黒髪ユウシャと青目の少女 (姫崎しう)
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プロローグ~出会い・旅立ち~

 『グオオオォォ』と叫びにもならない声をあげ、大きな犬のような獣が炎にのまれ灰と化す。炎を放った目の青い少女は、それを確認すると「ふう」と息をついて、振り返り背後の様子を確認する。

 

 その視線の先には黒髪、黒眼の男が同じ獣と対峙していた。男はいかにもやる気がなさそうに腰にぶら下げてある鞘から片刃の直刀を抜くと今にも飛びかかってきている犬を切りつける。飛びかかってくる勢いと、切りつける勢いとがぶつかり爪や牙が長く毛が逆立っているかのような犬は抵抗もなく真っ二つになった。

 

 血しぶきが男の背後で上がる頃には直刀を鞘の中に戻し、青い目の少女の方へと歩いていた。

 

 少女の方も男の方へ半ば呆れた表情で駆け寄る。

 

 男の方が頭一つ分ほど身長が高く、年のころは男が十代後半、少女が半ばほどと言ったところ。ともにフードの付いたマントをしっかりと着こんでいる姿はどこか怪しく見える。

 

「相変わらず、ユウシャ様のそれ反則級ですよね」

 

 少女が華奢な細い指でユウシャと呼んだ男の腰のところを指さす。

 

「ユウシャってのは止めてくれないか? あと、反則って人のこと言えないよな、ルリノ」

 

 ユウシャが言うと、ルリノと呼ばれた少女は頬を膨らませる。

 

「何度も名前はルーリーノだって言ってるじゃないですか」

 

「そんな変わらないだろ?」

 

 そう言って、ユウシャが笑うのを見ながら、ルーリーノはどうしてこんな男が『ユウシャ』なのだろうかと、ため息をついた。

 

 

 

 ユウシャとルーリーノが出会ったのは数か月前。ユウシャがギルドに加入するためにキピウムの冒険者ギルドを訪れていた時。

 

 すでに碧眼のルーリーノと呼ばれ新人冒険者の中でも一目置かれていた――そもそも目が青いだけで一目置かれるには十分なのだが、その理由は後述する――彼女は大陸の東側、壁を越えた向こう側に行くための方法を探して、かつてユウシャが作ったとされるこの国にやってきていた。

 

 二人が出くわしたとき、用心棒としては破格の値でお伴を雇おうとしていたユウシャが幾人もの候補者をのしてしまった後で、彼は退屈そうに倒れた屈強そうな男たちに背を向けて座っていた。

 

 それだけ強ければ、冒険者としてルーリーノのように一人でもやっていけるはずだろうに、何故わざわざ大金を払ってまで仲間を求めるのか気になったルーリーノは躊躇うことなく男に尋ねた。

 

 いつもそうであるように、ユウシャも初めはルーリーノを少し驚いたように見ていたが、少し考えると「もしも、お嬢ちゃんが仲間になってくれるなら教えるよ」とだけ言った。

 

 つまりは、ユウシャの後ろで伸びている男たちと同じように試験を受けろと言われているも同然なのだが、そこまでしないと話せないような理由にルーリーノは興味を覚え、それよりも自分のことをお嬢ちゃんと呼んだことが気に食わなくて「試されてはあげますけど、貴方の眼鏡にかなっても仲間になるかは私が決めますよ?」と挑発気味に返した。

 

 ユウシャもユウシャで、ここまで啖呵を切るということはそれなりの腕なのだろうと少し楽しさを覚え「それなら、君が俺の眼鏡にかなったら理由を教えるってことでいいのかな?」という。

 

「もちろん。それに、貴方のその髪と瞳についても教えてほしいですね」

 

 ルーリーノはユウシャを見据えてそう言う。黒髪に黒眼なんてまるで……とルーリーノが考えていたところで「そっちは気が向いたらね」とユウシャは曖昧な返事をする。

 

 ルーリーノはその返しに首をかしげながらもそれを受け入れる。

 

「そう言えば、貴方の名前は何ていうんですか?」

 

 受付の視線が刺さる――冒険者同士の諍いにおいて力で訴えることは多々あり、互いに納得のいくルールの下であるならそれも認められているが、多くの場合ギルドの建物内ではご法度となる――ので、さてギルドから出ようかという段になって、ルーリーノは尋ねる。

 

「ニル。そっちは?」

 

 男がそう言うと、ルーリーノは目を細めてクスクスと笑った。それに対してニルが怪訝そうな顔をする。

 

「貴方……ニルさんは本当に駆け出しなんですね。普通こういうときは『そちらから名乗るべきじゃないか?』となる所なんですけど」

 

 ニルはそう言われて、バツが悪そうに「それで、君の名前は?」と尋ねる。

 

 ルーリーノはその態度が面白く、笑顔を隠さないまま「ルーリーノと言います」と返した。

 

 

 ギルドを出た後、市場を抜け町を囲む壁を抜けた草原地帯へ二人はやってきた。壁から出たということは亜獣と呼ばれる獣に襲われる可能性もあるのだけれど、この地域ならばほぼ亜獣と遭遇することもないし、人里までやってくる亜獣の数も日に日に減ってきている。

 

 二人は一定距離を保ち、対峙すると戦闘態勢に入ることなく、話し始める。

 

「それで、ルールはどうするんですか?」

 

 足首まであるマントをすっぽりと被ったまま、ルーリーノは尋ねる。ニルは腰にある直刀に手をかけることすらせずに「そうだな……」と考え、人差し指を立てる。

 

「先に一撃でも当てた方が勝ちってことで」

 

「私が勝ったら、認めてもらえるってことでいいんですか?」

 

 冒険者としては後輩であるこの男に『認めてもらう』なんて何とも滑稽だと思いながらルーリーノは尋ねる。

 

 ニルは首を振った後で口を開く。

 

「もちろん、君が勝つようなことがあれば認めることになるけど、負けても認めることもある」

 

「大した自信ですね」

 

 ニルの言葉にルーリーノは少し腹が立って、睨みつけるようにニルを見る。

 

「相手を殺さなければ何を使っても構わない」

 

 ルーリーノの言葉を無視するかのように、飄々とした態度でニルはルールの説明を続ける。

 

「貴方はそれを使うんでしょうね」

 

 ルーリーノがニルの腰辺りを見ながら口にする。しかし、ルーリーノの予想に反してニルは首を振り、どこからともなく少々重そうな木刀を取り出した。

 

「とりあえず、俺が使うのはこれ」

 

 それを見てまるで手加減されているかのような印象を受けたルーリーノはさらに腹を立てることはせず、さっさと終わらせて知的好奇心を満たしてしまおうと考えた。

 

「スタートの合図はどうするんですか?」

 

「そっちが決めていいよ」

 

 ニルはそう言うと、両手で木刀を持って構える。構えとは言っても棒立ち状態で木刀を持っているだけ。

 

 対してルーリーノは近くにあった木の棒を手に取り、それ以外は特に構えようとする様子を見せない。

 

「これを放物線を描くように投げますから、これが地面に着いて以降の攻撃を有効打ということにしましょう」

 

 ルーリーノがそう言うと、ニルは頷き真剣な目つきをする。

 

 ルーリーノは特に表情を変えることはせず、この勝負の行く末を考える。この男がルーリーノの想像を超えて弱ければ勝負は一瞬。そうでなくても恐らく負けることはないだろう。

 

「それじゃあ行きますね」

 

 場の緊張感に反してルーリーノは柔らかい微笑みを浮かべ木の棒を放り投げる。

 

 木の棒が落ちるまでおよそ五秒と言ったところ。ルーリーノはボソボソと呪文を唱え始める。

 

「ミ・オロドニ・ブロヴォ」

 

 上昇していた棒がその軌道を下降へと転じさせる。

 

「パフィ・オク」

 

 ルーリーノの周りの風がざわめき出す。それを察知したニルはすぐにでも動けるよう重心をやや前に乗せる。

 

「パファジョ」

 

 ルーリーノの最後の言葉と棒が地面に着くのが同時だった。

 

 一般人には目を凝らさないと見ることも難しい八本の風の矢がニルに向かって打ち出される。

 

 ニルが初めの数歩ユラユラと左右にブレながら前進し矢を避けると一気にスピードを上げ、距離を詰めてくるのをルーリーノは見た。

 

 その予想以上の速さにルーリーノは少し感心したが、心を乱すことなく呪文を唱える。

 

「ファヨロ・ガロディ・ミ」

 

 

 ニルがあと一歩でルーリーノに届くと思ったところで、チリ……と嫌な音を感じ思わずバックステップを踏む。すると、見る間にルーリーノを取り囲むように炎が現れる。

 

 何とかそれに巻き込まれずに済んだニルがホッと安心しかけたところでルーリーノを囲んでいた炎が消え同時に「パファジョ」という声が聞こえてきた。

 

 ニルが緩みかけた気を引き締めなおすと、今度は前方から火の矢が飛んでくる。それはスタート直後に飛んできた風の矢よりも黙視し易く、先ほどよりも容易に避けることができるだろうと地面を蹴る。最初の一本を右に避けたところで、目の前に風の矢が現れる。

 

「あ、きっつ……」

 

 思わずそう洩らしながら、咄嗟に木刀でガードする。しかし、その矢の鋭さのあまり僅かに勢いを殺しただけで突き抜ける。間一髪といったところで倒れ込むように避けると、今度は後方、矢が到達したと思われるところで小さな爆発が――とは言っても近距離だと致命傷になりかねないが――起き、その爆風でバランスを崩しニルは完全に片膝を着く。

 

「思ったよりもやりますね」

 

 ルーリーノがそんなことを言う。向こうはまるで余裕だというのに、ニルは肩で息をし始めたところを見るとその台詞が果たしてそのままの意味を成しているのか疑問に思いながら、「相手を殺さなければ」という一言をルールに入れた自分をニルは全力で褒める。

 

 今まで集ってきた奴らとは明らかにレベルが違う。碧眼とはいえ年下に見える女の子を心のどこかで下に見ていたのだろうと自分を戒め、木刀を捨て腰の直刀に手をかける。

 

「これで最後です」

 

 ルーリーノからそんな声が聞こえたのでそちらに目を向けると、最初の倍以上はあるであろう魔法の矢がニルを狙っていた。

 

 

 

 「最後です」という台詞を言いながら、ルーリーノはニルが腰にある武器に手を添えるのを見ていた。

 

 いまルーリーノの周囲には初めの総数にして初めの三倍――火が十二本、風が十二本――の矢が準備されている。万が一を考えて威力は落としてあるが、速さは先ほどと変わらない。

 

 ニルが直刀を抜く前に「パファジョ・クヴァル」言って、火と風、それぞれ二本ずつを射る。もしかしたら、これで終わるかとルーリーノは思ったが、ニルは想像以上に早く直刀を鞘から抜くと目にも止まらぬ速さで振り抜く。

 

 直刀に当たった矢は紙でも切っている方がまだ手ごたえがありそうなほどあっさりと切られ姿を消した。

 

 あまりにも威力を落としすぎたかと思ったルーリーノは次以降先ほどまでと変わらぬ威力で矢を放つ。残った二十本を同時に。それと並行して「フォロミ……」と次の呪文を始める。

 

 動き出したニルの動きが、先ほどと比べると幾分よくなっていて、魔法の矢の弾幕と接触する直前に薙いだ時にはルーリーノの目でもその軌道を追うのがやっとだった。

 

 しかも二十本もあった矢は先ほどと同様、空気のように切られその姿を消してしまう。

 

「フォソト」

 

 ニルが今一度ルーリーノまで後数歩という距離に来た時にルーリーノの呪文詠唱が終わる。

 

 現れたのは小さな火の柱。先ほどよりも速く近づいてくるニルには恐らく避けることはできないだろうと思われるタイミング。ニルはそれに気がついてもまるで気にした様子はなく直刀を縦に振り降ろす。

 

 ルーリーノは目の前で真っ二つになる火柱を眺めながら、ストンと座り込んでしまった。

 

 それに驚いたのは、ニルの方で勢いのあまり上手くとまることができずルーリーノを飛び越すと、着地の瞬間上手く膝を曲げて衝撃を地面に逃がす。

 

「あー……私の負けですね」

 

 ルーリーノは座った姿勢のまま、苦笑を浮かべそう言った。

 

「いや、俺の負けだろう、これ使ったし」

 

 ニルもニルで少し納得がいかない様子でその場に座る。それから、直刀を膝の上で鞘に戻した。

 

 

 

「それで、何で俺が仲間を探しているのか」

 

 ギルドに戻ると積まれていた男たちは散り散りなっていて、酒場のようにいくつもあるテーブルにはほとんど人がいなかった。二人は端のテーブルに向かい合うように座っている。

 

「壁の向こうに行くためだな。正確にはその準備のためだけど」

 

 ニルは端的にそう言うとルーリーノの反応を待った。

 

 ルーリーノは内心驚きを示しながらも、何と返すべきか言葉を探す。

 

 ここで言う壁とは町を囲っているそれではなく、海に浮かぶこの大陸のほぼ中央を南北に仕切っている巨大な壁のことを指しており、現在その壁の向こうへ行くことは不可能とされている。第一に東に行くほど――人の手が届いていないところほど――亜獣が強く凶暴になっているから。第二にそもそも壁が頑丈すぎて傷一つはいらないから。第三に海流の関係上、海にまでわたっている壁のせいで渦が起き、船が使えないから。

 

 そんな理由があって本来大陸の東西は現在、交流はおろか互いの情報すら入ってくることはない。

 

 しかし、お伽噺レベルでは壁の向こうの話もあり、その裏付けとなることも存在しないわけではない。そのお伽噺とはこう言ったものである。

 

 

 

 

 昔々、まだ大陸に壁がなかった頃、人と亜人――人に似ているが、小さいものや、耳がとがっているもの、動物のような耳や尻尾が生えたものなどその種類はさまざまで、瞳の色が人では発言しない赤や紫といったようなものが多い――が争っていた。西が人、東が亜人。数は多いが個々の戦力はそんなに高くない人と、数は少ないけれど個々の戦力が高い亜人。両陣営は長い間均衡状態であったが、ある時その均衡が崩れた。

 

 亜人側に強い力を持つ『マオウ』が誕生したのだ。マオウの指揮の下、人々は現在のキピウムまで、つまり大陸の七割以上を亜人に支配された。

 

 そんなときに神が人々に遣わせたのが三人のユウシャ。その三人に共通する黒髪、黒眼から『黒のユウシャ』と呼ばれ死闘の末ユウシャはマオウを打ち倒す。しかし、三人いたユウシャのうち二人がマオウとの戦いによって命を落とし、残った勇者がキピウムを作った。

 

 それを見ていた神は、こんな争いが二度と起こってはいけないと大陸中央に大きな壁を作った。

 

 

 人ならば知らないはずはないだろうとまで言われるお伽噺。実際に壁は存在するし、お伽噺のような力は持っていないが奴隷として亜人はこの西側にも僅かではあるが確かに存在する。

 

 そして、現在人々の生活を脅かしている亜獣はその争いの影響で動物が変化したものだとも言われている。どれも状況証拠でしかないが、このお伽噺を信じるのであれば、壁の向こうでは亜人たちが暮らしているということになる。

 

 

 

 

「何か壁を越える手段があるんですか?」

 

 漸く口を開いたルーリーノは、恐る恐る尋ねる。ルーリーノ自身その手段を探すために冒険者になったようなものであるから、そうであるなら食いつかないわけにはいかないし、そうであったら今まで必死に探してきた自分が少し惨めな気もする。

 

「可能性ならね」

 

 ニルの答えに、ルーリーノは諸手を挙げて喜ぶことはできず、かと言って見当違いだったと落ち込むことはなかった。たとえ答えが否定でも、ヒントすら得ていないルーリーノにしてみたら相手を蔑む道理などないのだけれど。

 

「それを教えていただくわけには?」

 

 厚かましいようだが、ルーリーノは尋ねる。その問いにニルは首を振ってこたえる。

 

「さすがに無理だね。たとえ仲間になってくれたとしても教えられない」

 

 さて、その理由を教えてくれるだろうかとルーリーノは考える。たぶん無理だろうなとすぐに答えが出る。と、なるとルーリーノに残された選択は少ない。ニルの話を信じ仲間になるか、ニルのことなど忘れてまた一人で手掛かりを探すか。どちらが自分の目的にとってプラスであるか、ルーリーノにしてみれば考えるまでもない。

 

 ただルーリーノには、ニルの話で気になるところがあった。壁の向こうへ行く方法、それは仲間であっても教えられないこと。

 

 少し考えてルーリーノは口を開く。

 

「今の私には貴方の仲間になる資格がある。ということでいいんですよね?」

 

 ニルはそれに頷いて答える。

 

「じゃあ、私を仲間にしてください」

 

「いいのか?」

 

 今までのやり取りから、ルーリーノが興味本位でこちらの話を聞いていたと思っていたニルは少し驚く。

 

 ルーリーノは頷くと真っ直ぐニルを見る。ここから先下手に誤魔化されるのは避けたい。

 

「はい。それに、お金も必要ありません」

 

 ルーリーノ自身、伊達に『碧眼の』なんて見たままの二つ名で呼ばれていないので、それなりに金も地位もある。

 

 しかし、そんなこと知る由もないニルに取って、その言葉は少し恐ろしいものである。つまり、この少女はお金ではないもっと他の物を要求するはずである。だから、少し身構えてルーリーノの次の言葉を待った。

 

「その代わり、私を壁の向こうまで連れて行ってください」

 

「え?」

 

 ルーリーノの言葉にニルは思わず気の抜けた声を上げる。

 

「それから、貴方について話せる限りでいいので、私が仲間であるとして話してください」

 

 「それが私の望みです」とルーリーノは青い目を細めて笑顔を作る。

 

 ニルはルーリーノの言葉を反芻する。それから、一つルーリーノに問いかける。

 

「どうして、壁の向こうに?」

 

 どんな危険があるかわらかない壁の向こうにニル自信仲間を連れて行く気など毛頭なかったのだ。ここで仲間を探していたのは、その前段階を行う手伝いが欲しかったから。

 

「さすがに貴方も『黒のユウシャ』のお伽噺は知ってますよね?」

 

 ルーリーノに問われ頷く。しかし、それとルーリーノが壁の向こうに行きたい理由は今のニルにはわからない。

 

「私は会いたいんです。お伽噺に出てくるような亜人に。そして、彼らに魔法について教わりたいんです」

 

 「これでも、魔導師ですから」と、締めくくる。それを聞いてもう一度ニルは考える。

 

「仮にお伽噺の中のような亜人がいたとして、そいつらが素直に教えてくれるとも思わないんだが?」

 

「その時は諦めます。それよりも、壁の向こうの世界を知らずに生きていく方が耐えられないですから」

 

 力のこもった青い目がニルを見る。

 

 諦めますとは、恐らく『命を』ということだろう。半ば自殺気味なことを言っている少女を本当に連れて行ってもよいのか、話を聞きながらニルの懸念はそこだけになっていた。

 

 でも青い目を持っているし、少なくとも身を守ることはできるかと考えて、ニルはルーリーノを連れて行くことを決めた。

 

 

 

 西側に住んでいる、所謂『人』。彼らの中には稀にルーリーノのように魔法を操れるものがいる。その条件は先天的に才能があるかどうか。才能というよりも魔力の総量と言ったところだが、その子に才能があるかどうかを知る簡単な方法がある。それが、瞳の色。まったく才能がない人の目は茶色。それから、低い順に黄色、緑と変化していき、最も才能を持つものは青色の瞳を持っている。

 

 実用的な魔法を使うことができるのは目が緑色の人からで、黄色であっても並々ならぬ努力を行えば緑ほどには使えるようになる。しかし、どんなに緑の人が努力をしようとも青に届くことはない。

青い瞳を持つものは西側において十人もいないとされ、その中でも表立って知られているのは、キピウムの現在の王女。

 

 ただ、彼の王女様は王女であると同時に神の声を聞くことのできる巫女でもあるため、その力はただの碧眼の魔導師よりも強いといわれている。

 

 また、碧眼の魔導師の戦闘力は熟練の戦士以上といわれ、実質まだ若いルーリーノであっても、腕に覚えのあるニルを――最終的にはニルの切り札に敗れた形ではあるが――追い詰めることができたというわけである。

 

 

「仲間にしてもらった直後で申し訳ないんですが、早速貴方について教えてくれませんか?」

 

 姿勢を正してルーリーノが問いかける。

 

「その前に、一つ頼みたいんだが……」

 

 約束ではあるし、ルーリーノに話すのは何の問題もないのだがとニルは思う。ただ、日も暮れはじめギルド内に人が集まり始めたのには問題がある。自分たちが地味な人間であれば何の問題もないんだけどなと、ニルは思う。

 

 しかし、実際は黒髪の男と、少なからず人の目を惹く容姿をした青い瞳をもった少女なので、どうしても周囲の注目を集めてしまう。幸い集まってきた人の多くが昼間ニルにのされていた人々なので表だって因縁をつけられることはないが、聞き耳くらいは立てられる可能性がある。

 

「頼みとはなんでしょう?」

 

 ルーリーノが首をかしげると、ニルは相手の魔導師の能力を信頼して答える。

 

「俺達の会話を周りに聞こえなくするってことは出来るか?」

 

 半ば小声でそう言うと、ルーリーノは納得したような表情を見せ「ミ・オロドニ……」と呪文を唱え始める。

 

「ソラ・ヴァノド」

 

 呪文を唱え終わると、ニルの耳に届いていた喧騒が徐々に小さくなり、遂には聞こえなくなった。

 

「音の壁ね」

 

 感心したようにニルが言うと、ルーリーノが少し驚いた顔をする。

 

「魔法使えるんですか?」

 

 一般人ならばその目を見ることで魔法が使えるかどうかはわかるが、黒の瞳というのはある意味規格外であるのでもしかすると使えるのかもしれない。とルーリーノは自分を納得させようとする。

 

 それに……と自分の考えを裏付けるような考えを模索し始める。

 

 黒の瞳といえばお伽噺のユウシャ。そのユウシャは碧眼以上の魔法が使えたという話もある。それならば目の前の男が一目で自分の魔法を看破したのもうなずける。

 

 しかし、ルーリーノには二つその考えでは納得のいかないことがある。一つは先の対決で魔法を使う気配がまるでなかったこと。もう一つはこの場でルーリーノに魔法を使わせたこと。

 

「使えないよ」

 

 答えはあっさり返ってきた。ルーリーノはその答えに納得がいかず口を開く。

 

「じゃあどうして?」

 

 その問いにニルは少し悩み、それから答える。

 

「知りあいに魔導師が居てね。知っていて損はないとある程度教え込まされたんだよ」

 

 「俺が魔法使えないのが分かっていたくせにね」と乾いた笑いを見せるニル。対照的に漸く納得の行ったルーリーノは一つの仮説が生まれたので問う。

 

「じゃあ、その腰の直刀はその人に貰ったんですね」

 

「そうだな」

 

 自分の考えが当たってルーリーノは少しだけ誇らしく思うと同時に、ニルの知り合いというのを勘ぐってしまう。

 

 少なくとも碧眼の人物であるだろうと。

 

 確かに武器に加護を与え、通常のそれよりも強力なものにする魔法も存在するし、まったく同じとは言わないがルーリーノも似たような魔法は使える。それら武器は魔法具とか魔法武器などと呼ばれたりして、冒険者の間でも重宝されている。

 

 その魔法自体は緑でも使えるのであるが、あの戦いの中青であるルーリーノの魔法を容易く無効化したのだから、ルーリーノと同じかそれ以上の魔導師と考えるのが普通だろう。つまり碧眼の魔導師。

 

 ルーリーノ自身とても興味はあるが、今はニルのことについて聞くことが目的なのでグッと堪えて「それで、ニルさんについて聞かせてもらっていいでしょうか?」と尋ねる。

 

 ニルは「ニルでいいよ」と言った後で改めて話し始める。

 

「俺は一応ユウシャってことらしい」

 

 要領を得ないもの言いにルーリーノは頭にクエッションマークを浮かべる。それを見てか見ずかニルは続ける。

 

「俺は元々こんな髪に目だから、とある場所に半ば閉じ込められて暮らしていたわけなんだけど、先日キピウム王に呼ばれてね」

 

「ニルがあのユウシャと同じ黒い髪に黒い瞳も持っているからですか?」

 

「ある意味そうなんだけど、正確には王女様が神の声を聞いたらしい。近々マオウが復活するので黒のユウシャを探しこれを討伐せよ、といった具合に」

 

 マオウという言葉を聞いてルーリーノは少なからず驚く。

 

「それが本当ならどうして噂ですらそんなことを聞かないんですかっ」

 

 お伽噺のマオウが復活するとなれば、しかもそれを神が巫女を使って伝えたとなれば、もっと騒ぎになっていて然るべきはずである。それなのに、今までそんな話を微塵も聞いたことがないというのはおかしいとルーリーノは思う。

 

「表向きには下手に民を混乱させないためらしいな。各教会のトップとか各国の国王とかにはすでに使いを出しているらしい」

 

 まるで他人事のようにニルが言う。しかし、ルーリーノはその態度よりも初めの言葉が気になった。

 

「表向きと言いますと?」

 

「キピウム王は亜人が攻めてきたところで負けるはずがない、と思っているらしいな」

 

 「おそらくキピウム王だけじゃないだろうけど」と、言われルーリーノが苦虫を噛み潰したかのような表情を作る。

 

「確かに、こっち側の亜人は力のない奴隷ですからね」

 

 苦々しい口調でルーリーノは言うと一つ溜息をつく。

 

「まあ、そんなところだな。だから、人のことをユウシャだと言いながらこれと言って何もしてくれなかったわけだし。まあでも、外に出られた事だけでも感謝しないとな」

 

 軽い口調でそんなことを言うニルの言葉を聞いてルーリーノは一つ息をはいて気持ちを入れ替える。

 

「じゃあ、これからはどうするんですか? まっすぐ東に?」

 

 そうであってほしいなと言うルーリーノの希望も混じった言葉を言うと、ニルは首を振る。

 

「そうできるなら、俺も仲間を探さないよ」

 

 それを聞いてルーリーノは少し肩を落とす。

 

 しかし考えてみれば確かにニルは元々壁の向こうに仲間を連れて行こうとしていなかったような態度をしていたのだと、自分の浅はかさを恥じる。

 

「それじゃあ、どこへ?」

 

「ユウシャの残した遺跡を探しに……かな」

 

「そんなものがあるんですか?」

 

 ルーリーノは半信半疑で尋ねる。長い間……というわけではないが一応冒険者として各国の主要な都市くらいには行ったことのあるルーリーノであるからそれなりにどこに何があるかについては知っている――とは言っても覚えているものはルーリーノの趣向に依っているが――がそんなもの聞いたことがなかったのだ。

 

「公には出てないだろうけど、一つはこの国にあって割と話題になってるんじゃないかと思うんだけど」

 

 ニルの言葉にルーリーノが頭をひねる。このキピウムの事で話題に。

 

「もしかして、はずれにある大穴のことですか?」

 

 ひとつ思いついたことをルーリーノが口にする。

 

 キピウムのはずれで大穴が発見されたのが数年前。大きな建物がすっぽりと入るほどの大きさで、ルーリーノが初めてキピウムに来た時に何があったのかギルドで聞いてみたのだが、目立つような場所ではなく気がついたら穴が出来ていたという答えが返ってきた。

 

「そう、それ」

 

「そこに遺跡があったというんですか?」

 

 ニルは頷く。

 

「それじゃあ、壁を越える方法というのも分からないんじゃないんですか?」

 

 何があるのかはわからないがすでに一つ欠けていて大丈夫なのだろうかとルーリーノは心配になる。

 

 しかし、ニルはそんなルーリーノの思いとは裏腹に「それは大丈夫」という。

 

「遺跡は事故で大穴になったけど、秘密裏に発掘は進んでいたらしいから、重要そうなものは失われていなかったし」

 

「なるほどです」

 

 言われてみればあの大穴が元々はユウシャの遺跡だと分かるくらいには調べられていたのだろうとルーリーノは納得した。

 

「それでは次は何処へ?」

 

「わかっている限りだととりあえず北にあるトリオーまで行って、最終的にはさらにその北にある人の手が届いていない山の奥……だな」

 

 それを聞いてルーリーノが少し不安そうな顔をしたが、すぐに気を引き締めなおす。

 

「それはだいぶハードですね」

 

 そんなルーリーノの微妙な気持ちの変化を察したニルは、口を開く。

 

「まあ、何にせよこれからよろしく。ルリノ」

 

「私の名前はルリノじゃなくてルーリーノです」

 

 音の壁の小さな空間でそんなルーリーノの声が響いた。

 



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ポルターの町にて

 いま二人がいるのはキピウムとトリオーの境目のポルターという町。正確にはその町の壁の外。ギルドで受けた依頼を果たすため犬型の亜獣を倒しに来ていたところだった。

 

「なんにせよ、これで依頼は終わりだな」

 

 亜獣を倒した証拠として、同時に素材として亜獣犬の解体をしながらニルが言う。

 

「本当はこんなことをせずにトリオーの遺跡に行きたいんですけどね」

 

 ルーリーノは溜息をつきながら、灰の中から辛うじで助かっていた牙と爪を拾いながら言う。

 

「それにしても、もう少し火力考えた方がいいんじゃないか?」

 

 もう原型が何だったのかわからない灰を見ながらニルが言う。それに対してルーリーノは「うっ……」と唸ってばつの悪そうな顔をする。

 

「いいんですよ、今回は討伐依頼なんですから牙が一つ二つ残っていたら」

 

「もしも毛皮を取ってこいみたいな依頼だったらどうするんだか」

 

 ニルがからかうように言うと、ルーリーノが顔を赤くし目を泳がせる。

 

「そ、その時は、ほら、風の矢で仕留めますから」

 

 ニルはそんなルーリーノの言葉を聞き流しながら、解体作業を中断しその場に寝転がる。柔らかい草の上、雲ひとつない青い空がニルの黒い瞳に映る。

 

 ニルの様子が変わったことに気がついたルーリーノが恐る恐るニルの方を見ると、作業を中止して寝転がっているニルを見つけることが出来た。

 

「もう、ニルまた何やってるんですか」

 

 先ほどの動揺など忘れてニルを叱る。しかし、ニルは全く反省することはなく、それどころか「ルリノも寝転がったらいい。風が気持ちいぞ」とルーリーノを誘う。

 

「だから、私の名前は……まあいいです」

 

 途中から諦めたルーリーノは拾った牙と爪を袋に入れるとニルの隣まで歩くと手を後ろに着くようにして座る。

 

 草の香りがルーリーノの鼻をくすぐり、吹き抜ける風がその髪を靡かせる。日差しはマントを着ているので少し暑い感じもするが我慢できないこともない。むしろ吹いてくる風をより心地よくさせるスパイスにすらなっている。

 

「こんなこと今回だけですからね」

 

 言葉とは裏腹に気持ちよさそうな表情でルーリーノが言う。ニルはそれに対して「そうだな」と軽く返す。

 

「そんなこと全く思ってないでしょう?」

 

「まあな」

 

 そんな会話をしながら、二人はいつ亜獣に襲われるかもわからない草原の一角で静かに時を過ごした。

 

 

 

「ううん……」

 

 いつの間にか眠っていたルーリーノが目覚めた時、太陽はだいぶ傾いていた。

 

「起きたみたいだな」

 

「あ、おはようございます……」

 

 まだ寝ぼけているルーリーノがそんな挨拶をすると、ニルに「もう昼すぎだよ」と笑われる。

 

 徐々に意識がはっきりしてきたルーリーノが現状を把握したとき、彼女は「ふあ」と何とも間抜けな声を出して、その事に赤面する。

 

「私が寝ている間襲われたりしませんでしたか?」

 

 自分の恥よりも先に仲間の心配をする所は、まだ若いとは言え冒険者らしい。

 

「まあ、ちっこいのが二、三匹来たけど特には何もなかったな」

 

 ルーリーノが付近を見回すと、確かに兎に小さな角を生やしたような亜獣の亡骸が真っ二つで転がっていた。

 

 それを見てルーリーノは溜息をつく。こんな場所で寝てしまったばかりか、敵が来たというのにそれを察知することができなかったことに驚きを隠せない。女性冒険者と言うだけでなく、その歳の若さから危機察知に関しては否応と鍛えられてきたはずなのに、最近気が緩んでしまったのかこんなことが度々起こってしまう。

 

「それじゃ、そろそろ帰るか」

 

 ニルがそう言って立ち上がるので、ルーリーノも慌てて追いかけた。

 

 

 

「もう退治し終えたんですか?」

 

 ポルターに戻りギルドに顔を出すと、人の良さそうな受付の女性に二人はそんな風に驚かれた。

 

 あの亜犬はここ最近ポルター周辺で度々人を襲っていた亜獣で、何人もの新人冒険家が挑んでは傷を増やしては帰ってきていたらしい。しかし、死者は今のところゼロ。その理由として初めてあの犬に襲われた人が持っていた食べ物で気を惹いて逃げ出したことがある。それであの犬は人を襲えば食べ物を得られると学んだらしく、適当に人を襲っては食べ物を得ていた。結果的に被害は大きくなっていないわけだが、逆にそのせいで討伐依頼としての報酬が少なく、熟練冒険者の目にとまることがなかった。

 

 ニルがこの依頼を受けた時も受付から食べ物は持っていくようにと言われていた。おそらく、彼らもまたあの亜獣の被害者になるのだろうと思っていたのだろう。何せ、ニルは紛れもなく新人冒険家の一人であったし、連れているのは少女と呼ぶにふさわしい女の子だったのだから。

 

 そんな二人が無傷でしかも一日とかからずに討伐してきたというのだから受付も驚かずにはいられなかったのだ。

 

「本当はもっと早く帰ってこれたんだけどね」

 

 そう言ってニルはルーリーノを見る。ルーリーノはそれを不服そうな顔で見返すと

 

「元はといえばニルさんがいけないんじゃないですか。急にあんなところで横になって」

 

 そんな会話を目の前で聞かされていた受付はもう呆気にとられてしまう。数は少なくなったとはいえ亜獣の出現地帯で横になる何て常識では考えられない。

 

 女性がそんな風に思っていると、少女が目深にかぶっているフードの向こうに、宝石のような青い目が見えた。

 

「もしかして貴女、碧眼のルーリーノさんですか?」

 

 先ほどとはまた違った色の驚きを受付の女性は見せる。同時に一瞬だけ周りが静寂に包まれるとざわめきだす。

 

 「あの小さいのが、あのルーリーノだって言うのかよ」とか「もしかして俺でも勝てんじゃないのか」とか言う声を聞き流しながら

 

「それで、報酬貰える?」

 

 とニルが受付の女性に尋ねる。女性はその声に我に帰ると「あ、はい」と言ってお金の入った小袋を差し出した。

 

「ありがとう」

 

 とニルはお礼を言ってそれを受け取ると、ルーリーノの手を掴み逃げるようにその場を後にする。ルーリーノとしても今はこの場を離れることが最善だと分かっているので黙ってそれに従う。

 

 そんな中、不敵に笑う二人組の存在に二人は気が付いていなかった。

 

 

 

 ギルドを後にして外に出る。ポルターの町は国の境ということもあり人が集まりやすく、とても活気がある。もうすぐ太陽が赤くなるにもかかわらず、石畳の敷かれた街中はあちらこちらで呼び込みの声が聞こえる。レストランであったり、武器屋であったり、もう少しすれば酒場の前にも人が集まり始めるだろう。

 

 二人は行くあてもなく歩く。

 

「これからどうするんですか?」

 

 ルーリーノがニルに尋ねる。ニルはそれを聞いてい少し楽しそうに笑うと

 

「じゃあ、今から壁の外に行ってこの辺の探索を……」

 

「却下です」

 

 ルーリーノが呆れた声で言う。それに対してニルはやれやれと首を振る。

 

 それに対してもルーリーノとしてはため息の出る思いなのだが、それを抑えて説明に入る。

 

「あと数時間で夜になるのに、壁の外に出るなんて自殺行為ですよ? 私達と違って亜獣の中には夜になると活発になるやつもいます。暗がりの中そう言うのに襲われたらどうするんですか」

 

「それはルリノがどうにかするだろ」

 

 ルーリーノは先ほど我慢していた分も含めて溜息を漏らす。

 

「確かにどうにかできなくもないでしょうけど、そう言う問題ではありません。冒険者に大事なのはいかに避けられる危険をちゃんと避けていくかです」

 

 「それと、私の名前は……」とルーリーノが言いかけたところで「そうそう、むやみに人の多い場所で目立ったりしないようにしないといけないよな」と低い男の声がしたかと思うとゴッという鈍い音がルーリーノの耳に入った。

 

 それから少し遅れてニルの身体がグラつき、倒れそうになったところを筋肉で盛り上がっていた腕が支えていた。

 

「さすがは碧眼のルーリーノと呼ばれるだけはあるな」

 

 ニルが倒される直前即座にその場から後退したルーリーノに対して男が話しかける。

 

 男の身長は二メートルに近く、筋骨隆々のためそれよりも大きく見える。スキンヘッドで左肩にニルを布団をかけるかのように持ちながら、右手には男の大きさのせいで小さく見える棍棒が握られている。

 

「でも、御仲間さんはそうでもなかったみたいだな」

 

 そう言ってもう一人男が現れる。腰に二本ナイフをぶら下げ、ポケットに手を突っこんだままルーリーノを睨みつけるように見る、柄の悪い男。

 

 ルーリーノはスキンヘッドの男の肩の上でかすかに上下するニルの身体を見て死んではいないみたいだと少し安心する。しかし、あまりもたもたやっている余裕はないかもしれない。あの男が見たままの力を持っているとすればあれを食らって生きている方が運がいい。でも何で……と考えてルーリーノは心の中で首を振る。今は目の前の問題が大事だと。

 

「何が望みなんですか?」

 

 そう言ってルーリーノはフードの奥の青い目で男たちを睨みつける。

 

「なあに、そんな難しいものじゃないさ。ちょっと俺らと決闘してくれよ」

 

 ナイフの男の方が両手を広げるかのようなオーバーアクションでそんなことを言う。その後「ケッケッケ」といった男の笑い声にルーリーノは不快感を表す。

 

「わかりました。でも、場所を移動しませんか?」

 

 流石にここまでの事件なので、ギャラリーができている。下手すると周りに被害が及ぶかもしれないと思ったルーリーノが申し出た。

 

 人質を取って安心しきっている男たちは「逃げたらこの男がどうなっても知らないからな」と言う前置きを言ってからそれを了承する。

 

 

 

 滝が割れるかのように、人々が道をつくっていく中、ルーリーノが連れて行かれたのは、奇しくも昼間亜犬を倒した場所。あの時とは違い綺麗な夕焼けが空を真っ赤に染めつつあった。

 

「決闘ってどうやったらいいんですか?」

 

 今の状況下において受け身にならざるを得ないルーリーノが尋ねる。しかし、男たちはその質問を無視して、

 

「とりあえず、その邪魔ったらしいマントを脱いでもらおうか」

 

 と、ニルの首元にナイフを当てながら言った。ルーリーノは黙ってそれに従う。その顔に迷いはなく、じっと男たちを見据えている。

 

 パサリと音をたてマントが地面に落ちると、男たちは舐めるような眼でルーリーノを見る。

 

「へえ、思ったより可愛い顔してるじゃねえか。でも、まだまだお子様だな」

 

 スキンヘッドがルーリーノの胸に視線を合わせてそう言う。

 

「でも俺はそう言うのも嫌いじゃないぜ? あのかわいい顔を苦痛に歪ませるのを見れればなあ」

 

 ナイフの男が舌なめずりをしながらそう言うので、ルーリーノは気持ち悪さを感じあからさまに嫌そうな表情を見せる。

 

「それで、どうするんですか?」

 

 ルーリーノが半ば怒ったかのように尋ねると「おお、そうだったな」ととぼけたようにスキンヘッドが言った。

 

「ルールは簡単。二対二で相手をどちらも戦闘不能したら勝ち」

 

 二対二というところは少し引っかかるが、それならばこの程度の相手に負けることはないだろうと、ルーリーノに少し余裕が戻ってくる。

 

 しかし、男たちはそれを読んでいたかの様に言葉を続ける。

 

「先に言っておくが俺らはお前を相手にする気はない。ただ、ひたすらこの男を痛めつける」

 

 それから、ナイフの男が何かをルーリーノの方に放り投げた。それを見たルーリーノの表情が凍りつく。

 

「さっきのダメージもあってこの男いつまで持つかわからんがな。もしも止めてほしければ自分でそれを首につけろ。そしたらお前たちの負けってことでこの男だけは助けてやる」

 

 スキンヘッドの卑下た視線がルーリーノを見る。ルーリーノの表情が屈辱に歪む。

 

 それから、先ほど投げられたものを見つめる。所謂奴隷の首輪。奴隷身分であることを証明するための首輪。それを自らつけるということは自らこの男たちの奴隷になるということ。

 

「碧眼のルーリーノを倒し奴隷にしたとなれば、俺達の名も挙がるってもんよ」

 

 二人の厭らしい視線がルーリーノを刺す。

 

 冒険者どうしが戦い奴隷にされるというのは珍しいが稀にあること。故にこの男たちが勝ったとしてその名に傷がつくことはない。そもそも冒険者とは弱肉強食の面も持ち合わせているので、強いものに弱い者がつき従うことを悪く言うものはそうそういない。

 

 ルーリーノに残された選択肢は二つだけ。ニルを見捨てるか、自分が奴隷に堕ちるか。どう考えても前者を選ぶべきだとルーリーノは思う。しかしニルが今危ういのは自分の存在がこの男たちに知れてしまったからだという罪悪感もある。

 

「それじゃ、始めるぜ」

 

 ルーリーノの考えがまとまらない中、非常にも開始宣言がなされる、

 

「まずは……」

 

 ナイフの男がニルの耳にナイフを当てる。ルーリーノの中でニルの耳がそぎ落とされる映像が流れる。

 

 男の腕に力が入り、ナイフを振り上げた。

 

「まって」

 

 ルーリーノは自分でも何処から出したか分からない位の大声で男の行動を制する。と、同時に男たちから期待に満ちた厭らしい視線が送られてくる。

 

「それをつける気になったか?」

 

 ルーリーノが頷く。それを見て男たちは楽しそうに笑う。

 

「じゃあ、ちゃんと宣言するんだな。奴隷になりますってな」

 

 男たちの笑い声が雑音のように不快に耳に入ってきたルーリーノだが諦めて口を開く。

 

「わ、私は……」

 

「そう言えば、この試合二対二だったよな?」

 

 ルーリーノが震える声で口にしかけた時、そんな声が聞こえた。聞こえたかと思うと、男たちが驚く間もなく鈍い音とともにその場に倒れた。

 

「もう、起きているならもっと早くやっちゃってくださいよ」

 

 安心して泣きそうなの隠すように、ルーリーノが少し怒った声を出す。

 

「悪いな」

 

 ニルは少しだけ反省した声で返す。

 

 ルーリーノはひとつ深呼吸をして心を静めると、今度は気になることがふつふつとわいてきた。

 

「もしかして、ですけど……わざと殴られませんでした?」

 

 今の事件の一番最初のシーンを思い出しながらルーリーノは尋ねる。

 

「ああ、バレてたか」

 

 ニルの悪びれる様子もない自白にため息をつくと、ルーリーノは口を開く。

 

「大体、あの程度の攻撃をニルが避けられないはずがないんです」

 

 それが、最初にルーリーノが感じた違和感。ニルならば自分と同じく避けているはずだと思っていたのにそうではなかった。そこで疑問と戸惑いが生まれた。

 

「それから、いつから起きてたんですか?」

 

 いま思うと、ニルの助けがあまりにもタイミングが良過ぎる。まさか、たまたまあのタイミングで起きたわけではないだろうとルーリーノは考える。

 

「最初からだな」

 

「あの打撃を受けてですか?」

 

 それならばもっとタイミングあったんじゃないだろうかと思うよりも先にルーリーノはそちらに驚いた。ルーリーノははっきり見えていたわけではないが、間違いなくあの男の棍棒はニルをとらえていた。

 

 何かしら魔法を使ったというのなら、ルーリーノに分からないはずはないし、そもそもニルは魔法は使えないと言っていたのだ。

 

「そう言えば、頭見せてください」

 

 ルーリーノが何か思い出したかのような声を出す。ニルが首をかしげながら素直に、ルーリーノが見やすいように座るとルーリーノはまじまじとニルの頭を見る。

 

 少しの間、時折触りながらニルの頭を見ていたルーリーノだが「傷が全くないです」と驚いた声を出す。それを聞いてニルは「ああ」とルーリーノの行動の意味がやっとわかったという気持ちを声に出した。

 

「俺にダメージは全くないよ」

 

「そんなはずはないです。確かに鈍い音がしましたし……」

 

 半ば困惑しながらルーリーノが言うと、ニルは何てことないように「まあ、これでもユウシャだからな」という。

 

 ルーリーノは納得のいかない表情を見せていたが、遂には諦めて「いつかは教えてくださいね?」と言うにとどまった。

 

「それなら、どうして倒されたふりをしてたんですか?」

 

「そりゃ、壁の外に出たかったか……痛っ」

 

 ニルの回答に思わずルーリーノがニルの頬をつねる。

 

「そんな変なことを言う口はこれですか?」

 

「わうあった、わうあった」

 

 むにむにと頬をいろんな方向へ引っ張られ、ニルが音を上げる。それでもルーリーノは「いいえ、許しません」と止めることはせず、満足するまでむにむにすると口を開く。

 

「今から私は警戒を解きますんで、今日の見張りはニルがやってくださいね」

 

 にっこりと笑いながらルーリーノが言うのでニルは「へいへい」と適当に返事をする。

 

 それを聞いてルーリーノがペタンと地面に座り込んだ。

 

「どうした?」

 

 ルーリーノのことだからすぐに町に戻りますよとせかすかと思っていたニルはその行動の理由が分からず尋ねる。ルーリーノは拗ねたようにそっぽを向くと

 

「ニルがちゃんと警戒してくれるのでたまにはこうやって空でも眺めようかと思いましてね」

 

 と言った。ニルは思わず失笑するとルーリーノの隣に座る。

 

「ちゃんと警戒はしててくださいね」

 

 ルーリーノが膝を立てた状態で、そこに半分顔をうずめてそう言うと、ニルは「もちろん」とだけ言う。

 

 太陽の沈みかけた空は赤から青へのグラデーションを作り、どこか物悲しげな雰囲気を草原にもたらしていた。



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戦い、傷つき

 次の日、太陽が昇る少し前という朝早く二人はポルターを後にした。昨日の男たちはあのまま草原の上に寝転がしておくわけにはいかなかったので、二人が町に戻る際門のすぐ内側に捨ててきた。ポルターを後にする時にはそことは反対側の門から出たので今はどうなっているかはわからない。

 

 二人がポルターを朝早く出たのは次の町――もしくは村等――が遠いからではなく、確実にどこかでニルが寄り道をしたがるから。

 

「とりあえずは、トリオーの国には入ったってことでいいんだよな?」

 

「そうですね。境目は曖昧ですがここまで来たらもうトリオーでいいと思います」

 

 ニルの問いにルーリーノが丁寧に答える。町の外にいる二人はマントは羽織っているがフードは被らず、青と黒の目が直接交差する。

 

 道は今のところ一本道。道とは言っても馬車や人が踏み歩いた、草のない所を申し訳程度に補強してあるだけで、周りは一面草原。遠くを見れば山や森が見えなくもない。所々に木が生えてあり、緑の絨毯の上ぽつりぽつりと白や黄色の花が咲いてる。

 

「平和だな」

 

「平和……だったんですけどね」

 

 そんな中を歩きながら二人はそう言ってため息をついた。それから二人とも気を引き締める。

 

「どこにいるかわかるか?」

 

 ニルが腰の直刀に手をかけながら尋ねる。

 

「上……ですね」

 

 ルーリーノがそう返して頭上を指さすと、その先には大きな真っ黒の鳥が旋回していた。

 

 鳥は旋回を止めたかと思うと、すごい速さで二人に突っ込んでくる。それを、互いに離れるように避け反撃の態勢に入ろうとしたところで、すでに鳥はまた上空に居た。

 

「普通の鳥じゃ……ないよな」

 

「さすがに普通の鳥に足は三本ないと思うんですけど。大きさが大きめの鳥と同レベルってのが唯一の救い……です……ね」

 

 ルーリーノが話している最中に二度目の攻撃にあいルーリーノはそれをなんとか避ける。ルーリーノを狙って降りてきたところを狙おうとしたニルだったが、わずかに足りず羽の先を掠るにとどまった。

 

「うーん……早いな」

 

 頭上をグルグルと回る鳥を見ながらニルが呟く。

 

「それに、そこそこ頭もいいみたいですよ?」

 

「どういうことだ?」

 

「たぶん次も私を狙ってきます」

 

 ルーリーノがそう言い終わったところで、鳥の三撃目が予想通りルーリーノに文字通り飛んで来る。ルーリーノが三度避けようと身体を翻すが鳥は僅かに軌道を変え三本目の足がルーリーノの肩を掠める。

 

 苦痛で顔を歪めたルーリーノの着ていたマントは容易く切り裂かれ、その奥に覗く白い肌からは血がにじんでいた。

 

「大丈夫か?」

 

 少し離れた所からニルが叫ぶ。それにルーリーノが「大丈夫です」と叫び返す。

 

 しかし、少々まずいとルーリーノは危機感を覚えていた。たまたま自分が弱そうに見えるのかそれとも自分が魔導師だと分かっているのかはわからないが、こう何度も狙われては満足に呪文の詠唱も出来ない。仕方ないかとルーリーノは諦め、目を閉じる。

 

「おい、ルーリーノ」

 

 それに気づいたニルはルーリーノの行動の意味が分からず思わず声を出す。

 

「大丈夫ですから、静かにしててください」

 

 目を閉じたままのルーリーノに怒鳴られニルは思わず黙りこんだ。

 

 そうしている間に鳥がルーリーノに対して四撃目を与えるために急降下してくる。

 

 真っ暗な視界の中ルーリーノは相手の魔力だけを追う。幸い向こうは高速でとはいえこちらに突っ込んでくるだけ。直線的な攻撃なら僅かに軌道を変えて避けられるかもしれないけれど……

 

 鳥がルーリーノに接触する直前腕を振り上げる。すると、間欠泉のように地面から炎の柱が現れる。いつかニルに使ったものとは比べ物ならないほどの高さと太さ。

 

「やった」

 

 勝利を確信したルーリーノが小さくガッツポーズをする。しかし、炎が消えた後に僅かに残った魔力の反応に「どうして」と思わず驚く。ルーリーノがゆっくり目を開けるとやはりそこにはボロボロになりながらも確かに空を飛行している。

 

 普通の亜獣ならば、ここで怒り最後の力を振り絞って特攻をしかけてくることが多い。それがために命を落とした冒険者も多いといわれる。

 

 故にルーリーノもすぐに身構えたが、鳥は即座に身を翻すと北の方へと逃げて行った。それにホッとしたルーリーノの身体がグラつく。

 

「大丈夫か?」

 

 倒れそうになったところをニルが支えてルーリーノに尋ねる。

 

「毒とかあったんじゃ」

 

「あー……それはないと思います。何と言うかあの鳥こちらを殺そうとしていた感じじゃありませんでしたから」

 

 何かの偵察にきた、と言った方しっくりくるがルーリーノはあえて黙っておいた。

 

「それならどうして」

 

「最後のアレ使ったからですかね。久しぶりになったら加減が分からなくて」

 

 ニルの質問に気だるそうな声でルーリーノが答える。

 

 最後のアレと言われてニルは最後の瞬間を思い出す。ルーリーノが腕を振り上げた時に地面から噴き出すように上がった火柱。

 

 間違いなくルーリーノが使った魔法だろう。近くで見ていたわけではないのでニル自信はっきりとそうだと言いきれるわけではないが、たぶんあの瞬間ルーリーノは何も喋っていなかったはず。

 

 無詠唱魔法。そんなものは聞いたことがないと、ニルは心の中で驚く。本来魔法とは自らの魔力で目には見えないけれどそこら中にいるといわれる精霊に呼びかけ、呪文を通してその力を発現させるというものだったはずで、どれかを無視できるなどニルの知る魔導師も言っていなかった。

 

 しかし、とニルは考える。その直前のルーリーノの不可解な行動。諦めたように目を閉じて相手の攻撃を待っていた。もしかしたらそれのどこかに条件とかがあるのかもしれない。そうは思ってもニルには確かめようがないが。

 

「とりあえず、肩の傷だけでも手当てしないと」

 

 考えていたことを頭の隅に追いやってニルは目の前の問題に目を向ける。そんなに傷は深くないようなので応急処置として布か何かで止血をしようとニルが自分のマントに手をかけたところでルーリーノがニルの手をつかんだ。

 

「自分でできますから……むしろ自分でやらせてください」

 

 そう言われてニルは首をかしげる。今にも倒れそうだというのにどうしてそんなことを言うのだろうかと。ルーリーノはニルが納得していない様子なのに気がついておずおずと口を開く。

 

「えっと、ニルはどうやって止血するつもりだったんですか?」

 

 何故今そんなことを聞くのか。冒険者としては新人だがさすがに止血のし方くらいわかる。そう思いながらニルは口を開く。

 

「清潔な布を用意して……とは言っても今すぐには用意できないから、俺のマント破いたので我慢してほしいんだが、それから邪魔にならないように服を……」

 

 と言って口を閉じる。

 

「悪い、配慮が足りなかった」

 

「いえ、ですから少しの間後ろを向いていてくれませんか?」

 

 ニルは黙って頷いてルーリーノに背を向ける。すると、ニルの耳にルーリーノの声が届いた。

 

「できれば、背中だけ借りたいんですけど、いいですか?」

 

「ああ」

 

 と、ニルが返した直後、ニルの背中に力がかかる。

 

 ニルの背中に寄りかかった状態でルーリーノはゆっくりと、着ているものを脱いでいく。その表情は苦悶に満ちており、肩で息をしていた。

 

 

 

 ルーリーノは左手と口を使い何とか止血ができる程度に布を結び終え、自身の左右に脱ぎ捨てていた衣類を身にまとうと「もう大丈夫です」と、全く大丈夫じゃなさそうなほど弱々しい声を出した。

 

 ニルは内心動揺していたのを隠しつつ「どこが大丈夫なんだか」と呆れた声を出す。

 

 しかし、そのニルの軽口に帰ってくる言葉はなく代わりにニルの背中にかかる力が急に増した。

 

「ルリノ?」

 

 再度ニルが声をかけても返事はなく、ニルが動こうとするとそれに合わせて背中に寄りかかっていたルーリーノの身体も引きずられるように動く。

 

 状況を理解したニルは内心焦りながらも、ルーリーノの身体が倒れないように注意しながら体の向きを変える。そこには辛そうな顔をしながら寝息を立てているルーリーノが居て「仕方ないな」と呟くと、ニルはルーリーノを背負って歩き出した。

 



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川と休息

 ルーリーノが目を覚ました時まず目に映ったのは時折騒めく黒い葉っぱをつけた木の枝とその葉の間から差し込む木漏れ日。どこを見るでもなくボーっとしながら、葉っぱが黒いのは影になっているからかと納得したところでルーリーノは木々の騒めきの他に近くで水が流れる音がするのに気がついた。

 

 そもそも此処はどこなのだろうかと、身体を起こしたところでぽとりと額から何かが落ちた。ルーリーノが落ちたところに目をやると湿った布があって。

 

「ルリノ起きたか」

 

 そんな声が聞こえてきたので、もう一度ルーリーノは視線を動かす。それと同時に「私の名前はルーリーノです」というのも忘れない。そして、ニルはそれを軽く笑い飛ばす。

 

 ルーリーノがニルに目を移し終わったとき、ニルが自分の服を籠の代わりにしているのが見えた。

 

「それは何ですか?」

 

「ああ、これか」

 

 ニルはそう言ってルーリーノの隣まで来ると、服の籠からゴロゴロといくつもの丸っこいものを転がす。その色は赤であったり黄色であったり、ほぼ黒に近い藍色であったり。

 

「川も近いし魚とかとってこれればよかったんだがな。今まで魚釣りなんてやったことはないし、連れたところで処理の仕方なんて分からないしな」

 

 それが仮にも冒険者の言葉かとルーリーノは手を口に当ててスクスクと笑う。その姿はさながら何処かの御姫様のような感じではあったが、笑っている理由も理由なのでニルは無視して続ける。

 

「だから、適当に木の実を取ってきたわけだ。これにしたってどれを食べられるのかわからないから、量よりも種類を優先したけどな」

 

 笑われるのを承知でニルが言う。どの道ルーリーノが見たらどれが食べられて食べらないかわかるわけで、ここで下手に隠しても無意味だからという理由もあるが。

 

 しかし、ニルの想像とは違いルーリーノは笑うことはせずに、代わりにどれが食べられてどれが食べられないかを説明しだす。

 

 

 

「……で、この実は生育場所によって毒の有無が違いますから……どうしました?」

 

 黒っぽい木の実を口に放り投げ、わずかに酸っぱさを感じながら、ルーリーノが首をかしげる。

 

「いや、木の身に関しては笑わなかったな……と」

 

「笑ってほしかったんですか?」

 

 ルーリーノが楽しそうにいうのでニルは「そんなわけあるか」と返す。それから、ニルは内心ルーリーノがいつもの調子に戻ったことに対してホッとしていた。

 

「確かにこう言った知識がないことは冒険者としては致命的ですが……」

 

 何にも包むことなく言われた言葉にニルは「うぐっ」とうめくことしかできない。

 

「でも、限りある食料を無駄にしないように現地調達しようというのは大事ですし、何よりこのような知識がなかったから、わざわざ人を雇おうとすらしていたのではないですか?」

 

 あながち間違いではないルーリーノの言葉にニルは「そうだな」と答える。

 

 しかし、ルーリーノはそれだけではないなという予感もしていた。ニルほど力があればわざわざ戦闘力が高い人を選ばずとも自衛さえ出来れば後は何とでもなったはずではないか、と。

 

 

 

 木の実の説明をしながら、そんなに多くはないそれらを二人で食べた後、ルーリーノは改めてあたりを見渡す。

 

 後方は森の中かと思うほど木が生えているが、そんなに暗いわけではない。目の前にはいくらか空間があってその先からまた木が生えているといった具合。木が生えていない所は窪んでおりそれが左右に長く続いている。おそらく川が流れているのだろう。日は高く上ってしまっているが、涼しい位なのは近くに川があり、木の陰に居るからだろう。

 

 ルーリーノが記憶している限り、ポルターとトリオーの間にこのような場所はないのだが、そもそも町と町を結ぶ街道でそこまで道を逸れたことがないので知らなくても当然なような気もしていた。

 

「そう言えば、どうしてここまで運んでくれたんですか?」

 

 どこかはわからないが、少なくとも自分が倒れたところから大分離れているであろうと思いルーリーノは尋ねる。

 

「確か治療とかに使うのは主に水の精霊だろ? だったら水辺がいいと思ったからだな」

 

 「ルリノは魔導師だしな」と最後にニルが付け加えたが、ルーリーノは突っ込むことはせずに代わりにため息をひとつついた。

 

「そんなことまで知ってたんですね」

 

「知りあいは心配性だったからな」

 

 何気なくニルは言うが、ルーリーノにしてみれば助かったことに変わりはない。眠っているときには対して意味はないがこうやって起きた後、治療をする分には大いに意味をなす。

 

 ルーリーノはニルにお礼を言うと、左手を右の肩辺りに当てる。

 

「ミ・デヅィリ・マルファータ・クラーツォ」

 

 ルーリーノが呪文を唱えると、左手で抑えていた辺りが淡く光る。その光に照らされるルーリーノの顔がいつもに増して白く整って見えるのでニルは思わず目をそらした。

 

 時間にして一分もかからずに光は消え、ルーリーノは右手を上げたり回したりして動きを確かめる。

 

「治ったみたいだな」

 

「お陰さまで元通りです。破れたマントなんかは戻りませんけどね」

 

 顔を隠すという意味で、こう言った格好をしているのに、破れたままというのは逆に目立ってしまうのではないかと、ルーリーノは気にして言う。

 

「そういえば、もう魔法使ってよかったのか?」

 

 だいぶルーリーノが元気なったことで、安心し色々と気になり始めたニルが尋ねる。

 

「まだ、少し身体はだるいですが、この程度の魔法を使うくらいなら大丈夫です」

 

「そっか」

 

 ニルはそう言って立ち上がり歩き出す。それから少しだけ進んでまた座る。ルーリーノはその行動の意味が分からず後を追う。

 

「どうしたんですか?」

 

 ルーリーノはニルの隣に座るとニルの横顔を見ながら尋ねる。ニルの視線はただ一点を見つめている。

 

「川ってみるの初めてだからさ。何で水が流れてるのかなと」

 

「それは川だからですよ」

 

 ニルの見つめていた先をルーリーノも見つめて、真面目に答える。川は太陽の光を反射させキラキラと光っている。水が流れているので、その一瞬たりとも同じ光り方はしていない。

 

「川だからか」

 

 ニルの言葉にルーリーノは改めて「はい、川だからです」と返す。

 

 時折魚が跳ね、吹き抜ける風が心地よい中しばらく二人は無言で座っていた。



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約束と考察

「ニル。さっきの戦いについてどう思います?」

 

 いつの間にか裸足になり足で水を掬っていたルーリーノが口を開いた。ニルはすぐに答えることができずに「どうって言われても……」とだけ言って考え込む。

 

「正直なところを言いますと、私一人ならあそこまで苦戦しなかったと思うんです」

 

 ルーリーノはどこを見るわけでもなく、ただまっすぐに前を見つめて言う。

 

 ニルとしては、自分が足手まといだったと言われているようで快くはなかったが、実際あの鳥を追い返したのはルーリーノであるので、何も言えない。しかし……とも思う。

 

「おそらく、ニルも同じことを考えるでしょうね」

 

 自分が考えていることを当てられて、ニルは驚いてルーリーノの方を見る。しかしルーリーノはそんなニルの行動に気がつかないのか、話を続ける。

 

「ニルは、あの時私にいろいろと話しかけてきましたよね」

 

「そうだな」

 

 ルーリーノが少し責めるような言い方をするので、下手なことを言わないようニルは素直に肯定する。

 

「今回返事をした私も私なんですけど、例えそれが私を心配しての言葉でもできれば控えてほしいんです。今回の場合はそれでも無意味だったかも知れませんが、まあ、私は魔導師なんですよ」

 

 遠まわしに言われた言葉の意味をニルは少しだけ考える。それはすぐに思いついたが、そうであるならできれば先の戦闘中に思いつくべきだったと、ニルは己の行動を恥じた、単純な話、話しかけるというのは詠唱の邪魔をしているだけだったということだ。

 

「ああ、悪かったな」

 

 元気をなくしたニルが言うと、ルーリーノは首を振る。

 

「例えばパーティーでの戦闘になれている人であるならこのような事態にならなかったであろうことも事実です」

 

 「だから、」とルーリーノはニルの方を見る。

 

「今回はどちらもいけなかったんですよ」

 

 そう言ってルーリーノは笑ったが、それでは根本的な解決になっていないと思い、ニルは口を開く。

 

「それで、これからはもっと連携とかをやっていければいいわけだよな?」

 

 それに対して、ルーリーノは少し考えて首を振った。

 

「もちろん、それができればいいとは思うんですけど、下手な連携はそれこそ足の引っ張り合いになりかねません」

 

 「時間があればじっくりと練習とかできるんでしょうけれど……」と、ルーリーノはそこまで言うと、指を一本立てる。

 

「だから、私はこれからニルを信頼することにします」

 

「信頼?」

 

 ニルは言葉の意味を汲み取ることができず、首をかしげる。それに対してルーリーノは楽しそうな笑顔を見せる。

 

「はい、ニルがそんな簡単に負けるはずがない。そう信頼して私は目の前の敵だけを気にすることにします。だから、ニルも私のことを信じてください」

 

「ああ、わかった」

 

 ニルが納得したようにそう言うと、ルーリーノが右手の小指をピンと立ててニルの方に向ける。

 

「なんだこれ?」

 

 そう言ってニルが首をかしげると、ルーリーノは「ユビキリです」と目を細める。

 

「ユビキリ?」

 

「私の住んでいたところの習慣で、互いに約束を守るための契約みたいなものです。今では形だけしか残っていないんですけどね」

 

 それを聞いて、ニルはおずおずとルーリーノと同じように小指を立てる。すると、すかさずルーリーノは小指同士を絡ませる。それから、軽くそれを振り上げ振り降ろすと同時に手を離した。

 

「これでいいのか?」

 

「はい。でも、さっきも言いましたが、今はもう形だけなのでちゃんと約束守ってくださいね」

 

 そんな風に笑うルーリーノはどこか子供っぽいなと思いながらニルは見ていた。

 

 

 

「話を戻すようですが、ニルはあの鳥の亜獣をどう思いますか?」

 

「早い、高い、面倒くさい」

 

 ニルは適当にそう言ってから、ひとつルーリーノの言葉を思い出した。

 

「そう言えば、殺しに来てないとか言ってたな。どうしてそう思ったんだ?」

 

 ふざけるのか真面目に話すのかわからないニルの言葉にルーリーノは惑わされながらも答えるために口を開く。

 

「あの鳥、はじめの二回はただ直進しかしてこなかったのに、三度目で軌道変えてきましたよね?」

 

「そうだな」

 

「普通、最初の一撃で私かニルか確実にどちらかを戦闘不能にしにかかると思うんですよ」

 

「ただ、こちらを油断させたかっただけじゃないのか?」

 

 ニルが疑問を口にすると、ルーリーノは困ったように「それはそれで」と目を伏せる。

 

「それだけの頭脳があるって言うのも驚くべきことだと思うんですが」

 

「まあ、確かに」

 

 それからニルは少し考えて、白旗を上げる。

 

「ルリノはあの亜獣に関してどう思ってるんだ?」

 

「そうですね……こちらの力を測りに来た……と考えるのがしっくりくるんですよね」

 

 そう言ってルーリーノは「うーん……」と唸る。ルーリーノの言葉に違和感を覚えて口を開く。

 

「でも、そうなると更に頭良くなってないか?」

 

「そうなんですよね……」

 

 ルーリーノが空を仰ぎながらそう返す。その目には青というよりも水色に近い空と、申し訳程度にある雲。それからほんの少しだけ木の枝についた緑色の葉っぱが見えた。

 

 そのままルーリーノがボーっと空を見ていると小さい影がその視界を横切った。一度体勢を立て直して振り返るように影を目で追いそれが小鳥のものであると確認した。

 

「どうした?」

 

 ニルに声をかけられ「いえ、何でもありません」とルーリーノは照れたように返す。しかし、すぐにルーリーノが口を開く。

 

「ニルは鳥型の亜獣が町や村を襲ったという話を聞いたことがありますか?」

 

「ないけど、それがどうかしたのか?」

 

 ニルが不思議そうな顔で答える。それに対してルーリーノは複雑そうな表情で口を開く。

 

「鳥なら壁なんて簡単に飛び越えられるんじゃないかと思いまして」

 

「言われてみればどうだけど……」

 

 ニルも考える様子を見せたが、「助けて」という叫び声が聞こえたので考えるよりも先に動き出した。



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道はずれの村

 声がしたのは川の渡った先の森の中。森の中という事でニルもルーリーノもいつも以上に周囲を警戒しながら走る。

 

 二人が辿り着いた先では、十歳ほどの男の子が泥だらけになりながら走ってきていた。その後ろから大人の腕ほどの太さと長さを持ち、毛がない代わりに厚い皮膚で覆われたイノシシのような獣が男の子を追い詰めている。

 

 ニルは咄嗟に亜獣と男の子の間に割り込むと「ルリノ、その子は任せた」と叫ぶ。それに対してルーリーノが「私はルリノではないです」と文句を言いながら、男の子に駆け寄る。

 

 男の子は顔に恐怖が張り付いており、ルーリーノが傍に行ってもまだこちらに向かってくる獣から目を離せないでいた。

 

「大丈夫ですから、安心してください」

 

 ルーリーノが男の子にそう言って笑顔を向けても、その表情は変わることなく代わりにニルが居る方向を指さしながら震える声を出す。

 

「お……お兄ちゃんが……」

 

「それこそ大丈夫です。あの人は殺しても死にませんから」

 

 

 そんな二人の様子を横目に見ながらニルはイノシシと対峙する。

 

「殺しても死なないってのはあんまりだろ」

 

 男の子を安心させるためとはいえ、失礼なことを言われたようでニルは一人呟き溜息をつく。

 

 それから腰の直刀に手をかけ引き抜く。見た目に反して羽よりも軽い刀。ニルはそれを構えることすらせず、真っ直ぐ突進してくるイノシシに向かって振り下ろす。それだけでイノシシが真っ二つに割れ同時に血が噴き出した。

 

 ニルは殆どついてない血を拭うと直刀を鞘に戻す。

 

「ルリノ終わったぞ」

 

 そうやる気のなさそうな声で言うとニルは二人のもとへ歩いて行った。

 

 

 イノシシが倒されてすぐ、ニルとルーリーノは男の子から話を聞こうと思ったが、緊張の糸が解けたためか男の子が泣き出してしまったので、泣きやむのを待ってから声をかける。

 

「私がルーリーノで、こっちの無愛想なのがニルです。貴方の名前は?」

 

「ラクスです。えっと助けてくれて……」

 

 茶色っぽい目を上げラクスがたどたどしく話すのをルーリーノが笑顔で見守る。

 

「ありがとう」

 

 とラクスが言い終わったところでニルが疑問を投げかける。

 

「どうしてこんなところに一人で来たんだ?」

 

 むしろ、よくここまで一人で来られたなと言いたい二ルではあったが、もしかすると近くに村や町があるからかもしれないし、下手なことを言ってルーリーノに笑われても面白くないので、あえて黙っていた。

 

「木の実を取ろうと思って……」

 

 おずおずとラクスが話す。

 

「この付近に村とかありましたっけ?」

 

 それを聞いてルーリーノが首をかしげる。ラクスは頷いて返すとおもむろに森の一角を指さす。

 

「あっちの方の小さい村なんだけど……お姉ちゃん達は冒険者?」

 

「一応な」

 

 ルーリーノの代わりにニルが答えると、ラクスの目に少し期待感が生まれる。

 

「本当に? 本当なの?」

 

「はい。トリオーに向かっていたんですが、途中で気分が悪くなってしまいまして川で休憩していました」

 

 ルーリーノがそう言うと、ラクスが「そっか……」と残念そうな顔をする。それにルーリーノが「どうしたんですか?」と尋ねた。

 

「久しぶりに冒険者の人が来てくれるかと思ったんだけど……」

 

 ラクスが残念そうにそう言うと、ニルが不思議そうな顔をする。

 

「そう言えば、ルーリーノはこの付近に村があることは知らなかったんだな」

 

「私は、東に行くための手がかりがありそうなところばかり巡っていましたから。すべての町や村を知っているわけじゃないですよ」

 

 「なるほどな」とニルは納得したように頷く。それに対して今度もまたルーリーノが「どうしたんですか?」と尋ねる。

 

「いや、一応どの町や村にもギルドってあるんだろ?」

 

「そうですね」

 

「だからどんな所にも冒険者は行くもんだと思ってたんだが、ラクス……の村には冒険者はほとんど来ないみたいだからさ」

 

「えっと、つまり何が言いたいんですか?」

 

「寄り道をしよう」

 

「本当に!?」

 

 最後ラクスがニルとルーリーノの会話に入ってくる。同時にルーリーノが「ニル」と制止させようとしたが、途中で黙った。それからルーリーノは「うーん」と悩み始める。

 

「なあ、ラクス。お前の村まで案内してくれないか」

 

「うん」

 

 そうやって、男二人が歩きはじめるまで、ルーリーノは悩み続けていた。

 

 

 

 

「そう言えば、ラクスの村ってどんな所なんだ?」

 

 木々の間、道とは呼べないようなところを歩きながらニルがラクスに尋ねる。ラクスは先頭でそのルーリーノよりも少し小さい体でひょいひょいと木の枝などの障害物を超えながら口を開く。

 

「う~ん……何にもない所だよ? でも、獣が嫌うにおいを出す柵に囲まれてるから危なくないし、畑もあって年に一度くらい商人の人が来ていろんなものと交換してもらえるんだよ。その時に護衛として雇われている冒険者の人がギルドの依頼をしてくれるって感じなんだけど……」

 

 そこまで言ってラクスは暗い表情を見せる。

 

「今年は不作だって、村の分の食べ物も少なくって。だから、少しでも村の役に立てればと思って木の実を取りに……」

 

 話はずれてしまったがおおよそどういった状況なのかわかったニルは「そっか」とだけ返す。

 

 そうしている間に森を抜け、三人はあまり高くない柵に覆われた村に辿り着いた。僅かに刺激臭がするので、おそらくこれが獣が嫌うにおいというやつだろうとニルは納得する。

 

 村に近づくと厚い木材で作られた扉のついた柵の境目、つまりこの村の入り口に人が立っているのが見えた。

 

「ラクス!!」

 

 その人はニル達の姿を見ると、そう言って走ってくる。三十代ほどの目が茶色で、エプロンをした女の人。

 

 ニル達の中から的確にラクスを見つけると「どこに行ってたの?」とラクスを抱きしめる。抱き締められたラクスはどこか迷惑そうな恥ずかしそうなそんな表情をしている。

 

「木の実を取りに行こうと思ったんだけど……」

 

 ラクスは女の人を自分から引き剥がすと、俯きながらボソリという。その様子を隣で見ているニルもルーリーノもどうしていいのかわからず、時折顔を見合わせつつラクスと女性のやり取りを眺めていた。

 

「勝手にお守りまで持ち出して、どうして一人で行こうと思ったの」

 

「えっと……」

 

 ラクスの顔が凍りつく。

 

「お守りって何ですか?」

 

 そこでルーリーノが話をそらすためか口をはさんだ。女性はそこでやっとニルとルーリーノの存在に気がついたらしく警戒しながらも不思議そうな顔をする。

 

「あなた方は?」

 

「私はルーリーノ、あっちはニルと言います。ラクス君が森で亜獣に襲われそうになっていたので、ここまで一緒に付いてきました」

 

 ルーリーノが簡単に経緯を話すと、女性よりも先にラクスが「あっ」と言って顔に諦めの表情を浮かべる。そのラクスの反応を見て女性はどう思ったのか、警戒を解いて二人にお礼を言う。

 

「それで、お守りというのは?」

 

 改めて聞いたということは、ラクスへの助け船ではなく自分の興味だったかとニルは考えながら、でもそれを口にはせずにただ立っていた。

 

「えっと、あのね……」

 

 慌てたようにラクスが口を開く。それに対して、ラクスの母親が叱りつけるように「ラクス」と言うと、彼はしょんぼりと俯く。

 

「もう気が付いているかもしれませんが、この村は村を囲っている柵の香りで獣を寄せ付けないようにしています。この柵と同じ素材で作ったのがお守りというわけです。どうしても村を出ないといけない用事などがあると之を持っていくことで獣から襲われなくなるんです」

 

「なるほど……」

 

 女性の言葉にルーリーノが納得した声を出す。それから、ルーリーノがお礼を言うと女性は首をふって「こちらこそ、バカ息子を助けていただいて」と頭を下げる。

 

 

「よかったら、村によって行きませんか?」

 

 女性が何かをひらめいたように手を叩いてそう言う。空が赤く染まり始めだいぶ肌寒くなってくる時間。そもそも――ニルは喜んで、ルーリーノはしぶしぶ――村に立ち寄る予定だったので「はい」と返事をした。

 

 

「はじめに村長の所にご案内しますね」

 

 そう言った女性に連れられて、ニルとルーリーノは村の中に入る。

 

 村の面積は直前にニルとルーリーノが居たポルターよりも少し狭いくらい。ポルターが国境の大きな町なのでとても広い村ということになるが、実際は半分以上が畑。さらに家と家の間隔も広いので住んでいる人はポルターの十分の一といったところ。

 

 村に入ると、土が露出したままの大きめの道が真っ直ぐあり、その右側に広大な畑が、左側に木造の建物があるといった具合。畑の近くには川が流れていて、おそらく二人が休んでいた川とつながっているのだと考えられる。

 

 道を歩いているとすれ違う人すれ違う人から「ラクス見つかったんだね」とか「こんな時期に冒険者かい?」とか「珍しい髪の色してるね」などと声をかけられる。

 

 そうして、ニル達は村の奥一番大きな家に連れて行かれる。ラクスの母親は躊躇うことなく扉をノックすると「村長さん」と声をかけた。

 

 それからすぐに人の良さそうな老人が姿を現し、ラクスの母親と少し話すと、視線をニル達に移し「よくいらっしゃった。何ももてなせぬがどうぞ」と手招きする。

 

 ニルとルーリーノは一度顔を見合わせると、促されるままに中に入る。それと同時にラクスの母親が「私達はここで」と言って、ラクスの頭に手を置きラクスと同時に頭を下げる。再度ラクスの顔が正面を向いた時、ニルにはラクスが今すぐにでも逃げ出しそうなほどに泣きそうな顔をしているように見えた。

 

 

 二人が案内されたのは大きい机が中央やや奥の方に置かれており、壁際には数々の書類が入っている本棚がある、それだけの簡素な部屋。

 

 村長が椅子に座り、机をはさんで二人が立っているという状況。村長は座る際に「腰が悪くてすまんね」と断っていた。

 

「ようこそ、わたし達の村へ。聞けばラクスの坊やを助けてくれたようで、感謝してもし足りんよ」

 

 柔らかい口調で村長が話す。

 

「いいえ、私達もたまたま通りかかっただけですし、それほど苦労したわけでもありません」

 

「まあ、実際亜獣倒したのは俺だしな」

 

 ルーリーノが丁寧な言葉で返した隣で、ニルがぼそっと呟く。それを聞いたルーリーノが「ニル?」と言って睨みつけ、村長に謝る。

 

「構わんよ。君らくらいの若者のそう言った会話というのも久しく聞いておらんからな」

 

 ほっほっほ、と人の良さそうな笑顔を浮かべて村長が言う。

 

「それで、できれば今日はこの村に泊めてほしいんですけど……」

 

 ルーリーノが話を変えるためにそう尋ねると、村長は「君らは冒険者なのだろう?」と質問を重ねる。

 

「そうです」

 

「それならここの隣にあるギルドに泊まりなさい。見ての通り小さい村なのでな建物はあってもほぼ無人ではあるが整備はしておる」

 

 そう言って村長は机から鍵を取り出し、二人に手渡す。その時にルーリーノは「ありがとうございます」とお礼を言った。

 

「食事は面倒だとは思うがここまで来てくれんか? 一応ギルドの管理はわたしなのだが、今はこの家のことだけで手いっぱいで、そちらに回す者がいなくてな」

 

 村長さんが申し訳なさそうにそう言うと、ルーリーノは明るい声で「気にしないでください」と返す。それから何時頃来たらいいのかルーリーノが尋ねようと口を開くと、ニルが先に声を出した。

 

「俺達は勝手に食べるので、食事の申し出はありがたいですが、お断りします」

 

 あまりにも堂々とそう言うので村長は「そうか」とだけ言う。その表情はわかりにくいが安心した色が浮かんでいた。

 

 ルーリーノはルーリーノでニルの発言が失礼にではなかったかと冷や冷やしつつニルを睨みつけ、それが全く効果がないと分かると、軽く溜息をついて村長に「この人がすいません」と謝る。村長は頭を下げたルーリーノに「気にしとらんから頭をあげてくれ」と慌てた様子で言った。

 

「それじゃあ、俺達はここで……」

 

 ルーリーノが頭をあげるのを確認してニルが、言うと村長が二人を引きとめる。

 

「できれば明日の朝にでもまた来てくれんか? ギルドとして頼みたいことがあるんでな」



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無人のギルド

 二人が外に出ると、太陽はその姿を隠していて暗くなる直前の物悲しげな青さが空一面に広がっていた。周囲に目を移せば、どこに何があるのかわからないと言うことはないが見えるものはほぼシルエットであり、それが人であれば誰かを判断するのが難しい状況。

 

 空気は澄んでいてやや冷たく、でも寒いというほどではない。

 

 虫の鳴く声や風で植物がざわめく音は聞こえても、人の話し声はほとんど聞こえない。町とは違い日が落ちると騒がしくなるところはない。

 

 ニルとルーリーノは村長に言われたとおり、隣にある建物に足を運ぶ。村長の家よりも小さく、他の家よりもやや大きい程度の建物の鍵を開けて中へ。

 

 整備はしているという村長の言葉は嘘ではないらしく埃っぽいことはない。しかし外よりも明かりが無くほとんど何も見えない状態。

 

「ミ・オードニ・マルムルテ・ブリリ・シュトーノ」

 

 そんな状況を見てルーリーノが持っていた袋から小さめの石を取り出して呪文を唱える。すると、部屋の中がぼんやりと見えるほどにまで石が光り出した。

 

 ギルドの中は宿屋のようで、入ってすぐの所にカウンターがあり、その隣に依頼を張り出す用の掲示板。入口からカウンターまでには四人がけのテーブルとイスが四つの一組だけあり、掲示板の隣に上に上るための階段がある。

 

 二人は椅子に座り、ルーリーノが石をテーブルの上に置いた。

 

「魔法ってそんなことまでできるんだな」

 

 隣でそれを見ていたニルが感心したような声を出す。それに対して、ルーリーノは少し不思議そうな顔を見せる。

 

「ニルならこれくらい知っていると思うんですけど……」

 

 過去のニルの言動を思い出しながらルーリーノが首をかしげると、ニルは「うーん……」と一度唸ってから口を開く。

 

「呪文の大まかな意味とある程度のできることしか教えてもらってないからな。それに魔導師だからって今自分の使える魔法全部挙げてみろって言っても難しいだろ?」

 

 ルーリーノが頷いて返す。一度覚えた呪文を忘れることはないが、思い出すためには基本的に何をどうしたいのか――今回は石を光らせたい――というところから思い出す。感覚的には言葉をすべて述べなさいと言われているようなもので、いくつかは挙げることができてもすべてはまず無理である。

 

「それに、俺は魔法使えないからな。どんなことができるか調べようがないわけだ」

 

 そこまで聞いてルーリーノは心の支えが取れたかのようにすっきりとした表情を見せた。

 

「そうですね。今回の場合ですとこの石に秘密があります」

 

 ルーリーノはそう言って光っている石を手に取り、ニルに見えやすい位置に持っていく。

 

「この石が?」

 

 ニルの目にはその石が光っていること以外普通に見えるので思わずそんな声を出す。ルーリーノは「はい」と言って目を細めると、じっとニルを見つめて話す。

 

「この石は火の精霊の力を流すと光る性質があるんです。これ自体は割と普及していて、町の酒場なんかが夜も明るいのはこの石を利用した光源を使っているからですね」

 

「そうなると、町には下手すると一家に一人魔導師が居るような計算にならないか?」

 

 疑問に思ったことをニルがそのまま口にすると、ルーリーノが首を振る。

 

「確かに私が持っているこの石はある程度時間が過ぎればもう一度光らせるのにまた魔法を使わないといけませんが、普通使われているものに関してはそれ自体に魔法が込められてますから。例えば……ニルの持っている刀のように」

 

 ルーリーノがニルの腰にぶら下がっている直刀を指さしながら言ったので、ニルの視線が自然とそちらに向かう。

 

「とはいっても、ニルの刀に込められているそれは、光源として利用しているそれとは格が違いますけどね」

 

「格が違うってどれくらい違うものなんだ?」

 

 ふと気になったニルが尋ねる。ルーリーノは「そうですね……」と少し首をかしげて考える。

 

「そこらの光源に込められた魔力を一とすると、ニルの持っている直刀は千以上です」

 

「はぁ?」

 

 ルーリーノの言葉に意味を理解することができずニルが変な声を出す。その声に馬鹿にされたように思えてルーリーノが少し頬を膨らませて口を開く。

 

「本当ですよ。それだけニルの持っている刀が可笑しいんですよ」

 何故ルーリーノが怒っているのかわからないニルは呆気にとられ「あ、いや……」と言いながら視線をそらす。

 

「俺としては千という数字に驚いただけなんだけどな」

 

 正直にニルが言うと、今度はルーリーノがしどろもどろになって顔を赤く染める。

 

「ごめんなさい。私が早とちりしました……」

 

 肩を落としてルーリーノが謝ると、ニルが首をふって気にしていないとアピールする。

 

「ま、今日は休むか」

 

 ニルがそう言うとルーリーノが「そうですね」と少しだけ元気を取り戻して言う。それからルーリーノがハッとしたように自分の荷物からもう一つ石を取り出すとそれを光らせニルに渡す。

 

「一応ニルも持っていた方がいいと思いますから」

 

 そう言ってニルに手渡す。

 

「これ消す時はどうしたらいいんだ?」

 

「魔力が切れ次第勝手に消えますが、もしも邪魔だったら適当に布とか被せておいてください」

 

「わかった」

 

 ニルが短くそう返して、立ち上がる。それに続いてルーリーノも立ち上がり口を開く。

 

「泊まる……と言ってもどこで寝たらいいんでしょうね?」

 

「たぶん二階に部屋があるんじゃないか?」

 

 そう言ってニルが階段の方を指さし歩き出す。ルーリーノも追うように後に続くと階段を上った先、人がギリギリすれ違うことができる程度の幅をもった通路とドアが三つ。先を行っているニルが試しにそのドアを開けて行くとどの部屋にも少し硬そうなベッドと机。後はコートかけが部屋の隅に置かれている。一番階段に近い所は人が五人ほど入れるスペースがあり後の二つは一人部屋らしく部屋に入ってすぐベッドみたいな状況。

 

 ニルは迷うことなく一番奥の部屋の前に行くと

 

「俺はここで休むから」

 

 とそそくさと中に入ってしまった。ルーリーノはそれを見てなんて勝手なんだと少し腹を立てたが、結果部屋割りに関して諍いがあることもなく、それに自ら進んで狭い部屋に行ってくれたのだからと考えなおす。

 

「とはいっても、私も一人で大部屋なんて嫌なんですけどね……」

 

 そう言ってルーリーノも一人部屋の扉に手を掛けて中に入る。いつも着ているマントをコート掛けに掛けてから手の中で光っている石を机の上に置く。

 

 持ち物から小さな鍋のようなものと木でできたカップを取り出し机に置く。

 

「これなら井戸で水を汲んでからくればよかったですかね」

 

 と、苦笑気味に呟いてから「コレクティ・アクヴォ」と呪文を唱える。すると、鍋の中に水が溜まる。それからすぐさま「ヘジュティ・ボルポト」と呪文を重ねる。

 

 初めは特に何の変化のなかったが、次第に水から気泡が浮かびはじめ、最終的にはコポコポと音を立て湯気を立ち上らせながら水が沸騰した。

 

 ルーリーノは沸騰した水をカップに移しそこに発酵させた葉を入れる。すぐに透明だったお湯が赤みがかった茶色へと変わり、鼻にスッと抜けるかのような香りが辺りを包む。

 

「こういう時魔導師って便利ですよね」

 

 そんなことを言いながら、ルーリーノは隣の部屋にいる人物のことを考える。単純なようでいて随分と謎の多い人。一緒に旅はしているとはいっても宿に泊まるときは別々に泊るし、二人で旅をし始めてまだ野宿をしたことはない。

 

 そう思うと、ルーリーノはニルが普段一人の時に何をしているのか興味がわいた。

 

「幸い今日はニルの部屋に行く口実もありますし……」

 

 そう言ってから、カップをもう一つ取り出しもう一杯お茶を作る。

 

 それを持ってニルの部屋の前に行きルーリーノは器用に片手で二つカップを持つとノックをする。五秒、十秒経ってもニルからの返事はなく、不思議に思ったルーリーノは首をかしげてもう一度ノックをする。反応なし。

 

「さすがに、外に出たとしたら足音でわかりますし……」

 

 眠っているだけかもしれないけれど、何かあった後では遅いと恐る恐るルーリーノは取っ手に手を掛けてゆっくりとドアを開く。

 

 最初は隙間から首だけを中に入れて様子を確認し、思い切って中に入る。

 

 そこにニルの姿はなく、窓から冷たい風が吹き込んでいる。ルーリーノは咄嗟にカップを机に置き、注意して窓から身を乗り出して村の様子を探る。月明かりに照らされた村は意外に明るく、それ故に特に異状がないことにすぐに気が付く。

 

 代りに上から物音がするのにルーリーノは気がついた。それと同時に心配が杞憂に終わったことにほっとする。

 

「でも、どうやって上まであがりますか……」

 

 ルーリーノは呟いて考える。ルーリーノ自身それなりに冒険者をやってきている為自力で屋根に登ろうと思えば登れるだけの身体能力は有している。しかし、それだとカップは持っていけない。

 

 次にルーリーノが考えたのは風の魔法を使って飛ばされるかのように真上に跳躍する方法。しかし、それだとカップに入ったお茶がこぼれるのは避けられない。

 

「結局ふわりと屋根に上がらないといけないんですよね。仕方ないですか……」

 

 ルーリーノは諦めたように溜息をつき、その直後なんて無駄なことをしているのだろうと可笑しくなってクスクスと笑う。

 

 両手にカップを持ってから、ルーリーノは目を閉じる。その状態で窓から外へと足を一歩踏み出す。本来ならそれで地面に落ちて行くはずのルーリーノ身体は宙に浮きふわりと上昇すると何事もなかったかのように屋根の上に降り立つ。

 

 

「こんなところで何をしているんですか?」

 

 ややふら付きながらニルのもとへ歩み寄りルーリーノが声をかける。

 

「星がきれいだなと思ってな」

 

 屋根の上に腰をおろして空を見ながらニルが答える。ルーリーノもその隣に腰をおろしてから「隣良いですか?」とニルに尋ねる。

 

「座った後に言われてもな」

 

「まあ、そうでしょうね。これ、どうぞ」

 

 笑いならルーリーノが言って持っていたカップをニルに手渡す。ニルは手渡されるままにカップを受け取りお礼を言ってから中身を確かめる。

 

「よくこんなの持ってたな」

 

 驚き半分でニルが言う。それもそのはずで本来庶民には手が出せない程度には高価なもの。普通冒険者といえば、纏まった金が入ったとしても酒に消えるか、装備に消えるかが殆どでこう言った嗜好品に使われることは稀。

 

 でも、ルーリーノ自体稀な存在ではあるし、少女ということも考えるとこういった方向にお金をかけること自体は普通かもしれないと、ニルは納得する。それに説得力を持たせるかのようにルーリーノが「冒険者をやっていて唯一の楽しみみたいなものですから」と答える。

 

 ニルは「そうか」とだけ言って、まだ辛うじて湯気を立てているカップを傾ける。それからそれを横に置くと「懐かしいな」と呟く。

 

 ルーリーノにもその呟きは聞こえていて思わず「飲んだことがあるとは意外でした」と驚きの声を漏らす。

 

「悪かったな。これでも家は俺を閉じ込めておいても大丈夫なくらいには金があったんだよ」

 

「なるほど」

 

 そう返してルーリーノカップに口をつける。それからその会話が続くことはなく、今度はニルが質問する。

 

「そう言えばよくこれ溢さずに持ってこれたな。まさか空飛んできたとか言わないよな?」

 

「ちょっと無理しましたが、そのまさかです」

 

 「正確には飛んでというよりも浮かんでって感じでしたが」そう言ってコロコロと笑うルーリーノとは対照的にニルが驚いた声を上げる。

 

「無理って、まさか……」

 

「大丈夫ですよ、昼の時ほど酷いことにはなってませんし」

 

 ルーリーノの言葉を聞いてニルが溜息をつく。

 

「ルリノ……お前馬鹿だろ」

 

「私の名前はルーリーノです。ですが、さっきの行動に関しては自分でも可笑しい自覚はありますよ?」

 

 ルーリーノは反省する様子もなく言うので、ニルは諦めた表情を作り、

 

「それで、本当に大丈夫なのか?」

 

「多少ふらつくくらいですから大丈夫ですよ」

 

 ニルがそれは大丈夫と言えるのかと考えている間にルーリーノが続ける。

 

「でも、もしもだめそうなら少しだけ肩貸してくださいね」

 

「いいけど、さすがに抱えて降りるのは骨が折れるから、最終的には自分で降りてくれよ?」

 

 ニルが溜息をつくのを見てルーリーノがクスクスと笑う。

 

 ニルはその笑いを無視して真っ直ぐに空を見つめる。それを見てルーリーノも視線を上にあげた。

 

 ルーリーノの目に映ったのはたくさんの光の粒。夜空一面に、でも均一ではなく。あるところには数が多いためか白い靄のようになっていて、あるところには点々と星が見える。

 

 一つ一つの星の輝きも疎らで、ある星はよく見えるしある星はぼんやりとしか見えない。しかしその星々による光は夜だというのに本が読めそうなほど。

 

「すごい星空ですね」

 

 思わずルーリーノが呟く。

 

「お前ならこれくらい見たことあるんじゃないか?」

 

 ニルが視線を動かすことなく尋ねると、ルーリーノもまた空を見上げたまま口を開く。

 

「見る機会だけなら、数えきれないくらいあったと思います。でも、こうやって実際に見るのは初めてですかね」

 

「意外だな」

 

 ニル自信何が意外なのかわかっていないがそう言う。

 

「今まではのんびり星空なんて見ている余裕がなかったんですよ。でも今は誰かさんのせいで余裕を無理やり作らされている感じです」

 

「困った奴だな誰かさんってのも」

 

 無感情にニルがそう言うとルーリーノが「もう……」と溜息をつき、ニルにばれないように微笑む。

 

 

 

「ルリノは夕食食べたのか?」

 

 ふと、ニルがルーリーノに尋ねる。

 

「だから、ルーリーノですってば」

 

 とお決まりの台詞を言ったあとで、ルーリーノは「そう言えばまだですね」という。それを聞いてからニルがパンといくつかの木の実をルーリーノに手渡す。

 

「いいんですか?」

 

「まだあるし、それにそこら辺は早めに食べないと勿体ないし」

 

 確かに今ニルがルーリーノに手渡したものは保存には向かない故、無駄にしないために早めに食べてしまうのが定石。しかし、それでも二、三日くらいは持つので今食べてしまっていいものかとルーリーノは考える。

 

「たぶん、二、三日くらいこの村にいるしな」

 

 ニルがそんなことを言うので、ルーリーノは諦めたようにパンに口をつける。何もついてないそれは塩と小麦粉の味しかせず、さらに口の中の水分が持っていかれる。でも、そう言った食事になれているルーリーノにしてみれば問題なく食べることができ、飲み物もある今十分な食事としてルーリーノ空腹を満たした。

 

「食事といえば、どうして断ったんですか?」

 

 村長とのやり取りを思い出しルーリーノがニルに尋ねる。

 

「この村今食糧不足なんだろ?」

 

 ニルはそれだけ言って、カップにあと少しだけ残っていたお茶を一気に飲み干す。

 

「確かにそうですけど、冒険者としては……」

 

 そこまで言ってルーリーノは口を閉じる。それから少し間をおいて、

 

「いえ、ニルらしいと言えばニルらしいですね」

 

 と言い直す。

 

「その言い方どこか引っかかるな」

 

 ニルが笑いながらそう言ったあと、二人はしばらく星空を見続けた。



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狩り

 次の日の朝、ニルとルーリーノは村長の家に行くため適当に朝食を終えた後揃って外に出た、

 

 すでに朝焼けを見ることのできる時間はすぎていて、畑にはちらほら人がいる。朝の日差しはまだまだ優しいとは言っても、昨日二人が見ていた星たちよりも何倍も明るく、もちろん問題なく本も読める。

 

 隣にある村長の家に行くのにギルドを出てからわずか十数歩程度、呼び鈴のないドアをノックして二人は中の人にその存在を伝える。しばらくあって、ドアが開かれ村長が顔をのぞかせる。

 

「まっておったよ。さあ中へ」

 

 そう促されて二人は家の中に足を踏み入れる。通されたのは昨日と同じ部屋。

 

「早速ではあるが、君らにギルドを任されたものとして頼みがある。と、その前に……」

 

 村長さそこまで言うと少し言い辛そうに口を閉じる。しかし、ニルもルーリーノもその先の言葉はある程度想像できているので特に何も気にすることなくその言葉を待つ。

 

「君らが冒険者であるという証を見せてくれんか?」

 

 村長が言い難いのは当然のこと、村の子供を救ってくれた恩人を疑うような形になってしまうわけなのだから。しかし、村長という立場、そしてギルドを任されているという立場上これ以上身分のはっきりしないものにこの先の話は出来ない。そう思って村長は口を開く。

 

「黒髪に黒い瞳の人など見たことがなくてな……」

 

 言い訳をするように村長はそう言ったが、ニルとルーリーノはそう言ったことには慣れているので大した反応は見せない。

 

「まあ、そうですよね」

 

 ルーリーノは特に気を悪くした様子を見せずに持っていた袋の中からカードを取り出す。冒険者の身分を示すカード。見た目はただの薄っぺらい金属の板ではあるが、金属をそのように加工する技術が十分でない世界でそれを持っているだけで十分ギルドの一因だと証明することができる。さらには、簡単な魔法まで込められていてその魔法を特殊な装置で読み込むことで本人確認まで行える。ギルドが信頼を得るために開発してきた技術である。

 

 どのギルドにはその装置はあるので、二人とも問題なくその身分が証明された。

 

 それを見て安心した村長は「では……」と話し始める。

 

「君らに幾つか依頼を出したい」

 

「食料をそこらの森から取ってくればいいんですね?」

 

 ニルが珍しく敬語でそう言うと、村長が目を見開いて「知っておったのか」という。

 

「昨日ラクス君をこの村に送り届ける時に、彼からある程度事情を聞きました」

 

 村長の疑問にルーリーノが答える。それを聞いて村長は少し安心したかのような表情を見せる。それから改めて頷くと、村長が話し始めた。

 

「結局のところこの村は今食糧が足りておらん。数日で飢えると言うことはないだろうが、それでも村人達は心のどこかで心配しておってな、少しでも安心させてやりたいわけだよ」

 

「それじゃあ、依頼って言うのは出来るだけ食料を集めて来いってことでいいんですね」

 

 ニルがぶっきらぼうに言うと、村長は「そうだな……」と神妙に頷く。

 

「それで、報酬なんだが……そちらの成果を見てからというわけには……」

 

「ダメです」

 

 ニルの様子を窺うように話していた村長は、ルーリーノの方が急にそんなことを言い出すのでビクリと体を震わせる。

 

「おい、ルリノ」

 

「私の名前はルーリーノです」

 

 村長同様驚いたニルが思わず声をかけるが、ルーリーノはいつものようにそれをいなす。

 

「ニルの言いたいことはわかりますが、これはあくまでもギルドの依頼なんです。そこには明確な信頼がなくてはいけません。ギルドを任されているのならばそれくらいわかると思うんですが」

 

 いつもよりも棘のある声でルーリーノが言う。その迫力に負けてか村長は「そ、そうだな……」と俯いてしまった。

 

「しかし、こんな村だと君らが納得のいくような報酬が提示できるかどうか……」

 

 村長が視線をあちらこちらへと移しながらそう言ってもルーリーノの態度は変わらず寧ろよりその視線が鋭くなったかのようにも見える。

 

「だからと言って、一度例外を作るわけにはいきません。一度例外が起こってしまうとそこから波及していつかそれが普通になってしまうかも知れませんし。それに、この村にとってこの依頼が受理されるかどうかは死活問題かもしれませんが、私達冒険者も依頼の報酬で生活しているんです」

 

 いつもとは違うルーリーノの様子にニルがやや怯えていると、ルーリーノは一つ溜息をついて、表情を和らげる。

 

「ですから、私達は今から『友人であるラクス君』が落とした『お守り』を『友達として』探しに行きます。その時についでに自分たちの食料も採ってこようと思うのですが、もしかすると次の町に行くまでには不必要なほど大量に採ってくるかも知れません。そうなると私達も処分に困るので、買い取っていただけると助かるのですが、どうでしょう? もちろん元々処分するものでしたのでそんな大金を取ろうとは思いません。相場の十分の一くらいでどうでしょうか?」

 

 そこまでルーリーノが言い終わると、村長がポカンと口を開けていた。それからややあって、村長が慌てたように口を開く。

 

「ぜ、是非そうしてくれんか」

 

「わかりました。それでは私達はこれで」

 

 ルーリーノは恭しく一礼すると、棒立ちになっているニルの袖を引いて村長の家を後にした。

 

 

 

 森の中。二人の視界に入るのは一面木ではあるが、その葉の間を縫って日差しが差し込んでくるので、真っ暗というわけではない。

 

「あれでよかったんですよね?」

 

 ニルより少し一歩先で、後ろを向いて歩きながらルーリーノがニルに尋ねる。

 

「あれってのは?」

 

「村長さんへの対応です」

 

 ルーリーノがくるっと反回転してニルの真横に着く。

 

 ニルはルーリーノの言葉を聞いて、「あー……」と曖昧に声を出すと「そうだな」と話し始める。

 

「わざわざあんな面倒くさい方法取らなくて良かったんじゃないか?」

 

「それはつまり村長さんの依頼を無視すればよかった……ということですか?」

 

 ルーリーノが猫のような笑顔を浮かべてそう言ったので、ニルは首を振る。

 

「言いたいことはわかっていますよ。でも、ああせざるを得なかったの半分はニルのせいなんですからね?」

 

 ルーリーノが人差し指を立てながらそう言うとニルが不思議そうな顔をする。

 

「それってどういうことだ?」

 

「ニルの身分を確認するためにはどうしてもギルドとして証明するしかないからですね。ニルの髪が黒いのが悪いんです」

 

 ルーリーノが笑いながらそう言うとニルは「悪かったな。生まれてこの型この色なんだよ」と少し拗ねた声を出す。

 

「それで、ギルドの一員として私達の身分を確認してしまった以上あの村長さんから受けるのは正式な依頼となるのはわかりますか?」

 

「まあ、なんとなくな」

 

 ニル足を向けている方から視線を動かさずに答える。

 

「そうなってしまった以上、もしも依頼の内容が曖昧なままで私たちが受理してしまうと、ばれた時に困るのはあの村です。具体的には今までもあまり来ることのなかった冒険者が全く来なくなるかもしれませんね」

 

 「ギルドって言うのは意外と厳格なんですよ」ルーリーノがそう言って話を終えると、ニルが押し黙って考えるそぶりを見せる。

 

「つまり、今回は俺が世間知らずだったということか」

 

「そうなりますね」

 

 ルーリーノが全く躊躇うことなく言う。それを聞いて若干肩を落としたニルに声をかける。

 

「それでもいいんじゃないですか? 冒険者になって日も浅いわけですし、それにニルはあくまでもユウシャなんですから」

 

 そう言われてニルは考える。自分はユウシャだからこんなことをしているのか。でもすぐに心の中で首を振り、口では「そうだな」と答えておく。

 

 

 

 しばらく歩いて昨日の川までやってくると、ルーリーノが荷物を降ろす。

 

「とりあえずは、ここを拠点にして食料を集めればいいでしょう」

 

「ラクスのお守りはどうするんだ?」

 

 一応名目上はそれを探すのが目的なのだから探さないわけにはいかないだろうという事でニルがルーリーノに言う。ルーリーノは笑顔になって「それはニルにお任せします」と返す。

 

 同時にニルが嫌そうな顔をする。

 

「探すと言っても割とこの森広いぞ?」

 

「だからです。ニルには冒険者としての能力も身に付けてもらわないといけませんしね。修行か何かだと思ってください」

 

 年下であるルーリーノにそう言われ、少し思うところがあるニルだが、ぐっと堪え具体的にどうしたらよいのかをルーリーノに尋ねた。

 

「お守りは獣を寄せ付けないんですよね。ですから、それを利用してください。幸いなことにこの森には亜獣だけではなく普通の動物も沢山いるみたいですし不自然にどちらの気配もなければそこに落ちていると思います」

 

「なるほどな……」

 

 確かに理にかなっているとニルは思う。冒険者にとって辺りの気配を感じ取ることができるのは重要な能力だと言うことくらいニルにも簡単に想像できる。ただ……

 

「冒険者ってそこまでの能力必要か?」

 

 結論から言うと、身を守ることを第一とすれば殺気を感じ取ることができれば何とかなるしニルはその能力が十分というほど備わっている。

 

「確かに絶対に必要かと言われればそうではないですが、あって損というわけじゃないですし、こう言った機会というのもこの先あまりないと思いますから。とりあえずゲーム感覚でやってみてください」

 

 そこまで言われてしまえば、ニルとしては断りようがないから諦めて頷く。それから、ふと気になったことをルーリーノに尋ねる。

 

「俺が探している間にルリノは何してるんだ?」

 

「私は……って言うのはもういいです。えっと、ここで釣りをしています」

 

「何か不公平感を覚えるのだが……」

 

「ニルがお守りを持ってきてくれたら釣りのやり方を教えて私と交代でいいですよ? でも、お守りばかりに気を取られず食料も探してくださいね」

 

 ルーリーノがさも当然のごとく言うので、ニルは何も言えなくなりルーリーノに背を向ける。その背中に向かってルーリーノが声をかける。

 

「大丈夫だとは思いますが、気を付けてくださいね」

 

「そっちこそな」

 

 そう言って後ろを向いたままニルが手を振って森の中に消えていく。

 

 残ったルーリーノは適当な木の枝を折り、先ほどおろした荷物の中から細い糸を取り出すと枝の先端に取り付けた。その先に木を削って作った針を付け、それを川に垂らす。

 

 餌などないのでうまく魚が食いついてくれるかはわからないが、ルーリーノは大丈夫だという自信があった。

 

 

 

 ニルは森に戻るとひとまず目を閉じた。しばらく目を閉じていると、ニルの耳にたくさんの物音が入ってくるようになる。

 

「確かに、何か沢山いるみたいだな」

 

 その状態でわざと大きな音を立てる。すると、大きく分けて二種類の反応があることにニルは気が付く。一つは音つまりニルから離れるように動くものと、逆にニルに近づいてくるもの。

 

 ニルが目を開けるとすでに近くで草を踏みつける音が聞こえ、ニルは腰に手を伸ばす。

 

「左右から一匹ずつと、後ろに二匹……か」

 

 二ルがそう呟いたところで、四匹の亜獣が一斉にニルに飛び掛かる。ニルはスッと一歩だけ前に進むと反回転し直刀を引き抜き横に薙ぐ。

 

 ニルに襲いかかろうとしていたのは、小型犬のような亜獣で黒い毛に紫の爪と歯を持っていた。しかし、ニルの一線で叫びを上げる間もなく絶命し、血を吹き出しながら地面に落ちる。

 

 それをぼんやりと見ながら、ニルは一人「そう言えば、こいつら食えるのか?」と呟いていた。

 

 

 

 川で釣りをしながらルーリーノは頭を悩ませていた。

 

「釣った魚をどうやって村まで持っていきましょうか……」

 

 村が食糧不足であるならば二、三日で駄目になってしまうようなものを持って行っても焼け石に水ではある。保存食の定番である干し肉や干物と言ったものを作るだけの知識もルーリーノは持っているが、ルーリーノにしてみればそこまでしてやる必要性を感じない。

 

「そもそも、たった二人程度の冒険者が持ってくるような食料で村が何日持つんでしょうね」

 

 恐らくニルとルーリーノが頑張って持っていったとしてもせいぜい十数日、長くても三十日と言ったところではないだろうか。ルーリーノがそんなことを考えながら竿を引くとその先にはルーリーノの手のひらの倍はあろうかという魚がくっついている。

 

「まあ、考えても仕方がないですね」

 

 本心としては早く壁を越え東へ行きたいと思っているルーリーノは、釣れた魚を自分で作った簡易生簀に放り投げるともう一度糸を垂らした。

 

 

 

 

 

 お守りを探しながらニルが次に行おうとしているのは動物の捕獲。要領としては先ほどと同じようにわざと物音をたて、逃げて行く気配を今度は相手に気づかれないように追う。

 

 こちらへと向かってくる亜獣とは違い、動物はこちらの僅かな音も察知して全力で逃げる。ようやく、ウサギを一匹狩ることができたところでニルはなるほど確かにこれは修行になるかもしれないと感心する。

 

「弓が使えたらな……」

 

 と、動物を追いかけつつニルは呟く。弓ならば無理にこちらから近づくことをしなくていいので腕さえあれば成功率はとても高くなる。ニルも全く弓が使えないということはないので恐らく今よりは上手くいくはずである。

 

「まぁ、でもそれじゃあ、ルーリーノが言っていた修行にはならないんだろうなっと」

 

 相手の動きを読みながら先回りをして仕留める。ニルの中でやらないといけないことはわかっているが、実際にそれができるかどうかというのは別の話で、もしも亜獣に襲われた時のために体力も残しつつ狩りを続けて見ても成功率は十パーセントというところ。

 

 成果としてはウサギが一匹にイノシシが一匹。

 

 そうやって動物を追い回している中で、ニルは妙な行動を取る動物が居る事に気が付いた。変に遠回りをしているようなそんな動物。それが、特定の動物がそのような行動をしているのではなくて特定の場所を避けているのだと気がついた時、ニルはそこにお守りがあるのだとわかった。

 

 急いでその場所に向かってみると、小さなきんちゃく袋が落ちていてそれを拾うとルーリーノと合流するために移動する。

 

 その間、動くものがニルから離れていくのを感じ、ニルはそれがお守りであると確信した。

 

 

 

 

 ニルがルーリーノの所に戻ったとき、ルーリーノの近くに魚の山ができていた。それを見てニルは一瞬言葉を失う。

 

「それ、全部ルリノが釣ったのか?」

 

「ルリノじゃないですって……でも、確かに私が釣りました。最初の方は生簀に入れていたんですがそれでも足りなくなったので、山にしていますが……」

 

 「戻ってきたということはお守り見つかったんですね」とルーリーノの青い目がニルをとらえる。

 

「そうだな。あと、多少狩りもしたがどうしていいのかわからなかったから、わかる位置に置いてきた」

 

 ルーリーノの隣にある山を見つつ、言い難そうにニルが言う。

 

「それでいいと思いますよ? 正直私もこの魚どうしようか困っているところですし」

 

 ルーリーノが台詞通り困ったような笑いを浮かべる。ニルはその魚たちに目を移すと「そうだろうな」と乾いた笑いを返す。

 

「これって何匹くらいいるんだ?」

 

「二、三十匹くらいだと思います。でも、このまま放置しているのは正直よくないんですよね。何も処理していないですし」

 

 「それで……」とルーリーノがニルをまっすぐ見る。

 

「ニルは何を狩ったんですか?」

 

 ルーリーノの問にニルは「うっ……」と唸る。それから諦めたように口を開く。

 

「ウサギとイノシシが一匹ずつだ」

 

 また笑われるのではないかと身構えながらニルは言ったが、その予想とは裏腹にルーリーノは「なかなかすごいですね」と関心の声を上げる。

 

「笑わないんだな」

 

 拍子抜けしたニルが思わず漏らすと、ルーリーノがクスクスと笑う。

 

「まさか、刀で動物を狩るなんて思いませんでしたから。ある意味笑おうと思えば笑えますよ」

 

「笑いながら言うなよ」

 

 内心ほっとしながらニルが溜息をつく。「すみません」まだ半分笑った状態でルーリーノはいって、改めて話し始める。

 

「では、約束通り釣りのやり方を教えますね。とは言っても特別なことは何もないんですけど……」

 

 そう言ってルーリーノは適当に木の枝を二本ほど折る。一本は長め、一本は短め。ニルはその様子を見て、頭にはてなを浮かべる。

 

「これを竿の代わりにして、糸をつけます」

 

 それから、ルーリーノは背中のあたりから短いナイフを取り出すと、短い方の枝を削り始める。Uの字になるように削った後、先を尖らせると糸の先につける。

 

「あとは、これを川に投げて食いつくのを待つだけです」

 

「それで釣れるものなのか?」

 

 ニルが怪訝な目でルーリーノを見ながら言う。それに対してルーリーノは特に気分を害されることなく「やってみましょうか」とだけ言って、ひょいと川に釣り糸を垂らす。

 

 その時にニルには聞こえないほどの大きさの声でルーリーノが何か呟く。それから少しして、竿の先がピクピクと揺れた。

 

「こんな感じになったら、タイミングを合わせて思いっきり引けば……」

 

 ルーリーノが言って竿を引くと、糸の先に魚がくっついた状態で現れる。

 

 ニルが驚いている横で、ルーリーノは「釣れます」と言って釣れた魚を山に投げる。

 

「それじゃあ、私は適当に狩りをしに行ってきますね。それまで見張り兼食料調達よろしくお願いします」

 

 急にルーリーノがそう言ったのでニルは慌てて「わかった」と答えるしかなかった。



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脱出

 一人森の中に入ってルーリーノは躊躇うことなく呪文を唱える。唱えるのは風の矢。それを十本ほど自分の周りに浮かばせておき、少しでも物音がすればそこに向かって矢を射る。

 

 十本打って結果は半々。五本は外れ五本は当たり。

 

「こうやってみると確かに狩りって難しい感じもしますけどね。罠とかを作ればもっと簡単だとは思いますが」

 

 ニルから聞いた成果を思い出しながらルーリーノが一人呟く。

 

 もう一度同じことをやって、ウサギやイノシシ、鹿などを十二匹ほど狩り終わったところでニルのいる川へと戻る。

 

 ルーリーノが戻ったとき、ニルはまだ一匹しか魚が釣れていなくて、それを見たルーリーノは「やっぱり魔法って便利ですね」と呟いてクスリと笑った。

 

 

 二人は一度狩ったものをすべて川岸まで運んできてそれを眺める。

 

「それで、これらをどうするかなんですけど」

 

 ルーリーノがニルに向かって言うと、ニルは「何かいい案でもあるのか?」と尋ねる。

 

「はい、どうせ二人では運びきれませんし、いっそのこと食べる人たちに運んでもらいましょう」

 

「つまり村人に取りに来てもらうってことか」

 

 「でもそれって……」危なくないか? とニルが言おうとしたところでニルは一つ思い出した。

 

「お守りか」

 

「そうです。まさかラクスの持っていた一つだけということはないでしょうから、安全にここまで来ることができるでしょう。

 

 それに、ラクスの持っていたお守りをここに置いておけば他の亜獣や動物にこれらが狙われることはないはずです」

 

 ニルは一度ルーリーノ言葉を反芻して頷く。

 

「そうだな。二人で運ぶよりは効率的か」

 

「そうと決まったのなら急いで戻りましょう」

 

 ニルの言葉を聞いてルーリーノは急かすようにそう言って、村の方を向く。

 

「早く戻った方がいいのはわかるが、少しくらいはこれ持っていった方がいいんじゃないか?」

 

 ニルが次期食糧を指さしながらルーリーノに問いかける。

 

「それよりも、今から全力で戻って村の方々に一度で持って行ってもらった方がはやいですよ」

 

「なるほどな」

 

 とだけニルは返して、先行していたルーリーノを追い越して走り出す。その速さを見てルーリーノは一つ溜息をついて叫んだ。

 

「さすがにそこまで速いと私が追い付けません」

 

 

 

 ニルが先に村に着いて、肩でしていた息が落ち着いた頃

 

「少しは……手加減……してください……」

 

 とルーリーノが疲労困憊と言った様子で姿を現す。

 

 息を整えるため膝に手を当てて前傾姿勢のルーリーを見て、ニルは今までの仕返しをしてやろうと思い、やや棒読みっぽく答え始めた。

 

「悪かったな。でも、ルリノが全力でって言ったわけだし、まさかこの程度についてこれないとは思わなくてな」

 

「私の……は、ルー……ノで……」

 

 ルーリーノがなんとか話そうとして、声を出そうとするがうまく発音されない。ニルはその様子を見て思わず声をあげて笑う。

 

「私が……疲れているの……が、そんなに……面白い……です……か」

 

 ルーリーノの必死の訴えにニルは首を振る。

 

「面白かったのは、最初に名前を注意しに来たところだな」

 

 まだ表情に笑みが残りながらニルが言ったのを聞いて、一度ルーリーノが大きく深呼吸をして何とか呼吸を整える。

 

「それは、いつもニルがちゃんと呼んでくれないからです」

 

 怒りながらルーリーノは言ったが、ニルは「だって呼びにくいし」と一蹴すると村の中に入って行った。

 

 

 

 

「と、言うわけで出来るだけ急ぎたいので人手を借りてもいいでしょうか?」

 

 村長の家で、ルーリーノが事情の説明をする。村長は説明を聞きながら、時折頷き説明が終わったら口を開いた。

 

「わかった。今の時間なら手が空いておるものも多いだろうし、すぐに向かわせよう。道案内は頼んでもよいか?」

 

 ニルが村長の言葉に二つ返事で了承し、すぐに村の男たちが村の入り口に集められる。

 日頃から畑仕事をやっているだけあって屈強そうな三十から四十歳ほどと思われる男たちを見て、ニルはこれなら一度で運びきれるだろうと、少しだけ安心した。

 

 その中のリーダーのような人物にニル達は話しかけられる。

 

「お前ら昨日村に来たって言う冒険者だろ? この村のためにわざわざすまんね」

 

 他の男達に比べたら少し小柄な男だが、その声はしっかりとして居て男たちがざわめく中でも声がよく通る。

 

「一晩泊めてもらった礼ってところですよ」

 

 ニルがそう返すと、男は「そうか」と言って「じゃあ、案内してくれ」とニルを促した。

 

 

 

 森の中を大人数でぞろぞろと歩くのはある意味で怖い。これならばお守りなどなくても獣なんて寄ってこないようなくらいに。

 

 男たちは事前にルーリーノから説明を受けた長老の指示で手ぶらだったり大きな袋を持っていたりとさまざま。

 

 そしてその半数以上がナイフを携帯している。確かに森に行くにあたってナイフというものは必要になるものは多いけれど、とルーリーノは思う。

 

 しかし、そこから思考を巡らす前に男たちから話しかけられその思考を止めざるを得なくなってしまった。ニルにも話しかけている男もいるが、大多数はルーリーノへと話しかける。

 

 その内容は「嬢ちゃん可愛いね」とか「俺の息子の嫁にどうだ」など多少自重している感じはするがルーリーノが返答するのに困る質問も多い。

 

 対してニルはその髪と瞳の色に問いが集中し、ユウシャの生まれ変わりかなどとも言われていたが「たまたまこんな髪で苦労してるよ」と適当に返していた。

 

 目的地に着くとリーダーの男が「これは……」と少し驚く。それからすぐに「じゃあ、手はず通りに始めてくれ」とそのよく通る声を森に響かせる。

 

 それから男たちは持っていたナイフを使ってそれぞれに処理をしていった。血を抜き、内臓を取り除き、必要なら頭を切り落とす。

 

 ルーリーノはその様子に目を光らせていたが、隣でニルが少し青い顔をしていたので「大丈夫ですか?」と声をかける。

 

「何と言うか、あまり見ていて気持ちがいいものじゃないな……」

 

「確かにそうですが……」

 

 「必要な作業なんですよ」とルーリーノは柔らかい口調でまっすぐに作業を見つめながら言う。

 

「でも、気分がよくないなら見ていない方がいいですよ」

 

 視線をニルに移してルーリーノが言うとニルは迷った顔をする。そんな様子を見ながらルーリーノはこの様々な亜獣を真っ二つにしてきた男の危うさを再確認する。

 

 そうしている間に魚の方の処理が粗方終わったらしく、リーダーの元に一人の男が報告に来る。その手には大きめの袋を二つ持っていた。

 

「じゃあ、私達はそれを先に持っていきましょうか」

 

 報告が終わるタイミングでルーリーノがそう切りだす。リーダーの男は少し驚いた顔をしたが「頼まれてくれるか?」と問いなおす。

 

 それにルーリーノが「はい」と返し、袋を受け取る。中には腹が割かれ頭を切り落とされた魚が詰め込まれていた。

 

「ではニル今度はこれを持って全力で戻りましょう」

 

 ルーリーノはそう言って袋を一つニルに渡す。ニルはやや硬い表情でそれを受け取ると口を開いた。

 

「全力って、ルリノお前ついてこれないだろ?」

 

 そんな軽口をたたくが、ニルの頭には分解されていく動物たちが浮かんでいた。それに対してルーリーノは挑発するようにクスクスと笑うと、

 

「負けるのが怖いんですか?」

 

 という。その言葉にニルは思わず嘲笑した。

 

「負けるのが怖いのはそっちだろ」

 

「それでは、スタートです」

 

 そう言ってルーリーノが走り出す。やや遅れてニルも走り出し、簡単にルーリーノを追い抜く。

 

 しかし、ルーリーノはにやりと笑うと「ミ・プリフォーティギ……」と呪文を唱え始める。

 

「……ミア・ラピデコ」

 

 呪文を唱え終わると、ルーリーノの足取りが軽くなった。それから簡単にニルを追いつく。一度二人は視線を交わすと、今度がルーリーノがやや先行する。

 

 ニルはそれに置いていかれることはなく、結果二人はほぼ同時に村に辿り着いた。最初川から走った時よりも少しだけ短い時間でついたが、二人の疲労は限界に近く村の前で二人して座り込む。

 

「なんで……そんなに……はやいんだよ」

 

 ニルが尋ねると、ルーリーノは苦しいながらも笑顔を見せて「どうしてでしょうね」と返す。それから、互いに呼吸が落ち着くまで待ってから立ち上がった。

 

 結局村に入るまでの時間は一回目と同じ。しかし、その手には魚が詰まった袋が握られており、村に残っていた女たちがそれを見てお礼を言いすぐさま働き出す。

 

「今度は何をするんだ?」

 

 ニルがやはり不思議そうな顔でそう言うのでルーリーノが説明する。

 

「保存できるように干すんですよ。私達も持っているような保存食って水分が少ないものが多いですよね?」

 

 それを聞いてニルは納得がいったように「なるほど」と呟く。

 

「ここに居ても仕方がないですし、村長さんに報告しに行きましょうか」

 

 ルーリーノが提案するとニルは頷いた。

 

 

 

「本当に助かった」

 

 報告を終えた村長の第一声がそれだった。その表情には安堵のようなものが浮かんでいる。

 

「それで、報酬だが……」

 

 と、村長が言いかけたところで、ルーリーノが口を挟む。

 

「結局村の方々にも手伝ってもらっているわけですし、最初に言っていた報酬の半分で構いません。それから、支払いもご自身の目で確かめてからでいいです」

 

 頭を下げながら丁寧にそう言うと村長は「それは本当に助かる」と第一声と似たようなことを言う。

 

「それでは、ギルドで一休みしてから森の方の手伝いに戻ります」

 

 そう言ってルーリーノがニルを引き連れて村長の家を出ようとすると「ちょっとニルさんの方だけ残ってくれんか」と村長が声をかける。

 

 ニルは訳が分からないままに「わかりました」と言うが、ルーリーノはそれに嫌な予感を覚えた。

 

 しかし、どうすることもできずに先に村長の家から出て、ニルが出てくるのを待った。

 

 

 

 

 ニルが戻ってきた頃村の女たちの作業も最終段階が始まっていた。

 

 村長の家のドアを開けてニルが姿を見せた時、ルーリーノは内心とても安心しつつニルに「とりあえず、一度ギルドに戻りましょうか」と言う。

 

 それから、ニルを引っ張るようにルーリーノはギルドの中に入るとニルの方を向き「どんな話だったんですか?」と問いかけた。

 

「やはり報酬が少ないと思うから、村の中でも選りすぐりの美女を今から云々と……みたいな感じだったか」

 

 ニルは何でそんなことを聞くんだと言ったように首をかしげるが、ルーリーノはそんなニルの疑問に答えることはせずにいつもよりも低いトーンで

 

「今すぐにこの村から出ましょう。詳しい場所はわかりませんが、何とか今日中にはトリオーの城下に着くはずです」

 

 そう言う。ニルにはその意図が分からなかったが、ルーリーノが有無を言わせずと言った感じだったので短く「わかった」と言って荷物を確認する。

 

 こう言った急場に備えて最低限必要なものは常に持っているので、簡単に確認を終えるとルーリーノは今一度ニルの方を見る。

 

「今から村を出て村が見えなくなるまで私達は川に居る男性たちを手伝いに行くという体で行きます。それから、ここからもう一度街道に戻るには真っ直ぐ西に向かえばいいですよね?」

 

「おそらく……としか言いようがないが、街道の東に川があったらから大丈夫だろう」

 

「それだけで十分です。それから、村を出てからしばらくの間は走っていきたいんですけど、その後のことも考えてあまり速く走りすぎないでくださいね」

 

 今日二回の走りを思い出しながら、念を押すようにニルに言う。その何とも言えない圧力に押されニルは「あ、あぁ……」とだけ返す。しかしその後になんとか

 

「理由は後から聞かせてくれよ」

 

 と付け加える。ルーリーノは二つ返事で了承した。

 

 それから二人はギルドから出て、村の魚を干している女たちに見送られて村から脱出した。



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理由

「それで、どうして急に村から出るって言いだしたんだ?」

 

 青空の下街道に戻り、のんびりと歩きながらニルがルーリーノに尋ねる。

 

「ニルはあの村に違和感を覚えませんでしたか?」

 

 ルーリーノは特に考えることもせずに、ニルに問い返す。ニルはしばし考えたが結局首を振り「特には」と言う。

 

「私にはいくつも感じられたんですよ。例えば本当にあの村が食糧不足に陥るんでしょうか?」

 

「でも、ラクスがそう言っていただろ? まさかあんな子供まで嘘をつくとでも?」

 

 ニルはルーリーノの言葉が信じられずに思わずそう言う。ルーリーノは首を振りニルを見た。

 

「不作なのは本当でしょうね。でも、あのお守りがあったら森からいくらでも食料は得られると思うんです。

 

 ラクスのような子供でさえ落とさなければ木の実を取ることはできたのでしょうから」

 

 ルーリーノの言葉を受け、ニルは「確かに」とその点では納得する。

 

「それに、あの村の方々の作業を見てましたけど、慣れていないとあそこまで簡単に血抜きなんかができるとは思えません。

 

 そうなると、日頃からとまではいかずともそれなりの頻度で狩りなんかも行っていたんじゃないでしょうか?」

 

 ふと、ニルの頭にその時の様子が浮かび、ニルの背筋に悪寒が走る。しかし、それを表に出さないように口を開いた。

 

「例えそうだったとしても、すぐに村をでなくちゃいけなかった理由にはならなくないか?」

 

「私も最初はそう思っていたんですけどね。ニルが村長に言われたことを聞いて今すぐに出ないといけないかなと思いました」

 

 ニルが首をかしげる。それを見てルーリーノが言い直す。

 

「私には村長がニル言った言葉がどうしても『村に残れ』と言っているように聞こえたんですよ。女性でニルを釣って長期に居座ってもらうことで破格の労働力を得る。

 

 それどころかその女性のうちの誰かと結婚させて村の一員にしてしまおう、とそんな風にです」

 

 それを聞いてニルの背筋に先ほどとは違った悪寒が走った。でも、どうしても信じたくないニルは言葉を紡ぐ。

 

「でも、あくまでもそれはルリノの憶測だろ? 実際は違うかもしれないんじゃないか?」

 

 ニルの言葉にルーリーノは躊躇いなく頷く。

 

「そうです。すべてが私の憶測です。でも、今私が言った通りのことが起こったら困るんですよ。

 

 だから、敢えて報酬はもらわずに少なくとも報酬をもらうまでは村から離れることはないと思わせた上で出てきたんです。

 

 もしかすると私が想像する以上の方法を使って私達を村に引き留めようとしてくるかも知れませんし、そうされる前に逃げなくちゃいけないと思ったんです」

 

 ルーリーノが一気にそこまで言うとニルは少し考えて「助かったとは言わないからな」とぶっきらぼうに言う。

 

「もちろんです」

 

 ルーリーノは言葉通りそれが当然と言った風に切り捨てた。

 

 それからルーリーノはひとつ気になることがあるので口を開く。

 

「そう言えばどうしてニルは村長に女性を与えようと言われたのにすぐ出てきたんですか?」

 

 「私としては結果的に助かったので良いんですけど」と単純な疑問をニルにぶつける。

 

「まぁ、そんなことのために働いたわけでもないし」

 

 ニルは天気の話をするかのように気軽にそう言うと「それに」と続ける。

 

「ルリノと居た方が楽しいだろうからな」

 

 そんなニルの急な言葉にルーリーノは思わず顔をそむける。そしてやや頬を朱に染めて

 

「何を言い出すんですか」

 

 と声を荒げる。ニルは何故ルーリーノがそんなことを言い出すのかわからなくて「ルリノが訊いてきたからだろう?」と困惑しながら言った。

 

「そ、それはそうですけど……」

 

 尻すぼみになりながらルーリーノがそう言ったのを聞いてニルが胸をなでおろした。

 

 

 

 

 二人がしばらく歩くと次第に山が近づき、気がつくと視界の半分は山で埋まっていた。

 

 連なる山の向こうにひと際高い山がぼんやりと見え、それを指さし思わずニルはルーリーノに問いかける。

 

「あの山って何なんだ?」

 

 ルーリーノは一度首をかしげるとニルの指さした方向に目を移す。それから納得したような表情を見せると口を開いた。

 

「何だと問われると困ってしまいますが、よく分かっていないんですよ」

 

「よく分かっていない?」

 

 ニルが首をかしげると、ルーリーノが「はい」と言ってから説明を始める。

 

「あの山の手前にまるであの山を守るかのように低い山々があるのは見えますよね?」

 

「言われてみると、守ってるみたいだな」

 

 ニルが若干ずれた返しをしたがルーリーノはそれを肯定と受け取り話を進める。

 

「丁度あそこが人と亜獣のテリトリーの境目になっているんですよ。あれより向こう側に行けば帰ってこられる保証はありません」

 

「でも、亜獣だろ? 軍とかを動かせは何とかなるんじゃないのか?」

 

 ルーリーノの言葉が信じられず怪訝そうな顔でニルが返す。それに対してルーリーノは首を振った。

 

「軍は動かせませんよ。それにはいくつも理由がありますが、例えば……」

 

 ルーリーノはそこまで言うと視線を山の方へと向ける。ニルもそれに倣って視線を移した。

 

「見ての通り横に長くまるで城壁のように連なった山です。亜獣達はそのどこからでも町を襲えるんです」

 

「つまり、軍を動かしている間にどこかの町が壊滅させられるかもしれないと」

 

 ルーリーノの話を真面目に聞いていたニルが、真剣な顔をして自分の考えを述べると、ルーリーノが「そうです」と短く答える。

 

「それに、軍というのは山中の戦いにはあまり向きません。後は相手の数を把握できないのも理由みたいです」

 

 ルーリーノは一度そこで区切ってニルが納得したのを確認してから続ける。

 

「あとは、亜獣を駆逐してしまうと軍の兵士がやることがなくなってしまうという問題があります。それと同時に軍に関係している職――例えば鍛冶屋などでしょうか――の仕事もなくなってしまいます」

 

「確かに国王もそんなことを……」

 

 と呟いてニルは納得したが、ルーリーノはニルが何を呟いたの変わらず「何か言いましたか?」と首をかしげる。

 

「いや、何でもない」

 

 そう言ってニルが首を振ったので、ルーリーノはやや後ろ髪をひかれながらも追及はしないで話を続ける。

 

「最後に、国家間の問題ですね。トリオーがあの山の亜獣を抑えているということで他国に対しても多少なりとも貢献していることになりますから、それが影響力にもつながってくると言うことも考えられます」

 

 ルーリーノが言い終わってニルは少し気の抜けた顔をして口を開く。

 

「考えられます……って今のは全部ルリノの想像だったってことか?」

 

 呆れも感じさせるような声でニルがそう言うと、ルーリーノは「そうですね」とクスクスと笑うと「でも」と再度真面目な顔をする。

 

「素人の私でもそれだけの可能性を考えられるんです。実際はもっと複雑であったり私には考えられないような問題があったりしてもおかしくはないと思いますよ」

 

「そう言う捉え方はできるだろうが……」

 

 そう言ってニルが考え込む。それを見てルーリーノはニルの前方に回り込み「まぁ」と明るい声で言う。

 

「単純にあの山の亜獣は手ごわいんですよ。手誰の冒険者でパーティーを組んでも、奥の大山に辿り着く頃にはもう調べている余裕もなく、ギリギリ町まで戻ってくる程度の余力しか残せない。だから、あの山に関してはほとんど知られていないんです」

 

 ルーリーノがあっけらかんとそんなことを言うので、考えるのが馬鹿馬鹿しくなったニルは一度溜息をついて口を開く。

 

「そう言えば、ルリノを注意しなくなったな。と、言うことはルリノを認めて……」

 

「さすがに私も注意できない流れというものがあるんですよ」

 

 ニルの軽口に被せるようにルーリーノの声が響いた。



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トリオ―

 二人がトリオーについたのは日が沈んでしまう少し前。

 

 あの村とは違いそんな時間になっても明かりが消えることはなく、その分空の星が少なくなってしまった印象を受ける。

 

 トリオーの城下町はポルターのように基本的に石畳の道路に木と石を組み合わせて作ったような家が多い。

 

 しかし、ポルターよりも町全体が冷たい印象を受けるのはポルターほどには夜まで騒がしくないせいか、それともポルターよりも高く堅牢な壁、それに連なるように堅牢に作られている建造物のせいか。

 

「トリオーにしてはこんな時間なのに賑やかですね」

 

 トリオーに入った直後ルーリーノがそんなことを洩らす。

 

 しかし、まだ町らしい町をポルターとキピウムくらいしか知らないニルはどうしてもそうは思えず、辺りを観察するように視線をあちらこちらに動かした。

 

「言うほど賑やかには感じないんだけど」

 

 それを聞いてニルの境遇を思い出したルーリーノはニルをからかうか、ちゃんと説明するか少しだけ迷って後者にすると決め口を開く。

 

「今でこそ高い壁に囲まれて安全な所になりましたが、昔まだこの壁がなかった頃はこの建物たちを壁の代わりにしていたらしいです」

 

 ルーリーノが話し始めたことが上手く自分の言った言葉とつながらないニルが怪訝な顔を見せるがルーリーノはそれに気がつかないのか、話を続ける。

 

「見ての通りだいぶ頑丈な家々ですが、時折亜獣が紛れ込んでしまっていたそうです。そのため夜は見張りの兵士や雇われた冒険者が見回りをする以外住人は安全のために家で過ごす習慣ができたみたいです。夜行性の亜獣というのも少なくないですからね」

 

 そこまで聞いてある程度納得の行ったニルは口を開く。

 

「つまり、今までのところが夜まで騒がしかったって事だな」

 

「大体そんな感じですね」

 

 とルーリーノが可愛らしく顔をほころばせる。それには気がつかずに改めてニルは周囲を見渡した。

 

 暗くて分かりにくいが外側の壁に沿うように――正確には壁『が』沿っているのだが―――作られた建物は他のものと比べてもより強固そうに見え、間が開かないように建物の壁が隣の建物とくっついていて、どの建物も同じように見える。

 

 それよりも内側にある建物は道を形成しているという感じ。建物間にも距離が生まれ大通りから横道までと言った具合。

 

 町の中央、少し小高い所にまた壁がありシルエットではあるがお城のような建物がニルの目に映る。

 

 それから少し離れたところに教会のようなものもある。また別の所にはドーム状の建物があり目を引く。

 

「ひとまず、ギルドに行きましょうか」

 

 ルーリーノが促し、二人はギルドへ向かう。

 

 辿り着いたギルドはポルターよりも大きく、しっかりとしたつくりのようにニルの目に映った。

 

 内装も簡素ではあるが置かれている物の質は高く、椅子一つとってもその座り心地は普通のものとはくらべものにならないだろう。

 

 とは言っても、ギルドはギルドであるので夜ともなれば体格の良い男たちが酒を煽っている。

 

 そんな中フードまでしっかりと被った二人は目立つ。フードを取ったところで目立つの変わらないのだが。

 

 ただ、今回はルーリーノの肩のところが破れて素肌が見え隠れしているので尚のこと男たちの気を惹いてしまう。

 

 そのためルーリーノが受け付けで身分証明を終えると酔った男が一人よろよろとルーリーノのところまでやってきて、

 

「おい嬢ちゃん。そんなに肩見せて、何か、俺らを誘ってんのか?」

 

 と妙な因縁をつける。それに合わせて後ろで眺めていた男たちが笑いながら「嬢ちゃんには後五年早いんじゃないのか」とか「俺たちが大人にしてやろうか」などと野次を飛ばしてくる。

 

「おうおう、世間というのを教えてやるからこっちに来な」

 

 最初の男がそう言ってルーリーノの肩に手を乗せようとする。ルーリーノは躊躇うことなく「遠慮しておきます」とその手を叩くとニルの方へ歩く。

 

 やってくるルーリーノを見ながらニルは面倒事に巻き込まれたとぼんやり考ていた。

 

 ニルが考えていた通りルーリーノに手を叩かれた男は始め何をされたのかわからない顔をしていたが、その顔を赤くし「おい、あんちゃん」と何故かニルに因縁を付けてくる。

 

「お前ここじゃ見ない顔だな。ちょっと顔見せてみろよ」

 

 フードを被ってよく顔が見えないため、男はニルにそう言ってフードを取らせようとしてくる。

 

 ニルは逡巡したが取っても取らなくても目の前の男から簡単には逃れられないと悟ると、せめてこれ以上相手を刺激しないようにフードに手をかけた。

 

 パサリと音を立ててフードが外されると遠巻きに見ていた者も含めギルドの中が一気に静まり返る。それからすぐに起こるのは笑い声。

 

「何だその髪の色、ユウシャ様気取りかよ」

 

 ニルを指さしながらこう言ったような言葉が色々な場所から飛んで来る。

 

 ニルとしてはこうなるよな、と思いながらも特に何もする気にはなれず、ルーリーノに視線を送る。

 

 ルーリーノは困った顔をしながら首を振るだけで何もせず、声を出さず「流れに任せましょう」と言った。

 

 確かにこちらから手を出すわけにはいかないし、力ずくでよければいつでも逃げられるだろうと納得しニルが頷く。

 

 そんな中、とあるテーブルからガタンという音がして、そちらに注目が集まった。

 

「あんたら、その辺で止めとかないと痛い目見るよ」

 

 立ち上がったのはまさに女剣士と言ったように、男たちほどごつくはないけれど引締った筋肉で覆われた、短めの髪をした女。

 

 瞳の色がやや緑がかっているところを見ると多少の魔法は使えるのかもしれない。

 

 男たちは興が醒めたかのように渋い顔をするが、誰ひとり文句を言おうとする者がいない。

 

 ただ、ニル達に迫っていた男だけは後戻りすることができずに焦った声で女剣士に話しかけた。

 

「で、でもよ。キアラ。お前が言ってたんだぜ「冒険者たるもの女だからって甘えちゃいけない」って」

 

 キアラと呼ばれた女剣士はやれやれと首をふって溜息をつく。

 

「いつアタシがあんた等に痛い目を見せるって言ったよ」

 

 男はそう言われポカンと口をあける。

 

 ニルはその様子を見ながら男達の中ではそう言うことになっていたのかと他人事のように考えてた。

 

 それと同時にキアラと呼ばれた女剣士の存在感に圧倒される。これが熟練の冒険者というやつなのかと。

 

 キアラはニルの後ろで様子を窺っているルーリーノを指さすと口を開く。

 

「さっき、あんたがちょっかい掛けてたその子、碧眼のルーリーノだよ」

 

 瞬間ギルド内がざわめき始める。ルーリーノは呼ばれてしまったのなら仕方がないと、フードを取ると明るい声を出す。

 

「キアラ、お久しぶりです」

 

「あんたが男を連れてると言う噂を聞いた時はまさかと思ったけど本当だとはね」

 

 キアラはそう言って笑う。二人が声を掛け合う様子は友人同士のようで、それがさらに男たちを戦慄させた。

 

 ニルがわけも分からずその様子を見ていると、目の前にいた男がドシンという音と共に尻もちを着き、口をパクパクと開いたり閉じたりしながら震える指でルーリーノを指さす。

 

「ほ、ほほほ、本当に、碧眼のルーリーノ?」

 

 何とかそう言った男にルーリーノはにっこりとほほ笑むと「そう呼ばれることは多いですね」という。

 

 それを聞いた男は後ずさり「すいませんでした」と叫ぶと逃げるようにギルドから出て言った。

 

「何かルリノがマオウみたいだな」

 

 とニルが正直な感想を述べるとルーリーノはいつものように「私の名前はルーリーノです」とだけ言った。

 

 

 

 まだ、ざわめいているとは言え大分落ち着いたギルドの中、ニル達はキアラと席を共にしていた。

 

 キアラはニルよりも線の細い男を連れていて、名前をリウスと言った。

 

「それにしても久しぶりねルーリーノ」

 

「お久しぶりです。リウスさんも」

 

「おう、久しぶり」

 

 ニルを除く三人がそう言っているのをニルは遠巻きに見る。

 

 というよりもそうするほかなかった。ルーリーノはそんな様子のニルに気が付くと二人を紹介し始める。

 

「この二人はキアラとリウスさんと言って、熟練冒険者と呼ばれる方々です。数年前ここトリオーでお世話になりました」

 

 ルーリーノの言葉に「お世話にって」とキアラが苦笑する。「むしろこっちが助けられた感じがするよね」リウスがそう続けてクスクスと笑う。

 

 ルーリーノは二人の反応を無視して今度はニルを紹介する。

 

「こっちはニルです。目的が同じだったので一緒に旅をしています」

 

 紹介されてニルが「よろしく」といつものように無愛想に言うと、キアラは目つきを鋭くさせ「ふふん」と笑い、リウスは「よろしー」と適当に且つ軽く返す。

 

 ニルはキアラの視線に何やら嫌な予感がしたが、それを確かめる暇もなくルーリーノが口を開く。

 

「今日は少し賑やかですけど何かあったんですか?」

 

 ルーリーノに尋ねられキアラが視線を戻して「そう言えば」と思いだしたように声を出す。

 

「今日、教会にキピウムの王女様が来てたのよ」

 

 それを聞いてニルの手がぴくりと動く。そんな動揺を周りに悟られないようにしながら、可能な限り自分は興味がないというスタンスを取る。

 

 ニルの思惑通り誰もそれに気づいた様子はなくキアラは話を続けた。

 

「それが噂通りの容姿だったんで、ここの男たちも盛っちまってね。もしも俺の女だったら~……みたいな感じで。そんな中あんたが来たから絡まれたってわけさ」

 

「と、言うことはタイミングが悪かったわけですね」

 

 「王女様なんてアタシには興味なんてないんだけどね」とキアラはそう言って舌なめずりをすると獲物を狙う蛇のような視線をニルに向ける。

 

 同時にニルは先ほど感じたものとは比べ物にならないほどの悪寒に襲われた。

 

「あのルーリーノが一緒に旅をするに足ると認めた相手。その強さには興味があるねぇ」

 

「ねえさん目が怖い」

 

 リウスが宥めるようにそう言うとキアラが「おっと、これは悪いことしたね」と笑う。それからキアラは急に楽しそうな表情を作った。

 

「そう言えば、さっき助けてやったよね。その代りと言っちゃなんだが、あんた明日アタシと手合わせしてくれよ」

 

 ニルを見ながら、ニッと歯を見せてキアラが笑う。ニルがリウスの方に視線を移すと何やら気の毒そうな表情をしていて、ルーリーノに移すと「ニルにお任せします」という。

 

 ニルとしても熟練の冒険者の強さが知りたかったのでいい機会ではある。それにルーリーノ以来の強敵――街道の鳥は結局ルーリーノが倒したのでノーカウント――にわくわくしないこともない。

 

「わかった」

 

 とニルが了承するとキアラは楽しそうに場所と時間を告げると、リウスを連れてキアラは席をたった。



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熟練者

 キアラとリウスがギルドを出るのを見送ってからルーリーノは少し楽しそうに口を開く。

 

「大変なことになりましたね」

 

「ほぼ、ルリノのせいだと思うんだけどな」

 

 ニルが呆れ気味にそう言うが、ルーリーノの表情は変わらない。

 

「ニルも乗り気だったじゃないですか。後、私の名前は――」

 

 とルーリーノがお決まりのセリフを言い掛けたところで、ニルがルーリーノに尋ねる。

 

「それで、あの二人と具体的にはどういう関係なんだ?」

 

「まだ新人だった私に色々教えてくれたんですよ」

 

 それでお世話に……というわけかと納得したニルはさらに質問を重ねる。

 

「さっきからずっとここが意識されているのはなんでだ?」

 

 ニルがそう言って、ばれていないつもりの男たちに睨みを利かせると、さっと視線がなくなる。ルーリーノは困ったような顔をして、口を開いた。

 

「私が碧眼のルーリーノだからですね」

 

「ポルターやキピウムとは注目のされ方が違う気がするんだけど」

 

 ニルがそう言うので、ルーリーノは諦めたような顔をして、話しだす。

 

「冒険者の世界が弱肉強食的だと言うのは既に分かっていると思うんですが、特にここトリオーではそう言った考えが強いんですよ」

 

「亜獣が多いからか?」

 

 ニルがふと頭に浮かんだことを口に出す。ルーリーノは「そうですね」と頷くと話を続ける。

 

「昔ここよりもう少し北にある町が百以上の亜獣に襲われたことがあるんです。で、たまたま私もその場に居たんですけど」

 

 ニルの頭の中にまさか、という単語が浮かぶ。

 

「その百以上の亜獣を退治したのが私というわけです。だから、碧眼なんて二つ名を付けられましたし、ニル曰くマオウのように恐れられたりするわけです」

 

 「割と尾びれがくっついてはいるのですが」と困った笑みをルーリーノは浮かべるが、ニルは納得のいかない表情をしていた。

 

「確かにルリノは強いと思うが、一人で百以上ってのは無理じゃないか? 俺には出来る気がしないんだが」

 

 ニルの中で、ルーリーノの実力は直刀を持ったときのニルとほぼ同じ程度であるので自分に出来ないことはルーリーノにも出来ないのではと思ってしまう。

 

 ルーリーノは少し考えると「それは」と口を開く。

 

「私が魔導師だからでしょう。対人戦では使わないような大規模な魔法を使えば一度に何十もの亜獣を倒すことも可能ですから」

 

 そう言われてしまうとニルも納得せざるを得ない。

 

 街道であの鳥を追い払った魔法。普通ならばあれに巻き込まれれば灰と化すほどの威力はあった。

 

 それを上空ではなく前方へ向けるだけで地上に居る亜獣の二十や三十は倒せるような気がするとニルは思う。

 

「そう言えばニルは明日どうするつもりですか?」

 

 話すことはすべて話したと思いルーリーノがニルに尋ねる。問われたニルは不意の質問であったが初めから決めていたかのようにすぐ答えた。

 

「教会に行こうと思う」

 

「教会にですか?」

 

「一応ここまで来たことを伝えないといけないし、教会なら何かしら遺跡に関する情報もあるかもしれないしな」

 

 「恐らく遺跡はあの奥の山のどこかだとは思うんだが……」と、ニルが言うとルーリーノが少し驚いた顔をする。

 

「どうしてそこだと思うんですか?」

 

「言っただろ? トリオーのさらに北、人の手が届いていないところだって」

 

 そう言われてルーリーノは一度呆けた顔をすると、すぐに思い出したかのように手を叩く。それを見てニルが溜息をついた。

 

「そ、それなら教会で情報を集めなくても良いんじゃないですか?」

 

 バツが悪くなったルーリーノが焦り話を進める。そんなルーリーノがニルとしては新鮮で面白いのだが、それを表に出さないように説明を始めた。

 

「あくまでも、キピウムの遺跡にあった情報だからな……途方もなく昔の話だし、もしかしたらすでにどこかで発見されているかもしれないだろ?」

 

 それを聞いてルーリーノは納得する。それから、ニルに頭を下げた。

 

「すいません、それならば明日は別行動させてください」

 

「別に構わないけど、何かあるのか?」

 

 ニルに尋ねられ、ルーリーノは生地が切り裂かれ肌の見えている肩を見る。

 

「これをどうにかしたいと思いまして、そのついでに必要なものも買いに行きたいんですよ」

 

 「ニルも何かあれば一緒に買ってきますが」とルーリーノが理由を話す。

 

 ニルは首をふって「特には」と短く返すと「まぁ」と口を開く。

 

「明日の朝キアラとの手合わせがどうなるかによるだろうな」

 

「そうでしょうね」

 

 ニルの言葉にルーリーノは一度キョトンとして、苦笑気味にそう言った。

 

 

 

 次の朝、ニルは何故か昨日ぼんやりと見えたドーム状の建物の中、円形の闘技場の中でキアラと対峙していた。

 

「ここって勝手に使っていいものなのか?」

 

 ニルが大きめの声で尋ねると、キアラはふふんと笑うと自信たっぷりに声を出す。

 

「アタシくらいの冒険者になると、使っていない時にはタダで使えるのさ」

 

 それを聞いて何処か安心したニルは、腰から直刀を引き抜く。

 

 キアラも楽しそうに笑いながら右手で身の丈の半分よりも少し短い両刃の剣を左手で剣よりもさらに短い杖を持った。

 

 

 

 ルーリーノとリウスはそんな二人を見下ろすそうに観客席にいた。

 

「杖まで出すとは姉さんも本気だね。ルー嬢、止めなくていいのかい?」

 

 リウスが好奇心半分で尋ねると、ルーリーノは首を振る。

 

「一応キアラが魔法を使える事は教えていますし、キアラも殺すことはしないでしょう」

 

 リウスは少し意外そうな顔をしてルーリーノの方を見る。

 

「大した信頼だね。それで彼どれくらい強いの?」

 

 これもまた興味が先だってリウスが尋ねた。

 

 二人の眼下ではニルもキアラも動くことはなくまだ何かを話しているようである。

 

「正直なところ未知数ですね。でも、ルールがあったとはいえ私に勝ちかけたことはありますよ」

 

 リウスはそれを聞いて思わず「それはそれは」と、にやつく。

 

「楽しい試合が見られそうだね」

 

 リウスがそう言ったのが合図になったかのようにニルとキアラが動き出した。

 

 

 

 

「それで、ルールはどうするんだ?」

 

 ニルが尋ねると、キアラが一瞬ポカンとした後笑い声を上げる。

 

「言ったろう。これは手合わせだって、だから特にルールなんてないさ」

 

 キアラは一度そこまで言うと、「そうだね」と少し考える。

 

「互いに大けがはさせないように気をつけるってところだろう」

 

「わかった」

 

 ニルが短く答えると「それじゃあ、始めようか」とキアラが笑った。

 

 

 スタートはほぼ同時。本来ならば相手の出方を窺うのが定石かもしれないが、真剣勝負ではないので、相手の力を測りに行くのを互いに優先したような形となる。

 

 純粋な走力ならばキアラがやや上。しかし、その武器を振る速さはニルがやや上と言ったところか。

 

 キアラがその足の速さを利用してニルの隙を突く形で一閃剣を振り降ろすが、ニルはまるで武器など持っていないがごとく素早い動きでそれを受け止める。

 

 その瞬間ニルの腕が一瞬痺れるほどの衝撃があったが、キアラは手元に違和感を覚えほぼ無意識に距離をとった。

 

 それから、キアラが持っていた剣を見てみると丁度ニルが受け止めたところが欠けている。と、言うよりも寧ろ切られている。

 

「へぇ……良い武器持ってるじゃん」

 

 目をギラギラさせてそう言うと「ミ・デジリ……」と呪文を唱え始めた。

 

 

 

 

「なんだあの刀」

 

 リウスが驚いて身を乗り出す。

 

 ルーリーノはそんなリウスの様子を見ながら、自分もあの直刀に驚かされたことを思い出し思わず懐かしくなる。

 

「あれはやっぱり反則ですよね」

 

 ルーリーノが笑顔でそう言うとリウスはルーリーノの方へ向き直ってその驚いた表情を見せる。

 

「ルー嬢はあの刀について何か知ってるのかい?」

 

 リウスの問にルーリーノは少し考える。それから困ったような顔をして口を開いた。

 

「ありえないほどの加護を受けた、恐らく最強の直刀……だと思います」

 

 それを聞いてリウスは「あちゃ~」とわざとらしくでこに手を当てて上を向く。それから半分楽しそうに、半分おどけた声を出す。

 

「最強なんて言ったらねえさんが喜んでしまうじゃないか」

 

 

 

 距離を取った後急に動かなくなったキアラを見てニルが訝しげな顔をする。

 

 時間にして五秒も止まっていなかっただろうが、キアラが動き出したときニルは自分が油断していたことに気がついた。

 

 キアラに合わせてニルが動こうとしたとき、ニルの足が地面に縫い付けられたかのように動かなかった。見ると、ニルの両足が緑色の蔓が巻きついている。

 

 その間にキアラはニルに近づき今度は剣を横に振るう。

 

 間一髪でニルがその剣を直刀の刃で受け止める。これで奇襲は失敗となりキアラがもう一度距離を取る、ニルはそう考えていたが、キアラはニルの予想に反して剣を振り切った。

 

 当然キアラの剣の先は飛んでいったが、その予想外の行動にニルの思考が一瞬止まる。

 

 その隙をついてキアラはニルの懐に潜り込む。それから、スッと離れて行ったのでニルは心の中で首をかしげながら足に巻きついている蔓を切った。

 

「さて、あと十秒ほどで終わらせようか」

 

 急にそんな宣言をしたキアラの手にはニルの腰にあった鞘が握られている。それに気がついたニルは事の重大さを悟り攻めに転じようと動き出した。

 

 一気にキアラに近づきニルから攻撃を行うことができたのは僅かに一回。

 

 それも鞘で簡単に受け止められ――いかに相手の武器でさえ切ってしまうような出鱈目な刀であっても、その鞘だけは切ることが出来ない――てしまった。

 

 それからニルは防戦を強いられたが、徐々にキアラの速さについていけなくなり、キアラの宣言通り十秒ほどで鞘の先がニルの喉につきつけられていた。

 

 

 

 

「いや~、危なかった」

 

 ギルドで四人朝食をとりながらキアラが、全く緊張感のない声でそう言う。

 

 最後ボロボロにされたニルにしてみればその言葉が微塵にも信じることができず、むすっとした顔をしていた。

 

「ねえさんがあそこまで追い詰められているのは久しぶりに見たね」

 

 リウスまでそう言うので、ニルは自分が馬鹿にされているのではないかとさらに不機嫌な顔になる。

 

「ルー嬢的にはさっきの手合わせどう見えた?」

 

 まだ興奮冷めやまぬと言った様子でリウスが尋ねると、ルーリーノは「そうですね……」と少しだけ間を取ってから答える。

 

「今回はニルが油断しすぎでしたよね。一度捕らえられた時なんかは特に」

 

 今度は的確なことを言われニルは唸り肩を落とす。しかしルーリーノは「まぁ、でも」と続ける。

 

「キアラに肉体強化まで使わせたのは確かですからね」

 

 言われて、ニルの頭にクエッションマークが浮かぶ。

 

「肉体強化なんて使われてたのか?」

 

 「そんな呪文聞こえなかったんだが」とニルがキアラを見る。でも確かに最後キアラのスピードは上がっていったようにも見えた。

 

「そんな初歩的な所で引っかかってくれていたとはね」

 

 キアラはそう言って笑い、残りの二人は呆気にとられる。それからすぐに意識を取り戻したルーリーノが口を開いた。

 

「今さらな感じがしますが、呪文の詠唱を相手に聞かれないようにするのは難しいことじゃないですよ?

 

 まぁ、キアラのように動きながらというのは難しいかも知れませんが、その補助のために杖を持っていたわけですから」

 

 ニルにも思い当たる節がありそれで納得する。

 

「ま、肉体強化なんて大それたこと言っても、十秒程度しか持たないうえに、僅かにしか強化できないんだけどね」

 

 躊躇いもなくキアラが言うので、ニルが訝しげな顔をして口を開く。

 

「そう言うのを簡単にばらして良いものなのか?」

 

「ばらさなくても何時かはばれるさ。それならば相手に何時ばれたのかが分かった方がいいだろう?」

 

 キアラがさも当然のように言うが、ニルにはそれが強さからくる自信のためだとはっきりとわかった。

 

 それと同時に実力差も思い知らされたような心地になる。

 

 そうしているうちにキアラが「さて」と言って立ち上がる。

 

「もう行くんですか?」

 

 ルーリーノが尋ねるとキアラは「ああ」と短く答える。

 

「本当は朝一に出て北へ向かうつもりだったんだけどね。最近じゃあそこが一番稼げると言っても過言じゃないし」

 

 「でも、ま、面白いものが見られて良かったよ」とリウスも続けて立ち上がる。そうして二人は「それじゃ」とだけ言い残しギルドを出て言った。

 

「何か嵐みたいだったな」

 

 ニルがぽつりと呟く。



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遭遇

「そう言えば、ルリノって杖持ってないよな」

 

 先ほどの話の中で少しだけ出てきたのを思い出して二ルがルーリーノに言う。ルーリーノはあきれた表情をすると、首をふってから話し出した。

 

「杖は具体的には魔力の効率化と魔法の発現の補助をするものなのですが、魔力に関しては碧眼である私は心配することはありませんし、魔法の発現に関してもほぼ同じようなことが言えます」

 

 ルーリーノは一度ここで区切り、ニルの様子を確認する。ニルが話についてきていると確信してから続きを言い始めた。

 

「確かに杖が全く無意味というわけではないですが、私は基本的に一人旅をしていましたから、杖による恩恵よりも杖を持ち運ばないといけないという手間の方が大きかったわけです」

 

 「それもそうか」と納得し半分興味を失ったかのようにニルがそう返したタイミングで、ルーリーノは「ですが」とさらに続ける。

 

「今はニルがいますからね。久しぶりに杖を持っていてもいいかなとは思うんですよ」

 

 「昨日言っていた必要なものの一つですね」とルーリーノが話し終えるとニルは「いいんじゃないか?」と返す。

 

「肉体強化は難しいみたいだけど、ものに魔法を籠めるのは難しくないみたいだしな」

 

 今までの話などからニルはそう言ったがルーリーノが訂正を入れる。

 

「ニルの刀がおかしいだけで本当は加護を与えるって言うのも簡単じゃないんですけどね。私はあまり得意ではないですし。でも、一つやってみたいことができました。ありがとうございます」

 

 と、言葉遣いの割に楽しそうにルーリーノが言うので、ニルは「お、おう」と曖昧な返事しかできなかった。

 

 

 

 ギルドから出た後、教会に行くというニルと別れルーリーノは一人町を歩く。夜とは違い昼近くになってくると、一般市民も外に出てくる。

 

 さすがに最大の城下町であるキピウムや国境にあり商人が集まるポルターほどではないが、人通りは多い。

 

 それから、亜獣との戦いが多い国であるので店の多くが装備に関するもの。普通に武器や防具を売っていたり、修理のみを専門に扱ったり、防具しか置いていなかったり。

 

 下手すると盾だけとか両手剣だけを取り扱う店もある。

 

 冒険者や兵士たちはこの町で装備を整え山の麓いくつかある町や村へと仕事をしに行くことになるのでこれだけあってもモノが売れるのだ。

 

 それに、強者至上主義的なこの町――この国――ではよく闘技場で大会が行われ、市民たちの楽しみとなっている。

 

 この大会で優勝したとなれば名声を得ることができるため大会を目的にトリオーに来る冒険者も少なくない。故にさらに需要は高まるというわけだ。

 

 それだけ沢山の店はあるが、どれも実用性重視のものばかりでファッション性を重視しようと思うと普通の市民が着るようなものばかりとなる。

 

 最悪実用性だけの装備で我慢しようと雑踏の中を歩きながら色々な店を見ていき、目についたものがあれば手に取ってみる。

 

「やっぱりないんですかね……」

 

 ルーリーノがそう言ってため息をついたのが五件目の店から出てきたとき。ただでさえ女性冒険者の数は多くない上、ルーリーノのような年齢の冒険者などいるか居ないかわからないために、単純に自分にあったサイズのものがない。

 

 一・二軒目ではサイズがないと言われ肩を落としていたが、五軒目にもなるとその表情には諦めと開き直りが見て取れる。

 

「こんにちは、ルーリーノさん」

 

 そろそろルーリーノが多少大きくても我慢しようかと思い始めたところで、背後から急に声をかけられた。ルーリーノは一瞬で気を張り詰めて声がした方を確認する。

 

 すると、そこに居たのはルーリーノと同い年ほどの女の子が立っていた。

 

 膝までの長さのあるマントを羽織り、その中に厚手の生地のワンピースと腰には革でできたベルトが顔をのぞかせ、マントと重なる位の長さのソックスに、脛まで覆うようなブーツをはいている。

 

 髪は肩くらいで切りそろえられており、大きめの目は緑色の輝きを携えていた。

 

「私に何か用事ですか?」

 

 そんな女の子を警戒しながらルーリーノは柔らかい声で答える。女の子はその見た目とは裏腹な大人びた様子でくすりと笑うと「いきなりごめんなさい」という。

 

「わたくしと同じくらいの年齢で高名な方をお見かけしてしまいましたので、思わずお声をかけてしまいました」

 

 硬い言葉で話す女の子の様子を、気づかれない程度にルーリーノは観察し「それはいいんですけど……」と言って先ほどの質問の代わりとする。

 

 女の子は優雅に笑って見せると「そうですね」と口を開く。

 

「よろしければ、お時間をいただけないでしょうか?」

 

「いいですよ」

 

 普段ならきっぱりと断るルーリーノだが、今回はあえて申し出を受け入れる。ただ受け入れるだけじゃなくて「その代わり」と条件を付け加える。

 

「どうして、こんなところにカエルレウス姫が居るのか教えてもらってもいいですか?」

 

 ルーリーノに姫と呼ばれた少女は少し驚いたような顔をして、でもすぐに平生に戻るとその顔に微笑みを湛える。

 

「構いませんよ。ですが、できればこの格好の時はエルと呼んでくださいませんか? 後、姫というのも付けないでください」

 

 照れたような表情でエルは返すと「立ち話もなんですから」とルーリーノの袖を引き近くにあったお店に入った。

 

 中は木の茶色を基調とした、雰囲気が可愛らしいカフェのようなところで、他の店とは大きく違う。客も一般の女性が多く、冒険者的な格好をしている二人は少し浮く形となっている。

 

 ルーリーノ自身こう言った店に入ることがあまりないので思わず「こんなお店があったんですね」と呟く。

 

 それを聞いていたエルはクスクスと今度は子供のように笑い開いている席にルーリーノを連れて行くと、

 

「このようなお店は比較的どの町にもあるんですよ?」

 

 とルーリーノに話しかける。自分の呟きを聞かれていたことに羞恥心を覚えたルーリーノは思わず顔を赤くして焦った様子で「そ、そうなんですか」と返した。

 

 そんなルーリーノの様子が少し可愛らしく思えてエルは薄らと笑みを浮かべる。

 

「そうは言いましても、一般の方のために作られた所ですから知らないのは無理もないと思いますし、それに普通は冒険者の方はお断りするみたいですから」

 

「それだと私も駄目じゃないですか?」

 

 エルの話を聞いてルーリーノが純粋な疑問をぶつける。エルは一度きょとんと目を丸くしてから、首を振る。

 

「お断りすると言っても、たとえば体格の良い男性や装備のせいで肌の露出の多い方で、あまりにも場にそぐわない方なんですよ。それにそう言った方は普通このような所にはいらっしゃいませんしね」

 

 ルーリーノは一度店内を見回してから、エルが言ったような人――とは言っても冒険者の多くはここに分類されそうだが――を頭の中で配置してみる。

 

 すぐにあまりの違和感に寒気すら覚えエルの言葉を心から納得した。

 

 それからすぐに本題に入ろうとルーリーノは思ったが、エルに「何を食べますか?」と聞かれしばし考えることとなった。

 

 

 結局、エルのお勧めという事で二人ともシチューとパンを頼み、ようやくルーリーノが本題に入る。

 

「それで、どうしてキピウムの王女様がこんな所にいらっしゃるんですか?」

 

 エルとしてもルーリーノには尋ねたい事がたくさんありはしたが、礼儀としてこちらから質問に答えるのが筋だろうと思い、口を開く。

 

「わたくしとしては、毎回公務として訪れた町をこうやってみて回るのが好きなのですが、今回に限って言えばユウシャの仲間である貴女を一目見ておきたかったからです」

 

 話し始める直前、ルーリーノが音の壁を張っていたとはいえ、急にユウシャの仲間と言われルーリーノの心臓が跳ねる。

 

 しかし、黒髪の青年が青い目の少女を連れているとなれば否応と噂にはなるし、昨日の事でルーリーノ達がトリオーに来ているというのも広まっている。

 

 それにニル曰くニルをユウシャとして旅立たせた国の王女だ。そんな噂が聞こえれば気にしていても頷ける。

 

 ただ、ニルから聞いていたキピウムの対応とは違っている感じがして、ルーリーノの中に僅かな疑問が生まれる。

 

 でも、それ以上に気になることがあるのでルーリーノはそちらを優先させる。

 

「エル様ほどの人が一人で町を出歩いて大丈夫なんですか?」

 

 ともすれば、一声で世界をひっくり返すことも可能な影響力を持っている人物だ。そんな人が誰からも狙われていないとは考えにくい。

 

 エルは少し困ったような顔をして「様……も付けないで、わたくしのことは気軽にエルとお呼びください」と言ってから話し始める。

 

「今のわたくしの格好を見てわたくしだと気がつく方は殆どいません。一国の王女や巫女とこの格好が結びつかないようですね。後は、簡単な魔法で目の色を変えていますから」

 

 エルが緑の瞳でルーリーノを捕らえたまま、目を細めてほほ笑む。

 

 確かに服装だけでルーリーノが噂で聞いていたものと目の前の少女の雰囲気は大きく違うように感じられる。

 

 それに目の色も違うとなれば他人の空似と評されても仕方がないかもしれない。

 

 でも、とルーリーノは思う。

 

「その目の色のせいで逆にばれて、危なかったりするんじゃないですか?」

 

 ルーリーノがエルが王女だと気がついたのはその所の理由が大きい。

 

 ルーリーノと同じく青い目を持つ魔導師ならば自分と同じく一目で魔法で目の色を変えているのだと気づいてしまうのではないのか、そんなルーリーノの危惧とは裏腹に、エルは首を振って否定する。

 

「目の色に気がつき、わたくしの正体に気がついたとしても、そんなことができる方ならばわたくしを暗殺しようなんて考えないでしょう」

 

 「今のところは」と最後に付け加えてエルがほほ笑む。

 

「どういうことですか?」

 

 いくつかの仮説を立てながらエルは興味のままに尋ねる。エルもエルで普段話すことの少ない同年代の女の子との会話が楽しくてついつい口を開いてしまう。

 

「例えばわたくしの正体がわかった方がいらっしゃったとします。普通その方がわたくしを暗殺しようと思えば部下を使い自身では手を下そうとはしないでしょう。しかし、さすがにわたくしも魔導師の端くれですからその程度の相手に負けることはあり得ません」

 

 大した自信だとルーリーノは思ったが、考えてみると目の前の少女は王女であると同時に神に仕える巫女であり、何より青目の魔導師なのだ。

 

 そうなると少なくとも同じ青目の魔導師か熟練の冒険者でなければ勝つのは難しいかと、ルーリーノはエルの話を受け入れる。

 

「そうなると、ご自身でわたくしと対峙するしかありませんが、リスクが大きすぎますからまず実行することはないでしょうね」

 

 「その証拠にわたくしは今もこうやってルーリーノさんとお話できているわけです」と、楽しげな笑顔をエルはルーリーノに向ける。結局は実力に裏付けられた自信なのだろうとルーリーノはエルを見据えた。

 

 そうしている間に注文していたシチューとパンが運ばれてきた。エルに促され、ルーリーノが一口それを食べると、思わず目を見開く。

 

 そもそも、こういった料理を食べると言うこと自体が少ないルーリーノにとって、絶妙な塩加減、蕩けるほどに煮込まれたお肉や野菜を擁したシチューは今まで生きてきた中で間違いなく五本の指に入る美味しさ。

 

 そんな風にルーリーノが美味しそうに食べるものだから、エルは自分の食事もそこそこにルーリーノを眺めることを楽しんだ。



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ルーリーノの新装備

「ユウシャ様はお元気ですか?」

 

 食事がひと段落したところでエルがルーリーノに尋ねる。ルーリーノはすぐに肯定しようとしたが少し考えて改めて口を開いた。

 

「今教会に居ると思いますから実際に会ってみたらどうですか?」

 

 自分の口から伝えるよりはその方がいいだろうと思い、ルーリーノは言ったが、エルは首をふってそれを断った。

 

「どうしてですか?」

 

「わたくしは、あの方に合わせる顔がありませんから」

 

 エルはそう言って遠くを見るかのような表情を作る。そんな表情の人にはたして質問を重ねていいのかとルーリーノは逡巡したが、最後には興味が勝って「何かあったんですか?」と口にする。

 

「何かあったと言うよりも、何もしなかったと言った方が正しいのでしょうね。

 

 何もしてあげられないままにユウシャとして旅立たせてしまいました」

 

 そんなエルの悲しげな顔を見てルーリーノは思い切って口を開く。

 

「そんなことないと思いますよ。旅立たせてくれたことには感謝していると言っていましたし」

 

 嘘でない。むしろ不必要なほどに真実の言葉。ルーリーノとしてはこんなことを言うつもりなどなかった。

 

 ただ「感謝していた」とだけ伝えることができればよかったのだが、それではニルやエルを騙してしまっているのではないかと言う僅かな戸惑いが、僅かに言葉を捻じ曲げ「旅立つことだけ」に関しては感謝していると言う意味にとれる言葉にしてしまった。

 

 しかし、エルは言葉を発した後のルーリーノの戸惑いを見てルーリーノが決して自分を責めようと思っているのではないと分かっていたし、少なくともニルが今の状態を悪からず思っているのが分かりホッと胸をなでおろす。

 

「ユウシャ様のことですから、きっとルーリーノさんのことを『ルリノ』さんとお呼びしているのでしょうね」

 

 エルがルーリーノに気を遣わせないように話を変える。

 

 急に話が変わったルーリーノは最初驚きはしたけれど、自分の失言をエルが気にしていないようなので安心して口を開く。

 

「そうなんですよ。毎回『私の名前はルーリーノです』と訂正するんですけど聞いてくれなくて」

 

 ルーリーノがため息交じりに言うのをエルは楽しそうに聞く。

 

「恐らく、ユウシャ様はそのようなやり取りが楽しいんでしょうね」

 

「楽しい……ですか?」

 

 ルーリーノが思わず尋ね返す。エルは柔らかい表情で「はい」と答えると続ける。

 

「あの方は、旅立つまで閉じ込められていたと言いますから、ルーリーノさんのように対等な関係で気安く話ができる人がいなかったのでしょう。だから思わず言ってしまうんだと思います」

 

 それを聞いてルーリーノは少しニルに対する考えを改める。

 

 だからと言ってルーリーノは自分がルリノと呼ばれることを認めることはできない。何せ……

 

「お母さんがくれた最初で最後の……」

 

 そこまで呟いてルーリーノは慌てて口を閉じる。しかし、エルにはその呟きが聞こえていて、そこからルーリーノの過去について何かヒントがないかと勘繰ってしまう。

 

 

 

 エルの下にニルとルーリーノが一緒に旅をしているという情報が入ったとき、エルはルーリーノについて調べ始めた。

 

 トリオーの北で一人で百を超える亜獣の群れを追い払い碧眼のルーリーノと呼ばれるようになったことを含め、巫女としての立場も利用しながら可能な限り調べた結果、冒険者としてのルーリーノの功績は知ることができた。

 

 しかし、ルーリーノが冒険者になる一年ほど前の情報を最後にそれ以前のことについて全く情報が得られなくなった。

 

 結果急に現れた青い目の魔導師、それがエルにとってのルーリーノの印象となった。

 

 そうであるから、エルとしてはルーリーノの過去を知りたいと思ってしまう。それがユウシャであるニルの安全につながるなら。

 

 しかし、エルはルーリーノのつぶやきを聞かなかったことにして「そう言えば」と話し始める。

 

「ルーリーノさんは町で何をしていたのですか?」

 

 「わたくしとしては貴女が一人で話しかけやすかったのですが」とエルが首をかしげるとルーリーノは困ったように笑う。

 

「新しい装備を探していたんですが、サイズがなくてフラフラしていました」

 

 エルはそれを聞いて一度手を叩き「それならば」と楽しそうに言うと何処からともなく布の塊を取り出す。

 

「これを貰っていただけませんか? わたくしが使っていたので申し訳ないのですが」

 

 よく見ればその塊は衣類で、パッと見た感じどれもしっかりとしたつくりをしている。

 

「いいんですか?」

 

 ルーリーノが思わずそう尋ね返すと、エルは「もちろん」と言って、ルーリーノを引っ張り店を出る。その時にルーリーノはお金を払わず全てエルが支払った。

 

 

 

 エルに引っ張られルーリーノは小さな服屋に連れて行かれた。

 

 エルは店に入るなり店員に事情を話しそれからいくらかのお金を支払うとルーリーノを試着室へ押し込め、一緒に先ほどの装備を入れる。

 

 ルーリーノはあまりの出来事に少し理解が及ばなかったがとりあえずこれを着ればいいのだろうと納得し、今着ているものを脱ぐ。

 

 肌着だけになると何処か安心感がなくなり、目の前のカーテン一枚をはさんで普通に人が活動していると思うと鼓動が速くなる。

 

 早く着てしまおうとエルに渡された装備を手に取る。

 

 袖のないワンピースを腰から下両足のところにスリットを入れたものを被り、その上に厚手の長袖のシャツを着る。

 

 その袖は少し長いのか初めから折り返されている。下はドロワーズの線を細くしたようなひざ下ほどまで届くズボン。

 

 最後に革製のベルトを巻き、フードの付いたケープを羽織り着替え終わった。

 

 ルーリーノが恐る恐るカーテンから顔を出すと、すぐそこにエルが居て「よく見せていただけませんか?」と言われ諦めてカーテンから姿を現す。

 

 その姿を見てエルが「とってもお似合いですよ」と言うのでルーリーノが恥ずかしそうにお礼を言った。

 

 店の外に出てエルがルーリーノの方を向いて立ち止まる。

 

「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」

 

 そう言ってエルが笑う。ルーリーノは急にそう言われ一瞬反応に困ったがすぐに笑顔になり「こちらこそ楽しかったです」と返す。

 

「もう帰るんですか?」

 

 ルーリーノが尋ねると、エルは少し残念そうな顔をする。

 

「そうですね。本来なら早くキピウムに戻らないといけませんから、これ以上我儘を言うわけにはいきません。

 

 それに、ルーリーノさんに会えただけでわたくしとしては満足です」

 

 そう言って、エルは手を振りルーリーノに背を向けた。ルーリーノはエルが見えなくなるまでその場で見守っていた。

 

 

 

 エルが見えなくなった後、ルーリーノは武器屋に向かった。探しているのは杖。防具とは違いこちらは簡単に見つけることが出来た。

 

 魔導師の数は少ないとは言っても、魔導師であれば本来必要な品ではあるのでたくさんの種類の武器を扱う店なら申し訳程度に二、三本ディスプレイしているし、探せば専門店もある。

 

 ルーリーノは杖ばかり置いてある店に入ると端から順番に見て行く。

 

 中は他に客はなく、こう言った専門店では店側の方が立場が上であることが多く向こうからは話しかけてこないので、のんびりとルーリーノはディスプレイされている杖を見る。

 

 店の中の杖を半分ほどみたところで立ち止まった。

 

 そこに置いてあったのはルーリーノよりも背が高く、先が欠けた月のようになっていて、丁度欠けたところで赤い宝石が揺れている杖。

 

 どういうわけかそれに惹きつけられてしまったルーリーノはカウンターに向かい、本を読んでいる無愛想な初老の店主に声をかける。

 

「すいません、あの杖が欲しいんですけど」

 

 そう言ってルーリーノが指を刺すと、店主はほとんどルーリーノを見ることなく指さされた杖を見る。それから視線を本に移すと、

 

「あれは嬢ちゃんには……」

 

 と言いかけて、一度ルーリーノに視線を移す。その時にその目の色を見た店主は「いや」と前言を撤回しにかかる。

 

「嬢ちゃんなら使いこなせるかもな」

 

 店主はそう言って立ち上がるとルーリーノに杖を持たせる。それから、数か月人が遊んで暮らせそうな額を要求すると、興味を無くしたように読書に戻った。

 

 ルーリーノは聞かれないことを分かった上で店を出る時に礼を言う。

 

 それから、もうニルは帰っているだろうと思い泊まっている宿屋へと向かった。

 

 

 

 

「遅かったな」

 

 ルーリーノは宿でニルにそうやって迎えられた。ルーリーノは何をどう話すか迷った挙句、渋い顔をして口を開く。

 

「私が使えるような装備ってなかなかないんですよ」

 

「まあ、でも似合ってるんじゃないか?」

 

 ニルはあまり興味もなさそうにそう言ったけれど、ルーリーノにしてみれば突然の不意打ちに少し動揺してしまう。

 

 でも、それがお世辞であるとすぐに理解し、できるだけ平生を装いぶっきらぼうに「ありがとうございます」と返した。

 

「ニルの方は遺跡の場所はわかりましたか?」

 

 ルーリーノが尋ねると、ニルは首を振る。それどころか、何かを思い出したのか露骨に嫌な顔をしていた。

 

「何かあったんですか?」

 

「いや、ユウシャってだけで長々と話を聞かされた挙句こっちから遺跡について聞くと「現在のところ発見されていません」って返ってきてな……」

 

 ニルの苦虫を噛み潰したような顔にルーリーノは乾いた笑みを浮かべ自然と「お疲れ様でした」と口にしていた。

 

 しかし、ニルは気持ちを切り替えるように一つ息を吐くと「まあ」と口を開く。

 

「ちゃんと話を聞いてみると、あの山が最有力だな」

 

 それを聞いて今度は逆にルーリーノが疲れた顔を見せる。

 

「あそこですか……」

 

「なんだったら俺一人で行こうか?」

 

 ルーリーノの表情を窺いながらニルがそう提案するとルーリーノは首をふる。

 

「これでもちゃんとした仲間のつもりですからついていきますよ」

 

「そうか」

 

 とニルは短く返すと、ルーリーノに疑問を投げかける。

 

「そう言えば、そのでかい杖何に使うんだ?」

 

 二ルは部屋の中に居るので壁に立て掛けられてある杖を指す。ルーリーノもつられて視線を杖に移すとその存在を思い出したかのように声を上げる。

 

「用途としてはいくつかあるんですけど、実験のためですね」

 

「実験?」

 

 ニルが聞き返すとルーリーノは「はい」と言ってから杖の所まで歩く。それから両手で杖を持つとニルの近くまで戻った。

 

「この前私が倒れたことがあったじゃないですか」

 

 ルーリーノがそう話し始めたのでニルは「そうだな」と相槌をうつ。それを見て話を聞いていることを確認したのちルーリーノが続けた。

 

「そんなときにニルも回復魔法とか使えたらいいと思いまして、あと割と応用もききそうですし」

 

 「まあ、見ていてください」と言ってルーリーノは目を閉じて呪文を唱え始める。

 

「ミ・オードニ・エタ・トロムボ・スタランティ」

 

 それを聞いて小さな竜巻を予期したニルが不意に身構える。

 

 しかし、ニルの予想に反してルーリーノが呪文を唱え終わった後も部屋の中はひっそりとしていた。

 

「さすがと言いますか、やっぱりどんな魔法かは分かったみたいですね」

 

 呆れた口調のルーリーノに対して、わかった上で何も起こらないことに疑問を覚えたニルはぼんやりと口を開く。

 

「竜巻を起こそうとしたんじゃないのか?」

 

「そうですよ。そんな呪文でした」

 

 ルーリーノが笑いながらそう言うので、ニルはさらに訳が分からなくなる。

 

「だったら何で何も起こらないんだ?」

 

 そう言って首をかしげるニルにルーリーノは杖を手渡す。手渡されるままに受け取ったニルが何かを言おうとするよりも速くルーリーノは口を開く。

 

「私の言った通りの呪文を言ってみてください」

 

 ルーリーノはそう言って、ニルが頷いたのを確認してから続ける。

 

「エマンツィピ・ウーヌ」

 

「え、エマンツィピ・ウーヌ」

 

 ルーリーノに続いてニルが呪文を唱えた瞬間ニルの持っていた杖がニルの手を離れふわりとその場に浮かび部屋の中央に空気の揺らぎを作る。

 

 それは瞬く間に回転しはじめ、涼しい程度の風を二人に送った後消え失せた。

 

 それと同時に杖が重さを取り戻し一度先端を床にぶつけるとカランと言う音を立てて倒れる。

 

「成功ですね」

 

 ルーリーノが嬉しそうに言うのに対して、ニルは訝しげな顔をルーリーノに向ける。

 

 その説明を求めるかのような視線に気がついたルーリーノが口を開く。

 

「えっと、今のは魔法それ自体を杖に閉じ込めたんですよ」

 

 ルーリーノがそう言ってもニルの表情は変わらない。むしろさらに不審な目をルーリーノに向けた。

 

 ルーリーノは少し困ったように考えると「ファヨラ・パファジョ」と呪文を唱え火の矢を中に浮かばせる。

 

「ニルと決闘した時にも使ったと思うんですが、こんな風に魔法はその場に留めておくことができるのでこの状態で杖の中に閉じ込めたと思ってください」

 

 そう言ってルーリーノは宙に浮かんでいた火の矢を掴むようにして消す。そこまで聞いてニルは自分の頭で理解できる範囲で考える。

 

 それから、自分の腰にぶら下がっている直刀を指した。

 

「この刀に掛かっているのと同じってことか?」

 

 ニルが尋ねると、ルーリーノは首を振る。

 

「その刀を含め加護が付与されている道具は永続的にその効果を得られますが、今のはあくまでも私の魔法……魔力を入れているだけなので、それがなくなれば使えなくなります。だから今この杖を持って呪文を唱えても何も起きません」

 

 そう言ってルーリーノは落ちている杖を手に取り先ほどニルが唱えた呪文を唱える。しかし、ルーリーノの言葉通り何も起きることはなく、杖はしっかりとルーリーノに握られている。

 

「回数制限つきってことか」

 

 ニルの言葉にルーリーノが頷く。

 

「ニルにはあまり関係ないかも知れませんが、これはあくまで魔法を補助することができる『杖』であるから出来る事でその他のものではできませんし、使うのは術者、つまり私の魔力なので私の采配次第で使用者を制限できます。

 

 とはいっても加護に関しても使用者制限くらいはありますが、あとからそれを変更することはとても面倒です」

 

 「とりあえずは、使用者は私とニルに限定しておきますね」とそこまで言って、ルーリーノが一度口を閉じる。

 

 それからルーリーノは他に何か言っておかなければならないことはなかったかと考えてから、ひとつ思い浮かぶ。

 

「今の魔法でこの杖に数種類魔法を入れておくことはできますが、それぞれ呪文が違います。

 

 とはいってもニルには大方予想はつくでしょうけれど、先ほどニルに唱えてもらった呪文では回復魔法を使えるようにしておきますね」

 

 言い終わって、再度ルーリーノは思考を巡らせる。

 

 そして、もう言うことはないなと確認し終わったところで「何か聞きたいことはありますか?」と二ルに声をかけた。

 

「その回復魔法ってのはどれくらいの効果何だ?」

 

 返ってきた問いを聞いてなるほどとルーリーノは思う。確かに知っておかなければ使いどころも難しいだろう。

 

 普段はそんなことを考えていなかったので盲点だったのだと少し反省をする。

 

「そうですね。軽い傷なら一瞬で治るでしょうし、骨折くらいなら数十分もすればくっつくでしょう。

 

 でも、回復魔法と言ってもあくまで自己修復機能を高めるものなので、切断などと言う事態になると、傷口を塞ぐのが精々。致命傷などだと一時しのぎにしかなりません」

 

 あまりにもルーリーノが淡々と言うのでニルは少し恐怖を感じる。それと同時にそれだけルーリーノの方が冒険者として実力も経験も上なのだと実感して心の中でため息をついた。

 

 しかし、それをルーリーノに悟られないように敢えてからかうような声を出す。

 

「何だかんだで使い難いんだな」

 

 ルーリーノはニルにからかわれたと思い、少し頬を膨らませて「そんなこと言っていると使わせてあげませんからね」とそっぽを向いた。



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山中

「本当にいつ襲われてもおかしくない位亜獣が居るんだな」

 

 トリオー北の山の中、木々が茂り太陽光も殆ど差し込まないそこで、ニルとルーリーノは周囲を警戒しながら歩いていた。

 

「実際山に入って何度も襲われてはいるんですけどね」

 

 ルーリーノがやや疲れた声で言うとニルは笑って「そうだな」と返す。この緊張感のなさはニルらしいなとも思いつつでもやはりとルーリーノは溜息をついた。

 

 

 

 

 ルーリーノが杖を手に入れた日、トリオーにとどまり続ける理由もなかった二人は食料と水を買うとその日のうちにそこを後にした。

 

 夜になる前には山の麓の町に辿り着き、そこで一晩明かした後朝一番で山の方へ向かう。

 

 その時に見張りをしていた人に「命は無駄にするものじゃない」と引きとめられたが、無視する形で山に入った。

 

 太陽はすでに顔を出していたが、鬱蒼と生い茂った木々のせいで薄暗くそれだけで中に入るのは躊躇われるほど。

 

 その山に入る直前、ルーリーノはニルに声を掛けて入って行くのを静止させた。

 

「どうしたんだ?」

 

 忘れ物でもあるのか、と言った気軽さでニルがルーリーノに尋ねる。

 

 しかし、ルーリーノが真面目な顔をしていたので、咄嗟に真面目に話を聞く体制になった。

 

「山に入る前にこれからのことを確認しておこうと思いまして」

 

 ルーリーノがそう言うと、ニルは不審な顔をする。

 

「どうもこうも、この先の大山に行くんだろ?」

 

「それはそうなんですが、ここを抜けていくのはそんな簡単じゃないんですよ」

 

 薄暗いことよりも、まだ山に入ってすらいないのに感じられる亜獣の気配を指しながらルーリーノが言うと、ニルは頷く。

 

「さすがに俺も亜獣に気が付いていないわけじゃない。でも、ここで止まっているわけにはいかないだろう?」

 

 ニルの言葉に今度はルーリーノが頷く。それからルーリーノは「でも」と言って続ける。

 

「山に入ってから襲ってくるであろう亜獣をすべて相手にしていては如何に私達でも危険になることは避けられません。だから……」

 

 ルーリーノはそこでニルが自分の言葉に集中するように間を置く。

 

「私が魔法で可能な限り亜獣を近づけないようにします」

 

 ニルはルーリーノが突拍子もないことを言ったのだと思って思わず「は?」と不審げな声を上げる。しかし、すぐに思い直して口を開いた。

 

「具体的にはどうする気だ?」

 

「風の壁を張りながら移動します」

 

 ルーリーノがそう言ったとき、山の木々がざわめいた。ルーリーノは表情を変えずに続ける。

 

「おそらく街道で会うような亜獣ならば触れただけで弾き返されるか、切り刻まれるでしょう。それを、奥の山の麓まで張り続けます」

 

 ニルはそれを聞いて疑問を覚えたので、躊躇わず声を出す。

 

「そんなことができるならルリノはあの大山に行ったことあるんじゃないか?」

 

 ルーリーノはそれを聞いて一度「ルーリーノです」と訂正を入れてから首を振る。

 

「この魔法は私でも維持するのが大変なんです。それと木々をなるべく傷つけないようにしないと。

 

 あまりにも森林破壊をしてしまうとここに住み着いている亜獣が人里に下りてしまいますから神経も使います」

 

 ルーリーノの話を聞いてニルはなるほど、とうなずく。

 

 ルーリーノはニルの反応を見ることをせずに話を続けた。

 

「それから、この魔法は周りの人も傷つけてしまいますが、あまり広範囲に広げることができません。だから定員は私も含め二人が限度なんですよ。

 

 三人以上になってしまうと、壁の内側に入ってきた亜獣を倒す時に事故が起こる可能性があります」

 

 ニルはルーリーノの言葉を反芻してから口を開く。

 

「俺とならその魔法を使えるのはどうしてだ?」

 

 ルーリーノは「そうですね……」と少し考えてから、ニルの腰の直刀を指さす。

 

「その刀があるからでしょうか。それのお陰で一撃の威力ならニルはキアラの上をいくでしょうから倒し損ねて空間内を必要以上に危険には晒さないでしょう」

 

 ニルは「一撃の威力なら」という所に引っかかったが、実際本当なので嫌な顔をしてもルーリーノに何も言うことはできない。

 

 ルーリーノはニルのそんな心境の変化に気が付いていないのか、ニルに向かって笑顔を見せる。

 

「それに、安心して背中を任せることができるのはユビキリまでしたニルくらいですから」

 

 ニルは向けられた笑顔がくすぐったくて思わず顔をそむける。

 

 ニルの様子を見てルーリーノはどこか満足した表情を僅かに面に出すと、真面目な顔をする。

 

「そんな風に進んでいったとして大山に辿り着くのは半日以上かかるでしょう。その後は無理に探索をすることはせず、安全な所を探しましょう」

 

「安全な所なんてあるのか?」

 

 ばつが悪そうに視線を戻したニルがルーリーノに疑問を投げかける。

 

 ルーリーノは少し得意げな顔をして答えを返した。

 

「自然にできた洞穴さえあれば後は入り口に認識阻害の魔法をかけておけば大丈夫でしょう。なければ作ればいいわけですし」

 

 ルーリーノはそこまで言うと、すぐにハッとしたように付け加える。

 

「先に行っておきますが、認識阻害をかけながら歩くとか無理ですからね。洞穴の入り口だけと言う限定的な目標だから出来るだけですから」

 

 ニルは疑問に思ったことが、尋ねる前に答えられてそれはそれでよかったのだけれど、改めて思う。

 

「魔法って言うのも万能じゃないんだな」

 

「そう言う勘違いは魔法を全く知らない人だけにしておいてほしいです」

 

 ニルの言葉にルーリーノが少し拗ねたようにそう返す。

 

 ニルはルーリーノの言葉を無視して口を開いた。

 

「確認したいことって言うのはこれで終わりか?」

 

 ルーリーノは少し考えて「そうですね」とうなずく。

 

 「じゃあ行くか」とニルが歩き出しルーリーノがその後続いた。話している間に少し高度を増した太陽に僅かに雲がかかり始めていた。

 

 

 

 

「ニル、後方から二匹来ます」

 

 ルーリーノがニルに声を掛ける。ニルはそれに返事をすることはせず、代わりにスッとルーリーノの背後に回り、ルーリーノの魔法で傷ついている亜獣と対峙する。

 

 牛に鹿のような角を生やしたのが一匹と全身を硬い毛で覆われた大型の狼が一匹。

 

 その毛で守られた狼はあまりダメージを受けていないらしくニルを見つけるのとほぼ同時に襲いかかってきた。

 

 ニルは直刀を構え、タイミングを合わせて振り抜くと、僅かな手ごたえとともに狼が血飛沫をあげ真っ二つになる。同時に今度は牛が突進してくるのが見えたので、ニルは構え直すこともできずに薙いでそれを切り伏せる。

 

 ニルは刀身に殆どついていない血を振って落とすと鞘に戻す。それから、ルーリーノのもとへ戻るついでに狼の毛皮に触れた。

 

 鉄のように硬い毛皮。おそらく普通の武器であれば一撃で倒すどころか、仕掛けたこちらの方がダメージを受けそうなほどに硬いそれを触ってニルは戦慄する。同時にルーリーノの判断の正しさに感心した。

 

「だいぶ奥まで来ただけあって出てくる亜獣が手ごわいな」

 

 ルーリーノの隣まで戻ったニルがそう洩らすと、疲れた顔をしたルーリーノが笑う。

 

「ニルが、そんなこと言うなんて、珍しいですね」

 

 肩で息をしながらなので、ゆっくりとした口調でルーリーノが言う。ニルは気遣った方がいいかと少し考えたが、敢えてふざけた感じで返そうかと決め口を開く。

 

「そう言うルリノがそんな疲れた……いや、あったな」

 

 それからニルはクックと声を出さずに笑う。それを聞いてルーリーノが頬を膨らませる。

 

「あれはニルが本気で走ったからですよ。あと、私の名前はルリノじゃないです」

 

 ルーリーノの反応を見て、ニルは楽しげな笑顔を向けると、真面目な顔を作る。

 

「この山抜けてしまうまで後三分の一ってところか?」

 

「そうですね。下りに入ってだいぶ経ちますしそれくらいだと思います」

 

 ルーリーノは返しながら、それなら大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 

 山と言うのは鬱蒼と茂った木々よりも、その足場の悪さに体力を取られる。

 

 場所によっては足元を注視しながら出なければ進めないような、ほぼ崖のようなところを登ったり、地面を埋め尽くすほどの落ち葉に足を取られたり。

 

 これが舗装された道ならば半分の時間で進むこともできただろう。

 

 そんな中、常に魔法に集中していなくてはならなかったルーリーノはその魔力の消費もさることながら、どちらかと言えば体力の消費の方が問題になってきていた。

 

 肩で息をして、時折手に持った杖を三本目の足として使用しているルーリーノを見ながら、ニルは休憩を入れるべきではないかとも考えてはいた。

 

 しかし下手に立ち止まってしまうとそこから動けなくなる可能性があるため、たまに軽口をたたきその反応を見ながら限界だと感じたら無理やりにでも休ませようと決める。

 

 その限界かどうかの基準はルーリーノが名前を注意しなくなるか否かと言ったところだが。

 

 それに自分のことを信頼してくれると言った手前、ニル自信もルーリーノのことを信じなければならないとも感じていた。



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危機

 薄暗かった山の向こうに光が見えはじめ漸く山の終わりが見え始めた頃、ルーリーノの疲労に歪んでいた顔が一瞬安堵を見せる。

 

 何とか山を越えることができたのだと、これから休める場所を探さなければいけないが森を抜けた後もう少しだけなら頑張れる。

 

 ルーリーノは自分にそう言い聞かせていたが、山の出口に差し掛かったところで「待ってください」とニルを静止させる。

 

 ニルとしては早くルーリーノを休ませたかったのか、その気持ちが先走りやや先行していたのだが、引きとめられ怪訝な顔をしてルーリーノに問う。

 

「どうしたんだ、ルリノ?」

 

「恐らく……今の魔法を、解かなくてはならない事態に……陥ります」

 

 疲労のためすべてを話している余裕がルーリーノにはなく、それだけしか言葉にできない。

 

 ルーリーノが感じたのはたくさんの羽音。その音から考えられる敵をルーリーノは一種類しか知らない。

 

 街道であったルーリーノが倒れる原因となった鳥。もしも、そうであるなら今使っている風の壁ごときではどうにもできないだろう、と言うのがルーリーノの考え。

 

 最悪の状態、空一面を鳥の亜獣が覆い尽くしているのを想像しながらルーリーノは風の壁を解いて、新しい魔法を放つまで時間が足りるか計算をする。

 

「なあ、ルリノ」

 

 ルーリーノが息も絶え絶え言った言葉によって、やや焦っていた気持ちを静めることができたニルもルーリーノとほぼ同じ考えに至り、ルーリーノに声をかけた。

 

 それから、ルーリーノがそのことに気がつきニルに意識を向けたところで、彼女が何かを言い出すより早く、ニルは続ける。

 

「今、魔法を解いたら俺に指示ができるだけの余裕はあるか?」

 

 呼ばれて返事をしようとしていた、ルーリーノは急にそう言われて一瞬考えてしまったが、ニルが状況を察してくれたのだと理解して、こくんと頷く。

 

 ニルはそれを見てさらに続ける。

 

「それじゃあ、タイミングは任せる。俺は指示を受けたらすぐに行動するから」

 

 それに対してルーリーノはもう一度頷くと、目を閉じて周囲の気配を探る。ルーリーノが張っている壁、その周辺までに生き物がいないことを確認して、ルーリーノは一度魔法を解く。

 

「始めに言っておきます。今からやろうとしている魔法はニルの身も危険にさらす可能性があります。それほど強力な魔法です」

 

 ルーリーノが神妙な面持ちで話す。「それで、俺はどうしたらいい?」とニルはせかすが、ルーリーノは「その前にもう一つだけきいてください」と真面目な顔をする。

 

「この魔法を使ったあと、もしかするといつかみたいに私は倒れてしまうかも知れません。その時には、山に入る前に言っていた魔法が杖の二番目の呪文で使えますから、よろしくお願いします」

 

「わかった」

 

 と、ニルが短く返すと「では、」とルーリーノがニルに指示を出す。

 

「数秒……できれば十秒ほど敵の注意を惹きつけてください」

 

 ルーリーノは言葉にしながら、それが如何に危険なことであるのかを理解していた。いかにニルであっても、その数により敵の攻撃を避けるだけで精いっぱいだろうし、もしも全方位から同時に攻撃されるような事態になったのであればその全てを避けるのはほぼ不可能に近いだろう。

 

 それに……とルーリーノは考える。ニルが上手く相手の攻撃を避け続けることができても、敵との距離によっては、ルーリーノは自分の魔法でニルに大ダメージを与えてしまう。しかし、そのことをニルに伝えてもニルはやめようとは言わなかった。

 

「十秒でいいんだな?」

 

 ニルが確認するようにそう尋ねてきたのがきっかけで、ルーリーノが我に帰る。すぐさま「はい」とルーリーノが返したのを確認すると、ニルは「じゃ」と短く言ってルーリーノに背を向けた。

 

 

 

 

 ニルが山を出た瞬間にまず見えたのは猛スピードで向かってくる黒い影。思わず「わっ」と驚きながら身を伏せて避け、よく周りを見る。

 

 今までニル達が歩いて来たところとは違う、岩肌が露出した場所。

 

 前方にそんな岩や砂ばかりの上り坂があり、それは首が疲れるほど見上げても頂上が見えない。植物はほとんどなく、後方とのギャップにニルは少し驚く。

 

 岩はもともと白っぽかったのだろうか、太陽が傾き世界を赤く染めているためオレンジがかって見える。

 

 できれば洞穴のようなところを探したかったニルであるが、空を見上げそんな余裕がないことを確信し、ため息をついた。

 

 ニルの目に映るのは空を黒く染め上げるほどの鳥の群れ。よく見ると、街道でニル達を襲ったものも十数羽混じっている。

 

 その他多種多様の鳥型の亜獣が居る。目が三つあるものや、その翼が地面を抉るほどに硬いもの。翼の生えた鼠みたいなのや、全身が燃えていてむしろ炎が鳥の形を成しているとしか思えないものすらいる。

 

 数にしたら五十羽はくだらない。随分と大変なことを安請け合いしてしまったものだとニルは笑いながらもう一度溜息をつく。

 

 ニルの目的は敵の気を引くこと。先ほどのニルのように姿を見せた瞬間襲ってこられたら恐らく今のルーリーノには避ける手段はないだろう。

 

 ニルは攻撃されるのを覚悟で相手からよく見える位置へと駆け出す。

 

 すると不意に明るく赤かった世界が薄暗くなる。ニルが見上げると、先ほどまではなかったまっ黒な雲が空を覆っていた。ニルは、それがルーリーノ魔法だとすぐに気がついたが、それと同時に、全ての亜鳥たちが自分に向かって襲いかかってくるのが見えた。

 

 ニルは薄らと笑うと小さな声で何かを呟いた。

 

 

 

 

 ニルが姿を消した直後ルーリーノは呪文を唱え始める。

 

 ルーリーノがニルを心配していないと言えばウソとなる。もしかしなくとも死んでしまう可能性だってあるのだから。ただ、その時は少し遅れるだけで自分も同じ道を行くので罪悪感などは薄い。

 

 それに、とルーリーノはいつかニルと絡ませた小指を見る。本来形式だけで何の効果もないはずのユビキリ。でも、今はそれがルーリーノを安心させた。

 

 

 

 ルーリーノが呪文を唱え終わるのに一秒ほどだろうか。その頃には徐々に雲が空を覆い黒く染まっていく。雲が空を覆うまでに三秒。そこから準備が整うまでにさらに三秒。

 

 その短いようで長い時間をルーリーノは心を落ち着けて待つ。今、山から出て、敵の戦力を分断するのは得策ではない。敵が一か所に居るのが望ましい。

 

 準備が整い敵を黙視し最後の呪文を唱える。それがルーリーノが為さなければいけないことであり、それを行うだけなら一秒かからないだろう。

 

 

 準備が整いルーリーノが木の間から飛び出す。後は、敵を確認して呪文を唱えるだけ。

 その時にできるだけ一か所に敵が集まってくれていたら良い。ルーリーノはそう思っていた。そして、ルーリーノが望んだとおりに敵は一か所に集まっていた。

 

「あ……」

 

 ルーリーノが喉の奥からそれだけ洩らすと、がくんと膝を折る。

 

 ルーリーノの目に映ったのは数えきれないほどの鳥に似た亜獣が何かを集団で襲っているところ。

 

 鳥の数があまりにも多いので何を襲っているのかは見えないが、確認するまでもない。

 

 ルーリーノの顔に絶望が張り付く。見開いた目の端からは涙が流れ口からは「あ……あ……」と言葉にもならない声を出す。

 

 頭の片隅では今魔法を発動させれば自分だけは助かるかもしれないと考えてもいた。

 

 それでも、ルーリーノは身体を動かすことができなかった。まともな声を出すことができない。

 

 

 そんな動けないルーリーノを亜鳥の一羽が見つけ、ニルを襲うのを止めルーリーノの方へと飛び立とうとしていた。しかし、その一羽の足を大群の中から伸びた腕が捕らえる。

 

「おい、ルリノ。早く落とせ」

 

 それと同時に吼える様な声がルーリーノに届く。ルーリーノはハッとして考えるよりも先に口を開く。

 

「ファリ・フルーモ」

 

 半ば震えた声でルーリーノがそう言うと、目を開けていられないほどの光が走り、直後轟音が鳴り響く。

 

 魔法で作られた雷。それはニルもろとも亜鳥を貫いた。しかし、すぐに何事もなかったかのように辺りを静寂が包む。

 

 ルーリーノは杖で身体を支え、何とか立っている状態で雷を落とした辺りを見る。

 

 砂煙で見難いが多くの鳥は黒く焦げ、ちゃんと形を保っているものも飛ぶことができないのか地面でぴくりぴくりと死んでいないことを示しているのがやっとだった。

 

 砂煙が晴れてきたところでルーリーノは未だ立ち続けている影を見ることができた。

 

「まさかとは思ったけど、本当に雷落とすとはな」

 

 その影の主は感心したような声を出してルーリーノの方に近づいてくる。

 

 ルーリーノは目に溜まった涙を振り払うと、歩いてくる人物に悪態をついた。

 

「なんで生きているんですか」

 

「まあ、ユウシャだからな」

 

 ニルの姿がはっきりと見え安心したところで、ルーリーノの全身から力が抜けバランスを崩す。それをニルが支える。

 

「お疲れ」

 

「疲れました」

 

 ニルとルーリーノが短くそう言葉を交わしあった直後、二人の耳にジャリと砂どうしがぶつかる音が入った。

 

「だから、止めとけって言ったのに」

 

 少し呆れた、低めの女性の声。思わずニルが声のした方を向くと、この場に似つかわしくない裸足に赤いワンピースを着ただけの女性が黒焦げになっている鳥たちのあたりでしゃがみ込んでいた。

 

 年齢はニルと同じか少し上と言ったところ。背負っている太陽にも負けないほどの赤い髪と赤い目をしていて、しかし見た目には全く脅威に感じられなかったニルは僅かに警戒を解く。

 

 それとは逆にルーリーノは目を見開き、警戒を強める。それと同時にニルの足手まといならないように残った力を使い杖と自分の力だけで立つ。

 

「ようやく来たね。ユウシャ様」

 

 赤い女性は立ち上がりニルの方を見るとそう口にする。ニルは状況が分からず呆けた顔をしてしまう。

 

「どうして、こんなところに亜人が居るんですか」

 

 呆けているニルの隣でルーリーノが叫び、それを聞いてニルが驚いた顔をする。

 

 女性は「話には順番ってものが……」と愚痴を言いながらルーリーノを見る。

 

「と、言うか君はそんなことを聞いてる余裕があるの? 魔力が切れかかっているのか目が紫になってるよ?」

 

 女性がそう言ったので、ニルが反射的にルーリーノの方を見ると確かに青かった目がやや紫がかってきていて、ルーリーノは「見ないでください」と目を隠した。

 

「まあいいか」

 

 女性がそんなやり取りを見ながら退屈そうにそう言うと、話を始める。

 

「確かに僕の目は赤いけれど、君たちが言うところの亜人じゃないよ。ついでに言うと人でもなく、動物でも亜獣でもない」

 

 「でも」と女性は言って右腕を軽く振る。すると炎の翼がその腕を覆う。ルーリーノは今一度驚き「まさか、魔法」と声を上げるが、女性はそれを無視して話を続けた。

 

「元々動物だったことを考えると、人よりも動物や亜獣の方が近いかもしれないね」

 

 言ったあとに女性は腕を戻す。

 

「それで結局おまえは何者なんだ?」

 

 痺れを切らして、ニルが問う。女性はコロコロと楽しそうに笑い真っ直ぐにニルを見る。

 

「僕は言うなればユウシャの使いだよ。言っただろう? 『ようやく来たね』って。僕は君を待っていたのさ『今世の』ユウシャ様」

 

「ようやくって、私達を街道で見つけてからではなかったんですか?」

 

 ルーリーノが驚きの声を上げる。ニルはルーリーノが言った言葉の意味が分からず思わず「それってどういうことだ」と尋ね返す。しかし、ルーリーノが返す前に女性が首を振る。

 

「確かに街道であの子が君たちを見つけてから少し時間はかかったみたいだけど、そんなのはものの数じゃない。何せ僕は千年近く君を待っていたんだからね」

 

「千ね……」

 

 女性が軽く言った言葉にニルが絶句する。

 

「そう、僕は千年ほど前君たちの言うユウシャがマオウを倒した後でユウシャによって作られた存在。だから、僕が使うのは君たちの言う魔法ではなくユウシャの力だよ」

 

 「だから、魔力を使わずに炎を出せたんだよ、お譲ちゃん」と女性が言う。それから、女性はニル達の反応を待たずに続ける。

 

「さて、お喋りはここまでにしよう。僕に与えられた役目はユウシャが残した遺跡を守ること。そのために後にやってくるユウシャの相手をすること」

 

 その言葉を最後に女性が炎に包まれる。ニルは訳が分からないままに刀を構え、ルーリーノは何か打開策がないかを考える。

 

 しかし、中から炎の翼を持つ怪鳥が現れたと思うと、すさまじい熱風がルーリーノを襲った。

 

『君は邪魔だから退場していてくれないかい』

 

 そんな声が聞こえる頃には、ルーリーノの喉は熱風により焼け、壁に全身が打ちつけられ口から血を吐いてその意識を失ってし



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決着、火の鳥

 ルーリーノが意識を取り戻したときその目には岩がむき出しの天井が映った。

 

「起きたかルーリーノ」

 

 どこからかそんな声が聞こえてきて、その姿を見ようとしたが、ルーリーノは首すら動かすことが出来ない。それでも、声は何とか出せそうなので口を開く。

 

「どういう状況なんですか?」

 

「お前があの鳥に一瞬で倒されたから即座に逃げて、言われたとおり安全な場所を作りお前を治療している最中だな」

 

 耳に届くニルの声はいつもとあまり変わった様子はない。でも、少し違和感を覚えたルーリーノはその違和感に気がつき口にしてみる。

 

「今は私のことをルリノって呼ばないんですね」

 

「お前はこんな状態で呼ばれたいのか?」

 

 ニルの呆れた声が聞こえるが、その呆れ方はお門違いだろうと、ルーリーノは心の中で苦笑してしまう。でも口では「いいえ」とだけ短く言ってニルを呼ぶ。

 

「どうした?」

 

 ニルが返事をしたところでルーリーノが問う。

 

「ニルはあのユウシャの使いと言うのに勝てると思いますか?」

 

 ニルは似たような感じの状況が前あったことを思い出して、やや辟易として口を開く。

 

「まさか『私一人なら……』とは言わないよな?」

 

 それを聞いてルーリーノは一瞬何のことかわからない様子であったがすぐに理解し、口元に笑みを浮かべる。

 

「そうですね。全力で且つしっかりと準備を立てたうえでならもしかしたらってところでしょうか」

 

 ニルにはそれが本気でもなければ強がりでもなく、冗談のように聞こえたので少しほっとした。

 

「でも、ニルなら何とかなるんじゃないかって気がするんです」

 

 ルーリーノは確信を持った声で言う。ニルもどうしてそう言ったことを言うのかはわかっていたが、敢えて尋ねる。

 

「どうしてそう思う?」

 

「ユウシャの力……ニルにもあるんですよね?」

 

 ルーリーノにそう返されニルは「そうだな」と返す。

 

 やはり、とルーリーノは納得する。

 

 ルーリーノが最初に疑問に思ったのはポルターで襲われたとき。棍棒で殴られ解いて無傷だったこと。次に山を下りて亜鳥に襲われていた時。後者など雷が直撃したはずなのにピンピンしていたのだ。流石に何もないわけがない。

 

「できれば、あの鳥は殺さないでください」

 

 ルーリーノがそう言ったのを聞いてニルは驚いて「どういうことだ?」と尋ねる。ルーリーノは少し考えた後で口を開く。

 

「ニルは私が鳥の亜獣について話しかけたのを覚えていますか?」

 

 すぐには思い出せず、ニルは記憶を探る。それから一つ思い当たる節があったので口にする。

 

「ラクスを助ける直前のやつか?」

 

 ルーリーノが「はい」と言って話し始める。

 

「鳥型の亜獣が何故町や村を襲わないかって話です」

 

「それがどうしたんだ?」

 

 ニルはルーリーノが言いたいことが分からずに首をかしげる。

 

「おそらく、ユウシャの使いさんが亜鳥に働きかけて襲わせないようにしているんじゃないかと思うんです」

 

 そこまで言われてニルは納得がいった。確かにあのユウシャの使いは他の鳥と意思疎通をしている節があった。

 

「もし亜鳥達が町を襲い始めたら小さな町や村はすぐに壊滅してしまいます」

 

 「ですから」とルーリーノが言いかけたところでニルは「わかった」と返す。それからニルはルーリーノの方を向いて

 

「あとは俺がやるからルリノは寝とけ」

 

 と言って背を向ける。ルーリーノは少しおかしくなって目と口だけで笑うと

 

「私はルーリーノです」

 

 とだけ返して、ゆっくりと目を閉じ遠ざかっていく足音を聞いていた。

 

 

 

 

「どこ行ってたの? ……なんてね」

 

 ニルが外に出たと同時に声をかけられた。ニルはその声に敏感に反応しそちらを向く。

 

 暗くなりかけている空の下、女性の姿に戻っていたユウシャの使いが仄かに輝いていた。

 

「気づいていたんだな」

 

 ニルは驚くこともなく言う。その反応に驚いたのは女性の方で「へぇー」と裏のありそうな笑顔を見せる。

 

「驚かないんだね」

 

「何となくな。ルリノの魔法が人や亜人、動物、亜獣にしか対応しできてなかったらお前には意味無いだろう?」

 

 ニルはそこまで言うと、少し考えて言葉を続ける。

 

「お前名前ないのか? ユウシャの使いって呼びにくくてならないんだが」

 

 ニルがそう言うと、ユウシャの使いがクスクスと笑う。

 

「こんな状況で名前なんか聞いてくるとはね。でも、僕には名前なんてないよ」

 

 それから女性は少し考える。

 

「でも、どうしても呼びたいというのならアカスズメとでも呼んでくれ」

 

「で、スズメさん。俺はどうしたらいいんだ?」

 

 名乗った直後に名前を略す、ニルの傍若無人ともとれる発言にアカスズメは思わず笑い出す。

 

「そうだね。ユウシャの力を使って僕を倒してくれないかい」

 

 目の端に涙を浮かべながらアカスズメがいう。ニルは今の発言を聞いて少し考えて口を開く。

 

「倒すってのはどうしたらいい? できればあんたを殺したくない」

 

 アカスズメはニルの言葉に「ほお……」と感心した声を洩らす。それから、相手の心中を察しようと猫のように目を細める。

 

「どうして僕を殺したくないんだい?」

 

 その声にニルは冷たいものを感じ背筋を震わせる。しかし、それを面に出さないようにして口の端で笑う。

 

「そりゃ、ルリノ嬢からの要望だからな。お前を殺すと鳥型の亜獣が町や村を襲うかもしれないってな」

 

「あの子がね……」

 

 アカスズメがクックックと笑うと両の手を広げる。

 

「僕は鳥だからね。両の羽が無くなったらしばらくはこの姿のまま回復に専念しないといけなくなるだろうね」

 

 それだけ言い終わると、アカスズメは鳥の姿へと変わる。ニルは直刀を構えて「それは単純な事で」とアカスズメを見据えた。

 

 直後ニルの身体が焼けるような暑さと共に吹き飛ばされる。ルーリーノが食らったのと同じ攻撃。壁に激突するまでの一瞬の間にニルは何とか言葉を紡いだ。

 

 それにより、ニルが受けるはずだったダメージがすべてなかったことになる。

 

『久しぶりに見たよ。とはいっても君が使えるのはそれともう一種類と言ったところだろう。もう一つのユウシャの魔法使わなくていいのかい?』

 

 アカスズメが楽しそうに言うのを聞きながらニルはアカスズメの攻撃に対して思考を巡らせる。

 

 今の熱風、ニルに当たるよりも先に直刀に当たっていた。

 

 それなのに無効化されなかったのはそれがその熱風をアカスズメが魔法を使わずに使ったか、またはそれがユウシャの力によるものだからか。

 

 後者ならばアカスズメの使う攻撃の全てが直刀では防ぎきれないことになる。

 

 しかし、とニルは考えを進める。ニルが使える力はアカスズメが言ったように二つ。正確にはいくつかなどと数えられるものではないのだが、今ニルが行うことができるのが二つ。

 

 一つはすでにルーリーノの前でも何度も使ったことのあるもので、ちょうど今も使ったもの。十秒間あらゆるダメージを無効化する力。もう一つは危険すぎる故今回の戦いでは使えない。

 

 と、なると残された戦法はひとつ。とはいってもそれは戦法と呼べるのかも怪しいが。

 

 そこまで考えてニルが溜息をつくころ、先ほど使った力の十秒の制限が来る。と同時にニルの視界を炎が覆う。ニルは考えるより先に口を開き炎の中から脱出する。

 

『相変わらず、反則じみた力だよね。でもこのままだと僕の勝ちかな?』

 

 アカスズメの言葉は正しい。アカスズメはニルの力が十秒で切れることを見越してそのタイミングで攻撃を仕掛けてくる。

 

 もしもニルがタイミングを誤れば大ダメージは免れない。早期の決着が必須となる。

 

 ニルはそれが分かっていたので、すぐさま駆け出す。アカスズメもただ見ているわけではなくニルに炎を飛ばしながら視界を奪い、その隙に移動する。

 

 そして、十秒が経過すればすぐさまニルを中心として広範囲の炎を生みだす。

 

 そのたびに冷や汗を流すニルであったが、徐々に距離は縮まり直刀がアカスズメの羽をとらえた。炎の翼は一度その胴から離れたが一瞬にして元に戻る。その事にニルが驚いた一瞬の隙をついてアカスズメがニルを火だるまにする。

 

「があ」

 

 あまりの暑さに声にならない叫びをあげるが、ギリギリのところで呪文を唱える。

 

『惜しかったね。僕も君も』

 

 アカスズメがそんな風に楽しげな声をあげた時、ニルがふるった直刀がもう一度アカスズメを襲った。

 

『何だって』

 

 今度は切れた翼が胴にくっつくことはなく、炎が消えるように消えていく。そうしている間にもう片方の翼が落とされアカスズメはやむなく重力に従い地面に落ちた。

 

『どうして……』

 

 アカスズメの言葉にニルは答えるように声を出す。

 

「最初翼を切った時に僅かに普通の翼の先が見えてな。単純に本体を切れていなかっただけだと確信した」

 

『よくもまあ、あんな状態で。いいよ、君の勝ちだ』

 

 アカスズメはそう言うと、女性の姿へと形を変える。その両手はしっかりとついていて、ニルが少し驚いた声を上げた。

 

 その声に気がついたアカスズメがその両手を見ながら口を開く。

 

「この姿は鳥の時と根本的に違うからね。それとも君は僕の両手がない方が良かったかい?」

 

 アカスズメがからかうように言うとニルは首を振る。

 

「でも僕は、君がいつか僕を両の翼だけでなく、僕の命を刈っておけばよかったと思う日が来てならないよ」

 

 満月の下その光を反射したかのように淡く輝くアカスズメはどこか幻想的だった。



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ユウシャの遺跡その1

「ルリノ、体調はもういいのか?」

 

 白い壁紙、床は木でできているが表面につやがあり、机と椅子とベッドだけが置かれている部屋。

 

 そこで未だに足もとがふらついているルーリーノを見てニルが声をかける。

 

 ルーリーノはまだ上手く力の入らない身体を杖で支えながら、ため息をついた。

 

「そう見えるならニルの目に治癒の魔法掛けてあげましょうか? あと、私の名前はルーリーノです」

 

「その魔法も掛けられないと思うんだがな」

 

 そう言って笑うニルにルーリーノはもう何も言い返せなくなってしまった。

 

 

 

 

 アカスズメとの戦いの後、ルーリーノがなんとか動けるようになってから二人はユウシャの遺跡に向かうことになった。

 

 アカスズメ曰く、遺跡はこの高い山の上ではなく二人が居たところ、つまりニルとアカスズメが戦っていた所から見て丁度山の裏側にあると言う事でほぼ行動不能状態のルーリーノでも向かうことができた。

 

 山のふもとをぐるりと回ってまず二人の目を引いたのは急になくなる地面とその向こうに見える海。

 

 近寄ってみると、崖になっていて海が白い波を立ててところどころで渦をつくっている。

 

「海って本当にあったんだな」

 

 その景色を見て、ぽつりとニルが零す。

 

 それを聞いてルーリーノはニルをからかおうかと口を開いたが、ニルの境遇を思い出して一度口を閉じた。

 

 代わりに別の言葉を口にする。

 

「私もこんな風に荒れている海を見るのは初めてです」

 

「そうなのか?」

 

 ルーリーノの言葉を聞いてニルが首をかしげた。

 

 ルーリーノは海風にはためく髪を手で押さえながら遠く空と海の境目を見ながら答える。

 

「はい、西にあるデーンスでも海は見たことはありますが、船が漁にも出ていましたし私が見た範囲ではこんなに波が高いこともなかったです」

 

 ニルは一瞬ルーリーノの船という言葉に興味がわいたが特に言及することなく「そうか」とだけ返す。

 

 それから、すぐに「じゃあ、行くか」と言ってニルが歩き出す。それにつられてルーリーノも踵を返し、山の方へと視線を戻すと小さな小屋が見えた。

 

 

 小屋の前について、ニルとルーリーノは顔を見合わせて首をかしげる。

 

「ユウシャの遺跡ってこれでいいのか?」

 

「たぶんこれでいいと思うんですけど……」

 

 小屋の外見は屋根が平べったいとても小さな木の家のようで、一つだけある窓からは緑色のカーテンが揺れているそれは、遺跡と呼ぶにはあまりにも雰囲気がない。

 

 しかし、とルーリーノは考える。この小屋には違和感がある。

 

 その時に二人の背後から強い風が吹きつけて二人の衣装をバタつかせた。

 

「……この小屋きれいすぎませんか?」

 

 今の風でピンときたルーリーノがそう言うと、ニルは「ああ」と生返事をする。

 

 その反応が少し気に食わなかったルーリーノはニルに文句を言おうとニルを見上るように見ると、真面目に小屋を見ていたので思わず口を噤んだ。

 

「たぶんこう言うことだろう」

 

 ニルは急にそう言うと、ルーリーノの反応を待つことはせずに直刀を引き抜き小屋に切りつけた。

 

「ニル、何を……」

 

 思わずそう言ったルーリーノがニルの方を凝視すると、ニルが小屋を指さす。ルーリーノが指につられて視線を移すと小屋は傷一つ着くことなく佇んでいた。

 

 

 

 

 ルーリーノが足をふらつかせベッドに倒れ込む。

 

 見たところ金属の足にマットレスを乗せたようなそれは見た目以上に柔らかく、また弾力性もありルーリーノが目を丸くする。

 

「体調悪いならそうやって寝とけ」

 

 ベッドに倒れ込んだルーリーノを見てニルがそう言う。

 

 ルーリーノは一度倒れ込んでしまった反動で起き上がりたくないと叫ぶ身体に鞭打って何とかベッドに腰掛けた。

 

「さすがに寝ているわけにはいきませんよ」

 

 そう言ったルーリーノのおでこをニルが軽く押す。すると、ほとんど抵抗なくルーリーノが倒れる。

 

 板張りの天井を眺めながらルーリーノが怒ったような声を出した。

 

「何をするんですか」

 

「せっかくベッドがあるんだから寝とけよ。わかったことがあったら後でちゃんと教えるから」

 

 そこまで言われてルーリーノは諦めたようにベッドに倒れると枕に顔をうずめる。

 

 その感覚がまた気持ちがよくて気がつくとそのまま眠ってしまった。

 

 

 

 

 ルーリーノが目を覚ました時ニルは椅子に座って何かを読んでいた。

 

「起きたのか?」

 

 ルーリーノが動いた音に気がついてニルが尋ねると、ルーリーノはベッドの上に座るように起き上がりボーっとした頭のままで口を開く。

 

「私どれくらい寝ていましたか?」

 

 未だ目を擦っているルーリーノを見て珍しいなと内心面白がっているニルはどれ位ルーリーノが寝ぼけているのかを調べるべく答えを考える。

 

「一、二時間ってところだろう。それにしてもルリノはいつもその質問だな」

 

「いつもってことはないと思うんですが……まぁ、そうですか。それで何か見つかりましたか?」

 

 ルーリーノの反応を見て、これは寝ぼけているなと確信しつつニルは読んでいたものをルーリーノに投げる。

 

 「わっ」と驚いたのが引き金になりルーリーノの意識がはっきりする。

 

「何するんですか、急に」

 

「一応小屋中調べてみたがそれらしいのはそれしかなかった」

 

 怒った声を出すルーリーノの抗議は無視してニルが言う。

 

 ルーリーノは、投げられ今は自分の手のうちにあるものを確認する。

 

 表面はやや硬く、たくさんの紙が重ねられ四つの辺の一つだけが留められているそれはパッと見た感じは新品にすら見えた。

 

「本……ですか?」

 

 ルーリーノはそう呟くとパラパラとページをめくり始める。

 

 最初の数ページに何か書いていて、それ以降は――正確にはその何か書いてあるページも含め――薄い線が横に等間隔に引いているだけ。

 

 ルーリーノは念のため最後のページまでめくって見てから最初のページに戻る。そこにはこう書かれている。

 

『この世界にはルールがある。それはどれだけの人が集まっても変えることができず、神さえもこのルールを変えることはできない』

 

 それから少し間を開けてから、

 

『ユウシャやマオウというものは俗称であり正しくは人の王、亜人の王と言うべきである』

 

 以下ページを変えて同様に。

 

『人の王や亜人の王はルールによって作られ、また神は王に道を示すのが一つの大きな役目となる』

 

『ひとまずは西に向かうと良い。大陸の西の端、その山の上』

 

 そこまで読み終わり次のページに目を移したところでルーリーノの知らない文字が現れた。

 

 そこで読むのをやめてルーリーノはひとまずニルに問いかける。

 

「ニルはこの文字読めますか?」

 

 読めないルーリーノにしてみればそれが文字であるのか単なる記号であるのかの判断はできないが、下手にそれを言っても話は進まないのでそう言うとニルが頷く。

 

 その反応にルーリーノは「本当ですか?」と思わず驚いた。

 

「そこから先に書いてるのは言ってみればユウシャの力を使うための呪文みたいなものだな」

 

 ニルがルーリーノには読めないページを指さしながらそう説明する。

 

「と、言うことはまたニルに反則じみた能力が増えたんですね」

 

 ルーリーノがため息交じりにそう言う。

 

「残念ながら今回のは今までに比べると反則染みてはないな」

 

「と、言いますと?」

 

 ルーリーノが首をかしげると、ニルが説明を始める。

 

「ルリノももう気づいているとは思うが、ユウシャの力の一つにどんなダメージも無効化するみたいなのがある」

 

 そこまで聞いてルーリーノは「私の名前は」と言いかけて首を振り「そうですね」と言い直す。

 

「まあ、それも一回十秒しか持たないわけだが、恐らくこんな魔法は存在しないだろう」

 

 十秒と聞いて囮としてニルが飛び出していったのをルーリーノは思い出す。

 

 ルーリーノが言った十秒と同じ時間。だからニルはためらいもなく飛び出せていけたのだろうと。

 

 後者についても確かにそんな魔法は聞いたことがないとルーリーノは思う。

 

 ダメージを減らすという意味では不可能ではないかもしれないがそこはもう肉体強化の領域であり、どんなダメージも無効にするほどに強化してしまえば身体の方が耐えられなくなる。

 

 そう思いルーリーノは「そうですね」と肯定した。

 

「でも、今回は火や風、水なんかを操れる程度らしい」

 

 ニルは軽くそう言ったが、ルーリーノは言葉に困る。

 

 確かにまだ出鱈目というほどではないがそれも規模の問題。

 

 ダメージ無効であったり、ユウシャの使いであったりを考えると恐らく通常時のルーリーノと同程度かそれ以上の威力があるとも考えられる。

 

 しかもそれを使うのに魔力が要らないのであればそれは十分反則だとルーリーノは考える。

 

「そう言えば、そんな力がありながらどうしてキアラ戦や私との決闘で使わなかったんですか?」

 

 結局ルーリーノはニルの力についてそれ以上言及することはせずに話を変える。

 

「確かに使えば勝てたかもしれないけど」

 

 ニルはすぐにそう話しだすと、腰にぶら下げてある直刀を撫でる。

 

「何か反則っぽいだろ? ただでさえこんな刀使ってるってのに」

 

 そう言って頭を掻くニルをルーリーノが意外そうな顔で見上げる。それから少しうれしくなって小さく笑顔を作った。

 

「それもそうですね」

 

 と最後にいつもの口調で返すと、ルーリーノは今一度話題を変えるべく口を開く。

 

「それで、私にも読めるところってどういう意味だと思いますか?」

 

 そう言ってルーリーノは本に視線を落とす。

 

 ルーリーノも書いてあることが理解できないわけではない。

 

 ただ、明らかに情報が少ない。ルールとはどんなルールで誰がつくったのか。

 

 ユウシャやマオウという呼び方はなぜ生まれどういう意味を持つのか。そもそも、この文を残した意図が分からない。分かれるほどに情報がない。

 

「どうって言われてもな。俺が人の王で神に道を示されたかって言われたら確かに示されたんだろうけど、結局は西へ向かえってことしかわからん」

 

「そうですよね」

 

 堂々と言ったニルにルーリーノが乾いた笑いを浮かべながら返した。

 

 それからしばらくの間互いに言葉を発することなく居たかと思うとルーリーノが急に話し始める。

 

「さて、そろそろ次の町へ向かいましょうか」

 

 そう言って立ち上がったルーリーノを見てニルが少し不安そうな顔をする。

 

「もういいのか?」

 

「完全にってほどではないですが、魔力も回復したので歩きながらでも治療はできますからね」

 

 「先ほど寝かせてもらったおかげです」とルーリーノが言うが、ニルはまた少し別のことを心配していた。

 

「帰りはどうするんだ? 来る時と同じ魔法は使えないだろう?」

 

「帰りはニルが使ってください。おそらくできますよね?」

 

 ルーリーノの笑顔にニルはたじろぐ。それから、一つ溜息をつくとニルは口を開く。

 

「できないことはないだろうが、ルリノと同じことしようと思うとだいぶ気を遣わないといけないんだが……」

 

「それは知ってます。あとルーリーノです」

 

 それを聞いてそうだよなとニルは逃げ道がないのを悟った。

 

 仕方がないので「分かった」と返し最後に「せめて保険くらいは用意しといてくれよ」と肩を落としながら言った。



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 西の国デーンスに向かう途中、キピウムとトリオーを結ぶ街道とは違い茶色い砂が露出した道をニルとルーリーノはフードを目深にかぶった状態で歩いていた。

 

「そう言えばルリノは本に書いてあった西の端の山って知ってるか?」

 

 所々小さな木のような植物が生えていてたくさんの石が転がっている荒野。

 

 太陽がいつもに増して照りつけているような感じはするが、湿度が低いためかあまり不快な感じはしない。

 

 ルーリーノはそんな道でも普段と変わらない足取りで歩きながら口を開く。

 

「ルーリーノとちゃんと呼んでくれたら教えてあげます」

 

 毎回毎回注意だけでは意味がないと悟ったルーリーノは少しアプローチを変えて返す。

 

 しかしルーリーノの思惑とは違いニルは「それなら仕方ないな」と話を終えた。

 

 ルーリーノは思惑がうまくいかなかったことに心の中で溜息をついて「わかりましたよ」と諦めた声で話し出す。

 

「その山はデーンスのさらに西、海に至る途中にある山だと思います」

 

「有名な山なのか?」

 

 ニルの興味本位の質問にルーリーノは何気なく答える。

 

「冒険者の間では有名ですね。何もない山として」

 

 それを聞いたニルが驚いたように「何もない?」と尋ね返す。ルーリーノはそれに頷いてから続けた。

 

「その山は割と険しいのですが、登ったところで珍しい植物が生えているわけもなく、掘ったところで鉱石が出てくるわけでもなく、亜獣や動物もいないので行ったところで骨折り損のくたびれ儲けと昔から冒険者の中で嫌われているような山です」

 

「でも、そうなると何もないと分かる程度には調べ尽くされているんだろ? だったら遺跡だってすでに見つかっていてもいいんじゃないか?」

 

 ニルがそう返し、ルーリーノもそれに頷く。

 

「私もそう思うのですが、西端の山となるとそこ以外は考えられないんですよね」

 

 ルーリーノが何かを考えるように人差し指を下唇にあてる。

 

「まあ、ともかくそこに行くしかないわけだしな。もしかしたら普通じゃ気付けない仕掛けとかがあるかもしれないわけだし」

 

「そうですね。幸い山に亜獣はいませんし、足元にだけ気をつければ大した危険はないでしょう」

 

 ルーリーノがそう言い終えたところで話が一段落したと感じ「それから」とニルが口を開く。

 

「デーンスってどんな町なんだ?」

 

 ニルの問にルーリーノの表情が曇る。しかし、すぐにそれを隠すと「デーンスですね」と慌てて答えはじめた。

 

「デーンスは奴隷商と農業で成り立っている町でしょうか。正確には農業をおこなっているのはその周辺地域なんですけどね」

 

 ルーリーノが奴隷と口にした時にニルの表情も曇った。しかし、ルーリーノはそれを無視して話し続ける。

 

「知っているかもしれませんが奴隷というのは単純には二つあり借金などでその身を売った人奴隷と、生まれながらにして奴隷とされる亜人奴隷です。

 

 一般に人奴隷は農奴として国の農業を行います。他にも元冒険者ならばその戦闘力を買われて用心棒として扱われるものもいます」

 

「用心棒ね……」

 

 ルーリーノの話にニルが周囲を警戒しながら言う。

 

「まあ、今のような状況に陥ったためですね」

 

「なるほどな」

 

 ルーリーノも同様に目を光らせながら言うと、ニルが至極納得したような声で返す。

 

 辺りは荒野とは言っても岩陰や背の低い荒地特有の木も生えていて隠れる場所は至る所にある。そう言ったところから二人に向けられる視線の数を二人は探った。

 

 ニルとルーリーノそれぞれが数を把握し終わったところでアイコンタクトを取り、ルーリーノが口を開く。

 

「そこら中に隠れている人出てきたらどうですか? そろそろ疲れたでしょう?」

 

 それからしばらく反応はなく、痺れを切らしたニルがこちらから向かってやろうかと思ったところでザッと靴が砂を踏む音が複数聞こえてきて、十人ほどの十代から五十代ほどの男たちが姿を現す。

 

 体型はルーリーノほどに華奢なものもいれば、ニルよりも頑丈そうな者もいる。

 

 しかし、誰を取ってもその服はボロボロで持っている武器も小さめのナイフや包丁。

 

 下手すれば鍬であったりと盗賊というには幾分ちぐはぐな野盗。

 

「荷物を全ておいていけ、そしたら命だけは助けてやろう」

 

 その中でも一番体格が良い四十歳くらいの男がナイフをニルとルーリーノに向けながら凄みを利かせる。しかし、それにあまり脅威を感じないニルは小声でルーリーノに話しかけた。

 

「どうして、出てくるのに時間がかかったのにこいつらこんなに偉そうなんだ?」

 

 それを聞いてルーリーノは内心呆れてしまったが、それを表に出すと目の前の男たちを逆撫でしてしまうと感じ表情を変えずに同じく小声でニルに返す。

 

「出てくるまでに仲間内で合図なんかを送っていたのでしょう。それにそうやって出てきた相手が『どうか荷物をいただけませんか』と言うと思いますか?」

 

 ニルはそれを聞いて「なるほどな」と小さく言って口を噤む。それからルーリーノが声を張った。

 

「もしも嫌といったらどうする気ですか?」

 

「その時はお譲ちゃんたちの身柄も頂くとしようか」

 

 幸い先ほどのやり取りは男たちには荷物を置いていくかどうかの話し合いと思われていたのか、男達のリーダーも冷静に答えを返す。

 

 それと同時に周り男たちがじりじりと二人を囲み始める。

 

 ルーリーノは一つ溜息をついてニルに声をかけた。

 

「ニル的にはこの人たちを殺すのは賛成ですか?」

 

 冒険者の常識からを前提とした発言。こう言った野盗は何度も同じことを繰り返すため出会い襲われたのなら殺してしまった方が良いと言うのが一般的な見解である。

 

 しかしニルは頭をふる。

 

「たぶん誰も殺さずに行けるだろ?」

 

「了解です」

 

 ニルの返答を聞いてルーリーノはニルらしいなと返事をしながら苦笑する。

 

 しかし、同時にルーリーノは一つ心配もしてしまう。

 

 どうしても人を殺さなければならなくなった時にニルは人を殺すことができるのか。

 

 少しそんなことを考えたがルーリーノはすぐに目の前のことに集中する。

 

 すぐに呪文を唱え風の矢を宙に浮かせる。しかし、男たちのほとんどはその時にできる違和感に全く気がつかない。

 

 ルーリーノもそれが分かっているので相手に気づかれるよりも速く「パフィ」と言って矢を射た。

 

 風が空を切る鋭い音は一瞬。ルーリーノは正確に男達の服を地面に縫い付ける。

 

 数にして七人ほど。いきなり地面に張り付けられた男達はそのことに驚き、その間にニルが残りの三人を気絶させる。

 

「っち、魔導師か」

 

 ルーリーノに張り付けにされたリーダー格が状況を理解して舌打ちをする。

 

 同時になんとか抜け出そうともがき始めるので、ルーリーノも矢を維持するのが面倒になり男たちに近づき「ドーミギ・イリン」と呪文を唱える。

 

 すると、一人一人と寝息をたてはじめ遂には磔にされていた全員が眠ってしまった。

 

 

 それに驚いたのはニルの方でルーリーノから少し離れたところで「魔法って便利だな」と一人呟く。

 

 そんなときニルの背後から二人、ルーリーノの背後から一人鍬やこん棒を持った男が飛び出してくる。

 

 ルーリーノは先ほど用意していた風の矢を使い難なくいなすが、ニルは気が緩んでいたために一瞬反応が遅れる。

 

 二人の鍬がニルを捕らえる直前、ニルの耳にヒュンという高い音が聞こえた。

 

 背後で人が倒れる音がしたのでニルが振り返ると、手首から血を流し痛みのためか呻き声をあげる男が二人転がっていた。

 

 ニルが状況を把握しようと男達に近づこうとしたとき「ニルそこをどいてください」とルーリーノの低い声が聞こえた。

 

 ニルが声がした方を見ると、ルーリーノが炎の矢を二本ニルの後ろの男達に向けていた。

 

「ルリノ、どうする気だ」

 

「その二人に止めを刺します」

 

 ルーリーノの冷たい声にニルの背筋に悪寒が走る。

 

「殺すなって言ったよな」

 

「ですが、殺されそうになったら向こうも同様。常識ですよ?」

 

 ニルにもルーリーノの方が正しことくらいわかる。

 

 ここで殺しておかなければ自分たちがまた狙われる可能性があるのだから、身を守るという意味でも大事なことではあるだろうし、ギルドもそれを禁じてはいない。

 

 むしろ被害が大きくなればギルドが野盗の首に懸賞をかけることもある。

 

「常識か何かは知らないが、俺は冒険者である以前にユウシャだからな無暗に人を殺さない」

 

 ニルがそう宣言しても、ルーリーノは怯むことなく口を開く。

 

「それを避けられない時が来た時、ニルは人を殺せるんですか?」

 

 

 ルーリーノはニルの回答を待つ。

 

 それと同時に今の演技がばれていないかと少し不安に思う。

 

 演技と言ってもニルの後ろの男たちを含め周囲で寝ている者たちもここで殺めておくべきだと思うルーリーノにとって半分は演技ではないのだけれど。

 

「ああ、もちろん」

 

 冷え切ったニルの言葉がルーリーノの耳に届く。

 

「いや、ただ殺すだけで済めばまだマシなのかもしれない」

 

 ルーリーノの反応を待たずに続けられたニルの言葉は淡々としていて、かつて人を殺めたことがあると暗示しているようでルーリーノは身震いした。

 

 だからルーリーノは矢を消して「冗談です」とぎこちない笑顔を浮かべる。その後すぐにニルは緊張を解いて「やめろよ、そういうのは」と疲れた声をあげた。

 

 しかしルーリーノは矢を消す直前までの短い間見せた後悔と悲しみで歪んだニルの表情が脳裏に焼きつき考えずにはいられなかった。

 

 そんな顔をする人が本当に人を殺すことができるんですか、と。

 



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奴隷

「あいつら放置してても大丈夫なのか?」

 

 風景に徐々に緑が戻り始めた頃、不意にニルが尋ねる。ルーリーノは「そうですね」と言って少し考えると答えを返した。

 

「運次第ってところでしょうか。私の掛けた魔法は一時間もしないうちに解けると思いますし、その間に亜獣に襲われなければ大丈夫でしょう」

 

 ルーリーノは一度そこまで言うと乾いた唇を軽く舐めてから続ける。

 

「それに、あの人たちの村も近いでしょうから御仲間さんが助けに行っているかもしれません」

 

「村って何だ?」

 

 ルーリーノの言葉に引っかかりを覚えたニルがもう一度質問する。

 

「ニルはあの人たちが少し変だとは思いませんでしたか?」

 

 ニルの少し前を歩きながらルーリーノが質問で返すと、ニルは先ほどの男達の格好を思い出す。

 

「何か粗末な感じはしたな。着ているものはボロボロだったし、武器も半分農具みたいな感じだったし」

 

 ニルの答えを聞いてルーリーノは頷く。

 

「そうですね、元々彼らは農奴なのでしょう」

 

 その言葉にニルが「は?」と言って怪訝な顔をする。それを見たルーリーノが説明を加えて行く。

 

「奴隷の話に戻りますが、農奴というのは基本的に農業に従事するよう集められた奴隷です。そして、集められた者たちで村を作り監視をつけノルマを与えます」

 

 宙に何かを描くように手を動かしながらルーリーノが説明するのをニルは時折頷きながら聞いていく。

 

「村の住人は基本的に移住の自由はありません。それどころか特別な許可がなければ他の町や村に入ることもできないでしょう。そんな状況でノルマが達成できそうになければどうするか……」

 

「盗賊まがいな事をすると」

 

 合点のいったニルがそう言うとルーリーノも「そう言うわけです」と頷く。しかし、まだ納得のいかないニルは質問を続ける。

 

「でも、監視が付いているんだろ? どうやって村を抜けだしてくるんだ?」

 

「結局はその農奴の所有者となる人の采配でルールが決まるわけですから、全部が全部常時監視をしているわけじゃないんですよ」

 

 最もらしくルーリーノが言うのでニルは納得しかけたが、思い直した。

 

「それだと、農奴逃げるだろ?」

 

 ニルの問にルーリーノは「いいえ」と首をふってから答える。

 

「農奴は歴とした制度ですから、逃げれば罰則がありますし、逃げた農奴を迎え入れた側にも罰は与えられます。

 

 そう言うわけでまず逃げても行く当てがありません。それにあくまでも村の体を取っていますのでその中での婚姻等は自由なんです。

 

 そこで生まれた子供は生まれながらにして農奴の身分となるわけですけど、家族ができれば今度は家族に縛られて益々逃げようと考えなくなるわけです」

 

 ルーリーノはそこまで言うと一息つく。それから、ニルの方を向いてから続けた。

 

「例え人から奪ったものでも、ほとんどの場合何も言わなければバレませんし、もしも盗品だとバレても拾ったと言えばそれでおしまいですから村の主の中にはそう言った事に目をつぶる人も割と多いんですよ」

 

 そう言い終わった後、ルーリーノの目に納得したが腑に落ちないというニルの表情が映る。それを見てルーリーノは目を閉じて「まあ、そうですよね」と小さくつぶやいた。

 

「何か言ったか?」

 

「いえ、何も」

 

 ルーリーノが目を開けると不思議そうにこちらを見るニルが居て、何事もなかったかのように首を振った。

 

 それでもまだ、ニルは不思議そうな顔をしていたがそれ以上言及することはせずに口を開く。

 

「亜人についても教えてもらっていいか?」

 

 ルーリーノはそれを聞いてから、できるだけ平生を装って話しだす。

 

「ニルは亜人についてどこまで知っていますか?」

 

「そうだな……かつて人と戦争をしていた事と当時は人よりはるかに高い戦闘能力があった事、その見た目がさらに違うことくらいか」

 

 指折り思い出しながらニルが言った言葉にルーリーノが頷く。

 

「一般に言われている亜人の種類は、耳が長く整った顔をした『エルフ』、身体が小さく羽が生えているのが特徴の『フェアリー』、人と動物を足して二で割ったような『獣人』でしょうか。

 

 お伽噺を調べていけば他にも種族はいるような感じはしますが、今西側に居るのはこの三種族で間違いないです。ニルは亜人を見たことがありますか?」

 

 ルーリーノの問いにニルが首を振る。それに対してルーリーノは「そうですか」とやや興味なさげに返すと続ける。

 

「亜人奴隷は基本的に人奴隷の下に位置すると思ってください。

 

 亜人は見た目が美しいものも多く数も少なくなってしまったということで、お金持ちの愛玩用としてペットのように扱われることが多いです。

 

 さらに様々な理由により主人に捨てられた者は人奴隷と同様肉体労働に従事させられることがほとんどですね。

 

 しかし、その頃には満足に動くことができない場合も多く、そうでなくても奴隷の奴隷のような立ち位置ですぐに死んでしまうかその長寿が災いして何代にもわたって扱き使われるかと言った末路をたどります」

 

 言い終わってルーリーノはニルの反応を待つ。

 

 「亜人だからと言ってしまえばそれまでなんだろうな」と、言いながら表情の端に何とも度し難い表情のニルを見てルーリーノは口を開く。

 

「今でこそ亜人を擁護するようなことを言っても罰せられることはありませんが、あまり人前でそんな風に亜人に同情的な顔はしない方がいいですよ?」

 

 呆れた笑顔を作りながらのルーリーノの言葉を聞いてニルが言葉を返す。

 

「悲しそうな顔しながらそれ言っても説得力無いな」

 

 ニルがそう言って笑うので、ルーリーノは少し驚いて思わず自分のほっぺたをむにむにと触りだす。

 

「そんな顔してましたか?」

 

「まあ、ルリノは壁の向こうの亜人に会いたいからって俺についてきているわけだしな」

 

 ニルの答えになっていない答えを聞いて、ルーリーノは心の中で反省をする。それからいつものように一つ溜息をついて言葉を返した。

 

「ルーリーノです。そろそろちゃんと呼んでくれませんか?」

 

 そう言ったところでニルが「無理だな」と間を入れずに返してきたのでルーリーノの肩が落ちた。それから「もういいです」と諦めた声を出した後でルーリーノは続ける。

 

「ニルは亜人についてどう思うんですか?」

 

「まだ会ったことがないから何とも言えんな」

 

 特に考えることなく返ってきた答えは、半ばルーリーノの予想通りでそれが故にルーリーノはどんな顔をしていいのかわからなくなる。

 

「なあ、ルリノあれなんだ?」

 

 急にニルに声をかけられルーリーノは慌てて俯き気味だった視線を前に戻す。いつの間にか荒野地帯を抜けきり空の青と地面の緑に眩しささえ感じる。

 

 吹いてくる風も荒野に居た砂っぽく乾いたぬるい感じはなくなり、さわやかな少し草の香りのする感じなっている。

 

 ルーリーノがニルの指さした先を見ると、木でできた柵の中、その隅の方に五、六軒ほどの家がありそのほかの大部分を濃いめの茶色とその上に緑やら赤やら黄やらと色々な色を見ることができた。

 

 そう言ったものが小高い丘の上に居るルーリーノからは十ほどかなり間隔をあけながら存在しているのが見える。

 

「先ほど話した農奴の村でしょうね。ここから見えるものだけでもその一部だとは思いますが」

 

 ルーリーノの説明を聞いてニルは「へぇ」と感心した様な声を出す。その視線は村の一つに向けられており、しばらくしてから視線を外す。

 

「デーンスの町にはあとどれくらいかかるんだ?」

 

「この村群見えてきたってことは今から休まずに行ったとして着くのは明日の日の出前と言ったところでしょうか」

 

 太陽の位置と現在地を考えながらルーリーノがそう言うと明らかにニルが嫌そうな顔をする。

 

「まさかそこまで歩き続けるってことはないよな?」

 

 ニルの言葉にルーリーノが悪戯っぽい笑顔を浮かべる。

 

「私は別に構いませんよ」

 

「前、夜に壁の外に出るのは……みたいなこと言ってただろ?」

 

 ルーリーノの言葉の真偽が分からないニルが必死にそう言うとルーリーノは思い出したように「それもそうですね」と言う。

 

「実際のところ此処からもうしばらく行ったところに小さい町があるのでそこで一泊するつもりです」

 

 それを聞いたニルに安堵の表情が浮かんだ。

 

 

 

 二人が町についたのは夕方太陽が赤く染まった頃。普段から歩き慣れているとは言え落ち着いて休めると言うのは精神的に安心できるものらしく、それに引きずられるかのように少しだけ二人に疲れの色が見える。

 

 互いにそれを口にはせずに町に入ろうとしたところで、別の集団と鉢合わせた。

 

 一台の馬車を護衛するかのように屈強そうな男たちが四人で囲み、加えて中肉中背ほどの男が馬を操り、他の人に比べ質の高そうな服を着た男がその隣に座っていると言った集団でニル達を見つけると声を掛けてきた。

 

 それに対してルーリーノがすぐに「先に行ってください」と言ったので、何もしていない男が礼を言って隣の馬を操る男に声をかける。

 

 それからすぐに馬車が動き出しニル達はその後ろ姿を見ることとなった。

 

 馬車の荷台、その搬入口がひらひらと不規則に揺れ時折その中が垣間見える。入口付近まで荷物が置かれているというわけではなくほとんど何も見えていなかったが、最後に一瞬強い風が吹きその奥の人影まで二人の目に入った。

 

 

 馬車に遅れて二人は町に入る。町の中央に円形の広場がありそれを囲むように木や石で出来た建物が建っている。

 

 しかし、その数は多くなく宿屋や日用品、食料を売っているお店を除けば人の住んでいそうな建物は十軒もない。

 

 ニルはその光景に疑問を覚えたのでルーリーノに尋ねようと口を開く。

 

「住民が殆どいない気がするんだが、この町成り立ってるのか?」

 

「この町は本当の町というわけじゃないんですよ」

 

 そうルーリーノが説明を始めたので、ニルは相槌代わりに「本当の町じゃない?」と質問を重ねる。ルーリーノは「そうです」と頷いてから続きを話し始めた。

 

「この町に住んでいる人のほとんどがデーンスの住民で、ここには出稼ぎでやってきていると考えもらうとわかりやすいと思います」

 

「なるほどな。それで、ここで働いてメリット何かあるのか?」

 

 ルーリーノの説明にニルが尋ねる。ルーリーノはニルの発言がここで働く人たちに失礼になるのではないかと思ったが周りに人はいなかったので、聞かなかったことにして答えた。

 

「ここはデーンスの町に行くための中継地のような場所で何処から来たとしてもこの辺りで一泊する必要があるんですよ。よって多くの人がここに立ち寄りますから十分すぎるメリットはあるはずです」

 

「ふうん」

 

 ニルは納得したのかしなかったのかよく分からない声を出して歩みを進めた。

 

 

 宿屋に入りいつものように二人別々の部屋を借りる。それから其々荷物を置きフードを脱ぎ身軽になったところでニルの借りた部屋に集まった。

 

「なあ、ルーリーノこの町に入るとき見た馬車なんだが……」

 

 壁ぎわにある机に付属している椅子。ニルはその椅子を机とは真逆の方に向け、ベッドの上に座っているルーリーノに声をかける。

 

 ルーリーノはニルの言葉を遮るように口を開いた。

 

「奴隷を運んでいたんでしょうね」

 

 ルーリーノの言葉にニルは「そうだよな」と少し考えたように返す。

 

「昼間も言いましたが、下手な同情は……」

 

 とそこまでルーリーノは言ったがニルが首をふっているのに気がついて言葉を止める。

 

「まあ、乗ってたのが亜人だったら話を聞いてみたいくらいには思うが、何でデーンスまで連れて行くのかと思ってな」

 

 そう言われてルーリーノはそう言えばと口を開く。

 

「説明していませんでしたが、奴隷の特に亜人奴隷に関してはデーンス以外での売買が禁止されているんですよ」

 

 ニルの首が傾げられるのを見て、ルーリーノは指を二本立ててから続ける。

 

「大きな理由は二つです。一つは出来るだけキピウムから離れた場所で取引を行うため。

 

 キピウムはユウシャが作り巫女の住む神聖な土地ですから宗教的によくないのでしょう。

 

 デーンスの町が西の端にあるのもこれが理由だと言われています」

 

 ルーリーノは立てた二本の指の一本を指さしながら説明をして、次はもう一本の指を指さす。ニルは黙ってルーリーノの話を聞いていた。

 

「もう一つは亜人の数を正確に把握するためですね。

 

 当初は人に反乱する可能性のある亜人をしっかりと管理するためだったらしいですが、今となってはその名残か、また別の理由があるのかは私にはわかりませんけどね」

 

 ルーリーノが話し終えた後、ニルは少し唸ると一人で考えたいことがあると言ったので、ルーリーノは「わかりました」と溜息交じりに言ってからニルの部屋を後にした。



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デーンスのギルドにて

 次の日の昼過ぎに二人はデーンスの町についた。

 

 デーンスの町は中央に町を二つに裂くような、小さな橋をかけなくてはならないほどの川が流れており所々で花壇を見ることができる。

 

 町の中央には川を利用した噴水がありその近くにはベンチ、さらにはそのベンチに木陰を落とすために植えられている木がある。

 

 全体的に石の鼠色が目立つ町の中でこの噴水の周りだけは緑に満ちていて多くの人がここに集うのだろうと考えられる。

 

 町を走る道もきちんと整備されていてニルが見てきた町の中でも一、二を争うほど裕福な町であると思われる。

 

「何か思っていたのと違うな」

 

 そんな町の様子を見てニルがぽつりと呟くと、ルーリーノがそれを聞きつけて口を開く。

 

「ここは周りの村で作られた富が集まる場所、その中心部ですからね。町の辺境とかに行けばニルが想像していたであろう光景が見られると思いますよ?」

 

 「行ってみますか?」とルーリーノが問うとニルは首を振る。

 

「とりあえずは、泊まるところを決めて情報収集だろ?」

 

 ニルがそう言うと、ルーリーノは一瞬きょとんと目を丸くしてから、柔らかい笑顔を浮かべた。

 

「ニルもだいぶこの生活に慣れてきましたね」

 

「何だかんだで国境を二度は越えたわけだからな、少しでもこれをつけなくていい場所に行きたい」

 

 ニルがそう言って被っているフードを指さすと、今度は楽しそうにルーリーノが笑って「そうですね」と返す。

 

「でも、その前にギルドに行きましょう。そこで宿の話も聞けるでしょうし」

 

 ルーリーノの言葉にニルは頷くと二人はギルドに向かった。

 

 

 デーンスのギルドは周りの家と同じ石造りの建物で、トリオーと比べると丸みを帯びている。

 

 各町によってギルドの建物にも違いがあるのだと、一人ニルが感心している間にルーリーノがカウンターに向かった。

 

 まだ日が高いためかギルド内に人は少なく広い建物の中がたいの良い男たちは依頼の貼られている掲示板の前に、それ以外は椅子に座りその光景を眺めていた。

 

 その中に一組異彩を放つものが居た。冒険者とは思えないほど線の細い黄色の目をした優男とルーリーノより少し年下の茶色い瞳の少女の組み合わせ。

 

 それだけでも十分に冒険者というカテゴリーにおいては異様だが、その服装がそれをさらに際立たせる。

 

 常にフードをかぶっているニルとルーリーノも十分に異様ではあるが、二人とは違い優男のコンビは軽装なのである――魔導師のルーリーノはまだしも、ニルも最低限の装備しかしてはいないがそれ以上に――。

 

 さらに、男の方は一般人が着るには高いであろう服を着ているのに対して、少女は白のワンピースに薄汚れた赤い首輪をしている。

 

「あの娘奴隷みたいですね」

 

 受付を終えたルーリーノがニルに声をかけると、ニルが驚いたようにルーリーノから一歩離れる。

 

 そのニルの反応にクスっと笑っているルーリーノにニルは尋ねた。

 

「どうしてわかるんだ?」

 

 見た目は確かにそれっぽいが、とニルが少女を盗み見ているとルーリーノが答える。

 

「あの娘のしている首輪、あれが奴隷の証です。ここに来る時に襲ってきた人たちも付けている場所は違いましたが証を付けてましたよ」

 

 「手首とか足とかに」とルーリーノが言うのでニルは思い出そうとしてみるがうまく思い出せずに諦めた。

 

 そうしている間に、優男が二人に気がついたのか近づいてくる。

 

「どうやら、僕たちが気になるようですね」

 

 男は笑顔でそう二人に話しかけた。二人は少し驚いたような顔をしたが、すぐにニルの方が口を開く。

 

「どうにも冒険者に見えなくて、悪いな」

 

「いえいえ、確かに僕は荒事は得意としませんしそう思われても仕方がないですよ」

 

 男が笑顔を絶やさず言うので、ルーリーノは胡散臭さを感じざるを得ない。

 

 男はそんなルーリーノには気がつかない様子で、一緒に居た少女を指さす。

 

「でも、あの子の見た目に騙されちゃいけませんよ? 僕なんか足元にも及ばないほどに強いですから」

 

「それは、忠告どうも」

 

 ニルが軽くそう返すのも、男は気にしない風に笑って返す。それからすぐに今度は先ほどまで自分がいた席を指さした。

 

「立ち話もなんですから御一緒にどうですか?」

 

 直後、ルーリーノがニルに「どうしますか?」という視線を送った。

 

 ニルは男が奴隷をつれていると言う事に少し興味があったので「わかった」と男の申し出を受け入れる。

 

 ルーリーノは恐らくこうなるであろうことが予想できていたので一つ溜息をついてからニルに続く。

 

 ニルとルーリーノが隣に座り、向かいに男と少女が座ると言う位置で落ち着き、そう言えばとばかりに男が口を開いた。

 

「まだ、名乗っていませんでしたね。僕はトリアと言います。こっちがカテナ。ほら挨拶」

 

 トリアと名乗った男に促されて、カテナと呼ばれた少女が立ち上る。

 

 その時の動作の優雅さは驚くほどで、ニルは「ほお……」と感心し、ルーリーノは奴隷がここまでの仕草を見せる事に異質さを感じた。

 

「トリア様の奴隷のカテナと申します。以後お見知り置きを」

 

 そう言いながらカテナがワンピースの裾を軽く持ち上げ頭を下げる。

 

 それからトリアに「いいよ、座って」と言われてからカテナは「失礼します」と言って椅子に座った。

 

 ニルはカテナの感情がないかのような声に寒気を覚える。それと同時に奴隷というものが少し理解できたようにも感じた。

 

「やはり、カテナはいいですね。僕の言ったとおりにしてくれます」

 

 満足げにトリアは言うが、ニルとルーリーノは反応に困ってしまう。それに気がついたのか否かトリアが口を開いた。

 

「よろしければ、お名前をお伺いしても? それと、室内なわけですしそのフードは取ったら如何でしょうか」

 

 そう言われてしまったら、フードを取らざるを得ないかと、一度二人顔を見合わせてからフードを脱ぐ。

 

 それと同時に、トリアが思わずルーリーノを凝視した。ルーリーノはその視線を無視するように口を開く。

 

「私がルーリーノでこっちがニルです」

 

 「はじめまして」とルーリーノが言うのと同時、もしくはそれよりも速いくらいにトリアがルーリーノの手をつかむ。

 

「噂はかねがね聞かせていただいています。その美しさまさにエルフの少女のごとき。噂に違わぬ、いえ噂以上ですね」

 

 トリアの態度の変わりようにルーリーノは圧倒されてしまう。それから、今度はニルの方を向くとトリアは頭を下げた。

 

「それから、今代のユウシャでらっしゃるニル様貴方も」

 

 それを聞いてニルが警戒を強める。それから強気な口調で話しだした。

 

「俺がユウシャだってことは各国王と教会以外知らないはずだが?」

 

 それを言われてトリアの表情が僅かに歪む。

 

「黒髪に黒い瞳、ユウシャ以外あり得ないじゃないですか」

 

 歪んでしまった表情を悟られないように笑顔を作ってトリアが言うと、ニルは何となくそれで納得してしまいそうになる。しかし、すぐにルーリーノが口を開いた。

 

「普通は黒髪黒目を見ても、ユウシャを真似ただけの人だとしか考えないみたいですよ?」

 

「上手くごまかせると思ったんですけどね」

 

 トリアはそう言って短くクックックと笑うと続ける。

 

「僕はこれでも王族なのですよ。デーンス国第三皇子、これが僕の正確な肩書です。

 

 こうやって冒険者をやっていることは秘密にしていていただけると助かるのですけど」

 

「皇子様が冒険者なんてやってていいのか?」

 

 ニルが問いかけると、トリアはすぐに頷いた。

 

「二人の兄が幾分よく出来ましてね。三番目の僕のことは半ば相手にされていないのです。

 

 それに、亜獣と遭遇しても戦うのは僕じゃなくてこの子を含む僕の奴隷たちなんでね危険もないんですよ」

 

 カテナの頭に手を載せながらトリアは言って、ニルはさらに気になることがあったので口を開く。

 

「へぇ、他にも奴隷が?」

 

 それを聞いたトリアの目の色が少し変わる。表情も幾分楽しそうになった。

 

「ええ、今のところ全部で十くらいでしょうか。すべて僕が時間をかけて探しだした自慢の奴隷たちです。

 

 中でもこのカテナは見た目も戦闘力も、その仕草さえも申し分ない僕の最高傑作ですよ」

 

 トリアはそこまで言って「少し熱くなりすぎましたね」とやや照れたような表情を見せる。ニルは出来るだけ嫌悪感を面に出さないように気をつけながらさらに尋ねた。

 

「その中で亜人奴隷ってのは居るのか?」

 

「国王は好きみたいですけど、僕のコレクションにはいませんよ。確かに亜人の見た目はいいですが、戦闘においてはからきしですからね。

 

 僕が求めているのは美も力も兼ね備えた奴隷。そう言った可能性のあるものを探すのが僕の生きがいですよ」

 

 先ほどよりはだいぶ醒めた口調でトリアは返す。ニルはそれならもう聞くことはないかと、トリアに礼を言って立ち上がった。

 

「悪いが今日の宿も探さないといけないし、今日はここで」

 

「いえいえ、僕も十分すぎる収穫もありましたし」

 

 それだけ言いあって、ニルがその場を離れる。ルーリーノもそれにつられて離れていった。

 

「ニルがあの人の話を最後まで聞いていたのは意外でした」

 

 ギルドを出てずっと黙っていたルーリーノが口を開いた。ニルは「そうか?」と短く言ってから続ける。

 

「少し気になることがあったからな」

 

「奴隷の娘ですよね」

 

 ルーリーノが一つ溜息をついてから、諦めた風に言う。ニルは「そうだな」とだけ返した。

 

「あわよくばあの娘と話をしてみたかったというところでしょうか。それから、亜人とも」

 

 ルーリーノが言った言葉にニルが少し驚く。でも、すぐにいつものように戻って口を開いた。

 

「あのカテナって子最初からああだったと思うか?」

 

 ニルの返事を肯定と捉え、ルーリーノは言葉を選ぶ。

 

「たぶん違うでしょうが、奴隷である以上あんな風に心を閉ざしてしまった方がいいのかもしれません」

 

 ルーリーノの言葉を聞いてニルも頷く。少し雰囲気が暗くなってしまったので、ルーリーノが気持ちを切り替えるために話題を変える。

 

「それで、明日はどうするんですか?」

 

「教会に行って、城に行ってだろうな。ルリノも来るか?」

 

 ルーリーノは首を振りとりあえず「ルーリーノです」と訂正をしてから口を開く。

 

「私はギルドの依頼をこなそうと思います。最近あまりやっていませんでしたし、まだ余裕があるうちに路銀を稼いでいた方がいいでしょう」

 

「わかった」

 

 ニルがそう短く返し、ふと空を見上げると夕焼けの太陽に照らされた雲が自らにその影を落としくっきりとした輪郭を見せていた。



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ニルのデーンスその1

 次の日、朝からルーリーノと別れたニルは教会へ行くことはせずにすぐにデーンス城に向かった。

 

 まだ活気づいていない街中を抜け住宅地に入る。家が徐々に大きくなり、その間隔が広くなっていくのを見ながら、ついた先は城というよりも大きな屋敷と言った感じの建物。

 

 ただ、住宅街から道を一本ほど隔てたところにあり、門には身の丈よりも長い槍を持った兵士二人が見張りをしていて、門から屋敷までだいぶ距離がある。

 

 その庭園には鮮やかな緑の植木や色とりどりの花々を見ることができる。

 

 ニルがそんなデーンス城の前まで行くと、当然門番の兵士にとめられた。

 

「ここはデーンス王の住まう城。許可のないものを入れるわけにはいかない」

 

 門番の一人がそう言って、槍でバツを描くように門を塞いだ。

 

 ニルも流石にこう言った対応をされることはわかっていたので、前もって考えていた言葉を口にする。

 

「デーンス王にキピウムより黒髪の使者が来たとそう伝えてくれ」

 

 門番はそう言ったニルを訝しげな表情で見やったが、一度顔を見合せ「しばし待て」と言ってから二人いた内の一人が門の中に入って行く。

 

 

 しばらくして、門番が戻ってくると、先ほどまでの態度を一変させ「どうぞお入りください」と背筋を伸ばした。

 

 残っていた方の門番は状況が分からずと言った感じではあったが、仲間の態度からニルが只者ではないのかもしれないと察して同様にスッと背筋を伸ばす。

 

「中にはいられましたら正面の階段をお上りください」

 

 ニルが門の内側に入ろうとしたところで返ってきた方の門番がそう言う。ニルは「わかった、ありがとう」とだけ言って中に入った。

 

 それからすぐにニルの後ろで門がしまる音がする。

 

 先ほどまでもちらりちらりと見えていた庭園は中に入ると一層その美しさが分かる。隅々まで手入れされていて、花の色にまでこだわっているよう。

 

 門から建物の入り口までは石で作られた道があり、途中噴水を避けるように二手に分かれすぐに合流する。

 

 そこそこ距離はあると言ってもさえぎる物はほとんど何もないためすぐに建物の前に辿り着いた。

 

 近くで見るとその大きさは歴然としており、今ニルの目の前にあるドアですら普通の家の倍近い大きさをしている。

 

 どうしたものかとニルが考えていると、ドアが勝手に開き中から「どうぞお入りください」という声がした。

 

 ニルが中に入ると、そこは外見とは違い所謂城に近い内装をしていた。

 

 足元には赤の絨毯で出来た道があり、高い天井には煌びやかな装飾を施された照明がぶら下がっている。

 

「ようこそおいでくださいました。奥で国王がお待ちです」

 

 ニルが中に入ったのとほぼ同じタイミングで、そんな風に声をかけられる。いたのは一人のメイド。その落ち着いた物腰からニルよりも年上だと思われる。

 

 ニルは特に返事をすることもせず、外で門番に言われたとおり正面の階段を上り、その先にあるドアを開いた。

 

 そこは謁見の間のようで、中央に玉座があり一段高くなっている。

 

 今の状態だとその玉座にデーンス王が座り、その傍に執事と思われる初老の男性が控え、そのさらに外側に護衛の兵士が鎧を着たまま立っている。

 

「よく来られた。ユウシャ殿」

 

 デーンス王が低い声でニルに話しかける。

 

「急に訪問して誠に申し訳ない。お初にお目にかかりますデーンス王」

 

 ニルができるだけ失礼にならないよう気をつけながら答えると、それを聞いてデーンス王は首を振った。

 

「そんなことはどうでもよいのだが、それよりもお主がユウシャであるという証拠を見せてくれぬか。ユウシャなどこの目で見たことなくてな」

 

 そう言ったデーンス王の視線が鋭くなったのをニルは感じた。

 

 ニルは少し考えてから「どうしたらよろしいでしょうか?」と尋ねる。

 

 デーンス王もしばし考える仕草を見せ二人いる兵士のうちの一人を示す。

 

「こやつはデーンスでも一、二を争うほどの剣の腕を持つものだ。それを倒すことができたら認めよう」

 

「わかりました」

 

 デーンス王の提案にニルがそう答えると、兵士がガシャガシャと鎧を鳴らしながら、しかし鎧など着ていないかのような足取りでやってくる。

 

 ニルは昔を思い出しながら、真っ向から挑んでも負けるだろうなと考えた。だから敢えて武器を持たずに兵士の正面に立つと、兵士の方から声が掛かる。

 

「武器を持たなくていいのか?」

 

 ニルが言葉を返さずに構えると兵士は「後悔しても知らんぞ」と吐き捨てた。

 

 

 

 そうして始まった勝負はあっという間に片がついた。

 

 兵士が一瞬で間合いを詰め切りかかってきたのをニルが素手で受け止め、相手が驚いているうちに受け止めた剣を奪い取る。それから奪い取った剣を相手の喉元につきつけた。

 

 それを見ていたデーンス王は「ほう……」と関した声を漏らし、手を叩く。

 

「これでよろしいでしょうか?」

 

 すでに剣を兵士に返したニルがデーンス王に問う。デーンス王は「もちろん」と答えると続ける。

 

「それで、ユウシャ殿はどう言った用件で参られたのだ? キピウムの使者ということであったが」

 

それを聞いてニルは深々と頭を下げる。

 

「申し訳ありません。キピウムの使者というのは方便で、デーンス王にお会いしたく参りました」

 

「まあ、そう言うことだろうとは思っておったよ」

 

 いやな顔せずにそう言うデーンス王の対応にニルは内心ほっとしつつ、口を開く。

 

「実は昨日第三皇子にお会いしまして」

 

 先ほどまで悠然としていたデーンス王が、そのニルの言葉を聞いて僅かに顔をゆがめる。

 

「アレが無礼なことは無かったか?」

 

 その反応を見て、トリアとデーンス王の関係を何となく察したニルは踏み込んだことを聞いてみる。

 

「特にはありませんでしたが、わたくしの連れに興味がおありでした」

 

「そうか……もしも、何か迷惑をかけるようなことがあれば、躊躇わず冒険者として扱ってくれ。アレがそう決めたことなのでな」

 

 それを聞いて、ニルはトリアに少しだけ同情する。しかし、今は気にしていても仕方がないと話を進める。

 

「それで皇子から王が亜人奴隷を所有していると聞きまして、できれば見せていただけないかと」

 

 デーンス王は何故ニルがそのようなことを頼んでくるのかが分からなかったが、これはいい機会だと「構わんよ」と返す。それから続けて

 

「その代わり幾つか我が問いに答えてくれぬか」

 

「問いですか?」

 

 ニルが不思議そうに首をかしげると、デーンス王は、はっはっはと人の良さそうな笑いを見せてから答える。

 

「なあに、一人の人としてユウシャの行動に興味があってな。この国には何をしにきたのだ?」

 

 ニルはユウシャというのはそんなに人に気にされるものなのかと不思議な感覚にとらわれながら、それでも一国の王にならある程度言ってもいいだろうと口を開く。

 

「マオウ討伐のために壁を越える方法を探していまして、その手掛かりがこの国にもあるとのことだったので確かめに来ました」

 

「この国にもということは他の国にもあるのだな?」

 

 ニルの言葉を聞いて国王が尋ねる。それに対してニルが「そうです」と頷く。

 

「今のところトリオーに行ってきました」

 

「と、なると次は南のメリーディというわけだな?」

 

「おそらくはそうなるかと思います」

 

 デーンス王はニルの言葉を頷きながら聞き、反芻する。

 

「それで、壁を越える術を見つけたら一度キピウムに戻られるおつもりか?」

 

 ニルはデーンス王の質問に疑問を覚える。いくら気になるからと言ってもそこまで聞くものなのだろうかと。

 

「どうしてそれをお知りになりたいんですか?」

 

 だから、失礼を承知で尋ねる。デーンス王は内心焦りながらも其れを面に出さないように気をつけながら答えた。

 

「先日カエルレウス姫がトリオーに行かれた時にユウシャの身を案じておられたと聞いたのでね。ユウシャ殿は旅立たれてから姫に会われたのか?」

 

 それを聞いてニルは、マオウを討伐する前に姫に元気な姿を見せないのかということだったのかと、納得しデーンス王の質問に答える。

 

「カエルレウス姫とは会っていませんし、マオウ討伐を終えるまでキピウムに戻るつもりもありません。途中で戻っては姫をぬか喜びさせてしまうだけでしょうから」

 

 デーンス王はそれを聞いて「それもよかろう」と呟くと、尋ねたいことがなくなったのか玉座から立ち上がる。

 

「もうよろしいのですか?」

 

 急にデーンス王が立ち上がったので、ニルは驚いたようにそう尋ねるとデーンス王は、口を開けてはっはと笑った。

 

「これ以上こちらの我儘に突き合わせるわけにはいくまい。ユウシャ殿には一日でも早くマオウを討伐してもらわなくてはならないからな」

 

 デーンス王はそう言うと、執事に「ユウシャ殿を部屋に連れて行く」と言ってから歩き出す。ニルはそれに数歩遅れてついていった。

 

 その時にどうやら兵士や執事は付いてこないらしく、煌びやかな廊下に足音が二つだけこだまする。

 

「そう言えば、どうしてユウシャ殿は亜人奴隷をみたいなどと思ったのだ?」

 

 デーンス王が思い出したかのようにそう尋ねてきたので、ニルは一瞬ドキリとする。

 

 でも、そう聞かれた時に答えることははじめから決めていたので淀みなく言葉が出てきた。

 

「マオウを討伐と言いますと、亜人の本拠地に行くみたいなものですからね。先に亜人というのがどういうものか知っておこうと思ったんですよ」

 

 それを聞いて、デーンス王は納得したように「なるほどの」と頷く。

 

「でも、実際に見ればそれが杞憂だとわかるだろう。亜人なんて物は時にペットであり、時に労働力でしかないのだから」

 

 そう言ってデーンス王が丁度辿り着いた扉を開く。日差しの関係か薄暗い部屋の中には三つの檻と三つの鳥籠。そしてそれらの中にはそれぞれ人影のようなものが見えた。

 

 しかし、よく見れば檻の中の人は耳が長くとがっていたり、頭に動物のような耳をお尻の所に同じく尻尾が生えていて手足は毛皮で覆われていたりする。

 

 また、小鳥用にも見える鳥籠には明らかに小さな人が入っていて、その背中には半透明な羽が生えている。

 

 ただ、全員が女性らしく例外なく整った容姿をしている。

 

 ニルはルーリーノから聞いていた知識と照らし合わせて、そこに居るのがエルフが二人、フェアリーが三人、獣人が一人だと判断することができた。

 

 着ているものはそれぞれ違い、若いエルフの少女が薄い白のワンピースだけなのに対して、その隣のエルフの女性は胸元の大きく開いたドレスを着ている。

 

 獣人が最低限の布しかないようなほぼ裸のような恰好で、フェアリーはそれらに対応するようにそれぞれ同じものを着ている。

 

「見ての通り、亜人なんて物はこの程度の檻から出ることすらできんよ」

 

 デーンス王がそう言っている隣でニルは何かを考えて、それから口を開く。

 

「これらと話をすることはできるんですか?」

 

 この言葉を聞いてデーンス王が、腹を抱える勢いで笑う。

 

「ユウシャ殿は面白いことを言う。ペットが話すわけなかろう。それにこいつらは躾が行きとどいているからな。人形のようにほとんど動くこともあるまい」

 

 それでか、とニルは思う。

 

 奴隷では到底きれないような豪華なドレスを着ている者でさえその目は生きることを諦めているように光を失っている。

 

 ニルとしては痛々しくて見ていられないのだけれど、ここまで来てすぐに帰ってしまってはデーンス王の気を悪くするかもしれないと「もっと良く見てもいいですか?」と尋ねた。

 

「存分に見てくれ。どれも自慢の一品であるからな」

 

 そう促されしまいニルは檻の前へと足を運ぶ。

 

 エルフなど一目見ただけでは人とほとんど変わらない。

 

 ただ、よく見ればその瞳は燃えるような赤であったり、僅かに青みがかったグレーであったりと人との違いは見えてくる。

 

 白いワンピースの少女はその薄幸そうな容姿と細い体、生気を帯びていないグレーの瞳のせいで本当に人形のように見える。

 

 僅かに動く胸と、瞬きでそれが生きているのだと確認はできはするが。

 

 みれば見るほど人との違いが際立ち、同時にそれ以外は人と何が違うんだとニルが思い始めた時、ふとニルの頭にある考えがよぎった。

 

「人と亜人で子供は成せるものなのですか?」

 

 単純な疑問としてニルは尋ねたが、デーン王は苦虫をかみつぶしたかのような顔をした。

 

「残念ながら成せるのだ」

 

「そうなった場合どうなるのですか?」

 

 ニルが質問を重ねると、デーンス王はさも当たり前のように口を開く。

 

「殺すのだよ」

 

「労働力にもならないのでしょうか?」

 

 あまりにもきっぱり言うデーンス王に驚いたニルが思わず尋ねる。デーンス王は特に考えるようなそぶりも見せずに話しだした。

 

「昔からの規則でな。昔はマオウが人と亜人の混血であるからなどといううわさもあったそうだが、そもそも混血が作ったものなど誰が食べようか」

 

 「ユウシャ殿もそう思うだろう?」とデーンス王が言うので、ニルはいつの間にか噛みしめていた口をなんとか開き「そうですね」と返す、

 

 それから、デーンス城を後にしたニルは何とも後味の悪いような気分でぽつりと呟いた。「亜人と人があの程度しか変わらないなら、俺も一歩間違えばあの檻の中だったってことか?」と。

 



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ニルのデーンスその2

 ニルが城から街へ戻った頃、街はすでに活気づいていて、それでも人がごった返していると言った感じはなかった。

 

 ニルがいったどの町よりも上品という言葉が似合う、ゆったりとした空間。

 

 しかし今のニルにはその空間は馴染めなかった。

 

 こうやって何気ない日常を送っている人の中に奴隷を買い道具のように扱っている人がいるかもしれないと思うと陰鬱とした気持ちになっていく。

 

 もちろんニルも全員が全員デーンス王やトリアのように奴隷を扱っているわけではないだろうと言うことはわかっているし、この大陸の西側においては亜人はデーンス王のように扱うべきだと言うのが常識なことは知っている。

 

 それでも、心で受け入れられないのはニル自信が普通の『人』とは違うからなのだろうか。

 

「行くか……」

 

 重たい足取りを向けるのはルーリーノが言っていた町の辺境。

 

 一時間と歩かずついたそこは、意外にも整備がされていた。

 

 ただ、昼間だと言うのにほとんど人はおらず、例外なく顔を隠すようにフードを目深にかぶっている。

 

 建物は基本的に店しかなく、どの店のシャッターも開いている。売っている商品はすべて奴隷。

 

 奴隷を買うのは基本的に金持ちであるがゆえに整備されているのだろうとニルは納得し、一軒の店に足を踏み入れた。

 

「いらっしゃい」

 

 思っていたよりも若い声で迎えられてニルが少し驚く。

 

 店の中はガラスで作られたのか壁際に透明な仕切りがしてあり、その中に粗末な布のような服を着た男女が俯き気味に唯一用意されている椅子に座るなりその隣に立つなりしていた。

 

 よく見ると一人一人小部屋のように区切られているが、その壁もやはり透明なので意味があるのかはわからない。

 

 年齢や性別はばらばらと言った感じだが、若者がやや多く一様に皆人で首にプレートのようなものをぶら下げていた。

 

 プレートには数字が書いてありそれが値段なのだとわかる。

 

 女性だと若く綺麗な者ほど高く、男性だと容姿よりも屈強そうな者ほど高い。

 

 ニルはその奴隷たちを軽く眺めた後、すぐに店主の方へ向かった。

 

「亜人奴隷をみたいんだが」

 

「居ないことはないが一見さんはお断りだよ」

 

 店主はニルの顔を見ることなくそう返す。

 

 退屈そうに座っている高そうな衣装に身を包んだ店主を見て、ニルはその男がデーンス到着直前の町で鉢合わせた馬車の一団に居たことを思い出した。

 

 店主の方もそれに気がついたのか「もしかして……」と店主が声を上げる。

 

「あの時道を譲ってくれた娘の連れかい?」

 

「わかるのか?」

 

 ニルは店主の言葉にそう返す。その中には今もその時も目深にフードを被っているのに分かるものなのか? という意味が込められている。

 

 店主はにやりと笑うと口を開いた。

 

「客の顔は覚えなくちゃならないからね。それに、こう言う商売だとお兄さんみたいな格好の人の方が多くて、むしろこっちの方が判断しやすいくらいよ」

 

 嬉々として話す店主にニルはそう言うものかと変に納得した。

 それから店主は少し複雑そうな顔をする。

 

「何かの縁だし、売れ残りなら見せてあげようという気になるんだけど……」

 

 そう言って店主がじっとニルを見る。

 

「正直お兄さんみたいな人が奴隷、特に亜人奴隷を買わない方がいいと思うんだけどねぇ」

 

 ニルはその店主の言葉が意図するところを理解できずに「構わない」と店主に返す。

 

「お兄さんがそう言うなら止めないけどね。ちょっとついてきてもらえるかな」

 

 そう言って店の奥に入って行く店主の後をニルは追う。

 

 薄暗い廊下を抜け辿り着いた部屋にはやはり檻がありその中に耳のとがった少女が膝を抱えて空を見ていた。

 

「この子が売れ残り?」

 

 思わずニルが呟く。確かにデーンス王の所にいた亜人たちと比べると平凡な顔立ちをしているが、綺麗な銀色の目をした素朴で可愛らしい少女。

 

 もしも人であれば高値で取引されるレベルである。

 

 それなのにどうして、というニルの疑問に店主が答える。

 

「亜人の価値はその希少性と、それ以上に見た目の美しさだからね。

 

 人と同程度の美しさじゃ誰も満足しないわけだよ」

 

 「それでどうする?」と店主は商売人の目をしてニルに尋ねる。

 

「いくらになる?」

 

 ニルがすぐにそう尋ねると、店主はにやりと笑うと数年は人が遊んで暮らせるだけの金額を提示してきた。

 

 かつて仲間を雇った時に払うはずだったお金が残っているニルであっても払えるとしたら、その提示された金額の半分ほど。

 

 ニルが困った顔をしていると、店主がクックックと笑う。

 

「冗談だよ」

 

 店主はそう言って今度は先ほどの十分の一程度の金額を提示する。

 

 それを聞いてニルが少し不機嫌そうな顔をすると店主は反省していないような謝り方をして口を開いた。

 

「でも、さっき言ったのが亜人奴隷の平均価格だよ」

 

 それを聞いて、ニルは「買おう」と言ってお金を取り出す。

 

 店主は「毎度あり」と言ってから受け取った金額を確かめると、檻の鍵を開ける。

 

 エルフの少女は機械的にそこから出てくると、ニルを見て頭を下げた。

 

「それじゃ、これを付けてくれ」

 

 店主はそう言ってニルに革でできた茶色い首輪を渡す。

 

 それをニルはのろのろと受け取り、そして、嫌々ながら少女の首にそれをつけた。

 

「できたら、この子の顔を隠せるようなものをくれないか?」

 

 ニルはそう言って近くにあった机の上にお金を置く。

 

 それはいつもニルが来ているマントが何十着も買えるような金額ではあったが、お金を置く動作に一切の迷いもなかった。

 

「そう話の分かる所は好きなんだけどね。もう二度とこんな店に来ないでほしいと思うよ」

 

 そう言って店主は少女には大き過ぎるマントをニルに渡す。

 

 ニルがそれを少女に着せると本来は腰までの長さのマントが少女の膝下くらいで揺れ、フードをかぶるともう正面は見えないのではないのかと思えるほど顔を隠した。

 

 ニルは店主に礼を言ってから、少女を連れて店を後にする。

 

 

 

 その後ニルは少女を連れたまま街中の方へ向かった。

 

 初めはただただニルの後を付いてくるだけの少女だったが、徐々にニルが普通ではないことに気がついて、辺りの様子を窺うようになる。

 

 店の集まった区画に辿り着くと、少女の興味は色々な方向へと向かい、綺麗な服が見えれば首を限界まで動かして眺め、人とすれ違えば相手の顔をのぞき込み、いい香りがすれば立ち止まり駆け足でニルを追いかけた。

 

 ニルはそんな少女の行動をすべて把握していたが、やはり何も言うことはせず、住宅街に入ると同じ道を引き返す。

 

 少女はそんなニルの行動に戸惑いさえ覚え始めた。

 

 あえて自分の勝手な行動を無視して後からお仕置きでもされるのではないかと。

 

 それから自分の軽率な行動を恨み恥ずかしいとさえ思った。

 

 しかし、ニルは少女の考えていたことを何一つ行おうとはせずに、往路で少女が見ていた店、立ち止まっていた店に入っていくと次々とものを買っていく。

 

 それから、少女を引き連れたまま町の壁から外に出た。

 

 少女はもしかして自分は亜獣の餌にされるのではないのかしらとも思ったが、不思議と怖さはなかった。

 

 ニルが向かったのは海。片手が荷物で埋まっている状態で外に出たなどルーリーノに言ったら絶対に怒られると思いながら農奴の村のある方向とは真逆の方に足を進める。

 

 正面にルーリーノの言っていたであろう山があるので、それを迂回するように西に進むと、林のようなところにぶつかり、それを抜けるとすぐに海が見え始めた。

 

 少女はニルの速度に合わせていたために既に肩で息をしているよう状態だったが、初めて目にする海に目を見開いて感動を表現する。

 

 海と陸の境目は岩場になっていて、海沿いに南の方に進めばせり出した崖が丁度屋根のように岩場に影を落としていた。

 

 ニルも触れるほど近くにある海に気持ちがやや浮ついていたが、とりあえず人が来なさそうな所という事で影のあるところを目指そうと歩き出す。

 

「ぃ……」

 

 しかし、すぐに後ろからそんな細い声が聞こえたので慌てて振り返った。

 

 すると、少女は慌てた様子で頭を振る。とはいえ、少し様子のおかしい少女を観察すると、すぐに少女が素足な事に気が付いた。

 

「悪い、気がつかなかった」

 

 ニルがバツが悪そうな顔で謝ると、少し考える。

 

 少女はニルが言っていることが理解できずにフードの向こうできょとんとした顔を浮かべた。

 

「ちょっとこれ持っててくれ」

 

 ニルにそう言われて、荷物を手渡されたので反射的に受け取ると少女の身体が持ち上がる。

 

 それがニルに抱えられたのだと気がついた時にはニルは歩き出していて、少女は目を白黒させた。

 

 やがて目的の場所につき地面に下ろされる時も、ニルが少女を気遣いながらゆっくりとおろすので少女は訳が分からず顔を赤くさせる。

 

「お腹空いただろ? その中のもの好きに食べていいから」

 

 ニルが適当な岩に腰かけて少女の持っていた荷物を指さしながら言うと、少女はニルと荷物を交互に見始める。

 

 それから、この訳のわからない状況に思わず声を出してしまいそうになり、慌てて口を噤んだ。

 

「話は出来るのか?」

 

 少女がそんな様子を見せたので、ニルが尋ねる。少女は少し迷ってから首を縦に振る。

 

「じゃあ、許すから声を出して受け答えをしてくれ」

 

 少女は驚いたが、それが命令なのだろうと始め「あー」とか「たー」とか言葉にならない声を出す。

 

 それが少女が言葉を発することを許されていなかった時間を表しているのだろうと、ニルは少女にばれないように歯を噛みしめた。

 

「わたしは、はなしても、よろしいのでしょうか?」

 

 たどたどしく少女がそう聞いてくるので「ああ」とニルは返す。

 

 その時、ニルは少女の瞳に少しだけ光が宿ったように感じた。

 

「そもそも、話を聞きたくてここまで連れてきたんだ。でも、お腹空いてるんだろ? 町で色々なもの見てたしな」

 

 そう言ってニルが少女に渡している荷物を指さすと、少女は思わずごくりと喉を鳴らす。

 

 その頃にはもう少女の中でこの可笑しな飼い主に騙されていたとしてもかまわないという気持ちが生まれていて、少女はなおもたどたどしく口を開く。

 

「ほんとうに、たべてもいいんですか?」

 

 そう言って小首をかしげた少女の表情があまり見えなかったので、ニルは少女の被っているフードを脱がせる。

 

 その中から出てきた少女の少し不思議そうにでもニルをまっすぐ見ている視線は少女にしては幼くも見える表情ではあるが、人のそれと何ら変わりなくニルは思わず目を伏せってしまう。

 

 それからすぐに「好きなだけ食べてくれ」と答えた。

 

 少女はそのかつてない興奮に手にある荷物の上の方に見える食べ物たちを一つ一つ見て行く。迷った挙句にその中から野菜サンドを取り出すと、一度ニルを見てからゆっくりと口へ運んだ。

 

 それから、目を見開き手に持っている野菜サンドを凝視すると、一気に食べてしまう。

 

 それから、次の食べ物に手を伸ばしまたも美味しそうに食べる少女をニルは複雑な気持ちで眺めていた。

 

 

「そろそろ落ち着いたか?」

 

 ニルに声をかけられ、少女が金縛りにでもあったかのように硬直する。それから申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「もうしわけありません、わたしこんなはしたないことを」

 

 その声は少し震えていて、ニルにこの少女にも感情があるのだと教えてくれる。

 

「気にするな。それよりも、名前は何ていうんだ?」

 

 呼び名がないのが不便だと気がついたニルが少女にそう尋ねると、少女は困ったような表情でニルを見る。

 

「すみません、ごしゅじんさま。わたしには、なまえがありません」

 

 それを聞いて今度はニルが困ってしまう。

 

 何せ名前がないなどと考えたこともなかったのだから。

 

 しかし、言われて考えてみれば亜人に名前をつけるなんてことをするのがおかしい世の中だということは簡単に想像がつく。

 

 ニルは少し考えてから意を決したように話し始める。

 

「よし、今からお前はリーベルだ」

 

 ニルの言葉を少女は上手く理解することができずに、何も話せず妙な間が生まれてしまう。

 

 その間がニルを少し不安にさせ「嫌、だったか?」と窺うように少女に問う。

 

 それに対して少女はハッと気がついたように首をふって「そんなこと、ないです」と必死にニルに訴える。

 

 それから、急に嬉しそうに微笑むと小さな声で呟く。

 

「りーべる。わたしのなまえ、わたしはりーべる」

 

 その様子を見てニルは安心した表情を見せた。

 

「さっきも言ったと思うが、俺はリーベルと話がしたいんだ」

 

 ニルがそう言ったのでリーベルはニルの方へと意識を向ける。

 

 その胸中は今までに感じたことのない温かい感情に囚われ今自分は夢の中にいるのではないかと思ってしまうほどであった。

 

「話したくなかったら、話さなくてもいいんだが……」

 

「だいじょうぶです。ごしゅじんさまに、はなしたくないことなんてないです」

 

 何とか主人の役に立とうとリーベルが、恐る恐ると言った口にした言葉にそう返す。ニルは「そうか」と言ってから続けて話す。

 

「リーベルは自分の境遇についてどう思う」

 

「えっと、どういわれても、どうともおもいません」

 

 困ったようにリーベルが答えたのでニルは思わず「どうして?」と尋ねてしまう。

 

「わたしは、きがついたときにはいまのようなかんじだったので」

 

 リーベルが考え考え言った言葉にニルは衝撃を受けた。

 

 ニルとしては亜人は人を恨んでいるとばかり思っていたのだが、実際はそんなことすら考えられないほどになっている。

 

 ニルはそのショックを隠しながらさらに質問を重ねた。

 

「リーベルは今までどうしていたんだ?」

 

 リーベルは少し話し難そうに口をパクパクと開閉させた後、ニルに「ごめんなさい」と謝る。

 

「わたしは、ごしゅじんさまのものになるまえは、べつのごしゅじんさまのところにいました。まえのごしゅじんさまが、その、あじんでごじしんをなぐさめるのがすきだったので……」

 

 そこまで言ってリーベルが言いよどむ。

 

 それはリーベル自身も予想外のことで、今まで何とも思わなかった過去のことが忌まわしい気持ちが悪いものとして思い出されてしまう。

 

 頭ではニルのために言わなくてはならないと思っているのに、どうしても言葉にできない。

 

 そんな状態で「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながら謝った。

 

 ニルはそんなリーベルのことが見ていられなくなり「もう大丈夫」とリーベルを抱きしめる。

 

 そんなときリーベルの中で何か温かいものが溢れて来るようで、そのよく分からない感覚が尚その目から涙をあふれさせた。

 

 

 

 

 リーベルが泣きやんだタイミングでニルはリーベルを放し思い出したかの様に、リーベルに渡していた荷物を指さす。

 

「その中ちゃんと確認したか?」

 

 リーベルはまだ少し目を赤くしたままで、首をかしげて荷物を漁る。すると出てきたのはふんわりとした淡いピンクのワンピース。

 

「着てみたかったんだろう?」

 

 リーベルが見ていたのを知っていたので、ニルはそう尋ねる。リーベルは驚いた顔を見せると「きてもいいのですか?」とニルに聞き返す。

 

「ああ」

 

 とニルが言った直後、リーベルが嬉しそうに着ている白の薄い布にも見える服を脱ぎ出したのでニルは慌てて視線をそらす。

 

 少ししてリーベルが「うわぁ」と感嘆の声をもらしたのを聞いてから、ニルは視線を戻した。

 

 リーベルは今まで来たことのないような可愛らしい服を着ていることに感動していたが、それ以上にこんなものを自分のために買ってくれたという事実が嬉しくて思わず顔がほころぶ。

 

 それから、これがこの温かい気持ちが幸せなのだと気がついた。

 

 それと同時に、これが夢でいつか現実に引き戻されてしまうのではないかと思うと怖くなった。

 

 この幸せが無くなってしまうのではないかとどうしようもない不安に襲われ、いずれ無くなってしまうのならば……と思ったところで、ニルの声がリーベルに届いた。

 

「リーベルは何か願いとかないのか? 話してくれた礼にできる範囲でなら何でもしようと思うんだが」

 

 それを聞いた時、リーベルの中で決心がついた。それと同時にとても安心することが出来た。

 

「ふたつだけ、いいですか?」

 

 リーベルにそう言われ、ニルは頷く。

 

 それを見てリーベルは小さな花が咲いたかのように可愛らしい笑みを浮かべると口を開く。

 

「ごしゅじんさまのなまえ、おしえてくれませんか?」

 

 予想外の申し出にニルは少し戸惑ったが、すぐに「ニルだ」と名前を教える。それを聞いてリーベルは、うれしそうな表情を見せながら「にるさま、うん。にるさま」と呟く。

 

「それで、もう一つって言うのは?」

 

 ニルが何気なく尋ねると、リーベルは少しだけ恐怖を抱えつつ答える。

 

「わたしをここで、いま、このしあわせなきもちのうちに、ころしてくださいませんか?」

 

 ニルは何を言われたのかわからず呆けてしまうが、その間にリーベルが言葉を続ける。

 

「おねがいします、にるさま。このしあわせがなくなってしまうのがこわいんです」

 

 ニルは何かを言おうとして、懇願してくるリーベルの目を見た。

 

 その目に一点の曇りもなく、ニルは説得できないことを悟った。

 

「わかった」

 

 ニルがそう言ったのを聞いて、リーベルは幸せそうな笑みを浮かべた。

 

「ありがとうございます」

 

 そう言った声にもその安堵が滲み出ていて、何故だかニルの中に悲しみが押し寄せる。

 

 それに気がついたリーベルは、どうしようもなく嬉しくなってしまった。

 

 自分のために悲しんでくれる人がいるという、そんな嬉しさ。でも、悲しみを与えてしまったことは申し訳なくて口を開く。

 

「にるさまは、わたしに、じぶんのきょうぐうをどうおもうかと、たずねられましたよね。

 

 いまなら、ちゃんとこたえられます。

 

 わたしはとてもしあわせです。

 

 さいごににるさまにであえて、わたしはとてもしあわせです。

 わたしのためにかなしんでくれるひとにであえて、わたしはとてもしあわせです。

 

 しあわせすぎておかしくなってしまいそうなほどに。

 

 だから、このしあわせが、なくなってしまうまえにおねがいします」

 

 ニルにはどうしてリーベルがこんなにも幸せそうな顔ができるのかわからなかった。

 

 でも、それが最後の頼みならばと腰につるしている直刀を引き抜き、リーベルの心臓に突き刺すように構えた。

 

「にるさま、ごめんなさい。ありがとう」

 

 その切っ先がリーベルを捕らえる直前、そう言って笑ったリーベルはニルが見てきた亜人の中で一番美しく見えた。



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ルーリーノのデーンス

 朝、ニルと別れたルーリーノは宿で朝食を取った後、昨日ニルに言っていたように依頼を受けるためギルドに向かった。

 

 最近はギルドに行ってもそれが昼過ぎや夕方であったのでルーリーノ自身少し忘れていたが、朝のギルドには人が多い。

 

 その理由は朝のうちに依頼を受け一日かけてその依頼をこなす事が殆どであるから。また、一人では達成困難な依頼をこなす為のパーティを募集していたりするから。

 

 多いとは言っても今は十数人ほどで、少し待っていれば人が減るだろうと適当に椅子に座る。

 

 幸い昨日妙に視線を送ってきていたトリアの姿はなく、ルーリーノは掲示板の前にたむろっている人たちを眺めていた。

 

 

 

 ルーリーノが視線を感じたのは、人が少なくなり掲示板の方に向かおうとした頃。その視線に特に敵意や殺意は感じなかったのでひとまず無視することにして掲示板に目を移す。

 

 残っていた依頼は薬草採集の依頼と護衛の依頼、それからルーリーノ達が通ってきたところと少し違うところにある農奴の村辺りで被害を出している亜獣の討伐。

 

 採集ならば半日かからず危険もあまりないだろうけれどその分報酬は少なく、護衛は依頼者側がある程度冒険者のレベルを指定しているので報酬も高め。

 

 そして、緊急と書かれた討伐依頼は護衛の依頼よりもさらに高額の報酬ではあるが既に何人もの冒険者が犠牲になっていて、高額なのはそれが理由なのだろうと簡単に予想がつく。

 

 ルーリーノはそれらを眺めながら、最近のニルの様子を思い出した。

 

「亜人と話したいなんて言ってましたし、もしかしたら無一文で帰ってきそうですよね」

 

 呟いて、それだけならまだいいかと思い直す。

 

 ルーリーノも亜人が基本的にどのような扱いを受けているのかは知っているので、たとえデーンス王のところで亜人を見せてもらえたとしても、その亜人と会話することなどまず不可能なことはわかっている。

 

 そうなると、残る道は奴隷を自分で買う以外にはないのだが、問題は買ってお金がなくなるよりも買って足手まといが増えてしまうこと。

 

 まさかニルも亜人奴隷を買ったとしてその亜人を連れて旅を続けるとは言わないだろうけれど、もしかしたらと思うと不安になってしまう。

 

「教会に行きたくないからって別行動をすると言ったのは間違いでしたね」

 

 とルーリーノは少し自分の行動を恥じる。

 

 ただ、ニルも奴隷を買うなどとは一言も言っていないので考え過ぎだろうとルーリーノは自分を納得させつつ討伐依頼の依頼所に手を伸ばした。

 

 

 その時に後ろから「あっ」という声が聞こえて来る。

 

 ルーリーノがそちらを向くと、ルーリーノの同い年ほどの目の色が茶色い少年が手を伸ばしかけていた。

 

「あなたもこの依頼を受けたいんですか?」

 

 手を伸ばし、訝しげにルーリーノを見ていた少年に対してルーリーノはそう尋ねる。

 

 依頼は基本的にトラブルが起きないように同じものをいくつかのパーティが受けられないようになっていて基本は早い者勝ち。しかし、普通は力のあるものから順に選んでいく。

 

 少年は小柄なフードを目深にかぶった変な奴が自分が受けようとしていた依頼を手にしたのでいらついていたのだが、その声を聞いてそのフードの人物が少女であると確信して、少しどぎまぎしてしまう。

 

「ああ、そうだよ」

 

 少年は格好つけながらそう言って考える。顔は見えないが自分よりも小柄で、依頼書を持つ手はとても華奢な女の子が果たして亜獣の討伐などできるのだろうかと。

 

 もちろん、人がほとんど居なくなった今掲示板の前に居る少年は駆け出しなのだが、どういうわけかとても自信ありげな顔を見せる。

 

「そうだ、よかったら一緒に依頼を受けないか?」

 

 少年にそう言われてルーリーノは少し悩む。

 

 ルーリーノが見ても目の前で自信たっぷりにそう言った少年は素人もいいところ。

 

 普段なら誘われたとしても依頼を譲ったり、無視したりするところなのだけれど、なんとなくその素人っぽさが出会った当初のニルを思い出させ気まぐれにパーティを組んでもいいかなと思ってしまう。

 

 それにさっきからルーリーノを見張っている視線のことも気になるので、様子を見る意味も含めてルーリーノは少年の申し出を受け入れた。

 

「俺はウィガ、よろしく」

 

 少年がそう名乗って握手を求めるように手を差し出す。

 

 ルーリーノは普通に自己紹介をしようと思ったが少し考えて本名を名乗るのを止める。

 しかし代わりに名乗る名前がすぐには思い浮かばなかったので苦し紛れに

 

「ルリノです。よろしくおねがいします」

 

 とウィガの手を握った。正直自分からそれを名乗るのは屈辱的だったがニルには聞かれないからいいかと半分諦めていた。

 

 

 

「じゃあ、ウィガさんは初めての依頼なんですね」

 

「そうさ。冒険者になる前に何体もの亜獣を追い払った俺としては、そのデビューともなる依頼に薬草取り何て役不足でね」

 

 準備もそこそこに町を出た二人はそんな話をしながら広い草原の中、目的の場所へ向かう街道を歩く。

 

 話しながらウィガは口元しか見えないルーリーノの格好と声でその姿を想像しては落ち着かない様子であったが、ルーリーノはウィガの変な自信は過去に亜獣を倒したことに依っているのかと冷静に分析していた。

 

「どうしてルリノは冒険者になろうと思ったんだ?」

 

 ウィガにそう話を振られルーリーノはウィガが完全に自分のことを駆け出しの冒険者だと思っているのだと確信し、可笑しくて口角をあげる。

 

「私は魔導師ですから、その力で誰かの役に立てたらと思いまして」

 

 ルーリーノが適当な理由を言うとウィガが何やら納得したような表情を見せる。

 

 ルーリーノは何にそんな納得しているのだろうかと疑問に思ったが、すぐに本人から答えが返ってきた。

 

「だから、緊急なんて書いてある危険そうな依頼を選んだのか」

 

 そんな見当違いな答えを聞いてルーリーノはやはり可笑しくなってしまう。それからウィガが少しの間ウィガは黙ってしまうと「ああ」と声を出す。

 

「どうしたんですか?」

 

 ルーリーノが首をかしげるとウィガがすごいものを発見したかのように話しだす。

 

「だからルリノはそんな杖を持っているのか」

 

 むしろよく今まで気がつかなかったなとルーリーノが逆に感心してしまうようなことを言ったあと、ウィガはルーリーノ肩を両手でつかみ真っ直ぐフードの向こう隠れて見えないはずの目を見る。

 

「いくら魔法が使えるからって女の子が一人でこんな危ない依頼を受けようとしちゃいけない。例え緑の目を持っていたとしても、危ないって話聞くだろう?」

 

 ウィガはルーリーノを心配した上で、格好つけてそんなことを言う。

 

 それと同時にウィガの中でこれで良いところを見せたら恐らくは……などと根拠のない計算を行っていた。

 

「でも、ウィガさんもこれが初めての依頼なんですよね?」

 

 ルーリーノが首をかしげてそう尋ねると、ウィガは自信たっぷりに言う。

 

「俺はいいんだよ。強いんだから」

 

 そう言い終わるかどうかくらいで、タイミングよく亜獣が二人の前に躍り出た。

 

 数は三匹で兎に角が生えたような姿をしている割とポピュラーな亜獣。一対一なら一般人であっても負けることが難しいような相手。

 

「ルリノは危ないから下がって見てな」

 

 ウィガが格好つけながらそう言って三匹の内の一匹に切りかかる。

 

 不意打ち――ともいえないお粗末なものだが――に成功し最初に一匹は難なく倒したが、その一匹に気を取られていたためかウィガは他の二匹からの反撃にあってしまう。

 

 そんなウィガの素人にしか見えないたち周りを見ながら、しかしルーリーノは手を貸そうとはしなかった。

 

 第一に怪我はしても死ぬことはないだろうから、第二にこの程度の相手にも勝てないようでは冒険者なんて到底無理だから。

 

 

 ウィガはたっぷり十分以上かけて亜獣を倒しきった。しかし、身体はボロボロであちらこちらに青い痣や擦り傷を作っている。ルーリーノはウィガに駆け寄った。

 

「ウィガさん大丈夫ですか? すぐに治療しますから」

 

 そう言って、ルーリーノは「ミ・オードニ」呪文を唱え始め「クラシ・リ」と唱え終わる頃にはウィガの傷は殆ど治っていた。

 

「ありがとう。ちょっと油断しちまったよ」

 

 ウィガが少し照れながらそう言ったが、ルーリーノは果たしてどう返せばいいのかわからず「無茶はしないでくださいね」とだけ言った。



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ルーリーノのデーンスその2

 ルーリーノ達が目的地付近についたのはウィガが亜獣を追い払ってから少し歩いた後。

 

 街道を外れた遠くの方にぽつりぽつりと村が見え、一応そこまでの細い道もある。

 

「この辺りですね」

 

 ルーリーノがそう言ったあとで、ウィガは慌てたようにキョロキョロとあたりを見回してから「そうだな」と返す。

 

「依頼にあった亜獣は大きなトカゲのような……」

 

 とルーリーノが依頼の確認を始めた時、ウィガはそれが頭には入ってこずに先ほどの自分の名誉をどう挽回するかと考えていた。

 

 そもそもウィガの中で本来なら華麗に三匹の亜獣を倒しルーリーノに「あんなに沢山の亜獣を一人で倒すなんてすごいんですね。尊敬します」と言われる予定だったのだ。

 

 しかし、ルーリーノの事を意識してしまいちょっと格好つけすぎた。

 

 だから次は多少格好が悪くても確実に倒していこうとウィガは心に決める。

 

「ウィガさん聞いてますか?」

 

 ルーリーノが少し怒ったように言うのでウィガは我に返り、慌てて「ああ、聞いてたよ」と口にする。

 

「えっと、どうやって亜獣を倒すか、だろう?」

 

「そうですけど……」

 

 ルーリーノが少し呆れた声で言うと、ウィガは心の中でしまったと叫ぶ。

 

 ルーリーノに少しでもいいところを見せるためにはと必死で考えて、口を滑らせたかのように声をだす。

 

「る、ルリノは後ろで見ててよ。俺が一人で全部やるから」

 

 言ってからウィガは考える。

 

 元々一人で受けようと思っていた依頼なのだから、何の問題もない、むしろ多少の怪我なら治してもらえるので少し怪我してでも倒しきることができればよいのだ。

 

 それに、ここでいいところを見せれば今度こそルーリーノに尊敬されるはずで、もしかしたら「これからも一緒にパーティを組んでくれませんか」なんて言われ「いいけど、その可愛い顔を見せてくれるかな」とか言ってみたりして、それで現れた美少女とゆくゆくは……などとウィガは思いを巡らせる。

 

 ルーリーノはそんな隙だらけなウィガを冷めた目で見ていたが、ずっと見られている視線とは別にこちらを近づいてくる気配がしたのでウィガに声をかける。

 

「ウィガさん何か来ます。気を付けてください」

 

 その後ルーリーノはウィガにばれないように呪文を唱え風の矢を八本空中に待機させる。

 

 ウィガはルーリーノにそんなこと言われ、慌ててあたりを見回したが何の姿も見えず「何も居ないじゃないか」と怒った声を出そうとした。

 

 しかし、それもルーリーノの「危ない」という声に阻まれる。

 

 次の瞬間ウィガの身体は後ろに引っ張られて、それとタイミングを同じくしてウィガの足元で人よりも大きな身体をした緑色のトカゲのような亜獣が思いっきり口を閉じた。

 

 それを見てウィガは、今回の討伐目標がトカゲの形をしているのを思い出した。

 

「今のはちょっと油断しただけで……」

 

 ウィガは体裁を取り繕うとそう言ったが、ルーリーノにしてみれば亜獣が出るところで油断している方が、亜獣に気付かなかったことよりもたちが悪いんじゃないかと思う。

 

 もしも相手がニルであったならば怒るか馬鹿にするところだが、ルーリーノはぐっと我慢した。

 

「それじゃあ、今度はこっちから」

 

 そう言ってウィガがトカゲに切りかかる。

 

 構えが適当でほとんど体重の乗っていない一撃は、トカゲの硬い鱗に阻まれ大したダメージを与えることが出来ない。

 

 びくともしないトカゲにウィガは威力が足りなかったのかと思い、今度は全体重を乗せて上から突き刺そうとする。しかし、今度は簡単に避けられ剣が深々と地面に刺さった。

 

「ウィガさん下がってください」

 

 というルーリーノの言葉も耳に入らずウィガは唯一の武器を引き抜こうと手に力を入れた。

 

 剣はウィガが思っていたよりも簡単に引き抜けたのか、その時の勢いで尻もちをつく。

 

 「いてて」と言いながら自分の剣を眺めた時ウィガはある異変に気がついた。

 

「折れてる?」

 

 剣はその先三分の一ほどが無くなっていて、その切断面は不気味にドロドロと溶けている。一瞬何が起こったのかわからなかったウィガだが、視界に入ったトカゲの垂らす涎によって地面が煙をあげながら溶かされている様子を見て、死の恐怖を感じた。

 

「うわぁ」

 

 と叫び声をあげ尻もちを着いたまま後退すると、慌てて立ち上がり持っていた剣を放り投げてもと来た道を走りだした。

 

 

 

 残されたルーリーノは「まあ、逃げることができただけマシですか」と呟くと「パフィ」と言って準備していた風の矢を一斉に飛ばす。

 

 一匹につき二本で計八本。ウィガがもたもたしているうちに近づいてきていた亜獣も一緒に倒す。

 

「一、二、三……四。これで依頼達成ですね」

 

 誰に言うでもなくそう言ってルーリーノはトカゲの首を切り落とすと盗伐した証拠として尻尾を切断する。

 

「本来なら一匹あたりに三人ほど欲しいところだと思うんですが……」

 

 ウィガが一人でこのトカゲを狩ろうとしていたのを思い出して呟いた。それから逃げだした彼が無事に町に戻れたのか少し心配する。

 

「ここに来るまで大した相手はいなかったので大丈夫だとは思いますが……」

 

「さすがはルーリーノさんですね」

 

 ルーリーノが呟いた時に背後から拍手の音とともに聞き覚えのある声が聞こえてくる。ルーリーノは振り返ることはせずに口を開いた。

 

「今日ずっと視線を送ってきていたのは貴方でしたか、トリアさん」

 

「僕が見ていたのは貴女方が町の外に出てからですけどね。それまでは、カテナとは違う奴隷を付けていました」

 

 ルーリーノは何故トリアがこんなことをしているのかと思うと同時に、やはりこの人だったかとも思う。

 

「これでもちゃんと調教していたつもりなんですけどね。気づかれていたのなら後でお仕置きしなくちゃいけないなぁ……」

 

 トリアが冷たい目をして笑うが、背を向けているルーリーノにはそれが見えない。

 

「いつから気がついて……」

 

 とトリアが言いかけて、一度言葉を切ると感心したような言葉をあげる。

 

「なるほど、はじめから気が付いていたからあの使えなさそうなのと一緒に居たわけですか」

 

 つい先ほどまでパーティを組んでいた少年を貶すような事を言われたが、ルーリーノにしてみても足手まといなのはわかっていたので特に気分を害することなく笑顔を作る。

 

「駆け出しの冒険者なので仕方ないです。それにトリアさんと同じくらいの強さじゃないでしょうか?」

 

 トリアは一瞬、言葉を失ったがすぐに声をあげて笑いだす。

 

「昨日言ったでしょう? 僕は戦わない。いや、戦うのは僕の道具である奴隷たちなんですから、その強さが僕の強さですよ」

 

「それで、トリアさんは何故わざわざ私を監視していたんですか?」

 

 そこで漸くルーリーノはトリアの方を向いた。すると、トリアがいやらしい笑みを浮かべる。

 

「そりゃあ、貴女を手に入れるためですよ」

 

 それを聞いてルーリーノはなんて分かり易いんだろうと感動すら覚える。

 ルーリーノは右手で杖をしっかり握ってからトリアに問いかけた。

 

「つまり、私と決闘がしたいってことですか?」

 

「話が早くて助かります」

 

「でも、私に何一つ利点なんてないと思うんですが」

 

 ルーリーノが当然のようにそう言うと、トリアは首を振る。

 

「別に僕はどちらでも構わないのです。ここで決闘を受けてもらおうと受けてもらえなかろうと。受けてもらえなければ、即座に貴女を捕まえて奴隷にするだけですから」

 

「でも、そんなことをすればギルドが黙っていないはずですが……」

 

 ルーリーノが両手で力強く杖を持ちそう返すと、トリアは勝ち誇った顔を見せる。

 

「見つからなければいいのです。この場で捕まえ立派な僕の奴隷となるまで町には入れない。そうすればギルドの連中も気がつきません」

 

 ルーリーノはその発言が既にギルドにばれたら大変だろうな等と、どうでもいいことを考えながら決闘を受け入れることにした。

 

「それで、ルールはどうするんですか?」

 

「基本は一対一で僕が貴女を捕まえたら僕の勝ち、貴女が町まで逃げ切れたら貴女の勝ちで、それ以外は自由と言う事でどうでしょう?」

 

「わかりました」

 

 ルーリーノが適当にそう返すと、トリアは既に勝ったような気分で思わず邪悪な笑みを浮かべる。

 

「じゃあ、始める前に……」

 

 そう言ってトリアが手を挙げるとザッとルーリーノを囲むように人が現れる。男女比はやや女の方が多いといった約十人。持っている武器なんかはバラバラだけれど、一様に首輪をしている。

 

「先ほど言いましたよね。奴隷は僕の奴隷で、僕の力だって」

 

 トリアが声を上げ笑いながら楽しそうに勝手にしゃべるのでルーリーノは「ミ・オードニ……」と呪文を唱え始める。

 

 トリアが笑い終えたところでルーリーノは呪文の半分ほどを唱え終わっていた。

 

「それじゃあ、始めましょうか。カテナ」

 

 トリアは開始の合図もそこそこにカテナに命令する。カテナは少女とは思えないほどの速度でルーリーノと距離を詰めると呪文を唱えきっていないルーリーノの杖を蹴り飛ばす。

 

 それ見てトリアが笑う。

 

「知っていますよ? 魔導師の杖は魔法の発動に必須。これでもう貴方は魔法が……」

 

 と言いかけたところでルーリーノが「フォヨロ・リンゴ」と呪文を唱え終わった。

 

 すると、ルーリーノを中心に炎の輪が生まれそれが熱風とともに広がる。

 

 広がる速度は一瞬。

 

 トリアの奴隷たちは吸い込んだ熱風で喉を焼かれ凄まじい熱で碌な悲鳴も上げることができずに絶命していく。

 

 近くにいた奴隷を盾にして何とか死を免れていたトリアがそれでも焼けてしまった喉で必死に声を出す。

 

「ど、どうじで……」

 

「魔導師には杖が必要……本当に引っかかってくれるとは思いませんでしたけどね。青い目の魔導師に杖は要らないんですよ」

 

 冷めた口調で話すルーリーノの言葉にトリアの顔が絶望に歪む。

 

「い、いのぢだげ……」

 

 そう命乞いを始めたトリアの言葉を無視してルーリーノは「最後に」と話しかける。

 

「トリアさん私のことをエルフみたいにとか言っていましたが、それって褒め言葉じゃないですよ?」

 

 そう言ってトリアに手のひらを見せると「ブルリギ」と言って燃やしてしまった。

 

「貴方は王族であると同時に冒険者ですから。悪く思わないでくださいね」

 

 すでにその形を成していないトリアだったものにルーリーノはそう言うと、別の方向に目を向ける。

 

 そこにはルーリーノを除いて唯一動いているものが居た。

 

「手加減したわけじゃないんですけどね……」

 

 ルーリーノの視線の先には服が焼け焦げ全身火傷を負っているカテナの姿があった。ルーリーノはゆっくりとカテナに近づくと一言問いかける。

 

「生きたいですか?」

 

 カテナは虚ろな目でルーリーノを見たまま動かない。

 

「もう一度だけ訊きます。生きたいですか?」

 

 そう言われ、カテナの目に戸惑いが生まれる。

 

 今まで奴隷として生きてきたのに今ここで生きたいといってもどうやって生きていけばいいのかわからない。と、言ったところかとルーリーノは勝手に納得し、呪文を唱え始める。

 

 唱えながら自分はなんて甘くなったのだろうなと考えてしまう。

 

「ミ・デジリ・クラーツィ・スィン」

 

 呪文を唱え終わると、カテナの傷が少しずつ時間をかけて癒えていく。三十分ほどかかって傷がほとんど気にならなくなった。

 

 カテナは茫然とルーリーノを見ていて、何も言葉を発しようとはしない。そんなことはわかっていたかのようにルーリーノが話し出す。

 

「これで貴方は死なないでしょうし、自由です。もう首輪も燃え尽きていますしね」

 

 ルーリーノはカテナの首を見ながらそう言って、続ける。

 

「もし他の皆さんの所に行きたければこの辺で寝ているだけで行けるでしょう。

 

 でも、もし何かをしたいと理由はなくとも生きていたいと言うのなら、ここから離れた町か村に行ってみてください。

 

 できれば治安の悪くない小さな所がいいです。そこで信頼を得て下さい。

 

 精一杯人助けでもしていたら勝手に得られるでしょうけれど。そうしたら、冒険者になれるでしょうから後は好きに生きたらいいです」

 

 そこまで軽く言ってから、ルーリーノは「ただし」と念を押す。

 

「絶対に今日までの貴方のことを話しちゃダメですよ。いっそのこと記憶喪失のふりでもしてください」

 

 それらルーリーノは聞いているかもわからない相手にここまでする義理があるのかと自分自身を少し笑う。

 

「餞別にこの杖を置いていきますね。

 

 貴女は基本的に魔法を使えませんが、怪我をしてしまったときにでも『エマンツィピ・ウーヌ』と唱えてください。

 

 貴女もこの杖を使えるようにしておきますので。でも使えるのは後五回程度と言ったところでしょうか」

 

 そう言ってルーリーノは何か言い残しがないか確認してからカテナに背を向けた。その時にルーリーノは足に違和感を感じたので振り向くと、カテナがルーリーノの足を掴んでいた。

 

「奴隷でいいですから……連れて行ってください……」

 

 そう言ったカテナの目は迷子になった子供のようだったが、ルーリーノは冷たい口調で返す。

 

「残念ながら私に奴隷を連れて行く趣味はありません」

 

 そう言ってルーリーノはカテナを振り払うと二度とは振り返らずにデーンスへと戻った。

 

 残されたカテナはただただ子供のように泣いていた。



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合流

 「これで私の勝ちですね」とルーリーノが言いながらデーンスの町に戻って、日が傾いてもニルは宿に戻ってこなかった。

 

 なんとなく嫌な予感がしたルーリーノは情報を得るために宿を出て街へ向かう。

 

「恐らく町の中にはいないと思うんですけどね……」

 

 そんな風に呟いて、ルーリーノが色々な店の人から話を聞いていくと、思いのほかに簡単に情報が集まった。

 

 そもそもフードを目深にかぶった青年なんてそうそういないので、見られていれば簡単に情報が集まるのも道理なのだが、ルーリーノは一つ気になった。

 

「まあ、食料を買うのはわかるんですけど、どうして女物の服なんて買ったんでしょうね」

 

 そう呟きはしたが、ルーリーノ自身ニルがどういう状況にいるのか予想がつき始めてきた。

 

 いくつかの店では話を聞くだけでは終わらせて貰えなかったので、押し切られるように買わされた食べ物を食べながらルーリーノは町の出口へと向かう。

 

「誰かを連れていて、沢山の食べ物を買って、服まで買ったとなると……やっぱり、今日はニルについていくべきでしたね……」

 

 町を出てからの行方は流石に分からないので、ニルが行きそうな場所をルーリーノは考える。

 

「まさか、奴隷をつれて農奴の村に行くとは思えませんし。先に山に登ったというのも無いでしょう」

 

 呟きながらルーリーノは頭の中の地図に×印を付けていく。

 

「海……」

 

 それから一つ思い浮かんだので、半信半疑ではあったがルーリーノは海の方へと向かう。

 

 傾いた日がそろそろその身を赤へと色を変えようとしている頃、西に進むルーリーノを眩しい位の光が襲った。

 

 徐々に赤くなっていく世界で、手で目の上に影を作りながらルーリーノが歩いていると、木々が逆光で黒くなっているのが見える。

 

 それから、完全に太陽が真っ赤になりルーリーノの目に海が見え始めてもルーリーノはニルの姿を見つけることはできずに、ルーリーノは赤に染まった海に触れられるほどの距離までやってきた。

 

「憶測を誤りましたかね……」

 

 波が岩にぶつかる音にかき消されるほどの声でルーリーノは呟くと、それでももう少しこの辺りを探してみようと、あまり安定しない岩の上から周囲を見渡す。

 

 ルーリーノのいる場所から海辺を歩こうと思えば海を正面に見て右か左かということになるが、片方は町につながっている。

 

 奴隷をつれているニルが向かうなら町とは反対の方向だろうと、ルーリーノは歩き出した。

 

「町に戻る頃には辺りはすっかり夜ですよね。亜獣に襲われなければいいんですけど」

 

 そんなことを呟きながら、いくらか歩みを進めるとルーリーノの予想通りに人影を見つけることが出来た。

 

 まだ、ルーリーノに気が付いていないその人にルーリーノが声をかけようとしたが少し様子が変なので躊躇う。

 

「一人しか……居ないみたいですね」

 

 確かに誰かを連れていたと聞いたはずなんですが……ルーリーノはそう考えて改めてあたりを見回したが、岩の上座っているのはニルで間違いないが他に人影はない。

 

 ルーリーノは嫌な予感がしつつ、ニルにそっと近づくと声をかけた。

 

「こんなところで何をしてるんですか?」

 

「ルーリーノこそこんなところで何をしてるんだ?」

 

 ルーリーノの方を向くことなく、ニルの見つめる先には不自然に石が積まれている。それと、ニルの沈んだ声を聞いてルーリーノは何となく何が起こったのかを察した。

 

「そうですね。今日別行動をとったお馬鹿さんと何で一緒にいてやらなかったと後悔しているところです」

 

 皮肉交じりにルーリーノがそう言っても、ニルは「そうか」とだけ言って黙ってしまったのでルーリーノが口を開く。

 

「町に戻らないんですか?」

 

「今日くらいは一緒にいてやりたくてな」

 

 ニルは誰と、とは言わなかったがルーリーノは特に言及することはせずに、せめてニルに静かにここに居させてあげようと呟くように呪文を唱えた。

 

 

 

 

 それから二人の間の沈黙が赤かった空をもう一度青へと戻しかけた頃、ようやくニルが話し始める。

 

「ずっと考えてたんだ」

 

 ぽつりとそう言ったニルの言葉にルーリーノは、ニルが話し終えるのを待つように目を閉じた。

 

「奴隷って何なのかとか、人と亜人の違いは何なのかとか、俺の行動は正しかったのかとかな」

 

 ニルは相変わらず一点を見つめて話す。

 

 その声はどこか淡々としていて、少しだけ悲しみを帯びているかのようにルーリーノは感じた。

 

「人が奴隷に……というのは何となく理解できたつもりでいたんだ。金の問題であったり、何か問題を起こしたりって事で。

 

 でも、実際はそうじゃなさそうだよな」

 

「そうですね」

 

 そこでようやくルーリーノが目をあけ口を開いた。

 

「実際そう言った理由で奴隷になる人は恐らく全体の一割と言ったところでしょう。

 

 残りの多くは奴隷の子供だからで、悪漢に攫われてと言う理由もあります」

 

 「恐らくトリアさんが連れていた奴隷のほとんどは最後の理由、もしくはそれに近いものでしょうね」とルーリーノがニルの心情を予想しながら言うと、ニルの表情が少し歪む。

 

「それに、人と亜人なんてそんなに変わらないのに……」

 

「人と亜人は違いますよ。特に見た目何かそうです」

 

 ニルの言葉にルーリーノが被せるように言う。

 

「確かに見た目は違うが、俺だって亜人ほどじゃないが普通の人とは違う。でも、亜人にだって人と同じような所があるのも確かなんだ」

 

 リーベルのことを思い出しながら言うニルの言葉にルーリーノは何を言っていいのかわからなくなる。そうしているうちにニルが問いかけた。

 

「なあ、ルーリーノ。死ぬことが幸せなんてことがあると思うか?」

 

「無いとは言えないでしょうけど……その子のことですか?」

 

 ルーリーノは聞いていいのか迷いながらもニルの視線の先を見てそう返す。

 

 すると、ルーリーノの予想外にもニルはあっさりと頷いた。

 

「リーベルが言ってたんだ。今の幸せがなくなるのが嫌だから殺してくださいって」

 

「その子は死ぬことが幸せだと思ったんじゃないですよ」

 

 ルーリーノの言葉を聞いてニルが少し驚いたようにルーリーノを見る。

 

「その子はニルと一緒にいることが幸せだったはずです。でも、その幸せが続くかもしれないなんて考えられなかったんだと思います。きっと、そんなことを考えられないほどの扱いを受けてきたんでしょうね」

 

「なるほどな……」

 

 ニルは自嘲気味にそう笑うと、できるだけ平常を装って続ける。

 

「やっぱり、俺のしたことは間違いだったわけだ」

 

「その子を手に掛けた事ですか?」

 

 ルーリーノの問にニルは少し考えて首を振る。

 

「それもあるが、奴隷を買ったことから……だな。話を聞いたら安全な所、例えばトリオーのユウシャの遺跡なんかで匿っておけばいいなんて考えが甘かったんだな」

 

「確かに甘かったかも知れませんが、それで間違いだったってニルの考えですよね」

 

 空虚な笑顔を見せるニルに、ルーリーノは少しきつめの口調でそう言って、積まれた石の方を見る。

 

「少なくともその子は幸せだったんじゃないですか? その子は最期どんな顔をしていましたか? どんなことを言っていましたか?」

 

 ニルはリーベルの最後の一瞬を思い出す。

 

「幸せそうに笑って……謝ってたな……それから、ありがとうって……」

 

 ぽつりぽつりと呟いたニルに、ルーリーノは声をかける。

 

「ほら、見てください。月が綺麗ですよ」

 

 言われてニルが視線をあげると、真黒な海の上綺麗な円形の月が黄金に輝いていた。

 

「そうだな」

 

 そう言ってニルはずっと月を眺めていた。



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穴の秘密

 朝になって二人は海辺を後にした。

 

 あれからずっと無言だったニルはデーンスへの帰り道に漸く口を開く。

 

「なあ、ルリノ。俺はこのままマオウを倒しに向かっていいと思うか?」

 

 声のトーンがいつもと通りになったことにルーリーノは安心しながら、同時に苦い顔をする。

 

「だから、私の名前はルーリーノです。……そうですね、私としてはそうしてくれた方が嬉しいです。

 

 正確には壁の向こうにさえ連れて行ってくれればいいんですけど。でも、そう言うことではないんですよね?」

 

 そう言って首をかしげたルーリーノにニルは頷いて返す。

 

「俺は亜人が嫌いじゃない。もっと言えば人と亜人の違いをあまり感じない。だから、亜人の王であるマオウを倒していいのかわからない」

 

 そう言われて、ルーリーノが腕を組んで考える。それから、いくつか思うことがあったので口を開いた。

 

「ニルは今の世界をどう思いますか?」

 

 考えていることとはまた別のことを問われニルが少し戸惑う。しかし、何とかルーリーノの言葉を咀嚼して考える。

 

「嫌いじゃない……でも、知らないことが多すぎるな」

 

「それでは、世界はこのままでいいと思いますか?」

 

 次のルーリーノの質問にニルは首を振って答える。

 

「具体的にどうって答えられないが、やっぱり俺自身奴隷は認めたくない。少なくとも生まれながらの奴隷と言うのは納得できないし……」

 

 ニルはそこまで言ってデーンス王の言葉を思い出す。

 

「生まれることすら許されないのは……な」

 

 ニルの言葉にルーリーノが少し驚いた顔をして、それでも冷静に話しだす。

 

「半亜人がどうなるのか聞いたんですね」

 

「ああ、生まれてすぐ殺されるって。ルリノも知ってたんだな」

 

 ニルの言葉にルーリーノを責めるような色はなかったが、ルーリーノは観念したように首を振ると「ごめんなさい」と謝る。

 

「あまり話したくなかったので、話しませんでした。ニルに不快感を与えるような気もしましたし」

 

「もしかして、ルリノも半亜人は殺してしまった方がいいとか思っているのか?」

 

 ルーリーノの言葉を聞いて半信半疑でニルが問いかける。ルーリーノはニルの予想通り、そしてニルの期待に背いて頷いた。

 

 それを見たニルが苦い顔をしたのでルーリーノがフォローを入れるために口を開く。

 

「あくまで現状では、です。私達のいる大陸の西側で半亜人が生き続けていても、それこそ死んだ方がマシだと思えるような扱いしか受けないでしょうから」

 

 その言葉をニルは複雑な表情で聞いていた。でも、ルーリーノが半亜人自体を否定しているわけではないと分かったことには少なからずニルは安心した。

 

「何がいけないんだろうな」

 

 思わずニルが呟くと、それを聞きつけたルーリーノが口を開く。

 

「何が……ではないと思いますよ。長い時間をかけてそうなってしまったんでしょう」

 

 だからこうやるせないのかと、ニルは何となく納得した。

 

 それと同時に自分では何もできないんじゃないかと諦めかけたところでニルの耳にルーリーノの言葉が聞こえてくる。

 

「だから、ニルはマオウに会ったらいいんじゃないんですか?」

 

「それは討伐しろってことか?」

 

 ニルの言葉にルーリーノが首を振る。

 

「もしも問答無用で来られたらそうするしかないと思うんですけど、もしかしたら話しあうことができるんじゃないかと思いまして」

 

「話しあう?」

 

 怪訝そうな顔をしているニルに、ルーリーノは説明を続ける。

 

「はい、例えばこっちで奴隷になっている亜人を保護して貰い互いに不干渉を約束するとか、何とか壁を破壊してこれからは協力し合うとかです」

 

 「恐らくニルだけができることでしょう」と、そんな言葉でルーリーノはニルの背中を押す。

 

 ニルはそれを聞いて、少しだけ自分の遣りたいことが見つかったようで「考えてみる」とだけルーリーノに伝えた。

 

 ルーリーノはニルのそんな様子を見て一安心する。

 

 マオウがもしお伽噺で出てきたマオウならば話し合いなんてできないだろうし、今一番可能性が高いのはそのマオウが復活することだとルーリーノは考えている。

 

 つまり先ほどの発言は無責任極まりないのだが、ルーリーノとしてはニルと伴に壁を越えることが重要なのであり、それ以外は些細な事に過ぎない。

 

 ただ、ニルを騙すような事をして居心地が悪くなったルーリーノは自分の中で先ほどの発言通りになる可能性はゼロではないからと自分を納得させた。

 

 

 

 

 そうしている内にデーンスの町に戻ったところでルーリーノが声を出す。

 

「着いて早々ですが、すぐに準備をして出発しませんか?」

 

 その言葉を聞いてニルが首をかしげる。

 

「ルリノにしては珍しいな。普段なら用心のために今日一日しっかり準備して明日の朝一で……とか言いそうな感じなのに」

 

「えっと……私、あまりこの町が好きじゃないんですよ」

 

 取り繕うようにそう言ったルーリーノにやや疑問を抱きながらもニルは「わかった」と言ってルーリーノに必要なものを尋ねる。

 

「そう言えばニルって山に登るのは初めてなんでしたっけ。一般人ならともかく私達には特には特別なものはいらないと思いますよ? まあ、ここに比べると肌寒く感じるでしょうけど」

 

「そんなものなのか?」

 

 ニルがルーリーノに尋ねると、ルーリーノは少し考えてから話しだす。

 

「本来なら背負えるような大きな鞄にロープやテント、あとは岩肌に足場を作るための道具なんかがいるみたいですが、私達の場合魔法でカバーはできますし下手に荷物を増やした方が落下とかの危険が増えると思うんですよね」

 

 返ってきた答えにニルが納得し、町の出口で落ち合う約束をしたのち二人はそれぞれ準備をすることにした。

 

 

 

 

「そう言えば思ったよりも立ち直り早かったですね」

 

 西の山へと向かう途中、ルーリーノがニルにそう尋ねるとニルは少し困ったように笑う。

 

 そして、もう話しても大丈夫かと思ってニルは話し始めた。

 

「誰かを殺したのは初めてじゃないからな」

 

「そうなんですか?」

 

 ルーリーノが意外そうな顔でそう言うと、ニルは頷いてから続ける。

 

「キピウムに大穴があっただろ?」

 

「ユウシャの遺跡があったと言うところですね」

 

 ルーリーノが思い出しながらそう言うと、ニルが頷く。

 

「あの穴な、俺が作ったんだよ」

 

「えっ?」

 

 思わぬ言葉にルーリーノは素っ頓狂な声を上げる。その声を聞いてニルが少し笑うのでルーリーノは少し怒った声を出す。

 

「それってどういうことなんですか?」

 

「順番に話していくとな、あの遺跡自体は何百年も前から発見はされていたらしい。

 

 キピウムはそれをずっと隠しながら独自に調査をしていたわけだ」

 

「外交においてより優位に立てるかもしれないからですね」

 

 ルーリーノの言葉にニルは頷く。

 

「でも、これと言って目ぼしいものはなく、唯一見つかった文書は見たこともない文字で書かれていた。

 

 そこで、俺に白羽の矢が立ったわけだ」

 

 ルーリーノはニルの話を頷きながら聞く。その中でニルが選ばれたのはその見た目のせいなのだろうと納得した。

 

 ニルはルーリーノが話についてきていることを確認して話を続ける。

 

「で、遺跡に連れていかれた俺は書かれてある文字に目を通したんだが『なんて書いてあるんだ読み上げて見ろ』と言われたから読み上げた」

 

 ニルがそこで一瞬話すことを躊躇う。

 

「そして、気がついたら俺は穴の中にいて、他には誰もいなかった」

 

 そこまで聞いてルーリーノが話についていけなくなり首をかしげる。ニルはその反応を分かっていたかのように説明を加えた。

 

「要するに遺跡やその中にいた俺以外全員が跡形もなく消えたんだよ」

 

「それも……ユウシャの力なんですか?」

 

 ルーリーノが恐る恐ると言った話し方で尋ねると、ニルは頷く。

 

「そして、その時に消えたものは人々の記憶からも消えるらしい」

 

 それだけ聞いてルーリーノは少し恐怖する。それから少なくともこの事件以降にニルが閉じ込められていた理由が分かった。

 

 その時何があったのかわからなくてもニルの持つ異質さには気がつくだろうから。

 

「もしかして、より強い人を探していたのって……」

 

「もしもこの力を使う必要が出てきたときに少しでも遠くまで俺から離れてもらうためだな。範囲は恐らく俺を中心にあの大穴と同じくらいか」

 

 始めてニルに会った時のことを思い出してルーリーノが口にすると、それに被せるようにニルが答える。

 

 ニルの答えを聞いたルーリーノが少し呆れた声を出す。

 

「どうしてそれを今言うんですか?」

 

「思っていた以上にルリノが強かったから使う必要ないと思ったからな。後ユウシャの力について言うには初対面じゃ信用はできないし」

 

 「あとはタイミングがなかったからな」とニルは何でもないように言う。それを聞いてルーリーノが尚も呆れた声で話した。

 

「確かに初対面で教えるようなことじゃないかも知れませんが、もしもその力を使うときはどうするつもりだったんですか? あと、私はルーリーノです。ちゃんと伸ばしてください」

 

 ルーリーノが言い終わるのを待たずしてニルは笑いだす。その様子を見てルーリーノが「何笑っているんですか」と怒る。

 

「いや、何か久しぶりに名前を注意してきた気がしてな」

 

 ニルは笑いの残る声で言ったあとで、改めて口を開く。

 

「力を使う時には全力で逃げろと言えばいいかと思ってた。それで逃げられるような人を探してたわけだし」

 

 ルーリーノがどこか納得できない気分になったところで目的地に着いたので気持ちを入れ替えるために一つ息を吐いてから言う。

 

「さて、ここからが本番ですよ」

 

 言いながらくるっとニルの方を向いたルーリーノの後ろに、ニルは大きな岩の塊を見た。



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登山

「なあ、これどうやって登るんだ?」

 

 ニルが呆れたような顔をしてルーリーノに尋ねる。

 

 ルーリーノは高々と聳える岩山に目を向けると、やや上の方に指を向けた。

 

「あそことか、あそこなんかに細い道のようなところはありますし、そこまでは何とか自然にだったり、人工的にだったりで出来た窪み何かを使えば行けるでしょう」

 

 そう言われニルがルーリーノの指さしたほうを見ると確かに人一人がギリギリ通れるくらいの道が見えなくもない。

 

 岩肌もゴツゴツとしていて手や足が引っ掛けられないこともないだろうけれど、最初に休めそうな所に着くまでに人十人分ほどの高さがある。

 

「途中で落ちたら……」

 

「普通は死ぬでしょうね」

 

 ニルが深刻な感じで言った言葉にルーリーノが軽く返す。それを聞いてニルが呆れたように口を開いた。

 

「そんな簡単に死ぬって」

 

「普通は、ですよ。私なら風の魔法を使えば割と簡単に登れますし、ニルだって落ちたとしてもユウシャの力を使えば無傷で済むでしょう?」

 

 そう言って笑うルーリーノにニルは溜息をつくかのような思いで話しかける。

 

「確かにそうだが、それでも一歩間違えれば危険だろ?」

 

「どれだけ準備したって一歩間違えれば危険ですよ?」

 

 さも当然のようにそう返してきたルーリーノの言葉に一理あると思ってしまったニルはそれ以上何も返すことができずに、代わりに大きく深呼吸をして「行こうか」という。

 

「そうですね」

 

 ルーリーノはそう返してからニルに向かって笑顔を見せる。

 

「それでは頑張ってくださいね」

 

「ルリノ何言って……」

 

 急にルーリーノがそんな事を言ったのでニルは驚いた声を出したが、ルーリーノはその言葉を無視して呪文を唱え始める。

 

「ミ・オードニ・ヴェンタ・スフェロ・フルギギ・スー・ラ」

 

 次の瞬間ルーリーノが有り余る魔力に飽かせた大ジャンプを見せると、見えていた最初の休息ポイントへと降り立つ。

 

 ルーリーノはその場に腰を下ろすと、ニルに向かって大声を出した。

 

「私の名前はルリノではありません」

 

 それを下で聞いていたニルは、わざわざそれを叫ぶのかと失笑すると、今のルーリーノの魔法を参考にユウシャの力を使ってみることにした。

 

 上でニルの様子を見ているルーリーノは未だにニルが登ろうとしないので首をかしげながら、ニルに何かあったのか尋ねようかと口を開く。

 

 しかし、その口は急に飛び上ってきたニルの姿を見て閉じられてしまった。

 

 一瞬でルーリーノの目の前を通り過ぎていったニルは、ルーリーノが飛んだ高さの三倍以上もの高さまで飛び上る。しかし、飛んでいった先には良い着地地点がなくそのまま落ち始めた。

 

「あー、落ち始めちゃってますね」

 

 他人事のようにルーリーノはそう呟くと、呪文を唱え始める。

 

「ミ・オードニ・ファルミ・ブロヴァ・フォスト」

 

 瞬間まるで間欠泉のように下から風が吹きあげ、ニルの落下の勢いを殺す。

 

 それから、ニルがルーリーノの目の前までやってきたところで、ルーリーノはニルの腕を捕まえて決して広いとは言えない足場に引っ張り込む。

 

「悪いな」

 

 ルーリーノに引っ張られたニルはそんな風に礼を言う。

 

「力の制御ができないのにこんなことやろうとするからですよ?」

 

 非難の色を滲ませながら睨むようにルーリーノがニルに言うと、ニルはばつが悪そうに頭をかく。

 

「飛び上るって普通に魔法使うのと勝手が違うんだな」

 

「そうですよ。どの位の威力の魔法を使えばどれくらいジャンプできるのか。それをしっかり計算していないと、今のニルのようになります」

 

 ルーリーノにそう言われ「そうだな」と返したニルはふと思うことがあったので続けようと口を開く。それを見ていたルーリーノは少し首をかしげた。

 

「助けられて聞くのもなんだが、そんなに魔法使って魔力持つのか?」

 

 前回の遺跡に行った時のことを思い出しながらニルが問うと、ルーリーノが少し不機嫌な顔をする。

 

「前回は移動中ずっと魔法使ってましたし、何より雷が負担が大きかったんですよ」

 

「やっぱり、そうなんだな」

 

 ニルが納得したようにそう言うと、ルーリーノは「そうです」と言ってから続ける。

 

「今の魔法で雷を落とすためには、それこそ自然現象を無理やり起こさなくてはいけません。ですから、ただ炎を出すとか風を吹かせるなんかよりも何倍も魔力を使ってしまうんですよ」

 

 ルーリーノがいつもに比べると少しだけ必死そうにそう言うと、ニルは「なるほどな」と分かったのか分からなかったのかよく分からない返事をする。

 

 それから、ニルがトリオーの遺跡について思い出していると、もう一つルーリーノに対して疑問が湧いた。

 

「そう言えば、杖はどうしたんだ?」

 

 ルーリーノが持つには些か自己主張の激しい大きさをした杖をルーリーノが持っていないことに漸く気がついてニルが尋ねると、ルーリーノは一瞬きょとんとしてそれから「まあ、状況が状況でしたけど……」と呆れ顔でため息交じりにそう呟く。

 

「将来有望な若者にあげちゃいました」

 

 軽い口調でルーリーノが言うと、今度がニルが微妙な顔をする。

 

「あげたって……」

 

「まあ、色々あったんですよ」

 

 昨日のことについてニルに話す気のないルーリーノはそれだけ言うと「さて、休憩もこれくらいにしましょうか」と言ってニルの反応を待たずに呪文を唱える。

 

「あ、おい。ルリノ」

 

 ニルが引き留めようそう声をかけた時、ニルの前にはすでに誰もいなかった。

 

 

 

 

「もう少しで頂上ですね」

 

 岩山を登り始めてから数時間、特に大きな問題もなく二人は頂上少し手前まできていた。太陽はまだ赤くなるには少し早いくらいの時間で、しかし麓にいた時よりも気温は低い。

 

「ニル聞いてますか?」

 

 返事が返ってこないことを不思議に思いルーリーノが改めてニルに声をかけると、ニルは「あ……あぁ」と曖昧な返事をする。

 

 ニルの様子が変なので「どうかしたんですか?」とルーリーノがニルに尋ねる。

 

「あ、そうだな。本当に何もなかったなと思ってな」

 

 言い訳がましいニルの話し方に、ルーリーノはそれがニルの本意ではないなと気がついたが、敢えて言及はせず口を開く。

 

「今日は探索はそこそこで、野宿の準備をしっかり行いましょうか」

 

「そう言えば、この岩山で野宿できる所なんてあるのか?」

 

 今までの道のりを思い出しながらニルがそう尋ねると、ルーリーノは「実は……」と勿体ぶるように話す。

 

「この山の頂上はまるで何かに切られたかのように平らになっているんですよ。だからと言って何か特別なものがあるわけでもないのですが」

 

 ルーリーノがそう言い終わる頃には頂上が見えはじめ、その言葉通り小さな村が入りそうな大きさの平地が現れる。

 

 それを見てニルが「確かに平だな」と言って、最後その上に飛び乗る。ルーリーノもそれに続いて山頂に足をつけると、ニルに声をかけた。

 

「さて、とりあえず、野宿の準備でも……」

 

 そこまでルーリーノは言うと、僅かに殺気を感じてさっと身を翻す。直後ルーリーノが居た場所に大きな水の塊が飛んで来る。

 

 ルーリーノは先ほどのニルの様子を思い出すと反射的に「ニル」と叫ぶ。

 

 その声で我に返ったニルはその水球を避ける余裕はなく、何とかユウシャの力を使うために言葉を発した。しかし、水塊の重さに負け気がつけばニルの視界はひっくり返り、地面に向かって落下していた。



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 ニルが山から落ちてしまったのを見やってからルーリーノは水塊が飛んできた方を睨みつける。

 

 そこにいたのは青の髪に青い瞳、それから黒いスラッとした服を着た若い――とは言ってもルーリーノよりは年上二十歳前半と言ったところ――眼鏡をかけた男性が悠然と立っていた。

 

「ユウシャと言ってもこの程度ですか」

 

 青くて黒い男性はやれやれと言った感じで首を振りながらそう言うと楽しそうにルーリーノを見る。

 

「それに比べて貴女はなかなかに楽しめそうですね」

 

「貴方もユウシャの使いなんですか?」

 

 ルーリーノはニルが未だにリーベルのことを引きずっていて、そのせいで水塊を避けることができなかったのは知っていたが、敢えて口にせず男性にそう尋ねる。

 

「北の方には行っていたんでしたね。そうです、わたくしもかつてユウシャによって作られた一人。まあ、チンロンとでもお呼びください」

 

 チンロンと名乗った男がそう言って恭しく頭を下げる。ルーリーノはそんな男の行動を無視するように口を開いた。

 

「楽しめそうとはどういうことでしょう?」

 

「我らユウシャの使いというのは、実に千年ほど生きているわけですが、どうにも退屈でしてね。

 

 北とは違いここには何もありませんからなおのこと。ですからユウシャが来た時にはその退屈しのぎでもしてもらおうと思ったのですが……」

 

 チンロンはそう言うと残念そうにニルが落ちていった方を見る。

 

 そんなチンロンの様子をルーリーノは少し腹立たしい思いで見ていたが、実際別のことに気を取られていた方が悪いので一度その気持ちを振り払う。

 

「それで代わりに私で退屈しのぎをしたいわけですね」

 

「そういうわけです」

 

 チンロンはそう言うと作ったような笑顔を浮かべる。

 

「まぁ、わたくしを倒さなければ貴女方の目的は達成されないわけですが」

 

 そう言ってクックックと笑うチンロンにルーリーノは思い出したかのように声をかける。

 

「そう言えば、この山のどこにユウシャの遺跡があるんですか?」

 

「それはわたくしを倒してからのお楽しみ……といいたいところですが」

 

 チンロンはまるでユウシャの使いである自分にまるで負ける気がないといった様子のルーリーノを見てから言葉を付け加える。

 

「この下ですよ。ただ、入口はわたくしを倒さないと開かないようになっていますが」

 

 「これでよろしいでしょうか?」と、チンロンが意味あり気に笑ったのでルーリーノも笑顔で返す。

 

「はい、ありがとうございます。これで貴方を跡形もなく消し去ることができそうですね」

 

 ルーリーノの言葉にチンロンはおどけた様子で「おお、怖い怖い」と言うと、その身体が青色に光り出す。

 

 それから徐々に細長くなっていき、最終的に宙に浮く巨大な蛇のような形を成した。

 

 しかし、角があり鼻が出っ張っており、腕とも足ともとれるものまで生えている。背には魚の背びれのように毛が生えていて、全体的に青みがかった色をしている。

 

「はじめてみる生き物ですね」

 

 ルーリーノがチンロンの姿に驚きと感動を覚えつつそう呟いたのが聞こえたのかどうなのか、チンロンが『それじゃあ、行きますよ』と言う。

 

 直後、ルーリーノに向かって沢山の水塊が飛んでいき、それをルーリーノが避けるたびに山にあたって大きな水しぶきを上げた。

 

 チンロンは悠々と空を飛びながらルーリーノに水塊を飛ばす。

 

 しかし、それだけでは埒があかないと悟り、山の上一帯に雨を降らせる。

 

 激しすぎるが故に当たると痛さまで感じてしまうほどの雨は、容赦なくルーリーノの視界を奪いそれに伴いルーリーノの動きが鈍くなる。

 

「ミ・オードニ・セキギ」

 

 そんな中ルーリーノはそう呪文を唱え、自分の周りの水だけを蒸発させ最低限の視界を確保する。

 

『こんなものですか。少し期待外れです』

 

 チンロンにはルーリーノが何とか視界を確保し攻撃を避けているだけのように見えたので残念そうにそう言った。

 

 激しい雨音にその言葉はルーリーノには届かなかったが、ルーリーノはニルが居ない今なら実験に丁度いいかと思い二、三度瞬きをする。

 

 

 

 次の瞬間チンロンの視界が白い靄で埋め尽くされた。それが晴れ始めると、その靄の切れ間からチンロンは乾いた岩肌を見た。

 

『ほう、これはこれは』

 

 激しい雨も、人一人を吹き飛ばせるほどの水の塊も瞬く間に蒸発してしまう世界。それを見てチンロンは嬉しそうな声をあげた。

 

 それからチンロンはこの世界を作り上げたのであろう少女を探す。

 

 それほど時間をかけずに見つけることの出来た少女の姿は、しかし先ほどまでとわずかに異なっていた。

 

『目の色が紫になってしまいましたね。もしかして、魔力が切れかけているんですか?』

 

 チンロンははじめルーリーノをからかうようにそう言ったが、ルーリーノがその怪しく光る紫の目でチンロンを睨んでいるのを見て、僅かに嫌な予感を覚える。

 

『これで終わりです』

 

 早く決着をつけようとしたチンロンがそう言って今までとは比べ物にならない量の水でルーリーノを押しつぶす。それはまるで小さな山のようで、しかしすぐにその姿を消してしまった。

 

 それを見たチンロンが感嘆の声を洩らすより早く、その身体が炎に包まれた。

 

 本来の身体の周りに高密度の水で作った身体は見る間に蒸発し尽くし、千年以上の生が終わりをむかえる直前、声にならない声でチンロンは『こんな子とユウシャが一緒にいるなんてね。なんて皮肉なんでしょう』と笑った。



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夜の訪れ

 真っ白な世界の中ルーリーノは一先ず終わったのだとその場にストンと座り込む。

 

「最後のはちょっとヤバかったですね」

 

 ルーリーノはそう呟くと、チンロンの最後の攻撃を思い出し始めた。

 

 呪文詠唱の途中で急にのしかかってきた水の重み。それを相殺しきれなくなったため詠唱は中断させられ、使わざるを得なくなった奥の手。

 

「それに、この装備じゃなかったら無傷じゃ済まなかったですね」

 

 そう言ってルーリーノは自分の着ている服を見る。

 

 トリオーでの戦いでルーリーノは気が付いていたが、流石は姫巫女様が使っていた装備というのか、ニルの直刀には及ばないもののそれでも強力な魔法が掛かっている。

 

 ルーリーノ自身どんな魔法が掛かっているのか、その全てを把握できないが、少なくとも強力な耐熱効果はある。

 

 そのお陰でルーリーノは灼熱の業火で大量の水塊を蒸発させてもその中にいる自分の身を守ることができた。

 

 もちろん、ルーリーノ自身、自分の魔法から身を守る方法ぐらい会得しているが大きな力を使えば使うほど自分の身を守るために使う魔力も膨大になりあれほどの威力は出せなかったかもしれない。

 

 特にやることのなくなってしまったルーリーノが次に気にしたのは自分の目について。何とかこの場でその色を確認することはできないかと考え、結局魔法を使ってどうにかするしかないという考えに行きついたところで諦める。

 

「まあ、ニルが戻ってくるまでに青色に戻るでしょう」

 

 それからルーリーノは周囲の様子を観察してみる。あれだけ激しい戦いがあったというのにはじめここに辿り着いた時とそんなに変わらない気がした。

 

「確かに遺跡がありそうですね」

 

 ルーリーノはそう呟いて、遺跡の入り口を探そうかと思ったがニルが戻ってきてからでいいかと思うと空を見上げた。

 

 ルーリーノの目に暗くなりかけている空が映る。

 

 太陽の高さほどまではオレンジ色に染まり、そこから離れていくに連れ青が深くなっていく。

 

 浮かんでいる雲は低い位置ならば太陽の逆光で黒く見え、高度が高くなるにつれて白く見えた。

 

 太陽とは真逆の方を見ると、点々と星が見えはじめそれがなんとも夜の訪れを感じさせる。

 

「ニルが戻ってくるときには真夜中ですね。ここが亜獣のいないところでよかったです」

 

 ルーリーノはそう言うと、魔力の回復も兼ねて空を眺めることにした。

 

 

 

 ニルが戻ってきたのは、はじめルーリーノと登った時の時間の四分の三と言ったところ。

 

「ルリノ大丈夫か」

 

 肩で息をしながらニルがそう言ったのに対して、ルーリーノは

 

「思ったよりも速かったですね。あと私はルーリーノです」

 

 と軽く返す。ニルはそんな二人の認識に内心首をかしげる。その疑問にルーリーノが意図せず答えた。

 

「ニルをここから落としたユウシャの使いは私が倒しておきましたよ」

 

 それを聞いてニルは驚いた顔をする。

 

 何せ、前回のアカスズメを倒したときニルはユウシャの力を頼って漸く倒したようなものだったのだから。

 

 だから思わず「よく倒せたな」と呟いてしまう。

 

 ルーリーノはそのニルの言葉に特に嫌な顔もせず、むしろ綺麗な青色の目を細めて「そうですね」と話し始めた。

 

「もしも炎使いだったなら危なかったですが、幸い水でしたから」

 

「どういう事だ?」

 

 ルーリーノの言葉の意図が読めずニルがそう口を挟む。

 

「私の得意とする魔法は風と火です。ですから相手が水ならそれを蒸発させてしまえばいいんです。

 

 風は火を補助するには持って来いですから、まあ何とか相手の出力を上回れたと言ったところですね」

 

 そこまで言われてもニルにはそう言うものかと言った理解しか得られなかったが、ルーリーノが無事だったというだけで十分かとそれ以上は聞かなかった。

 

 その代りというわけでもないが、ルーリーノがニルに向かって叱るように言う。

 

「それよりも、壁の外で他のことに気を取られるのはいけませんよ」

 

 そう言われてしまえば、言い訳などできるはずのないニルは「ああ、気をつける」ということしかできなかった。

 

 それでも、またルーリーノにまくし立てられるのではないかと思っていたニルだが、その予想に反してルーリーノは一つ溜息をつくだけだった。

 

「まあ、ニルの状況が状況だったので仕方ないかもしれませんが、冒険者を続けていくなら割り切ってください。ニルが死んだらそれこそ意味がないんですよ?」

 

 諭すようにルーリーノがニルにそう言うと、ニルは素直に「わかった」と返した。

 

 

 

「それで、ユウシャの遺跡ってどこにあるんだ?」

 

 所々雲によって真っ黒に塗りつぶされている星空の下、ニルがそう尋ねるとルーリーノは地面を指さした。

 

「曰くこの下にあるそうです」

 

 ニルはそれを聞いて怪訝な顔をする。それを見たルーリーノが詳しい説明を加える。

 

「使いを倒すと何処かでこの下に入るための入り口が出てくるそうですね。探そうかとも思いましたが私も消耗していましたし、ニルにも働いてもらおうかと思ってまだ入口は探してないです」

 

 ニルはルーリーノの言葉にため息の出る思いだったが、確かに今回働いていないのは事実ではあるし、ぐっと言いたいことを抑える。

 

「それでなんですが、ニルは今から探したいですか? それとも明日の朝から探しますか?」

 

「今から探すか。たぶんすぐ見つかるだろうし、前回と同じなら外で寝るよりもだいぶましだろう」

 

 ルーリーノの問いにニルがすぐに答えたので、ルーリーノが少し驚く。しかし、言っていることは的を射ているようなので「そうですね」と返してから、せめて地面だけでも見えるようにと呪文を唱えた。

 

 

 

 結論から言うと遺跡への入口はすぐに見つかった。平らになっている山頂の丁度中央、そこに不自然に下に続くドアがありそれを開くとすぐに縄梯子が見える。

 

「ここから下ればいいんでしょうね」

 

 ルーリーノの言葉にニルは頷き、縄梯子を下り始める。その間ルーリーノは入り口で待機してニルからの報告を待つ。

 

 ルーリーノが考えていたよりも少し長い時間がかかって下からニルの声が掛かった。

 

「降りてきていいぞ」

 

 ニルにはあらかじめ例の光る石を持たせているので、ルーリーノはぼんやりと光る所まで行けばいいのだが、やはり思いのほかに深い。

 

 ルーリーノが縄梯子に足をかけると、僅かにギシッと音を鳴らして軋む。しかし、それが切れる様子はまるでなく、ルーリーノはゆっくりと下りて行く。

 

 縄梯子が通っているのは大人の男性が楽に上り下りできるほどの広さの四角柱の空間。

 

 そのどの面も岩肌が露出しているのだろうが、真っ暗で確認することはできずルーリーノは手探りのような形でしか降りることが出来ない。

 

「通りで時間がかかるはずですね」

 

 ようやく地面に降り立ったルーリーノはそう洩らす。それからニルの持つ石で明るくなっている空間を見回す。

 

 気分としては石の中に入り込んだと言った感じだが、実際そうなのでルーリーノは言葉に出すことはなく、この岩だらけの空間で唯一目を惹く木製の扉を見る。

 

「それじゃ、入るか」

 

 ニルはルーリーノの様子を見てからそう声をかける。「はい」とルーリーノが返したのを確認してニルは扉を開けた。

 

 

 

 扉の中は前回の小屋よりも一回り広い空間で、側面は岩肌が露出している。

 

 しかし、家具はそれなりに置かれていて、何も入っていない棚や簡単な作りをした机と椅子。それから二段ベッド。地面には白っぽいカーペットが敷かれている。

 

 そこまでは二人も分かるが、積まれている黒い輪っか型の弾力のあるものや天井付近にある見たことのない素材で作られた白くて四角い何か、壁に掛けられた放射線状に線の引かれた円状の物は何かわからなかった。

 

「調べるところもあまりないと思いますが今日中に調べちゃいますか?」

 

 ルーリーノが尋ねると、ニルは首を振る。

 

「疲れた状態で探しても見落としとかあるかもしれない。せっかくベッドもあるし休んだ方がいいだろう」

 

 それを聞いてルーリーノは「それもそうですね」と返す。

 

 結局今日中に調べたとしてもここで夜を明かすのは変わらないのだから、それだったらニルの言ったとおり疲れた状態よりも、万全の状態で捜索した方がいいに決まっている。

 

「ニルはどちらで寝ますか?」

 

 ルーリーノがベッドを指さして尋ねると、ニルはすぐに「下」と答える。ルーリーノは「わかりました」と言って備え付けられている梯子を登った。

 

 天井が近づいたが、中腰くらいなら頭が当たることはなく、それよりもしっかりとしたつくりのこのベッドに少し驚く。

 

「絶対に覗かないでくださいね」

 

 そう下にいるニルに声をかけると、「そっちこそな」とぶっきら棒な声が返ってきて、少しルーリーノは可笑しくなる。

 

 ルーリーノは下を意識しつつも一度服をすべて脱ぎ魔法で身体を清めた後で身軽な格好になりベッドに横になる。

 

 登山と戦闘でルーリーノも少なからず疲労がたまっていたので、すぐに意識を持っていかれそうなったが急に下から「ルリノ起きてるか?」と言われ再度意識が覚醒する。

 

「私はルリノじゃないです」

 

 律儀にそう返してくるルーリーノにニルは思わずクスリと笑ってしまう。幸いそれがルーリーノに聞かれることはなかったが。

 

 それからニルは、ルーリーノがどうしたのだろうと首をかしげるまで躊躇ってから口を開く。

 

「……今日は助かった」

 

「今日というと、ユウシャの使いとの戦闘のことですか?」

 

 ルーリーノがそれだけでここまで躊躇うものだろうかと、やはり首をかしげながら聞き返す。ニルは一度口を開いた事で話しやすくなったのかすぐに答える。

 

「まあ、それもそうなんだが、マオウについてな。ルリノがああ言ってくれなかったら多分あそこで立ち止まってたと思う」

 

 ニルにしては珍しい素直な言葉に、しかしそれが故にルーリーノは胸を締め付けられる。

 

「私だってニルに立ち止まられたら困りますから」

 

 冗談を言うような感じでルーリーノがそう返すと、ニルは「それもそうだな」と笑ってから「言いたかったのはそれだけだ。それじゃ、おやすみ」と言う。

 

 それに対してルーリーノは「お休みなさい」と返したが、しばらくの間眠りにつくことができなかった。



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ユウシャの遺跡その2

 次の日、ルーリーノが目を覚ますと辺りはまだ薄暗かったが、ガサゴソと何かを探しているような音がした。

 

 しかし、すぐに辺りが薄暗い程度な事に疑問を覚える。

 

 岩山の内部、光源は持って入るが昨日ニルに渡したものは既に光を発さなくなっているはずで、本来なら真っ暗であるはずだと、そう気がついたルーリーノは急いで起き上がる。

 

 その時に気付かれたのか下の方から「遅かったなルリノ」とニルの声がして、ルーリーノは少し安心する。

 

「ルーリーノです」

 

 と、一度そう返しておいて「遅かったですか?」とルーリーノが首をかしげる。

 

「まあ、ルリノにしてみたらな」

 

 姿の見えないニルからそんな風に返ってきてルーリーノは溜息をつく。

 

 それから「さっきの今でも駄目なんですね」と呟いたがそれはニルには聞こえなかった。

 

 ルーリーノが寝ていたままの恰好で梯子を降りるとニルは部屋の中を捜索していた。

 

「そう言えばどうしてここまで光が届いているんですか?」

 

 先に起きていたというならもしかしたら知っているかもしれないとルーリーノはニルに尋ねた。

 

 すると、ニルは入り口の方へと歩き出す。それから、壁を触ったかと思うと薄暗かった部屋が急に明るくなった。

 

 その明るさに思わずルーリーノは手で目を覆う。

 

「ここを押すとどうも明かりがつくらしい」

 

 光に慣れてきた頃ルーリーノはニルのいる出入り口付近に向かい、ニルが触っていた辺りを見る。

 

 そこには何やら出っ張りがあり、恐る恐るそれをルーリーノが押すと天井で光っていたものの明るさが弱くなり先ほどの薄暗さになる。

 

 もう一度押すと完全に消え、さらに押すと明るくなる。

 

「魔力を流す装置みたいですが……」

 

 ルーリーノがそう言うと、ニルがどういうことか尋ねる。

 

「光る石の話は前にしたと思うんですが、いろいろなタイプがありまして、これは多少魔力が使える人が使うようなものに似ているんです」

 

「つまり、その装置に魔力を流して天井の石に明かりを灯すってことか?」

 

 ルーリーノの話を総合して思いついたことをニルが言うとルーリーノが頷く。

 

「まあ、ニルでも使えたということは何か違うんだと思うんですが、どういう仕組みかまではすぐにはわかりませんね……」

 

 そう言ってルーリーノが首を振ると、ニルは「そうか」とだけ言って捜索を再開した。ルーリーノもそれに続いて部屋の中を見て回る。

 

 昨日薄暗い中で見たものと大して変わらないが、光が強くなった分色がよく分かるようになった。

 

「それにしても、ここにあるものはどうやって持ってきたんでしょうね」

 

 二段ベッドを見上げながらルーリーノが言うと、ニルが首をかしげる。

 

「どう見てもこのベッドなんてあのドアに入りませんし、そもそも無傷のままここまで降ろすことなんで出来ないと思うんですよね」

 

 「もしかして、ユウシャの力があればできるんですかね?」ルーリーノが何気なしに言った言葉にニルが考える。それからさほど時間をかけずにニルが口を開いた。

 

「たぶん出来るな」

 

「本当ですかっ」

 

 ルーリーノが驚いたような声を出す。それに対してニルが頷いた。

 

「俺には出来ないが、前のユウシャは使いこなせていたはずだろうから余裕だろう」

 

 それを聞いてルーリーノが戦慄する。

 

 例えばこの中で作るつもりで材料を先にこの中に入れようとしたとしても二段ベッドの足となる部分はどう足掻いても扉を通らない。

 

「だいぶ驚いているみたいだが、そもそもこの空間を作ったのがユウシャだろう? それにもしかしたら頂上が平らなのもユウシャじゃないのか?」

 

 ルーリーノがどうやって家具を中に入れるのかを考えているとニルがそう言ったので、ルーリーノは一度考えるのを止める。

 

「そう言えばそうですね……」

 

 魔法でこれらのことをやるとなると……と考えてルーリーノはすぐに無駄だとわかり考えるのを止める。

 

「やっぱりはあったぞ」

 

 ルーリーノが考えている間にも捜索を続けていたニルがそう言ってルーリーノを呼ぶ。

 

 ルーリーノがニルの所まで行くと、ニルがひとつ前の遺跡で見つけたものによく似た本を持っていた。

 

「それどこにあったんですか?」

 

「机の中。まあ、考えてみれば厳重に隠す意味とかないしな」

 

 ルーリーノの質問にニルがそう答える。ルーリーノはそれはそうだと思いながらニルの後ろから本を覗きこむ。

 

 本には前回と同じような形でこう書かれていた。

 

『世界の根幹とも言うべきルールは時に意図しないものまで縛ってしまう。

 

 このルールに捉えられたが最後簡単に抜け出すことはできない。

 

 今ルールはイレギュラーを捉えてしまったために停止してしまっている。

 

 かつて三人のユウシャは亜人の王を倒したが、すぐにマオウが生まれた。

 

 次は南へ。人がいくことのできない孤島。もしも、マオウを倒そうというなら向かうと良い』

 

「今のマオウはお伽噺のマオウとは違う……」

 

 これより先は例によってルーリーノには読めないので、読めるところまで読んでそう呟く。

 

 その呟きに込められていたのは安堵。ニルに対する後ろめたさの払拭。マオウが変わっているならば話が通じるかもしれない。

 

「何か言ったか?」

 

 ルーリーノよりも先を読んでいたニルはそう尋ねる。

 

「いいえ、なにも」

 

 事実とは違うが、ニルに今の気持ちを知られるわけにはいかないルーリーノは少し驚いたような演技をしながらそう答える。

 

 

 

 それからニルがすべて読み終わったであろうタイミングでルーリーノが口を開く。

 

「今回は前よりも展望が見えた気がしますね」

 

 その言葉にニルが頷いて話す。

 

「世界のルールが機能しなくなったから正常にしろって言われてる感じがするな」

 

 ルーリーノはそれを聞いて少し考えるような表情を見せる。

 

「それは、そうなんですけど、マオウに関して少し思いませんか?」

 

 ニルはそう言われてもピンと来ず首を振る。

 

「今回のは最後に『マオウを倒そうというのなら』とわざわざ付けているんです」

 

 ルーリーノが該当箇所を指さしながらそう言うとニルがそこを見ながら「そうだな」と返す。

 

 その反応でまだ理解できていないのだと思ったルーリーノは続けて話す。

 

「つまり前のユウシャはここでニルがマオウを倒すことを躊躇う可能性があると思ったのか、もしくは敢えてこう言うことでマオウを倒すということに対して疑問を植え付けようとしたのだと思います」

 

「それって後者の場合……」

 

 ようやくルーリーノが言わんとしていることを察したニルが恐る恐るそう言う。

 

 ルーリーノは頷いて、それから首を振った。

 

「でも、結局推測の域は出ませんのであまり考えても仕方無いとは思います。それに仮に後者だったとしても結局マオウを倒すように誘導しているんですから」

 

 ニルが何やら難しい顔をしたあと、諦めたように頷くのを見てルーリーノはもう一度口を開く。

 

「それで、私が読めない所はどうだったんですか?」

 

「前と同じだな」

 

 それを聞いてルーリーノが大きく溜息をつく。

 

「まあ、何となくわかってはいましたが……」

 

「今回は身体強化ってところか」

 

「まさか一度使うと光よりも速く動けるようになるとか言いませんよね?」

 

 前回の魔法が制限がなかったという事で、そんなことあるわけないと思いつつもルーリーノは尋ねる。

 

 それに対してニルは首をふってから答えた。

 

「一応俺の身体が耐えられる程度で抑えられるらしい」

 

「つまり、身体が耐えられれば可能だったわけですね」

 

 ルーリーノが溜息も出ないと言った感じで声を出すと、ニルが頷く。

 

「それじゃ、次の遺跡に向かいましょうか」

 

 ルーリーノが少し拗ねたような感じでそう言うとニルが「怒ってるのか?」と尋ねた。

 

 ルーリーノは笑顔で首を振ると扉の方へ向かいながら話す。

 

「全然怒ってないですよ?」

 

 その声にほとんど感情が込められていないのに逆にニルが怖さを覚え始めた頃、ルーリーノがもう一度口を開いた。

 

「そう言えば、私降りるとき風の魔法を使って一気におりますので、ニルは無敵になるなりなんなりで勝手に降りてください」

 

 そう言って扉から出て言ったルーリーノに向かってニルは「やっぱり怒ってるだろう」と呟くことしかできなかった。



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ウンダの町

 西の山を下り、二人は海沿いに南へと足を進めていた。

 

 海を右手に見ながらと言うのはニルにしてみれば新鮮なもので、時折海の方に視線を向ける。

 

「海が珍しいのはわかりますが、気を付けてくださいね」

 

 いつの間にか機嫌を直したルーリーノがニルにそう言うと、ニルは首をかしげて「気をつける?」という。

 

「塩風は知らないうちに喉にダメージを与えたりしますから」

 

 そう返したルーリーノにニルは「そう言うものなのか」とあまり気にしていない様子で言う。

 

 ルーリーノとしてもこの反応は予想できていたらしく、特に気にした様子もなく歩き続けた。

 

「そう言えば、この辺は今までより道がしっかりしてないんだな」

 

 足元をみれば植物が伸び放題、かろうじて二人が歩いている所は何度も踏まれて低くなってはいるが、道というにはあまりにも心もとない。

 

「まあ、街道ではないですからね」

 

 あまりにもさらっとルーリーノがそう言ったのでニルは一度「そうか」と納得しかけたが、すぐに事の異常さに気がついて頭をふる。

 

「いや、街道じゃないってどういう事だ? メリーディに行くんじゃなかったのか?」

 

 メリーディとはキピウムの南にある国であり町。この場合は町の方のメリーディ城下町を指していて、ルーリーノもそれに頷いて返す。

 

「そうですよ。むしろ殆どメリーディの国に入ったといえるくらいです」

 

 ルーリーノが笑いながらそう返すのでニルは少し不機嫌そうな声を出す。

 

「ルリノそれわざと言ってるだろ?」

 

「ニルがいつまでたっても私をルーリーノと呼ばないからです」

 

 ルーリーノも少し頬をふくらませてそう言うと、一つ溜息をついてからちゃんと答える。

 

「あそこからメリーディだと確かに街道を通った方が速いんですが、途中に町や村がほとんどなく野宿になる可能性が高いんですよ」

 

「じゃあ、ここを行けば丁度いい場所に町か村があるんだな」

 

 ニルが尋ねると、ルーリーノは「そういうわけです」と返した後で「まあ、」と続ける。

 

「ここの道を知っている人は少ないですけどね」

 

「こんなじゃ、徒歩で荷物も少なくないといけないからな」

 

 ときおり足に絡みついてくる草を引きちぎりながらニルが言うと、ルーリーノは少し複雑な顔をして口を開く。

 

「本当は行きたくないんですけどね。こちらを通ると下手すると数日遅くなりますし、会いたくない人もいますからね……」

 

 ルーリーノが本当に嫌そうに言うのでニルは珍しいものを見るかのような目でルーリーノを見る。

 

「それなのにそこに行くのはやっぱり安全だからか?」

 

 ニルが尋ねるとルーリーノが頷く。その顔は嫌そうなままではあるが。

 

「夜中に毒を持った亜獣に囲まれでもしたら、もしかしたらということがありますし、それに会いたくはないですが、あって損するという人でもないですからね」

 

 ルーリーノがそう言い終わったとき、不意にニルが直刀を地面に突き刺す。

 

 ルーリーノが特に驚くこともなくそれを見ていると、ニルは直刀を引き抜きその切っ先にいる人の腕ほどの太さをした蛇のような生物をルーリーノに見せた。

 

「その毒を持ったって言うのはこいつか?」

 

「そうですね。そう言った亜獣は昼間も襲ってきますが基本は夜行性で、夜に出てくるときは群れでやってきます」

 

 「昼間にいるやつは基本的に群れを追われた個体ですね」とルーリーノが説明し終わったところでニルが口を開く。

 

「こいつの毒ってどれくらい危険なんだ?」

 

「そうですね。何の処置もしなければ噛まれて一分以内には心臓が止まるレベルでしょうか」

 

 ルーリーノはあっさり答えたが、内容が内容なだけにニルは一度身震いをする。

 

 それからこの道を通りこう言った亜獣を避けようとしているルーリーノの判断の正しさに感謝した。

 

 そこでニルはふと何かを思いついたように話し出す。

 

「そう言えばルリノは噛まれたこととかあるのか?」

 

 ルーリーノはひとつ溜息をついて「ルーリーノです」と言ってから答える。

 

「呪文を唱えるのがあと少し遅かったら危なかったですね」

 

 コロコロと笑いながらルーリーノは、昔あった自分の失敗を照れるように話すが、ニルはそれを聞いてぞっとする。

 

 ルーリーノはそんなニルの様子を見てか、ニルを覗きこむようにして見た。

 

「大丈夫ですよ。当時の私は今のニルよりもだいぶそう言った危機察知能力というものが高くなかったですから。ちゃんと近づいてくる敵を丁寧に倒していけばそんなことにはなりません」

 

「まあ、ルリノが言うならそうなんだろうけどな……」

 

 溜息をつき気味にそうニルが言ったのに対して、ふとルーリーノは自分の頬が赤くなるのを感じて顔をそむける。

 

 ニルは少し首をかしげながらその様子を見ていたが特に何かを言うことをせずに黙ってルーリーノの後ろを歩いていた。

 

 

 

 日もだいぶ傾いてきた頃ニルがルーリーノに声をかける。

 

「そう言えば、ルリノの言っていた会いたくない人ってどんな人なんだ?」

 

 ルーリーノは「ルリノじゃないです」と言ったあとで、とても憂鬱そうな表情を作る。

 

「どんな人というより……そうですね。最強の魔導師と言われている人です」

 

「ペレグヌスのことか?」

 

 ニルが名前を出すと、ルーリーノが驚いたように「そうです」と返す。

 

 それから、その驚いた様子のままでルーリーノは続ける。

 

「知っていたんですね」

 

「まあ、有名だしな。とはいっても実際に見たことはないし、他人から聞いたってレベルだが」

 

 確かに魔導師ならばペレグヌスの名前は有名ではあるし、ニルには碧眼の魔導師の知り合いがいるのだから知っていてもおかしくはないのかとルーリーノは納得して口を開く。

 

「ニルは彼につてどれくらい知っているんですか?」

 

 情報の重複を避けるために、それからペレグヌスが一般にどんな風に言われているのか気になってルーリーノがそう尋ねると、ニルが少し考える仕草を見せる。

 

「どれくらいって程も知っていないと思うが、確か占いが得意なんだっけか?」

 

「そうですね。あとは水を使って遠くの町の情報なんかも即座に手に入れるみたいなこともやってますね」

 

 「だから会うには悪くはないと思うんですけど……」最後そう、ぼやくようにルーリーノが言うと、ニルが首をひねる。

 

「魔法ならルリノにもできるんじゃないのか?」

 

「前にも言ったと思うんですが、私の得意な魔法は火と風。水や土も使えないことはないですが、ペレグヌスが使うような高度なものとなると今のままだと無理ですね」

 

 ルーリーノが名前に対する注意を我慢しながらそう言うと、ニルは頷く。

 

「それで、ペレグヌスってどういう人なんだ?」

 

 ニルが改め尋ねると、ルーリーノが露骨に嫌そうな顔をする。そのまま何か考えるように腕を組む。

 

「改めてどんな人かと考えると難しいですね。一言で言うと変な人なんですが」

 

 そんなルーリーノの答えにニルはペレグヌスという人物について尚分からなくなる。

 

「まあ、会ってみればわかりますよ」

 

 ルーリーノは考え込んでいるニルの姿を見て、それだけ言って前を向く。

 

 ニルは半ば諦めたような顔を見せると「それもそうだな」と返して、ルーリーノの後に続いた。

 

 

 

 海の傍、塩風に吹かれながら太陽が紅に染まりかけた頃二人の目に頑丈そうな石の壁が見え始めた。

 

 急に現れた人工物はどことなく浮いているようで、しかし周りの自然とともに徐々に赤く染まっていく様子は、やはりそこにあるべき存在であるかのような気がしてくる。

 

 ルーリーノの後ろを歩くニルはもちろんのこと、何度かこの景色を見たことがあるルーリーノも少しだけ、その情景に感動を覚えた。

 

 それでも、それを表に出すことはせずに至って平常に道なき道を歩く。

 

「道から外れている割にはだいぶ頑丈そうな壁何だな」

 

 ニルがふとそう尋ねると、ルーリーノはやや視線を上にあげながら質問の答えを思い出そうとする。

 

「今私たちが歩いている側は亜獣が少し多いところですし、すぐ隣が海なので塩風から町を守るためにあんな風になっているんです。

 

 ですから、反対側に回れば木製の壁になっていたと思いますよ」

 

「その土地にあわせてあるんだな」

 

 ニルは関心をあまり表に出さずにそう言うと視線を海の方へ向け足を止める。

 

 ルーリーノはニルの足音が聞こえなくなったので、何かあったのだろうかと立ち止まりニルの方を見る。

 

 ルーリーノの視線の先には遠く海を見つめているニルが映ったが、その無表情ともとれるニルの様子に何も話しかけることはできなかった。

 

 

 二人が辿り着いたのはウンダの町と呼ばれる場所。

 

 ルーリーノの言葉通り入り口にあたる部分は木で作られた壁で守られていて、入口から離れるにつれて丘を登るように高くなっていく。

 

 町というよりも村に近いようなイメージで、入ってすぐには川を利用した水車や畑、それから牧場のようなところまであり、建物は木で作られた何処か温かみのあるところである。

 

 しかし、町の奥の方へと入って行けば急に景色が変わり、石畳が敷かれ家もそれに伴い石造りのものが多くなってくる。

 

 店と呼ばれるものはそこに存在し、武器や防具に関しては基本的なものしかないが、食料や日用品と言ったものは豊富にそろっていた。

 

「何か今までの町や村とはだいぶ雰囲気が違うんだな」

 

 町のやや奥の方地面が石畳に変わってしまったあとの場所でニルが辺りを見渡しながらそう言う。

 

 それを聞いてルーリーノは「そうですね」と言ってから続けて話した。

 

「ここは忘れられることが多い町だったので、こうやって一つの町だけでやっていけるようになったんですよ。

 

 そういう意味では何となく最初に行った村に近い感じはしますね」

 

 そうしている間に何人もの人が二人を訝しげな顔で盗み見しながら通り過ぎて行く。

 

 二人も気がついてはいたがそう言った視線にはいやでも慣れてしまっているので特に気にした様子は見せない。

 

 しかし、そんな風にのんびりとしていたせいか、気がつけば二人は周囲を全身鎧でまとった集団に囲まれていた。

 

「あまり慣れ過ぎるって言うのも困りものですね」

 

 ルーリーノは少し諦めたようにそう言ってニルの方を見る。

 

「そう思うなら今ここで碧眼の名前を出したらどうだ?」

 

 ニルは呆れたようにルーリーノにそう言うが、ルーリーノは首を振る。それから溜息をついて口を開く。

 

「今いろんな人に私の存在を知られるのはあまりよくない気がするんですよね。下手すると、軽い騒ぎになりますし」

 

 それもそうかと思いながらニルが辺りを見渡すと、ぽつりぽつりと野次馬が増え始めていた。

 

 それからニルは首をふってルーリーノに言う。

 

「もう十分騒ぎになってると思うがな」

 

「それはそうなんですが、きっとこのまま行けばペレグヌスに会えると思いますよ? 隠れ住んでいることにはなっていますが、一応裏ではこの町のトップですから」

 

「何をごちゃごちゃ言っている」

 

 ニルとルーリーノがあまりにも普通に話すので鎧を着た兵士の一人、他の槍を二人に向けている兵士とは少し違った恐らくリーダー的存在が、いらつき気味みにそう言ってくる。

 

 ここで、下手に刺激しても仕方がないと思った二人はそれからはしっかりと口を噤んで兵士長の話を聞く。

 

 兵士長も二人がもう話さないと分かったのか、話を進めるために高圧的な口調はそのままに話し始めた。

 

「確かに怪しい奴らだな、ひとまず着いてきてもらおうか」

 

 そう言われ兵士に囲まれたまま二人は町の奥の方へと連れて行かれた。



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ニルの秘密

「で、そいつらが例の怪しい奴らってわけか」

 

 ニルとルーリーノが連れていかれた先、この町において一番大きな建物の隣の二回りほど小さな建物、その一室、執務室のような場所。

 

 ニル達の前に兵士長と思われる人物、ニル達の後ろには連れてきた兵士たちが姿勢正しく並んでいた。

 

 やや呆れた顔で椅子に座り、机の向こうからニル達を見ている壮齢の筋骨隆々な男。

 

「そうであります」

 

 ニル達の時とはまるで態度の違う兵士長が敬礼をしながら言うと、男はにやにやと笑い出す。

 

「よかったな、五体満足で」

 

 男の言葉に兵士長がよく分からないと言った顔をする。

 

 それでも、男がにやにやと厭らしい笑いを浮かべるので痺れを切らした兵士長が口を開いた。

 

「ペレグヌス様、それはどう言うことでしょうか?」

 

 それを聞いたニルがペレグヌスが反応するよりも先に驚いた表情を見せる。

 

 魔導師と聞いていたので、もっと華奢な男を想像していた所での、ニル以上に筋肉の盛り上がった人物だと心構えなしに言われたようなものなのでそれも仕方がないだろうが。

 

 ニルの中で驚きが渦巻いている間にペレグヌスは口を開いた。

 

「今日、俺の知り合いの碧眼のルーリーノが来るかもしれんと言ったろ?」

 

「は、はぁ?」

 

 兵士長は未だ状況が分からずといった具合に間の抜けた声を上げる。

 

 それを見てペレグヌスは今のこの楽しい状況に笑いを隠すことが出来ない。

 

「今お前たちが連れてきた二人組。そのちっこい方が碧眼のルーリーノだ」

 

「……へ、碧眼の……?」

 

 兵士長が聞かされたことを事実として受け止めることができずに言葉を上手く話せない中ペレグヌスは続ける。

 

「もしかすると「先に武器を向けてきたのはそちらですから、恨まないでくださいね」と、運がよくて半殺しくらいにされてたんじゃないか?」

 

 そう言ってペレグヌスは豪快に笑う。ルーリーノは初めは我慢しながら会話を聞いていたが、声色を変えてまで自分の真似をされたことに我慢することができなくなり声を出した。

 

「気持ちが悪いので私の真似をしないでください。それと、人を危険物みたいに言わないでください。それから、小さくて悪かったですね」

 

 ルーリーノがそこまで一気に言い終わったところで、ペレグヌスはどこか物足りなさを感じすぐにその原因が分かるとすぐさま口を開いた。

 

「元気みたいだな、ルリルリ」

 

「私の名前はルーリーノです。そうやって勝手に名前を変えないでください」

 

 ルーリーノがそうやって怒るところを見てペレグヌスは満足したような顔をした。

 

 対してルーリーノは興奮のあまり軽くではあるが肩で息をしている。

 

 そのやり取りを放心状態で兵士長含め、兵士たちは聞いていたが、頭の中で二人の関係を理解したところで身の危険を覚え始めた。

 

 この町のトップとも言えるペレグヌスの知り合いで、そうでなくとも有名な冒険者、碧眼のルーリーノにとった彼らの態度は決して良かったとは言えず、下手をすれば文字通り首が飛んでもおかしくなかった。

 

「とりあえず、お前たちは下がってくれ」

 

 ペレグヌスの言葉に兵士たちの中に安堵と疑問が浮かんで来る。それは兵士長も例外でなかったので口を開いた。

 

「このまま下がってもよろしいのでしょうか?」

 

「別に構わんよな? ルリルリ」

 

「実際私達も怪しかったですからね。別にどうしようなんて事は思いませんが、その呼び方はどうにかなりませんか?」

 

 「ならんな」とペレグヌスが大笑いをするのを聞きながら兵士たちは今度ことしっかりと安堵し一度敬礼をすると部屋から出て行った。

 

「改めて、元気そうだなルリルリ」

 

「ちゃんとした名前で呼んでくれたらもっと元気になります」

 

 ルーリーノが不貞腐れるようにそう言うと、その不機嫌さに反してペレグヌスの機嫌がよくなる。

 

「それと、初めましてだ。ユウシャ君」

 

「あんたは疑わないんだな」

 

 ニルは一応敬語で話すか考えたが、ルーリーノの様子を見る限りそんな必要ないだろうと思いいつものようにそう返す。

 

 ペレグヌスは特に驚いた様子もなく軽く笑いながら答えた。

 

「あの碧眼のルーリーノと一緒に旅をしているのが普通の人なわけあるまい。それに、そんなの持ってるのユウシャ位だろうよ」

 

 ペレグヌスはニルの腰の直刀を示しながらそう言うと、続ける。

 

「それにしても、全然似てないんだな。やっぱりユウシャの血が色濃く出ているからか?」

 

「似ていないってどういうことですか?」

 

 まじまじとニルを見ながらそう言うペレグヌスの言葉に、いち早く反応したのはルーリーノでペレグヌスがその事に少し驚いた顔をする。

 

「もしかして、ルリルリお前気付いていないのか?」

 

 名前をちゃんと呼んで貰えないことはとても気になる所ではあるが、ルーリーノはそれ以上にペレグヌスが目を丸くして驚いていることに関心がいってしまったので、名前の件は一度置いておいて口を開く。

 

「気づいていないって何にでしょう?」

 

 ルーリーノの質問の直後、ペレグヌスは何かを尋ねるようにニルの方を向き、ニルは今のルーリーノになら大丈夫だろうと、好きにすればいいという視線を向ける。

 

「よし。ルリルリはユウシャ君の刀を作ったのは誰だかわかるか?」

 

 ルーリーノはニルと出会ったときのことを思い出しながら、ペレグヌスの質問に答える。

 

「確かニルの知り合いの魔導師ですよね。私は青目の魔導師だと思っているんですけど」

 

 ルーリーノの話を聞きながらペレグヌスが頷く。それから質問を重ねた。

 

「正直、こんなごつい加護をかけることができるのは俺は一人しか知らんが誰が分かるか?」

 

 その問いにルーリーノは首を振る。

 

「青目で私がまともに魔法を見たことがあるのはペレグヌスくらいですから」

 

「そしたら、ユウシャが作ったとされる国なら分かるだろ?」

 

 急に問いが簡単になったルーリーノは少なからず疑問を覚えながら、とは言っても簡単な質問であることには変わりないのですぐ答える。

 

「さすがにそれ位分かります。キピウムですよね」

 

 むしろ分からない人なんているんですかと言わんばかりにルーリーノが言うのを聞いて、ペレグヌスがもう一度頷く。

 

「じゃあ、今お前が一緒に旅しているのは誰だ?」

 

 流石にそろそろ気がつくだろうとペレグヌスが思い始めたところで、ルーリーノが「えっ」と短い驚きの声をあげて口を押さえた。

 

 それからルーリーノはもう一度考えをまとめて見てからもう一度驚きの声を上げる。

 

 しかし、二度目は一度目とは違い、事実に対する驚きというよりも今まで気がつかなかった自分に対する驚き。

 

 そうして、ルーリーノは恐る恐る口を開く。

 

「もしかして、ニルの知り合いってエルなんですか?」

 

「知り合いって言うか、妹だな」

 

 驚くルーリーノにニルが話し難そうにそう言う。

 

 ルーリーノはそのニルの言葉に今一度驚き思わず「どうして今まで教えてくれなかったんですか」と問おうとして、何とか自分の中に押しとどめた。

 

「俺としては別に教えても良かったと言えばよかったんだが、ユウシャとして旅に出た日に国王から「お前はもうキピウム王家の人ではない」と言われててな」

 

 意図せずルーリーノは疑問が解消されたので色々と思いだすだけの余裕が生まれた。

 

 考えてみればニルが大金を持っているのもそれが理由であろうし、今思うとエルだってずっと一緒にいたかのようにニルのことが分かっているようだった。

 

 こうして見ると本当にどうして今まで気がつかなかったのだろうかとルーリーノは思ってしまう。

 

「何はともあれ、二人ともよく来た。今日はもう夜になるから休むといい部屋は……一部屋でいいよな?」

 

「二部屋にしてください」

 

 ペレグヌスが冗談交じりに言った言葉にルーリーノは冷たい視線を送りながら返す。

 

 ペレグヌスは軽く手を振りながら「わかったわかった」と返すと続けた。

 

「ルリルリは前の部屋分かるだろ? そこに行っといてくれ。ユウシャ君の部屋はその隣にしたいんだが、まだ少し片付けが終わっていなくてなそれが終わるまでここにいてくれや」

 

「私の名前はルーリーノです。後、いつかみたいに覗こうとしたら今度こそ此の御邸燃やしますからね」

 

 ルーリーノが最後笑顔でそう言ったのちに「では御先に失礼します」とニルに言って部屋を出て行く。

 

 ドアが閉まり足音が遠ざかってからニルは口を開いた。

 

「それで、俺に何の用事なんだ?」

 

「ほう、気づいてたのか」

 

 ペレグヌスが特に驚いた様子もなくそう言ったのでニルが答える。

 

「今日俺たちが来るのが分かっていたんだろ? それなのに一つだけ部屋を片付けられていないって変だと思ってな」

 

 「たぶんルリノも気が付いてるだろ」そう言ってニルがペレグヌスを見ると、ペレグヌスは「そんな感じだな」と豪快に笑った。

 

「それで、俺にどんな用事なんだ?」

 

 改めてニルが問うと、ペレグヌスは首を振る。

 

「まあ、用事ってほどでもねえんだがな。俺がルーリーノの真似をして兵士共に言った言葉、あれは冗談じゃなくて昔のあいつなら実際に言っただろうしやっただろう言葉だ」

 

 ペレグヌスがそこで一度息を吸うために言葉を切ったが、ニルは口を挟むことはせずひとまず話を聞いてしまうことにした。

 

「あいつもだいぶ丸くなった。おそらくユウシャ君のおかげだろう?」

 

 ペレグヌスがそう尋ねてきたところで、ニルは首を振る。

 

「ルリノなら遅かれ早かれ今みたいになってだろ、むしろ俺の方がいろいろと教えられてるよ」

 

 「他に何かあるか?」というニルの問にペレグヌスが首を振ったのを確認してから、ニルは部屋を後にした。

 



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ウンダの町~夜~

 その日の夜、ルーリーノに宛がわれたのは、かつて何度か泊ったことのあるペレグヌスの屋敷の二階の端の部屋。

 

 ルーリーノには大き過ぎる位のベッドに机。

 

 一本の木から彫ったというポールに五、六本枝を生やしたかのようなコートかけがあって、部屋の入口付近にある扉の向こうには殆ど普及していないであろうオフロなんかがある。

 

「変わりませんね、ここも」

 

 いつも羽織っているケープをコート掛けに掛けて、ベッドに座った状態でルーリーノはそう呟く。

 

 何処かに留まることの少ないルーリーノにとって数少ない落ち着ける場所ともいえるここで、ルーリーノは「はぁー」と大きく息を吐いてベッドに倒れ込む。

 

「何となく落ち着きませんね……」

 

 なんとなくではなく、ニルの過去が少し垣間見えたために落ち着かないことはルーリーノにも分かっていたが、考えなしに開いた口からはそんな言葉が漏れる。

 

 ニルの言っていたことが本当であるなら、この旅の後ニルは帰る場所があるのだろうかとルーリーノは考えてしまう。

 

 今のルーリーノのように冒険者として根なし草の生活もできなくはないだろうけれど、少なくともルーリーノには、

 

「私には村がありますからね……」

 

 ここよりも遥か東、この壁の西側における最東端の村のことを思い出しながらルーリーノは呟く。

 

 そんなとき、隔てられた壁の向こうでガラリと窓が開けられた音がしてルーリーノは身体を起こす。

 

 それから恐る恐る自分も窓の方へと向かい、その向こう半円状のベランダへと足を踏み出す。

 

 落ちないように取り付けられている柵は所々花を彫ってあるような凝ったもので、町の中でもそれなりに高い位置にあるこの屋敷からはウンダの町が一望できる。

 

 魔法による照明なのか、単なる炎なのか眼下には星のように明かりが見えた。

 

「どうしたんだルリノ?」

 

 ルーリーノが外に出るとほぼ同時そう声をかけられたのでルーリーノは声のした方を向く。

 

「私はルリノではありません」

 

 一度そう言っておいてから、ルーリーノは続ける。

 

「少し風に当たろうと思いまして」

 

 本心とはまるで違うが、何と言っていいのかわからないルーリーノはそう言う。

 

 ニルはそんなルーリーノの心情を知ってか知らずか、「そうか」と短く返した後で少し考えて話し出す。

 

「黙ってて悪かったな」

 

 何をとはニルは言わなかったがルーリーノは何を指しているのかはわかったので、少しぶっきらぼうに返す。

 

「別に構いませんよ。きっとまだ私に話していないことがあるでしょうし、それに私だってニルに話していないことの一つや二つあります」

 

「ルリノの方が隠していることが多そうだよな」

 

 ニルがそんな風に軽口をたたくが、恐らくその言葉は間違っていないだろうからと、ルーリーノは言い返すことが出来ない。

 

 そうしている間に、ニルがぽつりぽつりと話しだした。

 

「生まれてからそれなりの年齢になるまでは隠し玉とか、切り札とかそういう意味合いで閉じ込められていたらしい」

 

 急にニルがそんなことを話し出すので、ルーリーノは驚いて耳を傾ける。

 

 ニルはそんなルーリーノのことなどお構いなしに続けた。

 

「それから先は公にするのが恥ずかしいということで城から出ることを禁じられていた」

 

「恥ずかしい……ですか?」

 

 ニルの言葉に違和感を覚えたルーリーノが思わず尋ねた。

 

 ニルは町の明かりをボーっと見ながら頷くと続ける。

 

「権力に関して言えばユウシャの作った国って言うのと、巫女のいる国ってだけで十分だったらしくてな。

 

 そこで俺に求められていたのはユウシャとしての圧倒的な強さ。剣術に関してはマシだったんだが、知っての通り魔法に関しては全く使えなかったから、いいところ腕のいい剣士でしかなかったわけだ。

 

 そんな人物を隠していたとなると笑いものになりかねない。だから、城から出したくなかったんだろうな」

 

 そこまで聞いてルーリーノはそれは単純にキピウム王の判断ミスでしかないように感じられたが、特に口を開くことはせずにニルの話を聞くことに集中することにした。

 

「そんな状況がまた変わったのが、ユウシャの遺跡に連れていかれた後。前も少し話したが、まあ遺跡を消した後、今度は腫物を触るみたいに扱われてな。

 

 今まで粗雑に扱ってきた息子が急に異質な力を手に入れて怖かったんだろうな。

 

 それで扱いに困っていたところで神からユウシャを旅立たせろなんて言うお告げがあったから体よく城から追い出したと言ったところか」

 

 ニルが雑談でもするかのようにそう言うのでルーリーノは反応に困ってしまうが、何とか声を出す。

 

「キピウムに心残りとかないんですか?」

 

「どうだろうな。あるとしたらエルと別れることになった事くらいか。エルだけはずっと変わらずにいてくれたからな」

 

 「エルは何もしてあげられなかったなんて思ってそうだがな」というニルの声は一段と優しさを帯びていてニルのエルに対する親愛を垣間見ることができる。

 

「そう言えば、ルリノはエルと会ったことあったみたいだな」

 

「トリオーでたまたま会いまして……すいません、隠しているつもりはなかったんですが」

 

 黙っていたことに対する後ろめたさに、名前を注意するのも忘れて弱々しくそう言う。しかし、ニルは特に気分を害した様子もなく口を開いた。

 

「いいよ。どうせ、エルにあってもどんな顔して会えばいいのかわからなかっただろうし。それよりも何か言ってたか?」

 

 ニルにそう問われて、ルーリーノはエルとの会話を思い出す。

 

「ユウシャ様に何もしてあげられないまま旅立たせてしまった……みたいなことは言ってましたね」

 

 それを聞いてニルが笑う。それを見て、そして先ほどのニルの台詞を思い出してからルーリーノもクスクスと笑い出す。

 

 ひとしきり笑ったところでルーリーノが口を開く。

 

「じゃあ、本当にキピウムの事は……」

 

「何とも思ってないな。むしろ、剣術を叩きこんでくれたおかげで今こうやって冒険者やっていけているようなものだから感謝してもいいくらいかもしれない」

 

 そう言って笑うニルを見てルーリーノはどこか安心した。

 

 安心したと同時に気になることも出てきたのでニルに尋ねてみる。

 

「ニルはお城の兵士に剣術を習ったってことでいいんですよね?」

 

「そうだな」

 

「ニルってどれくらい強かったんですか?」

 

 ニルはそう聞かれて当時のことを思い出す。しかし、どれくらいと言われてもはっきりと答えられそうにはなかったので曖昧なままに声を出す。

 

「結局、城で一番強いといわれていた人には勝てなかったから、たぶん五本の指に入れるかどうかってところじゃないか?」

 

 ニルでもそんなところなのかと話を聞いてルーリーノは少し驚く。ニルの強さでその程度なのかと。

 

 しかし、キアラに勝てなかった所を考えると剣術としてはその位なのかもしれない。

 

「そろそろ、今日はもう寝るか」

 

「そうですね。休めるうちにしっかり休んでいないと身が持ちませんから」

 

「それじゃ、おやすみ」

 

「お休みなさい」

 

 ルーリーノはそう言ってニルが部屋に戻るのを見送ってから、誰も居なくなったベランダでぽつりと呟いた。

 

「本当は私も隠し事なんてしたくないんですけどね……」

 

 呟いてから、自分は何を言っているのだろうとルーリーノは首をふってから部屋に戻った。



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青い目の魔導士

 夜が明けて二人はペレグヌスの執務室へとやってきていた。

 

 一番屈強そうな青い目のペレグヌスが椅子に座り、ニルとルーリーノが机をはさんでその反対側に立つ。

 

 言ってしまえば昨日とおなじような恰好で相対している。

 

「それで、わざわざここまで来たってことは聞きたいことがあるんだろ?」

 

 ペレグヌスが椅子に深く座り、体重を背もたれに預けるようにした状態でそう切り出す。

 

 ルーリーノはそんなペレグヌスを冷めた目で見ながら溜息をつく。

 

「とりあえず、ちゃんと座ることはできないんですか……」

 

「背もたれって言うのはそこに体重をかけて楽できるようについてんだ。こうやって座る方がちゃんとって言えるんだよ」

 

 そうペレグヌスが真面目に答えるので、ニルがそう言うものなのだろうかと少し納得しかける。

 

 しかし、すぐにルーリーノが溜息をついたのですぐさまその認識を改めた。

 

 そんなルーリーノの溜息を見て、ペレグヌスは楽しそうなでも少し残念そうな顔をする。

 

「はじめてあった頃は「そうなんですか?」と納得してくれていたんだがな」

 

「だから私の真似をしないでくださいってば」

 

 ルーリーノが怒ってもペレグヌスは素知らぬ顔で、話を続ける。

 

「でも、今回からは別の玩具も見つけたし……」

 

 そう言ってペレグヌスがニルを視界にとらえる。

 

 捉えられたニルはどう反応していいのか分からずただ黙っていたが、代わりにルーリーノが口を開いた。

 

「ニルに変なことを教えないでくださいね」

 

 くぎを刺すようなルーリーノの言葉も無視してペレグヌスは一人続ける。

 

 その頃にはニルにもどうしてルーリーノがペレグヌスに会いたくないと言っていたのかが分かり始めていた。

 

「あれだろ、壁の向こうがどうなっているのか知りたいとかそんなところだろ?」

 

 ペレグヌスの言葉にルーリーノが「教えてくれるんですか?」と驚いた声を上げる。

 

「以前聞いた時には「やなこった」としか返してくれなかったのに……」

 

 二人の話にあまりついていけていないニルも今のルーリーノの一言でなんとなく状況を理解した。

 

 おそらく、元々壁の向こうに行きたがっていたルーリーノのことだから以前にもここにきてペレグヌスに壁の向こうにいるであろう亜人について聞いたことを。

 

 それからペレグヌスがとても面倒くさそうな、もしくはとても楽しそうにそれを断っていたことを。

 

「まあ、教えてやりたいのは山々なんだが、俺には壁の向こうがどうなっているかってのはわからんのよ」

 

 それを聞いてルーリーノは少し驚いた顔をしていたが、すぐにその顔の端に呆れをにじませ始めた。

 

「ペレグヌスでも分からないというのは驚きですが、それよりもどうして昔聞いた時にあたかも知っているかのように振舞っていたんですか」

 

「どうしてって……当時ルリルリ青目と言っても駆け出し冒険者だったろ? そんな奴に舐められたくなかったからな」

 

 すぐに返ってきた答えにルーリーノはどこか諦めたような顔をして、すぐに話題を変える。

 

「わからないって具体的にはどう分からないんですか? 壁よりもこちら側なら何処の状況も分かるはずですよね」

 

「何処でも……と言うわけではないが、これはひとまずおいておこう。

 

 具体的にといわれると少し難しいが、壁に魔力をはじかれているイメージだな」

 

 今までふざけていたペレグヌスが急に真面目に話しだすので、話を聞いているだけのニルもその差に着いていくのに精いっぱいとなってしまう。

 

 ルーリーノとしては慣れたものなので、特に気にせずに質問を続けた。

 

「じゃあ、距離が問題とか言うわけではないんですね」

 

 すぐにペレグヌスが頷くので、ルーリーノは考える。

 

 ペレグヌスほどの魔導師の魔法をはじくのだからただの壁というわけではない。

 

 お伽噺にあるように神が作った壁だからなのだろうか。

 

 しばらく考えて壁や壁の向こうのことに関しては一度置いておくことにしてルーリーノは口を開く。

 

「西側においてもペレグヌスでも分からないところというのは東西南北、何年か前ならばさらに中央だったりしませんか?」

 

「東西南北なら確かにそうだが、そこが今お前たちが向かっている場所なのか?」

 

 ペレグヌスは特に驚いた様子を見せることなくそう返す。

 

 ルーリーノはその言葉に頷いておいて、心の中ではペレグヌスが中央を省いた事を思案した。

 

 考えられることは二つ。

 

 中央だけ何らかの理由でユウシャの力で守られていなかった、あるいはペレグヌスの記憶から消えたのか。

 

 おそらく後者。ルーリーノもニルの言葉を信じていなかったわけではないが、このような形で実感してしまうと変に意識してしまう。

 

 しかし、ルーリーノは自分の内面に渦巻く奇妙な感情を端へと追いやり口を開いた。

 

「恐らく既に北と西は行ってしまったのですが、ペレグヌスが言う場所というのは北の大山付近と西の無山ですよね?」

 

 ルーリーノの言葉にペレグヌスは少し興奮して、子供のような表情を見せた。

 

「へぇ、お前らそこに行ってきたのか。そこに何があったんだ?」

 

 ペレグヌスが身を乗り出すようにしてそう尋ねてきたのを見て、ルーリーノはどこまで話していいのかわからずにニルを見る。

 

 ニルはルーリーノの視線の意味を正確には把握できなかったが、自分が話すように促されていると感じて口を開いた。

 

「ユウシャの残した遺跡があったな」

 

 ニルの言葉にペレグヌスは「ほう」と感心した声を上げた。しかしニルはそこで少し疑問を覚えたので続ける。

 

「ペレグヌスは最強の魔導師なんだろ? だとしたら、トリオーの遺跡なら行けたんじゃないのか?」

 

 いけたとしてもアカスズメに返り討ちにされていたと思うが、ルーリーノも行くだけなら出来たのだ。

 

 そのルーリーノよりも強いとなれば、森を抜けるのもそれなりの協力者さえいれば可能だったんじゃないのだろうか?

 

 ニルはそう考えていたのだが、ニルには予想外な事にペレグヌスは首を振った。

 

「俺は最強の魔導師じゃないからな」

 

 返ってきた言葉の意味を理解することができなくてニルは思わず「どういうことだ?」と尋ねる。

 

「そもそも、俺が最強なんて呼ばれているのは数年に一度行われる魔導師による力比べみたいな大会で優勝するからなんだが……」

 

 それを聞いた時ルーリーノは思わず「歴史のある大会をそんな風に言うのはどうかと思うんですが」と言おうと思ったが、自分もそんなことを言える身分じゃないと自覚しているので不自然にならない程度に目をそらし意識して口を噤む。

 

 そうしている間にもペレグヌスの話は続く。

 

「その大会に碧眼の魔導師が全員出ているわけじゃない。

 

 俺は大会を盛り上げるために上から言われて出場し続けているが、特に青目の魔導師は富とか名声とか眼中にない変わり者ばかりでな。

 

 そんな祭りに参加するくらいなら自分がしたいことをしたい。そうだろ、ルリルリ」

 

 当てつけのようにペレグヌスは最後にそう付け加えたが、事実ルーリーノも件の大会には出場したことがないので、「そうですね」と力ない声で返すことしかできなかった。

 

「それじゃあ、結局魔導師で最強って誰なんだ?」

 

 ニルの単なる好奇心から出た言葉にルーリーノは思考を巡らせてみるが、よく考えてみれば碧眼の魔導師なんてほとんど知らないし、数少ない知っている人物に関してもその半分は、先ほど、自ら最強ではないと告白したばかり。

 

「純粋に魔導師同士を戦わせたらエルの御姫様が一番強いだろうな」

 

 ペレグヌスは事も無げにそう言うが、ニルはまるで理解ができないとばかりに「そうなのか?」と間の抜けた声を出す。

 

「その刀見れば分かると思うがあの姫様が得意とするのは物に加護を付与することだからな。全身対魔法装備で来られたら魔導師じゃどうにもできんだろう」

 

「でもペレグヌスなら魔法なしでも強そうだよな」

 

 ニルにそう言われペレグヌスが一瞬ポカンと口を開けて呆ける。それからすぐに五月蠅いほどの笑い声を上げると口を開いた。

 

「確かに素手でだったら俺が魔導師の中で最強かもしれんが、基は魔導師だからな本職ほどは動けん。

 

 その程度の実力で碧眼魔導師の猛攻を掻い潜ろうとは思えんさ」

 

「確かにペレグヌス体躯は無駄ですからね。何のためにそこまで大きくなったんですか」

 

 ルーリーノの嫌味ったらしい言葉にもペレグヌスは笑って返す。

 

「いや、若い頃な魔導師で熟練冒険者並に動けたら最強じゃね。と思った事があってな、それでトレーニングしたは良いんだがどうも俺には才能が無かったらしい。身体ばかり大きくなっただけだったな」

 

 それを聞いて、ルーリーノはなんて残念な人なのだろうと一つ溜息をつく。

 

 その様子はペレグヌスにも丸見えなのだが、そんなことないかのごとくペレグヌスは話し出した。

 

「それから、魔力の総量ならルリルリとエル姫が大体同じくらいでトップだろうな。まあ、正確に測るなんてできないから何となくだがな」

 

 そう言われてニルがルーリーノを見ると、ルーリーノ自身も少し驚いた顔をしている。

 

 そんな驚いた顔をしているルーリーノにペレグヌスは「お前気づいてなかったのか?」と豪快に笑った。

 

「要するにだ、青い目をした魔導師だからと言って万能なわけじゃなく、それぞれに得意分野を持っていることが多いわけだ。

 

 その分野においては恐らくそれぞれ最強を名乗れる。例えば単純火力で言ったらルリルリが一番だろう」

 

 「まあ、ユウシャ君の力次第だがな」とペレグヌスが言ったところで、ルーリーノが口を開く。

 

「その話は一度置いておいて、話を戻しませんか?」

 

 その言葉にニルはいったい何のことだろうかと考えたが、ペレグヌスは「そうだったな」と真剣な表情に戻った。

 

「東と南の話だったか」

 

 ペレグヌスがそう言ったところでニルはようやく話しの本筋を思い出しペレグヌスに尋ねる。

 

「南に関しては『人の行くことのできない孤島』らしいんだが、何かわかるか?」

 

「おう、よく分かってる。昔一度行こうとしたからな。

 

 海流の関係で人力程度じゃ近づくこともできないようなところだったから魔法で無理やり潮の流れを変えていこうとした。

 

 だが、途中で魔力が足りなくなってな何故かこの町の近くに流れ着いたわけだ」

 

 ルーリーノも初めて聞くペレグヌスの話に少し興味を持ったように耳を傾ける。

 

「それで、ここで魔力の回復を待っている間に居着いちまったってわけだ。今思えば俺に親切にしていたのは俺の目が青かったからなんだろうけどな」

 

 そうさらりと言ってやはり豪快な笑い声を上げた。

 

 その話の中でルーリーノはどうやってそこへ向かえばいいのかを思いついたので、口を開く。

 

「つまり、ニルが頑張れば良いわけですね」

 

「俺がか?」

 

 ルーリーノの言葉にニルが驚いた声を出す。そんなニルにルーリーノは自信たっぷりに言う。

 

「ユウシャの力を使えば確か魔力はいらないんでしたよね。それに水は私の専門外なので恐らくペレグヌスよりも魔力が持ちませんよ?」

 

 そう言われたらニルも納得せざるを得なくなってしまう。

 

 そのユウシャの力というのはペレグヌスも興味があったが、とりあえず話を進めるために口を開いた。

 

「それから東は最東端の村のさらに東の森の中にある。位置的には村から真東よりも少し南ってところか」

 

「最東端の村?」

 

 ニルがそう疑問を示したところで、ルーリーノが口を開く。

 

「その村なら私が分かるので大丈夫ですよ」

 

「まあ、ルリルリの出身地らしいからな」

 

 「そういうことです」とルーリーノがペレグヌスの言葉にうなずくと、ニルが少し感心したような顔をする。

 

 とりあえず、聞きたかったことは聞いたわけなのでルーリーノが今日一日で準備を済ませて明日の朝この町を出ようかなどと考えながら、さんざんルリルリと呼んでくれたペレグヌスにどんな言葉をかけようかと言葉を選んでいるとき、

 

「今日こそ教えてもらうからな、ペレグヌス」

 

 と緑色の目をした少年が執務室のドアを乱暴に開けて入ってきた。



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授業の始まり

 入ってきた少年を見てペレグヌスは呆れたというよりも面倒くさそうな顔をする。

 

「嫌だよ、そんな何の得にもならなさそうなこと。俺の他にも魔導師ならいるだろ」

 

 すっかり座り方を崩してしまったペレグヌスの言葉に少年は尚も食ってかかる。

 

「ペレグヌスが一番強いんだからペレグヌスに教えてもらった方が良いに決まってるだろ? 教えてくれなかったら明日もまた来るからな」

 

 少年の謎の脅しにペレグヌスは嫌な顔を隠すことすらしなかったが、ちらりといつもと違う状況が目の端に映りにやりと笑う。

 

 ルーリーノとニルは突然の少年の襲来に呆然と二人の様子を見ているだけだったが、ルーリーノは急にペレグヌスが笑ったのを見て、嫌な予感を覚える。直後その予感が正しかったのだと悟った。

 

「なあルリルリ、こいつウィリって言うんだが三日くらい魔法を教えてやってくれないか」

 

 その言葉にルーリーノが反応するよりも先にウィリと呼ばれた少年が驚いた声を上げる。

 

「俺と年もそんなに変わらない女に襲わるなんて嫌だよ」

 

「だそうですよ」

 

 ウィリの言葉にルーリーノは何も思わないわけではないが、乗っかっておけばこの面倒な状況を抜け出せるかと思い本心を隠しペレグヌスに言う。

 

 しかし、ペレグヌスはそれに怯むことなく、むしろこの展開を予想していたのかというぐらいスムーズに言葉を返す。

 

「そいつ碧眼のルーリーノだぞ?」

 

「この女が?」

 

 ウィリが今一度驚いた声をあげ訝しげにルーリーノを見た。身長はウィリと同じくらいだが、顔は整っていて何より綺麗な青い瞳をしている。

 

 青い目をしているというだけで緑色の目のウィリとはその実力は天と地程の差がありウィリが魔法を教わるには十分である。

 

 しかも碧眼のルーリーノと言えば、ウィリと同じ世代で冒険者として名前が知れ渡っている。

 

 言わばウィリの尊敬するような人物であるが、それでも自分と同世代のしかも女に教わるのは彼のプライドが拒もうとする。

 

 それに、直前に嫌だと言ってしまった手前、前言を撤回して頭を下げるのはもっとプライドが許さない。

 

「ど、どうしても教えたいってんなら、教わらないこともないかな」

 

 結果こう言う上から目線の態度になってしまう。

 

「別に私は教えたいなんてことはないですから……」

 

 そんなウィリの子供っぽい対応にルーリーノもあまり良い気持ちには成れず、少し機嫌を損ねてそう言いかけた所で考えなおす。

 

「そうですね、報酬次第と言ったところでしょうか」

 

 それを聞いてニルが少し呆れた表情を作るが、確かに三日も拘束されるのであればそれなりに何かないとルーリーノは動かないなと納得して特別何か言うことはしない。

 

「それに関してはさっき色々教えてやったろ」

 

 ペレグヌスがそう言って鼻で笑う。

 

 それを言われたら流石のルーリーノも返す言葉はないのではないかとニルは思ったのだが、ルーリーノは表情を変えることなく口を開いた。

 

「こちらだって遺跡の秘密について教えてあげたと思いますが」

 

 「それに、私を雇うのにあの程度の報酬で足りるとでも思っているんですか?」と、ルーリーノが楽しそうに言うと、ペレグヌスが唸る。

 

 そのやり取りを見ながらニルは何ともルーリーノらしいと心の中で笑う。

 

「じゃあ、どうしてほしいんだ」

 

 結局ペレグヌスがそう折れたことで話が進む。

 

「それじゃあ、メリーディに舟を用意してくれませんか? ペレグヌスなら難しいことじゃないですよね」

 

 それを聞いたペレグヌスはウィリの相手をする事とメリーディに船を用意する事のどちらが面倒か天秤に掛けた後「わかった」と頷く。

 

「と、言うことになりましたがニル、良かったですか?」

 

 ペレグヌスの了承を確認した後でルーリーノが事後承諾よろしくそうニルに尋ねる。

 

 考えてみればルーリーノから足を止める提案をしてくるのは珍しいなと思いつつニルはルーリーノの問に頷いた。

 

「ありがとうございます。もしかすると、メリーディで舟が手に入らない可能性を考えると、ここに三日留まった方がいいかなと思いまして」

 

 ルーリーノの言葉を聞いてニルは納得する。

 

 舟なんて簡単に買えるものであるのかも分からないし、危険な場所に行くのにわざわざ舟を貸してくれる人もいないかもしれない。

 

 そうなると多少時間がかかっても確実に舟を手に入れておいた方がいい。

 

「まあ、俺もユウシャの力をうまく使えるように多少研究しないといけないと思ってたからな」

 

 ニルはそこまで言ったのちに、ウィリに聞かれないように注意しながらルーリーノに耳打ちをする。

 

「でも、三日の子守で舟ってのはどうなんだ?」

 

 ペレグヌスはあっさり了解したが、明らかにルーリーノの方が得をしているのではないかと思いニルがそう尋ねると、ルーリーノは「まあ、確かに言葉通りの意味なら貰いすぎかもしれませんが……」と考えるように視線を遠くにやりながら答える。

 

「私が真面目にお金を稼ごうと思ったら恐らく一日で舟を買えるくらいには稼げます。

 

 その私の時間を使わせようというのだから見方によってはペレグヌスの方が得をしているようにも見えます。

 

 それに、この依頼は私にしか受けられないでしょうから、そうなるとそれだけ報酬は大きくなるものなんですよ」

 

 ニルはそんなルーリーノの言葉を聞きながら、納得がいくような行かないような心地にで頷く。

 

 ルーリーノは首をかしげているようにも見えるニルのことを放っておいてくるりとウィリの方を向く。

 

「それでは、今日から三日間よろしくお願いしますね。ウィリ君」

 

 急にそうい言われたウィリは驚いた表情を見せ、目の前で好き勝手行われていたやり取りにやや不快感を覚えながらも、結果漸く青目の魔導師に魔法を教えてもらえるという期待を胸に「あ、ああ……」と少しふてくされたような声を出した。

 

 ルーリーノは不満げにもとりあえず肯定を示したウィリを見てすぐにペレグヌスの方を向く。

 

「それじゃあ、私はこれで失礼しますね」

 

 その後でルーリーノはもう一度ウィリの方を向くと声をかける。

 

「それじゃあ、私は町の出入り口にいますから準備ができたらすぐに来てくださいね」

 

「じゅ、準備って何だよ?」

 

 急にそんなことを言われたウィリは驚いたように何とかそれだけ言葉にする。ルーリーノは少し迷ったように「うーん」と唸ると、何かを思いついたように口を開く。

 

「流石に街中で魔法を教えることは出来ないので外でやろうと思うのですが、それにあたってウィリ君が必要だと思うものを持ってきてください」

 

 それだけ笑顔で言うと、ルーリーノはペレグヌスの執務室を後にした。残されたウィリは初めポカンと口をあけるとすぐに我に返って「ちょっと待てよ」と言って慌ててルーリーノに続く。

 

「なあ、ユウシャ君。あれをどう思う」

 

 一連の流れを眺め終わった後でペレグヌスがニルに声をかける。ニルは二人が出て行ったドアを見ながら少し気の毒そうな顔で返した。

 

「ウィリが気の毒で仕方がない」

 

「だよな。まさかウィリ坊も授業始める前から評価されるとは思ってないだろうからな」

 

 それから、しばし無言の時間が流れた後ニルが「それじゃ、俺もこの辺で」と部屋を後にしようとドアノブに手をかける。

 

「ルリルリにあったら明後日までは今日泊めた部屋好きに使って良いって言っておいてくれ」

 

 思い出したようにペレグヌスがニルの背中にそう言うとニルはペレグヌスの方を見ることなく「わかった」と言ってドアを開けた。

 

 

 

 

 ペレグヌスの邸を出た後ルーリーノはケープのフードを目深に被って、まっすぐ町の出入り口へと向かった。

 

 邸を出てすぐの景色は夜の時とは違い、この町がいったいどうなっているのかというのが一目で分かるほど見晴らしがよく、ふいてくる風は少し強いような感じもする。

 

 町の奥の方にペレグヌス邸はあるので、近い所に石造りの建物が見え地面も石畳になっている。

 

 それがある所から急に木造の建物に土と言った装いに替わる。

 

 ルーリーノ自身この町には何度か来ていたが、こうやって意識して町を見回したことがなかったのでその景色に少し感動を覚えてしまった。

 

 

 

 ルーリーノが目的地に着いてしばらくしてからウィリが姿を現した。

 

 ペレグヌスの屋敷に押し掛けてきた時と同じ軽装に右手にはウィリの身長の半分ほどの杖を持っている。

 

「持ってきたのは杖だけですか?」

 

 ウィリの姿を見たルーリーノは最初にそう尋ねる。ウィリは少し反抗的な態度で「そうだよ、文句あるか?」と返す。

 

 それに対してルーリーノは「まあ、いいでしょう」というと、町の門から外に出た。

 

 ウィリもそれに続いて外に出たが、大人のいない状況で外に出ること自体初めてだったので、周りをキョロキョロ見渡して何処か落ち着かない様子を見せる。

 

「さて、早速ですがウィリ君はどうして魔法を教わりたいんですか?」

 

 ルーリーノはそんな落ち着かないウィリにいきなりそんな質問を投げかける。

 

 ウィリはハッとしてルーリーノの方を見ると、すぐに答えた。

 

「魔法をマスターして、兵士か冒険者かになって活躍できたらかっこいいだろ」

 

 胸を張ってそう言うウィリを少し残念そうな目でルーリーノは見ると「そうですか」とそっけなく返す。

 

 自分の夢をそんな簡単に返されてしまったウィリは、たった今まで頭の中で思い描いていたかっこいい自分を一度消して少し不機嫌になる。

 

 しかし、ルーリーノはウィリの感情の動きなどまるで気にせずに声を出す。

 

「とりあえず、今のままだと冒険者は諦めた方がよさそうですね」

 

「それってどういう事だよ」

 

 ルーリーノの歯に衣着せぬ物言いに我慢しきれなくなったウィリが怒鳴るように言うが、相変わらずルーリーノは冷静なままウィリの問に答える。

 

「ここは町の外です。最近でこそ数は減ってきましたが亜獣と遭遇する可能性は大いにあります。

 

 それなのにウィリ君が持ってきたのは杖だけなんですよね?」

 

 ルーリーノが言いたいことが分かったウィリは何とか言い返したかったが、返す言葉も見つからず、結局頷くしかできなかった。

 

「冒険者になって一番大事なことは活躍することではなく生き残ることです。それが分からない限り冒険者は諦めた方がいいと思いますよ」

 

 「それでもなりたいというのならこれからは気をつけるんですね」とルーリーノがフォローするようなことを付け加えたので、流石に何か言い返そうと思っていたウィリの言葉の行方が無くなってしまった。



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青空学校

 ウンダからメリーディへ向かう街道を少し逸れた海の近く。

 

 砂浜の手前でルーリーノとウィリが斜に構えるように向かい合っている。

 

 太陽はまだ昇りきってはおらず、海から吹いてくる風は少し強い。

 

 その中でルーリーノはフードをかぶることはせずに口を開いた。

 

「この世界には目には見えませんが地水火風それぞれの精霊がいるといわれています。魔法というのは……」

 

「その手の話は聞き飽きてるんだよ」

 

 ルーリーノが基本的な所を説明していると、ウィリがそう言って口を挟んだ。

 

 ルーリーノは「ふむ」と言ってから少し考え込むと、改めて口を開く。

 

「では、杖を使ってもいいので何か魔法を使ってみてください」

 

 そう言われたウィリは「うっ……」とうめき声を漏らしながら目をそらす。

 

 その様子を見てウィリは魔法が使えないんだなと確信したルーリーノがそれならばと指示を変える事にした。

 

「じゃあ、魔法の基礎について分かる限りで言ってみてください」

 

 その言葉に対してもウィリは苦い顔を見せたが、渋々と言った感じで話しだす。

 

「地水火風、四種類の精霊がいて呪文で精霊に命令して、精霊の力が使えるように魔力を渡すみたいな感じだろ?」

 

「精霊はどのような場所にいるのでしょう?」

 

 ウィリの言葉を聞いてからルーリーノがそうやって促す。

 

 ウィリは「えっと……」と思いだしながらではあるが少しずつ言葉にし始めた。

 

「水の精霊は水の近く、火の精霊は火の近くに多く居る……みたいな感じだったろ?」

 

「そうですね、最後に呪文とは何でしょうか?」

 

「精霊にする命令だろ」

 

 ウィリが何でそんなことを聞くのかと言いたそうな目でルーリーノを見ながら答えると、ルーリーノは何かを理解したような顔で頷く。

 

 ウィリはルーリーノだけが分かったような顔をするので面白くないと言った様子でルーリーノを見ていた。

 

「それでは今から四つ呪文を教えますから、杖に魔力を籠めるようなイメージで唱えて見てください」

 

 それを聞いてウィリ相変わらずムッとした表情をしていたが、内心ではとてもはしゃいでいた。

 

 緑色の目に生まれて、そのためにウィリは家族の期待を受けて育てられてきた。

 

 そしてもうそろそろ魔法を教わってもいいだろうと言う年齢になった頃、ウィリは親の期待のためか自分は世界一の魔導師になれると思いこみ、それならば魔法を教わる相手はやはり世界一の魔導師でなくてはならない。

 

 そう考えペレグヌスに弟子入りを志願して一年以上がたっただろうか。

 

 ペレグヌスにはあっさり断られてしまったが、家族には格好をつけたかったためにペレグヌスの弟子にしてもらったと嘘をつき他の誰も教えてもらない状況になってから、ようやく自分も呪文を唱えられるというのだからその感慨も一入である。

 

 しかし、ウィリはすぐに態度を変えた事を知られるのが嫌だったのでそれを面に出さないようにしながら口を開く。

 

「それで、呪文って言うのは?」

 

「それぞれ、ミ・オードニに続けて一つ目がアペリ・ファヨロ、二つ目がブロヴィ・ブロヴォ、三つ目がアペリ・アクヴォ、最後がフォルミ・モントです」

 

 呪文を聞いて「わかった」とそっけなく返すとウィリは少し興奮した面持ちで杖を構える。

 

 それから、さっき教えてもらったばかりの呪文を思い出しながら声を出した。

 

「ミ・オードニ・アペリ・ファヨロ」

 

 呪文を唱えたそばからウィリは自分の中から何かが失われていくのを感じた。

 

 しかし、結果生じたものは蝋燭の炎にも満たない小さな火。もちろんそれは吹き付けてくる海風に一瞬にして消されてしまったためにウィリにすらそれが見えたかは怪しい。

 

 しかし、ルーリーノはそんなウィリの結果などお構いなしと言った様子で「それじゃあ、次の呪文を唱えてみてください」と言う。

 

 ウィリとしては思い通りの結果にならず歯痒いでいたのに、あまりにもルーリーノがサバサバとしているので、気にいらなかったがここで教えてもらえなくなる方が困るのでグッと堪えて二つ目の呪文を唱える。

 

「ミ・オードニ・ブロヴィ・ブロヴォ」

 

 先ほどと同様にウィリは魔力が無くなっていくのを感じた。

 

 それから、今まで砂浜の砂を巻き上げることのなかった風が一度だけ砂嵐を作るかのように強く吹く。

 

 その瞬間ウィリは思わず手で目を覆い隠したが、砂に巻かれ服の色がやや白っぽくなってしまった。

 

 対してルーリーノは即座にウィリと同じ呪文を唱えて砂をすべて海の方へと押し返したので悠然とその場に立っていた。

 

「今のって……」

 

 風が通り過ぎてから半ば呆然としつつウィリはそう呟く。

 

 たまたま強い風が吹いただけかもしれないが、もしかして今の強風は自分が作り出したのではないのかと期待して。

 

 そんな風にウィリが内心そわそわしていると、ルーリーノは淡々と「次お願いします」と言う。

 

「ミ・オードニ・アペリ・アクヴォ」

 

 ウィリがそう言った後、今度はコップを傾けた時のようにウィリの持つ杖の先から水が流れ、コップ半分ほどの量が流れると止まってしまう。

 

 しかし、今度こそ魔法が使えたのだと確信したウィリは思わず「やった」と声を出す。

 

 しかしすぐにもしかしたら見間違えじゃなかっただろうかという疑念に駆られて今度は地面を見る。

 

 するとやはり地面は濡れていて、それを見てもう一度ルーリーノには見えないように拳を握り喜びをかみしめる。

 

 ルーリーノはそのウィリの喜びには気が付いていたが今は早く次に進みたいと「次が最後ですね」とウィリを促した。

 

「え、えっと、ミ・オードニ・フォルミ・モント」

 

 ウィリは自分とルーリーノとの心緒の違いに戸惑いながらも最後の呪文を唱えた。

 

 しかし、今度こそ何も起こることはなく代わりに魔力を大量に消費したウィリが奇妙な疲れを感じてその場に座り込んでしまう。

 

「お疲れ様でした。これで何となく方針が決まりました」

 

 座りこんだウィリと目線を合わせてルーリーノがそう言うと、ウィリは頬を染めて思わず顔をそらす。

 

「方針が決まったって、今のは一体何だったんだよ」

 

 照れ隠しか本心かウィリが荒い口調で尋ねる。ルーリーノはスッと立ち上がると、海の方を見ながら答えた。

 

「今教えた呪文は、地水火風それぞれの精霊を用いたとても簡単な魔法の呪文です。火を出すとか水を出すとか。

 

 それらを一通りやってもらってウィリ君に合う属性を見極めていたというわけです」

 

 話を聞いてウィリは思わず納得してしまう。

 

 そして、そうなるとすぐに自分はどうなのかが気になるもので、たまらず「それで俺はどうだったんだ?」と尋ねた。

 

 すると、ルーリーノが少し考えた後で「ウィリ君はどうだと思いますか?」と問うてきたのでウィリは先ほどの結果を思い出す。

 

 目に見えて成功したと思うのは水。もしかしてレベルだと風。火と地は失敗したとみていいような内容であった。

 

「水……じゃないのか?」

 

 だから一番確率が高そうなものを答えたが、ルーリーノに首を振られてしまう。

 

「水だったらよかったんですけどね。ウィリ君の得意属性は風でしょう」

 

「どうしてそうなるんだ?」

 

 予想が外れてウィリは純粋に疑問に思ったのでそう尋ねる。ルーリーノはウィリの方を向きなおすと説明を始めた。

 

「まず水ですが、それがうまく行ったのはすぐそこが海だからです。

 

 それは風に関しても同じことが言えますが、決定的なのは地の魔法が発動しなかったことですね。

 

 気が付いていなかったと思いますが、一応火は成功していたんですよ?」

 

 ルーリーノはそう丁寧に説明したつもりであったが、ウィリは今ひとつピンとこないような顔をしてルーリーノを見る。

 

 そんなウィリの表情を見てルーリーノはさらに説明を加えることにした。

 

「地と風、水と火というのはそれぞれ対立しているんですよ。ですから水の魔法が得意であれば火の魔法が苦手だということがほとんどですし、地と風に関しても同様です。

 

 ですから、ウィリ君は風魔法の才能があるといえるわけです」

 

 そこまで言ってようやくウィリが理解したような表情を見せ、ルーリーノは少し安心する。

 

 それから、そろそろウィリが立ち上がれるだろうと思っ「では、一度町に戻りましょうか」と声をかけ歩き出した。

 

 ウィリはあまりその場を動きたくなかったが、ルーリーノが足早に帰路についてしまったので慌てて立ち上がると「お、おい、待てよ」と青空の下走り出した。

 

 

 

 それから、ウンダの町に着いた後ルーリーノはウィリに「それでは、一時の鐘が鳴り次第またここに集合ということで」と言ってフードを目深に被るとすぐにペレグヌスの邸がある町の奥の方へと入って行ってしまった。

 

 ウィリはそんなルーリーノに何も言うことができずにただ見送ると、いつもよりも少しだけ得意げな顔で一度家に戻ることにした。

 

 

 

 ウンダの町に限らず、時間を知る際によくつかわれるのが一時間ごとになる鐘。

 

 この鐘は教会が管理しており、教会は日時計を使って時間を把握している。

 

 鐘は基本的に朝の六時から日が落ちるまでの間鳴らしており、朝六時は一回、朝七時は二回といった具合に増えていく。

 

 そうなると最後の方はすべての鐘を鳴らし終えるのに数分かかってしまう。

 

 しかし、親子の間で帰宅時間を決める際この鐘が鳴るまでにはということになるのだが、子供としては鐘が鳴り終わるまでという認識で広まっていたりするので時間がかかってくれた方が嬉しかったりもする。

 

 一時となるとその鐘の数は八回。ルーリーノが町の出入り口でウィリを待っているときにその鐘が鳴り始めた。

 

「いーち。にーい……」

 

 別に遅れたからと言って何かしらペナルティを与えるつもりなど無かったが、何となく鐘に合わせて数を数えてしまう。

 

 それから五回目の鐘が鳴る辺りでルーリーノにウィリの姿が見えはじめ、八回目の鐘が鳴る頃には息を切らせたウィリがルーリーノの隣にいた。

 

「ど、どうよ……ちゃん……と、間に会った……ぜ」

 

 息を整える前にまずそう言ったウィリにルーリーノはどのような態度をすればいいのかわからなかったが、ウィリが冒険者を目指している前提で口を開く。

 

「出発直前にそんな息を切らされても仲間は困るだけですよ?」

 

 それを聞いて、ウィリは何とか言い返そうと思ったが息を整えるのに手いっぱいで上手く言葉が出ない。

 

 そうしている間にルーリーノがもう一度声を出した。

 

「まあ、時間に間に合うって言うのも大事ですけどね」

 

 ルーリーノはそう言いながら、農業地帯である町の入口の方を眺める。

 

 昼間ではあるが、十二時過ぎまで働いていた人たちが休みに入り、逆に十二時には休んでいた人たちが外に出てきている最中なので割と人は少ない。

 

 ルーリーノがそんな様子に一々感慨を覚えていると、ウィリの体力も回復したらしく、何やら不思議そうな目でルーリーノを見ていた。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

 その視線に気がついたルーリーノがそう言うと、ウィリは怪訝な表情をしながらも頷いた。

 

 

 

 二人がやってきたのは午前中にも来た海の近く。

 

「それで次は何をしたらいいんだ?」

 

 食ってかかるようにウィリがそうルーリーノに尋ねると、ルーリーノはウィリに手の平を見せるように腕を伸ばすと口を開いた。

 

「杖を持っていましたよね。まずはそれを渡してください」

 

 午前中のことがあったので素直にここで杖を渡していいのかと、恐る恐るウィリが杖をルーリーノに渡す。

 

 ルーリーノは満足そうな顔で杖を受け取ると指示を出した。

 

「それではこの状態で朝教えた風の魔法を使ってください」

 

「お、おい」

 

 流石に杖を持つ理由くらいは知っているウィリがルーリーノの言葉に驚いた声を上げる。

 

 しかし、ルーリーノは落ち着いた様子で説明した。

 

「確かに杖は魔導師には必須と言っても過言ではないものですが、例え緑の目の魔導師であっても集中して丁寧に魔力を使えば杖無しでも魔法を使えるはずなんですよ」

 

 自身がほとんど杖を持ったことがないので聞く人が聞いたらまるで説得力のない言葉だが、ウィリにしてみればこれを信用するか暫し魔法を使えるようになるのを諦めるかという二択のため文句は言っても指示に従うしかない。

 

 ウィリは杖の無くなった手をどのようにしていいのかわからず結局適当に前に伸ばして呪文を唱える。

 

「ミ・オードニ・ブロヴィ・ブロヴォ」

 

 唱え終わった後、ウィリは何か違和感を覚えた。そして、どれだけ時間が過ぎても何も変わらないことでその違和感の原因に気がつくことができた。

 

「もしかして、魔力が少しも使われてない?」

 

 驚いたように呟いたウィリの言葉を耳聡く聞いていたルーリーノがウィリの疑問に答える。

 

「それはウィリ君の魔力の使い方が下手だからです。繰り返すようですが、私が教えた四つの呪文、それは本当に簡単なものです。

 

 さすがにそんな簡単な魔法を四回使った程度じゃ黄色い目の魔導師でも魔力切れは起こさないでしょう。

 

 それなのにウィリ君は魔力切れを起こしました。これがどういうことかわかりますか?」

 

「無駄な魔力を使ったから……か?」

 

 ウィリがそう返すとルーリーノが「そんなところです」と答える。

 

「正確には無駄に杖に魔力を込めたと言ったところでしょうけれど、それだけの魔力を使っておきながらあの程度の威力しかなかったのは効率よく魔力を使えていなかったからです。

 

 杖を使って出さえその程度の効率しか得られなかったのですから杖がなければ発動するにも至らないと今の失敗はこんなところでしょう」

 

 そんな上から目線ともとれるルーリーノの言葉にウィリは苛立ちを覚えたが、言われていることが事実であるように感じる以上何も言い返すことはできずに「そしたらどうしたらいい」と無愛想に言うのが精一杯だった。

 

「とりあえずは、杖に魔力を込めた要領で魔力を体外に出せる様になってください。

 

 この辺りはもう人それぞれですから具体的な助言はできませんが、魔力が切れても死ぬことはないですし、亜獣が出たとしてもウィリ君には手は出させませんので思おう存分練習してくださいね」

 

 そうルーリーノが言ってから、二人が町に戻ったのは夕方空が赤くなってからだった。



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のんびりとした日常

 

 ニルはペレグヌスの執務室を出た後で一度昨日今日と使わせてもらっている部屋に戻った。

 

 それから、ベッドに横になると、今日一日どうするかを考えはじめる。

 

「練習するって言っても、ほとんど時間はかからないだろうしな……」

 

 ニルがトリオーの遺跡で手に入れた力。水や火、風などを操るその力は所謂魔法と違って複雑な呪文もいらなければ、もちろん小難しい魔力操作もいらない。

 

 始動の鍵となる言葉を一言二言言ってしまえば後は頭の中で思い描いたようにそれらを操ることができる。

 

 ただ、魔法と違って『操る』だけなので風ならば好きに操れるが、水となると水辺に行かなければ大きな力は使えない。

 

 しかし、海の潮の流れを変えるのであれば水は嫌というほどあるだろうし心配することはなのだけれど。

 

「考えてみればこんな風に時間を与えられたのもかなり久しぶりじゃないか?」

 

 誰に問いかけるというわけではなく、自分が状況を確認するための問いかけ。

 

 それからニルが改めて考え直して見ても最近遣らなければならない事もやりたい事もないが時間が余っているという状況は久しぶりで、ボーっと天井を見上げる。

 

 そうしているうちにニルはこのままではいけないと思い至り軽く反動をつけて一気に起き上がった。

 

 それから、すぐに終わるだろうけれど練習するかと部屋を出て邸を後にする。

 

 ニルが外に出た時丁度鐘が鳴りはじめ、今が十時だと分かる。旅を始めてそんな時間までのんびりとしていることは少なかったのでニルは奇妙な感動を覚えた。

 

 もちろん街もすでににぎわっていてフードを目深にかぶっているニルも少しばかりは目立たない。

 

 ウンダの街は他の大きな町にも負けないほど店の数が多いが、しかし農作物を売っている店は少ない。

 

 ニルも初めは気が付いていなかったが、街を歩いている間にその事に気がつき疑問を覚えた。

 

 とはいっても答えてくれそうな相棒は今日はいないので、店先でパンを売っている店で適当にパンを買いどういうことか聞いてみる。

 

 エプロンを着た恰幅のいい女性店員はパンを袋に入れながら物珍しそうにニルを見る。それからずっと不思議そうな顔でニルを見ていたが質問にはしっかりと答えてくれた。

 

 要するに町の入り口まで行って直接農業をしている人から買った方が安いということらしい。

 

 ニルはパンの入った袋を受け取り女性にお礼を言うと今度は町の入り口の方へと歩きだした。

 

 

 

 町の入り口の畑群。多くの種類の農作物が育てられている場所で、各畑によって違うが大抵の所は今除草作業を行っているらしい。

 

 ニルがそんな様子を物珍しげに見ながら歩いていると、急に足元の方に衝撃が走った。

 

 ニルが下を見ると小さな女の子が尻もちを付いており、その右手には水の零れた桶が倒れていた。

 

「ごめんなさい」

 

 女の子は立ち上がるより先に申し訳なさそうにそう言うと、恐る恐るニルの方を見上げる。

 

 それから、その視界にフードを目深にかぶった男の姿映り思わず「ひぃ」と小さく悲鳴を上げた。

 

 ニルとしても、自分が怪しい格好をしていると解っているので女の子の反応は当然だとは思う。

 

 しかし、これでまた通報されるとそれはそれで面倒だと思い口を開いた。

 

「水汲みしてたんだろう? 手伝おうか」

 

 できるだけぶっきら棒にならないように気をつけながらそう話しかけると、女の子はその時に漸く桶を倒してしまっていた事に気がついたのか桶とニルを交互に見る。

 

 それから舌足らずに「いいの?」と首をかしげる。

 

「まあ、俺のせいで零したわけだしな」

 

 それを聞いて女の子は、花が咲いたように顔を綻ばせると立ち上がる。

 

「イノの名前はイノンって言うの。お兄ちゃん……おじちゃん?」

 

 イノンはそこまで言うと、ニルの年齢を計りかねてそこで首をかしげてしまったが結局どうでもいいかといった様子で「お名前は?」とニルに尋ねる。

 

「ニル。できれば水を汲む場所まで連れて行ってほしいんだけどいいか?」

 

 ニルが短く名前を言うと、落ちたままの桶を拾ってイノンに尋ねるとイノンは満面の笑みを作るり「いいよ」と言って歩き出す。

 

 前をずんずんと歩くイノンの後をニルが付いていく姿は先ほどまでよりも何倍も不思議な状況であった。

 

 

 ニルがイノンに連れていかれた先は井戸。

 

 ロープの着いた桶を井戸の中に落としてロープを手繰り寄せて水を汲むというもので、ニルがその作業を行っているときにイノンが「あーあ」と残念そうな声をあげた。

 

「どうかしたのか?」

 

 ニルが尋ねると、イノンはその少し不機嫌な顔を隠そうともせずに口を開く。

 

「お兄ちゃんが手伝ってくれるなら桶二つ持ってくればよかった」

 

 可愛らしく頬を膨らませながらそう言ったイノンにニルはさらに質問を重ねる。

 

「いつもこの作業を二回してるのか?」

 

 イノンは「そうだよ」と頷いた。それを聞いたニルはこんな小さな女の子がと思うと同時に、これも練習かとユウシャの力を発動させるための言葉をボソッと呟いた。

 

 ニルの近くにいたイノンはニルが何かを呟いた事だけ分かったので「お兄ちゃん何か言った?」と尋ねようとして驚きで中断された。

 

 イノンの目に映ったのは空中に浮かんだ水の塊。ちょうどイノンの持ってきた桶の水と同じくらいの量の水がふよふよと歪な球の形をしてニルの右肩少し離れたところで浮いている。

 

「お兄ちゃんは魔導師だったの?」

 

 楽しそうにはしゃぎながらイノンはそう言うがニルは首を振る。

 

「魔導師とは少し違うな」

 

 魔導師ではないなら何なのかということは言わずそれだけ言うとニルは「どこに持っていけばいい?」とイノンに尋ねる。

 

 イノンはすぐに「こっちだよ」と言って歩き出したのでニルは少し安心してイノンの後に続いた。

 

 

「こうして見ると確かに不審者だな」

 

 イノンとニルが畦道を歩いていると後ろからそう言って笑う声が聞こえてくる。

 

 ニルよりも先にイノンが先に後ろを向いて楽しそうな声を上げた。

 

「ペレグヌスさまだ」

 

 イノンがきゃいきゃいとはしゃぎながら走りだしていくころ漸くニルも後ろを向いてそこに立っているペレグヌスの姿を確認した。

 

「人気だな」

 

 やや皮肉じみた事をニルは言うが、ペレグヌスは意に介せずといった様子で「何せ最強の魔導師だからな」と笑う。

 

 それを聞いてイノンが何故かさらにはしゃぎだす。

 

「それにしてもユウシャ君が水汲みね」

 

 ペレグヌスが物珍しげな目を向けながらそう言うと、ニルより先にイノンが首をひねる。

 

「ゆうしゃさま?」

 

「なんだ言ってなかったのか」

 

 ペレグヌスが悪びれた様子もなくそう言うのでニルは一つ溜息をついて口を開く。

 

「説明が面倒なんだ。下手する人かどうかすら疑われるからな。もしくはユウシャの真似をした変わり者ってところか」

 

 ペレグヌスは聞きながら、まあそうだろうな、と他人事のように思う。

 

「だから、お兄ちゃんは顔を隠してるの?」

 

「そう言う事だ」

 

 「ふ~ん、大変だね」とイノンはよく分かっていないようにそう話す。

 

 それからイノンに連れていかれた畑に水をまく。

 

 それなりに広い畑だが、組んできた水で足りのだろうかと少し不安に思いながらニルはユウシャの力を使って雨のように畑全体に水を降らせる。

 

 イノンはそれを何か面白いもののように、ペレグヌスは興味深そうに見ていた。

 

「お兄ちゃんありがとう。お礼にパン持ってくるからここで待っててね」

 

 イノンはそう言って畑の近くの家に走って行ってしまったが、近くに座れそうな所はない。

 

 まあ、多少汚れてもいいかと思いながらその場に腰を下ろすとペレグヌスも隣にどっかりと座った。

 

 ニルは何でここにいるのだろうと思いながら、それでも丁度いいかと口を開く。

 

「この畑にあれだけの水で足りものなのか?」

 

「まあ、足りんだろうな」

 

 ペレグヌスは躊躇うこともなくそう即答すると笑い声を上げる。

 

「このへんの畑は基本的に水がいきわたるように用水路を作ってるんだが、この畑だけどうも上手くいかなくてな。

 

 一応あることにはあるんだが、どうしても一日に二・三回はああやって水を汲んでこないといけないわけだ」

 

「詳しいんだな」

 

「用水路を造ったのが俺だからな」

 

 ニルはそう言ったペレグヌスがまた声をあげて笑うだろうと思ったのだが、その予想は外れペレグヌスは真剣な声を出す。

 

「ユウシャって事はマオウを倒しに行くんだろ?」

 

「神にはそうするように言われたな」

 

 急に真剣になったペレグヌスに少し驚きながらも、ニルはそう返す。

 

 その間ニルはペレグヌスの方を見ることはなくただぼんやりと畑を見ていた。

 

「ユウシャ君はルーリーノの目的は知ってるのか?」

 

「亜人にあって魔法を教えてほしい……だろ」

 

 ペレグヌスはぶっきらぼうなニルを咀嚼して、一つ一つ可能性を消していくように質問して行く。

 

「でもユウシャ君はその亜人のトップを倒しに行くんだろう? ルーリーノを一緒に連れてていいのか?」

 

「別に神以外からはマオウを倒すことは期待されてないからな。それに、俺自身はマオウと話をしたいんだよ」

 

「ユウシャ君は亜人許容派なんだな」

 

「ルリノの目的知っていながらルリノのために動いてるんだからペレグヌスもそうなんだろ? それに俺は単に人と亜人の根本的な違いが分からないだけだ」

 

 「ま、俺は亜人許容派と言うかルリルリ許容派だがな」と、ペレグヌスが冗談交じりに言ったところでイノンがバスケットにパンを持ってやってきたので話が中断され、少し早めの昼ごはんになった。



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愚行

 ルーリーノがウィリに魔法を教え始めて二日目。

 

 朝六時の鐘が鳴る前に目が覚めたウィリはまたあの授業が始まるのかと憂鬱な気分であった。

 

 昨日は杖を使わずに魔法を使う練習を始め結局夕方になっても無駄に身体から魔力を垂れ流すのが精一杯でいつになったら魔法を使えるのかまるで解らない。

 

 それだけならまだしも、師匠たるルーリーノはこれと言って助言はくれない。

 

 これだったら杖を使っていくつもの呪文を教えてくれた方がマシだとさえウィリは思う。

 

 そもそも今の練習をやる意味さえ感じない。

 

 しかし、今ルーリーノが教えてくれなくなれば次の機会が来るのかさえ怪しい。

 

 そう言うわけでウィリは朝食を食べ、家族が農作業へと向かうのを見送ってから昨日と同じく町の出入り口へ向かった。

 

 朝は八時に集合でウィリは早めに家を出たが、今日もルーリーノが先に来ていて何となく負けた気分になる。

 

 ルーリーノはウィリがやってくるのを見つけると「来ましたね。それではいきましょうか」と言って門をくぐる。

 

 ウィリはそんなルーリーノの後ろを不機嫌な顔で追いかけると昨日とおなじ海辺にやってきた。

 

「それでは、昨日の続きをやっておいてください」

 

 ルーリーノはそう言うとウィリを観察するようにその場に座り込む。ウィリはそんなルーリーノの態度に不機嫌が頂点にまで達した。

 

「こんなことをして何になるんだよ。杖を使えば魔法を使えるんだからこんなことする意味無いだろ」

 

 声を荒げてウィリが急にそう言ったので、ルーリーノは少し驚いたけれど、むしろよく今までこの台詞を言わなかったなと関心さえする。

 

 ルーリーノは立ち上がりパッパと付着した砂をはたき落とすと、ウィリの方を向いて澄ました顔で口を開く。

 

「いいですよ。それでは杖を出してください」

 

 ルーリーノがあっさりと折れたのでウィリは拍子抜けしてしまったのだが、これでようやく魔法が使えると意気揚々と杖を取り出す。

 

 ルーリーノはウィリが杖を取り出し機嫌がよくなったことに気がついて、少ししか年の変わらないこの男の子を子供だなと思ってしまう。

 

「それでは、杖を持った状態で海に向かって昨日の呪文を唱えてください」

 

 機嫌がよくなったウィリはルーリーノの言葉に素直に「わかった」と頷くとすぐに「ミ・オードニ……」と呪文を唱え始める。

 

「ブロヴィ・ブロヴォ」

 

 ウィリが呪文を唱え終わると二人の後ろから服をはためかせる程度の風が吹く。

 

 それは昨日試しにやった魔法よりも弱くてウィリは理解できずに呆けてしまう。

 

「まあ、こんなものですね」

 

 対してルーリーノは納得したように頷く。ウィリは一瞬遅れて我にかえるとルーリーノに食ってかかる。

 

「どういう事だよ。どうして昨日よりも威力がないんだよ」

 

「昨日は風向きと同じ方向に魔法を放っていた……というよりも、途中で本物の風に負けて方向を変えられたって感じでしたからね」

 

 ルーリーノがそう言うのでウィリは少し納得のいかないような顔をしながらも頷く。

 

「それでは、他の呪文も教えていきましょうか」

 

 ルーリーノのその言葉を聞いたウィリは直前の不確実な何とも言えない違和感を忘れて思わず「よし」と声を上げた。

 

 

 

 ルーリーノが新たにウィリに教えた魔法は全部で三つ。一つは風の矢、一つは風の壁、一つは小さな竜巻を起こす魔法。

 

 この三つはある程度風に形を持たせないといけないので、ただ風を吹かせるだけの魔法よりも数倍難しくなってしまう。

 

 実際ウィリもこの三つをその日の夕方まで練習してようやく形にはなった。

 

 だが、風の矢は葉っぱを貫通させる程度の威力で、壁や竜巻に至っては周囲にそよかぜを送る程度でしかない。

 

 しかし、漸くより魔法らしい魔法を使うことができたウィリのはしゃぎ様は子供そのもので、ルーリーノとの別れ際に「もう教わることはない」と嬉しそうに言っていた。

 

 

 

 その日の夜。新しい魔法を覚えたウィリはどうしてもその力を試したくて家族が寝静まった頃こっそりと家を抜けだした。

 

 家の外に出ると辺りは月明かりでぼんやりとだけ見え、町の奥の方はまだ少し活気が残っている。しかし、今ウィリのいる農業地帯は全くの無人。

 

 それ故に門までは特に注意することなく到達できた。

 

 問題はここから。もちろん門は閉まっているので昼間のように簡単には外に出られない。

 

 だが、こう言った門の近くには管理室なるものがあり、実はそこから外に出られる。

 

 何のためにこうなっているかといえば、夜になって町や村に到着するという旅人というのが少なくないから。

 

 ウィリも門が閉まっていることを確認すると、すぐに管理室に向かう。

 

 この時は先ほどまでとは違い慎重に、できるだけ足音をたてないように細心の注意を払う。

 

 管理室に行ったとしてウィリのような子供を外に出してくれるとは毛頭思えない。

 

 だから、管理人が休憩などで管理室を離れている隙に外に出なくてはならない。

 

 そうやってこそこそと目的を達成するために暗躍する状況がどうにもウィリの中ですごいことをやっているような感じがして、自然と気持ちが高まっていく。

 

 管理室をこっそりと覗くシーンなどはそれこそ興奮し思わず誰かに話したいと思うほどであったのだが、そこで少しウィリは拍子抜けしてしまう。

 

 ウィリが管理室の小さな窓から中を覗くと中でお腹の出ているおじさんが椅子に座り机に突っ伏した状態でいびきをかきながら寝ていた。

 

 それを見て、今までの緊張感が一気に冷めてしまったウィリであったが、これは逆に好機として管理人を起こさないようにそっとドアを開け、そっと後ろを通り入ってきたところとは反対側のドアから外に出る。

 

 それから、ゆっくりドアを閉めると意気揚々と歩きだす。

 

 ウィリの目標は亜獣。かっこよくそれを倒して家族に自慢してやろうと考えている。

 

 しかし、町の周囲を歩きだして十分ほど経っても亜獣が現れない。

 

 それに対してウィリは少しいらつきを覚えていたが、それからすぐにカサカサと明らかに風とは違うものが地面に生えている少し背の高い草を揺らす。

 

 ウィリは待っていましたとばかりに音がした方を見た。

 

 暗くて見づらくはあるが、ウィリの前に現れたのは蛇のような亜獣。

 

 普通の蛇と違い、口を閉じてもその長い牙は姿を隠すことはなく、鋭く尖った尾は二股に分かれている。

 

「ミ・オードニ・ブロヴォ・パフィ・ウヌ……」

 

 相手の姿を確認してウィリは呪文を唱え始めた。

 

 興奮で気が付いていないが、ウィリ自身緊張しており杖を握っている手はすでに汗でべとべとになっている。

 

 亜蛇は初めはジッとウィリを睨んでいるだけだったが、ウィリが呪文を唱え終わる頃に急にウィリに向かって飛びかかる。

 

 それに驚いたウィリは「パファジョ」と慌てて呪文を唱え終えると、いびつな形をした風の矢が人が歩くよりも少し早い速度で亜蛇に向かって放たれる。

 

 それは蛇自身の速さと相まって辛うじて亜蛇の動きを止める程度にしか威力はなく、多少の衝撃はあったが蛇自体にはほとんどダメージを与えられていなかった。

 

 一度は地面に落ちた蛇がまたすぐに臨戦態勢になったのを見てウィリは先ほどまでの余裕がまるでなくなり、全身を恐怖が襲う。

 

「ひ……」

 

 そう声ならない悲鳴をあげて後ずさりその場から逃げだそうとしたが、駆け出そうと振り返った瞬間その全く変わらないとも思える光景にウィリの顔が絶望に凍りついた。

 

 よく見れば前後だけでなくウィリを囲むように二十体ほどの亜獣がウィリに狙いを定めている。

 

 それに気がついたウィリはがくがくと震えその場に座り込んでしまった。

 

 もうウィリには何も考えることはできず、蛇が飛び掛かってくるのを視界の端でとらえた瞬間グッと目を閉じた。

 

「ミ・オードニ・ブロヴィ・ブロヴォ」

 

 ウィリの耳に聞き覚えのある声がしたと思った瞬間、轟音のような風の音がした。

 

 ウィリが恐る恐る目を開けると今にもウィリに噛みつきそうだった亜蛇がその姿を消していた。

 

 ウィリは状況判断よりも先に目の前の蛇が居なくなったことに安心したように息をはいたが、ガサガサと蛇が草むらを這う音が聞こえてきてまた身体を硬直させる。

 

 蛇はあくまでも吹き飛んだだけであって、下手するとダメージすらまともに受けていないのではないか、先ほどの自分の魔法を思い出してウィリはそんな事を考えてしまう。

 

「ザッと二十匹と言ったところですか……」

 

 そんな人の声が聞こえてきたのでウィリは思わずそちらに首を回す。

 

 そこにいたのはウィリの現在の師匠たるルーリーノで、その姿を見ただけでウィリの目に涙がたまっていく。

 

 ルーリーノはそんなウィリをひとまず置いておいて「フォーミ・ドゥデク・パファジョ」と呪文を唱えて宙に二十本の風の矢を出現させる。

 

 それから、二人に向けられる殺気にめがけて「パフィ」と言って矢を射た。

 

 それぞれの矢が各自目標に到達するまでにかかった時間は一秒以下。すべての矢が蛇の頭を貫き地面に縫い付けた。

 

 ルーリーノはそこまでやって他に周りに動く気配がないかどうかを確認してからウィリの方を見る。

 

「どうでしたか、魔法を使ってみて」

 

 ルーリーノが怒ることなくいつもの調子でウィリに尋ねると、ウィリは顔をぐしゃぐしゃにしながら「ごわがっだ、ごわがっだよう」と泣き喚いた。

 

 

 

 ウィリが泣きやむ前、それでも何とか立って歩けるくらいになった頃、ルーリーノは「とりあえず、町に戻りましょう。早くしないと管理人が起きてしまいます」と言って町の方へと歩きだした。

 

 ウィリはそんなルーリーノを見て慌てて立ち上がると、涙を流し鼻水を垂らしながらも必死にルーリーノを追いかけた。

 

 その胸中はここでルーリーノに置いていかれると今度こそ本当に命が無くなってしまうというもので、ウィリの中はルーリーノについていくことが最優先事項。

 

 町の門が近づき漸くウィリが安心したように表情を緩める。

 

 その頃にはウィリの顔も見れるくらいにはなっていて、多少冷静になれたせいで先ほどまでの自分の行動が信じられず頭の中で数多くの言い訳が量産されていく。

 

 ルーリーノはそんなウィリの事など気にしていない様子でそっと管理室を覗くとホッと息をついた。

 

 それからボソッと「まだ大丈夫みたいですね」と呟くとウィリに「早く入ってください」と声をかける。

 

 ウィリは言われるままに管理室に入りそのまま町の中へと足を踏み入れた。

 

 ルーリーノはその後に続いて入ると、眠っている管理人に「ごめんなさい」と言ってから町に入る。

 

 町の門のあたり。二人が授業に行く際に待ち合わせをする場所で、ウィリは先ほどの失態の言い訳をしようと口を開きかける。しかし、先にルーリーノが声を出した。

 

「とりあえず、今日はこれまでです。明日……なのか、もう今日なのかはわかりませんが夜が明けたらまたここに来てくださいね」

 

 そう言って躊躇いなくペレグヌスの邸の方へと歩きだした。

 

 ウィリはそのルーリーノを引きとめて何とか誤解を解こうと、今回はたまたま調子が悪かっただけなのだと、そう言おうとしたが手を伸ばしただけで、ルーリーノを引きとめる言葉を発することはなかった。

 

 理由は簡単で、どう考えても今回のことはウィリの力不足が招いたことであるから。

 

 ウィリ自信それを認めたくはなかったが、どれだけ自分に言い訳しても残るのは自分の力不足故に死にかけルーリーノに助けられたということ。

 

 それを納得したところで、今までの自分の行動が恥ずかしくなってきたところで、ウィリの足は自分の家へと向かい始めた。



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再戦

 夜が明けて、ルーリーノはニルを連れてペレグヌスの元に向かった。今までのように机をはさんでペレグヌスが椅子に座り、残り二人は向かい合うように立つ。

 

「どうしたんだ急に」

 

 ペレグヌスが面倒臭そうにそう言うと、ニルもどうしてここにいるのか分からないと言った表情を見せる。

 

 その中で唯一状況を知るルーリーノが口を開いた。

 

「今日で……と言いますか、今からウィリ君に最後の授業をしたらそのままメリーディに向かうので舟がどうなったか聞いておこうと思いまして。後はついでに別れの挨拶を……と」

 

「俺はそれを初めて聞くんだが……」

 

 ルーリーノの話を聞いてニルは呆れたようにそう呟く。

 

 もちろん隣にいたルーリーノにその呟きは聞こえていて全く悪びれた様子もなく頭を下げた。

 

「すいません。時間がなかったので言っていませんでした」

 

 そんないつもの調子のルーリーノに対してニルはどのような言葉も益体無い事が解っていたために溜息のように息を吐くだけで何も言わなかった。

 

「そっちの話は終わったか」

 

 退屈したように欠伸をしながらペレグヌスが言うので、ニルが「ああ」と簡単に肯定だけする。

 

 それからルーリーノも「そうみたいですね」と言ってペレグヌスに視線を移した。

 

「それで舟だが、メリーディのギルドに話はしてきた。碧眼のルーリーノが来たら俺の舟をくれてやれってな」

 

「ありがとうございます」

 

 ルーリーノが甚だいい笑顔で礼を言うので、ペレグヌスは声をあげて笑う。

 

 それを見てルーリーノは少し頬を膨らませたがペレグヌスは意に介さず話を続けた。

 

「それであの坊主はどうだった?」

 

「どうでしょうね。三日で教えられるほど魔法というのは簡単ではないのは貴方もよく分かっているでしょう」

 

 「それもそうだな」そう言ってペレグヌスが笑うのを見てルーリーノは「では、そろそろ行きますね」と切り出しペレグヌスに背を向ける。

 

「なあ、ルリルリよ。また帰ってくるのか?」

 

 背を向けたルーリーノに、ペレグヌスはまじめに声をかける。しかしルーリーノは振り返ることすらせずに「私の名前はルーリーノです」と言うと、からかう様な口調で続ける。

 

「目的が目的ですから、その保証は出来かねます」

 

 それからルーリーノはペレグヌスの反応を待つことなく部屋を後にする。慌ててニルもそれに続いた。

 

 

 

 

「いいのか、ペレグヌス放っておいて」

 

「いいんですよ。彼がその気になればこちらの状況なんて分かるんですから」

 

 町の門へと向かう下り坂そんな会話をしながら二人は歩く。

 

 その格好はいつもように目深にフードを被ったパッと見たところ不審者のような恰好。

 

 それでも、三日もいれば町の人たちも慣れたらしく一瞬視線を向けてもすぐに自分のやっていた作業へと戻って行く。

 

「そう言えば、ニルに頼もうと思っていたことがあるんでした」

 

 思い出したようにルーリーノが言うのでニルは「なんだ?」と何気なく尋ねる。ルーリーノはニルの隣を歩きながら何気ない感じで答える。

 

「今日私と勝負してくれませんか?」

 

 ニルは「ああ」と言おうとして躊躇う。

 

「ルリノ、何言ってるんだ?」

 

 躊躇ったのちすぐにそう言い直す。ルーリーノは説明が足りなかったと思いつつ「ルーリーノです」というと続けた。

 

「ウィリ君の最後の授業に見せてあげようと思いまして、一流の冒険者というものがどういうものなのかを」

 

 それを聞いてニルは逡巡したが、ルーリーノにも考えがあるのだろうと「わかった」と答える。

 

 ニルが頷いたのを確認してからルーリーノはもう少し詳しい説明を始めた。

 

「一応、魔法の授業ですからその直刀は使わないでくださいね。それ以外ならユウシャの力も使っていいですよ。でも常識の範囲内で、ですよ?」

 

 「まあ、ユウシャの力自体非常識ですけどね」そう軽口だけれど言葉を選んでルーリーノは言った。

 

 

 ルーリーノとニルが町の門へと辿り着いたとき、すでにウィリは退屈そうに門の近くで待っていた。それから、ルーリーノが来たのを見つけると、何かを言おうとして口をパクパクと開いたり閉じたりする。

 

 そんなウィリの奇妙な行動はまだ少し離れているルーリーノの位置からも見えどうしたのだろうと首をかしげた。

 

「せ……先生、きょ、今日もよろしくお願いします」

 

 ウィリはルーリーノが来るなり早口でそう言って頭を下げる。ウィリと初めて会って以来まだ会うのが二回目のニルにはそんなウィリの行動の意味はわからなかった――一応ルーリーノは先生であっているのだが、ウィリが素直にそう言うとは思えなかった――が、ルーリーノは少し驚きはしたが、なんとなく嬉しくなって「とりあえず、いつもの所に行きましょうか」と少しだけ声を弾ませて言う。

 

 ウィリはニルの存在をやや気にしつつも「わかりました」と言ってルーリーノの後に続いた。

 

 

 それからいつもの海辺につき次第ルーリーノがウィリに向かって声をかける。

 

「今から私とニルで勝負して見せますので、それを持って授業を終わりにします」

 

 ウィリにしてみれば急な言葉で思わず「え……」と戸惑いの声を出してしまう。

 

 しかし、ルーリーノにはそれが聞こえなかったのか、ニルの方を向くと「それではお願いしますね」と言ってから呪文を唱え始めた。

 

 

 

 

 突如始まった二人の戦いにウィリは言葉を失う。

 

 開始とほぼ同時にルーリーノが風と火の矢を無数に宙に浮かせたと思ったら、対戦相手たるニルはそんなことお構いなしにルーリーノの方へと駆け出す。

 

 そのニルに向かって団幕のようにルーリーノは矢を放ち、すさまじい爆音とともに炎がニルを包み大量の煙を上げる。

 

 ウィリの中でこれで決着がついたと思ったのだが、ルーリーノはすぐさまその場から離れた。

 

 それとほぼ同時にニルが煙の中から姿を見せ、先ほどまでルーリーノのいた場所を切りつける。切りつけると言ってもニルが持っている刀には鞘に入ったままで当たったとしても死にはしないだろうけれど。

 

 ニルが意識を集中してすぐさまルーリーノが逃げた方向へと視線を向けると、ルーリーノはニルに向かって「ブロヴィ・ブロヴォ」と呪文を唱える。ウィリも知っている、ルーリーノ自身が簡単だと言っていた魔法。

 

 しかし、その威力は杖を持ったウィリと比べるまでもなく、遂に堪えられなくなったニルを吹き飛ばす。

 

 それから距離が生まれた事で余裕のできたルーリーノが次の呪文を唱え始めた。

 

 吹き飛ばされたニルはすぐに起き上がると「さすがに守りだけじゃきついか」と呟くと、静かに口を動かした。

 

 それからのニルの動きはウィリでも分かるほどに素早くなり、呪文を唱えるルーリーノの所へ一直線に走る。

 

 それにはルーリーノも驚いたが、間一髪のところで呪文を唱えきり、青白く光る炎がニルを包み込む。

 

 しかしその炎は蛇のように姿を変えはじめ、魔法を使ったはずのルーリーノへと襲いかかった。

 

 それを見てルーリーノは「相変わらず反則染みてますね」と言いながら左へ飛んで避ける。

 

 それから、このままでは少し部が悪いと軽く目を閉じた。

 

 

 それを見てニルは慌てたように駆け出す。ルーリーノが目を閉じるとき、それは無詠唱呪文を行う時で、呪文に費やす時間がなくなるということはそれだけニルが接近しにくくなるということ。

 

 どんな魔法が来ても先ほどのように操ることはできるかもしれないが相手がルーリーノであるだけに油断はできない。

 

 ニルがそう思った瞬間、ニルの視界が急にぼやけた。

 

 まるで水の中にいるようだとニルは考えたがまさにそのとおりで、ニルが余裕で覆われるほどの水球に閉じ込められている。

 

 あまりにもいきなりのことで一瞬判断が遅れたが、ニルはその水球を五つに分け出来るだけ圧縮するとルーリーノの方へと撃ちだす。

 

 しかし、水球はルーリーノに届く前にジュっという音を立てて姿を消した。

 

「そっちも大概反則染みてると思うけどな」

 

 と、ニルが呟いていると今度は地面からいつかキアラが使ったのとは比べ物にならないほどの太さの蔓がが生えニルの足に絡みつく。

 

 ニルは舌打ちをして、今度はこの植物を操りにかかった。

 

 

 目を閉じているルーリーノは正確にニルの行動を知ることはできないが、自分の使った魔法に関してはそうではないのでニルに操られ普段感じないものを感じた瞬間にほぼ全方位からニルに魔法を放つ。

 

 一つは風の矢、一つは水の弾丸、一つは炎の柱。さすがにこれだけの種類の魔法を同時に撃てばニルであっても操ることはできないだろうと思っての一斉射撃。

 

 ルーリーノの予想通りニルは足の蔓以外の魔法を操ることができず、ルーリーノもこれで終わりだろうと紫にまで行かないもの濃い青い色になった目を開く。

 

 しかしそこでその判断が間違っていたと悟りもう一度、目を閉じようとしたところで真っ黒の鞘がルーリーノの首元につきつけられた。

 



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授業の終わり

 息を吐きながらその場にペタンと座り込むルーリーノを見て、ウィリは無意識のうちに全身に力を入れていた事に気がついて、ふっと力を抜く。

 

「やっぱり勝てませんでしたね」

 

 ルーリーノがそう言って手を伸ばすと、ニルはその手を掴み引っ張り上げる様にルーリーノを立たせてから口を開く。

 

「ユウシャの力使ったしな。とは言っても、いまいち使いこなせていなかったが」

 

「そうなんですか?」

 

 ルーリーノが不思議そうにそう尋ねると、ニルは頷いた。

 

「力はあっても、いざ実践となると一瞬考えるから隙ができるわけだ。

 

 とはいってもルリノレベルの相手じゃないとその一瞬も大した事ないんだけどな」

 

 そう言ったニルにルーリーノは「名前が違います」と少し拗ねたように返す。

 

 その時にウィリの姿が見え、何のための勝負だったのかを思い出した。

 

 それからルーリーノはニルに一言断ってからウィリの元へ向かう。

 

「どうでした?」

 

 ルーリーノがそう尋ねると、ウィリは驚いたようにルーリーノの顔を見る。それから戸惑ったように俯くと、ボソリと呟いた。

 

「すごかった……です」

 

「そうですか」

 

 言葉には出せないまでもウィリの中でいろいろと思うところがあるだろうと、ルーリーノはその表情から読み取り短い言葉で返す。

 

 それから真っ直ぐにウィリを見てから再度口を開いた。

 

「ともかく、これで私の授業はお終いです。後は自分の力で何とかなるでしょう」

 

 「それでは」とルーリーノが踵を返し、ニルの方へと向かい始めたところでウィリが顔をあげ、思い切って「あの」と呟く。

 

 しかし、その言葉はルーリーノに届かなかったのか足を止めることなくニルの元へと行ってしまった。

 

 それから、海沿いに歩きだした二人の背中が見えなくなるまで見送った後で、ウィリは小さく「ありがとうございました」と言って頭を下げた。

 

 

 

 

「よかったのか、何か言いたそうにしてたが」

 

 街道に戻り見えなくなってしまったが聞こえてくる波の音を聞きながらニルはルーリーノに言う。

 

 ルーリーノは始め困ったようにニルを見て、それから恥ずかしそうに進行方向へと視線を移すと、いつになく話し難そうに口を開く。

 

「ウィリ君が何か言いたそうにしていたのには気が付いていましたよ。何せ「あの」って言われましたし。ただですね、その先の言葉を聞いてしまうと少しだけ出発を躊躇ってしまいそうで……」

 

「なんか、ルリノらしくないな」

 

 ニルの言葉にルーリーノは照れ笑いを浮かべながら「そうですよね」と返す。しかし、ニルはそれ以上からかうことはせずに「まあ、それもいいんじゃないか」と言いながらペレグヌスの言葉思い出していた。

 

「確かに変わったのかもしれないな……」

 

「何か言いました?」

 

 ニルの呟きにルーリーノが聡くそう尋ねたが、ニルは首をふって「なんでもない」という。その時暗雲が立ち込み始めた。



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メリーディ

 メリーディは南の国における城下町というだけでなく、この大陸の西側に置いて最大の港町でもある。

 

 町の中心を大きな川が流れていて、ひとつ道を挟んでそれに沿うように白い壁に茶色の屋根、もしくは全体的に茶色い家が立ち並んでいる。

 

 川には何隻もの舟が並んでいて、それに乗りそのまま海へと出られるようになっている。

 

 もちろん海の方にも舟はあるが川のそれとは比べものにならないほど大きく、十数人から数十人は乗れるものが主。

 

 空には白っぽい鳥が群れをなし、舟が漁に出る日などは陸においても鳥に負けないほどに賑わうのだが、今日は生憎の曇り空。

 

 しかも今にも雨が降ってきそうなほどに黒っぽいとなるとどの舟も漁に出ることはなく今までの城下に比べるとだいぶひっそりとした印象を受ける。

 

「静かなところだな」

 

 故にニルがこのように勘違いするのも仕方がないとも言える。

 

「普段はそうではないはずなんですけどね。舟が出ないとあまり活気づかないんですよ」

 

 ルーリーノの言葉を聞いてニルは「そう言うものか」と町を見渡す。

 

 二人がいるのは町の門を入って少し歩いたところ。

 

 町のほとんどが海と川に面しているこの町は、他の町に比べると壁や門のある面積は狭い。

 

 そうすることによって亜獣が攻めてくる方向を一方向にして、町を守りやすくすると言われている。

 

「そう言えば、海にすむ生き物は亜獣化していないのか?」

 

 しているのだとしたら、この町ほど危ない町もないだろうと思いながらニルがルーリーノに尋ねると、ルーリーノは首を振った。

 

「今のところ確認されていませんね。そもそも亜獣が生まれた原因は人と亜人の戦争だと言われていますから、その舞台とならなかった海は何ともなかったのではないでしょうか」

 

 ルーリーノが流れるようにそう説明したところで、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。

 

 二人は逃げるように雨宿りできる場所を探して、一軒の喫茶店の軒先に収まった。

 

「よく今まで持ってくれたってところでしょうか」

 

「そうだな」

 

 二人がそうしている間にも雨は強くなり、濡れた石がその色を濃くし始める。

 

「そんな所にいてはお店にも他のお客様にも迷惑なりますよ?」

 

 店先のテラス。木のテーブルに椅子、それに本来は日差しを防ぐためにあったであろうパラソル。

 

 そこから笑うような女の子の声が聞こえて、二人はすぐにそちらを見た。

 

 そこにいたのは、ルーリーノと同じくらいの年齢の、そしてルーリーノのように冒険者のような恰好をした緑色の目の女の子。

 

「よろしければ一緒にお茶でも飲みませんか? 雨の音を聞きながらというのも風流がございますよ」

 

 女の子はそのままそう続けたが、ニルはそんなことよりも目の前の女の子が自分の知っている人物に酷似していることに驚いていた。

 

「エル様どうしてここに?」

 

 ルーリーノもルーリーノで、一国の王女がまた普通に町中にいることに驚いてそう声を出す。

 

「ルーリーノさん、それから、おにい……いえ、ユウシャ様お久しぶりですね」

 

 エルはルーリーノの質問を一度保留して置いてそう言う。そうしてからルーリーノの質問に答えた。

 

「今回はお二人にお会いしたくてこうして待っていました。本来ならユウシャ様には会わせる顔もないのですが」

 

 そんな二人のやり取りを見て、何となく状況を理解したニルは他のどんな話よりもまず……と口を開く。

 

「もうルリノにはばれてるから無理にユウシャ何て呼ばなくていい」

 

 「まあ、縁を切られたわけだから兄と呼んで貰う筋合いもないが」とニルがそっけなく言ったあとで、エルはきょとんとした様子でルーリーノを見た。

 

 エルと視線の合ったルーリーノは何も話すことはなく、代わりに頷くとエルは改めてニルの方を見る。

 

「お兄様、お久しぶりです」

 

 ややぎこちない笑顔でエルはそう言うと、二人をテラスに促す。

 

 パラソルがあるとは言え本来ならば雨が吹き込んできそうなものだが、どういうわけかそう言うことはなく雨がパラソルを叩く音もだいぶ抑えられているようである。

 

 ルーリーノはパラソルの下に入った瞬間にこれがエルの魔法によるものだとすぐに気がついたが、ニルはそれに気がつくまでに少しだけ時間を要した。

 

「でも、どうしてばれてしまったのですか? お兄様がそう言う間違いをするとは思えないのですが……」

 

 前にルーリーノと出会ったときに自分が何か過ちを犯してしまったのではないかと――ばれたところであまり問題はないところではあるが――エルは少し不安げに尋ねる。

 

 それを聞いてニルとルーリーノは互いに顔を見合せて、困った顔をした。

 

「ペレグヌスがな……」

 

 ニルが溜息をつきながらそう言うと、エルもどこか納得したように「彼ですか……」と苦い顔を見せた。

 

 

「そう言えば、エルはどうしてそんな恰好しているんだ?」

 

 キピウム城にいる時には見たことのなかったエルの格好を見てニルはそう尋ねる。そもそもどうして目が緑色なのかすらニルには分かっていないが。

 

「そう言えばお兄様にこの格好を見せるのは初めてでしたね。お忍びで外に出る時にはこうやって変装するのです。目の色は魔法で変えました」

 

 エルはそう言うと、目に掛けてある魔法を一度解いて元々の綺麗な青い瞳をニルに見せた。

 

 その目の色を見てニルが何処か安心した表情を見せたところでエルは呪文を唱え目の色を緑色に見せかける。

 

 そんな二人のやり取りを見ながらルーリーノは改めて二人が兄妹であるのだと実感するのと同時にはたして自分がこの場にいていいのだろうかと言う気分になってしまう。

 

 しかし、エルがルーリーノとニルの二人に話があるのだとしたらこの場を離れるわけにはいかないと口を開いた。

 

「エル様はどう言った理由で私達を待っていたのですか?」

 

 ルーリーノのそんな問いかけにエルは少し困った顔を見せ、それからすぐに笑顔を見せると声を出す

 

「わたくしの事よりもお二人の今までの旅についてお聞きしてもよろしいですか?」

 

 少し焦ったように言うエルにニルは疑問を覚えたが、ルーリーノの顔を窺ったあとでゆっくりと話しだした。

 

 

 少しずつ雨が弱まっていく中、ニルとルーリーノは所々で入れ替わりながら、二人の出会いからウンダの町を出るまでの話をかいつまんでエルに話した。

 

 その時ニルは意図的にデーンスの町で起こった事を話すのは避けたが、エルはその事に特に何も言うことはなく終始楽しそうに話を聞いていた。

 

 それから話がすべて終わったところでエルがクスクスと笑い出す。

 

「どうかしたんですか?」

 

 何か変な事を言ってしまったのではないかと心配してルーリーノがそうエルに尋ねると、エルは「いえ」と笑いながら言って、楽しそうな表情のままにニルを見る。

 

「本当にお兄様がルーリーノさんのことを『ルリノ』と呼んでいるので少し可笑しくなってしまいまして」

 

 そう言われてもニルは特に反応することはなく、ルーリーノは色々な意味を込めて溜息をつく。

 

 そんな二人を尻目にエルは昔のことを思い出しているかのように、遠くを見つめると続けた。

 

「わたくしの『エル』という呼び方も初めはお兄様が言いだしたことでしたね。カエルレウス何て呼び難いと言って」

 

「そうなんですか?」

 

 その瞳にやや無邪気さを湛えているエルとは対照的にルーリーノは不思議そうに尋ねる。それに対してニルがさも当然と言った様子で口を開いた。

 

「実際呼びにくいだろう? カエルレウスって」

 

 言われてルーリーノは確かに……と納得しかけたが、エル自身はどう思っているのだろうとエルに視線を移す。

 

 その視線に気がついたエルは少し考えて話し出した。

 

「カエルレウスというのは両親から頂いた名前ですが、エルはお兄様から頂いた名前。わたくしとしてはどちらで呼ばれても構わないのです。むしろエルと呼ばれた方が嬉しいくらいですね」

 

 恥ずかしげもなくそう言ったエルがルーリーノにはどこか羨ましく感じて、話を変えようと口を開きかけた時近くに雷が落ち雨が激しさを取り戻し始めた。

 

「さて、そろそろどうして私達を待っていたのか教えてもらえますか? エル様」

 

 ルーリーノの言葉を受けてエルは諦めたように真剣な表情を見せた。

 

「そうですね。ユウシャとしての旅が終わるまでお兄様に会わないようにと思っていましたが、どうしても伝えておきたいことがありまして」

 

「お前が直接言いに来なければならないことなのか?」

 

 ユウシャとしての旅が……という段階で何を勝手にそんな事を決めたのだろうという気になって仕方がないニルであったが、話をそらさないためにそう尋ねる。

 

 エルはまっすぐニルを見ると「はい、お兄様」と頷いた。

 

「少し前のことですが、神の声が聞こえなくなりました」

 

 それを聞いたニルとルーリーノは驚いた表情を見せたが、エルは敢えて無視して話を続ける。

 

「その事はまだお兄様方以外には言っていませんが、もしかすると神はユウシャのことを快く思っていないのかも知れません」

 

「それってどういう事だ?」

 

 エルの言葉にニルが思わず身体を乗り出した。

 

 それをルーリーノが腕で制しニルがちゃんと椅子に座ったところでエルが答える。

 

「『お前たちのユウシャを監視するという役目はこれで終わりだ。今はしばし休むといい』というのがわたくしが最後に聞いた神の言葉です」

 

「監視……ですか」

 

 ニルが何か言うよりも先にルーリーノがそう呟く。

 

「もちろん、深い意味はないのかも知れませんが……嫌な予感がするのです」

 

 それからは暫く誰も口を開くことはなかったが、不意にルーリーノが声を出した。

 

「これでお話は終わりでしょうか?」

 

「あ、そうですね。お時間をお取りしました」

 

 急に声をかけられてエルははじめ驚いた声をあげたが、すぐに頭を下げる。

 

 それを見てルーリーノは立ち上がると口を開いた。

 

「それでは、私は今からギルドに向かわないといけませんので、しばらくの間席を外させてもらいますね」

 

 ルーリーノはそう言うと、反応を待つことなく「ミ・オードニ・デトゥーニ・プルヴォ」と呪文を唱えてから雨空の下ギルドまで歩きだした。

 

 ルーリーノが去って、雨音が途絶えない中しばしの沈黙があってエルが口を開く。

 

「気を遣わせてしまったみたいですね」

 

「そうだな」

 

 ニルがそう返したところで一度会話が途切れ、エルはどうもそわそわしている自分がいることに気がついた。それでも何か話さなくてはと声を出す。

 

「お兄様……今まで……」

 

「何もできなくてごめんなさいってところか?」

 

 途中でニルに台詞を奪われたエルだったが、言いたいことは大体言い表されていたので、エルは頷いて答える。

 

 エルが頷くのを見てニルは呆れたように溜息をついたので、エルは悪いことをしてしまったのかとハラハラしだす。

 

「俺はお前に礼を言うことはあっても、謝られることはないよ。この刀にもだいぶ助けられたしな」

 

 そう言ってニルは腰に差している直刀をエルに見せる。

 

 エルはニルの言葉に首をふってから、まっすぐにニルを見つめる。

 

「それはわたくしも同じです。お兄様には感謝してもしきれません。わたくしを巫女や王女ではなく一人の『エル』として見てくれたのはお兄様だけでしたから」

 

 エルはそこまで言うと、一度躊躇い、しかし続けた。

 

「ですから、このまま神の言う通りにマオウを討伐するのは止めてほしいのです。とても嫌な予感がしてならないのです」

 

 エルの静かながらも訴えてくる言葉を聞いて、ニルは先ほど話さなかった話をする決意をする。

 

 エルがニルを心配しているのはわかるが、どうしてもニルは壁を越えマオウに会わなければならない。そうニルが思っている理由をエルに分かってもらうために。

 

「悪いなエル。実はお前に貰ったこの直刀デーンスで一度血に染めたんだ」

 

 急ともとれるニルの発言にエルは少し驚いたが「そうでしたか」とだけ口にする。

 

「驚かないんだな」

 

「驚かないことはないですけれど、冒険者として旅に出たのですから可能性としては十分にあり得ることですから。

 

 わたくしは、その刀をお兄様がお兄様として使って頂けるのならその是非を問うことはしません」

 

 それよりも「デーンスで」という所にエルは意識が向いてしまう。

 

「デーンスで亜人奴隷を買って、その子に頼まれたんだ「ころしてください」ってな」

 

 話をするニルの顔は平生を装っていたが、妹たるエルにはその隠してある悲しみに気がつき、何も言えなくなってしまう。

 

「それで、思ったんだよ。人と亜人関係なしに平和に過ごしていける世界にならないかってな。幸い俺はそれができるかもしれない力と機会を与えられた」

 

 そこまで言ってニルは言葉を切る。それから、改めてエルの目をまっすぐ見つめてから続きを言う。

 

「エル……俺はできればマオウと話がしたいんだ。だから、俺はこの旅を止めるわけにはいかない」

 

「そう……ですか」

 

 ニルの決意にエルは呟くようにそう言うと、エルは無理に笑顔をつくった。

 

「お兄様がそう言うのであれば、わたくしは世界を変えて帰ってくるお兄様を無事に待っていなくてはなりませんね」

 

「ああ、頼む」

 

 エルの言葉にニルがそう返すと、エルが思わず「お兄様」と口を開いた。

 

「どうかしたか?」

 

「いえ、今日はありがとうございました。わたくしはそろそろ教会に戻らなければなりませんので」

 

 そう言ってエルは立ち上がると一度頭を下げ、ルーリーノと同じ呪文を唱えると雨の中へと姿を消した。

 

 残されたニルは雨に霞む町をしばらく眺めた後で、勝手にテラスを使っていたという後ろめたさもあり、一度喫茶店で飲み物を頼むと先ほどと同じテラスでルーリーノを待つことにした。



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出港

 メリーディのギルド。川沿いに作らなくてもよいこの建物は、それでも海近くの道を一本ほど隔てたところにある。

 

 それは、ここメリーディでは亜獣退治などの依頼よりも、漁の手伝いの方が多く、そう言う依頼を出すのが、大抵大きな舟を持つ、つまり海に舟を止めている人であるからだと言われている。

 

 しかし、たまたまそこに土地があったから作っただけで、その場所に造ったからこう言う依頼が多くなったのではないのかとも言われたりもする。

 

 少し大きくはあるが、他の建物に溶け込むような外見で扉の近くに看板が掛けられている。

 

 ルーリーノは傘を差すことはせずのんびりとそこまでやってくると、ゆっくりと扉を開けて中に入った。

 

 通りとは違い、雨だからこそ多くの男たちが中で屯っていて、騒がしいというよりはだらけ切った雰囲気が満ちている。

 

 そのお陰というべきか、フードを目深にかぶった小柄なルーリーノが真ん中を突っ切って受付へと向かっても、軽く視線を向けられるだけで何かを言ってくるような人物はいなかった。

 

 受付にいたのは感じのよい初老の男性。ルーリーノはギルドカードを出してその男性にペレグヌスの舟について尋ねる。

 

 男性はカードを見て目の前にいるのがルーリーノだと分かると、作業をしながら話し始めた。

 

「今日は雨が降っていますから、今すぐにというわけにはいきませんね。ペレグヌス様より、すぐに使えるようにして渡してくれとのお達しでしたので。

 

 明日になれば晴れると思いますので、また明日来てください」

 

 言い終わり男性はルーリーノにカードを返す。ルーリーノは受け取るときにお礼を言って受付を離れた。

 

 それから用事も済んでしまったし、兄妹話がすむまで何をしていようかと考えていると、ギルドのドアが開かれた。

 

 現れたのは今ルーリーノが考えていた兄妹の妹の方で、ルーリーノは思わず名前を呼びそうになり、咄嗟に両手で自分の口を押さえる。

 

 それから、ルーリーノを見つけて手を振るエルの元へ早足で向かうとそこでようやくルーリーノは声を出した。

 

「どうしてエル様がこんなところに?」

 

 あまり小声で話しても目立つのでやや小さめの声でそう尋ねると、エルはクスっと笑ってから答える。

 

「一般人がギルドに来てはいけないという決まりはなかったはずですよ」

 

 エルの答えにルーリーノは諦めたように息を吐くと、唯一空いていた席にエルを促す。エルは促されるままに木でできた椅子に座り、その反対側にルーリーノが座った。

 

「ニルとの話はもう良かったんですか?」

 

「ええ、これ以上一緒にいてしまうとお兄様に甘えてしまいそうですから」

 

 ルーリーノの問いにエルは嬉しそうな恥ずかしそうな表情で答える。

 

「どうして私の所までやってきたんですか?」

 

「別れの挨拶を……と思いまして」

 

 そう言ってエルは小さく笑った。

 

 

 

 

 

 

「遅かったな」

 

 テラスのテーブルにのみ終わったコップを置いて久しいニルは、ルーリーノの姿を見て退屈そうにそう言った。

 

 ルーリーノは特に言い返すことはせずに素直に謝ると「ちょっと知り合いと遭遇しまして」と遅くなった理由を説明する。

 

 ニルはそれを聞くと「そうか」とだけ返した。

 

 それから、ルーリーノがパラソルの下に入ると飲み終わったニルのコップを見つける。

 

「せっかくですし、私も何か買ってきますね。ニルは何か飲みますか?」

 

 ルーリーノがそう尋ねると、ニルは「同じの」と言って置いてあったカップをルーリーノに手渡した。

 

 

 雨独特の酸っぱいにおいの中に香ばしい香りが漂う。

 

 結局ルーリーノはニルと同じものを頼み、真黒なそれを躊躇いもなく口に含んだ。口に広がる香りは先ほどからしているそれと同じもので、その後に苦み、ついで酸味が現れる。

 

 一口目、ゆっくりとそれを味わったところでニルがルーリーノに声をかけた。

 

「それで舟はどうだったんだ?」

 

 ルーリーノは手に持っていたカップを一度置き、それから口を開く。

 

「今日は雨なので用意はできていないと言われました」

 

「まあ、そうだろうな」

 

 やや落ち着いては来たもののまだまだ止みそうにない雨を見ながらニルがそう返す。

 

「明日には晴れるだろうとの事なので遺跡には明日行くことになりますね」

 

「じゃあ、これを飲んだら宿でも探すか」

 

「そうですね」

 

 それ以降二人は話すことなくただただ雨の音を聞きながらゆったりとした時間を過ごした。

 

 

 

 次の日、昨日の雨が信じられないほどの晴天に恵まれニルはいち早く宿を抜けだしていた。

 

 天気としては昨日のことが信じられないほどではあるが、未だ地面が乾いていなかったり、不意に木から水滴が落ちてきたりと雨の余韻が残っているので、確かに昨日雨が降っていたのだという気になる。

 

 青空の下見るメリーディの町は昨日のそれとはだいぶ印象が変わりとても明るい町という印象を受けた。

 

 その印象の一端を担っていると思うものは、まだ朝早いという時間なのに通りを行き交い活気づいている人々。

 

 目的とする魚の種類により漁に出る時間が変わってくるため、朝早くであっても人が多いのはこの町では当り前ではあるのだが、そんなことを知らないニルにしてみればやや異様ともとれる。

 

「もう外にいたんですね」

 

 ニルが町を観察していると、後ろからルーリーノが声をかける。ニルはルーリーノの方を見ることなく口を開いた。

 

「昨日とはだいぶ雰囲気が違うと思ってな」

 

 それを聞いてルーリーノはなるほどと空を見上げた。それから、何かを思いついたように声を出す。

 

「晴れていれば勿論町に活気は出ますけど、それだけじゃなくて町の雰囲気もだいぶ変わりますからね。私も今気がつきましたけど」

 

「そうだな。まだまだ知らないことってのが多いもんだな」

 

 ニルはそう返し、今度はルーリーノの方を向いてから「ギルドに行くか」と声をかける。

 

 ルーリーノは朝のギルドのことを考えてもう少し時間をつぶしてから行くよう提案しようと思ったが、時間をつぶすと言っても特にやることもないので黙って頷き、ニルの前に立ってギルドへと案内しはじめた。

 

 

 ルーリーノの予想通りギルドの中は多くの冒険者で賑わっていた。そのほとんどが依頼ようの掲示板に集まり我先にと割のいい依頼を取ろうと手を伸ばす。

 

 そんな状況であるので必然的に受け付けにも人が集まっていて、舟の事を言いに行く隙すらない。

 

「何ていうか……凄いな」

 

 今まで朝のギルドに来たことのなかったニルは目の前で行われている熾烈な戦いにそう感想を漏らす。

 

 ルーリーノはそんなニルの反応に思わず笑みを零し「本来ならニルもあの中の一員だったんですよ?」と言う。

 

「依頼をこなすよりも大変だと思うんだが……」

 

 そこまで言ってニルはふとルーリーノの顔を見る。見られたルーリーノは小首をかしげた。

 

「ルリノも昔はあの中にいたんだろ? 大丈夫だったのか?」

 

 いかに優れた魔導師であったとしてもあの中から自分に合った依頼を取ってくるのは至難の業ではないのかと思いニルが尋ねる。

 

 ルーリーノはニルが自分の方を向いた理由がわかり納得したが、それよりも先に納得したくないことがあったので「私はルリノじゃないです」と言ってから続ける。

 

「私はあの中に入ったことありませんよ。いつも残った依頼しかやっていませんでしたから」

 

「それだと割に合わない依頼しか残らないんじゃないのか?」

 

 そう言った非効率な事はルーリーノは好まないのではないかと思いニルが尋ねると、ルーリーノは「そうですね」と答え始めた。

 

「割に合わない依頼と言っても色々ありますからね。子供のお使いレベルのものもあれば、危険に見合っていない場合ってのもあるんですよ」

 

 そこまで聞いてニルは一人で納得した後、確かめるように口を開く。

 

「つまり、割に合っていない亜獣の討伐を専門にやっていたわけか」

 

「そうですね。熟練者が引き受けるには報酬が少ないけれど、中堅レベルになると束にならないと勝てないような亜獣討伐依頼って言うのは割と多いんですよ。

 

 放っておいて被害が大きくなってくると報酬も増えていずれは熟練の冒険者が引き受けるような金額になりますけどね」

 

 ルーリーノの話を聞いてニルはやはりそうかと、自分の考えの正しさを確認する。

 

 そうしている間に沢山いた人々は数を減らし受付の前もだいぶ空いてきた。

 

 今必死に掲示板を見ている人は恐らく駆け出しの冒険者。

 

 駆け出しであるが故少ない選択肢でも迷っているのだろうけれど、流石にそれを待っているほどお人よしではないとルーリーノはニルに一言言って受付に向かった。

 

 

「ルーリーノ様お待ちしておりました」

 

 ルーリーノが受付の前に着くと、何か言う前に昨日とおなじ初老の男性がそうルーリーノに話しかけた。

 

 ルーリーノが舟について尋ねると男性はすでに用意はできていると言って舟を止めている場所を教えてもらった。

 

 それからすぐにニルの元へ戻ったルーリーノはニルの「早かったな」という言葉に迎えられた。

 

 

 

 

 

 潮風に吹かれながら大きな舟の沢山泊まっている港をニルとルーリーノは歩く。前を歩くのはルーリーノで、ギルドで教えてもらった場所を慎重に探しながら。

 

 その後ろをニルが周囲を眺めながらついていく。

 

 いくつかの舟は今から漁に出ようと人々が乗り込み、いくつかの舟は今帰ってきたとばかりにその中から大量の魚を持った人々が降りてくる。

 

「そう言えば結局ペレグヌスの言っていた島って言うのはどれなんだ?」

 

 歩きながらニルがルーリーノにそう尋ねる。ルーリーノはそれを聞いて失念していたとばかりに声を上げると、しかし自信たっぷりに口を開いた

 

「その辺にいる人に訊いてみたら分かるでしょう。有名な島みたいですし」

 

 そう言ってルーリーノが丁度舟から降りてきた一団の所に向かう。

 

 ニルの位置からでは何を話しているのかまではわからないが、少し会話をした後で漁師たちは海の方を指さす。

 

 その後、ルーリーノは彼らに頭を下げてからニルの元へと戻ってきた。

 

「ギリギリ見える位置にあるあの島みたいですね」

 

 ルーリーノがそう言って海の向こうを指さすとニルは目を凝らしてその方向を見る。

 

 そこには確かに島らしきものが見え幸いというか今居る陸地との間に障害物となりそうなものはない。

 

 これならば海の上で進むべき方向が分からなくなることなんてないかとニルは安心した。

 

 

 途中何人かに島のことを尋ねつつ、ルーリーノ達が着いたのは周りの舟とは比べるまでもなく小さな舟。

 

 両隣りが二、三十人は乗れそうな舟であるのに対して、五人も乗れないのではないかと思うほどに小さく、また風を受けるための帆がなく代わりにオールがその上に置かれている。

 

「まあ、これなんだろうな」

 

 ルーリーノが何かを言う前にニルがそう洩らす。

 

「そうですね。見たところ頑丈そうではありますし、二人なら十分じゃないですかね」

 

 ルーリーノの言葉にニルも納得はしたが、それでも何となく腑に落ちない心境でその舟に乗りこむ。

 

 そのはじめの一歩は少し不思議な感覚で、少し舟が沈みこむ感覚はニルに僅かばかりの恐怖を与えた。

 

 しかし、ニルにとっては初めての舟という事もありそんな恐怖もなかったかのようにそわそわしてしまう。

 

 ニルが乗った後にルーリーノも乗り込み、岸とつないでいたロープを外して舟の中に放り込んだ。

 

「あとは、ニルにお任せということでいいんですよね?」

 

 ルーリーノにそう言われ、ニルは「そうだな」と短く答えるとそのまま何かを呟いた。

 

 近くにいたルーリーノにはニルが呟いた事はわかったが、波の音に遮られ具体的な内容まではわからない。

 

 それから舟はニルが思うように――正確には潮の流れが、だが――動き始める。

 

 他の舟が近くにあるときにはゆっくりと、数が少なくなって来ると徐々にスピードを上げる。

 

 二人が振り落とされない程度の速さで一定となり、その風によってフードが落ちさらに二人の髪をはためかせた。

 

「海の上というのもなかなかに気持ちの良いものですね」

 

 風に煽られる髪を片手で押さえながら、ルーリーノがそう言うと、ニルも同意するように頷く。

 

「まあ、俺は少なからず集中していないといけないから純粋には楽しめないけどな」

 

 ルーリーノを羨むようにではなく軽口のようなニルの言葉に、ルーリーノが「がんばってください」とほほ笑みながら返した。



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黒亀問答

 二人の辿り着いた島は町が一つくらいはいりそうな大きさで、ぐるりと一周砂浜になっている中に森のように木々が茂っている。

 

 ニルとルーリーノは砂浜にやや乗り上げる様に舟を止めてから、辺りを見渡しながら砂浜を歩いた。

 

「此処からだと見事に砂と木って感じですね」

 

 ルーリーノがやや辟易した様子でそう洩らすと、ニルが砂を蹴るように歩きながら口を開いた。

 

「そして、その木がすごいな……」

 

 そう言ってニルが視線を森に移す。

 

 ルーリーノも促されるようにそちらを見ると、大陸ではなかなかお目にかかれないほどの巨木が何本も並んでいた。

 

「遠くからでは分かりませんでしたが、私には如何にも何かを隠していますって言っているように見えるんですよね」

 

 溜息をつくように息を吐いてからルーリーノはそう言うと、ニルを見る。ニルはその視線に気がつかないのか、まっすぐ森の方を向いて「そうだな」と返した。

 

「何があるかわかりませんし、注意しながら先に行きましょうか」

 

「また、居るだろうからな……使いが」

 

 ニルはそう言うとワザとらしく溜息をつき、でもルーリーノに言われたように辺りを警戒しながら森の中へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 森の中は微かに光が届いていて真っ暗ということはないが、その光が緑色の葉を通り抜けてくるためか全体的に緑色に見える。

 

 地面はというとうっすらと草が生えているくらいで、場所によっては土の茶色が見えているところもある。

 

 そんな森の中、二人はひとまず森の中央と思われる方へと向かった。

 

 共に辺りを警戒しているためもあって殆ど会話はなく、その足取りも歩きよりも少し早いくらい。

 

 しかし、元々町程度の大きさであるので数時間とかからず、二人はここにあるにはあまりにも不自然なものを見つけた。

 

「あれはなんでしょう……」

 

 そう思わず声を出してしまったルーリーノの視線の先には白い建物。とはいってもだいぶ古いのか本来の白さはなく、不自然なのだけれどこの森の中に合って違和感はない。

 

「かなりでかい建物……としか言いようがないな……」

 

 建物は四角形の上にさらに四角を置いたような形をしていて、窓の数から四階建てだと言う事はわかる。

 

 しかし、それほど大きさの建物となると城や教会くらいしかなく、しかもその装飾は華やかなもので作りもこんな風に簡素ではない。

 

「ここがユウシャの遺跡……でしょうか?」

 

「そうだろうな」

 

 そうなると、昔は人がいて建てたと言うよりも二人の中ではそう落ち着く方が自然な形となる。

 

 しかし、同時に二人は困惑していた。

 

「今回はユウシャの使いはいないんですかね?」

 

 ルーリーノがそう言ったところで、二人の背後から足音が聞こえてきて二人を驚かせる。

 

 反射的に戦闘態勢に入った二人の前に現れたのは、ワンピースの様に上下一繋ぎになっているが身体の正面が開いているのか片方だけを外に出し、もう片方を中に入れ込み、腰辺りで細長い布でまいて留めているような黒い服を着ている老人。

 

 髪の白いその老人は二人の前に姿を現すと一人納得したような様子で二人を眺めるように見る。

 

「どなたですか?」

 

 老人から敵意を感じているわけではないが、今までの経験上この老人が普通の人間では無いので警戒を解くことなくルーリーノがそう尋ねる。

 

 老人は一瞬呆けたような顔をした後で、楽しそうに笑った。

 

「どなたですか? と来たか。そうは言ってもお主らはわしが何なのかの予想くらいついておろう? だとしたらわしは何を答えたらよいのやら」

 

 「名前……といったところじゃろうか」と老人は一人楽しそうに自問自答すると、しっかりと二人を視界にとらえて自己紹介を始める。

 

「今までの奴が何と名乗ったかは知らぬが、むしろ名乗ったのかすら怪しいが、わしはニゲルテストゥードーと名乗っておくかの。お主らの想像通りユウシャの使いの一匹といったところじゃ」

 

 そんなニゲルテストゥードーの飄々とした様子にニルは一瞬気を抜いてしまい、しかしすぐにその態度を改める。

 

 それにニゲルテストゥードー気がつきフォッフォと笑いながら口を開く。

 

「そんなに怖い顔をせんでもよかろう。別にわしはお主らと戦うつもりなないのじゃから」

 

「さすがにその言葉にそうですかといえると思いますか?」

 

 問答することもなく襲いかかってきたチンロンを思い出しながら、疑う様な口調、鋭い視線でルーリーノがそう言うとニゲルテストゥードーは考えるような仕草を見せる。

 

「まあ、そうじゃろうな」

 

 最後ニゲルテストゥードーはそう納得して「それならそのままで構わん」と二人に話しかける。

 

「ここまで来たということはお主らはマオウを倒そうと言うんじゃな?」

 

「残念ながら今のところそのつもりはないな」

 

 ニルが表情を変えることなくそう言うと、ニゲルテストゥードーの視線が鋭くなり「ほお……」と意味あり気な声を洩らす。

 

「それならば何故こんなところまで来た?」

 

 そう問われたニルは、まるで自分に言い聞かせるかのように答え始める。

 

「俺は世界を変えるためにマオウと話しあわないとならない。

 

 少なくとも奴隷に、亜人に生まれたと言うだけで幸せになれないようなそんな世界は、俺は認めない。例えそうするために前のユウシャの意思に反したとしても」

 

 ニルの言葉をニゲルテストゥードーは半分楽しそうに半分真面目に聞いてから、その見た目らしからぬ厭らしい笑みを浮かべて口を開く。

 

「すべての人がそれを受け入れられると思うてか? 今まで亜人を物のように見てくるように教え込まれてきた人の認識がそんな簡単に変わると思うてか? そもそも亜人自身が開放を望んでいると思うておるのか?」

 

 畳み掛けるようなニゲルテストゥードーの言葉に怖じ気づきそうになっていたニルであったが、最後の言葉を聞いて自分の中から何かが込み上げてくるのが分かった。

 

「亜人たちは望んでいないわけじゃない。望めないんだ。自分が物として扱われることしか知らないんだ。だからちゃんと自分たちが幸せでいていいのだと教えないといけないし、そんな世界を作らないといけない」

 

「それに、今は亜人の数が減って亜人の存在を話でしか聞いたことない人も結構いるんです。そんな人ならば多少時間をかければ認識を変えるのも難しくないでしょう」

 

 感情的にニルが話した直後、ルーリーノが冷静にそう付け加えた。それに対してニゲルテストゥードーは声を出して笑う。

 

「それはお主らが勝手に思っているだけの自己満足でしかないかもしれんぞ?」

 

 片目だけ大きく見開き、手を口元にあて覗き込むように見上げるニゲルテストゥードーの言葉にニルはやはり言葉を失ってしまう。

 

 しかし、ルーリーノはその言葉を鼻で笑うと自信たっぷりに口を開いた。

 

「いいじゃないですか自己満足だって。優しさも結局は自己満足なんですから。

 

 私は寧ろ自己満足ではないかと問われ自分を顧みることの出来たニルを評価したいくらいですよ」

 

 それを聞いてニゲルテストゥードーが声をあげて笑う。

 

「優しさ……のお。確かに今世のユウシャは優しすぎるくらいじゃろうな。じゃが、甘さとも言える。

 

 それはただでさえ困難なお主が成そうとしていることをさらに困難にするじゃろう」

 

 ニゲルテストゥードーはそこで一度言葉を区切り、ニルではなくルーリーノを見た。それから、ニルやルーリーノが何かを言う前に話を再開する。

 

「それでもお主は世界を変えると言うか?」

 

 今度はニルを向いてのニルに向けた言葉。ニルが確認するかのようにルーリーノを見ると、ルーリーノは何も言うことなくただ頷いた。

 

「それでも、誰かが動かなければ世界は変わらない」

 

「ま、そう言うじゃろうな」

 

 ニルの言葉を聞いたニゲルテストゥードーがさも当然のように言うので、ニルは拍子抜けしてしまい思わず気を抜く。

 

 それからニゲルテストゥードーは遠くを見ながらゆっくりと口を開いた。

 

「じゃあ、そろそろわしを殺してもらうとしようかの」

 

「何を言って……」

 

 唐突の言葉にニルが理解できないようにそう食いつくが、ニゲルテストゥードーはニルの言っている事が可笑しいとでも言うように、気の抜けた声を出す。

 

「何せわしはユウシャの使いでこの遺跡を守ってるからの。わしを倒さないと中に入ることすらできぬよ」

 

 「まあ、あくまで此処は……じゃがの」とニゲルテストゥードーが思い出したように付け加えたのまで聞いて漸くニルが声を出す。

 

「別に殺さなくったって何か方法が……」

 

「まあ、無いことも無いじゃろうが、言ってしまえばわしがお主に殺されたいわけじゃ」

 

 その言葉がニルの中でリーベルと重なり、思わず目をそらす。そんなニルの様子を見た上でニゲルテストゥードーは続けるように口を開いた。

 

「わしらユウシャの使いは長すぎるほどに生きたしの。

 

 しかも、役目を果たすまでは死ぬ事も出来ぬ。

 

 それならば死ねる時に死にたいと思うて当然じゃろう?

 

 それに、こんな会って数時間と経たん老いぼれを始末できんようでお主の望みがかなうと思うてか?」

 

 ニゲルテストゥードーがそこまで言うと全身が真っ黒に染まる。次第にその黒が巨大化し形を変えていく。

 

 最終的に現れたのは全身が黒く白いひげを生やした亀。

 

『この姿の方がお主も殺り易かろうて』

 

 そう言った亀にニルは一度「本当にいいんだな?」と問いかける。それに対してニゲルテストゥードーは鼻で笑ってから『先ほどから何度も言っておろう』と返す。

 

「わかった」

 

 そう言ってニルは直刀を引き抜きニゲルテストゥードーに近づく。その後は出来るだけ感情を出さないように、流れる様に刀を構え切り裂く。

 

 そうして、ニルに殺される直前ニゲルテストゥードーは『そんな顔をするなら、お主はわしを殺すべきではなかったの』と呟いた。



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ユウシャの遺跡その3

 ニルが刀を鞘に戻す頃、真っ二つになった亀が地面にその姿を現した。

 

「なあ、ルリノこれでよかったと思うか?」

 

 ニゲルテストゥードーの最期の言葉が頭から離れないニルがルーリーノに背を向けたまま尋ねる。

 

「少なくとも今はこうするしかなかったんじゃないんですか?」

 

 ニゲルテストゥードーの言葉が聞こえていなかったルーリーノは、しかしニルの反応から何となく心境を予想して答えた。

 

 ルーリーノの言葉を聞いてニルは何とか自分を納得させ、目の前の建物を眺める。

 

 入口らしきドアにはガラスがはめ込まれていて、それを支えている枠は鉄で出来ているのが銀色をしている。とは言ってもくすんでしまっているそれは銀というよりも灰色に近いのかもしれないが。

 

 ニルは一度ルーリーノに視線を送ってから、建物の方へと向かった。

 

 誰も話すことのない空間はしんと静まり返っていて、ニルが足を踏み出すたびにどうしようもなくその音が響きわたっているように感じられる。

 

 ルーリーノもニルに遅れて歩き出したため、ほんの少しだけ騒がしくなった森の中、先に建物の入り口についたニルが足を止めてルーリーノを待った。

 

「これがドアみたいですね」

 

 ルーリーノがニルの後ろからそう声をかけると、ニルは「そうだな」と言って頷く。

 

 それから会話をすることなくニルが扉の取っ手部分に手をかけると、ひんやりとした感覚に襲われた。それから引っ張るようにドアを開けると、急に背後から建物の中に風が吹きこむ。

 

 その風に驚きはしたものの、限界までドアを開くとそこでドアが止まったのでニルは恐る恐る足を踏み入れる。中は少し肌寒く、入ってすぐ床が一段高くなっていた。

 

 視線を辺りに移すとニルの身長と同じくらいの高さまである本棚のようなものが一定間隔でいくつも並んでおり、壁は白く床は木でできているらしい。

 

 その本棚地帯を抜けると道が二手に分かれていて、片方は窓の沢山ある廊下。もう片方は階段。

 

 廊下の方は床が木で窓のある側の壁は白く塗られているが石のような硬さをしていて、もう片側はたくさんの引き戸がある。

 

 その扉には丁度人の頭あたりの高さに四角くガラスがはめ込まれていて中の様子を窺うことができる。

 

 階段の方は、壁が廊下と同じく石のようなもので作られていて、床はゴムを何十倍にも固くしたような素材が使われており踊り場には緑の板が壁にくっついている。

 

「別れて探索した方が良さそうですね」

 

 二つの道を交互に見ながらルーリーノがそう提案する。

 

 ニルも同じように見てから少し面倒臭そうに溜息をつくと「そうするか」と言ってから、階段を昇り始めた。

 

 こう言ったニルの勝手な行動にも慣れてきたルーリーノであるので「では四階からお願いします」と去りゆくニルに声をかけた後、特に何も思わず廊下の方へと足を向けた。

 

 

 

 床が固く、またそれなりに長い廊下であるのでルーリーノが歩くたびにコツコツと足音が響く。

 

 まずは一番手前の扉と思いながら戸に手をかけると、金属特有の冷たさがルーリーノの指先に伝わる。

 

 その感覚に驚いて反射的に手を戻してしまったルーリーノであるが、特に何もないことが分かるとゆっくりと戸をあけ中に入った。

 

 部屋の中はたくさんの机が並べられていて、一見すると簡単な迷路のようにも見える。

 

 しかし、よく見るといくつかのブロックに分けられて机が並んでいるだけで迷路というほどでもない。

 

 どの机も無機物のような冷たさがあり、またどの机にも何も乗ってはいない。

 

 戸とは反対側の壁は窓になっていて、森の様子がよく見える。

 

 その他特に目ぼしいものはないが、窓とも戸とも違う壁にいくつも白い線の入った黒のような深緑のような板が掛けられていた。

 

「この机をすべて調べていくとなると少し大変そうですね」

 

 他に気にするところがないルーリーノは、目の前の大量の引き出しを前に肩を落としながらそう呟いた。

 

 ただ引き出しを開け続けるという単純な作業は、ルーリーノの体力だけじゃなく精神的にも疲れを与える。

 

 初めは中に何かあるのではと期待を持って開けていたのが、三分の一が終わったあたりで何もないのではと言う不安に変わり、最後にはただ腕を動かすだけの状態で、それで本当に何もなかったのだから残るのは精神的肉体的疲れであることはある意味正しい。

 

 そうして一つ目が終わり、二つ目の部屋も同規模ならば休憩しようかと思いながら入ってみると、今度は先ほどの三分の一ほどの大きさの部屋だと分かる。

 

 それに安心したルーリーノが部屋の様子を確認すると、まず目を引くのが三つあるベッド。それぞれのベッドはシーツのように大きく白い布で仕切られていている。

 

 それから一つだけある机は椅子に座った時に窓の方を向くように置かれていて、何故か椅子が二つある。

 

 最後に上半分が窓のようになっている大きな棚が置いてあるが、ルーリーノが確認するまでもなく上半分は空で、おそらくしたにも何も入っていないであろうことが簡単に予想できる。

 

 この部屋の捜索はひとつ前のそれの十分の一とかからず終わったが、結局何もなくルーリーノは少し肩を落としながら部屋を後にした。

 

 

 

 

「ルリノ来てくれ」

 

 と上の階からニルがルーリーノを呼んだとき、ルーリーノはどうにか効率よく捜索をする方法がないものかと考えていた。

 

 ルーリーノはその考えをすぐに止め、ニルに「今何階ですか?」と叫び返す。

 

 「四階だ」とニルから返事が来た時ルーリーノは「まだ四階とは上も大変みたいですね」と苦笑いを浮かべた。

 

 

 結論から言うと二階以降はルーリーノが捜索した一階とはまた少し違った意味でやる気を失いそうだった。

 

 各階の部屋数は八。その一つ一つはほとんど同じつくり、内装をしていて、綺麗に机が三、四十個並んで置かれている。

 

 それから、一階の広い部屋と同じように深緑の板が机を目印に前と後ろに張り付けられ、後ろには何も入っていない棚が置かれていた。

 

 また机は一階のものほどシッカリとしてはおらず、中に物を入れるための空洞があるだけで後は二本の棒に板を取り付けただけのような形をしている。

 

 故に引き出しは開けなくてもいいが、一つ一つ中を確認しないといけなくなってしまう。

 

 一階から四階へ上る途中、ルーリーノは各戸の上に小さな看板のように小さな四角い板がくっついているのが分かった。

 

 しかし何を書いているのかはまったく分からず、一階でも同様に何か書いていたのではないかという疑問がわくと同時に自分ではそれを読むことはできないと自己完結させた。

 

 ニルが居たのは四階の真ん中の方の部屋。その中、机がたくさんあるうちの窓際後ろの方の机。

 

 ルーリーノが辿り着いた時ニルはそこでパラパラと何かを見ていた。

 

「何を見ているんですか?」

 

 おおよそ予想は付いているが、ニルに話しかけるためにルーリーノがそう尋ねる。

 

 ニルはその声でルーリーノが来た事に気がついたのか、ハッとしたようにルーリーノの方を向くと手に持っていたものをルーリーノに渡す。

 

 それはルーリーノの予想通り、今までの遺跡にあったのと同じ本。ルーリーノはニルに断りを入れるとそのページをめくり内容を確認しはじめた。

 

『マオウを倒すには、マオウを起こさないといけない。マオウを起こすにはマオウと同等の力がなければならない』

 

『マオウと同等の力を手にするにはユウシャの力を手にしないといけない。しかしユウシャの力は大き過ぎる』

 

『それはもう「人」とは呼ばれないほどに』

 

『それでも先へ進むと言うのであれば東へ向かうと良い』

 

 今までのようにそう書かれていた先はルーリーノには読むことができずに、ニルに本を返す。

 

「つまり、マオウに会いたければ人をやめろって事だな」

 

 本を返されたのを見てニルがやや冗談めかしくそう言う。

 

 ルーリーノはニルの調子に合わせるように「そうですね」と軽く返すと、緊張した面持ちで続ける。

 

「それでどうするんですか?」

 

「今さら何もしないわけにはいかないだろ」

 

 ニルのそんな言葉を聞いてルーリーノは安心したと同時に、後ろめたさが込み上げてくる。ルーリーノの心情など知る由もないニルはさらに続けた。

 

「それに、俺がどうなってもきっとルリノが何とかしてくれるだろうしな」

 

 もちろんニルは本当にルーリーノがどうにかしてくれるとは思っていない。

 

 ただ、そこにあるのは今までニルが迷ってきた時にいつも手を差し伸べてくれたという、ルーリーノへの信頼であり安心感。

 

「私はルリノではありません」

 

 ニルの本心を全てとはいかないまでも、何となく察してしまったルーリーノはニルに対する後ろめたさが度合いを増し、それを顔に出さないようにそう言って怒ったふりをする。

 

 それからその調子で「私はもう疲れたので一階で休ませてもらいますね」と言ってからニルの反応を待たずに部屋を後にした。

 

 相変わらず、怒ったと言うのに全く反省の色の見えないニルに少々呆れ、同時に安心感すら覚えたが、それ以上に耐えがたくなった後ろめたさが部屋を出た後のルーリーノに「ごめんなさい」と呟かせた。



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東へ

「なあ、ルリノ聞いてるか?」

 

 三つ目のユウシャの遺跡で一泊した後、舟をメリーディに返してからすぐにニルとルーリーノは東へと向かった。

 

 大陸の東側は人の手が届いていないためにそのほとんどが森であるのだが、そんな事を知らないニルがルーリーノに今居る辺りの特徴を聞こうと問いかけると、ルーリーノは浮かない顔で時折ため息をつくだけでニルの言葉など聞こえていないように見える。

 

 多少は話をするものの、この状態が昨日ルーリーノが怒って部屋を出て行ってから続いているので、そろそろニルは心配になってくる。

 

「おい、ルーリーノ」

 

 結局ニルがそう言ってルーリーノの肩をつかむ。そこでルーリーノは驚いた声をあげて、ニルの方を見る。

 

「すいません。この辺りについてでしたね」

 

 ルーリーノがそう言って申し訳なさそうな顔をするので、ニルとしては拍子抜けしてしまい「怒ってないのか?」と尋ねる。

 

 その言葉に疑問を覚えたのはルーリーノで首をかしげて「どうしてですか?」と問い返した。

 

「昨日怒ったように出て行ったろ? その後から心ここにあらずって感じだったからな」

 

 それを聞いてルーリーノは少しばつが悪そうに「あー……」と声をたずと「えっと……」と顔をそらす。

 

「今日はずっと考え事をしていまして……」

 

 ニルはその考え事が何かと思ったが、すぐに一つ思い当たることがあったので口を開いた。

 

「今から行くって言う故郷のことか?」

 

「え? あぁ……まあ、そんな所です」

 

 ニルの質問にルーリーノは言葉も表情も微妙な様子で答える。

 

 それから、もうニルの話に乗ってしまおうと続けて話した。

 

「その事なんですが、今から向かう村が私の出身地って事になっているんですが、そこで生まれたというわけじゃないんです」

 

「つまりどういうことなんだ?」

 

 ルーリーノの言葉だけを聞いてもあまり理解することのできなかったニルが、首をかしげるようにそう尋ねる。

 

 対してルーリーノは不必要な事を言わないように注意しながら話し始めた。

 

「もともと私は身寄りがない、所謂捨て子と言う奴なのですが、何年か前にあの村に流れ着いたというわけです。

 

 それから村の人の頼みをきいて信頼を得た後で、村から推薦を貰い冒険者になれたんです」

 

 「このことを村に行く前に話しておくかどうかを考えていたんですよ」とルーリーノが困った笑顔を浮かべる。

 

 その裏では、少し話に無理があったのではないかという不安に駆られていた。

 

 しかしニルはルーリーノの不安など感じることはなく「そうか」と話し難そうな様子で言う。

 

 それを見たルーリーノが今度は微笑みを浮かべて、それから口を開いた。

 

「そんなに気にしないでください。生まれた場所ではないですが、村が私の故郷であることには変わりないですから」

 

「ああ……」

 

 浮かない顔でニルがそう返したのを機にこの話はここで終わりだろうと、ルーリーノは「この辺りについてでしたね」と気持ちを切り替えて切りだす。

 

 それから、辺りの様子に目を移す。

 

 まだ森の浅いところではあるが、どこを見ても木々が生い茂っている。しかし、南の孤島のそれとは違いそこまで背が高いわけではない。

 

 それに、あの森とは違い動物が地面を走りまわっているのか、落ちた木の葉がカサカサと音を立てていて、時折鳴き声も聞こえる。

 

 足元は落ち葉で覆われていて、二人が歩いても音が鳴る。そんな場所でルーリーノは何から話そうか考えながら手を身体の後ろで組んだ。

 

「そうですね。この大陸の東側には明確な国は存在しません。人が住むことのできる範囲がそんなに広くありませんからね。基本的に小さな村がいくつかあるだけです」

 

「それで、ルリノの故郷って言う村はどんな所なんだ?」

 

 一度話を区切ったルーリーノの話を促すようにニルがそう尋ねる。

 

 ルーリーノはやはりルリノと呼ばれるのかと小さく溜息をついてからニルの質問に答えた。

 

「自給自足で暮らす小さな村ですよ。今まで回ってきた町や村と特に何か違うと言う事はありません」

 

「なあ、確か東って亜獣の多い地域じゃなかったか? それなのに他の町みたいにやっていけるものなのか?」

 

 亜獣がよく出現すると言えばトリオーがそうであるが、あそこは国家として亜獣退治をやっているし冒険者にも依頼が回ってくる。

 

 しかし、今の話だと今から行く村はそう言うわけでもなさそうだと、ニルが首をひねりながら尋ねた。

 

 その問いにルーリーノは少し困った顔を作ると話し出した。

 

「私の故郷の村が一応最東端になるのですが、その村から少し東に行ったところより西側はなぜが亜獣がやってこないんですよ。

 

 もちろん全くということはないのですが、それでも村でどうにかできないレベルの亜獣が来ることは今のところないですね」

 

 それを聞いてニルは納得のいかない様子で口を開く。

 

「じゃあ、どうして東の亜獣が強いなんて話が出てくるんだ?」

 

「実際に行った人がいるからですよ」

 

 ニルの問にルーリーノがほとんど間をおくことなく答える。

 

「むしろ昔はよく行っていたみたいですね。未知の地という事で有益な情報には高額の報酬を出すと言う依頼が常にあったそうです。

 

 ただ、帰ってくる冒険者はその中の何割かしかおらず、壁にたどりついても大した情報を得ることもできずに割に合わない報酬しか受け取れない事が広まっていつの間にかその依頼は姿を消したらしいです」

 

 そこまで聞いてニルの中の疑問がいくらか氷解した。しかしそうなると、とニルの表情が曇りを見せる。

 

「俺達はその過去の冒険者が挑んでは散っていった森の中に入らないといけないわけだよな……」

 

 恐怖というよりも気だるさに満ちた声でニルが言うと、ルーリーノが如何にもニルらしい反応だと自然と笑顔を作る。それから、いつもニルに軽口で話すように話した。

 

「いいじゃないですか、ニルはユウシャの力があるんですから……」

 

 そこまで言ってから、ルーリーノはそう言えばとあることを思い出した。

 

「メリーディの遺跡でもユウシャの力って増えたんですよね?」

 

 そう言われ、ニルも思い出したような顔をすると「そうだな」と言って考えはじめる。

 

「どんな力だったんですか?」

 

 ルーリーノがニルの予想したそのままの質問をした所で、ニルの考えがまとまり口を開く。

 

 確かにニルが何か言ったことはルーリーノには理解できたが、その内容はまるで理解できない。

 

 今までも何度かこう言ったことがあったが、ルーリーノは漸くこの感覚が過去ニルと会う前にも感じた事があった事を思い出した。

 

「はじめて呪文を教えてもらったときに似てますね」

 

「どうかしたか?」

 

 ルーリーノの呟きにニルが聡く反応したので、ルーリーノは「何でもないです」と首を振る。

 

「そう言えば、ユウシャの力は……」

 

「ルリノ軽く走ってみてくれ」

 

 ルーリーノの言葉の途中でニルがそう言ったので、ルーリーノはその意図が飲み込めないままではあるが、言われたとおり軽く走る。

 

 すると、ルーリーノが考えていたよりもずっと早い速度で足が動いて思わず数歩で止まった。

 

「何をしたんですか」

 

 慌てた様子でルーリーノが怒っているのか驚いているのかわからない声を上げるのを見て、ニルはやろうとしていたことが成功したのだと分かった。

 

「今回のは具体的にどうというよりも、今までの力の補助に近い感じだな。

 

 今まではユウシャの力を使う対象を指定できなかったんだが、それができるようになった」

 

「つまり、私も無敵状態になれると言うわけですね」

 

 それはルーリーノにとっても悪くない話のはずなのに、やはりどうしてもルーリーノの中で納得が出来ないのか、やや投げやり気味にそう言うと溜息を洩らす。

 

 その反応は今までも見てきたので、ニルも特にルーリーノに気を使うことなく「そうだな」といつもの調子で返した。

 

 

 

 そうしているうちに森が開け、前方にルーリーノが言っていたように小さな村が見えた。



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最東端の村

 そこだけ森が避けているように出来た空間にある、百八十度以上を森に囲まれた村。

 

 ある意味で生命線とも言える村を守るための柵は、危険だと言われる地域にもっとも隣接している村であるはずなのに大きな町のそれと比べると低く、作りも簡素で本当に亜獣など来ないように見える。

 

 他の村と変わらず、面積の半分以上を畑が占めていて遠くからでもそこで働いている人の姿を見ることができた。

 

 二人がその村についた時、珍しく日が落ちていて、村に着く直前ニルがルーリーノに「珍しいな」と声を掛けていた。

 

「普段に比べて急いで来ましたが、それでも日が暮れてしまうかどうかは半々ってところでしたからね」

 

 ルーリーノの返しを聞いてニルは、やはり珍しいと思い直したのだが、そこでルーリーノの言葉を思い出した。

 

「珍しくそう言う賭けに出たのはこの辺りで亜獣が出ないからか?」

 

「そうですね。夜道を歩くのはそれだけで安全とは言い難いですが、長時間歩く事はないと分かっていましたから、あまり賭けってほどでもないですが」

 

 ルーリーノの迷いのない言葉にニルは納得したような顔を見せる。

 

 その時ちょうど村に辿り着いた二人に「誰だいあんたたち」と敵意を持った低い女の人の声が投げかけられた。

 

 ウンダの町でも似たような事があったので、ニルは特に驚くことも無く、とは言っても日が暮れてから村にやってきたフードで顔を隠した二人組の言葉を素直に信じてくれるとは思えず対応はルーリーノに任せることとした。

 

 ルーリーノは最初の声で誰が声を掛けてきたのかわかったので、少し昔を懐かしみフードの向こうで思わず微笑む。

 

 それから、一歩村の門へと近づきフードを取ると相手に聞こえるように話しかけた。

 

「マーテルさん、こんばんは」

 

 ルーリーノの声を聞いて暗闇の向こう、ニルとルーリーノに敵意を向けていた辺りから「まさか」という声が聞こえる。

 

「その声はルーリーノかい?」

 

「お久しぶりです」

 

 急に闇の向こうの声が優しさを帯び、ルーリーノが声に答えるようにそう言った。

 

 それからすぐに物陰から一人の恰幅の良い女性が現れる。

 

 年はルーリーノの二、三倍と言ったところで、ルーリーノを見るなり駆け寄ってきて抱きしめた。

 

「よく無事に帰ってきたね。もう帰ってこないかと思ってたよ」

 

 マーテルが力の限りルーリーノを抱きしめながらそう言うので、ルーリーノも何か返そうとするがうまく返せない。

 

 やっとの思いで「マーテルさん苦しいです」というと、ようやく解放された。

 

「本当はあまり帰ってくる気はなかったんですけどね」

 

「そうだね。村にひょっこりやってきて、面倒を見てやっていたら一年位で冒険者になって「目的を果たすまで帰ってきません」って飛び出していったからね」

 

 懐かしそうにマーテルが言うと、ルーリーノは気恥かしそうに顔を赤らめて「いちいちあらましを説明しないでください」と少し怒った声で言う。

 

 そんなルーリーノの対応すら微笑ましく感じるマーテルは思い出したように口を開いた。

 

「そう言えば、目的とやらは達成できたのかい?」

 

「もう少し……ですね。そのためにどうしてもこの近くに来ないといけなかったのですが、日も落ちてしまったので立ち寄ることにしました」

 

 有言を実行できなかった恥ずかしさからか、ルーリーノがばつの悪そうに答える。

 

 しかし、マーテルはそんな事など気にしないかの様子で明るい声を出した。

 

「そうかい、そうかい。何にせよ、無事な姿が見られてあたしゃ嬉しいよ」

 

 そうやってルーリーノの肩を叩く。それからハッとしたように叩くのをやめ、また口を開いた。

 

「他の連中も呼んでこようか。とはいっても今はもう若い子はいないけどね」

 

 マーテルが少し寂しそうな顔で締めくくったのでルーリーノは心配になりマーテルに「何かあったんですか?」尋ねる。

 

 それに対して、マーテルは一瞬ルーリーノが何を言っているのかわからないと言った顔を見せた後に笑いだした。

 

「いやいや、みんな揃って出稼ぎにキピウムの方へ行っただけさね」

 

 それを聞いてルーリーノは安心したが、今度はマーテルが驚いたような顔をする。

 

「いやあ、だいぶ変わったとは思ったけど、そうね。だいぶ表情が柔らかくなったね。昔はあんなに無表情だったのに」

 

 「今のルーリーノを見たらうちの男達は黙ってないだろうね」と、マーテルが冗談のように言うので、ルーリーノは困ったような顔をする。

 

「とりあえず、顔を合わせるのは明日にしましょう。今日はもう日も暮れていますし今から騒がしくしてしまっては迷惑でしょうから」

 

 ルーリーノの言葉にマーテルが「そうだね」と仕方がなさそうに言う。

 

「そろそろ紹介してもらっていいか?」

 

 そんな二人のやり取りをずっと後ろから見ていたニルが、タイミングを見計らってそう言うと、ルーリーノが「そうでした」と手を叩く。

 

「こちらが、マーテルさんです。私がこの村にいた時にいろいろお世話してくれた人です」

 

 まずはニルに向かってルーリーノがそう言うと、今度はマーテルの方を向く。

 

「それでこっちが……」

 

「ルーリーノの恋人かい?」

 

 ルーリーノの言葉の途中でマーテルがからかうように遮る。それに対してルーリーノは「違います」と顔を真っ赤にして言うと「一緒に旅をしているだけです」と早口に言ってニルを引っ張り出す。

 

「それじゃあ、私は家に帰りますから」

 

 捨て台詞のようにルーリーノがそう言うと、マーテルが思い出したように口を開いた。

 

「たまに片付けくらいはやってたから多分すぐ使えるよ」

 

 そのマーテルの言葉を背中に受けつつルーリーノは早足でニルの袖を引き続けていた。

 

 

 

「よかったのか?」

 

 しばらく歩いた後、解放されたニルがルーリーノに問いかけると、ルーリーノは未だに少し興奮が冷めきっていない様子で答える。

 

「いいんですよ。どうせ家が隣なんですから」

 

 そう言えば世話してもらっていたと言ってたなと考えながらニルがルーリーノの言葉を聞いていた時、ルーリーノの足が止まった。

 

 日も落ちて暗闇が支配する村。

 

 もちろん、町のように夜中まで騒いでいるところも無く、どの家も蝋燭のような小さな明かりしかない。

 

 森が近いせいか、よく動物の鳴き声が聞こえるのが、村が暗闇の中なのも相まってとても不気味に感じる。

 

 しかし、空を見上げれば満天の星空が広がっており、それを見ながら聞く虫の声は心地の良いものにも感じる。

 

 ルーリーノが足を止めたのは、ちょうど自分の家の前に来たからで、数年前この家を出ていったと言うのにそのままそこにあった事にルーリーノは少なからず感動した。

 

 それから、木でできたドアを開けると真っ暗な部屋の中記憶を頼りに部屋の中央へと向かう。

 

 そこで、呪文を唱えると中央のテーブルの上にあった石が光り出す。

 

 ぼんやりと部屋の姿を見せる程度の明かりがついたところでルーリーノが部屋を見渡すと、確かに埃を被っていることなくすぐに使えそう。

 

 特にテーブルとソファと本棚とベッドしかないのは出て行ったときのままだった。

 

「もう入っていいか?」

 

 外からそんな声が聞こえてきて、ルーリーノはニルが未だ外にいることに気がついた。

 

 ルーリーノは少し疑問に思いながら、ドアを開けると「一緒に入ってきていなかったんですね」と首をかしげる。

 

「ああ、女の人の部屋に入るときはノックしろだの何だのと言ってくる奴がいたからな。半分癖みたいなもんだ」

 

 そのニルが言う『奴』というのがエル姫だと思うと、ルーリーノの中で少し可笑しくなってしまう。

 

 それと同時に、男の人を家に入れるのは初めてかもしれないとも思ったが、先ほど見回した通り大して何かある部屋ではないのでそちらの方は割とどうでもよくなった。

 

「まあ、姫様なら色々とあるのでしょう。見ての通り私の家には何もないですからお気づかいは不要ですよ」

 

 「ここに泊まるのはあったとしても後一回といったところでしょうけどね」とルーリーノが微笑むのを見ながらニルは部屋の中を見回す。

 

 物はないがそれがなんともルーリーノらしいのではないかとニルが思っていると、ルーリーノが声をかけた。

 

「今日は特にやることも無いですし寝てしまいましょうか」

 

「そうだな」

 

 ニルがそう返すと、ルーリーノがすかさず口を開く。

 

「一応ニルがお客さまですからベッドを使ってください。私はソファで寝ますから」

 

 そう言ってニルを見ると、ニルはすでにソファに陣取っており断固として動こうと言う気配がない。

 

 その様子を見てルーリーノが呆れた顔を見せていると、ニルが声を出した。

 

「久しぶりに帰ってきたんだろ? いつも通りにくつろげよ」

 

 ニルに言われて、諦めてルーリーノはベッドに腰掛ける。

 

 それから、その微妙に硬い感じに懐かしさを抱きつつ少し子供じみた声を出す。

 

「ニルが居ますから、いつも通りってわけにはいきませんよね?」

 

「じゃあ、今日は外で寝るか」

 

 ルーリーノの言葉を真に受けたのか悪ノリしたのかわからないがニルがそう言って、立ち上がる。

 

 それに焦ったルーリーノは慌てて声を出した。

 

「ニルならいいんですよ、これでも信頼してますから」

 

 それを聞いてニルが「そうか」とソファに戻ったのはいいが、言ったルーリーノとしてはふとマーテルに言われた『恋人』という単語が頭をよぎり、それを払いのけるように首をふりさらに口を開く。

 

「もちろん、仲間としてですからね」

 

「ん? まあ、そうだろ?」

 

 ルーリーノが何故そんな事を言うのかわからなかったニルがそう返すと、ルーリーノは一人焦った自分が恥ずかしく思えてくる。

 

「そう言えば、何でマーテルはあんなところにいたんだ?」

 

 ルーリーノの様子などまるで解っていないニルがそう尋ねるので、しかしルーリーノは少し冷静になれた。

 

「こんなところにある村ですから、一応見張りですね。

 

 本来女性は昼間とかなんですが、まだ夕方の日があるうちから割り振られていてそろそろ交替する頃だったんでしょう。

 

 まあ、見張りがマーテルじゃなくても大丈夫だったとは思いますが」

 

「なるほどな」

 

 ニルが納得した声を出したのを聞いて、ルーリーノが「そろそろ寝ましょうか」と切り出す。

 

 それにニルも同意してルーリーノがテーブルの上にある石の上にケープをかけると「お休みなさい」と声をかける。

 

 ニルがそれに答える形で「お休み」というと、二人はすぐに眠りに落ちて行った。



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発見

 夜が明けてニルがソファの上で目を覚ますと、ルーリーノはまだ寝ているのかベッドの上で掛け布団が膨らんでいた。

 

 久しぶりに故郷に帰ってきたと言うこともあって安心したのかぐっすりと眠っているルーリーノが起きないように、ニルがテーブルに備え付けられている椅子に座る。

 

 それから、未だ寝息を立てているルーリーノの方に何となく目を向けた。

 

 髪の毛が数束顔に掛かって眠っている姿はとても無防備で、いつものルーリーノからはとても想像できない。

 

 そして、改めて見るルーリーノの容姿はニルが出会った人の中でも一、二を争うほど整っていて、その浮世離れしたとも思える端麗さをニルはどこかで知っているような気がした。

 

「ああ、デーンスで見た亜人か……」

 

 思い出すと同時に少しニルの気持ちが落ち込む。

 

 しかし、どうして今までそうは思わなかったのかとニルは自分の中で疑問に思ったがすぐに答えが見つかった。

 

 一つは、当り前だがルーリーノに亜人としての特徴が無いから。

 亜人の外見で目を引くのは容姿だけではなく、長く尖った耳や背中に生えた羽、動物のような尻尾などなどそれぞれに特徴的な違いある。

 

 それから、とニルは今一度ルーリーノをしっかりと視界にとらえる。

 

 もう一つはその表情。亜人があんなにも表情がなかったのに対してルーリーノは最近は特にコロコロと表情が変わる。

 

 そこからくる印象の違いだろうと納得した所でニルの中にもう一つ疑問が浮かぶ。

 

 それならばルーリーノはどうして捨てられたのか。

 

 青目でここまで容姿端麗なら捨てられる理由などないのではないか。

 

 単純に家が貧しくて……と考えていた所で、家のドアがドンドンと鳴った。

 

「ルーリーノ居るんでしょ? 皆待ちかねてるよ」

 

 ノックの音と同時に聞こえてきたのは昨日の村の出入り口であったマーテルの声。

 

 その音と声にルーリーノが「うーん……」と言いながら目を薄く開ける。

 

 それから数秒で今までとは別人のようにスッと起き上がると「何事ですか?」と警戒した声を出す。

 

 その様子がどうにも可笑しくニルは笑いをこらえながら口を開く。

 

「お前の知り合いが押し掛けてきたってところだろう」

 

 ルーリーノはなんでニルが笑いをこらえているのかわからなくていい気はしなかったが今は目の前の問題に対処しないと思い、ニルにお礼を言いそれから適当に隠れているように頼んだ。

 

「別にいいがどうしてそんな必要があるんだ?」

 

「ニルのことを旅の仲間だと紹介しても、勝手に別の方向に持って行ってしまう人が多いですから、家に入れていたとばれた時点で結構な時間拘束されるからです」

 

 ルーリーノに言われてニルはふと昨日のマーテルの様子を思い出し納得する。

 

 ルーリーノはニルが隠れたことを横目で確認すると、未だにドンドンとなっているドアに近づいた。

 

「すいません、今起きました」

 

 言いながら片手でドアを開け、もう片方の手で目をこする。

 

 開いた先には十人ばかりの人が集まっていてどれもこれも懐かしい顔ばかりであった。

 

「そうかい、それはすまなかったね」

 

 ドアを叩いていたマーテルが少しだけ申し訳なさそうに返す。

 

 村の朝が早いと分かっていたルーリーノは特に嫌そうな顔をせずに、マーテルから視線を外しその後ろにいる人たちに移す。

 

「皆さんお久しぶりです」

 

 そう声をかけたルーリーノに村人は「よう帰ってきた」「まあた、めんこうなったのう」「すっかり美人さんじゃて」などと口々に話しだす。

 

 ルーリーノはそれに苦笑いを浮かべながら、マーテルの隣にいた他の人よりも一回りほど年をとった男性に声をかける。

 

「村長さんもお久しぶりです」

 

「元気そうで何よりじゃ」

 

「それはこちらの台詞ですよ」

 

 ルーリーノが冗談を言うように笑顔でそう返すと、村長が「ほお」と驚いた声を上げる。

 

 ルーリーノは何故村長が驚いたのかわからず首をかしげたが、その答えがすぐに帰ってきた。

 

「あのほとんど表情を見せなかった子が、こんなにいい笑顔を見せるようになるとはの。心配はしておったが、送り出して良かったかもしれん」

 

 村長がそう言って笑うので、ルーリーノは少し気恥ずかしくなり俯いていしまう。

 

 その後ろでも同意する声が上がるものだから、さらにルーリーノが困った顔をした。

 

「そう言えば、いつまでおれるんじゃ?」

 

 村長がそう言うので、ルーリーノはすぐにまじめな顔を作る。

 

「今回はあくまで旅の途中泊まるところが無かったので立ち寄っただけなので、今日この後すぐにでも出発しようと思います」

 

「そうか、冒険者として頑張っているようじゃの」

 

 村長が安心したように、嬉しそうに、でも少しだけ寂しそうにそう言ったところでその後ろの方から「少しくらいゆっくりしていけばいいだろう」とか「今日はうちで御馳走するよ」とか数々の声が上がり始めた所でマーテルが「はいはい」と手を叩く。

 

「ルーリーノも忙しいんだし、わたしたちだって何時までもこうしてるわけにはいかないだろう。仕事に戻るよ」

 

 そう号令をかけると、渋々と言った様子で人が散っていく。

 

 それを見送りながらルーリーノが思い切って声を出した。

 

「今日やらないといけないことが終わったらもう一度帰ってきますから」

 

 それが聞こえた村人達の足取りが目に見えて軽くなったのを見届けた頃、未だ家の前に残っていた村長が口を開く。

 

「さて、ルーリーノや中におる人と話をさせてくれんか?」

 

 それを聞いてルーリーノが溜息をついて、村長を見る。

 

「気づいていたんですね」

 

「まあ、昨日マーテルから報告は受けておったからな」

 

 それはそうかと、ルーリーノが納得してどうしようかと考えていると「別に俺は構わない」という声とともにニルが姿を見せた。

 

 その姿を見て村長が驚いた顔をする。

 

「黒髪に黒の瞳とはマーテルの報告も嘘ではなかったようじゃな」

 

 二人がそうやって今にもこの場で話を始めそうだったので、ルーリーノはとりあえず二人を家の中に促した。

 

 

 

 

「ルーリーノが誰かと一緒というのにも驚いたが、それがユウシャだとはな」

 

 村長が改めてニルの姿を見てそんな感想を漏らす。

 

 ニルにしてみると似たような事はよく言われるので対して気にすることでもないが、それでは話が進まなさそうだったので「それで、お話というのは?」と促した。

 

 村長は業務的なニルの声を聞いて村長が笑い声を上げる。

 

「そんな堅くなることはない。まあ、初めはお前さんがどこの誰で何故ルーリーノと一緒にいて何をしにこの村に来たのかと問い詰めるつもりじゃったがの」

 

 「それが村長の勤めの一つじゃからの」と冗談交じりに村長が言っても、ニルは嫌な顔を見せず、村長であればそうであって仕方ないとすら考えていた。

 

「それじゃあ、どうして話なんて?」

 

 単純な疑問としてニルが問いかけると、村長は少し意外そうな顔をして答える。

 

「ただ礼を言いたかっただけじゃよ」

 

「礼……?」

 

 ニルが不思議そうな顔をすると、村長が続ける。

 

「ルーリーノは最初全然表情を見せん子でな、村の面倒事を進んで解決してくれておったから皆からは感謝されておったが、取っ付きにくくてな。

 

 それから、ルーリーノも少しは感情を面に出すようにはなったが、むしろ皆がルーリーノとの関わり方が分かってきたと言った感じじゃ」

 

 後ろから二人の会話を聞いているルーリーノにしてみれば自分の話を目の前でされて居心地が悪いことこの上なかったのだが、村長が言っていることをルーリーノは何一つ否定できないので口を挟むこともできず、窓の外を見て気を紛らわせる。

 

 しかし、どうしても聞こえるし、気になってしまうので結果、そわそわとあちらを見たりこちらを見たりと忙しそうにしていた。

 

「そんなあの子が笑うようになったのはお前さんのおかげじゃろ?」

 

「それは違うな」

 

 ペレグヌスにも似たような事を言われたなと思いながらニルはそう答える。

 

 村長はその答えが予想外だったのか思わず「どういうことじゃ?」と尋ねた。

 

「俺に会わなくてもあいつは、遅かれ早かれそうなっていただろう。そう思わないか?」

 

 ニルがそう言ったところで、ルーリーノの居心地の悪さが限界に達して思わず声を出した。

 

「それでは、村長。私達はそろそろ出発しますので村のことよろしくお願いします」

 

 そう言って、掛けていたケープを急いで手に取る。

 

 それを見てニルも呆れたように出発の準備を手短に済ました。

 

「そうか、忙しないの」

 

 そんな村長の言葉を背に受けてルーリーノは引っ張るようにニルを家の外へと連れ出す。

 

 その時に村長に向かって「あとよろしくお願いしますね」とだけ言ってドアを閉めた。

 

 

 

 

「よかったのか?」

 

 村を出た直後ニルがルーリーノに尋ねる。

 

 それを聞いて何に対することなのかいくつも思い当たる節のあるルーリーノは「何がですか?」と返した。

 

「久しぶりに帰ってきた故郷なんだからもう少しゆっくりしていかなくて良かったのか?」

 

「いいんですよ」

 

 ルーリーノがそう言って背伸びをするように両手を上に上げる。それからその腕から力が抜けたように手がスッと落ちた後で続けた。

 

「だって、私は最終的にあの村に帰れるとは思っていませんから」

 

「それはどういう事だ?」

 

 ルーリーノの突然のそんな発言に、ニルは怪訝そうに問う。ルーリーノは遠くを見ながら答えた。

 

「私の目的は壁の向こうに行くことですから、その先で上手く行こうと行くまいとこちら側に戻ってこれる保証はないですからね。

 

 それなら、情が移ってしまう前に過ぎ去ってしまった方がいいですよね」

 

 ニルはそれに「そうか」と返しはしたが、故郷を捨ててまで壁の向こうに行きたいと言うルーリーノの気持ちが分からないでいた。

 それが魔導師というものなのだろうかと無理やり納得させながらニルはルーリーノを見る。

 

 その時ルーリーノが「ここからですよ」と声を出したので、ニルがビクリと身体を震わせた。

 

「何がだ?」

 

 状況が理解できないままにニルがそう尋ねると、ルーリーノが少し呆れた顔をする。

 

「今まで真っ直ぐ東南東に歩いてきましたが、ようやく亜獣が出るかどうかというラインに来たと言うことです」

 

 そう言われてニルが思い出したように「ああ」と声を出す。それを、ルーリーノがため息の出る思いで視界に捉えてから「それじゃあ行きますよ」と声をかけた。

 

 

 

 

 ルーリーノの言うラインを越えても木々に囲まれた様子はまるで変わることなく、それ以外も特に変化はなかった。

 

「妙だな」

 

 二人が警戒しながら歩いていると、急にニルがそう呟いた。

 

 そしてルーリーノがそれに同意するように頷く。

 

「言われていたほど強い亜獣が出てきませんね」

 

 ルーリーノがそう言ったように、危険区域に入ってしばらくの間出てくるのは力の弱い亜獣しか出てこない。

 

 それでも警戒を解くことなく周囲を観察しながら歩いていると先を歩いていたルーリーノが「何ですかこれ……」と声を上げた。

 

 ニルも何事かとルーリーノの視線の先を見ると、そこには荒れ果てた建物があった。



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ユウシャの遺跡その4~ユウシャの手記~

「ボロボロですが、普通の家……ですよね?」

 

 森の中ひっそりと佇むそれを改めてみた後でルーリーノがそう口にする。

 

 その言葉に促されるようにニルが建物を見てみると、確かにルーリーノの言うように町でよく見る石造りの家であることは間違いない。

 

「でも、こんなところにそんなものがどうしてあるんだ?」

 

 ニルの疑問にルーリーノが可能性を考える。

 

「昔はここまで人が住んでいたか、もしくは……」

 

 ルーリーノがそこで意味あり気に間を取る。

 

「あれがユウシャの遺跡か、といったところでしょう」

 

「あれが……か?」

 

 ニルが訝しげな表情で建物を見るので、ルーリーノが「あくまで可能性があるだけです」と付け加えてから続ける。

 

「こんな辺鄙なところにある建物を私はユウシャの遺跡しか知りませんから。今までの遺跡とはだいぶ雰囲気が違うのは確かですが」

 

 確かにそうだが、とルーリーノ言葉に納得する。

 

 ルーリーノの言うように今までとは雰囲気が違うのだ。

 

 実際はもっと具体的に違うことがある。

 

 一つに朽ちているとは言え目の前の建物が見たことのある形状をしていると言うこと。

 もう一つに今までの遺跡に必ずいた使いが居ないこと。

 

 ニルがそのような事を考えていると、ルーリーノが声をかけた。

 

「ここで眺めていても仕方がありませんし、亜獣の気配もない今のうちに行ってみませんか?」

 

 それに頷いて、ニルはルーリーノの後ろをついていく。

 

 窓は割れ、壁にひびも入っている家のドアをルーリーノが警戒しながら少し開け中の様子を窺うと、外見同様中も酷い荒れようであった。

 

 そもそも物が少ないため足の踏み場もないと言うことはないが、足の一本欠けた椅子は倒れその一本は部屋の隅にある。

 

 ベッドも掛け布団が乱れ中から羽が飛び出し、マットレスに関しても綿が中から顔をのぞかせている。

 

 ただ、机は部屋の中央で何とかその体裁を保っており、その上には本にしては薄い何かが乗っていた。

 

「ここで正解みたいですね」

 

 一度ドアを閉めて、ふうと息を吐いてからルーリーノがニルにそう声をかけた。それを聞いてニルが不思議そうな顔を見せる。

 

「だとしたら、本当に妙だよな」

 

「そうなんですよね。建物……はまだしも、ユウシャの使いが居ないのは少し気がかりです」

 

 ルーリーノも考えるようにそう言ったが「でも」と続けた。

 

「出会わないで済むならその方がいい気もしますけどね」

 

 それもそうかとニルも納得し、今度は大きくドアを開けたルーリーノと一緒に中に入る。

 

「すごいな」

 

 先ほど中を見ていなかったニルが入った直後そう声を洩らす。

 

 それから、ニルが家の中をじっくりと観察している間にルーリーノが跳ねるように部屋の中央に向かうと、そこにある机の上から何かを取ってきた。

 

 それをルーリーノが「どうぞ」と言ってニルに手渡す。

 

 ニルが手渡されたものを見ると、今までの遺跡にもあったのと同じ本。

 

 通りでルーリーノがここをユウシャの遺跡だと断定したわけだと思いながらニルがその表紙をめくる。

 

 ルーリーノはニルの横から覗き見るような形で本を見ていた。

 

『ここまで来たと言うことは、マオウを殺してくれると言うことだろう。

 

 だからあの壁の向こうへ行く方法を記そうと思う。

 

 しかし、その前に世界のルールとユウシャについて知っておいて貰いたい。

 

 それは本来ジンルイが知ることの許されない、いわば禁忌と言っても過言ではない。

 

 知れば後戻りはできないだろう』

 

 最初のページにはそう書かれていて、ルーリーノが首をかしげる。

 

「ジンルイってニルは分かりますか?」

 

 尋ねられたニルは、少し考えるそぶりを見せてから答える。

 

「おそらく、人と亜人を纏めたものだろう」

 

 それを聞いてルーリーノが「なるほど」と声を出した。それから、続けて口を開く。

 

「このまま行くと私まで禁忌に触れてしまいそうですね」

 

「俺以外の別の誰かも見る事を分かった上でユウシャも書いてるんじゃないのか? わざわざ普通の字で書いてるんだから」

 

 その言葉にルーリーノは納得して「ここが後戻りできる最後の機会だと思いますよ?」とニルに声をかける。ニルはその言葉に答える代りにページをめくった。

 

 それを見ながらルーリーノは当然ですねと心の中で呟く。

 

『そうは言ったもののこれを書き記すのに冷静でいられる自信はない。

 

 ともかく最初から記して行こうと思う。

 

 俺達「ユウシャ」と呼ばれる者は、魔法や亜人のいない別の世界から連れてこられた「ニンゲン」だ』

 

「別の世界……? ニンゲン……?」

 

 急に飛び出してきた言葉に驚いたルーリーノが思わずそう呟いた。

 

 対してニルは何も言わずに黙って文字を追う。

 

『俺たちをこの世界へと連れてきた存在は自ら「創造者」と名乗った。

 

 曰く創造者は複数存在しそれぞれが気ままに世界を作るのだと言う。

 

 「神」とは「創造者」が作り出した唯一創造者が自分の作った世界に干渉することのできる媒体らしい。

 

 とは言え「神」自身にも意識があり「神」に「創造主」が命令を出す』

 

 そこまで読んで一度ルーリーノが本から目をそらす。

 

「話が壮大すぎて理解が追い付きませんね」

 

 そう言ってルーリーノはニルを見たが、ニルは驚いた様子も無く本を見ていた。

 

「ニルは驚かないんですね」

 

「驚かないことも無いが、むしろこれくらい壮大じゃないとユウシャの力の説明がつかない気もしてな」

 

 それを聞いて一理あるかなと、ルーリーノが納得する。

 

「それにあまりにも現実感がなくてな」

 

「それもそうですね」

 

 苦笑交じりにルーリーノがニルの言葉に同意して、次のページへと目を移す。

 

『俺らの世界をつくった創造者はふと思った。

 

 世界をつくり、それを眺める以外に楽しいことはないものかと。

 

 そこで、自分の世界の人に力を与え別の創造者が作った世界に連れて行くことを考えた。

 

 そこで選ばれたのがたまたま目にとまった三人。

 

 創造者は三人をこの世界に連れて来るとそれぞれ違った力を与えた。

 

 俺達は始めその力を使い悠々自適に暮らしていたが、次第に元の世界に戻る方法を探し始めた』

 

『同時に亜人と人の戦争も進んでいた。

 

 はじめは拮抗していたが、次第に亜人軍の方が人を圧倒しはじめた。

 

 後から分かったがその時亜人の王が生まれたらしい。

 

 人と交友を深め、見た目としても人に近かったこともあってか、俺たちは人を助け亜人の王を倒すことができれば元の世界に帰るのではないかと考えた』

 

『俺達は自分たちの国の言葉を使い自らの力を「ユウシャの力」、そして倒すべき亜人の王のことを「マオウ」と呼んだ』

 

「ユウシャやマオウはこの世界の言葉じゃなかったんですね」

 

 ここまで読んだルーリーノが驚いたように言う。ニルはそれを聞いてまた別の事に驚いて声を出した。

 

「驚く場所はそこなんだな」

 

 そう言われてルーリーノが口元に人差し指を持ってきて考える。

 

「確かにユウシャ達の境遇には驚く事ばかりですが、それはまだ昔の事で今には繋がっていませんからね。身近な事の方が驚きが大きいんだと思います」

 

 自分自身をそう分析してから、ルーリーノは言葉に対する驚きを全く示さないニルに目を向ける。

 

「たぶんですが、ニルはユウシャやマオウがこの世界の言葉じゃないと知っていましたよね?」

 

「ユウシャやマオウだけじゃなく、さっき書いてあったジンルイやニンゲンってのもそうだな」

 

 何事も無いかのようにニルが言うのを聞いてルーリーノが怪訝そうな顔をする。

 

「それもユウシャの力ってやつですか?」

 

「まあ、そんな所だ」

 

 それを聞いてルーリーノが溜息をついている横でニルがページをめくった。

 

『ユウシャの力を使い亜人が占領していた人の領土を取り戻すのは簡単なことだった。

 

 そのまま亜人領へと踏み入った俺達は亜人の町を見た。

 

 耳が長い者が集う町、背中に羽を生やした者が集う町、中には海の中に住んでいる者さえ居たが、その全てが人の作るそれと変わらないように見えた』

 

『そこで俺達は漸く気がついた。それから、戦争をいち早く終わらせるべく町に手を出さずにマオウの元へと急いだ』

 

『マオウに戦争を止めるように言ったが、すでに何人もの亜人に手を掛けた俺達の話を聞いて貰えることはなく、また、マオウは他の亜人以上に人に酷い憎しみを持っているようだった。

 そんなマオウと俺たちが戦い始めるのにさほど時間はかからず、戦いが始まるとほぼ一瞬で決着がついた』

 

『マオウを倒しても戦争は終わりというわけにはいかなかった。

 

 むしろマオウを倒してしまったがために早急に戦争を止める方法がなくなった。

 

 幸か不幸か人も亜人も元々の領地までその勢力を戻していたので、俺達は物理的に人と亜人が接触しないように壁を作ることを決めた』

 

『正確にはこれを言い出したのは俺達の中の一人であり、そいつが壁を作る役目も買って出た。

 

 俺はマオウを倒し壁が出来たために戦争ができなくなったと伝えに行くために人の領地へと急いだ。

 

 境界まで壁を作ると言ったやつと一緒に向かい、それから俺が境界を越えたところでそいつが俺に「じゃあな」と言った』

 

『最初は何を言っているのかわからなかったが、考えてみれば簡単な事で、そいつに与えられた力で大陸を二つに分けるような壁を作るにはその命を使わなければならなかったわけだ。

 

 その時に俺が何を言ったかは覚えていないが、最後にそいつは「こうするしかなさそうだったからな。悪いな」と言った』

 

『その時はその意味も分からなかったが、悲しんでいる暇も無かったので後ろ髪をひかれながら人の元へと急いだ』

 

『俺が人のトップにマオウを倒したことと壁が出来たことを伝え、戦争が終結した。

 

 俺は人々に感謝とともに迎えられ、戦争により激減した人によって新たに作られた国に名前を付けるように頼まれた』

 

『新たな始まりを祝し「キピウム」と名前を付け、人のトップ、つまりキピウム王の娘と結婚し、俺は城で暮らすことになった。

 

 しかし、城で暮らしていたが故この戦争の始まりを知ってしまった。

 

 領地を広げようとした人が亜人の村で虐殺をおこなったことが始まりらしい』

 

『それから、帰ってきたユウシャが一人でよかったと囁かれていた。

 

 あんな強すぎるやつが三人もいたら厄介だと。

 

 最後に西側に残った亜人の処遇を聞いた。

 

 力のあるものは処刑しそうでないものは奴隷にすると言うものだった』

 

『それを知った俺は居ても立ってもいられなくなり、ユウシャの力を使い西側に残った亜人を集めどこか遠くにでも逃がそうとした。

 

 しかし、亜人たちは首を縦には振らなかった。

 

 人が私達を恐れるのは私達の力が強すぎるからだと、だから私達の力をユウシャの力で弱めてほしいと、そう言われたので俺は王に亜人の力を弱める代わりに処遇を変えるように、具体的には処刑をせず、奴隷にするのもやめてほしいと頼んだ』

 

『前者はともかく後者は認められないと思ったのだが、思いのほか簡単に了承してくれ、俺は亜人の力を人の水準まで落とした。

 

 約束通り処刑が行われることはなかった』

 

『そうしているうちに今度は亜獣の問題が出てきた。

 

 今更ながら別の世界から来た俺にばかり頼っていては駄目になると思った為、どうしても対処が困難な鳥型の亜獣にのみその対策を行おうと、現状把握のために各地を見て回ることにした』

 

『そこで見たものは亜獣などではなく奴隷以下の扱いを受ける亜人の姿だった。

 

 あるものは数日飲まず食わずで働かされ、あるものは無理やり孕まされては生まれた子をその場で殺されていた。

 

 生きているものは助けたが、一様に俺に謝ると命を絶ってくれと俺に願った』

 

『そうして俺は人を捨てた。

 

 亜人も捨てたと言っていい。

 

 それからは必至で元の世界に戻る方法を探した。その途中俺はこの世界のことについて知った』

 

『この世界にはルールがある。

 

 数は多いが個々の力の弱い人と個々の力は強いが数の少ない亜人。

 

 その拮抗した二つの種族がそれぞれ強い王の下で争い続けた先に何があるのか。

 

 それを創造者に見せるためのルール。

 

 第一に両王の力が離れすぎていてはいけない。

 

 第二に王は自らその命を絶つことはできない。

 

 第三に片方の王のみが生きている場合片方を全滅させないために残った方は新たな王が生まれるまで眠りにつかされる。

 

 第四に王がその役目を終えるのはもう片方の王を打ち倒したときである。

 

 その他細かいものはあるが根幹となるのはこの四つである』

 

『これを知りこの世界に絶望を覚えた頃、俺はどう足掻いても元の世界に戻れないことをも知った。

 

 その時「こうするしかなさそう」の意味に気がついた。

 

 俺たちがこの世界から解放されるには死ぬしかないとそう言うことだったらしい』

 

『以降俺はあいつの後を追う決心をした。

 

 一つ心残りがあるが、もう善悪の区別のつかない俺が何をしても仕方がないだろうと思い、その決定をこうやって子孫に託すことにした』

 

『壁を越えるには壁を消せばいい。

 

 ここまで来たのならこれだけでわかるだろう。

 

 最後に最後のページにマオウを起こす鍵を書いて俺はこの世界と決別しようと思う』

 

 途中から黙って文字だけを追っていた二人が、ここまで読んで深く呼吸をする。それから先にニルが口を開いた。

 

「何を言っていいのかわからないな」

 

「にわかには信じられない話ではありますが、いくつかわかった事もありますね」

 

 複雑そうに言ったニルに対して、ルーリーノがそう言うのでニルがそれは何かと尋ねた。

 

「はじめにこの家についてです。ちょっとその直刀でどこかを切ってみてください」

 

 ニルはそう言われて、不思議そうに言われたとおり直刀をふるった。

 

 その手に手ごたえはなく、切ったはずの場所は何事も無かったかのように佇んでいる。

 

 しかし、それは他の遺跡も同様であり今更驚くことでもないようにニルは思う。

 

「やはり、この家が荒れているのは以前のユウシャの人に対する怒りの表れなんでしょうね」

 

 ニルが切った箇所を触りながらルーリーノがそう言うが、ニルはどうしてそうなるのかわからないと言った様子で、ルーリーノを見る。

 

「ニルの直刀ですら傷つかない家ですよ? こんな家をこんな風にできるのはユウシャくらいでしょう。

 

 考えられる理由は人への憎しみ以外考えられませんし、何よりここは人の住んでいるような家です」

 

 ニルの視線にルーリーノがそう説明を加えたところでニルが納得した顔を見せる。

 

 それを見て、ルーリーノは「次に」と続けた。

 

「壁についてですが、ユウシャが作ったのであればペレグヌスの魔法が通じなくても納得がいきます。

 

 むしろ、何で今まで気がつかなかったのかと思うほどです」

 

「まあ、それはそうだな」

 

 ニルが他の事を考えているような、生返事を返してそれから、やや思いつめたような顔でルーリーノに問いかける。

 

「なあ、ルリノは人がここに書かれているような存在だと思うか?」

 

 それに対してルーリーノはすぐに首を振って答える。

 

「ニルも見てきた通り、亜人の処遇は悪いままかも知れません。

 

 ですが、人によっては亜人肯定派の人もいますし、そもそも亜人なんて知らない人だって多いはずです。

 

 少なくとも千年をかけて人々の亜人に対する認識は少しは変わってきていますから、きっかけがあればきっと劇的に変わるかもしれません」

 

 ルーリーノはそう言ってから、一度考える。それでニルにかける言葉を固めて話す。

 

「確かにこれに書かれていることは衝撃的な事ばかりです。

 

 でも、今私達に必要な情報だけを選びとらないといけません。

 

 別世界があっても今の私たちがどうすることもできませんし、千年前の戦争に今更関与もできません。

 

 でも、これからの事は変えられる。変えるのでしょう? 世界を」

 

「ルリノだって、ユウシャの語源とかどうでも良いところに首突っ込んでたろ」

 

 まじめに話したルーリーノに対して、ニルが軽口でも言うかのようにそう言ったので、ルーリーノが顔を赤くする。

 

「でも、その通りだな」

 

 「ありがとう」とニルが言ったとき、ルーリーノが今度は恥ずかしそうに真っ赤に染まる。

 それから、平生を装って「どう致しまして」というルーリーノを見てニルが思わず笑みを浮かべた。

 

「俺達はマオウに会って話をしなくちゃいけない。

 

 その為にしないといけないことはマオウを起こすことと壁を越えマオウに会うこと。

 

 幸い俺はかつてのユウシャのようにマオウに恨まれることはしていないだろうから、話しくらいは聞いて貰えるかもしれないしな」

 

 ニルは自分に言い聞かせるようにそう言うと、最後のページに目を移した。

 

 それからそこに書いてある文字を読んだ瞬間、膨大な量の情報がニルの頭に流れ込み、激しい頭痛とともにニルの意識が途絶えた。



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 ニルが目を覚ました時、最初に目に入ったのは隣で何かを読んでいるルーリーノだった。

 

「目が覚めましたか?」

 

 その姿をニルがボーっと眺めていると、途中でルーリーノがその事に気がついてニルに声をかける。

 

 ニルが「ああ」と言って起き上がろうとすると、ベッドが大きな音を立てて軋んだので思わず身体を硬直させた。

 

「すいません。寝かせられそうな所が他になかったものですから」

 

 ニルの反応を見て、少し可笑しくなったルーリーノが持っていた本をテーブルの上に戻してから、クスクスと笑いながらそう言う。

 

 笑われはしたが、ベッドに運んでくれただけでも感謝すべきことかと思ったニルはちゃんと起き上がってから「いや、助かった」と素直に言った。

 

「俺はどれくらい寝てたんだ?」

 

「正確にはわかりませんが、そんなに長い時間ではないですよ。恐らく一時間くらいでしょうか」

 

 窓を探すようにキョロキョロと家の中を見回しながらニルが尋ねると、ルーリーノが少し自信がなさそうに答える。

 

 それを聞いて安心したように溜息をつくと、ニルがベッドから立ち上がった。

 

「もう立ち上がって大丈夫なんですか?」

 

 立ち上がったニルの顔色を見ながらルーリーノが言うと、ニルは「ああ」と短く返す。

 

「とは言っても、俺自身まだ混乱してる感じなんだがな」

 

「混乱ですか?」

 

 ニルの言葉にルーリーノが疑問を抱いて思わず漏らす。

 

 ニルもどう説明したらよいのか分からず、しばし考えてから口を開いた。

 

「そうだな。分かりにくいかもしれんが、恐らく存在するすべての呪文を一気に頭に無理やり刻みつけた感じだな。

 

 今はだいぶ落ち着いてきたが、与えられた情報が多すぎて逆に訳が分からない感じというか……」

 

「とりあえず、今は大丈夫なんですね?」

 

 ニルが何とか捻り出したような答えだが、ルーリーノは正確にはその意味を理解することができずにそう言うと、ニルが「とっさにユウシャの力を使える気はしないが、それ以外は大丈夫だろう」と返す。

 

「だから、村に戻ろうか」

 

「どうしてですか」

 

 ニルの発言が予想外で、ルーリーノが驚いたように声を出す。

 

 それに対してニルは当然というように口を開いた。

 

「約束してたろ? 今日の用事が終わったら村に戻るって」

 

「まあ、そうですけど……」

 

 困ったようにルーリーノが視線を泳がせる。

 

 その時、確かに約束はしたし、村に戻りたくないわけではないが、今はニルが全快するまでここにいるべきではないのかとルーリーノの頭の中で思考が駆け巡っていた。

 

 しかし、そんなルーリーノの葛藤など知る由もないニルがお構いなしに口を開く。

 

「ここに来る時にはあんなこと言ってたが本当はもう少しあの村に居たかったんだろ?

 

 それにユウシャの力が使えなくても、ここから村に戻るだけならそんな危険はないだろうし、だとしたらここで休んでも村で休んでもそんなに変わらないだろ」

 

 ルーリーノは考えを読まれたのかと一瞬驚いたが、そんな事はないだろうと恐る恐る尋ねてみる。

 

「もしかして、顔に出てました?」

 

「分かりやすかったな」

 

 ニルにそう指摘され、ルーリーノは自分への恥ずかしさか情けなさか溜息をつく。

 

 しかし、ニルに声に出して言われてしまった事で、普段ならばこの家で休むことを選ぶであろうルーリーノの心が村に帰る方へと傾いた。

 

 それでも「本当に大丈夫ですか?」と尋ねてしまうわけだが、間をおくことなくニルに「大丈夫だ」と言われてしまい、それならばとルーリーノはこの家を出ることを決めた。

 

 

 村へと戻る途中ルーリーノはニルの分までといつも以上に警戒をしながら歩いた。

 

 ニルはそんなルーリーノを見ながらそこまでしなくていいのではないかとも思ったが、敢えて何も言うことはせずにルーリーノの後を付いていく。

 

 村までの道では、ルーリーノの徒労もむなしく同時にニルの予想通りに特に何も起こることはなく近くまではすんなり帰ることができた。

 

 異変に気がついたのはルーリーノで、いつもよりも色々な所に意識を巡らせていたせいか、村がしっかりと確認できる頃にはすでに違和感を覚え始めていた。

 

「やっぱり、何か変な感じがしますね」

 

 村に近づいた時とうとうルーリーノがそう言ったので、ニルが足を止め「どういう事だ?」と尋ねる。

 

 ルーリーノは具体的にはわからない違和感をなんとか言葉にしようと頭を悩ませる。

 

「何と言いますか、いつもと違う……と言う感じしかしないのですが、ともかく此処からはより警戒していきましょう」

 

「何かあるとしたら村だろ? 急がなくていいのか?」

 

 ルーリーノの言葉にニルは素直に頷かず、そう問いかける。

 

 ルーリーノは少し複雑そうな顔をすると、それでもいつものように気丈に話し出した。

 

「確かに急ぎたいところですが、そのせいで私達の身になにかあっては意味がありませんから可能な限り慎重に迅速にと言ったところです」

 

 「それに何もないかも知れませんしね」と最後軽い口調で言うと、ルーリーノはさらに警戒を強めた。

 

 ルーリーノのそんな態度を見てニルは周囲に気を配り始めると同時に、感心した。

 

 

 

 村の門付近まで来ると二人はその違和感の原因を理解した。

 

 村の中に渦巻く殺気。それは本来ルーリーノやニルを狙っていた訳ではないが、あまりにも強すぎるそれをルーリーノが違和感として感じ取っていたわけである。

 

「中に何かいますね」

 

「そうだな。しかもその辺の亜獣とは格が違い過ぎる」

 

 そうなのだがとルーリーノはニルの言葉を疑問とともに受け取る。

 

 確かにこんな殺気を出せる生き物がその辺の亜獣と同格なわけがないが、逆にそう言った亜獣というのは殺気をうまく隠すのではないだろうか。

 

 しかし、ルーリーノが何か答えに達する前に中から耳を劈くような悲鳴が聞こえてきた。

 

 これ以上悠長にしていられないと感じたニルが、ルーリーノに視線を送り、門の中に入ろうとする。

 

「待ってください」

 

 そう言ってルーリーノがニルを引き止めたので、ニルが少し苛立ったような表情でルーリーノを見る。

 

「ニルは今上手くユウシャの力をうまく使えないのでしょう? それなら私から入ります」

 

 言われてニルの頭が少し冷える。

 

 確かにユウシャの力を使えないニルよりもルーリーノの方があらゆる状況に対応できる。

 

 ニルは低い声で「わかった」というと道をルーリーノに譲った。

 

 村の中その一歩目を踏み出したルーリーノが先ず見たのは、真っ赤に染まった見知った村人。

 

 すぐに駆け寄りたい衝動に駆られたが、それをグッと堪え村の方に目を移すとその状況は一目瞭然だった。

 

 何人もの人が最初の村人のように血の海に沈んでおり、残っている村人が村の奥で助けを求めるように泣き、叫び声を上げ続ける。

 

 のどかだった村のあちらこちらに血が飛び散り、場所によっては頑丈な爪か何かで切り裂かれた跡がある。

 

 そんな地獄絵図を作り出した張本人であろう存在は今、残った村人をじっと見ていて、その姿はまるで次の獲物を選んでいるようにも見えた。

 

 その姿は白くふさふさとした毛に覆われ、黒い毛が縞模様に似た模様を作っている。

 

 また、二人の位置からは後ろ姿しか見えないが、明らかに人よりも大きいそれの足には鋭い爪が生えている。

 

「なるほど、トラか……」

 

 ニルがそれを見てそう呟いたが、ルーリーノにはその言葉の意味が分からず「ニルは知ってるんですか?」と尋ねた。

 

 ニルはすぐに頷くと、手短に説明する。

 

「要するに、牙や爪の鋭いでかい猫だな」

 

「見たまんまですね」

 

 二人がそんな会話をしている間に、白いトラは獲物を決めたのか、飛びかかろうと体勢を低くし始める。

 

 その視界にとらえられているのがマーテルだと気がついたルーリーノが思わず駆け出した。

 

 ニルもルーリーノに遅れてその事に気がついたが、今更駆け出したところで間に合わないことを悟る。

 

 むしろ先に走り出したルーリーノですら間に合わないであろうことさえ目に見えて分かったので、ニルは賭けに出るように頭にある膨大な情報を探る。

 

 幸い一度だけ使ったことのある言葉は思いのほか簡単に思い出す事が出来、ニルはすぐにそれを声に出した。

 

 

 

 走りながらルーリーノは自分が間に合わないことがすぐに分かった。

 

 それでもどうにかしなければと、呪文を唱えていると急に足が軽くなるのが分かった。

 その感覚をルーリーノ自身どこかで体験した記憶があったが、それを思い出している暇はないと軽くなった足をさらに早く動かす。

 

 

 

 

 死を覚悟してか、少しでも死から逃げるためか蹲りを目閉じているマーテルにトラの爪が届く直前、ルーリーノはその間に割り込み風の壁を展開した。

 

 その事にマーテルが気がついたのはしばらくしても想像していた痛みが襲ってこなかった為に、恐る恐る目を開けた時。

 

 目に映ったのは自分をかばうように立っているルーリーノと目の前まで来ているのに攻めあぐねている今まで見たことのなかった大きな獣。

 

「無事のようで良かったです」

 

 少しきつそうな顔をしてルーリーノがそう言ったのを聞いて、マーテルは状況を理解した。

 

 それから「ここはいいから逃げな」と叫ぶ。

 

「さすがに無理ですね。今逃げたら……私まで危ないですから」

 

 予想以上の力に押され、苦しそうにルーリーノが言葉を返す。

 

 直後トラは飛ぶように身を引くとルーリーノを睨みつけながらその口を開いた。

 

『小娘如きがこのブランカティグロの千年にも及ぶ悲願を邪魔しようというのか』

 

 低くはあるが、女性のような声でブランカティグロと名乗ったトラが言う。

 

 ルーリーノは次にいつ攻撃されるかわからない為、魔法を解くことができず、少しずつ魔力を消費しながら言葉を返した。

 

「貴方が東側のユウシャの使いなんですね」

 

『分かっているのなら其処をどけ。私が殺したいのは完全な人だけなのだ』

 

 ブランカティグロがルーリーノを睨みつけながら唸るようにそう言うと、ルーリーノが首を振る。

 

『ならば仕方あるまい。一人ずつ恐怖を与えるように殺して行くつもりだったが、一気に終わらせてしまおう。

 

 ここ以外にも人など掃いて捨てるほど居ろうからな』

 

 言い終わるが早いか、ブランカティグロは距離を取り一度口を閉じる。

 

 それを見たルーリーノが、チンロンの事を思い出す。

 

 力に飽かせた反則的なまでの物量攻撃。もしそれが来た時に生き残っている村人を全員守りきれるのか。

 

 ルーリーノはその計算をしようとしたがそんな暇など与えられることなく、ブランカティグロが雄たけびを上げた。

 

 直後、ルーリーノとブランカティグロとの間にあった家が様々な位置で切られる。

 

 ある家は屋根をバッサリ持っていかれたり、ある家は屋根ごと縦に真っ二つにされたりと、それを見た瞬間ルーリーノの頭の中に、守りきれず切り刻まれ血を噴き出し倒れて行く村人の姿が浮かんできた。

 

 

 そこから先はもう無意識と言ってもいい。

 

 ニルに会う前のルーリーノなら守れる範囲、もしくは自分だけを残る魔力を使って守りながら逃走するという選択をしていただろう。

 

 しかし、ルーリーノは逃げる動作など微塵にも見せることはせず、代わりに唱えている暇も無かった呪文を唱えることなく魔法を使った。

 

 目に見えない空気の流れがルーリーノを含め村人全員を覆うように回転しはじめ、それは一瞬とかからずに触れたものを容赦なく切り刻む大きな竜巻になる。

 

 それはブランカティグロが放った無数の風の刃をも巻き込んでいった。

 

 

 

 竜巻の外ではブランカティグロが怒りに我を忘れたかのように、風の刃を放ち続けていた。

 

 魔力に限りのあるルーリーノに対して、そう言った制限のないユウシャの使いにしてみれば、ずっとそうしていればいずれ勝てるのであるが、すでにブランカティグロがそのような事を考えていられるほど冷静ではない。

 

 それを見ていたニルはどうにも遣る瀬無い気持ちになりながら、ようやく頭の中の無限とも言えるのではないかという情報をうまく使う方法に気がつき、それを実行するためにボソリと呟いた。

 

 それからブランカティグロに近づいて行くと、ニルは怒れるトラの向こうにいるであろう人物に話しかける。

 

「なあ、ユウシャよ。怒りで我を忘れてしまうほどにお前は人を憎んでいたのか?」

 

 そう言っても返してくれる人物はおらず、ブランカティグロに至ってはニルの言葉など耳にすら入っていない。

 

「でも少なくとも俺はお前が憎むような人以外にも会ってきたんだよ。

 

 特に今耐えてくれているルーリーノとかな、だから……」

 

 ニルはそう言ってブランカティグロを見上げる。

 

 ニルに動物の表情を読む事などできないが、少なくとも今足元にいるニルにすら気がつかないほどに周りの見えていないこの白いトラの顔を視界に入れたところで言葉を放つ。

 

 ユウシャの生まれた世界で使われていたであろう言葉でただ一言「キエテクレ」と。

 

 

 

 もう少しで魔力がなくなると言ったところで、ブランカティグロの猛攻が急に止みルーリーノは驚きながらも魔法を解いた。

 

 それと同時に視界が開け、ブランカティグロの姿がどこにも見当たらないことを確認するとその場に座り込み俯く。

 

 そんなルーリーノの方へと近づく足音があり、ルーリーノは顔を見ずともそれが誰であるかわかった。

 

「ルリノ、お疲れ」

 

 想像通りの声が聞こえてきたルーリーノは何処となく気だるくなっているのを我慢して「ルーリーノです」と返す。

 

 それから、いやみを言うように続けた。

 

「使えるなら初めから使ってください」

 

「きっかけをつかむまでにだいぶ時間がかかってな」

 

 流石にそんなところだろうなと思っていたルーリーノはそれ以上何も言うことはなかった。

 

 そうしている間に村人にもいま自分たちが助かった事に気がつくものが現れはじめ、それが波紋のように広がる。

 

 互いに抱き合ったり、その場で泣いていたり思い思いの方法で助かった喜びを噛みしめている中、いくらか遅れてマーテルが状況を把握する。

 

 それからこの村の救世主とも言える少女のところに駆け寄るとその顔を見て礼を言おうとルーリーノの顔を覗き込んだ。

 

 ルーリーノは覗きこんできたのがマーテルだと分かると、また大袈裟に礼を言われるのではないかと思ったが、ルーリーノの顔を見たマーテルの表情が凍りついたのを見て疑問を覚える。

 

 対してルーリーノの顔を覗き込んだマーテルは、先ほどまで自分たちを死に追いやろうとしていたトラ、ブランカティグロの言動を思い出していた。

 

 『私が殺したいのは完全な人だけなのだ』とブランカティグロがルーリーノに言っていたことを。

 

 それから、信じられない気持でルーリーノの宝石のような真っ赤な瞳を見ると「ルーリーノ、その赤い目はどういうことなんだい」とかすれた声で言った。



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人と半亜人

 マーテルの言葉でルーリーノは今の自分の状態に気がついた。それと同時に五月蠅いほどに心臓が脈打ち始める。

 

 それから、僅かな希望持ってルーリーノは口を開いた。

 

「見ての通り、私には亜人の血が混ざっています」

 

 「つまり、半亜人ですね」と言ってからルーリーノはジッとマーテルの反応を待つ。

 

 その間にルーリーノとマーテルのやり取りを見ていた村人がそのことを近くにいた人に話し、それが波紋のように広がり村全体がざわめき出す。

 

 その事実だけでルーリーノがもう駄目だろうなと思っていると、ずっと呆けていたマーテルの目つきが変わった。

 

「マーテルさ……」

 

「私達を騙してたんだねルーリーノ」

 

 何かを言おうとしたルーリーノに被せるように嫌悪感を滲ませながらマーテルはそう言うと、蔑むような目でルーリーノを見ながら逃げるように離れる。

 

 それと入れ替わるように村長がやって来ると、村の敵を見る目でルーリーノを見た。

 

「どういうことなんじゃ?」

 

 そんな村長の冷たい視線を受けたルーリーノは覚悟を決めると、村人全員に聞こえるような声で話しだす。

 

「そうです。私は皆さんを騙していました。何せ一人で人に復讐をするには色々な情報が必要でしたからね」

 

 ルーリーノが話し始めた時一瞬だけ静まり返った村人であるが、すぐにざわめきだす。

 中には「まさかルーリーノが……か?」と言った声も聞かれるが「ほら、御覧よあの赤い目を全くけがらわしい。わたしは昔からあの子は何かおかしいと思っていたんだよ」などと言った声がその力を増した。

 

 ルーリーノはその声を出来るだけ聞かないようにしながら、さらに言葉を続ける。

 

「折角ユウシャまで騙してあと一歩というところまで来たのに、こんなところでばれてしまうなんて……予想外でしたが、仕方ありません」

 

 ルーリーノは意識して感情を殺しながら言うと、村人に背を向ける。その時に誰かがぽつりと言った。

 

「さっきの亜獣を呼んだのもあいつなんじゃないか?」

 

 何の確証のない言葉だが、近くにいた誰かがそれに同意する。

 

 それからその言葉が村人の間で真実になるまでには大した時間を要することはなく、「俺の家族を返せよ」と言った嘆きへと変わっていく。

 

 それと同時に本当に親しいものを失った男の一人が我慢ならないと言った様子で背を向けているルーリーノに向かって走り出すと、自分の手を傷つけるのも厭わないかのように力を込めて拳を握りそれを振り上げた。

 

 あと数歩でルーリーノに届くと言ったところでルーリーノが振り返り、その赤い瞳で睨みつける。

 

 男はそれを見て一瞬背筋がぞくりとしたが、構わずにルーリーノに突っ込んだ。

 

 しかし、男はルーリーノが手を振り下ろしたのが見えたと思うと服に引っ張られるように一瞬で仰向けに倒されていた。

 

 村はこんなに騒然としているのにいつもと変わらない青い空を見ながら男は倒れた衝撃による痛みに耐えながら立ち上がろうとしたが、服が地面に縫い付けられたように動かないので替わりに大声をあげた。

 

「出て行け、この化け物」

 

 その様子を見ていた人も、ルーリーノにかなわないと分かるや否や、男に合わせて「出て行け」と合唱を始めすぐに怒号へと変わる。

 

 中には石を投げる者もいたが、それがルーリーノの所に届くことはなかった。

 

 ルーリーノはそんな中、後ろ髪を引かれるようにちらりとニルを見ると、心の中で別れの言葉を言って村の門へと向かう。

 

 門の近く、村人がいるはずの所からは大分離れているのに聞こえる村人の声にその怒りの大きさを感じながらルーリーノは二度と潜ることはないであろう故郷と呼んでいた村の門を潜った。

 

 

 

 一人取り残されたニルは村人の合唱が終わるまで黙ってそれを見ていた。

 

 それから、その合唱が終わったところでこの旅で見てきた色々なものを思い出しながら呟く。

 

「これが人か……」

 

「あんた何か言ったかい?」

 

 そのニルの呟きに、比較的近く似たマーテルがそう尋ねる。

 

 それにニルは無言で首を振ると、マーテルが悲しそうな顔でニルに語りかけた。

 

「あんたも大変だったね。あんな化け物に騙されてずっと旅をしてきたんだから」

 

 その声は自分たちと同じ騙されていた者にかけるようなニュアンスが含まれており、ニルは思わず顔をしかめてしまう。

 

「どうして、そうなるんだろうな?」

 

「どういう意味だいそれは?」

 

 ニルの言葉にマーテルが不思議そうな顔をする。

 

 ニルは首を振ってから「何でもない」と声を出してそのまま続けた。

 

「悪いがちょっと混乱しててな、一人にしてくれないか」

 

 そう言って歩き出したニルをマーテルは引き止めることはせず同情したかのような目で見送った。



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森と草原の境目で

 村を出たルーリーノは出来るだけ村から離れようと北の方へと足を進めていた。

 

 一度ばれてしまったものはしばらくすれば大陸の西側中に広がるであろうから、そうなってしまえば自分の居場所はない。

 

 そうなる前に自ら最初にニルと行ったユウシャの遺跡にでも隠れて今後のことを考えようとそう言うわけである。

 

「それにしても、最悪のタイミングでばれてしまいましたね」

 

 一人呟いた言葉は誰もいない道と森の境に吸い込まれ、その時ルーリーノが見せた笑顔はとても空々しかった。

 

 あのように言ってしまえば村人はおろか、ニルからも見限られてしまう、しかしあのように言わなければ今度はニルが自分と同じ目にあってしまうかもしれない。

 

 そんな事を考えて森と草原の間を歩くルーリーノが誰かにつけられていることに気がついたのは、ふと足を止めた時。

 

 気がつくと同時にルーリーノは気配のする方を向いて身構える。

 

 それから、青から赤へと転じさせた瞳でジッと見つめた。

 

「誰ですか?」

 

 ブランカティグロとの攻防でだいぶ魔力は減ってしまったが、それでも並みの冒険者レベルならば簡単に無力化することはできる。

 

 むしろ、今は相手をしている気分ではないのだけれど、とルーリーノは考えていたが普段の癖からか相手を探ってしまう。

 

 森の中からガサガサと音を立てて人影見えた時、ルーリーノは距離を取ろうと一歩後ずさろうとする。

 

 しかし、その時身体が動かなくない事に気がついた。

 

 それと同時に森の中に見える人影が誰なのか勘づき、出るかわからない声を出してみる。

 

「どうして着いてきたんですか?」

 

 声を出すことの出来た事にルーリーノが少し驚いていると、ニルが森の木の陰から姿を現した。

 

「どうして俺だってわかったんだ?」

 

 とても不思議そうな表情でニルが尋ねると、ルーリーノが「答える代わりにこれを解いてくれませんか?」とニルに頼む。

 

 しかし、ニルはすぐに首を振った。

 

「それ解いたら、お前逃げるだろ?」

 

 考えていたことを当てられて、ルーリーノがばつが悪そうに視線をそらす。

 

 それから、諦めたように目を伏せると、ため息をついてから「わかりました」と言って話し出した。

 

「今の私の行動をこうも簡単に縛ることができる可能性がある人が、ニル以外にはいませんから」

 

 それを聞いてニルは何となく納得すると同時に、「今の」というのが目が赤い状態であることを理解した。

 

「それでお前はどこに行って何をしようって言うんだ?」

 

「それを人である貴方に教えると思いますか?」

 

 ニルの問いにルーリーノが冷たい視線を送りながら答える。

 

 ニルはその言葉に少し傷ついたような表情を滲ませながら次の質問を投げかけた。

 

「俺を騙していたって言うのも本当なのか?」

 

「騙す……とは違いますが、一秒でも早く壁を越えるため私に都合がいいことは何度も言ってきましたね。

 

 お陰でここまでは思っていたよりも速く壁の向こうに行けると思ったんですが……」

 

 「最後の詰めでこんな事になるなんて予想外でした」とルーリーノがほとんど表情を変えずに言う。

 

 それから、ニルが何かを言うよりも速く冷え切った笑顔を見せた。

 

「まあ、でも今までありがとうございました。もういいですよね? これを解いてくれませんか?」

 

 ルーリーノにそう言われ、ニルは意を決したように「最後に一つだけ聞いていいか?」とルーリーノに尋ね返す。それに対してルーリーノは「仕方ありませんね」と肩を落とした。

 

「ルーリーノ『ショウジキニコタエテクレ』。ルーリーノは人を恨んでいるのか?」

 

 そう言ったニルの言葉の「ルーリーノ」の後一言か二言くらいをルーリーノは理解することができず首をかしげたが、肝心の質問部分はちゃんと理解できた。

 

 同時にどうしてそれを聞いてくるのだとルーリーノは心の中で叫ぶ。

 

 しかし、言うことは決まっているので心の中の事を面に出さないように無表情で口を開いた。

 

「もちろん、一人残らず殺してしまいたいほど恨んでいました」

 

 ルーリーノの言葉にニルが顔を歪めたが、ルーリーノはルーリーノで思っていたことと違う言葉が声に出ていた事に驚いた。

 

 しかし、今のニル様子から見るとそのミスに気が付いていないようなので、ルーリーノはこのことに関しては何も言わないと決めた。

 

 それからいつの間にか身体の拘束が解けていることに気がつき今すぐにでもこの場から逃げ出そうと思ったところで「でも……」と自分の口が、喉が、声を出し始めたことに今一度驚く。

 

「村の人々に迎えられて、冒険者になって、そしてニルと出会って人への恨みも薄れて行きました」

 

 勝手に動く口が自分の本心を話してしまうのをルーリーノは必死で止めようとする。

 

 これ以上言ってしまうと、ニルの前から消えると言う決意が揺らいでしまいそうだから。

 

 しかし、ルーリーノの口は本人の意思を無視して動き続ける。

 

「だってそうじゃないですか。私は半亜人なんです。

 

 本来ならば生まれたその瞬間に殺されてしまうそんな存在なんです。

 

 普通なら村の人たちみたいに半亜人と分かっただけで嫌悪感を示すんです。

 

 でも、もしも私が人だったならあんなにも皆優しくしてくれたんです。

 

 それを知ってしまったら、もう自分が亜人だと言う事を恨むしかないじゃないですか」

 

「言っただろ、俺は亜人や人の違いが分からないって」

 

 ルーリーノの告白を聞きながら、それをさせているのが自分だと解っているので黙って聞いておこうと思っていたニルが、思わず声を出す。

 

 その声はどこか怒っているようだったが、ルーリーノは悲しそうな声でそれに答えた。

 

「だからです。そもそも、今私がこんな風に考えられるのはニルと旅をしたおかげなんです。

 

 それまでは自分のことだけで精一杯でしたから。でも、ニルと旅することで色々なことに気づかされました」

 

 「だからニルにはとても感謝してます」と、ルーリーノはそこで一度笑顔を見せる。

 

「でも、私が半亜人だとばれてしまった以上、私と一緒にいることでニルも蔑みの対象となってしまいます。

 

 「半亜人の肩を持つ人だ」と言う事で、もしかすると私よりも人に忌み嫌われてしまうかも知れません。

 

 それは私が嫌ですからここで御別れです」

 

 そう言ってルーリーノはニルに背を向け歩き出す。

 

 それをニルが「おい、ルリノ」と引き止めるように声をかける。

 

 その声に一瞬足を止め掛けたルーリーノだったが、後ろ髪ひかれる思いを断ち切って歩みを続けた。

 

「今から行くのは東だろ? そっちは北じゃないか?」

 

 そんなニルの場に似合わない言葉を聞いて、ルーリーノは立ち止まりニルの方を見ると怒ったように声を出す。

 

「話を聞いてましたか? ニルとはもう御別れなんです。どうしてそんな事を言うんですか?」

 

 そんなルーリーノの抗議も、ニルには意味がないらしく「聞いてはいたな」と反省の色のない返しをして続ける。

 

「でもなルリノ、俺は世界を変えに行くんだ。それも、ルーリーノが言ったことだろ?」

 

 ルーリーノはそれを聞いて思わず「う……」と声を出してしまったが、すぐに言い返す。

 

「それだって、ニルが壁を越えるのを止めないようにするために言ったことです」

 

「できると思ったから言ったんだろ?」

 

 ここは否定しなければならないと頭では分かっているが、ルーリーノは不思議な力で本当のことを口にする。

 

「もしかしたら……くらいには思っていましたし、ユウシャの遺跡でマオウがお伽噺に出てきたマオウとは違うと分かった時には出来るかもしれないとは思いましたが……」

 

 そろそろ真実今はどういうわけか嘘をつくことができないと分かったルーリーノが「でも」と続けようとする。

 

「半亜人であるルリノが一緒に来た方がマオウと話せる可能性が高くなるかもしれないだろ? それとも、これ以上俺と一緒に行くのは嫌か?」

 

 ルーリーノの言葉に被せるようにニルが言った言葉にルーリーノが沈黙する。

 

 草原と森の境、草原から森へと風が草や葉を揺らしながら通り抜けた頃、俯いているルーリーノがぽつりと呟いた。

 

「嫌なわけあるはずないじゃないですか……」

 

 それから「でも」と言いながらルーリーノが真っ直ぐニルの顔を見る。しかし、ニルがその先を言わせないように声を出した。

 

「その「でも」がなくなるように手伝ってくれないか?」

 

 それに対してルーリーノが「はい」と返したとき、ルーリーノの目から涙が零れた。

 

 

 

 

「実際の所私は本当に自分の生まれた場所はわからないんです」

 

 ルーリーノとニルが言いあいをしていた場所と同じ場所で二人は気に寄りかかるように座りながらお茶を飲んでいた。

 

 そのときにルーリーノが両手でコップを持ちながらそう呟くように言った。

 

 ニルは特に何も言うことなくルーリーノが続きを話すのを待つ。

 

「詳しい話はわかりませんが、私の母親を買った人は興味本位にエルフである母と関係を持ったのだそうです。

 

 その中で私を身籠り主人に捨てられ、捨てられた先で私を出産したと言うわけです」

 

「捨てられた先……ってよく助かったな」

 

 捨てられた先とは所謂奴隷の村に属するところだろうと考えながらニルが口にする。

 

 それに対してルーリーノは自身もよく分からないと言った様子で首をひねりながら答えた。

 

「よく分かりませんが、曰く突然聞こえてきた声に従って私を隠していたのだそうです。

 言う通りにすれば私が一人で生きていけるまでは隠し育てることができるだろう、と。

 それで洞窟のような場所で、母親とは寝るときくらいしか一緒に入れませんでしたが、何年も過ごしました。

 

 それから、母親に「壁を越えて東に行くことができれば、きっとルーリーノも堂々と生きて行ける場所があるから」と言われ、私だけ逃げ出しました。

 

 その後はあの村に辿り着いて……と言うわけです」

 

「だから、壁を越えたがってたんだな」

 

「そうですね。母の遺言のようなものですから」

 

 ルーリーノが遠くを見つめながらそう返すと、ニルが少し言い辛そうに口を開く。

 

「と、言うことはルリノの母親は……」

 

「実際にこの目で見たわけではありませんが、毎日帰ってくる度に新しい傷をつけ私の姿を見るまで死んだような目をしていましたから、もう生きてはいないでしょうね。

 

 何度か洞窟を抜けだして母の様子を見に行ったこともありますがその時は鞭を打たれながら働いていました」

 

 「その時が人を最も恨んでいた時かもしれませんね。今思い出しても流石に思うところがありますから」と、ルーリーノが話を締めるとニルは心中穏やかではいられなくなる。

 しかし、ルーリーノ自身が「思うところ」を面に出していなのに自分が感情をあらわにしても仕方がないと、できるだけ平生を心がけて口を開いた。

 

「そう言えばルリノってどこで魔法を教わったんだ? 今の話だと村に着いてからってことにならないか?」

 

「どういうわけか、母が知ってたんですよ。

 

 自分では使えないみたいでしたが、知識だけはあって夜短い間だけ教えてくれました。

 退屈凌ぎになんて冗談を言いながら。

 

 お陰で昼間も私はあまり退屈することはありませんでしたね。

 

 今となっては母が残してくれた物はこの魔法と名前くらいなものです」

 

 どうしてルーリーノが名前をちゃんと呼ばれないことに敏感だったのかわかって、ニルは少しばつの悪い顔をする。

 

「ルリ……いや、ルーリーノ」

 

 いつもの癖でルリノと言ってしまいそうになり慌ててルーリーノと言い直すと、ルーリーノがクスクスと笑いだす。

 

「呼びやすい方でいいですよ」

 

「いいのか?」

 

 ニルが首をかしげると、ルーリーノが少し悩んだ様子を見せた。

 

「今まで通りの返し方をすることもあるでしょうけど、それでもニルなら……」

 

 そう言ってルーリーノが照れたような笑顔を作った。それを見てニルは思わずドキリとしてしまう。

 

 そうやってニルが内心動揺している間にルーリーノの表情には疑問が浮かんでおり「そう言えば」と話し始めた。

 

「さっき私を縛っていたものや本音を言わせていたものはユウシャの力なんですよね?」

 

「そうだな」

 

 ニルはそう短く答えて、少し考えてから説明を加え始める。

 

「ユウシャの力ってのはある意味で魔法に似ててな」

 

「魔法にですか?」

 

 ルーリーノの言葉に頷いてからニルは続ける。

 

「呪文って言うのは何をどうするのかを精霊に伝えるもので一種の言語に近いだろ?」

 

「そうですね。私が魔法を使う前に言う『ミ・オードニ』って言うのは要するに『私は命じる』みたいなものですから」

 

「それと同じでユウシャの力はユウシャの居た世界の言語を言う事で発動するらしい。

 

 ただ、どういうわけか魔法とは桁違いの事まで発動できる」

 

 そこまで聞いてルーリーノは理解のために黙り込む。

 

 それから、自分の理解が正しいかニルに確認するために口を開いた。

 

「つまりさっきのはユウシャの言葉で『動くな』とか言ったわけですか?」

 

「そう言う事だな」

 

 ニルはそう答えてから、難しい顔をして続ける。

 

「実は俺はまだこの力の限界をはっきりとは分かってない。

 

 どういうことまでできるのか、知ろうとすればすぐわかるんだがな」

 

「それならどうして知ろうとしないんですか?」

 

 ルーリーノが純粋な疑問を投げかけると、ニルの顔に少しだけ恐怖が浮かんだ。

 

「正直怖いんだよ。今分かっている段階だと恐らく出来ない事はない。

 

 国の一つ滅ぼそうと思ったら十秒かからないだろうし、もちろんあの壁だって簡単に壊せる。

 

 ユウシャが人じゃなくなるって言っていた意味がようやくわかったよ」

 

 そう言ったニルにかける言葉をルーリーノはなかなか見つけることができない。

 

 それは今ニルが悩んでいるのが恐らく人を逸脱した力を手にしたものだけが体感するものだから。

 

 それからルーリーノは下手な慰めをすることは諦めニルの手を取った。

 

「その力をニルが間違ったことに使いそうになったのなら私が全力で叱ってあげますから安心してください」

 

「何だそれ? 安心していいのか?」

 

 そう言ってニルが笑うのを見てルーリーノは安心した表情を見せる。

 

 そうして空気が和んだ所でガシャンガシャンとキピウムの方角から聞こえてきた。

 

 二人がそちらを見ると、剣を杖代わりにしながら片足を引きずって歩く兵士がゆっくり歩いてきていた。

 

 ニルはその鎧に見覚えがあり、見つけるなり走って兵士に近づく。

 

「おい、何があった」

 

 ニルが尋ねると、キピウムの兵士はのろのろと顔をあげニルの姿を視界にとらえる。

 

 それから「ニル様ご無事で何よりであります」と声を絞り出すと、激しく咳をする。

 

 後からやってきたルーリーノが赤い目を隠すことなく魔法を使い兵士の傷を治す。

 

 それからニルに声をかけた。

 

「気持ちは分かりますが先に治療してあげないと何も答えられませんよ?」

 

 そう言った頃にはルーリーノの瞳は青色に戻っていて、その色の変化についてニルは少し疑問に思ったが、今は目の前の事だと思いルーリーノにお礼を言って兵士を見る。

 

 傷だらけの鎧はそのままだが、至る所にあった細かい傷はほぼ治っていて、引きずっていた足も今ではもう杖なしで立つ事は出来ている。

 

「話せるか?」

 

 今度は兵士に確認するようにそう言うと兵士は恐縮したように敬礼をすると「大丈夫であります」と緊張した声で言う。

 

「それでキピウムで何かあったのか?」

 

 兵士は未だに緊張した様子で少し上ずった声で答える。

 

「急にトリオーとデーンスが攻めてきたであります。

 

 その対応が間に合わず、すでにキピウム城下近くまで攻め込まれ防戦一方であります。

 自分はそこから逃げる途中足をやられて……」

 

 と言ったところで、兵士は自分の失言に気がつき青ざめる。

 

「戦争が始まってしまったんですか?」

 

 青ざめた兵士などお構いなし、というよりも気にしている余裕がないと言った様子でルーリーノが尋ねる。

 

 兵士はこのまま先ほどの失態がうやむやになってしまうことを祈りつつ「そうであります」と返した。

 

 すると、ルーリーノがとても焦ったようにニルに声をかける。

 

「間に合うかわかりませんが急いでエル姫の所に行きましょう」

 

「どうしてエルなんだ?」

 

 ルーリーノの動揺した様子に押されて、エルのことを心配しながらもニルはそんな事を尋ねる。

 

「すいませんが説明している暇はないです。全速力で行きたいのでいつもに増して魔法を使いますね」

 

 ニルのことを半ば無視するようなルーリーノの慌て様に少し驚いていたニルであるが、今すぐにでも走りだしそうなルーリーノの肩を叩いて落ち着かせる。

 

「移動に関しては俺が何とかするから落ち着け。とりあえずエルの所に行けばいいんだな?」

 

「はい、恐らくこの戦争の目的の半分はエル姫を捕らえる、もしくは殺害することでしょうから」

 

 そんな二人のやり取りを見ながら、この二人が今からカエルレウス姫のところへ行こうとしているのを理解した兵士が「姫は今は城には……」と言い掛けたところで、ニルが口をひらく。

 

「ここから森と草原の境を南に行けば村があるからそこで保護してもらうといい。その時俺たちにあった事は言わない方がいいぞ」

 

 急に言われ兵士がポカンと呆けている間に、一瞬にして二人の姿が兵士の視界から消えてしまった。



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キアラリウス

 キピウム城下。その近くの森――最も近いところでも歩いて行くには遠い距離にはあるが――。

 

 その昼間でも薄暗い森の中、エルは何かから隠れるようにこそこそと移動していた。

 

 姫や巫女をやっている時のような煌びやかな服ではなく、一人町を歩く時によくきている冒険者のような恰好で、その目は今は青色に光っている。

 

 長時間走っていたのか肩で息をしながら、額に汗を滲ませていた。

 

 立ち止まって追ってくる相手を確認しては、場所がばれないように色々な角度から魔法で牽制をしてその間に少し移動する。

 

「さすがに熟練と呼ばれるだけの事はありますね」

 

 エルは木に背中を預けながら下を向いてそう言うと、今一度追っての様子を確認するように木から顔をのぞかせる。

 

 もちろん相手も馬鹿正直に追ってきているわけでは無く、自分自身の姿をエル同様隠しながら、しかしどう言うわけかまるで殺気を隠そうとしないので比較的そう言った感覚に疎いエルでも何とか相手の居場所を確認できた。

 

 追っては二人。殺気を放っているのは一人だけで、もう一人は何故かその人と行動を共にしている。

 

 二人で別々にエルを捕らえにかかれば恐らくもうエルは捕まっていただろうが、どういうわけかそうしてこない。

 

 そうした攻防が続き、とうとうエルの前に大きな崖が立ちはだかった。

 

 しかも、付近には身を隠すのにちょうどよい場所も無く逃げることを諦める。

 

 ただエルにとって幸いだいだったのが追手がエルも知る熟練の冒険者であった事。

 

「ようやく大人しくなってくれたね」

 

 そう言いながら姿を見せたのは長身の女性。

 

 依頼をこなすことよりも強い相手と戦うことを優先する戦闘狂。

 

 そんな女戦士キアラだからこそ、きっと最後のチャンスがあるとエルは口を開く。

 

「貴女と一対一で戦い、わたくしが勝ったら見逃してくれませんか?」

 

 それを聞いてキアラがクックックと笑うと楽しそうにエルを見据えた。

 

「あんた話がわかるじゃないか。青目の魔導師と戦える機会なんてそうそうないからね」

 

 そこまで言うと、キアラの目が獲物を見る目へと変わる。

 

 それにエルは思わず一歩後退してしまった。地面と靴がこすれる音が辺りに響く。

 

「でも、殺さなければ後は構わないって依頼主からの通達だからね。どうなっても知らないよ」

 

「わかりました」

 

 エルは気丈にそう答える。

 

 大人しく捕まったとしてその先に待つのは恐らく公開処刑。

 

 エルが助かるにはもう戦い勝つ方法しか残っていないのだ。

 

 エルの返事を聞いて、キアラは楽しそうに笑うと未だ木の影に隠れているリウスの方を向いて叫ぶ。

 

「そう言うわけだから、いくらあんたでも邪魔したらただじゃおかないよ? リウス」

 

 それを聞いてリウスが渋々木の陰から姿を現した。

 

「そんな事されたら俺が隠れている意味無くなるじゃないか。姉さん」

 

 ため息交じりにそう言うとリウスは「それに」と続ける。

 

「久々に俺も本気出したかったんだけどね。今回は譲るよ」

 

 そう言ってリウスが木に背中を預けたのを見てキアラが戦闘態勢を取る。

 

 その手には身長ほどの長さがある両手剣が握られていた。

 

「杖は使わないんですね」

 

 キアラの戦い方を聞いたことのあったエルがキアラに問う。

 

「魔導師相手に魔法を使って勝てるとは思わない」

 

 よ、というと同時にキアラがエルとの距離を詰める。

 

 エルもエルでキアラが動き出したと同時に地面から蔦を生やしてそれでキアラを攻撃した。

 

 しかし、所詮は素人の為す所エルの単調な攻撃は簡単にキアラに読まれ瞬く間にその距離は縮まっていく。

 

 キアラの射程にエルが入り剣を振り上げた時、エルが腰から短剣を引き抜きキアラの一撃に備えた。

 

 辛うじてキアラの剣を受け止めたエルだが、その重さに耐えきれず僅かにその軌道をそらしただけで、すぐに構えなおしたキアラに胴を薙ぎ払われ崖まで飛ばされる。

 

 しかし、キアラはその事よりも自分の持っている剣がなんともない事に違和感を覚えた。

 

「なあ、王女様。ユウシャに直刀を渡したのはあんただろ? どうしてそれと同じものを持っていないんだい?」

 

 飛ばされたエルにも聞こえるように大きな声でキアラが問いかけた。

 

 エルはゴホゴホと咳をしながら、よろよろと立ち上がるとすぐに回復魔法を自分に掛ける。

 

 それから、少しでも時間稼ぎになるだろうと自分も大きな声で答えた。

 

「さすがにあんなでたらめな剣を何本も作れませんよ。

 

 今私にあるのは何とか貴女の一撃に耐えることのできる服くらいなものです」

 

「そうか……結局は青目と言っても御姫様ってことだな」

 

 エルの答えを聞いてキアラが少し退屈そうに返す。

 

 それから、冷めたような眼でエルを見つめると興味を失ったように口を開いた。

 

「逃げられるのが面倒だから足を切断する。少しでも抵抗してくれよ」

 

 そう言ってキアラが地面を蹴った。

 

 それを聞いていたエルはやはり自分ではどうしようもなかったかと思うと同時に、誰に言うでもなく「ごめんなさい」と呟いて呪文を唱え始める。

 

「ミ・オードニ・フォルミ・ドマ・モンド」

 

 エルまであと一歩という所に迫っていたキアラが、しかし、何かを察知して後方へと飛ぶ。

 

 その直後先ほどまでキアラが居た場所に大きな緑色の棘が現れた。

 

 それから辺り一面、人の腕ほどのものによっては人の腕より太い茨で覆われ、その茨にはとても鋭い棘が無数に生えている。

 

 文字通り茨の道の最奥でエルは鳥籠のような茨の籠の中でその意識を失っていた。

 

「やられたって感じだね、姉さん」

 

 いつの間にかキアラの後ろにやってきていたリウスが声をかけるとキアラは「そうだね」と諦めたように言った。

 

「姉さんの剣でこれ切れないのか?」

 

 リウスに言われてキアラが軽く剣を振ってみるが、途中棘に阻まれ弾き返される。今度は棘の生えている先、茨の本体を狙う。

 

 今度は弾き返されると言うことはないが、切ったところでさらに倍になって茨の道を復活させた。

 

「無理だね。下手したらこの辺りの森一帯がこれに包まれかねない」

 

 キアラの結論を聞いてリウスが興味があるのかないのかわからない声で「ふうん」と呟くと、遠くに見えるエルを見ながら疑問を口にする。

 

「どうして御姫様は最初からこれを使わなかったんだかね?」

 

「籠ることは出来ても逃げる事が出来ないからだろう」

 

 キアラがそう言った時点でリウスは納得したように「なるほど」と言ったが、ついでとばかりにキアラが説明を続ける。

 

「見たところ魔力の供給に集中するためか強制的に睡眠を取らされるみたいだからね。

 

 魔力が尽きてこの茨が消えた時点でアウト。

 

 例え目が覚めても全く抵抗できないだろうし、もしかすると魔力が尽きるまで自分でも解けないんじゃないかい」

 

 それを聞いてリウスがあからさまに嫌そうな顔をする。

 

「それで、魔力が尽きる見込みは?」

 

「アタシなら一瞬なんだけどね。下手すると数日はこのままだろうね」

 

 リウスが嫌を通り過ぎてうなだれる。

 

 キアラとしてもあまり好ましくはないが、この依頼の報酬を考えると達成が確定したも同然のこの状況にそれほど不快感を感じえない。

 

 むしろ何らかの方法で逃げられた方が面倒だと言うものだ。

 

「キアラ、これはいったいどういう状況なんでしょうか?」

 

 突然聞こえてきた声にキアラとリウスは視線を茨から背後へと移す。

 

 そこにはいつの間にかルーリーノとニルが居て、二人ともあまり友好的ではない目でキアラ達を見ていた。

 

 キアラは何故今この二人がいるのだろうかと考えるよりも、この二人が何のためにここに来たのかと考え思わず凶悪な笑みを浮かべた。

 

「見ての通り……じゃ分からないだろうけど、キピウムの御姫様を追い詰めて最後の最後で粘られてるってところだね」

 

「何でキアラがエルを……」

 

 最も状況の分かっていないニルが思わずそこまで言ったところでルーリーノが口を開く。

 

「恐らくデーンスかトリオーの国王からの依頼でしょう。

 

 報酬はその国の最強と謳われる人物との一騎打ちと言ったところでしょうか?」

 

「さすがはルーリーノだね」

 

 相変わらず楽しそうにキアラが答える。

 

「いつかこんな日が来るかもしれないとは思っていましたが、こんなに早く来るなんて思っていませんでした」

 

 ルーリーノが少しだけ寂しそうにそう言ったが、ニルは状況が分からないと言った様子で「どういうことなんだ?」と問いかける。

 

 今からの展開を予期してルーリーノはそれをニルに教えることが躊躇われたが、そうも言っていられない展開なので苦虫をかみつぶす思いで口を開いた。

 

「キアラ達はエル姫を捕らえようとしていて、私達は助けようとしています。

 

 冒険者の対立でどちらも引けない時どうなるかはわかるでしょう?」

 

「そう言うわけだ。あの子を諦めてほしかったらアタシを殺してでも止めるしかないね」

 

 そこで漸くニルは今の状況を理解する。

 

「エルもそんな状態なわけだから諦めてはくれないのか?」

 

 しかし、ニルは状況が分かった上でもそう言ってしまう。もちろんキアラは即座に「無理だね」と返す。

 

「どうする、二人掛かりでも一人ずつでも構わないよ?」

 

 キアラが目をギラギラと輝かせて言うと、横からリウスが割り込むように声を出す。

 

「さすがにそれは聞き捨てならないね。さっきも楽しんでたろ? 俺にも楽しませてくれよ」

 

「仕方ないな」

 

 そんなキアラとリウスの会話を聞きながら、ルーリーノはニルに尋ねた。

 

「私が二人とも相手をしましょうか?」

 

「いや、キアラは俺が……」

 

 何かを決意したかのようなニルの顔がとても寂しげで、ルーリーノは「大丈夫ですか?」と声をかける。

 

 ニルは「ああ」と短く返すと「できるだけ早く終わらせて来る」と言ってキアラに直刀を向けた。

 

 

 

「アタシの相手はあんたかい。あれから大分強くなったんだろうね?」

 

 「今のアタシはあの時とは違うよ?」とキアラは両手剣であるはずのものを片手で構えると、空いた手で杖を持つ。

 

「今のアタシなら何十分でも魔法を使い続けていられそうだ」

 

 そう言って、ニルを視界を中央に捉える。

 

 ニルにはキアラの言葉がはったりではないと何となくわかった。

 

 明らかに以前対峙した時と雰囲気が違い、その存在感は前の数倍とも感じられる。

 

 しかし、ニルはとても落ち着いた様子でキアラの出方を窺っていた。

 

 

 

 

 

「あちらの邪魔をしないように少し離れた場所に行きましょうか?」

 

「何かの拍子にでも今姉さんの楽しみを邪魔したら俺も殺されそうだしね」

 

 ルーリーノの提案にリウスが乗っかり二人は場所を移動する。

 

 そうしている間にキアラがニルに何かを言っているようだったが、敢えて二人はそれを聞かず向こうの様子が見える範囲で移動した。

 

「俺がルー嬢と戦う事になるなんてね」

 

 そう言いつつもリウスの表情は楽しそうで、でもキアラのように露骨にそれを出してはいない。

 

「それはこちらの台詞です」

 

 ルーリーノはそう返して、青く光る瞳を赤色へと変化させる。

 

 その変化を見たリウスが驚いた声をあげた。

 

「ルー嬢……まさか亜人だったのか?」

 

「半分……ですけど、リウスさんは怒ったりしないんですね?」

 

 当然自分のこの瞳に嫌悪したり、騙されていたのかと怒りをあらわにすると思っていたルーリーノはリウスの反応が少し拍子抜けで思わずそう尋ねる。

 

「ルー嬢はルー嬢だしな。それに、今大事なのはルー嬢が亜人かということじゃなくて、亜人であるルー嬢が強いか、その一点だからな」

 

「前から思っていましたが、本当に欲望に忠実なんですね。そんな人たちだから私も信頼していたんですが、こんな風になってしまったのは残念です」

 

 始め呆れたように言っていたルーリーノが肩を落として言い終わる。

 

 それを聞いてリウスが答えるために口を開いた。

 

「俺らもルー嬢は好きだったさ。だから、最後に俺達の信頼を裏切らないでくれよ?」

 

 そう言ってリウスは両手にナイフを持ち、それを構えた。

 

「リウスさん、ずっと言おうと思っていたんですが、私の名前はルー嬢ではなくルーリーノです」

 

 ルーリーノはそう言うとこれ以上話すことはないとばかりに、わかりやすく火の矢をリウスに向かって放った。

 

 

 

 

「へえ、ルーリーノ、亜人だったんだねえ」

 

 研ぎ澄まされた感覚の中、隣の会話が耳に入ったキアラがそう口にする。

 

 ニルはその言葉を聞いた瞬間、キアラが最東端の村人のようにルーリーノを罵倒するのではないかと顔をしかめた。

 

 しかし、キアラがそれ以上何も言うようなそぶりを見せないので思わず口を開く。

 

「ルーリーノが亜人でも気にしないんだな」

 

「何を気にする必要があるのさ。ルーリーノは強い、それだけでアタシ等には十分だし、ルーリーノが亜人だから強いって言うんならアタシは亜人の事を好きになるね」

 

 キアラがさも当然のように返すと、ニルは複雑な表情でキアラを見る。

 

 それから我慢できなくなったキアラが「じゃあ、始めようか」というと同時にニルに向かって走り出した。



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戦争

 キアラはこちらが動いたのにまるで動きを見せないニルに僅かに疑問を抱いた。

 

 しかし、あまり意識せずにニルまであと一歩というところまで迫ったところで、目の前からニルが消えてしまい気配を探る。

 

 それから、次にキアラがニルの気配を見つけた時、キアラの胸には直刀が深々と刺さっていた。

 

「まさか……ここまで、とはね」

 

 直刀を引き抜かれたキアラが重力に負けうつ伏せに倒れる。

 

「でも、まあ、楽しかったよ」

 

 最期にそう言うと、キアラは楽しそうな顔で死んでいった。

 

 

 

 最初の矢をバックステップで軽く避けたリウスが、手に持っていたナイフをルーリーノに投げつける。

 

 空を切る音を立てながらルーリーノに迫るナイフは途中何かに阻まれ弾き落とされてしまった。

 

「遠距離攻撃は無理……ね」

 

 リウスがそう呟いて何処からかナイフを取り出すと、今度はルーリーノの方へと一気に駆け寄る。

 

 リウスとキアラが戦った場合十中八九キアラが勝つのだが、それでもリウスが唯一キアラに勝てる所がある。

 

 それが速さであり、速さだけならばキアラを少し上回る。

 

 リウスが異変に気がついたのは急に風を切る音が聞こえてきたから。

 

 その音が近くにあると感じた瞬間にその音のする方へとナイフを振った。

 

 確かな手ごたえがあり、それがルーリーノがよく使う風の矢であった事がわかる。

 

 次の瞬間、リウスは弾幕のように飛んで来る矢に気がつき一度足を止めた。

 

 これがキアラならばその大剣を一振りすれば自分が通る道の一つくらい作れそうなものだが、いかんせんリウスにはそのような馬鹿げた力は持ち合わせていない。

 

 リウスは少しだけ考えると、とても楽しそうな顔をして自ら矢の中に飛び込んだ。

 

 雨のように無数の矢がリウスに襲いかかるが、リウスは速さを緩めることなくジグザグに走りながらその矢を避ける。

 

 どうしても避ける事が出来ないものは「あぶね」と言いながらもナイフで叩き落としルーリーノの所まであと数歩となったところで、リウスに不安がよぎった。

 

 投げたナイフを落としたであろう何か、それを自分の力で破ることができるのか。

 

 しかし、その不安はすぐに楽しさに替わる。

 

 もしも駄目だったならばすぐに距離を置き、ルーリーノと戦える時間が延びるのだ。

 

 何の不安も無くなったリウスがルーリーノに向かってナイフを突き出す。

 

 その刃がルーリーノに当たる直前何かに遮られたような感覚があったが、すぐにそれがなくなりナイフが空を切る。

 

 見るとルーリーノが後ろに飛び退いていた。

 

 それを見た瞬間リウスがにやりと笑う。

 

 ルーリーノが避けたと言う事は先ほどのような直接攻撃は有効だと言うこと。

 

 リウスは飛び退いたルーリーノに呪文を唱える暇を与えないようにするために先ほどよりももう少しだけ速くルーリーノとの距離を縮める。

 

 それから、もうルーリーノには避けられないだろうと言ったタイミングで首を狙って切りつけると、今度は完全にその勢いを殺されてしまった。

 

 そこで生まれた一瞬の隙。

 

 その隙をつかれたのか、リウスは腹部に激痛を感じそれと同時に身体から力が抜けルーリーノに倒れ掛かった。

 

 リウスは何とか視線を移し痛みのある個所を見る。

 

「まさか、最期が自分のナイフだなんてな……」

 

 そこに刺さっていたのは、初めルーリーノに向かって投げたナイフで、リウスはそんな言葉を漏らす。

 

「最後に少しだけリウスさんと話がしたかったですから。

 

 私の魔法で、となると今頃リウスさんは消し炭か挽肉ってところですよ?」

 

「それはどっちも……嫌だな」

 

 リウスが薄く笑顔を見せながらそう言って、咳をする。

 

 その時にルーリーノの服や地面、自分の口元を血で染めていた。

 

「ルー嬢いいのか? この状態だと、同士討ちくらいなら……できるぞ?」

 

「無理ですよ。今少しでも動いたらその箇所が挽肉になりかねませんから」

 

 そう言われて、リウスが何とか手を動かしてみると、確かに傷だらけになり何となく可笑しくなってしまう。

 

「完敗だよ……まさかルー嬢に負けるなんてな……でも、よかった……かな」

 

 そう言い終わったところでリウスから完全に力が抜け、ルーリーノにかかる力が急に増した。

 

 ルーリーノはそのリウスの身体を何とか支えると、もう答えることのないリウスに「私の名前はルーリーノです」といった。

 

 

 

 

 

「これくらい掘ればいいのか?」

 

 ニルの足元には人が一人くらい寝転がれそうな穴があいている。

 

 それから、その隣には開けた時に掘り起こされた土が山になっていて、ニルはその状態でルーリーノに尋ねた。

 

 ルーリーノは一度穴を確認すると「大丈夫だと思いますけど……」と少し呆れた顔でニルに言う。

 

「これ、掘ったわけじゃないですよね?」

 

「まあ、そうだな」

 

 ニルの軽口に、ため息のつく思いになりながらルーリーノはキアラの亡骸を何とか支え穴の方へと持っていく。

 

 本来ならば比較的力の弱いルーリーノの役目ではないのだが、どうしても自分でやりたいと言ったルーリーノにニルが譲った形となる。

 

「そう言えばルリノの目の色による違いって何だ?」

 

 僅かでも目の前の現実を忘れられるようにと、ニルはまったく関係のない話題を出す。

 ルーリーノは「言ってませんでしたっけ?」と首をかしげてそれから説明を始めた。

 

「普段は魔法で目を青くしているのですが、この魔法が難しくて多くの魔力を残しておかないと使えないんですよ。

 

 同時に私の亜人としての特徴……私の場合は呪文の詠唱が要らないことですね。それが使えないんです」

 

 ルーリーノがさらっと言ったので、ニルは納得しかけたが、簡単に納得してはいけない点を一つ見つけたので口を開く。

 

「と、言うことはかなりの力を抑えた状態で青目の魔導師と同等の力があるってことか?」

 

「そう言うことになりますね」

 

 そんな事など今まで考えたことなかったと言わんばかりにルーリーノが言うので、ニルが呆れたように声を洩らす。

 

「何か反則っぽいよな」

 

「それをニルが言わないでください」

 

 ルーリーノがニルの言葉にやはり呆れた声を出す。

 

 そうしている間に作業が終わりキアラとリウスのささやかな墓が出来上がった。

 

「本当に戦いしか頭にない人達でした」

 

「そうだな」

 

 ルーリーノが少しさびしげに言ったのにニルが相槌をうつ。

 

 ニルが開けた穴に二人を埋め、場所が分かるようにと近くにあった木を削り作ったプレートを刺してあるだけの墓。

 

 黙ってその墓を見ているルーリーノを見ていると、どこかに消えてしまいそうなくらいはかなくてニルは思わず「大丈夫か?」と尋ねる。

 

 言ったあとで、今まで少なからず面倒を見てくれた人を自分の手に掛けたのだから大丈夫なわけないかと、ニルが軽率な発言を反省していると、ルーリーノから思いがけない言葉が返ってきた。

 

「ニルの方こそ大丈夫ですか?」

 

「俺が……か?」

 

 ルーリーノの言葉にどうしても違和感を覚えニルが言うと、ルーリーノは「はい」と言ってから続ける。

 

「先ほどからどこか思いつめた顔をしてますよ?」

 

 心配そうな表情のルーリーノの言葉を受けて、ニルは自分の顔を触ってみる。

 

 もちろんそれで自分が思いつめているのかなんてわからないが、なんとなくそれっぽい顔をしていたのではないかという気になった。

 

 それから、ニルは首を振ってルーリーノの言葉に返す。

 

「人って何だろうって思ってな。

 

 キアラはルーリーノが亜人だろうが関係ないって言っていた。

 

 でも、戦いは止めてくれそうになかったし……」

 

「色々な人がいるんですよ。半亜人である冒険者を連れて歩く物好きだっているんですから」

 

 ルーリーノはそれだけ言うと、ニルの反応を待たず「さて、」と明るい声を出す。

 

「次はこれをどうにかしないといけませんね」

 

 そう言ってルーリーノが見たのは茨の道。

 

 太い茨に、ほぼ凶器でしかない棘。その奥に見える籠。

 

 ルーリーノがこれを除去しようとすれば恐らく加減一つ間違えただけで籠の中にいるであろうエルも巻き添えなのは必至。

 

 しかし、このままエルの魔力が尽きるのを待てば何日かかるかわからない。そんな風にルーリーノが一人思案していると「なあ」とニルの声が聞こえたのでルーリーノは耳を傾ける。

 

「この茨って魔法なんだろ? これ使えないのか?」

 

 ニルがそう言って直刀を指すと、ルーリーノもその手があったかと感心する。

 

「大丈夫だと思いますよ」

 

 ルーリーノの返答を聞いてニルは茨に向かって刀を振るう。

 

 太い茨は勿論、それに付随する棘が刀に触れるだけで消えていく。

 

 それでも一度や二度切ったくらいではまるで元に戻らない所を見るとエルの魔力の多さがうかがえる。

 

 とはいえ、それほど時間がかからず二人は籠の前に辿り着いた。

 

 その中には寝ていると言うよりも倒れていると言った方が正しいような恰好でエルが寝息を立てていてニルはその籠も躊躇わずに切りつける。

 

 核となっている籠――正確にはエルなのだが――がなくなった事で、まだ微妙に残っていた茨がすべて姿を消し、元の静かな森に戻った。

 

 

 

 

 

「う……ん」

 

 と、少し苦しそうに声を出してエルが目を覚ます。

 

 無理やり起こされたかのように頭が働かず今自分がどうなっているのかすらわからない。

 

 頭は何か温かく柔らかいものの上に乗っていて、身体は冷たくやや硬い所に横たわっている。

 

「目が覚めましたか?」

 

 左側、ちゃんと立ち上がった状態ならば上の方からそんな声が聞こえてきてエルのぼんやりとした意識が少しずつ覚醒していく。

 

「ルーリーノ……さん?」

 

 ようやく声の人物がルーリーノだと気がついたところで、エルは慌てたように起き上がる。

 

「ごめんなさい、こんなことを……」

 

 未だ状況の掴めないエルが目の前の現実に謝罪していると、ルーリーノはふんわりと笑って「気にしないでください」という。

 

 そんなやり取りをしているうちに、自分が眠りに落ちる前の状況を思い出しエルは視線をあちらこちらに向けた。

 

「大丈夫ですよ。キアラもリウスさんももういませんから」

 

 ルーリーノの言葉を聞いてエルは動きを止めると、今の状況をはっきりと理解した。

 

 キアラとリウスに追われていた自分を目の前のルーリーノと恐らくニルが助けてくれた。

 

 それに「もういません」ということは、助け出される際に対立した二つの冒険者のパーティその先は考えるまでもない。

 

 そして、エルはルーリーノの過去を知っている。

 

「あの、わたくし……何と言ったらいいのか……」

 

「偶々私達とキアラ達が対立してしまっただけですから。

 

 それに、エル様が捕まったとなればニルは悲しむでしょう。

 

 私はもうできるだけニルを悲しませたくないんですよ」

 

 そう言ったルーリーノがその言葉をどれくらい本気で言っているのかはわからないが、そう言われてしまった以上、本当に何も言えなくなってしまったニルが話題を変えるために口を開いた。

 

「そう言えば、お兄様はどこにいるんでしょう?」

 

 エルの言葉にルーリーノが困ったような、少し怯えているような顔を見せた。

 

「エル様に知っておいて貰いたいことがあるんですが、エル様の反応次第ではニルを悲しませかねないので私が頼んで席を外してもらっているんですよ」

 

「それはどのようなことなのでしょう?」

 

 エルは毅然とした態度でそう尋ねる。

 

 その言い方はまるでどのような事があっても動じない自信があると言いたげで、ルーリーノは少しだけ安心して目を閉じる。

 

 それから目に掛けてある魔法を解いて開いた。

 

 ルーリーノの赤く光る目を見てエルは思わず口を手で押さえてしまう。

 

 ルーリーノが何も言わなくてもそこに答えが用意されているものなのに、ルーリーノはさらなる情報をエルに与えた。

 

「見ての通り私は亜人なんです。それも、人と亜人の子、半亜人です」

 

 エルの反応に傷心はしたものの、ルーリーノはそれを表に出さずに言いきる。

 

 ルーリーノが亜人であること、それ自体エルが予想していなかったわけではない。

 

 かつてルーリーノを調べた時に最東端の村以前の情報を見つけることができなかった時点でルーリーノに何かあるのは分かっていたし、亜人であると言うのならそれを隠すために過去の情報が残らないようにすると言うのは筋が通っている。

 

 では、何故自分がこんなに戸惑っているのか、エルにはそれが分からなかったがルーリーノが少し怯えているような表情をしていたことを思い出し気がついた。

 

「……ごめんなさい」

 

 いつもの巫女然、王女然としたエルにしては珍しく、意地を張っていた子供がとうとう自分の非を認めた時に呟くような、そんな謝罪。

 

 それに驚いたのはルーリーノの方で「どうして謝るんですか?」と声を出してしまう。

 

「わたくしは、巫女でありキピウムの王女なのです。

 

 それは人のための存在であり、亜人から見ればおそらく今すぐにでも殺してしまいたいような存在でしょう。

 

 ですから、わたくしは貴女が亜人だと分かった瞬間恐れてしまったのです。

 

 今までキピウム王家が、巫女が貴方達にしてきたことは謝って済むことではない。

 

 ですが、わたくしは謝る以外の事が思いつかないのです」

 

 それを聞いてルーリーノは安心した。少なくとも、目の前にいる『人』が『半亜人』である自分を拒絶しようとしていたのではなかったと分かったから。

 

「あくまで私個人は……ですが、もう人を恨んではいないんですよ。

 

 ですから、ニルと私が帰ってくるのを待っていてください。

 

 それから、ニルが望んでいる世界をつくるのの手伝いをしてください」

 

 ルーリーノはエルにそう言うと、エルに笑いかけた。

 

 

 

 

「もう話は終わったか?」

 

 しばらくしてニルがそう言って何処からかやってきた。

 

 ルーリーノはすぐに「はい、終わりました」と答え、エルは整理のつかない気持ちを抑え込んで「お久しぶりです。お兄様」と笑顔を作る。

 

「ああ、なんともなさそうで良かった」

 

 ニルがエルの顔を見て安心してそう言うと「早速で悪いが」と続けて話す。

 

「今キピウムはどうなっているんだ? そもそも何で戦争が起こったんだ?」

 

「戦争が始まったのは神がそう扇動したからです」

 

 エルの返答にニルが首をかしげているとエルは「順番に話して行きましょう」と説明を始めた。

 

「詳しい時期まではわかりませんが、メリーディでわたくしたちがお会いしていた前後か、もう少し前、キピウムを除く三カ国で神の声が聞こえる巫女が一人ずつ現れました。

 

 そして神が言ったのだそうです。『キピウムを落とした国の巫女を今後新の巫女とする』と」

 

「新しい巫女が……と言うのは少し予想外でしたね」

 

 エルの話をニルと一緒に訊いていたルーリーノがそう言うと、ニルが驚いたように「知ってたのか?」と尋ねる。

 

「少なくともエル様から神の声が聞こえなくなったと言う話を聞いた時からいつか争いがあるんじゃないかなとは思ってました」

 

 ルーリーノの答えに、どうしてそれを早く言わなかったのかとニルは思わなくもなかったが、ルーリーノの事情を思い出しそれを飲み込む。代わりに疑問に思ったところを口にした。

 

「どうして神はキピウムを落とそうなんて考えているんだ?」

 

「以前も言ったと思いますが、神はあまりユウシャが好ましくなさそうでしたから……」

 

 そうはいっても、何故好ましくないのかとなると分からないので、エルは戸惑い気味にそう答える。

 

 その間に考えを進めていたルーリーノが口を開いた。

 

「今までの遺跡で分かった事から考えてみると、神、世界は今のイレギュラーな状態ではなく世界を本来の形に戻したいと思っているんですよね?」

 

 それに対してニルが頷いたのを見てルーリーノは続ける。

 

「では、この世界にあるイレギュラーってなんでしょう?」

 

「……あの壁とユウシャの血ってことか」

 

 ニルが自分の考えていた答えに辿り着いたところで、ルーリーノが頷く。

 

 エルは二人の会話が何なのかわからなかったが、邪魔にならないように口を閉じていた。

 

「じゃあどうして、キピウム王家に巫女なんて……」

 

 ニルが呟いたのを見て、今までの話の流れからエルが口を開く。

 

「ユウシャの力を受け継ぐもの、つまりお兄様が生まれてくるのを監視するため……でしょうか」

 

「そうでしょうね。むしろ、ニルが生まれるまでキピウム王家に潰れてもらったら困ったのではないでしょうか?」

 

 エルの発言を受け、ルーリーノが言葉を付け加える。

 

 それでも、ニルには新たな疑問が生まれるので問いを続けた。

 

「ユウシャの力を受け継いだ者が生まれた方が神としては困るんじゃないか?」

 

「きっと、神にはあのユウシャが作った壁を壊す手段がないんでしょう」

 

 ルーリーノにそう言われて漸くニルの中で納得がいった。

 

 

 

「それで、今戦争はどんな状態なんだ?」

 

 実際に戦争が行われているところを見たことがないニルは現実感がないままでエルにそう問いかけた。

 

 しかし、エルは意図して避けていたことを問われて困ってしまう。

 

「お、お兄様がお知りになる必要はないですよ」

 

 だからこう言ってごまかしてみようとすると、エルの予想とは違いニルの返事は「そうか」と短く言っただけだった。

 

 それで、エルは安心したが、どういうわけかニルが近づいてくるのでどうしたのだろうと首をひねる。

 

「悪いな」

 

 ニルはそうエルに聞こえるように言うと、エルの頭の上に手を乗せると何かを呟いた。

 

 瞬間ニルの中にエルが見た戦争の様子が入ってくる。

 

 

 家が焼かれ、道で人が何人も亡くなっていた。

 

 中には小さな子供や女の人まで混ざっていて、町に入り込んだ兵士は誰かれ構わず殺して行く。

 

 町を出て街道のある草原に出ると、多くの兵士が死に絶えあちらこちらに打ち捨てられていて、残った者はキピウムの町に逃げ込み門を閉じて耐え忍んでいるが、数日のうちに門が突破されキピウムの町でさえ血の海に沈むのが目に見えていた。

 

 

 気分が悪くなったニルが急に口を押さえ座り込んでしまったのでエルが慌てたように「大丈夫ですか」と声をかける。

 

 それに対してルーリーノは至って落ち着いた様子で口を開いた。

 

「エル様の記憶を見たんですね、ニル?」

 

「なあ、エル。本当に戦争は神が言ったから始まっただけなのか?」

 

 ニルはどちらの言葉に答えることもなくエルに向かってそう言った。

 

 言われたエルはとても困った顔をしてニルから目をそらす。

 

 本当のことを言いたくはないけれど、ルーリーノの言葉を信じるのであればここで嘘を言っても変わらない。

 

 それならば、自分の口から言った方がいいかもしれないと、そう結論付けてエルが答える。

 

「きっかけが神なのは間違いないでしょう。ですが、そうだとしても攻め込んでくるのが速すぎます。

 

 と、なると以前からキピウムを落とす準備はしておいた所に今回の件があったのでしょう」

 

 沈んだ声で言ったエルの言葉にニルは「わかった、ありがとう」ととても冷めた声で返す。

 

 そのようなニルの声を聞いた事の無かったエルは思わず恐怖を感じてしまった。

 

「なあ、ルーリーノ。どうやったら戦争が止まると思うか?」

 

 冷めた声のままでニルが尋ねると、ルーリーノが少し考えてから答える。

 

「私は戦争を経験した事がないのではっきりとは分かりませんが、戦争をしている場合でなくなれば嫌でも止まるでしょう」

 

 ルーリーノの言葉に納得して、ニルは考える。

 

 それから、何かを思いついたように顔を上げると、もう一度ルーリーノに問うた。

 

「もともとあるべきだった世界に、いくらか近づけるだけだったら、やってみてもいいよな?」

 

 ニルはそれだけしか言わなかったが、なんとなくルーリーノはニルがやりたいことが分かった。

 

 それが正しいのかどうか、ニルのストッパーになると約束をしたルーリーノにはわからなかったが、結局ニルを止めることはしなかった。

 

 

 

 

 それから、三人がやってきたのはトリオーのユウシャの遺跡付近。

 

 今のニルにしてみれば一瞬で飛んでこられる距離なので時間は先ほどとほとんど変わらないが、ユウシャの力を始めて体感したエルは状況が理解できずに目を白黒させていた。

 

 相変わらず植物がほとんど生えておらず、鳥型の亜獣が空を飛んでいる。

 

 そんな場所でニルはすぐに目的の存在を発見することができた。

 

 裸足に赤いワンピース。赤い髪に赤い目をした女性。

 

 その女性アカスズメはニル達に背を向ける形で多くの亜鳥に囲まれるようにしていた。

 足音でニルが来た事に気が付いていたアカスズメはニルが声をかけるより前に、後ろを向いたままニルに話しかける。

 

「ようやく僕を殺しに来てくれたのかい?」

 

「あんたがいなくなれば此処の亜獣が放たれるんだろう?」

 

「やはり、思った通りだったみたいだね。

 

 その通り、僕がいなくなればこの子たちは好き放題に飛び回るだろう。

 

 この子たちの力を考えると戦争で兵を送りこんでいる国では対処は難しいかもしれないね」

 

 一つの質問で、アカスズメはニルの知りたかった事をほとんど話す。

 

 聞きたいことのなくなったニルは直刀を引き抜きアカスズメに向かって構えた。

 

 その時にエルとルーリーノに下がっておくように言う。

 

 そこでようやくニルの方を向いたアカスズメが薄く笑いながら口を開く。

 

「そんな事しなくても、僕はもう君には勝てないよ。

 

 だから最後、僕の炎ごと僕を燃やしつくしてくれないかい?」

 

 そう言ってアカスズメは鳥の姿へと形を変える。ニルは「わかった」と短く返すと、まっすぐに火の鳥を見つめ「モエツキロ」と言った。

 

 

 

 

 真っ赤な炎に包まれたアカスズメが燃え尽き、亜鳥たちが一斉にどこかへ飛び立ったのを見送ってから、ニルはルーリーノとエルの所へ戻った。

 

 それから、何か聞きたそうに「お兄様」と言いかけたエルの言葉を遮ってニルが声を出す。

 

「この山沿いに海の方まで歩いていけば小屋のようなところがある。

 

 戻ってきたらすべて話すから、今はそこに行って俺たちが戻ってくるのを待っていてくれないか?」

 

「わかりました……」

 

 エルは口にし掛かっていたことすべてをしまい込むと、ニルを困らせないようにそう返す。それから「ですが」と続けた。

 

「絶対に戻ってきてくださいね? わたくしにはここがどこなのかすらわからないのですから」

 

 冗談を言うようなエルの言葉に、ニルは感謝して、ルーリーノとともに西と東を隔てる壁へと向かった。



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壁の向こう側

 約千年前、東と西、人と亜人を隔てた壁。それが今まさにニルとルーリーノの目の前に聳え立っている。

 

 右を見ても左を見ても、ましてや上を見てもその終わりの見えない壁は、見たところ普通の壁のように思えた。何の変哲もないただの石の壁。

 

 何か模様が刻まれていることもなければ、大した凹凸もないそれは、見たところほとんど傷がない。

 

「これが『壁』なんですね」

 

 感慨深そうにルーリーノがそう言うと、ニルは表情一つ変えることなく「そうだな」と言った。

 

 そんなニルの様子にルーリーノは内心心配していたが、それを表に出せるはずもなく自分よりも一歩前に立っているニルの背中をじっと見つめている。

 

 そこから数歩ニルは歩き、壁に触れることのできる距離まで近づいた。

 

 それからすっと右手をのばしてニルは壁に触れる。

 

 ざらざらとした石の感触をその手に感じながら「やるぞ」とニルはルーリーノに声をかけ、首だけ動かしてルーリーノを見た。

 

 ルーリーノは両手を胸の前に組み、心配そうな表情をしていたがニルにそう言われると、コクンと首を縦に振る。

 

 それを確認したニルは視線を元に戻してゆっくりと口を開いた。

 

「『カベヨキエロ』」

 

 ユウシャの力によって、ニルが口にした言葉が現実のものとなる。

 

 約千年という途方もない年月、世界を隔てていたこの壁も一瞬にして無かったものとなってしまった。

 

 しかし、初めてニルがユウシャの力を使った時と違いその記憶は誰からも失われず、しばらくすれば壁がなくなったと大陸中で大騒ぎになるだろう。

 

 壁がなくなった事を目にした直後ルーリーノはニルの隣まで歩くと、その顔を見ながら声をかける。

 

「やりましたね」

 

 本来ならばこんな短い言葉で済むはずはないのだが、今のルーリーノは似たような言葉しか出てこない。

 

 この壁を越えるために、まだ子供と呼べる年齢ではあるが、人生をかけてきたのだ。

 

 漸く壁を越える手掛かりを見つけ、そこからも色々な事があってやっと母親が残した言葉を果たすことができる。

 

 だからこそ、その感慨の深さに反比例するように言葉がでなくなるのだろう。

 

 およそ千年隔てられていた壁の向こう側は、西側と同じく森があった。

 

 壁がなくなってしまった今となっては元々一つの森であったかのようであるが、ルーリーノにはその何でもない森にすら何かあるのではないかと勘ぐってしまうほどであった。

 

 ニルの隣でその様子を見ていてルーリーノが一つ違和感を覚える。

 

 その違和感が何であるのかルーリーノにはわからなかったが、ともかくニルに伝えなければと思いニルの方を向くと、丁度ニルの身体がふらつきそのまま前に倒れ始めていた。

 

「ニル!?」

 

 ルーリーノが驚いたようにニルの身体を支える。

 

 何とかそのまま倒れる事だけは防げたが、肩から頬にかけて当たるニルの顔がとても熱く、意識もない。

 

 ルーリーノは細い体で苦心しながらゆっくりとニルを横たえると、状態を確認した。

 

 意識はないがちゃんと呼吸はしている。

 

 それから目立った外傷なども特にはない。試しに回復魔法をかけてみてもよくなる気配はない。

 

 そうなると考えられることはユウシャの力を使ったからか、もしくは心的傷害によるものなのか。

 

 ルーリーノには何となく後者のような気がしてならなかった。

 

 ニルと旅を始めてだいぶ経つとは言え、ニルは本来冒険者になって一年もたっていない若僧と呼ばれても仕方がない人物。

 

 それなのにこの短期間で奴隷を知り、亜人を知り、挙句の果てには人には強すぎる力を得て、戦争も始まってしまった。

 

 それが壁を消して、半分目的を達したニルに圧し掛かってきたのではないか。

 

「そんな事を考えている場合ではないかも知れませんね……」

 

 いくつもの気配が近づいてきているのを感じてルーリーノがそう呟く。

 

 ニルのユウシャの力を使って一瞬で飛んできたので実感はないが、本来ここは亜獣が住み着いている森。

 

 気配が近づいてくるのが東側からだと言う事が気になるところだが、大陸の東側であっても今までルーリーノ達がいた西側と同じような状況でもおかしくはない。

 

 ルーリーノがニルを庇うように、でもニルの容体が急変した時にすぐにでも対処出るように近づいてくる気配とニルの間、ニルにすぐにでも触れられる位置で膝をついて座り警戒する。

 

 姿を見せたのは人と似たような形をした、二足歩行の生物。

 

 人違うところがあるとすれば、一様に何かしらの動物をかたどった耳と尻尾があり、程度はそれぞれ違うが動物のそれと同じような毛が生えていること。

 

「近づかないでください」

 

 ルーリーノが威嚇するようにそう言ったが四、五人で現れた獣人たちは互いに顔を見合せて首をかしげると、恐る恐ると言った様子でルーリーノに近づく。

 

 その時に獣人たちは何かをルーリーノに言いながらやってきたが、何を言っているのか全く分からずそこで漸く言葉の違いがあることに気がついた。

 

 そうなると、自分の意思は行動で示さないといけなくなるわけだが、近づいてほしくないからと言って魔法で牽制していいものかとルーリーノは考える。

 

 きちんと意図が伝わればいいが、間違って伝われば間違いなくこちらが攻撃したものだとされ、戦いが始まってしまうかもしれない。

 

 そもそも、目の前の獣人たちが初めからルーリーノ達に害を為そうと思っている可能性だって十分ある。

 

 しかし、ルーリーノは獣人たちの言葉を何度も聞いているうちに、獣人たちが自分の知っている言葉を話していることに気がついた。

 

「近づか、無いで、ください」

 

 たどたどしくルーリーノがそう言うと、獣人たちが驚いたような顔をして立ち止まる。

 ルーリーノが話したのはいつも呪文で使っていた言葉。

 

 しかし、それを日常的な言語として使っていたわけではないのでどうしてもたどたどしくなってしまう。

 

「あんた、言葉が分かるのか?」

 

 獣人の一人がやや低い声でそう尋ねる。

 

 獣人はよく見ると男性三人、女性二人のパーティのようで人のように表情を変え、また人であらざる事を示すかのように尻尾や頭の上の耳が動く。

 

「少し、だけなら……」

 

 慣れない言葉にどうしてもゆっくりになってしまうルーリーノとは対照的に、獣人のパーティは話が通じる相手だと分かるや否や、五人がそれぞれに何か質問を投げかける。

 

 しかし、興奮のあまり早口で話しているのか、ルーリーノには全くと言っていいほど何を言っているのかわからない。

 

 それでも、ルーリーノが近づくなと言った位置から動かない辺りは多少信用に値するのかもしれないが、聞きとれなければ返すことも無理なのでゆっくり話すように頼もうとルーリーノが口を開こうとしたとき

 

「ほら、その子が困ってるでしょ?」

 

 と、落ち着いた女性の声が聞こえてきた。

 

 その声が聞こえてきたと同時に、獣人たちがピタリと話すのをやめ、改まったように背筋を伸ばす。

 

 ルーリーノが声のした方を向くと、そこにいたのはいつものルーリーノのようにフードで顔を覆ってしまっている人物がいて、線の丸さや声からでないとその人物が女性であると判断することは難しい。

 

「ユ、ユメ様どうしてこのような所に?」

 

 獣人のリーダーであろう男性が緊張した面持ちでやってきた女性にそう尋ねる。

 

 ルーリーノはその女性の名前の響きがとても不思議な感じがしていたが、そんな事を考えている場合ではないとその女性の一挙手一投足にも気を配る。

 

「その子達は私の客人だから」

 

 ユメと呼ばれた女性はそう言って、ルーリーノの方へと歩き出すと、西で使われていた言葉で「貴方達、私を殺しに来てくれたんでしょ?」と言った。



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大陸の東

 ルーリーノはユメの言葉を聞いて、その人物が何者であるのかと考えはじめた。

 

 亜人に敬われ、西側から来たルーリーノ達が殺しに来るような人物。

 

 ルーリーノはそのような存在を一人しか知らない。

 

 マオウ。そうであるなら、亜人たちは彼女に敬意を払い、ルーリーノ達――この場合だとニルなのだろうが――が彼女を討伐しにきたと彼女が考えていても何ら不思議はない。

 

 しかし、とルーリーノはユメを見る。

 

 亜人をまとめるマオウにしては隙が多すぎる。亜人の王と言っても、亜人の上に君臨するのにもう力は必要ないのだろうか?

 

 そんな風にルーリーノが考えていると、ユメがいつの間にかルーリーノの隣にまでやってきていた。

 

「そうそう、貴女の思っている通り私が亜人の王よ」

 

 そう言ったユメの声で、ルーリーノが驚き身構える。

 

「大丈夫、危害を加える気はないから。それに、その子もう少しまともな所で休ませたいでしょ?」

 

 ユメはそんなルーリーノの様子を見て、身ぶり手ぶりを交えながら自分が敵でないことをアピールする。

 

 しかし、ルーリーノからするとそれがまた信じられなくて、疑いの目を向けるのを止めない。

 

「亜人の王である貴女が、どうして西側の言葉を話せるんですか?」

 

 ルーリーノがそう言うと、ユメは腕を組んで考えはじめ、何かいい案を思いついたとばかりにパンッと体の前で両手を合わせた。

 

「無断で東側へと立ち入る不審な輩め、大人しくしていれば危害は加えないから黙って城まで来てもらおうか」

 

 演技などするつもりもないほどの棒読みでユメはそう言うと、「ってことでどう?」と楽しげに言う。

 

 その全くと言っていいほど存在しない緊張感にルーリーノも飲まれそうになってしまうが、ちらりとニルを見る事で何とか飲まれずに済んだ。

 

「これでも駄目か」

 

 ユメは殆ど変わらないルーリーノの態度にそう言うと「じゃあ、実力行使かな」と言ってニルの方へと歩きだした。

 

 ユメは歩いていたが、ルーリーノにはそれが消えたように見え、ルーリーノがユメを見つけることが出来たのはユメが寝ているニルを無理やり立たせている状態で「この子に危害を加えられたくなかったら着いてきてくれない?」と言ったあと。

 

 ルーリーノは今の一瞬全く動けなかった自分と、一瞬にしてニルを人質にとったユメの実力の差を思い知らされ黙って頷いた。

 

 

 

 それからユメは獣人たちに東側の言葉で何かを言うと――なんとかルーリーノには二人を何処かへと連れて行くという内容は聞き取れた――未だ意識の戻らないニルと、ルーリーノの手を持ち、今度は西側の言葉で「じゃ、目を瞑っててね」という。

 

 変に逆らってニルを傷つけられても困るのでルーリーノが素直に目を瞑ると、数秒と経たずにユメに目を開けるように促された。

 

 ルーリーノが目を開けて真っ先に目に入ったのは青い色を基調とした高そうな絨毯。

 

 あたりを見渡せば、掃除の行き届いた広い部屋の中にぽつりと調度品が置かれ、しかしその調度品もとても高級そうに見える。

 

 肘掛はないがルーリーノが座るには少し大きくとてもふかふかとした椅子の近くにはベッドが置いてあり、真っ白なシーツに覆われたそれは三人で寝てもまだスペースが余りそうなほどに大きい。

 

 ユメはフードを被ったまま器用にニルをベッドに寝かせるとルーリーノに声をかけた。

 

「暴れたりしなかったら、城の中を自由に歩いたり、好きに町に行ったりしてもいいけど……」

 

「ニルが起きるまではここにいます」

 

 ユメの言葉を遮るようにルーリーノが言うと、フードの向こうでユメは当然だろうと言う表情を見せる。

 

「たぶん訊きたい事が沢山あるだろうし、その子が起きて準備ができたら来なさい。

 

 後からここに一人付けるから、その子にでも聞いてね」

 

 そう言ったあと部屋から出ようとユメは扉の方へと歩きだしたが、何かを思い出したようにルーリーノの方を見ると「いじめないであげてね」と言ってから部屋の外に出て行った。

 

「訊きたいことしかないですよ……」

 

 ユメを見送ったルーリーノはそう呟いてニルの顔をじっと見つめた。

 

 

 

 

 気がつくとルーリーノは椅子に座った状態で眠っていて、目を覚ますと肩にカーディガンのようなものが掛けられていた。

 

 こんなところで眠ってしまった自分を恥じ、ニルの姿を見て安心した所で「起きられたのですね」と声をかけられた。

 

 その言葉はもちろん東側のものであったが、何とかルーリーノにも聞き取ることができる。

 

 ルーリーノが声がした方を向くと白い髪に青い目、それから長く尖った耳を持ったルーリーノと同じ年頃のエルフの少女が白と黒のエプロンドレスのようなものを着て立っていた。

 

「これ、は、貴女が?」

 

 ルーリーノが慣れない言葉でカーディガンを指しながら尋ねるとエルフの少女は、少し焦った様子で口を開く。

 

「すいません。お食事をお持ちしたのですが、起こすのも躊躇われてしまいまして……つい差し出がましいことを……」

 

 少し早口になった少女の言葉をルーリーノは初めの方しか聞き取ることができず返答に困る。

 

「えっと、できれば、もっとゆっくり、話してもらえ、ない?」

 

 ルーリーノが言うと少女は何かを思い出した表情を見せ、頭を下げる。

 

「すいません。東側から来られたんですよね」

 

 そこで頭をあげてさらに続ける。

 

「申し遅れました。ユメ様より貴女方のお世話を仰せつかったスティノと申します。

 

 何かありましたらお気軽にお申し付けください」

 

 言いながらスティノはスカートの裾をちょこんと持って、片足を後ろに下げるようにしてお辞儀をした。

 

 この子がユメが言っていた子かと、ルーリーノが観察するようにスティノを見る。

 

 それからお食事という言葉を思い出しふと窓の外を見るとすでに日は暮れていて、しかし、街があると思われるところはとても明るい。

 

「食事が、あると言いましたね? いただいても、いいです、か?」

 

「あの……お持ちしたのが、少し前でしたので……」

 

 そう言ってスティノが困ったように視線を下げる。

 

 ルーリーノはそうだろうなとスティノを見ながら言葉を選ぶ。

 

「それでも、大丈夫、だから。でも、一つだけ、頼んでもいい?」

 

 ルーリーノの言葉にスティノは首をかしげながらも「わかりました」と答える。それから「頼みとはなんでしょうか?」とも。

 

「その食事、一緒に食べて、くれない?」

 

 それを聞いたスティノが「よろしいのですか?」というので、ルーリーノは「ええ」と返す。

 

 それから「失礼します」と頭をさげ足取り軽くスティノが部屋の外に向かった。

 

 すぐに戻ってきたスティノは車輪のついた棚のようなものを押しながら入ってきて、その上にはパンやシチューと言ったものが乗せられている。

 

 スティノはそれをルーリーノの隣にとめた。

 

 部屋の中に椅子はルーリーノが座っている以外にもいくつかあるので、スティノはそのうちの一つを持って来るとルーリーノと向かい合うように座る。

 

 それから、話し難そうに口を開いた。

 

「あの、そのフードはお取りにならないのですか?」

 

 そう言われてルーリーノは未だに自分がフードをかぶっていた事に気がついた。

 

 それから、目の前の少女の容姿をじっと見てからフードを取る。

 

 その瞳は今はもう青ではなく元の赤へと変わっていた。

 

 スティノはフードを取ったルーリーノの顔に見とれてしまう。

 

 それから、無意識に手を伸ばすとルーリーノの頬に触れた。

 

「燃えるように綺麗な赤い目……」

 

「あの……」

 

 何かに取りつかれたように呟くスティノにルーリーノが若干の恐怖心を抱きながら声をかけると、スティノは自分がしていることに気がつき慌てたように手をバタバタさせ、最後にはとても恐縮そうに椅子の上で小さくなった。

 

 その時に何かを言っていたようだが、ルーリーノにはそれを聞き取ることができなかった。

 

「すいません……綺麗な目をなさっていたのでつい……」

 

 全く覇気のない声でスティノは謝ったが、ルーリーノとしてはどう返していいのかわからず無言になってしまう。

 

 ひとまず話を変えなければならないと思って、ルーリーノは「よかったら、食べませんか?」と自分が用意したわけではないのに、そうスティノに勧めた。

 

「あの、ルーリーノさんは食べないのですか?」

 

 勧められ食事に手をつけそうになったスティノが不思議そうな顔で尋ねる。

 

 そこで、ハッと何かに気がついたような顔をして、スティノはルーリーノが答える前に口を開いた。

 

「なるほど、毒か何か入っていないか確かめるために私から食べさせようと言うわけなのですね」

 

 自分で口に出して納得したのか、スティノが謎が解けたと言うように晴れ晴れした顔をする。

 

 考えが読まれたルーリーノとしては苦虫を噛み潰すしかないわけだが、謝ろうにも言い訳をしようにもすぐには言葉が出てこずに

 

「あの、ごめんなさい」

 

 結局そう言うことしかできなかったが、スティノはまるで気にしていないと言う風に、むしろ楽しそうに首を振った。

 

「いえ、ルーリーノさんがいつも危険が伴うような生活を送っていたのは聞いていましたから。

 

 それよりも、そう言った物語のような生活を送っている方が目の前にいると思うと何と言いますか、ふわふわした気分になります」

 

 そう言ってスティノは安全だと示すようにパンを半分に千切って食べルーリーノに手渡す。

 

 それから少しの間はスティノが食べたものしか口にしなかったルーリーノであるが、徐々に自分が食べたいものを食べ始めた。

 

 先ほどのスティノの言葉を聞いてルーリーノは妙な気分に取りつかれていた。西側において自分のような生活を送っている人というのはそれなりの数がいるはずで、そのような人物にあったとしても特に感動することなどない。

 

 人によっては毛嫌いする人もいる。

 

 ルーリーノは「東側には冒険者はいないんですか?」と尋ねようと思ったが「冒険者」に当たる単語が分からなかったため、少し考えてから口を開く。

 

「私の、ような人は、こちらにはいないの?」

 

「昔はいたようですが、今はいないですね。

 

 亜獣を倒すのは兵士の役目ですし、町と町を繋ぐ道は整備されていて安全です」

 

「町を繋ぐ道、で、襲われることは、ないの?」

 

 ルーリーノが西側の常識で尋ねると、スティノが目をぱちくりとさせ首をひねった。

 

「えっと、人が人をと言うことですか?」

 

 はじめルーリーノは「人」という言葉を亜人に使ったことに違和感を覚えたが、東側では亜人の方が主なのであるからそれで正しいのかと妙な感動を覚えた後で、スティノの問に答えるように頷いた。

 

「全く無いとは言いませんが、そう言う意味では町中でも起こるときは起こりますし、それも滅多にはありません」

 

 話を聞いていてルーリーノは自分の中の何かが崩れて行くようなイメージを受けた。

 

 西側と根本的に何かが違う。

 

 これ以上話されると本格的に混乱してしまいそうだったので、ルーリーノは話を変えようと別の質問を投げかけた。

 

「スティノ、さんは、魔法を使えるの?」

 

 スティノは「私に『さん』は必要ないですよ」と言ってから答える。

 

「使えます。ここで働くための最低条件ですから。

 

 むしろ、使えない人の方が少ないんじゃないでしょうか?」

 

 やはりそうかとルーリーノが思っているとスティノはまだ続ける。

 

「でも、魔法が使えないからと言って不利になることはないですね。例えば」

 

 そう言ってスティノはポケットから丸い何かを取り出した。それはスティノの手に収まるくらいの大きさで、三本ある針の内の一つがカチカチと音を立てて動いている。

 

「こう言った魔力を介さない時計なんかはそう言った人たちが作ったものですし、魔法具の多くもそう言った人たちが関わっているのだそうです」

 

 今スティノが手に持っている物が時計? と思わずルーリーノは首をかしげそれを凝視する。

 

 ルーリーノはひとしきりスティノの華奢な手の上にあるもので驚くと、ある意味最も気になっていたことを尋ねることにした。

 

「東側には、西側の人、は、いるの?」

 

「いますよ。先ほど言った魔法が使えない人のほとんどがその人達ですから」

 

 スティノはどうしてそのような事を聞くのだろうと不思議に思いながら答えたが、ルーリーノは東側で所謂「人」が普通に暮らしていることに驚いた。

 

 そして、それならばと質問を重ねる。

 

「じゃあ、西の人と、東の人が、子供を作ったり、とかは?」

 

 スティノはルーリーノの言葉を聞いて何故か頬を赤らめてしまったが「えっと、あの」と話し始める。

 

「珍しくはありますがそれなりにいると思います。だって私も」

 

 「その一人ですから」とスティノが言い終わったときルーリーノは驚きのあまり何も言うことができなかった。



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オフロ

 スティノがユメの所に行かないといけないからと部屋を後にしてからすぐに「ルリノ」とルーリーノを呼ぶ声が聞こえた。

 

 その声にパッと顔を明るくしたルーリーノであったが、どう対応すべきか迷った挙句「ルリノではないです」と少し怒ったような声で言った。

 

「食べ物残ってたらくれないか?」

 

 ルーリーノの声などまるで聞こえていないかのようにニルが尋ねると、ルーリーノは「あー……」と言いながらドアの方を向いた。

 

「スティノが持って行ってしまいました」

 

 西側の言葉を話すことに妙な安心感を得ながらルーリーノが言う。

 

「ルリノの事だから何か食べ物くらい持ってるだろ」

 

 ニルがそう言うのを聞いてルーリーノは「まあ、ありますけど……」と持っている食べ物の中から水分のほとんどない保存用のパンを手渡す。

 

 ニルはそれを受け取ると、食べ慣れたそれを口に運ぶ。

 

「来たんだな。壁の向こう側に」

 

 口の中の水分を容赦なく持っていく僅かに塩気のあるパンを飲み下した後でニルが感慨深そうにそう言った。

 

 ルーリーノは魔法で出した水をニルに手渡してから、口を開く。

 

「そうですね。そうはいっても私自身壁のあった場所と此処しか知りませんから、実感するのは誰かと会話するときくらいですけど」

 

「そう言えば何で俺はこんなところで寝てるんだ?」

 

 今更と言った感じではあるがニルがそう尋ねると、ルーリーノも「そう言えば」と質問で返す。

 

「ニルはいつから起きていたんですか?」

 

「東側で人が普通に暮らしているらしいってところからだな」

 

 それを聞いてルーリーノは少し呆れた顔をする。

 

 それと同時に「残ってたら」という言葉をニルが使った理由も分かった。

 

「どうして寝ているふりなんかしていたんですか。その時に起きていればそんな堅いパンを食べずに済んだんですよ?」

 

「全く状況が分からなかったからな。下手に動くよりはと思ったわけだ。

 

 後は、正直何話しているのかを何となく追いかけるので精一杯で声をかける余裕はなかった」

 

 ニルがそう言うのを聞いてルーリーノは「あー……そうですね」と困った笑顔を浮かべながら返す。

 

 それから、ニルが話し出す前に声を出した。

 

「とりあえず、簡単に説明しますね」

 

 そう言ってルーリーノは、獣人たちに会った事、マオウと思われる女性に会い此処まで連れてこられた事、それからマオウにニルが起きて準備ができたら来いと言われた事を言葉通り簡単に話した。

 

「その後はスティノが来て多少話をしていましたが、重要な部分はニルが起きていた所からですから大丈夫でしょう」

 

「人が普通に暮らしていて、半亜人も認められているって事でいいのか?」

 

 自分の理解が正しいのか不安に思ったニルがルーリーノに尋ねると、ルーリーノは頷いた。

 

 それから、ルーリーノは付け加えるように口を開く。

 

「私達の目的とは少し違いますが、こちら側は西よりも進んだ生活を送っているみたいですね」

 

「そうみたいだな」

 

 ニルがそう言ったところで、ドアが開きスティノが姿を見せる。それから、身体を起こしているニルを見ると「目が覚めたのですね」と東の言葉で少しばかり驚いた声を上げる。

 

 それを聞いていたルーリーノが自分が間に入るべきじゃないかと思ったところで、ニルが何の苦もなしに東側の言葉を使い始めた。

 

「だいぶ迷惑かけたみたいだな」

 

「迷惑だなんて、連れてきたのはユメ様ですし、看ていたのはルーリーノさんですから……」

 

 と、スティノはそこまで言うと違和感に気がついた。

 

 しかし、それよりも早く事の異常さに気が付いていたルーリーノが、西の言葉でニルを問い詰める。

 

「どうしてそんなに東側の言葉を使いこなせているんですか?」

 

「どうしてと言われてもな。まあ、ユウシャの力だ」

 

 ニルの返しにルーリーノはどうにも納得がいかないと言う表情を見せる。

 

 そうしている間に今度はスティノが少し興奮した様子で声をあげた。

 

「すごいです。すごいです。本当に御二方は西から来たんですね」

 

 そう言ってスティノは知らない言葉で流暢に会話をする二人にある種の羨望のまなざしを向ける。

 

 その言葉自体はルーリーノもニルも聞き取ることはできてはいたが、ともに何と返事をすべきか迷っているうちにスティノがさらに言葉を追加した。

 

「お二方ともこちらの言葉が使えるのはどういうわけですか?」

 

「えっと、西、では、魔法を使う時の、呪文として、こちらの言葉を、使ってたの」

 

 ニルがユウシャの力のことを言っていいのか迷っているうちにルーリーノがそう答える。

 

 それに対してスティノが「そう言うものなのですね」とあまり理解できていないように返す。

 

 それからルーリーノの言葉を聞いたニルが、何やら楽しそうにルーリーノの方を見ると口を開いた。

 

「何ていうか、いつもとだいぶ違うよな」

 

 ニルが東の言葉でそう言うのでルーリーノも同じように「仕方がない」と言おうと思ったが咄嗟に言葉が出てこなかったので、諦めて西の言葉で「仕方ないじゃないですか」という。

 

「むしろ、ニルがおかしいんです」

 

「ルリノも俺と同じ力使ってやろうか?」

 

 「できるんですか?」とルーリーノが首を傾げるのでニルが「ああ」と返す。

 

 その間ずっと東側の言葉で話していたのでスティノが目をぱちくりとさせ状況が理解できていなっそうだった。

 

 それに気がついたニルが「ある方法があってそれでこっちの言葉をこいつもちゃんと話せるように……」と色々伏せながら説明すると、スティノが興奮した様子で「ダメです」という。

 

 それにニルとルーリーノが唖然としているのにも気がつかない様子でスティノは続けた。

 

「確かにルーリーノさんとちゃんとお話はしたいですが、そうすると今の愛らしいたどたどしさがなくなってしまいます」

 

「でも、それだと明日からルリノが困るだろ」

 

 スティノの言葉はとても早口なので、ルーリーノにはまるで理解が出来ない。

 

 わからないままにスティノを見ると何やら深刻そうな顔で考えているが、ニルを見るとやや呆れているような顔をしている。

 

 ルーリーノがこの落差になおさら理解に苦しんでいるとスティノが渋々と言った感じで口を開いた。

 

「では、今日だけはこのままと言う事で……駄目でしょうか」

 

「それならいいか」

 

 ニルがほとんど考えることなく答えたあたりでルーリーノは話が一区切りしたと思いニルに尋ねる。

 

「何がこのままで、何がいいんですか?」

 

「今日だけはルリノが上手く東の言葉が話せないままでいいって事だ」

 

 ニルが何気なしに言うとルーリーノが「どうしてですか?」と質問を続ける。

 

 ニルは、今度は少し考えてから口を開いた。

 

「スティノ……がこのままにしておいてくれと言ったのが一つ。もう一つはこの力を使うと恐らく混乱するからいっその事寝る前にでも使ってすぐに寝た方がいいからだな」

 

 それを聞いて、ルーリーノは最後の遺跡でのことを思い出した。

 

 なるほど、そうなるのであれば確かに今よりも寝る直前の方がありがたい。

 

 むしろ使われた時点で意識を失ってしまいそうだが。

 

「そう言えば、どうしてスティノは、来たの?」

 

 状況を理解し納得したルーリーノがスティノにそう尋ねる。

 

 スティノは「そうでした」と思い出したように言った。

 

「そろそろオフロにでも入れてやりなさいとユメ様から言われまして、ヨクジョウまで案内しに来たのです」

 

 そう言ってから、スティノは「ご案内いたしますね」とドアを開いた。

 

 ニルとルーリーノは互いに顔を見合わせてから、それから先にニルが口を開いた。

 

「ルリノ行って来いよ」

 

「ニルが先でいいですよ」

 

 そんな風なやり取りをしたがスティノには理解できず、ただ何となく状況は理解できたので「お二方とも行きますよ?」と声をかける。

 

 言われた二人は一瞬固まってしまったが、言われるがまま一緒に歩きだした。

 

 

 

 

 扉を出ると流石はお城と言わんばかりの煌びやかさがあった。

 

 床には真っ赤なカーペットが敷かれ、窓を支える枠には緻密な細工が施され、天井は無駄に高い。

 

 たまにスティノと同じ格好の人とすれ違うと、ニルとルーリーノは恭しく頭を下げられ特にルーリーノは変に緊張してしまう。

 

 その空気にのまれて声も出せずにスティノの後を歩いて行くと、間もなく目的地に着いた。

 

 そこだけ何故か他の所は趣が違ってあるのは扉ではなく暖簾。

 

 廊下をはさんで木で作られたベンチがあるのだが、それに彫り込まれている模様がとても芸術的なものでこの空間だととても異質なもののように感じられる。

 

「お疲れ様でした。ルーリーノさんは右側、ニルさんは左側に行ってください」

 

 そう言われて改めて見てみると、同じような入口が二つある。それで男女を分けているのかとルーリーノがホッとしているうちに、ニルが左の入口へと足を進めた。

 

「替えのお召し物はすでに用意してありますので、あがりましたらそれに着替えてください」

 

 そのニルのスティノがそう声をかけると、ニルは立ち止まってスティノ方を見てから「わかった」と答える。それからすぐに部屋の中に消えていった。

 

「さて、それでは私達も行きましょうか」

 

 スティノがそう言ってルーリーノの手を引く。

 

 しかし、ルーリーノはスティノの言葉に違和感を覚え引かれるまま自分で歩こうとはしない。

 

「スティノも、来るの?」

 

 何とかルーリーノが尋ねると、スティノは「もちろんです」と笑顔を見せた。

 

「私の役目はお二方のお世話をすることですので、当然ながらオフロのお手伝いもさせていただきます」

 

「ニルは、どうなの?」

 

「さすがに私が男性が使う方に入るわけには行きませんので……ユメ様にもルーリーノさんのお手伝いをするように言われています」

 

 堂々と言うスティノにルーリーノはとうとう諦めてスティノの後について中に入る。

 

 脱衣所に当たる所からはお城の雰囲気を取り戻し、白い床はルーリーノの姿を映し出す。

 

 広さとしても何十人も入れるのではないかと思うほどで、そのスペースに僅か二人だけでいると言う事にルーリーノは落ち着かない。

 

 スティノはそんな風に戸惑っているルーリーノを微笑ましいものを見る目で見ながら、ルーリーノの着ているケープに手を伸ばした。

 

「ちょっと、なにを」

 

 スティノの行動に驚いたルーリーノがそう声を上げると、スティノは当然と言う表情で話しだす。

 

「私がお召し物を脱がせますのでルーリーノさんは気にせずに立っていてください」

 

「そうは言っても……」

 

 そこから先はルーリーノの言葉などまるで受け入れられず、するすると慣れた手つきのスティノに服を脱がされてしまった。

 

 その後、全身をスティノに洗われ湯船に入れられるまでルーリーノは恥ずかしそうにしていたが、スティノは楽しそうにしていた。

 

 とても広い湯船に入って漸く解放されたルーリーノは、そこで膝を立てるようにして座っていた。

 

 それからスティノに背を向けている状態で声をかける。

 

「ここの入り口だけ、雰囲気が違った、よね?」

 

 本当はもっと言いたいことがあったが、恐らく言ったところで無駄だと今までの流れで理解したルーリーノが仕方なくそう話すと、スティノは「そうですね」と答える。

 

「あれはユメ様の趣味らしいですね」

 

「ユメ様……は、東の、王なんだよね?」

 

「はい。とは言いましても今日千年に及ぶ封印からお目覚めになったのですが」

 

 それを聞いてルーリーノは驚くと同時に、マオウが目を覚ます条件を思い出した。

 

「千年も、眠っていて、王って認められる、ものなの?」

 

「そうですね。普通は無理かも知れませんが、現在この東側で使われている技術の元を考えたのがユメ様なんです。

 

 それも、千年かかってもユメ様の考えていたものをすべて実現は出来ていません」

 

 つまりはあの小さな時計というのもユメが考え出したものなのかとルーリーノが考えていると、スティノは「何より」と続ける。

 

「ユメ様には誰も勝てません。その強さこそが王の証です」

 

「あの人が、そんなに……」

 

 そこまで言ってルーリーノはいや、と思い直す。

 

 ユメは少なくともルーリーノよりは強い。

 

 まじめにやっていた様子は見られなかったのに簡単にルーリーノからニルを奪ったのであるから、もしも本気でユメがルーリーノを殺るつもりだったならば、ルーリーノは数秒ともたずに殺されるだろう。

 

 それでもまだ、何かがルーリーノの中で引っかかっていたがこれ以上湯につかっているとのぼせてしまいそうだったので立ち上がり出入り口の方を向く。

 

 するとそこには、待ってましたとばかりにタオルを構えたスティノの姿があってルーリーノは溜息をついた。

 

 

 

 

「えっと、着る物は、どこにあるの?」

 

 スティノによって目一杯身体を拭かれたルーリーノはそう言って辺りを見渡す。

 

 すると、スティノが何処からかピンク色の布を持ってきた。

 

「お召し物はこちらになります」

 

 そう言ってスティノが持っていた布を広げる。

 

 それは、とてもひらひらしたワンピースのようで、それを見た瞬間ルーリーノが少し嫌そうな顔をした。

 

「そういうのは、私には、似合わな……」

 

 とルーリーノが言っている間にスティノにそれを着せられてしまい、結局最後まで言うことはできなかった。

 

「とてもお似合いですよ」

 

 スティノはそう言ったが、ルーリーノは居心地が悪そうに裾の方を掴んでひらひらとさせていた。

 

 

 

 暖簾をくぐった先でニルがベンチに腰かけて待っていた。

 

 その服装はやはりいつもと違うが、それでもルーリーノに比べればとても落ち着いた色の服で派手な装飾もない。

 

 その事にルーリーノは納得がいかないと同時に恥ずかしい思いだったがニルに「似合ってるんじゃないか?」と言われ顔を赤らめた。

 

 部屋に戻る道でルーリーノはニルにスティノに聞いた事を教えた。

 

 その時にニルは何かに気がついたかのような顔をしていたが「そうか」とだけしか返さなかった。

 

 それから元の部屋のドアの前に着いたところでスティノが足を止めた。

 

「こちらがニルさんのお部屋になります。それから、この一つ隣のお部屋がルーリーノさんのお部屋です」

 

 そう言いながらそれぞれのドアを指すスティノに、ニルが声をかける。

 

「明日朝から街に行って、それから王に会いたいんだが」

 

「わかりました。その時には街をご案内いたしますね」

 

 スティノがあっさりとそう返してきたので、ニルが少し驚く。

 

「いいのか?」

 

「ユメ様からはお二方がユメ様に会いたいと言った時に連れてくること、それ以外ではお二方のお世話、お手伝いをすることしか命じられていませんので」

 

 そう言ったスティノにニルが「そうか」と返すとスティノは「それでは御休みなさいませ」と頭を下げてもと来た道を戻り始めた。

 

「街に行くんですか?」

 

 ルーリーノが尋ねると、ニルは「ああ」と声を出す。

 

「実際に見てみないと分からないこともあるからな」

 

「それもそうですね」

 

 ルーリーノがニルにそう返して割り振られた部屋に行こうと歩きはじめた時、ニルも一緒についていく。それに気がついたルーリーノが少し困った顔でニルの方を向いた。

 

「どうして着いてくるんですか?」

 

「ユウシャの力使うって言ったろ?」

 

 そう言われてルーリーノは「そうでした」と思い出した。

 

 

 

「ベッドに入った状態じゃないとだめなんですか?」

 

 掛け布団から顔を半分だけだした状態でルーリーノがニルにそう問いかける。

 

「そうじゃなくてもいいが、その後その場に倒れるかもしれないしな」

 

 「それだったら初めから寝てた方がいいだろ?」とニルが言った事にルーリーノは「そうなんですけど……」とか細い声を出す。

 

「まあ、俺自身に使ったやつよりも反動が少なくはしようと思うが念のためな」

 

 ニルはそう言うと、ルーリーノの反応を待つことなくルーリーノが理解できない言葉を紡いだ。

 

 直後ルーリーノは中に何かが流れてくるような感覚に襲われる。

 

 それと同時に今まで聞き取ることのできなかった東側の言葉の意味が急に分かりはじめ、結局多すぎる情報量に強制的に睡眠を取らされることとなった。



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対面

 次の日朝起きたルーリーノは頭を悩ませていた。

 

 ルーリーノが目を覚まして隣に置かれていたのは恐らく今日一日着るようにスティノが持ってきた服。

 

 しかし、それは動きやすいようにはなっているが黒を基調としたドレス。

 

 他に着るものもないし、寝る時にきていたものに比べれば幾分マシであったので仕方なくそれを着てはいるがどうにも落ち着かない。

 

 ルーリーノがクルクルと自分の姿がおかしくないか首を精一杯回して確認しているとノックの音、次いでスティノが「朝食をお持ちしました」という声が聞こえた。

 

「朝食は嬉しいのですが……」

 

 「この服は何なんですか?」とルーリーノが言い終わる前にスティノは「失礼します」と部屋の中に入ってくる。

 

 隣には昨日の夕食のように今度は朝食が用意されていて、スティノはそれをルーリーノの隣まで持っていく。

 

「やはり、お似合いです」

 

「私としてはいつもの格好の方が落ち着くのですが……」

 

 初めは笑顔で話していたスティノが、ルーリーノが流暢に東の言葉を話すのを聞いて少し残念そうな顔をする。

 

 とはいえ、ここでルーリーノを納得させなくてはせっかく用意したドレスを着替えられてしまうので、スティノはあらかじめ考えていた言葉を言った。

 

「ルーリーノさんのお召し物は今洗濯中で、それしか無かったのです。すいません」

 

 スティノがそう言って申し訳なさそうに頭を下げるのでルーリーノも納得せざるを得ず溜息をついて「わかりました」と返す。

 

 スティノが内心自分の行動をほめながら頭をあげると、ルーリーノがスティノに声をかけた。

 

「そう言えば、私の言葉は可笑しくないでしょうか? 自然には出ているのですが、どうにも自信がないんですよね」

 

「とてもお上手ですよ」

 

 スティノがそれが本当に残念ですと言う本心を隠しつつ笑顔で返すのを見てルーリーノは不思議な感覚に襲われる。

 

 昨日までは聞き取るだけでも精一杯だったのに、今ではそれこそ西側の言葉と同じように使える。

 

 むしろ同じくらい使えてしまうのでちゃんと意識しないとどちらで話しているのかわからなくなりそうなほどに。

 

「そう言えばニルはどうしているんですか?」

 

 自分の所にスティノがこうやって朝食を持ってきたと言う事はニルはまだ朝食を食べていなのではないのかと思いルーリーノが尋ねる。

 

 ルーリーノの話を聞いてスティノは一瞬ポカンとして、何かを思い出したように扉の方へと小走りで向かった。

 

 ルーリーノがその様子を首をかしげて見ていると、扉の向こうからニルが姿を現す。

 

 その格好は詳しくはわからないが、いつもきているようなマントを羽織っている。

 

「ニル、おはようございます」

 

 とりあえず服の事は置いておいてルーリーノはニルに挨拶をする。

 

 「ああ、おはよ」とニルがいつものように短く返す。

 

「今日も目立つ服着てるんだな」

 

「これは、私が用意したのではなく」

 

 ニルの言葉にルーリーノが抗議の声を上げ始めたところでニルが「いいだろ、今までそういう服着ることなんてなかっただろうしな。似合ってないならまだしも」と何気なく言うのでルーリーノは思わず黙ってしまう。

 

 それからルーリーノは自分が動揺している事を隠すかのように慌てた声を出した。

 

「どうして、ニルはいつもの格好なんですか?」

 

「それはですね、ユメ様が街に行くのならできるだけニルさんには顔を隠してもらえと仰っていたからです」

 

 ニルの代わりにスティノがそう言うと、ニルが「と、言うことらしい」とそれに乗っかる。

 

 それを聞いてルーリーノは納得する。ユメの意図は正確には測りかねるがルーリーノと違いニルはここ東側であっても目立つ。

 

 東側にユウシャの話がどの程度残っているかはわからないが、下手すると目立つどころか敵視される可能性もある。

 

 ルーリーノはそこで東の住人である所のスティノの存在を思い出した。

 

「スティノはニルがどう言った人物かってことは知ってるんですか?」

 

「西から来られた方としか。髪や瞳がとても珍しい色をしていらっしゃいますので普通の方ではないのかも知れませんが、すみませんが私は存じ上げておりません」

 

 スティノが恭しく頭を下げるのでルーリーノは首を振ってから「ありがとうございます」と安心した顔で礼を言う。

 

 それを聞いてスティノもホッと一息ついてから頭をあげた。

 

「とりあえず、朝食を食べながらにしないか?」

 

 話が一区切りしたと思ったニルがそう言うと、ルーリーノが少し驚いた顔をする。

 

「ニルもまだ朝食を終えてなかったんですか?」

 

「ああ。最初スティノが俺のところに来たんだが」

 

「私がその後でルーリーノさんの所に行くと言うと、それなら一緒に食べた方が私も楽だろうと一緒にこちらに窺ったのです」

 

 ニルの言葉を受け継ぐようにスティノが言う。

 

 ニルがスティノと一緒に入ってこなかったのはニルなりに気を使ったと言うところかと、ルーリーノは現状を把握した。

 

「それなら、いただきましょうか」

 

 と言うルーリーノの声を合図にどちらともなく手を出し始める。

 

 朝食として出されていたのは上に蜂蜜のかかったパンケーキ。

 

 香りが強いわけではないが、口に含めばバターの香りが広がる。

 

 上に蜂蜜がかかっているためかパンケーキ自体は甘さ控えめで、むしろ塩味の方が僅かに強いようにも感じる。

 

「今日のご予定は、お食事の後に街に行かれると言う事でよろしかったでしょうか?」

 

 ニルとルーリーノが食べている横でそれを見守るように立っていたスティノが二人に尋ねる。

 

 今日の予定自体ニルの言葉によるものでルーリーノはよく分かっていないのでニルを見ると、ニルが「そうだな」と口にした。

 

「その後に王に会いたいってところだな」

 

「それに関しましてはすでにユメ様には言っていますので滞りなくお会いできると思いますよ」

 

 すらすらと答えるスティノにニルが「そうか」と返した。

 

 

 朝食を終えスティノに率いられて城の外に出る。

 

 城の周りには特に城壁のような強固な壁はなく、敷地を示す程度の柵が歪な円状にたてられていた。

 

 ニルとルーリーノにしてみればそれだけでも驚きなのだが、一歩敷地の外に出てまた驚く。

 

 町へと続く道はしっかりと舗装、整備されていて何故か三つに区切られている。

 

 三本に分けられた道の外側の二つは似ていて、人が四、五人程度並んで歩くことのできる広さがある。中央はさらに広く、さらにその中央には線が一本走っていた。

 

 ルーリーノ達はその右側の道を歩く。

 

「どうして、この道は三つに分けられているんですか?」

 

「正確には四つですね。外側の二本が人の歩く道で、中央の二本が車が通る道です」

 

 車と聞いてルーリーノは馬車を想像する。

 

 確かに馬車がすれ違うのであればこれくらいの幅は必要かもしれないし、何かを運ぶ上で馬車が通る道を確保しておくと言うのは実に効率的な気がルーリーノにはしていた。

 

 そんなルーリーノの横を馬車とは思えない速度の何かが通り過ぎて行く。

 

 ルーリーノは慌てて振り返り通り過ぎていったものを確認した。

 

 何か箱のようなものが円状のモノの上に乗っていると言う見た目で、何かに引かせているわけでもないのに走っている。

 

 円状のモノには何となく見覚えがあるなとルーリーノは思った。

 

「あれが車なんだな」

 

 ニルが特に驚いた様子もなく言うと、スティノが「そうです」と答える。

 

「正確には魔動車と言います。魔力をエネルギーとして、中の動力を動かして走っています。

 

 とは言いましても今の段階だと一部の魔力の扱いに長けその量の多い人にしか動かすことはできませんが」

 

 ルーリーノはスティノの説明が信じられないと言うような表情をしていたが、実際に現物を見た後言うこともあって何とか納得は出来た。

 

 そんなルーリーノを見ながらスティノが心の中で微笑んでいると、ニルが道に一定の間隔で立っている細い棒状のものに手を触れスティノに尋ねる。

 

「さしずめこれは魔灯ってところか?」

 

「よくお判りになりましたね」

 

 とスティノは驚いた表情を見せたがすぐに説明を始めた。

 

「これは先ほどの車などを使った時に出る魔力の残滓を集めて夜になると光ると言うものです。魔灯や魔動車と言うのは封印される前のユメ様がつけた名前らしいですね」

 

 その説明の中ルーリーノが首を上にあげて棒の先を見ると、先の曲がった棒にランプのようなものがぶら下がっていた。

 

 

 街につくと、意外と建物は西側のそれと大して変ってはいなかった。

 

 しかし、先ほどの道に加え今度は時間によって青と赤に光る魔灯のようなものがあったのでルーリーノがスティノにそれは何かと尋ねる。

 

「それは信号ですね。どうしても人が車が通る道を渡らなければならない際、青く光っている間なら渡っても良いと言うものです」

 

 なるほど事故を防ぐためかとルーリーノは納得して改めて信号を見上げた。

 

 魔灯に似てはいるが、二つのランプが並んでぶら下がっている。

 

 試しにと言う事で丁度青信号になっている所で渡り少し歩いたところで、スティノが二人にどこか行きたいところがあるのか訊こうと立ち止まったとき「あら、スティノじゃない」と声をかけられた。

 

 スティノが驚いて声のした方を向くと馴染みの顔が手を振っていた。

 

「エストさんこんにちは」

 

 スティノがそう挨拶をしている間に、ニルとルーリーノもそちらを向くと、三十歳ほどの男女がニコニコと笑っている。

 

 二人とも目の色は黄色く、耳が尖っていることも尻尾や羽が生えていることもない。

 

「なんだスティノ今日は可愛い子連れてるじゃないか」

 

 男の人が女の人の冷たい視線にも気付かずに、ルーリーノをマジマジト見ながら言う。

 スティノはそれを聞いてくすりと笑うと声を出した。

 

「この方々はユメ様のお客様ですから変な事をすると奥さんとの離婚だけじゃ済まなくなりますよ? 旦那さん」

 

 それを聞いた男の人から一気に血の気が引いて行くのと対照的に、女の人が興味ありげに二人を見た。

 

「噂には聞いてたけど……と、言うことはスティノもしかして仕事中だった?」

 

 女の人の言葉にスティノが頷くと、女の人が少し申し訳なさそうな顔をして「引き留めてごめんね」と言う。

 

 スティノは一度ニルとルーリーノの方を向き、二人が首を振るのを確認してから「大丈夫ですよ」と笑顔で答える。

 

「お詫びと言っては何だけど、これ持って行って」

 

 女の人はスティノに何かを手渡すと、ニル達に頭をさげスティノに手を振り、それから男の人を引きずるようにして何処かに行ってしまった。

 

「今の人、西の人だよな?」

 

 男女の姿が見えなくなったころニルがスティノにそう尋ねる。

 

「はい。エスト夫婦と言って、この街一のパン職人です。城で出しているパンもあの方たちのお店から取り寄せてるんですよ」

 

「それでパンを持ってるんだな」

 

 そう言ってニルはスティノの手元に視線を移す。

 

 その視線に合わせてスティノも視線を移して自分がパンを持っていることを思い出した。

 

「是非お二人で分けてください」

 

 スティノは躊躇うことなくそれをニルに渡そうとする。

 

 しかし、ニルはそれを受け取ることはしない。どうしたのだろうとスティノが思っているとルーリーノが代わりに答える。

 

「それはスティノが貰ったものですから、私たちが貰うわけにはいきません」

 

 ルーリーノの言葉の後にニルが「ま、そう言うわけだ」と言うので、スティノは少し困った顔をしてそれから手に持っていたパンを可能な限り三等分に分ける。

 

 それから三つになったパンを一個ずつニルとルーリーノに手渡す。

 

「これならいいですよね?」

 

 半ば押し付けられるように渡された二人は少し呆れたように頷いて手に持っているそれを食べ始めた。

 

「お城で食べた時もそうでしたが、本当に美味しいですよね」

 

 ルーリーノがそう言うと、スティノが本当にうれしそうに「そうなんです」と返した。

 

 

 

 

「お二人はどこか行きたい所はあるのですか?」

 

 二人がパンを食べ終わるのを待ってスティノがそう尋ねると、二人とも考えるそぶりを見せる。

 

「そう言えばスティノは街にはよく来るのか?」

 

 突然のニルからの質問に少し戸惑ってしまったスティノであるが、すぐに答える。

 

「はい、私の仕事は基本的に街への買い出しと言ったものなので」

 

「そしたら、スティノがよく行く場所に連れて行ってくれないか?」

 

 スティノはそれを聞いて、キョトンとした顔で首をかしげる。それから「それでよろしいのですか?」と声を出した。

 

「ああ」

 

 とニルがスティノに返すのをルーリーノはどこか仕方ないという表情で見ていた。

 

 

 スティノの「街にはよく来る」という発言を証明するかのように、スティノは行く場所行く場所誰かしらに声をかけられた。

 

 種族もバラバラで妖精の子供から獣人の老人まで幅広くその事はニル達を驚かせるには十分であった。

 

「やっぱり東側にはいろんな種族の人が住んでるんだな」

 

 一通り街を見て回って、丁度いい時間になったので度々スティノが訪れるというお店で昼食を取りながら、ニルそう感想を述べた。

 

「ここまで多くの種族が一緒に住んでいるのはここくらいなのですよ」

 

「そうなのか?」

 

 スティノの返答にニルが少し驚いた声を出す。スティノはそんなニルの反応を見て説明を加え始める。

 

「知っての通り東側には多くの種族の人がいます。そしてその数だけ習慣や伝統なども違うのです。ですから、基本的にそれぞれの種族は別れて暮らしています。

 

 例えば妖精やエルフは伝統的に森の中、特に静かな森で暮らしていますし、そもそも水の中でしか暮らせないような種族もいます」

 

 聞きながらニルは周りを見渡す。西のギルドなどに比べれば全くと言っていいほど粗野な感じはしないが、どこかそれに近いような賑わいを見せる店内はいくつも分けられたテーブルの一つ一つに異なった種族の人が座っていた。

 

 それを見ているとスティノの言葉が少し信じがたい気もするが、むしろ今こうやって色々な種族が同じ席に着いているという光景の方が異質だという気がニルにはしてくる。

 

 それから一つ疑問が浮かんだのでニルは口を開いた。

 

「どうして、ここはこんなに多くの種族が一緒に住んでいるんだ?」

 

「王がいる街だから……ですね」

 

 ニルの疑問にルーリーノが間をほとんど置かずに答える。

 

 その速さにスティノは唖然としてしまったが、ルーリーノの答えに付け加えた。

 

「ユメ様の方針ですね。各種族の伝統・習慣は極力残しつつ東側を発展させていく、そのためにはどうしても各種族が交わる地が必要だったためユメ様がいるここをその場所にしたのです」

 

 「なるほどな」とニルが納得した頃には全員昼食を終えていたので、スティノが三人分のお代を払って店の外に出る。

 

「すいません。私達こちらのお金は持っていませんでしたね」

 

 ルーリーノが少し申し訳なさそうに言うので、スティノは笑顔で首を振る。

 

「いいのですよ。貴女方はユメ様のお客様なのですから」

 

 そこまでスティノは言ってあることを思いつきそのまま続ける。

 

「ただ、どうしてもと言うのであれば、今度はもっと露出度の高いお召し物を着ていただけますか?」

 

 スティノの言葉にルーリーノは困ったような表情で「それは……」と断る。

 

 そんなルーリーノの様子を見てスティノは満足したような表情をつくると「それでは行きましょう。ユメ様がお待ちかねです」と城への道を歩きはじめた。

 

 

 

 

 城に着くと休む間もなく「では、ユメ様の所へお連れしますね」と言ったスティノに率いられ一段と大きな扉の前にやってきた。

 

 それをスティノが押すと思いのほかに簡単に開きスティノは恭しく頭をさげ「どうぞ、お入りください」中にはいるように促す。

 

「スティノは来ないのか?」

 

 ニルが尋ねてみると、スティノは頭をあげてから口を開く。

 

「ユメ様が三人だけで話したいとのことでしたので私は入ることはできません」

 

 そう言って改めて頭を下げる。それにニルは「そうか」とだけ返して中に入った。

 

 二人が中に入ったところで扉が閉められ、二人の眼前には如何にも王座と言った光景が現れる。

 

 二人の位置から王座まではそれまでに距離があり、王座には一人の女性が座っている。

 

 それを見た瞬間ルーリーノの中に違和感が生まれた。

 

 その違和感は王座に近づくに連れて驚きへと変わっていき、王座の目の前女性がニルと同じ黒の髪と黒の瞳を持っているのだと確信できたときルーリーノは言葉を失った。



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最終話~旅の終わり~

 その女性は、見た目ニルよりもいくらか年上と言ったところで、王座に座るには若すぎるようにも思える。

 

 ノースリーブのシャツにタイトなズボンを穿いている姿もその違和感を加速させ本当にこの人が王なのかと錯覚させてしまっているが、当の本人は我関せずと言った様子でやや面倒臭そうに座っていた。

 

「何ていうか、やっぱりってところだな」

 

 言葉を失っているルーリーノとは対照的にニルは冷静にそう口にした。

 

 それがまたルーリーノには驚きで今度は思わず「やっぱりってどういうことなんですか?」とニルを見て問いかける。

 

「本当は貴方にも隣の子みたいに驚いてほしかったんだけど、私が何者なのか貴方にはわかってたみたいね」

 

「千年前マオウを倒した三人のユウシャの一人なんだろ?」

 

 ルーリーノの問いかけを無視するような形で話が進んでいくが、新しい衝撃でルーリーノとしても先ほどの質問などどうでもよくなる。

 

 とは言えこのまま置いていかれても困るので「どういうことなんですか? 説明してください」と今度は強い口調で言った。

 

「かつてのユウシャがマオウを倒したところまでは覚えてるよな」

 

 ニルに言われてルーリーノは頷く。それを確認したニルは今度はルーリーノに問いかける。

 

「それじゃあ、その後三人のユウシャはどうなった?」

 

「一人は壁を作って亡くなったんですよね。もう一人が西に戻ってきて……」

 

 思い出しながらルーリーノが答えているうちに、ルーリーノの中で答えが出る。

 

「まさかそう言うことなんですか?」

 

「どういうわけか一人はこうしてマオウになっていたわけだろう」

 

 ユメがそんな二人のやり取りを見ながら少し嫌そうな顔をする。

 

「マオウと呼ばれるのは好きじゃないんだけど、まあいいかな。

 

 それよりもそれを隠そうと思ってスティノにまで頼んだのにどうして気がついたの?」

 

「言葉を理解するには、その言葉が表している物まで理解しないと駄目らしい」

 

 ユメの質問にニルがそう答えると、ユメは納得したような表情を見せた。

 

「確かにあいつの力を受け継いでいるならそうなるわね。

 

 それで街に行ったとなると気がつかない方が難しいか」

 

 そんな風にユメが呟いている前でルーリーノが「どういうことなんですか?」とニルに答えを求める。

 

「例えば今日見た『魔動車』なんて言うのはユウシャがいた世界にあったものが元になってるんだよ。元の乗り物の名前は『ジドウシャ』なんて言うらしいがな」

 

 そこまで聞いてルーリーノが理解できたと頷く。

 

 その時一人呟いていたユメが少し不機嫌そうな顔をして話し出した。

 

「と、言うことは私がどうしてマオウって呼ばれたくないか分かった上で言ってるんだね」

 

「まあ、そっちの方が言いなれてるからな」

 

 ニルの言葉を聞いてユメが肩を落とす。ルーリーノは二人が何を言っているのか上手く理解できなかったが、このままでは話が進まないと思い尋ねるのを我慢して、別のことを尋ねる。

 

「二つ聞きたいんですが」

 

「どうぞ」

 

「どうしてユウシャだと隠していたんですか? それとどうして王になっているんですか」

 

 ユメは大げさに首をひねって「そうねえ」と考えるそぶりを見せる。

 

「一つ目は単純そっちの方が面白いでしょ?」

 

 ユメの言葉にルーリーノが半ば呆れた表情で言葉を失った。

 

 そんなルーリーノの事などお構いなしと言う様子でユメは二つ目の質問答える。

 

「二つ目は、まあ、どうしてかと言われるとそうするしかなかったからってところね」

 

「そうするしかなかった……?」

 

 ルーリーノがユメの言葉を復唱するように首をかしげる。

 

 それを見てユメは「西で言うところの亜人と言う人たちについてまず話そうか」と話し始める。

 

「東の人つまり亜人と言うのは見てきたと思うけど、亜人と一纏めにするには多すぎるほどの種族がある。

 

 では、その沢山の種族をまとめる王を決めるにはどうしたらいいのか。

 

 話し合いなんかじゃ意味がないことくらいはわかるよね」

 

 どの種族も自分たちの代表を王にしようとするので話し合いなど進むはずもない。

 

 簡単に想像することの出来たニルとルーリーノが頷くと、ユメは話を進める。

 

「と、言うわけで分かりやすく、最も強い人が王となる。亜人たちはそれに対して疑問を持っていない。だから千年たって私が王ですと言っても簡単に受け入れられたわけ」

 

 つまり亜人たちは人よりもより強さと言うものに重きを置いているらしい。

 

 スティノもそのような事を言っていた気がするとルーリーノが思っていると「それで、」とユメの話が続く。

 

「私たちが先代の王を倒した後、こっちの人たちは新たな王になるために戦い始めた。

 

 それを止めるにはいち早く王を決める必要があったんだけど、強さ志向の強い人たちの中ですぐにでも王になれるのは三人しかいなかったわけなのよ」

 

「それが、ユウシャの三人か」

 

「そう言うこと。でも、戦争を終わらせるためには一人は西に戻らないといけなかったし、一人は壁を作るとか言い出したから、私はここに残って王をすることにしたの。それが私の最大の過ち」

 

 ニルの言葉に頷いて、ユメが続けた言葉。ルーリーノはその最後の一言に疑問を覚えた。

 

「最大の過ちってどういうことですか」

 

 一歩前に出るかの勢いでルーリーノは言ったが、ユメは薄く笑うとそれに答えることはせずに語り出した。

 

「最初はこの東側を平和にするんだとか、私が元の世界に帰っても大丈夫にしないとなんて元居た世界を参考にしながらやってたわけよ。

 

 とはいえ、いつ元の世界に帰されるかわからないから初めにこうなったらいいなと言う計画と、そのために必要なものを考えうる限り書いてね。

 

 十数年前から意識は半分起きていたからある程度の様子はわかってたけど封印が解けて改めて街を見るとよくあんな素人が描いた計画でここまで来れたなと感心したね」

 

「十数年前と言うとニルが生まれた時ですか」

 

 ユメの話を聞いてルーリーノが呟く。その呟きがユメにも聞こえたのか真っ直ぐにルーリーノを見た。

 

「たぶんね。そもそもどうして私は封印されていたと思う?」

 

「強すぎたんですよね」

 

「そうそう、強すぎたの。この世界が用意できる人材じゃどうしようもないくらいにね。

 だから世界は私を封印して私を倒せる人が生まれてくるのを待った。

 

 別世界の人の責任だからその血を受け継ぐものに責任を取らせようと見るか、別世界の血に頼らざるを得なかったのかって言うのは、まあ、見方次第ってところだけどね」

 

 「世界とかルールとか言うのに気がついたのは封印される少し前くらいなんだけど」とユメはそこまで言って話を戻す。

 

「結局私は元の世界には帰れなかった。

 

 それどころか封印されていたんだけど、それ以外にも他の二人と決定的な違いが生まれててね」

 

「違いですか?」

 

 ルーリーノが首をかしげると、ユメは頷き「そ」と短く返す。

 

「あの二人と違って私は自ら死ぬ事が出来ない。

 

 そう言うルールみたいね。

 

 本来は西と東それぞれの王が自分の任から死という形で逃げ出さないためのものなんだろうけど」

 

「自らってことは、他の誰かからならいいのか?」

 

 ニルが殆ど感情の無い声で尋ねるとユメは「確かめてはないけどね」と言って思いっきり背伸びをした。

 

「確かめたくても誰も確かめられなかったし、千年たっても寿命なんて来なかったし」

 

「そんなことが可能なんですか?」

 

 それは所謂不老不死って奴じゃないのかとルーリーノが驚いて尋ねる。

 

 それを聞いてユメは「そうねえ」と何から説明するかを考えはじめた。それからニルを指さす。

 

「その子が使っているのは私達の世界で言うところの『コトダマ』ってのに近いのね。

 

 もう知ってると思うけど、口にした言葉がそのまま現実になるみたいな。

 

 私のはそれと似ているようで全然違って書いた文字が現実になるって力なのよ」

 

 「どっちも、規格外の力って意味だとまったく同じみたいなものだけど。ニル君にもできるでしょ、不老不死のまがい物みたいな事なら」とユメはそこまで言って一度口を閉じる。

 

 確かにニルも不死身のような力は使えたはず。

 

 でも、それは制限時間が……と思ったところでルーリーノはそもそもその制限時間自体ニルがワザと設けていたものではないかと気が付いた。

 

 それからユメはニルに向かって声をかける。

 

「私に向かって『モジヨアラワレロ』みたいなことを言ってくれない?」

 

 ニルは躊躇うことなくユメの言葉を復唱する。すると、何かが割れる音が響きユメの身体が黒く染まった。

 

 しかしよく見ると、黒に染まっているわけではなく何かが書かれていることが分かる。

 

 その姿にルーリーノは思わず一歩後ずさってしまったがユメは気にせずに説明を再開した。

 

「私の力はその性質上自分で無効化することが出来ない。つまり、私が自分に書いた文字が今私を縛っているってわけ」

 

 それだけ言うと、ユメはどこからかペンを取り出し僅かに見える地肌に何かを書き始める。

 

 それからすぐにユメに書かれていた文字が見えなくなった。

 

「と、言うわけで貴方の力で私を殺してくれない?」

 

 その一言を聞いた時、ルーリーノは三つ目の遺跡でニゲルテストゥードーが言っていたことを思い出した。

 

 『わしを殺すべきではなかった』とそう言った黒い亀の意図。

 

 それはこの場においてマオウであるユメが自分を殺すように言ってくること、そしてその時にニゲルテストゥードーを殺したニルならばそのマオウの望みを叶えるであろうこと。

 

 しかし、ここでユメを殺してはいけないのだろうかとルーリーノは考える。

 

 ユメが居なくなれば恐らく新しい王が生まれる。

 

 その王と話し合っても大して問題はなさそうに思える。

 

 そこまで考えてルーリーノは心の中で首を振った。ここでニルがユメを殺してしまった場合ニルの精神が持つのか、これに対してもルーリーノは首を振る。

 

 普段と変わらないようにも見えるが、旅に出るまで城の中で暮らしていたニルにとって溜まった精神的負担は限界に近いのではないだろうか。

 

 その証拠に昨日倒れたのだろうし。

 

「いいのか?」

 

 ニルの言葉を聞いて我に帰ったルーリーノがニルを止めようと声を出す寸前でユメの返答が入る。

 

「今すぐに……と言いたいところだけど、先に教えといてあげる。次の王が誰なのかと言うことと、どうして亜人と人が争うのかを」

 

「次の……王?」

 

「私には関係のない話ではあるんだけど、貴方達はそうじゃないでしょ? そう、これはある意味で善意。ある意味で悪意。最後の最後だし楽しませて貰うね」

 

 ユメの言葉にニルとルーリーノは頭を悩ませると同時に嫌な予感を覚えた。

 

 ユメは少し楽しそうに二人を見ると、その視線をルーリーノにとどめる。

 

 その視線にルーリーノが背中を震わせた時、ユメの口が開かれた。

 

「間違いなく次の王は貴女ね」

 

 そう言ってユメはルーリーノを指さす。

 

「どうして私が」

 

 ルーリーノが一歩前に出てそう声を出す。その間ニルはユメの言葉が理解できずに呆然としていた。

 

「さっき言ったでしょ? 強い者が王になる。

 

 私とニル君を除くと東にいる人の中でもっとも強いのが貴女なのよ」

 

「でも、私は半亜人で……」

 

「先王は半亜人だったよ。むしろ半亜人である必要があったと言うところね。

 

 半亜人が亜人よりも強いと言うわけじゃないけれど、王になるのは半亜人の方が都合がいいの」

 

 ルーリーノの抗議の声をそう言ってユメは避ける。

 

「でも、ルリノは西側の生まれだろ?」

 

 漸く自分の中で理解ができたニルがそう言って対抗するが、ユメは首を振った。

 

「その子が西側の生まれだから王になる資格もある。西側は亜人や半亜人が迫害を受けているんでしょ?」

 

「知ってたのか?」

 

 話が見えてこない中でニルがそう言うと、ユメは「何となくはね」と答える。

 

「しかもユウシャの力で亜人は力を抑えられている。それなのにどうしてその子が生まれるのか分かる?」

 

 そう問われニルは首を振った。

 

「それは貴方が生まれたからね。ユウシャの力が受け継がれた時に何か誤差が生じたと思う。

 

 それで世界は力を持った亜人を生ませることができるようになった。

 

 どうして貴女は半亜人でありながら今もこうやって生きていられるの?」

 

 ユメの問いがルーリーノへと移る。今までの話で半ば放心状態だったルーリーノはハッとしたように顔を上げると口を開いた。

 

「それは、母が私を……」

 

 と言い掛けたところで、ルーリーノが何かに気がついたように黙り込んでしまう。

 

 それから「まさか、そんな……」と自分の考えを否定しはじめた。

 

「そのまさかだと思うよ。少なからず貴女は世界の……まあ、神の力によって生きながらえたと考えれば納得がいかない?」

 

 考えていたことをユメに言われて、ようやくルーリーノは納得する。

 

 自分の母親が聞いたという声、それが神の声であったと言う事を。

 

 しかしだからと言って疑問が残らないわけではない。

 

「世界はどうしてそんな面倒な事をするんですか、強い人を生みだしたかったら東側でやった方が……」

 

「確かに楽なんだけど、そう言うわけにもいかなかった。

 

 むしろそれで終わっちゃったら、私が殺されて貴女が王になって、おそらくそれで貴方達の目的は達成したようなものじゃないの?」

 

 「たぶん、王である私と話がしたくてここまで来たんでしょ?」そんなユメの言葉にルーリーノは納得してしまう。

 

 ニルの心さえ持てば、自分が王になりニルの望む世界はより簡単に作ることができるのではないか、と。

 

「これは、私も王になるまで知らなかったんだけど、王になると本来持っている西の人に対する憎悪が増幅させられるのよ。

 

 これが、亜人と人が争う訳。

 

 どちらかと言うと争い続ける訳だね。

 

 私はユウシャの力でどうにでもなったけど。

 

 問題は今のこちら側の状況だとそんなに人を憎む亜人がいないこと。

 

 だから西側で人を殺したいほどに憎む亜人を生みだす必要があったってところかな」

 

 「半亜人なのはその方がより人を憎んで育っていく可能性が高かったからだろうね」とユメが締めくくったが、ニルもルーリーノも何も言う事が出来ない。

 

 ユメが居なくなればルーリーノが王となり、かつての人への憎しみが増幅されルーリーノの先導で人と亜人の戦争が始まる。

 

 簡単に言えばそう言う事で、それがこの世界の正しい在りようとも言えた。

 

 では、ユメを殺さなければいいのではないかともニルは考えるが、ユメに対する同情もぬぐい去る事が出来ない。

 

 いつの間にか握っていた拳には大量の汗をかいていて、心臓の鼓動が速くなる。

 

 そんなニルにユメがさらに爆弾を投下する。

 

「迷うのは良いけど、もし私を殺さないと言うのなら、私は亜人を率いて西側に攻め込むからね。今の混乱している西側を攻め落とすのは簡単だろうし」

 

 冗談ともとれる口調でユメはそう言ったが、その目は本気であると語っているようである。

 

 どちらを取っても救いのない選択肢からくるプレッシャーにニルが押しつぶされそうになっている中ユメは一人語り続ける。

 

「まあ、私を殺しても何の見返りもないのは確かだよね。

 

 特にニル君なんか生まれた瞬間から人並みの幸せを願うことすらできないわけだし」

 

「それってどういうことですか?」

 

 ユメが暇つぶし程度に言っていた言葉にルーリーノが噛みついた。

 

 それが少し予想外で同時に少し面白く感じたユメが口を開く。

 

「この世界、つまりこの世界をつくった存在がってことなんだけど、今もっとも排除したいのは何かわかる?」

 

「ユウシャの力……ですか?」

 

「三角ってところね。正しくはユウシャの血とユウシャ自身。

 

 つまりニル君の家族と私ね。そうなると、世界としてはニル君には子孫を残して欲しくないわけよ。

 

 残すとしてもそれを管理したい。と、なるとニル君は誰も愛しちゃいけない。

 

 もしも誰かを愛して子孫なんて残したときには例えこの場をうまく乗り切れたところでまた別の形で世界が抵抗してくるだろうし、そうなったら貴方達が今までやってきたことすべてが無駄になる。

 

 この場がうまく行かなければそれこそ、そう言うこと言っている場合じゃなくなる。そう思わない?」

 

「え……」

 

 そんな少し考えれば分かるようなユメの言葉を聞いてルーリーノは自分が動揺していることに驚いた。

 

 そして、ルーリーノは自分の気持ちに気が付き理解した上で、これ以上ニルに負担をかけずにこの場を切り抜ける方法を思いついた。

 

「ニル、ユメさんの望みをかなえてあげてください」

 

「それじゃあ、ルリノが……」

 

 優しい声でルーリーノが言ったのに対して、ニルは驚いたように悲痛とも思える声を出した。

 

 ルーリーノはそんなニルを直視することができず、敢えて視線を逸らして口を開く。

 

「大丈夫ですよ。昔だって人を全滅させるんだとか思いながらも耐えてこられたんですから。

 

 憎しみを抑えることなんて私にしてみたら簡単なものです」

 

 わざとらしい明るい声でルーリーノは言うと、「ただ」とユメの方を見て続ける。

 

「あと何年か待っていてください。

 

 いきなり王になれと言われても、私は東側の生活について何も分かっていない状態ですし、王としてどのようにすればいいのかも分かりません」

 

「つまり、貴女が王としてやっていけるようになるまで私に指導しろってこと?」

 

 呆れたように言うユメにルーリーノは「そうです」と笑顔で返す。

 

 それからルーリーノはニルの方を見ると「これでよかったですか?」と尋ねた。

 

「ルリノは、それでいいのか?」

 

「いいのか? と訊かれたらあまり良くないですが、他の選択肢に比べれば幾分かマシってところです。最悪私が憎しみにとらわれても、ニルなら私を止められるでしょうし」

 

 それを聞いてニルは呆れたように溜息をつく。それを肯定と捉えた。

 

「東の王になるってことはいつか西の王に狙われるってことだけどいいの?」

 

「その時はニルが守ってくれますよ」

 

 ユメの言葉にルーリーノがそう言ってニルを見る。

 

 そんな勝手な事を言うルーリーノにニルは仕方がないと諦めたように首を振った。

 

 二人のやり取りを見ていたユメは「あーあ」と言いながら天を仰いだ。

 

「せっかく、面倒な政治とか経済とか考えなくていいと思ったのに」

 

 誰に言うでもなくユメは言うと「さあて」と今度は気合を入れるかのように言って立ち上がる。

 

 それから、ニルとルーリーノを見ると口を開いた。

 

「ひとまず、西との和解。少なくとも相互不干渉くらいにはしないとね。誰か西側の情勢に詳しい人知らない?」

 

 二人はそれを聞いて少し考えると、同時に同じ人物を思い浮かべた。

 

「エル様とかはどうでしょう?」

 

「エル様?」

 

 その人物を口にしたルーリーノの方にユメは尋ねる。

 

「この間まで西で最大の国の姫であり、神に仕える巫女であった人物だな」

 

「それで、ニルの妹ですね」

 

 ニルの言葉にルーリーノが付け加えるように言うと、ニルが余計な事を言うなとルーリーノを非難する目を向ける。

 

「なるほどね。じゃあ、ニル君はその子連れてきて。ルーリーノちゃんはスティノ探してきてね」

 

 二人のやり取りを全く無視するかのような形で、急にユメがそう指示を出すので二人とも驚いて身体を硬直させる。

 

 その様子がなんとも愉快だなと思いながらも「はいはい、すぐに働いてね」とユメは二人を急かし部屋から追い出した。

 

 一人残ったユメは深呼吸をするように大きなため息をつくと「何ていうか『オトメチック』な、ううん、どちらかと言うと『ヒロイック』な最後に巻き込まれちゃったね」と呟き、二人のことを思い出しながら、終わりも見えているしそれもいいか、と大きく背伸びをした。



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エピローグ

「本当にいいんだな?」

 

「そう言う約束でしょ?」

 

 大陸の東側、その中央に位置している人と亜人が混在する街。

 

 その街にある城の王座。そこで二十歳過ぎの青年と妙齢の女性が向き合って話している。

 

 二人とも黒い髪と黒の瞳をもち、女性の方が王座に座っていた。

 

「でも、まあ、最期に少しだけ話そうか」

 

 黒髪の女性、ユメはそう言ってにこりと笑う。同じく黒髪の青年、ニルはそんなユメの表情に少し戸惑う。最期にどうしてそんな表情ができるのかと。

 

「俺はあまり話すことはないんだけどな」

 

「それはひどいなあ」

 

 そっけなくニルが言った言葉にユメが笑顔を崩さないままで言った。

 

「でも、私の方はあるから付き合ってね。私を何年も付き合わせたんだからいいよね?」

 

「ま、最期だからな満足するまで付き合うさ」

 

 そう言って真っ直ぐにユメを見るニルにユメはからかうように「さすが騎士様は器が違うね」と言って笑う。

 

「ユウシャの力を使えば簡単に東と西を和解させ統一させることもできるはずだけど、ニル君はやらないの?」

 

 急に真剣な目をしてユメがそう言うと、ニルは呆れたように首を振る。

 

「それはあんたもできたはずだろ? それなのに千年前も今回もしなかった。

 

 理由はそれと変わらないさ。それにユウシャの力はルリノを守る時にしか使わない」

 

「例えユウシャの力を使って世界を一つにした所で神や世界から邪魔されるんだったら、世界の作ったルールの内で求める世界をつくる。

 

 千年前は単に壁に遮られていただけなんだけどね」

 

 上げ足を取るようにユメが言うのでニルが少し不機嫌な顔を見せた。

 

 そんなニルを見ているのが面白くて、ユメもそんな事をするのだがまるで反省する様子はない。

 

「まあ、楽しかったよ。最後に貴方達と一緒に居られて。少なくとも退屈はしなかったな」

 

「毎日俺やルリノをからかってたからな、さぞ楽しかっただろうよ」

 

 ニルがそうやって呆れた声を出しても、ユメの笑顔は崩れない。

 

 そんなユメの笑顔が消えた後、どこか寂しそうな表情になりこの世界でニルとユメしか理解できない言葉をユメは使う。

 

「でも、本当は普通に高校を卒業して、大学生になって、就職して、結婚して。特に何もないような人生なんだろうけど、そんな風に生きたかったな」

 

 それを語っている時のユメは年端もいかぬ少女のようで、ニルは何も声をかける事が出来なかった。

 

 しばらくして、ユメが何か吹っ切れたかのように「さて」と声を出す。

 

「最後に一つだけ聞かせて?」

 

 そういうユメの顔は真面目なようで、どこか下世話なような印象も受ける。

 

 そんな嫌な予感を覚えながらニルは「なんだ?」と短く尋ねた。

 

「どうしてルーリーノちゃんが東の王になろうと思ったのか気が付いてる?」

 

 ニルはそのことかと溜息をつき肩を落とす。

 

「気が付きたくはなかったな」

 

 ニルが正直にそう言うと、ユメは少し意外だったという顔をする。

 

「気がついた上で気が付いていないふりをしてたんだね」

 

「正直どういう顔していいのか分からなくなるからな」

 

 「まあ、そうだよね」とユメは最後の最後に面白いものを見つけたという表情を見せると「それじゃあ」とニルの方をまっすぐに見る。

 

「私がルーリーノちゃんに言っちゃう前に口止めしないとね」

 

「もういいのか?」

 

 ふざけて言っているかのようなユメの言葉を汲み取りニルが尋ねる。ユメは表情を変えることなく頷いた。

 

「私が言うのも変だとは思うけど、頑張ってね。『サヨウナラ』」

 

「ああ『サヨナラ』」

 

 ニルが最後に見たユメの姿は笑顔で手を振っていた。

 

 

 

 

 

「スティノ、メリーディへの舟の準備は出来ているか確認してきてくれませんか?」

 

 ニルとユメが居たところとはまた別の部屋。沢山の書類で埋まりそうな部屋の中、ルーリーノがスティノに指示する声が聞こえる。

 

「畏まりました。ルーリーノ様」

 

 スティノはそう言って頭を下げると、部屋を出て行く直前に思い出したかのように口を開く。

 

「今日のお召し物もとてもお似合いですよ」

 

 それだけ言い残してスティノが扉の外に出ると、胸が慎ましやかなのにも関わらず胸元が大きく開いた服を着たルーリーノは盛大に溜息をついた。

 

「本当にお似合いですよ。ルーリーノ様」

 

「様をつけないでください。それから着ている方は割と恥ずかしいんですよ? エル様。むしろこんなものを着せるなんて何かの当てつけだとしか思えません」

 

 聞こえてきた声にルーリーノが疲れたように言うと、エルがクスクスと笑いながら姿を現す。

 

 その両手にはたくさんの書類が抱えられていて、それを見たルーリーノがさらに疲れた顔を見せた。

 

「様を付けないでと言うのはわたくしが言うべきことですよ? もうわたくしは姫でも巫女でもないのですから。それに対して東の王となる方なのです」

 

「そうなんですけど……」

 

 何も言い返せなくなったルーリーノが力無く返す。

 

「それに、スティノさんが用意している物を律儀に着ているのはルーリーノさんじゃないですか」

 

「それもそうなんですけど……」

 

 「様」が「さん」に戻った事に僅かに安心感を得つつ、やはり言い返せないルーリーノがそう言って顔を伏せる。

 

 それを見て思わずエルは笑顔になってしまった。

 

 しかし、これから話すことを考えれば笑顔ではいられないと努めて真剣な表情をつくる。

 

「ルーリーノさんは王座に行かなくていいのですか?」

 

 王座では今ユメとニルが最後の会話をしている頃だろうと予想しながらエルがルーリーノに尋ねる。

 

「残念ながら行っている余裕はないです。

 

 サボりがちだったとは言え何だかんだで働いてくれていた人が居なくなってしまいますから」

 

 ルーリーノが目の前で積まれている書類を見ながらそう言うと、エルは困った笑顔を浮かべて「それもそうですね」と返す。

 

「それで、わたくしはここにいてもいいのでしょうか?」

 

「それは、全てが終わった時に私がエル様を殺してしまうんじゃないかと言う心配ですか?」

 

 ルーリーノがお返しとばかりに厭味ったらしく言い、実際そうとられても仕方がない状況ではあるのでエルはまたも困った笑顔を作る。

 

「大丈夫ですよ。私はニルがいる限り感情に任せて人を殺すことはありません」

 

 ルーリーノは出来るだけ平生を装ってそう言ったが、エルはルーリーノがニルの名前を出す時に優しく同時に寂しさも滲ませた声を出したことに聡く気が付く。

 

「ルーリーノさんはやはりお兄様の事が……」

 

 エルがそこまで言ったところで、ルーリーノが「それに」と声を出してエルの言葉を遮った。

 

「王が人を憎む時、人を憎むのであって個人を憎むわけではないようです」

 

「と、言うことはユメさんは、お兄様に」

 

 ルーリーノの言葉に状況を察することの出来たエルがそこまで言うと口ごもる。

 

「それが彼女の望みだったんですから」

 

 落ち込んだ様子を見せたエルを慰めるようにルーリーノが言うと、エルは暗い表情のままで口を開く。

 

「では、ルーリーノさんの願いは叶うことがあるのですか?」

 

「それは無理ですね。エル様はどうして私が人への憎しみを抑えられているかわかりますか?」

 

 ルーリーノの問いにエルは首を振る。ルーリーノはエルの反応を確認した後で窓から青々と広がる空を見る。

 

「人への憎しみを抑えるにはそれ以上の何かがあればいいんです」

 

「ルーリーノさんには何があるのですか?」

 

 痛々しくも聞こえるエルの声にルーリーノはほとんど間を置かずに答える。

 

「私は世界が憎いんです。

 

 人に対する憎しみなんかどうでもよく思ってしまうほどに」

 

 そう言ったルーリーノはとても寂しそうな笑顔をしていた。

 



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