SIRENE:Neue Übersetzung (チルド葱)
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Kapitel01【Mädchen, Außerirdischer und Ritter】
ぷろろぉぐ│2006.8.2~3.


『――ああ、ふふ。いやはやこれはいけないな。
 さすがの《串刺し公》と《魔女の鉄槌》といえど、その"蛇"は少々度外れて性質が悪い』


 鍬を持って襲い来る翁の頭を鉤爪のように開いた手で抉り飛ばし、

 上空から飛びかかって来る老婆が頭から生やした羽根を引っ掴んで片手間にむしり、

 異様な体勢で壁を這って来た翁だか老婆だか判然としない――良く言えば中性的な――老人を、痛んでいた壁ごと軍靴の底でバキバキと踏み抜いて、

 ヴィルヘルム・エーレンブルグは呆れたように片眉を上げて「おいクソガキ」と後方に声をかけた。

 

「さっきからこの辺にゃあ耄碌したジジイやらやたら機敏なババアやらしかいねぇんだが、もっとこうたぎる奴はいねぇのかよ。つうかマジでこっちで道合ってんのか? いい加減水ンなか歩くのもダリィ」

「そこ!? お前の問題意識今そこなのか!? ていうかお前なんであれを普通に爺婆認定してるんだ!? 飛んでたろ!? さっきそこ飛んでたろ!?」

「トバナイババア、タダノババア! Go to hell!! You did it, Bey!! ミヤコ、きをつけてすすもう、OK?」

「村の外って……村の外って……こんなアクの強いノリの人間ばかりなのかッ……!?」

 

 2006年、8月3日。羽生蛇村、田堀方面。

 "赤い水"のせいで屍人と化した村人達に特に恐怖するでもなく千切っては投げ千切っては投げしてゆく第三帝国の聖槍十三騎士団黒円卓第四位《串刺し公》と、羽生蛇村に伝わる宗教儀式で生贄にされかけていた少女・美耶古。そしてアメリカ人青年ハワード・ライトは、各々が微妙にずれた危機感や志向性を持ちつつ一時的に行動を共にし、なんだかんだで前進していた。

 

 事の起こりは数時間前。

 雨のように降り出した赤い水と、村中に鳴り響いたサイレンが、この異様な恐怖劇の始まりだった。

 

 

 

 ◎ ◎ ●

 

 

 

 首の後ろを一瞬這った違和感は、ただジッと待つことにも倦んで未だ黄金練成に呼び出されてもいないのにこんな極東に暇つぶしにやって来たためだろうか。わざわざこんなぬるったく空気の湿った非戦闘区域の島国に足を伸ばすなんて、ガラにも無いことをしたもんだなという自覚はあった。

 

 2006年、8月2日。23時頃。

『県道333号線』と書かれた褪せた青色の標識をサングラス越しに見遣って、ヴィルヘルム・エーレンブルグは「アン?」と声をもらしてはたと立ち止まった。

 ジジジ、ジジジと、虫の声だか街灯の切れかけた電球の音だか判然としない高温が鼓膜に張り付く湿っぽい熱帯夜である。月も星も無い空は先ほどまではただ暗かったが、今はなにやら、嗅いだことのないにおいの雲がのったり広がりつつあるような、不思議に重い気配を山道に垂れている。

 斜め後ろから着いて歩いていたルサルカ・シュヴェーゲリンが、急に立ち止まった同胞に「ベイ?」と声をかけた。

 

「なぁに、面白い虫でもいた? 毒虫とかなら前に話した"蟲毒"に使えるから、見てみたいなら捕まえて来なさいな。ま、あたしはパスだけどぉ」

「誰がンなクソ暑ぃ中食えもしねえ虫捕って喜ぶかよふざけんな」

「じゃあ何見て立ち止まったわけ? ていうかココどこよ。シュピーネがおさえた交通機関使わずに退屈しのぎにぶらついてる内に、あたしたちすっかり迷子じゃない」

 

 わざとらしく肩をすくめてため息をついたルサルカの言う通り、ふたりは半ば以上迷子であった。

 派手な戦争もたぎる好敵手も近年不作気味の傭兵暮らしに少々飽きたヴィルヘルムが『ちッとシャンバラでもひやかして来るかァ』と思い立ったとき、ちょうど近くに潜伏していたルサルカも『あら、じゃああたしも一緒に行ってみようかしら』と気まぐれに同行を決めた。そこで手回しの周到な彼女はさっそく黒円卓の器用な仕事人――もとい、予算手配やら情報操作やらの雑用係とも言う――ロート・シュピーネに連絡を入れた。

 あの紅蜘蛛に任せておけば、シャンバラまでの交通券や途中宿泊施設、はては移動中に通る観光地の詳細までまるっと手配してくれる。各々が個性豊かな仕上がりで世俗離れしている気のある聖槍十三騎士団において、シュピーネの社会適合力は稀有な才覚であると言えた。

 実際シュピーネはものの数時間でそれらの手配を済ませてみせたのだが、その手際の良い準備が旅人たる当人たちに活用されずに打ち捨てられたことは、この現状が物語っている。

『劣等どもの面ばっかし見飽きた』とぼやいたヴィルヘルムがぶらぶらと人里離れた山道を歩き、《形成》した車輪に乗って足休めしたりしつつもルサルカがそれに付き合っていた夏の夜。

 まず違和感に気付いたのは、カンの良いヴィルヘルムの方だった。

 

「……においが変わりやがった」

「? におい?」

「生臭ぇんだよ、具体的にゃあいつからかわかんねぇけど。テメェ何か出しやがったか」

「どういう意味で訊いてんのよそれ。女の子に訊く内容じゃないし」

 

 そんなだからモテないのよあんた、とくちをとがらせつつ、ルサルカは翠の瞳を細めて周囲をぐるり、見回した。赤い髪が夜の空気を含んでふわりとなびく。

 車の通らない県道の真ん中。幅の狭いアスファルトは、明滅する街灯の灯りが届かなくなると墨のような闇にとっぷり呑まれている。不意に、その闇の向こうが見通せないし感知も出来ない、まるで切り離された条理の外であるかのような気がして、ヴィルヘルムは未知の違和感に赤い眼をすがめた。

 そのとき、である。

 

 

『――Crazy!!(イカれてやがる!!)』

 

 

 ふたりの左側に鬱蒼と茂った草木の奥、随分と離れたところから、そんな叫び声が微かに聞こえた。

 ぱちりと眼を瞬かせた第三帝国の残党達は、名前も知らない木々の奥に揃って視線を向ける。

 

「……なんだ今の、アメリカ軍かなんかか」

「いや、英語喋ってたら誰でもあそこの軍人ってわけじゃないでしょ」

「く、は……はは! つっても、なぁおいマレウスよぉ、実際臭ってきやがるぜ?」

 

 ――まだヤりたての濡れた血肉の臭いだろうよ、こいつは。

 そう続けるうちにも、この戦闘狂の頭からは、先ほどの細かい違和感やらなんやらはぼろぼろ抜け落ちて行く。みるみる喜色を浮かべ牙のような犬歯を晒して笑んだ白貌のSS中尉を見遣って、ルサルカは呆れたふりで半眼になった。しかしそのくちもとも、仔猫のような悪戯な微笑を隠す気も無くたたえている。

 異常事態に浮き足立って、嗜虐嗜好と残虐趣味を遊ばせて、黒円卓の白い吸血鬼と赤毛の魔女は古びた県道から横に一歩踏み出し、夜露に湿った下生えをパキリと踏みしめた。

 

 

  ●

 

 

 そのとき英語で悲鳴を上げたのは米軍では無く、アメリカからテレビ番組の取材に来ていたクルーたちであった。

 

「お、おい、なんだあれは……!」

「頭がおかしい……人殺しだわ! 殺人よ!」

 

 成人男性が2人。成人女性が1人。幼い少女が1人。

 合計4人の異邦人達が茂みに隠れて見詰める先には、このあたりの集落の住人らしい老若男女がわらわらと集っていた。松明の灯りで浮かびあがる地元民達は何かの祭事を行っているようで、雰囲気はいかにも物々しく、オカルティックであった。一目見たときから、既に尋常でない空気は感ぜられていたのだ。

 その予感は、白衣の女が血を噴いて倒れた時点で目に見える脅威に変貌した。

 異邦人の1人であるメリッサ・ゲイルは、この取材クルーの仲間であり元夫であるサム・モンローが彼女達の1人娘ベラをこんな所に連れて来たことを現実逃避気味に強く恨んだ。「マミィ、ダディ……」と言う震え声を背中で聞いたメリッサは、すぐに「大丈夫よ」と無根拠に返す。隣で黙ったままのサムを横目に睨むと、彼は眼鏡がズレていることにも気付かずに視線の先の凶事に見入り、顔を青くしている。その黒縁の眼鏡は、かつてメリッサが彼にプレゼントしたものだった。そんな些事ひとつさえも忌々しい。

 攻撃的な気持ちで誤魔化そうとはするものの、メリッサの手足はガタガタと小刻みに震えていた。

 

「いけない、殺されるぞ」

 

 斜め後ろで、カメラマンのソルが抑えた声をもらす。その言葉のとおりに、この辺境の儀式は、次の犠牲者をひとりの少女に定めたようだった。黒髪に黒いワンピースの人形じみた少女が必死に何か言ってもがいているのを、この4人のアメリカ人達は恐怖に縫い止められたように見詰めていた。

 

「生贄か? この国には、こんな儀式が生きてるっていうのか……!?」

 

 

 

 ……一方その頃。

 そんな異常事態の模様を木の上から俯瞰せんとするふたつの影は、同じシーンを興味深く目を瞠って眺めていた。

 

「ヘェ、あれも生贄の儀式に入んのかよ。みみっちいっつうか年寄りくせぇなァ」

「あははっ! そりゃあ、メルクリウスのあれと比べちゃあダメよ。こういうローカルな儀式も結構好きだけどね、あたしは。せっまぁい共同体のなかで煮えとごった情がべたべたべたべた絡んじゃっててさぁ、良い感じにえぐいじゃない」

 

 抑揚をつけてそう弁舌をふるったルサルカがきゃらきゃらと笑ったとき、その儀式に茶髪の白人青年が何事か喚きながら乱入するのが見えた。

 

「あら。マレビトの王子様? 辺境のわりに洒落た展開っ」

 

 黒髪の少女を殺そうとしていた長身の男を押し退け、日本人ではないのだろう青年は逃げ出した。儀式の場に集った村人達のなかには武器のようなものや農具を持った者も多い。秘教的な宗教の信徒たる彼らは、突如現れた乱入者に当然のように恐慌状態に陥っていた。

『邪魔するな』『何だあいつは』『よそ者』『捕まえろ!』――まさに先ほどルサルカが挙げた"煮えとごった情"とやらの矛先を向けられて、助けられた黒髪の少女も、助けた青年も、さぞや背筋を粟立たせていることだろう。

 特に、白人青年に押し退けられた長身の男に至っては猟銃を携えていた。暗闇の中とはいえ、ヴィルヘルムとルサルカの目にはその黒い銃身がはっきり視認できている。

 ルサルカの興味はドラマチックな救出劇とこの土着の秘教らしきものにおける生贄行為の呪術体系あたりに向けられているのだろうが、そのときヴィルヘルムは、長身の男の首から上の角度を、すがめた赤眼でジッと見詰めていた。

 

「……何だあいつ、泳がすつもりかよ。あんだけ背中凝視しといて撃たねぇんだから、この国の狩人はオクユカシイこったな」

 

 オクユカシイ。覚えはしたもののこれまで使う機会なんてほとんど無かった単語を舌の上で転がして、喉の奥でくつくつ笑う。奥ゆかしい、ねぇ。逆に『いやらしい』とも言えるのかもしれないが、極東の美観はよくわからない。ああいう俯瞰的な手合いを見るとなんとなく聖餐杯あたりを思い出して、厭味のひとつでも叩きつけてやりたくなる。

 

「あ、でも結構イイ男じゃなぁい? あたしあの中だったら一番タイプだなぁ、あのガンマンちゃん」

 

 ヴィルヘルムの視線の先に気付いたルサルカはそう茶化して、「ていうか他にはもう棺桶と友達ぃって感じのおじーちゃんしかいないし」と続けながらきょろきょろと周囲を見渡した。それから「あら」と、何かを見止めて声をあげる。

 

「あそこにもよそ者感溢れてる人たちがいるじゃない」

「さっきイカれてるだの言ってた奴らだろ?」

「あ、そっか。変なの。こんな辺鄙なところにわざわざ観光に来るなんて随分と物好きなのねぇ」

「違ぇねぇ」

 

 自分達のことはさらりと棚上げしてうんうん頷いたふたりは、そこで関心を、先ほど生贄の黒髪少女を救出した白人の青年に戻した。

 

「さっき逃げた子、誰も追いかけないのかしら?」

「さぁな。どっかでここの猿共なりに防衛線張ってる可能性もあるし、あのガキにゃあ地の利も無さそうだ。やっこさんがその気になったら時間の問題だろ。ま、猿とアメ公の鬼ごっこなんぞに興味はねぇけどよ」

 

 ぺらぺらとそう言いきって、ヴィルヘルムはがしがし頭を掻いた。足場の悪い木の枝を軋ませながら気だるげに立ち上がり、「もう仕舞いだろ」とそっけなく言い捨てる。

 

「どうせだからあのへん喰ってくか? もうちッと面白ぇモン見れるかとも思ったんだが、これで終わりならつまんねぇ。潰せなかったぶんの暇ァあいつらで潰してこうぜ」

「やっだ、ベイってば悪食。ふふっ、じゃああたし、あのクールガンマンちゃんもーらった♪ ジジ専の趣味は無いから、残りはあんたにあげるわね」

 

 と、そのとき。

 

 

 ―――――――ぱぁん ぱんぱん

 

 

 軽口を叩き合っていたふたりの耳に、安っぽい銃声が届き。

 その直後、 ぼ た り 、と 、赤 い 雨 が 空 か ら 落 ち て き た 。

 

「……ア?」

「なによ、これ」

 

 雨脚はあっという間に強くなった。ばらばらと身体を打つ赤い水に、さすがの黒円卓の魔人たちもぽかんと目を瞠る。

 血の雨なら幾度と無く浴びてきた。しかしこんな"赤い水"の降雨、大戦中のどんな人外魔境じみた修羅場でもお目にかかったことが無い。

 常人なら恐れおののきそうな超常現象であったが、この吸血鬼と魔女は黒円卓の騎士特有の『危機感・恐怖の薄さ』もあって、ただ物珍しげに己を濡らす赤い水を浴びていた。

 

 

『ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ――――』

 

 

「……おい。何だってんだ、これァ」

「赤い雨、と……」

 

 "――……サイレン?"

 ぽつり、と、呟かれた単語を言い終えるか終えないかの間際。

 そこで、ヴィルヘルム・エーレンブルグとルサルカ・シュヴェーゲリンの意識はぐるりと暗転し、途切れた。

 

 

 

 ◎ ● ●

 

 

 

 目が覚めたとき、ヴィルヘルムは1人きり、民家か納屋のトタン屋根の上に倒れていた。

 空は赤く濁っていて、永遠に続く夕焼けのようだった。朝なのか昼なのか夕方なのかは判然としなかったが、疎ましい日の光の眩しさは感じられなかったため、半ば寝惚けたまま、ヴィルヘルムはさっさと行動を開始した。

 ルサルカの姿は近くに見えず、気配もにおいも感知不可能。しかしそんなことは些事にすぎない。あっちもあっちで何かやってんだろ、と流して、周辺状況を適当に探った。

 探ってみて――どうやら何かによって引きずり込まれたこの辺境の人里は、随分と笑える異界と化しているらしいことが間もなくして判明した。

 

 目や口など、体中の穴から赤い水を垂れ流しながらゆらゆら歩く屍。

 洪水のように溢れる赤い水。

 たまに聞こえてくる『カユイ~~~』とかなんとかいう、澄んだ高い女の声。

 枚挙に暇が無いそれらの異変をひとつひとつ確認してヴィルヘルム・エーレンブルグが胸に抱いたのは、『シャンバラほどじゃねえにしてもこれァ結構面白ぇ戦場なんじゃねえのか!?』というある意味屈託の無いゾクゾク感(※興奮と高揚による)であった。

 

 そんなわけで、殺しても殺しても起き上がる村人を哄笑まじりにふっ飛ばしながら更に周囲を探索していたヴィルヘルムは、数時間後、あの赤い雨とサイレンの夜に見た生贄の黒髪少女と彼女を救出した白人の青年に、思わぬところでバッタリと出会ったのである。

 

 

 




ぷろろぉぐ、終わり。
次回に続く。

ここからベイ中尉は、美耶古・ハワード組と行動を共にします。
それゆけ【羽生蛇村脱出チーム】!
班長「わ、私は生贄なんかじゃない!美耶古!」
中尉「聖槍十三騎士団黒円卓第四位、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイだ」
ヒーロー「I am a hero! Haward Wright!! Go to hell!! いっしょ、にげる、がんばる!」

個人的には、外国人勢のぶれない感じが非常に微笑ましいと思っております。
ルサルカさんの行き先と身の振り方は、また追々。

ちなみにあえて中尉准尉コンビを取り上げた理由は、葱の好み90%、シャンバラ到着時ふたりで連れ立って来てたしけっこう自然に一緒に行動してそうだよね、というプロットの立てやすさ10%です。


(2014.10.8. こねぎ。)


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視界じゃっく│2006.8.3~4.

『しばしの戯れ、絶望と引き換えの生を貪る恐怖劇の前のいっときのモラトリアムを、どうぞご観覧あれ。

 ……ふむ、何かしら内容のある前書きが必要かね? 三千世界どこもかしこも、慧眼な読者というのはえてして手のかかる要求が多いと見える。
 しかし今はまだその時ではなく、加えて私は女神の、無上の肌理細やかさに輝く絹の如く白くやわらかでありなおかつ清らなる乙女のまろみを帯びた曲線が全世界を祝福しているかのようなまさに愛と抱擁の奇跡を具現したる裸足に触れた砂を保存する作業で少々立て込んでいるのだ』


 夏休みに羽生蛇村にやってきた、アメリカ出身のインターナショナルスクール学生、ハワード・ライト。

 羽生蛇村に伝わる宗教儀式の生贄にされようとしていた少女、美耶古。

 そして髑髏の帝国の悪名高き第36SS所属武装擲弾兵師団中尉にして聖槍十三騎士団黒円卓第四位、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ。

 羽生蛇が異界の様相を呈する際にそこに居合わせ巻き込まれた人間たちの内、奇妙な偶然から彼らは巡り合い、一時的に行動を共にしていた。

 もっとも、「一時的に」とは言っても具体的な期間が定まっているわけではない。ハワードと美耶古はヴィルヘルムが合流した時点で既に『羽生蛇村からの脱出』を目標に行動しており、後から合流したヴィルヘルムはそれに便乗している状態である。ハワードはどうやら美耶古に惚れていた。

 とはいえ、少年少女の逃避行だか脱出劇だか知れない冒険を応援してやろうなどという人の良い考えはヴィルヘルムには当然ありはしない。

 

『……お前は、どうして私たちを助けてくれたの?』

 

 初めて会ったとき、ふたりが鍬を持った屍人に襲われていたところに上機嫌に爆笑しながら乱入したこの黒い軍服の白い男に、美耶古は気丈にそう尋ねた。死者が躍るこの地獄のような村に突然現れた黒円卓の騎士は、まさに不敵で得体の知れない死神のように彼女の眼に映ったことだろう。

 警戒心の滲んだ黒い瞳に睨み上げられたヴィルヘルムはしかし、特に何の駆け引きも気負いも無く、あっさりと本心を返した。

 

『ああ? ンなもん決まってんだろ、ここで遊んでくぶんにはテメェらが一番良い餌だからだ』

 

 しれっとした真顔でそう言ってから『今ンとこ、ここらで一番この死肉連中の格好の標的になってんのはテメェらだろ? ま、よろしく頼むぜ』と牙のような犬歯を晒してニヤァと笑ったヴィルヘルムに美耶古が『嬉しくないし意味がわからない!!!』と噛み付くと同時に、隣で少女とSS中尉の日本語会話を慎重に聴いて状況理解に努めていたハワードは気さくに笑って『OK, ヨロシークー!』とサムズアップして見せた。『今の聞いてなかったのか!? どこもおーけーじゃないぞ!』と色白な顔を怒りで赤くしてハワードの腕を叩いた美耶古に、ハワードは何を思ったか『Oh』とか言って照れたようにはにかむ。たぶんあんまり状況をわかっていない。

 そんなことをわいわい言い合っている間にも当然のように屍人たちは襲い掛かってくるわけだが、ヴィルヘルムはそんな攻勢をものともせずに片手間に死体の山を作っていく。そんな様子を見ていると、さすがの美耶古も、目の前で直接的な脅威を捌いていくこの異様に強い男の同行を拒否する気持ちがくじけてしまった。

 この身元不明の軍人らしい男が並外れた戦闘力を持っていることはどう見たって明らかなのだ。自分達に対する殺意も、どうやら今は無いらしい。

 藁に縋ってでもこの村を脱出したいという極限状態において、美耶古が拗ねたような顔で『……わかった』と頷くのに時間はかからなかった。

 

 

 

 ● ● ◎

 

 

 

 そんなこんなで、彼らは今、田堀地区で一休みしていた。

 住宅地跡となっているここは、昨夜のサイレンと共に空から降り注いだ赤い水の床上浸水に痛んだ木造の家々が、時間に置き去りにされたかのように立ち並んでいる。十年以上は吹きさらしにされていたようなゴーストタウンと化したそんな集落には、目や鼻から赤い水を垂らし歩く屍人たちが生前を反復するかのように居ついていた。

 そんななか、村の奥地である刈割から田堀まで出て来た3人は、比較的きれいな住居に押し入って居間で寝転んでいた屍人を始末し、運動に不慣れな美耶古を休ませることにしたのだ。

 塀の外に屍人を投げ捨てて「ちッとこの家ェ借りるぞジジイ、テメェはそこらの山へでも帰れや」と律儀なんだか外道なんだかよくわからない声をかけたヴィルヘルムがずかずか居間に帰って来ると、座布団の上に膝を抱えて座った美耶古が物言いたげに目線を上げた。

 

「その……びるへるむ」

「…………煮えきらねぇ発音のせいでよく聞き取れなかったんだが、ひょっとしてテメェ今俺のこと呼びやがったのかメスガキ」

「なっ、あっ……~~~っ、悪かったな! お前みたいなヘンな名前の奴、今まで近所にいなかったんだからしょうがないだろ!」

 

 赤い目をすがめて眉をしかめたヴィルヘルムに、美耶古は頬を赤くして怒鳴る。この村から一度も出たことが無く、生贄とされるためだけに育てられてきたというこの黒髪の少女にとって、外国語の発音なんて全くの未知だったのだろう。

 面倒くさそうに「騒ぐなうぜぇ」と言い捨てながら窓枠に腰を下ろしたヴィルヘルムは、猫背気味に背を丸めて膝に頬杖をついた。それから「ベイでいい」と短く付け加える。

 

「つうか用がねぇならいちいち呼ぶな。しゃべくる元気があんなら休憩なんぞ不要だろうが、とっとと外出て犬みてぇにそこらへん歩き回って面白ェ獲物でも誘き寄せて来いや」

「Oh, Yes!! ベイ、ミヤコ! ぼくも、犬派! いっしょ!」

「あーそうかよ。俺ァ犬は嫌いだ」

「Oh…… I see……」

「………でかいガタイの野郎がいちいちしょげてんじゃねえよ、気色悪ぃ」

 

 分かる単語が出たことで嬉々として会話に横入りしてきたハワードが、バッサリ返されたヴィルヘルムの言葉にしょんぼりと肩を落とす。良くも悪くも屈託の無い少年の反応に、さすがのヴィルヘルムも呆れ半分辟易半分、眉をしかめて閉口した。

 他者の明け透けな感情表現に不慣れであるらしい美耶古もわたわたと慌てて『おいどうしたらいいんだお前もっとなぐさめろ』とでも言いたげにヴィルヘルムを睨んだが、この戦闘狂はわざわざそんなことに助け舟を出すお人好しでもない。

 結局美耶古が小声で「おい愚図っ、その、わたしも……犬、好きだよ……」とフォローを入れたことでハワードはようやく元気を取り戻したのだった。

 ともあれ。

 

「それで、ベイ」

「何だよ」

「お前も、見たところハワードとおんなじよそ者なんだろうけど……どうしてこんな村に来たんだ」

「ハア? それ聞いて何がどうなるってんだよ」

「Bey,えと…… Before I came to this village, I was invited here by someone. I told her that. So she think you were also invited」

 

『ぼくは誰かに呼ばれてこの村に来た。だから美耶子は、君もそうだったのかと心配してるんだよ』と早口に言い添えたハワードに、ヴィルヘルムは微かに目を瞠った。

 何者かがハワード・ライトをこの村に招き、そしてここは異界と化した。――この人外魔境じみた人里の異変が人為的なものであることを匂わせる情報である。

 これはますます楽しみが増すじゃねえか、と戦意を遊ばせつつ口角を上げて「そいつァ面白ぇな」と呟いたヴィルヘルムの機嫌の良い横顔を見て、ひとり外国語がわからない美耶古は「いやなんでベイの奴はそんな嬉しそうなの? ハワードお前何話してるんだ……?」とドン引きしたりしていた。とんだ濡れ衣である。

 

「――ま、話はわかった。読みをはずしちまって悪いが、俺ァ誰にも呼ばれちゃいねえよ。ここに来たのも単なる暇つぶしだ」

「へ、へぇ……。ふんっ、こんな辺鄙な所に1人で暇つぶしだなんて、寂しい物好きもいたものだな」

 

 急に話題を戻された美耶古はとっさに意地を張ってそっけない言葉を吐くが、そんな少女の機微などまるで気にせず、ヴィルヘルムは「ハ! 余計なお世話だ」とシニカルに笑い飛ばした。

 

「つうか一応連れはいたぜ、淫売のババアがひとり。あのサイレンで気ィ失ってからはぐれっちまって、今はどこにいんのかもわかんねぇがな」

「……は!?」

「What!?」

「なんだよ」

 

 揃って声を上げた少年少女をジト目で睨むと、「いや、そんなの、心配だろ……!」ともごもごと言い返される。美耶古という少女はこれまでの人間関係の極端な狭さからかツンとした態度が目立ったが、なんだかんだで他人を思いやれる心根の持ち主だった。ハワードも眉を寄せて「しんぱい! さがさないと」と拳を握っている。

 若いふたりのなんとも青臭い反応に、しかし白い男は「気にすんな」とひらり、手を振った。

 

「そう簡単にくたばるような可愛げがあいつにあるかよ。どうせ腹ァ減るか飽きるかしたら合流して来るだろ」

「そ、そんなご近所の家出感覚でいられるもんなのか……? まぁその人もベイくらい強いなら、ちょっとは安心だけど」

「そのババア、どんな子? How old is she? How is her looks? みつけよう!」

「アー……」

 

 億劫そうに、しかし黙っていてもどうせ退屈なので無視するでもなく、ヴィルヘルムははぐれた連れ――ルサルカ・シュヴェーゲリンの姿を頭に思い描いてみた。

 それから片手を地面と水平に持ち上げ、適当な高さで軽く振る。

 

「こんくらいの背丈の女だ。赤い髪に緑の目ぇした、幼児体型のメスガキだな」

 

 ただし中身は2,3世紀生きてる魔女のババアだけどよ、と続ける前に、美耶古が「いやバカかお前!」と怒鳴った。

 

「そんな子とはぐれて何しれっとしてるんだこの愚図!!」

「ああ!? うっせぇな、だからそう簡単にゃくたばんねぇっつったろうが。アレをそこらのガキと一緒にしてんじゃねぇよ低脳劣等が」

「No, Bey. さがさなきゃ」

 

 善人丸出しのお育ちの良いふたりに詰め寄られて思わず怒鳴り散らしそうになったヴィルヘルムに、そこでハワードは、使命感に満ちた顔で張りのある声を響かせたのだ。

 

「Let's 視界じゃっく!!」

「……ハア? 何ぬかしてやがるバーガー野郎」

 

 それは、この赤い水の異界に足を踏み入れた者が何故か、いつの間にか身に付けている、特有の技能の名称であった。

 

 ◎

 

 視界ジャック。

 周囲にいる屍人や人間などの視界を文字通りジャックする――すなわち、他者の視界を遠隔的に覗き見る能力。幻視とも呼ばれるらしい。

『ぼくもこの夏ここに来るまでは、こんな刺激的な能力を身に付けるなんて思ってもみなかったよ』と深夜のテレビショッピングか洋画の変身ヒーローさながらに肩を竦めて笑ったハワードに、ヴィルヘルムは気の無い返事をしながら怪訝な顔をする。サングラス越しにジロジロとハワード・ライトを観察してみても、聖遺物や特殊な能力を持っているふうには見えない。『このガキがレアな特殊能力に目覚めたっつうんなら一戦やらかしてみるのも悪くないんだがな』、などと算段する貪欲な戦闘狂の内心には気付かず、ハワードは『ベイにもできるかも!』と言うと、拙い日本語で視界ジャックのやり方を説明し始めた。

 

「まず、目をとじて! OK?」

「ああ? おう」

「それから……Ah……well……」

「………」

「OK……Oh……oh yes……! More, more……OK……OK!!! Yeahhhhh!! Are you OK,Bey!?」

「……テメェにいっぱしの説明能力がねえっつうことはよくわかった」

 

 さっさと飽きて目を開いていたヴィルヘルムが嘆息し、美耶古も深々とため息をつく。

 

「これで伝わってたら逆に怖いから、いっそ安心した。……とはいえ確かに、目を閉じて意識を眼球の裏に集中させる、としか言いようが無いし」

 

 そう言って自らも目を閉じた美耶古は、生白いまぶたをふるりと震わせた。額に手を当てて頭痛を耐えるような仕種をした後、桜色のくちびるをちいさく開く。

 

「この辺には屍人しかいない。人数はざっと14人」

「……へぇ?」

 

 そこで開示された情報には、ヴィルヘルムも興味をそそられた。座っている窓枠に片手を置いて、上半身をぐっと窓の外に乗り出す。

 聖遺物の使徒の感覚は、人間のそれを遙かに凌ぐ。おまけにこの白い吸血鬼は鼻が利くのだ。

 間もなくして彼は、少女が『視界ジャック』とやらで得た情報が正しい事を確認した。

 

「くは、ははは! おうガキ共、便利じゃねえかよ、ソレ。索敵機能付きの餌たァ、最近の極東は気が利いてやがる!」

「お前の言葉の意味とやる気スイッチの場所は一向によくわからないな……」

「で? 他にわかることはねぇのかよ」

 

 ちょっとどころでなく引いている美耶古の呻くような呟きはあっさり無視して、ヴィルヘルムは身を乗り出した。そんな追加要求が来るとは思っていなかったのだろうハワードと美耶古は「わかること?」と揃って首を傾げる。察しの悪さに舌打ちして、歴戦のSS中尉は親指で外をぐっと指差し、呆れたように「だァから」と歯軋りした。

 

「人数以外にも、装備やら隊列の組み方やら陣形の配置やら、もうちッと使える情報ひねり出せねぇのかッつってんだよ」

「いや………考えたことも無い、かな……」

「Oh, me too」

 

 ちなみにこの『視界ジャック』、ハワード達はヴィルヘルムと合流するまで『屍人に見付かる事を避ける』為に使っていた能力であったのだが、この"戦場のオカルト"にかかると『俺より強い奴に 会いに行く』為のいち機能にすぎなかったのであった。こうなってはもう「(屍人の)逃げ道なんて、ないよ」な状態である。

『はぐれたマレウス・マレフィカムを探す』ことなんて、最早頭に浮かびすらしない。この戦場にさらに充実した暇つぶし要素にいっそう上機嫌になって、ヴィルヘルムはとりあえず、近場にいるという14人の屍人で遊ぼうと窓から飛び降りて外に出て行ってしまったのだった。

 その後、ハワードはハワードで「ミヤコ、おなかすいてない? ぼく、つくる、りょうり!」と言って台所に入って行き、何の肉かよくわからない物で何かよくわからない肉料理を作って振舞おうとし。

 

『てッめぇまだ山に帰ってなかったのかよクソジジイ!! ンな斧で俺をヤろうなんざいい度胸じゃねえか気に入ったぜぇぇえ、ひはっ、ぎゃっはははははは!!!』

『GYAAAAAAAA!!!!!』

 

 ……みたいな盛大なBGMを聞きながら、いろいろ有耶無耶のうちに、美耶古の休憩時間は終わった。

 体力回復と引き換えに、心労が少し増えた気がした。

 

 ◎

 

 結局、ヴィルヘルムは視界ジャックが出来なかった。その上、ハワードや美耶古がヴィルヘルムの視界をジャックすることも出来なかった。

 彼が余程この能力と相性が悪かったのか、それとも普通の人間にしか宿らない能力なのか。細かな点は定かでは無いが、ヴィルヘルム自身はこの技能を特に必要とはしていなかったため、あっさりと「出来ねぇもんはどうでもいい」と流してしまった。

 

「But,Bey. けっこう、おもしろいんだ。視界じゃっく」

「ああ?」

 

 大雨の後の洪水のように膝上まで赤い水が満ちている地面をざぶざぶと歩きながら、ハワードが身振りを交えて気さくに話しかけた。

 なんかもう全然隠れてもいない平和な行進と化している道中であったが、ヴィルヘルムが先ほど14人の屍人たちを駆逐してしまっていたため、なんらの支障もなく3人は田堀地区を横断する。

 

「えーと……They are looking like a play. The corpses are living」

 

『彼らはまるで劇を演じているみたいなんだ。屍人は生きている』と謎掛けじみたことを言ったハワードの精悍な笑顔を、ヴィルヘルムは鬱陶しげに横目で見遣った。それからふと思い出して、「ふうん」と軽く笑い混じりの相槌を打つ。

 

「生きる屍、ねぇ」

「……? 何が面白いんだ、ベイ」

「別に。俺にはンな趣味はねぇけどよ」

 

 眉をしかめた美耶古に問われて、何人かの同胞を思い出していたこの白貌の騎士は喉の奥でくつくつと、愉快そうに笑った。

 

「身内にそういう奴(某トバルカイン)やらそういうのが趣味の女(某大淫婦)やらがいたのを思い出しただけだ」

「変態一族だな……」

 

『やっぱり村の外にはこんな激しい仕上がりの奴ばっかりなのか……?』と仏頂面で思案する美耶古に、『そんなことないんだよ』と教えてやれる人間は、この面子には存在しなかった。

 8月3日、空は徐々に暗くなりつつある。

 今日はこの田堀地区のはずれまで出て、適当な民家で休んでいく運びとなった。

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 その日の深夜、某所。

 ルサルカ・シュヴェーゲリンは、血にぬれたメスをいい加減に床に放り棄てた。花の茎のようなしなやかな指についていた返り血は、あっというまに霧消する。

 可憐な少女には不似合いな暗い手術室の真ん中で、薄赤い照明に照らし出されるのは正しく魔女の微笑であった。困ったように眉尻を下げてはいるが、とろりと細められた翠の瞳は爛々と光っている。

 

「はーぁ。結局こうなっちゃうのねぇ。やっぱりあたし、シュピーネやバビロンほどねちねち根気よく人間パズルなんか出来ないわ」

 

 そうひとりごちて、踵を返しかけた、そのときだった。

 真っ赤に濡れた手術台の上で、蠢く何かが誰かの名前を呼んだ。

 生前の名残も執着も残していながら、しかし決定的に変質してしまったひとつの命について、彼女がどう思ったのか、知る者はいない。

 くちびるに指を添えて気まぐれな仔猫のようにまばたきをした黒円卓の《魔女の鉄槌》は、そこではたと足を止め、小首をかしげた。誰が見ているわけでなくともあざとく、可憐に。

 

「んー……カワイソウだから、もうちょっと付き合ってあげちゃおっかな」 

 

 ベイとははぐれっぱなしだけど、あいつのことだからお腹が空くか飽きるかしたら合流してくるでしょ、と。軽く思考して、ルサルカは改めて、手術台の上を検分した。

 赤い水と見分けのつかない鮮血を垂れ流して、ひとりの男だったものが、そこにごろりと物のように横たわっている。

 

 




ベイ中尉は美形キャラのはずなのに、どんな女の子と絡んでも絶対に将来性のあるフラグを立てられない感じがなんというかいっそ微笑ましいと思います。安心して絡ませられるね!

別行動中のルサルカさんのお話は、ベイ中尉サイドを一周させてから出していく予定です。

(2014.10.12. こねぎ)


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すないぱぁ│2006.8.4.

『ふむ、そろそろ時間切れというわけだ。いやなに、この歌劇が終わるというわけではない。
 始まりが終わり、終わりが始まる。まるで陳腐で稚拙な言葉遊びのようだがそこはどうぞご容赦を、往々にして神話の筋などというものは陳腐でない方が珍しい。

 さぁもうじきに、虫と番った悪趣味な"蛇"が目を覚ます』


「畜生がッ、どうなってんだよこの村は……!」

 

 それは、ハワードと美耶古が初めて聞いた、ヴィルヘルム・エーレンブルグの弱音風の言葉であった。

 鬼のように強いこの男でも、さすがにこんな奇怪な状況下で動く死体を相手取り続けていては気も滅入るのが道理だ。ここまで年少者の自分達には弱みのひとつも見せなかった彼も、実は無理やストレスを重ねていたのかもしれない――と。健気な少年少女は各々心の内でそんなことを考えた。

 快活でヒーロー気質なハワードはすぐに『僕がもっとベイのサポートをしないと』と思い、美耶古は素直にはくちに出せないものの『外のあなたたちを巻き込んでごめんなさい』と心中で呟いて痛ましく表情を曇らせる。

 そんなふたりの様子にはまったく気付かないヴィルヘルム・エーレンブルグは、適当に拾ったその辺の小石を浜辺で遊ぶ子供のように遠投して、数十メートル先で頭に生えた羽根を羽ばたかせて空中散歩を楽しんでいた羽根屍人をあやまたず撃墜してから、スンと白い鼻を鳴らした。

 

「今のババアでここらの死体連中は全滅ときたもんだ。ちっとばかし機敏なジジイかババアばっかでまともに戦争できるとでも思ってンのか劣等の腑抜け共はよおッ! 云億総火の玉はいいが搾りカスみてぇな雑魚ばっか集めてもどうしようもねぇだろうがっ、舐めくさりやがって!」

「エッ」

「エッ」

 

『そこ!? お前の問題意識まだそこだったの!?』と信じがたいものを見たような顔になった美耶古。

『ベイ、僕たちを不安がらせまいと強がって、持参の軍人コスプレに合うウィットの効いたセリフで和ませてくれてるんだね……! So cool! 僕もがんばらないと! I wanna be a man!!』と相変わらずの精悍な表情で拳を握ったハワード。

 そして、歯軋りでもしそうなくらい苛立った様子で猫背を丸めて大股に歩き始めるヴィルヘルム。

 3人の絆は部分的には深まったり深まらなかったりしていたが、道中自体は危なげなく進んでいる。

 2006年8月4日、夕方。田堀から再び刈割に属する山道に入って歩を進めた彼らは、合石岳の見晴らしの良い山道に差し掛かっていた。

 

 

 

 ● ◎ ●

 

 

 

『歯ごたえの無い化け物を嬲ることに飽きてきた』という屈託がないんだか邪気の塊なんだかよくわからない理由で機嫌が悪いヴィルヘルムは、相変わらず屍人の襲撃を荒々しく軽快に捌きながら、ハワードと美耶古が彼と合流する前のいきさつを聞いてみることにした。

 ここまでこの弱者ふたりの情報については『どうせ聞いても滾る要素も面白い要素もまったく無さそうだしなァ』と欠片の興味も抱いていなかったわけだが、ここに至って、そろそろこの奇妙な異界の化け物を誘き寄せる餌としての少年少女の肉質を再確認する必要があるように思われてきていた。カラリとしたこの戦闘狂は、元々他人との会話は嫌いではない方でもある。

 極端な暴論ばかり弾き出すヴィルヘルムは、しかしけっして愚鈍なわけではなく、むしろ頭の回転ははやいし思考力もあった。羽生蛇村脱出を目指すふたりへの同行が無駄足となればさっさと別離してもっと効率よくこの戦場を廻ってみた方が合理的であると、(思考の方向性の如何はともかく)冴えた頭はそう判断したのだ。

 そんな人間離れした動機から交流を図ってきたこの白い男に、しかし少年少女は素直に事情を話した。

 

 というか、ここまで彼ら3人は――ヴィルヘルムは先述した理由によるが、ハワードと美耶古も――合流前についての情報交換をほとんど行っていなかったらしいのだ。報告・連絡・相談がなっていない。

 ハワードに至っては、この山道で初めてフルネームを美耶古に名乗ったときた。別にマジメぶって仕切るつもりなんてさらさら無かったヴィルヘルムだが、これにはさすがに呆れて「バッカじゃねえの」とせせら笑った。

 

「そこはてめえ、最初に会ったときにでも済ましとけよ要領の悪ィクソガキだな! 俺ァ餌の名乗りなんざどうでもイイから改めて訊かなかったがよ、テメェはどうせはじめて会った時からそのメスガキに惚れてたとかだろ?」

「? ……なっ、ばっ、……はあああ!? ベイお前何言いだッ……ィひゃッ!」

「ミ、Miyakooooooo!! Noooooooo!!」

 

 一拍遅れでぼふっと赤面した美耶古が怒鳴ろうとして舌を噛みぷるぷる俯いた隣で、ヴィルヘルムの流暢な日本語をいまいち把握できていなかったハワードは口元を押さえた美耶古にわたわたと慌てるばかりである。

 真っ直ぐ切り揃えられた前髪の下からチロリとハワードを睨み上げた美耶古は、なかなか治まらないらしい舌の痛みを必死にこらえて「お、おまえぇ、かんひぁいひゅるなよッ……!」とろれつの回らないツンを吐く。ハワードはその艶っぽく半泣きになった黒い瞳を見詰め返して赤面しながら「Sorry, pardon? ミヤコ、もういっかいいって」と朴念仁と日本語未熟ぶりを発揮。乙女心の機微なんてわかるはずもない黒円卓髄一の非モテ中尉は、普段はツンと取り澄ました少女の弱った姿を見て空気を読まずにゲラゲラ笑っていた。これはさすがにハワードにたしなめられたが、「俺よりそこの姫さんに気ィ遣ってろや、色男」と軽くあしらう。『姫』や『色男』という単語は知っていたらしいハワードは照れくさそうにはにかんで、なんだかんだこの一連の会話はぬるったい微妙な空気のまま終わったわけだが。

 

 ともあれ、どうやらここまでのハワードと美耶古の情報交換不足は、言語の壁によるところが大きかったらしい。

 美耶古はこれまで半ば軟禁されたような状態で、神に捧げる贄として育てられてきた。その来歴ゆえに戸籍等、俗世と関わるあらゆる要素をそもそも与えられておらず、従って義務教育も受けていないのだ。英語など知るよしも無い。

 一方のハワードは、日本のインターナショナルスクールに通っているとはいえ、未だ日本語を不自由なく使いこなせるレベルには達していない。普通に話していても、スポーツマンらしく短く清潔にカットされた赤っぽい茶髪を掻いて「Well……」と言いよどむことがままあるのだ。こんな常軌を逸した状況をうまく説明できるようなボキャブラリーとなると、少々無理がある。

 しかし今そこには、ヴィルヘルム・エーレンブルグがいた――母語であるドイツ語は勿論の事北米に潜伏していたこともあるため英語も話せて、更にきたるシャンバラでの大儀式時の訪日に備えて日本語もスラングから敬語表現までばっちり身に付けている、この黒円卓の騎士が。今まで戦闘にしか興味をひけらかさなかったヴィルヘルムだが、いざコミュニケーションをとるとなると、絶好の通訳係になり得る人材だったのだ。

 ただちょっとした弊害といえば、ヴィルヘルム通訳を介すとハワードの快活で若者らしいセリフもなんかえらい口汚く下衆な放送禁止ワード入りでアレンジされてしまうことであったが(美耶古はその日『ハワードお前笑顔でなんてこと言ってるんだよ外国人スゴイコワイ』という拭いがたい印象を、これまで狭い村のなかで純粋培養されてきた心に深く刻み込まれた)、それでもまあ、互いが持っていた情報はおおむね共有されたと言える。

 

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

~ハワード・ライトの羽生蛇村紀行~

 

・2006年8月2日 深夜

『永遠の夏がそこにある!』『超かわいい乙女もいる!』とかいう謎のメールで呼び出され、ひと夏のアドベンチャーを楽しむべく羽生蛇村に向かう途中道に迷っていたところ、謎の殺人儀式に遭遇。飛び込んで美耶古を逃がし、自らも逃げ出す。

 ↓

県道に出て停めていたバイクを探そうとしたが、不気味な駐在警官に出会ってしまい、更に出会って1分足らずで『了解。射殺します』とか言われる。日本の警察が予想以上にワイルドで驚きつつ逃げるが、近隣の民家の住人はなんか全員殺害されていた。

なんとか警官をぶちのめしてはみた(民家で入手したハンマー使用)ものの、なんか、警官、復活した。

発砲され、腹に被弾。

その直前か直後にサイレンが鳴り響いたのを遠く聞きながら、土手から転落。気を失う。

 

・2006年8月2日 早朝

気がついたらとりあえず被弾した腹は完治していたので、行動開始。

なんなんだこの村は、と歩いていたところで『アマナ』という外国人女性に出会う。金髪に赤い服。成人はしていそうだが年齢不詳。

どうやら彼女も村の化け物――屍人というらしいと教わる――から逃げ隠れしつつどこかを目指していたので、途中まで同行させてもらう。

 ↓

アマナと別れた後、しばらく山道を歩いていたところで運命の再会。昨夜の儀式時もいた猟銃装備の男に美耶古が絡まれているのを発見する。迷わず助ける。

美耶古は『わたしは生贄なんかじゃない、村から出たい』と主張。猟銃装備の男は『運命に抗ってみますか』とか言ってさっさと去って行く。正義は勝つんだね!(ハワード主観)

男が去った後『……はやくつれていけ』と言いながら美耶古がハワードの手をとって、ふたりは羽生蛇村脱出を目指すことに。

 ↓

その後、田堀方面に向かっていた道中でヴィルヘルムに出会った。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 

 

「……ヘェ? ンだよ、案外といろいろやってやがったんだなガキ。つかこんな頭の悪ィ呼び出しにわざわざ乗ってくるたァ笑かすじゃねえか。ふうん……『アマナ』、ねえ。ハ! この辺鄙な極東の人里にわざわざ海越えて来てる外様が、これでざっと8人もいんのかよ! こいつぁいよいよくせぇな、臭いやがる」

「Oh yes. ベイがみたテレビクルー4にん、ぼく、アマナ、ベイ、and ベイのつれ。……Hmmm」

「胡散臭ェ怪文書につられてのこのこやって来たアメリカンチェリー野郎はともかくとして、他の外人連中も見ときてぇもんだな。そんであの猟銃持った奴ぁ、やっぱりこのメスガキ狙いか」

「Yes! まもる、ミヤコ、いっしょ! むらでる、いっしょ!」

 

「――……いやいやいやバカじゃないのかお前ら!?」

 

 地べたに車座に座って所見を話していた男ふたりに、美耶古はすっかり調子を取り戻して怒鳴った。ハワードはぎょっと大げさに淡い茶色の目を見開いて「What!?」と驚き、ヴィルヘルムは片眉を上げて「ああ?」と呻りながらサングラス越しの赤い目をしれっと美耶古に向ける。対照的な反応に、少女はひるまずに更に声を荒げた。

 

「ハワードお前、腹を銃で撃たれて翌日完治ってなんだそれ!? 受け入れていいことじゃないだろ愚図ッ!!」

「おう、そういやそんなくだりもあったか。ガキにしちゃあ丈夫だなテメェ」

「エヘヘ!」

「えへへじゃないよ!? ……本当に、もうなんともないんだろうな」

 

 ジロリ、とハワードのTシャツの腹あたりを睨む美耶古は、少女にしては意志の強い険のある目つきで怒っているふりこそしているが、すっかり眉尻が下がってしまって表情に迫力が無い。

 ハワードはHAHAHAと白い歯を見せて笑うと、「Oh yah! なんともない、ほんとう!」と自分の腹を叩いて見せた。

 初心なふたりのやりとりの隣で、ヴィルヘルムは後ろ手をついてだらりと上を向き、弛緩した姿勢で思考する。

 

「しかし実際、視界ジャックとかいうのといい自然治癒力の上昇といい、この村に来てからなんかしら体イジられてんだろォ、そいつ。あのサイレンのせいか赤い雨のせいか、他の要因があンのかは知らねぇが」

 

 赤く澱んだ空を見上げながら呟かれた言葉に、反応したのは美耶古だった。

 

「……多分、赤い水のせいだ」

 

 目を伏せてそっと発せられた推測に、ヴィルヘルムはぱちりと目を瞬かせた。それから姿勢を猫背気味の前傾に戻し、白い頭をゆるりともたげて「どういうことだ」と短く問う。口辺にはニィと、隠す気も無い笑みが乗り始めていた。

 

「何か知ってんのかよ、生贄の巫女さんとやらはよお」

「わ、私は生贄なんかじゃないっ!」

 

 その一言に過剰な様子で言い返して、不安定な少女はきゅっとくちびるを噛む。そうして赤くなったくちびるの隙間から深く細いため息を吐くと、気遣わしげに自分を見詰めるハワードを見遣って、どこか自嘲気味に微笑んだ。

 

「この村の秘教である眞魚教の聖典『天地救之伝』に、似たような文があったんだ。『赤イ水 死シャ オキアガル』って。私も詳しくは知らないけど、もし仮に、あれが予言書みたいなものだったとすれば……――」

「――あの屍人っつうのが動いてやがる要因があの晩降った赤い水。そんで、こいつも一遍死んでやがるってか? く、ははは! 面白ぇ設定じゃねえかよ、悪くねぇ」

「もしくは、死んではないにしても、屍人に近付いた存在になってるのかもしれない。赤い水を取り込んでるのはどうせ私だっておんなじだ。だから視界ジャックでつながれたりもするのかも」

「そういや奴ら、いっつも目から赤い水だか薄汚ぇ血だかわかんねえ汁垂らしてやがったわな。理屈は知らんが、マレウスあたりに言わせりゃあ魔道の媒体ってことにでもなんのかね」

 

 そこまで会話してから、手短に要約した今の会話内容をヴィルヘルムが面倒くさそうにハワードに通訳してやる。「Oh」と声をもらしながら耳を傾けるハワードを、美耶古はおずおずと横目に窺っていた。

 

「……怒ったか」

 

 ひとしきり説明を聞き終えたハワードは、額に手を当てて首を振った。それをジッと見ながら、美耶古は抑えた声で尋ねる。

 推測の内容のあまりの奇怪さにさすがにうろたえていたハワードは、それでも美耶古の声を聞くと「なに?」と、ぶつ切りの日本語で問いを返して笑顔を作った。「涙ぐましいこった」と嘆息したヴィルヘルムはそこでさっさと立ち上がり、数歩進んで気だるげに首を揉んだ。青臭い色事にいちいち付き合う気はさらさら無い。有益で面白い仮説が見付かった今は、安いラブコメなんかよりも屍人の身体のほうがよっぽど欲しい。

 背中で少年少女の会話を聞きながら、ヴィルヘルムは赤い目をすがめてめぼしい屍人を探し始めた。

 

「変なことに巻き込まれて、人間じゃない体になったかも、しれなくて。怒ったか」

「! No! えと、ちがう、おこってないよ」

「うそつけ」

「うそじゃない」

「だって、おまえ……!」

 

 赤い空の向こうで、何か光った。

 

「No, ah, well……しびとは、こわい。しびとには、おこる。けどミヤコにはおこってない。ほんとう。ちょうまじ。がち」

「ば、ばか、バカっ……ちょうまじって、なんだよぉ……何語だよ……」

「こんなへんなむらは、ちっともすきじゃないけど。ミヤコにあえたから、いいんだ」

 

 夕焼けが白い火柱をあげるような光景に、サングラス越しにでも赤い眼は眩む。

 

「ミヤコ、がんばる! いっしょ、にげる! OK?」

「…………」

 

『何だあの光』と目をしばたかせたヴィルヘルムのよく利く鼻に、不意に、いつか嗅ぎなれたにおいが微かに届いた気がした。

 

「……うん。がんばる」

「ミヤコ!」

「ありが」

 

 

 

 ――銃声。

 

 

 

 ◎

 

 そこでの判断自体は、ひとつも間違えていなかったと断言できる。

 

 不意打ちだろうが奇襲だろうが遠距離狙撃だろうが、そんなものはヴィルヘルム・エーレンブルグがこの場にいた時点で意味の半分を失っていると言えた。飛来する銃弾くらい、この男は当然素で見切れるのだ。仮にサイレンサーをつけていたとしても対処できただろうが、わざわざご丁寧に音まで鳴らした日にはその襲撃の失敗は確定したも同然だった。

 3人がいた場所は山道の半ば。道の片方は切り立った土手、もう片方は茂みと雑木林で鬱蒼としている。ヴィルヘルムは土手の側におり、美耶古とハワードは雑木林に寄った方に居た。

 銃声は、山の間で反響してはいたものの、どちらかというと雑木林の方から響いた。

 常人離れした速さで振り向いたヴィルヘルムは、そのまま一目で銃の軌道を読んだ。それからグンと大股に踏み込んで、その軌道上に手を伸ばす。

 

 ――メス狙いか、まぁ順当だろうよ

 

 そこまで察した上で、下手に被弾すれば殺されそうな少女を放置するのも危なっかしい。ゆえにまぁ守ってやる、と。即決した歴戦のSS中尉が選んだ回避手段は至極単純、『飛来する銃弾を手で受け止める』というものだった。

 黒円卓の騎士特有の恐怖も警戒もトんだ感覚に裏打ちされたそんな選択は、たとえばあの病的に慎重なロート・シュピーネであれば絶対にしないものであっただろう。しかし別にそこでのヴィルヘルムの判断は間違ってなどいなかった。純然たる事実として、魂の総量が違うのだ。たかだか銃弾一発で有効打になんかなるわけがない。

 そう、それが何の細工もされていないただの銃弾でさえあればの話。

 そしてそれ以外の仮定など、ここまでの屍人達の戦闘手段を見ていればいちいち想定するのも馬鹿らしい。

 

 

 しかし実際、その銃弾はヴィルヘルムの掌に穴を開け美耶古の足の肉を削いだのである。

 

 

「――あァ?」

「いッ、ぐ……!!」

 

 悲鳴をあげる美耶古の傷を確認するのも忘れて、ヴィルヘルムは目を瞠った。

 痛みがある。それも懐かしい類の。軍服規定の手袋ごと打ちぬかれて赤黒い穴の半ば焼け焦げた断面からじくじくと血をにじませる傷口を、赤い眼はどこか物珍しげにまじまじと見詰める。

 見詰めて――銃弾に絡んでいた覚えのある魔力痕を確認したとき、その白貌には熱を孕んだような獣じみた笑みが広がった。

 ――おいおいこいつは、どういう風の吹き回しかは知らねぇが

 

「――……ふ、くははっ、ぎゃははははッ、アーッハッハッハァ!」

 

 ――やっと面白くなってきやがった!

 予想外の展開、降って湧いた異常事態に、黒円卓第四位《串刺し公》は腹を抱えて思い切り哄笑した。

 

 

 

「やってくれンじゃねえかよ、マぁレウス!!!」

 

 

 

 蠢く影を纏った銃弾は、その後数発、立て続けに飛来した。

 

 




ベイ中尉のテンションのアップダウンのツボはSIREN世界の人からすると明確におかしいなと、書いててしみじみ思いました。
美耶古「ううっ、足、痛ぁ……ってベイはなんで撃たれて爆笑してるんだ……!? 頭!? 頭やられたのかお前!?」

燃えるものを書きたいものだなぁと憧れつつもやっぱりマイペースなシリアスギャグ進行になるんだと思いますが、もし気が向かれましたら、次回もお付き合い頂けますとうれしいです。

【追記】
『SIREN:NT』ってわくわく小説検索してみたら拙作しかHITしなかった今日この頃。
「もしかするとハーメルンさんのなかではNTはマニアックなのかな…!?」と不安に思い、ビジュアルイメージを描いてみました。
そんなわけで改めて、羽生蛇村脱出チーム。

【挿絵表示】

左から、ベイ中尉・美耶古様・ハワードくん です。
いっしょうけんめいかきました。少しでもお話のイメージの参考にして楽しんでいただければと思います。

(2014.10.13. こねぎ)


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らいどおん│2006.8.4.

『この舞台上、極東の赤いバミューダ・トライアングルに今幾つの悲劇が起きているのか、諸君には想像出来るだろうか?

 ああ何、このような問いの形を借りた詩にいちいちかかずらう必要は無い。私は回答を求めておらず、諸君には解に至り得るような情報など未だ開示されていないのだから。
 ただ、そう、少々思いを巡らせてさえくれれば、前書きを添える任を預かった者としてはいかにも勤勉にその役目を全う出来たものだと胸を撫で下ろすことが出来るというもの。
 "蛇"は既に目を覚まし、原始の性、原初の夢を追い始めている。
 その腹の内、鱗の裏側には、果たして幾つの悲劇があっただろうか? ――何ただの諧謔だ、道化の戯れ事になど気を遣らず、諸君は目の前の悲喜劇を素の侭味わっていてくれればそれで良い』


 山道で狙撃を受けたヴィルヘルム、美耶古、ハワードの3人は、間もなくして合石岳の羽生蛇鉱山に向かっていた。

 ここまでの道中でもっとも危険度の高そうな狙撃手の襲撃。一騎当千を地で行っていたヴィルヘルムの初の負傷。そして美耶古は、命を狙われているという事実を足の痛みとともにまざまざと実感させられた。

 この状況に、彼らは――

 

「あぁぁぁぁそうだこれだァ、戦ってやつァこうでないと滾らねえよなあああ……! ふ、ぎゃははッ、あッははははははははははははははァ!!!」

「Oh, ベイ、げんき! Fooooooooooo!!!」

「いや『元気』の一種に数えていいのかこれ!? ……い、いや、これが外の常識、これが外の常識、これが外の常識ッ……」

 

 ――かつてないテンションで、襲撃者を襲撃し返すべくトロッコに揺られて疾走していた。

 

 

 

 ● ◎ ●

 

 

 

 少々時間を遡り、数十分前。

 山道での銃撃はあの1発では終わらず、続けざまに、しかもあの場所条件にしては随分と多角度的に続けられた。狙撃手が複数いたのか、あるいは人間離れした速さか手段でもって移動しながら射撃し続けたのか――向こうのやり口は定かでは無い。

 そして、あの魔女が何か仕込んでいるなら想像され得る手数は一気に膨大なものになる。

 

(いいぞ、そうだ、ノって来やがった!!!)

 

 とりあえずその時、掌に穴を開けたヴィルヘルムはゲラゲラ爆笑しながらも美耶古とハワードの首根っこを引っ掴んで、木の根と岩で出来た窪みに力任せに放り込んだ。ほんの一瞬で見定めたそこは見渡しの良い山道よりは安全であるが、足を撃たれた美耶古があまりに手荒い緊急避難に声も出せずにちょっとだけ泣いたことにこの無頼漢は当然ながら気付かない。

 足手まといであり狙撃手の標的である美耶古達をぞんざいに隠したヴィルヘルムはすぐに硝煙や火薬のにおいを追おうとしたが、赤い水の水害にぬかるんだ雑木林や山肌は嗅覚についても気配の探知についてもその感覚を鈍らせていた。「ま、こればっかりはしょうがねぇ」と舌打ちしつつもその端整な白貌は熱っぽくにやついて、地の利があちらの側にあることに心から興がり始める。

 この村に特殊な場が形成されていることはわかっていた。

 死体が動き回っている時点でそのことは明らかだったわけだが、しかし惜しむらくは、これまでその特殊性を活かしたような歯ごたえのある化け物や兵といったものはいなかったのだ。すなわち、『何かがおかしい村ではあるが、おかしさの志向性が無い』。「せっかくこんだけ瘴気くせぇっつうのに雑魚しかいねえのかよ」とぼやきたくなるような半端な仕上がり(※個人の感想です)。

 単なるゾンビタウンならただの洒落た墓場にすぎない。ヴィルヘルム・エーレンブルグに物見遊山の趣味は無かった。

 物珍しいだけの人外魔境、動くだけの爺婆の死体にはそろそろ飽きてきた。そろそろここにしかいないような悪鬼羅刹の一匹でも出して来い、と――思っていたところに、《魔女の鉄槌》の聖遺物の効果が付加された銃弾ときた。

 

「くはっ、はは、ひゃはははは! そろそろここらの"ご当地キャラ"とやらの面ァ拝みたかったとこだったんだが、上等じゃねぇか面白ぇ。てめえが"そっち側"だっつうなら退屈凌ぎくらいはしてくれンだろ、なあ、マぁレウぅスよおおおおおおおおおッ!!」

 

 予想外のゲテモノだ。まったく悪くない。あの享楽的で気分屋な女がどこで何を考えて何をしているというのかはこの不透明な状況では何一つわからないが、そんなことはどうだって良かった。重要なのは目の前の戦場に、なかなか面白そうな戦力や展開が投入されつつあるらしいというその一点。

 ゾクゾクする程の歓喜にひたりつつ大音声で喚き散らして周囲の屍人のにおいと気配に喰いつきに行こうと飛び出しかけたヴィルヘルムに、岩の影から「Bey!」とハワードが声をかける。

 

「Are you OK!? Where is the …」

「あぁ!? うっせぇな撃ってきた野郎ならとっくにどっか行きやがったよ! 狙撃失敗しといていつまでもチンタラ隠れてやがる間抜けじゃねえみてぇで安心したぜクソッタレ!」

「ミヤコ、あし、うたれた……! ベイも、手、だいじょうぶ?」

「テメェらと一緒にすんなボケが、ンなもんすぐ塞がる。そんなことより――」

 

 そんなことよりこっちはさっさと敵に追撃のひとつでもぶちかましてやりてぇんだよタイミング良く声かけてきやがってぶち殺すぞアメ公が、とか考えていたヴィルヘルムであったが、そこでハワードの後ろから、痛みに震えながらもはっきりとした美耶古のよく通る声が響いた。

 

「……鉱山、だ。撃ったやつは、鉱山に逃げた」

 

 その言葉に、男2人は揃って美耶古を見遣った。

 汗ばんだ額に手をあてて、少女はかたく目を閉じている。視界ジャックをしているのだと、彼らはすぐに気が付いた。ハワードも慌てて美耶古に倣い、唯一視界ジャックが出来ないヴィルヘルムは「で?」と、赤い眼を爛々と輝かせて続きを促す。

 

「………暗いな。奴らの巣みたいだ、沢山いる」

「Oh……! はうしびと、いっぱい。And, ……What? Is that a monster……!?」

「ベイ。どうやらあそこは、ここら辺で一番の屍人の溜まり場になってる」

 

 そう言い切って目を開き、少女の黒い瞳は同行者2人を見上げた。そんな美耶古を睥睨して、ヴィルヘルムも「よし」と頷く。

 ふたりの発言は、同時だった。

 

 

「だから鉱山は全力で避けて行こう」

「なら次の行き先はその鉱山だな」

 

 

 …………。

 しばしの沈黙。

『うん? なに寝惚けてんだこいつ』とでも言うような怪訝な顔で「ハ?」と首を傾げたヴィルヘルムに、美耶古は一拍と言わず五拍ほど絶句した後みるみる眉間に皺を寄せて突っ込んだ。

 

「や、ちょっ……いやいやいや! ベイお前なんで敵がいるってわかってて突っ込んで行く気満々なんだ!?」

「はぁぁ? なんでそこに敵がいるってわかってて突っ込んで行かねぇんだよおかしいだろ」

「エッ」

「ンだよ」

「エッ」

 

 お互いが、相手の発言の意図を理解できない。『会話のキャッチボール』というよりむしろ、『会話のサッカーVSボウリング』ぐらいの異種コミュニケーションである。ものの見事に全力ですれ違ったふたりを、ハワードがきょとんと見比べた。

 

「やっ、……でも! わかるだろ愚図ッ! そんなの普通に考えて危ないだろうが!」

「あーあーあーキャンキャンうぜぇなあ! 世間知らずの箱入り生娘が猿しか住んでねぇようなセコいド辺境の常識語ってんじゃねぇよ」

「んなっ……!」

 

 鬱陶しげに吐き捨てられたデリカシーのデの字も無い言葉は、何気に美耶古の気にしている部分をざくりと刺激する。

『外の世界に出たい』と願い続ける彼女は、自分が外の世界に受け入れられないかもしれないことに心の奥底で怯えていた。

 この少女にとって、この村に居続けることは『生贄としての生』を――言い換えれば『死ぬためだけの人生』を――是認することに他ならない。産まれ故郷である羽生蛇村は、美耶古にとっては約束された墓場でしかなかったと言える。

 村が墓なら、外は生者の楽園だ。少女にとって、村を出ることへの強い意志は、彼女にとっての生の希求に等しかった。

 だからこそ、性格上態度には決して出さないものの、美耶古はハワードやヴィルヘルム達『外』の人間に必死に受け入れられたがっている。

 承認が欲しい。村の外に連れて行って欲しい。いっしょに生きようと言って欲しい。……少しでも、彼らに馴染みたい。

 ツンツンした態度の下でそんなことを健気に考えていた美耶古にとって、自分の持っている常識を『外』の人間に否定されるのはなかなかショックなことだった。自分が世間知らずであることだって自覚している。ゆえに美耶古はヴィルヘルムの暴言に対して、顔色を赤くしたり青くしたりして、ぐっとくちをつぐんだ。

 

(も、もしかして、外の世界ではベイの考え方の方が一般的なの、か……?)

 

 眉を寄せ、黒い瞳でチラリと窺う。白い男の表情には、明らかに危険な戦地に飛び込むに当たっての迷いや冗談は一切感じ取れない。それはそうだった。だってこの黒円卓第四位の騎士は根っからの戦闘狂だ。

 しかし美耶古は、ヴィルヘルムが『外』でばっちり異端者扱いされていてついでに言うと国際的に指名手配までされていてもっと言うと1939年くらいから既に"人間"を卒業している、『常識』のサンプルにするには大変問題のある人物であることを、幸か不幸か知らなかったわけで。

 そして更に幸か不幸か、もうひとりの同行者ハワード・ライトもなんだか良くも悪くもえらくアグレッシブだったため「Yes, ヒーローはきけんをこわがらない」とかなんとか言って隣でうんうん頷いているわけで。

 

「じゃ、じゃあ……鉱山、行く……か……?」

「だァからそうだっつってんだろ、トロくせぇ馬鹿女だな。もう一発鉛ぶち込んで貰って目ぇ醒ますか?」

「ミヤコはだいじょぶ、ぼくがまもる! がんばろう!」

 

 戦闘狂とアグレッシブ脳筋と顔を見合わせ、美耶古はいろいろ釈然としないままおずおず頷いたのだった。

 

 

 ◎

 

 

 そんなわけで一行は、合石岳の山道から羽生蛇鉱山に入ることになった。

 古くから羽生蛇鉱業に所有されていたその一帯には、採掘用に管理小屋や坑道が整備され、トロッコの線路が山肌を這い、暗い坑道の奥にまでずるずると伸びている。三角形の盆地に出来ているらしいこの村を囲う山の一角が、この鉱山であった。

 今、この鉱道のなかがどうなっているかは知れない。

 ヴィルヘルムはトロッコの線路の真ん中をずかずか歩きながら、背後を振り返らずに「おい」と声を投げた。美耶古をおんぶしたハワードが「なに?」と顔を上げる。

 

「テメェじゃねぇよ、そっちの女だ。シケた爺婆はどうでもいいからあの狙撃手に視界ジャックしとけ」

「う……わ、わかった」

 

 視界ジャックという能力は、どうやら視界を覗き見ている間、その視界の持ち主の声も頭に流れ込んでくるらしい。目の疲れや視界に映りこむ朽ちた死体達というグロ映像に耐えつつ、更に屍人の独り言ラジオを絶えず垂れ流されるという、なんとも精神力が削られる能力なのだった。

 狙撃手の視界を探る美耶古を背負って軽々と歩きながら、ハワードは「ベイ」と声をかける。

 

「なんだよ」

「ぼく、あるく、もっとはやいほうがいい?」

「そりゃア、出来るもんならな。つってもテメェら置いてってみすみす獲物を逃がすなんざアホらしいし、ガキの体力なんざ端から期待してねぇよ。死なねぇ程度に死ぬ気で歩けや」

「Hmmmm……It would be better to use these lines……Isn't it?」

「ああ、それが出来りゃあ手っ取り早ぇわな。そこらに使える奴見つけたら試してみるか」

「All right! ぼく、うんてんとくい!」

「そうかよ」

「な、なに話してるんだお前ら……? あ、視界ジャックできたぞ。こいつだ」

 

 ひとりだけ英語がわからない美耶古は首をかしげながらも、目を閉じたまま慎重にくちを開いた。

 

「……今は、坑道の奥に入ってるらしい。『この村は終わりだ』とか『せんせい』とか、なんとか……言葉は濁ってて聞き取れないな。何を考えてるかわからない」

「ヘェ。ってこたァますます、バーガー小僧の策で突っ込むのが得策ってことかね」

「? な、なんかわからないけど、私は視界ジャックを続けたらいいんだよね?」

 

 視覚を視界ジャックにあてている美耶古は、知らず知らずのうちにハワードの肩にきゅっと頬を押し付けている。嬉しそうにはにかむハワードは、大股に進むヴィルヘルムに早足で着いていく。

 ざりざりと、赤い雨ですっかり湿った枕木を靴底が磨る音だけが周囲に響いていた。採掘場の辺りか坑道に引っ込んでいるためか、屍人はまだほとんど姿を見せない。狙撃の直前のいっとき、鮮烈過ぎる朝焼けか夕焼けのように光った空は、今はまた赤く薄暗く濁っていた。雲の流れは少々早く、荒くなっただろうか。その割に、この村には不思議と風は吹いていなかった。

 

「しッかし、坑道の奥なぁ……カッタリィとこ入りやがるじゃねぇかよ」

 

 ふ、と嘆息したヴィルヘルムは、移動のことではなくその後の戦闘のことを考えて眉をしかめた。

 暴れ回って下手に土壁を抉り飛ばせば生き埋めだ。別にそれで死ぬということはないが、《形成》以上の位階を行使するならせせこましい穴倉の中より外の方が断然良い。ヴィルヘルムは戦闘に関してはまぁオールラウンダーだったが、あまりに狭い屋内戦闘は周囲の設備を破壊することが避けられない。

 ルサルカが本当に向こう側についているのかどうかは定かでは無いが、あの魔女が突然何の理由も無くヴィルヘルムを敵に回したがるとは考え難い。とすると、先の襲撃の意図と、そこに絡んでいた魔力との関連は今のところ謎である。動物的な勘の冴えるヴィルヘルムは、なんとなくだが、ルサルカ本人が狙撃手を操っているとは思っていなかった。しかし

 

(せせこましい坑道、ねぇ。事象展開型のクソババアにはそれなりに相性の良さそうな立地じゃねぇか。結構なこった)

 

 もしそこにあの魔女の策が絡んでいるとするならば、のこのこ入り口から入って行くのも阿呆らしい。どうせならもう山肌を削って外から潰してやるか《薔薇の夜》でこちらがこの一帯を掌握してしまっても良いのだが、そんな気分でも無い。よほど滾る獲物でも目の前にいなければ、上位位階の能力は使う気が起きないのだ。

 頭の中で戦場を回すヴィルヘルムは、厄介がりながらも機嫌は上々。この緊急事態が始まってから感情表現がいっそう豊かになったSS中尉は、くつくつ笑いながら挑発的に後ろを振り返った。

 

「どうせなら外に誘き寄せられりゃあ気分良くヤれるんだがな。おいメスガキ、テメェが的なんだろ。なんとかして呼べねぇのかよ」

「なんでお前そんな楽しげなんだ……わざわざ屍人を呼ぼうと思ったことがないから、誘き寄せる手なんか考えたことも無いし。あいつら目と耳はいいみたいだから、姿を見せるか音を出すかすれば寄って来るだろうけど」

「はーん。目と耳ねぇ……」

 

 話しながら線路の上を歩いていると、鳥居のように木を組んだ骨組みだけのトンネルが幾重にも連なっているところにさしかかった。落石対策か何かの為と思しきその簡素な木造トンネルの手前には、線路の上に空っぽのトロッコがひとつ、ぽつんと取り残されている。ハワードはそれを見ると「Oh!」と嬉しそうに目を見開いた。

 

「あった! I get it!!」

「おう。いいんじゃねぇの」

「ん? な、なに? わっ、こら! きゅっ、急に走るなこの愚図っ」

 

 キラキラ笑顔でトロッコに駆け寄るハワードだが、美耶古は現在、狙撃手に視界ジャック中である。自分の周囲に何があるかはまったく見えていない。それでも視界ジャックを続けていられるのは、ツンケンしながらもハワードやヴィルヘルムに随分と気を許している証左であった。

 ぎゅっと肩におでこを押し付けて文句を言う美耶古に、ハワードは少し頬を赤くしつつ「Oh, ごめん、ミヤコ」と謝る。それから美耶古をおぶったまま、迷わずトロッコに乗り込んだ。

 

「だいじょうぶ。ぼく、さいきん、免許とった! Ride on!」

「め、めんきょ? お、おい、何だ今すごい揺れたの。ひ、つめた……なんだこれ、床? 箱か?」

「そんじゃあ押すぜ」

「お、おす? ベイも何言っ――」

 

 美耶古が言い終わる前に、ヴィルヘルムの軍靴が、ハワードと美耶古が乗り込んだトロッコを勢い良く蹴った。

 車輪が一瞬浮き上がり、直後、線路に火花の轍が走る。『バキキキキィィィィ』みたいな金属と敷石の悲鳴とハワードの「Yeahhhhhh!!」という、アミューズメントパークで絶叫マシンにでも乗っているかのような歓声が合石岳にこだました。

 予想だにしない慣性で後ろに仰け反りかけた美耶古の後頭部をその艶のある黒髪ごと邪魔そうに掴んでハワードの肩に押し付けながらヴィルヘルムが車両後部に飛び乗ったところで、線路はゆるい下り坂に差し掛かった。荒っぽく揺れながらも更に加速するトロッコは、骨組みだけの木造トンネルを猛スピードでくぐってゆく。

 ビュンビュンと後ろに流れてゆく景色を、ヴィルヘルムは普通に横目に見て、面白い敵はいないかと貪欲な笑みを浮かべて赤い眼を光らせていた。動体視力が素晴らしすぎて、スピードに関しては特に感動も無い。

 ハワードは無邪気にはしゃいでいた。ちなみに彼が最近取得した免許というのは、バイクの免許である。トロッコぜんぜん関係無い。

 美耶古は、なんというか、言葉も無かった。

 

「――――――」

 

 反射で歯を食いしばったおかげで舌を噛むことは無いが、ぎょっと目を見開いてしまって視界ジャックは中断された。バッと開けたその視界は、冗談みたいに後ろへ後ろへ流れて行く。

 こんな速い乗り物、美耶古は今まで一度だって乗ったことがなかった。空気を切って突き進むと目が一気に乾くのだということも今初めて知った。銃で撃たれて肉が削げた足が、弾み揺れるトロッコの硬い床の上でまたじくじく痛んで熱を持った。止まりきっていなかった血がにじむ。それとは別に、乾いた目からはほろりと涙が零れ落ちた。

 ああ村の外へ出たい、と、思った。

 この線路がこのまま『外』まで続いていればいいのにと、美耶古は呆然と渇望した。

 

 

 

 ● ● ◎

 

 

 

 その後、そんな乙女の感傷などお構い無しに、響き渡ったトロッコの駆動音とハワードの憚り無い絶叫に誘き寄せられた近辺の屍人がわらわらと線路に集り、疾走するトロッコはその屍人達をぶちぶちと跳ね飛ばし轢き潰してなんだかんだ程よく減速した。

 

 血飛沫と肉片を浴びたヴィルヘルムは途端に頭のネジが吹っ飛んだように「あぁぁぁぁそうだこれだァ、戦ってやつァこうでないと滾らねえよなあああ……! ふ、ぎゃははッ、あッははははははははははははははァ!!!」と哄笑し。

 ハワードは「Oh, ベイ、げんき! Fooooooooooo!!!」とかトロッコを満喫した後、血を拭ってさすがに滅入った顔をしつつも「It's more fantastic than ZOMBIE-NIGHT in USJ」とこの場の誰にも通じないジョークを言っておどけてみたり。

 美耶古は涙を血で洗われてすっかりいつものテンションに戻り、「いや『元気』の一種に数えていいのかこれ!?」とツッコミを入れたり「い、いや、これが外の常識、これが外の常識、これが外の常識ッ……」と『外』の常識(※感じ方には個人差があります)に馴染もうとブツブツ自己暗示をかけ。

 

 肉ブレーキで良い塩梅に停車したトロッコを各々そんな調子で降りた3人の前には、羽生蛇鉱山の地下坑道の入り口のひとつである痛んだ木造の管理小屋が頼りなく、しかしどこか物々しく建っていたのだった。

 

 




羽生蛇村いちのスピードアトラクション『トロッコ』!
元気に働く屍人さんたちにも会えて、気分はまるでサファリバス。ほんとにほんとに心肺停止状態だ~!☆
ブレーキは外付けです。大きな声を出して、屍人さんたちをおうえんしよう!
(※停車時に濡れる恐れがあります。ポンチョは村外で予めお求め下さい)

みやこちゃん(16歳)もハワードくん(18歳)もヴィルヘルムくん(89歳)も、トロッコにおおはしゃぎ!
この辺はSIREN:NT原作でもハワードくんのスタイリッシュアクション目白押しのファンタスティックな場面です。ヒュウヒュウ!
8月4日のお話は、もうしばらく続きます。

(2014.10.25. こねぎ)


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ゆきえせんせい│2006.8.4.

『さて、事此処に至っては最早言うに及ばぬ事かとも思うが、この歌劇は異なる条理どうしが噛み合い生まれる、奇妙な形の合いの子のようなもの。
 ゆえに、今一度この点をご留意願うとしよう。
 噛み合い、つがい、そうして生まれたこの珍奇な筋書きにおいては、元の条理には存在し得なかったような在り様を与えられた役者達も存在するということを』


 はやく、はやくさがさなきゃ。

 赤い服に身を包んだ女――アマナは、金髪を振り乱して丘を駆ける。

 はやく。はやく。はやく。

 口を開いて荒く息を吸う。

 

(珍しい実を、はやく、返さなきゃ)

 

 死者の踊りを横目に微笑みながら、アマナは「ああ!」と空を仰いだ。

 まるで父親に褒められたい少女のように色白の頬を赤く染めて、つぶらな瞳を目一杯開く。「Turn! ――Turn, turn!」と、久々に発した懐かしい言語で口火を切れば、言葉はもう止まらない。

 

 ――回る、回る、回る、回せ、回せ、回せ! ああそうよ、わたしを愛してわたしが愛してあの子を愛したわたし達の世界を回さなきゃ!

 

 

 

 ○ ● ●

 

 

 

 屍人達の肉を擂り潰しながら停車したトロッコは、車輪に肉や骨の欠片が絡みこんでもう走れないようだった。線路と車輪の間で未だぎちぎちと蠢く死体を見下ろして、身を乗り出したヴィルヘルムはサングラスの奥の赤眼をすがめ、眉を寄せる。

 

「バカかこいつら? 劣等どもの肉だっつうの抜きにしたって、これは喰う気になんねえな。雑魚のすり身なんざ趣味じゃねぇ」

「なんでここで食事の話題に入ってけるんだお前……」

 

 ヴィルヘルムの猫背をジト目で睨んだ美耶古は、ハワードに手を取られてトロッコから降りた。この惨状をカマボコ生産工場みたいなくくりで処理しているらしいこの白い軍人男はやっぱりネジが吹っ飛んでるんじゃないかと考えると、ハワードなんかは至って普通に見えてくるから相対評価というのは便利である。

 外の世界の常識について、美耶古はまだ、少々は希望的疑いを持っていた。『ベイはやっぱり違うだろ……ちがうだろ……』と脳内で自分に言い聞かせながら、美耶古はもうひとりの異邦人であるハワード・ライトを見上げる。さあ頼むから私に『普通』を見せてくれ。

 ちょうどそのとき、ハワードが彼の足元に転がった屍人の腕を見下ろして「Oh!」と眼を見開いた。

 

「Shot-gun!」

 

 そうして煽るように口笛を吹きながら拾い上げたのは、先程までこの屍人たちの誰かが持っていたと思われる血濡れの狩猟用散弾銃である。白い歯を見せて明るく笑ったハワードは、「エッ」と銃を凝視した美耶古に親指を立ててみせた。

 

「だいじょぶ! ミヤコは、ぼくがまもる! ぼく、じゅうつかう、とくい!」

「あっ、えっ、う、うん……そうか……」

 

 戦闘行為を辞さないスタンスは、どうやら村の外では万人共通の原理と見て良いのだろうか。

 残弾数を確認し、倒れた屍人の弾倉入りの鞄を肩に掛けてからまた美耶古を背負い直したハワードを見て、ヴィルヘルムも「ま、いいんじゃねえの」と薄く笑む。

 

「子守りなんぞに気を回すつもりはさらさらねぇが、俺が遊んでる間に勝手にのたれ死なれんのもつまんねえ。使えるモンは好きに使って派手に"客寄せ"しといてくれや」

「OK! Counts on us!」

 

 ハワードがヴィルヘルムの言葉の意味と意図をどれくらい理解できているかはとてもあやしいが、ともあれ彼らはひき肉まみれのトロッコから離れ、坑道への入り口と抗夫の詰め所を兼ねた小屋にずかずかと侵入した。

 土手沿いに建てられた小屋の奥には、地下の坑道に繋がる扉がある。暗く翳った屋内はぞっとするほど静かだが、扉一枚隔てた向こう側には屍人達がそぞろ歩いているのだろう。小屋の中は一面土間になっており、壁沿いに作業台が備え付けられている。壁には色褪せたカレンダーやグラビアアイドルのポスターが貼られたままになっていた。部屋の中央にはヤカンが乗っかった石油ストーブまで放置されており、田堀地区と同様、この鉱山も異界化する前の生活臭を色濃く残している。

 そんな内装をジロリと睥睨して、ヴィルヘルムはハワードに背負われた美耶古に「おい」と声をかけた。

 

「あの扉の奥が坑道なんだろ。野郎はまだそこにいやがんのか?」

「あ、ああ。ちょっと待て、今視界を――」

 

 すぐに目を閉じて視界ジャックに切り換えた美耶古は、そこで思わず言葉を切った。

 一度覚えた相手は、次に視界ジャックする際に素早くチューニングを合わせることが出来る。だから今繋いだ相手は間違いなく、先程までジャックしていたあの狙撃主に間違いない。感覚がそう告げている。

 

 ――しかし接続された視界には今、赤い空の下、ちいさな木造の小屋が見えているのだ。

 

「あ、上がってきてる……」

「あ?」

「あいつは地下から上がって来てる!」

 

 

 

 掠れた小声で美耶古がそう叫んだ直後、ヴィルヘルムの耳にもそれらしい声が聞こえた。『この村は終わりだ』だの『せんせい』だのと、美耶古がトロッコに乗る前に挙げた通りの言葉が遠くから。常人離れした感覚器をくすぐるノイズ混じりの屍の声に、ヴィルヘルムは「へえ」と首をもたげる。

 

「どうやらテメェの言う通り、マジでもう近くまで来てやがるな。地下と行き来できんのはここだけじゃねぇらしい」

 

 低い声で呟きながらも、白い面にはみるみる喜色が広がっていく。そしてそれと比例するように、美耶古の顔には恐怖がみるみる広がっていく。といっても、この目聡い吸血鬼は、しかし同伴者の少女の顔色なんかにはいちいち注意を割くわけがなかった。

 大事なのは、ただ一点。見込みのありそうな敵が、近くまでのこのこ出向いてくれているらしいということのみである。

 ゆえにヴィルヘルム・エーレンブルグはひとときも迷うことなく、彼一流の理屈でもって次の行動を独断即決した。

 

「テメェらは適当にやってろ」

「へ?」

「Bey?」

 

 短く言い捨てて、回れ右。大股に軍靴を踏み出して、先ほどくぐったばかりの扉を今度は外に向かってくぐる。赤く濁った空の下、初雪の色の髪がふわりとなびいた。押し退けたハワードと彼の背の上の美耶古が何か言うより早く、ヴィルヘルムはもう狙撃手のいる方角とそこまでの直線距離にあたりをつけていた。

 だったらもう狩りにいかない手は無い。

 任務だとか儀式だとかの縛りが無い戦場において、この男は怖ろしく奔放なのだ。もったいつけて獲物を逃がすなんて馬鹿げている。望んだ相手を手に入れたことが一度も無い餓えたけだものたる彼は、その場その場で気になった相手を本能のまま追いすがらずにはいられない。

 要するにこのとき、遊びに飛び出す子供にも似た浮き足立った様子で牙のような犬歯を晒して口角をつり上げた黒円卓第四位の騎士は、持ち前の堪え症の無さを遺憾なく発揮していた。

 

「俺ァそこでさっきの礼してくッからよ、――っとォ!」

 

 ぐ、と、跳躍する直前の豹のようにしなやかに一度屈められた長身は、次の瞬間には中空を舞っていた。

「ちょ、ベイおまっ――!」とかいう少女の叫びを無視して先ほどまでいた小屋の屋根を蹴り、小屋の裏の土手に作られた山道に着地。そこからもう一度三角飛びの要領で山肌を蹴れば、トロッコを走らせる高架線路として整備された高い橋の真上に出る。線路2本が十分な間隔を空けて横たわったそこは、幅にして10メートル弱ほどはある安定した足場だ。

 そこにそいつが立っている。

 一息に地上から高度約10メートル、直線距離にして20メートル程を移動したヴィルヘルムが「さあ、ご対面といこうじゃねえか」と未だ滞空状態のまま目を細めて笑った。

 宙で翻った黒い軍服と白い髪を見上げる肉塊がひとかたまり、古びて黒ずんだ線路上にヘドロのようなぬめりを引き摺って突っ立っている。ずんぐりとした大人の男程の大きさのそれは、下腹部のあたりから人の頭ほどの何かを生やしているふうに見えた。茶色いジャケットを引っ掛けた肩からは数本の腕だか羽根だかわからない関節じみた突起が突き出ており、今まで相手取ってきた屍人たちとはまったく異なる佇まいである。

 一言であらわせば、"キメラのゾンビ"といったところだろうか。

 ヴィルヘルムが更に詳しくその未知の敵を検分するより先に、そいつは不意に真っ直ぐ片腕を突き出した。同時、ジャラリと鈍く、しかし耳障りな金属音。

 

「――その鎖」

 

 目を瞠ったヴィルヘルムの足が線路に降り立つ直前、突き出した手の先に握られていた狩猟用の銃がダァンダァンダァンと立て続けに3発火を吹いた。

 小型ピストルでも撃つかのような構えでそんなことをすれば、常人であれば反動で後ろに仰け反りかねないし照準だって滅茶苦茶になる。ところがその特異な屍は先と変わらぬ立ち姿でそれをやってのけ、しかも飛来する3発の散弾はヴィルヘルムの胴・腰・着地地点をあやまたず狙い済ましていた。

 

(面白えッ!)

 

 それが人間離れした化け物であることをこの初撃で即座に察したヴィルヘルムは、だからとうとう、久方ぶりに、聖遺物の能力をもう一段階解放させる。

 身を捻り、着地地点に向かって腕を振りかぶりながら、白い吸血鬼は上機嫌で喚いた。

 

 

「――《Yetzirah》!」

 

 

《形成》。聖遺物の第2位階。

 ぐにゃり、と、黒い軍服に覆われた身体のシルエット全体が一瞬だけ蠢動した。その歪みが一点に集中し、長い腕の肘のあたりからズアッとその腕と同じくらいの太さの切り立った杭がぶち生える。

 振り抜きざまに腕から生やした吸精の杭で線路ごと地面を叩き抉ることで自らの自由落下の軌道を逸らして両足でダンと着地した《串刺し公》は「アーおもしれえ」と肩を揺らしながら、指先でサングラスを外した。

 切れ長の瞳の白目部分は、今や墨を流しこんだように黒く染まっている。その真ん中では赤い瞳が爛々と、血色の眼光を強めていた。バキ、パキ、と細かい軋みをあげながら、細身の長身の節々から鋭く尖った血の杭が伸びている。

 他の屍人はまともな思考能力を欠いているようだったが、この特異で例外くさい屍にどの程度の知能があるかは定かでは無い。出会い頭の3発を外されたことでこの黒円卓の騎士を厄介な相手であると判断しでもしたのか、湿っぽい肉塊は銃を撃った時の体勢のまま思案するようにヒタリと動きを止めた。

 猫背を丸めてゆらりとそちらを向いたヴィルヘルムが「よお」と声をかければ、その屍は何事か呻きながら爛れた顔の真ん中の皮膚を震わせる。まばたきをしたようだったが、目玉はほとんど溶けた薄皮か瞼の肉にまみれて隠れてしまっていた。そんなグロテスクな容貌には特に頓着せず、ヴィルヘルムはニヤつきながらゆるく首を傾げる。

 

「聖槍十三騎士団黒円卓第四位、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイだ。名乗れる程度の脳味噌が残ってるようなら名乗っとけ、ゲテモノ枠として覚えといてやらぁ」

「……ァ……」

 

 ヴィルヘルムの名乗りを解しているのかいないのか、屍は濁った声をもらしてから、緩慢に自らの下腹部を見下ろした。それからそこに突き出しているまるい頭のようなもの――よく見れば複眼の虫のように細かな粒がびっしりと顔面に埋まった人間の頭部のようだ――に鎖の絡まった左手を沿えると、ぐちゅ、と、腹の内にそれを押し込み始める。これにはさすがにヴィルヘルムもわけがわからず眉を寄せた。

 

「おーい。何やってんだそりゃア、死体流のマスカキか何かか?」

 

 半目で悪趣味な冗談を飛ばしたヴィルヘルムが軽くせせら笑うと、ぐちぐちと粘着質な音をたてて何かを収納していく下腹部から顔を上げた屍が、奇妙に複数の声色が絡み混ざった男とも女ともわからない声を、びちびちと喉か腹のあたりから迸らせた。

 

「――……ユ、キエ、『せん、せぇ』……」

「……ユキエセンセイ? 極東の名前にゃ呼び難いのが多いが、テメェのも大概変な名前だな」

 

 眉を顰めたヴィルヘルムはすぐに「まァいい」と黒い目を細め、バキ、と指の関節を鳴らす。

 頭の中はもう、これからこの未知数要素の多い怪物をどういう手順で嬲り殺すかでいっぱいだ。人器融合型の聖遺物を扱うヴィルヘルムは、気分や能力が調子にノればノるほど、それに比例して人間的な理性が減耗して行く。

 さっきまで一緒に居た少年少女のことなんか最早思考の圏外。ユキエとかいう目の前の屍人の左手から垂れる現代では非一般的な型の鎖がマレウス・マレフィカムの《形成》の鎖と同じ型であるといった細かなことには目が行き届くものの、未だ合流できていないかの魔女の行動や所在について思案するには及ばない。

 現状のあらゆる懸案事項を戦場の興奮と狂喜の前にあっさりと意識からぶった切って投げ捨てて、ヴィルヘルムはまず、軽く片腕を振りかぶった。

 

「そんじゃ、ユキエセンセイ。遊ぼうぜぇ、ちょぉォど暇してたんだよ――なあァッ!」

 

 とりあえずこんくらいは避けれるだろう、と。

 笑い混じりに振り抜いた手から大ぶりな杭を射出する。まずはお手並み拝見――と言っても、その速度は常人にはギリギリ捕捉不可能な域に調節されていた。普段は大味なくせに、嗜虐嗜好を満たすためのこういう打算や手心は抜け目無い。

 

(これくらいは避けてくれねぇと話になんねぇ)

 

 しかしてその願いは、予想外の好感触を伴って叶えられることになる。

 虫の頭をずぶりと下腹部に収めたユキエ(仮名)は、鎖の絡んだ左腕で飛来する杭を横薙ぎに叩き落としたのだ。地面に突き立った後バキィ、と飛散した木屑が血のにおいとともに霧散する。その赤い霧越しに、ヴィルヘルムはいよいよ目を見開いて思い切り哄笑した。

 

「クハッ、はははははははは!! いーい感じに出来あがってンじゃねえか、気に入ったぜテメェ!」

「『せ』、『せぇぇ』……『どうして』……終わりだァ……」

「何キめてんのか知らねぇが、その腹ァ掻っ捌いて見ンのも面白そうだ。せいぜい目一杯足掻いてくれや、屠殺よか殺し合いのが燃えるっつうのは万国共通の常識だろ」

 

 べらべら喋りながらも、既にヴィルヘルムは大股に歩いてユキエ(仮名)に近付いている。間合いの自由度が高いヴィルヘルムには不安や警戒なんか無く、ただ純粋に相手の手を見たがっているのだ。

 右手に銃。左は、鎖の絡んだ棍棒のような腕。背丈はヴィルヘルムより少し大きい程度。足からは赤黒いぬめり。顔はただれていて、ひだのように細かな凹凸が発生している。茶色いジャケットにタートルネックの服を着込んだそいつは間違いなくこの地の他の屍人同様に人間だった頃の生活を表皮に纏っていたが、また同時に間違いなく、他の屍人とは一線を画する構成要素も含んでいる。

 もしこの特殊な屍人に直面したのが普通の人間であれば、突如現れたこのクリーチャー相手に絶望し、逃げ隠れすることでなんとか延命をはかろうとあがくところだろう。

 しかし今やヴィルヘルムも全身から血の杭を生やし、彼が信じる吸血鬼の能力を発現させている。

 乱暴なまとめ方をしてしまえば、この場に相対しているのはクリーチャーが2匹。キメラじみた化け物に向かって、黒円卓の超人は更に一歩踏み出しながら、歓迎するように両手をゆるく広げた。

 

「低脳の肉人形っつっても、今ンとこ見たなかでは、間違いなくテメェがここの最高傑作だ」

「こ、の、村……『わたし』、は……ァァァ」

 

 ざり、と軍靴の底が地面を擦る。彼我の距離は約7メートルといったところか。

 そこで、ユキエ(仮名)の顎のあたりとおぼしき場所が動き、顔面にぼこりと穴が空いた。

 直後、

 

 

「『せぇんせえいはああああああああああああああああああああわァたしがいないとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおだァめなぁんだぁからアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああ』!!!」

 

 

 口腔だったと思しきそこから甲高い咆哮が響き渡り、ユキエ(仮名)は右手の猟銃を構えながらまろぶように前に駆け出した。

 真正面に飛び出して来た肉塊に、ヴィルヘルムは「おっ」と楽しげに笑う。

 かち上げてやろうと掬うように下から上に振り上げた手がユキエ(仮名)の脇腹を豆腐のように抉り飛ばすと同時、その内側から、まるで果物を潰しでもしたかのように勢い良く、赤い水がぶしゅうと撒き散らされた。

 まともにそれをかぶったヴィルヘルムはそれでも目を閉じたりはしないが、さすがに眉をひそめる。目の粘膜や口、鼻にまで飛び散った赤い水には、何か奇妙な酩酊感を引き出す生臭さがあった。

 痛覚も失せているのか、脇腹の肉をもがれながらも駆け抜けたユキエ(仮名)は、返り血よりも勢いのある赤い水に一瞬驚いたヴィルヘルムの頭を振り向きざまに正確に射撃する。蠢く影を纏った弾丸を横目に捕捉したヴィルヘルムはそれを歯で噛み止めることで受けたが、至近距離からの銃撃――それも魔装効果のある弾丸によるのだ――で後方に吹っ飛ばされ、仰け反る。軍靴の底が一瞬宙に浮いた。しかしそんなもの、この吸血鬼にとっては体勢を崩された内にも入らない。

 鋭い歯で銃弾を噛み潰しながら反射的に撃ち出した杭は、ユキエ(仮名)の右足の膝から下を削り飛ばした。

 

 

 ●

 

 

 一方その頃。

 喜々として単独行動を開始したヴィルヘルムに置いて行かれた美耶古とハワードはしばし呆然としていたが、遠く聞こえてきた叫び声でハッと我に帰った。このままではいけない。

 

「ってベイあいつほんとなんなんだ!? 1人で勝手に飛び出してッ――ていうか飛びすぎだろなんだあれ!? なんだあれ!?」

「Like Super Man!! So coooool!!!」

「お前はお前で何ガッツポーズしてるんだばかっ! もうやだどうすれば……あっ!」

 

 小屋の中、ハワードの背の上で表情を二転三転させる美耶古は、そこでひとつの妙案を閃いた。

 

「視界ジャックだ!」

 

 先ほどのヴィルヘルムの謎特攻によってまたもうっかりジャック解除してしまっていたのだが、去り際の口ぶりから察するに、あの不良軍人はどうやら先程まで視界ジャックしていた狙撃手の元に向かったらしい。普通に考えてそんな高速移動が可能かと言うのはこの際棚に上げて、美耶古は目を閉じると意識を集中させ始めた。今は少しでも状況を把握しておきたい。というか、そうでもしていなければおそろしいのだ。あの超戦力が近くに無い今、美耶古に出来る精一杯の自衛は視界ジャックを駆使した情報獲得くらいしか無いのだから。

 暗い瞼の裏から、視界が切り替わる。

 赤い空の下の光景を見据える何者かの目玉をジャックして――

 

「……………………エッ」

 

 美耶古は、顔色を無くした。

 

「み、ミヤコ? しかいじゃっく、どう? ベイみえた?」

「み、みえた。見えたよ、見えたけど」

 

 見えたけど。

 そのとき彼女が捉えたヴィルヘルム・エーレンブルグの姿をまとめると、以下の有り様であった。

 

・全身に多数刺さっているように見える尖った木の棒

・黒くなっている白目

・白貌をべっとり濡らす血か赤い水

・凶悪すぎる面構え

 

 かくして導かれる結論は

 

 

「ベイが、死んだ……し、屍人に、なってる……!」

 

 

 絶望的な認識に脳天を叩きのめされた気がする。

 泣くことも出来ず震える美耶古は形の無い悲壮感と焦燥感の奔流にさらわれないように、ハワードの逞しい首にぎゅっと両腕を回した。




ベイ中尉「面構えは生まれつきだボケが」

ついにベイ中尉の初バトル!(ここまでのはただの虐殺だと思います)
お相手の屍人についてはSIREN:NTをご存知の方ならどういう作りかわかってしまいそうですが……どうぞまったりと応援してあげて下さいませ。

あと、今回の前書きの水銀さんの言葉を今回のお話の内容に合わせてざっくり要約すると、
「このお話には『ぼくの考えたしびと』なんて珍妙なものも出て来ます!ご了承下さい!」
っていう内容になります。後書きでわかりやすく喚起しても遅い気もするのですが()今さらながら、どうぞご了承下さいませ。わたしなりに精一杯原作の魅力を活かしてクロスさせたいと思っております。

次回は「美耶古・ハワード組」か「ベイ中尉・ユキエ(仮名)組」のどちらかをフューチャー(予定)!

(2014.11.5. こねぎ。)


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そぉどおふ│2006.8.4.

(前書き係の某蛇さんは女神の金髪が潮風に遊ばれた拍子に一糸抜けたことでコレクション作業に没頭しているため、今回はあらすじVTRをご覧下さい)


\前回までのSIRENE:Neue Übersetzungは!/

【挿絵表示】

美耶古「やばい ベイがすごい短時間で死んで屍人になってるやばい やばい」
↑別行動中↓
ベイ中尉「やっぱり戦争は最高だぜ!」
※ベイ中尉はべつに屍人化はしていない。素でコレ。


 ――つい今さっき飛び出して行ったばかりのベイが、なんかすごい勢いで屍人化してる。

 

 視界ジャックで得られたあの白いSS中尉の今の様子から導かれた結論に、美耶古は打ちのめされていた。

 まずもって絵面が怖すぎた。全身に杭が刺さっているように見えるあたり、死因は恐らくその怪我だろう。しかしあんな木が全身に刺さるような仕掛けがこの村にあったというのだろうか。あれはどんな名探偵も真っ青の変死体だ――もっとも、それを言うならこの村の死体達は皆条理の外側であるのだが、しかしそれにしたってヴィルヘルムの姿はひときわ奇異だった。

 しかも、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイという男は、生きているときであっても鬼のように強かったのだ。

 それが屍人になったということは、つまり美耶古とハワードを狙う側の存在になったということだ。味方としてでも持て余したあの化け物じみた男が敵に回るなんて、考えたくもなかった。

 あんまりにもあんまりな衝撃でまたも視界ジャックを打ち切ってしまった美耶古は、ハワードにしがみついたまま鈍く思考を続けていた。

 

(ベイ……かわいそうに、ほんの数分であんな変わり果てた姿になって……もっとしっかり止めていれば、こんなことには……!)

 

 意気揚々と謎特攻をかましにいったあの時、もっと全力で止めるべきだったのだ。無茶苦茶な奴だったが、こうして失ってみると、あの物怖じしない気性や良くも悪くも空気を読まないところ、そして無類の戦闘力にどれだけ心を預けていたかが身に染みる。

 今も遠く、バキバキドカンズダァンと、凄みのある破壊音や銃声が響いていた。屍人化したヴィルヘルムとあの狙撃手が闘い続けているのだろう。

 

(今は屍人どうしで闘ってるんだとしても、決着がつけば、勝ち残った方がわたしたちを襲いに来る)

 

 どうすればいい。どうすれば、せめてハワードと自分は生き残ることが出来るのか。

 頭の中がぐちゃぐちゃになり始めたそのとき、ハワードが「ミヤコ」と背を軽くゆすった。

 

「ぼくも、視界じゃっくした。ベイ、たたかってる、みえた」

「……見たんならわかるだろ。あいつは、……もう……っ!」

「Yes, ベイ、どうみてもしびと。But……でも、ぼくたちを、おそいには、きてない」

「そ、それは、目の前にあの、撃ってきたやつがいるからじゃないのか」

「……ベイは、たたかってる。アー、Maybe……I think that, ――ベイ、たたかってくれてる」

 

 もう通訳をしてくれるヴィルヘルムがいないからと慎重に言葉を選びながら大事な部分を日本語になおして訴えるハワードに、美耶古は「え……?」と首を傾げる。

 破壊音は、今も続いている。

 ハワードは美耶古を壁沿いの作業台の上にそっと下ろすと、真っ直ぐな目で力強く、彼の見解をくちにした。

 

「I saw ゴジラVSモスラ!! アー……And, Masked Rider! ショッカーかいぞう! Hiroshi Hujioka,!」

「……は?」

「ベイは、わるくないしびとかもしれない!」

「い、いや。ゴジラとかヒロシさん? はわからないけど、でもあいつどう見たって……」

 

 ギラギラ笑いながら、ジャックした視界越しにこちらを睨んだふうに見えた。どう見たって人を喰いそうな面構えをしていた。

 美耶古は、屍人になったと思われるヴィルヘルムのことが純粋に怖ろしいのだ。しかしハワードは違うらしい。少なくとも、ヴィルヘルムが完全に敵に回ったという以外の可能性を、その淡い茶色の瞳は見据えているようである。

 あるいは、美耶子を安心させたくてこじつけたことを言っているだけかもしれない。それでもハワードの彫りの深い顔立ちを見詰め返して、美耶古は、その心の内が知れない不安以上に、強い意思を宿した面立ちに安心感を覚え、冷静さを取り戻せてきた。

 

(確かに、そうだ。……ベイの意思や意図はどうあれ、今あいつがあそこでやりあってるからこそ、わたしたちは生きている。どっち道あの狙撃手はこっちを狙ってたわけだし、ぶつかり合うのは避けられなかったんだ、きっと)

 

 ならば知りようの無いヴィルヘルムの内心や敵味方云々などはひとまず捨て置いて、今ある事実から合理的に次の行動を決めるべきだ。恐怖と不安で動きあぐねるよりも、まず動いたほうが良い。飛び出していくヴィルヘルムを止められなかったそのときから、既に状況は開始されているのだから。

 

(ベイ、ごめんなさい。悼むのも、悲しむのも、勝手に飛び出していったことを怒るのも、村の外に出てからだ。……今はただ、お前の死をぜったい無駄にしないために動くから)

 

 美耶古の黒い瞳が凛とした光を取り戻したのを見て、ハワードは表情をやわらげた。

 

「ぼくが、ミヤコ、まもる。いっしょ、がんばる。OK?」

「……ああ。おーけーだ」

「Good!」

 

 ニカッと笑ったハワードは、すっくと姿勢を上げて小屋の外を見遣った。

 狙撃手とヴィルヘルムがいる場所は、視界ジャックでだいたい目星がついている。この鉱山の中でいっとう見晴らしの良い線路橋の上。ハワードが考えていることは、美耶古にも察せられた。

 

「外は、危ないんだろうな」

 

 のこのこ外を移動すれば、狙撃手かヴィルヘルムのどちらかは確実にこちらに気付くだろう。今のところ仮に襲われたとすれば厄介な相手の2トップである。そんな可能性は極力避けて通りたい。

 ならば――外が駄目なら、答えは自ずと決まっていた。

 

 ――地下と行き来できんのはここだけじゃねぇらしい

 

 去り際のヴィルヘルムが言ったことを思い出す。

 外と繋がっているのがここだけじゃないということはつまり、坑道を通って、どこか別の出口から羽生蛇鉱山を離脱出来るということだ。

 美耶古は目を伏せ、足をぶらつかせながら、「おいっ」と、しばらく黙り込んでいるハワードに声をかけた。

 

「も、もうおんぶはいい。自分で歩ける。どうせお前も外はやばいって思ってるんだろ? さっさと坑道に入るぞ、愚、……ず………?」

 

 

 自分にもハワードにも発破をかけるようにツンケンした態度で顔を上げた美耶古はそこで、隣で黙りこくっていたハワードがノコギリの刃を外で拾って来ていた狩猟用散弾銃の銃身にあてているのを見た。

 

 

「…………は、はわーど……?」

 

 沈黙。

『エッなにやってるんだこいつ』とか美耶古が思っている間に、ノコギリと銃身はギコギコギコと摩擦音を奏で始める。ハワードの真剣な横顔にツッコミを入れるのはなんとなく憚られて、美耶古も大人しく、細かく震える作業台の上で突如始まった危険すぎる工作をポカン顔で見守る。なんだこれ。

 ハワードは集中して喋らない。美耶古はなんだかツッコめない。なんとも微妙な沈黙が2、3分続いた後、銃身の先はバキンという音をたてて切り落とされた。

 少々短くなった狩猟用散弾銃を、ハワードは迷わず壁に向かって構える。間を置かず引き金が引かれ、ガゥンッ、という重低音に、美耶古は「ヒッ」と首をすくめた。

 グラビアアイドルのポスターを壁ごと打ち抜いたハワードは、その仕上がりに満足げにヒュウと口笛を吹くと弾数を確認し、リロードした。

 

「All right! バッチリだ!」

 

 外の人間、戦闘面において頼りがいありすぎる。

『ベイがいない今は、わたしがしっかりしなきゃ! こいつはなんだかんだ抜けてるしな』と健気に心をかためつつあった美耶古は、ハワードの手馴れた銃捌きと謎の銃加工技能に『わたしは戦力になれるんだろうか……』と乾いた笑いを浮かべたのだった。

 

 

 

 ちなみに。

 ハワードが銃身に施した加工はソードオフ――その名の通り、ショットガンの銃口付近をのこぎりで切り落とすこと――である。

 銃身を切り詰めるため、銃口付近にある散弾の拡散を調節するチョーク(絞り)が無くなり、発射直後に散弾の拡散が始まるようになる。通常のショットガン――散弾銃に比べて有効射程は短くなるが、至近距離での殺傷力はむしろ増大。加えて、銃身が短くなったことで狭い所での扱いが多少は容易になるというメリットもある。

 そういった特性から、この加工を施した散弾銃は遠距離狙撃には向かないものの、屋内戦闘には非常に適している。実際の軍や特殊部隊においても、敵と鉢合わせすることの多いポイントマンがエントリー・ショットガンとして用いることも少なくない。

 これから閉所・狭所である坑道に入るにあたって考えうる限りで最も殺傷力があり、扱いやすい武器を、ハワード・ライトは母国で得ていた銃火器の一般教養から適切に導いた、というわけだ。

 

(ミヤコ、けがしても、こわくても、がんばってる! ぼくも、がんばる! ベイ、天国でミマモッテテプリーズ……!)

 

 こちらも同行者である少女に負けないくらい健気にそう心をかためた少年は、ソードオフの仕上がりに満足しているのか「は、はは……」と微笑みを浮かべた少女の黒い瞳に向かって、深く頷いた。ぼくはもういつでも行けるよ、ミヤコ!

 ハワードの頼もしさに更に安心したのか「ばっちりか……すごなぁ……」となおも微笑み続ける美耶古は、作業台から降りながら、周囲に視線を巡らせた。

 

「わ、わたしも何か持って行く、かな……武器とかな……」

「Oh, that's good! じゃあ、これ、ドウ?」

 

 ――選ばれたのは、柄の長いハンマーでした。

 あまりに狭い屋内戦闘には不向きでもある武器だが、この柄の長さなら美耶古の非力さも補えるだろう。彼女が少しでも時間を稼いでくれれば、あとはこの手製のソードオフ・ショットガンが火を吹いて、ジ・エンドだ。

 そう算段してサムズアップして見せると、美耶古も「お、おう」と慣れない様子で、それでも親指を立てて返す。少女のほっそりした指を見て、ハワードは改めて「I wanna be her hero」と心の内で呟いた。

 

「Let's go, Miyako! ついてきて!」

「あ、あんまり早く行き過ぎるなよっ!」

 

 こうしてヴィルヘルムとはぐれたふたりは装備を整えて、羽生蛇鉱山の細くうねった地下坑道に踏み入ったのである。

 

 

 

 ● ○ ○

 

 

 

 一方その頃、少年少女の心の中ではもうすっかり『瞳を閉じればいつでもお前の笑顔に会えるよ』的なポジションに据えられたヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイはそんな感傷などつゆ知らず、赤眼を見開き殺気を垂れ流しながらニヤニヤギラギラ笑っていた。

 もちろん、屍人化はしていない。聖遺物の《形成》位階を解放したことで、ちょっとかなり人間離れした風貌になっているだけである。頭から返り血ならぬ"返り赤い水"をひっかぶってはいるが、負傷も出血もしていない。ユキエ(仮名)の攻撃手段は主に、右手の銃撃と、鎖を纏った左手の殴打に大別される。その両方をヴィルヘルムは苦も無く受け、あるいは避けていた。

 身体中から生えた血の杭がミシミシと軋み、血を欲するのに焦れながら、ヴィルヘルムは「なぁ、おい」と乾いた喉の奥から声を出す。

 線路橋の上は今やまんべんなく小型のクレーターのような窪みや穴に穿たれている。ユキエ(仮名)もよくしのいだが、損傷は免れられなかった。足を削り飛ばされ、笑い混じりに腕を引っこ抜かれ、肩や大腿の関節を軍靴で踏み潰され――

 ――驚嘆すべきことに、それでも未だ、戦闘行為を続行できているのだ。

 

「テメェの回復力がすげェのも、その虫みてぇな悪趣味な手足が大概しぶとく生えてくンのもよッくわかった。ほめてやるよ、サンドバックは丈夫なのに越したこたァねえわなあ! ――……そんで。これでもうテメェ、ネタ切れか?」

 

 近接戦闘の身のこなしではヴィルヘルムに分がある。耐久力も、ユキエ(仮名)もかなり常識外れではあるものの、聖遺物の使徒に敵うほどではない。これ以上隠し玉が無いのだとすれば興ざめだ。

 しかし、未だ見過ごせない要素もこの戦場には残っていた。この"屍人"という存在を満たす「赤い水」は、血に似ていながら、しかしヴィルヘルムの血への渇望を満たさないのだ。要するに、吸精の能力が巧く機能していないふしがある。それでジリ貧に追い詰められるほどの相手とは思えないにせよ、ユキエ(仮名)にまだ何か対抗手段が残っていると考えるには十分な手がかりだ。

 削られる端から虫のような肢を生やし肉をびちびちと蠢かせて欠損を補うユキエ(仮名)は、今は線路橋のなかほどに、1本の人間の脚と3本の虫の肢――1本ごとに成人男性の足程の太さがある――で立っている。爛れた皮膚に埋もれそうな目玉と側頭部から生えた羽根が飛行の練習でもしているかのように痙攣し動いているが、飛び立つ様子は無い。

 彼我の距離は数メートル。ヴィルヘルムは舌打ちすると、つい先ほど千切り取ったユキエ(仮名)の人間の片脚を握り潰し、放り捨てた。

 

「終わりだっつうなら、そろそろマジでいくぜぇ。心臓に杭を撃ちこめば吸血鬼だって死んじまうんだ、テメェもそうなのか試してやらぁ。アアあとはそうだな、その前に――」

 

 す、と、指差す先に立つユキエ(仮名)は相変わらず、「『せんせいは、わたしがいないとぉ……だめなんだからァ……』」と高い声で呻いている。

 

「さっきヤり始める前に何か突っ込んでやがった腹ァ、開いてやるよ。ありゃ何だ、テメェのタマかなんかかァ?」

 

 言い切ってしまえば、アアそうだそれが面白いよしそうしよう、と、戦場に快楽を見出す白い吸血鬼は即決して足を踏み出す。

 弱者をいたぶるのは嫌いというわけではないが、同胞の魔女ほどじゃない。歯ごたえのある、遊び甲斐のある相手と殺し合うことがいちばん面白いのだ。だからいつまでも切り札を出し渋るというのなら、この特異な屍人はもう用無しだ。

 鼻歌でも歌いだしそうな様子で大股に歩み寄る戦場のオカルトにユキエ(仮名)は銃を撃ち、左手から延べた鎖を振りかぶるが、赤い水を顎からポタポタ垂らしながら「おーおー頑張るねぇ。で? そんだけか?」と牙を晒して薄ら笑う彼は歩みを止めない。

 距離を取ろうと走り出しかけたユキエ(仮名)だったが、すぐさま足元に杭を撃たれ、素早く引っ掴まれた左手の鎖を力任せに手繰られて地面に引き倒される。ヴィルヘルムの軍靴は、無様に転がったユキエ(仮名)の頭部をミシリと無慈悲に踏み、軋ませた。まるで片手間の手軽さで動く死肉を足蹴にしたヴィルヘルムは、もがき暴れる長い虫の肢や羽を鬱陶しげに掴み、「あーウゼェ」とぼやきながら適当に関節風に見えるあたりを破壊していく。

 ひととおりの四肢を壊して、ついに、そのときがきた。

 

「そんじゃア、ご開帳、ッと。……なぁ言っとくが、何か出すなら今の内だぜユキエセンセぇイ?」

 

 抑えた掠れ声でそう言って、右の掌から、ずぐずぐと杭を生やす。その鋭い切っ先が、横たわったまま新たな手足を生やそうと蠢く屍の下腹部に這わされた。

 肉に小さな穴が擦り傷のように出来、そこに血の杭が埋まる。傷は拡張され裂傷になり、さらに押し込まれる杭によって穿たれた穴が出来上がる。

 黒い白目を細めくちびるを舐めて熱っぽい笑みを浮かべる《串刺し公》に躊躇は無い。

 杭が5センチほどユキエ(仮名)の下腹部に潜り込んだ。

 

 ――そのとき、である。

 

 

「ユ、き、え」

 

 

 ユキエ(仮名)の声が、急に低い男のような声色に変わり、びぐんと肉塊全体が痙攣した。「あン?」と愉快そうにゆるく目を瞠ったヴィルヘルムが軽く腰を曲げ、猫背を丸めて続きを促すように顔を寄せようとする。

 その途端、――『ガリ』、と、木を削るような音がした。

 細かな振動である。ガリガリガリと細い爪で鼓膜をひっかくような音は、最初の音を皮切りに徐々に大きくなる。初めの一瞬はポカンとしていたヴィルヘルムも、何が起こっているかすぐに気が付いて反射的に手を引こうとした。

 齧られ、喰われているのは、他でもないヴィルヘルムの聖遺物《闇の賜物》の血の杭なのだ。

 後先考えない馬鹿力で引かれた腕に、屍人の身体はそのまま持ち上げられた。背が地面から離れ宙に浮き上がる間にも、その下腹部の奥の"何か"はヴィルヘルムの杭を喰い進んでくる。

 

「てっ、めェ、何――!」

 

 地味ではあるが予想外の反撃。この杭を文字通りに噛み砕き喰うような敵など、これまでお目にかかったこともなかったのだ。しかも聖遺物が破壊されることは生死に直結する。生理的な嫌悪に、さすがのヴィルヘルムも余裕を失った。

 振り払おうとする間にも、杭はもう根元まで喰われている。このまま喰い進められれば、次は杭どころでなく右手の骨肉が噛み千切られていくことは想像に易い。

 とうとう笑みを引っ込めたヴィルヘルムは、もう片方の手で屍人の頭を引っ掴み、力任せに引き剥がした。

 

 

「悪食も大概にしとけよ、てめえええええええええええええッ!」

 

 

 ぶちん、と。

 瞬間、屍人の腹が弾け、首や胴は四散して、甲冑にも似た、人間の頭よりひとまわりほど大きな虫の顎が飛び散る肉片と赤い水の血霧のなかに飛び出すようにあらわれた。ちょうど、巨大なシロアリの頭部のような。

 赤い水にまみれた複眼は、怒りに燃えてでもいるかのように赤く爛々と光っていた。

 そのあぎとが腕に喰い進むより早く、ユキエ(仮名)の身体を千切った勢いのまま、ヴィルヘルムは身を捻り、地面にそのシロアリ頭部を叩きつける。

 ぐちゃ、とあっけなく硬質な頭蓋を割られ、ガリガリという耳障りな音はようやっと停止した。

 ふ、と息を吐いたヴィルヘルムはジトッとした半目になって、そのまま《形成》を解除してしまう。「あー」とがしがし頭を掻いて、白い吸血鬼はふてくされるように歯軋りした。

 

「何やってくれンのかと思ったら陰湿なことしやがって……滾らねぇんだよなあ、こういう地味ィな技はよお……ま、ちッたぁ面白かったんだが」

 

 聖遺物を齧るような敵は初めてだ。やっぱりこの異界は悪くねえ戦場みてぇだな、と。

 総合的には気分良くそう納得して、ヴィルヘルムは先ほど自分が撒き散らしたユキエ(仮名)の胴体の切れ端を足蹴に歩き始めた。

 

 そのときヴィルヘルムは、黒円卓の騎士特有のある種の危機感の薄さを発揮してしまっていた。

 下腹部から出て来たシロアリの頭のようなものがユキエ(仮名)の核のようなものであろうと、彼は決めてかかっていたのだ。あの謎の生命力に、聖遺物すら噛み砕くポテンシャル。それがユキエ(仮名)の隠し玉であり切り札であり、それを今こうして無力化したわけだから、もう今ここに見るべきものなど何も無い、と。

 踵を返しかけた背後、足元で、低いひくい男の声が、地を這った。

 

 

「ゆ、き、えぇぇ、ぇ」

「――……ア?」

 

 

 むんず、と。

 鎖を巻いていた左手が、立ち去りかけていたヴィルヘルムの片足を掴んだ。

 直後、別の所に吹っ飛ばされていた右手が、しぶとく握っていた銃を発砲する。

 とはいえ地面に転がった腕1本では照準なんかあわせられるわけがない。まともに当てる気があるか無いかくらい、ヴィルヘルムは素で判ぜられた。ゆえにその無意味と思われる射撃には、特に反応を返さなかったのだ。

 そしてだからこそ、魔装加工がほどこされた非一般的な貫通力を持つその銃弾が、ここまでの戦闘やヴィルヘルム渾身のシロアリ頭部破壊時に限界ギリギリまで痛めつけられていた線路橋にとうとうとどめをさしたことに気付くのが遅れてしまう。

 

 ビシリ、と細く長い亀裂が一瞬で太く広い線路橋を網の目のように埋めた。

 その次の瞬間にはバゴッと足場に凹凸が出来、まるでジグソーパズルをひっくり返したかのように、アスファルトだかセメントだかで出来た橋は一気に崩落する。

 

 それでも、それしきの異変ならばヴィルヘルムの運動能力は十分対応可能だった。

 唯一の想定外が、今足にまとわって来ている、しつこいこの左腕(マレウス・マレフィカムの聖遺物と思しき鎖付き)。

 

「……おい、こら、てめ、邪魔だ離れろうぜぇ」

 

 支柱から離れたところから崩れ落ちてゆく線路橋の上、ちょうど支柱近くだったらしい場所に立っていたヴィルヘルムにはほんの少しとはいえ崩落に巻き込まれるまで猶予があった。飛び降りるなりなんなりする前にこの鬱陶しい腕を引っぺがしてから行こうと、げしげし足を地面に叩きつけるくらいの猶予なら。

 ドドウ、ドドウ、という地響きじみた音のなか、蹴りつけること数秒。

 結論から言うと、まったく離れる様子が無い。そればかりか振り回すたびにジャラジャラと鎖がもつれて、もう片方の足にまで絡まり出す始末。

 ひくり、と、ヴィルヘルムの口角が引き攣り、こめかみに青筋が浮いた。先の反撃もそうだったが、地味に鬱陶しい悪足掻きに決して長くない堪忍袋の緒が切れたらしい。

 

「ッの、マジでうぜえ! なんだテメェ今さら根性出してんじゃねぇよボケがッ!!」

 

 ギリギリと歯軋ったヴィルヘルムが靴紐でも結ぶかのように身を屈めたちょうどそのとき、とうとうその足元にも崩落のときは訪れ。

 瓦礫の雨と一緒に空中に放り出されたヴィルヘルムが自由落下しながら苛立ちに任せてユキエ(仮名)の左腕とそこに絡む鎖を荒々しく千切る間、羽生蛇鉱山の山間には、地響きにも似た崩壊音と低い男の声の絶叫と黒円卓第四位の怒鳴り声が奔流の如く響き渡ることとなった。

 

 

「ゆきえええええええェェェェえええええええええええええええええええええええええええエエエエエエエエええええええええええええええええええエエエエエエエエええええええぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

「うるっせぇぇぇえええええええよ! 人違いだクソがッ!! あンの足引きババア今度会ったら一発ぶん殴ってやらああああああああああああああああああああああッ!!!」

 

 

 

 ○ ● ○

 

 

 

 そのとき、羽生蛇村のどこかで、

 

「――……省吾くん?」

 

 聖遺物の一部が破壊される感覚に、ルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカムが顔を上げて目を見開き。

 

 

 

 ○ ○ ●

 

 

 

 更にその十数分後、

 

「……OH……ナンデスカコレ……」

 

『珍しい実』――羽生蛇の生贄の巫女たる美耶古――を追って羽生蛇鉱山にやってきたアマナという赤い僧衣の巫女は、瓦礫の山と化した採掘場にしばし呆然と佇むしかなかったのであった。

 

 




ユキエ(仮名)さんについては、このベイ中尉サイドのお話が終わってからとっぷり語る予定ですので、今はまだ伏せさせて頂きます。足引き魔女さんサイドのお話でまた会いましょう、ということで。

前書きのイラストは、SIRENしかご存知無いという読み手さんがいらっしゃったため「ベイ中尉がどう屍人っぽいかイメージを共有できたほうがより楽しんでいただきやすいかもしれないなぁ」と思い、添えてみました。葱なりにがんばって描きました。
描いてみると、あらためて、すごく屍人でした。これは美耶古ちゃんだってびびります。思わぬホラー(スリラー?)要素!
ヒャッハーしているベイ中尉を描くと、心がほっこり和みますね。

あと、ハワードくんが急に散弾銃をソードオフし始めるのは、わたしのオリジナルなんかではなく、原作ゲームママです。
原作ゲームママです!!
大事なことなので2回言いました。彼、なにげに大変なスペックの高校生だと思います。
羽生蛇鉱山の原型が無くなったところで、次回に続く。

(2014.11.9. こねぎ。)


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「あまな」│2006.8.4.

さあさあこの地の来訪神はようやく彼の空においては祝福されざる異分子に触れてしまったわけであるが、はてさてこれはいかに。
極東のバミューダ・トライアングルに住まう赤い蛇殿は、未知と既知、はたしてどちらを望まれるかな?


 その女の自我が記憶を取り戻し、活動を再開したのは、ほんの1日2日前からである。

 地形が変わった羽生蛇鉱山に到着した赤い僧衣の女――アマナは、愕然と眼を見開いていた。

 

「Oh……What's up……!?」

 

 驚きは、あるはずのない未知に対してのものに他ならない。

 "この日この時に起こるこんな大規模な破壊を、わたしは知らない"。

 

 生贄の巫女・美耶古を求めてやって来たはずの鉱山は、今や大災害現場でしかなかった。瓦礫に押し潰された屍人は原型をとどめていないものもおり、しかも原型を留めたものも皆一様に『死んだように』停止している。これは、この周辺の屍人達の『頭脳〔ブレイン〕』となっていた上位固体が破壊されていることを意味する。屍人は――特に、上位固体である進化系『頭脳屍人』ともなれば――壊れてもすぐ起き上がるはずなのに。

 未だ中空にはもうもうと土煙や埃が舞っており、ただでさえ薄赤く暗い視界はすこぶる悪い。セメントやコンクリート、土塊がそぼろごはんのようにごちゃりと混ざった瓦礫の山は、坑道への入り口のいくつかを完全に押し潰していた。

 混沌としたこの状況、赤い尼僧アマナの思惑からすると『生贄の獲得の難度、跳ね上がってない?』という戸惑いに集約される。美耶古はどこだ。ていうか最早わたしの知ってる羽生蛇鉱山はどこだ。

 ワンレングスのブロンドヘアをくしゃりと片手で触りながら、アマナは茶色い眼をすがめて「OK, OK, Calm down……そうよ、落ち着かないと」とゆるく首を振った。

 

(――大丈夫。まだ、ウロボロスは、壊れていない)

 

 何か思いも寄らない異分子が混入しているような胸騒ぎは有るものの、アマナが守るべき円環はまだ決定的には壊されていない。第六感的に感ぜられる美耶古の生存が、彼女にそれを確信させた。

 そう。この村の神代の記憶までもを取り戻した今のアマナにとっては、彼女の達成条件は決して難しいことではない。小娘1人、とらえて、生贄に捧げてしまえばいいのだ。

 

(そう、そうよ。ここはもうわたしと、聖なる神の領域だもの。屍人だってわたしの――)

 

 そこまで思考した、そのときだった。

 アマナのすぐ背後で『ドゴォッ』という鈍い音が発生し、それを爆心地としたように、あたりに充満していた土煙が払われた湯気のようにぶわっと吹き飛んだ。

 

「っ!?」

 

 更にミシミシと何かが蠢き軋むような音がすぐその後に続く。周囲のぬるったい気温が心なしか冷えたような感覚があった。

 慌てて音の方向を振り向けば、瓦礫の山の一部が内側から穿たれたように盛り上がり、穴になっている。積み上がっていた瓦礫がある一部分を力点として下から押し退けられたらしく、穴の周囲には土石が散乱していた。この光景からすると、アマナの方に大きな瓦礫が飛んでこなかったのは奇跡的な偶然だったのかもしれない。

 

「……そ。そうよ。わたしは、この因果に守られた存在だもの。何を怖れる必要があるというの?」

 

 半ば無意識に暗示的に自分に言い聞かせて、アマナは不適な笑みを浮かべる。

 そうだ、未知がなんだと言うのか。こんなちょっとした天変地異のひとつやふたつ、大昔に空からアレが落ちてきたのに比べたら屁でもない。

 勝つのは。永遠を生きるのは、このわたし。

 改めてそう断じてしまえば、今瓦礫の下でひと暴れしたと思われる存在だって、なんのことはない、きっと屍人に違いないのだ。だって人間がこの土砂に埋まって生きているはずがない。今の衝撃を生み出した馬力から察するに、ただのゾンビのような状態から進化した上位の屍人なのだろう。ちょうどいい。そいつを使役して美耶古を探させよう。そうだ、そうしよう。何も不都合なんかない。

 そう決めて、どれどれどんな屍人かしらと歩を進め腰をかがめて穴の内を覗き込んだ、

 その、瞬間。

 

 

「だー! やァっと全部取れやがったこの鎖ィ! ぎちぎちぎちぎち瓦礫にまで絡みつきやがって完全に嫌がらせじゃねえかこの仕様ッ、ねちっこいモンそこらにほいほいばら撒いてんじゃねえよマレウスのやつ」

「ひぎゃあッ!?」

「あ゛?」

 

 

 ゴッチーン、という衝撃とともに、永遠を見据えていたはずのアマナの視界にいくつもの星が飛んだ。

 意識を失う直前に見えたのは、いつかの遠い日に貪り啜った血肉の色を思い出させる一対の赤い眼だった。

 

 

 

  ★ ☆ ☆

 

 

 

 絶妙に起き上がるのに支障をきたす絡まり方をするマレウス・マレフィカムの鎖を引き千切り、少し時間を置くとしぶとく再生し活動を再開し始めるユキエセンセイ(仮名)の腕をもぎ取り、そうこうしているうちに土中を移動してきたらしい、ユキエセンセイ(仮名)の下腹部から出てきたシロアリ頭部に思い切り顔を齧られかけ、破壊し……ヴィルヘルム・エーレンブルグの地中での闘いは、案外と面倒くさくもごもごごそごそ続いていた。絵的にも異常に地味な、思わぬ泥試合である。

 ヴィルヘルムの怪力からすると単純に瓦礫のなかから這い出すだけなら活動位階の状態でもすぐに完遂出来ただろうが、細かな邪魔が多くて結局は杭を一本ぶち生やして瓦礫の下から穴を開けることで事態はようやく落ち着いた。

 はずだった。

 

「ア? 何だこの女」

 

 土中から勢い良く起き上がったまさにそのとき、どこの誰とも知らない金髪の女がこちらに顔を突き出してきていたらしいのだ。

 土に汚れたアルビノの白頭と、赤い僧衣の女のブロンド頭は、まともにごっちーんとぶつかった。黒円卓の超人であるヴィルヘルムの方はこの程度の他愛ない衝撃になどいちいち痛みも感じなかったが、女の方はそうではない。

 土から這い出た解放感やらルサルカへの苛立ちやらを元気いっぱいに発散したヴィルヘルムの起立は、それだけでこの一般人風の金髪女を2メートルは吹っ飛ばしていた。

 しれっとした半目で首をゴキッとひねるヴィルヘルムは、瓦礫の上に大の字に倒れた女を睥睨し、片眉を上げる。

 

「ボサッと突っ立ってんじゃねえよ、ったく鈍くせぇ阿呆もいたもんだな。つかこいつ、アレか? あのガキが会ったとか言ってやがった……おい、生きてんのかテメェ。てめえだよオンナぁ」

 

 ぶつかって吹っ飛ばしたことに関して一切悪びれることも心配することもなく、ヴィルヘルムは先の戦闘で血や泥や赤い水にまみれた軍靴で無遠慮に女の脇腹を小突いた。――ヴィルヘルムにとっての『気を失った女を起こすためにごくごく軽~く小突く』動作は、一般人からすると『だいぶ強いローキック』に相当したため、女はまた1メートルほど横合いに吹っ飛んだわけだが。

 おでこにたんこぶを作って意識を失っ(たところに追い討ちを喰らっ)ているこの女の特徴は、ハワードが美耶古と合流する前に少しの間行動を共にしたと言う女の特徴と一致している。とりあえず生きているなら、身元やこの異界についての情報くらい吐かせてみるのも良いかもしれない。

 美耶古やハワードとはぐれた今、ヴィルヘルムには当面の行動指針も無いのだから。

 

「っつーか、こりゃまた派手にぶっ壊れたもんだなァ。シュピーネの野郎は悪くねぇとかほざいてやがったが、やっぱし『日本製』なんざ未だにゴミなんじゃねえのかァ? 線路の一本もマトモに引けてねえんじゃタカが知れてんだろ」

 

 自分が壊した線路橋に理不尽な文句を垂れ、目を覚まさない女に焦れて視線を巡らせると、一面が惨憺たる有り様である。土砂に埋もれた屍人の残骸がそこかしこに露出し、そこら一帯が血とも赤い水ともつかない液体にぬかるんでいた。空も相変わらず濁った赤色で、時間の経過が曖昧だ。

 

「……ふ、くくく。アー、これでもちっと火薬臭かったらもっとたぎるんだがな」

 

 常人であれば不安や狂気に呑まれかねない光景のド真ん中で、土埃や赤い水に汚れた白貌は口角をつり上げて機嫌良くせせら笑った。もともとの容貌もあいまって、まったく吸血鬼じみた風情である。

 くつくつ笑ったその声に意識をくすぐられたように、女のまぶたがふるりと震えた。

 

「……ん……」

「お。やっと起きたかよ」

 

 赤い僧衣の女が、両手を付いてのろのろと起き上がる。

 ようやくあらわになった茶色い瞳がヴィルヘルムをとらえ、驚いたように見開かれた。それから自分の体を見下ろし、周囲の惨状を確認してまた息を呑む。

 再び視線をヴィルヘルムに戻した女は、どこか茫洋とした顔でくちを開いた。

 

 

「ここはどこ? わたしは誰?」

「…………ネタでやってんだとしたらそりゃてめえ、ベタすぎんじゃねえのか、おい」

 

 

 ★

 

 

 一時は『めんどくせぇえええええ』と女を放置して行こうかと思ったヴィルヘルムであったが、『頭をぶつけた。打ち所が悪かった。記憶が混濁しているらしい』――と、それらの事情を飲み込むと、女は案外とすんなり納得した。

 また『アマナ』という名は覚えていたようで、「恐らく、あなたが言う少年が会ったというのはわたしだと思います」と頷いた。ひとまず把握していた人物との照合も出来たわけだ。

 加えて、もうひとつ。

 

「わたしはアマナ。あなたは誰?」

「あ? 俺ァ吸血鬼だ」

「……? ……! OH~!」

 

 闘う予定の無い相手だからと適当に返したヴィルヘルムの簡易すぎて伝える部分がずれた感じの自己紹介に、アマナは何故かいたく感じ入って興奮気味に頬を赤らめた。

 

「So cool!」

「ああ?」

「あなたとならわたしも、前世の記憶を取り戻すことが出来そう……!」

「よくわかんねぇが、テメェのおめでてぇ前世はどうでもいいから最近のトコ思い出せや」

 

 ここで彼女が記憶喪失ショックのヒステリーでも起こしていたら、放っておくかさっくり殺してしまったところだろう。しかしアマナは存外に手のかからない女であった。「わたしは、自分のこととこの奇怪な村のことをもう少し調べなくてはならない気がします。あなたもはぐれたという少年少女を探すなら、いっしょにどうです?」と言ったアマナに、ヴィルヘルムもとりあえず、ぶらりと気が向くまで同行することにした。

 以下、しばし、謎の記憶喪失女アマナと、黒円卓第4位ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイとの雑談である。

 

 

「わたし、なんだか少し前にも記憶を失っていた気がするんです。だから今回もすぐ良くなるんだろうな、と」

「はーん。見てくれは若ぇが、アタマ耄碌しちまってんじゃねえのか? なんかババくせえし」

「『BA-BA』? うーん、覚えてはいませんが、香水はつけていないと思いますよ。ふふっ」

「ハ? 香水? んなもん言わなくてもわかる。ンな饐えたにおいの香水なんざ聞いたこともねぇよ」

「末田ニオイ? OH~、よくわかりませんが、あなたは鼻が良いんですね」

「当然だ。テメェら常人とは魂の総量からして違ぇんだよ」

「魂! 素敵なことばです。魂の救済を目指して共に頑張りましょうね。わたしも神に祈ります」

「おう、そうかよ。そういうことなら後で吸い殺してヴァルハラに連れてってやらァ」

「吸いころして、ヴァルハラ……楽園? なっ、Oh、や、なんだか卑猥! は、破廉恥デスっ」

「はああああ? ぶち犯すぞクソアマ。つってもマジで、テメェ、なァんか人肉っぽくねぇ臭いがしやがんだよなぁ。虫でも喰ったか?」

「虫……Uh……アウチッ、前世の記憶が……!?」

「ああ? 前世はいいから最近の記憶思い出しとけつってんだろボケが」

「へぶ!? 痛い! ああああなた、ひどっ……今マタ記憶飛びマシタ!!」

「そういやテメェ、人間にしちゃ頑丈だな。今のはうっかり骨砕くくらいイッたかと思ったんだが」

「? いたかったですよ! ああ、しかし……」

「ンだよ」

「赤い空、きれいですねぇ」

「まぁ、悪かねぇわな」

 

 

 アマナが近くに居ると何故か襲ってこない屍人の群れを遠目に見ながら、吸血鬼と記憶喪失女はスタスタ歩いて羽生蛇鉱山(跡)を探索しにかかったのであった。

 

 

 




随分とまったり更新ですみません、お久しぶりです。
「ベイ中尉、素ですごい外道~!」と思いながらまったりと。今回はブレイクタイム回ですね。

あと1~2話ほどで、ぐるり、1周します。『アマナ』という女の紹介は、そのときにでも改めて!
今の彼女は、信心深いけどどこか中二げふんブレイブハートを持て余した温厚な女性です。ゴシック趣味等が魂に染み付いています。
発炎筒で陽動を行なうのがひそかな特技です。(←今回一番原作ゲームに忠実な部分)

次は美耶古とハワードと、ちょっぴり魔女さんです。たぶん


2015.2.13. こねぎ


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さいれん│2006.8.4.⇒8.2.ⅱ

ある者達が例えば己の存在を賭けた尋常なる勝負をチェスでもって行っていたとして。そのうち1人がチェス盤をひっくり返す力を持っており、かつ自らが具す件の力に自覚的であったとしたならば――何このようなものはただのたとえ話、与太話として聞き流してくれて一向構わんがね。
当然然るべきときには彼、あるいは彼女は、手の内にある当然の権利をいちいち主張するまでもなく、呼吸するように気負い無くそれを実行するだろう。
この彼――あるいは彼女――が、己の存在に渇望を見出していたならば。


 ヴィルヘルムとアマナが羽生蛇鉱山の採掘場跡を瓦礫を踏み踏み歩き始めた頃、ハワードと美耶古はようやく地下道から地上に出たところだった。

 薄暗い赤い空だが、地下の暗闇に慣れきった今だけは明るい青空のように晴れやかに映る。土ぼこりと生臭い返り血――本当に血なのか、あるいは血に似た赤い水なのか、もう判別もつかない――にまみれたふたりは、ついに見つけた出口から身を乗り出し、空を見上げてから、がばっと顔を見合わせた。

 

「そ……外だ……! そと! 出られたぞハワードぉ!」

「Oh……Oh Yes!!! Miyako, We got it!!!!」

「わぁっ! ばか、いきなりくっつくな……! うぅぅ、で、でも、出られて良かった……!」

 

 狙撃手・ユキエセンセイ(仮名)と屍人化したと思われているヴィルヘルムを避けて地下坑道に入った少年少女は、襲い来る屍人を改造散弾銃とハンマーでかち割りながら逞しく進んでいた。

 もともと肝が据わっていたハワードであったが、しばらく行動を共にした黒円卓髄一の戦闘狂の影響を受けたか、今までより一層大胆に屍人を相手取るようになっている。異邦人たちのずば抜けた逞しさを目の当たりにする美耶古も、遅れをとるわけにはいかないと気を引き締めてハンマーを握り締めた。

 そんなこんなで健気に前進したふたりであったが、一方のヴィルヘルムはそんなふたりの冒険など知るはずもなく奔放に戦闘を楽しんでいたわけで。

 そしてその結果、羽生蛇鉱山の地形はダイナミックにリフォームされたわけで。

 

「いきなり地震みたいな揺れは起きるわ、使えそうな出口がいくつも崩落して通れなくなってるわ、もう生き埋めになるかと……」

「But, あの地震のあと、シビト、みんなうごかなくなってた。I wonder that,……Ah,あのときナニが起きてたのかな?」

「視界ジャックして探ろうにも周りのどの屍人も全部停止してたしな。……ふん。ひょっとするとお前が言ってたとおり、ベイが何かしてくれたのかも」

 

 赤い空の下抱き締められたまま半ばリップサービスでそう言った美耶古に、ハワードは「きっとそうだ!」と弾かれたように笑みをこぼす。至近距離で輝いた栗色の瞳に、美耶古の心臓が一拍飛び跳ねた。

 

「いっ、いつまでくっついてるんだこの愚図ッ! ここがどこかもわかんないんだぞっ」

「HAHAHA, Sorry」

「ったく……」

 

 トロッコのレールがずるずるとひかれた比較的新しく掘られた坑道よりも更に奥に潜り、湿った土のにおいの暗闇をかきわけて進んだハワードと美耶古は、羽生蛇鉱山地帯のはずれに出ることができていた。地下を通っての鉱山離脱、という目的はひとまず達成されたことになる。

 とはいえ、地下を通り山道に出た今、いちおう地元人の美耶古も今の位置感覚を掴みかねていた。

 もうずいぶん人に使われていなかったのか金具が赤茶に錆び付いた扉をバキンと力づくで押し開いた時にはわからなかったが、空は地下に入ったときよりも少し翳った赤色になっていた。時間の感覚は曖昧だが、もう夕方になってきているのかもしれない。日が暮れて動き回るのは危険だ。となると、あまり時間は無いかもしれない。

 ヴィルヘルムとはぐれた鉱山事務所の方の様子をここから窺うことは出来ないが、距離をとって正解なのだろうとは思う。あんなに強い男が屍人になってしまうような怖ろしいことが、あそこでは起きていたのだ。《闇の賜物》の能力を完全に屍人化だと思い込んだ美耶古はそう考えて、またぶるりと背筋を震わせた。

 

(早くこの村を出たい)

 

 ヒステリックに弱気を晒すことはしないが、美耶古の心はギリギリのところで堪えている状態だ。

 怖ろしいことは、この村に残る限りひっきりなしに起こり続ける。同行者が欠ける喪失感も味わった。

 

(……せめて、ハワードのことは無事に……)

 

 茂みに隠れて一休みしてから山道を降り、段々畑を横目に歩を進めながら、美耶古は一歩先を行く少年の背中を見た。片足を負傷した自分を気遣ってしきりにこちらを振り返る彼は、良い奴だ。ちょっと頭のネジが吹っ飛んでいるところも無いわけではないが、それでもとびきり良い奴だと、美耶古は思う。

 外の世界からやって来た、やさしくてばかな異邦人。

 不意に、その背が立ち止まり、くん、と伸び上がって遠くを見たようだった。「ハワード?」と問いかけた美耶古に、ハワードが声を潜めて「マッテ」と背中越しに言う。

 

「ミヤコ、誰かいる」

「えっ」

 

 ハワードに言われ、その背の影から向こうを覗いた瞬間、

 

 

 

「あらぁ――あらあらあら。こーんなトコでデートなんて、ちょっと趣味悪いぞぉ少年♪」

 

 

 

 ぶわ、と、生ぬるい風が立ち木の間を吹きぬけた。視線の先で、匂い立つ花のような赤髪がぶわりとうねる。

 くすくす笑う鈴の声は、華奢で可憐な少女から発せられていた。

 どこか見覚えがあるような黒色を基調としたミニスカートのワンピースに、赤い腕章が一点目立つ。底の厚めなブーツの底をトンと押し当てた先は、古びた小さな墓石だ。美耶古にはその墓石で現在地がわかった。

 刈割方面。不入谷聖堂の近く。荒れた山沿いの坂道の上に立つあどけない少女は、なにやら魔女のような凄みを孕んで翠の瞳をにんまり細める。

 初めて見るはずの異邦人らしい少女のそんな姿を目にしたハワードと美耶古の胸中には、ほんの昨日ヴィルヘルム・エーレンブルグが話したことがざわり、蘇っていた。

 

 ――つうか一応連れはいたぜ、淫売のババアがひとり。あのサイレンで気ィ失ってからはぐれっちまって、今はどこにいんのかもわかんねぇがな

 ――こんくらいの背丈の女だ。赤い髪に緑の目ぇした、幼児体型のメスガキだな

 

 容姿の特徴は完全に一致する。こんな濁った血の色の空の下であっけらかんとしている様も、あの白い男に通ずるものがある気がした。

 今はなきチンピラ軍人の記憶と目の前にあらわれた乙女を擦り合わせ、ハワードと美耶古は一切の毒気も悪気も無く、同時にくちを開く。

 

「「ベイの連れのババアっ……!」」

「…………うーんさすがのルサルカさんにもちょぉ~っと意味わかんないんだけど、ぱくっと食べられちゃいたいのかしらこンのクソガキ共?」

 

 ヴィルヘルム、肝心の名前は教えてくれていなかったのだった。

 

 

 ● ● ・

 

 

 ルサルカ・シュヴェーゲリンは不機嫌と遊び気を一気に刺激されて、思わず愛らしいくちもとを引き攣らせた。

 

「Oh……連れのババア、ブジだった! Bey would be glad……!」

「本当に無事でよかった……! でも、ごめんなさい……謝らないといけないことがある」

「ウンまぁあたしとしても謝ってほしいことはありまくるけどね!?」

「謝りたいのは……ベイのことなんだ」

「そっちじゃなくてもっと他にあるわよね!?」

 

 対面早々、この愛らしい乙女を捕まえて『ババア』ときたもんだ。

 そりゃあ実年齢からするとこんな青臭い少年少女にとってはババアと呼んで差し支えないくらいの開きがあるのかもしれないが、そんな慣習じみたものは関係ない。条理を越えて魔女になったこの女に、凡庸な俗人目線の修辞なんか当てはまってたまるものか。

 なんならすぐにでも拷問器具でとっつかまえてみっちり"教育"してやってもいいのだが、気になることもあった。

 

(どういうことか知らないけど、ベイのやつ随分気安く懐かれてるみたいじゃない)

 

 ひとまず「はいはーい落ち着いてっ!」と高い声を張り上げたルサルカは、チャーミングな翠の目をジトリと半目にして日本人らしい少女と白人の少年を黙らせた。

 とりあえず

 

「……それ、『ババア』って、ベイが言ってたわけ?」

「? あ、ああ」

「Yes」

「……」

 

 ベイ、後で、絞める。

 花の微笑でそんなことを考えながら、ルサルカは「あのね」と、こなれた様子で笑顔を作った。

 

「あたしの名前はルサルカ・シュヴェーゲリンっていうの。ルサルカって呼んでくれたらいいわ。ベイの馬鹿が言ってたことはぺろっと忘れちゃって大丈夫だから」

「は、はぁ」

 

 ちょこんと首をかしげて顔を覗きこんで、有無を言わせぬ調子で言い含めたルサルカに、少年と少女も言われるままに頷いた。ほんの数言で自分のペースを作ってしまう小柄な魔女に、黒髪の少女は数秒遅れで自分が言おうとしていた話題を思い出す。

 

「って、ルサルカ。そのベイのことなんだけどっ」

「あー、ウンウンどしたの? またどっかでヒャッハーしてるわけ?」

 

 ヴィルヘルムとはぐれてから思えば2日か3日は経つが、直接顔を合わせたことは一度もなく、動向も不明である。こういう珍奇な状況になら喜々として乗っかって彼曰くの『たぎる』案件を気まぐれに狩りに行く、なんてのがあの男のやりそうなことだろう。

 ルサルカとヴィルヘルムは嗜虐性や遊び気などでなんだかんだ気が合うようでいて、しかし根本的なところでは欲も思考もずれているのだ。

 

(あたしがいろいろ調べたりしてたってのに、あのバトルジャンキーはほんとにしょうがないわねぇ。男ってこれだからアテになんないわ)

 

 自分も大概の気分屋であることをあっさり棚に上げて心中で嘆息しつつ、ルサルカはコツンと、足元の墓石を爪先で蹴った。

 呪いか魔術のような気配の残滓はあるものの、どうやらこの墓は空っぽだ。この墓の主も他の死体同様にそこらを徘徊しているのか、それとも最初から誰も埋まってはいないのか。まだこの異界の状況のすべては把握しきっていないが、それでも何か、鍵になる要素である気はする。墓碑代わりの苔むした石の肌には、ただ女の名と思しき文字が刻まれていた。

 黒円卓の《魔女の鉄槌》は頭の中で情報を整理しながら、そんな思索をおくびにも出さずにまだ名も知らぬ黒髪の少女の言葉を促す。

 

「で、ベイがどうしたのかしら、お嬢ちゃん?」

「……あいつは……ベイは、死んだんだ……!」

「へ?」

「Yes, he is」

 

 悲愴な顔で言い落として俯いた少女の震える肩を、ショットガンを担いだ少年が慰めるように撫でる。

 ルサルカだけがこのテンションに付いて行けずに『いや、無い無い無い』と、ある意味牧歌的にいぶかしんでいた。あの戦闘狂は殺したってそうそう死ぬ奴じゃない。現世に残存する黒円卓の騎士のなかでも、単純な戦闘力だけならトップと言っていい男なのだ。

 しかし――話くらいはきいておいていいかもしれない。ルサルカは「ふぅん」と鼻にかかった声を出して、ちいさな顎に指を当てて目を細めた。現にヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイはここにいないのだ。何かがあったというなら、情報は仕入れておいた方がいいだろう。

 

「いちおう教えてほしいんだけどー、死因はなぁに? 本当に死んだところを見たの、あなたたち?」

 

 問いに、少女は日本人形のような黒髪を揺らしてこっくり頷いた。「ちゃんと見た」と言いきって、微かに震える声で続ける。

 

「全身に杭が刺さってたし、血まみれで……あれはどう見ても完全に屍人化してた」

(アッベイ元気だわソレ)

 

 そのベイ、すごい、見たことあるわぁ。

 心配したわけではないが、たぶん黒円卓第四位は絶好調なんだと思う。なんだか可笑しくて笑い出しそうになるのをこらえて、ルサルカは思案する。

 

(ひょっとすると、省吾くんに仕込んであげたあたしのプレゼントを壊したのもあいつかもしんないわね。そんだけヒャッハーしちゃってたんなら納得だわー、省吾くんかぁわいそぉ)

 

 ぷくう。ルサルカの頬がふくれる。あの医者のために怒ってやるわけではないが、面白くは無かった。

 初対面でババア呼ばわりしてきた相手にいちいち誤解を解いて懇切丁寧に永劫破壊や聖遺物のことを教授してやる気にもならないので認識をすりあわせることはしないが、とりあえず現状はうっすら把握した。あの《串刺し公》の巻き添えも喰わずに逃げおおせた少年少女は相当な強運の持ち主らしい。

 そこではたと、気が付いた。

 

(……そういえばこの子達、『赤い水』の汚染効果がぜんぜん出てない……?)

 

 このあたりの水はあの夜のサイレン以来ほぼすべて、血のような『赤い水』の水害に浸食されている。昨日か、長くて一昨日からこの異常事態は始まったのだ。普通の人間が『赤い水』をまだ少しも摂取せずに過ごせている、というのは考えづらい。

 そしてルサルカは既に、『赤い水』を摂取した人間がどうなるのかを知っているのだ。

 赤い空が澱んで暗くなっていく下で、ルサルカ・シュヴェーゲリンは同胞の男の死亡状況(暫定)を言い募る少年少女の話を聞き流しながら、もう一度足元の墓石を見た。

 ちいさな旧いそれには、判読しがたい文字が浅く刻まれている。――『美耶古』、と。墓石の名は、そう読めた。

 

「ねぇ、あなたたち――」

 

 魔女の目が欄と光った。手ごろな実験動物を見つけた色だ。

 蟲惑的な微笑を浮かべて、凡人の消費を少しも躊躇わない魔道の徒はゆらりとその影を蠢かせた。

 

「――ちょっと、"搾らせて"もらえないかしら」

 

 えっ、と、美耶古とハワードが声をそろえた瞬間、ルサルカのちいさな舌が桜色のくちびるを舐め。

 うら若い少年と少女の身体に、魔女の影から呼び出された何かが喰いこみ。

 その途端

 

 

『ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ――――』

 

 

 赤黒い空をつんざく悲鳴のように、あの夜と同じサイレンの音が鳴り渡り出した。

 

 

 

 ● ・ ・

 

 

 

 一方、その少し前。

 羽生蛇鉱山跡地では、白い男と赤い僧衣の女がマイペースにずかずか歩きまわっていた。

 あれからしばらく経つと屍人たちは再び動き出したのだが、並んで歩くアマナとヴィルヘルムにはまったく手を出してこない。むしろ遠巻きに「エッ」「チョッ……エェェ……?」などとぼそぼそ言って、何故か機嫌をうかがいでもするかのように様子をみてきている。いやぁな緊張状態である。

 遠巻きに付いてくる屍人を潰していくのも、なんとなく鬱陶しい。チッと舌打ちしたヴィルヘルムは、面倒くさそうな半目で隣の女をギロリ、睨んだ。

 

「おうコラ、なんッであんな腐肉どもに見世物扱いされてんだテメェ」

「ワタシですか!?」

「そりゃそうだろ。さっきまで景気良く特攻して来やがった連中がテメエが来てから急に大人しくなってんだよ」

「Hm……ワタシが来てこうなったということは、神のご加護でしょうか、やはり」

「けっ。ンな上等なもんがあんなら死肉連中もとっとと自分の墓に戻って寝なおしてやがるだろうぜ」

「あははっ! んー、それもそうかもしれませんねぇ」

 

 いや納得してんじゃねえよ。

 吐き捨てた皮肉に平和な笑顔で同調するアマナに、ヴィルヘルムは閉口する。子守りの次は頭のネジがゆるんだ女の介護だなんて、まったくもって笑えない。この瓦礫の山からも、特段めぼしいものが見つかる様子はなかった。

 こうなったらもうさっさと同胞の赤髪の魔女あたりと合流して、当初の目的通りシャンバラを目指した方が良いのかもしれない。こういう魔術的なよくわからない事象はそもそも魔女だか魔道士だかの専門だろうし。マレウス・マレフィカムの気分屋ぶりからすると、下手をするともうさっさとこの地を後にしている可能性だって無くは無いのかもしれないが。

 考えていると自然に、ヴィルヘルムの大股の歩調は早まっていた。もとより女に歩調を合わせてやるような気遣い、ヴィルヘルム・エーレンブルグの辞書に載っているわけもない。凹凸の激しい足場をものともせずに同行者に構わず前進するヴィルヘルムに、焦ったアマナは「Oh, Please more slowly!」と口走って手を伸ばした。

 

 ちょうど、そのとき

 

 

『ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ――――』

 

 

 頭の底に耳鳴りのように残っていた残滓が、呼び起こされたようにざわついた。

 忘れもしない。この異変が起きたときに赤い降雨とともに鳴り響いたあの"サイレン"である。あれからも数度夜中に遠く響いていることはあったが、こんな大音量はあの夜以来だった。

 遠巻きにいた周囲の屍人が一斉にざわつき始める。

 唐突な状況の動きに、ヴィルヘルムは「んぁ?」と立ち止まった。その腕に先ほど伸ばしたアマナの細い手が触れ、

 

 ――ボウッ、と、空気が爆ぜる音がした。

 

「――――――ァ?」

「ぇ」

 

 朱色の光が、ヴィルヘルムとアマナの目を至近距離でちらつく。振り返った白貌が不意打ちに赤い目を見開いた。感覚はまだ追いつかない。空気が焦げる音に、肉が焼けるねばっこい音が重なった。

 アマナが掴みかけたヴィルヘルムの右腕、肘のあたりを、明々とゆれる炎が覆っている。着火、というよりこれは小規模爆発にも似た発火か。

 

「な」

 

 サイレンは鳴り止まない。目を丸くしていたアマナは自分の手から噴き出す赤い炎を見て、わななく声で「あ、あぁ」と小さく呟いた。

一見するとこの現象に驚いているようにも見えるが、その亜麻色の瞳はもっと遠くを見据えて揺れている。発せられる言葉も焔も、先程までの頭のゆるい聖職者のそれとは根本的に違っていた。サイレンに起こされでもしたように、その瞳は瞳孔が開ききっている。

 

「珍しい実が、奪われ――」

「おいてめえ」

 

 アマナが何かを言い終える前に、焼け落ちかかったヴィルヘルムの右手が炎の尾をひいて風を切り、その顔面を掴みにかかる。その間にも、地面と空はサイレンに引き寄せられるように揺れ、交わろうとしていた。世界の終わりじみた光景のなか、ふたりを囲むように広がっていた屍人たちは自分の身を千切らんばかりに躍り出している。

 片腕を瞬間的に焼かれながらもブロンドの頭を引っ掴んでそのまま地面に後頭部から叩き付けたヴィルヘルムは、白い頚に汗をにじませながら手に力を込めた。怪力が女の身体を軋ませる。

 

「今、何しやがった。そんでこの音ァ何だ」

 

 ただの炎であれば、聖遺物の徒にとってはなんの脅威でもないのだ。もっともヴィルヘルムはその『吸血鬼』たる特性上火炎を弱点としているが、それでもその弱点が致命的に顕在化するのはより強くより深く聖遺物と一体化した《創造》時くらいである。

 しかし今まさに焼かれている感覚でわかるのだ。この火は尋常の炎とは違う。炎に覆われた手で掴んだアマナの顔面がまったく少しも焼けていないのも、この炎の特異を証明していた。

 身の内を熱が這うように細胞から焼死していく感覚に、吸血鬼の口角は我知らず凶暴に吊りあがる。こうなってしまってはひとまずこの右腕は使い潰したって構わないが、他の部位まで燃やされては厄介だ。周囲に円形の亀裂を刻んで地面にめりこんだ女の頭から手を離して、ヴィルヘルムは身をもたげた。パチ、と、火花が腕から飛ぶと同時、その長身のシルエットが蠢動する。炎が上膊まで上ってきたら《形成》して片腕を落とそうと躊躇無く算段しながら、「なァ、おい」と、ギリギリ保った理性で今にも笑い出しそうな掠れ声を出す。

 

 ――この女がここの主だ

 

 確信し、激昂し、期待して狂喜した。

 軍服の繊維が熱に解け、骨が露出し始めた白い腕にへばりつく。悪食な炎はゆっくりと、しかし体表よりむしろ骨の髄まで熱の舌を伸ばすことで、聖遺物と一体化しているヴィルヘルムの腕を確実に落とそうとしている。アマナには少しの火傷も負わせていない事から見ても、この炎にはあたかも、この異界にとっての異物を排斥せんとする意思が宿っているようだった。

 半端に熟れた果実が強く圧迫された時のように頭蓋の形を変えられたアマナは、地面に倒れたまま、喉の奥から声をもらす。

 

「これではちがう。これでは……」

 

 

 

 "――……ウロボロスの輪は、繋がらない。"

 

 

 

 その言葉と同時に、サイレンがけたたましさを増した。聞くものの頭のなかをかき回す音量が、赤い水に浸された集落全体を蹂躙する。赤い空が落ちてくる。世界はまるで穴の中だ。地面がゆがみ、視界は侵され、脳髄のどこか、記憶と心をむすぶ何かが犯される。これはそういう音だった。

 目の前の得体の知れない女以外の情報すべてを本能的に遮断していたヴィルヘルムは、この閉じた赤い水の異界が暗転するギリギリまで、アマナという女の奥の異形を引きずり出そうと、酔ったようにそればかりを考えていた。

 面白い。これは絶対に面白い。だってこの女はおかしいのだ。何かとんでもないものを飼っている。あるいは何かとんでもないものに飼われている。こんなゲテモノにはそうそうお目にかかれない!

 

「く、はは。ははははは、あッははははははァ!! 上等じゃねえか、馬鹿女ああッ!!」

 

 

 炎に焼かれる右腕から無理矢理生やした杭で、アマナの心臓が貫かれる直前。あるいはヴィルヘルムのその右腕が肘の上から焼け千切れる瞬間。

 いつのまにか、サイレンは逆再生されているようだった。

 崩れる赤い空の下、死者の舞踏は苛烈さを増す。

 そして

 

 

  暗 転 。

 

 

 

 ・ ・ ・

 

 

 

 

 目が覚めたとき、ヴィルヘルムは1人きり、民家か納屋のトタン屋根の上に倒れていた。

 空は赤く濁っていて、永遠に続く夕焼けのようだった。朝なのか昼なのか夕方なのかは判然としなかったが、疎ましい日の光の眩しさは感じられなかったため、半ば寝惚けたまま、ヴィルヘルムはさっさと行動を開始した。

 その右腕は肘から先の袖がぶらり、完全に慣性と風に遊ばれて揺れている。

 この閉じた異界、閉じた条理のなかで、何かが起こった。それを起こした女がいた。何かに阻害されているかのように自然治癒が(あくまで当人比で)極めて遅くなっている右腕のハンデなどといった野暮な頓着は一切放り捨てて、黒円卓の騎士は熱っぽく口角を上げてずんずん歩く。

 面白くなってきやがった、と、大股に進む姿は"戦場のオカルト"の異名に似合いの鬼気を孕んでいた。

 

「ひとまず、今度ぁマレウスの奴を探してみるとすっか」

 

 既に知っている景色を踏み荒らす。

 8月3日の赤い空が、そ知らぬ顔でふたたびこの地をすっぽり覆いつくしていた。

 

 

 

Kapitel01【Mädchen, Außerirdischer und Ritter】 ――Das Ende

 

 




これにて1章、おしまい。
いろいろ謎を引っ張りつつ、2章につづく。

~ほがらか捕捉コーナー~
・公式でもアマナはアマナファイアー()を出せます。わりと急に出します。
・このお話の内訳を簡単に言い表すと、
『ベイ中尉とマレウス准尉はなんだかんだで各々この羽生蛇村の異変の核心に肉迫できていたものの、タイミングやらいろんな要因でお互いがお互いの足を引っ張り合って、結局"強制巻き戻し"のトリガーを引いてそれに巻き込まれてしまったのであった!』
みたいな感じです。
黒円卓のチャームポイントのひとつは、チームワークに大変問題があるところだと思っています(※個人の感想です)。

2章につづく、と上には書いたものの、次のお話から何話かは1章の裏側話になると思います。1章マークツー!
ベイ中尉・美耶古・ハワードの『羽生蛇村脱出チーム』がわちゃわちゃやってたころ、ルサルカさんが何処で誰と何をやっていたのか。
あと『ぷろろぉぐ以来』全然出番が無い、アメリカ人取材クルーはどうなったのか。
ユキエセンセイ(仮)は何だったのか。
マイペース更新ではありますが、またぼちぼち参ります~


(2015.5.3. こねぎ。)


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