ガールズ&パンツァー 鉄脚少女の戦車道 (流水郎)
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プロローグ

 学園艦の老朽化及び、維持費削減を目的とした統廃合により、目立った活動実績のない学校が多数廃校となった。生徒達は涙をのんで吸収先の学校へ向かい、そこで新たな日々を送ることとなる。

 しかし既存の学校へ吸収合併するだけでは学園艦の収容力に限界があったため、廃校となった複数の学校を統合した、新造学園艦も生まれる。この物語の舞台となる千種学園もその一つだ。設備は真新しく規模も大きいが、所詮は「実績のない学校の寄せ集め」というレッテルを貼られ、校外から関心を持たれることは少なかった。

 

 これはそんな学校から始まった、少女達の鉄臭い物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな、準備はいい?」

 

 エンジンの音が鳴り響く、狭苦しい戦車の中。少女は仲間たちに呼びかけた。

 

「……砲塔旋回、照準機確認……砲手、準備良し」

「エンジン出力、変速機共に正常。操縦手、準備良し」

「閉鎖機動作異常なし! 砲弾格納正常! 装填手準備良し!」

 

 咽頭マイクを通じ、仲間たちの返事が返ってくる。これは声帯から直接声を拾うマイクで、エンジン音に邪魔されず会話ができ、二次大戦中から戦車乗りの必需品とされてきた。

 車内の温度は四十度に達していた。ただでさえ戦車の中は密閉された空間だというのに、彼女たちが乗っている戦車は車内がやたらと暑くなる代物だった。何せ、ラジエーターの配管が車内を通っている凶悪な設計なのだから。

 

「準備はいいけど、私たちがこれに乗らなくてもよかったんじゃない? この暑さには慣れないわ」

 

 操縦手が心底辛そうに言った。

 

「この戦車は履帯が細いから、デリケートな操縦ができる人の方がいいの。結衣さんの腕を買ってるってことで一つ」

「それはありがとう。自分で言うのも何だけど、要領がいいのも時には損ね……」

「予算が追加されたら真っ先にこいつを買い替えるから、それまでの辛抱だよ。お兄ちゃんにいい戦車ないか聞いてみる」

 

 話をしつつ、少女は目に汗が入らないよう、額を袖で拭う。そして戦闘区域の地図を見つめ、作戦を反芻していた。

 

「じゃあいっそ、オープントップの奴にしない? 風通し良さそうだし!」

「……それ、死んじゃう……」

 

 装填手と砲手のやり取りを聞きつつ、車長の少女はハッチを開け、立ち上がった。彼女の右脚は作り物だったが、それでもしっかりと体を支えて立つ。外は風があったため、少しではあるが涼しい外気が車内に入ってくれた。操縦手の少女も暑さに耐えかねてハッチを開け、顔を出して発進の用意をする。車長は何も言わなかった。元々実用に耐えない戦車なのだ。

 目の前に広がる林と丘のフィールドを見つめ、少女はふと笑みを浮かべる。

 

 

「そのためにも、この勝負は勝たないとね」

 

 

 ……彼女たちがこのような状況に至ったきっかけは、三週間ほど前のことである。



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第一章 鉄脚少女の再起
義足の一年生です!


初めまして。このサイトでは初めて投稿する流水郎と申します。
「なろう」の方で地味に戦記物を書いている身ですが、ふとガルパンの二次創作を書きたくなり、ここへも足を伸ばしました。
ご感想・ご批評いただけたら幸いです。



 普通科教室の窓際の席で、少女はぼんやりと虚空を眺めていた。顔立ちは整っているものの、ボサボサの頭髪は身なりに気を遣っているとは言い難く、美少女と言われることはまずないだろう。つい先日入学した新一年生の一人ではあるが、その虚ろな眼差しは高校生活というものに一切希望を持っていないようにさえ感じられる。現に周囲のクラスメイトたちが学食へ急ぐ時間だというのに、彼女は席を立つ気配がなかった。

 

 ふと轟く爆音。彼女が外を見ると、青い空へと飛び立つ巨体が見えた。パラソル翼に並ぶ四機のエンジンが唸り、銀色の塗装が太陽光を反射している。航空学科の九七式飛行艇だ。後継機の二式大型飛行艇ほど高性能ではないが、離着水が容易という利点がある傑作飛行艇である。農業学科が作った野菜や畜産物を陸の市場に運ぶのだろう。千種学園のブランドをアピールするため、このような生産物の輸出が多く行われているのだ。

 少女は高度を上げていく飛行艇をじっと見送っていた。机には日本史の授業を大雑把にまとめたノートが置かれており、片付ける様子もない。自分のことにさえ無関心であるかのように、飛行艇の後ろ姿を眺めている。

 

「おーい、ご飯だよ!」

 

 レシプロエンジンの爆音が遠ざかっていく中、大声が彼女の耳元に響いた。

 

「……知ってる」

 

 彼女が極めて不機嫌そうに振り向くと、大声の主は楽しそうに笑っていた。ショートヘアのよく似合う、いかにも活発そうな元気娘だ。着ているのは緑のブレザーの制服だが、体操服やユニフォームが似合いそうな容姿である。くりくりと大きな目がそれを引き立てていた。

 椅子からゆっくりと立ち上がろうとする彼女の手を、元気娘はそっと握る。

 

「……何?」

「手、貸すよ。食堂遠いし」

 

 ボサボサ頭の少女は仏頂面のまま、大人しく手を借りて立ち上がった。その脚から金属的な音がする。左足は健康的なすらりとした脚だが、右足は膝から下が金属とプラスチックでできた棒状の物がぶら下がっている。

 彼女の右脚は義足だった。

 

「行こ、イロハちゃん!」

 

 活発な声と手に引きずられ、義足の少女……一ノ瀬(いちのせ) 以呂波(いろは)はゆっくりと歩き出した。リハビリを行ってきた成果か、義足の身としてはスムーズに歩いている。そんな彼女に笑顔を向け、ショートの元気娘は歩調を合わせて廊下へ出ていく。

 

「……相楽さん、だっけ?」

「美佐子でいいよっ!」

 

 溌剌と答えながら、相楽美佐子という少女はエレベーターのボタンを押した。扉が開いて二人で乗り込み、食堂のある一階へ向かう。

 

「美佐子さんって世話好きだったの?」

「うーん、世話好きってか、イロハちゃんってどんな人なのかなー、って思っただけ。あんまり人と話しないしさー」

 

 つっけんどんな態度の以呂波に対し、美佐子はやたらに陽気だった。以呂波は普段クラスメイトとほとんど口をきかないため、あまり彼女のことを知っている者はいない。片足が義足、加えて名前が一風変わっているため嫌でも目立つが、その無愛想さからあまり近寄ってくる人間がいないのだ。

 

「で、どんな人なの?」

「どんな人って……あなたはどんな人なのよ」

「私はね、お父さんとお母さんは小さい頃に死んじゃったんだけど、陸におじいちゃんとおばあちゃんがいて、あと猫のナナがいて……」

 

 そんなことを話している間にエレベーターは止まり、二人は再び歩き出す。以呂波は生気のない仏頂面のまま、美佐子は鬱陶しいくらいに朗らかで陽気な笑顔のまま、食堂へ向かう。あれこれ喋り続ける美佐子の話を適当に聞き流しながら、以呂波は漂ってくる食事の匂いを感じた。ようやく、彼女は何を食べようかということに思考を働かせ始めた。今日はあっさりした物がいい。蕎麦にしようか、いや、昨日はスパゲッティだったから麺類以外にしよう。

 

 食べ物のことだけ考えながら、生徒で賑わう食堂に脚を踏み入れる。千種学園は共学ではあるが、統合された四つの学校のうち二校が女子校だったため、女子の比率が多い。今年入学したばかりの以呂波たち一年生も、どちらかと言えば女子の数が多かった。今日の昼の校内放送は落語のようで、軽妙な語りがスピーカーから流れている。時折吹き出す生徒もいたが、以呂波の耳には入っていなかった。

 

 悩んだ挙げ句、結局思考は麺類に帰ってきてしまったようで、冷やし中華を注文した。カツカレーを注文した美佐子に連れられて隅のテーブルへ向かうと、そこではすでに二人の女子生徒が食事をしていた。二人とも以呂波のクラスメイトだった。

 

「おっす、お待たせ!」

 

 盆を置くと、美佐子はどかっと椅子に座った。

 

「遅いと思ったら、一ノ瀬さん連れてきてたのね」

 

 ちらりと以呂波を見てそう言ったのはクラス委員長の大友結衣だ。さらりとした奇麗なストレートヘア、眼鏡、真面目そうで穏やかな物腰と、『委員長』のステレオタイプを詰め込んだような少女だ。以呂波に世話を焼いてくることも多かったが、つっけんどんな態度を取る以呂波を見て、少し放っておいてあげるべきと判断したようで、ここ数日は口をきいていない。

 

 その隣にいるのは加々見澪という、何となく存在感の希薄な少女だ。全体的に線の細い印象で、前髪で目元が半ば隠れた容姿がそれに拍車をかけている。物を言うのが苦手そうな風でもあり、大友結衣の隣で黙々と塩鮭をつついていた。

 

「うん、何か声かけてみたい気分だったからさぁ。そうしたら何だか気が合っちゃって」

「合ってない」

 

 訂正しつつ、それでも以呂波は美佐子の隣に座った。さすがに今から別の席へ向かうのでは態度が悪すぎる。

 

「ごめんね一ノ瀬さん、この子脳筋だから」

「結衣ちゃん酷っ! 優等生で普段超優しいのにさらっと毒吐くところが酷っ!」

 

 穏やかな口調で容赦ないことを言う結衣に、美佐子はオーバーリアクション気味にツッコミ返す。

 

「じゃあ体力バカで」

「もっと酷いよぉ! 澪ちゃん、違うよね? あたしバカじゃないよね?」

 

 急に話題を振られ、加々見澪は箸につまんでいた鮭の一部を取り落とした。続いて困ったような顔でじっと美佐子を見つめる。そしてゆっくり、口を開いた。

 

「……バカ」

「うわーん! 澪ちゃんまで!」

 

 頭を抱え、叫ぶだけ叫んだかと思うと、急に美佐子はスプーンを手に取った。黄金色のカツの衣にカレーが染み込み、湯気を立てるカツカレーを豪快に頬張り始める。まるで怒りを昼食に叩き付けているかのように。

 

「うおおお、こうなったらカツカレーおかわりしてやるんだから!」

「好きにしなさい」

 

 騒々しいクラスメイトたちを見ながら、以呂波はくすりと笑った。こうして昼食に誘ってくれるのは有り難いことだが、どうにも素直になれない。中学校時代はもっと騒々しい世界にいたし、それを楽しんでいたというのに。

 それでも、今だってそう悪くはない。以呂波は目の前の冷やし中華に意識を集中させることにした。酸味の強すぎないタレが美味しい。小さな卵豆腐が乗っているのも気に入った。結局二日続けて麺類を昼食にしてしまったが、以呂波は満足だった。同じテーブルの三人も別に嫌いではない。むしろ良い連中なのだということも分かってはいるのだ。気遣ってくれていることも、心の中では感謝していた。ただ放っておいてほしかっただけだ。

 

 麺を啜り、カニカマやキュウリなどの具を味わう。たまに美佐子や結衣から声をかけられ、それに短く答える。澪はたまにじっと以呂波を見つめ、以呂波が気づくと慌てて目を逸らす。頬が赤らんでいる辺り、極度の人見知りというか、恥ずかしがりやなのかもしれない。

 だが悪くない昼食だ。以呂波は麺を啜りつつ、カツカレー二皿目を完食しつつある美佐子を横目で眺めていた。

 

 

 

「ねぇ、ちょっといいかな?」

 

 ふいに後ろからかけられた声により、彼女の満足は中断された。それを表現するがごとく、啜っていた麺が彼女の口元でぷっつりと切れる。決して狙ってやったわけではないが。

 

「一ノ瀬以呂波さんだよね? 私は広報委員会の者なんだけど」

 

 声をかけてきた女子生徒は首からカメラを提げており、制服の校章は青色だった。以呂波たち一年生は緑の校章なので、青の校章は三年生ということになる。

 

「ちょっと一ノ瀬さん、放課後に第二グラウンドまで来てくれないかな? あ、イジメとかカツアゲとかじゃないよ、本当に。お願いしたいことがあるんだ」

「はぁ……?」

 

 状況を把握できない以呂波、及びそのクラスメイト三名に、三年生は早口でまくし立てた。

 

「要はね、一弾流宗家の力を借りたいの」

 

 その一言に、以呂波の目が見開かれた。それを見届け、三年生は身を翻す。

 

「じゃ、詳しいことは放課後にね。よかったらお友達も一緒に!」

 

 そう告げて駆け出した彼女は食堂の人ごみの中へと消えていく。その後ろ姿を、以呂波は目を見開き、他三名はきょとんとした表情で見送った。

 

「一弾流宗家って、何のこと?」

「……私の家の……戦車道の流派」

 

 視線を落とし、以呂波は呟くように答えた。おおっ、と声を上げたのは美佐子だった。

 

「イロハちゃんの家って、戦車道の網元なの? スゴイ!」

「家元、でしょ。戦車で魚捕ってどうするの」

 

 結衣から冷静なツッコミが入った。

 

「この学校、戦車道はやってないはずだけど……」

「でも農場の方に戦車が飾ってあったよ! でっかくて、なんか大砲とかマシンガンとか沢山ついてるヤツ!」

「……あれ、怖い……」

「統合前の学校から運ばれてきた車両がいくつかあるって聞いたけど。もしかしてそれで戦車道を始めるとか?」

「きっとそうだよ! 大笑い女子学園みたいに、戦車で名を上げようってことだよ!」

「大洗、ね」

 

 あれこれ話し合う三人を他所に、以呂波は自分の義足をじっと見つめていた。正確には義足ではなく、失った右脚を見ていた。脳内で様々な思いが複雑に交差し、周囲の声さえもろくに聞こえなくなる。これからどうなるのか、何が起きるのかなど分からない。だが片足を失ったことで変わってしまった人生が、再度大きく方向転換させられたように思えた。

 戦車道一弾流宗家。その看板は未だに自分についてきているのだと、以呂波は自覚する。だが果たして、自分に何ができるのか。何をする力が残っているのか。それが問題だった。

 

「……一ノ瀬さん」

 

 ふいに名を呼ばれ、はっと顔を上げる。

 

「放課後、私たちも一緒に行っていいかしら?」

 

 結衣が穏やかに尋ねる。クラス委員長の責任感からか、或は元々そういう性分なのか、その口調には以呂波を気遣うような優しさがあった。義足の身で入学して、ろくに友達も作ろうとしない。そんな奴を心配するのは当然のことだろう。戦車に乗っているときは人の和が何より大事だと分かっていたはずなのに、降りた途端それを忘れてしまっていたのかもしれない。以呂波は自分が情けなくなると共に、少しは彼女たちの好意に甘えようと思った。

 

「……うん。お願い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……午後の授業は今ひとつ手に付かなかった。いつもならびっしりとノートに書き込む以呂波だが、今日はやたらと筆の進みが遅い。切れたと思った戦車との縁が再び巡ってきたのだから、当人としては無理からぬことだった。

 放課後、鞄に荷物をまとめた頃には、もう美佐子たちが側に来ていた。素直に手を借り、指定場所の第二グラウンドへ向かう。澪は結衣の後ろに隠れておずおずとついてきているが、彼女は彼女で以呂波のことが気になっているのか、観察するような視線を向けていた。

 

 学園艦には森や野山のような自然も再現されており、第二グラウンドはそれらのすぐ側にある。風で木々がざわめく中、グラウンドには二十人ほどの生徒が集まり、体操を行っていた。全員女子である。

 その中に、昼休みの三年生もいた。

 

「おおっ、来てくれてよかったぁ」

 

 以呂波たちに気づくと、彼女はすぐに駆け寄ってきた。眼鏡をして背の高い、なかなかスタイルのいい少女である。首には相変わらずデジタルカメラを提げていた。

 

「改めまして、広報委員長の船橋幸恵。よろしくね」

「……一ノ瀬以呂波です。こっちは……」

「同じクラスの大友結衣です」

「相楽美佐子です。同じくおまけで来ました!」

「……加々見澪です」

 

 四人が名乗り終えると、船橋は「みんなよろしく!」と声をかけ、並んでいる女子生徒たちの方へ向き直る。全員の視線が以呂波に集中していた。ほとんどが二年生か三年生のようだが、所属学科を表すワッペンは農業学科、情報科、航空学科など数種類の物を身につけていた。

 

「さて、一ノ瀬さん。お願いというのは他でもなく、ここにいる千種学園戦車隊の指揮を取ってほしいの」

「指揮を……」

 

 以呂波の表情が僅かに強張った。

 

「わぁ! やっぱりこの学校でも戦車道始めるんですか!?」

「ええ。知っての通り我が校は、学園艦統廃合によって四つの学校が合併して生まれた。そして世間からは『取り柄のない生徒の掃き溜め』なんて評価を受ける始末なの」

 

 船橋の語る内容は、一年生でも聞いていた。学園艦統廃合は艦の老朽化の対応と維持費削減のために行われたが、廃校対象となったのは目立った活動実績を上げていない弱小校だった。それらが合併してできた千種学園がそのようなレッテルを貼られるのは自然の成り行きかもしれない。しかし合併後の今年に入学した以呂波たちはともかく、上級生たちが辛かったことは容易に想像できる。何せ「取り柄が無い」の一言で母校を廃校に追い込まれ、新天地へ来てもそのような評価を受けているのだ。

 

「そこで! 『大洗の奇蹟』以来高まっている戦車道熱に乗じ、戦車隊を結成することを提案したのです! ここにいるのは同じ志の仲間達で、みんなで協力して世間の評判を覆すと決めたのよ!」

「おお! カッコいい!」

 

 歓声を上げる美佐子を他所に、以呂波は辺りをゆっくりと見回した。そして冷静に口を開く。

 

「……戦車は何処に?」

「もちろんあるよ。合併前の学校はみんな戦車道を廃止してたけど、残ってた戦車がお飾りとしてこの学園に引き取られてた……のだけれど」

 

 少し目線を逸らし、船橋は頬をポリポリと掻いた。

 集まっている生徒たちも、皆苦笑を浮かべたり、ため息を吐いたり。何か話がおかしくなってきたぞと思ったとき、結衣が船橋に質問した。

 

「先輩、農場に置いてあった大型戦車ですけど、あれも使うのですか?」

「あー、うん。使うよ。農業科のみんなが乗る」

「調べてみたのですけど、あれって旧ソ連の……」

「まあ、とりあえず!」

 

 両手を前に出して結衣の言葉を遮ると、船橋は近くにある倉庫らしき建物へと走って行く。『用具・車両置き場』との表札があった。体育の用具の他、艦内の工事に使う車両も格納しておくスペースらしい。

 

「見てもらった方が早いわね。こっち来て」

 

 ガラガラとシャッターが開けられ、全員が倉庫へと向かった。

 義足でゆっくりと脚を踏み入れ、以呂波は愕然とした。








※2017/12/28追記
この小説の連載開始は2014年です。
劇場版が公開された後はその内容を反映させるべく一部に修正を行いましたが、最終章第一話の公開時にはすでに完結の一歩手前でした。
最終章の内容を反映させるには大幅な改稿が必要となるため、パラレルだと割り切ってそのまま書き上げました。
最終章公開後にお読みになる方はその点にご留意ください。


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以呂波、再起します!

 倉庫の中には確かに戦車があった。大中小様々な、合計四両の車両だ。整備は一応行き届いているようで、装甲や履帯、砲などは奇麗になっていた。しかし問題はそれ以前のことである。

 

「……Mk.V巡航戦車カヴェナンター、T-35重戦車1939年型、トゥラーンII重戦車、トルディ軽戦車……本気ですか、これ」

「冗談だと言いたい所だけど、これだけしかないのよ……」

 

 何とも微妙な笑顔が、以呂波の顔に浮かんだ。もう笑うしかない。よくもまあ世界に名高い欠陥戦車二両に、知る人ぞ知るマイナー戦車二両という組み合わせを用意できたものだ。そしてこんな戦車で名を挙げようとしている、先輩たちの気力にも心底感心した。

 結衣は戦車に詳しいわけではないが察したらしく、心配そうに以呂波を見ていた。その背後に澪が、戦車に怯えるかのように隠れている。ただ一人、美佐子だけが怪訝そうな顔をしていた。

 

「何か不味いの? カッコいいじゃん。このデカい奴とか強そうだよ」

 

 T-35の巨体に近寄り、前面装甲を叩きながら言う。全長十メートル近い車体の中心に円錐形の主砲塔が備えられ、それを取り囲むように副砲塔と機銃砲塔が二基ずつ配置されている。見た目のインパクトで勝る車両はないだろう。

 

「これはT-35って言う、有名な失敗戦車だよ……」

「え!? 大砲沢山ついてて凄そうじゃん!」

「その沢山の砲のせいで重くなったから動きは鈍いし、重量軽減のためデカいくせに紙装甲。各砲塔の射角も限られてるし、そもそも多砲塔ってだけで指揮がしにくいし、良い所なんてないんだよ」

「……じゃあ、こいつは?」

 

 続いて美佐子が指差したのは車高の低い、リベット留め装甲の戦車だった。見る者が見れば、それが史上最悪クラスの欠陥戦車だと分かる代物である。

 

「カヴェナンターね。これの欠陥列挙してたらキリがないから」

「あっちのは……」

「トルディはハンガリーの軽戦車で、まあ偵察には使えるけど火力はないね」

「じゃああれは?」

「トゥラーンII重戦車。これは何とかまともだけど、短砲身の75mm砲じゃやっぱり火力が心もとないかな」

 

 かつてドイツとソ連の間で翻弄された国で、低い基礎工業力の中苦労して開発された戦車だ。トルディIは軽戦車としては大柄で最高速度も50km/hと速い方だが、武装が20mmライフルでは攻撃力は期待できない。

 トゥラーンIIは重戦車と言っても、ハンガリー軍では75mm砲を搭載していれば重戦車に分類されていたのであり、実質的には中戦車だ。そして75mmと言えど短砲身なので、以呂波の言う通り火力は今ひとつである。これで新たに戦車道チームを発足するというのだ。

 

「船橋先輩、はっきり言って無謀だと思います。一弾流は逆境の中で生まれた戦車道ですが、これではあまりにも……」

「分かってる。無茶を言っているのは。でもやりたいの」

 

 以呂波の言葉を遮り、船橋は毅然と言った。

 

「少しでも実績を作れば予算も増える。そうすればもっと良い戦車も手に入る。だからせめて一戦でも、このチームで勝って名を売らなきゃいけない。経験豊富な隊長が必要よ」

「一年生で、しかもハンディキャップ持ちの私を隊長に選ぶと?」

「後輩であっても、戦車道の経験がある生徒はあなたしかいないのよ、一ノ瀬さん。中学校時代の実績は調べさせてもらったわ」

 

 以呂波の表情が強張った。右脚がじわりと痛んだような気がした。かつて仲間たちと共に戦い、勝利し、そして最後には片脚を失った。栄光と挫折の記憶が脳内に蘇ってくる。

 船橋は続けた。

 

「あなたが戦車道からどうしても足を洗いたいなら強制はしない。それなら私たちだけでもやる。嫌なレッテルを貼られたまま卒業するくらいなら、例え無理でも抵抗してみたい。一歩でも前に進みたいから、私たちはここにいるの」

「前に……」

 

 自然と、右脚に目がいく。膝から下が義足となったその脚が、自分に何か訴えかけているような気がしたからだ。だがそれが何かは分からない。

 いつの間にか戦車道志願者たちが整然と並び、真剣な面持ちでじっと以呂波を見ていた。

 

「引き受けてくれるのなら、例え一年生でもみんなあなたの指揮に従うことに異存はないわ。……どうか、お願いします」

 

 船橋が腰を直角に曲げ、以呂波に向かって頭を下げる。直後、「お願いします!」の叫びと共に、彼女の背後にいた志願者の面々も一斉に礼をした。二十人以上の二年、三年生から一斉に頭を下げられる中、以呂波は立ち尽くす。

 ここまでして戦車道をやりたいと言うのか。人数は戦車道チームとしては多いとは言えず、戦車の数もたったの四両、うち二両は欠陥兵器で、その上義足の身である自分を隊長に迎えると言っている。右脚を失ったとき、戦車の道も失ったと思っていた自分を。あまりにも無謀で、条件の良いスカウトとは言い難い。

 

 それにも関わらず、以呂波は彼女の誘いに一種の魅力を感じていた。

 

「あの、差し出がましいですが」

 

 静かに聞いていた結衣が口を開いた。以呂波が悩んでいるのを見て取ったのだ。

 

「考える時間をあげた方がいいと思います。先輩方にこんな風に頭を下げられて、一ノ瀬さんもびっくりしてると思いますから」

「……そうね」

 

 ゆっくりと頭を上げ、船橋は笑顔を浮かべる。

 

「考えておいてくれるかしら。できれば前向きに」

「……分かりました。失礼します」

 

 一礼して、以呂波は倉庫を出た。三人に付き添われながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校前の駅から、四人は電車に乗って下校した。規模の大きな学園艦にはトロリーバスや、稀に鉄道のような交通手段が用意されている。千種学園も四校が合併して誕生したため比較的広大で、小さな路面電車が通学に使われていた。そのため今日も夕日の下、帰宅する生徒たちが大勢列車に揺られていた。

 

 その中に以呂波たちもいる。乗車人数が多かったので、義足の以呂波が席に座り、他三人はそのすぐ側でつり革に掴まっていた。

 

「イロハちゃんの一弾流って、どんな流派なの?」

 

 座っている以呂波を見下ろし、美佐子が尋ねる。

 

「そういえば西住流とか島田流とかは聞いたことあるけど、一弾流っていうのは初耳ね」

 

 結衣も興味深げに言った。勉強熱心な性格故に好奇心も強いのだろう。

 

「一弾流は大戦末期、本土決戦に備えて訓練してた戦車兵の一部で考案された戦術を、私のおばあちゃんが戦車道向けの流派としてまとめたものなの」

 

 以呂波は俯いたまま、素直に答えた。

 

「前進も後退もできない極限の状況で生まれた、『踏みとどまるための戦車道』。戦車をカモフラージュしての待ち伏せや奇襲に重点を置いた流派だよ」

「なるほど。世相を反映してるけど、実戦的ではあるわね」

「うん、西住流とかをやってる人からは『貧者の戦車道』なんて呼ばれちゃうけどね」

「でもカッコいいよね! 一弾流って名前」

「乗員みんなが一つの弾丸になるっていう意味なんだ。一ノ瀬の『一』とか、剣術の一刀流ともかけてるらしいけど」

 

 昼食のときと比べ、以呂波は不思議と饒舌になっていた。今まで張っていた妙な意地もなく、美佐子たちの言葉にすらすらと返している。船橋の誘いは彼女を悩ませていたが、何故か今までの鬱屈とした気分が晴れてきていた。

 

「……イロハちゃんさ、戦車好きなんだね」

「え?」

 

 美佐子の言葉に、ふと顔を上げる。

 

「だって戦車見てから活き活きしてるもん」

「そうね、口数も増えたし」

 

 結衣も同調する。澪もその後ろでコクコクと頷いていた。

 確かにその通りだ。駄作戦車やマイナー戦車であっても、その装甲や主砲、履帯を見ただけで少し心が躍った。今までずっと戦車道しかやってこなかったのだから、仕方ないことだろう。現に戦車の道を絶たれたと思った途端、未来が絶たれたような気分になったのも事実である。

 

 以呂波には姉妹もいるが、その中でも特に母親から期待されていたし、周囲から可愛がられていた。だからそれに応えようと努力した。その中で戦車道こそが自分の生き甲斐だと思い始めた。だが右脚を失った瞬間、大人たちはそれ以上彼女が戦車に乗ることを望まなくなったのである。当然と言えば当然だろう。傷を負った娘に尚も戦車道を続けろなどと、親としては言えるものではない。ただ一人、彼女の兄だけは自分の生きたいように生きろと言うだけだった。

 だが期待を一身に受けながら戦ってきた以呂波には、その期待を失ったことに耐えられなかった。

 

 今また、戦車道で自分に期待する人間と出会った。果たして自分にまだ、何かできる力があるのだろうか。『踏みとどまる戦車道』一弾流に踏みとどまれなかった、そんな自分に。そう悩みながらも、戦車を見るとエンジン音や砲の雄叫び、鉄の臭いが脳裏に蘇ってくる。彼女が何よりも好きだったものだ。そして、右脚を失った記憶も。

 

「イロハちゃんがリーダーやるなら、私も戦車に乗りたいな」

 

 美佐子が言った。

 

「あたしね、強くなりたいんだ」

 

 彼女は相変わらず明るい表情だが、その言葉から以呂波は何か強い意志を感じた。脳筋だの体力バカだのと言われていた美佐子だが、彼女なりに背負っているものがあるのかもしれない。以呂波が家名を背負って戦ったように。

 

「……強くなれるなら……私も」

 

 意外にも澪が美佐子に賛同した。相変わらずおどおどしながら、以呂波の反応を窺っているが、口調にはやはり真剣さがあった。

 

「私もやる。無謀かもしれないけど、船橋先輩たちは立派だと思う。一緒に戦って、どうなるか見ていきたいから」

 

 と、結衣も同調する。単なる優等生ではなく、なかなかアクティブな一面もあるようだ。

 彼女たちは前に進もうとしている。船橋たちも当たって砕けろのごとく、あのような戦車で無謀なことを始めようとしている。

 

 一歩でも、前進。その信念が強く感じられた。

 

「……私の脚でも、前に進めるのかな……」

 

 右脚の膝、空気圧で作動する人工関節を撫で、以呂波は呟いた。

 

 丁度そのとき、列車が速度を落とし始めた。慣性の法則で生徒たちの体が進行方向へ引っ張られる。住宅エリアの駅に着いたのだ。

 停止してドアが開き、出入り口に近い生徒から順に降りていく。

 

 美佐子がまた、手を差し出してきた。昼時から変わらない朗らかな笑顔が、傾き始めた日差しに当たって輝いて見えた。

 

「二人三脚で進めばいいじゃん。戦車だって一人じゃ動かせないんでしょ」

 

 その言葉を聞いて、以呂波はふと息を吐いた。美佐子と結衣の手を借りて、左足に力を入れて腰を上げ、右の義足も使ってしっかりと立つ。右腕を美佐子の肩に預け、体を支えてもらいながら列車から降りる。美佐子は体力バカ呼ばわりされただけあって、少しもよろけずに以呂波を支えてくれた。

 

 彼女の言う通り、戦車は一人では動かせない。

 砲を撃つのは砲手。

 弾を込めるのは装填手。

 戦車を走らせるのは操縦手。

 自然と仲間を頼っていたし、仲間も自分を頼っていた。今こうして、肩を借りているように。

 

「……床屋、行かないと」

「え?」

 

 突然の言葉に、美佐子、結衣、澪の三人の視線が以呂波へ向いた。以呂波はボサボサの、手入れなどろくに考えていないであろう髪を掻き、照れくさそうに笑みを浮かべる。

 

 

「身だしなみから整えないとね。……戦車道も武道だから」

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
私の趣味もあってマイナー戦車や珍兵器の登場ですw
こういうのがどのくらい需要あるかは分かりませんが、続きも頑張って書いていこうと思います。
ご感想、ご批評等ございましたら宜しくお願いいたします。


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訓練やります!

 障害物のパイロンが置かれた演習場に、エンジン音が轟く。幅の細い履帯で砂埃を巻き上げながら、姿勢の低い戦車がパイロンの間を縫ってスラローム走行していた。イギリス製の巡航戦車カヴェナンターだ。リベット留めの装甲や40mmの主砲は貧弱に見えるが、車内ではそれ以上の悪夢が起きていた。

 

「右……左……右……」

 

 インカムに聞こえてくる指示通り、結衣がハンドルを操作する。初心者としては要領よく車体をコントロールできているが、彼女は全身汗だくになっていた。小さな視察用の窓から外を見るも、目に汗が染みて視界がますます悪くなる。

 緊張からではない。戦車の構造のせいだ。

 

「一ノ瀬さん、もう限界! ハッチ開けさせて!」

 

 結衣がそう叫んだ直後、履帯がパイロンに当たって轢き潰した。いかに真面目な彼女と言えど、摂氏四十度の空間で的確な操縦を続けることは難しかったようだ。

 

「狭い視界に慣れて欲しかったけど、やっぱり限界だね……開けていいよ」

「ありがとう!」

 

 礼を言うと同時に、操縦席の装甲ハッチを開け放つ。涼しい外気に顔を晒し、胸一杯に吸い込む。このカヴェナンターという戦車は冷却器(ラジエーター)の配管が車内を通っている設計なのだ。後部のエンジンの熱を吸収した冷却水が、車内を通って熱を撒き散らし、車体前部の冷却器に送られるのである。車内全体が蒸し風呂となる凶悪な戦車で、しかも冷却器の放熱板が車体前面にあるため、弱点が剥き出しだ。

 

「結衣ちゃん頑張って! サウナだと思って!」

「美佐子はなんで平気なのよ……」

 

 美佐子の体力バカ丸出しな発言に苦笑しつつ、結衣は操縦を再開した。残りのスラロームを突破し、しばらく進んだところで以呂波が「右九十度旋回、砲撃用意」と指示する。装填手席の美佐子が2ポンド砲の40mm砲弾を持って準備した。

 旋回を終えて停止命令が出たとき、戦車の前方に的が見えた。砲手席の澪が額の汗を拭って、照準器を覗き込む。

 

「目標十二時、距離三百」

「装填完了したよ!」

 

 比較的小ぶりな40mm弾とはいえ、美佐子は力があるだけに装填が素早い。何より汗をかきながらも、常に快活に作業をこなす。

 澪もまた、普段は結衣の背後に隠れてばかりいるが、照準器を覗いているうちは怯えの消えた表情となり、じっと目標に集中する。

 

「撃て!」

 

 以呂波の号令の直後、トリガーが引かれた。轟音が空気を震動させ、発砲炎と共に砲弾が放たれる。火薬の臭いが車内に立ちこめた。的のかけられている土塁に土煙が上がるが、的より僅かに上に着弾している。

 

 まだ慣れない砲撃の音に感じ入る仲間たちに、以呂波は冷静に次弾の準備を命じた。美佐子が素早く装填し、澪は照準を修正する。再び、号令と共に砲声が轟いた。

 

「……当たった!」

「おめでとう!」

 

 澪が笑みを浮かべ、美佐子とハイタッチする。以呂波がハッチから顔を出して双眼鏡で確認すると、徹甲弾はハリボテの的を見事に突き抜けていた。

 

「うん、この調子だよ」

 

 砲手の肩を叩きつつ、以呂波は車外通話の無線を入れた。

 

「馬術部チーム、航空科チーム、聞こえますか? オーバー」

《はい、聞こえてるよ。オーバー》

「今から戻りますから、次、訓練してください。車長同士でジャンケンして勝った方がトゥラーン、負けた方がカヴェナンターで。オーバー」

《うわ……了解。アウト》

 

 通信が切れ、以呂波は車内に顔を引っ込める。

 

「結衣さん、帰投するよ」

「了解、っと」

「……もっと撃ちたかった……」

「いやぁ、小さい大砲でも砲撃音が痺れるなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……訓練が一段落し、一同は休憩を取ることになった。チーム全員士気は高いが、やはり疲労はする。特にカヴェナンターに乗った面々は熱中症にならないよう気を配らねばならない。

 以呂波も戦車の倉庫で、スポーツドリンクを飲みながら休憩していた。

 

「それにしても一ノ瀬さん、昨日と雰囲気が大違いね」

 

 同じく水分補給をしながら、船橋が言った。

 以呂波の髪は昨日までの身なりに気を使っていなかった、無精なボサボサ頭ではなくなっていた。散髪の後しっかりと手入れが施され、艶やかな色合いとなった黒い髪を小さなポニーテールにまとめている。髪は女の命と言うが、髪の変化によって全体の顔つきまでもが快活な印象になった。通学中に出会った美佐子はその凛々しさに驚きの声を上げ、結衣は最初それが以呂波だと分からず、澪はぼーっと顔が赤くなっていた。そして戦車に乗った姿は、機甲部隊の陣頭に立つに相応しい風格がある。

 

「いやあ、また戦車道やると決めたら、元気でちゃって……やっぱり、戦車以外に何もやってませんでしたから」

 

 気恥ずかしそうに頬を掻き、以呂波は答えた。

 

「分かる分かる。生き甲斐ってのはそういうものよ。私の場合はコレね」

 

 船橋は首から提げたカメラを指差す。広報目的で戦車道チームを立ち上げたので、訓練中も彼女はよく写真を撮っていた。砲撃の瞬間を見事に捉えた一枚には、以呂波も舌を巻いたほどである。加えて彼女は広報委員二名を引き連れてトルディ軽戦車に乗っており、その指揮能力もなかなかのものだ。

 

「引き受けてくれて本当にありがとう。脚の調子は大丈夫?」

「はい、戦車に乗るときはみんなに手伝ってもらってますから」

「ならよかった。……それでこのチームだけど、いけそう?」

 

 そう尋ねられ、以呂波は休憩中のチームメイトたちを一瞥した。以呂波を含め、総勢二十五名。皆戦車から降りた後は笑い合い、訓練の内容などで盛り上がっていた。狭い空間で共に協力して戦うため、学年などを超えて団結も高まる。後から加入した美佐子たちも、すでにチームに馴染んでいた。

 

「全く新規で始めたにしては上手くいっていると思います。士気も高いし」

 

 以呂波は率直に意見を述べた。実際どの組も初心者としては上出来な訓練結果で、練習を重ねれば問題も改善できるだろう。大抵の場合戦車乗りはまず装填手からスタートする。手順を覚えれば単純作業ということもあるが、他の乗員のサポートも仕事に含まれるため、戦車乗りの何たるかを学ぶのに最適なポジションなのだ。

 そして操縦手、砲手から車長へ、という順序で昇進していくものだが、このような急造チームではそれもできない。車長は経験がないのに最初から車長になるのだから、分からないことだらけで混乱してしまうのも当然だ。そこを経験者である以呂波が指導していかなくてはならない。一弾流の得意とする偽装や奇襲戦法を教えるのはそれからだ。

 

「一番の問題はやっぱり、戦車が足りないことですね」

「そうね……あと一両か」

 

 船橋は腕を組んで唸った。現在の保有車両は四両しかなく、以呂波たち四人が加入したことによって、全員分の戦車が確保できなくなってしまったのだ。

 

「農業科チームはT-35固定でいいとして……」

 

 農業学科からの参加者十名は、順当に十人乗りのT-35重戦車に乗ることが即決された。T-35はその重量から機械的なトラブルも多いこともあり、トラクターなどの整備経験の豊富な農業科チームが適任と判断された。そして何よりも彼女たちは学校の統合前、農業学科の前身となった農業高校の生徒だった。このT-35も元々、同じ学校から運ばれてきた戦車なのである。失敗戦車たるT-35に誇りと愛着を持って乗れる者は他にいないだろう。

 

 そして船橋率いる広報委員会チームもトルディI軽戦車に固定された。乗員数が三名で丁度合っている。

 

 残るは航空科チーム、馬術部チーム、そして以呂波率いる隊長車チームが各四名。これら三チームはカヴェナンターとトゥラーンIIを交代で乗って練習している有様なのだ。

 

「どの道最低でも五両はないと、他の学校からも相手にされないわよね」

「できれば一両でも、確実に敵戦車を撃破できる火力が欲しいです。75mm長砲身以上の砲が……」

「と言っても今の予算じゃ精々、買えても軽戦車が一両……ユニフォームも作らなきゃいけないからねぇ」

 

 二人は揃って頭を抱え込んだ。そもそも今の戦力ではまともに試合を行える状態ではない。欠陥戦車二両は論外として、トルディIは偵察には使えるが攻撃力としては期待できず、トゥラーンII中戦車は75mm砲装備とはいえ短砲身だ。問題はいろいろあるが、とにかく火力不足である。一弾流は伏兵戦術に重点を置くので装甲の薄さはカバーできるが、敵を撃破できないことにはどうしようもない。

 

 以呂波には一つだけ、戦車を手に入れる方法に心当たりがあった。戦車道は女子の嗜みであり、戦車乗りの家を継ぐのも女だ。しかし戦車乗りの家系にも当然男は生まれる。それがどんな扱いを受けるかはその家によるが、一ノ瀬家ではあまり良くなかったと以呂波は知っている。

 家を飛び出した彼女の兄がそのいい例だった。

 

「……お兄ちゃんに頼めば、もしかしたら……」

「お兄さん?」

 

 船橋はきょとんとして以呂波を見た。

 

「私の兄が、戦車道用品の会社をやってるんです。八戸タンケリーワークっていう……」

「ああ、知ってる! プロ戦車道チームとかを相手に、戦車自体のレストアや販売も手広くやってるんだよね!」

「そこの社長です。……父方の姓を名乗ってますけど」

 

 船橋の顔が輝いた。そのような人脈があるなら、それを利用しない手はない。だが以呂波が浮かない顔をしていることにも、船橋はちゃんと気づいた。女性の武道たる戦車道の家元は大抵母方の姓を名乗るものだが、男とはいえ父方の姓を名乗っている辺り、ワケ有りだと嫌でも分かる。

 

「……お兄さんと何かあったの?」

「お見舞いに来てくれたとき、喧嘩しちゃいまして」

 

 義足をちらりと見て、以呂波は答える。

 

「……でも、頼んでみます。私が悪かったことだし、ちゃんと謝れば許してくれると思いますから」

「……分かった。お願いね」

 

 どちらにせよ兄とは仲直りしたいのだ。自分が勇気を出すしかない。それに自分に居場所をくれたチームメイトのため、何としても戦力を強化したい。一人前の戦車乗りとして戦えるチームにしてやりたいのだ。

 

「おーい、イロハちゃん!」

 

 大声で呼びながら、美佐子が駆けてきた。

 

「休憩時間終わったよ! 座学座学!」

「ああ、そうだね。行くよ」

 

 戦術や戦闘での動き方など、座学での講義も以呂波が行うことになっていた。小学生の頃からみっちりと教え込まれただけに、戦車に関しては知識も豊富だと自負している。

 立ち上がろうとしたとき、美佐子が彼女の体をぐっと抱きかかえた。美佐子の体格は高校一年女子として、平均よりやや発育が良い程度である。どこからそんな力が出るのか、美佐子は以呂波をひょいっと抱え上げてしまったのだ。

 

「わ、ちょっと!?」

「ほら、しゅっぱーつ!」

 

 いわゆる『お姫様抱っこ』の体勢で、美佐子は走り出した。座学用のプレハブ小屋を目指して。

 

「美佐子ちゃん、どういう体してるの!?」

「こういう体!」

 

 賑やかに駆けて行く二人を見て、船橋も座学小屋へと向かった。面白い構図のシャッターチャンスを逃したことを、少し悔やみながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……オフィスの中、スーツ姿の男は携帯電話を見つめていた。歳は二十代半ば頃だが、社長という立場にあるせいか、若さの中にもどことなく渋みや威厳が感じられる。時計は夜中の十時を指し、彼は丁度コーヒーを手に仕事を片付け終わったところだった。パソコンに表示されているのは戦車砲の写真で、ドイツ製の長砲身75mm砲である。戦車道に励む女子にとっては頼れる武器であるが、商人という立場の彼にとっては重要な商品だ。

 だが前述の通り仕事を片付けた彼は、プライベート用の携帯に送られてきたメールに目を向けていた。

 

「……以呂波の奴め」

 

 歳の離れた妹の名を口にし、ふと彼は笑みを浮かべた。パソコンのキーボードを叩いてスケジュール表を確認すると、来週の月曜日が空いている。続いてインターネットで学園艦の航行予定を調べようとしたとき、オフィスの戸が開いた。

 

「あれ、社長。まだいらっしゃったんですか」

「やあ。今仕事は終わったところだ」

 

 顔を出した作業着姿の女性社員に、彼は笑顔でそう答えた。

 

「M18のレストアはどうだ?」

「ええ、予定通り明日には全力走行テストができますよ。バッチリ八十キロでカッ飛ばして見せます!」

「頑張ってくれ。あれは戦車道には使えないが、需要はあるからな」

 

 M18ヘルキャットは二次大戦中最速の装軌車両と称される、アメリカ軍の戦車駆逐車だ。オープントップのため戦車道のルール上使用できない。昨年の『大洗紛争』で解釈の余地が生まれてきたが、さすがにオープントップの車両全てが認可されることはなかった。そもそもあの試合は大洗蜂起軍に対する露骨な嫌がらせが行われたという批判もあり、大洗完全勝利という結果を除き、未だに議論が続いているのだ。

 それでも海外では戦車によるミリタリーパトロールのような競技も盛んだ。そういった戦車同士で撃ちあわない競技には使える。

 また、そうでなくても欲しがるマニアはいる。酔狂なことではあるが、それを言うならこの社長……八戸守保も相当なものだろう。戦車乗りの家に男として生を受け、自分の存在に疑問を持って家を飛び出しておきながら、結局商売人として戦車道に関わっている。男子禁制の戦車道だが、化粧品会社に男性社員がいるのと同じく、こうした企業に男がいるのも珍しくはない。

 

 そして家と縁を切ったつもりでも、妹たちとの関わりまでは捨てきれていなかった。

 

「次の月曜日、営業に行ってくる。千種学園って所へな」

「高校戦車道への売り込みですか。珍しいですね」

「君も行くか? T-35の円錐砲塔型が見られるぞ」

「ええっ!? そんなレア物が!?」

 

 驚きの声を上げる社員を見て、八戸は妹の顔を思い出した。何よりも戦車が好きで、戦車の話をするときは自然と笑顔になっていた、その表情を。片脚を失って打ち拉がれても、情熱は死んでいなかったようだ。

 

 

 ――お兄ちゃんに何が分かるの!? 好き勝手に生きてるお兄ちゃんに!――

 

 

 見舞いに行ったとき言われた言葉を思い出し、改めて八戸は思った。やはり兄妹というか、自分も以呂波も結局似たもの同士で、不器用者なのだと。

 




コメントを書いてくださった方々、応援ありがとうございます。
正直誰からもスルーされる可能性も考えていたのでホッとしましたw
仕事もありますので少しずつ書き進めております。
今後多少間が空くこともあるかもしれませんがご了承ください。
それと長期連載は得意ではないので、ある程度のところで一度完結にして区切り、続きは新規で書き始めるつもりです。

追記
2ポンド砲の口径が間違っていたので修正しました。
ご指摘くださった方に感謝致します。

さらに追記
M18ヘルキャットについて、劇場版に合わせる形の記述を加えました。
さすがにオープントップなら無制限にOKというルールにはできそうにありませんから(まあ「アレ」の砲口に75mm砲弾を撃ち込んでも大丈夫なら、なんとかなっちゃう車両は多い気もしますが)。
どういう改造かわかりませんけど、劇場版の「アレ」は乗員が車外に出ることなく発射を行えていたし。


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兄と妹です!

 千種学園の滑走路に向かい、百式司令部偵察機が着陸態勢に入る。かつて連合国の兵士がこの双発偵察機へ付けたあだ名の一つに、『地獄の天使』というものがあった。この機体が飛来するのは日本軍が攻勢に出る前兆だったからだが、悪魔ではなく天使と呼ばれたのは流線型の美しい姿故である。胴体には交差したパンツァーファウストのシルエットに『八戸』の二文字を書いた社章が描かれていた。八戸タンケリーワーク社の社用機だ。

 

 滑走路に滑り込み、タキシングしていく百式司偵を、以呂波はじっと見守っていた。傍らには船橋と、いつものように肩を貸す美佐子がいる。

 やがて機体が足を止め、後部の風防が開いた。ダークグレーのスーツを着た男がゆっくりと降りてくる。

 

 八戸守保。若くして戦車道用品を専門に取り扱う会社を開き、その筋では名の知れた人物となった男であり、一ノ瀬家の長男。以呂波の兄だ。

 

 作業着を着た社員数名を伴い、守保は出迎えてくれた妹に歩み寄る。以呂波もまた、美佐子の肩から手を離し、ゆっくりと踏み出した。

 

「来てくれてありがとう、お兄ちゃん。……この前は、ごめんなさい」

 

 悲しげな表情で、ぺこりと頭を下げる以呂波。守保は「気にするな」と笑顔を浮かべた。

 

「元気そうで何よりだよ、以呂波」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……倉庫まで車で移動し、守保は社員たちと共に以呂波たちの戦車を検分した。普段戦車のレストアなどを担当している社員らは、T-35やハンガリー戦車などの珍しい代物に興奮している。

 その一方で船橋が各チームの車長に招集をかけ、新車両入手のため守保との交渉が始まった。提示された予算額を見て、守保は頬を掻いて唸った。

 

「この額でも戦車は用意できなくないが……攻撃力の高い車両となるとな」

 

 以呂波たちが求めているのは、長砲身75mmかそれ以上の主砲を持つ戦車だ。火力以外にも不足している物は多いが、勝ちを拾いに行くにはまず強力な主砲が欲しい。しかし限られた予算内ではそれも難しかった。

 正直、船橋も以呂波と守保の、実の兄妹という縁に期待していた。だが社長という立場上、私情に流されて安値で品物を売ることはできない。社員の生活を守らねばならないし、商売は信用が第一だ。肉親と言えど特別扱いをすれば、他の顧客からの信頼に関わるのだ。

 

 守保はタブレット端末で商品のリストを確認した後、倉庫内の戦車四両に目を向けた。

 

「何なら、カヴェナンターとT-35を買い取らせてもらおうか?」

「えっ?」

「カヴェナンターに大した値はつけられないけど、T-35はレア戦車だ。しかもこいつは円錐砲塔型じゃないか」

 

 T-35最終生産型は避弾経始を考慮し、円錐型の砲塔と傾斜装甲を持っている。このタイプは六両しか製造されず、特に珍しい車両だ。戦車マニアなら大喜びするだろう。

 

「戦車道で役に立たなくても欲しがるマニアは大勢いる。主力を担える戦車を何両か揃えられるだけの値段は保証するぞ」

「何ならすぐにでも、おおよその査定額を出しますよ」

 

 T-35を検分していた社員が言う。確かにこの多砲塔戦車は実戦でも大して役に立たず、スターリンが「何故戦車の中に百貨店を作ろうとするのかね」と珍しく正論を吐いたことでも有名だ。動きが鈍い上に対戦車火力も高いとは言えないので、戦車道でも使い道はないと見るのが普通だろう。

 だがそれを売り払えば、まともな戦車を三両揃えられる。早急な戦力強化を行うなら最良の手段だ。

 

 だが。

 

「それは賛成しかねますっ!」

 

 そう叫んで挙手したのはT-35の車長を務める三年生・北森だった。農業科チーム十名を率いる少女で、日々の農作業で日焼けした肌がたくましい。

 

「T-35は農業学科のシンボルであり、その前身であるUPA農業高校の遺産でもあります! それを手放すことは私のみならず、農業科全員が反対します!」

「……だからって、これで戦うつもりかい?」

 

 守保は問いかけた。

 

「百も承知です、失敗兵器だということは。でも私はT-35を信じます。私の一番大事な戦車ですから」

 

 一歩も譲らないという態度で北森は宣言する。それは精神論と言っていいだろう。だが戦車道チーム結成に至った理由を守保も聞いているため、彼女の気持ちはよく分かった。海上都市とも言える学園艦に暮らす学生たちにとって、自分の学校は第二の故郷であり、誇りなのだ。母校の存在意義を否定された彼女たちが、母校の遺してくれた戦車に愛着を持つのも当然だ。

 

「隊長も同じ考えかい?」

「……戦車を動かすのは人間だから」

 

 守保が社長としてビジネスをしなくてはならないように、彼女も隊長として部隊を引っ張らねばならない。だから守保は妹を名前ではなく『隊長』と呼んだ。

 そして『隊長』として以呂波は答えた。

 

「乗る人たちの思いを大事にしたい。先輩たちの誇りや、統合前の学校から引き継いだ物を示せなきゃ、この学校で戦車道をやる意味がないと思う」

 

 毅然と言う以呂波。そして皆同じ意思だと告げている、チームメイトの眼差し。

 守保は再び頬を掻いた。そこまで言われてはしつこく売却を勧める気にはなれない。守保は決して薄情な人間でもなければ、兄妹愛が欠如しているわけでもないが、カヴェナンターのみを高値で買い取るほどお人好しにはなれなかった。何せ欠陥戦車のくせに千七百両以上も生産された車両なのだから。

 

 しかし妹の義足をちらりと見て、兄心に何とかしてやりたいと思う。何より以呂波の才覚はよく知っていた。チームの士気も十分高いようだし、まともな戦車さえ与えれば強豪に上り詰めることもできるかもしれない。

 

 再びタブレットを操作し、在庫リストを確認する。その中にふと、目につくものがあった。

 

「……この予算で強力な主砲となると、無砲塔戦車だな」

「何かいい奴が!?」

 

 船橋が期待を込めて尋ねる。

 

「ええと、船橋さんだったね。実績を作れば予算が降りる見込みはあるって言ってたよね?」

「はい! 生徒会や学園長とも掛け合って、ある程度は話をつけてあります。生徒みんなの注目が集めることができれば必ず」

「ならローンでどうかな。ただしT-35を担保として、払えなくなった場合差し押さえさせてもらう」

 

 守保は以呂波にタブレットの画面を見せた。映っていたのは戦車の写真で、箱形の角張った車体に、ポールマウントで長い砲身が装備されている。装甲はリベット留めで、回転砲塔のない固定式戦闘室である。イタリアのセモヴェンテM40に似ているが、砲身は対戦車戦闘を意識した長砲身だった。

 

「ズリーニィ突撃砲……!」

 

 トゥラーン戦車をベースに車体の幅を広げて作られた、ハンガリーの突撃砲である。本来ズリーニィIIと呼ばれる105mm榴弾砲タイプのみが量産されたはずだが、画面の写真は明らかに75mm砲搭載のズリーニィIだ。

 

「ズリーニィIIの車体をレストアして、主砲を75mmに変えてズリーニィI仕様にしたんだ。試作だけに終わった車両だけどルール上問題ないし、ちゃんと連盟から認定証をもらってある」

 

 試作車両でも連盟と個別協議を行って認定を受ければ、戦車道の公式戦で使用できる。車体の改造に関してもIV号戦車を短砲身から長砲身にしたり、火炎放射戦車を通常タイプにしたりという改造はよく行われているのだ。

 

「ドイツの突撃砲や駆逐戦車は人気もあって少し値が張るし、トゥラーンがあるならズリーニィの方が整備面でもいいだろう。……ローンはこれでどうかな」

 

 タッチパネルを操作して数値を入力し、それを見せた。すると以呂波よりも先に、船橋が口を開いた。

 

「北森さん。T-35を失うような事態は何が何でも防ぐと誓うわ。担保にすること、承知してもらえる?」

「……信じてやるよ」

 

 北森はニコリと笑みを返した。ローンは返済を見込めるレベルだった。となれば以呂波の決断は一つしかない。

 

「ズリーニィI、買います!」

 

 

 

 

 

 

 

 ……かくして、まともな戦力を得る目処は立った。以呂波は船橋や車長たちと共に、どのチームがズリーニィに乗るか協議することになった。

 

 そしてその頃、美佐子、結衣、澪の三人は飛行場にいた。彼女たちの視線の先では守保が、乗ってきた百式司偵の前で缶コーヒーを飲んでいる。以呂波と歳は十歳ほど違うだろうが、顔つきにどことなく血の繋がりを感じられた。

 近づいてくる少女たちに気づき、守保はふと振り向いた。

 

「……君らは確か、以呂波の……」

「クラスメイトで、同じ戦車に乗っています」

 

 結衣が滑らかな声で答えた。その道では名の知れた実業家が相手でも、彼女は物怖じせずにゆったりとした態度で話す。澪は相変わらずその後ろで、恐る恐る守保を見つめていた。

 

「そうか、仲良くしてやってくれよ。根はいい奴だし、戦車長としても優秀だからな」

「はい、いろいろ教わっています」

 

 そのとき、美佐子がひょこっと結衣の前に出た。

 

「一つ聞きたいんですが」

「何だい?」

「社長さんって、イロハちゃんと仲悪いんですか?」

 

 三人みんなが訊きたかったことを、美佐子があまりにもはっきりと尋ねてしまった。結衣が慌てて彼女の襟を掴んで横へ引っ張り戻す。澪がぽつりと「バカ」と呟いた。

 

「あー、まあ兄妹仲はいい方だよ」

 

 頬を掻きつつ、守保は苦笑する。以呂波のどこかよそよそしい態度を見て、美佐子ら三人は心配になったのだ。チームの戦力強化のため、以呂波が本来あまり好きではない相手にすがったのではないか、と。

 それは杞憂であったが、両者の間にやや複雑なものがあるのは確かだ。

 

「……戦車乗りの家に生まれた男っていうのはね、結構肩身が狭いもんでな」

 

 守保は一ノ瀬家に長男として生まれ、後に生まれてくるであろう妹たちを「守って保つ」べく名付けられた。女子しか継げない戦車の道で、長男にできることは妹を守ることだと彼の母は判断したのだ。その後三人生まれた妹を守るということに、守保は一度も不満を持ったことはない。だがやや穿った見方をすれば、男である自分自身は何も期待されていないということにもなる。

 

「それが嫌になって家を出ても、やっぱり戦車に関わることで認めてもらいたかったから、戦車道用品の会社を立ち上げた」

 

 飛行機に描かれた会社のロゴを眺めつつ、守保は語る。以呂波にとって戦車道が生き甲斐であるように、彼にとってはこの会社こそが生き甲斐であった。

 

「以呂波に限らず、妹たちは昔から一弾流を継ぐ者として大切に、期待されて育った。俺は妹たちが羨ましかった。だが以呂波からすれば、家名に縛られず自分のやりたいことをやれる俺こそが、羨ましかったかもな」

「……なるほど」

 

 微笑を浮かべ、しかしどこか切なそうに言う守保を見て、結衣も笑みを浮かべた。美佐子も、澪も。

 

「社長さんと一ノ瀬さんは似たもの同士なんですね」

「ああ、俺もそう思う」

 

 

 そのとき、ふいにエンジン音が近づいてきた。飛行場の脇を通って、ドイツ製のKS750型サイドカーが接近してくる。運転しているのは船橋で、隣に乗っているのは以呂波だ。

 船橋が緩やかに減速させ、無骨な車体を優雅な百式司偵の近くに停車させる。以呂波が降りようとするのを見て、すかさず美佐子がその体を支えた。

 

 義足でゆっくりと兄に歩み寄り、以呂波はじっと守保の目を見る。仲間たちが見守る中、以呂波はぺこりと頭を下げた。

 

「お兄ちゃん、本当にありがとう。私、頑張って前に進むから……」

「言っておくけどな、以呂波」

 

 守保は彼女の言葉を遮った。

 

「俺は可愛い妹のためにやったわけじゃない。まともな戦車があってお前が指揮を取れば、ここのチームは強くなれると思ったからだ」

 

 そう言いつつ、守保は以呂波の頭を荒っぽく撫でる。以呂波はあたふたしたが、美佐子には少しだけ嬉しそうに見えた。

 

「活躍して予算が増えたら、もっとデカい買い物をして儲けさせてくれ。お前に戦車道があるなら、俺にも商売道があるってことさ」

「……分かった」

 

 以呂波は笑顔を浮かべた。心の中に抱えていたもやが少し晴れたようだ。

 丁度そのとき、司偵の中から社員が顔を出した。

 

「社長、出発時刻です!」

「よし、行こう」

 

 踵を返し、守保は社用機に乗り込んでいった。社員たちがエンジン始動にかかり、プロペラが回り始める。

 

「ズリーニィは可能な限り早急に納品する! 上手く使えよ!」

 

 轟音の中、その言葉を最後に風防を閉める。

 

 兄の後ろ姿を見つつ、以呂波は自分を支えてくれる人たちへの感謝と、これからの戦いを心に思っていた。




多分守保はこの小説で数少ない、名前が出てくる男キャラになると思います。
原作の新三郎よりもかなりストーリーに関わってはきますが、ガルパン世界なのであくまでも戦車に乗るのは女の子です。


ついでに、登場キャラと戦車についてのメモ書きを後書きに書いていこうと思います。
お暇のある方はご覧ください。



登場キャラ・戦車メモ
(※戦車のスペックはこのメモに限りアラビア数字に統一)

一ノ瀬以呂波
好きな戦車:Strv.103
好きな花:ノコギリソウ
・戦車道一弾流宗家の三女。
・中学校時代に戦車道で優れた成果を上げたが、試合中の事故で右脚を失い、義足を付けている。
・元々溌剌とした性格だが、事故が原因で戦車道から遠ざけられたため、あらゆる意味で気力を失っていた。
・兄の守保とは仲はよかったが、やや複雑な感情を抱いている。


加々見澪
好きな戦車:シャーマン・ファイアフライ
好きな花:トルコギキョウ
・以呂波のクラスメイトで、砲手を担当。
・無口で臆病な性格で、よく結衣の後ろに隠れている。
・一方で頭の回転は早く、砲撃時の計算も瞬時にこなし、また集中力が高いため照準機を覗いている間は動揺を見せない。
・「強さ」に憧れて戦車道を履修することに。


大友結衣
好きな戦車:V号戦車パンター、クーゲルパンツァー
好きな花:八重桜
・以呂波らのクラスの委員長で、戦車道では操縦手を担当。
・面倒見の良い優等生で、周囲からの人望も厚い。
・運動下手だが要領が良く、的確な操縦を行う。
・好奇心が強く、クーゲルパンツァーが好きな理由は「謎を解いてみたいから」。


相楽美佐子
好きな戦車:III号突撃砲
好きな花:シャコバサボテン
・以呂波のクラスメイトで、装填手を担当。
・単純かつ底抜けに明るい性格で周囲をグイグイ引っ張る体力バカ。
・無駄に力があるため装填速度は早く、以呂波に肩を貸すことも。
・両親は幼い頃に他界し、祖父母に育てられた。



Mk.V巡航戦車カヴェナンター
武装:オードナンス 2ポンド砲(40mm)、ベサ同軸機関銃(7.62mm)
最高速度:50km/h
乗員:4名
・イギリス軍の巡航戦車。
・車高を低く抑えることを目標に設計され、そのため水平対抗エンジンを採用したが、搭載スペースの都合で車体後部にエンジン、前部にラジエーターを置くというレイアウトになった。
・ラジエーターの配管が車内を通っているため、車内の温度は40度に達する。
・放熱版が前面に剥き出しのため被弾に弱い、鉄道輸送のため履帯が細く走破性が悪いなど様々な欠点を抱え、改良は行われたが根本的な解決にはならなかった。
・緊張の高まる国際情勢から見切り発車で1700両が生産されてしまったが、訓練用にのみ使われた(オーストラリア軍の車両が少数ビルマ戦線に投入されたとも言われる)。
・さすがにこの戦車で戦い続けては士気を維持できないため、以呂波は予算が獲得できたら真っ先に買い替えるつもりでいる。



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初試合です!

 土煙を巻き上げ、演習場の中を突撃砲が駆け抜ける。リベット留めの無骨な車体だが、長い砲身が力強さを感じさせた。

 的は千メートル以上先である。長砲身75mmの射程と威力を活かすため、遠方の的を狙い撃つ訓練は欠かせない。ましてやこの突撃砲はチーム中で唯一の長砲身であり、大抵の戦車なら一撃で撃破できる威力を持っているのだ。

 

「三……二……」

 

 車長の丸瀬は砲隊鏡を覗き、目標までの距離を測っていた。航空学科チームを率いる彼女は視力良好で、空間把握能力にも優れている。

 

「停止!」

 

 丸瀬の号令と同時に、操縦手が急制動をかけた。慣性に耐えながら、装填手が素早く弾を込める。練習用とはいえ75mmの大きな砲弾だ。

 

「テェー!」

 

 叫ぶのと同時に、砲手が引き金を引く。車内を震わせる轟音が響き、駐退機が後退した。空薬莢がごろりと弾き出される。火薬量が多いだけに音も大きく、少女たちの鼓膜をビリビリと震動させた。

 砲隊鏡を覗くと、的から遥かに離れた場所に土煙が上がっていた。

 

《撃つのが早いです! 急停車の後、車体の動揺が収まるタイミングを掴んでください!》

 

 マイクを通じ、以呂波の声が聞こえる。

 

「了解、再度やってみる! スタート地点に引き返せ!」

 

 学年で言えば以呂波は後輩であるが、丸瀬も彼女を戦車道チームのリーダーとして認めていた。だからこそ文句などは一言もなく、指示通り訓練に励んでいる。そして何よりもこのズリーニィI突撃砲が、チームの攻撃面での要となることを理解していた。

 

 

 

 

 以呂波はズリーニィの訓練を双眼鏡で見守っていた。近くに用意された机には船橋が用意した資料や、作戦ノートが並べられている。一番上に置かれたプリントの見出しには『練習試合概要』の文字があった。

 

 八戸タンケリーワーク社からズリーニィ突撃砲が納品されて間もない今、他校から練習試合の申し入れがあったのだ。連日以呂波の指導のもとで猛訓練しているものの、まだ要であるズリーニィの錬成が始まったばかりのため、受けるべきか断るべきか協議された。しかし校内に戦車道チームの活動を喧伝する機会であり、船橋が勝てば予算を増やすとの約束を学園長・生徒会に取り付けたことから、申し込みを受けることに決定したのだ。

 それ故、ズリーニィに乗る航空学科チームを筆頭にさらなる猛訓練が課せられ、以呂波は試合の戦術を常に考えていた。

 

「試合を申し込んできたドナウ高校はね、比較的近年になってから戦車道に参入した学校よ。装備はドイツ製戦車が中心ね」

 

 隊長車乗員の三名に、船橋が解説する。

 

「ドイツの戦車って、かなりヤバイって聞きましたけど」

 

 美佐子が尋ねる。ヤバイという女子高生らしい表現ではあったが、二次大戦時のドイツ製戦車の性質を端的に表しているとも言える。当時敵対していた連合国側からすれば、否、味方であったイタリア、日本からしてもだが、規格外のスペックを持った戦車を生み出しているのだ。全国大会九連覇を成し遂げたこともある黒森峰女学園も、ドイツ戦車を多数保有していることで有名だ。

 

「まあドナウ高校は黒森峰と違って、えげつない車両はちょっとしか持ってないはずだから。それに今回対戦するのは一年生だし」

 

 下級生に経験を積ませるため、戦車道に新規参入を果たした千種学園を相手に選んだようだ。船橋の調査によると、ドナウ高校の一年生は順当に装填手からスタートする。しかし経験者は車長などからスタートすることもあるし、将来のために他のポジションを経験しておくことも必要だ。だから下級生のみで構成されたチームを編成し、他の学校と練習試合を行うことで、指揮能力や自己判断能力を養わせるのがドナウ高校のやり方らしいと、船橋は説明した。

 同時に新規参入者の実力を測るためでもあるのだろう。規模の大きい千種学園が戦車道に本腰を入れれば、それなりの戦車を揃えられると見積もり、新たなライバルの出現を警戒しているのだ。

 

「下級生チームの場合、大抵は隊長車がIV号F2型、他がIII号戦車J型の長砲身タイプに乗るみたいね。殲滅戦ルールだから、こっちと同じ五両編成でくるはず」

「殲滅戦ということは、一発逆転はありませんね」

 

 資料に目を通しつつ、結衣が言う。フラッグ戦を撃破すれば勝利となるフラッグ戦ルールとは違い、殲滅戦は敵車両全てを撃破しなくてはならない。戦車の性能差がもろに出てしまうが、千種学園の戦車でIV号やIII号を相手に優位に立てるのはズリーニィのみ。しかも回転砲塔を持たない突撃砲なので、正面から挑んでも互角には戦えない。

 

「実はもう一両、艦内の倉庫の奥から戦車が見つかったんだけど……」

「まだあったんですか!? どんなのですか!?」

 

 美佐子が興奮気味に目を輝かせた。戦車自体が好きになってきたのだろう。

 

「攻撃に使える車両じゃないわよ」

 

 船橋は慌ててそう言った。

 

「特殊な車両だから、整備して使えるようにするまで時間かかるかもしれないし、今から乗員を募集しても錬成が間に合わないわ」

「練習試合が終わるまで保留、ということですか」

「もったいないけどそうね。後で考えましょう」

 

 苦笑する船橋を見て、三人はそれ以上新車両のことを訊かなかった。今は練習試合に集中すべきだ。

 

「まあ一弾流は待ち伏せが得意ってことだから、結局一ノ瀬さんの戦術を頼りつつ、みんなでベストを尽くすしかないわ」

「待ち伏せと言っても……」

 

 結衣はふと、反対方向に目を向けた。五つの砲塔を乗せた十メートル近い巨体が、地響きを立てて演習場内を走っていた。ドイツの超重戦車マウスに次ぐ巨体を誇る、T-35多砲塔戦車だ。周囲をトゥラーンIIが走り回っており、時折それに対して主砲・副砲で練習弾を撃ち込んでいる。

 だがT-35に乗る農業科チームは砲撃よりも、故障を起こさずに走ること、そして故障した際速やかに復帰することを目標に訓練していた。独ソ戦では多くのT-35が動けなくなって撃破、または放棄されたのだ。しかし記録によると各車両ともに数百キロは走行している。適切な整備を行えば一試合が終わるまで、辛うじて稼働させられると以呂波は判断していた。

 しかし。

 

「アレは隠せるんですか?」

「うん、T-35の使い道が問題よねぇ……」

 

 砲塔を五つ持っていても互いに射界を邪魔する上、砲の威力自体大したものではない。加えてその巨体は単なる的であった。

 とはいえ使い道が一切ないわけではない。農業科はT-35の主砲塔に千種学園の校章、四つの副砲塔に統合前の学校の校章をそれぞれ描いていた。T-35は派手な見た目からプロパガンダには有用だったことを考えると、千種学園を象徴したとも言えるペイントはある意味、この戦車の正しい使い方かもしれない。

 

「でもあの戦車、乗ってる人間の数ならトップだよ!」

「……それ、関係ない……」

「戦車から降りて戦うわけじゃないんだから」

 

 美佐子の言葉に澪は呆れ、結衣は苦笑する。だが以呂波は……

 

「それだ!」

「わっ!?」

 

 義足とは思えない速度で振り向いた以呂波に、船橋が思わず飛びずさる。

 

「作戦が考えつきました」

 

 ニヤリと笑い、以呂波は机に歩み寄った。椅子に腰を降ろし、卓上の資料のうち一枚を手に取る。試合場所の地図だ。広大な丘で、戦車が潜めそうな林もある。

 

「ズリーニィを攻撃の要とし、他の戦車が全力でそれを支援、あわよくばトゥラーンも攻撃に使えます。船橋先輩のトルディにも重要な役目を担っていただきます」

「おお、任せてよ! じゃあみんなを集めて作戦会議しましょう!」

 

 船橋が目を輝かせた。作戦はまだ告げられていなくても、以呂波の表情と口調で、勝算が見えてきたのだと分かる。勝ち目の薄い戦いには変わりないだろうが、僅かでも活路が見えればそこを走り抜けることに迷いは無い。

 

「それと先輩、去年の大洗とサンダースの試合を録画した映像、ありましたよね」

「去年の一回戦のやつ? あれを参考にするの?」

 

 戦車道を始めるに辺り、船橋は全国大会の映像を資料として集めていた。昨年の大会では第一回戦から大番狂わせがあったことで有名である。優勝候補の一角であるサンダース大付属高校を、無名の弱小校だった大洗女子学園が破ったのだ。戦車の性能差を跳ね返した大洗側の采配は、高性能戦車を揃えられずにいる学校を奮起させたという。

 

「ええ、特に先輩には……後輩の身でこういうこと言うのも何ですが、あの試合から勉強して頂きたいことがあるんです」

「うんうん。大洗の八九式の活躍でしょ。土煙で敵を騙したり、フラッグ車を釣り出したり、大活躍だったよね」

「いえ、まあそれもですけど」

 

 以呂波は頬を掻いた。怪訝そうな表情の船橋に、彼女はそっと耳打ちした。

 

 

「サンダースの副隊長を参考にしていただきたいんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……かくして、以呂波率いる千種学園戦車隊は練習試合に臨むことになった。猛訓練を可能とする士気の高さもあって練度は向上したが、それでも不利には変わりない。相手は全員一年生とはいえど、戦車道経験者もいるだろう。その上戦車の性能差も大きい。

 それでも船橋はこの練習試合を学校新聞や校内ラジオなどで宣伝し、注目を集めることに腐心した。チームメンバーに必勝の信念を持たせるために。そして試合の後、戦車道チームがより注目されるように。

 

 そして試合当日、彼女たちは学友の視線を受けつつ、戦いの場へ赴いた。

 

 

 

「練習試合をお受けいただき、ありがとうございます。ドナウ高校臨時指揮官の矢車マリです」

 

 長身の少女がお辞儀をした。一年生のはずだが背が高く、発育が良い体つきをしている。背筋を伸ばした佇まいに、黒い制服と短剣が似合っていた。顔つきはあどけなくても、どこか昔のドイツ軍将校を連想させる雰囲気がある。

 その背後にはドナウ高校の乗員たち、さらに後ろには戦車が並んでいた。長砲身のIV号F2型と、III号J型だ。五両とはいえドイツ戦車が精悍な姿を並べている。

 

 一方千種学園の側は同じ位置にしっかりと並んではいるものの、極端に大きいT-35がいたり、姿勢の低いカヴェナンターやズリーニィがいたりと、やたらとデコボコして見える。

 

「千種学園隊長の一ノ瀬以呂波です。今日はいろいろと勉強させていただきます」

 

 以呂波が手を差し出し、二人は握手を交わす。対戦相手同士ながらも友好的なムードである。だがそれも束の間だった。

 

「ところで、そちらの戦車はどこにあるのですか?」

 

 ふいに、矢車が妙なことを尋ねた。

 

「……貴女の目の前にありますが」

「ああ、これでしたか」

 

 わざとらしく驚いてみせる矢車を見て、以呂波は心配になった。自分の後ろにいるチームメンバーたちが、相手の煽りに耐えられるかと。

 

「失礼しました、てっきり何かの見せ物かと思いましたので。T-35だなんて」

「何だとテメェ!?」

 

 案の定、農業学科のメンバーがいきり立った。チームの中でも彼女たちは血の気が多い。しかし船橋がその前で手をかざし、制止する。矢車以外のドナウ高校メンバーもクスクスと笑っていた。だが以呂波はこのような挑発にも慣れている。

 

「ご覧になっていきますか? 見物料は高くつきますよ」

「ふふ。まあお互い頑張りましょう。……ご無理をなさらないように」

 

 以呂波の義足をちらりと見て、矢車は踵を返した。彼女の「総員、乗車!」の号令と共に、ドナウ高校チームは各々戦車に乗り込み、エンジンを始動する。

 

 轟音を轟かせて一度後退し、旋回して緑の丘を走り去って行く。その後ろ姿を、以呂波は冷静に見送っていた。パンツァーカイルと呼ばれるくさび形の隊列を組み、乱れなく動いている。だが速度は遅めであり、一両だけ僅かに遅れているIII号がいるのを彼女は見逃さなかった。操縦手の技量の劣る車両があり、それに速度を合わせているようだ。

 

 左足を軸に、以呂波はくるりと後ろを振り向いた。農業科チームも一先ず収まったようで、以呂波に全員の視線が集中する。

 

「最初に言っておきますが、皆さんには私のような体になってほしくありません」

 

 義足で地面を軽く踏み、以呂波は毅然と言った。

 

「落ち着いた行動を心がけ、感情に任せて危険な行動を取らないようにしてください。相手が我々を侮っているのなら、そこが付け入る隙です。それぞれの役割を果たすことを考えてください。ズリーニィとT-35は『ジャガイモ作戦』、トルディは『アシラ作戦』を!」

「了解!」

「やってやるぜ!」

「本領を見せてやりましょう!」

 

 仲間たちからは頼もしい言葉が返ってくる。相変わらず士気は高い。以呂波はこれなら十分戦えると思った。今までここまで形勢の不利な戦いは経験していなかったが、それでも『やれる』という自信が湧いてくるのだ。自分が戦車の道に戻ったことの喜びか、あるいは船橋たちの冒険心が移ったのか。

 

「それではスタート位置に向かいます。……千種学園戦車隊は!」

 

 可能な限りの大声で叫んだその台詞に、メンバー全員が唱和した。

 

 

「勇敢! 冷静! 仲良し!」

 

 

 

 

 




次回からようやくバトルシーンが始まります。
本当は原作みたいにご飯会とかもやらせたかったんですが、そうすると試合のシーンがさらに遠くなるので後回しにしましたw
ご意見などありましたら遠慮なくお願いします。



また登場人物と戦車のメモ書きを載せておきます。

※戦車のスペックはここに限りアラビア数字に統一



船橋幸恵
好きな戦車:エクセルシアー重突撃戦車
好きな花:スターチス
・広報委員長の三年生で、戦車道チーム結成の中心人物。
・明るく話し好きな性格で、写真撮影の技術に長ける。
・戦車道で廃校を免れた大洗女子学園を尊敬し、同時に高まる戦車道熱に便乗してチームを結成する。
・自分のいた学校を守れなかったことを無念に思っているが、同時に千種学園も愛しており、常に学園のイメージアップを考えている。


38MトルディI軽戦車
武装:36M対戦車ライフル(20mm)、34/37M機関銃(8mm)
最高速度:50km/h
乗員:3名
・ハンガリーで開発された軽戦車で、スウェーデンのL-60軽戦車をライセンス生産したもの。
・武装はL-60のマドセン20mm機関砲から、スイス製のゾロトゥルン対戦車ライフルをライセンス生産した物に変更されている。
・元になったL-60同様に軽戦車としては優れていたが、ソ連軍戦車と戦うにはあまりにも貧弱な武装だったため大損害を受けた。
・パーツ類を国産化したトルディII、回収した車両に40mm砲を搭載したトルディIIa、医療機器を搭載した救護車仕様などのバリエーションがある。
・当初から40mm砲搭載で生産されたトルディIIIもあったが、より強力なトゥラーン戦車の製造が優先されたため少数のみ生産された。
・千種学園戦車隊では主に偵察の要を担う。




丸瀬江里
好きな戦車:A-40空挺戦車
好きな花:黒いチューリップ
・航空学科チームの二年生で曲技飛行が得意。
・以前から積極的に広報活動に関与しており、船橋と仲が良い。
・戦闘機乗りの自伝などを読んでいるため戦いの心構えができており、ズリーニィIを任される。


44MズリーニィI突撃砲
武装:43M戦車砲(75mm)
最高速度:43km/h
乗員:4名
・III号突撃砲の影響を受け、トゥラーン戦車をベースに開発されたハンガリーの突撃砲。
・元々は105mm榴弾砲装備のズリーニィIIが開発され、その後対戦車用の長砲身75mm砲を搭載したズリーニィIが開発されたが、量産されたのは105mm砲装備型のみだった。
・75mm砲搭載型の方が後に作られたのに何故かI型となっている。
・デザインはイタリア軍のセモヴェンテM40に似ているが、スペックでは上回っている。
・105mm砲装備型のズリーニィIIはソ連軍相手に、大きな損害を出しながらも勇敢に戦い、小国の意地を見せた。
・千種学園ではまともな対戦車火力を持った唯一の車両であり、乗員の航空科チームには特に厳しい訓練が課せられた。


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ジャガイモ作戦です!

「……砲塔旋回、照準機確認……砲手、準備良し」

「エンジン出力、変速機共に正常。操縦手、準備良し」

「閉鎖機動作異常なし! 砲弾格納正常! 装填手準備良し!」

 

 エンジンのかかった戦車の中で、仲間たちが矢継ぎ早に報告してくる。欠陥構造により温度の高まるカヴェナンターの車内で、以呂波は彼女たちの声に耳を傾けていた。車内には氷水を入れた魔法瓶を人数分持ち込んである。エンジンより先に乗員がオーバーヒートする戦車なので、熱中症対策は必須だ。

 

「準備はいいけど、私たちがこれに乗らなくてもよかったんじゃない? この暑さには慣れないわ」

 

 生真面目な結衣もさすがに弱音を吐く。隊長車チームと馬術部チームは訓練において、カヴェナンターとトゥラーンIIを交代で使っていた。トゥラーンIIはマイナーな戦車とはいえ、カヴェナンターのような致命的な欠陥は存在しない。だが今回の試合で、以呂波は敢えて自分がカヴェナンターに乗ることを選んだのだ。

 

「この戦車は履帯が細いから、デリケートな操縦ができる人の方がいいの。結衣さんの腕を買ってるってことで一つ」

「それはありがとう。自分で言うのも何だけど、要領がいいのも時には損ね……」

 

 愚痴を言いつつも以呂波への文句や非難がない辺り、彼女の大人しく真面目な性格が見て取れる。以呂波としては他にも、欠陥戦車を馬術部に押し付けては士気が低下するという考えがあった。

 

「予算が追加されたら真っ先にこいつを買い替えるから、それまでの辛抱だよ。お兄ちゃんにいい戦車ないか聞いてみる」

「じゃあいっそ、オープントップの奴にしない? 風通し良さそうだし!」

「……それ、死んじゃう……」

 

 相変わらず体力の有り余っている美佐子と、辛そうな澪が言った。

 地図を眺めて作戦を反芻しつつ、以呂波はハッチを開けて顔を出す。結衣も操縦席のハッチを開けた。額に当たる外気が心地よい。林と丘のフィールドを見渡し、他の車両へ目を向けた。

 

「そのためにも、この勝負は勝たないとね」

 

 笑みを浮かべ、以呂波は言った。右脚と一緒に失った自分の誇りを取り戻すため。自分を信じてくれる人たちのため。勝たねばならない。

 

「開始十秒前! 各車、準備はいいですか?」

《ズリーニィ準備良し》

《トゥラーン準備良し!》

《トルディ、準備良し!》

《T-35も行けるぜ》

 

 他の車両も快調なようだ。この旺盛な士気と仲間意識だけが千種学園のアドバンテージだろう。後は以呂波の策にかかっている。

 

 短く笛のような音がして、空中に白煙の花火が弾けた。試合開始だ。

 

「パンツァー・フォー!」

 

 号令に従い、各車の操縦手が一斉に戦車を前進させた。戦いの火蓋は切られたのである。

 以呂波の乗るカヴェナンターを先頭に一応はパンツァーカイルを組んでいるが、以呂波は隊列運動をあまり重視していない。同種または同程度の性能を持つ戦車を多数用意してこそ、複雑な隊列運動の効果も出てくる。車種が全て違い、速度や射程もバラバラでは、奇麗に隊列を組んだところで意味を成し得ない。

 

「トルディは先行して索敵。T-35とズリーニィはポイントA、次いでポイントBへ進出、ジャガイモ作戦にかかってください」

《船橋、了解! 頑張るよ!》

《T-35、北森も了解。ジャガイモ掘りまくるぜ!》

《こちらズリーニィ、丸瀬。この作戦に必勝を期す》

 

 トルディIは増速してカヴェナンターを追い抜き、走り去って行く。双眼鏡を首に下げた船橋がハッチから顔を出し、以呂波に大きく手を振っていた。

 T-35とズリーニィIは左へ緩やかに旋回し、隊列から離れた。丸瀬が以呂波と互いに敬礼を交わす。

 

「トゥラーンはポイントCへ移動、ジャガイモが終わったら同地点でT-35と合流してください」

《大坪、了解。隊長さんも気をつけてね》

「ありがとうございます」

 

 トゥラーンIIの車長・大坪は馬術部員で、気さくな少女だ。トゥラーンは統合前に彼女のいた学校の戦車で、名前が騎馬民族由来ということもありお気に入りらしい。ハッチから身を乗り出して以呂波に笑顔を向け、彼女も走り去っていく。

 戦力がほぼ完全に分散し、カヴェナンターも単独となった。

 

「私たちはポイントEで待機すればいいのよね?」

「うん。戦況を見て途中から参戦だね」

 

 結衣の質問に、以呂波は簡潔に答えた。戦車道の隊長には自ら先頭で戦うタイプと、後方で指示出しに徹するタイプがいるが、双方ともにメリット・デメリットがある。先頭タイプは危険度こそ高いが、最前線の状況を自分の目で直接見て適切な判断を下せる。

 後方タイプは隊長車が真っ先にやられるという危険が少なく、自車が直接戦闘を行わないので作戦指揮に集中できる。ただし前線部隊を任せられる能力を持ち、かつ状況を的確に伝えてくれる副官が必要となるため、部下に高い練度が求められる。

 

 千種学園は経験が浅いため、本来なら仲間を鼓舞するためにも、隊長が先頭に立つべきだろう。しかしカヴェナンターではやむを得ないとチーム全員が理解してくれた。車内温度の問題もさることながら、弱点である放熱版が前面に剥き出しでは矢面に立ちようがない。イギリス軍人は時代錯誤なソードフィッシュ雷撃機を使って多くの戦果を上げたが、彼らの根性を持ってしても、この欠陥戦車を実戦に使うことはできなかったくらいだ。

 

「まずはジャガイモ作戦が完了するまでは大人しくして、船橋先輩からの偵察報告を待たないと」

「船橋先輩もだけど、北森先輩も凄く張り切ってたよね! ジャガイモ作戦の練習も凄かったし!」

「……グラウンドが穴だらけだった……」

「車両数は同じでも、物量はこっちが上だったわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……斯くして、勝敗を決する作戦を請け負ったT-35とズリーニィは、以呂波が指定したポイントへ到着した。独ソ戦において多くが故障で落伍したとされるT-35だが、記録では最も早く脱落した車両でも数百キロは走行していた。農業学科による徹底したメンテナンスを受けたT-35は、何とか高い稼働率を達成したのである。

 ポイントAと名付けられた地点は前方に小高い丘が有り、その上に敵がいれば狙い撃ちできる場所だ。かなりの距離はあるがズリーニィの射程内である。

 

 巨体をゆっくりと停止させ、北森がハッチから顔を出した。

 

「行くぞ! ジャガイモ作戦、作業開始!」

「おおーっ!」

 

 号令に応え、一斉に各所のハッチが開いた。主砲塔から、副砲塔から、機銃塔から、操縦席から、計十人の乗員がぞろぞろ降りてきた。皆日焼けした健康的な少女たちで、作業着姿だ。車外に人数分ロープで括り付けてあったスコップや、元々備えられていたつるはしなどを手に、続々と穴掘り作業を開始する。

 

「よし、私たちも掘るぞ!」

「了解!」

 

 丸瀬以下、ズリーニィの乗員四名も降車して作業に加わり、計十四名で穴掘りを行う。T-35の乗員は日頃土方仕事に慣れ親しんだ農業学科なので、この手の仕事も早い。要するに以呂波はこの巨大戦車を『十人の工兵を運ぶ輸送車両』として使ったのだ。

 しかし今回の試合において、T-35に与えられた役目はもう一つあった。

 

「正直、もう一つの任務は嫌な気分だけど……」

 

 北森は最愛なるT-35の巨体を見上げた。四つの副砲塔には千種学園の基となった四校の校章が描かれており、戦車道チーム結成にかける少女たちの思いを表している。

 八戸守保が言ったように、これを売り払った方が戦力増強はできただろう。だが以呂波は自分たち農業学科の思いを汲み、残しておいてくれた。自分たちの気持ちを理解してくれたことが、北森は何よりも嬉しかった。

 

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、って言うしな。隊長の期待には答えてやらないと」

 

 

 

 

 

 

 

 北森らがジャガイモ作戦と号した穴掘りに勤しんでいるとき、船橋ら広報委員の乗るトルディIは遥か先へ進出していた。軽戦車であるトルディはバルバロッサ作戦において、ソ連軍戦車相手に大きな損害を出した。だが戦車道で偵察に限れば十分利用価値はある。

 

 船橋は地図を確認しつつも、砲塔から身を乗り出して周囲への警戒を怠らなかった。T-35とズリーニィによるジャガイモ作戦も、トルディによる索敵が成功しなくては意味を為さない。要となるのはズリーニィIだが、彼女へ課せられた責任もまた重大だった。

 

「……おっ、停車」

 

 前方の地面にあった不自然な線を、船橋は見逃さなかった。履帯の跡である。双眼鏡で確認し、五両分あるのを確認する。

 

「トルディから隊長車へ。敵の履帯の跡を発見。五両まとまって動いてて、林の中に入ったみたい」

《隊長車、了解。北森先輩、ジャガイモの方はどうですか?》

《ポイントAは豊作だ。今ポイントBを収穫してる》

《了解。船橋先輩は敵を追跡し、発見したら見つからないように監視してください》

「トルディ了解。アウト!」

 

 話しながら、船橋は操縦手の背を軽く蹴った。それを合図にトルディは再び走り出した。

 敵の履帯跡を辿りつつ林へ入り、木々を避けながら進む。もちろん敵から発見されないように、履帯跡とは距離を保っている。

 

 木にぶつからないよう注意しながら操縦手に指示を出し、時折双眼鏡で索敵する。やがて、遠くにサンドイエローの何かを見つ出し、再び停車命令を出す。

 

「敵ですか?」

 

 砲手が船橋に尋ねた。

 

「木が邪魔でよく分からないわ。降りて確かめてくる」

「お気をつけて」

 

 砲塔のハッチから出て、地面に降り立つ。

 姿勢を低くし、茂みや樹木に身を隠しながら、船橋は素早く、少しずつ目標に接近していった。エンジン音が聞こえる。間違いなく敵車両だ。

 

 茂みから頭を少し出し、数を見る。林の中にそれなりに広い道が通っており、そこにIII号戦車が四両、横並びに揃っている。ここを千種学園が通って来る可能性を考え、待ち構えていたようだ。だがIV号が見当たらない。待ち伏せしているのだとすれば、恐らくIII号とは別の角度から道を狙えるようにしているはずだ。

 

 そのとき、ずっと奥の方の茂みで何かがキラリと光った。

 

「……おっと!」

 

 船橋は慌てて頭を引っ込める。道を挟んだ向かい側の先にIV号がいたのだ。キューポラから顔を出す矢車マリが、双眼鏡で周囲を警戒している。そのレンズの反射で気づいたのである。

 

「隠れ方は上手いけど……詰めが甘かったね」

 

 IV号は木々の合間に隠れ、車体を茂みで隠蔽し、砲身のみを突き出していた。III号で注意を引きつつ横から砲撃する作戦だったようだが、双眼鏡の反射にまでは頭が回らなかったらしい。斥候が徒歩で忍び寄っているとは思わなかっただろう。

 

「こちら船橋。敵、発見」




登場人物・戦車メモ


大坪涼子
好きな戦車:M18ヘルキャット戦車駆逐車
好きな花:アマリリス
・馬術部に所属する二年生。
・動物好きの気さくな人柄で、トゥラーン戦車を愛馬のように可愛がっている。
・馬術部を戦車と一緒にパレードさせたいと考えているが、戦車の音を怖がらない馬がなかなかいない。


41MトゥラーンII重戦車
武装:45M-75-25戦車砲(75mm)、34/40M機関銃(8mm)×2
最高速度:43km/h
乗員:5名
・ハンガリー軍の40MトゥラーンI中戦車の改良型。
・トゥラーンIはチェコのT-21をベースに、砲塔を2人乗りから3人乗りにするなどの改良を施して作られたが、40mmの主砲では力不足であった。
・トゥラーンIIは武装を短砲身75mm砲に強化し、砲が大型になった分俯角を稼ぐため砲塔天井をかさ上げした発展型で、75mm砲搭載のためハンガリー軍の基準では重戦車となった。
・それでもソ連軍戦車には威力不足だったため、長砲身75mmを搭載し、最大装甲厚を60mm→90mmに強化したトゥラーンIIIも開発されていたが、戦局の悪化と混乱から試作のみに終わった。
・トゥラーンとはかつて中央アジアに存在したという伝説上の民族の名で、ハンガリー人やトルコ人などの共通の祖先と云われている。
・千種学園では乗車する馬術部チームが四名のため、通信手が空席となっている。



北森あかり
好きな戦車:T-35重戦車
好きな花:マリーゴールド
・農業学科の三年生で、同学科からの参加者十名を率いる。
・廃校になった母校の遺産であるT-35に並々ならぬ愛着を持ち、失敗兵器と知りながらも信じて戦うことを決意している。
・芋掘りと農業機械をいじるのが大好きなので、T-35の整備の手間もあまり苦にならない。


T-35重戦車
武装:KT戦車砲(76mm)、20K戦車砲(45mm)×2、DT戦車機銃(7.62mm)×5
最高速度:30km/h
乗員:12名(内2名は車外要員)
・ソ連の開発した多砲塔戦車。
・実用化された戦車の中ではマウスに次ぐ巨体を持ち、中央に歩兵支援用の主砲、右前部と左後部に対戦車用の副砲、左前部と右後部に機銃塔という、計5つもの砲塔を持つ。
・乗員は十名で、前方副砲砲手は副車長を、前方機銃塔銃手は副操縦手を兼任し、史実では車外に機関士と上級操縦手が随伴して、計12名のクルーで運用した。
・五つもの砲塔は射撃管制が困難、砲塔が互いの射角を邪魔しあう、多砲塔のせいで重量に余裕がなく装甲の強化が困難、故障が起きやすいなど、多砲塔戦車のコンセプト自体が間違っていることを証明した。
・千種学園の車両は傾斜装甲を採用した1939年型で、副砲塔・銃塔には千種学園の前身となった四校の校章が描かれ、史実よろしくプロパガンダ戦車となっている。


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アシラ作戦です!

「隊長、敵は来そうにありません」

 

 IV号戦車の砲手が矢車マリに言った。彼女はキューポラから顔を出していたが、双眼鏡を降ろして頷いた。相手にまともな火力はズリーニィしかいないのだから、向こうも待ち伏せに出ることは予測していた。だが敵がカヴェナンターなりトルディなりを斥候に出し、こちらを釣り出そうとしてくるのなら、ここで待ち構えて始末し、その意図を頓挫させてやる。そういう計画だった。

 

「ここまでね。……全車、進軍する。パンツァー・フォー」

 

 号令と同時に操縦手の背を蹴って、彼女の乗るIV号も動き出す。車体を隠していた茂みを無限軌道で踏み越え、道へ出る。III号を引き連れて進軍を再開した。

 

「敵が待ち伏せていそうなポイントはいくつかある。それらを潰しつつ索敵よ」

 

 地図を確認しつつ、矢車は仲間たちにそう告げた。車両数が五両なので、一両だけを単独で索敵に出すのは避けていた。II号L型ルクスのような偵察車両でもあればいいが、III号とIV号ならば集中運用で敵を粉砕したい。相手がT-34やM4シャーマンならともかく、欠陥戦車まで含まれている千種学園の戦車隊相手なら十分に押しつぶせる。一年生ながらも中学校時代に戦車道を経験していた矢車は、そう確信した。唯一警戒すべきはズリーニィ突撃砲の待ち伏せである。矢車は今回初めて見たくらいのマイナーな車両だが、確かな攻撃力を持っているはずだ。

 

 彼女たちが周辺を警戒しつつ進軍していたとき、不意にバリバリと音を立て、何かが道脇の茂みを押しつぶした。道の左側から現れたのは、全長五メートル程度の軽戦車……トルディだ。砲塔から車長が顔を出していたが矢車たちに気づいていないのか、下を向いて操縦手に指示を出している。

 

「攻撃!」

 

 矢車が命じたとき、やっとトルディの車長は敵の存在に気づいたらしく、矢車たちを見て驚愕の表情を浮かべた。続いて車内に何やら喚き立て、戦車をバックさせて行く。

 III号が発砲したが、そのときにはトルディは来た道を戻り、木々の合間へと逃げ込んだ。砲弾は遥か先へ着弾する。

 

「追撃よ! 斥候を撃破なさい!」

 

 ドナウ高校の戦車隊は一斉に左旋回し、林の中へ踏み込む。木の間隔は戦車が十分通れるくらいはあった。

 矢車は失笑してしまう。釣り出しを目論んでくるかと思えば、周辺警戒すら満足にできない車長に偵察を任せていたとは。所詮素人集団ということか。

 

 トルディの操縦手の腕はそこそこ良いようで、木の合間を巧みに縫って、回避運動を取りつつ走行している。対する矢車たちはIII号戦車が一両、やや本隊から遅れを取っていた。五号車だ。

 

「ドナウ・フュンフ、急げ!」

《すみません!》

 

 一両だけ技量に劣っている者がいると、全体の進軍速度も遅くなる。

 だがトルディの車長は半狂乱のようで、後ろを向いて必死で喚き、矢車たちに拳を振り上げている。20mm砲を乱射しているが回避運動を取りながらでは当たるわけがなく、当たったとしてもIV号・III号の前面を貫通できるものではない。この程度の相手を始末するのは容易いことだ。

 

 矢車たちも牽制のため発砲するが、こちらも走りながらでは命中は期待できない。あくまでも心理的圧迫が目的だ。それは効果絶大だったようで、敵車長のパニックがどんどん酷くなり、喚き散らすのが見えた。

 

「前に去年の全国大会の録画見ましたけど、ああいう人いましたよね」

「ええ。サンダースの副隊長だったかしら。アリサさんとかいう」

 

 装填手とそんな会話を交わしつつ、矢車は苦笑した。

 砲弾の一発が前方の樹木に命中し、めきめきと音を立てて倒れ始めた。トルディは間一髪でその下をくぐり、矢車たちは迂回して後を追う。

 

 林を抜け、広い丘に出た。しかしトルディの進路は、矢車が予測していた待ち伏せポイントへ向かうのではなく、闇雲に逃げ回るだけのようだ。

 

「徹甲弾装填、躍進射撃で仕留めるわ。停止」

 

 躍進射撃とは走行しながら照準合わせ、急停止して車体の揺れが止まるのと同時に素早く発砲するテクニックである。

 IV号の操縦手がレバーを戻し、制動をかけた。

 

「撃て!」

 

 車体の動揺が収まった瞬間、砲手がトリガーを引く。撃発の轟音が響き、マズルブレーキから炎が拡散する。

 しかし砲弾は当たらなかった。トルディはIV号の発砲の瞬間、左へ旋回して射線をかわしたのだ。

 

 そのまま左へ逸れていくトルディを、矢車は舌打ちしつつ追跡し続ける。比較的脚の速い戦車なので簡単には追いつけないが、隙を狙って再び躍進射撃を試みるつもりだ。

 相変わらず敵車長は見苦しく喚き立てているが、一応操縦手に指示は出しているらしく、回避運動を取れていた。時折20mm砲も撃ってはくるが問題にならない。

 

 

 そうしているうちに、やがて小高い丘の上に出た。茂みがいくらか見受けられるものの、遮蔽物が少なく敵に狙われやすい地形で、ことに矢車たちから見て右側には、下り勾配の先に平野が広がっている。矢車が予測していた待ち伏せポイントの一つだ。眼下に見える平野に陣取れば、丘の上を容易に狙撃できる。

 しかし矢車が見渡してみても、敵戦車らしきものは見えない。

 

「ドナウ・ツヴァイ、フィーアは右方向を警戒。狙撃に注意なさい」

 

 念のため部下に命じつつトルディを追う矢車は、妙な物を見た。前方に見えた大きな茂みが、動いたのだ。それどころか、火を噴いたのだ。しかも複数。

 大小の砲弾が近くに着弾し、機銃が装甲をノックする。まったく馬鹿な奴らがいたものだ、と矢車は思った。T-35に木の枝葉をつけ、茂みに偽装していたのである。隠し方は徹底していたが、自ら動いては隠蔽効果も何もない。もっとも近くを通るまで待ち伏せしたとて、T-35の主砲は榴弾砲だし、副砲は対戦車用の45mmだが射角が限られている。

 

「砲撃用意。目標、ソ連製十人乗り棺桶」

 

 乗っている戦車の無力さを思い知らせてやる。矢車は一斉に躍進射撃を行うことにした。

 

 急停車の直後、IV号の75mm一門、III号の50mm砲四門が一斉に火を噴く。大気を揺るがす轟音の直後、T-35の巨体に徹甲弾が殺到した。鈍い金属音と共に偽装用の茂みが吹き飛んで、木の葉が宙を舞う。

 

 その下にあったのは弾痕を穿たれた、オリーブ色の装甲板だった。多砲塔戦車で元々重量があるため、大型であっても装甲は厚くない。貫通判定が出て白旗システムが作動してしまう。主砲塔の上に、被撃破の証である白旗が上がった。

 

 撃破されたT-35の脇を抜けて逃げて行くトルディ。それを追って、矢車らもT-35の左側を抜けて行く。

 だがその瞬間、異変が起きた。先ほどまで半狂乱になっていたトルディの車長が、矢車の方を向いてニヤリと笑ったのだ。

 

 同時に矢車は気づく。T-35の背後に、砲塔をこちらへ向けた戦車が控えていることに。

 

「……罠……!」

 

 刹那、轟く砲声。

 矢車のすぐ後ろにいた二号車が直撃を受ける。潜んでいたのはトゥラーンII重戦車だった。短砲身とはいえ75mm、至近距離で直撃では、III号戦車の側面などとても耐えられない。たちまち白旗が上がり、車体から出火もする。

 

《ドナウ高校III号戦車、走行不能!》

 

 無線機に審判のアナウンスが入った頃には、トゥラーンはT-35の反対側へ身を隠す。

 

「味方を遮蔽物に……!」

 

 矢車は自分の油断に歯噛みした。T-35の偽装は自分を隠すためではなく、背後にいるトゥラーンを隠すためだったのだ。元々大きい上に木の枝などを付ければ、背後にトゥラーンが隠れるくらい簡単だ。

 

《隊長、トルディが逃げて行きます!》

《トゥラーンは反対方向に……!》

「フュンフは軽戦車を追跡! 残りでトゥラーンを片付ける! 包囲よ!」

 

 仲間の混乱を防ぐため、矢継ぎ早に指示を出す。技量に劣る五号車をトルディの追撃に振り向けて切り離し、残り三両を動きやすくしてトゥラーンを仕留める算段だ。トゥラーンは工業力の低いハンガリーで作られたにしては良い戦車だが、ドイツ戦車の完成度には及ばない。三両で十分だ。

 

 だが矢車にはまだ誤算があった。

 反転してトゥラーンを追い始めたとき、またもや砲声が響いたのである。IV号のすぐ隣に出ていたIII号が一両、砲塔側面に直撃を受けた。またしても上がる、白旗。

 

 矢車が警戒していた、平野からの狙撃だ。しかし開けた場所にも関わらず、敵の姿は見えない。戦車壕を掘り偽装を施して身を隠し、遠距離から砲撃してきたのかもしれない。

 二両が撃破され、一両は分離。彼女の手元に残された車両は自分の他に一両のみ。トルディ車長のあの狂乱ぶりも、最初から計算ずくだったのだと気づいた。

 

「嵌められた……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《トゥラーン、一両撃破!》

《ズリーニィ、一機撃墜……じゃない、一両撃破だ。こちらの位置はまだバレてなさそうだ》

《こちらトルディ。III号が一両だけ追いかけてくるわ》

 

 エンジンを切ったカヴェナンターの車内で、以呂波は先輩たちからの吉報に耳を傾けていた。

 

「やった! イロハちゃんの計算通り!」

「……凄い」

「この調子なら勝てるかもしれない!」

 

 美佐子、澪、結衣も歓声を上げた。以呂波自身も、体にゾクリと快感が走るのを感じる。久々に感じる戦車道のスリルだ。だが同時に、乗っているのがカヴェナンターよりもまともな戦車なら、最初から自ら陣頭に立つのにと、口惜しい思いもしていた。

 

「船橋先輩はそのまま、追ってくるIII号を引きつけてください。T-35の皆さん、怪我はありませんか?」

《こちら北森だ、十人みんなピンピンしてる。役目は果たしてやったぜ。後は頼む》

「了解、本当にありがとうございました。トゥラーンは敵戦車に突撃し注意を引きつけ、ズリーニィは誤射に注意して狙撃を続けてください。私たちも向かいます」

 

 滑らかな口調で指示を出しながら、以呂波は確かな喜びを感じていた。

 あるべき場所に戻ってきた、その喜びを。




今回もお読み頂き、誠にありがとうございます。
ようやくバトルシーンでしたが、如何でしたでしょうか。
千種学園有利に進んでいますが、さすがにこのままでは終わりません。
後アシラ(ASILA)作戦の由来は決してモンハンのモンスターではありませんw

今後間が空くこともあるかもしれませんが、応援して頂けると幸いです。


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ドナウ高校の反撃です!

「一ノ瀬隊長の策通りに事が進んでいるな」

「相手がこちらを見くびっていたのもあるけど、こうも上手くいくとはね」

 

 ズリーニィの乗員たちが言い合う。航空学科所属の彼女たちは戦車の中でも、昔の戦闘機乗りのように飛行帽とマフラーを着用していた。彼女たちが勝手にしていることだが、T-35のマーキング同様に宣伝効果が見込めるということで、船橋が許可を出したのだ。もちろんマフラーには燃えにくい素材が使われている。

 丸瀬は『カニ眼鏡』などと呼ばれる砲隊鏡を覗き、注意深く敵の様子を見る。敵車長はこちらを見ているがまだ発見できないようだ。戦車壕に入って車体を隠す、ダックインと呼ばれる戦法だ。さらに木や草を被せ、履帯跡を消して入念に偽装してある。さらに発砲で土煙が舞い上がらないよう、砲口の下の地面に水を撒いて湿らせるという徹底ぶりだ。

 

 とはいえこのままここから砲撃していても、発砲炎や土煙で発見されてしまう。なので別の地点にもう一つ壕を掘ってあった。農業科チームが日々穴掘り訓練を繰り返していた成果だ。

 

「大坪のトゥラーンが注意を引いている間に、ポイントBの壕へ移動だ」

「了解」

 

 操縦手がギアを切り替え、戦車を後退させた。ズリーニィI突撃砲がゆっくりと壕から出る。敵は気づいたようだが、そこへトゥラーンが砲撃しつつ突撃した。二次大戦期の戦車では行進間射撃の命中など滅多に期待できないが、牽制にはなっている。

 ジグザグ走行で敵の射線をかわしながら、再びT-35を遮蔽物として逃げた。回収車が来るまで利用するつもりだ。

 

「こちらズリーニィ。ポイントBへ移動する」

《隊長車、了解。大坪先輩、私も向かっていますので、頑張ってください》

《こちら大坪、了……きゃぁっ!》

 

 レシーバーから大坪の悲鳴が聞こえ、丸瀬ははっと丘の上を見上げた。T-35のすぐ側で、トゥラーンが被弾していたのだ。側面から煙を噴き、砲塔から白旗が飛び出す。

 

《千種学園トゥラーンII、走行不能!》

 

 無情に撃破判定のアナウンスが入った。III号戦車に回り込まれ、砲撃を喰らったらしい。

 

《大坪先輩、大丈夫ですか!?》

《ごめん、フェイントに引っかかった! III号がズリーニィの方へ行くと思ったら、私を狙ってきたの!》

 

 以呂波と大坪の声が聞こえる。乗員の技量差が出てしまったと言えるだろう。予定より早くトゥラーンがやられてしまい、これではズリーニィをカバーする車両がいない。以呂波のカヴェナンターが向かってきているが、ズリーニィはすでに発見されているのだ。

 現にIV号が、すでに丸瀬の方へ砲身を向けていた。

 

「まずい!」

 

 彼女が叫んだ瞬間、砲声が響く。しかし着弾地点は僅かに横へ逸れた。土煙が柱のように上がり、丸瀬は思わず顔を庇う。

 

 至近弾だ。次は絶対に当ててくる。彼女は直感的にそう思った。だが逃げたところで、敵を全滅させなくては勝利はない。回転砲塔のない突撃砲では逃げながら反撃するのも困難だし、もう第二の戦車壕へ逃げ込むのも無理だろう。例え以呂波の援護が間に合っても、IV号とIII号を相手にカヴェナンターでは分が悪すぎる。

 ならばチームの勝利のため、選べる道は一つ。丸瀬はそう判断した。

 

「突撃! 躍進射撃で片方だけでも仕留める!」

「よし!」

 

 操縦手も覚悟を決め、ズリーニィは前進した。

 できれば攻撃力の高いIV号F2を撃破したい。しかしIV号は横へ大きく逸れながら移動し、砲塔を旋回しつつズリーニィの側面へ回ろうとしていた。

 

 一方、IV号の近くにも着弾の土煙が上がった。2ポンド砲である。以呂波のカヴェナンターが到着し、牽制のため砲撃したのだ。

 しかしそれでもIV号はズリーニィのみに狙いを定め、III号がカヴェナンターに主砲を向けている。

 

「目標、一時方向のIII号戦車!」

 

 丸瀬は決断した。突撃砲は主砲の可動範囲が狭いので、目標へ車体ごと向けて照準しなくてはならない。側面へ回っていたIV号へ向けて回頭する暇はなかった。その間に向こうが撃ってくる。カヴェナンターを狙っているIII号を撃破するしかない。

 砲手が照準を合わせ、丸瀬は操縦手に停止命令を出した。特訓してきた躍進射撃である。停車すると車体の動揺に釣られ、長い砲身も大きく揺れた。

 

 それが収まるタイミングで、丸瀬は叫んだ。

 

「よーそろ……撃ェー!」

 

 砲手がトリガーを引いた。装填された徹甲弾が発射され、砲尾が後退して空薬莢を排出する。

 

 その瞬間だった。凄まじい衝撃が横殴りに襲いかかってきた。丸瀬たち乗員の体が一瞬椅子から離れて浮き上がり、車体自体が激しく震動する。

 

 だがそれも一瞬。丸瀬が衝撃でくらつく頭をもたげ、ズリーニィのハッチから顔を出すと、そこには白旗が上がっていた。そして敵のIII号にも、ズリーニィの砲撃が命中していた。

 

《ドナウ高校III号戦車、千種学園ズリーニィI、走行不能!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ズリーニィやられちゃった!」

「トルディと私たちだけじゃない! どうするの!?」

 

 蒸し暑いカヴェナンターの車内で、美佐子と結衣が動揺を見せる。澪も不安そうに以呂波を見た。

 敵はIV号とIII号が一両ずつで、分断されている。トルディIがIII号戦車に追われており、このままだとカヴェナンターがIV号と一対一で当たるだろう。戦車の性能差は言うまでもなく以呂波たちが不利だ。欠陥ばかりではなく、主砲の威力でもカヴェナンターは非力だ。

 

 以呂波は流れる汗をそのまま、無線機のスイッチを入れた。

 

「船橋先輩、状況は?」

《III号が相変わらず追ってくる! あんまり上手くなさそうだから、簡単には追いつかれないよ!》

「ではそのまま引きつけてください。IV号はこちらで始末します。アウト」

 

 合流しての戦力の立て直しなど、以呂波は考えていなかった。こちらが合流すれば敵も合流するだろう。それよりは各個撃破を狙うべきだ。

 

「私たちだけでやれるの!?」

「大丈夫だよ。近距離で側面に当てれば、2ポンド砲でも十分抜ける」

 

 操縦席から見上げてくる結衣に、以呂波は微笑みかけた。屈託のない笑顔だ。

 

「私の言う通りにすれば必ず上手くいくから、力を貸して」

「……分かったわ。何でも言って」

 

 このような状況で笑みを浮かべる以呂波の余裕に、結衣は取り乱しそうになった自分が馬鹿馬鹿しく、そして情けなく思えた。指揮官の態度は部下の心理にダイレクトに影響する。まして以呂波は一弾流宗家に生まれたベテランだが、結衣たちは今回が初陣だ。経験豊富な以呂波がやれると言えば、三人もやれると思うのである。

 

「……怖いけど、頑張る」

「うん、みんなでイロハちゃんの右脚になろう!」

 

 全員の決意が一つになった。彼女たちは以呂波の策を頼りにしているが、以呂波にとってはこの三人だけが頼りだった。乗員全員が時計の歯車のように精密に動かなくては、勝利はあり得ない。

 

「よし、まずはポイントBへ敵を誘導するよ!」

 

 

 

 一方の矢車はIV号の砲塔から顔を出しつつ、拳を握りしめていた。怒りの対象は以呂波たちよりも、むしろ自分自身である。相手の演技にまんまと騙されて釣り出されたこと、T-35の巨体を利用したトゥラーンの待ち伏せを見抜けなかったこと。何よりも彼女が初手から相手を侮っていたことが、全ての失態の原因だった。中学校時代から戦車道をやっていたが、T-35だのカヴェナンターだのを使う相手と戦った経験はない。そんな欠陥戦車より、ずっと強力な戦車を相手取り勝利したことがあるからこそ、油断が生じてしまっていた。

 

 だが、何とか窮地は脱した。脅威であったズリーニィは潰し、敵はカヴェナンターとトルディのみ。

 

「ドナウ・フュンフは林の中で、軽戦車を追跡中とのことです!」

「カヴェナンターを片付けたら向かうから、それまで見失うなと伝えなさい!」

 

 通信手の報告にそう返し、矢車は反転して離脱していくカヴェナンターに目をやった。巡航戦車と名乗るだけに速度は速いが、エンジン・乗員共に冷却不足という問題がある。そういつまでも最高速度では逃げられないだろう。

 焦らず、追いつめて撃破すればいい。

 

「追撃! パンツァー・フォー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドナウ高校の五号車に追われ、トルディは入り組んだ林の中を走っていた。最高速度50km/hのトルディだが、戦車とはいつでも最高速度を出せるわけではないし、ましてや林の中では遅くなる。だが追ってくるIII号戦車はやはり技量が他の車両に劣るようで、トルディは付かず離れずの距離を保っていた。

 

 後方から放たれる砲弾は見当違いな方向へ飛んでいく。トルディも砲塔を後ろへ向けて反撃するものの、やはり命中しない。二次大戦中の戦車で行進間射撃を成功させるのはほぼ不可能とされる。それができる化け物じみた砲手は、全国大会でも年に二、三人現れる程度だ。

 

「どうしてケンジはあの子が好きなのぉ!? 何で私の気持ちにぃ……気づかないのよぉっ!?」

「委員長、アシラ作戦はもういいと思いますが」

 

 去年のサンダース校副隊長の真似を続ける船橋に、砲手が冷静にツッコミを入れた。冷静というより、単にうるさかったのかもしれない。

 

「どうします? どこかで撒くこともできないんじゃ、いずれ追いつめられますよ」

 

 ハンドルを左右へ振りつつ、操縦手が言った。もしIII号を振り切ってしまえば、相手はIV号に合流しようとするだろう。以呂波のカヴェナンターが不利な状況に陥る。付かず離れずの状態で逃げ続けるしかないが、追われる側というのは不利だ。相手が下手とはいえ、いずれは追い込まれる可能性もある。

 

 船橋は砲塔からほんの少し顔を出し、追ってくるIII号をしっかり見ながら指示を出していた。

 戦車道チームの結成は元々彼女が言い出したことだ。かつて暮らしていた学園艦が「目立った取り柄が無い」という理由で廃校になり、統合されてからも外部からあまり関心を持たれない中、このまま高校生活を終えたくなかった。自分たちのことを世間に知らしめたいと考え、同じ思いの仲間を募りチームを作り、統合前の学校から『飾り』として受け継がれた戦車も整備した。

 

 その初陣となるこの試合。以呂波がいなければ成す術もなく敗北していたことだろう。隻脚の身でリーダーを引き受けてくれた以呂波に、船橋は心から感謝していた。同時に自分たちのためだけでなく、彼女の再起のためにも勝ちたいと思った。

 

 しかしトルディI軽戦車の主武装は36M20mm砲。スイス製のゾロトゥルン対戦車ライフルをハンガリーでライセンス生産したものである。読んで字の如く戦車を撃つためのライフルであるが、二次大戦中の戦車にはすでに威力不足であった。軽戦車ならともかく、III号戦車を相手取るには非力だし、互いに動き回る中で覗視孔を狙うのも困難だ。

 

 だが戦車の装甲は全体が同じ厚さではない。全ての装甲を厚くしては重量オーバーになってしまうからだ。攻撃を受けやすい正面が最も厚く、次に側面という順番である。

 

「一番装甲が薄い場所……上か下なら20mmでも抜けるかも!」

「そんな所にどうやって当てるんですか!?」

「三時方向に戦車を向けて! 林を抜けた先の斜面に出るわ!」

 

 地図をちらりと確認し、船橋は命じた。

 

「あの下り坂、かなり傾斜が急だったと思いますが……」

「そこは根性見せるのよ!」

 

 不安の色を浮かべつつも、操縦手はぐっとハンドルを右へひねって旋回させる。III号も同じように追ってきた。

 

「チャンスは一瞬! せめて相打ちくらいには!」

 

 船橋の賭けが始まった。

 

 木々の合間をすり抜け、敵の砲撃をかわし、走り抜ける。III号も必死で追いすがってくる。

 やがて木が減り、視界が開けてきた。戦車が減速しつつ急斜面を下り始め、船橋は砲塔の中へ頭を引っ込める。砲塔は後ろを向いたままだ。

 

 斜面をいくらか下った所で、トルディは何とか停止した。地形の傾斜を利用して身を隠す、ハルダウンと呼ばれる戦法だ。これで追ってくるIII号からは見えない。

 

「底を狙うのよ!」

「了解!」

 

 砲手も覚悟を決め、20mmライフルを俯角最大で狙いを定める。

 やがて斜面の稜線部分から、III号戦車が姿を現した。相手からすると下にいるトルディは死角に入っていて見えない。だがドルディはIII号の履帯が稜線を乗り越えてくる瞬間、その狙い所……底面を照準に捉えることができた。

 

 その一瞬を捉え、20mm弾が放たれた。着弾の音は撃発の音にかき消される。

 

 火薬の匂い漂う砲塔から船橋は顔を出した。そして敵戦車の砲塔から白旗が飛び出すのを確かに見た。だが歓喜の叫びを上げようとした瞬間、彼女は慌てて砲塔の中に戻る。III号が惰性により、そのまま斜面を下ってきたのだ。

 

「避けて避けて! 早く!」

「避けろって、あっ……きゃあぁ!?」

 

 背後から三号に追突され、乗員たちに衝撃が走る。トルディはその勢いでずるずると斜面を下り始めた。途中で石に引っかかり、車体が横向きになってしまう。ぐらり、と乗員たちの体が揺れた。

 

「総員対ショック姿勢!」

 

 船橋の叫びの直後、トルディは見事に横倒しになった。III号もろとも急斜面を滑り落ち、最下部まで落下してようやく停止する。

 

 乾いた音を立て、トルディの砲塔からも白旗が上がった。

 

《ドナウ高校III号、千種学園トルディI、走行不能!》

 

 レシーバーにアナウンスが入った後、船橋は倒れた戦車の中で体を起こした。咄嗟に受け身を取ったため怪我はしていない。

 

「二人とも、大丈夫?」

「生きてまーす」

「なんとか平気でーす」

 

 砲手と操縦手も起き上がった。怪我人はいないようだ。船橋はほっと胸を撫で下ろし、次いで隊長車に通信を入れる。

 

「あー、一ノ瀬さん、ごめん。III号やっつけたけど道連れにされちゃった」

《怪我人は!?》

「全員無事! 悪いけど後はお願い!」

《了解、ありがとうございます! アウト!》

 

 

 

 ……これで敵味方双方、残りは一両ずつとなった。方やあらゆる面で最悪の欠陥戦車、方や第三帝国崩壊の日までドイツ軍を支え続けたワークホース。

 

 だが戦車は人が動かすものだ。最後に勝負を決めるのは、戦車乗りの腕である。

 

 




お読み頂きありがとうございます。
相手もそう簡単に負けてはくれません。
次回で決着が付きます。

不自然な点や誤字脱字等ありましたら遠慮なくご指摘ください。
また「こんな戦車が出てきたら面白いかも」というのがありましたら、メッセージでご連絡をいただければ幸いです。
今後カヴェナンターに代わる隊長車と、第五話で言及されていた車両(日本製)がチームに加わる予定です。


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初試合、決着です!

「右に大きく旋回」

 

 追ってくるIV号戦車を睨みながら、以呂波は冷静に指示を出す。片脚が義足の身でありながらも、彼女は砲塔内で立ち続け、敵を見つめていた。敵車長の矢車マリも同じである。戦車内からは外の視界は非常に悪い。ドイツ軍の戦車エースは皆こうして周囲への警戒を行い、先に敵を発見することで戦果をあげた。歩兵のいない戦車道では狙撃される心配がないため、勇猛果敢な少女たちは積極的に砲塔から顔を出して索敵する。

 

 敵に集中する以呂波は、脚の疲労も感じなくなっていた。しかしカヴェナンターの砲塔は旋回時に車長の脚が挟まる危険があり、注意していなくてはならない。戦車道のルール上、「ハッチが勝手に閉まって車長の後頭部を叩き割る」「変速機が勝手にバックに切り替わる」などの欠陥は改良が認められているのが、せめてもの救いだった。さすがに砲塔自体の構造や、エンジンの配置などを変えるとルール違反だが。

 

 IV号が停止し、砲塔をカヴェナンターへ指向し始める。距離はおよそ700mほど。以呂波の視線はその砲口を見据えていた。砲口が黒い点になり、さらにカヴェナンターの進行方向へ向いていく。

 

「停止!」

 

 号令に従い、結衣が急制動をかけた。その瞬間、IV号が撃った。停止したカヴェナンターの前方を砲弾が通過し、離れた場所に着弾。土煙が巻き上る。

 

 偏差射撃を見切っての回避だ。砲口を見て敵が照準を合わせるタイミングを読み、相手が撃つ瞬間に急停止・急発進を行い砲撃を空ぶらせる。以呂波が得意とする射弾回避技術であり、原始的ながらも効果はある。無論砲の初速や距離によってタイミングは変わるので、常にあらゆるデータを考慮しておかなくてはならない。

 

「目標四時方向、徹甲弾!」

「装填完了!」

 

 美佐子が素早く砲弾を押し込み、澪が照準を合わせた。イギリスのドクトリンでは戦車も移動しながらの射撃を重視していたため、カヴェナンターの主砲は砲手が肩当てで照準できる。慣れれば素早く狙いをつけられ、命中精度も良い。砲手が殺人的な居住性に耐えられるという前提の上でだが。

 いつも怯えてばかりいるのに、澪は冷静に照準器を覗いている。訓練の中で、以呂波は彼女に特筆すべき集中力があることに気づいていた。照準器を覗いている間だけは、敵の砲声や爆発音にも心を乱すことはないのだ。

 

「撃て!」

 

 澪がトリガーを引いた。IV号の正面、前方機銃部分を狙っての砲撃だったが、ほぼ同時にIV号が急発進。砲弾は敵の側面を掠めるのみだった。

 

「発進!」

 

 結衣が戦車を急発進させた直後、相手が撃ち返してきた。今度はカヴェナンターの後方を徹甲弾が通過する。

 

 ラジエーターの真横にある操縦席で汗だくになりながらも、結衣はもはや暑さを感じている暇もない。タオルを額に巻いて汗が目に入るのを防ぎ、必死で以呂波の命令通り欠陥戦車を操る。履帯が細い上にステアリングが効きすぎるカヴェナンターは繊細な操縦技術が要求される。

 

 彼女に限らず、初陣である三人は経験者である以呂波の指示が頼りだ。敵の砲撃に対する恐怖も相当なものである。だが以呂波の指示で回避操作をこなすうちに、結衣は『自分たちは弾に当たらない』と信じ始めていた。実際彼女の操縦するカヴェナンターは砲撃を魔法のように避けている。まるで以呂波には未来が見えているかのようにさえ思えた。つまり操縦手である自分が、以呂波の指示を忠実に実行さえすれば、敵の攻撃は避けられる……結衣にはその自信が湧いてきた。

 

 自分が、以呂波の脚になるのだ。

 

「このまま円を描いてゆっくり旋回。敵をこっちの有効射程まで引きずり込むよ」

「了解っ!」

 

 結衣はハンドルを捻る。IV号F2型の長砲身75mm砲は、距離2000mからでもカヴェナンターの装甲を貫通できる。対してカヴェナンターの主砲は2ポンド砲。IV号F2の前面装甲は50mmの厚さなので、貫通させるには少なくとも500m以内に接近しなくてはならない。限られた予算で何とか入手した高速徹甲弾を使ってもだ。

 近距離へ肉薄するか、側面に回るか。以呂波の判断に勝敗が委ねられる。

 

「停止!」

 

 再び、急停止で射弾を回避する。敵の砲手は優秀なようだが、照準の修正が細かすぎた。なかなか命中しないことに業を煮やしたのか、相手は接近してきた。確実に仕留めようということだろう。

 こちらもあまり時間をかけてはいられない。カヴェナンターのエンジンはオーバーヒートしやすく、すでに限界に近づいていた。

 

 だが、すでに以呂波の定めたキルゾーンにIV号は近づいていた。ポイントBと名付けた、ズリーニィの第二の待ち伏せポイントとなるはずだった地点だ。

 矢車マリは双眼鏡で以呂波をじっと見ていた。以呂波は敢えて、彼女に向かいニヤリと笑って見せる。この挑発は効果覿面だった。欠陥戦車に手玉に取られ焦ったIV号は、速力を上げて接近してくる。

 

「円を描きながら、敵の左側面へ出て! できるだけこっちの正面を晒さないように!」

 

 決着をつけるべく、結衣に号令を下した。普通戦車は正面の装甲が最も厚く、カヴェナンターとて例外ではない。ただこの欠陥戦車にはその装甲を無駄にするが如く、放熱板が正面に剥き出しになっている。その下には隙間があり、機銃弾でも飛び込めばそれだけで致命傷だ。

 

 側面を取ろうとするカヴェナンターに、矢車は慌てて車体を後進させた。同時に正面をカヴェナンターへ向け、側面を晒さないようにする。

 何とか有効射程へ入ろうとする以呂波、何とか距離を保ちつつ砲撃する矢車。追う立場と逃げる立場が、いつの間にか逆転していた。

 

 IV号が発砲するも、以呂波の卓越した回避技術により命中弾はない。だがカヴェナンターも弧を描きながら接近していくため、なかなか距離は詰まらない。

 

 以呂波は敵の背後をちらりと見た。残っている敵はIV号だけだが、その左後方に茂みが見える。

 

「次、敵の右側面へ回り込んで」

 

 冷静に命令を下す。以呂波は敵を再び罠に嵌める方法を、すでに考えていた。後は敵が引っかかってくれるかが問題だ。そのために笑みを見せて挑発し、苛立ちを誘ったのである。

 

 カヴェナンターが回り込もうとすると、IV号もそれに合わせて車体の向きを変える。さらに後進して距離を取ろうとしたとき、以呂波の策は成功した。

 背後にあった茂みに、IV号が後ろから突っ込んでいく。小さな木を履帯で轢き潰した直後、がくんとIV号の後部が沈下した。

 

 矢車がはっと後ろを見る。千種学園の戦車はカヴェナンター以外残っていない……その油断から、彼女は周辺への警戒を怠り、カヴェナンターのみを凝視していた。だから気づかなかったのだ。

 

 後退した先に、茂みで偽装された窪み……ズリーニィが隠れる予定だった、第二の戦車壕があったことに。

 

「突撃!」

「了解!」

 

 カヴェナンターは増速し、IV号目がけて吶喊した。この隙を逃すわけにはいかない。

 IV号が撃ってくるも、砲弾は以呂波の頭上を通り過ぎる。壕の前方に後ろから落ち、IV号は前部が持ち上がった状態になっていた。この体勢で車高の低いカヴェナンターを狙うには俯角が足りなかったのだ。無論、砲手が慌てていたせいでもあるだろう。

 

「……この距離なら……!」

「まだ! 確実にやれる距離まで近づいて、躍進射撃で仕留めるよ!」

 

 澪の言葉を遮り、以呂波は言った。何とか体勢を立て直そうとするIV号に、カヴェナンターは肉薄していく。エンジンの加熱もサスペンションへの負荷も、結衣は気にしていなかった。この一撃で決まるのだ。

 

 一方IV号も、何とか壕から這い出そうとする。

 

「停止!」

 

 結衣がブレーキをかけた。バキリ、と何かが壊れる音がしたが、誰も気にかけない。

 同時に、IV号が戦車壕から姿を出す。

 

「乾坤一擲ッ!」

 

 叫びざまに、美佐子が高速徹甲弾を装填する。澪がトリガーに指をかけた。

 IV号もカヴェナンターに主砲を指向する。しかし肩当てで俯仰を調節できるカヴェナンターの方が、わずかに早かった。

 

「撃て!」

 

 その言葉と、それに続く砲声が、勝負の終わりを告げる鐘の音だった。

 細身の2ポンド砲が火を吹き、照準器に見えるIV号戦車が僅かに揺れた。

 

 時間にしてコンマ数秒だが、以呂波たちには長く感じられた。息の詰まるような、長い一瞬の後。

 

 IV号の砲塔から、白旗が上がった。

 

 

《ドナウ高校、全車走行不能! よって……》

 

 

 以呂波の胸が、大きく高鳴った。

 

《千種学園の勝利!》

 

「勝ったぁぁぁ!」

 

 アナウンスの直後、美佐子が狭い砲塔の中で勝鬨を上げた。

 

「……ほふ」

 

 可愛らしく息を吐き、澪が満足げな笑みを浮かべる。

 

「エンジン切るわよ! というか降りましょう!」

「そうしようそうしよう!」

「……暑かった……」

 

 結衣の言葉に全員が同意した。エンジン音が切られ、聞こえるのは仲間たちの声だけになる。操縦手席のハッチから、結衣が真っ先に飛び出した。重労働を終え、端正な顔を汗まみれにしながらも、笑顔を浮かべている。

 

 結衣は砲塔へ登り、以呂波に手を差し伸べた。以呂波は彼女に微笑み返すと、その手をしっかり握る。同時に砲塔内にいる美佐子に下から押し上げてもらい、砲塔ハッチから体を出し、砲塔に腰掛けた。続いて美佐子と澪が、車内から出てくる。

 

「うあーっ! 涼しいー! 気持ちいいー!」

 

 流れる風を目一杯受け、美佐子が大きく身を伸ばした。

 

「頑張った甲斐があったわね」

「うん! ありがとう、結衣さん」

 

 カヴェナンターをここまで保たせてくれた結衣に、以呂波は心から感謝した。以呂波を砲塔から引っ張り出してからずっと、二人は手を繋いでいた。

 

「一ノ瀬、さん……」

 

 澪がおずおずと、以呂波の隣に座った。

 

「……敵が照準に入ったとき……凄く、ゾクゾクして……楽し、かった……」

 

 頬を赤らめながら言う澪の手を、以呂波はそっと握る。

 

「これからもよろしくね、澪さん」

 

 澪が微笑みながら頷き、その手を握り返す。すると美佐子が後ろから、以呂波の首に抱きついてきた。

 

「イロハちゃん、私は!? 私は!?」

「ちょっ、美佐子さん、暑いって!」

 

 仲間たちと笑い合いながら、勝利の喜びを噛み締める以呂波。

 船橋たちが同乗した回収車が、彼女の元へ向かって来ていた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……本当に勝ちやがったか」

 

 タブレット端末を通じ、八戸守保は練習試合の様子を見守っていた。IV号戦車から白旗が立った瞬間、彼は改めて妹の才能に舌を巻いた。いや、才能などというものではない。今までの努力と、再び立ち上がろうという決意、そして心を通わせた仲間がいたからこその勝利だ。優れた戦車乗りが乗るから戦車が強くなるのだと再認識させられる、そんな戦いだった。

 

 同時に、やはりこのことは一ノ瀬家には伝えない方がいいだろうと考えた。両親は以呂波が片脚の身で戦車道を続けることに反対していたし、以呂波の戦い方は一弾流を離れつつある。少なくとも守保にはそう思えた。

 ズリーニィ突撃砲による伏撃は、まさに一弾流の模範的戦術だった。しかしパニックの振りをしたり、T-35を遮蔽物に使うなどの戦法は以呂波の独創性の賜物である。最終局面の攻勢にしても母親が見れば、一弾流の標榜する『踏みとどまる戦車道』から外れるものと思われるかもしれない。本家としては流派のレールから外れた戦いを好まないだろう。

 せっかく再起した以呂波の行動に、本家が水を差しては面倒なことになる。すでに勘当されている守保としては別に伝えてやる義理もない。

 

 何よりも、是非とも以呂波に売りたい『商品』があるのだ。

 

「凄いですよ、これは! カヴェナンターでIV号を倒すなんて!」

 

 後ろで見ていた女性社員が歓声を上げる。画面には勝利を喜び合う生徒たちの姿が映っていた。船橋が以呂波と握手を交わし、感謝の気持ちを伝えている。

 

「義足なのにこんなに頑張って……立派な妹さんですね」

「以呂波は戦車に乗って戦うとき、一番生き生きする奴だからな」

 

 感動の涙を浮かべる社員に、守保は苦笑した。

 

「戦車に轢かれて片脚失くしたくらいで戦車を嫌いにはなりません、ってところだろう。本人としては」

「……妹さんって、ハンス・ルーデルやジャック・チャーチルとかとご同類なんですか?」

「失礼なことを言うな」

 

 守保はパソコンに目を向け、在庫リストを確認した。列記されている戦車の名前の一つを指差し、再び口を開く。

 

「こいつを整備しておこう」

「おおっ! やっぱり千種学園に売るんですか、アレを!?」

「さすがの以呂波でも、カヴェナンターを使い続けるのは無理だろうからな。先方が予定通り予算が降りるようなら、これを隊長車に勧めてみる」

「ついにアレがトルディ、トゥラーン、ズリーニィを率いて戦うところを見られるのかぁ……感無量ですねぇ」

 

 部下の言葉に、守保は再び苦笑した。妹と違う形で、自分の部下たちも戦車が好きでたまらないのだ。勘当されても戦車と縁が切れずに、そんな部下たちを率いている自分も同類なのだろう。

 

 それもそう悪くはない、と守保は思った。




お読み頂きありがとうございます。

何でまたカヴェナンターなんてもんを出してしまったんだろう、と書いていて自分でも思いましたw
ちなみに「カヴェナンターのハッチ及び変速機は改造されており、その部分の欠陥はなくなっている」という部分ですが、これは本編を見る限りこの程度の改造は問題ないだろうと判断して書きました。
プラウダ校のT-34だって、ハンマーでぶっ叩かなきゃギアチェンジできない戦車であんなにスムーズな連携は不可能でしょう。
セモヴェンテ突撃砲も、砲撃時はハッチを開けて換気しないとガスが充満するという欠点がありましたが、アンツィオ高校のセモヴェンテはハッチを閉めたまま砲撃しています。
カルパッチョたちが防毒マスクをつけている描写もなかったし、改造されて換気装置がつけられていると見るのが自然です。

ここまでで第一章を区切りたいと思います。
仕事の都合で次回まで間が空くかもしれませんが、カヴェナンターに代わる新隊長車及び、学園艦内に眠っていた日本製車両が加わります。
これからも応援していただければ幸いです。
ご意見・ご感想もお待ちしております。


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第二章 鉄脚 VS 鉄腕
小さな祝宴です!


 澪の撃った砲弾はIV号の車体中央にある、メンテナンス用ハッチに命中していた。砲手には敵戦車の急所を徹底的に頭に叩き込ませるという、以呂波の指導が功を奏したのだ。

 そして試合終了後、カヴェナンターの走行装置の圧搾空気パイプに見事な亀裂が見つかった。エンジンも後少し長時間動かしていれば、オーバーヒートで白旗システムが作動していたという際どい状況だった。

 しかしそれでも、千種学園の勝利に変わりはない。ドナウ高校の矢車マリは負け惜しみの類は一切言わなかった。ただ以呂波に向かい深々と頭を下げた後、引き締まった表情で次のように述べた。

 

「次は勝たせてもらいます」

 

 彼女の中で、千種学園戦車道チームは倒すべきライバルとなったようだ。相手にそのような感情を抱かせる戦いが、以呂波たちにできたのだ。

 

 その後、学園艦に帰還した以呂波たちだが、反省会 兼 初勝利祝賀会は翌日に決まった。理由は帰還後に船橋がさっさと広報委員会を招集し、校内のニュース番組や学園新聞の作成作業に向かってしまったからだ。学校内で戦車道熱が盛り上がれば予算も増えるだろうし、戦車道を始めた理由から見ても注目は集めなくてはならない。勝利した以上、速やかに特報を打つのは当然のことだ。

 

 そのためチームメンバーは学校の大浴場で入浴を済ませた後、以呂波から二言三言講評を述べ、本日は解散となったのだが……。

 

 

 

 

「かんぱーい!」

 

 明るい声と共に、四人の少女はグラスを触れ合わせた。中に入っているジュースを、美佐子は一気に全部、以呂波と結衣は半分ほど、澪はほんの少しだけ飲む。

 

「ぷはーっ! 勝利の後のジュースは美味い!」

「親父臭いよ、美佐子さん」

 

 ごろりと畳に横たわる美佐子に、以呂波は笑いながら言う。畳の上なので以呂波も義足を外し、座布団の上でくつろいでいた。

 ここは結衣、美佐子、澪の三人が共同で住んでいる和風の一軒家だ。学園艦では仲の良い生徒同士で同じ家に住むことがよくある。ここで隊長車チーム四人で簡単なお祝いをしようと、結衣が提案したのだ。

 テーブルには四人で作った鶏の唐揚げやシーザーサラダ、肉じゃが、味噌汁といった料理が並んでいる。以呂波は一人暮らしをしているので料理もできなくはないが、出来合いのもので済ませることの方が多い。脚のこともあり、他三名の気遣いもあって座ってできる仕事を手伝った。

 

「一ノ瀬さん、レモン汁はかける派?」

「かけるよ」

「よかったぁ。かけるの私だけだったのよ」

 

 そう言いながら、結衣が以呂波の唐揚げに手際良くレモンを搾る。爽やかな香りが広がった。

 

「同居し始めたとき、勝手に全員分レモンをかけたら美佐子は怒るし、澪は涙眼になるし……」

「結衣ちゃん、私たちにとってあれはテロ行為だったんだよ!」

「……レモンは駄目」

 

 拳を振り上げ力説する美佐子と、珍しく彼女に同調する澪。『唐揚げにレモン』は好みがはっきりと分かれる上、肯定派と否定派が決して分かり合えない問題だ。何かと気を利かせる結衣の性格が裏目に出たということだろう。

 以呂波が笑いつつ唐揚げを食べると、肉汁がじわっと口の中へ広がった。唐揚げというのは飽きのこない料理だが、今日のは特に美味しく思えた。

 

「うん、美味しい!」

「……肉じゃが、少し甘くしすぎたかも……」

「私は好きよ、このくらい甘いのも」

 

 料理をつつきながら、少女たちは思い思いに雑談する。

 

「それにしても、イギリス人は何であんな戦車を大量に作っちゃったんだろうね?」

 

 美佐子が笑いながら言った。『あんな戦車』とは無論、カヴェナンター巡航戦車のことである。多数の欠陥を抱えていたにも関わらず大量生産され、結局訓練にしか使われなかったのだ。

 

「ドイツ軍の勢いが凄かったから、テストも済んでなかったのに大慌てで正式化しちゃったんだって。他にもイギリスにはヴァリアント歩兵戦車っていうのがあって、もしそっちだったら結衣さんが過労死してたと思う」

「イギリス軍は操縦手を軽視してたのかしら……」

「結衣ちゃん、本当にお疲れさま!」

「……お疲れさま」

 

 澪が結衣のグラスにジュースを注いだ。カヴェナンターはラジエーターが操縦手の隣にあったため、結衣は特に暑い思いをしなくてはならなかったのである。彼女の繊細な操縦あってこそ、欠陥まみれのカヴェナンターで粘ることができたのだ。

 

「本当、結衣さんにはいくら感謝しても足りないよ。もちろん美佐子さんと澪さんにも」

「何言ってるのよ。一ノ瀬さんがいてくれたから勝てたんじゃない」

 

 結衣たちからすれば今日の勝利は以呂波のお陰だ。危ういと思われたときも以呂波が落ち着いていて、それどころか笑顔を浮かべていたからこそ、皆大丈夫だと思って動けた。

 だが以呂波にしてみれば、戦車の劣悪さにも関わらず自分を信じてくれた仲間たちこそ、勝利に不可欠な存在だったのだ。自暴自棄になって、結衣たちの気遣いを拒絶していた自分が情けなく思える。

 

「でもさ、これからが本番だよね! 新しい戦車買わないと!」

 

 美佐子が言う通り、以呂波もこのままカヴェナンターを使い続ける気はない。いくら絆が強くても、あのような戦車で戦っていては士気が下がるだろう。それだけならまだしも、熱射病で倒れる者が出るかもしれない。車内温度が四十度になる戦車をアフリカへ送ろうとしていた(一部は実際に送った)イギリス軍と、そんな戦車で訓練させられても愛国心を失わなかった英国戦車兵こそ異常というものだ。

 

 すでに以呂波は守保に連絡をし、「勧めたい戦車があるから、予算が決まったら見に来い」との返答を受けている。

 

「船橋先輩、今頃頑張ってるでしょうね」

「うん。学園長や生徒会からは約束を取り付けてあるみたいだけど、校内から注目が集まればもっともらえるかもしれないし」

「……射程、長いのがいい……」

 

 澪が切実に言った。並外れた集中力を持つ彼女は、目標を狙い撃つことに楽しみを見出しつつある。現に今回の試合では敵戦車の急所を的確に狙撃してみせたのだ。相変わらず普段は結衣の後ろに隠れているが、「強くなれるのなら」と戦車道を志した甲斐はあったのかもしれない。

 

「そうなると砲弾も重くなるから、美佐子さんの頑張りも重要だよ」

「うん、筋トレ続けるよ! イロハちゃんを抱っこしてランニングとかしてみよっかな」

「人を重りにしない!」

 

 以呂波は美佐子にぶつ真似をした。そんなやり取りを見て笑いながら、結衣が何気なくテレビのリモコンを手に取る。

 

 彼女が電源ボタンを押した瞬間、四人の目に飛び込んできたのは戦車の発砲炎だった。続いて『千種学園のタンクは強し!』の文字が、力強いゴシック体で表示される。

 

『鉄獅子は邁進する! 我が校の歴史はこれから始まるのだ!』

 

 やたらと勇ましいナレーションが入り、以呂波たちはあっけに取られていた。学園艦では一般のテレビ番組も見られるが、たまたま学校広報のチャンネルになっていたようだ。そして次に映ったのは戦車チームの訓練風景。整列したチームの前で、以呂波が訓示を行っている映像だった。

 

『千種学園戦車隊は初の練習試合に勝利を飾った! 団結力が物を言う戦車道での勝利は、即ち本校が世間で云われている『寄せ集め学校』でないことの証明に他ならない!』

 

「……もう宣伝映像できたんだね」

「何かプロパガンダの臭いがプンプンするわ……」

 

 結衣が苦笑する。テレビ画面の上に『この時間に放送予定だった『命の道徳授業』は都合により中止となりました。ご了承ください』というテロップが流れた。船橋は突貫工事で作ったニュース番組を強引に放送したようである。

 

「これ学園艦中に放送されてるんだよね!? ね!?」

「……恥ずかしい……」

 

 興奮する美佐子に、赤くなって縮こまる澪。画面は戦車の走行シーンや砲撃、そして休憩時間に笑い合うクルーたちの映像へと切り替わる。

 続いて、戦車の砲塔から顔を出す以呂波の顔が映る。

 

『部隊を率いる戦車隊長、一ノ瀬以呂波! 一年生でありながらその卓越した知識と技術、そしてキャプテン・エイハブの如き執念で敵戦車を追いつめ……』

 

「おお、完全にプロパイダだね!」

「プロパガンダ、ね」

「あはは……」

 

 乾いた声で笑う以呂波だが、その後のニュース映像には好感が持てた。最初に以呂波を義足の船長エイハブに例えた以外、彼女が障害者であることを強調していなかったのだ。義足の戦車長と言えば注目は集まるだろうが、船橋はそのような方法を好まなかったのだろう。彼女が単なる宣伝目的で戦車道を始めたのではないと、以呂波は改めて思った。

 

「これで予算降りるかな? 社長さんのお勧めってどんな戦車なんだろ?」

「……ファイアフライとかがいい……」

 

 17ポンド砲や88mm砲は砲手の憧れである。

 

「イギリス製以外がいいわ」

 

 結衣は英国製不信に陥ったようだ。

 

「そういえば船橋先輩が、学園艦の倉庫からもう一両見つかったって言ってたわね。あんまり強くないって話だけど」

「ああ……私も見たけど、あれは……うーん」

 

 思い思いに雑談しつつ、四人は食事を進める。その中で、以呂波は何か懐かしい感情を覚えた。彼女にとって一ノ瀬家は決して冷たい家庭ではなかったが、戦車道から遠ざけられてからはどうにも居心地が悪くなったのだ。

 母も姉達も戦車乗り。同じ食卓を囲んでいても、自分一人が輪から外されているように感じた。だから姉のいる学校ではなく、千種学園に入学したのである。

 

 今、共に食卓を囲む三人は同じ戦車の乗員だ。同じ目線の仲間であり、家族だった。

 

 いずれ母が今の以呂波のことを知り、勝手に戦車道に戻ったことを叱責されるかもしれない。だがそれでも、以呂波は決心していた。何が何でも、この家族を守ろうと。



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戦力増強です!

 船橋幸恵による一連の宣伝活動は確かな効果があった。試合の翌日、以呂波は見知らぬ生徒から「隊長さん、おはようございます!」と挨拶されるようになった。風紀委員の強面の男子生徒から道を譲られたりもした。練習を見学する生徒も増え、乗る戦車がなくてもサポートメンバーとして参加したいという声も出てきた。

 今回は練習試合に勝利したに過ぎないが、船橋は戦車の性能差を覆しての勝利だったということを強調した。千種学園の戦車道参入が決して無謀ではない、価値のある挑戦だと示したのである。

 

 校内で戦車道熱が高まったことを受け、生徒会も約束していた予算の捻出と、戦車道チームの支援を決定した。これにより以呂波たちは、望み通り新たな隊長車を購入できることになったのだ。

 

 

 

 

「ようこそ、八戸タンケリーワーク社へ」

 

 立ち並ぶ格納庫の前で、守保が以呂波たちを出迎えた。彼の会社は地上ではなく海上を拠点としている。廃艦になった学園艦を買い取り、カンパニーシップとして使っているのだ。合宿などを行うための小さな学園艦をベースにしているが、会社の敷地としては十分な広さだった。本社や社員寮などの建物は当時の物をそのまま利用しているようだ。

 甲板上にはレストアを行う工房の他、試験をする簡易的な演習場もある。丁度格納庫の一つに75mm砲が運び込まれるところで、ドアの開いている格納庫から顔を覗かせているのはメーベルワーゲン対空戦車だ。IV号戦車をベースにした対空戦車なので、上部をIV号の砲塔と交換して戦車道チームに売るつもりらしい。

 

「どうだ、結構立派な会社だろ?」

「うん。いろいろありそうで見てて飽きないよ」

 

 以呂波は心底楽しそうに答えた。兄の会社を訪れるのは初めてである。同行しているのは美佐子ら隊長車乗員と丸瀬だ。航空学科の飛行機で行くことになったため、丸瀬が操縦を願い出たのだ。

 

「秘密基地みたいですね!」

「はは、確かにね。戦車だの武器だのばっかりだから」

 

 美佐子の発言に笑顔で返し、守保は商売モードに入ることにした。すでに予算はメールで守保に送られており、以呂波たちは戦車を直接見て選びに来たのだ。

 

「お兄ちゃんのお勧めだっていう戦車は?」

「ああ、こっちにある。見てくれ」

 

 そう言って守保が向かったのは、メーベルワーゲンを弄っている隣の格納庫だ。パーツ状態の戦車が多数並んでおり、これからレストアにかかるという所らしい。だが中には完全な状態の戦車や、時には一次大戦期の戦車も見受けられた。

 

「あ、これ知ってる! ヘッツァーちゃんだよね!」

「こいつはヘッツァーの火炎放射型で、これから戦車道仕様に改造する予定なんだ。向こうのシャーマンはスクラップ状態のをニコイチで組み上げてテスト待ち」

 

 守保があれこれ説明しながら歩く。そんな中で、丸瀬が隅に置かれた一つの車両に目を留めた。車体は軽戦車または豆戦車だが、その車両は戦車にあるべきでないものが備わっていた。翼だ。

 

「あれは……A-40滑空戦車!?」

 

 T-60軽戦車をベースにした、旧ソ連の空挺戦車である。戦車自体に翼をつけ、航空機から投下して滑空させるという珍兵器だ。一応まともに飛んで着陸できたのは大したものだが、その重量と空気抵抗で母機がオーバーヒートを起こしてしまった。結局、実用化はされなかったという。

 

「あれは戦車道で使い道は少なそうだから、マニア向けに売ることになるだろうな」

「うう……欲しい……!」

「丸瀬先輩! 今は戦力増強のために来てるんですからね!」

 

 結衣が釘を刺しつつ、一行は格納庫の奥へ進む。半分から先は戦車砲が多数並んでいた。37mm程度の小型の物から、17ポンド砲や122mm砲、果てはヤークトティーガーの128mm砲まで置かれていた。旧日本軍の試製十糎戦車砲まであり、以呂波は品揃えの豊富さに舌を巻いた。同時にこれだけの会社を立ち上げた兄の能力、そして努力にも敬服する。

 

 澪が珍しく結衣の背後から出て、戦車砲を間近で物色し始める。砲手を務める女子は最も兵器マニアに目覚めやすいという。好きこそ物の上手なれという言葉があるが、大砲の好きな砲手は自然と腕がよくなるようだ。中にはやたらめったらと撃ちまくるだけの者もいるが、澪は敵の急所に狙いを定め、正確に撃抜くことに楽しみを見出しつつある。

 

「さて。送られてきた予算ならパンターやコメット、安めの奴ならT-34/85やシャーマン系でも買える。けど、敢えてお勧めしたいプランがあってな」

 

 そう言って、守保は並んでいる砲の一つを指差した。75mm長砲身、それもズリーニィIと同じ43M戦車砲である。

 

「まずこれをトゥラーンIIに搭載、装甲も強化。つまりトゥラーンIII仕様に改造する」

 

 トゥラーンIII重戦車は試作のみに終わったトゥラーンシリーズの強化プランだ。主砲を長砲身に、最大装甲厚も90mmとし、対戦車戦闘力を強化した仕様である。戦局の悪化と、ハンガリーの単独講和を巡る政治的混乱のため、試作車両が完成したのみだった。

 同じ75mm砲とはいえ、トゥラーンIIの短砲身砲と比べると貫通力におよそ二倍もの差がある。大きな戦力アップだ。

 

「なるほど……カタログスペック上は後期のIV号に匹敵する戦車になるね」

「そして新しい隊長車として、あれはどうだ?」

 

 守保の示す先、格納庫の端に置かれた戦車に視線が集まった。

 溶接で組み上げられた傾斜装甲と、パンターに似た丸みを帯びた砲塔前面。そして高威力を予感させる長い砲身を備えていた。全体的にV号戦車パンターに似ていたが、転輪の並びなどに違いが見受けられる。以呂波も見たことのない戦車だった。

 

「44Mタシュ。ハンガリー軍が計画していた戦車だ」

「え!? 確か、開発中止になった奴だよね!?」

 

 以呂波は思わずその戦車に駆け寄った。手を借りることなく、義足でコンクリートの地面を踏みながら近づき、装甲に触れる。冷たい装甲板はしっかりと溶接されており、履帯や転輪も異常はなさそうだ。同じ格納庫内にあるレストア待ちの車両と比べ、大分整備が行き届いている。

 

「最大装甲厚120mm、最高速度45km/h。主砲はパンターと同じのを使ってる。威力は抜群だ」

 

 パンターの主砲KwK42は75mm砲だが、ズリーニィの43MやIV号F2型のKwK40をさらに上回る装甲貫通力を持つ。T-34やM4などは1000m以上の距離から撃破可能だ。

 美佐子と澪もその強そうな外見に目を輝かせている。しかし結衣だけは怪訝そうな表情をしていた。

 

「どうして開発中止になったのですか?」

「試作車両を作っているときに工場を爆撃されたからだ。カヴェナンターみたいなスカポンタンじゃないよ」

「なら安心です」

 

 結衣はホッとしたような微笑を浮かべた。また欠陥戦車に乗せられてはたまったものではない。少なくとも結衣はカヴェナンターと八九式中戦車のどちらかを選べと言われれば、迷わず後者を選択するだろう。

 

「こいつは戦車道用に戦後作られた奴だから、ちゃんとうちの職員が試験を一通り済ませてある。品質は保証するし、連盟からの認定も受けている」

 

 試作段階だった戦車も、戦車道連盟と個別協議を行って許可を得れば使用できる。守保は持っていた鞄から認定証を取り出し、以呂波に見せた。彼の言う品質保証の証明でもある。そしてトゥラーンの改造パーツと併せた見積書も渡す。

 

「タシュがハンガリー戦車を率いて戦う姿を見たいって声が、社員の間で高まってきてね。どうかな、隊長」

「買います!」

 

 以呂波は即答した。試作車両とはいえ強力な主砲と装甲を纏った戦車。それに加え、既存の戦車も強化できる。全体的な戦力向上のためにも、このプランが最良だと判断した。

 

「みんなもこれでいい?」

「賛成!」

「……うん」

「私もいいわ」

「乗員ではないが、私も良いと思う」

 

 少女たちの意見が一致するのを見て、守保は笑みを浮かべた。鞄から出した『売約済み』のシールをタシュの前面装甲に張る。続いて43M戦車砲にも。

 

「それじゃ、トゥラーンの強化用パーツと図面、タシュ。できるだけ早く納品するよ」

「ありがとう! ……あ、それと」

 

 ふいに以呂波は何かを思い出したようだ。

 

「日本製の機関銃ってある?」

「ん? そのくらいは用意できるが。どうするんだ?」

「実は学校の倉庫からもう一両見つかって」

「へぇ、よかったじゃないか」

 

 日本製の機関銃を買い求めるということは日本戦車だろうが、車両数が多いに超したことはない。火力は期待できなくても、偵察や撹乱などの任務に十分使い道はある。かの大洗女子学園の八九式も、昨年の全国大会で終始重要な役割を果たしていた。以呂波の能力ならきっと上手く使えるはずだ。

 しかし守保の言葉に対して、以呂波は乾いた笑い声を立てた。

 

「まあ……戦車っぽい車両なんだけどね」

「っぽい?」

 

 そう言われて守保が最初に思い浮かんだのは自走砲である。戦車道のルール上、三号突撃砲などのように密閉戦闘室を持っていれば戦車と同じ扱いになる。日本陸軍の車両でそれに当てはまるのは二式砲戦車と三式砲戦車だ。それらは他国の自走砲に比べれば問題もあるものの、まともな対戦車火力は持っている。以呂波が苦笑するような車両ではないはずだ。

 

「車種は?」

「ソキ」

 

 以呂波の返答を聞き、守保は少し考えた。日本軍の装甲戦闘車両で『ソキ』と名がつく物は二種類ある。片方はオープントップの試製対空戦車のことで、戦車道のルール上使用できない。

 そしてもう片方は……

 

「ほら、これです」

 

 結衣が守保に携帯を見せた。画面に写っているのは一両の軽戦車で、回転砲塔を有している。だがその砲塔には武装はなく、よく見ると銃眼が空けてはあった。履帯を持っているし、一見するとただの戦車である。しかし。

 

 

 

「鉄道車両を戦車道に使うのか!?」

 

 

 

 九五式装甲軌道車『ソキ』。

 履帯の内側に鉄輪を備え、部品の付け替えなしで線路上を走行可能な軌陸車。日本陸軍鉄道連隊の秘密兵器であった。

 




お読み頂きありがとうございます。
ちょい仕事が忙しくて更新ペースは落ちますが、ちまちま書いています。

タシュ重戦車は製作中に破壊され開発中止となった戦車ですが、BDのコメンタリーで「アンツィオ勢にはP43bis(模型のみ完成)とか使わせたかったけど、本編でP40が出ちゃってたから断念」というような話があったと聞きまして、模型だけしか作られなかった戦車がOKなら、試作に取りかかっていたタシュもいけるだろうという理屈で出しました。
(2015.12.25追記 最近出たドラマCD「月刊戦車道」で実際にアンツィオ勢がP43bis仕様に改造すべく資金集めしていたので、タシュも全く問題ないと断定)

そしてハンガリー戦車だけではつまらないので、日本軍の面白車両「九五式装甲軌道車」を新たな戦力として登場させますw

今後も応援頂ければ幸いです。


2015年 7月6日
八戸タンケリーワーク社の描写を改訂しました。


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新しい仲間です!

「おお、やってるやってる」

 

 エンジン音の響くグラウンドを眺め、少女は呟いた。手にした扇子で顔を扇ぎつつ、にんまりと笑みを浮かべる。

 グラウンドの端には戦車道チームのメンバーが集う格納庫があり、彼女の行き先もそこだった。頭につけたヘッドフォンを取り、少女は自分の喉を擦る。そして大きく息を吸い込み、声を出した。

 

「孝行糖、孝行糖。孝行糖の本来は、うるの小米に寒晒し。カヤに銀杏、ニッキに丁字、チャンチキチ、スケテンテン……よし」

 

 何やら気合いを入れたのか、彼女は途端に脚を早め、格納庫へと駆けていく。誰かに見られれば変人扱いされかねないが、当人にとっては意味のある儀式だったようだ。だが幸いというべきなのか、戦車道チームは戦車の整備に余念がない。彼女の存在に気づく者はいなかった。

 

 

 

 

 

「後はシュルツェンを取り付ければ完了です」

「お疲れさま! 自分の戦車が強くなるのっていいわね」

 

 トゥラーンの車長・大坪が整備に当たる男子生徒に笑顔を向けた。彼女のトゥラーンIIは以前と見違えるほどの、逞しい姿になっていた。スタイリッシュとは言えない無骨なデザインだが、長砲身75mm砲に換装し、前面装甲も強化。試作のみに終わったトゥラーンIIIに準じた仕様となっている。

 八戸タンケリーワークから買った改造キットを校内のサポートメンバーが取り付け、装甲のリベット留めなどに苦労しながらも組み立てたのだ。砲が大型化した分俯角を確保するため、砲塔上部がかさ上げされ、独特のシルエットになっている。後は側面の追加装甲板、ドイツで言う所のシュルツェンを搭載すれば完成である。

 

 元々トゥラーンは工業力の低いハンガリーで作られたにしては、なかなか完成度の高い戦車だった。チェコ製のT21を元にしつつ、三人乗り砲塔の採用、乗員の人数分設けられたハッチなど、ドイツ戦車のような合理的設計を取り入れている。装甲がリベット留めということを除けば、ハンガリー版IV号戦車とも言えるスペックだ。

 これで強力な主砲を手に入れれば、戦車道でも十分最前線で戦えるはずだ。

 

「次の試合ではもっと頑張らないと」

 

 大坪は練習試合の内容に大きな不満が残っていた。自分が敵のフェイントに引っかかって撃破されてしまったため、ズリーニィが第二の待ち伏せポイントへ向かうまで時間を稼げなかったのである。もっとも以呂波もまた、この点に責任を感じていた。もっと早く隊長車が参戦していれば、十分な撹乱ができたのではないか、と。

 だが以呂波からそう言われても、大坪としてはやはり今のままでは駄目だと思った。こうしてトゥラーンがまともに戦える戦車になったのだから、乗員もまたより一層の努力が必要なのである。

 

「人馬一体って言葉があるように、人車一体とも言いますから。しっかり乗り物のことを理解して大事に乗れば、生き物も機械も乗り手に応えてくれますよ」

 

 ウエス(布切れ)で手を拭きながら、男子整備員は語った。

 周囲でも男女混在の整備班が、各車両の整備に当たっている。彼らは千種学園の鉄道部から派遣されたサポートメンバーたちで、普段学園艦内を走る路面電車の運営を行っているのだ。普段から乗り物に馴染みがあるだけに、それに関する言葉も重みが利いている。

 

「そうね、馬も戦車もその心が大事。しっかりやるわ!」

「俺はどっちかってーと、うちの連中が皆さんの足引っ張らないかが……」

 

 彼はゆっくりと、視線を車庫の外へ向けた。戦車が、否、戦車のような物が一両、よろよろとグラウンドを走っている。スラローム走行の最中のようだが、置いてあるパイロンを倒したり、踏みつぶしたりとミスを連発していた。操縦手のあたふたした様子が車外からでも分かりそうだ。

 

「……心配です」

「あはは……」

 

 

 

 

 

 

 九五式装甲軌道車『ソキ』は日本陸軍鉄道連隊に配備された、軌道用装甲車両である。一見すると中戦車だが武装はつけられておらず、現地部隊で有り合わせの機関銃などを搭載することになっていた。鉄道連隊が戦車を使うのは戦車隊の面子に関わるためこのような仕様になったというが、どの道8mm程度の装甲で対戦車戦闘は無理がある。

 

 この車両の最大の特徴は部品の付け替えなしで線路上を走行する機構を持っていることで、乗り物好きにはたまらない代物だ。守保は高く買い取ると提案したのだが、千種学園はソキを手放すわけにいかなくなっていた。その存在を知った鉄道部がソキをいたく気に入り、乗員を派遣するから戦車道で使えと言い出したのだ。

 整備要員も派遣し戦車道チームを支援すると言われたので、以呂波や船橋も了承せざるをえなかった。確かな腕を持った整備員がいれば、乗員の負担は大幅に減るのである。

 

 現に鉄道部員の働きは見事なものであり、ソキ乗員たちの練度も訓練すれば向上するだろう。しかしソキの使い道について、以呂波は未だに頭を悩ませていた。

 

 

「それにしても変な乗り物だよねー」

 

 戦車の砲塔の上から、美佐子が言った。納品されたばかりのタシュ重戦車に乗り込み、四人で点検をしているところである。カヴェナンターの40mm砲弾よりずっと重い75mm砲弾を、美佐子は難なく積み込んでいた。

 

「履帯の内側にある車輪を降ろして、履帯を吊り上げて線路を走るのよね」

 

 面倒見の良い結衣は、操縦に苦戦するソキの乗員たちを助けてやりたそうだ。だが今はタシュの操縦装置のチェックが先である。守保の部下たちが試験を済ませているとはいえ、元々幻に終わった戦車だけに気は抜けない。この戦車がこれから、部隊の要となるのだから。

 澪の方は新しい大砲に夢中なようで、砲塔内に閉じこもり照準器をピカピカに磨いている。外の世界のことなど気にしていないようだ。

 

「うーん、軌道上では70km/h以上出るし、線路のあるフィールドならそれを利用して偵察も……」

 

 タシュの前面装甲に寄りかかり、以呂波は考え込んでいた。

 

「いや、読まれるよね……やっぱり普通に偵察戦車として使うしかないか……」

「考え過ぎもよくないんじゃないかい。使ってみなきゃ真価は分からないもんさ」

「まあそうなんだけど……え?」

 

 聞き慣れない声に顔を上げ、見慣れない生徒と対面した。いつの間にやってきたのか、通信手席のハッチに女子生徒が腰掛けていたのだ。鉄道部のサポートメンバーではない。初めて会う少女だ。制服の校章は赤、つまり二年生である。アップにした髪を後頭部で結い、どことなく勝ち気な表情だ。

 以呂波だけでなく、美佐子と結衣も初めてその存在に気づいたようだ。

 

「ど、どちら様ですか?」

「おや、隊長さんはあたしをご存じない?」

 

 口を尖らせ、彼女は結衣や美佐子の方をちらりと見た。

 

「あんたらは?」

「ええと、知りません」

「あたしも知りませーん。そんなに有名なんですか?」

 

 美佐子の問いかけに、少女はフフンと鼻を鳴らした。

 

「有名に決まってるさ。知らない人以外はみんな知ってるくらい」

「それは当たり前だと思いますが。というかここは危険だから関係者以外立ち入り禁止なんですけど、いつの間に現れたんですか?」

「それが船橋先輩に声かけてみたんだけどね。あの人ってばあたしが『たのもー!』と言ったら『ズダーン!』って返事してさ。『もしもし』と言ったら『ズダーン、ズダーン!』。日本語で答えてくれないから、もういいやって中に入って……」

「それは20mm砲の照準調整をしてたんですよ!」

 

 ツッコミを入れる以呂波に、結衣が落ち着いてと手をかざす。操縦席から体を出し、彼女は謎の二年生に向かい合った。

 

「もしかして、時々お昼の放送で落語をやってる方ですか?」

「あ、そうだ! 同じ声だ!」

 

 美佐子も砲塔から身を乗り出して言う。以呂波は昼の放送などろくに聞いていなかったが、そういえば確かにこんな声が流れていたような気がする。この人を食ったような、どこか年寄り臭いような口調を。

 

「確か名前は高遠……」

「高遠晴。お晴って呼んでおくれ」

 

 ようやく名乗った彼女、高遠晴は以呂波に向き直った。

 

「隊長さん。戦車道やりたいんだけど、空いてる席ある?」

「……最初からそう言ってください」

 

 ツッコミ疲れた以呂波は頭を抱えた。しかし実際に空いている席はある。カヴェナンターは四人乗りだったがタシュは五人乗り、通信手が必要だ。通信機器が発達している現代では必ずしも専門の通信手は必要なく、車長が他車と直接連絡もできる。それでもいた方が車長の負担は軽くなるし、特に隊長車には欲しい存在だ。

 

「喋るのが得意なら、今座っている席で」

「おっと、ここかい」

 

 腰掛けていたハッチを扇子でトンと叩き、高遠は笑う。よっこらせ、という声と共にハッチを開け、通信手席に乗り込んだ。というよりは潜り込んだ。

 

「ひゃー、狭いねぇ。まるで棺桶だ。ここで無線機を弄るのが仕事かい?」

「概ねそうです。できそうですか?」

「できなきゃ困るんだろ」

 

 ひょこっと顔を出し、高遠は言った。

 

「知ってるよ、もうすぐ大会があるって」

「え!? 大会に出るの?」

 

 美佐子が驚きの表情を浮かべる。それを聞いて澪も砲塔のハッチから顔を出した。結衣も初耳だったようで、以呂波の顔をじっと見ている。

 全員の視線を受け、以呂波は苦笑を浮かべた。

 

「……後で私と船橋先輩から、正式にみんなに言う予定だったんだけどね」

 

 

 

 

 ……日本の戦車道全国大会には暗黙のルールがあった。戦車道のイメージダウンになるような学校は参加しない、というものだ。実際全国大会の常連校は古くから戦車道を続けている学校がほとんどで、近年になって戦車道を始めた学校は存在しない。

 

 戦車道連盟の中では、このような暗黙のルールが強豪校の驕りを助長し、戦車道への新規参入がしづらい環境を作っていると考える者もいた。延いては日本の高校戦車道衰退にも繋がっている、と言える。事実、戦車道から撤退する学校は増え続けていたのだ。

 

 しかし昨年度の大洗女子学園の優勝は『弱小』と見なされていた多くの学校を奮起させ、同時に強豪校の慢心を浮き彫りにするものでもあった。連盟はこれを機会に戦車道の衰退に歯止めをかけるべく、戦車道歴十年以下の学校を対象とした大会を開催することを決定した。

 

 

 戦車道『士魂杯』である……




どうも、やっと更新できました。
会社の出張のせいで治りかけた風邪が悪化しまして……
大体治ったので、ちまちまと書き進めていきます。


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一回戦はオーストラリア戦車です!

「皆さん、いよいよ初の公式試合です! 先日対戦したドナウ高校、そしてかの大洗女子学園も出場します!」

 

 整列したチームメンバーの前で船橋が告げた。一同が一斉にどよめく。昨年度の全国大会で奇跡的な優勝を収め、学園艦統廃合を乗り切った大洗女子。かつての自分たちの学校を守れなかった千種学園の面々としては、憧れに近い存在でもあるのだ。その大洗と、同じ大会へ参加するのである。

 

「戦車道歴十年以下の学校が対象のこの大会、私たちとしては名を上げる格好の機会! もちろん他校もそう考えていることでしょう! ですが私はこのチームが他校に劣ることなど、決してないと思っています!」

「その通り!」

「力を見せてやろうぜ!」

「千種のタンクは強し!」

 

 歓声を上げるメンバーたちに、船橋は満足げな笑みを浮かべた。練習試合に勝利して士気も上昇し、快調なスタートを切れた今、公式戦で良い結果を出せれば『戦車道で名を上げる』という目的は達成できる。かの大洗女子学園も参加するだけに、士魂杯への注目度は高いはずだ。

 続いて以呂波が船橋の前へ出た。義足が地面を踏み、微かに乾いた音を立てる。

 

「一回戦の対戦相手は虹蛇女子学園です。戦車道歴六年、主力はオーストラリア製のセンチネル巡航戦車」

 

 センチネルはオーストラリア軍が日本軍の侵攻に備えて開発した戦車だが、実戦で使われた記録はない。ドナウ高校のIV号戦車などに比べれば信頼性も劣り、組みし易い相手である。ただそれはあくまでも車両の性能の話だ。

 

「サポート班からの情報によると、保有車両数は我々より多く、大会にも上限枠の十両を参加させられるとのことです。私たちより経験も豊富でしょうから、油断はできません」

 

 一同の表情が引き締まった。猛訓練で鍛えているとはいえ、以呂波を除きまだ経験不足であることは否めない。練習試合に勝利し、さらに強力な戦車を手に入れたとはいえ、気を抜いてはならないのだ。しかも千種学園の車両はカヴェナンターを除き六両、相手は十両。フラッグ車さえ撃破すれば勝てるとはいえ、物量の差は大きなハンデになる。

 

「一回戦までの時間は少ないですが、作戦を立てつつ、より一層の訓練に励みましょう! 以上です!」

 

 全員が一斉に「はい!」と応え、それぞれの車両へ向かう。隊長車の面々は以呂波の周りに集まった。美佐子、結衣、澪、そして新たに加わった高遠晴。

 最初に口を開いたのは美佐子だった。

 

「ねえねえ、センチメンタルって強い戦車なの?」

「センチネル、ね」

 

 結衣がいつものように訂正を入れる。

 

「最大装甲厚は65mm。スペック上はタシュやトゥラーンIIIには敵わないけど、25ポンド砲装備型はそれなりに貫通力あるし、成形炸薬弾も撃てるはずだから気は抜けないね」

 

 成形炸薬弾とは『モンロー効果』と呼ばれる現象を利用した、対戦車榴弾の一種である。距離に限らず同じ貫通力を発揮できるので、初速の低い砲でも口径が大きければ十分な威力を発揮できる。センチネルACIII型が装備する25ポンド砲は87.6mmなので、かなりの威力になるはずだ。

 

「情報によるとかなり腕のいい砲手がいて、もしかしたら17ポンド砲も持っているかもしれないって」

「17ポンド……!」

 

 澪が反応した。砲手の血が騒ぎ出したのか、手足をムズムズさせている。

 連合国側最強の戦車砲として名高いオードナンスQF17ポンド砲。ドイツ軍のティーガー戦車を正面から撃破できる数少ない砲である。ドイツ屈指の戦車乗りたるミハエル・ヴィットマンに引導を渡したのも、17ポンド砲を装備したファイアフライだった。タシュの正面装甲でも耐えられないだろう。

 

「ところでセンチネル戦車と言えば、正面の真ん中に変な物が出てるねぇ。あの形はまるで……」

「あれは前方機銃のカバーです」

 

 唐突に下ネタを出しかけた晴を速やかに阻止し、以呂波は咳払いをした。

 

「こほん……とにかく。大洗やドナウのことが気になるとは思うけど、今は目先の相手に集中すること。そして早くタシュでの戦いに慣れることを考えて」

「了解!」

 

 四人は一斉に敬礼をした。美佐子だけは何故か肘を前に出す海軍式敬礼である。

 

 今は目先の相手に集中……以呂波は自分自身にその言葉を言い聞かせているのだと、気づく者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八戸守保は昼休みのオフィスで、パソコンの画面を眺めていた。映っているのは『士魂杯』のトーナメント表である。参加する学校は合計十六校で、全国大会と同じ規模だ。

 

 しかしいくつか特殊な点があった。トーナメント表はAブロックとBブロック、それぞれの二回戦までしか書かれていないのだ。準決勝はそこまで勝ち残った四校が、AブロックチームとBブロックチームに別れて行い、勝ったチームで決勝戦を行うというルールである。他校との共闘という、あまり馴染みのない状況に対応できるか。面白い試みではあるだろう。

 戦車道歴十年以下の学校が対象のため、車両数は準決勝のみ二十両、他の試合は十両のみと定められている。どの道戦車道参入から日が浅い学校では物量に頼った戦法は不可能と思われる。

 

「おっ。トーナメントの組み合わせ、もう出てるんですね」

「ああ。千種学園も……大洗も出るみたいだ」

 

 声をかけてきた秘書の女性に応え、組み合わせをじっと睨んだ。昨年の全国大会で大番狂わせをやってのけ、全国にその名を轟かせた大洗女子学園。昔は強豪校だったようだが、長い断絶期間を経て昨年度戦車道を復活させたため、士魂杯への出場資格はある。昨年度の優勝は『大洗の軍神』こと西住みほの能力だけでなく、戦車道復活を主導した生徒会長の手腕による所も大きいと、守保は分析していた。その会長が卒業した今年度、大洗女子学園はどう戦うのか……注目する者は多いはずだ。

 

 千種学園と大洗は同じAブロック、それもお互い両端だ。つまりこの変則的なトーナメントだと、決勝戦で戦うことになる。もちろん勝ち進めれば、だが。

 

 そして守保はBブロックの方に、先日千種学園と対戦したドナウ高校、そしてもう一つ目にとまる学校があった。

 

「決号工業高校も、か……」

 

 衰退していた戦車道を二年前に復活させた学校である。その復活の中心となった人物は守保の、そして以呂波のよく知る者であった。

 

「こりゃ、一波乱あるかもな」

 

 守保がそうぼやいたとき、ポケットの中で携帯が鳴った。仕事用とは別に持っている、プライベート用の方だ。表示されている名前を見た途端、早速波乱が始まったことを察した。

 通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。

 

「もしもし」

《兄貴! 士魂杯のトーナメント表見たか!?》

 

 初っ端から大声が耳に響いた。一瞬携帯から顔を離し、やれやれと息を吐く。彼を『兄』と呼ぶ人間は以呂波だけではない。一ノ瀬家には陸上自衛隊に勤務する長女と、高校三年生の次女がいるのだ。

 それにしても久しぶりに声を聞いたと思ったら、出し抜けにその言葉とは。

 

「見たよ、千鶴。それでどうした?」

《千種学園が出場するってどういうことだよ!? あそこは戦車道やってないんだろう!》

「始めたから出場するんだろう。『大洗の奇蹟』以来戦車道に日が当たり始めたからな、俺にとっても稼ぎ時……」

《つまり、以呂波がまた戦車道を始めたっていうことだろ!》

 

 妹の言葉に、守保は頬を掻いた。千種学園が戦車道に参加したとなれば、今年度入学した以呂波が関わっていると考えるのは当然のことだ。そして守保と仲の良い以呂波のことだから、何か相談の一つもしただろうと予測するのも自然なことである。

 

《母さんの許しもなしにこんなことしたら、以呂波は一弾流を……!》

「一弾流を破門になるとか、一ノ瀬家から勘当されるとか、以呂波はもうどうでもいいんだと思うよ」

 

 一方的にまくしたてる妹、一ノ瀬千鶴の言葉を遮り、守保は自分の意見を述べた。

 

「戦車道しかできない人間に育てられて、片脚を失った途端に辞めさせられた。お前が以呂波の立場だったらどう思う?」

《……それは……》

「戦車乗りの家で、一人だけその輪から外されたんだ。とっくに勘当されたようなもんだろう」

 

 極論ではあるが、以呂波の思っていたことと大して違わないだろうと守保は考えていた。だから見舞いに行ったときも自分に八つ当たりしたのだろうと。元々男に生まれたがため、最初から家族の輪から外されていた守保だから分かる。すでに勘当されて好きなように生きている兄に、以呂波が複雑な感情を抱いていたのは確かだ。

 当然、守保のみならず姉妹たちも以呂波のことを心配していた。気力を失っていた彼女の姿は見るに耐えないものだと、家族全員が思っていたはずだ。

 

「千鶴、お前は決号工業高校で衰退していた戦車道を復活させた。お前の学校と同じように、以呂波も再起しようとしているんだ。止めさせる権利なんて誰にもないと思うけどな」

《……そうだな。私がとやかく言うことじゃないよな》

 

 千鶴の声が少し落ち着いたようだ。何だかんだで、妹たちは勘当された兄のこと信頼しているのである。家を出てしばらくの間、一番上の長女がたまに様子を見に来てくれていたし、何か悩みがあると母親ではなく守保に相談してくることが多かった。以呂波の怪我も母親は守保には一切知らせず、千鶴から聞かされて初めて知ったくらいだ。

 

《分かった。もし母さんが何か言ってきたときには……私も以呂波に味方する》

「うん、それもいいんじゃないか。お前ももう親の言うことばかり聞かなくてもいい年頃なんだから」

 

 そう言って話を終わらせようとした守保だったが、電話の向こうから気にかかることが聞こえてきた。

 

《虹蛇女子学園の隊長と会ったら、以呂波も母さんの言うことなんて聞かなくなるかもな》

「ん?」

 

 ちらりとトーナメント表に目を戻す。虹蛇女子は一回戦目で千種学園と当たる学校のようだ。八戸タンケリーワーク社は元々プロ戦車道チームを相手にしており、高校の戦車道チーム、ましてや全国大会に出てこない学校のことはあまり調べていない。ただオーストラリアと縁の深い学校で、戦車もセンチネル巡航戦車を使うことは知っていた。

 

《虹蛇女子とは試合したことあるんだけどさ、隊長のベジマイトって奴が……》

「ベジマイトぉ? オーストラリア風の学校だからっていくらなんでも」

 

 高校戦車道の隊長は乗っている戦車にちなんだ愛称で呼ばれることが多い。イギリス製戦車なら紅茶の銘柄や等級、イタリア製戦車ならイタリア料理の食材などだ。ベジマイトというのはビール酵母から作られるペースト状の食材で、オーストラリアとニュージーランドで食べられている。オーストラリアの国民食と勘違いされることもあるが、実のところその味は(オーストラリア人でさえ)好き嫌いがかなりはっきり分かれるという。尚、守保は普通に食べられた。

 

《そいつ、四六時中ベジマイト食ってる変人なんだけど、かなりやり手なんだよ》

「ああ……天才とナントカは紙一重って言うからな」

《通称、“鉄腕のベジマイト”だ》

 

 鉄腕、という単語を聞き、守保はふとパソコンのキーを叩き、虹蛇女子学園の情報を検索した。有名な学校でなくても、戦車道のデーターベースを探せば簡単なことだ。

 すぐにチームの活動履歴と、隊長の情報が見つかり、守保は妹の言葉の意味が分かった。

 

 四肢の一つを欠いて尚も戦車に乗る少女が、日本にもう一人いたのだ。

 



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“鉄脚”と“鉄腕”です!

 荒野のフィールドに花火が上がり、学生たちの応援歌が響き渡る。観客席の正面には全国大会と同様に、列車砲の車体を流用した巨大モニターが設置されていた。客席は生徒の父兄や戦車好きなど一般の観客、そして千種学園と虹蛇女子学園の応援団という三つのグループに別れている。

 その三つのどれにも属していないのは、他の出場校の選手だ。いずれ対戦するかもしれない相手の試合を偵察しているのである。有名でない学校同士の試合のため、現地での情報収集は重要だ。

 

 そして参加する選手たちは準備用エリアにて、戦車の最終点検を行っていた。

 

「ユニフォームが間に合ってよかったね!」

「そうね。色合いは地味だけどカッコいいわ」

 

 降ろしたての服を着て、美佐子たちははしゃいでいる。

 グレーを基調とした軍服風のユニフォームには戦車内で動きやすいよう、引っかかる物が少ない機能的なデザインだった。オーストリアやハンガリーの軍服を意識した赤い襟章には、それぞれの役割に応じたワッペンが付けられている。砲手は照準、操縦手は履帯、装填手は砲弾、通信手は電波マークと言った具合で、車長は腰に短剣を帯びる。学校の被服科に作らせたため、経費も最低限で済んだ。

 

「地味な中にも華があっていいじゃないかい。あんまりゴテゴテした格好はちょっとねぇ」

 

 通信機をチェックしつつ、晴が言う。彼女は意外にも機械に強いようで、すぐに通信手の仕事にも慣れた。マイクチェックのときにいつも落語の『寿限無』を唱えるのは名物になりつつある。もちろん前方機銃の点検も欠かさない。

 

「今更ですけど、お晴さんはどうして戦車道を始めたんですか?」

 

 足回りの点検を済ませた結衣が尋ねた。晴は『先輩』と呼ばれるより『お晴さん』と呼ばれた方がしっくり来るらしい。

 

「お結衣ちゃん、それはね。あたしゃ噺家の娘に生まれて、自分も噺家目指してる身なんだ」

「女の落語家ってどのくらいいるんですか?」

「そう。それなんだよ、お美佐ちゃん。女の噺家は一割くらいしかいない」

 

 口を挟んできた美佐子を扇子で指し、晴は言う。

 講談や浪曲と違い、落語家に女性はほとんどいないのだ。女性が「俺」「おいら」などの一人称を使い男を演じることに、どうしても違和感が生じてしまうためだろう。落語のほとんどが男性視点の物語ということも理由かもしれない。

 

「女だてらに噺家を目指すなら、強い女にならなきゃと思ったのさ」

「なるほど。それならやっぱり戦車道、と」

「じゃあ、あたしや澪ちゃんと同じですね!」

 

 そういうことさ、と美佐子に笑いかけ、晴は再び通信手席に潜り込んだ。

 

 一方以呂波は折りたたみ式の椅子に座り、九五式装甲軌道車『ソキ』の乗員たちを集めていた。

 

「初陣が公式戦で緊張しているかとは思いますが、焦らず落ち着いて動いてください」

「はい!」

 

 ソキの車長・三木が直立姿勢で返事をした。鉄道部として学園艦の路面電車を運転していた彼女だが、訓練でソキの扱いも大分上達した。だがやはり戦車に乗り込んで砲弾の飛び交う中を進むのは、並大抵の度胸でできることではない。いくら特殊カーボンのおかげで貫通しないとはいえ、ソキの装甲は8mm程度しかないのだ。

 武装も後から積んだ機関銃のみなので、役割は当然偵察に限られる。今回はフィールドに線路がないため本領は発揮できないが、むしろその方が考えることが少なくて楽かもしれない。

 

「打ち合わせ通り偵察に専念して、敵に見つかったらすぐに引き返してください」

「はい、頑張ります!」

 

 三木は三年生だが、隊長とはいえ一年生の以呂波に敬語を使い、頭を下げている。他の乗員は二年か一年だが、皆同じような態度だ。やはり精神面ではまだ不安があった。だが今回は最も逃げ足の速いトルディをフラッグ車にしたので、彼女たちに偵察を委ねるしかないのだ。

 

「一ノ瀬さん、ただいま」

 

 船橋が小走りで以呂波に駆け寄ってくる。軽く息を切らし、手にはメモ帳を持っていた。

 

「お疲れさまです、先輩。どうでした?」

「やっぱりいたよ。センチネルACIV」

 

 彼女は相手の準備エリアを偵察してきたのである。メモ帳を以呂波に渡すと、そこには敵部隊の編成が書かれていた。

 

 マーモン・ヘリントンCTL豆戦車 一両(フラッグ車)

 センチネルACI 四両

 センチネルACIII 四両

 センチネルACIV 一両

 

 ACIはカヴェナンターと同じ2ポンド砲搭載、ACIIIは25ポンド砲、そして試作車両のみが作られたACIVは17ポンド砲を搭載している。相手の攻撃の要となることは間違いない。CTLはアメリカ製の豆戦車で、オーストラリアでも訓練に使用された。非力ではあるが信頼性が高く、速度もそれなりに出る。

 

「17ポンド砲もさることながら、フラッグ車にチョコマカ逃げ回られたら厄介ね」

「ええ……」

 

 ……そのとき、接近してくるエンジン音に以呂波は気づいた。戦車よりも遥かに静かな音である。

 荒れた地面を踏み越えて、箱形の運転席を持つ小型の車両が近づいてくる。イギリス製のダイムラー偵察車で、『ディンゴ』の愛称で呼ばれる快速の装輪車両だ。戦車道の公式戦では選手の移動用に貸し出されることが多いが、今接近中の車両には虹とブーメランを象った校章が描かれている。

 

 偵察車は彼女の前で停止し、乗っていた女子生徒二名が降りてきた。

 二人とも北森たち農業科生徒に似た、日焼けした健康的な少女だった。一人は野生児な短髪で、体格も良い。操縦していた方は逆に小柄で、長髪の温厚な風貌である。短髪の方が手を後ろに回し、上半身を曲げて以呂波の顔をじっと見る。

 

「こんにちは。ボクが虹蛇学園の隊長……ベジマイトって呼んで。こっちは副隊長のカイリーね」

「千種学園隊長の一ノ瀬以呂波です。今日はよろしくお願いします」

 

 愛想良く名乗った彼女に、以呂波も椅子から立ち上がり丁寧に挨拶を返す。矢車マリと違いかなりフレンドリーな態度だ。だがその直後、ベジマイトは以呂波の義足に視線を移した。

 

「その脚だと、戦車に乗るとき大変じゃない?」

「みんなに手伝ってもらっていますから」

「そっか。君も良い仲間を持ってるんだね」

「それは自信を持って言えます」

 

 胸を張って以呂波は答えた。紛れも無い本心だった。それを見てベジマイトの方も笑顔を浮かべ、背中に回していた右手を前へ出す。丁度、握手を求める姿勢だ。しかし以呂波はその手を握ろうとして、はっと目を見開いた。

 

 袖口から出ているのは銀色の、ペンチやピンセットを思わせる形をした金属部品。能動義手だったのだ。

 

「この手……貴方、も……?」

「一ノ瀬さん。君とは敢えて、こっちの手で握手したいんだ。いいかな?」

 

 彼女の言葉に、以呂波は言葉ではなく行動で応えた。金属製の手をそっと握り、握手を交わす。先ほどまで左手で握っていたのか、その義手はほんのりと温かかった。

 

「今日はいい勝負をしよう!」

「こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 溌剌とした声で言葉を交わす二人の横へ、船橋がさっとカメラを構えて歩み出た。ベジマイトはかなりノリの良い人柄のようで、にっこり笑ってピースサインをする。船橋が立て続けに三回シャッターを切った。この写真が学校新聞の見出しを飾ることになるのだろう。

 

「じゃあ、戦車に乗ってまた会おう!」

「はい!」

 

 義手で敬礼をするベジマイトに、以呂波も義足でカチャリと地面を踏みつつ敬礼する。その後ベジマイトは再びディンゴに乗り込み、カイリーと呼ばれた副隊長も一礼して踵を返した。

 

 エンジンをかけて走り去って行く偵察車の後ろ姿を見送る以呂波に、美佐子が歩み寄ってきた。

 

「以呂波ちゃんの他にもいるんだね、ああいう人!」

「うん。何だか勇気出たよ!」

 

 これから敵として戦う相手から勇気をもらうなど変な話ではある。だが以呂波は心からそう思っていた。腕を失っても戦車隊長として戦い、立派にチームを率いている人がいるのだ。片脚が義足の自分が戦車道を続けても、誰が文句を言う資格があるだろうか。

 そしてベジマイトと自分は他にも似ている点があるように感じていた。戦車が好き、ということだ。

 

「ふむ。エイハブ船長とフック船長だね、こりゃ」

 

 晴がぽつりと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……選手たちが準備に勤しんでいるとき、八戸守保は観客席で試合開始を待っていた。仕事は決して暇ではないが、スケジュール調整が得意なのだ。一緒に来た秘書は飲み物を買いに行っており、今は一人だ。

 

「こんにちは、シャッチョさん」

 

 何処か人を食ったような女性の声がした。自分以外に『社長』と呼ばれる人間がこの場にいるかもしれないが、一先ず彼は振り返った。

 そこにいたのは案の定、守保の知っている人物だった。まだ二十歳に達しているかいないか、歳若い女性だ。一見すると小学生と間違われそうな低身長だが、襟元を正したスーツ姿からはそれを打ち消すかのような『風格』が感じられた。

 

「やあ、これはお久しぶり。一人かい?」

「ええ。シャッチョさんもお一人ですかー?」

「秘書と来たんだが、今飲み物を買いに行かせててさ」

 

 言葉を交わしつつ、その女は守保の近くに座る。

 

「ところで、ちょっと気になったんだけど……」

 

 喋りながら士魂杯のパンフレットを広げ、彼女はその一ページを指差す。各出場校と隊長の顔写真が載っているページだ。当然以呂波の写真もある。もう一人の妹である、一ノ瀬千鶴の写真もだ。

 

「この子とこの子、シャッチョさんと似てるよね。名字も一ノ瀬だし」

「似てるかい? 二人とも妹だよ」

「おお、それでシャッチョさん直々に応援に来たんだ」

「そう言う君は偵察にでも来たのか?」

 

 守保の言葉に、彼女は照れくさそうに笑って「まあね」と返した。

 

「やっぱ卒業してもさー、世話焼きたくなっちゃうんだよね」

「はは、そういう物だろうな」

 

 守保は頷いた。彼女は今大学生ではあるが、高校在学中に何をやっていたのか守保は知っている。どれだけ母校を愛していたのかも。

 

 

「しかも、命がけで守った学校なんだから」

「……うん」

 

 

 




お読み頂きありがとうございます。
一回戦はイタリア戦車にしようかと思ってたのですが、編成を考えてるうちに「アンツィオ高校より強い車両ばっかになっちまった!?」となったのでオーストラリア戦車という斜め上の展開に……w

ご感想・ご批評お待ちしております。
なお、ソキの乗員六名がどう役割分担していたか、史実をご存知の方がいたら教えていただけると嬉しいです(資料少ないんですよあの車両……)w





登場キャラ・戦車メモ書き

高遠晴
好きな戦車:一式中戦車チヘ
好きな花:花筏
・公式戦前に飛び入りで参加した二年生で、「喋るのが得意なら」と隊長車通信手に任命される。
・落語家の娘であり、女だてらに落語家を目指すなら強い女になろうと戦車道に加わる。
・独特な口調で場を掻き回すが、その一方で鋭い目で物事を見ることも。
・日本舞踊や茶道の経験もある。



44Mタシュ重戦車
武装:7.5cm KwK 42戦車砲(75mm)、34/40M機関銃(8mm)×2
最高速度:45km/h
乗員:5名
(※スペックは量産車仕様の計画値)
・T-34などに対抗すべく、ハンガリーが開発していた戦車。
・最大装甲厚120mmとして溶接で組み上げ、ドイツのパンター戦車に似た避弾経始に優れたデザインとなる予定だった。
・試作車両にはズリーニィIと同じハンガリー製の43M戦車砲を搭載する予定だったが、量産車両にはパンターと同じ7.5cm KwK 42を搭載する計画だった。
・計画重量は38トンでパンターよりも軽量だが、ハンガリーでは75mm砲を搭載していれば重戦車に分類された。
・計画通り完成すれば優れた戦車になったと思われるが、1944年7月27日、製造中の試作車両が米軍の爆撃で破壊されてしまい、未完に終わった。
・千種学園が購入した車両は元々、解散した海外のプロ戦車道チームで製造途中だったものを、八戸タンケリーワーク社が買い取って完成させたもの。




三木三津子
好きな戦車:九五式装甲軌道車ソキ
好きな花:捩花
・鉄道部員の三年生で、ソキの車長を担当する。
・鉄道に並々ならぬこだわりを持ち、自らソキの車長に立候補した。
・機械に関する知識も豊富だが、やる気が空回りしがち。



九五式装甲軌道車 ソキ
武装:なし(現場で有り合わせの物を搭載)
最高速度:軌道外30km/h、軌道上72km/h
乗員:6名
・日本陸軍鉄道連隊の秘密兵器で、おそらく戦車道に参加できる唯一の鉄道車両。
・一見すると軽戦車だが、履帯の内側に引き込み式の鉄輪を備えており、部品の付け替えなしで線路上を走行できる上、狭軌・標準軌・広軌いずれの幅の線路にも対応できる。
・元々は軽砲を搭載する予定だったが、戦車を管轄する歩兵科から「工兵が戦車を持つとはけしからん」と文句を言われたため非武装で作られた。
・回転砲塔には銃眼が空けられており、現地で必要に応じ十一年式などの機関銃を搭載した。
・装甲は小銃弾を防げる程度で、前面装甲でさえ8mmしかない。
・千種学園では鉄道部がいたく気に入ったため戦列に加えることに。


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戦闘開始です!

 合計六両の戦車がエンジンを始動する。正確には四両の戦車と一両の突撃砲、そして一両の鉄道車両だ。鉄道部整備班の働きは見事なものだった。入念な整備が行われただけにエンジンは快調に回り、試合開始に備える。フィールドは起伏の激しい荒野で雑木林もあり、広い道は限られている。一弾流の得意とする伏撃を行うには良いが、巨体のT-35の移動にはかなり手間がかかるだろう。相手の出方を予測しつつ、以呂波は作戦を立てていた。

 

「準備はいい?」

「砲塔旋回、照準装置、異常無し……砲手、準備良し」

 

 咽頭マイクを通じ、澪が返事をする。車内がカヴェナンターよりは遥かに快適なためか、練習試合のときより元気そうな声だ。

 

「エンジン出力、変速機正常。操縦手、準備良し」

「閉鎖機動作確認! 弾薬格納正常! 装填手準備良し!」

「車内通話、車外通話、正常。通信手良ーし」

 

 滑らかに報告が返ってくる。タシュ重戦車での初試合だけに、隊長車乗員は皆気分が高揚していた。慣熟訓練においても澪は人一倍正確かつ迅速な照準能力を発揮し、主砲と照準装置の整備に余念がなかった。装填手である美佐子は砲弾が以前より遥かに重くなったにも関わらず、自分の役目の重大さが増したことをむしろ喜んでいる。結衣はカヴェナンターの悪夢のメカニズムから解放された反動もあり、タシュの操縦を心から楽しんでいた。

 

「各車、準備完了だってさ」

 

 晴が以呂波に伝える。飛び入りで参加した彼女もまた、過酷な訓練を笑ってこなす器量を持っていた。休憩時間に語る落語は程よいリラックスとなり、良きムードメーカーとなりつつあった。

 総じて、今のクルーの状態は良好だ。この勢いに乗じていけば物量差も押し返せるかもしれない。

 

「……早く撃ちたい……」

「澪さん、我慢我慢」

 

 モチベーションが上がりすぎている者もいるが。

 

 やがて、上空に白煙弾が打ち上げられた。

 

「パンツァー・フォー!」

 

 以呂波の号令で、六両が前進する。エンジンが吠え、履帯が土煙を上げた。徹底的な整備が行われたため戦車は快調だ。T-35も鈍重なりにスムーズな走行をしているが、登坂力の欠如はどうにもならない。起伏が多いこのフィールドでは移動できる場所は極端に制限されてしまう。

 

 それも踏まえて、以呂波は作戦を立てていた。とはいえ今回はドナウ高校との練習試合のような、決められたレールを辿る作戦ではない。相手指揮官の練度は高いだろうし、数に差がある以上、相手の出方により各車両が臨機応変に対処する必要がある。校内で模擬戦形式の指導を行うことで、加入時期の遅かった鉄道部チームを除き、各車ともそれができる練度まで鍛えたのだ。

 

「ソキは指示した道を通り、索敵を開始してください。障害物や地形の起伏に隠れながら、慎重にお願いします」

《三木、了解しました! 精一杯頑張ります!》

 

 元気の良い返事と共に、九五式装甲軌道車ソキは先行し、索敵へ向かった。自分から志願しただけあり、三木とそのクルーたちの士気は高い。だが如何せんまだ技量不足な点はある。本来はトルディIを斥候に使いたかったが、フラッグ戦では逃げるのが上手い者にフラッグ車を任せるのが定石だ。

 だがソキ以外にも偵察手段は用意してあった。

 

「T-35はズリーニィと共に、西の雑木林へ向かってください。車体の偽装を済ませ、相手の出方を見て案山子作戦、またはミレー作戦を展開してください」

《北森了解! 任せときな!》

《こちらズリーニィ、丸瀬。奮闘努力する》

 

 前回同様、二両が隊列から離れた。北森がT-35の主砲塔ハッチから顔を出し、笑顔で手を振る。待ち伏せポイントの一つである雑木林は高台にあるが、傾斜の緩い箇所は調べてあるのでT-35でも何とか登れる。

 そして林の草木でズリーニィ共々車体を偽装。敵と正面からぶつかれるタシュとトゥラーンIIIはトルディを守りつつこのまま前進し、ソキの情報を元に敵を奇襲、可能な限り相手の数を削る。そしてフラッグ車であるトルディを囮とし、雑木林へ誘い込んで決戦という計画だ。

 

 もちろん全てが計画通りに行くとは限らない。相手も馬鹿ではないのだ。

 

《一ノ瀬隊長。背中は任せてね》

 

 トゥラーンの砲塔から、大坪が以呂波に微笑みかける。愛車に顕著な強化が施されただけに、彼女も強い意気込みを見せていた。隊長車が陣頭に立てる車両になったため、大坪たち馬術部チームがその支援をするのだ。

 

「はい、大坪先輩。宜しくお願いします。船橋先輩はできるだけタシュの後ろから出ず、側方を十分警戒してください」

《了解。まあこの先の狭い道じゃ、横からは襲われないと思うけどね》

 

 船橋が言う通り、タシュを先頭にした三両は丘に挟まれた隘路へ差し掛かっていた。このような道を、そして高台をどう利用するかも勝負の鍵となるだろう。相手方も同じ考えのはずで、特に虎の子であるACIVを何処に配置してくるかが問題だ。そして、フラッグ車であるCTLも。

 

「お晴さん、ソキからの報告に注意していてください」

「はいよ。しっかり聞いておくからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……試合が始まると観客席も活気づいた。双方の学校の吹奏楽部の演奏に加え、歓声も上がる。戦車に乗っている選手たちには聞こえなくとも、応援の声は絶えなかった。

 巨大スクリーンには各車両の動きが映し出され、同時に地形なども分かるようになっている。無人ヘリで撮影した映像も時折中継されるが、まだ双方が会敵していないため、戦車の性能や選手名などが主に表示されていた。

 

 守保はカップに入ったコーヒーを飲みながら、その様子を見守っていた。兄としても戦車ディーラーとしても、以呂波には勝ってほしい。八戸タンケリーワークが組み上げたタシュが活躍すれば、会社の名も売れるだろう。元々海外の戦車道チームが解散した際、組み立て途中だった物を買い取ったもので、守保としては品揃えの広さをアピールするための車両でもあった。が、完成させた以上は実戦で活躍して欲しいという気持ちも出てくるものだ。

 

「妹さん、やってくれるでしょうか?」

 

 右隣に座る秘書が、画面を注視しながら尋ねた。彼女も戦車道経験者であり、戦術面での知識も豊富だ。だがスペックで敵に勝る車両が三両あるとはいえ、数で劣る上に欠陥戦車T-35や、そもそも戦車ではない九五式装甲軌道車まで連れた千種学園である。どう立ち向かっていくか予想するのは難しい。

 

「あいつのことだ、無様な戦い方はしないさ。ただ虹蛇女子の隊長も相当なものらしくてな」

 

 戦車道チームの指揮官にも様々なタイプがある。スポーツマン、武人肌、戦闘狂、戦略家などだ。虹蛇女子と対戦したという千鶴の話によると、ベジマイトと称する隊長は『狩人』とのことだった。論理に野性的な勘や本能を加え、優れた洞察力で敵の策を看破して追いつめていくのだという。本人は義手の身であることから、乗り降りが楽で小回りが効くCTL豆戦車で指揮に専念するようだ。

 

 そして副隊長の矢部海里……通称カイリーという少女は非常に優れた砲手で、強豪校に引き抜かれてもおかしくはないほどの腕だという。どうやら彼女が17ポンド砲搭載型のACIVを任されていると見て良さそうだ。

 

「強力な主砲を積んでいるとはいえ、センチネル巡航戦車の装甲ではタシュとまともに戦おうとしないでしょうね」

「ああ。どうにかしてACIVの前に引きずり出そうとしてくるだろうな」

 

 “鉄脚”対“鉄腕”。再起を決めたときの以呂波と同様、相手も強い想いがあって義手の身で戦車道を続けているのだろう。それだけに白熱した試合になりそうだ。

 

「シャッチョさん、一つ食べる?」

 

 やたらと馴れ馴れしい態度で、スーツ姿の女子大生が袋を差し出してきた。『茨城県産 高級干し芋』とラベルに書かれている。いただくよ、と応えて守保は一枚摘み出した。

 

「相変わらず好きだね、干し芋」

「郷土の名産だからねー。……っと」

 

 ふいに、彼女はポケットへ手を入れた。マナーモードの携帯に着信があったようだ。表示された名前をちらりと見て、通話ボタンを押す。

 

「もしもし。……あー、河嶋ー。あたしはもう会長じゃないよー? ……うん、分かった。お疲れ様〜」

 

 手短に会話を済ませ、スクリーンへ視線を戻す。

 

「お友達とも相変わらずみたいだね」

「そうなんだよねー。角谷って呼べばいいのにさー」

 

 苦笑しつつさらに干し芋を頬張り、彼女……元大洗女子学園生徒会長はスクリーンを見つめる目を細めた。虹蛇女子学園を表す赤い車両アイコンの群れに、青いアイコンが一両、接近していたのだ。

 

「ソキが接敵したみたいだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……二列縦隊を組み、センチネル巡航戦車が進軍する。2ポンド砲搭載型が先行し、25ポンド砲型は後へ続いていた。その数合計九両で、内一両のみアメリカ製のマーモン・ヘリントンCTLだった。豆戦車やタンケッテと呼ばれるものの一種で、全長はおよそ三メートル半、乗員は二名のみ。今走行している車両は車体右側に操縦席、左側に機銃砲塔が搭載されているが、逆になっているタイプもある。通信アンテナの先にはフラッグ車であることを示す、赤い旗が括り付けられていた。

 

「敵はどう出てきますかね」

「うん、そろそろ斥候が出てくる頃だと思うんだ」

 

 操縦手にそう返事しながら、ベジマイトは砲塔から顔を出し、手にした小さなチューブの中身を吸っていた。絵の具のそれに似たチューブの中身は、彼女のニックネームの由来となったペーストである。オーストラリア軍のレーションにも含まれているものだ。

 

「食べる?」

「……結構です」

 

 チューブを差し出すと、操縦手は露骨に嫌な顔をした。好みの分かれる食材である。

 つまらなそうな顔をして、ベジマイトは左前方にある丘に目をやった。これからあの丘の麓に沿って進軍する予定だったが、彼女はそこをじっと凝視し、義手で指し示した。

 

「六号車、七号車。十一時方向、丘の稜線へ榴弾ぶっ込んで」

《何も見えませんが……》

「いいからいいから。ほら撃った撃った!」

 

 ハッチの縁を義手でコンコンと叩きながら、追い立てるように射撃命令を出す。指示通りACIII二両が砲塔を指向した。25ポンド砲は対戦車用にも用いられた榴弾砲だが、今装填されたのは対歩兵用の榴弾である。障害物除去などに使えるため、歩兵のいない戦車道の試合でも榴弾は搭載されているのだ。

 二つの砲声が上がり、発砲炎が広がった。87mm榴弾が丘の上に着弾し、炸裂音と共に土煙を上げる。

 だが榴弾が爆発した煙だけではなく、横へ尾を引くように走る土煙が確認できた。稜線からちらりと、小さな砲塔が見えた。

 

「ほーら見ろ。斥候がいた」

「何で分かるんですか隊長!?」

「息づかい、かな。何となく分かるんだよ」

 

 相手は九五式装甲軌道車ソキだった。稜線に隠れながら動きを監視するつもりだったのである。しかしベジマイトの野生の勘がそれを見抜いてしまった。

 離脱しようとするソキを狩人の目で睨みつつ、彼女は次の指示を出す。

 

「主砲は使用禁止、ACIの機銃で追い込むよ。カイリー、C地点で狙撃スタンバイね」

《……了解》

 

 ACIVに乗った副隊長が、冷静な声で返事をしてきた。車体機銃を搭載したACIを先頭にソキの追撃が始まる。高遠晴が下ネタに使おうとしたセンチネルの車体機銃はACIにしか装備されていない。ACIIIは25ポンド砲の大きな砲弾を格納するため、機銃手席を廃して収納スペースに変えているのだ。ACIが機銃を盛んに撃ちつつ、丘を登って追撃する。

 

「さあ、鬼ごっこだ! 全車追撃!」

「わざわざ17ポンド砲で倒すんですか?」

 

 小さなCTLの車体を操りながら、操縦手が尋ねる。当然の疑問だった。最大装甲厚8mmのソキに対し、連合国最強の対戦車砲を使うのは明らかなオーバーキルだ。それに斥候は早めに排除した方がいい。わざわざ機銃で脅しながら追いかけ回すなどという、サディスティックな戦法を取っても意味はないだろう。そして部下たちはベジマイトが必要以上に相手をいたぶるような真似を嫌うことも知っていた。

 

 だがベジマイトはそんな仲間の疑問を他所に、チューブに少量残っていたペーストを全て吸い出し、空のチューブをポケットに押し込んだ。まるでピクニックでもしているかのような、楽しそうな表情だ。

 

 

「カイリーが狙うのは斥候じゃないよ」

 




お待たせ致しました。
お読み頂きありがとうございます。
いよいよ一回戦目ですが、今回は相手もかなりのやり手です。
『野生の勘』という原作の隊長たちにはいなかった個性を持たせてみましたが、いかがだったでしょうか。

ご感想・ご批評、お待ちしております。


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伏兵合戦です!

「鉄道部チーム、敵から発見された! EH1078地点!」

 

 タシュの車内で晴が叫んだ。砲塔から顔を出していた以呂波はさっと車内へ潜り込む。

 

「救援に向かうからこちらへ退避するよう伝えてください。フラッグ車は林へ退避してズリーニィと合流、大坪先輩はついてきてください!」

《分かった! 急ごう!》

 

 指揮官は即座に決断を下さねばならない。僚車へ指示を出しながら結衣の右肩を義足で蹴り、彼女がそれに従い右へ変針した。再び外へ顔を出し、周囲を確認する。トルディが退避していくのが見えた。敵戦車の最高速度及び地形から換算し、まだこの近辺に到達している車両はないだろう。ズリーニィ突撃砲のいる雑木林へ逃げ込むまで単独行動させても安全だ。

 そして以呂波の乗るタシュが、大坪のトゥラーンIIIと二両で救援に向かう。スペックはどちらもセンチネル巡航戦車を上回っているが、問題は数の差だ。

 

「三木先輩、敵の数は?」

《あうっ! き、九、九両です! 撃たれまくってます!》

「今行くから落ち着いてください。フラッグ車はいますか?」

《います! 何かちっちゃい奴!》

 

 ソキの車長・三木はパニックの一歩手前だったが、何とか敵を観察して報告する理性は保てているようだ。

 

「17ポンド砲は?」

《いません! 早く助けてください!》

「大丈夫、そのまま雑木林へ向かうコースで逃げてください」

 

 冷静に指示しつつ、以呂波は思案した。敵はどうやらもっとも射程の長いACIVに別行動をとらせ、遊撃に当たらせるつもりのようだ。

 確かにいくら17ポンド砲があるとはいえ、パンターと同じ主砲を持つタシュ相手に正面からぶつけるのは無謀だ。シャーマン・ファイアフライと同様、ACIVの装甲は通常のセンチネルと変わらないのである。それでも最大装甲厚は65mmあるが、トゥラーンIIIやズリーニィIの主砲ならかなりの距離で正面から撃破できる。さらに強力なタシュの主砲には全くの無力だろう。

 

 だからこそ敢えて最も火力の高いACIVを本隊から切り離し、地形を活かした狙撃や不意打ちを行う算段だろう。そしてフラッグ車のCTLが本隊と共にいるということは、隊長がそれに乗っている可能性も高い。ソキを救援しつつ、可能な限り敵の数を削らなくてはフラッグ車に近づけないと以呂波は踏んだ。

 

「美佐子さん。いつでも徹甲弾を装填できるよう、準備しておいて」

「任せて!」

 

 いつも通り、美佐子は快活に返事をした。澪や大坪同様、早く活躍したくてうずうずしている一人だ。

 

 二両の戦車は高台に囲まれた隘路をひた走る。これを抜けた先は開けた窪地になっており、その先は再び隘路。相手が包囲戦術を取れない地形でソキと合流し、敵戦力を削った上で撤収する予定だ。

 

「ソキは現在どうにかこうにか逃走中。T-35とズリーニィは車体すっかり偽装完了、そこへトルディが合流に成功」

 

 晴は冷静に通信を聞き、状況を報告する。口調にどことなく落語の調子が感じられた。

 それを聞いてふと口を開いたのは、黙々と操縦していた結衣だった。

 

「三木先輩たち、よく耐えられてるわね」

「だよね! 九両に追いかけ回されてるのに!」

 

 美佐子が同調する。それを聞いて、以呂波はハッと目を見開いた。走りながらの砲撃など滅多に命中しないとはいえ、ソキはまだ乗員の技量が低い上に脚も速くない。もちろんまともに動かして戦えるレベルには達しているが、練度で勝る敵九両に追撃され、無傷で逃げられるものだろうか。

 

 以呂波は地図を見つめ、この先の窪地の地形を確認する。そして右手側を仰ぎ見た。丘に挟まれた隘路だが、丘の傾斜は所々緩くなっており、戦車で登ることはできそうだ。

 

「変針! 右の高台へ上がって! トゥラーンはここで待機!」

「敵がいたの!?」

 

 聞き返しながらも、結衣は即座に戦車を旋回に入れた。傾斜の緩やかな所を選び、丘を登って行く。トゥラーンもまた命令に従い停止した。

 

「狙撃兵の手口を思い出したの。相手の狙いは私たちだったんだよ!」

「……なるほどね」

 

 察しの良い結衣は理解したようだ。

 森林や市街地などの戦いで、狙撃兵はまず敵の斥候を狙い撃つという。狙いは頭や心臓などの急所ではなく、脚に当てて動けなくするのだ。わざと生かしておくことで、仲間を助けようとする敵兵をおびき出して芋づる式に狙撃する。歩兵のいない戦車道でも全く無関係な話ではない。

 

 一弾流戦車道が得意とするのは伏兵戦術。以呂波は地図などで地形さえ把握していれば、戦車を伏せるのに丁度良い場所がすぐに分かるのだ。つまりそれは相手の伏兵を看破する能力にも長けるということである。

 自分が敵の隊長だったら、この丘の上に17ポンド砲を置いて窪地の敵を狙撃する。丘から窪地へは緩やかな斜面となっているため俯角も取れる。そして狙う相手は……斥候を救援に来る、タシュとトゥラーンだ。

 

 タシュが上り勾配の稜線を越えたとき、以呂波の予想が正しいことが証明された。まだ距離は遠いが、長大な砲身を窪地へと向けたACIVが確かに見えたのだ。

 

「いた……!」

「停止! 徹甲弾装填!」

 

 結衣が指示通り制動をかけたとき、ACIVの車長がタシュの方を見た。気づかれたようだ。

 美佐子が握りこぶしで75mm砲弾を押し込み、閉鎖機が金属音を立てて閉まる。澪の目は照準機を通じ、敵だけを見ていた。

 

「撃て!」

 

 以呂波が号令を下したのとほぼ同時に、敵車両は全速でバックした。75mm長砲身の中でも特に強力なKwK42が火を吹く。2ポンド砲とは比べ物にならない発砲炎と砲声が轟くが、相手の車長は優秀だった。発砲の直前に行った回避運動により、実戦におけるタシュの記念すべき初弾を空ぶらせたのだ。

 地面に当たった徹甲弾が土煙を上げる。ACIVは砲塔をタシュへと指向しつつ、離脱を図っていた。

 

「こっちも戻る?」

「ううん! 接近して!」

 

 普段は座学の時間に『深追いは止めろ』と指導している以呂波だが、今回は追撃を選んだ。相手もACIVを失いたくはないはず。救援に兵力を割かせることでソキを助けるという、言わば古代中国の兵法にある『囲魏救趙』である。トゥラーンに待機を命じたのはタシュ以外の戦車の所在を分からなくするためである。虹蛇女子学園はズリーニィとトゥラーンによる伏撃を警戒し、ACIVの救援とタシュ撃破に兵力を集中しようとするだろう。

 だがこれは賭けでもあった。17ポンド砲の直撃を受ければ無事では済まない。タシュの正面装甲は120mmで、傾斜しているためAPDS(装弾筒付徹甲弾)にも強い。だが弱点もあり、腕の良い砲手なら即座にそこを突いてくるだろう。

 

「ソキから入電! 敵全車両が追撃を止めた!」

 

 晴が報告する。策は一先ず成功したようだ。

 

「よし……ソキは林へ退避、トゥラーンはこちらへ合流を」

 

 命令しつつも、以呂波はじっと敵の主砲を見ていた。砲口が黒点になった瞬間、義足で結衣の肩を蹴る。

 結衣が戦車を右へ曲がらせた直後、空気が震えた。轟音と震動に車内の面々は一瞬首をすくめる。砲塔から顔を出している以呂波は車両のすぐ横を掠めて行く砲弾の存在を、肌で感じた。

 

「……ギリギリだ」

 

 以呂波の背筋を冷や汗が伝った。卓越した回避技術を持つ彼女でさえこの精度には驚いた。もし以呂波の判断と結衣の操縦が後一歩遅ければ、砲弾は直撃していただろう。そこまで正確な射撃を、後退しながら止まらずに行ったのだ。砲手の腕だけなら全国大会に出ていてもおかしくないレベルである。

 その他の全員にも緊張が走っていた。今のが17ポンド砲なのだ。連合国側最強の対戦車砲、その性能は以呂波から十分に聞かされていた。だが恐れている者はいない。美佐子、結衣、澪の三人は練習試合で以呂波の回避技術を見ており、自分たちの役目は車長の指示を全力で実行するのみだと分かっているのだ。

 

「ひょー、凄い音」

 

 今回が初陣となる晴もまた、呑気に減らず口を叩く肝の太さを見せている。どうにも得体の知れない少女だ。

 

 タシュは追撃を続け、トゥラーンも追ってきた。大坪がシュルツェンで囲まれた砲塔から顔を半分出し、ACIVを見据えている。

 

《お待たせ! 援護するね!》

「お願いします」

 

 トゥラーンが撃った。だが今度は敵が進路をずらし、紙一重で避けられてしまう。砲手も車長も練度の高い人員を充てているようだ。

 さらに、ACIVの背後に土煙が上がった。敵の援軍だ。以呂波は双眼鏡を覗き、迫ってくるシルエットの数を注意深く確認する。ボロ布などを引きずって土煙を起こし、少数の戦車を多数に見せかける手口もあるし、以呂波は中学校時代に実際使ってきたのだ。

 

「……七両」

 

 敵の総数は十両で、今高台にいるのはACIVを含め八両。フラッグ車のCTLと、ACI一両が確認できない。

 だが今はそれより、少しでも敵戦力を減らすのが先決だ。

 

「大坪先輩、ACIVの注意を引きつけてください」

《了解! 機銃、撃って!》

 

 大坪の号令でトゥラーンが発砲する。砲塔にポールマウント式に取り付けられた機銃が火を吹き、乾いた音を立ててACIVに着弾する。相手の車長も砲塔内に隠れざるをえない。

 だが先ほどからの動きを見るに、不意打ちでない限りACIVに命中させるのは難しいだろう。ここは相手を問わず、数を減らすことに注力すべきと以呂波は判断した。

 

「目標、敵集団先頭のACIII! 躍進射撃用意!」

 

 命じた直後、美佐子が徹甲弾を装填した。

 

「……外さない……今度は……」

 

 澪は照準器をじっと覗き込んでいる。周囲に怯えてばかりいる平常時と違い、照準器に捉えた目標のみに意識を集中していた。走りながらおおよその照準を合わせ、砲を指向する。砲身の熱膨張を考慮し、先ほどより下に合わせる。

 以呂波が停止を命じ、結衣が制動をかけた。履帯がゆっくりと止まり、戦車はピタリと停止した。

 

「撃て!」

 

 ペダルが踏み込まれ、砲弾が放たれる。発砲の衝撃波が以呂波のポニーテールを靡かせた。発砲炎が広がり、車内には硝煙の臭いと共に空薬莢が転がり出る。

 彼方でセンチネル巡航戦車のシルエットが、ガクンと大きく揺れた。そしてそのまま、動かなくなる。

 

《虹蛇女子学園センチネルACIII、走行不能!》

 

 アナウンスを聞き、美佐子が「よし!」と叫んだ。澪は尚も照準器を覗きながら笑みを浮かべる。

 だがその直後、今度は敵が撃ってきた。残ったACIII三両による同時砲撃だった。それらはタシュやトゥラーンではなく、その少し前を狙って着弾する。途端に濛々と白煙が吹き出して以呂波たちは視界を遮られた。ACIIIの25ポンド砲は本来野戦砲であり、発煙弾も撃つことができるのだ。

 

 ACIVは煙に紛れ、仲間の元へ退避していく。さらに第二射も煙幕弾だった。煙の防御を強引に突破すれば逆に17ポンド砲の餌食となるかもしれない。欲を言えばもう少し削りたかったが、潮時だと以呂波は判断した。

 

「雑木林へ撤収!」

《うーん、撃破したかったなぁ……》

 

 口惜しがりつつも、二両は後退した。バックで丘から元の隘路へ下り、信地旋回して撤退する。後は雑木林を陣地化して漸減作戦を続け、隙あらばフラッグ車を狙う。だがそのフラッグ車と、その護衛と思われるセンチネルACI一両の所在が不明だ。

 

「晴さん、ミレー作戦の開始を通達してください」

「あいよ。……北森先輩、ミレー作戦発令! ミレー作戦発令!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……CTL豆戦車の車内で、ベジマイトは空になったチューブをポケットに押し込み、義手で頬を掻いた。策を見破られ、先に一両撃破されてしまった。とはいえACIVが生き残っただけまだ良しとするべきだろう。敵六両のうち、まともな攻撃力を持った戦車は三両。これを撃破するなりフラッグ車から引き離すなりすれば勝機はある。

 

《こちらACIV。敵の追撃はありません。離脱に成功しました》

《カイリーです。申し訳有りません隊長、敵撃破に失敗しました》

「仕方ないって、見破られちゃったんだから。じゃあ次、F地点へ向かって。他のみんなは雑木林手前で警戒態勢」

 

 あらかじめ割り振っておいた狙撃ポイントへの移動を指示する。一両撃破された状況にも関わらず、ベジマイトは楽しそうに砲塔から顔を出した。彼女の乗るCTLはフラッグ車でありながら、後からついてくるセンチネル一両と共に先行偵察を行っているのだ。速度を落とし、土煙を立てないようにしての行軍だが、二両だけというのは危険だ。所在不明なズリーニィ突撃砲がどこから出てくるか分からない。

 無論、敵の数と位置を考慮した上での行動で、見つかりにくいルートを通っている。だがその向かう先は千種学園側が待ち伏せているであろう、雑木林の背後だった。

 

 笑顔でそのようなことができるのは決して彼女が無謀だからではないし、数に頼み相手を侮っているわけでもない。純粋に戦車戦を楽しんでいるだけだ。何より自分と似た境遇の相手で、それがかなりのやり手だと分かった今、ベジマイトにとってはますます楽しい試合となってきた。

 そしてその行動も全て、野性的な勘だけでなく論理的思考も組み合わせた答えである。隊員一同それを分かってはいるが、やはりベジマイトの隣に座る操縦手は不安げだ。

 

「もうすぐ敵の背後ですが、深入りは危険ですよ」

 

 ゆっくりと戦車を走らせながら、一応忠告する。

 

「まあ豆戦車だから林の中でも動きやすいし、隠れる場所も多いし、相手もフラッグ車がこんな懐まで来るとは思わないでしょうけど……」

「いや、思うだろうね」

 

 操縦手の言葉を否定しつつ、新しいチューブ入りベジマイトを手に取る。能動義手でチューブをつまみ、生身の左手でキャップを開けた。

 

「だってもう見つかってるもん、ボクたち」

「え!?」

「こらこら、操縦に集中して」

 

 ハッチを開けて周囲を見ようとする操縦手を制止し、開きかけた操縦席ハッチを義手で叩く。彼女は先ほどから視線に気づいていたのだ。

 

「大丈夫、戦車はいないよ。林の中から歩哨が見てる」

「でもこっちの動きが知られちゃいますよ!?」

「いいからいいから。ボクらが気づいてることを気取られないように走って」

「……どうすればいいんですかそれ?」

「知らないよ。自然に操縦しなよ」

 

 ぶっきらぼうに言いつつ、彼女は無線を車外通話に切り替えた。

 

「カイリー。僕らは今から敵のいる林に潜伏する。さっき言った通り、F地点からお願い」

《……了解、隊長》

 

 副隊長の囁くような声が、レシーバーから聞こえた。

 

 

 




明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。

今回で十六話と相成りました。
正直去年連載を始めたとき、初期主人公車がカヴェナンター、二代目がタシュなどという欠陥またはドマイナー戦車のオンパレードという二次創作がどの程度受けるのかと思っていましたが、応援のコメントやご評価を頂き、誠に嬉しい限りです。
ありがとうございます。
「どの程度受けるのか心配だったなら何でこんな構成で書いたんだよ」と言われたら、書きたかったからと言う他ありませんw



ところでお読み頂いた方々に二点ばかり、お尋ねしたいことがございます。

1.まだ先のことですが、第二回戦の相手はソ連戦車とイギリス戦車、どちらを見たいと思いますか?
2.本作の中で好きなキャラクターは誰でしょうか?

お答えいただける方は今回の活動報告またはメッセージに書いていただけると幸いです。
感想欄でアンケートをやると規則に触れてしまうので。


では改めまして、ガルパン映画版を楽しみにしつつ、今年も頑張りたいと思います。
宜しくお願い致します。


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林の攻防です!

 以呂波が相手の狙いを見切ったことにより、千種学園主力は雑木林まで撤退できた。タシュ、トゥラーン、ソキの三両は見つかりにくい茂みの陰に隠れ、乗員たちが履帯の跡を消している。すぐに動けるよう操縦手は車内に乗ったままで、晴もタシュの通信手席に残っていた。

 

「ごめんなさい、隊長。稜線に隠れてたんですけど、まさか気づかれるなんて……」

 

 三木が肩を落とす。ソキには機銃弾が掠めた跡が多数残っており、乗員たちは初めての交戦経験に軽い放心状態となっていた。責任感の強い三木は自分たちが発見されたため、救援に来たタシュとトゥラーンを危険に晒したと気に病んでいる。だが斥候としての役割は一通り果たしたと言っていいだろう。

 

「仕方ありませんよ、相手も相当勘が良いみたいですから。それに三木先輩の偵察のお陰で、相手の出方が分かりました」

 

 最も重要な情報は、虹蛇側が虎の子の17ポンド砲をどう使うかということである。ソキが偵察したときからACIVは別行動を取っており、救援隊の迎撃に際しても本隊とは別の場所で狙撃を準備していた。このことから相手はACIVには単独行動を取らせ、地形を活かし狙撃を行う算段と思われる。

 

 するとやはり、狙撃される心配の少ない林の中で相手を待ち伏せた方がいいだろう。敵の戦車も一両撃破できたし、幸先は良い。この調子で敵の数を削り、最終的にはフラッグ車を狙う。

 

「長丁場になりそうだね。お腹空きそう」

 

 スコップで履帯の跡を消していた美佐子が言った。彼女は先ほど多数の敵戦車と交戦したにも関わらずいつもの調子で、雑木林に退避後は速やかに作業にかかった。練習試合の経験があるからか、あるいは単に神経が図太いだけなのか。

 

「T-35に食料も積み込んであるから、少しくらい長引いても大丈夫だよ」

「ツナ缶……」

 

 澪がぽつりと呟いた。今回T-35は砲弾の搭載数を減らし、代わりに缶詰を積んでいる。T-35の砲塔は射角の限られている上に威力も低いし、そもそもT-35自体敵の矢面に立てるような戦車ではない。どうせ撃つ機会の少ない主砲なら、大量に搭載されている弾薬を減らし、持久戦に備えて食料を積んだ方が良いと判断されたのだ。プラウダ高校などの強豪は長期戦用の炊事車両を用意していることもあるが、千種学園はそこまで手が回っていない。だが戦車に食料を積んでおけば、休戦時以外でも食事ができるメリットもある。加えてT-35には『案山子』も搭載していた。

 

 そのT-35は現在茂みに偽装して潜伏したまま、乗員が歩哨に立っている。車長の北森と操縦手のみを戦車に残し、残り八人が徒歩で警戒態勢を取っているのだ。これがミレー作戦である。同名の画家の絵画に由来し、種をまくように歩哨を林に配置した。無論雑木林の広さに対して八人では足りないので、敵の来る可能性が高い要所を重点的に警戒していた。

 

「伏撃なら一弾流の十八番。数を削った上でフラッグ車を狙いましょう」

「トゥラーンは隊長車の背中を守ればいいのよね?」

 

 地図を眺めながら大坪が確認する。

 

「はい。お願いします」

 

 強力な戦車であるタシュとトゥラーンは集中運用する。分散させて各個撃破されるより、相互支援しながら戦った方が生存率が上がるからだ。ズリーニィは待ち伏せに向いた突撃砲なので、別の場所に配置して遊撃に当たらせる計画だ。

 

 相手が雑木林へ入ってくるとは限らないので、場合によっては鉄道部チームを再度偵察に出すことにもなるだろう。そして囮になってもらう必要も出てくるかもしれない。以呂波がそのことを三木に告げようとしたとき、通信手席にいる晴が声を上げた。

 

「第二ポイントの歩哨から報告。敵来たる」

 

 全員の視線が晴に集中した。彼女はレシーバーからの報告に集中している。

 

「敵の数六両、北側で待機してる。フラッグ車とACIVはいないってさ」

「第二ポイント……近いわね」

 

 操縦席から身を乗り出し、結衣が言う。以呂波たちは撤収後に北側から雑木林に入り、敵も同じルートで追ってきた形になる。さすがにこの林を隠れ家とすることを虹蛇側は読んでいたようだ。

 だがその直後、晴は新たな報告を伝えた。

 

「第七ポイント、敵フラッグ車見ゆ!」

「えっ!?」

「えーと、第七ポイントは……」

 

 美佐子は以呂波が持っている地図を覗いた。歩哨の配置が書き込まれている。

 

「背後じゃん!」

「護衛は?」

「護衛はセンチネルACI一両のみだってさ。隘路を通って南側から林へ侵入しつつあり!」

 

 そこまで聞いて、一同の視線が晴から以呂波に映った。即座に以呂波は敵の意図を考え始める。敵フラッグ車は機関銃しか積んでいないCTLだ。北側の本隊で注意を引き、林の中へ隠れようという魂胆だったのか。確かにT-35の乗員を歩哨を立てていなければ、自分たちの背後にフラッグ車が潜んでいるとは思わなかっただろう。灯台下暗しである。

 

 だがそのとき、突如砲声が轟いた。北側からである。距離はやや離れているが、木々の間に榴弾が着弾し、爆発と共に土煙を巻き上げる。

 

「総員乗車!」

 

 以呂波の号令で少女達は一斉に各自の車両へ向かった。美佐子がさっと身を屈め、以呂波の股ぐらに潜り込んだ。一見ふざけているようにも見えるが、本人たちは至って真面目である。体力バカの面目躍如と言った所か、以呂波を肩車して立ち上がった美佐子はそのままタシュに近づく。砲塔の上に座る澪の手を借り、以呂波は肩から戦車へと乗り移った。

 彼女が車長席に収まり、美佐子と澪もそれぞれの持ち場へ着く。そのとき、再び砲声が聞こえた。またも榴弾だ。

 

「こっちの位置、バレたのかしら?」

 

 尋ねつつ、結衣はエンジンを始動させた。二基搭載されているエンジンが唸りを上げ、車体が微弱に震動し始める。こうなるとエンジン音で通常の会話は困難なので、全員が咽頭マイクのスイッチを入れた。

 

「探り撃ちして誘い出そうとしてるんだよ。木が邪魔でここまでは届かない。……各車、エンジン始動してそのまま待機。下手に動かないでください」

 

 相変わらず冷静に指示を出す以呂波に、結衣はつくづく感心した。練習試合のときも以呂波は危機的状況で笑顔を見せていた。自分はもう駄目だと諦めかけていたのに。現在学級委員長である結衣は中学校時代に生徒会長を務めたことがあり、グループのリーダーでいることが多かった。だが以呂波はそれよりも遥かに過酷な戦車道で、冷静に周囲を率いている。

 恐らく自分は彼女から、多くのことを学ばなくてはならないだろう……結衣はそう思った。

 

「なるほど。こっちはどうするの?」

「私たちはとりあえずこのまま。三木先輩はT-35と合流、『案山子』の準備をしておいてください。土煙を立てないよう、ゆっくりと」

《了解ですっ!》

 

 ソキがゆっくりと動き始めた。三木を筆頭に前向きな少女たちが揃っていることが、鉄道部の強みだった。

 

「敵のフラッグ車はどうする?」

「ズリーニィに行ってもらう。偽装もしてあるし、車高の低い突撃砲なら見つかりにくいと思うから。逃げられたら案山子作戦」

「ほいじゃ、丸瀬ちゃんに敵フラッグの位置を伝えてあげようかね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ズリーニィIはトルディと共に潜伏していたが、命令を受信してすぐさま行動を開始した。履帯が土煙を起こさないよう、突撃砲はゆっくりと雑木林の中を這う。木の枝や予め用意していた偽装網などを付け、上手く車体をカモフラージュしていた。

 車長兼通信手の丸瀬は、歩哨からの情報に耳を傾けつつ指揮を執っていた。進行方向は逆光なので双眼鏡などは使わず、肉眼のみで目標を探している。練習試合の際、船橋が双眼鏡の反射で敵を見つけたことを聞いたからだ。元々航空学科で飛行機を操縦している彼女は視力に優れ、太陽光を指で遮り木々の隙間を睨んでいる。

 

 操縦手は小さな覗視孔を覗きながら、丸瀬の指示で木々を避けながら操縦している。ハッチを閉めた状態では操縦手の視界はごく限られており、正確な操縦には車長の指示が必要になる。

 

「……停止」

 

 操縦手が制動をかけ、元々低速だったズリーニィはピタリと止まる。二時方向、木々に紛れている迷彩色の車体を、丸瀬の目は見逃さなかった。フラッグ車のCTLと護衛のセンチネルが並んでいる。だが無砲塔のズリーニィで狙うには車体を動かす必要がある。それに長い砲身が木に当たらないよう、位置も少し変えなくてはならない。

 

「いたのか?」

「ああ。微速前進、エンジン音を響かせるなよ」

 

 航空学科の面々は用心深かった。だが敵もまた手練である。操縦手が丸瀬の命令を実行しようとした瞬間、CTLが動き出した。続いてセンチネルも。

 丸瀬は舌打ちし、操縦手の肩を蹴って追撃を命じた。躍進射撃には自信があるとはいえ、豆戦車は的としては小さい。できれば静止しているうちに狙いたかったがやむを得ない。

 

 本隊に報告しつつ、丸瀬は操縦手の肩を蹴って進路を指示する。砲手は走りながらも照準を合わせ、躍進射撃の準備をしていた。だがCTLの背後にセンチネルがぴったりと張り付き、盾となっている。

 

「護衛が邪魔ね……」

「やむを得ん、センチネルを狙え。雑木林から出る前に片方だけでも仕留めろ」

 

 雑木林から出るのが危険なのは、ACIVの所在が分からないからだ。CTLの行く先で待ち伏せているかもしれない。ここでCTLを逃がしてしまっても、以呂波が次の手を考えている。せめてセンチネルだけでも撃破し、漸減を行うべきだ。

 砲手が照準を合わせ、装填手が徹甲弾を装填する。

 

「撃てるわよ!」

「よし、停止!」

 

 操縦手が急制動をかけた。車体の動揺が収まるタイミングも、猛訓練でしっかり掴んでいる。そして砲手はしっかりと、センチネルを照準に捉えていた。

 

「撃て!」

 

 75mm長砲身が火を噴いた。衝撃で近くの茂みが揺さぶられ、センチネルの車体が大きく震動した。そのまま数メートル走行したかと思うと、白旗システムが作動して停止する。丸瀬は上がった旗を見届けたが、同時にCTLが加速して逃げて行くのも見えた。

 深追いは禁物だ。しかしまだチャンスはあるかもしれない。

 

 操縦手に前進を命じようとした、その刹那。

 

「ぐあッ……!?」

 

 突然、凄まじい衝撃が体に伝わった。鈍い金属音を伴い、ズリーニィの車体がぐらりと揺れる。戦闘室内で立っていた丸瀬はその衝撃にバランスを崩し、車内の装填手の上に倒れ込んでしまった。

 直後に、スパン、と乾いた音が聞こえた。白旗の作動音だと丸瀬には理解できた。だが何が起きたのか、思考が追いつかない。

 

《虹蛇学園ACI、千種学園ズリーニィ突撃砲、走行不能!》

 

「丸瀬! おい、丸瀬!」

 

 アナウンスと、仲間の呼びかけにようやく状況を理解した。装填手と砲手に抱き起こされ、仲間達が無事なのを確認すると戦闘室から顔を出す。

 CTLは逃げ去っていた。車体の弾痕からして東側から撃たれたのだと分かる。装甲はひしゃげ、強烈な破壊力の跡が見受けられた。

 

 装填手から双眼鏡を受け取り、東方向をじっと見る。木々の隙間の先、隘路を挟んだ高台の稜線に、長い砲身のついた砲塔が見えた。それはゆっくりと後退し、稜線の向こう側へ姿を消す。

 あそこから林の木々の合間を縫って、ズリーニィに直撃させたのだ。偽装までしていたというのに、林に隠れた自分たちを敵の砲手はすぐ見つけてしまったのである。

 

《丸瀬先輩、怪我人はいませんか!?》

 

 通信機から以呂波の声が聞こえる。仲間たちを見ると、皆親指を立てて無傷であることをアピールした。

 

「……みんな無事だ。一ノ瀬……」

 

 丸瀬は奥歯を噛み締め、拳を握りしめた。

 

「気をつけろ。林の中は……安全ではない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ズリーニィの撃破を見届けても、ACIVの砲手にして虹蛇女子学園副隊長・カイリーは熱くなる様子がなかった。端正な表情を崩すことなく、稜線の陰へ後退する戦車の中で照準器を覗いている。

 

「……隊長に報告を」

「はい。こちらACIV、敵の突撃砲を撃破しました」

 

 ACIIIとIVは通信手が省略されているため、車長が兼任する必要がある。するとすぐに返事が返ってきた。

 

《お見事。さすがカイリーだ。後は長砲身の二両さえ潰せば、勝ちも同然だね》

 

 ベジマイトの陽気な声が聞こえる。千種学園の戦車の中で、まともな火力を持っているのは三両のみだ。そのうち一両、ズリーニィIは片付けた。後はタシュとトゥラーンさえ撃破できれば、牙を抜かれた虎も同然、後の勝負は一方的なものになるだろう。そして17ポンド砲はそれが可能な火力を持ち、虹蛇女子最高の砲手を乗せている。

 

「まだ油断はできません、隊長」

 

 だがカイリーはあくまでも冷静だった。彼女のあだ名である『カイリー』とはアボリジニーなどが使う狩猟用ブーメランのことで、遊戯用と違って一直線に獲物へ向かう。獣を一撃で倒せるその威力は、例え返ってきたとしてもキャッチできないからだ。

 冷静に獲物を見据え、狙い澄ました一撃を与える。彼女は根っからのハンターだった。

 

「相手の隊長は『三本脚の獣』です。貴女と同じように」

《うん、その通りだね。こっちもこれ以上犠牲は出せない》

 

 ベジマイトもまた、油断していたわけではない。虹蛇側も二両撃破されているのだ。現在の数の差は八対五である。これ以上撃破される前に、数の優位を活かしてタシュとトゥラーンを仕留めたい。

 

 

《焦らずじっくり……狩ろう》

 

 

 




お読み頂きありがとうございます。
ズリーニィが撃破され、千種学園側がやや不利な形勢に。
まだ決定的な不利には陥っていないものの、敵の砲手の腕を目の当たりにした以呂波は……?
次回かその次で決着がつくと思われます。

ご意見ご感想ございましたら、今後の糧とさせていただくので宜しくお願い致します。


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案山子作戦改訂版です!

 以呂波は拳を握りしめていた。恐らく敵は歩哨の存在に気づき、敢えてその前にフラッグ車を晒したのだろう。千種学園側がズリィーニィを差し向けることを想定し、予めそこに17ポンド砲の照準を合わせていた。農業科チームを歩哨に使ったことが裏目に出たのだ。

 そしてACIVの砲手が優秀なのは分かっていたが、その実力も想定以上だった。まさか林の中にいるズリーニィに照準を合わせ、木々の隙間を通して命中させてくるとは思わなかった。敵にズリーニィを撃破する手段がないと思っていたため、罠であることに気づかなかった。

 

 どうやら相手は論理だけでは説明のつかない『勘』や『本能』を持っているとしか考えられない。事前に船橋から聞いた情報によると、虹蛇女子学園は自然に関する教育に力を入れているという。野外学習やキャンプなども頻繁に行っているようで、普段から自然に慣れ親しんでいるからこそ得た察知能力があるのだろう。

 

「一ノ瀬隊長。このまま守りに徹するより、攻勢にでた方がいいんじゃないかしら」

「ええ、そうですね」

 

 大坪の言葉に、以呂波は頷いた。歩哨からの報告ではCTLは再び林の中に潜り込んできたようだが、再び攻撃を仕掛けても容易には捕まらないだろう。逆にタシュとトゥラーンが17ポンド砲の餌食になってしまえば、千種学園は対戦車火力をほとんど失う。相手もそれが狙いだと以呂波は踏んでいた。

 だがこのまま守りに徹していても、北側の敵本隊が突入してくるはずだ。伏兵戦術は一弾流の得意分野であるが、戦車は本来防御用の兵器ではない。まして17ポンド砲が林の外側からでも狙ってくるとなれば、篭城しても勝算は少ないだろう。

 

 そして犠牲はどうあれフラッグ車を仕留めない限り、勝利はあり得ない。敵の裏をかく必要がある。

 

「……フラッグ車をフラッグ車にぶつけるのは?」

 

 結衣が口を開く。

 

「トルディを?」

「20mm砲でも豆戦車相手なら通用するし、相手の武装は12.7mm機銃だけ。船橋先輩たちならやれると思う」

 

 彼女は戦車道参加と同時に、自分で集めた戦車の資料をファイリングしており、それを常に持ち歩いていた。CTL豆戦車の装甲と、トルディの対戦車ライフルの貫通力を見比べて述べた意見だ。

 

「でもトルディ弱いじゃん。もし他の敵が来たら負けちゃうんじゃない?」

「相手は攻撃力の高い戦車から始末したいと思うわ。私たちが囮になれば引き付けられるでしょ」

 

 美佐子の疑問に答え、結衣は以呂波に目を向けた。確かに彼女の言う通りだと以呂波は思った。こっちはセンチネルを二両撃破したのだから、相手としてもはこれ以上の戦力低下は避けたいはず。スペックで勝るタシュとトゥラーンに対しては兵力を集中させて対抗しようとするだろう。ACIVも引き付けることができれば、その間にトルディがCTLを攻撃できる。加えて林の中での追撃戦は軽戦車の方がやりやすい。

 

「結衣さんの言う通りだね。下手にタシュでフラッグ車へ攻撃するより、その方が良い」

「……気づかれない、かな……?」

 

 澪が心配そうに尋ねた。敵指揮官の察しの良さからして、トルディが攻撃してくることも想定しているかもしれない。だが以呂波たちにはまだ、相手を出し抜く手段が残っていた。

 

「こっちには『案山子』がある。私の勘だけど、ベジマイトさんは多分CTLに乗ってるんだと思う」

 

 隊長であるベジマイトの洞察能力は相当なものだと思われるが、今彼女が乗っているであろうCTLは本隊から離れている。ベジマイトに直接見られなければ、トリックを看破される心配も少ない。

 

 ただしフラッグ車であるトルディを単独で攻撃に使う以上、失敗したら敗北は必至だ。ハイリスク・ハイリターン、一弾流の教えから外れた危険な賭けである。だが以呂波はこの作戦に魅力を感じていた。中学校時代は堅実な采配を心がけていたのに、右脚を失ったことが戦車道への価値観も変えたのかもしれない。むしろ自分は一弾流から離れるべきなのではないかという気持ちさえ起きていた。

 

「一ノ瀬隊長がやる気なら、私は全力で付いて行くわ。ね、みんな」

「はい!」

「もちろん!」

 

 大坪の言葉に、トゥラーンの乗員たちも賛同した。きっと船橋も同じことを言うだろう。このまま持久戦に持ち込んでもじわじわと狩られるのみ。まだ火力が残っているうちに踏み出すべきだ。

 

「危険はあるけど、それで行こう。三木先輩に案山子作戦スタンバイの連絡を!」

「あいよ!」

 

 晴は笑顔で通信機のスイッチを入れた。肝が据わっている彼女はこの状況さえ楽しんでいるようだ。

 

「じゃあ、あたしたちは敵に突っ込んでバカスカ撃てるんだよね!?」

「そう。装填速度が勝負を分けるかもしれないよ」

「よしきた! 任せといて!」

 

 美佐子もやる気十分だ。澪も撃ちまくれると聞いたためか、やや表情が明るくなっている。危険を伴う作戦には仲間の士気が不可欠だが、これならやれるだろうと以呂波は信じた。

 

「さて……後考えなきゃいけないのは、CTLの逃げ道を塞ぐことかな……」

 

 地図を広げ、敵フラッグ車の逃走経路を予測する。恐らく本隊と合流するように動くだろう。

 効果的な方法が脳裏に閃くまで、時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……斯くして、千種学園戦車隊は乾坤一擲の勝負に出た。タシュとトゥラーンが当たる敵は六両、2ポンド砲のACIと25ポンド砲のACIIIが三両ずつだ。そこへ二両で吶喊する。正面装甲はタシュが120mm、トゥラーンが90mmだが、当然側面や背後は薄く、近距離からなら容易く貫通されてしまう。それを防ぐためにはより一層大胆に、敵のど真ん中へ肉薄する必要があった。昨年の全国大会で大洗女子学園が多用した戦法だ。敵戦車と混ざって乱戦に持ち込めば、相手も同士討ちの危険から簡単に発砲できなくなる。

 

 トゥラーンの砲塔ハッチから顔を出し、大坪は愛車の装甲板を撫でた。馬に乗るときのように、優しく。

 

 馬術部チームが在籍していたアールパード女子高校は馬術の強豪として名高く、かつては数多くの大会で優勝し名を馳せていた。しかし数年前、学園艦内の事故により多数のサラブレッドが死んでしまい、没落が始まった。学園の顔である馬術部を救うため戦車道を廃止し、戦車も売却して資金繰りを行っていたものの、衰退を止めることはできなかった。大坪が入学した頃にはもう見る影もなく、他に目立った功績もなかったため統廃合の対象となってしまったのである。

 だが馬に乗って華々しく活躍することを夢見ていた大坪は、その夢を終わらせる気はなかった。だからこそ船橋の誘いを受け、今こうして鉄の馬に乗っている。母校の残したこのトゥラーンで、大会を勝ち進みたいのだ。

 

「一ノ瀬隊長、こっちは準備いいよ」

《了解。他の皆さんはどうですか?》

《ソキ、大丈夫です! 行けます!》

《トルディも準備良し!》

《T-35も問題ねぇ!》

 

 チームメイトたちの声を聞き、大坪は以呂波の号令を待った。クルー全員が覚悟を決めている。

 

《ではこれより、戦局打開を賭けて案山子作戦改訂版を開始します! 失敗すれば後はないですが、皆さんならやれると信じています!》

 

 以呂波がちらりと大坪を見た。大坪が頷いて見せると、以呂波も頷き返す。この義足の少女も、再起を賭けて船橋の申し出を受けたのであろう。後輩であっても抵抗なく彼女を隊長と呼び、指示に従えるのも、似通った目的を持つ者同士だからかもしれない。そして先輩として、早く彼女と肩を並べられる戦車長になりたかった。

 だから今回の戦いで、せめて背中を守れることは証明したい。

 

 タシュの砲塔から、以呂波が正面へ手をかざした。

 

《囮隊、突撃に進め! パンツァー・フォー!》

 

 大坪は操縦手の背を蹴った。前進である。木々の隙間を抜け、敵の待ち受ける場所へ向かう。

 

 陣形を組んだセンチネル巡航戦車が見えてきた。まだ発砲はないが、砲をこちらへ指向している。林から出るのと同時に撃ってくるつもりだ。まずは正面の厚いタシュが、その左後方にトゥラーンが位置取って吶喊する。

 

「之字運動!」

 

 林を出た瞬間、大坪は叫んだ。二両がジグザグに回避行動を始めた瞬間、敵の主砲が一斉に火を噴いた。周囲に着弾した砲弾が土煙を巻き上げ、震動が伝わってくる。

 

《囮隊、交戦開始!》

《み、三木三津子、行きます!》

 

 別方向を目指し、車体を偽装していたソキが飛び出して行った。後にはもう一両軽戦車が……否、トルディ軽戦車に見せかけたハリボテを牽引していた。美術部に頼んで作ってもらった『案山子』ことデコイである。ボール紙でできた履帯の内側には車輪がついており、戦車で牽引できるようになっていた。元々フラッグ車であるトルディに見せかけ、敵をズリーニィの前に引きずり出すという漸減戦術のために用意したものだ。

 そのデコイを牽引したまま、ソキは林から西へと逃げて行く。敵車長が顔を出してそれを見ていたが、デコイを本物と思ってくれたかは分からない。大坪と以呂波にできるのはこのまま突っ込むことだ。

 

「怯まないで吶喊! 榴弾でビビらせるわよ!」

「はい!」

 

 装填手は先端が白い榴弾を持ち上げ、砲尾へセットした。握りこぶしで押し込み、自動閉鎖機が閉まってその拳を弾く。砲手が狙いを合わせた。と言っても行進間射撃なので命中など期待できない。適当な場所に着弾させ、土煙を巻き上げるのが狙いだ。

 

「装填完了!」

撃て(トゥーズ)!」

 

 ハンガリー語の号令の直後、砲口から発砲炎が広がる。タシュもほぼ同時に撃っていた。二発の榴弾が敵の隊列のなかで爆発し、土煙が相手の視界を遮る。

 だがその直後、敵のACIIIが撃った。

 

「……!」

 

 凄まじい衝撃がトゥラーンを揺さぶった。左側面への直撃である。目の前に爆炎が広がり、大坪は腕で顔を庇いながらも、その衝撃に仰け反る。

 

「大坪!?」

「大坪さん!」

「……大丈夫。止まらないで」

 

 心配する乗員たちに大坪は言った。彼女は無事だったし、トゥラーンも撃破判定は出ていなかったのだ。ただし左側前部のシュルツェンが吹き飛び、装甲にも黒ずんだ凹みができていた。

 喰らったのは成形炸薬弾だった。距離に関係なく同じ貫通力を発揮できる対戦車榴弾だが、装甲に隙間があるとそこで威力が大きく減衰する。トゥラーンのシュルツェンに当たって信管が作動、起爆したため、戦車本体へのダメージはなくなったのだ。

 

 囮となった二両はジグザグ運動を繰り返しながらも距離を詰める。相手がソキを追いかけないのはタシュとトゥラーンの排除が先と考えているからか、またはデコイだと気づいているからか。

 どちらにせよ、ここまで来ては作戦を変えられない。

 

「向かって一番左の奴を狙って!」

 

 大坪は躍進射撃の準備に入った。狙うのはACIだ。丁度砲塔をタシュへ向けており、隙がある。撃破する位置としても丁度良い。

 トゥラーンの操縦装置は日本戦車に近く、操向用のレバー二本、信地旋回用のブレーキレバー二本、計四本のレバーで戦車を操る。回り込むような機動を取りつつ、操縦手が戦車を停止させた。

 

撃て(トゥーズ)!」

 

 発砲。今度は徹甲弾だ。狙われていたACIはそのことに気づいていたようだが、回避は一瞬遅れていた。

 75mm長砲身がら射出された徹甲弾が車体にめり込む。トゥラーンが再び走り出す頃、白旗が砲塔から飛び出した。

 

「こちらトゥラーン、一両撃破!」

《その調子です、先輩! このまま粘りましょう!》

 

 隊長からの激励を聞きながら、大坪は撃破した敵戦車の横へ回り込むように指示した。訓練の模擬戦で彼女が以呂波からある注意をよく受けた。「仕掛け方がまともすぎる、もっと意表を突け!」である。大坪は自分なりに考えた結果、撃破した敵を遮蔽物に使うことを考え、それを目的に一番端にいる敵を狙ったのだ。

 

 この戦法は効果的だった。トゥラーンを狙っていたACIがいたが、それが発砲する前に残骸の裏へ隠れることができたのだ。刹那、攻撃の機を逸したACIをタシュの砲撃が襲う。パンターと同じ主砲を喰らったのだからひとたまりもない、たちまち白旗が揚がった。

 

《タシュ、一両撃破!》

「お見事、隊長!」

 

 続いて一両、トゥラーンの方へ回り込んでくる敵がいた。今度はACIIIである。側面ならシュルツェンがあるが、87mmの成形炸薬弾ならトゥラーンの正面装甲90mmでも耐えられないかもしれない。

 

「徹甲弾装填、砲塔を三時方向へ!」

 

 主砲を旋回させつつ、大坪は自車をそのまま直進させた。敵と正面からぶつかる形である。ただし砲塔は九十度右を向いていた。

 相手の25ポンド砲の砲口が黒点になった瞬間、操縦手の左肩を蹴る。回避行動を取った直後、相手の撃った砲弾が脇を掠めていった。そしてそのまま、二両はすれ違う。

 

 その瞬間に、大坪は発射の号令を下した。75mmが吼える、すれ違い様の行進間射撃。だがこの至近距離なら外れなかった。見事に敵の側面装甲を捉え、轟音の直後にACIIIは動かなくなる。白旗システムが作動した。

 

「残り三つ!」

 

 大坪は勢いに上手く乗っていた。乗員たちもそうだし、以呂波ら隊長車の面々もそうだった。

 だがそのとき、以呂波が新たな敵の接近を告げた。

 

《来ました! ACIVです!》

 



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一回戦、決着の時です!

《こちらカイリー。敵は味方と入り乱れています。長距離からの砲撃は困難です》

「オーケー。残っている車両と連携攻撃をしかけて。フラッグ車は後で追えばいいから」

《了解》

 

 あくまでも冷静な副隊長の声を聞き、ベジマイトはふと林の中を見回した。やはり視線を感じる。歩哨がまだ見ているようだ。

 

 千種学園が雑木林から脱出し、仕切り直しを図ることは予期していた。気づかれないようこっそりフラッグ車を逃がそうとするか、攻勢をしかけて突破してくるか。答えは後者だった。しかしこうまでも大胆に、隊長車両とトゥラーンの二両を足止めに使うとは思わなかった。まるで関ヶ原で島津軍が行った捨て奸戦法だ。センチネルの数を極力減らしてから脱出する腹づもりかもしれない。現にフラッグ車の脱出には成功したのだから、17ポンド砲の到着した今、自分たちも逃げようとするだろう。

 そうなればカイリーは生粋の狩人、逃げる相手を撃つのはお手の物だ。しかしベジマイトには一つ、気にかかることがあった。

 

 

「雑木林から脱出したなら、何で歩哨がまだ残ってるんだろう?」

「歩哨ってT-35に乗ってる人たちでしょ。戦車がノロマだから置いていかれたんじゃないですか?」

 

 操縦手が答えた。確かに一理ある。しかしベジマイトの野生の勘が、何かを告げていた。

 

「どうも嫌な予感がする。ここから離れよう」

 

 指示に従い、操縦手はCTLを前進させた。

 その直後だった。木々の隙間を縫って迫ってくる物を、べジマイトは即座に察知した。

 

「停止!」

 

 隊長の叫びに、操縦手は反射的に急制動をかけた。熟練の戦車乗りや戦闘機乗りはその優れた反射神経で操縦する。

 その咄嗟の反応のおかげで、未来位置を予測して撃ち込まれた20mm弾を空ぶらせることができた。

 

「トルディだ! 逃げろ!」

 

 急発進するCTLを追い、木の葉や草に覆われたトルディが飛び出してくる。ベジマイトは図られたことに気づいた。トルディはずっと林の中に隠れ、歩哨の報告を元に攻撃の機会を伺っていたのだ。そのため相手は主力を虹蛇の本隊にぶつけ、ACIVをおびき寄せたのである。

 

「敵のフラッグ車は逃げたんじゃ!?」

「デコイだったんだよ、きっと。一杯食わされちゃった!」

 

 敵フラッグ車が雑木林から北西へ逃走した、という部下からの報告がなければ、ベジマイトもトルディが攻撃してくる可能性を考えただろう。一弾流は欺瞞作戦も得意だと聞いていたが、デコイまで用意してきていたようだ。ベジマイトが直接見ていれば見破れただろうが、囮になるため本隊と別行動を取っていたのが裏目に出た。

 一ノ瀬以呂波は面白い指揮官である。それに二両での突撃でたちまちセンチネル三両を片付けた技量の持ち主だ。しかしこの状況は虹蛇側にとってもチャンスだった。

 

「カイリー、敵フラッグは逃げてなかった! 今攻撃を受けている!」

《こちらカイリー。トゥラーンの履帯を破壊しました。動ける敵はパンターモドキだけです》

 

 このような状況でも副隊長は氷のような冷静さを保っていた。そして何より仕事が早い。

 

「よし。林の東側、隘路を通ってそっちへ向かう! 今から最優先攻撃目標は敵フラッグだ!」

《了解。……八号車、九号車、煙幕弾は残っていますね。私の撤退を援護なさい。三号車は一緒に来るように》

《分かりました!》

 

 部下の無線を聞きながら、ベジマイトは後ろを見る。追ってくるトルディの砲塔から車長が顔を出していた。

 

 自分の乗る機銃砲塔を後ろへ回し、義手でコッキングレバーを引いた。牽制ぐらいにしかならないと分かっているが、それでも左手でトリガーを引く。銃声と空薬莢が湯水のように溢れ出し、何発かがトルディに当たったようだ。相手車長が顔を引っ込めるが、負けじと対戦車ライフルを撃ってくる。

 

 ああ、写真を撮ってた子だなとベジマイトは気づいたが、さすがにこんな状況でピースサインをする気はない。相手もシャッターを切る余裕などないだろう。

 しかし試合が終われば、敵味方関係なく笑顔で記念撮影したいと思っていた。そのためには勝とうと負けようと、無様な終わり方はしたくない。

 

「そら、飛ばせ飛ばせ!」

「はい!」

 

 少女たちの声に答えるかのように、CTLの六気筒ガソリンエンジンが唸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……カイリーの乗るACIVは隘路をひた走った。攻防のあった雑木林のある高台と、ズリーニィを狙撃するのに使った高台に挟まれた狭い道である。護衛のACIと共にベジマイトの救援に急ぐ。

 ACIII二両を敵への足止めに残してきた。だが無線機には悪い知らせが入ってくる。

 

《こちら八号車! 申し訳ありません、パンターモドキにやられました!》

《九号車、トゥラーンにトドメを刺しましたが、こちらも砲撃を受けました! 履帯がやられて動けません》

「ああっ、くそ!」

「慌てることはありません」

 

 車長が悪態を吐くのを他所に、カイリーは平然と砲塔を後ろへ回した。追ってくるであろうパンターモドキこと、タシュに備えてである。

 表情に変化はないが、内心では感情に大きな起伏が生まれていた。恐怖や悔しさではない。敵指揮官に対する尊敬の念と、それを自分が狩ることへの喜びだった。彼女が副隊長でありながら車長ではなく砲手を務めているのはその砲撃の腕と、何よりその役割が好きだからだ。

 カイリーは東北の出身で、滅びゆく狩猟集団の家に生まれた。祖父は故郷一の射撃の名手だった。照準を敵に合わせて撃つその瞬間、彼女は祖父や父と同じ、マタギになれるのだ。

 

「来たぞ! カイリーさん!」

「APDS装填。三号車、敵を足止めしなさい」

 

 タシュの車長であり千種学園の隊長、一ノ瀬以呂波は並外れた射弾回避技術の持ち主だ。最初に遭遇したときその能力を見たカイリーは、自分の技量を以てしても単独では仕留められないと気づいていた。例えここで自車以外のセンチネルを全滅させてでも、この一両を撃破すれば勝ちも同然だ。そしてカイリーの見た限り、タシュの砲手は良い腕をしているものの、自分のように行進間射撃で命中させる能力はない。もっともそれが普通ではあるのだが、こちらを攻撃するため一瞬停止するはずだ。

 

 ACIが後進で突撃した。放たれた2ポンド砲を相手は難なく見切り、発射直前に左へ舵を切った。空ぶった砲撃の直後、タシュが急停止する。ACIが側面に回り込もうとしていたため、そちらに照準していた。

 

 急停止からの素早い躍進射撃だ。火を吹いた75mmが、ACIに直撃する。そのときカイリーは装填完了した17ポンド砲を旋回させ、照準を合わせていた。ただし、タシュの数メートル先にである。

 

 ACIに白旗が出るのも待たず、タシュは急発進する。17ポンド砲の的にならないように。

 だがカイリーは、その一歩先へ狙いをつけていた。以呂波がそのことに気づくのと、引き金が引かれるのはほぼ同時だった。

 

 轟音。大気が脈動する。ティーガーさえ正面から屠る17ポンド砲のAPDSが、長い砲身を通って射出された。傾斜装甲には弾かれやすいAPDSだが、扱いに熟練したカイリーには一カ所狙い所があった。

 装弾筒が外れ、杭型の徹甲弾が空気を切り裂く。命中したのは最も分厚い、砲塔防盾の下面だった。避弾経始に優れた、丸みを帯びた装甲に弾は弾かれる。ただし、下向きに。

 跳弾した先は戦車の中で最も装甲の薄い箇所……即ち車体上面に、APDSが突き刺さった。

 

 タシュは道の脇へ逸れ、停止する。スコープを通し、カイリーは砲塔上面に白旗が揚がるのを確認した。

 

《虹蛇女子学園ACI、千種学園タシュ重戦車、走行不能!》

 

 アナウンスが入り、ACIVのクルーは歓声を上げた。ショットトラップと呼ばれる現象だ。避弾経始に優れた防盾が、逆に車体上面への跳弾を生じさせてしまうのである。ドイツ軍の熟練した砲手もこれを利用してIS-2を倒したという。カイリーは移動しながら、しかも見越し射撃でそれをやってのけたのだ。

 

 彼女は砲塔を正面に向けつつ、隊長車に無線を入れる。

 

 

「片付きました。今参ります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……戦いは往々にして、逃げる者より追う者が有利だ。しかし今隘路を驀進しCTLを追う船橋は有利とは言い難い。むしろ苦境に立たされていた。練習試合のときは格上のIII号戦車に追われながらも相打ちに持ち込んだというのに。

 タシュとトゥラーンは撃破され、残った敵がこちらに向かってきている。それも以呂波さえ仕留めた、凄腕の相手が。

 

 船橋の乗るトルディの装備は20mm対戦車ライフル。セミオートなので大砲よりは連射が効くし、豆戦車相手なら十分な威力である。しかしCTLに乗る義手の少女は恐ろしく勘が良かった。まるで以呂波のように、撃つ瞬間にさっと変針してしまうのである。そうでなくても移動しながら、ジグザグ走行を続ける相手を狙い撃つのは困難だ。

 

「リロードします!」

 

 弾が切れた。砲手が銃の左側面からマガジンを取り外し、交換する。彼女も船橋も、額に汗が浮かんでいた。この状況は嫌でも焦る。躍進射撃を行おうにも停止すれば距離を離されてしまう。最初の一撃で仕留められていればと悔やまれた。

 このままACIVと合流されれば勝ち目は無い。最後の望みは以呂波が残した一つの策のみだった。

 

「北森さん、まだ!?」

 

 砲塔から顔を出して敵を睨んだまま、船橋は叫んだ。

 

《もうちょい! 今木に引っかかって……よし、抜けた!》

 

 悪戦苦闘している北森の声が聞こえた直後、CTLが曲がり角を曲がる。それを追ってトルディも曲がった途端、前方から迫ってくる戦車が見えた。

 17ポンド砲の長い砲身をこちらに向け、今にも撃とうとしている。トルディの砲手が20mmライフルを撃ったが、それは至近弾となり小さな土煙を立てただけだった。

 

「やられる……!」

 

 常に前向きな船橋でさえそう思った。だが恐怖よりも悔しさが上回った。

 

 第二の故郷である学園艦を失った悔しさから始めた戦車道。

 自分の呼びかけに応じ、今の学校の名を上げたいという思いで集まってきた仲間たち。

 そして自らの再起のためにも、頼みに応じてくれた以呂波。

 

 彼女たちの思いに自分は応えられないのか。一回戦で敗れ去るのか。一年生や二年生なら機会はまだ何度もある。しかし三年生である船橋にとっては……

 

 

《船橋ーッ!》

 

 

 刹那、北森の馬鹿でかい声と、T-35のエンジン音が聞こえた。船橋たちの左側の高台、雑木林の中からT-35が飛び出す。

 そしてそのまま、高台から隘路へ至る斜面を下って、というよりむしろ「ずり落ちて」きた。マウスに次ぐ巨体を誇る異形の重戦車が、隘路目がけて落ちてきたのである。追われるCTLと反対側からやってきたACIVの間へ割って入り、逃げ道を塞いだのだ。

 

 ギリギリのタイミングだったが、むしろそれが良かった。CTLの操縦手は突然現れた全長9.72mの『壁』を避ける間がなかった。

 鈍い衝撃音を響かせ、豆戦車はその壁に突っ込んで行き脚を止めた。

 

「停止!」

 

 船橋は即座に号令した。操縦手がトルディを急停止させ、砲手は即座に照準を合わせた。肩当ての対戦車ライフルなので照準は早い。

 

撃て(フォイア)!」

 

 長い銃声が響き、隘路内で反響した。CTLの車体が微かに揺れる。少しの間を置いて、後部のエンジンルームから出火が確認できた。

 

 続いて船橋は、待ち望んでいたその瞬間を見た。その炎の向こうに、白旗が揚がるのを。

 

 

 

《虹蛇女子学園フラッグ車、走行不能! 千種学園の勝利!》

 

 

 

 




お読み頂きありがとうございます。
極力盛り上がりを考えて書きましたが、楽しんでいただけたでしょうか?
次回、戦いの後を書いて第二章は終了です。
二回戦の相手はソ連戦車になる予定です。
同時に以呂波の実家とも動きが……。

今後も応援していただけると幸いです。
ご感想・ご批評もお待ちしております。


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一回戦突破です!

「なるほど、よくできてるなぁ。うちの子たちが騙されるわけだ」

 

 トルディに似せたデコイを見て、ベジマイトは呟いた。生身の左手でベニヤ板の外板を撫で、楽しそうに笑う。機銃や対戦車ライフルは竹筒で再現され、塗装も厳密に再現されていた。車輪の外側に横転防止用のソリも着けられている。

 だが彼女が何よりも感心したのはデコイの出来ではなく、これを分解してT-35で運搬し、九五式装甲軌道車で牽引したその用兵である。欠陥戦車の代表格であるT-35、戦車道で役に立つとは思えない軌陸車にも、しっかりと役割を与えて活用する。T-35は乗員数を活かして歩哨任務に立たせ、さらに最終局面ではそのサイズを『壁』として用い、フラッグ車の逃走妨害に使った。

 

「やっぱ、強い戦車に乗ってれば強いってわけじゃない。強い戦車乗りが、戦車を強くするんだ」

「ええ」

 

 ベジマイトの言葉に以呂波は同意した。T-35は装甲が薄いため盾にはなれないが、サイズがあれば壁にはなれる。だが作戦を立てたのは以呂波だが、それを成功に導いてくれたのは仲間たちである。特に北森率いる農業科チームは失敗兵器であるT-35を愛し、信じて戦っていた。以呂波が最後の作戦を伝えたとき、北森は「T-35だからできることなんだろ。壁にでもなんでも、喜んでなってやる」と笑顔で応えてくれた。彼女たちの高い士気がなくては作戦も成功しなかっただろう。

 

「T-35が間に合わなかったら負けていたと思います。紙一重の差でした」

「ふふ。楽しかったよ、君との騙し合いは」

 

 笑いながら、義手のついた右腕を以呂波の方へ回す。以呂波が義足のため、あまり体重はかけない。出会えてよかった……二人の戦車指揮官は心からそう思っていた。同じ境遇というだけではない、同じ戦車乗りとして尊敬の念を互いに抱いていたのだ。

 

 周囲では両校の生徒たちがすっかり打ち解け、談笑していた。矛を交えた相手には、仲間とはまた違う縁が生まれるものだ。ベジマイトの『右腕』である副隊長カイリーはタシュの前で、澪と並んでジュースを飲んでいる。寡黙なカイリーと人見知りの激しい澪、交わす言葉は少ないが、砲手同士で何か通じるものがあるようだ。表情にもたまに微笑が見える。

 

「ところで一ノ瀬さん。ボクが片腕だってこと、試合まで知らなかった?」

「あ、はい……お恥ずかしながら」

 

 ベジマイトは以呂波の隻脚を知っており、経歴などを調べていたようだ。しかし以呂波の方は相手の戦車、特に17ポンド砲の存在を重視しており、隊長であるベジマイトについての情報が不十分だった。新規加入した鉄道部チームや晴への指導、そしてタシュの慣熟訓練に時間を取られ、情報収集がサポートメンバー任せになっていたこともある。しかし理由はどうあれ、反省点の一つであることには変わりない。以呂波がベジマイトのことをよく知っていれば、より効果的な作戦を立てられたかもしれないのだ。

 

「戦車の性能よりも、乗っている人間を見た方がいいと思うよ。負けた側が言うのも何だけど」

「肝に銘じます。今回の試合は本当に勉強になりました」

「その脚で勝ち進みなよ。応援するからさ」

「はい! 精一杯やります!」

 

 偽りない以呂波の本心だった。次の試合ではより一層、情報戦略に重きを置かなくてはならない。可能ならもう一両戦車が欲しいところであるが、戦略的な工夫はより重要だ。特に大会要綱によれば、二回戦は夜間戦闘となっていたのだ。戦車乗りと指揮官の技量が問われる。

 

「記念撮影しまーす! 集まってくださーい!」

 

 船橋が叫んだ。愛用のデジタルカメラに三脚を取り付け、準備を完了している。散らばって談笑していた選手たちが集合を始めた。

 ベジマイトと共にそこへ向かいつつ、以呂波は今後の戦いに思いを馳せていた。そして自分同様、四肢の一部を欠いて戦車道を続ける彼女からもらった、勇気に感謝していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……試合が終わり、観客席に座る人数は次第に減っていった。八戸守保もまた、一緒に来た秘書、そして偶然出会った大学生……角谷杏と共に席を立つ。試合結果は彼にとって満足できるものだった。妹の勝利は兄として嬉しいが、戦車ディーラーとして重要なのは彼女に売った商品の活躍である。タシュは最後に撃破されたとはいえ、それまでに四両撃破の戦果を上げたし、同じハンガリー戦車であるトゥラーンIIIと共に大暴れした場面は見事だった。元々品揃えの幅広さをアピールするための戦車であったが、売った甲斐があるというものだ。

 

 同時に次の商談を持ちかけることも考えていた。買い手がつかず倉庫に眠っている駆逐戦車があるのだ。装甲が薄いものの攻撃力は十分であり、千種学園でなら十分な戦力になるだろう。以呂波もあと一両くらいは戦車を揃えたいはずだし、あれなら安値で提供できる。このまま倉庫の肥やしにしておくより、妹の手に委ねてみたい。

 

「妹さん、どこか西住ちゃんに似てるね」

 

 会場の外に出る頃、角谷杏が言った。相変わらず笑顔を浮かべているが、腹の底が分からない人物である。必要があればその笑顔のまま鬼にも悪魔にもなれるのが彼女の凄さだが、少なくとも今はその必要はないようだ。

 

「そうかもな。去年君たちがプラウダ戦で使った戦術と少し似てたし」

 

 そう言いつつ、守保は以呂波の戦い方が以前とは変わっていることに気づいていた。中学校時代の以呂波はトリッキーな作戦を考えながらも、采配自体は堅実で、リスクの高い戦い方は避けるタイプだった。だが今回の最終局面での攻勢は博打要素もあり、実際T-35による妨害が後一歩遅れていればフラッグ車が撃破されていただろう。無論、あのまま持久戦を続けていても押しつぶされるだけだと判断しての行動で、無謀ではない。しかし『踏みとどまる戦車道』たる一弾流の方針から、以呂波が外れつつあるのも事実だった。

 

「猟師さんはさ、三本脚の猪は狩りにくいらしいね」

「三本脚の猪?」

 

 不意に妙なことを言った角谷に、守保は聞き返した。

 

「罠にかかって、自分の脚を千切って逃げた猪。もう絶対に罠にかからないし、凄く手強いらしいよ」

「……なるほど」

 

 守保は合点がいった。以呂波が得たのは手負いの獣の手強さかもしれない。そしてかの西住みほも、一昨年までは強豪たる黒森峰女学園に在籍しながら、大きな挫折を経験した。『大洗の奇蹟』はそれをバネにしての飛躍だったのかもしれない。新しい居場所を守りたいという思いが、彼女を強くしたのだ。

 

「シャッチョさんは妹さんと西住ちゃんが戦ったら、どうなると思う?」

「どうかな、予測のつかないことになりそうだ。本当は君もその戦いに出たいんじゃないかい?」

「まあね」

 

 角谷の笑顔に切なそうな色が混じった。

 

「おっ。それじゃ、私はこれで」

「ああ、気をつけて」

 

 別れの言葉を交わし、彼女は近づいて来る人影へと駆けていく。片眼鏡をかけた、大人びた顔立ちの女性だ。卒業後も高校時代の仲間と行動を共にしているようだ。戦時中の戦車乗りや潜水艦乗りなどは『一蓮托生』の言葉の下、階級差があっても家族のように寝食を共にしていた。同じ戦車に乗って戦った仲間との縁は強固なのだろう。

 

「……社長、別の試合の結果が出ました」

 

 タブレット端末を確認していた秘書が声をかける。別の会場では同じ士魂杯の試合が行われていたのだ。そのうち一つは千種学園の次の対戦校が決まるものである。

 

「次に千種学園と当たるのは、アガニョーク学院高校です」

「……二回戦は夜間戦闘だったよな、確か」

「はい」

 

 守保は大会要綱だけでなく、参加する学校全ての資料に目を通していた。アガニョーク学院高校はロシア系の学校であり、戦車道は同じロシア系であるプラウダ高校から指導を得て、近年始めたという。使用車両はプラウダに比べ質・量共に遥かに劣っているが、乗員の練度は高い。

 そして何より、夜戦においては強豪校を打ち破るほどの強さを発揮するのだ。

 

「通称“ナイト・ウィッチ”……以呂波はどう戦うかな」

 

 兄として妹のことを案じつつ、社長としてはすでに商談の準備にかかっている。倉庫の駆逐戦車の整備指示を出すべく、守保は携帯電話へ手を伸ばすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……曇天下の草原で、少女がBT-7快速戦車から降りた。ソ連製戦車は内部が狭い車両が多く、乗り手は小柄な者が多い。今しがた降りてきた少女も比較的背の低い方だが、その割に体つきは豊かだ。長めの金髪を左側頭部でサイドテールにまとめ、凛々しい顔立ちをしている。

 近くには同じくソ連製の対戦車自走砲SU-85や、アメリカ製のM3中戦車の姿も見えた。M3は戦時中のソ連軍にもレンドリースされ、使い勝手の悪さから評判は悪かったものの、信頼性の高さは評価されたという。

 

 地面に降りた少女は、BT-7の前面装甲に寄りかかり息を吐いた。そこへ別の車両の乗員が歩み寄る。前髪の長い、すらりとした体型の少女だった。

 

「カリンカ隊長、次の相手は千種学園のようです」

「……へぇ。虹蛇が負けたのね」

 

 意外そうな表情で、カリンカと呼ばれた少女はサイドテールの先を弄る。近年戦車道に参入した学校を対象とする大会だが、千種学園に至っては今年に入ってから始めた学校だ。経験に勝る虹蛇女子学園が敗れるというのは予想外だった。

 

「次は夜戦だからこっちの得意分野だけど、去年のプラウダの例があるし、油断はできないわ」

「情報収集が必要ですね」

 

 副官らしい少女は淡々と答える。一見無表情だったが、伸ばした前髪の下では瞳が妖しくぎらついていた。

 

「ええ、そのためにも早く学校に帰るわよ。撤収準備にかかって」

「ダー・ダヴァイ」

 

 答えると同時に握り拳での敬礼を行い、副官は身を翻して駆けていった。どんよりと曇った空を眺め、カリンカは微かに笑みを浮かべる。

 

「ま……こっちには切り札もあるけどね……」

 

 

 




お読み頂きありがとうございます。
これにて第二章は終了です。
読んでくださった皆様のおかげでここまでやってこれました。
今後も頑張ります。

さて、第三章からはまたもマイナー戦車がチームに加わります。
そして敵側もまた、切り札となる戦車を用意します。
角谷会長を初めとし、原作キャラもちょくちょく出てくるかと思います。
今後も応援いただければ幸いです。
ご感想・ご指摘等お待ちしております。


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登場人物・戦車メモ 1

※紹介文に限り戦車のスペックはアラビア数字に統一しています。

12/20
モヤッとさんから晴の立ち絵をいただきました!
制服のデザインについて試行錯誤していただいたので(私がちゃんとイメージができていなかったせいで(汗))、キャラごとに少し違っております。
結衣と晴が着ているのが決定版です。

1/8
遅ればせながら、モヤッとさんからいただいた船橋の立ち絵を掲載いたしました!


隊長車チーム

 

 

一ノ瀬以呂波

 

【挿絵表示】

 

好きな戦車:Strv.103

好きな花:ノコギリソウ(花言葉:戦い)

・戦車道一弾流宗家の三女。一年生

・中学校時代に戦車道で優れた成果を上げたが、訓練中の事故で右脚を失い、義足を付けている。

・事故が原因で戦車から遠ざけられたため、あらゆる意味で気力を失っていたが、千種学園で隊長に抜擢され元来の溌剌とした性格を取り戻す。

・兄の守保とは仲は良いものの、やや複雑な感情を抱いている。

 

 

加々見澪

 

【挿絵表示】

 

好きな戦車:シャーマン・ファイアフライ

好きな花:トルコギキョウ(花言葉:優美、希望)

・以呂波のクラスメイトで、砲手を担当。

・無口で臆病な性格で、よく結衣の後ろに隠れている。

・一方で頭の回転は早く、砲撃時の計算も瞬時にこなし、また集中力が高いため照準機を覗いている間は動揺を見せない。

・「強さ」に憧れて戦車道を履修することに。

 

 

大友結衣

 

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好きな戦車:V号戦車パンター、クーゲルパンツァー

好きな花:八重桜(花言葉:理知に富んだ教育)

・以呂波らのクラスの委員長で、戦車道では操縦手を担当。

・面倒見の良い優等生で、周囲からの人望も厚い。

・運動下手だが要領が良く、的確な操縦を行う。

・好奇心が強く、クーゲルパンツァーが好きな理由は「謎を解いてみたいから」。

 

 

相楽美佐子

 

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好きな戦車:III号突撃砲

好きな花:シャコバサボテン(花言葉:冒険心)

・以呂波のクラスメイトで、装填手を担当。

・単純かつ底抜けに明るい性格で周囲をグイグイ引っ張る体力バカ。

・無駄に力があるため装填速度は早く、以呂波に肩を貸すことも。

・両親は幼い頃に他界し、祖父母に育てられた。

 

 

高遠晴

 

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好きな戦車:一式中戦車チヘ

好きな花:花筏(同名の落語から)

・公式戦前に飛び入りで参加した二年生で、「喋るのが得意なら」と隊長車通信手に任命される。

・落語家の娘であり、女だてらに落語家を目指すなら強い女になろうと戦車道に加わる。

・独特な口調で場を掻き回すが、その一方で鋭い目で物事を見ることも。

・日本舞踊や茶道の経験もある。

 

 

使用戦車

Mk.V巡航戦車カヴェナンター

武装:オードナンス 2ポンド砲(40mm)、ベサ同軸機関銃(7.92mm)

最高速度:50km/h

乗員:4名

・イギリス軍の巡航戦車。

・車高を低く抑えることを目標に設計され、そのため水平対抗エンジンを採用したが、搭載スペースの都合で車体後部にエンジン、前部にラジエーターを置くというレイアウトになった。

・ラジエーターの配管が車内を通っているため、車内の温度は40度に達する。

・放熱板が前面に剥き出しのため被弾に弱い、鉄道輸送のため履帯が細く走破性が悪いなど様々な欠点を抱え、改良は行われたが根本的な解決にはならなかった。

・緊張の高まる国際情勢から見切り発車で1700両が生産されてしまったが、並行開発されたクルセーダーとは違い、訓練用にのみ使われた(オーストラリア軍が架橋戦車型をビルマ戦線に投入したとも言われる)。

・千種学園では諸事情により隊長車として運用されたが、さすがにこの戦車で戦い続けては士気を維持できないため、練習試合の後は真っ先に買い替えの対象となった。

・売却しても大した値段がつかないと守保に言われたため、練習試合後は『IV号戦車を撃破したカヴェナンター』という武勲と共に予備車両として保管されている。

 

 

使用戦車2

44Mタシュ重戦車

カヴェナンターに代わる隊長車として、公式戦前に八戸タンケリーワーク社から購入。

武装:7.5cm KwK 42戦車砲(75mm)、34/40M機関銃(8mm)×2

最高速度:45km/h

乗員:5名

(※スペックは量産車仕様の計画値)

・T-34などに対抗すべく、ハンガリーが開発していた戦車。

・最大装甲厚120mmとして溶接で組み上げ、ドイツのパンター戦車に似た避弾経始に優れたデザインとなる予定だった。

・試作車両にはズリーニィIと同じハンガリー製の43M戦車砲を搭載する予定だったが、量産車両にはパンターと同じ7.5cm KwK 42を搭載する計画だった。

・計画重量は38トンでパンターよりも軽量だが、ハンガリーでは75mm砲を搭載していれば重戦車に分類された。

・計画通り完成すれば優れた戦車になったと思われるが、1944年7月27日、製造中の試作車両が米軍の爆撃で破壊されてしまい、未完に終わった。

・千種学園が購入した車両は元々、解散した海外のプロ戦車道チームで製造途中だったものを、八戸タンケリーワーク社が買い取って完成させたもの。

 

 

 

 

 

 

広報委員チーム

 

船橋幸恵

 

【挿絵表示】

 

好きな戦車:エクセルシアー重突撃戦車

好きな花:スターチス

・広報委員長の三年生で、戦車道チーム結成の中心人物。トルディ軽戦車の車長を担当。

・明るく話し好きな性格で、写真撮影の技術に長ける。

・戦車道で廃校を免れた大洗女子学園を尊敬し、同時に高まる戦車道熱に便乗してチームを結成、経験者の以呂波を隊長に抜擢した。

・自分のいた学校を守れなかったことを無念に思っているが、同時に千種学園を愛しており、常に学園のイメージアップを考えている。

 

 

使用戦車

38MトルディI軽戦車

武装:36M対戦車ライフル(20mm)、34/37M機関銃(8mm)

最高速度:50km/h

乗員:3名

・ハンガリーで開発された軽戦車で、スウェーデンのL-60軽戦車をライセンス生産したもの。

・武装はL-60のマドセン20mm機関砲から、スイス製のゾロトゥルン対戦車ライフルをライセンス生産した物に変更されている。

・元になったL-60同様に軽戦車としては優れていたが、ソ連軍戦車と戦うにはあまりにも貧弱な武装だったため大損害を受けた。

・パーツ類を国産化したトルディII、回収した車両に40mm砲を搭載したトルディIIa、医療機器を搭載した救護車仕様などのバリエーションがある。

・当初から40mm砲搭載で生産されたトルディIIIもあったが、より強力なトゥラーン戦車の製造が優先されたため少数のみ生産された。

・千種学園戦車隊では偵察またはフラッグ車の役割を担う。

 

 

 

 

 

 

馬術部チーム

 

大坪涼子

好きな戦車:M18ヘルキャット戦車駆逐車

好きな花:アマリリス

・馬術部に所属する二年生。トゥラーン重戦車の車長を担当。

・動物好きの気さくな人柄で、トゥラーンを愛馬のように可愛がっている。

・馬術部を戦車と一緒にパレードさせたいと考えているが、戦車の音を怖がらない馬がなかなかいない。

・馬術の腕前は部内で上の中くらいで、ハンガリー流の曲馬も心得ている。

 

 

使用戦車

41MトゥラーンII重戦車

武装:45M-75-25戦車砲(75mm)、34/40M機関銃(8mm)×2

最高速度:43km/h

乗員:5名

・ハンガリー軍の40MトゥラーンI中戦車の改良型。

・トゥラーンIはチェコのT-21をベースに、砲塔を2人乗りから3人乗りにするなどの再設計を施して作られたが、40mmの主砲では力不足であった。

・トゥラーンIIは武装を短砲身75mm砲に強化し、砲が大型になった分俯角を稼ぐため砲塔天井をかさ上げした発展型で、75mm砲搭載のためハンガリー軍の基準では重戦車となった。

・それでもソ連軍戦車には威力不足だったため、長砲身75mmを搭載し、最大装甲厚を60mm→90mmに強化したトゥラーンIIIも開発されていたが、戦局の悪化と混乱から試作のみに終わった(6両が完成し実戦投入されたという戦車兵の手記もある)。

・トゥラーンとはかつて中央アジアに存在したという伝説上の民族の名で、ハンガリー人やトルコ人などの共通の祖先と云われている。

・乗車する馬術部チームが四名のため、通信手が空席となっている。

・第二章からは八戸タンケリーワーク社からパーツを購入してトゥラーンIII仕様に改造され、シュルツェンも装備された。

 

 

 

 

 

 

航空学科チーム

 

丸瀬江里

好きな戦車:A-40空挺戦車

好きな花:黒いチューリップ

・航空学科の二年生で曲技飛行が得意。戦車道ではズリーニィI突撃砲の車長。

・以前から積極的に広報活動に関与しており、船橋と仲が良く、彼女の呼びかけに応じてチームに加わった。

・戦闘機乗りの自伝などを読んでいるため戦いの心構えができている。

・尊敬するパイロットはハンス・ヨアヒム・マルセイユ、菅野直、エドワード・ブッチ・オヘアの三人。

 

 

使用戦車

44MズリーニィI突撃砲

武装:43M戦車砲(75mm)

最高速度:43km/h

乗員:4名

・III号突撃砲の影響を受け、トゥラーン戦車をベースに開発されたハンガリーの突撃砲。

・元々は105mm榴弾砲装備のズリーニィIIが開発され、その後対戦車用の長砲身75mm砲を搭載したズリーニィIが開発されたが、量産されたのは105mm砲装備型のみだった。

・75mm砲搭載型の方が後に作られたのに何故かI型となっている。

・デザインはイタリア軍のセモヴェンテM40に似ているが、スペックでは上回っている。

・105mm砲装備型のズリーニィIIはソ連軍相手に、大きな損害を出しながらも勇敢に戦い、小国の意地を見せた。

・八戸タンケリーワーク社からT-35を担保にしたローンで購入。

・回転砲塔を持たないことに難色を示す車長が多い中、丸瀬が「戦闘機だったら前にしか撃てないのが当たり前」と発言したため航空科チームに委ねられることに。

・千種学園では当初まともな対戦車火力を持った唯一の車両であり、航空科チームには特に厳しい訓練が課せられた。

 

 

 

 

 

 

農業学科チーム

 

北森あかり

好きな戦車:T-35重戦車

好きな花:マリーゴールド

・農業学科の三年生で、同学科からの参加者10名を率いてT-35に乗り込む。

・廃校になった母校の遺産であるT-35に並々ならぬ愛着を持ち、失敗兵器と知りながらも信じて戦うことを決意している。

・芋掘りと農業機械をいじるのが大好きなので、T-35の整備の手間もあまり苦にならない。

・ガサツ者として知られているが同胞愛が強く、大所帯の農業学科チームを牽引する姉御肌。

 

 

使用戦車

T-35重戦車

武装:KT戦車砲(76mm)、20K戦車砲(45mm)×2、DT戦車機銃(7.62mm)×10

最高速度:30km/h

乗員:12名(内2名は車外要員)

・世界恐慌のせいで各国が多砲塔戦車の開発を諦める中で、計画経済により恐慌の影響を受けなかったソ連の開発した重戦車。

・実用化された戦車の中ではマウスに次ぐ巨体を持ち、中央に歩兵支援用の主砲、右前部と左後部に対戦車用の副砲、左前部と右後部に機銃塔という、計5つもの砲塔を持つ。

・乗員は10名で、前方副砲砲手は副車長を、前方機銃塔銃手は副操縦手を兼任し、史実では車外に機関士と上級操縦手が随伴して、計12名のクルーで運用した。

・そもそも多砲塔戦車自体のコンセプトが非合理的で、五つもの砲塔は射撃指揮が困難、砲塔が互いの射角を邪魔しあう、多砲塔のせいで重量に余裕がなく装甲の強化が困難、故障が起きやすいなどの欠点があり、当時の報告書には「パレード用にすべき」と記されている。

・千種学園の車両は傾斜装甲を採用した1939年型で、6両しか生産されていない貴重な代物である。

・北森たちにより副砲塔に廃校となった四校の校章が描かれ、史実よろしくプロパガンダ戦車として、戦車道チームの志をアピールする存在となっている。

 

 

 

 

 

 

鉄道部チーム

第二章から加入。

 

三木三津子

好きな戦車:九五式装甲軌道車ソキ

好きな花:捩花

・鉄道部員の三年生で、ソキの車長を担当する。

・鉄道に並々ならぬこだわりを持ち、自らソキの車長に立候補した。

・普段は学園艦の路面電車の運行に携わっており、機械に関する知識も豊富だが、やる気が空回りしがち。

・アメリカのCSX8888号暴走事故を知ったことがきっかけで、鉄道業務に携わりたいと考えている。

 

 

使用戦車

九五式装甲軌道車 ソキ

武装:なし(現場で有り合わせの物を搭載)

最高速度:軌道外30km/h、軌道上72km/h

乗員:6名(砲塔に1名、車体に1〜2名分の席が確認できるので、他はおそらく車外員。タンクデサントで線路上を移動する写真も有るので)

・日本陸軍鉄道連隊の秘密兵器で、おそらく戦車道に参加できる唯一の鉄道車両。

・一見すると軽戦車だが、履帯の内側に引き込み式の鉄輪を備えており、部品の付け替えなしで線路上を走行できる。

・大陸での運用を考慮し、狭軌・標準軌・広軌いずれの幅の線路にも対応できる仕様になっている。

・元々は軽砲を搭載する予定だったが、戦車を管轄する歩兵科から「工兵が戦車を持つとはけしからん」と文句を言われたため非武装で作られた。

・回転砲塔には銃眼が空けられており、現地で必要に応じ十一年式などの機関銃を搭載した。

・装甲は小銃弾を防げる程度で、前面装甲でさえ8mmしかない。

・千種学園では鉄道部がいたく気に入ったため戦列に加えることに。



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第三章 夜の魔女たち
次へ備えます!


「えっ、また新しい戦車が来るの!?」

 

 わくわくした笑顔で問い返す美佐子に、以呂波は蕎麦をすすりながら頷いた。学食のテーブルを隊長車クルー五人で囲み、雑談しながら食事をするのが最近の定番になっている。晴は曜日によっては放送で落語を語るのでいないこともあるが、それ以外の日はより親睦を深めるため以呂波らと一緒にいるのだ。

 素麺を嚥下して水を飲み、以呂波は話を続けた。

 

「売れ残ってた奴だから格安で買えたんだ。今日お兄ちゃんが輸送機で持ってくるって」

「何処の国の車両?」

 

 結衣がサラダを食べながら尋ねる。

 

「ルーマニアの駆逐戦車」

「ルーマニア……歴史上かなり微妙な立ち位置だった国ね」

 

 元々世界史が得意だった結衣だが、戦車道を始めてからより一層歴史を詳しく調べるようになった。戦車にしろ軍艦にしろ、ただ高スペックを求めるのではなく、国の政治的状況や戦略戦術に基づいて作られるものだ。国の歴史を知ることで戦車への理解も深められるだろうという、勉強好きの彼女らしい発想である。もっともカヴェナンターを大量生産したイギリス軍の発想は理解できそうにないが。

 

「強いの?」

「攻撃力はそれなりにあるから、戦力にはなるよ。売れ残ってた理由も駄作だからじゃないし、三人乗りだから志願者と人数も合う」

 

 戦車道チームの活躍を聞き、サポートメンバーに志願する生徒は増えてきている。もちろん乗員への志願者もおり、一回戦突破直後に水産学科の一年生が三人名乗り出たのだ。

 

「数埋めに大明神を使うことも考慮してたものね……」

 

 心底ホッとした表情で結衣が言った。大明神ことカヴェナンター巡航戦車は未だ千種学園にあるのだ。最初は八戸タンケリーワーク社に売却する予定だったが、カヴェナンターは欠陥を山のように抱えているくせに生産台数が多い。守保も妹可愛さだけでそれを高く買い取ることはできなかった。それなら他の車両にトラブルがあったときに使えなくもないからと、今でも予備車両として格納庫に納まっているのである。

 

 しかもそこから話が妙な方向へ転がった。船橋がプロパガンダで盛んに煽った結果、『IV号戦車を撃破したカヴェナンター』として有名になり、それを見ようと学園艦の住民たちが格納庫を訪れるようになったのである。中には千種学園の発展を祈願してカヴェナンターに合掌して拝んだり、砲身に絵馬をかけていく来訪者もいた。やがて晴が『カヴェナンター大明神様』などと呼んだため、悪ノリしたサポートメンバーたちが車両の前に賽銭箱を設置する始末である。

 

「船橋先輩、お守りとか売って活動資金稼げないかっていってたね」

「あれは却下。さすがにそこまで行くと戦車道チームだか宗教法人だか分からないから」

「まあ元々落語みたいな戦車なんだから、ああやって面白半分に有り難がっておけばいいんじゃないかい」

 

 事の元凶の一人である晴は呑気に鮭茶漬けをすすっている。そんな彼女も戦車に乗れば優秀な通信手になるのだから、チーム内での信頼は得ていた。

 一方晴以上に戦車の内外で雰囲気ががらりと変わる澪は、鮭の骨を取りつつ今後の戦いに思いを馳せているようだ。一回戦でカイリーの超人的な射撃能力を見せつけられ、砲手として良い刺激になったのだろう。

 

「……今日から、夜戦……練習するんだよね……?」

「うん。今からだと時間は少ないけど……」

 

 次に戦う相手が夜間戦闘の達人であることは調べてある。今まで千種学園側は夜戦の訓練はしていなかったのだ。結成間もないチーム故、他に優先すべき訓練が多々あったためだが、二回戦までに集中的に訓練する他ない。新たな仲間には初陣から負担をかけることになるだろうが、やむを得ないだろう。

 だがそれ以上にやっておかなくてはならないのは、情報収集である。

 

「お晴さんと美佐子さんは午後から……お願いしますね」

「任せときな。しっかり調べてくるから」

「どんな所か楽しみ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そして昼休みの後、八戸タンケリーワーク社の輸送機が到着した。滑走路からグラウンドまで自走してきた車両はドイツ軍のヘッツァーによく似ていた。傾斜装甲を組み合わせた、亀のような箱形のスタイルだ。しかし装甲はヘッツァーよりも深く傾斜しており、余計に平べったい姿に見える。それにより車体上面が細く引き絞られ、そこに一つだけ乗降用ハッチが設けられていた。そして長砲身の75mm砲が、車体中央から突き出ていた。

 

 ルーマニア軍が開発していた試作駆逐戦車『マレシャル』である。最初はソ連から鹵獲したT-60、続いてドイツから輸入した38(t)の足回りを流用して作られていた。しかし戦局の悪化で資材の調達ができないうちにルーマニアは降伏し、開発は中止されているという、タシュに似た境遇の戦車だ。

 

「こいつは当時の試験において、あらゆる点でIII号突撃砲を上回る成績を上げたM-05試作車仕様だ」

 

 守保は得意げに説明した。以前にプラウダ高校からスクラップを買い取った際、何故かマレシャルのパーツが混ざっていたのだ。そこで別途入手したエンジン、砲身などを使って組み立てたのである。しかし大抵の戦車道チームはマレシャルを買うくらいならヘッツァーを欲しがるため、売れずにいたという。何故プラウダにジャンク状態のマレシャルがあったのかは不明だが、戦後戦車道用に作られたものには違いないため、マニアもあまり興味を示さなかった。

 

「で、欲しがるのは私たちくらいだったわけですね」

「そういうこと。トルディ用の40mm砲共々、上手く使ってくれ」

 

 船橋の言葉にそう返し、守保は台車に乗せた40mm砲を運ぶ社員たちへ目をやった。トルディを現在の20mmライフルから40mm砲へ換装し、トルディIIa仕様に改造するのである。守保がマレシャル駆逐戦車を売り込んだ際、船橋の要望でトルディも強化することになった。彼女の駆るトルディは練習試合でIII号と刺し違え、一回戦ではフラッグ車を仕留めている。トルディの攻撃力をもう少しでも上げれば、戦術の幅も広がるだろうと考えた以呂波も同意し、部材を購入したのだ。

 

 格納庫では鉄道部のサポートメンバーが集まり、換装の準備を始めている。そしてマレシャルの乗員である水産学科チームも集まっていた。

 

「何かヒラメみたいな戦車ッスね。可愛いッス」

 

 車長の川岸はそう言って笑った。漁師の娘で、髪を背中で結ったさっぱりとした出で立ちだ。彼女を含めた三人の志願者は以呂波と同じ一年生であり、以呂波としても付き合いやすい。戦車道チームの奮闘を見て、自分たちも力になりたいと名乗り出たのだ。

 

「試合までに乗りこなせるよう、ご指導頼むッスよ。一ノ瀬さん」

「うん、初陣が大会だし、訓練も少し厳しくなると思う。でもしっかり覚えて。私みたいな体になってほしくないから」

「優しいんスね、一ノ瀬さんって。頑張るッスよ」

 

 和気あいあいとした二人のやり取りを見て、守保はチームが上手くまとまっているのを感じた。指揮を執っている以呂波は下手をすれば、右脚を失う前よりも楽しそうに見える。家のしがらみがないからかもしれない。以呂波の様子を見るに、一ノ瀬家は彼女に対して今のところは何も言ってきていないようだ。何かあればお節介焼きの千鶴が守保にも伝えてくるだろう。

 

 守保はふと、自分を勘当した母親のことが心配になった。以呂波の右脚の一件以来、妙に老け込んだというか、弱気になってしまったという話を妹たちから聞かされていたのだ。お袋のことだから大丈夫だろうと思いつつ、どうにも気になる。誰か適当な社員に、こっそり様子を見に行かせようかとさえ考えていた。

 

「これで二回戦、行けるかしら?」

「相手の編成が一回戦と同じなら、何とか」

 

 船橋と以呂波が話すのを聞いて、守保は思考を彼女たちのことに戻した。

 

「一回戦だと、アガニョーク学院高校の編成はBT-7快速戦車とSU-85自走砲が三両ずつ、それにM3中戦車が四両だったな」

「うん。ロシア系の学校だって聞いてたから、M3は少し意外だったけど」

「ロシア製に拘らず、手に入りやすい戦車で数を揃えることにしたんだろう」

 

 外国と関係の深い学校はその国の戦車を使う傾向がある。戦時中のソ連軍は英米から様々な車両のレンドリースを受けたが、M3は『七人兄弟の棺桶』などと呼ばれ、同じアメリカ製のM4シャーマンや、イギリス製のチャーチルなどより評判が悪かった。戦車道でもやはり構造上の欠点などからあまり好かれておらず、その分安値で買えるのである。

 

 戦車道の強豪校は伝統に囚われがちな学校が多く、時にはOG会の保守的な意見によって新車両の導入が遅れていたりもするのだ。四強の一角である聖グロリアーナ女学院もその傾向が強い。その点、近年戦車道を始めた学校では柔軟に戦力をやり繰りできるのだと守保は説明した。

 

「まあ大洗の“首狩り兎”のおかげで、最近M3の人気も出てきたけどな。ああいう活躍をする選手もいるから、M3と言えど油断はできない」

「うん。それにアガニョークが切り札を用意してるって情報もあるし」

 

 頷く以呂波。船橋も腕を組んだ。サポートメンバーの掴んだ情報であり、まだ詳しいことは分かっていない。だが以呂波はそれよりも、一回戦後にベジマイトから言われたことを重視していた。

 

「一番知りたいのはアガニョークの指揮官のことかな」

「同じロシア系のプラウダと縁の深い学校だから、戦術もプラウダ仕込みの偽装撤退と反撃が得意みたいね」

 

 船橋が持っていたメモを確認しつつ言った。「合唱までやるかは分からないけど」と付け足す。そして“ナイト・ウィッチ”と呼ばれる夜戦の達人であることも。

 旧ソ連には複葉の練習機で夜襲を敢行する、女性パイロットの飛行隊があった。敵であるドイツ軍は滑空状態で迫り来るPo-2練習機の独特の飛行音から、彼女たちを「夜の魔女」と呼んだ。多数の受勲者を輩出した勇猛果敢な女性飛行隊として知られ、それに因み同じ通り名で呼ばれるようになったという。その名は伊達ではなく、夜間戦闘の手並みは師匠であるプラウダ高校でさえ一目置くほどだと船橋は語った。守保が調べた情報も概ねその通りだった。

 

「隊長は香月花梨さん、通称カリンカ。周到な戦術で知られた人で、ソ連戦車が好きらしいから、新兵器もきっとソ連製ね。まあ詳しいことは……」

「……ええ」

 

 真剣な表情で頷き合う二人。守保は彼女たちが何を考えているのかは分からなかったが、ふと気づくことがあった。以前来たとき、常に以呂波の側に付き添っていた装填手の少女がいなかったのである。確か相楽美佐子という名前だったことは覚えている。新隊長車を買うため会社に来たときも、彼女は以呂波に手を貸して歩いていた。格納庫の方を見てもそれらしき姿は見えない。

 

「……美佐子さんとお晴さんの無事と、成功を祈りましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

———————

 戦車道ニュース速報

 

 『士魂杯』第一回戦結果

 

 本日を以て、第一回戦が全て終了した。二回戦に進出したのは以下の八校である。

 

 Aブロック

 ・千種学園

 ・アガニョーク学院高校

 ・バッカニア水産高校

 ・大洗女子学園

 

 Bブロック

 ・サヴォイア女学園

 ・決号工業高校

 ・タンブン高校

 ・ドナウ高校

 

 一回戦の試合はいずれも見応えのあるものであり、評論家たちも「今まで実力のある選手たちがどれだけ埋もれていたか、一回戦だけでも分かる内容である」とコメントしている。(各試合の詳細についてはそれぞれのトピックを参照)

 

 Aブロックではまず大方の予想通り、大洗女子学園が勝ち進んだ。彼女たちにとっては昨年の全国大会ほど相手との物量差があるわけではないが、それ故に対戦相手も力押しはせず、トリッキーな作戦を駆使してくる。特に次に対戦するバッカニア水産高校はクロムウェル巡航戦車の機動力を徹底的に活かした策で敵を翻弄し、第一回戦を突破した。二回戦では西住選手率いる大洗を相手にどう戦うかが見物である。

 意外なところでは戦車道歴一ヶ月程度の千種学園が二回戦に進出した。チームを率いるのは義足の戦車長である一ノ瀬選手で、お荷物かと思われていたT-35までも見事に作戦に組み込んで一回戦を勝利した。義手の戦車長・毎床選手が率いる虹蛇女子学園との戦いは戦車道ファンのみならず、同じ障害を持つ人々からも大きな反響を呼んでいる。しかし夜間戦闘となる二回戦で、夜の魔女と呼ばれるアガニョーク学院高校と戦うことになる。乗員の経験の差を、指揮官の策がどう埋められるかが勝負の分かれ目となるだろう……

———————

 

 

 

 

 アガニョーク学院高校の会議室は赤い絨毯が敷かれ、机にはロシア式にジャムの添えられたティーセットが置かれていた。一見立派な部屋ではあるが、椅子は予算の節約か、どこの学校にでもあるようなパイプ椅子だ。

 

 ネットに掲載された記事を途中まで読み、カリンカは手元のファイルに目を移した。部下たちがかき集めた一ノ瀬以呂波の経歴である。一弾流宗家の三女ということや中学校時代の活躍まで調べ上げてあった。『彼を知り己を知れば百戦危うからず』とは孫子の言葉だが、カリンカは常に敵の隊長を知ることに務めていた。それによって相手の立てる作戦の傾向も見えてくるのだ。

 しかし今回、一ノ瀬以呂波について調べて分かったことは一つだけだ。

 

「この子、何をしてくるか分からないわね」

 

 その言葉に、会議室にいた面々は一斉に彼女を見た。ある者は眉をひそめ、またある少女は驚いた表情で隊長の顔を見つめる。皆戦車道チームの車長たちだ。ただ一人、副隊長を務める少女……通称ラーストチュカだけは無表情で、前髪に隠れた目で場の様子を見守っていた。

 

「データ通りなら、中学校時代は堅実で慎重な戦い方をしていて、その分大胆さに欠ける感じもあった。でも虹蛇との試合ではそれに反する、かなり大胆な戦い方をしてるわ」

「つまり、戦法が昔と変わっていると?」

「というより性格が変わったのかもしれないわね、脚を切ってから。昔のデータは参考にならないわよ」

 

 部下にそう答え、カリンカはラズベリーのジャムを一口舐めた。ラーストチュカが作った品で、酸味がほどよく効いている。手に持つ資料には以呂波が右脚を失った理由まで、しっかりと書かれていた。カリンカは自分たちの師匠であるプラウダ高校を破った西住みほのことも調べてあったが、どうも一ノ瀬以呂波と重なる物を感じる。

 

「……一つだけ言えるのは、この子が並外れた度胸の持ち主ってこと」

 

 カリンカが立ち上がると、室内の全員も起立する。直立不動の姿勢をとり、隊長の言葉を待った。

 

「私たちは夜の魔女! 夜は私たちの時間! 相手に全身肝っ玉の度胸があろうと、その肝を潰すだけの実力と切り札を持っているわ!」

 

 高らかに宣言するカリンカ。自身のサイドテールをかき上げ、美しく靡かせる。

 

「その力を発揮するためにも、切り札の情報秘匿に務めること! また各車とも乗員には敵戦車の弱点、そしてフィールドの地図を頭に叩き込ませなさい! いいわね!?」

「ダー!」

 

 全員が一斉に応え、握り拳で敬礼を行った。彼女たちもまた、この戦いで名を上げようとしている身である。隊員は血気盛んであり、その士気を保ちつつ手綱を握るのが指揮官の役割だ。仲間たちの様子を見て、カリンカは満足げに頷く。

 

 彼女の背後にある窓からは海が見え、丁度コンビニの定期船が学園艦に近づいていた。




お読み頂きありがとうございます。
早く新車両を登場させたくて急いで書いてしまいました(汗)
ルーマニアの駆逐戦車マレシャル、ヘッツァーに似てますが、なかなか面白いデザインの戦車です。
そして『コンビニの定期船』でお気づきの方もいるかと思いますが、次回は原作でもあった『情報収集』です。
戦闘開始までまだ話を挟むことになりますが、お楽しみいただければ幸いです。


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諜報活動します! (前)

「みさ公、終わったかい?」

「もうちょっとです。……よし!」

 

 女子トイレの個室ドアを開けて、美佐子が姿を現した。着ているのは千種学園の制服ではなく、サラファンと呼ばれるロシアの民族衣装だ。美佐子の物は青と白を基調としたもので、草原に立つと絵になるであろう爽やかな印象だった。美佐子の明るい性格によく似合っている。対する晴は黒地に赤の刺繍が入ったものを着ている。落ち着いた中に優雅さのある装いだ。頭にはそれぞれ赤いスカーフをつけ、ゆったりとしたロングスカートが優しげな輪郭を作っている。服飾学科から借りてきた衣装である。

 

「おお、似合うじゃないかい」

「そうですか? お晴さんも可愛いですよ!」

「ありがとよ。それじゃ行こうか」

 

 いつも持ち歩いている扇子をショルダーバッグにしまい、晴はトイレのドアを開けた。学園艦には他の船が接舷し、荷物の積み降ろしを行う簡易的な船着き場がある。二人はそこのトイレに隠れて着替えを行い、それまで着ていたコンビニの制服は鞄に隠してある。コンビニ店員に化け、商品を運ぶ定期船に紛れ込んここへ忍び込んだのだ。

 

 次の対戦相手の本拠地である、アガニョーク学院高校の学園艦に。

 

「お土産何がいいかなー」

「ロシア菓子でも買っていくかね」

 

 小声で能天気な会話をしながらも、二人は自分たちの任務をちゃんと覚えていた。アガニョーク側の新戦車が何か、明らかにすることである。バッグには船橋が用意した隠しカメラも仕込んであった。戦車道のルール上、このような試合前の偵察・諜報活動は承認されている。サポートメンバーが伝手やインターネットを使って情報収集を行っただけでなく、今回は美佐子と晴が直接スパイとして潜入することになったのだ。

 もちろんこれは危険を伴う作戦だ。戦車道は武道であり、スパイを捕らえても拷問や恐喝といった人道に反する行為は当然禁止されているが、情報漏洩防止のため抑留する程度のことは認められている。しかし二回戦が千種学園にとって不利な条件である以上、可能な限り情報を入手せねばならない。

 

 二人はエレベーターで甲板の校舎エリアに上がった。密航するのに時間も必要だったので、時間はもう午後六時、日が傾いている。風も冷たかくて辛かった。だがアガニョークがこれから夜戦の訓練を行うのは確実であると思われ、それを偵察するには丁度良い。

 

 町並みは欧州風に作られており、煉瓦作りの古風な建物が並んでいる。コンビニなどの施設もそれに合わせたデザインになっていた。校舎も同様である。そして周囲を歩く生徒たちは皆、様々なサラファンを着ている。

 

「制服の代わりに民族衣装ってのがいいねぇ」

「北森先輩のいた学校も、イベントでよくウクライナの民族衣装着てたらしいですね」

「海外風の学校はこういうところも結構あるらしいね。っと、みさ公、あまりキョロキョロするんじゃないよ」

 

 あくまでも目立たないよう、周囲に溶け込まなくてはならない。美佐子は普段軽装を好むため、着慣れないロングスカートが少し歩き辛そうだった。

 一先ず二人は校舎前の広場に入り、戦車道の訓練場を目指すことにした。学園艦は広大だが、携帯電話に地図を表示しているので迷うことはない。しかしサポートメンバーからの事前情報で、アガニョークでは許可がないと戦車道訓練を見学できないことになっていると聞いていた。

 

「どこか高い所へ登って、格納庫や訓練場の中でも見えりゃいいんだけどねぇ」

「あたし高い所大好きです!」

「ナントカと煙」

 

 そんなことを話しながら訓練場入り口まで辿り着いたが、侵入は困難だと二人は悟った。周囲には金網が張られ、ドアには警備員が立っている。戦車道メンバーらしき生徒が内周を見回っており、見つからずに入り込むのは難しい。暗くなった空と相まって物々しい雰囲気だ。

 警備員に見つからない位置から様子を伺い、二人は作戦を考えた。どうにかして戦車クルーの制服を盗んで忍び込むという手段もあるが、全国大会常連の強豪校とは違い、アガニョークは戦車道メンバーもそれほど多くはないのだ。見慣れない戦車乗りがいればすぐに分かるかもしれない。

 

 双眼鏡も持ってきたことだし、やはり高台へ登って見下ろすのが一番である。美佐子は目が良いので、夜間でもある程度は見えるだろう。幸い今日は晴れていて、月明かりもある。

 だがそのとき、美佐子は近くにある小屋に目を止めた。キリル文字の看板がかけられており、カタカナで『バーニャ』とフリガナが振られていた。その隣には購買のような施設があり、バスタオルなどが陳列されている。

 

「こりゃロシア式の蒸し風呂だね。サウナだ」

 

 晴が解説した。なるほど、ロシアは寒いからなぁ、などと思いつつ、続いて美佐子は入り口に貼られている紙に目をやった。注意書きやお知らせなどが何枚か掲示されていたが、その中に気になる物があった。

 

 

―――――――

戦車道チームの皆様へ。

手足に機械油を付けたままでのご利用はお止めください。床が汚れて他の利用者の迷惑になります。

 

アガニョーク学院高校 バーニャ管理会

―――――――

 

 

 戦車乗りたちもこのバーニャを使っているようだ。美佐子はふと思いつく。

 

「練習で疲れて、サウナでリラックスしている人なら口も軽くなるんじゃないですか?」

「こりゃいい所に気づいた。そこを狙えば聞き出せるかもしれない」

 

 そんなことを話しているとき、演習場の出入り口が開いた。戦車道メンバーとおぼしき五、六人の少女が警備員と敬礼を交わし、金網の向こうから出てくる。美佐子と晴は一旦バーニャの裏に隠れ、周囲を警戒しつつ耳を澄ました。幸い、近くには他に人はいない。

 

 会話はよく聞き取れないが、「寒い」「やっぱり夜練前にはバーニャがないと」などの言葉が断片的に聞こえた。そして隠れているスパイ二人に気づかず近づいてきて、バーニャへ入っていく。

 

「……夜間訓練の前にサウナで体温めようってことだね」

 

 最後の一人が入ってドアを閉めたのを見て、晴が小声で言った。注意書きには「他の利用者」と書かれていたので、一般の生徒も入れるようだ。好機到来である。

 

「それじゃ、聞き出してみようか」

「あ、じゃああたしは高い所探して、訓練場を見てみます。お晴さんの方が口上手いし」

「よし。あたしも適当に切り上げるから、連絡はメールでしよう。走って怪しまれるといけないから、自然に歩くんだよ」

 

 後輩の肩を叩き、晴は笑みを浮かべた。

 

「寒い中あたしだけサウナ入って、何だか悪いね」

「このくらい半袖でも大丈夫なくらいですよ! それじゃ、また!」

 

 朗らかに言って、美佐子はスタスタと元気に歩き去って行く。四十℃を超えるカヴェナンターの装填手をやり遂げたり、寒風吹きすさぶ中で明るく陽気なスパイ活動に勤しんだりと、とことん頑丈な女子である。

 

 晴の方は購買へタオルを買いに向かった。店員の生徒からは見ない顔だと言われたが、普段この辺りには来ないからなどと誤魔化した。タオルと一緒に耳を火傷しないためのフェルト帽、そして『ヴェーニク』と呼ばれる、葉の付いた枝を束ねた物も買う。これで体を叩いてマッサージするのがロシア式で、血行が良くなり抗菌作用もあるとされる。

 

 そしてバーニャへと乗り込んだ。狭い脱衣場でタオル姿になり、サウナルームに入ると蒸し込まれた熱気がむわっと体を包んだ。石積みから発せられる蒸気が充満しており、その中で先ほどの戦車クルーたちが互いの体をヴェーニクで叩いていた。彼女たちは入ってきた晴に一瞬目を向けたが、特に気にする様子もなく談笑する。

 

「ちょっ、痛いって! 力強すぎ!」

「このくらいやらないと効かないのよ」

「こらこら、この子の肌弱いんだから」

「あんたたちが厚すぎるの!」

「何だとー?」

 

 じゃれ合っている彼女たちを横目で観察しつつ、晴は見様見真似でヴェーニクに冷水を付け、体を叩いてみた。葉がチクチクして確かに痛いが、慣れればどうということはないのかもしれない。先に入っていた少女たちは時折ヴェーニクに付けた水を焼け石に垂らし、蒸気の中に木の葉の香りが混じる。なかなか清々しくて良いものだと晴は思った。

 

「あーあ、装填はしんどいわー」

「夜練までに体ほぐさないとねー」

 

 肩を回している装填手らしき女子に目を付け、晴はそっと近寄った。そして素早く、彼女の両肩をがしっと掴む。

 

「わっ、な、何……おほぉぉぉっ!」

 

 突如甲高い声を上げたチームメイトに、他のクルーたちは思わずさっと身を引いた。そんな彼女たちに晴はにこやかに話しかける。

 

「失礼。ちょっとマッサージの勉強しててさ。あんたら疲れてるみたいだし、ちょっと練習させて」

「ああああっ。そ、そこっ! そこ効くぅぅ!」

 

 肩のツボを辺りを指で的確に刺激され、彼女は次第に脱力し始めた。声だけ聞けばいかがわしいことが行われていると勘違いされかねないレベルである。

 マッサージは晴の隠れた特技の一つだ。落語家は見習い、前座、二つ目、真打ちの順で昇進していくが、見習いの仕事は先輩たちの身の回りの世話に終始する。そのため晴も今のうちからマッサージや料理などを学んでいるのだ。何より戦車道を始めて以来、戦車乗りの体の疲れる所は心得ている。

 

「……そんなに効くの?」

「私もお願いしていい?」

 

 他のクルーたちも興味を示す。この調子なら上手くいきそうだ。後はトーク術の見せ所である。

 

「いいよいいよー。順番ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……一方美佐子は訓練場のフェンスの側に、丁度良さそうな木を見つけた。枝も太いし、幹も凹凸が多く登りやすそうだ。周囲を軽く見回すと、美佐子はすぐ行動に移った。子供の頃からこの手の運動は大得意である。単に力が強いだけでなく、フットワークも含めて運動が得意なのだ。ただし勉強に関しては真逆で、今まで赤点を取らなかったのはテスト前に付きっきりで勉強を教えてくれる結衣の功績によるところが大きい。

 

「よっこらせ、っと」

 

 苦もなく高い位置まで登り、太く丈夫そうな枝に足をかけた。すでに辺りは暗いが、建物から漏れる明かりである程度視界は利く。離れた場所にある戦車壕のようなものに、車両が数両埋まっているのが見えたのだ。

 双眼鏡を覗いて確認してみると、周囲に人影が動き、車両の上にシートを被せている所だった。はっきりとは分からないが、箱形の車両が四両並んでいる。砲身は長いが砲塔があるようには見えない。無砲塔戦車のようだ。一回戦では対戦車自走砲のSU-85を三両使ったという情報を美佐子も記憶している。

 もしSU-85が四両あったならM3やBT-7よりそちらを使っただろう。つまりどれか一両が新車両なのだと思ったが、暗いこともあって違いは分からない。シルエットは全て同じに見える。

 

 だが凝視していると、シートをかけようと車体上面に登った誰かの足下に何かが見えた。車長用ハッチだろう。登っていた生徒はそれに足が引っかかりそうになったのか、懐中電灯で足下を照らした。

 そのとき美佐子はふと違和感を覚え、双眼鏡を降ろして携帯電話を取り出した。期末テストは苦手でも観察力は十分ある。フォルダにいれておいたSU-85の写真を確認し、違和感の正体に気づいた。ハッチの形が写真よりも平たいのだ。

 

「あれがそうかな?」

 

 もう一度確認する。やはりハッチの形状は違うし、よく見ると車体もやや大きいように思える。その車両はすぐにシートで隠されてしまったが、隣の戦車も同じように、作業者が足下を照らしながらシートをかけていた。そちらのハッチは写真のSU-85と同じく盛り上がった形状で、ペリスコープらしき突起が見える。

 

 新車両はあの自走砲だと美佐子は確信した。まだハッチの形状だけで車種を特定するほど戦車に精通してはいないが、ネットで画像を検索すれば検討はつくし、以呂波に聞けばすぐに分かるかもしれない。

 

 戦車壕の自走砲は全て覆い隠されてしまい、もうここにいても見えない。とりあえず以呂波に経過報告をしておこうと、木を降りようとしたときだった。

 

「そこ! 誰かいるの!?」

 

 声と共に、下から懐中電灯が照らされた。

 




お読み頂きありがとうございます。
ガルパンといえば情報収集も見所です。
ソ連戦車が大好きで勘の良い方は、美佐子の見た自走砲が何なのか検討がつくかもしれません。
次回までが諜報活動です、戦車戦を楽しみにしてる方は申し訳有りませんがもう少しお待ちください。
ご感想・ご批評などございましたら、宜しくお願い致します。


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諜報活動します! (後)

「そっかぁ、やっぱり戦車道はいろいろ大変だねぇ」

「大変大変。油臭いでしょ、私たち」

「頑張ってる証拠じゃないかい。あたしは立派だと思うな」

 

 蒸気立ちこめるバーニャの中で、晴はアガニョークの戦車クルーたちと談笑していた。床にタオルを敷いて彼女たちを床に寝かせ、じっくりとマッサージをしてやっている。当然ながらただ喋っているだけではない。体の疲れをほぐしながら心もほぐして口を軽くするのが目的なのだ。相手が自分でも気づかないうちにポロッと機密事項を漏らせば大成功だ。落語を学んでいる晴としては軽妙なトーク術の見せ所である。現時点では、どうやら彼女たちはSU-85の乗員らしいということまで分かった。

 

「砲弾とか凄く重いんだろうね」

「そうそう。新隊長車の装填手は特に大変ね。100mm砲弾は重いし」

「へぇ、100mmね……」

 

 晴が呟くと、それを言った少女は「しまった」という顔をした。最初にマッサージしてやった装填手だ。

 

「あー、今の誰にも言っちゃ駄目よ。新車両のことは秘密だから」

「はいはい、言わないよ。素人だからよく分からないけど、その大砲って強いのかい?」

「そりゃ強いわよ。ティーガーとか正面から倒せるもの」

「新車両はあの一両だけだけど、火力は大きく上がったね」

 

 そうなるとタシュでも危ないな、と晴は思った。一回戦で相手にした17ポンド砲ほど強力な主砲はないと思われていたが、今回もまた高威力の砲を相手にすることになる。もちろん主砲の威力で言えばタシュも相当なものだが、今回も七対十という数の差があるのだ。

 敵の新車両は隊長車一両で、100mm砲搭載。この情報だけは何が何でも以呂波に伝えねばならない。だがその前に、できればアガニョークの隊長と副隊長のことも聞き出しておきたかった。

 

「なるほどねぇ。そういや次の対戦相手の隊長、右脚がないって本当かい?」

 

 いきなり本題を聞かず、自然と話を持って行く算段だ。

 

「そう。しかも凄く度胸のある人らしいの」

「同じ戦車乗りとして尊敬するわ。もし私だったらって思うと……」

「カリンカ隊長も珍しく、早く会いたいって言ってたなぁ」

 

 その答えを聞き、晴は彼女たちを騙して情報を聞き出すことに罪悪感を覚えた。諜報活動も承認されているとはいえ、これは戦争ではなく戦車道、相手が憎いわけではない。この場にいるアガニョーク学院高校の生徒もまた、千種学園の仲間たちと同じく明るい女子高生たちなのだ。対戦相手を素直に賞賛するような、善良な面々である。しかしこれも仲間のため。罪悪感が使命感を粉砕しないよう、晴は気を取り直してマッサージを続けた。

 

「あああっ、効く~」

「そのカリンカ隊長ってさ、私会ったことないんだけど、どんな人なの?」

 

 悶える少女に尋ねる。

 

「同志隊長はね、意地悪でぶっきらぼうだけど、カッコいい人だよ」

「あの人が隊長じゃなかったら戦車道辞めてたなって思うこと、結構あるわ」

「あるある。隊長が付いてこいって言えばみんな付いて行く雰囲気ができてるよね」

「そうかと思えば副隊長お手製のおやつで喜んでたりもしてさー」

「乙女だよねー」

 

 高いカリスマ性で仲間を引っ張っている人物のようだ。実際に彼女たちは戦車道が疲れる、大変だと言いながら、それも楽しんでいるような雰囲気があった。指揮官の態度は部下の心理へ大きく影響する。練習試合のときもカヴェナンターでIV号戦車と一騎打ちという状況にも関わらず、以呂波が笑顔を見せたため落ち着いて操縦できたと、晴は結衣から聞いていた。部下にやる気を出させるツボを心得た人物なのだろう。

 

「副隊長はお菓子作りが得意なのかい?」

「うん、凄く美味しいよ」

「ちょっと近寄り難い雰囲気の人だけど、しょっちゅうお菓子持ってきてくれるの」

 

 笑いながらクルーたちは言う。隊長であるカリンカの情報は船橋が入手していたが、副隊長のラーストチュカに関しては詳しくは分かっていない。

 

「戦車道も凄いの?」

「そりゃあね。池田流の門下生だし」

「隊長の右腕よね」

 

 池田流という言葉を聞き、晴は少し意外に思った。戦車道の流派で有名な物はある程度知っていたが、池田流は知名度はそこそこあれど伝承者の少ない流派である。

 これは是非とも以呂波に伝えなくてはならないことだ。流派もまた戦術に関わってくる。戦車よりも乗っている人間に目を向けろ……以呂波がベジマイトから受けたアドバイスである。

 

「ふうん。じゃあ次の試合の作戦とかももう立ててあるんだろうねぇ」

「それはちょっと教えられないなぁ」

「まあヒントを言うなら、天津飯ね」

 

 不意に妙なことを言われた。天津飯といえばカニ玉をご飯に乗せて甘酢ダレをかけた、日本発祥の中華料理である。それが作戦の概要を示す暗号のようだが、落語で言葉遊びを学んだ晴でも解読はできなかった。

 

 そのとき、バーニャの戸が開いた。ドアから顔を出したのは戦車クルーの制服を着込んだ女子である。バーニャに入りにきたというわけではないらしい。

 

「同志隊長からの命令です! スパイっぽい奴が訓練場の中を見てたらしいので、手空きの者は捜索へ加わるように!」

 

 げっ、と心の中で呟く晴。美佐子が見つかってしまったらしい。しかし捜索ということは捕まってはいないようだ。

 

「えー!? せっかくいい気分だったのに~」

「おのれスパイめ!」

「ダヴァイ、ダヴァイ!」

 

 マッサージを受けていた少女たちは立ち上がり、そそくさと更衣室へ向かう。文句を言いながらも動作はスムーズだ。

 

「ありがとう、体軽くなったよ!」

「またマッサージしてね!」

「うんうん、お気をつけて~」

 

 笑顔で手を振って見送り、晴はさてどうしたものかと考える。とりあえず彼女たちが小屋から出るのを待ってから着替え、以呂波と連絡を取ろう。美佐子も現状をメールで送ってきているかもしれない。

 やはりスパイ活動は楽ではない。今度はこういうこととは関係なしに遊びに来たいものだと、晴はヴェーニクで肩を叩きながら思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、千種学園にいる以呂波たちも安穏としていたわけではない。普段座学に使っているプレハブ小屋で、スパイ作戦の成り行きを見守っていた。美佐子からは見つかって逃走中とのメールが入り、得られた情報についても送られてきた。そして直後に晴もまた、敵の新車両は一両で、100mm砲搭載という情報を電話で伝えてきたのである。

 

「ありがとうございます。脱出予定ポイントへ向かってください。今から回収班に行ってもらいます」

 

 そう伝えて電話を切り、以呂波は小屋に集結した仲間たちを見た。丁度夜練の休憩中で、メンバーのほぼ全員が揃っている。いないのは晴と美佐子、そして航空学科チームだけだ。卓上には二回戦の舞台となるフィールドの地図が置かれ、戦車を模した駒も並べられている。

 

「結衣さん。丸瀬先輩に、出発するよう伝えて」

「分かったわ」

 

 結衣に連絡を任せ、以呂波は二人から送られてきた情報を手元のノートに書き出した。自走砲を四両確認、内一両は上部ハッチの形状が違う。新隊長車は100mm砲搭載。副隊長は池田流。天津飯がどうとか。

 天津飯は考えても分かりそうにないのでとりあえず保留。副隊長が池田流というのは以呂波にとっても予想外の情報だった。池田流は元々小規模な流派で門下生も少なく、二次大戦でその大半が戦死したため復興に時間がかかったらしい。その戦死した門下生たちの奮闘が知名度を押し上げ、現在は陸上自衛隊の一部の部隊に伝授されている。民間の門下生は少なく、一弾流宗家出身である以呂波もあまり会ったことがない。

 

「あったよ! アガニョーク副隊長車の写真」

 

 船橋はノートパソコンの画面を以呂波に見せた。ソ連製のBT-7快速戦車だ。砲塔に書かれている『士魂』の二文字が池田流の証である。どうやら本当のようであるが、池田流がソ連戦車に乗るとは皮肉な取り合わせだと以呂波には感じられた。

 

「はぐれ者なんでしょうか。私みたいな」

「うーん、どうだろう。そうかも。それで、アガニョークの新車両についてだけど……」

 

 二人から送られてきた情報を組み合わせる。新戦力が一両だけということは、美佐子が見た自走砲四両の内一両がそうなのだろう。一回戦ではSU-85が三両しか出ていなかったし、過去の非公式試合の記録を探ってもそうだった。そしてハッチの形状が違うことや、100mm砲という情報をまとめると答えは出た。

 

「SU-100ですね。手強いですが、倒せない相手ではありません」

 

 ソ連の猛獣キラーの一角である。SU-85をベースに主砲と装甲を強化した対戦車自走砲で、ティーガーやパンターを正面から撃破できる強力な車両だ。タシュの正面装甲でも耐えられないだろう。しかし正面からの戦いなら、回転砲塔のあるタシュが有利だと以呂波は告げた。

 

「SU-100の最大装甲厚は75mmです。傾斜していますがタシュの主砲なら貫通できますし、側面を狙えれば回転砲塔がある分有利です」

「要するに駆逐戦車なんでしょう? 待ち伏せに出てくる可能性が高いんじゃない?」

 

 連絡を終えた結衣が言う。彼女の正しさを以呂波は認めた。主砲が旋回しない駆逐戦車は主に待ち伏せに使用する兵器だ。戦車道では自ら攻勢に出なくてはならない場面もあるが、基本的に守りで真価を発揮する。

 

「うん。相手が潜伏すると思われる箇所を洗い出して、そこから誘い出す方法も考えないとね」

 

 一弾流は同じく待ち伏せを得意とする流派だが、以呂波の戦術はより攻撃的な一面を帯びている。本人もそれを自覚していた。今回の試合では積極的な攻勢と伏撃を組み合わせて戦ってみたい。美佐子と晴が無事帰還することを祈りつつ、以呂波は地図上の駒に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そして一時間後。

 晴はアガニョーク学園艦の校舎部から離れ、航空機発着場の近くに来ていた。このスパイ作戦は船橋の立案で、脱出の計画までしっかり練ってある。

 つい先ほど美佐子からメールが入り、すでに合流地点に来ているとのことだった。警備の生徒に発見されたにも関わらず、捜索の手をかいくぐってよくぞ逃げ果せたものだと感心する。

 

 二人は別行動後の合流の仕方を、そして脱出まで捜索をやり過ごす手段を出発前に考えていた。具体的には晴の到着時、発着場近くのゴミ置き場に、大きなダンボール箱が伏せて置かれていた。人が一人隠れられるサイズのものが二つ。

 

「今何時でぇ?」

 

 晴は箱に向かって尋ねた。

 

「へぇ、九つで」

 

 合い言葉を言って、片方の箱の中から美佐子が笑顔を見せた。晴もよかったよかったと笑い、ごそごそともう片方の箱の中へ潜り込む。サラファンの裾や荷物などがはみ出ないよう注意しながら、箱の中に収まった。

 

「お晴さん、ご無事で何より」

「みさ公こそよく逃げられたね。警備に見つかっちゃったんだろ?」

 

 訓練場の中にも警備担当の生徒がいるのを晴も見ていた。彼女たちに見つかったらすぐに人を呼ばれて追いかけ回されただろうに、よくもまあダンボールまで調達して逃げ切ったものだ。

 

「いやあ、木の上から訓練場の中見てたら、懐中電灯当てられて。誰だ、って訊かれたから咄嗟に『司馬ちゃん』って答えて……」

「マニアックなネタ出したねぇ」

「そうしたら相手が、『降りてこいバサラ者!』ってフェンス乗り越えて来て」

「通じたのかい。それで?」

「長いスカートで走りにくかったけど、逃げて逃げて逃げまくりました!」

 

 理屈ではなく根性と体力で逃げ切り、上手く撒いたらしい。美佐子らしい話である。

 

「あ、みんなへのお土産はチョコレートゼフィールっていうお菓子を買いましたよ!」

「大物になるよ、あんた」

 

 後は脱出作戦の時刻までこのまま箱の中に隠れていればいい。窮屈ではあるが、普段から戦車に乗っているので我慢はできる。

 近いうちにやってくるであろう飛行機の爆音を待ちわびながら、二人はダンボール箱の中で寒さに耐えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園艦の甲板道路を、オリーブ色のオープンカーが走る。オープンカーと言っても無骨な四輪駆動車、ソヴィエト連邦で使われた小型軍用車のGAZ-67Bだ。軽砲の牽引や将校の移動など様々な用途に使われた車両で、今乗っているのはアガニョーク戦車道隊長・カリンカと、その右腕たるラーストチュカだった。校舎から離れて航空機発着場へ急ぐ二人だが、焦りはなくあくまでも冷静だ。カリンカの長いサイドテールが風に靡いている。

 

「見られた可能性があるのは隊長車の方だけね?」

「はい。『天津飯』の方は外に出していませんので」

 

 運転するラーストチュカは秘匿名称で答えた。スパイ発見の報せを聞き、カリンカはただちに捜索命令を出したものの、相手は逃げ足が早かった。しかし相手が二十時に出発する連絡機の最終便に密航することを予測し、発着場にはすでに乗り込む人間を徹底的に検査するよう申し渡していた。飛行機を使って陸に脱出するのが最も手っ取り早い方法である。

 捕らえたところで、すでに情報を仲間に送っているかもしれない。だがカリンカは落ち着いていた。

 

「こっちの切り札がSU-100だけだと思い込んでくれていれば、むしろ得か」

「ええ」

 

 短く返事をし、ラーストチュカは車を右折させた。航空機発着場の正門に入る。街灯に照らされた二人の顔を見ると、警備員が会釈してゲートを開けた。アガニョークの航空機発着場のスタッフは生徒以外の学園艦職員が担当している。学校によっては学園艦の運行と同様に船舶科生徒の管轄だったり、航空科のある学校では航空科が管理する。

 ゲートを潜って滑走路のある発着場へ進むと、管制塔近くで輸送機が荷物の積み込みを行っていた。職員たちがそれらの確認を行い、搭乗する生徒・教師も取り調べを受けていた。

 

 ラーストチュカが車を進めると、警備員の一人が気づいて近づいてきた。恰幅の良い中年女性だ。彼女の側に車を止めさせ、カリンカは降りた。

 

「花梨ちゃん、燕ちゃん。こんばんは」

「ドーブルイヴィチエーチル、おばちゃん」

 

 GAZ-67Bのドアを閉め、カリンカは笑みを浮かべた。顔なじみの職員である。

 

「言われた通り乗る人を調べてるけど、何かあったの?」

「……伝わってなかったの?」

「そのようです」

 

 ラーストチュカも降車して、冷めた声で答えた。連絡した奴を査問委員会に呼び出そうと思ったが、まずは目先のことが優先だ。

 

「次の対戦相手がスパイを潜り込ませてきたの」

「戦車道の? あら嫌ねぇ。乗る人の身元確認はしてるけど、今の所特に怪しい人は……」

 

 警備員の言葉を聞きながら、ラーストチュカはふと滑走路の脇に駐機されている双発飛行艇に目を向けた。胴体の両側にドーム状の銃座が設けられている。アメリカ製の水陸両用機・PBYカタリナ飛行艇だ。アガニョークにはない機体で、胴体には盾に青い星のマークが描かれている。高校戦車道に明るい者なら誰でも知っている校章だ。

 

「……サンダース大付属のカタリナ……?」

「ああ、あれね。飛行計画が急に変わって、食料とか買いに降りてきたのよ」

 

 パイロットたちがキャスター付きの台車を押し、ダンボール箱を機体へ詰み込んでいた。ラーストチュカはそれをじっと見ていたが、ポケットから携帯を取り出す。

 そんな彼女をちらりと見て、警備員は笑った。

 

「この前燕ちゃんにブリヌイの作り方教えたんだけどね、お菓子作ってるときはガラッと顔つきが変わるのよねぇ」

「あのブリヌイ、おばちゃんから教わったんだ? 美味しかったわよ」

 

 会話をしながら、カリンカはじっと輸送機へ乗り込む人々の列を見ていた。何らかの用事で陸に赴く者たちだが、明日が休日なので実家に帰る生徒の姿も多い。紛れ込むには絶好の場所だろう。職員が学生手帳などを確認し、異常がないと判断してから搭乗させている。

 ふいにエンジン音が聞こえた。プロペラ機のものである。サンダースのカタリナが離陸準備に入ったようだ。職員たちが車輪止めを外し、ゆっくりと滑走路へタキシングしていく。

 

「同志カリンカ!」

 

 ラーストチュカが叫んだ。

 

「サンダースに問い合わせた所、現在飛行中のカタリナは一機もないそうです!」

「離陸を止めて!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《サンダース大付属高校カタリナ三号機。離陸を中止し、駐機位置へ戻れ》

 

「バレたか!」

 

 サンダース校の生徒に扮した丸瀬が、カタリナの操縦席で舌打ちした。背後では積み込んだダンボールの中から、美佐子と晴が心配そうに見ている。普段ズリーニィの操縦手を務めている航法士が、近づいてくるGAZ-67Bを銃座の窓から見つけた。ヘッドランプの明かりが迫る。

 

「臨検が来るぞ! 早く飛んでしまえ!」

「そうだな。上がってしまえばこっちのものだ」

 

 ゴーグルをして丸瀬は離陸操作を続けた。フラップを降ろし、スロットルを開く。飛行艇はゆっくりと走り出した。

 

《カタリナ三号機! 離陸を中断せよ!》

「よく聞こえない。繰り返してくれ」

 

 答えつつ通信機を切り、丸瀬は機を加速させた。飛行場の景色が後方へ流れていく。臨検に来たGAZも後ろへ大きく引き離されていった。二式大型飛行艇などと比べられがちだが、カタリナ飛行艇は水陸両用の利便性や信頼性の高さから多くの国で採用された傑作飛行艇である。今回も丸瀬たちの操縦に応え、二つのエンジンが力強く唸る。

 翼が風を掴んだ。副機長が安全離陸速度を意味する「V2」を告げる。

 

「テイク・オフ!」

 

 丸瀬が操縦輪を引き、上昇角を取った。車輪が地面を離れ、高度を上げていく。管制塔や滑走路が徐々に下方へと遠ざかっていった。

 車輪を艇体に収納し、水平飛行に移ると、丸瀬は後ろを向いた。

 

「二人とも、そこの魔法瓶にココアが入ってるから飲んでいいぞ」

「ありがとうございます!」

 

 美佐子がダンボールから飛び出し、棚にある魔法瓶を手に取った。中身をカップに注ぐと、香ばしい香りが機内に溢れる。注いだそれを先に晴に渡し、晴は礼を言って受け取った。

 千種学園の航空学科は多様な航空機を所有している。校章と服装さえ全く関係ない学校の物に変えてしまえば、適当な理由をつけて対戦相手の学園艦に着艦することも可能だ。丸瀬はフルトン回収システムという選択肢も提示したが、より安全な方法が選ばれた。

 

「作戦は成功だ。一ノ瀬や船橋委員長も二人に感謝しているぞ」

「いやいや、結構楽しかったよ。な、みさ公」

「はい、とても!」

 

 朗らかに笑い合う少女たちを乗せ、飛行艇は陸へと進路を取った。




お読み頂きありがとうございます。
区切りの都合上、今回は長めになりました。
次回は休日風景及び、試合開始までを書けたらと思います。
原作のような日常パートも入れていきたいので……。

ちなみに美佐子が出した「司馬ちゃん」は漫画「バサラ戦車隊」のネタです。
分かる人いるのだろうか……。


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休日です!

 学園艦で暮らす生徒は休日に実家に帰ることも、艦上で過ごすこともできる。だが入港と重なった際は大半の者が上陸し、陸で買い物や食事などをして過ごす。学園艦にもショッピングモールなどは一通り揃っているが、広大な海の上とはいえ箱庭の中で暮らす生徒たちにとって、上陸して気分を開放的にすることは良いストレス発散になるのだ。

 

 大会前ではあるが、千種学園の戦車道チームも本日は練習を休止し、休みを取ることになった。メンバー全員が士気旺盛なためつい訓練に熱中してしまう癖があり、それをサポートメンバーの男子たちに心配されたためだ。以呂波はこの学校で戦車道に戻れたことが嬉しくて仕方なく、そういった点での配慮が欠けていたと反省し、大会前だからこそ英気を養うことになったのだ。

 

 碇泊した学園艦の近くに、一隻の小振りな船が浮かんでいた。大発動艇と呼ばれる、日本軍が用いた上陸用舟艇である。しかしその大発は陸へ向かわず、沖へ進路を取っていた。その上では九五式装甲軌道車の車長・三木三津子と、マレシャル駆逐戦車の車長として新たに加わった川岸サヨリが釣り竿を手にしている。二人とも救命胴衣を装着し、水産学科の川岸があれこれと説明していた。

 

「いやー、いきなり誘ってすみませんね、先輩」

「ううん、いいの! むしろ釣りってやったことないから、嬉しいし……」

 

 三木は気恥ずかしそうに笑う。二人とも後から戦車道に参加した立場であるため、何かと仲が良い。

 今回川岸が三木を釣りに誘ったのには理由があった。彼女の乗る九五式装甲軌道車ソキが、二回戦のフラッグ車を務めることになったのだ。二回戦のフィールドや敵の戦法などを考えた結果、以呂波が決めたのである。最初は驚いた三木だったが、一回戦では危機に陥りながらも使命を果たしたことを周囲に励まされ、承服したのである。だが未だに一抹の不安を抱えていた。

 

 ふと川岸は竿を置き、足下に置いてあった物……折り畳まれた布を拾い、差し出した。

 

「先輩。これ、持っていて欲しいッス」

「え……?」

 

 三木がそれを受け取り広げてみると、極彩色の旗が潮風にはためいた。宝船の絵と『祝 大漁』の文字が書かれた、いわゆる大漁旗である。漁船が大漁を祝し、帰港の際に掲げるものだ。古い物のようで、旗の色も少しくすんでいた。

 

「あたし、小さい頃に乗ってた船が時化に遭って、海に放り出されたことがあるんスよ。その大漁旗と一緒に」

 

 川岸曰く、彼女は幼い頃から泳ぎが達者で、救命胴衣もつけていたため、近くに浮いていた大漁旗を掴んだまま立ち泳ぎで助けを待っていたそうだ。やがて握っていた派手な大漁旗を通りがかりの船が見つけてくれたため、助かったのだという。

 

「言わばあたしの命を救ってくれた縁起物ッス」

「そ、そんな大事な物……」

「きっとお守りになってくれるッスよ。それ持って一緒に頑張りましょう。あたしも初陣だけど、精一杯やるッス!」

 

 熱を込めて言う川岸。彼女の厚意が三木の胸にじんわりと染みた。そして先輩として、その心に応えたいと思った。

 

「……ありがとう。勝って、ちゃんと無事に返すからね」

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、陸に降り立った以呂波、結衣、澪の三人は一路町中へ向かった。道行く人々は義足の以呂波をしげしげと眺め、彼女に手を貸す結衣たちを微笑ましげに見守っている。

 

「美佐子さんたちはもう着いたって」

 

 メールを確認し、以呂波が言う。アガニョーク学院高校への偵察を成功させた美佐子と晴は、陸で以呂波らと合流する手はずになっていた。待ち合わせ場所は美佐子の実家……彼女の祖父母が営む喫茶店だ。

 潜入して見つかったと聞いたときはどうなるかと思っていたが、無事に脱出できて一安心である。

 

「逃げて逃げて逃げまくった、としか言ってなかったけど、どうやって撒いたんだろう」

「美佐子の体力バカは伊達じゃなかったわね。それにしても何でダンボールなんかに隠れて飛行機を待ってたのかしら?」

「……潜入の定番だから……だと思う……」

 

 結衣の疑問に澪がぽつりと答えた。この三人の中で最もゲームに詳しいのは澪なのである。とはいえ以呂波や結衣がそういったものはほとんどやらないだけなのだが。

 

 道を知っている二人の案内で、以呂波は無事小さな喫茶店に辿り着いた。ドアの前に黒猫が寝そべっており、ちらりと以呂波たちを見る。澪が近づいてそっと頭を撫でると、黒猫は目を細めて愛撫を受け入れた。大分人に慣れているらしい。

 結衣がドアを開け、澄んだ音を立ててベルが鳴った。内部はシンプルでレトリックな雰囲気の喫茶店だ。窓辺のテーブルに座っていた二人の先客……美佐子と晴が笑顔を向ける。

 

「おっ、三人ともお疲れー」

「二人こそお疲れさま」

 

 少女たちが言葉を交わすと、キッチンの戸が開いた。白髪の老人が顔を出す。

 

「やあ、結衣さん、澪さん、いらっしゃい」

「こんにちは、お久しぶりです」

 

 結衣が丁寧にお辞儀をし、澪もぺこりと頭を下げる。その老人は笑い皺の多い顔に笑顔を浮かべ、好々爺然とした風貌であったが、肩幅が広く体つきはしっかりとしている。老人は次いで以呂波へ目を向けた。

 

「貴女が隊長さんかい?」

「はい、一ノ瀬以呂波です」

「なるほど。美佐子がね、貴女の右脚になれるよう頑張る、なんてことを言っててね。普通右腕じゃないかと思ってたんだが……」

 

 視線を落とし、以呂波の義足を見る。注目されることにも以呂波はすでに慣れていた。校内ではすでに尊敬の的であるし、特にベジマイトと会ってからは義足で堂々と歩くようになった。時には仲間たちの手を借りながら。

 

「立派なことだ。……どうぞ、座って」

「ありがとうございます」

 

 老人が椅子を引き、以呂波は腰掛けた。美佐子がすっとメニューを差し出す。ケーキやクッキーなどが何種類か載っており、料理もあった。

 

「料理とお菓子はおばあちゃんが作ってるの。どれも美味しいよ!」

「私はサンドイッチにするわ。あとフライドポテトも頼んで、みんなで摘みましょう」

「いいね。ついでに甘い物も……」

 

 孫娘とその友人たちを微笑ましげに眺め、美佐子の祖父は再び以呂波に目を向ける。

 

「美佐子は戦車道で、頑張っているかね?」

「はい。美佐子さんは力があるから装填も早いし、戦車に乗るときも助けてもらっています」

「それは何より。……この子の両親は早死にしてしまってね。この子は丈夫に育ちますようにと、神社へ通って祈ったもんだ」

 

 祖父の言葉に美佐子はニヤリと笑い、ぐっと腕まくりして肘を折り曲げ、力を込める。力こぶが盛り上がるほどではないが、女子としてはなかなかに引き締まった腕をしていた。そんな孫娘に老人は苦笑する。

 

「少しばかり丈夫になり過ぎたかなと思っていたんだが……それが人様の役に立っているようなら何よりだね。今日はゆっくりしていきなさい」

 

 注文が決まったら呼んでくれと付け足し、老人はキッチンへと戻って行った。ドアが閉められると、以呂波と美佐子は顔を見合わせて笑った。

 

「いいお祖父ちゃんだね」

「うん! 私の大事な家族だもの!」

 

 家族、という言葉を聞いて、以呂波はふと一ノ瀬家のことを思い出した。まず母親のこと。自分が右脚を失ってから、母は急に弱気になってしまった。公式戦に出た以上、以呂波が自分の判断で戦車道に戻ったことは母の耳に届いているだろう。この大会には姉の千鶴も出場しているのだから。今はまだ何も言ってこないが、いずれは自分も兄のように勘当される可能性があることを、以呂波は覚悟していた。

 

「……一ノ瀬さん。前から思っていたんだけど」

 

 ふいに、結衣が声をかけてきた。

 

「学園艦に戻ったら、一ノ瀬さんも私たちの家に住まない? まだスペースあるし」

「ああ! それがいいよ! 戦車乗りは一心同体でしょ!」

 

 美佐子が喜んで賛同した。澪も頷いている。

 

 以呂波は自然と笑顔になった。そう、今の家族は、自分の守るべき家族は彼女たちだ。互いに支え合う仲間たちと共になら、茨の道でも歩んで行けるだろう。例え右脚が作り物でも、戦車の履帯のように力強く。

 

「ありがとう。そうしようかな」

「よし、決まり!」

「お晴さんもよかったら如何ですか?」

「おや、あたしも誘ってくれるのかい? それも面白いねぇ」

 

 戦車乗りは一心同体、一蓮托生だ。その絆をより堅くし、少女たちは注文する料理と茶菓子に意識を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……以呂波らが休日を楽しんでいる間、船橋、丸瀬、北森は学園艦のPCルームにいた。窓からは馬術場が見え、大坪がトゥラーン重戦車ではなくサラブレッドを駆り走り回っている。見事な手綱捌きでジャンプを決め、軽快に馬場を駆け抜けていた。部活の自主練に興じるのもまたリフレッシュの方法だ。

 

「……よし、じゃあこれで決定ね。二人とも休日まで付き合わせてごめん」

「お気になさらずに。好きでしていることですから」

 

 丸瀬が微笑を浮かべて答えた。彼女はスパイとして潜入した美佐子、晴を回収後、自分たちは学園艦に戻って睡眠を取り、起床後は朝から船橋の手伝いをしていたのだ。

 

 パソコンの画面に表示されているのは『会場での販売物一覧』と題されたリストだ。より千種学園についての知名度を高めるため、そして戦車道チーム活動資金の足しにするため、士魂杯二回戦に露店を出すことになったのだ。商品は農業学科が育てた野菜、水産学科からは海産物、そして航空学科による曲技飛行のDVDなどだ。当然ながら隊長の以呂波にはすでに許可は取ってある。さすがにカヴェナンター大明神でお守りを売るのは却下されたが、大会にかこつけてこのような商売を行う学校は他にもあるので問題にはされなかった。

 

「丸瀬の言う通り。学校がくっついてから一緒にやってきた仲じゃないか」

 

 そう言う北森は学校の制服ではなく、ウクライナの民族衣装を着ていた。白と赤を基調とした丈の長いスカートの衣装で、花の刺繍が施されている。普段の男勝りな北森のイメージからするとかなりギャップのある装いだが、着慣れているためか意外にもよく似合っている。農業学科の生徒が在籍していたUPA農業高校はウクライナ系の学校で、このような民族衣装やコサックダンスなど、ウクライナの文化を農業と共に教わってきた。かつての母校に愛着を持つ彼女たちは廃校になった後も、その伝統を農業学科内で存続させるべく活動しているのだ。

 そのような統合前の学校から引き継いだものをアピールするのも、船橋の広報プランの一つだった。

 

「ありがとう。二回戦も頑張りましょうね」

「委員長! ちょっと見てください!」

 

 背後で調べものをしていた広報委員が船橋を呼んだ。大会に参加している学校の情報を集めていたのである。

 指差されたパソコンのモニターを見て、船橋は眼鏡のレンズの奥で目を細めた。

 

「タンカスロンの試合……?」

 

 戦車強襲競技タンカスロン。戦車道とは違う、日本発祥の伝統戦車競技を母体とした野試合である。表示されているwebページによれば、開催場所は港からさほど遠くない野山で、開催日は今日だ。

 

「バッカニア水産と、決号工業も参加するようです」

 

 両方とも士魂杯に出場している学校で、バッカニア水産高校は二回戦でかの大洗女子学園と戦うことになっている。そして決号工業高校に関しては船橋、そして以呂波も内心気にしていた学校だった。

 船橋はマウスホイールでページを下にスクロールし、参加チームの指揮官リストを見つけた。決号工業の隊長は士魂杯と同じ人物だ。

 

「……一ノ瀬千鶴?」

 

 船橋の後ろから画面を見て、丸瀬が怪訝そうな表情を浮かべる。それほど珍しい名字ではないが、何か以呂波と繋がりがあるのではと思ったのだ。実際に彼女の勘は当たっている。

 

「うちの隊長のお姉さんよ」

 

 船橋は少し思案し、立ち上がる。相棒のカメラを引っ掴んで首に提げ、スタスタとPCルームから出て行く。

 

「おい、船橋」

「ちょっと見に行ってくる! 今日は解散!」

 

 北森にそう答え、彼女はポケットから携帯を取り出した。以呂波にも知らせるために。




お待たせいたしました。
今回で二回戦開始まで書きたかったのですが、ちょっと予定を急遽変更しまして。
単行本で初めて読んだ『リボンの武者』が予想以上の凄まじさで、千鶴の影が今ひとつ薄いなと悩んでいた矢先だったため、試合前に彼女の活躍を入れたいと思いまして。
丁度あのタンカスロンという競技が、考えていた千鶴のキャラにかなりしっくりきました。
というわけで、次回は短い戦車戦が入ります。
まさかのタンカスロンです。
あと関係ないですが、私はしずか姫たちの楯無高校の本拠地とされている地域の出身だったりします(今でもそこに住んでいます)w

ご感想・ご批評などありましたら、今後の糧とさせていただきますので宜しくお願い致します。


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一ノ瀬千鶴の野仕合です!

 普段は静かであろう森に、今日は人だかりができていた。漂うのは草や土の香りではなく、硝煙と油の臭いである。白旗の上がったL3ccを同型車がゆっくりと牽引して行く。イタリアのL3/33、旧名C.V.33の改良型であるL3/35に対戦車ライフルを搭載した現地改修型だ。一両撃破されたが試合自体は勝ったようで、乗員たちは観衆に笑顔で手を振っている。非力な豆戦車でも、強襲戦車競技『タンカスロン』においては十分な力を発揮できる。重量十トン以下の車両であることが、この競技唯一のルールなのだ。

 

 ギャラリーの顔ぶれも様々だ。戦車ファンらしき女子学生もいれば中高年の男性、主婦などもおり、L3に乗る少女たちへ労いの言葉をかけていた。戦車とそれらの人々の間に隔たりがないのもこの競技の特徴である。

 その光景をファインダー越しに見つめ、船橋はシャッターを切った。彼女はたった今到着したばかりだが、すでに少なくとも一つの試合が終わっていたらしい。

 

「すみません、まだ試合って終わってませんか?」

 

 観戦しているギャラリーの中に自分と同年齢くらいの少女を見つけ、船橋は尋ねた。

 

「ええ、次はバッカニア水産と決号工業の試合ですね。もうすぐ始まりますよ」

 

 丁寧な答えが返ってきた。どうやら目当ての対戦カードには間に合ったらしい。

 

「ついでに出場車種って分かる?」

「バッカニアがテトラーク、決号が二式軽戦車だったはずです。三対三の殲滅戦ですね」

「そう。どうもありがとう」

「いえいえ」

 

 癖っ毛が印象的な少女は笑顔で答え、前に向き直った。

 日本製の二式軽戦車『ケト』は本土決戦用に温存され、実戦に出ることなく終戦を迎えた戦車だ。対するイギリス製Mk.VII軽戦車テトラークは実戦に使われており、兵器としての完成度も、主砲貫通力や速度なども上回っている。見切り発車で大量生産されたカヴェナンターと違い、しっかりとした試験を行い生産された車両だ。同じ軽戦車とはいえ、戦車の発達が遅れていた日本製の車両ではいささか不利ではある。

 

 しかしスペックで勝負が決まるなら最初から試合する必要はない。船橋自身格上のIII号戦車と相打ちに持ち込んだし、以呂波に至ってはカヴェナンターでIV号戦車F2型を撃破した。以呂波本人はできればもうやりたくないと言っていたが。

 それに二式軽戦車の主砲でもテトラークの装甲を貫通するには十分だ。戦術と腕で勝負が分かれるだろう。

 

 そのとき、低くエンジン音が響いた。

 

「来たぞ!」

「決号の方だな」

 

 ギャラリーがざわつく。落ち葉や木の枝を履帯で踏みにじり、軽戦車が木々の合間を縫ってゆっくりと進んできた。日本戦車特有の、土地色、草色、枯草色の迷彩で塗られた二式軽戦車『ケト』だ。迷彩に加えて木の葉などをつけて偽装しており、以呂波と同じ一弾流の戦術を学んでいることを匂わせる。

 数は確認できるだけで二両。ギャラリーからほど近い場所で茂みの背後に停止し、待ち伏せの構えを取った。

 

 タンカスロンは戦車道と違い、戦闘区域と観客との境が存在しない。ギャラリーは巻き込まれないよう、自然と後ずさりして距離を取った。そんな中で唯一、船橋だけは前に出た。先ほどの少女が手を出して止めようとしたが、即座に地面に伏せて匍匐前進に移る。カメラの大きなレンズを傷つけないよう注意しながら、戦車に接近した。

 

 二両の戦車長が僅かに顔を出していたが、どうやら一ノ瀬千鶴ではないようだ。敵戦車を警戒しており、船橋には気づいていない。

 ファインダーで狙いを定め、ストロボ無しでシャッターを切る。森の中だが今日は晴天で明るいため、試合妨害になりかねないフラッシュ撮影は止めることにしたのだ。無論、太陽光の方向などを読んで撮らなくてはならない。

 

 立て続けに三枚取り、再び匍匐前線でギャラリーの前列まで戻る。立ち上がって服から土や枯れ葉を払うと、癖っ毛の少女が心配そうに見つめていた。

 

「だ、大丈夫ですか? 戦闘が始まってないとはいえ、あんなに近づいたら危険じゃ……」

「その分いい画が撮れたわ。ほら」

 

 デジタルカメラの画面を閲覧モードに切り替える。写真中央にケト車が鮮明に写っていた。低いアングルから撮ったので軽戦車といえど迫力がある。そして背景がぼやけているため、戦車の姿が周囲から浮き出るようにはっきり写っているのだ。

 

「おお! 偽装した戦車が目立って写ってます!」

「F値の小さい『明るいレンズ』だからね。背景にボケが入るから、被写体の姿がより強調された写真になるのよ」

 

 昔から写真が好きな船橋は相応の装備を持っている。地味な迷彩塗装の戦車も、これなら迫力のある画が撮れると考えたのだ。しかし『明るいレンズ』は口径が大きいため、ズーム付きの物は重くて値段も高い。船橋が持っているのは単焦点レンズなのでズーム撮影はできず、そこは戦車と同じく戦術と腕でカバーするのだ。

 

 

「おいおい、障害者をこんな所に連れてきたら危ないだろう! 帰りなさい!」

 

 背後で初老の男性が叫ぶのを聞き、船橋は振り向いた。その障害者というのが誰のことか察しはついている。

 案の定、隊長車クルーの面々が注目を受けながら歩いてきた。美佐子の手を借りてはいるが、以呂波は義足でしっかりと森の中を歩いていた。

 

「ご心配なく。慣れてますから」

 

 平然と答え、以呂波は船橋に目を向けた。

 

「先輩、教えてくださってありがとうございます」

「いきなりごめんね。お昼ご飯は食べた?」

「はい。美佐子さんのお家で」

 

 言葉を交わしながら、隊長車の五人はゆっくりと船橋の側まで歩いて行く。晴が前に進み出て、茂みの背後にいるケト車を扇子でひょいと指し示す。

 

「本当に境界線ってもんが無いんだねぇ」

「ええ。タンカスロンの観戦は完全に自己責任です」

 

 以呂波が解説した。戦車道の家元などにはタンカスロンを「邪道」と批判する者も多いが、逆にタンカスロン競技者は厳格な規則で行われる戦車道を「お嬢様のスポーツ」と小馬鹿にしている。一弾流は戦車道流派としてタンカスロンを奨励している珍しい一派で、以呂波も経験があるのだ。

 重量十トン以下の戦車のみというルールのため、強力な戦車を揃えられない学校にも人気の競技である。

 

「戦車乗りの方は人がいる場所も計算に入れて動く必要があります。ギャラリーがいる所も戦闘区域ですから」

「それってもしかして……」

 

 結衣が眉をひそめた。

 

「ギャラリーを『人間の盾』にするような戦法も……」

「ルール上問題ないね」

 

 あっさりと答えられ、結衣は沈黙した。自分たちの行っている戦車道とはかけ離れたものだ。これをより実戦に近いと取るか、野蛮であると取るかは人によって異なるだろう。だが以呂波の優れた能力はこのような非正規の戦いで鍛えられた部分も大きいかもしれない。結衣はこの義足の親友の強さについて、もっとよく知りたいと考えていた。いずれ自分が同じ立場になるために。

 

 ふと、癖っ毛の少女が以呂波を見つめ、口を開いた。

 

「あのぅ。もしかして貴女は千種学園の……」

 

 彼女が言いかけた途端に、エンジンと砲撃の音が聞こえた。途端にギャラリーが歓声を上げる。以呂波は音の方向を見据え、目を細めた。木々の合間を縫って向かってくる二式軽戦車の砲塔に、肉親の姿を認めたのだ。

 

「来た……千鶴姉」

 

 砲塔を後ろに向け、一ノ瀬千鶴は追っ手のテトラーク軽戦車三両を見据えていた。以呂波同様に髪を短めのポニーテールにまとめ、顔にはゴーグルを着けている。そのため表情は分かり辛いが、敵をじっと睨みつつも、周囲への警戒を怠らぬ姉の様子が以呂波には分かった。

 

 千鶴は味方の待ち伏せ位置まで敵をおびき出したようだ。だが相手もそう簡単には引っかからない。

 追ってくるテトラーク三両のうち、一両は武装が違った。3インチ榴弾砲を搭載したCS(近接支援)タイプである。バッカニア水産のリーダーらしき少女が、そのテトラークCSの方を見て指示を飛ばした。

 

 シャッターチャンスを悟った船橋がカメラを構えた。その直後に躍進射撃で榴弾砲が火を吹き、観衆はその衝撃に思わず身をすくめた。放たれた一撃は二両のケトが潜んでいる場所の手前に着弾する。途端に朦々と白煙が湧き起こり、ケトの視界を遮った。

 

「煙幕弾!」

「偽装を見抜いていたのね」

 

 美佐子と結衣が言葉を交わす。船橋は砲撃の瞬間を捉えた一枚を確認し、再びカメラを構える。以呂波は固唾を飲んで見守っていた。

 テトラークは一斉に右へ旋回し、伏兵の側面を突くべく動き出した。しかし待ち伏せていたケトも置物ではない。即座に離脱し、逃げるようなフェイントをかけたかと思うと、反航してテトラークへ突撃したのだ。互いに撃ち合うものの、起伏のある地形での行進間射撃故当たりはしない。発砲音の直後に距離を取ってすれ違う。

 

 そこへ千鶴の乗る隊長車も突入する。森の中で軽戦車六両が乱闘を繰り広げる形となった。木々の合間を縦横無尽に走り回り、味方車両と連携しつつ、相手の連携を崩しにかかる。まるでドッグファイトの様相を呈していた。土ぼこりが乱舞し、硝煙の臭いが漂う。発砲炎と砲声が目と耳を激しく刺激してくる。

 

「うひょー、大迫力!」

「バッカニアはイギリス系でも、グロリアーナみたいなお嬢様学校じゃないからな。戦い方も派手だ」

「対する決号は得意の待ち伏せも見破られちゃったなぁ。こりゃ押し込まれるんじゃないか?」

 

 観戦している人々の声を聞いても、以呂波は姉がこのまま負けるなどとは考えていなかった。むしろ偽装を看破される程度、千鶴の予想の範疇だったに違いない。単に相手を待ち伏せるのではなく、相手戦車の弱点を分析した上で、有利な地形へ誘い出すのが一弾流の戦い方だ。『彼を知り己を知れば百戦危うからず』と孫子の兵法にもある。千鶴はテトラークの弱点を考えた上で、森の中を決戦場所に選んだのだろう。

 

「決着はここで付くよ」

 

 以呂波の言葉に、仲間たちは一瞬彼女に視線を集中させ、再び戦車戦を見つめた。

 

 一両のテトラークがケトを追う。だが別のテトラークと撃ち合っていた千鶴車が突如急旋回し、味方の援護に回った。砲塔の同軸機銃が火を吹き、味方を追っていたテトラークの右側に曳光弾が飛んだ。

 同軸機銃は主砲の照準を合わせるのに使われることもある。それを知っていた相手車長は咄嗟に旋回を命じた。ベテランの戦車乗りは反射的に即座に命令を下すのである。

 

 だがそれが裏目に出た。テトラークの操縦士は可能な限り車体を急回頭したものの、ここは森である。木々の間を曲がりきれず、大木に衝突してしまったのだ。

 行き脚を止めたテトラークに千鶴車が全速で迫る。そして一瞬も立ち止まることなく、近距離で追い越しざまに発砲。37mm砲弾がテトラークの側面に食い込んだ。

 

 彼女のケトがそのまま走り去る頃には、白旗が上がっていた。ギャラリーが一斉に歓声をあげる。

 

「一両倒した……!」

 

 澪がやや興奮気味に身を乗り出す。まるで居合いのような砲撃だった。

 

「相手の練度の高さと、足回りの構造を逆手に取ったね」

「なるほど! テトラークはフレキシブル履帯だから、旋回半径が大きいんですよね!」

 

 癖っ毛の少女が感心したように叫んだ。

 戦車に限らず、履帯で走る乗り物は曲がる方向の履帯にブレーキをかけるか、または遊星歯車などで減速させることで旋回する。だがテトラーク軽戦車は転輪と誘導輪を左右へ指向することで、フレキシブル履帯を横へ捩じ曲げて旋回するのだ。これにより普通自動車に近い要領で、通常の戦車より容易に操縦できるという利点があるのだが、旋回半径は大きくなってしまう。その欠点を突くため森へおびき寄せたのである。バッカニア側は伏兵を看破できるという自信があり、それに乗ってしまった。

 

 直後、再び砲撃。別のケトがテトラークCSを撃破したのだ。他のテトラークが40mmの2ポンド砲なのに対し、75mmの榴弾砲のため装填がやや遅い。その隙に精密な射撃を受けたのだ。

 

「これで三対一!」

 

 残っているのはバッカニアの隊長車のようだ。さすがにそう簡単にはやられない。三両のケトから集中砲火をうけながらも、それを巧みに読んでは回避し、反撃する。包囲されかかっても高速性を活かして脱出する。いい腕をしていると以呂波は思った。

 

 そのとき、決号の隊長車に異変が起こった。車長である千鶴が戦車の砲塔から飛び降りたのだ。ギャラリーがざわつく。不慮の転落か、何か意図あってのことか。

 だが以呂波は千鶴がタンカスロンでこのような手段を使うのを見たことがある。今回もそのケースであることは明白だった。戦車から飛び降りたのは相手の車長が自分の方を見ていないタイミングを狙っており、その後素早く匍匐前進で木の裏側に隠れたのだ。しかも姉の腰に物騒なものがぶら下がっていることにも、以呂波は気づいていた。

 

「船橋先輩」

 

 彼女は広報委員長に声をかけた。

 

「シャッターチャンス、近いですよ」

 

 反射的にカメラを構え、残ったテトラークをファインダー越しに凝視する。以呂波の方は姉の動きを目で追う。地面の起伏や茂みなどを素早い跳躍で飛び越え、木々の影に隠れながら移動する。その顔は笑っていた。楽しくて仕方ないのだろう。姉はそういう人間だ。

 

 一方、バッカニアの隊長車は猛々しく奮闘し、ついにケト一両を2ポンド砲の餌食とした。撃破されたケトは車長のいなくなった自軍の隊長車を守っていたのだ。

 だが直後、テトラークは千鶴の隠れた木の前に差し掛かった。もしここでそのことに気づいていれば勝機はあったかもしれない。千鶴は腰に下げていた武器に着火し、高々と掲げて木の陰から姿を現した。

 

 一弾流がタンカスロンを奨励する理由は複数ある。最も大きな理由は、一弾流では精神・肉体の鍛錬として、普通の戦車道では全く役に立たない技術も伝授されているからだ。

 

 例えば……

 

 

 生身での肉薄攻撃。

 

 

「火炎瓶!?」

 

 結衣が驚愕の声を上げた瞬間、千鶴は振りかぶったそれを投擲した。火のついた瓶がテトラークのエンジン部分に叩き付けられ、ガラス片と燃料が飛び散る。船橋がシャッターを切ったのはそれとほぼ同時だった。

 

 次の瞬間には燃え広がる炎。それでもテトラークはしばらく走っていた。だが激しさを増した炎の中から白旗が上がり、ゆっくりと停止する。敗北を受け入れるかのように。

 勝負は決したのだ。

 

 千鶴が咽頭マイクに手を添えて何事か言うと、ケトの乗員たちが消火器を手にテトラークへ駆けてきた。脱出したテトラークの乗員と共に消火作業にかかる。

 それを横目で眺めた後、千鶴は呆然としている観衆に目を向け……ニヤリと笑った。

 

 先ほどから気づいていたのだ。その中に妹の姿があることに。

 

 




お読みいただきありがとうございます。
さすがにやり過ぎかなとも思いましたが、そもそも『リボンの武者』のタンカスロンでは主人公が『人間の盾』戦法を使ったり、弓矢だの何だのを持ち込んだりしていましたから、このくらいやらないとインパクトがないかなと。
一弾流という流派については後々もっと掘り下げるつもりです。

ご感想・ご批評などございましたら、宜しくお願い致します。


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二回戦、始まります!

 一ノ瀬千鶴はゴーグルをずらして素顔を晒し、ずかずかと大股で以呂波らに歩み寄る。以呂波の方も美佐子の肩から手を離し、生身の左脚と作り物の右脚で地面を踏みしめ、前へ出る。

 姉妹は互いに彼女に息がかかるくらいの距離で止まった。双子ではないが二人の顔はよく似ていた。兄である守保とも似ている部分がある。ただそれはあくまでも目元や鼻、髪型などの「部品」が似ているだけで、その雰囲気は大分異なっている。明朗快活な以呂波に対し、千鶴は美しくも荒々しい印象を受ける佇まいだ。

 

 千鶴はじっと妹の顔を覗き込み、目を細めた。笑顔が消え、睨みつけるような目つきで。

 

「元気に歩けるようになったなぁ、以呂波」

「……千鶴姉」

 

 以呂波も姉を睨み返した。途端に険悪なムードが漂い始め、結衣が思わず飛び出そうとする。普段クラス委員として揉め事の仲裁をしている彼女の本能だが、晴がその手を掴んで止めた。大丈夫だとでも言うかのように微笑を浮かべながら。

 

「相手の車長を叩き落すのは止めたんだ?」

「必要なけりゃやらねーよ。戦車壊すのは好きだけど、人間壊すのはつまらねーから」

「でも得意でしょ」

「まあな」

 

 さらりと物騒なことを言う一ノ瀬姉妹を、学友たちはじっと見守る。千鶴の背後では炎上していたテトラークの火が消し止められていた。

 

「母さんに無断で戦車道やるのは楽しいかよ?」

「楽しいよ。とっても」

 

 以呂波は毅然と言い放った。彼女にとっては右脚を失い戦車道を辞めさせられた時点で、自分は一ノ瀬家に必要ない人間だと言われたようなものだった。そして今更実家から何を言われようと、もう後戻りはできない。

 

「今の所は母さんも黙ってるけどさ、覚悟はできてるのか?」

「私はもう、千種学園の隊長だから」

「そうかよ。なら……」

 

 ぐっと以呂波に顔を近づけ、千鶴はふいに笑みを浮かべた。そして次の瞬間、片腕で以呂波の首を抱き寄せた。空いた手で荒っぽく髪を撫で回し、以呂波の義足が少しよろめいた。思わず姉の肩に掴まってなんとか踏ん張る。

 

「あたしは可愛い妹の味方だ、よ!」

 

 姉の言葉を聞き、以呂波の表情にも笑みがこぼれた。久々の荒々しいスキンシップである。

 

「ありがとう、お姉ちゃん」

「あたしらと当たるまで勝ち進めよ」

 

 そう言って妹から離れ、千鶴は踵を返した。長居は無用だとばかりに撤収を指示し、ケト車に乗り込む。彼女の部下たちは手際が良いようで、すでに被撃破車両の牽引用意もできていた。ざわつく観衆にも、以呂波にも一瞥すらせず、エンジン音を唸らせて発進する。ギャラリーが慌てて道を開け、三両の軽戦車が森の中を走り去って行った。

 

 その後ろ姿を見送る以呂波に、仲間たちが近寄ってくる。一時はどうなるかという雰囲気に包まれていたので、皆安堵の表情を浮かべていた。

 

「いいお姉さんじゃないかい。仲良いんだろうなと思ってたよ」

 

 晴が陽気に言った。彼女はおどけていることが多いが、意外と人をよく見るのだ。美佐子も何となく大事にはならないと察していたようで、特に心配している様子はなかった。

 

「はい。でも戦うことになったら手加減してくれないでしょうね」

「望む所だって! 勝ち進んで見せようよ!」

「そうよ。修羅場も慣れれば楽しみに変わるし」

 

 気合いを入れる美佐子に、結衣も同調した。澪も頷く。自分が千種学園の隊長であることを改めて宣言した以呂波に、仲間たちの士気も高まった。船橋もまた、その役目を引き受けてくれた彼女に感謝の念と、頼もしさを感じていた。

 

 ふと、一緒に観戦していた癖っ毛の少女もひょっこり近くに来ていた。

 

「やっぱり、一ノ瀬以呂波殿でしたか」

「え? ああ、はい」

 

 ふいに名前を呼ばれ、以呂波は彼女の方へ向き直った。ふわふわした髪のその少女は恐らく船橋と同い年くらい、高校三年生ほどだろう。テトラークの履帯の構造を知っていた辺り、単なる野次馬ではなく戦車通のようだ。

 

「士魂杯の一回戦、動画サイトで見ました。お見事な戦いぶりでしたね!」

「いえ、粗末な采配で恐れ入ります。……貴女は?」

 

 尋ねられ、彼女は名乗ろうと口を開いた。しかしはっとしたように口を噤んで、視線を泳がせる。

 

「ええと……グデーリアンと覚えていただければ」

「電撃作戦の?」

 

 かつてヨーロッパ中を圧倒した、ドイツ軍機甲部隊の電撃作戦。その生みの親であるハインツ・グデーリアンを知らぬ戦車乗りはいない。特に戦時中に強力な戦車がなかった日本では、同盟国だったドイツの戦車隊に対する畏敬の念が強く、グデーリアンを敬愛する戦車道選手も多いのだ。この少女もその一人なのかもしれない。

 

「はい。いずれまたお会いできるかもしれませんので、本名はそのときに。では失礼します」

「はぁ……お疲れさまです」

 

 ぺこりとお辞儀をして、自称グデーリアンは立ち去る。船橋はその後ろ姿を見て考え込んだ。彼女の顔をどこかで見たような気がしたのだ。

 以呂波もまた、その言葉に何か含む物を感じていたが、すぐに思考を別のことに切り替えた。姉と戦うには二回戦で勝たねばならないのだ。

 

 “夜の魔女”アガニョーク学院高校に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……その後、千種学園は限られた日数ではあったが、夜戦訓練を行った。一弾流は大戦末期、本土決戦に備え訓練していた一部の戦車隊が母体となっている。その戦法は伏兵戦術のみならずゲリラ夜襲にも対応しており、戦車道流派になってからも受け継がれていた。現に以呂波は夜戦の経験も多いが、他のメンバーは皆付け焼き刃だ。アガニョーク校にどこまで対抗できるか不安もあったが、大会は待ってはくれない。

 それでもどうにか夜間でも戦えるレベルには達したし、地形を利用する作戦も立てた。敵情も偵察し、できる限りの備えはした。後は精一杯の奮闘努力だけだ。

 

 そうして迎えた大会当日。

 夜のフィールドに両チームは集結した。夜間のため直接観戦に来ている人間は少ない。空きの多い観客席に腰掛け、八戸守保は温かいコーヒーを飲みながら試合開始を待っていた。会場の巨大モニターには準備に励む両チームの映像が映し出されており、アガニョークの新兵器・SU-100自走砲の姿もあった。

 

「100mm砲をまともに喰らえば、タシュの正面装甲も耐えられませんね」

 

 熱いコーヒーを手渡しつつ、秘書が言った。それを受け取りつつ、守保は頷く。何せティーガーやパンターなどを正面から撃破可能な砲である。タシュの正面装甲は傾斜付きの120mmだが、それでもまともに被弾すれば1000m以上先から撃破されてしまうだろう。夜間故に射程も限られるだろうが、相手は夜の魔女と謳われる面々だ。

 

 しかし守保はそれよりも、画面の端に気になるものを見た。何か黒い棒の束を運んでいるクルーがいたのだ。それを別の少女が見咎め、カメラの方向を気にしながら何か指図している。

 思えばアガニョークの車両は先ほどからSU-100やSU-85、BT-7ばかりが映っており、数の上での主力であるM3中戦車四両は一度も映されていない。機密保持ならまずはSU-100を隠そうとするのではないだろうか。そして先ほど見えた黒い棒。

 

「……本当の切り札はM3かもしれないな」

「え?」

 

 社長の言葉に、秘書は意外そうに目を見開いた。M3中戦車は友好国への供与と、M4中戦車が完成するまでの間に合わせとして大量生産された戦車だ。戦車道でも十分戦力計上できる車両だが、とても切り札にはなり得ない。

 

「一回戦ではノーマルのM3リーだったようだが、その後手を加えたかもしれない」

「しかしM3の派生型はオープントップの自走砲や、回収車両くらいだったと思いますが。一応ラムもありますけど」

 

 ラム巡航戦車はカナダがM3をベースに開発した車両で、これも切り札にできる戦力ではない。オープントップのM7プリースト自走砲などは戦車道のルール上参加できないはずだ。しかし守保の頭には、一つの特殊な戦車が思い浮かんでいた。

 

「……一応、アレは戦車道で使えるはずだ」

「アレ、って何ですか?」

「分からなくても無理はないさ。アレを使うチームなんて、少なくとも日本には存在しないだろう。だが……」

 

 画面の半面には千種学園チームの様子が映し出されており、タシュの点検を行う以呂波たちの姿が見えた。未完に終わったハンガリー軍の試作戦車・タシュ。あのような代物がこの場にあるのだから、守保の脳裏に浮かんだ車両をアガニョークが持ち出してきてもおかしくはない。

 もし予感が当たっていたとしたら、以呂波は果たして気づいているのだろうか。あくまでも戦車ディーラーとして千種学園に関わっている守保は、諜報活動の結果までは聞いていなかった。

 

「アレが出てくるとしたら面白い試合になるだろうが、兄としては以呂波が少し心配だな。アレは特殊な車両だからな……」

「だからアレって何なんですか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、以呂波は兄の懸念を他所に最終ミーティングを行っていた。空には月が出ており、ある程度は視界が確保できるものの、やはり射撃や索敵は困難になるだろう。九五式装甲軌道車ソキには青い大将旗が掲げられ、三木たち鉄道部チームの表情も引き締まっていた。今回はソキがフラッグ車を務め、斥候はズリーニィI突撃砲、そして新戦力であるマレシャル駆逐戦車が担う。船橋よりも丸瀬や川岸の方が夜間視力に優れていることからの判断だ。船橋ら広報委員会の乗るトルディIIa軽戦車の役割は、敵副隊長車およびフラッグ車の撃破である。

 

 そして今回のフィールドはソキの特性を発揮できるものだった。地形は起伏のある草原と、川を渡った先にある市街地である。戦闘区域内には市街地へ渡る橋が三つあるのだが、戦車が渡れる橋は二つしかない。だが残り一つの橋は鉄道橋で、線路は千種学園のスタート地点近くを通っていた。軌陸車であるソキなら線路を通り、迅速に市街地へ隠れることができる。

 当然アガニョーク側もそれを予測してくるだろう。だが橋を通らなくては市街地に入れない以上、そのルートも限られる。火力の高いタシュ、トゥラーンIII、ズリーニィ、マレシャルの四両を集中運用し、市街地へ向かう敵主力を攻撃して数を削るのだ。トルディは橋付近で待機し、攻撃にも自軍フラッグ車護衛にも回れるようにする。

 

「敵は恐らく、副隊長車のBT-7を真っ先に市街地へ向かわせるでしょう」

 

 以呂波は船橋に告げた。BT-7快速戦車は主砲・装甲共に貧弱だが速度は出るし、45mm砲はソキの装甲など余裕を持って貫通できる。アガニョークの車両の中では最も、入り組んだ市街地への先鋒に向いている。SU-100などの自走砲は市街地に潜んで待ち伏せるのには向くが、攻勢を仕掛けるとなれば無砲塔の不利が出るのだ。

 

「そのときはBT-7を迎撃して排除してください」

「数を削って、フラッグ車を発見したら狩りに行くのね」

 

 強化されたトルディの主砲を見上げ、船橋は楽しげに笑う。40mm砲でもBT-7程度なら相手にできるはずだ。その後敵を市街地へ引きずり込んで決着をつけるか、草原で戦うかは敵フラッグ車の動きと、彼我の残存戦力を見て決める。それまでは当然、千種学園側も無傷というわけにはいかないだろう。だが数に劣っている以上、極力損害を減らすことを念頭に置かなくてはならない。自軍の偵察行動の成功と、敵斥候の撃破が重要課題だ。

 

「隊長殿。夜食とデコイはT-35に積み込んだぜ」

 

 サポートメンバーの男子生徒が報告する。以前トゥラーンの改造を担当した、鉄道部の男子だ。油汚れのついた作業着を着て、頭はヘッドライトを着けて作業に当たっていた。

 

「ありがとうございます、デゴイチさん」

「デゴイチじゃなくて出島期一郎だよ。……じゃ、ご武運を」

 

 名前を訂正した上で敬礼を交わし、彼は踵を返した。

 直後、以呂波は仲間たちに整列を指示する。準備を終えたメンバーたちはチームごとに並び、以呂波の言葉を待った。

 

「何度も言いましたが、戦車道とはいえ夜戦には危険が伴います。迂闊な発砲を避け、常に落ち着いて行動してください。今までの演習通りに戦えば大丈夫です」

 

 全体に訓示した後、マレシャルに乗る水産学科チームの方を見る。今回が初試合となる彼女たちだが、リーダーの川岸が常に陽気に振る舞っているためか、あまり物怖じした様子はない。

 

「初陣から戦果を上げなくてもいいから、指示したことを着実に実行して。何かあったらすぐ連絡してね」

「了解ッス。バッチリ偵察するッスよ」

「慎重にね」

 

 念押しした上で、以呂波は再び全員へと向き直った。試合開始時刻は近い。すーっと息を吸い込み、腹部に力を入れて彼女は叫ぶ。

 

「千種学園戦車隊は!」

「勇敢! 冷静! 仲良し!」

 

 全員が一斉に唱和し、続く「乗車!」の号令で各々の戦車に向かう。以呂波もタシュへ向かい、美佐子に肩を借りて車体の上まで押し上げてもらう。そして砲塔の上で澪が以呂波に手を貸し、続いて登ってきた美佐子と二人掛かりで引っぱり上げた。その間に結衣は操縦席に乗り込んでエンジンを始動し、晴は通信手席で回線を開く。

 乗員は戦車を動かす歯車だ。例えこちらに不利な夜戦であっても、自分についてきてくれるこの仲間たちを信じるしかない。

 

 覚悟を決めて、以呂波は車長席に身を収めた。

 

 




お読み頂きありがとうございます。
ようやく二回戦が始まります、お待たせして申し訳ありません。
次回は戦車戦になりますが、果たして以呂波の作戦通りに事は運ぶのか……?


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夜の魔女、猛襲です!

 夜風を切り裂き、線路上を小さな影が走る。軌陸車と呼ばれる、線路内外を走ることができる車両は世界中にあり、鉄道のメンテナンスなど様々な分野で使われている。しかし戦車に線路を走らせるという発想を実現したのは旧日本軍くらいだろう。もっとも工兵が戦車を持つことに関して兵科間での縄張り争いが発生したため、この九五式装甲軌道車ソキは非武装で生産される羽目になった。

 

 履帯を吊り上げ、その内側に仕込まれた鉄輪を使ってソキは鉄道橋を疾走する。軌道上では70km/h以上の速度が出るのだ。砲塔から顔を出す三木は鉄道部の帽子をかぶり、慣れ親しんだガタゴトという音と震動を楽しんでいた。やはり鉄道部は線路の上を走ってこそ本領を発揮するらしい。操縦士など他のクルーも皆楽しそうだった。

 

「道無き道を行くのもいいけど、やっぱり鉄道っていいわねぇ」

「だねー」

 

 談笑しつつも、三木は周囲の見張りを欠かさない。鉄道橋を渡って市街地へ入るが、市内は電気が消されており、相変わらず暗闇だ。ここがフラッグ車であるソキの潜伏場所である。当然敵もここを目指してくるだろうが、それを迎撃するのが以呂波の作戦だ。

 踏切の手前で三木は操縦手に停止を指示し、ソキの鉄輪は甲高い音を立てた。小ぶりな鉄道戦車はゆっくりと滑走して、丁度踏み切りの中央でピタリと止まる。学園艦の路面電車を運転している面々なので、線路上での操縦は慣れたものだ。

 

「履帯走行に切り替え!」

 

 号令に従い、吊り上げられていた履帯がゆっくりと降ろされる。バラストの地面に接地すると、今度は鉄輪を引き揚げて収納した。機械の動作がスムーズなのは整備を怠っていない証拠であり、鉄道部員中心に構成されたサポートメンバーの腕の証明でもある。

 

 履帯がカタカタと音を立て、ソキはゆっくりと軌道から外れた。遮断機の横を通り、アスファルトの道路へ出る。市街地の地図は頭に叩き込んでおり、潜伏場所も以呂波と相談の上で定めてあった。ただ隠れればいいわけではない。敵もソキが線路を通っていち早く市街に隠れることは想定しているだろう。敵襲に備え、退路を考えた上で陣取らなくてはならないのだ。逃げる際に線路が破壊されている可能性ももちろんある。

 だが三木は初陣の経験と猛訓練により、逃走に関してはいくらか自信を持てるようになっていた。銃眼に適当な機関銃を搭載しただけの車両なら、それで十分なのだ。

 

「みんなで生き残るよ。私たちがやられたら負けなんだから……」

「了解!」

 

 クルーたちと声を掛け合いながら、三木は気を引き締める。車長席の傍らには、川岸から授けられた大漁旗が置かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……草原を踏み越え、魔女たちが進撃する。彼女たちを乗せるのは箒ではなく、鋼鉄の戦車だった。正確には自走砲であり、ドイツの駆逐戦車同様に砲塔の回転しない対戦車車両である。傾斜装甲を用いた箱形の車体に長大な砲身を引っさげ、ずんぐりとした無骨な防盾でそれを支えている。いずれも傑作中戦車T-34をベースとしており、85mm砲搭載のSU-85三両と、100mm砲搭載型のSU-100一両が梯形陣を組んで走行していた。

 その背後にはフラッグ車であるBT-7快速戦車、左前方にはM3中戦車が走っている。夜戦に長けたアガニョーク学院高校のメンバーは暗闇でも見事に隊列を維持できていた。

 

 サイドテールを夜風に靡かせ、カリンカはSU-100のキューポラから前方を眺めていた。戦時中のソ連の戦車長はハッチを開けて周囲を見ることをあまりせず、敵発見が遅れたとされている。一方ドイツの戦車長は積極的にキューポラから顔を出して索敵した分、狙撃兵の餌食になることも多かった。しかし歩兵のいない戦車道ではそのリスクも低く、カリンカも直接外部を視察することを好んでいる。

 

《隊長。敵斥候、接近します》

 

 先行している副隊長から通信が入った。BT-7に乗るラーストチュカはある程度戦車で移動した後、戦車を稜線に隠して徒歩で偵察を行っているのだ。カリンカは極めて冷静に応じる。

 

「数は?」

《二両。マレシャル駆逐戦車とズリーニィ突撃砲です。そのおよそ五百メートル後方に重戦車二両》

 

 夜間だというのに正確な情報を入手し、それを淡々と伝えてくる。これがラーストチュカという副隊長なのだと、カリンカはよく知っていた。池田流のはぐれ門下生である彼女には、隊長である自分も学ぶことは多かったのだ。

 信頼する右腕からの情報を、カリンカは即座に考察する。一回戦で千種学園はマレシャルを出していなかったことを考えると、新たなメンバーを迎えて出場させた可能性が高い。だからこそ経験のあるズリーニィと一緒に行動させているのだろう。千種学園の副隊長が乗るトルディは別方向から偵察しているのか、あるいはフラッグ車の護衛についているのか。

 

《このまま行くと、そちらに十時方向からぶつかります》

「了解。合図で斥候に陽攻を仕掛けて」

 

 陽攻とは敵の注意を引くための、偽の攻撃を示す。命じると共に、カリンカは後方を向いた。フラッグ車の車長がBT-7のハッチから顔を出しているのが、月明かりで見えた。カリンカ自身夜目が利くのだ。

 

「フラッグ車、前へ。M3の隊列に入りなさい」

《了解です、隊長》

 

 通信機から返事が聞こえた直後、自走砲の速度に合わせて走っていたフラッグ車が加速し、カリンカのすぐ横を通り抜けて行った。BT-7は快速戦車の名の通り、最高速度は52km/hと、第二次大戦期の戦車としては速い方である。自走砲たちを追い越してM3の隊列に加わると、再び速度を落とした。

 

 カリンカは敢えて斥候と接触する気でいた。相手は待ち伏せを得意とする一弾流であるが、フラッグ車を見れば攻撃を仕掛けてくるだろう。欠陥戦車のT-35などは論外だが、タシュやトゥラーンなどなら攻撃的な戦術も十分可能だし、実際に一回戦では最終局面で大胆な攻勢に出てきた。

 回転砲塔のないSU-100やSU-85もまた待ち伏せに向いた車両であり、相手の攻撃を迎え撃つ方が得意だ。敢えてフラッグ車がここにいることを教えてやり、主力を引き寄せる。

 

「SU全車は右へ変針、回り込みなさい。M3は増速しつつ前進、照射準備にかかって」

「天津飯を使うんですか?」

 

 砲手が尋ねてくる。カリンカは頷いた。

 アガニョーク学院高校は戦車道に関しては弱小校に分類されるが、それはあくまでも規模の話だ。夜間戦闘に関しては乗員の練度も高く、見くびってかかってきた強豪校を完膚なきまでに叩きのめしてきた。そしてロシア系の学校であってもソ連戦車にこだわらず、入手しやすかったM3で数を揃えるという柔軟さもあった。

 

 しかし今年に入ってから、得意とする夜戦において一度敗北を味わっていた。相手は知波単学園、九七式中戦車を主力とする学校である。その屈辱をバネに、カリンカは更なる強さを求めていた。“夜の魔女”の名に恥じぬように。

 

「アガニョークの恐ろしさ、見せてやるわよ!」

 

 隊長の言葉に、クルー全員が「ураааааа!」の雄叫びを上げた。装甲板さえも、気合いに共鳴して震動しているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ズリーニィ、敵発見!》

 

 丸瀬の声を聞き、以呂波の表情は引き締まった。眠気覚ましのためにショカコーラ(ドイツのビターチョコレート)を食べていたクルーたちにも緊張が漂う。タシュの隣を走る大坪も、しきりに周囲を警戒していた。同学年の航空科生徒である丸瀬から見張りの重要性を教わったのだ。互いの得意分野を吸収しているのも、個性の強いメンバーたちがチームとしてまとまっている証拠だ。

 

《M3が四両。我々は茂みの後ろに隠れている》

《あっ、フラッグ車もいるッスよ! こっちへ向かってくるッス》

 

 丸瀬に次いで川岸の報告も入ってきた。以呂波は目を細める。

 

「確かにフラッグ車ですか?」

《我々も確認した。間違いない》

 

 丸瀬が断言する。彼女はメンバーの中で最も夜目が利き、注意力もあるため間違いはないだろう。すると敵はフラッグ車を正面に押し立てていることになる。決して堅牢とはいえないBT-7快速戦車をだ。

 

「囮かしら?」

 

 結衣が呟いた。以呂波の指揮や判断をよく観察している彼女は、戦車道における洞察力も磨かれてきている。

 以呂波もやはり囮ではないかと思った。アガニョークの切り札であるSU-100は無砲塔の自走砲であり、自分から攻めるよりは待ち伏せで真価を発揮するのだ。またこの暗闇では如何に夜戦の巧者と言えど、遠距離からのアウトレンジ攻撃は不可能だ。フラッグ車を餌にしておびき寄せ、近距離で伏撃を仕掛ける算段だろう。だが敵がこちらに気づいていないなら、ズリーニィで敵フラッグを狙撃することもできる。

 

 そう思ったとき、前方で発砲炎が光った。轟いた砲声がソ連製45mm砲のものであると以呂波には分かった。

 

「丸瀬先輩! 川岸さん!」

《くそっ、新手だ! 士魂のBT-7!》

 

 この士魂杯の由来であり、池田流のシンボルマークである『士魂』の文字。アガニョークの副隊長車だ。見張り能力に長ける丸瀬が不意に奇襲を受けてしまった。それも一回戦のような遠距離砲撃ではなく、懐へ飛び込まれたようだ。

 

《うおっ、こいつ速いッスよ!?》

《M3も接近してくる!》

「落ち着いて後退してください。すぐに向かいます」

 

 指揮官として、以呂波はあくまでも冷静だ。周囲の地形と夜間の射程から考えると、自走砲はもう少し先で待ち伏せているだろう。そしてフラッグ車を餌にそこまで釣り出すという、プラウダ仕込みの偽装撤退だ。

 

「大坪先輩、偵察班と合流して反撃します。相手が下がったら追撃しないように」

《了解、隊長!》

 

 トゥラーンの大坪から快活な返事が返ってきた。空気がピンと張りつめる。適度な緊張は必要だが、初の夜戦で皆が不安に駆られるのが心配だった。

 それを解きほぐすため、以呂波はちらりと美佐子を見た。平たい缶に入ったチョコレートをぽりぽりと齧っている。

 

「美佐子さん、ショカコーラ食べ過ぎ!」

 

 微かに車内に笑いが起こった。美佐子は笑顔で一ピース以呂波に差し出し、以呂波もそれを受け取って口に入れる。以呂波自身不安はあるが、指揮官がユーモアを言うだけの余裕があることを仲間たちに示しておきたかった。

 

 偵察の二両は無事に後退し、合流できた。回転砲塔を持ち正面装甲も厚いタシュとトゥラーンが先行し、突撃砲と駆逐戦車は後に続くよう指示する。先ほど襲撃してきたBT-7は何処かへ姿をくらませたようだ。また横合いから襲撃されないようにしつつ、M3の隊列へ向かう。夜戦経験もある以呂波は敵のシルエットがある程度確認できた。

 だが以呂波はふと奇妙なことに気づいた。M3やBT-7を使って自走砲の射程に引きずり込む作戦だと思っていたが、M3は速力を上げてこちらへ向かってくるのだ。しかも次第車両ごとの間隔を広げている。フラッグ車は横隊の後ろへ下がって行く。

 

 包囲するつもりかと思ったが、四両の相手を同数で包囲したところで押さえつけてはおけまい。ましてやM3は主砲が旋回せず、副砲は威力が低いため包囲には使い辛いだろう。また間隔を広げながらも一列横隊を維持しており、包囲に出てくるような動きではない。

 

 右脚の、義足との継ぎ目辺りがズキリと痛んだ。嫌な予感がする。

 

「一ノ瀬さん……」

 

 澪も静かな状況に同様の不安を覚えたのか、心配そうに以呂波を見た。四両のM3は砲撃も行わず接近してくる。夜間では砲撃が位置暴露になるので迂闊に撃てないし、だから以呂波もまだ発砲を命じていないのだが、敵の動きには何処か不気味さがあった。

 

「……タシュ、トゥラーン、躍進射撃用意!」

 

 暗闇でも命中は期待できる距離だ。以呂波は決心した。

 

「目標、敵横隊中央のM3中戦車! 発砲後は全車速やかに後退!」

《了解!》

 

 敵横隊はすでに90mほど間隔を取っている。正面方向にいる車両のみを狙った方が無駄な動きが少なく、隙もできないだろう。以呂波は仮に外れたとしてもすぐに後退するつもりでいた。

 

 

 だが停止して砲撃にかかろうという瞬間。

 前方に突如、壁が現れた。

 

「うわっ!?」

「な、何なのこれは!?」

 

 晴と結衣が驚愕の声を上げ、それぞれの席の覗視孔から顔を背けた。強烈な光が一面に広がり、視界が遮られてしまったのである。暗闇に慣れた目には直視できないような、巨大な光の壁が出現した。その光が敵戦車から放たれたものだと気づいたとき、以呂波はある特殊なM3中戦車を思い出した。

 

「グラントCDL!?」

 

 以呂波の反応は一瞬だけ遅れた。この特殊な戦車の存在自体失念していたことと、「まさか」という思いからだ。

 

 刹那、周囲に砲弾が着弾する。土煙が上がり、衝撃波が車体を震わせた。光のせいで発砲炎が見えず、砲撃の方向が分からない。M3の主砲か、自走砲の攻撃か。一方相手からしてみれば、以呂波たちの姿はこの光で照らし出されているのだ。

 

《前が見えん!》

《眩しい! 何なのこれ!?》

「全車散開しつつ後退! 後退!」

 

 叫びを上げる僚車の車長たちに指示を下す。結衣は光から目を背けつつも操縦レバーを離さず、タシュを後退させた。躍進射撃に備えていた澪は照準機を覗くことなどできず、目を堅く閉じていた。

 トゥラーン、ズリーニィ、マレシャルも後退を始める。敵は光を照射したまま追ってきた。エンジンや履帯がけたたましい音を上げ、時折砲声が轟く。以呂波以外のメンバーとしては、今まで経験してきた中で最も一方的に攻撃を受けていた。

 

「何あれ、太陽拳!?」

「天津飯ってそういう意味かい! 一本取られたよ!」

「落ち着いて! 散開して敵の隊列を崩……」

 

 そのとき。一際大きな砲撃音と共に、強い衝撃の余波が以呂波の肌へ伝わる。

 はっと左を向くと、先ほどからそこにいた僚車のシルエットが光の中に浮かび上がって見えた。前面装甲に弾痕が穿たれ、煙を吹き出している。そしてその砲塔上面から、白旗がせり出すのもはっきりと見えた。

 

 

 

《千種学園・トゥラーンIII、走行不能!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵一両、撃破!」

「よくやったわ」

 

 砲手に賞賛の言葉を贈りながらも、カリンカは無表情でじっと戦場を眺めていた。やはり100mm砲の破壊力は群を抜いている。それも敵の姿が照らし出されていれば、夜間でも遠距離からの砲撃が可能だ。

 

 M3グラントCDL。M3中戦車のイギリス軍仕様であるグラントをベースに作られた、夜戦特化戦車だ。M3の副砲塔に光度800万カンデラのカーボン・アーク灯を搭載、砲塔内でミラーに反射させ、単横陣を組んで相手に照射する。敵の目をくらませ、味方の砲撃を援護するという特殊な車両だった。これとSU-100を連携させれば、相手の視界を封じてアウトレンジ攻撃を行うことができる。夜の魔女の新たな切り札として、保有していたM3の砲塔を換装したのだ。

 

 強烈な光に照らされ、残る千種学園の戦車は散らばって横へ抜けようとしていた。グラントCDLの隊列を崩しにかかってくるだろう。敵主力を一両撃破したとはいえ、カリンカに油断は一切なかった。彼女たちの師であるプラウダ高校が、昨年の全国大会で犯した失敗をよく知っているからだ。

 

「照射、および撃ち方止め」

 

 命じた直後に光がすっと消え、交戦区域は再び闇に包まれた。グラントCDLが照射部の装甲シャッターを閉めたのだ。だがこれは攻撃の手を緩めたわけではない。敵を追いつめておきながら猶予を与えたがため、プラウダ高校は大洗に敗れたのだ。

 慎重さと大胆さを併せ持ち、情報収集のため密偵まで派遣した義足の戦車隊長・一ノ瀬以呂波。彼女が自分の予想通りの女なら、カリンカが少しでも隙を見せればそこへ付け入ってくるだろう。CDLによる奇襲が成功した今、手を止めることはない。

 

「闇に紛れて隊列を組み直し、もう一度仕掛けるわよ!」

 

 続いて、カリンカは副隊長へ指示を下した。

 

「ラーストチュカ、予定通り敵本隊は私たちが押さえる! フラッグ車を狩りなさい!」

 

 




今回は少し字数多めになりました。
夜間戦闘って書くの難しいですね。
そしてM3グラントCDLなどという珍兵器を引っ張り出してしまいました。
二回戦はイギリス戦車にする構想もあったため、どうしても出したかったこの珍兵器のみは予定通り出しました。

ともあれようやく本格的に二回戦突入となりました。
今後も応援していただけると幸いです。
ご意見・ご感想など御座いましたら今後の糧にさせていただきますので、よろしくお願い致します。


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苦境です!

 夜の観客席はアガニョーク側の猛攻に沸いていた。全国大会には出ないまでも夜戦の巧者として知られていたアガニョークだが、グラントCDLという予想外の戦車を投入してきたのだ。このような特殊な車両の戦いは世界的に見ても珍しいものであり、千種学園の主力を即座に一両撃破した手並みは“夜の魔女”の異名に相応しいものだった。

 一際大きく興奮しているのは観客席の前列に座る、癖っ毛の少女だった。

 

「凄い凄い! まさかCDL戦車の戦いが見られるなんて!」

「せ、先輩、落ち着いてください……」

 

 席から立ち上がって身を乗り出す彼女を、友人らしき少女がなだめていた。二人とも私服姿で、癖っ毛の方はポロシャツにジーパンというあまり色気のない出で立ちである。もう一人はシンプルながらも女の子らしいワンピース姿だ。二人とも高校戦車道の界隈ではそれなりに名の知れた選手である。昨年の全国大会以降、ネット上では『忠犬』だの『首狩り兎』だのという渾名をつけられていた。

 

「千種学園だけでもレア戦車のオンパレードなのに、グラントCDLまで! 見に来て良かったぁ~」

 

 大声で感動する『忠犬』先輩に、後輩の少女は周囲を見回した。だが幸いにも他の観客は大画面に集中し、誰も二人の方は見ていなかった。

 

「秋山先輩、戦車を見るためなら地球の裏側まで行きそうですね……」

「それはもう、お金と時間が許せば何処へでもですよ! まあ今回は学校公認の視察だから旅費も戦車道経費から下りましたけど、さすがに外国までは行かせてもらえないでしょうねぇ」

 

 クビンカやボービントンに行ってみたいのですが、と癖っ毛の少女……秋山優花里は苦笑した。

 

 そうしている間にも試合は進行する。千種学園は市街地の方角へ脱出を試みているが、アガニョーク側は闇に紛れては先回りし、CDLによる照射と砲撃を浴びせて妨害していた。アガニョークの主力は回転砲塔を持たない自走砲で、グラントCDLもカーボン・アーク灯搭載のため副砲はダミー砲身になっている。相手に市街地へ逃げ込まれてしまうと、主砲を旋回できない戦車での追撃は困難だ。おそらく草原地帯で千種学園の本隊を足止めし、市街地へ隠れたであろうフラッグ車をBT-7で攻撃しようという算段だと予測できた。現に副隊長の乗るBT-7が主戦場を迂回し、市街地へ向かうのが画面に表示されている。

 

「千種学園は主力が一両やられて、これから巻き返せるんでしょうか?」

「我々も去年、何度も窮地に陥りました」

 

 後輩の質問に、秋山優花里は真っ直ぐ画面を見たまま答えた。

 

「それを乗り越える決め手となったいくつかのものを、千種学園が持っているか……それが勝負の分かれ目ですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《くそっ、まただ! 回り込んでくる!》

《各車散開後、八時方向へ退避!》

 

 仲間たちの声を聞きながら、船橋は顔に焦りを浮かべていた。彼女のトルディは市街地を走っていたが、無線に入ってくるのは本隊の苦境ばかりだった。トゥラーンが撃破された後、以呂波はすぐさま全隊を市街地へ退避させるべく指示を出したが、相手は巧みにその進路を遮っては目くらましを繰り返した。強烈な光のために有効な反撃もできず、これ以上損害を出さないようにするだけで精一杯のようである。

 

 船橋はすぐにでも救援に駆けつけたかった。軽戦車ながら40mm砲に換装したトルディが側方から突撃すれば、グラントCDLの隊列を乱せる。以呂波たちに脱出の機会を与えられるかもしれない。だがアガニョークがこちらのフラッグ車へ刺客を差し向けてくるのは明白だった。護衛に徹せよという命令が、隊長車通信手の晴を通じて届いたのである。

 

「大坪さん、怪我人はいない?」

 

 船橋は撃破されたトゥラーンへ問いかけた。味方がやられた際、普段は以呂波がすぐに乗員の安否確認を行う。だが今回はその余裕がなかったため、副隊長の船橋が通信を入れた。

 

《……みんな大丈夫です、先輩》

 

 返ってきた返事は、いつもの気さくで明るい大坪とはかけ離れた暗いトーンだった。主力たるトゥラーンに乗っていながら、抵抗らしい抵抗もできないまま真っ先に撃破されてしまったのだ。その心情は察するに余りある。

 

《ごめんなさい……してやられました》

「気にしないで! 次の試合で頑張ればいいのよ!」

 

 手短に励まして通信を切る。『次の試合』に進めるかどうかは自分たちの頑張り次第だ。少なくとも簡単に負けるわけにはいかない。指揮官である以呂波を信じつつ、船橋は自分の役割を全うすることに集中した。

 操縦手の方を蹴り、商店街の大通りを左折させる。駅へ至るルートで、この先が護衛対象との合流地点だ。

 

「三木さん、聞こえる? もうすぐ着くわ」

《こちら三木。今駅近くに来ています》

 

 肝心のフラッグ車車長は冷静さを保っているようだ。彼女も試合を経験して一皮むけたのだろう。

 市街地は大通りや駅には街灯が灯っているものの、そこから外れれば闇だ。無人となった駅前を横切り、暗い道に入ったところで反対側からソキがやってきた。小さな砲塔から三木が顔を出して手を振っている。船橋も手を振り返しつつ、隊長へ連絡を入れた。

 

「こちら船橋。フラッグ車と合流したわ。これから護衛に就くね!」

《よござんす》

 

 答えたのは晴だった。以呂波は本隊の指揮に専念しているのだろう。

 

 だがトルディとソキがさらに接近しようとしたとき、船橋はその道の奥に何かを見た。大通りから漏れてくる明かりのおかげで気づけた。45mm砲をソキへ指向しながら忍び寄ってくる、BT-7に。

 

「三木さん! 後ろに敵!」

 

 船橋が叫んだ途端、三木は反射的に操縦手の肩を蹴った。その反応の早さが生死を分けた。ソキが回避運動を取った次の瞬間には轟音と共に発砲炎が見え、そのすぐ側を徹甲弾が掠めたのである。空を切った砲撃は近くの建物に着弾し、一部が崩れる。

 

 一撃を外したBT-7はそのまま大通りへ至る道へ遁走した。船橋は一瞬逡巡したものの、操縦手へ追撃を命じる。他の敵が全て以呂波たちと交戦している以上、他に敵が来ることはないはずだ。この刺客を片付けて本隊の救援に向かいたい。40mm砲に換装したトルディIIaなら快速戦車程度は倒すことはできる。

 

「三木さんは退避して! BTは片付けるから!」

 

 相手が通ったのとは別の道を使い、迂回して大通りへ向かう。直接追っては大通りへ出た途端に反撃を喰らう可能性があるからだ。

 果たしてトルディが街灯の灯る商店街に出ると、BT-7は道の脇へ停車して待ち伏せていた。直接追撃していてはその目と鼻の先に躍り出ることになっていただろう。訓練時の模擬戦で以呂波によく使われた手だ。

 

 船橋が距離を取って追撃してきたため、BT-7の照準はやや遅れた。アガニョークの砲手が照準を修正するより早く、トルディがピタリと狙いを定める。

 

撃て(フォイア)!」

 

 号令と共に砲声が響く。だがそれと同時にBT-7も急発進したため、撃ち出された砲弾は空ぶった。

 逃走を図るBT-7が街灯に照らされ、砲塔に書かれた『士魂』の文字が見えた。ハッチから顔を出したセミロングヘアの車長と目が合う。あれがアガニョーク側の副隊長、通称ラーストチュカだ。自分より遥かに戦車道歴が長く、同じ副隊長としても相手の方が格上だと船橋は分かっていた。だがここで逃がすわけにはいかない。

 

「食らいついていくのよ!」

「了解です、委員長!」

 

 最高速度では相手の方が僅かに上だが、逃げ切られる前に攻撃するチャンスはある。操縦手はエンジンを全開にし、無人の町を疾走した。

 ラーストチュカは反撃するでもなく、船橋と前方を交互に見張りながら逃走を続けていた。だが不意に、追ってくるトルディに向けていた砲塔を反転させ、正面へ向けた。船橋は砲塔背面に何かが括り付けられていることに気づく。ポリタンクらしき容器だ。

 

 予備燃料かと思った瞬間、ラーストチュカがそれに手をかけた。同時にBT-7は左右へ激しく蛇行運動を始める。ポリタンクの中身が流れ出し、アスファルトの道路上にぶちまけられた。

 それが何かは分からなかったが、船橋は反射的に操縦手の右肩を蹴って回避を命じる。しかし車長と違い視界の悪い操縦手席からは、路上に広がった液体の範囲を視認できていなかった。

 

 液体の上にトルディが差し掛かりしぶきを上げた瞬間、その履帯に異変が起きた。それまでしっかりと地面を踏みしめて走っていた履帯が、ガラガラと音を立ててスリップし始めたのだ。回避運動を取ろうとしていた慣性に従い、車体が右に大きく滑っていく。

 

「せ、制御不能!」

 

 操縦手が悲鳴を上げた直後、船橋は自車が道脇の電信柱へ突っ込んでいくことに気づいた。

 

「総員対ショック姿勢!」

 

 叫びつつ車内に体を引っ込める。刹那、ズシンという衝撃が体を揺さぶり、彼女たちの戦車は行き脚を止めた。

 

 体を機械類に打ち付けずに済んだ船橋は再びハッチから顔を出す。トルディは正面から電信柱に激突し、柱を傾けていた。それは戦車道連盟が弁償するルールになっているためどうでもいいとして、車体の損傷がないかを素早く確認する。この程度では撃破判定も出ておらず、履帯も無事だ。砲身をぶつけていないか心配だったが、それもなかった。

 

 そして鼻をついた臭いで、何が起きたのか分かった。

 

「石鹸水……!」

 

 戦時中にレジスタンス組織が使ったと云われている手口だ。石畳やアスファルトのような硬い地面に石鹸水を流せば履帯は摩擦が減り、滑って空転を始めてしまう。現用戦車には到底通用しないだろうが、軽戦車のトルディならスリップしてもおかしくはない。

 

 『士魂』のBT-7は走り去り、再び路地へ入って行く。船橋の背筋を悪寒が走った。

 今、フラッグ車は丸裸なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トルディが擱座! 撃破判定出ず、どうにかこうにか脱出しようとしてるけど、フラッグ車は護衛なし!」

 

 陣頭で指揮を取る以呂波の耳に、再び凶報が飛び込んできた。冷静沈着かつ勇敢な彼女でさえ、冷や汗が流れ始める。自分たちは敵の『光の壁』と自走砲の砲撃を突破できず、フラッグ車に守りはない。ソキの足ではBT-7から逃げ切れないだろう。そして今残された本隊戦力は自分の乗るタシュ重戦車、航空学科チームのズリーニィ突撃砲、今回が初陣の水産学科が乗るマレシャル駆逐戦車の三両。これで敵の目くらましと怒濤の砲撃を突破し、市街地へ駆け込まなくてはならない。

 

 トゥラーン以降誰も撃破されず耐えているのは以呂波の卓越した回避技術もあるが、相手が撃破より足止めを重視しているからだろう。実際にこのままでは、千種学園側のフラッグ車・ソキがアガニョークの『刺客』によって撃破されるのみだ。

 

「さすがに不味いわよ、これ……」

「……撃つに撃てない」

 

 車内にも動揺が広がりつつあった。結衣や澪はCDL戦車の照射攻撃がくる度、操縦や砲撃を妨害される。普段能天気な美佐子や晴も、今が危機的状況であることはよく分かっていた。

 

「大丈夫! 三木先輩たちならやられないよ!」

 

 それでも、美佐子の明るさは底抜けだった。徹甲弾をいつでも装填できるよう抱きかかえたまま、以呂波に笑顔を向ける。

 

《そうッスよ! 私の大漁旗が守ってくれますって!》

 

 マレシャルの川岸もまた、この状況下で陽気な通信を入れてきた。だがさすがに初陣、その声に焦りと震えがあることを以呂波は聞き逃さない。それでもルーキーである彼女たちがこうして屈せずにいることに、以呂波は感謝した。

 続けて、晴が再び報告する。

 

「ソキから入電。私は大丈夫、必ず勝ちましょう……だってさ!」

 

 三木からの言葉を告げ、彼女も以呂波に顔を向ける。笑ってはいなかった。だが意思の強い瞳でじっと見つめてくる視線に、義足の戦車長は少し勇気づけられる。

 彼女の脳裏に過ったのは、母親から伝え聞いた一弾流開祖の言葉だった。

 

 

 

 ——諸君。日本は負けたが、我々の戦いは終わっていない。『不屈の戦車隊』はまだ生きなくてはならない——

 

 

 

 

《九時方向にグラント! 照射が来るぞ!》

 

 視力と見張り能力に優れた丸瀬が報告してくる。圧倒的に不利な状況下。だが以呂波にはもはや、諦めるという選択肢はなかった。手に入れた居場所に、この車長席に何が何でも踏みとどまらなくてはならない。例え作り物の脚であろうと。

 

 右の膝を手で押さえ、以呂波は告げた。

 

 

 

「これより、反撃に転じます。マレシャル、ヒラメ作戦用意!」

 

 




お待たせいたしました。
仕事が忙しくなりまして……ようやく更新できました。
石鹸水で戦車を倒すというのは某漫画を読んでいる方ならご存知かと思いますw
次回は早く書けるかまた遅くなるか分かりませんが、今後も応援して頂けると幸いです。

……ついでに、モンハンの二次創作も書いてみていたり……


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ヒラメ作戦です!

 夜の市街地を、二両の小型戦車が疾走する。とはいえ戦車と言えるのは追う側だけで、追われているのはあくまでも『鉄道車両』だ。九五式装甲軌道車ソキは速度で遥かに勝るBT-7快速戦車を相手に、必死の逃走を試みていた。

 

 『士魂』の文字が入った砲塔から、ラーストチュカは標的を見据える。戦車の皮を被った鉄道車両は大した速度ではなく、BT-7でなくとも大抵の戦車なら追いつけるだろう。前髪の下で瞳をぎらつかせながら、乗員たちへ指示を出す。

 

「止まれ、撃て!」

 

 短く立て続けに繰り出した命令を、操縦手と砲手は的確に実行した。耳障りな摩擦音を立てて戦車が急停止し、阿吽の呼吸で砲手がトリガーを引いた。

 西部劇のガンマンさながらの早撃ち。だが45mm砲の一撃を、ソキは間一髪で回避していた。三木は躍進射撃を察知し、直前に右へ回避運動を取ったのだ。以呂波から教わった射弾回避技術の賜物である。

 

 思ったより良い動きをする……ラーストチュカは心の中でそう呟いた。今の躍進射撃を見切るくらいの能力はある、だが停止せずに行進間射撃すればどうか。

 

「速度を上げて肉薄せよ」

 

 冷めた声で命じつつも、彼女は戦闘の高揚感を感じていた。池田流戦車道は短期決戦に重点を置いた流派で、最も普及している西住流と似た部分もある。違いと言えば少数での襲撃戦を想定している点だ。このような状況で敵を追いつめるのは得意分野だった。

 操縦手も落ち着いた声で「了解」と短く応じ、戦車を加速させる。クリスティー式サスペンションの転輪が激しく回転し、夜道を疾走した。

 

 三木はハッチから顔を出し、ラーストチュカの駆る快速戦車を見据えていた。だがBT-7が増速したのを見て砲塔に引っ込み、続いて銃眼から機関銃を撃ってきた。断続的な銃声と発砲炎が見え、数発がBT-7の装甲に火花を散らして跳弾していく。さすがにラーストチュカも砲塔内に隠れたが、操縦手は一切臆することなく突撃した。虚仮威しに過ぎないことは分かっている。池田流の意気地はクルー全員に叩き込まれていた。

 

 距離が縮まっていく。蛇行して回避運動を取りながら逃走するソキだが、ギリギリまで肉薄すれば行進間射撃でも確実に命中させられる。BT-7の主砲の非力さを補うため、普段から高速で肉薄し接射する訓練を行っているのだ。ソキの装甲程度なら距離が遠くても貫通できるが、夜間で確実に命中させるには接近するのが確実だ。

 

 砲手が徹甲弾を装填した。二人乗り砲塔のBT-7では砲手が自分で装填するのだ。小振りな45mm砲弾を砲尾へ入れ、握り拳で押し込む。

 

 距離十五メートル……十メートル……。

 五メートルを切ったとき、ラーストチュカは号令した。

 

「撃て」

 

 砲手がトリガーを引く。必中距離からの砲撃……の、はずだった。

 しかし撃発の瞬間、二つのことが同時に起こった。正面に捉えていたソキが急停止し、BT-7の操縦手は追突を避けるべく左へ回避したのだ。練度の高さからくる反射的な行動だったが、射線は標的から外れてしまった。発砲炎と衝撃だけが空気を震わせる。

 

 BT-7は標的を追い越してしまい、ソキはUターンして路地裏へ逃げ込んでいく。

 

「申し訳有りません!」

「反転して追撃」

 

 苦渋の表情をする操縦手を責めることなく、淡々と次の指示を出す。だが再び砲塔から顔を出したとき、ラーストチュカは笑みを浮かべていた。あの距離で回避されるのは初めてのことだった。ましてや至近距離で急停止による回避を行うには相当な胆力が必要である。少なくとも逃げることに関して、ソキの乗員は高いレベルに達しているようだ。

 

「楽しませてくれる……」

 

 前髪に隠れた瞳が、妖しく光った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、双方の本隊は熾烈な砲撃戦を展開していた。とは言っても主に砲撃しているのはアガニョーク側で、千種学園はグラントCDLの照射に阻まれ、有効な反撃を行えずにいた。カーボン・アーク灯の強烈な光の中を、以呂波率いる戦車三両は必死に回避運動を取っている。ズリーニィの丸瀬やマレシャルの川岸も、以呂波の卓越した回避技術をある程度受け継いでいた。照射を受ける度、極力不規則に動いて逃走を図る。

 

「各車散開! 散開!」

 

 手で顔を庇いながら指揮を取る以呂波。すぐ側に落ちた砲弾が土煙を巻き上げ、衝撃波が彼女のポニーテールを靡かせる。恐らく100mm砲だと以呂波は察した。トゥラーンを撃破したのもそうだ。光の壁に阻まれて視界が利かないのをいいことに、相手は一方的に撃ってきた。以呂波たちが向かおうとしている、市街地の方向に立ちふさがったまま。

 

 だが千種学園の三両が散らばると、すぐに光が消えた。辺りが闇に包まれ、アガニョーク側は再び息を潜めて動き出す。CDL戦車は一列横隊を組んで同じ方向に照射してこそ威力を発揮できる。別方向からの攻撃には無防備になってしまうのだ。そのためグラントCDLも自走砲も頻繁に位置を変え、時にはフラッグ車を晒して囮にしながら、以呂波たちの目指す先に回り込んで攻撃を繰り返してくる。市街地への遁走を防ぐために。

 

 ならば、そのライトを消している間に仕掛けるしかない。予めマレシャルには伏撃用の装備を積んであった。

 

「マレシャルは窪地に停止して偽装開始、タシュとズリーニィは後進で退避!」

 

 月明かりの下、凛とした表情で指示を出す。僅かな間を置いて川岸の声が返ってきた。

 

《マレシャル、停車したッスよ!》

「お晴さん、撃ってください!」

「あいよ!」

 

 通信手は前方機銃の射撃も担当する。現代の戦車では廃止されている装備であり、戦車道においても使い道は少ない。だが機銃の曳光弾は敵の注意を引いたり、限定的ながらも照明として使用可能だ。

 晴は機銃のコッキングレバーを引き、しっかりと構えた。こうしている間にも結衣は射弾回避運動をしているため、左右に過重が加わるのだ。特に狙いは定めず引き金を引く。砲撃戦に慣れた耳には機銃の発射音が小さく聞こえた。短く曳光弾が連射され、数発撃ってトリガーから指を離す。それを三回ほど繰り返す。

 

「後進全速!」

 

 以呂波が叫ぶと同時に結衣がアクセルを一杯に踏んだ。直後に砲声が聞こえ、タシュがつい先ほどまでいた場所に着弾する。衝撃を感じながらも、以呂波は作戦が上手くいっていると考えた。夜戦での砲撃・銃撃は即ち位置暴露であり、相手もこちらの発砲炎を見て撃ち返してくる。探り撃ちをしていると思わせ、マレシャルから注意を逸らすことが目的なのだ。

 

 

 マレシャルの車長たる川岸は車体を地面の窪みに入れ、車体後部に丸めて積んであった偽装網を広げていた。水産学科の教材の網に、木の葉や布切れをつけて作った代物だ。それで車体の後ろ半分を覆い隠す。タシュとズリーニィが敵の方を向いて後進で逃げているのに対し、マレシャルは敵に背を向けたまま偽装を行っていた。背後からはCDL戦車の横列、そしてSU-85、SU-100が迫ってくる。

 

 偽装網を被せ終わると、川岸はそれを以呂波に報告し、狭い車内に身を収めた。ハッチを閉め、エンジンも切る。このまま動きはしない。彼女たちは後方から迫ってくる敵の中へ置き捨てられるのだ。

 

「ねえサヨリ、上手くいくと思う?」

 

 砲手が心配そうに尋ねてきた。

 

「敵に気づかれたら……次に撃破されるの、あたしらだよ」

「そうッスね」

 

 暗い車内で、川岸は素っ気なく答えた。恐怖心がないわけではない。ただ彼女は三木に語った通り幼少期に船から落ち、海上を漂流して九死に一生を得た経験がある。それでも尚海を愛し、漁師を志す川岸にとって、海という大自然に比べれば人間の作った兵器はまだ与し易い存在だった。人間が作ったものなら、人間が立ち向かえるはずだ。以呂波を見ていればそう思えた。

 

 敵部隊のエンジン音が迫る。ハッチを閉めているため外の様子はほとんど見えない。ただ機銃の発射音と、後方からの砲声が聞こえるのみだ。

 ゴトリ、と履帯が地面を踏みならす音が聞こえる。すぐ脇を敵戦車が通り過ぎて行くのが分かった。恐らくグラントCDLだろう。車高の低いマレシャルは地形の窪みに入って偽装すれば簡単には見分けはつかない。如何にアガニョークが夜戦巧者でも、CDLの光を頼りに砲撃していた以上、暗闇に再び目が慣れるまで多少は時間がかかるはずだ。それでもすぐ側を敵戦車が通り過ぎていく恐怖に、マレシャルのクルー三名は震えていた。

 

「……上手くいけばきっと、大漁ッスよ」

 

 仲間たちを励ますように、そして自分自身に言い聞かせるように、川岸は努めて能天気に振る舞う。時折聞こえてくる砲声が敵の物か味方のものか、朧げに音で区別がつくようになってきた。タシュとズリーニィも退避しながら砲撃しているらしい。とはいえそこまで厳密に狙い撃っているわけではなく、あくまでも囮になるためだった。

 

 エンジン音が先へと遠ざかっていく。だが後方にはまた別の音が近づいてきていた。恐らく前方にグラントCDLの車列、そして距離を置いて後ろにはSUシリーズが迫っているのだと川岸は察した。今彼女たちは敵の中央部に潜んでいるのだ。

 

 

 そして次の瞬間、前方の視界がパッと明るくなった。CDL四両がタシュとズリーニィ目がけて照射を始めたのだ。だがその後方に潜むマレシャルからは、光の壁の中にグラントのシルエットがくっきりと浮かび上がって見えた。

 

「エンジン始動! 左から二番目を狙うッスよ!」

「はいよ!」

 

 『何もできない』という恐怖から解き放たれた操縦手が、勇んでエンジンをかける。出島期一郎らサポートメンバーによって入念に整備されたエンジンはすぐそれに応え、唸りを発して目を覚ました。窪みの中ヒラメのようにじっとしていたマレシャルの車体を左へ指向する。主砲の可動範囲が限定されている無砲塔戦車にとって、操縦手による車体の方向制御は非常に重要だ。川岸らにはまだ丸瀬たちのような躍進射撃を行う実力はないが、停止状態なら十分な照準能力を持っていた。

 

 車体が停止し、砲手が微調整を行う。「もう少し右」という言葉を受け、操縦手は車体の向きをやや右へ戻した。そうしている間に川岸は徹甲弾を抱え、砲へ装填していた。狭い駆逐戦車の車内で75mm砲弾を装填するのは骨が折れるが、船上での作業に慣れている彼女はスムーズにそれをやってのける。

 

「照準良し!」

「発射!」

 

 砲手がトリガーを引いた瞬間、平たい車体から突き出た砲身から砲弾が、そして発砲炎が吹き出す。これが実戦における第一射となった。轟音と共にブローバックした砲尾から空薬莢がゴロリと転がり出る。

 ハッチから僅かに顔を出した川岸の目線の先で、グラントのシルエットが少し揺れた。

 

 直後、その頂点から旗が上がる。

 

《アガニョーク学院高校・グラントCDL、走行不能!》

 

 アナウンスを聞いた途端、川岸たちの心がグッと熱くなった。初試合の初弾で撃破を飾ったのだ。半分はビギナーズラックと言うべきかもしれない。だがそれで十分だった。グラントCDLは一両が撃破されたことで、残りの三両も動揺し、隊列を乱し始めたのだ。

 そこへ再び、砲声。ズリーニィによる素早い躍進射撃だった。初期の千種学園の要として厳しい訓練を課せられた丸瀬たちだけに、敵の隙を逃さず迅速に反撃に移ったのである。そしてそれも狙いを違わなかった。二両目のCDLにも白旗が上がり、残る二両が慌てて消灯する。

 

《こちらタシュ! こっちは敵中を突破して市街地へ突っ込むから、マレシャルは敵を攪乱しておくれ!》

 

 晴の声が無線機のレシーバーに入った。川岸の表情に笑みが浮かんだ。

 

「さぁて、今夜は大漁ッスよ!」

 

 




お読み頂きありがとうございます。
CDL戦車をどうしても出したくて出したはいいけど、その後のことはあまり考えていない私でしたw
まあ投稿まで時間がかかっているのはそれよりも、仕事の忙しさからですが。
次回以降、戦いは一層熾烈なものとなっていきます。
よろしければ今後も応援してくださると幸いです。


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鎬を削ります!

 防戦一方だった千種学園が、グラントCDLの壁に穴を空けた。観客席がにわかに活気づき、モニターに映る映像へ注目が集まる。アガニョークの本隊へ吶喊するタシュとズリーニィ。それを通すまいとするSUシリーズ。夜の闇を切り裂き、激しい砲撃戦が展開されていた。

 アガニョーク側は主砲を旋回できないため、梯型陣を取って死角を補おうとしている。だがタシュとズリーニィの躍進射撃は夜間でも正確で、加えてマレシャルの援護もあり、徐々に陣形を崩されつつあった。もはや千種学園がどのくらい保つかの問題と思われていた試合だったが、流れが変わり始めたのだ。

 

「マレシャルの車高の低さを活かしたな」

 

 モニターを見つめながら、守保は湯気を立てるコーヒーを啜った。千種学園は売りつけた戦車を有効に活用しているようだ。平たい形状のマレシャルなら偽装しやすいし、敵もカーボン・アーク灯の光を頼りに砲撃していた以上、再び暗闇に目が慣れるまで多少時間がかかる。それでも博打要素の高い作戦ではあったが、かつての以呂波ではこの戦局を打開できなかったかもしれない。堅実な采配だけでなく、大胆な作戦を行えるようになった証左と言える。

 

「突破して市街へ逃げ込んで立て直せば、勝機はありますね」

「そうだな。問題はフラッグ車がそれまで持ちこたえられるか、だ」

 

 九五式装甲軌道車『ソキ』は速力に勝るBT-7の追撃を懸命に回避していた。地の利を活かしつつ急停止や加減速を利用して巧みに射線をかわし、粘り続けている。乗っている鉄道部員たちは短い期間にも関わらず、「逃走」「回避」に関して極めて高い技量に達しているようだ。もしかしたら大洗女子学園の八九式中戦車のクルーにさえ匹敵するかもしれない。両者とも極めて装甲が薄く、攻撃力も期待できない車両だけに、逃げる技術については必然的に鍛えられたのかもしれない。

 だがBT-7を指揮するのはアガニョークの副隊長であり、そういつまでも逃げ続けられるものではない。乗員たちの疲労もある。以呂波たちが駆けつけるまで耐えられるかが勝負の分かれ目だ。

 

 ふと、守保は携帯を取り出した。震動に気づいたのである。表示されている名前は『一ノ瀬千鶴』。通話ボタンを押し、耳にあてがった。

 

「もしもし」

《あー、兄貴。今試合会場にいる?》

 

 前のようにいきなり怒鳴られることはなく、守保は胸を撫で下ろした。

 

「ああ、いるぞ。千種学園とアガニョークの」

《あたしも今来てるんだけどさ、試合終わったら会えないかな?》

「なんだ、久しぶりに甘えたくなったのか?」

《バカ兄貴。ビジネスの話だよ》

 

 ビジネスという単語を聞いた途端、守保は失笑した。どうにも千鶴に似合わない言葉である。彼女も戦車道においては策略を巡らせるが、普段はひたすら粗野で、しかし気風の良さで仲間たちを統率している。ビジネスなどという単語を、青年実業家である兄に向けて使うとは思わなかった。

 

《兄貴、笑ったな?》

「お前が生意気言うからだ。試合の後、ドリンク屋の前で落ち合おう」

《約束だぜ》

 

 その言葉を最後に電話が切れた。千鶴が何をしようとしているのかも気になるが、守保は一先ずモニターに意識を戻した。アガニョーク側は戦術の変換に出たようである。以呂波たちに隊列を突破される前に、自分たちが市街地へ逃げ込むことにしたのだ。残った二両のグラントCDLで千種学園がわを牽制しつつ、SUシリーズは退避していく。

 

 そしてモニターに映る戦車アイコンの一つに、『擱座』の表示が出た。マレシャル駆逐戦車が敵の砲撃を受け、履帯を切断されたようだ。以呂波たちは停止せざるを得なかった。トゥラーンをやられた今、75mm砲装備の駆逐戦車を置き去りにはできないのだ。

 

 対戦車自走砲を主力としている以上、待ち伏せが得意なのは相手も同じ。市街地を先に押さえてしまえばアガニョーク優位となる。窮地は脱しても、千種学園側はまだ苦戦を強いられる。

 以呂波だけでなく、全クルーの技量と団結力が試される時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……BT-7とソキの追撃戦は、観客やアガニョーク側が想像していたより遥かに長引いていた。フラッグ車に護衛がないにも関わらず、ラーストチュカは未だに仕留められずにいた。それでも焦りを見せず、ひたすら冷静に指揮を取り続ける。それこそ彼女がカリンカの右腕たる所以だ。

 

 イベント用のものだろうか、紅白の幕を張った大きなテントの脇を通り抜け、ソキが大通りから路地へ入った。街灯のない場所へ逃れようとしたのだろう。しかし夜目の利くラーストチュカにとって、相手が回避機動を取る余裕の少ない狭い道はむしろ好都合だった。

 

 操縦手の肩を蹴り、左折させる。だが曲がった瞬間、ラーストチュカは前髪の下で目を見開いた。

 路地一面に、朦々と煙が立ちこめていたのだ。

 

「副隊長、視界が……」

「怯むな。前進」

 

 苦し紛れの手段だとラーストチュカは判断した。路面上に発煙筒がいくつかバラ撒かれており、火が微かに見える。戦車自体に煙幕発生装置を積んでいるわけではない。この付近の地図は頭に叩き込んである、躊躇わず突破してしまえばすぐにまた尻尾を捕まえられる。

 

 だが突如、煙の中から炸裂音がした。同時に火花が散る。

 

 機銃の発射炎。煙幕で姿をくらませたなら、ソキが撃つはずがない。つまり石鹸水で足止めしたトルディが復帰し、先回りしてきた。

 ラーストチュカは瞬時に判断した。

 

「後退!」

 

 操縦手は彼女の声に従い、車体を再び大通りへと後退させた。しかしその直後、今度は大声で「停止」との命令が飛ぶ。

 

 刹那、砲声。BT-7の砲塔、その僅かに後ろを砲弾が掠めた。衝撃波でラーストチュカの髪が靡く。

 街灯に照らされ、砲声の主の姿が見えた。煙幕の中にいたはずのトルディIIa軽戦車が、大通りの側でBT-7を待ち構えていたのだ。ラーストチュカの停止命令がもう少し遅ければ、40mm弾はBT-7の砲塔側面を貫通していたことだろう。

 

「子供騙しが……!」

 

 ラーストチュカの表情が歪んだ。敵の使ったトリックに気づいたのだ。連ねた爆竹か何かを煙幕の中で炸裂させ、機銃の発砲炎に見せかけたのである。おそらくは今まで戦闘に関与しなかった、T-35の乗員の仕業だろう。彼女はそれにはまって後退し、まんまと敵の策に乗ってしまった。

 トルディはすぐに反転して逃げて行く。ソキに合流して護衛につくつもりなのだろう。

 

《……ラーストチュカ、聞こえる?》

 

 ラーストチュカが次の命令を下す前に、隊長車から通信が入った。カリンカの声がいつもより低い。

 

「ダヴァイ、隊長」

《敵が大胆になったわ。CDLが二両やられたけど、残りは市街地に退避した。貴女も合流して。仕切り直しよ》

「ダー、ダヴァイ」

 

 淡々と応じながらも、彼女は密かに誓っていた。必ずや敵共に、このツケを払わせてやると。

 

「東側の橋へ向かえ。味方と合流する」

「了解、市街地東側へ向かいます」

 

 エンジン音を響かせ、BT-7は闇夜を疾駆していった。

 

 その後ろ姿を見送り、路地からひょっこりと顔を出す少女がいた。T-35車長・北森あかりだ。彼女が路地で建物の裏手に隠れて発煙筒をまき、次いで煙幕の中に爆竹を放り込んだのだ。市街地でのフラッグ車逃走支援として、彼女と三木、船橋の三人で検討した策だが、こうも上手くいくとは思わなかった。練度の高い戦車乗りほど周囲の状況変化に敏感で、かつ瞬間的に判断を下す。それを逆手に取ったのだ。

 

「ふう、まずは一段落か」

 

 呟いて、北森はすぐ側の物体……さきほど戦車たちが脇を掠めて通った、紅白のテントへ歩み寄った。幕を垂らしただけの屋根の無いテントである。幕の裾をめくり、北森は女子としては大柄な体をその下へ潜らせる。

 幕に隔てられた内側には、彼女のT-35が隠されていた。大きな紅白の幕はその巨体をギリギリ隠せるもので、折り畳んでT-35の外側に括り付け、骨組みと一緒に運んできたのだ。これが今回のデコイである。以呂波は市街地内で農業学科チームを歩哨に使うつもりだったが、乗車のT-35が撃破されてはおしまいだ。そのためT-35の巨体を、市街地で違和感無く隠す方法を考えたのだ。

 

「お疲れさまです、リーダー」

 

 操縦手が笑顔を見せた。二年生で、北森の後輩だ。

 

「おう、流れ弾は大丈夫だったか?」

「ヒヤヒヤしましたけど、運良く当たりませんでした」

 

 言葉を交わしつつ、北森は愛するT-35の巨体へよじ上った。操縦手以外の乗員は全て歩哨任務に当たっている。彼女たちの報告を元に、ソキやトルディと連携を取って敵をおびき寄せ、罠を仕掛けたのだ。もっとも敵副隊長の熟練した回避技術により、トルディの砲撃は空ぶったわけだが。

 車長席に収まり、北森は無線機のスイッチを入れた。

 

「こちら北森。ソキにひっ付いてたBT-7は東へ向かったぜ」

《こちら三木。ありがとうございます。今船橋さんと合流しました》

 

 三木の声には安堵の色が感じられた。一先ずフラッグ車は無事だ。

 

《こちら一ノ瀬。お疲れさまです、素晴らしい活躍でした》

「当たり前だろ。で、次はどうすればいい?」

 

 隊長からの賞賛に手短に答え、北森は尋ねる。通信手の晴ではなく以呂波が直接通信を行っているということは、隊長車ら本隊は少し余裕が出てきたらしい。

 

《敵陣を突破して市街地へ逃げ込む計画でしたが、途中でマレシャルが履帯をやられ、敵が先に町へ逃げ込みました》

「……ってことは、ここも危ないか」

 

 先ほどのBT-7は仲間と合流しに向かったのだろう。千種学園としてはトゥラーンがいない今、履帯を切られて動けないマレシャルを置いて追撃はできない。そして敵が町の中をクリアリングしてくれば、いつかT-35の偽装も暴かれてしまうかもしれないし、フラッグ車も包囲される可能性がある。

 

《今の戦力でマレシャルを捨てて行くことはできません。加えてみんなの疲れも、無視できないレベルです》

 

 以呂波の言う通りだろうと北森は思った。夜間というだけでも疲れるのに、CDL戦車などというわけの分からない珍兵器に翻弄され、暗闇と強烈な光の両方と戦ったのだ。乗員の疲労は練習試合や一回戦の比ではないだろう。

 三秒ほど間を開けて、無線機から以呂波の声が聞こえてきた。

 

《北森先輩、白旗を作ってもらえますか?》

「白旗ぁ!?」

《積んである食料を包んでいる布を、バールか何かにくくりつけて白旗を作ってください》

 

 北森は以呂波の発言の意図が掴めなかった。まさか今更降伏するつもりとは思えない。

 しかし戦場における白旗とは本来、非交戦対象であることを示す物だ。降伏の際だけではなく、軍吏が敵軍へ赴くときにも使用する。

 

《船橋先輩に、アガニョーク側と交渉してもらいます。二時間だけ休戦してほしい、と》

 

 




お読み頂きありがとうございます。
結構間が空いてしまいました。

戦況が混迷しつつある中、以呂波は仕切り直しを図ります。
次回、船橋がアガニョーク本隊へ交渉に向かいます。
今後もお付き合いいただけると幸いです。


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休戦協定です!

 市街地へ至る橋を渡った先で、アガニョークの戦車隊は建物の陰へ分散し潜伏していた。敵戦車の本体ではなく履帯を狙うよう命じたカリンカの機転と、夜間で正確な射撃を行える砲手の技量によって退避に成功したのだ。戦車道において、履帯破損程度なら撃破判定はでない。完全に撃破された車両なら置き去りにもできるが、生きている車両を置いて行くのは惜しい。その心理を利用し、敢えて敵を生かして追撃を止めさせたのだ。

 

 合流したラーストチュカを敵への警戒に当たらせ、カリンカは部下たちに損害を確認させていた。撃破されたのはグラントCDL二両だったが、他の車両も無傷では済まなかった。まずSU-85が一両、履帯にズリーニィの砲弾が掠めて破損していた。千切れてはいなかったため何とかここまで退避できたものの、修理しなくては長く保たないだろう。そして隊長車であるSU-100も損傷を受けていた。

 

「やっぱり照準機が破損しています。……もう使い物になりません」

 

 砲手が落胆した様子で報告した。照準機は砲手にとって自分の目も同然なのだ。カリンカにとっても痛手だったが、彼女は動揺を見せない。自分が常に毅然と振る舞うからこそ部下がついてくると分かっているのだ。

 

「二号車は履帯修理を急いで。CDLは炭素棒を交換。万一敵が攻めてきたら、コロンバンガラ方式で囮になりなさい」

 

 CDL戦車のカーボン・アーク灯は炭素棒を電極とし、アーク放電によって強い光を発する仕組みである。炭素棒は放電によって消耗していくため交換が必要なのだ。かつて海軍艦艇に搭載されていた探照灯と同じ仕組みであり、コロンバンガラ島夜戦では日本海軍の巡洋艦『神通』が、この灯火で囮となって壮絶な最期を遂げた。危急の場合、カリンカはCDLに同じ役割をさせるつもりでいる。

 しかし決して仲間を捨て駒に使うつもりはない。あくまでも窮余の策であり、その後の反撃への布石だ。

 

「同志カリンカ! 軍吏です!」

 

 ラーストチュカが叫んだ。見ると夜道に白旗が翻り、ゆっくりと近づいてきていた。夜間視力に優れるカリンカたちには、それが千種学園の副隊長だと分かった。たった一人、徒歩で白旗を携えてやってくる。戦車道のルールでは人間への直接攻撃を禁止しているが、それにしても単身で敵戦車へ近づくには度胸がいるものだ。だが白旗を携えたその少女は怖じることなく堂々と歩んでいる。

 

 少し逡巡したのち、カリンカはキューポラから体を出した。

 

「隊長?」

「大丈夫よ」

 

 心配そうな砲手にそう言って、車上から地面へと降り立つ。サイドテールを風に揺らしながら、大股で軍吏の方へと進み出る。他のクルーたちが固唾を飲んで見守り、戦車のエンジンも切られた静寂の中で足音だけが響く。近づくにつれ、カリンカは相手の持っている白旗が、バールに適当な布を括り付けたものであると気づいた。急ごしらえで作ったらしい。相手の用件が何か、カリンカには察しがついた。

 BT-7に乗るラーストチュカに「おいで」と声をかける。犬でも呼ぶような口調だったが、副隊長は即座に自車の砲塔から飛び降りた。そっと隊長の隣に寄り添い、付き従う。

 

 二人と対峙する船橋は、相手がアガニョークの隊長と副隊長だと知っていた。副隊長の方は石鹸水でトルディを擱座させた張本人である。この休戦交渉をまとめられるかが、勝負の行方に関わってくる。責任の重大さを感じながらも、彼女の足取りは軽かった。話し好きな性格故、この任務もむしろ楽しんでいるのだ。

 

「用件は何かしら? 船橋幸恵さん」

 

 双方が接近した所で、カリンカが先に尋ねた。勝負ごとでは自分が主導権を握るのが流儀である。以呂波だけでなく船橋の情報もすでに調べていた。

 

「一ノ瀬隊長からのメッセージを伝えに来ました」

 

 対する船橋も怖じることなく告げた。胆力において、彼女は以呂波と並んでチーム内随一と言っていい。学校の統合前から広報委員として、他校との交流にも積極的に参加してきたのだ。それを知るから、以呂波も彼女に交渉を任せた。

 

「先ほどまでの戦いで、双方共にメンバーが疲労していることと思います。このまま戦闘を続けては怪我人が出る可能性もあり、一ノ瀬隊長はそれを心配しています」

「それで?」

「我々は二時間の休戦を提案します。如何ですか?」

 

 カリンカとしては予想していた通りの内容だった。自分たちも損傷を受けている以上、修理の猶予が持てるのは悪い話ではない。無論千種学園もマレシャルの履帯を修理してくるだろう。だがカリンカはこれを利用して、自軍有利に事を運ぶ策を考えていた。

 

 ちらり、と横目でラーストチュカを見る。視線に気づき、副隊長は小さく頷いた。隊長のご随意に……言葉に出さなくとも、そう言いたいことは分かった。本当はすぐにでも再戦したいのだろう。一見冷徹に見えるラーストチュカだが、実は喜びや怒りといった感情の起伏が人一倍激しい。表現が下手なだけなのだとカリンカは知っていた。

 一度彼女をクールダウンさせるためにも、休戦は受け入れようと考えた。

 

「休戦には賛成。ただし条件付きよ」

 

 凛とした表情で淡々と告げる。背後ではアガニョークのクルーたちがじっと見守っていた。

 

「市街地から千種学園の全戦力を退去させること。戦車も人間も、全部ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……擱座したマレシャルを守るように、タシュとズリーニィが市街地を睨んでいた。交渉の成否を待たず、川岸たち水産科チームは履帯の修理に取りかかっている。戦車の履帯を修理するのは大変に根気のいる作業で、暗い中を懐中電灯の明かりを頼りに行わなくてはならない。川岸たちも履帯交換の訓練は行ったがまだ要領を得ておらず、作業に慣れている結衣と腕力のある美佐子が手伝っていた。

 

 以呂波はタシュの車長席で船橋と連絡を取っていた。丸瀬も自車から離れ、タシュの砲塔へ登って見守っている。

 

「条件を飲みます。T-35、トルディ、ソキは市街地から退去し、本隊へ合流してください」

 

 そう告げると、船橋からは「了解」の返事が返ってきた。通信機を切り、ふと一息吐く。

 

「……いいのか? 敵は市街に立て篭るはずだ」

 

 丸瀬が意見した。自走砲中心のアガニョーク側にとって、市街地に陣取り敵を待ち受ける方が有利だ。千種学園の方はと言うと、トゥラーンが撃破された今、高火力と回転砲塔を持ち合わせる車両はタシュのみ。無砲塔のズリーニィとマレシャルは『突撃砲』や『駆逐戦車』と言った勇ましい名とは裏腹に、待ち伏せで真価を発揮する車両なのだ。入り組んだ場所に立て篭った相手に攻撃を仕掛けるには不利である。

 

 市街地にトルディでも残しておければ相手を撹乱できるし、T-35の乗員を何人か残しておけば相手の配置を探れる。だがカリンカの出した条件は「全車両の退去」ではなく「全戦力の退去」であり、戦車も乗員も両方だと念押しまでされた。試合中に選手同士で交わす協定は非公式なもので、破ったとしてもルール上は問題ない。ただモラルに反する行為であり、学園のイメージダウンになるのは間違いないだろう。

 

「それでも一度、戦力を一纏めにして立て直しを図るべきです。このまま戦っても消耗戦になるだけですから」

 

 言いながら、以呂波は地図を砲塔の上に広げ、懐中電灯で照らした。市街戦になった際に備え、待ち伏せに使えそうな場所には蛍光ペンで印をつけてある。そこを自分たちが使うことだけでなく、相手が使うことも想定していた。

 

「アガニョークが待ち伏せするポイントはおおよそ見当がつきます。だから……」

「隊長。休戦のことは審判に知らせておくかい?」

 

 晴が以呂波の言葉を遮る。以呂波はハッと顔を上げた。

 

「あっ、はい! お願いします!」

 

 いくら選手同士の非公式なものとはいえ、休戦協定を結んだことは運営に伝えておかなくてはならない。無気力試合と判断された場合、運営側が試合を中止させることがあるのだ。

 以呂波の傍らでは澪が砲塔ハッチから顔を出し、外の空気を吸っていた。CDLの目くらましに悩まされ、夜ということもあって目をしょぼつかせている。

 

「確かに、休息が必要だな」

 

 澪の様子を見て、丸瀬は呟いた。彼女の部下であるズリーニィの乗員たちも大分疲労しているのだ。丸瀬は制服の胸ポケットに手を入れ、小さなプラスチックの瓶を取り出した。日頃愛用している、疲れ目用の目薬である。

 上を向いて自分の両目に二滴ほど点眼し、数回瞬きする。次いでそれを澪にも差し出した。

 

「加々見も使え。スッキリするぞ」

「……ありがとう、ございます……」

 

 礼を言って受け取り、澪もその目薬を目に差した。染み込んでくる涼感にしばらく目を閉ざす。

 

「一ノ瀬、作戦を考えるのもいいが、自分も休んでおくべきだ。戦闘中から立ちっぱなしじゃないか」

「そうですね。では……」

 

 ゆっくりと車長席に腰掛け、右脚の生身の部分を撫で擦る。砲撃戦の中、義足の身でずっと車長席の上に立ち続け、キューポラから身を乗り出して指揮を取っていたのだ。戦闘中はアドレナリンの分泌によって感じていなかった疲労感が、じわじわと湧き出てきた。再戦時に持ち越さないようにしなくてはならない。

 運営への連絡を終えた晴が、通信手席から彼女を見上げる。いつものように陽気な笑みを浮かべながら。

 

「以呂波ちゃんも降りたらどうだい? マッサージしてあげるからさ」

「それがいいと思うぞ。北森先輩たちが来れば夜食も食べられる」

 

 ハッチから見下ろしつつ、丸瀬も言った。

 

「一休みして、思考力を研ぎすましておけ」

「……ええ。ありがとうございます」

 

 以呂波は隊長ではなく後輩として、先輩たちの厚意に甘えることにした。鉄の棺桶に乗っていても、この家族同然の温かみが嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

——憎しみを注げ 透明な聖杯へ——

 

 

——銃弾の如く 剣の如く 心臓を貫け——

 

 

――銃弾の如く 剣の如く 心臓を貫け――

 

 

 エンジン音に混じり、歌声が聞こえた。トルディ、ソキの小柄な車体の後ろをT-35の巨体が追い、橋へと向かう。歌声はその巨体の周りを歩く、農業学科チームのものだ。

 周囲にはアガニョークの戦車たちが駐車し、千種学園の戦車三両が目の前を通過していくのをじっと見守っている。休戦協定が結ばれた以上、ここで撃ち合いは起きない。千種学園の側は車長である船橋、三木、北森ら三人の他に操縦手のみが乗車しており、後の乗員は徒歩で自車に従っている。カリンカは千種学園が一回戦のように、T-35の乗員を歩哨として市街地へ残していかないよう、『車長と操縦手以外は戦車から降り、姿を見せたまま共に退去すること』と条件を付け加えたのだ。

 そのため各車両の歩みはとてもゆっくりだった。農業学科チームが口ずさむ、物騒な内容のウクライナ民謡が虚ろに響き、見張っているアガニョークの生徒たちは若干の恐怖を覚えた。

 

 

——我がウクライナは 決して滅びず——

 

 

——我らの名と コサックの名と 共に永遠なれ——

 

 

――我らの名と コサックの名と 共に永遠なれ――

 

 

 T-35の主砲塔から顔を出す北森も歌を口ずさみながら、ふと敵戦車の一両に目を留めた。SU-85である。砲撃戦で損傷したのか、履帯の交換作業をしているところだった。乗員は一年生と思われる小柄な少女たちで、作業の手を止めてT-35の巨体に魅入っている。街灯の明かりで見える彼女たちの姿は美しかったが、表情に疲労の色が見えた。

 

 北森は砲塔内に身を収め、砲弾の格納棚に手を伸ばした。本来砲弾が積まれている場所にはズタ袋がいくつか置かれており、その一つをむんずと掴んで再びハッチから顔を出す。

 

 T-35はゆっくりと進み、丁度履帯を直している少女たちの前を通過する所だった。北森は彼女たちに向けて袋を掲げ、投げ渡した。少女の一人が反射的に工具を放り出し、何とか受け取る。

 顔に油汚れのついたそのアガニョーク校生はゆっくりと袋を開け……中身を覗いた途端、その表情がぱっと笑顔に変わった。次いでその袋を大事に抱え、北森へ敬礼を送る。

 

 

 T-35には五つの砲塔に使う大量の弾薬を収納するスペースがある。しかし以呂波の戦術上、大して撃ち合いには参加しない。ならば使わない弾薬で満タンにするより、持久戦に備え、食料を搭載しておいてはどうか……そう提案したのはサポートメンバーの男子生徒・出島期一郎だった。これは重量の軽減と弾薬費の節約ができるというメリットもあったので可決され、弾の数を減らしてその分夜食を積み込まれていたのだ。

 そして女子からなる戦車道チーム故、甘味も含まれていた。

 

「……よし、これでいいよな」

 

 呟きつつ、北森も笑顔で答礼した。腹を空かせている奴がいてはいけない……それが統合前の母校・UPA農業高校で学んだ、彼女の信念だった。例え対戦相手であっても同じである。

 残りの夜食は以呂波たちの所へ届けねばならない。北森は橋へ差し掛かる車列と、仲間たちが待っているであろうその先の暗闇を見据えていた……




御読み頂きありがとうございます。
あまり話が進んでないと思われるかもしれませんが、勘弁してください。
一度体勢を立て直そうとする千種学園ですが、アガニョークにもまだ隠し球が……


ときに、一つアンケートをば。
読者の皆様にはいつも応援していただき恐縮であります。
そして皆様は本作のどの辺りを見所として楽しみにしていらっしゃるでしょうか?

1・マニアックな戦車
2・戦車戦
3・キャラクター同士の掛け合いや成長
4・その他

お時間のある方はご回答いただけると幸いであります。
(その場合メッセージか活動報告の方へお願いします)
単なるご感想・ご批評などもお待ちしております。


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休戦協定です!2

「フラッグ車は履帯を外しなさい」

 

 市街地から千種学園の全車両が撤収したことを確認し、カリンカは命じた。BT-7快速戦車はクリスティー式サスペンション、そしてゴムタイヤ付きの複列式転輪を使用しており、履帯を外せば車輪で走行できるのだ。その速度は最高で70km/hを超える。

 加えてアガニョークのフラッグ車はT-34と同じV-2ディーゼルエンジンに換装し、BT-7M型仕様となっている。KV、ISシリーズにも使われ、戦後のMBT用エンジンの原型にもなった傑作発動機だ。通常型の搭載するM-17Tガソリンエンジンより出力が高く、装輪時の最高速度は82km/hに達する。これを追跡できる車両は千種学園にない。

 

 フラッグ車の乗員たちが作業にかかったとき、ラーストチュカがカリンカに歩み寄った。片手にはT-35から放られたズタ袋を掴んでいる。

 

「同志カリンカ。敵からです」

 

 冷めた声で、しかしどこか憮然とした表情で告げる。カリンカは袋を受け取って中を覗くと、ビニール袋で小分けにされた揚げ菓子が入っていた。日本のかりんとうに似た細い生地を集め、固めたような形状である。表面にはドライフルーツが付着していた。北森から投げ渡された少女たちが、勝手に食べるのはよくないと思いラーストチュカに見せたのだろう。

 

「チャクチャクね。もらっておこうじゃない」

「敵の施しなど……」

 

 不満を口にしかけたラーストチュカの額を、カリンカの指がピンと弾いた。悲鳴こそ上げなかったが結構痛かったようで、冷徹な彼女も俯いて額を押さえる。

 

「頭を冷やしなさい。相手が憎くて戦ってるわけ?」

「……すみません、同志カリンカ」

 

 額を擦りつつ、ラーストチュカは素直に頭を垂れた。冷徹な仮面を被っていても本来気性の激しい性格だ。時折感情的になってはカリンカに窘められており、ラーストチュカ自身それが己の弱さであると分かっていた。

 

「そもそもアンタもたまに相手にお菓子あげるじゃない。次に無粋なこと言ったらシベリア送り六十ルーブルね」

 

 彼女の頭を撫でてやりながら、カリンカはぶっきらぼうに言う。怖々と様子を伺っていた下級生たちが「うわぁ……」と声を漏らした。彼女たちの師匠であるプラウダ高校では補習教室へ送られることを『シベリア送り』と呼ぶが、アガニョークの場合はカリンカが密室で執行する『くすぐりの刑』を表している。

 カリンカは後輩たちの方を横目で見て、ずいっとズタ袋を差し出した。

 

「一年生から順に回しなさい」

「ありがとうございます!」

 

 部下たちは笑顔で頭を下げ、袋を受け取った。

 カリンカは高校に入ってから戦車道を始めた身であるが故、伝統やつまらないプライドを嫌う。ただ純粋に刺激を求めて戦車に乗っており、それ以外のことに頓着しないのだ。その結果アガニョークでは戦車道部の敷居が低くなり、未経験者でも気軽に戦車に乗れる気風ができていた。幼い頃から戦車道を学んできたラーストチュカなどを差し置いて隊長に推されたのは、格式を廃する彼女の姿勢が後輩たちに親しまれたからだ。現にカリンカが隊長に就任してから、戦車道部の入部希望者が例年の倍に増えている。

 

 アガニョーク内でカリンカの方針は『インターナショナル流』などと呼ばれ、校風にもあっているため高く評価されていた。そして昨年度の『大洗の奇蹟』がきっかけで、この我流戦車道を引っさげて世に出ようという気運が部内で高まったのである。

 カリンカは戦車に乗るのが単純に好きだった。だから格式や伝統に胡座をかいている者たちを軽蔑し、日本戦車道の衰退と形骸化を進める老害と断じている。それらを粛正するのが、彼女の将来の目標。士魂杯への参加はその足がかりだった。

 

「……一ノ瀬以呂波」

 

 敵将の名を呟き、カリンカはSU-100の傾斜装甲にもたれかかった。鋼の冷たさを背中で感じながら、義足の敵手のことを考える。彼女は果たして、どのような思いを抱いて戦っているのだろうか……と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 市街地から離れた平原で、千種学園のクルーたちは身を寄せ合っていた。戦車を円形に並べて気休め程度の風よけとし、その輪の中で月を見ながら語り合う。

 マレシャルの履帯も修理が終わり、川岸たち水産学科チームも休息を取っていた。飄々とした川岸だが、さすがに初陣からこの激戦、さらには履帯修理も重なって疲れたようだ。グラントCDLを撃破したことについて先輩たちから賛辞を受け、それに笑顔で返しながら自車の装甲にもたれかかっている。

 

 船橋たち広報委員、そしてフラッグ車の乗員たる鉄道部チームは市街地での戦闘について以呂波に報告した。敵副隊長の能力は予想通りのもので、加えて石鹸水による妨害を行うなどの狡猾さを持ち合わせている……それを聞きつつ、以呂波は貧弱な九五式装甲軌道車でその追撃から逃げた手腕を賞賛した。

 

「まだ戦いは続きますから、ゆっくり休んでください」

「はい! 何か自信ついてきました!」

 

 折りたたみ式の小さな椅子に座る以呂波に、三木は元気よく言った。以呂波は自身の射弾回避技術をできる限り仲間たちへ伝授しているが、三木はそれを特によく習得していた。フラッグ車の大役を彼女たちに任せたのは正解だったと以呂波は確信した。

 

 ふいに、以呂波の肩が叩かれる。振り向くと北森が紙皿に盛った料理と箸を差し出していた。小麦粉の生地で具を包んだ半月型の品だ。

 

「ほら、隊長も食えよ」

「ありがとうございます。餃子ですか?」

「ヴァレーニキ。ウクライナ餃子だ」

 

 皮にひだが無いこと以外、水餃子に近い外見だった。ウクライナ人が古くから好む伝統料理で、ロシアなど周辺国家にも広まっている。

 

 以呂波は礼をいって受け取り、箸で一つ摘んで口へ運ぶ。一口噛んで目を見開いた。皮の中から溢れたのは肉汁ではなく、甘酸っぱい果汁だったのだ。

 

「中身はさくらんぼですか」

「ああ。野菜とかチーズとか入れてもイケるぜ」

「なるほど。美味しいです」

「タタールの菓子も作ってきたんだけど、さっきアガニョークに一袋やっちまったから全員分ないかもな」

 

 タタール人とはモンゴルから東ヨーロッパまでかけて活動していた、様々な遊牧民族を指す言葉だ。クリミア・タタールは十七世紀にウクライナ・コサックと同盟を結び、ポーランドと戦ったこともある。

 民族料理などのウクライナ文化も、北森たちが千種学園で存続させようとしているUPA農業高校の伝統だ。北森はガサツな言動の割に料理や裁縫など、所謂『女子力』が高いことで知られている。農業学科の男子から「おかーちゃん」と呼ばれて怒ることもあった。

 

「大坪が作った、ハンガリーの『煙突ケーキ』ってのもあるぜ」

「あはは、こんな豪勢な陣中食は初めてです」

 

 以呂波は義足の右脚を前に投げ出しつつ笑う。長期戦のための炊事車両を用意している学校もあるが、よほど財力に余裕があるか、食事に拘りを持つ学校でなくてはそこまでしない。中学生時代、試合中の食事と言えば乾パンやクッキー、カップ麺程度だった。

 

「U農が廃校になったのは今でも悔しいけど、大坪からハンガリー料理教わったり、船橋からオーストリアの料理を教わったり、丸瀬の曲芸飛行を見たり……統合されて良かったことも結構あるんだよなぁ」

 

 北森はしみじみと言う。すぐ後ろでは丸瀬がヴァレーニキを頬張りながら頷いていた。

 学園艦で暮らす学生たちは艦を第二の故郷と考える者も多い。それ故に複数の学校が合併してできた学園艦では出身校の違う生徒同士での対立も多く、千種学園とて例外ではなかった。特に学園艦の運行を担当する船舶科では、出身校ごとに作業規範が異なったため、統合当初は問題も起きたらしい。艦内で校舎が分かれているBC自由学園などに比べれば些細なことだったが、船橋が戦車道への参入を提案したのは生徒同士の融和という目的もあった。

 

 その船橋は今、談笑する仲間たちの光景をカメラに収めている。戦車道の指導と戦術立案は以呂波が行っているものの、チームを作るべく奔走したのは彼女だ。最初の頃はなかなか理解を得られなかったが、同調する丸瀬や北森、大坪たちと協力してチームの基盤を作った。来年彼女なしでやっていけるのかという不安は以呂波だけのものではないだろう。

 

 今はこうして統合前の四校と、以呂波や川岸たち一年生の意識と力が結集しつつある。これが何よりも大きな力だ。自分がそれを最大限に活かせれば、この戦いを乗り越えられる。以呂波はそう信じた。そしてその先にきっと、自分の進むべき道があるのだろうと。



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追撃戦です!

 それぞれの思いを抱えながら時は過ぎ、少女たちは再び戦いに向かう。市街地から信号弾が打ち上げられると、千種学園側もそれに応え、戦車に積んであった発射筒を降ろす。しばらくして空中に赤い光球が上がった。

 

「たーまやぁー!」

「たーがやぁー」

 

 美佐子と晴の能天気な声の直後、以呂波がエンジン始動を命じた。暖気運転である。七両が一斉に機関に火を灯し、戦車が唸り出した。一両、T-35だけはこの場にいない。予め鉄道橋の近くへ移動させていたのだ。戦闘再開と共に乗員は徒歩で鉄道橋を渡り、折りたたみ式自転車を用いて市街地内を偵察する計画だ。そして以呂波率いる本隊は戦車の渡れる橋を通り、正面から襲撃をかける。

 

「斥候隊、出動してください!」

《了解! 妹ども、橋を渡れ!》

 

 威勢の良い声がレシーバーに響いた。学園内で女コサックと呼ばれているのは伊達ではない。

 それからしばらくして、徒歩で橋の先を偵察していた丸瀬の声が聞こえた。

 

《こちら丸瀬。橋を渡った先に敵はいない》

「分かりました。ありがとうございます」

 

 以呂波の予想通りだった。市街地に入った瞬間に攻撃を受けても、即座に退避行動をとればフラッグ車は生き残れるだろう。アガニョーク側としてはもっと深くまで誘い込んで伏撃した方が、一挙に敵を殲滅できる。フラッグ車のBT-7を誘いの餌にして。

 だが伏兵戦術は一弾流の得意分野。以呂波はすでに敵の伏兵が予測される地点を地図上に洗い出していた。これらを排除しつつ、敵フラッグ車を追撃するのが彼女の計画だった。

 

「各車準備完了だとさ!」

 

 晴が笑顔で告げた。結衣は操縦レバーをしっかり握って命令を待ち、澪は照準機を覗いて集中力を高めている。美佐子も弾薬の収納を確認し、異常なしと報告した。

 キューポラから顔を出し、ゆっくりと一回深呼吸。前方の街を見据え、以呂波は命ずる。

 

「千種学園戦車隊、パンツァー・フォー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵部隊、動きました!」

 

 BT-7の車長が無線機に叫んだ。夜の魔女と呼ばれる彼女たちは夜間視力に優れている。自車の隠れている路地から顔を出して、橋を渡ってくる千種学園の戦車を双眼鏡でしっかりと確認できていた。その表情は真剣そのものだが、口元にはチャクチャクの食べカスがついている。

 渡ってくるのはタシュ重戦車、ズリーニィI突撃砲、トルディIIa軽戦車、そしてフラッグ車たる九五式装甲軌道車『ソキ』。T-35以外の車両全てが揃っているようだ。そのことを報告すると、カリンカの声がレシーバーに入った。

 

《作戦通り、敵を釣り出しなさい》

「ダー・ダヴァイ!」

 

 返答しつつ、素早く自分の戦車へ戻る。路地へ入ってくる風が、BT-7に付けられたフラッグを靡かせていた。軽快なステップで車上へ駆け上がると、彼女は滑り込むように砲塔へ身を収めた。

 

「始動!」

 

 命令に応えて操縦手がエンジンをかけた。V-2ディーゼルの唸り声が響き、戦車が目を覚ます。エンジンを切ってからそれほど経っていないので暖気は必要ない。操縦装置はレバーではなく、装輪走行用のステアリングを握っている。

 車長が肩を蹴り、アクセルが踏み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斥候に出ていた丸瀬を回収しつつ、以呂波たちは橋を突破した。その前方にBT-7が躍り出る。無線アンテナについたフラッグがはためいていた。

 

「履帯を外してある……」

 

 そうくるのではないかと以呂波は考えていた。整地上でなら走破性に長けた履帯より、速度に長けた装輪走行の方が逃げるのに向いている。快速戦車の足の速さに賭けようというのだ。

 

 カーブを切り、BT-7は蛇行しながら夜道を逃走していく。以呂波は即座に追撃命令を下した。タシュを先頭にその後ろがズリーニィ、一番後ろにはフラッグ車のソキと、その両サイドにマレシャルとトルディが並走している。敢えてフラッグ車を主力と共に行動させているのだ。これなら敵副隊長のBT-7が襲撃してきた際、即座に守りを固めることができる。

 

「敵の待ち伏せをかわしつつ、フラッグ車を追います! 三木先輩は後方警戒も厳に!」

《分かりました!》

《了解だ!》

《全力で行くッス!》

《同じく!》

 

 力強い返事を聞いた後、以呂波は操縦席の結衣へ目を向けた。

 

「V-2エンジン搭載のBTなら装輪で八十キロは出る。でも入り組んだ市街地でそれだけの速度を出し続けられはしない。食いついていけるかは……」

「私の腕次第ということね!」

 

 しとやかな結衣も熱くなっていた。優等生と言っても彼女は天才ではなく、秀才タイプだ。高い競争心を胸に秘めている。対戦相手に対してはもちろんのこと、もはや親友と言って良い以呂波にも密かに競争意識を持ち始めていた。そして、そういった相手と会えたことに感謝している。

 いずれ以呂波のように、戦車長として戦ってみたい。そのために彼女から多くのことを学ばなくてはならない。だからこうして、以呂波の脚として全力を尽くす。

 

 幸い街灯の明かりで視界は利く。敵を見失うことはなさそうだと結衣は思った。

 

「徹甲弾躍進射撃、用意!」

 

 以呂波が号令を下した途端、ズリーニィがタシュの横へ展開する。フラッグ車への攻撃はタシュとズリーニィが担当し、残りはフラッグ車の護衛に専念するのだ。タシュの車内では澪が照準を定めるも、蛇行を繰り返す相手を狙い撃つのは困難だ。それでも試みなくては、速力に勝るBT-7を撃破できない。

 

「停止!」

 

 命令の直後、ピタリと全車両が急停止する。履帯が摩擦音を立てた。トルディは砲塔を後方へ向け、不意の襲撃に備えている。

 美佐子が予め手にしていた75mm砲弾を押し込み、閉鎖機が音を立てて閉まる。

 

「装填よーし!」

「撃て!」

 

 タシュとズリーニィが同時に発砲。轟音と発射炎が広がる。だが紙一重の差でBT-7は回避運動を取っていた。二両の放った砲弾は砲塔の脇を掠めるのみだった。

 即座に再発進を指示しながら、以呂波は敵の伏兵を警戒した。そろそろ待ち伏せが予測される頃だ。直接後を追うのではなく、ときにはあえて迂回しながら伏兵をかわす。BT-7は懸命に逃げてはいるものの、千種学園側をあまり引き離さない速度を維持していた。伏兵の元へ誘っている証拠だ。

 

 BT-7が十字路を左折した。大通りへ出る道だ。

 

「砲塔十時方向、徹甲弾装填!」

 

 命じられた直後、澪は即座に砲塔を回転させる。美佐子も重い砲弾を棚から担ぎ出す。走行中のGがかかる中だが、腹の膨れた彼女は持ち前の体力を活かして砲弾を薬室へ押し込む。

 

「よっこら……せ!」

 

 砲弾の尻を握り拳で押すと、閉鎖機が閉まってその拳を弾く。

 

 やがて十字路に差し掛かると、BT-7の曲がった先で一両の自走砲……SU-85が主砲をこちらへ向けていた。

 

「撃て!」

 

 刹那、砲声。

 SU-85が撃つ前に、75mm徹甲弾がその装甲にめり込んでいた。傾斜装甲とはいえ高威力の砲を近距離から受けたのでは耐えられない。たちまち白旗システムが作動する。

 BT-7は隠れていたこのSU-85を避けながら曲がったが、その動きを以呂波は見逃さなかった。そこに敵がいると確信したからこそ、待ち構えていた敵よりも先に撃てたのだ。

 

 彼女の手腕に舌を巻きつつ、結衣が戦車を左折させる。戦闘不能になったSU-85の横を抜けて大通りへと出た。

 しかしそのとき、結衣も以呂波も異変に気づいた。

 

 百メートルほど先で大通りの街灯が消え、暗闇になっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《五号車、やられました!》

「見えてるわ」

 

 闇の中に身を潜めるSU-100。車長席から敵を、そして味方のフラッグ車を見据えつつ、カリンカは指揮を取る。休戦中に機銃で街灯を割り、暗闇の空間を作り出したのだ。

 SU-100の近くには二両残ったグラントCDLが、迫ってくる敵を闇の中から見据えていた。すでに砲塔内では炭素棒を燃焼させ、カーボン・アーク灯を発光させている。スリットの装甲シャッターを開ければ照射できる状態だ。二両で作れる光の壁は小さいが、市街地でなら十分敵の視界を塞げる。

 

「照射!」

 

 カリンカの号令で、強烈な光が闇の中に広がった。千種学園の戦車のみならず、味方のBT-7までその只中へ巻き込む。だが快速戦車は歩みを止めなかった。

 

「目を瞑って突っ切りなさい!」

《ダヴァイ!》

 

 CDLで敵砲手の視界が利かないのをいいことに、BT-7は回避機動を止めて直進した。道の中央を全速力で。カリンカに言われた通り視界を捨て、愛車との絆と戦車乗りの勘のみで疾走する。

 風を巻き起こしながら、快速戦車がグラントCDLの間をすり抜けた。

 

 グラントが発砲した。副砲はダミー砲身に換装されていても、車体に直接据え付けられた75mm砲は本物だ。照準は正確だった。しかしタシュの主砲防盾に弾かれ、止めることは叶わなかった。

 

 タシュもまた、車長と操縦手の勘を頼りに吶喊してくる。だがCDLの先には装填を済ませたSU-100が待ち伏せているのだ。

 

 今度は千種学園側から砲声。どの戦車が撃ったかは分からないが、75mm砲とおぼしき轟音だ。閃光に目を塞がれたままでの射撃だったが、なんとCDLの片方が被弾した。ライトが消え、白旗の作動音が聞こえる。

 

 千種学園側に運が味方しての、ラッキーヒット。しかしタシュはSU-100の射界に迫っていた。フラッグ車を倒さねば勝てないとはいえ、敵の指揮官車両を撃破すれば戦局はアガニョークに大きく傾く。千種学園がそれで機能不全に陥るチームだったとしたら勝ったも同然で、そうでなくとも撃破する価値は高い。

 しかし照準機が使い物にならない以上、ギリギリまで引き寄せなくては命中も期待できない。

 

「用意」

 

 静かな声で告げる。クルーたちも落ち着いていた。カリンカのことを信頼している証拠だ。

 

 やがてタシュの車体がCDLの合間を抜け、100mm砲のすぐ先へ……

 

 

 

撃て(アゴーニ)!」

 

 

 




お待たせ致しました。
一ヶ月近く間が空いてしまいましたが、何とか更新です。
もう少しでアガニョーク戦は終わりとなり、その後はいよいよ「彼女たち」が本格的に関わってきます。
それまでまた時間がかかるかもしれませんが、見捨てないでいただけると幸いです。


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接戦です!

 砲声が冷えた空気を揺さぶり、発砲炎が一瞬だけ闇を照らした。照準器が不要な至近距離からの砲撃。100mm徹甲弾の強烈な破壊力は、タシュの側面装甲を紙のように貫ける。

 しかし砲手の期待に反し、その一撃は敵戦車の砲塔前面……半円形の防盾を掠めたのみだった。貫通判定は出ない。

 

 試合開始から常に冷たい無表情だったカリンカの顔に、驚愕の色が浮かぶ。彼女の射撃管制に間違いはなかった。タシュの方が急制動をかけたため、偏差射撃のタイミングがずれたのだ。一ノ瀬以呂波という車長が、卓越した射弾回避技術を持っていることは知っていた。だがこの闇と光を利用した伏撃を見破ったのは何か。理屈では説明しきれない、戦車乗りの勘が作用したのは間違いない。

 

 タシュのキューポラから、少女が顔を出したのに気づいた。暗がりの中だが、一瞬だけ二人の目が合う。本当に一瞬のことだった。直後にタシュは急発進し、カリンカも追撃を命じる。以呂波はその場に長く留まっては危険だと判断し、カリンカの方も100mm砲弾を再装填する余裕はなかった。

 

「道を塞ぎなさい!」

 

 CDLに命じつつ、カリンカは敵隊長車を追う。仕損じても敵を分断できるというのがカリンカの狙いだった。

 

「ラーストチュカ。後ろは任せるわ!」

 

 

 

 

 

 

 

 命令を受けたグラントCDLは車体を横に向け、撃破されたもう一両に接近する。千種学園の後続部隊の前に立ちふさがる形だ。

 だが車体の旋回時にカーボン・アーク灯が横へ振れたため、千種学園のクルーたちに一瞬だけ視界が戻った。トルディを駆る船橋はグラントCDLの動きを視認でき、素早く40mm徹甲弾を装填する。

 

「撃って! この距離なら抜ける!」

「はい!」

 

 砲手がトリガーを引く頃には、再び閃光が視界を覆っていた。だがこの近距離での照準なら、半ば勘で合わせても十分だった。

 タシュやズリーニィの主砲に比べれば遥かに貧弱な40mm砲だが、対戦車ライフルだった頃とは比べものにならない轟音が響く。火薬の匂いが船橋の鼻をくすぐった。視界を塞ぐ閃光は消え、周囲が闇に包まれる。

 

《グラントCDL、走行不能!》

 

 暗闇で白旗は見えなかったが、アナウンスで撃破を確認する。だが船橋らは安堵する暇はなかった。

 

《後方から敵!》

 

 三木の叫びが聞こえた。エンジン音を轟かせ、BT-7が接近してくる。街灯の光で『士魂』の文字が照らし出された。

 

「三木さん、逃げて!」

 

 叫びつつ、船橋は後ろへ砲塔を向けた。ソキはすぐさま走行不能となったグラントの脇を抜け、逃走していく。それにズリーニィが続いた。

 しかしマレシャルだけはここにきて、経験不足故の判断ミスを犯してしまった。BT-7に主砲を指向しようと、車体を旋回させてしまったのである。真後ろにいる相手へ主砲を向けようとしても、回転砲塔を持たない駆逐戦車。快速戦車相手では、敵の接近までに間に合わなかった。

 

《ヤバッ……!》

 

 川岸の声が聞こえた直後、砲声が響いた。如何に傾斜装甲といえど10mm~20mm程度の厚みしかない。接近して放たれた45mm砲弾が食い込み、一瞬の間をおいて貫通判定が出る。白旗装置が作動した。

 

 船橋はBT-7を攻撃しようとするが、相手は撃破されたマレシャルの反対側にいた。彼女のトルディが回り込もうとする前に、BT-7はソキの追撃に移った。

 

「BTを追って! 何がなんでも仕留めるのよ!」

「はい! 委員長!」

 

 操縦手が即座にギアを切り替え、後を追う。ズリーニィは火力も乗員の腕も申し分ないが、主砲の旋回しない突撃砲は護衛には不向きだ。せいぜい盾になるくらいで、小回りの効く敵の排除は困難である。タシュが分断された今、敵副隊長のBT-7と渡り合えるのは回転砲塔を有するトルディのみだった。

 

 ソキは別の道へ入り、駅の方向へ向かって逃走する。敵フラッグを追い詰める策のためだ。街灯が割られたエリアを抜け、ある程度の視界が確保できるようになった。

 

《敵、後方より接近中! 宙返りで背後を取れ!》

《戦車が宙返りできるかー!》

 

 丸瀬たち航空学科チームの声がレシーバーに入った。このような状況でもボケをかます程度の余裕はあるらしい。ズリーニィは敵SU-85の待ち伏せを排除するため追従しているが、同時に自車をソキの後ろへつけて盾となっている。だがズリーニィは正面装甲厚こそ100mmあっても、後部に攻撃を受ければ耐えられないだろう。

 船橋の頭は冴えていた。即座に砲塔へ潜り、40mm砲弾を一つ持ち上げる。薬室に握りこぶしで押し込み、閉鎖機が音を立てて閉まった。敵副隊長は後方にも気を配っており、前半戦の動きからすると命中させるのは困難だ。

 だが行き脚を止める方法はある。ここは市街地なのだ。

 

「停止して、電柱を撃って!」

「やってみます!」

 

 瞬時に船橋の命令を理解し、砲手は照準を合わせる。操縦手がブレーキをかけて停車した直後、躍進射撃。40mm砲から発砲炎が広がる。

 放たれた砲弾、それはBT-7やソキよりも先……道脇の電柱を狙っていた。狙いにくい的だったが、その一撃は柱の根元へ直撃。ぐらり、と灰色の電柱が傾いた。

 

「三木さん、丸瀬さん! 突っ切って!」

《は、はい!》

《先輩のこういうやり方、好きですよ!》

 

 道へ倒れてくる電柱の下をソキが、次いでズリーニィが潜り抜ける。BT-7は後を追って増速するも、すでにコンクリートの柱が迫っていた。

 

 ラーストチュカが急回頭を命じ、柱と電線を避ける。地響きを立てて電柱が倒れこんだとき、BT-7はトルディめがけて反航していた。ラーストチュカの前髪の下で、ぎらつく瞳が船橋を見据えていた。憎いわけではないし、怒りもない。ただ決着をつけようという闘争心がそこにあった。

 

「やる気になったみたいですね!」

「ええ!」

 

 砲手の言葉に、船橋は力強く頷いた。

 

「ここでやっつけましょう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《こちらラーストチュカ。敵副隊長車を先に排除します。敵フラッグは駅方面へ逃走中》

《分かった。残りのSUはGD地点へ向かい、線路を押さえなさい》

「ダー・ダヴァイ!」

 

 SU-85の車長が、カリンカの命令に快活に答えた。残っているSU-85は二両。予想以上の消耗戦となっているが、千種学園側は少しずつフラッグ車から引き剥がされている。今ソキの護衛についているのはズリーニィのみ。そしてソキが再び線路を利用して脱出することも予測できる。先回りしてしまえば仕留められるだろう。

 

「ねぇ、今思ったんだけど」

 

 装填手の小柄な少女が、車長の方を見上げた。

 

「何?」

「バーニャでマッサージしてくれた子、あれから見ないよね」

「ああ、それ私も思ってた」

 

 夜間訓練の前、バーニャで出会った親切な少女。疲れが溜まっているところへマサージをしてもらい、良い気分になって戦車道部の情報をいくらか話してしまった。同日に起きたスパイ事件において確認されたスパイは一人だけだったが、わざわざ偽装飛行艇まで用意して脱出したことを考えると、他にも忍び込んでいた可能性がある。心当たりのある者はいないかと聞かれたとき、「まさか」とは思っていた。

 そして実際にあの日以来、その少女を見かけた者はいない。

 

「とりあえず、カリンカ隊長には黙っておこう」

「そうね。シベリア送りにされちゃう……」

「くすぐり回されるのはもう勘弁だわ〜」

「まったくあのドS隊長……」

 

 周辺警戒を行いつつも、乗員たちは私的な会話を行う。残っている敵が分散したことで心理的に余裕が出てきたのだ。しかし次の瞬間、彼女たちの背筋が一気に凍結した。

 

 

《通信機のスイッチ、入ったままよ》

 

 

 車長の表情が強張る。他のクルーたちも同様だった。

 

《詳しい話は試合の後に聞くわ。知っての通り私はドSだけど、あんたたちの活躍次第では寛大になるかもね。以上》

 

 カリンカの抑揚のない声が途切れ、しばしSU-85のエンジン音だけが耳に響く。

 お下げ髪の車長はゆっくりと拳を握り締め、愛車の装甲板を殴りつけた。

 

「みんな! 何がなんでも敵フラッグを仕留めるわよ! 私たちが生き残るために!」

「了解!」

「ダー!」

「是非もなし!」

 

 結果的に士気は大幅に向上した。督戦隊に銃を突きつけられているようなものではあるが。

 

 左隣にはもう一両のSU-85が追従している。目標地点まではあと少し。線路の近くに陣取ってしまえば、ソキの逃走は妨害できる。だが車長は念のためちらりと後方を見張り……目を見開いた。

 

「六時方向に敵! 突撃砲が……」

 

 叫びつつ操縦手の肩を蹴り、回避運動を取らせる。だがその瞬間には追ってきた敵戦車……ズリーニィI突撃砲が火を吹いていた。並走していたもう一両が後部に直撃を受け、行き脚を止める。やがて上面から白旗が飛び出した。

 

 慌てて周囲を見回してもソキの姿はない。つまりズリーニィはフラッグ車を丸裸にして、SU-85を狩りに来たということになる。アガニョークの戦車はフラッグ車が逃走中、SU-100はタシュと、副隊長車はトルディと交戦中で、SU-85以外にソキを狙える車両はいない。それを排除しようとするのは当然のことだが、何故位置が分かったのか。

 

「どうする!?」

「応戦するしかないわ! 路地へ入って!」

 

 

 

 

 

 

 

 ……ズリーニィとSU-85の交戦が始まると、建物の影で見守っていた少女が駅へと走り始めた。否、自転車を漕ぎ始めた。北森だ。

 人数分は用意できなかったものの、折りたたみ式の自転車を持ち込んでいたのである。T-35の乗員は鉄道橋を徒歩で渡って市街地へ潜入し、即席の銀輪部隊として索敵に当たったのだ。限定的ながらも彼女たちに機動力を与えることで、迅速に歩哨を展開することができたというわけだ。そのうち一人がSU-85の待機場所を発見し、それが線路へと動き出したのを北森が丸瀬に報告したのだ。

 

「こちら北森。丸瀬がSUを一両殺って、もう一両と交戦中だ。あたしは三木を手伝いに行くぜ」

《隊長車、了解》

 

 晴の返事を聞き、北森は全速力で駅へと向かった。

 

 千種学園の奮闘により、戦力差はもはやほとんどなくなっていた。しかし全てが以呂波の思い通りに進んだわけではない。各車両は離れ離れに分離させられ、敵フラッグ車を追っているのはタシュのみ。しかもカリンカの駆るSU-100がつきまとっている。

 ソキの特性を利用した策は成功するのか……以呂波の脳裏にその不安がよぎっていた。

 

 




お読みいただきありがとうございます。
来月は休みが四日ということで、執筆に割ける時間が今以上に減りそうです。
そうなる前にアガニョーク戦だけはなんとか書き終えたいところ……

ところでソ連の珍兵器で一つ、出したかった物がありまして。
それを出すために「アガニョーク学院高校VSマジノ女学院」なんてのをやるかもしれません。
まあ話の筋はできているとはいえ、実際に書くのはまだ先になるとは思いますがw

それと前の活動報告にも書きましたが、第二章一話に名前だけ出てきた「メイプル女学院(カナダ系)」、公式にほぼ同名の名前の学校があると知りました。
うっちゃっておくつもりでしたが、ちょっと思うところあって「タンブン高校(タイ系)」に変更しました。
調べてみたら全国大会に参加した十六校以外にもスイス系やルーマニア系の学校があるようですね。
……でも何故かハンガリー系がない。
本当に何故?
(持ってないけど月間戦車道とか見れば実は載ってるのかもしれませんが)


では、ご感想・ご批評などお待ちしております。


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鉄道作戦です!

 フラッグ車のBT-7はタシュから一定の距離を維持して逃げる。振り切らずにSU-100の前へ誘導しようとしているのは明白だった。以呂波は敢えてその誘いに乗り、見失わないよう追い続ける。SU-100の待ち伏せ地点を予測し、あわよくば排除する算段だ。

 キューポラから顔を出して周囲を警戒しつつ、義足で操縦手の肩を蹴って指示を出す。結衣の反応はまさに阿吽の呼吸だった。二本の操縦レバーを操る彼女はほぼ無心の状態である。以呂波の神経が作り物の右足を通じ、彼女に繋がっているかのようだった。

 

 そろそろ伏撃がくる。以呂波の勘がそう告げていた。曲がり角か、あるいは……

 

「……正面!」

 

 道が下り勾配に差し掛かるところで、以呂波はかろうじて敵の主砲を発見できた。地面の傾斜を利用し、車体の下半分を隠すハルダウン戦法だ。即座に結衣の右肩を蹴って回避運動を取らせるが、相手の発砲はなかった。それどころかSU-100は稜線から身を出し、タシュめがけて正面から接近してきたのだ。

 以呂波でさえ予想外だった。咄嗟に今度は左へ回避する。だがSU-100も同じ方向へ動き、正面衝突するコースを取ってきた。

 

 至近距離からの砲撃を試みているのだ。今から装填していては間に合わない。美紗子の怪力と、澪の照準能力でも無理だ。

 

「左急旋回!」

 

 命じた直後、タシュの履帯がアスファルトに擦れ、凄まじいスキール音を立てた。左に大きく触れた車体は硬い路面の上をドリフトする。SU-100の発砲はほぼ同時だった。結衣の急激な旋回が功を奏し、必殺の砲弾は空を切る。

 体にかかる強烈な遠心力に義足が耐え切れず、以呂波の体がよろめく。それを支えたのは美佐子だった。タックルするかのように腰に抱きつき、全身の力で以呂波の体を支えた。彼女の機転で以呂波は辛うじて立ち続ける事ができた。

 

 戦車が停止すると、以呂波は敵を見据えた。再び車長同士、至近距離で目が合う。

 

「徹甲弾装填!」

 

 すぐさま反撃に転ずる。以呂波の腰から離れ、美佐子が棚から砲弾を抱え上げる。砲尾にセットし、握りこぶしで一気に押し込んだ。その間に澪が黙々と照準を合わせる。

 

「装填完了!」

「撃て!」

 

 澪が発射ペダルを踏み込んだ。今度は発砲炎が夜道を照らす。だが近距離にも関わらず、SU-100はギリギリのタイミングで回避していた。敵の砲口を見て照準が合わさるのを察知し、急停車または急発進を行うという、以呂波と同じ回避方法だ。

 タシュの砲撃をからぶらせ、カリンカのSU-100は即座に路地を目指して退避していった。チューンナップされているのだろうが、フロントヘビーのこの自走砲を細かく操れるクルーの腕は大したものだ。

 

「逃げちゃう……!」

「フラッグ車の方を追って!」

 

 澪はSU-100の方が気になったようだが、以呂波はBT-7の逃げ去った方向へ向かうことにした。フラッグ車をキルゾーンへ追い込み、撃破する計画があるのだ。

 

 冷や汗の吹き出した以呂波の頰に、夜風が冷たく当たった。まさか回転砲塔を持たぬ自走砲で接近戦を挑んでくるとは。主砲の威力も砲手の腕も一級だろうに、何故あのような真似をしたのか。もしかしたら照準器が故障しているのかもしれないと以呂波は考えた。そうだとしたら、千種学園チームにとっては思いがけない幸運である。

 

「三木先輩から通信。出発進行だとさ!」

 

 晴が陽気に告げる。作戦の第一段階は上手くいったようだ。

 問題はタシュとソキだけでフラッグを追い込み、撃破できるか。船橋か丸瀬、どちらかが駆けつけてこれれば勝機はあるかもしれない。以呂波の不安はそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「撃て!」

 

 船橋の号令で、40mm砲が火を噴く。撃った直後には反撃を避けるため急発進する。

 トルディIIaの40mm弾、BT-7の45mm弾の火線が交差し、周囲の建築物に多数の弾痕が穿たれていた。路上に散乱した瓦礫を履帯で蹴散らし、二両の戦車は一騎打ちを続けていた。双方共に相手が如何に厄介な存在であるかを認識し、排除すべく戦っている。

 

 硝煙の匂いが夜道に漂い、エンジン音と砲声が響く。ときに互いの履帯が接触するまで近づき、即座に離れて敵の射線を回避する。まるで戦闘機のドッグファイトのような様相を呈していた。車長たちは砲塔から顔を出して敵を見据え、時折車内に身を納めて砲弾を装填する。

 

「委員長、敵の回避は一ノ瀬さん並です! 当たりません!」

「大丈夫! こっちにも当たってないわ!」

 

 クルーを励ましつつ、船橋は操縦手の肩を蹴る。BT-7の砲撃が空振り、背後にあった床屋の看板を粉砕した。戦車道選手は試合による市街地への被害に対し、一切の良心の呵責を捨てるよう教え込まれる。連盟が全て賠償することになっているのだ。

 

 

 相対するラーストチュカの方はぎらつく瞳で敵を睨んでいたが、その心中に怒りはほとんどなかった。むしろ喜びの方が勝っていた。この命をすり減らすかのような戦いこそ、彼女が戦車道に求めるものだった。池田流が仮想敵とするソ連戦車に乗っているのも、流派のしがらみとは無関係で戦いたいと思ったことがきっかけだった。

 今こうして新たな好敵手を見つけたことが、彼女の喜びだった。

 

 街灯と月明かりが照らす夜の街。その光を頼りに、二両の戦車は踊り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ズリーニィI突撃砲とSU-85の交戦は、船橋たちほど派手な撃ち合いではなかった。互いに無砲塔故、攻撃のチャンスが限られるからだ。だが車長であり航空学科チームのリーダーである丸瀬は、この戦いに一種の楽しみを見つけていた。双方共に武装は前のみを向いている。つまり……

 

「戦闘機と同じやり方で戦えるはずだ! 敵の名前も戦闘機っぽいしな!」

「この『SU』はスホーイのことじゃないから!」

 

 背後に回ってきたSU-85から逃げつつ、車内では能天気なやりとりが繰り広げられていた。背後から砲撃はあるが、之字運動を取っている目標にはなかなか命中しない。走行しながらの射撃ならなおさら命中率は低い。だが丸瀬たちも、あまり時間をかけてはいられなかった。

 

「マニューバーを駆使して背後を取るしかない。空戦と同じだろう」

「だから宙返りは無理だ!」

「ならこのままシザーズしつつ、速度を少し落とせ。そして合図と共に急停車、躍進射撃だ!」

 

 丸瀬はトレードマークのマフラーをなびかせながら、追ってくる敵を注視する。操縦手が指示通り速度を落とし、車間距離が縮まっていく。それでも蛇行運転……戦闘機ならシザーズと呼ばれる横方向への回避運動は取り続けた。

 再び背後から発砲。距離が近くなったとはいえ、回避運動のおかげで左へ逸れた。相手は増速し、さらに距離を詰めようとしている。接近して確実に命中させるつもりだろう。

 

 じわじわと縮まっていく車間距離。頃合いと判断した丸瀬は叫んだ。

 

「停止!」

 

 操縦手が急制動をかけ、履帯がスキール音を立てる。少し滑走して停止。

 するとズリーニィの脇をSU-85が通り過ぎていった。全速力で追ってきたため急停車に対応できず、追い越してしまったのである。ドッグファイトは単に急旋回や宙返りで相手の背後を取るだけではない。わざと追尾させ、速度差を利用して敵機を前に出すのも戦術の一つだ。

 

「装填しろ! 敵に照準!」

「右に五度動かして!」

 

 突撃砲の主砲もある程度は左右に指向できるが、基本的に車体自体を敵へ向けなくてはならない。照準器を覗く砲手の指示で、操縦手が信地旋回を行い調整する。

 

 背後を取られたSU-85は大慌てで旋回しようとするが、それは判断ミスだった。投影面積の広い車体側面をズリーニィへ晒すことになったのだ。

 75mm徹甲弾が装填され、閉鎖器が降りる。

 

「敵戦車よーそろー!」

「撃ェ!」

 

 トリガーが引かれ、マズルブレーキから発砲炎が広がった。猛訓練で鍛えた射撃の腕。近距離でしかも的が横腹を晒しているとなれば必中だった。衝撃音と共に煙が吹き出し、SU-85が大破炎上する。飛び出した白旗が夜風に揺れた。

 

「な? これがドッグファイトだ」

「……撃墜マーク描こうか」

 

 仲間と言葉を交わしつつ、丸瀬は比較的発育の良い体を車内に収めた。額の汗を拭いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「丸瀬先輩が85mmを片付けた!」

 

 タシュの車長席に立ち続ける以呂波に、晴が朗報を伝えた。

 

「船橋先輩はまだ敵副隊長車と交戦中!」

「船橋先輩にはそのまま敵を引きつけてもらってください!」

 

 流れる汗をそのままに、以呂波は叫ぶ。フラッグ車は再び以呂波らの前に姿を現し、付かず離れずの距離で逃げていた。澪が時折砲撃し、また同軸機銃を放つ。命中させることは期待していない。敵をキルゾーンへ誘導するためだ。

 そしてSU-100の動きは農業学科チームにより、時折報告されていた。

 

「私たちとソキ、ズリーニィでフラッグを仕留めます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 SU-85が撃破されたとの報告を聞き、カリンカは僅かに眉を顰めた。ここでズリーニィが敵に合流しては厄介なことになる。しかも二両のSU-85を倒すような腕だ。かといってラーストチュカを呼び出すことはできない。トルディを野放しにすることになるからだ。

 

 だがフラッグ車と連絡を取りつつ、カリンカは再びタシュの進路に先回りしていた。ソキを見失った上に、グラントCDLとSU-85全てを失った今、敵の隊長車だけは片付けねばならない。そうすれば後はゆっくりソキを探し、撃破できる。

 

「徹甲弾の残りは?」

「あと五発です」

 

 装填手が報告する。大型の砲弾故に搭載数は少ない。前半戦で景気良く撃ちすぎたか、とカリンカは思ったが、所詮後悔しても仕方ないことである。

 前方に踏切が見えた。周囲には建物や木があって見通しは悪いが、それだけに敵が回避運動を取れる余地が少ない。路地裏へ逃げ込む道はあるが、そうすれば側面を晒すことになる。

 

 SU-100はそのまま前進し、曲がり角の手前へ進む。ただの待ち伏せでは予測されてしまうことをカリンカは分かっていた。虹蛇女子学園のベジマイトほどではないが、一ノ瀬以呂波はそういった嗅覚を持つ指揮官なのだ。どの道照準器が使えない以上、肉薄して撃つしかない。照準器なしで砲撃する方法もあるが、SU-100では難しい。

 

 マスケット銃の時代さながら、相手の白眼が見える距離で撃つ。回避運動のしようがない距離で、だ。

 

《こちらフラッグ! 間も無く到着します!》

 

 レシーバーに入った声を聞き、カリンカは改めて気を引き締める。

 

「了解。停止して装填」

 

 操縦手がゆっくりと制動をかける。フロントヘビーなSU-100はデリケートな操縦が必要なのだ。停車後、装填手は重量のある100mm砲弾を抱えて装填する。

 やがて履帯とエンジンの騒音が近づいてきた。「用意」とクルーたちに告げ、カリンカは夜道を睨んだ。

 

 カーブを横滑りしながら駆け抜け、装輪状態のBT-7が姿を現した。砲塔から顔を出す車長はカリンカにちらりと視線を送ると、そのままSU-100の脇を通り過ぎ、踏切へと走っていく。

 次いで、それよりも大柄なシルエットが現れる。砲塔防盾にいくらかの傷を負ったタシュが、カリンカの前にその姿を見せた。

 

「突撃!」

 

 急発進したSU-100はタシュへと突貫する。だが以呂波はカリンカにとって予想外の命令を、クルーに下していた。

 タシュもまた、SU-100へ肉薄してきたのだ。

 

「止まって!」

 

 敵の意図に気づいたカリンカは停止命令を出すが、遅かった。重い衝撃が彼女たちを襲う。二両の戦車は衝突したのだ。

 SU-100は砲身が長い。高い初速を生み出すが、取り回しは悪かった。至近距離……砲口より内側まで肉薄されては攻撃できない。

 

 タシュもまた、砲身が体当たりの邪魔にならないよう砲塔を横へ向けていた。最初から体当たり狙い。目的はSU-100の撃破ではなく、止めることだったのだ。

 

 ハッと後方を振り向くカリンカ。丁度BT-7が踏切に差し掛かろうというときだった。金属同士の摩擦音を立てながら、線路上に大きな影が滑り込んできたのだ。

 戦車道の試合中、街中の鉄道は止められているはず。だが現れたのは確かに列車だった。

 

 九五式装甲軌道車は貨車の牽引も可能。駅に置かれていたものを引っ張ってきたのだ。

 

《よ、避けて!》

 

 無線機越しに聞こえたフラッグ車長の命令は半ば悲鳴に近かった。操縦手が急激にハンドルを切るも、すでに旋回だけで回避できる距離ではなかった。急ブレーキがかけられるが、次の瞬間には鈍い音を立てて貨車に衝突する。貨車は揺れて脱線し、ソキもそれに引きずられる形で線路から外れた。

 

 だがフラッグ車の行き脚を止めただけで十分だった。路地裏から姿を現したズリーニィが、その長砲身を指向していたのだ。

 

「逃げ……!」

 

 

 ……カリンカの言葉は、75mm砲の砲声でかき消された。

 貨車にぶつかったBT-7が、さらなる強烈な一撃を受けて横転する。ズリーニィの砲口周りに陽炎が立ち上った。そしてBT-7の砲塔からは、白い旗が。

 

《アガニョーク学院高校フラッグ車、走行不能!》

 

 アナウンスが耳に入り、カリンカはゆっくりと目を閉ざした。現実を受け入れるかのように。しかし、どこか満足げに。

 

 

 



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静かな夜です!

《千種学園の勝利!》

 

「勝ったあぁぁ!」

「鉄道部バンザーイ!」

 

 勝利の報せに真っ先に歓声をあげたのは、ソキに乗る鉄道部チームだった。三木も砲塔から身を乗り出し、川岸の大漁旗を振り回す。とても晴れ晴れとした笑顔で。

 だがそれもすぐに終わった。彼女はハッと我に返り、愛車から飛び降りる。視線の先には貨車への衝突の上横転した、BT-7がいた。中から乗員が出てくる気配はない。三木は大急ぎで駆け寄ると、ハッチの開いている砲塔を覗き込んだ。

 

「大丈夫ですか!? 大丈夫ですかっ!?」

 

 車内でぐったりとしていた乗員たちは、三木の呼びかけにゆっくりと顔を上げる。一応受け身は取れていたらしく、深刻な怪我はなさそうだった。未だ口周りに菓子の食べカスをつけた車長は、三木を見て微笑を浮かべる。

 

「……大丈夫よ。スパスィーバ」

 

 ロシア語で礼を言い、彼女はゆっくりと砲塔から這い出た。三木も手を貸す。本来彼女たちは戦車ではなく、何よりも『安全』を重要視する乗り物に乗っているのだ。

 

 BT-7の乗員三名はなんとか立ち上がり、ほっと息を吐く。するとそこへ駆けてくる、小柄な影があった。カリンカだ。

 

「あんたたち、怪我はない!?」

「全員無事です、同志隊長」

 

 背筋を伸ばし、少女たちは隊長に敬礼をする。握り拳のアガニョーク式敬礼だ。

 

「申し訳ありません、隊長。我々の責任……」

 

 車長の少女の言葉は途中で止まった。カリンカがポケットからハンカチを取り出し、彼女の口周りを拭ったのだ。そして「お疲れ様」の言葉とともに、三人の肩を順に叩く。少女たちの目にうっすらと涙が浮かんでいた。

 側から見ていた三木は、初めて出会った敵将カリンカに不思議な印象を抱いていた。無表情なのに何処か優しげな雰囲気が漂っている。以呂波や船橋とはまた違った、隊長としての風格があった。

 

 続いて、カリンカは三木に目を向けた。

 

「……これがあんたらの戦車?」

「は、はい!」

 

 ソキを指差して尋ねてくるカリンカに、三木はドキリとしながらも頷く。

 

「良いのに乗ってるわね」

「……え?」

 

 予想外の言葉にきょとんとする三木。そんな彼女を尻目に、カリンカはタシュの方へと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やったやった! 勝てたよ!」

 

 タシュの砲塔から飛び出し、美佐子がはしゃぐ。重い砲弾を走りながら装填したり、以呂波の体を支えたりといった重労働の後なのに、まだ元気が有り余っているらしい。

 彼女が操縦席ハッチを覗き込むと、結衣は全身の力を抜いて脱力していた。夜間戦闘の疲労が一気に出たのだ。元々運動ベタの彼女も、戦車道を始めてから大分体力はついたが、やはり美佐子のようにはいかないようだ。

 

「ほら結衣ちゃん、勝ったよ!」

「分かってるわよ。良かった……」

 

 微笑みながらメガネのずれを直し、美佐子と手を打ち合わせる。彼女がふと上……砲塔の方を見上げると、砲手席では澪がすでに寝息を立てていた。今までひたすら集中していたからこそ、眠気も疲労も気にならなかったのだろう。

 結衣が人差し指を口に当てると、美佐子も同じ仕草をして頷いた。

 

「嬉しそうだねぇ、みさ公は」

 

 通信手用のハッチから晴が顔を出す。いつも持ち歩いている扇子で顔を扇ぎながら、飄々として笑っている。

 

「お晴さんは嬉しくないんですか?」

「嬉しいに決まってるさ。本当に、ここは楽しい。ドタバタしててさ」

 

 扇子を閉じて美佐子の頰をつつき、晴は笑顔で嘆息した。

 

「あたしゃやっぱり、こういうチームの方がいいねぇ。落語の長屋みたいで」

 

 彼女らしい、だが何処か意味深な台詞だった。美佐子は笑ったが、結衣はその言葉に何か含むものがあるように思えた。

 

「長屋……ですか?」

「そうさ。浮世の情ってもんが一杯溜まってるじゃないかい。捨てちゃいけないものが、さ」

 

 それだけ言って、晴は座席にもたれかかった。幸せそうな笑顔で、目を閉ざして。

 

 

 

 

 以呂波は体当たりの前に着座し、耐衝撃姿勢を取っていた。勝利のアナウンスの後もしばらく座ったまま呼吸を整えていたが、やがてほのかに良い匂いを感じた。顔を上げると、ハッチからカリンカが見下ろしていた。サイドテールの髪が車内に垂れ、以呂波の頰をくすぐっている。鉄と油の匂いの中に漂ったのはその髪の香りだった。

 

「一ノ瀬以呂波さん。準決勝進出、おめでとう」

 

 淡々とそう言って、カリンカは車内へ手を差し出す。試合開始時の挨拶を除きほぼ初対面ではあるが、互いに相手のことはよく調べてあり、写真で顔も知っていた。以呂波は彼女の手を握り、ぐっと握手を交わす。表情の硬さに反し、暖かい手だった。

 

「ありがとうございます。紙一重の差でした」

「ええ。お互い、ここまでの消耗戦になるとはね。得意の夜戦で負けるなんて、夜の魔女も形無し……」

 

 ぼやくように言って、カリンカは軽く嘆息する。

 

「でも、楽しかった」

「はい。私も勉強させていただきました」

「……千鶴の妹にしては可愛げがあるわね」

 

 目を細めつつ呟くカリンカ。ふいに姉の名前を出され、以呂波は微かに目を見開いた。

 

「千鶴姉……姉をご存知なのですか?」

「私たち、一昨年辺りまではタンカスロン中心だったの。それで知り合ったわけ」

 

 タンカスロンは重量十トン以下の戦車限定のため、強力な戦車を揃えられない学校でも手軽に参加できる。正統派を自称する戦車道選手からは邪道呼ばわりされているタンカスロンだが、それでも連盟が禁止に踏み切らないのは、この非公式競技が戦車道衰退に歯止めをかけているのも事実だからだ。

 千鶴は決号工業で廃部となっていた戦車道部を再興させ、タンカスロンで部員を鍛えて名を上げたのである。そのことは以呂波もよく知っていた。

 

「私も千鶴も、正直今の日本の戦車道には不満があってね。いっそ壊してやろうか、なんて話もしたわ」

「戦車道を壊す、ですか……」

 

 姉が言いそうな言葉だ、と以呂波は思った。一弾流は日本の戦車道流派の中では連盟から冷遇されている。特に生身での戦闘など、現代戦車道で役に立たない『野蛮な教え』を伝承しないように、連盟からテコ入れされることも多かった。千鶴もかねてからそのことへの不満を漏らしており、西住・島田のような大手流派の権威が連盟を腐らせているとまで言って憚らなかった。実際のところは連盟の保守派よりも、文科省の干渉の方が悪影響は大きかったわけだが。

 カリンカもまた、似た不満を日本戦車道に抱いていたのだろう。千鶴と異なるタイプではあるが、どこか通じるものがあるのだと以呂波にも分かった。

 

「あいつはきっと勝ち上がってくる。貴女がどう戦うか、楽しみにしてるわ」

「……はい! 頑張ります!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……観客席からやや離れた屋台の前。戦車道の試合で使われる巨大画面は客席以外からも見ることができ、中には他の観客から離れた場所で観戦する者もいる。ここでも二人の女子高校生が飲み物を買い、画面を眺めていた。着ているのは紺色のセーラー服で、襟には決号工業の校章がつけられている。

 すでに試合は終わり、撃破された車両を回収車が運んでいくのが見えた。副隊長同士の対決……トルディとBT-7の戦いは決着がつかずに終わり、重大な損傷のない二両は並んで自走していた。

 

「“恐るべきカリンカ”と“災厄のラーストチュカ”……アガニョークの夜の魔女が夜戦で負けたか」

 

 買ったジンジャーエールをぐっと飲み干し、一ノ瀬千鶴は呟く。以呂波と似た、しかし荒々しさのある顔立ちは月夜の中で不思議な美しさを醸し出していた。妹の戦いぶりと計略を見届け、楽しげな笑みを浮かべている。この後の戦いが待ちきれない、と言うかのような表情だ。空になった紙コップをゴミ箱へ放り、傍にいる仲間へ目を向ける。

 

「こいつは以呂波の実力だけじゃない。千種の連中のこと、よく調べといた方がいいな」

「……偵察が必要かい?」

 

 千鶴を横目で見て、ショートヘアの少女は尋ねた。整った顔立ちだがやや目つきがきつく、耳にピアスの痕があった。前髪には茶色のメッシュが入っている。

 

「行ってくれるか、亀」

「あたぼうよ、鶴」

 

 言葉を交わし、彼女たちは互いにニヤリと笑った。気心知れた者同士の笑顔だ。

 

「ま、その前にサヴォイア女学園との試合だけどな」

 

 そのとき、千鶴は自分たちの方へ歩いてくる大人に気づいた。秘書を連れた、スーツ姿の兄だ。勘当されているとはいえ千鶴ら妹にとっては大事な兄であり、悩み事も両親より守保に相談することの方が多かった。だが久しぶりに直接出会った今、千鶴の要件は相談ではなく『商談』だ。

 

「兄貴ー! 久しぶりー! ビジネスしようぜ!」

 

 大声で兄を呼ぶ千鶴に、周囲の視線が一瞬集中するが、すぐにモニターへ戻った。なーに言ってんだか、と呟きながらも、守保は妹へ笑顔を向けていた。

 

 




お読みいただきありがとうございます。
ようやく二回戦終了です。
なんとか7月中に書けました。
8月は休みが少ないのでどの程度書けるか分かりませんが、お付き合いいただけたらと思います。


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登場人物・戦車メモ 2

水産学科チーム

第三章から加入。

 

川岸サヨリ

好きな戦車:特三式内火艇カチ

好きな花:小菊

・水産学科の一年生で、マレシャルの車長を担当。

・漁師の娘であり、海と魚をこよなく愛する。

・飄々とした掴み所のない性格だが根は真面目で、試合中は以呂波の指示をしっかり聞いて行動している。

・幼い頃に船から落ちて海上を漂流した経験があり、それが現在の人格形成や、戦車道への考えに影響を与えている。

 

 

使用戦車

マレシャル駆逐戦車

武装:DT-UDR No.26対戦車砲(75mm)

速度:不明(試験においてIII号突撃砲を上回ったとされる)

乗員:3名

・ルーマニアで開発されていた駆逐戦車。

・後に開発されるヘッツァーに類似した、被弾経始を強く意識した形状で、装甲厚は10mm〜20mmである。

・当初はソ連から鹵獲したT-60軽戦車の車体をベースとし、乗員は2名だったが、後にドイツから輸入した38(t)軽戦車のコンポーネントを用いることになった。

・試作5号、6号は試験の結果、射撃・走行性能においてIII号突撃砲を上回る成績を上げたとされる。

・1,000両の生産を目指していたが元々ルーマニアの工業力は低く、国内の工場・鉄道が爆撃されたことによって生産は遅れ、結局ルーマニアの降伏によって開発は中止された。

・開発にはドイツも協力しており、その形状はヘッツァーの設計に影響を与えたという説もあるが、定かではない。

・水産学科チームからは「ヒラメのような戦車」として親しみを持たれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライバル校

 

 

 

虹蛇女子学園

オーストラリア系の学校で、民族学及び自然との触れ合いを重視している。

艦上には多数のビオトープや、アボリジニーの暮らす大地を模したエリアがあり、天然の野山への野外実習も頻繁に行われている。

学園艦で絶滅したはずのフクロオオカミを目撃したという噂も絶えず、一部の生徒によって調査が続けられている。

生徒たちは精霊信仰と自然科学に興味を持つ者が多く、それらの分野で優れた研究者を輩出している。

戦車道部は結成されてから日は浅いが、演習場を広くとれることから訓練の質は高く、優れた練度を誇る。

指導に当たったのは島田流の師範代。

 

 

ベジマイト

 

【挿絵表示】

 

好きな戦車:CTL豆戦車

好きな花:アカシア

・虹蛇女子学園三年生であり、戦車道チーム隊長。右腕が義手のため、乗降が容易なCTL戦車で指揮を執る。

・名前の由来であるオーストラリアの食材が好物で、常にチューブ入りの物を持ち歩き、しょっちゅう食べている(そのため他校からは変人扱いされている)。

・ボーイッシュな性格で山歩きやバードウォッチングを好み、その中で培った野性的な勘や本能で敵の策を見破るが、右腕を失ってからはそれに加えて論理的思考も持ち合わせるようになった。

・その野生の勘は『生きたレーダー』とまで称される。

・自分と似た境遇で戦車道を続ける以呂波に興味を持ち、彼女と出会えたことを嬉しく思っている。

 

カイリー

好きな戦車:センチネル巡航戦車(全タイプ)

好きな花:アカシア

・虹蛇女子学園の副隊長。三年生。

・並外れた砲撃の腕を持つため、副隊長だが砲手として17ポンド砲を操る。

・マタギの血を引いており、ベジマイトと同様に山歩きが趣味で、公私ともに彼女を支える。

・寡黙で常に冷静沈着だが、自分の任務に確かなこだわりを持っており、滅びゆくマタギの狩猟文化を戦車道の中に残したいと考えている。

 

 

使用戦車

マーモン・ヘリントンCTL

武装:M1919A4機関銃(7.62mm)×3

最高速度:48km/h

乗員:2名

・オランダ領東インド軍からの発注を受け、アメリカが開発した豆戦車。

・砲塔が車体左側にあるタイプと右側にあるタイプが存在し、合わせて運用することが想定されていた。

・足回りはM2軽戦車から流用し、機銃3丁のうち2丁は操縦席正面に装備されている。

・オランダ軍の他、アメリカ軍、日本軍(鹵獲車両)などが使用し、オーストラリア軍も訓練に使用した。

・貧弱さからアメリカ軍では嫌われたが、オランダ軍では信頼性の高さが評価されていた。

・ベジマイトは感覚を研ぎすませるため生身に近い状態で戦うことを好み、乗り降りがしやすいこともあって、小型軽量なこの戦車で指揮をとる。

 

センチネル巡航戦車ACI

武装:オードナンス2ポンド砲(40mm)、ヴィッカース重機関銃(7.7mm)×2

最高速度:38km/h

乗員:5名

・イギリス連邦の一員としてオーストラリアが開発した巡航戦車。

・鋳造で作られており、キャデラックV8エンジンを3基搭載している。

・『番兵』の名の通りに日本軍を迎え撃つべく開発されたものの、活躍の機会はイギリス・アメリカ製の戦車に奪われており、実戦には使われなかった。

・武装を25ポンド砲に強化したACIIIの他、連合国最強の対戦車砲である17ポンド砲搭載のACIVも試作された。

・17ポンド砲搭載に向けた反動試験のため、25ポンド砲2門を搭載した試験車両も存在した。

・虹蛇学園の基本戦術ではACIIIが煙幕弾と成形炸薬弾で味方を援護、ACIが接近して機動戦を行い、切り札のACIVは単独で狙撃に当たる。

 

 

 

 

 

 

アガニョーク学院高校

ロシア系の学校。

生徒は制服の代わりにサラファンを着ており、ロシア文化と歴史学の教育に力を入れている。

平等を重んじ、権威を好まない校風。

戦車道は縁の深いプラウダ高校から指導されたトゥハチェフスキー流を基盤としているが、カリンカの隊長就任後は非公式に『インターナショナル流』と称するようになった。

チームの歴史が浅い故の柔軟性を見せ、戦車の調達においてもロシア製にこだわらず、入手しやすいM3中戦車で頭数を揃えている。

夜戦においては時に強豪校を破るほどの高い能力を持ち、『夜の魔女』と呼ばれる。

カリンカの就任以降は格式を廃する傾向が一層強くなり、戦車道部へ気軽に入部できる風潮ができた。

 

 

カリンカ

好きな戦車:SU-152ズヴェロボーイ自走砲

好きな花:弟切草

・アガニョーク学院高校の隊長で三年生。BT-7またはSU-100で指揮を執る。

・高校入学後に戦車道を始めたためキャリアは短いが、急激に頭角を現して隊長に抜擢された。

・戦車に関わっているときは常に無表情だが、実際には純粋に刺激を求めて戦車道を楽しんでおり、歴史が浅い故伝統に囚われないことがアガニョークの良さと考えている。

・サディスティックな性格から“恐るべきカリンカ”の名で呼ばれるが、一方では面倒見の良い性格で仲間たちから慕われ、強いリーダーシップでチームをまとめている。

 

ラーストチュカ

好きな戦車:2S1グヴォジーカ122mm自走榴弾砲

好きな花:カーネーション

・アガニョーク学院高校の三年生で、池田流戦車道を習得。BT-7快速戦車を好み、流派の象徴である『士魂』の文字を砲塔に書いて使用する。

・流派に囚われず戦車道を楽しみたいと考え、同時に池田流が仮想敵としているトゥハチェフスキー流をよく知りたいという思いからアガニョークへ入学(プラウダより歴史の浅いアガニョークなら他流派経験者でも受け入れられやすかった)。同年齢で自分より戦車道歴の浅いカリンカをリーダーと認め、忠実に付き従う。

・前衛での遊撃・撹乱などを得意とし、敵からすれば彼女のBT-7は夜の魔女たちが総攻撃に出る前触れのため、“災厄のラーストチュカ”と呼ばれる。

・無表情で冷静沈着に見えるが、表現が不器用なだけで感情の起伏は激しく、また普段は菓子作りが趣味の優しい少女である。

 

 

使用戦車

BT-7快速戦車

武装:20K戦車砲(45mm)、DT機関銃(7.62mm)×1

最高速度:装軌時62km/h、装輪時86km/h

乗員:3名

・ソ連で開発された快速戦車の最終型。

・BTは『Быстрый танк(素早い戦車)』の略で、アメリカで開発されたクリスティー戦車を参考にしている。

・ゴムタイヤ付きの転輪を有し、履帯を外して装輪走行が可能。

・BT-7は先代のBT-5ではリベット留めだった装甲を溶接式とし、1937年以降は傾斜装甲も導入されている。

・独ソ戦時には旧式化しており、T-34の数が揃ってからは二線級任務に引き下げられ、満州侵攻で再び日本軍と戦うことになった。

・M型はV-2ディーゼルエンジンを搭載し、ガソリンエンジン搭載の旧型に比べ炎上の危険が減り、出力も向上した。

・アガニョークの車両は1937年型だが、エンジンのみV-2に換装されている。かつてはM3リーと共に主力だったが、SU-85が揃ってからは偵察・撹乱に用いられる。

 

 

SU-85自走砲

武装:D-5S戦車砲(85mm)

最高速度:47km/h

乗員:4名

・ソ連の対戦車自走砲で、ドイツ軍のティーガーIに対抗するため作られた車両の一つ。

・T-34中戦車の車体を流用したSU-122自走砲をベースとしており、被弾経始を意識した傾斜装甲が特徴。

・85mm砲の対戦車火力で歩兵・機械化部隊を支援することを任務としており、回転砲塔を持たず、対人用の機銃は装備していない。

・ティーガーI重戦車に対抗するには力不足が否めなかったが、V号戦車パンターを撃破した実績を持ち、多数の戦果を上げている。

・同じ主砲を搭載し、尚且つ回転砲塔を有するT-34/85が配備されると存在意義が薄れたが、東側諸国に供与された車両は1960年代まで運用されていた。

・アガニョーク学院高校では攻撃面での主力となっているが、やはり無砲塔故に待ち伏せを行うことが多い。

 

 

SU-100自走砲

武装:D-10S戦車砲(100mm)

最高速度:48km/h

乗員:4名

・SU-85の火力強化型として開発された車両。

・搭載している100mm砲は艦砲を改造した物で、最強の重戦車とされたティーガーIIの正面装甲さえ貫通できる。

・車体の設計は概ねSU-85と同じだが、生産性に配慮した形状の単純化や、T-34と同じ車長用キューポラの採用などの改良が施された。

・大型の主砲を搭載したためサスペンションも改良されたが、それでもフロントヘビーであり、操縦には注意を要した。

・対ティーガー用の車両ではあったが、戦線へ投入された頃にはドイツ軍の重戦車はほとんど見かけられなくなっており、敵陣地への砲撃などが主な任務だった。

・戦後も改良を加えながら1970年代まで運用されており、エジプト軍の車両が第四次中東戦争にも参加している。さらに2015年に始まったイエメン内戦でも目撃された。

 

 

M3グラントCDL

武装:カーボン・アーク灯(光度800万カンデラ)、M2またはM3戦車砲(75mm)、M1919A4機関銃(7.62mm)×2、ベサ機関銃(7.92mm)×1

最高速度:38km/h(原型のグラントの数値)

乗員:5名

・イギリス軍が開発した夜戦特化戦車で、CDLは『Canal Defense Light(運河防衛ライト)』の略。

・アメリカから供与されたM3グラントの副砲塔を、光度800万カンデラのカーボン・アーク灯を搭載したCDL砲塔に換装。砲塔の砲身はダミーである。

・夜間に横陣を組んで照射することで光の壁を作り、敵の目をくらませると同時に味方の砲撃を援護することを想定していた。

・カーボン・アーク灯は砲塔内でミラーに反射させ、スリットから照射される仕組みで、装甲シャッターの開閉でモールス信号を送ることも可能。

・ホバート将軍率いる工兵第79機甲師団(通称「ホバーツ・ファニーズ」)に部隊が編成され、訓練も行われていたが、実戦ではライン川渡河作戦などで使われた程度だった。

・アガニョークではM3を改造してCDL仕様とし、夜間にアウトレンジ攻撃を行うための切り札としていた(補給面での問題から、砲塔機銃はベサ機関銃からM1919A4に変えている)。

 




10/27
装脚戦車様からのご指摘と情報提供を受け、BT-7及びグラントCDLについての記述を修正しました。
誠にありがとうございます。


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第四章 大洗女子共闘戦
戦車、探します!


 休日の学園艦は長閑な雰囲気が漂い、学校エリアには人が少ない。市街地エリアに活気があるかは艦によって異なるが、ショッピングモールなどの施設が充実した千種学園では私服姿の生徒で溢れていた。無論、飛行機や連絡船で陸へ行く生徒も多く、休日をどこで過ごすかは生徒の自己判断と財布の事情によって決められる。

 街並みは一般的な日本の都市と変わらなかったが、千種学園の前身となった四校の特色が随所に表れていた。特にウクライナ、オーストリア、ハンガリーの料理・雑貨を扱う店が多い。母校の文化を存続すべく活動する二年・三年生が自主的に屋台を出していたりもする。最近では四校の融和が進む一方で、一年生でもそれらの派閥に加わる生徒が増えてきた。

 

 壮絶な夜間試合を終えた以呂波たちは、昼過ぎまでのんびりと過ごし、次いで引越し作業にかかった。以呂波と晴が結衣たちの家に移り住むためである。家財道具を運ぶため、結衣が学校からレヘル装甲車を借りてきた。対空戦車を改造したハンガリーの装軌式兵員輸送車である。オープントップの兵員室に家具を積んで運ぼうというわけだ。以呂波の家は私物が少なかったため楽だったが、晴の家は落語に関する書籍やCDが多数あり、運搬に手間がかかった。

 

 今最後の積荷を積んで家に向かう最中で、以呂波ら五人は屋台で菓子を買い、休憩している。紙皿に盛られているのは小さく千切ったパンケーキに砂糖とフルーツソースをかけた物で、カイザーシュマーレンと呼ばれるオーストリア菓子だ。皇帝が好んだことからその名がつけられたとされている。

 

「ドナウ高校も勝ち進んだみたいね」

「うん。でも副隊長が試合中に倒れたとか……」

 

 パンケーキの優しい甘みを味わいながら、以呂波と結衣が言葉を交わす。彼女たちがアガニョークと戦っている間、ドナウ高校とタンブン高校の試合も行われていたのだ。

 

 IV号戦車を中心に構成されたドナウ高校に対し、タンブン高校はM24チャーフィー軽戦車、ヴィッカース6t戦車、九五式軽戦車で編成されていた。ドナウの快勝が予測されていたが、タンブン側は巧みなゲリラ戦術を駆使して粘った。さらにドナウ側は別働隊を率いていた副隊長が急な発熱で倒れ、リタイアを強いられるというアクシデントが重なったのである。

 それがきっかけで一時的に総崩れとなりかけたドナウだったが、一年生が生き残った別働隊をまとめて反撃に転じて持ち直し、勝利した。その一年生の名は矢車マリ。以呂波たちが練習試合で戦った相手だ。

 

「あの人ともまた戦うことになるのね」

「……あの人、好きじゃない……」

 

 澪がポツリと呟く。試合前に千種学園の戦車を『見世物』呼ばわりされたことはまだ忘れていない。

 

「相手を煽って苛立たせるのも戦術だよ」

 

 以呂波は矢車マリという少女に、そこまでの不快感は抱いていなかった。試合開始前には北森らを大いに苛立たせたが、勝負の後は潔い態度を取っていた。以呂波はあの程度の挑発は慣れているし、一弾流を軽んじている相手からはより一層侮蔑的な発言をされたこともある。

 逆に言えば、矢車はそこまで印象に残る相手ではなかった。だが伝え聞いた戦いぶりからすると、あの練習試合のときより遥かに腕を上げているようだ。準決勝で強大な敵として立ち塞がることになるかもしれない。以呂波としても負けてはいられなかった。

 

「私も昨日、みんなに大分負担をかけちゃったし……もっと頑張らないと」

「アレは仕方ないんじゃないかい? あんな物が出てくるとは思わなかったし、あたしらも突き止められなかったから」

 

 頬張っていたカイザーシュマーレンをのみ下し、晴は以呂波をフォローする。アガニョークの切り札として千種学園を苦しめたグラントCDL。戦車知識の豊富な以呂波でさえその存在を忘れていたし、他のメンバーに至っては遭遇して初めて存在を知った。諜報活動に当たった晴と美佐子にも、CDLの存在まで突き止められなかった責任はある。もっともアガニョークとて切り札の重要性を理解して秘匿に勤めていたのだから、SU-100の情報を入手できただけで大したものだが。

 

 そして以呂波以外にも、二回戦の内容について深く反省している者がいる。

 

「……大坪先輩、落ち込んでた……」

「カラ元気出してたけど、結構ショック受けてたわね」

 

 澪の言葉を受けて、結衣が心配そうに頷く。大坪は気さくな人柄から、馬術部チームのみならずメンバー全員から好かれていた。特に動物を怖がる澪に馬の可愛さを教えたり、結衣にハンガリー料理を教えたりと、戦車道以外の面でも後輩の面倒見が良い。二回戦で何もできないまま最初に撃破された彼女のことを、結衣たちが心配するのは当然のことだ。

 特にトゥラーンIIIはタシュと並んで千種学園の主力であり、それが脱落したために後半戦は厳しい戦いを強いられた。試合の後、大坪はトゥラーンの乗員たちと共に笑顔で以呂波らを祝福したが、結衣の言う通りカラ元気であることは皆気づいていた。

 

「あの子のことなら船橋先輩に任せときゃ大丈夫さ。あの二人は統合前からの付き合いらしいからね」

 

 そう言いながら、晴は美佐子の皿に残ったパンケーキをフォークで狙う。自分の分はすでに食べ終えていた。

 

「へぇ。でも学校は別ですよね?」

 

 美佐子はさっと紙皿を引っ込め、晴の一撃を回避した。

 

「船橋先輩はトラップ女子高で、大坪先輩はアールパード女子高だって……」

「正式名称はトラップ=アールパード二重女子高校。同じ学園艦に二校が同居してたのさ」

 

 話しつつもフォークを繰り出す晴と、それを回避する美佐子。二人の攻防は続いた。やがて美佐子は自分のカイザーシュマーレンを、最も安全な場所へ退避させた。つまり残っている分を一気に口へかき込んだのである。口周りをラズベリーソースで汚しながら勝ち誇った笑みを浮かべる彼女に、他四名は大いに笑った。

 

 そのとき結衣の頭に一つの疑問が浮かび上がった。千種学園の二年・三年生は皆、統合された四校から移籍してきた生徒たちである。船橋と大坪はトラップ=アールパード校、北森ら農業学科チームはUPA農業高校、丸瀬たち航空学科と三木たち鉄道部は白菊航空高校の出身だ。そして今側にいる、風変わりな落語女子も二年生なのだ。

 

「お晴さんは白菊航空から来たんですか?」

「いや、白菊じゃないよ」

 

 晴は扇子で自分の額をぺちぺちと叩いた。

 

「じゃあ、トラップ高からですか?」

「トラップというわけでもないね」

「アールパードから?」

「アールパードというわけでも」

「U農から?」

「U農というわけでも」

「……じゃあどこから?」

「どこからというわけでも」

 

 謎の押し問答が続く。

 

 そんなとき、以呂波の携帯が鳴った。ポケットから取り出して確認するとメールが一通届いている。差出人はサポートメンバーの男子整備員、デゴイチこと出島期一郎だ。

 ぎこちない手つきでボタンを操作しメールを開封する。画面に映る文面を見て、以呂波は目を見開いた。

 

 

《隊長殿に御注進。学園艦への資材搬入記録を調べた結果、UPA農業高校からもう一両戦車が運び込まれていたことが判明せり。詳細不明なれど自走砲系と思われる》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園艦に設けられた広大な農場で、北森らT-35クルーたちは捜索に当たっていた。海上都市でもある学園艦の農場は潮風害から作物を守るため、畑ごとに透明なドームで覆われている。艦の行き先によって気候が変わることもあり、露地栽培はほとんど不可能だ。艦内には水耕栽培を行う施設もあり、未来的な様相を呈していた。水は組み上げた海水を淡水化装置で真水に変えて使っている。

 空き地ではUPA農業出身の二年・三年生らがホパーク(コサックダンス)の練習をし、また一年生に教えていた。

 

「なかなか見つからないですね」

「U農から持ってきた戦車なら、農場の何処かにあると思うんだけどなぁ……」

 

 農場の地図を眺め、すでに探した場所に赤ペンでバツ印を付ける。北森も出島から連絡を受けて戦車探しを始めたのだ。統合当初、同じUPA農業から運ばれてきたT-35が農場に展示されていたことから、報告にあった自走砲も農場にあると考えた。T-35のように展示されているなら北森が気づかないはずはないが、多数ある倉庫などにしまわれ、そのままになっているのかもしれない。前身四校から資材類を運び込む際、その量が多いことから大分混乱が生じたとも聞いている。

 千種学園の学園艦は大型な上、前身の一つが農業高校だったため農場の規模も大きい。探すのは手間がかかりそうだった。それでも北森たちはかつての母校の遺産がもう一両あったことを喜び、何としても探し出そうと考えていた。廃校となったUPA農業高校のためだけでなく、千種学園のためにも。

 

「車庫は全部見たし、後はシラミ潰しにするしかないか。まず手分けして畜産施設を……」

 

 話し合っているとき、エンジン音の接近に気づいた。畑の間の通路を通り、レヘル装甲車が近づいてくる。オープントップの兵員室から美佐子が身を乗り出して手を振っており、操縦席のハッチからは結衣が顔を出していた。家財道具をとりあえず家に置き、捜索に加わるべくやってきたのだ。

 レヘルは結衣の操縦で北森たちの前に停車し、以呂波が美佐子らの手を借りて降車する。

 

「お疲れさん、隊長」

 

 義足で地面に降り立った以呂波へ、北森は敬礼を送る。ソロチカを着たクルーたちも同様に敬礼した。シンプルな白い生地に繊細な花の刺繍が施されたウクライナの民族衣装で、戦車クルー用の制服姿とは打って変わり優しげな出で立ちだ。以呂波たちも彼女たちに敬礼を返す。

 

「お疲れ様です、先輩。手がかりはありましたか?」

「それが一向に見つからなくてなぁ。農業機械の倉庫とか、戦車をしまっておきそうな所は全部調べたんだけど……」

 

 地図を見せ、北森は捜索場所を説明する。農場には倉庫類も点在しており、全て調べるには手間がかかりそうだ。北森曰く、丸瀬に連絡して航空機格納庫も調べてもらっているとのことだった。

 

「でもやっぱりT-35みたく、農場にある可能性が高いと思うんだよ。U農から持ってきた農業機械か何かに紛れてるのかも」

「手がかりがないのが困りますね」

「ああ。デゴイチがまだ搬入記録を調べてくれてるけど……」

 

 苦笑する北森。単純で血気盛んな女コサックたちでも、広大な農場を手がかり無しで探し回るのは骨が折れる。

 

「誰か、占いでもできればな」

「占い、ですか?」

「船橋の情報だと、大洗さんは学園艦に隠されてた戦車を八卦で探したらしいぜ」

 

 かの大洗女子学園は過去に一度戦車道が廃止されており、昨年度の再結成時には艦内に残っている戦車を探し出す所から始めねばならなかった。池の中や崖の洞窟などに遺棄されていた戦車を苦労して発見したという話は、以呂波も伝え聞いていた。

 

「占いなら、丸瀬先輩が得意だって言ってましたけど」

「いや、あいつができるのは人相見だ。昔の海軍航空隊で使われたやつだとか……」

 

 旧日本海軍ではパイロットの適正や、機種ごとの適正診断に人相見を採用していた。嘘のような本当の話だが、それだけ適正の判断が困難だったという証拠とも言える。無論他にも様々な要素から診断したのではあるが。

 頭を抱える以呂波の後ろから、晴がひょっこり顔を出した。

 

「失せ物探しの占いなら、できるけど」

「え!?」

 

 全員の視線が晴に集中する。相変わらず飄々とした笑みを浮かべ、彼女は持っていた風呂敷を地面に置おいた。いつも鞄ではなく唐草模様の風呂敷を愛用しているのだ。

 

「算木筮竹なんてのはできませんがね、そろばん占いってのを心得てまして」

「そろばん占い!?」

 

 思わず叫んでしまった仲間たちの前で、晴は風呂敷の結を解く。中には筆記具などと一緒にそろばんも入っていた。それも計算機の主力がそろばんから電卓に移り変わる過渡期に売られていた、電卓付きのそろばんである。

 

「……なんでそんな物持ってるんですか?」

「懐古趣味。戦車道と同じだろ」

 

 結衣の問いに手短に答え、晴はそのそろばんを地面に置いた。その前に屈んで合掌し、さも有り難そうに拝む。

 

「この占いは桁違いによく当たりますよ、そろばんだけに。失せ物の在処がピタリと出ますから」

「おお、凄い! どうやるんですか!?」

 

 周囲が期待三割、胡散臭さ七割といった視線で見つめる中、美佐子だけは興奮していた。以呂波や北森も「この際それでもいいや」と言いたげに見守っている。

 願いましては、と言いながら、右手でそろばん珠をパチパチと弾いていく。どこかで習っていたのか、手慣れた手つきでリズミカルに音を立てていた。やがて指の動きがピタリと止まり、晴は顔を上げた。

 

「三二九三、と出ました。ミ・ズ・ク・ミ……農場には水汲みポンプがあるでしょう?」

「あるぜ。ポンプ小屋がいくつも」

 

 地図を示しながら北森が答える。農場内のポンプ小屋の位置にはそれぞれ番号が振られていた。

 晴は再びそろばんに視線を落とす。白い指が一珠を三つ弾いた。次いでそれを戻し、五珠と一珠を一つずつ弾く。

 

「三、そして六。三番ポンプの六時方向、裏手側に何かありますか?」

「えーと、肥料倉庫があるな」

「ではその倉庫の中を……」

 

 さらに素早く軽快にパチパチとそろばんを鳴らす。周囲の胡散臭そうな視線は最高潮に達していたが、晴は全く気にしていない。指の動きが止まると、彼女は小声で「よし」と呟いた。

 

「四九三六、ヨ・ク・ミ・ロ。倉庫の中をよく見ろ、という易でございます」

「本当かよオイ!?」

「胡散臭いにも程がありますよ!」

 

 北森と以呂波がツッコミを浴びせる。T-35クルーたちからも「ふざけんな!」「時間を返せ!」「ってかそれ落語のネタじゃん!」などと罵声が飛び出した。しかし晴は一切詫びず、「あたしゃ本気だ!」と言い張る。美佐子は「見てみなきゃ分からないじゃないですか!」と晴を擁護し、澪は一歩さがったところで困り顔を浮かべていた。

 やがて収拾がつかなくなる前に、結衣が間に割って入った。

 

「まあまあ。どうせ他に手がかりないんだし、見てみましょうよ」

「……それもそうだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、一同は藁にも縋る思いで倉庫へ向かった。縋りたいとも思っていなかったが、倉庫へ入った瞬間に澪が口を開いた。

 

「……戦車のニオイがする……」

 

 そう言って彼女が指差した方向には、肥料の袋が倉庫の幅いっぱいに積まれていた。以呂波がまさかと思い近寄ってみると、彼女の嗅覚もそれを感知できた。化学肥料の臭いの中に微かに混じる、鉄と油のニオイを。

 北森はすぐさまフォークリフトを取りに行き、肥料袋を撤去しにかかった。

 

 その結果。

 

 

 

「本当にありやがった……」

「あんな占いで……」

 

 一同は唖然として、肥料袋の向こう側の光景を見つめていた。そこには確かに、埃を被ったオリーブ色の自走砲が鎮座していた。車体は一同が何処かで見た覚えのある、やや小ぶりの物だ。その上に傾斜装甲の戦闘室が固定され、T-34/76の物に似た主砲を搭載している。上面には車長用キューポラを有していた。

 

「な、あったろ」

「凄いです、お晴さん!」

「……恐れ入りました」

 

 そろばんを入れた風呂敷を撫で、晴は得意げに胸を張った。唯一彼女を信じていた美佐子が歓喜の声をあげて戦車に駆け寄る。そして以呂波も。

 

「SU-76iですね。ソヴィエトの対戦車自走砲です」

「SU-76って、オープントップじゃなかったかしら?」

「それとは別物だよ。これは鹵獲したIII号戦車を改造したリサイクル車両だから」

 

 結衣の疑問に答え、以呂波は車体や足回りに異常がないことを確認する。装甲についた埃を手で拭うと、十字の後ろに二本の鍬を交差させた、旧UPA農業高校の校章が露わになった。

 SU-76iは以呂波の言葉通り、大量に鹵獲したIII号戦車を再利用するための即席兵器である。しかし密閉式の戦闘室を備え、元がIII号であるため信頼性・居住性もよく、オープントップのSU-76より乗員に好まれたという。主砲はT-34/76のものを自走砲用に改造した76.2mm砲だ。ティーガーの88mm砲などに比べれば見劣りするが、十分戦力に計上できる威力を持つ。

 

 新たに見つかった母校の遺産を前に、北森は感慨深げにため息をついた。

 

「不精な奴がこいつの前に袋を積んでたんだな。……ありがとうよ、高遠」

「いえいえ」

 

 にっこりと微笑み、晴は北森と握手を交わした。農作業で鍛えられた北森の握力に、顔をしかめながらも。

 

 こうして高遠晴はチーム内で一目置かれると同時に、ますます謎めいた存在となった。ともあれ、また一両の新戦力が千種学園に加わったのである。

 




お読みいただきありがとうございます。
忙しくて仕事帰りにはヘロヘロですが、その割には書けています。
ただし、今のところは。
今後間が空くこともあると思いますが、ご容赦ください。
秋ころには仕事が暇になるはずですので。

ご感想・ご批評など、お待ちしております。


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ライバルたちの戦いです!

 新たに発見されたSU-76iの乗員募集を行いつつ、千種学園戦車隊は次に備えての情報収集を始めた。

 

 Aブロックのバッカニア水産高校 対 大洗女子学園。

 Bブロックのサヴォイア女学園 対 決号工業高校。

 

 以呂波たちは二手に分かれ、この二つの試合を見に行くことにした。準決勝ではA、Bブロックでそれぞれ連合軍を結成して戦うという変則的な試合形式故、すでに二回戦を終えた千種学園としてはどちらも重要な試合だった。自分たちの共闘する相手と、戦う相手が決まるのだから。

 

 試合形式は夜間のフラッグ戦。千種学園とアガニョークの試合と同じだ。

 以呂波は仲間たちと共に、姉の試合を見に向かった。一ノ瀬千鶴を筆頭に荒くれ者が集まっている決号工業に対し、サヴォイア女学園はいわゆる『お嬢様学校』である。しかし戦車道チームは士気が高く、粘り強いことで知られていた。

 

 一回戦も壮烈な戦いぶりで勝利し、二回戦では決号を相手にどう戦うか注目されていたが……

 

 

 

「……こちら亀。イタリアンたちは相変わらず倉庫に引きこもってらァ」

 

 二式軽戦車の砲塔から顔を出し、少女は報告する。月明かりに照らされ、いわゆる『不良少女』といった出で立ちの彼女はじっと前方を睨んでいた。戦場となっているのは村落で、小さな家が点在している。彼女の視線の先にあるのは、他の建物と比べいくらか大きな倉庫だった。そこにサヴォイア女学園の残存戦力が隠れているのだ。

 

《降伏を勧めに行ってくれ》

 

 千鶴の声が無線で聞こえてくる。了解、と短く答え、決号工業高校副隊長・黒駒亀子はハッチから身を乗り出した。彼女が身軽な動作で地面に降り立つと、後から白旗を持った砲手が続く。操縦手一人を車内に残し、二人は倉庫へ向かって進んだ。

 

「ねぇ亀ちゃん。大人しく降参すると思う?」

「鶴は連中の根性を試してるのさ。一両だけで戦う気概があるか、ってな」

 

 砲手の質問に答えつつ、亀子は前方を見据えた。

 

 現時点において、決号の戦果は敵九両撃破、味方の損害は僅か一両。ワンサイドゲームと言っていい状況だった。

 サヴォイアの隊長・カプチーノは戦車乗りとしては極めて優秀だが、作戦指揮官としては荒削りな面がある。本人もそれを自覚しており、仲間たちの意見を聞きながら作戦を組み立てていたが、直情的な彼女は一弾流の狡猾さに敵わなかった。

 

 今やサヴォイアの戦力は、カプチーノの乗るフラッグ車のみ。決号の本隊から先行して偵察を行っていた亀子らは足早に、彼女の潜む倉庫へ向かって行った。中に潜む戦車はエンジンも切っているようで、音は聞こえない。だが倉庫の出入り口を監視していたため、逃げていないのは確かだ。履帯の跡も一つしかない。反対側から倉庫の壁を壊して逃げたのなら音で気付くし、倉庫が倒壊するリスクを考えれば迂闊にはできないだろう。

 

 使者の証である白旗を夜風に靡かせつつ、静かな闇の中を二人は歩く。だが倉庫に近づくにつれ、耳に聞こえてくる音があった。エンジンや砲撃の音ではない。

 歌声だ。

 

 

ーーMi seppellisci lassù in montagna(私を山へと葬りたまえ)ーー

 

ーーO bella ciao, bella ciao, bella ciao, ciao, ciao,(恋人よ、さらば、いざさらば)ーー

 

 

 複数人での合唱だった。亀子は僅かに眉を顰め、足早に出入り口へ駆け寄る。

 

 

ーーMi seppelisci lassù in montagna(私を山へと葬りたまえ)ーー

 

ーーSotto l'ombra di un bel fior.(花の咲く下に)ーー

 

 

 歌がイタリア語だということは何となく分かったが、イタリアの陽気なイメージとは懸け離れた、短調的な曲だった。

 

 壁に張り付き、亀子は倉庫の出入り口からそっと中を覗き込む。明かりは差し込む月光のみだったが、暗い車庫の中に鎮座する戦車が見えた。イタリア製のM15/42中戦車だ。そしてその砲塔の上に立つお下げ髪の少女・カプチーノの姿も。

 彼女の歌声に三名の乗員が唱和し、手拍子が打ち鳴らされる。

 

 

ーーTutte le genti che passeranno(道行く人々も)ーー

 

ーーO bella ciao, bella ciao, bella ciao, ciao, ciao,(恋人よ、さらば、いざさらば)ーー

 

ーーTutte le genti che passeranno(道行く人々も)ーー

 

ーーMi diranno «che bel fior!».(美しい花だと讃えるだろう)ーー

 

 

 

「戻るぜ」

 

 そう告げて、亀子はくるりと踵を返した。イタリア語を解さないまでも、彼女たちが歌う意味は分かった。その熱の籠った歌声からも、月明かりに照らされる表情からも、それは感じられた。

 降伏勧告は無駄。そう判断した亀子ら後ろで、最後の歌詞が響いた。

 

 

ーーE questo è il fiore del partigiano(この花こそパルチザンの)ーー

 

ーーO bella ciao, bella ciao, bella ciao, ciao, ciao(恋人よ、さらば、いざさらば),ーー

 

ーーE questo è il fiore del partigiano(この花こそパルチザンの)ーー

 

ーーMorto per la Liberta.(自由のため死せる者の花)ーー

 

 

ーーE questo è il fiore del partigiano(この花こそパルチザンの)ーー

 

ーーMorto per la Liberta.(自由のため死せる者の花)ーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決号工業高校の隊長車は闇の中に鎮座し、決着の時を待っていた。他の車両と同じ、土地色や枯草色などの日本式迷彩で塗装されているが、所々に剥げ跡が見受けられる。それどころか、この戦車は大柄な車体に弾痕や錆などが随所に存在した。過酷な戦いを繰り広げた荒武者のような外観は、月夜の下では亡霊のような不気味さを放っていた。

 もっとも、それらの「疵」の大半は本物ではなく、塗装の一部だった。プラモデルなどにも行われるウェザリング(風化・汚し処理)である。しかし砲塔側面に描かれた決号工業の校章だけは綺麗だった。その下には芙蓉の花を象ったマークと一の文字が描かれている。一弾流の旗印だ。

 

「……分かった。それでこそサヴォイア女学園だ」

 

 携帯電話で亀子からの連絡を聞き、千鶴は笑みを浮かべた。砲塔から足を垂らして座り、疵だらけの愛車は彼女の荒々しさによく似合っている。ポニーテールが夜風に小さく靡いていた。

 携帯を切ると、身軽な動作でハッチから砲塔内へ飛び込む。車長席の両側には砲手と装填手が着座し、命令を待っていた。その足元には操縦手と副砲手がいる。砲塔バスケットは欧米の戦車ではありふれた構造だが、日本で採用したのはこの車両が初めてだ。千種学園のタシュと同様、歴史の闇に消えたはずの戦車だ。

 

「全車へ通達。敵は勝ち負けを度外視して戦う気らしい。敬意を表して、決号の流儀で歓迎してやろうや!」

《応!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……時を同じくして、バッカニア水産高校と大洗女子学園もまた、熾烈な戦いを繰り広げていた。こちらは一方的な試合とはならなかった。クロムウェル巡行戦車とテトラーク軽戦車で編成されたバッカニア側はその機動力を生かし、大洗の行動を封殺しにかかる。しかし大洗側も持ち前の臨機応変さで対処し、一進一退の攻防を繰り広げていたのだ。双方共に被撃破二両だが、闇夜故になかなか決定打を与えられないでいる。

 

「一から三号車は敵フラッグを追撃! 残りは露払いをなさい!」

 

 バッカニアの隊長・アンはクロムウェルの砲塔ハッチから身を乗り出し、勇ましく指揮を執っていた。二次大戦中最速級の戦車であるクロムウェル三両が隊列を組み、フラッグを掲げた隊長車を中心に突撃する。

 追う相手は八九式中戦車。アヒルのパーソナルマークが描かれた、大洗のフラッグ車だ。エンジンをチューンナップされているとはいえ、草原でクロムウェルの速度から逃れられるものではない。たちまち距離が詰まるも、昨年度の全国大会で数多くの修羅場をくぐり抜けた猛者である。巧みにバッカニアの攻撃を読んでは回避運動を行っていた。周囲にいる護衛もときに盾となり、ときに発砲して応戦する。闇夜に発砲炎が明滅した。

 

 そんなとき、不意に轟音が闇を揺さぶった。

 刹那、隊長車の横にいたクロムウェルが被弾。角ばった車体が大きく揺れ、真横を向いて停止する。直後に白旗が揚がった。

 

「ポルシェティーガー!」

 

 アンは発砲炎の方向を睨んだ。夜目の利く彼女は前方に、戦車壕に入った重戦車の姿を辛うじて発見できた。悔しいのは撃たれるまで気づけなかったことだ。

 大洗の隠し球・ポルシェティーガー。その88mm砲の破壊力はクロムウェルの装甲を容易に貫く。しかしアンは冷静に、追従するテトラークCSに命令を下した。ポルシェティーガー目掛けて煙幕弾を放て、と。

 

 命に応え、76.2mmの榴弾砲が火を噴く。砲手は優秀だった。次の獲物を狙おうとしていた虎の前面に煙幕弾が落ち、朦々と煙を吹き出す。暗闇に加えて煙幕まで張られ、ポルシェティーガーはゆっくりと戦車壕から身を出した。バッカニア側の撃った徹甲弾が命中するも、重装甲に弾かれて乾いた音を立てるのみ。

 だがアンはすでに、速度を維持したまま虎の背後へ回り込むよう指示していた。急激な旋回で強烈なGがかかりながらも、彼女のクロムウェルは操縦手の操作に応えた。相手も砲塔を後ろへ向けようとしたが、もう遅い。

 

「クロムウェルは……虎のエサじゃないのよ!」

 

 75mm砲の砲口が接触する、ギリギリの距離でクロムウェルは停止した。装甲の薄い箇所、すなわち敵の背面で。

 

「ファイア!」

 

 号令と共に、砲手が歯を食いしばって撃った。発砲炎で一瞬、ポルシェティーガーのパーソナルマークが闇夜に浮かび上がる。至近距離から発射された徹甲弾は虎の背中に食い込んだ。

 飛び散る破片から顔を庇いつつ、アンは敵の砲塔から白旗が飛び出すのを見た。

 

《大洗女子学園・ポルシェティーガー、走行不能!》

 

 アナウンスが聞こえたとき、彼女はすでにフラッグ車への追撃再開を命じていた。大洗の武勲戦車を撃破できた喜びを脇へ置き、勝利目標に意識を集中する。

 

 そのとき、曳光弾がパラパラと降り注いだ。八九式の砲塔後部機銃だった。アンは咄嗟に体を砲塔に収め、装甲板に弾丸が当たって乾いた音を立てる。

 

 牽制のつもりか……そう思ったアンだが、一つ不自然なことに気づいた。通常、機関銃には数発に一発の割合で曳光弾が混ぜられている。弾道を視覚化するためだが、今受けている銃撃はその曳光弾が多いように見えた。

 

「まさか……!?」

 

 彼女がはっと気づいた、その瞬間。

 強い衝撃がクロムウェルを揺さぶった。

 

 乗員の頭にガツンと響くその一撃に、アンは何が起きたかを悟る。速度の出ていたクロムウェルは草原の上で一回、二回とスピンし、煙を吹き出す。ゆっくりと停止したとき、アンの目に映ったのは自車から飛び出した白旗だった。

 

 

《バッカニア水産高校フラッグ車、走行不能! 大洗女子学園の勝利!》

 

 

 試合の終了を告げる、その言葉。アンはしばらく放心したかのように白旗を見つめていたが、やがて砲撃のあった方角へ顔を向ける。その先は闇だった。だが敵は確実に、その向こうから撃ってきたのだ。場慣れしたアンには、今自分たちが受けたのはIV号戦車の攻撃だと音で分かった。

 大洗の隊長車が撃ったのだ。しかも闇夜に遠距離から、味方の曳光弾を頼りに。

 

「あれが……“大洗の軍神”……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……観客席は大洗の勝利に沸いていた。視察に来ていた船橋たちとて例外ではない。自分たちが目標とし、憧れとしてきた大洗女子学園の戦いを見たのだ。そしてその能力が如何なるものか、改めて知ったのである。

 

「凄い……機銃弾の光で砲撃を当てるなんて……!」

 

 船橋の隣で、大坪が感嘆の声を上げる。二回戦で落ち込んでいた彼女を励ますため、船橋が自分に同行させたのだ。他には船橋の仲間である広報委員たちが側にいた。

 以呂波たち隊長車組は決号とサヴォイアの試合を見に行っている。ただ一人を除いては。

 

「加々見さん、どうだった? 五十鈴さんの射撃」

 

 船橋に問いかけられ、澪はしばらくモニターを見つめていた。勝利を喜ぶ大洗陣の映像が映し出され、その中で微笑んでいる長髪の女子を澪は凝視していた。大和撫子だとか、緑の黒髪だとかいう表現がよく似合う、凛とした佇まいの少女だ。彼女こそ今回の最後の一撃を決めた、大洗隊長車の砲手である。

 いつも結衣と共に行動したがる澪が、彼女と別行動を取って船橋に同行したのは他でもない。かの名砲手・五十鈴華を見るためだった。長い間をおいて、彼女の口から零れたのは意外な言葉だった。

 

「……狙って当てたんじゃ……ない」

「えっ……!? まさか、まぐれ当たり?」

 

 驚く大坪に、澪は首を横に振る。船橋と大坪には彼女が何を言いたいのか分からなかった。

 

 澪は以前、“弓聖”と呼ばれた人物について書かれた本を読んだ。その男は闇夜、的の前に線香を一本だけ立て、他に何の照明もつけずに矢を放った。最初の矢は的の中心を射抜き、二本目はその矢に命中して引き裂いたという。そんな弓聖の言葉は「的を狙ってはいけない」であった。

 

 一回戦で虹蛇学園のカイリーと戦ったとき、澪は自分が的になった。そして試合後にカイリーと語り合い、知ったのだ。彼女の射撃能力は、単に数学的な計算に基づいたものではないと。そして恐らく、五十鈴華もそういった「何か」を以て当てたのだ。

 

 幼い頃から、澪はあらゆるものに怯え、その度親友である結衣の背後に隠れていた。戦車道を始めるまで、彼女が怯えずに話して笑い合い、時に怒りをぶつけられる相手は結衣と美佐子だけだった。そんな自分に嫌気が差していたからこそ、強さを求めて戦車の道に足を踏み入れたのだ。高校で出会った義足の少女が、自分を導いてくれるのではないかと思って。

 

 砲手として、その「何か」を手に入れれば、強い自分になれる……澪はそんな思いを、胸に抱いていた。




お読みいただきありがとうございます。
作中に登場した歌はイタリア民謡の『ベラ・チャオ』です。
元々は労働歌だったようなのですが、二次大戦中には『恋人に別れを告げ、パルチザンに身を投じる若者』を歌う歌詞が付けられました。
誰が作った歌詞かは不明で、ナチスへの反抗の中で自然発生したのかもしれません(そういうわけで著作権上の問題はないと思います)。
サッカーの応援で歌われていたりするので、イタリアでは結構ポピュラーな歌のようです。
耳に残る曲で、アンツィオ戦でこの歌が流れることを期待していたのですが、まあ『統帥』アンチョビの部隊にパルチザンの曲は不自然ですわな。

決号とサヴォイアの戦いは次回に決着がつき、それから三回戦へと話が進んでいきます。
ご感想・ご批評、お待ちしております。


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夜明け前です!

「大洗が勝ったよ、だって」

 

 結衣が澪からのメールを読み上げた。澪を除く隊長車のメンバーはBブロックの、サヴォイア女学園と決号工業高校の試合を視察していた。結衣は澪が自分ではなく船橋たちに同行したいと言ったとき、驚くと同時に嬉しく思った。少しずつではあるが、彼女は着実に強さを得ているのだ。

 以呂波、結衣、美佐子、晴の四人は身を寄せ合い、冷たい夜風にココアで対抗しつつ観戦している。結衣の言葉に美佐子は紙コップから口を離し、「おおっ」と声を上げる。

 

「じゃあ次、あたしらと大洗女子が戦うの!?」

「美佐子、ルール忘れたの? 準決勝は共闘するのよ」

「あ、そっか!」

 

 AブロックとBブロック、それぞれ勝ち進んだ二校が連合を結成して戦い、勝利したチームで決勝戦を行う。『士魂杯』はそのような変則的なトーナメントで成り立っていた。戦車道連盟も全国大会ではなかなかできないような「遊び」をしてみたかったのだろう。

 千種学園はすでに二回戦を勝利しており、Aブロックチームは千種・大洗連合となることが決定した。対するBブロックチームはドナウ高校が確定済みで、それと組むチームはこれから決まるのだが……

 

「決号の勝利は確定だと思うかい? 我らが隊長」

 

 扇子を顎に当てつつ、晴が尋ねた。以呂波は巨大モニターに映る図をじっと見つめている。

 

「千鶴姉なら、この状況で仕損じるようなことはしないでしょう」

 

 最後の一両となったM15/42中戦車は倉庫に立てこもり、決号側はその周囲に陣地を展開していた。以呂波は布陣を見れば姉の目論見は分かった。

 まず、相手が倉庫から飛び出したところへ二式砲戦車『ホイ』二両、三式砲戦車『ホニIII』二両の計四両で集中砲火を浴びせる。その後方には隊長車である五式中戦車『チリ』、そしてフラッグ車を含む四式中戦車『チト』三両が待機していた。これらは敵が砲戦車の砲撃を避けて逃げようとした際、その先へ回り込んで蓋をするための戦力だ。

 

「プラウダが大洗に使った包囲戦術と似てるわね」

 

 結衣が言った。昨年の全国大会の映像は研究資料として何度も見てきたが、彼女は特によく研究していた。

 プラウダとの違いは家屋などの障害物を利用し、巧みに戦車を伏せてあることだ。一弾流の得意とする戦術であり、夜間ともなればなお位置が分かりにくくなる。たった一両で突破し、フラッグ車を狙うのは困難を極める。

 だがそんな状況下でも、サヴォイアの隊長・カプチーノは打って出る気でいるようだ。ただで負ける気はないのだろう。

 

「それにしてもお姉さんの戦車、どうしてあんなにボロボロなの?」

「ああ、相手に威圧感を与えるためって言ってるけど……」

 

 結衣の質問に、以呂波は苦笑しつつ答える。姉・千鶴の乗る五式中戦車は塗装の剥げや弾痕が数多く見受けられ、モニターに映る姿には不気味な凄みがあった。終戦に間に合わなかった車両ということを考えると、なおさら亡霊のように見える。プラモデルでもそうだが、こうしたウェザリングは無闇に行うものではない。みすぼらしさを出さず、威圧感を演出するよう計算して疵をつける必要があるのだ。千鶴はそうした『芸術』に関してこだわりを持っていた。

 

 だが以呂波は、これが単に姉の趣味の延長であることを察していた。

 

「千鶴姉、ボロボロのジーパンとか好きなんだ」

「……なるほど」

 

 結衣が納得の表情を浮かべたとき、観客席がどよめいた。サヴォイアの隊長車、M15/42が動き出したのだ。

 以呂波たちの視線も巨大モニターに集中する。M15が倉庫から飛び出した瞬間、隠れていた二式・三式砲戦車が姿を現した。三式砲戦車は固定砲塔ではあるが、九〇式野砲を転用した75mm砲を搭載し、日本戦車としては高い対戦車火力を誇る。二式砲戦車は短砲身だが『タ弾』と呼ばれる成形炸薬弾があり、命中すれば距離によらず100mmまでの装甲を貫通できる。

 

 四両の砲戦車が一斉に火を噴いた。まともに食らおうものなら、最大装甲厚45mmではひとたまりもない。だがM15は紙一重で急停車し、辛くも直撃弾はない。砲撃を見越していたのだろう。車長が砲塔に身を収めるのと同時に急発進し、回避運動を取りながら砲火の方向へ吶喊した。

 

「突っ込む気だ!」

 

 大洗がプラウダの包囲網を破ったのと同様の戦術である。だが砲戦車の間を突破したとて、その先には四式・五式中戦車が伏せてあるのだ。力づくでの正面突破は不可能だろう。

 初撃を外した砲戦車は後退し、再び隠れようとする。しかし今度はM15が撃った。先ほどの一斉砲撃に比べると、47mm砲の発砲炎は貧弱だった。しかし。

 

「当てた!?」

 

 以呂波は思わず驚愕の声を上げた。暗闇の中、しかも走りながらの射撃だったにも関わらず、二式砲戦車を直撃したのである。命中したのは正面装甲だったが、最大装甲厚50mmでは耐えられない。間もなく撃破判定が出た。

 さらに、もう一両の二式砲戦車にも砲を指向する。次の瞬間には二度目の砲撃が放たれ、狙い違わず命中した。

 

「装填早っ!?」

 

 今度は美佐子が叫んだ。47mm砲弾は比較的軽量だが、それにしても素早い装填速度だった。恐らく初弾を込めた後、すでに二発目を手に待機していたのだろう。

 そしてM15中戦車は車長が砲手兼任、つまり隊長のカプチーノが砲撃を行っている。作戦の拙さから一方的に追い込まれても、戦車乗りとしての技量は乗員共々、かなり高いと見て間違いない。

 

 いつの間にやら、観客席にイタリア民謡『ベラ・チャオ(さらば恋人よ)』の歌声が響いていた。応援に訪れていたサヴォイア女学園の生徒たちだ。気品ある佇まいの令嬢たちが激しく手を打ち鳴らし、パルチザンの歌を高々と歌う。それに応えるかのようにM15が躍進した。

 

 カプチーノは撃破した二式に自車を寄せ、ハッチから顔を出して周囲を見渡す。残骸を弾除けに使うつもりだ。後方で待機していた四式中戦車二両が家屋の陰から出てくるものの、M15はすぐに残骸の背後に隠れてしまう。回転砲塔のない三式砲戦車は照準を定めるのに時間がかかる。残骸の周りを細かく移動することで、カプチーノは巧みに射線をかわしていた。

 

 そして次の目標へ狙いを定める。入り組んだ場所では必然的に交戦距離は近くなるものだ。47mm砲でも四式中戦車の正面なら貫通できる距離だった。

 残骸の陰から飛び出しつつ、M15が発砲。同時に四式も撃った。しかし75mm砲弾はM15の側面を掠めるのみで、撃破判定には至らなかった。M15が途中で減速したため、タイミングがずれたのである。一方、四式の片方には弾痕が穿たれていた。

 

《決号工業・四式中戦車、走行不能!》

 

 アナウンスが流れる頃には、M15はもう一両の四式へと肉薄する。このまま突破しようというのだ。そうすれば一度離脱して、フラッグ車を狙うことも不可能ではない。

 

 だが、ここで二人乗り砲塔の弱みが出た。照準を合わせるカプチーノは背後が見えない。

 そのため後方に回り込んでいた、一両の二式軽戦車に気づかなかったのだ。

 

 刹那、発砲音。二式軽戦車『ケト』の37mm砲が直撃した。ただし本体ではなく、左の履帯に。断裂した履帯は走行能力を失い、M15は行き足を止めた。

 

 そこで四式中戦車の後方から、傷だらけの巨体が姿を現した。五式中戦車『チリ』。一ノ瀬千鶴の乗車だ。

 カプチーノは尚も果敢に反撃を試み、五式へと主砲を指向する。しかし、今度は五式の方が早かった。

 

 高射砲をベースとした75mm砲が、闇夜に火を噴いた。M15の車体が大きく揺れ、装甲を繋ぎ止めるリベットが弾け飛ぶ。

 砲声の余韻が消え去った頃、M15の砲塔から白旗が姿を見せた。

 

《サヴォイア女学園フラッグ車、走行不能! 決号工業高校、勝利!》

 

 試合終了。

 観戦していたサヴォイア女学園の生徒たちは一斉に拍手を行った。カプチーノの奮闘を讃えるために。

 

「凄い腕前……というより、戦意が凄まじかったわね」

「……うん」

 

 結衣の言葉に、以呂波は頷いた。勝利したのは千鶴だが、カプチーノは最後に大立ち回りを演じ、母校の面目を保ったのである。M15の装甲なら二式軽戦車の主砲、五式中戦車の副砲である一式三十七粍戦車砲でも貫通できただろう。それを敢えて、五式中戦車の75mm砲で倒したのは千鶴なりの敬意だ。妹である以呂波には分かっていた。

 

「サヴォイア女学園って所は、そりゃもう上品なお嬢様学校さ」

 

 モニターに向けて拍手を送りながら、晴が口を開いた。

 

「だから生徒を狙った犯罪だのストーカーだの、そういうのが増えた時期があってね。生徒は自分たちの身を守るために自警団みたいな物を作った。戦車道もその自警団が中心になって始めた、言わば示威行動さね」

「なるほど、それで……」

 

 以呂波は腑に落ちたように頷いた。あの粘り強さはチームの結成理由に起因しているのだろう。パルチザンの歌を応援歌にしているのも、おそらくそのためだ。

 

「お晴さん、詳しいですね」

「はは。ま、ちょっとね」

 

 笑いつつ、晴は残りのココアを飲み干した。

 

 サヴォイアの奮闘は讃えられるべきだが、戦略的には千鶴の方が優れた指揮官だった。試合結果も決号の勝利に変わりない。

 しかしこの結果を、姉はどう捉えているだろうか。以呂波はそれが気になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鶴、そろそろ帰ろうや」

 

 五式中戦車の砲塔に腰掛ける千鶴に、亀子が声をかけた。ん、と一言返し、千鶴は尚も腕を組んで考え込んでいる。亀子は彼女の心中を、何となく察することができた。決号工業高校で廃部となっていた戦車部を復活させたときから、彼女は千鶴の側にいたのだ。

 

「一両仕留めるのに被害三両、高くはついたな」

「……ん」

 

 千鶴は頷いた。所詮はワンサイドゲームだったが、最後の一両の反撃がすさまじかった。それでも序盤に九対一という状況に持ち込んだのだから、千鶴の作戦指揮は明らかにカプチーノより優れていた。だが千鶴はこの結果に、思うところがあった。

 

「西住流は一弾流のやり方を邪道だって言うけど、それは正しいんだわ」

 

 千鶴は副隊長の方を振り向いた。亀子は少し眠そうな表情だった。

 

「戦うからには相手より上の質と量、それを支える兵站を整えてからやり合うのが王道だ。それができないなら、戦争を避けることを考えなきゃな」

「鶴、それは戦車乗りの分を超えてらぁ」

 

 亀子の意見が正しいことを、千鶴は認めた。実際の戦争における前線指揮官の役目は、与えられた条件下で最大限の戦果を上げること。王道の戦を行う基盤を整えるのは軍上層部、そして政治家の領分である。そういった連中があまりにも頼りなかった大戦末期の日本で、一弾流は生まれたのだ。

 前進も後退もできず、それなのに国は戦争を続けようとしている。そんな状況下で一日でも一時間でも踏みとどまり、一人でも多くの敵を道連れにする。そのために結成された戦車隊が、一弾流の基だった。

 その邪道の戦車道こそ、千鶴は自分に、そして決号工業高校に最もよく似合っていると信じている。そして邪道の戦いで多くの勝利を重ねてきた。しかし。

 

「この大会は相手もまた邪道……一回戦の赤島農業高校との試合もそうだった。そんで次は以呂波と、かの西住みほをまとめて相手にするときた……」

「今の一弾流じゃ足りねぇってか。そのためにアレを注文したのかい?」

 

 副官の言葉に、千鶴は微笑を浮かべた。すでに兄との商談は成立し、準決勝までに新兵器が決号へ届く手筈になっている。一弾流の戦闘教義にその車両が加われば、より幅広い戦略が可能になるのだ。

 

「……帰るぜ、亀」

「総員、撤収だ! 戦車をトランスポーターへ乗っけろぃ!」

 

 亀子が威勢の良い大声で、クルーたちに指示を伝える。星のまたたく空を見上げ、千鶴は妹のことを考えていた。

 

「『あたしの一弾流』と『以呂波の一弾流』……ぶつかったらどうなるかな」

 

 

 

 

 

 

 

戦車道『士魂杯』

準決勝

 

Aブロックチーム

千種学園・大洗女子学園

 

 

Bブロックチーム

ドナウ高校・決号工業高校

 

 




お読みいただきありがとうございます。
どうも最近、幼い頃から悩まされてきた腹痛が悪化しております。

原作キャラの登場を期待していた皆様、申し訳有りません。
次回までお待ち下さい。
今後も頑張って書いていきますので、応援していただければ幸いです。
ご感想・ご批評などお待ちしております。


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大洗女子来たる、です!(前)

 千種学園の生徒会は各学科・委員会から代表役員が選出され、それらとは別に立候補した事務メンバー、そして会長が統括する。広い生徒会室で今日も会議が行われ、役員の生徒たちが書類をまとめていた。もっとも、ここ最近の議題は戦車道に関することがほとんどである。故に会議の中心にいるのは本校の戦車道創始者であり、広報委員会の代表でもある船橋幸恵だ。

 

「……以上が、広報番組の内容です」

 

 船橋がプレゼンテーションを終えると、室内に拍手が起こった。会長を務める三年生・河合美祐も拍手を送る。船橋と同じトラップ女子高の出身で、凛とした性格から生徒たちの信任も厚い。良家の血筋を引いているらしく、顔立ちや立ち振る舞いに品の良さが滲み出ている。

 

「ありがとうございます。意見のある方はいらっしゃいますか?」

 

 河合の声に、「これでいい」「異議なし」などの返事が返ってくる。船橋は満足げだった。

 

「では、船橋さんのプランで進めてください。そして……食事会の準備良し、宿舎の手配良し。曲技飛行についても大洗側から許可を取りました」

 

 一センチほどの厚さに重ねた書類を、テーブルに軽く打ち付けて揃える。表紙には「大洗戦車道チーム受け入れ要項」の字がプリントされていた。

 『士魂杯』の準決勝戦は大洗女子学園との共闘。今までのように戦車道チームのみで方針を決定するわけにはいかなかった。準決勝の試合期間中は両チームの親睦や合同演習のため、どちらかのチームが同盟先の学園艦へ出向する。両校の生徒会長が協議した結果、大洗チームが千種学園へ来ることになった。男子整備員を有する千種側が大洗へ出向するのは、女子校の風紀の観点から望ましくないとされたためだ。

 そのため生徒会や各学科の助力を得て、受け入れの準備が進められた。廃校になった学校から集められた千種の生徒たちにとって、戦車道で廃校を免れた大洗女子学園は憧れである。役員たちも積極的に準備に参加していた。

 

「ありがとう。全部任せきりで申し訳ないね」

「お気になさらず。貴女と一ノ瀬以呂波さんには、ご自分の役目に集中していただきたいので」

 

 恐縮する船橋に河合は微笑を向ける。統合前から仲の良い友人ではあったが、生徒会の場では異なる意見をぶつけ合うことも多かった。特に戦車道チーム発足に関して、当初河合は懐疑的だった。彼女の考えでは『大洗の奇蹟』はあくまでも奇蹟であり、千種がそれを真似ても単なる二番煎じに終わるのではと踏んでいたからだ。しかし結果的に戦車道を通じ、統合された四校の生徒の融和が進み、学校にとってプラスの結果が出ている。そして大舞台で成果を上げつつある今、戦車道チームはもはや千種学園の看板となっていた。

 

「新車両の乗員は決まりましたか?」

「うん、福祉学科一年生の志願者を採用したわ。今日から基礎訓練に入る予定よ」

「それは何よりです」

 

 農場で発見された自走砲、SU-76i。船橋はマレシャルに乗る水産学科チームに続き、一年生をクルーとして採用した。来年以降のことを考えての判断だ。

 

「では皆さん。後は計画した通り、それぞれの役割を果たしましょう」

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 ……その二日後、入港した千種学園は半ば祭りのようなムードに包まれた。すでに投錨した千種の学園艦の隣へ、もう一隻が入港しようとしている。大きさは千種学園より遥かに小さく、年季も入った艦だ。

 港を眼下に見下ろし、丸瀬は操縦桿を握っていた。戦車道では車長を務める彼女だが、今は赤く塗装された単発の複葉機を自ら操っている。アメリカ製のスポーツ用飛行機ピッツ・スペシャルだ。その周囲を同型機が取り巻き、五機でデルタ編隊を組んで飛ぶ。ズリーニィの乗員たちにもう一名のパイロットを加えて編成した、臨時アクロバットチームだった。

 

 丸瀬らは航行する学園艦……大洗女子学園へ、艦首側から接近する。進路と速度を確認し、ちらりと横を見た。仲間たちは操縦席から笑顔を返す。タイミングを見計らって、丸瀬は告げた。

 

「サンライズ、レッツ・ゴー!」

 

 

 

 大洗女子の甲板から、戦車に乗った生徒たちが空を見上げていた。千種学園同様、雑多な車両の混成部隊だ。五機のピッツスペシャルはその視線の先で、デルタ編隊を崩さず上昇を始める。やがて背面になり、そして降下。大きなループを描く宙返り軌道だ。

 降下する機体の後に白いスモークが尾を引いた。機首引き起こし、水平に戻った直後に両端の二機が左右へ散開。一瞬後にはその内側の二機も散開しつつ上昇。花が開くようにスモークの尾を引きながら頭上を通り過ぎていった。

 

 高度およそ百五十メートル。戦車に寄り添う少女たちは歓声を上げながら、ピッツスペシャルの航跡を見送った。

 

「おお、サンライズ! やりますねぇ!」

 

 小豆色に塗装されたIV号戦車から身を乗り出し、秋山優花里は感嘆の叫びを上げた。トレードマークの癖っ毛が小さく揺れる。砲塔の斜め右、通信手席から空を見上げていた茶髪の少女……武部沙織が、彼女の方を顧みた。全乗員分のハッチが用意されているのもIV号の特徴である。

 

「サンライズ、って、飛行機の名前?」

「いえ、アクロバット飛行の課目です。サンライズは空自のブルーインパルスが設立五十週年記念に編み出した課目で、日の出の光のような放射状の軌跡を描くことから名付けられたのですよ」

「……日なんて昇らなければいいのに」

 

 ダウナーな口調で後ろ向きな発言をしたのは、未だ低血圧に悩まされる操縦手・冷泉麻子だ。遅刻の回数こそ劇的に減ったが、朝が宿敵なのは変わりない。そんな彼女に、長髪の砲手がクスリと笑みをこぼす。

 

「いやぁ、いよいよ千種学園に行けるんですねぇ。楽しみです!」

「優花里さん、前から千種学園に注目していましたね」

「それはもう!」

 

 砲手・五十鈴華の言葉に、優花里は笑顔で頷いた。『義足の隊長』が率いる千種学園は世間から注目を浴びているし、大洗でも一ノ瀬以呂波という少女をいくらか気にしてはいた。だが彼女の場合、注目していた理由は別にある。

 

「ハンガリー戦車も楽しみですが、T-35を使ってる学校なんて初めて見ましたから!」

「ゆかりんはブレないね〜。私は別の意味で楽しみだけどな〜」

「……男がいるからだろ」

「正解! きっとモテモテだよ〜」

 

 呆れ気味の幼馴染に即答し、沙織は砲塔を見上げた。

 

「みぽりんも声かけられちゃうかもよ! イケメンのパイロットとかに!」

「そ、それはいけません!」

 

 何故か血相を変えて慌て出す優花里。車長席に立つ少女は苦笑し、次いで千種の学園艦を眺めた。栗色の髪が潮風に靡く。その温厚そうな顔立ちと控えめな態度を見た者は、彼女がネットで『軍神』などと称される戦車長だとは思わないだろう。だが紛れもなく、彼女はこの大洗戦車隊を率いて『奇蹟』を起こし、学校を救ったのである。そしてその戦いはまだ終わっていない。『士魂杯』への参加は二つの目標を達成するためだった。

 一つは昨年度の勝利を一度限りの奇蹟で終わらせないこと。そして、それを引き継げる者を育てること。

 

「西住隊長! そろそろ上陸準備をしましょう!」

 

 隣のM3リー中戦車から、彼女の後輩が声をかけた。そちらに笑顔を向け、西住みほは頷いた。

 

「そうだね、澤副隊長」

「サブリーダーが板についてきたね、澤副隊長!」

 

 悪戯っぽく笑いながら、沙織が続けて言った。

 

「さすがですね、澤副隊長殿!」

「頑張ってますね、澤副隊長」

「これからもその調子で頼むぞ……澤副隊長」

「ちょ、ちょっと! や、やめてくださいよ、みんなして!」

 

 赤面して慌てる副隊長・澤梓。M3の車内からも「いよっ、副隊長!」などの声が聞こえて、必死に止めさせようとする。いつも通りの賑やかな仲間たちを見て、みほは改めてこの『戦車のある日常』の楽しさを噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、千種学園の戦車格納庫前ではサポートメンバーたちが慌ただしく働いていた。飲み物の用意や戦車の誘導準備などである。華麗な民族衣装を着てコサック兵に扮した農業学科の生徒たちが、周囲の警備に当たっている。戦車クルーたちはそれを手伝いながら、移乗してくる大洗戦車隊を待っていた。大坪ら馬術部チームは戦車を誘導するために出払っている。そして船橋は広報委員たちにあれこれ指図し、写真撮影の準備などに余念がない。

 

 以呂波たち隊長車クルーは自分たちの作業がひと段落し、雑談を交わしていた。ただ澪だけは戦車の砲身をいつまでも磨いている。大洗の名砲手に見られて恥ずかしくないようにという、砲手魂だった。

 

「西住みほさんって、やっぱり勇敢な人なのかな?」

「勇敢なのは間違いないでしょうね」

 

 美佐子の問いに、結衣が相槌を打った。資料として去年の全国大会の映像を見ており、大洗女子学園の戦いぶりもよく知っているのだ。勇猛果敢な指揮官でなくてはあの勝利はなかっただろう。以呂波の勇気を知る結衣はそう信じていた。

 

「一昨年黒森峰にいたときは、一年生なのに副隊長やってたらしいし」

「知ってる! 沈んだ戦車を助けようとしたんだよね!」

 

 美佐子が言うのは一昨年の全国大会での出来事だ。崖から川へ転落した味方戦車の乗員を救助するため、西住みほは自車から飛び出し、川へ飛び込んだのだ。だが彼女の乗っていたフラッグ車は撃破され、黒森峰は全国大会十連覇の野望を成し遂げることができなかった。そのため黒森峰OG会を始めとし、西住みほの行動を批判する声も多かったという。

 広げた扇子を口元に当て、晴はちらりと以呂波の方を見た。

 

「……戦術家の以呂波ちゃんは、西住さんの判断は間違ってたと思うかい?」

「え……」

 

 不意に意見を求められ、以呂波は一瞬戸惑った。

 

「チームを敗北に追い込んだ愚行だと、そう思うかい?」

 

 晴の表情からはいつもの飄々とした笑みが消えていたが、『戦車道楽』と書かれた扇子に隠され、仲間たちは気付かない。しかし何処か相手を試すような口ぶりだった。以呂波は当初、この高遠晴という奇人が正直苦手だったが、今ではしっかりと信頼関係を築いている。だから率直に答えることにした。

 

「……じゃあ、戦術家として言いますね。まず黒森峰は悪天候下で、足場の悪い場所を重戦車で通ろうとしていました。リスク承知の作戦でしょうけど、それを相手に先読みされた時点で戦術的には負けでしょう」

「……ふむ」

「その点について、副隊長としての責任は問われるかもしれません。でも負けの決まった勝負より仲間の救助を優先したのは合理的な判断だし、立派だと思います。少なくとも敗北の責任を西住さんの行動に押し付けるのは理不尽でしょう」

 

 小刻みに頷きながら以呂波の言葉を聞き、晴は扇子を閉じた。口元には微笑が浮かんでいる。

 

「以呂波ちゃんがそういう指揮官でいてくれるのなら、あたしゃ安心だ」

 

 どうやら彼女にとって納得のいく答えだったようだ。結衣も静かに頷いている。一方で美佐子は腕を組み、珍しく難しそうな顔をしている。

 

「プラウダは戦車を落とした後、そのままフラッグ車を撃ったよね。西住さんは救助に行ってたのに」

「……うん」

「去年の黒森峰も決勝戦で、西住さんが仲間を助けてるところへ砲撃しようとしてたよね。卑怯じゃん」

 

 一同は一瞬沈黙した。美佐子は他人の良いところを見て、良いところを褒める。付き合いの長い結衣や澪だけでなく、以呂波や晴もすでに知っていることだった。他人を滅多に悪く言わない美佐子が、プラウダ・黒森峰の二校をはっきり「卑怯」と批判したのである。

 

「私たちがやってる伏兵戦術も、見方によっては卑怯だよ」

 

 少し考えた上で、以呂波は返答する。

 

「戦闘中に味方を助けるのも、リスクを承知でやってるわけだから、そういうのはある程度仕方ないと思うな」

「じゃあ、同じ状況だったら以呂波ちゃんでも撃つの?」

「……撃つかもしれない」

 

 いつになく深刻な表情で尋ねてくる美佐子に、以呂波は戸惑いながらも正直に答えた。美佐子は腕を組んで考え込んだ。うーん、と大げさに唸りながら。結衣は何も言わない。否、世話焼きの彼女でも何も言えなかった。付き合いの長い彼女は美佐子の心中がある程度分かっていたのだ。

 その様子を、晴は興味深げに見つめる。彼女が「どうだい、みさ公」と尋ねると、ゆっくりと顔を上げた。

 

「よし、決めた!」

 

 格納庫内に響き渡る音量で叫んだが、すでにその大声に慣れたサポートメンバーたちは意に介さない。美佐子はいつもの笑顔に戻り、以呂波に向き直る。

 

「そうなったとき、以呂波ちゃんが『撃て』って命令しても……あたし、以呂波ちゃんのことを嫌いにはならない!」

 

 胸を張って美佐子は宣言した。だがその宣言は、それで終わりではなかった。

 

「でもね、そのときは絶対に装填しないから!」

 

 戦車乗りとして失格。そう言われても仕方ない言葉だった。車長の命令は絶対であり、それを聞かないと言い切ってしまったのである。軍隊であれば抗命だ。

 しかし以呂波は親友の目に、何か信念のようなものを感じた。明るい表情の裏に、彼女が背負っている何かを。

 

「……分かった。覚えておくね」

 

 そう答えた以呂波も、指揮官として失格かもしれない。だがそれは自信に裏付けされた判断だった。この程度で自分たちの団結は崩れない……美佐子との絆を信じているのだ。

 扇子で顔をあおぎ、晴が楽しそうに笑っている。空いた手で美佐子の頭を撫でながら。

 

「本当に、ここは面白いねぇ」

 

 




更新お待たせしました。
原作キャラが本格的に絡み始めますが、口調などで変なところがありましたらご指摘ください。

映画版のチハのプラモが発売される中、ハーメルンのガルパンもちょっとずつ小説が増えてきてますね。
モンハンや艦これのように賑わってほしいという人もいると思いますけど、私としてはこの程度の賑わいが一番いいと思います。
新作がバンバン投下されるということは、古い作品がどんどん流されるということでもありますから。

では、次回も頑張って書きます。


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大洗女子来たる、です!(中)

「やっぱり、大きいですね」

「四つの学校が合併してできただけのことはありますね。路面電車までありましたし」

 

 校舎を眺め、五十鈴華と秋山優花里が言葉を交わす。千種の学園艦に移乗した大洗チームは八両の戦車で縦隊を組み、戦車道の練習場へ向かっていた。各車両のクルーは慎重に戦車を操りながらも、他校の風景を物珍しげに眺めている。

 彼女たちを誘導するのは大坪たち、トゥラーンIII重戦車のクルー四名……もとい、四騎だ。乗馬服を着て馬を駆り、足並みを揃えて鉄の馬たちを先導する。馬は戦車の音に慣れた勇敢な個体を選んでいるため、いずれも落ち着いて歩いていた。大坪たちの手綱さばきも手馴れている。

 

「あの方たちも戦車乗りなのでしょうか?」

「うーん、どうでしょう。何となくそんな気はしますが」

 

 同好の士は雰囲気で分かるもので、優花里は大坪たちから自分に似通ったものを感じていた。一方、武部沙織はワクワクとした表情を浮かべている。

 

「馬で護衛してもらえるなんて、何だかお姫様になったみたい! 戦車が馬車みたいな気がしてきちゃう!」

「操縦してるのは私だがな」

 

 ぽつりと呟きながら、冷泉麻子は操向レバーを右折へ入れた。右の履帯にブレーキがかかり、戦車が開かれた校門へと変針する。みほが後続のM3リー中戦車に手信号を送り、澤梓がそれに応えて操縦手の肩を蹴った。

 

「それにしても、なんだか随分歓迎されているみたいですね。曲技飛行に、騎馬隊の護衛に……」

「うん、確かに……」

 

 次の瞬間、彼女たちの会話は遮られた。校門をくぐった瞬間、左右から拍手が起こったのだ。千種学園の生徒がたち通路の両側へ並び、大洗の校章が描かれた旗を振って出迎える。

 吹奏楽部も待機しており、戦車の入場と同時に演奏が始まった。盛大なファンファーレが鳴り響く中、大洗の校章とそれぞれのパーソナルマークを描かれた戦車が続々と校門を潜る。その人数たるや壮観だった。学校総出での出迎えなのだ。

 

 みほが言葉も出せずにいると、左右から何かが放り投げられた。色とりどりの切り花だ。無骨な装甲板の上に、赤や白、紫などの鮮やかな花が降り注ぐ。

 

「わぁ……!」

 

 ハッチへ飛び込んできたピンクの八重咲きユーストマを拾い、みほは顔を綻ばせた。後続車両のメンバーも歓声を上げ、花で彩られていく戦車に心を躍らせた。戦車上から手を振って応える少女もいる。

 

「ほらほら! やっぱりモテてるよ、私たち!」

「……少し違うと思うぞ」

「ふふ。心が躍りますねっ」

 

 歓迎の列は長く続いた。騎馬の誘導に従いグラウンドへ出る頃、ようやく人だかりが途切れ、戦車がみほたちを出迎えた。これを楽しみにしていた優花里が歓喜の声を上げる。

 

「おおおおっ! ハンガリー戦車にT-35、九五式装甲軌道車にマレシャルまで! レア戦車の見本市ですよ! タシュなんて試作段階で……ああっ、あれはSU-76iじゃないですか!?」

「ちょっ、ゆかりん! 危ないって!」

 

 我を忘れて装填手ハッチから身を乗り出す彼女を、その前にいる沙織が慌てて制止した。各車両の前には千種学園のメンバーが整列している。誘導していた大坪たちも、巧みに馬を操り、トゥラーンの前に並んでから降りた。大坪の馬が軽く嘶く。曲技飛行から帰還した丸瀬たちはフライトジャケットのまま、ズリーニィの前に整列している。

 みほは全車に一列横隊で停止するよう指示した。IV号戦車がタシュと向かい合って足を止めると、その左にM3、右側に八九式中戦車がぴたりと停止する。III号突撃砲F型、駆逐戦車ヘッツァー、ルノーB1bis、三式中戦車、ポルシェティーガー。合計八両が横一列に並び、停止する。

 

 みほたちが戦車から降りると、千種学園の列から以呂波が進み出た。副隊長である船橋も一緒だが、敢えて手を貸すことはしない。一人で地面を踏みしめ、スムーズに歩く。戦車道の練習と同時にリハビリを続け、大分義足に慣れたのだ。みほは少しの間その金属製の脚を見つめていたが、やがて副隊長に声をかけた。

 

「澤さん」

「はい!」

 

 元気よく返事をして、澤梓はみほと一緒に前へ出る。彼女たちを見て、千種側では美佐子が結衣をちらりと見た。

 

「映像でも見たけど、やっぱり普通の人だね」

「確かに、ね」

 

 結衣も同意見だった。今ようやく対面したその二人は、“大洗の軍神”、“首狩り兎”という通り名が似合わない、言わば「どこにでもいそうな可愛い女の子」に見えた。他の戦車から降りてくる大洗選手団も、とりたてて特別な雰囲気を持っているような人物はいない。

 強いて言うならIII号突撃砲から降りてきた四人組だ。紋付だのドイツの軍帽だの、弓道の胸当てだのを着用した姿は目を引く。もっとも千種側も航空学科チームが飛行帽着用で戦車に乗っているし、今はコサック兵に扮した男子生徒たちが周辺を警備しているため、それほど異様には見えない。次いで目立つのが三式中戦車とB1bisのクルーたち。前者は猫耳などの妙なファッションをしており、後者は何故か全員、髪型がおかっぱで統一されていた。

 

「……グデーリアンさんがいる」

 

 ぽつりと呟いたのは澪だった。

 

「あ、本当だ! もふもふした人!」

 

 美佐子もまた、タンカスロンの場で出会った癖っ毛の少女の姿を認めた。秋山優花里の方も美佐子らの顔を覚えていたようで、照れくさそうに微笑を返す。またお会いできるかも、という意味深な言葉がようやく理解できた。

 

 互いに向かい合い、双方の隊長・副隊長は姿勢を正す。船橋は相変わらずカメラを首から提げているものの、撮影は他の広報委員や写真部に任せ、今は副隊長の仕事に専念している。

 

「千種学園隊長の一ノ瀬以呂波です。お会いできて光栄です」

「西住みほです。こちらこそ……会えて嬉しいです」

 

 以呂波とみほが握手を交わすと、写真部員たちが一斉にシャッターを切った。一瞬困惑するみほに、以呂波が苦笑しつつ「驚かないでください」と耳打ちした。

 

 その後、別の意味でお祭り騒ぎが始まった。サポートメンバーたちの誘導で、戦車を格納庫へ入れる。元々戦車道での使用を想定しない倉庫で、スペースはそれほど広くない。操縦手と誘導する男子生徒たちの技量が試されることになった。

 続いて飲み物、校内の地図、路面電車のフリーパスなどのセットを配布、今後の予定の打ち合わせなども行われた。合同訓練は明日からとし、今日は親睦会を執り行うことになっている。

 

 そして整備要員の顔合わせも行われる。

 

「サポート班整備長の、出島期一郎です。宜しくお願いします」

「よろしく~。私はツチヤ。大洗整備長兼、自動車部部長兼、レオポンチーム車長だよ」

 

 姿勢を正して敬礼をする出島に、ツチヤは朗らかな笑みで応えた。背後には彼女たちの相棒であるポルシェティーガーが鎮座し、乗員たちが厄介な構造の駆動系を点検していた。皆手つきは慣れたものである。

 

「私以外はみんな一年生だけど、腕は確かだから安心して」

「……噂には聞いてましたが、この少人数で八両も面倒見ているとは……」

 

 ポルシェティーガーの乗員五名が大洗女子学園の整備班だった。昨年度は通信手兼機銃手を欠いた四名で、各車両の整備を一手に引き受けていたという。無論それぞれの乗員も整備点検には参加するだろうが、特殊な機構を搭載したポルシェティーガーをまともに運用した上、凄まじい損傷の戦車を一晩で修理したりと、彼女たちの能力は校外にも知れ渡っていた。

 

「あはは。去年のメンバーが卒業しちゃったけど、新メンバーが頑張ってくれてるから。そっちの整備はいつもどんな感じ?」

「T-35が一番の難物ですね。見なきゃならない箇所も多いし。そちらはポルシェティーガー以外、大体整備性は良さそうですね」

「うーん、ヘッツァーが結構苦労するね。うちのは38tを強引に改造したやつだから、あっちこっち無理が出てきて」

 

 本物のヘッツァーは38t軽戦車のコンポーネントを利用しているとはいえ、マルダーIIIなどのように車体をそのまま流用したわけではない。シャーシは新設計だし、履帯幅や転輪のサイズなども異なっている。

 大洗ヘッツァーはサスペンションこそ本物のものに変えられているが、その他はほぼ38tそのままであり、模型マニアからは「昔のプラモデルと同じ」などとネタにされていた。

 

「あとやっぱり製造元がバラバラだから、車両ごとに付き合っていかないと」

「その辺はこっちも同じですね……」

 

 双方の雑多な戦車群を見て、出島は苦笑した。ドイツ製戦車、アメリカ製戦車などと統一されていれば整備も楽である。しかし千種学園と大洗女子はさしずめ小さな多国籍軍と言える状態で、設計思想の異なる戦車ばかりがかき集められている。先日加入したSU-76iに至っては、上半分がソヴィエト製、下半分がドイツ製という代物だ。九五式装甲軌道車も特殊なシステムを内蔵しているが、整備班の大半が鉄道愛溢れる鉄道部員のため問題はおきていない。

 結局のところ双方共に、整備班がメカを溺愛することで稼働率を維持しているようなものだ。

 

「こっちは自動車部、そっちは鉄道部。専門は違うけど、協力していこう!」

「はい、もちろんです!」

 

 

 二人のメカニックが握手を交わす後ろでは、秋山優花里がT-35の中を物色していた。無論、車長たる北森の許可を取った上でだ。

 

「それにしても、整備が行き届いてますね。T-35を活躍させようというその意気込み、凄いと思います」

「ハハ、まあ……バカな子ほど可愛いってやつだな」

 

 この欠陥戦車をこよなく愛する北森としては、他校の生徒がそれに興味を持ってくれることが嬉しかったようだ。優花里は砲塔から砲塔へ渡り歩き、各機器や砲弾収納スペースなどを、目を輝かせながら観察している。

 

「ところで円錐砲塔だけに狭いですね。北森殿は結構大変なのでは?」

「んー、まあなぁ。移動中は砲塔の中じゃなくて、上に掴まってることも多いな」

 

 北森は日頃の農作業のためか、女子としては体格がいい。ソヴィエト製戦車は総じて居住性が悪いが、多砲塔のT-35もかなり乗員スペースが圧迫されていた。彼女が乗っているのは傾斜装甲タイプなので尚更だ。

 

「むしろその方が視界も良いしよ。砲塔が沢山あっても射撃がやりづらいから、撃ち合いに出ることは少ないし」

「ですよね。軍艦に使われている射撃管制装置を転用して、各砲塔の照準をシンクロさせるという計画もあったようですが」

「マジか。それ積めねぇかな」

「うーん、T-35に積んでもコストに見合う成果は得られないだろうって、中止になっちゃいましたからね。上手くいくかどうか」

「そっか」

 

 納得したように言いつつ、次に八戸守保と会ったら相談してみようと考える北森であった。

 

「ところで、先ほどから気になっていたのですが……」

 

 微妙な苦笑を浮かべつつ、優花里は格納庫の最奥を指差した。その先にあるのはハリボテの鳥居としめ縄、それに賽銭箱。その向こうにはリベット留めの平たい欠陥戦車・カヴェナンターが鎮座していた。何か妙なオーラが出ているような、無駄な存在感がある。

 

「あれは一体……」

「カヴェナンター大明神だ。それ以上訊くと祟りがあるぞ」

 

 冗談めかしていう北森。しかしあれがどのような戦車か知っている優花里は、あながち冗談で済まないかもしれないと思った。




お読みいただきありがとうございます。
今回はあまり内容が濃くないですが、箸休めだと思って楽しんでいただければ幸いです。
共闘前の交流はしっかり書いておきたいもので。
次回が後編になり、その後準決勝へ向けて本格的な準備が始まります。
秋山殿が合流したことで、再びスパイ作戦の可能性も……


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大洗女子来たる、です!(後)

 学園艦市街地を『臨時急行』の札をかけた路面電車が走る。箱型の車両が三両編成で連結され、慣れた鉄道部員の運転でスムーズに走っていた。超低床車両と呼ばれるタイプで、床が地面ギリギリの高さになっている。乗降口に階段が不要なため、老人や障害者も乗り降りがしやすく、以呂波がこの学校に入った理由の一つだった。

 車内では千種・大洗両校の選手があれこれと歓談している。ことに大洗の生徒は他校の学園艦の光景を物珍しげに眺めていた。

 

「本当にいろんな設備があるんだねー」

「鉄道のある学園艦なんて、サンダース以外で初めて見ました」

「プラウダにもトロリーバスはあったな……」

 

 沙織、優花里、麻子が外を眺めながら感想を漏らす。麻子は艦上地図などと共に配られたオーストリア菓子、キプフェルを早速食べていた。三日月型をしたクッキーの一種で、ウィーンの伝統的な菓子だ。サクサクとした軽い食感、アーモンドの香ばしさは彼女の味覚を大いに楽しませたが、量については物足りなさそうだ。とはいえこれからレストランでの親睦会へ向かうことを考えれば、特に不満はないようだった。

 

 両校の生徒は戦車用制服を着て集合していたが、戦車を車庫へ入れ点検を終えた後、それぞれ着替えをして再集合した。大洗の生徒たちは提供された宿舎へ荷物を置き、私服に着替えて電車に乗った。千種のメンバーも同様に私服姿で、それぞれ趣味が反映された服を着ている。北森らは可憐なソロチカ姿で現れ、大洗の生徒たちから人気を得ていた。

 

 少し離れた箇所では丸瀬ら航空学科チームが、大洗のIII突クルーたちと話している。曲技飛行の見事さを賞賛され、丸瀬は涼しい顔をしつつも素直に喜んでいた。

 

「そうか、同じ突撃砲乗りなんだな。よろしく頼むぞ」

「こちらこそご指導ご鞭撻、よろしくお願いします。ところで、お名前は?」

 

 丸瀬が尋ねると、軍帽を被った少女は胸を張って答えた。

 

「エルヴィンと呼んでくれ」

「エルヴィン?」

「こっちがチームリーダーで装填手のカエサル。砲手の左衛門佐、操縦手のおりょうだ」

 

 赤マフラーや胸当て、紋付を着用した仲間たちを紹介し、自称エルヴィンは得意げだ。丸瀬はふと考え込み、再び口を開く。

 

「では、私はマルセイユで」

「あたし赤松で」

「私はリトヴャクがいいわ」

「じゃあローゼン伯爵」

 

 リーダーに続き、他の航空学科の面々も己のソウルネームを決定した。エースパイロット揃い踏みか、とエルヴィンが笑みを浮かべる。出会って間も無いが、この両チームは何となく波長が合ったようだ。

 丸瀬はふと、車両の一番前に座る以呂波の方を見た。彼女はさしずめ檜少佐か、などと考える。戦車の天敵である某ドイツ空軍パイロットは候補から除外していた。

 

「あの子は立派だな」

 

 赤いマフラーの少女……カエサルが以呂波を見て呟く。丸瀬がその言葉の意味を理解するのに、若干の時間を要した。

 

「え……ああ」

 

 丸瀬も隊長の隻脚を忘れたわけではない。最初の頃は訓練中、たまに危険な行為をしてしまい「私みたいな体になりたいんですか!?」と叱りつけられたものだ。彼女は上級生である丸瀬らを極力立てても、安全面に関してはやかましかった。だがハンディキャップを負いながら戦車に乗る彼女を『立派』と思ったのもまた、最初のうちだけだった。後はすぐに、それも自然なことになったのである。

 大坪や北森もそうだろう。下級生である以呂波の指示に逡巡なく従えるのは、彼女が隻脚のリーダーだからだからではない。信頼に足るリーダーだからだ。

 

「一ノ瀬は生粋の戦車乗りであり、尊敬すべきリーダーであり、また可愛い後輩でもあります。ただそれだけで、さして特別な人間ではありません」

 

 それが丸瀬の、というより、千種学園戦車クルーたちの率直な思いだった。同時に以呂波への信頼の表れでもある。エルヴィンやカエサルもそれを察したらしく、「なるほど」と声を漏らした。

 

 船橋の配慮で西住みほの隣に座った以呂波は、気恥ずかしげな“大洗の軍神”とゆっくり言葉を交わしている。奇蹟の戦いを繰り広げた大洗の隊長だが、一見するとこれと言って突出した特徴のない、やや引っ込み思案な少女だ。そのことに以呂波は驚かない。今まで様々なタイプの戦車乗りと出会ってきたが、普段の態度と戦車道での実力は必ずしも一致しないのだ。実際に彼女の姉は生身だと獅子の如く荒々しいが、戦車に乗れば蛇の如く狡猾になる。

 それに昨年度の戦術を見るに、西住みほなる人物が西住流のステレオタイプと掛け離れていることは予想していた。常に物腰は柔らか、というよりも初めて来るこの学校に緊張しているようである。とても仲間を助けるため崖を駆け下り、河へ飛び込むような豪傑には見えない。

 

「……まさか、あんなに大歓迎されるなんて思いませんでした」

「先輩たちにとって、西住さんたちは憧れですから」

 

 照れ臭そうに言うみほに、以呂波は笑顔で答える。

 

「憧れ、ですか?」

「西住さん、私に敬語は使わなくていいですよ。私の方が年下だし」

「あ……それじゃあそうしま……そうするね!」

 

 なんか可愛い人だな、と以呂波は思った。西住流の門下生とは何度か会ったことはあるが、そのいずれとも違う印象を受ける。威圧感というものが一切なく、カリスマ性や非凡さなども特に感じられない。しかし話していて気分の良い人物で、親しみを持ちやすい雰囲気である。

 

 そんな彼女が仲間を率いて、昨年度の全国大会に優勝した。戦車道界をどよめかせる大番狂わせだったが、大洗女子学園にとってはそれ以上の意味があった。千種学園に統合された四校と同様、大洗もまた学園艦統廃合計画において白羽の矢を立てられていたのだ。しかし戦車道全国大会で優勝し、その後の死闘にも勝利したより、それを免れた。彼女らは自分たちの学校を守ったのである。

 

「私は今年入学しましたけど、二年・三年生は廃校になった四校の生徒ですから。学校を守れた西住さんは憧れなんです」

「そ、そんな。私は別に偉くないよ。去年の会長たちが……」

 

 あたふたと慌てるみほを見て、そのまた隣に座る五十鈴華はくすりと笑った。

 

「そんなに謙遜すること、ないと思いますよ。素人だったわたくしたちを一人前にしてくれたのは、みほさんでしょう」

「華さん……」

「そうですよ、西住殿!」

 

 優花里も同調した。彼女の西住みほに対する献身ぶりは有名で、ネット上では『忠犬ユカ公』などと呼ばれている。本人はその呼称を特に嫌がっていなかった。

 

「西住殿が隊長だから、みんな頑張れたんです! 誇っていいことですよ!」

「あ、ありがとう。優花里さん」

 

 はにかみながら礼を言うみほ。本人は自覚していなくても、周囲から尊敬されるものを持っていると以呂波には分かった。姉のように野蛮さを以ってチームを率いる者もいれば、柔和さで統率する者もいるのだ。

 

「まあ、大洗としてはこれからが本番なんですけどね」

 

 優花里が意味深なことを口にした。

 

「これからが?」

「うん。見方を変えれば、廃校は見送りになっただけだから」

 

 学園艦統廃合計画は目立った活動実績がなく、生徒数の減少している学校を対象としていた。戦車道全国大会で優勝し、その後の『大洗戦争』と呼ばれる激戦にも勝利した大洗女子学園。確かに廃校を免れたが、全力で大洗を潰そうとした文科省が苦し紛れに出した決定はあくまでも『見送り』。先延ばしなのだとみほは説明した。

 期限があるわけではないが、昨年度の優勝を一度限りの奇蹟で終わらせては結局、いずれ廃校は免れないだろう。母校存続のためには戦車道でさらに実績を上げ、チームを強くしていかなくてはならない。ましてや、みほたちは来年卒業するのだ。むしろ来年以降が、大洗にとって本当の試練なのである。

 

「卒業までにできることをしておきたいの。学校も戦車道も、ずっと続いて欲しいから」

 

 穏やかな、しかし毅然とした口調だった。母校に対する責任感と、後輩たちへの真摯な思いがその瞳に宿っている。この誠実さが大洗の強さを支えているのかもしれない。以呂波にはそう思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 一行はしばらく電車に揺られた後、降りた駅の前でレストランへ入った。調理学科の生徒たちが運営する店で、学校のイベントで使用するため収容人数は多く、内装もそれなりに洒落ている。千種学園の前身となった四校のうち三校は海外提携先があり、供されるのはそれらの国の料理だ。すなわちオーストリア、ハンガリー、ウクライナの三ヶ国である。店内の調度品もそれらの国に由来する装飾が多く、特にウクライナの魔除けの刺繍が目を引いた。

 

「カンガルーの料理とかもあるのかな~?」

「それはオーストラリアでしょ。ここのはオーストリア」

「一文字しか違わないじゃん」

「一文字でも違うの!」

 

 チームメイトの優季、桂利奈らにツッコミを入れる梓。近くで聞いていた船橋は苦笑を浮かべた。彼女もオーストリア系のトラップ女子高校出身だが、その頃はたまにコアラの森学園や虹蛇女子学園と間違えた電話がかかってきたものだ。オーストラリア大使館と間違えてオーストリア大使館へ行ってしまう者などは世界各地に存在する。

 

「そういえば戦車用の制服も、オーストリア軍風でしたね」

「そう。旧トラップ女子高派閥の面目があってね」

 

 優花里の言葉に快活に答える。戦車道チームの結成に際し、船橋は四校全ての出身者が参加するよう配慮していた。しかし元々戦車道をやっていなかったトラップ女子高は母校から受け継いだ戦車もなく、今ひとつ影が薄かった。せめて制服だけでもオーストリア風にという要望によって、グレーを基調とした服に赤い襟章という出で立ちになったのである。

 

 そのようなことを話しながら一同は着席し、船橋が司会を務めて両校の隊長が挨拶を述べた。しかし以呂波はこのような場での長いスピーチは嫌いなため至極簡単に済ませ、続いてみほも人前での演説などは苦手としているため、結果としてやたらに早く挨拶が終わってしまった。千種側のメンバーとしては“軍神”などと呼ばれている西住みほが、自分たちと同じごく普通の高校生だと認識できた。今後の共闘を考えればむしろ良かったかもしれない。

 

「料理が来るまで大分時間があるわね。お晴さん、一席やってもらえる?」

「あいよ、先輩」

 

 晴がにやりと笑って前に出る。美佐子に手伝ってもらい、空いているテーブルを一座の前に移動させる。何が始まるのかと見守る大洗勢に対し、千種側からは「いよっ、噺家通信手!」などの野次が飛んだ。靴を脱ぎ、扇子と手拭いを手にテーブルの上へ正座する。

 

「えー、隊長車通信手 兼 噺家のタマゴ、高遠晴と申しまして……」

 

 よく通る声で語り出したとき、レストランのドアが僅かに開いた。船橋は晴へそのまま続けるように言うと、小走りでドアへ向かう。

 

「どうも、遅くなりました」

 

 ドアの向こうから顔を出したのは生徒会長・河合だった。彼女も他校からの来客者に挨拶をしておこうと思っていたが、生徒会の仕事が長引いて到着が遅れていたのだ。

 

「お疲れ様。まだ料理もできてないし、大丈夫よ」

「様子はどうです?」

「みんな和気藹々って感じね。西住さんも予想通り、親しみやすそうな人だし」

 

 他校の生徒に対してオープンなのも、複数の学校が統合されてできたゆえかもしれない。両校のメンバーは互いに混ざり合って座り、共に晴の落語に耳を傾けていた。晴は一応幼少期から師匠に稽古をつけてもらっており、前座として寄席に出たこともあるという。そのため落語家特有の、人を惹きつける話し方を心得ていた。

 

ーー戦車乗りの昇進は装填手に始まり、操縦手、砲手、でもって終わりが車長ーー

 

ーー噺家の昇進はってぇと、見習いに始まり、前座、二つ目、真打、でもって終わりがご臨終という具合でーー

 

 笑いが起こり、河合と船橋も笑みを浮かべた。そしてふと、河合は船橋の耳元に口をよせ、小声で尋ねる。

 

「打ち解けるのはいいですが、機密保持は大丈夫なのですか?」

「一ノ瀬さんと相談したんだけど、それはあまり考えないことにしたの」

 

 眼鏡の位置を直しつつ、船橋は微笑んで答えた。準決勝では大洗と共闘するが、それが終われば決勝戦で敵同士となるのだ。手の内を知られてしまっては後々不利になる。河合はそれを心配したのである。

 だが互いに心を開かないまま共闘し、準決勝で負けては元も子もない。信頼関係を築くにはできるだけ隠し事は避けるべきということで、チーム幹部の考えは一致した。

 

「私たちが全部さらけ出せば、向こうも全部見せてくれる。西住さんたちはきっと、そういう人だと思うの」

「……分かりました。ではそのように進めてください」

 

 そう答え、生徒会長は高座代わりのテーブルに視線を戻した。船橋を信頼しているが故の答えである。船橋の方も「ありがとう」と小声で感謝の意を告げた。

 

ーーあたしの親父は真打なんですが、なかなかその先には行かないもんでしてーー

 

 ブラックジョークに一座がどっと笑った。やがてマクラから噺の本編へ移って行く中、船橋は相棒のカメラを手に、記念すべきこの場の記録に取り掛かった。

 




お読みいただきありがとうございます。
この物語は戦車戦中心ではありますが、私としてはガルパンというアニメの見どころの一つに「飯テロ」があると考えていまして、できれば拙作でも再現したいところであります。
大洗の廃校が「見送り」だというのは私の「大方こんな感じだろう」という予想で、近々公開される劇場版などで公式の発表があるかもしれませんが、未発表情報に関しては基本的に辻褄合わせはしない方針でいこうと思います。
万が一(そんなものは見たくないけど)劇場版が「やっぱり廃校で鬱END」という展開(重ねて言うけどそんなものは見たくない)だったとしても、拙作では「大洗は奇蹟を起こして廃校の危機を(一時的にとはいえ)回避した」ということで突っ張る予定です。
まあ劇場版が公開されるまでどうなるか分かりませんが、今の私にとってはあのアニメ最終回が全てですから。

では、ご感想・ご批評などございましたら宜しくお願いいたします。


11/25
劇場版見てきました。
本作では劇場版をパラレル扱いにしなくても問題ないと判断し、文を劇場版の内容に合うよう多少訂正しました。
ただまだ見てない方に配慮し、ネタバレになるようなことは控えております。


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食事会です!

 晴の落語はあくまでも料理が来るまでの時間つぶしなので、短いネタを続けて語った。落語という芸についてユーモアを交えつつ簡単に説明し、そこから江戸時代の笑い話に繋げた。例えば『六尺の大イタチ』という見世物について。六尺といえばおよそ百八十センチ。どんなに凄い猛獣かと思い、木戸銭を払って小屋へ入ると、六尺の板に血が塗ってあって「板血」。こうしたインチキ興行が昔は多く見かけられたという。

 

「今でもそういう見世物はありますよね。東富士名物、十メートルの大ネズミ……」

 

 実際にそのネズミを見た大洗側に笑いが巻き起こった。そうやって小噺をオムニバス形式で続け、そろそろ料理が来るな、というところで、「私が一番最初に覚えた落語をご披露して、サゲに致します!」と宣言した。

 

「……あれ。おいおい、ここの天井、雨漏りがするよ」

 

 手のひらを出し、困惑顔で頭上を見上げる。その仕草と表情は極めて自然で、見ていた何人かは思わず天井を見上げた。ほんの一瞬の間をおいて、

 

「や~ねぇ」

 

 聞いていた全員が一斉に吹き出した。戦車道では一見弱そうな戦車が、使い方次第で意外な活躍をすることもある。同じように普通に喋ってはつまらないダジャレでも、演じ方次第で笑いを取れるということだ。笑った客もまた、こんなくだらないギャグで笑ってしまった自分がさらにおかしくなる。落語家はこのような小話から練習するのだ。

 晴は丁寧にお辞儀をし、拍手を浴びながら席に戻る。両校の隊長車乗員は同じテーブルに座っており、着席と同時に賞賛を受けた。

 

「面白かったよ! 思いっきり笑っちゃった!」

「最後で腹筋壊れそうになりました!」

「ありがとうございます。今後も精進いたします」

 

 沙織と優花里に微笑んで会釈する。タシュの仲間たちも大いに笑ったようだ。

 

「お晴さん、どんどん上手くなってますね」

「あはは。お結衣ちゃんには噺家の巧拙が分かるかい?」

 

 そうした会話をしているうちに、料理が運ばれてきた。巨大な鯉のオーブン焼きが香ばしい匂いを立て、ワゴン上で給仕の男子生徒が切り分けていく。オーストリアは第一次大戦の敗北で海を失ったため、魚料理は淡水魚が主流。特に鯉はクリスマスなどに食べられる縁起物だ。千種学園でも水産学科の手で養殖しており、農業学科の野菜・畜産物と同様、校外から評価を得つつある。

 小皿へと盛られた鯉肉はソースをかけられ、野菜を添えて各テーブルへと配られた。事前に魚料理か肉料理かの希望を取ってあり、肉料理を選んだ生徒にはホルトバージー・パラチンタが供された。パプリカのソースで煮込んだ鶏肉をほぐし、クレープ状のパンケーキで包んだハンガリー料理である。オレンジピンクのパプリカソース、白いサワークリームが鮮やかに生地を彩っていた。他にはパンプーシュカと呼ばれるウクライナの揚げパン、野菜のヴァレーニキ、ハンガリーのシチュー料理グヤーシュなどがテーブルに並び、湯気を立てる。

 

 一座の中には料理よりウェイターに目が行く者もいた。ともあれ声を揃えて「いただきます」と唱え、食事に取り掛かる。

 

「わぁ。このパン、ふかふか!」

「この鯉も全然臭くない。しっかり血抜きしてるのね」

 

 専門の調理学科の生徒が手がけただけに、料理の出来栄えは素晴らしいものだった。鯉は柔らかくもしっかりと噛みごたえがあり、口の中に肉汁が溢れ出る。パラチンタの方もパプリカソースが程よくスパイシーで、鶏肉に味がよく染みていた。ハンガリー料理はパプリカや唐辛子をふんだんに使った辛い物が多いが、今回は辛さを控えめにした、食べやすい味付けだった。生地のもっちりとした食感も良い。

 両チーム共に和気藹々としたムードとなり、話も弾んだ。

 

「西住さんたちはお料理とかなさるんですか?」

 

 結衣が尋ねた。“大洗の軍神”などという先入観がなくなってしまえば、気軽に口もきけるというものだ。みほは気恥ずかしそうに笑いながら答える。

 

「私は一応できるくらい、かな。沙織さんは本当に上手だよ」

「ふふん。男を落とすにはまず料理から、だからね!」

 

 得意げに語る沙織だが、彼女の『撃破数』が未だにゼロだと、あんこうチーム全員が知っていた。女子校である以上出会いが少ないのは仕方ないが、それを知らない他校の生徒が彼女が『恋愛マエストロ』と認知してしまうこともある。幸いというべきか分からないが、普段ツッコミを入れる二名のうち一人はパラチンタを頬張っており、もう一人は丁度ウェイターにパンの追加を頼んでいるところだった。

 

 モデルのような体つきでありながら、周りよりも遥かに多くの食事を頼んでいる五十鈴華。今や高校戦車道界有数の砲手として知られる彼女を、澪が興味深げに見つめていた。料理をナイフとフォークで食べる手つきも上品で、この手で75mm砲を撃つとは思えない優雅さだ。

 澪の視線に気づいた彼女は優しく微笑みかける。その笑顔にぱっと赤面し、顔を伏せた。だが砲手として、華への興味は尽きなかった。

 

 そうしている内にも、会話は弾む。

 

「野外での炊事でしたら、私も得意ですよ」

「ゆかりんのそういう知識は凄いよね~。……以呂波ちゃんは料理するの?」

 

 問いかけられ、以呂波は気恥ずかしげに苦笑した。正直、結衣たちと出会うまで、自分で料理を作ることを考えていなかったのだ。

 

「戦車以外、何もやってなかったから……これからみんなに教わるところです」

「イロハちゃんは戦車に乗らないと、ご飯が美味しくないんだよね!」

「胃腸薬の代わりに戦車乗ってるようなもんだね」

 

 美佐子と晴の言葉で、テーブルの全員が笑った。話題の中心である当人は赤面しつつ頭を掻くしかない。現に戦車道を再開するまで、自分が廃人同様だったことを自覚していた。その頃の姿はとてもみほたちに見せられるものではない。

 

「ところで一弾流の訓練はやはり、西住流とは大分違うのでしょうね?」

「そうですね。基礎的なことは大して変わらないと思いますけど、西住流とか中国の蒋式戦車術なんかは、グデーリアン流の流れを汲んでいますが……」

 

 優花里の質問に滑らかな口調で答える。社交的な方ではあるが、やはり戦車の話題で最も饒舌になる。

 

「一弾流の基礎は本土決戦に向けたもので、前進ではなく『踏み止まる』ことを目的としていました」

「フランス流の防御戦術とも少し違いますよね」

「ええ。受け身のときも、意地でも敵を道連れにする心構えを叩き込まれますから。どちらかというと、イタリアのパスクッチ流が近いかな……。ただ、現代戦車道では役に立たない技術も結構あるんです。生身に火炎瓶で肉薄攻撃とか」

「ああ! この前のタンカスロンで、お姉さんがやってましたね!」

 

 徐々にマニアックな会話になっていくが、二人はお互い戦車好きだけあって楽しそうだ。周りの仲間たちそれぞれ戦車の知識は身につけているが、流派に関する話についていけるのは西住流師範の娘であるみほと、調べ物の好きな結衣くらいである。だが西住流と一弾流の違い、つまり大洗と千種の訓練の違いについては興味を持っていた。

 

「まあこの学校では、そういう特殊すぎる訓練はやってません。優先順位低いし、取り急ぎ覚えて欲しいことが沢山あったから」

「とはいえ、一ノ瀬」

 

 ふいに、以呂波の後ろから口を挟む者がいた。隣のテーブルに座っていた丸瀬である。ニヤリと笑みを浮かべ、気取った態度で隊長の肩に手を置く。

 

「射線回避の訓練で、『ジャンケンで五十連勝できるようになれ』と言われたときには、さすがにお前の正気を疑ったぞ」

「あははっ、確かにあれは特殊ですね」

 

 その会話に結衣や美佐子は笑ったが、みほたちあんこうチームは理解できない。戦車道と全く関係なさそうな単語がでてきたのだ。

 

「ジャンケン……って、どういうこと?」

「あ、ちょっとやってみますか」

 

 疑問符を浮かべるみほに、以呂波はテーブル越しに握り拳を突き出した。みほも応じて右手を出す。最初はグー、と音頭を取りながら、二人は拳を振り上げ、一気に下ろした。

 結果、以呂波はグー、みほがチョキ。続けて二度、三度と試しても、以呂波の勝利。沙織、優花里らは不思議そうに見ていたが、華はじっと見ているうちに、何か気づいたようだ。

 

「もしかして一ノ瀬さん、みほさんの手を見切ってます?」

「え? ……ああ!」

 

 みほは一瞬きょとんとしたが、すぐ意味が分かったようだ。

 

「おっ、気づいた! さすが!」

 

 美佐子が嬉しそうに声を上げた。続いて結衣が説明する。

 

「握った手を振り下ろすとき、指はもう出す手の形を作ろうとしているんです。一ノ瀬さんはそれを見切って、勝てる手を出す、と」

「……要するに、凄く素早い後出し?」

「まあ、そういうことですね」

「なるほど……」

 

 イカサマには違いないが、みほは感心した。確かに反射神経と動体視力を養えるだろうし、敵の砲撃のタイミングを見極める練習にもなるだろう。私もやってみよう、とみほは思った。

 もっとも実のところ、これは一弾流の正式な訓練法ではない。兄・守保から『ジャンケン必勝術』として教わったものを、妹たちで射線回避訓練に取り入れたのだ。

 

 だがあんこうチームの頭には、ある人物の顔が思い浮かんでいた。卒業した生徒会長・角谷杏だ。彼女もジャンケンに関しては超人的な勝率を誇っており、あんこうチーム五人と十回ずつ勝負し、数回のあいこ以外全て勝ったことがある。そのときは皆呆然とし、「やっぱり会長には敵わない」で片付けたものだが、角谷が同じ技を身につけていた可能性もあるのではないか。彼女の動体視力を考えれば、できておかしくはない。

 今度会ったら問いただしてみよう。五人は心の中でそう思った

 

「私も三回に二回くらいはできるようになった。船橋先輩はすぐにマスターした辺り、さすがだな」

 

 丸瀬がしみじみと言う。船橋の場合、常にカメラを構えて一瞬のシャッターチャンスを狙う習性が身についている。手の形を見切るのもすぐにでき、以呂波も驚いたものだ。

 

 ふと、沙織が丸瀬に声をかけた。

 

「あのさ、あなたは確か、航空科の人なのよね?」

「ええ。マルセイユとお呼びください」

 

 小さく敬礼をしつつ、先ほどできたソウルネームで格好をつける。そんな彼女に対し、沙織は真剣な眼差しを向けた。

 

「女パイロットってモテるの?」

「え……?」

「もう、沙織さんたら」

 

 華が苦笑しつつやんわりとたしなめた。みほや優花里も同様に苦笑いを浮かべるが、沙織はあくまでも真剣だ。恋に恋する乙女として、情報収集は欠かせないのだ。丸瀬は長い髪が美しく、体の発育も良く、そしてあの曲技飛行をやったパイロットとくれば、ロマンスの一つや二つありそうなものである。

 

「戦車道やったらモテるって聞いたんだけど、うち女子校じゃん? 今ひとつよく分からなくてさー。マルセイユちゃんは彼氏とかいるの?」

「ああ、いえ」

 

 一瞬視線が虚空を泳いだが、再び笑顔を作る。

 

「……去年に一度、フラれただけです」

「ええっ!?」

 

 沙織だけでなく、以呂波や美佐子まで驚いた。航空学科の生徒は一年生を除き、全員が白菊航空高校の出身者だ。そのため専門性の高さと相まって孤立主義の風潮が強く、他の学科の生徒からは近寄りがたい印象を持たれている。丸瀬はその中では人付き合いの良い方で、サポートメンバーなどの男子生徒ともざっくばらんに話ができる性格だ。それに加えプロポーションもかなり良い。彼女に告白されて断るとは、勿体無いことをする男だと以呂波たちは思った。

 そんな驚きは丸瀬にとって予想外だったのか、少し慌てた様子で付け加えた。

 

「仕方なかったのです、相手は教師だったから。駄目元で……」

 

 あー、と声が上がり、同情の視線が彼女へ向く。そんな中で沙織は優しく微笑み、肩を叩いた。

 

「大丈夫よ。恋愛も戦車も前進あるのみ。将来生徒と教師の関係でなくなれば、チャンスはあるわよ!」

「はは、そうですね。人間、未来に希望を持たないと……」

 

 いつになく柔らかな口調で答え、自分の料理へと向き直る丸瀬。その表情に一瞬寂しげな影がよぎったが、同じテーブルの仲間たちは会話に夢中で、それに気づく者はいなかった。

 

 食事は続き、華が追加のパンプーシュカとグヤーシュを平らげる。グヤーシュはハンガリー人にとって、日本人にとっての味噌汁に相当する料理だ。本来は農作業の合間に外で作って食べるシチュー料理で、戦場でも作られた。

 

「……ところで、一ノ瀬さん」

 

 それまで大人しく料理をつついていた麻子が、ふいに言葉を発した。いつもと同じくぼんやりとした無表情だが、以呂波を見る視線には好奇心の色があった。

 

「義足を少し、見せてもらえないか」

「ちょっと、麻子」

 

 今度は沙織が「失礼だよ」とたしなめるが、以呂波は別に構いませんと答えた。自分の脚が周りと違うのは事実だが、彼女にとってはそれも自然なこととなっている。じろじろ見られては嫌だが、ちゃんと「見せてくれ」とことわってからなら、腫物に触るような態度を取られるよりむしろ気分がいい。

 彼女が椅子を横に向け、金属の右脚を前に投げ出すと、麻子はその前で屈んだ。特にその関節部分を興味深げに眺め、許可を取った上で手を触れる。質感を確かめるように撫で、ふむ、と声を漏らす。

 

「膝関節は油圧式か」

「はい。コンピューターが内蔵されてて、脚の動きが油圧と空気圧で制御される仕組みです」

「へぇ~。ハイテクなんだ」

 

 沙織も思わず覗き込み、感嘆の声を上げる。操縦手である麻子は戦車の自動車的側面とも深く関わっているため、近年の義足の仕組みにも興味が湧いたのだろう。単純に好奇心が強いからでもある。

 続いてみほも、以呂波に目をむけつつ尋ねた。

 

「それでもやっぱり、歩けるようになるまで時間はかかるの?」

「ええ、あくまでも補助をしてくれるだけですから」

 

 ソケット部分を撫でながら答える。技術が進歩したとはいえ、義肢はあくまでも体の一部を補うものだ。職人がしっかりフィットするソケットを作ることが大前提だが、それを扱いこなせるかは当人の努力にかかっている。以呂波も最近になってようやく、スムーズに階段の上り下りができるようになった。

 

「でも最近、戦車を乗りこなすのと似たような感じがしてます。この脚を活かすも殺すも、私次第なんだ、って」

「……そっか」

 

 二人は互いに笑顔を向ける。出会ってからさほど時間は経っていないが、二人とも相手のことを一つだけ、何となく理解できた。

 それは相手が特別な人間ではないということ。自分が特別でないのと同じように。




お待たせしました。
アンツィオ戦のごとき飯テロを少しでも再現できていればと思います。
原作キャラを書く練習でもありますが、何か不自然な点などあればご指導願います。
試合に突入するまではまだ何話かかかりますが、ご容赦ください。


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夜風に吹かれてます!

 食事会の後、一同はその場で解散となった。大洗の生徒は再び路面電車で宿舎まで戻り、千種学園の生徒はそれぞれの住まいへと帰っていく。だが中にはそれらとは別の方へ、ふらりと立ち寄る者もいた。

 

 料理店から少し歩いたところにある、小さな広場。海を望める場所に、長方形の石碑が立っていた。白い石で作られ、台座には二つの校章が刻まれている。一つは千種学園のもの、もう一つは航空学科の前身となった、白菊航空高校のものだ。

 

 小さく足音を響かせ、丸瀬がその石碑に歩み寄る。視線は慰霊碑をよりもその先を、遥か空の彼方を見ているかのようだった。夜風が長髪をなびかせると、彼女はひんやりとした空気を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。空には星が瞬いていた。

 潮の香りを感じつつ、しばし石碑の前に立ち尽くす。すでに日は落ちているものの、街頭の灯りで碑文が読めた。

 

『白菊航空高校機 墜落事故慰霊碑』

 

 その文字の下には六人の犠牲者の名前が刻まれており、丸瀬はそのうち一つをじっと見つめる。そして再び、虚空に目を向けた。

 

 千種の前身となった四校はそれぞれの理由で廃校になったが、白菊航空高校の場合、この事故さえなければ存続していただろう。多くの卒業生が航空会社や自衛隊などで、優秀なパイロットとして活躍しているのだ。

 しかし突如襲ってきたこの悲劇が、学校の行く末を運命づけた。バードストライクによる、練習航空機の墜落事故。生徒四名、教官二名が命を落とした。丸瀬が現場へ飛んだときにはもう、水面に油の輪が浮いているだけだった。普段表には出さないが、彼女は常に心に留めている。あの光景と絶望感を。

 

「丸瀬ちゃんの大切な人も、ここにいるのかい」

 

 いつの間にか、高遠晴が近くに来ていた。相変わらず独特な口調だが、落語を語っているときと違いおどけた様子はない。

 丸瀬は問いかけに頷く。思い人はすでに永遠の彼方へ飛び去ってしまった。断られると承知で思いを告げた、その数日後の出来事である。残された者にできるのは、その人物を思い出すことだけだ。

 

「男なんていうのは勝手なものだよ。特にパイロットはな……」

「そうかもねぇ」

 

 晴はゆっくりと丸瀬の隣に歩み出た。慰霊碑を見上げつつ、大きく息を吸い込む。直後にその口から響いたのは、透き通った歌声だった。

 

 ーー沖のカモメと 飛行機乗りはーー

 

 ーー何処で散るやらネ 果てるやら ダンチョネーー

 

 かつて空の戦士たちが歌った、切ない兵隊歌。落語の語り口とは違っても、同じように人の心へ沁み込むものがあった。

 僅かに間を空けて、丸瀬も自然と歌いだす。

 

 ーー飛行機乗りには 嫁には行けぬーー

 

 ーー今日の花嫁ネ 明日の後家 ダンチョネーー

 

 彼女の声はアルトで、艶やかな響きがある。航空機が発明されてから百年以上経ち、その性能と信頼性は大きく向上した。事故率で見ればむしろ、自動車よりも安全な乗り物である。だがそれでも悲劇は起こってしまうのだ。目尻から頬へ伝う涙を拭うと、少し心が晴れていた。

 

「いい喉だね」

「お前ほどじゃないさ」

 

 二人は互いに笑顔を向ける。長い付き合いではないが、戦車道チーム発足前から関わりはあった。丸瀬は船橋と知り合い、学園の名をあげようと真摯に取り組む彼女に好感を持ち、得意の曲技飛行で広報活動に協力した。晴の方も船橋率いる広報委員会に属しており、時折放送などで落語をやっていたのである。ただ船橋がチームを立ち上げたとき、丸瀬は彼女の誘いに応じて戦列に加わったが、晴は誘いを断ったのだ。

 

「お晴。何故お前は最初から参加しなかった?」

 

 彼女が練習試合の勝利後にひょっこりと加入したとき、丸瀬は内心軽蔑した。しかし以呂波と船橋がそれを認めた以上は文句も言わなかったし、共に戦ううちに印象も変わってきた。彼女は決して日和見主義者ではない。だから尚更、何故なのか気にかかる。

 

「戦車道に関しちゃ、前にいた学校でいろいろあってねぇ。良いことも含めて。でも一番の理由は、以呂波ちゃんを隊長に据えるって聞いたからさ」

 

 微笑を崩さずに答える晴。彼女はチーム結成以前に一度、校内で以呂波を見かけたことがある。義足を重そうに引きずり、死んだ魚のような虚ろな目で宙を眺めていた。酷い顔だった。船橋はこんな子を頭にして、『片足を失いながらも戦車に乗る少女』などと言って盛り上げようとしているのではないか。そんな気がしたから最初は断ったが、その後宣伝映像で見た以呂波の姿は別人のように美しかった。あれが本当の一ノ瀬以呂波だと、船橋には分かっていたのかもしれない。

 

「要するにあたしゃ、あの二人を見くびっていたんだよ」

「……なるほど」

 

 丸瀬には晴の気持ちが少し分かった。事実丸瀬も初めて以呂波を見たとき、顔に死相が出ているとさえ感じたものだ。そして凛々しい戦車隊長となった彼女を見て、船橋の慧眼に舌を巻いた。

 

「自己分析してみると、あたしゃ転校するときのことを引きずってたのかもね。ちょいとばかしギスギスしてたかも」

「お前がどこから転校してきたか、船橋先輩から聞いている」

 

 喋りながら、丸瀬は近くのベンチに腰を下ろした。晴もその隣へ座る。

 

「何故この学校に来た? 今でこそ世間の評価も変わってきたが、少し前までゴミの掃き溜めのように思われていた」

「落語でもそういう場所がよく舞台になるもんだよ」

 

 裏長屋とかね、と付け足す。落語というのは庶民の文化であり、その生活基盤だった貧乏長屋で生まれる笑いや人情をテーマにした作品は数多い。千種学園もまた、浮世の義理と情が集まる巨大な長屋のようでもあった。

 

「そういう所だからこそ生まれる、光るものを探してみろ……師匠にそう言われたのさ」

「見つかったか?」

「ああ。山ほどね」

 

 笑いながら慰霊碑へと目を向けた。献花台には多数の花束が供えられており、丸瀬らズリーニィ乗員によって手向けられたものもある。だがそれらは白菊航空高校出身者だけのものではない。トラップ=アールパード二重女子高や、UPA農業高校出身者からの献花も増えているのだ。航空学科では事故の悲しみが尾を引いていることもあり、孤立主義の傾向が強い。しかし戦車道チームの活躍によって、四校の伝統を維持した派閥を持ちながらも、『同じ学校の生徒』という意識が高まってきている。

 悲しみ、喜びを共有する、人の情。晴の言うように、光るものはあるのだ。その中にはきっと、白菊高から受け継いだものもある。

 

「……さて。以呂波ちゃんたちを待たせているから、これで失礼するよ」

 

 ベンチから立ち上がり、お尻の埃を軽く払った。扇子を上着のポケットへ差し、愛用の風呂敷を肩にかける。

 

「丸瀬ちゃんも遅くならないうちに帰りな」

「ああ。どうもありがとう」

「おや、お礼言われるようなことをしたかい?」

「気にするな。早く行け」

 

 命令形だが柔らかな口調だ。晴が微笑を返して歩き去る。その後ろ姿を見送った後、丸瀬は再び慰霊碑の前に立ち、黙祷を捧げた。彼らの犠牲を忘れず、そして無駄にはしないという誓いを胸に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……千種学園から遥かに離れた海域を、比較的小柄な学園艦が航行していた。甲板上に艦橋のない設計のため、校舎と都市を乗せた盆のような姿だ。都市部はヨーロッパの古風な町並みを再現しており、夜空の下で街頭が美しく輝いている。

 この時間帯で校舎に残っているのはごく一部の生徒や教師だけだ。しかし今日は屋上の、そのさらに上に立つ時計塔から、二人の少女が艦上を見下ろしていた。

 

「いい眺めだなぁ」

 

 ポニーテールを夜風に靡かせながら、一ノ瀬千鶴は市街地の明かりを眺めた。三角屋根のレトロな家々が、まるでジオラマのように見える。艦自体が巨大なおもちゃ箱のようにも見えた。学園艦は生徒たちにとって第二の故郷のようなものだが、ここは彼女の母校ではない。

 

「せやろ。本当は普段、入っちゃアカンのやけど」

 

 コート姿の少女が悪戯っぽく笑った。

 

「この船『神鷹』がモデルやさかい、艦橋が甲板の下やねん。一番高いところはここや。決号は島型艦橋あるやろ?」

「ああ。てっぺんに露天風呂がついてるぜ」

「わー、ええなぁ」

 

 羨ましがる彼女は目鼻立ちの整った美少女で、活発そうな印象である。コートの裾からは校章の刻まれた短剣が見えていた。この学校、ドナウ高校の戦車道指揮官の証だ。同じドイツ系学校の黒森峰女学園とは交流もあるのだが、彼女には黒森峰の戦車クルーのような威圧感は感じられない。人懐っこくもどこか小悪魔めいた、人を食ったような笑みを浮かべている。

 それに輪をかけて人を食っているのが、彼女の呼び名だ。

 

「そういやトラビ、お前とも何度か戦ったけど、うちの学校に来たことはなかったよな」

「そやね。今度行こかなぁ。今はもう札付きのワルばかりやないんやろ?」

「まあな、相変わらず全国大会にはお出入り禁止だけど」

 

 千鶴は苦笑しつつ頰を掻いた。彼女の属する決号工業高校は二十両以上の戦車を保有しており、かつては全国大会でもそれなりの成果を上げていた。しかし生徒の素行不良が問題となり、数年前に連盟から参加資格を取り上げられたのだ。そして一昨年千鶴が入学するまで、戦車道部は断絶していた。

 一方トラビの率いるドナウ高校も、全国大会には出場していない。近年戦車道に参入したドナウは乗員の士気こそ十分だが、学校の方針に問題があった。教師や生徒会は常に、友好校であり戦車道強豪でもある、黒森峰女学園の顔色を伺っていたのだ。

 

「ウチらみたいに学校が腰抜けよりはマシやん。付き合ってみたら千鶴ちゃんも亀ちゃんも他の子たちも、みんなええ子やし」

「あたしが入学した頃は酷かったぜ。毎日毎日、何で戦車乗りがバカを釘バットで蹴散らして歩かなきゃならないんだよって……」

 

 その言葉でトラビは大笑いし、千鶴も破顔大笑した。収まるまでは二十秒ほどかかった。千鶴は戦車戦も喧嘩も強いと自負しているが、人間を殴るのは好きではない。ぐにゃりとした感触が気分を悪くするのだ。やはり戦車でガツンガツンとやり合うのが一番だった。

 

「でも、やっぱいっぺん行きたいなぁ。おもろい日本戦車ぎょーさんあるんやろ。今度の新兵器もびっくらこいたわ」

「ありゃついこの間、兄貴の会社から買って、艦内工廠で組み立てたんだ。お前の相棒だって相当面白いじゃないか」

 

 この場合の『相棒』とは副官などのことではなく、乗っている戦車のことを指す。トラビにも分かっており、またもや小悪魔めいた笑みを浮かべた。

 

「ウチのKW-1はええ子やで。せやけどあの子だけソ連製やから、整備がちょい面倒やな」

「燃料も軽油だもんな。I号C型の調子はどうだ?」

「あの子はもう絶好調! 戦車道界最速のガラクタ、ミレニアムI号やで!」

「なんだよそりゃ」

 

 喋りつつ、トラビは肩に下げていたカバンを床に降ろした。中から取り出したのは魔法瓶と、二つの紙コップだ。ベンチの上にコップを並べ、湯気を立てる飲み物をそこへ注ぐ。酒粕の良い香りがした。

 たっぷりと注いだ甘酒を差し出すと、千鶴は礼を言って受け取る。冷たい夜風の中で飲むと格別の味わいだった。二人並んでベンチに座り、まろやかな甘みを楽しむ。

 

「……次の相手はかの、西住みほや」

 

 ふいに落ち着いた口調になるトラビ。千鶴は口に含んだ甘酒を飲み下し、彼女を横目で見た。

 

「以呂波も甘く見るなよ」

「甘く見ようがないわ。カヴェナンターでウチらのIV号倒した妖怪やん」

「人の妹を化け物にするな」

 

 際どい勝利ではあっても、黒森峰を手玉に取る戦術を見せた西住みほ。その手強さは周知されている。同時にトラビは目をかけていた後輩・矢車マリに勝った一ノ瀬以呂波も警戒していた。まさかカヴェナンターやらT-35などという欠陥戦車部隊に、後輩たちが敗れるとは思いもしなかった。指揮官の腕の差という他はない。だが矢車はその後研鑽を重ね、二回戦では見事な働きを見せた。

 

「あ、そういやトラビ。そっちの副隊長は大丈夫なのか? 代理は矢車って奴でいいとして」

 

 ふと思い出して尋ねる千鶴。二回戦の最中、ドナウ高校の隊長は高熱を発して倒れたのだ。混乱しかけた部隊をまとめて奮戦した矢車が、次の試合で副隊長代理に指名されている。千鶴も矢車本人に会い、こいつなら大丈夫だろうと判断した。

 

「熱は下がってきたみたいやけど。ウチら、健康でない人間は戦車に乗せへんって決めてんねん」

 

 毅然とした口調でトラビは言う。

 

「千鶴ちゃんの妹は脚無いし、虹蛇のベジちゃんは手が無いけどもな。あの子らかて障害があるなりに、ベストコンディションで試合に臨むようにしてはるはずやろ」

「そうだな」

 

 彼女の正しさを千鶴は認めた。本調子でない人間を戦車に乗せられるほど、戦車道は甘い世界ではないのだ。一つのミスで大事故に繋がる可能性があるし、実際千鶴は妹がそういう目に遭うのを見たのだ。

 

「仲間には命預けるつもりでやらなアカンねん。戦車道言うても、元は人殺しの技術やから」

「人殺しの技術ねぇ。まあその通りだけどよ」

 

 歯に衣着せぬ物言いに、さすがの千鶴も苦笑する。一弾流はその『人殺しの技術』の性格も限定的に受け継いでいるが、あくまでも武道として戦車道と向き合っている。自分たちがやっているのは戦争ではないのだ。

 だがトラビの言うことにも一理ある。戦車に乗る以上、それが本来は戦争兵器であることを理解しておかなくてはならない。さもなければ取り返しのつかない事故が起きるし、そうした残酷な世界とは違う、戦車道の本当の良さにも気づけないのだ。

 

「大阪人は言いにくいことをズケズケ言うよな」

「あ、ウチの生まれは北海道やで」

「何でやねん!?」

 

 思わず関西弁で突っ込んでしまう。それが面白かったのか、トラビはしてやったりという表情でけらけら笑った。

 

「オカンが大阪人。ウチ、ホンマの名前は『アベナンカ』っちゅーねん」

「アイヌ人か?」

 

 言われてみれば確かに、何処となく彫りの深い顔立ちをしている。無論アイヌ名で戸籍登録をしているわけではないだろうが、それを本名だと言い切るあたり、彼女にとって何らかの精神的支柱なのだろう。一方でトラビなどというドイツ車由来の、妙な呼び名を気に入っているようでもある。掴み所のない少女だ。

 だが何度か砲火を交えた仲である千鶴は、彼女の中に自分と似たものを感じていた。

 

「戦車に乗るとな、狩猟民族の血が騒ぐねん」

「カッコつけんな」

 

 そう言いながらも、千鶴は彼女へ拳を突き出した。トラビもニヤリと笑みを浮かべ、自分の拳をそれにぶつける。

 

「……今度の獲物はデカいぜ」

「うん、楽しみやね」

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
本当は前回からここまで一話に収めたかったけどちょっと無理でしたw
この次から合同訓練、そして諜報活動となります。
名スパイ秋山優花里+aの活躍をお楽しみにしていただければ。
そしてご感想・ご批評などございましたら、よろしくお願いいたします。


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合同訓練です!

 地形の起伏を無限軌道で踏み越え、戦車隊が前進する。合計六両の戦車は護衛対象の八九式を中心に、周辺を警戒しつつ進軍していた。先頭を行くのはIV号戦車で、キューポラから顔を出すのは西住みほその人だ。砲塔側面にはマスコットの『あんこう』が描かれているが、そのとぼけた表情とは裏腹に、戦車はガチャガチャとやかましい音を立てている。車体の揺れでシュルツェンが軋むのだ。

 みほは常に周囲を見回し、襲撃を警戒している。敵を探すときは単純に広く見渡していれば良いというものではない。視界の中で景色を区分けし、各ポイントを順に注視していくのだ。小学生の頃から戦車に乗っている彼女にとって、このようなことは本能レベルにまで叩き込まれている。

 

 ちらりと後ろを見て、M3リー中戦車に乗る副隊長・澤梓の様子を確かめた。慎重な性格の彼女はぬかりなく見張りを行っている。次に最後尾、『カモさんチーム』のルノーB1bisへ目をやった。ずんぐりした車体に小さな砲塔という奇妙な風体で、大小二つの砲がそれに拍車をかけている。昨年度の車長・園みどり子の卒業により、操縦手の後藤モヨ子が車長に昇進した。操縦手と昨年空席だった通信手には風紀委員の新入生を採用したが、これまでの戦いで要領を得ており、問題なく隊列運動ができていた。

 

「カメさんとアリクイさんから通信!」

 

 沙織の報告を聞き、みほは視線を前方に向ける。

 

「GD1083地点、林の中にカモフラージュした敵戦車、四両発見だって!」

「分かりました! 全車両、十時方向へ変針して敵の側面を突きます!」

 

 慣れていない千種学園の演習場だが、みほは渡された地図を見て、待ち伏せが予測される地点に目星をつけていた。斥候に出していた二両が上手く相手を見つけたようだ。

 みほの号令に従い、大洗隊は一斉に回頭する。その間にもみほは敵車両の数から、残りがどこかにいると考えていた。

 

「……まさか!」

 

 はっと左手側を向く。視線の先には小高い丘陵が見え、その向こうの空に太陽が輝いている。逆光で見えにくかったが、指で光を遮って稜線を注視した。

 丁度、幾つかの影がそこから姿を現わすところだった。しかもみほの予想よりも多い数。彼女たちはそれに側面をさらしていたのだ。

 

「全車回避運動! 急いで!」

 

 即座に冷泉麻子が車体を蛇行させた。身を乗り出すみほはハッチの縁につかまり、Gに耐える。刹那、IV号の前方を練習弾が掠めた。一発だけではない、周囲に続々と着弾する。回避の遅れたB1bisが、弱点のラジエーターグリルに被弾した。しかし他の車両は際どいところで射線をかわしていた。

 斥候が発見したのは恐らくデコイだったのだろう。すぐに設置できる簡素なデコイでも、木の枝などで偽装すれば本物らしく見せられる。それで注意を引きつけておき、別方向へ火力を集結させたのだ。

 

《カモさんチーム、脱落! すみません!》

「反撃しますか!?」

 

 華が問いかけるが、みほは首を横に振った。彼女の照準能力には全幅の信頼を寄せているが、太陽を背に稜線に陣取る敵を狙うのはリスクが大きい。実際、敵はすでに稜線の陰へ隠れるべく、後退していた。

 

「逆光では不利です! フェイントをかけながら、相手の背面を突きます! 頑張ってついてきてください!」

《分かりました!》

《了解ぜよ!》

《あいー!》

 

 各車の操縦手たちから力強い返事が返ってくる。続けてみほは沙織に、斥候隊を呼び戻し、別方向から襲撃させるよう指示した。

 

 

 一方、敵側……一ノ瀬以呂波率いる千種学園隊は稜線の陰に入り、身を伏せていた。準決勝では共同で、グデーリアン流のドナウ高校、一弾流の決号工業高校と戦う。しかし大洗は一弾流と戦った経験がないため、同門の以呂波たちを仮想敵として訓練することになったのだ。

 

《鴨番機のカモを食った!》

 

 ズリーニィの丸瀬が叫ぶ。しかし以呂波は西住みほの手並みに舌を巻いた。側面を晒させ、太陽の方向まで考慮しての伏撃だったにもかかわらず、一発を除き全て避けられたのである。さすがに見事な危険察知能力だ。砲手席の澪は微かに悔しそうな表情を浮かべていた。

 

「農業学科から入電、ヘッツァーちゃんとチヌたんがこっちに向かってきてる」

「SU-76iに連絡し、足止めするよう指示してください。ズリーニィ、マレシャルは第二の狙撃地点へ移動を。タシュ、トゥラーンは機動戦に移ります!」

 

 

 

 

 

 

 

 合同訓練はしばらく続き、最終的に双方三両が撃破されたところで時間切れとなった。元々制限時間が短かったので、お互いにフラッグ車は無傷だ。

 戦車といえば頑強な装甲に目が行きがちだが、その実非常にデリケートな兵器である。模擬戦であってもその後のメンテナンスを怠れば使い物にならなくなる。千種学園では整備班が充足しているが、彼らに任せきりにしないのも良い戦車乗りの条件だ。車庫近くの水道を使い、戦車の汚れを落とす。

 

 参加したばかりのSU-76i自走砲もその中にいた。乗員は福祉学科の一年生で、水着姿で楽しそうに喋りながら無骨な自走砲を洗っている。ホースで泥を流しているのは車長の去石アンナだ。常に眠そうな表情のおとなしい少女だが、スポーツはやる方で、ほどよく引き締まった体に競泳水着がよく似合っている。

 ふと金属的な足音が聞こえた。彼女が振り向くと、以呂波が近くまで来ていた。

 

「お疲れ様、去石さん」

「隊長もお疲れ様~」

 

 同学年である二人は気兼ねなく挨拶を交わす。去石とその仲間は福祉学科だけに他者への気配り上手く、他のメンバーからも評判が良い。だが練度の方はまだ高くなかった。

 

「大分上手くなってきたね」

「ありがとう。でもまだまだ、試合で役に立てるか分からないかな~」

 

 少し心配そうな表情で、去石は頰をかいた。SU-76iは固定砲塔のため、照準を合わせるには車体自体を旋回させる必要がある。砲手と操縦手が息を合わせねばならないわけだが、彼女らは照準に少し時間がかかっていた。砲手も筋は良いが、相手が動いている場合や、千メートル以上の距離になるとまだまだ命中はおぼつかない。

 ゲームと違い、戦車砲はただ照準を合わせて撃てば当たるというものではないのだ。弾道は風向きや重力の影響を受けるし、二発目からは砲身が熱膨張して弾道が変化する。砲手はそれを勘で修正し、かつ相手の未来位置を予測して偏差射撃を行わねばならない。また、砲身も消耗品である。同じ型の砲身でもそれぞれ癖が異なるため、砲身を交換した際は一から付き合い直しだ。

 

 福祉学科チームは足手まといにならないよう訓練に打ち込んでいるが、初陣までに十分な技量を手にできるか不安を感じていた。だが以呂波はそれほど心配していなかった。彼女としては、主砲を旋回できないSU-76iはズリーニィ、マレシャルと共に、スナイパーとして動いてもらうつもりでいる。しかし命中精度に関してはそこまで良くならなくても十分だと考えていた。

 

「砲弾なんていうのは所詮消耗品だから、当たらなかった分は別にいいんだよ」

「でも、それじゃ敵を倒せないし……」

「昨日の食事会で、お晴さんが寒いギャグ言ったでしょ」

 

 以呂波は笑顔で、去石の言葉を遮った。「天井から雨漏りがするよ。や~ねぇ」という小噺のことだ。落語家として修行中の晴が言ったからこそ笑えたが、そうでなければ以呂波の言う通り、寒いギャグでしかない。

 

「ああいう話でもやり方によっては笑いを取れる。戦車も同じ。外れた弾もやり方によっては無駄じゃないの」

「えっと、どういうこと?」

 

 去石も仲間たちも、以呂波の話を真剣に聞いていた。しかし理解が追いつかない。当たらなかった時点で無駄弾ではないのか。

 

「後で詳しく説明するね。ところで……」

 

 以呂波は福祉学科チーム全員を一瞥した。

 

「なんでわざわざ、水着姿なの?」

「えっ。これが一弾流の作法だって、高遠先輩が……」

「お晴さぁぁぁん!」

 

 

 

 

 

 

 

 ……以呂波の叫びは辺りに響いたが、それを聞いたのは人間だけではなかった。大坪の連れてきた馬がぴくりと反応し、両耳を前後に動かす。だが隣で手綱を引く大坪が落ち着いているのを見てか、それほど気にすることなく歩みを進める。青毛の立派な馬で、澄んだ瞳をしていた。

 側を歩くのは『ウサギさんチーム』こと、大洗M3中戦車の乗員たちだ。また馬を見せて欲しいという彼女らの要望で、訓練の後厩から連れてきたのである。背中に乗るのは副砲装填手の丸山紗希だった。極端に口数の少ない彼女だが、乗り心地はそれなりに気に入っているようだ。鞍につかまりながらも優しく馬のたてがみを撫で、微笑を浮かべている。

 

「あぶみには足のつま先だけかけてね。そうしないと落馬したときに引きずられるから」

 

 あれこれ教えながら、大坪はゆっくりと愛馬を引いていく。梓たちは興味深げに馬の様子を眺めていた。馬は個体ごとに気性の差が激しい。こいつは大人しい性格のようだが、昨日大洗隊をエスコートしたとき、戦車を全く怖がる様子がなかった。

 

「この子、名前は?」

「セール。ハンガリー語で『風』の意味よ」

 

 互いに気さくな性格の大坪と梓は、同学年ということもあってすっかり打ち解けていた。ウサギさんチームは総じてミーハーな気質だが、誰とでもすぐに仲良くなれるタイプだ。何を考えているのか分からない紗希でさえ、しっかりと仲間として受け入れられている。

 

「尻尾振ってて可愛い〜」

「冷泉先輩だったら、馬でも上手く走らせられるのかなっ!?」

「聞いてみたんだけど、生き物はマニュアル通りにいかないから分からないって」

「あれ。桂利奈ちゃん、もしかしてダジャレ言った?」

「え?」

 

 他愛もない会話で笑い合いながら、一行はゆっくりと歩いていく。セール号もこの女子たちが嫌いではないらしく、時折背を撫でられたりしながらのんびりと散歩していた。

 

「この子は昔、凄く臆病でね」

 

 大坪がしみじみとした口調で語り出した。『昔』というのは学園統合前、まだ彼女とセール号がアールパード女子校にいた頃の話だ。

 

「こんなに強そうなのに?」

「この子、生まれつき蹄が小さいの。蹄なくして馬なし、っていう言葉があってね」

 

 どれだけ体格が良くても、小さい蹄では怪我をしやすいため、速く走ることができない。なのでこの馬に乗りたがる者はおらず、セール号は次第に自信をなくしていったという。馬は誇り高い動物であるため、そのような扱いが苦痛だったのだ。しかし体格に恵まれ、蹄以外は脚も丈夫、健康そのものだった。

 

「先輩たちが一回り大きい蹄鉄を作って、じっくり再調教したの。今ではもう、馬術部で一番勇敢な馬よ」

 

 大坪は誇らしげに、セール号の肩を叩いた。その蹄鉄は蹄より大きめに作られ、緩衝材としてゴムを噛ませた特製のものだ。これをつけて走る練習を繰り返し、見事に生まれ変わったのである。

 

「戦車を怖がる馬も多かったけど、この子は平気だし。変われば変わるものだねって、先輩たちも言ってた」

「……変われば変わる、か……」

 

 梓は仲間たちと顔を見合わせ、みんなでクスリと笑った。

 

 

 

 格納庫の側を通り過ぎていく彼女たちをちらりと見て、船橋はそれまで話していた相手に視線を戻した。表情は真剣である。

 

「……八戸タンケリーワーク社が決号に?」

「はい」

 

 小声で返事をするのは、整備班長の出島期一郎だ。スマートフォンを操作し、表示された画像を船橋に見せる。学園艦の縁から撮ったらしい写真で、小型の空母タイプの艦と、タグボートで牽引される艀が写っていた。船橋はすぐに、八戸タンケリーワーク社のカンパニー・シップだと分かった。誰かのブログに掲載された写真のようである。

 

「決号にいる友達が撮って、ブログに載せたものです。そいつは何の船だか分からなかったみたいなんですが」

「……なるほど、ありがとう。これは一ノ瀬さんに報告しておかないとね」

 

 写真では艀に何が積まれているか分からないが、船橋は決号工業高校が、八戸社から新たな戦車を購入したに違いないと思った。八戸守保は以呂波に優しいが、彼女を贔屓にしているわけではない。正当な取引であれば、もう一人の妹にも迷わず戦車を売るだろう。以呂波もまた、千鶴が今までとは戦法を変えてくることを予測していた。新車両を導入してきてもおかしくはないだろう。

 場合によってはまた、偵察が必要になるかもしれない。

 

「とりあえず、ブリーフィングの準備をしないと。手伝いに何人かよこして」

「分かりました」

 

 出島は踵を返し、サポートメンバーたちの元へ向かった。

 

 




丸山ちゃんが動物と触れ合っているところ、見たいと思うのは私だけでしょうか?

というわけで、お読みいただきありがとうございます。
福祉学科の面々が水着でSU-76iを洗車していたのは、pixivでそういうイラストがあったものでw
タグに「鉄脚少女の戦車道」とついてて驚きました。
ありがたいことです。

ちなみに鴨番機というのは飛行中隊の第三小隊三番機、つまり最後尾につく機体のことです。
もっとも墜とされやすいので、日本軍のパイロットたちはそう呼んだそうです。
プラウダ戦でその位置をカモさんチームが担当していたのは少し皮肉ですが、それだけ信頼されていたということでもあるでしょう。

では、今後も頑張ります。
ご批評・ご感想などございましたら、よろしくお願いいたします。


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作戦会議です! (前)

 普段以呂波たちが会議に使っているのは、演習場にほど近いプレハブ小屋だ。一見粗末だが、ネット環境などの設備は整っている。しかし大洗のメンバーまで収容するスペースはないので、校舎の会議室を一つ借りることになった。お茶やコーヒーなどが用意され、各自受け取ってチームごとに着席する。皆で手分けをして、映写機やスクリーン、ホワイトボードなども準備が整った。

 しかし、肝心のメンバーに問題が発生していた。

 

「一ノ瀬さん、お晴さんと美佐子がいないわ。後は全員集まってる」

「みぽりん、大洗は麻子以外全員いるよ」

 

 結衣と沙織がそれぞれ点呼を取り、報告する。二人の隊長は顔を見合わせた。準決勝に向けた重要な会議だというのに、両校の隊長車クルーが揃っていないのは困る。

 

「連絡はつかないの?」

「携帯にかけたんだけど、二人とも出ないの。美佐子は脳筋なりに義理堅いから、遅れるなら連絡くらいすると思うけど」

 

 さらりと毒を吐きながら、結衣は心配そうに自分の携帯を見つめる。晴も普段おどけているが、落語で言うところの『義理と人情』を心得た少女だ。時間は守る方だし、遅れるなら電話の一つも入れてくるはずだ。具合でも悪くしたのではないか。

 対する大洗側は冷泉麻子がどうしているのか、確信を持っていた。

 

「麻子も電話に出ないんだけど……まあ、アレだよね」

「あはは……そうだね」

 

 みほはどこか諦観したような苦笑を浮かべる。以呂波が何のことかと尋ねようとしたとき、彼女の携帯電話が鳴った。着信音は「電話がきたぞー」という声だったが、それを聞いたみほが思わず目を見開く。しかし以呂波はそれに気づかず、即座にポケットから取り出して通話ボタンを押した。

 相手は高遠晴。

 

「もしもし?」

《やあ、ゴメンよ以呂波ちゃん。お結衣ちゃんから電話きてたみたいだけど、二人ともマナーモードにしてたもんだから》

 

 いつも通りの明るい口調だったが、ゴメンよという言葉にはしっかりと謝罪の意思が感じられた。とりあえず無事だったようで、一先ず安心だ。どこからかけているのかは分からないが、晴以外にも人の声が微かに聞こえる。美佐子が何事か叫んでいる声も。

 

《ちょいと困ったことになっててね。大洗の生徒が第三体育館で倒れてるって聞いて、みさ公と二人ですっ飛んできたんだけど……》

「冷泉さんですか!?」

 

 以呂波の表情がさっと真剣なものになった。今別の場所にいる大洗の生徒など、消去法的に彼女しか考えられない。保健委員に連絡をしようかと思ったとき、電話から聞こえてきたのは晴の笑い声だった。

 

《あはは、大丈夫大丈夫。ただマットの上でお昼寝してるだけだよ》

「……ああ、そうですか」

 

 がっくりと力が抜ける。そういえば昨晩の懇親会で沙織から聞いていた。大洗の誇る天才操縦手の欠点は、低血圧と寝坊癖なのだと。通算遅刻日数のレコードは大洗女子学園史上最多であり、今後決して破られることはないといわれているそうだ。

 そんな彼女が、昨日は慣れない千種学園の艦で夜まで盛り上がり、いつもと違う寝床で一夜を過ごしたのだ。慣れない環境で訓練の疲れが大きくなったのだろう。

 

「とりあえずお疲れさまです。会議が始まるので、すみませんが起こして連れてきてもらえますか?」

《起きないんだよ。抱き起こそうとすりゃマットにしがみついちゃうし。みさ公が頑張ってるんだけどねぇ》

 

 会話をしている間にも、「起きろー!」だの「うぇいくあーっぷ!」だの「空襲だー! ルーデルだー!」だのという怒鳴り声が、携帯電話を通じて聞こえてきた。この騒音で起きないとはどういう神経なのだろうか。

 

《みさ公、あんまりやるとご近所に迷惑だよ。用具入れに縄があるはずだから持っといで。あと長い棒も……いや、大人の遊びじゃないよ。冷泉さんをマットで簀巻にしてふん縛って、棒を突っ通して担いでいくんだよ。死体を山へ捨てに行くみたいに》

 

 もはや死体扱いだった。以呂波は呆れながらも、「お願いします」と言って電話を切った。

 第三体育館の位置からして、会議室まで人間を担いでやってくるまでには時間がかかる。待っている時間が勿体無いと判断し、進行役の船橋に進言した。

 

「三人とも、もうしばらくすれば来るようです。重要でない議題を先にして、始めちゃいましょう」

「うーん、そうしよっか」

 

 船橋はマイクのスイッチを入れ、指で軽く叩いて調子を確認する。着席した両校のメンバーを見渡し、笑顔で話し始めた。

 

「第一回合同訓練、お疲れさまでした。それでは会議を開始いたします。まず、Aブロックに参加した学校から応援のメッセージが届いています」

 

 彼女の合図で、サポートメンバーたちが最前列に座る生徒へ紙を配り始めた。各自一枚取って後ろへ回していく。Aブロックで戦った各校からのメールを印刷したものだ。自分たちが対戦した方を応援したものや、両校の共同作戦に期待する内容のメッセージが多かった。受け取った生徒たちはそれぞれその内容を見て、喜びの声を上げる。

 

「虹蛇女子学園、アガニョーク学院高校、金字塔学園、バッカニア水産高校、ボルテ・チノ高校、メフテル女学院……みんな私たちを応援してくれています。読んでおいてくださいね」

 

 はーい、という返事が一斉に返ってきた。元気ながらも能天気な、女子高生らしい作戦会議である。このような点で千種と大洗は似ている節があった。いずれにせよ士気は高まったようである。

 続いて船橋は重要度は低いものの、次の戦いに関係のある議題に移った。

 

「準決勝では西住さんが総司令官、一ノ瀬さんが副隊長 兼 参謀。中隊長は澤さんと私が勤めることになったわ。編成はまた決めるとして……」

 

 マイクを持ったまま、船橋はホワイトボードの前へ移動する。

 

「私たちも今回に限って、大洗の皆さんみたいなチーム名を決めようかと思うの。動物の名前で。その方が西住さんも指揮が取りやすいでしょ」

「あ、はい。確かにそうですね」

 

 みほも同意した。大洗では基本的に「あんこう」「ウサギさん」などの識別名を用いているが、千種学園では車両か車長の名前で呼んでいる。どちらかに統一した方が、試合中の指揮もしやすいだろう。

 千種学園側は各チームで額を寄せ合い、自分たちのチームマスコットに相応しい動物は何か詮議し始めた。真っ先に手を挙げたのはトゥラーンの車長・大坪だった。

 

「私たちは『お馬さんチーム』でお願いします」

「うん、知ってた」

 

 あっさりと答え、ホワイトボードに「トゥラーンIII → お馬さん」と書き込む船橋。続いて挙手したのはT-35車長・北森だ。

 

「あたしらは農業学科だから、益虫の代表格ってことで『ナナホシチーム』!」

「ナナホシテントウムシ……まあいっか」

 

 可愛らしいテントウムシとT-35はなんともミスマッチであるが、反対するほどでもないだろう。三番目はマレシャルに乗る川岸が手を挙げる。

 

「あたしらは『ヒラメさんチーム』で。あと提案なんスけど、西住さんたちが『あんこう』なんだから、こっちも隊長車は海産物にしたらどうッスか?」

「海産物、か……何か良いのある?」

 

 隣にいる結衣に尋ねると、彼女は持ち前の知識を披露した。

 

「同じ深海魚なら、フクロウナギとかフウセンウナギとか。魚じゃないけどダイオウグソクムシも素敵よね」

「……もっと可愛いのがいい……」

 

 澪が嫌そうな顔をしながら意見を述べた。以呂波としても今回ばかりは結衣のチョイスに疑問を呈さざるをえない。だが当人は単純に自分の好みで選んだだけだった。

 

「深海生物っていいじゃない。見てると謎を解いてみたくなって、わくわくしてくるし……」

 

 真剣な表情でそう語り、ふと結衣は部屋の外に目を向けた。ドアはすりガラスなので外の様子は分からないが、何やら通行人たちのどよめきと、ドカドカという足音が聞こえる。そして「大丈夫大丈夫! 死体じゃないから!」という声が聞こえるに至り、以呂波は何が来たのか把握した。出入り口に近い澪に頼み、ドアを開けさせる。

 がらりと戸が開くと、美佐子と晴が「お待たせ」などと言いながら部屋へ入ってきた。丸めて棒にくくりつけた、体育館マットを二人で担いで。

 

「何だ!? 簀巻か!?」

「姥捨山ぜよ!」

「アイアンメイデンだ!」

「どちらかと言えば蓑踊りだろう」

「それだ!」

 

 掛け合いを始める者もいれば、何の騒ぎだと立ち上がる者もいる。遅くなったことを詫びつつ、美佐子と晴は肩に担いだ棒と、それにぶら下がっているマットを床へ下ろした。真っ先にその簀巻へ駆け寄ったのは沙織だった。マットの端から幼馴染の顔が見えたのである。

 

「こら麻子、あんたって子はぁ! 千種の子たちに迷惑かけないようにって言ったでしょ!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴る沙織。怒りよりむしろ恥ずかしさの方が強いだろう。そんな彼女へ、麻子はうっすらと目を開き、ぽつりと答えた。

 

「……ここへ来るまで、意外と快適だった」

「麻子ーッ!」

 

 縄が解かれ、マットの包みが開封される。ぼんやりと天井を見上げる冷泉麻子を、あんこうチームの面々が大急ぎで抱き起こし、席へと引っ張っていった。以呂波はちらりと大洗勢の様子を見たが、皆「また冷泉さんか」というような態度で、どうやら大洗でも似たようなことがよくあるらしい。

 天才操縦手を死体と同レベルの扱いで運搬してきた二人に、沙織が深々と頭を下げた。

 

「どうもウチの子が申し訳ありません。よぉ~く言っておきますので……」

「いえいえ」

「結構楽しかったですよ!」

 

 ともあれ、これでようやく全員が揃った。以呂波は美佐子と晴に応援メッセージのプリントを渡し、会議の進行状況を簡単に告げた。

 

「私たちのチーム名だけど、美佐子さんは何かアイディアある?」

「うん! あたし、ひい祖父ちゃんが海軍だったし、川岸ちゃんほどじゃないけど海の生き物は詳しいよ!」

 

 発育の良い胸を自信満々に張り、美佐子は満面の笑みを浮かべた。結衣と澪が不安そうな顔をする。

 

「名付けて『たい焼きさんチーム』!」

「……美佐子、それ海産物じゃないわ」

 

 静かなツッコミが入った。しかし当人は「何がいけないのか」と言いたげな、不思議そうな顔をする。

 

「だって西住さんたち、『あんこチーム』じゃん」

「あんこうと餡子は関係ないから!」

「でも購買のたい焼き、尻尾まであんこ入ってて七十円だったよ!」

「何の話なのよ!?」

 

 ボケとツッコミの応酬が始まった。大洗側も「七十円だって!」「安~い!」「たい焼きって頭から食べる? 尻尾から食べる?」「対戦車サーブの特訓前に、たい焼きで腹ごしらえするぞ!」などと話が脱線し始める。みほと澤の二人があたふたとしながらも何とか鎮めた。昨年までは一喝して瞬時に鎮めてくれる人物がいたのだが。

 

 以呂波は腕を組んで考え込んだ。義足で床を踏み鳴らしつつ熟慮し、その結果を船橋へ伝える。

 

「先輩、『たい焼きチーム』でいいです」

「あはは……」

 

 乾いた笑いが響く中、ホワイトボードに「タシュ → たい焼き」の字が書き込まれた。




生徒会チームが卒業した後を想像して思ったこと。
桃ちゃんはやっぱり、いらない子なんかではないのだ。


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作戦会議です! (後)

「すったもんだの末にチーム名も決まったし、対戦相手の戦力分析をしましょう!」

 

 眼鏡のずれを直し、あくまでも元気良く、船橋は会議を進めた。ホワイトボードに書かれている千種学園隊の識別名は次の通りだ。

 

 トゥラーンIII →お馬さん

 T-35 → ナナホシ

 マレシャル → ヒラメさん

 タシュ → たい焼き

 ズリーニィI → ツバメさん

 トルディIIa → トンボさん

 SU-76i → オカピさん

 ソキ → でんでん虫

 

 SU-76iに関しては言い得て妙である。半分がドイツ製、もう半分がソ連製なのだから。トルディは車長の船橋が眼鏡をかけていることからトンボとなり、ズリーニィとソキは車長の好みで決められた。タシュだけ思い切り浮いているが、気にしていては会議が進まない。

 サポートメンバーが部屋の明かりを消し、カーテンを閉める。映写機が起動され、スクリーンに『ドナウ・決号 装備解析』の文字が表示された。一同が気を引き締めて画面を見つめる中、一人の少女が立ち上がった。あんこうチーム装填手・秋山優花里その人である。

 

「では敵戦車についての説明を、大洗の秋山さんからお願いします」

「はい!」

 

 レーザーポインターを受け取り、優花里は勇んでスクリーンの前へ出た。映像が切り替わり、ドナウ高校が今までに使った戦車のリストが表示された。IV号突撃砲が四両、IV号戦車F2型およびJ型が二両ずつ、後はI号戦車C型、KV-1が各一両という編成である。

 ドナウ高校は同じドイツ系の黒森峰と縁のある学校だ。しかし戦車は黒森峰のような猛獣軍団ではなく、比較的運用が楽でバランスの取れた戦車を揃えている。大半がIV号系列なので整備も楽だと思われ、大洗・千種にとっては羨ましいところだ。

 

「IV突はIII突の代用として開発された車両なので、性能は似たレベルです。カバさんチームのIII突とは転輪の数、操縦席の形状、防盾の形などで見分けられますが、塗装は同じジャーマングレーなので、しっかり確認してから攻撃しましょう。IV号戦車の方は塗装は我々と異なっていますが、こちらも一応間違えないように注意してください」

 

 戦車道において、敵味方に同じ戦車がいるというのは厄介な状態だ。友軍誤射は決して珍しいことではないし、むしろ夜戦などでは頻発するが、戦車乗りの恥とされている。逆に言えばそれを作戦に組み込む手もあるわけだが。

 続けて、変わり種の二両の解説に入る。画面に映ったのはジャーマングレーに塗られた、小さな軽戦車。一人乗り砲塔からは長短二つの銃身が突き出ていた。

 

「まずI号C型ですが、特筆すべきはその速度性能! 最高でなんと、79km/hです!」

 

 対戦相手についての考察なのだが、戦車となるとエキサイトするのが彼女の性格だ。沙織が眼鏡をかけ、戦車データをまとめたノートを開く。

 

「ええと……グロリアーナのクルセイダーよりずっと速いじゃない!」

 

 彼女が言う聖グロリアーナ女学院のクルセイダー巡行戦車は、リミッターを外す改造を施されている。二次大戦においては車両の命を削る諸刃の剣だったが、戦車道では試合後にしっかりとメンテナンスができるためよく行われるのだ。これにより最高速度は60km/hに達する。

 

「うん。二回戦で戦ったクロムウェルも、64km/hちょっとだね」

「しかも船橋殿の情報によると、ドナウのI号Cはエンジンを通常のマイバッハHL45Pから、より高出力のHL61に換装して、足回りにも規定内でチューンナップを施しているようです」

「ドナウではその改造型を“戦車道界最速のガラクタ”と称しているとかで、速度記録テストで90km/hをマークしたという噂もあるわね」

 

 会議室内がどよめいた。二次大戦中の戦車は40km/h前後が普通で、ソ連の快速戦車でさえ装軌状態では50km/hを超える程度だ。大洗の『レオポンさんチーム』車長・ツチヤはいつものように笑みを浮かべながらも、瞳をぎらつかせながらI号C型の写真を睨んでいる。彼女は戦車道のルールに電動モーターの改造制限がないと気づいてから、常にポルシェティーガーの高速化を目指しているのだ。二回戦で高速戦車クロムウェルに撃破されたこともあり、それを上回る高速戦車に敵愾心が増していた。

 

 それを他所に、優花里は次の画像に切り替える。今度はソ連製の、KV-1重戦車だ。T-34などと同じ傾斜装甲や、八九式同様の砲塔後部機銃が特徴的である。しかしその砲はソ連製の76.2mm砲よりも長く、先端にマズルブレーキがついていた。それどころか防盾もキューポラも、大洗……特にあんこうチームにとっては馴染みのある形だった。

 

「この大砲……F2仕様のIV号と、同じものですよね?」

「さすが五十鈴殿」

 

 優花里はレーザーポインターで砲塔防盾を指した。

 

「この戦車はPz.Kpfw.KW-1 753(r) 43口径75mm砲搭載型です。ドイツ軍が鹵獲したKV-1で作った改造車両を再現したんですね。ドイツ軍仕様なので『カーヴェー』はKWと表記します」

「パンツァー・カンプフ……なんだっけ?」

「とりあえず、KW-1改でいいと思います」

 

 長い名前に混乱する沙織に、以呂波が告げた。優花里は楽しそうに解説を続ける。

 

「主砲は五十鈴殿の言う通り、IV号の長砲身75mmを防盾ごと移植してあります。同じくIV号のキューポラもつけられていますね」

「つまり、ニコイチの戦車?」

「独ソ戦中の実物と同じなら、T-34から剥ぎ取ったベンチレーターも搭載されてますから、サンコイチですね」

「KV-1の年式は?」

 

 みほが小さく挙手しつつ尋ねる。彼女ならKV-1とも戦ったことはあるだろうが、このような改造戦車は初めてだ。以呂波も同様である。

 

「四二年型です。最大装甲厚は130mmという重装甲です」

「あたしらのタシュも120mmあるよね?」

「一番厚いところは、ね」

 

 美佐子の問いに答えつつ、以呂波は記憶しているKV-1のデータを呼び起こした。一九四二年型のKV-1は装甲を強化したタイプで、それは正面だけではない。砲塔は正面から側面にかけて120mmという重装甲で、後部でさえ砲塔90mm、車体75mmという堅牢さだ。タシュは最大装甲厚こそ120mmだが、側部・後部は薄い。

 KV-1は操縦系統のトラブルが頻発する車両で、レバーをハンマーで叩かないとギアチェンジできなかったという話は有名だ。しかしドナウのKW-1改は足回りもチューンナップされているようで、今までの試合ではスムーズに動いていたという。その役割は隊長が乗り込み、重装甲を生かして部隊の先鋒となることだった。船橋が資料を取り出し、ドナウ高校隊長のデータを読み上げる。

 

「ドナウの隊長はグデーリアン流の人で、黒森峰から西住流も習ってるみたいね。通称トラビさん」

「トラビ!?」

 

 ツチヤが吹き出した。ドイツの自動車産業は数多くの名車を生み出したが、トラビは東ドイツで生まれた『迷』車の愛称なのだ。なんとも人を食ったような呼び名である。

 続けて船橋は副隊長……正確にはその代理についての情報を読み上げた。千種学園にとっては馴染みのある名だ。

 

「正規の副隊長は急病で倒れたけど、一年生の矢車マリさんが代理として登録されているわ。一回戦でも二回戦でも、あの子のIV号がフラッグ車を仕留めてる。それと……」

 

 別の資料へ目をやり、船橋は少しの間をおいて続けた。

 

「戦車のことだけど、ドナウは非常に強力な車両を一両持ってるという噂よ。ただ運用に難があってコストがかかるから、使ったことがないとか」

 

 車種までは分からないけど、と船橋は残念そうに言う。今回は二校同士でチームを組んでの試合、その兵器を投入してくる可能性もある。だが正体が分からない以上、対策は立てられない。そしてつい先ほど分かったことではあるが、隠し球があるのはドナウだけではないのだ。

 

「決号工業高校も、八戸タンケリーワークから何か買ったみたいね」

「千鶴姉が……」

 

 以呂波はそれほど驚かなかった。守保は自分であろうと姉だろうと、正当な取引であれば喜んで戦車を売るだろう。「金さえ払えばラーテだって作ってやる!」というのが彼の決め台詞だった。八戸社の品揃えを知る千種学園の面々はざわつく。姉をよく知り、決号のこともある程度知っている以呂波は、姉が何を買ったか見当がついた。実際に兄の会社へ行った際、その戦車のパーツを目撃したのだ。

 

「八戸タンケリーワークって、戦車の会社?」

「そうです! 戦車本体や部品、その他戦車道用品を幅広く扱っていて、国内外のプロチームから高い評価を受けているんですよ!」

 

 沙織の質問に、優花里が目を輝かせて答えた。

 

「特にトランスポーターのような戦車道支援車両では国内でトップのシェアを誇っていて、他にも試合中に食べる糧食やレシピ本なんかも扱ってるんです! 私秘蔵の軍用レーションコレクションも、八戸社経由で買ったものがいくつかあります。さらに噂では陸自と提携して……」

「そして、その八戸タンケリーワークの社長が!」

 

 船橋が優花里の言葉を遮る。

 

「一ノ瀬家長男の守保さん、つまり以呂波さんや、決号の隊長・千鶴さんのお兄さんよ」

「ええっ!?」

 

 大洗の面々が驚愕の声を上げた。以呂波に視線が集中するが、彼女は冷静だ。

 

「兄ならきっと、私にも姉にも、差別なく戦車を売ると思います。何を買ったか目星はつきますけど、想像で動くのは危険ですね……」

 

 会議室が静まり返った。どうすべきか思案に暮れるのと同時に、両校の隊長がどのような判断を下すか待っている。

 みほは俯いて考え込んでいた。何かを躊躇しているようだったが、やがて意を決して顔を上げた。視線の先にいるのは優花里。以心伝心というものか、彼女は敬愛する隊長の考えをその眼差しから読み取ったようだ。ならばやることは決まっている。彼女自身、先ほどからそれを考えていたのだから。

 

「では西住殿! この秋山優花里に、決号・ドナウ同盟偵察の許可を!」

「……分かりました。お願いします」

 

 みほは凛として答えた。優花里が自分から、それも笑顔で言ってくれたので安心したのだろう。試合に勝つため必要でも、友人思いな彼女としてはやはり不安だったのだ。

 そして以呂波も、彼女らと同じ結論に達していた。情報は力だ。連合軍がエニグマ暗号の解読で戦争に勝ったように、敵の情報を掴むことが何よりも大事なのだ。だが以呂波もまた、みほ同様に不安を持っていた。相手は一ノ瀬千鶴……“梁山泊の女頭目”と称される、一弾流史上最も野蛮で、最も狡猾とされる人物なのだから。

 

「ご存知の通り、決号の一ノ瀬千鶴は私の姉です。こちらが偵察を送り込むことを警戒しているかもしれません」

「しかし一ノ瀬殿。情報なくして勝利はありません」

 

 優花里は毅然と答えた。彼女は全国大会でサンダース大付属高校、アンツィオ高校への潜入偵察を成功させたのである。心構えはできており、プロ意識に似たものも持っていた。だが以呂波とて、彼女の試みを否定する気は一切ない。

 

「我々はチームです、千種学園のメンバーもお連れください。何かあったときを考えると、複数人いた方がいいと思いますから」

「ならば! あたしとみさ公だね!」

 

 『戦車道楽』と書かれた扇子を広げ、晴が芝居がかった仕草で立ち上がる。そして美佐子も、嬉々として起立した。

 

「あたしらは二回戦で潜入偵察を経験済み。みさ公の馬鹿力は頼りになるし、あたしゃドナウ高校に行ったことがありましてね。お役に立てますよ」

「本当ですか! それは助かります!」

 

 顔をほころばせる優花里。人一倍勇敢な彼女とて、不安がないわけではないのだ。

 「よろしくお願いします」「気をつけてね」などの言葉を受けながら、三人は胸を張って整列する。潜入部隊が結成された。

 

「潜入作戦については後で西住さん、一ノ瀬さん、澤さん、私の四人で決めましょう。秘匿しなきゃいけないことだものね」

 

 船橋の正しさを以呂波は認めた。今はメンバー全員の前で作戦が決定されたが、本来ならば公にしてはならない秘密作戦なのだ。優花里も昨年の全国大会では、みほたちにすら知らせず偵察を行っていた。

 

「そうですね。では現時点で判明している範囲で、決号の戦力分析を行いましょう」

 

 ……こうしてブリーフィングは続いた。しかし先に合同訓練を行ったのは正解だったかもしれない。戦車を通じて両校の波長が合い始め、会議も円滑に進んで行ったのだ。それもまた戦車道の良さである。特に西住みほたち大洗の生徒は、それを身にしみて分かっていた。




お読みいただきありがとうございました。
劇場版、凄まじかったです。
拙作に島田嬢を出す余地はなさそうですが、劇場版の要素もちょくちょく入れてみたいところですね。

さて、今回は拙作では珍しく、作戦会議回となりました。
読んでいて退屈だったかもしれませんが、今回はちょっとブリーフィングのシーンをカットするわけにはいかなさそうだったもので。
次は番外編を更新するかもしれません。

それと、pixivでまたしてもイラストをいただきました!
ATH-06-ST様、パフェ配れ様、本当にありがとうございます!


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情報戦、開始です!

島田嬢を出す余地はないと言ったな?
あれは嘘だ。


 ドナウ高校の演習場には細長い鉄塔が立っている。高台の上に位置し、演習場を一望できる作りだ。元々は航空機などへ信号を送るための施設だったが、今は戦車道チームによって使われている。ここから隊長や訓練教官、または見学希望者などが演習風景を眺めることができるのだ。

 今鉄塔の階段を上っているのは、八戸タンケリーワーク社長・守保その人だった。女性秘書と共に金属製の階段を踏みしめ、地道に上り続ける。垂直の梯子でないだけマシだが段数が多い。守保は秘書を気遣いつつ登っていたが、戦車道選手出身の彼女にとって、この程度はそれほど苦にならないようだ。

 

 やっと上りきると、風が額に当たった。同時に、『ビヨン、ビヨン』と表すしかない不思議な音が聞こえる。手すりに囲まれた頂上には高倍率の望遠鏡や、パソコンの置かれたテーブルも設置されていた。そしてその前に立っているのは一ノ瀬千鶴と、このドナウ高校のユニフォームを着た少女。謎の音は彼女が口にくわえた、竹製の小さな板から発せられていた。

 そしてもう一人。展望台の隅に、一見この場に似つかわしくない、小さな少女がいた。白いシャツにひらひらとした黒のスカートという出で立ちで、小脇にはクマのぬいぐるみを抱え込んでいる。手足に包帯を巻いた奇妙なデザインだ。守保らに背を向け、フェンスに掴まってじっと演習場を眺めている。

 

「よう、兄貴」

 

 ポニーテールを風になびかせ、千鶴は微笑んだ。

 

「ご招待ありがとう、千鶴。あと……」

 

 守保が目を向けると、トラビが小さな楽器を口から離した。着ているパンツァージャケットは黒い布地で、金色のボタンが合計十二個、二列に並んでいた。ドイツ帝国騎兵将校の軍服をイメージしたのであろう、古風なデザインだ。

 

「お初にお目にかかります。ドナウ高隊長、トラビいいます」

「初めまして、八戸守保です。噂は千鶴から聞いてるよ」

 

 愛想よく右手を差し出す彼女と、守保も笑顔で握手を交わした。続いて彼は三人目の少女を、ちらりと横目で見た。後ろ姿だが、左側頭部で結ったクリーム色の髪には見覚えがある。というより、守保としては仕事上知っていて当然の人物だった。

 兄の様子を見て、千鶴は聞かれる前に答えた。

 

「兄貴にも言ってなかったけど、あいつとは去年から付き合いがあってさ。あたしが呼んだんだ。臨時の戦術顧問ってとこだな」

「よく来てくれたもんだな。あの……」

「おっと」

 

 名前を言いかけた兄に、千鶴は人差指を唇へ当てて見せた。

 

「今日の所はお忍びで来てくれたんだから、内緒にしといてくれよ」

「ああ、そうだろうな。誰にも言わないよ」

 

 兄妹の会話を聞き、トラビがケラケラと笑った。美少女と言ってよい顔だちだが、様々な所で人を食ったような態度を見せる。だが笑いながらもポットを手にし、熱いコーヒーを二つのをカップへ注ぐ。ドナウ高校はドイツを海外提携先とする学校だが、黒森峰が戦車の技術を中心としているのに対し、ドナウはドイツ文化や歴史の教育に力を入れている。コーヒーについてもドイツ流のこだわりがあり、自前のコーヒーメーカーを持ち込む生徒も多い。

 トラビはアイヌ民族であることを誇りとしているが、同時にドイツのコーヒー文化も好んでいた。

 

「ブラジルとコロンビアとグァテマラのブレンドです。もちろん炭火焙煎」

「ありがとう」

 

 カップを手にして一口飲むと、まろやかな深いコクが広がった。深く焙煎されているようで、酸味はほとんどない。自慢するだけあって良い味をしている。秘書が「さすがですね」と賞賛すると、トラビは得意げな笑みを浮かべた。

 

小熊(エペレ)ちゃんもどや? 砂糖とミルク多めで」

 

 小さな少女へ呼びかけるも、彼女は背を向けたままで答えない。単純にアイヌ語の呼びかけが通じていないのかもしれないが。

 つれないなぁ、などと言いつつ、トラビは自分もコーヒーを飲み、茶菓子をつまむ。用意されているのはドイツ風のクッキーで、コーヒーによく合う。

 

 そうしている間も、千鶴は床に置かれた通信機のチェックをしている。やがて、機械を通じて声が聞こえてきた。

 

《こちらコマンダンテ・プリメーラ。アグレッサーA、用意良し》

《B、用意良し》

「よし。攻撃を仕掛けろ」

 

 千鶴が命じる。トラビもコーヒーカップを持ったまま、手すりの方へ行って演習場を見つめた。やがて微かにエンジン音が聞こえ、遠くに土煙が見えた。

 守保が双眼鏡を借りて見てみると、小柄な戦車が複数確認できた。I号戦車A型と、38t軽戦車だ。ドナウ高校所属の車両で、I号はイタリア製のブレダ20mm機関砲らしきものを搭載している。

 

「あのI号はスペイン内戦仕様かい?」

「ええ。せやけど、他にも規格外の改造がしてあります。タンカスロン専用ですわ」

「訓練に使うなら文句は言われねぇだろ」

 

 千鶴もぶっきらぼうに言いながら、送話器を手にじっと演習場を睨んでいた。

 ドナウの小型戦車の後から現れたのは二両の中戦車。まずは傾斜装甲を多用した装甲をオリーブ色に塗った、T-34/85だ。『屈んだような戦車』と評される車体に、長砲身の85mm砲を搭載している。そして同じ色だが少し車高の高い、M4シャーマン。イージーエイトことA3E8型だ。いずれも戦車道で広く使われている車両だが、ドナウはドイツ戦車、決号は日本戦車中心であり、本来この場にいるはずのない車両だ。

 

「あれは赤島農業高校の連中さ。ゲリラ戦に詳しいから、仮想敵を頼んだんだ」

「一回戦でお前と当たった相手か」

 

 守保は再び、ぬいぐるみを抱えた少女をちらりと見た。あどけない顔立ちだが、フィールドを見つめる目は場慣れした戦車指揮官のものだった。実際に彼女はその道ではかなり名高いのだが、千鶴と付き合いがあるというのは守保も初めて知った。彼女といい、かつての対戦相手といい、予想外の相手に助力を求めたものだ。

 思えば千鶴は高校進学後、集めた仲間と共に決号の戦車部を復活させ、生意気な口を塞ごうとする不良を片っぱしからなぎ倒した。今や校内で確固たる地位を築き、逆らう者はいない。しかし今はそれだけではなく、外交的な能力も身につけたということだろう。守保は舌を巻いた。以呂波だけでなく、千鶴もまた成長していたのだ。

 

「千鶴ちゃんは友達作るの得意やねー」

 

 トラビが楽しげに笑い、先ほどの楽器を口にくわえた。再び不思議な音が響く中、演習が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、演習場から離れた校舎付近で、別の戦いが始まろうとしていた。しかしこの場でそれを知っているのは、この戦いの主役たる三人だけだ。ドナウ高校の生徒に扮した、大洗・千種連合の偵察班だった。

 学園艦への潜入方法はあれこれ協議され、飛行機を他校のものに偽装して潜入する方法も考えられた。しかしコストや安全性の問題から、ワンパターンだが『コンビニの定期船に潜んで潜入』という、秋山優花里の十八番で潜り込むことになった。結果は成功だったが、大変なのはこれからだ。

 

「演習場へ行くなら、ここから裏手の林を通って行った方が安全かねぇ」

 

 道案内役の高遠晴が、優花里、美佐子両名に説明した。ドナウ学園艦の街並みや校舎は古風なデザインで、牧歌的な雰囲気が漂っている。しかし以呂波が危惧した通り、相手も潜入偵察を警戒しているようだ。『現在、機密保持のため戦車道の見学はお断りしております』『怪しい人物を見つけたらご連絡を』などと書かれた張り紙が点在している。戦車格納庫も遠くから見ることはできたが、入り口に見張りが立っていた。

 

「慎重かつ大胆に、ですね!」

「そうですね、人目につかない所を歩いた方が良さそうです」

 

 場慣れした優花里も、警戒態勢下でのスパイ活動には緊張しているようだ。ちらりと格納庫へ目をやる。数棟並ぶ煉瓦造りの建物の前に、決号とドナウの生徒が立っている。あれこれ雑談しているようだが、警備はしっかりとしていた。入り込む余地はなさそうだ。窓もあるが磨りガラスのようで、中の様子は見えそうにない。ドナウ高校の正体不明戦車が隠されている可能性も高いが、今は演習を偵察した方がいいだろう。

 美佐子は相変わらずワクワクした表情で、この重要な任務を心から楽しんでいた。もちろん遊びでないことは分かっているが、このような過酷な挑戦さえ楽しんでしまう単純さこそ、彼女の強さと言える。

 

 そのとき、優花里は格納庫へ向かう車両に気づいた。半装機車両・ケッテンクラート。バイクの後ろ半分を履帯走行のトラックにしたような、独特の形状の乗り物だ。荷台には複数のドラム缶を積み、ガタガタと揺れている。

 ケッテンクラートは優花里たちから見て一番左の格納庫へ向かい、その前で停止した。扉が半分開かれ、待機していた整備係の少女たちが積荷を下ろすのが見える。倉庫の中までは分からないが、あそこに何かあると優花里は思った。単に燃料を保管しているだけかもしれないが、何かが隠されていると彼女の勘が告げていた。

 

「……屋根に登れりゃ、あの中を見られるかもしれませんよ」

 

 晴が小声で言った。

 

「確かあの格納庫……天窓があるんです」

 

 その言葉を聞いて目を輝かせたのは美佐子だった。班長たる優花里の言葉を待たず、自らその役目に立候補した。

 

「あたしが登ります! 高いところ大好き!」

「ナントカと煙」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃。千種学園においても、戦いは始まろうとしていた。

 

 

 

「……ここまではチョロかったな」

 

 トイレの個室から出て、決号副隊長・黒駒亀子は呟いた。身にまとうのは深緑色の、千種学園の制服だ。サイズが今ひとつあっておらず、胸が少しきつそうである。しかし胸ポケットにペン型のボイスレコーダーを収め、他にも隠しカメラやら、指向性集音マイクなどを仕込んだ完全装備だ。工業高校故、こうした電子機器に詳しい者もいるのだ。

 さらに普段ショートヘアにしている彼女だが、ウェーブのかかったウィッグ、そして度の入っていない眼鏡で変装している。普段の荒々しいアマゾネスのような風貌から一転し、知的な雰囲気の女性になりすましていた。副隊長クラスともなれば、顔が知られているかもしれないのだ。

 

 外へ出ると、辺りには同じ制服を着た生徒が往来している。男女問わず、誰一人を疑う者はいなかった。内心でほくそ笑みつつ、自然な足取りでその中へ紛れ込む。

 

「さぁて……鶴の妹のツラぁ、拝みにいくか」

 

 




お読みいただきありがとうございます。
島田嬢は本編では顔見せ程度の登場ですが、番外編で暴れてもらう予定です。
出す余地ないと言った側からこれだよ!
なお、トラビが彼女に呼びかけた「エペレ」というのはアイヌ語です。
ドイツ語ではありませんので、念のため。
ご感想・ご批評などありましたら、よろしくお願いいたします。

そして、pixivにてモヤっとさんから、以呂波、美佐子、澪の立ち絵をいただきました!
こちらの要望などにも答えてくださり、誠にありがとうございます!
絵ができるとキャラの動きなどが想像しやすくなって、書きやすいですね。

あと、作者ページに書きましたが、さりげなくツイッターを始めてみました。
よかったら見てやってください。
https://twitter.com/rotty68816218


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潜入中です!

 千種学園の戦車格納庫近くに、もう一つ車庫がある。校内整備用の車両を入れておくためのスペースで、戦車道支援用の牽引車なども含まれていた。その一番奥にある異形の車両を、数名の男子生徒が整備している。戦車道サポートメンバーの鉄道部員たち、そして航空学科の整備専攻生たちだ。

 

「カチューシャって歌は確か女の子が、兵隊に行った恋人の帰りを待ってるんだよなぁ」

 

 ぼやきながら、小柄な男子が操縦席に潜り込み、機器をチェックしている。彼らは普段、戦車の内部、つまり人が乗る場所には手出ししない。そこは更衣室やトイレと同じ『女子の空間』であり、彼女たちから頼まれない限り、男が迂闊に踏み入るべきではない……鉄道部の男子は機械狂集団だが、そういう気遣いができる程度には紳士的だった。

 だがこの車両はT-34中戦車をベースとしていながら、用途も形も戦車とはかけ離れた物になっていた。もはや女子のたしなみではなく、男の領域と言って良いくらいに。

 

「……俺らの場合は逆か」

 

 外したネジを締め直し、元どおりの状態に戻す。操縦系のチェックは概ね終わったようだ。狭苦しい操縦席から、よっこらせと這い出す。

 

「……お晴さんたちが心配か? シゴロク」

 

 エンジンを点検していた学友が声をかけた。デゴイチこと出島期一郎、サポート班整備長だ。

 操縦席を点検していた副整備長・椎名五十六は「まあな」と苦笑する。『女よりメカいじり』という男たちだが、彼らもまた、スパイ活動へ向かった面々のことを案じていた。勇敢な女子たちを見送る立場の彼らは、日頃から戦車に対して乗員を守ってくれと念じて整備に励んでいる。ましてや学友であれば、心配するのも当然だ。

 

 特にサポートメンバーは高遠晴に何かと世話になっていた。整備以外の雑務や物資の補給などについて、彼女がよくノウハウを教えてくれたのである。落語家志望なだけに他人を不快にさせない喋り方を心得ており、「こうしてみたらどうだい」と勧める形で指図するため、皆素直にそのアドバイスを実行できた。そして実際に彼女のいう通りにすると、作業が上手く回るので、男女問わずサポート班から信頼を得ていた。

 

「あれだけ機転が利く人なら上手くやるだろ。秋山さんもいることだし」

「まあそうだろうけど、さ」

「相楽は殺されても死なないだろうし」

「それはもっともだな」

 

 額の汗を拭いながら、椎名は整備していた怪物を見上げる。車体はT-34からの流用で、上部支持転輪のない足回りもそのままだ。が、砲塔は全く別の物に換装されていた。戦車砲とは似ても似つかない、巨大な二本の筒。その上に生えた六つのパイプ。赤く塗られたボディはあちらこちらが禿げており、サビ落としに当たる生徒もいる。

 千種学園の前身の一つ、アールパード女子高校から運ばれてきた車両だ。当分使っていなかったらしく、捨てるのを惜しんだ生徒によって運び込まれたらしいが、戦車道に参加できるような代物ではない。今鉄道部員と航空学科の生徒がレストアに当たっているのは完全に趣味であり、この化け物を錆びつかせておくのは惜しいという機械愛からだ。

 

「……とりあえず、車体の方はこれでいいな。上半分は航空学科の領分だ」

「いやはや、英国面ならぬ洪国面だよな。まあ戦車道には出せないけど、役に立つ日が来るかもしれないし」

「用途を考えれば、役に立たない方がいいんだけどな」

 

 口ではそう言いながらも、二人はこの怪物の本領を見てみたいという欲求を抱えていた。自分たちの整備している戦車が、女子たちの手で派手に暴れるのを見てきただけに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、戦車格納庫の方では乗員たちが休憩を取っていた。偵察班が出払っていても、大洗との合同訓練は行われている。両チームはすっかり打ち解けていたが、他校との連携にはいろいろと課題が多い。

 

「そーれっ!」

 

 元気よくボールをトスしたのは、八九式中戦車の車長・磯部典子だ。バレーボールで不利な低い身長にも関わらず、キャプテンとして大洗女子バレー部の残党を率いている。それは運動神経もさることながら、的確なコントロールと反射神経あってこそで、戦車道でも大いに生かされていた。ただしその根性論はなかなか理解されないが。

 同様に根性でT-35に乗る北森が、高く上がったボール目掛けて跳躍する。農作業で鍛えた体が躍動し、掌が全力でボールを打った。白いボールは地面に叩きつけられ、重い音を立てる。

 

「どうだ、磯部さん!」

「すごい! 私たちの対戦車バレーを、あっという間に身につけるなんて!」

「これでT-35が動けなくなっても大丈夫ですよ!」

 

 近くを通りかかった丸瀬が、どこまで本気なのだろうという目で彼女たちを見ていた。

 

 そんな中、両校の隊長車クルーたちは借りてきた机を囲み、小さな会議を開いている。情報戦指揮官である船橋の姿もあった。議題は決号工業高校の、新車両に関してだ。不在の三人、そして居眠りしている約一名を除き、皆真剣に話し合っている。

 

 以呂波は一回戦、二回戦での戦いから、姉がどのような戦車を求めているか想像していた。一回戦での赤島農業高校との戦いは、決号に有利な条件だった。赤島側はイージーエイトやIS-2、SU-100などの強力な戦車を保有していたが、車両数はたったの五両。対する決号は十両編成。しかもルーレットによる会場選定の結果、寒冷地での試合となった。赤島側のメンバーは沖縄県出身者、そして少数のキューバ人留学生で構成されており、気候的に不利は明らかである。

 しかし赤島農業高校はゲリラ戦に精通していた。一弾流の得意とする伏兵戦術を完全に見抜き、決号側の五両を一方的に撃破したのだ。だがその後態勢を立て直した千鶴は、巧みな連携で赤島のフラッグ車を孤立させ、撃破に成功している。

 

 二回戦では決号が一方的に敵を蹂躙したが、最後に残った敵フラッグ車一両のために三両が撃破された。千鶴としては高くついたと思っただろう。

 姉もきっと、従来の戦術に限界を感じているはず。少なくとも同門である以呂波と、同じ戦術で戦おうとはしないはずだ。何せ血を分けた姉妹であり、幼い頃から互いをよく知っているのだから。

 

「姉が買ったのはきっと、五式砲戦車だと思います」

 

 以呂波はそう予測した。船橋が白い指でタブレット端末を操作し、画像を表示する。映し出されたのは長大な砲身を搭載した、駆逐戦車に近い車両だ。二種類あり、片方はエレファント、もう片方はヤークトティーガーに近い。両方とも実物ではなく、CGによる再現画像だった。

 

「正式名称は試製新砲戦車甲ホリ。五式中戦車の車体がベースで、I型とII型があって、両方とも105mm砲を搭載、前面装甲の厚さは125mmね。側面は25mmみたいだけど」

「日本にもこのような戦車があったのですね」

 

 五十鈴華が感心したように言った。日本戦車の非力な印象からかけ離れたデザインである。制作途中に空襲を受け、車体を破壊されたため完成しなかった。しかし同じ運命を辿った44Mタシュ重戦車が千種学園にある。そして決号はホリ車のベースとなった、五式中戦車チリを保有しているのだ。

 

「決号の五式や四式は艦内工廠で自作したものだそうです。パーツさえ手に入れば、ホリ車も作れるでしょう」

「確かに……」

 

 みほも頷いた。船橋が提示したデータによると、試製十糎戦車砲はM4中戦車はおろか、M26重戦車の正面すら容易に貫通できる威力だという。計画通りに完成していれば、他の日本戦車とは一線を画する攻撃力を持つ戦車になったはずだ。

 そして砲戦車と呼ばれる自走砲の役割は戦車部隊の支援。ホリ車の援護射撃があれば、決号の戦車隊はより攻撃的な戦術を取れる。得意の伏撃を行うにしても、戦術の幅は大きく広がるはずだ。

 

「日本戦車に限るなら、当たりかも」

「まあとりあえず、偵察班からの連絡を待たないとね」

 

 船橋のことばに、みほは少し心配そうな顔をした。秋山優花里には全幅の信頼をおいているが、それ故に心配だった。もし敵に捕まるようなことがあれば、次の試合を彼女なしで戦わねばならないのだ。他の仲間たちも同様だが、みほにとって優花里は極めて重要な相棒なのだ。

 

「大丈夫だって。いつもみたいに、無事に帰ってくるよ」

「……信じて待て」

 

 様子を察した沙織が、そして唐突に目を覚ました麻子が隊長を励ます。みほはこくりと頷いて、仲間を信じることにした。今までそうしてきたように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、当の偵察班はというと……

 

 

 

「見つからなくてラッキーでしたね」

「ええ、裏手に見張りがいなくて幸いでした」

 

 屋根の上を匍匐で進みつつ、美佐子、優花里が言葉を交わす。格納庫の屋根は三角形で、二人はその頂点をゆっくりと進んでいた。裏手側に生えた木によじ登り、その枝から屋根へ飛び移ることができたのだ。運動神経に優れる美佐子と、戦車に詳しい優花里が上へ登って天窓を目指し、晴は誰かが来ないか見張っている。

 高いところが好きだと自称する美佐子は、いつも通りのワクワクとした表情で匍匐前進を続ける。優花里は優花里で、一体どのような戦車があるか楽しみで仕方ない様子だ。前向きさからくる勇気こそ、彼女たちの最大の武器かもしれない。

 

 二人は点在する天窓を一つずつ覗き込み、目当ての戦車が見えるか確認する。優花里は時折双眼鏡で周囲を見回し、見つかっていないかを確かめた。緊張感が高まるが、今の所彼女たちに気づく者はいない。

 

「秋山さん! ありました!」

 

 美佐子が呼びかけた。優花里は即座に、彼女の方へと這っていく。

 

「車種は何ですか?」

「分からないけど、でかいです! マウスってやつかも……」

「なんと……!」

 

 その言葉に目を輝かせながら、優花里も窓を覗く。そして、驚愕と感動に声を詰まらせた。

 眼下に見えるのは美佐子が言うように、巨大な戦車だ。全長十メートル近く、小な天窓からでは全体を見ることができない。主砲もまた巨大で、口径は100mm以上ありそうだ。それを支える履帯の幅も、一メートルはありそうだ。しかし超重戦車の代表格たるマウスではない。主砲にマズルブレーキがついているし、履帯を覆うサイドスカートが丸みを帯びている。マウスはもっと角ばったデザインのはずだ。

 

 血潮がぐっと熱くなる。まさかこの戦車を見られるとは思っていなかった。未完のまま終戦を迎えて幻となった、夢破れし超重戦車がそこにあったのだ。

 第二次大戦中、ドイツで計画されていた『Eシリーズ』。車体規格を統一し、生産の合理化を図るための新型戦車開発計画だった。しかし戦局が悪化したドイツに、既存の戦車を一新するこの計画はとても実施できたものではなく、ほとんどがペーパープランのみに終わった。そんな中、唯一車体の製造に着手していた車両が、眼下にあるこの戦車だった。

 

「E-100……E-100超重戦車ですよ……!」

 

 感動に見を震わせ、目に涙まで浮かべる優佳里。彼女の視線の先で、ドナウ高校の整備班が作業を行っていた。先ほどケッテンクラートで運び込んだと思われる、塗料の入ったドラム缶が並んでいる。それを刷毛につけ、E-100の巨体に塗りつけていた。ジャーマングレーの車体が純白に塗り替えられていく。

 

 スパイ活動中でなければ、優花里はいつまでもそれを眺めていたことだろう。しかしはっと我に帰り、名残惜しみながらも退散を決意した。

 

「よし、一旦降りて、高遠殿と合流します」

「はい!」

 

 美佐子が笑顔で頷いたとき。遠くから砲声が聞こえた。

 その方角を見ると、小高い丘の稜線に鉄塔が立っている。その向こうで訓練が行われているらしい。ドナウ高校の秘匿車両は格納庫にしまわれていても、決号の新車両は訓練に参加しているかもしれない。そうでなくても、対戦相手の訓練を偵察する意味はある。

 

 双眼鏡で鉄塔を見やると、その頂点に立つ人物の顔がわずかに見えた。だが優花里はその中の一人に見覚えがあった。

 

「まさか……!」

 

 それは小さな女の子。クリーム色の髪をサイドテールに結い、小脇にぬいぐるみを抱えている。敬愛して止まぬ西住みほが好む物と、同じシリーズだった。後ろ姿だが、優花里はそれがあの恐るべき少女だと分かった。

 何故彼女がここにいるのか。驚愕しながらも平静を保ち、とにかく屋根から降りようとしたとき、優花里は別のことに気づく。

 

 鉄塔の上にいる別の人物が、双眼鏡でこちらを見ていたのだ。




お読みいただきありがとうございます。
冒頭でいじっていたハンガリーの車両、分かる人には分かるかもしれません(男の領域だと言っている通り、もはや戦車ではなくなっていますし、間違っても戦車道には使えません)。
そしてドイツの開発していたもう一つの超重戦車、推参です。
しかしこれだけでは何ですから、もう一つくらい珍しいドイツ戦車を出したいと思っています。

さて、もう年末ですね。
この連載を始めてから早一年……多くの方に応援していただき、やってこれました。
完結はまだ先ですが、お付き合いいただけると幸いです。


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諜報合戦、白熱してます!

『ドナウ高校秘匿車両はE-100超重戦車150mm砲搭載型と判明。訓練には参加せず、塗装を白く塗り替え中。しかしこちらも敵に発見された可能性有り』

 

 メールで伝えられた報告に対し、みほ、以呂波は少し話し合った上で、偵察班へ新たな命令を下した。『情報収集の続行は現場の判断に委ねるが、三人で無事帰還することを最優先に行動せよ』という内容だ。情報は確かに欲しい。だが万一捕らえられてしまえば、試合終了まで拘束される可能性もある。貴重な人員を失うわけにはいかない。

 そして格納庫内で机を囲む司令部一同は、報告に上がったE-100超重戦車について話し合った。

 

「全備重量140t、最大速度は計画通りなら40km/h、最大装甲厚は240mm……」

 

 ネットで調べたデータを船橋が読み上げる。サイズと全体の装甲はマウスに劣るが、路上での速度は中戦車並みだ。主砲も報告からすると150mm砲で、マウスの128mmと比べて貫通力は劣るものの、それでも1000m先から215mmもの装甲を貫ける。口径が大きい分打撃力も強いはずで、貫通しなくても装甲を『割って』撃破できるレベルだ。

 みほ以下『あんこうチーム』の四名は、マウスと戦ったときの恐怖を思い出していた。迫り来る巨体と長大な主砲、いくら撃っても弾き返される砲弾。ヘッツァーの傾斜装甲に乗り上げさせるという奇策で撃破したが、そのヘッツァーは装甲内面の特殊カーボンが剥がれ落ちるほどの損傷を受けた。文字通り、命がけの作戦だったのである。大洗紛争では義勇軍もろとも、さらなる無茶を連発して勝利したが、それでも超重戦車の脅威は心に深く刻まれていた。

 

「千鶴姉の買った新車両がホリ車だとしたら、二つの強力な砲で射程外から狙われる可能性があります」

「でも確か、一度も使ったことないんでしょ?」

「ええ。まあ、ドナウが公式戦にあまり出ていなかったのもあると思うけど……」

 

 沙織の問いに、船橋が答えた。みほ、そして以呂波も同じことを考えていたし、この場にいない優花里もそうだろう。超重戦車を動かすにはコストがかかるし、運用の幅が狭い。昨年度黒森峰がマウスを市街地に配置したのは、大洗が市街戦に持ち込もうとすることを予測していたためだが、それだけではない。もし平原での戦いに出していても、その重量と鈍足から、他の戦車と共同運用するのが難しく、途中で脱落する可能性があったからだ。

 その黒森峰でさえ昨年の決勝戦以来、一度もマウスを試合に出していない。無論、使うべきときが来れば使うだろうが、運用条件が厳しすぎるのだ。ドナウ高校は現状のままでも十分強力な、むしろ下手に超重戦車などを入れるよりも、ずっとバランスの取れた戦車隊を編成できている。

 

「それに、白く塗っているというのも妙ですね」

「うん。まだ試合会場は決まってないし」

 

 頷きつつ、みほも首をかしげる。『士魂杯』の試合会場は全国大会と同じく、試合の七十二時間前にルーレットで決定される。今回は共闘戦のため、試合までの猶予が多く取られており、まだ会場が決まるのは先だ。白い塗装はかなり目立つので、雪中戦以外ではあまり使われない。

 試合に出す気はない、という可能性も高いのではないか……みほと以呂波はそう思っていた。だがその場で一人、結衣だけは別の考えが浮かんでいた。

 

「……モビー・ディック」

 

 ポツリと呟いた言葉に、全員の視線が彼女へ集中する。結衣はハンカチで眼鏡を拭いていたが、それをかけ直し、凛とした表情で意見を述べた。

 

「白く塗るっていうことは、巨大戦車を『白鯨』のモビー・ディックに例えてるんじゃないでしょうか」

「ええと……何それ?」

「……百年以上前に書かれた小説だ」

 

 茶菓子をつまんでいた麻子が、代わって沙織の疑問に答えた。十九世紀の作家ハーマン・メルヴィルが書いた物語だ。日本語訳も多数出版されているが、元が哲学的要素に富んだ難解な作風のため、高校生で読んでいる者は少ないだろう。作者の生前は一部のコアなファンを除いて理解されず、死後もどちらかというと、当時の捕鯨を知る史料としての価値で評価されていた。勉強熱心で読書好きな結衣や、博識の麻子は知っていたようだ。

 

「白い鯨に片脚を食い千切られた船長の復讐劇、だったな……」

「脚を……」

 

 みほの視線が以呂波に向く。また船橋も『白鯨』の概要は知っていた。現に校内放送のプロパガンダで、以呂波をその船長に例えたことがある。確かにドナウとの練習試合で見せた、敵戦車撃破にかける執念はそれを彷彿とさせたし、結衣も上手い例えだと感じたものだ。

 ドナウ高校も同じ印象を抱き、彼女がエイハブ船長、超重戦車E-100が白鯨モビー・ディックという趣向を考えたのかもしれない。端から見ればいささか悪趣味な趣向だが、以呂波当人はそれほど気にしていなかった。むしろ自分に対する挑戦ならば、受けて立ってやろうという思いさえ感じていた。彼女は根っからの戦車乗りなのだ。

 

 以呂波は義足のソケットに手を当て、数秒考えた末、結衣に尋ねた。

 

「『白鯨』って読んだことはないんだけど、エイハブ船長は最後にどうなるの?」

「白鯨と戦って死ぬわ。乗組員をほぼ全員、道連れにして」

 

 一同は沈黙した。あっさりと本当のことを言った結衣は、これで親友がどんな反応をするか、見たかったのかもしれない。

 

「……自然には、勝てない」

 

 だが沈黙を破ったのは、この場で一番無口な澪だった。おずおずと、だがしっかりと仲間たちの方を見て言葉を紡ぐ。

 

「でも、人間が作ったものなら……必ず、壊せる……」

「加々見さんの言う通りです」

 

 華が凛と引き締まった表情で言う。その手で多くの敵戦車を撃破してきた彼女は、相手がいかなる戦車であろうと恐れない芯の強さを持っていた。どんな戦車にも弱点はあるのだ。例えそれが針の穴程度の大きさでも、そこへ糸を通すことはできる。つねにそれを信じて砲手席に座っているのだ。

 

「どんな戦車にも、突破口はあります」

「うん、そうだよ! 私たちが言うんだから間違いないって!」

 

 沙織も同調した。彼女にも多くの戦いをくぐり抜けてきた自負がある。そして当然、みほもだ。今まで何度も絶望的な状況を覆した戦車上の魔術師だが、それを可能にしたのは彼女だけの力ではない。

 

「みんなで協力して、勝とう!」

「……はい!」

 

 

 ……こうして両チームは結束を深めつつ、ミーティングを続ける。他のメンバーは自主練や、何らかのレクリエーションに精を出していた。

 が、その場に潜り込んでいた部外者には誰一人気づいていなかった。

 

 

 

「お熱いこった……」

 

 格納庫の壁一つ隔てた先で、黒駒亀子は呟いた。手にした聴診器型の器具を壁に押し当て、細いコードで繋がったイヤホンで内部の会話を聞いていた。壁越しに音を聞くための小型集音マイクだ。話し声に耳を澄ましつつ、周囲への警戒は怠らない。

 最初から盗聴していたわけではないが、重要な情報はいくつか分かった。まず大洗・千種側もスパイを送り込んでおり、すでにE-100の存在を嗅ぎつけたということ。とはいえ発見されたなどと言っていたので、すでに千鶴も察知しているかもしれない。だがそれだけでなく、彼女たちは決号の新車両導入を関知していて、しかもそれが五式砲戦車ホリだと予測していると分かった。さすが千鶴の妹だけに、姉の考えは察しがつくのか。

 

 報告のメールを打ちながら、亀子は親友の妹にますます興味を持った。変装もしていることだし、場合によっては直接話しかけてみようかとさえ考えていた。だが今出て行くことはできない。亀子の基準では『ザル』だが、警備の生徒も配置されていた。中には騎乗している者もおり、怪しまれたら徒歩で逃げきれない。まずは他の面々を観察し、それから接触を図るべきだろう。

 集音マイクをポケットへ押し込み、亀子は静かにその場から立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方の大洗・千種連合の偵察班は、訓練場近くの林に身を潜めていた。幸い三人とも運動神経は良かったので、太い木を見つけてよじ登り、枝葉に身を隠している。

 砲声がひっきりなしに轟き、今まさに演習が行われているようである。しかし敵方は彼女たちの侵入に気づいた後、演習に出ていた隊員を一部動員して警戒線を張ったようだ。格納庫の警備をしていた生徒たちも捜索に当たっており、これを突破して訓練場へ辿り着くのは困難だ。木から降りれば見つかるかもしれないし、このまま樹上隠れていてもいずれは発見される。

 一際大きな砲声が響く。優花里にはそれが口径100mm以上の主砲、それも長砲身だと判別できた。以呂波の予想通り、五式砲戦車の可能性は高い。だが断定はできないし、仮に予測通りだったとしても、優花里としてはあることを確認しておきたかった。

 

「木の上に隠れるだなんで、こんなにキの揉める話はないね。キがキじゃない」

 

 くだらないことを言う晴だが、事態のまずさは理解している。本部と連絡を取った後、せめて決号の新兵器は突き止めようということで意見は一致した。しかしこれでは進むことも退くこともできない。

 三人とも、この警戒網を突破する方法を必死で考えていた。決して万策尽きたというわけではない。優花里は左衛門佐から渡された、忍道用の煙玉を懐に忍ばせていた。晴の隠し球はもっとえげつなく、古典落語「くしゃみ講釈」にちなんで胡椒と唐辛子の粉を持参しており、いざとなればそれを追跡者に投げつけて逃げる算段だった。しかしそれらを使って強行突破を図っても、演習場まで辿り着けるかどうかが問題だった。

 

 しかし。こういった状況は予期せぬハプニングによって打開されることがある。今回の場合、美佐子がたまたま枝から足を滑らせたのがきっかけとなった。

 

「わ!」

「相楽殿!」

 

 転落しそうになった彼女を、優花里が咄嗟に掴もうとする。だが美佐子は持ち前の反射神経で枝に掴まり、ぶら下がることで転落を防いだ。だがそれは身を隠していた枝葉の中から、その姿を露出させることになった。

 

「いた! あそこよ!」

 

 地上で声がした。直後、警備に当たっていたドナウ高校、及び決号工業高校の少女たちが一斉に駆けつける。

 美佐子の思考は単純だが、このときは冴えていた。いや、単純であるが故、逡巡なく決断できた。包囲される前に、すぐさま枝から手を離したのだ。着地と同時に側転して衝撃を受け流し、樹上の仲間たちを顧みることなく、一目散に逃げ出す。集まってきた警備の生徒は続々と彼女を追いかける。おかげで奇跡的に、優花里と晴は気付かれずに済んだ。

 

 少女たちは鬨の声を上げながら美佐子を追う。その後ろ姿を見送り、晴は優花里に告げた。

 

「今は助けてやれません。一先ず、この隙に訓練場へ」

 

 警戒網は美佐子を追跡するために乱れ、辺りに見張りはいなくなっていた。この場を脱出するには今しかない。結果的に美佐子を囮としてしまうことになるが、晴の言う通り、助けてやれる状況ではなかった。優花里は少し躊躇ったが、単独で逃げることを選んだ美佐子の決意を、無駄にすべきでないと判断した。

 

「……そうですね。もし相楽殿が捕虜になったら、情報入手後に全力で救出します」

「なあに、あの体力バカなら逃げ切るでしょう。けど、万一の時は見捨てません」

 

 義理人情は大事です、と晴は微笑んだ。

 二人はするすると木から降り、訓練場へ向かった。偉大なるトラブルメーカーに感謝しながら。



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交差する思惑です!

「スパイは三人やて! 一人を追いかけて警備を手薄にしたらアカンよ!」

 

 携帯で仲間に指示を飛ばし、トラビはコーヒーを一口飲んだ。彼女が格納庫の屋根に不審者を見つけた後、亀子から敵スパイの情報が送られてきたのだ。だがコーヒーを飲んで一息ついた彼女の顔は、やたらと楽しそうに見えた。秘匿していたE-100の存在が知られてしまったというのに、この状況を心から面白がっている。つくづく掴み所のない奴だと千鶴は思った。

 

「E-100、バレても使うのか?」

「そら使うわ。あの子、いつも格納庫で留守番ばっか。いい加減退屈して噛みついてきそうやもん」

 

 彼女にとって戦車は犬と同じらしい。だが戦車乗りとしての腕、指揮官としての能力は千鶴も認めていた。超重戦車は一弾流の戦闘教義(ドクトリン)に著しく反しているが、今回はトラビに任せるつもりでいる。『白鯨』に例えた趣向に以呂波がどう出てくるか、興味もあった。

 千鶴は彼女が淹れてくれたコーヒーを飲みつつ、少し思考した。妹より少し長いポニーテールを風に揺らし、訓練場を眺める。凛々しい顔立ちだが、以呂波と比べてやはり野生的な印象がある。

 

 一際大きな砲声が轟き、赤島農業高校のT-34/85が直撃を受けた。訓練用の模擬弾なので貫通はせず、撃破判定も出ない。しかし実弾なら撃破されていたことを理解したT-34は即座に後退し、戦線を離脱する。そこへ隊列を組んだ決号の戦車隊……四式中戦車チトが仮想敵部隊へ殺到し、別方向からドナウのIV号突撃砲も攻撃を始める。

 微笑を浮かべ、無線機に向かって「演習中断」の命令を告げた。概ね、予想通りのデータは得られた。後はこの戦術を試合までに練り上げ、ドナウ高校との共同作戦に向けた訓練を行うまでだ。スパイがうろついている今、これ以上戦車を見せびらかすことはない。客分の赤島農業高校の面々にはひとまず休憩してもらい、後で意見を聞くことにした。

 

「なかなか面白かったよ、千鶴。お前ならあれを上手く使いこなすだろうとは思っていたが」

 

 コーヒーを飲み干した守保が、妹に笑いかけた。

 

「お前がいれば一弾流はもっと強くなるだろうな」

「……次の家元はどうせ、姉貴だろ」

 

 千鶴は自嘲的な笑みを浮かべた。一ノ瀬家には守保と彼女の間にもう一人女子がおり、陸上自衛隊の機甲科に所属している。一弾流はマイナーな流派ではあるが、『守り』を主体とする自衛隊はその有用性を認めているのだ。陸自の戦車師範は西住流家元・西住しほだが、彼女とて国防の現場に流派間の軋轢を持ち込むような愚かな人物ではない。そのため一弾流門下の隊員たちは一定の評価を得ており、西住流が幅を利かせる中でも特に差別なく扱われている。

 このまま順当に、長女が一弾流を継ぐ可能性が高い。以呂波が脚を失わなければ彼女が対抗馬となっただろう。自分が跡を継ぐことはないと、千鶴は分かっていた。

 

 ならば、やるべきことは一つだ。

 

「千鶴ちゃん、ちょっちええか?」

 

 ふいに、トラビが袖を引っ張った。二人だけで話したい、というような仕草だ。千鶴は兄に断りを入れると、彼女と共に鉄塔を降りて行った。

 階段を踏む足音が、次第に遠ざかる。その場に残ったのは守保と秘書、そして千鶴が呼んだ『戦術顧問』の三人だ。互いに面識はあるものの、今まで言葉を交わさずにいた。守保としては彼女に少しばかり負い目もあったのだが。

 

「……君が千鶴と知り合いとは知らなかったよ」

 

 茶菓子を摘みつつ、守保は声をかけた。少女はぬいぐるみを抱き寄せ、訓練場から撤収していく戦車を見守っている。

 

「あれで結構良い所あるから、これからも仲良くしてやってくれ」

「……弾薬……」

 

 少女はぽつりと呟いた。

 

「え?」

「去年、大洗に弾薬と燃料を横流ししたって」

 

 その言葉に守保は頭を掻いた。まさしくそれこそが負い目だった。昨年の『大洗紛争』の際、八戸タンケリーワーク社も裏で動いていたのだ。企業の利益、そして保身のために。

 

「横流しじゃなくて出世払いで売ったんだ。大学選抜は良い取引相手だったけど、我が社としては大洗に勝って欲しかったんでね。悪く思わないでくれ」

 

 すると、少女はくるりと大人たちの方を向いた。幼い顔立ちだが、灰色の瞳はどこか力強い光を宿しており、独特の鋭さを持っている。その一方で無表情を保っており、感情を見透かすことはできない。

 若き青年実業家に対し、少女はゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「……私は貴方に感謝しています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……二人の隊長は鉄塔の足元へ降り、そこで本題に入った。トラビ曰く、ドナウ高校は一回戦でも二回戦でも、軽戦車に手を焼いた。機動力を生かした偵察・撹乱に加え、装甲が貧弱であるが故、乗員の射弾回避技術も磨かれている。ちょこまかと動く小柄な戦車に、砲手が必死で75mm砲の照準を合わせようとしていると、相手の嘲笑う声が聞こえた(と、トラビは言い張っている)。

 そして次に戦うことになる、大洗女子学園の八九式中戦車。その貧弱な火力と装甲にも関わらず、プラウダ高校の猛追から逃げ延び、黒森峰の猛獣軍団を手玉に取った相手だ。千種学園のトルディやソキも侮れない。アガニョークと夜戦で渡り合ったことを考えると、準決勝でもその実力を遺憾なく発揮してくるだろう。

 

「つまりな、もうちょい効率よく軽戦車を片付けられる、秘密兵器を使おうと思うねん」

 

 得意げな笑みを浮かべるトラビ。彼女曰く、艦内に分解して保管されていた珍しい戦車があり、それの組み立てが先ほど完了したという。しかしこの期に及んで新車両、それもずっと使っていなかった代物を戦列へ加えることに、千鶴は今ひとつ賛成できなかった。

 

「今から慣熟訓練して間に合うのか?」

「それは大丈夫、IV号ファミリーや。マリちゃんたちならすぐ慣れるやろ」

 

 ドナウ高校はIV号戦車とIV号突撃砲を主力としており、その系列車両なら操縦は容易だ。しかしどうやら副隊長代理を乗せるつもりらしい。軽戦車の相手がよほどストレスになったのだろう。実際に昨年の決勝戦で、大洗の八九式は徹底的な『嫌がらせ要員』となっていた。千鶴としても厄介な相手だと思っていたので、対策が必要なことに異論はない。

 

「勿体つけないで言え。その秘密兵器ってのはどんな戦車だ?」

「ほな、ヒント」

 

 にぃっと笑い、トラビは指を立てる。

 

「大洗の八九式って、鳥のマークが描いてあったやろ?」

「ああ、アヒルの……」

 

 言いかけて、千鶴は目を見開いた。同時にこの自称アイヌ人の発想に感服する。

 そして次の瞬間にはトラビの胸ぐらを掴み、自分の方へ乱暴に引き寄せていた。眉間に皺を寄せ、ぎらつく瞳で彼女を睨む。

 

「ふざけんな。そんな物があるならもっと早く言え」

「ちょ、ちょ。怒らんといて。まずは今日の演習を見てからと……ほら、コレ聞いて落ち着こ?」

 

 苦し紛れにポケットから取り出したのは、竹製の小さな楽器……ムックリだ。千鶴が苦笑を浮かべて解放すると、彼女はそれを口に加え、ビヨン、ビヨンと独特の音を鳴らし始めた。楽器とは言っても、ムックリには決まった曲がない。アイヌの女性が自分の恋心や動物の鳴き声、風の音などをイメージして鳴らすものだ。

 普段騒音の中で生きている千鶴が、この奇妙な音に惹かれるのもまた、一つの不思議かもしれない。

 

 スパイを見失ったという報告が入ったのは、この数分後だった。続いて、赤島農業高校の隊長が行方不明になったという報告がされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん、ここはどこだろう」

 

 美佐子はぽつりと呟いた。彼女は追手を撒くため、滅茶苦茶に逃げ回った。とにかく逃げた。ひたすら逃げた。逃げて逃げて逃げまくった。時には通り道にあった貯水池に石を落とし、飛び込んだように見せかけてさらに逃げた。

 結果、体力バカの面目躍如と言ったところが、背後に追手の姿はなくなっていた。その代わり彼女はいつの間にか、学園艦の市街地エリアまで来ていたのだ。

 

 ドイツの古都をモチーフとした街並みで、煉瓦造りの建物が美しい。公園も清掃が行き届いており、清潔だった。千種学園の市街地は一般的な日本の都市だが、一部にオーストリア風の区画があり、そこと雰囲気が似ている。美佐子はポケットから手帳を取り出し、メモを取るふりをしながら街中を歩いた。そうすれば校外学習中の生徒に見えると、優花里から教わっていたのだ。実際に周囲の一般人や学園艦職員に、彼女を怪む者はいない。

 とりあえず晴にメールを送り、一先ず街中に身を潜めることにした。

 

「ここの名物は何だっけ……」

 

 辺りを見回しつつぼやく。決して自分だけがサボろうというわけではない。優花里と晴もお腹を空かせているだろうし、何か食べ物を買って行こうという、能天気ながら殊勝な考えだ。

 しかし、そのぼやきは聞かれていた。

 

「プレッツェルが結構美味しいよ」

「あ、本当ですか?」

 

 ふいに声をかけられ、反射的に返事をしてしまう。振り向くと、すぐ近くでTシャツ姿の少女が微笑んでいた。ウェーブのかかった長髪にベレー帽をかぶり、日焼けした顔に鮮やかな笑みを浮かべている。シャツ一枚にホットパンツという軽装だが、それでもどことなく優雅な雰囲気があった。

 全く気配がせず、いつの間に側へ来ていたのか分からなかった。だが美佐子の嗅覚は、彼女が身に纏う戦車乗りのニオイを感じ取っていた。鉄と油、硝煙の香り。それに混じって土のニオイが感じられるあたり、北森と似た印象を受ける。実際にその手は土に慣れ親しんだ手で、T-35の乗員たちと共通点があった。その手を陽気に上げ、彼女はスペイン語で挨拶した。

 

「Hola!」

「オッラ?」

 

 聞きなれない言葉に、きょとんとして聞き返す。

 

「『ハイタイ』って意味さ」

「はいたい?」

「『こんにちは』って意味さ」

 

 ようやく理解した美佐子は、発音を真似て「オッラ!」と元気に挨拶を返した。どうやらドナウ・決号の生徒ではないようで、一先ず安心する。だがその直後、謎の少女は美佐子をじっと見つめた。顔立ち、そして全体を眺め、くんくんとニオイを嗅いで、再び口を開く。

 

「……大洗って感じじゃないね。千種学園の子かな?」

 

 どきりと心臓が鳴る。美佐子は即座に全力で逃げることにした。が、いつの間にか肩を掴まれていた。掴まれたというより、肩に手を置かれていただけだ。そのまま「安心しろ」と言うかのように、優しく肩を叩いてくる。

 

「怖がることはない、私はこの学校の生徒じゃないからね。千鶴と友達だから訓練を手伝ったけど、試合に関してはあくまでも部外者」

 

 穏やかな口調で語り、微笑を浮かべる。不思議な雰囲気を持つ少女だった。

 

 

「私はプリメーラ。赤島農業高校の、司令官(コマンダンテ)プリメーラ」

 

 

 




やや遅くなりましたが、あけましておめでとうございます!
新年最初の更新、お読みいただきありがとうございます。
八戸タンケリーワーク社の策動についてはいずれ明かされます。
ドナウ高校の隠し球ですが、ちょっと露骨にヒント出しすぎたかな……。
ともあれ、今後も楽しみにしていただけると幸いです


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まだまだ潜入中です!

 三両の突撃砲が肩を並べ、訓練場でメンテナンスを受ける。無骨ながらも洗練された、ドイツらしいデザインのIII号突撃砲。同じIII号戦車ベースだが、ソ連製の箱型戦闘室を備えたSU-76i。リベット留めの野暮ったいデザインだが、しっかりと長砲身を備えたズリーニィI。運用法が同じなので、揃って訓練をしていたのだ。

 

 近くには傾斜装甲に機銃砲塔を備えた八輪装甲車も置かれている。オーストリア製のADGZ装甲車で、部品類の輸送や隊員の移動のような雑務に使われるのだ。試合中に事故があった際には砲火の中で負傷者を搬送することも想定し、戦車同様にカーボンコーティングが施されている。統合前の学校から受け継いだ品だ。

 

 突撃砲の点検には『怪物』の整備が一段落した出島、椎名が立ち会っているものの、主に乗員たちが自分で点検していた。新規加入したSU-76iのクルーたちを作業に慣らすためだ。彼女たちとタシュ、トルディの乗員を除くと、千種学園の隊員は元から乗り物のメンテナンスに慣れていた。農業学科の北森らはトラクターの整備が得意だったし、水産学科の川岸も漁船の整備経験がある。鉄道部員の三木たちは言わずもがな、馬術部員の大坪は戦車よりもデリケートな乗り物を扱っている。

 

 そして以呂波も、メンテナンスを整備員に任せ切りにするなと指導していた。曰く、『一弾流ではエンジン不調によるリタイアを認めない。試合中にエンジンが止まった場合、手で戦車を押して戦うことになっている』とのことだ。

 

「つまり、そんな目に遭わないよう整備を徹底せよということだ」

「なるほど~!」

 

 丸瀬が新人の去石に解説する。彼女率いる航空学科チームは特に整備熱心で、以呂波も驚くほどだった。当然と言えば当然である。飛行機の場合はエンジントラブルが死に直結するのだ。早く役に立てるようになりたい去石らは、彼女たちの話を熱心に聞いている。大洗のカバさんチームも、特に操縦手のおりょうがいろいろとアドバイスをしていた。III号突撃砲とSU-76iは車体が同じなので、彼女らの知識も役に立つ。

 その一方で、カエサルらはズリーニィにも興味を示していた。

 

「ひな……アンツィオ高校のセモベンテを一回り大きくしたような戦車だな」

「確かに箱型でリベット留めの固定戦闘室で、よく似ているな。……ところで今、何て言いかけた?」

「放っとけって!」

 

 そんな掛け合いを横目に見ながら、出島、椎名ら男子整備員はIII突を観察していた。さすがにドイツ製というか、洗練されたデザインだ。ハンガリーやイタリアはこれに触発され、トゥラーン車体ベースのズリーニィ突撃砲、M13/40中戦車ベースのセモベンテシリーズを開発している。しかしやはり工業力の差が出たというべきか、リベット留めの装甲を垂直に組み合わせた設計だ。Su-76iは即席兵器ながら傾斜装甲の戦闘室を持っているが、主砲の威力はIII突の75mm長砲身に劣る。

 

「ドイツらしい作りだよなぁ」

「80cm列車砲とか、ぶっ飛んだ物も作ってたけどな。もう少し戦争が長引いてたら、歩行戦車なんてのも考えたんじゃないか」

「そりゃないって。脚なんかつけたって良いことないだろ。コケやすくなるし、前方投影面積も大きくなるし……」

 

 出島たちは戦場の歩兵がそうであるように、自分が戦車に乗りたいとは願わない。しかし八戸守保もそうだが、男は男なりのやり方で、出しゃばらず戦車道に関わっている。それが千種学園の特徴でもあった。

 

 だがADGZ装甲車の陰で聞き耳を立てている人物には、誰一人気づいていなかった。黒駒亀子だ。

 彼女は千鶴ほど戦車に詳しいわけではなく、SU-76iという車両を初めて知った。すでにその姿をカメラに収め、友の元へ送ってある。そして談笑するクルーたちの様子をつぶさに観察した。SU-76iの乗員はまだまだ未熟なようだが、ズリーニィの方はなかなかの技量を持っていると見た。そして大洗III号突撃砲のクルーたちを見るに、やはり大洗は西住流のステレオタイプとはかなり異なるようだ。

 

「……面白ぇ連中だ」

 

 他の面々もざっと観察してきた亀子は、所感をぽつりと漏らした。彼女も千鶴も大洗女子学園には敬意を抱いていたが、大洗紛争における『あの現象』は不思議なことだった。約束を無碍にされた大洗に同情する声は多かったが、それにしても何故あそこまで『モテる』のか。しかし実際に自分の目と耳で西住みほを、そしてそれに従う連中を観察してみると、何となく分かってきた。そして、千種学園のことも。

 忍び込んだ成果はあった。だが大洗・千種側もスパイを送っているのなら、先ほどのようにその進捗を盗み聞きし、千鶴へ連絡しておきたい。そして相手のスパイが捕まってから帰還しても遅くはないだろう。

 

 

 だがそのとき、何者かが彼女の肩を掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして、ドナウ高校市街地の公園。二人の少女がベンチに座り、並んで菓子パンを頬張っていた。ベルリーナーと呼ばれるジャム入り揚げパンだ。粉砂糖をまぶした皮のさっくりとした食感に美佐子が舌鼓を打つ。抱えている袋には優花里と晴の分がしっかりと確保されていた。追っ手を撒いたことをメールで伝えた後、晴からは『助けが必要になったら呼ぶからそれまで休んでな。あと何か美味い物買っといておくれ』とのメッセージが返ってきた。優花里も美佐子の体力を賞賛していた、とも。

 そのため美佐子は市街地のパン屋でベルリーナーを買い、体力回復に努めていた。偶然出会った赤島農業高校の隊長……コマンダンテ・プリメーラと共に。

 

「プリメーラって、どういう意味なんですか?」

「スペイン語で『一番目』って意味さ。私が最初の隊長だからね」

 

 自分のベルリーナーを飲み下し、プリメーラは微笑んだ。優しく親しみやすい印象だが、瞳には何か強い光が宿っている。彼女は一回戦で決号と戦い、敗れたものの千鶴と友人になり、その縁で訓練の手伝いを頼まれたと語った。だが準決勝に関しては中立を守り、追っ手が来ても美佐子を突き出したりはしないが、助けもしないと明言した。そして訓練の内容も一切話さない。

 

「昔から戦車道をやってたんですか?」

「うん」

「流派は?」

「南方派村上流」

 

 聞き慣れない流派だった。もっとも美佐子は一弾流以外の流派をそれほど知っているわけではない。だが水軍に端を発した村上流・熊野流といった流派があることを、以呂波から少しだけ聞いていた。

 

「南方作戦に参加した海軍陸戦隊が基になった流派さ。本家の村上流とは区別されてる」

「へぇ! あたしのひい祖父ちゃんも海軍で、船乗りだったんです!」

 

 嬉しそうに海軍式の敬礼をする美佐子。海軍の敬礼は狭い船の中でしやすいよう、肘を前に出す。また船乗りは手が汚れていることが多いので、手の甲を前に向ける。もっとも海軍では敬礼に関してそこまで厳しくなく、陸軍と同じ敬礼をすることも多かった。

 美佐子の言葉に興味を持ったのか、プリメーラは目に好奇心を宿して彼女を見た。

 

「何ていう船に乗っていたの?」

「『朝潮』っていう船で、魚雷とか扱ってたみたいです。一緒に沈んじゃったらしいけど」

「駆逐艦の『朝潮』……そうか」

 

 プリメーラの顔から微笑みが消えた。それを見て、美佐子からも笑顔が消える。沈黙が流れたが、美佐子の心中では以前から抱いていた疑念がこみ上げてきた。大洗のメンバーが来たとき、以呂波にぶつけた疑問だ。それについて自分なりの答えは出したつもりだったが、今一度考えてみるべきかもしれない。

 そんな美佐子の様子を察したのか、プリメーラはそっと彼女の手を握った。土に慣れ親しんだその手は、女子のとしてはやや荒れているが、とても暖かい。

 

「何か悩んでいるのかい?」

「……去年の全国の決勝戦、見ました? 西住さんが仲間を助けているところ」

 

 彼女が頷いたのを見て、美佐子は話を続けた。

 

「あのとき黒森峰は容赦なく撃った……戦車が流されたら命に関わるのに。あれが西住流のやり方で、それが日本を代表する戦車道なのかな、って」

「西住流が勝利に固執するのには理由がある」

「どんな理由が?」

 

 目を見開いて尋ねる美佐子に、プリメーラは苦笑を浮かべた。美佐子に対するものではない。西住流、というよりは日本の戦車道全体に向けたものだろう。揚げパンを食べて喉が渇いたのか、持っていた水筒の中身をコップに注ぎ、一口飲む。甘い匂いのする飲料だったが、美佐子はそれが何か問いかけず、彼女の答えを待った。

 

「戦争に負けたからさ。くだらないよね」

 

 鼻で笑いながら、一かけ残ったベルリーナーを口へ放り込む。それを咀嚼して飲み下した後、プリメーラはさらに続ける。

 

「実にくだらないよ。ある日の真実が永遠の真実とは限らないとはいえ、あの戦争に負けた事実は変わらないんだ。そもそも国家存続という大義があるからこそ正当化されるマキャベリズムを、スポーツに持ち込むのは筋違いだろうに」

 

 美佐子はその話をじっと聞いていた。後半部分は彼女にはほとんど理解できない内容で、この場に結衣がいれば通訳を頼んでいただろう。しかし勝利至上主義とその理由を「くだらない」と一蹴したことに、何か頼もしさを感じた。

 

「あたし、対戦相手が西住さんみたいに仲間を助けてたら、絶対に装填しないって決めたんです」

「ある日の真実が永遠の真実とは限らない。けどそれが君にとって真実なら、信じればいいさ」

 

 諭すように言いながら、再び水筒を傾けた。甘い香りを放つ飲料が、軽い音を立てながらコップへと移っていく。たっぷりと注ぎ、それを美佐子へ差し出す。

 

「他人からそれを『甘っちょろい』とか『子供だ』とか、『救い難い理想主義だ』とか言われたらね、何度でも『その通りだ』って突っぱねてやればいい。私もそのつもりさ」

「……はい!」

 

 笑顔でコップを受け取り、中身をぐっと飲む美佐子。若干の酸味が混ざった、濃厚ながらも爽やかな甘さが口の中に広がる。

 

「美味しいですね、これ!」

「サトウキビジュース。レモンも少し入れてある。我が校の重要な資金源だよ」

 

 そのうち遊びにおいで……農業高校の司令官(コマンダンテ)は楽しげに笑った。




お読みいただきありがとうございます。
昨日初めてリトルアーミーを読みまして、その辺の所感も含めて書いております(IIはまだですが)。
マジノ戦は半分パラレルみたいな扱いのようですが、リトルアーミーはまほの台詞がアニメ最終回に関わっているあたり、正史なのでしょう。
いろいろと妄想が捗ります。

あまり話が進んでない気もしますが、ご容赦ください(汗)
ご感想・ご批評等、よろしくお願いいたします。



追記
pixivにてモヤッとさんからトルディ車長・船橋幸恵の立ち絵をいただきました!
登場人物メモに掲載してあります。
また、S.Kさんから44Mタシュ重戦車、T-35重戦車のイラストをいただきました!
誠にありがとうございます!


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捕物です!

 亀子は焦っていた。戦車道に想定外の事態は付き物であり、敵地への潜入偵察でもそうだ。荒くれ者揃いの決号工業高校、しかも一ノ瀬千鶴の副官である彼女は、そうした状況への対処能力に優れている。

 が、さすがに今回は焦っていた。制服の肩に馬が食いついて離さないのだ。近くの木に繋がれていた堂々たる体格の青毛の馬が、白い前歯で亀子の肩をぐいぐいと引っ張る。幸い制服の生地を噛んでいるだけだが、離す様子はない。噛むな、離せ、と言ってみるが効果はなかった。それどころか、馬は本能的に彼女をくせ者と察したのか、意地でも逃すまいと歯を食いしばる。このままでは突撃砲の乗員たちに気付かれかねない。

 

「あっ! セール!」

 

 幸いに、と言うべきか分からないが、馬の主人が気づいて駆け寄ってきた。大坪は素早く手綱を掴むと、ホー、ホーと声をかけて馬をなだめる。それでもセール号はしばらく亀子を拘束していたが、やがて口を離した。

 

「ごめんなさい。大丈夫ですか?」

「はい、ありがとうございます……」

 

 猫かぶって答える亀子。すぐに逃げては怪しまれると思い、表情を取り繕ってやり過ごそうと考えたのだ。制服のみならず、眼鏡とウィッグで徹底的に変装しているため、口調さえ気をつければ大人しい女子にしか見えない。

 しかし大坪は疑惑の目を向ける。セール号はこの学校で最も勇敢な馬だが、とても大人しいことを彼女は知っている。だが今は口を離した後も歯を剥き、耳を後ろへ伏せるという威嚇の仕草をしていた。手綱をしっかり押さえたまま、大坪は見知らぬ女子を詰問した。

 

「ここで何を?」

「えっと、装甲車ってどういうのかな、って」

「名前は?」

「三年の西見エリ代です」

 

 潜入前に考えた偽名を名乗る。考えたと言っても、知波単学園と黒森峰の隊長名を適当にミックスしただけだ。しかし人間の疑惑は逸らせたとしても、動物にまで疑われてはどうしようもない。話の合間に、横目でADGZ装甲車をちらりと見た。側面の操縦手用ハッチが開けたままになっていた。中に着色発煙弾が置かれているのも目ざとく発見する。

 

 そのとき、装甲車の影から男子二人がひょっこりと顔を出した。騒ぎに気付いた出島と椎名だ。彼らは変装した亀子と、それに威嚇する馬を一瞥し、大坪へ向き直った。

 

「何かあったんですか?」

「見慣れない人がいたから」

 

 二人は再び亀子に視線を移す。潜入偵察を数多くこなしてきた亀子はこういうときの演技も上手かった。不安げな表情をして後ずさり、男性恐怖症を演じる。その一方で逃走のタイミングを見計らっていた。

 だが亀子が行動を起こす前に、出島が口を開いた。

 

「……あんた。そのペン、ちょっと見せてくれ」

 

 胸ポケットに挿したボールペンを指差され、亀子ははっとそれを隠した。

 

「あ、あの。私、男の人に、持ち物を触られるの、嫌で……」

「いや、見せろ!」

 

 猫かぶり続ける亀子に、出島が詰め寄った。身振りで椎名に指示し、相手の背後へ回らせる。

 

「そいつはペン型のボイスレコーダーだろう。ここで何をしていた?」

 

 その瞬間、亀子は舌打ちを一つすると、装甲車めがけて駆け出した。同時にウィッグを取って後方へ投げつけ、捕まえようとした椎名の顔に命中させる。出島もすぐさま取り押さえようとするが、その手を巧みにすり抜け、突き飛ばして操縦席へ飛び込んだ。すぐさまエンジンを始動し、アクセルを踏み込む。土埃を巻き上げながら、ADGZは急発進した。

 自車の整備に当たっていたエルヴィンや丸瀬、去石らが何事かと身を乗り出す。椎名が咄嗟に叫んだ。

 

「スパイだ! あいつを撃て!」

「何だと!?」

 

 乗員たちは一斉にIII突、ズリーニィ、SU-76iへとそれぞれ乗り込む。戦車道支援車両にも、競技用戦車と同じカーボンコーティングが施されているため、砲撃で足を止めることができると踏んだのだ。しかし整備中の、しかも回転砲塔を有さない突撃砲で、逃走する八輪装甲車を狙うには時間が足りなかった。

 その間に大坪はセール号を繋いだ縄を外し、鐙に足をかけていた。

 

「隊長たちに知らせて!」

 

 その言葉を残し、彼女は愛馬の背にひらりとうち跨る。セール号は短く嘶いたかと思うと、土煙漂う中を猛然と駆け出した。

 馬蹄の音が響き、駿馬は風を切る。大坪が耳元で励ますと、セール号はぐんぐんと速度を上げ、ADGZと差を詰めていった。相手の最高速度は70km/hだが、常に最高速で走れるわけではない。よく訓練された馬なら十分追跡できる。ましてや、馬は機械にはない力を持っていることを、大坪は知っていた。

 

 側面のハッチから亀子が顔を出し、追ってくる大坪を確認した。ウィッグがなくなって短めの髪が露わになり、表情にも好戦的な笑みが浮かんでいる。顔を車内へ引っ込めたかと思うと、次の瞬間には発煙弾の安全ピンを抜いて投げつけてきた。信号として使う着色された物で、たちまち赤い煙がもうもうと広がる。

 馬の目は赤色を識別できないが、急に現れた煙は不気味に見えたことだろう。だがセール号は持ち前の勇気で乗り手の期待に応えた。大坪も巧みな手綱捌きで煙をかわし、しっかりと目標を捉えて追い続ける。

 

 その一方で周囲にスパイだ、スパイだと連呼して状況を知らせる。騎馬で警備に当たっていたサポートメンバーたちが気づき、すぐさま馬腹を蹴った。

 ADGZが雑木林へ通じる小道へ入る頃には、六頭の馬が追跡に加わった。大坪は丸腰だが、警備係たちは防犯用の刺股などを携行していた。

 

「私は先回りするから、このままB27地区の草原に追い込んで!」

「分かった! これを!」

 

 鹿毛の馬に乗った女子が応え、拳銃型の器具を差し出した。馬上でそれを受け取ってベルトに装着し、大坪は手綱を右へ引く。

 

 転回した馬は一路、近くを流れる水路へ向かった。幅も深さもあるが、大坪は馬腹を軽く蹴って突き進む。馬蹄がリズミカルに鳴り、馬を勇気付ける掛け声がそれに混じった。

 水路へ差し掛かった刹那、黒い馬体が宙を舞った。地を蹴って跳躍したセール号は緩やかな放物線を描き、水路の反対側へ着地。4本の脚で衝撃を柔らかく受けとめ、何事もなく走り続ける。大坪は戦車道だけでなく、馬術の訓練でも学園中を走っており、何処を通ればショートカットできるか分かっていた。

 

「マジャル人仕込みの馬術、舐めるなぁっ!」

 

 一種のライダーズハイか。大人しい彼女も口調が荒くなる。それに応えるかのように、セール号はたてがみをなびかせ疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……それから十分ほど経ったとき、亀子はどうにか追っ手を撒いていた。雑木林内の狭い道へ押し入り、発煙弾を投げまくったのだ。だがここが敵の学園艦である以上、いつまでも奪った装甲車で逃げ続けることはできない。目立つし、古い車種とはいえ発信機くらい着けられているかもしれないのだ。車内にあった発煙弾も使い切ってしまい、亀子は辿り着いた草原でADGZを放棄した。見晴らしの良い場所だが、背の高い草も茂っており、いざとなれば十分身を隠すことができる。周囲に人影もない。

 

 携帯で地図を確認し、脱出する旨をメールで仲間に伝える。収穫は十分だ。敵のスパイも暴き出せたし、大洗・千種の車両、そして乗員についてもある程度調べられた。以呂波と話をしてみたかったが、やむを得まい。後は無事に帰れば任務完了だ。

 辺りを警戒しながら、草をかき分けて走り出す。周囲には誰もおらず、ただ風で草がざわめくだけだ。このまま市街地まで行けば見つからずに逃げられる。亀子にはその自信があった。

 

 だが不意に、背後から足音が聞こえた。

 

「ッ!?」

 

 振り向こうとした途端、背中に球状の何かが直撃した。緑の制服にオレンジ色のインクが付着する。一体どこに潜んでいたのか、彼女の三十メートルほど先に、馬上でカラーボール発射機を構えた大坪がいた。

 体勢を崩した亀子に、青毛の馬が迫る。次の瞬間、大坪は彼女目掛けて飛び降りた。すぐさま組みついて地面を転がり、取り押さえる。

 

「退きやがれ!」

 

 しかし亀子とてむざむざ捕まるわけにはいかない。彼女の手を振りほどき、突き飛ばして逃げようとする。するとその先へセール号が立ちふさがり、大坪が再び組みつく。亀子は拳を振り上げるが、それで相手を殴りつけはしない。連盟規則で潜入偵察が承認されているとはいえ、さすがに暴力行為はご法度だ。二人の少女と一頭の馬が、しばらく揉み合いを続けた。

 

 そこへ馬の足音が複数響く。ようやく警備係の面々が追いついてきたのだ。たちまち亀子を取り囲み、逃れようとする彼女へ刺股を繰り出す。刺股は江戸時代から現代に至るまで使用されている捕具で、訓練を受けた者が複数人で扱えば十分な制止力を持つ。男子生徒が亀子の足を払って転ばせ、別の者が胴を押さえつけた。さらに集団で畳み掛ける。

 

「勝負あった! ジタバタするな!」

 

 手足と胴を刺股で押さえつけられ、亀子は憎々しげに周囲を睨んだ。が、やがて空を見上げて「くそっ」と悪態をついたのを最後に、抵抗を止めた。警備係たちが手際よく手首を縛る。さらにボイスレコーダーや隠しカメラ、集音マイクなども没収し、見張りをつけて装甲車へ押し込んだ。

 

 任務完了。自分たちの存在価値を示すことができ、警備係たちは大いに喜んだ。千種学園には戦車道の情報戦について認識が薄い生徒も多く、過剰警備ではという批判もあったのだ。

 千種学園の馬術部は旧アールパード女子高や旧UPA農業高校の伝統を引き継ぎ、曲馬や騎射も練習している。馬に体を横たえて寝かせたり、犬のように尻を着いて座らせるといった芸も仕込んでいた。ハンガリーの義賊(ベチャール)が追っ手を撒く際、そうやって馬を草むらに隠したという。大坪は用水路などの障害物を飛び越え、先回りした草原で馬を寝かせて待ち伏せしていたのだ。

 

「脚も案外、侮れない」

 

 捕虜を護送するため後からやってきた出島が、馬たちを見てポツリと呟いた。主人たちに労われ、彼らもどこか得意げだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして、ドナウ高校訓練場。優花里と晴は突然降り出した雨に打たれていた。どうやら学園艦の進路上に雨雲があったらしい。だが美佐子が図らずも多くの敵を引きつけてくれた今、雨天はむしろチャンスだった。視界が悪くなり、見つかる確率が減る。幸い訓練場内には休憩用のテントもあり、そこで雨具も調達できた。ツェルトバーンと呼ばれる雨具を組み合わせたテントだったので、二人分拝借したのだ。迷彩柄なのも丁度良い。

 

「秋山殿、あれを御覧なさい」

 

 晴が地面を指差した。雨でぬかるみ始めた地面に、履帯跡が続いている。二両分だ。片方は比較的細いが、もう一方は六十センチはある幅広の物だった。優花里は近づいて入念に観察し、足跡の主を特定した。

 

「両端垂れ履帯……五式中戦車の物でしょう。あるいは、ホリ車」

 

 二人は顔を見合わせて頷き合うと、静かにその跡を辿った。

 

 




お読みいただきありがとうございます。
お待たせいたしました。
スパイ合戦ももう少しで終わります。
試合前のあれこれで大分長くなっちゃったので、戦車戦は章を分けようと思っております。

千種学園はある意味、私の母校に戦車道があったら、なんてのを考えながら書いた面もあるかもしれません。
複数の学校が統合されて生まれたところとか、広い農場があるところとか、馬術の強豪というところとか。
私は馬術部ではありませんでしたが、授業で馬について少し習ったりもしました。

そろそろ仕事も忙しくなりますが、今後もぽつぽつ書いていきます。
応援していただけると幸いです。

PS.
pixivにてモヤッとさんからベジマイトの立ち絵を、S.Kさんからトルディ軽戦車のイラストをいただきました!
誠にありがとうございます!


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生きて虜囚の何とやらです!

「以呂波ちゃんが言うには、千鶴さんに捕まると歯を抜かれるらしいですぜ」

「え!? そんなことを……」

「万一捕まったら仕方ない。秋山殿も『歯無し家』になりましょう」

「……た、高遠殿」

 

 晴と優花里は茂みなどの陰に隠れつつ、時には匍匐前進で進んだ。雨は次第に小降りになり、薄日が射し始める。拝借したツェルトバーンは泥まみれになったが、ひたすら履帯の跡を辿る。途中で捜索に当たる生徒たちを見かけたが、上手くやり過ごした。履帯の跡は複数が合流し、どうやら林の中に集結しているようである。優花里の見立てでは全て日本戦車の物で、どうやら決号の部隊らしい。

 声を殺して黙々と前進していくうちに、やがて怒鳴り声が聞こえてきた。

 

「軽油は入れちゃダメ! そいつはガソリンよ!」

 

 ぴくりと優花里が反応し、茂みから僅かに頭を出す。二百メートルほど先に数両の戦車が集められ、偽装しているのが見えた。双眼鏡で確認すると、短砲身砲を搭載したずんぐりとした形状の戦車が確認できた。全長六メートル足らずで、砲塔の上には丸いキューポラが見える。偽装網をかけられていたが、決号の戦車に間違いない。恐らくは二式砲戦車だろう。

 その向こうに、全長七メートルを超える大柄な車両がいた。さすが一弾流だけに偽装は徹底されており、砲身などにも偽装網がかけられ、この距離では車種は判然としない。優花里でさえうっかりすれば見逃してしまうほどに、周囲の景色に溶け込んでいた。その周囲で燃料タンクを持った隊員たちが給油をしていたからわかったようなものだ。

 

「ホリですかね?」

 

 双眼鏡を借りて確認しつつ、晴は問いかける。

 

「恐らくは」

 

 優花里は半ば確信を持っていた。先ほどの怒鳴り声が決め手である。日本戦車は八九式中戦車乙型以降、一貫してディーゼルエンジンを採用している。しかし五式中戦車は大馬力空冷ディーゼルが開発できず、航空機用の液冷ガソリンエンジンを弱体化した物を使った。同じ車体を使った試製五式砲戦車ホリも同様だ。

 もっと近寄って確認することにした。優花里としては五式砲戦車だったとして、ある装備が搭載されているか気になっていたのだ。晴は周囲を警戒しながら優花里の後へ続き、ゆっくりと車両群へ近づいていく。木の陰から陰へ移り、身を隠しながら。

 

 やがて偽装された大型車両が、固定戦闘室らしいことが分かった。角ばった形状で、砲身は75mmより長い。どうも装甲に傾斜はなさそうで、ホリII型らしいと優花里は判断した。しかし車体上面は草や木の枝で覆われ、優花里が目当てとする装備は確認できない。

 

 口惜しいが、これが限界か……そう思ったときだった。ふいに後ろから伸びてきた手が、ツェルトバーンの上から彼女の胸を掴んだのだ。

 

「ふわあああ!?」

 

 奇声を上げ、反射的に強烈な肘打ちを後ろへ繰り出す。しかしその手は繰り出された肘を掴むと、そのまま後方へ引っ張った。雨のせいで足が滑り、次の瞬間には地面へ引き倒されてしまう。もう片方の手で咄嗟に煙玉を取り出したが、次の瞬間には払い落され、強引に組み敷かれた。

 晴の方を見ると、彼女もすでに決号の隊員に取り押さえられていた。最初に口を塞がれて声も出せなかったらしい。じたばたと暴れ、隠し持っていた胡椒をばら撒いて抵抗している。しかし相手は武術の心得があると見え、くしゃみをしながらも必死で押さえつけた。やがて続々と加勢が現れ、集団で拘束されてしまった。

 

「くっ……秋山優花里、一生の不覚……!」

 

 優花里のその言葉は捕らえられたことに対するものか、それとも敬愛する西住みほ以外の人物に胸を触られたことか、あるいは両方か。雨はすでにほぼ止んでおり、彼女を拘束する人物は雨具のフードをゆっくりと脱いだ。ポニーテールと青いリボンが露わになる。

 

「大洗の隊長車装填手……大物がかかったな」

 

 取り押さえた獲物を見下ろし、一ノ瀬千鶴はニヤリと笑う。以呂波とよく似た顔立ちだが、その好戦的な笑みはどこか妖艶にも見え、妹にはない気迫があった。

 

 ぬかるんだ地面を踏む、ピシャピシャとという足音が響いた。先ほどまで給油を指揮していた決号の隊員が、慌てた様子で千鶴へ駆け寄る。小声で「アネさん」と呼びかけ、彼女へ何事か耳打ちした。

 それを聞き、千鶴の眉間に皺が寄る。三秒ほど間を置いた後、「しょうがねぇ」と呟やく。

 

「お前ら、大人しくしてろ。すぐに学校へ帰してやるから」

「えっ……!?」

 

 意外な言葉に、優花里は目を見開いた。試合が終わるまで拘束されると予想しており、すでに脱走の計画を練っていたところなのだ。未だに抵抗していた晴も顔を上げる。

 

「ま……向こうが捕虜交換に応じれば、だけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃千種学園では、拘束された亀子が小会議室へ連行されていた。以呂波、船橋、みほ、梓、そして逃走防止のため男子生徒三人が付き添う。他のメンバーはスパイを捕らえた大坪や警備係、およびその愛馬たちを祝福したり、没収したスパイグッズを物色している。出島期一郎がペン型ボイスレコーダーに気づいたのは、鉄道部員に同じものが支給されているからだ。艦上の路面電車及び駅の風紀取り締まりも鉄道部の仕事で、管轄区内でいじめなどがあれば見過ごしてはならない。他にもクレーマーへの対処などのため、常に音声を証拠として残せるようにしているのだ。悪用できないようにしっかりとセキュリティもされている。

 北森は最大の殊勲者とも言えるセール号への褒美を調達しに、軽トラックで農場へ向かった。そのうちニンジンやリンゴを積んで帰ってくることだろう。

 

 変装用のウィッグと眼鏡も失い、素顔をさらした亀子は後ろ手で縛られたまま、椅子へ座らされる。しかし生来のものと思われる傲岸さは捕虜になっても変わらず、着席するなり脚をテーブルへ投げ出した。よく鍛えられたしなやかな脚は男子たちの目を引いたが、紳士的な彼らは自主的に顔を背けた。

 

「黒駒亀子さんですね。決号工業高校・建築学科三年、戦車道副隊長」

 

 やたらとカ行の多い名前を、以呂波は言いづらそうに呼んだ。亀子としては自分の名前が発音しづらいのは承知で、ふてくされたような表情のまま黙っている。

 

「千鶴姉から、貴女のお話は伺っています」

「……私もあいつから、お前の話は聞いてらぁ」

 

 亀子は微かに笑みを浮かべた。

 

「ようやく会えて嬉しいってなもんだ」

「私もです。状況が状況ですが」

 

 以呂波も苦笑を返す。中学生の頃、姉から彼女のことはいくらか聞いていた。千鶴は一弾流門弟の娘数人と共に、戦車道特待生として決号工業高校へ入学した。学園艦が無法地帯で、暴力沙汰も日常茶飯事だった頃の決号へ、だ。千鶴は入学して早々、たった一人で十人以上の不良と戦う少女を見かけ、助太刀した。そして彼女を戦車の道へ誘ったのである。

 

「姉は確か、鶴と亀で縁起が良いから誘った、とか言ってましたが」

「誘ったぁ? 無理矢理引っ張り込まれたんでェ」

 

 ケト車の中にな、と言って鼻を鳴らす。だが不満げな物言いではなかった。

 

「ま、お陰で自分の名前が嫌いじゃなくなったがよ。で……」

 

 部屋にいる面々を一瞥し、腕組みをする。このような状況で大した度胸である。部屋の入り口や窓の外にも見張りが配置され、逃げ道はない。だが亀子はあくまでも傲岸で、怖じた様子を一切見せなかった。さすが無法時代の決号へ入学しただけに、相当場慣れしているようだ。千鶴が副官にするだけのことはある、と以呂波は舌を巻いた。

 

「私をどうするんでェ? さっさと白黒つけてもらおうじゃねぇかい」

「もちろん、準決勝が終わるまでここにいてもらうわ。無駄な抵抗はしないことね!」

 

 船橋がぴしゃりと告げた。彼女には珍しく有無を言わせぬ口調だ。常に明るい彼女も情報戦でしてやられたことと、捕物の現場を撮影できなかった悔しさで苛ついている。先ほど亀子の持っていた隠しカメラを調べたところ、SU-76iを初めとし各車両、隊員の写真が多数収められていた。警備をかいくぐってよくここまでというレベルだったが、写真以外はすでに味方に伝えているかもしれない。

 それでも相手側の副隊長を一人減らせるのだから、拘留しておく価値はある。だがリスクもあった。決号が救出のため手勢を送ってくるかもしれないのだ。姉の気性を知る以呂波は特にそれを危惧していた。かと言って無条件で解放するわけにもいかない。

 

 そんな一同を再び見回し、亀子はふと虚空を見上げた。

 

「ハル、ユカリ、ミサコ……」

 

 ぽつりと呟いた名前に、以呂波もみほも目を見開いた。こちら側の潜入作戦も知られていたのである。

 その反応に満足したのか、意地悪げな笑みを浮かべる亀子。集音マイクで盗聴した内容は全て千鶴へ伝えておいたのだ。

 

「無事に帰ってくるといいけどな」

 

 みほ、梓らの顔に不安が過る。船橋も携帯を取り出し、潜入班から連絡が入っていないか確かめた。だが着信はおろか、メールも入っていない。

 

 だがそのとき、以呂波の携帯電話が鳴った。着信音は勇ましい曲調の軍楽……明治時代に作曲された『抜刀隊』である。以呂波の顔に緊張が走った。この曲は姉からの着信なのだ。亀子に背を向け、通話ボタンを押す。

 

「……もしもし」

《よう、以呂波! 亀子を捕まえたらしいな!》

 

 電波に乗って聞こえてくる姉の声は明るく、妹を褒めるような口調だった。それが逆に不安を煽る。どうやら亀子は捕らえられた直後、気づかれないように何らかのSOS信号を送っていたのだろう。

 

「うん。捕まえてるよ」

《よく見破ったな。あいつの変装は結構分かりにくいと思ったんだけど》

「馬術部の馬が気づいたんだよ。動物の目は誤魔化せなかったってことじゃない?」

《あはは! なるほどな! ……さて》

 

 声のトーンが不意に低くなった。

 

《こっちもお前らのスパイを捕まえたんだ》

「……!」

 

 さしもの以呂波も血の気が引いた。しかしすぐに落ち着きを取り戻す。こちらにも手札があるのだ。

 続いて電話から聞こえてきたのは、覚えのある声だった。

 

《一ノ瀬殿、申し訳ありません! 我々はーー》

 

 優花里だと気づいた瞬間、声は途切れた。

 

《今のが誰だか分かったか?》

 

 再び千鶴の声。どうやらハッタリではないようだ。

 

《秋山優花里を見捨てたら、お前も大洗に面目ないんじゃないか?》

「要件は捕虜の交換?」

《亀子の装備もちゃんと返せ。データもだ。考える時間が必要か?》

 

 以呂波は少しだけ待ってと言い、保留ボタンを押してみほたちへ向き直った。彼女たちも雰囲気と、電話から漏れてくる声で状況を察したようで、以呂波に視線が集中していた。特にみほは親友の声をしっかりと聞き取ったようだ。

 

「優花里さんたち、捕まったんですか!?」

「そんな、秋山先輩が!?」

「そのようです。相手は捕虜の交換を持ちかけてきました」

 

 動揺を隠せないみほと梓に、以呂波はできる限り冷静に伝えた。亀子はそんな彼女をじっと見つめている。

 

「隠しカメラなどのデータも消さずに返せ、とのことです。応じていいですか?」

「もちろんです!」

 

 総司令官であるみほの返事を聞き、以呂波はすぐさま携帯を耳に当てた。胸の鼓動は早まっているが、こういうときこそ冷静でいなくてはならない。百戦錬磨のみほも同じで、不安を抑えるよう努めていた。船橋にも目を向けるが、彼女も眼鏡のずれを直しながら無言で頷いた。情報も、せっかく捕らえた敵副隊長も出鼻すには痛いが、隊員三名には変えられない。ましてや船橋は常に学園のイメージアップを考える身であり、『敵地へ潜入した勇敢な仲間を見捨てた』などという不名誉は望んでいない。

 

「千鶴姉、交換に応じるよ。場所はお兄ちゃんの船でどうかな?」

《いいぜ。で、今捕まえてるのは秋山優花里と噺家の二人だから、残ってる一人に連絡して投降させろ。話はそれからだ》

 

 一気にそれだけ告げて、プツリと電話が切れた。さすが姉だ、と以呂波は思った。交渉事でも常に自分が主導権(イニシアチブ)を握り、都合が良いように事を運ぼうとする。交換場所を以呂波が指定できたのが救いだが、この後どのような要求をしてくるかは分からない。だが今は相手の言う通り、美佐子に投降を命じるしかないだろう。彼女一人を逃しても、それで交渉がこじれてはどうしようもない。

 

「……安心しな。鶴公は約束を守るし、捕虜を虐めたりもしねぇよ」

 

 亀子が不敵な笑みを浮かべた。

 

「ところで、茶ぐれぇ出さねぇのかい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、これで後一人もすぐに来るだろう」

 

 千鶴は電話を切り、トラビの淹れたコーヒーを啜った。捕虜を得た後、彼女は二人を鉄塔へ連行した。守保らと“戦術顧問”はすでに帰り、その場にいるのは千鶴とトラビ、そして優花里と晴だけだ。手足こそ拘束されていないものの、鉄塔の足元には包囲網が敷かれており、逃走は困難である。

 侵入者を捕らえた千鶴の手際に、トラビは感心したように笑う。

 

「つくづくおっかないなぁ、千鶴ちゃんは」

「褒めてくれてありがとよ。で、捕虜の交換に異議はないんだな?」

「かまへん、かまへん。下手に脱走されても面倒や」

 

 亀子一人に対し、三人の捕虜を返還する……一見すると割に合わない取引だ。だが捕虜には捕虜の任務というものがある。脱走を試みて敵を内側から撹乱することだ。特にこの二人はいつまでも大人しくしているとは思えない。これから決号・ドナウ連合も合同訓練を繰り返さねばならず、監視に十分な人手を割けるか怪しいのだ。ドナウ高は対大洗八九式用の秘密兵器をテストせねばならないため、厄介者には早々にお帰りを願いたかった。

 風の当たる鉄塔は寒い。トラビはカップに湯気の立つコーヒーを淹れると、優花里と晴にも勧めた。

 

「ホラ、飲みなはれ」

「あ、ありがとうございます……」

 

 捕虜に対しても愛想は良かった。優花里としても熱い飲み物はありがたく、香り高いコーヒーに砂糖を入れ、味わって飲む。晴も美味そうにコーヒーを味わいながら、捕虜の身にも関わらず飄々とした態度を崩さない。扇子は一度取り上げられたが、武器などが仕込まれていないか確認した上で返却された。鉄塔から演習場を一望し、どことなく優雅さを感じさせる手つきでカップを握る。

 

「いやはや、良い眺めだ。うちにもこういう鉄塔が欲しいねぇ」

「せやろ? 演習のとき便利やで」

「おい。あんまり話しすぎるなよ、お喋りアイヌ」

 

 千鶴が釘を刺した。トラビは決して考え無しではないし、軽薄を装いながらも老獪な一面を持つが、誰にでも親しげに話しかけてしまう。捕虜とやたら仲良くなって、余計なことを喋られてはたまらない。

 そんな懸念を他所に、トラビは晴の顔をまじまじと見ていた。何か考えるような表情をしながら。

 

「キミ、どっかで会ったことない?」

「いいえ」

「何か見覚えあるんやけど」

「何度か寄席で前座をやったことあるから、そのときじゃないですか?」

 

 扇子で額をぺちぺち叩き、晴は再びコーヒーを啜る。

 

「いや、違うなぁ。まあ落語は好きやで。ここで一席やってみてや」

「『地獄八景亡者戯』をやれ、なんて言わないでくださいよ」

「そんな無茶よう言わんわ。短い簡単なのでええねん、『雑俳』とか『平林』とか……」

 

 能天気に会話を続ける二人を見て、千鶴はふと思った。こいつらといいベジマイトといい、ドSのカリンカといい、何で自分のライバルは変人ばかりなのかと。

 




お読みいただきありがとうございます。
思ったより早く書けたので更新です。
亀子の口調は「江戸っ子風(適当)」というイメージで書いています。
諜報合戦もようやく佳境を迎えました。
次回も頑張って書きますので、見守ってくださると幸いです。


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いい加減に長くなったのでスパイ作戦はここで終了です!

サブタイトルは単なる自虐ネタです。ちゃんと必要なシーンは省略せず書いてます。


 八戸タンケリーワーク社の企業艦(カンパニーシップ)は合宿用の小型学園艦を改造したものであり、形状はイギリス軍の航空機搭載タンカー・MACシップに似ている。合宿施設はそのまま社員寮となり、スポーツ場なども商品の試験場に使っていた。しかし航空機の発着場は拡張されており、大型輸送機も利用できるようになっている。

 日が傾きつつある飛行場に、ドナウ高校の校章が書かれた、ユッカースJu52輸送機が駐機していた。波型外板で構成された無骨な機体、機首と両翼に備えられた三つのエンジンが特徴的な、ドイツ製輸送機だ。二次大戦中にドイツ兵から『ユーおばさん(タンテ・ユー)』の名で親しまれたその機体の足元に、六人の少女が立っていた。優花里と晴、美佐子、操縦手を務めたドナウ高校の生徒、そして一ノ瀬千鶴とプリメーラだ。

 

「ちょっと早く着きすぎたな」

 

 コンクリートの滑走路を眺め、千鶴は呟いた。双方にとって幸いなことに、交渉は予想より円滑に進んだ。美佐子は以呂波の命令で速やかに出頭したし、脱走を企てたりもしなかった。千鶴は捕虜三人を亀子一人と交換する代わり、千種学園に没収したスパイ装備の返却と、ついでに『ある物』を注文。以呂波もそれを受け入れた。捕虜交換の場にはトラビも同行をせがんだが、千鶴は「ウルセェから来るな」と却下、機体とパイロットだけを借りてやってきた次第である。

 

「……ところで、一ノ瀬千鶴殿」

 

 優花里がゆっくりと口を開いた。捕虜の身であれど、まだ任務が残っている……彼女の目はそう言っていた。

 

「ホリ車の戦闘室上面が念入りに偽装されていましたが、あの部分に見られては困る物があったのですか?」

「……想像に任せるよ」

 

 ニヤリと笑って答える千鶴。ただそれだけの返答だったが、優花里は自分の予想が正しいことを確信した。千鶴も隠し通せないと踏んだのだろう。これで心残りはない。

 

「諜報合戦も試合の一部と言うべきか。随分と長い戦いだったね」

 

 友人を労うかのように、プリメーラは微笑む。何故かこの場に混じっている彼女に、千鶴は怪訝そうな表情を浮かべた。

 

「そうか? 半日とちょっとだろ。場合によっては何日も潜入することだってあるじゃないか」

「ああ、それもそうだね。やっぱり当事者と傍観者では時間感覚が違うんだな……」

「何の話だよ」

 

 理解の追いつかない言葉にツッコミを入れる。このプリメーラという少女はたまに別次元の話をする癖があった。加えて生来の放浪癖があるらしく、たまにバイクに乗って行方不明となり、部下たちを困らせているらしい。だがそれでも人を惹きつけるカリスマ性があるようで、部外者である彼女がひょっこり輸送機に乗り込んだときも、千鶴は「まあいいか」と認めてしまった。

 

「それにしも、何でわざわざ来たんだよ」

「見届けたくてね。決号、ドナウ、大洗、千種……私は誰の肩も持たないけど、結局のところは皆同志だと思う。去年の大洗解放戦線の後、戦車道で学校の誇りを守ろうと考える人が増えている。私は勝手に角谷主義者(カドタニスタ)と呼んでいるけど」

「か、カドタニスタ……」

 

 優花里が思わず笑ってしまった。千種学園の船橋などはまさしくそれに該当するが、角谷杏本人が聞いたら何と言うだろうか。プリメーラも半分ウケ狙いで言ったようで、彼女の反応に満足げだ。

 

「要するに私たちは二つの大洗、三つの大洗、さらに数多くの大洗を作るべき……そう主張していかなくてはならない」

「そいつはあたしも同意見だな」

 

 今度の言葉は理解できたようで、千鶴は即座に同調した。戦車道の信念において、二人は大分気が合うようだ。

 

 ふと晴が何かに気づき、茜色の空を見上げる。小さな黒点がエンジン音と共に近づいてきていた。

 

「……来た」

 

 ぽつりと浮かんだその点は次第に大きくなり、双発飛行艇のシルエットがはっきりと分かるようになった。アガニョークからの脱出にも使われたPBYカタリナだ。今回は偽装はされず、ちゃんと千種学園の校章が描かれている。

 ようやく現れた機影を見上げ、千鶴はふいに美佐子の肩を叩いた。

 

「お前、隊長車の装填手だったよな」

「あ、はい! そうですけど」

 

 突然話しかけられて驚く美佐子に、優しげな視線向ける。敵ではなく、姉の顔だった。

 

「以呂波を支えてやってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八戸守保は小さな艦橋から、着艦態勢に入るカタリナ飛行艇を見上げていた。商売人である彼はあくまでも中立の立場だが、妹たちに捕虜交換の場を提供した。会社へ帰ってすぐにこのようなことを頼まれ、やれやれと思いながらも滑走路を空けたのだ。

 艦橋内は応接間となっており、特に重要な客はここへ通される。今部屋にいるのは一人の中年女性と、陸上自衛隊の制服を着た若い女性の二人だ。中年女性の方は和服を着ており、黒紫色の生地に芙蓉の花があしらわれている。一弾流の定紋にも使われている花だ。後頭部で結わえた髪は黒く艶やかだが、顔立ちは少し疲れた様子が見受けられた。対する女性自衛官の方は凛々しい顔立ちに制服がよく似合っていた。以呂波や千鶴、そして守保とも似た雰囲気を持っている。制服の襟に着けられた『戦車と天馬』の徽章が、機甲科所属であることを示していた。

 彼女達は名をそれぞれ一ノ瀬星江、実星という。戦車道一弾流の家元とその長女、つまり守保の母と妹である。

 

「以呂波が来たぞ。会いに行くか?」

「今は会わない」

 

 親指でカタリナを指差しながら尋ねると、星江は首を横に振って答えた。細い声だがどこか力強さがある。

 

「これからの試合を邪魔したくはないから」

「以呂波が戦車道を続けることを認めるのか。俺としては有難いことだ」

「貴方は戦車が売れれば何でもいいんでしょう。私たちにとって戦車は宝だけど、貴方にとってはただの商品……」

「ああ。俺は男だからな」

 

 淡々とした口調で言う母親に、守保は即答した。若干、険悪な空気が漂う。勘当された身である守保としては、自分のやり方に口出しされても聞く耳は持たない。若くしてこれだけの会社を立ち上げるまで数多の苦労をしたが、その中で得た商人としての確固たる信念があるのだ。だがそこまで必死になった理由が、自分を勘当した母親にあることも事実だ。

 

「戦車は飯の種だし、そこに社員の生活もかかってる。その点では流派を背負うあんたと同じようなものさ」

「……そうかもね」

 

 星江は卓上に出された紅茶を啜った。そしてふと目を細める。自分の一番好きな銘柄だと気付いたのだ。

 

「でも兄さん、去年は大洗に物資を横流ししたんでしょう?」

 

 実星が口を挟んだ。口調はどことなく以呂波と似ているところがあり、顔つきも姉妹全員よく似ている。自分の真意を問うような質問に、守保は苦笑した。

 

「大洗に同情してたのは俺だけじゃないだろうが、あれは打算でやったことさ。それに横流しじゃなくて、出世払いな」

 

 あの後ちゃんと金は取った、としっかりことわる。昨年度の『大洗紛争』の際、八戸タンケリーワーク社は自体を深刻に受け止めていた。奇跡の優勝劇で戦車道熱が高まり、ビジネスチャンスだと喜んだ矢先のことである。

 大洗女子学園は存続を賭けた試合に臨むこととなったが、その条件は極めて不利なものだった。しかも大洗はすでに廃校が決定して学園艦を追われており、試合に必要な燃料・弾薬を買うのに学校の予算を使わせてもらえなかった。ここまでくると不公平というより非人道的と言っても良いほどで、国家権力がスポーツに干渉するという、民主国家にあるまじき事態である。

 

 その話を聞きつけた守保は即座に当時の大洗生徒会長・角谷杏に会い、支援を申し出た。彼としては会社のイメージを悪くしないため、大洗に加勢したという実績を作らねばならなかったのだ。

 

「文科省の戦車道強化計画には我が社も協力してたし、大学選抜隊もお得意さんだったからな。あのまま大洗が潰れてみろ、大学選抜の子たちは弱いものいじめの汚名を着せられるし、それと取引してた俺たちにもどんなとばっちりがくるか……」

 

 溜息を吐き、守保は実星の向かい側に腰掛けた。

 

「分かるだろう? 一番とばっちりを食ったのはお前ら陸自だ」

「まあね」

 

 実星も苦笑するしかなかった。『大洗紛争』の後、進路に自衛隊を希望していた戦車道選手が、入隊を取り消す事態が相次いだのだ。戦車は好きだが国が嫌いになった、という理由で。結局文科省の行為は若者たちに国家への不信感を植え付けるだけだった。学園艦解体業者との癒着の噂が当時から囁かれているし、役人たちは未だ言い訳に奔走している。その手先として使われた島田流には同情の声が寄せられていた。

 

「まあ島田のお嬢さんはフェアプレー精神を見せたし、チームの士気が低い中で大戦果を挙げたし、島田流の名誉は保たれたようだけどな」

「確かに、あの子は凄い」

 

 相槌を打ちつつ、実星はお茶請けのクッキーを口へ放り込む。紅茶と共に飲み下し、ふと神妙な面持ちで守保を見た。

 

「島田のお嬢さんの戦法、戦闘機乗りに例えると誰だと思う?」

「さしずめエーリヒ・ハルトマンだろう。並外れたセンスを持ちながらそれに頼らず、堅実な奇襲に徹していた」

 

 戦車乗りの家に生まれた男は航空機に興味を持つことが多い。最終的に戦車ディーラーになったとはいえ、守保もそのクチだった。

 ハルトマンは二次大戦におけるドイツ空軍のトップエースだ。操縦技術も射撃も極めて優れていたが、戦法は常に死角から奇襲を仕掛け、気付かれたら深追いせず飛び去るという一撃離脱を徹底した。それによって史上最多の、未来永劫二度と更新されないであろう三五二機という撃墜数を記録し、尚且つ生き残ったのだ。

 大洗紛争における大学選抜隊長・島田愛里寿の活躍を見れば、素人は彼女を人間離れした化け物と評するだろう。しかし繰り返し見れば、その戦果のほとんどが不意打ちによるもので、堅実かつ確実な戦法を取っていたと分かるはずだ。

 

 兄の意見に頷き、実星は滑走路を見やった。着艦したカタリナから西住みほが、そして義足を地面について以呂波が降りてくる。

 

「……今の以呂波の戦法はどうも、マルセイユに近いと思うんだよね」

 

 妹の考えを察し、守保は眉をひそめた。ハンス・ヨアヒム・マルセイユは同じくドイツ空軍のパイロットで、優れた技量を持つ英軍を相手に戦果を挙げた。彼はハルトマンとは逆に格闘戦中心の戦法を駆使し、相手の進路を予測した『見越し射撃』を使って敵機を撃墜した。その腕前たるや、「敵が自ら弾の中に飛び込んで来る」と評されるほどだったという。

 しかし、彼は生きて大戦を終えることはできなかった。

 

「脚を切る前の以呂波は、堅実だけど大胆さに欠けるところがあった。今のあの子は確かに強いけど……」

「限界が来る……って言いたいのか?」

 

 実星は頷いた。

 

「少なくとも島田のお嬢さんみたいに、ハルトマン型を徹底した猛者が相手になれば……勝てないと思う」

 

 守保は反論しなかった。マルセイユの死因はエンジントラブルだったが、それがなかったとしても終戦まで生き延びられたか怪しい。高速戦闘機での格闘戦は負担が大きく、マルセイユは空戦後に疲れ切り、煙草すら持てないほど疲弊していたという。

 今の以呂波は持ち前の射弾回避能力を生かし、敵の砲撃を見切りつつ撃ち合う戦法を多用している。もちろん必要に迫られて行うことも多いだろうが、鎬を削る戦い方は負担も大きいだろう。いずれ限界が来るというのも否定できない。

 

「……私にはあの子たちのやることを見届ける義務がある」

 

 窓の外を眺め、再び星江が口を開く。静かな、しかし強い意志が宿る口調だ。その目に熱いものが燃えていることに、守保は気付いた。

 

「新しいチームで何かを見出せたのなら、それも良し。けど一弾流として、あまりに無様な戦いをしたら……」

 

 飛行場では傾いた陽が、少女たちの影を地面に長く映している。向かい合った両チームの生徒は、それぞれの捕虜を解放した。段ボール箱を持った亀子が、優花里、美佐子、晴とすれ違う。以呂波は義足でしっかりと立って姉と相対していた。娘の姿を見る母の目に、守保はふと笑う。

 

「安心したよ。最近老け込んだって聞いてたからな」

「あら。貴方に心配されてるなんて思わなかったわ」

 

 紅の塗られた口に、皮肉めいた微笑が浮かぶ。対する守保も同じような笑みを浮かべていた。

 

「これからは若者の時代だ、なんて悟ったこと言われちゃ情けないからな。あんたを憎んでここまでやってきた自分が、馬鹿馬鹿しくなる」

「そう。ならもう少しだけ、元気でいられるよう頑張るわ」

 

 息子から顔を背け、一弾流家元は紅茶を飲み干した。

 

 

 

 

 

 飛行場では捕虜交換が無事に済み、仲間の元へ帰った偵察班がその労を労われていた。優花里は敬愛する西住みほに謝罪するも、彼女は逆に感謝の意を表し、いつも苦労をかけていることを謝った。以呂波も困難な状況下で情報を入手した仲間達を讃え、先に飛行艇へ乗せて休息を取らせた。

 そのとき、Ju52の方から駆け寄って来る者がいた。パイロットを務めていたドナウ高校生だ。

 

「いーちのっせさん!」

 

 にこやかな笑顔で、妙に明るく声をかけてくる少女。背が高くてスタイルも良く、活発な印象だ。ドナウ高校の制服をしっかりと着こなしているが、額には幾何学的な模様の描かれたバンダナを巻き、どことなくエキゾチックなスタイルだ。

 知らない相手に突然呼びかけられ、以呂波は一瞬唖然とする。それに構わず、少女は言葉を続けた。

 

「またお会いできて嬉しいです! 脚の調子、前よりも良くなってるみたいですね」

「ええと……何処かでお会いしましたか?」

 

 問いかけると、彼女は「たははー」と乾いた笑い声を上げる。二、三回頭を振ると、やれやれという表情を浮かべた。

 

「やっぱり忘れてるかー。まあ仕方ないですね。けど、私はずっと覚えてますよ」

 

 瞳に好戦的な色が宿った。同時にその笑みに既視感を覚え、以呂波が記憶を辿る。だがその間に、少女は彼女にずいっと顔を近づけた。

 

「カヴェナンターに乗った、あんたの姿。忘れはしません」

「……矢車さん!?」

 

 その名前は驚愕の叫びとして、以呂波の口から飛び出した。ドナウ高校副隊長代理・矢車マリ。練習試合で同校の一年生を率い、千種学園と戦った相手。

 

「おっ。思い出してくれましたかー」

「いえ、忘れてはいませんでした……けど……」

 

 以前あったときとの豹変ぶりに戸惑う以呂波。額に巻いたバンダナといい、砕けた口調といい、あの高慢で慇懃無礼な少女とは懸け離れた姿だった。もちろんその顔は矢車マリそのものだったが、人間の容姿は顔のパーツだけで決まるものではない。中身の変貌も外見に影響するのだ。

 唖然とする敵手に向けて、矢車マリは挑戦的な笑みを浮かべた。練習試合で敗れてから、ずっと再戦の機会を待っていたのだろう。それが間近に迫る興奮を抑えきれない様子が伺えた。

 

「一ノ瀬以呂波さん、一つだけ言わせてください。貴女のことはお姉さんからいろいろ伺いました。私は多分、貴女に勝てないでしょう」

 

 矢車ははっきりと言い切った。笑みを浮かべたままで。

 

「でも、我がドナウ高は勝ちます! じゃ!」

 

 高らかに宣言したかと思うと、くるりと背を向ける。何が彼女を短期間でここまで変えたのか、以呂波には分からない。だがその背中が以前より大きく見えた気がした。練習試合のとき、彼女の技量は明らかに以呂波に劣っていただろう。しかし今では油断ならぬ強敵として、眼前に立ち塞がっていた。姉・千鶴と同じく。

 

 やがて矢車がJu52のエンジンを始動し、離陸準備に入った。カタリナもエンジンを始動する。千種学園の潜入班は座席で眠りにつき、みほが優しい微笑を浮かべて優花里の癖っ毛を撫でていた。

 千鶴は以呂波を一瞥すると機内へ姿を消し、亀子も続く。事の成り行きを傍観していたプリメーラはタラップに足をかけると、この場にいる同好の士全員へ、祝福の言葉を叫んだ。

 

勝利まで永遠に!(アスタ・ラ・ヴィクトリア・シエンプレ)

 

 

 

 

 

 




ようやくスパイ作戦終了です。
前々から自覚していましたが、「話の進みが遅いとしか感じない。中だるみしている」という旨の意見をいただきました。
試合まで長くなると思いましたが、行き当たりばったりで戦わせたくはないし、原作キャラとの絡みも必要だし、ある程度批判覚悟で書いたので、やっぱり言われちゃったか、と思いました。
ご意見くださった方、ありがとうございます。
まあ今の章に入ってからお気に入り登録件数や総合評価がグッと増えたので、楽しんでいただけている方もいるとは思いますが、長々と待たせて申し訳なかったので、今回は三話まとめて投稿します。
まだ飽きていないお方はお付き合いいただけると幸いです。


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第五章 戦車上の魔術師
やたらと長い前哨戦を経てようやく準決勝開戦です!


サブタイトルは引き続き自虐ネタです。


 列車砲車体の巨大モニター車が、会場の様子を映し出す。四つの学校が一度に戦うため、観客の数も多かった。珍妙なのはそのうち二校の応援団から、同じ叫びが上がっていることだった。千種学園も決号も、男女揃って盛んに「一ノ瀬! 一ノ瀬!」の声を上げている。やがてそれに気づいたのか、それぞれ「以呂波!」「千鶴!」の叫びに変わった。

 整然と並んだ生徒たちの中から、両チームの隊長と副隊長が歩み出る。大洗女子学園の西住みほと澤梓、千種学園の一ノ瀬以呂波と船橋幸恵。決号工業高校からは一ノ瀬千鶴と黒駒亀子、ドナウ高校のトラビと矢車マリ。それぞれの背後に控える選手たちを代表して、審判の前で挨拶を交わす。千鶴は以呂波を見て微かに笑い、以呂波も笑顔で応じた。トラビは以呂波の義足や、梓のまだそわそわした様子を興味深げに眺め、矢車は待ちに待った戦いに目を輝かせている。亀子は脇腹を掻いていた。

 

 その後車で戦車のスタート地点へ移動し、準備に取り掛かる。今回のフィールドは主に起伏のある草原、森、市街地で構成されており、決号・ドナウ側は市街地に近い。準備に当たる両校の少女たちは戦車の整備点検に当たり、地図を見直していた。大洗・千種側のスタート地点から市街地へ向かうルートは二つあり、片方は西側の森の縁を掠める狭い道、もう片方は比較的視界が開けた東側のルートで、最終的に同じ地点へ合流する。総合火力ではドナウ高校に分があり、相手としては得意の市街戦に持ち込もうとするだろう。しかし決号もまた、市街戦は得意だった。

 

「まずはあたしらが市街地へ入り待ち伏せ、ドナウ隊が東から追い込む。西側はE-100で塞ぐ、と……」

 

 考えた作戦をつぶやきながら、千鶴はトラックの助手席に置かれた箱の中を眺めていた。詰め込まれているのはおおよそ彼女に似つかわしくない、可愛らしい熊のぬいぐるみ四種である。ただし手足に包帯が巻かれていたり、絆創膏が貼られていたり、玩具としては少々異様な風体だ。そこへハンガリーのカロチャ刺繍だの飛行帽だののアクセサリーが加えられ、ますますシュールさが引き立てられている。

 箱に可愛らしいフォントで『ボコられグマのボコ 千種学園限定品セット』の文字が書かれている。捕虜交換の際、以呂波にオマケとして要求した物だ。唸りながらそれを見つめる千鶴の姿を、亀子は嫌そうな目で見ていた。

 

「鶴。前から思ってたんだが、そんなもんの何がいいんでェ?」

「ホンマやで。そんな情けない(キムンカムイ)……」

 

 トラビまで口を挟んだ。箱の蓋を閉じ、千鶴は呆れたような表情を浮かべる。

 

「お前らには分からないかなぁ。この計算されたボロボロ具合はヴィンテージジーンズに通じるものがあるだろ」

「一緒にしちゃいけねぇや」

「それに情けなくはないぜ。何回フルボッコにされても立ち上がるんだから」

「ほな、秘伝の仕掛け弓(アマッポ)でも喰らわせたろか」

 

 能天気な、それでいて物騒な会話をする幹部たち。その一方で隊員たちは準備を整えていた。矢車が笑顔でそのことを報告すると、隊長二人は整列した仲間たちの前へ出る。

 大洗・千種に比べ、この両校の生徒はレトロな出で立ちをしていた。ドナウ側はドイツ帝国の騎兵将校を模した服装で、二列に並んだボタンの黒いジャケットを着ている。決号のタンクジャケットは開襟の黒いフロックコートにたすき掛け、ロングブーツ、鍔つきの制帽という構成だ。正式に一弾流門弟となっている生徒もおり、流派の旗印である『芙蓉に一文字』の徽章を胸に着けていた。モデルになったのは明治時代の警視隊という、ドナウ高校に負けず劣らずの古風さである。

 

「さて、いよいよかの大洗との戦いや。今更言うこともあんまないけど、一つだけ言うとくで!」

 

 いつも通りの陽気さで、トラビが告げた。早く戦いたくてうずうずしているのが見て取れる。

 

「キツくなったら、男のことを考えるんや! 誰でもエエから色男のことを! するとヴァルキューレは悋気して避けて通り、心の広い神様(カムイ)が守ってくれるっちゅう寸法や! ええな!」

了解(ヤヴォール)!」

 

 ドナウの隊員は一斉に唱和した。決号側も笑いながら「了解」と返す。続いて千鶴が一歩前へ出た。

 

「あたしからも今一度言っておく。今度の相手は何をしてくるか予想しきれない。だが立てた作戦外で敵隊長車とやり合うことになったら、次の五つの鉄則を守れ」

 

 全員の表情が引き締まった。幹部から末端に至るまで、今度の相手の手強さを重々承知している。そもそもこの大会が開かれるきっかけとなった、奇跡の新興チーム・大洗女子学園。そして千鶴の妹が隊長を務める千種学園。油断できる相手ではない。その軍勢を統べる二人は指揮官としても、一介の戦車乗りとしても恐るべき人物だった。

 

「一、相手が自分に気付いているときは仕掛けず、必ず奇襲に徹しろ。二、奴らの格闘戦には付き合うな、一撃で仕留められなかったら退け。三、できる限り複数でかかれ。四、西住みほには死ぬ気でかかり、以呂波には殺す気でかかれ」

 

 一言ごとにトラビがうんうんと頷き、四つ目にはこらこらとツッコミを入れた。亀子は千鶴の後ろに控え、無表情で耳を傾けている。最後に千鶴はニヤリと笑みを浮かべ、最後の鉄則を口にした。

 

「五。笑え! そうすりゃ冷静になれる!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大洗・千種連合も、戦車の点検を終え、出撃準備を整えていた。全車両共に乗員が乗り込み、エンジンを始動している。フラッグ車は西住みほの駆る、大洗IV号戦車。D型をベースにした改造品であるものの、その性能はIV号の集大成たるH型に何ら遜色はない。むしろ自動車部の驚異の技術力でチューンナップされ、総合的には上回っていると言って良い。ポルシェティーガーも千種学園鉄道部の協力を得て、電気モーターをさらに強化している。

 

 千種学園も負けてはいない。九五式装甲軌道車ソキは武装が丸ごと交換されていた。元々銃眼からあり合わせの武器を使う車両だが、戦車道連盟から「武器を取り外して使えないよう固定しておくように」と指示されたため、今までは十一年式軽機関銃が据え付けられていた。しかしこの機関銃は故障が多くて扱いづらく、後継の九六式は弾倉が上についているため、砲塔内でリロードしにくかった。そこで鉄道部員たちは思い切って機関銃と決別し、ボルトアクション式ライフルの三八式騎銃に換装したのだ。機銃と違って威嚇効果もほとんどなく、戦車道では全く使えない兵装である。しかし博識な優花里のアドバイスで、守保からちょっとした付属品を購入していた。

 

 さらにトゥラーンIIIにも特別な改造……というより、偽装が施されていた。偵察班の集めた情報を鑑み、みほと以呂波が慎重に協議した結果だ。上手く行けばこの試合の趨勢を決めることになるかもしれない。

 

 

「砲塔旋回、照準装置、異常無し……砲手、準備良し」

「エンジン出力、変速機正常。水温異常なし。操縦手、準備良し」

「閉鎖機動作確認! 弾薬格納正常! 装填手準備良し!」

「車内通話、車外通話、正常。通信手、良ろし」

 

 タシュの車内で乗員が次々と報告する。生身の左脚、人工の右脚で車長席に立つ以呂波は、タシュの長い砲身を眺めていた。パンターと同じ7.5cm Kwk42。電気式雷管で発火し、装甲貫徹力においてはティーガーの88mm砲を上回る。その長大な砲身の付け根、防盾の部分に、小さく棺桶の絵が描かれていた。小説『白鯨』に因んで描いたものだ。隻脚の船長・エイハブに率いられた捕鯨船ピークォドは、白鯨との戦いで海の藻屑と消える。物語の語り部であるイシュメルだけが、救命ブイに改造された棺桶に掴まって漂流し、生還するのだ。このタシュ重戦車がただの棺桶になるか、それとも小説よろしく身を救うことになるか、以呂波の采配と乗員の奮闘にかかっている。

 

「澪ちゃんが銛打ちだね!」

 

 美佐子の勇ましい呼びかけに、澪も力強く頷いた。訓練を通じて五十鈴華の実力を間近に見ることができ、砲手として良い刺激になった。彼女のような名射手になるべく努力を重ね、技術も向上している。まずは形から入ると言って華と同じ量の食事を摂り、腹を壊す場面もあったが。

 

「E-100は私たちの獲物ね」

 

 エンジン音に耳を澄ませながら、結衣も高揚していた。彼女もまた名操縦手・冷泉麻子から技術を教わろうとしたが、努力家で秀才タイプの結衣と天才の麻子とでは今ひとつ噛み合わなかった。そのため果たして技術が向上したか、本人にも実感がない。だが何かしら得るものはあったと信じている。

 

「そういやさっき、観戦エリアに黒森峰のキューベルワーゲンがいたね」

 

 晴がぽつりと言った。キューベルワーゲンはドイツ製の小型軍用車両で、黒森峰やドナウなど多くの学校で使われている。どうやら強豪中の強豪である黒森峰も、この『士魂杯』に注目しているようだ。

 

「ドナウ高の応援でしょうか」

「いや、違うね。あの人たちは西住さんのことが気になって仕方ないのさ……」

 

 意味深なことを言った後、晴はヘッドフォンを押さえ、全車両の準備完了報告を聞いた。一番時間のかかるT-35もようやく点検が完了したようだ。それを以呂波に伝えると、義足の戦車長は頷いて、咽頭マイクに手を当てた。

 

「西住隊長。千種学園全車、準備完了です」

《了解。大洗も完了です》

 

 返事を聞いて大洗隊の方に目をやると、“軍神”と呼ばれた少女は真っ直ぐに前方を見ていた。オキサイドレッドに塗られたIV号戦車は48口径75mm砲を搭載しており、タシュほどでないにせよ、大抵の戦車は一撃で屠る威力を誇る。二度の奇跡を起こした大洗の牙だ。そして通信アンテナの先には、フラッグ車の証である小さな旗が付いている。

 

 この西住みほという指揮官は以呂波の想像と大分違っていた。戦術は柔軟で、想定外の事態への対処能力も高い。だが一見カリスマ性に優れているわけでもなく、仲間を積極的に牽引するタイプでもない。実際、去年は生徒会長の角谷杏が、さり気なく彼女が指揮を執りやすい環境を作ってやっていたという。しかし素人集団だった大洗女子学園をここまで育てたのは、間違いなくこの西住みほなのだ。

 彼女から学ぶことは多いだろう。そして、姉との戦いからも。

 

 

 やがて笛のような音と共に、火球が青空に上がる。快音と共に白煙の花火が弾け、四人の少女が一斉に号令した。

 

 

戦車前進(パンツァー・フォー)!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……観客席で戦いを見守る守保は、決号に売った試製五式砲戦車ホリIIの動きに注目していた。組み立ては決号の艦内工廠で行ったが、大柄な車体はスムーズに動いている。工業高校の整備力の高さを表していた。今は二式砲戦車ホイ一両を護衛につけ、高台の狙撃位置へ向かっている。単に強力な主砲を持つだけでなく、長距離狙撃を可能とする装備があった。現代の技術で調整を施されたそれは遺憾なく威力を発揮するはずだ。

 一方でドナウのE-100の動きも気になる。一弾流の戦闘教義からかけ離れた車両であるため、千鶴は共に行動することを嫌うだろう。今の所、IV号らしき中戦車二両を護衛にして市街地西側のルートへ向かっているようだ。道を塞ぐつもりかもしれない。そして決号の本隊は市街地へ向かっている。

 

「ドナウの主力が千種・大洗を追い立て、市街地付近でE-100と挟撃。数を漸減した上で市街地へ押し込み、決号の伏撃でトドメを刺す……そういうシナリオでしょうか」

「多分な」

 

 秘書の予想は概ね当たっているだろう。だが以呂波とかの西住みほが指揮を執る部隊が、相手の策通りに動くとは思えない。また千鶴やトラビも、すべて筋書き通りに進むなどと期待していないだろう。

 二人の隣で干し芋を齧っている角谷杏も、興味深々といった表情でモニターを見ていた。

 

「君はどっちが勝つと思うかい?」

「どうだろうねー。ま、西住ちゃんたちが負けたら、また罰ゲームでもしてもらおっかな」

 

 干し芋を飲み込み、悪戯っぽい笑みを浮かべる元生徒会長。守保は昨年のプラウダ戦で見た『アレ』を思い出した。

 

「例のあんこう踊りか」

「うーん、さすがに義足であの踊りは無理っしょ」

「おいおい、以呂波も対象に入ってるのか!?」

「そりゃもう、チームなんだから一蓮托生!」

 

 つくづくおっかない子だ、と改めて思う守保であった。丁度そのとき、モニターに映る千種・大洗の車列が二手に分かれていった。



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白鯨に挑みます!

 ガソリンエンジンが唸りを上げ、角ばった巨体が進む。大型戦車の旋回をスムーズにするための端垂れ履帯は、約四十トンの重量をしっかりと支えていた。土地色や枯草色の日本軍迷彩に加え、偽装網も積んでいる。箱型戦闘室から突き出た105mm砲が、車体に合わせて上下に揺れていた。

 その後ろには二式砲戦車ホイの姿がある。一式中戦車の車体をベースに作られた自走砲で、密閉式の回転砲塔を持つ。武装は短砲身の75mm砲だが、成型炸薬弾を用いれば対戦車戦闘にも使える。だが今回の任務はホリIIの護衛だ。

 

 巨体がゆっくりと停車し、サスペンションが軋む。見晴らしの良い高台で、バックすればすぐ稜線に身を隠せる。狙撃にはうってつけだ。

 

「こちら清水車。狙撃地点へ到着」

 

 報告しつつ、鉢巻を巻いた車長がハッチから顔を出す。遠くに土煙がポツッと見えた。それが戦車の上げるものだと形で分かる。

 

「敵部隊は十一時の方向より接近中」

《了解した。亀、敵の数は?》

《七両だ。フラッグ車のIV号、ポルシェティーガー、B1……》

 

 指揮を執る千鶴、先行して偵察する亀子の声が聞こえる。亀子もまだ距離が遠く、全車種は把握できなかった。だが合計十六輌の大洗・千種連合が、隊を分けているのは確かだ。ほんの一瞬だけ間をおいて、次の指示が来た。

 

《亀はそのまま敵に接近し、情報を伝えろ。清水は狙撃用意》

 

 車長・清水は装填手二名に、徹甲弾の装填を命じる。車内に「せーの!」という声が響き、二人掛かりで105mm弾を持ち上げた。大型の徹甲弾が装填架にセットされると、砲手が半自動装填装置を起動した。置かれた弾が砲尾へ移動し、後ろから鉄のアームが実包を押し込む。砲弾が薬室に収まると、閉鎖機が降りた。この装填装置も現代技術で調整が施されたもので、二次大戦当時と仕組みは同じでも、信頼性は段違いである。

 装填装置の作動を確認し、清水は砲手の肩を叩いた。

 

「初弾は無理に当てなくてもいいんだ。けどこの一発が、戦いの火蓋を切るよ」

「はい」

 

 照準機を覗き、砲手は発射ペダルに足を添えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 草原を進む西住隊は、常に周囲に気を配っていた。装甲の厚いポルシェティーガーを先頭に押し立て、そこへIV号、M3リー、B1bis、マレシャルなどの車両が続く。一弾流の戦法をよく知る以呂波の協力で、敵の待ち伏せが予測されるポイントは予め割り出し、地図に印をつけてある。隊列から離れたトルディIIaに怪しい箇所を偵察させ、その情報を元に進む。一方で隊長車通信手の武部沙織は、西側へ向かった一ノ瀬隊の報告に耳を傾けていた。

 

「今の所はまだ、静かですね」

「うん」

 

 優花里と言葉を交わしながら、みほはいつものようにキューポラから身を乗り出し、周囲を見張っている。他の車長たちもそうだ。戦時中、ソ連軍の戦車長は視界の悪い砲塔内に閉じこもっていたため、敵の発見が遅れて撃破されることが多かった。反面、積極的にキューポラから顔を出して索敵するドイツの戦車乗りはよく狙撃に遭ったが、戦車道なら歩兵はいない。仲間を勇気付ける意味も込めて、特に隊長は積極的に顔を出して指揮を執る。

 今の所はエンジン音や、シュルツェンの軋む音が聞こえるのみだが、いつ敵が襲撃してくるか分からない。稜線の陰からドナウの戦車隊が現れることを特に警戒していた。相手方には車高の低いIV号突撃砲がいるのだ。

 

 そのとき、みほの目は小さな光を捉えた。二千メートル近い距離、遥か遠くの小高い丘だ。

 

「敵……!」

 

 その直後、間髪入れずに砲弾が落ちてきた。横を走っていたM3から数メートル離れた場所に着弾し、土煙が上がる。大口径の徹甲弾だった。衝撃でM3の車体が僅かに揺れる。

 

《撃ってきた!?》

《どこから……!?》

「落ち着いて! 十時方向へ転換、稜線の陰へ入ります!」

 

 みほは即座に指示を出す。相手は試性五式砲戦車ホリに違いない。彼女の脳内では地図に書き込まれたホリ車の狙撃予想地点と、砲撃の方角が瞬時に繋げられていた。以呂波が予測していたポイントからの狙撃だったが、距離が想像より遥かに遠かった。当たらなかったものの、これだけの距離であの精度は侮れない。腕の良い砲手を乗せているようだが、それだけではない。

 

「やはり測距儀を搭載していますね。この距離であれだけ正確に……」

 

 優花里が唸った。これこそ潜入時に、彼女が気にしていたことである。ホリ車は実車が完成する前に終戦を迎えたが、II型には測距儀を搭載する予定だったらしいと聞いていたのだ。それがあれば車長が距離を正確に測って砲手に伝えることができ、より正確な長距離射撃が可能になる。

 車長のほとんどが戦車内に身を収めた。しかしみほは僅かに屈んだだけで、身を晒したまま索敵を続ける。

 

「敵の狙撃から身を隠しつつ、警戒進軍! 敵部隊がかかってきたら応戦します!」

「みぽりん! カバさんチームから連絡!」

 

 命令を下した直後、沙織が叫んだ。

 

「クジラがいたって!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《こちらカバチーム! 今E-100に発見された! 予定通りおびき出す!》

 

 III突の車長兼通信手・エルヴィンが報告した。守保の秘書が予測した敵側の戦術を、以呂波たちも予想していた。恐らく相手は西側の道を塞ぐためにも、その道にE-100を陣取らせていると踏んだのだ。それに対処するのは一ノ瀬隊の六両……タシュ、ズリーニィ、SU-76i、ソキ、八九式、そしてIII号突撃砲だ。

 タシュ重戦車の左手側には高台の急斜面がそびえており、その上に八九式とソキがスタンバイしている。右手側の森にはズリーニィとSU-76iが、偽装を施して潜んでいる。タシュも森のすぐ側に位置取り、偽装網を被ってカモフラージュしていた。

 前方からけたたましいエンジン音と砲声が聞こえてきた。75mm砲のようだ。

 

《マウスより大分速いな! その後ろにはIV号J型が二両!》

「了解、そのまま頑張って逃げてきてください!」

 

 指揮を執る以呂波の左側で、澪はじっと照準器を覗いていた。砲手を務めている彼女は普段の臆病さが消滅するが、今はそれだけでなく、砲の一部になっているかのような不思議な雰囲気を纏う。美佐子はすでに砲弾を抱えてスタンバイしていた。

 

 やがて、地響きとも思える履帯の騒音が聞こえた。土煙が巻き上がり、曲がり角からまずIII号突撃砲が姿を表す。側面に書かれたカバのマークを以呂波の方へ向け、森へ逃げ込む。

 その後ろからゆっくりと、純白の巨体が姿を現した。幅一メートルを超える履帯で地面を踏みしめ、太い砲身を突き出しながら、怪物は現れたのだ。

 

「凄い……!」

「なんて化け物……!」

 

 思わず戦慄しながらも、美佐子は砲弾を抱き続け、結衣はしっかりと操縦桿を握る。全長はもう見慣れたT-35の方が大きいが、幅はE-100の方が一メートル以上大きい。そして150mm砲の威容はまさしく、超重戦車の名に相応しかった。傾斜装甲で構成されたその車体・砲塔が、白い塗装と相まって不気味さを演出する。雪中迷彩の戦車を何度も見た以呂波でさえ、この巨体に白という色の組み合わせは得体の知れない恐怖を覚えた。まさしく、エイハブ船長が追った不死身の怪物……白鯨(モビーディック)であった。

 しかし、ここで怖気付く彼女ではない。E-100との対決が、この一ノ瀬隊の任務だ。

 

「……ツバメさんチーム、オカピさんチーム! 『ガアガア作戦』を開始します!」

 

 命じた直後、「了解!」の声が返ってくる。作戦名は西住みほの発案だ。アヒルさんチームこと八九式が鍵を握るから『ガアガア』らしい。ネーミングセンスにツッコミを入れる余地はあるだろうが、特に気にする者はいない。

 

 

 

 命じられたツバメさん(ズリーニィ)、オカピさん(SU-76i)の両車は森の中から、白塗りの巨大戦車に照準を合わせる。E-100の後ろに従うIV号戦車二両は最終生産型のJ型のようで、側面にトーマシールドと呼ばれる、金網のシュルツェンを備えていた。それらが子供に見えるほどのE-100の大きさに、初陣の去石は勿論、丸瀬も息を飲む。T-35という巨大戦車を保有する千種学園だが、砲まで巨大となると威圧感は段違いだった。

 

「ツバメチーム、FOX2!」

《オカピ、撃ちます!》

 

 ズリーニィの長砲身75mmが火を噴いた。続いてSU-76iの76.2mm砲も、徹甲弾を撃ち出す。しかしそれらは乾いた音を立てるのみ。砲塔側面の、傾斜した二百ミリの装甲板に容易く弾かれていた。丸瀬としては自車の主砲が全く通用しない敵は初めてだ。しかし、それも織り込み済みだ。

 E-100にして見れば蚊に刺された程度の攻撃。しかし森の中に敵がいると分かり、その蚊にむけて砲塔を指向する。150mmの主砲がゆっくりと、丸瀬たちの方を向いた。

 

「退避ー!」

 

 二両の操縦手がすぐさま、車体を後進させる。その直後、大気が震えた。マズルブレーキのついた砲身から大きく発砲炎が広がり、巨人の拳が叩きつけられた。森の中に爆炎が広がり、衝撃波で木がなぎ倒される。辛うじて直撃を免れた二両と、先ほど森に逃げ込んだIII突の車体も揺さぶられた。同時にIV号のうち一両も発砲したようだが、その徹甲弾は木々の合間を通過していくだけだった。

 

 顔をかばいつつ、丸瀬はハッチからゆっくりと顔を出す。150mm榴弾。恐るべき力だ。だが自分たちの任務は成功したと、丸瀬は確信する。

 

《アヒルチーム、根性アタッーク!》

《そーれそれそれー!》

 

 磯部典子らの叫びと共に、高台の上から八九式中戦車が姿を現した。そして全速力で急斜面を下る。自動車部によって強化された足回りが、このような無茶を可能にしていた。その真下には砲塔を横へ向けたE-100がおり、このまま行けばその車体に乗り、身を以て砲塔旋回を止められる。昨年度、マウスを倒したときのように。

 丸瀬は護衛のIV号を排除するよう、乗員に指示を出そうとした。だがそのとき、視界の端に異様な光景を見た。

 

 IV号の内一両の砲身が、ポロリと取れたのだ。張りぼての砲身を踏み潰し、その車両はゆっくりと、本物の主砲二本を上へ向ける。いや、トーマシールドに隠れた砲塔自体が、上へ傾いていた。普通の戦車ならありえない高仰角で、だ。

 航空機が専門である丸瀬は、その正体に気づいた。

 

「アヒルさん、逃げろ! 下から狙われている!」

 

 叫びながらも、装填手に徹甲弾装填のサインを出す。しかし間に合わなかった。敵はすでに二本の細い砲身で、急降下してくる八九式を狙っていた。

 

 

「クーゲルブリッツ対空戦車だ!」

 

 

 刹那、立て続けに響く発砲音。連装30mm機関砲が火を噴いたのだ。八九式は急斜面を下りながらも懸命に回避運動を取ったが、彼女たちの能力を持ってしても雨の如き連射は避けられなかった。薄い装甲に弾痕が穿たれ、履帯が千切れ飛ぶ。

 制動力を失った車体は転覆し、慣性に従って斜面から転がり落ちていく。無残な姿でE-100のすぐ前方に落下したとき、その砲塔には白旗が見えた。

 

 

《大洗・八九式、走行不能!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちら矢車。アヒルは墜としましたよ」

 

 報告した直後、操縦手に命じて自車を急発進させた。その直後、今までいた地点へ砲弾が直撃。すぐさまE-100と本物のIV号が反撃する。

 上を向いた球形砲塔の中で、矢車らの座る椅子も上を向いていた。砲手が揺動式砲塔を水平に戻すと、乗員たちの姿勢もゆっくりと水平に戻っていく。

 

《お見事。鳥撃ち用戦車を使いこなしとるな、さすがやで》

 

 トラビがすぐに賞賛の言葉を寄越した。しかし矢車にしてみれば、軽戦車の駆除に対空戦車を使うという、隊長の発想力こそさすがだ。装甲が薄くちょこまかと逃げ回る相手なら大砲で狙うより、大口径の機関砲を使った方が確かに手っ取り早い。特にこのクーゲルブリッツの武装は本来対地攻撃機に搭載された物で、戦車の上面装甲を撃ち抜くのに使われた。そう考えれば理にかなった戦法だ。

 まったく、彼女といい以呂波といい、世の中は想像を超えた戦車乗りが大勢いる……矢車はつくづく思った。

 

《ほいじゃ、こっちは西住みほちゃんに会いに行ったるわ。そっちはそっちで、叩き潰したりぃ!》

了解(ヤヴォール)!」

 

 

 

 

 

 




はい、今回はここまでの更新です。
ドナウの隠し球は密閉式砲塔を有する対空戦車・クーゲルブリッツ。
露骨なヒントを出しちゃったので、予測できた方もいるとは思いますがw

とりあえずようやく準決勝です。
本当にお待たせして申し訳ありません。
しかしまあ、よく二日足らずで三話も書いたもんだな、遅筆の私が……。
この原動力はなんだったのか。
次は番外編を進めるかもしれませんが、仕事の都合で遅れることもあるかと思いますので、ご容赦ください。
ご感想・ご批評など、よろしくお願いいたします。


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準決勝、熱くなってます!

 稜線を越えて草原を進む、ドナウ高校の戦車群。IV号突撃砲の陣頭に立つのは、トラビの乗るKW-1改だ。ソ連戦車らしい傾斜装甲とオリーブ色の塗装だが、その牙はドイツ製の75mm砲を搭載している。IV号F2型と同じこの主砲は元の76.2mm砲ZIS-5より高威力で、ドナウにとっては補給面でも都合が良い。防盾ごと移植されているため通常のKV-1とは異なったシルエットになっており、砲口のマズルブレーキが威圧感を増していた。

 

《空飛ぶアヒルも、対空戦車には敵わなかったか》

 

 千鶴の声が無線のレシーバーに入り、トラビはクスリと笑った。KW-1改にはIV号戦車のキューポラも移植されており、そこから半身を出して指揮を執っている。操縦系統のトラブルが頻発するKV-1だが、レギュレーションの範囲内で改良が施されており、操縦手の操作によく応えていた。

 

「千鶴ちゃんが偽装を教えてくれたおかげやで。せやけど、ええの?」

《何がだ?》

「ウチら、決勝戦では敵やで」

 

 クーゲルブリッツにトーマシールドとダミー砲身をつけるのは千鶴の提案だ。しかしこの準決勝に勝てば、決勝戦でドナウと決号が対戦することとなるのだ。今は味方とはいえ、千鶴は簡単に知恵を授けてしまった。

 だが次にレシーバーから聞こえてきた声は、無頓着なものだった。

 

《ああ。今から楽しみだな》

 

 事もなさげにそう言ってのける彼女に、トラビは破顔大笑した。そして笑いつつも、進路上で蠢く戦車群……大洗・千種連合の本隊を見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらたい焼きチーム! アヒルさんチーム、怪我人はいませんか!?」

《大丈夫です!》

《ごめんなさい、してやられました!》

 

 安否確認の後、以呂波は指揮下の車両に後退を命じた。煙幕を展張し、敵のE-100、IV号J型、そしてクーゲルブリッツ対空戦車から距離を取る。一発の150mm徹甲弾がすぐ近くに着弾し、衝撃が車体を揺さぶった。しかし辛うじて退避に成功、残されたのは凶弾に斃れた八九式中戦車だけだった。

 

 完全に当てが外れた。E-100を急斜面の下までおびき出し、突撃砲の伏撃でE-100の砲塔を横へ向けさせる。ここまでは上手くいった。後は八九式中戦車が急斜面を下って、E-100の車体上に乗り、マウス相手にやったように砲塔を回せなくする。その隙に集中砲火を浴びせて砲身を破壊し無力化、そしてタシュが密着状態まで肉薄し、比較的装甲の薄い側面へ、超至近距離から高速徹甲弾を撃ち込んで撃破する……そういう計画だった。

 だがドナウ高校は隠し球を用意していた。まさか対空戦車で八九式を迎え撃ってくるとは、以呂波でも予想外のことである。斜面の上には九五式装甲軌道車ソキも控えており、八九式が失敗した際はソキが変わりを務める手はずだった。しかし同じように斜面を駆け下りて車体に乗ろうとしても、あの機関砲の餌食になるだけだ。

 

《クーゲルブリッツはIV号戦車の車体を改設計し、Uボート用の高射機関砲塔を搭載した車両だ》

 

 丸瀬の解説に耳を傾ける。戦車知識の豊富な以呂波も、戦車道で出くわす可能性の低い対空車両についてはよく知らない。航空学科で戦闘機好きな丸瀬の方が詳しかった。

 

《砲塔は旋回を司る外殻と、俯仰を司る揺動砲塔に別れていて、俯仰角はマイナス五からプラス八十。武装は30mm連装高射機関砲……元は『空飛ぶ缶切り』ことHs129に搭載されていた、MK103だ》

「Hs129……攻撃機ですか?」

《ああ、対戦車攻撃専門の双発機だ。狙われた戦車はまるで、缶の蓋が開くように砲塔が吹き飛んだという》

 

 戦車にとって上面は最も装甲の薄い箇所であり、そこを簡単に狙える航空機は戦車の天敵だ。八九式中戦車の正面装甲は連合国中戦車の上面と大して変わらず、30mmという大口径機関砲に耐えられるはずもなかった。

 

《だから勿論、徹甲弾も撃てる。発射速度は資料によって違っていたが、毎分数百発というペースだろう。戦車相手ならいくらかデチューンしているかもしれない。携行弾数は千二百発、ベルト給弾でリロード不要だ》

「威力は?」

《確か、前身のMK101は距離三百で75mmの装甲を抜けたと聞く。103はその改良型で、初速も上がっているはずだから……》

「近距離で食らえば、普通の中戦車クラスでも危ない……と」

 

 対応が早かったことを考えると、相手はみほや以呂波がE-100に八九式をぶつけてくると読んでいたのかもしれない。クーゲルブリッツはドナウ高校の車両だろうが、偽装は恐らく千鶴の入れ知恵だ。姉がこのような手口をよく使うことを以呂波は知っていたし、自分も教わった。トーマシールドとダミー砲身までつけてしまえば、よほど近くで見なくては正体も分からない。

 アヒルさんチームを守れなかった丸瀬は、声に悔しさを滲ませていた。

 

《去年の準決勝でやっていた、戦車版プガチョフ・コブラを直に見たかったのだが……》

「あれは意図的にやったわけではないと思いますが……」

 

 ツッコミを入れながら、以呂波は敵方の発想に舌を巻いた。強襲戦車競技(タンカスロン)の経験がある彼女は、相手が軽装甲なら通常の戦車砲より、機関砲や半自動対戦車ライフルの方が有利な場合もあると知っていた。だがまさか、対空戦車までを使って八九式を排除しようとするとは思わなかったのである。その効果は抜群で、磯部典子の反射神経と見切り、そして河西忍の操縦技術を以ってしても、毎分数百発という機関砲弾の雨は避けきれなかった。

 

 そのとき、晴が以呂波を見上げて叫んだ。

 

「西住隊から連絡! 敵戦車と交戦開始だとさ!」

 

 猶予はなくなってきた。何としてもここでE-100を倒さねばならない。あの巨大と重量では行動範囲は限られているし、逃げるのは容易い。しかしこのエリアに陣取られていては市街戦で大きな障害となる。大洗紛争で大学選抜チームが行ったように、相手が超重戦車を盾にして押さえ込んでくれば勝ち目は薄くなる。それに大洗から借りたアヒルさんチームを失い、一矢も報いず退却しては士気に関わる。

 

 以呂波の頭に、ある考えが浮かんだ。先ほど丸瀬との会話で思い出した、全戦車共通の弱点である。

 

「E-100の上面装甲の厚さは……」

「40mmよ」

 

 操縦桿を操作しながら、結衣が答えた。勉強熱心なだけあって、敵戦車のデータについても予習は怠らない。それだけでなく、察しのよい結衣は以呂波の考えを察していた。

 

「三木先輩にやってもらう?」

「……うん」

 

 友人が同じことを考えてくれたおかげで、以呂波は不安を拭いされた。前述の通り、九五式装甲軌道車ソキは銃眼の武装を換装している。十一年式機関銃から、三八式騎銃にだ。

 以呂波は覚悟を決め、ソキに乗る三木、そしてT-35の北森に指示を飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、草原では砲撃戦が展開されていた。西住みほ率いる本隊を襲撃したのはIV号突撃砲四両と、KW-1改。III突同様に低いシルエットのIV突はコントラストの弱いジャーマングレーに塗られ、稜線の陰から顔を出しては砲撃を浴びせる。重装甲のKW-1改がその盾となる陣形だった。

 

 西住隊も負けてはおらず、連携を密に迎撃を行う。西住みほは砲弾の飛び交う中、キューポラから身を乗り出して指揮を執っていた。しかし五式砲戦車による狙撃があるため、行動範囲は限られてしまう。それでも千種学園から借り受けたトルディとマレシャルを使い、敵の位置を割り出しながら応戦した。

 

「一ノ瀬隊、ピンチみたいだよ!」

「まさかクーゲルブリッツを出してくるなんて!」

 

 優花里の声には驚愕と同時に感嘆がこもっていた。彼女の戦車愛は敵車両にまで注がれるようだ。

 仲間たちの言葉を聞きながら、みほは冷静に敵を観察していた。ドナウの戦車群は常に稜線を盾として行動し、攻撃を仕掛けては離脱を繰り返している。接近戦におけるあんこうチームの手強さを考慮しての戦法だろう。

 

「一ノ瀬さんたちがE-100を倒すまで持久し、できる限り敵戦力を削りましょう! 『もくもく作戦』、用意!」

 

 

 

 IV号を初めとした大洗の戦車から、煙が立ち上った。後部に装備した煙幕発生装置を利用し、遠距離狙撃を防ぎつつ敵を迎え撃つ。

 少し離れた場所から、二両の軽戦車がその様子を見守っていた。片方は円筒型砲塔に37mmを搭載した、決号の二式軽戦車ケト。

 もう片方は半円形の砲塔防盾を持ち、そこから長短二本の銃身が突き出ている。ドナウ高校の“戦車道界最速のガラクタ”、I号戦車C型……今回のフラッグ車だった。I号といっても訓練用のA型、B型とは別設計で、特に上部支持転輪の無い足回りに顕著な差がある。武装はドイツ戦車によく搭載されているMG34汎用機関銃と、この車両特有のEW141対戦車ライフルだ。7.92mmという小口径ながら、三百メートル先から30mmの装甲を貫通できる。

 

「さーて、黒駒さん。出番っぽいですよー」

 

 小さな砲塔から顔を出し、ドナウ高校の生徒が笑った。笑った、と言っても黒い目出し帽(バラクラバ)を被り、ゴーグルまでしているせいで表情は分からない。代わりに目出し帽に描かれた髑髏が笑っていた。掲げた手には手袋をはめているが、それにも骨のペイントが施されている。声は可憐なソプラノだが、その出で立ちは可憐とは言い難い。

 

「ヘマすんじゃねェぞ、シェーデル」

 

 ケト車の砲塔に腰掛けていた亀子は、短く言って車内に戻った。腰に提げた水筒の蓋を開け、座席に置いてあった手ぬぐいに中身を注ぐ。水を十分に含んだそれを顔に巻き、鼻と口を隠した。次いで、味方に連絡を入れる。

 

「こちら黒駒車! 突入すんぞ!」

《シェーデル、行っきまーす!》

 

 操縦手がレバーを前に倒し、ケト車は軽快に走り出した。元々最高で50km/hを出すことができ、日本戦車としては高速である。亀子の乗車は足回りもチューンナップされているため、起伏の多い地形でもある程度の高速走行に耐えられた。稜線を超える際には7.2tの車体が小さくジャンプし、風を切って疾走する。

 だが後ろを見やると、I号C型の姿がない。どうしたのかと思っていると、トロトロと稜線を越えてきた。妙に遅く、亀子とどんどん差が開いていく。

 

「おい、何やってんだ最速戦車!?」

《出力が上っがらなーい!》

「はあ!?」

《たまにあるんだよねー、チューンナップの代償かなー?》

 

 ノロい割にハイテンションな車長の声。おいおいと亀子は呟いた。フラッグ車があのようにたらたらと走っていて、敵に見つかったら良い的だ。

 どうするのかと見ていると、目出し帽の車長……シェーデルはスパナを手にし、砲塔からぐっと身を乗り出した。車体後部、つまりエンジンに向けて工具を掲げ、勢い良く振り下ろす。

 

《ほらほら! 頑張れ頑張れ、元気出せー!》

 

 数回繰り替えしたとき、急にI号C型のエンジンが唸った。その瞬間履帯が見違えるほどの高速で回転した。パンパンと妙な音を立てながら、土煙を巻き上げて驀進する。開いた差があっという間に縮み、ケト車と並んだ。

 やかましい音を立てる戦車の上で、シェーデルが亀子にガッツポーズを送る。無線機に奇声と言ってよい叫びが聞こえた。ジャーマングレーのI号は飛ぶように……時折、地形の段差で本当にジャンプしながら、煙幕を張る敵集団目掛けて突っ込んでいった。

 

「……変な戦車」

 

 呆れつつも、亀子は操縦手に方向を指示する。目指すは大洗勢の、煙幕の只中だった。




お読みいただきありがとうございます。
ちと風邪気味ですが、仕事がまだ休みがあるのが救いですね(明日早出ですが)。
とはいえこれから忙しくなっていくので、話の進みが少しずつになるのはご勘弁を願います。
劇場版を見て以来、二次創作でちょっとくらい無茶な戦闘シーンを書いても問題ないという結論に達したので、劇場版並の迫力……は無理だと思いますが、精一杯面白いものを書けるようにしたいです。

ついでに没ネタの供養を。
番外編で「与太郎戦車隊」というのを書こうと思っていたんです。
高校一年生男子が、風邪をひいた姉の代わりに女装して戦車道の試合に出る羽目になった……という話で、最後に高遠晴が作った落語だったということが明かされるオチでした。
しかし話を考えてみると私のボキャブラリーではなかなか面白いサゲが思いつかず、投稿してもウケないだろうと思ったこと、そして「女装した男」を女落語家が演じるのは無理じゃないかという落語的な問題もあって廃案に。
まあその中で使う予定だったギャグはどこかで使いたいです。


では、今後も楽しみにしていただけると幸いです。
ご感想・ご批評などございましたら、よろしくお願いいたします。


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抜刀です!

「敵フラッグ車、四時方向から接近! 凄い速さです!」

 

 M3リーの砲塔から澤梓が報告した。煙幕で狙撃から逃れているところへ、フラッグを立てた軽戦車が猛烈な速度で突入してくる。マイバッハHL61エンジンが唸りをあげ、西住隊の手前で横へ旋回。隊列の脇を掠めるように駆け抜けていった。

 

「撃っちゃう!?」

「待って! 今はダメ!」

 

 澤は副砲砲手の大野あやを押し留めた。的確な判断と言えるだろう。すでに場数を踏んでいる乗員たちだが、戦闘の高揚感の中でフラッグ車を見つければ衝動的に攻撃したくなる。だが下手に発砲炎を光らせては煙幕を張っている意味がなくなり、五式砲戦車ホリの餌食になりかねない。

 それに命中させられるかが問題だった。I号戦車C型はクレトラック式と呼ばれる操向装置を採用している。装軌車両は旋回方向の履帯にブレーキをかけて曲がるが、クレトラック式はそれだけでなく反対側の履帯を加速させることにより、より素早い旋回が可能なのだ。それが通常の戦車とは桁違いの高速で、蛇行しながら走り抜けていく。どの砲手もこれに命中させられるという確たる自信はなかった。五十鈴華でさえもだ。

 

 I号C型からは攻撃はない。二人乗りであるが故、車長はハッチから顔を出して偵察と指揮に集中しているのだ。骸骨の描かれた目出し帽にゴーグルという、顔の見えない相手に澤も不気味さを感じた。それを意図してのスタイルでもあるのだろう。

 

 M3も、その前にいるポルシェティーガーも、砲塔を指向したまま発砲しない。だが澤は煙幕の中から、新たな軽戦車が姿を現わすのを見た。トルディかと思ったが、それとは異なる円筒型砲塔だった。煙の切れ間から、そこに描かれた菊水のマーク……決号の校章が確認できた。

 

「敵……!」

 

 こちらの煙幕に紛れて接近してきた二式軽戦車は、その快速を以ってポルシェティーガーへ肉薄した。しかし撃つわけではない。代わりに、顔に煙除けの布を巻いた車長が何かを放り投げ、再び煙の中へ去っていく。

 放られた筒はポルシェティーガーの車体上面に落ち、明るい火花を吹き出す。ただの花火のようだ。しかし澤は二回戦で、隊長たちが機銃の曳光弾を頼りに砲撃したことを覚えていた。

 

「レオポンさん、気をつけて! 狙われてます!」

 

 忠告を受けたレオポンことポルシェティーガーは回避運動を取った。それはギリギリで間に合ったとも、間に合わなかったとも言える。

 次の瞬間、重い衝撃音が響き、破片が大気中に散らばった。ポルシェティーガーの左の履帯が打ち砕かれ、外れた転輪がごろりと転がる。

 

 105mm砲による狙撃。ジャーマングレーの巨体が、行き脚を止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘区域からいくらか離れた場所に控える決号隊は、前衛から送られてくる情報に耳を傾けていた。五式中戦車に乗る千鶴の耳に、次々と部下の声が聞こえてくる。

 

《黒駒の、今のは当たったかい?》

 

 ホリ車車長・清水が問いかける。すぐに亀子から返事があった。

 

《撃破判定はでちゃいねェ。だが履帯は破壊した!》

「上出来だ!」

 

 短い言葉で、千鶴は部下たちを労った。大洗が煙幕を使ってくることは想定済み。ドナウの本隊とフラッグ車で敵の注意を引き、亀子が敵の煙幕に紛れて接近、花火を投げつけて狙撃の目安とする。決号隊員の練度は高く、煙幕の中でも光る物があれば、それを目標に遠距離から命中させることが可能だった。

 

 本来は脅威度の高いポルシェティーガーをこの一撃で撃破する予定だったが、履帯を壊しただけならそれはそれで好都合。撃破された車両は置き捨てるしかないが、動けなくなっただけのポルシェティーガーを見捨てることはできまい。敵本隊を足止めすることができる。

 

「トラビ、こっちも今から向かう。以呂波がE-100にかかってるうちに、敵フラッグの護衛を減らすぞ」

《はいな! とりあえずM3とヘッツァー辺りを優先しよか》

「そうだな」

 

 千鶴はトラビの正しさを認めた。ヘッツァーは小柄なので、市街戦になった際厄介だ。昨年度大活躍した乗員たちは卒業したはずだが、油断はできない。

 

 そして大洗副隊長車のM3リーだが、西住みほの乗るIV号を除けば、ポルシェティーガー、八九式に次いで厄介な相手だと千鶴は考えていた。戦車自体は大したことなく、乗員も優秀ではあれど凄腕というわけではない。千鶴とトラビが警戒しているのは彼女たちの『トラブルメーカーの才能』だった。昨年の大洗紛争にてそれが発揮されなければ、大洗蜂起軍に勝利はなかっただろう。

 

「ま、今回はパンジャンドラムになる物はなさそうだけどよ」

《はは、せやね。ほな早く来てや。E-100、多分長く保たんやろうから》

「分かってる」

 

 トラビとの通信は終わった。彼女も千鶴も、超重戦車などという物がまともに運用できるとは思っていない。E-100はカタログ上は最高速度40km/hとなっているが、実際には足回りが保たないだろう。無理をさせなくても、故障なしで戦闘できる時間は短いと指揮官たちは踏んでいた。以呂波らが西住隊に合流するより早く、大洗の戦車を一両でも減らさねばならない。

 砲塔バスケットの中から外へ出て、千鶴は砲塔に腰掛けた。そのまま仲間たちに命令を下す。

 

「決号隊、前進。敵本隊を襲撃する!」

 

 号令に従い、各車のエンジンが唸りを上げた。五式、四式の無骨な中戦車が前進する。合計五両。その後ろから、固定戦闘室に75mm砲を搭載した三式砲戦車ホニIIが二両、回転砲塔を持つ二式砲戦車ホイ一両が続く。いずれも実戦の機会を迎えることのなかった戦車だ。今は少女たちの手により、武道の場で戦う。

 

 

 

ーー我は官軍 我が敵は 天地容れざる朝敵ぞーー

 

 

 

 進軍しながら、隊員の誰かが口ずさんだ。『抜刀隊』……自衛隊や警視庁でも演奏される、日本最初期の軍歌だ。明治維新、そして発達した銃器によって立場を奪われた、侍たちの魂の叫びでもある。

 

 

 

ーー敵の大将たる者は 古今無双の英雄でーー

 

 

ーー此れに従う兵は 共に剽悍決死の士ーー

 

 

 

 次第に歌声が増え、いつしか合唱となっていった。それを耳にしながら、千鶴は揺れ動く戦車の上にすっと立った。全身で風を受け、進行方向を睨む。結った黒髪が風に靡き、その姿は荒々しさがあれど美少女と言って差し支えない。ただ足場にしている五式中戦車の、随所にウェザリングを施した無骨な風体が、その美少女に異様なほど似合っていた。

 

 

ーー鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ叛逆をーー

 

 

ーー起こせし者は昔より 榮し(ためし)あらざるぞーー

 

 

 五式中戦車チリはドイツのティーガーIに匹敵する巨体だ。だが装甲は最大で75mmと、日本戦車としては厚い方だが、ドイツ重戦車には及ばない。半自動装填装置や副砲の搭載によって大型化した車体は的になりやすく、見た目も洗練されているとは言い難い。車体左部に搭載された37mm副砲も今一つ存在意義がはっきりせず、無駄の多い戦車と言って良いだろう。

 だが千鶴は敢えて、それを乗車とする。そんなチリ車こそ決号の、はみ出し者たちの象徴に相応しいと信じるからだ。そして、自分にも。

 

 

 

ーー敵の滅ぶる夫迄(それまで)は 進めや進め諸共にーー

 

 

 

 仲間たちの声に合わせて、声高らかに千鶴も歌う。決号工業高校の雄叫びだった。

 

 

 

 

ーー玉散る劔 抜き連れて 死ぬる覚悟で進むべし!ーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 九五式装甲軌道車ソキは荒れ地を駆け抜け、隘路の出口付近へ辿り着いた。そこにはT-35多砲塔が異形の姿を晒して鎮座し、工作作業に当たる乗員たちを見守っていた。北森らが装甲板に乗せてきた土嚢を降ろし、それを階段状に積み、スコップで土をかけて何かを作っていた。幅は丁度、ソキの車幅と同じくらいだ。ソキはその側へ停車し、操縦手がハッチを開けた。

 

 三木はソキの砲塔内で呼吸を整えながら、銃眼に据え付けられた武装……三八式騎銃に手を添えた。その名の通り、三八式歩兵銃を短縮した騎兵銃(カービン)タイプである。その利便性から騎兵部隊のみならず、多くの兵科で好まれた。しかし6.5mmの小銃弾は戦車道で全くと言って良いほど役に立たず、機関銃と違い威嚇効果も薄い。

 

「取り付けてきて」

「了解!」

 

 操縦手は傍にあった筒状の器具を手に、席を立った。一方の三木は銃の槓桿(ボルトハンドル)を握って回転させ、手前に引く。軽快な音を立て、開かれた薬室から未発砲の実包が排出された。それを五回繰り返し、弾倉の弾を全て出してしまう。

 代わりにポケットから、装弾クリップに挟まれた五発の銃弾を取り出す。今しがた排出した弾とは異なる種類……木製の弾頭を持つその弾を、丁寧に銃へと押し込めた。




お読みいただきありがとうございます。
二話一気に書こうと思ったのですがちょっと力尽きまして。
今回もあまり話が進んでませんがご容赦ください。

『抜刀隊』、知波単のテーマソングとして使われるのではと期待していたのですが、劇場版を見たら違っていました。
考えてみれば鹿児島の方からは喜ばれない曲だし、序盤の知波単のズッコケぶりと『雪の進軍』は笑っちゃうくらい似合っていましたが、やっぱり日本戦車が『抜刀隊』と共に進軍するシーンを見たかったので、自分の小説でやってみました。
とはいえ私の文章では、原作のプラウダのような迫力は毛ほども出ないでしょうが。
読者の方で『抜刀隊』が不快に思われる方がいらしたら、申し訳ありません。

次回もお付き合いいただけると幸いです。


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執念の銛です!

小銃擲弾(ライフルグレネード)?」

「ああ。二式擲弾器というやつだ」

 

 角谷杏の問いに、守保はモニターを見つめたまま答える。空撮映像には九五式装甲軌道車ソキ、そしてT-35が映っていた。歩哨と工兵の役割を主に担う農業学科チームが土嚢を積み上げ、土を被せてソキの車幅分の傾斜をこしらえたのだ。その上にゆっくりとソキが乗り上げ、車体と砲塔を斜め上に向ける。銃眼から突き出た三八式騎銃の先端に、カップ型の擲弾発射器が取り付けられていた。

 

「三八式歩兵銃や九九式小銃に装着し、空砲か木弾で対戦車擲弾を発射する。40mm弾なら、まともに命中させれば50mm程度の装甲は貫けるはずだ」

 

 旧日本軍ではドイツから成形炸薬弾の技術提供を受け、既存の火器から発射できる物が多数考案されていた。高初速の対戦車砲の開発が遅れていた日本軍にとって、短砲身砲でも一定の貫通力が見込める成形炸薬弾は好都合だったのだ。『タテ器』とも呼ばれる二式擲弾器もその一つで、限定的ながらも小銃に対戦車能力を付与することができる。

 ソキは『現場で有り合わせの武器を搭載する』ことを前提とした車両、つまり歩兵用の対戦車兵器を搭載してもルール上問題ない。気休め程度でも対戦車火力があれば戦術の幅が広がるし、乗員の心理面でも心強いだろう。だが注文に応じて本体と擲弾を入手・販売した守保も、それが対E-100のために使われるとは思わなかった。本人たちも同じだろうが。

 

「しかし、やっぱり姉妹だな」

 

 守保は苦笑した。あのように地面に傾斜を作り、戦車の仰角を稼ぐテクニックは千鶴も使ったことがある。アガニョーク学院高校との夜間練習試合で、砲戦車に仰角を取らせ、照明弾を打ち上げさせたのだ。もっとも戦時中のイギリス軍も、ビショップ自走砲の仰角を稼ぐため同じことをしたというから、一ノ瀬姉妹のオリジナルというわけではないが。

 だが果たして、これで以呂波は白鯨を倒せるのか。戦車撃破にかける執念が通用するのか。守保はじっと、モニターを見守った。

 

 

 

 現場の方ではT-35の乗員たちが工作を終えていた。ソキの前には迷彩柄の幕が張られ、以呂波直伝の偽装が施されている。だが敵が来れば見破られるのも時間の問題だろう。

 

頭領(ヘーチマン)、敵が来ます! 早く行きましょう!」

 

 後輩に呼びかけられ、北森は迫ってくるエンジン音の方へ目を向けた。だがすぐに、T-35の前方副砲によじ登る仲間を呼び止める。副砲砲手と副車長を兼任する乗員だ。

 

「あたしの代わりに車長席に座って、退避しろ。あたしがここに残って着弾観測と発射指示をやれば、一ノ瀬たちの負担が減る」

「姉さん……!」

 

 危険だ、と言おうとしたのだろう。だが北森の目を見て、その言葉は飲み込まれた。彼女たちT-35の乗員は皆、旧UPA農業高校の生徒。統合前から北森の性格をよく知っているのだ。

 心配するなと、北森は笑顔を浮かべる。女コサックの頭領は覚悟を決めていた。これも妹たちのためだ、と。

 

「危険は承知だ、そこは上手くやるさ。あたしが戻るまでT-35を頼むぜ」

「……分かりました、姉さん」

 

 副車長は敬礼をして、副砲塔から中央の主砲塔へ乗り移った。T-35の主砲塔には千種学園の校章が、副砲塔には前身四校の校章が描かれている。千種学園戦車隊の意思を象徴した塗装で、一種のプロパガンダと言えるだろう。UPA農業高校の出身者、及びその派閥は男女共に団結が強く、先輩を「姉」「兄」、後輩を「妹」「弟」と呼んでいる。だが北森にとっては最早、派閥に関わらず千種学園の仲間全て自分の妹であり、弟であった。無論、以呂波も。

 

 九人の仲間たちを乗せ、T-35はエンジンを始動する。鉄道部員によるチューンナップ、そして乗員たちの溺愛とも言える入念な整備によって、巨体の割に軽快に走り出した。自分たちの家ともいえる愛車を見送り、北森は足元の土を一握り拾った。それを宙で離すと、真下へパラパラと落ちていく。風はない。

 二式擲弾器にはすでに円筒型の対戦車擲弾が装填されており、いつでも撃てる状態だった。エンジン音、そして砲声がどんどん迫ってくる。

 

「さあ、来るぜ! 観測と発射タイミングは任せな!」

「はい!」

 

 三木は三八式騎銃のトリガーに手をかける。北森もソキから距離を取りつつ、双眼鏡を覗いた。

 

 

 

 そして以呂波たち前衛部隊は散発的に砲撃を続けながら、じりじりと後退していた。特に『オカピさんチーム』ことSU-76iは林の中から盛んに砲撃していた。より高威力なIII突、ズリーニィIの砲弾を節約するためである。E-100を狙っても弾かれるばかりで、護衛のIV号とクーゲルブリッツも林の中からでは当てづらかった。

 しかし以呂波が訓示したように、外れた砲弾も無駄になるとは限らないのだ。命中率が低くても、自分を狙ってくる敵がいると分かれば放ってはおけない。決号のホリ車がやっているように、「お前を狙っているぞ」と教えてやるのも狙撃手の役目だ。

 

 E-100とIV号J型は林の中へ砲塔を向け、発砲炎を目安に探射を続ける。クーゲルブリッツは揺動砲塔を上へ向けて、高台の上を警戒していた。E-100の狙いやすい弱点は上面であると、矢車マリはしっかり心得ていた。

 

「発射!」

 

 去石の号令で、砲手が発射ペダルを踏み込む。轟音と共に放たれた砲弾はE-100の側面、丸みを帯びた装甲スカートに弾かれた。SU-76iすぐさま後退する。しかしここで経験不足故のミスが出た。鈍い音と共に車体が前のめりに傾き、停止してしまったのだ。

 

「あ、あれ……!?」

「動かない!?」

 

 操縦手は懸命に操作するも、履帯は空転して地面を抉るばかり。背後に岩が突き出ていたことに気づかず、その上に車体が乗り上げ、引っかかってしまったのである。

 E-100はすでに、彼女たち砲を向けていた。刹那、大気を揺さぶる砲声。放たれたのは榴弾だった。150mmの大口径砲、炸薬量も多い。それが去石らの手前に着弾した。

 

「きゃああっ!?」

 

 凄まじい爆発。その瞬間、去石は体が浮き上がるような感覚を覚える。重量22.5tの車体が爆発の衝撃で持ち上がり、履帯が片方千切れ飛ぶ。そのまま重い音を立て、木々の合間で仰向けに転覆した。

 底面から白旗が揚がる。

 

《有効! 千種学園・SU-76i、走行不能!》

 

 

 

 

 

 

「オカピさんチーム、怪我人はいないかい!?」

 

 アナウンスを聞いた直後、タシュ重戦車では通信手の晴が安否確認を行った。普段飄々とした彼女も今は真剣そのものの表情を浮かべている。

 

《だ、大丈夫ですぅ……》

 

 少し間をおいて返事が返ってきた。続けて北森から通信が入る。

 

《こちら北森! 敵が見えた! あたしが観測をやる!》

「了解、お願いします!」

 

 返答しつつ、以呂波は義足で体を支えてキューポラから顔を出した。彼女の乗るタシュも林の中から散発的に砲撃し、身を隠していた。だがここで無駄弾を撃ちすぎるわけにはいかない。いざとなれば敵の前に姿を晒してでも注意を引き、ソキが発見されるのを防ぐ必要がある。さすがに着弾観測まで行うのは負担が大きい。

 そうしている間に、E-100は擲弾の射程に入った。

 

撃て(ヴォホーニ)!》

 

 北森がウクライナ語で号令した直後、偽装幕の裏で三木が撃った。ソキの銃丸から突き出た擲弾器から、40mm対戦車弾が打ち出される。曲線を描いて飛翔する小さな物体を以呂波も視認した。擲弾が宙へ舞い上がり、落下していく。

 だがそれはE-100の巨体の左側面、十メートルほど離れた地面へ落下した。地面へ着いた瞬間に信管が作動し、爆発。土埃が舞い上がり、メタルジェットが地面を抉った。

 

 無線で北森が修正角を指示し、ソキは乗員がハッチから身を出して次の擲弾を装填する。二式擲弾器が届いてから猛特訓をしていたが、やはり曲射弾道で初弾命中は困難だ。直後にE-100が撃った。

砲声の直後に激しい炸裂音。また榴弾だ。爆風で木が薙ぎ倒され、着弾地点から離れていたタシュにも衝撃が伝わる。III突の伏せていた辺りに打ち込まれたようだ。

 

《こちらカバチーム! まだ生きてるが、履帯と転輪をやられた!》

 

 エルヴィンの報告を聞き、以呂波は決心した。自分たちが時間を稼ぐしかない。

 

「結衣さん、前進! 敵の前へ!」

「了解!」

 

 結衣が操縦桿を前に倒し、44Mタシュは前進した。履帯が土煙を立て、敵もそれを視認する。以呂波は美佐子に、右手で人差し指と小指を立てたサインを出した。アルファベットの「H」を象ったもので、榴弾(HE)を装填せよとの意味である。美佐子が先端の白い榴弾を砲尾へはめ、握り拳で押し込む。閉鎖器が快音と共に閉まった。

 

「敵の護衛の、前辺りを狙って」

 

 爆風と土埃での目くらましを狙った攻撃である。澪は白鯨へ銛を打ち込む役割こそ三木に譲ったが、この鯨狩りにかける思いは変わっていない。照準器を覗いている間、彼女は比類なき勇気を持つ。大洗との合同訓練で五十鈴華の技術を間近で見て、彼女もまた砲手として何かを掴みかけていた。

 澪が撃つと砲尾が後退し、空薬莢が吐き出される。榴弾は狙い通り、IV号、そしてクーゲルブリッツの前で土煙を上げた。だがその中から、機関砲が短連射で放たれた。

 

「後退!」

 

 結衣がギアをバックに入れ、戦車を後進させる。周囲の地面に30mm機関砲弾が打ち込まれ、土が舞い上がる。クーゲルブリッツは頭上の警戒を中断し、以呂波らの方へ牙を剥いたようだ。中・重戦車相手でも履帯を切るには十分な威力だ。

 

 再び北森の号令が聞こえ、擲弾が飛来する。だが惜しくもE-100の砲塔の角を掠め、弾かれて地面に落ちた。

 そのとき、クーゲルブリッツの球形砲塔から車長が顔を出した。バンダナを巻いたその姿を見て、以呂波は矢車マリだと気付く。彼女はE-100の前方……ソキの方を注視して、何かを叫んでいた。

 

「三木先輩、気づかれています! 急いで!」

 

 以呂波が叫んでいる間に、E-100がゆっくりと、正面へ砲塔を指向する。ズリーニィが側面へ徹甲弾を打ち込むも、意に介さない。狙いをつけながらも、巨体を支える幅広の履帯が前進していく。このままでは最短射程の内側に入られてしまい、上面を狙うことが不可能となる。

 

「……いろは、ちゃん」

 

 照準器を覗いたまま、澪が静かに言った。以呂波、そして美佐子も彼女に視線を向ける。

 

「……徹甲弾を」

 

 その声はいつものようにどもりがちだが、迷いがなく、透き通っていた。顔が見えなくても、以呂波には彼女がやろうとしていることが分かった。付き合いの長い美佐子も同様で、すでに徹甲弾を手にし、以呂波の指示を待っていた。

 

「装填して。澪さん、発砲のタイミングは任せる」

 

 隻脚の車長は静かに命じた。美佐子が75mm砲弾を押し込んだ。澪は砲塔を回す。昔の戦車の砲塔は操作を止めても、惰性でいくらか旋回してしまう。狙う位置で回転を止めるのには職人芸が要求された。だが澪はやり直すことなく、ピタリと砲を止めた。

 IV号J型がタシュを狙おうとするも、そこへズリーニィが徹甲弾を打ち込んだ。金網のトーマシールドがひしゃげて風穴が空き、側面装甲に弾が突き刺さる。IV号はそれきり沈黙し、白旗判定が出た。

 

 E-100の砲塔も止まった。ソキへ榴弾を打ち込む準備が整ったのだろう。だがそのとき、澪も発射ペダルに足をかけていた。

 

「……ダグー、タシュテーゴ、クィークェグ……」

 

 落ち着いた口調で唱えたかと思うと、彼女は白鯨目掛けて撃った。75mm戦車砲kwk42が吼え、砲口からオレンジ色の発砲炎が広がる。

 

 途端に、その場にいる誰もが、そればかりがモニター越しに見ていた観客たちまでもが驚愕した。

 太い棒が宙を舞う。崖に叩きつけられ、重力に従い落下。ずしりと音を響かせ、地面に落ちた。

 

 E-100の砲塔ハッチが開き、車長が顔を出す。何が起きたのか、という表情だ。そして彼女は見た。徹甲弾で中程から真っ二つに折れた、150mm砲の無残な姿を。

 

「敵主砲、破壊!」

「やった! 澪ちゃん、やったよ!」

 

 美佐子がはしゃぐ。しかし澪はまだ照準器から目を離さない。

 

「美佐子さん、まだだよ!」

 

 以呂波も、まだ終わっていないと分かっていた。E-100の車長はすぐさま砲塔内に戻り、ハッチを閉める。砲身が破壊されても撃破判定は出ていない。ましてやこの超重戦車は全ての牙を失ったわけではなかった。

 マウス同様、E-100も主砲の隣に75mm副砲を備えているのだ。今車長が指示を出し、副砲の装填を指示していることだろう。

 

 だが150mm砲を破壊しただけで、十分な時間を稼げていた。

 

 

撃て(ヴォホーニ)!》

 

 

 三木が三八式騎銃のトリガーを引いた。撃針が薬莢底部を叩き、撃発。放たれた木弾が擲弾の底部に当たり、圧力を以って宙へ押し出す。

 旋条(ライフリング)で回転のかかった擲弾は上昇し、カーブを描いて落下していく。ゆっくりと降下し、超重戦車の急所……砲塔の上面装甲で、成形炸薬弾が爆ぜた。

 

 その小さな爆発音を境に、急に辺りが静かになったような気がした。砲撃戦の最中、以呂波の脳内には何らかの音楽のような物が流れていたが、急にミュートがかかったような静寂を感じたのだ。

 E-100の純白に塗られた装甲は度重なる砲撃戦で煤や土埃を浴び、大半が黒ずんでいた。だが以呂波が義足でしっかりと体を支えて見ているうちに、その砲塔から紛れもない純白の旗が揚がった。

 

 

《ドナウ高校・E-100、走行不能!》

 

 

 




本当はここまで、前回一気に更新したかったです。
お読みいただきありがとうございます。
戦車が珍品なら装備品も珍品(というほどでもないか?)、二式擲弾器が奥の手でした。
有り合わせの武装を搭載する前提の戦車なら、銃眼から撃てるなら歩兵用の対戦車兵器を積んでもいいのではないか?
しかし九七式自動砲では砲塔に収まるか怪しい……などと考えた結果です。
あと劇場版を考えれば二次創作である程度の無茶なアクションをやっても大丈夫だろうというのも。
文章等に迫力が出せていれば良いのですが……。

E-100は倒しても、西住隊はまだ窮地に立たされており、これからも激戦が続きます。
ご感想・ご批評などありましたら、よろしくお願いいたします。


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窮地を脱します!

「倒し……た……!?」

 

 三木は惚けたような目で、ソキの砲塔から顔を出す。E-100超重戦車の白い巨体から、小さく煙が燻っていた。彼女の撃った小銃擲弾が当たった上面装甲である。それ以外はほとんど無傷で、せいぜい塗装が剥げている程度。しかし40mm成形炸薬弾のメタルジェットは確かに上面装甲を貫通しており、上がった白旗が風に靡いていた。

 銃眼に据えられた三八式を握る手が、小刻みに震える。ニカワを塗ったかのように銃に張り付いていたその手をゆっくりと引き剥がし、三木はふーっと息を吐いた。

 双眼鏡を振り回しながら、北森が駆け寄ってきた。観測手を務めていた彼女も緊張から汗だくになり、それでも満面の笑みを浮かべていた。

 

「三木! 大手柄だ!」

「北森さん、やりました!」

 

 喜びを分かち合う二人。鉄道部チームとしては初の撃破戦果、それも大物だ。狂喜するのも当然と言えるだろう。

 だがエイハブ船長の声が聞こえた瞬間、戦いがまだ終わってないことを思い出した。

 

《本隊の援護に向かいます! 動ける車両は続いてください!》

 

 

 

 

 

 以呂波の命令を聞いて、突撃砲小隊で唯一無傷だったズリーニィは撤収の準備を始めた。クーゲルブリッツはE-100が撃破された瞬間、即座にハッチから発煙筒を放り出して逃げた。生かしておくと厄介な相手だが、今は追撃に手を割くことができない。八九式とSU-76iが撃破され、III号突撃砲は足をやられた。大坪のトゥラーンは訳あって敵の前に出せないため、タシュとズリーニィ、そしてソキで西住隊の救援に向かわねばならないのだ。

 

 丸瀬たちはてきぱきと偽装網を畳みながら、鉄道部の戦果を讃えていた。同じ白菊航空高校出身者であるため、彼女たちの喜びもひとしおだ。動かなくなったE-100の巨体を眺めつつ、作業の手を止めずに語り合う。

 

「緊張したわね。米軍の重爆撃機に挑んだ日本軍のパイロットも、こんな感じだったのかしら」

「私の親類にもB-17やB-29と戦った人がいるが、それよりは遥かにマシだ。超重戦車は雲霞の如く押し寄せてきたわけではないからな」

 

 砲手の言葉に正論を返しながら、丸瀬は丸めた偽装網を車体後部にくくりつけた。木の葉や枝を多数つけたネットで、一弾流においては常備品と言ってよい。

 

「B-29は間違いなく傑作機だったが、それでも乗員たちは日本軍の迎撃を恐れていた。航空機にしろ戦車にしろ、完璧な兵器など存在しないし、作れもしない。人間の作った物は必ず壊せる」

 

 乗り物に一家言ある丸瀬の結論は、E-100の存在を知った際の澪の言葉と同じだった。当然ながら、彼女が戦略爆撃機B-29を傑作機と評するのは純粋に航空機として見てのことである。人道的なことは別として、同機の搭載した排気タービンエンジンや与圧室、空調設備などはその後の航空技術の発達に大きく寄与した。これは異論を挟む余地もない事実なのだ。航空機自体を人道に対する罪に問うことはできないと、丸瀬は考えている。

 偽装網をしっかり固定し、乗員たちは車内へ戻る。エルヴィンが近くまで来ていた。軍帽のずれを直し、車上の丸瀬を見上げる。

 

「マルセイユ、我々もすぐに履帯を修理して追いつくからな」

「ええ。お待ちしております、将軍」

 

 互いに敬礼を交わした後、ズリーニィは発進した。暗緑色の迷彩で塗られたリベット留め車体が、長い砲身を揺らしながら走り出す。戦闘室の形状が車高の低さと相まって、亀が這っていくような姿に見えた。

 排気を避けて背を向けたエルヴィンは修理を行うべく、自分の車両へ駆け戻る。しかしどうしたことが他の乗員たち……カエサル、左衛門佐、おりょうの三名は工具を手にしたまま、破損箇所を見つめ立ち尽くすばかりだった。大口径榴弾の爆発で履帯が切れ、割れた転輪はすでに車体から取り外されている。だがそれ以上の修理をする様子はない。

 

「おい、どうした!?」

「力は山を抜き、気は世を覆う」

 

 カエサルが項垂れつつ唱えた。続けて他二名も同調する。

 

「時利あらずして騅逝かず」

「騅の逝かざるを奈何すべき……」

 

 彼女たちの中に中国史の専門家はいないが、国語の教科書に載っている程度の漢詩は知っている。楚漢戦争末期、追い詰められた項羽が作った歌だ。

 

「何があった?」

 

 問いかけると、カエサルは苦渋の表情で、地面に転がった転輪を指差した。分厚い鉄の円盤だが、真っ二つに割れている。エルヴィンがよく見てみると、それは車体後部に積んでいた予備の転輪だと気付いた。さらに、予備履帯にも亀裂が入っていた。

 

「降ろしたらこうなったぜよ。砲撃戦で損傷していたと見える……」

 

 おりょうも悔しそうに語る。戦車の内部はスペースが非常に限られているため、工具や予備のパーツは車外に剥き出して積んでおくことが多い。予備履帯などはときに増加装甲の代わりにもする。だがそれ故、戦闘中に備品が破損することも多々あるのだ。そして予備を大量に積んでいるわけではない。

 

 つまり修理不能。撃破判定こそ出ていないが、戦線復帰は不可能である。その事実にエルヴィンは目を見開き、悔しさに拳を握りしめた。

 愛馬が前へ進まないのであれば、どうしようもない。

 

「……虞や虞や、若を奈何せん……!」

 

 遠ざかっていく味方車両のエンジン音を聞きながら、仲間たちへの申し訳なさで震える四人。だがその後、彼女たちの耳に別の声が聞こえた。

 

「将軍さん! 将軍さーん!」

 

 エルヴィンがはっと振り向く。木々の合間に見えたのは転覆したオリーブ色の自走砲。そしてそこから這い出して手を振る、去石の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……決号・ドナウ連合はE-100撃破の報を聞き、攻撃の手を強めた。以呂波はすぐこちらへ駆けつけてくるだろうし、恐らくすぐにホリ車の狙撃地点に気づくはずだ。千鶴は妹の勘の良さをよく分かっていた。虹蛇女子学園のベジマイトほどではないが、一弾流をよく知る以呂波ならすぐ勘付くだろう。

 

 だが西住みほの率いる大洗女子学園チームはよく守っていた。履帯を破損したポルシェティーガーの周囲に煙幕を張りつつ、相互支援を行いながらドナウ高校の攻撃を凌いでいた。地の利を上手く活かし、稜線射撃を繰り返している。トルディとマレシャルに相手の側面を襲撃させ、撹乱も行っていた。

 

 しかし千鶴たち決号隊が逆方向から現れたとき、大洗のヘッツァーが被弾した。射線の方を見ると、トラビのKW-1が側面に回り込んでいた。良好な傾斜を持つとはいえ、長砲身75mmで側面を撃たれてはひとたまりもない。亀マークのヘッツァーに白旗が上がる。ドナウの戦術ではKW-1改が重装甲を以って陣頭に立つのが基本だが、今回は味方のIV突を囮として敵を引きつけ、単独で敵の側面を突いたようだ。

 

《ほい、一丁上がり!》

「さすがだな、トラビ」

 

 賞賛しつつ、千鶴は操縦手の左肩を蹴った。五式中戦車チリがぐっと旋回した途端、砲弾が地面を叩いた。着弾の衝撃音の直後、発射音が追うように聞こえてくる。マレシャルによる狙撃だ。

 

「全車、突撃に進め。柳川、発砲炎は見えたか?」

《視認しました! 煙幕弾、用意良し!》

 

 砲戦車隊の指揮官から答えが返ってくる。千鶴は即座に発砲を許可した。二式砲戦車ホイは砲塔を回し、固定戦闘室の三式砲戦車ホニIIIは車体ごと旋回して、今しがた撃ってきた方向へ砲を向ける。計三両の砲戦車から発煙弾が放たれ、敵との射線上に着弾。白い煙が立ちこめた。

 敵味方双方が煙幕を多用する中で、千鶴とトラビはしっかりとターゲットを見据えていた。車高の高さ故稜線射撃に向かないM3中戦車はポルシェティーガーの側面を守っている。それより千鶴側に近い位置に、アリクイマークの三式中戦車チヌがいた。相手は気付いたようで、駐退機が剥き出しになった75mm砲が千鶴を狙う。

 

「チヌ車がこちを狙っている。『後の先』を取るぞ」

 

 千鶴は砲弾の飛び交う中、敵の砲口を見定めた。それが黒点になった瞬間、急制動を命じる。操縦手がブレーキをかけた刹那、未来位置を狙って放たれた砲弾は空を切った。

 その直後、チリ車の半自動装填装置が作動する。現代の技術で問題点を除去されたこの機械はスムーズに動き、装填腕が徹甲弾を薬室へ押し込んだ。

 

「撃て!」

 

 号令に従い発砲。撃発の音と共に発砲炎が光り、徹甲弾が三式中戦車めがけて叩きつけられた。正面装甲を貫通され、車体がぐらりと揺れる。カウンターが決まった。

 

《大洗・三式中戦車、走行不能!》

「敵とはいえ、チヌを撃つのはいい気分じゃねぇな……」

 

 アナウンスを聞きながら小声でぼやく。三式中戦車の頭でっかちな砲塔から白旗が飛び出していた。

 

「西保車、M3を殺れ」

 

 千鶴は即座に次の指示を出す。M3中戦車は集団で来襲した決号に対処しかねていた。車体に固定された主砲は射角が狭く、旋回する副砲でも敵を捌ききれない。履帯を破壊されたポルシェティーガーから茶髪の車長が顔を出している。その少女……ツチヤは千鶴に気付き、砲手に何か指示しているが、問題にはならない。ポルシェティーガーの主砲は反対側を向いており、あの鈍重な砲塔を真後ろへ向けるには時間がかかるだろう。余裕で一両を撃破し、回避運動を取れるはずだ。

 

《了解、アネさん》

 

 命令を受けた四式中戦車チトの一両が、M3の側面を狙うべく砲を指向する。そのパーソナルマークである、凶悪な目つきのウサギを見ながら、千鶴は撃破を確信していた。

 

 だがそのとき、常に不測の事態を想定する彼女でさえ予想外な事態が起きた。履帯を破壊されて擱座した、ジャーマングレーの虎。その角ばった無骨な砲塔がありえないほどの、異常な速度で旋回を始めたのだ。

 気付いたときにはすでにほぼ真後ろを向き、M3を狙うチト車を射線に収めていた。

 

「西保、逃げろ!」

 

 その命令は遅かった。次の瞬間、ポルシェティーガーの88mmが火を噴いた。虎の咆哮は大気を震わせ、チト車が被弾の衝撃で半ば浮き上がる。辛うじて転覆することなく、しかし地面を数メートル滑走して停止したとき、静かに白旗が上がった。

 

「ちっ、後退!」

 

 ポルシェティーガーがさらに五式中戦車へ砲を向けるのを見て、千鶴は攻撃続行を断念した。接近を試みるトラビのKW-1改にM3の砲撃が命中するも、重装甲が尽く跳ね除けていた。だがそこへ狙撃を再開したマレシャル、時折突撃しては離脱を繰り返すトルディの妨害が厄介だった。

 

 そのとき、五式砲戦車から通信が入った。

 

《千鶴、今砲撃を受けた! 当たらなかったけど、位置がバレてる!》

 

 その報告を聞き、千鶴はもう以呂波たちが駆けつけたのだと察した。自分たちの装甲を考えると、五式砲戦車の遠距離支援なしで押し切ることは困難だ。

 周囲を見渡すと、数百メートル先の稜線で何かが動いているのが見えた。視力の良い彼女にはそれが低姿勢の突撃砲だと分かった。恐らくはズリーニィI、亀子の報告では千種学園の中ではかなり高い練度を持っている連中だ。今にこちらを狙撃してくるだろう。

 

《千鶴ちゃん、潮時やで》

「分かってるさ。全車撤収だ、煙幕!」

 

 トラビに言われるまでもなく、躊躇わずに判断を下した。E-100を含めて三両の損害を出したが、敵を四両潰せた。その内一両は厄介者の八九式だ。M3とポルシェティーガーを始末できなかったのは惜しいが、前哨戦としては十分な戦果だろう。

 五式、四式中戦車の砲塔上に据えられた四本の筒から、軽い音を立てて発煙筒が発射される。こうした外付けの装備は破損しやすいので、使えるときに惜しまず使うのも戦車乗りの腕だ。立ち込める煙に紛れて決号は後退し、ドナウのKW-1改、IV突も稜線の陰へと退いていく。

 

 西住隊は追撃しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと修理に時間かかるかもしれません」

「分かってる。でも急ぐよ! 自動車部にかかればどうってことない!」

 

 後輩を激励しつつ、ツチヤはポルシェティーガーの砲塔から降りた。105mm砲を受けた履帯と転輪は完全に破壊されている。だがツチヤはそちらの修理にかかる前に、エンジン周りの点検も行った。そして異常がないことを確認すると、白い歯を見せて笑った。同じくエンジンを気にしていた操縦手も笑みを浮かべる。

 

「緊急加速装置のおかげですね」

「うん。デゴイチさんやシゴロクさんにも感謝しないと」

 

 ツチヤは鼻を掻いて、工具を手に取った。先ほど異常な高速で砲塔を旋回させた彼女たちだが、奇術のタネはポルシェティーガーの駆動方式にある。

 

 この戦車はガソリンエンジンの動力で発電機を動かし、電気で走行するガス・エレクトリック方式だ。このような仕組みの戦車は限られているため、戦車道のルールでもエンジンの改造は制限されているが、電気モーターに関する規定はない。速さを求める大洗自動車部はそこに目をつけ、電気モーターの出力を一時的に増大させるブースターを開発、昨年度の『大洗紛争』で実戦投入した。その際は調整が間に合わなかったため成果は出せなかったが、廃校を免れた彼女たちはこの研究を続けていた。

 

 そして今回、千種学園とチームを組んだことが幸いした。千種学園の整備班は鉄道部員であり、電気モーターとなれば彼らの得意分野なのだ。その協力を得て、装置に一定の信頼性を持たせることに成功したのである。

 ポルシェティーガーは砲塔旋回にも電気を使うため、照準時には操縦手がアクセルを踏み込んで発電量を増やし、旋回を助ける。履帯が破壊された今、ツチヤらは緊急加速装置を砲塔旋回に使ったのだ。

 

「ほらほら、パッパと直すよ! やっぱ走ってこそ自動車部だからね!」

 

 明るく笑いながら、ツチヤは愛車の修理に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 そして以呂波の乗る44Mタシュ重戦車が、ズリーニィI突撃砲を伴ってやってきた。以呂波が五式砲戦車の位置を見破り、必中距離の外側から砲撃したのだ。当たらなくとも位置が知られていると気づけば、相手も移動せざるを得ない。自分が来たと知れば、姉も力で押し切ることはできないだろうという考えからだ。

 こうして大洗・千種連合は致命的な損害を免れ、E-100撃破の戦果を上げた。しかし、代償も高くついた。

 

「西住さん、遅くなって申し訳ありません」

「いいえ、助かりました」

 

 顔についた煤を払いながら、車上で以呂波とみほが言葉を交わす。船橋のトルディ、川岸のマレシャルも合流した。

 

「予想はしてましたが、決号がここまで積極攻勢に出てくるとは……」

 

 白旗の出たヘッツァーと三式中戦車を見やり、以呂波は嘆息した。自分たちもクーゲルブリッツに八九式を撃破されたせいで、E-100撃破に時間がかかってしまった。ドナウ高校も決号工業高校も、こちらの意表をついてきている。

 

「相手は我々のやることを予測しながら動いていますね。変幻自在に」

「うん。でも……」

 

 言いかけて、みほはふと右手を握り、以呂波の方へ差し出した。

 

「一ノ瀬さん、ジャンケンしよう」

「え? ……はい」

 

 いきなりのことだったが、以呂波もまた拳を作った。最初はグー、と音頭を取りながら、二人は右の拳を掲げ、振り下ろす。だが手を出した瞬間、以呂波は驚愕した。彼女がパーで、みほがチョキだった。

 

 以呂波はレストランでやったときのように、みほの右手の形を見切って『グー』を出すと判断した。だから当然『パー』を出した。しかし、みほは右手をそのまま下へ降ろし、左手で『チョキ』を出していたのだ。

 

「裏をかく手は必ずあるよ」

 

 “大洗の軍神”はにっこりと微笑んだ。

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
ほぼ今日一日で一話書いてしまいましたw
まあ仕事の後はなかなか書けないから、休日に一気に書くことが多いわけですが。

E-100は倒し、西住隊とも合流しましたが、激戦はまだまだ続きます。
ご感想・ご批評などございましたら、よろしくお願いいたします。


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お楽しみはこれからです!

 千種学園のしでかしたジャイアントキルに、観客席は大いに湧き立っていた。歩兵用の対戦車兵器を積んだ鉄道車両で、最大級の戦車を倒す。このような戦車道の試合は他になかっただろう。

 

「面白くなってきたね〜」

「だな」

 

 相変わらず干し芋を頬張る角谷に、守保はこくりと頷いた。彼女も守保も、試合はこれからが本番だと分かっていた。これから市街戦に突入することになるが、大洗・千種側は八九式を失っている。昨年度の決勝戦や大洗紛争でも、市街地における八九式の活躍は大きかった。偵察車両としてはまだトルディとソキが残っているが、ドナウ高校のクーゲルブリッツに見つかればすぐ排除されてしまう。ドナウの隊長は「チタタプ製造機」という秘匿名称で呼んでいたが、機関砲の猛射は交戦距離の短い市街地だと特に脅威となるだろう。

 

 黒森峰でさえ偵察戦車までは保有していないことを考えると、索敵能力の高さは千種学園の強みでもある。ドナウ高校はそれを潰すべく、対空戦車を投入してきたのだ。やはり強豪校とは目の付け所が違うようで、「所詮軽戦車」などと相手を見くびることがない。

 黒森峰と縁の深いドナウがそうなのだから、ましてや千鶴なら、妹の実力をよく分かっている。

 

「千鶴はホリ車を上手く使ってる。あいつなら市街戦でも使いこなせるだろう」

「……千鶴さんって、他のご兄妹とは大分性格が違いますよね」

 

 秘書がふと口にした言葉に、守保は頬を掻いた。それを目ざとく見つけたのは角谷である。

 

「シャッチョさんの影響?」

「俺の影響というか、まあ。あいつは俺が面倒を見ることが多かったな」

 

 苦笑を浮かべる若社長。母が長女・実星への指導で忙しい間、守保や師範代たちが千鶴の相手をしていた。しかし当時から起業を目論んでいた守保は多忙で、妹に本を貸し与えて大人しくさせることも多かった。そのため千鶴は意外にも読書家である。しかし当時兄から借りた本が、人格形成に影響した可能性も否定できない。

 千鶴が特に気に入ったのは『水滸伝』と『ロビン・フッド』だったのだ。

 

 ふと、歓声に紛れて近づいてきた足音が、守保の背後で止まった。

 

「隣、空いているかしら?」

「どうぞ」

 

 巨大モニターを見たまま答えると、声の主はゆっくりと彼の隣に腰を下ろす。和服姿の一弾流家元・一ノ瀬星江だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フィールドでは決号・ドナウ連合の戦車が集結し、市街地へと進んでいた。日独の戦車がそれぞれ隊列を組み、土埃を巻き上げて走る。その数は十六両。ガソリンとディーゼルエンジンの音が轟々と響き、勇壮な光景を引き立たせた。フラッグ車・I号C型も合流し、今は他車両と速度を合わせて走っている。相変わらず目出し帽で顔を隠したまま、車長のシェーデルは周囲を見張っていた。清水の五式砲戦車ホリ、亀子の二式軽戦車ケトの姿もある。

 

 先頭に立つKW-1改の砲塔からトラビが顔を出していた。主砲同様、IV号から移植したキューポラである。元々この車両は砲身のない状態で購入されており、IV号戦車用の予備パーツを使って改造されたものだ。その方が通常型のKV-1より攻撃力が高まるし、KV-85とは違い砲塔自体を変える必要がない。

 トラビはしばらく「ピリカ、ピリカ、タントシリピリカ……」などと故郷の童謡を口ずさんでいたが、ふと隣を走る五式中戦車を顧みた。千鶴も同じく砲塔から身を乗り出して前方を見据えている。

 

沖の神(レプンカムイ)やね、あの子らは》

 

 微笑を浮かべ、トラビはそう評した。「あの子ら」とは、白鯨ことE-100を倒した以呂波たちのことだ。海辺に住むアイヌ人は捕鯨を行ったが、シャチに追われて座礁したクジラも貴重な食料であった。そのためシャチは恵みをもたらす神として尊ばれたという。

 あの義足の少女はエイハブ船長のような執念だけでなく、冷静な打算と連携によって白鯨を倒したのだ。二式擲弾器による間接照準で上面を狙う……連携力と練度、そして勇気がなくてはできないことだ。巨鯨さえ狩りの対象とするシャチの群れのごとく、超重戦車を倒したのである。トラビは敬意を込めて、以呂波らを海の支配者に例えたのだ。

 

 千鶴は妹なら何とかしてE-100を倒すと分かっていたし、そうなるべきだと考えていた。問題はその方法だったが、姉として及第点をやれる戦い方だった。

 

「もし戦車に爆薬積んで特攻、なんてことをやったら絶縁状叩きつけたけどな。無駄な心配だったぜ」

《へぇ、一弾流でもそういうのは禁止なんやね」

 

 関心したように言うトラビ。旧日本軍では戦車に爆弾を搭載し、体当たりで敵を道連れに自爆する戦法がしばしば取られた。戦車道のルールでは『一九四五年八月十五日までに設計された車両と、それに搭載される予定のあった武装』の使用が認められており、実際にチハ車で用いられた特攻装備もルール上は問題ないだろう。しかし現代戦車道では愛車精神に反するとして、ほぼ全ての流派で使用を認められていない。

 下車戦闘まで教える一弾流でさえ、それは例外ではない。大戦末期の切羽詰まった状況で生まれたため、『淑女の嗜み』『良妻賢母の育成』といった謳い文句は一顧だにしない流派だが、特攻戦術は原則禁止という掟があった。

 

「一弾流は芙蓉部隊の戦車版だからな。散るのを考えるのは限界まで踏ん張ってからさ」

 

 そう答えながらも、千鶴は自分も一弾流の正道からも外れていることを自覚していた。それは今に始まったことではないが、以呂波もまた同じ道へ来てしまった。可愛い妹も今や、敬意を払うべき好敵手だ。

 

《……なァ、鶴》

 

 無線機に亀子の声が聞こえた。ケト車の小ぶりな砲塔から腰までを出し、砲塔上に腰掛けている。指揮官クラスの車長がよくこうして身を乗り出すのは、索敵のためだけではない。後輩たちに度胸を見せ、士気を鼓舞するためでもあるのだ。亀子もそれをよく理解しており、自分の姿がよく見えるようにしている。

 

《おめェの妹、脚を切らなきゃ決号に来てたのか?》

「多分そうなっただろうな。どうした?」

《なあに、あいつに『先輩』って呼ばれてみたかっただけでェ》

 

 副官の言葉に、千鶴は声を出して笑った。

 

《え~、あたしらじゃダメなんスか~?》

《そりゃないッスよ、黒駒の親分~》

 

 ぼやく後輩たちに「おめェらの代わりはいねェよ」と返す亀子。次いで、彼女はトラビの方へ向き直った。空挺用に開発された二式軽戦車ケトと、重装甲のKW-1改。乗っている戦車の差は大きかったが、亀子の目には両方とも棺桶にしか見えていない。

 

《おい、やられたデカブツに連絡しろ。回収車が来る前に、残ってる榴弾を放り出しとけってな。今取りにいくからよ》

《150mm榴弾? どないすんねん?》

 

 トラビの疑問は最もだった。E-100の150mm砲弾を撃てる車両は他にいないのだ。しかし亀子の場合、そもそも撃つつもりはない。

 

《こちとら建築学科だ。使い道くれェいくらでもあらァ》

 

 その言葉を最後に、亀子は砲塔内に身を収めた。直後、ケト車がカーブを切って隊列から外れ、市街地とは反対の方向へ疾走する。目的地はE-100が撃破された地点だ。千鶴は彼女の考えを察したので、止めはしなかった。

 

《つくづくおもろい子やね》

「ああ。高校入ってから戦車道始めた連中ってのは、あたしらじゃ分からないことも思いついたりするからな」

 

 両校の隊長は笑い合う。一弾流宗家に生まれた千鶴はもちろん、トラビも幼いころからグデーリアン流を学んでいた。そういった女子には「戦車道とはこういうもの」という固定観念がどうしても生じてしまうもので、型破りな千鶴でさえそれは例外ではない。大洗と千種学園の場合はむしろ、素人集団だったからこそ隊長の実力が発揮された面もあるだろう。

 

「あたしなんかはブラジャーより戦車の方が、付き合い長いから」

 

 そう言った途端、無線機にゲラゲラと笑い声が入った。隊員たちが皆哄笑したのだ。

 

 そこへ球形砲塔の対空戦車が、ガソリンエンジンを唸らせ接近してきた。クーゲルブリッツはIV号の車体をベースにしているが、砲塔リングが大きくなった関係で、操縦手と通信手のハッチは干渉しないよう斜めにずらされている。揺動砲塔を水平にして、車長用ハッチから矢車が顔を出す。煤けた機関砲の砲身をちらりと見て、トラビに向けて手を振った。相変わらず彼女からもらった鉢巻(マタンプシ)を額に巻いている。

 

《お待たせしましたー》

《やあ、お疲れさん》

 

 トラビも笑顔で手を振り返した。クーゲルブリッツは隊列に加わり、共に市街地を目指す。砲弾を取りに行った亀子を除き、これで役者は揃った。

 

「さて、お楽しみはこれからだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、大洗・千種連合側は九五式装甲軌道車ソキが、仲間たちに合流しようとしていた。この『鉄道戦車』は本来警備車両であるため、装甲が極めて薄い。しかし履帯の内側に鉄輪を収納するギミックの関係で、車幅はチハ車より広くなっている。

 先ほど大金星を上げた三木たち鉄道部員は意気揚々としており、観測手を務めた北森も砲塔に腰掛けて笑みを浮かべている。その一方で、これからの戦いに闘志を燃え上がらせてもいた。

 

「おーい!」

 

 T-35の巨体を確認し、北森が大きく手を振る。その途端、多砲塔戦車のハッチが続々と開き、九名の乗員が姿を見せた。一様に笑顔を浮かべ、頭領の帰還と作戦の成功を祝福する。

 

「お疲れ様です、姉さん!」

「三木ちゃんもお疲れ様!」

「やりましたね!」

 

 ソキは歓声に沸き立つT-35の隣で停止し、北森がゆっくりと『我が家』へと飛び移った。妹分たちの顔を見回し、次いで拳を掲げる。

 

「これからが本番だ! 気合い入れて行くぜ!」

「はい! では、車長席をお返しします!」

 

 副車長がそそくさと主砲塔から出て、本来の持ち場である副砲塔へ戻っていく。その義理堅さに苦笑しつつ、北森は狭苦しい円錐型砲塔に身を収めた。

 そのとき、五十メートルほど先に大坪たち馬術部チームがいるのを見つけた。共に最初から参加していた身で、もはや見慣れた顔ぶれである。だが今は姿形が少し違っていた。着ているのは千種学園の、オーストリア風のタンクジャケットではない。紺色に白い襟とスカート、背中にはあんこうのマーク。大洗女子学園の物だったのだ。

 さらに彼女たちは空席となっているトゥラーン通信手席から、多様なウィッグを取り出して装着した。砲手は黒い長髪、操縦手はそれに加えてカチューシャ、装填手はふわふわとした癖っ毛。そして車長の大坪は短めの、茶髪のウィッグを身につけた。

 

「文字通り、馬子にも衣装……?」

 

 三木の言葉に、北森は思わず吹き出した。

 その衣装は馬子だけに留まらない。馬であるトゥラーンIII重戦車も、あんこうチームIV号戦車と同じ小豆色に塗装されていた。大洗の校章、そしてあんこうのパーソナルマークは目立つように、本物より一回り大きく描いてある。シュルツェンもIV号に似せた形状となり、トゥラーンIIIの最大の特徴である砲塔上面の盛り上がりを隠すよう、上に引き伸ばされていた。張りぼてのキューポラまで据え付けられている。リベット留めの装甲はどうしようもないが、遠目には西住みほの駆るIV号戦車そのものだった。

 

 以呂波とみほが考えた、『特別な偽装』である。“大洗の軍神”に扮した大坪が車長席に戻り、咽頭マイクに手を当てた。

 

《こちらお馬さんチーム。『ニセ住みほ作戦』、準備完了です!》

 

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
今回は次の戦闘シーンまでの繋ぎみたいな形になりました。
シュルツェン装備のIV号をティーガーと誤認したり、M24チャーフィーがパンターと間違われて誤射されたり、そういう話はいくらでもあるもんですね。
最初は対大洗戦で使わせる予定でしたが、都合によりこういう形になりました。

一方リアルでは農繁期の足音が近づいてきました。
カヴェナンター並みの環境で作業する日々がまたやって来る……。


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陽動作戦です!

 一般人の退去した市街地に、エンジン音が轟く。決号・ドナウの戦車隊は素早く陣地を展開し、敵も来着に備えた。伏撃を得意とする決号だが、今回は同門の相手のため、ただ待ち受けるだけでは見破られてしまう。各車両の連携が肝要だった。

 ドナウ高校もまた、トラビの指示の下で素早く陣地を展開した。

 

《IV突、全車配置よし!》

《よし。八九式はもうおらへんから、トルディと軌陸車の接近に気いつけや。見つけたらすぐマリちゃんを呼ぶんやで》

 

 仲間たちの声を聞きながら、矢車マリは草原から通じる街道を監視していた。彼女のクーゲルブリッツ対空戦車は武装が機関砲のため、長距離から精密な砲撃を行うのは困難だ。しかし斥候・撹乱のため接近してくる軽戦車に相手を絞れば、自然と交戦距離は近くなり、その弾幕で一網打尽にできる。

 

 特徴的な球形砲塔を軽く叩き、矢車はくすっと笑った。彼女は高校受験の際、かの戦車道の名門・黒森峰女学園を第一志望としていた。不合格となったため滑り止めのドナウ高校へ入学したのだが、入った途端に戸惑うことばかりだった。隊長からして関西弁を話すアイヌ人という意味不明な人物で、乗っている戦車も独ソ混合のキメラ。常に飄々として、行動原理も分からない。しかも黒森峰からスカウトを受けたにも関わらず、「暑いところは苦手」という理由で断ったという話も聞いた。

 だが実際のところ、その変人は自分より遥かに上の実力者だった。それこそ黒森峰でも活躍できたのではと思うくらいに。あの義足の戦車長もだ。矢車が思っていたより、戦車道の世界は深かったのである。

 

「黒森峰に行ってたら、対空戦車なんて乗る機会もなかっただろうなぁ」

「本当ですね」

 

 右機関砲の砲手が笑って相槌を打つ。同じ理由で入学した者は他にもいるのだ。

 

 ふと街道上に数個の黒点を視認し、双眼鏡を覗く。小豆色に塗られた、シュルツェン装備の戦車が先頭にいた。装甲には今や全国に名を響かす『あんこう』のマークと、大洗女子学園の校章が見えた。その後ろにはルノーB1bisや、角ばった形状のポルシェティーガー、そしてパンターに似た形状の戦車……タシュも確認できる。矢車は即座に報告した。

 

「敵フラッグ車、街道より接近中!」

 

 

 

 

 ……対する西住みほ、もといニセ住みほも、クーゲルブリッツの姿を視認していた。相手がすぐに退いたため砲撃はできなかったが、発見されたことで彼女たちの任務が始まった。トゥラーンはIV号よりやや小ぶりだが、シュルツェンを同じ形状に変更し、塗装やマーキングも同じにすれば見分けはつきにくい。戦時中にもシュルツェン装備のIV号をティーガーIと誤認したり、M24チャーフィーが味方からパンターと間違われ誤射されるような事態が多発したのだ。

 以呂波と本物のみほが会話中に考えついた策だが、乗っている乗員まで偽装してしまうという徹底ぶりは一弾流のものである。大坪は丁度みほと背格好が似ており、且つハッチから顔を出して戦う度胸もあり、影武者に最適だった。

 

「こちら陽動部隊。敵に発見されました。作戦にかかります」

 

 咽頭マイクに手を当て、以呂波が報告した。そうしている間も義足でしっかりと車長席に立ち、周囲の見張りを怠らない。周囲の稜線や地形を見て、敵の潜んでいそうな箇所を割り出しながら行軍する。高度なことだが、幼い頃から戦車に慣れ親しんできた彼女の脳は、流れ作業のように情報を処理した。

 本物のみほからの返事はすぐに返ってきた。

 

《了解、その隙にフラッグ車を探します。お馬さんチームはくれぐれも気をつけてください》

《お任せください!》

 

 大坪が朗らかに返事をした。二回戦で残念な結果に終わっただけに、今回は任された大役に意気込みを見せていた。陽動部隊は彼女らの他に、ポルシェティーガー、B1bis、トルディ、マレシャルの四両だ。合計六両からなる陽動部隊の任務はフラッグ車の偽物を使い、敵の主力、そして五式砲戦車ホリII型の注意を引くことである。

 105mm砲の長距離狙撃さえ惹きつけておけば、本物の西住みほが遠回りのルートで市街地へ入り、敵フラッグ車を叩ける。I号C型の速力に対抗できる車両はなく、正面から追い詰めようとしても振り切られてしまうだろう。チーム内で最良の砲手……五十鈴華の技量に頼る他ないと判断されたのだ。

 

 問題はトゥラーンの偽装がいつまで保つか。トゥラーンは武装を40mm砲から75mm、そして長砲身75mmへと発展させた車両だ。砲身だけでなく砲尾も大型化し、天井につっかえないよう砲塔上部がかさ上げされている。加えて武装と装甲が強化されても、リベット留めなのは相変わらずだ。ドナウ高校の生徒はIV号戦車を見慣れているため、近距離では看破される可能性が高い。

 

 距離を詰められないように機動しつつ、敵を引きつける。さじ加減が要求される作戦だ。

 

「一ノ瀬さん。正直言って、本当にバレないと思う?」

 

 目を覗視口に向けたまま、結衣が尋ねた。戦闘中の誤認・誤射がいかに起こりやすいか、彼女もよく知っている。千種学園はそのような事態を経験していないが、弾丸雨飛の中で正確に周囲の状況を見極めるのは困難だ。特に覗視口の狭い視界から分かる情報は限られている。実際の戦場において、歩兵は味方に戦車がいることを望んでも、自分たちが戦車に乗りたいとは思わないものだが、理由の一つはそれだ。

 

 しかし今回の相手は一ノ瀬千鶴だ。

 

「はっきり言うと、賭けの要素はある」

 

 以呂波はきっぱりと言った。姉ならもしかしたら、勘づくかもしれない。そういう『嗅覚』の持ち主だ。だがそれでも、以呂波は賭ける気でいた。失敗したとしても自分たちが町へなだれ込んでみほたちを援護するなり、敵を釘付けにしておくなり、フォローの手段はある。

 

「どの道、千鶴姉は博打要素なしで勝てる相手じゃないよ」

「……そうでしょうね」

 

 会話をしながら、以呂波は義足で結衣の肩をつつき、方向を指示する。結衣の腕はその脚の延長であるかのように操縦レバーを引いた。優秀な操縦手を仲介として、タシュ重戦車は車長の脚となっている。

 その感覚を右脚に感じながら、車内の左側を見る。澪はじっと照準器を覗き、撃つ時を待っていた。続いて右側を見る。美佐子は相変わらず明るい笑顔で以呂波を見上げている。思えば彼女が声をかけてくれたところから、新しい道が始まったのだ。

 

 四名が一体となる中、通信手の晴はどこか俯瞰的に仲間たちを見ていた。相変わらずのニヤけ顔で、後輩たちを見やっている。

 

「以呂波ちゃんはお姉さんに勝ちたいかい?」

「はい、もちろん。でもそれだけじゃ駄目でしょうね」

 

 ふと右手を握り、開き、グー、チョキ、パーを繰り返す。そして必勝の決意を新たにした。姉には勝ちたい。自分の体を流れる血には、姉が分けてくれた物が混じっている。昔、いつも自分を守ってくれた千鶴に、自分が率いるチームの力を見せたい。

 だが、それで終わりではない。

 

「私、西住さんと戦いたいです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……その頃、『鯨狩り』の行われた場所にも動きがあった。撃破されたE-100に背を向け、二式軽戦車ケトが走る。この車両は最高速度50km/hと、日本戦車としてはかなりの高速だが、今は土煙を巻き上げて疾駆することもできず、どちらかと言えばスローモーな走行を行っていた。理由の一つはE-100によって踏み荒らされた、地面の凹凸。無限軌道といえど、起伏の多い地形では機動力は低下する。

 そしてもう一つの理由は小柄な車体にワイヤーで括りつけられた、150mm榴弾だった。全部で六発。亀子の指示通り、E100の乗員たちが残っている弾を車外へ出しておいたのだ。

 

《お宝は回収したか? 亀》

 

 インカムを通じ、戦友の声が聞こえる。亀子は上機嫌で答えた。

 

「あたぼうよ。使える物は何でも使うのが一弾流だろ」

《そういうこと言いたきゃ、ちゃんと入門してからにしろよ》

「おめェが師範代になったら、あたしが最初の弟子になってやらァ」

 

 それまで他の奴の下にはつかない。亀子はさらりと言ってのけた。そんな二人のやりとりを聞き、ケトの砲手と操縦手はくすっと笑う。いつもこのようなことを言い合っているのだ。

 

《……まあいいや。早いところ戻れよ、敵の動きが何か臭う》

「あいよ」

 

 通信を終え、リズミカルなエンジン音に耳を澄ませる。八九式の乙型以来続いた日本戦車の伝統、空冷ディーゼルだ。彼女は物事に抽象的なものを見出さない性格で、戦車道についても『良妻賢母の育成』『乙女の嗜み』といった概念を信じていない。もっとも切羽詰まった状況で生まれた一弾流も、そうした精神を一顧だにしないため、正式な門下生たちとも上手く付き合えている。だが亀子はそれに加え、戦車を『棺桶の豪華なやつ』くらいにしか考えていなかった。

 それでもこの二式軽戦車ケトには愛着があった。最初に乗った戦車だからということもあるが、何となく自分たちに似合う『棺桶』だと思えるのだ。グライダーに搭載できるよう開発されておきながら、空挺作戦を行う時局ではなくなってしまい、本土決戦用に温存された地味な軽戦車だ。強烈な個性はなくても、ひねくれ者好みの車両だった。

 

「おい、もう少し……」

 

 スピードを出せないのか。操縦手に問いかけようとしたときだった。

 千鶴によって戦車に乗せられてから、周囲への見張りは癖として刷り込まれた。そのため彼女は今も、後方を警戒することができていた。だから気づいたのだ

 

 林から現れたジャーマングレーの突撃砲が、後ろから狙っているのを。

 

「避けろ!」

 

 叫びながら操縦手の左肩を蹴る。彼女の判断は早かった。ケトが左へ逸れた途端、砲弾が横切った。空気の振動を頬に感じながら、亀子は車内に身を屈める。何せ車体に爆発物をくくりつけているのだ。

 

「チッ、ケツからIII突が狙ってくらァ!」

 

 敵はまだ、潜んでいたようだ。無骨な中に美しさを持つドイツ製突撃砲は、ケトの37mm砲とは比較にならない長砲身75mmを有する。パーソナルマークは間抜け顔のカバだが、その牙にかかれば軽戦車など一撃だ。それが履帯で土煙を巻き上げ、亀子を追ってくる。

 まだここに戦力を残していたのか。または動けなくなっていた車両が修理を終えたのか。ハッチから僅かに顔を出して、亀子は後者だと察した。III突の転輪の一つが、オリーブ色の物に変えられていたのだ。

 

「もっとスピード出せよ。物騒な物積んでるんだから、早く逃げなきゃいけねェ」

「無茶言わないでよ、その物騒な物のせいで身重なんだから。妊婦さんがもう一人赤ん坊背負ってるようなもんよ」

「赤ちゃん乗ってますシールでも貼れってか? キリキリ走らせろ」

 

 乗員は皆肝が座っている。150mm榴弾を捨てようなどとは誰も言わず、ケト車は逃走を始めた。

 

 

 

 一方、追撃するIII号突撃砲F型……カバさんチームの面々は、大型砲弾を乗せた軽戦車を不思議そうに見つめていた。もちろん追撃の手は緩めないが、無砲塔故にこのような状況ではなかなか当てられない。

 

「逃がしては不味い気がする」

 

 荷物を積んだ敵を砲隊鏡で見据え、エルヴィンが呟いた。

 

「例えて言うなら、デンマーク海峡海戦後の戦艦ビスマルク」

「いや、山崎の戦いの後の明智光秀」

「池田屋事件の桂小五郎ぜよ」

「ザマ会戦後のハンニバル」

「それだ!」

 

 一見能天気な掛け合いも、彼女たちの気分が乗っている証拠だった。修理不能と思われた脚が治ったのだ。

 

「とはいえ、深追いは禁物だ」

「うむ。オカピさんチームの厚意、無駄にはできないからな!」

 

 撃破されたSU-76iから転輪の提供を受け、歴女たちの馬は息を吹き返した。同じIII号戦車ベースだからこそできたことだ。去石は笑顔でエルヴィンらを見送り、自分たちの『脚』を託したのである。

 学校の垣根を越え、両チームは勝利を目指していた。




お読みいただきありがとうございます。
前回から間が空き、かつ話の進みも遅いですが、多忙でも何とか書いていけるかと思います。

思えば原作では、歴女チームの掛け合いで一度も「それだ!」と言われていないのはカエサルだけだったな……。
アンツィオOVAで「スキピオとハンニバル」とか言っていれば……。


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狩りの始まりです!

 

「柳川隊を向かわせた。なんとか逃げろ」

 

 III突に出くわした副隊長車へ、千鶴は冷静に指示した。救援に向かわせたのは二式砲戦車一両と三式砲戦車二両だ。味方の支援に関してはプロフェッショナルと言って良い。

 続いて、隣にいるトラビへ目を向けた。角ばった五式中戦車と、傾斜装甲ながらも無骨なKW-1改が並び、砲塔から顔を出す少女たちを引き立てている。千鶴もトラビも十分美少女に分類できる容姿だが、そう呼ばれることはまずない。日頃の言動のせいだ。

 

「トラビ、ちょっと偵察に行ってくる」

 

 持参したショカコーラを「ヒンナヒンナ」などと言いながら食べていたトラビだが、突然の申し出に目を丸くした。千鶴は決号の指揮官で、しかも乗っている五式中戦車チリは決して偵察向きではない。ベジマイトのように自ら豆戦車で斥候をしながら指揮を執る隊長もいるが、あくまでも例外である。

 

「千鶴ちゃんが?」

「敵の動きがどうも、臭うんだよ」

 

 市街地へ雪崩れ込もうとしているのは敵のフラッグ車である大洗IV号と、千種学園の44Mタシュ、その他四両だ。フラッグ車を晒すことで戦力を引きつけ、その隙に別方向から決号・ドナウ側のフラッグ車を狙おうという魂胆だろう。だがそれにしては引っかかることがあった。

 近くにいる自軍フラッグ車・I号C型を指差し、千鶴はその疑念を口にする。

 

「こいつを仕留められる砲手、五十鈴華以外にいるのか?」

「……なるほど」

 

 トラビは納得した。この軽戦車の速力と乗員の技量を、大洗の面々は先ほど間近で見たはずだ。それなのに名射手の乗るIV号戦車を囮にしては、どうやってI号C型を仕留めるつもりなのだろうか。

 

「チトはお前に貸すから、以呂波たちの相手は頼む。代わりにフラッグ車を貸してくれ」

「囮用やな。ええで」

 

 フラッグ車を伴っての偵察。リスクの大きい作戦だが、トラビは即決した。ノーリスクで勝てる相手でないことは承知済みなのだ。

 

「シェーデル、千鶴ちゃんの指揮下に入りや」

「ヤヴォ~ル」

 

 酔っ払いのような返事をし、I号車長のシェーデルは千鶴に敬礼を送る。相変わらず髑髏の描かれたバラクラバで素顔を隠し、奇妙な挙動をしていた。タンカスロン畑の出身者にはこのような変人がたまにいるものだ。そういう奴に限ってやたらと手強かったりもするから、余計に不気味である。ただこのシェーデルという二年生は強い戦車より「面白い戦車」を好んでおり、癖の強い戦車でも楽しんで乗りこなせるという長所があった。

 トラビは千鶴に向き直り、悪戯っぽく笑った。

 

「千鶴ちゃん、キツくなったら色男のこと考えるんやで。誰でもエエから」

「気が向いたらな。そういうお前は誰のこと考えるんだ?」

「とりあえず、千鶴ちゃんのお兄さんでも」

「よし。お前、後でシバく」

 

 満面の笑みで告げ、千鶴は操縦手に発進を命じた。航空機用のガソリンエンジンが唸り、無骨な中戦車は旋回する。完全に反転したとき、再びトラビの方を顧みた。無線機越しに声が聞こえてくる。

 

《お前こそ忘れるなよ。以呂波が相手なら……》

「ほいほい。殺す気でやらなアカンのやろ」

 

 苦笑混じりに答え、トラビは手を振ってチリ車を見送った。そしてシェーデルのI号C型も、ふらふらと不規則な動きで続く。

 残された四式中戦車チト二両の車長はハッチから顔を出し、隊長に向けて敬礼を送っていた。が、やがて苦笑を浮かべながらトラビへと向き直る。

 

「うちのアネさんは物騒な人だけど、サイコパスじゃないスよ」

「分かっとる分かっとる。千鶴ちゃんなりの礼儀なんやろ」

 

 トラビは千鶴や決号の面々について、ある程度理解していた。というより、どこか自分と近いものを感じていた。

 アウトローというのは社会に対して、何かしらの不満を持っている。トラビとてそうだ。外国系の学校に入ったのも、アイヌ民族であることにこだわるのも、日本人の何かが嫌いだったから。戦車道を愛するのも、自分が狩猟民族だという実感を得られるからだ。

 

 だが様々な相手と対戦してみると、自分と同じく戦車道に自己表現の場を求める少女は意外と多かった。そしてその戦車は狩り甲斐のある(カムイ)だ。アイヌの宗教観では熊などの動物を神の化身とし、その肉や毛皮を人間への恵みと解釈している。他にも樹木や道具など、あらゆる物に神が宿るとされる。

 本来人殺しの道具であった戦車にも、乗り手次第で何かが宿る。トラビはそう信じていた。仲間や対戦相手の戦車にそれを見つけるのが、彼女の密かな楽しみだった。

 

「改めて言うで。相手に脚が無くても腕が無くても、戦車に乗ってはる以上は本気でかかるのが礼儀! 千鶴ちゃんが言うたのはそういうことや! ええな!?」

了解、隊長(ヤヴォール、マイン・カピテーン)!》

 

 隊員たちが一斉に唱和する。トラビは手をかざし、前進を命じた。

 

 

 

 

 

 

 一方、以呂波率いる陽動部隊の周囲には『歩兵』が展開していた。当然ながら戦車猟兵などではなく、T-35の乗員たちだ。彼女たちによる徒歩偵察も、今や千種学園の常套手段となっている。数名は折りたたみ自転車を使って迅速に展開し、市街地での敵の動向を探る。千種学園のタンクジャケットはグレーが基調のため、市街地では目立ちにくい。

 

「来たぞ! 先頭にKW-1改!」

 

 ビルの陰に潜み、北森が報告する。ジャーマングレーと日本軍迷彩の車両が続々と道を通過していった。IV号J型一両、IV号突撃砲四両、四式中戦車チトが二両。おそらくクーゲルブリッツも近くにいるだろう。陽動は成功したと見て良い。しかしドナウの隊長車を矢面に立たせ、一ノ瀬千鶴は何をしているのか、北森は疑問を感じた。

 

 

 後方で報告を聞いていた以呂波も、同じことを思った。タシュの車内で地図を見ながら、姉が何を考えているのか考える。否、考えるまでもなかった。やはり千鶴は何かおかしいと気づいているのだ。戦車の床を義足でコツコツと叩き、以呂波はくすっと笑う。

 

「お晴さん、西住さんに連絡を。決号隊長車の動向不明、注意されたし、と」

「あいよ!」

 

 タイラバヤシかヒラリンか、などと呟きながら、晴が無線機を操作する。彼女にとっては戦車道も落語の延長なのだろう。その一方で美佐子が徹甲弾を抱え、砲尾へと押し込む。快音を立てて閉鎖機が閉まり、澪が照準機を覗きながら砲塔を回した。六両の戦車全てが、砲撃の準備を整える。

 そうしているうちに、以呂波も大通りを駆けてくる敵を視認した。高まった緊張感が、高揚感へと変わっていく。姉の姿がそこにないのは少し寂しいが、相手にとって不足はない。この場にいなくても、自分の戦いは千鶴に伝わるだろう。

 

「撃ち方、始め!」

 

 刹那、七門の戦車砲が一斉に火を噴いた。砲の数と車両数が合っていないのは、ルノーB1bisがいるためだ。車体の75mm砲は榴弾砲のため貫通力はないが、砲塔の47mm砲はそれなりの威力を持つ。

 発砲炎が広がり、硝煙が漂った。放った砲弾は道路の表面を叩き割り、塵が宙へ舞い上がった。しかし敵車両は之字運動を行って回避したため、直撃弾は船橋のトルディIIIが撃った40mm砲だけだ。それもKW-1の重装甲には通用せず、乾いた音を立てて弾かれる。他にはIV号J型のトーマシールドが吹き飛んだ程度で、大した損害は与えられなかった。

 

「一ノ瀬隊から西住隊へ。敵主力とドンパチ戦闘開始」

 

 砲声轟く中、晴が冷静に連絡を行う。咽頭マイクならエンジン音や砲声といった騒音に邪魔されず、声だけを相手へ届けることができるのだ。

 今度は敵の番だった。しかし千種・大洗連合の戦車とて置物ではない。発砲後はすぐに二手に分かれ、横道へと退避する。敵の75mm徹甲弾も空を切るだけだった。

 

《四式中戦車が一両、薬屋の方から側面へ回ろうとしてるぞ!》

「トンボさん、足止めしてください!」

《了解、任せて!》

 

 斥候からの報告を聞き、トンボさんチームことトルディIII軽戦車が路地裏へと入っていく。船橋はチーム名の由来となった眼鏡をかけ直し、以呂波に敬礼を送った。

 二手に分かれた戦車隊はトゥラーンIIIとB1bisの二両と、タシュ、ポルシェティーガー、マレシャルから成る三両だ。

 

「お馬さん、カモさんは先に後退を。たいやき、レオポン、ヒラメさんはもう少し敵を足止めしてから退避します」

《了解ッス!》

《遊撃戦は大洗の十八番だよ〜》

 

 号令をかけつつ、美佐子に徹甲弾装填のサインを出す。日々の筋トレの成果か、装填速度はさらに磨きがかかっていた。義足で結衣の背中を蹴り、戦車を前進させる。

 タシュは砲塔を斜めに向け、建物の陰から半身を出した。敵を一瞥し、以呂波は砲手へ命令を下す。

 

「目標、KW-1改!」

 

 澪は無言で砲塔を旋回させ、素早く照準を合わせた。物静かな彼女も、先ほどE-100の砲身を破壊してから気分が高揚している。紅潮した白い頬がその証拠だった。

 

「撃て!」

 

 号令と共に、撃発。砲尾が駐退し、空薬莢が転がり出る。射線は確実に敵隊長車を、ドイツ製の牙を備えたKV-1を捉えていた。しかし相手は砲撃の寸前、車体を僅かに旋回させた。それによりタシュの一撃は砲塔側面へ斜めに命中し、生み出された避弾経始で後方へ受け流される。徹甲弾は描かれた校章に傷をつけるだけだった。

 敵の車長・トラビは笑っていた。嘲笑でも、緊張感に耐えかねてのものでもない。歴戦を経た戦車乗りの笑みだと以呂波には分かった。

 

 敵の砲口が黒い点に見えた瞬間、後退を命じる。タシュが再び建物の陰に隠れるのとほぼ同時に、KW-1改の砲撃が眼前を掠めた。紙一重だ。トラビはタシュの砲撃を読んで避けながらも照準を合わせ、即座にカウンターを決めてきたのである。以呂波の背筋にぞくりとした感触が走る。畏怖と高揚の混在したものだった。

 

 一弾流には『後の先』という技がある。その名の通り、敵より後に動いて先を取るという技術で、多くの武芸に存在する概念だ。戦車道の場合、相手の初弾をかわして隙を突くといった技が時折使われるが、一弾流ではそれを極めて高いレベルまで磨く。その一弾流宗家である以呂波が見ても、トラビの『後の先』は見事だった。

 

「この人も、一筋縄ではいかない……!」

 

 相手の強さを実感しながらも、以呂波は自分が決して彼女たちに劣るとは考えなかった。今頭にあるのはこの前線を維持することだ。

 あんこうチームが敵フラッグ車を撃破するまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃。III号突撃砲に追われる亀子は、重荷を背負った状態ながらどうにか市街地まで逃げていた。相手が無砲塔なのが救いである。III突が躍進射撃のため停止した瞬間に急転回すれば、射線はかわせる。ただ敵もさるもので、徹甲弾ではなく榴弾を撃ってくるのが厄介だった。外部にくくりつけてある150mm砲弾に誘爆させようという魂胆だ。

 

「右だ、右!」

 

 操縦手は四本の操縦レバーを駆使し、車長の声に応える。小ぶりな軽戦車が土煙を上げて曲がると、至近弾が地面を叩く。爆発の衝撃波で車体が、そしてワイヤーでくくった150mm弾がガタガタと震えるが、幸い爆発はしなかった。

 

「柳川、まだか?」



 千鶴の差し向けた仲間に、無線で尋ねる。血の気の多い彼女だが、こういう状況で冷静に振る舞える胆力があった。そして聞こえた返事も、また冷静だった。

 

《視認しました。援護します》

 

 刹那、前方のビルに発砲炎が見えた。砲声が三発。ケト車のすぐ脇を砲弾が掠めていくのを感じたが、それらはケト車にも、III突にも当たらなかった。だがそれで十分だ。

 伏兵の存在を知ったIII突は、戦闘室上面から小さな缶のような物を射出した。空中で爆ぜ、白い煙が傘状に広がる。擲弾を発射するための近接防御兵器だ。F型のIII突には装備されていないはずだが、後付けで搭載したのだろう。煙がジャーマングレーの車体を覆い隠すと、エンジン音が次第に遠ざかっていった。

 

「気をつけろ、あたしに当たったらどうするんだ!」

 

 窮地を脱した亀子は、救援に来た砲戦車隊に向けて叫んだ。彼女たちは車両の前面にグレーの偽装ボードを貼り、背景のビルに溶け込んでいたのだ。奇しくも今のIII号突撃砲が、大洗紛争で使ったのと同じ手口である。

 二式砲戦車の砲塔から小隊長が顔を出し、あっけらかんとして答えた。

 

「そのときはまぁ、それまでってことで」

「ばかやろう! 副隊長をなんだと思ってやがんでェ!」

 

 怒鳴りながらも、亀子は笑っていた。ひとしきり叫んだ後、次に口から出た言葉は「あー、面白ェ」だった。

 

 

 

 







高校時代、三階のベランダの外側に張り付いて忍者ごっこしてる連中がいましてね。
教師に見つかって怒られてましたが、「落ちたらどうするの!?」と言われたそいつらの答えが、

「そのときはまぁ、それまでってことで」

でした。

それはさておき、お読みいただきありがとうございます。
こういう戦いを書いてると、劇場版って本当に凄い出来でしたね。
各キャラにちゃんと見せ場が用意されてて。

では、ご感想・ご批評などありましたら、よろしくお願いいたします。


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戦局、動きます!

 あんこうチームのIV号戦車、ウサギさんチームのM3中戦車が市街地へ踏み込んだ。ケト車を惜しくも取り逃がしたカバさんチームは、ツバメさんチームことズリーニィと合流し、索敵に当たっている。

 

 西住みほは路地に潜みつつ、III突、ズリーニィからの情報を頼りにI号C型を探していた。彼女のIV号戦車の前にはウサギさんチームが先行し、安全を確認しながら進む。本物のあんこうチームを発見されては影武者も意味がなくなる。

 

 だが彼女たちには一つの懸案事項があった。以呂波から送られてきた情報、すなわち「敵五式中戦車の所在不明」とのメッセージだ。

 

 

 その懸念通り、一ノ瀬千鶴の駆る五式中戦車チリは市街地を探っていた。決してそこに本物の西住みほがいると知っているわけではない。ただ千鶴の戦闘に関する洞察力は群を抜いている。大洗・千種側が何かを企んでいるのを察し、それを阻止するために動いているのだ。自軍フラッグ車のI号C型を囮とし、時折副砲の砲手を降車させ、徒歩で索敵させる。入り組んだ市街地での戦いにおいて、こうした偵察と安全確認は非常に有効だ。

 チリ車の角ばった砲塔から顔を出し、周囲を警戒しつつ指揮を執る千鶴。半自動装填装置を積んでいるチリ車は砲塔が大きく、対比で彼女の姿が小さく見えた。

 

「妹さんはドナウに任せちゃって……いいんですか?」

 

 装填手が千鶴の顔を見上げた。彼女は新入生だが、自分たちの総大将のことはよく分かっている。妹である以呂波との対決を楽しみにしていたはずだ。

 しかし指揮官たるべく教育を受けた一ノ瀬姉妹にとっては、直接砲火を交えることだけが勝負ではなかった。

 

「以呂波とは頭の中で、いつも戦っていたさ。あたしが継承者候補から外されたときから、な」

 

 戦車長は前を向いたまま答える。戦車の旋回により、ポニーテールが小さく揺れた。

 

「あいつとは大会が終わったらサシでやりたい。けど、今は小手先の小兵法だけが勝負じゃねーよ」

「と、言うと?」

「大局を見ろ、ってことだ」

 

 試合中でも、後輩の質問にはできるだけ丁寧に答える。自分が卒業した後のことを考えると、後進の育成は大会優勝にさえ勝る課題なのだ。

 曲がり角の先を見に行った副砲手を見守りながら、千鶴は続ける。

 

「あたしらもそうだけど、以呂波や西住みほは奇策を駆使する。奇策はキマれば強い、だが大局、全体の戦況を見ながら戦う相手には通じねーんだよ。例えば……」

 

 一旦言葉を切り、操縦手に前進を命じる。副砲手が「危険なし」のサインを送ってきたからだ。幅広の履帯が回り、大柄な車体を路地から大通りへと運んで行く。

 千鶴は笑みを漏らした。大洗女子学園の戦歴は調べ直してあるが、西住みほとて無敗ではない。特にある人物に対しては黒星が多かった。

 

「去年の、聖グロリアーナの隊長とかにはな」

 

 

 

 

 

 千鶴とみほは近い位置にいた。ウサギさんチームのメンバーが徒歩偵察を行い、突撃砲二両と連携して索敵する。彼女たちが探しているのは敵フラッグ車のI号C型だが、それだけが目的ではない。降車して斥候を務めていた澤梓が、疵痕だらけの五式中戦車を見つけたのは幸運と言ってよかった。

 弾痕や焼け焦げなどが刻まれた砲塔から、古風なフロックコート姿の千鶴が周囲を見張っていた。梓は咄嗟に、近くの建物へ身を隠す。幸い気づかれなかったようで、チリ車はそのまま通過し、梓の少し先に停車する。ほっと胸を撫で下ろし、額に滲んだ汗を拭った。

 

 彼女の情報はすぐに、M3の後ろにいるあんこうチームに届けられた。

 

「大通りに以呂波ちゃんのお姉さんがいるって!」

「やはり一筋縄ではいきませんね……!」

 

 優花里が唸った。潜入偵察で千鶴に捕らえられた際、今まで戦ってきたどの好敵手とも、異なるタイプの戦車指揮官だと感じた。否、戦車“道”に限らなければ、似た面のある者を見たことがある。大洗で磯辺典子率いるアヒルさんチームと大立ち回りを演じた、赤備えのサムライ。勇猛と奸智を兼ね備えた彼女らの戦い方は、型にはまらない野試合で磨かれたものなのだろう。ましてや一弾流は連盟に認可された戦車道流派であるにも関わらず、非正規の強襲戦車競技(タンカスロン)を推奨している異端の集団なのだ。

 

 車長席に立つみほも、優花里と同じことを考えていた。彼女の采配は『戦車上の魔術師』とも言える自在の戦術だが、西住流の戦闘教義(ドクトリン)からすれば邪道であると自覚している。しかし姉のような正道の戦いは、あくまでも相手を上回る戦力と、それを支える整備力・兵站力を整えることが絶対条件だ。それが到底望めない大洗女子学園だからこそ、彼女の『魔術』は磨かれた。

 だがこの『士魂杯』は相手もまた邪道。一回戦、二回戦もそうだったが、今度の相手は特に曲者だ。今は排除するチャンスだが、こちらの姿を見られてはまずい。M3やIII突、ズリーニィに攻撃させるとしても、完璧に奇襲を成功させなくては撃破は不可能だろう。

 

「チリをやり過ごしつつ、敵フラッグを捜索します。一ノ瀬さんたちからの情報にも注意して……」

「みぽりん! カバさんから連絡!」

 

 命令よりも先に、沙織が報告を受け取ったようだ。すぐさま彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「フラッグ車を見つけたって! FJ307地点、薬屋さんの前にいる!」

 

 みほはすぐさま地図を確認した。すぐ近くだ。

 

《こちら梓。決号の隊長車、動き出しました》

 

 続いて聞こえた後輩の声には震えがあった。緊張と恐怖を押し殺しているのだ。上級生であるエルヴィンや磯辺を差し置いて、彼女に副隊長を任せたのは来年のためである。大洗の現三年生に加え、卒業した角谷杏らを交えて協議した結果、時期隊長を任せられるのは澤梓だけだと満場一致で決まった。そのためには副隊長を任せ、指揮官の在り方を覚えさせるべきとの判断だ。

 現に、彼女は成長している。戦いの緊張は隠しきれなくても、勤めて冷静に敵の動きを報告する。

 

《路地へ入っていきます。今なら気づかれないで出られます!》

「……前進、敵フラッグ車を襲撃します!」

 

 みほは即断した。どの道何度もチャンスは巡ってこないし、影武者もいつまで敵を欺けるか分からない。この機会を逃す手はないのだ。

 梓が自車に戻り、まずM3が発進する。続いてあんこうチームのIV号も、路地から踏み出した。操縦手である阪口佳利奈と冷泉麻子は、エンジン音が響かないよう慎重に走らせねばならなかった。操縦手は車長と同じくらいの忍耐と度胸、そして判断力が要求されるのである。

 

 住民の退避した大通りは広く、道脇に様々な店が軒を連ねている。みほはキューポラから周囲を警戒し、敵影がないことを確認した。

 

 だがそのとき、予想外のことが起きた。疵だらけの中戦車が、路地から後退してきたのである。

 

「……あっ!?」

 

 みほが思わず声を上げる。梓の報告通り、路地へ入ったはずの五式中戦車チリ。それが急にバックして、再び大通りへ出てきたのだ。

 その角ばった砲塔上で、一ノ瀬千鶴もまた驚愕の表情を浮かべてみほを見ていた。彼女は大洗の車両がいると分かっていたのではなく、かといって自身が語った大局観からの行動でもない。

 予想外な行動の原因は、千鶴もやはり年頃の女の子だったため、と言える。つまり路地へ入ったはいいが、進路上に犬の糞があり、それを履帯で踏むのを嫌がって大通りへ戻ったのだ。

 

 全くの偶然から、本物の西住みほを発見してしまった。千鶴はすぐさま叫んだ。

 

「トラビ! そっちの『あんこう』は替え玉だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千鶴の報告を受け取り、トラビは双眼鏡を覗いた。路地へ出入りを繰り返すIV号戦車には確かにあんこうのマークが描かれ、砲塔から顔を出すのも西住みほそのものだ。しかし目を凝らせば、なるほど、IV号戦車にしては砲塔上に不自然な盛り上がりがあり、さらによく見ればリベットも確認できた。

 

「人間まで偽装したんやな! 大したもんやね!」

 

 トラビは感心し、楽しそうな笑みを浮かべた。砲火を交える中、敵の姿を正確に確認するのは難しい。味方同士の誤認・誤射さえ珍しいことではないのだ。IV号戦車を見慣れている自分たちを騙した相手を、トラビは心から賞賛した。

 同時に、ここから戦いの流れが変わることも理解していた。無線機を通じ、さらに連絡が入る。

 

《部下に以呂波を食い止めさせて、あたしに合流してくれ》

 

 千鶴は以呂波との直接対決という選択肢を、完全に切り捨てた。本物のフラッグ車を見つけ出した状況で、別の場所にいる妹を攻撃するなど、戦術的に無意味だ。野蛮さの中にも、常に冷めた目線で戦局を見る冷静さを持っている。彼女はそういう指揮官なのだ。

 

《軍神狩りにはお前の力がいる!》

「せやね、(カムイ)狩りはアイヌの仕事や」

 

 嬉しそうに答え、ちらりと右の路地を見る。矢車マリの、クーゲルブリッツ対空戦車が控えていた。

 

「マリちゃん、ここの指揮を頼むで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦局は動き始めた。観戦する守保は巨大モニターを注視する。

 西住みほは千鶴の相手をするより、敵フラッグを追うことを選んだようだ。IV号戦車とM3が追撃するも、高速を誇るI号C型にはなかなか追いつけない。しかし入り組んだ市街地でなら撃破の機会もあり得る。逆に千鶴はそれを利用して、I号C型を使ってみほを自分の射線上に出そうとするだろう。

 

 IV号に偽装したトゥラーン、以呂波の乗るタシュと交戦していたトラビの部隊は、彼女のKW-1改とIV号戦車J型が後退し、離脱する動きを見せている。千鶴に合流して援護しようと言うのだろう。偽装が見破られた以呂波たちはどう動くだろうか。

 そして決号の二式軽戦車も、奇妙な動きを見せていた。E-100の遺した150mm榴弾を積んだまま、交戦区域から遠ざかって行くのだ。その先にはバイパスを横断する橋が確認できる。果たして何を企んでいるのか。

 

 

「分からなくなってきたな、これは」

 

 唸りつつ、紙コップのコーヒーを一口飲む。ドナウ高校で飲んだコーヒーの方が美味だったが、常に贅沢を求めることはできない。秘書も同じ物を飲み、角谷杏は相変わらず干し芋を食べている。そして星江は何も口にせず、ただ試合の成り行きを見守っている。

 

「……守保」

 

 ふいに、彼女は息子の名を呼んだ。

 

「以呂波の戦車に乗っているのは、どんな子たちかしら?」

 

 それを聞いて、守保は母の横顔をちらりと見た。頬は少し痩けているが、眼光には鋭さがある。以呂波が右脚を失ってから急に老け込んだと聞いていたが、どうやら家元としての精神は健在のようだ。

 

「あんたが選手への評価を訊くのか? 男の俺に」

「例え金儲けのためでも、貴方は良い戦車乗りを大勢見てきたはずよ」

 

 視線をコーヒーカップへ戻し、若き実業家は一秒ほど思案した。星江の言う通り、ビジネスの上で官民問わず、多くの戦車乗りと関わってきたのだ。男である自分が戦車に乗ることはないが、普通の男よりは戦車乗りのことを理解している。

 

「……装填手の子はまあ、明るくて単純で、力がある。少しうるさそうだが、気遣いはできるタイプだ。装填手のポジションは丁度良いだろう」

 

 装填手の仕事は弾を込めるという単純作業だが、弾薬の管理に責任を持ち、他の乗員の補助をするのも仕事だ。決して軽い役割ではない。以呂波がその装填手として信頼をおいているのだから、相楽美佐子という少女はそのポジションでは有能なのだろう。

 

「砲手の子はどうも臆病みたいだが、以呂波が言うには集中力が凄いそうだ。実際命中率も良いし、自分の弱点を克服できれば立派な戦車乗りになれる。操縦手の結衣って子は優等生に見えるが、意外と野心があるタイプと見た。あの子はいずれ、戦車長をやらせてもいいと思う」

「なるほどね……」

 

 何かを考えるように、星江は数回頷く。

 

「通信手は?」

「会ったことがないから分からないな。以呂波が言うには落語家志望で、変人だとか……」

 

 ふと、守保が言葉を切る。モニターに新たな動きがあったのだ。

 

 トゥラーンの偽装を見破られた以呂波たちが、攻勢に出はじめたのである。

 

 




いろいろ考えた結果。
「リボンの武者」どころか「リトルアーミー」でさえガルパンだと認めない人もいるのだから、二次創作で読み手全員のニーズに応えるのは無理だと割り切りました。
ガルパンらしくないと思う人がいても別にいい(読む人全員がそうだったら問題だけど)。
ガルパンは落語のようなもので、人によって解釈の範囲は広いし、懐の深い作品ですから。
まあそれでも「男は戦車に乗らない」「死人は出ない」という原作のルールは遵守しますが(そういうテーマの二次創作を否定する意図はありません)、本作はあくまでも「私の書くガルパン」ということでひとつ、今後ともよろしくお願い致します。

さて、戦車道の試合中に犬の糞なんてものを出すのは嫌だったのですが、私としては西住殿がしくじったと思われる展開にはしたくなかったので、こういう「偶然」を起こす要素を作らざるをえなかったのです。
ご勘弁を願います。


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登場人物・戦車メモ3

モヤッとさんから一ノ瀬千鶴の立ち絵をいただいたので、掲載したました。
誠にありがとうございます!


福祉学科チーム

第四章から加入。

 

去石アンナ

好きな戦車:メルカバ

好きな花:ケイトウ

・福祉学科の一年生で、SU-76iの車長を担当。

・準決勝前に入隊したため経験は浅いが、献身的な態度でチームを支えようとする。

・おっとりとした性格や言動の割に運動神経は良く、体力もある。

・UPA農業高校の遺産であるSU-76iに乗ったことがきっかけで、ウクライナ文化に興味を持っている。

 

 

使用戦車

SU-76i自走砲

武装:S-1戦車砲(76.2mm)

最高速度:40km/h

乗員:4名

・ソ連軍が鹵獲したIII号戦車、またはIII号突撃砲を改造して作った駆逐戦車。

・モスクワやスターリングラードの戦いで多数のIII号戦車を鹵獲したソヴィエトは、それらがすでに非力であることを鑑み、自走砲に改造した上で自軍戦力に組み込むことを考えた。

・車体はほとんど手を加えず、箱型の密閉式固定戦闘室、T-34/76と同じ主砲(自走砲向けに改修したタイプ)を搭載している。

・『i』は『inostrannaya(外国製)』の略であり、オープントップのSU-76対戦車自走砲とは無関係である(搭載砲も違う)。

・1943年から実戦投入され、ウクライナの公園に記念碑として残されている。

・大戦後期になってはとりわけ強力な車両でもなかったが、居住性の良さなどから乗員には好まれたとされ、第三帝国を滅ぼすまで戦い続けた。

・千種学園の車両は前身の一つであるUPA農業高校から受け継いだもので、戦闘室上にIII号戦車のキューポラを搭載した指揮車両型である。

 

 

 

 

 

 

 

一弾流について

 

大戦末期、本土決戦に備えて訓練を勧めていた戦車隊があった。

隊長は海軍の夜襲飛行隊である『芙蓉部隊』に触発され、「安直に玉砕を行わず、可能な限り踏みとどまって敵を道連れにする」ことを前提とした部隊訓練を行っていた。

終戦の際、隊員たちは無条件降伏に納得しなかったが、芙蓉部隊が武装解除したのを受け停戦、解散した。

その部隊を母体として生まれた戦車道流派が一弾流である。

基本的には戦車を偽装して敵を待ち受け、伏撃で相手を倒す戦法を用いるが、好機と見れば奇襲攻撃も行うので、防御一辺倒の流派ではない。

その一方で生身での対戦車戦闘や銃剣術といった、戦車道では全く役に立たないことも「精神・肉体の鍛錬」として教える。

また、原型が大戦末期の過酷な状況で生まれたため、『良妻賢母の育成』『格式ある伝統』といった戦車道の理念は考慮しておらず、『強靭な精神を持ちつつも、精神論に寄らぬ合理的な判断で苦難に打ち勝つ』ことのみを追求している。

多くの流派が邪道と嫌悪する強襲戦車競技(タンカスロン)も、「車両性能に頼らぬ心構えを育める」と奨励している。

そうした点が気に入らない派閥からはよく批判され、西住・島田といった大手流派からも邪道扱いされることが多い。

ただし家元も門下生も自分たちが邪道であることを認めており、王道の戦が行えない状況で真価を発揮する流派だと主張している。

また自衛隊からはドクトリン上の理由で一定の評価を得ているため、陸自で優秀な戦車乗りとなった門下生も多い。

なお、宗家である一ノ瀬家では長女の名前に『星』の一字を入れる伝統があり、これは急降下爆撃機『彗星』を使った芙蓉部隊に対する敬意とされている。

 

 

決号工業高校

男女共学の工業系高校。

いわゆる『不良学校』で、かつて学園艦は無法地帯の様相を呈しており、暴力事件は日常茶飯事だった。

文科省からは「廃校にしても生徒の受け入れ先がない」という理由で統廃合の対象外とされており、大洗女子学園などからすれば皮肉な結果となった。

戦車道においては多数の戦車を保有する強豪だったが、生徒の素行の悪さが原因で全国大会から追放され廃止。

しかし一ノ瀬千鶴の入学によって再編され、タンカスロンで徐々に名を揚げ、不良グループとの暴力的抗争にも勝利して校内での地位を確立した。

千鶴が三年生となった今では校内の治安も遥かに良くなったが、未だ全国大会への出場は認められていない。

工業系だけに工作設備は充実しており、かつて艦内工廠で自作した四式中戦車、五式中戦車のような未完車両も保有している。

また無法地帯と化してからも心底機械いじりが好きな生徒も多く、整備能力は非常に高いレベルを維持していた。

学園艦の形状は雲龍型航空母艦の設計を踏襲。

 

 

 

一ノ瀬 千鶴

 

【挿絵表示】

 

好きな戦車:一式砲戦車ホニI

好きな花:チューベローズ(花言葉:危険な快楽)

・決号工業高校を率いる三年生。一ノ瀬家の次女で以呂波の姉。

・荒くれ者揃いの戦車隊を率いる姿から『山賊の親玉』『梁山泊の頭』などと呼ばれているが、他者の気持ちを察する能力に長け、優れた人心掌握能力を持つ。

・一弾流らしく伏兵戦術を得意とする狡猾さと、タンカスロンでは火炎瓶による肉薄攻撃まで行う過激さを持ち合わせている。

・姉妹三人の中でも特に優秀でありながら後継者候補から外され、当人も自分はアウトローだと割り切っている。

・以呂波を大事な妹として可愛がる一方、彼女に対して複雑な感情も抱いていた。

 

黒駒 亀子

好きな戦車:二式軽戦車ケト

好きな花:フジザクラ

・決号工業高校の副隊長で、建築学科の三年生。山梨県出身。

・千鶴とは入学時からの付き合いで(名前が縁起が良いという理由で無理矢理副官にされた)、互いに「鶴」「亀」と呼び合うほど仲が良く、また彼女の命令しか聞かない。

・物事に抽象的な価値を見出さない性格で、戦車を「高価な棺桶」程度にしか考えていない。

・その一方で自分なりの義侠心を持って戦車道に臨んでいるため、後輩からは「黒駒の親分」と慕われている。

・一弾流に入門する気はないが、それは千鶴の命令にしか従いたくないからであり、千鶴が師範代にでもなれば弟子入りしてもいいと考えている。

 

清水 奈緒

好きな戦車:九七式軽装甲車テケ

好きな花:ツツジ

・決号工業高校三年生。静岡県出身。

・古参の隊員だが、最初は整備担当だったため機械類に造詣が深く、試合中にもそれを生かして自車のコンディションを保つ。

・姉御肌で、後輩の面倒をしっかり見る性格。

・冷静な判断力を買われ、五式砲戦車の車長を任される。

 

 

使用戦車

五式中戦車チリ

武装:試製七糎半戦車砲(75mm)、一式三十七粍戦車砲(37mm)、九七式車載重機関銃(7.7mm)×2

最高速度:45km/h

乗員:5名または6名

・大戦末期に日本で設計されていた中戦車で、試作車は主砲以外完成していた。

・主砲の75mm砲は当時の日本人の体格では装填が困難とされ、半自動装填装置が開発されていたが、終戦まで不調を解決できなかった(決号の車両では調整されている)。

・車体前面に搭載された37mm副砲は二式軽戦車の砲と同じものだが、搭載された理由についてはよく分かっていない。

・車体はティーガーII並の巨体となっており、旋回を容易にするため幅広の両端だれ履帯を採用し、軽快に走行したという。

・装甲は最大で75mm、エンジンは航空機用の液冷ガソリンエンジンをデチューンして搭載、砲塔は日本戦車初のバスケット構造を採用している。

・装甲の割に大きな車体、副砲の存在意義など、無駄の多い戦車ではあるが、千鶴は「だからこそ決号のシンボルに丁度良い」として隊長車に選んでいる。

 

四式中戦車チト

武装:五式七糎半戦車砲(75mm)、九七式車載重機関銃(7.7mm)×2

最高速度:45km/h

乗員:5名

・歩兵支援用戦車に限界を感じた日本陸軍が、最初から対戦車戦闘を目的に開発した中戦車。

・当初は長砲身57mm砲の搭載を予定していたが、列強の戦車の発達を鑑み、75mm砲を採用した。

・車体は溶接、砲塔は鋳造で作られたが、砲塔部は鋳造技術の不足により一部ボルト止めで、T-34やM4シャーマンには防御力・生産性共に劣る。

・資源の枯渇などにより、終戦までに試作車が2両(6両との説もあり)作られたのみで、本格量産は行われていない。

・トランスミッション等は戦後、国産MBTの試作に活かされている。

・決号では主力を担い、一弾流のゲリラ戦術で他国製戦車に対抗する。

 

二式軽戦車ケト

武装:一式三十七粍戦車砲(37mm)、九七式車載重機関銃(7.7mm)

最高速度:50km/h

乗員:3名

・九五式、九八式の後継として開発された軽戦車。

・基本的に九八式軽戦車を改良したもので、より強力な主砲を搭載すると同時に砲塔の内部容積を増やし、乗員の作業性を高めている。

・平地では50km/hを出すことができ、日本戦車としては高速だった。

・空挺戦車としての運用も考慮されており、グライダーに搭載するため滑らかな車体形状をしている。

・1944年に29両が完成したものの、搭載する輸送グライダーの開発が難航しており、そもそも戦局の悪化で空挺作戦を行う機会さえなくなったため、本土決戦用に温存され終戦を迎えた。

・決号は新造車両を含めて複数保有しており、一部はタンカスロン用に規格外の改造が施されている。

 

三式砲戦車ホニIII

武装:三式七糎半戦車砲II型(75mm)

最高速度:38km/h

乗員:5名

・オープントップの一式砲戦車ホニIの改良案から生まれた車両で、密閉された固定戦闘室を持つ。

・主砲は三式中戦車チヌと同じく九〇式野砲をベースとした物。

・砲戦車は榴弾や煙幕弾で戦車部隊を支援するための車両だが、本車は対戦車戦闘も想定し、直接照準装置を搭載している。

・車体は九七式中戦車からの流用だが、前方機銃は撤去されている。

・生産数は90両とされるが、本土決戦用に温存され、実戦投入はなかった。

・決号では味方の支援や敵の足止めに使われる。

 

二式砲戦車ホイ

武装:九九式七糎半戦車砲(75mm)、九七式車載重機関銃(7.7mm)

最高速度:44km/h

乗員:5名

・対戦車砲陣地を排除するために開発された砲戦車。

・一式中戦車チヘの車体をベースとして回転砲塔を有し、大口径歩兵砲の四一式山砲を改造して搭載している。

・四一式山砲は対戦車砲として使われることもあり、徹甲弾も用意されていた。

・大戦後期には100mmの装甲を貫通できる二式穿孔榴弾(成形炸薬弾)が開発されており、対戦車兵器としても期待がかけられた。

・30両が生産され、本土決戦用に配備されていた。

・決号では2両を保有しており、煙幕弾による支援を主な任務としているが、場合によっては穿孔榴弾による直接戦闘も行う。

 

試製新砲戦車(甲)ホリII

武装:試製十糎戦車砲(長)(105mm)、一式三十七粍戦車砲(37mm)、九七式車載重機関銃(7.7mm)

最高速度:40km/h

乗員:6名

・大戦後期に日本軍が開発していた無砲塔戦車で、五式砲戦車とも通称される。

・独ソ戦における戦車の恐竜的進化を鑑み、M26パーシングさえ撃破できる105mm砲を搭載、車体は五式中戦車をベースとした。

・装甲厚は正面125mm、側面25mmとされる。

・I型とII型があり、前者はエレファント、後者はヤークトティーガーに似ている。

・主砲はほぼ完成していたが、車体が製造中に終戦を迎えた。

・千鶴は『士魂杯』を通じて一弾流の短所を考え、それを補うため八戸タンケリーワーク社からII型を購入、測距儀も搭載し遠距離支援に用いた。

 

 

 

 

 

 

ドナウ高校

ドイツ系の学校。

建築などの技術・芸術に関する教育が盛ん。

コーヒーには拘りがあり、生徒の大半が自前のコーヒーメーカーを持っているという。

艦上設備はドイツの古都をモチーフとしたレトロなデザインで、それに惹かれて入学する生徒も多い。

戦車道もIV号系列の車両を中心として十分な戦力を持っているが、校長や生徒会は黒森峰との関係に配慮し、公の戦車道大会への出場は消極的だった。

しかし『大洗の奇蹟』以降、隊員たちに世に出たいという機運が高まり、トラビの策動によって士魂杯への出場が決まった。

学園艦はドイツ商船を改造した空母『神鷹』をモデルとしている。

 

 

トラビ

好きな戦車:KPz.70

好きな花:エゾルリソウ

・ドナウ高校の隊長で三年生。アイヌ人の父と大阪出身の母の間に生まれ、当人は関西風の言葉を喋りながらもアイヌ系であることに拘っているため、周囲からの評価は「わけのわからない人」で一致している。

・常に飄々として掴み所のない言動を繰り返す一方、体調が悪いメンバーは戦車に乗せないなど、チームのコンディション管理は徹底しているため、仲間からの信頼は厚い。

・グデーリアン流を学んでおり、正攻法と変則的な戦法を組み合わせて相手を追い込む。

・しかし彼女の本当の恐ろしさは、八九式を排除するためにわざわざクーゲルブリッツを持ち出すなど、予測不能な策を考える発想力である。

・趣味はムックリの演奏とブレンドコーヒーの研究で、後輩たちとの交流にも役立っている。

 

矢車マリ

好きな戦車:レオパルト1

好きな花:エーデルワイス

・ドナウ高校一年生隊員のリーダー。黒森峰女学園を受験したが不合格となり、滑り止めでドナウ高へ入学。

・黒森峰に入れなかった悔しさから高慢な態度を取っていたが、トラビの影響と精神的に余裕ができたことで、すっかり砕けた性格になった。

・共に過ごすうちにトラビへ尊敬の念を抱くようになり、彼女からもらったマタンプシ(アイヌの鉢巻)を大事に使っている。

・練習試合以降、以呂波のことが強く印象に残っており、再戦を望んでいた。

・トラビからも『士魂杯』を通じて腕を上げたことを認められ、副隊長の代理、そして大洗八九式中戦車の排除という大任を任される。

 

シェーデル

好きな戦車:VT1

好きな花:キスツス

・ドナウ高校二年生。I号戦車C型の車長。

・搭乗車両の高速故にか、搭乗時は髑髏の描かれた目出し帽とゴーグルで顔を防護し、同じく骸骨が描かれた手袋を身につける。

・スピード狂と思われているが、実際は常にテンションが高いだけで、どんな戦車でも楽しく乗れるのが長所だとトラビに評されている。

・背が高い割に胸が小さいこと、そして童顔なことを気にしている。

 

 

Pz.Kpfw.KW-1 753(r) mit 7.5cm kwk L/43

武装:kwk40 L/43戦車砲(75mm)、DT車載機関銃×2(7.62mm)、MG34(7.92mm)×1

最高速度:28km/h

乗員:5名

・ドイツ軍がソ連軍重戦車KV-1を鹵獲し、改造を加えたもので、少なくとも一両の存在が確認されている。

・主砲はIV号戦車の43口径75mm砲を防盾ごと移植し、同じくIV号のキューポラ、そしてT-34の換気装置を搭載した。

・元となったKV-1は1942年型で、正面装甲120~130mmという重装甲を持つが、装甲強化に対して足回りの改良はされておらず、トラブルが絶えなかった。

・当時のドイツ軍は慢性的な戦車不足に悩んでおり、鹵獲戦車を使用した事例は多く見受けられる。

・ドナウ高校は砲身のないKV-1を安価で入手できたので、IV号用の予備砲身等を搭載、足回りにもチューンナップを施して滑らかな走行を可能にした。

・同校では『KW-1改』の名で隊長車として運用されており、その重装甲を活かして部隊の先陣を切る。

 

I号戦車C型

武装:EW141対戦車ライフル(7.92mm)、MG34機関銃(7.92mm)

最高速度:78km/h

乗員:2名

・ドイツ軍が開発した偵察・空挺用戦車で、I号の名を持つが他のタイプのI号とは別設計である。

・マイバッハ社製HL42Pエンジンを搭載、後のティーガーと同じく上部支持転輪のない大直径転輪を採用し、最高78km/hもの高速性能を誇った。

・装備するEW141対戦車ライフルはこの車両特有の武装で、機銃と同じ口径だが、300m先から30mmの装甲を貫通できる威力を持っていた。

・III号・IV号といった主力戦車の生産が優先されたためか、少数の生産に止まった。

・ドナウ高校の車両は史実で計画のみに終わったHL61Pエンジンを搭載、さらに規約の範囲内で改造が施されており、校内の速度試験(もちろんベストコンディションの状態でだが)にて90km/hの記録を出した。

・半面多岐にわたる改造の結果、原因不明の不調が頻発し、機関部を叩くと調子が良くなるなど妙な癖を持ってしまったが、トラビやシェーデルは「そのくらいは愛嬌」であるとして問題にしていない。

 

IV号戦車J型

武装:kwk40 L/48戦車砲(75mm)、MG34機関銃(7.92mm)×2

最高速度:38km/h

乗員:5名

・ドイツ軍のワークホースたるIV号戦車の最終型。

・戦局の悪化に伴い、前タイプであるH型を簡略化した型で、各部のパーツが減らされ、構造も単純化されている。

・主砲は強力な48口径75mm砲だが、砲塔旋回用の補助エンジンが廃止されており、人力で旋回させる必要があった。

・その分燃料タンクが増設されて航続距離は伸びているが、これは戦場での給油が極めて困難な、悪化した戦況を鑑みてのことである。

・シュルツェンは資源節約のため『トーマシールド』と呼ばれる金網に変更され、対戦車ライフルは防げないものの、成型炸薬弾には効果があった。

・ドナウ高校では二両が配備されているが、砲塔旋回が人力のため嫌われており、その部分のみH型仕様に改装すべきとの意見が出ている。

 

IV号突撃砲

武装:kwk40 L/48戦車砲(75mm)、MG34機関銃(7.92mm)

最高速度:40km/h

乗員:4名

・IV号戦車の車体に、III号突撃砲G型の上部を組み合わせて作られた突撃砲。

・IV号戦車ベースの突撃砲は1943年4月から計画されていたが、同年11月の空襲によってIII号突撃砲の生産が止まってしまい、代用として量産が決定された。

・同時期に開発されたIV号駆逐戦車ラングより防御力は劣るものの、重量バランスの良い本車の方が機動性と操縦性に優れていた。

・尚、それまでIII号突撃砲は単に「突撃砲」と呼ばれていたが、本車と区別するため「III号」と付けられるようになった。

・ドナウ高校では主戦力の一角であり、乗員たちから愛されている。

・グデーリアン流と西住流を基本とするドナウ高校だが、待ち伏せを得意とする本車の存在により、さらに臨機応変な戦術が取れるチームになった。

 

クーゲルブリッツ対空戦車

武装:Flakzwilling103/38連装高射機関砲(30mm)、MG34機関銃(7.92mm)

最高速度:38km/h

乗員:5名

・IV号戦車の車体を改設計し、密閉砲塔と連装機関砲を搭載した対空車両。

・砲塔は二重構造になっており、外殻で横旋回を行い、内側の球形砲塔自体が俯仰することで仰角をとる(-7~+80度まで。砲塔内の乗員もそれに合わせて姿勢が変わる)。

・車体はIV号J型がベースだが、砲塔リングがティーガーと同じサイズに拡張され、それに伴い操縦手・通信手用ハッチの形状が変更された。

・搭載された機関砲は対戦車攻撃機Hs129に搭載されていたMK103型を連装にした物で、弾薬はベルト給弾で合計1200発(砲一丁につき600発)携行できる。

・極少数が生産されてベルリンの戦いに使われたとされるが、その戦歴は伝わっていない。

・一両がドナウ高校の船倉に分解状態で保管されていたが、機関砲の連射性能に目をつけたトラビが対八九式に使うことを考え、急遽組み立てられた。

 

E-100超重戦車

武装:kwk44/L38戦車砲(150mm)、kwk44/L36.5戦車砲(75mm)、MG34機関銃(7.92mm)

最高速度:40km/h(予定値)

乗員:5名

・重量ごとに戦車のパーツ規格を共通化する『E計画』の一環として開発されていた超重戦車。

・全長10.27m、重量140tを超え、装甲は最大200mmの厚さを誇り、避弾経始を考慮すればマウス以上の防御力を誇る。

・武装はマウスの物を流用した128mm砲の搭載が予定されていたが、最終的には150mm砲搭載、さらに駆逐戦車型として170mm砲の搭載も予定されていた。

・無茶なスペックにも関わらずEシリーズの中では最も開発作業が進んでおり、終戦後もアメリカ軍の命令で作業は続行され、車体のみ完成した。

・車体は走行できなかたとされ、興味を失ったアメリカ軍はイギリスに本車を提供したが、イギリス本土に持ち帰った後の記録は残っていない。

・ドナウ高校では入手経路は不明なれど一両を保有しているが、運用面の問題から一度も使ったことはなく、『士魂杯』準決勝で初めて日の目を見た。



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鋼のユサールです!

 四式中戦車の砲声がビルに反響する。放たれた75mm徹甲弾はタシュ重戦車を射線に捉えていたものの、砲塔前面の装甲に弾かれた。直前に以呂波が回避行動を指示していたためである。その車長席に立つ以呂波は衝撃でよろめくも、油圧式の膝関節はしっかりと主を支えた。

 必勝を期した『ニセ住みほ作戦』は破綻した。だが敵フラッグ車であるI号C型を、IV号戦車の前に出すことはできた。ただし、千鶴の乗る五式中戦車チリのおまけ付きで。

 

《私たちは敵フラッグを叩きます! 一ノ瀬さんたちはできる限り、敵の戦力を抑えてください!》

《了解、全力を尽くします。先ほどでんでん虫チームが線路を通って市街地に……》

 

 無線で言葉を交わすみほと以呂波。さすが熟練した指揮官だけに、二人とも判断にも澱みがない。

 

 愛車共々あんこうチームに扮した大坪はその声を聞きつつ、敵陣を見やった。先ほどまで敵の砲口は彼女のトゥラーンIIIに向けられたが、今は以呂波のタシュ重戦車が狙われている。フラッグ車が偽物だと分かった以上、相手は千種学園の隊長車を優先攻撃目標としたのだ。

 

 そして敵の隊長車、KW-1改が後退を始めた。幅広の履帯で道路を踏みしめ、戦闘区域から離れようとしている。四式中戦車とIV号突撃砲が路地から飛び出して発砲してきたので、大坪はすぐさま自車をビルの陰へ退避させた。75mmの徹甲弾が至近を掠めていくのを感じる。

 同時に彼女は相手の意図を察した。無論、以呂波もである。千鶴は西住みほ相手に単騎で挑もうとはしないだろう。それにあんこうチームと共に行動しているウサギさんチームを、どうにかして排除しようとするはずだ。

 

《西住さん! ドナウの隊長車がそちらへ向かおうとしています!》

「一ノ瀬隊長、私が追うわ!」

 

 大坪は叫ぶ。彼女と以呂波の車両は丁度、道を挟んだ向かいの路地に身を隠していた。以呂波がタシュの砲塔から振り向き、大坪を見つめる。その時間は一瞬だった。互いの目が合った直後、義足の隊長は決断した。

 

《分かりました、援護します。大坪先輩はKW-1改を撃破し、合流を阻止してください》

 

 その命令に「よし」と呟き、頭へ手をやった。今や無用の物となった、みほの茶髪を模したウィッグを脱ぎ捨てる。自前の黒々としたショートヘアが露わになった。

 トゥラーンIIIの外見上の特徴は、砲塔上面のトサカ状の張り出しだ。砲の大型化に伴い、砲尾が天井に当たるのを防ぐため、砲塔の上部をかさ上げしてあるのだ。ポルシェティーガーにも見られる細工だが、トゥラーンのそれは特に大きい。大坪が顔を出すハッチはその上に配置されていた。彼女は装甲の張り出しを馬のたてがみに見立て、そっと撫でる。セール号と同様、このトゥラーンもまた、大坪にとって大事な相棒だった。

 

 二次大戦期のハンガリーは戦車の国産化に努め、兵器としての重要性を認識していたが、戦車競技には忌避感を持っていた。国民の馬への愛着故にだ。西住流が元は馬上砲術だったように、東西の戦車競技の多くは馬術から発展している。そのためマジャル人たちは軍事のみならずスポーツにおいてまで、戦車が馬に取って代わることを恐れたのである。そのためか、ハンガリー戦車を使う戦車道チームは世界的に見ても少ない。

 

 だが大坪はこのトゥラーン戦車と苦楽を共にし、単なる人殺しの兵器という枠を超えた、戦車の良さに気づき始めていた。出島期一郎が言ったように、生き物でも機械でも、乗り物のことを理解して大事に乗ってやれば、必ず乗り手の期待に応えてくれる。人間と機械との間にも、確かに絆は存在するのだ。

 一回戦では活躍できたが、先の二回戦では何もできないまま撃破された。今回はみほの影武者という大役を命じられたものの、それもすでに必要なくなった。ならばチームのため、やるべきことを全力で成すしかない。

 

「行くよ、私の宝物(キンチェム)

 

 

 

 

 作戦は決まった。その中で船橋はトルディIIa軽戦車を駆り、味方の援護に奔走していた。徒歩偵察を行うT-35乗員たちの声に耳を傾けながら、味方の側面へ赴き『火消し』となる。

 スウェーデンで生まれ、ハンガリーで独自の発展を遂げたトルディ軽戦車だが、二次大戦ではすぐに力不足となり見切りをつけられた。しかし本物の戦場と違い、戦車のみで戦わねばならない戦車道でなら、軽戦車でも強みを発揮できる場面はある。40mm戦車砲とて近距離から側背面を狙えば十分な貫通力を発揮するし、インファイトを強いられる路地では『取り回しやすさ』という利点があるのだ。

 

《IV突が電気屋の裏手から、味方の側面を取ろうとしています!》

「了解、今向かうよ!」

 

 農業学科チームの報告に応え、船橋は即座にトルディを走らせる。傾斜した車体前面の装甲に千種学園の校章が輝いていた。以前は同じ場所に、アールパード女子高の校章が描かれていたであろう。同じ学園艦で暮らしていた船橋にとっても、この戦車は思い入れのある存在だった。

 今までの試合を通じて操縦手の練度も向上しており、コンクリートの地面を軽快に走る。船橋は地図を見ながら方向を指示した。

 

「そこ、左!」

 

 操縦手がハンドルを切り、左折する。入念に整備された足回りは旋回もスムーズだ。

 曲がった先にジャーマングレーの車体が見えた。低いシルエットの突撃砲だ。車体にはドナウ高校の十字形校章が描かれており、カバさんチームのIII突ではないと確認できた。信地旋回で車体の向きを変え、大通りにいるルノーB1bisへ砲を向けようとしている。

 

「カモさん、左から狙われてる!」

《うわっ! バックバック!》

 

 ゴモ代の声が聞こえ、B1bisのずんぐりとした車体が後退し、射線から逃れた。同時に船橋は砲塔内に身を収め、徹甲弾を手に取る。武装が20mm対戦車ライフルから40mm戦車砲になり、彼女も装填の訓練に励んできた。素早く薬室へ押し込んだとき、砲手はすでに照準を行っていた。

 IV突もトルディの存在に気づいたようだが、もう遅い。

 

「撃て(フォイア)!」

 

 轟音と共に発砲炎が光った。放たれた徹甲弾はIV号突撃砲の後部、厚さ30mmの装甲を直撃した。船橋は覗視口から敵車両の様子を確認する。無効だった場合、即座に次弾を撃つつもりでいた。しかしその必要はなく、IV突のエンジンルームからは黒煙が吹き出し、戦闘室からは白旗が揚がった。

 一両撃破だ。

 

「後退して! 離脱するわよ!」

 

 命令を下しつつ、硝煙香る砲塔から顔を出した。ギアを切り替え、トルディはバックで元の路地に戻る。休んではいられない、クーゲルブリッツが軽戦車狩りにやってくる。30mm機関砲の弾幕を相手にしては勝ち目がない。しかしこちらが背後を取って先に撃てば、撃破は可能だ。

 

 しかし、一旦味方の方角へ走ろうとしたとき。船橋は背後にエンジンの音を聞いた。

 振り向いたとき、そこにはすでに球形砲塔の対空戦車が。

 

「な……!」

 

 咄嗟に、操縦手の右肩を蹴る。しかしハンドルを切って回避行動を取った瞬間、30mm機関砲が火を噴いた。放たれたのは連装砲の右側だけだったが、曳光弾が帯を引いてトルディの装甲板に跳ね返る。そして徹甲弾は鈍い音を立て、そこへ複数の弾痕を穿った。

 船橋が対衝撃姿勢を取った直後、トルディは建物に衝突して行き脚を止める。その直後に砲塔から白旗が飛び出した。

 

《千種学園・トルディ軽戦車、走行不能!》

 

 

 

 

 揚がった白旗とアナウンスで撃破を確認し、矢車マリは仲間の元へ引き返し始めた。クーゲルブリッツ対空戦車の砲塔は三人乗りだが、今は彼女と右機関砲の砲手しか乗っていない。そして仕切られた車体の方には操縦手のみが搭乗し、通信手は降車していた。

 

「上手くいきましたね」

 

 右砲手が笑顔を向ける。今回二両目の戦果だ。

 

「うん、IV突を一両失ったのは痛いけど、一先ず……次、左折」

 

 言葉を切り、指示を下す。クーゲルブリッツは砲塔と車体が完全に仕切られているため、車長が操縦手の肩を蹴って方向を指示することができないのだ。

 路地を曲がった先で、降車していた乗員二名と落ち合う。矢車と同じ騎兵風パンツァージャケットを来た少女二人が、手を振りながら駆け寄ってきた。矢車も右手を軽く上げ、彼女たちを労う。

 

 千種学園がT-35の乗員に徒歩偵察をさせていることを、矢車は察していた。そこで自車からも乗員を偵察に出し、斥候の居場所を探らせ、見つからないルートを通って奇襲をかけたのだ。

 クーゲルブリッツの任務は軽装甲車両の排除。これで最優先撃破目標であった八九式に続き、トルディIIaが片付いた。矢車としても練習試合で手玉に取られた借りを返せた。後はトラビたちが本物のフラッグ車を倒すまで、この区域の指揮を取らねばならない。

 

 黒駒亀子が何をするつもりかは聞いていた。今頃バイパスの頭上にかかる橋で作業にかかっていることだろう。決号工業は荒っぽいことをするものだと呆れたが、よくよく考えれば『大洗紛争』で行われた数々の作戦に比べれば、どうということはないかもしれない。それでも成功すればそこで勝負が決まる大仕掛けだ。ただトラビも千鶴も本音では、尋常の勝負でかの西住みほを仕留めることを望んでいるのではないか……矢車にはそう思えた。

 

 大通りの砲声は静かになった。が、エンジンの唸り声、というよりも雄叫びが聞こえてくる。刹那、通信が入った。

 

《ポル公が正面から突っ込んでくるぞ!》

 

 決号の四式中戦車からの報告だった。クーゲルブリッツが大通りに顔を出した直後、矢車もそれを目撃することとなった。

 無骨な車体に88mm砲を搭載した、失敗作の烙印を押された重戦車。ガス・エレクトリックの猛虎がこちら目掛けて突進してくる。強引に突破し、トラビを追うつもりか。

 

「左機関砲、履帯狙って」

 

 機関砲を左右交互に使うのは弾の節約と砲身冷却のためだ。クーゲルブリッツの揺動砲塔はマイナス五度まで俯角を取れる。ポルシェティーガーの幅広の履帯も、30mm弾なら破壊はできるはずだ。もう一度足を止めてもらおう。

 しかし左砲手が発射ペダルを踏もうとしたとき、予想外のことが起きた。ポルシェティーガーが急加速したのだ。

 

「な、何!?」

 

 矢車は驚愕の声を上げた。虎は電気モーターのブースターシステムを使用し、重戦車の域を超えた異様な速度を叩き出す。I号C型の全開走行には及ばないが、凄まじい速度で迫ってくるジャーマングレーの虎には凄まじい威圧感があった。砲手は慌てて砲塔を旋回させて狙おうとするが、ポルシェティーガーはすぐに目の前を通過してしまった。

 そしてその背後に、IV号に扮したトゥラーンIIIが追従していた。

 

「阻止して!」

《任せな!》

 

 威勢の良い声から僅かな間を置き、四式中戦車チトが路地から飛び出す。そのとき砲塔はすでにポルシェティーガーへ指向しており、距離は衝突寸前にまで迫っていた。チト車の75mm砲はIV号戦車などのそれと比べ、いくらか貫通力が劣る。ポルシェティーガーの100mmの正面装甲を確実に貫くため、ギリギリまで引きつけてから飛び出したのである。度胸と熟練度、両方を兼ね備える決号だからこそできる技だ。

 

 しかしその五式七糎半戦車砲が火を吹こうとしたとき、ポルシェティーガーは急激に転回した。そのとき矢車も、チトの車長も再び驚愕する羽目になった。大洗自動車部の驚異的な技術力は広く知られている。しかし鈍重なポルシェティーガーを『ドリフト走行向け』にチューンしていたなどと、誰が想像できようか。

 激しいスキール音を立てながら、虎はスピンして射線をかわす。後部から黒煙が吹き出していた。矢車はエンジンブローかと思ったが、すぐに煙幕だと気付いた。

 

 煙に身を隠しながら味方の方へ退いていくポルシェティーガー。そしてその煙に紛れたトゥラーンが、チト車の横を掠めるようにして突破した。シュルツェンがチト車の装甲に当たって折れ曲がり、バラバラと外れていく。大洗の校章が描かれた一枚が支柱と共に脱落し、地面に転がった。

 同時に、他の大洗・千種の車両が一斉に発砲した。IV突や四式が隠れている周囲に榴弾が着弾する。トゥラーンを追おうとした車両は出鼻を挫かれた。さらに榴弾の爆発で建物が一部崩れ、瓦礫が塵と共に降り注ぐ。一部の車両は目の前に積み重なった障害物のせいで、追撃を断念せざるを得なくなった。

 

 そうしている間に、トゥラーンは遠ざかって行く。

 

「トラビ隊長、偽物がそっちへ行きました!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 KW-1改のキューポラから、トラビは後ろを振り返った。護衛に連れてきたIV号戦車J型が、トーマシールドを軋ませながら着いてきている。やがてそのさらに後方から、追い上げてくる小豆色の戦車が見えた。

 トゥラーンIIIは車体右側のシュルツェンがなくなり、左右非対称のシルエットとなっていた。嵩上げされた砲塔上には大坪が顔を出している。まだ大洗のパンツァージャケットを着ているものの、ウィッグを捨て去った今、西住みほでないことはすぐに分かる。

 

「後方に敵。五号車、迎え撃ってや」

了解(ヤヴォール)

 

 IV号J型は信地旋回を行い、後ろを向いて停車した。このJ型はIV号戦車の最終型ではあるが、生産工程簡略化のための急造品なのだ。砲塔は旋回用モーターが省略されており、乗員が手回しで動かさなくてはならない。九十度の旋回につき、重いハンドルを八十五回も回す必要があった。

 だが装填手が補助ハンドルで旋回を手伝い、IV号J型は素早くトゥラーンに照準を合わせた。

 

 その直後に、発砲。マズルブレーキから炎が広がった。しかしトゥラーンは直前に一瞬だけ右へ車体を振り、続いて左へと操向レバーを切る。このフェイントで微妙に照準がずれ、徹甲弾は砲塔部のシュルツェンをもぎ取るだけに終わった。あんこうマークを大きく描いた鉄板が後方へ吹き飛んでいくが、大坪は構わず敵を注視する。

 J型が離脱しようとするも、トゥラーンは立ち止まることなくそれに肉薄した。大坪はハッチから顔を出したまま、撃て(トゥーズ)の号令をかける。

 

 至近距離でのすれ違いざま、ほんの一瞬の隙に、トゥラーンはIV号へ一撃を見舞った。金網のトーマシールドは成形炸薬弾なら防げるが、徹甲弾には意味がない。轟音と共に放たれた75mm弾は金網に穴を空け、砲塔側面を穿った。

 舞い散る破片、砲塔から飛び出す白旗。トゥラーンは微妙な加減速以外立ち止まることなく、そのままトラビを追う。

 

「しゃーない、相手してあげよか!」

 

 ニヤリと笑い、トラビは操縦手に反転を命じた。装甲の分厚い正面を向け、相対する。

 

「徹甲弾込め! 偽物にはご退場願うで!」

 

 装填手が素早く、75mm徹甲弾を装填する。高い音を立てて閉鎖機が閉まった。ソ連製戦車にIV号戦車の主砲を積んだため、照準機もドイツ製の、三角形でシュトリヒを測るタイプに換装されている。それを覗きながら、砲手はトリガーに指をかけた。

 

 だがそのとき、偽物は予想外の動きを見せた。突然車体を大きく振ったのだ。

 まさか、とトラビは思った。急激な転回操作によって、トゥラーンの履帯はけたたましい音を立てながらコンクリートの上を滑っていく。車体は横を向き、慣性でドリフトしながらトラビの右へと回ってくる。

 

 それは昨年の全国大会決勝にて、本物のあんこうチームが見せた動きそのものだった。

 

「八時方向へ後退! 壁を背に!」

 

 トラビの判断は咄嗟のものだったが、論理的だった。VW-1改は後部をビルの壁へぴたりとつけ、背後へ回られることを防いだのだ。

 しかしトゥラーンはドリフトによって履帯や転輪を破損しながらも、KW-1改の側面を取った。そしてその喉元に、75mm長砲身を突きつけた。重装甲でも十分貫通可能な、超至近距離で。

 一方のトラビもKW-1の砲塔を回させた。だが彼女の砲がトゥラーンを捉えるのはほんの一瞬だけ遅かった。

 

 

 刹那。砲声が空気を揺さぶった。




お読みいただきありがとうございます。
キリの都合上、ちょっと文字数多めです。

ハンガリーが戦車道に消極的というのは、ガルパン公式設定にハンガリー系の学校がない(ブルガリアやルーマニアがあるのに)理由を考えてみた結果です。
史実の日本軍騎兵科も、馬を愛するがゆえに戦車への転換が遅れていたので。

そして大坪がトゥラーンを「キンチェム」と呼んでいますが、これは二重帝国時代に活躍した名馬の名でもありす。
ヨーロッパ中で五十四のレースに出場し完全無敗という戦績もさることながら、飼育員や相棒の猫との絆など人間臭いエピソードもあり、大変魅力的な馬です。

さて、ここからは激しい戦いを立て続けに書かねばんりませんが、また多少間が空くかもしれないので、ご了承ください。


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橋はちゃんとあります!

 やられた。トラビはそう思った。

 大坪も寸前まで撃破を確信していただろう。

 

 だがトゥラーンIIIの砲手が必殺の接射を放とうとした瞬間、その砲塔左側を105mm砲弾が叩いた。大口径の徹甲弾の直撃でシュルツェンは吹き飛び、トゥラーンの主砲は横へ大きくぶれて撃発した。放たれた75mm砲弾はKW-1改の脇を通過し、ビルの外壁に当たった。コンクリートの破片が宙を舞い、バラバラになったシュルツェンが地面に転がる。

 トゥラーンの装甲を固定するリベットもいくつか吹き飛び、砲塔側部に確かな弾痕が穿たれていた。やがて砲塔の小さなハッチが開き、白旗が揚がる。

 

《有効! 千種学園・トゥラーンIII、走行不能!》

 

 トラビはトゥラーンの姿を一瞥し、ゆっくりと弾の飛来した方向を見た。決号の五式砲戦車ホリIIが、横合いの道から姿を現わす。車長の清水が角ばった戦闘室から顔を出した。後からは護衛の二式砲戦車ホイも追従しており、千鶴の手伝いに向かう途中だったようだ。

 

《無事かい、エセ関西人》

「……おおきに」

 

 無線から聞こえてきた言葉に、微笑と共に感謝を返す。そして白旗の揚がったトゥラーンへ視線を戻した。

 砲塔から大坪が姿を見せる。その表情にはベストは尽くしたという自負と、撃破を果たせなかった悔しさが入り混じっていた。しかし次の瞬間、彼女はトラビを見て目を見開いた。ドナウ高校の隊長は敵である大坪に向け、姿勢を正し、整然とした敬礼を送ったのである。唇を真一文字に結んだ凛々しい表情には確かな敬意がこもっていた。いつものおどけた態度とは違う、『高貴な野蛮』と称されるドイツ騎士道の姿だった。

 

 大坪がおずおずと答礼すると、トラビは操縦手に発進を指示した。KW-1改が再び動き出し、千鶴の元へと向かう。清水らもその後へ追従した。

 

 

 

 

 

 

 ドナウ隊長車、撃破失敗。報せを受け取り、西住みほの表情に一瞬だけ焦りが浮かんだ。だがすぐさま自分を律し、冷静に指揮を続ける。みほ率いるあんこうチーム、澤梓率いるウサギさんチームは敵フラッグ車・I号戦車C型を追跡している。如何に高速戦車とて、入り組んだ市街地では下手に最高速度を出せない。それにただ逃げて振り切ろうとするのではなく、千鶴の待ち伏せ地点に誘導しようという意図が感じられた。ならばこちらを引き離さないよう、一定の距離を保つはずだ。

 

《敵が合流する前に、フラッグ車を撃破します!》

 

 常にキューポラから身を乗り出して指揮を執るのは、母親に叩き込まれた精神だ。しかし彼女はあまり自覚していないが、この行為はチームに少なからず良い影響を与えていた。ついて行くべき背中を見ることで、素人集団だった大洗チームは一つに纏まったのだ。

 

 特に澤梓にとって、その背中は大きなものだった。彼女は元々責任感の強いタイプだが、戦車道を甘く見て参加したと自覚している。そんな澤と仲間たちを見放さず引っ張ってくれたのは、あの背中なのだ。そして今彼女は、みほについていくだけでなく、追いつかねばならない立場となっていた。

 

 IV号とM3は躍進射撃のタイミングを図りつつ、I号C型を追う。すると、相手は突如急旋回した。履帯がスキール音を立て、舗装された地面をドリフトする。フラッグ車、それも高速戦車を任されるだけあって、操縦手の腕は見事だった。履帯を損傷することなく、変則的なUターンを見事に成功させたのである。さらにそのまま、IV号の側面へ滑り込む。

 目出し帽をかぶった車長が砲塔に潜った時点で、反撃するつもりだとみほは気付いていた。二人乗り故、射撃も車長が行わねばならないのだ。麻子に制動と旋回を指示した直後、I号C型が撃った。

 

 砲塔から突き出た長短二本の銃身、その左側、長い方が火を噴いた。EW141対戦車ライフル、距離300mから30mmの装甲を貫通できる。一発目はIV号の急制動によって、すぐ前方を通過した。しかしこれはセミオートマチック式のライフル、如何にみほと言えど、立て続けに撃たれた二発目・三発目はかわせなかった。だからこそシュルツェンのある側面で受けたのである。

 厚さ5mm程度の追加装甲は容易く貫通され、穴が点々と開く。7.92mm弾とはいえ高初速であり、この距離ならIV号の側面を容易く貫通できる。しかしシュルツェンを貫通したことで弾の入射角の変わり、自前の装甲には塗装が剥げる程度の傷しかつかない。

 

「あや、撃って!」

 

 M3の副砲にはすでに徹甲弾が込められていた。梓の号令で、大野あやが発砲。I号C型は再び急カーブで回避するも、IV号の背後を取ることを断念した。再び速度を上げて逃走し、みほと梓は追撃した。

 

 その行く先にあるのはバイパス上を通る、比較的高い橋だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……亀ちゃん、本当に大丈夫なの?」

「こちとら建築学科だ。信用しろ」

 

 二式軽戦車ケトは橋を見上げる場所に陣取っていた。車長である亀子は不意の敵襲に備え、周辺警戒を行う。操縦手はハッチから顔を出し、双眼鏡で橋を監視した。もう少しでターゲットが橋へ差し掛かるはずだ。

 戦車道の試合が行われる場所は交通も止められており、バイパスは静かだ。ただ遠方からは砲声が聞こえ、建物に反響している。千鶴の五式中戦車チリは決戦の場所へ移動し、トラビのKW-1改もそこへ向かっているはずだ。しかし亀子の作戦が成功すれば、この場で西住みほを討ち取ることができる。

 

「タイミングさえ合わせれば、後は戦車の重さで崩れる。……ドロップくれ」

 

 亀子が手を出すと、砲手が古風なドロップ缶を渡した。蓋を開けて軽く振り、一粒を掌に出す。それがハッカ味であるのを見て微笑み、口へ放り込んだ。

 

 彼女の額には汗が滲んでいた。先ほど力仕事を済ませたばかりなのだ。仮にフラッグ車であるIV号を仕留められなくとも、M3中戦車を分断できれば価値はある。そのときは尋常の戦車戦で勝負を決するまでだ。おそらく千鶴はそれを望んでいるだろうし、亀子も察していた。だが勝つためにありとあらゆる手段を尽くすのも、戦車道の面白さである。

 仕損じたときに備え、橋の先で千鶴とトラビがIV号を待ち受ける。そしてI号C型はその速度性能を以って、再び草原へ逃走。そうすれば追いつける車両はない。

 

 潜入偵察で見た西住みほのことを、ふと思い出した。決してカリスマ性があるようには見えず、西住流の名からイメージされるような威圧感などまるでなかった。もっとも一ノ瀬千鶴のような無茶苦茶な隊長もそういるものではないが、西住みほは亀子が今まで見た戦車指揮官とは異なるタイプだった。

 彼女は他者に対して好き嫌いをしない。だから敵を作らない。チームを引っ張るのではなく、チームが自然とついてくる。本人が自覚しているかは分からないが、そういう力を持っているのだろう。だからこそ『大洗紛争』に勝てたことは疑う余地もない。亀子が見た西住みほはそういう人物だった。

 

 ではこの状況に、あの女はどう対処するだろうか。亀子は作戦の成否よりも、そのことが気になっていた。

 

《こちらシェーデル! 橋にとうちゃーく!》

「見えたわ。I号C型!」

 

 無線に連絡が入った直後、操縦手が報告した。橋の上へ目を移すと、蛇行しながら疾駆する軽戦車が目に入った。砲塔を後ろへ向け、EW141を発砲している。それを止めたかと思うと急激に速度を上げ、80km/hはあろうかという勢いで橋を駆け抜けていった。

 やがて、後から追ってくる小豆色のIV号と、オリーブドラブのM3が確認できた。作戦開始だ。

 

《柳川、用意良し》

「了解。やるぞ」

 

 砲戦車小隊からの連絡に答え、亀子は円筒型の砲塔内に身を収めた。一式三十七粍戦車砲にはすでに榴弾が込められ、砲手は橋の中央部の支柱へ照準を合わせていた。

 37mm榴弾では炸薬量も少なく、建築物の破壊には非力だ。しかし本命はこれではない。

 

 支柱に括り付けられた、E-100超重戦車の150mm榴弾である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「脚早すぎー!」

「こっちの倍以上出てるよー!」

 

 遠ざかっていくI号C型を見て、山郷あゆみ、阪口佳利奈が焦りの声を上げる。あんこうチームのIV号が敵フラッグ車を狙い、ウサギさんチームのM3はその後ろを守っていた。澤梓は背後からの攻撃に即応できるよう、副砲を後ろへ向けて走っていた。

 M3中戦車はT-35などの多砲塔戦車と違い、あらゆる方向からの攻撃に対処するため砲を増やしたのではない。また前後両方の敵を気にしなくてはならないため、梓の負担は増した。それでも砲を一門後ろに向けておけば、敵は格段に攻撃が仕掛けにくくなる。雷撃機などの後部銃座と同じだ。

 

 橋の中ほどに差し掛かった時、ディーゼルエンジンの音が微かに聞こえた。梓がハッと後ろを振り向くと、決号の二式砲戦車ホイ一両、三式砲戦車ホニIII二両が見えた。

 

「後方から敵三両!」

 

 報告した直後、砲戦車小隊は橋の手前で停止した。

 躍進射撃。砲口を見た瞬間、梓は判断した。

 

「速度落として!」

「あい!」

 

 M3が減速したとき、みほも同じ指示を出していた。相手の偏差射撃は逸れ、橋のコンクリートを砲弾が叩く。榴弾だった。爆炎と破片が巻き上がる中、梓とみほは車内に身を収めて突破する。

 何故徹甲弾ではなかったのか。梓が疑問を感じた直後、大きな振動が車体を揺さぶった。

 

「な、何!?」

「下からっぽいけど……!?」

 

 大野あやの言葉通り、振動は橋の下から来たものだった。梓がキューポラから顔を出すと、眼下に広がる爆煙が見えた。橋の支柱に括り付けられた150mm榴弾が、亀子のケト車の砲撃で誘爆したのだ。

 立て続けに二回、支柱が爆破される。コンクリートの破片が飛び散り、振動が橋の上の二両を揺さぶる。その頃I号C型は橋を渡りきり、走り去ろうとしていた。

 

 蔦が絡みつくように、橋の路面に亀裂が入っていく。梓の背筋がぞくりと寒くなった。支柱が破壊され、さらに榴弾で路面の脆くなった橋は二両の戦車を支えきれなかった。不快な音を立て、M3の背後で路面が断裂した。IV号のいくらか先で橋が折れ曲がり、戦車がゆっくりと後ろへ傾いていく。

 

「桂利奈ちゃん、全速前進!」

 

 このままでは転落する。梓の号令は半ば悲鳴に近かった。しかし射弾回避の際減速したせいで、M3もIV号も運動エネルギーを失っている。阪口桂利奈も冷泉麻子もギアを一速に入れ、急激に傾斜した橋を懸命に登ろうとした。エンジンが唸りを上げ、戦車は懸命に傾斜に抗う。だが履帯が路面上を滑り、空転を始めてしまう。二両は徐々に橋からずり落ち、バイパスへ落下しつつあった。

 眼下に二式軽戦車の姿が見える。仮に落ちて撃破判定が出なくとも、待ち受けているあの敵車両に始末されるだろう。このまま頑張り続けていても、背後にいる砲戦車がフラッグ車であるIV号を狙撃するはずだ。まさしく進退窮まった。

 

「落ちる! 落ちるよぉ!?」

「どどど、どうしよう!?」

 

 そのとき、梓はみほと目があった。彼女は一瞬、背後にいるM3を省みたのだ。

 梓は歯噛みした。こんなときでも先輩は、自分たちを気にかけてくれている。自分は彼女の座を受け継がなくてはならないのに、ここでその背中を守ることもできないのか。自分たちのことはいい。せめてフラッグ車であるあんこうチームを救うため、できることはないのか。

 

 だが不意に、彼女の袖を引っ張る者があった。車内を見ると、丸山紗希がいつも通りの無垢な瞳で梓を見上げていた。小さな唇を開き、ぽつりと言葉を漏らす。

 

 

「……くうほう……」

 

 

 

 

 

 

 

 ……IV号の履帯が悲鳴を上げ、ゆっくりとずり落ちていく。司令官、それもフラッグ車の車長であるみほだが、真っ先に脳裏に浮かんだのは自分のことではなく、後輩の心配だった。どうにかしてウサギさんチームを助けたい。しかし彼女でさえこの状況を打開できる方法は考えつかなかった。

 

 万事休す……そう思ったときだった。不意に、後ろから殴られたような衝撃を感じた。

 殴られたのは彼女ではなく、戦車の方だ。車体に加えられたその衝撃に、IV号は一気に押し上げられる。空転していた履帯が路面を掴み、麻子が反射的にアクセルを全開にした。勢いの加わったIV号は折れた橋を一気に登り、駆け抜ける。

 

 みほが背後を振り返ったとき、そこに見えたのは転落していくM3中戦車だった。その主砲に硝煙と陽炎を認め、みほは何が起きたのかを理解した。後輩たちは空砲でIV号の背を押したのだ。

 

《西住隊長、行ってくださいッ!》

 

 梓の言葉を最後に、M3は橋から落下していった。衝撃音が響き、その直後に小さな砲声が聞こえる。

 

《大洗・M3中戦車、走行不能!》

 

 アナウンスが入ったとき、みほは目に涙が浮かんだ。だがすぐさま袖で拭い、毅然として号令を下す。

 

「全速で突破!」

 

 麻子が全力で増速し、IV号は疾走する。みほは砲塔へ身を収めた。

 背後から砲戦車が撃ってくるも、ホニIIIの徹甲弾は辛うじて狙いが逸れた。しかし小隊長車たるホイ車の撃った弾が、砲塔後部へ直撃する。みほは優花里の肩に掴まって衝撃に耐えるが、戦車に撃破判定は出ない。

 当たりどころが良かった。ホイ車の撃った二式穿孔榴弾は成形炸薬弾で、距離によらず100mmの装甲を貫通できる。だがIV号の砲塔後部に命中したため、シュルツェンと雑具箱で威力が減衰したのだ。

 

 吹き飛んだシュルツェンが路上に散らばる。みほは振り返ることなく、橋を渡りきった。

 

 

 

 

 

 

 亀子からの報告を聞いていた千鶴は、ふと笑みを浮かべた。

 

「……大した連中だぜ」

 

 口から出たのは澤梓たち、ウサギさんチームへの賞賛だった。一部で“大洗の首狩りウサギ”などと呼ばれる彼女たちは、味方の大将首を見事に守ってみせた。もし草原での戦闘で、目論見通りM3を撃破できていれば、ここで勝負が決まっていたことだろう。

 しかし、この作戦は無意味ではなかった。IV号に護衛はいなくなったのだ。

 

《これで西住みほちゃんは丸裸のスッポンポン、っちゅーわけやな》

 

 通信機からトラビの声も聞こえてくる。平常運転に戻ったようだ。

 

「変な言い方すんな。とっとと合流しろ」

《ハハ、もう着くで。清水ちゃんも一緒や》

「よし。亀、お前も早いとこ、こっちへ来い。柳川隊もだ」

 

 五式中戦車の砲塔に立ち、千鶴は各員に指示を飛ばす。橋落とし作戦でフラッグ車を仕留められなかったが、彼女の表情には抑えがたい歓喜の色が浮かんでいた。千鶴だけではない、トラビも、亀子も、皆喜んでいる。彼女たちにとっても西住みほはヒーローだった。それを自分たちの手で倒すのだ。

 

「残りの車両は敵のフラッグ車への合流を阻止しろ。特に以呂波はこっちに近づけるな。総員、一弾となれ!」

 

 




お読みいただきありがとうございます。
劇場版を見た後、何らかの形で空包によるアクションを出したいと思ってました。
ウサギさんチームの見せ場も書きたかったのでこういう形になりました。
サブタイトルの由来はお馴染みの『戦略大作戦』ですw

トラビが大坪に敬礼を送るシーンですが、「敵に向けて敬礼する」というのは私がガルパンで見てみたかったものの一つでした。
史実では戦闘機乗りがよくやりましたが、武道である戦車道なら、相手選手に敬意を払うことも多いだろうと思いまして。


では、ご感想・ご批評などあれば今後の糧としますので、よろしくお願いいたします


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今はもう無いです!

「みんな、大丈夫……?」

「なんとか~」

「また眼鏡割れちゃった~」

 

 横倒しになったM3中戦車の中で、梓たちはゆっくりと身を起こした。どうやら橋から落ちて横転した後、二式軽戦車に底面を撃ち抜かれたらしい。競技用戦車のカーボンコーティングは全周囲に及んでいるため、乗員室への被害は一切なかった。落下の衝撃に対しても皆辛うじて受け身を取っており、怪我人はない。操縦手の阪口佳利奈に至っては、隣に座る山郷あゆみの胸をクッションにして身を守っていた。

 

「先輩たち、橋を渡りきれたみたい~」

「よっし!」

 

 通信手・宇津木優季の言葉に、桂利奈が胸の谷間から身を起こしてガッツポーズを取る。あゆみもホッとした表情で肩の力を抜いた。ベストを尽くしたという自負から、メンバーの表情は明るい。ただ、孤立したあんこうチームのことだけが心配だった。

 

 そのとき、不意に車長用ハッチが外から開けられた。梓がハッと顔を上げた瞬間、車内に何かが放り込まれる。金属の乾いた音に、梓は一瞬肝が冷えた。参考にと見た戦争映画の、戦車内に手榴弾が投げ込まれるシーンを思い出したのだ。当然、戦車道でそんな手口は許されないし、投げ込まれたブリキ缶は危険物ではない。ただのドロップの缶だった。

 ハッチからは陽光が差し込み、そこから覗き込んでくる顔が逆光の中に見えた。亀子だ。

 

「食べな」

 

 短い言葉のみを残し、音を立ててハッチが閉める。次いで梓の耳に聞こえたのは、遠ざかっていくディーゼルエンジンと履帯の音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 あんこうチームはI号C型を追いながら、敵の襲撃を警戒していた。辺りは建物が密集し、待ち伏せには丁度良い地形である。沙織はラリーのナビゲーターの如く、地図を手にしてみほのサポートを行う。麻子はエンジンとギアの回転音に耳を傾けながら、二本の操縦桿でIV号を走らせた。しかしこのワークホースとて、速度に特化したサラブレッドに追いつくことは容易ではない。車長は射撃のタイミングを見計らいながら、周囲の警戒も行わねばならない。

 

「……限界かも」

 

 みほはぽつりと呟いた。少々深追いしすぎた上に単騎となってしまった。一度退いて味方と合流すべきかもしれない。だが背後の橋を落とされた以上、回り道をしなくては戻れない。

 そのとき、I号C型が急加速した。それまで着かず離れずの距離を保っていたのが、IV号を引き離しにかかったのだ。大型の複列転輪が凄まじい速度で回転し、焦げた排気管から小さく火が見えた。あっという間に60km/hを超え、さらに70km/hを突破する。まるで飛ぶような加速だ。

 

「速い……!」

「おおっ! 本当に90km/h出しそうな勢いです!」

 

 照準器を覗きながら呟く華に対し、優花里はそれが敵戦車であることも忘れて興奮していた。一方みほは直感的に悟った。自分たちが敵のキルゾーンへ足を踏み入れたことを。

 

 十字路に差し買ったとき、迫り来るエンジン音に気付いて麻子の左肩を蹴る。彼女はさながら、みほとIV号をリンクする歯車だった。IV号戦車が左へ舵を切った途端、横道から飛び出してきた戦車が発砲した。

 五式中戦車チリ。その75mm砲はIV号戦車を撃破するのに十分な威力を持つ。辛うじてみほの読みが間に合い、徹甲弾はIV号の脇を掠めてビルに直撃した。窓ガラスの破片が宙を舞う。

 

「このまま旋回! 左の道へ入ってください!」

 

 臆することなく指揮を続けるみほ。小豆色の車体がカーブを描き、十字路を左折した。するとすぐに、新たな敵が正面に現れた。独ソ混血の重戦車・KW-1改である。キューポラから顔を出すトラビは真剣な、しかし楽しげな眼差しでみほを見つめていた。

 傾斜装甲の砲塔がIV号へ指向する。みほはちらりと背後を振り返った。チリ車の75mm砲は装填中のようだが、車体左側の37mm副砲でこちらを狙っている。前後から挟み撃ちだ。

 

 タイミングを計り、みほは叫んだ。

 

「右へターン!」

 

 刹那、砲声。前から75mm、背後から37mmの徹甲弾が飛来する。互いに流れ弾が当たらぬよう、二両とも射線を少しずらしていた。それは回避をより一層困難なものとした。左右どちらへ避けようと、あんこうマークのIV号はどちらかの射線に捉われるのだ。

 しかし、麻子はみほの命令に応えた。ガリガリと耳障りな音を立てながら、履帯が路面を擦れる。摩擦熱で火花を散らしながら路面を滑走し、IV号が急回転する。その動きはKW-1の射線を交わし、背後のチリ車に正面を向けることになった。37mm弾が砲塔前面を叩く。しかし入射角度が浅く、乾いた音を立てて跳弾した。

 

「発進! 沙織さん、煙幕を!」

 

 麻子が戦車を急発進させるのと同時に、沙織は通信手席に取り付けられたスイッチを押した。車体後部から黒煙が立ち上り、IV号の後ろ姿を隠す。麻子は車体を左右に振って煙幕を広げながら、戦車を路地へと逃げ込ませた。

 トラビと千鶴はみほに安心する間を与えなかった。次の瞬間には爆発音が耳を打ち、右手側の建物の壁が吹き飛んだ。みほはさっと砲塔内に飛び込んでハッチを閉める。瓦礫がIV号の装甲板へ降り注いだ。

 

「加速して!」

 

 アクセルが踏み込まれ、IV号は間一髪でその場を脱した。背後には瓦礫が積み重なり、道は塞がれた。

 本当ならIV号の行く手を阻むつもりだったのだろう。みほがこの道へ逃げ込むと読み、予め建物の反対側に伏兵を置いていたのだ。破壊力からして恐らくは105mm砲、試製五式砲戦車ホリIIだとみほは判断した。

 

「砲塔三時へ。榴弾、遅延信管」

 

地形図を頭に思い浮かべながら、次の指示を下す。乗員は皆、時計の歯車のごとく動いた。華は砲塔を右へ回し、優花里は命令通り、予め信管を調節した榴弾を抱え上げる。いつものように素早く砲尾へはめ込み、握りこぶしで押し込んだ。無骨な金属音を立てて鎖栓が閉まる。

 

「装填完了!」

「撃て!」

 

 華がトリガーを引き、撃発。マズルブレーキからオレンジ色の発砲炎が広がり、放たれた榴弾が建物の壁を突き破る。遅れて信管が作動し、反対側の壁が轟音と共に吹き飛んだ。

 これで向こう側の道も瓦礫で塞がれたはずだ。ホリ車はそうすぐに追って来られないだろう。

 

 しかし市街戦に長けるみほでも、この局面で脱出は困難だと悟っていた。腕利きの猛者たち相手に、こちらは一両。しかも相手は見事に連携を取っている。例えこの場を逃れたとしても、もう敵フラッグには追いつけないだろう。

 手汗の滲んだ地図をちらりと見て、I号C型の行き先を予想する。恐らくは再び草原へ抜けるつもりだろう。開けた場所で高速を遺憾なく発揮し、一気に安全な場所まで遠ざかるはずだ。

 

 それを狙撃できれば勝機はある。みほは地図を見て敵フラッグの逃走経路と、それを攻撃できる狙撃地点を割り出した。半分は論理、もう半分は彼女の経験からくる勘で、だ。

 ただし、今から自分たちが狙撃地点へ向かうのはほぼ不可能である。あの高速戦車を遠距離から撃破できる砲手が、華以外にいるだろうか。

 

「……華さん。澪さんの腕なら、二千メートル先から敵フラッグを仕留められると思いますか?」

「やれます」

 

 華は即答した。短い間の合同訓練だったが、彼女と澪は同じ隊長車の砲手として交流の場を持てた。性格は全く異なる二人だが、互いに共感するものを持っていた。両者共に、力強さを求めて戦車に乗ったのである。

 だから華は自分の後輩にするのと同じように、教えられることを澪に惜しみなく教えた。例え他校の選手で、いずれ敵同士として相見えることになろうとも。一次大戦期の飛行兵が敵にも敬意を払ったように、同じ道を歩む者としての共感があったのだ。

 

 そして何よりも、華は新たなライバルを作りたかった。

 

「澪さんなら、やり遂げます」

 

 

 

 

 

 

 あんこうチームの動きに、千鶴は舌を巻いた。あの合わせ技を回避したのは車長の腕だけではない。乗員全員が高い技量を持ち、尚且つ阿吽の呼吸で動いている証拠だ。亀子の潜入報告の通りである。

 だがその点に関しては決号もドナウも負けているとは思わない。

 

「柳川隊を合流させた方がよくないですか?」

 

 75mm弾を抱えたまま、装填手が尋ねた。現在IV号と直接戦っているのはチリ車と、トラビのKW-1改、そして清水のホリ車の三両だけである。二式・三式砲戦車は二両ずつに分かれ、遠巻きに配置されていた。これも千鶴の計略だった。

 

「狭い道へ逃げ込まれたら、数が多くても無駄だ。味方同士で射線を邪魔しちまう」

 

 不向きな地形に戦車を投入しないのが、戦車運用の鉄則だ。しかし歩兵のいない戦車道では必要に迫られて、隘路や軟弱地盤の場所を通ることもある。昨年の決勝戦で、西住みほはそれを上手く利用した。黒森峰の猛獣戦車たちは市街地へ引きずり込まれた後、その火力と数の利を活かせない状況に追いやられたのだ。

 今までの大洗女子学園の試合記録を調べた結果、千鶴は少数の戦車であんこうチームを仕留める気でいた。砲戦車隊は敵の合流・逃走を妨害するための戦力として使う。

 

「アネさん、副隊長車が到着しました!」

「よし、役者は揃った。尋常の勝負と行くか」

 

 通信手の報告に、千鶴は笑みを浮かべた。尋常の勝負と言いつつも一両の相手を四両で叩くことを、千鶴は卑怯とは考えていない。味方が有利な状況を作ることは指揮官の腕であり、義務なのだ。大洗もそうやって奇跡を起こしてきた。

 

「トラビ、あたしらの連携に着いてこいよ!」

《任しとき。ちゃんと合わせたるで》

 

 四頭の狼が、みほに襲いかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、大洗・千種連合の陽動部隊は砲撃戦を続けていたが、もはやその戦いに意味はなくなった。しかし矢車マリの指揮するドナウ高校の部隊は、以呂波たちをこの場に釘付けにしておくため粘り続ける。

 みほの命令は通信手である沙織、晴を経由して以呂波に伝えられた。あんこうチームが千鶴たちを引きつけているうちに、草原へ逃走する敵フラッグ車を狙撃せよ、と。

 

「どうする、以呂波ちゃん?」

「了解、と伝えてください」

 

 以呂波は逡巡しなかった。みほとのジャンケンと同じである。右手の石で相手の注意を引き、左手のハサミで敵を断つ。敵の逃走経路についてはみほの勘を信じるしかない。

 問題は相手が小柄な軽戦車で、しかも並外れた高速を誇るということだ。それを二千メートル先から狙撃するなど、並大抵の砲手にできることではない。

 

「澪どん、五十鈴さんから伝言だよ」

 

 晴が通信手席から砲手席を見上げ、告げた。いつも通りの笑みを浮かべて。

 

「計算だけが全てじゃない。自分の感覚と、誇りを信じなさい、とさ」

「……感覚……誇り……二千メートル……」

 

 照準器を覗いたままの姿勢で、メッセージを反芻する澪。その表情に恐れや不安といった色はなかった。それどころか、口元に微笑さえ浮かべている。当然ながら、容易な射撃ではないということを彼女も理解していた。しかしその任務を与えられたとき、澪は思ったのだ。命中したら気持ちいいだろうな、と。

 

 澪が動揺を見せないので、以呂波は敢えて可能かどうかを尋ねなかった。義足のソケットに嵌めた太腿が、若干の痛みと疲れを訴える。それでも隻脚の戦車長はしっかりと体を支えながら、キューポラから顔を出して号令をかけた。

 

「皆さん、ここから離脱します! しばらく着いてきてください!」

《レオポン、了解!》

《ヒラメ、了解ッス!》

《カモチームも了解です!》

 

 他車長から声が返ってくる。そんな中、結衣はタシュの操縦席で頭上に疑問符を浮かべていた。彼女としては他の車両に援護射撃をさせ、その隙にタシュ一両のみ脱出した方が良いと思ったのだ。そうすれば残った車両で敵を足止めできるし、エルヴィン、丸瀬たちが来れば挟撃することもできる。全車両で撤退しては、この場の敵があんこうチームの方へ向かうのではないか。

 

 しかし以呂波の考えは違った。姉のやり方をよく知っているからだ。市街地へ多数の戦車を集中させれば身動きが取りにくくなるし、射撃にも不自由する。つまり、矢車隊があんこうチームへの攻撃に参加することはない。

 ならば全車両で適当に反撃しながら逃げ、こちらがあんこうチームの援護に向かうと見せかける。その上でエルヴィンらに援護させて敵の混乱を誘い、それに乗じてタシュを離脱させれば、こちらの目的を気取らずに済む。

 

「擱座したチト車を躍進射撃で仕留めて、その後すぐ右に転回。まずは全力で逃げるよ」

 

 船橋がIV突を仕留めた後、以呂波たちは敵を撃破していない。だがトゥラーンと接触したチト車はシュルツェンの破片を履帯に巻き込み、動けなくなっていたのだ。

 

 結衣が操縦レバーを倒し、タシュはビルの陰から飛び出した。それと同時に澪が砲を指向する。チト車は路上で立ち往生しているが、車長は砲塔から顔を出して勇敢に号令をかけていた。さすが姉の部下だと以呂波は思った。

 タシュ重戦車の主砲はV号戦車パンターと同じ物で、千種学園の車両は照準器もドイツ製を使っていた。五つの三角形でシュトリヒを測り、目標との距離を割り出す。相手が動かないこともあり、澪は急停止した車内で迅速に照準した。

 

「徹甲弾!」

「よいしょっと!」

 

 美佐子はいつも通り、元気よく装填作業をこなす。チト車は砲塔を回して反撃を試みたが、タシュの閉鎖器が閉まる方が早かった。

 

「撃て!」

 

 号令と共に放たれた、75mm砲。砲が駐退し、マズルブレーキから火と煙が広がる。しかし、予想外のことが起きた。

 相手は動かない的、距離は近く、照準も完璧。そして澪もこの砲の癖を熟知していた。にも関わらず、放たれた徹甲弾は標的の装甲を掠めることもなく、脇へ逸れたのだ。

 

 発砲とほぼ同時に、結衣は以呂波の指示通りに右へ回頭していた。相手に背を向け、逃げる姿勢だ。

 今度はチト車が撃った。日本戦車としては強力なその主砲は、タシュの背部など簡単に貫通できる。だが以呂波の卓越した見切りによって、結衣は寸前に回避操作を取ることができた。

 

「何? 外れたの!?」

 

 肩に当たる義足の感触に従い、結衣は操縦桿を操る。澪の砲撃ミスに驚きながらも、操縦を続ける手足の動きに淀みはない。

 

「澪さん……?」

 

 以呂波は砲手席を見下ろした。結成時に火力不足だった千種学園は躍進射撃を重視しており、澪も度重なる訓練でその腕を磨いてきた。結衣もその腕を信じていたからこそ、撃った瞬間に戦車を発進させたのだ。

 

 澪は照準器から目を離し、以呂波を見上げた。その顔にはしばらく見ていなかった、不安の色が浮かんでいる。

 

「……照準器、ズレてる……」

 

 その言葉に、以呂波はハッとした。大坪が突撃する前、チト車の撃った砲弾がタシュの砲塔防盾に当たった。弾くことはできたが当たりどころが悪く、照準器に狂いが出ていたのだ。それ以降は大雑把に榴弾を撃ったのみだったので、今まで気づかなかったのである。

 

 これから長距離狙撃をしなくてはならないのに。

 

「とにかく、離脱を! 狙撃地点へ着いたら……」

 

 しかしそのとき路地から飛び出した重戦車が、以呂波の背後で停止した。カモさんチームこと、大洗のルノーB1bisだ。ずんぐりとした車体を斜めに向け、弱点である左側面のラジエーターグリルを隠しつつ、『昼飯の構え』を取る。

 

《私が盾になるから、行って!》

 

 車体と不釣り合いな小型の砲塔は、すでに敵へと指向されていた。その中にいる“ゴモヨ”こと、後藤モヨ子の声がインカムに入る。

 

「後藤さん!?」

《少しは格好つけないと、そど子に何言われるか分からないから……!》

 

 擱座チト車が第二射を放つ。さらにもう一両のチト車が路地から飛び出し、発砲。だが砲声の直後に聞こえたのは、重く乾いた跳弾の音だった。車体を斜めに構えることで生み出された被弾経始が、徹甲弾を弾いたのである。

 路地からマレシャル、そしてポルシェティーガーが姿を現し、タシュに追従する。以呂波は決断を下すしかなかった。

 

「お願いします……!」

 

 

 

 ルノーB1bisの砲塔は一人乗りだ。つまり索敵・指揮・装填・砲撃を車長一人で行わねばならない。当時のフランス軍は複数の乗員が連携するより、こちらの方が合理的だと考えていたようだ。車体の75mm砲は固定式の上、榴弾砲なので対戦車火力は期待できない。

 

 ゴモヨは懸命に47mm砲弾を抱え、長めのおかっぱを揺らしながら装填した。そして照準器を覗き、狙いを定める。しかし動ける方のチト車は砲口から射線を見切り、のらりくらりと回避運動を取る。

 そうしている間に、ドナウ高校のIV号突撃砲三両が路地から姿を現した。同じ75mm砲でもチト車のそれより高威力。傾斜をつけていれば運良く弾けるかもしれないが、貫通される可能性も高い。ただし回転砲塔がないため、砲を目標に向けるのにやや時間がかかった。

 

「そど子ぉ……!」

 

 目標を擱座したチト車に変更しつつ、ゴモヨは先代のあだ名を呼んだ。冷泉麻子にそう呼ばれると怒っていたが、風紀委員同士ではいつもあだ名で呼び合っていた。時には無茶苦茶な風紀委員哲学に振り回されることもあったが、いつも自分たちの前には彼女の背中があった。

 

「ゴモヨ、頑張って」

 

 同じ気持ちの金春希美が、同胞を励ました。長さの違うおかっぱ頭は、大洗風紀委員の伝統だ。

 

 B1bisの47mm砲は開発時期を考えれば高火力である。しかしチト車は移動できないまでも、もう片方の履帯で信地旋回を行い、装甲厚75mmの正面をこちらへ向けていた。貫通するには弱点への正確な射撃が必要だ。それも、自分がやられる前に。

 

「そど子、お願い! 助けて!」

 

 叫びざまに撃った、47mm砲。細長い砲身が火を噴いた直後、B1bisの車体に徹甲弾が叩きつけられる。ゴモヨは砲塔の中で衝撃を受け、尻もちを着いた。

 

 IV突の75mm弾を三発、被弾したのだ。一発は履帯の前部及び誘導輪を破壊し、一発は入射角が浅く、装甲に凹みを作ったのみで弾かれた。そしてもう一発が、砲塔リングを撃ち抜いていた。

 同時にチト車の車体機銃部分にも、ゴモヨの放った一撃が食い込んでいた。銃身は折れ飛んでいるが、カーボンコーティングのおかげで通信手に怪我はない。しかし装甲は確かに貫通されていた。

 

 両車から上がった白旗が、そよ風に靡いた。

 




お読みいただきありがとうございます。
あまり話の流れが遅くても、と思いキリの良いところまで書いていたら、文字数が大分嵩んでしまいました。
とりあえず無事に風紀委員の活躍を書けてよかったです。
そど子がいなくなったら、風紀委員と麻子以外にも寂しがる生徒も結構いるだろうな〜、などと考えました。

作戦の転換を強いられた以呂波とみほ。
しかしタシュの照準器にズレが発生。

この後如何に相成りますか、また間が空くかもしれませんが、お楽しみにしていただけると幸いです。


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マカロニ作戦Dreiです!

 犠牲を払いながらも、以呂波らの乗るタシュ重戦車は遁走に成功した。同行するのはツチヤ率いる大洗自動車部の、試製重戦車ポルシェティーガーのみ。しかし手持ちの残存戦力によって足止めを行うと同時に、タシュの行き先を分からなくさせる必要があった。

 敵が視界から消えた後、以呂波は一時停止を命じた。そしてタシュの75mm、ポルシェティーガーの88mm砲を近くの建物へと指向させる。ツチヤらは砲手が照準器を通じて狙いを定めていたが、タシュはそうはいかない。先ほどの戦闘で照準にズレが生じたため、応急的な方法を取っていた。

 

「仰角、もう少し……止めて」

 

 以呂波の指示通り、澪が砲を操作する。義足の少女は装填前の砲腔を覗き、直接狙いを定めていた。要するに砲身自体を照準器代わりに使うのだ。なんとも原始的ではあるが、静止目標なら当てられる。

 彼女の右手側では美佐子が砲弾をいじっていた。弾頭の先端が白いことから榴弾だと分かる。その信管調整ネジを工具で回し、起爆のタイミングを調節しているのだ。

 

「できたよ!」

「装填して」

 

 装填手用の手袋を嵌めた手で、いつものように砲尾に砲弾をセットし、薬莢の底を拳で押し込む。自動的に鎖栓が閉まり、発車準備が完了した。美佐子が手を引っ込めるのを確認し、以呂波は号令する。

 

「撃て!」

 

 二両の砲手は同時に発砲した。轟音の直後、放たれた榴弾が壁を突き破って屋内へ飛び込む。その直後に遅延信管が作動し、弾頭に詰まった炸薬が爆発した。建物の反対側の壁が破壊され、瓦礫が道路へと落下していく。

 それを確認後、二両は即座に発進した。美佐子がハッチを開け、空薬莢を車外へ放り出す。現代戦車の焼尽薬莢なら底部を残して燃え尽きるが、競技用戦車は大きな薬莢が丸ごと残ってしまう。邪魔な上に熱くて危険なので、こまめに捨てるのも装填手の仕事だ。

 

 金属の筒が路上に転がっていくのを見届け、美佐子はふと今榴弾を打ち込んだ建物を見上げる。砲腔による照準でも、75mm弾はしっかりと狙い通りの場所に命中していた。

 

「イロハちゃん、凄い!」

「大したことないよ。近距離だし、相手は建物だから」

 

 キューポラから顔を出しつつ、以呂波は涼しい顔で答える。彼女の言う通り、静止目標だからことできる技だ。砲腔を覗いて狙いを定める以上、装填した後で照準を修正することはできない。つまり動く敵戦車を狙い撃つのは不可能であり、ましてや高速戦車を遠距離から狙撃するなど、話にならない。

 

「ここから私たちは発砲禁止。狙撃地点で照準器を直すよ」

 

 澪が点検した結果、照準器自体は損傷しておらず、単にズレが生じているだけだった。これなら早急に狙撃地点へ向かってボア・サイティングを行えば、何とか精度を取り戻せる。それまでにできるだけ砲身を冷まさねばならない。

 

「ナナホシさん、カバさん、ツバメさん、ヒラメさん。後はお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方のドナウ高部隊は矢車マリの指揮で、以呂波らへの追撃を開始した。ルノーB1bisには手こずったが、まだ手元にはIV号突撃砲三両と、決号の四式中戦車一両がある。今から追撃すれば十分敵を足止めできるだろう。

 

Fuchs, du hast die Gans gestohlen(キツネよ、ガチョウを盗んだな),  gib sie wieder her, gib sie wieder her(返すんだ、返すんだ)~」

 

 クーゲルブリッツの揺動砲塔を水平にし、矢車はハッチから身を乗り出して周囲を警戒する。口ずさむドイツ語の歌を聞いて、乗員たちは彼女が副隊長代理というポジションに馴染んできたのを察した。黒森峰に入れなかった悔しさから高慢に振舞っていた彼女だが、練習試合敗北後は次第に角が取れていった。元々彼女に目をかけていたトラビが何かと指導したのも大きい。

 

 矢車自身、トラビの影響をかなり受けていることを自覚していた。額に巻いているアイヌの鉢巻・マタンプシはトラビから貰った物だが、これが本来どういうアクセサリーなのかも聞いている。今では男女共用だが、元々はアイヌの女性が狩りに出かける男へ送った品なのだ。

 男扱いされているわけではないが、トラビの語る狩猟本能にはいつしか共感を抱くようになっていた。戦車乗りは狩人だということを彼女が教えてくれたのだ。

 

 時に野をかけて獲物を追い、時に息を潜めて待ち伏せる。その中で感じるスリルと、獲物を射止めたときの快感。それはマリが黒森峰への受験に失敗してから、迷走の中で見失っていたものだった。

 つまり、『戦車道は楽しんで励むべき』ということである。

 

「右へ迂回。敵突撃砲の待ち伏せに注意して」

 

 榴弾による瓦礫で道を塞がれ、やむなく回り道をするときでさえも、彼女の口調には余裕があった。むしろ、そう心がけねばならなかった。一ノ瀬以呂波は好人物だが、戦車道に関しては嫌がらせのプロだということを、矢車は身に沁みて知っている。現に練習試合で最後に勝敗を分けたのは精神的な『余裕』の差だった。

 

 それを抜きにしても、恐らく自分は以呂波には及ばないだろう。しかも今回は練習試合とは逆に、乗っている戦車の性能も相手が上だ。それでも構わない、個人の功名手柄に意味などないのだ。自分が以呂波に勝てなくても、ドナウ高校は千種学園に、そしてかの大洗女子学園に勝つ。

 一年生の身で副隊長代理に任命されたとき、彼女はそう決心した。

 

「国定さん、斥候をお願いします」

《了解だ》

 

 四式中戦車の車長は矢車に敬礼を送り、自車を前に出した。決号工業高校の生徒からも、現場指揮官として一定の信頼を得ている証だ。

 チト車は路地へ入った後、後続する矢車らに手信号を送って停止した。車体左側の通信手席からフロックコート姿の少女が降車する。当然ながら戦車道では乗員への直接攻撃が禁止されているため、敵の待ち伏せが予測される場合に下車偵察を行うのは有効だった。行軍速度は遅くなるが、これ以上の戦力消耗は避けねばならない。以呂波が西住みほに合流する気なら、進行ルートを予測して先回りすれば遅れを取り戻せる。

 

 通信手が路地の先に顔を出し、そこで敵が待ち構えていないか確認する。彼女が車長に向けて親指を立てると、チト車は再び進み始めた。それに続いて矢車のクーゲルブリッツ対空戦車、そしてIV号突撃砲三両が路地を抜ける。

 

「……敵影無し。右折」

 

 慎重に周囲を確認し、矢車は右折した先にあるT字路へ戦車を進ませた。チト車のやや後ろにクーゲルブリッツがつき、回転砲塔を持たないIV突は互いの死角を補えるよう、梯型に隊列を組んで進む。

 その時ふと、前方の景色に違和感を覚えた。矢車も他の隊員も、十分に用心深く動いていた。しかし彼女たちの相手もまた、熟練した偽装(カモフラージュ)の達人だった。

 

 行く先に建つビルの壁面に、黒い点が三つ見えた。そして矢車は次の瞬間、それが砲口だということに気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《マスターアーム・オン!》

「FOX2!」

 

 III号突撃砲、ズリーニィI、そしてマレシャル。三両の突撃砲が一斉に発砲した。ビルの壁面を模した偽装パネルから突き出した75mm砲が、轟音と共に火を噴く。エルヴィンらが『大洗紛争』で使った手口である。今回は撃破されたSU-76iを含めた四両分のパネルを用意していた。

 こうした偽装を見破るのは素人の想像以上に困難だ。しかしそれでも矢車の乗るクーゲルブリッツ、そして四式中戦車チトの二両だけは寸前で気づいた。両車の操縦手は車体を大きく横に振り、寸でのところで射線をかわす。近くを掠めた徹甲弾は後方へ通り過ぎ、流れ弾の一発が後詰めのIV突へ命中した。履帯が断裂し、転輪が弾け飛んで路面を転がる。

 

 さらにIII突の放った一撃だけは狙い通りに、別のIV突の正面を貫通していた。行き足をとめた車両から白旗が揚がる。

 撃破、小破各一両の戦果。

 

 しかし相手も黙ってはいなかった。特にチト車の乗員は千鶴から『後の先』を叩き込まれており、回避の直後には反撃の体制を取っていた。無骨な砲塔が旋回し、高射砲を基とした75mm砲が獲物を狙う。偽装パネルをつけていても一度見つけた的は見逃さない。

 

《陣地転換だ!》

 

 エルヴィンの号令で、三両は退避行動に移る。丸瀬は敵の砲口を目視し、以呂波直伝の技術でチト車の狙いを見切った。

 

「川岸、狙われているぞ!」

 

 彼女の忠告は一瞬だけ遅かった。マレシャル駆逐戦車が回避しようとした瞬間、チト車が発砲。鈍い衝撃音と共に、独特の平たい車体へ着弾する。傾斜装甲とはいえ、最大装甲厚20mmのマレシャルでは受け止めきれなかった。衝撃で路面を少し滑走し、白旗が揚がる。

 

 III突は車体上面の近接防御兵器から発煙弾を発射した。空中で破裂した弾から煙が吹き出し、III突とズリーニィはそれに紛れて遁走する。撃破されたマレシャルを尻目に。

 

「川岸、大丈夫か?」

《申し訳ないッス。先輩たち、私らの代わりに大漁旗掲げて欲しいッス!》

 

 後輩の返答に、丸瀬は胸が熱くなった。千種学園は一弾流の規則により、味方と戦果を競うことを禁じている。個々の功名手柄を重視しては連携プレーが疎かになるからだ。丸瀬は斃れた仲間の分までチームに貢献することを常に意識していた。

 

「任せておけ、一緒に勝利を祝えるようにしてやる」

 

 飛行帽のゴーグルをつけ、丸瀬は力強く答えた。

 

 ズリーニィとIII突は偽装パネルを捨てて走る。敵は三両に減ったが、丸瀬、エルヴィンらは追われる立場となった。敵の最優先撃破目標は以呂波だが、この突撃砲二両を始末せねばこの後も戦力を削られる……そう判断したのだろう。特に決号のチト車は練度が高いようで、虎視眈々と躍進射撃の機会を狙っている。丸瀬は以呂波直伝の射線見切り法で、エルヴィンも修羅場をくぐって得た勘と経験で回避運動を取った。

 

 回転砲塔を持たない車両は追われる立場になると弱い。だがカバさんチームはこのような状況を打開する技を持っており、それを丸瀬たちツバメさんチームにも伝授していた。今それを成功させるには、敵の注意を逸らす協力者が必要だった。

 

《マルセイユ、フメリニツキー! 用意はいいか?》

「いつでもいけます、将軍!」

《全員着席、準備万端だ》

 

 コサックの頭領・フメリニツキーの名で呼ばれたのは、近くで待機している北森だ。立ち並ぶ建物を挟んだ反対側に陣取っている。

 III突とズリーニィは蛇行しつつ併走する。常勝将軍と撃墜王の名をソウルネームとする二人は目配せをし、車内に身を収めた。操縦手に「増速」と声をかけ、丸瀬は徹甲弾を手に取った。75mm弾はずっしりと重いが、すでにその重みには慣れている。緊張で心臓の鼓動が高まるも、スリル嗜好を持つ彼女はそれさえ楽しむことができた。

 

《今だ、決行!》

撃て(ヴォホーニ)!》

 

 エルヴィン、次いで北森の声と共に、三発の砲声が響いた。横合いの建物のガラスが割れ、突き抜けてきた榴弾が爆ぜる。さらに機銃の曳光弾が飛び散り、断続的な銃声・砲声が空気を揺さぶった。

 どうということはない、T-35がビルの反対側で、その無駄に多い武装を闇雲に発砲しただけである。だが相手からすれば、さながら複数両の戦車が駆けつけてきたように感じたのだ。チト車の車長がそちらに気を取られた、その隙こそが狙い目だった。

 

《行くぞ! CV.33ターン、別名ナポリターン!》

「回せー!」

 

 カエサルの号令で、III突は時計回り、ズリーニィは逆時計回りに転回。履帯に強引にブレーキをかけ、慣性を利用した急旋回だ。路面と擦れた履帯が火花を上げ、甲高いスキール音が響く。

 

 両車共に、操縦手は優秀だった。車体が百八十度回転したところでピタリと止め、砲手がGに耐えながら照準を合わせる。相手が驚愕の表情を浮かべたとき、丸瀬とカエサルがそれぞれ装填を終えていた。

 

「ヨーソロー!」

「FOX2!」

 

 二門の75mm砲が吼えた。マズルブレーキから炎が散り、大気を震わせた徹甲弾が敵戦車へと吸い込まれる。III突の砲撃はIV突の防盾下部へ、ズリーニィの一撃はチト車の車体左端へそれぞれ命中。長い牙が装甲を食い破り、標的となった二両は行き脚を止める。チト車は脇へ逸れ、鈍い音を立てて建物に衝突した。

 二両の敵戦車から白旗が揚がるのを見たとき、丸瀬は体から汗が噴き出すのを感じた。

 

《見事だ、マルセイユ!》

「将軍方には及びません!」

 

 無線機越しに言葉を交わすエルヴィンと丸瀬だが、相手の笑顔が目に見えるような気がした。この技はアンツィオ高校発祥で、CV.33豆戦車で行うものだった。それをカバさんチームが失敗を重ね、突撃砲で行う技術を確立したのである。それには乗員全員に高い練度と連携が必要であり、丸瀬たちも火のような練磨を経てこれを会得したのだ。

 

 指揮下の車両が全滅し、クーゲルブリッツは即座に横道へ逃げ込んだ。さすがに突撃砲二両と正面から戦うのは分が悪いと踏んだのだろう。丸瀬らの取る行動は決まっている。追う者と追われる者の立場は入れ替わったのだ。

 

《よし、追撃するぞ!》

「了解!」

 

 




お読みいただきありがとうございます。
劇場版で使われた「マスターアーム・オン!」という台詞は戦闘機が火器管制装置を起動したことを示すもので(戦車用語ではない)、監督が遊びで入れたらしいですね。
ちなみに丸瀬の「FOX2」は空対空ミサイルを発射する際のコールです。


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球電、光ります!

 仲間たちの協力によって、44Mタシュ重戦車は草原の狙撃ポイントへ到着した。以呂波は携帯電話の時計を確認し、敵フラッグの到達まで余裕があることを確認する。まずやるべきことは車体の偽装、そして何よりもずれた照準の再調整だった。

 

「……あの木で合わせる……」

 

 草原の中に突き出た木を指差し、澪が以呂波に告げた。距離はおよそ千五百メートル、ボアサイトには丁度良い目標である。以呂波もそれを確認し、澪に笑顔を向けた。

 

「お願いね、澪さん」

 

 義足の友人の言葉に、澪はこくりと頷いてハッチから身を出した。顔を半分隠した髪が風に揺れる。小柄な体で砲塔上面から車体へと移り、地面に降りた。美佐子も作業を手伝うべく降車する。

 

 照準器を砲腔の向きに合わせる、ボアサイトと呼ばれる作業だ。現用の戦車では砲腔視線検査具を使用するし、競技戦車用にも連盟公認の器具が売り出されている。しかし今は持ち合わせておらず、澪はより古典的な手法を使わざるを得なかった。

 

 まず砲口に糸を十字形に張る。正確さを期するには細い糸が望ましく、旧日本軍では馬の尻尾の毛が最良とされていたという。学園艦にいるときなら大坪に頼めば調達できるが、今回は結衣の長髪が役に立った。美佐子に肩車してもらい、煤けたマズルブレーキに髪の毛を貼り付ける。走って風に当てたため、砲身は十分冷めていた。

 

「大丈夫?」

「ん」

 

 結衣に声をかけられ、美佐子の肩の上で小さく頷く。その澄んだ瞳は砲口をじっと見つめ、我が子を労わる母のような、大切な物に対する慈しみの色があった。

 その様子を見て心配は不要だと判断し、結衣は車体の偽装に取り掛かった。美佐子も作業を終えた澪を降ろし、偽装網を広げるのを手伝う。他の乗員のサポートも装填手の任務に含まれるのだ。

 

 髪を貼り終えた澪は車内に戻り、砲手席に座る。左へ身を乗り出し、砲尾から砲腔を覗いた。砲身内に切られたライフリングと、砲口に十字に張った髪が見える。ゆっくりと旋回・俯仰のハンドルを操作し、その十字の中心部を目標の木に合わせる。

 今度はスコープを覗いて、照準の中心を同じ位置に調整するのだ。本来なら試射もしたいところだが、万一砲声を聞かれては不味い。これは隠密作戦なのだ。

 

 以呂波は砲塔の上に腰掛け、義足をだらりと垂らして前方を見つめていた。彼女の義足は優秀な職人が作った物で、ソケットはぴったりと切断面にフィットする。このソケットの良し悪しで義足との一体感が変わるのだ。それに加え、油圧と空気圧で膝関節が支えられ、それを制御するコンピューターによって本物の脚に近い動きを可能にしている。

 しかしそれでも揺れる戦車内で長時間立ち続けていれば、一日中スキー板を履いて過ごしたような疲労に襲われる。そんな彼女を、通信手席の晴が見上げた。

 

「西住先輩たち、保ってるみたいだよ。四対一でね」

「あの人は『多敵の位』を心得ていますから」

 

 涼しい顔で答える以呂波。晴も彼女を見て微笑み、そして両手を合わせて祈り始めた。

 

「はんにゃ~は~ら~み~た~じ~、どうか我らの弾を命中させたまえ。南無妙法蓮華経、懺悔懺悔六根清浄、アーメン」

 

 混沌とした呪文に美佐子が腹を抱えて笑い出し、以呂波も思わず笑みをこぼした。束の間の、長閑な時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千鶴ちゃん、堪忍な。ドナウの車両はほぼ全滅や」

 

 KW-1改のキューポラから顔を出し、トラビは報告した。IV号戦車のキューポラと主砲を積んではいるが、砲塔自体は四十二年型のKV-1そのままである。故にソ連戦車の例に洩れず、内部は狭苦しかった。ドナウ高校の戦車はこのKW-1の他、矢車マリのクーゲルブリッツ、そしてフラッグ車のI号戦車C型の三両を残して全滅してしまったのだ。

 それでもトラビは笑みを浮かべ、余裕を持って指揮を執っていた。今自分たちがここでIV号を片付ければ勝利なのだ。

 

 しかしそれもまた容易ではないと、トラビはよく分かっていた。あんこうマークのIV号戦車はトラビらの包囲をかわし、囲まれる前に頭を押さえて反撃、逆に右へ左へと相手を引きずり回すのだ。

 そして足止め部隊が壊滅した以上、以呂波の乗るタシュ重戦車があんこうに合流することをトラビは予測していた。

 

《以呂波がこっちへ来る前に片付けるぞ》

《アタシが奴のケツを引っ叩いて、清水の射線上に出す!》

 

 威勢の良い声と共に、後ろから二式軽戦車が速度を上げて駆けてくる。KW-1改を追い越しざま、亀子は一瞬だけトラビと目を合わせた。だがすぐに前方を睨み、砲塔から顔を出したまま進撃する。彼女もまた狩人だな、とトラビは感じた。

 

「左折。回り込んでバックアップするで」

 

 矢車への心配を脇へ置き、アイヌの戦車長は“軍神狩り”に専念した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、矢車マリのクーゲルブリッツはIII号突撃砲、そしてズリーニィI突撃砲の砲火に晒されながら逃走していた。相手が無砲塔故、蛇行運転を繰り返せばおいそれて当たるものではない。しかしさすがに、あれらの車両を30mm機関砲で正面撃破するのは無理があった。

 矢車はハッチから僅かに顔を出し、敵の動きを監視しながら操縦手に指示を出す。指揮は冷静さを保っていたが、顔には苦渋の表情が浮かんでいた。

 

「壊滅した……隊長から預かった部隊が……!」

 

 拳を握りしめ、声を漏らす。指揮下にあった五両の戦車はすでに撃破され、この場には今や自分のみ。信頼して車両を預けてくれたトラビ、そして自分を代理に指名した副隊長に合わせる顔がない。

 せめてこの二両の突撃砲に一矢報いたい。その計画を脳内で懸命に組み立てていた。クーゲルブリッツの連装30mm高射機関砲は元々、戦車の上面装甲を撃ち抜くための航空機関砲なのだ。薄い箇所に当てることができれば、勝算はある。しかし背後を取り、尚且つ至近距離まで肉薄するには相手の技量が高い。

 

「決号の砲戦車隊と合流するのはどうですか?」

 

 左砲手が提案する。確かにこのまま逃げ続け、二式、三式砲戦車の前に引きずり出すことはできるだろう。だがその砲戦車隊は千鶴たちの“あんこう包囲網”の外側で警戒に当たっている。そこへ敵をおびき出して万一仕損じれば、この突撃砲たちを西住みほに合流させることになる。

 

「いや……私たちだけで仕留める。次、左折して」

 

 操縦手が左のレバーを引き、指示通り旋回する。その直前にズリーニィが撃った砲弾は辛うじて当たらなかった。

 

「何処へ……?」

「この先に鉄道橋がある。その下をくぐるの」

 

 ダメ元よ、と告げ、矢車はうっすらと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 追撃する丸瀬、エルヴィンは無砲塔の不便さを感じながらも、クーゲルブリッツの撃破に意欲を燃やしていた。あの対空戦車に八九式とトルディIIaを撃破された今、あの機関砲でこれ以上引っ掻き回されてはたまらない。

 

「なかなか照準が合わせられないわ……!」

「焦ることはない。最悪、一ノ瀬が敵フラッグを撃破するまで鬼ごっこを続けてもいいんだ」

 

 ペリスコープで敵を視認しながら、丸瀬は砲手に告げる。自分たちが追撃している限り、相手は味方の援護に向かえないと分かっているのだ。

 

 ふいに、クーゲルブリッツが特徴的な球形砲塔を旋回し始めた。丸瀬は操縦手に増速を命じ、並走するIII突の前につけさせる。

 

「将軍、敵は反撃を試みています! 正面の厚いこちらが先行します!」

《うむ、頼んだぞ!》

 

 30mm機関砲とて、正面装甲厚100mmのズリーニィIには分が悪いだろう。そのためIII突の前にズリーニィを出して、庇える態勢を作ったのだ。

 やがて敵の砲塔は真後ろを向き、二門の機関砲が丸瀬たちを睨んだ。しかし何故か発砲はない。単なる虚仮威しなのか、慎重に狙っているのか、もしかしたら既に弾切れなのか……複数の可能性が丸瀬の脳裏に浮かぶ。だがやがて、クーゲルブリッツが頭上を通る橋の下に到達したときだった。球形砲塔がぐっと傾き、大きく仰角を取って上を向いたのだ。

 

「何だ……?」

 

 飛行機もいないのに、対空砲火でもしようと言うのか。いや、連盟の双発爆撃機『銀河』が試合を監視しているが、それを撃ち落とせば反則どころの話ではない。

 丸瀬が意図を掴みかねているうちに、クーゲルブリッツはそのまま斜め上に機関砲を撃った。断続的な発射音と共に、二門の砲身から曳光弾の光が帯を引く。

 

 次の瞬間、車内に鈍い音が数回響いた。途端にズリーニィは速度が遅くなり、急に静かになる。エンジンが突如停止したのだ。丸瀬は何が起きたのか分からなかったが、インカムに入った審判からのアナウンスが全てを物語っていた。

 

 

《大洗・III号突撃砲、千種・ズリーニィI、走行不能!》

 

 

「バカな!?」

 

 声を荒げつつハッチを開け、自車を確認する。車体上面には被撃破を示す白旗が確かに飛び出していた。加えて上面装甲に五、六個の弾痕も穿たれている。弾いた物もあるようだが、いくつかは装甲を貫通し、カーボン層まで達していたのである。

 背後を見ると、III突も同じように白旗が揚がっていた。その上エンジンから出火し、エルヴィンたちは消火器を手にハッチから飛び出すところだった。

 

「くそっ、一体どこから!?」

「何が起きたぜよ!?」

 

 修羅場をくぐり抜けた彼女たちでさえ、すぐに事態を把握できなかった。消火器から吹き出した白煙がエンジンルームに浴びせられる。丸瀬は消火作業を手伝うべく降車しようとして、ふと頭上……鉄道橋の下面を見上げた。そのコンクリート部分に多数の弾痕を見つけ、彼女は相手が何をしたのか分かった。

 

「跳弾させたのか……!」

 

 上面装甲は大半の戦車にとって急所であるのと同時に、最も面積の広い場所だ。跳弾の軌道は人間に予測できるものではないが、毎分数百発の機関砲で橋の下面を撃てば、跳ねた弾はシャワーとなって敵の頭上に降り注ぐ。そして何発かは命中し、装甲を貫通してもおかしくはない。

 

 丸瀬は舌打ちしつつも、走り去るクーゲルブリッツの後ろ姿に敬礼を送った。

 

 

 

 

 

 

「……本当に当てちゃったよ」

 

 後ろに向かって答礼しつつ、矢車はぽかんとした表情で呟いた。砲手たちが同じように唖然とした顔で彼女を見つめた。

 

「自信なかったんですか……?」

「いや、ドイツ空軍のパイロットがさ……機関砲を地面に跳弾させて、戦車の底面装甲に当てて撃破した話を聞いたのよ。だったら上からでも、って……」

「それで試してみたと」

「うん」

 

 運が良ければ一発くらいは当たるだろう、程度の気持ちでやったのだが、二両とも撃破することができた。少女たちは汗ばんだ顔に笑みを浮かべ、大戦果に喜ぶ。だがこの後どうするかが問題だった。指揮下の車両は全滅してしまい、クーゲルブリッツの継戦能力もそろそろ限界だ。今の作戦でかなりの弾を消費したのだ。

 

「残弾は?」

「右はもうゼロです」

「左もあと一連射で弾切れですね……」

 

 左右機関砲の射手がそれぞれ報告する。これでは仲間に合流しても、役に立てるかは分からない。そもそも自分の能力はまだまだ、トラビや千鶴と肩を並べて戦えるほどではないと矢車は考えていた。

 同時に一つ、考えていることがあった。一ノ瀬以呂波は本当に、西住みほを助けにいくのだろうか、と。自軍のフラッグ車を撃破されては負けだが、この状況であの隻脚の少女は守りに入るだろうか。そして彼女を逃がそうとしたB1bisや、突撃砲たちの気迫。以呂波が何か重大な使命のために動いているような、そんな予感がした。

 

 地図を広げて地形を確認し、矢車は決断した。

 

「……草原に向かって。あの子の動き、何か気になるから」

 

 




お読みいただきありがとうございます。前回から大分間が空いてしまいました。
農繁期はやっぱり大変です。
あまり話の進みが遅くても何だと思い、二話同時更新としました。
後数話で準決勝は決着がつく……と、思います。

最近Twitterで本作を「タンクポルノとしてのガルパンをよく書けている」と言ってくださった方がいまして、「タンクポルノ」という所で何かストンと落ちるものがありました。
ああ、私が書きたいガルパン二次はそれなんだな、と。
しばらく忙しい日が続くので更新はまた間が空くかもしれませんが、キャラ・戦車の描写に手を抜かないように頑張っていくので、見守ってくださると幸いです。


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勝負の分かれ目です! (前)

 突撃砲小隊が撃破されるより前、三木の乗る九五式装甲軌道車ソキは鉄道橋を越えていた。E-100撃破後、線路を通じて市街地に入っていた彼女たちはあんこうチームの援護に向かっていた。武装が三八式騎銃と二式擲弾器だけでも、敵の邪魔をするくらいはできるだろう。

 しかし相手もそれを予測していたのである。千鶴はあんこうチームとの『決戦区域』へ邪魔者が侵入するのを防ぐべく、砲戦車小隊を警戒に当たらせていた。線路上を走行できるソキ車がいる以上、線路周辺を重点的に監視するのは当然のことだった。三木らは履帯走行に切り替えて線路から降りた直後、砲火の中を逃げ回る羽目になった。

 

 みほのIV号戦車は四両の敵戦車を相手取り、一歩も退かぬ戦いを繰り広げていた。西住家の次女として叩き込まれた技術は、大洗にてさらに磨かれた。戦力不足の中で際どい戦いを強いられ、特に味方の損害を減らす技術は大いに向上したのだ。それは自分の乗る戦車についても同様で、巧みに相手の攻撃を見切り、反撃のチャンスを見つけ、突破口を開こうとする。

 

 薄い装甲板のシュルツェンは掠めた砲弾でバラバラになり、地面に散乱していた。しかし本体には文字通りの擦り傷のみで、小豆色の塗装は剥げても致命傷はない。

 もちろんここまで敵の攻撃を回避できるのはみほ個人の技量ではなく、操縦桿を握る冷泉麻子の腕に依るところも大きい。水温計と油温計を監視しつつ、エンジンとギアの回転音に耳を傾け、常に最適の出力で操縦を続ける。また意外なことに、彼女の多少我儘な性格もプラスに作用していた。戦車乗員は車長への服従が求められるが、操縦手は車長の次に戦術的思考が要求される。判断力のある麻子だからこそ、自分の考えで最適の操縦ができるし、みほの命令を極めて迅速に理解できるのだ。

 

「前方に敵」

 

 路地から飛び出してきた戦車を目視し、報告する。丁度後ろに砲塔を向けており、みほも後部を警戒しているときだった。二式軽戦車ケトはその快速を活かしてみほたちの進路に先回りし、脱出を妨害し続けていた。さらにIV号戦車の位置を味方に伝えているせいで、時折ホリII車の105mm砲が建物越しに撃ってくる。市街地にはすでに瓦礫が散乱していた。

 

「回避!」

 

 叫びざま、みほは麻子の右肩を蹴った。阿吽の呼吸での急回頭。IV号は射線から逸れ、放たれた砲弾は後方へと通り過ぎていく。

 反撃は間に合わない。みほは瞬時にそう判断した。相手は小型の37mm砲故に装填が早い。こちらが砲塔を正面に向ける前に第二射が放たれるだろう。砲塔後部に受ければ無事では済まない。

 

「加速して強行突破! 衝撃に備えて!」

 

 加速、と言いかけた時点で、麻子はエンジンを吹かしていた。仲間たちは対衝撃姿勢を取り、みほも車内に身を収める。

 刹那、IV号は道を塞ぐケト車に衝突した。体当たりという手段は非常にリスクが高く、実行した側も履帯断裂や故障などのトラブルを起こす可能性が高い。しかしIV号とケト車は約18tの重量差があった。

 

 鈍い衝撃音の直後、ケト車のフラットな車体が弾き飛ばされた。再装填を済ませていた砲が明後日の方向を向いて暴発する。砲手がすでにレバーへ手をかけていたのだろう。砲塔から顔を出していた亀子は必死でしがみついて耐え、一瞬みほと目が合った。

 

「右へ逃げてください」

 

 命令しつつ、右手で秋山優花里へサインを出す。対衝撃姿勢を解いた彼女は即座に作業にかかる。装填手席に近い即用弾はすでに使い果たしており、操縦席の後ろにある砲弾を取らねばならなかった。それでも彼女は可能な限り迅速に徹甲弾を担ぎ、握り拳で装填した。自動的に尾栓が閉じる。

 

「装填完了!」

「撃て!」

 

 無心で照準器を覗く華が、発射レバーを引いた。IV号戦車はケト車に背を向けて逃げる姿勢で、砲塔も後ろへ向けたまま。轟音と共に放たれた75mm弾は一直線に軽戦車へと向かう。

 だが相手は体当たりを受けた直後にも関わらず回避運動を取った。車体がまだ動揺しているうちから履帯を回し、寸でのところで射線をかわしたのである。

 

「ちょっとキツくなってきたんじゃない……?」

 

 沙織が地図を見ながら呟いた。しかしそれに対するみほの答えは淀みないものだった。

 

「戦車道で大切なのは諦めないことと、逃げ出さないこと」

 

 それは、彼女が最も尊敬する戦車乗りの言葉。それを聞いた優花里が、汗の滲んだ顔に微笑を浮かべる。沙織も小声で「よし」と呟き、気合を入れ直した。

 みほは砲塔を正面に戻させつつ、周囲の見張りを続けた。額に浮かぶ汗もそのままに。彼女の目的は敵の撃破ではなく時間稼ぎ。以呂波がI号C型を撃破するまで、耐え続けなくてはならないのだ。

 

 

 

 

 紙一重で撃破を免れた亀子は、ふっと息を吐きながら操縦手へ追撃を命じた。額に巻いた白鉢巻のおかげで汗が目に入ることはない。千鶴と同じ装備だ。

 千鶴の五式中戦車チリが後ろに来ていた。ちらりと振り替えってウィンクを送ると、千鶴もコクリと頷いた。『まだ戦える』という意思を伝えたのだ。熟練した戦車乗り同士なら言葉を交わさずとも、アイコンタクトと手信号だけである程度の連携行動が取れる。

 

「可愛い顔しやがって、ロックなお嬢様だぜ」

 

 いつも通り、女の子らしからぬべらんめぇ口調でみほを評する。彼女としては褒めているつもりだ。

 

「タンカスロンならピアノ線でも仕掛けてやるんだけどな……」

《首チョンパかいな。エグイわー、決号コワイわー》

「ちげーよ! 履帯に引っ掛けるんでェ!」

 

 トラビはわざとボケたのだろうが、亀子は律儀にツッコミを入れた。地面にピアノ線の塊を設置し、戦車の足回りに絡めて動きを封じる……ソ連軍がよく使ったトラップだ。一弾流では迎撃戦闘の有効な手段として研究しているが、正規の戦車道で使えるかはグレーゾーンだ。

 それとは別に、千鶴の方は次の手を考えていた。

 

《包囲は諦めるか。相手は『多敵の位』を分かってる》

 

 宮本武蔵の書いた『五輪書 水の巻』にある、多数を相手取るための戦術だ。一弾流では『五輪書』を教材の一つとしているが、西住流ではどうだか分からない。しかし相手を右へ左へと引きずり回し、包囲を許さない動きは武蔵の教えと似ていた。大兵法も小兵法も心得た、優秀な戦車隊長だ。

 だが千鶴とて、自分がそれに劣るとは思っていない。彼女の目を見て、亀子は相棒が何をするつもりなのか気づいた。

 

「鶴、草攻剣か?」

《ああ。トラビ、合わせられるか?》

《ほいほい。何度か見たことあるし、いけるで》

《こちら清水。いつでもいいよ》

 

 仲間たちの声は弾んでいた。皆この状況を楽しんでいる。心底戦車道が好きなのだ。千鶴は不敵な笑みを浮かべ、号令する。

 

《亀、お前から仕掛けろ。この先の十字路だ!》

「合点承知!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砲声から離れた草原の中を、I号戦車C型が疾走していた。地面の起伏をトーションバー式サスペンションで受け止め、操縦手の的確な操作で稜線を越える。ここでスピードを絞らねば戦車はジャンプし、格好は良いが足回りを損傷するリスクが生じる。脚の速い現用MBTなどでもあることだ。

 小さな一人乗り砲塔から顔を出し、シェーデルは前方の地形を確認した。この先は起伏が少なく、青々とした草原が続いている。髑髏の目出し帽の下で、口元に笑みを浮かべた。

 

「全開走行、やっちゃおっか」

「りょーかい……」

 

 命令を聞き、操縦手の少女がペロリと唇を舐めた。I号C型は二人乗りなので、乗員はシェーデルと彼女の二人だけだ。眼鏡をかけた淑やかそうな顔立ちだが、その表情には静かに燃えたぎるような高揚感があった。左足でクラッチを踏み込んで変速レバーを切り替え、アクセルを踏み込む。最適のタイミングでクラッチを繋いだ。

 直列六気筒のエンジンが吠えた。規定内のチューンナップで最大限の強化が施されている。履帯の回転が速くなり、千切れた草が宙に散る。ジャーマングレーの小柄な車体が風を切って驀進した。速度計の針が右へ右へと動き、やがてカタログ上の最高速度である79km/hを突破。風圧がシェーデルの体を叩く。心地よい刺激だった。

 

「イヤッホォォォウ!」

「L6! L6! L6!」

 

 二人で歓喜の叫びを上げながらも、シェーデルは車長の任を放棄してはいない。しっかりと周囲を見回し、敵の有無を確かめている。

 しかし二千メートル先の、それも徹底的に偽装された戦車を見つけ出すのは、彼女でもほぼ不可能だった。

 

 

 

 

「目標発見、十時方向! 距離二千、速度80km/h超!」

 

 偽装のため草を付けたキューポラから、以呂波が双眼鏡で的を視認した。彼女らの44Mタシュ重戦車は徹底したカモフラージュが施され、装甲の大半が偽装網と草で覆われている。遠目に見れば草原の風景に完全に溶け込んでいるはずだ。以呂波自身も草などをつけたヘルメットを着用し、双眼鏡の反射で敵に見つからないよう、レンズにメッシュを被せてある。

 

「お願いね……!」

 

 抱きかかえた徹甲弾に向けて呟き、美佐子は黒い弾頭に軽くキスをした。そしていつものように、砲尾へ押し込む。快音と共に閉鎖器がスライドし、薬室を密閉した。澪が前髪をたくし上げて照準器を覗く。ハンドルで砲塔を旋回させ、サイト内に小さな敵影を捉えた。彼女の腕に全てがかかっている。結衣は固唾を飲んで親友を見守り、晴は扇子を口に当て、小さな覗き窓からじっと前方を見ていた。

 

「澪さん」

 

 砲手席をちらりと見下ろし、呼びかける。

 

「発砲のタイミングは任せる」

 

 以呂波のその言葉を最後に、澪は周りの音が一切聞こえなくなった。ドイツ製の照準器を覗き、三角形でシュトルヒを図り、距離を測定する。ボアサイトの後試射もしていないため、照準が正確という保証はない。だが彼女は迷わなかった。

 

 信じるのは、自分の感覚と、誇り。

 

 心静かに敵の動きを追うと、相手の豆粒のようなシルエットが徐々に大きく見えてきた。そればかりか二千メートル離れているはずの距離がぐっと近くなり、標的が目鼻の先に見えた。まるで砲口の先に的が吸い付いているような、そんな感覚だった。

 

《一ノ瀬さん! 後ろからクーゲルブリッツが来てるよ!》

 

 ツチヤからの報告も、澪には聞こえていなかった。以呂波がキューポラから振り向くと、背後から接近してくる対空戦車の姿を視認できた。その球形砲塔から顔を出す、矢車マリの姿も。

 明らかに発見されている。しかし以呂波は、澪をちらりと見るだけだった。

 

 

 

 

 

 

 タシュの動きに不審さを認めた矢車の勘は当たっていた。トラビの許しを得て、残弾僅かなクーゲルブリッツで草原へ向かうと、すぐにそれは分かった。草の上に履帯の跡を発見できたのだ。それを辿って稜線を越えたとき、ジャーマングレーの重戦車が目に入った。その角ばった車体と、砲塔側面に描かれたレオポンのマークは見間違えようがない。

 大洗女子学園のポルシェティーガーだ。

 

「あいつは囮よ」

 

 矢車は直感的に判断した。車体に草などを乗せてカモフラージュしているが、いささか大雑把だったのだ。まるである程度目立つように装甲を露出させてあるような、そんな偽装の仕方だ。

 ポルシェティーガーは重い砲塔を回し、88mm砲を指向する。だがその前に、矢車は三百メートルほど先の稜線に草の塊を見つけることができた。徹底したカモフラージュ……しかし双眼鏡で凝視すると、偽装網の裾から僅かに黒鉄色の履帯が見えたのだ。そして上面には、偽装ヘルメットをかぶった人の頭が。

 

 あれが本命だ。

 

「目標二時方向、タシュ重戦車! 距離を詰めて!」

 

 背後を振り返ると、ポルシェティーガーは撃ってこない。ただ砲塔から顔を出した車長が、何かを報告しているように見える。砲声で気取られるのを危惧しているのだろう。

 クーゲルブリッツの操縦手はハッチを開けて視界を確保し、偽装された敵戦車を視認した。増速しながら二本のレバーで履帯の回転を操り、相手の背後へ回り込む。試作のみに終わったタシュ重戦車故、矢車は詳細なスペックを知らない。しかし重量と最大装甲厚からして、後面の装甲は薄いと見ていた。至近距離からなら30mm機関砲の徹甲弾でも、十分に貫通できるほどに。

 

 タシュのキューポラから以呂波が振り向いた。目が合った途端、矢車は例えようもない高揚感を覚えた。自分を打ち負かした相手。そして、戦車道の奥深さを教えてくれた相手でもある。黒森峰に入学できなかった悔しさから高慢に振る舞い、戦車道本来の楽しさも忘れかけていた自分を、あの義足の少女はぶち壊してくれた。今の矢車にとって、彼女とトラビの二人は特別な存在だった。

 

 だが以呂波はすぐに、正面へと向き直った。逃げる気配はなく、彼方を走るI号C型に照準を合わせている。矢車は今こそが、借りを返すチャンスだと確信した。

 

「頑張れ!」

 

 坂を登る愛車を励ましつつ、矢車は球形砲塔に身を収めた。相手が稜線の上にいる故、仰角を取る必要があったのだ。二重構造の揺動砲塔故、車長が顔を出していては砲を上に向けられない。

 砲手が目標に照準し、砲塔がぐっと傾いていく。

 

「用意」

 

 左砲手が、発射ペタルに足をかけた。




お読みいただきありがとうございます。
次回で準決勝は決着です。
本当はまとめて投稿したかったのですが、多忙なのでまた間が空いても……と思いまして。
なので相変わらず話の進みが遅いですがご勘弁を。

ご意見ご感想等ありましたら、よろしくお願い致します。
今後もお付き合いいただけると幸いです。

ところでふとマイページの「付けられた評価一覧」を見たら、何故か評価を非公開にしている評価者さんの名前も見られるようになっていましたが、これってハーメルンの仕様が変わったのでしょうか。
或いはバグ?
図らずも私の全作品(エターなってるモンハン小説含む)に1評価を入れている人も分かってしまったのですが、まあだからどうという物でもないですな。
できれば知りたくなかったけど!
今後もブレずに頑張ります。

追記
昨日は「できれば知りたくなかった」と書いたけど、考えてみれば知れてよかった気がしました。
詳しくは言いませんが、あの人がやったなら多分作品内容への評価ではないのでしょう。
自分の書く物に自信を持って頑張ろうという気になりました。


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勝負の分かれ目です! (後)

 あんこうチームは追い詰められていた。それまで複数両で攻めてきた敵が、戦法を変えたのである。

 最初に二式軽戦車ケトが単独で仕掛けてきた。IV号が初撃をかわした後も食い下がり、執拗に肉薄してきた。小柄でフラットな車体が擦れんばかりに接近して、紙一重のところですれ違い、また迫る。IV号の側面目掛けて、目掛けて真っ向から突っ込む形で。

 

「ブレーキ!」

 

 麻子が急制動をかけた。履帯がコンクリートの地面と擦れて火花を散らし、甲高いスキール音が鳴る。刹那、優花里の肩に掴まったみほは、体に小さな衝撃を感じた。ケト車の37mm砲弾が、砲塔前面をかすめたのだ。しかし致命傷ではなく、相手はそのまま急転回して走り去っていく。

 

 だが即座に、次の相手が来た。五式中戦車チリ。風化処理(ウェザリング)が施された砲塔に、一弾流の定紋『芙蓉に一文字』が鮮やかに描かれていた。みほは即座に砲塔を指向させつつ、相手の射線をかわす。西住流に『防御』という言葉はない。実は一弾流でも同じで、敵の攻撃に対しては『邀撃』か『迎撃』、または『回避』を行うものとしている。そもそも戦車自体が防御的な兵器ではないのだ。

 みほの西住流は亜流と言えるものだが、その点は母や姉の教えを受け継いでいた。例え劣勢な状況下でも、反撃は試みる。

 

「徹甲弾、残り十発!」

 

 優花里が報告しつつ、砲弾を薬室へ押し込む。装填手はただ砲弾を込めるだけでなく、弾薬の管理も仕事に含まれる。全弾撃ち尽くしてから弾切れを報告するような装填手では話にならない。

 残弾は少ないが、みほとしては計算ずくのことだ。こちらが必死で抵抗しているように見せれば、相手も以呂波たちによる狙撃作戦に気付きにくいだろう。それにどの道、IV号の48口径75mm砲身は限界に達しつつあった。数々の試合を経て内側の施条(ライフリング)が摩耗しているのだ。替えの砲身の目処はついている。砲手の華としては、今まで自分たちを支えてくれた砲身への感謝の意味も込めて、ここで撃てるだけ撃ちたかった。

 

「華さん、走行間射撃を!」

「いつでも大丈夫です」

 

 冷静に答えながら、足元のペダルで砲塔を旋回させる。華はすでに砲塔の癖を熟知しており、微調整用のハンドルをほとんど使わない。チリ車の砲塔からも千鶴が顔を出し、同じように主砲をこちらへ向けようとする。

 両者の距離は、互いの白目が見える近さだった。マスケット銃の間合いである。そこで互いに相手の射線を微妙な動きで避けつつ、自分の砲身を突き付けようとしていた。近代兵器の戦いというより、剣術家同士の間合いの読み合いだ。

 

 しかし数秒後、千鶴の方は突然、操縦手に退避を命じた。両端垂れ履帯で滑らかに旋回し、IV号に背を向けて逃走する。八九式やチハ車と違いシンクロメッシュ機構を搭載しているため、変速も素早い。

 華は旋回ペダルをぐっと踏み込み、最適なタイミングで足を離した。砲塔はさらに惰性で少し旋回するも、照準器内にチリ車の姿を捉えることができた。

 

「照準良し」

「撃て!」

 

 発射レバーが引かれた。しかし75mm砲が吠える直前、千鶴はその砲口を目視していた。マズルブレーキから広がった発砲炎と陽炎の向こうで、チリ車の車体が左へ逸れる。

 空振りだ。だがそれよりも、IV号の車内では優花里がトラブルに気づいた。発砲後に閉鎖器が開放されたにも関わらず、空薬莢が排出されなかったのである。

 

「排莢不良!」

 

 整備を怠っていたわけではない。大量生産される戦車砲弾には不良品、例えば薬莢が僅かに太いものが稀に発生する。発射するまでは問題ないが、撃発により熱膨張した薬莢が筒内に張り付いてしまい、自動排莢されないのだ。

 このままでは次の弾を装填できない。優花里はすぐさま、強制排莢用のレバーに手を伸ばす。時を同じくして、みほは続いて迫ってくる無砲塔戦車に気づいた。

 

「右へ転回!」

 

 水温計を気にしつつ、麻子が指示通り戦車を変針させる。すでに疵だらけのIV号は辛うじて、ホリ車の射線から逃れることができた。その105mm砲はM4シャーマンどころか、M26パーシングさえ正面から撃破できる威力だ。しかしその角ばった無骨な戦闘室は固定式で、旋回させることができない。

 そのためか、IV号が主砲を向けようとすると相手はあっさりと後退した。同時に傾斜装甲の重戦車が、間に割って入る。ジャーマングレーに塗装されたKW-1改、トラビの乗車だ。

 

 丁度そのとき、優花里は空薬莢の摘出に成功した。不良品の金属筒が砲尾のトレーに落下する。彼女は即座にそれを拾い、ハッチから外へ放り出した。

 これで主砲は撃てる。だがみほはいよいよ、自分たちが追い詰められたことを悟っていた。KW-1改は主砲を一発撃つと即座に転回し、後部機銃を撃ちながら退避した。銃弾がIV号の装甲に跳ねる中、再び二式軽戦車ケトが突進してくる。間を空けない波状攻撃だった。

 

 

 

 

 カバさんチームのおりょうがこの場にいれば、千鶴らの技が何なのか分かっただろう。相手に一人ずつ交代で斬り掛かり、それをせめぎ合う草の如く絶え間なく続ける。そして敵が疲労し、捌ききれなくなった隙に討ち取る。

 

 草攻剣。

 幕末の武装組織・新撰組が使ったとされる集団戦法。千鶴はタンカスロンの中で、それを戦車戦術に応用していた。

 

「頃合いか……」

 

 ポニーテールを靡かせながら、額に巻いた白鉢巻のずれを直す。決着の時……そう思うと、千鶴の胸は燃えるように熱くなった。今相対している西住みほだけではない。以呂波との、そして自分自身との決着をつけるのだ。

 

 決号工業高校の隊員は皆、世間一般から爪弾き者にされた不良少女たちだ。しかし少なくとも千鶴の元に集まる彼女たちは、他より劣っているからそうなったのではない。各々何かしら飛び抜けて優れている故に迫害されたか、或いはろくでなしの親を持ったばかりに歪んでしまったか、どちらかだった。

 千鶴自身は前者に近かった。一ノ瀬家三姉妹の中で最も才能に恵まれ、それを高めるための努力も惜しまなかった。母・星江でさえ、いずれ自分を超えると明言した。それにも関わらず、真っ先に後継者候補から外されたのは千鶴だった。面倒を見てくれた兄・守保の影響もあり、我が強すぎたのである。後継者として適任とされたのは堅実な実星と以呂波だった。

 

 表には出さなかったが、悔しかった。妹である以呂波を常に可愛がっていても、彼女が羨ましくもあり、妬ましくもあった。いっそ自分が男であればとさえ思った。兄のように己の道だけを生きていけたら、と。

 中学の頃には自分から女らしさを排除し、アウトローであると割り切った。しかし戦車道特待生として入学した決号で、千鶴は自分と似た物を抱えた仲間たちを大勢見つけた。そしてベジマイト、カリンカ、トラビといったライバルたちも。皆何らかの事情で表舞台に立てなかった、陰の実力者たちだ。

 

 誰もが戦車道に自己表現を求め、足掻いている。千鶴自身もまた、リーダーとして仲間たちを導きながら、道を模索していた。そして以呂波もまた、こちら側にやってきた。

 自分の戦車道は何か。今日ようやく、その答えに決着がつく。

 

「亀。畳み掛けるぞ」

 

 後方を省みると、亀子のケト車はぴったりと背後についていた。相棒は砲塔ハッチから笑みを返し、親指を立てる。

 装填手が自動装填装置を操作し、トレーに置かれた砲弾が装填棒(ラマー)で薬室に押し込まれた。増速。チリ車が先に路地から飛び出し、亀子が背後に隠れて続く。IV号戦車は退避を試みていたが、直後に105mm砲の轟音が辺りに反響した。ホリIIの一撃はIV号の行く手にあった建物に直撃、瓦礫とガラスの雨を道へ降らせた。後退で路地に入ろうとしていたIV号は行き脚を止め、落下物を避ける。

 

「良い仕事だ、清水……!」

 

 千鶴はほくそ笑みつつ、後退するホリIIの姿を見送る。次いでIV号の、というよりはキューポラから顔を出すみほの様子を観察した。自車の後部を気にしている。どうやら瓦礫の一部がIV号のエンジンルーム、冷却ファンの上に乗ってしまったようだ。こうなると冷却不良の原因にもなるが、このような状況下で悠長に取り除いてもいられまい。

 

 好機だ。千鶴のチリ車が主砲を指向すると、みほも気づいて自車を発進させる。だが千鶴がすっと右を指差し、その合図で亀子が横へ飛び出した。

 二両はIV号を挟み込むようにして接近する。千鶴は機先を制したと確信した。チリ車の砲撃をかわしても、小型砲故に照準が早いケト車が装甲の薄い箇所、または履帯を狙える。それをしくじっても、トラビのKW-1改がバックアップに入る。如何に“大洗の軍神”と言えど、以心伝心の連携の前に単騎では為す術もあるまい。

 

 二両の連携攻撃に対し、IV号は急激に加速した。冷却不良によるオーバーヒートを覚悟の上であろうか、捨て身の回避に打って出たと見える。

 

「撃て!」

 

 75mm砲が火を噴いた。轟音と共に砲が駐退し、放たれた徹甲弾は吸い込まれるようにIV号へ向かう。しかし、命中はしなかった。IV号が急激に姿勢を変えたのだ。

 

「ドリフト……!」

 

 昨年の決勝戦、西住まほとの一騎打ちで使われた動き。履帯がスキール音を立て、路面と火花を散らす。操縦手の技量は昨年からさらに向上し、履帯は千切れる寸前で何とか強度を維持していた。重さを支える多数の小径転輪も外れない。

 しかし今回は相手の背後に回りこむ動きではないと、千鶴はすぐに気づいた。

 

「亀!」

 

 彼女が叫んだ瞬間、小豆色の車体がケト車の側面に激突した。装甲板同士が激しくぶつかり合い、ケト車はぐらりと傾く。亀子が砲塔内に退避した直後、彼女の愛車は重い音を立てて横転した。

 ドリフトの軌道と突然の突撃によって照準が撹乱され、また亀子の見切りでも避けきれなかったのである。横倒しになった二式軽戦車ケトは白旗システムが作動した。

 

 続いてIV号の75mm砲が、チリ車を狙う。

 

「車体を敵へ! 副砲用意!」

 

 千鶴は声を荒げた。主砲の75mmは装填が間に合わない。操縦手が右履帯にブレーキをかけ、左の操縦桿をぐっと押し込む。油圧サーボを採用しているため余計な力は要らない。五式中戦車チリの角ばった車体がゴリゴリと音を立て、信地旋回で敵へ向き合う。同時に車体左側の副砲手が、37mm砲弾を装填した。

 狙うは敵の、IV号の履帯。両車が照準を合わせたのはほぼ同時だった。鎬を削るその一瞬、千鶴は快楽に身を委ねた。

 

「撃て!」

 

 一式三十七粍戦車砲の軽い砲声は、IV号の7.5cm kwk 40の咆哮にかき消された。IV号は左の履帯が弾け飛び、チリ車は車体前面に弾痕を穿たれる。日本戦車としては厚い正面装甲も、近距離から48口径75mm砲を受けて無事では済まない。砲弾はカーボン層で止まり、コンピューターチップが装甲貫通の判定を出す。

 直後、チリ車の砲塔、キューポラのすぐ横に白旗が揚がった。それでも千鶴は落胆の色を見せない。

 

「……鬼神に恥じぬ勇、古今無双の英雄!」

 

 『抜刀隊』の歌詞を引用し、千鶴は『敵の大将たる者』を讃えた。“大洗の軍神”は自分たちの連携攻撃を相手に単騎で立ち向かい、二両を撃破したのである。

 だが、ここまでだ。犠牲はどうあれ、フラッグ車さえ倒せば勝利だ。みほは別の戦車に側面を取られたことに気づいた。トラビのKW-1改。幅広の履帯はゆっくりと停止し、43口径75mm砲があんこうチームの側面を捉える。履帯が千切れた今、もう回避運動は取れまい。反撃するにしても、今から砲塔を回して間に合うものではない。

 

「終わりにしろ、トラビ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トラビのKW-1改、以呂波の44Mタシュ、矢車のクーゲルブリッツ。

 三両の砲手が発射ペダルを踏んだのはほぼ同時だった。草原では対空戦車の左機関砲が、僅かに残った弾を全て吐き出す。30mm弾はタシュの後部、それも最も脆い、エンジンの点検ハッチへと吸い込まれるように命中する。

 しかしその一瞬前に、タシュの75mm砲が火を噴いた。砲口に陽炎だけを残し、徹甲弾が飛翔する。二千メートル先を疾駆する、小さな点のようにしか見えない目標へと。

 

 80km/h近い高速を維持するI号戦車C型。しかし澪の研ぎ澄まされた感覚は、その未来位置へ極めて正確に射弾を送り込んだ。シェーデルが気づいて目を見開いた直後、砲塔側面が強く叩かれた。

 高速の軽戦車故、当然ながら装甲は薄い。特殊カーボンのコーティングで乗員室への貫通が妨げられるため、着弾の衝撃は車体をぐらりと傾かせた。シェーデルは咄嗟に砲塔内で受け身をとる。オーバーラップ配置の大径転輪とサスペンションも荷重を受け止めきれなかった。

 

 I号C型は傾いたまま惰性で十メートルほど走った。そしてようやく、運命を受け入れるかのように横転する。千切れた草と土埃が風に舞う中、白い旗が揚がった。それを最後に静寂が辺りを包む。

 

 

 KW-1改の砲撃はIV号に当たらなかった。否、命中はしたが右側の履帯を破壊し、転輪を削ぎ落としたのみだった。装甲貫通判定が出ていないので、撃破には至らない。

 トラビは動けないIV号の側面を撃った。しかしあんこうチームは切れていないかった右履帯のみで強引に車体を旋回させ、正面を相対させたのだ。無論、片側の履帯のみで思い通りの旋回ができるはずもない。座して敗北を待つよりはという、大洗の不屈の精神がこの行動を取らせた。結果、KW-1改の射線から僅かに外れ、被撃破を免れたのだ。千鶴とトラビが驚愕の表情を浮かべてIV号を見ていた。

 

 運に助けられた面も強い。そして今度こそ、IV号戦車は全く動けなくなった。だがそれで十分だった。

 

 

《決号工業高校・ドナウ高校フラッグ車、走行不能! よって……》

 

 審判長の声……大洗のメンバーにとっては聞きなれた、蝶野亜美1等陸尉のアナウンスが聞こえる。試合の終わりだった。

 

 

 

《大洗女子学園・千種学園の勝利!》

 

 

 




軍歌『抜刀隊』ですが、すでに著作権が失効しているので、歌詞を本文中に使っております。


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試合後です!

「いぃぃやったぁぁぁ!」

 

 美佐子の特大の歓声が、タシュの車内に反響した。車体後部には数個の弾痕が穿たれ、点検ハッチが着弾の衝撃でひしゃげている。砲塔には白旗が揚がっていた。しかし乗員たちは皆歓喜の笑顔を浮かべていた。結衣が操縦席から砲塔を見上げる。

 

「澪、凄いわ! 当てたのよ!」

 

 澪の膝を叩き、ポカンとした表情を浮かべる彼女に呼びかける。照準器のシュトルヒを表す三角形の向こうに、小さく敵フラッグ車が見えた。狙撃の快楽に酔った澪は、横転して静止したI号C型を陶然と見つめていたが、やがてゆっくりと目を離した。白い頬は紅潮し、火照っている。ゆっくりと深呼吸しながら、微笑と共に言葉を紡ぐ。

 

「当てたんだ……私が……」

「そうだよ! 澪ちゃんがやったんだよ!」

「う~ん、天晴れ」

 

 美佐子と晴も口々に賞賛する。義足の右脚を戦車の床へ下ろし、以呂波が彼女の肩に手を添えつつ着座する。振り向いた澪に笑顔で頷くと、頭上のハッチから覗く空を仰ぎ見る。丸く切り取られた青空を、爆音を立てて双発のレシプロ機が横切って行った。連盟の『銀河』だ。流麗な機影が通過して行き、遠ざかる爆音に耳を傾ける。

 

「……勝った」

 

 義足のソケットをさすり、以呂波は感慨深げに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

「西住殿! 西住殿!」

 

 優花里に肩を揺さぶられ、みほはハッと我に返った。仲間たちの顔を見回し、ほんの数秒ではあるが、自分が眠っていたことに気づく。試合終了のアナウンスを聞いた途端、体からふっと力が抜けたのだ。

 

「勝ったん……だよね?」

「はい! 我々の勝利です!」

「以呂波ちゃんたちが決めてくれたよ!」

「やりましたね!」

 

 優花里、沙織、華が口々に答える。ただ一人、麻子だけは沈黙していた。操縦桿を握ったまま熟睡していたのである。手練の四両を相手取った激戦には誰もが疲労しており、特にみほと麻子の負担は大きかった。しかしみほは晴れやかな心持ちだった。それにほんの僅かなうたた寝にも関わらず、不思議と熟睡した後のように頭がすっきりとしていた。

 

 キューポラの縁に手をかけ、ゆっくりと立ち上がる。周囲には先ほどまで鎬を削った、決号・ドナウ校のクルーたちが下車し、総勢二十名がIV号を取り巻いていた。ハッチから顔を出したみほを出迎えたのは、敵手たちからの盛大な拍手だった。

 

 

 

 

 

 

 

 大洗・千種の応援者たちが勝利に沸く。撃破された車両の乗員たちはもちろん、在校生やその家族、外部のファン、そして千種学園の前身となった四校の卒業生たち。様々な人々が勝利を喜んでいた。敗者の決号工業高校、ドナウ高校の応援団も、奮戦した隊員たちに惜しみない拍手を送った。砲撃の音に負けるなと言わんばかりの、万雷の拍手を。

 

 そんな中、試合会場の隅に設けられた整備所(ピット)では別の戦いが始まろうとしていた。

 

「あーあー、派手に壊したなぁ」

板バネ(リーフスプリング)も逝ってる。ボギーもいくつか丸ごと取り替えなきゃ駄目だぞ、こりゃ」

 

 出島期一郎、椎名五十六が口々に言う。トランスポーターで回収されてきた43MトゥラーンIII重戦車は、ドリフト機動によって足回りを激しく損傷していた。当然ながら真横にスライドすることを想定した設計ではないのだ。今回乗員の大坪たち共々あんこうチームの影武者として戦ったが、ドリフトまで模倣することでその技量をアピールした。宣伝効果は高いはずで、船橋は大いに賞賛していたが、整備士泣かせの戦法だった。

 

 だが幸いにも彼らは紳士であり、懸命に闘った女子たちを責めるようなことはしない。

 

「おい、誰かクルーの皆さんにお菓子でも配ってやれ。対戦相手にも……パフェなんか止せ! 腹壊したらどうする! ってかどうやって持ってきた!?」

 

 賑やかなサポートメンバーたちの元へ、あんこうチームのIV号戦車もまた回収車で運ばれてきた。足回りはほぼ完全に潰れ、シュルツェンも全て吹き飛んだその姿に、誰もが思わず唖然としてしまう。被弾しても貫通しなかった場所には焦げ跡や塗装の剥げが残され、満身創痍の出で立ちだ。

 

 出島たち千種学園の整備班が舌を巻いたのはレオポンさんチームだった。ポルシェティーガーと共に帰還したツチヤは戦車から降りるなり、後輩たちに矢継ぎ早に指示を出して被撃破車両の修理に取り掛かったのだ。試合までの準備では彼女たち大洗自動車部と、千種学園鉄道部が共同で戦車のメンテナンスを行ったが、ツチヤたちの手並みは出島たちにとっても良い刺激となった。

 もっとも取りまとめ役である出島・椎名らとしては、鉄道部の女子整備員がツチヤらと「戦車は鉄道か、自動車か」で言い争うのが悩みの種だったが。ツチヤたちは日本の法律上戦車は大型特殊自動車であることを根拠に、戦車は自動車であると主張した。一方千種学園の鉄道部員たちは走行装置が無限軌道であることを理由に、軌道(レール)上を走るのだから鉄道だと主張。結局試合まで決着はつかなかった。

 

「偉いもんだよな、あの人は」

「ああ。ポルシェティーガーをドリフト仕様にするってのは、少し病気だと思うけどな」

 

 雑談しながらも作業に取り掛かる二人。破損したボギー式懸架装置を取り外そうとして、不意に出島が手を止める。ポケットの中の携帯が、アメリカ民謡『I've Been Working on the Railroad』を奏でたのだ。取り出すと画面には『生徒会長』の文字が表示されていた。

 

「はい、こちらデゴイチ」

 

 最近あだ名で呼ばれるのに慣れてきたようで、自ら名乗ることも多くなってきた。大洗カモさんチームの影響だろうか。

 

 椎名は仕方ないので、他のメンバーと共に作業に取り掛かった。そうしている間に電話中の出島が次第に表情を変える。最後には「分かりました」と言って電話を切り、相方の方へ向き直った。

 

「シゴロク、緊急事態だ! “アレ”の出番だぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……やがて、戦いを終えた選手たちは次第に集まり、チームの垣根を超えて談笑を始めた。これは戦争ではなく、互いにに憎しみがあるわけではない。負けた側には悔しさもあるが、指揮官である千鶴とトラビが明るく振舞っていれば、部下たちも自然と笑顔になる。皆互いに握手を交わし、健闘を讃え合っていた。

 

「Лучше було б, лучше було б не ходить, Лучше було б, лучше було б не любить, Лучше було б, лучше було б та й не знать, Чим тепер, чим тепер забувать……」

 

 T-35の主砲塔上に腰掛け、北森がバイヤンを弾き鳴らしながら歌う。曲はウクライナ民謡『コサックはドナウを越えて』である。リズミカルで一見明るい曲調だが、歌詞の内容はコサック兵が縋り付く恋人を振り払い、戦に赴くというものだ。勝利の場に相応しい歌詞かは別として、軽快なリズムに合わせて他の乗員たちが踊り、観賞する四校の選手は歓声を上げていた。

 

 少し離れたところで、トラビは草の上に腰を下ろしていた。膝の上には後輩が頭を預け、膝枕の体勢で寝息を立てている。背の高いすらりとした体型の少女だが、あどけなさの強く残る顔立ちで、可愛らしい童顔だ。目元に涙の跡が見える。トラビは舌先を震わせ、「オホルルルル……」という声を出しながら、彼女の頭を撫でてやる。

 近くには髑髏の目出し帽が脱ぎ捨てられていた。試合中はハイテンションな彼女も燃え尽きてしまったらしい。まさか全開走行するI号C型を二千メートル先から狙撃されるとは、トラビも思っていなかった。それをやったのが五十鈴華ならともかく、千種学園の加々見澪という砲手だったことも、驚きに拍車をかけていた。

 

「何が起こるか分からへんなぁ」

 

 ぼやきながらも楽しげに、そして満足げに、アイヌ人の隊長は部下を労わる。そこへ近づいてきたのは、また別の部下だった。

 

隊長(カピテーン)。この方たちが、お話ししたいそうです」

 

 トラビが振り向くと、副隊長代理たる矢車マリの姿があった。そして彼女に案内されてきた、大洗アヒルさんチームの面々がいた。

 

「初めまして。大洗八九式中戦車車長の、磯部典子です」

「ああ、こちらこそ。ドナウ高校隊長のトラビや」

 

 きりっとした佇まいで挨拶する磯部は、同チームの後輩たちよりかなり低身長だ。しかしモットーとする根性論のためか、小さな体から熱い血潮が感じられ、それが風格を作っている。現に彼女の指揮する八九式は昨年度の全国大会、そして『大洗紛争』でも様々な手柄を立ててきた。

 だが今回は最初に撃破された。ドナウ高校の、クーゲルブリッツ対空戦車によって。

 

「矢車さんから聞きました。あの対空戦車の投入は、私たちを真っ先に撃破するためだったと」

「せやで。あんたらははっきり言うて脅威やからな。大砲でちまちま狙うより、機関砲でカタつけよう思うたんや」

 

 トラビがきっぱりと答えた途端、磯部はすっと前に進み出た。そしてトラビの両手を取り、ぐっと握りしめる。

 

「私たちは今まで、『相手はたかが八九式だ』とか、低スペックだとか、散々バカにされてきました。それでも自分たちにできることを考えて、チームに貢献してきた自負があります」

 

 きょとんとするトラビに向けて、再び口を開く。力強い口調で。

 

「あなたは私たちを、私たちの乗る八九式を脅威と見てくれた。撃破されたのは悔しいけど、そのことは嬉しいです! ありがとうございました!」

 

 深々とお辞儀する磯部。佐々木、河西、近藤の三人も「ありがとうございました!」と唱和して一斉に礼をする。嘘偽りのない、熱い言葉だった。戦間期の歩兵支援戦車で多くの修羅場をくぐってきた彼女たちは、“チームメイト”たる八九式に強い誇りと、愛情を持っていた。だからこそ、自分たちを侮らず、重大な脅威として対策まで練ってきたトラビに対し、深い敬意と感謝の念を覚えたのだ。

 

「……あんたらの戦車にはきっと、神様(カムイ)が宿ってはるんやね」

 

 トラビは彼女たちに笑顔を以って答えた。大洗の強さの秘密が一つ、分かったような気がした。そして彼女たちと接点を持てたことにもまた、大きな喜びを感じていた。

 

「でも! 次はやられません!」

「もっとレシーブの技術を磨いてきますから!」

「機関砲弾の雨なんて、全部打ち返しちゃいますよ!」

「また試合してくださいね!」

 

 口々に言う、アヒルさんチームのメンバーたち。シェーデルを膝枕したまま、トラビは彼女たちに笑顔で敬礼をした。

 

「そのときはきっとまた、ええ試合ができるやろね」

 

 次いでふと真顔に戻り、副隊長代理へ視線を移す。真剣な面持ちに思わず姿勢を正す矢車に、彼女は厳かな声で告げた。

 

「ほな、マリちゃん。ウチらの持っとるIV号戦車、全部クーゲルブリッツに改造しよか」

「冗談か本気か分からないこと言わないでください!」

 

 矢車は大慌てでツッコミを入れた。それを見て破顔大笑する、トラビとアヒルさんチーム。もはやそこにいるのは、敵と味方ではなかった。

 

 

 

 そんな明るい輪から外れた場所で、二人の少女が並んで腰掛けていた。

 

 一ノ瀬以呂波、そして一ノ瀬千鶴だ。

 




お読みいただきありがとうございます。
準決勝は決着がつきました。ようやく……(滝汗)
思えばエライ話数になっちゃいましたが、やっぱり大洗との対決までちゃんと書きたいので、今後もお付き合いお願いいたします。
決勝戦までに日常パートも挟みますが、今度は潜入偵察とかはやらないので、短めに済ませられると思います。

最近本作の感想欄に頂いたコメントに、片っ端からBad評価を入れてる人がいるようですが(誰がやってるか薄々分かってますが、ここでは言いません)、読者の皆様にはそんなことは気にしないで、お気軽にご感想を書いて頂ければと思います。
大変励みになりますので!

ちなみに出島の携帯の着メロは日本でよく知られた鉄道の歌の元歌ですが、訳詞の著作権がまだ有効なので、民謡であり著作権上問題ない元歌の題を文中で使いました。

それともう一つ。
最近2chの某掲示板で本作が話題に上ってましたが、「主人公が戦車道事故で片脚を失った」という点だけでアンチ・ヘイトと勘違いされていました。
読まずにそういうことを言う人は結構いるので気にしていませんが、私としてはアンチ・ヘイトとして書いているつもりは一切ないと明言しておきます。
私としては戦車道はスポーツなのだから、現実の義足の陸上選手のような女の子がいてもいいのではと思って考えた話です(戦闘機なら義足のパイロットもいたし)。
以呂波の怪我の原因は守保が社員に少し語っていますが、下車中の轢過事故であり、競技用戦車自体は原作同様にちゃんと謎カーボンでコーティングされています(これは今更言うでもないけど)。


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家族の絆です!

 二人並んで座ると、以呂波と千鶴の顔つきはやはり似ていた。双子ではないため瓜二つとまではいかないが、性格は違えど血を分けた姉妹であることが伺える。傾いた太陽が空を朱色に染め、二人の隊長はのどかにそれを眺めている。それぞれオーストリアの軍服、西南戦争の警視隊をモデルにしたタンクジャケットは激突の中、煤や油で汚れていた。しかし彼女たちの表情は明るく、服の汚れはむしろそれを引き立てる。勝者・敗者共に、満足のいく戦いだった証だ。

 

「いいチームだな、お前の所は」

「千鶴姉の方こそ」

 

 夕日に目を向けたまま、姉妹は互いの健闘を讃え合う。以呂波は義足の右足を前へ投げ出し、左足を抱えて座っていた。コンピューターにより脚の振り出しを感知し、速度に応じて油圧と空気圧で膝間接を動かす機械義足だ。義足に合わせて歩行するのではなく、人間に合わせて動く義足。本物の脚に近い動きができ、それなりに普及もしている。

 しかしこのようなハイテクな義肢であっても、スムーズに歩けるようになるには本人の努力が必須だ。特にスポーツ選手の場合、生身の方の脚もしっかりケアしなくてはならない。以呂波も左足の負担を減らすため、靴底にパッドを入れ、靴選びにも気を使っている。

 

 彼女がこの体になったのは中学校時代、練習中のことだった。イレギュラーなトラブルにより降車したときの、轢過事故である。折しも千鶴が陣中見舞いに訪れており、学園艦の病院で迅速に輸血を受けられ、一命を取り留めた。だがその後船橋と出会うまで、以呂波は自分が生きているという実感が湧かなかった。

 

「千種学園を勧めたのは正解だったな」

「うん。千鶴姉のおかげだよ」

 

 感謝の言葉を述べる妹の頭を、千鶴は軽く撫でた。戦車の道を失い、義務感のみでリハビリを続けていた以呂波に、千種学園への進学を勧めたのは千鶴だった。複数の学校の特色を受け継ぐ新興校なら、戦車道以外にやりたいことが見つかるだろうと。予想と違った形になったが、そのアドバイスは結果的に正解だったと言える。

 以呂波にとっても、千鶴にとっても。

 

「私ね。本当はずっと千鶴姉が羨ましかったの」

 

 千鶴は妹へ、意外そうな視線を向けた。彼女からしてみれば、一弾流を継ぐ者として期待されていた以呂波こそ羨ましかった。しかし人間は、自分と逆の存在に憧れることも多い。

 以呂波は周囲から常に期待され、それに応えようと戦車道に励んできた。しかし千鶴は守保と同様、より過酷な道を自分の脚で歩んでいる。荒くればかりの不良学校に、数名の門下生と共に乗り込んで、戦車道を再興させた。その周りに集まる人々から、尊敬の眼差しを向けられながら。

 

「千鶴姉みたいに自由になっても、私じゃあんなに強くなれないだろうな、って思ってた。でも、この脚になってから……」

 

 義足のソケットを撫で、以呂波は少し笑った。ハイテク技術による機械義足とはいえ、本物の脚と全く同じようにはいかない。様々なときに不自由さを実感する。だが戦車道に復帰してから、次第に足取りは軽くなっていった。

 

「もう人生終わりだな、なんて思ったけど……隊長になってほしいって頼まれてから、また戦車に乗って、みんなと一緒に戦って、遊んで……前に進むのが、凄く楽しくて。体は不自由だけど、何か自由になったような……」

 

 そこまで喋り、以呂波はふと言い淀んだ。言いたいことが上手く言葉にならないのだ。別に口下手ではないが、心情を言葉にするのはどうにも苦手だ。

 妹から目を離し、千鶴は草の上にごろりと寝転がった。後頭部で手を組み、真っ直ぐ空を見上げる。

 

「……見つけたんだろ。お前流の戦車道を、千種学園で」

 

 姉の言葉に、以呂波は少し目を見開いた。ゆっくりと左足を前に投げ出し、千鶴と並んで体を横たえる。鉄と油の匂いが染み付いた鼻に、草の香りが優しく感じられた。姉の横顔を見つめると、自分とよく似た瞳が、こちらを向いた。

 

「うん。見つけた」

「あたしもだ」

 

 二人は顔を見合わせ、笑いあった。千鶴は今回の試合には負けたが、人知れず悩んでいたことに決着をつけられた。というより、吹っ切れた。義足の身で直向きに歩む妹を見て、自分の悩みが馬鹿馬鹿しくなった。

 

 決号は生徒の素行不良によって全国大会から追放された。しかしこの『士魂杯』のような大会が開かれたということは、戦車道連盟の物の見方も変わってきたということだろう。自分の代では無理でも、後輩たちは必ず、全国の大舞台で戦う日が来る。その後輩たちの多くが、家庭や世間から爪弾かれた連中だ。今は自分を信じて着いてくる彼女たちのために、姉御としての役割を果たそう。それがいずれ、自分の道へと通じるはずだ。逆境から再起した妹と同じく。

 

 そしてもう一人、千鶴に大きな影響を与えた人物がいた。今度は以呂波がその少女と対戦する。

 

「西住みほは、強い」

 

 妹に少し顔を寄せ、声を低くして囁く。以呂波もこくりと頷き、千鶴の方に身を寄せた。西住みほ率いる大洗女子学園の強さは、共闘した以呂波も身にしみて知っている。作戦指揮は言うまでもなく、戦車乗りとしての腕も驚嘆に値する。姉を含めた手練の四両相手に、満身創痍となりながらも単騎で持ちこたえたのだ。決勝戦で大洗と戦うことが決まった今、対策を練らなくてはならない。

 

「凄い人だと思う。どうやれば勝てるか、考えないと……」

「デカイことを成し遂げるには天の時、地の利、人の和だ」



 指を順番に三本立て、千鶴は妹に語りかける。周囲に誰もいないか、ちらりと見回しながら。

 姉の挙げた三つの要素について、以呂波は少し考えた。地の利を活かすのは一弾流の得意分野だが、大洗もまた得意である。そして大洗の人の和は強固だが、その点では千種学園も負けてはいない。少なくとも以呂波はそう思っている。

 

「天の時を味方につけるには、まず情報だ」

 

 目を合わせ、ゆっくりと語る千鶴。以呂波もまた、そのアドバイスをじっと聞いていた。思えば姉から教えを受けるのは随分と久しぶりだ。肩を並べて戦った中学生時代を思い出し、以呂波はふと懐かしい気分になった。

 千鶴は続ける。

 

「場合によっちゃ、重要な情報一つは砲弾百発よりも価値がある。お前なら分かるだろ」

「うん。でも顔を知られてるから、潜入偵察は危険だね……」

「そうだな、止めた方がいい。けど、情報戦で何か優位(アドバンテージ)を取れ」

 

 そうしなくては勝ち目はない。それは以呂波にもよく分かった。共闘戦のために綿密な合同訓練を行ったため、みほも千種学園の手の内を知っているのだ。そして今回、澪の砲手としての技量が極めて高いレベルに達したことも、大洗側は知ることになった。きっと警戒してくるだろう。彼女たちはサンダースやプラウダとの戦いで、高初速砲による精密射撃の恐ろしさを身にしみて知っているのだ。

 無論、以呂波たちも大洗女子学園を知ることができた。しかし優位を得るには、もう一歩踏み込んだ情報戦が必要だ。

 

「厳しい戦いになると思うけど……楽しみ」

「お? 堅物だったお前も、少し熱くなってきたな?」

「千鶴姉の血をもらったせいだよ」

 

 その言葉に千鶴は吹き出し、以呂波も声を出して笑った。そこへふと、第三者の足音と声が聞こえた。

 

「一ノ瀬さーん」

 

 草原の稜線を越え、矢車マリが二人を見下ろした。姉妹が寝そべって密談している姿を見て「おっと」と声を漏らす。

 

「お邪魔しちゃいましたかね?」

「いえ。何ですか?」

 

 上体を起こしつつ以呂波が尋ねると、矢車は親指で後方を指して笑った。

 

「噺家さんが落語やるそうですよ」

「お、そりゃいいな」

 

 千鶴も起き上がった。試合前に高遠晴を捕虜にしたとき、トラビらと共に彼女の『雑俳』を聞いて大いに笑ったのだ。

 姉の差し伸べた手を握り、以呂波もまたゆっくりと立ち上がる。義足は草と土を踏みしめ、主人の体をしっかりと支えた。そしてふと、矢車と目が合う。

 

「……矢車さんの予言と、逆の結果になりましたね」

 

 捕虜交換のときの言葉を思い出し、以呂波は言った。『私は貴女に勝てないが、ドナウ高校は勝つ』……そう宣言した矢車だったが、彼女は以呂波の乗車を撃破したものの、ドナウ・決号は敗北を喫するという結果に終わった。

 矢車は以呂波の動きを見破り、草原で狙撃にかかろうとしていた彼女を発見できた。途中で見つけたポルシェティーガーについても、瞬時に囮だと看破した。その点において、矢車は『以呂波に勝てた』と言える。しかし当人は首を横に振った。

 

「やっぱり、私の負けですよ。貴女を見つけたとき、攻撃より連絡をするべきでした」

 

 タシュ重戦車を発見した際、矢車は即座に接近して攻撃するよう、自車の乗員に命じた。クーゲルブリッツの30mm機関砲はタシュの後部装甲、エンジンの点検用ハッチを撃ち抜くことができた。しかしその一瞬前に、タシュの方はフラッグ車目掛けて発砲していたのだ。

 もし矢車が先にフラッグ車へ連絡していれば、I号戦車C型は之字運動を取ることができただろう。そうなれば二千メートル先からの狙撃など不可能だったはずだ。

 

「私は白鯨を倒す機会に目が眩んで、仲間を守ることができなかった。エイハブ船長は私の方でしたよ」

 

 その言葉を最後に、矢車は踵を返した。しかし心なしか、その表情は少し晴々としているように見えた。自分の弱点を受け入れられたのだ。そして仲間たちも、彼女の失敗を責めなかったのだろう。副隊長代理に選ばれるだけの判断力・戦術思考は誰もが認めるレベルに達していた。恐らく来年には正式に副隊長へ就任するかもしれない。

 初対面のときには小物にさえ見えた彼女だが、今では以呂波にとっても重要なライバルの一人となった。

 

 大勢の出会いに感謝しながら、以呂波は仲間たちの元へ向かった。姉に手を引かれて。

 

 

 

 

 

 

 試合の後しばらく沸き返っていた観客たちも、次第に帰り支度を始めた。守保は角谷杏と別れ、自分の秘書、そして一ノ瀬星江と共に客席を後にした。

 駐車場へ向かう途中、守保は母の考えを聞いた。一弾流の今後について。

 

「……以呂波の友達を一弾流に迎える、と?」

「本人たちにその意思があれば、ね」

 

 星江は淡々と語った。日本戦車道は変革のときを迎えている。西住流でさえ、それを認め、受け入れつつあるのだ。伝統も時には更新が必要であり、そのための人材は確保すべきと星江も考えている。

 しかし一弾流独特の鍛錬プログラム、例えば銃剣術や火炎瓶などを廃止する気はないと言い切った母に、守保は苦笑しつつも安堵した。歳をとって妥協を重ねるような人物になられては張り合いがない。

 

「ただ、以呂波本人については……まだ見ていた方がいいわね。危なっかしさがある」

「マルセイユかハルトマンか、ってことか」

 

 以呂波は右脚を失う前は堅実で、時折大胆さに欠ける戦術家だった。しかし今では卓越した見切りによって、敵の砲撃を紙一重でかわすテクニックを多用している。大胆不敵な突撃による撹乱などもだ。無論、相手より車両の質や数、部下の経験が劣る状況下では賭けに出ることも必要だ。だがスリルに身を任せ、リスクの高い戦法が常態化しては危うい。千鶴にもその気があったが、彼女は熱くなっているように見えて沈着なことが多い。

 

「それに何より……一弾流の道は邪道であれど、外道であるなかれ。これを守り通せるか、見届けなくては」

「千鶴の方は?」

「あの子は大丈夫よ、好きなようにやらせれば。あの子が日本の戦車道を壊すことになっても、硬直したままよりはむしろマシよ」

 

 その言葉を聞いて、守保はふと考えた。まだ具体的なビジネスプランにはなっていない腹案だが、彼は戦車道の新流派設立を目論んでいるのだ。

 

 コンセプトは『北辰一刀流の戦車版』である。江戸時代の剣客・千葉周作を開祖とするこの流派は、現代剣道の原型とも言える合理的な指導で有名だ。当時の武術によくあった神秘性・宗教性を廃し、技術を追求することで、門弟は短期間で腕を上げることができたという。さらに当時の道場では昇段の度、周囲に礼物を贈るという習慣があった。そこで千葉はそれまで八段あった伝位を三段に減らし、昇段による経済的負担を少なくしたのである。誰でも気軽に強くなれる剣術は町人や下級武士にも広く受け入れられ、幕末には多くの使い手が倒幕派・佐幕派双方で活躍した。

 

 日本戦車道は伝統・格式を重んずる姿勢故に敷居を高くし、若い少女たちの心を掴むのが難しくなっていた。かつて華道・茶道・戦車道と云われた大和撫子の嗜みも、一般人からはマイナーな競技にしか見えなくなってしまった。

 “大洗の奇跡”による戦車道熱の高まりは、連盟にとっても守保にとっても、大きなビジネスチャンスだ。それを未来へ繋げていくために、時代に即した、気軽に戦車道を学べる流派が必要だ。八戸タンケリーワーク社も利益拡大を狙える。

 

 無論、それによって戦車道の形骸化が進んでは元も子もない。現代剣道について、そうした意見があるように。人選は慎重に決める必要がある。千鶴なら少なくともその心配はないが、別の問題がある。千鶴が新流派を創設すれば、一弾流門下生で彼女を慕う者は間違いなく移籍するのではないか。

 

「……星江さん、もしも……」

「ここで別れましょう」

 

 星江は目を合わせないまま、息子の言葉を遮った。

 

「部外者相手に、少し喋りすぎたわ」

「……そうだな。なら最後に」

 

 守保はポケットから携帯を取り出し、画像フォルダを開いた。部外者という冷たい言い方は特に不快ではない。むしろ商売人としての公正さを守るため、特定の流派に肩入れしない必要がある。今後創設する新流派にも、だ。そのため守保は母との関係がどうなろうと、今後も一ノ瀬ではなく八戸の姓を名乗るつもりでいる。

 

「来週、誕生日だったな」

「……よく覚えていたわね」

「これ、やるよ」

 

 画面に表示された画像を、突きつけるように見せる。そこに移る車両に、星江は一瞬目を見開いた。

 

「……実星から聞いたの? 車を買い替えたがってるって」

「ああ。こいつを欲しがってるともな。来週納車するから、いらなかったら人にあげるなり売るなり、好きにしてくれ」

 

 一方的に言って、若き社長は母親に背を向ける。勘当した息子からの思わぬプレゼントに、星江はふと息を吐いた。

 

「頂くわ。どうもありがとう」

 

 簡潔な感謝の言葉を最後に、星江も踵を返した。

 結局、親子揃って不器用者か。秘書は二人を見比べて、心の中でそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 ……その頃、洋上を航行する千種学園の飛行場では、巨大な輸送機が離陸の時を待っていた。

 An-124ルスラーン。旧ソ連、現ウクライナのANTKアントーノウが開発した大型輸送機である。後退角のついた翼にはD-18Tシリーズ3型ジェットエンジン四基が並び、多数の車輪で堂々たる体躯を支えている。白い機体は緑のラインで装飾され、千種学園の校章が胴体に描かれていた。他の学園艦でこのクラスの大型機を運用するのは、C-5Mスーパーギャラクシー三機を有するサンダース大学付属高校くらいだ。千種学園が保有するAn-124は一機のみだが、その搭載量は重宝されている。

 

 試合会場からヘリで戻ってきた出島、椎名両名は、An-124の後部ハッチ付近で積み込み作業を見守っていた。輸送するのは諜報活動中に整備していた、旧アールパード女子校の遺産である。T-34中戦車の車体の上に、巨大な二本の筒を乗せ、その後ろには重機のようなガラス張りのキャビンがあった。操縦席は戦車同様車体にあり、女生徒の手でゆっくりと前進していた。

 

「本当に行くんですか、会長」

 

 出島が心配そうに尋ねた。相手は『怪物』の車長を買って出た人物である。この学校の生徒会長・河合美祐だ。彼女は男どもの不安げな視線に、毅然として答えた。

 

「非常事態です。あれを放置しておくわけにはいきません」

 

 河合が白い手で指差した先は、夕日に染まった海。しかし朱色の空の下、遠方の海上には夕焼けとは別の赤が見えた。炎である。船上火災だ。

 

「一番近くを航行しているこの艦から、救援に向かわねばなりません」

「けど、会長さんがわざわざ……」

「それも必要なことです」

 

 その言葉を聞いて、出島はふと息を吐いた。決心は変わらないようだ。結局のところ、整備士にできることは搭乗員を見送ることなのだ。ただ今回は彼らも搭乗こそしないものの、エンジニアとして随伴する。不謹慎な表現だが、この車両が活躍するところを見られるのだ。

 

「分かりました、整備員として全力でサポートします。けどこいつは並の戦車以上の怪物ですよ」

「ええ、分かっています」

 

 河合は一つ頷き、自分の乗る車両を見つめた。その無骨な、用途がまるで分からない姿を。だがその目は今しがた試合に勝利した、友人たちを映していた。

 

「船橋さんたちにだけ、やらせはしません。私も怪物を手なづけてみせます」

 

 異形の車両はゆっくりと、An-124の後部から降りたスロープを登っていく。操縦席に座るのは生徒会役員の女子だ。この車両はもはや戦車ではなく、用途を考えれば男の領域である。しかし無骨な姿に女の子の姿はよく似合った。彼女は頭上をチラチラと見上げ、巨大な二本の筒と、その上に突き出た六本の管が天井に引っかからないか気にしていた。

 目立つ赤色で塗られたその車両は、極めて異様な外見を持っていた。そもそも砲塔のあった場所に搭載された太い筒は、本来戦車とは全く縁のない物である。

 

 ビッグウィンド。

 戦車の車体に戦闘機用のジェットエンジンを搭載した、ハンガリー製の消防車である。

 




お読みいただきありがとうございます。
以呂波と千鶴の会話、輸血の辺りで「ハイオクの超ヤバイ血だ」というセリフを入れたい衝動に駆られましたが、自重しました。

そして次回は以前から出したかったかの車両の活躍、みほたちとの別れ、そして決勝に向けた準備に入っていきます。
今後も応援していただけると幸いです。

ところで、この辺でアンケートを。
答えてくださる方は「感想欄でのアンケート回答禁止」というサイトのルールに則り、ダイレクトメッセージか活動報告へのコメント、または私のTwitterへお願いします。
下記のうちどれか一つへの回答でも構いません。

1.ライバルキャラで一番好きなのは誰ですか?

2.好きなシーンまたはセリフはどれでしょうか?

3.Twitterでもやったアンケートですが、いずれ書くとしたら読みたいのはどれですか?
 ・大学選抜チームの料理番
 ・ノンナの弟子
 ・いっそのことR-18


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別れの風です!

 火災が発生したのは、学園艦に洋上で燃料・物資を供給するための補給艦だった。学園艦と同じ製法で造られ、小型艦並みのサイズがある。火元はその甲板上の燃料集積所だ。当然、艦に備えられている消防車が出動したものの、火の回りが早く消火が追いついていない。折しも接舷して補給を受ける予定だった千種学園では、すぐさま救援隊の派遣を決定した。

 その中核が、ビッグウィンド消防車だった。着艦したルスラーンの格納庫から降ろされ、異形の車両は現場へと向かう。後部のキャビンには河合が乗り込み、整備班の面々はレヘル兵員輸送車で追従した。

 

 現場に到着したとき、さすがの河合も恐怖を感じた。引火した油が広がり、一帯が巨大な炎に包まれている。甲板上には火に包まれたドラム缶などが散乱し、艦のダメージコントロール班が懸命に消火を行っていた。

 

《エンジンの状態は万全ですが、少しずつ吹かすようにしてください。一気にフルスロットルにはしないように!》

「……了解」

 

 無線機を通じて出島と言葉を交わす。ヘッドフォンはともかく、喉に巻いた咽頭マイクにはまだ慣れない。強化ガラス張りのキャビンから火の様子を見つめ、ゆっくりと息を吐いた。

 彼女はここまでの規模ではないが、大火災を見たことがある。生まれ故郷たる、旧トラップ=アールパード二重女子校学園艦でのことだ。火の手は艦尾に位置するアールパード校側で上がり、馬術部で飼われていた馬が多数死んだ。その頃彼女はまだ小学生だったが、そこから二重女子校の没落が始まった。

 

「……貴方も、無念だったでしょう」

 

 スイッチやレバーの並ぶキャビン内で、河合はビッグウィンドに語りかけた。この異形の消防車は通常の火災では使いにくいし、特に市街地では周りへの損害も大きくなるだろう。何故学園艦に存在したのか不思議なくらいだ。そのため過去の大火災のとき、この車両は車庫の奥で埃を被っていた。それが廃棄されず千種学園へ受け継がれたのは、もしかしたら何かの手違いによるものだったかもしれない。だがそのおかげで、また千種学園の歴史に新たな一ページが作られる。

 

 補給艦の職員たちが駆け回り、太いホースを引っ張ってビッグウィンドへと繋ぐ。艦内の大型貯水槽から水を引くことができた。ただこの怪物の放水能力は一般的な水泳用プールを五十秒で空にできる。足りなくなった場合、海水を汲み上げざるを得ない。

 

《ホース連結完了》

「前進」

 

 仲間に呼びかけつつ、二基のジェットエンジンの始動準備に入る。Mig-21戦闘機の心臓であったこのエンジンは、放水用のコンプレッサーに役割を変えていた。凄まじいジェット排気によって水をスプレー状に放出し、火から酸素を奪うのだ。元はNBC兵器対策として作られた除染用車両であるが、油田火災の消火にも使われる。その消火能力は火を『殺す』と称されるほどだ。

 

 低い唸り声を上げ、エンジンが目を覚ました。操縦手が車体を前進させ、火の間近まで持っていく。巨大な炎の壁が眩しい。

 操縦席のハッチが閉まっていることを確認し、ポンプのクラッチを繋ぐ。ゆっくりとスロットルを開くと、エンジン上に並んだ六本のパイプから放水が始まった。白い霧状の噴射が放物線を描いて火へとかかる。だがこの程度では効き目がない。

 

「……行きます」

 

 レバーを引き、少しずつスロットルを開く。エンジンの唸りが一段と大きくなり、轟々と爆音が響く。それに伴って水勢も強まった。雄叫びの如く放射された水の粒が、炎の光を反射して煌めく。しかし次の瞬間には、その放水を受けた場所から炎が『消し飛んだ』。大抵の油火災に水は逆効果だが、大量の水を高圧の噴射すれば一瞬で酸素を奪い、油を冷却できる。

 

 

 河合は『砲塔』を旋回させ、炎の壁を削っていく。離れた距離に陣取った出島、椎名らは、怪物が問題なく動いていることに安堵していた。

 

 

「クウェート油田火災って、こいつを投入しても鎮火まで十ヶ月かかったんだよな」

「最初は五十年かかるって見積もられてたらしいからなぁ」

 

 男同士でぼやきながらも、決して高みの見物をしているわけではない。今は彼らがオペレーターだ。レヘルの座席には無線機が置かれ、周囲の状況を監視しつつ、艦の消防隊員からの指示を河合へ伝えるのだ。

 彼らとしては女子たちの活躍に、つくづく頭の下がる思いだった。千種学園では戦車道チームの活躍に刺激を受け、男子も運動部・文化部共に士気が上がっている。国から不要と見なされた前身四校の名誉回復が、新たに入学した後輩たちの未来にも繋がると信じて。出島と椎名は元々、そういったことにあまり興味はなかった。元々女子の胸や尻には何の関心もなく、SLの汽笛を聞いて気分がムラムラするような連中である。世間からどう思われようと、大好きな鉄道さえ弄っていれば満足だったし、戦車の整備員になったのも単純に、機械への興味からだった。そんな彼らだからこそ、女子たちも安心して愛車を預けるのだろう。

 

 だがその一方で、自分たちの立場に信念を持ち始めていた。

 

「お、見ろよデゴイチ」

 

 椎名の指差す先を見ると、海原を走ってくる船影が複数見受けられた。すぐさま無線機で報告する。

 

「会長、消防船が見えました。もう少しですよ」

《了解。この子で消せるだけ消して、後はお任せしましょう》

 

 滑らかな声で答え、河合は炎へとビッグウィンドを前身させる。ジェットエンジンが吠える度、炎の壁の一部が吹き飛んでいく。怪物の雄叫びを聞きながら、男二人は顔を見合わせた。

 

「この子、だってよ」

「女子ってヤツは……」

 

 すでに怪物消防車へ感情移入している生徒会長に、二人は苦笑する。人車一体、愛車の精神は、千種戦車隊の全員が持っている。彼女らが身を預ける戦車なのだから、整備も一層誠意を持って行わねばならない。

 

「さっさと終わらせて帰りたいな。お姫様たちのために、さっさと戦車を直さないと」

「ああ。あのアバズレどもを勝たせるのが、俺たちの仕事だ」

 

 あくまでも職人気質の二人である。口は悪いが、根は紳士だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 消火作業が完了したとき、空にはすでに星が瞬いていた。千種学園の貢献はすでにネットを通じて知られ、反響を呼んでいた。『士魂杯』における活躍と併せ、もはや「不要な学校の寄せ集め」という評価は過去のものになりつつある。だが戦車道チームにとっては、まだ最強の敵との戦いが残っていた。

 

 

 立て込んだ中ではあったが、千種学園の学園艦は入港することになった。大洗女子学園のメンバーと戦車を下船させるために。

 

 

 

「皆さん、お世話になりました」

「お世話になりました!」

 

 みほが深々とお辞儀をし、他の大洗隊員たちも一斉に礼をする。それぞれ荷物をまとめ、戦車もトランスポーターに乗せてあった。見送りに来た千種学園のメンバーは寂しげである。準備期間の合同練習を通じ、他校の生徒とは思えないほど親密になっていた。

 だが『昨日の友も今日は敵』の言葉通り、共闘はここまでだ。次は彼女たちとの決勝戦が待っている。

 

 以呂波は機械仕掛けの義足で、ゆっくりと前へ出る。みほと向き合い、出会ったときと同じように握手を交わす。

 

 片や、前進を旨とする西住流宗家に産まれながら、母校と友情を守るために戦い、国を相手に踏みとどまった少女。

 片や、踏みとどまる戦車道を身に叩き込まれながら、自分と仲間たちの、再起と前進のために戦う少女。

 対照的な立場でありながら、二人は互いに親近感を覚えていた。

 

「決勝戦、全力でいきます」

 

 相手の目をしっかりと見て、以呂波は宣言した。

 

「良い試合にしましょう!」

「……はい!」

 

 快活な笑顔で答えるみほ。その愛らしい表情からは“大洗の軍神”などという、仰々しい渾名は想像できない。当然、自らそう名乗ることもないが、その名に相応しい実力者である。共に戦った千種学園の面々には分かっている。

 

 やがて、大洗隊の面々は自分たちの学園艦へと乗り込んでいった。タラップを上がりながら手を振る彼女たちに、千種の隊員たちも手を振る。そのとき以呂波はすでに、勝つための策を練り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……東京、某所。

 テレビを消し、作務衣姿の男は溜息を吐いた。強面の中年男性だが、ぎょろりとした大きな目にイガ栗頭という出で立ちは、どことなくコミカルな印象を受ける。意味もなく部屋の畳を撫で、イグサの線を数えながら、ちゃぶ台に肘をついて考え込む。

 不意に笑みを浮かべ、隣にいる若い弟子を顧みた。

 

「狂助。明日、千種学園ってところに行ってみようと思う」

「分かりました。それじゃあ手続きしておきますんで」

 

 弟子は笑顔で答える。大抵の学園艦は部外者の乗艦に許可が必要だ。審査がどの程度厳しいかは学校によるものの、生徒の家族であればすぐに入れることが多い。黒森峰女学園は女子校の上、機密保持などの理由から厳しかったが、千種学園は共学。父親なら問題なく乗艦できるはずだ。

 

「凄い戦いでしたね。お嬢さんは何処にいたんでしょうか」

「さぁてな」

 

 苦笑しつつ、卓上の猪口へ手をやる。すかさず弟子が徳利を取り、酒を注いだ。

 

「バカ娘がどんなところで暮らしてるか、見に行ってみるとしよう」

 

 



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最終章 戦車道の花
たまには休みます!


今回は二話同時更新です。
作者ページのお気に入り小説からいらした方は前の話からお読みください。


 休日の朝ほど、早く目が覚めてしまう人間もいる。相楽美佐子もそのタイプで、まだ寝ている同居人たちを起こさないよう、静かに布団から抜け出す。ただこれが少々難しく、まずは自分に抱きついている結衣と澪を引き離さねばならない。同居を始めたとき、美佐子の寝相があまりにも悪いため、二人がかりで押さえつけて寝るようになったのだ。

 どうにか脱出したとき、結衣がとろんとした半眼で美佐子を見たが、再び目を閉じて眠った。時間はまだ六時。昨日の試合の疲れもあるだろうし、この分ではみんなもうしばらく寝ているだろう。

 

 昨日の戦いを思い返しながら、美佐子は寝間着のボタンを外し始めた。天気は良さそうだし、散歩でもしてこようと思ったのだ。だがそのとき、並んだ布団の中に三人しかいないことに気づいた。結衣、澪、晴……以呂波の姿がない。

 玄関の方でコトコトと足音がした。義足の音だと分かった美佐子は、着替えを中断して部屋から出た。

 

「イロハちゃん」

 

 靴を履こうとしていた隊長にそっと呼びかける。だが次の瞬間には驚いた。以呂波の目が赤くなり、その下にクマができていたのだ。

 

「あ……おはよう」

「イロハちゃんどうしたの、その顔!?」

 

 疲れた顔で笑う友人に、美佐子は思わず駆け寄る。以呂波はきょとんとした表情を浮かべた。

 

「……何かついてる?」

「目の下にクマできてるよ! ちゃんと寝たの!?」

 

 その言葉を聞いて、ようやく合点がいったような顔をする。自分では気づいていなかったのだ。

 

「決勝戦の作戦、いろいろ考えてたら……いつの間にか朝になっちゃって」

「徹夜!?」

「まあ……平気だよ」

 

 言葉とは裏腹に、口調にはいつもの精彩がなかった。初めて出会ったときの、廃人同様の彼女よりはまだまともだが、とても健康には見えない。やはり本人は気づいていないのか、それにも関わらず靴を履いてでかけようとしていた。最新式の機械義足とはいえ、履ける靴は限られている。底のフラットな、転びにくく負担の少ない靴を選んでいた。

 

「ちょっと、図書館で戦術論の本とか見てくる」

「こんな時間じゃ開いてないよ!」

 

 美佐子は親友の肩を掴んだ。

 

「うん、開館まで眠気覚ましに散歩してくる。美佐子さんも散歩行くなら、一緒に……」

「それどころじゃないでしょ! 寝て!」

 

 ぴしゃりと言い放ち、以呂波を取り押さえる美佐子。相手が障害者であることを除いても、元より力も体格も美佐子が上だ。すぐさま生身の足から靴を脱がせ、義足に履かせようとしていた靴も奪い取る。

 そして持ち前の腕力で、以呂波の体をひょいと持ち上げた。

 

「ちょ、ちょっと、美佐子さん。大丈夫だよ……」

「大丈夫に見えないったら!」

 

 美佐子の剣幕に気圧され、以呂波は抵抗できないまま寝室へ運ばれた。大声で騒いでいたため、他の三人はすでに目を覚ましていた。

 

「どうしたの?」

 

 結衣が尋ねる。眼鏡をかけていないこともあり、表情は大分眠そうに見えた。しかし面倒見の良い彼女はある程度状況を察したようで、心配そうに以呂波を見ていた。

 

「イロハちゃん、寝てないんだって! ずっと作戦考えてたって!」

「ああ……」

 

 顔のクマを見て、結衣は全てを理解した。昨夜、遅くまでノートを手にパソコンへ向かい、あれこれとシミュレーションを行っていたのだ。適当に切り上げて寝るから、と言うので結衣たちは先に寝たのだが、以呂波は結局夜通し作戦を考えていたのである。

 

「一ノ瀬さん、根詰めても体壊すだけよ。一先ず休みましょう?」

「いや、本当に大丈夫だって。家にいたとき、夜戦の練習で徹夜したことあったし……」

 

 布団の上に降ろされた以呂波だが、すぐに立ち上がろうとする。以呂波がこうまでも必死になるのは、次の相手が西住みほだからだ。変幻自在な戦法に加え、こちらの手の内をある程度知られている。今までとはまた違った作戦計画が必要なのは確かだ。特に姉からアドバイスされた『天の時』……情報戦における優位確保について。

 

 しかし仲間たちは当然、彼女を放っておけるはずがない。澪が突然、以呂波の腰へ飛びついてきた。着ているパジャマが犬の着ぐるみなので、一見じゃれついているようにも見える。しかしその手がベルトの留め具を外そうとしたので、以呂波は慌てた。

 

「み、澪さん!? 何を……?」

「……義足、外すの」

 

 真剣そのものの表情で、ジーンズを脱がしにかかる澪。以前の彼女からは想像できない、有無を言わせぬ口調だ。

 結衣がため息を吐いた。

 

「それが良さそうね。美佐子、一ノ瀬さんを押さえてて」

「ほいきた!」

「ちょ、ちょっとぉ……!」

 

 三人がかりでズボンを脱がせようしてくる親友たち。以呂波は抵抗するも、美佐子に羽交い締めにされてしまう。

 

「こら、もうお止し」

 

 晴がゆらりと立ち上がり、後輩たちを制止する。寝起きのため髪も結っておらず、赤みがかった茶髪を背中に垂らしている。着ているものは紺に近い青色、いわゆる「花色木綿」の甚平だ。いつもの扇子を片手に、柔らかな笑みを浮かべて以呂波を見つめる。

 

「みんなの言うことを聞いときな、以呂波ちゃん。大分酷い顔だよ」

「いえ、本当に平気です。いよいよ西住さんと戦うんですから、早く作戦を……」

 

 そのとき。

 

 パチン、と乾いた音が、以呂波の言葉を遮った。晴が彼女の頭を、扇子で軽く叩いたのだ。

 

「今は大丈夫かもね。で、試合の日までそんな風に根詰めてたら、どうなるんだい? 事故を絶対に起こさないって、自信を持って言えるかい?」

 

 相手の目の前に屈み、語気を強めて語りかける。その表情からは珍しく、笑みが消えていた。結衣たちも思わず手を止め、じっと晴を見る。

 以呂波は言葉を詰まらせた。重戦車も、砲弾も恐れない彼女が、気圧されたのである。晴はいつものおどけた様子から一変し、風貌がガラリと変わったようにさえ感じられた。

 

 何も言い返せない以呂波に対し、晴は扇子をすっと伸ばした。彼女の右脚……ジーンズの中にかくれた義足を、扇子の先で軽くつつく。

 

「こういう体にならないように……あんた、いつもあたしらにそう言ってるよね? そのくせ自分の体はもうお構いなしってのは無責任じゃないか。体調管理も自分の仕事だよ」

「……ごめんなさい」

 

 出てきた言葉はその一言のみだった。他に何も言えなかったのである。晴の言葉は心に深く突き刺さっていた。その場がたまらなく居心地が悪くなってくる。幼少期、親に怒られたとき以来の気持ちだった。

 だがその後、晴の表情がふっと和らいだ。空いた手を以呂波の頭に伸ばし、先ほど叩いた所を優しく撫でる。

 

「どうすれば勝てるか考えるのも、楽しくて仕方ないんだろ。あたしも稽古してたら夜が明けちゃったことがあるよ」

 

 だけどね。そう言って、晴は手にした扇子を広げた。白い紙に太い字で『戦車道楽』と書かれている、愛用の品だ。チームに加入してから、無地の扇子に自分で書いたものらしい。最初は本人の態度と相まって、以呂波はふざけている印象を受けた。しかし理解の深まった今では、この噺家通信手のトレードマークとして受け入れている。

 

「『どうらく』ってのは『道を楽しむ』と書くけど、『道に落ちる』と書いても同じように読むんだ。いくら戦車道が楽しくても、自分の足元だけはちゃんと見ておくれ」

「……申し訳ありません。落ちかけていたようです」

 

 頭を下げる以呂波に、晴はふふっと笑みを漏らす。

 

「以呂波ちゃんは真面目すぎるんだよ。たまには寄席にでも行って頭を柔らかくしな。『たまには』だよ、しょっちゅう行ったら馬鹿になるからね」

 

 いつもの調子に戻り、寝室から出て行く晴。トイレだろう。

 

「……お晴さん、やっぱり先輩ね」

 

 結衣が感心したように呟く。普段あまり年上振らない晴だが、今回は年長者らしく振る舞った。落語で様々な人物を一人で演じているせいだろうか、必要があれば自分の役割を変えることができるようだ。

 以呂波は深く反省した。晴の言う通り、道に落ちかかっていたのだ。チームの指揮を任されてからというもの、右脚を失う前よりさらに努力し、さらに戦術と腕を磨こうとした。その原動力となったのは、戦車道という自分の道と、戦車という鉄の脚を取り戻せた喜びだ。だが楽しみのあまり、自分を省みることが減っていた。

 

「みんな、ごめんね。私、調子に乗ってた」

「寝よ、イロハちゃん」

 

 美佐子に優しく言った。強引に昼食に誘ったあの日以来、彼女は一番間近で以呂波を支えてきた。秋山優花里と出会ってから、それも装填手の仕事であるという信念が一層強くなっている。

 

 服を脱ぎ、義足を外し、寝巻きに着替える。以呂波が布団に潜り込むと、結衣と澪も安心して再び横になった。すでに目が冴えていた美佐子も、以呂波の隣に寝ることにした。

 

 

 こうしてしばらくの間、四人は静かに寝息を立てた。晴一人はぶらりと散歩にでかけ、八時頃に帰ってきた。その頃には以呂波以外は起床して朝食を作り、以呂波も九時過ぎには起きて友人たちの手料理を食べた。若さもあってか、さすがにずっと寝てはいられないようだが、顔には少し元気が戻ってきた。

 

 その後、テレビなどを見ながらのんびりとした時間を過ごす。互いを動物に例えたりもした。澪は猫、美佐子は大型犬、結衣は白鳥、以呂波は戦車道での戦いぶりからフクロウ。晴は狐か狸がお似合い、などなど。

 だが元々戦車道を通じて成り立った友情だけに、話題は自然と戦車へ流れた。

 

「カヴェナンターとかT-35みたいな変な戦車って、アノマロカリスとかオパビニアとか、カンブリア紀の生物に通じるインパクトがあるわ。二次大戦中の戦車の進化を恐竜に例える人がいるけど、どちらかというとカンブリア爆発に近い気がするのよ。偏見を改めて調べてみれば、欠陥兵器も大の専門家が大真面目に作ったものだし、その結果にもちゃんと理由があるのよね。まだ何処の国も手探りで、どんな戦車が強いか……というより、使えるかを模索してたんじゃないかしら。でも軽戦車、重戦車、豆戦車みたいな分類が絶滅して、センチュリオン巡行戦車がMBTに進化して今に続いているのは、恐竜と鳥の関係に近いようにも……」

 

 結衣が語る持論を、以呂波は真剣に聞いていた。一方の美佐子はその『オパビニア』なる生物の絵をネットで探し、爆笑していた。

 澪は一人自分の世界に入り、ロボット工学の本を読みふけっている。時折以呂波の義足を見つめ、二足歩行ロボットの構造図と見比べていた。彼女がこのような分野に興味を持ったのは最近のことだ。

 

 こうしてしばらくは家で、大人しく休養していた。しかし十二時前、隣の部屋で落語の稽古をしていた晴が、

 

「殿様の前に出されたサンマ。炭の中に放り込んで豪快に焼いた、真っ黒な代物。その匂いの香ばしいことといったら、すきっ腹にはもうたまらない。今の冷凍ものとはワケが違う。殿様、生唾飲み込んで箸を取り、真っ黒な皮をちょっと破ってみると……これが複合装甲というヤツ、皮の下には真っ白な脂身の層がある。身をつまんで口に入れた途端、その脂がトローッ……身から汁がジュワーッ……」

 

 などとやり始めたため、空腹を覚えた以呂波たちは少し早いが、近場の食堂へ向かうことにした。

 

 

 

「火事、凄かったみたいだね!」

「ええ、怪我人がいなくてよかったわね。会長たちも無事で」

 

 五人で道を歩きながら、昨日の出来事を話す。ビッグウィンド消防車の活躍はすでに、彼女たちの耳にも入っていた。近々テレビ局の取材が入るらしい、という噂も聞いている。今頃は船橋が張り切っていることだろう。

 美佐子はまだ以呂波が心配なのか、久しぶりに肩を貸している。迷惑をかけた負い目もあり、以呂波は素直に彼女の厚意を受け入れた。

 

「さて、何を食べようかね」

「ここはサンマでしょう」

 

 そんなとき、大人しく歩いていた澪が空を見上げた。迫ってくる爆音に気づいたのだ。折しも一機のレシプロ機が、尾翼の舵を一杯に上げて急上昇するところだった。液冷エンジンらしい流線型の機体で、視力の良い澪には主翼が緩やかな逆ガルであることが分かった。主翼前縁部は直線で後退角がない。戦闘機的なシルエットだが、赤と白を基調とした派手な塗装を施され、翼には千種学園の校章が大きく描かれている。

 エンジンを吹かし、戦闘機は重力に逆らって上昇する。途端に翼の付け根から白い蒸気が尾を引いた。

 

「航空学科のレース機ね。ハインケルHe100」

 

 丸瀬先輩から教わったの、と結衣は微笑む。航空学科は男子生徒を中心に、『女子ばかりに良い格好させるな』と、エアレースなどに気炎を上げていた。He100は天高く昇りながら、学園艦の上空から離れていく。恐らくテスト飛行だろう。

 

「あの煙……何……?」

「蒸気よ。冷却水が気化してエンジンを冷まして、その蒸気が翼に送られて、風で冷やされて水に戻るの」

 

 好奇心旺盛な結衣は丸瀬から話を聞いた後、表面冷却という仕組みについて自分で調べていた。戦車には絶対に使われない冷却方式である。極めて簡単に言ってしまえば、翼自体をラジエーター代わりにする構造だ。これならラジエーターを機体に外付けする必要がなく、空気抵抗の面で有利となる。

 しかし被弾率の高い翼をラジエーターにしてしまうのは、戦闘機の構造としては難がある。He100は元々戦闘機として開発されたが、結局速度で劣るメッサーシュミットBf-109に敗れ、不採用となった。

 

「戦車も飛行機も、変わったのを揃えてるねぇ」

 

 遠ざかっていく機影を見送りながら、晴は愉快そうに笑う。彼女は戦車にしろ戦闘機にしろ、大量生産されて大活躍した傑作機よりも、埋もれた無名のメカに心惹かれるタイプだ。そうした兵器がどこか落語的に思えるのだろう。

 

「戦闘機としては不採用になりましたけど、別のことで戦争に使わていたんですよ……」

 

 無名戦闘機の顛末を語る結衣。小さな点となったHe100を見つめながら、以呂波は友人の話に耳を傾けた。最初はぼんやりと聞いていたが、やがてはあることに気づいた。

 決勝戦の勝利のヒントが、その話の中にあることに。

 

 相手の情報を掴むだけが、情報戦ではない。頭の中で作戦を組み立てるが、その作戦には船橋の協力が不可欠だった。連絡せねばならない。

 

 だが今は、まず昼食だ。少なくとも今日は休日を満喫するべきだろう。

 道に落ちないように。




お読みいただきありがとうございます。
これから決勝、対大洗戦です。
今回以呂波の弱点といえることも出ました。
そして次回あたり、晴について明らかになることが出てきます。

決勝までの準備はそれほど長くならない予定です。
ただ大洗側の描写も入れたいので、何話か挟むことになります。
ご感想・ご批評等ございましたら、よろしくお願いいたします。


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歩むべき道です!

「サンマ定食四つと、サンマ蕎麦一つで。定食のうち一つはご飯大盛りでお願いします」

 

 注文を取りまとめ、結衣が店員に伝える。休日だけに定食屋は客が多かった。学園艦で働く大人たちがよく利用する店だが、生徒の姿も見受けられる。繁華街には墺・洪・宇の料理店が軒を連ねているが、このような日本的な大衆食堂もちゃんとあるのだ。

 以呂波は校内ではすっかり有名人となっており、店員から目の下のクマを心配されたりもした。本当に無理は自重しようと、改めて心に決める。

 

 やがて料理が運ばれてきた。以呂波の注文はサンマの蒲焼が乗ったかけ蕎麦だ。食欲を唆る色合いの蒲焼が、出汁とあいまって香ばしい匂いを立てている。他四名のサンマ定食も続々とテーブルに置かれ、一同は嬉々として箸を取った。

 

「イロハちゃん、麺類好きだねー」

「うん、昔からね。スパゲッティとかも」

「じゃあそのうち、アンツィオ高校と試合したらどうだい。あそこは対戦相手にイタリア料理をご馳走する習慣があるらしいじゃないか」

「そういえば北森先輩が、それを見習ってボルシチの振る舞いをしようかって言ってましたね」

「……大坪先輩のグヤーシュも、美味しい……」

 

 サンマをつつきながら、和やかに雑談する五人。しかしそんな中でもやはり、以呂波は自然と戦術のことを考えてしまう。それも、西住みほに対する策が思い浮かんでいたのだ。

 

 機動戦には三つの要素がある。

 突破……敵陣に突破口を開けて切れ目を作り、敵を分断する。

 迂回……優勢な敵との正面衝突を避け、劣勢な敵を目指す。

 包囲……敵を正面から補足しつつ、別働隊で敵の退路を断ち、脆弱な側背面を攻撃する。

 

 昨年度に大洗を相手にしたチームは、包囲戦を仕掛けることが多かった。サンダース大附属高校しかり、プラウダ高校しかり。特に大学選抜チームは巧みな包囲機動で、大洗蜂起軍を一箇所に集め、身動きできない状況に追い込んだ。そうしてしまえば攻城用でもあるT28超重戦車が、その実力を最大限に発揮できる。澤梓らによる『ミフネ作戦』と題した無茶な救出作戦がなければ、大洗はあのまま押しつぶされていたはずだ。

 

 戦力に劣る相手が遊撃戦に出ることは誰でも予想できる。孫子の時代からの常識だ。それを防ぐためには包囲するのが有効だし、以呂波も決勝戦ではそうするつもりだ。千種・大洗共にゲリラ戦が得意分野、同じ土俵で戦っては長期の消耗戦となる。

 しかし数は互角である以上、下手に戦力を分散させては包囲する前に各個撃破されかねない。数に勝る相手を包囲殲滅する方法もあるが、その戦術は継続高校の十八番。同校と戦った経験のある西住みほなら、すぐにそれを見切り、対処してくるだろう。

 

 だが以呂波は戦いを有利に運ぶため、策を編み出した。姉の助言と、先ほど見た戦闘機がヒントとなった。後ほど船橋と話し合い、また守保にも連絡せねばならない。

 兄ならば『あの車両』を用意できるはずだ。

 

 決勝戦を心待ちにしながらも、以呂波は蕎麦をすすり、喉越しを楽しんでいた。

 

 

 

「なぁ、高遠さん」

 

 五人の皿がほぼ空になる頃、店長が声をかけてきた。恵比寿のような顔の温厚な中年男性だ。

 

「娘がよく、あんたの落語が面白いって言っててね。勘定オマケしとくから、よかったら一席やってくれないかな」

「おお、いいね」

「一度聞いてみたかったんだよ」

 

 他の客たちも期待の眼差しを向ける。晴はニヤリと笑って立ち上がった。

 

「それじゃ、みんなの財布のために一肌脱ぎますかね」

 

 店内がどっと笑った。店員が空いているテーブルに座布団を乗せて高座をこしらえ、晴は拍手と共にそこへ上がる。上方の落語では見台と膝隠しを演者の前に置くが、江戸落語では基本的に使わない。演者が脚に怪我をするなどして、正座の難しい場合にはそれらで足元を隠すことがある。道具も上方では張扇と拍子木を使うが、江戸落語は扇子と手拭いだ。晴は常に持ち歩いている。

 

 短いマクラの後、『雑俳』が始まった。晴の好きな落語だ。

 



ーーやぁ、八っつぁんかい。マァマァお上がりーー

 

ーーへぇ、ご馳走さんですーー

 

ーー何だい、ご馳走さんとは?ーー

 

ーー今、マンマおあがりってーー

 

 

 

 軽妙な語り口を聞きながら、以呂波は右脚を失ってから変わったことをふと考えた。戦術面においては「堅実だが大胆さに欠ける」と評された中学校時代と比べ、時には攻撃的になれるようになったと自覚している。それに加え、物事の見方が色々と変わってきた。

 

 『雑俳』は比較的短い中に笑いどころが多い落語で、前座噺に使われることが多い。しかし晴曰く「名人がやると凄い」とのことで、自分もいつかその境地に達したいと言っていた。同じ噺でも演者によって感じ方が変わるのは、ある意味戦車道と似ているかもしれない。同じ戦車でも乗り手によって、戦い方は異なるものだ。そして戦車道に求めるモノも。

 今ではそんな見方もできるようになった。昔は落語などくだらないと思っていたが。

 

「お晴さん、やっぱり巧くなってるわね」

「うん。どんどん面白くなってる」

 

 結衣の言葉に同意する以呂波。休日には師匠の家に行って稽古をつけてもらうこともあるようだが、戦車道の練習中も暇さえあれば落語の稽古をしている。元々落語家の巧拙など気にしてもいなかった以呂波でも、出会った頃より遥かに上達しているのが分かった。

 登場人物の八五郎が滅茶苦茶な俳句を詠むたび、店内にどっと笑いが起きる。だが晴当人はよく、本物の寄席では大してウケないだろうと言っていた。

 

 

 

ーー船底を ガリガリ齧る 春のサメーー

 

 

ーー何だいそりゃ?ーー

 

 

ーーサメが腹減らしてね、食べ物がないから船に食いついたんですよ。でも船が硬くてサメの歯が三本折れちゃって、サメがさめざめ泣いてるって設定の俳句ーー

 

 

ーーそんな設定知るかい!ーー

 

 

ーー駄目ですかねぇ。じゃあ次は…… ーー

 

 

 

 そのときだった。店の戸がガラリと開いた。

 今まで滑らかに言葉を紡いでいた晴の舌が、急に動きを止める。そしてほんの僅かな間をおき、軽く咳払いをした。

 

 

 

ーー ……クチナシなんてどうでしょうーー

 

 

ーークチナシか、いい題だ。やってごらんーー

 

 

ーークチナシや 鼻から下は すぐに顎ーー

 

 

 

 再び、先ほどまでと変わらない口調で演じ始める晴。だが以呂波は気付いていた。彼女の視線が一瞬、店に入ってきた男性を見て固まったことに。

 ぎょろりとした眼差しの中年男性は立ったまま、晴をじっと見ていた。店員が椅子を勧めようとしたが、やんわりと断り落語だけを聞いている。一緒に来た若い男も同様で、そちらは以呂波の視線に気づき軽く会釈した。

 

 晴の顔に汗が見えた。語り口にも気合がこもったように感じる。

 店内に笑い声が絶えぬ中、やがて噺はクライマックスに入った。

 

 

 

ーー山王の桜に去るが三下り 合いの手と手と手手と手と手とーー

 

 

ーー合いの手と手と手手とテテトテトテト タッタトット タタター テッタテッタトットター ーー

 

 

ーーそりゃ突撃ラッパだよ!ーー

 

 

 

「……お馴染みの『雑俳』でございました。どうも失礼を!」

 

 深々と頭を下げる晴に、拍手が浴びせられる。「良かったよ!」「将来楽しみだね!」などの声に感謝を述べつつ、テーブルから降りた。男性二人は短く拍手をした後、静かに出て行った。

 

 それをちらりと見送った後、晴は仲間たちの元へ早足で戻った。

 

「払っといておくれ」

 

 財布から取り出した千円札を結衣に手渡し、そそくさと店から出て行く。以呂波たちは顔を見合わせた。

 

「……さっきの人たち、知り合いなのかな?」

「行ってみましょう」

 

 結衣もやはり気になったようで、伝票を手にレジへと向かう。以呂波も美佐子の手を借りて立ち上がった。義足のコンピューターが体の動きを感知し、膝関節を伸ばして体重を支える。

 

 会計を済ませて外へ出ると、晴たちはやや離れた場所にいた。

 

「俺が入ってきたくらいで、どもっちゃいけねぇよ」

 

 そう言って、どんぐり眼の男は晴の頭を撫でる。晴は微笑を浮かべながらも、どことなく神妙な面持ちで頷いた。

 男は以呂波たちに気づき、向き直った。

 

「快風亭狂蔵と申します。娘がお世話になっております」

「弟子の狂助です」

「初めまして。一ノ瀬以呂波です」

 

 丁寧に頭を下げる以呂波。何となく、晴の父親だということは予想していた。面立ちが似ているわけではないが、仕草や雰囲気などが似ている。おそらく落語家なのだろうという気がしたのだ。晴からはたまにその噂を聞いていた。曰く「うちの親父は名人だけど、有名人じゃない」とのことで、テレビにはあまり出ないものの、寄席では非常に評判が良いそうだ。

 その仕事柄というべきか、一見強面でも愛想は良かった。

 

「あんたが戦車隊長さんだね。あの店の前を通ったら、たまたま娘の声が聞こえて……晴は戦車の中で、どんな仕事をやってるんですかね?」

「私の戦車の、通信手をしてもらっています」

 

 その答えを聞き、狂蔵は顔をしかめた。

 

「隊長さん。あんたを悪く言いたかないが、人選ミスだよ」

「えっ!?」

 

 突然の言葉に驚く以呂波に対し、弟子の方は少し笑っていた。思い当たる節があるらしい。一方の晴は不満げに父の顔を見上げた。

 

「親父、そりゃあんまりじゃないか」

「何言ってやがる。お前が小学校に入ったお祝いに、バーベキューやったときのことを忘れたのか? 俺が『焼けたからソース持ってこい』って言伝頼んだのを、お前『燃えたからホース持ってこい』って伝えやがっただろ!」

 

 途端に以呂波らは吹き出した。特に美佐子は爆笑した。もし試合中にそのようなミスを犯したらと考えると、とても笑えるものではないが。当の晴はわざとらしくそっぽを向き、口笛を吹いている。

 

「女房は女房でそそっかしい奴だから、大慌てでホース持ってきて肉を水浸しにしちまった。しょうもねぇことばっかり母親に似やがって」

「それがきっかけで師匠があたしに興味持って、中学のとき弟子にしてくれたんだ。あたしとしちゃ結果オーライだよ」

 

 開き直って言う娘に、狂蔵はため息を吐きながら苦笑した。娘の肩に手を置きつつ、再びその学友たちへ向き直る。すでに一ノ瀬以呂波の名を知っていたのだろう。当人にはあまり自覚はないが、すでに校外にも名を知られていた。

 仲間たちはさり気なく気遣いをする以外、以呂波を普通の人間として扱っている。本人の毅然とした態度と凛々しさもあって、自然とそのようになったのだ。チームメンバーで海水浴へ行く話が持ち上がり、盛り上がったところで、隊長が義足だと思い出す……そんなことさえあった。しかし外部からすればやはり『義足の身で戦車に乗る少女』というのは目立つ。

 

「俺はね、隊長さん。こいつを噺家にはしたくなかったんだ。戦車道が女の子のものなら、落語は男のものだ」

 

 落語という芸能が女性には如何に不向きか、以呂波も晴から聞いていた。今でこそ女流で真打になった例もあるが、一般的には女の落語などほとんど認められていない。落語家の必修科目である古典落語はほぼ全て男視点の物語で、女がやると興ざめするようなネタも多いのだ。

 親としては当然、もっと女性向きで、且つ収入の安定した仕事に就いてほしいだろう。しかし晴が落語家を志すのは、他ならぬ父親への憧れからだった。

 

「諦めさせようと思って、去年は堅い学校に入れたんだ。だがさっきの『雑俳』を聞く限り、こいつはもう噺家にしかなれねぇようで……」

 

 どんぐり眼で娘を見下ろす。だがその眼差しにはどこか、優しさがあった。

 

「隊長さん、晴を鍛えてやってください。戦車道で強い女になりゃ、噺家の世界でも何かしらの助けになるでしょう。お願いします」

 

 娘より年下の女子高生に向かって、狂蔵は深々と頭を下げた。続いて狂助、そして晴も。

 それに対し、以呂波も礼で応えた。足を軽く開いてバランスを取りながら、頭を下げる。

 

「お引き受けしました」

 

 狂蔵はその言葉を聞き、満足げに頷いた。踵を返しつつ、娘の頭を荒っぽく撫でる。「決勝戦、しっかりやれ」とだけ告げ、立ち去る。狂助も晴に親指を立ててみせ、師匠の後に続いた。

 

 

「……少しは認めてくれたみたいだ」

 

 二人を見送った後、晴は仲間たちに笑顔を向けた。しかしいつもの人を食ったような笑みとは違う。目が潤んでいる。彼女のそんな表情を始めてみる以呂波たちは、思わず言葉を詰まらせる。とはいえ、それは悲しみの涙ではない。

 結衣がハンカチを差し出すと、礼を言って受け取り、目元を拭う。

 

「お父さんが『堅い学校に入れた』って言ってましたが、何所のことですか?」

 

 以前尋ねてはぐらかされたことを、結衣は再度質問した。どうしても知っておくべきことではないし、誰でも隠し事の一つくらいはある。だがやはり、結衣は晴の素性が気になっていた。最初にタシュ重戦車の通信手席に座ったとき、「まるで棺桶だ」と言っていたあたり、あのとき始めて戦車に乗ったのだろう。だがその頃から、マイナーな戦車であるセンチネルの外見を知っていたり、サポートメンバーたちへ的確なアドバイスをしたりと、戦車自体に全く縁がなかったようには見えない。

 そして準決勝の最中、結衣の聞き違いでなければ、彼女は西住みほを「西住先輩」と呼んだのだ。

 

 知りたがり屋な後輩に、晴は普段のにんまりとした笑顔で答えた。

 

「黒森峰女学園」

「えええーっ!?」

 

 美佐子が一際大きな声を上げた。電線の上に止まっていたスズメが慌てて逃げ出す。澪もまた驚いたようだが、どちらかというと美佐子の大声の方に驚いていた。思考回路が常にシンプルな彼女は、思ったことを極めて率直に口に出した。

 

「お晴さん、黒森峰って顔じゃないでしょう!?」

「ツラで判断するんじゃないよ。否定はしないけど」

 

 苦笑しつつ自分の頬を引っ張ってみせる。美佐子の言い方はともかく、他三名も内心で同じことを思っていた。晴の容姿は十分整っている方だが、かの高校戦車道の王者・黒森峰のイメージにはそぐわないのだ。

 だが結衣同様、以呂波は薄々感づいていた。一昨年の全国大会における西住みほの行動について、意見を求められたとき。そして準決勝を観戦していた黒森峰についての発言。彼女がかの強豪校に近しい者であることを、何となく察していたのだ。

 

「戦車道はやっていなかったのですか?」

「チームに入ってたけど、乗員じゃなかった。『ハイター』ってコードネームで、雑用やってたよ……」

 

 ドイツ語で『晴天』の意味である。だが晴が言うには、洗濯が得意だからでもあったらしい。父親の言う通り、落語よりもっと堅い生き方をするべきだと思い、最初は真面目に勤めたと語った。

 

「でもいろいろなことがあってねぇ。西住先輩……みほさんの噂もいろいろ聞いたし、あの人が凄いことやってのけて、自分はこのままでいいのかって思った。マウス(ねずみ)の横にティーガー(トラ)がいるのを見ると、どうしても落語を連想しちゃうし」

「何のことですか?」

「左甚五郎でググりな。とにかく、一年間勤めて義理は果たしたけど、結局あたしのやりたいことは落語だったんだよ」

 

 扇子で額を叩きながら苦笑する晴。以呂波たちは知らなかったが、『ねずみ』という落語は彼女の父の十八番だったのだ。

 

「始めて寄席に出たのは十二歳のときさ。お客さんたちはみんな大笑いだった。噺が巧かったわけじゃない、あたしが子供で可愛いから笑ってくれたんだ」

 

 淡々とした口調で語り、晴は以呂波をじっと見据えた。大きな瞳に、熱が宿っていた。

 

「でもね、あの味が忘れられないんだよ」

 

 その瞬間、以呂波はあることに気づいた。彼女もまた、自分と同類だということに。自分にとっての戦車道が、晴にとっての落語道なのだ。ハンデを負いながらも、その道が自分の全てだと信じて進もうとしている。それが何よりの楽しみであり、生き甲斐であるから。

 最初は単なる奇人としか思わなかった彼女と、すぐに分かり合えたのは、根底の部分で似通っていたからかもしれない。義足で一歩踏み出し、以呂波は彼女の手を取った。

 

「これからも、一緒に頑張りましょう」

「そうですよ、お晴さん!」

 

 美佐子も同調し、晴の肩に腕を回す。

 

「落語家の格言にもあるらしいじゃないですか! 『船頭手を取りて、船、山登る』って」

「……『手を取りて 共に登ろう 花の山』でしょ」

 

 呆れつつ修正を入れる結衣。澪はクスクスと笑っていた。

 

「……たまに、みさ公の方が噺家に向いてるような気がしちゃうね」

 

 ぼやきながらも、晴は以呂波の手を握り返した。力強く、しっかりと。

 

「よろしく頼むよ。不束者なりに、あんたの耳になってやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……大勢の思いが交錯する中、千種学園は決勝に向けた準備を進めた。幹部が作戦を考える一方で、出島ら鉄道部員たちは義足の以呂波が乗り降りしやすいよう、タシュの砲塔に取っ手を溶接し始めた。さらに折りたたみ式のタラップまで開発した。同時に『極秘車両』のメンテナンスも行う。

 

 

 一方大洗女子学園でも同様に、自動車部による戦車の強化が行われていた。

 

 

「……試験の結果は上々、かな」

 

 IV号戦車の主砲を見上げ、ツチヤが鼻の下を擦った。格納庫に帰還したIV号戦車は射撃試験を終え、洗浄されたばかりのため、装甲板がまだ濡れている。その主砲は準決勝で限界に達し、砲身を交換されていたのだ。

 しかし今IV号に据え付けられた牙は、以前の48口径75mmではない。細いスリットが四本入った、珍しい形状のマズルブレーキがついている。秋山優花里は満面の笑みを浮かべつつ、その主砲を眺めた。

 

「いやぁ、まさかこんな掘り出し物が見つかるとは思いませんでした」

「寺田先輩がコスモスポーツを見つけたときみたいに、まだまだお宝が転がってるかもね。この学園艦」

 

 盛り上がる二人の傍で、みほは愛車をじっと見つめていた。この砲なら、千種学園の全車両を1500m先から撃破できる。砲弾も専用の徹甲弾、榴弾、そして空包も、八戸タンケリーワーク社から購入した。砲身の寿命は短いので、いずれまた通常の75mm砲に戻すことになるだろう。すでに砲身の手配はできているのだ。しかしそれまでの間、これが大きな力となるはずだ。

 自動車部員たちが協力し、その上にブルーシートを被せていく。顔が割れている以上、さすがに千種学園がスパイを送り込んでくることはないだろう。しかし優花里が防諜は必要だと主張し、みほもそれに同意した。情報戦の重要性を知っているのだ。

 

「ありがとうございました。短時間でいろいろ調節していただいて……」

 

 ツチヤへ丁寧に頭を下げるみほ。するとそこへ、友人の声が聞こえてきた。

 

「みぽりーん! お客さんだよー!」

 

 沙織の元気の良い声が聞こえた。千種学園で期待していたようなロマンスがなく、少し落ち込んでいた彼女だったが、気を取り直して女子力アップに励んでいる。もちろん通信の訓練にも手を抜かない。

 その隣にいるのは華と、人形のような風貌の小さな少女だった。ミルクティーのような色の髪をサイドアップにし、カチューシャを着けている。ふんわりとしたスカートを揺らしながら、みほに手を振っていた。

 

「愛里寿ちゃん! 来てたんだ!」

 

 みほはすぐさま、彼女へ向けて駆け出す。島田愛里寿……島田流戦車道家元の娘。みほの友人であり、最大の好敵手であった。

 何よりみほとしては数少ない、戦車以外で共通の趣味を持つ相手だった。早速、先日発売された『ボコられ熊のボコ』の新作の話をしようとしたとき、愛里寿は別の話題を切り出した。

 

「みほ、昨日、テレビ見た? 千種学園の」

 

 やや興奮したような口調で、彼女は尋ねる。一瞬何のことか分からなかったが、すぐに思い当たった。『士魂杯』での戦いぶりに加え、ビッグウィンド消防車の活躍が話題となり、千種学園にテレビの取材が入ったのだ。それが昨日放送され、みほも見たいとは思ったが、丁度練習の時間だった。

 

「ううん、見たかったけど、新しい砲の調整で忙しくて」

 

 それを聞き、愛里寿はポケットから携帯を取り出した。ボコのシールが貼られた可愛らしい代物だ。手早く操作し、動画投稿サイトへアクセスする。

 

「……これ」

 

 差し出された画面を見て、まず優花里が歓声を上げた。艦上火災に出動した、異形の消防車が映し出されていたのだ。

 

「ビッグウィンド! 動画で見ても大迫力です!」

 

 彼女の戦車愛はこのような改造車両にも及ぶ。しかし愛里寿はシークバーで動画を早送りし、しばらく先でピタリと止める。火災現場とは打って変わり、船橋がインタビューに答えているシーンだった。

 そのとき、みほは愛里寿が何を見せたいのか気づいた。画面の船橋がいる場所は、自分たちも利用した千種学園の格納庫だ。彼女のバックにはT-35の巨体が鎮座している。しかしその奥にあるサンドイエローの車両が、その姿をカメラの方へ晒していた。

 

 傾斜装甲を組み合わせた、箱型の車体。ティーガーのそれと同じ、複列大型転輪の足回り。大柄な車体ではあるが、それにさえ不釣り合いなほど巨大な、短砲身の大口径砲。

 みほの隣で、優花里もまた目を見開いていた。彼女は幼い頃、博物館でこの車両を見たことがあるのだ。

 

 

「千種学園が、シュトゥルムティーガーを……!?」

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
区切りの都合上、いつもより長めになりました。
晴の過去についてようやく明らかになりました。
私が落語をよく聞くようになったのは彼女というキャラを考えた後なので、何気に思い入れのあるキャラです。
結衣と澪の家族については番外編でいずれ書くかもしれません。

さて、ガルパン最終章は六章構成だとか。
PVでゴキブリの如くわらわら出てきたゴリアテや、潜航中の潜水艦内らしき所にいる桃ちゃんなど、「一体何が……」という要素がいろいろあって気になります。
ですがどういう展開になろうと、この小説はこの小説で完結させます。
整合性とれなくなる可能性が高いので、その場合はパラレルとして割り切るつもりです。
今後も応援してくださると幸いです。
ご感想・ご批評などあれば、よろしくお願いいたします。


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天地人です!

《一ノ瀬さんのことはやっぱり『義足の戦車長』じゃなくて、『凄腕の戦車長』だと思ってますね。私も広報担当として、そういう風にプロデュースしていきたいと……》

 

 インタビューに答える船橋の声を聞きながら、一同は背後の異形戦車を凝視していた。

 スターリングラードの凄惨な市街戦から、ドイツ軍は新たな火力支援車両を求めるようになった。即ち建造物を一撃で破壊して歩兵の突破口を開く、強力な榴弾砲である。150mm砲を搭載したIV号突撃戦車ブルムベアもそうして生まれたが、ドイツ陸軍は更なる怪物を求めた。

 

 38cm突撃臼砲ティーガー、通称シュトゥルムティーガー。ティーガーの車体をベースに固定戦闘室を採用、正面装甲は傾斜付きで厚さ150mmだ。武装は絶大な破壊力を誇る、380mmロケット砲だ。

 

 弾頭の炸薬量は125kgと、常識外れな威力だ。しかしそれを優花里が説明しても、みほ以外の面々はそれほど深刻に受け止めていなかった。昨年度の『大洗紛争』のせいだ。

 

「カールは確か600mm砲でしょ? あれに比べれば大したことないんじゃない?」

「それでも! 一発で二、三両は吹き飛びますよ! しかも射程は6km近くあるんですから!」

 

 感覚が麻痺した沙織に、優花里は必死で力説する。380mmロケット臼砲はドイツ海軍が沿岸防備のため開発したもの、つまり本来は対艦用の兵装だ。その威力たるや、爆発の衝撃波だけで敵戦車を行動不能にするほどだ。

 さすがにカール自走臼砲より破壊力は劣るが、有利な点もある。実際にカールを運用した愛里寿はよく分かっていた。

 

「……私はカールより、シュトゥルムティーガーの方が良かった。それなら護衛に三両もいらなかったはずだから」

 

 ボコのぬいぐるみを抱きしめつつ、小さな大学生は昨年のことを思い出す。彼女は文科省から「運用試験」として与えられたカール自走臼砲に、M26パーシング三両の護衛をつけた。戦力上優勢とはいえ、重戦車三両を護衛に回すのは躊躇われたが、そうするしかなかった。

 スペック上は10km/hで走行できるカール自走臼砲だが、実際には切り株程度の障害物でも走行に支障をきたし、不整地ではほぼ動けない。本来は攻城兵器であり、動く戦車を狙うことを想定していないのだ。破壊力は絶大ながらもオーバーキルで、側背面に接近されては的にしかならない。愛里寿としては「厄介なものを押し付けられた」と思いつつ、撃破されることを覚悟で最大限に効果的な運用法を考えたのである。

 

 シュトゥルムティーガーとて原型のティーガーIより重量が増加しているため、機動力は劣悪だ。しかしそれでもカールよりはまともに動けるので、ある程度撃ったら陣地転換できる。装甲も厚いので、護衛車両も少なくて済んだだろう。

 

 みほも彼女の言葉に頷いた。

 

「それに、今度の相手は一ノ瀬さんだから」

「そうです! 一弾流はカモフラージュの鬼ですよ!」

 

 シュトゥルムティーガーの大きさは原型のティーガーIとあまり変わらない。大柄ではあるが、隠すことは可能だ。ましてや一弾流なら徹底した偽装を施してくるだろう。撃たれるまで発見できない可能性が高い。

 

「輪郭がシンプルですから、デコイも作りやすいのでは?」

 

 そう言ったのは五十鈴華だ。華道を嗜んでいるだけに、戦車の造形を観察しての意見だった。ヘッツァー同様に傾斜装甲を箱型に組み合わせたデザインで、大きな凹凸がない。確かに千種学園のデコイ戦術にも向いているだろう。

 

「つまり目に見えない敵がこちらの射程外に陣取り、戦艦並みの火力を叩き込んできて、我々がそこに到達したときにはもうそこにはいない。見つけたと思ったらデコイだった……などという状況が考えられるわけですね」

「そ、それは確かに怖いわ……」

 

 さすがの沙織も血の気が引いたようだ。みほは少し思案した。試合前に新車両をメディアに晒したのは単なるミスかもしれないが、あるいは千種学園の流儀なのかもしれない。決勝では敵になると分かっていても、彼女たちは大洗側に隠し事をしなかった。どの道一度試合で使えば世間に知られるのだから、ここで秘匿することに意味はないと思ったのか。または一撃で試合の流れを変えかねない車両を、隠して使うことに抵抗を感じたのか。

 いずれにせよ、存在が明らかになった以上は対策が必要だ。

 

 ふと、優花里は愛里寿に目を向けた。訊いておきたいことがあったのだ。

 

「島田殿。この前、ドナウ高校にいましたよね?」

 

 その質問に、愛里寿はあっさりと頷いた。今となっては別に隠すことではないようだ。

 

「千鶴に頼まれたの。意見が欲しい、って」

「一ノ瀬殿のお姉さんに?」

「去年、あの人たちと非公式の試合をしたの。アクシデントがあって引き分けになったけど。……これは内緒ね」

 

 唇に指を当てる愛里寿。表では知られていない戦いがあったのだと、みほは察した。元々西住流・島田流は一弾流とあまり仲がよくない。しかしみほの母……西住流家元・西住しほが、一弾流の家元を「いけ好かないが、一定の敬意を払うべき相手」と評したことがあった。表向きは敵対している流派同士でも、水面下で何らかの交流があるらしい。

 そういった裏話を愛里寿が口にしたのは、みほだけでなく優花里たちにも一定の信頼を置いている証だった。しかし当人としてはもう一つみほに伝えたいことがあった。

 

「みほ。千鶴もボコが好きなんだよ」

「あっ! そういえばそうだったね!」

 

 みほは思い出した。試合前の捕虜交換にて、以呂波がおまけとして『千種学園限定ボコ四体セット』を引き渡したことを。そしてそれが千鶴からの要求だったことを。

 目を輝かせる二人の周りで、沙織たちは微妙な表情だ。みほに全幅の信頼を置く彼女たちでも、『ボコられ熊のボコ』の奥深さには未だついていけない。しかし西住・島田のみならず、一弾流家元の娘さえ虜にするあたり、ボコと戦車道には何か通じるものがあるのだろうか。

 

「今度三人で、ボコミュージアム行かない……?」

「うん! 絶対に行こう!」

 

 戦車道を通じ、みほの交友の輪は広がっていく。流派や学校の垣根を超えて。当人は自覚がないのかもしれないが、優花里や沙織はそれこそが彼女の力だと分かっていた。他人に対して好き嫌いをしない故、敵を作らないのだ。

 

「西住さん。作戦会議はしないのか?」

 

 いつの間にか、麻子が近くまで来ていた。戦車の操縦席で昼寝をしていたはずだが、話をある程度聞いていたらしい。

 みほはハッと我に返った。

 

「みんなを呼んでこないと!」

「ああっ、みぽりんが行かなくてもいいってば!」

 

 すぐさま駆け出す隊長を見て、沙織が慌てて携帯を取り出す。彼女は戦車の外でも通信手なのだ。

 だがみほは数歩踏み出したとき、急によろめいた。体のバランスを崩し、片足で立ったまま手をバタつかせる。

 

「西住殿っ!」

 

 即座に飛び出し、手を差し出す優花里。腹心の面目躍如と言った所か、見事にみほの体を抱きとめた。優花里の腕の中でゆっくりと体勢を立て直し、ふと息を吐く。

 彼女の足元にタンポポが生えているのを見て、一同は何が起きたのか理解した。みほは花を踏みそうになり、慌てて避けようとして転びかけたのだ。

 

 愛里寿がくすっと笑い、それを機にその場は笑いに包まれた。嘲笑ではない。戦車隊を指揮する凛々しい姿だけでなく、こんなドジな姿もまた、西住みほなのだ。

 親しみの溢れる笑い声に、みほは恥ずかしそうに頭を掻いた。

 

 

 

 

 

 

 

 千種学園がシュトゥルムティーガーを入手した。今や情報が瞬く間に拡散するインターネット社会、その知らせはすぐに広まった。ただでさえ注目を集めていた千種学園だけに、ネット上はその話題で持ちきりだった。

 

 当の一ノ瀬以呂波はそれを確認したのみで、決勝へ向けた作戦会議と訓練、新戦力の錬成を続けていた。

 

「大洗は西住さんのIV号か、八九式のどちらかをフラッグ車にするでしょう」

 

 各チームの車長を前に、自分の予想を述べる。座学用の小屋で机を囲み、結衣がホワイトボードの前で書記を務めていた。

 大洗の編成を見るに、フラッグ車に向いた車両は限られている。M3リーやB1bisは大柄なため被発見率が高く、ヘッツァーは視界が悪い。III号突撃砲や三式中戦車チヌ、ポルシェティーガーは矢面に立たせたいだろう。消去法的に、正面戦力としては一切期待できないが練度の高い八九式か、指揮官の乗るIV号戦車となる。

 

 隊長車にフラッグをつけるデメリットは、隊長が最前線で戦いにくくなることだ。黒森峰や聖グロリアーナのように重装甲の隊長車を持っていれば別だが、フラッグ車は真っ先に狙われるため、指揮官が陣頭に立って戦局を見るのが難しくなる。それを嫌う指揮官は自車にフラッグをつけない。

 メリットもある。敵の優先攻撃目標を一両に絞らせることができ、囮としての価値が高まるのだ。防衛時も指揮官とフラッグ車が同じなら護衛対象が減る。西住みほは昨年度の決勝戦にてそれを利用し、フラッグ車同士の一騎討ちに持ち込んでいる。隊長または副隊長車にフラッグをつけるという、黒森峰の慣習を知っていたからだ。

 

 逆に一弾流では、基本的に隊長車をフラッグ車にはしない。だが今回以呂波は敢えて、自分の乗るタシュ重戦車をフラッグ車に選んだ。

 

「トルディとソキは偵察に専念してもらいます。その方が戦略の幅は広がります。八九式がフラッグなら、船橋先輩が仕留めてください」

「IV号だったらどうする? タシュで長距離狙撃?」

 

 船橋の意見は敵の能力を考慮してのものだ。あんこうチームの近距離での強さは極めて高いレベルであり、準決勝では千鶴たち実力者四両を相手に持ちこたえ、二両を撃破したのだ。さすがのみほも疲労困憊し、勝利の判定を聞いた直後に眠りこけたと言うが、凄まじい戦意と反射神経である。そんな相手と戦うならば、長距離から気づかれることなく撃破できれば理想だ。

 だがそれは困難だというのが以呂波の見解だった。

 

「西住さんは澪さんの実力を知ってます。開けた地形を避けて行動するでしょう」

「接近戦は避けられない、か」

 

 丸瀬が唸った。

 

「地形にもよりますが、キルゾーンを定めて追い込みましょう。ツチヤさんたちが手を加えているとはいえ、IV号戦車の足回りは高速走行に向きません」

 

 戦車のサスペンションは衝撃吸収性に優れていれば良いというものではない。バネが柔らか過ぎれば停車時に車体の揺れが収まらず、射撃が遅れてしまう。IV号戦車のサスペンションは古めかしい板バネ(リーフスプリング)式で、可動範囲が少ないため高速走行に不向きな分、射撃安定性が高い。IV号戦車は拡張性の高さから主力となったが、本来の役割は火力支援。機動戦の主役となるべく開発されたのは路外機動性に優れる、捩り棒(トーションバー)式サスペンションを持つIII号戦車だったのだ。

 

 自動車部の驚異の技術力でチューンナップされているとはいえ、レギュレーションの範囲内ではサスペンションの構造自体を変えることはできない。千種学園はT-35重戦車を除きある程度の機動力を持っているので、取り逃がすことはないだろう。

 あとはルーレットで決められる試合会場が何処になるか。地の利がどちらに味方するか、もうすぐ決まる。

 

「で、敵戦力を分断する作戦だけど、第一段階は成功かしら」

「ですね。後は……」

 

 以呂波は新顔に目を向けた。新たな隊員である、生徒会長・河合だ。丁度タオルで汗を拭いており、端正な顔にも若干の疲労が見えた。今までにも船橋に請われ、政治的パフォーマンスのため戦車に乗ったことはある。ビッグウィンドにも率先して乗り込んで消火作業に当たった。しかし本格的な戦闘訓練は初めたばかりで、搭乗車両が難物では負担も大きい。

 

「私なら大丈夫ですよ。負担は大きいですが、役に立てるようになってみせます」

 

 笑みを浮かべて言い切るあたり、さすが生徒会長と言ったところか。あまり派手さはないが、全生徒から信頼されるだけの度量はある。結衣は心配そうに彼女を見た。

 

「無理はなさらないでくださいね」

「ありがとう、大友さん」

 

 後輩に対しても丁寧語を使う河合だが、卑屈さは見えない。自分が相手より上の立場だということも、何気ない所で示している。それでいて一年生である以呂波を隊長として立ててもいた。

 

 『人の和』は強固だ。『天の時』も用意はしている。後は『地の利』がどちらに味方するかだった。

 

 そのとき、外から小屋の戸が叩かれた。以呂波が「どうぞ」と答えると、勢いよく戸が開かれる。

 

「戦車道連盟より告知!」

 

 手にしたプリントを掲げ、出島期一郎が声高く告げた。先ほどまで戦車や支援車両の整備をしていたため、顔や作業着に油汚れが着いている。

 少女たちの視線が集まる。その告知というのが試合会場決定の報せだと察した。『士魂杯』も全国大会と同様、候補地の中からルーレットで試合会場が決定されるのだ。そして学園艦は七十二時間以内に指定された港へ入らねばならない。その限られた時間の中で、会場の地形に合わせた最終調整を行う。

 

 重要な情報だけに、全員の視線は真剣だった。出島は勿体つけることなく、プリントに書かれた報せを読み上げる。

 

「決勝戦の会場は広島県呉港に碇泊中の、『旧トラップ=アールパード二重女子高等学校 学園艦』に決定!」

 

 船橋が「えっ!?」と声を上げる。大坪、河合も思わず席から立ち上がった。千種学園の前身四校の一つであり、彼女たちのかつての母校。廃校となり解体を待つばかりだったその学園艦が、次の戦場となる。

 三人だけでなく、他の面々も因縁めいたものを感じていた。業者の都合などで解体が進まぬ廃棄学園艦も多く、始末に困って試合会場として連盟に提供したのだろうか。それがルーレットにより偶然選ばれた。

 

 場が静まり返る中、以呂波の脳裏に浮かんだのは『天佑』という言葉だった。

 

「……地の利は我が方にあり」

 




お読みいただきありがとうございます。
後一話だけ挟んで、決勝戦へと移っていきます。
行き当たりばったりで戦わせたくないし、キャラの像もしっかりと書いていきたいから、戦車に乗っていない時もちゃんと描写していきたいので。
ご感想・ご批評など、よろしくお願いいたします。

12/16
KV-2の榴弾についての記述が不正確だったため削除しました。
申し訳ありません。


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思わぬ新戦力と、お宝です!

 一同がざわめく中、河合は静かに思案していた。自分の母校が決戦の場になるという報せに感慨も湧くが、彼女としてはその他にも思うことがあった。

 廃艦となった学園艦は一般人立ち入り禁止だが、今回は合法的に乗り込むことができる。河合としてはこのチャンスを利用したかった。艦内に残された『ある物』の存在を、卒業生から聞いたのである。しかし会場が発表された今、これからより綿密に作戦を練り、訓練を行わねばならない。今これを言うべきか否か。

 

 悩んでいる時間はすぐに終わった。以呂波は出島から受け取ったプリントに目を通した後、丸瀬の方を見た。

 

「丸瀬先輩、今から会場まで飛べますか?」

 

 全員の視線が以呂波に向いた。一方の丸瀬は即座に携帯を取り出し、GPS機能で学園艦の現在地を確認する。目的地までの距離を計算し、次いで現在使用可能な航空機を調べ始めた。

 ここで河合は戦車道公式戦のルールを思い出した。試合前に会場の視察を行うことは許可されているのだ。今回は学園艦が舞台という特殊なケースだが、連盟から送られてきた試合要綱では視察を禁じていない。

 

「一ノ瀬隊長、フィールドを下見に行くのですか?」

「はい。私たちに有利な状況を作らなくてはいけませんから」

 

 戦車に乗っていないときも、以呂波は戦車長の目をしていた。千種学園には船橋や大坪など、旧トラップ=アールパード二重女子校の出身者がいる。彼女らは母校の学園艦の地理に詳しいはずだ。大洗に対して大きな地の利を得たことになる。

 だが廃艦になった後、工事などで環境が変わっているかもしれない。以呂波自身も実際にフィールドを見て、地の利を完全に味方につけたいところだ。

 

 その判断は河合にとっても幸いだった。口元に笑みを浮かべ、生徒会長は丸瀬に声をかける。

 

「丸瀬さんは確か、輸送ヘリも操縦できましたよね。Mi-26の使用許可を出しておきます」

「ヘイローを?」

 

 突然の申し出に驚く丸瀬。だが隣で聞いていた北森は「なるほど」と呟く。

 

「あのヘリなら車も乗せられる。着艦してからの行動が楽ってワケだ」

「それもありますが、もう一つ」

 

 思わせぶりに微笑み、ポケットに手を入れる河合。取り出したのはなんの変哲もない、小さな鍵だった。

 

「先日、アールパードOGから連絡がありました。学園艦内に残された車両を、回収したいのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……八枚のブレードが風を切り、巨体が洋上を飛ぶ。強力なターボシャフトエンジン二基から生み出される力を、グラスファイバー製のローターが揚力に変えている。

 全長三十メートルを超える大型ヘリ・Mi-26。NATOコードネームを『ヘイロー』という。最大で二十トンというとてつもない積載量(ベイロード)を誇り、兵士八十名が搭乗できる巨大ヘリだ。ロシアやウクライナでは官民双方で使われており、千種学園は旧UPA農業高校から受け継いだ一機を保有していた。

 

 固定翼機ではコクピット左側が主操縦、右側が副操縦だが、ヘリコプターは逆だ。丸瀬はサイクリック・スティックと呼ばれる操縦桿を握り、目的地を見据える。

 広大な港には民間船の他、海上自衛隊や海上保安庁の船も見える。その向こうの陸地には役目を終えた潜水艦が、赤い船腹も露わに鎮座していた。空からでは全てが小さく見えるも、学園艦の巨大な姿ははっきりと見える。

 

「……帰ってきましたね」

「うん。まさか、こうなるとはね」

 

 大坪と船橋が短く言葉を交わし、『故郷』を見下ろした。以呂波も戦車道連盟から送られてきた地図を手に、眼下の学園艦を観察する。

 学園艦の主流は航空母艦型だが、マジノ女学院のような潜水艦型など、例外もある。トラップ=アールパード二重女子高校の場合はテゲトフ級戦艦がモデルだった。艦橋を境として艦首側にトラップ女子校があり、古都風の町並みや森林、丘陵が見える。艦尾側はアールパード女子校が使用しており、丘陵の他広大な馬術競技場や平原が見えた。ハンガリーの『プスタ』と呼ばれる草原を再現したようだ。艦橋付近にはやはり古都風の市街地が広がっている。

 

 以呂波が主に見ていたのは高台の位置と、伏兵に向いた地形だ。脳内で戦術を組み立てる彼女の横で、介助のため同行した美佐子は興味深げに先輩たちを見た。

 

「船橋先輩と大坪先輩は『船っ子』なんですよね?」

「そう……この学園艦で生まれて、育ったの」

「小学校も艦上にあったからね」

 

 学園艦は海上都市でもあり、育児ができる環境も作られている。大洗女子学園でも秋山優花里が『船っ子』だと言っていた。小学校は大抵陸にあり、学園艦で生まれた子供は艦上の小学校に通うか、通信教育を受けることが多い。トラップ校、アールパード校はそれぞれ独立しているものの、艦上小学校は一つしかないため、船橋と大坪はその頃からの付き合いだった。

 

「艦尾側に着艦します」

 

 コレクティブレバーでローターの角度を調節し、ゆっくりと高度を下げていく。すでに連盟を通じて視察許可は取ってあった。宝物の回収を除いて。

 

 

 

 やがて巨体が発着場に脚を着け、ローターが回転を止めた。誰もいないヘリポートは不気味なほど静かだ。設備自体古びているというのも、それに拍車をかけている。ここまで航行してきたということは艦の動力も生きているし、学園艦自体は全くの無人でもないだろう。しかし賑やかだった時代を知っている船橋や大坪からすれば、故郷がゴーストタウンと化したように見えた。

 

 後部の観音開き式ハッチを開け、スロープを降ろす。積んできたのは以呂波らが引っ越しに使ったのと同じ、レヘル兵員輸送車だ。大坪がハンドルを握り、以呂波、美佐子、そしてガイドの船橋はオープントップの兵員室に乗り込む。丸瀬ら航空学科生はヘリポートで待機することになった。

 

 履帯がコンクリートを踏んで走り出す。開いたままの飛行場ゲートから出ると、草原が広がっていた。廃艦になってさほど経っていないため、自然環境は荒れていない。草が風にそよぎ、静かな景色が広がっている。

 

「この辺りもよく走ったな……」

 

 操縦席の大坪が懐かしそうに呟く。この草原はアールパード馬術部の練習場も兼ねていたらしい。

 彼女としてはこの草原をアクセル全開で走りたかったが、その前に向かう所があった。

 

「あれが第三エレベーターよ」

 

 吹きさらしのベンチシートから、船橋が指差した。飛行場の隣に、艦内へ重量物を降ろす大型エレベーターがあった。大坪がゆっくりとスピードを落とし、リフト上にレヘルを停車させる。ところどころ塗装が剥げて錆びついているが、廃艦まで使われていたはずだ。

 船橋が飛び降りて、端にある操作レバーをチェックする。動力が来ていることを確認し、カバーの割れたレバーをゆっくりと降ろした。

 

 ガクン、と音を立て、リフトはゆっくりと降り始める。レヘル兵員輸送車と少女たちは闇の中へと降下していった。

 

「よかった、ちゃんと動くわ」

 

 船橋が安堵の声を漏らした。

 

 ある程度古くて規模の大きい学園艦は艦内に線路があり、港から貨物列車が丸ごと乗り入れられるようになっていた。使われていたのは鉄道輸送が盛んだった時代の話であり、プラウダ高校などでは遺構として残っているのみだ。しかし二つの学校が同居していたこの学園艦では、廃校になるまで学校間の連絡に使用されていたという。

 

 連盟から送られてきた会場見取り図によると、その艦内線路は発砲禁止区域に指定されているが、進入禁止にはなっていない。エレベーターさえ稼働していれば、九五式装甲軌道車の通路として使えるはずだ。

 そして河合から回収を頼まれた『宝』も、この中にある。

 

「なんか探検みたいでワクワクするね!」

 

 冒険心旺盛な美佐子は興奮気味だ。

 

 降下時間は思ったより長かったが、やがてゆっくりと減速し、僅かな衝撃で停止した。以呂波は耳に若干の痛みを感じたが、唾を飲むとすぐに消えた。艦内の電灯は消されているようで、暗闇に包まれている。

 大坪が前照灯を点け、車体をゆっくりとリフトから降ろす。予想より広い空間だ。美佐子も懐中電灯で周囲を照らし、一直線に伸びる線路と、敷き詰められた砂利(バラスト)を見つけた。

 

「おおっ。ちゃんと登りと下りがありますね!」

「うん、連絡移動にはモーター付きトロッコとかが使われていたわ」

 

 車上に戻った船橋が感慨深げにカメラを構え、シャッターを切る。フラッシュの光で一瞬だけ艦内が明るくなった。

 

「これなら、使えますね……」

 

 笑みを浮かべ、以呂波はヘッドライトを装着する。地図を照らし、ボールペンでメモを書き込んでいった。

 大坪がレヘルを旋回させ、前照灯で壁を照らしていく。線路を挟んだ向かい側に、古いシャッターが見えた。整備機材を収納しておく倉庫だ。彼女は喜び勇んで叫んだ。

 

「隊長、多分あれよ。『開かずの倉庫』!」

「このまま照らしていてください。総員、降車!」

 

 顔を上げて号令をかけた直後、以呂波の体が浮いた。美佐子にお姫様抱っこをされたのだ。装填手として鍛錬を重ね、彼女の腕力はますます強くなっている。義足の親友を軽々と持ち上げ、軽い足取りで車上から降りていく。

 船橋が写真を一枚撮った。宣伝用ではなく、思い出として。

 

「足元危ないから、このまま抱っこしてるね!」

 

 以呂波のヘッドライトに目をすぼめながら、美佐子は陽気に笑う。義足に慣れたとはいえ、この暗闇で足元に線路や枕木があるのは確かに危険だ。以呂波は気恥ずかしげに、親友の肩に手を回して掴まる。普段戦車への乗り降りを手伝ってくれる美佐子だから、このようなことでも素直に頼れた。

 

「いつもありがとう。重くない?」

「平気平気! あたしと以呂波ちゃんはこういう仲で丁度いいんだよ!」

 

 足元に注意しながら、ゆっくりと線路をまたぐ。大坪や船橋も倉庫へと向かった。

 

「イロハちゃんは脚が悪くて、あたしは頭が悪い。でも足せば弱点なくなるじゃん!」

 

 美佐子の強引な理屈と自虐ネタに、他三名は思わず吹き出した。だが障害の有無に関わらず、友達というのはそうして助け合うものかもしれない。勉強は苦手でも、美佐子は決して馬鹿ではなかった。結衣たちも本人の前では言わないが、内心ではそう認めている。

 

 レヘルのライトを頼りに、船橋が河合から託された鍵で解錠する。卒業生が『宝』の情報と共に送ってくれたものだ。

 

 ガラガラと音を立ててシャッターが開け放たれた。レヘルの前照灯で、中に鎮座した戦車がはっきりと見えた。全幅百五十センチ足らずの豆戦車で、平たい形状だ。リベット止めの装甲に、足回りはボギー式という古めかしいデザインだ。

 回転砲塔など存在せず、向かって右側の席から太い機関銃が一本突き出ている。太い、と言っても口径は一般的な車載機銃と変わらない。その周りに被せられた冷却ジャケットが太いのである。装甲板にはサンドイエローの地に、緑の斑点という迷彩が施されていた。

 

「アンシャルド豆戦車!」

「わぁ、ちっちゃい!」

 

 大坪と美佐子が声を上げた。

 イタリア製のCV.35豆戦車。名前は『快速戦車(カルロベローチェ)三十五年式』という意味である。前身のCV.33はアンツィオ高校の主力として(良くも悪くも)有名だが、改良型のCV.35も設計は変わっていない。生産性向上のため、溶接装甲をリベット止めに変えただけだ。

 

 これらCVシリーズはブルガリアやオーストリア、果ては中華民国やブラジルにまで輸出され、広く使われた。ハンガリーでは製造元の名を取り、35Mアンシャルド豆戦車の名称で使用し、一部には独自の改良も行った。

 今目の前にある車両はその仕様で、車長 兼 銃手席上に四角いキューポラが設けられていた。視認性を高めるための改造で、おそらく指揮官用だろう。

 

「車体はハンガリー仕様、武装はオーストリア仕様みたいですね」

 

 知識豊富な以呂波が言った。ハンガリー仕様の武装は8mm機銃二丁だと聞いていたが、この車両にはオーストリア製のシュワルツローゼ水冷機関銃が積まれていた。一次大戦で使われた傑作重機関銃だが、冷却水を入れるウォータージャケットが嵩張るため、一丁しか積めなかったらしい。

 旧アールパード校の戦車道チームが、どういう意図でこのような折衷型を作ったのか、今となっては分からない。どちらにせよ戦力としては偵察くらいにしか使えないだろう。

 

 だがこの豆戦車の中に、重要な物が隠されていた。船橋が夢中で写真を撮る中、大坪がハッチを開けた。次いで、歓喜の声を上げる。

 

「あった!」

 

 美佐子の腕の中から、以呂波も車長席を覗き込んだ。黄ばんだ本が車長席に積まれている。表紙に『Tarcay』の文字が書かれた、ハードカバーの本だ。手にとってページを開くと、中身はハンガリー語である。しかしその下あるノートに、鉛筆でびっしりと日本語訳が書かれていた。

 

 これこそもう一つの『宝』。唯一ハンガリーで生まれた戦車道流派・タールツァイ流の指南書だった。

 

「……門下生は戦後散り散りになって、資料もハンガリー動乱で消失。失われた流派か……」

 

 感慨深げに息を吐き、撮影を続ける船橋。シャッター音が断続的に響いた。

 旧アールパード校で戦車道が廃止された後、愛車の処分に反感を抱いた生徒がここへ封印したのだ。貴重な資料を共に隠したのは学校への抗議だったのかもしれない。千種学園に移った後輩らの活躍を知り、これを託すことに決めたのだろう。

 

 この豆戦車は戦友たちとの思い出を抱きながら、倉庫で眠り続けていたのだ。

 

「うん、大丈夫。メンテすれば使えるわ」

 

 船橋は写真を撮りながら、車体の各部を確認していた。トゥラーンやトルディと同様、このアンシャルド豆戦車も千種学園に所有権があるはずだ。回収さえしてしまえば書類上は誤魔化しが効く。千種学園への移送時に紛失していたことにすればいい。大洗女子学園も似たような手口で文科省を出し抜いたらしい。豆戦車ならレヘルでもなんとか牽引できるし、Mi-26の積載量なら余裕だ。

 重要度が高いのは資料の方である。しかし折角の遺産を置き去りにする手はない。

 

「迎えに来たよ。遅くなってごめんね」

 

 埃を被った装甲板を撫で、大坪が戦車に語りかける。

 千種学園に新戦力が加わったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……以呂波は視察を続け、自分の目で地勢を見て、頭に叩き込んだ。そして三日後、今度は戦車と共に訪れた。

 学園艦が接岸する直前、千種学園の車庫からは戦車が一両残らず搬出され、トランスポーターによる移送準備に入った。吹奏楽部の奏でるラコッツィ行進曲に見送られながら、決戦の地に向かう。

 大洗の学園艦も同様に入港していた。そして観戦に訪れた、第三者たちも。

 

「見事に全員揃ったな」

 

 一ノ瀬千鶴が愉快そうに笑った。警視隊風のタンクジャケットではなく、学校指定のセーラー服姿だ。

 彼女の言う全員というのは、その場に集まった友人たちのことである。友であると同時に、好敵手でもある者たちだ。

 

「そりゃもう、大洗VS千種……この試合を見逃す手はないからね。見逃す『手』はないからねっ!」

 

 能動義手の右手を振り回し、ベジマイトが楽しそうに叫ぶ。腫れ物に触るような扱いを嫌ってか、彼女はたまに自分の体をネタに使う。

 

「二回も言わなくていいわ。体を張ったシャレだってことくらい分かるから」

「カリンカちゃん、もうちょい気の利いたツッコミしたりぃや」

 

 冷めた反応をするカリンカと、呆れ顔のトラビ。二人とも雪国育ちのため、瀬戸内海の気候は少し暑そうだ。彼女らの副官……カイリー、ラーストチュカ、そして代理ではあるが矢車マリも側に控えている。

 千種学園と戦った面々が一堂に会していた。いずれもあの義足の戦車長との試合には思い入れがあった。そして西住みほは戦車道ブームを巻き起こした張本人。その両者の戦いは、彼女たちにとっても重要なものだった。

 

「トラビちゃん。副隊長はまだ治らならないの?」

「うん、良さそうやったんやけど、昨日から再入院や。疫病の神(パヨカカムイ)に嫌われたんかなぁ……」

「好かれた、じゃなくて?」

「アイヌの神様は気に入った人間に悪させぇへん」

 

 そんな会話をしているところへ、駆け寄ってくる者がいた。辺りを見物に行っていた亀子だ。千鶴同様、紺のセーラー服を着ている。

 今回はスパイに行ったわけではない。しかしとある情報を持ち帰っていた。

 

「鶴! アンツィオ高校が屋台出して、ナポリタン弁当売ってるぜ。四百万リラだと」

「マジか。ちょっと買ってきてくれ」

 

 千鶴は財布から百円玉を四枚取り出し、相棒に預けた。カリンカもアンツィオの商魂たくましさに呆れつつ、同じように小銭を取り出す。亀子は嫌な顔一つせず、それを受け取った。殊勝なことに、最初から全員分を買ってきてやるつもりだったらしい。

 ベジマイトたちからも金を預かり、ポケットへ押し込む。小銭ばかりで重くなったそこを手で支えながら、踵を返した。

 

「亀! もしアンチョビさんが来てたら失礼の無いようにしろ!」

 

 駆けていくその背中へ、千鶴が叫ぶ。亀子は足を止めて振り返った。

 

「はァ? あの人は卒業しただろ!?」

「後輩の様子見に来てるかもしれないだろ! 世話焼きだからな!」

「おめェと同じだな!」

「やかましい! さっさと行け!」

 

 亀子が笑いながら走り去った後、カリンカが千鶴をじっと見た。サディスティックな戦い方から“恐るべきカリンカ”と呼ばれる彼女だが、好敵手には一定の敬意を持って接する。千鶴に対しては性格的に気が合うため、友情も感じていた。

 

「ねえ。あんたはどっちが勝つと思う? 大洗と千種と」

「さぁな。どっちも予想外のことをしでかす連中だからな……」

 

 率直に答え、ニヤリと笑う千鶴。心の中ではすでに、妹の策を一つ見抜いていた。

 

 

「試合はもう始まってるようなもんだ。以呂波はとっくに罠を仕掛けているんだからな」

 




お読みいただきありがとうございます。
新車両、そして失伝した戦車道流派の記録発見……最初番外編のネタとして考え、ボツになった回です。
次回から試合に入ります。
今回の話にも実はとあるフラグが隠されており、今度は勘の良い方なら読んでみて「ん?」と思ったかもしれません。


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試合前の陣中見舞いです!

 黒い装軌車両が道路を行く。箱型の車体はドイツの駆逐戦車を連想させるが、明確な違いが多数ある。まず非武装であること、そして戦車のような覗視口ではなく、視界の良いフロントガラスを備えていることだ。四つのヘッドライトが近未来的な雰囲気を引き立てている。

 ハンドルを握るのは一ノ瀬星江だ。運転のため和服ではなくダークスーツを着ていた。運転席はSFチックな内装で、宇宙船のような印象を受ける。路面の滑らかな公道を走っているからでもあるが、乗り心地も普通の戦車とは段違いだ。

 

「……なかなか良い車ですね」

 

 助手席に乗った女性が評した。長い黒髪を垂らし、凛とした表情で前方のみを見据えている。戦車道とその流派に詳しい者が見れば、彼女が星江と一緒にいることに驚くだろう。

 

「ええ。戦車と呼んで良いか分からないけど」

「装軌式スポーツカー、と言ったところですか」

「そうね」

 

 淡々と会話する二人だが、決して友人同士ではない。同じ年頃の娘はいるが、所謂『ママ友』などでは断じてない。むしろ敵だ。ただし憎悪を燃やすような仲でもなく、互いに一定の敬意を払っていた。片や一弾流家元・一ノ瀬星江、片や西住流家元・西住しほ。道を同じくし、歩み方を異にする者同士だ。

 

 車は星江の所有するリップ・ソー軽戦車。息子からの誕生日プレゼントだ。不採用になった無人戦車をベースとした、民間向けのホビー戦車である。その精悍さと無骨な鉄臭さを両立したフォルム、洒落たガルウィングドアなど、戦車道界の貴婦人たちを唸らせるに十分な逸品だ。しかもこれは八戸タンケリーワーク社で特別改造された物で、右ハンドルになっている。

 一ノ瀬家の新車に西住しほが同乗して向かう先は、当然ながら娘たちの決戦の場である。

 

「お互い、娘同士の出会いが友好的だったことを喜ぶべきかしら」

「……そうですね」

 

 しほが溜息を吐いた。二人が初めて会ったのは学生時代のことだ。当時しほは高校生で、黒森峰女学園にて鍛錬を重ねていた。年上の星江は大学の戦車道チームで活躍しており、試合後に観戦していたしほと偶然出会ったのである。

 西住流は王者の戦いであり、しほはその戦闘教義を強く信奉している。高校時代もそれは同じだった。だからそれと対極とも言える一弾流に良い印象はなく、その家元の娘たる星江と出会ったとき、ある衝動に駆られた。

 

 彼女を徹底的に論破してやりたい、と。

 

「あのときは若かったから」

「お互いにね」

 

 星江も苦笑しつつ、当時のことに思いを巡らす。しほから「一弾流の戦車運用は邪道だ」と決めつけられたとき、彼女はそれをあっさりと肯定したのだ。戦車の本領は前進・突破であり、それを可能にする戦力を揃えてこそ王道である。そして西住流と黒森峰女学園はそれを体現していると認めた。

 

 しかしその王道の戦が行えない状況でも、前線指揮官は最大限の戦果を上げねばならない。実際の戦争において、高性能車両の量産、戦略、それらを支える兵站を整えるのは軍上層部の仕事である。そしてそれが整わない状況では戦いを避けるのが、政治家の役目だ。その両者があてにならない状況で生まれたのが一弾流であり、邪道もまた存在価値はある……それが星江の主張だった。

 さらに星江は、「大戦末期、日本がそのような状況に陥った原因は多々あるが、一つに過度の攻撃偏重主義が挙げられる。西住流にもそれを後押しした責任の一端があるのではないか。一弾流はその尻拭いのため生まれたのだから、馬鹿にされる筋合いはない」とやり返した。結局そのときは双方の仲間が止めに入り、議論は中断されたが、出会いは友好的とは言い難かった。

 

「ああ、娘同士が仲良くなっても、私は貴女と馴れ合う気はないわよ」

「その言葉はそっくりお返しします」

 

 似た者同士は仲良くなれない場合もある。星江がハンドルを切り、リップ・ソーは駐車場へと入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大洗・千種両校の隊員たちはスタート地点に戦車を配置し、最後の準備に入っていた。フィールドとなる旧トラップ=アールパード女子校学園艦にて、大洗女子学園は艦尾側、千種学園は艦首側からのスタートとなる。許可を得た者は双方のピットへの陣中見舞いが許された。主に大会参加者やその家族たちだ。

 

 しかし千種学園の方には少々予想外の客人も訪れた。丁度、船橋がトルディ軽戦車の整備点検をしているところへ。

 戦車の命たる足回りは最もデリケートな部位だ。機動力が売りの軽戦車なら尚のこと、神経質に整備せねばならない。トーションバーで支えられた転輪を入念にチェックしていたとき、ふいに肩を叩かれた。

 

 見覚えのある、ツインテール姿の小柄な女性がそこにいた。そして大人びた風貌の、西住みほとどことなく似た女性も。

 

「やぁ、船橋ちゃん」

「角谷さん!? 西住さん!?」

 

 慌てて起立する船橋。振り向いた拍子にずれた眼鏡を直し、向き直る。

 元・大洗女子生徒会長は陽気な笑みを浮かべていた。トレードマークとも言える干し芋の袋を小脇に抱えたまま。

 

「良いチームになったねー」

「はい! お陰様で好調です!」

 

 予想外の登場だったが、船橋としてはとても喜ばしいことだった。相手校のOGだが、すでに卒業した彼女をスパイに使う西住みほでもあるまい。それに最も秘匿すべき、河合たちの搭乗車はちゃんと隠してある。サポートメンバーを見張りに立ててあるので抜かりはない。

 干し芋を齧りながら、角谷杏は辺りを一瞥する。そしてもう一人の女性……敵将の姉・西住まほは船橋に微笑を向けた。

 

「優秀な隊長を得られたな」

「はい。本当に、一ノ瀬さんにはいくら感謝しても……」

「貴女の目が冴えていた、と言っているんだ」

 

 その言葉にハッと目を見開く。角谷がくすくすと笑った。

 

「合格だってさ、まっちゃんの評価は」

「だから『まっちゃん』は止せ」

 

 角谷の言葉に溜息を吐く。彼女たちは高校卒業後、それなりに親しく付き合っているようだ。しかし根が堅いまほは、なかなか気安い付き合い方ができないようだ。

 

「一ノ瀬以呂波……彼女は貴女の読み通り、戦車道で生き返った。だがチーム全体に強い団結と忠誠心がなくては、優秀な指揮官も腕を振るえない。そしてチームメイトのみならず、学校の協力がなくてはそもそも戦えない」

 

 強豪を率いた女の言葉には重みがある。戦車道は大掛かりな競技だ。特に学園艦ともなれば、戦車の輸送に学校の船舶科の協力が不可欠となる。燃料・弾薬・糧食など、いわゆる兵站においても、隊員だけで全て回せるものではない。千種学園もサポートメンバー以外で、糧食関係では農業学科・調理学科が、物資の輸送には航空学科が協力してくれている。訓練の騒音も含め、高校戦車道は学校全体の理解があってこそできる競技なのだ。

 そのために生徒会を説得し、様々な部署から協力を取り付け、仲間を集め、時には大洗まで取材に赴き。成果を上げれば即座に宣伝して、同士を増やす。東奔西走して環境を整えたのは、他ならぬ船橋なのだ。

 

「チームの土台を築いたのは貴女だ。その手腕、尊敬に値する」

 

 再び微笑を浮かべ、右手を差し出してきた。その白い手を見つめ、船橋は満面の笑みで握手を交わすのだった。

 

 そのとき、まほは別の生徒と目が合った。よく知った少女だ。黒森峰と旧トラップ=アールパード女子校、延いては千種学園とを繋いだ功労者である。彼女は扇子をポケットへ押し込み、姿勢を正して敬礼を送った。まほも同じように気を付けの姿勢をとり、答礼する。

 いつものようなおどけた様子ではなく、かといって仏頂面でもなく。晴は穏やかな表情で、かつての先輩を祝福した。

 

「お久しぶりです、西住先輩。大学選抜チームへの入隊、おめでとうございます」

「ありがとう。元気そうで何よりだ、ハイター。いや、高遠と呼ぶべきか?」

「黒森峰ではハイター、本名が高遠晴、前座名が快風亭ヨタ子……お好きなのでどうぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 以呂波たちは、44Mタシュ重戦車への弾薬搭載・点検を行っていた。本来は試作車を組み立て中に破壊され、歴史の闇に消えた戦車だ。戦後に海外の戦車道チームで作られていたレプリカを、チーム解散に伴い守保が買い取り完成させたのがこの車両だ。

 この隊長車は準決勝後、出島・椎名らによって砲塔に手が加えられていた。義足の以呂波が乗り降りしやすいよう、数カ所に取っ手を溶接したのだ。それでも仲間たちの手助けは必要だが、その負担もいくらか減るのでありがたい気遣いだ。

 

「これで最後っ!」

 

 快活な声と共に、美佐子が75mm砲弾をラックへ納めた。先端が白く塗られ、榴弾であることが分かる。輸送中は安全のため信管を外しており、先ほど取り付けたところだ。満杯になったラックを満足げに眺め、ポケットから小袋を取り出す。喫茶店を営む祖父母からの餞別だ。

 美佐子はその中から、きつね色のクッキーを一枚摘み、澪の口元へ持っていく。彼女は照準器を磨くのに夢中だったが、鉄臭さの中に漂うお菓子の匂いには気づいた。

 

「はい、あーん」

 

 手を動かしたまま、美佐子の手から口でクッキーを取る。香ばしい風味を味わいながら咀嚼し、甘味に顔をほころばせた。

 

「……もう一つ」

「はーい」

 

 今度はチョコレートのかかった物を摘み、再び澪の口へ入れてやる。続いて装填手用ハッチから手を出し、外にいる結衣へ渡した。結衣も二枚ほど取り、以呂波へ回す。

 操縦手たる結衣は走行装置の点検を終え、各部のオイル点検に入った。エンジン、換気装置駆動部、変速機、減速装置。砲塔の駆動装置は澪の管轄だ。オイルの量は多すぎても少なすぎてもいけない。

 

 戦車は戦闘機と違い、任務完了後も現場へ留まることが多い。戦車道では試合終了後に入念な整備が可能なため、故障の多い車両もどうにか運用できる。特に千種学園では優秀な整備員がいるため、T-35でも稼働率を維持できているのだ。それでも日頃の点検整備を乗員が責任を持って行い、ノウハウを習得せねば、試合中に泣きを見ることになるだろう。

 以呂波は折りたたみ式の椅子に腰掛け、結衣の点検作業を見ていた。命令には従順だが判断力の高い彼女は、以呂波にとって理想的な操縦手だ。だが何となく、彼女が車長を目指していることは分かっていた。

 

「隊長殿、お客さんですよ!」

 

 サポートメンバーが叫んだ。

 以呂波よりも先に、美佐子が来客者を見つけた。

 

「プリメーラさん!」

 

 装填手ハッチから身を乗り出し、笑顔を浮かべる美佐子。以呂波もハッと立ち上がった。とはいえ義足と生身の脚にかける体重のバランスに注意し、慎重に立つ必要があった。主人の動きをコンピューターが感知し、膝関節を伸ばす。

 ベレー帽を被った少女は美佐子に手を振りながら、ゆっくりと近づいてくる。美佐子がドナウ高校で出会ったときと同じ、シャツとホットパンツという出で立ちだ。健康的な日焼け肌だが、どこか浮世離れした印象も受ける。以前捕虜交換の場で以呂波も顔を合わせたが、一度しっかり話をしてみたいと思っていた相手だ。

 

「Hola、一ノ瀬さん。改めて名乗らせてもらおう。私は赤島農業高校の、司令官(コマンダンテ)プリメーラ」

「一ノ瀬以呂波です。お会いできて光栄です」

 

 笑顔で握手を交わす以呂波。第一回戦で姉と対戦したのが、この農業高校の司令官だ。最終的には敗れたが、緒戦の勢いが凄まじかった。寡兵にも関わらず、千鶴率いる決号工業高校の半数を一方的に撃破し、追い詰めたのである。姉の強さを知る以呂波としては、敬意を抱くに十分だ。

 

「君の戦車道はとてもユニークだ。痛手を乗り越えた者の強さかな」

 

 義足をちらりと見つめ、プリメーラはそう評した。

 

「いえ、まだまだ未熟な采配です。プリメーラさんこそ……」

「興味は尽きないけど、特に気になるのは」

 

 以呂波の言葉を遮り、話を続ける。美佐子から聞いていた通り明るい人柄のようだが、どこか思考を読ませないところがあった。

 ふいに、タシュへと目をやる。砲身は綺麗に磨かれ、マズルブレーキの煤もしっかりと落とされている。高初速の砲は数発撃てばすぐに煤まみれになるため、手入れは欠かせない。このような点で戦車を雑に扱っているようなら、実力もたかが知れている。中には予めウェザリングを施し、相手を油断させる者もいるが。

 

 メンテナンスの行き届いた姿を眺め、以呂波へと向き直る。

 

「君の戦車愛は本物のようだね。後はお姉さんのように、指導者としての美学を持っているか。それが気になる」

「美学……ですか?」

 

 今ひとつ意味を掴みかねる以呂波だが、プリメーラは詳しく説明する気はないようだった。思わせぶりな笑顔を浮かべ、ちらりと艦橋を見る。役目を終えた学園艦のシンボルは、巨大ながらも何処か寂しげに佇んでいた。

 

「ま、この試合で分かるだろう。そんな予感がする。どちらか一方に肩入れする気はないけど、健闘を祈るよ」

「は、はい。頑張ります……」

 

 一方的に言われ、一先ず当たり障りのない返事をした。プリメーラはベレー帽の向きを直すと、軽く敬礼をして背を向ける。

 歩き去っていく彼女に対し、結衣が「何をしに来たんだろう」と言いたげな表情を浮かべた。ドナウ高校へ潜入した際、美佐子は彼女の言葉から勇気をもらったと言っていた。今のは一体何のメッセージだったのか。

 

 気になるが、以呂波は試合のことへと気持ちを切り替えた。集中せねばならない。今度の相手は、西住みほなのだから。

 



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決戦の始まりです!

今回は二話同時更新です。
お気に入りから来た方は前の話からお読みください。


 その後、開会式は何事もなく終わった。以呂波とみほは互いに向き合い、「宜しくお願いします」と頭を下げた。それ以外に言葉は交わさない。

 スタート地点の平原へ戻った後、みほはM3中戦車の様子をちらりと見た。澤梓は落ち着いている。今年入った一年生の面倒もしっかりと見て、緊張を保ちながらも時折笑顔を見せていた。副隊長という立場に余裕が出てきた証拠だ。

 

「今の澤殿なら、大丈夫ですね」

 

 秋山優花里の言葉に、みほは微笑んで頷いた。年上で古参のエルヴィン、カエサル、磯部らを差し置いて澤を副隊長にしたのは、いずれ隊長を任せるためだ。当人は戸惑っていたが、やがて自分が指揮を取らねばならないことを理解し、納得した。

 そうなると、みほの方も時に厳しく接する必要があった。姉や、時には勇気を出して母にも相談した。そして後輩を指導する中で、自らも学んだ。

 

「みほさん。砲塔の点検は全て終わりました。問題ありません」

 

 IV号戦車から降りてきた華が報告する。彼女は新たな砲身に短期間でよく慣れ、特殊な砲にも関わらず、高い命中精度を発揮できるようになった。

 

「ありがとう、華さん」

 

 笑いかけながら、みほも新たな主砲を見上げる。75mm砲より小さな砲口、細いスリットの入ったマズルブレーキ。本来対戦車砲であり、IV号戦車への搭載は計画のみに終わった兵器だ。古くから戦車道を行っている学園艦からは、時折対戦車兵器が見つかるという。学園紛争華やかなりし時代、競技用戦車が過激な学生に悪用されるのを防ぐために保有していたらしい。

 しかし大洗女子学園にて見つかったこの砲は、戦車搭載用に調整されていた。旧時代の戦車道チームについては謎が深まる一方だが、優花里はこのような兵器を使えることに幸せを感じていた。

 

「これを見ればさすがの一ノ瀬殿も驚きますよ! 千種学園に負けないレア物です!」

「……いつから珍兵器合戦になったんだ」

 

 眠気覚ましにショカコーラを食べつつ、麻子がぼやいた。彼女たちはともかく、千種学園にとっては今に始まったことではない。

 続いて口を開いたのは沙織だった。

 

「でも以呂波ちゃんたち、今度はあのとんでもないのを出してくるんでしょ」

「うん。シュトゥルムティーガーには気をつけないと」

 

 対策はすでに練ってある。まず的になりやすい平地を避けること。そのためにはシュトゥルムティーガーが射撃位置につく前に、今いる広大な平原を突破しなくてはならない。まとめて380mmロケット弾に吹き飛ばされないよう、車両ごとの間隔も広く取る。

 だが当然、その怪物だけを警戒していればいいというわけではない。

 

 ふと、みほは自分と以呂波の辿ってきた道について考えた。それらは全く異なるようで、ある意味では似ている。

 前進を旨とする西住家に生まれた自分は、見つけた居場所を守るため戦ってきた。

 踏みとどまる戦車道を受け継ぐ一ノ瀬家に生まれた以呂波は、痛手を乗り越え前に進むために戦っている。

 

 彼女との試合では、多くのものを得られるだろう。みほの好きな大洗はもっと強くなるのだ。自分たちがいなくなる来年以降も、学校と戦車道が存続するように。

 みほは大きく息を吸い込み、全員集合の号令を発した。

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして、千種学園の方も「搭乗員集合、各車長を先頭に整列!」の号令がかかっていた。

 乗員たちがバタバタと駆け出す中、出島・椎名ら男子整備員は各戦車の間を足早に巡り、最後の確認を行った。

 

「壊れないで動いてくれよ、M-17Mちゃん」

「あのアバズレ共を頼むぞ」

 

 T-35のエンジンに語りかけ、口汚くも女子たちを気遣う。それをしていたのは彼らだけではない。馬術部チームのトゥラーンには、大坪の愛馬セール号が寄り添っていた。試合前の曲馬パフォーマンスのため連れてこられたのだ。黒毛に四白流星の駿馬は、物言わぬ鉄の馬に口を寄せ、何かを祈っているように見える。

 あいつも俺たちと同じか……見送る立場の者として、出島たちは彼にシンパシーを感じていた。

 

 

 そして整然と並んだ乗員たちを前に、以呂波は最後の訓示を行った。脚を軽く開いて立ち、体重が均等にかかるようにする。

 

「皆さんのおかげで、ここまで来ることができました。大洗側は我々のことをよく知っています。今回は今まで以上に激しく、厳しい戦いとなるでしょう。しかし私は千種学園が大洗に劣るとは思いません」

 

 毅然とした態度が、仲間の信頼を得る。幼い頃から叩き込まれた戦車指揮官の精神だ。この学校で癖の強い仲間たち、特に晴や美佐子と接するうちに、隊長としての度量は大きくなった。

 思えば一年生である自分に、よくここまで着いてきてくれたものだ。船橋のお膳立てがあったからこそだが、全員の戦車道への熱意がそれだけ強かったということだ。

 

「今敢えて言うことは一つだけです。それぞれ自分の役目を理解した上で、一弾となって戦い抜きましょう」

 

 言葉を切り、息を大きく吸い込む。全員が姿勢を正した。

 

「千種学園戦車隊は!」

「勇敢! 冷静! 仲良し!」

 

 一際大きな声で唱和する隊員たち。以呂波が「乗車!」の号令をかけ、一斉に自車へと向かう。

 隊長車チームの中で、結衣は真っ先に操縦席へ飛び込み、エンジンの始動にかかった。タシュの操縦席には彼女の繊細な性格がよく表れていた。速度計の外側には白チョークで秒速が書き込まれ、燃料系の目盛りには時速30km/hで何キロ走れるかが書き込まれている。マジックではなくチョークを使う理由は、いつでも書き換えられるようにするためだそうだ。

 

 その間、以呂波は美佐子の肩を借りつつ、早足で戦車へと駆け寄った。思えば彼女から「二人三脚で進めばいい」と言われ、隊長を引き受ける決心をしたのだ。それほど年月は経っていないのに、随分と懐かしく思える。

 美佐子に下から押し上げてもらいながら、溶接された取っ手に手をかけ、砲塔上の澪と晴の手を借りて登る。キューポラのハッチから中へ入り、車長席に立った。晴と澪がそれぞれの持ち場に座ったとき、結衣がスターターノブを押した。

 

 二基のエンジンに火が入り、低く唸る。結衣はチョークを閉じ、油温計、水温計を監視した。

 他の車両も、続々とエンジンが目を覚ます。周囲には十両の戦車の唸りが響き渡った。

 

「……砲塔旋回、照準器異常なし……砲手、準備良し」

「エンジン出力、変速機正常。油温、水温、異常なし。操縦手、準備良し」

「閉鎖器動作良し、弾薬格納正常! 装填手準備良し!」

「車内通話、車外通話、テスト良し。通信手、準備良ーし」

 

 続々と報告する声を聞き、以呂波は皆がベストのコンディションだと確信した。誰もが声を弾ませ、それでいて正確に動作を行っている。これなら作戦も順調に進むだろう。ただし相手は意外性を以って奇蹟を起こした大洗女子学園。予想外の事態にも直面するはずだ。

 それもこのチームでなら、渡り合える。

 

「全車、準備完了」

 

 晴が報告した。以呂波が虚空を見つめる。

 やがて、冲天高く花火が打ち上げられた。笛の音を鳴らし、快音と共に白煙が弾ける。

 

 決戦の号砲が鳴った。

 

戦車前進(パンツァー・フォー)!」

 

 

 

 

 

 

 

 歓声を上げるギャラリーの中で、千鶴たちは静かに巨大モニターを見つめていた。昼食の時間にはまだ早いので、亀子が買ってきたナポリタン弁当は封を切らず、膝に乗せている。なお、ナポリタンという料理はアメリカ由来の和製洋食であり、イタリア人もイタリア料理とは認めていない。しかしアンツィオ高校の生徒たちは「ウチら日本人だし」と言って販売している。

 

 千種学園は揃って艦尾側へ前進しているが、九五式装甲軌道車ソキはあらぬ方向へ逸れていく。艦内の輸送用線路を使うつもりなのだと、千鶴は察した。決号工業高校にも同様の設備があるのだ。それを通じて大洗の背後を取るつもりだろう。

 地の利で言えば、この学園艦の出身者がいる千種学園が有利だ。人の和では恐らく互角だろう。そして天の時だが、どうやら自分のアドバイス通り、妹は情報戦で優位を取ったと見える。

 

 艦尾の平原を進む大洗女子学園は隊を三つに分けていた。先行するのはM3リーと八九式中戦車、続いてポルシェティーガー、ルノーB1bis、隊長車 兼 フラッグ車のIV号からなる小隊。その左後方にIII号突撃砲、ヘッツァー駆逐戦車、三式中戦車チヌの小隊だ。各小隊とも戦車同士の間隔を広く取り、車長がしきりに周囲を警戒している。

 

「シュトゥルムティーガーを警戒しているわね」

 

 カリンカが言った。380mmロケット弾の加害範囲は広く、密集していては一網打尽にされかねない。何せ元が対艦用なのだ。

 最大射程は6km近くあるが、長距離の間接射撃には観測手が必要だ。敵の位置を確認し、初段の着弾点と与えたダメージを伝え、照準を修正させるのだ。航空機を使えない戦車道では、その任務は軽戦車が前線に進出して行うことになる。

 先に観測車両を発見し、攻撃すれば脅威は減る。そのため見張りはいつも以上に厳重に行っているようだ。

 

「これがあの子の仕掛けた罠?」

「そういうことだな。冷静に考えれば怪しいと思うけど、変な戦車ばっかり揃えてる千種学園だから、違和感なく仕込めたわけだ」

 

 千鶴は笑みを浮かべつつ、売店で買ったコーラを一口飲んだ。炭酸の刺激を楽しんでいるとき、千種学園の方に動きがあった。新戦力たる35Mアンシャルド豆戦車が加速し、突出し始めたのだ。

 

 

 

 

 急遽戦力に組み込まれた豆戦車だが、車長 兼 銃手と操縦手を新たに訓練するには、あまりにも時間がなかった。しかし二人乗りだということが幸いした。T-35の副車長と副操縦手に、極短期ながらも転換訓練を受けさせ、乗員としたのだ。大型のT-35に比べれば扱いは楽なため、すぐに問題なく走行できるようになった。

 T-35の方は別の乗員を副車長に昇格させ、農業学科の生徒から新たに二名を補充した。農業学科は特に団結が強く、北森の人望も相まってすぐに人員は見つかった。

 

 アンシャルドは軽快に走りながらも、T-35に速度を合わせて追従している。豆戦車の元祖であるカーデン・ロイドには『多砲塔戦車の護衛』という役割があった。今回はT-35と共に、工作小隊として戦う。豆戦車のエンジンルームには折りたたまれた板が積まれており、T-35にも同様の偽装用具が多数括り付けられていた。

 

《ソキが艦内線路へ降りました。農業学科Bチームは『ソリャンカ作戦』にかかってください!》

「了解した! 東、前進する!」

 

 緊張した面持ちで以呂波の命令に答え、車長・東ハルカはT-35の巨体を見上げた。農業学科ではかなり小柄な彼女は、図体が大きい割に狭いT-35でも、見た目も中身も小型な豆戦車でも適応できる。くりくりとした目の見る先には、主砲塔に掴まる北森あかりの姿があった。

 

《艦尾側で会おうな。お前らなら上手くやれる》

 

 妹分の顔を見下ろし、笑みを浮かべて敬礼を送る。東の表情がパッと明るくなった。

 

「はい、必ず!」

 

 車長席に腰を下ろし、操縦手に増速を命じた。相棒もまたテンションを上げており、ギアを切り替えつつアクセルを踏み込む。イタリア製戦車は前進一速、後進五速などと言われるが当然ジョークである。平たい形状の豆戦車はエンジン音高らかに加速し、T-35を追い越していく。

 

 丁度、旧トラップ高校の校舎が左手側に見えた。近くを走っていたトルディの砲塔から、船橋が懐かしそうに母校を眺めていた。追い抜きざまに敬礼を送ると、彼女も答礼した。

 そのうち自分たちの母校、UPA農業高校も試合会場にならないかな……そんなことを考えながら、東は前線へと戦車を走らせた。

 

 




お読みいただきありがとうございます。
そして遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
もう二年以上連載しているこの作品、今年は完結にこぎ着けたいと考えております。
最終章が公開されたらさすがに話の内容に矛盾が生じると思いますが、そのときはそのとき、拙作は拙作で最後まで進めます。

新キャラ……というか、モブキャラから昇格した「東ハルカ」ですが、名前の由来はサツマイモの「紅あずま」「紅はるか」です。
「北森あかり」がジャガイモ由来なので、その妹分はサツマイモになりましたw

では皆さま、今年もよろしくお願い致します。


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灼熱の悪夢です!

 暗い艦内線路を、九五式装甲軌道車ソキが疾走していた。この空間で接敵することはないだろうし、仮に遭遇しても発砲禁止区域に指定されている。そのため前照灯を惜しみなく点灯し、線路を照らす。

 操縦手の左手側では空冷六気筒エンジンが音を立て、鉄輪を駆動させている。金網の被せられた排気管ダクトが機関室から外部へと突き抜け、左側面へ出ていた。同じ側には冷却系統の一部が露出している。本来鉄道連隊の警備・牽引車両であるため、本当の戦車とは設計が異なっている。だがこのソキは戦車に似た外見で敵を驚かせ、装甲列車を鹵獲したこともあった。以呂波の采配と三木たちの特訓により、『士魂杯』でも多くの活躍をしてきた。

 

 ハッチから顔を出し、三木は照らし出されたレールを見つめる。慣れ親しんだ線路の振動を感じながらも、レールに異常がないかは注意していた。船橋曰く、廃校になるまで校内の連絡用に使われていたというから、まだ壊れてはいないだろう。それでも三木は線路の保全にどれだけの労力がかかるか知っているため、用心していた。

 

「……減速して。停車準備」

 

 線路脇のマイルストーンを確認し、指示を下す。操縦手がブレーキをかけ、ゆっくりと速度を落としていった。普段から慣れ親しんでいる鉄道部員だけに、操作は的確だ。

 

 鉄輪が甲高い摩擦音を上げ、ゆっくりと停車する。目的のエレベーターの位置だ。ここで艦上へ上がれば大洗の背後を取れる。

 吊り上げられていた履帯を降ろして接地させ、鉄輪を引き上げた。三木の後ろにあるカバー内へ鉄輪と支持アームが収まる。操縦手がレバーを倒し、起動輪が履帯を回転させる。

 

「さて、道なき道を行こっか」

 

 ゆっくりとレールを踏み越えたソキが、エレベーターを目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 対する大洗側は全周警戒の上で進軍していた。千種学園のシュトゥルムティーガーで遠距離攻撃をしてくるなら、必ず観測車両を放ってくるはずだ。恐らくはトルディがソキ。それらが現れれば砲撃の前触れだ。

 

「ウサギさん、アヒルさん。異常はありませんか?」

 

 沙織が前衛と連絡を取る。先行するM3リー中戦車が覗視口から見えた。差し込む光を受け、滅多に使わないMG34機関銃が鈍く輝いている。

 

《前方に敵は見当たりません》

《こちらも発見できません》

「了解です。もうそろそろ敵が出てくると思うので、引き続き油断せず警戒しましょう。以上!」

 

 コミュニケーション能力の高さを買われて通信手に任じられた沙織は、その能力を遺憾なく発揮していた。膝の上には地図を置き、ナビゲーターの役割も果たす。そのお陰でみほは索敵と戦闘指揮に専念できた。

 前衛を任せられたのは副隊長たる澤梓と、咄嗟の判断力と根性では大洗随一の磯部典子だ。どちらもキューポラから身を乗り出し、周辺をしっかりと見回している。視界内をいくつかのエリアに分け、怪しいところを双眼鏡で確認し、異常がなければ別方向を見た。M3リー中戦車のキューポラは本来銃塔だが、澤の愛車は機銃を撤去して二つの覗視口を設けている。旧時代の大洗戦車道チームによる改造と思われるが、当時を知る資料は驚くほど少なく、詳細は不明だ。だが戦車道には歩兵がいないため、機関銃を減らして索敵能力を増すという改造は理に適っている。

 

 それでもやはり、車長が直接顔を出して視認するのが一番だ。梓はみほからその勇気を教わっていた。

 

「さて、今回はどんな偽装をしてくるか」

「……まさか、ニセ住みほを使ってはこないだろうな」

 

 優花里の言葉を受け、操縦レバーを握る麻子が呟いた。準決勝でフラッグ車の偽物を仕立てた千種学園だが、相手戦車に偽装してはいけないというルールもない。かつてドイツ軍が行ったグライフ作戦のように、味方と見せかけて不意打ちを行ってくる可能性もある。

 しかしみほは、それは無いと考えていた。

 

「以呂波さんは知られてる手を使ったりしないと思う」

 

 大洗と千種は互いの手の内をある程度知っている。トゥラーンIIIをIV号戦車に偽装し、車長をみほに変装させるという手口を、大洗の面々は間近で見たのだ。さらにその手の『成り済まし作戦』はサンダース大付属高校のような、同じ戦車を多数運用している相手に効果を発揮する。使用車両が全てバラバラの大洗なら、互いに連絡を取り合えばすぐに看破できる。

 

 以呂波ならきっと、もっと予想外の罠を仕掛けてくるだろう。だが当面の脅威はやはり、シュトゥルムティーガーだ。

 みほは前方に見える林と、念のため丘の稜線にも気を配った。しかし敵発見の報せは予想外の方向から来た。

 

《て、敵発見! 五時方向!》

 

 殿を固めるねこにゃーからの報告だ。三式中戦車をIII突、ヘッツァーと共に後衛に配置したのは、無砲塔戦車だけだと側背から攻撃されたとき不利なためだ。だからねこにゃーは後方をよく見張っていた。視力は良いとは言えないが、見通しの良い平原のため敵影に気づけたようだ。

 みほもハッと振り向き、小さな影を双眼鏡で確認する。小さな砲塔が見えた。

 

「ソキが背後にいます! 車間距離を取りつつ増速、前方の林に逃げ込んでください!」

 

 全車両の操縦手が一斉にギアを一段上げ、アクセルを踏み込んだ。観測手が現れたからには必ず砲撃が来る。丘の稜線越しに撃ってくる可能性も高い。しかし榴弾の効果は障害物の多い場所だと大きく減衰するため、林に突入してしまえば怖くはない。少なくとも、まとめて潰される可能性は減るのだ。

 ソキは距離を大きく空けたまま追跡してくるが、撃退は後にした方が良さそうだ。

 

「いつの間に後ろに!?」

 

 優花里が驚きの声を上げる。そろそろ接敵してもおかしくはないが、背後に回り込んで来るには早すぎる。しかも距離は1500mは空いていた。

 だが麻子には思い当たることがあった。

 

「この学園艦、艦内に鉄道があるんじゃないか?」

「あっ!? そういえば!」

 

 以前プラウダ高校へ親善訪問した際、麻子は同様の鉄道施設を見たのだ。沙織が地図で確認したが、確かに進入禁止区域には指定されていない。ソキは線路上でなら最高で72km/hを発揮できるのだ。

 やはり地の利は相手側にある。だが相手の持つ意外性を考えれば、この程度は大したことではない。

 

「全車、もくもく作戦です!」

 

 

 

 

 

 大洗女子学園の戦車八両が、一斉に煙幕を噴射する。ソキからの視界を遮る作戦だ。大きく開いた隊形のため、煙も広範囲に広がる。しかし千種学園は彼女たちの前方にも斥候を放っていた。

 

《こちら三木! 敵の姿が全く見えません!》

「大丈夫さ、あたしがちゃんと見てる」

 

 アンシャルド豆戦車の四角いキューポラから顔を出し、双眼鏡で敵部隊を見張る。東は先に前線へ到着した後、車体を偽装して監視を行っていた。無砲塔の豆戦車ゆえ、偽装網を被って木々に紛れてしまえば見つかるものではない。

 大洗は煙幕を撒きながら、隊列を僅かに変えていた。ポルシェティーガーを前衛部隊へ入れ、M3、八九式と三両で林へ雪崩れ込もうとしている。シュトゥルムティーガーを捜索し、連携で背面を取って始末するつもりだろう。遭遇戦になっても情報を持ち帰られるよう、戦闘力の高いポルシェティーガーをつけたのだ。また林の中ならシュトゥルムティーガーの脅威は減るが、狭い地形にまとまった数を投入するのは避けている。戦車同士が互いの射線を邪魔するし、撤収も困難になるからだ。

 

 それらの動きを報告し、仲間の声を聞く。準備は着々と進んでいた。

 

《船橋、位置についたわ。変身セットも装着完了》

《河合も同じく。今ハッチを開けて涼んでいます》

《こちら北森百貨店、ズリーニィ用の掩体壕は掘り終わって、今残りをやってる! 東、どれくらい余裕がある?》 

 

 北森の問いかけに、敵の速度と距離を観察する。

 

「敵の前衛が到着するまで、約三分ってところですね」

《ちっ……悪ぃ、穴は後一つしか間に合わないかも。偽装パネルはできるだけ置いとくぜ!》

 

 T-35を工兵輸送車として運用する千種学園だが、さすがに鈍足であり、サイズも大きいため小回りが利かない。現場に到着するまで時間がかかったのである。以呂波はあらかじめ、工作が間に合わない場合は退避を優先するよう命じていた。北森たちはそれだけ重要な戦力なのだ。

 スリルと緊張感を覚えながらも、東は冷静に監視を続ける。彼女にはこの後、さらに度胸を要する任務が待っていた。この豆戦車で敵の矢面に立つのだ。だがその前に、船橋と河合が度胸を見せねばならない。以呂波から命令が下る。

 

《フラッグ車からポルシェティーガーが離れたのは好都合です。船橋先輩は敵前衛を、河合先輩は敵後衛をIV号から切り離してください。引き付けてから決行しますので、東先輩は報告を宜しくお願いします》

 

 隊長の声は冷静だった。動揺を見せず、指揮を執りつつも常に先輩を立てる。試合前の合言葉である「勇敢・冷静・仲良し」を体現している。だがその下で、以呂波が誰よりもこの戦いを楽しんでいることを皆が知っていた。

 敬意を払う強敵に、全力で挑む……右脚を失ってから、彼女はずっとそんな戦いを待ち望んでいたのだろう。実姉との試合もそうだった。そして今度は以呂波のみならず、千種学園全員の憧れである、大洗女子学園が相手。隊長の闘争心はチーム全員で共有している。

 

「任せろ。しっかりやってやる」

 

 ペロリと唇を舐め、東は笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 やがて、大洗の部隊は雑木林へ到達した。梓たち前衛三両が最初に侵入し、索敵する。懸念していたシュトゥルムティーガーからの砲撃は一発も無い。

 良い射撃位置に着けなかったのかもしれない。ただでさえ足回りの脆いティーガーIの車体を使っているのだから、トラブルが起こった可能性もある。だとしたら大洗にとっては幸運だが、T-35を無故障で動かしている千種学園にしては間抜けなミスだ。だがそうでなくてもシュトゥルムティーガーの路外機動性は劣悪だ。カール自走臼砲よりはまともに走れるが、マシントラブルが起きずとも射撃位置へ到達できないこともあるだろう。

 

 どちらにせよ入り組んだ場所へ入ってしまえば、それほど怖くはない。前衛部隊は八九式を先頭に立て、捜索に当たっていた。もしシュトゥルムティーガーを見つければ、背面へ回り込んで倒す。正面は傾斜付きの厚200mmというマウス並の装甲だが、背面ならポルシェティーガーの88mm砲で貫通できる。

 

「いいかみんな! 今回ばかりは根性で乗り切れるものじゃない!」

 

 磯部の言葉に、八九式のクルーたちは驚いた。彼女は車長としては有能だが、その方針は『少しだけ頭使って後は根性!』である。その『少しだけ使う頭』というのも、ほとんどがスポーツ少女としての勘や本能、人間離れした反射神経によるものだ。だがそれが根性論と合わさることで、現に彼女たちの八九式は異様な粘り強さを発揮してきた。全国大会でも、大学選抜との激戦でも。

 そんな彼女でも、この『士魂杯』はそれだけで乗り切れないと感じていた。準決勝で特にそれを思い知った。ドナウ高校は八九式を排除するため、わざわざ対空戦車を引っ張り出してきたのだ。

 

「去年までの相手は八九式を見くびっていた。でもこの大会は違う。千種学園の人たちも、私たちに敬意を払ってくれた。つまり油断していない」

 

 佐々木、河西、近藤の三人もキャプテンの言うことを理解し、真剣な面持ちで聞いた。そして彼女は、考えに考えた新たな方針を告げた。

 

「ここからは根性じゃなくて、ド根性で行くぞ!」

「ハイ、キャプテン!」

 

 方向性にブレはなかった。その根性論もバレー部衰退の一因ではあったが、現メンバーに関して言えば万事それで上手く事が運ぶ。

 そんなとき、磯部は木々の合間に意外な物を見つけた。土で汚れているが、グレーのタンクジャケット……千種学園の隊員だ。そして彼女たちが慌てて乗り込もうとしている、多砲塔戦車も見えた。

 

「二時方向に敵! T-35です!」

 

 オリーブ色の車体を木の枝葉で覆っているが、十メートル近い巨体と特徴的すぎる外見はすぐに分かる。車体後部をこちらに向けているが、使える三つの砲を指向してくる様子はない。どうやら乗員が降車して何らかの作業に当たっていたようで、八九式を視認して慌てて車内に戻っている。北森が号令をかけ、乗員がハッチにしがみついたまま戦車が発進した。

 みほから指示が飛ぶ。

 

《撃破してください! T-35を倒せれば、相手の迎撃能力を削げます!》

 

 乗員数の多さを利用し、クルーを下車させて歩哨に使う……もはや千種学園の常套手段であり、みほもその有効性を認めていた。彼女の昔馴染みも、黒森峰相手に似たような手口を使って善戦した。敵を正確に監視すれば、より適切な迎撃が行えるのだ。待ち伏せ主体の一弾流なら尚更である。

 

《了解! 前衛部隊、追撃に移ります!》

 

 梓の言葉と共に、M3とポルシェティーガーも増速した。三両とも元は高速ではないが、自動車部のチューンナップにより高機動を発揮できる。T-35も千種学園鉄道部によってチューンされてはいるが、元が無理と無駄を重ねた設計である上、このような入り組んだ場所では小回りも利かない。

 八九式が茂みを踏み越え、追撃する。T-35は砲手が副砲に滑り込んだが、各砲塔の死角に気をつけていれば車線は避けられる。全周囲に向けられるのは主砲だけだ。砲塔が沢山あるからと言って、複数の敵に対処できるものではない。そして後部の装甲ならM3の副砲はおろか、八九式の57mm砲でも至近距離から撃てば貫通できる。そして肩当で照準できる八九式なら、行進間射撃でも命中率は高い。

 

《アヒルさんチーム、攻撃を開始してください!》

 

 梓から指示が飛んだ。彼女は全体の副隊長であり、前衛の指揮を任されている。

 

「よし、攻撃用意……」

 

 砲弾を装填すべく、磯部が砲塔内へ戻ろうとしたときだった。

 T-35の主砲塔から北森が再び身を乗り出し、同時に後部の副砲塔と機銃塔からも乗員が姿を見せる。準決勝前の準備期間中、農業学科チームとアヒルさんチームは余暇を見て共にバレーを楽しんだ仲で、顔見知りだ。その農業学科生三人が、先ほど乗ったばかりの戦車から再び体を出し、それぞれの砲塔に掴まる体制を取った。

 

 何をする気だ。そう思った直後、彼女たちは一斉に同じ行動をとった。

 各自が手にした赤い筒からキャップを抜き、左手で真上に放り投げたのだ。発煙筒だ。そして北森らが右手を大きく後ろへ引くのを見て、磯部は目を見開く。

 

「あれは!?」

 

 刹那、三人のフローターサーブによって、三つの発煙筒が『発射』された。見事なフォームだった。狙いはそれぞれ、八九式、M3、ポルシェティーガー。

 途端に煙が立ち上り、三両の視界を塞ぐ。顔を出していた車長たちは大慌てで車内へ逃げ込んだ。

 

「誰だ、あんな技を教えたのはッ!?」

「キャプテン以外にいませんからー!」

《対戦車バレーは門外不出にした方がいいかもねー》

《ツチヤ先輩に賛成です!》

 

 大騒ぎの中、何とか車体を左右へゆすり、上に乗った発煙筒を振り落とそうとする。それを尻目に見ながら、北森たちは林の奥へと逃げて行った。

 

 

 

 一方、西住みほと後藤モヨ子の本隊も林へ到着し、エルヴィンたち後衛も続いた。しかしそのとき、彼女たちにも襲撃が仕掛けられた。

 前衛の後を追おうとしたみほたちの前で、茂みが突然二つに割れたのである。

 

「あっ!?」

 

 みほが思い出したのは、イギリス軍がアフリカで使った偽装だ。クルセーダー巡行戦車などに張りぼての幌を被せ、トラックに化けて空襲から逃れるという手口である。緊急時には紐を引っ張ることで真っ二つに割れるようになっており、遮蔽物の少ない砂漠では効果的な偽装だった。

 千種学園も同様の構造で、骨組みとネットの上に枝葉を大量に着け、戦車を植物に化けさせる張りぼてを作ったのだ。装甲板がほぼ完全に覆われていたため、みほでさえ気づくことができなかった。

 

 その中から現れたのはやや大柄な軽戦車。船橋のトルディIIaだ。カウンターウェイトのついた砲塔を指向しつつ、急発進する。みほは砲口から斜線を見切ろうとしたが、相手の目的は攻撃ではなかった。

 トルディの車体後部から、煙幕が噴射されたのだ。そのままみほたちの前を横切り、進路に煙の尾を引いていく。IV号とB1bisが砲塔を指向すると、旋回して向きを変え、煙の向こうへ隠れる。

 

「西住殿、後方からも新手が!」

 

 側部ハッチから外を見ていた優花里が報告する。みほが振り向いたとき、彼女たちと後衛の間に突入してくる戦車があった。同じように煙幕を吐き出しながら、軽快に。

 

 黄土色に塗られた平たい車体に算盤玉型の砲塔、先端にキャップ状の器具がつけられた細長い主砲。幅の狭い履帯に、隙間の広い配置の大径転輪。そして車体前面に並ぶ、ピアノの鍵盤のような放熱盤。

 超信地旋回で方向転換するその姿を見て、みほは自分の目を疑った。悪魔がそこにいた。または祟り神か、千種学園の守護神か。

 この時ばかりは、みほも愕然として呟いた。どうして、と。

 

 かの学園艦を訪れた際、賽銭箱と張りぼての鳥居に飾られ、格納庫の隅に鎮座していた車両……

 カヴェナンター巡行戦車である。

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
以前に北森がアヒルさんと一緒にバレーやっていたシーンは、発煙筒レシーブ×3をやりたいがために書きました。
「カヴェナンターって超信地旋回できないだろ」と思った方もいらっしゃるでしょうが、それについては次回明らかになります。


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権謀術数です!

《トルディ、突入成功!》

「こちらカヴェナンター、突入成功です!」

 

 船橋に続き、河合も報告する。彼女の背後にある通信機は好調だった。カヴェナンターは車長が通信手を兼任するのだ。

 算盤玉型の砲塔はハッチを開け放ち、僅かながらも涼風を入れていた。以呂波たちが乗っていたときより温度は低いが、それでも走行中はかなりの高温となる。乗員は全員白鉢巻を着用していた。精神の統一や士気向上のために身につけるものだが、この場合は目に汗が入らないようにするという実利的な用途だ。

 

《了解! 一撃離脱で、可能な限り反復攻撃を行ってください!》

 

 返事が返ってくるのは早かった。河合は即座に命じた。

 

「左へ超信地旋回。敵後衛の方面へ退避」

 

 車長が冷静なら、乗員もまた冷静になれる。生徒会書記を務める操縦手が、ギアをニュートラルに切り替えてバーハンドルを捻る。左右の履帯が逆方向へ回り、車体が土煙を上げながら反転した。

 

 これが初陣。しかし河合はこのような場で感情をコントロールする方法を、ある程度心得ていた。あの怪物消防車で大火に立ち向かってから、それには更に磨きがかかっている。その根底にあるのは学園の代表であるという責任感、そして普段表には出さないが、華族の血筋というプライドだ。

 ましてや一年生である以呂波が常に勇気を見せている以上、先輩として、生徒会長として、臆してはいられない。ハッチから顔を出し、敵影を確認する。III号突撃砲、三式中戦車、ヘッツァー駆逐戦車。

 

「煙から飛び出し、敵後衛へ行進間射撃。虚仮威しになればいいです」

「はい!」

 

 砲手は砲尾の肩当に齧り付くようにして照準器を覗き込む。

 行進間射撃の命中率が悪いのは、主に縦方向への振動のためだ。しかしこの時期のイギリス戦車はまだ『陸上軍艦』の思想を受け継いでおり、移動射撃を重視していた。八九式などと同じく、席から立った砲手が肩当を使い、体を屈伸させることで俯仰を調節できるため、移動中のブレをある程度抑えられるのだ。現用MBTでは各種センサーとコンピューターによるスタビライザーで安定を保つが、この場合は謂わば『人力スタビライザー』である。

 

《河合さん、ご武運を》

「貴女も」

 

 船橋と短く言葉を交わし、河合は高速徹甲弾を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? カヴェナンターって超信地旋回できたんかいな?」

 

 ようやく戦闘が始まり、観客席が活気付く。そんな中で疑問を口にしたのはトラビだった。

 履帯をそれぞれ逆方向へ回転させ、その場で素早く方向転換する超信地旋回。これには高度なトランスミッションが必要であり、二次大戦中の戦車でできる車両は限られる。ティーガーやチャーチル、クロムウェルなどだ。

 

「うーん、イギリス製戦車にはいくつか乗ったことあるけど、カヴェナンターの操向装置ってどうだっけ……」

 

 ベジマイトも首を傾げる。今しがた巨大モニターの中で、千種学園のカヴェナンターは現にやってのけた。見間違いではない。

 しかもよく見ると、車体表面が滑らかなような気がする。車体にリベットがほとんどないのだ。

 

「魔改造でもしたのか?」

「いや、魔改造とは言えないな」

 

 亀子の疑問に答えたのは男性の声だった。一同が振り向くと、千鶴とトラビにとっては見知った、背広姿の男がいた。

 

「兄貴」

「やあ」

 

 笑顔で千鶴の隣まで来ると、守保は妹のライバルたちへ目を向けた。この中で面識があるのはトラビと矢車、そして亀子くらいだが、他の者も守保のことは知っていた。

 

「初めまして。八戸タンケリーワーク社の代表、八戸守保だ」

「虹蛇のベジマイトです。どうぞよろしく」

「千鶴から話は聞いています」

 

 朗らかに挨拶するベジマイトに、冷静なカリンカ。戦車女子も多種多様だ。

 守保は一度モニターへ目を向け、カヴェナンターの動きを見守る。素早く滑らかな旋回、そして軽快な加速。行進間射撃を繰り返し、命中弾はないものの敵を撹乱している。少ない訓練期間でも、乗員はそれなりの練度を得ることができたようだ。以呂波の指導力と当人たちの努力の賜物か。若き社長は満足げな笑みを浮かべた。

 

「兄貴が手を貸したのか?」

 

 察した千鶴が尋ねる。如何に千種学園の整備力が優れていても、独力であの車両を改修することはできないだろう。

 

「ああ。我が社の新商品、カヴェナンター改修パックのモニターを頼んだんだ」

「そんなん売れまっか?」

 

 トラビが単刀直入に尋ねたが、それはもっともなことだ。千種学園は少々特殊な状況で、欠陥品でも使わねばならなかった。カヴェナンターのような欠陥戦車をわざわざ改造して使うチームが、他にあるとは思えなかったのだ。カタログスペックはそれほど悪くないが、そこまでするくらいなら普通はクルセーダーを買うだろう。

 だが実のところ、日本ではカヴェナンターを保有する学校が増えていた。

 

「大洗の快挙以降、新規で戦車道を始める学校も増えた。中には悪徳業者に騙されて、カヴェナンターを掴まされた所もあってね」

「……それは自業自得では?」

 

 辛辣な意見を述べたのはカリンカだった。彼女らしいといえばそうだが、他の面々も同意見だった。カヴェナンターのカタログスペックは比較的まともだが、自分たちできちんと調べれば、スペック表に載らない数々の欠陥に気づくはずだ。それを怠り、業者の口車に乗った結果と言える。

 この場にいる少女たちは戦車道に青春をかけ、艱難辛苦に打ち耐えて研鑽を重ねている。「生半可な気持ちでこの道に来るな」と言いたくなるのも、無理からぬことだ。

 

「そう言ってしまえばそうなんだが。高校生を相手に詐欺紛いの商売をしている連中がいる、っていうのは業界人として見過ごせなくてね」

「それで、どんな改造を?」

「簡単に言えば、試作車仕様だな」

 

 守保はモニターを見守りながら、大まかに説明した。

 カヴェナンターは独創的すぎるラジエーター配置の他にも、斬新な設計が多く盛り込まれていた。リベット留めが主流だった車体を溶接で組み上げ、それによって重量をおよそ102kg削減。転輪の素材にアルミ合金を採用することでさらに軽量化。

 

 その仕様で作られた試作一号車は1600kmの走行試験にも耐え、将来の採用を見越してメリット・ブラウン式変速操向装置を搭載した。後にクロムウェルやチャーチルにも採用された高性能トランスミッションだ。

 

 しかし熟練工が丁寧に作った試作車はともかく、量産型となると別の問題が出てくる。溶接工の不足から装甲はリベット留めに戻され、アルミも航空機への供給が優先されたため、転輪はプレス鋼製に変更された。これによって重量が増加した上、理由は不明だが冷却ファンも小型化されたせいで、エンジンのオーバーヒート問題が付きまとうようになった。

 

「その辺を試作一号車に準じた仕様に戻し、ついでにリトルジョン・アダプターで主砲の貫通力を底上げしている。榴弾は撃てなくなるが、まあ40mm榴弾なんて戦車道じゃほとんど使わないだろう」

「つまりあれは、謂わば『真カヴェナンター』ってわけですね」

 

 小さく頷きながら、カリンカが評する。そして、最も大きな疑問を口にした。

 

「それで、人間のオーバーヒートの方は?」

「ラジエーター配管にできるだけ断熱材を被せたから、ちょっとはマシになってる。本当はパイプの構造自体を変えたいんだが、連盟との協議に時間がかかっててな」

 

 それでも認可が下りる見込みはある、と守保は付け加えた。戦車の純然さを重視する者たちは、特殊カーボン以外の競技用改装を嫌う。しかし乗員の安全性のための改造なら、大抵は認可されるのだ。

 そこまで話して、守保は試合の推移に意識を戻した。以呂波の策には彼も一枚噛んでいる。詳細を聞いているわけではないが、妹が何を目論んでいるかは何となく分かった。

 

「テレビに出てたシュトゥルムティーガーも、兄貴の会社の売り物だろ?」

「ああ」

 

 千鶴の問いに短く答える。恐らく彼女は以呂波の策に気づいているのだろう。守保はシュトゥルムティーガーの件について、部外者には一切話していない。それでも察したあたり、やはり千鶴は一ノ瀬家で随一の能力の持ち主なのだろう。もっとも、妹のことをよく知っているからでもあるだろうが。

 

「……西住さんもきっと、もうすぐ勘づくんじゃないかな」

 

 義手を撫でながら呟くベジマイト。彼女の野生の勘は決して超能力の類などではない。少なくとも自分ではそう思っている。あくまでも研ぎ澄まされた感覚によるものだ。そのため試合前から行われていた謀略まで、全て察知することはできない。ただ千種学園がシュトゥルムティーガーを入手したことについて、若干の違和感を感じていた。千鶴から話を聞いて、全て察したのだ。

 

「そもそもこの試合、最大十両ってルールだし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……前衛の指揮を執る澤梓は、トルディとカヴェナンターが本隊を挟み込んだという報せを聞いた。『磯部典子直伝・発煙筒サーブ』のせいでT-35を取り逃がしてから、まだ林の中の捜索を続けていた。

 木々の合間には錆ついたトラックや小型バスなどが点在している。古びた学園艦にはたまにあることで、廃棄車両が放置されているのだ。何となく不気味なものを感じながらも、梓たちは千種学園の待ち伏せを警戒して進んでいた。怪しいところには機銃で探射を行いながら。

 

 千種学園はシュトゥルムティーガーの配置が間に合わず、軽戦車を突進させて時間稼ぎをしようと目論んでいる。みほはそう予想した。標的が入り組んだ地形に入ってしまっては、せっかくの大火力も活かせない。みほたちを平原に釘付けにしようとしているのだろう。

 だが軽戦車が付き纏っている間は、シュトゥルムティーガーの発砲はあるまい。数両を一気に吹き飛ばせる火力なのだから、撃つ前には味方車両を退避させるはずだ。

 

 その前にシュトゥルムティーガーを撃破せよ……副隊長・澤梓に命令が下った。すでに敵が射撃位置に選びそうな場所は予測済みだ。昨日、みほと梓が二人で話し合い、割り出した。そこへ向かっているシュトゥルムティーガーを探し出し、撃たれる前に撃破する。

 

 周辺警戒を厳にしながら、林道を進む。そのとき、斥候を勤める磯部が叫んだ。

 

《いた! 十時の方向! こっちへ向かってくる!》

 

 即座に双眼鏡を手に、木々の合間を見つめる。短めの髪が微かに揺れた。

 

 確かにいる。サンドイエローの、箱型の車体。傾斜装甲を組み合わせた、ヘッツァーと同じようなデザインだ。しかしその前面装甲から突き出た巨砲は、明らかにスケールがことなっている。対艦用の380mmロケット臼砲。それを積んだ車両が、ゆっくりと前進してくるのだ。

 

 戦慄したのは梓だけではない。他の乗員たちも唾を飲み込んだ。だが倒せない相手ではない。自分たちが注意を引き、ポルシェティーガーが背後を取れれば。

 

「こちらウサギチーム、シュトゥルムティーガーを発見! これから……」

 

 本隊へ報告する声は、不意に途切れた。敵の姿に違和感を覚えたのである。シュトゥルムティーガーはVI号戦車I型、すなわちティーガーI重戦車の車体を使っている。梓は大学選抜と戦った際、『義勇軍』のティーガーIを近くで見ることができた。複列転輪も、接地圧を下げるための幅広履帯も見た。

 

 だから気づいたのだ。目の前にいるシュトゥルムティーガーは履帯が細すぎないか、と。

 

「紗希、榴弾込めて。あや、一発撃って!」

「え、もう撃っちゃうの!?」

 

 突然の指示に戸惑いつつも、大野あやは敵へ砲塔を回し、38mm砲の照準を合わせた。丸山紗希が榴弾を手にとって砲尾へ押し込み、スイッチを押す。相変わらずぼんやりとした表情だが、彼女とて人並みの感情はあり、友人たちとは意思疎通ができている。そんな彼女もやや不安げに梓を見ていた。

 

 阪口佳利奈が戦車を停止させる。あやが足元の撃発スイッチを踏み、発砲。細長い副砲が火を噴き、放たれた弾は狙い違わず、サンドイエローの前面装甲に直撃した。シュトゥルムティーガーの正面装甲は厚さ150mmで傾斜付き。38mm榴弾など、塗装が剥げる程度の損傷しか与えられないはずだ。

 

 しかし予想に反し、榴弾はその装甲を貫通した。それどころか、大穴を開けて反対側へ突き抜けた。林の奥で何かに命中し、木々の合間で爆発する。

 

「あっ!?」

 

 誰かが声を上げた。シュトゥルムティーガーの周囲に木屑が舞い散ったかと思うと、大穴の空いた正面装甲が、前のめりにバタリと倒れたのだ。

 そしてその向こうから遥かに小さな、本体が姿を現した。虎の威を借る狐、という言葉を思い出す。

 

「西住隊長、偽物でした! CV.33が化けてました!」

 

 大慌てで方向転換する豆戦車を目で追いながら、即座に報告する。正しくはCV.35なのだが、装甲が溶接からリベット留めになっただけの違いなので、見間違えるのも無理はない。

 八九式が一発撃つ。豆戦車は辛うじて急発進し、直撃を免れた。そして、その直後。

 

《梓ちゃん、右!》

 

 ツチヤの叫びにハッと振り向く。そしてゾッとした。廃棄されていた錆だらけのバスが動き、自分の方を向いたのだ。しかも信地旋回で。

 茂みでよく見えなかったが、そのバスの足は無限軌道だった。次の瞬間、バスの外装が真っ二つに割れた。

 

「サンシェイド!?」

 

 秋山優花里から教わったカモフラージュの名を思い出す。トルディが隠れていたのと同じ仕組みの、サンシェイド(日除け)式偽装装置だった。

 

 ガラリと音を立てて転がった外装の合間に立つのは、トゥラーンIII重戦車。かさ上げされた砲塔から顔を出した大坪と、梓は目が合った。

 

「発進!」

 

 梓が咄嗟に号令をかける。

 

 撃て(トゥーズ)

 大坪の口がそう動いた途端、75mm砲が火を噴いた。

 

 轟音が林の空気を揺さぶり、M3の背後を徹甲弾が掠める。間一髪で急発進が間に合った。エンジンルームの後ろ、排気管のカバーが吹き飛び、無残に地面へ散らばる。しかしエンジンは無事で、この程度で撃破判定はでない。

 

 ポルシェティーガーが砲塔を指向すると、大坪はそれに気づいた。トゥラーンが後退していくと同時に、背後から新たなエンジン音が迫っていた。

 

 

 

 

 ウサギさんチームからの報告を聞き、みほはあることに気づいた。卓越した弾避けのセンスでトルディの襲撃をいなし、情報を整理する。

 準決勝時、千種学園の保有する戦車は八両だった。それに加えて、今間近にいるカヴェナンター巡行戦車と、シュトゥルムティーガーに化けていた豆戦車。これに本物のシュトゥルムティーガーを足せば、全部で十一両になってしまう。この大会は準決勝を除き、車両数は最大十両とされている。

 

 一ノ瀬以呂波はイカサマを行うような人間ではない。共に戦い、それはよく分かっている。彼女の乗るタシュ重戦車や、丸瀬のズリーニィ突撃砲などは未だ所在不明だが、それらを外してカヴェナンターをエントリーするわけがない。マシントラブルでも起きたなら話は別だが。

 

 ならば、考えられることは……。

 

「西住殿、まさか……!」

 

 優花里もまた、みほと同じ結論に至ったようだ。それを察したみほは自分の考えが正しいと確信した。だが今、その正しさは敵の策に嵌ったことの証明でしかなかった。

 

 敵にシュトゥルムティーガーのような大火力車両があると知っていれば、大抵は車両間隔を広く取り、入り組んだ地形へ逃げ込もうとする。つまり、一弾流のテリトリーへ自分から踏み入ることとなる。それでも昨年カール自走臼砲の脅威を味わったみほは、覚悟の上でそのように部隊を動かした。敵がデコイか否か確認し、探射を行うことで偽装を警戒するよう、今日まで練習を重ねてきた。

 

 だが。

 敵地へ潜入して情報を盗むのが有りなら、自分から偽情報を流すのも有り。

 

「前衛の皆さん、すぐに引き返してください! こちらからも向かいます、後衛も続いてください!」

 

 咽頭マイクに指を当て、みほは叫ぶ。

 

 

「千種学園にシュトゥルムティーガーはいません! 以呂波さんは私たちを分断する気です!」

 

 




お読みいただきありがとうございます。

カヴェナンターの操縦装置がバーハンドル型だと分かったので、初期の話もそのように修正してあります。
意図した方向と逆に車体が動くリバースステアリングの原因となったため、並行開発していたクルセーダーではレバー式に直されたようですが、カヴェナンターは何故かそのままだったとか……。
ちなみに「安全のための改造なら大抵は認可される」というのは、第一章のときも書きましたが、アンツィオ高校のセモベンテM41を見て判断しました。
あの車両は射撃時にハッチを開けて換気しないと乗員がガス中毒になるのですが、アンツィオの車両は閉めたまま砲撃しているし、カルパッチョたちも防毒マスクなどはしていなかったので。

では、また次回。
ご感想・ご批評などございましたら、よろしくお願いいたします。


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漸減邀撃です!

 各車両から送られてくる報告を聞き、以呂波は作戦の成功を信じた。このために兄の会社からシュトゥルムティーガーを一日だけレンタルし、偽情報を流した。試合前からこの『幽霊戦車作戦』は始まっていたのだ。

 きっかけは休日に見たHe100戦闘機。メッサーシュミットBf109に敗れ、主力戦闘機の座を手にすることができなかった、マイナーな航空機である。しかし連合国では強力な新型戦闘機として認知されていた。多砲塔戦車NbFzと同じく、ドイツがプロパガンダとして盛んに喧伝したためだ。

 

 千種学園にシュトゥルムティーガーがあると思えば、大洗は車両間隔を広く取るだろう。そして入り組んだ地形を選んで行動するだろう。つまり大洗を分断し、各個撃破する状況を作れる。

 冷静に考えればおかしいと気づくはずだ。千種学園は比較的資金面に余裕はあれど、新興校故に戦車ばかりに金をかけられない。ハイスペックな車両をこうも立て続けに買えるわけがないのだ。380mm砲、それもロケット弾となれば弾薬代だけでも馬鹿にならない。しかし元から珍しい戦車ばかりを揃えている千種学園なら、今更シュトゥルムティーガーが加わったところで違和感は少ない。

 

 そして西住みほたちにはカール自走臼砲の脅威が焼き付いている。さらに船橋というプロパガンダの名人がいれば、きっと彼女を出し抜けると踏んだのだ。以呂波の予想に反し、船橋はシュトゥルムティーガーを大々的に宣伝することはなかった。ただテレビ局の取材時にこれ見よがしに置いておくだけだったが、それでむしろリアリティが出た。

 

 

「上手くいったね、以呂波ちゃん」

「まだマクラが終わっただけですよ、お晴さん」

 

 晴の賞賛に対し、落語に例えて答える。タシュの砲塔に腰掛け、機械仕掛けの義足と、すらりとした左足を投げ出していた。地図を手に戦闘の推移を見守りつつも、その佇まいはどこか優雅だ。木漏れ日の中に停車した戦車とその長い牙が、以呂波の凜とした風貌によく似合う。今の彼女を見て、欠損の痛ましさを感じる者はいないだろう。当人も義足を自分のトレードマークとして、極めてポジティブに考えていた。

 

 しかし、いよいよここからが本番だ。以呂波は勢いをつけ、臀部を軸に体を回転させた。両脚をキューポラから砲塔内に下ろし、車長席に立つ。

 

「主力部隊は敵前衛を殲滅してください。丸瀬先輩は手はず通り敵後衛を迎撃し、可能な限り漸減を。IV号戦車は私が押さえます」

 

 テキパキと指示を伝える。その顔には明らかな喜びの色があった。高揚しているのだ。これから西住みほと砲火を交えるのだから。

 

 加えて、自分の戦車道を試す機会でもある。CV.35と共に回収したタールツァイ流戦車道の資料に、以呂波は一通り目を通した。記されていたのはいかにも騎馬民族らしい機動戦術だった。

 迎撃が主体の一弾流に、機動力を生かした戦法が組み合わされば、より隙のない戦術展開が可能なはずだ。攻撃的な性質を帯びつつある自分の一弾流なら、尚更相性が良いのではと以呂波は踏んでいた。いくら短命に終わった流派だからと言って、一朝一夕で会得できるほど底は浅くない。本格的に練るのはこの大会が終わった後だが、今回の戦術にはタールツァイ流のエッセンスを加えていた。

 

 そして高揚感を覚えているのは彼女だけではない。

 

「……五十鈴さんの戦車……撃ちたい……!」

 

 澪が剣呑な言葉を漏らす。憧れの人物への敬意だった。照準に敵を捉えることに快楽を見出す彼女としては、一刻も早くあの名砲手と撃ち合いたいのだ。

 

「さすがの冷泉さんも驚くかしら」

 

 そう言って微笑を浮かべたのは結衣だった。以呂波や澪たちがみほ、華などから多くのことを学ぶ中、彼女は同じ操縦士である冷泉麻子と今ひとつ噛み合わなかった。人間的に気が合わないわけではない。現に結衣は自分と大きく性格の異なる仲間とも、良好な関係を築けている。しかし『秀才』と『天才』の認識の差は大きかった。

 それでも麻子との出会いは自分にとってプラスだったと、結衣は考えている。いずれ以呂波のように車長をやってみたいが、彼女の脚でいるうちに、あの天才に追いつきたい。操縦手としての目標ができた。

 

「イロハちゃん!」

 

 美佐子が朗らかに笑った。彼女は常に前向きで真っ直ぐだ。以呂波も幾度となく、この笑顔に助けられてきた。

 

「会いに行こうよ、西住さんに!」

「うん。行こう!」

 

 

 44Mタシュ。ハンガリーの鉄獅子が、前進を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして以呂波の命を受けた丸瀬は、小高い丘に陣取っていた。大洗側も高台を警戒していたが、車高の低いズリーニィ突撃砲は視認しにくい。さらに農業学科チームが掘った掩体壕に入り、車体の下半分を隠した上に偽装網を被っている。『カニ眼鏡』と俗称される二股の砲隊鏡を頭上へ突き出し、敵との距離を図る。トレードマークの飛行帽とマフラーを身につけ、臨戦態勢であった。

 河合の乗るカヴェナンターはとにかく動き回り、後衛があんこうチームに合流するのを防ごうとしている。敵の背後から迫ったソキもそれを支援しているが、三八式騎銃では威嚇にもならない。二式擲弾器も積んでいるが、外部からでなくては装填できないため、このようなときは使いにくかった。

 

 ズリーニィの、長い牙の出番だ。

 

「距離1000m、ヘッツァーちゃんを狙え」

 

 命令に従い、砲手が唇を舐めつつハンドルを操作する。箱型の戦闘室に据えられた75mm長砲身が、ポールマウントによって動く。亀マークのヘッツァーを照準器に捉え、やや上に狙いを合わせた。長砲身の砲は自重で垂れているのだ。一発撃つと熱膨張で真っ直ぐになり、二発目を撃つと逆に垂れが大きくなる。砲手はそれに合わせて照準を修正する必要があった。澪が頭一つ飛び抜けているが、千種学園の他の砲手も、それを可能とする練度を持っている。

 

「照準良し」

「装填完了!」

 

 装填手が徹甲弾を砲尾へ押し込み、スイッチを押した。丸瀬はいつものように叫ぶ。

 

「FOX2!」

 

 途端に、耳を劈く砲声。駐退した砲尾の閉鎖器が開き、空薬莢がトレーに転がり出る。

 地面に水を撒いておいたため、発砲で土煙が舞うこともなく、良好な視界を保てた。砲口に陽炎が立ち上り硝煙が燻る中、丸瀬は砲隊鏡に敵ヘッツァーを捉えた。側面に強烈な一撃を受け、小ぶりな車体がぐらつく。重心が低いため横転こそしなかったが、75mm弾は薄い側面装甲を貫通していた。上面から白旗が揚がるのを、丸瀬はしっかりと見届けた。

 

「撃破確認!」

「どうする? まだ撃つか?」

「いや、位置がバレた」

 

 操縦手の問いに短く答える。敵後衛の一両、アリクイさんチームの三式中戦車が、こちらへ砲を指向していたのだ。今の不意打ちでも発砲炎を確認してくるとは、さすが大洗、修羅場を潜っているなと感心する。いつまでも同じ場所には止まれない。

 エルヴィンのIII突はカヴェナンターの突撃をいなしながら、なんとか西住みほに合流しようとしている。今のうちに移動し、射撃位置を変えるべきだ。幸い三木の九五式装甲軌道車ソキから、敵の位置の情報が得られる。

 

「側面をさらさず後退し、丘の稜線に引っ込め」

「了解」

 

 慣れた手つきでギアを切り替え、操縦手はズリーニィIを後退させた。履帯が地面を踏みしめ、掩体壕から脱出する。

 

「戦車は宙返りできないが、バックできるのは飛行機より便利……」

 

 減らず口を叩いた途端、ガツンと殴られたような衝撃が走った。鈍い金属音が響き、丸瀬たちは咄嗟に受け身を取る。弾を喰らったか……額に汗が浮かぶ。しかし幸いにも、彼女たちのズリーニィ突撃砲は脚を止めず、後退を続けていた。

 

「……非貫通?」

「そのようだ……」

 

 訪ねてくる装填手へ笑みを向け、丸瀬はハッチから顔を出した。

 発砲したのは三式中戦車チヌだった。九〇式戦車砲は日本戦車としては高威力だが、幸いにも厚さ100mmある戦闘室上面に命中していた。徹甲弾は主砲の右側に突き刺さり、装甲の厚みによって受け止められていた。近くのリベットが何本か、被弾のショックで弾け飛んでいる。戦時中にはこうして外れたリベットが車内を跳ね回り、乗員を殺傷することもあった。競技用戦車では安全対策が為されているため、リベット留め装甲のデメリットは軽減されている。

 

 撃破判定は出なかったものの、丸瀬は再び舌を巻いた。三式中戦車は照準と撃発を別々の乗員が担当する構造で、扱いが難しい。それにも関わらず、前方投影面積の小さいズリーニィへよく当てたものだ。乗員・アリクイさんチームの練度が伺える。

 

 周囲を入念に警戒しつつ後退を続け、稜線を越える。古き時代の戦闘機乗りがマフラーを巻いていたのは、『首が飛行服の襟に擦れるのを防ぐため』という意味があった。つまりそのくらい念入りに周囲を見回さなくてはならない、ということだ。周辺警戒が重要なのは戦車乗りも同じである。

 

 航空学科の丸瀬は戦闘機の戦いと戦車戦を時折混同する。しかしその発想は時に良い結果を生むこともあった。特にエンジン不調が死に直結する飛行機乗りなだけあって、整備点検の徹底ぶりは以呂波からも賞賛を受けた。

 さらに彼女たちは愛車に加速力重視のチューンを施し、迎撃機(インターセプター)仕様と称した。無砲塔戦車は車高の低さを活かし、伏撃で戦うのが定石ではあるが、座して敵を待つばかりでは固定砲台と同じだ。必要とされる場所へ急行して敵を迎え撃つ、迎撃機でなくてはならない……それが丸瀬の考えだった。

 

「信地旋回で反転。稜線に隠れつつ、敵の背面へ回り込む。大坪たちの所へ行かせるな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして。

 大坪らに待ち伏せされた大洗前衛部隊は、激しい砲火に晒されていた。潜んでいたのはトゥラーンIII重戦車だけではない。マレシャル駆逐戦車、そしてSU-76iもサンシェイド(日除け)によって廃車に化けていたのだ。

 鋭い反射神経で初撃を回避したものの、M3、八九式、ポルシェティーガーの三両は挟撃を受ける形となった。みほから合流の指示を受け、小隊長たる梓が命令を下す。

 

「横道へ逃げます! レオポンさんは煙幕を!」

《了解!》

《了解、副隊長!》

 

 八九式はブレーキレバーを使った信地旋回で、M3は緩旋回で右へ転回する。枯れ木を履帯で踏み倒しつつ脱出を図る。ポルシェティーガーは後部から煙幕を噴射しつつ、敵に正面を向けたまま後退した。重装甲で盾になろうという判断だ。

 しかしジャーマングレーの車体が煙へ身を隠した直後、断続的な銃声が響いた。アンシャルド軽戦車だ。一度退いた後戻ってきたらしい。シュワルツローゼ機関銃から放たれる曳光弾が、光の雨となって煙幕の中へ飛び込む。

 

 梓はハッとした。曳光弾がポルシェティーガーの装甲に当たって跳弾し、光が煙の中に弾けていたのだ。つまり、そこに戦車がいるという目安だった。

 

 SU-76iが発砲。T-34/76とほぼ同じ主砲のため、ティーガーを相手にするには貫通力が足りない。

 しかし曳光弾を頼りに放たれた一撃は偶然にも、虎の脚を捉えた。鈍い音とともに金属片が弾け飛ぶ。

 

「ツチヤ先輩!?」

《履帯やられたっぽい。できるだけ粘るから逃げて~》

 

 いつも通りの無頓着な声だった。しかしツチヤは覚悟を決めていた。ポルシェティーガーの88mm砲が敵へ向いていれば、動けなくとも牽制にはなる。梓たちが逃げる時間を稼げるはずだ。

 しかし梓の心には躊躇いが浮かんだ。

 

 仲間を見捨てて行くのか?

 それも火力・装甲では自軍でトップの、ポルシェティーガーを。

 しかし敵前で履帯の修理など不可能だし、牽引して逃げ切ることもできない。

 

《澤副隊長! 迷うなッ!》

 

 インカムに響いた怒号が、彼女の悩みを吹き飛ばした。どきりと心臓が跳ね、反射的に声の方を見る。八九式のキューポラから顔を出した磯辺が、拳を掲げて見つめていた。アヒルさんチームはM3を追い越さず、背後について守っていたのだ。

 

《このままでは共倒れになる!》

「……そうですね」

 

 梓が決心を固め、それを察した阪口佳利奈がアクセルを踏み込んだ。M3リーの異形の車体が加速し、それに八九式が続いた。

 

「全力で西住隊長との合流を目指します! ジグザグに動きながら煙幕を!」

 

 二両は回避運動を取りながら、煙に紛れて遁走を図った。背後で88mm砲の咆哮が聞こえる。

 

 ふと、梓の脳裏にある人物の姿が浮かんだ。

 大学選抜との戦いに駆けつけてくれた、かつての敵手の一人。仲間たちの自己犠牲によって窮地を脱した、あの小さな暴君のことを。身長に比して態度の大きい彼女が、その後は別人のように萎んでいた。

 

「……こんな気持ちだったんだ」

 

 自分の無力さ。心苦しさ。仲間の笑顔の眩しさ。

 それらを噛みしめつつ、梓はみほたちの元を目指した。

 

 

 

 

 ……マレシャル駆逐戦車、SU-76iはズリーニィと同様、迎撃機(インターセプター)仕様に改造されていた。丸瀬の見識を以呂波が認めたためだ。

 挟撃で敵を仕留められなかった際の計画も、予め立てられていた。強化された加速力を以って、無砲塔戦車二両は先回りして第二のキルゾーンへと向かう。

 

 手負いの虎を仕留めんとするのは、ハンガリーの駿馬だ。

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
シュトゥルムティーガーの活躍を期待してらした方には申し訳ありません。
オリ主が原作キャラを策に陥れるというのは、人によっては許し難いことだろうと思うので、『戦いの前から自軍有利の状況を作っておく』という形になりました。
次回もお楽しみにしていただけると幸いです。


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大打撃です!

 大戦中、ヨーロッパ戦線では虎恐怖症(ティーガー・フォビア)という言葉があった。ティーガーI重戦車の脅威を目の当たりにした連合国の戦車兵が、角ばった形状の物を反射的に砲撃したり、他のドイツ戦車をティーガーと誤認して逃げ惑うなど、恐慌状態に陥ったという。

 そのような神話から、ティーガーが盲目的に高く評価されているのも事実だ。どんな戦車にも欠点はあるし、そもそもこのような重戦車はドイツ軍の機動戦ドクトリンから外れた存在なのだ。しかし熟練した乗員の操る虎が、相手にこの上ない恐怖を与えることも、また事実だ。

 

 真の猛虎になり損ねたポルシェティーガー、それも脚を損傷した手負いの虎であっても。

 

「いけるかな……?」

「大丈夫。落ち着いてかかれば仕留められるわ」

 

 友人たちを励ましつつ、大坪がポルシェティーガーを見やる。幅広の履帯は弾け飛び、外れた大径転輪が地面に転がっていた。しかしその無骨かつ重厚な姿は尚も威圧感を放ち、88mm砲をこちらへ指向している。手負いの獣の覚悟が見えた。

 通常なら側背を取るべきだろう。ティーガーとて全体の装甲が分厚いわけではない。ましてや履帯を損傷している。弱点を狙える位置へ回り込めば、確実に仕留められるはずだ。

 

 しかし大坪はそう考えなかった。ガス・エレクトリック方式という特徴を活かした、ポルシェティーガーの緊急加速装置。回数制限はあるが、それが砲塔の高速旋回にも使えるということを、改良を手伝った出島、椎名たちから教わったのだ。走行が電気モーター式なら砲塔旋回も同じであり、同じ仕組みで旋回を加速できる。現に準決勝ではそれを利用し、危機を脱した。

 トゥラーンIIIが側面へ回ろうとしても、88mm砲はその動きを追えるだろう。さらに周囲は林であり、長砲身の戦車で動き回るのは困難だ。そして時間をかけてはならない。すぐに仲間たちへ追従する必要がある。

 

 大坪は敢えて、リスクの高い選択を下した。

 

「正面装甲を抜くわよ!」

了解(ヨー)ッ!」

 

 乗員たちも覚悟を決めていた。ポルシェティーガーの精悍なシルエットに相対すると、トゥラーンIIIの姿は酷く不恰好に見えた。砲を40mmから短砲身75mm、そして長砲身へと換装したため、砲尾が天井につかえないよう砲塔を嵩上げしている。そんな間に合わせの改良のせいで、戦車の外観はあまり美しくない。加えて砲弾も大型になったため、搭載量はIV号戦車の半分程度だ。それでも大坪たちはこの戦車を愛していた。

 

突撃(タマダーシュ)!」

 

 操縦手がレバー二本を前に倒した。駆動輪が回転し、履帯が戦車を前に運ぶ。鋼の騎兵(ユサール)が歩み出した。

 例え正面装甲でも、至近距離から撃てば十分貫通できる。必要なのはそこまで踏み込む勇気と、相手の発砲に対する見切りだ。千種学園の誰もが、以呂波が練習試合で見せた射弾回避技術に驚嘆し、それを体得すべく訓練を重ねた。もっとも上手いのは船橋だったが、大坪とて苦手ではない。元々反射神経は優れているのだ。

 

 角ばった砲塔が回り、88mm砲がトゥラーンへと向く。その砲口をじっと見つめ、回避のタイミングを測る。

 僅かな時間が、酷く長く感じた。僅かな間の読み合いだ。

 

 砲口が黒い真円に見えた瞬間、大坪は操縦手の左肩を蹴った。

 刹那、砲声。大坪の眼前に大きな発砲炎が広がる。虎の咆哮が砲塔を叩き、乗員たちは咄嗟に受身を取った。凄まじい衝撃だった。車長用ハッチに手を着いて耐えながら、大坪はシュルツェンが後方へ吹き飛んでいくのを感じる。

 

 やられたか? 否、愛馬は脚を止めない。

 

 88mm徹甲弾とて、入射角が浅ければ簡単に弾かれる。大坪と操縦手の手綱捌きが一瞬早く、紙一重の差で回避が間に合ったのだ。砲塔右側面のシュルツェンは全てもぎ取られ、砲塔に描かれた千種学園の校章も削り取られている。装甲も凹んでいるが、貫通判定は出ていなかった。

 

「停止ッ! AP!」

 

 操縦手がブレーキをかけた。急制動の荷重に耐えながら、装填手は徹甲弾(AP)に手を伸ばす。虎は目と鼻の先だ。硝煙と陽炎の燻る砲口が間近にある。ツチヤは砲塔内に身を収めていたが、ペリスコープ越しにトゥラーンを見つめていることだろう。

 しかしこの距離なら、ポルシェティーガーの正面を貫通できる。履帯が切れている以上回避できないはずだ。

 

 平面の砲塔正面に、75mm砲を突きつける。

 装填手の拳が砲弾を薬室へ押し込み、鎖栓が閉じる。

 スイッチが押され、発射準備が整った。

 

「装填完了!」

撃て(トゥーズ)!」

 

 号令の直後、砲手が撃った。その一撃が虎を貫くと確信して。

 だが。放たれた徹甲弾は弾かれた。大坪のみならず、照準眼鏡を覗く砲手も目を見開いた。

 

 ツチヤら大洗自動車部の臨機応変さは流石だった。件の緊急加速装置を始動し、ポルシェティーガーの砲塔を一時方向へ回したのだ。つまり装甲を相手に対して斜めに向け、強制的に避弾径始を生み出したのである。斜めに着弾した75mm弾は正面装甲を滑り、虎の後方へと受け流された。

 車体を狙うべきだった。しかし後悔する時間もない。

 

「次弾装填! 急いで!」

 

 号令に弾かれるかのように、装填手は弾薬ラックの弾へ飛びつく。虎の牙が再びトゥラーンへと向いた。

 装填手が実包を抱え上げる。二両の戦車が牙を向け合う。

 

 砲弾が薬室へ収められた。

 

撃て(トゥーズ)ッ!」

 

 ポルシェティーガーは砲塔を旋回しながらの装填だったこと。そして75mm弾の方がいくらか軽かったことが、装填速度の差を生んだ。

 大坪の号令が先んじ、75mm長砲身が再び火を噴く。至近距離から放たれた一撃が、今度こそ虎の正面へ垂直に突き刺さった。

 

 砲煙が燻り、発砲で生じた陽炎が景色を歪める。それらがゆっくりと晴れたとき、ジャーマングレーの砲塔に確かな弾痕が穿たれていた。そして白旗が翻る。

 

《大洗・ポルシェティーガー、走行不能!》

 

 アナウンスを聞いたとき、大坪は自分が汗まみれということに気づいた。極短い時間ではあったが、互いに次の手を読み合いながらの攻防。以呂波や西住みほは幼い頃から、このような技術を磨いてきたのだろうか。凄まじい緊張感だった。

 されど、爽快。

 

「……行きましょう」

 

 ブレーキレバーを引いて片側の履帯回転を止め、信地旋回で向きを変える。そのままポルシェティーガーの脇を通り抜け、トゥラーンIII重戦車は走り去った。

 

「こちら大坪、ポルシェティーガーを倒したわ。澤さんたちを追撃するね」

 

 報告しつつ、後ろのポルシェティーガーを見やる。足を止められても、仲間を逃がすため立ち塞がった猛虎。その姿は敗れて尚堂々としていた。

 その姿に敬礼を送り、大坪は額の汗を拭った。

 

 

 

 

 M3リーと八九式。二両の逃避行の中、澤梓は虎が倒れたという報せを聞いた。悔しさに歯噛みするが、慌てて表情を取り繕う。丸山紗希が心配そうに自分を見上げてきたからだ。車長の態度はクルーの士気に影響する。

 

「西住隊長、今そっちに……」

 

 咽頭マイクに手を当て、状況を連絡しようとしたときだった。梓は左手側の木々の合間を見て、ハッと気づいた。そこに微かな土煙が見えたのだ。

 

「停止!」

「あいぃぃ!?」

 

 佳利奈が慌てて急ブレーキをかけた直後。砲声と衝撃がM3を揺さぶった。75mm砲弾が前面装甲を掠め、オリーブ色の塗装が削り取られる。

 梓らの頬を冷や汗が伝う。茂みが吹き飛び、その裏に潜んでいたマレシャル駆逐戦車の平たい姿が見えた。まさかこんなにも早く先回りしてくるとは。丸瀬の発案による迎撃機(インターセプター)仕様の駆逐戦車は、極めて迅速に展開していたのだ。先ほどまで車体を旋回させ、照準を合わせていたため、僅かに舞い上がった土煙で気づくことができた。

 

 マレシャルはすぐさま後退した。初弾で仕留められなかった以上、その場に止まって撃ち続けるには装甲が足りない。戦車乗りは諦めの良さも知らなくてはならないのだ。

 

「発進して!」

 

 梓もまた、反撃よりも脱出を優先した。自分たちが合流しなくては本隊も退避できないのだ。しかしそのとき、後ろを走っていた八九式が突然右へ転回した。

 

《ド根性ーーッ!》

 

 磯部の叫びの直後、国防色の八九式が緑の藪へ突っ込んだ。刹那、重い衝突音が響く。磯部は右の茂みにもう一両の駆逐戦車……SU-76iが伏せていることに勘づき、体当たりを敢行したのである。

 直感的な判断だが、それが正解だった。SU-76iはすでに発射態勢に入っていた。衝突によってオリーブ色の車体が大きく振れ、砲が火を噴く。砲手がすでに発射ペダルへ足をかけていたのだろう。放たれた76.2mm弾は狙った的から大きく逸れ、空を切った。

 

 そして磯部は尚も、愛車を敵へ密着させた。

 

《ウサギさん、早く行くんだ!》

 

 その声に、梓より先に佳利奈が反応した。アクセルを踏み込み、ずんぐりとしたM3リーが脱兎の如く加速する。彼女もまた直感で動くタイプだった。加えて磯部の声には強い覚悟があった。

 

 敵はまだ再装填中。その隙を狙って走り抜ける。

 梓は思わず後ろを振り返った。八九式はSU-76iに密着し、相手の攻撃から身を守っている。無砲塔のSU-76iはこうなると対処できないし、マレシャルも味方に密着している相手を撃つのは難しい。

 

 八九式はマレシャルへと砲塔を回し、撃った。しかし短い砲身から放たれた57mm弾は、マレシャルの深く傾斜した装甲に弾かれてしまう。それでも離れようとするSU-76iへ必死で食らいつき、抵抗を続けている。ウサギさんチームを逃すために。

 

《今度は私たちが食い止める! 走るんだ!》

「磯部先輩! どうしてそこまで……!?」

《あなたが副隊長だからだ!》

 

 その叫びに、梓はハッと我に返った。昨年度、みほから副隊長に指名されたとき、彼女は戸惑った。年長の磯部やエルヴィン、カエサルなどの方が良いと考えたのだ。しかしその当人たちもまた、梓を副隊長に推した。

 全ては自分たちが卒業した後のためである。梓に指揮官としての経験を積んで欲しいというのが、先輩たちの願いだった。

 

 最初は生徒会のプロパガンダや、その場のノリで始めた戦車道も、今や彼女にとって生活の一部となっている。そして来年は自分がその先頭に立つ。悲しんでいる暇はない。相手の隊長は自分より年下で、さらに隻脚というハンデを物ともせずチームを仕切っているのだ。

 

 負けてはいられない。ここで立ち止まるわけにはいかない。

 任された小隊を喪い、恥を忍んででも。

 

「……優季、煙幕張って……!」

 

 背後からトゥラーンのエンジン音が迫るのを感じ、号令を下す。梓は平静を保つよう努めた。しかしその声に混じった涙を、仲間五人は感じていた。これは戦争ではなく戦車道であり、撃破された仲間とも試合後にまた会える。だがやはり悔しかった。みほから小隊を任され、このような結果に終わることが。

 

 通信手席のスイッチが押され、車体後部から煙が吹き出す。佳利奈の操縦によって戦車は蛇行し、煙が左右に広がった。M3の操向装置は曲がる方向の履帯を減速させ、反対側を増速させる差動式だ。信地旋回はできないが、緩旋回は容易である。

 

 八九式が、それに描かれたアヒルのマークが、煙の向こうに消える。敵戦車の姿と共に。

 梓は袖で目元を拭い、前へと向き直った。M3リーは疾走する。自動車部のチューンナップにより、多少無茶をしてもエンジンは保つようになっていた。佳利奈はスピードを出したまま旋回を繰り返し、木や廃車を避けて猛進する。彼女もまた、目に涙を浮かべていた。

 

 

《……トスは上げた。アタックはあなたが》

 

 刹那、砲声。背後に重い音が響いた。

 続いて聞こえたのは、審判の声だった。

 

 

《大洗・八九式中戦車、走行不能!》

 

 

 

 

 

 

 

「……大打撃」

 

 次々と舞い込んでくる敵撃破の報に、以呂波は車内で笑みを浮かべた。今しがた砲弾を装填した美佐子もまた、彼女に明るい笑顔を向ける。

 

 大洗は前衛との合流を試みていた。それを阻止し、あわよくば大将首を取るため、以呂波の駆るタシュ重戦車は前進した。大洗の後衛には位置を変えながら狙撃を行うズリーニィI突撃砲、動き回って撹乱するカヴェナンター巡航戦車が付きまとう。西住みほの直掩に着いているのはルノーB1bisのみ。それも船橋の操るトルディ軽戦車に手を焼いている。

 

「目標、敵フラッグ車」

 

 林の中から敵を見やり、以呂波は冷静に命令を下した。立ち上る煙幕の中、時折光る砲火。砲煙も燻り、土煙が巻き上がる。射界は良好とは言い難い。ズリーニィIを駆る丸瀬からも、そう報告を受けていた。

 そんな中、澪は微笑さえ浮かべ、砲塔の旋回ペダルを踏んだ。車種によるが、大抵の戦車の砲塔はべダルを踏み込んで旋回させ、ハンドルで微調整する。また砲手がその操作を止めても、惰性で少し余分に旋回する。狙う場所で停止させるには技術が必要だ。

 

 しかし澪はペダルの操作だけで、土煙の中を走るIV号……正確にはその未来位置に照準を合わせた。これが初弾になるため、砲身の垂れを考慮して狙う。遮蔽物のない平原だが、煙幕と土煙で視界は悪かった。それでも澪の目は敵を捉える。

 

「撃て!」

 

 以呂波が命ずるほんの一瞬前、みほはIV号のキューポラからタシュの方を見ていた。

 撃発ペダルが踏み込まれ、電気式雷管で火薬に着火する。撃針を叩きつける機械式の撃発と違い、砲にブレが生じない。放たれた徹甲弾は後に硝煙と光を残し、目標のIV号戦車へと飛翔する。

 

 だがその一撃は、敵将を仕留めるには至らなかった。相手が急制動をかけたためである。75mm徹甲弾は虚しく空を切り、IV号戦車の正面を通り抜けていった。

 生物特有の勘や本能というものは馬鹿にできない力だ。ベジマイトなどは極端な例だが、これらは超能力の類ではない。歴戦を経た戦車乗りなら必ず持っているし、他のスポーツ選手でもそうだ。タシュはそこまで入念に偽装していたわけではないが、林の中から狙ってくる戦車の存在を、みほは察知できたのだ。

 

「……気づかれた。発進」

 

 さすがに以呂波は冷静だった。初弾を外したら突撃に移ると、予め決めていた。今回は彼女のタシュこそがフラッグ車であり、その姿を敵前にちらつかせることで注意を引くのだ。そうすれば相手の合流をさらに遅らせることができる。

 結衣が二本のレバーを倒し、アクセルを踏み込んだ。タシュが前進すると同時に、IV号戦車は砲塔を指向してきた。この状況下で迷わず反撃を試みるとは流石だ。

 

「来るよ。回避用意」

「いつでもいいわ」

 

 結衣もまた落ち着いていた。操縦手は車長の次に戦術的思考が必要になる。初陣では動揺を隠せなかった彼女も、今は強敵を相手に平常心を保っていた。操向レバーを握り、以呂波の号令を待つ。

 IV号の砲がタシュを狙う。二人の戦車長は目が合った。その瞳の間に何があるのか、それは当人たちにさえ分からない。互いに見つめ合いながらも、砲口の向きは捉えていた。

 

 今。

 

 車長の義足が肩を蹴った瞬間、結衣が左のレバーを引く。タシュが緩旋回した瞬間、IV号の砲塔がキラリと光った。

 砲声と暴風を伴い、タシュの脇を砲弾が通り過ぎていく。さすがに正確な射撃だったが、以呂波の回避もまた正確だ。しかし彼女はある違和感を感じた。

 

「……音が違う……?」

 

 僅かに眉を顰め、IV号戦車を見やる。以呂波の耳は気づいていた。今の砲声が、48口径75mm砲KwK40の音ではないと。準決勝に向けて合同訓練をした際、そろそろ砲身が限界に近い、という話をみほから聞いていた。近々新品に変えるとも言っていたが、同じ砲を使っているとは限らない。

 何か気になる。戦車隊長としての直感がそう言っていた。しかし砲の種類を見極められる距離まで接近するのは危険だ。フラッグ車であるタシュが撃破されれば、今までの調略も努力も水泡に帰すのである。

 

 だが幸い、適任者がいた。

 

「お晴さん、船橋先輩に連絡してください」

 

 話しながらも義足で結衣の肩を蹴り、戦車を旋回させる。敵へ接近しすぎないよう、距離を保つのだ。場合によっては再び林へ隠れることもできる。

 そして船橋には、危険な任務を命じなくてはならない。

 

「敵フラッグ車の戦車砲を、写真に撮ってください……と!」

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。
ようやく更新できました。
ちょっと仕事が大変な時期でして。
もうすぐ新人が入ってくるから頭数は揃うんですが……。
それでも空いた時間で書いていきますので、よろしくお願い致します。

あと前回の活動報告にオリキャラのソウルネームを書いてみたりしたので(前から書いてあったけど)、お暇のある方はご覧ください。


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大洗の切り札です!

 千種学園が立て続けに三両を撃破した。同校の整備所(ピット)ではサポートメンバーたちが歓声を上げ、観客席では吹奏楽部が盛んに演奏していた。

 練度において、千種学園は大洗に及ばない。試合前から有利な状況を作っておくという、以呂波の策が功を奏したのである。『天の時』を作り出した妹の手並みに、観戦する千鶴も笑みを浮かべた。

 

「そうさ、以呂波……それでいい」

 

 しみじみと呟く千鶴を見て、守保はふと微笑ましい気分になった。自分が千鶴の面倒を見ていた時期が長かったので、彼女のことはよく分かっている。以呂波への嫉妬心も知っていた。だがそれも吹っ切れたか、または受け入れることができたのだろう。以呂波は自分の大事な家族であるのと同時に、競うべき好敵手だということを。

 他の面々も千種学園の奮戦と策に舌を巻いている。その中でもベジマイトは楽しげに、そして興味深げに観戦しつつ、思ったことを口に出した。

 

「よくよく考えてみれば、一年生があれだけチームを統率できているのも凄いよね」

「夫れ主将の法は務めて英雄の心を攬り、有功を賞禄し、志を衆に通ず」

 

 スクリーンから目を離さずに唱えたのは、カリンカだった。

 

「故に衆と好を同じうすれば成らざるは靡く、衆と(にくみ)を同じうすれば傾かざる靡し……私たちもそうやってチームを率いているわ。同じことよ」

「『三略』を読んでいるのかい?」

 

 守保が興味深げに尋ねた。『三略』は中国の兵法書で、『孫子』『呉子』『六韜』などと並び武経七書の一つに数えられる。カリンカが引用したのはその冒頭部であり、人心掌握の重要さを説いた言葉だ。戦国大名の北条早雲はこれを聞いたのみで兵法の極意を悟ったという。しかし現代戦やビジネスにも応用される『孫子』と比べ、今となってはかなりマイナーな書物だ。

 

「千鶴が読んでいると言うから、興味が出て買いました」

 

 淡々とした答えを聞き、守保は理解した。千鶴は意外と読書家であり、兄が家に置いていった本を読み漁っていたのである。

 カリンカは戦車道歴が浅いにも関わらず隊長にのし上がった才女だが、天才というより秀才に近いのかもしれない。ライバルである千鶴からも貪欲に学び取ろうとしているのだ。単なる友情や競争意識では終わらない、戦車女子独特の交流である。

 

 そのときだった。誰かがスクリーンを見て「あっ」と声を上げる。今まで動き回っていたカヴェナンター巡航戦車が、突如足を止めたのだ。丁度、砲撃によってできたクレーターにはまり込んだ状態でだ。見る者が見れば、『動かない』のではなく『動けない』のだと分かる。

 

「やっちゃったか……」

 

 守保が呟いた。着弾によって地面が脆くなった場所に、履帯がはまり込んだのである。脱出しようと履帯を回転させるほど、足回りがズブズブと地面にめり込んでいく。

 

「まあ、あんな足回りじゃしゃーないわ」

「うん、しょうがないね。見るからに接地圧高いもん」

 

 トラビとベジマイトが口々に言う。カヴェナンター改修キットを提供した守保も、こればかりは仕方ないと思っていた。

 カヴェナンター巡航戦車の足回りは上部支持転輪を持たず、大径転輪のみで車重を支えるタイプだ。この方式は高速走行に向き、転輪の数を減らせるので整備が楽というメリットがある。反面、転輪部の接地圧が高くなるため走破性は悪く、T-34などは幅広履帯と高トルクエンジンでそれを補っている。

 しかしカヴェナンターは鉄道で輸送するため履帯幅が狭く、転輪の間隔も広いため、軟弱地に足を取られても仕方ない。だが乗員からすれば「仕方ない」では済まない話だ。

 

 敵中での擱座。あの欠陥戦車もとい、千種学園の守護神も万事休すか……そう誰もが思ったときだった。千種学園の保有するもう一両の軽戦車が、大洗のIV号戦車目掛けて突撃を始めたのだ。

 敵の注意を惹き、カヴェナンターを守るつもりかと思われた。しかし砲塔から身を乗り出した車長の姿を見て、そうではないことに気づく。

 

 亀子が思わず笑った。

 

「あいつ、カメラ構えてらァ!」

 

 

 

 

 

 

 

 ……船橋にとっての写真撮影は、以呂波にとっての戦車道と同じようなものだった。違いを挙げるならば、船橋は親がカメラマンというわけではないことだろう。彼女と写真の出会いは偶然だった。だからこそ、船橋は尚更その生き甲斐を手放せない。

 

 西住みほ相手の写真偵察、しかも戦車砲の型式が分かる写真を撮れという難題。それにも関わらず、楽しげにカメラのファインダーを覗く。愛用のカメラにはカービン銃のような肩当てが付けられていた。出島に頼んで作らせた物で、これなら揺れる戦車上でも安定して構えられる。

 彼女の目は被写体のみを見据える。代わりに仲間たちの目が、トルディIIa軽戦車の進路を見守っていた。

 

《船橋さん、右からB1が狙っています!》

 

 動けないカヴェナンターから河合が警告した。擱座した状態だが、幸い大洗側はカヴェナンターにトドメを刺す余裕はない。後続のIII号突撃砲と三式中戦車は丸瀬、三木らが足止めしており、IV号とB1もより危険度の高いタシュとトルディを警戒している。

 

「回避用意」

 

 船橋はちらりと右側を見やる。ルノーB1bisが砲塔をこちらへ指向していた。車体を十一時の方向へ向けて避弾経始を作ると同時に、急所のラジエーターグリルがある左側面を隠している。砲塔は一人乗りのため車体の割に小さく、曲面的な鋳造装甲もコンパクトな印象を与えていた。

 

 その砲塔から突き出した47mm砲SA35が、トルディを狙う。車体の75mm短砲身は榴弾砲であり、対戦車用の本命はこの47mm砲だ。軽戦車であるトルディ程度なら十分に撃破できる。しかし敵の射線を見切ることに関して、船橋は以呂波に匹敵する技術を身につけていた。一瞬のシャッターチャンスを逃さない観察眼が、その能力の根底だ。

 砲口が黒点に見えた後、相手の偏差射撃のタイミングを計る。

 

「停止」

 

 命じる声は静かだった。操縦手が全力でブレーキをかけ、急減速によって土煙が舞い上がる。刹那、徹甲弾が眼前を通過した。

 急停車によるGの中でもカメラを手放さなかった。ストックをしっかりと肩に当て、再びファインダーを覗く。親指でズーム操作を行う。距離は十分詰まっていた。被写体はジグザグに動き続けるIV号戦車、それも砲身部。不規則な動きだが、動物写真も撮っている船橋は慣れっこだ。

 

 ルノーB1bisは一人乗り砲塔のため、再装填には時間もかかる。船橋は落ち着いて狙いを定めた。動けないカヴェナンターも砲を撃ち続けて相手を牽制している。IV号の方も攻撃よりも回避を優先していた。

 

 シャッターを切る。立て続けに三回、ストロボが光った。

 

「発進! 右へ転回して離脱よ!」

 

 操縦手が滑らかな足さばきでクラッチを繋いだ。ハンドルを捻り、アクセルを踏み込み、愛車を発進させる。制式採用された戦車で初めて捻り棒(トーションバー)式サスペンションを搭載したのは、スウェーデンのL-60軽戦車だ。トルディはそのライセンス生産型であり、路外機動性は良い。40mm砲の搭載で速度は若干落ちているが、十分良好な機動性を発揮できた。

 みほがちらりと船橋を見る。一瞬目が合ったが、船橋は即座にカメラのストックを折りたたみ、砲塔内に身を収めた。敵の動きを見るため顔だけはハッチから出している。

 

「確認して!」

 

 ストラップを首から外し、カメラを砲手に渡した。自分は操縦手の肩を蹴って方向を指示しながら、周囲の見張りに徹する。

 砲手が大急ぎでカメラを操作し、画面に写真を表示する。小豆色に塗装された長い砲身。その先についた、細いスリットの入ったマズルブレーキ。戦闘の最中の撮影にも関わらず、ブレは僅かだった。

 

「お見事です、委員長!」

 

 部下の歓喜の声を聞き、船橋は任務の成功を知った。

 だが喜びを噛み締めるのは後だ。味方から通信が入ったのである。

 

《こちら大坪! すみません、澤さんに逃げられます!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウサギさんチームは合流に成功した。掠めた砲弾によってオリーブ色の塗装はボロボロになり、側面に描かれたウサギマークも片耳が剥げ落ちていた。

 その後ろから快速のアンシャルド豆戦車が追い上げてくる。水冷式のシュワルツローゼ機関銃からは湯気が立ち上っていた。続いてトゥラーンIII重戦車、マレシャル駆逐戦車、SU-76i自走砲が林から飛び出してきた。

 

《西住隊長、すみません!》

 

 後輩の声を聞いても、胸を撫で下ろしている暇はない。三両を一方的に撃破され、相手は十両。T-35を除く、千種学園の全車両が集結しているのだ。このまま平原にいては的になるだけである。

 みほの頭の中ではすでに、逃げるルートが組み立てられていた。急停車でタシュの砲撃を回避した直後、全隊へ命令を下す。

 

「大至急撤退し、艦首側へ向かいます!」

「カバさん、アリクイさん、援護できますか!?」

《無理だ! ソキ車とアフリカの星に狙われている!》

《さすがに芋ってるだけのNoob駆逐とは違う……!》

 

 沙織の問いかけに、エルヴィン、ねこにゃーが応答する。まずはズリーニィを排除せねばならない。みほが彼女たちの方向を省みた。彼女は運に恵まれたと言うべきだろう。後衛との距離は約五百メートルだが、そのさらに後方の高台に、ほんの小さな光を確認できたのだ。幼い頃から戦車に慣れ親しんだみほは、それが発砲炎だと気づいた。

 双眼鏡で凝視すると、車高の低い突撃砲のシルエットが何とか見えた。さすがに陣地転換する度に偽装する余裕はなかったらしい。千種学園のズリーニィI突撃砲である。

 

「華さん! 三時方向、約千四百メートル先の盛り上がった場所にズリーニィがいます! 撃破して退路を開いてください!」

「お任せください」

 

 照準器を覗きつつ、華は逡巡なく返事をした。活花と同じく、彼女にとっては全てが真剣勝負だ。砲塔旋回ペダルを踏み、シュルツェンで囲まれた砲塔を旋回する。

 

 タシュが次弾を撃ってくる前に照準せねばならない。阿吽の呼吸が求められる。

 麻子が戦車を停止させた。ストロークの短い板バネ(リーフスプリング)式サスペンションのため、動揺が収まるのも早い。目標のシルエットは蟻のように小さいが、華の目はそれをスコープ内に捉えた。シュトリヒを表す三角形から素早く距離を計算し、ハンドルを回して必要な仰角を取る。

 

 優花里の拳が、砲弾を薬室へ押し込んだのはその直後。

 

「撃て!」

 

 華の白い指が、トリガーを引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「外れた! 次弾急げ!」

 

 二股に分かれた砲隊鏡で敵を見据え、丸瀬は叫ぶ。今しがた撃った75mm弾は三式中戦車の回避運動により、至近弾となった。III突の方は固定戦闘室のため、こちらへ砲を向ける余裕がない。そして三木の操る九五式装甲軌道車ソキが、時折対戦車擲弾を打ち込んで牽制している。もう一発撃つ余裕はあると丸瀬は読んだ。

 M3がIV号に合流した今、これ以上敵を一まとめにはできない。ズリーニィが後衛の二両を足止めし続ければ、千種学園は火力を結集して大洗を圧倒できるのだ。

 

「制空権、我が方に有り」

 

 これを撃った後、次に陣取る位置も決めている。丸瀬はカバさんチームのIII号突撃砲を相手に、ドッグファイトをやる気はなかった。猛訓練で鍛えた航空学科チームだが、練度では多くの修羅場を潜ったエルヴィンたちには敵わない。ならば高所を押さえて、一撃離脱に徹するのみ……空中戦の定石を戦車道に持ち込んだわけだが、合理的な戦法だった。

 装填手は命令前から、すでに次の徹甲弾を抱えていた。素早く砲尾へ押し込み、金属同士が乾いた音を立てる。ポールマウントの砲身が稼働し、再び三式中戦車へと照準。そのとき、以呂波の声が通信機に入った。

 

《丸瀬先輩、IV号がそちらを狙っています!》

「後退しろ! 射撃中止!」

 

 逡巡なく判断し、回避を優先させる。ズリーニィの戦闘室正面は100mmの装甲厚であり、この距離ならIV号戦車の砲撃も防げるはずだ。しかし五十鈴華は弱点射撃の達人であり、比較的装甲の薄い車体下部を狙ってくるだろう。とはいえ車高が低く見えにくい突撃砲に、長距離から照準するには時間もかかるはず。急所狙いとなれば尚更だ。

 

 退避する時間は十分にある……はずだった。

 

 遠方を睨んだ丸瀬の目に、小さな光が見えた。それが何か理解するよりも早く、強い衝撃が愛車を叩く。

 咄嗟に受け身を取った瞬間、血の気が引いた。彼女のズリーニィは敵の弾に耐えたことも、撃破されたこともあるのだ。だから今回の被弾がどちらなのか、体に伝わる衝撃で分かった。

 

 命中した弾は戦闘室正面、三式中戦車の砲撃を受けた箇所の近くに着弾していた。装甲の分厚い箇所、しかも入射角は斜めである。

 それにも関わらず、その砲弾は内側にコーティングされた特殊カーボンまで達していた。奇妙なことにその弾痕は、75mm砲弾にしては小さかった。

 

 戦闘室から無情に揚がった白旗が、風に靡く。

 

 

《千種学園ズリーニィI、走行不能!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7.5cmPak.41対戦車砲。

 口径漸減砲と呼ばれる物の一種である。ドイツのヘルマン・ゲルリッヒ技師によって実用化されたため、ゲルリッヒ砲とも呼ばれる。

 砲尾から砲口へ行くにつれ、砲身内径が細くなっていく火砲だ。砲弾はタングステン弾芯に軟鉄を巻いたものを使用し、先細りする砲身によって外縁部が削られ、砲弾は75mmから55mmに圧縮されて放たれるのだ。それによって発射時の内圧が高まり、高初速を発揮する。

 大洗学園艦内で発見された、IV号戦車の新たな牙だった。

 

 ズリーニィがいなくなり、ソキ車も退避を始めた。これによりIII号突撃砲、三式中戦車の二両は本隊の撤退支援に取り掛かることができた。

 III突の75mm砲が吼え、放たれた徹甲弾が飛翔する。そして三式中戦車の砲は、野砲をほぼそのまま転用した代物だ。発煙弾も用意されている。

 

 M3を追撃していた大坪小隊は、それら遠距離からの攻撃で進路を阻まれた。SU-76iが足回りに被弾し、履帯が弾け飛ぶ。M3に照準しようとしていたマレシャルが、発煙弾で射線を遮られる。

 それまで巧みに砲撃をかわしていたトルディも被弾した。近くに落ちた発煙弾に視界を遮られ、直後にB1bisからの砲撃を受けたのである。これもまた被弾箇所は履帯。半ば偶然当たったようなものであり、装甲が貫通されていないため白旗判定は出ない。しかし右側の履帯前縁が千切れ、スピードの乗っていた軽戦車は独楽のようにスピンする。地面に渦巻き状の跡を描きながら、ゆっくりと停止した。

 

「全車、撤退!」

 

 タシュ重戦車へ牽制のため発砲し、みほのIV号戦車は走り出す。その後ろへ、M3とルノーB1bisが煙幕を張りながら追従した。

 

 

 

 以呂波は敵集団の後ろ姿を見つつ、味方の損害報告に耳を傾けていた。だがやがて、義足の膝を折り畳んで車長席に腰掛ける。その表情に笑みこそないが、不愉快そうではなかった。

 

「追撃中止。全車集結し、応急修理とメンテナンスを」

 

 

 

 




大変お待たせしました。
仕事の春ピークがひと段落つき、残業時間が少し減ってホッとしております。
夏になるとまた忙しくなるでしょうが、完結まで何とか頑張ります。
小説の執筆という楽しみがあるから、農作業も頑張っていられるようなもので。
今後も応援していただけると幸いです。


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束の間の休息です!

 千種学園は三両の敵戦車を撃破し、味方の損害は被撃破一両、擱座が三両となった。総合的に見れば大戦果と言って良いだろう。しかし以呂波は追撃中止を下令した。大洗の残存戦力は五両であり、千種学園は九両。ここで擱座した車両を置き去りにしては、数の優位が大きく損なわれる。

 トルディIIa軽戦車、SU-76i自走砲の乗員は直ちに履帯の修理に取り掛かった。戦車の履帯交換は根気のいる作業である。一方では大坪のトゥラーンIII重戦車が、スタックしたカヴェナンター巡行戦車をワイヤーで牽引し、脱出を手伝った。

 

 以呂波は降車し、船橋が撮影した写真を確認した。砲弾飛び交う中にも関わらず、鮮明な写真を撮ってのけた船橋の技量はさすがだ。細いスリットの切られたマズルブレーキをじっと見て、昔何かで見た対戦車砲の写真を思い出す。そして撃破された丸瀬の、「75mm砲にしては弾痕が小さい」という報告から、その正体を推察した。

 

「……多分、Pak 41の車載型です。ゲルリッヒ砲ですね」

 

 秋山優花里ほどではないが、以呂波の戦車知識は豊富だ。Pak 41の車載型をIV号戦車に搭載する計画があった、という噂も聞いている。だがそれを目の当たりにする日が来るとは思わなかった。材料調達の問題から少数生産に終わった火砲だが、弾種によってはタシュ重戦車の7.5cm KwK 42戦車砲に匹敵する装甲貫徹力を持つ。それに五十鈴華の照準能力が加われば鬼に金棒である。千種学園の全車両を1000m先から撃破できるはずだ。

 しかし千種学園の面々とて、この程度で怖気付く者はいない。

 

「ズリーニィを失ったのは痛いですが、敵三両を撃破しました。このまま連携を密にして追い込みましょう」

「そうね。早く修理を済ませるわ」

 

 カメラを返してもらうと、船橋は微笑んで踵を返した。自車のトルディIIaに駆け戻り、履帯の修理に加わる。

 以呂波としてはズリーニィI突撃砲を撃破されたことの他に、M3リーを仕留められなかったことも痛手であった。以呂波も姉と同じく、ウサギさんチームの『トラブルメーカーの才能』を警戒していたのだ。しかしそれを口にはしない。指揮官が僅かでも不安さを見せれば士気に悪影響を及ぼすし、待ち伏せ作戦に当たった大坪たちを落ち込ませてしまう。ポルシェティーガーと八九式という厄介な敵を排除しただけで、彼女たちは十分な活躍をした。

 

 時を同じくして、背後から轟々たるエンジン音が近づいてきた。全長十メートル近い巨体がゆっくりと迫ってくる。その異形のシルエットも、副砲塔に描かれた前身四校の校章も、主砲塔から身を乗り出す北森の笑顔も、以呂波たちはすっかり見慣れていた。最初にこの欠陥戦車を使うと言われたときは呆れたが、今や千種学園になくてはならない存在になっている。戦力としても、チームの象徴としてもだ。

 コイルスプリングとボギーで支えられた転輪が、地面の起伏を踏み越える。操縦手がゆっくりと制動をかけ、T-35はその巨体を停止させた。四つの副砲塔には前身四校の校章が鮮やかに描かれ、戦車道チームの志をアピールしている。

 

「お疲れさん、隊長」

「北森先輩、ありがとうございます。おかげで上手くいきました」

 

 車上から敬礼を送ってくる北森に、以呂波も労いの言葉をかけた。今回も農業学科チームは良い仕事をしてくれた。敵の前衛と出くわしたときはどうなるかと思っていたが、相手から盗んだ『対戦車バレー』にて乗り切った。欠陥戦車たるT-35を信じて戦う彼女たちには、以呂波も頭が下がる思いだ。

 

「まだまだこれからさ。丸瀬たちの分まで頑張らないと。だろ?」

「その通りです。よろしくお願いします」

 

 年下の隊長の言葉に、北森は満足げな笑みを浮かべた。首に巻いた咽頭マイクに指を当て、車内通話で号令を下す。

 

「B班はトルディ、C班はSU-76iの修理を手伝え! A班はT-35の足回り、それとエンジンのメンテだ! かかれ!」

 

 はい、という返事と共に、各砲塔と操縦席のハッチが跳ね上げられた。先ほどまで掩体壕を掘っていたため、乗員たちのジャケットは土で汚れている。T-35はその巨体故、履帯のサイドスカートに梯子をかけられるようになっていた。十名の乗員はそれを使って続々と降車し、割り振られた作業場所へと向かう。

 

 それを見送りながら、以呂波はゆっくりと地面に腰を下ろした。草の上に座り、両足を投げ出す。戦車に乗っている時は集中しているため、脚の疲労も感じない。しかし休息できるときにはしておかなくては、生身の左足にも負荷がかかるのだ。

 

 義足のソケット部を撫でながら、以呂波はふと風景を眺めた。草原、集結した戦車隊、見かわす仲間たちの笑顔。

 頭上を見上げると、黒い雲が青空を覆いつつあった。一雨降るかもしれない。

 

 思えばあの日とよく似ている。

 中学生の頃、練習中に一度チームを集結させ、整備と打ち合わせを行った。雨が予測されたが、練習は予定通り続行することにした。そして模擬戦形式の訓練の中、雨が戦車の装甲板を濡らし始めたときだった。

 幼少期から戦車長としての根性を叩き込まれてきた以呂波は、雨天でも構わず砲塔から顔を出し、入念に索敵を行っていた。だから気づいたのだ。砲弾飛び交う訓練場に、小さな子供が迷い込んでいることに。

 

 以呂波は即座に、無線で訓練中断を命じた。そして他の車両が発砲を止めた後、子供を保護するために降車した。

 そのとき事故が起きた。通信機が故障していた車両が、不意に遮蔽物の陰から飛び出してきたのである。操縦席の覗き窓からは背の低い子供が見えず、車長も砲塔内に身を収めていたため、その存在に気付かなかった。咄嗟に子供を庇い、以呂波の右脚は無限軌道に踏み潰された。

 

 生死の境を彷徨ったのに、それも随分と昔のことのように思えた。今の、千種学園で過ごしてきた短い時間が、それだけ濃密だったということか。時折、自分が障害者であることも忘れかけてしまう。

 

「……あ」

 

 ポケットの中で震えた携帯電話に、ふと声を漏らす。取り出すと画面に『丸瀬先輩』の字が表示されていた。通話ボタンを押し、耳に当てる。

 

「はい、一ノ瀬です」

《こちら丸瀬だ。今回収車が到着した》

 

 聞こえた声は滑らかで、いつもの丸瀬らしい爽やかさがあった。撃破された直後はさすがに悔しさを滲ませながら報告してきたが、吹っ切ることができたようだ。

 

《もう試合終了まで話ができなくなるから、これだけは言っておく。私は航空機こそ最も美しく、最も誇り高い乗り物だと考えている》

 

 パイロットの誇りについて、丸瀬はいささかレトロな考えを持っていた。第一次、第二次大戦期の戦闘機乗りのような、貴族的な気位の高さだ。そのせいか彼女は隊員の中でも、同性からの人気が最も高い。以呂波も彼女から、普通の戦車乗りとは違う雰囲気を感じていた。

 

《だが、無限軌道で地べたを這い回るのも、意外と面白いことを知った。貴女が片脚を失いながらこの道に戻った理由も、何となく分かった気がするよ》

「先輩……」

《我々の闘争心を、貴女の采配に託す。そして、明日からもよろしく頼む》

 

 明日、という言葉が以呂波の胸にじわりと染みた。この大会だけで終わりではない。千種学園の戦車道にはまだまだ先があるのだ。そして丸瀬はこれからも、共に戦車に乗ると約束してくれた。

 

「ありがとうございます、丸瀬先輩。今度、曲技飛行に同乗させてくださいね」

《ふふ、失神しないでくれよ。学校の英雄を酷い目に遭わせたとなっては、マルセイユの名が泣くからな。……幸運を、一ノ瀬隊長》

 

 その言葉を最後に、電話は切られた。

 愛車・44Mタシュ重戦車を顧みる。車外に出ているのは結衣と美佐子で、履帯の張力調整などを行っていた。走行装置の管理は操縦手の役目であり、装填手は他の乗員のサポートも行う。澪と晴はそれぞれの持ち場で点検に当たっていた。

 

「美佐子さん、手を貸して! 各車を見回るから!」

「はーい!」

 

 足回りのメンテナンスが一段落ついたのを見て取り、呼びかける。装填手は即座に駆けてきた。しかし美佐子は以呂波だした手を取らず、その背中と投げ出した膝の下に手を入れた。いつものように、ひょいと隊長の体を持ち上げ、歩き出す。つくづく疲れ知らずの少女だ。すでに慣れている以呂波は苦笑しながら、彼女の肩に腕を回して掴まった。

 

「お晴さんが花見弁当を作ってきたんだって! メンテが終わったら、出発前に食べようよ!」

「それ期待しない方がいいと思うよ。多分『かまぼこに偽装した大根』とか『卵焼きに偽装した沢庵』とかでしょ」

「あ、サンダース高に親善訪問したときのお土産で、『ちりとてちん』っていうのもあるって!」

「それは食べちゃダメなやつ!」

 

 いつの間にか落語の知識が増えている自分に複雑なものを感じつつ、以呂波は美佐子の腕に体重を預けた。

 

 

 

 

 

 

 千種学園において『疲れ知らず』の選手は美佐子のみではない。日頃から農作業に慣れ親しみ、T-35の副車長として工作・徒歩偵察に従事してきた東もまた、並外れた体力の持ち主だった。彼女は自分の新たな愛車・アンシャルド豆戦車の長所を理解しており、大洗の追跡を買って出たのだ。二人乗りで無砲塔の豆戦車なら敵に見つかりにくいため、以呂波も即座に許可を出した。

 

 東はシュワルツローゼ水冷機関銃に給水した後、敬愛する北森との合流を待たず戦車を走らせた。

 

「M3は履帯が損傷してるな」

 

 地面に残された履帯跡を辿りつつ、東は呟いた。彼女は観察力にも長けており、履帯跡の幅やパターンから車種を特定できた。追跡者としては優秀である。M3中戦車の履帯は断裂こそしていないものの、一部が欠けていることに気づいていた。

 

「なんか警察犬みたいだね、ウチら」

 

 隣に座る操縦手がぼやいた。

 

「あたしは犬派だから丁度いいよ。ドイツ戦車は猫が多いけど」

「でも戦車乗りは猫より犬の方が似合ってるよね」

「まあ大洗の去年の生徒会長は、雄のライオンみたいな人だったらしいけどな」

 

 他愛もない話をしながら、履帯跡を追う。道は平原から、起伏の多いエリアに入りつつある。山岳地帯の多いイタリアで設計された豆戦車のため、入り組んだ地形は得意だ。直列四気筒のガソリンエンジンを唸らせ、走り続ける。雨雲は近づいてきていた。

 ハンガリー仕様の四角いキューポラから顔を出し、東は前方で履帯跡が二手に分かれているのを確認した。大洗の残存車両は五両。ここまで一緒に走ってきたようだが、一両の履帯跡が隊列を離れている。

 

「……停めな」

 

 号令に応じ、操縦手が制動をかけた。キューポラに掴まって慣性に耐えながら、地面に刻まれた無限軌道の爪痕を見つめる。幅とパターンをじっと確認し、その主を見破った。

 

 

「西住さんが単独行動を……!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……シュルツェンをやかましく軋ませながら、あんこうチームのIV号戦車は隘路を行く。本体に損傷はないが、いつの間にか車体右側面のシュルツェンが一枚脱落していた。

 操縦席の麻子は前進六段のギアを的確に切り替えつつ、愛車を走らせる。他国製戦車の変速機は四段か五段が一般的だが、ドイツ戦車はエンジンのトルク不足をギア比で補うため段数が多い。ティーガーIなどは八段もある。麻子はIV号戦車を自分の脚のように操るが、元々ものぐさな彼女はポルシェティーガーの無段階変速が少し羨ましかった。

 

 その隣で、沙織が慣れた手つきで通信機を操作する。別行動を取るチームメイトたちの状況把握を行っていた。

 

「ウサギさんチーム、戦車は大丈夫?」

《主砲駐退機の油漏れは直りました~。手が油まみれになっちゃったけど》

 

 宇津木の声が聞こえた。いつも通りマイペースだが、彼女も経験を積んで成長し、その口調も能天気というより『余裕』を感じられる。砲撃戦の中で損傷した自車の修理も、そつなく行えたようだ。

 

「分かりました! 何かあったらすぐ報告してね!」

 

 快活な声を最後に、沙織は通信を終えた。

 

 みほはいつものようにキューポラから顔を出し、進路、そして雨の降り出しそうな空模様を見つめていた。そして砲塔側面の装填手・砲手用ハッチからは優花里と華が顔を出し、周囲を見張っていた。護衛なしでの行軍のため、一層周辺警戒が欠かせない。

 

「戦車の存在自体を偽装してくるとは、やられましたね」

「うん……」

 

 優花里の言葉に頷く。試合前の諜報活動が認められているのと同じく、偽情報を流すのも禁止されてはいない。ましてや千種学園が行ったのは「テレビの取材が来た際、シュトゥルムティーガーを格納庫に置いておく」だけのことであり、ルール上批判される要素はない。

 

 みほ自身も相手の無線傍受を利用する形で、偽情報を流して優位に立ったことがある。昨年の全国大会一回戦でのことだ。あのときは優花里による潜入偵察によって、大洗が情報戦で先手を取った。フラッグ車や小隊編成を知られてしまったにも関わらず、当時のサンダース付属高校隊長・ケイは作戦を変更しなかった。彼女はフェアプレイを旨としており、物量に勝る自軍にハンデがあっても良いと判断したようだ。しかし副隊長・アリサは参謀格として焦りを感じ、グレーゾーンである無線傍受作戦を実行したのだ。

 

 今になって再び、情報戦の奥深さを実感する。昨年度カール自走臼砲に苦戦した心理を、以呂波は巧みに突いてきた。

 だが被撃破三両の憂き目に遭いつつも、みほはこの試合に高揚感を覚えていた。昨年の好敵手たちの多くは高校を卒業し、次のステージへ旅立った。しかしこの大会でまた、多くのライバルと出会うことができた。そして、友達になることも。

 

 ライバルは宝物。昨年知った教訓だ。

 

 そしてみほはすでに、反撃に転じようとしていた。

 

「こっちがやられた分、削り返さないと!」

 

 

 

 

 この後、千種学園の選手たちは知ることになる。

 相手の弱点を突くだけでなく、長所を利用するのも戦術である、と。




お読みいただきありがとうございます。
落語ネタがちょっと分かりにくかったかもしれませんが、サンダース大学付属高校の本拠地が長崎なので、ちょっと入れてみたくなりまして……。
次回から戦闘再開です。
そして以呂波は重大な選択をすることに。



……しかしまぁ、暑くなってきました。
職場の温室はカヴェナンターみたいなもんです。



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降り出した雨です!

 IV号戦車は単独で隘路を進行中、護衛は無し。

 報告を受けた以呂波は少し思案した。此の期に及んで自分のみ安全圏へ逃げ込もうとする西住みほではない。味方不利の中で指揮官が逃げ隠れしては士気が下がる一方だ。考えられるのはやはり、囮か。だが今更安直な囮作戦を仕掛けてくるとは思えない。

 

「西住さんは私が漸減作戦を続けるって、予想できると思う。自分が囮になろうとはしない」

「囮は澤さんたちの方?」

 

 地図を見つめる友人に、操縦席の結衣が問いかけた。彼女は隊長車乗員の中で、以呂波に次ぐ戦術的思考力を持っている。元々秀才肌であることに加え、操縦手は思考力を磨かねばならないポジションなのだ。

 以呂波の考えも同じだった。定石からすればフラッグ車たるIV号を囮とし、他車両が待ち伏せを行うだろう。しかし伏兵戦術を得意とする一弾流相手に、そのような定石は通じない。相手が戦力を伏せる位置を、以呂波はすぐに予測できるのだ。

 

 みほはそれを分かっているはず。そして千種学園の作戦が、大洗の戦力を削った上でフラッグ車を狙うことだと気付いているはずだ。

 東から報告のあった履帯跡を、蛍光ペンで地図に書き込む。あんこうチームの進路には高台があった。見晴らしが良く、射撃には丁度良いポジションである。

 

「私たちが澤さんたちに食いついたら、そこをゲルリッヒ砲で狙撃するつもりだね」

 

 7.5cm Pak 41は命中精度に難があったと、噂程度に聞いている。しかし五十鈴華はその砲を使い、千メートル以上先のズリーニィを撃破して見せた。競技用戦車は『終戦までに設計された車両』という規則はあるが、部品は現代の工作精度で作れるため、大抵は戦時中のオリジナルより信頼性が上がっている。砲弾も同じことで、弾道の安定しなかった装弾筒付徹甲弾(APDS)や、信管に欠陥のあったBT-42用の成形炸薬弾(HEAT)なども、欠点を改善した物を使うことができるのだ。

 

 精度の上がったゲルリッヒ砲に華の射撃技術が加われば、千種学園の全車両をアウトレンジから撃破できる。その強みを活かさない手はないだろう。

 それでもフラッグ車に護衛なしで行動するというのは、それだけ大洗側が切羽詰っている証拠だ。シュトゥルムティーガーの存在が欺瞞だったと分かり、用意してきた作戦が無駄になった以上、リスク覚悟の手段に出るのも理解できる。

 

「IV号を奇襲するかい?」

「いえ。あくまでも数を削ります」

 

 晴の問いに、以呂波は迷わず答えた。彼女はみほに比べれば好戦的な一面もあるが、決してサディストではないし、必要以上に相手をいたぶる戦術は好まない。それでも漸減作戦に拘るのには理由がある。千種学園は初期の頃より車両数は増え、火力も大きく増したが、高火力と回転砲塔を併せ持つのはタシュとトゥラーンの二両のみなのだ。

 無砲塔戦車と低火力車両でかの軍神を追い詰めるとなれば、なるべく邪魔の入らない状況を作り、確実に攻撃を命中させねばならない。もっと敵戦力を削り、少なくとも澤梓の駆るM3リーは叩いてから決戦を挑むべきだ。以呂波はそう考えていた。

 

 ならばまずは、敵戦力を誘い出す必要がある。義足のソケットを軽くさすり、以呂波は微笑を浮かべた。

 

「三木先輩、お願いがあります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高台へと進むあんこうチームは、ふとある物に気づいた。今まで自分たちが通ってきた道の彼方に、土煙が見えたのだ。キューポラから身を乗り出すみほは、双眼鏡でそれを確認した。風による物ではない。大きな土煙がゆっくりと移動してくる。

 

 千種学園の車両が追撃してきたに違いない。それも土煙のサイズからして、全車両でフラッグ車を狙っている……と、普通の指揮官なら思うだろう。

 みほは曇り空をちらりと見上げた上で、咽頭マイクに指を当てた。

 

「うさぎさんチーム。敵車両の土煙を確認できますか?」

《こちらうさぎチーム、見えています。千種の人たちにしては不用心だから、囮だと思います》

 

 副隊長の返答は、みほの考えと寸分違わぬものだった。後輩の成長にふと笑みを浮かべ、作戦を脳内でシミュレートする。フラッグ車で単独行動する以上、リスクを伴う作戦だ。しかし情報戦で完全に先手を取られ、三両の戦力を失った今、リスクを負うのはやむを得ない。

 みほは大洗に来てから、西住流の教義からすれば『邪道』と言える采配を振るってきた。姉のような王道の戦いなど、到底望めない状況だったからだ。だがこの『士魂杯』では敵もまた邪道であり、昨年度修羅場をくぐってきた大洗チームでさえ、一筋縄ではいかない相手ばかりだった。ことに一弾流の狡猾さは群を抜いている。今回以呂波は、試合前から有利な状況を作っておくという用意周到さを見せてきた。

 

 ならばその裏をかくしかない。空模様を心配しつつ、少女は号令を下した。

 

「それでは皆さん、打ち合わせ通りにやりましょう。健闘と幸運を祈ります!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……戦車でボロ布や木の束を引きずり、派手な土煙を上げることで大規模戦力に見せかける。アフリカ戦線などで使われた手口だ。以呂波は九五式装甲軌道車ソキにその役を担わせ、あんこうチームがいるであろう高台へ向かわせた。

 

 その土煙をちらりと見つつ、船橋は林の中を進む。トルディ軽戦車はスウェーデンのL-60軽戦車をライセンス生産した物で、路外機動性に優れた捩り棒(トーションバー)サスペンションと、接地圧を下げるため後部誘導輪を接地させた足回りを受け継いでいる。それによって軽快に走行する愛車の砲塔から、船橋は周囲を入念に見張っていた。

 大洗の戦車が土煙を見てあんこうチームの救援に向かえば、そこを後方から攻撃し、さらに戦力を漸減できる。そのためには敵の動向を掴むことが重要だった。

 

 ふと、船橋は木々の合間から排煙を見た。眼鏡をかけ直し、首から下げた双眼鏡を構える。じっと凝視すると、立ち上る埃の中に戦車のシルエットが見えた。頭でっかちな印象の、角ばった姿だ。大洗の残存車両はどれも外見が大きく異なり、判別は容易い。船橋の視力はあまり良くないが、眼鏡さえかけていれば十分に偵察をこなせた。平野ならもっと早く発見できただろうが、林の中故に比較的近距離での発見となった。

 エンジン音が響かないように、そして土煙を立てないように、ゆっくりと接近していく。アリクイのマークが視認できた。

 

「こちら船橋。前方に三式中戦車を確認。ソキの方に向かってる」

《こちら一ノ瀬。おそらく斥候ですね。八九式がいなくなったからでしょう》

 

 報告に対する返答は素早かった。迅速に判断し、歯切れの良い指示を与える。優秀な指揮官の条件だ。

 戦車をゆっくりと走らせ、林から出ないように追跡する。敵の砲塔から、車長ねこにゃーが顔を出しているのが見えたが、船橋に気づいている様子はない。

 その後ろに大洗の後続車両が確認できた。M3リー中戦車、III号突撃砲F型、後続にルノーB1bis重戦車。揃って三式中戦車に追従している。狙い通り、あんこうチームの救援に向かうようだ。

 

 船橋はすぐさま報告しようとした。以呂波の策が上手くいっていると信じて。

 しかしその認識が誤っていることを、彼女は身をもって知ることになった。

 

 大洗の戦車たちが、突如砲を向けてきたのだ。

 船橋ともあろう者が、反応が遅れてしまった。敵戦車のハッチからは車長が顔を出していたが、それまで誰もこちらを見ていなかったのだ。気づいていないはずだったのに、その砲口をトルディへと向けてくる。

 

「後退!」

 

 船橋が号令し、操縦手がギアを切り替え、クラッチを繋ぐ。その一連の動きは辛うじて間に合った。M3の副砲が火を噴くも、放たれた一撃はトルディの前を通過する。37mm砲とはいえ、トルディの装甲に直撃してはひとたまりもなかったであろう。

 だが向けられた砲口は一つではない。ルノーB1bisの砲口が黒点になったのを見て、咄嗟に次の手を打つ。

 

「停止ッ!」

 

 すぐさまブレーキが踏み込まれた。小さな一人乗り砲塔から放たれた徹甲弾が、今度はトルディの砲塔後部を掠める。船橋も反射的に砲塔内へ隠れた。カウンターウェイト部が少し凹んだが、辛うじて貫通判定は出ていない。

 回避成功。だがこの程度は大洗側の想定内だった。急停車から再発進しようとしたとき、III号突撃砲が信地旋回を終え、長い牙を向けていたのだ。

 

 刹那、砲声。

 

「……!」

 

 空気を切り裂く高初速弾が、トルディの左側部を叩いた。途端に凄まじい衝撃が走る。船橋は一瞬、天と地が分からなくなった。だが体が反射的に受け身を取り、カメラを守る。衝撃が収まると、正気を取り戻そうと頭を振った。

 重力を知覚できるようになり、自車が横転したことを察した。視界が霞み、顔に手をやると眼鏡がない。だがそれを探す前に乗員の、そしてカメラの安否を確認する。

 

「二人とも、大丈夫?」

「い、生きてます……」

「……委員長、眼鏡がなくなってますよ」

 

 操縦手は操縦席で、砲手は船橋の上に折り重なった姿勢で返事をした。開け放たれたハッチから顔を出すと、地面に自分の眼鏡が落ちているのが見えた。そして砲塔上の白旗も。

 

 

《千種学園・トルディ軽戦車、走行不能!》

 

 

 無情にアナウンスが流れたとき、ガサガサと木のざわめきが聞こえた。風のせいではない。近くの木の上に何かがいたのだ。上目遣いに見上げると、太い枝から幹へと降りてくる少女を確認できた。木の葉の中から健康的な脚が見え、続いて白いスカート、紺色のパンツァージャケットが露わになる。ロングヘアが見えるに至って、船橋は彼女が山郷あゆみだと気付いた。

 慣れた動作で木の幹を降り、地面に脚を付ける。ちらりとトルディの方を顧みて、大きな瞳で心配そうな視線を向ける。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 あゆみの声を聞いたとき、船橋は理解した。自分たちはずっと前から、彼女に見られていたのだ。大洗のトリックに嵌ったのである。にも関わらず、本能的にカメラを構えていた。

 レンズを向けられたあゆみの方は、そんな船橋を見て「あ、大丈夫そう」と察した。元々うさぎさんチームのメンバーはノリが良い。可愛らしくピースサインをするあゆみの姿をファインダー越しに見つめ、船橋はシャッターを切った。

 

「……写真、後で送るから!」

「ありがとうございまーす!」

 

 快活に返事をし、あゆみは大急ぎで自車・M3へと駆けて行った。余計なことをしている彼女に、澤梓がやきもきしていたのだ。

 

 彼女を回収し、大洗の戦車は即座に離脱した。囮のソキとは別の方向へ。

 それまで待っていたかのように、曇り空から雨が降り出した。水滴で濡らされていく装甲板を尻目に、船橋は溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やられたっ!」

 

 船橋の報告を聞き、以呂波は珍しく悔しげに叫んだ。木の上に見張りを立たせていたことから、ソキによる囮作戦は看破されていたと見て良い。みほは以呂波の用意周到さを知った上で、裏の裏をかいてきた。以呂波は大洗側に戦力が残っているうちに、フラッグ車を狙おうとはしない……みほには分かっていたのだ。IV号戦車を狙うと見せかけ、救援に向かう澤梓たちを叩くという以呂波の策も、もしかしたら最初から予想していたかもしれない。

 

 千種学園は偵察の重要さを理解している。だから梓たちの動きを探るため、必ずトルディを先行させてくる。よって乗員を一人林に残して見張りをさせ、逆に待ち伏せをした。ゲリラ戦へ移行するにあたり、偵察車輌から先に削る作戦に出たのだ。そして船橋の射弾回避能力を知るが故に、複数両での時間差攻撃を仕掛け、確実に仕留めた。

 

「一ノ瀬さん……」

 

 結衣は心配そうに、砲塔の車長席にいる以呂波を見上げた。だがそのとき、鉄脚の戦車長は笑みを浮かべていた。

 

「やっぱり凄いや、西住さん。軍神呼ばわりは迷惑かもだけど、凄い」

「……そうね」

 

 ドナウ高校との練習試合を思い出し、結衣も笑顔になった。味方の大半を失い、パニックになりかけた初陣の記憶。最近のことなのに、懐かしく思えてしまう。あのときも以呂波が笑っていたから、自分も冷静になれた。出会ったときは廃人同様だったのに、戦車に乗ると障害者であることを忘れるくらい頼もしくなる。そんな以呂波に尊敬と憧れ、そして僅かな嫉妬を感じながら、ここまで着いてきたのだ。

 

「で、その西住さんと渡り合ってる貴女は、次にどんな指示をくれるのかしら?」

 

 結衣の言葉に、以呂波はくすりと笑い、咽頭マイクに指を当てた。その両側では美佐子と澪が号令を待っている。

 

「各車へ。今の大洗の作戦は見事でしたが、リスクの大きい窮余の策でもありました。我々はあの大洗をそのくらい押している、勢いに乗っている、そう考えていいはずです!」

 

 士気を上げるため、プラス思考の言葉を選ぶ。姉のカリスマ性に憧れるうちに身についた気配りだ。

 

「トルディを失ったのは私の失策ですが、それで失速しては元も子もありません」

「以呂波ちゃん、ギャグのセンスだけは無いね」

 

 晴の辛辣な評価に若干ショックを受けながらも、以呂波は言葉を続けた。

 

「このまま敵を追撃します! 三木先輩はこちらへ合流し、東先輩はIV号の追跡を続けてください!」

《了解! 最後まで信じてついていくわ!》

《同じく!》

《大漁旗揚げるッスよ~》

《はーい》

《終点までお供しますね!》

 

 各車の車長から頼もしい言葉が返ってくる。次に以呂波は、学園のマスコットとも言える車両へと声をかけた。

 

「T-35も、遅れてもいいからついてきてください! 足が遅くても、止まらなければいいんです!」

《心得た! 付き合うぜ!》

 

 北森の声はどこか嬉しそうだった。隊長がT-35の存在を肯定してくれるのが、素直に嬉しいのだろう。現に以呂波は北森たち乗員の活躍もあって、自分でも驚くほどこの失敗兵器に愛着を持っていた。

 続いてレシーバーに聞こえたのは、撃破された船橋の声だった。

 

《一ノ瀬さん。私たちをここまで引っ張ってくれて、本当にありがとう。後はお願いね》

「先輩。こちらこそ、掛け替えのないチャンスを頂きました。ありがとうございます」

 

 快活に言ったその返事が、以呂波の嘘偽らざる本心だった。自分を戦車の道へ連れ戻してくれた船橋への感謝、そして逆境から打って出ようとする、千種学園への愛情。それらが自分を強くしてくれる……以呂波はそう思うようになっていた。彼女の期待に応えられる結果を出したい。

 生身の脚と義足、両方へ均等に体重を預け、以呂波がキューポラから顔を出す。ポニーテールが風に揺れ、艶やかな黒髪が雨に濡れた。そんな中で右手を前方へ掲げ、仲間たちに号令する。

 

「千種学園、戦車前進(パンツァー・フォー)!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……雨降りしぶく中、澤梓は車上で安堵していた。反攻作戦の第一は上手くいった。予定通り、相手の最も重要な偵察戦力を叩けた。トルディを時間差攻撃で撃破した際、発砲のタイミングは全て彼女が指示していた。先ほどは味方の犠牲で逃げ延びたが、今度は副隊長としての役目を果たせたと言って良い。

 だが安心してばかりもいられない。まだ数の差は埋まっていないのだ。このまま敵を削り返せるかが、勝敗を分けることになる。

 

「千種はすぐに追撃してくるかもしれません。急いで西住隊長と合流しましょう!」

 

 優花里から借りたツェルトバーンを着て雨を凌ぎ、小隊の指揮を執る。指揮下の車長は皆年上だが、堂々と統率することができている。敵将・以呂波は一年生の身で隊長を務めているし、みほも一年生のときに黒森峰の副隊長をしていた。自分にもきっとできると、己に言い聞かせて号令を下す。

 そんな梓を、先輩たちもまた信頼していた。撤退戦でツチヤ、磯部らが犠牲になったのは残念だが、彼女たちのおかげで梓が一皮剥けたように感じる。カエサルなどは「そろそろソウルネームを進呈すべきか」と能天気なことを思案していた。

 

 戦艦型学園艦の巨大な艦橋を右手に見つつ、隊列は小山を抜けていく。丁度、艦尾のアールパード女子校エリアから、艦首のトラップ女子校エリアへ至る境だ。もちろん通常の車両が通行できる道路もあるが、梓は敵に追いつかれたときに備え、遮蔽物の多い山道を選んだ。

 誰もいない学園艦に雨が降り、殊更不気味な雰囲気を醸し出す。そびえ立つ灰色のマストが何とも虚しく感じた。

 

「……なんか、学校から追い出されたときのことを思い出しちゃった」

「あ、私も」

 

 ふとぼやいた言葉に、大野あやが反応した。学校を引き払う際、小屋のウサギを連れて行こうと悪戦苦闘した思い出。解体所へ出航する学園艦を見送った記憶。様々なものが胸にこみ上げてくる。

 

「涼子ちゃんとか船橋さんたちって、去年までこの船にいたんだよね」

「……どんな風に暮らしてたんだろうね」

 

 千種学園を訪れたとき、そこの生徒たちは皆明るかった。笑顔と音楽で歓迎してくれた。だが母校を守れなかった悔しさこそが、千種を強くした原動力なのだろう。自分たちの学校を守り抜いた大洗は「憧れ」だとも言っていた。

 

 改めてシンパシーを感じながらも、小隊は行軍を続けた。やがて雨音とは違う水の音が聞こえてきた。

 川だ。用水路や水力発電を兼ね、艦上に再現された河川だが、廃校になってもまだ水は抜かれていないらしい。学園艦の解体には時間がかかるのだ。川は山の急斜面に挟まれており、梓たちの眼下に濁った水の流れが見えた。丁度道は狭まり、しばらく隘路での移動を強要される。雨のせいで川は増水し、激しい流れとなっている。小隊は左手側に谷と川を見やりながら、一列縦隊で進行した。

 

「佳利奈ちゃん、谷へ落ちないように気をつけて!」

「あい! ……でもクラッペにワイパーが欲しい!」

 

 少々贅沢なことを言いながら、阪口佳利奈は二本のレバーで戦車を操る。差動機が左右の履帯の回転速度を変え、車体を滑らかに操向する。梓が目視で道を確認し、佳利奈の肩を蹴って方向を指示した。

 一方先頭を行く三式中戦車チヌは、周囲を警戒しつつ進行していた。この車両は変速機にシンクロ機構がないため、ギアチェンジの際は操縦手がアクセルを吹かしたり緩めたりして、感覚でギアの回転数を合わせなくてはならない。操縦手・ももがーは昨年度、そのせいで大いに苦労してきた。だが今では戦車と呼吸を合わせて操縦する方式に、ゲームでは到底味わえない快感を覚えている。

 

 しかしこの時、彼女たちはミスを犯してしまった。雨のせいで操縦席クラッペからの視界が悪くなり、ももがーからは道の様子がよく分からない。いつの間にか道の際……斜面のすぐ側を走っていた。丁度そのとき、車長たるねこにゃーは追従する澤たちを気にかけ、後ろを見ていた。

 

「アリクイさん、危ないです! 右へ寄って!」

 

 梓の忠告は一瞬だけ遅かった。ももがーが舵を切ろうとした瞬間、三式中戦車の車体がぐらりと傾く。雨で地面が軟化し、戦車の重みに耐えかねて崩れ始めたのである。

 

《わ、わ、わ!》

 

 ねこにゃーの声が通信機のレシーバーに入った。その途端、三式はあらぬ方向へ進んでしまった。否、滑落したと言った方が正しいだろうか。

 谷の斜面を、増水した川に向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちら河合。大洗に追いつきました」

 

 雨具姿で砲塔から顔を出し、河合美祐は報告する。八戸社による改良のおかげで、カヴェナンターは車内の暑さも耐え難いレベルではなくなっていた。それでも内部は蒸し風呂状態になっているため、体に当たる雨がむしろ心地よい。

 稜線から砲塔のみを出したハルダウンの体勢で、河合は自車を停止させていた。カヴェナンターの無茶なラジエーター配置は、車高を低くするための工夫だった。平たい形状のカヴェナンターなら敵に見つかりにくい。砲塔には偽装網もかけてある。

 

 双眼鏡をしっかりと構え、敵車両を観察する。相手は全車両が停止していた。それも谷沿いの一本道で。待ち伏せにしては不用心だが、何かあったのだろうか。

 M3リー中戦車、III号突撃砲、ルノーB1bis……隊列に三式中戦車の姿がない。どこかに隠れているのかと訝りながら、双眼鏡で周囲を探す。視界の中で幾つかポイントを定め、それを一箇所ずつ観察していく。以呂波から教わった索敵術だ。

 

「……あっ!?」

 

 双眼鏡のレンズを覗いたまま、河合は叫んだ。谷の斜面半ばに、三式中戦車が滑落しかけた状態で停車していた。雨で地盤が緩んでいたため落ちたのだろうだろう、推察する。川も増水しており、元々それなりの深さがあることを河合は思い出した。競技戦車のカーボンコーティングとて万能ではない。水に入れば浸水することも多い。そして谷の斜面は、三式が自力で登るには傾斜が急だった。

 

 つまりこのままだと、三式中戦車は……河合の心臓が跳ねた。

 だが次の瞬間、もう一つ驚くべき物を見た。停車したM3の周囲に、乗員たちが降車していたのだ。目をこらすと、車体後部の牽引用フックに何かをくくりつけていた。ワイヤーだ。

 

 そのもう片方の端は、澤梓がしっかりと握っていた。河合が双眼鏡でその動きを追うと、彼女は斜面の際に立った。地面が激しく抉れており、三式の滑落した跡と思われた。動きやすいようにツェルトバーンを脱ぎ捨て、斜面の下を見やる。見えているのは恐らく川の流れと、そこへ転落しかかっている味方の車両だ。

 

 やがて梓は意を決したかのように、斜面へと身を躍らせた。アリクイさんチームを救出するために。

 

 

 




お待たせいたしました。
そしてお読みいただきありがとうございます。


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迫られる決断です!

《副隊長、来ちゃダメだ!》

《先に行くナリ! 敵に追いつかれるナリ!》

 

 ねこにゃー達の声が、無線のレシーバーに入る。M3リーのキューポラから斜面の下を見やり、梓は唾を飲み込む。三式中戦車は川の手前まで滑落したところで、何とか停止していた。しかし少しでもバランスを崩せば、再び滑落するだろう。川の水深は深く、雨によって勢いも増している。そしてももがーの言う通り、後方からは千種学園の戦車隊が迫っていた。

 あや、紗希、あゆみ、佳利奈、優季。五人の仲間は車内から、心配そうに車長席を見上げていた。アリクイさんチームの救助に向かうか、置いて行くか。現在小隊を指揮しているのは梓であり、彼女に決定権がある。

 

 ここに留まっていては、千種学園の部隊に間も無く追いつかれる。そうなれば数と火力の優位で押し切られ、勝機は失われるだろう。しかし三式中戦車を置き捨てて進軍すれば、乗員の身に危険が及ぶ。大会運営の救助が来る前に、川へ転落してしまう可能性が高い。

 

「西住隊長に相談して……」

「待って」

 

 通信機を操作する優季を、梓は静かに制止した。仲間たちはその声の冷静さに驚く。

 今、みほを頼るべきではない。今の自分は指揮官の端くれだ。そしてみほが大洗へ転校するに至った経緯について、梓は聞いていた。今この場で、重大な決断を彼女に押し付けるようでは、来年度の隊長など務まらない。

 

 何より、梓の心に迷いはなかった。副隊長に任命されたとき、みほから言われたのだ。

 『自分の戦車道を見つけるように』と。

 

 みほもかつて、尊敬する人から同じことを言われたという。それを見つけることができたのは昨年、全国大会で優勝した後のことだった。幼少期から戦車道に慣れ親しんできた彼女でさえ、それだけ時間がかかったのである。自分に見つけることができるのか、不安も大きかった。

 だが今、去年や一昨年のみほと同じ状況に立たされ、気づいた。自分にとって戦車道の模範を示してくれたのはやはり、西住みほその人なのだと。

 

「カバさん、カモさん」

 

 顔を濡らす雨水を袖で拭い、僚車を顧みる。ルノーB1bisとIII号突撃砲からは、それぞれの車長が梓をじっと見つめていた。ゴモヨこと後藤モヨ子は心配そうに、エルヴィンはどこか試すような目で。

 

「私はこれから、アリクイさんチームの救助に向かいます。後方の警戒と、援護をお願いします!」

 

 毅然とした命令。後輩の言葉に、二人の車長は笑顔で答えた。

 

「了解、副隊長!」

「任せろ、副隊長!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨の中、観客席はざわめいていた。澤梓がワイヤーを手に斜面を下る様子が、巨大モニターにありありと映されている。そして彼女たちの後方から迫る、千種学園の部隊も。

 多くの観客は梓を応援し、手を合わせて無事を祈ったり、涙ぐむ者もいる。彼女は昨年、そして一昨年の西住みほと同じ選択をしたのだ。これが大洗の戦車道であることを、観客たちは改めて見せつけられたのだ。

 

 声援の中、静かに画面を見守るのは千鶴たちだった。観客の多くが梓を見ている中、彼女たちは画面端に表示された、各戦車の動向にも注目していた。III号突撃砲とルノーB1bisは単独行動していた西住みほのIV号戦車が変針し、澤隊の方角へと向かっていたのだ。

 

「副官を助けに行くつもり?」

「多分。五十鈴さんの精密射撃があれば、千種学園も迂闊に攻撃できないだろうし」

「せやけど、腕利きの砲手やったら千種にもおるで」

 

 持参していた折り畳み傘の下で、カリンカ、ベジマイト、トラビが語り合う。みほはゲルリッヒ砲と名砲手を以って、千種学園に睨みを効かせるつもりなのだ。梓が救助を終えるまで。

 しかし千種学園のアンシャルド豆戦車が、あんこうチームの履帯跡を追跡している。彼女たちの動向はすぐ以呂波に伝わるだろう。そしてトラビの言うように、千種学園にも加々見澪という名砲手がいた。さらに彼女と組む車長は射弾回避能力に長け、相手の射点を見破るのも得意な、一ノ瀬以呂波。カウンタースナイプを狙われれば、フラッグ車同士での潰し合いもあり得る。リスクは大きいだろう。

 

「……千鶴、お前だったらどうする?」

 

 そう尋ねたのは守保だった。尋ねられた千鶴は亀子に傘を持たせ、じっと画面を見つめていた。だがほんの僅かな時間思案しただけで、口を開く。

 

「多分、助けに行くと思う。けど……」

 

 千鶴は自分のポニーテールを軽く撫でた。僅かに付着していた雨水が指を濡らす。妹が自分を真似て同じ髪型にしたときのことを、ふと思い出していた。

 

「それより、今の以呂波と同じ立場だったら……どうするだろうな、あたし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨の中、千種学園は楔形の隊列を乱さず進軍する。速度の違う車両で整然と隊列を組めるだけの練度を、操縦手たちは手にしていた。履帯が泥を蹴散らし、無骨なエンジン音を響かせながら前進を続けた。

 しかし整った隊列に反して、各車両の間には無線通信が飛び交っていた。

 

《どうする!? 攻撃するの!?》

《チャンスではあるけど……》

《今手を出したら、命に関わるッスよ!》

 

 レシーバーに入る声を聞きながら、以呂波は逡巡していた。羽織った合羽の上を雨水が弾けていく。

 澤梓の指揮下にある車両は全て足を止めている。そして西住みほのIV号戦車もまた、援護のためこちらへ向かっている。それらの動向は河合と東がそれぞれ伝えていた。そしてもう少しで、大洗の戦車はタシュの射程に入る。

 

 敵の副隊長車を仕留めるチャンスだ。それにあわよくば、敵のフラッグ車をおびき出せる。敵が迫る状況での救助作業がどれだけ危険か、梓たちも覚悟の上でやっているはずだ。以前に美佐子と問答したことでもある。美佐子は同じ状況で攻撃したプラウダや黒森峰を『卑怯』と批判したが、以呂波はそれを否定した。戦車道において、一瞬のチャンスを逃すべきではない。

 しかし、以呂波は総攻撃の号令を下せずにいた。

 

 車長席へ腰を下ろし、仲間たちを見る。丁度こちらを見上げていた美佐子と目があった。

 

「あたし、装填しないよ」

 

 普段素直な彼女も、毅然として言い放つ。最初に以呂波に声をかけてから、常に親友として支え続けてくれた彼女だが、ここでは譲る気は無かった。装填手席で腕を組み、弾を込めないという意思表示をする。本来なら即座に戦車から叩き出される行為であり、当人も分かっているだろう。だがその瞳に宿る意思に、迷いはなかった。

 そのとき、澪が以呂波の方を振り向いた。

 

「……私は、撃て、って言われたら……撃つ!」

「澪ちゃん……!?」

 

 美佐子が驚きの表情を浮かべた。澪の声は震えていた。その目には涙さえ溜まっている。それでも、彼女なりに覚悟を決めていた。

 

「私は砲手だから……!」

「二人とも、お止し! 隊長は以呂波ちゃんだよ!」

 

 一喝したのは晴だった。通信手席のクラッペを覗いたまま、珍しく強い口調で後輩たちを制止する。次いで、車長席の以呂波をちらりと見上げ、告げた。

 

「目の前の稜線を一つ越えりゃ、相手はこっちの射程内だ。どうする?」

 

 決断を促す晴の目は、当事者であると同時に傍観者の目でもあった。人の情を重んずる彼女としては、内心美佐子と同意見だ。だがこれは以呂波が自分で選ぶべき道であり、自分はそれを見届けようと考えていた。それと同時に、晴は以呂波がどちらを選ぶか、心の中で賭けをしていた。

 

「……一ノ瀬さん」

 

 静かに操縦レバーを握る結衣が、ふいに口を開いた。

 

「船橋先輩は何のために、貴女に隊長を頼んだの? 私たちは何のために頑張っているの?」

 

 その口調は何かを強制するものではなく、意見具申ですらない。だが以呂波はふと、再起を決意したときのことを思い出した。先輩である船橋らが自分に頭を下げ、指揮を頼んできたことを。引き受けたのは自分の再起のため、そして船橋たちの思いに応えたいという思いからだった。

 

 生身の左足、次いで義足に力を入れ、再び立ち上がる。降り続く雨の中、キューポラから顔を出した。眼前に見える稜線の向こうで、澤梓たちは必死に救助を行っていることだろう。

 大坪、北森、川岸、去石、先ほど合流した三木。各車の車長は雨に濡れながら、一斉に以呂波を見た。命令を待つ仲間たちに向け、鉄脚の戦車長は叫んだ。

 

「全車両、停止!」

 

 車長たちは即座に、操縦手へ命令を伝達した。制動がかけられ、雑多な車両で構成された戦車隊は泥を跳ね上げながら停止する。タシュの傾斜した装甲を、雨水が流れ落ちていった。

 

「……私には隊長として、果たすべき義務がある」

 

 部隊を見渡し、以呂波は誰に言うでもなく呟いた。ただ試合前、プリメーラに言われたことの意味が少し分かった気がした。

 指揮官の美学とはこういうことなのか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……一方のあんこうチームは、仲間たちの元へと急いでいた。麻子の巧みな操縦で樹木を避け、森の中をショートカットする。戦車の機動力はスペック上の最高速度では決まらない。如何に適切な道を選ぶか、または困難な道を如何にスムーズに走破するかによって、戦車は亀にもウサギにもなる。

 みほは雨に耐えつつキューポラから身を乗り出し、麻子に方向指示を出し続ける。

 

「梓さんも、みほさんと同じ判断をしましたね」

 

 華がいつも通りの、ゆったりとした口調で言った。どこか嬉しそうに。

 

「ええ。澤殿も今まで、西住殿の背中を見てきたんですね!」

 

 相槌を打つ優花里も喜んでいた。彼女たちは梓に、『西住みほ』のコピーになることを望んではいない。梓には梓の戦車道があるはずだ。それでもやはり、自分たちが信じて戦ったみほの戦車道を、彼女が受け継いでくれたのが嬉しかった。

 だがみほだけは素直に喜べないでいた。昨年、そして一昨年の自分の判断は間違っていなかったと、今では信じている。仲間たちがそれを証明してくれた。しかしその一方で、大事な後輩に危険なことをさせたくないという思いもあった。自分の身を危険に晒してでも仲間を助けねばならないと、梓に思い込ませてしまったかもしれない……そんな考えが浮かんだのだ。

 

「……私のやり方のせいで、梓さんに無理させてないかな……」

「みぽりん。それは違うよ」

 

 毅然と否定したのは沙織だった。言動は若干軽薄に見えても、その実彼女は他者の気持ちを察するのが得意で、思いやりを持って接する。昨年度の決勝戦でも、彼女はみほの迷いを解き、良き心の支えとなった。

 

「梓ちゃんは誰かから押し付けられた戦車道をやってるんじゃないの。お手本を見せたのはみぽりんだけど……これは私たちみんなで決めた、大洗女子学園の戦車道なんだよ!」

 

 雨音に負けまいと言わんばかりの、明るい言葉。それがみほの心に深く染みた。沙織や他の友人たちと一緒にいると、悩みなど次第に気にならなくなる。そして少しずつ、自信が持てるようになる。

 

「武部殿の言う通りです!」

「みほさんは胸を張ってください!」

「副隊長も同じことを言うだろうな」

 

 口々に言う友人たち。その笑顔を見て、みほは悩むのを止めた。

 

「……みんな、ありがとう。少しでも早く、梓さんたちを援護しに行こう!」

 

 フラッグ車自ら、味方の救援に向かう。一歩間違えば勝機を逃す、危険な行為だ。それでも最悪の場合、自らが囮となって梓たちを守れば、アリクイさんチームを無事に救出できるだろう。そのような判断を下すみほは、西住流としては異端なのだろう。

 しかし後輩の覚悟を無下にするような、無情な指揮官になりたくはなかった。

 

 だが、そのとき。想定外のことが起きた。

 聞き覚えのある声が、通信機のレシーバーに入ったのだ。

 

 

《緊急連絡、緊急連絡。発・千種学園隊長一ノ瀬以呂波。宛・大会運営本部、並びに大洗女子学園隊長・西住みほ殿、副隊長・澤梓殿》

 

 敵味方双方の車両、および本部と通信できる非常用回線。それを通じて送られてきたのは他ならぬ以呂波の声だった。冷静かつ滑らかな口調で紡がれる言葉に、みほはハッと耳を澄ます。

 

《我々は大洗三式中戦車の救助完了まで、攻撃を中止します》

 

 あんこうチームの面々が、思わず目を見開いた。以呂波は続ける。

 

《これは情による判断でも、戦術的な判断でもありません。私たちの千種学園は、廃校となった四つの学校を母体として生まれました。国から不要と見なされたそれら四校と、その生徒だった諸先輩方の名誉回復を目的に、私たちは戦車道を始めました》

「あ……」

 

 共闘時のことを思い出し、みほは思わず声を漏らす。千種学園は大洗に負けないほど、短期間で練度を上げ、さらに戦車の質にも関わらず高い士気を維持している。その原動力は共に戦っている間に知ることができた。学校を守れなかった上級生の無念さが結束を高め、それが一年生である以呂波たちにも伝わっているのだ。

 

《この大会での勝利はそのための『手段』であり、『目的』ではないのです。勝つために策を尽くすのは戦車道の醍醐味ですが、後ろ指を指されるような勝利では目的を達成できません。澤副隊長殿には、同じ指揮官として最大級の敬意を表すると共に、速やかかつ安全なる救助の遂行を願います。私は我が隊が、貴女方と尋常の勝負ができるチームであることを証明し、隊長としての責務を全うしてみせます。……以上》

 

 通信が途絶えたとき、雨の勢いは少し弱くなっていた。みほの胸中に暖かい物がじんわりとこみ上げ、安堵の息を漏らす。

 

「それぞれの戦車道、ですね……!」

 

 拳を握りしめ、優花里が笑顔で涙を浮かべる。

 

「私たちも以呂波さんたちの思いに応えて、全力で戦いましょう!」

「……そのためにも、アリクイを助けないとな」

 

 華と麻子の言葉に、みほもまた力強く頷いた。勝つことが目的ではない、だが負ける気はない。そんな熱い思いを感じた。無事に救助を成功させ、試合を再開させねばならない。

 

「沙織さん、カバさんとカモさんに連絡してください。千種学園への警戒を解いて、全車両で救助を……」

《ふおおおぉぉっ! イロハちゃん最高〜ッ ! ! 》

 

 毅然として下そうとした命令は、突如レシーバーに飛び込んできた大声によって途切れた。思わずキューポラの上で仰け反ってしまう。麻子など操縦席から飛び上がり、頭をハッチへぶつけそうになった。その声の主が相楽美佐子だということは考えるまでもなく分かった。

 

《ちょっ、美佐子さん! こんなときに抱きつかないで!》

《イロハちゃんが隊長で良かった! イロハちゃん大好き! 結婚しよ!》

《や、止めっ! 力入れすぎ! 苦しいって!》

 

 以呂波に力強く抱きつく美佐子と、義足をばたつかせてもがく以呂波。狭い戦車内で展開されるそんな光景が、みほたちの脳裏にありありと浮かんできた。

 

《こりゃ、みさ公。まだ非常回線が繋がったままなんだから、変なことを言うんじゃないよ》

《え!? お晴さん、早く切ってください!》

《いやいや以呂波師匠、せっかく名演説を打ったんだから。ここはもう少し何か言っておきな。いっそ選挙カーみたいに、みんなで顔を出して手を振りながら……》

《お晴さんが一人でやってくださいよ! オープントップの戦車にでも乗って!》

《屋根のない戦車? ……やーねぇ》

 

 オチをつけた上で、通信が切られた。

 それから少しの間をおいて、IV号の車内には哄笑が響くのだった。

 

 




お読みいただきありがとうございます。
展開上の都合もありますが、会話文がちと多くなってしまった感が……。
とりあえず前々から書く予定だったシーンをようやく書けました。
ご感想・ご批評などよろしくお願いいたします。


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仁将と義将です!

 

 緊急回線を通じ、以呂波の声明は観客にも伝わった。ついでに高遠晴のギャグも伝わってしまった。

 だが一人の少女……一ノ瀬千鶴が拍手したのをきっかけに、観客席全体に拍手が広がった。それより少し早く、千種学園の整備所(ピット)ではサポートメンバーたちが歓声を上げていた。千種学園、そして前身四校の誇りはここに在り。以呂波はそれを示したのである。

 

 そんな中で、二人の女性が静かに試合を見守っていた。

 

「……勝利は手段であり、目的ではない……か」

 

 西住しほはふと、ため息を吐いた。黒く艶やかな長髪を雨が濡らす。隣に座る一ノ瀬星江は巨大モニターを見つめたまま、その静かなため息を聞いた。

 

「戦争でも武道でも、やるからには負けて良いという法はないわ。勝つために全力を尽くすのは当然のことよ」

 

 西住家の内情を知る者が聞けば、その言葉はしほを擁護しているように思えるだろう。星江は彼女と娘の間に何があったのか、詳しく知っているわけではない。ただ状況から察するのは容易だった。西住流と一弾流は敵対的だが、同じ立場の人間として心情を察することはできる。

 

「けれど『何のために勝つか』、そして勝利の先に何があるかの方が重要という人もいる。それは認めないとね」

「……ええ」

 

 静かな返事を聞き、星江はしほをちらりと省みた。らしくない、とでも言いたげな目で。しほもそれに気づいたのか、フンと鼻を鳴らした。

 

「他所の方針に口出しはしません。特に一弾流のような、邪道を自認している方々には何を言っても無駄でしょうから」

「あら。自衛隊も西住流からすれば邪道ではなくて?」

 

 西住流家元は言葉を詰まらせた。彼女は陸上自衛隊にも戦車道を指南している。自身でも矛盾は感じていたのだろう。

 不機嫌そうな視線を受け、星江はクスリと笑う。学生時代の口論を思い出したのだ。星江自身、長女が陸自に所属しているが、自衛隊が正道の軍隊になることを望んでいるわけではない。そもそも戦車道と政治思想を混同するのはタブーだと考えている。

 

「ごめんなさいね。最近素直になっちゃったみたいだから、ちょっと意地悪を言いたくなっただけよ」

「そういう貴女はどうなのです? 娘さんの事故以来、急に老け込んだと聞いていましたけど」

「否定はしないわ」

 

 大型モニターには三式中戦車チヌの救出を試みる、大洗の選手達が映っていた。後方警戒が不要となったため、III号突撃砲、ルノーB1bisも救助に当たっている。自車とチヌ車をワイヤーで繋ぎ、三両がかりで引っ張り上げるつもりのようだ。

 そして稜線を隔てた先で停車している、千種学園の車列も映し出された。ただ救助が終わるのを待つのではなく、車長たちが集まり、地図を見ながら作戦会議を行っている。以呂波は右脚の負担を減らすため、小さな折りたたみ式の椅子に腰掛けていた。雨は小降りになっているが、美佐子が傘を差してやっていた。

 

 良い顔をしている、と星江は思った。あの事故の後、娘があんなにも生き生きと戦車に乗る日が来るとは。否、自分に自信がなかっただけだ。脚を失った娘を、戦車乗りとして正しく導いてやれるという自信が。

 そして、守保が側にいれば頼もしかったのにという思いもあった。しかし自分で勘当した手前、連絡を入れることさえできなかった。つまらない意地を張ってしまったのだ。

 

「私は師としても、母親としても出来損ないだと実感した。でもまだまだ、これからは次の世代に道を譲って……なんて物分かりの良いことは言ってられないわね。お互いに」

「ええ。貴女はともかく、私はそこまでの歳ではありません」

「大して変わらないじゃない。貴女だって、後何年かしたら『おばあちゃん』って呼ばれることになるかもしれないでしょう?」

 

 皮肉に妙な返答をされ、しほは星江を横目で睨んだ。

 

「どういう意味ですか?」

「貴女が大分早婚だったから、もしかしたら娘さんたちはもっと早く……」

「それこそ、そちらも大して変わらないでしょう。しかも貴女はショットガンウェディングだったのでは?」

「正確には戦車砲ウェディングだったわね」

 

 学園艦上にいる娘たちは、母親らがそんな会話をしているなどとは思ってもみないだろう。そして母たち戦車道が、自分たち同様に道半ばであることにも、恐らく気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワイヤーを連結した三両は牽引準備にかかった。ルノーB1bisの車内では、エンジンルームのハッチからおかっぱ頭の少女が顔を出し、「エンジン良し!」と報告する。B1bis重戦車は機関室内に乗員が出入りできる構造になっているのだ。陸上軍艦の血を継いでいると言える。

 

 救出に向かった澤梓は三式中戦車チヌにワイヤーを繋いだ後、その通信手席へ滑り込んだ。卒業したぴよたんに代わる砲手と装填手は入隊していたが、通信手はまだ空席だったのだ。椅子は無いので機銃の弾薬箱に腰掛ける。雨の中で作業したため、短めの髪から水が滴っていた。

 

「……澤さん、本当にありがとう」

 

 砲塔から礼を言うねこにゃーの声には涙が滲んでいた。トレードマークの瓶底眼鏡を外しており、その眼差しには気品さえあった。しかし彼女の方を振り向いた梓もまた、目尻に涙が浮かんでいた。雨に濡れているせいで、他者からは分からない。しかし千種学園からの緊急通信を聞いてから、無性に涙が出ていた。

 

「少しは副隊長らしく、なれたでしょうか……?」

「もう副隊長だよ。以呂波さんも言ってたにゃ」

 

 『同じ指揮官として、最大級の敬意を』……以呂波の言葉が、梓の胸に深く染みていた。準決勝で親睦を深めた仲とはいえ、対戦相手からそのような賛辞を受けるとは思わなかったのだ。

 仲間たちから「準備完了」の無線が入る。ジャケットの袖で顔を拭い、大洗の副隊長は号令を下した。

 

「引き上げ、始めてください!」

 

 

 

 エンジンの音が轟々と響いたとき、雨はほぼ止んでいた。千種学園タシュ重戦車の乗員たちは後車し、徒歩で丘の稜線を越えようとしていた。以呂波は美佐子におぶさり、他の三人が側に付き添う。

 脳筋と名高い美佐子は同い年の少女を担ぎながらも、軽快な足取りで坂道を登る。その中で、彼女はふと口を開いた。

 

「イロハちゃん。『朝潮』っていう駆逐艦、知ってる?」

 

 突然の問いかけに、以呂波は「ええと」と口ごもった。戦車知識は豊富で、航空機のこともある程度知っているが、艦艇にはあまり詳しくない。美佐子がそのまま言葉を続けた。

 

「沈んだ味方の救助中に爆撃を受けて、沈んじゃった船。あたしのひいお祖父ちゃんも乗ってたんだって」

「……亡くなったの?」

「うん、お祖父ちゃんから聞いた」

 

 遠い目で空を見上げ、美佐子は寂しげに笑った。

 

「お父さんは消防隊員でさ。火の中に取り残された人を助けに行って、死んじゃった。お母さんもあたしを産んだ後すぐに死んじゃったけど、あたしの名前に補佐の『佐』って字を入れたの。誰かを助ける人になりなさい、って。お父さんもそう願ってるだろうから、って」

 

 淡々と語る親友に、以呂波は沈黙した。彼女の頑なな態度の理由が分かった。自分と家族の名誉と誇りを守るために、装填を拒んだのである。そして出会ったばかりのとき、廃人だった自分を気にかけ、少々強引に手助けしてくれた理由も。明るい笑顔と能天気な態度の裏に、美佐子もまた背負うものがあったのだ。

 

「あたし、さっき決めたよ! イロハちゃんが最高の隊長でいてくれる限り、いつでも助けになるって!」

 

 後ろを振り返り、いつものように快活に笑う美佐子。背負われている以呂波は、その頭をそっと撫でた。

 

「ありがとう。凄く、頼もしい」

 

 

 五人が稜線を越えると、大洗の戦車がよく見えた。

 三両の戦車が息を合わせて前進し、ワイヤーがピンと張られる。雨でぬかるんだ地面に履帯がめり込まないか心配だったが、三両ともゆっくりと前へ進み、アリクイさんチームを徐々に引っ張り上げていた。

 戦車で戦車を牽引するのはよくあることだ。太平洋戦争では自力で斜面を登れない九七式中戦車を、鹵獲したM3軽戦車で引き上げた例もある。さらにセルモーターが故障した際などは、他車両に引っ張ってもらうことでエンジンを始動できる。しかし重量物を牽引するということは、戦車のデリケートな足回りやエンジンに負担を強いることになるのだ。見た目の力強さの割に、繊細な操縦が要求された。

 

 後から駆けつけたあんこうチームの面々がIV号戦車から降り、みほが三両を誘導していた。優花里らが崖下の三式中戦車を監視し、その状況を伝える。チーム全員で連携しながらの救助作業だった。

 

 以呂波は美佐子の背から降り、その様子を見守った。義足の人間はただ立っているときにも、両足への重量配分に気をつけねばならない。生身の方の足を痛めない配慮が必要なのだ。

 近くには先に進出して監視に当たっていた、河合のカヴェナンターが停車している。エンジンを切り、攻撃の意思がないことを示すため、砲塔を真横へ向けていた。そして乗員も降車して、冷えた空気の中で涼んでいた。ラジエーター配管に断熱材を巻いてあるとはいえ、走行中の車内は高温となっていたのだ。

 

「一ノ瀬隊長。貴女の決断に、生徒会長として感謝します。ありがとう」

 

 河合が以呂波に頭を下げた。生徒会長として、千種学園が冷血な集団と認知されるのは避けたい。黒森峰女学園のような、戦車道に特化した学校ならばまだ良い。戦車道での強さが学校の全てだと言ってしまえるのだから。だが千種学園はそうはいかない。航空学科や農業学科など、戦車以外の活動に勤しむ生徒たちまで評判が悪くなる。

 

 戦車道においては原則隊長の指示に従うと約束しているし、河合は民主主義というものに一定の価値があると信じていた。だが学園に危機が迫れば、昨年度の大洗生徒会長を見習わねばならないとも考えている。以呂波が攻撃を命じたなら、隊長の権限を剥奪するつもりでいた。

 しかし以呂波もまた、目先の勝利より母校の名誉を優先させる判断をした。『強権』は発動せずに済んだのである。

 

「いえ。結衣さんのおかげです」

 

 美佐子の肩に掴まって立ちながら、以呂波は学友をちらりと見た。戦車道を愛する身としては、この競技で自分のような目に遭う人間が増えるのは嫌だった。失ったことで得たものも多いし、義足を恥とも思わない。しかし右脚は二度と戻らないのだ。

 だが隊長として、情によってチャンスを逃して良いものだろうか。葛藤する以呂波に決断を促したのは結衣だった。後悔して欲しくなかったのだ。

 

「私は背中を押しただけよ。一ノ瀬さんなら手段より目的を大事にするって、分かっていたから」

「……撃たなくて、よかった」

 

 涼しい顔で答える結衣の隣で、澪が涙ぐんでいた。顔に安堵の笑みを浮かべながら。砲手の仕事に誇りを持つが故、そして強さを求めるが故、撃てと言われれば撃つと覚悟を決めていた。だがそれでも、本当はやりたくなかった。

 

「それでいいんだよ、澪どん。強くなるってのと、弱さを捨てるのとは別だ」

 

 そう言ったのは、いつもの調子に戻った晴だった。彼女は時々良いことを言う、と以呂波は思った。

 

 晴としては賭けに勝った。もしここで撃つようなら、大会の終了後、黙ってチームを去るつもりでいた。だが同時に、以呂波は撃たないという確信もあった。目先の勝利より、仲間と学校の名誉を大事にする……以呂波はそんな隊長だと信じていたのだ。

 

「確かに。特にあの人たちの強さは、弱さを大事にできるという強さかもしれませんね」

 

 結衣も晴に同意する。三両の戦車は力を合わせ、ついに三式中戦車を救出しつつあった。日本戦車のシーソー式サスペンションが稜線を踏み越え、用水路の斜面から脱出を図る。優花里が三式の足回りを確認しながら、みほの号令で三両がワイヤーを曳く。

 頭でっかちな三式が斜面を踏み越え、ついに車体が水平になる。そのまま数メートル牽引したところで、戦車たちは一旦停止した。

 

「これで一ノ瀬さんの言う通り、『尋常の勝負』ができそうね。具体的なプランは?」

「西住さんを合流させちゃった以上、多少強引な手を使ってでも手早くダメージを与える。数ではこっちの方がまだ多いけど、継戦能力は心もとないからね」

 

 千種学園の残存戦力で、回転砲塔を有する戦車はタシュとトゥラーンIII重戦車、そしてカヴェナンターのみだ。トゥラーンIIIの砲弾搭載量は合計三十二発しかなく、長砲身型のIV号戦車が八十発以上搭載できるのに比べ、あまりに少ない。元々40mm砲を搭載していた戦車を75mm砲に強化したため、車内容積が足りないのである。大坪らは榴弾を減らし、戦車道で重要度の高い徹甲弾を増やしているが、先ほどの戦いでの消費は激しかった。カヴェナンターの継戦能力の低さは言うまでもない。

 

 以呂波は後ろを振り向いた。部隊を待機させたおかげで、後から着いてきたT-35が合流できていた。五つの砲塔を持つ巨体がトゥラーンIIIの隣へ停まり、北森たちは降車している。

 ついで、再び操縦手の方を見た。悪戯っぽい笑みを浮かべて。

 

「結衣さん。タシュの車長、やってみたくない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 引き上げた三式中戦車の損傷具合を確認し、大洗のメンバーは牽引ワイヤーを片付けた。幸い、試合続行に支障はなさそうだった。

 

「我が方の隊長殿と副隊長が『仁将』なら、ハンニバルは『義将』か」

 

 器具を戦車の外部に括り付け、エルヴィンはそう評した。彼女たちは千種学園のメンバーにもソウルネームを進呈しており、以呂波にはカルタゴの名将・ハンニバルの名を贈られた。ローマ史好きなカエサルの発案であり、決勝戦で強敵となることを確信しての命名だ。なお、姉の千鶴にはスパルタカスの名を贈っている。

 

「互いに敬意を払えるライバルか。それこそスキピオとハンニバルのような」

「島津と井伊直政」

「むしろここは敢えて、山岡鉄舟と清水次郎長ぜよ」

「それだ!」

 

 お馴染みの掛け合いを始める歴女集団を他所に、梓は自車へと戻っていた。砲塔から顔を出して出迎えた大野あやとハイタッチを交わし、丸山紗希も微笑を向けて労う。極端に無口な紗希だが、友人たちとは意思疎通ができている。梓も彼女の笑顔から、「お疲れ様」という言葉を読み取った。

 そんな彼女の眼下、M3中戦車の足元に、隊長が歩み寄る。梓ははっと姿勢を正した。

 

「澤さん、お疲れ様。それと、ありがとう」

 

 柔和な笑顔で告げられた、シンプルな労いの言葉。それが梓の胸には深く染みた。

 

「西住隊長。私、ちょっとだけ分かった気がします。私の……戦車道」

 

 副官の言葉に、みほは満足げに頷いた。何が正道で何が邪道か、そんなことは人によって変わる。各々が自分の信じられる道を、一歩ずつ求めるしかないのだ。

 そして同じように道を求める少女たちが、小高い丘の上からこちらを見ていた。視力良好なみほには、遠くからでも義足のシルエットが分かった。以呂波だけではない。大坪、北森、三木、川岸、去石、河合。千種の隊員たちが続々と稜線に並ぶ。

 そして一斉に、みほたちへ向けて敬礼を送ってきたのだ。

 

 その整然とした姿に息を飲み、はっと我に帰る。

 

「全員、敬礼!」

 

 号令に従い、大洗のメンバーも敬礼を返した。車内にいる者はハッチから顔を出し、丘の稜線を仰ぎ見て。秋山優花里の敬礼はさすがに様になっていた。敬礼の起源はヨーロッパの騎士とされ、兜のバイザーを開ける際の仕草が元になっているという。大洗女子学園と千種学園はお互いに、戦車の騎士道を体現したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「以呂波と澤梓のやったことを『宋襄の仁』だとかぬかす奴がいたら、手加減無しでぶちのめしてやる」

 

 拍手の鳴り止まぬ観客席で、千鶴が笑いながら呟いた。隊長として他校の情報収集は欠かさず行っている。黒森峰の事情に明るいトラビからも話を聞き、西住みほが黒森峰を離れた経緯もよく知っていた。千種学園で同じことが起こるとは思えないが、自分の妹がそんな目に遭えば放ってはおけない。

 

「そのときは私も手を貸すわ」

「こんな手で良ければ、ボクのも」

 

 巨大モニターから目を離さず同調するカリンカと、義手を掲げて笑うベジマイト。そんな女子高生たちの様子を眺めつつ、守保も心の中で呟いていた。以呂波、それで良いんだ……と。

 緊急回線で告げた言葉はしっかりと理論武装されており、仮に難癖はつけられても批判されることはあるまい。客席を包んだ万雷の拍手が証拠だ。目先の勝利より学校の大義を守る選択は、常に会社の名誉を背負う社長として、大いに共感できるものだった。

 

「まあそれはそれとして」

 

 トラビが愉快そうに話題を変えた。タンブラーで持参したコーヒーを飲みながら、試合の流れを大いに楽しんでいる。

 

「大洗はこの後、T-35を狙うんとちゃう?」

「アリだな」

 

 彼女の読みは正しいと千鶴は思った。M3、ポルシェティーガー、八九式がT-35と遭遇した際、三両がかりで追撃をしかけていた。あの欠陥戦車が、千種学園にとっては極めて大事な戦力だと知っているからだ。乗員数の多さを活かし、歩哨によって敵の動きを把握するという戦法は、大洗側からすればかなり厄介なものである。

 このまま戦場が艦首側へ移動すれば、市街地での戦いとなるだろう。西住みほとしては歩哨を配置される前にT-35を撃破し、その上で十八番の市街戦に持ち込みたいはずだ。トルディIIa軽戦車を狙ったのも、千種学園の偵察力からそぎたいということだろう。

 

「以呂波はギリギリでの戦いに慣れすぎた感じがある。勘が冴えて用心深くて、油断が無いところを逆手に取られて、トルディを失った。司馬懿とか武田家の武将とか、頭の良い指揮官ほど『空城計』にはかかりやすい……」

 

 ふと言葉を切り、千鶴は巨大モニターに映るT-35を凝視した。異変、という表現は不適切かもしれないが、少し変わったことが起きていた。

 その巨大な多砲塔戦車に、以呂波が乗り込もうとしていたのである。梯子状の取っ手が付いているとはいえ、さすがに義足の身で巨体に乗り込むのは大変そうだった。乗員たちが下から押し上げ、車上から引っ張り、どうにか円錐型の主砲塔まで登る。

 

 隊長自ら、T-35へ移乗した。その意味するところは一つである。

 

「……面白くなりそうだ。な、兄貴」

「ああ」

 

 妹の言葉に一つ頷き、守保もまた笑みを浮かべた。

 

 

 





お読みいただきありがとうございます。
マジで時間が取れないですが、ようやく更新できました。
仕事の繁忙期はまだ続くので、更新ペースを取り戻せるのはいつになるか分かりませんが、見守っていただけると幸いです。
終わりまでのストーリーはできています。



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へっぽこ戦車の意気地です!

頭領(ヘーチマン)、セルモーターがイカレたっぽいです」

 

 T-35の操縦手が報告した。古い戦車のセルモーターは脆弱で不調を起こしやすい。競技用戦車は現代の技術で信頼性が向上しており、千種の整備班もメンテナンスに手抜きはしていないが、やはり不具合は起きてしまう。特に今回は工作中、エンジン音や排煙で敵に気づかれないよう、頻繁に停止と再始動を行ったのだ。

 

「よし、圧縮空気を使え」

「了解」

 

 北森の指示で、操縦手はパルブを開いた。車体先端に備えられた二本のボンベから圧縮空気が送られ、クランクシャフトに回転を加える。大抵の戦車にはこうした予備の点火機構が備わっているのだ。

 低いうなり声の後、エンジンに火が灯った。リズミカルな音を立て、V型12気筒エンジンが作動する。各種計器類を確認し、異常なしと報告した。

 

 主砲塔のバスケットには四つのシートがある。車長席には以呂波、本来の車長である北森が砲手席、装填手 兼 通信手はいつもの席に腰掛けていた。残る一つのシートは戦闘時用の装填手席だ。傾斜装甲を用いた円錐砲塔のため、内部の容積は狭い。

 

「あんまり快適じゃないだろ、隊長」

 

 北森が苦笑した。二人の距離は間近だ。

 

「確かに狭いですけど、先輩の愛車精神がよく分かりますよ」

 

 義足のソケットを固定し直し、以呂波が答える。

 乗員が掩体壕掘りを繰り返したため、T-35の内部は泥だらけになっていた。しかしまだ撃っていない戦車砲は綺麗な状態で、日頃から手入れをしていることがよく分かった。この戦車でまともな撃ち合いは無理だと割り切り、砲弾を減らして食料や工具を積んでいる。しかし北森らは滅多に使わない主砲のメンテナンスを、一切手抜きしていないのだ。自分の戦車を愛していなくては、こうはいかない。

 

 以呂波は車長席から立ち上がり、再び座り、膝関節の動作を確認する。体重のかかり方をコンピューターが感知し、銀色の脚の中で油圧機構が動く。座席の支柱に固定された砲弾に踵が触れた。防水されたロボット義足ではあるが、雨に濡れた後なので簡単に点検を行ったのだ。この脚も今となっては以呂波の大事な相棒である。そしてそんな光景は北森たちチームメイトにとって、最早見慣れた姿だった。

 問題がないことを確かめ、指で咽頭マイクを喉に押し付ける。装填手が通信回線を開いた。

 

「これより、作戦を開始します。大洗の車両を追跡しつつ、相手の迎撃を逆に返り討ちにし、市街地到着までに数を減らします」

 

 円形の砲塔ハッチから顔を出し、以呂波は本来の愛車……44Mタシュ重戦車を顧みた。

 

「結衣さん、タシュをお願いね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千種学園は追撃を再開した。トゥラーンIII重戦車を先頭に、フラッグ車たるタシュ重戦車、その後方援護にマレシャル駆逐戦車とSU-76i自走砲。チーム結成当初と比べ、隊列運動も大分熟練してきた。そもそも千種学園の編成は射程も速度もバラバラという有様だったため、複雑な隊列運動もあまり意味を成さなかった。その上錬成の時間も無かったため、最初の頃は「事故らなければいい」というレベルの隊列維持しか教えなかった。

 

 しかし長射程の戦車が徐々に増えてきたため、互いの死角をカバーし相互支援する訓練も行うようになった。そもそも一弾流は仲間同士で戦果を競うことを厳禁とし、味方と共同でより大きな戦果を挙げることを重視している。

 他にも一弾流には「エンジン不調によるリタイアを禁ず」「食べ物の好き嫌いを禁ず」などの掟があり、以呂波はチームメイトたちにそれを厳守させていた。前者はそのくらい整備を徹底せよという意味で、後者はどんな状況でも戦えるようにするための戒めだ。もっともある程度の融通は利かせており、大坪たち馬術部員が馬肉を拒否することは容認していた。

 

 今、タシュ重戦車は結衣に代わって、通信手の晴が操縦していた。二本のレバーを操り、隊列を乱さない程度の動きは維持している。万一操縦手が失神したときなどに備え、交代要員としてある程度の訓練は積んでいるのだ。

 

「言っとくけど、あたしゃ土台人間がガサツだからね。お結衣ちゃんみたいに繊細な操縦は無理だよ。『反対俥』みたいなことになっても勘弁しておくれ」

「それはそれで楽しそうじゃないですか!」

 

 いつもの調子に戻った美佐子が能天気に笑う。初陣の際、量産車仕様のカヴェナンターを一試合保たせたのは結衣の操縦技術に依るところが大きい。彼女は冷泉麻子とは違った意味で素質があった。

 しかし今結衣が立っているのは、以呂波の持ち場である車長席だった。長髪を風に靡かせ、凛とした表情で前方を見据える。

 

 思い起こすのは初陣の記憶だった。ドナウ高校との練習試合で最初の作戦が破綻した後、結衣は不安に駆られた。今でこそSU-100やE-100といった強敵とも渡り合ったが、初試合で見た長砲身のIV号戦車はとてつもなく強く、恐ろしい敵に思えた。

 だが以呂波は欠陥戦車のカヴェナンターで反撃を試みた。酷暑の中で見たあの笑顔が、目標だ。

 

「そろそろ会敵が予想されます。見張りを厳にしてください。トゥラーンはできる限り、砲弾を節約してください」

《今榴弾の信管を調節したわ。近距離ならそっちを使って、徹甲弾を節約するから》

 

 トゥラーンIIIを駆る大坪から快活な返事が返ってきた。榴弾でも信管の作動タイミングを遅くすれば、ある程度の装甲完徹力はある。例えばティーガーIの88mm榴弾なら、距離200mでT-34を撃破できたという。

 

 大坪も他の車長たちも、急遽隊長代理を任された結衣の指揮に逡巡なく従っている。もちろん、結衣が普段からリーダーシップを取れる人間だからでもある。しかしそれよりも、一ノ瀬以呂波が彼女を信頼して車長席を任せたのが大きかった。千種学園の隊員は以呂波を全面的に支持しており、それ故に以呂波の信頼する結衣を支持する。そういうことだ。

 

《こちら東。一ノ瀬隊長の読み通り、リーとルノーが本隊と分かれた。残りはポイントFの稜線の陰に隠れてる。迎撃の構えっぽいぞ》

 

 未だ追跡を続けているアンシャルド豆戦車からの報告。無砲塔で視認しにくい小型戦車とはいえ、あの西住みほをここまで追跡する東の腕はかなり冴えている。T-35の副車長だった彼女は、工作部隊『北森百貨店』の一員として車両の偽装やデコイ設置を行ってきた。その中で身を隠すのに最適な地形を学びとったのだろう。

 

 同時に、相手の次の一手を読んだ以呂波も冴えている。幼い頃から優秀で要領の良い結衣にとって、初めてあった時の彼女は弱者だった。重そうに義足を引きずり、虚ろな目で廃人のような日々を送るクラスメイト。それが戦車に乗った途端、英雄へと変わった。

 親から「他人の手本になるような人間になれ」と言われ、そのつもりで生きてきた。学級委員にも率先してなった。そんな自分がパニックに陥りかけたとき、以呂波は笑って「必ず上手く行く」と言ってのけ、皆の士気を上げた。

 

 あのときから、以呂波は結衣にとって『救うべき社会的弱者』ではなくなった。いつも義足で肩をつついて指示を出してくるため、彼女が障害者だということを忘れたことはない。しかしその義足も障害の証ではなくアクセサリーのように思えるほど、以呂波の笑顔には強さがあった。

 柔和だが、それでいて負けず嫌いな面のある結衣は、自分もそうなりたいと思った。いずれ以呂波のように車長として戦ってみたい、そのために以呂波の戦い方から学ぼう……そんな考えを胸に、これまで操縦手を務めてきたのだ。

 

「各車、前方の丘を左へ迂回します」

 

 号令に従い、先頭のトゥラーンIIIが変針する。敵との正面衝突を避ける形だ。

 

 結衣の野心と若干の嫉妬心を、以呂波は薄々察していたのだろう。車長の心得について尋ねたりもしたから、当たり前と言えば当たり前だ。そしてそんな結衣の感情さえ、作戦に組み込んでしまった。

 それでいい。彼女の凄いところをもっと見られるのだから。学び取って、もっと強く、賢くなれる。

 

「一ノ瀬さんが戻るまで、一両も落伍させない……!」

 

 

 単なる友情だけでなく、競争心を向けられる相手。そんな得難い親友を持てたことに、結衣は強い喜びを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《千種学園、二時方向から接近中です! 先頭にトゥラーンIII、交戦距離までおよそ三分!》

 

 優花里の声が電波に乗り、みほの耳へ届く。彼女の左側にはいつも通り華が座り、右側には徒歩偵察に出た優花里に代わって沙織が搭乗していた。昨年度、プラウダ高校との試合中にも行った臨時配置である。

 

 千種学園は大洗が待ち伏せするポイントを予測していた、とみほは判断した。一弾流は伏兵を看破するのも得意だと共闘時に知った。だがここで敵を仕留めることが目的ではない。

 

「了解、帰還してください。全車、敵の来る方へ正面を向けてください。一発撃ったら即座に陣地転換します!」

 

 IV号、三式中戦車、III号突撃砲。各車が信地旋回で車体を二時方向へ向ける。雨上がりであるため地面は濡れ、土煙は立たない。

 後ろを振り返ると、廃墟となったオーストリア風の居住区、そして戦艦型学園艦の巨大な艦橋と煙突、マストが聳え立っていた。これから艦の中央部を越え、艦首側で市街戦に持ち込む。しかしこの学園艦で暮らしていた大坪たちがいる以上、地の利は千種側にある。その上T-35の乗員を歩哨に使ってくれば、こちらの動きが筒抜けになる。大洗の十八番と言える市街戦での優位が損なわれてしまう。

 

「相手が退いたら不用意に追撃せず、ウサギさんとカモさんがT-35を撃破するまで、時間を稼ぎましょう。その上で旧トラップ校市街地へ移動し、『クマウマ戦法』で決着をつけます!」

「……いよいよ使うんのか、クマウマ」

 

 麻子が呟いた。的確にレバーを操作し、戦車の旋回をぴたりと止める。

 この辺りはまだ地形の起伏や隘路が多く、大型戦車の行動はかなり制限されるだろう。このような場所にT-35を送るような真似はしないはずだ。周囲の地形を考えれば、何処を通ってくるかは予測できる。そこへ別働隊を向かわせ、撃破する。

 

「撃ち方用意!」

 

 初戦でポルシェティーガーを失った今、あの重装甲を頼みにした戦術は取れない。着実に相手の数を減らした上で、決戦を挑むのが最良の策だ。以呂波との策の読み合いになるだろう。

 

 みほにはあの義足の少女が、この知恵比べを楽しんでいる姿が想像できた。だが、当の以呂波がT-35へ移乗していることは未だ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《こちら歩哨A地点、敵確認! B1bis、その後ろにM3だ!》

 

 見張りからの報告を聞き、以呂波はT-35の座席に片膝を着いて見を屈めた。顔が見えにくくするためである。自分がT-35に乗っていることに気づかれれば、作戦が破綻するかもしれない。いっそのこと『ニセ住みほ作戦』のときのように、ウィッグでも用意しておけばよかったと若干後悔する。

 

「マジであたしらを狙ってきたのか。嬉しいね」

 

 北森のその言葉は冗談などではなく、本心だった。すでに気心知れた仲である以呂波にはそのことが分かった。準決勝の後、トラビに礼を言ったアヒルさんチームと同じ感情だ。脆弱な戦車に乗っている自分たちを馬鹿にせず、排除すべき脅威と見なしてくれる。それが喜ばしいのだ。

 

「先輩のそういうところ、好きですよ」

 

 敬意を込めて言った後、以呂波は咽頭マイクに指を当てる。

 今T-35は艦橋の間際、整地された道路に停車していた。その隣には護衛の九五式装甲軌道車ソキが、同じように足を止めている。T-35乗員の内、後部副砲塔・機銃塔の乗員、及び主砲砲手をソキ車に跨乗(デサント)させ、先行して歩哨につけたのだ。

 

 間近に聳える艦橋は巨大だが、廃艦の雰囲気のためか往時の威厳が感じられない。国破れて山河あり、という言葉を思い起こさせる。足元には多数の車庫があり、かつては非常事態用の救急車や消防車が収納されていた。それらはビッグウィンドと同様、今は千種学園に引き継がれている。今では空になった車庫が軒を連ねているのみだ。閉ざされたシャッターも白い塗装が剥げ、錆が浮いている。

 それらをちらりと見つつ、以呂波は歩哨の報告を待った。

 

《こちら歩哨B地点、敵確認!》

《C地点からも確認、そっちへ向かっているよ!》

「戦闘用意」

 

 装填手が戦闘用の座席へ移った。以呂波の座る車長席の支柱から榴弾を取り外し、装填の準備をする。T-35の副砲は対戦車用の45mm砲だが、主砲は76.2mmとはいえ歩兵支援用の短砲身だ。徹甲弾も用意されているものの、貫通力は極めて低い。むしろ榴弾の方が、爆発による履帯破壊やエンジン故障などを狙える。

 

《こちらD地点! 敵が通過した!》

「作戦開始します! 戦車前進(パンツァー・フォー)!」

 

 ソキ車、そしてT-35の操縦手がクラッチを繋いだ。ソキ車は左側面のダクトから排煙を吹きながら発進する。続いて多砲塔戦車がゆっくりと歩みを進めた。入念なメンテナンスの甲斐あってスムーズな走行だ。不整地ではなく路上だということもあり、滑らかに走っている。戦時中には多くのT-35が故障で落伍したが、最低でも数百キロは走行していたのだ。

 砲塔を囲むループアンテナ、三メートルを超える車高。いつもとは違う風景を以呂波は見ていた。図鑑でこの戦車を知ったのは小学生の頃だが、まさか乗る日が来ようとは思っていなかった。今となってはそんな状況も楽しんでいられる。

 

 ほんの二十メートル程度進んだ所で、以呂波、そしてソキ車を駆る三木は敵を視認した。前方左手側の民家の陰から、ルノーB1bisが姿を現した。

 即座に以呂波は次の命令を下す。

 

「後退してください!」

 

 即座にギアが切り替えられ、操縦手たちが戦車をバックさせる。

 

「漸減徹甲弾なら急所に当たらなくても貫通できます。私の指示通りに撃ってください」

 

 あくまでも冷静に指示を出す。同時に相手の動きをよく見ていた。B1bisは車体に固定された75mm砲を活かすため、超信地旋回も可能な操向装置を備えている。それによって素早く車体を旋回させ、T-35へ砲を向けた。

 その背後からM3リーも姿を表す。初戦で塗装が剥げ落ち、満身創痍の風体だが、まだ十分戦える。

 

「合図と同時に右へ回避」

「あいよ!」

 

 操縦手が気合の入った声で答えた。以呂波がわざわざ移乗したのは直接作戦指揮を執るため、そして自分の卓越した射弾回避能力によってT-35を守るためだ。タシュを一緒に行動させないことで、相手の油断も誘える。

 いつも乗っている『まともな戦車』と違い、T-35は十メートル近い巨体だ。同じタイミングで回避しては間に合わない。車体の長さと旋回の速度を考慮して指示を出す必要があった。

 

 しかし以呂波のこうした技は計算だけで行うものではない。ベジマイトの野生の勘や、澪、華の射撃能力のように、己の感覚を頼る面も多いのだ。

 

「……今!」

 

 号令の途端に巨体が旋回し、右後方へ進む。

 相手はその直後に撃ってきた。二つの砲声が同時に響く。75mm榴弾は空振り、遥か後方へ着弾。爆煙が巻き上がる。旋回砲塔の47mm砲弾は副砲塔を掠めた。塗装が剥げ落ち、装甲は凹んだものの貫通はしていない。入射角が浅すぎたのだ。

 

「回避成功、全速で後退!」

 

 続いて撃ってくるであろうM3の動きを気にしながら、バックする。相手側は接近してきた。T-35が艦橋の陰へ逃げ込むつもりだと読んだのだろう。入り組んだ場所では接近戦もやむを得ないし、特に大洗はそうした状況に慣れている。それが以呂波の狙い目だった。

 T-35の主砲塔は左右に煙幕発生装置を備えている。しかしまだこれを使う時ではない。自分の周りに煙幕を張っては敵を視認できなくなるため、攻撃時には使えないのである。

 

 そう、今は攻撃の時なのだ。

 

「河合先輩、撃ち方用意!」

 

 スリルが体を駆け巡る中、決してそれに身を委ねることはない。ルノーB1bisのずんぐりとした姿が、キルゾーン……シャッターの閉ざされた車庫の目の前に差し掛かる。

 

「撃て!」

 

 刹那。錆びたシャッターを貫いた小さな砲弾が、B1bisの車体側面に食い込んだ。鈍い音と共に装甲へ沈み込む徹甲弾。60mmの側面装甲を浸徹し、ついにカーボン層まで達する。

 丁度M3の砲塔から顔を出していた梓が驚愕の表情を浮かべる。

 

 リトルジョン・アダプター。2ポンド砲の口径を40mmから30mmに縮小し、ゲルリッヒ砲化する装置だ。それを至近距離で叩き込まれ、B1bisの重装甲も膝を屈した。

 

「……ナイス」

 

 小さな砲塔から飛び出す白旗を見て、以呂波はニヤリと笑った。




お読みいただきありがとうございます。
仕事はハードな日がまだまだ続きますが、とりあえず十月前半は比較的休みが多いので、できるだけ書きたいです。

忙しいなりにも、ガルパン以外に美少女アニメを見ないのもどうかと思い、けものフレンズとRWBYを見てハマったり、楽しく過ごしております。
まあ前者は今大変なことになってますが……ガルパン最終章の方は無事に上映されることを祈りつつ、完結まで書いていきます。

活動報告に登場キャラのよもやま話を書き始めたので、そちらもよろしければご覧になってください。


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秘策の使い時です!

「川岸さん、去石さんは先に後方へ下がって。相手の進出を待って迎撃を!」

 

 硝煙漂うフィールドで、結衣は毅然として指揮を執っていた。フラッグ車であるタシュの姿を相手の前にちらつかせ、攻撃を誘う。砲口が向けられた瞬間に回避し、次の攻撃地点へ移動。ルーチンを繰り返し、時間稼ぎに徹する。

 しかし相手が予想外の行動に出てくることもあるので、常に周辺警戒は欠かせない。特にIII突には気をつけねばならなかった。車高が低いため普通の戦車では隠れられない場所に潜むことができるし、それを操るのは大洗でも手練のカバさんチームだ。車体に幟を立てるとか、場違いな偽装パネルを使うとか、何かドジをやらかしてくれれば楽に撃破できるのだが。

 

「お晴さん、後退を。稜線の陰へ」

「あいよっ!」

 

 チヌ車の砲身がこちらを向くのを見て、即座に退避命令を出す。タシュの車体が後ろへ傾き、稜線の後ろへ退く。廃艦となってから手入れのされていない土地は草が生い茂り、それを無限軌道が蹂躙する。排気と硝煙に混じり、すり潰された草の香りが微かに漂った。

 

 キューポラから顔を出して指揮を執る感覚は、操縦席とは大分違った。砲撃時の衝撃波、硝煙の香、爆風、全てがダイレクトに五感を刺戟する。以呂波はいつもこの中で戦っているのか……などということは考えていられない。結衣は矢継ぎ早に指示を出し、ひたすら時間稼ぎに努めた。だがその中で彼女は確かに、自覚のないまま、その状況を楽しんでいたのだ。

 

 

 やがて、彼女の耳に審判のアナウンスが聞こえてきた。大洗のルノーB1bisが、撃破されたという報せが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「作戦中止! 元の道へ撤退して!」

 

 千種の奇襲に対し、梓の判断は早かった。車庫の中で敵戦車が待ち伏せしていた……つまり、この作戦は先読みされていたということだ。

 隠れていたシャッターを突き破り、カヴェナンター巡航戦車が姿を表す。リトルジョン・アダプターを被せた2ポンド砲がM3へ向けられる。同時にT-35は車体側面の、TDP-3発煙装置を起動していた。噴き出した煙の中へ、巨体がゆっくりと身を隠していく。

 

 算盤玉型の砲塔からは河合が顔を出していた。敵前で堂々と姿を晒すあたり、やはり彼女も大物である。

 直後、カヴェナンターが再び発砲。ソキ車も撃った。予め装填していた二式擲弾器だ。しかし梓の回避命令の方が早かった。高速で放たれた漸減徹甲弾は前方を通り抜け、小銃擲弾が砲塔の間近を掠める。コツンとぶつかる音がして、梓は一瞬肝を冷やした。

 

「路地へ逃げ込んで!」

「あいっ!」

 

 佳利奈が元気よく返事をし、後退しつつ車体を旋回させる。M3リーは信地旋回ができないので、装輪車輌のように切り返しを行わねばならない。梓は小まめに指示を出し、佳利奈は阿吽の呼吸で操縦レバーを操る。

 

「ねえ! これからどうするの!?」

 

 山郷あゆみが車長席を見上げた。

 

「T-35を倒さないと……!」

「優季ちゃん、カモさんチームの安否確認をして!」

 

 手をかざし、友人の言葉を遮る梓。通信手席の優季がヘッドフォンに手を添える。

 

「カモさんチーム、お怪我はありませんか?」

《全員無事です! ごめんなさい!》

 

 ゴモ代の甲高い声が返ってきた。一先ず安心だ。

 だが、これでまた僚車を失った。作戦を先読みされていた以上、梓一人の責任というわけではない。否、責任の所在はこの際どうでもいい。

 

 「貴女が副隊長だからだ」と磯部は言った。

 自分に何ができるのか。何をしなくてはいけないのか。それが何よりも重要なのだ。

 

 初試合でチームメイトが敵前逃亡したとき、梓は皆を引き止めようとした。だが本当は自分も怖かったし、逃げ出したかった。そんな自分たちを、西住みほは受け入れ続けてくれた。だから彼女から学ぶことができた。『恐れ』への挑み方を。

 

「西住隊長に連絡しないと。やるなら今しかない!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 T-35の襲撃作戦は頓挫した。共闘で互いに手の内を知り、敬意を払っていたからこそ、以呂波はみほの意図を察することができた。そしてフィールドの地形も徹底的に予習していた。千種学園に保存されている、この学園艦の精密模型も役に立ったし、何よりこの艦で生まれ育った大坪たちの協力で、地の利を味方につけられた。

 

 以呂波から隊長車を預けられた結衣は的確な指揮を下し、麾下の車両への損害を防いでいた。主にマレシャルとSU-76iが砲撃し、残弾に余裕のないトゥラーンは控えめに攻撃する。一度撃ったらすぐさま射点を移動する。

 交戦するみほの方は、タシュのキューポラから顔を出しているのが以呂波ではないことに気づいていた。一瞬、彼女の脚に何かのトラブルが起きたのではないかと思った。しかしT-35が鋭い見切りで攻撃を回避したという話を聞き、全てを察した。自分の作戦は見切られていたのだと。

 

《西住隊長、このまま相手の数を削ろうとしても、潰し合いになるだけです!》

 

 副隊長の意見具申を聞きながら、周囲の状況を確認する。

 

 稜線の陰から砲塔を出したトゥラーンIIIが、三式中戦車へと発砲。しかしアリクイさんチームの退避行動が早かった。放たれた砲弾は地面に着弾し、大きくバウンド。遅延信管が作動して空中で爆発した。反撃のため砲を向け返すと、トゥラーンは即座に稜線の向こうへ隠れる。

 榴弾を撃ってきたことから、弾切れが近いことを推察できた。トゥラーンIII重戦車は携行弾数が少ないと、共闘時に聞いていたのである。

 

《市街地へ入る前に、クマウマ戦法を仕掛けましょう! これ以上戦力が減ったらもうできなくなります!》

「……そうですね」

 

 梓の正しさを、みほは認めた。後輩の成長に喜びを感じつつ。

 砲塔内を見下ろすと、優花里と目が合った。徹甲弾を抱えたまま、癖っ毛の相棒は力強く頷く。全員の心はすでに一つだ。みほは以呂波と違い、戦車での戦い自体に楽しみを見出しているわけではない。そこで生まれる仲間との絆、そして笑顔こそが、何よりも好きな物だ。みほは小学生の頃にその喜びを知ったが、黒森峰時代には家名の重さに囚われ、忘れかけていた。それを思い出させてくれたのが、大洗の仲間たちだったのである。

 

 できることならもう少し、敵との数の差を減らしたかった。しかし皆の心が一つになれば、十分に作戦を決行できる。無謀な精神論などではない、高い士気の生み出す勇気だ。

 

 むしろ以呂波がいない今こそ、フラッグ車を討ち取る好機とも考えた。だが指揮を引き継いだ結衣は以呂波から多くを学んでおり、また引き際を心得ていた。戦果を上げようなどとは考えず、撃った後はすぐに隠れ、時間稼ぎに徹している。

 ならば敢えて敵を合流させ、安心したところを急襲する。

 

「一度退いたと見せかけ、クマウマ戦法で反撃に出ます。けれど皆さん、一つだけお願いがあります」

 

 

 ……このときみほは初めて、仲間たちに我儘を言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大洗の戦車は再度煙幕を張り、発煙筒を放り出し、トラップ高校市街地へと後退を始めた。千種学園は市街地手前での合流を目指す。ソキ車だけは降車していたT-35乗員を跨乗させ、再び艦内線路へ潜った。艦首の甲板へ向かい、大洗より先回りして歩哨を展開するためだ。アンシャルド豆戦車も追跡を続ける。

 双方の見せた騎士道精神に盛り上がっていた観客席は一転し、緊張に包まれた。相手の一手先を読み合う攻防に、誰もが固唾を飲んで試合の流れを見守っている。

 

 そんな中、一人苛立ちを募らせる観戦者がいた。グレーの制服を着た、名門・黒森峰女学園の生徒だ。白く美しい髪、凛々しい眼差しが印象的で、スタイルも良い。きりりと引き締まった風貌の、いかにも黒森峰的な美少女だ。しかし今の彼女は焦燥に駆られていた。

 

「何やってんのよ、あんな連中相手に……!」

「落ち着け、エリカ」

 

 彼女の肩に手を置いたのは、西住まほだった。先輩になだめられ、逸見エリカはハッと我に帰る。黒森峰の隊長を引き継いだ彼女だが、未だにまほは憧れの人だ。

 そんな二人を尻目に、干し芋を齧りながら観戦する者もいる。言うまでもなく、角谷杏その人だ。傍らには先ほどまで使っていた傘が立てかけられている。

 

「ねえエリ公。西住ちゃん、例の新戦法を使うかな?」

「誰がエリ公よ、誰が!」

 

 悪態を付きながらも、エリカは大画面に向き直る。モニターの端には大洗の残存戦力……IV号戦車H型、M3リー中戦車、三式中戦車チヌ、III号突撃砲F型の四両が表示されている。すでに半数を失った形だ。

 

「今使わなきゃ機会を失うわ。これ以上消耗したら打撃力がなくなるじゃない」

「確かにそうだな」

 

 まほは後輩に同意した。偽情報にはまり、存在しないシュトゥルムティーガーを警戒したがため、大洗は初戦で三両を失った。そのためみほは千種学園の戦力を着実に削った上で、決戦を挑む方針に転換したのだ。しかし互いの手の内を知っているがため、双方に相手の腹を読み合う流れになっている。

 だが、みほには切り札があった。。今それを仕掛けるのはリスクが伴うものの、このまま消耗戦を続けるよりは良い。少なくともエリカとまほはそう考えていた。実際のところ、みほも同じ考えに至ったのだが。

 

「一ノ瀬って子はともかくとして、ハイターが通信手をやってるようなフザケたチームに負けたら許さないわ……」

「あー、あの落語家志望って子かー」

 

 頬張った干し芋を飲み込み、杏はふと笑った。ハイターこと高遠晴の、「やーねぇ」を思い出したのだ。元々ダジャレが好きなので、彼女の落語にも興味を持っている。いずれ会ってみたいものだ。

 エリカはふんと鼻を鳴らし、再び画面を注視した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 丁度その頃、タシュ重戦車の車内に大きなくしゃみが響いた。声帯から声を拾う咽頭マイクを通していため、仲間たちには少し不自然なくしゃみに聞こえた。

 

「うー、誰か噂してるね。さては逸見先輩か?」

 

 ぼやきながら操縦を続ける晴。ふと出てきた名前に、車長席の結衣が興味を持った。

 

「それって、黒森峰の隊長の?」

「あたしがいた頃は副隊長だったね。面白いお人さ」

 

 晴の言う『面白い人』というのは好意的な評価だ。千種学園のチームメイト全員に対しても同じように考えている。だがそう言われたとして、逸見エリカ当人は全く嬉しくないだろう。

 

「あたしゃ黒森峰では落語はやらなかった。代わりにあの人のモノマネをやったことがある。ただ『何やってんの!』って連呼するだけ」

「何ですかそれ?」

「あの人の口癖さ。結構ウケたけど、当人がすっ飛んできたから慌てて逃げたもんだ」

 

 しみじみと呟く晴。黒森峰にいた頃は真面目だったと言うが、やはり本性は隠しきれなかったらしい。

 そのとき、結衣は巨大なシルエットの接近を確認した。T-35重戦車は塗装が剥げたのみで、無事生還したのだ。さすがに以呂波の回避技術は冴えている。可能ならM3も仕留めたかったが、それは叶わなかったようだ。

 

 結衣が大きく手を振る。T-35の主砲塔から、以呂波が同じように手を振ってきた。短い間だったが、代理としての役割は果たせた。安堵に胸を撫で下ろす。

 だが、喜びは束の間だった。

 

 

《千種学園・CV.35ハンガリー仕様、走行不能!》

 

 

 突如入ったアナウンスに、結衣たちは眼を見開く。追跡を続けていた東ハルカがやられたのだ。

 

《ハルカ! 大丈夫か!? 怪我はないか!?》

 

 以呂波より先に、北森が叫んだ。

 

《東先輩、大丈夫ですか!?》

《ハルカ! ユタカ! 応答しろ!》

《……無事です、姉さん。ユタカも》

 

 少し間を空けて、東の声が返ってきた。操縦手共々、怪我はないようだ。北森の安堵の息が無線に混じった。

 

《三式にやられました。戦車がひっくり返って、外の状況が分からない……》

《了解です、ありがとうございました。回収車を待ってください》

 

 追跡に気づかれ、逆に不意打ちを受けたらしい。豆戦車の装甲ではひとたまりもない。だが車長としては初陣となる今回、ここまで敵を追い続けた活躍は見事だ。後はソキ車で送り込む歩哨が、市街戦で決着をつける際の要となる。市街地でのゲリラ戦は大洗の十八番、しかし相手の動きを掴めば勝機はある。

 

 T-35重戦車がゆっくりと近づいてくる。設計コンセプト自体を間違った欠陥戦車であっても、その巨体は圧巻だ。結衣が車長用キューポラから身を乗り出し、砲塔上に立つ。美佐子と澪、晴も降車した。

 多砲塔戦車はタシュの隣に停車し、同じように乗員が降車する。以呂波を降ろすためだ。さすがにこうした時は健常者と同じようにはいかない。北森らに体を支えられ、主砲塔から車体へ、車体から地上で待機する乗員たちの腕へ、そこから地面へと、ゆっくりと降りていく。几帳面な以呂波はその度に、チームメイトたちへ「ありがとうございます」と繰り返した。

 

 ようやく自分の足で地面に立ち、以呂波は結衣と向き合った。

 

「お疲れ様。どうだった?」

「……私なりに頑張った、とは思うけれど」

 

 結衣は以呂波と目を合わせると、少し苦笑する。

 

「何が何だか、分からないうちに終わっちゃったわね」

「そっか」

 

 以呂波も微笑み、右手を掲げた。結衣もそれに合わせて手を出し、ハイタッチを交わす。快音が宙に弾けた。

 

 やっぱり彼女はかっこいい、と結衣は思った。思いつつ、タシュへ乗り込もうとする以呂波を、下から押し上げる。それも最早自然なことだ。砲塔に溶接された取手が戦闘で吹き飛んでいたため、美佐子と澪が上から引っ張り上げる。万一足を滑らせ、車上から転げ落ちてしまった場合に備え、結衣と晴は下で待機し続けた。

 

 以呂波がキューポラから車長席に脚を入れるのを見て、ようやく他の乗員も持ち場へ戻る。慣れたタシュの車長席に立ち、隻脚の車長は進路を見据えた。オーストリアの古都を模した、優雅な街並みが見える。船橋たちがここにいたときは、さぞかし風光明媚な場所だったのだろう。この先が決戦の舞台となる。

 

 仲間たちも皆、再度乗車した。だが前進の号令をかけようとしたとき、小さな違和感を覚えた。六両のエンジン音が轟く中、他の音はほとんど聞こえない。しかし以呂波の耳は辛うじて捉えていた。

 自軍とは別のエンジン音が迫ってくるのを。

 

「敵……!」

 

 気づいたとき、前方の市街地に戦車が姿を現した。路地から飛び出してきた三式中戦車チヌだ。続いてIV号、M3、III突が次々と姿を表す。

 

「敵襲! 全車、迎撃隊形に散開してください!」

 

 まだ数ではこちらが上。しかしそれにも関わらず、大洗は攻勢に出てきたのだ。

 古来、敵の体制が整っていない所を奇襲するのは兵法の定石である。しかし迎撃戦闘を得意とする一弾流相手に、正面から襲撃をかける……西住みほらしくない戦術だ。

 

 そればかりか、慌てて車両間隔を広げる千種戦車隊の前で、彼女たちは予想外の隊列を組んだ。滑らかな動きで、IV号戦車を先頭にした楔形の隊列に。

 

 パンツァーカイル。ドイツ軍が対戦車砲陣地を突破するために編み出した戦術。

 みほのかつての母校である、黒森峰女学園の好む陣形でもある。先頭にIV号、右翼にチヌ車、左翼にM3が続き、M3のさらに左後方にIII突。左右非対称のため、どちらかというと戦闘機のフィンガー・フォー編隊に似ていた。しかし正面からこの陣形で来るということは、ここへ来て西住流の本道である突破・制圧を仕掛けることを意味する。重装甲のポルシェティーガーを失った今、それは自殺行為のはずだ。

 

「各車、発砲用意! 目標は敵フラッグ車!」

 

 考える間も無く、以呂波は迎撃を命じた。懐へ飛び込んでくる敵戦車を粉砕するため。

 

 




お読みいただきありがとうございます。
風邪をこじらせてヒーヒー言っていた流水郎です。
本当はもう少し話を進めたかったのですが、そういうわけなのでご容赦ください。

あと四〜六話程度で完結の予定です。
前回に続き活動報告に登場キャラよもやま話を書いているので、お暇のある方はどうぞ。


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奥義・クマウマ戦法です!

 千種側はまだ、しっかりとした迎撃隊形を取れていなかった。しかし大洗側は整地上ということもあり、全速力で突進していた。もう距離が詰められている。射撃を急がねばならない。

 美佐子が徹甲弾を掴み、いつも以上の速度で薬室へ押し込んだ。乾いた音を立てて閉鎖器が閉じる。澪は俯仰ハンドルを回し、即座に照準を合わせた。

 

「撃て!」

 

 僚車の攻撃準備を待たずに射撃を命じる。早急な迎撃が必要であると、理論ではなく本能で判断した。大洗の車両は自動車部のチューンナップによって、通常のスペックを上回る速度を発揮する。しかも今回はエンジンへの負荷を覚悟しているかのようにアクセルを踏み込んでいた。

 澪が発砲。同じタイミングで撃てたのは砲弾の小さいカヴェナンターと、練度の高いトゥラーンIIIのみだった。轟音と共に放たれる、三発の徹甲弾。しかし西住みほの目は発砲のタイミングを読んでいた。

 

 千種側の砲撃と同時に、大洗はパンツァーカイルを崩した。瞬時に散開し、そればかりか急激に戦車の姿勢を変えたのだ。速度の乗った車体は急な方向転換で横にスライドし、履帯が塵を激しく巻き上げる。砲撃は空ぶった。

 だがその集団ドリフトは単なる回避運動ではなかった。みほがキューポラの淵に手をかけ、しっかりと踏ん張っているのが見える。ドリフトのまま相手の懐へ飛び込む、突撃機動だった。

 

 まさか!? ……以呂波は心の中で叫んだ。一見すると隊列を乱し、突然曲芸的な走りを始めたようにしか見えない。しかしその実、大洗の四両は統率の取れた動きをしていた。

 バミューダアタック。大学選抜チームの中隊長らが使う連携攻撃によく似ていた。

 

 マレシャルやSU-76iも装填を済ませていた。だが撃てなかった。変則的な動きを前にして、照準を合わせられなかったのである。当然のことだ、サンダース大付属高校随一の射手でさえ、この動きには対応できなかったのだから。

 隊列を広げた千種学園の中へ、浸透するかのように滑り込んでくる四両の戦車。一瞬で双方が入り混じってしまう。

 

「全車、後退!」

 

 咄嗟に号令をかけた。この状況で自分たちの視界まで塞ぐわけにはいかないため、煙幕は張れない。しかし操縦手たちがギアを切り替えたとき、大洗の操縦手たちは制動をかけていた。ドリフト走行から滑らかに停止し、砲口はピタリと標的を捉える。

 

 刹那、砲声が重なった。IV号が、M3が、三式中戦車が、III号突撃砲が、一斉に発砲する。徹甲弾が乾いた音を立てて装甲を割り、貫き、カーボン層で止まる。乾いた音を立て、立て続けに白旗が飛び出した。

 

「そんな……!?」

 

 豪胆な以呂波も愕然とした。カヴェナンター、マレシャル、SU-76iの三両がまとめて撃破されたのだ。ただ一両、大坪のトゥラーンIIIだけは回避が間に合っていた。否、間に合ったと言えるかは分からない。撃破は免れたものの、右の履帯にIII突の砲撃を受けたのだ。金属の帯が断裂し、最前部の遊動輪が弾け飛んでいた。

 

 それでも以呂波は応戦すべく、美佐子に再装填を命じた。同時に身を守るべく後退する。足を止められた大坪も、それを援護するため砲塔を敵に向けさせた。

 そして敢闘精神だけは誰にも負けない北森も、反撃を試みていた。

 

《二番砲塔、撃て(ヴォホーニ)!》

 

 怒号と共に、T-35が対戦車用の副砲を発砲する。標的は射界内にいたM3だ。試合では滅多に撃たないものの、訓練に手を抜いてはいない。近距離ということもあり照準は正確だった。

 だが梓の反応も正確だった。砲口を向けられた瞬間、即座に斜め後ろへ旋回。放たれた45mm弾は間一髪で逸れる。

 

 反撃が来る。北森には以呂波のやったような回避はできない。しかしここで諦めないのが、彼女が女コサックと呼ばれる所以。

 

《タダでやられると思うなーッ!》

 

 刹那、T-35が前進した。操縦手がアクセルを目一杯踏み込む。後ろに回り込んだIII突が素早く信地旋回し、こちらに砲を向けようとしている。T-35では到底脱出などできまい。自分たちはここで脱落するだろうと、覚悟を決めていた。だからこそ、故障を恐れず急加速。

 重量45t、五つの砲塔を持つ異形の巨体がM3へと吶喊した。オリーブ色の戦車同士が衝突し、鈍い音が響き渡る。その直後、III突の75mm弾がT-35のエンジンルームを撃ち抜いていた。

 

《消火装置!》

 

 車体後部からは火の手が上がるのを見て、北森は即座に命じた。操縦手の操作により、エンジンルーム内のボンベから消火剤が噴射される。白煙が立ち上り、火災はすぐに収まった。しかし主砲塔から白旗が上がるのは止められない。

 

 M3は衝突後、数メートル後退した所で停止していた。ギアをニュートラルにし、衝撃を受け流したのだろう。阪口佳利奈の咄嗟の判断だ。それが功を奏し、車体や足回りに深刻なダメージは無かった。だが無傷ではない。車体から突き出た75mm砲身は付け根から折れていたのだ。北森たちは確かな爪痕を残したのである。

 

 それでも、千種学園は窮地に追いやられていた。撃破された味方車両を遮蔽物とし、以呂波のタシュ重戦車は射線を回避する。だが彼女の脳裏にある考えは一つ、ピンチをチャンスに変えることだ。今なら大洗のフラッグ車……西住みほのIV号戦車が目と鼻の先にいるのだから。

 

「ここで西住さんを倒すよ。それしかない」

 

 窮地だからこそ冷静に、そして凛々しく振る舞え。そうすればチームメイトたちは希望を失わず、過酷な戦いにも勇気を持って挑む。一弾流の矜持だ。

 以呂波以下、クルー全員が覚悟を決めた。瞬時に考えた作戦は極めてシンプルだった。みほの射弾回避技術が優れているなら、外しようのない距離まで詰め寄る。他車両から攻撃されるだろうが、その前にIV号を仕留める。逃げ回って相手の隙を突くような戦法は最早使えない。一瞬で決着を着けるのだ。

 

 IV号戦車がT-35の巨体の裏から回り込んでくる。逆方向からはM3中戦車。どちらかを倒しても、どちらかに撃破される。だがその前にフラッグ車を叩いてしまえば、勝利だ。

 美佐子が徹甲弾を装填。閉鎖器がスライドし、薬室を密封する。

 

「装填完了!」

「前進! 砲撃用意!」

 

 タシュがIV号へ向けて突進。アクセルを踏み込み、結衣は全力で戦車を加速させた。

 

 が、予想外のことが起きた。突如タシュの車体が、急激に左へスピンを始めたのだ。ガタガタと震動しながら。IV号を狙っていた砲身はあらぬ方向へ向いてしまう。

 

「結衣さん!?」

「履帯に何か巻き込んだみたい!」

 

 両手で操縦レバーを握り、懸命に車体をコントロールしようとする結衣。しかし無情にも、その隙でタシュは敵の射線に捉えられていた。背後からM3の37mm砲、正面からIV号戦車のゲルリッヒ砲、その後ろから現れた三式中戦車の75mm砲。合計三つの砲口が、以呂波たちを包囲した。

 

「総員対ショック姿勢!」

 

 叫ぶと同時に砲塔内へ滑り込む。覚悟をして……というよりはむしろ、観念して。

 その寸前、以呂波はみほの顔を見た。撃て、と命ずる唇の動きを。

 

 刹那、耳を劈く砲声、衝撃。車体が揺さぶられ、反射的に美佐子の肩に掴まって耐える。五人がそれぞれ衝撃に耐えながら、敗北を悟った。きっとすぐに、タシュの走行不能を伝えるアナウンスが聞こえるだろう。

 だが震動が収まったとき、以呂波は違和感を感じた。徹甲弾の直撃にしては衝撃がソフトすぎたのだ。

 

 白旗システムが作動した様子はない。しかもエンジンはまだ動いている。車内で全員が顔を見合わせた。

 

 生身の左足を座席に上げ、次いで義足を持ち上げ、以呂波は再びキューポラから顔を出す。砲塔に上に白旗は上がっていない。それどころか砲塔のどの面にも、弾痕がないのだ。ただ煤が付着しているのみである。確かに撃たれたし、華たちがこの距離で外すはずがない。

 

 

「空……砲……!?」

 

 呆然とする以呂波の前で、大洗の戦車たちはエンジンを唸らせ、後退を始めた。みほがタシュの方を顧みて、小さく敬礼を送る。

 

 以呂波は何がどうなっているのか分からなかった。だがみほたちが走り去った後にようやく気づいた。これは『返礼』なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パンツァーカイルによる一点への突撃で敵の懐へ飛び込み、連携を密にした変幻自在の動きで内側から制圧する。熊本発祥の西住流と、群馬に拠を置く島田流のハイブリット……それが大洗の新戦法だった。

 

「クマウマ戦法、大成功ですね!」

 

 艦首側へ走るIV号の中で、優花里が快活な笑顔を浮かべた。二つの流派を組み合わせるという考えは、元々彼女の発案だった。そしてそれを実行できたのは、リーダーがみほだったからだ。西住まほ、逸見エリカ、島田愛里寿ら三人の協力を得て、この発想を形にしたのである。

 本来は八九式による撹乱の上、重装甲・高火力のポルシェティーガーを先頭に立てて行う想定だった。しかし緒戦で彼女たちを犠牲にしてしまった以上、覚悟を決めるしかなかった。梓の後押しもあって、みほは作戦決行を決めたのである。相手の状態が不安定なタイミングを狙うのという奇襲の定石に則り、千種学園の合流直後を狙った。

 

 そしてみほはもう一つ、全車に命令を下していた。敵フラッグ車を攻撃するときは空砲にせよ、と。救助の猶予を与えてくれた千種学園への、返礼のために。

 

「ごめんね。私のわがまま、聞いてもらって」

「いいえ! 自分は西住殿の判断を尊敬します!」

 

 きりりとした表情で答える優花里の反対側で、華も力強く頷く。

 

「これでわたくしも、次は心置きなく照準を合わせられます」

「これで貸し借りは無し、か」

 

 ギアを一段上げつつ、麻子が呟く。感情の起伏の読み取りにくい彼女だが、隊長たるみほには自分なりに敬意を払っており、友人として大切に思っている。今回の判断も正しいと確信していた。みほに慣い、前進より味方の救助を優先した梓、そして目先の勝利より名誉を優先した以呂波の判断と同じく、正しいことであると。

 幼馴染である沙織は、麻子もまた熱くなっていることを察していた。無論、自分もそれは同じことだ。

 

「全力で相手してあげよう、みぽりん!」

「……うん!」

 

 “軍神”と呼ばれた少女は、にっこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりに鮮やかに敵車両を撃破した、大洗の猛反撃。観客席の盛り上がりはピークに達していた。それに反して静かに見守っているのは、母親たちだ。

 

「あれは西住流的に有りなの?」

 

 星江が尋ねた。敵に情けをかけた、とも取れるその行動は、本来の西住流戦車道から外れているだろう。無論、以呂波が攻撃を中止したのも、みほがその返礼を行なったのも、情ではなく仁義からだ。

 娘の行動をじっと見守っていたしほは、星江から顔を背ける。

 

「娘の戦車道は私のものとは違っていますので。……ですが」

 

 横目でちらりと相手を見つめ、再びモニターへ視線を戻した。

 

「一弾流に借りを作っておくのも癪ですからね。その借りを即座に返したという点では、褒めるべきでしょう」

「あらあら。うちの娘はあの程度、貸しだと思ってないわよ、きっと」

 

 星江の推測は正しかった。以呂波はあくまでも『チームの目的は勝利ではなく名誉』という考えに基づき、あの行動を取ったのだ。恩を売ったつもりはない。その点について、彼女は娘のことをよく分かっている。

 

「さて、ここからは小兵法の戦いになるわね」

 

 

 

 

 ……一方、千鶴たち各校隊長陣は興味深げに画面を見つめていた。大洗の新戦法に舌を巻き、その技量を賞賛する。

 

「みほちゃん、可愛い顔して大泥棒やな。あの子熊(エペレ)ちゃんの技を盗みはった」

 

 いつも通り飄々とした笑顔を浮かべながらも、トラビは鋭い視線で試合を見ていた。あの曲技飛行じみた戦車の動きが、島田流を参考にしたことを一目で見抜いたのだ。子熊こと島田愛里寿や、その副官たちの動きに西住流本来の突破戦術が合わさったこの戦い方は、まだ歴史の浅いチームだからこそできたことだろう。あらゆる物を受け入れる土壌だからこそ、このようなハイブリット戦法が可能となったのだ。

 

「まさかこんな荒技を使うとはな」

「それだけ以呂波が大洗を追い詰めてたってことだよ、兄貴」

 

 守保の呟きに、千鶴が応える。

 以呂波が今の奇襲を防げなかった理由は、壁役(レオポン)撹乱役(アヒルさん)をすでに叩いていたからだ。この二両がなくては、大洗が正面からの突撃を行うのは不可能……そう読んでいただろうし、千鶴たちもそう考えていた。西住みほにとっても、これはリスクの大きい作戦だったはずだ。それでも決行したのは、必要に迫られてのことだ。

 千種学園の欺瞞作戦により、緒戦で三両を失った。その後は互いに相手の裏を読みあい、泥沼の消耗戦に陥りかけた。その結果、編み出した新戦法、そして自分が鍛えた仲間たちの技量に頼らなくてはいけなくなったのである。それを後押しした澤梓は、指揮官としての決断力を手にしていたと言える。

 

「これで千種学園の戦力は残り三両。タシュとトゥラーンと装甲軌道車」

 

 画面に表示される残存車両を、カリンカが読み上げる。トゥラーンは履帯と誘導輪を破壊されており、修理可能か怪しい。継戦可能なのはタシュと、別行動をとっていた九五式装甲軌道車ソキのみだ。大洗の残存車両四両に挑むには、あまりに貧弱である。

 カリンカはサイドテールをかき上げ、次いで横目で千鶴を見た。少しだけ微笑んで。

 

「でも、まあ。あんたの妹だものね」

「……そうさ」

 

 珍しく笑みを見せたカリンカに対し、千鶴も白い歯を見せて笑った。守保も頷く。以呂波がここで諦めると思う者は、誰一人いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「西住先輩も粋なことをしなさるねぇ」

 

 額の汗を拭い、晴が感想を漏らす。

 トゥラーンが被弾した際に吹き飛んだシュルツェンの一部が、タシュの駆動輪に巻き込まれていた。もしみほたちの撃ったのが実弾であれば、勝負は決していたはずだ。五人で協力して破片を取り除き、以呂波はぽつりと呟く。

 

「……やっぱり、西住さんは凄いや」

 

 その言葉には自分への反省も含まれていた。用意周到に仕組んだ作戦、仲間と共に上げた大戦果、それらを一瞬でひっくり返された。この土壇場での捨て身の勇気こそ、大洗の最後の切り札だったのだ。

 

 次いで、大坪のトゥラーンIII重戦車に目をやる。左の履帯が最前部で断裂し、誘導輪も吹き飛んでいた。乗員たちがあれこれ話し合っているが、履帯の予備はもう無いようだ。そして転輪ならともかく、誘導輪の予備は積んでいない。

 作業を終えた美佐子、結衣、澪、晴の四人が、以呂波の言葉を待つ。ポニーテールを風に小さく揺らしながら、義足の戦車長は友人たちへ向き直った。金属製の右脚が乾いた音を立て、地面を踏む。

 

「動けるのは私たちのタシュと、三木先輩のソキ車だけ。相手はあの西住みほさん」

 

 淡々と告げるその表情は、萎縮しているわけでも、自信に溢れているわけでもない。ただまっすぐに仲間を見据え、凛々しく立っていた。

 そして、問いかける。

 

「さて。みんなはどうしたい?」

「それ、訊く必要ないでしょ」

 

 真っ先に答えたのは結衣だった。にこやかな笑みを浮かべ、傾斜した前面装甲をポンと叩く。普段はステレオタイプの優等生だが、今は薄汚れたタンクジャケットがワイルドさを醸し出し、そのギャップが不思議とよく似合っていた。

 

「私はいつか一ノ瀬さんみたいに、車長をやってみたい。だから模範を見せてもらわないと」

 

 堂々と野心を口にする結衣。その横で、晴はいつものようにニヤニヤと笑っていた。『戦車道楽』の扇子を掲げて。

 

主任(トリ)が高座に上がってから帰るなんて、そんな無粋な人間じゃないよ。サゲまで付き合わせておくれ、師匠」

「……私も……一緒に行く」

 

 澪が小さく頷いた。自分の白い手を見つめ、握り拳を作る。決意の表れだった。

 

「いろはちゃんのおかげで……私、ちょっと強くなれた。お礼がしたい……!」

 

 そう言う彼女の笑顔には出会った当初の、消え入りそうな印象がなくなっていた。しっかりとした芯を、勇気を守った笑顔だった。

 そして美佐子はよりシンプルな方法で決意を表した。またもや以呂波に抱きついたのだ。

 

「むぐっ」

 

 義足が少しよろけるも、美佐子はただ抱きつくだけでなく、しっかりと親友の体を支えていた。最初に手を差し伸べてくれた時を思い出す、向日葵のような笑顔で。

 

「イロハちゃんのおかげで、高校生活が百万倍は楽しくなったよ! これからもっともっと楽しくなるよ!」

「……その言葉、美佐子さんにそのまま返すよ」

 

 いかにも彼女らしい言葉に、以呂波の表情からも笑みが溢れた。そう、全ては彼女が自分に手を貸してくれたときから始まったのだ。それからずっと、最良の相棒として側にいてくれた。

 

 北森、川岸、去石、河合、大坪。他車両の乗員たちが皆、近くに集まっていた。後は頼んだ……言葉ではなく視線から、そのメッセージが伝わって来る。大坪が前に出た。お守りとして持ち込んだ馬上鞭で愛車を指し示し、そして宣言する。

 

「一ノ瀬隊長。履帯の予備も、誘導輪もないけど……それでもまだ走ってみせる。必ず追いつく。だから、戦って!」

 

 大坪は本気だった。修理が無理でも撃破判定が出ていない限り、無理を通して戦い続けるつもりなのだ。その確かな覚悟を感じ、以呂波は一つ頷いて手を差し出した。しっかりと固い握手を交わす。

 

「……それじゃ、行こっか! 千種学園戦車隊は!」

 

 溌剌とした表情で、以呂波は拳を振り上げる。仲間たちが一斉に唱和した。

 

 

「勇敢! 冷静! 仲良し!」

 

 




お読みいただきありがとうございます。
ガルパン最終章の公開が近づいてきましたが、私はまだ風邪が完治していなかったりしますw
ですがこの長い連載にも終わりが見えてきたので、この調子で頑張ります。
「終わってしまうのが悲しい」と言ってくださる方もいて、作者冥利に尽きるというものです。
だからこそ、きっちり完結させたいと思います。
ご感想・ご批評などございましたら、よろしくお願いいたします。


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登場人物・戦車メモ4

千種学園

学園艦統廃合計画により、廃校になった四つの学校を統合した新学園。

男女共学だが、統合前の学校の内二校が女子校だったため女子の比率が高い。

生徒数が多いため艦の規模も大きく、生徒の通学には路面電車が用いられる。

「取り柄のない学校の寄せ集め」として世間からあまり関心を持たれていなかったが、生徒会や広報委員会の奮闘により各学科の活動実績が校外に知られ始めている。

出身校の違う生徒同士での軋轢もあり、特に航空学科では孤立主義の風潮があったが、農業学科の作った農産物を航空学科が校外へ売りに行くなどのシステムが作られ、次第に融和していった。

その一方、統合前の学校の伝統・校風を保つための活動も推奨されており、各校出身者の派閥作りが半ば公認されている。

航空機は九七式大型飛行艇やPBYカタリナ、T-6テキサン練習機などの他、エアレース用のHe100やP-51、大型輸送機An-124ルスラーンや輸送ヘリコプターMi-26をも保有している。

その一方で戦車道チームはマイナー戦車や欠陥戦車によるシュールな編成となったが、高い士気と隊長の采配により成果を上げている。

 

 

前身四校

 

トラップ=アールパード二重女子高校

一つの学園艦に二つの女子校が同居していた学校。

学園艦はテゲトフ級戦艦がベースだった。

艦首側にはオーストリア系のトラップ高校があり、音楽を始めとする芸術分野の教育が盛んだった。

艦尾側に位置するアールパード高校はハンガリー系で、スポーツ分野、特に馬術において非常に優れた実績を残していた。

船橋ら広報委員チームはトラップ、大坪たち馬術部チームはアールパードの出身。

学園艦内で起こった事故により、アールパード高校の保有していたサラブレッドが多数死亡し、馬術部が廃部寸前の危機に陥る。

アールパード高校は学校の顔である馬術部を救うべく、予算削減のため戦車道を廃止し、トラップ高校も隣人を支援した。

それでも衰退を止めることはできず生徒数も減少し、トラップ高校側も活動実績が徐々に悪化したこと、そして特殊な構造の学園艦ゆえ特に維持費がかかることから、百年以上続いた歴史に幕を降ろすこととなった。

両校の生徒たちは得意分野の住み分けがはっきりしていたため競争意識がなく、軋轢は少なかった。

逆にそれほど仲が良かったわけでもないが、廃校後は同じ悲しみを共有したことで団結が固くなっている。

在りし日のアールパード高は全国大会に出場した記録もあり、ハンガリー製戦車の他、パンターやヘッツァーなどを保有してそれなりの戦力を持っていた(それ故出費も多かったのが廃止された理由の一つである)。

トラップ高校では戦車道を行っていなかったが、希望者はアールパードへ出向してCV.35部隊に参加しており、また非常時のための救護班を派遣するなどサポートを行っていた。

 

UPA農業高校

ウクライナ系の学校。

学園艦は空母『ヴァリャーグ』(現:『遼寧』)に準じた形状だった。

北森たち農業学科チームの出身校で男女共学。

統合後も民族衣装や毛皮帽子を着用したり、ウクライナ民謡や舞踊などの活動をする生徒が多く、自分たちを『コサック』と称している。

千種学園になってから入学した一年生にも、華やかな民奥衣装や勇壮な舞踊、そして結束の固さに惹かれて派閥に加わる者は多い。

彼らを中心とした農業学科は時折生徒会の決定に反発し、学内でクーデターを起こすことがあり、時には戦車道チームが鎮圧に出動する。

クーデターの際には見物人に食べ物やグッズが販売されるなど、半ば恒例行事のお祭り騒ぎになっており、青師団高校から助っ人を呼んでトマト投げ合戦が行われたこともあった。

気性は荒くても情に厚い生徒が多く、他の学校の生徒からも徐々に親しまれてきている。

在りし日のUPA農業高校ではシンボルとしての役割が強かったT-35の他、T-34、SU-76i、35(t)などの戦車を保有していたが、隊員が問題を起こしたことにより、戦車道は統合に先立ち廃止された。

 

 

白菊航空学園

丸瀬ら航空学科チーム、三木たち鉄道部チームの出身校で男女共学。

学園艦は『鳳翔』の形状を流用。

航空機のみならず乗り物全般に関する教育に力を入れていた。

航空学科は統合後に入学した一年生を除き、全員がこの学校の出身である。

そのため航空学科は専門性の高さと相まって孤立主義の風潮が強く、他の学科の生徒からは近寄りがたい印象を持たれていた。

また海外提携先がないため、統合当初は他の学校の出身者を「バナナ(皮が黄色で中身は白い=白人かぶれ)」と揶揄する傾向もあった。

路面電車の運行に携わる鉄道部もこの学校の出身者がほとんどだが、他の生徒たちの日常と密接に関わっているため親しみを持たれている。

廃校の原因は航空機の墜落事故で、千種学園には死者の慰霊碑が作られており、献花が絶えない。

最近は他校出身者からも献花がされるようになり、航空学科も次第に千種学園の一員としての意識が強まっている。

戦車道は行っていなかったが、教材として九五式装甲軌道車ソキ、そしてカヴェナンター巡行戦車を保有しており、後者は「乗り物の設計において搭乗者への気遣いが如何に重要であるか」を生徒たちに教えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生徒会チーム

 

河合美祐

好きな戦車:SK105キュラシェーア

好きな花:オキザリス

・千種学園の生徒会長を務める三年生。常に公正な姿勢から周囲の信頼は厚い。

・華族の血を引いており、普段表には出さないがそれを誇りとし、血筋に恥じぬ人間であろうと努力している。

・民主主義に一定の価値があると信じており、角谷杏のように強権を行使することを好まないが、危急のときには彼女を見習うつもりでいる。

・船橋と同じトラップ女子校の出身で、彼女とは互いを頼り合う親友であるが、それ故に意見をぶつけ合うこともある。

 

使用戦車

Mk.V巡航戦車カヴェナンター

武装:オードナンス 2ポンド砲(40mm)、ベサ同軸機関銃(7.62mm)

最高速度:50km/h

乗員:4名

・イギリス軍の巡航戦車。詳しくは登場キャラ・戦車メモ1を参照。

・初陣後真っ先に第一線から下げられ、『禍辺難多(カヴェナンター)大明神様』として千種学園の車庫に祀られていた。

・決勝前に八戸タンケリーワーク社から提供された改修キットを用い、試作車仕様(通称『真カヴェナンター』)に改造された。

・試作車は量産型より大型の冷却ファンを搭載し、車体は溶接装甲、転輪は軽量なアルミ製を使用。その後試験的にメリットブラウン式操向変則装置を搭載していた。

・結局アルミは航空機への供給が優先され、溶接工も不足していたために量産型は余計に残念なことになった。

・改修キットにはラジエーターの配管にかぶせる断熱材が付属しており、それによって居住性は少しは良くなっている(守保はパイプ自体を断熱構造にすることを望んでおり、連盟と協議中)。

・さらに2ポンド砲の口径を30mmに縮小するリトルジョン・アダプターを装備し、ゲルリッヒ砲と同じ原理で装甲貫徹力を増している。

 

 

 

 

 

 

農業学科Bチーム

 

東ハルカ

好きな戦車:T-84

好きな花:カンボク

・農業学科チームの二年生で、準決勝まではT-35の副車長を勤めていた。

・農業学科の代表である北森を尊敬し、実の姉同然に慕っている。

・北森らと同様にガサツな振る舞いが多く、その一方で縫い物や料理が得意な点も北森と同じ。

・観察力に長け、追跡(トラッキング)の素質からアンシャルド豆戦車の車長に昇進。

 

使用戦車

CV.35快速戦車

武装:ブレダM38車載機関銃×2(8mm)

最高速度:42km/h

乗員:2名

(以上は基本形のスペック)

・いろいろな意味で有名なイタリアの豆戦車。

・CV.35はCV.33の後続モデルで、製造工程簡略化のため装甲を溶接からリベット接合に変えている。

・火炎放射型も存在し、また一部の車両は現地改良で対戦車ライフルを搭載していた。

・CVシリーズが戦車として貧弱なことは否めないが、輸出品としては一定の成功を収めており、ブルガリア、オーストリア、ハンガリー、ブラジル、中華民国などが購入している。

・千種学園の車両は車長席に四角いキューポラを取り付けたハンガリー仕様で、武装はオーストリア製のシュワルツローゼ水冷機関銃となっている。

・トラップ・アールパード二重女子高校の学園艦に眠っていたが、OGからの連絡により千種学園が回収した。

 



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終わりの始まりです!

 

 暗い艦内線路で、九五式装甲軌道車ソキはゆっくりと停車した。鉄輪にブレーキがかけられ、甲高い音を立てながら徐々に速度を落としていく。本来はT-35の乗員を跨乗(デサント)させたまま艦首側へ向かい、歩哨として展開させる目論見だった。しかしT-35が撃破されたことで、戦車から離れていた乗員も失格となり、その場で待機するよう運営に命じられたのだ。

 三木が砲塔から顔を出し、懐中電灯で地面を照らす。その明かりを頼りに、農業学科生の四人はゆっくりと降りていった。迎えが来るまで、この暗闇の中で待機せねばならない。しかし電灯に照らされた彼女たちは、三木に笑顔を向けていた。

 

「先輩ならきっとやれますよ!」

「あたしらの分まで、頼むよ!」

 

 エンジン音に負けぬよう、大声で励ましの言葉をかける四人。悔しさや無念も当然あるだろう。自分たちが離れている間に、搭乗車両が撃破されたのだ。だがリーダーである北森の豪放磊落な性格からか、農業学科チームは常に前向きだ。もっともそうでなくてはT-35の乗員など務まらない。三木も力強く頷き、車上から敬礼を送る。

 

「ありがとう、期待に応えるね!」

 

 四人が線路から十分離れたのを確認し、操縦手に発車を命じる。前照灯で前方を照らしながら、ソキ車は力行を始めた。

 三木は惜別の意を表し、警報機を鳴らした。本来は貨車を連結するときなどに使う物である。戦車道に出られるとはいえ、ソキ車があくまでも鉄道車両であることが分かる装備だ。闇の中を遠ざかって行くライト、そしてベルの音を聴きながら、農業学科生たちは仲間の武運を祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 タシュ重戦車が出発した後、しばらくして連盟の回収車が到着した。大型のトランスポーターの他、M4シャーマンを改造したM74戦車回収車の姿も見える。砲塔を円筒型戦闘室に換装し、折りたたみ式のクレーンとウィンチを搭載した回収車両だ。変わったところでは上半分を船型の構造物にしたシャーマンBARVの姿もある。イギリスがノルマンディー上陸作戦用に開発した車種で、今回は回収補助のため動員されたらしい。

 

 そればかりか、陸上自衛隊の11式装軌車回収車までやってきた。最新鋭MBTである10式をベースとした車両で、車体右側に力強いクレーンを備えている他、各種回収用機材が積み込まれている。T-35重戦車を回収するため、連盟があらかじめ陸自に応援を要請していたのだ。

 

 連盟のスタッフと自衛官が協力し、撃破された千種学園の戦車を牽引していく。それを間近に見ながら、大坪たち馬術部員はトゥラーンIII重戦車の修理を続けていた。トゥラーンは後部に起動輪、前部に遊動輪を有する。被弾したのは右の遊動輪であり、履帯を動かす起動輪は無事だ。しかし遊動輪の予備は積んでおらず、交換は不可能。それでも装甲貫通やエンジンブローは起こしていないので、白旗判定は出ていない。

 

「修理不能なら回収します。どうしますか?」

 

 スタッフが尋ねる。リタイアするかどうか、という問いかけだ。しかし大坪は修理を諦めていない。

 

「いいえ、まだ戦います」

 

 すでに乗員たちは作業に取り掛かっていた。トゥラーンの転輪は全部で九個。内八つはボギー式に連結されているが、最前部の転輪は独立しており、接地していない。そこへ直接履帯を巻きつけ、騙し騙し走らせるつもりなのだ。

 当然、それで本来の性能が発揮できるわけがない。特にトゥラーンはフットペダルによる機械式ブレーキがあるため、起動輪だけでなく遊動輪も歯車になっている。それがなくなる上に、履帯張度の問題もある。

 

 それでも、大坪は自分たちが行かなくてはならないと考えていた。彼女たち馬術部チームはこれまでの試合で毎回撃破されている。だがそれは練度が劣っているからではなく、最前線で撃ち合うのが役目だからだ。貫通力の高い砲、それなりの装甲、そして回転砲塔。千種学園の戦車でこれらの要素を兼ね備えているのは、隊長車のタシュとこのトゥラーンIIIのみなのである。

 逆にT-35は数が多いだけで脆弱な砲、大きいくせに薄い装甲、回転はするが射角の限られる砲塔という設計だ。そのため基本は撃ち合いに参加せず、比較的生存率が高い。もちろん北森らの努力もあってこそだが。

 

 以呂波が決戦に挑もうとしている今、ここで愛馬の足を止めることはできない。自分たちは最前線へ向かわねばならない。先に脱落した友人たちのためにも。

 全力で修理にあたる大坪を見て、回収車のスタッフは微笑みつつ背を向けた。彼女らは特定の選手に肩入れできない立場である。ただ同じ戦車乗りとして、この少女たちの幸運を祈っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえばさ、イロハちゃんってもう一人お姉ちゃんがいるんだよね?」

 

 美佐子がふと尋ねた。彼女たちは学園艦の市街を見下ろす丘に陣取り、雑談を楽しんでいた。苦戦中だからこそ余裕を持とうとしているのだ。すでにタシュ重戦車は草などを被せてカモフラージュを終えている。しかし周辺警戒は怠っておらず、特に美佐子は降車して見張りを行っていた。

 

「うん、実星姉は陸自の機甲科で働いてる。多分次の家元になるんじゃないかなぁ」

「じゃあイロハちゃんも自衛隊に入るの?」

 

 無邪気に尋ねられ、砲塔上に腰掛ける以呂波は苦笑した。自分が障害者であることを、友人たちは当然知っているし、忘れてもいない。だがやはり一緒に戦車に乗って暴れまわっていると、感覚が麻痺してくるのだろう。

 

「この脚じゃ雇ってもらえないよ」

「あっ、そっか」

 

 義足を指し示され、美佐子はやっと気付いた。戦時中には義足や義手の戦闘機乗りもいたが、平時の自衛隊がハンディキャップ持ちの少女を採用するとは思えない。仮に入隊できたとしても、自ら戦車に乗り込むことはできないだろう。戦闘機のパイロットは任務を終えれば帰還できるが、戦車乗りは戦場に留まらなくてはならないのだ。そうなると隻脚の不利は大きくなる。以呂波が問題なく戦えているのは、これがあくまでも戦車道……スポーツだからである。

 操縦席のハッチから顔を出した結衣が、砲塔上の以呂波を顧みる。

 

「陸自に入ればやっぱり、戦車道も強くなるかしら」

「そうとも限らないかな。ハイテク戦車に慣れすぎちゃうことがあるから。実星姉もそのせいで千鶴姉に負けたことがあって、悩んでたよ」

「なるほど……」

 

 結衣は眼鏡のずれを直し、何やら考え込んだ。彼女は好奇心旺盛なため、競技に使えない現用MBTについても自分で調べていた。だからそれらが二次大戦期の戦車とはかけ離れた存在だと理解している。コンピューター制御が多用されたMBTにばかり乗っていては、アナログな競技用戦車を操る腕は鈍ってしまうかもしれない。

 

「結衣さん、自衛官になりたいの?」

「というより、将来社会人になっても戦車道を続けたいのよ。父さんからも、お前は好きな仕事に就けばいいって言われたし」

 

 その言葉を聞き、ふと彼女の家族のことが気になった。両親のいない美佐子や、実家と微妙な関係になっていた自分や晴がいるせいか、普段あまり家族の話が出ないのだ。話題に上るのは千鶴のことくらいである。

 

「結衣さんのお父さんって、何やってる人なの?」

「社会を人の顔に例えるなら、うちの父さんはニキビ菌みたいなものね」

 

 あまりにもさらりと言われ、以呂波は唖然とする。心優しく品行方正、ステレオタイプな優等生の結衣が、実の親をそこまで悪く言ったことに驚く。普段はせいぜい美佐子を脳筋呼ばわりしたり体力バカと呼んだり、ナチュラルにアホの子扱いする程度なのに。

 一瞬思考が停止した以呂波に、晴がいつも通りの笑みを向ける。

 

「師匠。ニキビ菌ってのは厄介だけど、あいつらが顔からいなくなるともっと悪いバイキンが来ちゃうんだよ。お結衣ちゃんのお父っつぁんはそういう仕事をしてるんじゃないかい?」

「正解です」

 

 あっさり頷く結衣を見て、以呂波もなんとなく理解した。『もっと悪いバイキン』というのはおそらく、海外の同業者を指しているのだろう。聞いておいてよかった。いずれ結衣の家族に出会った時、もし顔に刀傷があったり、背中に刺青があったとしても驚かずに済む。

 

「まあとにかく、もしプロの選手になれればそれもいいし、八戸社みたいな所へ就職するのも面白そうだし。まだまだ漠然としてるわね」

「でもこの中で将来設計がしっかりできてるのって、お晴さんくらいだと思うよ」

「こりゃ師匠、落語家志望がしっかりした将来設計ってことはないよ」

 

 だからお父っつぁんにも反対されたんだ、と晴も苦笑する。

 だがその表情はすぐに真剣なものへと変わった。ヘッドフォンに味方からの通信が入ったのだ。

 

《こちら三木。目的地点に到達しました。索敵を行います》

「三木先輩が目的地に到着」

 

 それを聞き、以呂波は砲塔内へと潜り込んだ。結衣と晴もそれぞれハッチから頭を引っ込め、美佐子もすぐさま乗車する。動きはすでに場慣れした戦車乗りだ。

 いよいよ決戦である。この作戦の成否が勝負を分けることになるだろう。観客はおそらく先の大洗紛争や、西住姉妹の一騎打ちのような激戦を期待しているのだろう。もしかすると西住みほもそれを予測しているかもしれない。千種学園が一回戦で見せたような殴り込みを仕掛けてくると。

 

 だが、以呂波にその気はなかった。これから行うのは決闘などではない。この『士魂杯』で様々な選手と出会い、多くのことを学んだ。

 自分と同じく体の一部を失い、それでも明るさを持って戦車道に望むベジマイト。

 慈愛と恐怖の両方で夜の魔女たちを従えるカリンカ。

 軽薄に見えて揺るぎない誇りを持つアイヌの少女トラビ。

 自分と向き合い、大きな成長を遂げた矢車マリ。

 そしてずっと憧れていた姉……千鶴。

 

 彼女たちから得たものを活かす。

 

「澪さん。よろしくね」

 

 砲手席でメンテナンスをしていた澪に笑いかける。布切れで一心不乱に磨いた照準器には埃一つ着いていない。澪は顔を上げ、力強く頷いた。作業に集中していたため、友人たちの会話は耳に入っていなかった。もし気づいていれば、便乗して自分の将来について語ったかもしれない。

 澪はロボット工学に関心を抱いていた。特に機械による二足歩行の技術について。それらのことを学び、いつか自分が以呂波により良い脚を作ってあげたい。自分に強さをくれたお礼に、彼女や、同じ切断障害に苦しむ人々の助けになりたい。共に戦車に乗るうち、いつしかそんな思いを抱くようになっていた。

 

 そう、今の自分は少し強くなれた。澪はそう信じている。そして相手が“軍神”と呼ばれた西住みほでも、自分の撃つ弾は必ず当たる……と。

 

「コンターック!」

 

 結衣がエンジンを始動させた。戦闘機乗りの掛け声を使ったのは丸瀬たちへのリスペクトだ。二基のエンジンが唸りを上げる。決戦の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 旧トラップ女子高の市街地はオーストリアの古都を模していた。レンガ造りの美しい建物が並び、優雅な風景を形作っている。生徒や住民で賑わっていた頃はさぞかし素晴らしい場所だったのだろう。今は潮風が通り抜けるだけの廃墟だ。公園には石像などのモニュメントもあったようだが、それらは撤去され千種学園に運ばれたらしい。台座のみが虚しく残っている。

 

「これも歴史の流れと言うべきか?」

「ならば、私たちはそれに逆らったことになるのか」

 

 石畳の上を進みながら、カエサルとエルヴィンが言葉を交わす。大洗の戦車隊はIV号を中心とし、公園に陣取っていた。四両で互いの死角をカバーし、相手を待ち受ける態勢だ。千種学園の残存戦力を考えれば、まともに突撃してはこないはずだ。だがもし仕掛けてくれば「クマウマ戦法」で迎撃する。相手が守りに転じても待ち伏せ場所を予測し、数の利を生かして包囲できる。

 

 ジャーマングレーのIII号突撃砲は石畳がよく似合っていた。市街での試合は住民を退去させて行うことも多いが、本物の廃墟はそれとは違う寂しさがある。街並みは美しいが、よく見ると建物の壁に落書きが見受けられた。「さようなら、故郷」「忘れない」などのメッセージ、そして名前。千種学園へ移った生徒たちのものだった。もしかしたら船橋らの書いたものもあるかもしれない。

 エルヴィンたちは昨年度のことを思い出した。学園艦から退去を命じられたときのことを。もし諦めていれば、自分たちの学校もこうなっていた。

 

「私は正しいことをしたと信じているぜよ。後は後世の判断に委ねるのみ……」

 

 操縦席のクラッペを覗いたまま、おりょうが口を開く。エルヴィンも頷いた。彼女たちが尊敬する歴史上の偉人たちもそうしてきたのだ。

 

「その頃には人々の間で意見が分かれて、勘違いも発生するだろうな。かく言う私も、高射砲の水平射撃はロンメルの発案だと勘違いしていたことが……」

「さもありなん。この左衛門佐も、石田三成が西軍の総大将だと勘違いしていた時代が……」

「少し話は違うが、私は恐竜の研究も考古学だと思っていた時期がある……」

 

 声を震わせ、己の黒歴史を語り合う歴女たち。しかし会話は中断された。建物の影から戦車が姿を現したのである。正確には戦車モドキが。

 

「ソキだ!」

 

 カエサルが気づいた途端、ソキの砲塔から顔を出した三木は明らかに慌てていた。操縦手に後退を命じ、あたふたと逃げ込んでいく。

 みほの命令が無線機に入った。

 

《アリクイさん、カバさんは追撃してください! 私たちとウサギさんは右手から回り込みます! 待ち伏せに警戒しつつ撃破しましょう!》

「心得た! 行くぞ!」

「ぜよ!」

 

 位置が知られた以上、止まっているのは得策ではない。

 おりょうがギアを前進に入れ、クラッチを繋ぐ。V型12気筒エンジンが唸り、III突は走り出した。ソキ車は建物の陰で信地旋回し、反転した上で逃げていた。道は戦車が二両並んで通れる幅であり、回転砲塔を持つ三式中戦車が先行し、III突はその斜め後方から援護する。

 

 船橋のトルディ軽戦車と並び、三木のソキ車はアヒルさんチームの千種学園版だ。蛇行運転を繰り返し、なかなか攻撃のチャンスを与えない。だが元々は鉄道の警備車両であり、その装甲は小銃弾に耐えられる程度のもの。左側面の冷却機や排気ダクトといった急所を至近距離から狙えば、機関銃でも貫通する可能性はある。あんこうチームと連携し、確実に仕留めるのが吉だ。

 

 エルヴィンもねこにゃーも、脇道からの伏撃には十分注意していた。三木の慌てようからして偶然の遭遇だったらしいが、このままタシュの射線上へおびき出される可能性は高い。その前に撃破したいところだ。

 

「やっぱり回る砲塔が欲しい……!」

「無駄だと分かっていても言いたくなるな」

 

 喋りながらもちらりと左を見て、路地を確認する。高い建物の間に挟まれた、戦車で待ち伏せするにはあまりに狭い道だ。豆戦車でもない限り入ることはできない。

 大丈夫だろう……そう判断して通過しかけたときだった。

 

「うわっ!?」

 

 突如、強烈な衝撃を受けた。車体後部が弾かれ、煙が噴き出す。エルヴィンがハッチに掴まって耐えている間、III突は数メートル走ったところで行き脚を止めた。

 何が起きたのか。理解しきれていないうちに、車両から白旗が上がる。弾痕が穿たれたのは後部エンジンルームの側面。待ち伏せを受けたのだ。しかし敵にはもう、あのような狭い路地へ隠れられる車両は無いはず。

 

「……もしや!」

 

 消火を頼むと言い残し、エルヴィンは突撃砲から飛び降りた。カエサルらも消火器を引っ掴んで降車し、出火したエンジン部へ噴射する。

 それを尻目に、エルヴィンは件の路地を除いた。やはりそこには何もいない。幅二メートルもない、狭苦しく暗い路地だ。そこを通り抜けた向こうには別の建物が、そしてそのまた向こう、遥か遠くには小高い丘が見えた。

 丁度、細い路地を通して自分たちを見下ろせる高さの高台が。

 

「あそこか……!」

 

 歯噛みしつつ、エルヴィンは理解した。あの丘から建物の隙間を通し、針の穴を通すが如き狙撃を見舞ってきたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「陣地転換!」

 

 初弾発車後、以呂波は即座に号令した。タシュ重戦車は砲身に陽炎を纏いながら後退し、丘の稜線に隠れる。その直後にIII号突撃砲の走行不能を知らせるアナウンスが入った。

 障害物の隙間を狙い、遠距離から狙撃……一回戦で虹蛇女子学園に使われた手だ。予め敵の通る場所に照準を合わせておいたとはいえ、相手がそこを通るのは一瞬。澪の技量もさることながら、逃げながら敵の位置を的確に伝えてきた三木の功績でもある。慌てて逃げ出す演技も上手くやってくれた。待ち伏せを警戒していたであろうみほも、このような狙撃までは予測し得なかった。

 

 だが、このような芸当ができる狙撃ポイントは多くはない。また相手が都合良くそこへ来てくれるわけでもない。一方的な試合運びにはできないと、最初から分かっていた。

 

「バキちゃんたちから連絡。トゥラーンの応急修理が終わったから向かうとさ」

 

 晴がいつものニヤけ顔で報告した。バキとは『馬キチガイ』の略で、馬を溺愛する騎兵を揶揄した戦前のスラングである。もっとも当の騎兵達はこれを褒め言葉として受け取ったし、大坪たち馬術部員もそうだ。

 

「了解。次は『悪ガキ作戦』でチヌ車を狙います。三木先輩に連絡を」

「あいよっ」

 

 元気よく返事をする晴もまた、気分が高揚していた。まるで自分が寄席で主任(トリ)を任されたような、そんな心持ちでいたのだ。

 

「まずは一両だね!」

 

 歓喜の声を上げつつ、美佐子が空薬莢をハッチから放り出す。発車後の空薬莢は邪魔になる上熱いため、暇を見てこまめに捨てるのも装填手の仕事だ。もっともその場に痕跡を残すことになるため、捨てるタイミングには注意せねばならない。

 頷きつつ、以呂波は澪の肩を軽く叩いた。

 

「狩りを続けるよ。西住さんを確実に倒せる状況を作る!」

「ん……!」

 

 





お読みいただきありがとうございます。
次回で最終回の予定です。


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ラストプランです!

 III号突撃砲の撃破に成功した後、三木はしばらく逃げ続けた。回避・逃走に関してなら彼女の技術はトップクラスだ。装甲の薄いソキだからこそ磨かれた技だと言って良い。丸瀬は飛行機、大坪は馬が最高だと思っているように、三木もまた鉄道が一番好きだ。だからこそあくまでも鉄道車両であるソキで、本物の戦車を相手にすることに楽しみを見出していた。そして準決勝で巨大戦車E-100を撃破してから、なおさら度胸がついた。

 

 操縦手の右肩を蹴り、IV号戦車の射線を回避する。刹那、ゲルリッヒ砲が火を吹いた。圧縮された砲弾がすぐ側を掠めて行ったが、損傷はない。そのまま路地へ入り、逃走を続ける。

 

 先頭に立ち追って来たのは三式中戦車チヌだった。間違っても傑作戦車ではない。一式中戦車の車体を流用しているのはともかくとして、砲塔からは駐退機が大きくはみ出た姿は如何にも『急造品』という設計ではある。しかしその75mm砲はM4シャーマンを撃破可能な火力を持っており、そもそも鉄道連隊の牽引・警備車両であるソキ車とは桁違いだ。

 加えて無限軌道の内側に鉄輪を備える構造上、ソキの車幅はチヌより20cmほど広い。狭い場所を逃げ続けるというのはリスクもあった。

 否、逃げているわけではない。獲物を狩人の射線まで誘い出すのだ。

 

「こちら三木、チヌ車が追ってきます。今から仕掛けます!」

《了解、お願いします!》

 

 砲塔から顔を出してタイミングを図る。見るのは標的となる三式中戦車と、建物の窓だ。

 

「用意」

 

 操縦手がクラッチに足をかけた。額に汗が滲む。しかし自分たちならできると信じていた。

 

「突撃!」

 

 三木から号令が下った途端、彼女は行動に移った。前方への突撃ではない。ブレーキをかけつつ素早くギアを切り替え、後進に入れたのだ。シンクロメッシュ機構がないため、操縦手がギアの回転数を合わせねばならない。それでも愛するソキに慣れ親しんだ彼女は極めてスムーズにそれをやってのけた。

 ソキは勢いよく後退する。三木が砲塔内に屈んで耐衝撃姿勢をとった直後、愛車は追ってきたチヌ車に衝突した。

 

 刹那、75mm砲が暴発。三木の頭上、開け放たれたハッチから発砲炎がちらりと見えた。

 衝突の衝撃により、ねこにゃーが握っていた拉縄が引かれて撃発したのだ。しかし近すぎたため、装填されていた徹甲弾はソキの砲塔側面を通り抜けた。

 

 即座に立ち上がる三木。恐怖心など砲声とともに吹き飛んでいる。再び砲塔から顔を出して眼前の敵を視認する。足を止めた三式中戦車、そしてその横にある、建物の窓の位置を。

 

「一ノ瀬さん、西側から六番目の窓! 今です!」

 

 報告した直後、もう一度車内へ退避する。以呂波の『撃て!』という号令がヘッドフォンに入った。

 その途端、窓ガラスを突き破って飛来した徹甲弾。それが三式中戦車の右側面、砲塔のアリクイマークへと直撃した。高初速の一撃によって車体が大きく揺れ、弾痕付近の塗装が剥離する。

 ねこにゃーがおずおずとキューポラから顔を出したとき、その隣には白旗が上がっていた。

 

《大洗・三式中戦車、走行不能!》

 

 建物の窓から、反対側の窓の向こうを狙った射撃。如何に以呂波と澪の技量が優れていても、一両だけではそんな芸当はできない。ソキを使って敵の動きを封じ、位置を連絡させて撃つ。全乗員の阿吽の呼吸が必要となる連携だった。

 

 しかし三木は悟ることになった。自分たちがこれ以上戦うのは不可能であると。澤のM3リーが路地の反対側へ先回りし、こちらに砲塔を向けつつあったのだ。

 退路は塞がれた。口元に笑みが浮かび、心には言葉が浮かぶ。ベストは尽くした、と。

 

「一ノ瀬隊長、私たちはここまでのようです! 後はお願いします!」

 

 叫びつつ、銃眼に据え付けた三八式騎銃を撃つ。槓桿(ボルトハンドル)を引いて空薬莢を弾き出し、さらにトリガーを引く。たかが騎兵銃が戦車を傷つけられるはずもなく、オリーブ色の装甲に虚しく弾かれるばかりだ。それでも三木は撃ち続けたかった。

 

 M3リーの副砲はすでに、ソキ車へ照準を合わせていた。

 

「千種学園バンザイ! 鉄道部バンザイ! 大洗もバンザイ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……三木の連呼が途絶えた後、ソキの走行不能を告げるアナウンスが流れた。移動を始めたタシュ重戦車の車長席にて、以呂波はふと息を吐く。思えば一回戦前に加入してから、これまで一度も撃破されたことのないチームだった。戦車戦に耐えられるような設計ではないし、前線にも出ていたのに、この生存率は奇跡と言って良い。だがその奇跡を起こしたのは三木たち鉄道部の実力だった。

 

「ありがとうございます、三木先輩」

 

 拳を握りしめ、以呂波は次の作戦へ思考を巡らせた。丁度そのタイミングで、無線機に仲間の声が入った。

 

《こちら大坪! 今到着したよ!》

 

 トゥラーンIIIが来た。彼女たちは約束を果たしたのだ。以呂波の顔に笑みが浮かぶ。

 

「了解、次の作戦に移ります!」

 

 次の一手でM3リーを撃破する。その後は西住みほ……彼女のIV号戦車が相手だ。

 7.5cmKwK42のマズルブレーキはもう煤まみれだった。高初速砲の特徴である。元はV号戦車パンターの装備であり、75mm砲としては最高クラスの貫徹力を誇る豹の牙だ。相手のゲルリッヒ砲にも引けを取らない。

 

 あの人に勝つ。

 改めて決意を固め、以呂波はタシュを走らせた。

 

 

 

 

 

 

 西住みほの額に汗がにじむ。『クマウマ戦法』で戦局を覆したはずが、再度ひっくり返された。

 

 みほと同様、以呂波も自分の姉の強さを尊敬している。その姉を含めた実力者が、四両がかりで挑み倒しきれなかった相手……それが西住みほなのだ。そんな彼女を倒すために義足の戦車長が編み出した最後の策、それは障害物越しの攻撃だった。原点は一弾流本来の得意分野である伏撃・奇襲である。観測役の味方と連携し、針の穴を通すような精密射撃をやってのけた。回避も反撃もされにくい、狩人か暗殺者のような攻撃方法だ。

 

 しかしみほは悔しさを感じなかった。むしろ舌を巻いていた。こんな戦い方ができるのか、と。

 才能もあれば向上心もある、しかし戦車道自体が好きかと言われれば、みほは返答に困るだろう。彼女が楽しさを感じたのは、戦車の中で芽生える仲間たちとの絆なのだ。一緒に買い食いをしたり、海水浴へ行ったり、時には騒動が起きたり。そんな友達との時間こそ何よりの宝だった。

 だが様々な選手と出会う中で、戦車道自体の奥深さも感じていた。優花里がこの道に強く憧れていたのも、姉や母が心血を注ぐ理由も、分かってきたような気がする。そして右脚を失いながら戦車の道へ戻った、以呂波の気持ちも。

 

「アリクイさんチーム、みんな怪我は無いって!」

 

 快活に報告する沙織。自体の深刻さを理解した上で明るさを失わない。彼女の笑顔と気遣いには何度も助けられてきた。みほも安堵しつつ、後から追従する後輩を振り返った。

 

「澤さん、敵フラッグ車を集中攻撃します! 援護してください!」

《了解です!》

 

 梓も臆してはいない。彼女を次の隊長として育てるのが自分の最後の仕事となるだろう。

 

「最後まで全力で、戦い抜きましょう!」

 

 宣言した直後だった。

 突然、M3リーの車体が左へ大きく逸れた。みほが「あっ!」と叫んだときには回転するかのように路肩へ突っ込み、そこで行き足を止める。

 

 左の履帯が断裂していた。最初の攻防で破損していた部分が、とうとう限界に達したのだ。乗員も気づいてはいたものの、わざわざ交換するような時間はなかった。『クマウマ戦法』の激しいドリフト走行にも耐えられたのは、阪口桂利奈の操縦技術あってこそだろう。

 

 一瞬、躊躇いの表情を見せるみほ。しかしM3のキューポラから顔を出した梓と目が合った。

 

《西住隊長、すみません! すぐに修理します! 先に行ってください!》

 

 梓は分かっていた。三式中戦車が撃破されてからまだほとんど時間は経っていない。以呂波のタシュ重戦車がまだ近くにいる。今こそこれを追撃し、撃破するチャンスなのだ。自分のためにみほの足を止めさせるわけにはいかない。

 そしてみほの方も、ここで迷っている暇はなかった。

 

「分かりました、澤さんも気をつけて!」

 

 後輩たちがどのような道を進むことになるかまでは分からない。だがみほは自分の経験から、一つだけ言い切れることがあった。

 その道は険しくても、楽しいものでなくてはならないということだ。そのためには自分が今の道を楽しまなくてはならない。みほだけではなく、あんこうチーム全員が同じ思いだった。

 

 

 

 

 

 

「こちら晴。M3は履帯が切れて止まった。今修理してる」

 

 双眼鏡を覗きながら、晴が報告する。彼女はタシュ重戦車から降り、市街地の時計塔に登っていた。T-35が撃破されたため、彼女が徒歩での偵察を行うことになったのだ。

 M3の周りには梓ら乗員が展開し、全力で修理に当たっている。一方、みほは以呂波の行く先を推測し、追跡を続けていた。

 

《私たちでトドメを刺そうか?》

《いいえ、まだ大坪先輩がいることに気づかれるとマズイです。無視して修理が終わるまでにIV号を倒します》

 

 決断に淀みはない。思慮深さに加え即断即決ができなくては、推移する戦況に対応できないのだ。予定を繰り上げ、対IV号用の作戦を発動せねばならない。幸いにもM3の擱座した場所は作戦にさほど影響のない地点だった。

 

《これが最後のプランです。『ツィター作戦』、決行します!》

 

 以呂波の言葉を聞き、噺家通信手はニヤリと笑う。

 

「見せておくれよ、師匠。あんたのサゲを」

 

 

 

 

 

 

 

 ……選手のみならず、観戦している誰もが悟っていた。決着の時は間近だと。

 フラッグ戦には時間制限がある。時間内に決着がつかなかった場合、両チームの代表が一騎打ちを行い、勝者を決めるのだ。故に劣勢に立たされた側が時間切れまで持久し、一騎打ちでの逆転を狙うという戦法もある。以呂波もそれを考えなかったわけではないが、すぐに却下した。ここまで競り合っている以上、みほも疲労していることだろう。ここで相手を休ませるよりも、押し切った方が良い。

 みほもまた、このまま決着をつけるつもりでいた。ここへ来て受け身に入っては付け入る隙が生じる。

 

 タシュ重戦車がIV号の前に姿を現し、発砲。みほが卓越した見切りで回避し、反撃。その寸前にタシュは路地へ逃げ込む。

 少女たちは無限軌道という脚で踊り続けた。お互いに一撃で相手を倒せる火力のため、緊張感は極限まで高まった。二人の車長は視力のみに頼らず、相手のエンジン音を聞き分け、肌の感覚で距離感を掴む。五感を研ぎ澄ませていた。互いに卓越した射撃回避技術を持っているため、直撃弾は一向に出ない。

 

 しかし地の利を味方につけているのは以呂波たちの方だった。千種学園に保管されている学園艦の精密模型を使い、市街地の地理は頭に叩き込んである。そして辛うじて動けるトゥラーンIIIがいることが大きなアドバンテージだった。

 

「大坪先輩、射撃用意!」

 

 追ってくるIV号を見やる。ゲルリッヒ砲がこちらへ向いているが、結衣が不規則な之字運動を繰り返して狙いをつけさせない。華ほどの砲手であっても、フェイントを多用した動きにはなかなか対応できなかった。

 だがジグザグに走行しているということは、その分追いつかれやすいということ。IV号が徐々に距離を詰めてくる。至近距離になればさすがに当てられるだろう。

 

「今!」

 

 かつて寮だった建物の前へ、タシュが差し掛かったとき。以呂波の号令の直後、轟音と共に建物の壁が崩れた。レンガがタシュのすぐ後ろに撒き散らされ、IV号戦車は急ブレーキをかけて停車する。

 建物の反対側からトゥラーンIIIが榴弾を撃ち込んだのである。対戦車用の長砲身75mm砲であり、KV-2の152mm榴弾のような破壊的な爆発力はない。それでも遅延信管を利用して反対側の壁を崩すには十分だった。瓦礫に行く手を阻まれたIV号は回り道をすべく、信地旋回を行う。

 

 その間に以呂波は目的地へと戦車を走らせた。長い歴史を持つ学園艦のため、度重なる改装・拡張の結果、街の一部分が妙な構造になったらしい。大通りへ繋がるやや急な下り坂があった。あんこうチームの裏をかくため、その地形を利用する。

 

「大坪先輩、ナイスです! あとは西住さんを大通りへ!」

《分かった! おびき出すね!》

 

 トゥラーンIIIのエンジン音が微かに聞こえた。機種はタシュ重戦車と同じだが、より重いタシュは同じ物を二基積んでいる。

 結衣がアクセルを吹かし、斜面を登る。市街地の一段高い位置へ移動し、目的のキルゾーンへと向かう。

 

「成功と失敗は五分五分かしら?」

「戦車道で希望的観測はよくないからね。ざっと見積もって失敗が六分かな」

 

 会話しながらも義足を操縦席へ伸ばし、肩を蹴って方向を指示する。戦車を滑らかに左折させながら、結衣はクスッと笑みを漏らした。

 

「ちょうど良い数字じゃない」

 

 直後に戦車の前方がガクリと下がった。下り斜面に達したのだ。

 

「右へ寄せて停止。砲塔を左へ!」

 

 高度な技術を要求される命令だった。視界の狭い戦車での幅寄せは極めて難易度が高い。しかし結衣は制動をかけながらも、建物に衝突しないギリギリの位置までタシュを寄せることができた。自車の幅と障害物までの距離を感覚で測れるまでになっているのだ。

 坂道でぴたりと停止し、そのままぐっハンドブレーキをかける。澪がゆっくりと砲を旋回させた。少し心配していたが、何とか砲を真横に向けられるだけの道幅があった。

 

 この坂を下れば大通りに出る。その後の一撃で全てが決まるのだ。

 

 

 

 

 

 

 一方のみほは、大坪の駆るトゥラーンIIIとの攻防に入っていた。吹き飛んだ誘導輪の代わりに、転輪へ直接履帯を巻きつけるという荒業を見て、千種学園の敢闘精神に再び舌を巻いた。

 相手は奇しくも、準決勝で自分の影武者を勤めてくれた少女だ。あのときはトラビを相手に、単なる偽者ではない実力を見せ付けた。

 

「このままだとタシュに回り込まれるぞ」

 

 麻子が指摘した。彼女たちとトゥラーンIIIは建物の陰に車体を隠しつつ撃ち合っていた。大坪も以呂波から指導を受けた射撃回避技術を持っているため、簡単には当たってくれない。麻子の言うとおり、このままでは以呂波に背後を取られる可能性が高かった。

 

「もう一発撃って、その隙に移動します!」

 

 相手がやったように、榴弾で建物の壁を崩して足止めする方法は使えない。ゲルリッヒ砲は先細りした砲身で砲弾を圧縮するという構造上、炸薬の充填された榴弾を撃つには甚だ不向きなのだ。それでもPak 41には専用の榴弾が開発されていたが、炸薬量は通常の75mm榴弾の27%しかない。砲身寿命の短さと並び、ゲルリッヒ砲が普及しなかった理由だ。

 

 優花里が漸減徹甲弾を装填。自動的に閉鎖器が閉まると、装填手用グローブを嵌めた手でスイッチを押す。

 華がトリガーを引いて発砲。細いスリット状のマズルブレーキから発射炎が広がった。

 

 寸前に大坪が自車を横道へ退避させたため、命中はしなかった。だがこの一撃でみほは脱出の時間を得ることができた。即座に戦車を反転させ、大通りへ向かって退避する。

 

 動けないうさぎさんチームから敵を遠ざけ、尚且つ確実に撃破したい。いっそ姉と一騎打ちをしたときのように、ある程度広い場所で格闘を仕掛けるか。

 思いをめぐらしながらも耳をそばだてる。これも姉と戦ったときと同じだ。相手のエンジン音を聞き分け、慎重かつ即決的に行動せねばならない。

 

 往時は賑やかであっただろう、美しい大通りへ出る。左右を確認。敵影はない。エンジン音も無し。

 

「左へ向かってください! 先ほどの広場ならM3からも離れています!」

 

 車長の命令に阿吽の呼吸でギアを切り替え、アクセルを吹かし、戦車を加速させる麻子。みほは前方を睨んだ。視覚や聴覚だけではない、嗅覚、触覚、味覚まで総動員する。敵戦車の臭いや味など分かるものではないが、神経を研ぎ澄ませると自然にそうなった。

 

 あんこうチーム全員が疲労感も忘れ、試合に熱中している。全乗員が時計の歯車の如く精密に動き、連携し、IV号戦車を操っていた。

 

 が、そのとき。

 みほは進路上の地面に何かを見た。とても小さく、黄色い、輝く何かを。

 

 その瞬間、みほは半ば無意識のうちに麻子の左肩を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

《師匠、今だ! 大通りに出たよ!》

 

 晴の声が以呂波の耳に入る。即座に義足で結衣の肩を蹴った。発進の合図だ。

 ハンドブレーキが解除されると、44Mタシュ重戦車はゆっくりと坂を下り始めた。聞こえる音は履帯の立てる金属音のみ。

 

 以呂波はタシュのエンジンを切っていたのだ。騒音を最小限にして奇襲をかけるために。

 

 ギアをニュートラルにした戦車は自重で坂を下り、大通りに入って停止する。結衣がしっかりとブレーキを踏み込んでいた。

 以呂波の目に見えたのは、反対側へ走るIV号戦車の後姿。小豆色に塗られた砲塔の上にはこちらに背を向けた、西住みほの姿があった。そしてその横で揺れる、小さな大将旗(フラッグ)も。

 

 気づかれていない。完全に背後を取った。こちらを見ているのはジャケットの背に縫い付けられた、あんこうのマークのみ。

 美佐子が腕に抱いていた徹甲弾を、最大限の速度で砲尾へ押し込む。乾いた音を立てて作動する閉鎖器。

 次いでスイッチが押され、「発射準備良し」のランプが点灯した。

 

 その間、澪はすでに照準を合わせていた。動力を切っても、大抵の戦車は手動で砲塔を回せる。

 

「撃て!」

 

 KwK 42戦車砲が火を噴いた、以呂波は確信した。勝った、と。

 

 

 だが信じられないことが起きた。発砲炎が一瞬視界を塞いだ直後のことだ。

 みほのIV号戦車が、やや左へ曲がっていたのだ。

 

 命中するはずだった75mm徹甲弾は空を切る。何故避けられたか、以呂波には理解できなかった。奇襲は完璧に成功したはずだ。みほはこちらを見ていなかったし、気づいてもいなかった。

 

 確かにそうだった。みほは後ろから撃たれるまで、背後を取られたことに気づかなかった。彼女は攻撃を避けたのではなかったのだ。

 視力の良い以呂波は気づいた。IV号があのまま直進すれば轢いていたであろう、地面にある小さな物に。

 

 

 石畳の割れ目に咲いた、一輪のタンポポ。

 

 

「花を避けた……!?」

 

 

 刹那、みほが弾かれたように後ろを振り向いた。車長同士の目が合う。途端にIV号は急加速し、けたたましいスキール音が響く。

 ドリフト機動による急速反転で、あんこうチームはタシュ重戦車へ向き合おうとしていた。

 

「次弾装填!」

 

 以呂波は叫んだ。今からエンジンを再始動させては間に合わない。攻撃を以って最大の防御とする。

 美佐子の装塡速度は驚くべきものだった。考えるよりも先に条件反射で体を動かした。徹甲弾が薬室に押し込まれ、再びランプが点灯する。砲手たる澪もまた、集中力を解いていなかった。変則的なドリフト走行を行う相手に照準するのは至難の技だ。だが相手が撃ってくる時には確実に停止する。

 

 紙一重の瞬間を狙う。

 

 二人の戦車長はぴたりと目を合わせている。だが実際には相手とその戦車、全体を観ていた。

 そして、異口同音に号令を発した。

 

 

「撃て!」

 

 

 双方の75mm砲が吼えた。そして二人は同時に同じものを感じた。

 発射炎と陽炎で歪む視界。交差する徹甲弾。車体を揺さぶる被弾の衝撃。

 

 弾け飛ぶ装甲の破片。捲き上る黒煙。

 

 

 以呂波は発砲の瞬間車内に身を屈め、美佐子の肩に掴まっていた。脚にぐっと力を入れ、ゆっくりとキューポラから顔を出す。義足の関節が微かな駆動音を立てた。同じタイミングでみほも顔を出し、再び目が合う。

 観客、両校の生徒、先に撃破された選手たち。そして時計塔に立つ晴。試合を見守っていた誰もが息を飲んだ。

 

 煙が晴れる。タシュは側面、IV号は正面装甲に深々と弾痕が穿たれていた。そして双方の砲塔から、煤けた白旗が上がっていたのだ。

 ふと、空から聞こえるエンジン音。連盟の運用する双発爆撃機『銀河』だ。ガラス張りの爆撃手席に搭乗した審判員が、少女たちと戦車を見下ろす。

 

 

《両チームフラッグ車、走行不能。コンピューターによる精密判定を開始》

 

 

 

 ……以呂波には分かっていた。自分たちは格段に強くなったが、あんこうチームには今一歩及ばないと。

 

 例えば美佐子の装塡速度は優花里より上かもしれない。しかし他の乗員の補助、弾薬の管理といった、装塡手としての総合力では敵わないだろう。

 澪も命中率は華と互角だった。彼女やカイリーから教えを受け、数学的な計算だけでない、極めて精密な射撃能力を手にいれた。だが、時に命中率より重要となる『ある能力』において、やはり一歩及ばなかった。

 

 

《判定終了。44Mタシュ重戦車の白旗判定が先であると判明。よって……》

 

 

 撃たれる前に撃つこと、である。

 

 

 

《大洗女子学園の勝利!》

 

 

 



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エピローグ1

 降車した以呂波、美佐子、結衣、澪の四人。そしてあんこうチームのみほ、優花里、麻子、華、沙織の、合計九人が集まった。

 少女たちの視線の先には、あのタンポポがあった。どこから飛んできた種だろうか。石畳の割れ目に根付き、恐らく誰にも知られることなく育ったのだろう。廃墟となった学園艦の都市で、その花は黄金色に輝いていた。鉄と炎の飛び交う試合中も、ただ静かに咲いていた。

 

「これを、避けたんですよね」

「うん……なんでだろう、気がついたらほとんど無意識に……」

 

 少し戸惑いながら、みほはタンポポと以呂波を交互に見る。自分が何をしたのか、まだ理解しきれていないかのように。

 

「私には見えなかった。あのまま走っていれば轢いていたな」

 

 麻子がぽつりと言う。疲労のためか、いつにも増して眠そうな口調だ。如何に視力の良い彼女でも、操縦席からの狭い視界では地面に咲く花に気づくことはできない。みほに肩を蹴られたため、それに従って進路を変えただけだ。

 当のみほ自身、何故そんなことをしたのか分からなかった。無論、彼女は花を足蹴にして歩くような人間ではない。しかし勝敗を賭けた撃ち合いの最中、雑草同然の小さな花を気にかけるなど、本来なら正気の沙汰ではない。

 

 鉄と油、硝煙の匂いに囲まれた中で、このタンポポから何か尊いものを感じたのか。または極限まで研ぎ澄ました感覚が小さな花にさえも反応し、回避行動を取らせたのか。

 

「……些細なことが勝敗を分けるのはよくあることです」

 

 当惑するみほに、以呂波が語りかけた。目元をそっと拭い、笑みを浮かべて。

 

「それが今回は、このタンポポだったということですよ」

「そうですね。この花がなければ、負けたのは我々の方でした」

 

 感慨深げに腕を組む優花里の横で、華も静かに頷く。それに対し、今度は結衣が口を開いた。

 

「でもその前の奇襲で使われたのが実包だったら、あそこで皆さんの勝ちでした」

「あれはね、みぽりんが空包にしようって言ったの」

 

 車長の肩を叩く沙織。被弾したのが通信手席の付近だったため、衝撃で少しぼんやりとしていたが、すぐに回復したようだ。優花里と同様、彼女もみほの判断を誇りに思っていた。

 

「以呂波ちゃんたちが名誉のために戦っているなら、私たちも名誉を大事にしなくちゃ、って」

「あー、あの演説は……今思い返すとちょっと恥ずかしかったかな……」

 

 恥ずかしさの原因の半分は晴のせいである。まったく、余計なオチをつけてくれた。だがある意味では千種学園らしいと、以呂波も思っていた。

 そのとき、美佐子が急に倒れた。というより、地面に大の字になって寝転がった。驚く友人たちの前で豪快に笑いだす。とても楽しそうに。

 

「正直悔しい! 勝ちたかった! けどスッキリした! やっぱ戦車道初めて良かったー!」

 

 その言葉は仲間全員の気持ちを、極めてシンプルに代弁したものだった。ベストは尽くした、そう胸を張れる負け方だった。以呂波もクスリと笑いつつ、彼女の隣に腰掛ける。

 

「私もちょっと右脚が疲れたので、失礼して……」

 

 義足と生身の脚、両方を投げ出し、横になる。そんな親友の姿を見て、結衣も笑顔でそれに倣った。澪もその横へ。

 戸惑うみほの前で、麻子が同じように寝転がった。夜型の彼女だが、試合の後はさすがに疲れたのだろう、さっさと目を閉じて眠り始める。華も微笑を浮かべながらゆっくりと身を横たえ、沙織は髪が汚れないか少し気にしながら、その横に寝転がる。

 

 まあ、いいか。みほもまた、以呂波の向かい側にころんと倒れ込んだ。

 

 

「あずどん、ごらんよ。戦車道の花が咲いてる」

 

 時計塔の上で、晴が双眼鏡を差し出す。受け取った澤梓は彼女が扇子で示す方向を、レンズ越しに見やる。あんこうチームと以呂波たちの姿が見えた。梓も思わず笑みが溢れる。

 

「本当だ、花になってるね」

 

 タンポポを中心に、九人の少女は空を見上げていた。花弁のように、円形に寝転がって。茜色になりかけた空を、連盟の『銀河』が横切っていく。星型エンジンの唸り声が耳に残った。

 

 試合終了後、うさぎさんチームの六名は晴に声をかけられ、時計塔に登った。晴としては特に用があって呼んだわけではない。ただ一緒にこの景色を見る相手が欲しかっただけだ。梓たちは同い年なので、準決勝のときから気安く話のできる間柄だった。

 その後、大坪涼子たち馬術部チームもやってきた。時計塔の展望台は満員となっている。

 

「いや、あっぱれあっぱれ。粋なサゲじゃないかい」

「うん。千種学園らしい感じ」

 

 同じく双眼鏡を覗く大坪も、笑いながら相槌を打った。

 

「お晴ちゃんも涼子ちゃんも、悔しくないの?」

 

 ご満悦と言った風情の晴に対し、大野あやが問いかける。今回は眼鏡の損害がなかったためか、彼女の表情も明るい。

 

「さぁてねぇ、自分でもよく分からないんだよ。悔しいと言えば悔しいけれど、悔しがるのは無粋だし勿体ないなって」

「何それー」

「なんとなく分かるな、私」

「なんかアンチョビさんみたいだねー」

 

 大洗のうさぎたちが様々な感想を漏らす。晴は美佐子の横で大の字になって笑う以呂波を、じっと見つめていた。あの子がついこの間まで廃人だったなどと、信じる人間はいるだろうか。重そうに引きずっていた義足も、今や『強い脚』となっていた。

 彼女と戦車道、そしてそこで生まれる人の情。女の強さ。女だてらに落語家を志すからには、まだまだ彼女から学びとれることは多そうだ。

 

「しばらく後を着いていこうかね。あの子のいろいろなところを、もっと観たいから」

 

 その言葉を聞き、あゆみと優季が顔を見合わせた。そして大坪も。

 

「……お晴ちゃんって、意外とストーカー気質?」

「いろはちゃんに近づいて、隙を狙っていやらしいことを……」

「お晴さんならやりかねないと思う」

「冗談言っちゃいけねぇ!」

 

 

 

 

 

 

 

 ……客席は歓声と拍手に包まれていた。表彰式まで見ていこうという者もいれば、腰を上げて帰路に着く者もいる。総じて観客にとっては見ごたえのある試合だった。しかし目に見えない所で行われた、選手たちの駆け引きに気づいていたのはごく一部だ。

 シュトゥルムティーガーを使った欺瞞作戦に最初から気づいていたのは、千鶴たちくらいだろう。彼女たちは大型モニターに映されたIV号とタシュを見つめながら、それぞれのことに思いを巡らせていた。

 

「……やっぱり出てよかったよ、この大会。一回戦で負けちゃったけど」

 

 ベジマイトがぽつりと呟いた。義手で掴んだ紙コップを口元へ運び、残ったコーラを飲み干す。義肢の技術が飛躍的に発達したのは、戦車が生まれた第一次大戦の直後だった。必要とする傷痍軍人が大勢いたためだ。ベジマイトの愛用する能動義手もその時期に生まれたものであり、反対の肩までハーネスをかけることで、ペンチ型の手をある程度動かすことができる。彼女くらい使い慣れればコップを持つ程度は造作もない。

 試合は初戦敗退に終わったが、あの義足の戦車長と出会えたのは幸運だった。以呂波は知らないことだが、二人はある意味では去年から縁があった。自分は来年で卒業するが、この縁はこれからも続くだろう。彼女たちが戦車道を続ける限り。

 

「うん、まあウチは大いに収穫があったわ」

 

 トラビが傍にいる矢車マリの肩を抱き寄せた。矢車の方は隊長のこうしたスキンシップに慣れているためか、苦笑してそれを受け入れている。トラビにとっては準決勝で大洗と渡り合ったことよりも、後輩の成長を見られたことが大きな喜びだった。

 彼女は日本人の『何か』が気に食わなかった。だからドイツ系の学校に進学したが、生徒会は黒森峰の顔色を伺い、戦車道チームを表に出したがらなかった。それに不満を持っていた生徒は他にもおり、積極的に世に打って出ようというトラビの方針が多く支持を集め、隊長に就任した。

 黒森峰にも働きかけを行った。現隊長の逸見エリカはトラビの意図を汲み、ドナウ高校の生徒会に声明文を送ってくれた。黒森峰は新たなライバルの出現を恐れない、我々の土俵へ来い、と。

 自分はよくやった方だと、トラビは思っている。そして自分が卒業した後も、後輩たちはきっとさらなる高みを目指してくれるだろう。

 

 カリンカは相変わらずの仏頂面で、じっと画面を見つめている。そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「……やっぱり、私がこの舞台に立ちたかったわ」

「勝つ奴いりゃ、負ける奴もいる。しょうがないことだろ」

 

 千鶴が笑みを向けたが、カリンカはふんと鼻を鳴らした。

 

「あんたは知ってるでしょうけど、アガニョークの隊長は私で三代目。先代は初代にクーデターを起こして隊長になったわ」

「ウチも知ってるで。やるべきことをやったんや」

「初代は評判悪かったもんね」

 

 トラビとベジマイトが口を挟んだ。彼女らは友人でもあるが、ライバル同士として情報収集は欠かしていない。アガニョークの初代隊長は戦車道チームの基盤を作ったが、横暴なやり方で反感を買っていた。試合をした他校からの評判もよくなかったので、トラビらも先輩からそれを聞いていたのだ。

 

「私は先代から正式に立場を譲られた。あの人が苦労して作ったものを、さらに大きくするために。けれど……」

 

 瞳が宙を見上げると共に、サイドテールが微かに揺れた。

 

「この大会はチャンスだったわ。学校だけじゃなくて、私自身にも」

 

 少女たちは沈黙した。同じ隊長として、また戦車乗りとして、誰もがカリンカの気持ちを理解できた。というより、共感できた。この『士魂杯』は今まで強豪校の陰に隠れていた自分たちが、真の実力を世間に示すチャンスだった。学校だけでなく、自分の将来の足掛かりとしても。

 もちろん、名を上げる戦いはできたと信じている。試合が終わればノーサイドで互いの健闘を称えあった。

 

 しかしそれでも、やはり勝ちたかった。勝負の世界に生きているなら、その感情は当然だ。

 

 守保はそんな彼女たちを、後ろで静かに見守っていた。だがやがて、思慮しつつ口を開いた。

 

「……いずれ、我が社で新流派の創設を後押しようかと考えていてね」

 

 少女たちが一斉に振り向いた。食いつきを確認した守保は「まだ正式なビジネスプランじゃないから話半分に聞いてくれ」と断った上で続ける。

 

「アメリカとかの戦車道は格式張らないし、豆戦車限定の競技とかも盛んだから、日本と比べて敷居が低い。それが必ずしも良いとは思わないけど、日本にもより気軽に始められる流派が必要だと思う。高校生や大学生の未経験者とかでもね」

 

 今活躍している選手には、小学生の頃から戦車道を始めた者も少なくはない。しかし親類に戦車乗りがいる場合や、小学校で戦車道教育を行っている場合が多かった。幼い頃戦車道に興味を持ったとしても、親の理解が得られなかったり、または始められる環境がないなどの理由で諦めるパターンが多いのだ。

 学園艦教育などで自立心の育った高校生からの方が、新しく始めやすい。その場合は経験者との差が大きなハードルとなるが、指導と環境次第では追いつくことができる。大洗女子学園がそれを証明しているし、この場にいるベジマイトやカリンカに至ってはそこから隊長までのし上がった。若くして自分の会社を築いた守保も、ある意味では似たようなものだ。

 

「幹部として優秀な選手をスカウトしたいが、大手流派の門下生や強豪チームの選手は何かと制約が多いからな。鶏口となるも牛後となる勿れ、小規模のチームの実力者で、伝統を理解してもそれに縛られない独創性があり、尚且つ芯のしっかりとした人材が理想だ。そんな選手はそうそういないと思っていたけど……そうでもなさそうだ」

 

 少女たちの方を見ると、皆真剣な表情で聞き入っていた。カリンカなどは思わず唾を飲み込んだ。話半分に聞けと言われても、やはり『新流派』という言葉の重みは大きかった。もし自分が、自分たちがその中心になれれば……。

 そんな中で一人、千鶴は不敵な笑みを浮かべていた。

 

「次のチャンスがまだまだ転がってる。そういうことだろ、兄貴」

 

 妹の言葉に、守保は頷いた。

 

「勝利の女神には前髪しかないと言うけど、出会う機会は何度もあるかもしれない。俺のビジネスもそうさ。君らにもまだ機会がある。その野心を大事にしてくれ」

 

 励ましの言葉を残し、若き社長は腰を上げた。もう一人の妹へ会いに行くのだろう。

 残された少女たちは守保の言葉を反芻していた。一代で企業を作り上げただけに、言うことには重みが効いている。沈黙の末、彼女たちは同じ結論に達した。

 これからだ……と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 連盟回収班のトランスポーターが、戦車とその乗員を乗せて整備所(ピット)へ入る。撃破されていないトゥラーンIII重戦車は自力でトレーラーから降りた。整備班に先駆けて出迎えたのは大坪の愛馬セール号だった。大坪も停車した戦車から即座に飛び降り、駆け寄る。愛馬の首を抱きしめ、鬣を撫でてやった。

 

 そして白旗の上がったタシュから、以呂波が仲間たちの肩を借りながら降車する。最後は美佐子に抱きかかえられ、地面に立った。出島期一郎率いるサポートメンバーが整然と列を組み、敬礼を送った。

 気恥ずかしげに答礼した以呂波へ、先に撃破されたチームメイトたちが駆け寄った。サポートメンバーたちがさっと通り道を開ける。丸瀬、北森、東、川岸、去石、三木、河合、およびその指揮下の乗員(クルー)たちだ。

 一番先頭にいるのは船橋だった。被弾時の衝撃で眼鏡にヒビが入っていたが、そのレンズの向こうに雫が見えた。

 

「船橋先輩、私……」

 

 敗北を謝罪しようとした以呂波。しかし船橋は彼女の言葉を遮った。

 そして後輩の体を、強く抱きしめたのである。

 

「確実に勝つチャンスもあった。でもあなたはそれより、皆の名誉を守ってくれた」

 

 涙声で発された言葉。大洗が三式中戦車を救助中に攻撃していれば、大損害を与えられただろう。そうすればみほを孤立させ、数で押し切ることもできた。

 だが以呂波は撃たなかった。船橋から隊長になって欲しいと頼まれたときのことを思い出したから。戦う以上、負けて良いという法はない。しかし千種学園にとって、名誉なき勝利は意味をなさない。それを思い出したからだ。

 

「我々だけではない。廃校を止められず卒業した、先輩方の名誉も守った」

「それが目的だったもんな。目的を達成したってことは、あたしらも勝者ってことだ!」

頭領(ヘーチマン)の言う通り!」

「ならこの後は残念会じゃなくて祝勝会ッスね! いい魚をご用意するッスよ!」

「私も料理手伝うよ〜」

「じ、じゃあ学校の路面電車を一両、貸切にしてやりましょうよ! 鉄道部が手配しますから! ……良いですか、会長?」

「許可します。私もツィターを持っていきましょうか」

 

 いつも通り賑やかな、大事な仲間たち。

 

「一ノ瀬さんが隊長で、本当に良かった。ありがとう」

「……私こそ」

 

 以呂波は心から思った。この学校へ入って良かった、と。

 

 そのとき、サポートメンバーの何人かは近くにやってきた人影に気づいた。ダークスーツ姿の中年女性だ。胸に着けた金色のバッジが服に映えている。『芙蓉に一文字』……一弾流の旗印だ。

 

「ごめんなさい、皆さん。ちょっと通してください」

 

 丁寧にことわりながら、人山の間を抜けていく。その声を聞いて、以呂波はハッとそちらを省みた。母・一ノ瀬星江の姿があった。

 

 久しく連絡さえ取っていなかった親子の再会。しかし以呂波が戸惑ったのは一瞬だった。船橋から離れ、義足をやや横に開き、しっかりと背筋を伸ばす。二人の顔立ちはどことなく似ていた。そしてバッジから、結衣たちは彼女が何者なのか察した。

 固唾を飲んで見守る仲間たちの前で、以呂波は母と向き合う。娘の堂々とした態度を見て、星江は口を開いた。

 

「激しい戦いの中で目的を見失わないようにするのは難しいことです。戦いの熱に飲まれ、強さと勝利を求めるうちに、手段と目的の境目がなくなってしまう。私もそうでした」

 

 母の表情に微笑が浮かんだ。柔らかな顔だ。

 流派とその伝統を守るのは簡単なことではない。特に一弾流のような、特殊性の強い流派は尚更だ。大手流派からは時に白い目で見られながらも、開祖が死に狂いで開いた系譜を守らねばならない……その義務感から失敗もした。守保との関わりがそうだった。

 そして以呂波に対してもまた、失敗をしかけていた。脚を失った娘を戦車道から遠ざけたがために、彼女の目の輝きが失せてしまった。だが幸いにも、娘はそこから立ち上がった。仲間たちの手を借りて。

 

「貴女は感情、そして勝ちを拾おうという欲に屈せず、『何のために勝つのか』を考えた。その上で、決して勝利を諦めなかった。一弾流の理想とする指揮官像です。母として、師として、嬉しく思います」

 

 その言葉を聞き、以呂波は目頭が熱くなった。認めてくれたのだ。自分の戦車道を。

 

「お母さん……」

「いえ、もう師ではないわね。貴女が学ぶべきことはまだ多いけど、それは自分で知るべきこと」

 

 娘の肩を軽く叩き、星江は背を向けた。巣立ち、という言葉が以呂波の頭に過ぎる。

 

「困ったことがあったら相談に来なさい。ただし万が一あまりにも無様なことをすれば、私からお尻を叩きに行きますからね」

 

 歩き去る母親の後ろ姿に、以呂波は無言で一礼した。

 

 

 

 

 

「……以呂波の友達を誘わないのか? 一弾流に」

 

 遅れてやって来た守保が、星江に声をかけた。整備所(ピット)からは少女たちの声に混じり、軽快な音楽も流れてくる。バヤーンなどを持参した生徒がいたようだ。

 ふと息を吐き、星江は息子に笑いかける。守保としては母親の笑顔を久しぶりに見た。

 

「まだもう少し待つわ。まだ好きなように戦車道を楽しんで欲しいからね」

「それもそうだな」

 

 守保は直接会っていないが、晴は大学へ行かず落語家になるつもりでおり、少なくとも卒業から数年は戦車道から離れることになるだろう。だが澪、結衣、美佐子の三人はもしかしたら、いずれ自分から一弾流の門を叩くかもしれない。

 決めるのは当人たちだ。それまで自由に戦車道をやらせるのが良いだろう。

 

「さて、もう行くわ。西住さんをホテルまで送る約束なの」

「え? まさか西住流の家元と一緒に来たのか?」

「たまには悪くないわ。彼女、乗り心地を褒めてたわよ」

 

 近くに停めていたリップ・ソーに歩み寄り、キーリモコンでドアを開ける。ガルウィング式のドアがゆっくりと持ち上がった。近未来的な内部にはエアコンも完備され、守保のサービスでCDプレイヤーやETCまでついている。ハンドルは装軌車両らしく、旅客機の操縦輪に近い半円形だ。ルノーB1やソミュアS35などはトラクターに似た円形ハンドルだが、戦後のMBTでは飛行機かバイクのような形状が多い。

 運転席に身を収め、星江はふと息子を顧みた。

 

「……忙しいでしょうけど、貴方もたまには遊びに来なさい。お父さんが会いたがっているから」

「……そのうち大吟醸でも持ってお邪魔するよ」

 

 勘当された後、父親と会ったことはあるが、一緒に飲んだことはなかった。次は良い酒を用意するか、でなければ一緒にBARにでも行くつもりだ。

 返事を聞いた星江はドアを閉め、エンジンをかける。ディーゼルの唸りが響いたかと思うと、黒いリップ・ソーは軽快に走り出した。排気が微かに宙を漂う。

 

 守保は妹たちの方に目をやった。以呂波たちが愛車の砲塔に座り、船橋が立て続けにシャッターを切っている。

 

 戦時中未完に終わった、ハンガリー陸軍の切り札。戦後に同国の戦車道チームで組み立て途中だったあの車両も、チームの解散によって所有者を転々と変え、未完成のまま八戸タンケリーワーク社に引き取られた。完成する前から錆の浮いていた姿を、守保は今でも覚えている。言いようもない無念さを感じたから、レストアすることにした。大抵の客はこれよりパンターを欲しがるだろうが、品揃えをアピールする程度には使えるだろうと思った。

 

 それが今、千種学園の隊長車として、以呂波の鉄の脚として多くの生徒から愛されている。白旗を上げながらも誇らしげに、義足の戦車長を背に乗せて輝いていた。

 

 カメラのフラッシュに照らされる、44Mタシュ重戦車。その勇ましい姿に向けて、守保は静かに言った。

 良い主人に会えたな、と。

 

 

 



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エピローグ2

 航空機用のガソリンエンジンを唸らせ、五式中戦車チリが進む。相変わらず随所に風化処理(ウェザリング)が施され、亡霊戦車とでも言うような外観だった。操縦手がゆっくりと制動をかけ、車長の指示通りに停車する。

 その左隣へやってきたのは二式軽戦車ケトだ。フラットな砲塔から顔を出した亀子が、チリ車へ向けて手を振る。

 

「今日も快調だぜ、師範代サマ!」

「止せっての」

 

 一ノ瀬千鶴は頰を掻いた。彼女は先日、一弾流の最年少師範代となったのだ。合格の報せを聞いた後、亀子は即座に彼女に入門した。そのため今も『芙蓉に一文字』徽章を胸に着け、ケト車にも同じマーキングを描いている。弟子入りするなら千鶴のみだと、以前から決めていたのだ。

 

「いい加減、あたしの言うことしか聞かない性格を直せ」

「てめェに躾けられたんだよ。こうなりゃ一生付きまとってやるから覚悟しろィ」

 

 砲塔上に腰掛け、カラカラと笑う亀子。内股に座っているあたり、なんだかんだと言ってもやはり女の子だ。

 若き師範代はやれやれと苦笑する。やがて四式中戦車チトや砲戦車隊も集結し、一列横隊を組んで停車する。そしてチリ車の右隣には、一ノ瀬以呂波の44Mタシュ重戦車が停まっていた。

 

「千鶴姉、結局お兄ちゃんの話には乗らなかったんだね」

「ああ。新しい流派を作るのも楽しそうだけど、あたしはやっぱり一弾流が好きだからな」

 

 以呂波もまた、兄から新流派設立の話を聞いていた。実現は先のことになるだろうが、八戸社はそれに向けて動き始めた。近々一般に公表することになるだろう。守保は虹蛇女子学園、アガニョーク学院高校、ドナウ高校へも正式に手紙を送った。特にカリンカが意欲を見せているため、彼女が中心となる可能性が高い。

 あのドS女が頭で本当に大丈夫だろうか。自分のことを棚に上げ、千鶴は少し心配していた。もっともベジマイトやトラビも一緒にやるようだから、何とかなるだろう。ラーストチュカもカリンカに付き従うつもりでおり、カイリーはトラビと同様、故郷の狩猟文化を戦車道の中に残すべく参加するようだ。矢車マリはまだ一年生なので、協力するにしても先のことになるだろう。

 

「それにしても……」

 

 千鶴は妹の戦車の向こう側……千種学園の生徒会長・河合美祐の戦車を見やった。決勝で使ったカヴェナンターは改造が完全に終わるまで、再び車庫へ下げられたのだ。

 

 代わって彼女の愛車となったのは、学園艦から新たに発掘された戦車だった。車体はオリーブドラブの傾斜装甲を多用した、やや縦長の車体。M4中戦車シャーマンとほぼ同じ物を流用している。外見で分かる違いは、正面にドーザーブレードを装備していることだ。

 しかしてその車体上には異形の砲塔が鎮座していた。T-35のように砲塔自体が多いのではない。一つの砲塔から三つの砲身が突き出ているのだ。ただし中央に据えられた105mm榴弾砲はダミー砲身である。本命は砲塔の両側面にある、耳のような膨らみから突き出した、180mmロケット砲だ。

 

「T31破壊戦車だっけ? お前の学校は変な戦車が集まる呪いでもかかってるのか?」

「私もたまにそう思う。でも意外と使えそうだし、北森先輩たちの仕事も楽になるし」

 

 苦笑しながら、以呂波もその工兵戦車を見やった。車内では河合が、ロケット砲の自動装填装置の点検に追われていることだろう。終戦間際に試作されたこの車両は破壊戦車(デモリション・タンク)の名の通り、障害物を破壊し突破口を開くために開発された。7.2インチロケット弾は五連発のリボルバー弾倉を備え、邪魔な物を粉微塵に吹き飛ばす。戦車道ではあまり意味はないが、地雷対策で底面装甲も増厚されていた。ペリスコープ式の火炎放射器も搭載されているが、戦車道のルールに反するため煙幕噴射装置に改造されている。

 さらにドーザーブレードを装備できるため、戦車壕を多様する一弾流なら使い道はあった。T-35の乗員数に物を言わせた人海戦術に加え、このT31で工作力は格段にアップした。相変わらず、回転砲塔と火力を両立させた戦車は少ないが。

 

「見た目のインパクトだけなら千種学園に勝るチームはねーな。断言できるぜ」

「乗ってる人の変人ぶりなら、決号の方が上でしょ」

「おっと、言葉に気をつけろよ。あたしはお前が小五のときのオネショ写真、今でも持ってるんだぜ」

「さ、最低! だったら私だって、千鶴姉がお兄ちゃん宛に書いたポエムなラブレター、全部コピー取って保管してるよ!」

「なっ、こ、この腐れ外道……!」

「コラァ! 姉妹で黒歴史抉り合ってる場合か!」

 

 亀子の怒号によって、二人の会話は中断された。試合開始の時刻が近づいていたのだ。一ノ瀬姉妹はそれぞれ、戦車内に身を収める。

 

「みんな、準備はいい?」

 

 点検を行なっていた仲間に向け、以呂波は問いかける。

 

「……砲塔旋回、照準器正常……砲手、準備良し」

「エンジン出力、変速機正常。油温計異常なし。操縦手、準備良し」

「閉鎖器動作確認! 弾薬格納、糧食、異常なし! 装填手準備良し!」

「車外通話、車内通話、感度良好。通信手準備良ーし」

 

 澪、結衣、美佐子、晴の順で滑らかに返事が返ってくる。他の車両からも『準備完了』の報告が来た。やや心配していたT31も、無事に点検を終えた。

 結衣が操縦席から以呂波を見上げ、笑いかける。

 

「相手はかの逸見エリカさんと西絹代さん。エキシビジョンとはいっても激戦になるわね」

「……大丈夫」

 

 照準器を撫でながら、澪も微笑んだ。

 

「私の撃つ弾……ティーガーでも、きっと、倒す」

「うん、きっと勝てるよ! こっちはイロハちゃんたち姉妹が揃ってるんだから!」

 

 美佐子の大声はいつも通りだ。彼女のシンプルな思考と底抜けの明るさには、思えば随分助けられた。

 

「そうさね、西住姉妹に並ぶ最強コンビだ。ギャグのセンスが無い所も同じだね」

「ほっといてください!」

 

 余計なことを言う晴にツッコミを入れ、以呂波は試合に思いを巡らせた。

 

 黒森峰が知波単をお荷物扱いするようなら、そこが付け入る隙となる。だがおそらく、そう都合よくはならないだろう。黒森峰も去年から多くのことを学んでいる。知波単の突撃病は相変わらずだが、ただ玉砕して観客を笑わせるだけではなくなった。現に『士魂杯』の前から、夜戦でアガニョークを破る活躍を見せている。

 

 結衣の言う通り、激戦になるだろう。例え姉の部隊が一緒でも、一筋縄ではいかない相手だ。しかし同時に楽しみでもあった。

 この場にいる隊長格全員に共通していること、それは西住みほから何らかの影響を受けていることだ。彼女は来年卒業だが、同じ高校生でいる内にまた戦う機会もあるだろう。その日に備えて、またその先にある未来のために牙を磨き、精進を続ける。

 

 義足のソケットを軽く叩き、以呂波は立ち上がる。あの事故で体は不自由になった。だが自分はこの脚で、どこまでも歩いていける。一人では動かせない戦車のように、二人三脚で進めばいい。

 キューポラから顔を出し、姉に向けて親指を立てる。千鶴も頷いた。

 

 甲高い音と共に打ち上げられた花火が、白煙となって爆ぜる。以呂波は高らかに叫んだ。

 

 

 

戦車前進!(パンツァー・フォー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガールズ&パンツァー 鉄脚少女の戦車道

 

 完

 




ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
夏季の多忙もあり、三年以上にもなった連載の末、ようやく完結できました。

思えば「公式媒体では出てこないであろう珍兵器だらけのガルパンを書きたい」という思いから始まり、「戦車道にも現実の義足ランナーのような選手がいてもいいかな。戦闘機乗りなら義足のパイロットもいたし」「私の母校で戦車道をやっていたらどんなチームになっただろう」「廃校になった学園艦の生徒たちはその後どんな道を歩むのだろう」などといった考えが重なり、生まれたのがこの「鉄脚少女の戦車道」でした。
執筆中は試行錯誤を繰り返しましたが、本当に楽しかったです。
最後まで好きなように書き、それを大勢の方に「面白い」と言っていただけました。
読者の方にイラストを描いていただいたばかりか、登場する戦車の模型まで作っていただきました。


【挿絵表示】


(アルさんが作ってくださった、ドナウ高校仕様のE-100超重戦車“白鯨”です。下地の塗装が透けて見え、後から白く塗った感じがよく再現されています!)

決勝戦の結末は人によっては拍子抜けだったかもしれません。
私としては
・みほの凄さを書きつつ、彼女の『甘さ』も肯定したい。
・以呂波たちオリキャラは大洗に勝てないまでも、主人公である以上は善戦させたい。
という二点を念頭に書いていました。
だから千種学園が偽情報を流し、試合前から自軍有利な状況を作っていくという流れとなりました。
みほも以呂波を撃破する機会を得ても、救助の猶予を与えてくれた返礼として空砲を撃ち、読者の納得のいく形で善戦させられるように書きました。

なお、まだ書きかけの外伝作品ですが、少しお休みをいただいた後で書いていくつもりです。
別の短編を書く可能性もあります。
そのときはまた読んでいただけると幸いです。

話は変わりますが、最終章第一話は公開日の翌日に観て来ました。
ネタバレは避けますが、めっちゃ面白かった……そしてあの区切りで第二話まで待つのは辛いですね……。
本作は劇場版に合わせて途中で修正を行いましたが、さすがに最終章に合わせて改変するのは無理なので、そのまま突っ走ることにしました。
私は以前にtwitterで「ガルパン スターウォーズ化論」なんてことを呟いたことがありますが、『漫画版のアンチョビ』『リボンの武者におけるBC自由高校』『やだな西住!』など、公式媒体でさえ既にスターウォーズと同様『正史(カノン)』と『非正史(レジェンズ)』という概念が生まれかけていますw
だから拙作は元より非公式の、一介のファンが書いた二次創作なのですから、これもパラレルということで楽しんでいただければと思います。

最後に、応援してくださった読者の皆様、話を作ってくれた登場人物たちにお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
そしてガールズ&パンツァーというコンテンツを世に送り出した製作委員会の皆様にも感謝すると同時に、最終章の成功をお祈りいたします。


ガルパンはいいぞ。


2017/12/26 流水郎


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