――っ」

 両腕に抱える少年――織斑一夏が身じろぎする。ISとの安定した同期状態を構築したことで意識を取り戻したのか、彼はその目をゆっくりと開いた。

『ユキ、その恰好は――!?』

 彼の思考がISコアを経由して伝わってくる。それこそが、彼とのネットワークが築かれた証。

 口を開く前に脳内で言葉となったことで戸惑う一夏を、彼女は穏やかな眼差しで見つめた。

『貴方のおかげです、イチカ』

『――そうか、『白式』を通して俺と意識が繋がってるのか』

『はい。これで貴方とともに戦えます』

 勿論、彼が操縦者へと変わったわけではない。この機体を駆るのはあくまでその身に宿すユキ自身だ。

 だが、もはや一方的に守護されるだけの一般人でもない。彼の思考はISコアと同調し、もう一つの思考制御装置(イメージ・インターフェース)として『白式』に作用する。それは一種の制限解除機構であり、直接ISに働きかけられる機能は、彼女を支える彼の能力(ちから)ともなる。

『防御と攻撃は任せてください。貴方は地上に降りて操作の援護を』

『結局ほとんどの部分はユキに任せっきりだな。まあ、理に適っちゃいるけどさ』

 一旦降下した彼女から一夏が離れる。距離を置いたとしても、思考制御装置を持つ彼とのリンクは維持されている。常にISからの情報は受け取れ、なおかつ彼自身も即座に危機を伝えられる。

 再び接近してきたゴーレム目掛け、ユキは地を蹴って飛翔する。一瞬で近接の間合いまで寄るなり、彼女はその手の中に呼び出した剣を袈裟懸けに振るった。

『はあっ!』

 気合いを込めた一閃がシールドを貫き、敵の胴体を一息に両断する。僅かに高度を落とした敵にもう一撃を加え、その頭部に並ぶ機械の目を完全に破壊した。

 機能を停止して落下していくゴーレム。その影を蹴るように、異なるもう一機が攻撃を仕掛けてきた。その両腕には大型の杭打機が組み入れられている。

『近接型ですか』

 歪な見た目と言えども、繰り出される攻撃は規格外の暴威であることに変わりない。まともに食らえば無事では済まされないだろう。

『標準のシールドだけじゃ防ぎ切れそうにないな。何か武器は――これだ、『試製・雪羅』!』

 一夏の声とともに、左腕を覆う大型武装が展開される。本来は多機能兵装だが、外付け式の複合シールドとしても使えるようだ。呼び出されたそれを目の前に翳し、彼女は敵の殴打を寸前で受け止めた。

 強固な物理盾とエネルギーシールドの積層構造を前に、さすがの刺突杭もその暴撃を阻まれる。動きの止まった相手に彼女は反撃の二斬を繰り出し、その腕ごと武装を切り裂いた。

『助かりました』

『たまたま援護が間に合っただけだ』

 感謝を告げるユキに、一夏は照れながら答える。

 応戦する間に必要な武装を選択し、操縦者の操作を待たず即座に展開する。二者がISコアに接続し、互いの状況を把握しているからこそ可能な芸当だ。

 勿論、タイミングが合わなければ足の引っ張り合いにしかならない。が、この二人に限っては意識して合わせるまでもなく、その挙動は見事に噛み合っていた。

『――視界外から砲撃!』

『合わせます』

 立ち込める煙の合間から放たれた銃弾。ユキはその軌道に雪羅のシールドを割り込ませる。一夏のサポートがなければ急所を貫いていたであろう一撃は、盾の中央に深々と突き刺さった。

『一旦高度を落とした方がいい。また狙撃されるかもしれない』

『ええ。ですが、あれに移動を遮られるのは厄介です』

 コンテナの置かれた高さまで降りながら彼女は言った。発射された方角はともかく、その位置が特定できない。戦闘中に手を出してこなかったことも考慮すれば、着弾に時間差が生じるほど遠方からこちらを狙い撃っている可能性がある。

 攻撃を察知できれば受け止められるといっても、相手が捕捉できないというのはかなりの脅威だ。一方的に攻撃される状況ではこちらも防戦一方にならざるを得ない。

『無理に戦う必要はない。まずは鈴と合流してこの場を離れよう』

 本来の目的は鈴を連れ戻すこと。それを再確認しつつ一夏は提案した。

『はい。幸いにもコンテナを盾に動けば攻撃できないようです。甲龍もこちらへ近づいて――』

『ん、どうしたんだ?』

 尋ねる彼は暢気そのものだったが、彼女の表情はわずかに険しさを増していた。この動きは味方を探してのものではない。まるで敵目掛けて突進しているような――。

『見つケタ』

 彼女の意識の中に歪な声が響く。鈴の声音に似てはいるが、彼女が見せることのない感情を孕んでいる。

 ――それはおそらく暴力的な意思。誰かを打ちのめすという歪んだ決意。

『見つケタぞ、私ノ敵』

 次の瞬間、ユキは衝撃波に突き飛ばされた。その威力に表情を歪ませながらも、彼女は不可視の砲弾を放った元凶を睨みつける。

 視線の先に立つ者。それは、甲龍をまとった鈴だった。

 

 ――いや、それもまた正確ではない。

 鈴の形を借りた『甲龍』。そう呼ぶべき存在が、その場所に浮かんでいた。

 

<第18話 了>



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