混沌の使い魔 (Freccia)
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第1話 Summons

ただひたすらに戦い続けた

助けたかった友も殺した

最後の勝者となったはずなのに――結局、全てを無くした

足りなかったのは……


 

 

 

 

「宇宙の果てのどこかにいるわたしのシモベよ!

 神聖で美しく、そして、強力な使い魔よ!

 わたしは心より求め、訴えるわ……我が導きに、答えなさいッ!!」

 

 ただ、叫んだ。何度も何度も失敗して、半ば意地だった。

 

     

 

 ドオン、と景気良く巻き起きる大爆発。ようやくの結果がある意味では見慣れた失敗魔法で、思わず肩を落とした。立ち上る煙を睨みつけるが、それでどうなるものでもない。そう思ったが、煙の中に何かが見えたような気がした。

 

 目を凝らしてみると、ちょうど人と同じぐらいの影が揺らいでいた。煙が晴れて、ようやく影がくっきりと見えるようになった。

 

「……何、あれ?」

 

 思わず眉を顰めてしまった。途中経過はともあれ、初めて魔法が成功したことが、飛び上がりそうなほど嬉しかった。それなのに、その結果が思っていたものとは違いすぎた。

 

 使い魔の召喚、メイジのパートナー。私の実力を誰にでも分かる形で証明してくれるドラゴンか、それでなければ、ずっと一緒にいられる猫を願っていた。それなのに、ようやく見えた影は人の姿をしていた。

 

 顔の形云々はともかく、格好がおかしい。まず、上半身が裸だ。それはなんとか目をつぶるとしよう。だが、顔を含めて、体のいたるところに意味の分からない刺青のようなものがある。ついでに、よく見えないが首の後ろに黒々と伸びる角のようなものさえある。なんとなくだが、神聖な、というよりはむしろ禍々しいという気さえする。見たこともない、妙な亜人。強さからも、可愛らしさからもほど遠い。

 

「ちょっと、あんた何『ミス・ヴァリエール!! 下がりなさい!!』

 

 思わず何者かと尋ねようとしたところで、監督のコルベール先生に遮られた。

 

 思わず振り返ると、敵を見るような、という表現が相応しいのだろうか。いつもの、どこかのんびりとした様子はない。普段なら文句のひとつも言うところなのに、いつもとはまったく違うその剣幕に、思わず口ごもってしまった。からかうつもりだったらしい他の生徒達も、その変化に何事かと押し黙る。それくらい真剣な様子だったから。

 

 

 

 

 

「……君、いや、あなたは何者ですか?」

 

 ――絶対に勝てない。妙な胸騒ぎがしてディテクトマジックで魔力を探ってみたが、根本的に次元が違うということが分かっただけだった。いつでも魔法を放てるように杖を向けてはいるが、正直、時間稼ぎができるとも思えない。正しいのは、相手がその気になる前に、とにかく逃げ出すことだと思った。

 

 只単に格上の相手なら何度も戦い、そして、勝ってきたからこそ今ここにいる。戦い方次第では多少の実力差など、どうとでもなる。そのことは、そうして生き残ってきた自分だからこそよく分かる。だが、目の前の相手は違う。ただ人の形をしているだけで、そもそもの存在からして違う。そんな相手には戦術も戦略も何の意味も持たない。今杖を向けているのは、単純に私が先生なんてものをやっていて、生徒を守ることが義務だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前の煙が晴れ、俺をまっすぐに見つめる桃色の髪の少女、それを遠巻きに眺める、少しだけ年上らしい少年少女。そして厳しい目を向ける中年男性。なんとなく、状況についての予想はついた。どうやら、自分が仲魔を召喚していたのと同じように呼び出されたようだ。実際、今までいたのとは別の世界だろう。明らかに世界の雰囲気が違う。すでに終わったあの世界のような、息苦しさにも似た閉塞感がない。

 

 そして、何よりも違うものがある。目の前にいるのは、人間だ。あの世界にはマネカタはいても、もう人間はいない。久しぶりに人間に会えたのは素直に嬉しい。懐かしいとすら感じる。ただ、人間ではなくなったということを自分でも自覚しているとはいえ、流石に、こうはっきりと悪魔同様に扱われるのは、悲しくもある。向けられた言葉を心の中で繰り返す。

 

 

 

「……俺は何者か、ね。自分でもそれを知りたい」

 

 ――人間なのか、悪魔なのか。結局、自分はどちらにもなりきれなかった。そんな中途半端な自分だからこそ、中途半端なことしかできなかったのかもしれない。

 

 

 

 

「それよりも、なんで俺を呼び出したんだ?」

 

 さきほどの中年男性に問いかける。それが分からない。今更自分に用があるとは思えないし、たとえ力を求められたとしても、それで戦うつもりもない。それに、周りの人間の様子にも分からないことがある。自分を警戒するというのは分かる。純粋に力という意味では、どんな悪魔にもそうそうは負けない。実際、高位の悪魔達も数多く打ち破ってきた。ならば、警戒するというのは当然のことだ。

 

 ただ、それならばなぜ周りにいるのは子供ばかりなんだという疑問が起きる。男の言葉からすると意図して自分を呼び出したわけではなさそうだが、もし悪魔を呼び出すのに子供ばかりでは、下手をしたらそのまま餌になるだけだ。

 

 

「それは……『私が使い魔として呼び出したのよ!』……ミ、ミスヴァリエール!」

 

 男の言葉を遮って少女が叫ぶ。

 

 男の方は慌てているが、少女には何の恐れもない。真っ直ぐにこちらを見すえ、男とは対照的に対等の立場として言葉を投げかけてくる。目には怯えといったものは全くなく、幼げな容姿であるというのに、はっきりとした意思の強さを感じさせる。

 

 ――まるで、見ている方が眩しいと思うぐらいに

 

 

 

 

「……使い魔、か」

 

 一般的な意味で考えるなら、主の望むままに行動し、自分で何かを考えることのないモノ。

 

 ――自分の道すら決められなかった俺には、お似合いかもしれない

 

       

「分かった。使い魔になろう」

 

 

 

「な、なぜ?」

 

 男の方は心底理解できないといった様子だ。確かに、わざわざ使い魔などというものになる必要性などない。そもそも、今の自分を無理やり従えさせられるものなど、思いつく限りは存在しない。

 

 

 

「……別に、他にやることもないからな」

 

 本当に、何もない。やりたいことも、何も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キスという、随分と簡単な契約を済ませた後、その相手であるルイズの部屋に移動した。見た目通り学生であり、住んでいるのは寮というからには質素なものを想像していたのだが、随分と立派なものだ。ぐるりと部屋の中を見渡してみても、家族で過ごせそうなほどの広さもさることながら、家具の一つ一つがアンティーク調の高級品だ。高級品ばかりといっても、成金趣味といった類のものではなく、細部にまで丁寧に手をかけて作られた、むしろ高貴さを感じさせるようなものばかりだ。

 

 それと、今現在部屋にいるのは、ルイズと自分の二人だけだ。コルベールという男は最後まで警戒していたようだが、契約が一応成立したということと、学院長に相談するとかいうことで分かれた。

 

 

 

 

「そういえば、アンタの名前はなんていうの?」

 

 部屋に入って最初の言葉がそれだった。コルベールと比べて、ルイズには俺を警戒するといった様子はない。身長差からルイズが見上げる形になるというのに、むしろ、ルイズがこちらを見下しているようですらある。それに思うことはないではないが、恐れられるよりはよほど良い。コルベールのような反応が自分を知るものにとっては当然なのかもしれないが、俺は違うものだと突きつけられているようで、あまり良い気分はしない。

 

「俺の名はシキだ。……人修羅とも呼ばれていたが、できればシキの方がいい」

 

 ――人であり、修羅。その名は自分を良く表しているが、あまり好きじゃない。特に、せっかく自分のことを恐れていないこの少女には、そう呼んで欲しくない。

 

 

 

「ヒトシュラ? 変わった呼び方をされてたのね。まあ、呼びづらいし、シキって呼ぶわ。それよりあんたの仕事だけど……」

 

 あまり興味がなさそうに首をひねる。

 

「使い魔の仕事か?」

 

 思いつくのは吸血鬼の蝙蝠とかいったものだが、それにしても何をするのかというのはよく分からない。仲魔のようなものかとも思うが、流石に合体の材料にというのは困る。

 

「そうね、まずは使い魔は主人の目となり、耳となる能力を与えられるんだけど、……無理みたいね。そんな気配まったく無いし」

 

 魔力が通りづらいせいだろうか? 少々の魔力には耐性がある。まあ、曲がりなりにも契約はできたんだから違うかもしれないが。

 

「次にあげられるのは、主人の望むもの見つけてくる事。 例えば秘薬ね」

 

 秘薬。そう言われて真っ先に思いつくのはソーマだ。あれならば秘薬というのにも相応しい。

 

「こんなものか?」

 

 ルイズの手に、ポケットから取り出した小瓶を渡す。

 

「……何これ? なんかの薬?」

 

 瓶を揺らしたりと中身を見ているが、さすがにそれで何かは分からないようだ。

 

「そんなものだ。大抵の傷は一瞬で治るし、魔力も回復する。まあ、死んでさえいなければ何とかなる」

 

 最後まで温存し過ぎてあまり世話になることはなかったが、効果は大したものだった。

 

 

「……本当に?」

 

 いぶかしげにルイズが呟く。どうやら半信半疑らしい。俺と瓶の中の液体を交互に見つめ、疑うような視線を向けてくる。

 

 確かに、自分もそういったものを最初にしった時は信じられなかった。まあ、悪魔がいるのだからそんなものもあるだろうとすぐに納得できたが。

 

「この世界の秘薬というのは違うのか?」

 

「そんなに出鱈目なものじゃないわよ。確かに傷の治りは早くなるけれど、傷が深ければ治るまでに何日もかかるわ」

 

「そんなものか」

 

 ルイズに右手を差し出す。

 

「何?」

 

「いや、返してくれ」

 

「何で?」

 

 心底不思議そうだ。返そうという気は全くないように見える。ころころと変わる表情が可愛らしくもあるが、言葉通りの小悪魔のようにも見える。

 

「それは、結構貴重なものなんだが……」

 

 それに、あげるなどとは一言も言っていないはずだ。

 

「だから?」

 

 今度は何を馬鹿なことを言っているんだという表情だ。

 

「……返す気はないと?」

 

 ――ないんだろうな、とはもう理解できているが。

 

「何で返す必要があるのよ? 使い魔の仕事は主人の望むものを見つけてくること。だから、使い魔のものは主人のものよ」

 

 腰に手を当て、まさに当然のことといった様子だ。

 

「……おまえのものは?」

 

「もちろん私のものよ。何、馬鹿なことを言っているのよ」

 

 何の淀みもない。

 

「そうか。……まあ、いいか」

 

 こういうのをジャイアニズムと言うんだったか。まさか、こんな女の子がそんなことを言うとは思わなかった。思った以上にがめついらしい。

 

「それと、私のことはご主人様と呼びなさい」

 

 いくらなんでもそれは……

 

「――ルイズ、そんなことばかり言っているとろくな大人にならないぞ」

 

 自分が誇れる大人だとは言わないが、子供の時からそうでは先が思いやられる。

 

「……私、何歳ぐらいに見える?」

 

 さっきまでのコロコロと変わる表情は消え、急に無表情になる。子ども扱いされるのはイヤなんだろうか? しかし、どう見たって子供だ。小学生でも通りそうな身長、幼げな顔立ち、当然、胸もない。

 

「そうだな、……せいぜい12,3歳ってところか?」

 

 話しぶりからするともっと上なんだろうが、そうは見えない。それ以下になら見えるが。

 

「あんた、しばらく食事抜きね」

 

「…………」

 

 ――まあ、理不尽な扱いには、慣れている。

 

 

「……あと、使い魔の仕事としてはこれが1番なんだけど……使い魔は主人を守る存在なのよ」

 

 少しは気が晴れたのか、とりあえず無表情ではなくなる。

 

「それは問題ない」

 

 進んで戦おうとは思わないが、守るということならば構わない。自分の身を守るためにも、今まで散々戦ってきた。

 

 ルイズはこちらを見ると、鼻で笑う。

 

「……それはあんまり期待できないから、あんたは洗濯掃除、その他雑用かしら。」

 

「そんなに俺は頼りないか?」

 

 曲がりなりにもあの世界で生き抜いた自負はある。

 

「うん」

 

「……そうか、即答か」

 

 ――構わない、全く構わないが、何か納得がいかない。

 

 他にもこの世界について聞いてみたが、最初の予想通り、平和そうな場所だ。もっとも、前の世界に比べてだが。ドラゴンなどがいる辺り、やはり普通とは違う。魔法が生活の中でも重要な地位を占めるなど、まさに本で見たお伽の国の世界だ。いくつも質問をしているうちに、ルイズが時折眠たげな表情を見せるようになった。一度に尋ねすぎたかもしれない。

 

「……ふ、あふ……。今日はもう疲れちゃった。そろそろ寝るわ」

 

 そう可愛らしい欠伸をしながらつぶやく。それだけならそうか、の一言で済むのだが、次の行動には流石に驚いた。着替え着替えとブラウスのボタンに手をかけ、一つ一つボタンを外していく。   

 

 そして、投げ渡してきた下着を思わず受け取る。ブラなんてものはもちろんない。というよりも必要ないんだろう。

 

「明日になったらそれ洗濯しといて」

 

 凹凸の全くない体で、胸を張って実に偉そうだ。おかげで、胸がないのが尚更目立つ。

 

 ――自虐的だってことに気付いていないないんだろうか?

 

「……恥じらいってものはないのか?」

 

 自分のことを警戒しないというのはありがたいのだが、いくらなんでもそういったことについては警戒して欲しい、いや、警戒するべきだと思う。

 

「……上半身裸で平気な顔して歩き回っているあんたにだけは言われたくないわ」

 

「……そうだな」

 

 自分の姿を思い浮かべて納得した。常に上半身裸、しかも怪しげな模様まで入ったのが自分の姿だ。全く持ってその通りだと思う。誰だって、俺にだけは言われたくないかもしれない。

 

「じゃ、おやすみ。」

 

「……おやすみ。」

 

 床に寝ることになったがそれは構わない。今まで散々野宿してきた上に、下手にベッドなどに寝ると、首筋の後ろにある角が刺さる。

 

 パチン、とルイズが指を鳴らすと、部屋のランプが消える。センサー式ということはないだろうから、これも魔法だろう。随分と便利な代物だ。

 

 部屋の中が暗くなる。そうすると、俺の体の刺青は光る。暗闇を照らすほどではないが、俺の姿を浮かび上がらせるのには十分なほどに。一旦目を閉じたはずのルイズがまじまじと俺を見ている。

 

「……寝辛いからあんたは外で寝なさい。」

 

「……分かった。」

 

 ――本当に、何のために光るんだろうか。洞窟などでは的にしかならない。よくよく考えてみれば、自分の体にある悪魔らしいものはよく分からないものだ。暗闇で光る刺青はもちろん、首の後ろの角もだ。武器にも威嚇にもならない上に、寝るときには邪魔だ。光るおかげで外では安心して眠れないことだってあった。

 

 

 

 

 

 

 

 せっかくだから、と外を歩いてみることにしたが、ここは随分平和なところだと思う。つい癖で周りに悪魔がいないのかを警戒していたのだが、自分に敵意を向けてくるものなどいない。だからだろうか、月を見る余裕があったのは。

 

 空には二つの月が浮かんでいる。二つあるとはいえ、見た目は普通の月と変わらない。そういえば、月なんてものを見るのも随分と久しぶりのような気がする。

 

 この姿になる前も月なんて落ち着いて見たことはなかったが、こうして見ると素直に綺麗だと思う。ただ、その姿が最後に見たカグツチのそれに重なる。人の世界から、悪魔が跋扈する世界へ変わり、その中心で輝いていたもの。そして、そこから更に新しい世界に生まれ変わる、その始まりになるもの。その始まりの中心になるはずだったもの。

 

 ――呪う

 

 そう言葉を残して消えたカグツチ。ふと、思う。もしかしたら、自分の行動次第では別の結果もあったのかもしれない。例えば、変わり果てたあの世界をもとの形に戻すことも

 

 ――足りなかったのは



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第2話 Magic

 暖かいと感じた。

 いつの間にか寝ていたようで、朝日で目が覚めた。朝日と言っても、見上げればもうそれなりに日は昇っているようで、いつもに比べると随分と長く寝ていたのが分かる。警戒しなくていい、ただそれだけのことなのに、それだけでいつもよりも深く眠れた。起きて清々しいなどと感じることができたのも、何時以来のことだろうか。



 ここは、本当に今までの世界とは違う。ここで静かに暮らすのも良いかもしれない、そんな考えも自然と浮かんでくる。ただ、同時に本当にそれでいいのかとも思う。何に対してだかもよく分からないが、罪悪感のようなものを感じる。自分だけが生き残ったことか、自分の行動の結果か、何にしても今更としか言いようがないことだが、素直に受け入れられない。

 

「……洗濯をするように言われていたな。」

 

 昨日言われたことを思い出す。家事など進んでやりたいとは思わないが、何時までも答えの出ないようなことを考えていても仕方がない。それに、何もやることがないよりはずっといい。

 

 

 

 

 

 昨日の夜来た道を通ってルイズの部屋に向かう。いちいち立派な建物だが、日が上ってはいても時間としては早いのか、人には会わなかった。

 

 昨日のドアの前に立ちノックする。ドア一つとっても良い材料を使っているのか、心地の良い音が返ってくる。しかし、部屋の中からの返事はない。男の前で着替えるのも平気とはいえ、曲がりなりにも女の子の部屋。流石に了承もなしにというのは気が引けるが、仕方がない。一つ息をつき、扉に手をかける。

 

「入るぞ」

 

 この部屋の主は、と探せばまだベッドの中。幸せそうに寝息を立てている。昨日は険のある表情をしていたが、寝顔は無邪気なものだ。むしろ、これが本来の表情なんだろう。昨日の様子を見た限りだが、他の生徒とはあまりうまくいっていない様子がうかがえた。もしかしたらそのせいかもしれない。あるいは、勝手な思い込みかもしれないが。

 

 ひとまず目的の洗濯物はと見れば、脱がれたそのまま無造作に置かれている。デザインだとか、着けていた人間だとか他にも理由はあるかもしれないが、こうも無造作に置かれていると色気も何もあったものではない。これもまた、勝手な思い込みかもしれないと苦笑するばかりだが。

 

「そういえば……」

 

 ふと気付く。洗濯はどうするんだろうか。まさか洗濯機なんてものはないだろう。歩きながら観察していたが、電気はおろか、水道も整備されている様子はなかった。文化的なレベルからしても、近代以前のレベルにしか見えない。とすると、手洗い、せいぜい洗濯板といったところだろうか。

 

――まあ、いつも通りか。

 

 人が作った文明の残骸がかろうじて残るだけのあの世界には、洗濯機なんてものはなかった。探せばあったかもしれないが、まさか持ち歩くわけにもいかない。当然、洗濯は手洗いになる。仲魔にそんなことをさせるのも気が引けて、洗濯は自分でやっていた。すぐにぼろぼろになるということで使い捨てにも近かったが、いつでも手に入るというわけではなかったのだから。

 

 どちらにしても水場だかがどこにあるのかは聞かないといけないが、ベッドの中で幸せそうに寝ている相手を起こすというのは気が引ける。それに、この学院程度の広さなら自分で回っても問題ない。

 

「洗濯に行ってくる」

 

 返事がないのは分かっているが、一応伝えて部屋を後にする。水場だが、水道がないのなら多分外だろう。洗濯物を干すといったことを考えれば、大体の場所の予想はつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ないな」

 

 建物から出た開けた中庭のような場所、予想をつけたあたりに来てみたのだが、どうやら当てが外れたようだ。が、見回してみれば人はいる。おあつらえ向きに、黒のワンピースに清潔感のある白のカチューシャとエプロン。ずいぶんと若いようではあるが、格好からするとメイドだろう。洗濯について聞く相手にはちょうど良い。

 

「ちょっといいか?」

 

「あ、は……い?」

 

 黒髪の、少しそばかすのある少女だ。素朴ながら、笑顔とあいまってかなり魅力的だと思う。もっとも、その笑顔もすぐに曇ってしまったが。様子や、上から下へと移る視線から大体の理由は分かる。

 

「怪しくない、とは言わないが、そんなに警戒しないでくれ。別に何かしようというわけではないから」

 

 言っていて逆に怪しいと思わなくもないが、他に思いつかないのだから仕方ない。

 

「……じゃあ、その手に持っているのは?」

 

 警戒心は全く変わらないようで、そうおずおずと尋ねてくる。視線の先に目をやれば

 

「……パンツだな」

 

 しかも女物の。言うと同時に大声で

 

「だ、誰か来……」

 

 叫び声は続かなかった。声をあげようとした少女は腕の中でもがいている。しかし、思わず羽交い絞めにして口を押さえてしまったが、どうするべきか。

 

「……騒がないでくれ。本当に何もしないから」

 

 できるだけ優しく言ってみるが、どう考えても説得力はない。傍から見てもそうだろうし、当事者にとっては言わずもがなだ。少女もただ涙目でコクコクと頷くばかりだ。

 

「……何から言うべきか。そうだな、俺はシキという名で、昨日ルイズという子に使い魔として呼び出されたんだ」

 

 少女は変わらずひたすら頷くばかりだ。さっきよりも怯えている様な気もする。とはいえ離すわけにもいかない。

 

「それで、洗濯をするように言われたんだが、水場が分からないから聞こうと思って声をかけたんだ。それは、分かってくれるか?」

 

 本当に分かってくれているのか分からないが、頷いている以上、手を離さないわけにはいかない。

 

 手を離すと、少しだけ距離を取り、いぶかしげな視線を向ける。こちらを警戒するようにしばらく見ていたが、とりあえずは何もしないと分かってくれたようで、ようやく会話ができた。

 

「……あの、すみません。その、変わった格好なので驚いてしまって……」

 

「いや、こちらこそすまない。脅かすつもりはなかったんだが、自分の格好を忘れていたんだ」

 

「あ、ご自分でも変だって分かっているんですね

 

 ようやく笑顔になったが、割と良い性格をしているようだ。遠慮がない。まあ、ルイズといい、それぐらい方がよっぽどいい。

 

「……まあ、好きでしていたわけじゃなくて、気付いたらこの姿になっていたんだ」

 

「もしかして、貴族の方が何か魔法を?」

 

 そう何かに恐れるように尋ねてくる。ルイズもそうだったが、コロコロと表情の変わる子だ。

 

「貴族、かもしれない。魔法とは少し違うかもしれないが」

 

 確かに貴族といえば、貴族かもしれない。本来の姿かどうかはともかく、10に届くかどうかという少年の姿ながら、将来をうかがわせる整った顔立ち、手入れの行き届いた金色の髪、そして、上に立つものの空気をまとっていた。カリスマというものなのかもしれないそれは、貴族というのにふさわしいように思う。

 

「まあ、ひどい……。そんな怪しい姿に」

 

 対して目の前の少女は口元に手を当て、本当に同情しているようだ。しかし、それ以上に本当に良い性格をしている。本人を前にそうはっきりと言えるというのはたいしたものだ。

 

「それで、洗濯ができる場所を聞きたいんだが」

 

 いくら変だと分かっていても、流石に何度も言われると傷つく。これ以上言われる前に本題に戻す。

 

「あ、洗濯の場所ですね。私も行きますからご案内しますよ」

 

「すまない。何かできることがあれば言ってくれ。できる限りのことはする」

 

「いえ、気にしないでください。変だって言ったお詫びです」

 

 屈託のない笑顔を見せる。ただ、お詫びという自覚があるあたり、いい性格をしているというのは間違いないようだ。

 

 

 

 

 

 洗濯場には先客がいて、大抵がこのシエスタという子と同じような反応をしたが、彼女がうまくとりなしてくれた。

 

「この人は貴族にこんな怪しい姿にされたんだそうで」

 

 との彼女の言葉で、同情心が多分に含まれていたようだが、何とか受け入れてくれた。ただ、もう少し言い方というものがあっていいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どこに行っていたの?」

 

 部屋に戻ると、ルイズが不貞腐れた子供のような表情で待っていた。てっきり朝食を摂りに行っているかと思っていたのだが、まだ残っていたようだ。

 

「洗濯をしていたんだ」

 

「……そう。ちゃんと仕事をしていたのはいいけれど、主人を起こして、身支度を整えるのも仕事よ。明日からはそのことも覚えておいて」

 

 少しは不機嫌さが和らいだように見える。

 

「ああ、分かった。ところで、朝食は摂ったのか?」

 

 今は朝食の時間のはずだ。

 

「使い魔を放って置くわけにはいかないもの。今更行ったって授業に間に合わなくなるし、今日は諦めるわよ」

 

「……すまない」

 

「いいわ。あんただって食事抜きだもの。一食ぐらい構わないわ」

 

 少しだけ大人びた表情を見せる。わがままな子供だと思っていたが、多少は大人の部分もあったようだ。ただ、そう笑顔で言ってくれるのはいいが

 

 

 

 ――悪い。賄いを分けてもらったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早めに教室に来ることになったのだが、大学の講義室のような部屋でなかなか立派なものだ。魔法に関するもののデザインは大抵変わっていると思っていたのだが、案外大差がないように見える。

 

 早めに来たので他の生徒はいなかったのだが、時間が経つにつれて他の生徒もやってきた。入ってくる度にルイズと、その傍らに立っている俺をチラチラと見てきて、あまり居心地は良くない。例外は炎のようなと表現するのがふさわしい赤髪のキュルケとか言う少女で、ルイズとは悪友といった関係のようだ。キュルケのからかいからすぐに言い争いを始めたが、まさに喧嘩するほど仲が良いという風に見える。少なくとも、言葉の中にそこまでの悪意は見えないのだから。大人の容姿を持つキュルケが子供の容姿のルイズをということで、多少大人げなく見えなくはないが。

 

 そのキュルケという子は、一言で言うのなら妖艶という言葉がふさわしい。周りを男が囲んでいる辺り間違っていないだろう。それと、胸が大きい。キュルケが胸を張ると、負けじとルイズも胸を張るので尚更その差が際立つ。ルイズの胸を張るという仕草は、多分胸に対するコンプレックスの表れなんだろうが、見ていて悲しいと指摘してあげるのが優しさか、それとも、あえて触れないのが優しさなのか迷う。

 

「ねえ」

 

 そうキュルケとルイズのやり取りを観察していたら、不意にその本人から話しかけられた。

 

「なんだ?」

 

「あなたがルイズの使い魔?」

 

 面白そうに見ている。からかう対象をこちらに移そうかと考えているのかもしれない。 

 

「まあ、一応そうだな」

 

 そう答えたのだが、そのご主人様は気に入らなかったようだ。

 

「何で『一応』なんてつけるのよ!!」

 

「なんとなくだ。気にするな」

 

「そうね。あんまり細かいことを気にしていると大きくなれないわよ? 胸なんてただでさえ『ゼロ』なんだから」

 

 その言葉でもともと怒りやすいのに止めをさしてしまったようだ。さっき少しは大人かと思ったが、こういったところは見た目通り子供なんだろう。さっきの続きとばかりに、キュルケが楽しそうにからかい始めた。

 

 

 

「もう許さない……。ツェルプストー、今日こそ決着をつけてあげる!!」

 

 そう指を突きつけて今にもつかみかかりそうな勢いだが、さすがにそろそろ止めないわけにはいかない。ちょうど教師らしき人物もやってきた。

 

「止めておけ。もう授業が始まるんじゃないのか?」

 

 その言葉に多少は理性は残っていたようで、歯軋りをしながらも何とか引いてくれた。

 

「……命拾いしたわね。覚えてなさい!!」

 

 悪役のような捨て台詞だが、キュルケの方は余裕だ。ヒラヒラと手を振っている。見た目通り、キュルケの方が精神的には上なんだろう。肉体的には比較対象にすらならないが。

 

 なんとか落ち着いてくれたところで、少し太めの教師らしき中年の女性が入ってきた。にこやかな、どこにでもいそうな雰囲気だ。

 

「皆さん、春の使い魔召還は大成功のようですね。このシュヴルーズ、みなさんの使い魔を見るのを毎年、楽しみにしているのですよ」

 

 そして教室を見渡すと、俺に眼をとめた。

 

「……ミス・ヴァリエールは変わった使い魔を呼び出しましたね」

 

 先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、こちらに幾分警戒感を含んだ視線を向けてくる。

 

 昨日の話ではあるが、ミス・ヴァリエールの呼び出した使い魔をどうするかという名目で教師達が集められた。その場にいたコルベールの話からすれば並みのメイジでは、ましてや学生などにはとても従えられるものではない。しかし、使い魔になった以上、下手に手を出すわけにもいかない。

 

 加えて、力尽くでどうにかなるような相手でもない。ならばどうするかというということで出た結論は、とにかく様子を見るということだった。現状では暴れるといった様子もなく、時間が経てば使い魔のルーンの効果で完全に危険はなくなるはず。ならば、下手に手を出すよりは様子を見るのが得策だということになった。それは教師だけしか知らないことではあったが。

 

 

「ゼロのルイズにはその変なのがお似合いだ!!」

 

 ある生徒がルイズを指さして笑う。その言葉にルイズも言い返そうとするが、それよりも早く教師の方が対応した。

 

「黙りなさい!!」

 

 シュヴルーズと名乗った女性が魔法をつかい、その生徒の口を何かでふさいだ。口からはみ出している赤い塊は粘土だろう。温厚そうだと感じた印象は少し間違いだったようだ。ただ、唖然とした表情を見せる他の生徒の様子を見るに、普段とは違うのかもしれないが。

 

「……ええと、お友達の使い魔を馬鹿にするようなことを言ってはいけませんよ。……ああ、もちろんお友達もです。分かりましたか?」

 

 努めて明るく振る舞っているが、生徒達はただ頷くばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 授業が始まったが、さっきの教師の行動のおかげか、なかなか静かなものだ。無駄口をたたくような生徒はいない。その授業の中身はと言えば、今までの魔法というものに関する知識との違いがあり、それなりに面白い。

 

 例えば、こちらには土、水、火、風、虚無の五つの属性があるらしい。今までの知識に当てはめて考えるならば、水は氷結、風は衝撃、火はそのままといった所だろうか。土というのはなかったが大体の想像はつく。残りの虚無だが、それは他のものとは明らかに違うように思う。話ぶりから考えても、何か特別なものなんだろう。

 

 授業が進み、シュヴルーズが錬金とやらで石を金属に変えて見せたが、これも面白い。自分が使えるものは基本的には戦闘に関するものばかりで、そんな日常でも使えるような便利な術はほとんどない。単純に俺が使えないだけかもしれないが、改めて世界の違いを感じる。ましては、魔法を教える学校があるなど。

 

 生徒にも実践させてみるということでルイズが選ばれたが、周りの様子がおかしい。先ほどのシュヴルーズの行動のせいか、表立って何かを言う生徒はいないが。

 

 ルイズもなにやら渋っていたが、「あなたならゴールドも錬金できるかもしれませんね。」とのシュヴルーズの言葉に決心したようだ。金というのは難しいもの、それができるかもしれないと言われてやる気になったんだろう。

 

 ルイズが前に出て、目を閉じ、何やら熱心に呟いている。ルイズが魔法を使うのを見るのは初めてかもしれない。

 

 ルイズにとってみれば、彼女は教師に諦めの目で見られることは多くても、そこまで期待されるということはここ数年なかった。だから、いつもよりもずっと張り切っていて、いつもの何倍も力を込めた。そして、その結果もきちんと現れた。

 

 

 

 ――いつもよりも大規模な爆発として

 

 

 

 教室の、特に爆心地の周りは特にひどい状態で、原型をとどめていない部分もそこかしこにある。死人が出てもおかしくなさそうな惨状だが、どうやら人間にはあまり被害がでなかったようだ。飛び散った破片で怪我をしている生徒はいるようだが、比較的軽症と呼べるものばかりのようだ。一番ひどそうなのはルイズの側にいたシュヴルーズだが、壁に強かに打ちつけらて目を回してはいるものの、命に別状はなさそうだ。

 

 改めて室内を見渡してみると、今意識があるのは自分とこの惨状を引き起こしたルイズと、何時の間にやらちゃっかり外に逃げ出していたらしい青い髪の少女だけだ。

 

「ルイズ、万能魔法が使えるなんてたいしたものだ」

 

 虚無の使い手はいないとかいう話だったのだが、たぶんこれが虚無なんだろう。褒めたつもりだったのだがルイズはそれどころではないようだ。

 

「……すごく、失敗したみたいね……」

 

 ルイズは引きつった顔でただそう言うだけだった。

 

 

 



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第3話 Third Birthday

 当然のことかもしれないが、授業は中止になった。教師はおろか、ほとんどの生徒が気絶してしまった以上、やりようがない。しばらくして、タバサという青い髪の女の子が別の教師を連れてきたが、教室の惨状に随分と驚いているようだった。

 まあ、それも仕方がない。原型を留めていない場所がそこかしこにある。だが随分派手に壊れてしまっているので、教室が使えるようになるにはしばらく時間がかかるだろう。

 取り合えずということでルイズには教室の片付けを命じられたが、そう時間はかからなかった。教室自体の修繕が必要なので、基本的には壊れたものの処分だけで済んだからだ。



 結局午前中の授業も中止ということになり、暇を持て余していたのだが、昼食の時間だということで食堂に来た。ちなみに今回はルイズと一緒に来ている。使い魔として来るようにとの事だったが、何より随分と落ち込んでいるようで心配だったからだ。普段気丈なところもあるが、今回はさすがに堪えたらしい。

 

 食べて少しは気が晴れてくれればと思っていたのだがそうもいかないようだ。流石にその頃には気絶していた生徒のほとんどが起きていて、あからさま聞こえるようにルイズの悪口を言っている。良い悪いの判断は別にして、その言葉も仕方がない。被害を受けたのは事実なのだから。

 

 ルイズはとみてみれば、今回ばかりは言い返すこともできないのか、おとなしい。朝食を摂っていないにもかかわらず、食も進んでいない。

 

「気にするな。 アレだけのことができればたいしたものだ」

 

 聞こえてくる悪口からするとアレは失敗だったのだろうが、失敗だということを差し引いても十分だと思う。

 

「……ほっといて」

 

 いつもの、といってもまだ会って間もないが、ルイズらしくないと思う。多少失敗した程度ではへこたれない方が彼女らしいはずだ。

 

「私は部屋に戻るから。食べたいなら食べなさい。 ……それと、しばらくは一人にして」

 

 結局、ほとんど食べずに帰ってしまった。慰めるべきだとは思うが、こういうのは苦手で、かけるべき言葉が浮かばない。

 

 

 

「……あんな調子じゃ張り合いがないわね。 慰めてあげたら?」

 

 さっきから様子を伺っていたらしい朝方ルイズをからかっていたキュルケが話しかけてくる。

 

「そういうのは苦手なんだ。 代わりにやってくれ。 ――友人なんだろう?」

 

「……まあ、友人というのはおいといて、私じゃ喧嘩になるもの。使い魔として慰めてあげて」

 

 最後に一言、よろしくねと去っていった。

 

 

 

 

 

 

 ――どうしたものか

 

 やはりそういったことは苦手でうまい方法が思いつかない。しばらく考え込んでいたのだが、少し周りが騒がしい。何事かと見てみれば

 

 

 ――馬鹿がいる。

 

 気障ったらしく大きく胸元の開いたシャツ、それだけが浮いてしまうことのない軽薄そうな雰囲気といい、ナルシストという言葉がふさわしい少年だ。聞こえてくる声から判断するに二股をかけていたのがばれたらしいが、わざわざ火に油を注ぐような真似をしている。おかげで本命と浮気相手の二人から制裁を受けたようだ。これに懲りて精々少しはましになるんだな、と思ったのだが、無理そうだ。

 

「あのレディ達は、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

 

 まだそんなセリフを言える辺り、救いようがない。更に救いようがないことに、今度は朝方世話になったシエスタにお前のせいだと責任を押し付けている。呆れるばかりだが、彼女は随分と怯えているようで、今度ばかりは放っておくわけにも行かない。

 

「それくらいにしたらどうだ? 今のはどう考えてもお前が悪い」

 

 

 

「その通りだギーシュ!お前が悪い!」

 

 少年の名前はギーシュというらしい。周りからも同意の笑い声が上がる。

 

「き、君はルイズの呼び出した……。 君には関係ないだろう。平民の躾は貴族の役目だ」

 

「……貴族と平民、身分の差だけでそんな馬鹿なことを言っているのか?」

 

「何を言っているんだ。貴族は魔法を使える。魔法が社会を支えているんだ。ならば、魔法を使えない平民は貴族に従うべきだろう?」

 

 ――本気で言っているのか?

 

「……魔法が使える。力があれば、何をしても良いとでも思っているのか?」

 

 自然と語気が荒くなる。

 

「な、何を怒っているんだ。力のない平民が貴族に従うのは当然のことじゃないか!!」

 

「……なら、俺がお前を殺しても文句はないな」

 

 男にしては細いその首をつかんで持ち上げる。宙に浮いた足をばたつかせて逃れようとするが、その程度でどうなるというものでもない。

 

「……や、やめ……」

 

 随分と苦しげだが、力を緩めるつもりはない。

 

「……お前が言っているのはそういうことだ。力があれば何をしてもいいなんて、考えるな」

 

 それだけ言って手を離す。このままだと首の骨を折りかねない。地面に倒れてこんで咳き込む様子を見下ろす。

 

 自分でも気付いていなかったが、さっきこいつが言った、怒っているというのは当たっているのかもしれない。力があれば何をしてもいい、そんな言葉に結局この手で殺してしまった千晶のことが浮かんだ。世界をどうしたいのか、何のコトワリも選べなかった自分だが、弱いから、ただそんな理由だけでマネカタ達を皆殺しにするような考えは認められなかった。もっとも、本当に怒っていたのはそんな千晶を止められなかった自分に対してなのかもしれないが。

 

 

 

「……ま、待て」

 

 咽てはいても、その言葉ははっきりとしていた。

 

「……こんなことをしておいてただで済むと思うな。 決闘だ!!」

 

 薔薇を模したらしい、奇妙な造形の杖を突き付け、高らかに言い放つ。周りには止める者もいたが、聞く気はないようだ。俺も、断る理由はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――とはいえ、どうしたものか。

 

 決闘ということで外に出てきたが、今現在、それぞれ武器を持った青銅の人形が周りを囲んでいる。それがこの世界の言うゴーレムをつくる魔法、少年の使う魔法らしい。なるほど、確かに普通の人間にとっては脅威だろう。武器を持った金属の人形が数体。これならば魔法の使えないという平民にとっては貴族が恐怖の対象になるというのも仕方がない。

 

 だが、所詮その程度だ。そのうちの二体が手に持った武器を振りかざして切りかかって来るが、ほとんどその場から動かずにかわせるようなものだ。

 

 遅すぎる。加えて、動かす人間が素人だからだろう。精々鎧を着込んだ素人の動きだ。全てが金属でできているせいか動きにもぎこちなさがあり、数に物を言わせてただ闇雲に武器を振り回すばかりで、少し体の位置をずらしてやるだけでかすりもしない。殺すつもりなんだろうが、話しにならない。もっとも、こちらは殺す気など全くないが。

 

「どうした避けるばかりか!!」

 

 笑いながら人形に命令を下す。こちらが避けるばかりということで、調子に乗っているんだろう。少しは反省させなければ意味はない。周りにはこのギーシュと同じ考えらしき者もいるはずだ。そういった相手にも見せ付ける必要がある。

 

 しかし、あまり痛めつけても、逆に力に溺れた千晶の二の舞だ。どこまで手加減するかが難しい。

 

 

 

「……そうだな」

 

 力の差を見せ付けるのが手っ取り早い。

 

 丁度槍で突きかかってきた一体の武器を左手でいなし、そのまま懐に入る。入ったところで腰を落として反転し、腕を取って背負い投げの要領で他の人形に向けて投げつけた。

 

 金属のぶつかり合う音をたてて、人形が地面に転がる。青銅ということだが、金属としても弱いようで、まとめてひしゃげてしまっている。かろうじて動こうとはするが、形が変わりすぎていて立ち上がることもできないようだ。

 

「ば、馬鹿な!? 行け!!」

 

 戦闘といったものには慣れていないんだろう。作戦も無しにまとめて突っ込ませてくる。が、むしろ丁度いい。

 

 右手に魔力を集中させ、剣を作り出す。そしてそれをを横なぎに振りはらう。生じた魔力の剣圧が人形達に向かう。

 

 金属を断ち割る澄んだ音とともに、二つに分かれた人形が地面に落ちる。地面に落ちた人形はもう動かなかった。そのうちに、崩れて砂になった。

 

 ただ、手加減しそこなったようで周りにも余波で怪我をしている人間がいる。あとで治すからと心の中で謝罪しながら、少年のもとにあえてゆっくりと向かう。

 

「……ひっ、……こ、殺さないで……」

 

 さっきまでの余裕はどこへやら。地面にへたり込んだままそう言って来る。もちろん、これ以上痛めつける気など毛頭ない。

 

「……力を向けられる側の気分はどうだ?」

 

 あと二歩といったところまで歩みを進め、上からそう言葉を投げかけた。

 

 何か言いたそうだが、言葉はない。この世界の価値観でずっと育ってきた以上、そう簡単に変わるなどとは思ってはいない。

 

「……力が全てじゃない。力だけがあっても何もできない。本当に大切なのは、それをどう使うかだ」

 

 そう言うが、これは誰に対しての言葉だったのか、もしかしたら自分に対してだったのかも知れない。

 

 最後に、シエスタには謝っておけ、それだけ言って背を向けた。先ほど怪我をさせてしまった相手へと向かう。

 

「……ひっ」

 

 先ほどのギーシュと同じようにおびえている。自業自得とはいえ、いい気はしない。

 

「さっきはすまなかった」

 

 そう言って、傷口に回復魔法をかける。かすり傷ではないが、そう深い傷でもなかったので見る間にふさがる。

 

「え?」

 

 怪我をしていた少年は、傷のあった場所と、俺とを見比べている。

 

「……今のは、先住魔法?」

 

 そんな言葉がそこかしこから聞こえる。心なしか、周りからの恐れの視線が強くなった気がする。例外は二人だけのようだ。青い髪の少女と、ルイズの友人のキュルケ。

 

 

 青い髪の少女、タバサにとっては、恐れよりも興味の方が大きかった。彼女にとっては、何よりも母のことが優先する。母親を助ける手がかりになるのなら、どんな危険があったとしても構わない。先住魔法の毒で苦しんでいる母親を救うには、先住魔法が手掛かりになるはずだと思っていたから。

 

 騒ぎを聞いて見に来ていたキュルケは、やっぱり、とある意味納得していた。もともとルイズには人とは違うところを感じていたが、今回のことでそれを確信していた。

 

 そして少しだけ離れた場所に、本来なら止めるはずだった教師達はもちろん見張りについていた。だが、誰が止めにいくかで揉めていた。結局、学院長の所に報告をということになったのだが、そのころにはとっくに決闘、そう呼べるかは別として、は終わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今は一人にして」

 

 今はルイズの部屋の前にいる。放って置くわけにはいかないと思って来たのだが、取り付く島もない。こんな時にはどうするべきなんだろうか。考えてはみるが思いつかない。

 

「……そうか」

 

 どうしようかと思った所で廊下に出てきたキュルケに話しかけられた。

 

「駄目だったの?」

 

 そう尋ねてくる。心配そうなそぶり自体は見せないが、やはりルイズのことが心配なのかもしれない。

 

「こういったことは苦手なんだ」

 

「まあ、張り合いもないし、私からも言ってあげる」

 

 困った子と、どこか母親のように笑い、呟いた。

 

「すまない。……俺は外にでも行ってくる」

 

 なんだかんだで付き合いは長いはず。任せるのが一番いいだろう。

 

「ま、あんまり期待しないでね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルイズ」

 

 声はかけてみるが、予想通り返事はない。まあ、返事はないだろうと思っていたので、いつものように魔法で鍵を開けて入る。

 

「……何よ。 わざわざ私を笑いに来たの?」

 

 ベッドの上で足を抱えているのが見える。こちらに視線を向けてはいるものの、普段の気丈さはなく、喧嘩腰になるということもない。こうも違うと別人のように見える。

 

「もう、辛気臭いわね。 いつもの元気さはどうしたの?」

 

 こんな様子では、調子が狂ってしまう。

 

「……ほっといて」

 

 そう言うとまた俯いてしまう。

 

「……さっきね、貴方の使い魔がギーシュと決闘したの」

 

 いつもと勝手が違うので戸惑ってしまったが、すぐに言葉を続ける。

 

「……あの馬鹿……」

 

 そう吐き捨てるように呟く。使い魔まで問題を起こすとは思っていなかったんだろう。

 

「すごかったわよ? 一瞬でギーシュが作ったゴーレムを真っ二つにしちゃうんだもの」

 

「え?」

 

 それには心底驚いたようで、顔を上げる。

 

「使い魔を見ればメイジの実力が分かる。貴方も自信を持っていいかもしれないわよ? ……彼は外にいくって言ってたから、会ってきたら?」

 

 それだけ言って部屋を後にする。これだけおぜん立てしてあげたんだから、あとは自分でどうにかしてもらわないと。ルイズも、シキも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やりすぎた、か」

 

 騒ぎを知ったらしい生徒達からは、恐る恐るといった様子で遠巻きに見られるようになった。その中には、使用人らしき人物も混ざっている。

 

 キュルケと青い髪の少女は例外だったようだが、周りにいた生徒のほとんどが怯えていた。支配階級らしい貴族でもそうなら、それに対して怯える平民もということだろう。

 

 ――もともとこうなるものなのか

 

 そんなことが頭に浮かぶ。いつの間にか、人気のない中庭に来ていた。朝は別として、それ以外では人は来ないようだ。ちょうどベンチがあったので腰かけ、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

「ここにいたの」

 

 誰かが近づいてくるのは分かっていたが、ルイズだとは思わなかった。

 

「少しは気が晴れたのか?」

 

「……おかげさまでね」

 

 少し憮然としながら隣に腰を下ろす。キュルケに頼んだというのは、気付いているのかもしれない。

 

「そうか、それは良かった」

 

 うまく言ってくれたんだろう。自分も、勇と千晶とはそんな関係だったのかと思う。

 

 

「友人は大切にな」

 

「ツェルプストーのこと? 冗談じゃないわよ!」

 

 どれだけ家同士の確執があるのかとまくし立てるが、思うところがあるのか、朝のようにけなす言葉はない。

 

 まあ、何にせよ元気になってくれてよかった。ルイズのような子は元気であって欲しい。そんな人間は周りも明るくさせる。そんな存在が何より自分にとってはありがたい。つい側に来ていたルイズに手が伸びる。

 

「……何、ご主人様の頭をなでてるのよ」

 

「……可愛かったからな。 いやか?」

 

「……別に、いいけど」

 

 そっぽを向くが、照れているようで、頬が赤い。妹がいたらこんな感じなんだろう。つい笑みが浮かぶ。

 

「あんたが笑ってるところ、初めて見たわ」

 

「そうか?」

 

「そうよ」

 

 ――そうかもしれない。これもルイズのおかげだろうか。

 

「……ありがとう」

 

「何よ、いきなり?」

 

 怪訝そうな顔をしているが、ルイズへの感謝は変わらない。

 

「気にするな。 あんまり細かいことを気にしていると大きくなれないぞ。胸とかな」

 

「……何よ、あんたまで馬鹿にするの?」

 

 少し拗ねたようだが、さっきまでの暗さはない。

 

「……この世界に来てよかった」

 

 本当に、心からそう思う。



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第4話 Emerald

 分かってはいたことだが、周りの雰囲気が変わった。もっと具体的に言うならば、あからさまに避ける人間が増えた。あのシエスタですら目が合った時には逃げ出してしまう。

 代わりに、監視する人間は増えた。もともと見張っていたらしい教師は倍に、それと、青い竜と、時たまサラマンダーが加わった。

 ――正直、少し挫けそうだ。


「ルイズ、買い物ができるような場所が近くにないか?」

 

 ルイズの朝の身支度、といっても着替えを準備したりといった差し障りないことだけだが、一通り終えて切り出した。

 

「……あるけど、何の用があるの?」

 

 ルイズはベッドの上に腰掛けて、なんでそんなことを言うのか分からないといった様子で、怪訝そうだ。

 

「服を買いたいんだ」

 

 そう、思いついたのが服だ。自分の何が悪いのか。まずは見た目だ。上半身裸というのがそもそもありえない上に、全身に刺青がある。加えて、夜に出歩いていたら、幽霊と間違えられた。確かに暗闇でぼんやり光る様子が見えればそれも仕方がない。

 

「……ああ、服ね。すっかり慣れてしまっていたけれど、うん、服は必要よね」

 

 ルイズもしきりに頷く。我が事ながら、慣れてしまうから不思議だ。そんなことを気にしていられなかったというのが正しいが、もうすっかり慣れてしまっていた。

 

「そうね。明日なら虚無の曜日で休みだし、案内してあげるわ」

 

「買い物程度なら一人でも問題ない。町の方角さえ教えてもらえれば十分だ」

 

 確かに地理といったものに明るくはないが、今までもなんとかしてきた。わざわざ案内してもらわなくても大丈夫だろう。

 

「……そういうわけにもいかないでしょう? だいたいお金はどうするのよ?」

 

「まあ、手持ちの宝石を売れば何とかなるはずだ」

 

 確かにこの世界の通貨はないが、交換の余りということで結構な数の宝石が残っている。換金さえできればそれなりのものにはなるだろう。

 

「へー、宝石なんて持ってたんだ。『断る』……まだ、何も言ってないじゃない」

 

 そうむくれるが、既に手が出ていた。

 

「俺だって多少は持っておきたい」

 

 今のところなくて困ったということはないが、一文無しのままというのはいくらなんでもいただけない。

 

「……ま、いいわ。でも、どうせ買うなら貴族の使い魔として恥ずかしくないものにしなさいよ」

 

 そう言うとベッドの側に設えてある鏡台をごそごそと漁って、随分と重そうな袋を取り出す。

 

「それは?」

 

「服の代金ぐらい出すわ。主人としてそれくらいは当然のことよ」

 

 差し出されたので思わず受け取ったが、中を覗くと金貨が片手では掴みきれないほど入っている。金銭的な価値と言ったものは良く分からないが、結構な額のはずだ。

 

「……意外だな」

 

「何が?」

 

 きょとんとした、という表現が相応しいような視線をこちらに向けてくる。

 

「……いや、大した事じゃない」

 

 ――もっとセコイと思っていた。

 

 ルイズは首を傾げているが、わざわざそんなことを言って怒らせる必要もない。せっかくの好意だ。有り難く受け取るべきだろう。

 

「まあ、夕方までには戻ると思う」

 

 そう言って部屋を後にする。その時にルイズは馬車を借りるように言っていたが、必要ないだろう。走った方がよほど速い。

 

 ――まあ、それはそれでかなり目立っていたようだが、今日で終わりにしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……流石に人が多いな」

 

 辺りを見渡すと、石造りの街並みに、道端で声を張り上げて果物や肉等を売る商人達、老若男女と大勢が行きかっている。学園にいた人間の数にも最初は驚いたが、ここには更に多くの人間がいる。加えて、けして豊かとまでは言えないにしても、市場独特の活気といったものもあって、見ているだけでもどこか楽しくなる。

 

 ……一つだけ不満があるとすれば、周りの人間が絶対にこちらに近付こうとしないということだ。近づくと話していた人間も静かになる。洋服屋の場所を尋ねようともしただけなのだが、皆あからさまに避けていく。

 

 もちろん、それも仕方がないと納得はしてはいる。だからこそ服を買いに来たのだから。自分の姿を見てみれば、上半身裸で、更に異様な刺青がある。少し離れた場所から、「変質者」といった声が上がるのも、……不本意ながら仕方がない。おかげで、狭い道ながら随分と歩きやすい。

 

 とはいえ、こんな調子では今までしてきたようにそこらにある店を一つ一つ見ていくということもできない。学院内なら知られている分まだ何とかなるが、この格好で歩き回るというのはいくらなんでも問題があるかもしれない。現実問題として、既に騒ぎになりかけている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あんな格好で何をやってるんだか」

 

 物陰から様子を伺っているのは、学院長の秘書でもあるロングビルだ。様子を見るということで来ているが、今回は一人で来ている。他の教師達は授業があるという事で来れなかった。

 

 もっとも、それは事実ではあるが、怖いからできるだけ関わりたくない、それが本音だ。関わりたくないという事では彼女も同じようなものだったが、今後障害になるかもしれないということで、渋々ながらも引き受けた。

 

 

 

「……ちょっといいか?」

 

 なぜだか物陰に隠れているはずの自分に声をかけているような気がする。距離はそれなりに離れているはずだが、こちらに声がはっきりと聞こえる。様子を見ようと顔を出したのだが、目が合った。どうやらこちらに話しかけているというのは間違いないようだ。

 

 ――参ったね

 

 気配を消すといったことには自信があったのだが、相手を甘く見すぎていたらしい。

 

 

「……何でしょう?」

 

 こうなると誤魔化しようがない。諦めて出て行く。今までの行動からすればいきなり襲ってくるということはないはずだ。そう覚悟を決めて行く。

 

 

 

 

 

 

 通行人には話を聞けそうもないということで、見張りについている人間に聞くことにした。こちらから話しかければ出て来ざるを得ないと思ってはいたが、素直にとまでは行かなくとも、案外あっさりと出てきた。エメラルドグリーンの髪を肩口の下まで流し、シャープな形状のメガネと合わせて、落ち着いた雰囲気の女性だ。他の教師陣に比べると堂々としたもので、嫌々ながらというのは伺えるものの、他が他なだけに好感が持てる。

 

「道を教えて欲しいんだ。……どの道ついて来るんだ、手間が省けていいだろう?」

 

 断れないと分かっていて聞くというのはあまり趣味がいいとは言えないが、それはお互い様だ。こんなときぐらいには役に立って欲しい。

 

 

「えっと、……どこへ行きたいんでしょうか?」

 

 他の教師達に比べればマシなのかもしれないが、やはりこちらを警戒しながら尋ねてくる。

 

「洋服屋だ。いつまでもこの格好のままというのは不味いからな」

 

 自分の体を示して見せるが、格好と言うのも語弊があるかもしれない。上半身は服すら着ていないのだから。

 

 

「――ああ、自覚はしていたんですね」

 

 そう言って、しまったという顔になる。事実だからあまり気にはしないが、しばらく前にもこんなやり取りがあった気がする。

 

「……まあ、今日はそれを何とかしたいから来たんだ」

 

 格好を変えたらどうなるというわけでもないかもしれないが、こういった反応がごく自然に返ってくる辺り、意味はあるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 怒らせてしまったかもしれない、そう思ったのだが、案外大丈夫だったようだ。むしろ、そっぽを向くという仕草が子供っぽいとすら感じる。とりあえずは、安全と思っていいのかもしれない。

 

「何か好みだとかはありますか?」

 

 まず最初に聞かないといけないことを尋ねる。上半身裸な上に、奇妙な刺青で歩き回っているような相手だ。好みというものが全く想像がつかない。もし新しい刺青を、なんて言われても困る。

 

「……あえて言うならシンプルなもの、か。普通に見えるようになりさえすれば十分だ」

 

 ただ、淡々と言ってくる。注文も漠然としていてあまり参考にならない。まあ、これ以上怪しくなりようもないのだから、分かりやすいと言えば分かりやすいのかもしれないが。

 

「拘りがないようでしたら、私が行くような店でも構いませんか? あまり貴族向けといった店ではないので、それでもよろしければですが……」

 

 貴族達が好んでいくような店には行かない。わざわざ貴族に会いたいなどとは思わない。……たまにはそんな格好をしてみたいと思うこともあるけれど、今の私にそんな余裕なんてない。

 

「構わない」

 

 そう答えるだけだ。

 

 こうなった以上、道すがらできるだけ情報を聞き出したいと思ったのだが、この調子では会話を続けるのも苦労しそうだ。まあ、こんな相手から話を聞き出すなんて事も今まで散々やってきた。何とかしてみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここには良く来るんですが、……いかがですか? 貴族の方は利用しませんが、デザインも評判でこの辺りでは男女を問わず人気があるんですよ」

 

 連れて来たのは自分も良く利用する場所だ。10人も入ればちょっと窮屈に感じるような小さくまとまった店だが、その分手に取りやすく工夫したディスプレイや外観に工夫を凝らしていて、一見しただけでもセンスの良さが分かる。流石に貴族向けに比べれば質で劣るが、デザインとしては悪くはない。むしろ、私はこちらの方が好きだ。店の雰囲気も、貴族向けのように入る人間を選ぶということはなく、開放的で好ましい。

 

「いい店だと思う。デザインも嫌いじゃないな」

 

 言葉にはあまり表れてはいないが、本当にそう思ってくれているようだ。店の様子を見渡しながらも、頷いている。

 

 店自体に対しては割と気に入ってくれたようで案内はうまくいったようだが、話を聞きだすということではあまり芳しいとは言えなかった。まずは今までどこで何をしていたのかを聞き出そうとしたのだが、それに対して随分と口が重かった。当たり障りのないことからと思ったのだが、失敗だったようだ。おかげで他の事を聞くのも難しくなってしまった。

 

 とはいえ、それでも分かったことはいくつかあった。何かを引きずっているのか少し暗い所があるが、誠実ではあるらしい。聞かれたくなければ無視すればいいようなものだが、聞いたことにはきちんと答えようとしてくれる。話してくれるのが一番いいのだが、私を含めて、誰にだって言いたくない事はある。そうである以上は仕方がない。

 

 それと、わがままな貴族のお譲ちゃんの相手ができるだけあって、かなり受身でもあるようだ。男としては物足りないが、うまくいけば利用できるかもしれない。それが分かっただけでも十分な収穫だろう。

 

「……貴族と何かあったのか?」

 

 いきなりそんなことを聞いてくる。

 

「どういうことですか?」

 

 意味が分からずに、思わず聞き返してしまう。

 

「……いや、貴族のことを口にするときに嫌っているように聞こえただけだ。まあ、単純にそれだけということでもなさそうだったが」

 

 表情を見ると、ハッタリといったといったところはない。真っ直ぐにこちらを見つめている。

 

 騙しやすいと思ったけれども、案外鋭いのかもしれない。こちらが探っていたように、向こうも似たようなことを考えていたようだ。そうであるならば、下手にごまかすわけにもいかない。

 

「……そう、ですね。私にも色々、あったんです。詳しいことは、貴方が言いたくないことがあるように、私も言いたくありませんが」

 

 わざわざ口に出したくはない。たとえ聞かれたとしても、そこは譲れない。

 

「……そうか。変なことを聞いて悪かった」

 

 そう言うと一足先に店に入っていく。

 

 後姿を見送り、思わず考え込んでしまう。

 

 本当に良く分からない相手だ。鈍いと思ったのに、学院の人間が全く気付けなかったことをあっさりと見抜いたり。魔力は桁違いにあったりと、もしも戦ったなら勝てる気はしないが、なぜか話していてそう脅威も感じなくなった。言葉にはし辛いが、戦うということを嫌っているように思う。

 

 昨日の広場での話を聞く限り、必要とあらば別なのかもしれないが、それでも結局、相手には怪我すらさせなかった。どうにも戦う姿というものが思い浮かばない。

 

 ふと気付くと店の中が騒がしい。覗き見てみると、騒ぎの中心は使い魔の彼のようだ。原因は、……たぶん格好のせいだろう。ここに来るまでは話を聞き出すということであまり気にならなかったが、やはり異様だ。そういった意味では、あまり関わりたくない。

 

 

 

 

 

 

 

「なんでもいいからとにかく普通に見えるような服を」

 

 やはりこの格好は目立つようだ。一瞬店員も離れようとする素振りを見せたが、その前にこちらから声をかける。気を取り直して採寸を初めたが、首の後ろの角のことが気になるようだ。とりあえず、飾りだと押し通したが。

 

 試しにすぐに着れるものをということで、以前愛用していたようなものに近い、黒のズボンと白いシャツを着てみた。特に特徴のあるものではないが、手作りらしいそれは丁寧に仕上げてあって、悪くないと思う。あまり個性のあるものではないが、むしろ今は下手に目立つよりもその方がいい。流石に顔の刺青はどうにもならないが、まあ、今までに比べれば十分に許容範囲だ。

 

 

 

 

 

 

 

「似合っていると思いますよ」

 

 そう笑顔で言ってきたのは、さっきまではいなかったはずのロングビル、で良かったはず。タイミングを考えるに、外で待っていたんだと思う。見た目通り、抜け目がないようだ。

 

「なら、とりあえずはこれでいいか」

 

 代金を払って店を後にする。他にもいくつか買ったが、そのうちのいくつかは仕立て直す必要があるということで、後で受け取ることになった。

 

 外に出て見回してみたが、あまり視線を感じない。この程度のことで喜ぶというのもなんだが、買って良かったと思う。

 

「この辺りで宝石を細工できるような場所はないか?」

 

 ふと思いついたので、尋ねてみる。

 

 

「宝石でも持っているんですか?」

 

 幾分興味を持ったように聞き返してくる。理知的な雰囲気を装っているようだが、そういった部分の方が本質に近いのかもしれない。

 

「ああ、案内してくれたお礼と、わがままなご主人様に土産でもと思ってな。このままじゃなんだが、細工をすればそれなりのものにはなるはずだ」

 

 腰に下げた皮袋から一つ取り出して見せる。単純なカットで見栄えはあまりよくないが、質的にはそう悪いものではないはずだ。何しろ、悪魔が集めていたものなのだから。

 

「…………」

 

 手に持った宝石をじっと見つめて何も言わない。随分と真剣な様子だ。

 

「何か問題でもあるのか?」

 

「いえ、問題というか……。いいんですか、そんな高価なものを? かなり価値があるはずですよ」

 

「別に構わない。それに、宝石も美人が持っていた方が喜ぶだろう?」

 

「……意外、ですね」

 

「何がだ?」

 

 驚いたように言ってくるが、何のことだか良く分からない。

 

「いえ、何と言いますか、そんな歯の浮くようなセリフを言うようには見えなかったので……」

 

 目を閉じて考えてみる。確かに、言われてみればそんなセリフだ。昔はそんなことは口に出さなかったが、今は言い慣れているような気がする。女王様な仲魔のおかげで慣れてしまったのかもしれない。ただ、自覚すると確かに恥ずかしいことを言っているような気もしてくる。

 

「……思ったことを言っただけだ」

 

 なんとなく、顔を逸らしてしまう。

 

「……えっと、腕利きの知り合いがいる店があるんで案内しますね」

 

 そそくさと先に行ってしまう。

 

 色々と変な癖が付いてしまっているのかもしれない。気付けるかどうかは別だが、できるだけ気をつけようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 盗品を処分するのにも利用する店に来たのだが、カウンターに無造作に広げられた宝石を見て驚いた。店の主人も驚いているが、それも仕方がない。どれもこれも大きさといい質といい一級品だ。そんなものがいくつもある。貴族の宝物庫にもこれだけのものはそうないだろう。確かに傷があったりと年代を感じさせるが、それが問題にならないほどのものだ。

 

「……どれがいい?」

 

「え?」

 

 いきなり聞かれたので反応できなかった。

 

「流石に全部というわけにはいかないからな。一つ選んでくれ」

 

 並べられたもの右から左へ確かめる。実際に選ぶとなると悩んでしまう。どれもこれも素晴らしい。盗品を身につけるというわけにはいかなかったから、今までそういったものをつけたことはほとんどない。貴族からプレゼントされたことはあったが、下心が見え見えで、すぐに売り払ってしまった。どうしようかとは思うけれど、遠慮するのももったいないので、目に留まった一つを指し示す。

 

「……なら、このエメラルドをいいですか?」

 

 自分の髪と同じ色のものだ。別に、他意はない。

 

「髪の色と同じか……。確かに似合うな。じゃあこれとこれを」

 

 そう言うと店主にエメラルドともう一つを渡す。たぶん、それがご主人様へのお土産なんだろう。

 

 細工を頼んだが、流石にしばらくは時間がかかる。研磨などには魔法を使うので早いが、複雑なデザインを施すにはそれなりの時間が必要だ。繊細な宝飾品であるだけに、こればかりは魔法以外の部分こそ重要になってくる。

 

「ところで、あんな宝石どこで手に入れたんですか? そこらにあるようなものじゃありませんよ」

 

 聞かずにはいられない。確かに金を積めば手に入るかもしれないが、それにしてはそう大事にしている様子もなかった。ただ集めているといった感じにしか見えない。

 

「あれは、……もらったり、拾ったりしたものだ」

 

「もらった、ですか?」

 

 つい眉をひそめてしまう。あんなものをポンポンくれる相手なんているはずがないし、ましてや落ちているなんてありえない。

 

「……正確に言えば、力尽くで、だな。襲ってきた相手が持っていたりしたものだ」

 

 そうばつが悪そうに言う。

 

「力尽く、ですか……」

 

 思わず呆れてしまう。人のことが言えたものではないが、おとなしそうでいて、なかなかやるものだ。

 

「まあ、襲ってきたというのなら仕方がないですよね。身包み剥がされる位は自業自得ですよ」

 

「そう……だな」

 

 どこで何をしていたかということを聞いたときと同じように、口が重い。

 

 もしかして殺したんだろうか? 引きずっているように見えたのはそんなことなのかもしれない。

 

「えっと、時間がかかるみたいですけれど、これからの予定なんかはありますか?」

 

 多少無理やりという気がしなくもないが、話を変える。これ以上暗くなられたら会話にならない。それに、興味もある。

 

「別にないな。適当に街を見て回るつもりだ」

 

「……お暇でしたら、他にも街を案内しましょうか?」

 

「いいのか?」

 

 笑うとまではいかないようだが、嬉しそうだ。随分と表情の変化が分かり辛いが、しばらく話していて多少は分かるようになった。ただ、何だかぎこちない所もある。

 

「あれだけのもの頂くんですから、それくらいはさせて下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 顔はともかく、服を着たおかげで随分と目立たなくなった。といっても、知的な美人と一緒という意味では目立ってはいるようだが。まあ、そういった目立ち方なら構わない。

 

 このロングビルという女性、未だに本性は隠してはいるようだが、こういったタイプなら良くあることだ。ひたすら直情のルイズとは正反対で、少しは見習うべきだろう。まあ、それがルイズの良さなのかもしれない。自分を信じて真っ直ぐに行動できるというのは、正直うらやましいことだ。

 

 道案内では最初は城などの一般的な場所だったが、段々と裏道に入ってきた。表とは違って怪しげな商売をやっている所もちらほら見える。むしろそういった方面の方が詳しいのかもしれない。とはいえ、裏道にあるような店の方が面白い。

 

 進んでいくと色々と変わった店がある。木の根らしきものをそこらじゅうに吊り下げた、漢方薬を扱っていると思われる店、ガラクタ集めマネカタの店のような、なんだかよく分からないものばかりを扱った店。もう少し片付けないと商売にならないと思うのだが、成り立っているから不思議だ。

 

 不思議といえばもう一つある。そのなんだかよく分からない店でロングビルが何かを買っているということだ。「掘り出し物ですよ?」とのことだが、何に使うのか全く分からない。

 

 次に来たのは武器屋だ。入った店の中は薄暗く、光源はランプの灯りのみ。壁や棚には、剣や槍などが乱雑に並べられており、実用品というよりは骨董品屋といった雰囲気がある。その前に寄ったなんだかよく分からない店に比べれば片付いているが、ここも相当なものだ。

 

「そういえば武器はどうしているんですか? 青銅のゴーレムを剣で真っ二つにしたと聞いているんですが、錬金で作ったわけではなさそうだとか……」

 

 思いついたように尋ねてくるが、何と答えたものか。授業で聞いた内容からすると、錬金は金属を作るもののようだが、あれは違う。魔力から剣を作るという意味では同じだが、金属といった形をとらずにそのまま魔力を剣の形にしている。むしろ力技といえるだろう。

 

「あれは似ているといえば似ているが、違う。魔力をそのまま剣の形にしただけだ」

 

「……よく分かりませんが、なんだか凄そうですね。先住魔法を使うとかいう話も聞いたんですが、それがそうなんですか?」

 

 探りを入れにきたのか、随分と執拗に聞いてくる。まあ、いつまでも正体不明というわけにもいかない。全てを伝えるというのは逆効果だが、ある程度は話しておくのもいいかもしれない。

 

「あれは、魔法というよりは技だな。先住魔法というのがそういうものなのかもしれないが、俺がいた世界ではそんな言い方はしなかった」

 

「……いた世界というのはどういうことですか?」

 

 予想外の所に疑問を持ったようで、尋ねてくる。

 

「そのままの意味だろう? 呼び出される前にいた世界だ」

 

「ここからは遠い場所ということですか?」

 

 いまいちかみ合わない。どちらかというと、別世界というよりも、中世、古代の頃の、どこかにあると認識されていた新大陸のように感じているらしい。狙って呼び出したわけではないのかもしれないが、呼び出したからにはある程度は分かっていてもいいようなものだが。

 

「言葉通り別世界だ。異世界と言えば分かりやすいか? こことは全く違う、とまでは言わないが、それでもかなり違いはあるな」

 

「…………」

 

 手を顎に当てて考え込んでいる。まあ、中世レベルなら今自分達がいる世界すら分からない事だらけだ。いきなり言われても想像がつかないのかもしれない。そもそも、どこまで世界の理解がすすんでいるのか。星は球体、いや、魔法があるような世界なら、案外象の上に世界が乗っているという構造であっても別におかしくはない。

 

「あなたはサモンサーヴァントの呪文で呼び出されたんですよね?」

 

 考えがまとまったのかそう尋ねてくる。

 

「呼び出す呪文がそれなら、そうだな」

 

「あれはこの世界の生き物を使い魔として呼び出す呪文です。だから、異世界というのがあるかどうかは分かりませんが、もしあるとしても呼び出せないはずです」

 

 そう断言する。言うとおりならそうなのかもしれないが、ただ……

 

「ルイズならできるんじゃないのか?」

 

 ルイズなら人と違うことができてもおかしくないように思う。

 

「どうして彼女なら、なんですか? 失礼ですが、彼女は落ちこぼれとかいう話で……」

 

 どうにも納得できないようで、隠す様子もなく眉を顰めている。

 

「魔法使い、メイジか。それぞれには得意な属性があるんだろう?」

 

 暇つぶしに聞いていた授業でそんなことを言っていた。彼女は小さく頷く。

 

「ルイズの属性というのは虚無とか言うものじゃないのか?」

 

 ルイズが教室を爆破した呪文、あんなことは他の人間にはできないとかいう話だ。暴発のようなものだったが、確かに万能魔法に似たものを感じた。他の属性とは明らかに違う以上、あれが虚無とかいう伝説のものなのかもしれない。伝説になるぐらいなら他と違うことができても不思議はないはずだ。

 

「……どうしてそう思うんですか?」

 

 いきなり伝説と呼ばれるものを話しに出されても、納得し難いようだ。

 

「そうたいした理由はないな。ルイズが起こした爆発が他の四つの属性とは違うようだから、もしかしたらと思っただけだ」

 

「それだけ、ですか?」

 

「それだけ、だな。そもそも、虚無がどんなものかも知らないんだ。単なる想像でしかない」

 

 困ったように黙り込んでしまう。といっても本当に予想でしかない。どうしてと聞かれても、他に言いようがない。ただ、属性として万能魔法のようなものがない以上、そうであってもおかしくはないとは思うが。

 

「それより、ここでは何も探さないのか?」

 

 話題を変えるという意味もあったが、気になったので聞いてみる。他の店でも、彼女いわく掘り出し物を探していた。武器なんかを使うようには見えないが、案内ついでにここにも何かを探しに来たのかもしれない。

 

「ええ、まあ。あなたは、……武器なんて必要ありませんよね。しばらく待っていただけますか?」

 

「構わない。俺は適当に店の中を見ているから、気にするな」

 

 そう言って店の中を見渡してみるが、色々なものが乱雑に並んでいる。剣、盾、槍と分けるでもなく置いてある。中には刃が欠けてしまっていて、売り物にすら見えないものもある。

 

「ん?」

 

 特に目を引くということはなかったが、一つだけ気になるものがあった。他の剣に比べてもボロボロだが、魔力だかを感じる剣がある。思わず手にとって見る。鞘から刀身を引き抜くと、見た目にたがわず、刃にも錆が浮いている。

 

「オメー、使い手か」

 

「喋るのか」

 

 まさか剣が喋るとは思わなかった。良く見ると、柄の一部がカタカタと動いている。ここが口の代わりなんだろう。なるほど、喋ることができるなら魔力を感じてもおかしくはない。

 

「インテリジェンスソードですね」

 

 ロングビルが後ろに来て、肩越しに剣を見ている。

 

「もういいのか?」

 

「ええ。今、興味があるのはその剣ですね」

 

「これか? こんなものをどうするんだ?」

 

 手にある剣を見てみるが別に欲しいとは思わない。確かに珍しいのかもしれないが、それだけだ。武器としてみれば見た目に反して頑丈そうだが、女性が欲しがるものではない。

 

「確かにオメーには必要ないだろうけどよ。もう少しこう……」

 

 剣が何か文句を言っているようだが無視する。

 

「ええと、恥ずかしいんですが……。私、魔具を集めるのが趣味なんです」

 

 頬に手を当てながらそう言う。

 

「別の店で買っていたものもそうなのか?」

 

 言いながら剣を渡すが、他のものを含めて、なんで集めたがるのか良く分からないものばかりだった。

 

「そうですよ。もしかして貴方も何か持っています? もしよろしければ見せていただけたらなー、なんて……」

 

 手を胸の前で組んで、上目遣いに見てくる。

 

「あるにはあるが、やらないぞ」

 

 おねだりをする悪魔のような目をしていたので、一応釘を刺しておく。まさかルイズのようなことはしないだろうが、念のためだ。

 

「も、もちろんです。ただ見せていただければ十分です」

 

 図星だったんだろう。今までの様子と違って慌てている。

 

 目を合わせると、気まずげに視線を泳がせる。

 

「ほ、本当ですから!」

 

「まあ、見せるぐらいならいいか」

 

 いつでも取り出せるようにポケットにいつも入れているものを一つだけ取り出す。

 

「鏡、ですか?」

 

 随分と真剣に覗き込んでいるが、流石に正体は分からないようだ。確かに見た目はコンパクト程度の鏡でしかない。裏面にはびっしりと文様が刻まれているが、俺自身、どういった意味があるのかは分からない。ただ分かるのは、それの使い道だけだ。

 

「これは魔反鏡というものだ。名前の通り、少しの間だけ魔法を反射することができる」

 

 もう物反鏡と合わせても数枚しか残っていないが、切り札の一つだ。これのおかげで何度も命拾いした。

 

「……もしそうなら、随分とすごいものですね。もしかして、貴方がいたっていう場所にはそんなものがいくつもあるんですか?」

 

「そう手に入るものじゃないな。だから、そう簡単に渡すわけにはいかない」

 

 物欲しそうにしているのでもう一度釘を刺しておく。

 

「……そうですか。残念です」

 

 本当に残念そうで、やはりどうにか手に入れるつもりだったらしい。釘を刺しておいて正解だった。恨めし気な視線がどれだけ欲しかったのかをうかがわせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分遅かったじゃない」

 

 ルイズの部屋に戻ってきたのだが、随分と険がある。遅くなったからということで食事も済ませてきたが、そこまで遅いということはないはずだ。不機嫌になるという理由が分からない。

 

「そうか?」

 

「そうよ。使い魔は主人を守るものなんだから、こんな時間まで離れているものじゃないわ」

 

 そっぽを向いて拗ねた様が相手をしてもらえなくて不貞腐れている猫のように見える。猫と同じで、放って置かれたのが気に入らないのかもしれない。言うと怒るかもしれないが、見た目通りの仕草で可愛いらしい。

 

「土産もあるからそう怒らないでくれ」

 

 機嫌を直してもらおうと、土産のことを口にする。

 

「……何? 物でつる気なの?」

 

「む」

 

 良く考えたら、何でも物で解決するというのは褒められたものではない。すっかり物や金で解決するという癖が付いていたが、これも直さないといけないかもしれない。

 

「ま、まあ、せっかく買って来たって言うんなら受け取ってあげなくもないわ。……何?」

 

「…………」

 

 確か、千晶が子供の頃もこんな感じだった気がする。別に構わないが、良くないと思う。ルイズの今までの言動を見る限り、ツンデレと呼ばれるタイプなんだろう。ツンデレというのは流行っているのかもしれないが、いつまでもそのままというのは、正直相手をする側としては疲れるときがある。結婚などでは苦労しそうだ。もしくは、その後でか。その場合、苦労するのは相手の方かもしれないが。

 

「な、何よ?」

 

「……いや。まあ、受け取ってくれ。ルイズなら似合うはずだ」

 

 ロングビルの分と合わせてもう一つ加工を依頼していたものを差し出す。

 

「何か気になるけれど、……結構いい趣味してるじゃない。でも、真ん中の真珠なんてかなり大きいし、高かったんじゃないの?」

 

 ルイズに作ってもらったのは、中心に持っていた真珠を、その周りを蔦が絡むようなデザインの銀で覆ったバレッタだ。できるだけ可愛いというよりも、綺麗といったことを中心のデザインにしてもらったが、ルイズの整った顔なら十分に映えると思う。

 

「真珠自体は持っていたものだから気にするな。俺が持っていても仕方がないしな。それよりも気に入ってくれたか?」

 

「ま、まあまあね。あんたにしては頑張ったんじゃないの」

 

 口では素直じゃないが、気に入ってくれたようだ。にやけそうになる顔を無理やり抑えている。もう少し素直になっていいと思うが、その分全身で表現するからチャラといった所だろう。尻尾があったらパタパタと振っていたかもしれない。

 

「気に入ってくれたようで良かった」

 

 こちらもそう喜んでくれると贈った甲斐もあると、嬉しくなる。それでも照れているのか誤魔化そうとするが、可愛いものだ。自然と笑みも浮かぶ。しばらく前まで笑うということもなかったが、ルイズのおかげで笑えるようになってきたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「使い手ってのが何かは思い出したかい?」

 

 自室へ戻り、手に入れた剣に話しかける。傍から見ればちょっとまぬけかもしれないが。

 

「忘れた。昔過ぎて思い出せね」

 

「……はぁ」

 

 つい、ため息が出る。

 

 この剣は何か知っているかもと思ってわざわざ買ったのだが、期待はずれもいいところだ。それなりの値段ではあったので学院長のエロジジイに引き取らせるつもりだが、何だか損した気分になる。

 

「……まあ、こんなものを貰ったんだから、よしとするべきなのかね」

 

 指に絡ませた鎖がかすかに音を立てる。

 

 貰ったエメラルドはネックレスにしてもらった。せっかくの大粒のものということでカットだけに工夫をして宝石自体には最低限の装飾を、チェーンも銀の鎖で繋いだだけのシンプルなものだ。それでも、ものがものなので相当の品になっている。これだけでも十分な収穫だといえる。しかも、盗んだわけでもなくただでもらったというんだから大したものだ。それに、使い魔の彼が面白そうな魔具を持っているということも分かった。手に入れられるかは別だが、興味はある。

 

 高く掲げてみたエメラルドを月にかざす。月の光を柔らかな緑光にかえて反射する。

 

「売ればそれなりのお金にはなるけれど……。ま、せっかく下心無しのプレゼントだ。大事にするとしますかね」



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第5話 Take the Lead

「外で食べているんですか?」
 
 親しげに、そうロングビルが声をかけてきた。彼女がかすかに顔を傾けた拍子に、胸元に下げられたエメラルドが陽光を淡く反射する。その石に負けないほどに艶やかな髪によく映えている。ふと目が合うと、にこやかに顔を綻ばせた。気に入ってくれたのなら、贈った甲斐もある。


「食堂の方は堅苦しくて性に合わないからな」

 

 全てが品格というものを重視した食堂とは幾分趣の異なる、外のカフェ席。こちらはティーブレイクといったことには使われるが、純粋な昼時であれば席にも余裕がある。

 

 ルイズは一緒に食事を摂るようにと言っていたが、堅苦しいので辞退させてもらった。代わりに食卓に有った物を少々拝借して席に運んで来ているが、もとが特権階級に対して出されているだけあって美味しい。純粋に人で会った時にもこんな手の込んだものは食べられなかったので尚更だ。それに、周りの様子の変化もその理由かもしれない。

 

 他の席にもちらほら埋まっているが、こちらに向けられる視線というものを感じない。

 

 服を着た、ただそれだけだが、広場での当事者とは気付けなくなったんだろう。人は目立った特徴の方を良く覚えているもので、その他の特徴は逆に目に入らなくなる。自分の場合は、上半身裸で刺青があるといった所。目立ちすぎるその特徴が服を着て隠れてしまったから気付かないらしい。服自体も一般的で、ほとんど目立っていない。おかげでゆっくりと食事ができる。

 

「そうですね。ああいった雰囲気だと食べていても美味しくないですよね」

 

 そう微笑みながら、丸テーブルの真向かいに座る。

 

「それで何のようだ?」

 

 昨日はなし崩しに一緒に行動したが、話しかけてくるからには何か理由があるんだろう。

 

「冷たいですね。用がないと話しかけちゃいけませんか?」

 

 そう拗ねたように言うが、実際、何かあるはずだ。

 

「本当の所はどうなんだ?」

 

「……はぁ。話が早いと言えば早いんですけれど、もう少し愛想があっても良いと思いますよ?」

 

 呆れたように眉根を寄せる。

 

「自覚はしている。ただ、性分だからな」

 

 昔はともかく、今は変わってしまった。

 

「まあ、実際の所を言うとですね、学院の人間が貴方のことを監視していたりするのは知っていますよね?」

 

 顔を上げ、そう確かめてくる。

 

「……ああ」

 

 教師以外にもいたが、素人だけあって勘のいい人間ならすぐに気付くようなものだった。

 

「気を悪くしないで下さいね。貴方のような相手が召喚されるというのは初めてだったんで、学院側としては仕方なかったんです」

 

 自分もそうだったからか、苦笑している。

 

「……分かっている」

 

 納得しているからこそ昨日までは黙っていたのだから。正体の分からない相手を警戒するというのは、むしろ自然なことだ。

 

「それで、ですね、監視というのはやっぱりしばらくは必要なんで、昨日のことを報告した時に、その役目を私が引き受けたんです」

 

「そのことを本人に言ってもいいのか?」

 

「まあ、本当は良くないんでしょうが、昨日のこともありますしね。今更です」

 

 自分でもおかしいと思っているのか、苦笑する。

 

「そうか」

 

 まあ、裏でこそこそと探られるよりはその方が良い。

 

「それにですね……」

 

「何だ?」

 

「貴方に、個人的に興味があるんです」

 

 そう言いながら、上目遣いに見つめてくる。普段のクールな雰囲気とは違い、熱っぽい眼差し。男であれば、誰だって魅力的に感じるだろう。俺も、見つめ返す。

 

「そんなに魔具が欲しいのか?」

 

「はい。それはもちろ……」

 

 言いながら気付いたのか、動きを止める。

 

 まあ、そういうことだろう。昨日は随分と興味を持っていたようだった。いきなり惚れるといったことがない以上、大体の予想は付く。色仕掛けのつもりだったのだろうが、生憎と慣れている。流石に何度もそれで死に掛ければ、嫌でも慣れる。痛い目を見て、ようやく学習するというのが男の悲しい性ではあるが。

 

「……えーと、その……」

 

 言い訳が思いつかないのか、右へ左へと目を泳がせる。

 

「諦めろ。少なくとも、色仕掛けには慣れている」

 

「……はい」

 

 大きく溜息をついてうなだれる。

 

「とりあえずは監視に付くことになったということか。まあ、できるだけ問題は起こさないようにするから、そのことについては安心してくれ」

 

 広場でのことはつい頭に血が上ってしまったが、もうそんなことはしない。

 

「……あの」

 

 叱られた子供のように小さな声。

 

「何だ?」

 

「……説得力はないかもしれませんが、貴方自信にも興味があるというのは本当なんですよ? ……確かに、魔具にというのも大きいんですが……」

 

 言いながら俯いてしまい、最後は消え入りそうな声になっている。

 

「……別に気にしてはいない。まあ、渡すわけにはいかないが、昨日も言ったように見せる分には構わない。とりあえずはそれで我慢してくれ」

 

「本当ですか! ありがとうございます」

 

 随分と嬉しそうだ。魔具が好きということ自体は、本当なんだろう。そうであるならば、駄目だと言う理由もない。嘘は見抜けても、結局は、あまり強く出れない。こんなだから利用されてたんだろう、ついそんなことを考えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご主人様との食事を断っておいて何デレデレしてんのよ。だいたい使い魔はご主人様に付き従うものでしょうが!!」

 

 食堂の窓から外の席を覗き、ご主人様であるルイズは随分と不機嫌そうだ。真っ赤な顔は、私の髪よりも赤いかもしれない。

 

「そうなの?」

 

 試しに自分も覗いてみるが、そうは見えない。そもそも表情が変わっているのかも良く分からない。時々私の使い魔であるサラマンダーのフレイムを通して見ていることもあるけれど、未だにはっきりと感情を表している所を見たことはない。顔は悪くないし、強いんだけれど、そういったところが何となく物足りない。

 

「……ご主人様より胸の大きい女と一緒なんて認めないわ」

 

 ルイズが吐き捨てるように言葉を加える。

 

 結局、それが本音か。ざっと食堂の中を見渡してみるが、並、並、小、大、並、小でルイズが無、と。

 

「……無茶言っちゃ駄目よ」

 

 正直、ルイズが勝てるのってタバサぐらいじゃないかしら? それも、ごくごくわずかな差だろう。

 

「駄目ったら、駄目なの!!」

 

 おもちゃを取られた子供のように声を荒げる。実際この子にとってはそんな心境なんだろう。子供を見るようで微笑ましいといえば微笑ましいが、彼にとっては大変かもしれない。まあ、彼も困った妹を見るような感じだったし、案外楽しんでいるのかもしれないけれど。

 

「いいじゃないのそれくらい。ちゃんと言うことは聞いてくれているんでしょう?」

 

「……それは、そうだけど」

 

 ふてくされたようにそっぽを向く。本当に子供のようで微笑ましい。もしかしたら、彼もこんな心境なのかもしれない。

 

「それだけでもいいじゃないの。言うこと聞いてくれるだけでもすごいのよ。なんで従ってくれるのかも分からないぐらいなのに」

 

 本当にそうだ。いきなり成体のドラゴンが使い魔になってくれるようなものだろう。もしかしたら、それ以上なのかもしれない。

 

「……そんなにあいつすごいの?」

 

 ルイズの顔からは信じられないといった思いがありありと見て取れる。

 

「ギーシュに勝ったじゃない」

 

「たかがギーシュじゃないの」

 

 即答だ。確かにその通りなのだが。

 

「……例えが悪かったわね。でも、本当にすごいのよ?」

 

 どうやって勝ったのかを言えばいいのかもしれないけれど、魔法まで使えるなんていったら、立ち直れないかしらね。

 

「……まあ、あいつがどうあれ、使い魔としてしっかりしてれば別にいいんだけれど」

 

 そう口を尖らせる。でも、実際彼のことをどう思っているのかしら? 子供の独占欲みたいなものかしらね。

 

「彼は一応あなたの使い魔よね?」

 

「何であいつといい、『一応』なんてつけるのよ!!」

 

 再び声を荒げる。本当にコロコロと表情を変える子だ。すっかりすれている私ではそんなに素直な感情表現はできない。それはこの子の悪いところでもあるけれど、良いところでもある。

 

「細かいことには気にしないの。で、彼のことはどう思っているの?」

 

 何だかんだで気にしてくれているし、少しぐらい特別に思っていたっておかしくないはずよね。

 

「……別に。ただの使い魔よ」

 

 さっきまでとは違って、少しだけ考え込む。

 

「それだけ? ……詰まらないわね。でも、ま、それなら好きなことしてたっていいじゃない。ちゃんと言うことは聞いてくれるんでしょう? それだけでも感謝しなきゃ」

 

「ぁ、う――ぅ……。それは、そうだけど……」

 

 納得がいかないのか、口を尖らせる。ま、自分でも良く分からないって所かしらね。そういうことも、この子には必要でしょうね。恋心か独占欲か、どうあれ、そうやって、女の子は女になるんだから。ああ、少しおばさんっぽいかなぁ。

 

「もう、何で笑っているのよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズはどうしているかと部屋に様子を見に来たのだが、随分とご機嫌斜めのようだ。いかにも私は不機嫌ですといった目で睨みつけてくる。

 

「どうかしたのか?」

 

「別にどうもしないわよ。それより……、あんた、ミス・ロングビルと何話してたのよ? というか、いつ仲良くなったのよ?」

 

「ただ単に俺の見張りだとさ。それと、仲良くというよりも、俺が持っているものに興味があるんだろう」

 

 実際そんなものだ。

 

「……持っているもの?」

 

 不思議そうに首を傾げる。何となく小動物を思わせる。

 

「最初にお前が没収したようなものだ」

 

「……全部出しなさい。それで問題ないでしょう?」

 

 さあ、とばかりに手を突き出してくる。

 

「そうわがままは言うな。子供……じゃないんだからな」

 

 なんとなくルイズの体を見て、つい言葉が止まってしまった。

 

「……どこを見て止まったのよ」

 

 さすがに気付いたのか、感情を押し殺した声だ。やはり年の割に幼い外見というのはコンプレックスなんだろう。ふわふわと柔らかそうな桃色の髪に、コロコロと表情を変える豊かな感情、華奢な体つきというのは女の子ととして可愛らしいが、本人がそれを望むかといえば別の話だ。

 

 ――これは、下手に誤魔化さない方がいいのかもしれないな。どうせ聞きはしないんだろうから。

 

「……いや、小さいのが好きというのは案外多い。顔立ちといい、そういった人間には喜ばれるはずだ。――ああ、可愛げはもう少しあったほうがいいかもしれないな。ツンデレとか言うのが流行っているらしいが、実際問題、見て好きになるというのは……」

 

 できる限り角の立たないよう言葉を選ぶ。ただ、選んでは見たが、これは駄目かもしれないとは薄々感じてはいる。

 

 無表情にルイズが立ち上がり、目の前まで来ると両腕でぐいぐいと体重をかけて押してくる。なんとなく、されるがまま後ろへ下がる。ドアの側まで押すと扉を開けて更に押し出し、ただ一言。

 

「あんた今日は食事抜き。出て行きなさい」

 

 一息に言うと、力任せに扉を閉めた。

 

「……困ったものだ」

 

 見た目通り中身も子供だ。まあ、言葉はともかく、励ましたつもりだったんだが。

 

「また追い出されたの? ……たしか、前もなかったかしら」

 

 廊下を挟んだ反対の部屋から扉を開けて、キュルケが声をかけてくる。胸元が透けて見えるような薄い服、部屋ではそういった恰好が普通であるようだ。相変わらずルイズとは口げんかをしているのを見かけるが、ルイズはともかく彼女はからかっているだけ。他の生徒とは少し壁があるルイズには大切な友人だ。

 

「ルイズは子供だからな。まあ、それが可愛くもある」

 

 ぴったりと、しっかり鍵までかけられた扉を振り返る。

 

「……随分心が広いのね。嫌にならないの? 普通は怒るわよ」

 

 呆れたように呟く。

 

「まあ、何だかんだで妹が欲しかったからか。もう少しぐらいは可愛げが有ってもいいのかもしれないがな」

 

 つい苦笑してしまう。たしかにキュルケが言う通り、昔なら多少は腹を立てたりしていたかもしれない。だが、今はむしろ微笑ましいというのが大きい。

 

「追い出されちゃったんなら外に行かない? 私もあなたとはゆっくりと話してみたかったのよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何であいつはあんなに生意気なのよ! 強いんだかなんだか知らないけれど、よりにもよってご主人様のむ、胸を見て子供だなんて!! しかも何! その手の相手には好かれる!? 喧嘩売ってるの!?」

 

 そう一息に言って自分の胸に目をやる。

 

「…………むぅ」

 

 胸に手を伸ばして触れてみるが、私の理想の姿である姉にあるような感触は返ってこない。

 

「……ちょっとは、……あるもん。……いつかはちぃ姉さまみたいに大きくなるんだから」

 

 ふと、ドアがノックされた。

 

「……誰!?」

 

 さっきのは聞かれていないだろうか? つい焦ったように答えてしまう。

 

「私です。学院長の秘書のロングビルです」

 

 確かにこの声はそうだ。でも何の用だろうか。断る理由もないので、さっき閉めた鍵を外して、扉を開く。

 

「お忙しい所をすみません。今、お時間はよろしいでしょうか? 学院長がお呼びなのですが……」

 

 丁寧に一礼して言う。

 

「……どういったご用件でしょうか?」

 

 緊張する。呼び出されるということは何かを壊すたびにあったが、この前教室を壊したときにはなかった。そのことかもしれない。他の生徒に比べてはるかになれているとは、それでも緊張しないわけではない。そもそも、それを開き直れるようでは貴族として、人としてお仕舞であるから。

 

「……ええと、あなたの使い魔の彼のことなんですが」

 

 言いにくそうに言う。

 

 あいつについて、心当たりがないでもない。もしかしたら決闘騒ぎのことかもしれない。見ていないから詳しいことは知らないが、確か決闘は禁止されていたはずだ。

 

「……あいつは今いませんが」

 

 つい声が硬くなる。

 

「ああ、彼はいなくても問題ありません。むしろいない時を見て来たんですから」

 

 こちらの緊張を解くためなのか、努めて明るくしているのが分かる。

 

「どういうことですか?」

 

 決闘騒ぎのことならあいつがいた方がいいはずだが。

 

「……そうですね。詳しいことは学院長室で話しますから、来ていただけますか?」

 

 少し困ったように答える。

 

「……はい」

 

 本当に何なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わざわざ休みの日に呼び出してすまんの。別に君がどうこうというわけではないから安心して欲しい。といってもこの雰囲気ではそれも無理かの」

 

 少しおどけたようにして言うが、学院長が見渡した先はいつもと少しばかり様子が違う。他の先生方がいるというのは今までなかった。いても、怪我させた先生がいることぐらい。今回は学院のほとんどの先生がいるように思う。

 

「……いえ」

 

 本当にどういうことなんだろう。オールドオスマンにはいつもの軽い雰囲気といったものはないし、部屋にいる他の先生方もどこか張り詰めた空気がある。

 

「まあ、今回呼んだ理由を単刀直入に言うとじゃな、君の使い魔についてなんじゃ」

 

「……あいつが何か?」

 

 ここまで大事にするようなことは思いつかない。決闘についてなら他の先生まで集める必要はないはずだ。

 

「……そうじゃな。君は彼についてどの程度知っておるかね?」

 

 あまり見たことのない真面目な表情のままだ。

 

「…………名前だけ、ですね。」

 

 言われて気付く。何も知らない。そもそもあいつは何者なのだろうか。ギーシュに勝ったという話を聞いたとき、所詮ギーシュだからそんなこともあるだろうと納得したのだが、そんなことがあるのか。あいつが魔法を使っているというところは見たことがないから変わった亜人とでも思っていたが、エルフは別として、そこらの亜人が貴族に勝てるのか。召喚ができたという喜びで忘れていたが、最初にあいつを見た時のコルベール先生の様子もおかしかった。

 

「ならば、君から見て彼はどう見える? 怖いとか危険だとかは思うかね?」

 

 少しだけ、いつものようなおどけた様子を見せる。

 

「……別に。少し頼りないとしか。」

 

 自分にとっての印象はそんなものだ。少なくとも、自分が見る限りはそうだ。

 

「……そうじゃな。例えば、君はもっとも強い生物は何だと思う?」

 

 少し考えるような仕草をしてから、そんなことを尋ねてくる。

 

「……えっと、……ドラゴン、でしょうか?」

 

 質問の意図は掴めないが思いつくままに答える。ゼロと呼ばれる自分であるが、ドラゴンのような使い魔を呼び出せることをずっと夢見てきた。

 

「まあ、それがこの世界の常識じゃな。しかしな、おそらく、彼はそのドラゴンですらたやすく上回るじゃろう。……エルフですら勝てんかもしれん。」

 

「……え?」

 

 つい驚きがそのまま口をつく。とてもそんな風には見えない。ましてやメイジにとって天敵と言えるエルフになど。

 

「驚くのも無理はない。が、たぶん間違いないじゃろう。生徒達によると先住魔法を使ったという話もあるしの」

 

 信じられない。が、表情を伺ってもいつものような冗談を言うような雰囲気はなく、とてもからかっているようには見えない。

 

「まあ、実際の所良く分からんのじゃよ。人型に角という特徴から、東方に伝わる『オニ』と呼ばれる亜人かと思っておったのじゃが、ミス・ロングビルの話によると異世界から来たとかいう話での」

 

「……異世界、ですか?」

 

 思わず眉をひそめてしまう。何で異世界などという言葉が出てくるのかが分からない。

 

「こちらとしても良く分からんことばかりじゃ。そんな状態で君に知らせるというのもどうかと思っておったのじゃが、いつまでも知らぬままというわけにもいかんからな」

 

「……そうですか」

 

 いきなりそんなことを言われても頭が追いつかない。

 

「それと、じゃ」

 

「……何でしょう?」

 

「彼については分からん事ばかりでの、こちらでも調べては見るが、君も何か分かったら知らせて欲しいんじゃ。頼めるかの?」

 

「そういうことでしたら、分かりました。……あ」

 

 一つ、思い出すことがあった。

 

「どうかしたかの?」

 

「あいつが持っていた薬を貰っていたんです。それを調べれば何か分かるかも……」

 

「ふむ。見せてもらえるかね?」

 

「分かりました。今から取ってきます」

 

 そう言って部屋を後にする。たしか、もらったのはいいけれどそのままにしていたはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……彼女自身のことについては言わないんですか?」

 

 周りに控えていた教師達の一人がようやく口を開く。おそらく、他の教師達も思っていることだろう。

 

「彼がそう言ったとしても、まだ単なる推測でしかないからの。それは確信を持ててからでいいじゃろう。ただし、このことは学院外には他言無用じゃ。良いな?」

 

 教師達を見回し、そう念を押す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……見つけた」

 

 薬を持って行った後、あいつがどこにいるかと探していたのだが、まさか今度はキュルケなんかとカフェにいるとは思わなかった。体が勝手に走っていた。

 

「ちょっと! 何、キュルケなんかと一緒にいるのよ。そんなに胸の大きな女が好きなの!?」

 

 思わず声も荒くなってしまう。

 

「いや、関係ないだろう。胸のことを気にしすぎだ」

 

 何でこいつはどんなときでも冷静なんだろう。でも、今は何よりも聞かないといけないことがある。

 

「それよりも、あんた魔法が使えるの!?」

 

 バンッとテーブルに手を叩きつける。それなのにこいつときたら、

 

「……言ってなかったか?」

 

 淡々とした答えだ。

 

「聞いてないわよ!! なんでご主人様を差し置いて魔法が使えるのよ!?」

 

 さらに言葉が荒くなる。周りから視線が集まっているが、そんなことは気にしていられない。

 

「お前も使えるじゃないか」

 

 持っていたカップをテーブルに置くと、こちらを向いてそう言ってくる。

 

「……何をよ?」

 

 魔法なんか、見せた覚えはない。

 

「爆発」

 

「喧嘩売ってるの!?」

 

 思わずまた手を叩きつけてしまう。キュルケは呆れたように見ているが、今はそんなことは気にしていられない。

 

「いや、あれはちゃんとした魔法だ。……といっても暴発に近いみたいだけれどな」

 

「……何を言っているのよ?」

 

 言っていることの意味が良く分からない。

 

「……そうだな。まず、お前の属性が虚無とかいうものじゃないのか?」

 

 少し考えるような仕草をしていたが、そうこちらに対して確かめるように言ってくる。

 

「そんなわけないでしょう。虚無は伝説のもので……」

 

 私の魔法の失敗が人とは違うといっても、まさかそんなことがあるとは思えない。だって、私は魔法を成功させたことがないのだから。召喚だって、結局何回も失敗したし、こいつを呼んだ時だって、結局爆発していた。

 

「まあ、虚無がどういったものかも分からないからな。……とりあえず、使い方を分かっていないようだから、見せたほうが早いか」

 

 何かを思いついたように、立ち上がる。

 

「……どこに行くのよ」

 

「とりあえず、誰にも迷惑をかけないような広い場所はないか?」

 

 顔をこちらに向け、そんなことを言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここならわざわざ誰も来ないけれど……」

 

 辺りは見渡す限り草原が広がっている。つい先日召喚を行った場所だ。何もない場所で、もし大型の使い魔が召喚されてもいいようにと毎年この場所が使われている。見晴もよくて、もし誰かが近付いてきてもすぐに分かるから何をしても危険ということはないはずだ。でも、一つ納得がいかないことがある。

 

「何でキュルケまで付いて来るのよ。あんたには関係ないでしょうが! それに、ミス・ロングビルまで!」

 

「何でって、面白そうだからに決まっているじゃないの」

 

 何を当たり前のことをといった様子だ。

 

「私は一応は見張り役ということになっていますし、来ないわけにはいきません」

 

 胸に手を当てそう述べる。確かにキュルケはともかく、こちらには納得できる。キュルケは結局帰らないだろうし、ミス・ロングビルは仕方ないか。結局、溜息をついて私が折れる。

 

「……うー。……まあ、いいわ。で? ここで何をするのよ?」

 

 人気のない場所をと、ここに来る原因になったシキの方に目を向ける。

 

「来る前に言った通りだ。ルイズは魔力の使い方が分かっていないせいで安定していないみたいだからな。実際に見せてみようと思っただけだ」

 

「どういうことよ?」

 

 さっきもそうだったが、言っている事の意味が良く分からない。自分の魔法は失敗して爆発しているだけで、そんなにどうこう言うものではないはずだ。

 

「まあ、見てから考えればいい。それと、念のため後ろに下がっておいた方がいいかもしれない」

 

 こちらに対してそう言うと、距離を取るように前へ歩いていく。

 

「……分かったわよ」

 

 見せるというのなら見てから言えばいい。何をするのかは分からないが、まずは見てからだ。魔法を使うのなら、どんなものなのか見ておきたいと思っていたから丁度いい。

 

「良く見ておけ」

 

 そう言うと手を前に掲げる。

 

 思わず目を見開いた。

 

 でも、それも仕方がないと思う。ディテクトマジックなんかを使わなくてもすぐに分かる。あいつの周りにありえないくらいの魔力が集まっている。他の二人も似たような様子だ。

 

「――メギド――」

 

 そう呟くと手を向けた先の地面に、自然ではありえない紫の光が集まっていく。激しく輝く光を中心に周りをはっきりと目に見える魔力が渦巻いているのが分かる。あんなものは見たことがない。そもそも、あれだけの魔力は人に扱えるものじゃない。呆然とその様子を見ていたのだが、不意にその光が中心に集まって、一気に弾ける。

 

 

「な、何!?」

 

 思わず目を覆ってしまう。他の二人も口々に何かを言っている。

 

 

「……う、うそ……」

 

 本当に驚いたようなロングビルの声が聞こえる。私も恐る恐る目を開いてみる。

 

「…………」

 

 思わず息を呑む。

 

 光が弾けたところを中心に、何人もの人が入れそうな大きなクレーターがある。

 

 あんなものはありえない。確かにファイヤーボールなんかで地面を吹き飛ばしたりといったことはできる。ただ、それはあくまで吹き飛ばすだけ。周りに土砂だって吹き飛ぶ。

 

 だが、あれは違う。光があったところを中心にスプーンでえぐり取ったように綺麗に消滅している。それなのにクレーターの周りの草は焼け焦げてすらいない。一体どういう現象なのか、想像も付かない。

 

「どうだ?」

 

 なんでもないことのようにシキが振り返る。

 

「何なのよ!? 今のは!?」

 

 思わず叫んでしまう。

 

「何って、お前が使えそうな魔法だ。何か感じなかったのか?」

 

「……少しはそんな気も。じゃなくて、威力が全然違うし、そもそも先住魔法じゃない!! 使えるわけないでしょうが!!」

 

 確かに何となくだが似ているような気はした。でも、それとこれとは別だ。あんなことができるとは思えない。

 

「練習でもすれば使えるんじゃないか?」

 

 それなのにあいつは、気軽に言ってくる。

 

「先住魔法は人間には使えないの!!」

 

 そんな様子につい怒鳴り返してしまう。

 

「……まあ、どういうことなのかは良く分からないが、やってみたらどうだ? 何だかんだで系統的には似ているはずだ。それに、ルイズ、ここに来る前に言ったように、お前のは暴発に近いはずだ」

 

「……どういう意味よ?」

 

 失敗ならば分かるが、暴発というのは分からない。

 

「勉強して覚えたものじゃないから伝えるのは難しいが、お前のは形になる前に爆発しているんじゃないのか? 作るべき形がイメージできれば少しは形になるかもしれないと思ったんだが……」

 

 今度は少しばかり困ったような様子だ。

 

 でも、確かに言っていることは分かる。メイジが使う魔法は、イメージが重要だ。自分の起こしたい現象を強くイメージし、それを魔力で形にする。魔法の前提になるのがそのイメージだ。まったく別の魔法、虚無の魔法など、確かに私はイメージできない。そもそもどんな魔法なのか、本当の意味で知っている人間などいないのだから。

 

「……やってみる」

 

 もし言う通りなら、やってみる価値はある。ああいった形の魔法ということなら、もしかしたら私にもできるかもしれない。似ていると感じたことも、少し気になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきのはすごかったですね。あんなのは初めて見ました」

 

 そうロングビルが言ってくる。興味津々と言った様子だ。

 

「ええ、火の属性かとも思ったけれど、あんなことはできないわ」

 

 キュルケが続ける。こちらも似たような様子だ。

 

「あれは万能魔法と呼ばれるものだ。まあ、原理が分かって使っているわけじゃないから全てが分かるわけじゃないが、虚無とかいうものに近いんじゃないかと思う」

 

 今はロングビルが魔法で椅子とテーブルを作ってくれたので、そこでルイズの起こす爆発を見ている。こちらとしては、そんな便利な魔法の方がすごいと思う。錬金ということらしいが、本当に便利なものだ。そこらの地面を材料に家具を作り出して見せるのだから。

 

 しばらくそこで話をしながら皆でルイズの起こす爆発を眺めている。不謹慎かもしれないが、見ていてなかなか面白い。そこかしこで爆発が起きているが、たまにルイズも巻き込まれている。怪我をするようであれば止めるが、ルイズ自身には影響がないということで安心して見ていられる。たまに吹き飛ばされてはいるが、ルイズの運動神経はなかなかに良いようで、きちんと受け身もとれている。たぶん、問題ないはずだ。

 

「……できないじゃないの」

 

 何度目かも分からない爆発のあと、よろよろと起き上がったルイズが泣きそうな顔で訴えてきた。

 

「随分、ぼろぼろになったわね」

 

 キュルケが言うが、本当にそうだ。全身が煤だらけだし、スカートなんかは半分なくなっていてひどい有様だ。それでも怪我をしていないあたりは流石だが。

 

「具体的に教えるということはできないからな。まあ、手っ取り早く使えるようになりそうな方法もあるにはあるが……」

 

 確かにあるが、とてもお勧めはできない。

 

「あるなら先に教えなさいよ!!」

 

 噛みつきそうなほどに怒り出す。いや、ルイズの体を押さえている腕に本当に噛みついてきた。他の二人も興味があるようで乗り出してくる。

 

「……副作用みたいなものがある」

 

 まあ、どちらかと言うと魔法が使えるようになるというのが副作用なのかもしれないが。ルイズを宥めながら説明する。

 

「いいわよ、ちょっとぐらいなら。で、どんな副作用があるって言うのよ」

 

 急かしてくるが、本当にお勧めできない。と、ようやくルイズが口を離した。服は、噛みつかれた部分が食いちぎられている。この服、どうしようか。

 

「たとえば、印みたいなものが体に表れる」

 

「どういうことよ?」

 

 眉をひそめる。ルイズ以外の二人も同じような表情だ。

 

「まあ、分かりやすく言うとだ。俺みたいになる。頭に角が生えたりとかな」

 

 それを聞いて俺を見ると、即座に返事が返ってきた。

 

「却下よ。他にはないの?」

 

 そう断言する。他の二人からも口々に「……それはちょっと」といった言葉がもれる。……まあ、分かってはいたが。

 

「なら、地道に練習するしかないな。――ああ、そうだ。実際に戦ってみるというのもあるな。なんなら俺が相手をしてもいい」

 

 戦いというのは集中力を高めたりといったことには良い経験になる。少なくとも、何かのきっかけぐらいにはなる。なにしろ、自分がそうだったのだから。

 

 俺を悪魔の姿に変えたマガタマ。それを取り込むことで悪魔の力を得たが、ただそれだけで魔法が使えるようになったというわけじゃない。マガタマは悪魔の力の結晶。それはもとになった悪魔の魔力や経験、知識の一部ではある。だが、それを取り込んだからといって、すぐさまそれが自分自身の一部になるのかといえば違う。あくまでそのままでは借りものでしかない。戦いの中で、それが本当の意味で自分のものになっていった。

 

「……ルイズじゃ無理よ」

 

 キュルケが言うが、それにはロングビルも同意してくる。もちろんルイズは反発してくるが。

 

「まあ、そうだが……別に怪我をさせるつもりはないからな。きちんと手加減はする」

 

 あくまで練習相手としてのつもりだ。それでも、実際に戦いの中で使ってみることで分かることもあるはずだ。

 

「……なら私達も加わるというのは? それくらいしないと形にすらならないでしょう?」

 

 横からキュルケが身を乗り出す。

 

「私『達』って、私もですか?」

 

 ロングビルが驚いたように尋ねるが、キュルケはもちろんと頷く。

 

「三対一ぐらいが妥当か……」

 

 いくら手加減するにしても、それ位が丁度いいのかもしれない。ルイズ一人を相手にただ的になるというのはあまり意味があるようには思えない。

 

「なら……」

 

 ロングビルが思いついたように口にする。

 

「なんだ?」

 

「勝ったら賞品があるというのはどうでしょう?」

 

 上目遣いに見てくる。言いたいことは、まあ、大体分かった。

 

「賞品って?」

 

 キュルケも興味を持ったようだ。

 

 それを見て、ロングビルが胸元のネックレスに指を絡める。

 

「これシキさんに貰ったんです」

 

 キュルケが楽しげに目を細める。

 

「……素敵ね」

 

 キュルケも同じように上目遣いに見てくる。……なぜかルイズは睨みつけてくるが。

 

「……まあ、構わない。そうだな、俺に攻撃を当てられたら勝ち、できなかったら俺の勝ちでどうだ?」

 

 ルイズにはいい経験になる。それくらいはいいだろう。

 

「……随分余裕ね。でも、まあ、自信過剰ってわけでもないのよねぇ。それと、私達だけに賞品があるというのもなんだし、あなたが勝ったら私達を一晩好きにしていいというのはいかがかしら?」

 

 そう意味ありげに流し目を送ってくる。

 

「ちょっと、何勝手なこと言ってるのよ!?」

 

 慌ててルイズが反発する。

 

「……ルイズはいいわ」

 

 そう言うとキュルケはこちらに目を向けてくるが、ノーコメントということにしておこう。

 

「……私も、それで構いません」

 

 意外なことにロングビルが乗ってくる。

 

「無理しなくてもいいんですよ? 私が言い出したことですし」

 

 そうキュルケが言うが、威勢の良い返事が返ってくる。

 

「いえ、女は度胸ですから。それくらいのリスクはあって当然です」

 

 そう誇らしげに言うが、正直、リスク扱いというのは、言われる側としては微妙なものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……準備は良いか?」

 

 彼は特に構えるといったこともなく、自然体で立っている。隙があるといえばそうであるようにも思うが、ただ魔法を放っても、あっさり回避しそうなイメージがある。それと、破れたら困るということで、最初の頃と同じように上着は脱いでしまっている。一部破れていたが、そこは許容範囲としたらしい。

 

 それはそれとして、良く良く見てみると、細身ではあるが随分と鍛え込まれた体だ。魅せる体ではなく、戦うための体。そう考えると意味の分からない刺青も、戦いの為の装飾に見えてくる。

 

「ミス・ロングビル。打ち合わせ通りでいいかしら?」

 

 そうツェルプストーが言ってくる。彼女も私も、メイジのランクとしてはトライアングルとこの学院の中でもそれなりの実力者ではある。ただ、難を言うのなら荒事の経験が少ないというところか。私は多少慣れているといえばそうなのだが、正面を切ってという経験は、考えてみると少ない。

 

「……ええ」

 

 ひとまず、せっかく多対一ということで役割を分担した。私が土系統いうことで、主に足止めを。ツェルプストーは火の本分ということでその後の攻撃だ。

 

 もう一人にはあまり期待していない。……そもそもの目的である彼女を鍛えるという目的とずれてしまっているかもしれないが、こんなチャンスはなかなかない。普通に勝つのは無理でも、当てるだけならどうとでもしてみせる。当然彼女は不服なようだが、最初は見てみることも大切だと二人で何とか説得した。

 

「ルイズは後ろに」

 

 ツェルプストーの言葉に不服そうながらおとなしく従う。

 

「……まずは様子見」

 

 そう言うとファイヤーボールを放つ。普通の人間が当たればただでは済まないだろうが、その心配はないだろう。だから遠慮なく行くということになっている。私はその間にゴーレムを作る。足止めということで、とにかく数を。

 

 そしてそのファイヤーボールだが、あさっての方向へと消える。

 

「……分かっていたけれど、あっさり避けるわね。当たる気がしないわ……」

 

 そうツェルプストーが呟くが、全くだ。ほんの少し、体を半歩横にずらすだけであっさり回避する。私がどう足止めするかが勝負になる。

 

「……私が足止めしますから、なんとか当ててください。一分はもってみせます」

 

 そう言って、作ったゴーレムを前に進ませる。造形は気にしなかったので人型をしているというだけだが、整然と並んだ様は一個大隊の兵士を思わせる。頑丈さなどというものより機敏さを重視したので、その動きは非常にスムーズだ。人が動くのとそう大差はないだろう。そのまま彼を囲ませるが、攻撃には移らない。

 

 とにかく動きを封じることが目的だ。先に壊されたらどうしようかと思っていたのだが、そこまでは待ってくれるようだ。別に馬鹿にされているような気はしないが、なんとか一矢ぐらいは報いたい。

 

「了解」

 

 そう言うと呪文の詠唱に移る。

 

 それを合図としたのか、一体のゴーレムが、もとの土くれへと戻る。

 

 準備ができたと判断したのか、彼の拳が一番手近にいたゴーレムをあっさりと砕いた。あっさりしすぎて、少々反応に困る。土で作ったとはいえ、あんなに簡単に砕けるものではない。少なくとも強度としては岩に近いはずだ。

 

「……やっぱり15秒ぐらいで」

 

 ひとまず15体作ったので、一体一秒計算だ。できる限り補充はするが、あまりもちそうにない。

 

「もうちょっと頑張って下さい!!」

 

 詠唱を中断して言ってくるが、文句は彼に言って欲しい。

 

「とにかく攻撃を! ゴーレムは補充しますが、このままだとすぐに尽きてしまいます!」

 

 話している間にも彼が触れるそばからどんどん潰されていく。補充が追いつかない。

 

「……分かっています」

 

 そういうと目の前に炎の塊を作り出す。普通のファイヤーボールよりも小ぶりだが、数が三つある。とにかく当てるという目的なら良い選択だ。

 

「行きなさい」

 

 言葉とともに炎が向かう。わずかにタイミングをずらしたそれは、全てを視認するということすら困難。私であれば避けるということは諦めて岩の壁でも作り出す。もちろん見てからでは間に合わないから、あらかじめ準備をしておいてだ。

 

 流石に彼も無視するわけにはいかないということで、そちらに注意を向け、避け、もしくは素手で叩き落す。なんとも出鱈目な体だが、今はそんなことは気にしていられない。とにかくその間にとゴーレムを補充する。その間もツェルプストーは攻撃し続ける。誘導したり、フェイントを掛けたりはしているが、向こうの方がそういったことにも上手な様だ。決定打にはならない。

 

「なんとか動きを止めます。その時に当ててください」

 

 攻撃が加わったことで、ゴーレムが壊されるスピードが落ちた。ほんの少しだが余裕ができる。ゴーレムを操りながらということで大したことはできないが、体勢を崩すぐらいならできる。ほんの少しだけ意識をそちらに向ける。彼が意図した場所にさえ来てくれれば。――ここだ。

 

「……ぐっ……」

 

 彼が少しだけ足を取られる。

 

 ほんの少しの邪魔、例えば、彼の拳が当たる瞬間に足元のゴーレムの残骸を泥にしたり。離れた場所のものをすぐに変化させるということはできないが、もとが自分の魔力が通ったものならできる。倒れるとまではいかなかったが、体勢は崩した。

 

「今です!!」

 

 思わずツェルプストーの方に叫ぶ。

 

「もちろん」

 

 言われずとも分かっていたのか、攻撃の準備はできている。今度は小さな火の玉ではなく、ファイヤーボールだ。普通のものよりは大きく、そして早い。今はゴーレムを潰そうと手を伸ばしていたので手は使えない。バランスも崩しているので避けられない。これなら当たる!

 

 それが彼の目の前に迫った時、なぜか大きく息を吸い込んでいた。なぜ、と思う間もなく、炎に向かって青白い、何かのブレスを吐きかけるのが見えた。炎は形も残さずかき消え、それは周りのゴーレムにも向けられた。それに触れたゴーレムは皆動きを止める。動かそうとしても、関節部分が固まってしまって、ギシギシと嫌な反応だけが返ってくる。それなりに数が残っていたゴーレムだが、それでみな動けなくなってしまう。なぜか肌寒い。どうやら、さっきのは冷気のブレス、皆、氷ついてしまったようだ。

 

「……口からって、ありですか」

 

 思わずそんな言葉がもれる。いくらなんでも口からというのは、正直予想外だ。ツェルプストーの方も唖然としているようで、動けないでいる。

 

 

 

 

 

 

 今のは流石に危ないと思った。泥に変えてしまうのも錬金というものなのかもしれないが、使い方、タイミングともにうまかったと思う。だが、二人だけで頑張ってもらっても仕方がない。だから、当たっても良いかと一瞬迷ったが、少しだけ意地悪い真似をする。今回の目的はルイズに実戦を経験させることだから。二人から目を離し、ルイズに視線を向ける。目が合い、少し悩んだようだが、細長い指揮棒のような杖を構え、前に出てくる。

 

 ――それでいい。とにかく向かって来い。

 

 

 

 

 

 

 

 彼の側で爆発が起きる。流石に目の前でいきなり爆発が起これば反応できないのか、避けようとした様子はなかった。

 

「何しているのよ!! とにかく攻撃でしょう!!」

 

 そうヴァリエールが言ってくる。いつの間にか前に出てきて彼に杖を向けている。その間にも爆発を起こしているようだが、命中精度が低いのか、なかなか思ったようにはいかないようだ。

 

「彼女の援護を!!」

 

 思わず叫ぶ。普通の魔法では当たらない。当てるなら予備動作のない彼女の魔法だ。ツェルプストーもすぐに理解したのか、行動に移る。最初と同じ小さな炎の玉だ。それを使って一箇所に誘導しようとしている。私も負けてはいられない。もう一度ゴーレムを使ってとにかく動きを止めるために歩かせる。

 

「ミス・ヴァリエールはとにかく数を打ってください。何とか一箇所に留めます!」

 

 下手な鉄砲も数を打てば当たるはず。たった一発、それが当たれば勝ちだ。

 

「分かったわ!」

 

 彼女も理解したのか、とにかく魔法を放つ。全く関係ないところで爆発が起きたり、ゴーレムが巻き込まれていたりしているが、そんなことは気にしていられない。とにかく数だ。彼もそれには対処できないのか少しばかり焦っているようだ。下手な鉄砲の話通り、足元で爆発が起きる。

 

 

 ただし、『私達』の足元で

 

「「「え"っ?」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………大丈夫か?」

 

 上から顔を覗き込んでいた彼が、心配そうに声を掛けてくる。

 

「………怪我は、ないみたいです」

 

 上半身を起こして自分の体を見てみるが、確かに怪我はない。ツェルプストーもヴァリエールも同様なようだ。

 

 

「………まあ、惜しかったな。最初のバランスを崩す所はうまかったし、爆発の使い方も良かった。ただ、運が悪かった」

 

 彼はそう言うが、納得できるものではない。よりにもよって自爆など。

 

「………あの………ごめんなさい」

 

 見れば、原因であるヴァリエールが俯きながら言う。流石に普段の勝気な様子はなく、落ち込んでいるように見える。

 

「そう、気にするな。これは練習だったんだ。すぐに上達するというものでもない」

 

 彼が頭を撫でながら言う。まるで兄が妹を慰めているみたいだ。私もティファニアのことは妹のように可愛がっているから、なんとなく気持ちは分かる。

 

「賭けのことは気にしないでいいから、あまり責めないでやってくれ」

 

 彼が言う。――そんな言い方をされると何も言えなくなる。

 

「………ま、ルイズの爆発に頼った時点で運頼みだったしね。普通にやったって勝てそうもなかったし、仕方ないんじゃないの」

 

 そう髪をかき上げながら言う。何だかんだで仲がいいんだろう。庇っているのが分かる。なら、彼女も私もそれでいいということ。

 

「ま、仕方ないですよね。私達の負けです。そろそろ暗くなりますし、学院に戻りましょうか? 汗をかいちゃったんでお風呂にも入りたいですし」

 

 命のやり取りということはなかったが、それでも私は本気だった。土まみれにもなったし、服が汗で張り付いている。早くお風呂に入りたい。でも、まあ、こんなのも悪くはない。盗みに入る緊張感とはやっぱり違う。これはこれで楽しかった。

 

「そうだな」

 

 彼も賛同する。だが、良く見たら彼は全く汗をかいた様子もない。やっぱり本気で動いていたというわけでもないんだろう。実際、本気になったらどうなのか、考えると恐ろしい。まあ、それがこちらに向くというのは想像できないから、本当の意味で恐ろしなどということはないが。

 

「勝ったのはあなただし、背中ぐらい流しましょうか?」

 

 ツェルプストーがニヤリと笑いながら彼の腕に胸を押し付ける。豊かな胸が形を変える。せっかくだ。私も、乗ってみよう。

 

「私も、手伝いますよ?」

 

 反対の腕に同じよう胸を押し付ける。大きさでは勝てないが、色気では負けない。一人残されたヴァリエールが後ろでうーうー唸っているが、彼女は………頑張れとしか言えない。ティファニアとはそう年も違わないのに、この差はなんなのか。こんな所にも不平等があるなんて。まあ、ティファニアに比べれば誰の胸も貧しいのかもしれないけれど。

 

 美女二人をはべらせた彼の反応があまりないのが残念だけれど、これはこれで楽しい。いつかは彼を私の虜にして、彼から手を引かせるように。それはそれで、楽しそうだ。



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第6話 Sympathizer

 少しばかり激しい運動をこなした後、いつもに比べれば随分と早い時間ではあるが、食事を取る前に汗を流すことにした。三人が三人とも汗をかいただけではなく埃まみれになってしまったので、着替えを取ると真っ直ぐに大浴場に向かった。

 日が暮れる前、とあまり人が利用する時間ではないが、貴族のための施設なので大浴場はいつでも利用できるようにと準備されている。湯は適温に保たれ、惜しげもなく使われた香水の香りが心身ともにリラックスさせてくれる。一度に何十人と入っても手狭になることはないが、時間が時間だけあって、自分達三人だけの貸切状態だ。今は大理石でできた浴槽に、それぞれ思い思いの場所に、といっても話ができるような距離でくつろいでいる。






「汗をかいた後にというのは気持ちがいいものですね」

 

 ミスロングビルが浴槽の縁に腰掛け、足だけを湯船に浸しながら呟く。右手のタオルで胸などは隠しているが、その何気ない仕草が色気を感じさせる。上気した肌に加え、今は眼鏡もはずしており、普段とはまた違った雰囲気がある。

 

「そうですわね。本気でやったのなんか久しぶりだし、いい運動になりましたわ。……それに、あそこまで力の差があると悔しいなんて思う余地もありませんし」

 

 キュルケが苦笑する。こちらもミスロングビルと同じように浴槽に腰掛けてはいるが、仕草は反対で、隠すといった様子はない。ただ、色気を感じるという意味では違いがない。

 

 いつもと同じく、舞台での演技のようにいちいち芝居がかっているが、こいつの場合はそれが自然に見えてくる。その仕草の一つ一つが女を感じさせるもの、それでいて下品といったことがない。認めたくはないが、認めざるを得ない。

 

「ルイズ。あなたもそろそろ彼との付き合い方を考えないとね。いつまでも使い魔扱いなんかじゃ、そのうち愛想を尽かされちゃうわよ?」

 

 不意に視線をこちらに向け、からかうように言ってくる。

 

「……分かっているわよ」

 

 二人とは異なり、体を深く湯船につけたまま。言葉とともに表情も曇っていることは自分でも分かる。

 

 そんなこと、言われなくても自分が一番良く分かっている。ゼロの自分とあいつじゃ全然釣り合っていないことぐらい。強い使い魔さえ呼べれば誰も私のことを馬鹿になんかしなくなると思っていたけれど、私自身がゼロのままじゃ、意味がない。

 

 ……それに、二人に比べて色気もないし。隠すように湯船につけている自分の体と二人を見比べてみるが、全然違う。なんで自分は魔法だけでなく胸までゼロなのか。神様なんてものがいるのなら、呪いたくなる。

 

 湯船から身を起こした拍子に、派手な飛沫が上がった。

 

「あら、もう上がっちゃうの?」

 

 後ろからキュルケの声が聞こえる。

 

「……ええ、今日は疲れちゃったし」

 

 気のない返事を残して一人で先に脱衣場に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

「……何だか元気がありませんね」

 

 ルイズに向けていた視線を戻し、ミスロングビルがこちらに声をかけてくる。若干心配しているような響きもある。

 

「まあ、自分とじゃ釣り合わないとか思っているんじゃないかしら?」

 

 ルイズとは学院に入学してすぐからの付き合いだ。何となく、考えることも分かる。いつものルイズならどんな時でも前向きに努力するものだけれど、今回ばかりはそういうわけにもいかないのかもしれない。

 

「そんなことを考えても仕方がないでしょうに……」

 

 呆れたように言うが、全く持ってその通りだ。釣り合いそうな相手といったら始祖ブリミルぐらいのものだろう。でもまあ、そんな風に考えられるのもあの子らしさなのかもしれない。普通ならどうにかしようなんて考えることもないのだから。

 

「多分、大丈夫ですよ。今までゼロと馬鹿にされながらも何だかんだで頑張ってきた子ですし。案外、彼の言うとおりに虚無にでも目覚めるかもしれませんよ?」

 

 もう姿は見えないが、ルイズが出て行った方向に視線を流す。

 

 いつもからかってばかりだったけれども、ルイズの失敗してもめげない姿勢は気に入っている。本人には言えないけれども、尊敬すらしているのかもしれない。自分がもしルイズと同じ立場だったら、多分諦めていた。もしあの子が本当に力に目覚めることがあったら素直に祝福してあげたい。

 

 ま、それまではついからかっちゃうかもしれないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事もそこそこに部屋へと戻ってきたが、何となく落ち着かない。部屋の様子はいつもと何の違いもない。いつものようにシキが部屋を整え、私はベッドの上に腰掛けているだけ。それなのに落ち着かない。

 

 今日のことで、シキがどれだけすごいのか分かった。私にはどれだけ不釣合いなのかも十分すぎるほどに良く分かった。それなのに、こいつは何も文句を言わない。文句を言うどころか、今まで押し付けていた雑用をいつも通り黙々とこなしている。

 

 こんな雑用のような真似だって、させるべきじゃないということも分かっている。でも、何も言えない。さっきから何度もそう言おうとしているけれど、言葉が出ない。今までの関係を変える様なことを言ったら、シキはいなくなってしまいそうで怖い。今もまた、口にしかけた言葉を飲み込んで、思わず俯いてしまった。

 

「ルイズ」

 

「な、何?」

 

 急に声をかけられて、思わずどもってしまった。考えていることが分かってしまったのかと不安になる。

 

「着替えだ」

 

 それだけ言うと、いつものように手渡してくる。

 

「……ありがとう」

 

 手を伸ばして受け取るが、何となく目を逸らしてしまう。

 

「さっきからどうしたんだ? 何か言いたいことでもあるんじゃないのか?」

 

 少しだけ間をおいて、そう声をかけてきた。うぬぼれじゃなければ、心配しているような響きも感じる。

 

「……別に」

 

 そっけなく返してしまう。どうして素直に言えないのか。

 

 こんな時に自分の性格が恨めしくなる。せっかく聞いてくれているんだから素直に言えばいいというのは分かっているの。なのに、それができない。シキもしばらくは待っていたけれど、短く、そうかとだけ言うといつものように部屋から出て行った。

 

 ゆっくりと閉じられるドアを追う。

 

 私が寝づらいと最初に言ってからずっと寝るまでの何時間かはそうしてくれているみたいだけれど、何でそこまでしてくれているんだろう。私には何の才能もないし、何もしてあげられていない。それどころか、外でというのは流石に止めにしたとはいえ、未だに床に寝させたりしているのに。

 

「……何で、私なんかの使い魔になってくれたんだろう」

 

 思わず口からこぼれる。聞いてみたい。でも、そんなこと怖くて聞けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究室をかねた部屋の扉を叩く。本来ならもうとっくに日の落ちた時間であって人などいるはずもないのだが、この部屋の使用者に限ってはそんな心配はない。教師と言うよりは学者と言った方がしっくりくるタイプであり、学院長に調べるのを任された以上に、自分の興味でヴァリエールの持ってきた薬を調べているはずだ。

 

 

「……どなたですかー?」

 

 間を置いて、返事が聞こえる。少し声が遠いが、多分調べる手を休めずに返事をしているんだろう。

 

「学院長の秘書のロングビルです」

 

「す、すぐに開けます」

 

 ばたばたとした足音が扉まで近づいてきて、ガチャリと金属の擦れる音がした。

 

「こんな時間にすみません。……ご迷惑ではなかったでしょうか?」

 

 最後は上目遣いに、本当に申し訳ないといった様子を相手に見せる。

 

「そ、そんなことはありません。あなたならいつでも歓迎します」

 

 そう一気にまくし立てる。

 

 出てきた男は、お世辞にも二枚目と言えるようなものではない。年の頃はまだ30そこそこのはずだがそうは見えないし、今着ている白衣もよれよれと言った有様。まあ、言ってしまえば冴えない男と言った所。男としての興味はないが、私に惚れているようなので利用させてもらう。

 

「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」

 

 営業用の笑顔を向ける。使い魔の彼には通じないかもしれないが、女っ気のない相手にはこれでも十分。これだけでも、既に表情を崩してしまっている。何を言ったって大抵のことは聞いてくれるだろう。

 

「ミス・ヴァリエールから預かった薬について興味があるんですが、とりあえずのことでいいので、分かったことについて教えていただけませんか?」

 

 今度もまた上目遣いに言ってみる。こういった相手は教えて欲しい、と言われることに弱い。案の定すぐに乗ってくる。

 

「もちろん構いませんとも。ささ、立ち話もなんですから中へどうぞ」

 

 そう言ってくるが、それは流石に遠慮したい。あとあとの面倒は避けたいものだ。

 

「いえ、研究の邪魔をしてはいけませんし、そんなにお時間は取らせませんので……」

 

 できるだけやんわりと断る。

 

「そうですか……」

 

 一瞬残念そうな顔をしたが、すぐに言葉を続ける。

 

「……まあ、そんなに言えるような事もありませんしな。恥ずかしながら、実際の所良く分からんのですよ。すぐに結果が出るようなものは試しましたが、そもそも水の秘薬なのかも良く分からないと言った有様で。少し時間をかけて調べてみるつもりですが、それで分からなかったらお手上げ。どうしても知りたければ王立研究所にでも持っていかねばならんでしょうな」

 

 苦笑して頭をかきながらそう言ってくる。

 

「そうですか……」

 

 小首をかしげ、考えるような仕草を見せる。

 

 まあ、少し残念だが、何も分からないのならそれはそれで構わない。それだけ大層なものだということなのだから。ただ、王立研究所に持っていかれるというのは困る。盗めないということはないが、流石に後が面倒だ。彼から盗むのが無理だと分かった以上、これはぜひとも手に入れたい。

 

 といっても、今の時点で盗むなんてことをすれば犯人を絞られてしまうので下手なことはできないが。

 

「……でしたら、何か分かったら教えていただけませんか? そんなにすごいものでしたら私も個人的に興味がありますし」

 

 今はこれだけ言っておけば十分だろう。チャンスならいくらでもある。

 

「もちろんですとも。何か分かったら真っ先に知らせますから」

 

 そう笑顔で言ってくる。

 

 私も笑顔で返す。とりあえず、今日のところはこれでいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暖かい。目を開けると、カーテンからうっすらと漏れる太陽の光が顔にかかっていた。

 

「……朝か」

 

 警戒のためにいつのまにか癖になっていた、すぐに動ける座ったまま寝る体勢から体を起こす。この体になってからは別に寝なくともどうと言うことはないが、やはりゆっくり眠ると気分が良いものだ。加えて、昨日は久しぶりに体を動かしたので良く眠れた。殺しあうというのは好きになれないが、純粋に闘うといったことは嫌いではないのかもしれない。

 

 部屋の中を見渡し、ルイズのほうに視線を向けるが、まだ眠っているようだ。

 

「……起こすにはまだ早いな」

 

 改めて窓の外に目を向けるが、早朝といっても良い様な時間だ。いつものようにしばらくは外を散歩していればいいだろう。そうのんびりと過ごすのも嫌いではない。ルイズを起こさないようにできるだけ足音を立てないよう扉に向かう。

 

 ドアノブに触れ、鍵を開ける。

 

 「……どこに行くの」

 

 後ろから声をかけられる。いつもならこの程度の音では目を覚まさないのだが、今日は起こしてしまったようだ。もう少し注意した方がいいのかもしれない。

 

「まだ起こすには早いからな。外で散歩でもしていようかと思っただけだ」

 

 右手で扉を押さえながら振り返る。

 

「……そう」

 

 ベッドの上で上半身だけを起こし、少し考え込むようにしている。表情も、何となく冴えない。

 

 昨日からルイズは元気がない。何かを言いたそうにもしているが、聞いても答えようとしない。何とかするべきだとは思うのだが、こういったことはやはり苦手だ。表情を読んだりといったことできても、その後どうすべきかということまではなかなか思いつかない。人に頼ってばかりというのはどうかと思うが、またキュルケに頼んでみるのも良いのかもしれない。

 

「起こしておいて言うのもなんだが、まだ起きるには早いだろう。後でまた来るからのんびりしていたらどうだ?」

 

「……そうね」

 

 返事にもいまいち覇気がない。

 

「……昨日からどうしたんだ?」

 

 どうにも気になる。ほんの数日の付き合いとはいえ、人となりは分かる。やはりルイズらしくない。

 

「…………」

 

 聞いてはみたが、なかなか顔を上げない。

 

「……俺に言い辛いのならキュルケにでも言ってみれば良い。なんだかんだで助けになってくれるはずだ」

 

 ルイズの顔を見ながらしばらくは待ってみたが、言い辛いというのなら仕方がない。

 

「また後でな」

 

 そう言い残して部屋を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから部屋に戻って来たが、元気がないのは変わらない。着替えの準備をしている間もこちらの様子を伺っていたが、結局何も言ってくることはなかった。

 

「外に出ているからな」

 

 いつものように着替えを渡すと部屋の外に出た。

 

 

「――あら、おはよう」

 

 廊下にはキュルケがいて、声をかけてくる。ルイズの事を聞くには丁度いいのかもしれない。

 

「おはよう。……聞きたいことがあるんだが、いいか?」

 

「何?」

 

 軽い調子で返してくる。

 

「昨日からルイズが元気がないんだが、何か知らないか?」

 

「あー……、やっぱり?」

 

 渋い表情になる。知っているのかもしれない。もしくは原因か。

 

「何か言ったのか?」

 

「まあ、言ったというか何と言うか……」

 

 言い辛いのか、少し考え込んでいたがすぐに続ける。

 

「私が言ったのは『いつまでも使い魔扱いじゃ愛想を尽かされちゃうわよ』ってことだけなんだけれど……」

 

「それがどうかしたのか?」

 

 思わず眉をひそめる。そんなことは今更だ。別に気にしていない。その様子からか、更にキュルケが続ける。

 

「あなた、昨日どれだけ自分に力があるかを見せたでしょう?」

 

 それに対して小さく頷く。確かにルイズに見せたのは初めてだ。そのせいか、今までは全く強いとも思っていなかったようだが。

 

「それで、多分なんだけれど、あの子、自分とあなたが釣り合っていないとか思っちゃったんじゃないかしら? ただでさえ魔法が使えないことを気にしているのに、あなたは見たこともないような魔法をあっさり使っちゃうんだもの。自分には過ぎた使い魔だとか思っているのかもしれないわ」

 

「そうか……。しかし、そんなことを考えても仕方がないだろう」

 

 ルイズは何だかんだでプライドが高い。そういうことを気にするということもあるのかもしれない。普段は努力するといった形でいい方向に働いているが、そればかりは努力でどうにかなるものでもない。力といった意味で俺を従えるということは、人間には不可能だ。そもそも、そんな相手に従うつもりはないのだから。

 

「そうなんだけれど……。いつもなら努力してどうにかしようとする子なんだけれど、あなた相手じゃねぇ。そこがあの子の良い所なのに」

 

 苦笑しながら言う。やはりルイズの一番の理解者はキュルケということだろう。

 

「そうだな。俺もそんなところが気に入っている。まあ、難しいな。言ってどうにかなるものでもない」

 

 なんだかんだで同じ考えだということに、つい苦笑してしまう。ルイズの長所が裏目に出ている訳だからなんともしがたい。

 

 後ろから、扉が開く気配があった。

 

 着替え終わったらしいルイズが顔を出してくる。

 

「キュルケもいたの。――私は先に行ってるわ」

 

 そう言うと、脇を抜けてすたすたと歩いていく。

 

「……本当に元気がないわね」

 

 ルイズの後姿を見ながらそう呟く。

 

 

「ああ。……もっと元気な方がらしいんだが」

 

 一人で行かせるわけにもいかないので追いかける。大丈夫だとは思うが、もしこのままなら何とかしないといけないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人で何を話していたんだろう。もしかして昨日言っていたことをあいつに話していたり……。

 

 頭を振ってそんな考えを追い出す。昨日からつい思考が悪い方に流れてしまうけれど、そんなんじゃ、私らしくない。

 

 

「……本当、私らしくないわね」

 

 魔法が使えないぐらい今更じゃない。使い魔はメイジの実力を表す。あいつが特別なら私にだって何かあるはずだ。あいつの言ったことを信じるわけじゃないけれど、放課後に虚無について調べてみよう。今までがゼロだったんだから、駄目でもともとだ。くよくよするのはやるべきことをやってからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なかなか見つからないものね」

 

 疲れもあるのか、自然とため息が出る。張り切っていた分、尚更。

 

 放課後、一人で図書館に来て調べているのだが、なかなか思うようなものが見つからない。もちろん始祖ブリミルについて書かれた本は沢山ある。今まで自分の系統を探すために散々読んだ本にも始祖ブリミルについての記述はあった。だが、肝心の虚無の魔法について書かれた本は見当たらない。たまに記述があっても、万能の力といった抽象的な記述ぐらいだ。あいつの使った魔法が虚無だったら私の属性も虚無といっていいのかもしれないけれど、これではそれすらも分からない。

 

「何を探しているの?」

 

 後ろからいきなり声をかけられる。あまり感情の込められていないその声には聞き覚えがある。

 

 振り向くと、立っていたのは青い髪の少女だ。私も年齢的にはかなり小柄な方だが、この子は更に小柄だ。加えて、無表情でまるで人形のようにも見えるその様子が余計に幼く見せる。あまり面識はないが、たまにキュルケと一緒にいるのを見かけたことがあった。対照的だったせいか印象に残っている。

 

 たしか、……名前はタバサといったはずだ。今までここで勉強しているときにも見かけていたが、今日もいたんだろう。しかし、声をかけてくるとは思わなかった。むしろ人とできるだけ関わりたくないように感じていたのだが。

 

「……虚無の魔法について書かれた本を探しているんだけれど、具体的な記述がある本が見つからないのよ」

 

 隠すことでもないので、素直に答える。

 

 それを聞いて何やら考え込んでいたようだが、すぐに一言「手伝う」と言ってきた。

 

「……どうして?」

 

 いきなりそんなことを言ってくる理由が分からない。

 

「……私も興味があるから」

 

 そうぽつりと言うと、踵を返してフライの魔法を唱えると、浮かび上がって私の背丈よりも上の本棚へと近づいていく。

 

「よく、分からない子ね。確かにフライが使えるのなら助かるけれど……」

 

 高い所にある本は探すのに苦労するので、正直ありがたい。ただ、そんな初歩の魔法すら使えない自分が情けなくもあるけれど……。

 

 

 

 

 

 

 

「これ」

 

 そう言うと、私の前に何冊かの本を並べていく。

 

「あ、ありがとう」

 

「別に構わない。私はこれを読んでみる」

 

 そう無表情に言うと、手に持った別の本と一緒に、空いている席にすたすたと歩いていく。

 

 本当に、良く分からない子だ。感情が伺えないから何を考えているのか良く分からないし、そもそも何で手伝ってくれるのかも良く分からない。

 

「ね、ねえ」

 

 声をかけてみる。

 

「……何?」

 

 本を読む手はそのままに、視線だけをこちらに向けてくる。

 

「何で手伝ってくれるの?」

 

 それぐらいは聞いておかないといけない。

 

「興味があるから」

 

 さっきと同じ答えが返ってくる。だが、それだけではないはずだ。なんとなくだが、それだけで声をかけてくるとは思えない。

 

「それだけじゃないでしょう?」

 

「…………」

 

 こちらを見ながら考え込んでいたようだが、しばらくして口を開く。

 

「……あなたの使い魔にも興味がある」

 

 少しばかり目を逸らしながら言ってくる。

 

「あいつの何に?」

 

 どうして興味を持つのだろうか。あまり意識していなかったが、恐れている人間はいても、キュルケやミスロングビル以外には特に接点を持っている相手はいなかったはずだ。……もしかしたら知らないだけなのかもしれないけれど。

 

「…………」

 

 私をじっと見つめて何やら考えているようだが、何かを納得したのか、言葉を続ける。

 

「彼は見たこともないような魔法を使っていた。何か普通の人間が知らないことを知っているかもしれない」

 

 淡々と言う。が、それがどうしたんだろうか。続きを促す。

 

「……色々あって、先住魔法の毒の解毒法を探している。彼がそういったことを知らないか聞いてみたかった」

 

 何やら言い辛そうにしていたが、そう言葉を続ける。

 

「……どうかしら? そういえばどんな傷でも治るとかいう薬を持っていたし、そんなものも持っているかもしれないけれど……、どうしたの?」

 

 見てみると随分と驚いたような表情をしている。さっきまでの無表情とは随分と違って、ああ、こんな表情もできたんだと、妙な感想を持ってしまう。

 

「その薬について教えて欲しい」

 

 鬼気迫るといった表情で私の肩をつかんでくる。まさかそんなに感情を表すようなことをするとは思わなかった。思わず後ずさってしまう。

 

「え、ええと……。その薬が本当にそんなものなのかは分からないわよ? 実際に試したわけじゃないし……」

 

「構わない」

 

 今までとは打って変わって、その口調にも感情が現れている。

 

「昨日までは私が持っていたんだけれど……『今はどこに?』……学院長に預けたわ」

 

 言葉を遮ってまで言ってくる。もしかしたら、よっぽど大切な人がその毒とやらに侵されているのかもしれない。

 

「そう」

 

 ゆっくりと肩をつかんでいた手を離す。

 

「……そんなに必要なら、戻ってきたらあげるわよ?」

 

 私が持っているよりは、その方がいいかもしれない。

 

 見ると、一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐに深々と頭を下げる。まるで神様相手にでもするように。

 

「ありがとう。私にできることなら何でもする」

 

 本当に嬉しそうに言う。表情はぎこちない。でも、その嬉しいという感情がよく分かる。

 

 ……もしかしたら、本当は感情豊かな子だったのかもしれない。多分、その大切な人が毒とやらに侵されたせいで隠れてしまっただけで。もしそうだとしたら、私もこの子にできることをしてあげたい。一瞬薬が惜しいかとも思ったけれど、今はそんな気持ちは綺麗さっぱりなくなった。

 

 

 

 

 

 あれから数日、図書館に入り浸って探したのだが、なかなか目的のものが見つからない。タバサが手伝ってくれるおかげで随分とはかどってはいるのだが、それでもだ。こうなると学院の図書館以外の蔵書を調べるということも考える必要があるかもしれない。そうなると思いつくのは――

 

「ちょっと出かけてくるけれど、今日も付いて来てもらわなくても大丈夫だから」

 

 そうシキに言う。大丈夫なのかと念を押してくるが、問題ない。別に未開の地へ行くというわけではないのだから。

 

「タバサが風竜で送ってくれるから心配ないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりね。ちびルイズ。わざわざここにまで来るなんて、何の用?」

 

 部屋の中の椅子に足を組みながら腰掛け、肘掛に置いた手の甲を顎に当てるポーズのまま尋ねてくる。

 

 私とちい姉様とは異なる、緩くウエーブした父様譲りの金糸のような長い髪。鋭利な印象のメガネから覗く、凛とした眼差し。正に理想の貴族を体現するような高貴さがある。同じぐらい威圧感もあるのだが。

 

 ……うう。やっぱりエレオノール姉さまは苦手だ。ちい姉さまと違って、前にいるだけでプレッシャーを感じる。思わず後ずさっていた。

 

 ここは王立研究所の中にある研究室の中の一室。私の目の前にいる人物、エレオノール姉さまの仕事場ということになる。研究室といっても別に変な実験器具があるといったことはない。こちらは主にレポートをまとめたりといった、むしろ書斎といった役割の場所だ。であるから、机と、資料や文献をしまった本棚が部屋の大部分を占めている。もちろん誰でもこういった部屋が与えられるわけではなく、それだけでも姉さまの優秀さが分かる。

 

「……あの、エレオノール姉さまに相談したいことがあって」

 

 緊張しながらも口を開く。

 

「……珍しいわね。いつもならカトレアの方に行くのに。……まあ、いいわ。言ってみなさいな」

 

 考え込む仕草も優雅に、促してくる。

 

 そういえば、エレオノール姉さまに相談なんてするのは初めてかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまり、あなたの使い魔によると、あなたの属性が虚無かもしれない。だから、確かめるために虚無について知りたい。それと、そう言ったあなたの使い魔は人の姿をしていながらスクエア以上の魔力を持っていて、見たこともないような魔法を使って、しかもドラゴン並みのブレスを吐く。そちらについても調べて欲しい、そういうことね?」

 

 思わず目頭を押さえる。

 

「は、はい……」

 

 心なしか声が震えているようだ。

 

 椅子から立ち上がり、ルイズに近付くと頬を両方から引っ張る。

 

「あなた、馬鹿? というか、馬鹿よね? どうせ嘘をつくのならもう少しマシなものにしてくださるかしら?」

 

 つい、何時もよりも力が入る。この子はわざわざここにまで来て何を言っているのだろうか。

 

「いひゃい。いひゃいです。おにぇえさま――」

 

 目には既に大粒の涙を浮かべている。だが、今回ばかりは手加減できない。何時もよりも念入りに引っ張る。

 

 ……うん。久しぶりだけれど、ルイズの頬は良く伸びる。少しは気も晴れた。

 

 

 

 

「……さて、もう一度聞こうかしら。あなたはどんな使い魔を呼んだの? そもそも、呼べたのかしら?」

 

 できるだけ優しく声をかける。この子には優しく言う方が怒っているという事が良く伝わる。

 

「うう……。本当なんです。信じてください。お姉さまー」

 

 涙目で縋るように訴えかけてくる。

 

「…………」

 

 思わず考え込んでしまう。……おかしいわね。ここまで言っても謝らないなんて。こんなことは今まで一度もなかったのに。

 

「あなた……」

 

 声のトーンを少しだけ下げる。

 

「は、はい……」

 

 震えながらもきちんと向き合う。

 

「使い魔は、ちゃんと呼べたのよね?」

 

「……はい」

 

 声によどみはない。少なくとも、これに関しては嘘じゃないはず。

 

「そう……」

 

 使い魔を呼べたということなら、この子が初めて魔法を使えたということになる。虚無云々はさておいて、この子が魔法を使えたというのには興味がある。

 

 そもそも、ヴァリエール家の者が魔法を使えないということはありえない。魔法を使えるのは王家に連なる貴族のみ。その中でも、ヴァリエール家は特に濃い血の繋がりを持つ。であるならば、その血を受け継ぐはずのルイズが魔法を使えないというのはありえないはずだ。今までも何とかしてあげたいとは思っていたのだが、結局分からなかった。もしルイズが魔法を使えるようになるヒントがあるのなら、何とかしてあげたい。

 

 ――もし嘘だったなら今度こそ容赦しないけれど。

 

「まずはあなたの使い魔とやらに会ってからね。今から学園に行くわ。案内なさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼が……私の使い魔のシキです。そしてこちらが私の姉のエレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールよ。今は王立魔法研究所の研究員をなさっているわ」

 

 ルイズの紹介のもと、お互い簡単に挨拶を交わす。

 

 場所は食堂の外のカフェ席。円形テーブルに私と彼が向かい合い、その間にルイズが座っている。今はアフタヌーンティーには少々早すぎる時間なので、周りの席にも人はいない。

 

 私の目の前に座っている人物を観察する。確かに、見た目には変わった刺青のようなものがあるぐらいで人と違いはない。でも、根本的な部分で違う。こっそりディテクトマジックで探ってみたけれど、魔力が桁外れに大きい。最高純度の魔石を更に凝縮したとしてもこうはならないだろう。見た目には分からなかったが、確かにルイズの言うような存在なのかもしれない。しかし、それならば尚更ルイズの使い魔ということに納得ができない。

 

「……いきなりで不躾ですが、質問をしてよろしいかしら?」

 

 まずは、そのことについて確かめなければならない。

 

「何だ?」

 

 無視するということはなさそうだが、表情が読み取れない。何時ものように会話の主導権を握るというのは難しそうだ。

 

「あなたは本当にルイズの使い魔なのですか? ……正直に言って、あなたの方がはるかに上の存在でしょう」

 

 ルイズに一瞬視線を向けるが、目が合うとすぐに俯いてしまう。理解はしているのだろう。ルイズでは、というよりも、そもそも使い魔となるような存在ではない。

 

「……力は、そうだな。だが、ルイズは使い魔として呼び出すことができた。俺も、それで構わないと思っている」

 

 答える声に淀みはない。

 

「ルイズを、主人として認めると言うことですか?」

 

 なぜだろうか。分からない。思わず眉をひそめてしまう。

 

「ああ。ルイズのことは気に入っている。……まあ、どちらかといえば可愛い妹を心配する姉と同じ心境だな」

 

 声に若干からかうような、そんな響きがある。

 

 思わず体が跳ねて、見つめ返してしまう。ほんの少しだが、彼の表情が緩んでいる。

 

 ――からかわれた?

 

 ……うふふふふふ。上等じゃないの。私に対してそんなことする相手なんて久々よ。後で、覚えてなさいね。テーブルの下で拳を握り締める。

 

「……お姉さま、怖い……」

 

 とりあえずこっちを見ていたルイズを睨みつけて黙らせておく。そのやり取りを微笑ましそうに見ていたのが何となく気に食わないけれど、まあ、今は、いいわ。軽く咳払いする。

 

「そうですか。では、もう一つ。ルイズの属性が虚無かもしれないというのはどういうことですか?」

 

 さっきのことは置いておいて、使い魔としての契約を結んだのならとりあえずの心配はない。彼に対して使い魔のルーンの効果があるのかは別としても、何となくだがルイズに害意を持っていないのは分かる。ならば聞くべきことはもう一つ。ルイズのことだ。

 

「……それについては俺が言えることはあまりないな。ルイズの起こす爆発がもしかしたら虚無と呼ばれるものなのかもしれない、そう思っただけだ。あれは明らかに普通の魔法とは違うらしいからな。それに、俺が使う魔法と似ていた」

 

「あなたが使う魔法、ですか?」

 

 思わず眉をひそめる。そういえば、ルイズが見たこともないような魔法を使うと言っていた。どういったものなのだろうか?

 

「説明するのは、難しいな。……ルイズ、お前は見てどう思った?」

 

 ルイズへと話を振る。それにならって私もルイズに視線を向ける。

 

「どうなの?」

 

 魔法の研究者という立場柄、そういったものには興味がある。

 

 

「どうと言われても……。確かに似ているとは感じましたが、火とも、水とも、土とも、風とも違う。先住魔法であるにしても全く違う、初めて見るものでした。実際に見ないと、あれは分からないと思います」

 

 要領を得ない。先住魔法も根本的には系統魔法と近い部分がある。それから外れるような魔法と言うのは聞いたことがない。確かに、全く違うというのなら虚無という可能性もあるのかもしれないが……。

 

「なんなら、一度見せようか?」

 

 不意に声をかけてくる。

 

「……たしかに見てみたいですが、なぜそこまでしてくれるんですか?」

 

 私にまで親切にする必要はないはずだ。

 

「なぜということでもないだろう? ルイズが魔法を使えるようになるヒントを見つけてくれるかもしれないからな」

 

 さも当然とばかりの様子だ。それに誤魔化しだとかいったものは感じられない。ルイズのことを思ってくれているのは、本当なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見せてもらった魔法は確かにルイズの言う通り、他の系統とは違うもののように感じた。実際に器具を使って測定したわけではないので詳しいことは分からないが、確かに虚無と言う可能性もあるかもしれない。しかし、今はそれよりも重要な問題がある。

 

 

 

「学院長殿。お久しぶりでございます」

 

 久方ぶりにお会いした学院長に、スカートの裾を持ち上げ挨拶をする。

 

「おお。久しぶりじゃのう。ここを卒業して以来じゃから、何年ぶりかの。そろそろ結婚は……いや、なんでもない。……じゃからそう青筋をたてんでくれ。で、王立魔法研究所の研究員ともなれば忙しい身。何の用かの?」

 

 ……まあ、細かい事は、今回は置いておこう。

 

「妹が無事に使い魔を呼び出すことができたと言うことを聞きましたので、様子を見に来たのです。あの子は魔法が苦手で、こちらでも随分とご迷惑をおかけしているでしょう?」

 

 これは事実。きっと色々なものを壊しているはずだ。

 

「なに、努力するいい生徒じゃよ。まあ、ちっとばかり備品を壊したりすることも多いがの。それもまた努力した結果じゃよ」

 

 苦笑している。これに対しては私もそうせざるを得ない。

 

 その後も社交辞令的に言葉をいくつか交わすが、次からが本題だ。

 

「そういえば、そのルイズの呼び出した使い魔に会ってきました。また、変わった使い魔でしたが」

 

「そうじゃな」

 

 表情に変化はない。

 

「ですが、随分と強力な使い魔。しかし、そんな話は聞いていませんね。あれほどのものともなれば王宮に報告すべきではありませんか?」

 

 学院長に若干強い視線を向ける。

 

「あの子の為になるとは限らんからの」

 

 飄々としたものだ。

 

「王家への報告は義務では?」

 

 こちらも更に語気を強める。

 

「生徒のことを考えることの方が重要じゃよ。少なくとも、ここは学院じゃからな」

 

 嘘や、戸惑いといった様子は全くない。

 

 流石に年の功。大したものだ。こういったことには自信があるのだが、勝てる気がしない。でもまあ、これは確かめようとしなくても本心だろう。私も貼り付けていた表情を緩める。

 

「――ふふっ。試すようなことを言って申し訳ありません。やはり私も妹のことは大切ですから」

 

 思わず笑みがこぼれる。普段の行動はともかく、こういった部分では信用できる。私も素直に謝罪する。

 

「何、構わんよ」

 

「妹のこと、お願いできますか?」

 

「もちろんじゃよ。まあ、君にも手伝ってもらうかもしれんがの」

 

 学院長が笑う。いつものおちゃらけた笑い方とは違う、本当に優しい笑みだ。

 

「ええ、私もできる限りのことはさせていただきますわ」

 

 同じように返す。学院長のもとにいれば、ルイズのことは安心だろう。さて、私は私でやるべきことをやらないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、お姉さま。その荷物は?」

 

 ルイズが指差すのは私の後ろの馬車に積み込んだ荷物の山。

 

「しばらくはこっちにいようと思ってね」

 

 笑顔で答える。

 

「え、えーと、なんでそんなことに?」

 

 対してルイズは随分と慌てている。麗しいお姉さまが来るのは不満なんだろうか?

 

「あなたのためよ。感謝なさいな。まあ、研究対象としても面白いしね。ということでしばらくは毎日会えるわね」

 

 ルイズに対して飛び切りの笑顔を向ける。

 

「…………」

 

 あからさまに嫌そうに眉をひそめている。

 

 随分と失礼な子だ。またちゃんと教育してあげないと。

 

「……何かしらその嫌そうな顔は?」

 

 ルイズの側まで歩いていって柔らかな頬を引っ張り上げる。

 

 

「いひゃい。いひゃいでひゅ。おにぇーひゃまー」

 

 涙目で訴えているけれど止めてあげない。うん。やっぱりルイズの頬を引っ張るのはいいわね。

 

 ふと、ルイズの後ろの方では使い魔の彼がかすかに笑っているけれど、ルイズと一緒の時は割と良く笑うみたいね。

 

 ――使い魔の儀式ではお互いの利害が一致して初めて呼び出されるとか。彼が応じたのは、何でなのかしらね。



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第7話 Teacher

「昨日は準備で時間が取れませんでしたが、あなたが使っていた魔法について詳しく教えていただけませんか?」

 ルイズの部屋を訪れ、出てきた相手へ挨拶もそこそこに用件を切り出した。


 学院に来た昨日も話を聞いてみたいとは思っていたのだが、流石に部屋の準備といったこともあり時間が取れなかった。朝早くから、というのは褒められたものではないが、やはり私は根っからの探求者なんだろう。興味を持った以上、確かめずにはいられない。





「俺は別に構わないが。場所は――ここでか?」

 

 ルイズの代わりに応答に出てきた彼が、ドアの奥、視線で部屋の中を示す。

 

 この様子を見る限り、使い魔としての働きはきちんとやっているということだろう。まあ、こういったことは使い魔というよりは執事の役割に近いのかもしれないが。それはともかく、ルイズの部屋でも別に構わないが、やはり本人が授業に出ている間に使うというのは体裁が悪い。

 

「職員寮の一室を借りていますから、そちらに移りましょう。朝食もまだでしょうから運ばせますわ」

 

「――そういうことらしいが、構わないか?」

 

 彼が何時の間にやら後ろに出てきていたルイズに確認を取る。まだネグリジェ姿でだらしないとは思うが、まあ、時間的には仕方がない。今回は大目に見よう。

 

「ええと……『いいわね?』……はい」

 

 少しばかり渋っていたようだけれど、とりあえずこれで良し、と。

 

 ――ああ、今のうちに渡しておかないと。

 

「ルイズ。適当に見繕ってきたものだけれど、参考にはなるでしょう。時間がある時にでも読んでおきなさいな」

 

 ルイズに研究所から持ってきた本を渡す。あまり持ち出していいような本ではないが、まあ、読む人間などいないし、問題はないだろう。

 

「では行きましょうか。それとルイズ、あなたはちゃんと授業に出なさいね」

 

 返事を待たずに、そのまま歩き出す。

 

 ――昨日は失敗したけれど、やっぱり私が主導権を握らないとね。

 

 

 

 

 

 

 

「……ルイズの姉か」

 

 後ろ姿を見送りながら思わず口に出す。隣に出てきているルイズと見比べてみるが、確かに姉妹だ。意図に気付いているのか不服そうだが、良く似ている。ルイズが大人になったらきっとああなるだろう。――まあ、もう少し性格は丸くなってもいいとは思うが。さて、このまま置いていかれるわけにもいかない。おとなしく付いていくことにしよう。

 

「また後でな」

 

「……うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、急ごしらえであまり見せられる部屋ではありませんがどうぞ」

 

 ドアを開け、部屋の中へと案内される。

 

「……十分すぎるだろう」

 

 中を覗き込んで、そう思った。

 

 部屋は随分と立派なものだ。ルイズの部屋も寮というにはかなり広かったが、こちらは更に広い。家族で暮らしても問題ないほどだ。加えて、運び込まれている家具が違う。ここにあるものはよほどの金持ちの家でもなければ見ることができないようものばかりだ。おかげで、ドアの中と外では別の建物のようにさえ見える。

 

「そうですか? しばらくはここに住む以上、これぐらいは当然ですが。――まあ、立ち話もなんですし、こちらへどうぞ。朝食もじきに運ばれてきますわ」

 

 当然といった様子で促される。実際、彼女にとってはそうなんだろう。常に凛とした様子といい、そう言えるだけの雰囲気はある。ルイズにはまだまだ子供といったあどけなさがあるが、こちらは違う。まさに物語に出てくる貴族そのものなのだから。

 

「……ああ」

 

 促されるまま、中央の丸いティーテーブルの傍の椅子へ座る。

 

 もちろん、ティーテーブルといってもこちらもそこらにあるようなものではない。木材は種類までは分からないが、見るからに高級だと分かるもの。加えて、細かい所まで細工が施されている。これだけで何百万とするかもしれない。軽く部屋を見渡してみるが他の家具も同じで、こういったものに対してはもとが一般人なだけに、少々落ち着かない。

 

「さて、せっかくルイズがいないことですし、ルイズについてどう思っているのか聞かせていただいてもよろしいかしら? 昨日はうまくはぐらかされましたが、正直な所を」

 

 姿勢を正すと表情を引き締めて切り出してくる。初めて会った時からずっと意志の強さを感じさせる様子だったが、それが更に強める。嘘や誤魔化しは一切許さないといった強い口調だ。しっかりとこちらの目を見据え、流石にルイズの姉だと感じさせる。同時に、きつそうな雰囲気とあいまって、付き合う相手は大変だろうな、とそんな考えも頭に浮かぶが。そのあたりもルイズと同じかもしれないが。

 

 まあ、それはともかく、別にはぐらかしたつもりはない。

 

「昨日言った事は本心だ。ルイズの何だかんだで努力する姿勢は好ましいし、あの真っ直ぐな所は――正直、羨ましい」

 

 こちらも相手に合わせ、目を逸らさずにはっきりと答える。自分を信じて真っ直ぐに生きるというのは、俺にはできなかったことだ。この言葉に嘘や偽りといったことはない。

 

 

「羨ましい? それは……」

 

 言葉の途中で控えめなノックがあった。

 

 疑問が顔に表れているが、ちょうどそれを言葉にする所で遮られる。おそらくここに来る途中で頼んでいた朝食が運ばれてきたんだろう。

 

「……朝食の用意ができたようですね。続きはその後にでも」

 

 残念そうではあるが、ドアの方に呼びかけ、招き入れる。

 

「失礼します」

 

 ドアを開け、そう深く一礼するとワゴンを押してメイドが入ってくる。思えば、普通にメイドがいるということにも随分と慣れたものだ。なんとなく顔を見てみると、見覚えがあるものだった。

 

「――シエスタか」

 

 まともに顔を合わせるのは久しぶりだ。たまに見かけることはあっても、大抵は避けるようにして逃げていった。顔を覚えていない人間が多い中でしっかりと覚えているということなのだから、そのことに関してだけは喜ぶべきなのかもしれないが。とはいえ、やはり寂しい。

 

「あ……」

 

 あちらも気付いたのか、小さく声をあげ、気まずそうにしている。流石に今回ばかりは逃げるわけにもいかないからだろう。

 

「ご存知ですの?」

 

 気になったのか、エレオノールが尋ねてくる。

 

「ああ。ここに来て初めて洗濯をする時に手伝ってもらったんだ」

 

 そういえば、実際にはそんなに経っていない筈だが、ここに来たのも随分前のように感じる。ここではのんびりと過ごすことができ、何かに急かされることもない。時間の感覚も違うように思う。

 

「もしかして……あの子の?」

 

 ぼんやりとそんなことを考えていたのだが、何に対してかは分からないが、随分と驚いたように尋ねてくる。

 

「そうだが?」

 

 別に隠すようなことでもないので、深く考えずに答える。 

 

「まさか、今もなんてことは……」

 

 昨日会ったばかりとはいえ、初めて見る表情だ。唖然とした、とでもいうべき顔をするというのは、雰囲気からはなかなか想像できなかった。さっきの表情もあり、尚更そう思う。

 

「今もというか、今朝も洗濯してきたな」

 

 料理を作る機会はないが、俺も随分と家庭的になったものだ。掃除に洗濯。炊事以外は全部やっている。いっそのこと料理を始めてもいいかもしれない。ずっとサバイバルといった形でしかやっていなかったが、もともと料理は嫌いではない。食材や料理法にそう違いはないようだが、この世界にはこの世界なりのものがあるかもしれない。

 

「…………」

 

 急に黙り込んでしまったので見てみると、なぜだか右手で額を押さえ、俯いてしまっている。

 

「どうした?」

 

「いえ……。あの、今更かもしれませんが、そういったことをやる必要は一切ありませんから」

 

 疲れたようにして言ってくる。

 

「ルイズは使い魔の仕事だと言っていたが?」

 

 初めて会った日にそう言っていた。まあ、本来やるべき仕事ができないからと言っていたような気もするが。

 

「本当に、必要ありませんから。あの子には、私からよ───く言い聞かせておきますので」

 

 笑顔のまま言ってくる。ただ、清々しいといえるような笑顔ながら、擬音語に直せばなぜだかニヤリだとか、ニタリといったものしか思いつかない。そんな笑顔だ。その笑顔の奥に、ルイズが怯える表情が浮かぶ。

 

「……まあ、ほどほどにな」

 

 昨日の様子を見る限り、たぶん口だけでなく手も出るんだろう。頬をつねり上げている様が目に浮かぶ。半分は愛情表現なんだろうが……まあ、ルイズには一人ぐらいはそんな相手がいてもいいのかもしれない。

 

「ええ、ご心配なく。それよりもすみません。まさかそんなことまでやらせていたなんて……」

 

 目を伏せ、本当に恥じ入っている。しかし、俺は別にそんなことは気にしていない。それ以外は割りと自由に過ごしているし、慣れると案外悪くない。全く何もすることがないというのは、それはそれで苦痛だろう。

 

「俺は気にしていない。それよりも朝食にしないか? 何時までも待たせたままというわけにはいかないだろう?」

 

 そう言ってから後ろに控えているシエスタに視線を送る。……まあ、目は合わせてくれなかったが。

 

「そう、ですわね。準備していただけるかしら?」

 

 シエスタに対して促す。

 

「は、はい。ただ今」

 

 そう言うと、ワゴンで運んできた料理を並べ始める。数が多いのでできれば手伝いたいとは思うのだが、こういった場合は待つべきだとこちらに来て学んだ。おとなしく待つ。とはいえ、慣れたわけではないので未だに落ち着かない。この部屋の様子に落ち着かないことといい、もとは根っからの小市民なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ――はあ。まさか洗濯なんてさせていたなんて。あの子にはよーく言い聞かせておかないと。ディテクトマジックを使えば彼が……そっか。あの子はそれも使えないんだっけ。

 

 思えば、不憫な子よね。よりにもよって名門のヴァリエール家の者でありながら魔法が使えないんだもの。召使にだって裏では何を言われていたのか。あの子はよく屋敷を抜け出したりしていたけれど、たぶんそういうことに気付いていたのよね。私達家族だって、やっぱり同情的に見ている部分はあったもの。

 

 ……それを考えたら、この人の言う通り、本当に真っ直ぐに育ったのものよね。本当に良く見てくれている。洗濯なんてさせても怒らないみたいだし、ルイズのことを分かってくれている。しかも、戦っている所までは見たことがないけれど、たぶんお母様よりもずっと強い。

 

 

 そこまで考えてふと気付く。

 

 ……あれ? ルイズって、思いっきり当りを引いてる?

 

 既に食事にうつっている彼の様子を良く見てみると、一応は使い魔といっても姿形は人間にしか見えない。顔立ちについても、変わった刺青があったり、男性にしては彫の浅いあまり見ない顔のつくりではあるが、どちらかといえば中性的で、悪くない部類に入るだろう。いや、軟弱なそこらの貴族とは違ってたくましさもあり、むしろ良い。なおかつ強くて、自分のことを良く分かってくれている。男性として――最高? ルイズのことは可愛く思ってくれているみたいだし、ルイズがそれに気付いたら……

 

 

 

 

 

 

「……ねえ、シキ」

 

 ベッドに腰掛けたルイズは遠慮がちに声をかける。

 

「何だ?」

 

 あまり気にした様子はなく答えるが、それに対して口にしようかしまいかと躊躇しながらもルイズは続ける。

 

「私のことは……どう思っているの?」

 

 一瞬言葉に詰まるが、一気に言葉にする。

 

「急にどうしたんだ?」

 

 さすがにいつもとは違うと気付いたんだろう、ルイズに向き直り、当然の疑問を口にする。

 

「正直な所を、あなたから聞きたいの……」

 

 自分で言って恥ずかしくなったんだろう。目を合わせられずにそっぽを向きながら答える。

 

「まあ、いいか。そうだな……何に対しても真っ直ぐな所はうらやましいな」

 

 意図に関しては分からないが、思いつくままに答える。

 

「他には? 私自身に対してはどんな風に見ているの?」

 

 聞きたいのはそんなことではない。更に続きを促す。

 

「どんな風に、か? 一番近いものなら妹『イヤ 』……ルイズ?」

 

 疑問に思いながら続けるが、ルイズに遮られる。どうしたのかと確かめようとするが、ルイズは俯いてしまっていて表情は伺えない。一呼吸置いて、ゆっくりとルイズが口を開く。心なしか声が震えている。

 

「それだけじゃ……イヤなの。あなたが私のことを妹のように思ってくれているのは分かっているわ。でも――それだけじゃイヤなの。妹じゃなくて、一人の女として見て欲しいの。私なんかじゃ……駄目なの?」

 

 涙で潤んだ目で見上げる。

 

「そんなことは、ない。ルイズは十分魅力的だ。好きになる男はこれからいくらでも出てくるだろう」

 

 ルイズの気持ちは分かった。ただ、それに対しての言葉を迷い、つい逃げるような言葉を口にしてしまう。

 

「あなたは……どうなの? もし魅力的だと思ってくれるなら……私のこと、抱きしめて」

 

 精一杯の勇気を込めて、口にする。もし断られたらどうしようといったことも表情には浮かんでいるが、それでもできる限りの勇気を振り絞って言葉にした。

 

「……ルイズ」

 

 どれだけ本気だということかが分かったんだろう。ルイズの側まで近付き、ゆっくりと、ベッドに座ったルイズを抱きしめる。

 

「……シキ」

 

 身長差から抱きしめてくれた相手を見上げる形になる。そして、ゆっくりと目を閉じる。そして力を抜き、ベットに倒れこみ……

 

 

 

 

 

 

 

「――ありえないわね。どっちも」

 

 ルイズが素直になることなんてないだろうし、ルイズは年齢的には問題がなくても見た目は子供だ。まさかロリコンなんてことはないだろうし、一線を越すということが想像できない。いや、半分していたが。……というか私は何を考えているんだろう。変な小説の読みすぎだ。なんとなく手持無沙汰なときに読んでいたりするけれど、控えよう。

 

「……何がだ?」

 

 思わず口に出ていたようで、彼が手に持ったカップを傾けたまま尋ねてくる。

 

「――いえ、大したことではありません。少し、ルイズのことを考えていただけです」

 

 嘘は、言っていない。正確にはルイズともう一人登場人物がいたが。

 

「そうか。……そういえば、ここに来る前にルイズに本を渡していたな。あれはどんな本だったんだ?」

 

 あまり気にはならなかったんだろう。別の話題を口にする。

 

「あの本ですか? ……そうですね、虚無の使い手である始祖ブリミルのことはご存知ですよね?」

 

 私としてもその方が都合がいいので、そのまま合わせる。

 

「ああ、名前ぐらいはな」

 

 彼が小さく頷くのを確認して続ける。

 

「ルイズに渡したのは始祖ブリミルに関連する本ですね。例えば……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ふうん。『始祖ブリミルの使い魔たち』か。こういった本までは探していなかったわね。でも、もしこの本の中にシキのようなことが書かれていたなら、それは私の属性が虚無ということの証明よね」

 

 授業中ではあるが、今まで散々自分で予習してきた。当然今日の授業の内容もその中には入っている。だから少しぐらいはこんなことをしても罰はあたらないだろう。こっそりと表紙を開き、古い本なので破らないようにして丁寧にページをめくる。

 

 

 

 神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる。

 

 神の右手ヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。

 

 神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す。

 

 そして最後にもう一人・・・・・。記すことさえはばかれる・・・・・。

 

 四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた・・・・・。

 

 

 

 

 この話は聞いたことがある。始祖ブリミルの使い魔。始祖ブリミルほどとはいかなくても、各地に伝説という形で残っているもの。確か、イーヴァルディの勇者もその力を受けたという話だったはず。使い魔は、契約する時に何らかの影響を受ける。猫や鳥といった普通の小動物でも人の言葉を理解できるようになったり。なら、シキにももしかしたらその特徴があるのかもしれない。

 

 ええと――ガンダールブは違うわよね。武器以前に、素手でゴーレムを壊していたし、ブレスまで使っていたし。しかも魔法まで……。絶対違うわね。

 

 ヴィンダールヴは……獣を操る。そんな所は見たことはないし、これも違う。

 

 ミョズニトニルン。変わった道具は持っているのかもしれないけれど……どう考えても武闘派よね。

 

 最後は――記すことさえはばかられる、か。一番可能性がありそうなものが全くの正体不明じゃ意味がないわね。でも、始祖の使い魔より凄そうな気が……。そんな不敬な考えが頭を過った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ということは、あなたは別の世界から使い魔の召喚の儀式で呼び出されたということですの?」

 

 あの後も、メイドに食器を片付けさせて話を続けた。聞きたいことはいくらでもあるのだから時間は無駄にしていられない。一応ルイズに渡した本についても聞いてみたが、心当たりがないらしく、残念ながら手がかりになりそうなことは聞けなかった。

 

「ああ、そうらしいな」

 

 メイドに淹れさせた紅茶のカップを傾け、他人事のように言う。こういった普段の部分では、相変わらず感情を読むのが難しい。

 

「あなたがいた世界ですか。どんな世界なのか興味がありますね」

 

 彼の様子云々はともかく、その世界というのは素直に気になる。一体どんな世界なんだろうか。これだけの力を持つようになったということは、よほど過酷な世界なのかもしれない。

 

「信じるのか?」

 

 不意にそんなことを言ってくる。

 

「何をですの?」

 

「……いや。使い魔の召喚はこの世界の生き物を呼び出すものなんだろう? 前にその話をした相手がそんなことを言っていたからな」

 

 持っていたカップをテーブルに置き、こちらに視線を向けてくる。

 

「ああ、その事ですか。確かに使い魔の召喚というのはそうですね。ですが、何事にも例外があるものですし、正直、あなたは規格外ですから」

 

 自分で言って、思わず苦笑する。

 

 確かに普通の使い魔ならそんなことは信じない。だが、この人は本当に普通とは違いすぎる。そもそも、ある程度以上の知能を持つ相手を使い魔として呼び出すことはできないものだし、何より持っている力が大きすぎる。逆に、別の世界から呼び出されただとか、普通と違う、むしろ何かの事故とでも言った方が納得できる。

 

 それに、何となくルイズなら普通と違ってもおかしくはないという気がする。昔からルイズには普通の人間とは違うものを感じてきた。だから、むしろ、普通の使い魔を呼び出すとかいったことの方が思い浮かばない。まあ、良くも悪くもといった意味ではあるが。

 

「そんなものか。まあ、話が早くていい。それで俺が昨日見せた魔法についてだったか。――あれは、俺がいた世界では万能魔法と呼ばれていたな」

  

「バンノウ魔法ですか……」

 

 これといったものが思い浮かばないが、虚無の別名ということだろうか。私の疑問に気付いたのか、彼が付け加える。

 

「何でもできるとかいった意味での万能だな。俺も考えて使っていたわけじゃないから口で説明するのは難しいが……。例えば、火の属性の魔法は、火の属性を持つ相手には効果がなかったりするだろう?」

 

「ええ。効果がないとまではいかなくても、効果は薄いでしょうね。サラマンダーのような生き物はそもそも体が高熱に耐えられるようにできていますし、身にまとう魔力も火の属性を帯びていますから」

 

 彼の話に対して頷く。

 

「ああ。それは他の属性でも同じのはずだ。それで万能魔法というのは、そういったことがない。つまり、どんな相手に対しても効果がある。言うなら、防ぐことができない魔法といったところか。そういった意味で万能と名づけられているんだろうな」

 

 それで万能か。確かにそういった魔法なら攻撃魔法としては万能と呼ぶのも納得がいく。

 

「昨日見た限りはそれも納得できますね。あれほどの威力ならたとえスクウェアクラスの固定化でも防ぐといったことは不可能でしょうし。虚無といわれても納得できます。でも、ルイズの起こす爆発は本当にそれに近いものなんですか? とてもそうは見えないのですが……」

 

 現象としては似ているのかもしれないが、ルイズの起こす爆発は彼の使った魔法とは全く威力が違う。とても同じものとは思えない。ルイズのは失敗魔法というのがしっくりくるようなものだし。

 

「それは俺も分からない。何となく似ていると感じただけだからな。そもそも虚無と言われるものがどういったものかも分からないんだ」

 

 肩をすくめてそう言うと、再び私の方に視線を戻す。

 

「――そこで私の出番、と言うわけですか」

 

 思わず考え込む。

 

 期待されるというのには悪い気はしないが、虚無の魔法についてはほとんど分かっていない。完全に伝説上のものとなっているのだから。実際、専門に研究しているメイジは多いが、大したことは分かっていなかったはずだ。まあ、宗教庁なら別かもしれないが、そこから情報を得ることは難しい。それに、そんなことを公にすればルイズを危険にさらすことにもなるかもしれない。それは絶対に避けたい。

 

「……でしたら、あなたも協力していただけますか? 正直な所、私の知る限り手がかりとして有力なのは、あなた自身とあなたの使う魔法ですから」

 

 実際、それが一番の近道かもしれない。伝説を追いかけるのではなく、目の前にあるものを見ることができるのだから。それに、私自身興味がないと言えば嘘になる。研究者としてこれ以上のものなどないのだから

 

「ああ、それは構わない。もともとそのつもりだったからな」

 

 はっきりと言ってくれる。そんな様子に自然と笑みが浮かぶ。本当にルイズは当りを引いたものだ。ここまでいくと、正直うらやましい。まあ、この人がそこまで言ってくれるのなら、私も頑張らないとね。姉として負けてなんていられないもの。

 

「ありがとうございます。今日はこれから町に行ったりと時間が取れませんが、またお話を聞かせてくださいね」

 

 朝早くからなので随分と話し込んでしまったが、今日の所はこんなものだろう。これ以上となるとさすがに気が引ける。

 

「何か必要なものでもあるのか?」

 

 気になったのか尋ねてくる。

 

「まあ、そんなところです。取り急ぎ必要なものはこちらに運ばせましたが、流石に全部というわけにはいかなかったので。これから自分で見に行ってみるつもりですわ」

 

 新しく必要なものもあるので、どの道町には一度行かなければならなかった。

 

「……買い物か。なら、俺も手伝おうか?」

 

 そう言った後、ぐるりと部屋の中を見渡して「――大荷物になるんだろう?」と付け加える。

 

 ……ん。人差し指を顎にあて、考える。部屋の中を見渡すと、確かにルイズの部屋よりはすでに荷物が多いかもしれない。

 

 私としてはそう買い込むつもりはないが、一般的な尺度からすれば確かに大荷物にはなるのだろう。さっきのメイドにでも運ばせるつもりだったが、確かに男手はあったほうがいい。そういった意味ではそこらの人間よりもよっぽど期待できそうだ。

 

「そう、ですわね。お願いできますか?」

 

 ここは素直に好意に甘えることにしよう。町に向かう間にも話が聞けるから、丁度いいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

「これなんかはどうだ?」

 

 彼がショーウインドーの中のもの指し示す。見てみるが悪くはない。

 

「そうですね。せっかくですからそれにします。……と、そろそろいい時間ですね。食事にしませんか? 今日の御礼にご馳走しますよ」

 

 そう口にして、荷物を持っていてくれている彼に向き直る。つれてきたメイドの方は私が持つといったのだが、そういったことは男がやるべきだと彼が譲らなかった。なかなか変わった人だ。まあ、そういった考えは珍しいが、嫌いではない。

 

 部屋での話の後、さっきのメイドを御者に町へと来た。そして、予定通り買い物と、時間が時間だったので食事に。なんとなくデートのようなことをしている気がしなくもない。まあ――

 

 

 

 

「シキさんって優しいんですね」

 

 そんなことを言って彼と仲良く話している学院長の秘書がいるのでそんな雰囲気にはならなかったが。一緒に来る理由は良く分からないが、なぜか彼が呼んできた。まあ、それはいい。どちらかというと一方的に話しかけているといった感じで、いちゃついているというわけでもないし。

 

 ただ、時折彼の腕に、その、胸を押し付けたりしているのは、見ていて……

 

 別に私に胸がないとか、そんな悪意はないと思う。私はもちろんそんなことは気にしないし、気にしないけれど――やっぱり、むかつくわ。

 

 

 

 

 

 

 学院長室にまで呼びに来るから何かと思えば、買い物とは。わざわざ監視役の相手を呼ぶ辺り、律儀というかなんというか……。ま、そういう所がらしいのかもしれない。とはいえ、デートかどうかは別にして、女性と一緒に出かけるのに他の女まで呼ぶのは問題だ。もっとも、その相手は私なわけだが。

 

 ちらりとエレオノールだったかに目をやれば、少しばかり不機嫌そうだ。さっきから割りとあからさまに彼にアピールしているのだが、面白いように反応する。この辺りはやはりあのヴァリエールの姉ということだろう。隙がなさそうに見えて案外分かりやすい。貴族のことは嫌いだけれど、この素直な姉妹のことは、まあ、嫌いではない。私もついついからかうようなことをしてしまう。

 

 

 

「……ああ、ちょうどいいか」

 

 そんな言葉が聞こえたので彼の方へと振り向く。

 

「何がですか?」

 

 側を歩いているので自然と私も立ち止まり、一歩遅れてではあるが先頭を歩くエレオノールも振り返る。メイドの方は最初から後ろに控えているのでそのままだ。

 

「いや、大したことじゃない。すぐに追いつくからしばらくは三人で回っていてくれないか?」

 

 一度私達を見渡すと、そう切り出す。

 

「それは構いませんが……、どこにいるか分かるんですか?」

 

 当然の疑問をエレオノールが口にする。だが、それぐらいこの人ならどうにかするだろう。

 

「それぐらいはなんとかなする。じゃあ、適当に回っていてくれ」

 

 そう言うと、大荷物を持ったままではあるが、人ごみの中を危なげなく進んでいく。メイドに渡すなりして置いていけばいいようなものだが、ま、彼にとっては大したことじゃないんだろう。

 

「――彼はああ言っていましたが、そろそろ休憩にでもしませんか? ちょうどそこにカフェもありますしね」

 

 そう言って右手の建物を示す。そう高級といった佇まいではないが、赤レンガの割と凝ったデザインで洒落ている。これならば貴族のお嬢様でも問題はないだろう。彼なら別にこちらが動いても平気だとは思うが、私の方が少々疲れてしまった。そろそろ休みたい。それに、わりと体力に自信がある私がこうなのだから、メイドの方はともかくとして、お嬢様なら休みたいはずだ。

 

「そうですね。頃合としてもいい頃です。入りましょうか」

 

 くるりと背を向けるとそのまま入っていく。

 

「じゃあ、私達も入りましょう」

 

 後ろを振り返り、メイドに声をかける。

 

「……いえ、私はここで。ご一緒するなんて恐れ多いですから」

 

 そう言うとその場で立ち止まる。

 

「そんなことは気にしなくていいと思いますよ?」

 

 私もそうは言ってみるが、多分変わらないだろう。

 

「いえ、お気遣いはありがたいのですが……」

 

 深く一礼するが、固辞するのは変わらない。まあ、これは分かっていたことだ。この子は貴族に対してかなり恐れを抱いている。とすると、無理強いする方がよほど可哀そうだろう。

 

「……そう。じゃあ、シキさんが来たら知らせていただけるかしら?」

 

「はい。お任せください」

 

 安心したような表情を見せる。それが自然な反応だ。

 

 

 

 

 

 

「私はもう注文を済ませましたが、何になさいます?」

 

「……そうですね」

 

 落ち着いた店の中、豪奢な雰囲気が一際目立っているこの女性の向かいに腰掛け、メニューを開く。見ると紅茶だけでもメニューが豊富らしく、ダージリン、アッサムといった定番はもちろん、あまり耳慣れないものもある。さて、こういう所にはあまり来ないのだけれど、どうしようかな……

 

「……一つ、いいですか?」

 

 そう声をかけられたので、メニューから顔を上げ、向き直る。

 

「何でしょう?」

 

「あなたは、その……あの人に対して好意を持っているんですか?」

 

 幾分視線をさまよわせ、控えめに尋ねてくる。言い方はともかく、内容は随分とストレートではあるが。

 

 しかし、まさかいきなりこんなことを聞いてくるとは思わなかった。ま、そう思うのは無理ないのだけれど。少し、考えてみる。

 

「そうですね。確かにあの人には好意を持っているかもしれませんね。少なくも、一晩一緒に過ごしてもいいと思うぐらいには好きですよ?」

 

 別に今更隠すことでもないので、思ったまま答える。本当はもう少し強引なぐらいがいいけれど、彼のことは嫌いじゃない。

 

「なっ……」

 

 眉をひそめ、露骨な反応だ。ま、貴族ならそれが普通なんだけれどね。

 

 ――貴族のお嬢様だった昔の私なら、同じだったのかな。ふと、そんな考えが頭に浮かぶ。もちろん、今の私にはそんな資格なんかないということは分かっているんだけれど。

 

「勘違いしないで下さいね 私だって誰でもというわけではないですし、あの人だからですよ? 分かりづらいですけれど、本当は優しい人」

 

 ……それに、私のこともきっと分かってくれる。これは聞こえないように、口の中で付け足して。

 

 

「……それは、そうかもしれませんが」

 

 顔をそらし、歯切れが悪い。とはいえ意外だ。まさか多少なりとも理解を示すとは思わなかったんだけれど。

 

「ふふ、貴族ならそれが普通の反応ですよ。私は元貴族。貴族の価値観は分かります。そして――平民の価値観も。だからなんでしょうね。しきたりなんかに縛られずに自由に考えられるし、自由に動ける。私は貴族ではなくなりましたが、そのことについては良かったとさえ思っています」

 

 貴族でなくなったことで随分と苦労した。そこそこの貴族のお嬢様からいきなり平民に、ううん、下手をしたらそれ以下にまで落ちて、受け入れるにも時間がかかった。けれども、このことにだけは感謝しているかもしれない。

 

 しばらく向き合うがお互い言葉はない。

 

「……まあ、そんな人間もいるということです。私は先に失礼しますね。シキさんには宜しく言っておいて下さい」

 

 ゆっくりと椅子を下げ、立ち上がる。

 

「……ええ」

 

 そのまま振り返らずに店を後にする。つい自分の身の上を話してしまったけれど、少し後味が悪い。別にそんなことを言う必要はなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

「……そんなものかしらね」

 

 一人、温くなってしまった紅茶を片手に独り言ちる。カップの紅茶がゆらゆらと揺れる。

 

「……あの」

 

 ぼんやりとしていて気付かなかったが、何時の間にかメイドが席の前に立っている。

 

「何?」

 

 視線を向け、問いかける。

 

「……シキ様が戻られました」

 

 そう、ゆっくりと答える。最初から思っていたけれど、随分と私に対して怯えているようだ。

 

 ――平民の価値観か。

 

 立ったままのメイドの顔を見上げぼんやりと考える。

 

「な、何か……」

 

 いっそう怯えた声をあげ、最後は消え入りそうな声になっている。表情も今にも泣きそうといった様子だ。

 

「……何でもないわ。別にあなたがどうこうというわけじゃないから。」

 

 これ以上怖がらせる必要もない。椅子を引かせ、立ち上がる。

 

 ……そういえば

 

「一つ、いいかしら?」

 

 傍らに控えるメイドに問いかける。

 

「……何でしょう?」

 

 先ほどのような怯えはないが、やはり声は硬い。

 

 そんな様子に思わず苦笑してしまう。こう間近に見ることで、自分達貴族がどう思われているのか良く分かる。平民にとっての貴族というものが。

 

「好奇心で聞きたいだけよ。あなたにはシキさんがどう映っているのかしら? ……やっぱり、怖い?」

 

 平民にとって貴族がどういったものなのかは分かっている。だったら、シキさんのような相手はどう映るのか。ちょっとした好奇心のようなものだ。

 

「……あの方を、ですか?」

 

 こちらを窺うように見上げてくる。まだ怯えているようなので、単なる好奇心だとできるだけ安心させるように付け加える。といっても、普段とは逆なのでなかなか難しいのだが。それでも、ゆっくりと口を開く。

 

「……やっぱり、怖いです」

 

 そう言うと視線を下ろし、一呼吸置いて更に付け加える。

 

「……貴族の方は、平民に対しては絶対です。……でも、あの人は……」

 

 そこまで、言って言葉が途切れる。まあ、大体言いたいことは分かった。これ以上無理強いすることもないだろう。

 

「ありがとう。参考になったわ。これ以上待たせるわけにもいかないし、行きましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは明日からのことは頼むの。生徒達にとってもいい刺激になるじゃろう」

 

 学院に戻ってから、明日からのことで学院長室に打ち合わせに来た。

 

「ええ、任せてください。期待には応えて見せますわ」

 

 笑顔で返す。

 

「さすがに頼もしいの。まあ、心配はいらんじゃろうがね。とはいえ、さすがに慣れるまでは大変じゃろう? もう一つの方はしばらくは無理せんでいいからの」

 

「いえ、ご心配なく。どちらも手は抜きませんから」

 

 心配するのは分かるが、その必要はない。きちんと両立してみせる。

 

「むう。頼もしいが、もう少し肩の力を抜いた方がいいかもしれんよ。でないとおと『何か?』……いや、疲れるんじゃないかとの」

 

 ちょうどいい。学院長が私のことをどう思っているのか、しっかりと聞いておかないと。何で目を逸らしているのかなんかをしっかりと。

 

「あ、明日は準備なんかもあるし早いじゃろう?」

 

「いえ、ご心配なく。手抜かりはありませんし、たとえ何であっても手は抜きませんから」

 

 ニッコリと微笑んでみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歩みを進めるに合わせて、床からは心地よいリズムが反響する。

 

「この雰囲気も懐かしいわね」

 

 教室までの廊下を歩きながら、思わず口からこぼれる。この廊下を歩くのは学生時代以来だから本当に久しぶりで、素直に懐かしいと思う。普段は昔のことを思い出したりといったことはないけれど、ここを歩いていると自然に昔のことが頭に浮かんでくる。――と、そんなことを考えている間に辿り着りついていた教室のドアを開け、教壇にまで真っ直ぐに歩く。

 

「皆さん、初めまして。しばらくの間、特別講義を担当することになったエレオノール・ド・ラ・ヴァリエールです。そう長い間こちらにいられるわけではありませんが、よろしくお願いしますね」

 

 そう簡単に挨拶を口にし、教室を見回す。

 

 そんな中、一瞬ルイズと目が合ったが、随分と驚いた顔をしている。笑いかけると、ルイズの後ろに立っているシキさんにも視線を向ける。まあ、ルイズとは対照的にこちらは無反応だったが。できればもう少し反応があった方が面白いんだけれど。

 

 

「……な、なんでエレオノールお姉さまが!?」

 

 ガタンッと音を立てながら、ルイズが立ち上がって当然の疑問をぶつけてくる。姉妹ということに驚いたのか、周りも少々騒がしくなっている。

 

「驚くのは分かるけれど、もう授業の時間は始まっているんだからおとなしくなさい。臨時とはいえ、私も教師になっただけです。……さあ、時間もそうあるわけではないのだから、皆さんも静かになさいね」

 

 ほんの少しだけ語気を強めておとなしくさせる。

 

 ――うん、いい子達ね。すぐに静かになった。

 

 教師の真似事をしている理由は簡単。学院内に部外者がいるというのは体裁が悪いので、教師という立場を取っただけだ。まあ、実際にこんなことまでする必要はないのだが、せっかくなので授業も行うことにした。知識は十分あるし、教える立場というのは自分にとってもいい勉強になる。もちろん王立魔法研究所で行っているようなことをそのままで、ということではない。あくまで、学院で教えるような内容を。ただし、それから一歩踏み込んだ応用を実践に即する形でだ。

 

 皆が静かになったようなので、黒板に向き直り、早速今日の内容を書き始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――やっぱりお姉さまはすごいのね。

 

 素直にそう思う。始めてすぐは私を含めて皆が緊張していたが、授業が半ばに差し掛かった頃にはほとんど全員が興味を持って聞いていることが分かる。もちろん私も含めてだ。学院で行われている授業全般に関して言えることなのだが、本当に基本だけだったり、教師が自分の好みで行ったりと、お世辞にも面白いとはいえない。でも、お姉さまの授業は本当に面白いと思う。

 

 まずは面白いと思えるような部分を中心に据え、興味を持たせるということを第一にしている。面白いと思うことさえできれば飽きることはないし、理解しやすい。しかも、ただ面白くするというだけでなく、要所要所はきちんと押さえている。本当に、すごいと思う。きびきびとした動作が本当に凛々しくて、こういった部分は素直に憧れる。あとはちい姉さまみたいに優しければ言うことはないんだけれど……。

 

 ともかく、そのおかげか、大分雰囲気が和やかになってきた。私の後ろで隣と軽口を言っている人間もいる。 

 

 

「……ルイズの姉って話だけれど、全然違うな」

 

「……ああ、美人だし、大人の女性って感じだよな」

 

 そこに含まれた私に対して持っている印象が正直なところむかつくけれど、それも仕方がない。お姉さまは本当にすごいし、私にとって理想の貴族そのものだ。むしろ、そんな人が私の姉であるということが誇らしく、あまり気にはならない。それに、お姉さまにもしっかり聞こえているんだろう。後姿からも上機嫌だということが分かる。お姉さまの機嫌がいいというのはいいことだ。……とばっちりは大抵私にくるんだから。

 

 

 

「……でも、性格は更にきつそうだな」

 

「……ああ。確かヴァリエール家の長女は嫁ぎ遅れているとか」

 

  よどみなく動いていたお姉さまの手がピタリと止まった。

 

 ……あ。――ああああああああ、この馬鹿!! しっかり聞こえているのになんてことを!?

 

 冷や汗をかきながら、奥歯を噛み締める。でも、もしかしたら聞こえていないかもしれない。そんな一縷の望みにかけてみようと思うが

 

「……そうね。この魔法を実践してみようかしら。……じゃあ、そこの二人、前に出てきてくださる?」

 

 やっぱり聞こえていたようだ。ピンポイントでさっきの二人に当てている。お姉さまはニッコリとこれ以上ないような笑顔だ。そんな表情に安心したんだろう。指名された二人は多少慌てながらもおとなしく前に出て行く。……でも、私には分かる。ああいった表情の時のお姉さまはこれ以上ないくらい怒っているということを。

 

「二人には魔法をかけられる相手役をお願いしたいんだけれど、いいかしら?」

 

 さっきの笑顔のまま、本当に優しく問いかける。私にとっては恐怖でしかないのだが、二人には分からないんだろう。聞かれてはいないと二人はお互い顔を見合わせ、安心しきった表情になっている。

 

「先生がかけるんですか?」

 

 出て行ったうちの太った方、マリコルヌがのんきにそんな質問をする。

 

 それに対してお姉さまは、いい質問ねとばかりに笑っている。ただ、急に私の方を向くと、ニタリと、ほんの一瞬だがそんな表情を見せる。

 

「私じゃないわ。――ルイズよ」

 

 再び二人に向き直ると満面の笑みだ。反対に言われたほうはみるみる青くなっていくのが分かる。

 

「だ、駄目です!!」

 

「そうです。駄目です!!」

 

 二人そろって随分と慌てている。悲しいが、理由は分かっている。

 

「大丈夫よ。心配ないわ」

 

 慌てる二人に本当に優しく答える。まあ、こっそり「……ちゃんと治療するから」と付け加えているのが聞こえたけれど。

 

「さあ、ルイズいらっしゃい」

 

 本当に楽しそうに言う。そんなだから結婚できないとは、間違っても顔には出さない。

 

「は、はい。……でも、いいんですか?」

 

 お姉さまが何を考えているかは分かっているとはいえ、やはり確かめずにはいられない。物に対して魔法をかけるならともかく、人に対してとなるとどうしても躊躇していまう。

 

 

「もちろんよ」

 

 それに対して、遠慮は要らないとばかりに答えるが、その対象となる二人は違う。

 

 

「「良くないです」」

 

 言うや否や走って逃げようとするが、お姉さまはそんなに甘くはない。

 

「教室で暴れちゃ駄目よ」

 

 と、予め用意しておいたんだろう。杖を振って二人を空中へと浮かせる。

 

「さ、快く手伝ってくれるみたいだから思いっきりやりなさい。……手加減なんかいらないから。ほら、二人とも喜んでいるし」

 

 空中で暴れている二人を指差す。二人は激しく首を振り、何かをわめくようなしぐさを見せている。……サイレントをかけているんだろう。何を言っているんだかは分からない。けれど、逆らうわけにもいかない。やめてくれと言っているんだろう二人に対し、心の中で謝罪しながらゆっくりと杖を掲げる。――まあ、さっきは私のことも馬鹿にしていたしいいか。

 

 

 

 

 

「……じゃ、じゃあ」

 

 前に出て来たルイズが身構える。それにあわせて私はゆっくりと後ろに下がる。

 

 そして、いつものようにルイズが起こす爆発を見ながら考える。

 

 ――やっぱりルイズの起こす爆発は普通の魔法とは違うわね。私がこっそりかけてた固定化をものともしなかったし、何だかんだで威力は大きいのに、怪我はしないんだもの。

 

 現象としては彼の使った魔法に似ていると言われればそんな気もするけれど、実際の所はどうなのかしら? 固定化を全く無視したということは普通の魔法ならありえないことだし、彼の言っていた万能魔法の特徴にも一致しているんだけれど……もう少し調べてみないと駄目ね。

 

 ――ふふ、なかなか面白いじゃない。しばらくは退屈しないですみそうね。

 

 

「……こういったこともほどほどにな」

 

 いつの間にか後ろに来ていたシキさんが声をかけてくる。

 

「さて、何のことでしょう? たまたまルイズの魔法が失敗しただけのことですから。二人には運がなかったんでしょうね」

 

 何のことやらととぼけてみせる。ルイズのこともそうだが、この人もなかなか面白い。しばらくは本当に退屈しなくてすみそうだ。



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第8話 Mysterious Thief(前半+後半)

「――ええと、次に必要なものは」

 次の授業に必要なものを頭の中で思い浮かべながら、職員室へと入る。教師として一週間近く過ごしたが、まだまだ慣れない部分もある。だからといっては何だが、今のようについ直前まで準備ができていないこともある。

「……どこかで聞いたような気はするのだが」

 自分へ割り当てられた席へ向かう途中、そんな声が聞こえてきた。

「何がですの? ミスタ・コルベール」

 何となく気になったので、声の主に尋ねてみる。





「……ああ、ミス・ヴァリエール。つい、口に出していたようですな」

 

 座った席から振り向くと、苦笑しながらこちらに視線を向けてくる。この人は同僚ということになったミスタ・コルベール。基本的にはここではなく、彼の研究室――そう呼べるかは別として――の方にいるのであまり話す機会はないのだが、初日に学院長から紹介されているのでお互い面識はある。加えて、彼は学院長からシキさんについて調べるように言われているので、時たま意見を交換することもある。この人も直接話を聞きに行けばいいようなものだが、そうもいかないらしい。まあ、私とて知らなかったからこそだ。もし彼のように前提知識があったとしたら、ああもたやすく口をきくというわけにはいかなかっただろう。

 

 それに、最初は他の教師と同じく彼が怖いのかとも思ったのだが、そう単純でもないようだ。「怖い、確かにそれもあります。ですが、見ているとなぜか昔のことを思い出すようで……」と、何やら要領は得ないのだが、何か複雑なものがあるらしい。多少は気になったが、無理に聞き出すのもどうかと思ったので、深くは尋ねなかった。見た目にはのんびりとした人だが、何やらあるのかもしれない。

 

「大したことではないのかもしれませんが、あの剣、本人曰くデルフリンガーと言うらしいのですが、その名前にどうにも聞き覚えがあって……」

 

 先ほどまでと同様、腕を組み再び考え込んでいる。

 

 あの剣――というと、ミス・ロングビルが購入してきたというインテリジェンスソードのことだろう。見た目にはボロボロで大したものにはとても見えなかったのだが、シキさんのことを相棒と呼んでいたということから学院で買い取ったらしい。――しかし、改めて考えてみると、確かにその名前は聞いたことがあるような気がする。最近、のことではないから、多分ずっと昔、もしかしたら子供の頃かもしれない。

 

「そう言われてみれば確かに聞き覚えがあるように思います。他に何か分かったことはありますか? もう少し情報があれば思い出せるかもしれませんが」

 

「他に……ですか? 残念ながらほとんど。しかし、特別な魔法がかかっているのは間違いないでしょう。見た目に反して随分と丈夫ですし、錬金といった魔法も受け付けません。一般的なインテリジェンスソードとは根本的に違うようで、なかなかに面白い剣です」

 

 残念といいながら、随分と嬉しそうだ。このあたり、この人も私と同じで根っからの研究者なんだろう。研究者というのは変わった人種で、問題が難しければ難しいほどやる気が出るものだ。そうなると私も興味が出てくる。

 

「何なら私も手伝いましょうか?」

 

「いや、あなたはどうせなら薬の方を。最初は私も調べていたのですが、なんともならないままに預けてしまいましたから。あなたならそちらの方が詳しいでしょう?」

 

「確かにそうですね。……まあ、必要でしたらいつでも声をかけてください。なんでしたらアカデミーの方にも掛け合ってみますわ」

 

「はは。もう少し頑張ってみますが、すぐにでも頼るかもしれませんな」

 

 笑いながら言うが、多分そう簡単には諦めないだろう。残念な気もするが、むしろその方が好感が持てる。

 

 ――さて、次の授業もある。そろそろ準備に戻るとしよう。

 

「何か分かったら私にも教えてくださいね。楽しみにしていますから。それでは、また」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確か……、この辺りのはずだけれど」

 

 少しばかり薄暗い雰囲気のある廊下を見渡し、頭の中の地図と照らし合わせる。学生時代にも来たことがなかった場所なのでなかなか見つけづらい。ちなみに、今探しているのはシキさんから受け取った薬を調べているはずの相手の研究場所だ。別に学院長からは調べるようには頼まれてはいないが、単なる個人的な興味のようなものだ。あの人が持っていた薬というだけでも十分興味深い。できればサンプルぐらいは分けてもらいたいものだ。

 

「あら、ミス・ヴァリエール? こんな所でどうしました?」

 

 不意に後ろから声をかけられ、聞き覚えのある声に振り返る。

 

「ミス・ロングビル……」

 

 向こうには変わった様子はないが、何となく先日のことが頭に浮かんで言葉に詰まる。そんな様子に気づいたのか、あちらから話を続ける。

 

「この前のことなら気にしないでくださいね。あまり深く考えられても困ってしまいますし」

 

 言いながら苦笑するが、確かにその通りかもしれない。それに、私としても余計な気を使わなくて済むのなら、そうしたい。

 

「そう、ですね。――それで、何をしているかでしたか。そうですね、ミスタ・マーシュが学院長から預かっている薬のことはご存知ですよね?」

 

 「ええ」と小さく頷くのを確認して更に続ける。

 

「私の専門はどちらかというとそういった分野で、少し興味があるので見に来たんですよ」

 

 もちろん、それだけではなくできれば自分でも調べてみたいのだが。

 

 ミス・ロングビルはそれに対して何やら考え込み、少し間を置いて口を開く。

 

「……そうですか。でしたら私もご一緒しても構いませんか? 私も多少興味があるんですよ。シキさんが持っているものは面白いものばかりですから」

 

 そう笑顔で言ってくる。まあ、ちょうどいいと言えばいい。場所が分かりづらかったのだから、むしろ渡りに船だ。

 

「それはもちろん構いません。ちょうど場所が分からなかったので、むしろ助かります」

 

「あ、そうなんですか。まあ、確かに分かりづらいですからね」

 

 苦笑すると、私の前に出て「こちらです」と先導していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さてと、何から試そうかしら?」

 

 ここは私の部屋だが、目の前にはさっき見に行ったはずの薬がある。

 

 ここにある理由は……まあ、何というか、ミスタ・マーシュがあまりにも頼りにならないから私の方で調べることにしたのだ。ミス・ロングビルは少々呆れていたようだが、仕方がない。私からの質問もはっきりと答えられない上に、話の間中ずっとおどおどしっぱなしだったのだ。――まあ、私も多少上から言っていた気がしなくもないが、それはそれ、これはこれだ。

 

 とりあえず、せっかく現物があるのだから調べてみることにしよう。幸い必要そうな道具はすべて持ってきている。強引に、いや、預かった以上はきちんと結果を出さないと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――参ったね。あそこまで強引に持っていくとは思わなかった」

 

 自分の部屋へと戻り、思わずため息をつく。

 

 あの薬のことを知りたいという彼女を案内したまでは良かったのだ。ただ、その後がまずかった。最初は普通に質問をする程度だった。だが、ほとんど答えられないことに少しずつ機嫌が悪くなって、最後には「あなたには任せられない」と半ば強引に持って行ってしまった。確かにあの男ではあまり頼りにならない。しかし、あそこまで強引に持って行くことはないだろう。そこまで考え、再びため息をつく。

 

「……そろそろ動かないとまずいかな?」

 

 顔を上げ、そう呟く。あの男が持っているうちはそう簡単にアカデミーに移されることはなかった。だが、ヴァリエールの元にあれば別だ。彼女はもともとアカデミーの研究者。すぐにでも持っていかれる可能性がある。となると、早めに手に入れなければ面倒なことになるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なかなかうまくいかないものね」

 

 日当たりの良いカフェ席で一人ごちる。あの薬を受け取ってから数日、受け持っている授業自体はそう多くはないので合間に色々と試してはいるのだが、いまだに大したことは分からない。分かった事といえば、本当に常識はずれの効用があるということぐらいだ。ほんの少量を植物の切片に与えてみたのだが、そこから全体を再生してしまった。何なのかという興味は尽きないのだが、属性だとかいったものすら分からない。

 

 一般的に薬は水の属性を持つものなのだが、どうもそう単純なものではないらしい。今までの常識とも外れており、根本的に違うものなのかもしれない。もう少し休憩したら戻ろうとは思うが、次にどうすべきかというのも全く思いつかない。

 

 

「ここにいたのか」

 

 そう後ろから声をかけられたので、後ろを振り返る。

 

「シキさん、何かありましたか?」

 

 振り返ると、いつものように黒を基調としたシンプルな服装に身を包んだシキさんが立っている。

 

 ――そういえば、とふと気づく。普段はあまり目立つような格好もないので忘れがちになっていたが、別の世界から来たという話だった。ということは、持っていた薬もそうだということになる。だとしたら、調べるにも今までとは全く違う方法が必要なのかもしれない。もちろん、そうは言ってもなかなかそんな方法は思いつくものではないのだが。

 

 まあ、シキさん本人に聞くという方法もあるにはあるが、それは最後の手段だ。できれば自分自身で考え出してみたい。せっかく全く未知の新しいものに触れたのだから、滅多にないそのチャンス、自分で何とかしてみたい。合理的ではないとは分かってはいるが、これは性分のようなものだ。自分でも苦笑してしまうが、何ともしがたい。

 

「――いいか?」

 

 そう声をかけられて、我に返る。つい考え込んでしまっていたようだ。考え込んでしまって周りが見えなくなるというのは学者にありがちとはいえ、悪い癖だ。気をつけないといけない。

 

「すいません。つい……。それで何の御用でしょう?」

 

「別に用というわけじゃないんだが、渡しそびれていたものがあってな」

 

 そう言うと懐から何かを取り出す。

 

「何ですか?」

 

 手元を覗き込んで見れば、随分と丁寧に作られた箱だ。表面はビロード張りになっており、宝飾品でも入っているのだろうか?

 

「まあ、礼――というのもなんだが、色々と頑張ってくれているようだからな。この前町へと出かけた時に頼んでいたものだ。そう悪いものではないだろうから受け取ってくれ」

 

 そう少しばかりぶっきらぼうに言うと、私の方へと差し出す。しかし、思わず受け取ってしまったが、そういうわけにもいかないだろう。

 

「あの、お気持ちはありがたいんですが、そういうわけには……。半分は妹の為、もう半分は私自身の興味。私たちがあなたに感謝することはあっても、あなたからそんなものまで頂くわけにはいきません。残念ですが、お返しします」

 

 そう言って、受け取った小箱を差し返す。

 

「……俺自身も感謝しているんだが。――そうだな。なら魅力的な女性へのプレゼントということではどうだ? せっかく似合うと思って選んだんだ。できれば受け取って欲しい」

 

 予想もしていなかったような言葉に思わず見つめ返してしまう。顔色を窺ってみるが、からかっているという様子はなく、真顔だ。確かに今までにもそういったことを言ってくる相手はいたが、いつも取り入ろうといった様子や下心といったものが見えていた。しかし、そういった様子は一切ない。となれば、純粋な好意からのもの。

 

「な、何を……」

 

 なんと返せばいいんだろうか? 今までこういう相手がいなかったのでどう対応すればいいのかが分からない。

 

 ――それに、顔が熱い。多分、赤くなっているだろう。自分でも想像しなかった反応に、つい俯いてしまう。

 

「別にお世辞を言っているわけでもないぞ。少し気が強いようにも見えるが、理知的でそれも魅力だからな」

 

 臆面もなく更に言葉を続ける。シキさんとは逆に、私の方がますます赤くなっているのが分かる。

 

 う、うー、な、何か言わないと……

 

 

「……見境がないですね。あまり女性にプレゼントをした上そんなことを言っていると、いつか要らぬ誤解を受けますよ?」

 

「……ミス・ロングビル」

 

 後ろから聞こえてきた言葉に振り向くと、彼女が立っている。そして、更に言葉を続ける。

 

「ちなみに、私のときは『宝石も美人が身に着けていたほうが喜ぶ』でしたね。そしてこれを」

 

 視線を下へと移しながら胸元のペンダントのチェーンに指を絡ませる。見れば、装飾自体はそう派手ではないが、大粒のエメラルドで相当の値打ち物のようだ。

 

「……別に見境がないわけじゃない。ただ思ったことを言っているだけだ」

 

 彼が少しばかりばつが悪そうに言う。

 

「……天然は、一番性質が悪いです。普通に考えたら狙っているとしか思えませんよ」

 

 対して彼女は少しばかり呆れたように呟く。聞きながら私は少しずつ冷めていくのが分かる。むしろ、真に受けていたことが恥ずかしいぐらいだ。

 

「……まあ、せっかくですからこれは頂いておきます」

 

「あ、ああ。……そういえば、さっきは何か悩んでいるようだったが、どうかしたのか?」

 

 多分、話題を変えようとしているんだろう。しかし、私もその方が良い。さっきの言葉で赤くなっていた私だって恥ずかしいのだから。

 

「ええと、あなたがルイズにあげた薬があったでしょう? ちょっとそれを調べていて……」

 

「あげたもの? ……ああ、最初に没収されたやつか」

 

 思い出したとばかりに呟く。しかし、没収?

 

「あの、没収ってどういうことでしょう?」

 

「そのままだが? 見せたときに使い魔のものは主人の物だとか言われてな」

 

「……今、ルイズはどこに?」

 

「授業中だな」

 

「――ちょっと、失礼します。ここで待っていてください。すぐにルイズを連れてきますから」

 

 そう言って足早に教室へと向かう。

 

 

 

 

 

 

「言わないでいた方が、良かったのか?」

 

「さあ? とりあえず、私は先に失礼しますね。ああ、それと、これ以上見境のない真似はやめた方がいいですよ」

 

「……まあ、気を付ける」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつもの様に授業中ではあるが、虚無についての文献のページを捲る。時間さえあればこのように読んでいるのだが、何せ数が膨大だ。斜め読みといってもいいように読んでいるとはいえ、それでも読むべきものはまだまだある。タバサも手伝ってくれてはいるのだが、なかなか終わりがみえない。

 

 意識のほとんどを文献を読むのに向けていたのだが、不意にガタンと力任せに扉が開かれる音がしたので目を向ける。見れば、お姉さまだ。まっすぐにこちらに向かってくるその表情は、どちらかといえば無表情とはいえ、明らかに怒っている。心当たりは、と考えてみるが――正直、ありすぎる。教室を爆破したり、問題は散々起こしてきた。考えているうちに、目の前にお姉さまが立つ。ゆっくりと見上げると、にっこりと笑うその顔が見える。

 

「お、おねえしゃまっ」

 

 途中まで言った所で頬を引っ張られ、最後まで言えなくなってしまう。

 

「……来なさい」

 

 そのまま立ち上がらせられ、更に教室の出口へと引っ張られる。

 

「いひゃい、いひゃいです。おにぇえしゃまー」

 

 必死に訴えるが聞いてくれない。どうしようもないので、痛くないよう逆らわずについて行く。皆に見られて恥ずかしいが、今はそれどころではない。痛いし、どれが原因なのかが分からない。

 

「ミ、ミス、いったい何を?」

 

 後ろからようやく我に返った先生が慌てて声をかけてくる。しかし、頑張っては欲しいのだが完全にお姉さまの迫力に負けている。頬を引っ張る手はそのままに少しだけ視線を向け

 

「ルイズは借りていきますわ。……何か問題でも?」

 

「え? あ、その……」

 

「ないようでしたら失礼します。お騒がせしたのは謝罪しますわ」

 

 そう言うと、来たときと同じように扉を閉め、そのまま私を引っ張っていく。

 

 

 

 

 

 

「ええと、……とりあえず授業を再開しましょうか」

 

 遠くになった先生の声が聞こえる。私のことは、なかったことにしたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「座りなさい」

 

 カフェに来てようやく手を離してくれたお姉さまが、そう命令する。

 

「ええと、はい……」

 

 逆らえないので、言われたとおり手近な椅子に手を伸ばす。しかし、お姉さまの声に遮られる。

 

「椅子じゃなくて、下よ」

 

 その声に思わず手を止める。恐る恐るお姉さまへと目を向けるが、本気だ。こうなると、逆らえない。諦めて地面へと正座する。

 

「何もそこまで……」

 

 そう言ってシキが止めようしてくれたが

 

「あなたは黙っていてください」の一言で「……ああ」と黙ってしまった。……強いんだったら、せめて、せめてもう少し粘って欲しい。お姉さまからも私を守ってほしい。

 

「さて、ルイズ。私が何に対して怒っているか分かるかしら?」

 

 優しく、声だけは優しく問いかけるお姉さまを見上げる。

 

「え、ええと、分かりません……」

 

 これ以上怒らせないように、丁寧に言葉を選んで答える。 

 

「そう。じゃあ、これからゆっくりと教えてあげるわね」

 

 にっこりと微笑む。それなのに、死刑宣告をしているように感じるのは何でなんだろう……

 

 

 

 

 

 

「ちゃんと反省しなさいね」

 

 そう言って、ようやく開放してくれた。

 

 ――何時間経ったんだろう。視線を向けた先に沈み始めている夕日を見て、ぼんやりと思う。

 

 本当は、もっと早く開放してくれるはずだった。しかし、「そんなんじゃ結婚できないわよ」との言葉に思わず「お姉さまだって」と言ってしまった。

 

 本気で、後悔した。逆鱗に触れるというのはああいうことを言うんだろう。お姉様の口元がゆっくりとつり上がっていくあの様子、しばらくは忘れられそうもない……

 

「……とりあえず、大丈夫か?」

 

 シキが心配そうにそう尋ねてくる。その顔を見てあんたが余計なことを言うから、というのも一瞬浮かんだが、今考えればお姉さまの言うとおり馬鹿なことをしていた。もしシキの気性がもう少し荒かったなら自分はどうなっていたのか分からないのだから。今ならそんなことはないとは分かっていても、もし愛想を尽かされていたらと思うと、怖くて仕方がない。

 

「……あの、シキさん。薬の方は、お返しします。ご迷惑をおかけしました」

 

 そう言うと、深々と頭を下げる。普段のお姉さまからは想像もつかないが、非はきちんと認める人だ。そんなことをさせる原因を作った自分が、今更ながら恥ずかしくなる。

 

 それに対して、シキは気にしていないとばかりに頭を上げるよう促す。

 

「いや、構わない。役立ててくれるならそれでいい。無駄にするつもりはないんだろう?」

 

「それはそうですが、それは……」

 

 頭を上げたお姉さまが、多少困惑気味に口を開く。しかし、タバサのことがある。

 

「あの……」

 

 恐る恐るではあるが、口を挟む。

 

「……何?」

 

 多少いらだちがあるようだが、タバサの為にも言わないわけにはいかない。

 

「言いにくいんですが、どうしてもその薬が欲しいという子がいて、その……」

 

 分かってはいても、なかなか言葉が出ない。言いよどんでいる所にシキが口を開く。

 

「怪我でもしているのか?」

 

「……ううん、良くはしらないんだけれど。大切な人が毒に侵されていて、普通の薬じゃどうにもならないらしいの」

 

 タバサは聞いてもあまり答えたがらなかったが、様子を見るに、思いつく限りのことはやっているようだった。そのタバサにとってはあの薬はある意味では希望だ。しかし、シキがそれを否定する。

 

「……毒か。だが、あれには解毒といった効果はないはずだぞ」

 

「そうなんですか? 効果としては十分可能そうでしたが……」

 

 実際に効果を試してみたんだろう。お姉さまがそう言うからには相当なもの、本当にシキが言ったような効果があるのかもしれない。

 

「ああ。仕組みまでは知らないが、あれは純粋に体や精神の疲労、傷を治すだけのものだからな。まあ、それに関してはあれ以上のものはないだろうがな」

 

 それに対して指を顎を当てて考え込み、口を開く。

 

「それでも仕組みの一部でも分かれば、もしかしたら……」

 

「そうなのか?」

 

「恥ずかしながらまだ大したことは分からないので断言はできませんが、分かれば応用するとといったことも可能でしょう。分かれば、の話ですが」

 

「できるかもしれないんですか?」

 

 お姉さまの言葉につい声が大きくなる。タバサと知り合ったのは最近だが、助けてもらうばかりで何とかしてあげたいとずっと思っていたのだから。

 

 私の言葉に多少驚いたようにこちらを見たお姉様は、苦笑しながらあくまでできる「かも」と強調する。

 

「……そうか」

 

 そのやり取りを眺めていたシキはそう呟き、更に言葉を続ける。

 

「なら、預ける。そういったことができるのなら、俺が持っているよりもずっと有用だろう」

 

「……ですが」

 

 まだお姉様は納得しかねているようだが、それでは困る。

 

「いいじゃないですか、役に立つのなら。シキもそう言っているんだし」 

 

 その言葉に反省していないのかとばかりにギロリと睨まれ、さっきまでのことを思いだして一瞬ひるむが、今度ばかりはシキも助け舟を出してくれた。

 

「まあ、役に立つのなら俺も嬉しい。それに、貴重ではあるが最後というわけでもないからな」

 

 本人がそう言うのならと納得してくれたんだろう。しばし考え、「預からせていただきます」と言ってくれた。お姉さまがそう言うのなら安心だろう。やる気が出たのか、これから早速と戻っていく背中をそのまま見送る。

 

「……ところで、立たないのか?」

 

 お姉さまを見送る私に対し、疑問に思ったのか尋ねてくる。まあ、疑問に思うのも当然だろう。さっきから床に正座したままなのだから。

 

「立たないんじゃなくて、……立てないの。ずっと正座だったから」

 

 目をそらして答える。正座だった時間が長すぎて、痺れるのを通り越して感覚がない。

 

「……そうか」

 

「な、何しているのよ!?」

 

 いきなり抱えられらげ、慌てる。ひざの裏と背中に手を回して抱えられ、まあ、いわゆるお姫様抱っこというやつだ。私は慌てるのだが、シキは意に介した様子はない。

 

「歩けないんだろう? だったらこの方が早い」

 

「だからって……。ふ、普通に背負えばいいじゃない!!」

 

 学院内をお姫様抱っこで部屋までなんて、いくらなんでも恥ずかしすぎる。対して、困ったように口を開く。

 

「背負うと……刺さるからな」

 

 その言葉に首の後ろへと視線を移し、ああ、と納得する。最近は服に隠れていて忘れていたが、首元に角のようなものがある。確かに背負いなんてしたら刺さるかもしれない。

 

「う、うう、でも……」

 

「なら、やめておくか?」

 

「……いいわ。運んで頂戴」

 

 せっかく運んでくれるって言っているんだし。それに、こういうのに憧れがなくもない。何だかんだ言って、結構たくましいし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 外に出る時よりも幾分足取り軽く、部屋へと向かう。具体的に何かが変わったというわけではないが、それでもモチベーションが違う。そうなると考えも前向きになってくる。全く新しい考え方が必要というヒントも得た。外に出る前ならヒントとも思わなかったかもしれないが、今なら違う。新しい理論をと前向きになれる。とりあえず思いつく限りのものを頭の中で組み立てながら、ドアのノブへと鍵を差し込みそのままひねる。

 

「……開いている?」

 

 感触のおかしさに眉をひそめる。外に出る前に確かに鍵は閉めていったはずだ。幾分警戒気味にゆっくりと扉を開いて中を覗き込み、思わず息を呑む。

 

「な、何これ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うう。やっぱり止めておけば良かった……」

 

 ベッドに倒れこんだまま、部屋の中で一人呟く。

 

 他の生徒に見られるかもしれないということは当然覚悟していた。――でも、よりにもよってキュルケに見られるなんて思わなかった。

 

「あらあら、良かったわねー。お姫様抱っこなんてなかなかないわよ? ふふ お人形さんみたいで可愛い」

 

 本当に微笑ましいものを見るような目で見られた。しかも、去り際に

 

「――この前のかけは有効だから。夜はいつでもお相手するわ」

 

 そう言ってからこちらをちらりと見て

 

「ルイズじゃ抱きがいがないしねー」

 

 ときっちり馬鹿にしていった。

 

 シキはシキで 

 

「いや、喜ぶ人間は喜ぶ。だから心配するな」

 

 と真顔でフォローにもなっていないことを言うし。ついでに、無理して殴ろうとしたら 首を傾けてあっさりよけられた。

 

 そんなやり取りを思い出しながらばんばんとベッドを殴りつけてもだえていると、ふと外が騒がしいのに気づく。扉の外なので何を言っているかまでは分からないが、複数の人間が口々に話しているようだ。貴族とはいえまだ学生なので騒ぐこともあるが、こういったことは珍しい。少しばかり気になったので扉を開けてみる。

 

 扉から身を乗り出し、声の聞こえた辺りに目を向けるとちょうどキュルケとタバサがいる。騒いでいたのはこの二人ではないようだから、おそらく声は他の生徒のものだったんだろう。とりあえず、さっきのことは忘れて聞いてみよう。

 

「ねえ、何があったの?」

 

「――あら、ちょうどいいわね。あなたのお姉さんの部屋に泥棒が入ったみたいよ。見てきた方がいいんじゃない?」

 

 こちらに気づいたキュルケが気になることを言ってくる。

 

「え? どういうことなの?」

 

 キュルケは知らないとは思うが、反射的に聞き返してしまう。

 

「さあ? 私も聞いただけだしね」

 

 言葉通りなんだろう。となると、実際に行ってみないと分からない。

 

「とりあえず、お姉さまの所に行ってくるわ」

 

「……私も行く」

 

 声に振り返るとタバサだ。あの薬の為だろういうことは分かっているが、手伝ってもらってばかりだ。感謝すると同時に、私も何かしてあげたいと思う。……残念ながら思いつかないのだが。

 

「あら、あなたからそんなことを言うなんて珍しいわね。……そういえば、最近あなたたち仲が良いものね。んー、そうね。私も行くわ」

 

 キュルケは少しばかり考え込むと、そう言ってあとを追ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 職員寮の方に来たのだが、人だかりができている。まあ、場所のせいか遠巻きにだが。私たちもあまり近くまで行くわけにはいかないので、同じような距離から見渡してみる。右から左へと視線を移す中で、ちょうどお姉さまが見えた。声までは聞こえないが、他の教師と話しているのが分かる。それなら直接聞く方が早い。

 

 しばらく待つと話が終わったので、お姉さまの方へと向かう。

 

「お姉さま。何があったんですか?」

 

「あら ルイズ。戻ったら部屋が荒らされていたのよ。……それに、変なものまで盗まれていたし」

 

 お姉さまの性格なら激昂しても良さそうなものだが、その様子がない。むしろ元気がないように見える。いったい何を盗まれたんだろうか。 

 

「変なものって何ですか?」

 

 こちらを見て言いにくそうにしていたが、ゆっくりと口を開く。

 

「その……下着よ」

 

「そのものを盗んで何に……」

 

 思わず正直な感想がもれる。わざわざ下着なんてものを盗む理由が思いつかない。そんなことを考えていると、不意に後ろから声が聞こえてきた。

 

「……そういうものが好きなやつは、ここにもいるんだな」

 

 振り返ると部屋の外へ出ていたシキがいつの間にやら立っていた。

 

「あら、あなたも来たのね」

 

 それに気づいたキュルケが手で軽く挨拶する。

 

「まあ、ここまで目立っていたらな」

 

 もっともだ。それで私たちもここへ来たわけだから。ふと気づいたのだが、さっきからタバサがなぜかおとなしい。どうかしたのだろうか?

 

 と、そういえばさっき気になることを言っていた。

 

「そういうものが好きってどういうことなの? 下着なんかどうするのよ?」

 

 わざわざ他人のものを盗んでも仕方がないはずだ。

 

「どうするって……その、かぶったりでもするんじゃないか?」

 

「「え」」

 

 声が重なる。お姉さまは自分のものをそんな風に扱われるのを想像したんだろう。心底嫌そうな顔をしている。まあ、それは分かる。もし自分のものだったらと思うと……嫌過ぎる。

 

「そ、そんなことをして何が楽しいんですか?」

 

 その予想外の答えに、お姉さまが食って掛かる。まあ、当然の反応だ。

 

「俺に言われてもな……。盗んだやつにでも聞いてくれ」

 

 彼自身理解はできないんだろう。困ったように答える。

 

「そ、そうですよね……」

 

 珍しく気落ちしている。その辺りは仕方がないのかもしれないが。となると話題を変えた方がいいだろう。

 

「他に盗まれたものはないんですか?」

 

「え、それはまだ……。クローゼットを中心に荒らされていて、他はまだ確認していないから」

 

 さすがのお姉さまも慌てていたということだろう。普段ならこういったことはないはずだから。

 

「もしかしたら金品も盗まれているかもしれないな。確認した方がいい。もしそうなら換金するだろうから手がかりになるしな」

 

 シキが冷静に言う。確かにその通りかもしれない。

 

「……なら、私も手伝いましょうか? どうせ片付けないといけないでしょう?」

 

 横からキュルケが申し出る。

 

「……そうね。お願いできるかしら?」

 

 なんで、と思ったけれど、キュルケならとも思う。よくよく思い出してみると、キュルケはなんだかんだで面倒見がいいのよね。家同士は敵対しているのに、私のことも結構気にかけてくれているみたいだし。まあ、普段は別だけれど。

 

「ルイズ。何ボーっとしてるのよ? あんたの姉なんだから、当然、あんたもよ」

 

「……分かっているわよ」

 

 やっぱり素直に感謝できない。今までのことからかなかなか直りそうもないが、いつかはとは思う。

 

「……私も手伝う」

 

 見ればタバサも手伝ってくれるそうだ。本当にこの子には頭が上がりそうもない。

 

「――私も手伝いますよ」

 

 第三者の声に皆が振り返れば、ミス・ロングビルが笑顔で立っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはどこに?」

 

「ああ、それは……そこのクローゼットの中に」

 

 部屋の中を片付けながら、何がないのかも確認していく。しかし、それでも大した手間はかからない。人数が多いこともあるし、何より、単なるカモフラージュの為に荒らしたのだから。馬鹿な貴族共ならともかく、少なくともこの姉妹に嫌悪感はない。まあ、カモフラージュの分ぐらいは許容範囲ということで。

 

 

「……あら?」

 

 隅の実験器具を並べている場所に目を向けたエレオノールが小さく声を上げる。

 

「どうしました?」

 

 自分でもわざとらしいとは思う。なにせ、盗んだのは自分なのだから。……欲を言えばせっかくカモフラージュに荒らしたのだから、できればもう少し遅らせたかったのだが。隠したかったものに早速気づいてしまったようだ。

 

「……ないわ」

 

 せわしなく視線を動かし、もしかしたら別の場所にあるのではと探している。もちろん、私が持っているのだから見つかるはずはない。 

 

「何がないんだ?」

 

 横から本来の持ち主が声をかけてくる。それに対して、言いづらいそうに戸惑いながら答える。

 

「あの、あなたから預かった薬、確かにここにおいておいたはずなんですが……」

 

 指でその場所を指し示すが、何かを調べるように器具は並んでいても、その中心にあるべきものがない。並んでいるものは調査用にもかかわらず、その対象となるべきものがないのだ。

 

「盗まれたということ!?」

 

 さっきから様子を伺っていたらしいタバサが、間に入ってくる。慌てており、いつもと様子が違う。私の知る限り、成績などに関しては間違いなくトップクラスであるが、このように感情を出すということはなかったはずなのだが。

 

「ないんだったら、そういうことになるのかしらね」

 

 ついで、こちらの様子を見に来たキュルケが口を開く。タバサの様子に関しては私と同様の感想なのか、訝しげな視線をそちらへと向けている。

 

「もしかしてあなたが……」

 

 何かに気づいたのか、タバサへと視線を向けたエレオノールが言う。この様子を見る限り、タバサがあの薬のことを必要としているということなのだろうか? 二人に対して交互に視線を向けるが、エレオノールの方は考え込むように、タバサの方は珍しく感情をはっきりと表しており、その予想は当たっているのかもしれない。

 

「……まあ、かえって好都合なのかもしれませんね」

 

 不意に、エレオノールが視線を横へと向けながら言う。

 

「どういうこと?」

 

 それに対して承服しかねるのか、タバサが殺気立った様子で口にする。子供じみた見掛けに反し、十分な威圧感を持っている。この様子からすると、子供だと思ってかかったなら痛い目にあうだろう。後々のことを考え肝に銘じる。しかし、好都合というのは気になる。

 

「何か手がかりでもあるんですか?」

 

 これは絶対に聞いておかなければならない。こういった、もしかしたらということを警戒してわざわざ様子を見に来たのだから。

 

「確認しましたが、サンプルにと分けていたものは残っています。うまくいくかは五分五分ですが、それを使って探索することもできるはずです」

 

 視線をこちらへと戻したエレオノールが一息に言う。五分五分とは言っているが、十分に自信が感じられる。――これは、できると思った方がいいだろう。

 

「……それはすごいですね。すぐにでも可能なんですか?」

 

 今すぐにできるとなると非常にまずい。何せ、今は自分の懐にあるのだから。

 

「さすがにすぐというわけには。準備があるので、明日の朝にはといった所でしょうね」

 

 苦笑交じりにといった様子で口にする。とりあえず、すぐにはできないということで一安心といった所だろうか。 

 

「そうですか。もしできたのなら私にも手伝わせて下さい」

 

 少しばかり考える仕草を見せ、申し出る。何をするにせよ、様子は確認しなければならない。

 

「私も探す」

 

 私に続いて、予想通りタバサも手を挙げる。理由は、やはり聞いておくべきだろうか。

 

「……一ついいですか?」

 

 タバサに対して言う。返事はないがそのまま続ける。

 

「なぜ、あなたまで? あまりそういったことには関わりたがらなかったと記憶しているのですが……」

 

 それに対して、口にするべきか迷っていたようだが、私が諦めないと思ったのか、簡潔に答える。

 

「私にはどうしても必要」

 

 なぜという答えとしては不十分。しかし、表情を見る限り、どうしても必要としていることは十分に理解できた。決して諦めないだろうということは。

 

「……まあ、そこまで言うのなら私も手伝うわ。あなたには色々と手伝ってもらっているしね」

 

 横からキュルケが言うのを聞いて、一瞬表情が緩んだように感じたが、次の瞬間には戻っていた。しかし、面倒なことになった。とりあえずは隠すにしても、どうするか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の朝、準備ができたということで、昨日のメンバーがエレオノールの部屋へと集まった。結局、皆が行くということになったのだ。

 

「これで調べることができるはずです」

 

 手の中にあるものを示しながらエレオノールが告げる。その手の中にあるのは……羅針盤、だろうか? 羅針盤自体も遠目にしか見たことがないので良くは知らないが、なんとなく似ているように思う。盆のようなものに液体が満たされ、周りには何らかの模様が描かれている。羅針盤であれば方位なのだろうが、これは別の意味をもっているんだろう。まあ、探知用なのは間違いないはずだから、似たようなものなのだろう。問題は、これがどこまで使えるかだ。

 

「それで調べられるんですか?」

 

 皆の疑問をキュルケが代弁する。幾分胡散臭げだが、それも仕方がないだろう。そう大層なものには見えないのだから。

 

「……まあ、やってみれば分かるはずです」

 

 胡散臭いということは承知しているのだろう。論よりも証拠と準備を始める。ルイズへと盆を渡し、残っていたというサンプルだろう、小さな容器に入ったそれを懐から取り出し、盆の中心へと据える。そして、何やら呪文を唱える。すぐには変化が分からなかったが、ゆっくりと盆の周りの模様が光を放つ。端の一部分だけが光っているが、どういった意味なのだろうか?

 

「……この光がある方向に、中心にあるものと同じものがあるはずです」

 

 その言葉に皆が視線を移せば……シキ? 皆の視線に気づいたのか、彼が横へと動く。しかし、それに合わせて光の示す方向も変わる。

 

「「「「「え?」」」」」

 

 彼以外の皆の声が重なる。更に彼が動くが、光も更に動く。その様子に彼が止まるが、ややあって、思い出したように懐から私が盗んだものと同じ瓶を取り出す。

 

「……まだ他にも持っているだけだ。だから、そんな目で見ないでくれ」

 

 困ったように言う。私は違うと分かっていたが、他の者はそうは思わなかったんだろう。キュルケなどは「言ってくれれば下着ぐらい……」とまで言っていた。

 

「……えっと、それを貸していただけますか?」

 

 エレオノールが困ったように言うが、彼女も半信半疑ということなのだろう。ちょっと、悪いことをしたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三人寄れば姦しいとはよく言ったものだが、確かに目的の場所へと向かう馬車の中は少々騒がしい。まあ、主にヴァリエール姉妹とキュルケだが。最初はルイズとキュルケの二人のだけだったのだが、下着から胸に関しての話題になった時に姉も参加してきた。

 

 なんだかんだで胸のことは気にしているんだろう。姉妹揃って小さいし。妹の方は全くと言っていいほどないが、姉の方も……見た所似たようなものだ。家同士もそう仲が良くなかった所に気にしている話題が加わったのだから、これはある意味当然なのかもしれない。

 

 それよりも、今は考えることがある。まだばれてはいないけれど、どうしたものか……。昨日も考えていたのだが、結局思いつかなかった。とりあえず、ということでほとんど使っていない隠れ家においてきたのだが。考えながら、何時ものように本を読んでいるタバサへとちらりと視線を向ける。見た所あまり集中できていないようだ。理由は、たぶん薬のことが心配なんだろう。

 

 ……まあ、どうしても必要だって言うなら仕方ないか。やっぱりそういうのは、ね。でも、こんなチャンスはないだけに残念だ。思わずため息が出る。

 

 

「……どうした?」

 

 馬を操りながらシキがこちらへと尋ねてくる。最近になって初めてやったということで慣れてはいないようだが、私がやるといっても、男がやるべきだと聞き入れなかった。相変わらずそういったことには拘る人だ。もちろん、好ましいといえばその通りなのだが。

 

「いえ、下着を盗むような相手はどんな人間なのかなぁと思って……」

 

 その言葉にまずエレオノールが嫌そうな顔をして反応する。そのあたりに関しては他の人間も同様だ。まあ、それも仕方ないか。どう考えても碌なやつじゃないだろうし。カモフラージュに、それでいてあまり迷惑が掛からないものをと下着も盗んでおいたけれど、余計なことをしたかもしれない。実際、大した意味はなかったのだから。こう、詰めが甘いのは自分の欠点だ。反省しないといけない。もっとも、今日をうまく乗り切れたら、の話だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下着と薬は、林の中の目立たない所にあった小屋であっさり見つかった。まあ、当然と言えば当然だ。別に隠すように置いていたわけではないのだから、大体の場所さえ分かってしまえばすぐに見つかる。小屋自体は見つけづらくても、方向が分かってしまえば意味がない。

 

 

「案外あっさり見つかりましたね。犯人も見当たりませんし、戻りましょうか」

 

 私がそう言うが、エレオノールの「なぜ?」という言葉にあっさり否定される。

 

「なぜって……危ないですし……」

 

 自分でも説得力はないとは思うが一応言ってみる。

 

「どんな危険があると?」

 

 エレオノールが言いながら見渡すと、皆が頷く。

 

「……ですね」

 

 メイジがこれだけ集まっており、何より彼がいる。正直、敵になるものというのが思いつかない。でも、そういうわけにもいかない。

 

「ええと、探す方法も……」

 

 なんとか帰るように誘導しようと思うが、またもやエレオノールに抑えられる。

 

「薬の方と同様、中に髪の毛でもあれば探せるはずです。下着泥棒など放っておくわけにも行きません」

 

 その言葉にまたもや皆が頷く。タバサなどはその身に不釣合いな杖を抱え、天罰などと物騒なことを言っている。一番やる気のなさそうなキュルケですら乗り気だ。

 

「……そ、そうですよね」

 

 ……どうしよう。このままだと非常にまずい。しかし、いい手が思いつかない。考え込んでいると、横から声をかけられる。

 

「……さっきからどうしたんだ?」

 

 この人には、下手なことを言うと見抜かれるかもしれない。いつもの様子と変化はないが、墓穴を掘らないようにしないと……。

 

「い、いえ 犯人が出たら怖いなーって……」

 

「あなたなら大丈夫でしょう。実力もかなりありますし」

 

 横からキュルケに言われる。

 

「ま、まあそうなんですが……。心理的にですね、嫌だなーって……」

 

 顔の前で手を組んで誤魔化してみるが、さっきから余計なことを言っている。もう、しゃべらない方がいいかも……

 

「話はそれくらいにして、早速中を調べましょう。髪の毛などがあれば探せますが、時間が経って遠くに行かれると面倒ですから」

 

 どうしよう。……何か、手は打たないと……

 

「……あ、私はこの周りを見てきますね。もしかしたらまだ近くにいるかもしれませんし」

 

 荒っぽいが、ゴーレムで小屋を潰せば何とかなるはずだ。

 

「……そうだな。なら俺も行こう」

 

 シキが名乗りを上げる。普段なら頼もしいことこの上ないが、今はこれ以上ないほど困る。

 

「い、いえ、一人でも大丈夫ですから……」

 

 何とか一人で行こうと思うが、またもやエレオノールにあっさり否定される。

 

「さすがに一人だとまずいでしょう。こちらは心配ありませんし、お二人の方がこちらとしても安心ですから」

 

 二人とも善意なんだろうが、今は何よりそれが困る。

 

「……そうですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他の皆を小屋に残し、二人で外に出る。

 

「えーと、……とりあえず行きましょうか」

 

 彼が「ああ」と頷くのを確認して、小屋からは死角になっているような場所へと歩き出す。

 

 とりあえず、どうしよう。ゴーレムでもけしかけて小屋ごとなくしてしまうというのが一番手っ取り早かったのだが、このままだとそれもできない。ちらりと、私に少し遅れて歩く彼へと視線をめぐらせる。――何にせよ、まずは一人にならないと。もう少し小屋から離れたら、気は進まないが、やるしかない。

 

 しばらくは取り留めのないことを二人で話しながら進み、頃合を見て立ち止まる。

 

「……あ、あの、ちょっと一人になりたいんですが」

 

「どうしてだ?」

 

 当然の疑問を彼が口にする。

 

「その……トイレに……」

 

 演技でもなんでもなく顔が熱を持つのが分かる。こんなことは言いたくはなかったのだが、他に一人になれるような口実が思いつかなかったのだ。……恥ずかしいが、仕方がない。彼も納得したのか、離れた所へと歩いていく。うまくいったのはいいが、なんとも言えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きゃーーーー」

 

 ……自分でもわざとらしい悲鳴だとは思うが、その辺りは仕方がない。今大事なのは、このまま小屋だけでも壊してしまうことだ。証拠さえなくなってしまえば後はどうとでもなる。ゴーレムの手の中で、考える。

 

 ゴーレムの手の中にいれば、人質ということになる。私はゴーレムに関してはそこらのメイジには負けない。特に、大きさと再生能力に関しては自信がある。うまく人質になって大技さえ使わせなければ、小屋を破壊するまではなんとか――いや、持ちこたえてみせる。彼も戻って来たが、手を出しあぐねているようだ。しかし、いつまでもそうはいかないだろう。早く小屋の方へ行かないと。そう考え、周りにある木をなぎ倒しながら、ゴーレムを進ませる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴーレムが近づいてくる音に気づいたのか、小屋の中から皆が出てくる。戦闘に慣れているのかタバサがすぐに氷の槍を作って攻撃を仕掛けてくるが、質量が違う。その程度はどうということもない。それに倣って他の者も攻撃に加わるが、結果は同じだ。小回りが利かないのが地の魔法の欠点だが、ゴーレムはタフネスや破壊力では他の魔法の数段上を行く。そのまま気にせずに小屋へと歩みを進める。

 

「――皆さん、小屋から離れてください!! ゴーレムの狙いはその小屋のようです!!」

 

 その言葉に、皆が一旦攻撃の手を緩め、離れる。それを確認し、空いている方のゴーレムの腕を振り上げ、そのまま振り下ろす。木でできた粗末な小屋だ。何の抵抗もなくばらばらになる。――とりあえず、これでやることはやった。あとは適当に隙を見せて破壊させればいいだろう。そんなことを考えていた所へ、背中に爆発音が聞こえる。ゴーレムを振り返らせると、特徴的な髪。やはりルイズだ。この子は完全な素人。下手に動かれては困る。

 

「ミス・ヴァリエール!! あなたの魔法では歯が立ちません!! 逃げてください!!」

 

 そのまま動かないわけにはいかないので、ゴーレムを彼女の元へと向かわせる。しかし、逃げるようなそぶりは見せず、こちらを見据える。他の者も魔法を唱えるのを中断し、逃げるようにと言うが、聞き入れようとしない。

 

「――いやよ!! 私だって戦えるんだから!! 敵に後ろ見せない者を貴族と言うのよ!! 私だって――ゼロのルイズじゃないんだから!!」

 

 そう一息に言うと再び呪文を唱え、いつもの爆発を起こす。――しかし、その程度でどうにかなるようなものではない。

 

「逃げてください!!」

 

 言うが、驚いたように見上げるだけで、逃げる様子がない。しかし、動かないわけにはいかない。やむを得ずゴーレムの足を持ち上げ、おろす。頼りになる彼女の使い魔を期待して。

 

「命を粗末にするな」

 

 声の方を見ると、いつの間にかルイズの側に来ていた彼が彼女を右手に抱えていた。最初はどうなるかと思ったが、期待通り彼が何とかしてくれたようだ。こんなことで死なれては後味が悪すぎる。演技でもなんでもなく安堵の溜息が漏れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あ――っ――」

 

 いきなり抱きかかえられ、思わず声が漏れる。そのままシキが一足飛びにゴーレムから離れ、ゆっくりとおろされる。そして、その相手を見上げる。

 

「――邪魔しないでっ!!」

 

 助けられたのは分かっている。でも、口から出たのはそんな言葉だった。

 

「あのままだと死んでいたぞ」

 

 ゴーレムを見据えたまま、いつものような感情の薄い言葉で言う。――いっそのこと、叩かれでもした方が気が楽だったのに……

 

「……分かって、いるわよ。でも、いつも馬鹿にされて……逃げたら、また、馬鹿にされるじゃない。私には……あんたみたいな力はないんだから!!」

 

 自分でも滅茶苦茶だ。八つ当たり……八つ当たりにすらなっていない。でも、最高の使い魔に、最低の主人だということがそう叫ばせる。今まで馬鹿にされてもずっと泣かないようしてきたけれど、知らず涙が流れる。

 

「お前にもある」

 

 静かに、そう口にする。

 

「――え?」

 

 自分にそんなもの……

 

「お前は俺を召喚した。俺が――お前の力だ」

 

 一息に言い切る、でも、それは……

 

「……私は……何も、できないし……」

 

 言いながら俯いてしまう。言葉にして、尚更自分が情けなくなる。

 

「……俺が力を貸す」

 

 そう言うと、私の方に手を伸ばし、小さく聞いたことのない呪文を唱える。思わず見上げ――体が熱い?

 

「な、何? 何をしたの?」

 

 なんだか分からないけれど、体が熱い。思わず両手を見てみるが、魔力の流れが全然違う。今なら、いつもよりもずっと大きな魔力を使えそうだ。

 

「一時的にだが、魔法の潜在能力を引き出した。今なら多少は戦えるはずだ」

 

 あっさりと言うけれど、そんなことが……。いや、シキならできるのかもしれない。

 

「でも、私じゃ当てられないもの……」

 

 シキが言うぐらいだ。たぶん、今ならあのゴーレムにも通じるような爆発を起こせるだろう。しかし、狙いがうまくいくとは思えない。前にシキと戦ってみた時も、自分じゃうまくコントロールできなかった。このままだと、ただ大きな爆発を起こせるというだけだ。

 

「心配するな。俺が側まで連れて行く。――それでも、できないのか?」

 

 ゴーレムから私へと視線を向け、試すように見据える。――そこまで言われて、できないなんて言えるはずがない。

 

「――やれる、やって見せるわよ!! 私だって、何時までもゼロじゃないんだから!!」

 

「良く言った」

 

 シキが嬉しそうに言った。今度は、感情がはっきりと見える言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……もう少し、かな? エレオノールと、タバサ、二人で一定の距離を保ちながら氷の槍で少しずつゴーレムを削っていく。足を中心に狙うそれは同時に足止めにもなっており、そこをキュルケが狙う。

 

 ――消耗を狙ううまいやり方だ。ゴーレムは破壊力といった面では強い。しかし、小回りが利かないというのと同時に、維持にも魔力を消費し、燃費が悪い。足を止め、破壊すれば更に魔力を削ることができる。このままいけば、ごく自然に逃げたと思わせることができるはずだ。それに、ルイズを連れて下がった彼が戻ってくれば一気に片がつく。――そんなことを考えているうちに彼が戻ってきた。しかし、左手に抱えているのは……ルイズ? なんでわざわざ……

 

「シキさん!! 彼女がいては危険です!!」

 

 言うが、答えたのはルイズの方だった。

 

「私だって戦えるわ!!」

 

 そんな予想外のことを言う。そして、彼が更に予想外のことを。

 

「ルイズと俺で何とかする!! 三人は下がっていてくれ!!」

 

 そう言うが、納得できるようなものではない。確かに、彼の腕の中ならばルイズは安全だろう。しかし、それでは片手が自由とはいえ、彼が動きづらい。彼が一人だというのならまだ分かる。それなのに、そこまでして連れて行っても、ルイズの起こす爆発程度では力不足もいい所だ。ここにいる誰もが納得していないが、彼が片手に抱えたまま駆ける。しかし――速い。そうなると動かないわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……行くぞ」

 

 そう私を抱えたまま言うと、走る。馬が遅すぎると感じるほどの速さだ。ゴーレムからは30メイル以上離れていたが、それが一瞬でなくなる。思わず意識を手放しそうになるが、歯を食いしばって耐える。ここで気を失うようでは本当の役立たずだ。意識を集中させ、いつもよりもはるかに調子の良い魔力を、いつもの何倍もまとめる。

 

 

 頭上で、何か巨大なものがうなりを上げて過ぎていく。

 

 遅れて、大木を更にまとめたようなゴーレムの腕が一瞬前にいた場所に振り下ろされるが、走る速さに比べて遅すぎる。危なげなくかわすと急停止し、逆にゴーレムの腕へと向かい、それを足場に駆け上がる。

 

「――出番だ」

 

 そんなこと、言われるまでもない。杖を振り上げ、一気に魔力を開放する。

 

「――ファイヤーボール!!」

 

 爆音ともに、ゴーレムに穴があき、瓦礫の山が地面にできる。このゴーレムにしては一部ではあるが、それでも相当の威力。今までになかったような爆発だ。

 

 ……もしかしたらきちんとファイヤーボールが使えるかと期待していたのだが、そんなに甘くはなかった。しかし、威力に関しては上だ。ゴーレムの頭部へと放った魔法は、穿たれた穴を中心に上へ下へと大きなヒビを入れている。しかし、まだ破壊するには至らない。

 

「……次で仕留めるぞ」

 

 そう言うと、再びゴーレムの肩を足場に蹴り、離れる。

 

「分かったわ!」

 

 私は次の攻撃のために、集中する。爆発がコンプレックスだった今までとは違い、自分の魔法としての爆発を起こすために。

 

 再び、ゴーレムの巨大な腕がうなりを上げる。

 

 ただし、先ほどまでの勢いはなく、体の一部を地に落としながらだが、当たれば人間などひとたまりもない。それでも、怖くはない。私の使い魔は最強だから。シキは期待に答えるように危なげなくかわし、今度はそのまま飛び上がり、ゴーレムの前へと行く。

 

「――ファイヤーボール!!」

 

 再び魔法を放つ。巨大なゴーレムだったが、二度目の爆発を受け、ヒビからどんどん崩れていく。

 

 ……しかし、唱える呪文がファイヤーボールでいいんだろうか? なんと言うか、色々と間違っている気がする。そんなことを考えているうちに着地する。ゴーレムに目を移せば、表面から剥がれ落ちていく。そして、太い腕が……

 

「――ミス・ロングビルが!!」

 

 途中から忘れていた。そういえば、人質になっていたんだった。

 

「任せておけ」

 

 私を左手に抱えたまま、ミス・ロングビルの捕らえられたゴーレムの腕へと向かう。

 

「――シャアアアアア――――」

 

 大きく右腕を振り上げると獣の雄たけびのような声を上げ、そのまま一気にゴーレムの腕へと振り下ろす。

 

 まるで指の先に巨大な爪でもあるように大木のようなゴーレムの腕を、それどころか地面にまでまっすぐと亀裂が入っている。砕かれた破片が地面に落ちていく。

 

 やったことにもだけれど、声にちょっとびっくりした。というか、こんなにあっさり切り裂けるんだったら私がやる意味は……。いや、そんなことを気にしてはいけない。やったことに意味があるんだから。――そう思わないとやっていられない。

 

 軽く地面を蹴るとシキはそのままミス・ロングビルも右腕で捕まえる。様子を見てみるが放心状態のようだ。――なにせ、捕まえられている所ぎりぎりで切断されているのだから。たぶん、自分ごと切られると思ったんだろう。逆の立場だったら同じように感じたと思う。

 

 一拍だけ遅れて、ゴーレムも完全にばらばらになる。

 

 着地すると同時に、大量の土砂が土煙を上げる。小山のように積み上がったその残骸を見て、改めて良くこんな大きなゴーレムを破壊できたと思う。アレだけの大きさ、少なくともトライアングル、もしかしたらスクエアクラスのゴーレムかもしれない。そんなことを考えているうちに、周りに皆が集まってくる。

 

 

「大したものじゃないの、ルイズ。あれだけの事ができればあなたの爆発も立派な特技よ」

 

 キュルケが駆け寄ってくると同時に言う。いつもだったら爆発なんてと反発するが、今日は……素直になれると思う。

 

「……その……ありがとう」

 

 キュルケにお礼なんていったことがないから照れくさい。最後の言葉は心持ち小さくなる。でも、キュルケもなんだか照れくさそうだし、お相子だ。

 

「……すごかった」

 

 タバサが素直に褒めてくれる。これは、素直に嬉しい。

 

「……ありがとう」

 

 魔法で人に認められたのは、本当に初めてのことだ。本当の意味で嬉しい。さっきの涙とは違い、嬉しさで涙が出てくる。こんな涙なら悪くはない。でも、まだ言わなくちゃいけないことがある。私を抱きかかえてくれている相手へ視線を向ける。

 

「ありがとう。あなたのおかげで自信が持てそうよ。……本当にありがとう」

 

 これは私の本心からのもの。だから、何の衒いもなく口にできた。ずっと、言いたかったことだから。

 

「俺はお前の使い魔になったんだからな」

 

 こっちも嬉しそうで、珍しく少しばかり照れくさそうだ。表情にはそう表れていなくても、何となく分かる。そして、そんなことも何となく嬉しい。

 

「……また、力を貸してくれる?」

 

「ああ」

 

「……一緒に、いてくれる?」

 

「ああ」

 

「……ありがとう」

 

 いつもと違って随分素直になれている。――でも、それくらい嬉しい。

 

 

「――ただし、今日のことは危なかったな」

 

 急に、雰囲気が変わる。表情は変わらなくても、声のトーンが冷たくなった。

 

「……え? ……怒って、いるの?」

 

 恐る恐る聞いてみる。

 

「まあ、な。しかし、叱るのは俺の役目じゃない」

 

「え?」

 

 言葉と同時に、後ろから肩に手が置かれる。……振り返りたくない。

 

「私の役目――ですね。とりあえずルイズをこちらに……」

 

 地面へとおろされ、そのままずるずると力任せに引きずられる。

 

「ちょっと……いらっしゃい……」

 

 声が……怖い。助けてと視線をシキに送るが、目をそらされる。タバサもキュルケも自業自得とばかりに目をそらす。

 

「お、お姉さま……お、お手柔らかに……」

 

 声が震える。多分ゴーレム相手に死にそうになったときよりもずっと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……うー、さっきは死ぬかと思った。まさかゴーレムごと真っ二つにされそうになるなんて。その相手を恨みを込めて睨み付ける。抱きかかえられながらなので、様にはならないが。

 

「……自業自得だ」

 

 こちらを見ると、他の人間には聞こえないように小さく呟く。

 

「……え? もしかして……」

 

 ――ばれてた? 思わず驚きに目を見開いてしまう。それに対し彼が小さく頷く。

 

「……どうします?」

 

 私の運命は、文字通りこの人の手の中ということになる。

 

「……別に。分かった上での行動だからな」

 

 そうしれっと言ってのける。

 

「……とりあえず、後でお話を……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学院に帰り、一応の報告を済ませると、そのままフリッグの舞踏会へと参加することになった。広々とした会場では着飾った生徒や教師がテーブルを囲み、歓談している。私もそれに見合うよう、一張羅の胸元と背中が大きく開いたコバルトブルーのドレスを着込み、その会場にいる。胸元にある、もらったエメラルドのペンダントを握り締め、目的の人物を探す。

 

「探しているのは俺か?」

 

 後ろから目的の人物に声をかけられた。

 

「……随分似合っていますね」

 

 思わず苦笑する。あまりにも服装が似合いすぎていたからだ。黒のタキシードに身を包み、ご丁寧にも胸元には真っ赤な蝶ネクタイをしている。ヴァリエール姉妹に用意されたんだろう。おそらく相当上等なものなのだろうが、、貴族というよりは、立派な執事といった様子だ。

 

「……あまり、着たくはなかったんだがな。パーティーである以上仕方がない」

 

 そう、少しばかり不貞腐れた様に言う。こういったところは微笑ましい。戦うときとは別人だ。しかし、今はそれよりも話すべきことがある。

 

「……向こうのテラスには人がいないのでそちらへ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まず、一つ聞かせていただいてもいいですか?」

 

 彼が小さく頷くのを確認して続ける。

 

「……何時から、気づいていたんですか?」

 

 気づかれないようずっと行動してきたはずだ。しかし、答えは予想外のものだった。

 

「ほとんど最初からだな。……最初から行動がおかしかった。そうでなくても、人質になった割には交渉だとかいった様子も、近くに犯人がいる様子もなかったからな」

 

 ……あー、つまり、一人で踊っていたと。

 

「……どうしますか?」

 

 どういうつもりなのか、確かめなければならない。

 

「別に……。盗んだのはともかく、タバサのことを見てからは返す気だったんだろう? ……もともと悪人じゃないようだしな。もうそういったことをしないというのなら、俺から言うことはない」

 

「……そんなこと、分かりませんよ。もしかしたら単なる悪人かもしれませんし……」

 

 ――少なくとも、盗人には違いがないのだから。軽蔑されたって仕方がない。

 

「その時は、俺が責任を取ろう。それでも、やるのか?」

 

 そう言うと、こちらを見据える。感情は見えないが、本気だろう。

 

「……あなたを敵には回したくはないですね」

 

 それは、正直な気持ちだ。

 

「なら、いいだろう。もうすぐルイズが出てくる。――今日の主役を祝福してやってくれ」

 

 そう言い残し、踵を返すと、会場へと戻っていく。

 

「……ふん。甘いね。――まあ、嫌いじゃないけれど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あら、シキさん。今までどちらへ?」

 

 戻った所でエレオノールに声をかけられる。燃えるような――とでも表現するのが相応しいような、真紅のドレスに身を包んでいる。デザインとしては肩だけを露出し、腕は同色の長いグローブで覆っている。ロングのスカートは右側にのみスリットが入っており、露出が少ないにもかかわらず、色気を感じさせるつくりになっている。――下半身に視線が行くようにして胸がないのもうまくカバーしている。

 

「――何か、失礼なことを考えませんでしたか?」

 

 少しばかり語気を強める。なかなかいい勘をしている。

 

「いや、別に。――それよりも、贈った物は身に着けてくれたんだな」

 

 首元には送ったチョーカーが見える。コーラルを全体にあしらった、銀糸で編まれたベルト状のものだ。

 

「――ええ。石の選択といい、気に入りましたわ。ありがとうございます」

 

 指でふれ、嬉しそうに言う。喜んでくれたなら贈った甲斐もあるというものだ。喜ばれれば、こちらも嬉しくなる。

 

 

「喜んでもらえたのなら何よりだ。また、後でな。――主役に会ってこないといけないからな」

 

 それに対して「ええ」と嬉しそうに言う。さっきはこれでもかというぐらいに叱っていたが、やはり心配だったからだろう。たとえ度が過ぎていたにしても、それもまた愛情だ。そうでなければ、本当の意味で叱ることはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたも楽しんでいる?」

 

 右手に持ったワイングラスを上げ、男に囲まれたキュルケに声をかけられる。相変わらず――いや、いつもよりも更に露出の多いドレスに身を包んでいる。首筋から胸元まで大きく開き、豊満な胸を惜しげもなく晒している。とはいえ、さすがは貴族ということだろう。下品さといったものが表れないようよう、絶妙なバランスだ。

 

 まあ、色気はもう少し抑えてもいいのかもしれないが。何せ、周りの男はほとんど胸に視線がいってしまっている。若い男には目の毒だろう。――といっても、そう俺と年は変わらないわけだが。むしろ、この反応の方が普通だ。

 

「ああ。しかし、男を誑かすのもほどほどにな。周りから怖い目で見られているぞ」

 

 言葉の通り、遠巻きにだが女生徒達が睨んでいる。こう男を集められたのなら、こういった反応もあるだろう。イメージでしかないが、こういったパーティの場というのは、将来の相手を見つけるためのもののはず。その相手をかたっぱしから集められてしまってはこの反応も仕方がない。

 

「あら、私の二つ名は“微熱”。こういったことは当然よ。できればあなたともお付き合いしたいものだけれど」

 

 少しばかりからかいを含めたように言う。周りの男は気が気でないだろうが、それは惚れた相手が悪かったと思うべきものだ。

 

「光栄だが、体力的に持たないだろう。主役に会いに行くからまた後でな」

 

 

 

 

 

「……体力的にもたない? ……えっと、私が、よね? そんなにすごいのかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よく、食べるな」

 

 黒いパーティードレスに身を包んだタバサが、一心不乱に料理を口に入れている。小動物を思わせるが、料理が消えていくペースが速い。確か、昔見た大食いタレントにあんな人間がいたような気がする。それもまた不思議だったが、タバサは更に小さいのだから、尚更疑問が大きくなる。いったいどこに食べた料理が入っているのか。そして、どうしてそれで太らないのか。そんなことを考えていると、こちらに気づいたタバサが口元を拭い、大事そうに皿を持ってくる。

 

「……私の気持ち。受け取って欲しい」

 

 そう言って、手に持った皿を差し出してくる。皿には……変わった野菜が載っている。……勘だが、これは食べてはいけないんじゃないだろうか?

 

「……ああ、ありがとう」

 

 一応お礼を言い、手に持った皿を見つめる。……もしかしたら、美味しいのかもしれない。

 

「……また今度、その時はゆっくりと……」

 

 そう言うと、また席へと戻り、食事を開始する。――ペースは変わらないんだな。そんなことを考えながら、手元の皿に載ったものを口に運び、思わず顔をしかめる。

 

「……悪意はなかった……はず。これは……決闘を申し込むという意味か?」

 

 ――いや、何を考えているんだ。見れば、今食べたものを、タバサは美味しそうに食べている。だったら、これは純粋な善意だ。……とりあえず、何か口直しを……。手の中の皿をテーブルに置き、次々にワインを呷る。一本空けたというのにまだ消えない。……どれだけ癖が強いんだ。というよりも、なんでこんなものを美味しそうに食べられるんだ……。もう少し食べ物を摘んで、ようやく消えた。

 

 ――その間にシエスタが来たが、逃げていった。まあ、それはいつものことだ。無理を言うわけにもいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しんでいるか?」

 

 一人でいたルイズに声をかける。桃色の髪を、贈ったバレッタでまとめ、大きく肩を露出した純白のドレスを着ている。綺麗――というよりも可愛らしい。小さな花嫁といった所だろうか。……まあ、両頬が腫れているのはご愛嬌といった所か。

 

「……うん」

 

 両手を胸の前で握り締め、少しばかり畏まった様子だ。珍しい。

 

「どうした?」

 

 聞くと、少しばかり照れたように俯き、ややあって顔を上げる。

 

「……ダンスの相手がいないの。もし良かったら――ううん、よろしければお相手願えないかしら?」

 

 頬を更に赤くしながらも、恭しく頭を垂れる。

 

「……ああ、喜んで」

 

 こんな場所で踊るようなダンスなどやったことはないが、それくらいは何とかしよう。せっかくのお姫様からのお誘いだ。むげに断るわけにはいかない。

 

 それに、こういったことも悪くはない。俺にはもうこんな時間は訪れないと思っていた。だったら、今を精一杯楽しみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――後日、小さな噂が広がった。曰く、土くれのフーケは下着も盗む、と。

 

 

「……ハハ……これは、廃業、かな」




前半・後半と分けていたものを結合


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第9話 Our Little Princess

「――どうした?」

 そう目の前の相手に問いかける。こちらが話しているのにさっきから後ろが気になるようで、ちらちらと視線を送っている。

「い、いや。なんでもない!」」
 
 少々慌てながら、珍しく大仰な身振りも含めて答える。何をそんなに慌てているのかと、さきほどまでの視線の先に目をやれば――

「ルイズがどうかしたのか?」






 そこにいたのはゼロのルイズだった。いつものように使い魔と――といっても何時もというわけではないが――何やら話している。さすがにこちらからでは何を言っているのか分からないが、少なくとも仲が良いというのが分かる。ルイズの方が一方的に喋っているようにも見えるが、それでも仲の良さそうなという印象は変わらない。

 

 それに、ルイズ自身なんだか楽しそうだ。今まで散々馬鹿にされてきたからだろう、いつもどことなく刺々しい雰囲気があったのだが、少なくとも今はそんな様子はない。なんと言えばいいのか、。愛らしい――、同い年の女の子相手そんな感想を持つというのはどうかと思うが、それが一番最初に思ったものだ。そういえば、この前の舞踏会の時のドレス姿も、素直に可愛らしいと思ったし、それでいて、綺麗だった。普通の貴族とはやはり違う、そう思わせるのに十分だった。

 

「――ほ、本当に何でもないんだ! ちょっと、気になっただけで……。それより、もうすぐ授業が始まるだろう。また怒らせるわけにはいかない」

 

 さきほど以上に慌て、話題をずらそうとしている。それだけルイズが気になるということか。

 

 ――まあ、それも分からなくは無い。ルイズは見た目は子供っぽいところがあるとはいえ、間違いなく美少女に分類される。美しく、それでいて可愛らしい桃色の髪。くるくると変わる表情は子供っぽくもあるが、見ていて飽きることのないそれは、傍にあるものとして好ましい。女性らしい膨らみに欠ける華奢な体も、見方を変えればルイズの可愛らしさを引き立てる。魔法が使えないという欠点があるにはあるが、あれだけの、正直、規格外の使い魔を呼び出している。となれば、すでに魔法が使えないと馬鹿にはできない。

 

 家柄、容姿、性格……には多少問題があるかもしれないが、少なくと前二つにおいて一級であるルイズに惹かれるというのも当然の話だ。それに、性格についても最近は変わってきたように見える。自分自身、ルイズは魅力的になったと思う。

 

「そうだな。またルイズの姉――今は先生か、怒らせるわけにはいかない。せっかく尊い犠牲になって、身をもって教えてくれたやつがいたんだ。それを無駄にするわけにはいかない」

 

 少しばかり茶化して返事をする。そういえば、あの人はルイズの姉なんだよな、と今さらながら思う。将来同じようになると思うと……ちょっと、怖いな。どう考えてもS、を通り越してそちら方面の女王様だ。少なくとも、姉の方は俺には無理だ。そんなこと考えているうちに教室の扉が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、それでは授業を始めましょうか。今日は前回の続きから……」

 

 全体を見回し、お姉さまがそう口にする。先日のこともあるのだろうが、お姉さまの授業は皆が真剣に聴いている。それは私も例外ではなく、授業中に文献を読んだりはしない。なにせ、面白いし、下手な本などよりもよほど為になるのだから。隣にいるシキも真面目に聴いているようだ。これもまた珍しい。最初の頃はともかく、最近は飽きはじめていたようだから。

 

 そういえば、お姉さまの授業にはシキも毎回出ている。他の教師の授業に関しては必ずというわけではないので、それだけお姉さまの授業は面白いということだろう。妹としては鼻が高い。ただ、シキは毎回授業に出るというわけではないので、椅子は用意していない。使わない椅子が有っては邪魔になるからだ。

 

「ねえ、立ったままじゃ疲れない? なんなら今からでも椅子を用意したって……」

 

 いくぶん声を潜め、隣に立っている相手に話しかける。

 

「いや、大丈夫だ。もう授業が始まったろう。ちゃんと聞いていないとまた叱られることになるぞ?」

 

 少しばかり私の方へと腰を落とし、耳元で囁く。声には若干からかうような響きがある。お姉さまは何かと私を叱る。まあ、理由が無くも無いんだけれど……、とにかくそのことをからかっているんだろう。

 

「……うー、分かっているわよ。あなたも途中で抜け出すなんて駄目よ?」

 

 お返しとばかりに、たまに抜け出すシキに言い返す。

 

「分かっている。それに、他の教師の授業に比べて面白い。途中で抜け出したりなんかはしないさ」

 

 当然とばかりに言ってくる。まあ、その意見には私も同感だ。そのことに関しては心配ないだろう。むしろ、怒られるのは私になるのだから、そうでなくては困る。……と、そんなことを考えているところで肩に手が置かれる。

 

「……仲がいいのは結構だけれど、授業中にというのは感心しないわね」

 

 言いながら、肩に置かれた手に力が込もる。

 

「……う……」

 

 思わず呻き声がもれる。

 

「何か、言うことはあるかしら?」

 

 優しく、ゆっくりとした声だ。後ろからなので表情は見えないが、きっと笑顔だろう。だが、死刑宣告にしか聞こえない。なんせ、肩に置かれた手は万力のようにきりきりと力がこもっているのだから。

 

「そんなにルイズばかりを叱らないでやってくれ。話しかけていたのは俺なんだから」

 

 言い訳を考えていたところに、横から助け舟が入る。

 

「……え、あ。べ、別にあなたがどうというわけではなくて……」

 

 珍しく困っている。どんな時でも強気なお姉さまだが、さすがにシキを相手に同じように、というのは難しいようだ。

 

「……まあ、今度からはあなたからも注意してあげて下さい」

 

 あきらめたようにそう言うと、授業を再開すべく前の方へと戻っていった。

 

 

「……気をつけないとな」

 

「……うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 戻りながら、ルイズ達の方へちらりと視線を向ける。見れば、何やらシキさんがルイズを慰めるようにしている。さっきまで怯えた様子だったルイズも、すっかり表情が緩んでいる。

 

 ――ん、何と言うか、最近は仲が良いわね。まあ、使い魔との関係がそういうものといえばそうなんだけれど、ルイズらしくない。随分と信頼しているようだし、甘えているようにも見える。今までのルイズだったなら、少なくとも表にはそう出さなかったはずだ。他の生徒も似たような感想なんだろう。ルイズの方を見ている。それだけルイズらしくないということか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――お姉さまの授業じゃ、庇ってもらっちゃった。うれしい、けれど、私からも何かしてあげたいな。でも、どんなことをしたら喜んでくれるのかな?

 

 お姉さまの授業が終わるとシキはどこかへと行ってしまったけれど、その後の授業の合間、空いた時間があると、ついそんなことを考えてしまっていた。今も廊下を歩きながら、そんなことを考えていた。

 

「――ああ、ルイズ、もう授業は終わったのか?」。

「え? あ、うん。さっき……」

 

 廊下の曲がり角でいきなり考え事の相手に出会い、つい反応できなかった。対して、シキはいつものように落ち着いている。服装もいつものように基本的には黒一色で、なおさらその印象が強くなる。

 

「……そういえば、あなたっていつも黒っぽい服装ばかりよね? 他には買わなかったの?」

 

 確かに似合ってはいる。けれども、いつも黒ばかりというのはどうだろう。たまには明るいものだって着てみれば良いのに。ふとそんな疑問が口から出た。

 

「ん? まあ、基本的にはそういったものばかり、だな。別に意図していたわけじゃないが、無難なものを選んでいたら自然にな」

 

 小首をかしげ、そういえばとばかりに答える。

 

「そう……。じゃあ、今度の休みの日に、一緒に見に行かない? 私が選んであげる。あ、もちろん無理にとは言わないけれど……」

 

 いい考えだとは思ったのだが、最後の方は尻すぼみになる。

 

「たしかに、俺が選ぶとまた同じようものになりそうだな……。しかし、いいのか? 最近は色々と忙しいんだろう?」

 

 確かに休みの日には朝から図書館にこもったりしている。そのことに関して遠慮しているんだろう。

 

「もちろんよ。あなたには助けてもらってばかりだし、それくらいはお安い御用よ。それに、私だってたまには息抜きぐらいしたいわ。買い物の後は私に付き合ってくれるんでしょう?」

 

「そうか……。じゃあ、頼めるか?」

 

「任せて。私だってそこそこのセンスはあるんだから、期待しててね」

 

 少し、得意になれる。いつも助けてもらってばかりだけれど、これなら。自分が何かしてあげられるということが素直に嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 虚無の曜日、約束通りに二人で服飾店へとやってきた。まずは、ということでシキも自分で選んでいるのだが、見れば、やはり黒だとか、よく言えば落ち着いた、悪く言えば地味なものを手に取っている。デザインなんかは悪くは無いんだけれど、もう少しぐらいは遊びがあっても良いと思う。――せっかく顔は悪くないんだから、もう少し、ね。

 

「こんなのはどう?」

 

 このままだとまた同じようなものを選びそうなので、手にとって広げ、示す。色自体は今までのものとそう変わらないけれど、デザイン的にはそこそこ遊びの入ったものだ。胸元まで大きくスリットが入っている。

 

「……少し……派手じゃないか?」

 

 思ったとおり難色を示す。でも、それは予想通りだ。

 

「大丈夫よ。一つだけで見れば派手でも、トータルで見れば違うから。他のものとうまく組み合わせればいいのよ。それとね、同じような色ばかりじゃなくて、差し色とかも考えないと」

 

「……そういうものか?」

 

 少し困ったような表情だ。あまりそういったものを考えたことはないようだ。

 

「そういうものよ。とにかく試してみたら? まずは合わせてみれば良いじゃない。何でもまずは試してみるものよ」

 

 間髪いれずに答え、まだ難色を示しているのを構わず、無理やり試着室へと押し込む。思ったとおりこういうところには疎いようだ。自分が何かを教えられる。――なんか、いいな。

 

 

 

 

 

 

 ややあって試着室のカーテンを開き、姿を見せる。

 

「……どうだ? やっぱり、少し派手じゃないか?」

 

 自分では判断しかねるようで、しきりに自分の姿を確認している。

 

「大丈夫よ。あとはその上に……」

 

 見た姿を確認して、それに合いそうなものを探しに行く。きちんと鍛えた体はシルエットが綺麗で、大抵の物は合いそうだ。そういうものを選ぶのも楽しい。もちろん、首の後ろの角のことは忘れていない。デザイン的には少し狭められるが、それはどうとでもなる。だいたい、そんなものはあとで合わせればいいんだから。

 

 

 

 

 

 

 

「こんなのは?」

 

 新しく見繕ってきたものを渡す。

 

「……ああ。ただ、もう今日はこれぐらいで良いんじゃないか?」

 

 何度も試着してみて、気分的に疲れているようだ。

 

「駄目よ。せっかくだから、今日はトータルでコーディネートしてあげる」

 

 シキは疲れているようだが、私は逆に楽しくなる。――今日は徹底的に選んであげないと。そんなわけで、私はずっと笑顔のままだ。こんなに楽しいのは、久しぶりかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これくらいあれば、とりあえずは十分かしらね?」

 

 可愛らしく小首をかしげ、こちらを見ている。

 

「……ああ。十分すぎるぐらいだ」

 

 ルイズの視線の先には、両手に抱えるほどの量の服がある。何と言うか……今まで買ってきた量の数年分ぐらいはあるんじゃないだろうか?

 

「んー、じゃあ、そろそろいい時間だし、どこかに食べに行きましょうか?」

 

 そうルイズが提案してくる。確かに時間的にはいい頃合だ。それに、なんというか精神的に疲れた。休憩という意味でもちょうどいい。

 

「そうだな。適当に歩いていけばいいだろう」

 

 言って歩き出す。後ろからルイズも置いていかないでとばかりに小走りでついて来る。小さな歩幅で必死に追いつこうする様子は、見ていて微笑ましい。

 

 

 

 

 

 

 しばらく歩いていくと、道の先にある開けた場所から、食欲をそそるような匂いが漂ってくる。

 

「……なかなか良い匂いだな」

 

 少し懐かしいような、そんな感じだ。

 

「ん? そうね。何かしら?」

 

 

 

 

 匂いの元はすぐに分かった。ちょっと進んだ先、ちょうど町の中心になる。真ん中には噴水があり、広場のようになっている。屋台などが集まっているが、その中でも特に人が集まっているものがある。どうやら匂いの元はそこのようだ。

 

「ちょっと見てこないか?」

 

「え? うん」

 

 ルイズと一緒にその屋台へと近づき、人の隙間から覗いてみる。

 

 屋台の中心にはかなり大きめの鉄板がある。その上に小麦粉だろう、それを水と卵で溶いたもの、鉄板の上に薄く延ばし、さまざまな野菜、そして肉と重ね、豪快にひっくり返して蒸し焼きにしている。見慣れない野菜が入っていたり、上に乗せるソースもかなり違うようだが、間違いなくお好み焼きだろう。

 

 ――懐かしい。こちらに来てからからは基本的に洋食ばかり。こういったものを見ることは無く、ましてや食べてなどいない。貴族に相応しい食事というのは、それはそれで良いが、たまにはこういった豪快なものが無性に恋しくなる。

 

「ルイズ。昼食はこれにしないか?」

 

「え? 別に……良いけれど」

 

 匂いには惹かれているものの、店の周りの人間だとかの様子を伺って躊躇している。たぶん平民がどうとか、そういったことを気にしているんだろう。この世界は見たところ文化的には中世レベル、それでルイズが貴族となれば、そんな反応も仕方が無いのかもしれない。しかし、それではもったいない。

 

「気乗りしないのは分かるが、たまにはこういうものも良いんじゃないか? 『 何でも試してみるもの 』 なんだろう?」

 

 少しばかりからかいを含めて言ってみる。

 

「……もう、分かったわよ。自分で言ったことだものね」

 

 苦笑交じりだが、嫌がっている様子はない。何だかんだ言って興味はあったんだろう。ただ、貴族の矜持だとか、そういったもので試す機会が無かったのかもしれない。自分の常識と違うものというのは、なかなか近づきがたいものだ。服屋での自分がまさにそうだった。

 

「とりあえず、二つ。お勧めのもので」

 

「――あいよ!」

 

 元気のいい返事が返ってきた。こういったやり取りも、屋台の醍醐味だ。昔から、下手に気取った店よりも、そんな店の方が好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、どうやって食べたらいいの?」

 

 受け取ったものを手に、周りを見渡している。

 

 椅子は無い。歩きながら食べるということを考えているんだろう、別に薄く焼いて作った皮で巻いてある。それをちょうどハンバーガーのように手で持てるように紙で包んである。なるほど、タレが随分と違うと思ったが、こんな風に食べるのを前提に、粘性を強めに作ってあるんだろう。なかなか面白い工夫をしている。

 

「これはそのまま立ったまま食べるんだろう。周りもそうしている」

 

 指で周りを指し示す。

 

「え、じゃ、じゃあ」

 

 恐る恐る口を開いて、かぶりつく……とまではさすがにいかないが、口元を汚さないように可愛らしくかじっている。小さな手で押さえ、なんとなく小動物を思わせる。

 

「な、何? 何で笑っているの? 何か、おかしかった?」

 

 慌てて周りを見て、確認している。

 

「いや、可愛らしい食べ方だと思ってな」

 

「うー……」

 

 その言葉が不満なのか、頬を膨らませ、少しすねたようにこちらを見ている。だが、それもまた可愛らしい。食べ物もしっかりと抱えたままというのがなお一層その表情に似つかわしい。

 

「それより、どうだ? こういうものも案外良いものだろう?」

 

「う、うん。ちょっと……見直したかも」

 

 あまり正直ではないが、どうやら気に入ってくれたようだ。

 

「こういうものは熱いうちが美味しいからな、歩きながらでも食べよう」

 

「え、歩きながらというのはさすがに……」

 

 今度ばかりは正直に難色を示す。まあ、言ってしまえばルイズは筋金入りのお嬢様。いきなりそれはハードルが高かったかもしれない。

 

「じゃあ、あそこにベンチがあるからそこに行くか」

 

「うん」

 

 二人で並んでそちらへと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食べ終わってから、そのまま二人で町を歩いた。

 

「あ、これも可愛い……」

 

 目の前にある棚の前に屈み、手にとって見あげている。細かい雑貨を扱った店には、様々な可愛らしいものが並んでいる。中にはキモ可愛いとでも言えばいいのか、正直理解に苦しむものもあるが、それでも色とりどりの小物が並んでいる。そう広い店内ではないが、それぞれの棚には数え切れないほどのものがある。

 

 女の子がこういったものが好きだというのはどこでも変わらないし、身分といったものにも関係が無いんだろう。ルイズの他にもちらほらと女の子が小物を手に取っている。

 

 まあ、その分異物である俺は少しばかり居づらいのだが。他の女の子連れの男、目が合ったが。お互いに苦笑する。どうやら、こういった場所で男が居づらいというのも万国共通のようだ。

 

 その後も色々な店を回った。途中で裏通りに入ったりと怪しい店にも入ったが、まあ、楽しかったといえるだろう。何よりルイズも楽しんでくれているようで、こちらとしても嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人が増えてきたな」

 

 もともと休みということもあるんだろうが、夕食の買出しだろうか。買い物籠を抱えた女性が、そこかしこで市場を物色をしている。

 

「そうね」

 

 ルイズは答えるが、歩きづらそうだ。

 

 もともとここはあまり広い通りではない。そんな所で人がごったかえしていれば、そうなるのも仕方が無い。加えて、ルイズはかなり小柄だ。そういった意味では尚更だろう。

 

「ルイズ」

 

 手に持った荷物を左手に集め、ルイズへ右手を差し出す。

 

「え?」

  

 意図を図りかねたのか、こちらと手を交互に見て戸惑っている。

 

「この人ごみの中だと、歩くのも大変だろう?」

 

「あ、そ、そうね」

 

 ゆっくりと、多少戸惑いながらだが、差し出した手を握り返す。

 

 ――小さな手だ。ただ、あまり目立ったりはしていないが、傷がある。その中には新しい傷も。おそらく、魔法の練習をしている時にでもついたんだろう。頑張っているということか。

 

「……怪我をしたときには俺に言え。たいていの傷なら治せる」

 

 握り返してきたその小さな手に魔法をかける。痕になってしまえばなかなか消えないが、新しいものならば傷跡も残さないことができる。

 

「……あ。うん、ありがとう」

 

 自分の手を見つめ、戸惑いがちに言葉にする。

 

「そろそろ帰るか?」

 

 もう時間的には遅い。あまり長居をしては夕暮れになってしまうだろう。

 

「……うん。もうそろそろ帰らないと、暗くなっちゃうしね」

 

 顔を上げ同意する。

 

 そのまま二人で手をつないだまま、馬車へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜、もう完全に日が落ちてから随分と経っており、真夜中といってもいい時間だ。そんな中、私は一人、物音を立てないようにして廊下に立っている。この時間には少々肌寒くなるが、ガウンの下にはベビードールだけしか着ていない。

 

「もう、ルイズは完全に寝たころかしらね」

 

 そう、誰にともなく呟く。

 

「――でも、彼は起きているわよね。あんなことを言われたら、微熱の二つ名をもつ身としては、ね」

 

 私とって夜は、第二の活動時間。いやいや、この時間こそが私にとって重要。そして彼も、なんだかんだで活動しているはず。彼がよく外にいるのを見かけていたから。そして、そろそろ部屋へと戻っている時間だ。

 

 そのまま音を立てないようにルイズの部屋へと向かう。扉の前に立ち、小さく呪文を唱え、鍵を開く。開いたのを確認すると、ゆっくりと、あまり音を立てないように体を滑り込ませる。そして、寝ている人間は起きないだろうが、起きている人間ならば気づくような声で問いかける。

 

「――起きているかしら?」

 

 その問いかけに、案の定すぐに返事がある。

 

「――ああ。ただ、鍵を開けて、というのは感心しないな。普通はドアの外から確認するものじゃないか?」

 

 暗闇の中から聞こえてくる。でも、ベッドの方から。たしか……、床でって話じゃなかったかしら? よく目を凝らしてみると、彼がベッドから上半身を起こし、こちらへと視線を向けている。顔の入れ墨を仄かな光が彩っている。なかなかに変わった装飾だ。

 

 ただ、その右手にはルイズがいる。俗に言う腕枕、加えて、彼の方へと手を伸ばし、体に抱きついている。安心しきった、随分と幸せそうな表情だ。ただ、少し服が乱れている。

 

 えっと、これは……。ルイズも見た目は子供とはいえ、年齢的には……おかしくないのよね。問題があるとすれば……その、相手の嗜好だけで。

 

「お邪魔……したわね。対象外じゃ……仕方無いわ」

 

 そのままの体勢で、ゆっくりと後ろへ下がる。

 

「いやいや、ちょっと待て。まだ何もしていない!」

 

 彼が珍しく慌てたように言う。

 

「……なら、尚更。……どうぞ、ごゆっくり。邪魔は、しないから」

 

 開けたままだったドアから外へ出て、ゆっくりと閉める。鍵は、閉めなおさないと迷惑よね。

 

 

 

 

 

 

 

「……ん~、な~に~?」

 

 瞼をこすりながら、ルイズが問いかけてくる。

 

「……いや、なんでもない。起こして、悪かったな」

 

 そう左手で優しく髪をなでる。

 

「……ん……」

 

 目を細め、さっきまでと同じように抱きつき、すぐに可愛らしい寝息を立て始める。

 

「……あまり気にせずに一緒に寝るといったが、客観的にはまずいかもしれないな。明日、キュルケにはよく言っておかないと、な」

 

 小さくため息をつく。再びルイズの方へと目を向け、指で髪をすく。一瞬くすぐったそうな表情になったが、すぐに安らかな寝顔になる。こんな様子を見ているとまあいいか……というわけにはいかないか。

 

 もう一度ため息をつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、シキさん……」

 

 廊下の先にちょうど歩いている。いつもは黒っぽい服装ばかりなのだが、今日は珍しくそれ以外の色がメインになっている。いつものように挨拶しようと手を上げたのだが、先に彼の後ろから駆けて来たルイズが抱きついていた。

 

「――もう、どこに行くのよ。どこかに行くのなら私に言ってからにしてちょうだい」

 

 拗ねるように言う。対して、シキさんはちょっと困ったような表情だ。でも、迷惑といった様子は無い。

 

「あ、お姉さま。……どうかしたんですか?」

 

 彼にくっついたまま、尋ねてくる。

 

「いえ、別に……」

 

 上げたままになっていた手をゆっくりと下ろす。

 

「じゃあ、行きましょうか。――お姉さま、失礼します」

 

 半ばルイズが引きずるように、二人で歩いていく。

 

「……………まあ、いいけれど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、待って!」

 

 またセクハラが過ぎる学院長から逃げてきた所、少し離れたところからそんな声が聞こえてきた。特徴的な声で、すぐに誰だか分かる。そして、追いかけられている相手も大体は想像がつく。曲がり角の先を覗き込んでみれば、案の上だ。

 

「もう、昨日も言ったじゃない……」

 

 こちらは不機嫌そうに腰に手を当てながら。

 

「ああ、悪かった……」

 

 その相手は困ったように、だが、満更でもなさそうだ。

 

 二、三言葉を交わすと、彼が歩いていく。そして、その後ろからルイズが付いていく。カモの子供……そんなものが頭に浮かぶ。

 

 ――そういえば、テファも昔はあんなふうによく付いてきたっけ。もう随分会っていない。久しぶりに会いに行ってみるのもいいかも、そんなことがぼんやりと頭に浮かぶ。

 

「あらあら、相変わらず子供ですね」

 

 そんな言葉が後ろから聞こえた。

 

「ええ。でも、いいですね。いいお兄さんがいるみたいで」

 

 振り向きざまに答える。見れば、ツェルプストーが呆れたとばかりに大げさに手を広げている。いつものように大きく胸元が開いた服を着ており、同性から見てもはっきりと分かる色気が更に強調されている。

 

 私も胸は大きいほうだけれど、さすがにこの相手には勝てない。まあ、更に一回りは大きいテファに慣れているから驚きはしないけれど。何事には上がいるものだ。そして、さっきのルイズのような子も。

 

「んー、だといいんですけれど……」

 

 私の言葉に対し少し考えるように腕を組むと、ややあって気になることを言ってきた。

 

「何かありましたか?」

 

 少なくとも、今見た感じは羨ましいぐらいのいい兄妹に見えたのだが。

 

「――実は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室ではルイズとその使い魔――シキというらしい――が、楽しそうに話している。使い魔の方はなかなか笑ったりはしないのだが、その分ルイズがよく笑う。話すたびにころころと表情が変わり、見ていて飽きない。それに、時たま使い魔の方に、猫がじゃれ付くように甘えている。こうして見てみると、ルイズは本当に可愛い。正直――うらやましい。甘えられる相手が自分だったら……そんな考えが頭に浮かんで仕方が無い。

 

 

 

 

 

「ねえ?」

 

 ルイズが周りを確認して首をかしげ、話しかけてくる。

 

「どうした?」

 

「最近妙に視線を感じるんだけれど、何でかしら?」

 

 分からないとばかりに呟く。

 

 確かに、そこかしこからの視線がある。まあ、ルイズが振り向こうとするとすぐに向き直るので、分からないのも仕方が無いが。

 

「まあ、気にするな。別に悪意なんかは感じないだろう?」

 

 少なくとも悪意はないはずだ。……もしあるのなら、とっくにどうにかしている。

 

「んー、そうだけれど、なんか気になるというか……」

 

 何やら納得がいかないようだ。たぶん、今までの視線が悪意だったから、今のような視線には慣れていないんだろう。そればかりは仕方が無い。

 

「気にするな。案外、ルイズが可愛いからかもしれないぞ?」

 

 そう茶化すように言って髪をなでる。

 

「……もう」

 

 少しばかり照れたような表情だ。ただ、本当だとは気づいていないようにも思える。まあ、今は俺が独占するとしよう。いずれはルイズにも相手が現れるのだから。ただ、もしそんな相手が現れたとしたら、俺が確かめるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、シキさん。ちょっといいですか……」

 

 歩いていると、いきなりエレオノールに話しかけられた。いつもよりも雰囲気が厳しい。まあ、それが基本といえばそうなのだが。

 

「何だ?」

 

「ルイズのことなのですが……」

 

 言いにくそうに一旦言葉を切るが、無言で先を促す。

 

「最近……あなたに甘えてばかりですよね。ご迷惑ではありませんか?」

 

 一気に言い終えるとこちらをじっと見る。

 

「いや、そんなことはないな。甘えられて悪い気はしないものだろう?」

 

 妹ができたようで悪い気はしない。まあ、多少はわがままなところもあるかもしれないが、それはそれで可愛いものだ。

 

 その言葉を聞いて何やら考え込み、普通なら聞こえないような声で小さく呟く。

 

「……やっぱり、甘えたりするほうが可愛いんでしょうか……」

 

 生徒の誰かが話しているのを聞いただけだが、やはりそういったことも気にしているのかもしれない。なにせ、この呟きの主はその対極に位置しているわけだから。

 

「甘えてくる相手は、やはり可愛いな」

 

 その言葉に、呟いたことが聞こえているとは思わなかったんだろう。一瞬体がはねる。

 

「だが、普段はどんなに気が強くても、たまには違う面を見せてくれれば、それはそれで可愛い。――たとえば、そんなことを気にしていたりな」

 

「……え?」

 

 驚いたように見上げてくる。そして――

 

 

 

 

 

「なにをまた口説いているんですか?」

 

 後ろからの呆れたような声に遮られる。……二回目だな、このやり取りは。

 

「別にそういうわけじゃなくてだな……」

 

 このセリフも、二回目か。

 

「天然ですか――と言うのは二回目ですね」

 

 からかうように笑っている。もちろん、そのつもりなんだろう。前のことを思い出したのか、それではとばかりにエレオノールがそそくさと去っていく。珍しく小走りになりながら。

 

「あ、そうだ。ちょっと聞いておきたいことがあるんですが……いいですか?」

 

 それ以上からかう気はないのか、ロングビルから話題を変える。もちろん、それを断る理由はない。

 

「なんだ?」

 

 ややためらって、一気に言葉にする。

 

「ロリコンだって……本当ですか?」

 

 打って変わって真剣な表情だ。ただし、それに言葉が伴ってはいない。

 

「どうして――そう思う」

 

 キュルケから聞いたんだろうが、完全に信じているようだ。

 

「だって……私やミス・ツェルプストーは相手にしなかったのに、ミス・ルイズとは……ましてや、一緒に寝るなんて……」

 

 変わらず大真面目な表情だ。

 

「……………さて、何から話そうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やりすぎだ。そんなに最強だと証明したいのなら――俺が相手をしよう」

 

 ミス・ツェルプストーを抱きとめ、こちらを見据える。別になんらの構えも取っているわけではない。だが、話は聞いている。いや、そうでなくても分かる。その気になれば自分など一瞬で殺されるということを。

 

 ――なぜ、なぜこんなことになったんだ!? 私はただ、風の優秀さを示したかっただけなのに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さて。諸君、さっそくだが『最強の系統』とは何か、分かるかね?」

 

 ゆっくりと教室を見渡す。

 

「『虚無』、じゃないんですか?」

 

 少々期待とは異なる答えが上がる。……少しばかり予定とは違うが、まあいい。

 

「伝説の話ではない。現実における話だ」

 

「あら、そこの彼は使えるようですよ?」

 

 ミス・ツェルプストーがある男を指し示す。絶対に触れてはいけない、既に了解がなされたその男を。

 

「……彼は……例外だ。一般的な話でだ」

 

 伝説など……いや、この際そんなことは関係ない。根本的に存在が違うのだ。

 

「あら、それでしたら全てを焼き尽くす、この私の『火』に決まっていますわ、ミスタ・ギトー」

 

 自慢げに答える。これこそ期待していたものだ。わずかに唇が歪む。

 

「ほほう、ではどうしてそう思うのかね? ミス・ツェルプストー」

 

「全てを燃やし尽くせるのは、炎と情熱。破壊こそが『火の系統』の本領、そうじゃございませんこと?」

 

 胸をそらし、演技がかった仕草で自信たっぷりに答える。

 

「――残念ながらそうではない」

 

 ゆっくりと、しかし、諭すように口にする。

 

「――最強は我が『風の系統』さ。風こそは不可視の剣にして盾。きみの火ぐらいなら『風』で吹き消して見せよう」

 

 言いながら、後ろ手に杖を取り出し、挑発するように前へと掲げる。

 

「では試しに、この私に君の得意な『火』の魔法をぶつけてきたまえ」

 

「あらあら、『微熱』のキュルケをなめると、ただの火傷じゃすみませんわよ」

 

 予想通りあっさりと挑発に乗ってくる。好戦的で、今回に関しては実に望ましい。

 

「――なあに構わん、本気で来たまえ。でなければ証明になるまい」

 

 

 

 

 目の前には生徒が作ったとは思えないほどの炎の塊がある。ほんの数瞬で、私に届く。

 

 予想通り、ミス・ツェルプストーが得意の火球を放ってくる。なかなかではあるが、我が風の前では無力だよ。杖を横なぎに払うと、私の放った風によってあっさりとかき消される。

 

「――ははは、やはり『風』の方が強いようだね、ミス・ツェルプストー。さらに風は身を守るだけではないのだよ」

 

 もう一度杖を振るい、ミス・ツェルプストーへと風を巻き起こす。私の風の前にあっさりと吹き飛ばされ壁に――という所で、後ろから出てきた者に抱きとめられる。それこそ、風の如く現れた者が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室がざわめく。皆話は知っているのだろう。到底勝てるわけが無いということを。

 

「……く」

 

 おもわず唇を噛み締める。そんな命を捨てるような真似、できるはずがない。しかし、ここまで引き下がることも……。何か――何かないか!? 面目をつぶさずにすむ方法は!!

 

 逃げる――違う。

 

 偏在で逃げる――まとめて蹴散らされる。そもそも一緒だ。

 

 攻撃――死にたくない。

 

 必死に考えを巡らせている中、突然教室の扉が勢いよく開き、緊張した面持ちのミスタ・コルベールが顔を出す。わざわざ正装して、ご丁寧にもカツラまでつけている。

 

「ミスタ・ギトー!! 失礼しますぞ!!」

 

 慌てた様子で一気に口にする。

 

「ミスタ・コルベールどうしました!?」

 

 極力落ち着いたように、しかし、何とかしてくれるかもしれないとの期待からかうまくいかない。

 

「ええ諸君、今日の授業はすべて中止であります!!」

 

 よく来てくれた!! 今ほどあなたに感謝したことはない!! 思わずつかみかかったときにカツラがずれて、薄くなった頭が光っているが、今の私には後光のように神々しい。

 

「どうしました! 授業が中止とはどういうことですか!?」

 

 極力落ち着こうとするが、うまくいかない。ああ、こんなに上機嫌になったのは何時以来だろうか!!

 

「アンリエッタ姫殿下がいらっしゃるのですが……、どうしたのですか、そんなに嬉しそうに……」

 

 目を白黒させ、随分戸惑っているようだ。ああ、仕方が無いだろう。なんせ、私自身驚くほどなのだから。

 

「いやいや、なんでもないですとも! 姫様がいらっしゃるとなれば仕方が無い、授業は中止だ。さあ、皆すぐに準備をするように! 姫様に粗相があってはならんからな!」

 

 ああ、にやけるのが止まらない。ありがとう、ミスタ・コルベール! ありがとう、姫様! いや、女神様!

 

「さあ、こうしてはおられん、私も準備をしなければ!」

 

 ステップを……それはさすがに必死に我慢したが、そのまま教室を出る。ああ、このまま踊ってしまおうか!

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まあ、いいか。それよりも大丈夫か?」

 

 私を心配そうに覗き込む。そのたくましい腕で私を支えながら。――前に見たけれど、痩せ型に見えて、本当にたくましいのよね。ああ、本当に……

 

「――ありがとう。あなたのおかげよ。ねえ?」

 

 私を心配する優しげな目を見つめ、問いかける。

 

「私じゃ駄目? 子供にしか反応しないの?」

 

 お尻が床とキスをする。

 

 無言で落とされたようだ。

 

「……い、た。何で離すのよ?」

 

 うった所をさすり、その相手に文句を言う。

 

「変なことを……言うからだ。少なくとも……ロリコンじゃない」

 

 無表情に口にする。でも、私にも言い分はある。

 

「……私にも、ミス・ロングビルにも反応しなかったし」

 

「それは……単純に慣れているからだ」

 

 まだ、他にもある。

 

「……ルイズと一緒に寝ていたし」

 

 その言葉に教室にどよめきが起き、問題の二人に視線が集まる。

 

「それは……『な、何よ。一緒に寝ていただけよ !!』……」

 

 答えに窮しているところにルイズの声が重なる。……顔を真っ赤にしたルイズの声が。それでは逆効果もいいところだろう。案の定、教室のあちこちでざわめきが起きる。

 

「ち、違うわよ!! 何もしていないんだから!!」

 

 真っ赤になったルイズが必死に叫ぶ。でも、そんな様子じゃあ、ねえ?

 

「……ナニも、か……」

 

 顔を真っ赤にしたある男子生徒が呟く。その言葉に次々と、赤い顔が増えていく。

 

 ルイズもだけれど、皆子供ねえ。でも、子供とっていうのも……ある意味背徳的で、官能的かも。

 

 その後もルイズが必死に否定しているが、教室の空気は変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うううううう……。明日からどんな顔をして出れば……」

 

 姫の来訪が終わり――といっても、その前の出来事で頭が一杯でほとんど覚えていないのだが――部屋へと戻るとそのままベッドに突っ伏した。今までだって散々からかわれてきた。だから、人よりもずっと悪意に慣れている。でも、こんなからかわれ方は今まで無かった。

 

「あんまり気にするな。俺だってロリコン疑惑が……」

 

 とりあえず、無言で枕を投げつけておく。やっぱり避けたけれど。うう……ロリコンって、私だってそんなに……。ゆっくりと自分の体に視線を移す。

 

 あんまり胸は大きいほうじゃないけれど……身長も、人よりちょっと低いけれど……私だってもう16だし……。

 

 

「……誰か、来たな」

 

 その言葉のあと、ややあって扉がノックされる。初めに長く二回、それから――短く三回。その音にベッドから起き上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 扉を開けて入ってきた相手は、顔まで真っ黒なフードで覆っている。だから、分かるのはせいぜいがその相手が女性であるということだが、さっきのノックの合図は姫様しかいない。そう口にしようとした所で、姫様は口元に手を当て、黙っているようにという合図を送る。

 

 そうして懐から杖を取り出し、呪文を唱える。フードの合間から聞こえてくるものから判断すると、魔力感知だ。警戒するというのは身分を考えれば当然だが、それにしてもなぜこんな時間に、しかも、わざわざ人目を忍んで……。

 

 呪文を唱えたところで、姫様が驚いたようにシキの方を見ている。

 

「……この方は?」

 

 声には緊張が見られる。私には魔力感知が使えないので分からないのだが、シキは桁違いの魔力を持っているらしい。しばらく前はそれがコンプレックスであったが、今では誇らしい。

 

「私の使い魔のシキです。すごく頼りになるんですよ」

 

 つい自慢するような口調になってしまう。だが、尊敬する姫様にこそ、シキは見せたかった。

 

「…………」

 

 姫様はシキのことをじっと見て、随分と時間を置いてから口を開いた。

 

「……そう、ルイズ。あなたは昔から変わっているとは思っていたけれど、本当は誰よりも才能があったということなのね。……やっぱり、あなたになら頼めると思っていたわ」

 

 シキから目を離さず、そう口にする。そして、その頼みごとというのを語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリステインとも親交の厚いアルビオンの貴族達が反乱を起こし、今にも王室を打倒しそうであるということ。王室にはもう戦力が残っておらず、それは時間の問題であるということ。そして、そのアルビオンを制圧すれば、次はこの小国であるトリステインに攻め入ってくるのは間違いないということを。

 

 もちろんそれが分かっている以上、対抗措置は考えている。利害の一致するゲルマニアと同盟を結ぶということが。ただし、トリステイン王女であるアンリエッタ姫の嫁入りという形でだ。そのことに対し、叫び出したいような気持ちになったが、姫様の話が続く以上、抑える。

 

 そして更に姫様の話は続く。ゲルマニアとの同盟を結ばれるというのは問題の貴族達にとって面白いものではなく、それを阻止するための材料を探しているというのだ。悪いことに、姫様がしたためた一通の手紙がその材料となるらしい。そこまでくれば、話は分かる。

 

「……そ、その手紙はどこにあるのですか?」

 

 私は姫の信頼に答えなければならない。

 

「――実は」

 

 目を伏せ、ぽつぽつと語りだす。

 

 悪いことに、手紙のありかはアルビオン。そして、その持っている相手というのが正に戦の渦中の人、アルビオン皇太子、ウェールズ皇太子だという。

 

「ああ、破滅です! ウェールズ皇太子は遅かれ早かれ反乱勢に囚われてしまうでしょう。そうしたら――あの手紙も明るみに出てしまうわ!」

 

 そう言って泣き崩れる。

 

「姫様! 私にお任せください。シキがいればどんなことだって……」

 

 言い切る前にシキに遮られる。

 

「駄目だ」

 

「……え?」

 

 耳を疑う。聞き間違いかと思ったのに、シキの表情は厳しいままだ。

 

「な、何でよ?」

 

 シキがそんなことを言うなんて、ありえない。

 

「危険だ」

 

 そう、一言だけ口にする。

 

「危なくなんか無いわよ。あなたがいれば……」

 

 シキがいれば、どんなことだってできる。たとえ戦場に行くことになっても、シキがいれば怖くなんか無い。

 

「……それでもだ。危険なのには変わりが無い」

 

 断固とした口調だ。それに、抑えてはいるようだが姫様を睨み付けている。姫様も、怯えたような表情を見せている。

 

「な、何でよ!? 私の力になってくれるって言ったじゃない!!」

 

 自分の耳に入る声が、まるで自分のものじゃないみたいに聞こえる。

 

「それでも……駄目だ」

 

「なんで、なんで!?」

 

 更に問い詰めるが、返事は無い。

 

「……いいわよ。あなたがいなくたって、何とかして見せるから……。出て行って! あなたの顔なんか見たくない!!」

 

 自分でも、何を言っているのか分からない。しかし、その言葉にシキが無言で部屋を出て行く。部屋から出るとき一瞬こちらに目を留めたが、すぐに出て行った。扉を閉める音が――やけに耳に響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜、普通ならば誰も訪れないような時間に扉がノックされた。

 

「……どなた?」

 

 後ろを振り返り、尋ねる。

 

「……私、です」

 

 ややあって返事が返ってくる。この声はルイズだ。……ただ、いつものような明るさはなく、まるで別人だ。

 

「……入りなさい」

 

 入ってくるようにと促す。

 

「……失礼します」

 

 ゆっくりと扉を開き、入ってくる。しかし、その動作にも力がない。そして、その表情にも。

 

「どうしたの?」

 

 さっきまでずっと泣いていたんだろう、ルイズの目は赤くはれ上がっている。暗く、いつものルイズならありえない表情とあいまって、痛々しいぐらいだ。しばらく俯いていたが、顔を上げ、ゆっくりと口を開く。

 

「実は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話すうちに疲れてしまったんだろう、今日は私のベッドで寝るようにと促し、ベッドに横にさせる。最初は遠慮していたが、よほど疲れていたのか、すぐに寝息を立て始める。

 

「――ということみたいですよ。それで、どうしますか?」

 

 そうベランダの方へと問いかける。ルイズが寝ているというのは分かっていたんだろう、すぐに窓を開き、中へと入ってくる。

 

「もちろん、ついては行く。……心配だからな」

 

 やはり心配だったんだろう。予め、ルイズが相談に来るはずだと言いに来たぐらいだから。

 

「でも、どうして駄目だと言ったんですか? 確かに危険でしょうが、あなたがいれば心配はないでしょう?」

 

 そこが分からない。今の返事からすれば、ルイズを守るということに異存はないようだ。となると、なぜそこまで行かせたくなかったというのが分からない。その疑問に、ゆっくりとだが答える。

 

「ルイズのことは、分かっている。姫と友人だというのも、本当のことだろう」

 

「だったら……」

 

「だからこそ、だ。無意識にだろうと、元からルイズに行かせるつもりだったんだろう。俺がいると知っているのならともかく、それを知らなかったのに、だ。友人だと言いながら、命の危険のあるものに利用する気だったんだ。ルイズは深くは考えていなかったようだが、そのことにはすぐに気づくだろう」

 

 深く、実感のこもった言葉だ。そうして小さく「信じていた相手に裏切られるのは……つらい」と。背を向け、痛そうに俯いている。どこか、打ち捨てられた動物のように寂しげに。どうしてそう思ったのかは、分からない。

 

「…………」

 

 その側へ、ゆっくりとだが近づく。

 

 何があったかなんて、そんなことは聞けない。でも、後ろからそっと抱きとめる。なんとなく、そうしたいと思った。

 

「……あなたはルイズを裏切ったりはしないんでしょう? ルイズは、まだ子供です。だったら周りが何とかしてあげないと」

 

「……ああ、そう、だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼が部屋から出て行った後、ベッドにいるルイズの側へ近づき、指で髪を梳く。

 

「――うらやましいわね。あんなにあなたのことを思ってくれる人がいるなんて。……嫉妬しちゃうわ」

 

 指をルイズの頬へと滑らせ、軽くつねる。少しだけ身じろぎするが、起きる気配はない。

 

「……私も、負けてなんかいられないわね」

 

 誰にともなく、一人呟く。

 

「あなたは本当に幸せね。私の――ううん、私達の小さなお姫様」



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第10話 Overprotection

 「EL ELOHIM ELOHO ELOHIM SEBAOTH」

 暗闇の中、朗々と響き渡る。  

 「ELION EIECH ADIER EIECH ADONAI」

 闇の中、その言葉を紡いでいるのは一人の男だ。

 「JAH SADAI TETRAGRAMMATON SADAI」

 常人には意味が分からなくとも、その言葉には確かな力がある。

 「AGIOS O THEOS ICHIROS ATHAMATON」

 その証拠とばかりに、地面に六芒星が浮かび上がり、光を放つ。 

 「――AGLA AMEN」
 光は集まり、人の形となる。





 屈強なその体を血に染まったと見紛うような鎧と兜が覆い、更に左手には体の半分を隠すほどの巨大な盾、右手にはその身に比べても長大な槍を携えている。並みの者ならば動くことも困難な重さであろうが、この者に関してはそのような心配は無用だ。

 

 何せ、そもそも人ではないのだから。その証拠に、背中には翼がある。肌と同様、闇に溶け込むような紫の翼だ。紫の体、そして血に染まったような赤を示す武具。盾には曲がりくねった奇妙な文様まで描かれているが、それでもこの者には禍々しさだけでなく、ある種の神聖さをも持ち合わせている。

 

 おそらく、それはこの者の持つ空気がゆえだろう。戦士としてのそれ、この者が持つ信念さえも感じさせる。例え側にいたとしても、畏怖こそ感じこそすれ、恐怖を感じるということはないだろう。

 

 そのような者ではあるが、今は地面に膝を付き、目の前の男に恭順の意を示している。傍から見れば滑稽な様だ。なにせ、一見した所は傅く者こそが強者なのだから。 

 

 

 

 

「――頼めるか?」

 

 傅かれた男は、少しばかりのやり取りのあと、そう締めくくる。

 

「お任せを」

 

 その言葉に一切の迷いはない。言葉とともに膝を上げ、すぐに飛び立つ。一つ羽ばたくとともに速度を上げ、やがてその姿も闇に紛れる。

 

「用心するに越したことはない。さて、あとは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――嘘つき。一緒にいてくれるって……言ったのに」

 

 口からはそんな言葉が漏れる。だが、その声は自分でも驚くほど力がない。理由は、分かっている。

 

 まさかシキがあんなことを言うなんて思わなかった。姫様の頼み、冷静になって考えれば、戦争の真っ只中に行くということ。怖くないはずがない。でも、昨日はそんなことは露とも思わなかった。むしろ、姫様の役に立てるということが嬉しかったし、誇らしくもあった。

 

 ――でも、それはシキがいたから。

 

 たぶん、私のことを心配してのことだと思う。でも、シキだけは私のことを分かってくれると思っていた。私にとって、今までずっと馬鹿にされるだけだった私にとって、姫様が私を頼ってくれるというのは特別な意味があることだ。もちろん、シキの言いたいことも分かる。でも、シキなら分かってくれると思っていた。

 

 知らず、流れてきた涙を拭おうとして、指輪が目に入る。代々王家に受け継がれる宝だという、水のルビー。せめてもの信頼の証として、姫様が授けてくださった。

 

 

 そうだ。そもそも姫様は私を頼ってわざわざ私の部屋へ。だったら、シキがいなくても……

 

 

「――なあ、ルイズ。本当に君の使い魔は来ないのかい?」

 

 せっかく人が決心を固めているのに、横から呑気なギーシュの声が耳につく。姫様に良い所見せるためだけにわざわざ志願までして……。そちらには視線を向けず、苛立ち交じりの言葉を投げかける。

 

「来ないわよ。だいたい、昨日シキを見て悲鳴を上げていたのは誰よ」

 

 その言葉に押し黙る。自分でも情けなかったと思っているんだろう。見れば顔も赤い。身振りを交えて何やら言い訳がましいことを言っているが、その姿に少し気分が晴れる。八つ当たりじみていて大人気ないとは思うが、せめて今だけは許して欲しい。

 

 結局、今回の件にはギーシュもついてくることになった。あろうことか話を盗み聞きしていたのだ。シキを見て悲鳴を上げていたが、どうしても姫の役に立ちたいと志願してきた。情けないところを見せてすぐにそんなことを言えるのだから、それはそれで大したものだ。まあ、尊敬などはできないが。

 

「足手まといにはならないでよね」

 

 そんなギーシュを見ながら何となく口にしたが、その言葉が自分の胸にもチクリと刺さる。でも、そんなことは覆してみせる。私だって、いつまでもゼロのままじゃない。

 

 そう心に誓う中、耳に近づいてくる蹄の音が聞こえてくる。音のする方へと振り返る。

 

「あら、ルイズ。……彼も行くの?」

 

 旅装を整えたお姉さまが怪訝そうに尋ねてくる。しかし、そう思うのももっともだ。逆の立場なら私も同じことを尋ねただろうから。

 

「成り行きでそういうことになりました。でも、そのユニコーンは?」

 

 お姉さまが跨っているのは随分と立派なユニコーンだ。透き通るほどの白さ。そして、絹と見紛うほどの毛並みの美しさ。気高い聖獣であるユニコーンは王族の馬車を引くのにも用いられるほど。そして、良くは覚えていないけれど、姫様いらっしゃった時にも。

 

 しかし、このユニコーンはそれよりも更に美しく、一回りも、二回りも大きい。王族が用いるものは、選りすぐりであるはずにも関わらずだ。

 

「まあ、ちょっと、ね」

 

 少しばかり困った表情で言葉を濁す。まあ、お姉さまのことだ。どこかから無理やり調達したんだろう。そういったことを聞くのは薮蛇になる。それに、そんなお姉さまが来てくれるのはやっぱり心強い。あとはシキさえ――頭に浮かんだその考えを振り払う。ついさっき、シキには頼らずにと心に誓ったばかりなのだから。

 

「――でも、お似合いですよ」

 

 とりあえず、当たり障りのない言葉を口にする。しかし、これは正直な感想だ。純白とも表現すべきその姿は凛としていて、お姉さまには良く似合う。例えとしては少し攻撃的かもしれないけれど、戦乙女とでも。もしくは、噂に聞く若いころのお母様か。

 

 ちらりとお姉さまを見ると、眉間にしわを寄せ、こちらを睨んでいる。

 

「な、何でに睨むんですか!?」

 

 思わず後ずさる。いつもよりも更に鋭い、射抜くような目線だ。たぶん、ユニコーンに跨っていなかったらその場でつねり上げられていただろう。その剣幕に、未だに悶えていたギーシュも何事かと身構えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――連れて行くといい。護衛としても期待できるはずだ」

 

 朝方、私の所へシキさんが訪れた。わざわざルイズが部屋へと戻ってからだったが。そのまま外へと連れられたのだが、案内された先にはユニコーンが待っていた。王宮で見かけるものよりも大きく、それでいて美しい。ユニコーンは他の幻獣に比べて見た目が美しいが、強さと言った面では少々劣る。しかし、目の前のものは、その点でも全く引けをとらないように思える。

 

「随分と、立派ですね」

 

 素直な感想が口をつく。しかし、見れば見るほどそれが間違いではないと分かる。それに、振舞い方といい、知性さえも感じさせるほどだ。

 

「そこらのものどもと一緒にされては困りますね」

 

 不意に、目の前のユニコーンが口を開く。

 

「な、喋った!?」

 

 一瞬耳を疑ったが、確かに見た。間違いなく、今喋ったのは目の前の存在だ。あまつさえ、驚くばかりの私へ呆れたような仕草まで見せている。

 

 幻獣はもともと他の動物に比べてはるかに高い知能を持つ。使い魔となったのなら、人間の言葉も当然理解する。しかし、喋るということはない。そもそも、体のつくりが違うのだから。

 

「喋らないものなのか?」

 

 シキさんが不思議そうに尋ねてくる。喋るのがさも当然といった様子だ。

 

「ええ、まあ……」

 

 曖昧に答える。それに対して、シキさんが顎に手を当て、呟く。

 

「――この世界にもユニコーンがいるのなら目立たないと思ったんだが。なら、仕方がない。とりあえず、人前では喋らないでいてくれるか?」

 

 傍らのユニコーンに対して話かける。

 

「――畏まりました」

 

 恭しく――人のような動きではないのだが――心持ち頭を下げ、主に対する恭順の意を示す。

 

「そのユニコーンはあなたの使い魔ですか?」

 

 気になったので尋ねる。人語を使うユニコーンなど聞いたことがないので、そう考えるのが自然だ。そして、この世界のものではないと。対して、少し困ったように間をおいて答える。

 

「パートナーといった意味でなら、確かにそうだな。まあ、俺は仲魔と呼んでいたが」

 

 その言葉に、ユニコーンが自慢げな表情を見せる。さすがに人語を使うだけあって、表情もそれに近いものを浮かべている。見ていてなかなか興味深い。どれだけの知能があるのか、どういった生態なのか、興味は尽きない。

 

「――いいか?」

 

 その言葉に慌てて前のめりになっていた姿勢を戻し、向き直る。

 

「俺も後ろからついては行くが、見えないように少し距離をおく。だから、何かあった時にも、すぐにというわけにはいかない。その間の護衛を兼ねてと思ってくれ」

 

 その言葉に続いて、ユニコーンが私の方へと一歩踏み出す。そうして、普通のユニコーンとは違う、赤い目で私を見つめてくる。何となく、品定めをされているようで居心地が悪い。しばらく私を見た後、口を開く。

 

「――フム、確かに乙女。ならば我が背も許しましょう」

 

 もったいぶるように、やけに人間くさい仕草で呟く。それに気をとられて、一瞬言っていることが分からなかった。

 

「年齢を考えれば少し語弊がありますが、まあ、そこは主殿に免じて不問としましょう」

 

 そうしれっと付け加える。そうして、ようやく言っていることが飲み込めた。

 

「何なんですか、この失礼な馬は!?」

 

 同時に文句が出る。ユニコーンを指差し、シキさんに食って掛かる。

 

「……まあ、何だ、役には立つはずだ。そこは我慢してくれ」

 

 心持ち眉を下げ、私とユニコーンを交互に見ながら口にする。

 

 ――う、そう困ったように言われると、あまり強くは言えない。ちらりとユニコーンの方を見て、諦める。少なくとも、他の事に関しては文句のつけようがないのだから。ただ、人を食ったようなその表情が腹立たしい、それだけなのだ。口元まで出かかった文句を、無理やり飲み込む。

 

「それと……」

 

 シキさんが、懐から何かを取り出す。拳大の塊で、何かの結晶のようだ。宝石、ではないように思うが、鈍い光沢は何かの原石のように見えなくもない。

 

「何ですか、それは?」

 

 素直に尋ねる。

 

「役に立つと思って、昨日作ってみたんだ」

 

 差し出されたので、両手で受け取る。手のひらに載せて光にかざしてみるが、光を鈍く反射するばかりでよく分からない。触ってみても、確かな感触があるというだけだ。あえて挙げるとすれば、何となく温かいような気がするといったぐらいだろうか。

 

「それは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ど、どうしました?」

 

 及び腰のまま恐る恐る尋ねてくるルイズの声で我に返る。

 

「いいわ。別に、悪気があったわけじゃないでしょうしね」

 

 自分が何かをしでかしたのではと心配そうなルイズを見て、大人気なかったと反省する。悪いのはこのユニコーンだ。跨っているユニコーンを睨み付ける。まあ、こちらはどこ吹く風といった様子だが。

 

「……えーと、確かギーシュ君ね? あなたも一緒に?」

 

 先ほどの質問を繰り返す。

 

「は、はい。姫様のお役に立たせてください」

 

 拳を握り締め、熱っぽい目で見つめてくる。どうやって話を知ったのかは分からないけれど、事情を聞いているというのは間違いないようだ。

 

 一先ず、彼を見てみる。見るからに荒事には向いていなさそうな、特に鍛えているわけでもない典型的な貴族。といってもそれが普通なのだが。肝心の魔法は――ドットだったかしら? でも、錬金の精度なんかを見る限りは実力的にはラインぐらいに届くかというところかしらね。

 

 まあ、いいか。仮にも元帥の家系。そこそこは期待できるかもしれない。それに、私とて実戦経験があるわけではないのだから。先日のゴーレム騒ぎの時にも、結局はサポートに回っただけ。足手まといになるな、などとは私からは言えたことではない。

 

 それに、見えないところでしっかりシキさんが見ているはず。

 

 何とはなしにちらりと後ろを見てみるが、分からない。まあ、もともと気配を読むなんてことはできないのだが。そもそも、そう簡単に見つけられるとは思えない。

 

 でも、そこまでするのなら素直に出てくればいいのにとも思う。ルイズは半ば意地になっているようだが、無理してそれにあわせなくても良いようなものだ。

 

 ――まあ、あの人の何時もの様子を思い出して、そういうものなのかとも思う。何時もルイズとは一緒にいるけれど、引っ張っているのは決まってルイズだった。彼から何かを、ということはほとんどなかったはずだ。

 

 思えば、何かを伝えたり、感情を表したりというのは本当に不器用な人だ。ちょっと、微笑ましい。誰よりも強くて、それでいて優しいのに、そのどちらもぱっと見には分からない。本当に、人は見かけによらないって。

 

「どうしました?」

 

 ギーシュ君が怪訝そうにたずねてくる。どうやら、知らず笑っていたらしい

 

「――いえ。あなたにも期待していますね」

 

 そう微笑みかける。さっきのこともあって、自然に。

 

「も、もちろんです」

 

 目を伏せ、頬も少し赤い。もしかして照れているのかしら? 

 

 ――ふふ、色に長ける家系だって聞いていたけれど、まだまだ子供ということかしらね。頼りにはならないかもしれないけれど、微笑ましい。子ども相手にそういう反応をされると、私も捨てたものじゃないと満更ではないものだ。

 

「あ、あの……」

 

 そんな様子を微笑ましく見ていると、彼が思い出したように口を開く。

 

「ん? 何かしら?」

 

「できれば使い魔を連れて行きたいのですが……」

 

 心配そうな表情で続ける。使い魔――確か前に見たことがあったはずだ。

 

「……ええと、あなたの使い魔はジャイアントモール、だったかしら?」

 

 そうだ、人よりも大きなそれと抱き合っているのを見かけた。あまりにも絵になっていなかったので、逆に印象に残っている。

 

「はい。ジャイアントモールのヴェルダンディーです。――出ておいで」

 

 そう言うと、視線を地面へと向け、足を踏み鳴らす。すると、予め近くにはいたんだろう。モコモコと彼の足元の土が盛り上がり、茶色の小熊ほどの生き物が顔を出す。目などは小さいのだが、爪はかなり大きく、全体的になんともアンバランスだ。

 

「ヴェルダンデ! ああ! ぼくの可愛いヴェルダンデ!」

 

 姿を現すや否や、ギーシュ君は膝をつくと、その生き物を抱きしめた。まるで愛しい恋人でもあるかのように。

 

「……却下」

 

 つい正直な感想が口をつく。

 

「な、なぜですか!?」

 

 二人して、抱き合ったまま見上げてくる。しかし、見ていて本当に絵にならない。なんというか、いい年ををしてぬいぐるみを抱きかかえている男を見る心地かしら?

 

 でも、まあ使い魔は一心同体とも言うし……いいか。ジャイアントモールの地面を掘る能力は見た目に反してかなり高い。アルビオンに入った後、城に近づく際には役に立つかもしれない。包囲されているはずの城に近づくのが難題である以上、選択肢は多いほうがいい。細かいことは向こうの状況を見ないと分からないが。

 

「どうしてもというのなら、構わないわ。ただし、責任は自分で取りなさいね」

 

 それだけは釘を刺しておかなければならない。

 

「もちろんです」

 

 自信たっぷりに言い放つ。さっきの様子を見る限り、よっぽど溺愛しているんだろう。しかしながら、彼の横にいたジャイアントモールは鼻をひくつかせ、ルイズへと圧し掛かろうとする。

 

 ――とりあえず、氷の槍で、文字通り釘を刺す。目の前のそれに遮られ、圧し掛かろうとした姿勢のまま大人しくなる。

 

「……ちゃんと見ていなさいね? 手元が狂ったりしても――恨んじゃ駄目よ?」

 

 諭すように優しく言い放つ。全く、使い魔は主人に似るものとはいえこんな所まで。正直、呆れるわね。そういったことに関してグラモン家は筋金入りだと聞いたが、まさかここまでとは。これでは怒る気にもならない。

 

 すかさずギーシュ君がジャイアントモールを抱しめ、二人してコクコクとうなずく。

 

「まあ、のんびりしていたって仕方がないし、そろそろ向かいましょうか?」

 

 抱き合う二人から視線をルイズへと移し、出発を促す。もう私が来た時点で用意はできていたようだし、いつまでも出発しないわけにはいかない。

 

 そう言った所で、近づいてくる羽音が聞こえてきた。鳥にしてはずいぶんと大きなその音に、皆が視線を向ける。

 

「――待ってくれ!」

 

 朝もやの中から、少しずつ姿がはっきりとしてくる。グリフォンに跨り、羽帽子をかぶった男だ。遠目からでも鍛えていると分かり、ギーシュ君とは対照的だ。その姿がゆっくりと地面に降りると、帽子をとり、優雅に一礼する。

 

「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ。姫殿下に同行を命じられてね」

 

 そう言うと、すぐに人懐こい笑みを浮かべ、まっすぐにルイズの元へ向かう。ワルド子爵のことは良く知っている。この国でも有数の実力者で、そういった面では確かに申し分ない。

 

「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」

 

 実に嬉しそうにルイズへと言葉を投げかける。

 

「お久しぶりでございます。子爵様」

 

 さすがに真っ直ぐにそんな言葉をかけられては気恥ずかしさがあるんだろう。わずかに頬を染め、視線を落とす。

 

 でも、どういうこと? 

 

 ルイズの話から大体の事情は把握した。現在トリステインはゲルマニアと是が非でも同盟を結ばなければならない。しかしながら、姫の認めた手紙が公になってはその障害となる。だから、これからその手紙を回収しなければならない。

 

 もちろん、それだけならばしかるべき者に任せれば良い。だが、それができなかったからわざわざルイズを頼ったのではないのか? 現在の最高権力は、少なくとも名目上は王家にある。だが、実情は異なる。

 

 政治の実権といったものは宰相が握っているし、各機関に関しても似たようなものだ。加えて、ヴァリエール家のような古参の貴族はともかく、その他の貴族については、王家に対する忠誠心が薄れ始めている。だから、これ以上の権威の失墜は避けなければならず、表立って動かすこともできなかったのではないのか? 

 

 件のものは完全に姫の個人的な手紙。そんなものが国を危機に晒すなどということは、これ以上ないスキャンダル。アルビオンで貴族の反乱が起こった以上、臣下といえどもこのことに関しては簡単に助けを求めることはできない。

 

 そうであればこそ、危険な任務であっても、名誉でありこそすれ、断る理由がなかった。加えて、国の存亡がかかっているという任務の重要性もある。

 

 しかし、ワルド子爵のような者に依頼できるとなると話が別になる。彼ならば実力的にも申し分がないし、グリフォン隊の隊長ということならば――確かに信頼できるだろう。

 

 後で心配になったというのも分かるが……

 

「相変わらず軽いねきみは!まるで羽のようだね!」

 

「……お恥ずかしいですわ」

 

 子爵がルイズを抱きかかえ、抱きかかえられたルイズはさっき以上に頬を赤くしている。

 

 ――とりあえず、二人とも私は無視かしら?

 

「お久しぶりですわね。子爵殿」

 

「あ、ああ。これは失礼しました。ミス・エレオノール」

 

 慌てて抱き上げたルイズを地面へとおろし、こちらへと向き直る。狼狽えるぐらいなら最初から無視しなければいいものを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――正直、苦手なんだが。不機嫌そうなエレオノールを見て、内心ため息をつく。が、仕方がない。ルイズを手に入れるつもりならば、どの道避けては通れなかった道だ。

 

 改めてルイズ以外にも目を移す。さっきまでルイズの側にいたのは、同級生だろう。シャツの胸元が大きく開いたデザインの、いかにも気障ったらしい奇抜なセンスをしているのが嫌でも目に付く。まさかルイズの恋人という事もないだろう。まあ、たとえそうだとしても、取り戻す自信ならばあるが。

 

 そして、ユニコーンに跨ったエレオノール。さっきのこと根に持っているのか不機嫌そうだ。あまり触れないほうがいいだろう。そうでなくても、年上ということもあって、昔から頭が上がらなかった。三つ子の魂百までとは良く言ったものだ。どうにも苦手意識が消えない。

 

 そして、傍らのルイズ。再び目を移すが、昔とほとんど変わっていない。相変わらず小さいままだ。まあ、それはいい。そんなことは持っている力には関係がない。

 

 ――しかし、ルイズの使い魔は? 予想通りならルイズは虚無の使い魔を呼び出しているはずだ。改めて辺りを見渡す。

 

 ジャイアントモールは、同級生の使い魔のはず。さっきから抱き合っているのを見る限り、それは間違いない。エレオノールが跨るユニコーンは――なるほど、確かに見事なものだ。しかし、ユニコーンには違いがない。それに、ルイズの使い魔ならば、ルイズが跨っているはずだ。それならば……ルイズが呼び出したものは?

 

「ところで、僕のルイズ。一つ聞いていいかい?」

 

 できるだけ目線の高さになるように腰を落とし、努めて優しく問いかける。

 

「何ですか? 子爵様?」

 

 遠慮がちに答える。照れている――そう言えなくもないが、どこか距離を感じる。記憶の中のルイズは、もっと全面的に頼るような視線を向けてきたはずだが。

 

 だが、まあそれも仕方がないのかもしれない。ルイズの力については半ば確信していたが、ずっと連絡も取っていなかった。この旅の中、何としてもルイズの信頼を得なければならない。それには――再びルイズにとっての白馬の王子にならなければ。

 

「君の使い魔はどこだい? 姿が見えないようだが」

 

 努めて優しく問いかけたのだが、ルイズは眉をしかめ、目をそらす。不機嫌になったというのがその様子からもありありと分かる。

 

 しかし、なぜだ? ルイズが使い魔を呼び出したというのは間違いない。それが進級の条件なのだから、もしできなかったのなら話ぐらいは耳に入るはずだ。

 

「どうかしたのかい? 君が呼んだのなら、きっと素晴らしい使い魔のはずだが」

 

 そう、想像通りならば呼び出されたのは虚無の使い魔。それならば、誇るべきもののはずだ。しかし、少なくとも今のルイズの表情からはそういった様子が見て取れない。

 

「――まあ、確かに並ぶものはないでしょうね」

 

 さっきから大人しかった同級生がポツリと呟く。随分と実感のこもった口調だ。やはり、虚無の使い魔ということだろうか?

 

「どんな使い魔なんだい? ぜひとも見てみたいのだが……」

 

 学生の方へと向き直る。どうにもルイズは口が重い。ならば、それを知るものに聞けばいい。ルイズは嫌がりそうだが、こればかりは見ておきたい。

 

「どんなと言われても……」

 

 言葉に迷っているのか、考え込んでしまっている。やはり、普通とは違うということだろう。俄然興味も沸く。しかし、更に促そうとした所でエレオノールに遮られる。

 

「今はいいでしょう?」

 

「しかし……」

 

 食い下がる。だが……

 

「何か、問題でも?」

 

 じっとこちらを見据え、有無を言わさぬ口調だ。昔からこういう人だった。こうと決めたのなら梃子でも動かない。今回も引く気などないだろう。

 

 ――仕方がない、ここは素直に自分が引くとしよう。代わりに、傍らのルイズに問いかける。

 

「ルイズ。何時かは見せてくれるんだろう?」

 

「……ええ」

 

 目を伏せたまま答える。さっきから、使い魔の事となるとどうにも歯切れが悪い。いったいどういうことなのか。使い魔ならばこのような任務には連れて行くはず。並ぶものがないというぐらいだから、実力的にも相当なものがありそうだ。ならばなぜここにはいないのか。

 

 もちろん目的の邪魔をされる心配がないというのはありがたい。しかし、虚無の使い魔というものにも興味があったのだが。

 

 ――まあ、全てを終わらせてからでもいい。急いては事を仕損じる。信頼は一朝一夕に得られるものではない。ならば、今はまずやるべきことから片付けるべきだ。それからでも遅くはない。

 

「さて、それではいつまでも出発しないわけにはいかない。そろそろ向かうとしよう」

 

 順番に見渡すが異論はないようだ。

 

「ルイズは僕と」

 

 ルイズの方へと手を差し伸べる。姫に対するように、理想の王子となるために。

 

「……ええ」

 

 微笑を浮かべゆっくりと手をとる。しかし、ルイズはこんな笑い方だったろうか? もっと屈託のないような……。

 

 まあ、いい。この旅の中で再び信頼を得ればいいのだから。ルイズをグリフォンへと抱え上げ、抱しめるような形で手綱を取る。

 

「――さあ、行こうか」

 

 腕の中のルイズの耳元に囁く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出発した後、少しばかり離れた場所の茂みが揺れた。

 

「――さて、俺も行くとするか」

 

 そして、誰にとはなしにそんな声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今日の宿はここにしましょう」

 

 エレオノールがユニコーンの歩みを止め、宿を見上げる。最高級の、とまではいえないが、街道沿いにあるものとしては文句の付けようのないレベルである。実際、途中で見かけたものの中では最上のものであろう。

 

「そうですね。ミス・エレオノール」

 

 こちらもグリフォンの歩みをとめ、答える。

 

 ここはちょうどアルビオンへの港町であるラ・ロシェールとの中間点。本来ならすでにラ・ロシェールへとたどり着いていたはずだった。しかし、予定通りに進むことができなかった。

 

 当初の予定としては今日中にラ・ロシェールへと向かい、その入り口で傭兵に襲われるはずだった。ルイズに自分を印象付けるためのちょっとした演出だ。しかし、急いだところで船は出ないとのエレオノールの言葉に、台無しになってしまった。

 

 急ぐのだから金で船を出させればいいと説得しようとはした。しかし、そんなことをすれば目立ってしまって逆に危険だとの言葉に反論できなかった。

 

 全くもって正しい。正論なだけに従うしかない。全くもって厄介だ。おかげで予定を変更せざるを得なくなってしまった。

 

「ルイズ、疲れてはいないかい?」

 

 ルイズの頬に手を触れ、優しく問いかける。予定が狂った以上、少しでもポイントを稼がなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そうね。私とルイズが相部屋、子爵とギーシュ君が一緒、でいいかしら?」

 

 言葉尻は尋ねる形になっている。しかし、これはただの確認だ。

 

 ルイズと話をしようと、相部屋を提案した。しかし、「婚約者だから」との言葉に、「婚約者であっても婚姻前は」と、あっさり否定されてしまった。ルイズも納得してしまい、強くは言えない。全く、ここまで妨害されるとは思ってもみなかった……。つい恨めし気に見てしまえば、ギラリと睨みつけられた。それで引いてしまうとは我ながら情けない。

 

「ルイズ、食事の後にでもラウンジに来てくれないか?」

 

 ルイズにそっと耳打ちする。時間は有限だ。この旅の間に、何としてもルイズの信頼を得なければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なん……こ……き……」

 

 ラウンジへと向かう途中、何やら聞こえてくる。それなりに離れているので声など聞こえるはずがないのだが、よほど声を張り上げているのか、漏れ聞こえてくる。そして、その声には聞き覚えがある。これから会いに行く相手、ルイズだろう。このような場所で声を張り合げるなどまさしく子供のすることだが、それならばそれでやりやすい。

 

 声のする方へと進み、ドアを開ける。

 

「どうしたんだい、ルイズ?」

 

 部屋の真ん中で声を張り上げていたが、こちらに気づくとまずいところを見られたと思ったのか、突き出していたんだろう手が所在無さげに揺れている。

 

 部屋の様子を見渡してみる。ルイズの他には二人だけだ。一人は赤毛の、ルイズとは全てが正反対の女。もう一人はやけに表情の乏しい、この国では珍しい青い髪の少女。こちらはルイズと同様、いや、ルイズよりも華奢に見える。ルイズの知り合いということを考えると、ギーシュとやらと同様、二人とも同級生だろうか? 

 

 しかし、この二人は魔法の才といった意味ではなかなかのものだ。身にまとう魔力、少なくともトライアングル以上だろう。しかも、青い髪の方は、見た目に反して相当場慣れしていそうだ。学生であるならば驚嘆すべきほどのものだ。

 

「ルイズ、こちらの二人は?」

 

 何時ものように顔に微笑を貼り付け、話しかける。しかし、ルイズよりも先に赤毛の女の方が先に口を開く。

 

「あら、いい男じゃない」

 

 無意識なんだろうが、胸を強調した、いちいちこちらを誘惑するような仕草が目に付く。

 

「ツェルプストー!! 何いきなり色目を使っているのよ!! 大体、何をしに来たのよ!?」

 

 すぐに横からルイズが噛み付く。

 

 しかし、なるほど。ツェルプストーということはゲルマニアの……。それではこの様子も頷ける。ヴァリエール家とツェルプストー家は犬猿の仲。加えて、これだけスタイルの差があれば、家云々とは関係無しにそうなるのかもしれない。

 

「何をしにって、朝からあなた達が出かけていくのが見えたから、タバサに頼んで追いかけてきたのよ」

 

 あっけらかんと言い放つ。それに対して、ルイズは再び噛み付いていく。

 

「だからって……、だいたいお忍びなのよ!!」

 

 まあ、確かにその通りなのだが。すでに学生が二人いる現状、加えて、自分で言うのもなんだが、すでに筒抜けだ。聞いていて滑稽ですらある。

 

「ワルドからも何か言って!!」

 

 自分で言っても効果がないと感じたのか、こちらに話を振ってくる。

 

「――まあ、いいじゃないか。見たところ、二人ともそれなりの実力があるんだろう?」

 

 二人を見渡し、口にする。

 

「だからって……」

 

 ルイズは納得いかないようだが、それに対して青い髪の少女が口を開く。

 

「私は手伝いたい」

 

 さっきまでと同様、感情は見せない。しかし、純粋に手伝いたいんだろうということは、ルイズに向ける視線で察しがつく。ルイズとはどういう関係か知らないが、こちらに対してはルイズも何も言えないようで、困ったように助けを求めてくる。

 

 ただし、さっきまでとは違って幾分嬉しそうだというのが見て取れる。少なくとも、青い髪の少女とはいい関係なんだろう。ならば、それなりの扱いをしなくては。

 

「心配ないさ。いざとなったなら、ルイズだけでなく皆を僕が守るよ」

 

 二人っきりで話をするというのは難しそうだが、こういう展開なら、まあ最初のステップとしては悪くはない。

 

「――あらあら、あなたにはシキ以外にも頼りになる人がいるのね」

 

 赤毛の女が楽しそうに口にする。

 

「シキっていうのは誰だい?」

 

 初めて聞く名だ。

 

「誰って、……ルイズの保護者?」

 

 小首を傾げ、ルイズに対して少しばかりからかうような口調だ。ルイズは横を向いて、「そんなんじゃ……」と、小さく呟く。この様子は朝にも見た。使い魔の話になった時だ。

 

「そのシキと言うのは、ルイズの使い魔のことかい?」

 

 ルイズではなく、赤毛の女に尋ねる。今はエレオノールもいないし、ちょうどいい。せっかくだ。

 

「まあ、使い魔といえばそうですね。傍から見たらお兄さんみたいですけれど……」

 

 相変わらず不機嫌そうなルイズを見ながら、苦笑しつつ口にする。

 

 しかし、使い魔でありながら兄のような? どういう意味だ?

 

「どんな使い魔なんだい? 随分と普通とは違うようだが……」

 

 その質問に少しばかり考え込み、ゆっくりと答える。

 

「そうですね……、たぶん亜人、なんでしょうね」

 

 

 ――ふむ。ガンダールブの伝承では武器を使うとある。知能が高いものは使い魔とはならないものだが、虚無の使い魔ともなれば別なのかもしれない。それに、エルフの英雄にガンダールブらしき伝承があったはず。亜人であってもおかしくはない。むしろ、他ではそういったことがない以上、虚無の、少なくとも普通とは違う才能の証明にはなる。

 

「――あと、見たこともない魔法を使っていましたね。魔力なんかは、スクエアクラスが束になってもかなわないはず……」

 

 

 ――見たこともない魔法か……。先住魔法には何があってもおかしくはない。魔力に関しても、エルフならば十分にありえることだ。

 

「――それに、ゴーレムは素手で砕くし。この前なんかは30メイルはありそうなゴーレムを爪で切り裂いていましたね」

 

 ……素手? ……爪? ……何だ?

 

 エルフ――ではないな。魔法の使い手としてはエルフ以上のものは存在しない。しかし、その分純粋な肉体的な強さでは人間にも劣る。ゴーレムを素手で砕くとなると相当の膂力の持ち主。それも、30メイルのということはそれに匹敵する巨体のはず。

 

 となるとエルフではない。どちらかというとオーガーといったもの……。普通ならたいした知能を持たないが、神話には高度な魔法を扱うようなものが存在したはずだ。いや、そういったものならば巨人というものもある。数ある神話の中には巨人とも呼ぶべきものが存在する。加えて、巨人が作ったという遺跡だってあったはずだ。虚無自体が神話のようなもの。それに一つや二つ伝説が加わったところで不思議はない。

 

「――あ、そうだ」

 

 ……まだ、あるのか?

 

「口からブレスまで吐いていましたね。あれって下手なドラゴンよりもよっぽどすごいんじゃないかしら?」

 

 表情を見てもからかっているといった様子ではなく、目を閉じ、ただ思い出したことを喋っているだけのようだ。少なくとも、そこに誇張といったものは一切見られない。

 

「……正真正銘の化け物か」

 

 正直な感想がもれる。これを化け物と言わずに、何を化け物と言うのか。

 

「シキのことを悪く言わないで!!」

 

 ルイズの、聞いたことのないような強い口調に思わず振り向く。拳を握り締め、敵を見るような目だ。すぐにそれは消え、謝罪の言葉を口にするが、今のはルイズの本心、なんだろう。

 

 ――迂闊だった。どんな化け物であってもルイズの使い魔。そして、俺が手に入れるルイズの力の一つだ。

 

「――すまない、ルイズ。メイジにとって使い魔は一心同体。今のは君に対する侮辱も同然だ。この通りだ。どうか許して欲しい」

 

 深く頭を下げる。立場からすればありえないほどに。

 

「そ、そんな! 頭を上げてください! 今のは私も声を……、なんで……あんなに……」

 

 なぜかルイズが戸惑っている。なぜ自分があんなに声を荒げたのか、と。

 

 それにしても、一体どんな使い魔なのか、そしてどういった関係なのか。まあ、ルイズと、いや人間と恋愛関係になることはありえないだろうが、何としても使い魔以上に自分を印象付けなければならない。しかし、今日は本当にうまくいかないものだ。ラ・ロシェールについてからはうまくやらなくては……

 

 

 

 

 

 

 

 

「――じゃあ、タバサ、私は外に行くけれどあなたはどうする?」

 

 ルイズと、そのルイズの婚約者だというワルドと分かれて部屋へと戻る途中、隣を歩くタバサに問いかける。

 

「私も行く」

 

 淀みなく返事が返ってくる。

 

「そう? なら行きましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そろそろ暗くなり始めた中、木の上から辺りを見渡す。ここは割合見通しのいい場所で、かなり遠くまで見渡せる。それぐらいには開けた場所だ。その中心にある道も、少なくとも馬車が通れる程度には均されている。

 

 しかし、それだけだ。道から少し離れてしまえば、まだそこかしこが木々に覆われている。そこからは、時たま獣の遠吠えも響いてくる。日が落ちてしまえば全てが闇に包まれ、人の気配などというものはほとんど感じられない。唯一の例外は、外にまで光を落としている宿だけだ。特にすることもないので、ただぼんやりとその様子を見ている。

 

 ふと、そこから見覚えのある二つの影が出てきたので、今までいた木の上から下り、そちらへと向かう。

 

「――あら、どうやって呼ぼうかと思ったんだけれど、すぐに気づいちゃったのね。それとも、待ち遠しかった?」

 

 声には少しからかうような響きがある。そういえば、この人物は普段からそういったところがある。だが、不思議と誰もそれを嫌がることはない。もちろん、それは俺も例外ではない。むしろ、好ましくすらある。

 

「他にすることもなかったからな」

 

 反して、こちらはそっけなく答える。キュルケのような言い方は俺にはできない。キュルケの様子を好ましく感じるのは、俺にはできないということもあるのかもしれない。

 

 そして、それはルイズに対しても言える。感情を隠すことなく表に出す、子供だからと言ってしまえばそれまでだが、少なくとも俺には難しい。

 

「とりあえず、ルイズ達とは合流することになったから。――それで、あなたはこのまま後ろからついていくの?」

 

「ああ」

 

 簡潔に答える。少なくとも、今日、明日は合流しないだろう。

 

「……ねえ?」

 

 幾分声を潜め、珍しく遠慮がちに尋ねてくる。

 

「何だ?」

 

「ルイズとは喧嘩でもしたの? こんな風に隠れてついて行くぐらいなら一緒に行けばいいじゃない」

 

 至極当然の疑問だ。しかし答えには困る。

 

「別に喧嘩をしたというわけじゃないんだが……。まあ、似たようなものかもしれないな」

 

 曖昧に答える。――喧嘩、というわけではない。ただ、ああ言った手前顔を出し辛いだけだ。

 

 友人を助けたい。もちろん、それはよく分かる。例え利用されているとしても、例えそれが分かっていても助けたいということは。それがはっきりと目の前に示されるまでは、信じたくはない。例え誰に言われてもそれは変らないだろう。自分がそうだったのだから。

 

 もちろん、ルイズにははっきりとそう伝えるべきだろう事は分かっている。だが、なかなか伝える決心がつかない。ルイズの悲しむ顔は見たくない。昨日のルイズの泣き顔が目にちらついて、どうにも躊躇ってしまう。

 

「――それより、二人ともアルビオンにまで行くつもりなのか? 二人にはわざわざ危険な場所に行く理由はないだろう?」

 

 そう。二人には関係のない話のはずだ。聞いた話では、そもそも二人ともこの国の人間ではないらしい。それなのに、ここに来る途中で会った時に口は堅いだろうということで大まかな部分は話したのだが、そのままついてきてしまった。港町までは心配ないだろうが、アルビオンとやらに入る前には言っておかなければならない。

 

「――恩があるから」

 

 タバサが淀みなく答える。

 

 そういえば、何かとルイズを助けていたはずだ。理由は知らないが、様子を見る限りそれは曲げないだろう。

 

 

「――まあ、友人だし、ほっとけないわよ」

 

 頬に指を当て、珍しくキュルケが照れたように口にする。

 

 そうだ。キュルケも何かとルイズのことは気にかけていた。普段はからかうということが多くても、何かあったときには必ずルイズの助けになるようにと動いていた。そんなことは聞かなくても分かっていたことだ。

 

「……そうか」

 

 二人とも、純粋にルイズを助けたいということだろう。だったら俺から言うことはない。危険からは、俺が守ればいいだけのことだ。俺にはそれができるし、それぐらいしかできない。

 

「だったら、俺から言うことはないな。俺は今日と同じように後ろからついて行く。二人はルイズ達と一緒にいてやってくれ」

 

 そう言って踵を返し、歩き出す。

 

「ねえ、別に宿に泊まったっていいんじゃないの?」

 

 後ろかのキュルケの言葉に、振り返らずに答える。

 

「……もし、出くわしたら気まずいだろう?」

 

 言い残すと、そのまま木々の間へと戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……もう少し急ぐなりすれば良かったね」

 

 すっかり暗くなってしまった中、周りを見て呟く。久しぶりにテファに会いに行こうと休みを取ったのだが、ちょっと寄り道をしたおかげで、ラ・ロシェールに入る前にすっかり日が落ちてしまった。まあ、盗賊家業なんてものをやっていた手前、暗闇が怖いということは全くないのだが。

 

 

 

 

 ……ィン……

 

 

 

 

「……ん?」

 

 今、何か音が聞こえたような気がする。気のせいかと思ったが、今もまた聞こえた。耳を澄ませて音が聞こえてきた方向へと意識を向ける。

 

 

 ……金属がぶつかる様な高い音が、断続的に……これは、戦い? 状況を掴もうと更に意識を向けるが、すぐに聞こえなくなる。

 

「……何だったんだい?」

 

 まあ、全く想像がつかないというものでもない。ラ・ロシェールは全てが岩でできている。全体が岩をくり貫いて作られた町なのだ。もともとが巨大な岩山で、町の周りも似たようなものだ。だから、町への入り口までの道も四方八方を岩壁で覆われた狭い峡谷のようになっている。

 

 実際、今いる道の両端は崖のようになっていて、所々には人一人が入れるような窪みがあったりもする。

 

 だから、物盗りに取ってはこの上なくやり易い場所だ。加えて、アルビオンへの玄関口ということで旅人も多く、通商の玄関口であることもあってか、実入りも悪くない。そんな場所だ。もちろん、巡回も行われ、特別に警備されている。しかし、どうせ危険を冒すのならと考える者は度々出てくる。

 

 今のもそういうことかもしれない。もう少し様子を見るのが安全なのだが、町へと向かうにはどの道この道を通らなければならない。まあ、これでもトライアングル、しかも盗賊としてそれなりに名の知れた。注意して進めばそう大した危険はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――拍子抜けだね」

 

 注意して進んできたのだが、結局何もなかった。死体どころか、争った様子というのも見当たらなかった。ちょうど音が聞こえてきた辺りにまで来たのだが、何も見当たらない。もう一度辺りを見渡してみるが――

 

「……羽?」

 

 月明かりに照らされて、一枚の羽が落ちている。普通の鳥にしては随分大きい、暗闇の中で分かりづらいが、紫という変わった色だ。何となく気になったので見てみようと馬から下り、手を伸ばす。

 

 

「……あれ?」

 

 首をかしげる。確かに手に取ったと思ったのに、手の中には何もない。掴んだ感触はあったのだがどういうことだろうか。しばらく地面と自分の手を見比べていたのだが、いくら考えても分からない。諦めてラ・ロシェールへと入ることにした。気にはなるが、いくら考えても分からないものは分からない。それに、物盗りやらが出ては面倒だ。再び馬に跨り、この狭い道を歩かせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お姉さま、起きていますか?」

 

 ベッドから起き上がり、寝ているのなら気づかない程度に、起きているのなら聞こえるぐらいの大きさで問いかける。お姉さまも起きていたようで、すぐに閉じられていた目が開く。窓からは月明かりが漏れていて、ちょうどお姉さまと私の表情が伺えるぐらいには明るい。

 

「……眠れないの?」

 

 もう遅いのにも関わらず、嫌な様子はない。むしろ、純粋に私を心配するような気遣いを感じる。

 

「……一つ、聞いてもいいですか?」

 

 どうしても声には遠慮が混じってしまう。

 

「……なあに?」

 

 聞くという姿勢を示すためだろう、お姉さまもベッドから体を起こす。緩やかなウエーブがかかった髪がさらりと後ろへと流れる。月明かりに照らされて、素直に綺麗だと思う。月と同じように輝いて見える。

 

「……何で、シキは来てくれなかったんでしょう?」

 

 昨日は泣き疲れてしまって、そのまま寝てしまった。今思えば恥ずかしいような気がしなくもないが、今はいい。

 

「……そうね」

 

 お姉さまはちょっと困ったような表情だ。

 

「……嫌いになっちゃった、とか」

 

 自分でもそんなことはない、と思う。でも、なんとなくそんな弱気な言葉が出てしまう。

 

「それは絶対にないわよ」

 

 きっぱりと否定する。その言葉にお姉さまを見つめる。

 

「昨日のことは、あなたのこと思ってのことよ」

 

 それは、分かっては、いる。

 

「私は……姫様のために……」

 

 半分は――自分の誇りのために

 

「……そうね。この任務は誰にでも言えるものではないし、同盟のためには必要なこと。貴族としては正しいわ。ただ……」

 

 俯いて、続く言葉を待つ。

 

「私だってあなたに危険なことはして欲しくないし、あの人もそれは一緒。ただ、あの人はそういうことを伝えるのが不器用なだけよ。あなたの方が一緒にいる時間が長いんだから、よく分かるでしょう?」

 

 少しだけからかいの入った言葉に、私もほんの少しだけ笑みが漏れる。

 

「シキさんに会ったら、あなたから言ってみなさい。あの人は――不器用だから。今もきっと、どうやって会えばいいのかなんて考えているはずよ」

 

「……はい」

 

 その後も月明かりの中、一緒に話した。今までの学園生活でどんなことがあったかだとか。魔法の失敗で色々なものを壊してきたことも、恥ずかしいけれど正直に話した。呆れられるかと思ったけれど、そんなことはなかった。まあ、ちょっと笑っていたけれど。

 

 でも、お姉さまとこんな風に話したのは初めてかもしれない。こんな風に話していたのはちい姉さまとばかりで、エレオノール姉さまとはなかった。今までは思わなかったけれど、エレオノール姉さまもちい姉さまとは違った温かさがある。一晩続くかと思うぐらい長く話していたけれど、明日も早いからということでお開きになった。そして、シキは今どうしているのかという疑問がふと頭に浮かんだ。

 

 ――今頃、シキは何をしているのかな? 私のことを心配してくれているんなら、嬉しいな。

 

 ついと視線を窓の外へと向ける。

 

 もう二つの月がほとんど重なっている。もうすぐ、スヴェルの月夜。月が一つに見える不思議な日。そういえば、シキが元いた世界は月が一つだって言ってたっけ。シキが見たら、やっぱり懐かしいって思うのかな。

 

 今、窓の外にシキがいたような気がしたけれど、私、そんなに会いたがっているのかな? 会ったら、なんて言えばいいんだろう。



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第11話 Operetta

 ――昨日、気になることを聞いた。

 今回アルビオンに行くのは、まあ、なんだ。シキに甘えているルイズを見ていたら、テファはどうしているのか気になったというのが一番だ。だが、別の理由もある。
 盗賊なんてものをやるには、それなりに情報が必要になる。狙うのが秘宝と呼ばれるようなものになれば尚更だ。そんなわけで、私もそこかしこに情報網を持っている。その一つがここ、ラ・ロシェールにある。


 貿易港になっているここには、様々な場所の情報が集まる。そして、情報を得るにはギブ・アンド・テイクが基本なのだが、信頼がその前提条件となる。信頼できなければ、ギブ・アンド・テイクが成り立たないのだから。そんなわけで、定期的にコンタクトを取る必要がある。もちろん、危険は伴うわけだが、それが一種の誠意を見せる形になっている。

 まあ、そもそも盗みは止めるように言われていなくもないんだけれど、どうしようもない貴族相手なら……たぶん、大丈夫、のはず。まあ、なんだ、コネクションは一朝一夕にできるものではないし、あって損はない。

 ――それに、テファ達にお金も送らなくちゃいけない。今は孤児達も養っていて、普通に働いてどうにかなるものでもないのだから。



「よお、元気そうだな」

 

 片手を上げ、店に入ってきた男が気安げに声をかけてくる。それなりに身なりは整えているのだが、言葉と同様、やはりその雰囲気には軽いものがある。こいつは情報屋のジョン――偽名だろうけれど。まあ、私だって偽名で通しているしそれをどうこう言うつもりはない。

 

 とにかく、こいつはこんなやつだが、情報に関しては信頼できるし、勘もきく。私が盗賊として今までうまくいってきた一部には、こいつのおかげの部分もある。正確な情報がなければ、メイジである貴族相手に盗賊などということはできない。下手をすれば手間取って、あっさり包囲されてしまう。そんなことになってはいつ下手をするということがあったものじゃない。

 

「――そっちこそ」

 

 こちらも持っていたグラスを軽く掲げ、返す。ジョンは私のテーブルに向かい合って座る。遠慮なんてものは微塵もないが、それは何時ものことだ。

 

「最近はどうしてたんだい? ここしばらくは大人しくしていたようじゃないか」

 

 ウエイトレスにワインとパイ包みを注文すると、早速探りを入れてくる。まあ、教えるつもりはないし、その辺りは向こうも分かっている。これは挨拶みたいなものだ。

 

「ま、私も色々とあったのよ」

 

 グラスを軽く揺らしながら、答えてやる。それ以上は向こうも深くは聞いてこない。そのまま話を続ける。

 

「――ああ、そういえば下着がどうとかっていう話も出てたな。女なんだからありえないのにな」

 

 そうからからと、実に楽しそうに言ってくる。別にこれは嫌味でもなんでもない。ただ純粋に面白いと思って言っているんだろう。

 

「……全くだね」

 

 しかし、一応は事実ではあるのだから、私としてはあまり面白い話ではない。ここは適当に話題を変えよう。

 

「それで、アルビオンの戦争の様子なんかはどうだい?」

 

 アルビオンにはテファがいる。その辺りはきっちり把握しておきたい。

 

「ん? 知ってるだろ。まあ、時間の問題だな。すぐにでも総攻撃になって決着がつくだろうさ」

 

 軽く両手を広げ、当然とばかりに答える。

 

 まあ、そうだろう。それはある程度情報を得ることができる人間なら皆知っている。しかし、気になることがある。

 

「ま、そうなんだろうけれどね。ただ、あまりにも早すぎるのが気になってね」

 

 そう、戦争が始まって以来、ここまであっという間だった。最初は王党派についていた連中も、あっさり寝返ってしまった。憎い王家が滅びるというのは願ったり叶ったりだ。だが、どうにも腑に落ちない。妙なのだ。

 

 戦争の始まりは一つの反乱だった。そんなものはすぐに鎮圧されるようなものだ。だが、それがここまで、もうひと押しで国が倒れるというところまで来てしまった。

 

 貴族達に不満があったというのは分かる。私ほどではないにしても、それはどうしても出てくるものだ。だが、そんなものはどこの国でも似たようなものだ。それで国が滅びるなどということがあるのなら、何千年も前にとっくに王家なんてものはなくなっている。

 

 そう、簡単に国を潰すことなどできない。それが分かっているからこそ、半ば八つ当たりのような形で盗賊なんて事をやってきた。だから、今回の内乱はどう考えてもおかしい。いくらなんでもうまく行き過ぎている。

 

 極めつけは、内乱軍が掲げたスローガンだ。大陸を統一するだとか、聖地をエルフから奪還するなだとか、正直血迷ったとしか思えない。そんなことを掲げたものに、そうやすやすと加担するだろうか? 貴族共は無能ぞろいだが、自己の保身ということには鼻が利く。そんなやつらがあっさり乗るとは到底思えない。

 

「――いい所に目をつけたね」

 

 そう嬉しそうににんまりと笑い、続ける。

 

「そう、普通ならありえないんだよな。結果はまあいい。そういうこともあるだろうさ。けれども、展開が速すぎる」

 

 指を立て、もったいぶる。……分かっている。

 

「――買うよ。いくらだい?」

 

 その言葉に、毎度ありとばかりに今日一番の笑顔を見せる。余計な出費は避けたいけれど、仕方がないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 要約すると、今回の反乱の中心人物が「虚無」の奇跡とやらを見せたらしい。しかも、その奇跡とやらの内容が「死者を蘇らせる」といったものだそうだ。

 

 ――死者を蘇らせるとなると眉唾物も良い所だ。そんなものは伝説の中にしか出てこない。だが、あいつの情報は信頼できる。ということは、真実といえるだけのものがあったということだろう。そして、そんなものでもないと、今回の展開はおかしい。死者の蘇生、不老不死にも通じるそれは、自己の保身を第一にする貴族共に取ってはこれ以上ないほどの餌だ。

 

 そして、サービスということで、今日の夜にも追加の情報を持ってくることになっている。それまでは、私も自分で動くつもりだ。といってもまあ、あいつ以上のというのは無理だけれど。それでも、自分で調べたものがあるのと無いのとでは多少は違ってくるというものだ。判断材料が一つというのは、全てをそれに任せてしまうということだから。

 

「――今日はここで宿を取って、必要な物資の調達と、情報を集めましょう」

 

 ……ん? 通りの向こうから話し声が聞こえる。何やら聞き覚えのある声だ。よく通る声だが、同時に気丈さを感じさせるような。その声の方向へと目を向ける。

 

 やはり、知り合いだった。さっきの声はエレオノール、そして、その後ろにはルイズ、キュルケ、タバサ……。男子学生の方は名前が分からない。加えて、もう一人男がいる。何時もならシキだろうが、今回は違うようだ。羽帽子をかぶった、そこそこの良い男だ。ついでに、遠目からでも鍛えていることが分かる。メイジであるのだが、足運びにも隙がなく、そこらの魔法だけのメイジとは違うようだ。どこかで見たような気もするが、いまいち思い出せない。

 

 しかし、なぜこんな所にいるのだろうか? あの中の半数以上は学生。今は別に学院が休みというわけではない。ならば今は授業を受けているはずではないのか。私のように休暇を取るということがないわけではないだろうが、一体何をしに来ているのだろうか? それに、シキがいないというのも気になる。何だかんだでルイズには甘い人だ。心配だとか言って来ないはずが無い。周りへと目をやる。

 

「……なんだ、後ろから来ていたのか」

 

 そんなことを考えながら彼らを見送ると、やや離れた場所から歩いてくるのが見えた。まあ、別に急ぎの用事もないし、挨拶ぐらいしてこよう。ついでに何をしに来ているのかを聞けばいい。ちょうど向こうも気づいているようなので、小走りに彼の元へと向かう。

 

「――シキさん、こんな所で会うなんて奇遇ですね。何をしに来たんですか?」

 

 手を振りながら駆け寄る。

 

「ん、まあ、たいした用事じゃないが、アルビオンとやらに用があってな。――そっちこそ何をしに来たんだ? 今はあまり治安も良くないだろう?」

 

 曖昧に返事をすると、こちらのことを尋ねてくる。まあ、そう深く聞くつもりも無い。

 

「私もアルビオンに用事があって。まあ、家族に会いに行くようなものです。……だったら、目的地は同じみたいですし、一緒に行きませんか? どうせ向かう船もそう無いでしょうし」

 

 アルビオンに向かう船は、戦争中である今に関してはそう多くはない。出ていても貨物船ばかりだ。加えて、アルビオンが一番近づく日に一斉に出ることになるだろう。

 

「――そうだな。女の一人旅というのも、危ないしな」

 

 顎に手をあて少し考え込むと、了解の意を示す。

 

 そういえば、何でさっきの集団と離れているんだろう。そんなことを言うのなら、前の集団とも、当然一緒にいるはずだ。

 

「さっき、ミス・エレオノール方が宿へと向かったようですが、どうして一緒じゃないんですか? 何時もならミス・ルイズの側には必ずいるでしょう?」

 

 そう、何時もなら本当にべったりといった様子だ。なんせ、そんな様子を見ていてテファに会いに行こうと思ったぐらいなのだから。

 

「まあ、色々あってな。……アルビオンに入る頃には合流するつもりだ」

 

 頭をかき、少し困ったように言う。まあ、喧嘩でもしたのかもしれない。といっても、あの子からの一方的なものだろうが。

 

「じゃあ、今はまだお一人ですね。だったら、私と一緒に町を回りませんか? この町のことは分からないでしょうし、案内ぐらいならできますよ?」

 

 そう言って手を取り、腕を絡ませる。今までの経験上、強引に行けば大抵のことは断らない。案の定、エレオノール達が向かった宿とこちらを交互に見比べ、「まあ、いいか」とあっさり折れた。

 

「――ふふ。じゃあ、行きましょうか」

 

 腕を絡ませたまま歩き出す。……情報収集は、まあ、夜にジョンからの情報を聞く前にでもやればいいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ちょっと見に行きませんか?」

 

「ああ」

 

 

 

 

 

「――随分美味しそうに食べるな」

 

「え? まあ、甘いものはやっぱり好きですし――そんなにまじまじと見ないで下さい……」

 

 

 

 

 

「――あ、可愛い」

 

「そういうものにも興味があるのか」

 

「……私だって女の子らしいものだって好きです」

 

「――女の子、か」

 

「…………」

 

「……いや、悪かった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は初めて話した日のように、色々な所を回った。貿易港になっているだけあって、面白いものなら城下町などよりもよっぽど多い。まあ、ずっと私が引っ張ってという形だったけれど、それはそれで楽しかった。色々と買ってもらえたし。

 

「――随分と機嫌が良さそうじゃないか。何かいいことでもあったのかい?」

 

 落ち合ったジョンがそう言ってくる。

 

「ん、まあね」

 

 つい表に出てしまっていたようだ。……いけないいけない。浮かれすぎというのは良くない。私には少し詰めが甘い所があるようだし、普段から気をつけないと。おかげで盗賊なんてものをやっているのが極最近ばれたわけだし。心持ち、気を引き締める。

 

「……そういえば、さっきから何だか荒くれ共が騒がしいようだけれど、何かあったのかい?」

 

 周りを見渡す。今いる酒場は普段からそういった連中が集まっていて騒がしいものだが、今日はそれに輪をかけて騒がしい。武装しているやつもそこかしこにいるし、そういうやつらが今日は一段と集まっているようだ。

 

「あ、それかい? まあ、急な話で詳しいことまで知っているわけじゃないが、王党派のことを嗅ぎ回っているやつらいるらしくてね。そいつらを宿ごと襲うらしい。そこまでやる必要は無いと思うんだが、まあ、見せしめの意味もあるんだろう。金に糸目をつけずに町中から集めているらしくてね。結構な数のメイジも加わるらしいぜ」

 

 ご苦労なことだと辺りを見渡しながら呟く。

 

「――ちなみにその宿は?」

 

「女神の杵亭だな。街中でそこまでなんて、何を考えているんだかな」

 

 特に金になる情報だとは思っていないからだろう。あっさりと喋ってくれる。すぐに終わるのなら価値などないも同然ということか。

 

 それよりも、さっきの名前、エレオノール達が泊まっている宿だ。――そうだ、昼間の羽帽子の男。グリフォン隊の隊長だ。これで大体の事情は飲み込めた。わざわざそんな人間が来るぐらいだ。おそらく、王族だけでも救出にということだろう。

 

「――ちょっと用事ができたから失礼するよ」

 

 席から立ち上がる。教える義理なんてものは無いけれど……罪滅ぼしみたいなものだ。アルビオンの王家はどうなろうと知ったことではないが、エレオノール達には死んで欲しいとは思わない。

 

「おや、もう行くのかい?」

 

 椅子から立ち上がった私を見上げながら言う。

 

「まあね、今度改めて礼はするよ」

 

 そのまま出口へと向かおうとする私に、後ろから声をかけてくる。

 

「――礼なら今度は体で頼むよ」

 

 からかう様な口調だ。まあ、本気ではないんだろう。

 

「――お生憎様。私はそんなに安くは無いよ」

 

 振り返らずに答える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今言った通りです。ですが……」

 

 あの後シキと合流、そしてすぐさま宿の方へと来た。だが、少し遅かったようだ。全員を集めるのに少々時間がかかってしまい、もう下の方が騒がしくなってきている。とっくに包囲されてしまっているんだろう。

 

「……そのまま逃げるというわけには、いかないようですね」

 

 エレオノールがカーテンをずらし、窓から外の様子を伺いながら言う。

 

「ま、何とかなるでしょ」

 

 キュルケが気楽に言ってのける。こういった場合、普通なら窘めるようなものだが、まあ、確かに何とかなるだろう。羽帽子の男以外がシキを見て頷く。ルイズだけはちょっと複雑そうではあるけれど。

 

「随分と信頼しているようだが、彼はそんなに頼りになるのかい?」

 

 羽帽子の男が疑問を口にする。そうしてシキの様子を少しばかり見た後、更に口を開く。

 

「――だったらこうしよう。こういった任務の際には、半数が辿りつければ成功とされる。だから、ルイズ達は先に船に向かうといい。僕と彼とで足止めをする。それでどうだい? どの道、このままにしておくというわけにはいかないからね」

 

 羽帽子の男が皆を見渡す。特に異論は出ない。まあ、妥当な所だ。このままにしておくわけにいかないし、下手に実力のない人間が残っても足手まといになるだけだ。

 

「……だったら私も残りましょう。傭兵達の中にはメイジも多いらしいですし、ゴーレムを使えば壁ぐらいにはなるでしょう」

 

 まあ、乗りかかった船だ。戦力を考えるに、そう危ないものでもない。それくらいなら別に手伝ったっていいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――大丈夫かな」

 

 隣を馬で走るルイズが後ろ振り返りながら口にする。

 

「大丈夫よ。シキさん一人で十分なぐらいだもの。あの人をどうにかできるような相手がいるのなら、見てみたいものだわ」

 

 その言葉に皆が頷く。

 

「だから、今は急ぐわよ。今のうちにシキさんに何て言うか考えておきなさい」

 

 ルイズに話しかける。

 

「……はい」

 

 少しだけ迷うような様子を見せたが、すぐに視線を前へと向ける。私の妹なんだから、そうでないと。

 

 何か巨大なもので空気を打ち付ける音が聞こえた。

 

 後ろからタバサの使い魔の風竜がやってきたようだ。少しずつ主人のもとへと下りていく。こちらまで下りて来たのを確認すると、タバサが馬からそちらへと移る。

 

「……私は先に船を調達する」

 

 いい判断だ。全員が乗るというのは、風竜とはいえ幼生、さすがにそれは難しい。ならば先に船を調達する方が効率が良い。今日はもともと船が出る日ではないのだから、交渉にも多少時間がかかるだろう。

 

「私も行くわ」

 

 キュルケがタバサを見上げる。それに対して小さく頷くと手を伸ばし、引っ張り上げる。

 

「……ぼ、僕は」

 

 ギーシュ君は迷っているようだが、キュルケの「あんたはここにいなさい。一応は男なんだから、体を張って守りなさいよ」との言葉に残ることを決めたようだ。まあ、別にいてもいなくても構わないんだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シキといったね。皆が期待するその力、僕も頼りにしているよ」

 

 予定とは違うが、まあいい。虚無の使い魔の実力とやら、どれほどのものか見せてもらおう。

 

 あまり魔力を無駄遣いしたくは無かったのだが、向こうには偏在を一体送った。邪魔になりそうなエレオノールさえ始末できれば、それで良しとしよう。ルイズに心の傷でも作ればやりやすくもなる。

 

 

 ――さて、お手並み拝見といこうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――どうしますか? このままだと、二人は、追いつかれる、でしょう」

 

 ユニコーンが駆けながら私に話しかけてくる。喋ることができるということを知らなかったルイズとギーシュ君の二人は驚いたようにこちらを見たが、後ろから追いかけて来る者があるということで、すぐに注意をそちらへと戻す。

 

 後ろには、仮面を着けた男が追ってきている。私が跨っているユニコーンはまだ余裕があるようだ。その点では心配が無い。だが、ルイズとギーシュの二人は違う。乗馬が得意なルイズはともかく、ギーシュ君の方は明らかに後ろから追ってくる男に劣る。今はまだ距離があるが、確かにいずれは追いつかれるだろう。そうでなくとも、もしメイジであるならば、魔法を使ってこないとも限らない。

 

「――あなたは戦えるの? 護衛を任されたからには、それなりの能力があるんでしょうね?」

 

 ユニコーンへと問いかける。シキさんがわざわざ護衛にと寄こすぐらいだ。ただ喋れるだけではないはずだ。

 

「――それなりには。ただし、後ろの二人にまでは、手は、回りませんよ」

 

 何時ものように皮肉げに答える。しかし、自信は見て取れる。 

 

 後ろの二人にまでは手が回らなくとも十分だ。ルイズとギーシュ君には期待できない。ルイズの起こす爆発にはそれなりの威力があるようだが、精度は低い。馬を走らせながらでは尚更だ。ギーシュ君は、とにかく怯えており、とてもではないが期待できない。……となれば

 

「――ルイズ、ギーシュ君! あなた達は先に行きなさい! 私たちは足止めだけでもしてから向かいます!」

 

 二人に聞こえるよう、体を後ろへと向けながら声を張り上げる。その言葉にルイズが不安そうな顔をしているが、先に行ってもらわなければならない。たぶん、私だけでもユニコーンにとっては重荷になるんだろうから。

 

「行きなさい! このユニコーンはシキさんから預けられたもの! 何とかなります!」

 

 その言葉に、大丈夫だと判断したのか不安そうな顔をしていた二人も馬を急がせる。逆に、こちらはゆっくりと速度を落とす。少しずつ位置がずれていく。ルイズとギーシュ君の馬が前に出て、代わりに、私達と追っ手との距離がじりじりと近付いていく。二人が完全に前に出てしまってから、ユニコーンに顔を寄せ、語りかける。

 

「――ああ言ったからには、何とかできるんでしょうね?」

 

 後ろを伺いながら、ルイズ達には聞こえないように。もうすぐ、魔法で攻撃できるぐらいには近づくだろう。そして、ルイズ達との距離はますます離れていく。

 

「――そうでなければ、主に、示しが付きません。……しっかり掴まっていてください!」

 

 その言葉に、何をするのかまでは分からないが、手綱を強く握る。それを確認すると、ユニコーンが右へと体を傾け、前足を止め、くるりと体を前方へと流す。そのまま、ちょうど追っ手と向かいあう形になる。

 

「何を……」

 

 いきなりの行動に私が疑問を呈す前に、ユニコーンが前足を浮かせ、何事かを呟く。

 

「――――――」

 

 人語とも、獣の雄たけびとも付かない。しかし、これは魔法だ。魔力が渦巻き、目の前で形を成していく。魔力の渦が広がり、地面を凍らせていく。氷の侵食が進み、追っ手へと向かっていく。

 

 その様に気づいた相手が馬を止めようとするが間に合わない。もともと無理をさせていたんだろう。氷に足を取られ、馬が地面へと転がる。だが、乗り手は無事だ。レビテーションでも予め唱えていたんだろう、綺麗に地面へと着地している。その様子に危なげな様子はない。

 

「このまま行く、というわけにはいかないようですね」

 

 動きを止めたユニコーンが、相手へ警戒の視線を向けながら呟く。向こうもユニコーンが魔法を使うなどとは思わなかったんだろう。杖を前へと掲げながらも、様子を伺っている。杖を剣に見立てたような独特の構えで、素人目にも隙が無いことが分かる。かなりの訓練を受けた人間なんだろう。

 

「ええ、残念だわ。さて、これからどうしようかしら?」

 

 私には下手な援護もできそうも無い。情けないが、このユニコーンだけが頼りだ。

 

 ユニコーンと一瞬だけ目が合うと、何やら呟いた。いきなり攻撃に移ったのかと思ったのだが、違うようだ。魔力が私とユニコーンを包んでいく。ほんのりと、温かい。おそらく、防御魔法なんだろう。本当に大したものだ。人語を話し、見たこともない魔法をいくつも使いこなす。

 

「私はあなた方の護衛を命じられていますからね。守ってみせますよ」

 

 相手からは視線を戻して、実に頼もしいことを言ってくれる。

 

「――期待しているわ」

 

 そう言い終わるや否や、今の魔法を警戒してか動かなかったんだろう相手がこちらへと駆けてくる。

 

 

 速い。10メイルは離れていた距離が、一瞬でゼロになる。あちらも魔法を使いこなしている。

 

 ――ギインと激しい音が聞こえる。

 

 相手の杖と、ユニコーンの角がぶつかり、金属を打ち合わせるような音が辺りに響く。一度ではなく、続けて何度も。相手のメイジは杖をレイピアのように振るい、打ち合わせてくる。私にはとても目に追えない。だがユニコーンも負けてはいない。角を振るい、騎士顔負けの速さで合わせていく。小回りが効くのはもちろん相手の杖の方だが、受けながらも果敢に相手へと突き返していく。私は振り落とされないように必死に捕まっていることしかできない。

 

「……イング ……ハグル……」

 

 杖を激しく打ち付けながら、相手が何事かを呟いている。少しづつ、周りの空気の温度が下がっている。

 

「――いけない!! 下がって!!」

 

 ユニコーンも気づいたのだろう、すぐに反応して距離を取ろうとする。

 

「――ライトニング・クラウド!」

 

 しかし、下がりきる前に相手の呪文が完成する。いや、そもそも雷よりも速く動くことなどできない。相手の杖から放たれた雷がこちらへと絡み付いてくる。違う、私が見たのはその残像だ。すでに、ユニコーンへと絡み付いている。

 

「……ッ……」

 

 人間ならば致命傷となるはずの魔法も、さすがに耐え抜く。しかし、見れば何時もの余裕のある様子とは異なり、苦悶の表情だ。直撃を受けたわけではない私は大したことはない。さっき私達を包んだ魔力の影響もあるんだろう、火傷も負ってはいない。だが、ユニコーンの方は違う。真っ白なはずの体にははっきりと焦げた跡があり、そこからは肉の焼ける嫌な臭いとともに煙が上がっている。後ろへと下がろうとするも、さっきよりも動きが鈍っている。そして、その隙を相手が逃すはずがない。一気に距離を詰めてくる。

 

 激しい金属音が何度も続く。

 

 逃すまいと、さっきまで以上の猛攻だ。ユニコーンも打ち合うが、防戦一方になってしまっている。反撃する余裕も無い。少しづつ、傷が増えていく。それに、こんな状況でも私を庇っているんだろう。例え自分が傷つこうとも、私に向かってくる杖を優先して弾いている。相手も、それに気づいたようだ。

 

 今もまた、私を庇って体に受ける。致命傷となるのは避けるも、じわじわと真っ白な体が赤く染まっていく。

 

 何もできない――いや、はっきりと邪魔になっている自分が歯がゆい。唇を噛み締める。口の中に血の味が広がる。だが、何もできないことには変わりが無い。

 

 そして、相手は今も呪文を唱え続けている。もうすぐ、詠唱が完成する。そうなれば今度こそおしまいだ。

 

「――ライトニング……」

 

 相手も電撃が有効だと分かったんだろう。さっきと同じ呪文。そして、それが放たれる。

 

 

「――ただでは、死なん!!」

 

 今までにない、はっきりと感情の露になった言葉で叫ぶ。防ぐなどということは考えていないんだろう。相手の心臓を穿つように一気に角を突き出す。――だが、もうすでに相手の詠唱は完成している。雷が絡みついてくる。だが、それでも退かない。体を焼きながらも、相手への足を止めない。

 

 何かにぶつかった。男が跳ねあげられる。相手を穿ち、角が相手の体を抜ける。

 

 ――だが、もう立っている力も残っていないのか、相手を穿った勢いのまま地面に倒れこむ。足をつくということもできずに、頭から地面へと。

 

 私も投げ出され、地面を転がる。体を強かに打ちつけ、ようやく止まる。そこかしこが痛む。だが、無理やり腕をついて起き上がると、服についた泥も払わずに駆け寄る。

 

「――しっかり!!」

 

 ユニコーンの側へと駆け寄る。

 

 だが、もう助からないのは分かっている。無理な体勢で倒れこんだせいか、前足からは骨が皮膚を突きぬけ、顔の半分は焼け焦げてしまっている。ひどい場所は完全に炭化している。残った目も見えていないんろう。駆け寄った私が見えていないようだ。

 

 そして、少しずつ存在が希薄になっているのが分かる。あんなに魔力に満ち溢れていたのに、今は穴の開いたバケツのように、どんどんそれが感じられなくなっていく。それにつれて、本当に少しづつ、姿が薄れていく。触れている手にも、体温が感じられなくなってきた。

 

 その様子に呆然となる。何とかしようとするが、何も思いつかない。必死に何か無いかと考えているが、助からないということがはっきりとするだけだ。――ふと、口元が動いているのが分かる。すぐに耳を寄せる。

 

「……主を……あの、方は……人と、会いた……、そばに……」

 

 途切れ途切れではあるが、言いたいことは、なんとなく分かった。

 

 前にシキさんが言っていた。「もう人と話せることはないと思っていた」と。ここにいられることが本当に嬉しいと。

 

 こんなになっても、あの人のことを……。

 

「……私の、せいで」

 

 そうだ。私のせいだ。私がいなければこんなことには――

 

 涙が、頬を伝う。

 

 

「……ァ……、…………」

 

 見えていないだろう目をこちらに向け、更に何かを伝えようとする。――だが、その姿は更に薄れていく。

 

「ま、待って……」

 

 手を伸ばすが、虚しく空を切る。まるで、その場所には最初から何もなかったように。

 

「………あ……」

 

 伸ばした腕が、地面に触れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――お姉さま!!」

 

 遠くから、ルイズの声が聞こえた。

 

 きっと、心配になって戻ってきたんだろう。困った妹だ。それじゃあ先に逃がした意味がない。右手で涙を拭い、立ち上がる。すぐ近くまでルイズが来て、馬を止める。

 

「――戻ってきたら意味が無いじゃないの」

 

 無理やり困ったような笑顔を作る。今は――それが精一杯だ。

 

 もうここには私しかいない。魔法で作った分身だったんだろう追っ手は消えてしまったし、ユニコーンも消えてしまった。でも、私の赤くなった目を見て、大体の事情は察したんだろう。それ以上はルイズも何も言わない。

 

 

 

 

 ――あなたのことは、嫌いではなかったですよ。

 

「……え?」

 

 ふとそんな声が聞こえた気がした。聞き覚えのあるような、少しばかり嫌味なその声に振り返る。もちろん、そこには誰もいない。だが、月明かりに照らされるものがある。

 

 金属のような光沢を持ったそれは、最後まで私を守ってくれたユニコーンの角だ。最後の最後に折れてしまったものだろう。半分ほどになってしまっているそれの側へと駆け寄り、そっと拾い上げる。傷だらけになってしまっているそれを、抱きしめる。それは、どこか温かかった。

 

「――ルイズ、船に向かうわよ」

 

 せっかく体を張って守ってくれたんだ。何としても任務を達成しなければならない。そして、絶対に生き延びなければならない。今更に彼に……本当の名前すら知らなかった彼だけれど、そうでなければ顔向けできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――どれくらいで合流できそうかしら?」

 

 船の中でタバサに尋ねる。タバサの使い魔であるシルフィードをシキさんたちのもとへと迎えに行かせたのだ。

 

「あと一時間もあれば」

 

 淀みなく答える。心配なんてしていなかったけれど、とっくに襲ってきた相手は片付けたということだろう。

 

「そう……。なら後はアルビオンについてからの事を考えるだけね」

 

 皆で集まり、アルビオンに着いた後、どうやって城まで向かうかを話し合う。戦地に向かうわけだから他人を頼りにするのは難しく、自力で城まで向かわなくてはならない。それぞれが案を出すが、どうにもうまい方法が見つからない。どれも時間がかかりすぎたり、危険すぎたり、これはと思うようなものが浮かばない。そんな中……

 

 ギシリ、と船全体が一瞬軋む。そして、さっきまであった振動も感じなくなった。たぶん船が止まったんだろう。だが、なぜこんな場所で? まだアルビオンに到着するには随分と時間があるし、わざわざこんな所で止まる理由なんてないはずだ。

 

「――何かあったのかしら?」

 

 誰にともなく呟く。もちろん誰も分からないんだろう。私と同じように、皆分からないといった顔をしている。そんな中、私達のいる部屋へと足音が近づいてくる。しかし、妙だ。船の中にも関わらず、走っているのがはっきりと分かる。しかも、一人や二人じゃない。

 

 皆もおかしいと思ったんだろう。全員が顔を見合わせる。タバサだけは一人、杖を取り身構える。

 

 しかし、扉が開くのが早すぎた。バタンと、荒々しく扉が蹴破られ、マスケット銃を持った男達が一斉に部屋へと雪崩込む。そして、油断なく銃を私たちに突きつける。今ここにいるのは三人。しかし、さっきの足音からすると他にも数人。これで全部ではないということだろう。男達の中の一人が一歩踏み出す。

 

「……貴族か。大人しく杖を捨てな。下手な抵抗なんて考えるなよ? 今から呪文なんて唱えても間に合わないんだからな。それに、外からは大砲が狙いを定めているんだからよ」

 

 身構えているタバサを目で見ながら、後ろ手に合図を送る。更に二人が入ってくる。一人は銃を持った男、もう一人は杖を持っている。

 

「――『今は』、言う通りにするしかないようね」

 

 ――カラン――

 

 ルイズ達に視線を送り、杖を下へと落とす。皆も素直にそれに従う。

 

「……物分りが良くて助かる。何、女子供ばかり。大人しくしてくれれば手荒な真似はしないんだからよ」

 

 リーダー格らしい男が顎をしゃくると、一人の男が杖を集めていく。そして、一人ひとり予備の杖がないかを調べていく。

 

 ――当然のことなんだけれど、あまりいい気はしないわね。全く運の悪い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――困ったことになったわね」

 

 今のままならそう危険はないだろうが、やはり不安はある。閉じ込められた船倉が明かりが乏しくて薄暗いのも、それに拍車をかけているのかもしれない。酒樽や穀物の詰まった袋、火薬だかを入れた樽、他にも物騒な砲弾だとかがそこかしこに雑然と積んである。

 

 杖は取り上げられたが、ここから出るだけなら何とかなる。だが、わざわざ危険な真似をする必要はない。もうすぐシキさんたちが追いつくだろう。ならば、今はただ待てばいい。

 

 皆もそのことは分かっているんだろう。こんな状況ではあるが、誰も必要以上に慌てたりはしていない。まあ、本来はここでしっかりするはずの、唯一の男の子が一番怯えたりしているんだけれど。

 

「さて、これから……」

 

 念のためにこれからのことを皆に確認しようとした所、扉からガチャリと音がして遮られる。皆が一斉にそちらへと目を向ける。

 

 扉が開き、さっきとは違う男が姿を現す。いかにも屈強な男だ。しかも、油断なく銃を構えている。その男が、私たちを見渡し口を開く。

 

「おめえらは、もしかしてアルビオンの貴族派かい?」

 

 低い、威圧的な声だ。その言葉になんと答えるべきか迷う。私たちに必要なのは時間を稼ぐことだ。ここで下手なことを言うわけにはいかない。

 

「――おいおい、だんまりじゃわからねえよ。でも、そうだったら失礼したな。俺たちは、貴族派の皆さんのおかげで、商売させてもらってるんだ。王党派に味方しようとする酔狂な連中がいてな。そいつらを捕まえる密命を帯びているのさ」

 

 銃はそのまま、空いた片手をあげ、さっきとは打って変わって親しげな口調で話しかけてくる。

 

「じゃあ、この船はやっぱり、反乱軍の軍艦なのね?」

 

 ルイズが疑問を呈す。わざわざ言うからには何か考えがあるんだろうか?

 

「いやいや、俺たちは雇われているわけじゃねえ。あくまで対等な関係で協力し合っているのさ。まあ、おめえらには関係ねえことだがな。で、どうなんだ? 貴族派なのか? そうだったら、きちんと港まで送ってやるよ」

 

 その言葉に、一気果敢にルイズが口を開く。

 

「誰が薄汚いアルビオンの反乱軍なものですか! バカ言っちゃいけないわ。私達は王党派の使いよ。まだ、あんたたちが勝ったわけじゃないんだから。アルビオンは王国だし、正統なる政府は、アルビオンの王室ね。私達はトリステインを代表してそこに向かう貴族なのだから、つまりは大使よ。だから、大使としての扱いをあんたたちに要求するわ!」

 

 指を突きつけ、言い放つ。ルイズ以外は誰も口を開かない。時間が止まったように感じられる。

 

 ――最悪だ。ただ時間稼ぎさえすればよかったのに、余計なことまで……。

 

 ルイズに指を突きつけられた男は唇の端を吊り上げ、ニヤリと笑う。

 

「――正直なのは美徳だが、お前達はただじゃ済まないぞ。頭に報告してくるからよ。その間に良く考えておくんだな」

 

 そう言い残すと、再び扉を閉め、報告のためだろう、戻っていく。

 

 

 

 

 

「……馬鹿」

 

 キュルケが呟く。もちろん誰もそれを否定するものはいない。ルイズだけは食ってかかっていくが。

 

「……あなたは黙っていなさい」

 

 手を伸ばし、キュルケに文句を言おうとしていたルイズの頬を引っ張りあげる。

 

「にゃにふぉふるんふぇふか!?」

 

 目に涙を浮かべて抗議してくる。だが、誰も同情などしない。タバサに助けてくれるよう視線を送っているが、フイと目を逸らされる。――当然だ。

 

「……呆れて何も言えないわね。あなた、ちゃんと考えているのかしら? そのピンクの頭は空っぽかしら?」

 

 更にギリギリと引っ張りあげる。

 

 ――ガチャリ――

 

 そんなことをしている内にさっきの男が戻ってきた。今度は三人。油断なく銃を構えている。

 

「頭がお呼びだ。そうだな――桃色の髪の嬢ちゃんと、端っこでびびってる坊主だけでいい。……きな」

 

 そう言って促す。銃を突きつけられたこの状況、従わざるを得ない。

 

 重々しい音を立てて扉が閉じられる。二人を連れて部屋を出て行ってしまった。

 

「……ようやく近くにまで来たみたい」

 

 少し間をおいてタバサが口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――韻竜だったというのも驚きだが、まさかいきなり空賊に出くわしているとはね。なんとも運の悪い」

 

 私の背中に乗ったワルドとか言う人が呟く。

 

 今回だけは仕方がないと、人前で喋ることをお姉さまが許してくれたのだ。喋っていいのは嬉しいけれど、お姉さまが危ない目にあっているというのは心配だ。

 

「どうするのね?」

 

 あまり船に近づき過ぎないように気を配りながら、シルフィに乗った人たちに尋ねる。お姉さまは杖がなくてなんともできないみたい。今はこの人たちだけが頼りだ。

 

「強行というわけにもいきませんよね。全員が一箇所にいるのならともかく、お二人の場所が分からないなら、下手をすると人質になってしまいますし。せめて場所さえ分かれば……」

 

 ロングビルとか言う人が、考える込むように口にする。

 

「……それは、俺が何とかしよう」

 

 シキが言う。何となくこの人は怖いんだけれど、今回はこの人が一番の頼りだ。

 

「どうするんですか?」

 

 さっきの女の人が尋ねる。その相手は、見ていろとばかりに何かの呪文を唱え始める。――何となく、不吉な呪文を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今、何か横を通らなかったか?」

 

「気のせいじゃないのか? いくらなんでも何かが目の前を通れば気づくだろう?」

 

「まあ、それもそうか」

 

「……念の為見ておくか。ここでへまをするわけにはいかないからな」

 

「そうだな。注意するに越したことはないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――大使としての扱いを要求するわ。そうじゃなかったら、一言だってあんたたちになんか口を利く者ですか」

 

 私達が連れてこられた船長室には武装した空賊達が何人もいて、こちらの様子を面白そうに見ている。怖くないわけがない。今だって、必死に足が震えるのを我慢しているぐらいだ。でも、それを知られるわけにはいかない。

 

「王党派と、言ったな?」

 

 無精ひげに左目に眼帯をした、手入れもしていない長い髪の男が威圧するような声で言ってくる。部屋の中の空賊たちは豪華なディナーテーブルの周りに陣取り、この男が一番上座に座っている。きっとこいつが空賊達の頭だ。

 

「ええ、言ったわ」

 

 声が震えないよう、拳を握り締めて口にする。

 

「何をしに行くんだ? あいつらは、明日にでも消えちまうよ」

 

 感情のない目でこちらを見てくる。

 

「あんた達に言うことじゃないわ!」

 

 精一杯の強さで口にする。側にいるギーシュが驚いたようにこちらを見ているが、無視する。

 

「――貴族派につく気はないかね? あいつらは、メイジを欲しがっている。たんまり礼金も弾んでくれるだろうさ」

 

 頭が、さっきとは打って変わって実に楽しそうに言う。実際こいつらにとってはそんな程度のことなんだろう。私の答えは決まっている。

 

「死んでも嫌よ!」

 

 きっぱりと口にする。すると、頭を含め、他の空賊たちも一斉に笑い出す。

 

「どうしてもかね?」

 

 私の答えは決まっている。

 

「どうしてもよ!!」

 

 それを見て、頭が楽しそうに口にする。

 

「……なるほど、なるほど。実に勇気のあるお嬢さんだ」

 

 そうして不意にガラリと雰囲気が変わる。さっきまでの粗野な雰囲気はなりを潜め、随分と穏やかな笑い方。まるで別人だ。

 

「無礼を働いたこと、どうか許して欲しい」

 

 そう言うと頭へと手を伸ばす。

 

 

 

 

「――ミツケタ」

 

 ふと、耳元でそんな声が聞こえる。冷たい、思わず震えるような。しかも……

 

「――ミツケタ」

 

     「――ミツケタ」

 

「――ミツケタ」

 

 いくつもいくつも、そんな声が聞こえてくる。声が私の周りを囲んでいく。いや、声だけじゃない。ぼんやりと、もやみたいなものが見える。それが少しづつ形になって……

 

「……顔?」

 

 はっきりとは分からない。でも、もやの中に、目、鼻、口と見える。その口がぐにゃりと歪んで――笑って、いる? 更に大きく開いて……

 

「「「「「ィィィィィィィィィ――――!!」」」」」

 

 聞き取れない、ただ、耳障りな音が辺りに響く。思わず耳を押さえる。

 

「な、何なのよ!?」

 

 誰にともなく叫ぶ。わけが分からない。このもやみたいなものは何?

 

 大きな音が聞こえた。

 

 今度は、船に何か重いものが落ちてきたような音だ。たぶん、甲板だけでは勢いが止まらなかったんだろう。そのまま続けて床を破るような音が響く。そして、止まった。

 

「何だ!?」

 

 空賊達も口々に叫ぶ。いや、もしかしたらこの人たちは……

 

 また、音とともに船が揺れた。

 

 さきほどと同じぐらいの破壊音が響く。今度は、垂直にではなく、横に。……しかも、こっちに向かってくる?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――飛び降りちゃいましたね」

 

 竜に乗ったまま、はるか下を見ながら呟く。

 

「……ああ」

 

 同じように下を見ながら、気のない返事を返す。

 

「――船、穴が開いちゃってますよ」

 

 はっきりと上から見ても分かるほどの穴が開いている。あの勢いだったら普通の人ならただでは済まないだろう。

 

「……ああ」

 

 再び気のない返事が返ってくる。

 

「――私達は、どうしましょうか?」

 

 顔を上げ、もう一人の男と目を合わせる。

 

「……待っていれば、いいんじゃないかな。たぶん、やることはないだろうし」

 

 困ったように言うが

 

「――ですよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 船の中、破壊槌で壁を破るような音が響き渡る。振動がこちらにまで伝わってくる。

 

「――私たちも出るわよ。人質なんかになるわけにいかないもの」

 

 キュルケとタバサ、そしてギーシュ君に向かって口にする。

 

「でも、どうやって?」

 

 キュルケが疑問を口にする。

 

「――これを使って」

 

 懐から取り出した石を示す。

 

「それは?」

 

 今度はタバサが口にする。首をかしげ、何時もとは違う歳相応の仕草だ。

 

「――シキさんがくれたの。魔法の力を結晶にしたものだそうよ」

 

 言いながら扉へと投げつける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また船が揺れた。

 

 向かってくる音とは別の場所からも、何かが爆発するような音が聞こえてくる。そして、さっきから聞こえてくる方の音はどんどん大きくなっている。もうすぐ、ここまで来る。たぶん、何かは分からないけれど、このもやみたいなものが呼んだんだ。

 

 ゆらゆらと揺れているそれを睨みつける。もう、はっきりと分かる。私の周りにいくつも浮かんだそれには、顔がある。それも人の……。本当に何が何だか分からない。さっきから色々なことが起こりすぎて、頭がパンクしそうだ。

 

「お、王子を守れ!!」

 

 いよいよ音がここまで来るとなって、頭を他の者達が守るようにと囲む。皆、銃ではなく杖を構えている。もうはっきりとした。この人たちは王党派。しかも、王子と近衛だ。

 

 目の前の壁から音が聞こえた。

 

 そうして壁ごと砕ける。穴からはとてもそんな破壊ができるようには見えない手が覗いており、すぐさまその持ち主が部屋へと入ってくる。そして、す私の方へと視線を向ける。

 

「ルイズ! 無事か!?」

 

 何時もとは違い、はっきりと感情が表れていて、本当に心配していたということが分かる。

 

「……え、あ、うん。大丈夫だけれど……」

 

 肝心のことを言う前に、すぐにシキが王子たちへと向き直る。

 

「待っていろ。すぐに片付ける」

 

 本当に頼もしい。本当に、あっという間に片付けてくれるだろう。だが、それは非常にまずい。その前にと止める前に、私を囲んでいたもやのうちのいくつかがふわりと前に出て行く。

 

「――オレ、スウ」

 

 シキはそれにちらりと視線を送ると。

 

「――死なない程度ならかまわない」

 

 よりによって、そんなことを言った。それを聞いたもやは嬉しそうに口元を吊り上げると、王子たちへと向かっていく。

 

「――だ、駄目……」

 

 あまりのことに思考がついていかない。

 

 シキはこちらを振り返ると、安心させるつもりなんだろう、にっこりと笑ってみせる。

 

「すぐに終わらせる」

 

 いつもなら頼もしいはずが、今は何よりもまずい。更に悪いことに、シキまで向かっていく。

 

「ま、待って……」

 

 もう、間に合わない。

 

 そうしてあっという間に戦い、いや、そんなものですらない。もやにとっては単なる食事。皆、魔法も使えず、一人ずつ倒れていく。あるいは、シキに首をつかまれて持ち上げられ、壁に叩きつけられている。手加減はしているようだけれど、そういう問題じゃない。

 

 

 

 ――ああ、終わった。

 

 

 

 

 ……私が。

 

 ペタリとその場にくずおれる。



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第12話 An Ark

 目の前のそれは、奇妙としか言いようのないものだった。

 不定形のもやのようなようなそれらは、ゆらゆらと揺れながらも確実に存在している。何より、そこに浮かんだ歪な顔、ケタケタと嗤うその表情に目をそらすことができない。

 こちらを囲むようにと近づいてくる。次々と変わるその表情に、時折愉悦の表情を混ぜながら。





「――オオン――」

 

 もやの一つが、一所へとまとまった私たちのところへと向かってくる。人のような表情を貼り付けながらも、その口は人ではありえないほどに開いている。まるで、そのまま食らいつこうとでもするように。

 

「――こんな所で!!」

 

 部下の一人が杖を掲げ、呪文を唱える。そして、現れた氷の槍がもやを半ばからえぐるようにと突き刺さる。その部分は霧散し、より一層、歪な表情を見せる。見た目に反し、効果はあるのかもしれない。

 

 だが、それを合図とでもするように、他のもやのようなものも、次々にこちらへと向かってくる。その表情にははっきりと憎悪といったものが見て取れる。まるで怨念の塊のようなそれには、とてもではないが説得など通じそうにない。それに、そんな暇などない。

 

「――オオン!!」

 

 もはや人になど、とてもそう見えない表情を浮かべ、さっき以上の速度で迫ってくる。

 

「……くっ!」

 

 もやが通り過ぎていく。

 

 一つが食らいついてこようとするのを、身を低くすることなんとかかわした。空気のようにも見えるそれだが、もし食いつかれたらどうなるか分かったものではない。

 

「――エア・ハンマー!」

 

 側を通り抜けたもやへと、後ろから魔法を放つ。室内ということもあり、あまり大きな魔法は使えない。それでも、さっきの様子から魔法も効果があることが分かった。魔法を受けたもやはそのまま弾かれる。だが、大きく形を変えながらも、未だに健在だ。

 

 そいつはひしゃげた顔をこちらに向けてくる。どうやら、一度の魔法でどうにかなるようなものでもなさそうだ。最初に半ばからえぐられたものも、少しずつとはいえ元の形へと戻っている。今はせめて膠着状態には持っていかなければ話にならない。

 

「――うあああぁぁあぁああああ!?」

 

 声に振り返る。一人が後ろからもやに食いつかれている。手を伸ばして必死に引き剥がそうとするも、離れない。血が出ているわけではない。だが、どんどん顔色が土気色に変わっていく。まるで植物が枯れていくように。

 

「エア・カッター!!」

 

 風が抜けた。ぞぶりと、半ばちぎるかのように一人が魔法で切り離す。そのまま食いつかれていた者が床に倒れる。

 

「大丈夫か!?」

 

 それぞれが他のもやを魔法で牽制しながら、合間をぬって声をかける。

 

「……なんとか」

 

 ちらりと目をやれば苦しげながらも起き上がる。外傷もないのだから、命に別状はない、そうであって欲しい。

 

「集中して攻撃しろ!! そうでなければすぐに元に戻ってしまう!!」

 

 もやは少しぐらいえぐられた所ですぐに戻ってしまうようだ。だが、それが大きければやはり時間がかかっている。現に、最初のもやはまだ完全に形を取り戻してはいない。

 

「分かりました!」

 

 先ほど食いつかれていた者も、なんとか体勢を整えて呪文を唱え始める。魔法が完成し、他の者に続いて放つ。だが……

 

「馬鹿な!?」

 

 何も起こらない。杖と相手を見比べるも、全く魔法が発動する様子はない。

 

「――オマエノマリョク、ウマカッタゾ」

 

 さっきのもやが言う。ニヤリとでも表現するのがふさわしいような笑みを浮かべ、実に楽しそうに。そして、からかうように付きまとう。追い払おうとするも、魔法が使えず、慌てふためいている。その状況では他の者もなかなか手が出せない。

 

 ――まずい。魔法が使えなくなるとなると、どうしようもなくなってしまう。

 

「――王子!!」

 

 何かに押し倒された。声の主が体当たりをしたようだった。

 

「何を……」

 

「あああああああ!?」

 

 見れば、さっきまで私がいた場所で部下がもやにまとわりつかれている。

 

「エア・カッター!!」

 

 まとわりつかれたままだが、魔法を放つ。威力が低い。切り離すことはできたが、さっきの者のように魔力は吸われてしまったのかもしれない。

 

 しかし、この隙を逃すわけにはいかない。

 

 

「ジャベリン!!」

 

 氷の槍が壁ごともやをつなぎとめる。

 

「――オオン……」

 

 更に他の者が攻撃を加える。続けて受ければさすがに耐え切れないんだろう。穴が空いた部分から蒸発するように霧散していく。見れば、同じように別の場所でも更に一体消えていく。

 

 これならば何とか……

 

 

「――オオオオオオオオオオン!!」

 

 別のもやが叫び声を上げた。すると、するりと壁を抜け、別の一体が現れてくる。

 

 

「「――イッパイ、イルゾ――」」

 

 増えたそれと合わせ、ニヤリと笑う。そうして、更にまた一体現れてくる。

 

 何かが砕ける音がした。

 

 反射的に振り返ってみれば、一人が壁へと叩きつけられ、半ば壁へとめり込んでいる。死んではいない。だが、腕はあらぬ方向へと曲がり、とてもではないが戦えそうもない。更に悪いことに、そこへもやが取り付いていく。

 

 また、音がした。

 

 別の者が今度はテーブルへと叩きつけられていた。どれだけの力でそれが行われたのか分からない。それなりの強度があったはずのテーブルが半ばから割れてしまっている。

 

 それを引き起こした相手は、とてもそんなことのできるようには見えない男だ。確かに鍛えているのは分かる。それでも、目の前の光景は異常だ。また一人、大の男を片手で持ち上げ、今度は壁へと叩きつける。

 

「――アキラメロ――」

 

 耳元で声が聞こえた。振り向いた先にはもやがいた。見る者を不快にさせる笑みを貼り付けながら。

 

「――オマエデ、サイゴダ――」

 

 その言葉とともに人一人飲み込めるほどに口を開き、食らいつかれた。もやの口の中には、真っ暗な闇がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うああああぁぁぁあああああああ!?」

 

「――王子!? 大丈夫ですか!?」

 

 体に触れる何かがあった。腕を振り回す。それでも、その何かは離れない。それは、耳元で何度も大丈夫だという。聞き覚えのある声だ。

 

 体を抱きとめ、心配するようなその声の持ち主に目をやれば、パリーだった。化け物などではなく、執事のパリーだ。改めて自分の様子に目をやれば、着替えており、ベッドの中だった。

 

 

「……夢「申し訳ございません!!」」

 

 半ばまで言った所で、遮られる。聞き覚えのない声だ。しかし、なぜ床の方から?

 

 改めてそちらへと目をやると、大人から子供までいる。そして、なぜか皆、床に土下座の状態で。見える頭がカラフルで――赤、青、緑、ピンクと様々に。そして、あの男も……

 

 

「……夢じゃなかったのか」

 

 ――確かに、夢では都合が良すぎる。ついと額に手をやる。

 

「なんとお詫びすればよいのか……」

 

 一番年長者らしい、金髪の女性が顔を下げたまま口にする。今の状況、何となくだが想像がついた。

 

「……いや、そもそも空賊の真似事をしていたのは私達だ。君達は身を守るために当然のことをしただけだ」

 

 ――そう。いくら戦争中とはいえ空賊の真似事、いや、物資を調達するために実際空賊になっていた。これは、自業自得とでもいうものだ。それに、まだ生きている。やるべきことはまだあるのだ。そのことに感謝しなければ。女性がまだ、何かを言おうとしているのを、制する。

 

「――他の者達は?」

 

 ベルスランへと視線を向け、尋ねる。

 

「怪我は魔法で完治しているはずです。ただ、魔力については……」

 

 沈痛な面持ちだ。自分の体へと注意を向けてみると、確かに魔力がほとんど感じられない。あのもやに吸われてしまったということだろう。他の者も同様ということか。

 

「……無事であることに感謝しなければ。魔力は……決戦までには回復するだろう」

 

 そう、無事であることだけでも感謝しなければならない。決戦までそう日数があるわけではないだろうが、それでも、いくらかは回復するだろう。

 

「……いえ、敵は明日の正午にと通知してきました」

 

「それでは、満足に戦うことも……」

 

 ベルスランのその言葉に、シーツを握りしめた。

 

 もともと勝ち目のない戦い。数万に対して我々はたったの300程度。せめて勇敢に戦い、われらの存在を知らしめる。そして民を苦しめるあの憎きレンコンキスタに一太刀浴びせるつもりが、それでは……。

 

 いや、それでもやらなくてはならない。それに、何としても非戦闘員は逃がさねばならないのだから。例え魔法が使えなくとも、城に残った全てを使ってでも時間を稼がなければならない。

 

「……まだ、悪い知らせがあります」

 

 ベルスランが更に暗い口調で言葉を続ける。

 

「……何だ」

 

 これ以上悪い知らせなど……

 

「……イーグル号が焼け落ちました。商船の方に移ることでなんとかここまでたどり着いたようでしたが、それだけでは、とてもではありませんが非戦闘員を載せ切れません……」

 

「私達は、どうすればいいのだ……」

 

 思わず頭を抱え、ベッドに拳を叩きつける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――マリー・ガーラント号に乗っていたのが唯一残されたものだった。その者達が魔法が使えないとなれば、それでは無駄死にしかならない!」

 

 感情的とも言える声が辺りに響き渡る。

 

「だからといってどうする!? 今更逃げるわけにはいかん! 第一、逃げようにも船がないのだぞ!?」

 

「いっそのこと非戦闘員も含め全員で戦うべきだ!!」

 

「いや、船で運べる者だけでも非戦闘員は逃がさなければならない!!」

 

 会議の場でそれぞれが意見を述べる。いや、意見と呼べるかも怪しいような状態だ。中には半狂乱になっている者もいるのだから。

 

 だが、それも仕方がないのかもしれない。どこか冷静に見ていた。昨日までは皆が死ぬことも受け入れていた。だが、それは意地を見せるというものがあってこそだ。唯一の支えであったそれができないとなれば、皆が動揺するのも仕方がない。非戦闘員だけでもという願いも、それすらも難しいのであるから。

 

 私は指揮官として、皆に行く末を示さなければならない。だが、どうして言えるだろう。大した損害も与えられない、無駄死にと分かってもそうするとなどと。

 

 ドアが開く音がした。

 

 会議室にと使っている部屋の扉が開き、皆がそちらに視線を向ける。そこに立っているのは、あの時の男だった。皆を見渡し、口を開いた。

 

「……戦争に加担するわけにはいかないが、船ぐらいはなんとか手に入れてくる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シキさんを見つけた。いつも以上に無表情で、表情からは考えていることが伺えない。

 

 一体、どうするつもりなんだろう。まさか王党派について戦うつもりじゃ……。こんな状況でまで恨み言を言うつもりはないけれど、それでも、憎しみはそう簡単には消えない。

 

「シキさんは……どうするつもりなんですか? シキさんには関係のないことでしょう? 今日のことだって自業自得だし、わざわざ危険を冒す必要なんかは……」

 

 近づき、尋ねる。私は――何が言いたいんだろう。

 

「……そう積極的に関わるつもりはない。俺が関わるべきものでもない。ただ、俺のせいで逃げることができなくなったというのなら、その責任ぐらいは取ろうと思っている」

 

「……そう、ですか」

 

 それ以上は言わない。願いどおりなのだから。――でも、私はこれで満足なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、シキ……」

 

 どこかへと行っていたシキが、私がいる広間の方へと戻ってくるのが見える。向こうも、とっくに気づいているようだ。目が合い、お互い立ち止まる。一瞬だけ目を伏せ、私からシキの元へと歩みを進める。

 

「――ね、ちょっと、話してもいい?」

 

 上目遣いに尋ねる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――こうして二人で話すのも、久しぶりよね」

 

 私にと宛がわれた部屋のベッドに二人で腰掛ける。

 

「――そうだな」

 

 少しばかり遠慮を含んだままの答えだった。もちろん、私も人のことは言えないけれど。何だか不思議な気分だ。しばらくお互い何も言わず、私から続ける。

 

「……えーと、シキ、後ろから着いてきてくれていたのね」

 

 胸の前で指を組み、なんとなく、視線を床へと落とす。こうなると目も合わせづらい。

 

「……ああ」

 

 ちらりと目をやれば、シキも私と似たような様子だ。ちょっと、おかしい。つい、くすりと笑みがこぼれる。

 

「心配してくれて、嬉しかったわ」

 

「……ああ」

 

 少しだけ視線を逸らし、照れたような様子だ。何となくだけれど、可愛いかもしれない。

 

「――船ではびっくりしちゃったけれど」

 

 少しだけからかうように言ってみる。シキが動きを止め、明らかに目を逸らす。

 

 その様子がおかしくて、ついクスクスと笑ってしまう。困ったようにしていたけれど、やがてシキも笑い出す。ようやく、今までと同じように話せそうだ。どちらからともなく、ここまでの道のりでの出来事を話しだした。一緒じゃなかった時にどうしていたかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ?」

 

 どうしても聞いておきたいことがあった。

 

「何だ?」

 

 シキが答える。

 

「シキはさ、何であんなに姫様の依頼を嫌がったの? シキがいれば危ないことなんてなかったはずだし……」

 

 シキを見つめる。それに対してしばらく考えるようにしていたけれど、ややあって口を開く。

 

「……俺がいた世界のことはほとんど言ったことがなかったな」

 

「ええ」

 

「まずは、そこからの話になるな。長くなるが、それでも聞くか?」

 

「ええ。私も知りたいもの」

 

 シキがいた世界のことは今までほとんど聞いたことがなかった。時折そんな話題になったこともあったけれど、あまりシキが言いたくないようだったので、そのままにしてきた。

 

 しばらく腕を組んで考え込んでいて、ようやく口を開いた。

 

「……そうだな。まずは変わってしまう前の世界からか。――もともと俺がいた世界には魔法なんてものがなかった。いや、あったんだろうが、普通の人間はその存在も知らなかった。まあ、物語に出てくるぐらいだろうな」

 

 思い出すようにポツリポツリと話し始める。

 

「魔法がなかったら、不便じゃないの?」

 

 疑問に思ったことを尋ねる。魔法のない世界なんて考えられない。魔法がなかったら不便で仕方がないはずだ。

 

「そうでもないな。むしろこの世界よりも便利なぐらいだ。例えば……」

 

 

 

 

 そうしてシキがその世界のことを一つ一つ教えてくれたけれど、信じられないような世界だ。遠くまで移動するための道具があって、人が月にまで行けたり。シキの話どおりなら本当にすごい世界だ。行けるものなら一度行ってみたい。シキはこの世界の方が御伽噺のようだと言っているけれど、私からすればシキのいた世界こそ空想の世界だ。

 

「――だが、その世界も変わってしまった」

 

 不意に、少しだけ目を伏せた。

 

「……え? 世界が変わった? どういうこと?」

 

 言っていることの意味がよく分からない。その疑問にシキがこちらを見つめ、ゆっくりと話しだす。さっきまでの楽しそうとも言えるような表情はなりを潜め、悲しそうな表情を浮かべながら。

 

 

 

 

 

 ある日突然世界が変わってしまった。「東京受胎」と呼ばれるできことによって、本当に、全てが。

 

 新たな世界を創る、その為に一旦世界を卵の状態に戻す。生まれ変わるには一番最初の状態に戻せば良い。実際に世界は卵のような形になり、その中心には太陽の代わりに「カグツチ」と呼ばれるものが現れた。言うなれば卵の黄身のようなもの。そして、人は一部の例外を除いて死に絶え、悪魔と呼ばれる者達が代わりに現れた。

 

 そして、世界を作り変える「創生」を行う方法は一つ。「コトワリ」という、言わば世界の設計図となる、作るべき世界のイメージを持ち、その世界の覇者となること。

 

 悪魔と呼ばれる強大な存在が跋扈する世界、人間など生き抜くだけでも困難。だが、その中で生き残った。何者かによって悪魔の力を植えつけられることで。更に別の悪魔の力を吸収していくことで。そして、その世界の勝者となった。

 

 だが、世界は生まれ変わることはなく、混沌のままだった。理由は簡単なこと。シキには「コトワリ」がなかったから。世界を創るべき勝者に創るべきイメージがなければ、世界は生まれ変わる形を得られない。世界は卵のまま、孵らない卵となった。

 

 そして、信じられないことをシキが言う。「コトワリ」を持った三人のうちの二人がシキの友人で、その手で殺したということを。

 

 シキと違い、二人は普通の人間のままでその世界に投げ出された。普通の人間など生き抜くことさえも困難な世界に投げ出された二人。運よく、もしくは運悪く生き残ってしまった二人は、やがて歪んだコトワリを持った。

 

 一つは「ムスビ」。極限の状況では誰も信じられない。それならば一人でいればいい、一人で完結すれば良いという考えから辿りついたコトワリ。そのコトワリから創られる世界は孤独な世界。一人ひとりが完全に独立した世界。決して誰とも関わらず、誰もが独りとして存在する。

 

 もう一つが「ヨスガ」。何度も打ちのめされて辿り着いた、弱肉強食というとてもシンプルなもの。選ばれた者、すなわち強者だけが生き残ることを許される世界。弱者には生きる資格すらなく、そして、その友人だった者は、実際に弱者を虐殺した。

 

 絶望からたどり着いた結論。どちらの世界も認められない。シキはどちらも止めようとしたけれど、結局世界を作り替える力を得た二人と戦い、殺した。

 

 最初は生きることすら精一杯だったとはいえ、力を持つ存在になったシキは二人を守りたかった。だが、二人は歪んだコトワリを持ち、それぞれの世界を作るために最後は裏切られた。結局、そんな世界を創らせないために戦い、守りたかったのに殺してしまった。

 

 ――シキの行動は、間違ってはいない。だが、正しくもなかった。確たるものを持たずに戦った結果は、世界を混沌のままにとどめるだけだった。後悔したが、全ては遅かった。世界は孵らない卵になってしまったのだから。

 

 そして、その世界から私が召喚した。シキが言う。自分が召喚に応じたのは、その世界から逃げ出したかったからかもしれないと。

 

 

 

 

 

 

「――まあ、俺の話はそんな所だ」

 

 そんなことがあったと昔話でもするように淡々と語った。だが、表情には色々な感情が浮かんでいる。ちらりと私を見、再び口を開く。

 

「……それで、行かせたくない理由だったな」

 

 目があい、私が無言で促すと更に続ける。

 

「……姫、アンリエッタだったか、主君であると同時に、まずは、友人なんだろう?」

 

 その確認にうなづいて返す。

 

「今回の任務は危険なものだ。死の危険だって十分に考えられた」

 

 それは――承知の上だ。

 

「……シキがいれば平気よ」

 

 どんなことがあったって、きっと助けてくれる。今日のことだって、もしかしたら心の中では助けれくれると期待していたからあんなことが言えたのかもしれない。

 

「……少なくとも姫は、俺がいることなんて知らなかった。依頼は、ルイズが危険な目に会うのを承知の上だったはずだ」

 

「……臣下としての勤めでもあるわ」

 

「友人として頼まれたのにか?」

 

 じっとこちらを見つめる。

 

「それは……」

 

 私の方が目を逸らしてしまう。

 

「信じていた友人に裏切られるのは……つらい。ルイズにはそんな目にあわせたくなかった。それが俺が行かせたくなかった理由だ」

 

「私は……」

 

 なんと言えばいいのだろう。姫が私を、無意識にせよ利用しようとしていたのは事実。でも、それでも……

 

「たとえそうだとしても、私は姫様の役に立ちたい」

 

 それも、私の正直な気持ちだ。

 

「……そうか。……そうだな。俺もそうだった。ただ、そういうこともあるということは知っておいて欲しい」

 

 それだけ言うと立ち上がる。

 

「……どこに行くの?」

 

 シキを見上げた。

 

「明日の準備もあるからな」

 

「……シキは……どうするの?」

 

 シキがいればどれだけの敵だろうと、きっと勝てる。でも、シキは戦いなんて好きじゃないはず。きっと、自分のしたことに責任を感じているから。

 

「……責任は、取る。だが、それ以上のことをするつもりはない。この世界のことは、この世界の人間が決めるべきだ」

 

 それだけ言って、そのまま部屋を後にする。きっとシキの言うことが正しいんだろう。それに対して文句を言うことはできない。

 

 姫のことは、それでも……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城の窓からは朝日が差し込んでいる。空に浮かぶこの国の朝は清々しい。澄んだ空気と、何時もよりもずっと近くに見える雲。それだけでも気分が軽くなりそうなものだが、今日ばかりはそうもいかない。

 

 決戦は正午からとはいえ、そう時間があるわけでもない。文字通り最後の準備が必要で、城の中は慌しい。だが、その表情に覇気はない。

 

 ――仕方がない。誇りのために戦おうにも難しく、非戦闘員を逃がすことすら……。シキがその責任は取ると言っていたけれど、シキのことを知らなければ絶望しかないだろう。

 

 私も――シキならなんとかしてくれるとは信じているけれど、戦争そのものには関わる気がないと分かっているから、暗い気分はどうしても抜けない。今はただ、どうなるのかを見届けることしかできない。

 

 

 

 

 

 

「――ルイズ」

 

 シキに声をかけられる。

 

「――ええ。私にも責任があるもの。なんと言おうとシキと一緒に行くわ」

 

 シキが何をするのかは知らない。けれど、シキに責任があるというのなら、それは私の責任でもある。

 

「そういうことならば僕も行こう。何、足手まといにはならないさ」

 

 とっくに準備を整えていたらしいワルドも加わってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――この辺りでいいか」

 

 シキが歩みを止める。

 

「何をするの? 待ち伏せでも、するの?」

 

 シキへ尋ねる。目の前にはまっすぐに道が伸びている。城へとつながる唯一の道。道の両端はそう高くはないが崖状になっており、待ち伏せをするには最適だと言える。でも、そんな直接的に戦うなど思えない。シキは――きっと、責任を取る以上のことはしないつもりだろうから。

 

「単なる足止めだ。ルイズ達はここで待っていてくれ」

 

 そのまま歩き出す。追いかけようとするが手で制される。

 

「道を塞ぐだけだ。すぐに終わるからここから動かないでくれ。下手に近づくと巻き込んでしまうからな」

 

「――そういうことなら仕方がない。ルイズ、ここで見ていることにしよう」

 

 ワルドが優しく諭す。だが、何となく楽しそうなその様子に違和感がある。でも、ワルドのいう通りだ。どのみち、私にできることはないだろうから。

 

 私が待つと分かったからか、シキが更に歩みを進める。100メイルほどだろうか、それだけ進んでようやく足を止めた。

 

「何を……」

 

 そう言葉にしようとした所で、シキがなにやら構えを取る。腰を落とし、両手を体の前に合わせる。そして、服の上からもはっきりと分かるほどにあの刺青が光っている。それは刺青だけでなく、体全体が緑の光を放っている。

 

 いや、体だけじゃない。地面からもぽつぽつと蛍のような光が昇っている。素直に綺麗だと思う。でも、それを見ていられたのも一瞬だ。

 

 

 地面が――揺れる。

 

「な、何!?」

 

 慌ててシキの方へと視線を向ければ、シキを中心に、地面を縦横無尽に亀裂が入っていく。それだけじゃない。亀裂は全てを飲み込むように広がり、そこからは眩しいばかりの光が溢れている。

 

「――ああああああああぁああぁあ!!」

 

 大きく手を広げ、シキの声が響く。そして――光が弾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うそ……」

 

 自分の口からはそんな声がが漏れる。目の前の光景が信じられない。

 

 

「……素晴らしい。これこそが力だ……」

 

 ワルドが何かを言っているが、何を言っているのか、それすら良く分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――おい。さっき地面が揺れなかったか?」

 

 隣を歩くやつがそんなことを言ってくる。……知ったことか。

 

「このアルビオンでそんなことがあるわけないだろう。空にあるこの国に地震なんて起きるわけがない」

 

 ――もしあったとしても、どうでもいい。今は生き残ることが何より大事なのだから。

 

 先頭を行く俺達は、言わば捨て駒だ。なるほど、確かに敵は300程度。負けるなんて事はありえない。だが、俺達一人一人は違う。

 

 敵は城を中心に守りに入っている。城はもっとも守りやすく、攻めにくい場所にある。城は浮遊大陸の端にあり、一方方向からしか攻めることができず、ほぼ一本道。そうなれば、下手に近づけば大砲と魔法の餌食だ。向こうも最後だと分かっている。出し惜しみなんてしないだろう。

 

 そんな場所に船で向かうわけには行かない。せいぜいが途中まで大砲と駒である俺達を運ぶだけ。だからこそ、平民の歩兵である俺達が、死んでも良い使い捨ての兵として先陣を切っている。

 

 近くでは、殺してやると威勢のいいやつらが声を張り上げている。確かにうまく手柄さえ立てられれば一生安泰だ。だが、本当に分かっているのか。今いるやつらのほとんどが生き残れないということに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――何なんだ、これは!?」

 

 目の前の光景に目を疑う。城までは一本道が続いているはずだ。だが、目の前にそんなものはない。

 

 まるで巨人がその手で地面を引き裂き、砕き、散々に暴れまわったような様相を呈している。歪な塔のよう聳え立つ巨大な岩が何本もあるかと思えば、地の底にまで続いていそうな亀裂がそこら中にある。もしかしたら、見えないだけでこの大陸を貫通してしまっているかもしれない。何をどうすればこんなことになるのか、想像もつかない。ここを越えて行くぐらいなら、山でも越えた方がよっぽど楽に進めるだろう。

 

「……まるで、地面の口だな……」

 

 隣を歩く男が手近な亀裂へと近づき、呆然と呟く。

 

 ――なるほど、確かにそんな風に見えなくもない。亀裂も歪で、曲がりくねった中の壁は鋭い歯のようになっている場所も多い。そんな場所に落ちれば、人間など、切り刻まれてあっという間に肉団子になってしまうだろう。落ちた者は――地面に食われるといった所か。……俺は遠慮したいが。

 

 しかし、これはどうするのか。とてもじゃないが、このままでは進めそうもない。迂回できなくもないだろうが、それでは正午の決戦には間に合わないだろう。そんなものはどうでもいいとは思うが、貴族はそんなわけにはいかないものなんだろう。案の定、一番安全な場所で見ていた指揮官である貴族が、他のメイジを連れて前へと出てくる。大したことができるわけでもないのに偉そうで、むかつくやつだ。

 

「……せこい手を使いおって。ここまでするのは大したものだが、単なる時間稼ぎにしかならん。そうまでして死にたくないか」

 

 憎々しげに吐き捨てると、連れてきたメイジ達に命令する。

 

「たかだか数百人相手に手間取るわけにはいかん。ゴーレムでも何でも使って通れるようにしろ」

 

 それだけ言うとまた安全な場所へと戻っていく。部下であるメイジ達もこいつのことは嫌いなんだろう。忌々しげに見送ると、呪文を唱え、20メイルはあるゴーレムが地面から立ち上がる。見上げるような巨体でも、地面の穴には一飲みでしかないだろうが。

 

 岩同士の擦れる、嫌な音が聞こえる。

 

 ここを何とかするためだけに作ったからだろう、緩慢な動きのゴーレム達はゆっくりと足を持ち上げ、そのまま何とか道を作れそうな場所へと向かう。分厚い手袋を何枚も重ねたように膨らんだ手が手近にあった岩を掴み……

 

 

 砕けて落ちた。

 

 「何だ」と疑問の言葉すら言う暇がない。破砕音が辺りに響く。しかも、断続的に、何度も。どこからともなく現れたいくつもの光がゴーレムを打ち抜いていく。腕、足、頭、胴体と、複雑な軌道で光が穿つ。全てのゴーレムが粉々になってしまうまでの時間は、本当に瞬きをする程度のことだった。

 

「――逃げろ!!」

 

 一瞬遅れてそんな言葉が響く。そうだ。あれだけ魔法の数だ、待ち伏せていたに違いない。このままだと次は自分達があのゴーレム達と同じ運命を辿ってしまう。皆が走リ出すのも当然のことだ。自分も、同じように走り出す。

 

 だが、メイジはどれだけの化け物なんだ。一瞬見えた光は、銃ですら届かないような距離からだった。化け物は化け物同士で戦っていればいいものを……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――時間稼ぎにはこんなものか。あとは、待つだけか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場となるべき場所から距離を置いた、開けた場所。そこに貴族派のキャンプがある。切り開かれ、見通しの良くなったそこには船が整然と並んでいる。

 

 空を飛ぶ船ではあるが、基本は普通のそれと変わらない。風の魔法の力の結晶である風石によって浮かびあがらせ、受けた風の力で進む。であるから、見た目にはほとんど違いがないと言って良い。ただ、水の上にあるべき船が地上に整然と並んでいるのはやはり違和感があるものだが。

 

 そして、マストの上には見張り台もあるが、今は誰もいない。どうせすぐにでも決着がつくであろうから、そこまで心配する必要などないということだろう。

 

 そんな様子を、空から眺める者達がいる。

 

 一人は、白い翼に金色に輝く髪を持つ美青年。赤を基調とした服に全身を包み、その上に聖職者が着るような貫頭衣を身に着けている。白が基調であるそれにはいくつもの金の十字架が刺繍され、まさしく聖職者のそれだと分かる。唯一おかしなものがあるとすれば、右手に持った剣ぐらいだろうか。

 

 そして、もう一人は胸元の大きく開いたドレスに身を包んだ美女。背中には、御伽噺に出てきてもおかしくない、四枚の妖精の羽がある。森をそのまま布に映したような、吸い込まれそうなほど鮮やかな緑のドレスに身を包んだ彼女は、長いブロンドの髪を風にたなびかせている。

 

 

「――陽動の方には私が行きましょう。あなたは、船の方を」

 

 青年が、傍らの女性へと言葉を投げかける。

 

「――分かりました。できるだけ派手にお願いしますわ」

 

 はるか下を見下ろしながら、女性が答える。

 

 

「――さて、本来なら人間同士の争いに介入するのは褒められたことではありませんが、我が主の頼みとあれば」

 

 船を眺め、青年が口にする。声は感情のない、淡々としたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――カツン

 

 ある船の中でチェスを打つ音が響く。本来なら褒められたことではないが、誰もとがめる者などいない。立場的なものあるが、何よりも、勝利が確定しているということが大きい。

 

「――そろそろ始まった頃ですかな」

 

 駒を進め、口にする。

 

 ――カツン

 

「――そうですな。まあ、すぐに終わるでしょうが」

 

 当然のことと、返す。

 

「――ふむ。ではこれで……チェックメイトと」

 

 ――カツン

 

「――おや、もう終わってしまったか。しかし、ずっとチェスをというのも飽きますな。どうです、賭けでもしませんか?」

 

 顔を上げ、口にする。お互い、チェスにはそろそろ飽きてきた頃だ。

 

「――それで、何に対して?」

 

 案の定乗ってくる。

 

「『何時まで王党派が持つか』ではどうですかな?」

 

「――それでは賭けにはなりますまい。お互い今日までとなるでしょう?」

 

 笑いながら口にする。

 

「確かにその通りですな。いや、それでは賭けにはならない」

 

 敵がこちらの方に来るかもしれないという報告があったが、こうも暇なら、むしろ来て欲しいぐらいだ。

 

 

 部屋の外から、誰かが騒ぐ声が聞こえた。 

 

「――外が騒がしいようですな、ちょっと見に行ってみます」

 

 席から立ち上がり、外が見渡せる場所へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何だ、これは?」

 

 目に入った光景に息を呑む。一緒に来た部下達も同様だ。何せ、そこら中から火の手があがっているのだから。今いる船は無事だ。だが、私がいる船以外はマストが火に包まれてしまっている。魔法で消火に当たっているようだが、火の勢いが強すぎる。下手をすれば、船ごと焼け落ちてしまうだろう。

 

「――そうですね。この船にしましょう」

 

 場違いな、透き通るような声に振り返る。そうして、さっきとは別の意味で皆が息を呑む。それぐらいに、美しい。

 

 美しい、完璧とも言うべき整った容貌。人ではありえない赤い瞳も、その美しさを際立たせる。しっとりと濡れた唇が艶めかしい。そして、背中にある四枚の羽。まさしく、伝説に詠われる妖精とも言うべきもの。

 

「……捕まえろ」

 

 口から漏れたのはそんな言葉だった。この状況でそれは正しいのかは分からない。だが、どうしてもこの女が欲しい。私の言葉に、気がついたように部下達が動き出す。

 

「――あらあら、困った人達ね。でも、私に触れていいのは主様だけ……もとい、主様と夫だけですわ」

 

 ぐらりと、視界が歪む。

 

「――本当なら石にでもしてあげる所だけれど、今は、機嫌がいいの」

 

 立っていられない。

 

「――ゆっくり、おやすみなさい」

 

 意識が――遠のいていく。ただ、甘い声と優雅にスカートをつまみ上げる様だけが頭に残る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あれは」

 

 空を見上げ、呟く。一隻の船が向かってくる。他の船に比べ圧倒的に巨大なそれは、レキシントン号。そして、もとの名は王軍の旗艦、ロイヤル・ソブリン号。この国の象徴でもあったそれは、平民である自分も良く知っている。

 

 しかし、なぜ? この状況、艦隊で一気にというのは分かる。だが、今はあの一隻しか見えない。それではどんな戦艦であっても的になりに行くようなものだ。それなのに、船は進んでいく。さっき攻撃があった場所へと一直線に……。

 

「――おかしい」

 

 誰かが呟く。だが、確かにおかしい。攻撃される様子はなく、そのまま真っ直ぐに城へと向かっていく。一体、どうなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――まさか、こんな形でこの船を見ることになるとは」

 

 調達してきたという船を見て、そんな言葉が漏れる。この船を見る者たちは、皆同じ気持ちのはずだ。かつてのこの国の象徴、そして敵へと渡り、その象徴となった。それが再び戻ってくることになるとは夢にも思わなかった。なかには涙を流す者さえいる。

 

「――それで、どうする?」

 

 責任を取るといっていた男が、ゆっくりと口にする。

 

「どうする、とは?」

 

 言っていることの意味が掴めず、疑問を呈する。周りにいる他の者達も一斉に彼を見る。

 

「この船ならば、全員が乗れるだろう」

 

 その言葉にざわめきが起きる。確かに、彼の言う通り、この船ならば全員が乗ってもおつりがくるだろう。だが……それは……。

 

「――結局の所、生き残った者が勝者だ。命乞いをしてでも、生き残ればチャンスはある。……俺から言えるのはそれだけだ」

 

 それだけ言うと、船へと登って行く。私達にとって、この国にとって特別な船へと。

 

 

 

 

 ――私は、指揮官としてどうするべきなのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 船へと登っていったシキを追いかける。

 

「――待って!」

 

「……どうした?」

 

 シキが振り返る。

 

「……シキは、結局どうしたいの?」

 

 少しだけ考え込むようにした後、苦笑する。

 

「本当に、どうしたいんだろうな?」

 

 困ったようにそれだけ言うと、そのまま歩いていく。



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第13話 Hidden Feelings

「──主様」

 ティターニアがゆっくりと歩みを進める。

「それでは、約束通り……」

 魅惑的で、引き込まれるような妖しい笑みを浮かべながら。艶めかしい、紅い瞳と唇が女を感じさせる。





 

「──確かに、あの船ならば皆で乗ったとしても十分な余裕がある」

 

 ポツリと、一人が口を開く。皆が思ってはいても、口に出さなかった言葉だ。もちろんその言葉に噛み付く者がいる。

 

「何を弱気なことを!! 我らが取るべき道は一つ。あの無法者達に我らの意地を見せねばならん!」

 

 ダン、とテーブルに拳を叩きつける。

 

 あの船に、ようやく我らの元へと戻ってきた船に勇気付けられたのだろう。昨日までとはまるで覇気が違う。そして、それは一人ではなかったようだ。

 

「その通り! ──そうだ。あの船を戦に投入すべきであろう。我らの意地を見せるのにあれほど相応しいものはない」

 

 その通りだと共鳴する者達が一人、また一人と出てくる。

 

 確かに、あの船があれば……。あれほど相応しいものはなく、勝つことはできずとも、満足な結果を上げることができるだろう。皆それに惹かれるものがあるのか、徐々に賛成の声が大きくなっていく。

 

 だが、それでいいのだろうか? 小さな、そのチリチリとしたわずかな疑問が私を戸惑わせる。

 

 扉が開く音が響いた。 

 

 皆がその考えに流れようとした時で、その音の元へと一斉に視線が集まる。 

 

 その視線に耐えかねたのか、入ってきた少女は一瞬たじろいだような様子を見せるが、すぐに表情を引き締める。あの時の、空賊相手に啖呵を切った時のように。

 

「──ご無礼を承知で申し上げます。どうかトリステインへと亡命なさって下さい。生きていればチャンスは……」

 

 まるで子供がするように、小さな体を精一杯動かし、声を張り上げる。必死に説得しようとするも、やはり遮る声がある。

 

「……お主のような小娘に何が分かる!! そのような生き恥をさらすような真似ができるとでも!? 第一、トリステインは我らを見捨てたのだ! 援軍さえあればこのようなことにはならなかったかも知れぬのだぞ!?」

 

 まるで糾弾するような苛烈な言葉を叩きつける。本人にその意図はないのであろうが、子供に対してとは思えぬほどの苛立ち混じりの言葉だ。少女の影にトリステインでも見ているのか。もちろん、その言葉に理などない。矜持がどうとか言うのであれば、そもそも他国の助けがなかったことを攻めるなどということは……。

 

 だが、それは本心の一片だ。もしかしたらこのようなことには、と。私とて、全てを否定することはできない。

 

 誰もこのような結末など、本心から望んでいるものではなかった。皆も多かれ少なかれ同じ気持なのだろう。だから、咎める者がいないのかもしれない。

 

 ある意味ではまっすぐな、やり場のない気持ちをぶつけられた少女は、口ごもる。何かを言おうと口を開くも、言葉が形にならない。それも仕方がない。この場に少女の味方となる者が一人もいないとなれば。皆に責められているのと同じなのだから。

 

 やがて場が静まり返る。その言葉を言った者も、他の者も、皆が言葉をなくす。少なからず分かっているのだ。この少女を責めることなど八つ当たりもいい所だと。私は──何を言うべきだろう?

 

 様々なことが頭をよぎる。戦うこと、逃げること、様々な可能性が。どちらにも、理はある。

 

 例えば、王家の責任を果たし、少しでも後に続く者に道を示すこと。だが、王家の責任を果たすというのなら、今は恥をしのび、戦い続けることもまた。あの男が言ったとおり、生きてさえいれば……、いや、生きていればこそだ。

 

 それは、ある意味ではもっと勇気がいることでもある。恥に耐え、それでも戦い続けること。前者の方が華々しく散ることはできるだろう。様々な考えが頭に浮かび、消えていく。

 

 そんな中、一人の少女の姿が脳裏をよぎる。私が愛した、たった一人の少女の姿が……。その者を思うのなら、とも思う。だが、それでも

 

 

 

 

 ──会いたい。

 

 

 

 

「……亡命……しようと思う」

 

 口から出たのはそんな言葉だった。

 

 ざわりと声が上がり、一斉に皆の視線が集まる。ほんの少しの間だけ目を閉じ、再び開く。

 

「──私達は民を守るために、少しでもやつらを挫くために、そう思っていた」

 

 再び皆が静まり返る。私がこれから話すことを聞き逃すまいと。

 

「だが、それが本当に民を救うことになるのだろうか? 本当に民のことを思うのならば、例え今は恥辱であろうとも、生き残り、勝利するべきだはないだろうか? そうでなければ、全土を統一などと掲げた者達。争いは全土へ広がるだろう。責任というのなら、我らは責任を持ってやつらに打ち勝たなければならない」

 

 一息に口にする。

 

「……それでも」

 

 ポツリと、ある者が下を見つめながら口にする。きっと、感情が認めないのだろう。しかし、力はない。この者とて死にたくはないはず。理解はできても、納得できないのであろう。

 

 

「──私は誓う」

 

 何かを言いたそうにしているのを遮り、再び口にする。

 

「必ずややつらに打ち勝ち、民を守ると。その為には、ここで死ぬわけにはいかない。皆には、恥に耐え、どうか一緒に戦って欲しい」

 

 言葉とともに皆を見渡す。一人一人をしっかりと見据えて。

 

「王子……」

 

 皆にはまだ、迷いがある。それは、私も同じだ。だが、間違っているとは思わない。間違いになど、するわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──夫がいるだろうに」

 

 ベッドの中、首筋にアラバスタのごとく透き通る白さの腕を絡ませてくる美女へと問いかける。しかし、相手はどこ吹く風といった様子だ。

 

「あら、最初に求めてきたのは主様ですわ。――それに、そんなことを言っても体は正直ですものね」

 

 組み敷かれる姿勢ながら、楽しそうに呟く。いつもとは違う、子供っぽさも含んだ声で。そうして、からませた腕を解き、右手をゆっくりと伸ばしてくる。

 

「──もちろん、私も」

 

 体をこちらへと投げ出したまま、もう一方の腕でこちらの手をとり、自分の方へと引き寄せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉が叩かれた。

 

「──いいだろうか」

 

 ノックがあり、あの王子の声が聞こえてくる。

 

「……氷付けにでもしてあげようかしら?」

 

 扉を見据え、冗談でもなんでもなく部屋の中の温度を下げながら、乾いた声で呟く。早くも凍ってしまったのか、部屋に置かれた水差しがキシリと音をたてる。

 

「頼むからやめてくれ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──とてつもなく嫌な予感がした。それに寒気もする。思わず身震いをしてしまう。体にははっきりと鳥肌も見える。だが、彼と話をしないわけにはいかない。

 

「……どうした?」

 

 少しだけ間をおいて、部屋の中から彼の声が聞こえてくる。

 

「話がしたい。いいだろうか?」

 

 気を取り直し、口にする。

 

「今は……出られない」

 

 困ったような声な声が返ってくる。もちろん困らせるなどというのは本意ではない。

 

「ならば一つだけ言わせて欲しい。私達は生き残って戦い続けることにした。──たとえそれが恥であろうともね。その選択ができたことも君のおかげだ。感謝している」

 

 これが最良の選択だったかどうかは分からない。だが、最良となるようにすればいいだけだ。

 

 それだけ言って後にする。それだけ伝えられればいいから。そして、それ以上そこにいると後悔しそうな気がしたから……。もう一度だけ、ぶるりと体を震わせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──主様」

 

 赤い瞳がこちらを見据える。

 

 ちらりと半ばまでを凍りついた扉を見やり、すっかり不機嫌になってしまった女王様のご機嫌を取るため、再び抱きしめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋を抜け出し、広々とした廊下を進んでいく。生憎と乗ったことはないが、おそらく頑強を重視しながらも装飾といった意味でも豪華客船に負けないだろう。何度か曲がり角を抜け、これまた船とは思えないほど重厚な扉を開く。中はこの船の中でも特に広いつくりになっているようで、見上げるほどに天井が高く、開放感がある。そして、中にいた者全ての視線が集まる。

 

「──シキさん。今までどちらに?」

 

 その中の一人であるエレオノールが尋ねてくる。この部屋でこれからのことでも話していたんだろう。あの城での会議で見かけた者達、そして学院の関係者達が集まっている。とりあえず、分かれてはいるようなので、後者の方へと向かう。

 

 

「──少し部屋で休んでいた。さすがに疲れたからな」

 

 本当のことなど言えるはずがない。もっともらしい言葉で濁す。それに、完全に嘘というわけではない。疲れているというのは本当だ。――もっとも、更に疲れたわけだが。

 

「さすがにあれだけのことをやってのければ――そうだろう」

 

 学院側のエレオノールと同様、中心を占めているワルドが口にする。何となく楽しそうな様子が少しだけ気にかかる。あの時から向けてくる視線が違う。何となくそんな様子をどこかで見たような気がする。だが、今は思い出せない。

 

「今はこれからのことについて話あっていました。王族の亡命ともなれば影響は大きいものになりますから。シキさんも、話だけは」

 

 エレオノールが横から、視線を落とし本当に申し訳無さそうに口にする。

 

 確かに、全くの無関係というわけにはいかない。選んだのは彼らだが、その結果は知っておく必要があるだろう。エレオノールが用意してくれた席へとつく。

 

「今までの話を伝えておきますね」

 

 声を大にして話すべきものではないからだろう。耳元に口を寄せ、周りには聞こえないよう手を当て、話し出す。

 

 大まかに言ってしまえば大体二つになるようだ。すなわち、これからアルビオン王家はどうするか、そして、トリステイン王家にどういったことを求めるか。これは一種の取引であるから話は表面的なものにならざるを得ないが、続く話を含め、多少は分からなくもない。

 

 例えば王族の亡命。今まではどちらかといえば不干渉という形であったが、亡命に関しては受け入れられる、いや、受け入れざるを得ない。もちろん政治的には様々な問題があるが、血のつながりがあり、更にこの状況、受け入れないという選択はできないと思っていい。

 

 もちろん、亡命を受け入れれば貴族派との争いは避けられなくだろう。だが、エレオノールの見立てでは遅かれ早かれ何らかの諍いは避けられなかった。ならば手を組むという形は悪くはない。貴族のみが魔法を使えるというこの世界、純粋に戦力としても、もしくは大義を立たせるという意味にしても。直接的にではないが、味方をするということで貸しを作るというのも悪い選択ではないだろう。

 

 その後、ある程度の話を聞いたところで席を立つ。これ以上関わるということは考えていないこと、そして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──もう、待ちくたびれましたわ」

 

 ベッドに腰掛け、拗ねたように口を尖らせる。

 

「──今夜は寝かせませんから、覚悟してくださいませ」

 

 ほんの少しだけ嗜虐心を覗かせる。真紅の瞳と濡れた唇がやけに艶めかしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓からは光が差し込んでいる。そこから外を覗けば、遠くに見覚えのある景色が見える。壁に囲まれた町があり、その中心に城がある。普通に歩いていた時とは違い、空からなのではっきりと全貌が確認できる。ここまではっきりと見えるということは、もうすぐ到着するということだろう。

 

「──シキさん、何だか昨日よりも疲れていませんか?」

 

 エレオノールが不思議そうにこちらを見ている。しかし言う側の方が疲れているように見えなくもない。昨日はあの後もずっと話し合っていたんだろう。目にはうっすらとくまが見て取れる。とはいえ見た目には、というだけで、一つ一つの挙動はいつも通りしっかりとしている。この辺りはさすがといったところだろう。

 

「そうですね。でも、シキさんでもやっぱり疲れたりはするんですね」

 

 ロングビルも不思議そうに──少しだけ楽しそうに──相槌を打つ。

 

「んー、何だか一晩中愛し合った次の日みたいね」

 

 唇に指を当て、キュルケがなかなか鋭いことを言う。──大正解だ。実にいい勘をしている。いや、この場合は経験の賜物だろうか?

 

「……あんたの男と一緒にしないでよ」

 

「……あまりそういう冗談を言うのは感心しませんね」

 

 ルイズとエレオノールが口を尖らせ、不機嫌そうに反論する。

 

「まあ、そういう人じゃないですしね」

 

「確かに……そうですよね」

 

 ロングビルもそれに同意し、キュルケも認める。

 

 ──なんだか、複雑だな。そういう風に見てくれているというのは悪くはないが、妙に裏切った気分になる。続く会話を聞きながら、つい顔を背けてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甲板に出てみると、兵が船を囲み、遠巻きにだが、更に一般の人々が囲んでいるのが良く分かる。普通のサイズの船だったならば城に直接下りることができたらしいが、この船は大きすぎてそれができなかったようだ。そういうわけで、今は城の外の、町からも出た場所に停船している。

 

 おかげで船の周りは騒がしい。いきなりのことで状況が掴みきれていないんだろう。エレオノールによると、アルビオン王家の人間であることはすぐに確認できたが、政治的に色々と厄介なことがあるらしい。このままにという方がよっぽどまずい気がしなくもないが、まあ、そういうものなんだろう。

 

 そんな話の中、視界の中にユニコーンに引かれた馬車が入ってくる。エレオノールがそっと耳打ちするが、どうやら王族らしい。王族を迎えるのは王族ということか。この辺りも難しい部分か。

 

 嬉しいような悲しいような、複雑な様子でそれを見ながら、王子からこちらへと顔を向ける。

 

「──面倒をかけるが、もうしばらくだけ付き合って欲しい。どうしても私達だけでというわけにはいかない。もちろん、できるだけ迷惑をかけないようにはするが……」

 

 王子が恐縮しながら口にする。一国の王子がここまでというのは普通は考えられないと思うのだが。

 

「……これも責任のうちだ。かまわない」

 

 俺にはこういう言い方しかできない。つくづく不器用だと実感する。思ったことをそのまま伝えられるルイズのような人間が本当にうらやましい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──無事を喜ぶのもいいでしょう。ですが、良いことばかりとはかぎりませんぞ」

 

 馬車の中、傍らのマザリーニが口にする。いつも以上に厳しい表情だ。

 

「……分かっています」

 

 表情を引き締め、答える。私だって何も知らないわけではない。マザリーニが心配していることも分かる。これから大変なことが起きるということも。

 

 ──でも、それよりも、何もよりも、嬉しい。またあの人と一緒に――不謹慎だが、問題が解決しない間は一緒にいられるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城の一室では会談がもたれることになった。もちろん全員がというわけではない。王族を始めとする重鎮達と、関係者ということでエレオノールが。学院からの者で残っているのはエレオノールだけだ。

 

 これ以上迷惑はかけられないという王子のたっての希望と、身元がしっかりしているということから他の者は戻ることが許された。もちろん代表者──この場合はエレオノール──が残るということが前提だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──お姉さまは大丈夫かな? 昨日も夜通しだったし、疲れていると思うんだけれど……」

 

 ルイズが心配そうに口にする。だが、昨日はルイズも一緒だったはずだ。その証拠にルイズにもエレオノールと同じように、うっすらとくまが見て取れる。

 

「そうだな。だが、寝ていないのはルイズも一緒だろう? くまができているというのは一緒だからな。今のうちぐらいはゆっくりしても罰は当たらないんじゃないのか?」

 

 ルイズの頭に手をのせ、諭すように口にする。

 

「うん……」

 

 視線を上げ、小さく頷く。そういえば、王子達を説得したのはルイズという話だったか。俺の肩口ほどという小さな体で、本当に大きなことをやってのけたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──さすがに、疲れるわね」

 

 口からはため息がもれる。今はと言えば一旦学院に戻っているのだが、別に全ての話に区切りがついたわけではない。ただ単純に、学院にも話を通す必要があるからというだけだ。それが終わればまた城に戻らなければならない。

 

 今回の件に関しては学院の生徒が関わっている。もちろん、今に関しては私もその中に入っているようなものだ。加えて、亡命者の数というものがある。さすがにあれだけの大所帯、城で全てをというわけにはいかない。有力な貴族のもとにと最終的には落ち着くのだろうが、それにもそれなりに準備というのものが必要になる。そこで学院に白羽の矢がたった。──まあ、推薦したのは私だが。

 

 とにかく、そんなわけで学院に戻ってきている。これから学院長に話を通す必要があるのだが、その前にやらなければならないことがある。

 

 視線を落とし、懐に手をやる。コツと硬いものが手に触れる。ユニコーンの、唯一残った角だ。ごたごた続きで忘れていたけれど、これはシキさんに返すべきだろう。その方が、きっといいはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズの部屋の前に立ち、ノックする。

 

 一呼吸、二呼吸……、待ってみるも返事はない。軽くノブ捻ってみるが、ガチリと音が鳴るだけで鍵がかかっていることが分かる。どこに行ったのかしら? そんなことを考えている間に、ガチリと扉が開く。残念ながらルイズの部屋のではなく、後ろの扉だったが。誰かと振り返る前に声をかけられる。

 

「──あら、ミス・エレオノール。もう話は済みましたの?」

 

 特徴的な赤毛を揺らしながら首をかしげ、口にする。相変わらず、嫌味なまでに胸元が開いた服を着ている。つい自分の視線もそこへと向いてしまうのが何となく癪に触る。だが、今はそんなことはいい。……少しは気にするけれど。

 

「それはまだ。今は学院の方にも用事があるだけです。それと、シキさんに用事があって」

 

 それだけ聞くと、少しだけ考えるような仕草を見せる。たまに思うのだが、仕草が何となく芝居がかっているように見えなくもない。そして、それが実に様になっていると。

 

「シキならルイズと一緒に外に出て行ったみたいですけれど? たぶん、近くにはいると思いますが」

 

 軽く礼を言って外へと向かう。あまり時間があるわけでもないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下を進み、一旦宿舎から出る。さすがに学院の外までということはないだろうから、たぶん学院の中ではあるはずだ。二人がいそうな場所を探すことにする。ルイズの髪は目立つし、シキさんも同様だ。いればすぐに分かるだろう。心持ち、足早に進んでいく。

 

 テラスの前、念のため中の方も覗いてみる。残念ながらいなかったが。足を止めずに進んでいく。たまにいる生徒からの挨拶へ返しながら。そのまま建物沿いに歩みを進めるが、なかなか目的の相手は見つからない。

 

 そのうち生徒もほとんどいない所にまで来てしまった。ここで会えなかったなら一旦諦めよう。そう思った所でようやく見つけた。手を上げ、声をかけようとして――やめた。

 

 二人は学院の中でも特に静かな所にいた。

 

 この学院は基本的には芝生が植えてある。しかし、ここは違う。あえてそのままにしてある。全く手入れをしていないというわけではないが、自然に任せている。まばらに木もあり、夏はちょうどいい日陰ができる。少し離れた場所は林で、そこから吹いてくる風は木の臭いがして落ち着く場所だ。私も、好きだった。きっと、ルイズも好きなんだろう。そんな場所に、二人が寝ている。

 

 シキさんがとある木の一本に寄りかかり、首もとの角がささらないように器用に寝ている。そして投げ出した足の片方に抱きつくように、ルイズが猫のように丸くなって寝ている。うまく仲直りできたということだろう。姉として素直に嬉しい。

 

 そんな二人を見て、少しだけ迷ったけれど、足音を立てないようにゆっくりと近づく。手を伸ばせば届くぐらいに。

 

「──幸せそうに寝ているわね」

 

 ルイズの寝顔を見て、素直にそう思う。自分を隠さずに甘えられる、うらやましい限りだ。ルイズも私と同じで、そんな風に甘えるなんてことはしないと思っていたけれど。何となく、ルイズの側に腰を下ろして、頬をつんと突いてみる。くすぐったそうに身じろぎする。そのまま手で顔をかく仕草なんかは、本当に猫みたいだ。素直に、可愛らしいと思う。

 

 そして、そのままシキさんの方へと視線を移す。さっきからほとんど身じろぎするということがない。朝の様子からすると、よっぽど疲れていたんだろう。どうやって足止めしたかはしらないけれど、聞いた限りは天変地異レベルのことをやってのけたという話だし、仕方がないのかもしれない。

 

 ──今ルイズと一緒に寝ている様子を見る限り、穏やかでそんな風にはとても見えないけれど。普段の様子なんかを思い出して、つい、くすりと笑みが漏れる。

 

 そういえば、とふと思う。今の様子は、ルイズとは本当に仲の良い兄妹みたいだ。そうすると、私とシキさんだったらどういう風に見えるんだろう? そんな考えが頭に浮かぶ。

 

 シキさんの顔をじっと見てみる。珍しい顔立ちで、年齢的なものはよく分からない。10代といえばそういう風にも見えるし、落ち着いているし、もっと上でもおかしくないような気もする。本当に、見れば見るほど分からなくなる。

 

 思えば、本当にこの人のことは知らないんだと実感する。そして、それを知りたいと思う自分がいるということも。

 

 ──今までこんなことはなかったんだけれど。こういうのが……好きっていうことなのかな? 今まではそんなことがなかったから、よく分からない。

 

 また、じっと顔を見つめる。ルイズだったら兄妹だけれど、私とシキさんだったら、もしかしたら恋人同士に同士に見えるのかな? 見ていると、そんなことが頭に浮かぶ。何度もシキさんを見て、何度も気恥ずかしさから目を逸らす。

 

 そんなこと何度も繰り返して、また王宮に行かなければいけないと思い出して立ち上がる。何となく周りを見渡してみると、近くには私と、シキさんと、ルイズを除いて誰もいない。当然だ。普段ここには誰も来ないから、ここはこんなに静かな場所なんだから。

 

 もう一度、辺りを見渡す。やはり誰も近くにはいない。ゆっくりとシキさんに近づき、腰を落とし、頬に口付ける。

 

 少しだけ頬に触れた後、ゆっくりと離れる。それでも、シキさんは眠ったままだ。少しだけ、残念な気もする。

 

 なんとなくそのままシキさんの顔を見ていて、みるみる自分の顔が熱を持っていくのが分かる。今までの人生の中で、一番赤くなっているかもしれない。今更ながら、ものすごく気恥ずかしい。寝ている相手に、しかも、妹が傍にいる場所で。

 

「……そ、そろそろ戻らないと」

 

 誰かに言い訳するようにとくるりと背を向け、小走りに歩き出す。そんなことはないと思うけれど、手と足が同時に出ているかもしれない。とにかく、それくらい動きがぎこちなくなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──起きるタイミングを逃したな」

 

 ルイズの髪を撫でながら、空を見上げる。くすぐったそうに身じろぎするルイズがやけに平和に感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、いくつかの噂が広がった。

 

 例えば、突然のアルビオンの艦隊の戦線離脱に関して。その理由が、見たこともないほどの強力な魔法を使う翼人が艦隊を焼き払ったという噂だ。

 

 その中には、他にもおかしなものがある。

 

「──妖精を見た」

 

 伝説にのみ詠われる妖精を、その場で見たという。確かにその背に妖精の羽があったという。そして何より、美しかったと。

 

 どちらも眉唾物もいい所だ。翼人は先住魔法の使い手ではあるが、エルフではあるまいし、……いや、そんなことができるとしたら、はっきりとエルフ以上の化け物もいい所だ。妖精にしても、森ならばとも思うが、よりにもよって戦場でなどと。なんともアンバランスだ。

 

 どちらも、取るに足らないような話だ。まあ酒の肴にはなる、その程度の話だ。だが、そんな話もある男にはきちんと届いている。その男がいるのは、この大陸でもっとも強国であるガリア。そして、その男というのが無能であるとあざけりさえ受ける王、ジョセフ。

 

 だが、事実は、正反対だ。これ以上なく優秀であり、それが問題でもある。いっそのこと、本当に無能であったほうが良かっただろう。最愛の者を自らの手で殺めて以来、すっかり心が歪んでしまったこの者に関しては。

 

 その王が、誰にともなく呟く。

 

「──何か、想定外のものがあったのは間違いないか」

 

 噂に関して、完全に信じるでもなく、さりとて、笑い飛ばすでもなく。ただ情報として冷静に受け止める。だが、考えた後、かすかに唇を歪める。

 

「──予定通り過ぎて、少々飽きてきたところだ」

 

 傍にいるものだけがかすかに聞こえるような声で、呟く。そして、その響きには本当に彼のことを知るものならば分かる程度に喜びがある。

 

「──しかし、亜人か。ふむ……。まあ、それも面白いかもしれんな」

 

 それだけ言うと、再び考え込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、最強の国に唯一対抗できるであろう教皇庁。表立った権力などはなくとも、古来より宗教は力を持つ。心のよりどころとしてはもちろんのこと、それ以外に関しても。

 

 そんな存在だ。当然の如く、組織としても暗部を持つ。諜報、果ては暗殺まで。そこでは様々なことを行っている。組織が大きくなれば自然とそうなるものだ。

 

 もちろん、そう後ろ暗いことばかりをやっているわけでもない。たとえば、ガンダールブの槍の回収。ブリミルの使い魔であるガンダールブ。そして、その武器である槍。これを収集することは教皇庁としては重要なことだ。

 

 ──目的はどうあれ。

 

 そして、その槍というのは当然武器だ。それもただの武器ではない。そういったものが発達した世界から、扱える中で最強のものが召喚されてくるのだ。そのゲートとでも呼ぶべき場所が聖地にあり、そこを通って様々な武器が現れる。中には武器でないものも通ってきてしまうことがあるのだが。

 

 何にせよ、召喚されたものは自然に手元に来るわけではない。となれば、回収しなければならない。そういったことが秘密裏に行われている。ずっとずっと昔から連綿と続いている。しかし、最近になって問題が起こってきた。

 

「──どういうことだ? 聖域が危険だということは分かっている。だが、最近の生還率は異常だ。ゼロなどということはいくらなんでもありえん」

 

 ダン、と机を叩く。回収の責任者である男が息を荒げ、口にする。周りにいる部下もその通りだとは思っているが、結果は変わらない。

 

 ガンダールブの槍は、武器が発達した世界から召喚される。すなわち──地球から。

 

 だが、その世界は。すでに滅び、まったく別のものへと変わり果てている。



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第14話 Refugee

 原因は不明であるが、アルビオン自慢の艦隊が交戦能力を喪失した。その情報はトリステインにも伝わっていた。

 原因は不明である――しかし、誰がそれを行ったのかはここ、トリステインとアルビオンからの亡命者達の首脳が集まるこの広間では、ある意味共通の認識であった。すなわち、魔法の才など皆無だと、ゼロと嘲られた少女の使い魔であると。
 どうやったのかは分からない。しかし、万にも及ぶ大軍をたやすく退け、更には最強とも言われるアルビオンの空軍を沈黙させた者は、間違いなくその使い魔だ。





 便宜上、使い魔とは認識しているが、ほとんどの者はそのようには捉えてはいない。始祖ブリミルの使い魔をはるかに凌ぎ、始祖本人すらも越えるような可能性のある存在を使い魔とは、とてもではないが同一視できない。

 

 むろん、使い魔という形ではあるのだろう。今回の亡命が成功したのは、その使い魔が少女の願いごとを、一部とはいえ受け入れたからなのだから。

 

 ならば、戦力として考えてよいのか? 

 

 ――答えは否だ。

 

 主人に絶対服従などということは一切なく、共にするのは主人である少女が愛おしいからに他ならない。今回に関しても、あくまで戦争には関わる気はないとのことだ。それでもあれだけの損害を与えたわけではあるが。

 

 まあ、それならば、実際に行うかは別にして、少女を人質にということもできないではない。

 

 終わった後のことを考えないのであれば。戦争には間違いなく勝つ。しかし、その後は? そのような存在を敵に回すぐらいならば、全ての国を敵に回すほうがよほど楽であろう。

 

 幸い、アルビオンを手中に収めた連中の戦力は大幅に低下している。最強の手札などに頼らずとも、十全以上に戦える。

 

 アルビオンが強国であった理由は、ひとえに唯一の進入経路である空に全戦力を集めることができるから。他国と違って空軍のみ戦力があればよいアルビオンは、その質が違う。空で戦えば間違いなく――ガリアですらも敗北するだろう。

 

 逆に言えばアルビオンには空軍しかない。その空軍が満足に戦えないとあれば、今のアルビオンは丸裸のようなものだ。

 

 勝算は十分、そしてアルビオンからの亡命者を抱え、戦争の大義も立つ今は、間違いなく攻め入る好機であるといえる。統一を詠い、敵対するのが明らかな相手に挑むにはまたとない好機だ。ゲルマニアと協力すれば被害も最小限になろう。

 

 であるから、この場で論議の的となるのは見返りについてだ。いくら血縁関係にあろうとも、それだけでは動けない。足元などいくらでも見れる状況。それを全く使わないのは、例え感情的には正しいと思おうとも、それでは臣下の、そして民の不満を買って己の首を絞めるだけだ。お互いにとって程よい落とし所というのが重要になる。

 

「――全ての経費をアルビオンで。加えて、こんな所ではどうですかな?」

 

 皆が配られている資料へと目を落とす。程よいといっても、国家予算に匹敵する額。戦争で勝っても一切得るもののないアルビオンにとっては、この上なく重い負担であるのだが。

 

「――そこが、無難なラインでしょうね」

 

 王子が苦々しくも口にする。例えそうであっても、自身とて納得する所であれば。亡命とは、国と国の間において助けを求めるというのはそういうことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――仕方がない、そういうものなんでしょうね。まさか、トリステインがあの人を苦しめることになるなんて、夢にも思わなかったわ」

 

 アンリエッタ姫が暗く、沈んだ声で口にする。亡命者達がこの国にやってきた当初の隠し切れない嬉しさというものはなりを潜めている。

 

 姫と王子の関係は全く知らぬというものでもない。それがこのようなことになるというのは、ずいぶんと皮肉なものだ。もちろん、死ぬよりはいいだろう。だが、なんともやりきれないものだ。

 

「……姫様」

 

 つい、口にしてしまう。昔から王家とは親交があった。一番仲が良かったのはルイズであるが、だからこそ、ある意味では、妹のようにさえ感じているのだから。

 

「――大丈夫です」

 

 沈んだ表情は変わらないまでも、努めて明るく振舞おうとしているのが見て取れる。

 

「あの人が王子として振舞っているんですもの。私もそれに見合ったものでなければ、示しがつきません。――近いうちに、ヴァリエール公爵もこちらにいらっしゃいます。その後は、あなたには学院の方をお願いします。……あなたにはルイズとはまた違った形で助けられました。本当に、ありがとうございます」

 

 姫という立場でありながら、深く頭を下げる。本当に、感謝しているということだろう。――ここまでさせる愛情というもの、今なら……分かりそうな気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――学齢期のもの、および、過半数はこちらに。住居に関しては空いていた部屋の活用、学生寮、職員寮といったもので何とか数を揃えましょう。ただし、あくまで仮という形でしか用意できていないので、この状況が続くのなら増設といったことも必要になるでしょう。加えて、人が増えれば仕事も同様ですから、人員に関しても多少は補給する必要があるかと思います」

 

 学院長室で、報告書をめくりながら必要事項を伝えていく。

 

「そうかね。まあ、その辺りは何とかしよう。予算に関しても国から出るじゃろうしな」

 

 長いひげを撫でながら、珍しく至極真面目な様子だ。まあ、腐ってもこの学院のトップに立つ人間、そうでなければ務まるまい。セクハラまがいの普段の言動の方がおかしいのだ。できればいつもこうであって欲しいものだ。

 

「報告は以上ですが、何かありますか?」

 

 書類をまとめ、問いかける。

 

「――いや、今の所は特にないの。下がってもらってかまわんよ」

 

 少しだけ考えるようにして答える。

 

「そうですか。では、これで失礼します」

 

 軽く一礼してくるりと背を向ける。

 

「――ああ、そうじゃ」

 

 ドアに手をかけたところで、思い出したように声が投げかけられる。

 

「なんでしょう?」

 

 向き直り、尋ねる。

 

「いや、大したことじゃないんじゃがな」

 

 この人物にしては珍しく、遠慮した様子が見える。

 

「――なんとなく、不機嫌なように見えてな」

 

 それだけ言ってこちらに視線を向ける。さっきまでと同様、何時ものふざけた様子は伺えない。

 

「――気のせいでしょう。忙しくなったので、比例してそういったことはあるかもしれませんが」

 

 簡潔に返す。感情を込めない、言葉だけを。

 

「――そうかね。まあ、それは仕方がないかも知れんな」

 

 少しだけ間を置くと、そう呟く。納得したというようには見えないが、それ以上追求するつもりもないようだ。

 

「以後そういったことはできるだけ表に出さないようには努力します。もう、かまいませんか?」

 

 言葉通り、感情を込めずに口にする。こういった対応は、なんとなく子供っぽいようにも思うが。

 

「あ、ああ。引き止めて悪かったの」

 

 戸惑う様子を見せる学院長を尻目に、失礼しますとだけ、極めて事務的に部屋を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――こちらはご自由にお使いください。さしあたって必要なものは中に揃えてありますので。もちろんそのほかにも必要なものはあるでしょうから、遠慮なくおっしゃってください」

 

「ありがとう、ございます」

 

 幼い子供を連れた貴婦人に、着替えといったものをわずかでしかないが手渡す。そんなものではあるが、涙を浮かべ感謝される。

 

 ひとまずはここで暮らすことになった人々に、さしあたって必要なものの支給、そして、ここで暮らすのに必要なことを伝達していく。――そして、その度に感謝される。貴族に、よりにもよってアルビオンの貴族に。

 

 この中には、もしかしたら私の家族を貶めた者達もいるのかもしれない。よりにもよって私がその世話役になるのだ。なんて皮肉なことだろう。

 

 でも……、今は恨みきるということもできない。ここにいるのは、負け戦の中、最後まで城に残った人間。少なくとも、軽蔑するくずのような貴族達とは、違う。でも、私にとっては……

 

 どうすればいいのか分からない。――心が、ざらざらする。何時ものように、いや、何時も以上に内心は見せずに事務的にこなしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――しばらくは、私が世話役か」

 

 なんとなく、口に出して確認してしまう。

 

 簡素な自室には私だけ。ベッドとその高さにあわせたテーブル、後はそれほど広くはない部屋の隅にワードローブがあるだけだ。家具にも特に飾り気はない。女の部屋にしては随分と殺風景だろう。色があるとすれば、テーブルに載ったワインぐらいだろうか。そのワインも安物で、この部屋に見合ったものでしかないが。

 

 目を閉じると、昔の生活が頭に浮かぶ。私だって、もう随分と前のことだけれど、部屋に飾るような雑貨を集めたり、そういった女の子らしいというようなことが好きだった。綺麗な服で自分自身も着飾って、――それこそ、貴族らしく。それなりに有力な貴族の娘だった私は、そういったことで不自由するなどということは考えもつかなかった。

 

 ――まあ、もう昔の話でしかないけれど。

 

 皮肉を胸のうちで呟きながら、ワインを一息に煽る。気づけば、まだ宵の口だが、もう既に半分ほどあいている。安酒だが、酔うだけなら十分だ。今はただ、それだけでいい。もう、そういうものにもずいぶんと馴染んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 綺麗に手入れをされた庭が、薄ぼんやりと月に照らされている。とうに満月は過ぎてしまったが、さすがに二つも月があるだけあって十分に明るい。ぽつぽつと並ぶ木々の影が地面に広がり、不思議な模様を描く。時折風が吹くと、影絵芝居のようにも見えてくる。そして、庭といってもこの学院の庭だ。国立公園だとかと同等の広さの庭は、毎日歩いても今の所は飽きない。そんな場所を二人で歩いている。

 

 しばらく前までは一人でだった。だが、最近はルイズもついてくるようになった。別に喋ったりするわけでもなく、ただ歩くだけ。だが、飽きない。特に、ルイズがついてくるようになった最近は。

 

 歩幅を合わせてはいても、時折ルイズが遅れる。そんな時はパタパタと追いかけてくるのが、つい笑みがこぼれてしまうほど可愛らしい。おかげで、たまにはわざとやってしまう。そんなときにはルイズも気づいて不機嫌になる時もあるが、そんな様子も可愛らしくて、ついついやってしまう。

 

 ――今日も、つい。しかし、ふと目に入ったものが気になって足を止めてしまった。

 

「どうしたの?」

 

 追いついてきたルイズが、急に止まったことに、不機嫌になるよりも先に、不思議に思ったんだろう。人よりも大きな瞳を丸くして、こちらを覗きこんでくる。

 

「――いや、あそこに」

 

 さっき目に入ったものを指差す。ルイズが追う指の先に、食堂に通じる石畳の上をふらふらと歩く影がある。本人にとってはまっすぐに歩いているつもりなんだろうが、時折揺れる体は随分と危なっかしい。いつもはそんな様子は絶対に見せることのないロングビルなら尚更だ。

 

 よくよく見れば、まだ遅い時間ではないがずっと飲んでいたのかもしれない。分かりやすく、手にはワインの瓶が握られている。出てきたのは食堂の方角からだから、そこから拝借してきたんだろう。危ない足取りながらも、瓶だけはしっかりと抱えて、落とす様子がない。 

 

「先に戻っていてくれないか? どうにも、危なっかしい」

 

 視線をルイズへと戻しながら口にする。ロングビルはこうしている間もふらふらと進んでいく。

 

「そうね。でも、珍しい。そんなにお酒を飲むような人じゃなかったと思うんだけれど……」

 

 ルイズが考えるように、心配げな視線を送る。確かに、ルイズの言うように、そんな風には見えないのだが。以前、学院長がセクハラばかりだと愚痴ってきたこともあったが、そんな時でも酒に飲まれるといった様子はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――飲みすぎなんなんじゃないか?」

 

 後ろから声をかけると、今気づいたとばかりにゆっくりと振り返り、胡乱な目を向けてくる。 実際、気づいてはいなかったのかもしれない。

 

「――ああ――シキさん。夜のお散歩、ですかぁ?」

 

 見た目どおり、結構な量をすでに飲んでいたんだろう。少し間を置いてから、何時もとは明らかに違う、のんびりとした声が返ってくる。赤く染まった頬が色気を感じさせなくもないが、手に持ったワインからトプンと音が鳴り、どうにも滑稽だ。立ち止まってはいても揺れる体であれば尚更だ。

 

「さっきまでは、な。それより、今日は酒はその辺りにしておいたらどうだ? さっきから足取りが危なっかしい」

 

 顔をこちらに向け、聞いてはいるんだろうが、理解しているかは怪しい。いや、酒を後ろに庇うようにしているからにはしっかり理解しているんだろう。ただ、言うとおりにする気がないだけで。

 

「大丈夫、ですよ。自分のことは、自分で分かっています、し」

 

 揺れる体と間延びした言葉とともに、はあ、と酒臭い息が漏れる。口では大丈夫といっているが、実に分かりやすい。

 

「……今日はもう寝た方がいい。酒は没収だ」

 

 とりあえず、手に持ったままのワインのボトルを取り上げる。酒を離すまいとはしているが、所詮は酔っ払い。酒をこちらに引き寄せると、あっさりと手から離れる。

 

「あー……。むー、……もうちょっと、欲しいです」

 

 口を尖らせ、上目遣い言う様子は、おもちゃを取り上げられた子供のようで、いつもとギャップがる。可愛らしいとも言えるだろう。とはいえ、これくらいにしておいた方が次の日に後悔しなくて済む。

 

 とりあえず、酒を取り替えそうとする手を空いた右手で制する。――もっとも、すぐにその右手は取り返そうとしてよろけた体を支えることになったが。

 

「……どうして今日はそんなに飲んでいるんだ? 何時もはそんなことはないだろう?」

 

 抱きとめながら尋ねる。ここでは酒が出る席というのはそれなりに多いのだが、何時もはもっと控えめだったはずだ。少なくとも、口調が変わるまで飲んでいるということは今まではなかった。

 

 問いかけると体を支える手を追い返し、さっき以上に口を尖らせ不機嫌そうに呟く。

 

「……知りません」

 

 ぷいとばかりに顔を背ける様は、本当に子供のようだ。可愛らしくはあるが、やはり多少は呆れてしまう。まあ、それも仕方がないだろう。なにせ、正直な所、俺は酒が分からない。この体になる前は飲むということはなかったし、この体になってからは、少々の酒では酔わなくなってしまったのだから。

 

「だからってそこまで飲まなくてもいいだろうに……」

 

「――半分は……シキさんのせいですよ」

 

 俺の呆れたような言葉に、ぽつりとそんな言葉が返ってくる。

 

「……俺のせい?」

 

 その言葉に、つい鸚鵡返しに尋ねてしまう。聞こえているとは思わなかったのか、驚いたようにこちらを見るが、すぐに言葉を続ける。

 

「……うん、全部シキさんのせいです。だからぁ、お酒は返してください」

 

 さあ、と子供が没収されたおもちゃを取り替えそうとするように、力任せに手を伸ばしてくる。が、言っていることの意味はよく分からないが、そうですかと渡すわけにもいかない。

 

「言っていることの意味はよく分からないが、それとこれとは別だ」

 

 届かないようにと高く持ち上げる。もしかしたらジャンプでもしてとりに来るかと思ったが、さすがにそれはないらしい。むーむーとうなりながら、焦点の定まらない目でこちらをにらむ。

 

「じゃあー……一杯だけ」

 

 何が「じゃあ」なのかよく分からないが、どうしても飲みたいらしい。確かに、わざわざ食堂にまで行って調達するぐらいだ、どうしても飲みたいんだろう。それくらいは、まあ、理解できなくもない。

 

「一杯ぐらいなら……」

 

 ちゃんと送り届ければいいだろうと口にしたところで、クイクイと袖を引っ張られる。

 

「部屋にいきましょう?」

 

 コトリと首を傾け、無邪気に笑う。

 

 ――まあ、見ていないと全部飲んでしまうだろうし、俺のせいというのも少し気になる。それに、子供がするように言われると断れない。基本的にルイズの言うことを断れないのには、そういうこともあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さあ、入ってくださいな」

 

 引っ張られるまま、部屋に招き入れられる。歩いている間に多少は酒が抜けたようだが、随分と楽しそうだ。そんな様子を尻目に、不躾ではあるが何となく部屋を見渡してしまう。

 

 ルイズやエレオノールの部屋に比べればもちろん質素な部屋だ。シングルサイズのベッドがあって、その傍にベッドに合わせた丸テーブル、部屋の隅には実用性重視のワードローブが、と。まあ、二人の部屋に比べたらというだけで、飾り気がないだけで良く整理された部屋だ。そんな部屋の丸いテーブルの上に、持ってきたワインをおく。ふと、視線をずらせば、床には空の瓶が二本見える。

 

「ちょっと待っててくださいねー♪」

 

 鼻歌交じりに言いながらグラスを二つ並べる。少しばかり手つきが覚束ない様子だが、別に倒してしまいそうということはない。グラスが二つというのは――まあ、来た時点でそうなるのは分かっていたことだ。椅子はないのでお互い隣り合わせになるようにベッドに腰掛ける。

 

「……一杯だけだぞ?」

 

 念のためにと確認する。分かってますよーと返事は返ってくるが、一体どこまで分かっているのやら……。

 

「じゃあー、乾杯ぐらいしましょうか?」

 

 グラスを持ち上げ、中に入ったワインを揺らして乾杯の仕草をする。

 

「まあ、せっかくだしな」

 

 それではと掲げたグラスに軽く打ち合わせる。キンと小気味良い音だ。そのままお互いグラスを口に運び、俺は三分の一ほど、ロングビルは一息に飲み干す。空になったグラスをテーブルに戻し

 

「――ん、お代わり……「こら」」

 

 とりあえずボトルに手を伸ばすのを制する。

 

「一杯だけだと言っただろう?」

 

 えー、と不満そうだ。

 

「じゃあー、シキさんが飲むのを私は見てるだけですかぁ? ……意地悪です」

 

 悲しげに眉を寄せ、本当に泣きそうな様子だ。目にはうっすらと涙も見える。

 

 今日は、本当に子供のようだ。酒のせいなのか、それとも別に理由があるのか。とはいえ、そんな様子を見ると、どうにも駄目だとは言いづらい。――むしろ、酔っ払い相手にそんな約束をした俺が馬鹿だったんだろうか?

 

「どうして今日はそんなに飲みたがるんだ?」

 

 部屋に来る前にも聞いたことだが、何かあったんだろう。今度は答えることもせず、不機嫌そうに俺のグラスを掴むと、一息に空にする。

 

 しかし、不機嫌になる理由はなんだ? この部屋に来る前に言っていた、俺のせいというのも気にかかる。思い当たることといえば、アルビオンでの夜のことだ。どうしてもアルビオンの王家に肩入れはさせたくないようだった。

 

 ――そういえば、理由までは言わなかったが、前にも貴族が嫌いだと言っていた。貴族を馬鹿にするような形で怪盗なんてものをやっていたのだから、それは間違いない。そして、アルビオンには妹に会いに行ったということは、あの国が故郷のはず。なら、本当に恨みがある貴族というのは……

 

「――亡命者のことか?」

 

 その言葉にびくりと体を震わせる。どうやら正解らしい。だが、別に無理やり聞き出そうという気はない。

 

「言いたくないのなら、無理に聞き出そうとは思わないが……」

 

 誰にだって言いたくないことはある。もちろん、言うことにも意味はあるとは思う。自分も、ルイズに話すことには意味があったと感じるのだから。誰かに自分のことを分かって欲しいというのは、少なからず、あった。

 

 視線を移すと、ロングビルは苦々しい様子だ。がりがりと頭をかき、やがて、はあと深くため息をつく。幾分、息とともに酒も抜けたようにも見える。

 

 そうして、普通なら聞こえないような声で、「誰かに聞いて欲しかったのかなぁ」と呟く。

 

「――愚痴になっちゃうかもしれないですけれど、聞いてくれますか?」

 

「ああ」

 

 俯いたまま呟く相手に、簡潔に返す。

 

「――何から言えばいいかなぁ」

 

 目を閉じたまま空を仰ぎ、考え込む。少しだけ考え込んだ後、再び口を開く。

 

「私、もともとは貴族なんですよ」

 

 小さく、盗賊にまで堕ちましたがと、皮肉気に付け加えながら。

 

「昔はそれなりの家だったから、何の不自由もなかったなぁ。メイドが何人もいたから何もしなくても良かったし、毎日綺麗に着飾って、美味しいものを毎日食べて……」

 

 言いながら昔を振り返っているんだろう。目を閉じ、噛み締めるように口にしていく。懐かしむように、楽しかった思い出を口にするように――それでいて、表情には諦めも含んで。そして、誰に向けたものか、怒りも。同時に、意味をなさない恨み言もこぼれる。ひとしきり口にして落ち着いたのか、肩の力を抜き、こちらに視線を向ける。

 

「――知っていますか? 貴族でなくなることがどんなに惨めか……。なまじ知っているだけに受け入れられないんですよ? 平民と同じものなんて食べられないとかね」

 

 自分自身を嘲るように。

 

「馬鹿ですよねぇ。そんなくだらない意地なんて張って。蓄えがそこをついてようやく気づいたんですよ。最初からそれなりにしていれば、もっと楽だったのになぁ……」

 

 また俯いてしまう。さっきから、くるくると表情が変わっていく。

 

「――でも……ですね、私も頑張ったんですよ?」

 

 こちらに視線を向ける。だが、その表情は今にも泣きそうだ。

 

「生きるためにはお金が必要で、テファには――妹には私しかいなかったから。」

 

 ゆっくりと視線を地面に落とす。ベッドから投げ出した足をぶらぶらと揺らしながら。

 

「――でも、あの時の私、本当に馬鹿だったなぁ。何にも知らないから散々弄ばれて。おかげで、本当に貴族が嫌いになったんだっけ。やたらと見栄を張るくせに欲望まみれの変態で……。私は結局、そんなやつら汚されて……堕ちる所まで堕ちちゃいました」

 

 最後は笑って口にする。だが、涙が頬を伝い、泣き笑いとしかいいようのない、そんな表情だ。何時ものような冷静さはなく、少女のように。きっと、昔のままの表情なんだろう。

 

「――私、子供じゃないですよ?」

 

 ついルイズにするように頭に手を乗せてしまった俺に、拗ねるような視線を向ける。そういうところも、子供のようだが。

 

「――今は、子供に見えた。何時ものように自分を隠すのも必要かもしれないが、たまには弱みを見せたっていいんじゃないか? 少なくとも、ここには敵はいないだろう?」

 

 味方がいない寂しさは、俺にだって良く分かる。そんな時にどうしたいかも。

 

「――いい年をした大人が、子供のようにですか?」

 

 少しだけ、苦笑いを見せる。

 

「それはそうかもしれないが……「そこは認めなくていいです」……そうか」

 

 わりと年のことは気にしているのか、グーで返事が返ってくる。だが、表情も少しは和らいだ。少なくとも、壊れそうだなどとは感じさせないぐらいに。

 

「――じゃあ」

 

 少しだけ考えるようにして、照れたような微笑とともに体を預けてくる。

 

「――今日は、付き合ってもらってもいいですか?」

 

 目はあわせずに、少しだけ恥ずかしそうに。赤いのは酒だけが理由ではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――私、分からないんです」

 

 不意に、そう口にする。

 

 

「私たちをそんな目に合わせた、憎んでいた相手なんだから、今の状況はむしろ喜ぶはずなんです。……でも、今はあの人たちのことは憎みきれない。貴族なんて、自分達のことだけを考えているはずなのに、負けると分かっていても国を守るなんて……。意味なんて……ないのに。――あはは、何が言いたいのかなぁ?」

 

 どうしたらいいのか分からない、声にもそんな様子がありありと見て取れる。

 

「――私、どうしたいのかなぁ?」

 

 誰にともなく、口にする。

 

「自分で決めることだ」

 

 自分のことは自分にしか分からない。そして――自分のことは自分で決めるものだ。難しいということは身にしみてよく分かっているが、それでも、自分で決めなければ意味がない。

 

「意地悪ですねぇ。でも、そうなのかなぁ。――でも、私、きっともう憎んでいないんでしょうね。あんな風にできるのなら、貴族だって捨てたものじゃないって思っているし。……そういえば、あの姉妹もそうだっけ」

 

「――そうだな。あそこまで真っ直ぐなら、むしろうらやましいぐらいだ。俺も、そういう風にできれば、後悔しなくてすんだ……」

 

 全く、同感だ。あれだけ真っ直ぐなら、きっと迷わなくて、もし迷ったとしても自分で道を切り開けるだろう。

 

「――私……聞きたいです」

 

 ふと、言葉を投げかけられる。その言葉に、疑問と共に視線を向ける。

 

「何をだ?」

 

「シキさんのこと、です。私、結局何も知らないんですよね。ずっと私と同じものを感じていたけれど、でも、何にも知らない」

 

「そんなに面白い話でもないぞ?」

 

「いいんです。私だって今まで誰にも話したことがなかったことを話したんですよ? シキさんも話してくれないと、やっぱりずるいです」

 

「子供みたいなことを言っているな」

 

 つい呆れたように言ってしまう。

 

「――ああ、そうですねぇ。でも、今日はいいんでしょう? だってシキさんがそうしろっていったんだから」

 

 身を寄せたまま、いたずらがうまくいった子供のように無邪気に笑う。

 

「まあ、そうだな。ルイズには話したんだから、いいか。そうだなぁ。何から話すか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――シキ……遅い。今頃、ミス・ロングビルと……。ううん、シキはそんな人じゃないし……。でも、遅いなぁ」

 

 ベッドの中、時折扉へと目を向け、その度にため息がこぼれる。



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第15話 Hangover

「――私の代理を含め、良くやってくれた。私としても鼻が高い」

 何時もは厳しい表情を崩さない父上も、今は幾分和らいだような表情だ。お父様が満足できるよう処理できたということだろう。それが認められたということは素直に嬉しい。何時もはそういったことがないだけに、尚更。

「ありがとうございます。そう言っていただけると、私としてもを骨を折った甲斐があるというものです」

「後のことは私に任せておけば良い。お前には学院の方を頼む。――後々のためにも重要なことだ。期待しているぞ」

「はい、お任せください。きっと期待に応えて見せますわ」

「わが娘ながら、頼もしいな」

 お父様が優しく微笑む。つられて、私も。

 ――期待には応えないとね。





「――今回の件に関しては、私が正式に王室から派遣されることになりました。負担をかけることになってしまいますが、学び舎でありながら亡命者を受け入れていただいたこと、王室に代わってお礼申し上げます」

 

「君がそのようにかしこまる必要はない。なに、学院だからこそじゃよ。こういったときに率先せんで、人に教えるなどということはできんからな。――さしあたってのことはミス・ロングビルに頼んでおる。引継ぎはそちらから……と言いたいところじゃが、今日は体調を崩しておるらしくての。すぐにはと言うわけにはいかん。まあ、本当に必要な分はすでにやってくれておる。そう急がんでもいいじゃろう。君も王宮の方で奔走しとったはず。多少は休んだところでばちはあたらんじゃろうよ」

 

 学院長がカラカラと笑う。

 

「まあ、引継ぎ云々はともかく、お見舞いにはいきますよ。体調を崩したのは負担をかけてしまったせいかもしれませんし」

 

 

「……ふむ、まあ、そういうことなら。何か必要なことがあったら遠慮なく言っとくれ。できる限りの協力はするからの」

 

「ありがとうございます。そういっていただけると心強いですわ」

 

 こういう時には学院長は本当に頼りになる。普段からそうだったらいいのにというのは――贅沢だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 短くノックを三回続ける。

 

 

「……エレオノールです。少々構いませんか?」

 

 

「……どうぞ」

 

 少しだけ間をおいて返事が返ってくる。具合が悪いと聞いていた通り、声にもそれが表れている。返事を聞いて、ゆっくりと扉を開ける。

 

 ――換気はしてあるようだが酒のにおいが微かにある。

 

「二日酔いですか?」

 

 ベッドで半ば体を起こした状態のミス・ロングビルに言葉を投げかける。

 

「まあ、恥ずかしながら……。ちょっと、飲みすぎました……」

 

 ベッドの中で頭を押さえたまま口にする。

 

「――食事はどうされました? もしまだでしたら運ばせますが。もちろん、食べられるならですけれど……」

 

「ありがとうございます。でも、それについてはご心配なく。あとでシキさんが持ってきてくれますから」

 

 顔色に関しては良くないながらも嬉しそうだ。いつもの沈着冷静といった様子とは、ちょっと違う。

 

「……えっと、昨日はシキさんと?」

 

 何となく、気になってしまう。

 

「そうですね……。まあ、途中からですけれど。飲みすぎたのは自分のせいですし」

 

「そうなんですか」

 

「ところで、何か用事が?」

 

「――ああ、はい。学院に逗留されるアルビオン貴族の方々のことです。私がその責任者ということになりましたので、今までのお礼に。遅れてしまいましたが、本当にありがとうございました。おかげで、不自由をかけずに済みました」

 

「……いえ、それくらいは当然ですし、私にも、必要なことでしたから」

 

 かすかに微笑む。

 

「あなたにも?」

 

「ああ、大したことじゃありませんから。とにかくお気になさらずに」

 

 不意にノックの音が響く。

 

「……俺だが」

 

 聞き慣れた、そして、一番聞きたかった人の声が聞こえてくる。

 

「ああ、シキさん。どうぞ。今ちょうどミス・エレオノールも」

 

 ガチャリとドアが開かれる。

 

 二日酔いに合わせたものなのか、何かのハーブが使われているんだろう。あまり馴染みのない、独特の香りがする。そして、いつものように白いシャツと黒のパンツに身を包んだシキさんがお盆を片手にこちらへと。つい、部屋へと入ってくる様子をじっと見詰めてしまう。

 

 シキさんに、私は……。この前の出来事がまじまじと頭に浮かんでくる。私が、寝ているあの人に何をしたかが。

 

「――ええと、もともとお礼だけのつもりでしたし、私はそろそろ戻りますね。ミス・ロングビル、仕事の方は今日から私が引き継ぎますので、ご心配なく。細かいことはまた後日ということでよろしくお願いいたします」

 

 出口の方へ――当然、シキさんのいる場所へと小走りに向かう。

 

「まだ戻ったばかりだろう? 今日ぐらいは休んでいてもいいんじゃないか?」

 

 体を少しずらしながら、シキさんが問いかける。

 

「あ、え? ……ええと、そういうわけにもいかないですし。色々とやることもありますし、ここで失礼しますね。ミス・ロングビルのことはよろしくお願いいたします」

 

 そのまま振り返らずに、パタパタと駆けてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――初々しいですねぇ。多分、初恋じゃないんですか?」

 

 クスクスと楽しそうに笑う。

 

「もし、私とあの人だったら――どっちを選びます?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロングビルという人は優秀らしい。真っ先にやらなければならないことは短時間の間にほとんど終わらせてしまってある。

 

 生活スペースの確保、衣類といった必需品の支給、食料の追加の注文などなど。確かに必要最小限ではあるが、最初にここまでやれれば十分だ。今のままでもしばらくは問題はでないだろう。今の状況が急場を凌ぐためということを考えると、このまま現状を維持していくという形でもいいかもしれない。

 

 もちろん、優先順位が高いものが処理されているだけなのだから、やるべきことというのはいくらでもある。それでも、ミス・ロングビルのおかげで随分と楽になっているはずだ。改めてお礼を言わなければならない。

 

 問題なのは――シキさんのことだ。思わず逃げるように部屋を後にしてしまった。しばらくは、まともに顔をあわせられそうもない。もちろん、自業自得だということは分かっているが、なんというか……。思い出す度に顔が熱を持つのが分かる。誰かに見られていないか心配になるぐらいに。

 

 今は、やるべきことに集中しよう。お父様の仰ったとおり、今の仕事は重要なことだ。将来的なことを考えれば、決してないがしろにしていいものではない。やるべきことが多いだけに、余計なことなんて考えていられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――じゃあ、これもお願いね」

 

 ドサリと机の上に書類が積み上げられる。

 

「……はい」

 

 思わず弱気な返事になってしまうのも仕方がないと思う。言葉通り、紙の束が積み上げられたのだから。しかも、ほとんど全てにびっしりと書き込まれている。

 

 もともと、私は勉強だとかいったものは嫌いではない。加えて、ずっと自分に使える魔法がないかと古文書までをひたすらに読み漁ってきたのだから、むしろ、事務的な仕事は得意な部類に入るだろう。だからこそ、忙しそうなお姉さまを手伝おうと、事務仕事の手伝いを申し出た。だから、手伝えることがあるということ自体には何の問題もない。……ないのだが、多すぎる。いくらなんでもここまで仕事があるとは思わなかった。

 

 まずは亡命者の受け入れ予定先への挨拶状、十分にお金を持ち出してくることなどできなかったのだから、その分の手当ての申請書類、更には学齢期の亡命者の入学申請などなど。まさか、ここまで多岐に渡るとは思わなかった……。

 

 本当は相談したいこともあったんだけれど、とてもそんな暇がない。何より、お姉さまの方がずっと忙しくしているのだから。まずは、急ぎで必要なものだけでも終わらせてしまわないと。頑張れば、今日、明日中には……

 

「――これもお願いね」

 

 ドサリと、先ほどのものではないにしろ、結構な量の書類が追加される。

 

 ――明日中には、終わるといいなぁ。はぁ、とため息が漏れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間のかかる事務仕事をルイズに任せられるおかげで、随分と楽になった。魔法の才能に関しては――今となっては分からないけれど、こういったことに関しては安心して任せられる。もっとも、さすがに量が多すぎるのか、顔にはっきりと現れるぐらいに疲れているみたいだけれど。まあ、この子なら大丈夫でしょう。簡単に音を上げたりするような子じゃないのはよく分かっているから。

 

 ――そもそも、簡単に音を上げるなんて私が許さないし。

 

 ふと、控えめにノックがされた。休憩にも、ちょうどいい頃かしらね。

 

「入って頂戴」

 

 失礼しますと扉を開け、ワゴンを引いたシエスタが入ってくる。その上にはまだ焼きたてのクックベリーパイと紅茶の準備がされている。ルイズは頑張ってくれているし、少しぐらいはご褒美をと予め頼んでおいたのだ。

 

「ここに並べてもらえるかしら? ルイズ、そろそろ休憩にしましょうか。あなたの大好物のクックベリーパイもあるわよ」

 

 クックベリーパイの言葉に、ルイズはやや俯き加減だった顔を上げ、瞳を輝かせる。そう分かりやすく喜んでもらえると、素直に嬉しい。はしゃぐ様子を見ていると私も元気になるような気がしてくる。

 

 その間にも、シエスタが部屋の中心のテーブルにクックベリーパイを切り分け、そして二人分の紅茶を注いでいく。部屋中に紅茶とパイの香ばしい香りが広がり、食欲をそそる。やはり、疲れたときには甘いものが欲しくなる。ルイズは言わずもがな、私だって嫌いじゃない。

 

 ルイズは我慢しきれないのか、早速パイにフォークを伸ばしている。いきなりというのは行儀が悪いけれど、今日は頑張ってくれたし、まあ良いかしらね。幸せそうに口いっぱいに頬張るルイズを見ていると、私も我慢ができそうにないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――はぅ、満足」

 

 パイを半分、紅茶もお代わりをして、言葉どおり満足気にルイズが口にする。

 

「美味しかった?」

 

「はい」

 

 溢れんばかりの笑顔で返事が返ってくる。大好物のクックベリーパイを食べたら、疲れなんてどこかに行ってしまうんだろう。

 

 幸せな時間を邪魔する形になって悪いけれど、ちょうど良い機会だ、シキさんに聞く前に、ルイズに聞いておこう。

 

「ルイズ」

 

「何ですか?」

 

「このままだと、まず間違いなくトリステインはアルビオンに攻め込わ。シキさんが貴族派の戦力を削いでくれたおかげで、戦力差が完全に逆転したから。当然、お父様も兵を出すことになるでしょうね」

 

「……そうですね。それは避けられないんでしょうね」

 

 悲しげに口にする。ルイズも馬鹿じゃない。それくらいは分かっているだろう。そして、それが意味することも。

 

「それについては、シキさんはどう思うかしら?」

 

 気になるのはそのことだ。シキさんは戦争には関わる気がない、関わることを嫌っていた。でも、結果としてはシキさんの行動からトリステインは戦争を行うということを決めた。それについては、どう思うんだろう。

 

「……私たちがちゃんと考えて、それで決めたというなら、シキはたぶん、何も言わないと思います」

 

 寂しげに口にする。

 

「どういうこと?」

 

「うまくは、言えないんですけれど、シキは戦いそのものは否定しないはずです。どうしても戦わないといけない時があるっていうのは、私達なんかよりもずっと身にしみて理解しているはずですから。一緒に戦って欲しいとは……言えないですけれど」

 

「そう……」

 

 ルイズは、きっと私よりもシキさんのことを知っている。何にも知らない私とは違って。それがたまらなく羨ましい。できることならルイズから聞いてみたい。でも、ルイズの様子からすると軽々しく口にするような話でもないようだ。もし本当に知りたいのなら、シキさんに本人に聞くべきだろう。

 

「きっと、シキさんにも色々あったんでしょうね」

 

「……はい」

 

 つい、雰囲気が暗くなってしまう。これ以上この話を続けても仕方がないだろう。どうしたって憶測での話しにしかならないのだから。

 

 

「――そういえば、ミス・ロングビルとシキさんで昨日飲んでいたのよね。あなたも一緒だったの?」

 

「え、私は、一緒じゃなかったので……」

 

 視線をそらし、先ほどとはまた違った苦い表情になる。

 

「どうかしたの?」

 

 私を上目使いにうなり声をあげる。

 

「……シキ、帰ってこなかったんです」

 

「ん?」

 

「シキ、酔っ払ったミス・ロングビルを外で見かけて、危ないから部屋に送るって。でも、連れ添ったまま一晩帰ってこなくて……。だから、私は知らないんです」

 

「……送っていって、そのまま帰らなかったの?」

 

「……はい」

 

「……そう。きっと、朝まで飲んでいたのよね。ミス・ロングビル、今日は二日酔いだったし」

 

「……そうですね。きっと、朝まで飲んでたんでしょうね」

 

「……それだけ、よね」

 

「……たぶん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――とてつもなく嫌な予感がする。

 

 何となくだが、そんな気がする。虫の知らせだとか、あるいは第六感だとか、言い方は様々あるだろう。昔、れっきとした人間だったころは時たま当たることはあっても、それに頼れるほどのものではなかった。当たることもあれば、裏目にでたり……。

 

 だが、今のそれは確かに信頼できる感覚だ。この言葉にできない何となくというものが何度命を救ったか。道の先に何か嫌な気配を感じた時、果たしてそこに待ち伏せている悪魔の姿があったことも。油断が死を招き、逆に敵の油断をつくことで生き延びた自分にとって、この感覚は何よりも信頼できるものだ。

 

 その勘が確かに何かがあると言っている。もちろんそれに従わない理由はない。だが、何があるというのだろう? 何かを避けなければいけないということは分かる。しかし、それが何かというのが全く検討がつかない。避けなければいけないほどのもの、それはなんだ? 自惚れでも何でもなく、そんなものはそうそうないはずだ。ましてや、この世界では。

 

 それなのに、今歩いている先、そっちに行ってはいけないと勘が言っている。何があるのか気になる、だが、あえて危険を冒す必要はない。余計な好奇心は身を滅ぼす。危険があると分かっているのなら、それに近づくべきではないというのは、今までの経験から学んだことだ。確かに危険を冒す必要があるときというのはあるだろう。だが、それは本当に必要があってこそのものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なぜだ」

 

 ついそんな言葉が口から漏れる。あの後、何度となく嫌な予感がして、その度に避けていた。そんなことをしているうちに時間が経ってルイズの部屋へと戻ってきたのだが、なぜかその部屋こそ入るべきではない、何となくそんな気がする。ルイズに危険が迫っていて、急いで部屋に入るべきというのなら分からなくもない。だが、部屋に入るべきではないというのは分からない。扉を前にして考え込んでしまう。だが、どうしても分からない。ゆっくりとノブに手をかけ、音を立てずに少しずつ開く。

 

「――遅かったのね」

 

「――それに、二人でずっと探してたんですよ」

 

 例え中に誰かがいても見つからないように開けたつもりだった。だが、まるで待ち構えていたかのようにドアが開くと同時に声をかけられた。ルイズと、そしてエレオノールから。こうなると、こそこそするのもおかしな話だ。半ばまで開いたドアからいつものように入る。

 

「何か用があったのか?」

 

 さて、嫌な予感は当たるのか、できれば外れて欲しいものだが……。

 

「……え、まあ、用というわけでもないんですけれど、ちょっとお話が……」

 

 エレオノールがそう言いながら、珍しくルイズに視線を向けながら遠慮がちに口にする。だが、これもまた珍しく、ルイズが姉を睨むように強い視線を向けている。逆なら案外良く見かける――というよりも、しばしばなのだが。そんな視線を向けられたエレオノールが、ぎこちなく視線を戻す。

 

「……えーと、その、ですね……」

 

 言葉の端々で視線を下に向けながら、ゆっくりと続ける。これもまた珍しいことだ。

 

「……その……、まずはこの国とアルビオンとのことで報告しないといけないかなぁと思いまして……」

 

 それは確かに知っておくべきことだ。今の態度と、話すことが一致しているかは疑問だが、それはまた別の話だ。

 

 アルビオンという国で起きたクーデターの大まかな内容、そして、この世界の統治の形態はそれなりには把握している。そして、それから導かれる道筋も。結果的に、思った以上に関わってしまったのだから、知らないでいるわけにはいかない。

 

「戦争になるのか?」

 

 疑問をそのまま投げかける。

 

「はい。統一を謳うレコンキスタと相容れることは不可能です。今が攻め込む好機となれば、近いうちに……」

 

 口にしたあと、遠慮がちにこちらを見る。

 

 言いたいことは分かる。最後の一押しをしてしまったのは自分だということは。言い訳をしようと思えば、もともとそうなるものだったということはできる。だが、それは言い訳でしかない。単なる足止めのつもりだったが、自分と、そして仲魔達が持っている力を過少評価しすぎていた。そして、忘れていた。多少魔法が使える程度では、人では悪魔に対抗できないということを。ましてや、ウリエルにティターニアともなれば。

 

「シキが気にすることじゃないわよ。民のことを考えないあいつらは放っておくことはできなかったもの。でも、もし戦力がそのままだったら戦いは厳しいものになっていたわ。シキがどう思うかは分からないけれど、結果を考えれば最良だったはずよ」

 

 ルイズがこちらをじっと見据え、断言する。励ますつもりというのももちろんあるだろう。だが、それ以上にルイズ自身が正しいと信じている――目がそう言っている。

 

「――そうか」

 

 そう言ってくれると、少しは気が晴れるというものだ。それに、ルイズは強いな。

 

「じゃあ、この話はこれでおしまい。こうなった以上、私達にできることはないもの。シキもこれ以上は関わるつもりはないんでしょう?」

 

「……そうだな」

 

 ふと、嫌な予感がした。

 

「――ねえ」

 

 ルイズがこちらへと近づいてきて、何時もの、何かお願いするときのように見あげる。

 

「何だ?」

 

「お姉さまも久しぶりに戻ってきたんだし、一緒に食事にしましょう。せっかくだから、料理を運んできてこの部屋で」

 

 ルイズが楽しそうに笑う。確かに、それもいい。

 

「そうですね。たまにはそういうのもいいですよね」

 

 何時もならあまりそういったことには興味がなさそうなエレオノールも乗り気だ。

 

「それもいいか」

 

 三人でというのはあったようでなかったから、せっかくだ。――ただ、嫌な予感がするのはなぜだ?

 

「――じゃあ、お酒も準備しないと」

 

 ルイズがこちらを見ながら、クスクスと楽しそうに笑う。

 

「――シキさんはお酒には強いんですよね?」

 

 エレオノールも同じように。

 

「……ああ、まあ、それなりには……」

 

「――そうよね。昨日はずっとミス・ロングビルと飲んでいたんだし。まさか帰ってこないとは思わなかったなぁ」

 

 ルイズが表情を変えずに口にする。

 

「――そういえば、ミス・ロングビルは二日酔いだったそうですね。一緒に飲んでいたから朝食をシキさんが運ばれていたんですよね。優しいですねぇ」

 

 ――エレオノールも。

 

「いや、まあ、成り行きというか……」

 

 何となく、一歩あとずさる。

 

「――でも、夜に女性の部屋でっていうのはちょっとねぇ」

 

「――やはり学院ですから、問題はありますよねぇ」

 

 二人が、一歩近づく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――嫌な予感は、これか? 

 

 

 ……逃げるか?

 

 

 

 

 

 

 

「――あ、ルイズ。シエスタにでも食事とお酒を三人分運ばせて頂戴。お酒は多い方がいいかしらね? 何せ、一晩分だしね」

 

「――そうですね。今から行ってきます。シキはこの部屋で待っててね」

 

 ルイズが横を通り抜け、パタパタと駆けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……だからね、何度も言っているけれど、夜に女の人の部屋に行くっていうのはぁ、いけないと思うの」

 

 トン、とグラスをテーブルに置く。

 

「……そうだな。確かにそれはまずかったと思う」

 

「……私はシキのことは信じているし、変なことはしないと思うの」

 

「……………………ああ」

 

「……でもねぇ、やっぱり駄目なの。――うん、駄目。誰がどう思うか分からないし、そういうことはちゃんとしないと駄目なの。……そうでしょ?」

 

「……そうだな」

 

「……あ……ふ……。シキ……ちゃんと聞いてる? 夜に二人っきりって言うのはそういうことなの。だから、駄目。私を置いていくっていうのも駄目なの」

 

 欠伸を噛み殺しながらルイズが口にする。睨むようにとこちらをじっと見ているが、胡乱な目は焦点があっていない。飲んだ量が量なだけに、そろそろ限界だろう。実際、シエスタが持ってきた酒は三人分というには随分と多かったが、もうすでに大半が消費されている。――ルイズはあと一押し。あとは……

 

 ちらりとエレオノールに目をやる。こちらはちびりちびりと飲むタイプのようだ。一度に飲む量は少なくても、休まずに飲んでいるだけあって、ルイズ以上に飲んでいる。最初こそ饒舌になっていたが、絡み酒であるルイズとは違って、酒が入るとおとなしくなるらしい。しばらく前から黙って飲んでいる。ただ、その手は止まる様子がない。

 

 ルイズが寝たら、切りがいいところで部屋へと送ればいいだろう。実際問題として何も解決していないかもしれないが、とにかく、これでしばらくは大丈夫なはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、ルイズ……寝ちゃったんだ」

 

 ルイズを見て、エレオノールが口にする。いつもとは違って、動きも口調も緩慢になっている。こちらも、そろそろ限界だろう。

 

 テーブルに突っ伏したまま寝てしまったルイズを、椅子の後ろから抱き上げベッドへと運ぶ。さすがにそのままの格好で寝るというわけにもいかないだろうから、着替えも準備する。着替えさせるというのも久々な上に、寝たままというのは初めてだが、まあ、できなくもない。華奢なルイズなら片手で抱えてというのも難しくはないのだから。

 

「――じゃあ、そろそろお開きだな」

 

 着替えを終わらせたルイズをベッドに寝かせ、エレオノールに振り返る。

 

「……ん、そうですね。部屋に……戻ります」

 

 ふらふらと立ち上がる。もちろん、危なっかしくて一人では歩かせられない。倒れそうになる体をすぐに支える。もしかしたら嫌がるかとも思ったのだが、案外素直に肩に寄りかかる。

 

「………………じゃあ、お願いします」

 

 ルイズの部屋を出て、体を支えながらゆっくりと廊下を抜ける。誰もいない学生用の寄宿舎の廊下を抜け、一旦外へ出てから教員用の寄宿舎へと。

 

「――鍵は?」

 

 エレオノールの部屋の前でたずねる。

 

「今……開けます」

 

 たどたどしい手つきで鍵を取りだし、扉を開く。明かりがないので暗かったが、エレオノールの一声で明かりが灯る。なかなか便利なのものだ。灯った明かりに部屋が照らされる。何となく、しばらく前に見たときと印象が違う。

 

 それなりに整理されているようだが、書類の束がそこかしこに山になっており、どうしても散らかった印象を受ける。仕事の量が多いだけにそこまで気にする余裕がないんだろう。

 

「…………散らかってますねぇ」

 

 視線から何を思っているのか分かったのか、ぼんやりと口にする。

 

「……これだけ仕事があれば仕方がないだろう。手伝えることがあったら言ってくれ。字は読めないが、力仕事だとかならどうとでもなる」

 

「……じゃあ、明日……お願いします」

 

 もうそろそろ限界なのか、目を閉じて、言葉も途切れ途切れになっている。

 

「――着替えは?」

 

 いつものようにブラウスとロングスカートのままであり、さすがに寝るには不向きだろう。

 

「……着替え、ないと。……あ、そうだ。早速……手伝ってください。着替えは……そこに」

 

 言うだけ言うと、力尽きたのがもうすでに寝息を立て始めている。しかし……

 

「――俺が着替えさせるのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャッ、とこきみよいおとがひびき、かおにひかりがさしこむ。

 

「……あう……」

 

 いつもならすがすがしいはずのそれも、きょうはなんだかうっとうしい。それに――なんだかあたまがいたい。あたまからもうふをかぶる。

 

「――朝食はどうする?」

 

 だれかがたずねる。

 

「……いらない。……あ、でも、ハーブのはいったあれなら……いいかも」

 

 きのう、シキさんがもってた――あれならたべられそうなきがする。うん、たべられそう。

 

「――あれか。まあ、ルイズの分も一緒に作ればちょうどいいか。じゃあ、できたら持ってくる」

 

 だれかがそういうと、へやをでていく。

 

 ……ん、そういえばだれなんだろう? まあ、いいや。いまは……あんまりかんがえられそうにないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さて、厨房を借りて作ってくるか。飲ませたのは……俺だからな。二人とも昨日のことは忘れてくれていたら助かるんだが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先にルイズの部屋へと持ってきた。部屋に入ってみると、ルイズが寝起きのまま、ベッドの上で上半身を起こしている。起きてすぐはまともに会話もできない様子だったが、今は大分ましになったらしい。しっかりと二日酔いにはなっているようだが、案外しゃんとしている。

 

「――食べられそうか?」

 

 ルイズの口元へスプーンを近づける。さっき作ってきた、ハーブ入りのお粥のようなものだ。米を野菜のように使ってあって、薄めのリゾットといえば近いかもしれない。少し味は薄めに作ってあるが、それを補うようにハーブの風味があり、これはこれで面白い。このハーブは二日酔いにも効果があるらしいので一石二鳥だ。昨日二日酔いに合ったものはないかと聞いて作ってみたのだが、ロングビルにも好評だった。

 

「……あむ……」

 

 可愛らしくルイズが口にする。

 

「……どうだ? 一応、俺が作ってみたんだが」

 

 自分で作ったのでやはり評価は気になる。

 

「……お代わり」

 

 どうやらそれなりに気にいってくれた様だ。素直に嬉しい。

 

「気にいってくれて何よりだ。ただ、ちょっと自分で食べていてくれるか? 冷めないうちにエレオノールにも持っていかないといけないからな」

 

「……お姉さまも、二日酔い?」

 

「……ああ。ルイズ以上に飲んでいたから、もっと酷かったな」

 

 少なくとも、寝起きの様子はそうだった。

 

「うわぁ……。でも、ちょっと見てみたいかも。お姉さまが隙を見せるなんて滅多にないし」

 

 驚いたように口にする。確かに普段は完璧に振るう舞うだけに、家族でもなかなかそんな様子は見せないのだろう。

 

「――まあ、そういうわけだから、行ってくる」

 

「うん、いってらっしゃい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 念の為とノックをする。まあ、予想通り返事はなかったが。もしかしたら、また寝てしまったのかもしれない。

 

「………やっぱり寝ているのか」

 

 部屋へと入ってみると、ベッドの上に毛布が丸くなっている。作ってきたものをテーブルへと置き、ベッドへと近づく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ん?

 

 だれか、ちかづいてくる。

 

 ゆっくりとめをあける。めがねがないから、よくみえない。

 

 

「――起きたのか。朝食を作ってきたんだが、食べられそうか?」

 

 

 シキさんだ。

 

 そっかぁ、さっきのもシキさんだったんだ。

 

 それに、わざわざつくってくれたんだ。

 

 なんだかうれしいなぁ。

 

「――はい。せっかくつくってくれたんですから」

 

「ちょっと待っててくれ」

 

 ゆっくりとからだをおこす。あたまはちょっといたいけれど、まあ、いいや。ねたままじゃたべられないし。

 

 おかゆなのかな? シキさんがスプーンですくってめのまえにちかづけてくれる。たべさせてくれるんだ。そういうのっていついらいかなぁ。……わかんないや。でも、きのうはきがえも……

 

 

 ……きがえも

 

 

 ……着替えも?

 

 そっと視線を落とす。いつものように、ちゃんとキャミソールに着替えている。……いつものように、下には何もつけていない。着替えさせたのは……。ゆっくりと視線を戻す。シキさんがスプーンを持ったまま、こちらを不思議そうに見ている。

 

 

 

「…………あむ…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………寝ぼけていたことにしよう。

 

 じゃないと――生きていけない



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第16話 To Be Honest

 コツコツと自分でもそれと分かるほどに苛立たしげに石畳の上を歩く。一人であるせいか、普段は言わないような言葉が口をつく。怒りと、多分――認めたくはないけれど、寂しさのせいで。





「全くギーシュったら。……そりゃあ、まあ、亡命してきて不安がっている子に優しくするのは当然だと思うけれど。だからって……」

 

 とてもではないが、普段愛しているなどということを嫌というほど受け取っている私は、はいそうですかなどと言えるはずがない。

 

 亡命者の中には同年代の子達も沢山いる。しかも、アルビオンでは戦争があった。自然、女の子が多くなるというものだ。

 

 だから――だからというのがまたムカつくんだけれど、ギーシュは亡命してきた女の子達の世話をかいがいしく焼いている。「あの子達を安心させることができるのは僕しかいない」なんてことを言って、私よりも優先して。

 

 納得、できないでもない。普段から女の子には優しくというのが絶対の信条になっているギーシュが、不安がっている女の子を放っておけるはずがない。それに、それは貴族としても当然のことだと思う。

 

 当然だとは思う――でも、それとこれとは別でムカつく。理由はどうあれ、私よりも他の女の子を優先しているのだから。それに、状況が状況だからだろう。ギーシュが何時も以上にもてている。それが何より許せない。私のことを一番だといつも言っておきながら、ギーシュ自身まんざらでもない様子なのだから。

 

 いや、今は「あの子達は僕を必要としているんだ」なんて言って、はっきりと私よりも優先している。なまじ貴族の務めという大義名分があるだけに、余計に性質が悪い。

 

 ――ああ、もう。考えているだけでもムカついてきた。早く、作らないと。材料は後一つだけなんだから、すぐにでも。あの子達には悪いけれど、放っておいても後で悲しむことになっちゃうしね。

 

 俯いていた顔を上げ、しっかりと前を向く。そして、今までそんなことをしたことはほとんどなかったのに、店へと続く路地でつい小走りになってしまう。のんびりとしていることは誰にとってもいい結果にはならない。

 

 

 

 

「――あの子は……確か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――例のものを」

 

 少しだけ周りを伺って、店主に声を潜めて尋ねる。怪しげなものが立ち並ぶ路地の中、一際怪しいものが集まった店だ。メイジである自分でも分からないものもそこかしこにある。店に負けず劣らず怪しい格好をした店主が、心得たとばかりに店の奥にへと入っていく。

 

 この店は私の行きつけだ。はじめてきたときは薄気味悪いと思わなくもなかったが、今では毎週のように通っている。小遣い稼ぎに作っている香水の材料の一部もここで調達しているし、趣味で作っているポーションの材料もまたそうだ。確かに一つ一つの材料は安くても、私は結構な数を購入している。だから、私も立派なお得意さまだ。

 

 ――そういうわけで、多少の無茶も聞いてくれる。たとえば、ご禁制の素材を融通してくれたり。今回作るポーションにも、それが欠かせない。

 

「……これでギーシュも他の女の子に目が行かないはずよね。まあ、女の子に優しくするのはいいけれど、一番は私なんだから」

 

 つい貴族らしさとは程遠いけれど、握りこぶしを作って力説してしまう。だが、これはあの子達のためでもある。何も優しくしてはいけないというわけではない。それに関しては今まで通りで構わないのだから。ただ、私が一番だということをはっきりさせるためだ。その方があの子達も後で悲しまなくてすむ。

 

「……うん。確かに好きな人が他の女の子に目移りしていたら、嫌よね」

 

「……ええ。惚れ薬なんて使うのは気が引けるんだけれど、ギーシュの性格じゃ惚れ薬でも使わないと泣かされる子が増えるばっかりだもの。だから、それを食い止めるためにも仕方がないのよ。ご禁制の薬だけれど、そういうことなら始祖ブリミル様もきっとお許しになるわ」

 

 そう、言わば必要悪。それに、もともと私が一番だというのなら何の問題もないはず。

 

「なるほどねぇ。……優柔不断な性格だと、そういうものも必要になってくるのかしらね」

 

「……ええ。女の子に優しくするというのはいいことよ。でも、それに優柔不断が加わったら性質が悪くてしょうがないわ。だから、これは必要なことなの。私が恋人だってことが周りにはっきりと分かるようになれば、泣かされる子も減るんだから」

 

「……そうね、確かにあなたの言うことにも一理あるわ」

 

 

 

「……例のもの、だけれど……」

 

 奥から戻ってきた店主がこちらを、訝しげに見ている。気にならなくもないけれど、今は店主の手にあるものの方が重要だ。普通の小瓶を更に一回りも小さくしたものの中に、それでも大きすぎるとばかりにほんの少しだけ入った液体。ほんのわずかな量ながら効果は絶大で、値段もそれにふさわしいものだ。

 

「……代金はここに」

 

 ジャリ、とカウンターの上に金貨がぎっしりと入った袋を置く。途端に普段はあまり愛想の良くない店主も、口元が緩む。これだけあれば、平民ならば家族でしばらくは遊んで暮らせるだろう。これも地道に香水を売ってためてきた成果だ。ちょっと惜しい気がしなくもないけれど、これもまた必要経費。これで皆が幸せになると思えば安いものだ。

 

「……ああ、じゃあ、これを……」

 

 店主から例のものを受け取る。小さな瓶を壊してしまわないように、両手で包むように。とても貴重で、自分にとってとても重要なものだから。

 

「……ふふ。これで材料は全部揃ったわ。早く調合してギーシュに飲ませないと」

 

 手の中のそれを見て、つい笑みがこぼれる。今回調合する惚れ薬はそれなりに難度が高い。粗悪品ならば平民でも作れそうなものだが、今回作るものはそれとは格が違う。効果も持続時間も段違い。調合が趣味の私としては、そういう意味でも楽しみである。学院に戻るのが待ち遠しい。店に背を向け早速歩き出す。ああ、本当に待ち遠しい。

 

「……作ろうとしているのは惚れ薬よね。それで、調合に必要なものは全部揃ったの?」

 

「ええ、後は調合するだけ」

 

 さっき手に入れたものは別として、他の材料はそれほど珍しいものではない。すでに揃っていたものがほとんどだ。

 

「……ええと、モンモラシーだったかしら? あなたの気持ちは分かるんだけれど、立場上、止めないわけにはいかないのよねぇ」

 

「……え?」

 

 ピタリ、と急いでいた足を止める。そういえば、さっきから話しかけてくるこの人は――誰なんだろう? いや、もう声で大体分かっているんだけれど……振り返りたくないなぁ。つい立ち止まっちゃったけれど、もう逃げちゃおうかな……。

 

「――とりあえず、これは預かっておくわね」

 

 ひょい、と手に持っていた瓶を取り上げられ、逃げる間もなく回り込まれる。見上げればやっぱり、エレオノール先生だ。この人だと、言い訳はできそうにないなぁ。

 

「……はい」

 

 すごく、高かったのに……。

 

「私はちょっと用事があるからすぐにというわけにはいかないけれど、後で私の部屋に来なさいね。分かった?」

 

 言葉はともかく、エレオノール先生のこれは命令だ。それを無視するなんていう勇気は――私にはない。

 

「……うう……はい……」

 

 よりにもよって、この人なんて……。他の先生ならもう少し誤魔化しが効いたかもしれないのに。すたすたと先を歩いていくエレオノール先生を、つい恨めしげに見送る。

 

 

 ……うう、帰りたくない。どんな罰を受けるんだろう。ご禁制の材料を使って惚れ薬を作ろうとしていたのだ。きっと、軽くはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うう……」

 

 ノックしようとして持ち上げた手を、ゆっくりと下ろす。できる限り引き伸ばそうと思ってゆっくり、ゆっくりと帰ってきたんだけれど、いくらなんでもそう引き伸ばせるものではない。ノックをする勇気こそなかなか出ないのだが、もう部屋の前まで来てしまった。これ以上は引き伸ばすのも難しい。それに、遅くなったことで機嫌を損ねるわけにもいかない。

 

 ゆっくりと、ノックをする。もし留守ならばとも思ったのだが

 

「――どうぞ」

 

 やはり人生そう甘くはないらしい。すぐに返事があり、入るようにと促される。

 

「……失礼します」

 

 ゆっくりとドアを押し開く。手入れが行き届いているおかげか、力をいれずとも開くドアが今は恨めしい。

 

「案外早かったのね。もしかしたら来ないかとも思っていたんだけれど」

 

 キィと椅子を回転させ、エレオノール先生が振り返る。話に聞いていた通り、亡命者の受け入れに関して仕事がたまっているからだろう。部屋のそこかしこに書類が山積みになっている。先生が向かっていた机も、多少は片付いているが似たようなものだ。それだけ忙しいのに町で見つかったのは、本当に運が悪い……。

 

「――単刀直入に言うわね。あなたの作ろうとしていた薬だけれど、ご禁制なのはもちろん知っているわよね?」

 

 確かめるように、ゆっくりと尋ねる。詰問といった様子はない。だが、ここにきてつい目に涙が浮かんでくる。

 

「……私……退学ですか?」

 

 ご禁制――しかも惚れ薬だ。そんなものを作る、ましてや使おうとするなんて貴族として恥さらしもいいところだ。悪ければ退学、しかも、そんな理由で退学になんてなったら、家にも影響が及ぶかもしれない。只でさえ厳しい状況のモンモラシ家、どうなるか、分からない……。少なくとも、今より状況が悪くなるのは間違いない。

 

「――なんで?」

 

 しかし、予想とは違って不思議そうな声が返ってくる。思わず見返してしまう。

 

「それはまあ、褒められたことじゃないけれど、まだ作っていないんでしょう?」

 

「それは、そうですけれど……」

 

 もしかして、見逃してくれるんだろうか? そんなこと、絶対に許してくれそうもない人だと思っていたのに。

 

「まあ、以前にも作ったことがあるのかもしれないけれど、少なくとも今は作ってはいないのよね。だったら、退学になんてならないわよ。――それに、あなたの気持ちも分からなくもないって言ったでしょう? 本当なら叱るべき所なんでしょうけれど、そんな気にもならないしね」

 

「……じゃあ」

 

「ええ。今回は厳重注意という所かしら? 別に学院長に報告するつもりもないから心配しなくてもいいわよ」

 

「良かった。ありがとう、ございます」

 

 さっきとは、違った意味で涙が出てくる。

 

「――それとね、これをあげるわ」

 

 椅子から立ち上がり、目の前までコツコツと歩みを進める。そうして差し出された小瓶を受け取る。

 

「……これは?」

 

 ポーションだということは何となく分かるけれど、さすがにどういったものかは分からない。

 

「町で没収したものはさすがに返すわけにはいかないから、その代わりっていうところかしね。持っていてもしょうがないし、材料にしちゃったの。それでだけれど、惚れ薬がご禁制になっている理由は分かるかしら?」

 

 先ほどと同じく、ゆっくりと尋ねる。

 

「……ええと、人の心を歪ませるものだから、ですか?」

 

 惚れ薬は、好きでもない人を好きにさせることを可能とするものだ。つまり、人の心を操る。それは、本来許されないことだ。

 

「――そう。人の心を歪ませるということは本来許されないことよ。だから、惚れ薬はご禁制になっているの」

 

「……はい」

 

 それは、人として許されないことだ。

 

「――ふふ。そう硬くならなくてもいいわよ。別にお説教をしようというわけでもないんだから。軽く聞き流してくれてもいいわ。それでね、惚れ薬は心を歪ませるものだから許されないの。だったら、歪ませるものじゃなければ構わないはずよね?」

 

 まるでいたずらを披露するように、楽しげに口にする。

 

「……確かに、そうなりますね」

 

「その薬はね、精神に干渉するという意味では惚れ薬に似ているといえば似ているんだけれど、ちょっと特殊なの。それはね、本当に心を許した相手――好きな人に対してしか効果がないの。で、その効果なんだけれど、その人に正直になるって言えばいいのかしら? たとえば、その人に嘘をつけなくなったりね。ほら、そういうことだったら歪めるということにはならないでしょう? 何せ、もともとあったものと方向性を変えたりするものじゃないんだから。それに、その方が惚れ薬よりもあなたの目的にはぴったりなはずよね」

 

 ギーシュが私のことを本当に好きなら、すべて解決する。ギーシュが飲めば本当に私が一番かどうかははっきりするし、変な隠し事もなくなる。

 

「……えーと、そう、ですね。でも、なんでそんなものを私に?」

 

 理屈上では問題なくても、そう気軽に渡していいものでもないはずだ。ましてや、そもそもが叱るべきことなのだから、応援してくれるというのはどうにもおかしい。さすがに話がうますぎる。

 

「――あら、言ったはずよね。あなたの気持ちも分からなくもない、って。本当に、はっきりして欲しいって思うわよねぇ」

 

 苦笑交じりにしみじみと、まるで自分のことのように呟く。私と、同じってことなのかな。でも、誰に。思い浮かぶのは

 

 ――あの人しかいないか。うん、確かにあの人には態度が違う。

 

 へえ、そうなんだ。あの人のことを考えているんだろう、先生をまじまじと見詰める。分かってしまうと本当に分かりやすい。普段の先生とは違うだけに、ちょっとからかってみたくもある。

 

 もちろんそんなことはしないけれど。私、まだ死にたくないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――何か手伝えることはありますか?」

 

 午後になってミス・ロングビルがたずねてきた。正直な所、一人では手が回らない部分がある。今日などは気晴らしを兼ねた買い物と、その後のちょっとしたプレゼントの為に時間を使ってしまった。決して無駄ではないが、その間は仕事は進まない。ルイズも手伝ってはくれるけれど、やはり勉強が優先ということで普段から期待するわけにもいかない。だから、申し出は願ってもないことだ。

 

「本業の方に支障が出ないのなら、ぜひお願いしたいです」

 

「そのことについてはご心配なく。学院長からもあなたを最大限サポートするように言われていますから」

 

 いつものように魅力的な微笑を浮かべると、早速書類の山を一つ抱え揚げる。処理能力に関しては文句のつけようもないし、先日まで行っていたのはこの人だ。安心して任せられる。

 

「じゃあ、そこの席をお借りしても構いませんか?」

 

 視線で今では物置状態になっている予備の机を示す。当然片付けてからということになるだろう。なんだか悪いが、片付けるほどの余裕はない。

 

「散らかっていて申し訳ないのですが、お願いできますか? この部屋にあるものは自由に使っていただいて結構ですから」

 

「ええ。お借りしますね」

 

 それだけ言うと、書類の束を空いた場所に一旦置き、手際よくスペースを確保する。この分だと遅れた分はすぐに取り戻して、お釣りまできそうだ。安心して自分の仕事に集中できる。

 

 

 

 

 

 

 

「――そろそろ休憩にしませんか?」

 

 ちょうど、先ほどお願いした仕事が終わったんだろう。書類をまとめながら、ミス・ロングビルが口にする。

 

 ――私は、切りがいいところまではあと少し。

 

「じゃあ、紅茶でも準備してきますね。準備が終わるころには一息つけるでしょうし」

 

 私の様子から察したんだろう。本当によく気が利く人だ。

 

「すいません。お願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはりここも物置になっていた部屋の中央のティーテーブルを片付け、ポット、カップと手際よく並べていく。さすがに学院長の秘書をやっているだけあって、こういうことに関しても卒がない。……メイドに任せたことしかない私と違って。

 

「どうかしました?」

 

 手元をじっと見つめていた私のことを不審に思ったんだろう。準備する手は止めずに、不思議そうに私を見ている。

 

「あ、いえ、何でもできるんだなぁと思って……。私はお茶の準備だとかはあまりやったことがなかったので」

 

「必要に迫られて、ですよ。必要がなければ私もできなかったでしょうしね」

 

 少しだけ、ほんの少しだけ悲しげに口にする。だが、すぐにいつものように微笑を浮かべる。いつものように、同姓から見ても魅力的な。綺麗で、有能で、何でもできて……胸も大きくて。男性にとって確かに魅力的だろう。同姓だからこそ、なおさらよく分かる。

 

「――シキさんとは、お付き合いされているんですか?」

 

 この前は結局聞き損なっちゃったけれど、そういうことなんだろうなぁ。シキさんも私のことを、少なくとも嫌いではないはずだとは思うんだけれど、この人を見ていると、単なる思い込みなんだっていう気がしてくる。

 

「……え?」

 

 驚いたように振りかえる。

 

「――あ、い、今のは……」

 

 つい口元に手をやるが、一旦言ってしまった言葉は取り消せない。私は、何を言っているんだろう。こんなことをいきなり……。聞きたいことだけれど、決してこんな風に聞くべきものではない。

 

「……うーん、どうなんでしょうねぇ?」

 

 持っていたカップをコトリと置くと、最初は驚いたようだけれど、少しだけ考え込んで、困ったように口にする。でも、どうしてそこで困ったような顔をするんだろう。

 

「前にも言ったように、私はシキさんのこと好きですよ。……先日は、体の関係も持ちましたし」

 

「……そう……なんですか」

 

 やっぱり、そうだったんだ。

 

 ――そっか。

 

 

 

「――でも」

 

「でも?」

 

 シキさんのことが好きで、関係を持って――それで何があるんだろう?

 

「シキさん、私のことを好きだって言ってくれたわけじゃないですから」

 

「……でも、……その、シキさんと関係を持ったわけでしょう? だったら、シキさんも……」

 

 当然、そういうことのはずだ。

 

「だったら、嬉しいですね。――でも、シキさんは優しい人だから、同情かもしれないですし」

 

「……同情?」

 

 何でそこで同情なんて言葉が出てくるんだろう? いきなりのその言葉に、つい鸚鵡返しに繰り返してしまう。

 

「――私、本当はすごく悪い女なんです。シキさんには、シキさんだから全部話しました」

 

 独り言のように呟く。視線を落としながら。

 

「……どういうことですか?」

 

 「悪い」女ということの真意は分からない。いきなりこんなことを口にする理由も。だが、自分で「悪い」というようなことを全部話したのなら、それだけ信頼しているということだし、それでも受け入れてくれると思ったからではないのだろうか。同情というのなら、それだけの理由があったということでもあるはずだ。  

 

「――シキさんはきっと全部分かってくれています。でも、それと好きかどうかは別です。同情……かもしれないですし。それに……」

 

 俯いていた顔を上げ、私の方を真っ直ぐに見つめる。ただ、悲しそうな、それでいて羨むような目で。

 

「……シキさんには、あなたのように真っ直ぐな人の方が相応しいかもしれませんし」

 

 いつもと、なんだか雰囲気が違う。だが、すぐに表情を緩ませ、口を開く。

 

「――変なこと言ってすみません。それと、勘違いしないでくださいね? 別にシキさんのことを諦めるというわけじゃないですから。……ええと、変な話になっちゃいましたね。」

 

「あ、いえ……。私から、口にしたことですし」

 

「やっぱり、ちょっと気まずいですね。うーん、私は別の部屋で手伝うことにしますね」

 

 そういうと書類を一束抱え、部屋の入り口へと向かう。ふと、思い出したように足を止める。

 

「――好きなら、告白した方が良いですよ。シキさんも、あなたの気持ちは気づいていますしね。それでいて、何もアクションを起こさないのはあの人の悪いところですけれど」

 

 それだけ言うとドアを開け、振り返らずに出て行く。

 

「――告白、か」

 

 出て行ったドアを見つめたまま思い浮かべる。今までだって、考えなかったわけではない。女の方からというのははしたないような気もするけれど、シキさんと二人っきりになって……

 

「――言い忘れましたが」

 

 ガチャリ、といきなり扉が開かれる。

 

「うぇぇ!?」

 

 だから、驚くのも仕方がないことだと思う。変な声を出してしまったことも。

 

「シキさんあれで案外手馴れているみたいですし、初めてでも安心していいと思いますよ。最初だけ押し倒しちゃえばあとは任せて大丈夫です」

 

 小悪魔のように悪戯っぽい笑顔で口にすると、それではと部屋を再び後にする。

 

 時間を置いてその言葉の意味を理解して、真っ赤になった私を残して。

 

「……告白、か」

 

 はっきりと言葉にして、もう一度部屋の中で悶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――シキさん、今日の夜ちょっと飲みませんか? 珍しいお酒があるんです。お米を使ったもので、ワインに比べて結構強いものだとか。たぶん、シキさんでも楽しめるはずですよ。……もちろん、良かったらですけれど」

 

 いつものように言うつもりだったのだが、つい言葉尻が弱くなってしまう。

 

「……米の酒か。興味はあるな」

 

 何か良いきっかけがないかと部屋を探して見つけたものなのだが、存外興味を持ってくれたようだ。人生、何が役に立つか分からない。

 

「良かった。じゃあ、部屋でお待ちしていますね。……待ってますから、来てくださいね」

 

 それだけ念を押すと部屋へと戻る。どうしても仕事に集中できなくて、結局何度も練習した甲斐があった。十分及第点だと思う。まだ、心臓が落ち着かないが、言ってしまった今ではそれも心地よい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何度目になるか分からないけれど、ゆっくりと部屋を見渡す。書類の一部が部屋からなくなったおかげで、積んである書類も随分減った。本当は残りもどうにかしたいんだけれど、そればかりは仕方がない。それ以外に関しては、掃除もシエスタに念入りにさせたし、右から左に視線をやっても大丈夫だといえる……はず。お酒に合わせた器も自分なりに準備してみた。こればかりはちょっとした意地だ。それぐらいで追いつけるなんて思わないけれど、何もしないというのは負けを認めるようなものだと思う。

 

 本当は掃除も自分でできたなら良かったのだが、さすがにそれでは時間がかかりすぎる。もう一度部屋を見渡して、こんどは視線を自分に移す。

 

 ……もう一回お風呂に入ってこようかな。なんだかまた汗をかいたような気がするし。でも、もうシキさんが来ちゃうかもしれないし。でも、もし……

 

 あの人の去り際の言葉がちらりと頭をよぎる。というよりも、準備をしている間も頭から離れなかった。私だって、その、今まで全く意識してこなかったわけじゃないし……

 

 ――やっぱり、もう一度入ろうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ねえ、シキ。お米のお酒ってどんなのかな? そもそも、お米でお酒なんて作れるの?」

 

 ルイズは米で作った酒というものに興味があるものの、どうやら半信半疑らしい。

 

「ワインと味は全く違うが、問題なく作れるぞ。まあ、昔飲んだときには味なんてよく分からなかったが、あれはあれで悪くないだろう」

 

 今飲んだら、どう感じるのか興味がある。多少は違うかもしれないが日本酒という、言ってしまえば故郷の味なのだから。

 

「ふーん……、飲んだことあるんだ。だったら、ちょっと楽しみかも」

 

 どうやらそういう酒があるというのは信じてくれたらしい。もっとも、面白そうというだけで味にはあまり期待していないようだが。

 

「まあ、好き嫌いはあるだろうが、一回は飲んでみるといい。ただし、飲みすぎるなよ?」

 

「……分かっているわよ」

 

 ばつが悪そうに目を逸らすルイズを尻目に、立ち止まる。ちょうど部屋の前だ。ゆっくりとノックをする。

 

「……は、はい。ちょっと待ってください……」

 

 言葉は聞こえてくるが、すぐには開かない。まあ、片付けるものでもあるんだろう。書類が山積みになっているだけに、その辺りは仕方がない。

 

「……珍しいこともあるのね」

 

 何かを考えながら、ポツリとルイズが呟く。

 

「仕事が忙しかったんだろう。その辺りは仕方がない」

 

「……そうね」

 

 何か思うことがあるのか、ルイズの声には含みがあった。

 

 そうしてしばらく待って、ようやく扉が開いた。

 

「お待たせしてすみません。あの、準備はもう整っていますから、どうぞ入ってください」

 

 申し訳なさそうにしているエレオノールが、右手で部屋へと促す。

 

「そんなに待ってはいないさ。それに、米の酒というのは楽しみにしていたからな」

 

「そうですか。――そう言ってもらえると嬉しいです。じゃあ、入ってください。道具もお酒に合わせて色々と揃えてみたんですよ。私が準備したので、もしかしたらおかしな所があるかもしれませんが」

 

 嬉しそうに、少しだけ自慢げに口にする。俺も、日本酒というのはたまたま珍しいものをということなんだろうが、やはり楽しみだ。

 

「――シキ、楽しみにしていたものね」

 

「そうだな。ルイズも気に入ってくれればいいんだがな」

 

「…………なんで、ルイズが?」

 

 ルイズを見て、今気づいたとばかりに呟く。心なしか表情もこわばっているような気がしなくもない。

 

「まずかったか? てっきり誘うつもりだと思っていたんだが……」

 

「――あ、いえ……。ただ、明日からも普通に授業がありますし、遅くまでというのはまずいかなぁと思っていて……。でも、そうですよね。せっかく珍しいものなんですし。――ルイズ、あんまり遅くまでは『絶対』に駄目よ?」

 

「あ、はい……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――シキさん、どうぞ」

 

 そう言ってエレオノールが徳利を手に、お猪口に注ぐ。道具までといってもどんなものがと思っていたが、なかなかどうして、徳利、お猪口と一式がきちんと揃っている。まあ、金髪の女性がという部分には違和感があるが、そこはご愛嬌といったところか。持ち方がどこかぎこちないのもまたそうだ。

 

「ありがとう」

 

 指先でお猪口を傾け、素直に受ける。

 

「――返杯、というんだったかな?」

 

 お返しということで徳利を受け取り、同じように注ぐ。エレオノールもまた、見よう見まねで、ただしこちらは両手で包むようにしながら。

 

「ありがとうございます。でも、面白いですね。手に入れたときに器が小さいと思ったんですけれど、こういう意味があるんですね」

 

 ワイングラスに比べればはるかに小さなお猪口を手に、楽しそうに笑う。小さいから、何度もお互いに注ぐことになる。酌み交わすという意味では、ワイングラスに比べてはるかに小さなお猪口は都合がいい。

 

「ルイズはどうだ?」 

 

 すぐ隣で小さなお猪口を両手に持ったルイズに視線を向ける。

 

「うん? んー、温めて飲んだりだとかは初めてだけれど、これはこれで面白いのかなぁって。ちょっと強いけれど、少しずつ飲む分には気にならないし。……ただ、チーズとかはちょっと合わないかも」

 

 ルイズがちらりと視線を移す。その先には、テーブルの中でチーズなどが盛られて唯一違和感を出している皿がある。

 

 確かに、それはあるかもしれない。道具は揃っているが、つまみにはワインと同じものが準備されている。まあ、この酒自体が珍しいのだから、そうそう手に入るものでもないだろう。それに、いかにも日本酒の友といったものがあったら、それはそれで違和感がある。アンバランスというより――そこまでいくとシュールだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ルイズ、あなたはそろそろ寝なさい。この前みたいに二日酔いになるわけにはいかないでしょう?」

 

 酌み交わすということを何度かお互いに繰り返して、エレオノールが優しく諭す。本来ならあまり人に言えたことではないのだろうが、まあ、そこは言わぬが花だ。

 

「……はい。じゃあ、シキ、そろそろ寝ましょうか」

 

「まあ、授業があるのに二日酔いになるのはまずいしな。この前と同じになるととても授業どころじゃない」

 

 ルイズが腰を上げたのに続いて、テーブルに手をつく。 

 

「――え? あ、あの、シキさんもですか? ……その、一人で飲むのも寂しいですし、えーと、できたら……」

 

 しどろもどろにチラチラとこちらをうかがう。

 

「……せっかく、だからな」

 

 一旦は浮かせかけた腰を落とす。

 

「じゃあ、私も……」

 

「あなたはもう寝なさい」

 

 私もと言いかけたルイズに、間髪いれずにエレオノールの声が重なる。

 

「……う……でも『いいわね?』……はい」

 

 こういう場面ではどうしてもルイズは勝てない。諦めたように席を立ち、とぼとぼと入り口へと向かう。そうして部屋を後にする前に、名残惜しそうに振り返る。

 

「……シキ、早めに戻ってきてね。……待ってるから」 

 

 それだけ言うと一瞬だけじっと俺の目を見つめ、出て行く。扉を閉める音もなんだか寂しげだ。

 

「……ちょっと可哀想、だったかな」

 

 まだ残りたそうだったし、飲みすぎなければ問題なかったような気がしないでもないのだが。

 

「……それは、そうかもしれませんが、やっぱり教える側としては、その……良くないですし」

 

 さっきまでとは打って変わって、気弱げに俯く。

 

「まあ、確かに飲みすぎはまずいしな。この前は二人とも、な」

 

 少しだけからかってみる。

 

「……え、あ、その……その節は……ご迷惑を、おかけしました」

 

 真っ赤になったまま目を泳がせる。こういう反応は珍しい。つい、もう少しからかってみたくなる。普段が普段なだけに、少女のようで可愛らしい。そんな風に言ったら、いったいどんな反応を返してくれるだろう?

 

「あのときのことは忘れてください。今日はそんなことありませんから。」

 

 早口でまくし立て、とにかく飲めとばかりに注ぐ。勢いあまってこぼしてしまうというのも、動揺しているというのがはっきり分かって面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございます。じゃあ、私も」 

 

 ルイズが帰ったあとも、お互いさしつさされつ。器が小さいからこそこんなことができると思うと、なるほどよくできたものだ。東方からのものは、変わってはいても、それぞれに意味がきちんとあって良くできているという評価もうなづける。さっきまではこんなことを考える余裕もなかったけれど、そんなことを繰り返しているうちにようやく落ち着いた。

 

 ――が、今日の目的はお酒を飲むことじゃない。いや、もちろんこれはこれでいいんだけれど……とにかく目的は別にある。だからこそルイズも早めに帰したのだから。

 

 でも、お酒の勢いがあればというのもあったのだが、なかなか思うようにはいかない。何度か言おうとしたのが、どうしても最期の一歩が踏み出せない。まさか自分にこんな少女のような面が残っているとは思わなかった。

 

 お開きになる前にと心は逸っても、最期の一歩が踏み出せない。今になって、もし駄目だったらという想いが胸をつく。このままの関係というのは嫌だけれど、それさえもなくなるというのはもっと嫌だ。その想いが告白しようとするのを邪魔する。

 

 

 

 

 

 

 

「――もう空か、そろそろ遅いしな」

 

 徳利をテーブルに置くと、コンと最初に比べて随分と軽い音がする。随分と軽くなってしまっていた最期の徳利も、エレオノールに注いですっかり空だ。それに、徳利もお猪口も一つ一つは小さいとはいえ、これだけ飲めばそれなりの量にはなる。

 

「そ、そうですね……」

 

 エレオノールが小さなお猪口を両手に俯く。

 

「あ、あの……」

 

「ん?」

 

「……や、やっぱりいいです」

 

 ルイズが部屋へと戻ってから、これで何度目になるか分からない。何かを言いたそうにしては止めるということは。

 

「……う……、その、ちょっと待っていてください」

 

 そう言うと席を立ち、何かの薬品が並べてある棚へと向かう。結構な量を飲んでいるからと心配したのだが、今回は足取りがしっかりしている。むしろ、いつもより力強いとさえ感じる。

 

 そうして棚の前に立ち、少しだけ動きを止めてから手前にあった瓶の蓋を開けて一気にあおる。

 

「……ちなみに、今のは何なんだ?」

 

 さっきの棚は薬品棚だったはず。自分で作ったものがほとんどだと言っていたから心配はないだろうが、酒と薬を一緒にというのは良くないと聞いたことがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今の薬、ですか?」

 

 空になった瓶を置いて、くるりと振り返る。シキさんが良く見えるように。

 

「今のは、ですね……」

 

 ゆっくりと足を進める。少しだけ、足元が覚束ない。お酒と一緒というのは、まずかったかな? そんな様子を見たからか、シキさんが席を立ってこちらへと歩いてくる。やっぱり、シキさんは優しい。

 

「生徒に作ってあげた、薬の残りで……」

 

 シキさんが肩を支えてくれたから、素直に寄りかかる。一旦は胸に顔をうずめて、もう一度顔を上げて言葉を続ける。名残惜しいけれど、ちゃんと言わないと。その為に飲んだんだから。

 

「自分に正直に、なれるんですよ」

 

 覗き込むシキさんの唇と自分の唇を合わせる。前とは違って、お酒の匂い。でも、ちゃんとキスするのは初めてかな。名残惜しいから、離れたくない。でも、言わないと。順番が逆な気がするけれど、まあ、いいや。ゆっくりと唇を離す。

 

「――シキさん」

 

 シキさんを見上げる。

 

「……ああ」

 

「私、シキさんのことが好きです。こうやって薬を使ってでも言いたいし、寝ているシキさんにキスしたりするぐらい、好きです」

 

「…………」

 

「シキさんには、私はどんな風に見えていますか? 気ばっかりが強くて、可愛くない女ですか? そんな女は……嫌いですか?」

 

 ずっと聞きたかったことだ。今なら言える。やっぱり恥ずかしいけれど、言える。

 

「……そんなことはない。いつも真っ直ぐで、気が強いと気にしたりしているのは、十分可愛らしいと思う」

 

「――可愛い、ですか? ……本当に?」

 

 そんなこと、言われたのはいつ以来だろう。本当に嬉しい。

 

「ああ、嘘じゃない」

 

 じっとシキさんを見てしまう。でも、シキさんなら嘘はつかない。なら……

 

「……じゃあ、こっちに来てください」

 

 シキさんの手を取って引っ張る。テーブルの脇を抜けて、足元にまだ残っている荷物を避けて……

 

「……ベッド……」

 

 それを見てシキさんが呟く。

 

「……改めて口に出さないでください。恥ずかしいものは、恥ずかしいんですから」

 

 ここまで引っ張ったのは自分とは言え、恥ずかしいものは恥ずかしい。とてもシキさんの顔を見れない。火がついたように顔が熱い。

 

「……あの人とは、その……したんですよね。私とじゃ、嫌ですか?」

 

「そんなことはない。……ただ、それでいいのか? その、別の女と関係を持っているのに……」

 

 少しだけ顔を逸らす。

 

「……嫌ですよ。でも、好きなんだからしょうがないじゃないですか」

 

 もちろん嫌だ。でも、それ以上に好きなんだからどうしようもない。シキさんの手を握ったまま、ベッドに倒れこむ。もちろん、シキさんと一緒に。私が仰向けになって、シキさんが覆いかぶさるように。

 

「……ここまでさせたんですから、これ以上恥をかかせないでください。私は、シキさんのことが好きです。それじゃ、駄目ですか?」

 

 シキさんの返事は、キスだった。シキさんからは、初めてだ。それが、どうしようもなく嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと唇を離す。離れてといっても、目と鼻の先の距離だ。何せ、組み敷くような格好なのだから、それ以上離れようがない。目の前にはエレオノールの顔がある。少しだけ髪が乱れて、酒のせいか、薬のせいか、いつもより険のない表情で。ただ、すこしだけ緊張を見せながら。

 

「あ、あの……私、初めてで」

 

 エレオノールが恥ずかしそうに視線を横へと向ける。

 

「ああ、知っている。できるだけ優しくする」

 

 処女と、というは初めてだ。痛いものだというのは何度も聞かされている。だから、それを忘れるわけにはいかない。

 

「……変ですよね。この歳で初めてなんて。もうとっくに結婚していてもいい歳ですし……」

 

 ポツリと呟く。正直になるという効果か、よっぽど気にしていたんだろう。今日は隠そうという気が全くないようだ。

 

「そんなに気にすることでもないさ。俺のいた世界では30でというの珍しくなかったからな」

 

 言ったところで下からギュウと頬をつねられる。

 

「……まだそこまではいってないです」

 

「……悪かった」

 

 歳のことを、本当に子供っぽい仕草で口にしているというのが、どこかおかしかった。

 

「――とにかく、優しくするから心配しないでくれ」

 

「……はい。……あ、明かりを」

 

 ルイズの部屋の仕組みと同じなんだろう。指を振って消そうとするのを押しとどめる。

 

「別に消さなくてもいいだろう。消しても、意味がないからな」

 

「……シキさんがそういうのなら、別にいいです。えーと、その……お願いします」

 

「任せてくれ」

 

 つい笑みがもれる。普段とは打って変わって、素直で可愛らしい様子に。

 

「……ん……」

 

 可愛らしくて、ついキスをしたくなる。そのまま、スカートへと右手を伸ばす。一瞬エレオノールが止めようとしたが、すぐに力を抜く。

 

 スカートのサイドのフックをはずし、中へと手を差し入れる。一つ一つの動作の度に身じろぎするが、今度は抵抗しない。太腿の上から指でなぞる。そしてそのまま、下着へ指を当てる。形をなぞるように指を何度も往復させる。そのたびに身を震わせて、もどかしそうだ。今度は周りではなく、中心へと。

 

「――ん……。あ、へ、変な声を出して済みません」

 

 口元を両手で押さえる。もしかしたら、自分で触ったこともないのかもしれない。

 

「自分で触ったことは?」

 

 今度は下着の中へと指を滑り込ませ、直接触れる。少しだけ強く、輪郭をなぞるように。

 

「……んっ。な、ないです、そんな所、触る必要もないですし」

 

 自分の反応にも驚いているのか、戸惑いながら答える。そんな反応が可愛くて、つい少しだけ意地悪をしたくなる。

 

「――たとえば、こんな風に」

 

 何度も何度もこするように触れる。口を両手で押さえているから声は出さないが、分かりやすいぐらいに体は反応してくれる。触れるたびに体を震わせ、だんだんと湿ってきた。これならばと今度は指を下へ滑らせ、差し入れる。初めてだけあって、これぐらいでは足りないんだろう。人差し指だけなのに拒むように締め付ける。一本だけで一杯になってしまったように錯覚するぐらいに。それでも少しずつなら動かせる。少しずつ、少しずつ指を前後に動かす。少しずつ奥にまで進めることができるようになる。

 

 やがて、湿った音が聞こえてきた。

 

「……あ、あの……」

 

「何だ?」

 

 動かす指はそのまま、問いかけに応える。

 

「えーと、その……変な音が……するんですけれど……」

 

「……これか?」

 

 クチュリと、わざと一際大きな音がなるように指を動かす。それと同時に今まで以上に体をのけぞらせる。

 

「そ、そうです。あの、……私どうなっているんでしょう」

 

 荒い吐息で、答える。慣れない感覚と、音が恥ずかしくてしょうがないんだろう。

 

「――なら、自分で確かめてみるといい」

 

 エレオノールの左手を掴み、先ほどまで触れていた部分に、下着の上から触れさせる。もう下着の上からでもはっきりと分かるぐらいに濡れている。

 

「う、うえ? な、なにこれ?」

 

 よっぽど驚いたのか、すぐに手を戻そうとするがそれでは面白くない。戻そうとした手を掴み、自分がしていたのと同じように触れさせる。下着の上からだが、こうなると下着の上からだろうがなかろうが関係ない。

 

「――ドロドロだろう?」

 

「な、なんでそんな恥ずかしいことを言うんですか!?」

 

「恥ずかしいも何も、自分の体じゃないか」

 

「そ、それはそうなんですけれど……、なんと言うか……」

 

 よっぽど恥ずかしいのか、その場所を両手で隠そうとする。目にはうっすらと涙も浮かんでいる。が、この涙は逆にいじめたくなる。普段とのギャップが、なおさらそれをあおる。

 

「手をどけてくれないと続きができないんだが」

 

「……意地悪、です」

 

 表情から理解したんだろうが、しぶしぶといった様子で手をどける。

 

「そろそろ下着も脱がないとな」

 

「うえええええ!? ぬ、脱ぐんですか? い、嫌です。恥ずかしくて死んじゃいます!」

 

 いやいやと激しく首を左右に振る。

 

「――それだと続きができないな。……止めるか?」

 

 もちろんここで止める気などない。止められる男がいるのなら見てみたいものだ。いや、止められるのなら男ではない。

 

「……う……く……そ、それは……。わ、分かりました。脱ぎます……」

 

 恨めしげにこちらを睨みながら、しぶしぶと下着に手をかける。

 

「……そ、そんなにまじまじと見ないでください」

 

 両手で目隠しをしようと、顔に押し当ててくる。

 

「分かった。脱いでいる間は見ない。約束する」

 

「……本当ですね? 本当ですよね?」

 

「ああ、約束する」

 

 言いながら目を閉じる。これくらいは妥協しよう。

 

「……約束、ですよ? 絶対見ないでくださいね」

 

 見ないというのを確信できたのか、衣擦れと、脱ごうと身じろぎする音がする。

 

「……うあ……この下着……もう使えない……」

 

「もう「駄目です!!」……そうか」

 

 更に衣擦れの音が続く。多分他の衣服も脱いでいるんだろう。

 

「も、もういいですよ」

 

 声に目を開けると、頭から毛布をかぶったエレオノールがいる。見られるというのが一番恥ずかしいんだろう。

 

「……シキさんも入ってください」

 

 毛布の片端を持ち上げ、促す。

 

「……スカートも脱いだんだな」

 

 毛布の中をちらりと見て、口にする。肝心な部分はしっかりと手で隠したままだったが。

 

「その、邪魔になりそうでしたから……。脱がない方が良かったですか?」

 

「いや、脱いでいた方がいい」

 

 言葉と同時に、左手で肩を抱き、さっきまで触れていた場所に直接触れる。スカートも下着も脱いだおかげでやりやすい。最初と同じように形をなぞるように触れ、それから一番反応の良かった部分に触れる。ただし、今度は少しだけ強く。そして、その下へと指を滑らせる。一本、二本……

 

 やはりまだきついが、さっきとは違って指二本ぐらいならなんとか入る。前後に動かせば奥の方にまで。動かすたびに息が漏れる。声は出さないようにと必死に押さえているのがよく分かる。

 

 ならばと、つい声を出させてみたくなる。さっきまではどうしても遠慮があってゆっくりとしか動かせなかったが、この様子なら大丈夫だろう。前後に動かしていた指の動きを早める。クチュクチュとはっきりと音が聞こえるぐらいに。

 

「……ふ……あ……や、やめ……」

 

 ギュウと力いっぱい抱きついてくる。そして指を動かすたびに体を痙攣させる。それでも構わず、むしろ、指の動きを早める。やがて一際体を大きくふるわせ、ギュウと締め付ける。

 

「……あ……ぐ……」

 

 指の動きを止めてもびくびくと体を振るわせ、力も抜けてしまった様子で、息も長い。抱きついていた腕からも力が抜ける。

 

「……何か……変です。力が、抜けちゃって……」

 

 荒く呼吸しながら、さっきまで力一杯抱きついていた腕も投げだす。隠そうという気も起きなくなったのか、足も投げ出した状態で。

 

「――どうだった?」

 

 髪を梳くように撫でながら問いかける。

 

「……ん……あんなの、初めて、でした。すごく気持ちよくて、どうにか……なっちゃいそう……で……」

 

 すっかり力が抜けてしまったのか、声を絶え絶えだ。そのうちスー、スー、と寝息も聞こえてくる。

 

 

 

 

「……寝息?」

 

 

 

 

 

「……そうか、寝たのか。……そうだな。仕事で疲れていて、あれだけ飲めば、仕方ないか。……仕方ない、な」

 

 寝顔に目をやれば、幸せそうに寝ている。とてもではないが、起こそうという気にはならない。――ならないんだが。

 

「――俺はどうすればいいんだ?」



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第17話 As You Wish

「――ん……」

 半ばまで毛布で隠れてしまっているが、ちょうど目の前にエレオノールの寝顔がある。右腕を枕に、抱きつくように体を預けてくるというのは、姉妹だけあってルイズと良く似た仕草だ。
 顔立ちなどはるかに大人びてはいても、それでも良く似ている。二人とも起きているときはしばしば険のある表情をしているが、寝ているときは無邪気なものだ。

 それが本来の表情なのかもしれない。ただ、二人ともなかなか周りには見せてくれないだけで。それを自分だけが独り占めにできるというのはどこか優越感を感じる。緩くウエーブのかかった髪に指を通すとふわふわと、色は違えど、これもまたルイズと良く似ている。

 ――それを思えば、一緒に寝て、それで何もしないのは別に変なことじゃない。

 それに、柔らかな髪に指を通す感触は好きだ。指の間をさらと髪が流れていくのは気持ちがいい。ルイズやエレオノールの髪は良く手入れされていて、どんなに最上級の織物だって勝てないだろう。




 

「……ん……ぅ……」

 

 エレオノールがもう一度身じろぎする。窓の方に目をやれば、カーテン越しながらうっすらと床に朝日が刺し込んでいる。

 

 ――長かった夜も、ようやく明けた。

 

「――そろそろ起きるか?」

 

 ちょうどすっぽり腕の中に納まったエレオノールが、ゆっくりと目をしばたたかせる。

 

「……い……や……」

 

 それだけ口にすると、ギュウと抱きつく腕に力を込める。

 

「――そうか。最近はろくに休めなかったみたいだからな」

 

 さっきまでと同じように頭を撫でると、くすぐったそうにはにかむ。まるで子供のように。きっとこんな表情を見たのは俺か――さもなくば子供の頃を知っている両親ぐらいなものだろう。そう思うと、なんだか嬉しくもある。それだけ何の衒いもなくということだから。

 

 そのまま、二人でまどろむ。こういう時間を誰かと過ごすというのは、とても贅沢だ。

 

 

 ――が、そういう時間ほど長くは続かないものだ。いきなり毛布を跳ね上げ、エレオノールが起き上がる。顔を真っ赤にして。

 

 もしかしたら、昨日以上に赤く染めて。

 

「どうした?」

 

「……ああああ、あ、あの……。き、昨日は……」

 

 そこまで言うと更に顔を染め上げ、起き上がったときと同じぐらいの勢いで毛布に包まる。

 

 手を差し入れ、毛布を少しだけずらそうとすると――噛まれた。結構な力で。

 

「……………………落ち着け」

 

今度は噛まれないように、注意を払って。めくってみると両手で顔を覆い、泣いている。

 

 落ち着かせようと、抱きしめる。最初は身を硬くしたが、さっきまでと同じように頭を撫でるにつれ、徐々に力を緩める。

 

「どうしたんだ、いきなり?」

 

 頭を撫でながら、できる限り優しく問いかける。

 

 エレオノールがおずおずとこちらに目を向ける。恥ずかしさと、申し訳なさとがない混ぜになった目を。

 

「……ごめんなさい」

 

 ポツリと呟く。

 

「……ああ、そういうことか。初めてなんてそんなものだろう」

 

「で、でも……。私、自分だけ……」

 

 そこまで言って俯く。昨日のことを気にしてしまっているんだろう。

 

 右手でエレオノールを顔をあげ――口付ける。

 

「最初は、これだけでも十分じゃないか?」

 

 そう笑いかけると、さっきとは別の意味で恥ずかしそうに俯く。

 

「なら、そろそろ起きようか? いつまでも二人でというわけにはいかないだろう?」

 

 そう言って腰を浮かせようとした所で、服のすそを引っ張られる。

 

「……良かったら」

 

「ん?」

 

 俯いたままのエレオノールに向き直る。

 

「……その、……今からでも続き、してくれませんか? ……良かったら、ですけど……」

 

 そこまで言ってもう一度毛布をかぶってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左手で書類を抱えたまま、軽くノックをする。

 

「私です。昨日受け取った分が終わったので」

 

 片付いた分を渡すのと、新しい分を受け取るためだ。

 

 すぐに返事が返ってくる。声も随分と機嫌がよさげだ。部屋に入ると実に楽しそうに受け取りにくる。表情もニコニコというのがふさわしいぐらいで、まるで別人だ。

 

「何かいいことありました?」

 

「え、大したことじゃないですよ」

 

 言いながらも幸せそうな表情は変わらない。ただ少しだけ歩き方が違う。もしかして……

 

「――昨日はどうでした? うまくいきました?」

 

 少しだけカマをかけてみることにする

 

「え!? う、うまくというか……。わ、分かりません!! 初めてなんですから!!」

 

 いっきにまくし立てる。

 

 ――ふうん、やることが早い。

 

 ――どっちも。

 

 それにしてもいきなりそこまでいくとは思わなかったなぁ。

 

「そうですかー、もうしちゃったんですねー。わー」

 

 ちょっとだけジト目で見ながら。

 

「……う、うう。そんな目で見ないでください」

 

 一応は罪悪感を感じているようなので、からかうのはこれぐらいにしておこう。

 

 ――今の所は

 

「まあ、それはそれとして、どうでした?」

 

「え? そ、その、人に話すようなことじゃないですし……」

 

「あら、こういうことは女同士、話すものですよ? 多少はアドバイスできますし、男の人の喜ばせ方はそうやって情報収集するものですから」

 

「そ、そうなんですか? ……で、でも確かに、そんなこと本には……」

 

 そのままあごに手を当てて考え込む。

 

 ……嘘は言っていない。そんなことが描いてある本なんて普通はないし、女同士で話すというのも本当だ。

 

 問題があるとすれば、貴族の矜持がどうこうというものぐらいだろうか。だが、むしろ貴族の方がこういう話が好きだったりするものだ。だから、問題はない。

 

「――どうします? やっぱり恥ずかしいでしょうから無理にとはいいませんけれど」

 

 うんうんと悩んではいるが、ここまで来たら答えは決まっている。

 

「や、やっぱりお願いします。その、シキさんにも喜んで欲しいですし……」

 

 えへへと可愛らしく笑いながら。

 

「――お安い御用です」

 

 本当に可愛い。これは色々と教えてあげないと。

 

 ……ええ、色々と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――他にも口でしたりとか」

 

「え!? ……く、口で……。そ、そんなことまで……」

 

 

 

 

 

「――あと……、好きな人は好きなんですけれど……」

 

 

 

 

 

 

「む、無理です!! それだけは絶対に無理です!! シキさんでもそれだけは駄目です!!」

 

「まあ、無理にするものじゃないので」

 

 ちょっとぐらい悪戯をしてもばちは当たらないはず。なんていったってライバルだし、案外シキさんもそういうのが好きかもしれないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――シキさん」

 

「ん? なんだ?」

 

「え? あ、その――用というわけじゃないんですけれど……」

 

 手持ちぶたさに指を絡ませ、尻すぼみに。

 

「えっと、その、ですね。今夜……」

 

 うー、と唸るようにこちらをじっと見る。

 

「――別に何も予定していないが」

 

「本当ですか!?」

 

「ああ、まあ……」

 

「じゃあ、良かったら私の部屋に来てください!」

 

 それだけ言うとパタパタと駆けていく。そして、やおら振り返って

 

「――待ってますから」

 

 照れたようにそれだけ言うと、またパタパタと駆けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――へぇ。もう自分から。人間、変わればかわるものですね」

 

 カラカラと笑う。「色々と教えた甲斐があるというものです」――というのは聞こえなかったことにする。

 

「でも」

 

 そっと体を預けてくる。

 

「何もせずにただ一緒にっていうのも、ものすごく贅沢ですよね」

 

「――あ、もちろん……やっぱりはっきりと口に出すのは恥ずかしいですけれど、その、私も好きですよ? だから……最期まで言わせないでくださいね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ねえ、シキ今日は一緒に寝られるのよね?」

 

 ここ最近は毎日の日課になった質問をシキにぶつける。

 

「……今日は、ちょっと用事が」

 

 気まずそうに口にする。

 

「……ふうん、今日「も」いないんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今日も一人かぁ」

 

 ごろんとベッドに倒れこむ。やっぱり一人だと広すぎる。最近は一人で寝ることも多くて、その度に感じる。

 

 シキが今日、どちらの部屋にいるのかは知らない。でも最近は週の半分はどちらかと一緒だ。直接的には言わないけれど、私だって子供じゃない。どういう関係になっていて、男女二人で何をしているかぐらいは分かる。

 

 お姉様とミスロングビル二人というのはどうかと思うけれど、複数とというのはそう珍しくもない。甲斐性さえあれば――そうとやかく言うものでもない。なにより、二人があまり気にしていないようだから。

 

 たまにどちらをと迫ることもあるけれど、どちらかというと二人もただ困らせるのを楽しんでいるようだ。なんだかんだで皆楽しんでいる。

 

 ――私以外は

 

 私はたぶん、シキのことが好きだ。シキは優しいし、頼りになるし、いつだって一緒にいたい。でも、シキに対する好きってどういうものなんだろう? そう考えるとよく分からなくなる。

 

 たとえば肉親に対する親愛のようなものなのか……、それとも、お姉様たちと同じ、愛情なのか。よく分からない。兄のようにも思っている。でも、初めて抱かれるならと思うと、シキ以外頭に浮かばない。他の人なんて考えられない。

 

 結局、私はどうしたいんだろう。今までは独り占めできたけれど、今は違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ま、待ってくれ。誤解だ」

 

「へえ、何が誤解なの? あなたがあの子を見てたのは間違いないと思うんだけどなぁ。違うの?」

 

 ふと、最近聞きなれたやり取りに目をやれば、ギーシュとモンモラシーだ。最近ようやくよりを戻したみたいだけれど、こういうやり取りはやはりなくならないようだ。どうせなら、シキたちもあんな感じでもめればいいのに……

 

「……い、いや、見ていたのは見ていたんだけれど。その、つい、可愛い子がいると条件反射で見ちゃうんだ」

 

「……ふう。ねえ、ギーシュ。何度も言っているでしょう? あなたがそういう人だっていうことはよーく分かってるわ。でもね。二人でいるときぐらいは――」

 

 ゆっくりと拳を握る。

 

「止めろって、言ってるの!!」

 

 言葉と同時に拳がギーシュにめり込む。

 

「……いい加減懲りて頂戴」

 

 ふん、ときびすをかえすと、くず折れたギーシュをそのままに歩き去る。

 

「――ばかねぇ」

 

 全部がそうなんだけれど、少しぐらい隠せばいいのに。いつものこととはいえ、ちょっと哀れだ。自業自得だから可哀想だとは思わないが。でもまあ、多少は言ってあげるのが情けというものだろう。

 

 

 

 

 

 

「ねえ、ギーシュ、生きてる?」

 

 足元に転がったギーシュに声をかける。

 

「……なんとか」

 

 よろよろと立ち上がる。結構いいのをもらっていたが、さっきのやり取りを見る限りいつものことなんだろう。

 

「さっきのやり取りをちょっと聞いちゃったんだけれど、もう少しうまくやれないの? あんまりいいことだとは思わないけれど、もう少し隠すとかあるでしょう」

 

「――できないんだよ」

 

 ポツリとつぶやく。

 

「何言って……。って、ちょっと、何で泣いているのよ!?」

 

「僕だって、僕だってこんなことになるなんて思わなかったんだよ」

 

 そういうギーシュの目には大粒の涙が浮かんでいる。まるで一生の不覚とでも言わんばかりに。

 

「もう、何があったのよ。話ぐらいは聞いてあげるから」

 

「……うぅ。実は……」

 

 

 

 

 

 

 

 ――知っての通り、僕はギーシュ。女性皆を楽しませる為にいる、バラのような男さ。

 

 聞くのを止めるわよ?

 

 ま、待ってくれ。話はこれからなんだから。

 

 とにかく、ちょっと失敗することもあるけれど、そのことに関しては誇りを持っているんだ。ただ、最近困ったことになっていてさ。

 

「ギーシュ、私のことを本当に好きならこれを飲んで」

 

 そうモンモラシーに薬の瓶を突き付けて言われてさ。最初は毒かと思って焦ったよ。本気で逃げようかとも思った。でも、「別に毒なんかじゃないし、私のことを本当に好きなら害はない」そう言ってモンモラシーが半分飲んだんだ。そこまで言われたら、さすがに飲まないわけにはいかなくて、その場の勢いで飲んじゃったよ。

 

「本当に好きな相手に正直になる」

 

 飲んだあとでそれを聞いたよ。僕がモンモラシーのことを本当に好きかどうかを知りたかったっていうことだから、少し困るけれど、それならそれでいいやって思ったんだ。不安にさせたのは僕のせい、それなら仕方がない。

 

 それに、もし他の女の子に目を奪われた時、本当に好きなのはモンモラシーだってことを分かってもらえるのなら、それぐらいやすいものさ。

 

 ――そう思ってたんだ。

 

 

 

 

 

 

 ――あ、あの子可愛いな

 

そばを通り過ぎていった、緩くウエーブのかかったロングの髪の子、ついそっちを見ちゃったんだ。

 

「ねえ、ギーシュ。今あの子に見とれていたわよね?」

 

「見てました。――すいません、許してください。僕、条件反射で見ちゃうんです」

 

「――毎回言っているわよね。デート中はそんなことしないでって」

 

 その時からさ。モンモラシーから手が出るようになったのは。

 

 

 

 最初はさ、遠慮もあったんだ。それが毎日毎日続くうちに的確、かつ破壊的になってきたんだ。君も見ていたから分かると思うけれど、さっきのなんて、しっかり腰の入った良いパンチだったよね? 僕も見る側だったら、きっと見ていてほれぼれするぐらいさ。

 

 

 

 それでさ……

 

 

「僕どうしたらいいのかなぁ!? つい見ちゃうんだよ、本能なんだよぉ!? このままだと僕、いつか死んじゃうよ!!」

 

 足元にすがりつき、必死の形相で訴えてくる。実際、毎回毎回やられても直らない。本当に本能なんだろう。ついこのまま踏みつけたくなる。だが、馬鹿馬鹿しいが、ちょっと可哀想にも思えてくる。

 

 

「……分かったわよ。モンモラシーにちょっと控えるようにぐらい言ってあげるわよ」

 

「ほ、本当かい!? 頼むよ! いや、お願いします!!」

 

 もうそのことに関してはプライドがないのか、その場で土下座の体勢を取る。よっぽど辛いんだろう。確かに可哀想になってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ねえ、モンモラシー、ギーシュのことなんだけれどちょっといいかしら?」

 

 あまり人に聞かれてもいい話ではないので、ちょうどモンモラシーが一人になったところで話かけた。おあつらえ向きに、人通りも少ない場所でもある。

 

「なあに、ギーシュがどうかしたの?」

 

 さっきギーシュを思いっきり殴ってストレスはなくなったんだろう。不機嫌になるかと思いきや、そんな様子は一切ない。ちょっと拍子抜けだ。

 

「……えーと、どうしたというか、さっきのやり取りを見ていたんだけれど。ちょっとやりすぎかなぁって」

 

「あら、だっていくら言っても聞かないんだもの。それに、ああすれば私もストレスを解消できてそれでおしまいにできるじゃない」

 

「……まあ、そうね。実際言っても治らないものね。本人も本能だって認めていたし」

 

「でしょう?」

 

 ――いやいや、説得されちゃ駄目じゃない。

 

「で、でも……。そう、「正直になる薬」って、言葉はいいけれど、そういうのってやっぱりまずいじゃない。そういうものを使うのはどうかと思うの」

 

 「正直になる薬」、それを聞いて一瞬焦った表情を浮かべる。でも、「ルイズなら問題ないか」とすぐに元に戻る。

 

「私もどうかなって最初は思ったけれど、あの薬ってね、もとから好きな相手にしか効果がないの。だから惚れ薬みたいなものとは違うわ。それに、それってあなたのお姉さまにもらったのよ? 本当、感謝しているわ」

 

 お姉さまに、そう聞いてふと思いつくことがあった。ギーシュのことよりもとても重要なことだ。

 

「ちなみに、何時ごろもらったの?」

 

「……ええと、何時だったかな? 2週間ぐらい前だったと思うけれど」

 

「……そう」

 

 ――ちょうどお姉さまがおかしくなり始めたぐらいだ。

 

 正直になる、まさに今のお姉さまの状態。多分――いや、絶対に自分でも飲んでる。そうでないとあのプライドの塊のようなお姉さまが……

 

 

 

 

 

 ずんずんと廊下を歩いて行く。お姉さまの部屋へと行くのはいつもならしり込みするところだけれど、今回ばかりは違う。だから、歩くのにも自然、力がこもる。おかげで、いつもの半分ほどの時間でお姉さまの部屋の前までたどりついた。いつもなら扉の前に来てもノックするまでに時間がかかるけれど、今日ばかりは違う。

 

 ――コンコンコンコンコン

 

 ……ちょっと叩きすぎた。

 

「……だ、誰!?」

 

 普段ならこんな呼び出し方をされたらその場で怒り出しそうなものだが、今回に限ってそんな様子はない。

 

「私です」

 

「……ちょっと待っていなさい」

 

 しばらくしてようやく鍵が開く。

 

「な、なんのようかしら?」

 

 半分だけドアを開けて、なぜか遠慮がちに口にする。もしやと思って覗き込もうとすると、体でさえぎられた。

 

 ――まあ、大体分かった。

 

「――単刀直入に言います。モンモラシーに渡した薬の解毒薬をください」

 

 それで全て解決する。ギーシュのことも、何より、お姉さまのことも。

 

「……確かに私が作ったんだけれど、どうしても必要なの?」

 

 作った人間まで知っているということで引け目を感じているのか、いつもに比べて随分と弱腰だ。たぶん、お姉さまが飲んでいるのも間違いないだろう。

 

「ええ、すぐにでも」

 

 ――お姉さまに飲ませないと。最近のお姉さまは「本能」にまで正直になり始めているし。

 

「……すぐには無理よ。材料の一つは手配しないといけないし」

 

 チラチラと私の反応を伺っているが、それぐらいで諦めるつもりなら最初から来ない。

 

「すぐに手配してください」

 

「別にそのうち効果も切れるし……分かったわよ、手配すればいいんでしょう?

 

 お姉さまも、私のお願いの視線に折れてくれたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「材料なんだけれど。ちょうど今手に入らないみたい。しばらくは無理そうだから我慢しなさい。ね?」

 

「ちなみに、何がないんですか?」

 

「精霊の涙よ。それが大本になるから、ないとどうしようもないの」

 

「じゃあ、取ってきます」

 

「ちょ、ちょっと、何言っているのよ!? 精霊の涙は契約を交わした水のメイジだけが手に入れられるものなのよ? だからあなたが行ったって……」

 

 お姉さまとしては色々な意味で行かせたくないだろうが、当てはある。

 

「――シキも一緒に行くから大丈夫です」

 

「え? なら私も……。何よ? なんでそんなに嫌そうな顔をするのよ」

 

 今度ばかりは思いっきりつねり上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひゅうひゅうと風が顔を撫でていく。竜籠には何回も乗ったことがあるけれど、今回はちょっと違う。直接竜の背中に乗っている。だから、風を直接体に受けることになる。もちろん、シキが目の前にいるから、そういった意味では随分と楽だ。

 

 今回は、私とシキとタバサ、そして私達を乗せてくれているシルフィードだけだ。タバサも私の頼みなら、シルフィードも行きたいということで二つ返事で引き受けてくれた。特にシルフィードは最近シキと仲が良いようで、よくじゃれている。

 

 ただ、それだけなら良いが、油断できない。韻竜ということで人間の姿になることもできるらしいし、平日には一緒に町に食べに行ったりしているようだ。ついでに人の姿になった時には胸も結構ある。

 

 ――別に、うらやましくはないけれど。

 

 ちなみに、お姉さまも行きたがったが、すぐに戻るということで遠慮してもらった。

 

「――ところで」

 

 シキが口にする。風で聞き取りづらいが、全く聞こえないというほどではない。

 

「何?」

 

「水の精霊っていうのは、どんな相手なんだ?」

 

 ――そう改まって何かと言われると難しい。

 

 直接見たことはないので本からの知識になるが、どうしても相手が相手なので抽象的なものになる。

 

「えーと、何と言えばいいのかしら……。生きた水っていうのが一番ふさわしいのかしら? 高い知能を持った優れた先住の魔法の使い手であると同時に、その体の一部が「精霊の涙」として秘薬の材料にもなるの。普通は先住の民とは相容れなかったりするんだけれど、水の精霊に関してはそういった理由から一定の交友もあるわね。でも、実際に会ったことがあるわけじゃないから……。ちなみにタバサは会ったことがある?」

 

 シキの前に乗っているタバサに声をかける。シキよりも離れているから、心持ち、声を大きくして。

 

「……一度見たことはある。けれど、同じ程度しか知らない」

 

 おそらく魔法を使って声を流したのだろう。別に声を張り上げた様子はないのに、風に邪魔されずにはっきりと聞こえる。もっと詳しいことを聞ければと思ったのだが、知らないものは仕方がない。

 

「会ってみれば分かるのね。だから、そんなこと考えても仕方がないのね。それに、もう湖が見えてきたのね」

 

 途中で割り込んで来たシルフィードの声に下を見てみれば、確かにもう見えてきた。馬だと休み無しで走らせても時間がかかるけれど、もう目に見える範囲で湖が日を反射しているのが見える。

 

 ……ただ何となく違和感がある。空の上からなんて見たことはないけれど、昔見た記憶よりもずっと大きい気がする。子供の時に見たのだから、むしろ小さく感じる方が自然なはずだが。

 

 高度を落として近づくにつれ、その違和感が確信に変わる。やっぱり広がっている。半ば水の中に木が立ち枯れているのだ。それも、古いものではない。少なくとも数年前は地上に生えていたはずだ。

 

 ゆっくりと旋回し、ちょうど湖の近くに開けた場所があったのでそこに降りた。地面に降りて見渡すが、やっぱり数年前までは地上だったと思しき場所まで湖の中に沈んでいる。

 

「――湖が広がるなんてこと、あるのかしら?」

 

 思わず口にするが、実際に目の前にあるのだから、そういうこともあると考えるしかない。それに、今は「精霊の涙」を手に入れることの方が重要、そして、今思ったのだが、そのことに問題がある。

 

「水の精霊にはどうやって会えばいいのかしら?」

 

 水の精霊と契約を交わした水のメイジが必要だということを考えていなかった。シキがいれば危なくなんてないと思っていたけれど、会えなければ意味がない。

 

「心配ないのね」

 

 そうシルフィードが口にする。そうか。韻龍もいわば先住の民のようなもの。だったら関係を持っていてもおかしくはない。

 

「水の精霊なら誰かが近づいたら分かるのね。だから、必要なら向こうから来てくれるはずなのね」

 

 えっへんとばかりに、人の姿なら胸を張っているんだろう体勢をとる。多分、シルフィードにそういうことまで期待してはいけないんだろう。

 

 が、言っていること自体は正しかったらしい。

 

「――そう。いわば湖そのものが我。必要があれば姿も見せよう」

 

 声のする方に目を向ければ、湖の水面にゆらゆらと浮かぶ人型がある。人型と言っても、人間のそれとは全く違う。単純にシルエットとしてなら間違いなく人だ。しかし、ゆらゆらと蠢く水が無理やりその形をとっているだけなんだろう。すこしずつ姿を変えていくように、一定していない。水の精霊ということでもっと美しいものを想像していただけに、裏切られた気分だ。加えて、声を出すときの口を開いたさまはグロテスクですらある。

 

「――かの人修羅とあれば、姿も見せよう。今更我に用があるとも思えぬがな」

 

 ヒトシュラ、一度どこかで聞いたような……

 

「……俺のことを知っているのか?」

 

 シキが答える。そうだ、ずっと前、初めてシキと会った時に、そう呼ばれていたと言っていた。

 

「むろん。我、いや、我らは一にして全。たとえ世界を隔てようとも、アマラでつながる限り、同じこと」

 

「……そういうことか。なら、あの世界のアクアンズと共有しているのか」

 

「完全にというわけではないが、間違いではないな」

 

 ――二人で話しを進めていく。シキはもともと別の世界にいたと言っていた。普段は意識することがないけれど、こうやって全く人外のものと平然とやりとりをしているのを見ると、改めてそうだと感じる。

 

「……ルイズ」

 

「え? 何?」

 

 つい考え込んでしまって反応できなかった。

 

「水の精霊に頼みごとがあったんだろう? 話ぐらいは聞いてくれるはずだ」

 

「あ、うん」

 

 水の精霊は、先住の民の中でも、純粋な生き物とは違う、特別な存在。だから、人間に対しても決して態度を変えることはない。それなのに、シキに対してはそれが当てはまらないように感じる。感じる、だけかもしれないけれど。

 

「――水の精霊よ。あなたにお願いがあるの。私達に精霊の涙を分けて欲しいの」

 

 私の言葉を聞いて、水の精霊がぐにゃりぐにゃりと形を変える。どうやら形を変えることで感情を表しているらしい。それがどういった意味かというのははっきりとはしないが。

 

「――わざわざその為に、か。かの人修羅とあらばここに来ずとも手はあろうに。まあ、いい。」

 

 水の精霊が腕、でいいのだろう、腕らしき部分を私の方へと延ばす。意図を理解して、腕から落ちた雫を慌てて瓶に受け取る。たぶん、これが精霊の涙。精神に干渉する強い力を持つ水の精霊の一部なら、そういった力を持つというのも理解できる。

 

「――用件はこれだけか?」

 

 水の精霊は予想していたよりもずっと親切らしい。もしくは、シキがいるからか。おそらくは後者だろう。でも、せっかくだ。気になっていたことも聞いておこう。

 

「教えて欲しいことがあるの。この辺りの水かさが随分と増えているみたいだけれど、何か理由を知っている?」

 

「むろん。奪われた秘宝を取り戻すため、我が行っているのだから」

 

「えっと、誰かに盗まれたのよね?」

 

「そうだ」

 

「ということは、ゆっくり侵食していけばいつかは見つかるということ?」

 

「そうだ」

 

「ええと、随分気の長い話ね……」

 

「我とお前とでは、時に対する概念が違う。我にとって全は個。個は全。時もまた然り。今も未来も過去も、我に違いはない。いずれも我が存在する時間ゆえ」

 

 まあ、確かにそうなのかもしれないけれど、私にはとても理解できそうにない。

 

「……ところで、奪われたものというのは何だ?」

 

 シキが間に入る。そういえば、その奪われたものとやらを聞いていなかった。

 

「アンドバリの指輪。我が共に、時を過ごした指輪」

 

 その名前には聞き覚えがある。

 

「聞いたことがあるわ。確か水系統の伝説のマジックアイテム。確か、偽りの生命を死者に与えるという……」

 

「ろくなものじゃないな」

 

 確かにシキの言うとおりだ。でも、求める者というのはいつの時代にもいた。偽りの命とは言え、死者に新たな生を与える。不老不死にも通じるそれは、何時の時代の権力者にとっても魅力的だった。たとえ得られる命がどんな形であってもだ。

 

「そう。所詮は仮初の命。だが、死を避けられぬ人の身には魅力的なのであろうよ。我と、不死にも等しい力を得た者には分からぬものではあるがな」

 

 水の精霊がシキに目を向ける。顔がはっきりしないから断言できないが、ここでいう、不死というのはシキのことだろう。

 

「俺も探しておこう。代わりに水かさを増やすのは止めてくれないか? この辺りに住んでいる人間も困るだろうからな」

 

「――承知した。手段はどうあれ、戻るのなら方法は構わない。風の力を行使して奪っていったのは数個体。……確か個体の一人がこう呼ばれていた。クロムウェルと」

 

「――覚えておこう」

 

「ところで、人修羅よ。この世界で何をする。その力があればできないことはない。また世界を滅ぼすも良し、作り変えるも良し……」

 

 一瞬、ぞくりとした。理由は、分からないし、たぶん、知る必要もない。

 

「……言葉が過ぎたな。もう用はあるまい。我は戻るとしよう」

 

 それだけ言うと、もとから何もなかったように水面へ溶けていった。

 

「――さあ、目的のものも手に入った。早めに戻ろう」

 

 シキがくるりとこちらに顔を向ける。優しそうな、いつも通りのシキだ。

 

「う、うん。早く帰らないとお姉さまが待ちくたびれちゃうしね」

 

 ――水の精霊が言ったことって、前にシキが言っていたことだよね。また世界を滅ぼす。またということは……

 

 ……ううん。シキは、シキだよね。最近はちょっとだらしないけれど、優しいし、頼りになるし。例え昔に何があったって。それに、シキの昔の話は本人から直接聞いている。あれは、本当に他にどうすることもできなかった結果だから……だから、仕方がなかったこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――できたわよ」

 

 お姉さまが不機嫌そうに小瓶に入った解毒薬を差し出す。

 

 戻って早速、お姉さまに精霊の涙を渡した。もしかしたら作ってくれないかと思っていただけに一安心だ。あとは……

 

「――ところで、お姉さまはもう飲んだんですか?」

 

 まずはお姉さまに飲んでもらわないと。そうでないとわざわざ取りに行った意味がない。目的の半分以上はお姉さまに飲ませるためなんだから。

 

「な、なんで私が飲まないといけないのよ?」

 

 プイと顔をそらす。いつも通り強情だが、今回ばかりは引き下がるつもりはない。

 

「お姉さま、あの薬飲んでいますよね?」

 

「…………」

 

「飲んでますよね?」

 

「――どうしてそう思うのかしら?」

 

「見れば分かります」

 

「……あなた、最近生意気よ」

 

 ギロリと睨みつけてくる。いつもならここで逃げ出すところだけれど、今回は私の方に分がある。だから、目を逸らさない。目を逸らしたら負けだ。

 

「……随分と意地を張るじゃない」

 

 ふん、と目を逸らしたのはお姉さまが先だった。

 

「じゃあ……」

 

「……飲まないわよ。一言も飲むなんていっていないでしょう。私が良いって言っているんだからいいの。なに、それにも文句をつけるの?」

 

 ――開き直った。いい年をして子供か、この姉は? そんなだから嫁ぎ遅れるというのに……

 

「……分かりました。もう「私から」は何も言いません」

 

 そう、「私から」は。お姉さまがそこまで言うのなら私にも考えがある。

 

「……分かればいいのよ。ほら、早くその薬をギーシュ君に渡してきなさい。全部飲んじゃって良いから」

 

 さっさと行きなさい、と半ば追い払うように急かされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――これが!? ありがとう、ありがとう!!」

 

 涙を流し、ガシッと手を握ってぶんぶんと振り回す。

 

「な、泣かないでよ。それより、解毒剤を飲んだからってモンモラシーを悲しませるようなしたら駄目なんだからね?」

 

「分かっているさ、もちろんだとも!」

 

 そう言うと一気に飲みきる。

 

 ――まあ、浮気癖は直らないと思うけれど、少しは懲りたでしょう。いい薬になったろうし、これはこれでいいのよね。あとは、お姉さまをなんとかするだけ。

 

 さて、部屋に戻って早速準備しないと……

 

 お姉さまがどんな顔をするか、楽しみね。

 

 ――そうそう。

 

 シキにもちょっと反省してもらわないと。

 

 うふふふふ、本当に楽しみだわ。

 



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第18話 Malice hurts itself most

拝啓

ラ・ヴァリエール公爵夫人殿

国家危急との話もある中、いかがお過ごしでしょうか。
伝聞ではありますが、お父様が此度の開戦に伴い奔走し、領地を守るお母様の心労は如何ばかりか、そしてそこに何もできないこの身が情けない限りです。
学院にて学び、微力ながらお手伝いできる日が来るのが待ち遠しいばかりです。




さて、この度はそんな中でも非常に喜ばしいことがあったので筆をとりました。

これを聞くに、お母様、お父様の驚く顔が浮かばんばかりです。

 

なんと、お姉さまに好きな人ができました。

妹である私の目にも、こんなに幸せそうなお姉さまを見るのは、初めてではないかと思うほどです。

見ること、話すこと、そんな何気ないこと一つ一つが楽しくて仕方がないという様子です。

 

本当に人を愛するということについては、まだ私には真には理解できないかもしれません。

ですが、その様子は見ているだけでうらやましく、お父様とお母様が出会った時もかくやと思わんばかりです。

そんなに幸せになれる素敵な恋、私も早く見つけたいものです。

 

しかしながら、そのことに関してもう一つ、お母様にはお伝えしなければならないことがあります。

お姉様は、本当に幸せそうです。

険のある表情をされることも少なくなり、それは妹である私にとっても嬉しいばかりです。

 

ただ、それでもわきまえるべきはあります。

若輩者である私が言うのはお門違いかと思われるかもしれません。

ですが、お母様が見ても同じ感想を持つのではと思います。

それほどまでにお姉さまは、私が使うにふさわしい言葉ではないかもしれませんが、あえて一言で言うのなら、節操がなくなりました。

 

その好きになった方の部屋を毎夜訪れる。

私とて、何時までも子供ではありません。

何のためかということぐらいは分かりますし、好きであるもの同士であるのならば、そういった感情を持つのも仕方ないのではということを思わなくはありません。

ですが、一般の民であるならばともかく、ヴァリエール家は由緒正しき血を伝える一族です。

おのずから、そこには民の見本となるべき責務があります。

 

おそらく、お姉さまはこのことはもちろん、好きな人ができたということも、お父様にもお母様にも伝えていなかったことでしょう。

両親の許しを受け、正式に婚姻を結んだのであるのならともかく、これはいかがものかと思います。

一度、しっかりと話す必要があるはずです。

 

そして、お姉さまが懸想する相手方にも言うべきことがないではありません。

そもそも、その人物というのは、何度か手紙にて記しました、私の使い魔となったシキです。

お母様もご存知の通り、使い魔としてではなく、一人の個人としてみるべき人物です。

貴族ではないながらも、類まれな魔法の才を持ち、姉のこと、そして私のことを大切にしてくれています。

朴訥ながら、人柄としても十分に信頼できる相手です。

余計なしがらみもないので、姉との関係について自由な感情を持つことは当然ですし、今の関係については、むしろ姉から求めたものです。

そこに責めるべきものはなんら有りません。

 

しかしながら、それとは別に非常に大きな問題があります。

なんと、関係を持っている女性が我が姉だけではないのです。

おかしなことかと思われるかもしれませんが、その相手には、私も面識があります。

 

その人物もまた、女性として、人としてとても尊敬できる人物です。

知的で女性的な魅力に溢れ、そこに魅かれるというのは分かりますし、そこは私も故なきことではないと思います。

しかしながら、それが複数の女性と関係を持つ理由にはなりません。

 

確かに、事情はよく分からないのですが、その一人の男性に対して好意を持った二人とも、そのような状況を受け入れている節はあります。

それでも、最初からそんな関係であるというのは、常識からは外れたことではないでしょうか。

今は、表面上は何も問題がないように過ぎております。

ですが、いつかはそれが対立、そして姉の不幸になるのではと、私は心配でなりません。

 

その思いから私は筆をとり、いわば告げ口という後ろめたい行為でありながらもそれをせずにはおられません。

このような状況に対し、恥ずかしながら私ではまだ子供です。

誰かとそういった関係になったこともありません。

私も、一度は姉に進言しました。

しかしながら、愛の前にといわれれば、それ以上何も言うことはできないのです。

 

ですが、それでも私はなんとかしたいのです。

どうかよき知恵を授けていただけないでしょうか。

今からでは遅いかもしれません。

それでも私は姉の幸せを願っているのです。

 

敬具

 

 

 

 

「姉を心配する」手紙を出した後、わずか数日で返事が来た。お母様もそれだけ重要なことだと思ってくれたということだろう。非常に頼もしい限りだ。

 

 ベッドに腰掛け、その手紙の封を切る。内容としては便箋の半分にも満たない、非常に簡潔なもの。でも、それで十分。

 

「――あらあら、お母様が直接学院にだなんて。私は助言だけでも十分だったのに」

 

 知らず笑みが浮かぶ。口元をゆがめた、歪なものかもしれないが。

 

 まあ、誰にも見られていないのだから大した問題ではない。それに、悪巧みの類なのだから、むしろ当然の反応だ。

 

「さて、来るのは、――あら、明日じゃない。そうねぇ、お姉さまたちには、明日伝えればいいかしら?」

 

 目を閉じれば、お姉さまたちの慌てふためく様がありありと浮かんでくる。もちろん、非難されるかもしれないけれど、いつかは分かること。ただ単純に、それが遅いか早いかの違いだ。ならば、むしろこれは感謝されてしかるべきことだろう。

 

「――うふふ、あはははははははははははっはっははあはははっは」

 

 しぃっかり反省しないとね。やっぱりおかしいもの。お姉様もね、あれじゃ発情期かと言いたいぐらい。

 

 それにシキ。姉様とミス・ロングビル、確証はつかんでいないけれど、キュルケにも手を出している可能性がある。もっと言うなら、しょっちゅう町にも出かけているから、外でも。

 

 シキのことは信じている。けれど、はっきり言ってそのことに関しては全く信じられない。むしろ、いつどこから「シキの子供」というのがでてきてもおかしくはない。

 

 なにより、何で私だけはいつまでも子供扱いなのか。胸に関してはお姉さまとそんなに変わらないのに。

 

 ……いやいや、そういう話じゃない。とにかく、二人にはしっかり反省してもらわないと。

 

 ――ああ、明日が楽しみ。

 

 

 

 

 

 

 

 枝葉の間から、空を駆けるその姿が見える。今日は、変わった人が来たようだ。その人は、真っ赤というには少しだけくすんだ赤土色の、ライオンのような獣に乗っている。

 

 ただし、ライオンのようなというだけで、全く別の生き物らしい。顔つきは人のようだったし、何より、ライオンに羽はない。蝙蝠のような皮膜に包まれた羽を羽ばたかせ、真っ直ぐに学院の方向へと向かっている。

 

 ごくごく稀に、人が乗ったかごのようなものを下げた竜や、訓練中らしい竜と騎士とが近くを通ることはあった。とはいえ、目の前まで通りかかることはこれまでなかった。さて、この人は学院へと向かうのだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 ごうごうと風が頬を撫でる。動きやすい服装であるが、愛用していた隊服ほどではない、そもそも空を駆けることが前提ではないので、ばさりばさりと風にあおられる。

 

 もちろん魔法で風を受けないようにもできるが、あえてそうはしない。久しぶりに愛騎に跨っての遠出なのだから、風の感触と、そして、愛騎の乗る感覚を感じていたい。馬とは違うその背は跨るのに適しているとは言いがたいが、長年のことだったので、すっかりこの体になじんでいる。久しぶりに体に感じる、羽ばたくたびに伝わる筋肉の動きも、懐かしくてなんだかむず痒いほどだ。

 

 力強さという意味では昔に比べれば多少衰えたのかもしれない。しかし、私自身に比べればそれは些細なものだろう。私はここまで来るだけで少々疲れてしまったが、この子はまだまだ余裕がありそうだ。それを思うと、私も負けてはいられない。

 

 遠く、城壁が見えてきた。緩やかな弧を描いたその中に、中心部の尖塔、そしてそれをぐるりと囲むように大小さまざまな建物が並んでいる。大きなものが学び舎、その次に大きな、少しだけ距離をおいた二棟の建物がきっと寮だろう。ルイズと、少し前からエレオノールが暮らしているのがそこだと思うと、なんだか感慨深い。

 

 そして、少しだけうらやましく思う。私自身の少女時代が決して退屈なものだったとは思わないが、それとは違う、同年代に囲まれた生活というものもきっと得るものは多かっただろう。今ちょうど学院に通っているルイズには、それを知って欲しい。母として、それは正直な気持ちだ。

 

 魔法の使えないルイズにはきっと辛いこともあるだろう。それでも、それが今の貴族社会の姿。ならば、そこでルイズは生きていかなければならない。こればかりは手助けすることはできないし、魔法の才に恵まれていた私には、本当にルイズのことを理解することはできないだろう。

 

 だから、それにはルイズ自身で折り合いをつけなくてはいけない。そして、沢山の出会いのある今、ルイズ良き理解者になってくれる友人を見つけなくてはいけない。

 

 だが、少なくとも後者に関してはもう、その心配はしていない。

 

 学院に入ってからのルイズの手紙は、どこか無理している様子がありありと見て取れた。貴族たるべく、楽しむのではなく、常に闘っているようだった。

 

 それが、いつしか過去のものとなった。ここしばらくの手紙は、誰かとどこそこへと行った。そんな歳相応の姿があった。

 

 そして、その中には対等に付き合える友人の姿もある。お互いに助け合っているタバサという子、確執はあるけれど、なんだかんだで友人としてうまくいっているらしいツエルプストー家の娘。そのきっかけになったルイズの理解者。ずっと、ずっと無理していたのは知っていたけれど、きっともう心配要らない。

 

 それとは別の問題は、私がなんとかできる範囲だろう。

 

 そして、エレオノール。随分と楽しく過ごしているようだ。親としては、複雑ではあるが。

 

 ――と、もう学院の目の前だ。

 

 さすがに、いきなり来て学院へ空からというのはあまり好ましくない。マンティコアともなれば、生徒を驚かせてしまうだろう。すでに意図は察してくれているので、使い魔は一心同体、手綱を引かずとも、ゆっくりと高度を下げる。

 

 それに、ずっとついてきている鳥がいる。後ろに視線をやれば、梟だろうそれは、ずっとこちらを伺っている。誰かの使い魔だろうが、こんな時間からとは、意図はともかく、随分とご苦労なことだ。

 

 意図については、主人に聞けばいい。まるで知っていたかのように、学院の前から真っ直ぐにこちらを見ている男性。それがきっと主人だろう。

 

 

 

 

 

「わざわざ私の前に下り来てくださるとは、随分と親切ですね」

 

 地上に降り立ったところで、その男性がにこやかに話しかけてきた。

 

 二十台半ばと思しき、なかなかの美貌の持ち主だと言えるだろう。邪魔にならぬよう丁寧に整えられた金糸の如く流れる髪と、白い、文字通り透き通るような肌。神官服と思しき、中心の白地部分に銀の十字架をあしらった鮮やかな赤の貫頭衣、腰に刺した剣というのが少々奇抜だが、戦士の風格もたたえるその姿は、私にとっては軟弱なだけよりも好ましい。

 

 それでいて、その身にまとう空気はまさに聖職者のもの。普通、聖職者といっても、案外世俗的なものだ。最初はどうかしらないが、時を重ねるうちにそうなるものらしい。

 

 だが、目の前の人物にはそれがない。まさに聖職者のあるべき姿と言えるだろう。服装からすればロマリアの神官とは異なるようだが、さて、どういった人物だろうか。

 

「理由は分かりませんが、わざわざ私を待っていたとなれば無視するというわけにはいかないでしょう」

 

 男が微かに笑う。

 

「いえ、大したことではないのですよ。門番の真似事なんてことをやらせていただいておりましてね。武勇にすぐれそうな方がいらっしゃった時には、必ず会うようにしているのですよ」

 

 にこやかに、よどみなく答える。しかしながら、その内容はどうにも解せない。

 

「学院ではいつからそんなことを? 近頃は物騒になってきたとはいえ、学院をどうこうしようという人はいないはずでしょう」

 

「ああ、そのことですか。そうおっしゃられるのも当然かもしれませんね。実のところを言えば、私は学院自体とは無関係なんですよ。ですが、どうにも過保護な方がいらっしゃいまして」

 

 男が少しだけ困ったように笑い、少しおどけたように続ける。

 

「門番の真似事も基本的には不要なんですけれど。まあ、とはいえ、つい先日ちょっと物騒な方々がいらっしゃいまして、全くの無駄というわけでもないんですよ?」

 

 その言葉に、目を細める。

 

 もう一度、目の前の人物を見てみる。ずっと浮かべているにこやかな表情。透き通るような声と、私が知るどの神官よりも神官らしい穏やかな空気。悪意も、嘘をついているようにも感じられない。

 

 しかし、嘘をついているというわけではなさそうだが、おかしい。物騒なことがあった、それが私の耳に入らないということもおかしいし、なぜそれで目の前の神官らしき人物が門番のようなことを行う。誰がそんなことを行わせる。

 

「はて、そんなことがあったということは聞いていませんね? 事実なら、いくらなんでも私の耳にも入っているはずですが」

 

「いやいや、全く手厳しい。確かに、私達で処理してしまいましたしね。そこは適当に聞き流していただいて結構ですよ」

 

 どことなく不穏当な印象を受ける言葉ではあるが、にこやかな表情には全く変化がない。何かを考える様子もない。表情を除けば、ずいぶんと無機質な反応だ。

 

 いや、さっきから変化のないその表情も、ある意味、無表情と同じ種類のものなのかもしれない。この反応は、やり取り自体に大した意味を感じていないということだろう。たとえ、どういった返答であろうと構わないという。

 

 ――それに、私「達」ね。

 

「まあ、その辺りは言っても判断のしようがありません。しかしながら、個人的には気に入りませんね。いきなり門番云々、更には別に見張っているものがいるというのは。これでも風のメイジの端くれ。隠れているものがいるかぐらいはわかります」

 

 そこで初めて、ほんの少しだけ表情の変化があった。そして、草を揺らす音があった。

 

「――隠レテイタツモリハナイガ、マア、結果ハ同ジカ。アマリ良イ気ハシナイダロウナ」

 

 草陰から、くぐもった声が聞こえる。そして、視界の端にその姿が映る。ゆっくりと、その足先から。

 

 筋肉で引き締まった体が滑らかな曲線を描き、その上を幾分不釣合いな、触れれば怪我をしそうな硬質な毛皮とたてがみが覆っている。見た目にはオオカミか獅子か、全くの異形というわけではない。

 

 しかし、牡牛かと思うばかりの大きさだ。草陰から最後に、蛇を思わせる、のたうつ尾がゆらゆらと揺れている。

 

 初めて見るが、喋ることいい、歳を経た相当高位の幻獣だろう。

 

「それがあなたの使い魔ですか?」

 

「いえいえ、同僚のようなものですよ。私と同じく門番なんてものをやっています」

 

 なんでもないことのように言ってのける。

 

「で、従わなければ力づくで、ですか?」

 

 目の前の男性と、後ろの獣を交互に見やる。男性の方はよく分からないが、獣の方は人など触れるだけで引き裂いてしまうだろう。

 

「――まあ、今更言っても仕方がありませんね。確かに仰るとおりです。ですが、はっきりと敵対されればともかく、私達も争いごとが好きなわけではないんですよ。少々お時間はとらせてしまいますが、目的とそれさえ証明できれば何も邪魔立てなどするつもりはありません。お互い手っ取り早い方が良いでしょう?」

 

 空気が変わる。男は笑顔のままではあるが、与える印象は正反対に。

 

 言葉通り、もう隠す気はないということだろう。さっきまでの穏やかさがまるで別人のように、威圧感に包まれる。私にここまでの威圧感を感じさせる相手。

 

 ――おそらくは

 

「まあ、私もいきなり来たようなものですしね。あなた方が誰かはともかく、それくらいは構いません」

 

「ご協力、感謝します」

 

 一瞬前の出来事がまるで嘘のように、にこやかな笑みを浮かべる。ここまで鮮やかに切り替えられる。断れば切り捨てることに、何の戸惑いもないだろう。

 

「目的は大したことではありません。そう、ルイズとエレオノール、娘達に会いに来ただけです。――さて、何か問題がありますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お姉様を見つけて、自然と笑みを浮かべてしまった。ただ、はたから見れば、にこにこと言うよりは――どちらかというと、にやにやとした方が表現としてふさわしいかもしれない。だって、お姉様が慌てる様しか頭に浮かばないんだもの。

 

「――なに、下品な笑いかたをしているの?」

 

 開口一番、お姉様につねり上げられた。多少は自重すべきだったかもしれない。

 

「お、お母様から手紙があって」

 

 つねられて、熱を持った頬を押さえる。

 

「――ふうん、それで?」

 

「お母様が学院に来ると」

 

 その言葉にいぶかしんでいるのが分かる。少なくとも、お姉さまが学院に通っていたときにもお母様が来るということはなかったはずだから。

 

「何でわざわざ学院に。お父様が戦争にかかりっきりで、領地の管理で手が離せないはずだけれど。まあ、いいわ。それでいつ?」

 

「――今日です」

 

「はあ? なんで、そんなに急に!?」

 

「――さあ、何ででしょうね」

 

 わずかに唇の端をあげ、笑みを浮かべる。いや、あざ笑うというのがよりふさわしいかもしれない。自分でも分かっているから今度はつねられる前に距離をとる。

 

「――だからその下品な笑い方は止めなさいって言っているでしょうが。それになに? なんか馬鹿にされているみたいなんだけれど? 言いたいことがあるならさっさと言いなさい。聞くだけは聞いてあげるから、聞くだけは」

 

 私が逃げたせいで振り上げたままになっていた手をひとまず下ろし、睨みつける。思わず逃げ出したくなってしまったけれど、ちょうどいい。この際お母様と話す前に言うべきことは言っておこう。

 

「じゃあ、言わせてもらいます」

 

 意思を決め、睨みかえす。普段ならそれだけでもつねりあげられるところだけれど、本当に聞くだけは聞くということのようだ。ずっと、ずっと言いたかったことだ。あとがどうなれ、言うべきだ。

 

「毎日毎日、シキさんシキさん。夜になればなったで私の部屋にいたシキを呼びにきたり……。さっき私のことを下品だと言いましたが、その方がよっぽど恥ずかしいんじゃないですか? そんなの、夜這いと一緒じゃないですか」

 

 自分でも分かってはいるんだろう。うめき声を上げて目を閉じる。いつもなら力づくでどうにかしようとするのに、それがなくて。そうして、ようやく口を開いた。

 

「――そうね、でも、それがどうかしたかしら?」

 

「え?」

 

 帰ってきたのは予想とは随分と違う言葉だった。

 

「たしかにあまり褒められたことじゃないかしらね。でも、何か問題があるのかしら? それくらいシキさんのことが好きだもの。夜這い? いいわよ、言われたって。好きなら当然でしょう」

 

「う。だ、だからって変な薬に頼ってまで……」

 

「それでも好きなんだからいいでしょう。それに、薬の効果なんてもうほとんど切れているはずだもの。だから、私は私が本当にそうしたいからそうしているの。たとえ誰になんと言われようとも、止める気はないわ」

 

 真っ直ぐに私を見ている。

 

 根負けしたのは、私が先だった。

 

「お母様にも、同じことが言えますか?」

 

「……その為にお母様を呼んだのよね。いいじゃない、いつかは言わないといけなかったもの。ちょうどいいわ。シキさんにも少しははっきりしてもらいたかったところだもの。の、望むところよ」

 

 顔を青ざめさせているが、曲げる気はないようだ。そんな返事がくるとは、思わなかったのに。

 

 そもそも、どうしたかったんだか。

 

「シキさん。ちょうどいいところに……」

 

 ふと聞こえたお姉さまの声が尻すぼみになる。

 

 視線の先に目をやれば、私達を探していたのか、こちらに歩いて来ているシキがいる。ただし、女の子と一緒に手をつないで。

 

 年のころは12、3ぐらいとまだあどけなさが残っている。ほっそりとした体に黒いワンピース。どことなくくすんだ金色の髪を両端でまとめ、病的に白い肌、切れ長の目はどこか眠そうで不機嫌な印象も受ける。非常に整った顔立ちをしているが、どこか不健康そうでもある。

 

 それはそれとして

 

「「また女の子を連れて」」

 

 出てきた言葉は、お姉さまと全く同じだった。

 

「……なんでそんなに信用がないんだ?」

 

 表情を見るに、自分が悪いという考えは全くないようだ。お姉さまも相当なものだが、シキも負けていない。ちょうどいい。シキにも言うべきことは言っておこう。

 

「普段の行動を思い返したら? 私だって子供じゃないんだから。お姉さまとミス・ロングビルととっかえひっかえ。私と一緒に寝るのって週に二回ぐらいだからそれ以外は一緒なんでしょう? ああ、そういえばタバサの使い魔の子ともなんだかんだで仲がいいのよね。しょっちゅう街に出ているのだって知っているんだから。で、それでもそんなこと、言えるのかしら?」

 

「あの人だけかと我慢していたけれど、そう言われれば……。シエスタを部屋に呼んだ時にも話しかけようとしてたっけ……」

 

 お姉さまが力なくつぶやく。

 

「――シキ、ちょうどいい所に来たわ。今日、お母様が学院に来るの。シキももちろん同席するわよね?」

 

「――俺も、か?」

 

すでに足が一歩下がっていたが、何を言っているんだろうか。

 

「当然でしょう」

 

「シキさん、ちょうどいい機会だからしっかり話しましょう。お母様が来る前に」

 

 覚悟を決めたお姉さまがシキの右手を掴む。

 

「私もシキには言いたいことあるの。一緒にいる子のことも含めて」

 

 私がシキの左手、女の子と手をつないでいる方の手をとる。

 

「――私、どうしましょうか?」

 

 つないだ手はそのままに、女の子がシキに話しかける。困ったような顔をしているが、こんな状況でも目は眠そうなままだ。

 

「……あー、ウラルは、ウリエル達にしばらく『任せた』と伝えてくれ」

 

 

 

 

 

 比喩でもなんでもなく、ずるずると二人に引きずられる。二人の母親が来たということを聞いて、多少は嫌な予感がしていた。今まで干渉がなく、それなのに今の状況になって初めて。答えは一つしか思いつかない。

 

 エレオノールとロングビル――いや、マチルダ。二人が今の状況で満足だと言ってくれていたから、それに甘えていた。二人はそれで良くても、親からしたらどうだろう?

 

 人間だかもよく分からない相手で、なおかつ二股――それで何も言わないほどあの二人の母親が大らかだということは絶対にありえない。

 

 どうする。

 

 どちらかを選ぶ?

 

 ――無理だ。

 

 それができるのなら、そもそもこんな状況になってはいない。いや、現時点で二股になっているんだから、そういう問題じゃない。

 

 ならば、二人とも愛していると正直に。そうだ、地球では一夫多妻制というものがあるというのはどうだ? 少なくとも嘘ではない。しかし、嘘ではないがこの世界の常識としてはどうなんだろうか?

 

「――シキ! ぶつぶつ言ってないでちゃんとまっすぐ歩いてよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確認しに行ったという少女が戻ってきた。梟の姿から人の姿へというのは正直驚いたが、使い魔の、更にその使い魔ですら普通とは違うということだろう。ルイズが呼んだモノがどれほどのものかは分からないが、王宮からの「無用な干渉をするべからず」との厳命もうなずける。

 

 エレオノールも、大変な相手に惚れたものだ。

 

 

 

 

 

 

 ウラルが話を聞いて戻ってきたが、予想とは随分違う返事だったようだ。「しばらく任せた」、本当に母親だということは間違いないと思っていいだろう。それでいてしばらくは、と。

 

 直接聞いているわけではないが、今の、ありていに言えば女性関係を全く知らないわけでもない。ようは、時間稼ぎをということだろう。

 

「――それで、確認とやらはとれましたか? 『娘達』のことを守っていただくというのはありがたいのですが、私としては早く会いたいものですから」 

 

 あまり気が長くないのか、少しばかり不機嫌な様子が伺える。加えて、最初にあったようなひるんだような様子はない。やっかいなのは、こちらが手出しできないということをすでに理解しているらしいこと。

 

 面倒だと分かったのか。ケルベロスの方は早々に逃げだした。

 

 ――あの犬め。

 

 普段ならば絶対に出てこない言葉が頭をよぎる。

 

 とはいえ、どうしたものか。

 

 力づくでというのは論外。説得するにも、良い材料はない。そもそも、わざわざ来た理由を考えれば、時間稼ぎというのも良い印象を与えるはずがない。行うべきは時間を稼ぐことと、できれば機嫌良く話せるようにしておくこと。

 

 まあ、やれる範囲でやってみましょうか。

 

「ちょっと手間取っているようでして。そうですね、お茶でもいかがでしょうか?」

 

「せっかくのお誘いですが、それでしたらなおさら娘達と楽しみたいものですから」

 

「そうおっしゃらずに。珍しいものがあるんですよ。とても『美容』に良いもので、なにしろ、飲んだだけで若返るというぐらいですから。効果のほどは私が保証しますし、試してみるだけでもいかがですか?」

 

 ――若返り、その言葉にわずかに反応を示す。

 

 それは、女性である限り、抗いがたい魔力を持っている。それが限りなく本物の可能性が高いとなれば、なおさら。

 

「準備にもそう時間がかかるわけでもないですから。先ほどのお詫びも兼ねてと思ってください」

 

「――そういうことでしたら、無碍にするというのも失礼な話ですね」

 

 とりあえずは、これで十分だろう。それ以上は本人同士の問題で、そこはなんとかしていただきたい。それ以上は、私も席をはずすつもりなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこにあったのは沈黙だった。

 

 最初に一言二言話した後、誰も口を開かない。思ったよりもお母様が穏やかではあったが、それもささいなことだ。テーブルの上の紅茶も、何時の間にやら湯気を上げなくなった。

 

 いや、シキとお姉様のを除いてだ。沈黙に耐えられなかったのか、すぐに飲み干してしまい。二杯目の紅茶がゆらゆらと湯気を上げている。

 

 席についているのは私と、顔色の悪いシキにお姉様、反してやけに肌つやの良いお母様、そして関係者ということでミス・ロングビル。ああ、あとはシキと一緒に来た女の子、ウラルと言ってたかしら。

 

 たまにシキと一緒にいる、ウリエルと名乗った男性が置いていった。女の子はすがりつくような視線を送っていたけれど、そそくさと去っていった。優しげに見えて結構外道だと思う。

 

「……なんで私まで」

 

 ぼそりとミス・ロングビルがつぶやくが、もちろん関係者の一人だからだ。

 

「……私、関係ないのに」

 

 ウラルという子がつぶやく。この子は、関係者なんだろうか? 最初に見たときもなんだか不健康そうだったが、今では本当に病気のようだ。こちらはちょっと可哀想だったかもしれない。

 

 そんな状況なので、もっとも口火を切るべき二人、シキとお姉様に皆がちらちらと視線を送るが、二人ともひたすらに紅茶を飲んでいる。もうすぐ三杯目に突入するかもしれない。

 

「――まあ、お茶を飲みに来たわけではないですから。それで、あなたがシキさんですね? 話は聞いています」

 

 やはりというか、痺れを切らしたのか、お母様が口火を切ることになった。

 

 シキと実際に会うのは初めてのはずだ。シキの話は色々と出ているようだけれど、そこはさすがお母様、冷静だ。向かう側になるとお姉様以上に怖いけれど、今日、この場に限ってはこれ以上頼もしい味方はいない。

 

「――そうそう、門番というのはあなたがさせていたんでしょう? 結構な歓迎をいただきました。害があるわけではないでしょうが、独自にやるにはいささかやりすぎかと思いますね」

 

 意図した本題ではないようだが、なんのことだろう?

 

「――そうだな。しかしまあ、結果論だが、ここを襲いに来た人間がいたんだ、全くの無駄でもなかった」

 

 ようやくシキがまともに口を開く。

 

 しかし、初耳だ。少なくともそんなことは聞いていなかった。言葉通りに捉えるなら、夜盗の類が来たということだろうか。学院を襲いくるなんて自殺行為もいいところだ。先生方は高位のメイジばかりだし、生徒も皆貴族。よっぽどの大戦力か、最精鋭でもなければ無謀もいいところだ。

 

「門番の方もそんなことを言っていましたね。なんでも内々に処理したとか」

 

 ああ、フーケのことだろうか? 学院内でという意味でなら確かにその言い方で間違いはないが、シキにどうこう言う話でもないように思う。見れば、お姉様もミス・ロングビルも怪訝そうにしている。

 

「話を聞いただけだが、ウリエル達――この子を含めた門番達で処理したと」

 

 ウラルに視線をやり答える。さっきの男性を含めて、門番というには少々頼りないようだが、シキが門番というから、そういうものなんだろう。

 

「……そうですか。随分と頼りになる部下をお持ちですね。まあ、そこはあまりどうこうと言うつもりはありません。そういったことについては干渉しないよう厳命されていますから。ただ、私も『歓迎』を受けることになったので、個人的に一言言いたかっただけですので」

 

 言葉にどこか棘がある。シキが一瞬顔を引きつらせた辺り、あまり穏やかでないことをやっているのかもしれない。おそらくは、私達のためなんだろうけれど……。

 

 それと、干渉しないように。これもまた初耳だ。厳命というからには国からということだろう。なぜ――いや、アルビオンでのことを含めて考えれば当然か。何をしたかはともかく、『誰が』というのは分かっているはずだから。

 

「……できるだけ、穏便に済ませるようにする」

 

 シキがようやくそれだけ口にする。

 

「それで、十分です。もともと、そんなことを言うつもりはなかったので。そもそも、今日は母親として来たのですから」

 

 シキと、お姉様の動きがぴたりと止まる。皆の視線が二人に集まる。ウラルは心配そうに、ミス・ロングビルは面白そうに。

 

 しかし、ミス・ロングビル、この人はどうしたいんだろうか? シキのことが好きなんだということは分かるけれど、どうにも一線を引いたところがある。まるで、シキがお姉様とくっつくのならそれでもいいというような。私にはどうしてもそこが分からない。

 

「私が聞きたいのはまず一つ。どうして今のような関係になっているのですか?」

 

 シキとお姉様とミス・ロングビルの関係。そのことはお母様に手紙で伝えているし、それを知っているということも、シキとお姉様はすでに理解している。さて、どう答えるだろうか。

 

 二人を見れば、目を泳がせている。

 

「――今のような関係というのは、私達の関係のことですよね?」

 

 なぜか、この場ではあまり積極的には関わらないと思っていたミス・ロングビルからだった。沈黙から肯定と受け取ったのか、更に言葉を続ける。

 

「今のような関係になったのは、まず第一に、私もエレオノールさんもシキさんのことが好きだからですよ。私とシキさんが、まあ、有体に言えば男女の関係になって。それでもエレオノールさんがシキさんのことが好きだというのは関係ないですからね。私が勧めたんですよ。本当に好きならちゃんと伝えるべきだってね。その結果が今ですね」

 

「――あなたは、それで良かったんですか?」

 

 何かを思い出すような、何かを懐かしむようなお母様が尋ねる。ただ、なぜそこでそんな表情を浮かべるのか分からない。普段のお母様ならばっさりと切り捨てるはずの言葉だ。

 

「私ですか? ええ、構いませんよ。たとえシキさんがどちらを選んでも恨むつもりはないですし。別に、二号さんでも、私には十分ですから」

 

 きっぱりと口にする。こちらも、私には分からない。なんで好きなのにそんなことを言えるのか。

 

「――そうですか。では、エレオノール。あなたはどうですか? 今の関係について、どう思っているのですか?」

 

 お姉さまが一瞬だけシキを見る。

 

「……私には、シキさん以外は、考えられません。他に好きな人がいても関係ありません。私が――愛していることにはまったく関係ありませんから」

 

 たどたどしくはあるけれど、はっきりと口にする。

 

「そうですか。まあ、私の娘ですしね……」

 

 お姉様の言葉にも、やけにあっさりとした反応だった。むしろ、仕方がないと納得しているようですらある。

 

「……シキさん。あなたはエレオノールを、いえ、二人を真剣に愛していますか?」

 

 ただ、静かな声で質問する。そこには、純粋に確かめたいという想いしか見えない。

 

 何か、違うような気がする。もっとこう、他に言うべきことがあるはずだ。シキの二股しかり、お姉様の行動しかり。

 

「俺は……」

 

 シキがお姉様と、ミス・ロングビルを交互に見やって口ごもる。何かを考え、そうしてようやく口にする。

 

「二人のことを、愛している。二人とも幸せにしてみせる」

 

 ようやくまっすぐに見て、きっぱりと言い放つ。

 

 ――えーと、三人とも開き直った?

 

 ちょっと、待ってよ!? 何よそれ!? お姉様、最初から二股オーケーって!? ミス・ロングビル、二号さんってそれでいいの!? 何より、シキ! 母親相手に二股しますって、なんてこと宣言してるの!?

 

 恐る恐るお母様を振り返る。全くの無表情だ。だからこそ、怖い。

 

「――皆で了解済みですか。それなら私が口出しするようなことではないですし、そもそも私にとやかく言う資格はないですしね。まあ、父親が、少なくとも公爵としてどう受け止めるかとは別の話ではありますが」

 

 それなのに、随分あっさり口にする。思わず机を叩き、立ち上がる。

 

「ちょっと待ってください。了解済みだからってやっぱりおかしいです。最初から複数となんて……。それにここはカッタートルネードとかじゃないんですか!?」

 

「さっき言ったでしょう。結婚云々は公爵が判断すること。今回はあくまで母親として確認したかっただけです。感情は抑えられないもの。その感情が本物なら私は否定するつもりはありません。身分だとか、亜人だからということは、些細なことです。相容れないかどうかぐらい実際に話してみれば分かります。それに――エレオノールの歳も考えなさい」

 

 その『歳』という言葉にお姉様と、なぜかミス・ロングビルがうめき声を上げる。

 

「もう27でしょう。その歳で初めて本当に好きになった。今後はもう可能性はないでしょう。夜這い云々は――あとでエレオノールと二人できっちり話します。もちろん、シキさんにもエレオノールの『母親』として少々話はあります」

 

 あとできっちり、その言葉にお姉様とシキが顔を青ざめさせる。でも、それだけ? いや、夜這いと二股のことをきっちり注意してくれるんだろうけれど、何かが違う。

 

「――それよりもルイズ」

 

 なぜか私に、体の芯から底冷えするような声がかけられる。

 

「私はあなたの方が問題だと思っているのです。なぜだか分かりますか?」

 

 今までとは違い、そこにははっきりと感情が見て取れる。それも、本来ならシキ達に持ってしかるべきものを。

 

「え、え? わ、わかりません……」

 

「そうですか。では一つ一つ教えてあげましょう。まず一つ。私に出した手紙。あれには悪意しかありませんでした。しかも貴族にあるまじき姑息な。二つ。人の恋路を邪魔するというのは無粋にもほどがあります。そして最後に、さっきの発言。いきなりカッタートルネード? あなたが私のことをどう思っているか、よく分かりました」

 

 浮かべたのは笑みだった。ただし、あえてもう一つ付け加えるなら、壮絶なとつけるべき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――遠く、幻視した。

 

 温かくふりそそぐ光。

 

 そのなかをゆっくりゆっくり空から降りてくるこども達。

 

 背中にある小さな羽がとても可愛らしい。

 

 目を閉じれば、様々なことが浮かんでくる。

 

 いつもいつも魔法を失敗して、メイドたちにすら馬鹿にされて。

 

 それが嫌で毎日毎日練習しても、結局は失敗してその繰り返し。

 

 だから、シキを呼べた時はすごくうれしかった。

 

 それは最初ははずれかと思ったけれど、なんだかんだで初めて成功した魔法だったし。

 

 後にはなるけれど、何より、シキがすごい人だって分かったし。

 

 ああ、シキを呼んでからはすごく楽しかったな。

 

 すごく安心できたし、なんだかんだで友達もできた。

 

 私の人生の中でも短い時間だけれど、毎日毎日色々なことがあった。

 

 ふわりと体が浮かぶ。

 

 目を開けると、さっきの子供達がそばにいる。

 

 ああ、これが空を飛ぶ感覚なんだ。

 

 一度ぐらいは、自分で飛んでみたかったな。

 

 ふと、下から腕を引っ張られる。

 

 目を向けると――たしか、ウリエルさん?

 

 なんで良く知らない人が私の……

 

 

 

 

 

 

 ――そんな夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――本当に、良いんですか?」

 

 キャミソールの上にガウンを羽織ながら、エレオノールが尋ねてくる。おどおどとした様子が、昔いたずらをした時の様子を思い出させる。

 

「さて、何がかしら?」

 

似たような格好のまま、エレオノールの対面のソファーに座る。今日はエレオノールの部屋に泊まることにした。色々と伝授しないといけないこともあったから。

 

「その、何がというと難しいんですけれど、言うなら全部です。えーと、夜に通っていたこととか、二股をかけられていることとか……」

 

「あら、今からでも反対して欲しかったのかしら?」

 

 自分でも意地悪な返し方だと思う。

 

「まさか。でも、何も言われないなんて思わなかったので……」

 

 まあ、普段のことも思えばその反応も仕方がないのかもしれない。

 

「あの時も言ったけれど、実際に結婚ということならそれは公爵が判断することです。だから、私は母親としてだけ。そもそも、見合いの話を断った時からうすうす分かってはいました。きっと好きな人がいるんだろうと。それがまさか亜人の、それもルイズの『使い魔』として呼ばれた人だとは思わなかったけれど」

 

「それは、まあ……」

 

 困ったように目をそらす。

 

「でも、ルイズの使い魔だからこそ良かったのかしらね。直接確かめることはできなかったけれど、ルイズからの手紙はずっと受け取っていました。二股というのはともかく、ルイズにとってどんな存在かは分かっていましたから」

 

「……それでも」

 

 やはりそれだけでは納得できないんだろう。もちろん、他にも理由はある。

 

「――ここだけの話だと、約束できますか?」

 

 今まで誰にも話したことのない話だ。本当は墓まで持っていくつもりだったけれど、少なくともエレオノールには話しておくべきだろう。

 

「え、あ、はい」

 

「私と、公爵の話です。そもそも公爵には私とは別に、いえ、私と出会う前から愛している、愛し合っている人がいました。それなのに、私はその公爵を愛してしまいまいました」

 

「……それって」

 

「ええ、あなた達とほとんど同じです。まさか細部まで一緒だとは思わなかったけれど。公爵には愛している人がいて、それでも私は好きになってしまって。なかなか伝えられなかったけれど、あなたと同じで、言わば恋敵からの助けで想いを伝えて……。その後も同じですね。結局どちらかを選べなかった男性まで。だから私も公爵も、あなたのことを責めるなんてことができないのですよ。夜這い云々は……まあ、あまり褒められたことではないですが、抗いがたいものですからね。私もあなたぐらいの時が一番、その、行為に……」

 

 夜這い云々を含めて、少なくとも私にはエレオノールに何かを言うことはできない。

 

「くれぐれも他言は無用ですからね」

 

「――はい」

 

 ようやく安心したのか、エレオノールが笑顔で返事をする。二股に関しては、あとはエレオノールが頑張るだけだ。その為の知識はしっかり伝授する。公爵に妾を一切作らせなかった私のテクニックだ。エレオノールならきっと役立てることができるだろう。

 

 お世辞にも、私も、エレオノールもスタイルが良いとは言えない。恋敵のスタイルが良いとなると、そこはおのずから努力が必要となる。

 

「でも、亜人か」

 

 少しだけ気になることがある。

 

「……亜人というのは、やっぱり駄目ですか」

 

 エレオノールが心配そう眉根を下げる。どうやら余計な心配をさせてしまったようだ。

 

「少なくとも、私は亜人だからとは思いませんよ。たとえ吸血鬼でも、必ずしも敵対者とは限らないでしょう?」

 

「吸血鬼が敵じゃないかもだなんて、そんなことを言えるのはお母様ぐらいでしょうね。やっぱり吸血鬼は怖いものですし。まあ、シキさんがいれば怖くないですけれど」

 

 からからとエレオノールが笑う。つられて私も笑う。

 

 だが、不安は消えない。アルビオンでの戦争のことだ。

 

 結論から言ってしまえば、すぐに決着がつくだろう。トリステインにゲルマニア、ウェールズ王子が陣頭に立っているから離反者も期待できる。何より、どういう風の吹き回しかガリアが正式に参戦することを表明した。普通ならそこで降伏することもあるはずだが、実際にはそうなっていない。

 

 どこからか亜人を結集させて、見境なく破壊活動を行っている。戦争の終結については時間の問題ではあるのだが、亜人たちに話を受け入れる様子はなく、それだけに殲滅戦という双方にとって非常に被害の大きな状況になっている。

 

 だが、妙だ。なぜ亜人達が結集してそんなことをする。知能が低い者達も多いが、それでも戦況ぐらいは分かるだろう。そんな状況でなぜ戦う。

 

 亜人だからと、それが全て悪ではないということを私は知っている。だが、一般の感情としてはあまり良いものではない。エレオノールとて、吸血鬼に対してそうだったように。

 

 だが、エレオノールは分かっているのだろうか? あなたが愛するといった相手、はたから見れば、吸血鬼や、あるいはエルフよりもはるかに恐ろしい相手だということを。

 

 亜人に対する感情。今回のことで変な方向にすすまなければ良いのだけれど。この二人とルイズの為にも。

 

 ――そして、おびえて暮らす、亜人達のためにも。

 

 結局は、彼らも人と何ら変わらないのだから。誰かを愛するということには人と変わりなく、誰かに残虐になることもまた、人と変わりなく。

 



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第19話 In the wrong direction

 信じて、そして裏切られるというのは、辛く、悲しい。

 ――たとえそれがどういった理由からでも、たとえ仕方ないものだとしても。



 

 

 柔らかく煮込んだ牛肉にナイフをあてる。力を入れずとも刃が通り、肉汁があふれる。食べやすい大きさに切って、フォークで口へと運ぶ。口の中ですぐにほどけてしまうような柔らかさと、肉汁と繊維一つ一つにまで浸みこんだソースとが、とても美味しい。朝から牛肉の塊かと思ったが、よけいな脂は溶け出たこれなら、いくらでも食べられる。もとの肉が良いのか、料理人の腕が良いのか、たぶん両方だろう。

 

 付け合せのポテトはと手を伸ばせば、主役ではないながら、こちらも十分以上に存在感がある。指先ほどの厚さにスライスしたジャガイモはこんがりと揚げてあり、表面のカリカリとした食感と、控えめの塩、これまた香ばしいスパイスとがとても合う。付け合せながら、これだけ先に食べてしまいそうだ。

 

 朝食とは思えないほどの手の込みようは、本当に大したものだ。毎日こんな食事ができるというのは、本当に贅沢だ。

 

 ――それでも、贅沢には際限というものがないらしい。

 

 

「シキさん、どうかしました? あまり食事が進んでいないようですが。もしお口に合わないということでしたら、代えさせますが?」

 

 手に持ったナイフをいったん皿へと戻し、エレオノールが問いかける。

 

 そんなちょっとした動作も様になっている。ナイフを置くときにも全く音がしなかった。ここで食事をするにあたって、エレオノールやルイズ達からテーブルマナーの簡単な手ほどきを受けたのだが、全く持って及ばない。生まれながらの貴族とはそういうものなんだろう。努力は必要だが、どうしてもそう思ってしまう。いつも一緒に食事をとっている、エレオノール、ルイズ、マチルダともに皆、マナーというものが意図したものではない、ごく当然のものとしてそうしている。傍から見れば、自分だけが場違いに映ることだろう。

 

「とても美味しいから代える必要なんかないさ。そんなこと言っては罰があたる」

 

「――罰があたる、というのはよく分かりませんが、まあ、確かに我が家のものと比べても全く引けを取らないものですね。あなたもそう思うでしょう、ルイズ?」

 

 エレオノールも美味しいとは認めているが、ただ、それは平均点と同じか、少し上といった程度らしい。生まれた時からそれが当然となると、評価はおのずと辛口になるようだ。

 

「まあ、そうですね。たぶん、美味しいと思います」

 

 姉妹だけあって評価は同じらしいが、それにしてもルイズの返事はそっけない。この前のことをまだ根に持っているようだ。普段ならそんな態度を取ろうものならエレオノールの「教育」ものだが、少なくとも今はエレオノールはもちろん、自分も強気には出られない。

 

 マチルダは唯一例外だが、いつも通りそんな様子をニコニコと見ている。ただ、たまに焚き付けたりもするのは止めて欲しい。もちろん、自業自得なのだからあまり強くは言えないが。

 

「でも、シキさん。あまり食が進んでいないですよね? 具合が悪い――なんてことはありえないと思いますが、何か考えてませんでした?」

 

 カラカラと笑いながら、多少毒が入っていようと平気ですよね、と言葉の中に毒を混ぜるのはマチルダ。二人の時はと本名を話してくれてから、遠慮がなくなった。あることに関しては一歩引いたところがあるが、それは俺には言う資格がない。少なくとも、今のままでは。いずれははっきりしなくてはいけないが、それでも、今の関係が心地良くて、それを壊すようなことができない。だから、甘えてしまう。

 

「考え込んでいると言っても、贅沢な悩みさ。故郷の味が恋しくなっただけだからな。……と、別に帰りたいとかそういったことじゃない。ただ単に、食べたいと思っただけだ」

 

 三人が表情を曇らせたことに、あわてて言い繕う。帰りたい、そんな感情が全くないとは言わないが、ただ純粋に食べたいと思っただけだ。本当の意味で平穏な生活に慣れて、ずいぶんと贅沢な悩みを持つようになったらしい。

 

「まあ、故郷の味って言うのは特別ですからね。離れていると、ふと食べたくなる。私も、時々我慢できなくなる時があります」

 

 マチルダが時折国へと帰っているのは、妹がいるからというのは聞いている。だが、案外それも理由の一つなのかもしれない。どんなに嫌な出来事があっても、すべてがそうだったわけではないのだから。特に、子供のころから食べていたものというのは、やはり忘れられないものだ。離れてみて、それが分かってくる。

 

「――ねえ。シキの故郷の味って、どんなものなの?」

 

 純粋に興味があるのか、ルイズが尋ねる。

 

「全く違うからイメージしづらいかもしれないな」

 

 ふと、テーブルに載った料理を眺めてみても、先ほどの肉料理に、サラダ、スープなど、こちらの食事は、パンを主食とした洋食だ。米もあるにはあるが、野菜として使うこともあるぐらいかけ離れている。加えて、故郷の味となるとまずは味噌や醤油となるから、説明するとなると難しい。何かにたとえようにも、似たものというのは思いつかない。根本的なところで違ってきている。

 

「まず、米が主食だな。炊く――柔らかく煮たものだから、たまに食べるものと同じと思ってくれていい。ただ、主食が違うから、一緒に食べるものが変わってくる。材料は同じでも、調味料に変わったものを使ったりな。たとえば味噌や醤油、詳しい作り方は知らないが、大豆を発酵させるなりした調味料。しょっぱいのが基本の味なんだが、コクがあるというか何というか……。聞いたことはあるか?」

 

「ミソに、ショウユ? それに発酵って、チーズを作る時なんかの作り方ですよね。発酵で調味料を作るということはないですね」

 

 マチルダがこめかみに指をあてて唸っているが、心当たりはないようだ。

 

「私も聞いたことはないですね。東方には高温多湿な気候の土地があるという話ですし、もしかしたらそういった手法を使っているのかもしれませんが」

 

 エレオノールでも聞いたことがないらしい。専門ではないにしろ学者であるエレオノールが知らないとなると、少なくとも発酵食品というのは一般的ではないらしい。

 

「お姉さまが知らないのなら、本当に変わったものなのね。そういえば、前にお姉さまが見つけてきた、お米で作ったっていうお酒。あれって東方からって話でしたよね? シキも確か故郷でとか言っていたような」

 

「そういえばあったな。同じものかは分からないが、多分作り方は同じなんだとは思う。あれは東方からだったのか?」

 

 この世界は魔法という根本的な常識が違うにしても、地球と地域的に大まかなところでは似通っているらしい。ここをヨーロッパとすると、東方はアジア。町を出歩く中でたまに見かけるアジアの雰囲気がある物。たいていはガラクタのようなものだが、よくよく由来を聞いてみれば東方かららしい。案外、魔法がある以外はほとんど同じなのかもしれない。

 

「ああ、あれね。確か、由来は東方だって言っていたわね。でも、あれは直接東方からの品じゃなくて……。ずっと昔に作り方が伝わって、細々と作っているらしいけれど。うーん、ああいうものかぁ。探せばあるかもしれないけれど、ちょっと分からないわね」

 

 エレオノールが難しいと眉根を寄せている。まじめな顔で考えてはいるが

 

「――あれか。そういえば、飲んだ次の日は」

 

 エレオノールを見て、クツクツと笑ってしまう。あの時のエレオノールは子供のようで可愛らしかった。もちろん、何のことかと顔を真っ赤にして誤魔化そうする今のエレオノールも、だが。

 

「まあ、可能性はあると分かった。のんびり探してみるさ」

 

 今は、それで十分だ。なんなら自分で作るというのに挑戦してもいい。作り方にしても、全くヒントがないというわけじゃない。それはそれで、面白い。いっそ、それで商売をしてみるというのも面白そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん、東方の食事……。文化研究の一環としてないかしら?」

 

 本の表紙を指でなぞり、棚の端からのぞいていく。しかし、さすがの蔵書量を誇る学院の図書館とはいえ、文化、それも東方の文化の研究を行うということ自体が少ないだけに、いかにも心もとない。何冊がめぼしいものをピックアップしてみたが、ヒントになるようなものが見つかれば上出来といったところか。

 

 部屋に戻り、さっそく広げてみる。ぱらぱらとめくってみるが、さっそく壁にぶつかる。東方と一概に言っているが、わずかながらの交流がある場所は一部で、そこから更に広がっているらしい。それだけ広いとなると、東方は東方でも、その中でもどこを指すのか難しい。かたっぱしからあたっていくつもりではあるが、さて、例え「東方の食事」とやらを見つけても、それがシキさんの故郷の味と重なるかは怪しい。もちろん、東方と異世界の住人であるシキさんの故郷と本当に重なるのかという根本的な問題もあるが。とにかく、これはと思うものを抜き出していくしかない。幸い、作り方はともかく、探せば本の中に数行とはいえ記載がある。

 

 多種多様なスパイスで煮込んだ料理、具体的にどんな料理を指すかは分からないが高温の火力を利用するもの、更に変わったものでは生の魚を食すというもの。そしてこれは違って欲しいと心から願うが、虫を食材にするというものも。だが、全く別ものというわけでもなさそうだ。発酵を利用する文化があるということ。東方は気候が多様であり、高温多湿と発酵の条件が整った土地では、そういった手法を使うことがあるらしい。

 

 らしいというだけで具体的な記載はなかったが、可能性を見つけることができただけでも収穫としては十分。貿易を行っているような人間から調査するにしてもヒントになるだろう。

 

「……あの」

 

 控えめに声をかけられる。

 

「――お茶が入りました」

 

 いつも通りの、質素ながらもきちんと洗濯して清潔感のあるメイド服に身を包んだシエスタが手持無沙汰に佇んでいる。いけないいけない。自分で呼んでおいて、すっかり忘れていた。

 

「ん、ありがとう」

 

 シエスタが淹れた紅茶を受け取る。リクエスト通りはちみつをたっぷり入れた甘さが心地良い。満点はさすがにあげないが、きちんと基本を押さえた丁寧な淹れ方は評価できる。この真面目さと、そばかすのある、いかにも純朴な顔立ち、どこかシキさんを思わせる黒髪からなんとなくこの子を指名してしまう。控え目なところも高評価なのだが、今日は珍しく何か主張したげだ。

 

「……何? 気になるの?」

 

 シエスタが、じっと書き散らかしたメモを見ている。

 

「あ、いえ……」

 

 しゅんと子犬のようおびえた様子を見せる。それはそれでこの子の魅力なのだが、そろそろ慣れてくれても良いと思う。これではまるで、私がいじめているようだ。私がいじめるのはルイズだけで、シキさんには、むしろいじめられている。もちろん、それはそれで良いのだけれど。

 

 ――いやいや、昼間から私は何を考えているんだか。そんなことじゃルイズに発情期と言われても言い返せなくなる。今はシエスタと話しているんだから、少なくとも貴族らしく振る舞わなければいけない。

 

「別に怒りはしないわよ。何が書いてあるか気になるんでしょう?」

 

「えっと、……はい。これって東方の食事のことですよね」

 

 シエスタが書き散らかした紙片の一枚を指し示す。殴り書きの、文字だけなのだが。

 

「ああ、そういえばあなた文字が読めるのよね。ちょっと調べているんだけれど、あなたは何か聞いたことがあるかしら?」

 

 別に何かを期待をしているわけではない。気まぐれのようなものだ。

 

「ほとんどは初めて聞くものばかりですけれど……。これなんかは私の故郷の料理に似ているなぁと」

 

 そう言って、さっきじっと見ていたメモを持ち上げる。

 

 料理としては、そこまで奇抜なものではない。山菜でベースを作ったスープを作り、それにいろいろな具材を入れて複雑な味を作るというもの。料理の方法自体はそう珍しいとは思わないが、山菜からというのが少し珍しい。

 

「ふうん……。あなたの故郷では何て呼んでいるの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――シキさん。”ヨシェナベ”というものに聞き覚えはありますか? 山菜で作ったスープに肉でも魚でも、いろいろなものを入れるという煮込み料理なんですけれど」

 

 興奮気味のエレオノールが尋ねてくる。

 

「ヨシェナベ……。ああ、寄せ鍋か! 懐かしいな。寒い時期にはあれが一番だな。具材は何でもいいが、魚介類でも何でも、いつも以上に美味しくなる」

 

 鍋と聞くだけでも、ぐつぐつと煮立つ様子が浮かんでくる。故郷の鍋というものはないが、冬の風物詩。日本人でアレが嫌いだという人間はいないだろう。

 

 しかし鍋か。まず味噌汁なんかを考えていたが、鍋も和食の代表。それに、味噌や醤油じゃなくても、昆布や椎茸の出汁だって和食の基本だ。それなら、案外簡単に手に入るかもしれない。

 

「――シキさん。どうやら故郷の味と同じみたいですね」

 

 見れば、エレオノールが満面の笑みを浮かべている。きっと俺も同じだろう。手に入る可能性があるのなら、探してみてもいいかもしれない。とりあえず、市場にでも行ってみるか。せっかくなら一緒に。

 

「じゃあ、私はちょっとやることがあるので……」

 

 誘おうと思ったのだが、足早に歩き去ってしまう。一度だけ笑顔で振り返って、そのままに。

 

 まあ、探すだけなら一人でも良い。

 

 さっそく出かける準備を――といっても、そう大したことはない。いつも通りの白のシャツに、まだ肌寒いらしいから周りに合わせるための皮のコート、探すものが「珍味」に分類されるものかもしれないから、少々手持ちを多目にする程度だ。あとは、できれば町の様子に詳しい人間が欲しいところか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――食材探し、ですか?」

 

 普段着に、薄手のカーディガンを羽織ったマチルダが首をかしげる。その拍子に、珍しく結ばずにおろした髪が肩口をすべる。

 

「ああ、時間があればでいいんだが、珍しいという言われるようなものを扱っている店を知っていれば教えてくれないかと思ってな」

 

「ふふ。例え忙しくたって断ったりなんてしませんよ。珍しくシキさんからデートに誘ってくれたんですもの」

 

「デートと言えるほど大したことじゃないんだが……」

 

 言葉の途中で、口元に指があてられる。

 

「そういう野暮なことは言うものじゃないですよ。女性がデートだって思ったらデートなんです。あ、デートだから二人きりじゃないと、嫌ですよ? すぐに着替えますから、待ってて下さいね。何なら部屋の中で待ってもらってもいいですけれど。……ふふ、嘘ですよ。結局出かけないなんてことになったら嫌ですもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人、並んで歩く。手をつないだりはしないが、右手にマチルダが腕を絡ませて。女性にしては身長が高いから、引っ張るようなことにはならない。

 

 まずは食材が並ぶ市から。スーパーのような品揃えはさすがに期待できないだろうが、周辺の地域から農産物が集まっていて、珍しいものもあるかもしれないとのことだ。

 

 ただものが載せられれば良いとばかりに木の板を打ち付けただけの台があり、そのうえに自分で作った野菜やらどこかの山から探してきたらしい食材が並んでいる。並ぶものは知るものと同じ。ホウレンソウやカブ、形は不ぞろいだったり、虫食いがあったりもするが、たぶん同じものだろう。

 

 さて、目的の一つ、キノコはどうだろうか? さすがに栽培はしていないだろうから、取ってきたものになるのか。右へ左へと視線をやりながら探していく。名前は知らなくとも見覚えある食材ばかりではあるが、どちらかというと洋食をイメージさせる食材ばかりのようだ。そんな中で見つけたキノコも、椎茸とはやはり違うようだ。

 

「――キノコも探している食材なんですよね?」

 

 マチルダが手に持ったキノコをくるくるともてあそぶ。ずんぐりと丸い形で、たぶんマッシュルームのようなものだろう。

 

「ああ、出汁――味付けとはちょっと違うんだが、まあ、風味というか、香りというか、煮出してスープのもとのように使うものだ」

 

 出汁、ヨーロッパでそんな風習はあっただろうか。どちらかというとコンソメだとか、タンパク質からスープを作るイメージがある。実際、学院で食べる食事もベースはやはりそうだった。

 

「ダシ――ですか? 私が知らないだけかもしれないですけれど、そういう使い方は知らないですね。そもそも、キノコ類というと触感を楽しむものだっていうイメージがありますし」

 

 マチルダがキノコを並べている人に尋ねてみるが、そういったキノコの使い方というのは知らないらしい。食べられるものを適当に煮込むことはあるらしいが、それぞれがどんな味になるかは考えていないようだ。そもそも、調味料というのも普段は塩ぐらいしか使わないそうだ。

 

 学院の食事、この世界の都市であるここが基準になっていたが、この世界での本当の平均というのは、そこからずいぶんと差があるのかもしれない。となると、食材自体はともかく、その使い方については料理人に聞いてみる必要があるかもしれない。そういった意味では学院の料理人というのは都合がいい。ああいった場所の料理人として選ばれたのだから、この世界の中でも相当知識があると思っていいだろう。

 

「んー、ここだとちょっと厳しいみたいですね。他にも探したい食材があるんですよね? だったら次に行ってみますか?」

 

 腕を空に突き上げ、マチルダが猫のように軽くのびをする。

 

「そうだな。魚介類はこことは分かれているんだったか?」

 

「ええ。持ってくる人達が違いますからね。自然と別れちゃうんですよ。といっても、あくまで分かれているだけであって、この区画であることには違いがないんですけれどね」

 

 マチルダが指さした先へ向かう。近づくにつれ、少しだけ生臭いに匂いがある。多分、その匂いも離れている理由の一つなんだろう。その匂いのもとを辿ると、海魚、川魚の区別はつかないが、木箱の中に魚が無造作に入れられている。鮮度といった意味では全く期待できないものだと思っていたが、案外そうでもないらしい。木箱と一緒に、氷が入っている。

 

「この氷は、メイジが作るのか?」

 

「ええ、メイジといってもすべてが裕福というわけではないですからね。ちょっとした副業みたいなものですよ。本当に遠くから運んでくるときには固定化を使ったりもしますね」

 

「なるほど。だからこれだけ集められるわけか」

 

 魚などそれほど流通できないだろうと思っていたが、魔法のおかげか、ずいぶんと品揃えが豊かになるらしい。あとは、目的のものがあるかどうか。

 

「ぱっと見た感じは海藻だとかは見当たらないようだが、食べたりはしないのか?」

 

「ええっと、海藻って、あの海の中に生えていたりするっていう植物ですよね?」

 

 怪訝そうに眉をひそめる。

 

「ああ、食べ方だとサラダにして生で食べたりもするんだが、俺が探しているのは乾燥させたものを――さっき言ったように出汁として使ったりするものだな」

 

「海藻ですよね? 私が生まれ育ったのは空の上にあるアルビオンなのでそもそも海のものには疎いんですけれど……。私が知る限り、海藻って肥料の材料になっていたりしますね」

 

「……肥料か。となると、食材として並ぶことはないな」

 

「ええ、探せば見つかるかもしれないですけれど、きっとここにはないですね。それに、もしあったとしても、なんとなく食材とするのは遠慮したいかなぁ」

 

 少なくともこちらでそういう使い方をされているとなると、自分で探す方がいいかもしれない。海まで行けば、昆布のようなものはあるだろう。見つけさえすれば、適当に干せば使い物になると思う。ただ、この反応を見る限り、食材として使うというのは知られない方がいいのかもしれない。

 

 しかし、となると椎茸、昆布をここで手に入れるのは難しいか。そもそも食材としての認識がないとなると、金を出せば手に入るというものでもなさそうだ。今日にでも食べられるかと思っていただけに、やはり残念だ。

 

「えっと、この国でここは大きい市場とは言っても、周辺からすべての食材が集まるってわけじゃないですからね? その地域だけで食べているものって知られていないだけで結構ありますし。そうだ、今度遠出して探しましょう。二人で――というのは怒られそうですから、みんなで旅行だと思って」

 

 よほど、残念そうな顔をしていたらしい。マチルダがいつも以上に明るく振舞う。

 

「そうだな。旅行だと思えば、楽しいな」

 

「ええ、シキさんなら普通なら何日もかかるようなところでも、ぱっと行って戻ってくる手段はいくらでもあるんでしょう?」

 

「ああ。その時は一緒に行こうか。と、今日はすまなかったな。結局俺が行きたいところにだけ付き合わせてしまった」

 

「――ふふ、いいんですよ。一緒に回れて私も楽しかったですし。それに、覚えてます? 私たちが初めて会った時のこと」

 

 ふわりとほほ笑む。そうして目を閉じる。

 

「シキさんが召喚されて、正体がわからないから私が監視するように言われて。隠れていたつもりがあっさり見破られちゃったから驚いちゃいましたよ。そういえば……」

 

 視線を俺の頭からつま先まで行ったり来たり、そうして朗らかに笑う。

 

「シキさんってば、最初は上半身裸で歩き回っていたんですよね。今だから言えますけど、あれじゃどこの変質者だって感じでしたよ」

 

「――まあ、それは、な」

 

 どうせすぐに破れるからということもあったが、我ながら大した感性をしていたものだ。

 

「――でも」

 

「ん?」

 

「あの時はシキさんのことをこんなに好きになるとは思いませんでした。私、今すごく幸せです」

 

 まっすぐに見つめ、口にする。たまに悪戯っぽく言われることはあっても、急にそんな風に言われると、さすがに気恥ずかしい。

 

「――俺も、今すごく幸せだ」

 

 だったら、たまには俺も素直に言葉にしよう。そして、腕を組むのではなく、手をつなぐ。いつもとは違って、俺から。つないだ手を見て、マチルダも恥ずかしそうにはにかむ。

 

「さあ、俺に付き合ってもらってばかりじゃ悪い。どこか行きたいところはないか?」

 

「――じゃあ」

 

 少しだけ考えて、口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めて案内してもらった洋品店に行き

 

「――こんなのはどうですか?」

 

 抱え込むように、マチルダが選んだ服を自分の体に押し当てる。余計な飾りの一切ない、真っ白い一枚の布から仕立てたワンピースだ。シンプルなその仕立ては、よく似合っている。

 

「たまには、こういうものもどうだ?」

 

 別の服を手渡す。

 

「こ、これはちょっと……。私の柄じゃないですし」

 

 狼狽えるようにマチルダが後ずさる。

 

 渡したものはそこかしこにフリルの付いた、いかにも深窓の令嬢然としたものだ。

 

「いや、もとがいいんだから絶対に似合う。それに、見てみたい」

 

「もしかして、恥ずかしがるのを見たいんじゃないですよね?」

 

「……着てくれないのか」

 

「着てもいいですけれど、そういう言い方はずるくないですか? ――だったら、代わりにシキさんも一緒にあの服を着てください」

 

 そう言って、マチルダが指さす。指し示す先には、ちょうどさっきの服と対になるような、言ってみれば王子様然としたものが飾られている。

 

「いやなら私もいやです。……え? 着るんですか? そんなにしてまで、見たいんですか。うー、そこまで言うのなら……。でも、シキさんの前でしか着ないですからね?」

 

 

 

 

 

 裏路地に入った、ちょっと怪しげな通りで

 

「相変わらず、変わったものばかりだな……」

 

 前と変わらず、いろんなものが無秩序に積み上げられたりと、雑然としている。時折、「東方」から来たらしいものがあったりするのは面白いが、いつごろのものなのか、完全にガラクタになっているものも多い。

 

「ん?」

 

「何かありました?」

 

「いや、これは……」

 

 そういったものの中に、古着を扱っている店があった。その中に、明らかに地球からのもだと分かるものがあった。

 

「変わったデザインの服ですね」

 

 マチルダが覗き込む。確かに珍しいだろう。大きな襟が特徴で、ふわりと結んだスカーフがアクセントとなっている。

 

「――え、シキさんそれ買うんですか。……え、それも私に? 別にいいですけれど、変わった服ですよね。というか、スカートの丈、短くないですか?」

 

 マチルダが体に押し当てる。サイズとしては問題はないが、スカートの丈が短い。太ももの半ばまで見せる形になるだろう。少しばかり対象年齢が違うかもしれないが――それが良い。

 

 

 

 

 

 

 

 更に奥まった通りの武器屋で。

 

「そういえば、前にここでしゃべる剣を買っていたな。あれはどうしたんだ?」

 

「え、剣ですか? ……えっと、ああ、そうだ。学園長に売っちゃいました。結局私は使わないですしね」

 

「まあ、それもそうだな。飾るような剣でもないし、そもそも喋る剣の使い道というのもよく分からないしな」

 

「でしょう?」

 

「さて、せっかくだ。適当にお土産を買ったら、軽く何か食べて帰ろうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――シキさん、戻ってくるのを待っていたんですよ」

 

 学院に戻ると、満面の笑みのエレオノールが待っていた。何かを期待しているようで、それこそ、しっぽがあればちぎれんばかりに振っていたことだろう。普段は気難しい表情をしていることが多い彼女だが、こういう時はいっそ少女のようですらある。返事を聞くのももどかしいとばかりに腕を引かれる。

 

 マチルダを振り返るが、一瞬だけさびしそう表情を見せるだけで、今日は独り占めしましたからと、ひらひらと手を振っている。

 

「何を言っているんですか。せっかくシキさんの”故郷の味”を再現したんですから。一緒に食べましょう」

 

 ああ、朝言っていた「ヨシェナベ」 純粋に喜ばせようと作ってくれたんだろう。その気持ちが何よりうれしい。それに、しばらくは無理だと諦めただけに、食べたいという意味でも尚更だ。マチルダとも目が合うが、苦笑いしている。そしてポツリと一言

 

 ――かなわないなぁ。だからこの人のことも、好きなんですよね。

 

 そんなことを言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「”ヨシェナベ”です」

 

 エレオノールの部屋に来ると、じっくりと煮込んだ、濃厚な鳥のうま味の香りが部屋中に漂っている。ここまで濃厚なものは今まで嗅いだことがない。そして、くつくつと心地良い音が聞こえる。さすがに土鍋までは調達できなかったようだが、それは些細な問題で、部屋の中央に位置するものは鍋だ。

 

 そして、寄せ鍋は汁を入れた鍋に野菜や魚介類、好きな材料を入れて煮込むものだ。特に具材に決まりはなくて、地方毎にその特色が出るのだから、そういった意味では目の前のものは間違いなく「寄せ鍋」だ。

 

「”ヨシェナベ”というのは特に材料に決まりはなくて、それぞれの地域の食材を入れて楽しむものらしいですね」

 

 エレオノールが腰に手をあて、どうだとばかりに笑う。

 

 確かに、最高の食材を集めてくれたんだろう。この濃厚な鳥の匂い。鍋にプカリと浮かんでいる滑らかな表面を見せているものはきっとフォアグラだろう。となると、時折見える黒い粒はトリュフか? キノコに鳥、ああ、まさしく鍋だ。目の前に置かれたものは、確かに鍋だ。

 

 ――しかし、何かが違う。

 

 少なくとも、寄せ鍋ではない。ああ、いや、具材の特定はないのだから寄せ鍋ではあるのだろう。フォアグラや、トリュフがこれでもかと入った鍋など聞いたことはないが。ああ、闇鍋というのものがあったか。

 

「――すごいな。材料も、なんというかすごい」

 

「ええ、シエスタの故郷で”ヨシェナベ”というものが名物になっているらしいんですけれど、最高の食材を集めて作らせました。さ、シエスタ」

 

 エレオノールが促し、シエスタが器によそう。表情はうかがえない。とりあえず、あとで、本当のヨシェナベというものはどんなものなのか聞いてみなければいけない。田舎でこんな豪勢な鍋をというのはさすがにありえない。

 

「さ、シキさん」

 

 エレオノールに促され、手に取った器を見つめる。匂いについては鳥のうま味が立ち上り、悪くない。見た目もまさしく鍋だ。ただ、入っているものがおかしい。一部高級鍋というものはあるが、俺が思うに、鍋はもっと庶民的なものだ。

 

 ひとまず、よそわれたスープを一口啜る。

 

 

「――うまいな」

 

 ――意外に、本当に意外に悪くはない。

 

「さあ、思う存分食べてください」

 

「ああ、ありがとう。――すごく、濃厚な味だな。こんな鍋は食べたことがない」

 

 フォアグラは鳥のうま味はもちろんのこと、鍋に入ると、アンキモを思わせる触感がいっそ鍋らしい。出汁のなかにもそのうま味が出ていて、濃厚だ。トリュフのサクサクとした触感に鼻に抜ける香り。フォアグラやトリュフというのは世界三大珍味といわれるだけの食材で、鍋のなかでこれでもかと主張している。

 

 が、量を食べる食材では決してない。もちろん、数えるほどしか食べたことはないが、カニやフグ、高級食材の鍋というのもいいものだ。だが、なんというか……フォアグラとかはちょっと違う気がする。

 

 いや、確かに悪くない……と思う。これはこれで美味しいのかもしれない。ただ、これだけは言える。これは絶対に和食じゃない。

 

「良かった、喜んでもらえて」

 

 エレオノールが本当に嬉しそうに笑う。ちょっと違うというのは、言う必要はないだろう。

 

「――シキさんの故郷の味って、本当に高級なんですね。びっくりしました」

 

 マチルダが言うが、その誤解はあとで解くことにしよう。少なくとも自分はこんな高級食材とは全く縁のない生活をしていたのだから。

 

 寄せ鍋、食べたかったな。しんなりとして甘い白菜、くせのない白身魚、次の日のおじやなんて、朝からいくらでも食べられた。

 

「鍋は皆でにぎやかに食べるものらしいですね。せっかくだから、ルイズも呼んで、皆で食べましょう」

 

 エレオノールが張り切っている。まあ、皆でにぎやかに食べるのが鍋で一番大切なことだ。だったら、目の前のものは鍋だ。誰が何と言おうと寄せ鍋だ。材料だって、多少アレンジしただけだ。浮いた脂がちょっとすごいことになっているが、味は悪くはないのだから。

 

 そうして急遽作られた賑やかな食卓。どこから嗅ぎつけたのかタバサとシルフィ。珍しさもあいまって皆で楽しんだ。

 

 ただ、そんな中、一瞬だけマチルダが寂しげな表情を見せた。

  

「――ああ、大したことじゃないです。ここに妹もいたら良かったなって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 にぎやかな舞台から離れて、学院から遠く遠く、さらに空の上へと。しかしながら、舞台としてはすでに幕が下りた場所。ただ、更に小さな、取るに足りない舞台の幕が下りるまで。

 

 鬱蒼と生い茂る森。細いながらも踏み固められた跡があるから、まったく人が入らないということはないのだろう。それでも、身を隠して逃げるには十分だ。走って走って、ようやくここまでたどり着いた。

 

 多少は考える余裕が出てきて、結局戦争なんてろくなことにならないのかもしれない、そう思った。最期まで見届けて、出てきた答えはそれだった。

 

いや、最期まで見届けた――そういえば様になるが、なんのことはない。ただ逃げ遅れただけだ。それでも少しばかり悪運が強かったから、そんな風に他人事のように言える。もっとも、少しばかりだが。なにせ、ガリアがついた時点で逃げればもう少しましだったかもしれないのだから。

 

 負けるはずがなかったはずの戦争は、戻ってきた王子とガリアを含んだ大勢力の前にあっさりと終わった。

 

 周辺の貴族たちはすぐに抵抗をあきらめた。勝ち目などない。言ってしまえば、この世界すべてを敵にまわすということなのだから。レコンキスタを良しとしなかった者達はもちろん、たとえ組していたにしろ、まだ助かる芽のあるもの達はこぞって降伏した。

 

 王党派と貴族派、後者が大多数を占めるようになっていたのだから、すべてが切り捨てられるということはない。もちろん、これだけ大きな借りを作ったのだから、その見返りのために大半の貴族は綺麗さっぱりつぶされるだろう。それでもまだ助かる可能性があるのならと、それに賭けるというのもわからなくはない。

 

 そして、本陣の方はこれまたあっさりしたものだった。いきなりまわりがすべて敵に、しかもこの国は空の上。自分たちで火を放つところも出てくる有様で、あっという間に壊滅した。ガリアが出張ってきた時点でもう詰んでいた。

 

 結局、始祖の奇跡とやらはなんだったのか、しょせんは皆、舞い上がっていただけなんだろう。おこぼれにあずかろうとした俺らも含めて。その奇跡の代行者とやらはちゃっかり生きているんだろうが、大したペテン師だ。

 

 ――ああ、そうそう、まだ後始末といったものもあった。

 

 まずは亜人共の掃討。そもそもなぜあれほど大量に加わっていたのかわからないものが、なぜか暴れまわっていた。敵も味方も関係なしに。しょせんは亜人、人と相いれないのか、そもそも、無理に引き入れたのが今の結果か。まあ、最期まで抵抗した、そういう意味じゃ大した忠臣だろうよ。

 

 そして、俺を含めた、厄介者でしかない傭兵狩り。寝返った側にとっても、攻めてきたやつらにとっても後々の厄介の種にしかならない。だから、亜人と一緒に積極的に狩り出された。

 

 こうやって逃げてくるまでにも、一人の死体を見かけた。その時には思わず足を止めた。知っている顔だからではない。正確には、知っているやつの、その死に様に、だ。

 

 背中に突き刺さった矢と、とどめらしい刺し傷、そしてわざわざ切り落とされた手首。俺は頭がいい方ではないが、なまじ知っているだけに、どういう風に死んだかありありと頭に浮かぶ。

 

 手癖が悪いやつだったから、駄賃代わりにちょろまかしてきたものを持って逃げるつもりだったんだろう。そこを見つかった。相手にしてみりゃ、これ以上ない獲物だ。当然殺す。そして感心するぐらいの業突く張りだったから死んでも離さなかったんだろう。

 

 本当に、傭兵らしい傭兵だった。傭兵というのはしょせんはくいっぱぐれ。いつ死ぬかも分からないのだから、とにかく動けるうちに金を貯める。火事場泥棒みたいな真似も、野盗まがいのことだって、当然やるし、やらないやつもなんだかんだで理解している。そんなやつらだ。そんなやつらは、戦争が終われば結局厄介者でしかない。

 

 そして、それは今の俺も同じだ。金も食い物も、なんとか手に入れなければ結局野垂れ死にだ。特に食い物は、ここまでとにかく逃げてきたが、もう腹の音も鳴りはしない。森の中でウサギも見つけたが、すばっしっこ過ぎてつかまりゃしない。まだ死にはしないが、なんとかしなくちゃならない。

 

 

 

 

 

 ――がらん がらんと、何か硬いものがぶつかり合う音が聞こえた。あわてて振り返れば、なんのことはない、せいぜい5,6才の子供だ。あまり身なりは良くないが、髪形からすれば女か。周りに散らばったものを見るに、俺を見てマキを落としたらしい。子供がいるのすら気づかないとは、どうやら本格的に参ってしまっているらしい。

 

 ただの子供で良かった。ああ、そうだ、確かに悪運だけはある。こんな子供がということは、家が近くにあるはずだ。粗末な身なりだから金は期待できないが、食糧ぐらいは期待できる。

 

「――なあ、嬢ちゃん」

 

 言い終わる前に、マキも放りだし、駆け出した。当然だ。子供だからと、この世界は優しいわけじゃない。むしろ甘いのは、なだめてどうにかなると思った俺の方だ。

 

 だが、それでもしょせんは子供の足。たとえ今の俺でも、すぐに捕まえられる。覆いかぶさるように押し倒し、地面に押さえつける。泣きわめき、暴れるが、いくら子供が暴れてもどうということはない。顔を土で汚し、鼻血と涙とでぐしゃぐしゃにした様に罪悪感を感じなくもないが、食糧さえ手に入ればいいのだから殺すつもりはない。その分だけ、見境のないやつらよりはずっとましだ。

 

「――その子を離して」

 

 女の声が、聞こえた。自分の無防備さかげんに思わず舌打ちする。声の先には女が、いや、まだ少女というべきだろう、小さな杖を突きつけていた。メイジかと焦ったが、震える杖を見て落ち着いた。それなら、もしメイジだとしても何とかなる。

 

 押さえつけた子供を力まかせに抱き上げる。小さく呻き声をあげるが、それぐらいが丁度よい。杖を突きつけてきた少女も子供しか見ていない。

 

「食糧さえもらえれば離してもいいが――金もなくてな」

 

「食糧ならあげます。でも、お金なんてありません」

 

 気弱そうに見えて、気丈に答える。綺麗な顔をして大したものだ。本当に、張りつめた表情ながら、それ以上に綺麗な顔立ちだ。改めて見て、思わずうめき声をあげてしまう。

 

 ろくに手入れできないだろうに、それでも腰まで伸びた艶やかなブロンド。目も鼻も口も、すべてが完璧に整っている。緑の、あまり上等とは言い難いワンピース姿、それでもはっきりと分かる、顔に似合わず豊かな胸、そして覗く太ももの白さ。とてもこんなところで暮らしているとは思えない。きちんと着飾りさえすれば、いや、今のままでもそこらの貴族の令嬢など足元にも及ばないだろう。人の売り買いなどしたことはないが、金貨で何百枚になるか分からない。それだけあれば、しばらくはこんな場所ともおさらばできる。死ぬような目に合わなくて済む。

 

「お前が来てくれればいい。そうしたら、この子供も離していい」

 

「――私を、どうするんですか」

 

 気丈に振る舞っても、やはり怯えは隠せない。声にはそれが表れていた。

 

「人買いに売るんだよ。なに、心配しなくてもいい。お前さんほどの器量良しだ。使いつぶすようなそんなもったいない真似はされない。どこかの貴族にでも高値で売られて妾にされるさ。案外、今より良い暮らしができるかもしれないだろうよ」

 

 嘘ではない。娼館ではなく、どこかの貴族に売られるだろう。そいつがまともなやつなら、妾に。そうでなければ――なんにしても、死ぬことはない。

 

「……妾、ですか。私が行けば、その子は離してくれるんですか?」

 

 妾という言葉に顔を曇らせる。当然、意味を知っていればよい気はしないだろう。

 

「ああ、子供に用はないからな」

 

「だったら、私が行きます。だから、その子を離してください」

 

 意思のこもった目で見つめる。きっとそう言うと思った。自分が言わせたことながら、大した自己犠牲の精神だ。俺とは違う。いや、むしろ、こんな時代にそんなことが言えるというのは、それこそが間違っているのかもしれないが。

 

「まずは杖を捨てな」

 

「……はい」

 

 一瞬だけ戸惑ったようだが、素直に従おうとする。だから、ついガキを押さえつける腕を緩めてしまった。それがいけなかった。思わず呻くほど、指に痛みがはしった。

 

 指に何かが突きたてられる。子供が噛みついていた。思わず殴りつけていた。体重の軽い子供がそのまま宙を舞う。やけにゆっくりと見えた。

 

 地面に落ちて、一度だけつぶれたカエルのような声をあげる。脈打つように地面を赤く染めていく。びくりびくりと震えて、そのまま動かなくなった。少女が駆け寄り、抱きかかえる。抱きあげた腕も血で染まっていく。あの小さな体のどこにそれだけの血が入っていたんだろう、ふとそんなつまらないことを考えた。

 

 頭があった場所に、血に塗れた石があった。あれに頭をぶつけたんだろう。ずいぶんと運が悪い。なぐりつけた姿のまま、眉をひそめる。いくらなんでも、子供を殺すというのは胸糞悪い。殺すつもりがなかっただけに、なおさら。

 

「待って、て。すぐに、治すから。だから……死なないで」

 

 少女が、指を傷口に押し付ける。正確には、指輪のようだ。ああ、本当にメイジならなんとかしようとするか。だが、死んだあとにはどうしようもないだろう。

 

「――な、なんで? お母さんと同じなの? なんで、駄目なの。なんで、私の大切な人だけ……」

 

 そんな少女を見て、大きく、息を吐き出す。

 

 ――こんなはずじゃ、なかったんだが。そもそも俺は食糧さえ手に入れば、あの子供だってどうでもよかったんだ。俺だって、余裕さえあれば脅して食糧を得ようとしたり、人を売ろうなんて考えもしないんだから。

 

 どうしたものかと少女を見て、ぞわりと全身に寒気が走った。いつの間にか血濡れの少女が、亡骸を片手に俺をじっと見ていた。大きな目が、まばたきもせずにじいっと俺を見ている。

 

「――何で、こんなことをするの?」

 

 もともとサファイアのようだった大きな目が、まるで本当にそうであるかのように無機質な光を向けている。思わず、一歩下がってしまう。それでもじいっと見ている。どうしてか、悪寒が止まらない。

 

「私が……」

 

 そういって赤く染まった腕で髪をかきあげる。赤く塗られた髪の合間からとがった、ただの人ではありえない耳が覗く。

 

「――エルフだから?」

 

 その耳を見たとき、体はすでに逃げ出していた。妙な迫力の理由をようやく理解した。だから、とにかく逃げなくてはいけない。誰だって知っている。ハルキゲニア最高の先住魔法の使い手。人間の敵。

 

 ――本当の化け物

 

 

 

 

 

 

「――あなたは許さない。あなたなんか、消えてしまえばいい」

 

 

 

 

 力の限り走った。

 

 耳元で声が聞こえるから。

 

 だから、聞こえなくなるまで遠くへ。

 

 足を捻っても走った。

 

 まだ、声が聞こえるから。

 

 だから逃げなくてはいけない。

 

 走って、走って、倒れた。

 

 でも、起き上がろうとは思わない。

 

 なぜ走るか、分からないから。

 

 頭にいろんなことが浮かんで、それと同時に消えていく。

 

 どんどん、どんどん消えていく。

 

 消えて、溶けて、なくなる。

 

 最期に、体が忘れた。

 

 生きるということを。

 

 ただ心臓だけが動いていて、それも消えるように止まった。

 

 

 

 

 

 

 悪運だけは、強かった。苦しみも知らずにというのは、見方を変えれば幸運だった。

 

 苦しまずに――あの男に比べれば、一度は王になったあの男に比べればずっと運が良かった。暗闇の中、死にたくとも死ねないあの男に比べれば。

 

 もっとも、その男自身、そんなことはすでに忘れてしまっているかもしれないが。

 

 なんにせよ、この小さな舞台もこれでおしまい。少なくとも、この場所、この世界では。桃色の髪の少女が呼んだのがただの少年だったなら――そんなことを考えるのは意味のないこと。

 

 

 



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第20話 Parallel lines

目に映るその姿は、とても綺麗だった

 綺麗だって、そう思った

 ただただ真っ赤、ただただ真っ赤で

 赤く染まった髪も、赤く染まった腕も、赤く染まった体も




 ただ、どこか悲しくて、どこか恐ろしくて

 それでも一歩近づく

 一人にしちゃいけないって、そう思ったから




 

 

 

「テファお姉ちゃん達、遅いね」

 

 窓から空を見上げたサムがつぶやく。小さな窓から差す光はまだまだオレンジ色にはほど遠い。日が落ちてしまうには時間があるかもしれないけれど、それでも、槇を集めに行ったのならそろそろ戻ってきてもいいような気がする。

 

 ただ遅いだけ、それだけだとは思うけれど、今日の夕食の準備を始めていたサマンサが心配そうに顔をひそめる。それにつられて、ジャックも、最初に心配を口にしたサムもみんな。一番の年長者の僕が子供なんだから仕方がないんだけれど。何せ、僕も心配になってしまうぐらいだから。

 

 ここウエストウッド村――本当は村というのはおかしいんだけれど――には、テファお姉ちゃんを含めて子供だけで住んでいる。いや、正確には住み着いているといった方がいいのかな。理由は知らないけれど、ウェストウッド村は廃村になっていて、そこに行くところのない僕たちが住むようになった。僕もジャックも、エマもサマンサも、みんな親が死んじゃったり、似たような境遇だ。本当だったらみんなとっくに飢え死にしていたんだろうけれど、テファお姉ちゃんと、そして、時々ここに戻ってくるマチルダお姉ちゃんが助けてくれた。

 

 もともと村だから家はいっぱいあって、家はあるから基本的に僕らは分かれて住んでいるんだけれど、みんな自然にテファお姉ちゃんの家に集まる。テファお姉ちゃんはみんなのお姉ちゃんで、口には出さないけれど、みんなの――お母さん。だから、テファお姉ちゃんがいないとみんな不安になる。そんな時は僕がお兄ちゃんにならないといけない。本当は僕だってテファお姉ちゃんに甘えたいんだけれど、テファお姉ちゃんがいない時ばっかりはしょうがない。

 

「また、誰か怪我した人でも見つけたんじゃないかな?」

 

 僕がそういうと、みんなそうかもとうなずく。だったら仕方ないよね、と。なにせ、前にも似たようなことがあったから。

 

 そう、テファお姉ちゃんはそんな人を見かけると放っておけない。テファお姉ちゃんは優しいから、本当はそれが危ないことだと分かっていても、そうせずにはいられない。それはみんな分かっている。だって、ここにいる子のほとんどはテファお姉ちゃんに拾われんだから。

 

「もしかしたら運べなくて困っているかもしれないから行ってくるよ。そうだな、とりあえず、サムも一緒に行こう」

 

 テファお姉ちゃんはすごい魔法の力を使えるけれど、お姉ちゃんだってなんでもできるわけじゃない。だから、そんな時は僕たちで助けてあげないといけない。今はこんなお手伝いしかできないけれど、いつか、いつかはテファお姉ちゃんにいい暮らしをさせてあげられるようになりたい。最近はそんなことを思うようになった。

 

 それに、テファお姉ちゃんはすごくきれい。お姫様なんて見たこともないけれど、お姉ちゃんの方がずっと、ずっと綺麗。だから、大きくなったらお嫁さんにするって言えるぐらいになりたい。お姉ちゃんがお嫁さんなら、きっと毎日が楽しいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

「槇を拾い行ったんだから、たぶんあっちかな?」

 

 最近拾いに行っている方を指さす。そんなに木が生い茂っているわけじゃないけれど、ちょっと薄暗い。今まではもっと明るい場所で拾っていたんだけれど、そこにあるものはほとんど拾っちゃったから、別の場所で探している。

 

 僕がもう少し大人だったら木を切り倒してもっと楽に集められると思う。でも、それができないから今は当番にしてみんなで集めている。今回はテファお姉ちゃんとエマ。槇拾い以外にも、もう少し力があればいろんなことができると思う。でも、それができないからやっぱり悔しい。だから、今はできることを頑張らないといけない。

 

「……こっちじゃないかな」

 

 サムが何かを見つけたのか、声をかけてくる。そっちに目をやると、サムの指差す先に、大きく草をかき分けたあとがある。人ひとりが楽に通れるぐらいに草が倒れている。この森で大きな動物は見たことがないし、人が来ることはほとんどない。だったら、テファお姉ちゃん達かもしれない。

 

 二人で呼びかけながら進む。進んだ後に草が倒れているから道には迷わない。そうして進んでいくと、男の人が倒れていた。思わずサムと顔を見合わせる。

 

「……どうしよう」

 

 サムが不安そうな顔をする。でも、僕も同じような顔をしているんだと思う。だって、うつ伏せに倒れている人は頑丈そうな皮の鎧を着ている。だからたぶん、傭兵だとか、怖い人なのかもしれない。そういう人達に会った時はできるだけ近づかないようにってテファお姉ちゃんにも言われている。

 

「……怪我しているのかもしれないし、放っておけないよ」

 

 そのままにするわけにはいかない。だから、恐る恐る近づく。怖いけれど、こんな時はお兄ちゃんの僕が頑張らないといけない。

 

「……大丈夫、ですか?」

 

 どんな人か分からないから、いつでも逃げられる体勢のまま声をかける。でも、なんの反応もない。傭兵かもしれないから怖いけれど、そのまま放っておくというのはできない。僕だって、テファお姉ちゃんに助けてもらったんだから。でも、もしかしたら。

 

「……死んでる、のかな」

 

 僕の肩越しに、サムが恐る恐るといった体でつぶやく。そんなサムの様子を見て、こんなんじゃいけないって思った。僕が怖がってばかりだから、サムも怖がっている。だから、なんでもないと勇気を出す。

 

 とにかく確かめないといけないから近づいて、投げ出された手にゆっくりと触れる。思わず手を引いた。嫌な、冷たさだったから。

 

「……死んでる」

 

 後ずさりながら、なんとかそれだけ口にする。触れた手をごしごしと服にこすり付ける。

 

「ど、どうしよう」

 

「とにかく、テファお姉ちゃんを探そう。テファお姉ちゃんに言わないと」

 

「う、うん」

 

 本当は心臓が痛いぐらいにドクンドクンと暴れていたけれど、サムがいたから取り乱さずに済んだ。一人だったらすぐに逃げ出していたと思う。

 

「とにかく、さっきの場所に戻ろう」

 

 サムがうなずくのを確認して、とにかく歩き出す。やっぱり怖いから。でも、どうしてだろう。どうしてあの人は死んでいたんだろう。血の跡もないから怪我したわけじゃないみたいなのに。本当は死体を調べれば分かるかもしれないけれど、それはやっぱり怖い。

 

「テファお姉ちゃん達、大丈夫かな」

 

 サムが後ろを恐る恐る振り返りながら、口にする。向こうに死体があるというのが怖いんだと思う。その気持ちは分かるから、僕がしっかりしないといけない。

 

「テファお姉ちゃんがいれば大丈夫だよ。前だって、山賊を魔法で追い払っちゃったじゃないか」

 

「そ、そうだよね。テファお姉ちゃんなら山賊ぐらい返り討ちにできるしね」

 

 サムがようやく安心した顔をしする。

 

「……そうだよ。だから、テファお姉ちゃんのところに行けば大丈夫」

 

「どうしたの?」

 

「……ううん、なんでもない。とにかく急ごう」

 

 本当になんでもない。返り討ち、それで変なことを考えちゃっただけだから。そんなこと、あるはずがないのに。

 

「とりあえず、あっちを探してみよう」

 

 もとの場所に戻ってきて、指さした。たぶん男の人が来た方向を。どうしてそっちを探そうと思ったのかは分からない。

 

 

 

 

 

 

 二人で声を張り上げてお姉ちゃんの名前を呼ぶ。一度かき分けられた場所を二人で進みながら。僕が足を止めると、サムも足を止めた。

 

「……ねえ、なんだか変な臭いがしない? 生臭いような、何の臭いだろう」

 

「……うん」

 

 嫌な臭い。よく分からないけれど、どこかで嗅いだことがあるような気もする。

 

「とにかく行ってみよう」

 

 行けば分かる。だから足を進める。なんとなく嫌な予感がして、どうしてか速足になった。臭いが強くなるにつれ、いつの間にか走っていた。

 

 走って走って、ようやく見つけた。

 

 優しくて、綺麗なおねえちゃん。贅沢な生活はできないけれど、いつでも笑顔で、きらきらとした金色の髪が本当に綺麗な。髪を、体を、腕を赤く染めていても、本当に綺麗。その赤いものが、なんであっても。

 

 その腕に大切そうに抱いたエマが――生きていなくても。

 

 

 

 

 

 優しくて、綺麗なおねえちゃん。

 

 それなのに、足が震える。どうしてか、怖くて、怖くて。お姉ちゃんなのに。お姉ちゃんなのに、足がかってに、どこかへ行こうと。

 

「おねえ……ちゃん?」

 

 サムの声が聞こえた。怯えたようなサムの声が。

 

 ――違う。

 

 お姉ちゃんが怖いなんてことあるはずがない。お姉ちゃんをこのままにしちゃいけない。自分のものじゃないように動かない足をたたいて。それでも動かないから呼びかける。お姉ちゃん、と。何度も何度も呼びかける。

 

 お姉ちゃんがゆるゆると顔を上げる。ようやく僕を見てくれた。宝石のように青い目で、宝石のように――冷たい目で。

 

「お姉ちゃん!」

 

 今度は叫んでいた。お姉ちゃんはそんな冷たい目をするはずがないから。

 

「……ルシード? ルシード、だよね」

 

 一度僕の名前を呼んで、もう一度確かめるようにつぶやいた。それでようやく、僕を見てくれた。ようやく動いてくれた足で駆け寄る。

 

 このままじゃいけないと思った。どうしてかおねえちゃんが壊れちゃいそうに見えて。何があったのか分からない。でも、一人にしちゃいけないって、それだけは思った。そう思ったら、お姉ちゃんを抱きしめていた。

 

 

 

 

 

 

 手を引かれている。ぐいぐいと、力強く。ルシードは私より身長はずっと低いのに。やっぱり男の子は強いね、そう思った。でも、なんでここにルシードとサムがいるんだろう。

 

「転ばないように気を付けて」

 

「――うん」

 

 ルシードに手をひかれるまま、歩く。エマを抱いて、もう、冷たくなってしまったエマを抱いて。

 

 小さな川がゆっくりと流れている。夕日に照らされて、オレンジ色にきらきらと光っている。

 

「……お姉ちゃん、体、洗おうよ」

 

「うん、そうだね」

 

 私、真っ赤だ。みんな真っ赤。たぶん、夕日よりも真っ赤。これじゃ皆がびっくりしちゃう。

 

「エマは、僕が抱いているから」

 

 

 

 

 

 

 

 体を水の中に沈める。小さな川だけれど、じゃぶじゃぶと歩いていけば、腰までくる場所だってある。今はまだ冷たいけれど、暑い時期にはよくみんなで遊びにも来た。目を閉じるとその時のことが浮かんでくる。

 

 まだまだ冷たい水のおかげか、ぼんやりと霞がかっていたものが、ゆっくりゆっくり溶けてくる。何があったのか、ゆっくりゆっくり浮かんでくる。でも、私、あの子を抱えて、何をしていたのかな。

 

 ――あはは、分からないや。

 

 水の中くるりと回って、ルシードとサムを見る。飛沫が、オレンジ色に光った。二人は心配そうに私を見ていた。ルシードがエマを抱いて、そうしているとまるで眠っているみたい。そんなことはないって分かっているのに、そう思いたい。

 

 本当に私、何をしていたんだろう。エマが死んじゃって、私は何もできなくて。ルシードが私を引っ張ってくれなかったら、あのままどうしていたんだか。

 

 さすがみんなのお兄ちゃん。私が守らなきゃと思っていたのに。こんなに情けない私じゃ、保護者失格だ。今だって、ルシードとサムを心配させている。悲しいのは、私だけじゃないのに。

 

「……テファお姉ちゃん、泣いているの?」

 

 ルシードが心配そうに口にする。

 

「……ごめん、ね」

 

 またルシードを心配させている。私、お姉ちゃんなのに。

 

「サム、エマを抱いていて」

 

「う、うん」

 

 ルシードざぶざぶと水をかき分ける。

 

「大丈夫だよ。これからはテファお姉ちゃんも、みんなも僕が、俺が守るから。だから、テファお姉ちゃんだけが頑張らなくてもいいんだ」

 

「ルシードは、強いね。私、うれしいよ」

 

 ルシードを抱きしめる。でも、私の胸の高さまでしかない。私よりずっと小さい。でも、こんなに強い。本当に強くて、本当にいい子。それなのに、こんないい子たちばっかりがつらい目に合うのは駄目だよ。私だけで十分。エルフの、私だけで十分。

 

「……頑張る、から。私、頑張るから」

 

 みんなのことは、守る。たとえ何があっても、絶対に守るから。だから、そんなに悲しそうな顔をしないで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 みんなが泣いた。まだ小さいサマンサには「死ぬ」っていうことがよく分からなかったみたいだけれど、それでも、もう会えないっていうことは分かったみたい。

 

 みんなでお別れをして、村のはずれ、日当たりの良い場所に小さなお墓を作った。お姉ちゃんも、それでようやく落ち着いた、落ち着いたんだと思う。

 

「――サム。あの男の人は、二人で埋めに行こう」

 

「え? でも……」

 

「二人で、大丈夫。なんでも、お姉ちゃんがやらなくていいんだから。これからは、俺とサムが頑張らないと。男なんだから」

 

 

 

 

 

 

 何をやればいいか分からなかったけれど、できることは何でもやった。槇を集めたり、魚を釣ったり、今まではやったことはなかったけれど、川に罠を作ってみたり。すこしずつ作り方を変えて、ようやく魚がかかるようになった。おかげで、全員分は難しいけれど、毎日一匹、二匹ぐらいは魚が並べられるようになった。

 

 テファお姉ちゃんは一人で出かけるのを心配そうにしていたけれど、皆が喜んでくれて、それでようやくテファお姉ちゃんも喜んでくれるようになった。今はまだこんなことしかできないけれど、テファお姉ちゃんを、みんなを守れるようになりたい。テファお姉ちゃんに、今までみたいに笑ってほしい。サムも、……たぶんあの時から夜を怖がるようになったから、お兄ちゃんとして頑張らないといけない。

 

 

 

 

 

 洗った食器をサムに渡す。布巾で一枚一枚、丁寧に拭いていく。皆が一生懸命手伝ってくれるから、今まではよりも準備も後片付けも楽になった。それに、ルシードが皆のお兄ちゃんとして頑張ってくれる。最近では魚を獲ってきてくれるようになったから、皆も喜んでくれる。

 

「サム、今日のお魚、美味しかったよね」

 

 最後のお皿をサムに渡す。

 

「うん。ルシードお兄ちゃんが獲ってきてくれるお魚はみんな美味しい」

 

 お皿を布巾で拭って、最後に布巾を軽く洗って絞る。

 

「そうだね。じゃあ、せっかくルシードが獲ってきてくれたお魚だから、料理も工夫しないとね。――じゃあ、もう遅いし、寝ようか」

 

「……うん」

 

 サムが少しだけ目を伏せる。時々、サムはそんな仕草を見せる。特に夜は、何かこわいものがあるみたいに。初めてここに来た時も何かを怖がっていた。ここにいる子たちは、最初はみんなそうなんだけれど。

 

「サム、たまには一緒に寝ようか?」

 

「……いいの?」

 

「うん。私も、一人じゃ寂しいときがあるから」

 

 

 

 

 

 私も、サムも寝間着に着替えてベッドに入る。一人用のベッドだから大きくはないけれど、私よりもずっと小さいサムと一緒なら大丈夫。サムに腕枕をして抱きしめるような形になるけれど、夜はちょっと肌寒いぐらいだから丁度良い。

 

「一緒に寝るのって久しぶりだね。サムがここに来た時以来かな?」

 

 顔と顔がくっつくぐらいに近い。サムが小っちゃいのは分かっているけれど、こうしていると本当に小さい。

 

「うん。お父さんとお母さんがいなくなって怖かったけれど、テファお姉ちゃんが――お母さんみたいだったから怖くなくなった」

 

 サムが抱き返す腕に力を込める。あの時もそうだった。

 

「サム、また何か怖いことがあったのかな? お姉ちゃんに言ってごらん。私ができることなら何だってするから」

 

 私にできることなら、なんだってする。私にとっては、この子達が全てだから。

 

「……うん」

 

 サムが私をじっと見る。だから、私も優しく微笑む。お母さんだって言ってくれるなら、私はお母さんでないといけないから。

 

「……えっとね。夜、一人でいるのが怖いの」

 

「うん」

 

「一人でいると、誰かがいるような気がして、それで……」

 

「そっか。でも、それならエマがいるのかもね。だったらきっと、サムのことが心配なんだよ」

 

 サムの髪をなでる。できるだけ優しく。

 

「ううん。エマなら怖くないよ。でも……」

 

 サムが目をそらす。もう一度私を見て、やっぱり目をそらす。

 

「でも?」

 

「……あのね。森で、男の人の死体を見つけたの」

 

「……そうなんだ」

 

 どくんと、大きく心臓が動いた気がした。

 

「ルシードお兄ちゃんと一緒に埋めたんだけれど、その人の顔が忘れられなくて、それで……」

 

 サムが毛布にくるまるように顔を隠す。

 

「大丈夫だよ。お墓を作ってくれたサムにはありがとうって思っているはずだから。だから怖いことなんて何もないよ」

 

「――うん」

 

 サムが私に抱きつく腕に力を込める。

 

「しばらくは一緒に寝ようね。……ところで、その人って、兵隊さん、だったのかな?」

 

 ひどく喉が渇く。つばを飲み込んでも、あとからあとから乾いていくように。

 

 どうしてか、あの時のことが頭に浮かぶ。私は、あの人に消えてほしいと思った。ううん、そんなんじゃない。殺したいって、思った。でも、思っただけ、思っただけだから。だから……。

 

 

 

 

 

 

 お姉ちゃんの元気がない。いつも目の下に隈を作っていて、夜眠れていないみたい。夜こっそり見に行った時もうなされていた。違う、違うって。朝はみんなにおはようって笑ってくれるけれど、なんだか壊れちゃいそうで。まるで、あの時みたいに。

 

 みんな心配になって、みんなでできることは全部やろうとしても、お姉ちゃんは大丈夫だからというだけ。たぶん、みんなに心配をかけたくないって。でも、子供でも分かるぐらいに疲れ切っていて、みんななんとかしたいって思っていて。

 

 それなのに、どうすればいいのか分からない。俺にはどうすればいいのか分からない。たとえ何があったとしても、テファおねえちゃんが悪いことなんてないのに。そんな日が続いた。

 

 

 

 

 

 ある朝早くに、どうしてか目が覚めた。なんとなく外を見ていたら、お姉ちゃんがふらふらと歩いていくのが見えた。ふらふらと、ふらふらと、森へ歩いていく。気づいたら、お姉ちゃんを追っていた。

 

 お姉ちゃんが歩いていく。ゆっくりゆっくり、でも、まっすぐに。ずっと歩いて、どこに向かっているか分かった。だって、サムと一緒に来たあの場所だったから。良くないことだと思うのに、それがどうしてか分からない。お姉ちゃんを止めないといけないと思ったのに、どうしてかそれができない。

 

 ずっと歩いて、あの場所にしゃがみ込んだお姉ちゃんが、地面に触れる。まだ地面が柔らかいから、手でかき分けるだけで十分。二人で穴を掘るのにあんなに苦労したのに、それが嘘みたいに。しばらくして、湿った、嫌な臭いがしてきた。それでも、テファお姉ちゃんは手を止めない。掘って、掘って、やがてびちゃびちゃと水音がした。何度も何度も。それでも掘って、何度も咳き込んで、地面にへたりこんだままテファお姉ちゃんが嗤った。

 

 

「――あはは。私、エマの敵を討ってたんだ。しかた、ないよね。それでいいよね。だって私、エルフだもん。だって私、化け物だもん」

 

 ひとしきり嗤って、いつの間にか嗤い声が泣き声になっていた。

 

「……う……ぇ。いや、だよ。なんで、私ばかり……。私……ただ……」

 

 泣き声が空に流れる。

 

「……誰か、助けてよぅ」

 

「――俺が助けるよ」

 

 今までずっと声が出なかったのに、気づいたら叫んでいた。跳ねるようにお姉ちゃんが俺を見た。涙と、吐いたもので顔をぐちゃぐちゃにしたままに。

 

「俺は、テファお姉ちゃんのことが好きだから。他の誰より好きだから。他の人なんて、どうだっていいんだから」

 

 気づいたら、お姉ちゃんを抱きしめていた。お姉ちゃんが地面にへたり込んでいたから、お姉ちゃんの頭を抱きかかえるように。

 

「……あ……う……。……汚れちゃうよ?」

 

 力いっぱい抱きしめたから、少しだけ苦しそうに。

 

「そんなの、どうでもいい」

 

 本当に、どうでもいい。

 

「……私、エルフなんだよ。人を殺す、化け物なんだよ?」

 

「……そんなの、関係ない。テファお姉ちゃんは、テファお姉ちゃんだから」

 

 ぎゅうっと、力を込めた。そうしないとテファお姉ちゃんがどこかに行ってしまいそうだったから。

 

「……うれしい、よ」

 

 お姉ちゃんが僕を抱きしめる。

 

「……でも、ごめんね」

 

 どうしてか、気が遠くなってきた。

 

「……私……怖いの。嫌われたくないの。……化け物なのに、あなたたちには、化け物って言われたくないの。……私には、あなたたちしかいないから」

 

 頭がぼんやりとしてきて、分からなくなってきた。違うと言いたい。でも、何が違うんだろう。

 

「……私は、恨まれたっていい。あなた達を守るためなら、恨まれたっていい。私、なんだってするから。だから、ごめんね」

 

 分からないのに、どうしてか違うと、そう言いたかった。

 

 

 

 

 

 

 ティファお姉ちゃんは変わった。ずっと元気がなかったけれど、ようやく落ち着いたみたい。いつもみんなに優しい。優しく優しく笑っている

 

 それなのに、どうしてか怖いと思う時がある。あの、真っ赤に染まった、人形のようなおねえちゃんを思い出す時がある。何か大切なことを忘れているような気がするのに、それがなにか、どうしても思い出せない。

 

「どうかしたの、ルシード?」

 

 いつもの笑顔の、テファお姉ちゃん。

 

「――俺は、テファお姉ちゃんの味方だから」

 

 テファお姉ちゃんの顔を見ていたら、どうしてかそんな言葉が出てきた。

 

「……どう、したの。……急に、そんなこと」

 

 びくりと、怯えたような表情。

 

「よく、分からない。でも、どうしてか言いたくなったから」

 

「……そっか、そうなんだね。……うん。嬉しい、よ。私、ルシード達が幸せになれるなら、なんだってするから」

 

 お姉ちゃんの頬を涙が流れる。でも、何かが違う。何かが違うのに、言葉にできない。

 

 

 テファお姉ちゃんは悪くないのに

 

 テファお姉ちゃんは……

 

 テファお姉ちゃんは……

 

 俺は、テファお姉ちゃんを守りたいのに。俺が、子供だから。テファお姉ちゃんだけが苦しまなくていいのに。どうしたら、テファお姉ちゃんを助けられるのか、どうしても分からない。何から助けたいのかも、どうしても分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――余のミューズ。アルビオンの様子を教えてくれるかね」

 

 ジョセフ様。私のジョセフ様。人の目に触れない、薄暗い、決して豪華とは言えない床も壁も石積みの殺風景な部屋でも、その美貌が損なわれることはない。それに、いつになく楽しそうにされて、私も嬉しい。今日は、きっと抱いていただける。あのたくましい腕、繊細な指で触れていただける。それだけで……違う、それ以外、私には何もいらない。だから私は、ジョセフ様が望むことならなんだってしてみせる。

 

「はい、ジョセフ様。レコンキスタは事実上消滅しました。ガリア、ゲルマニア、トリステインの艦隊が姿を見せるまでもなく、ほとんどの貴族派は投降。主だったもの達は土産替わりに差し出されるか、もしくは城に火を放って自害いたしました。一部逃げ出したもの達もおりますが、いずれ駆り出されることでしょう」

 

「うむ。賢い選択だね。人同士で争うなど、愚かしいことこの上ないからね。後始末だが、そちらはどうかね?」

 

「はい。ガリア、ゲルマニア、トリステイン、アルビオンの残党、加えて一部ロマリアの義勇軍が入っております。貴族派の残党と亜人の狩り出しを行っており、あと一週間もあれば片付くことでしょう」

 

「ほう。さすがに早い。一致団結して事にあたればそれだけのことができるということか。ふむ、素晴らしいね。では、それはそのまま維持することとしよう。あとは、誰だったか……。そう、クロムウェルだ。彼はどうしているかね?」

 

「……クロムウェルは、その……」

 

 思わず目を伏せる。

 

「ん? まさか逃げおおせたのかね? だとしたら少々評価を改めなくてはならないが」

 

 それならば、まだ良かった。

 

「申し訳ありません。……どうなったのか、分からないのです。ある日突然に姿を消しました。ただ、逃げたわけではないと思います」

 

「どうしてそう思うのかね? ああ、別に責めるつもりはない。それならそれで構わないのだから」

 

 顎髭を撫で、予想が違ったということが楽しそうだ。予想が外れるということはほとんどないだけに、それが外れると本当に楽しそうにされる。だが、それはジョセフ様にとっては取るに足らないことだから。そして、それすらも満足にこなせなかったということだ。

 

「生きているのか死んでいるのかも分からないのですが、少なくとも無事ではないからです。彼が消えたあと、部屋には体の一部が残されていました。切り取られた手足と、ご丁寧に、はがされた顔の皮が残っておりました。すくなくとも顔の皮は本人のものです。目的も、誰が行ったのかも分からないのですが、おそらくは連れ去られのだと思います。あとは、見せしめでしょうか」

 

「まあ、彼は小物だからね。裏に誰がいるか怪しんでもおかしくはない。さて、彼はどこまで知っていたかね?」

 

「ほとんど、何も。私の正体も知りませんし、ガリアが味方であることは知っていても、誰が味方だったかということの確信は与えておりません。もともと切り捨てることも考えておりましたので」

 

「ならば、何も問題はない」

 

 コツコツとジョセフ様が歩みをすすめ、手のひらで私の頬に触れる。嬉しいはずなのに、びくりと体が跳ねた。

 

「余のミューズ、君は良くやってくれている。だから、そのようなことは些末なことだよ。なんなら私のことが漏れても構わないのだから。君がいるかぎり、何の心配もないのだからね」

 

 ジョセフ様の微笑みに、涙が流れる。

 

「……ジョセフ、様。あなた様のお心遣い、感謝いたします」

 

 ジョセフ様の為ならなんだってやって見せる。それこそが私の喜びなのだから。全てはジョセフ様にとって単なる戯れだとしても。私なんて、ジョセフ様にとっては単なる駒だとしても。

 

「――ああ、そうだ。一つ頼まれてくれるかね。少々遠出をしてもらうことにはなるが、手紙を届けて欲しいのだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 城内が慌ただしい。掃除を行うもの、調度品を運び込むもの達、あちらこちらと行き来している。そして、王女である私もすべての使用人を把握してはいないとはいえ、今日は見覚えのないものが特に多い。大方、臨時で動員した者達がそれだけいるということでしょう。警備を考えれば問題があるかもしれませんが、それも仕方がないというもの。なにせ、いつものこととはいえ、分に合わない見栄を張らねばなないのですから。

 

 諸国会議の場として、トリステインが選ばれた。ガリアやゲルマニアの王城を訪れた身としてはどうあっても見劣りするのは分かっていますが、それでも何もしないよりはましでしょう。ガリア、ロマリアからの推挙となれば仕方がありません。

 

 それに、今回の会議はアルビオンの行く末を決めるのですから。本来はアルビオンで行うのが順当。しかしながら、片付くのは時間の問題とはいえ、まだあそこは戦場。となれば地理的にも近く、「アルビオンの王族」が逗留するトリステインが会議の場にふさわしいというのも、もっとなこと。

 

 いつ以来かも分からない諸国会議、各国の王族が集まるなど、特に今回はロマリアの教皇自らこのトリステインを訪れるというのは名誉なことなのでしょうが、どうしても気が重い。なにせ今回の目的は、トリステインという「国」にとってはご馳走を食べるようなことであっても、私自身にとってはこの身を引き裂かれるようなものなのだから。溜息ばかりになるのも仕方がないというもの。

 

「姫様。お気持ちは察しますが、これも国を率いるものの責務です。分かっておりますな?」

 

 マザリーニの言うことはいつも正しい。正しいとは分かっていても、この国のことを本当に考えてくれているとは分かっていても、本当にこの国を守ってきたのは彼だと分かっていても、受け入れがたいものはある。しょせん私は、まだまだ政治のことを分かっていない小娘だということでしょう。

 

 ただの小娘なら、本当に良かった。愛する人の、愛するものを引き裂くことなどせずとも良いのですから。

 

「……分かっています。要は、腑分けでしょう? 働きに見合った対価を得るための、ね」

 

 言葉にして、改めて実感する。どんなにおぞましいことか、どんなに残酷なことか。なんとか死なずにすんだ病人を更に痛めつけるようなもの。愛する人に、そんなことをしなくてはならないのだから。

 

「――分かっていただけているのなら結構です。政治と感情とは、切り離さなければならないのですから」

 

 ああ、マザリーニの言うことは正しい。本当に正しい。でも、これ以上は言わないで欲しい。実感すればするほど逃げ出したくなる。

 

「姫様。恐れながら申し上げます」

 

 今まで直立不動だったワルド子爵が口にする。魔法衛士隊の隊長服に身を包んだその身は頼もしいが、今回ばかりは頼りになりそうもない。

 

「トリステインがアルビオンを切り取ることは、避け得ない必要なことです」

 

「……分かっています」

 

「姫様がそれを気に病んでおられるのは分かります。しかしながら、それがアルビオンにとっても最良なのです。今のアルビオンを狙っているのは、何を考えているのか分からないガリアに、恥知らずのゲルマニア。ロマリアとて、全てが心清き者達ばかりではありません。であるならば、トリステインこそが先頭に立つべきなのです。姫様ならば、アルビオンのこともよりよく導けることでしょう。――差し出がましいことを申し上げましたが、お許しください」

 

 子爵が深々と頭を下げる。確かに、子爵の言うことも正しいのだろう。詭弁に過ぎなくても、そう思えば少しは心が救われる。

 

「……いえ、子爵のおっしゃる通りです。アルビオンのことを思うのなら、そうすべきなのでしょうね。あなたのおかげで、少しは気が楽になりました」

 

 皆が、ワルド子爵のように本当に貴族に足る人物ばかりならば良いのに。体を張ってまで王子を助けてくれた、本当の忠臣たる者であれば。私の本当の味方はこの二人だけです。――いえ、ルイズもいましたね。親友のことを忘れるなんてどうかしていました。でも、本当に少ない。国を動かしていくには、本当に少ない。私はこの国を導くことなどできるのでしょうか。

 

 

 

 

 会議は進む。当然のごとく、ハルケギニア最強国たるガリアの王ジョセフと、ハルケギニア最高権威の象徴であるロマリアの教皇ヴィットーリオを中心にして。形だけの主催者とはいえ、ここまであからさまであれば、いっそ清々しい。

 

 さて、この二人の言い分だけれど、実に素晴らしい。始祖の血を汚してはならない。この世界が正しくあるために、始祖の血を中心としてこの危機に当たらなければならない。

 

 まったくもって正しいこと。ふふ、始祖の血を直接はひかないゲルマニアは苦々しい顔をしているけれど。でも、内心は、目的は何なのかしらね。政治のことをまだ分かっていない私でもロマリアの目的は分かる。でも、ガリアの、いいえ、ジョセフ王の考えが分からない。教皇と連名での話だから、目的は同じだと思うのだけれど。でも、ジョセフ王が、言ってはなんだけれど、そんなことに興味を持つのかしら。それがよく分からない。マザリーニですら分からないのだから、小娘である私が分かるはずはないんだけれど。

 

 そしてウェールズ王子は、仕方……ありませんね。何せ、国の存亡の危機。そして、私自身もその危機を構成するものの一つなのだから。

 

 今のアルビオンは、まったくもって丸裸に等しい。ハルキゲニア最強と言われた空軍は過去のもの。多くの船は「事故」でなくしたから、再編するまではどれだけかかるのやら。そもそも、その費用をどこから調達するのか。どれだけかかるのかなんて全く分かりませんが、今のアルビオンがどうにかできる金額などではないでしょう。

 

 それに、国内の貴族。信頼できる、そもそも王党派だった者達はごくわずか。貴族派だった者達の多くは降伏しましたが、どこまで信頼できることでしょう。それでも使わざるを得ないのだから、よからぬことを考える者が出てきてもおかしくはありません。

 

 外に対しても、内に対しても丸裸といって良い状況。加えて、諸外国にこれだけ大きな借りを作り、これから更にそれが上乗せされるのです。私でもアルビオンの状況がどれだけまずいのかが分かります。アルビオンという国は、少なくとも、今のアルビオンはなくなるのでしょうね。

 

 悲しいことに、それを行うのはトリステイン、私かもしれません。なぜ、このようなことになったのでしょう。私は、ウェールズ王子が生きていてくれるだけで良かった。それだけで良かった。ウェールズ王子との結婚なんて、諦めていた。でも、今ならそれができる。でも、それは、アルビオンという国にとどめをさすことに等しい。どうして、こんなことになったのか。

 

 ――何か一つ、何か一つでも逆転の切り札となるものがあれば違うのでしょうが、そんな都合の良いものはないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 ジョセフ様と私、二人だけでトリステインの城内を歩いている。歩くのには困らない程度の間隔で壁にろうそくの明かりが灯されているが、のんきな見張りは皆寝ている。それで近衛が務まるのかと言ってやりたいところだが、眠らせた張本人は私なのだから、あえて言うまい。

 

「――ジョセフ様。本当にあの者達にお会いになるのですか? 恐れながら、信用できるとは思えないのですが」

 

「余のミューズ。確かに君の言う通り。あの者達は信用ならん。余が障害になるとなれば、全力で排除にかかるであろうよ」

 

 ジョセフ様が楽しげに笑う。この方にとっては危険も娯楽の一つなのかもしれない。楽しんでいただけるのは嬉しい。でも、それがジョセフ様を危険に晒すことだというのはいかんとも承服しがたい。

 

「……ならば」

 

「なに、障害になるならば、だよ。彼らは虚無の担い手を必要としてしている。そして聖戦をね。余としてもそれは、望ましいことだ。人間すべてが一致団結して、素晴らしいことではないかね」

 

 いっそう楽しげに笑い、扉を開く。相手はもう来ている。

 

「おまたせして悪かったね」

 

 ジョセフ様が部屋の中をゆっくりと見回す。先客は二人。一人は動きやすさなど皆無の、体をすっぽりと覆う豪奢な貫頭衣をまとった男。もう一人は少々気障ったらしいが、動きやすさを重視したような恰好。ただ、暗くて分かりづらいが、珍しいことに月目であるらしい。

 

「さて、親愛なるヴィットーリオ教皇殿。まあ、必要はないだろうが、一応名乗っておくこととしよう。余がガリアの虚無の担い手、そして……」

 

 ジョセフ様が私を抱き寄せる。この場でなければ、その喜びに打ち震えていたことだろう。

 

「紹介しよう。彼女が神の頭脳、ミョズニトニルンだ」

 



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第21話 The monkey's Paw

 コツ、コツ、と二度固いものを叩く音が聞こえた。読んでいた本から目を上げ、音の先に目を向ける。一羽の梟が窓の縁に止まっていた。

 ふと、窓際にシキが歩いていく。いつものように窓を開けると、その梟は一度だけ羽ばたいて、差し出された腕に掴まった。広げた羽根で器用にバランスをとる。梟って、羽根を広げると案外大きい。ぱっと見には中型犬より大きいかもしれない。そして、そんな大きな羽根なのに、不思議と羽音は聞こえない。





 

 

 たしか、獲物に気づかれないよう、音を打ち消すような羽根になっているんだったか。ちゃんと理屈があるんだとは思うけれど、こうやって目の前で見るとやっぱり不思議。実は梟というのは皆、サイレントの魔法を使えるんじゃないだろうか。だとすると、ちょっとうらやましい。

 

 そして、梟の足は獲物をとらえる為の鋭い爪があるけれど、この子は爪を食い込ませるということがないよう、いつも控えめに掴まる。ちい姉様が助けた子も大人しくてよい子だったけれど、私に掴まる時などは落ちないように遠慮がなかった。悪気はもちろんないんだろうけれど、頭にとまった時などは本当に痛かった。

 

 そういうことを考えても、この子は本当にいい子だ。ウラルっていう名前らしいけれど、荷物を運んでくれるような普通の使い魔としてちょっと、いや、ものすごく欲しい。

 

 ――ちょうだいって言っても、くれなかったけれど。

 

 それはともかくとして、この子、実は喋れるし、人の姿にもなれるらしい。お母様が来た時に見た女の子がこの子ということだけれど、それ時以来見ていないからあんまり実感がない。でも、シキの所に来るときにはいつも何かメッセージを持ってくるから、しゃべれるというのは間違いなさそうだ。

 

 そして今回も、シキが腕を耳元に寄せると、一言二言――というのが正しいのかは分からないけれど、何かを呟いた。ちい姉様が飼っている鳥もしゃべったりするから、この子がいたらお揃いだ。

 

 また、ちょうだいって言ってみようかな。最近はお姉様を含めて私に強く言うことはないから、拗ねてみせたら案外あっさりくれるかもしれないし。

 

 そんな風にやりとりをじいっと見ていたら、ウラルと目があった。私が考えていることが分かったのか、そそくさと飛び去っていく。勘も良いようで、ますます欲しい。まあ、いずれ……。

 

「ねぇ、あの子、何て言っていたの?」

 

「いや、大したことじゃない。――学院長の所に客が来たらしい」

 

 そう言うシキは、眉根を顰め、どこか面倒そうだ。

 

「学院長宛てだったら、シキには関係ないでしょう?」

 

「まあ、そうなんだが……」

 

 困ったように私をみる。

 

「なに? 私がどうかしたの?」

 

「いや、気にすることじゃない」

 

「ふうん。まあ、シキがそういうならいっか」

 

 本当に何かあるのなら、その時に教えてくれる。読んでいた本に、また目を落とす。

 

 ぱらりぱらりと10ページだか、20ページだか読み進めた所で、今度はドアがノックされた。軽めに二回。この感じはミス・ロングビルだ。ドアを叩く回数が多いので、自然に覚えてしまった。

 

 ちなみに、私は二人のノックを聞き分けることができる。もう一人はもちろんお姉様。お姉様はもっと強めに叩く。誰かが返事をするまで叩く。

 

 正直なところ、盛った二人、いや、三人にはいい加減にして欲しい。ドアに向かったシキの背中をついつい睨みつけてしまうのも仕方がないと思う。

 

「ルイズ、学院長室に来て欲しいそうだ」

 

「私が?」

 

「正確には、シキさんとお二人で、ですけれどね」

 

 シキの肩越しに、ひょいと顔を出したミス・ロングビルが補足する。そしてその後ろにはもう一人、どうやらエレオノールお姉様も一緒だったらしい。まあ、それも良くあることだ。

 

 でも、何だろう? 最近は授業中にものを壊したことなんて……ほとんどなかったはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 私とシキと、そしてお姉様にミス・ロングビル。連れだって学院長室に入ると、学院長の他、意外な人物が二人いた。

 

 一人はワルド。アルビオンに一緒に行った時以来だから、かれこれ一月ぶりにはなるだろう。

 

 あの時の功績と、その後の亜人退治で獅子奮迅の活躍をしたとかで、今では魔法衛士隊の隊長以上に、アンリエッタ様の側近とも言える立場らしい。一緒にいた時に活躍していた記憶がないから、たぶん、あの後にがんばったんだと思う。

 

 私と目が合うとニコリと笑った。そうやって笑った様子は、私が子供の時に笑いかけてくれた時となにも変わらない。ああ、そういえば同じことを旅の時にも思ったっけ。

 

 そしてもう一人は、これまたアルビオンの時以来だろう。ウェールズ殿下の側近だった、確かパリーという人。髪に白いものが混じり始めた初老の男性で、しっかりとした年の割にはしっかりとした体つきながらも優しげな表情が印象に残っている。

 

 ただ、戦争自体はすでに終わったとはいえ、その後のことで色々とあるのだろう。あの時と同じく、いや、あの時以上に頬がこけている。そばにたたずむのがこの国有数の戦士であるワルドということで、尚更それが際立つ。

 

「二人の紹介はいるまいな。むしろ、ワシよりもお主らの方が詳しいじゃろうて」

 

 学院長が私が生まれるよりもずっと昔から白かっただろう髭をなで、ぐるりと見渡す。一度だけシキに目を留めたが、それも一瞬だけだ。

 

 前に呼び出された時も警戒していたようだったから、そのままということだろう。お互いに不干渉という形のままだから、それも仕方がない。まあ、お互いどうこうしようという気はないから、それでいいのだろう。今どうこう言うべきものでもない。学院長が余計なことをしなければシキはなにもしないし、逆もそう。それはお互いに分かっているはずだ。

 

 それはそれでいい。今はそれよりも、この場について。確かに学院長の言う通り、二人のことはよく知っている。

 

 一人は――私の婚約者で、もう一人は、私の思い上がりかもしれないけれど、戦場で一緒に戦った人だ。あの時、私は生まれて初めて本当の貴族というもののあり方を考えたんだと思う。それこそ、命をかけてでも守るべき、そのあり方を。フーケのゴーレムの時も頑張ってはみたけれど、あの時はまだ、単なる自分の意地だった。

 

 そして、この二人がこの学院に訪れた理由は。普通に考えればあの時の関係者で、ワルドとパリーさんは、姫様と、そしてウェールズ殿下の代理ということだろう。さて、どういった話だろう。まあ、何にせよ、ワルドからの話になると思う。ワルドと目が合うと、表情をほころばせた。

 

「またほったらかしにして、済まなかったね。アルビオンとトリステインを往復することになってしまっていてね。今までどうしても君に会いに来ることができなかったんだ」

 

 ワルドが謝罪する。そういえば、あの時久しぶりに会った時もそんなことを言っていたような気がする。でも、今回が仕方がないことだ。

 

「いえ、国を守るという任務の方がずっと、ずっと大切ですわ。それよりも、今回はお二人でどうされたのですか? まだアルビオンは大変だと聞いています。ならば、ワルド様は先ほどのお話通り、まだまだお忙しいのではないですか?」

 

「それがようやく、終わるということじゃよ」

 

 ワルドの代わりに、学院長が言葉を引き継ぐ。

 

「そう、まだ一般には知らされていないがね、ようやく方がつきそうなんだ。――そして、これこそまだ正式に発表されてはいないがね、アンリエッタ姫とウェールズ王子の婚約が正式に発表される。その時に大々的に戦争は終わったと伝えられるのさ」

 

「それは、素晴らしいことですわ」

 

 戦争が終わる。そして何より、姫様がウェールズ王子と結婚することができる。ゲルマニアの成り上がりなどではなく、本当に愛する人と。

 

 今は戦争で傷ついたとはいえ、アルビオンは強国。トリステインとアルビオンが結びつくことで、二つの国の発展が約束される。

 

「そう、ルイズの言うとおり、とても素晴らしいことだよ。トリステインとアルビオン、どちらにとってもこれ以上のことはない。そこで、ルイズ、君にも手伝って欲しいことがあるんだ」

 

 ニコニコとワルドが口にする。

 

「私に、ですか」

 

「そう、君にだよ。近く、お二人の婚約がこの学院から発表される。今でもアルビオンからの亡命者のほとんどを受け入れていて、二つの国のつながりが一番深い場所でもあるからね。そして君も知っての通り、代々トリステインの王族の結婚式では、選ばれた巫女が始祖の祈祷書を手に祝詞をあげる。その巫女を学院から選ぼうというわけさ。まあ、そこまで言えば分かるね。その時に君が学院の代表となって欲しいんだ。両国の最初の架け橋、王子を救った君へ、アンリエッタ姫とウェールズ王子からの指名さ」

 

「でも、王子を救ったのは……」

 

 後ろに控えているシキへと視線を向ける。腕を組んだまま、じっと佇んでいる。あの時アルビオンに行くのは反対だと言っていたけれど、良くも悪くもシキがあの状況を作った。いや、結果を見れば最良のものだろう。王子が亡命し、レコンキスタも討ち果たされた。

 

「ルイズ、君の言いたいことは分かるよ。でも、君がいたからこそのことじゃないか。君が行かなかったら、彼もまた、あの場所にいなかったはずだからね」

 

 ワルドは、シキを見ていた。それでいて、どこか遠くを見ているような。私にも、時折そんな視線を向けることがあった。あんまり覚えていないけれど、ずっと昔はそんなことはなかったと思う。

 

「そうだな。俺はルイズの使い魔だ。だったら、もしも救ったというのなら、それはルイズだ」

 

 シキならば、そう言うだろう。シキはあくまで不干渉で、あれも、不本意な形ではあっただろうから。

 

 その傍らの、お姉様を見る。目が合うと、困ったように笑った。

 

「ちょっと考えなしの行動もあったけれど、まあ、それなりにあなたも頑張ったんじゃないかしら? せっかく名誉なことなんだから受けなさいな。あなたもそう思うでしょう?」

 

 お姉様が、ミス・ロングビルに視線を移す。どうしてか、彼女は苦笑いだ。

 

「そうですね。それで、いいと思いますよ」

 

 シキもお姉様も、ミス・ロングビルまでもが皆、私でいいと言う。キュルケもタバサは、なんと言うだろうか。

 

「でも、私は何もしていないし……」

 

 いつの間にか集まっていた視線に、言葉尻が沈む。私は結局何もしていない。王子を説得したのだって、結局はシキだった。

 

「――ルイズ」

 

 ワルドだった。優しい声色で、そういえば、私が魔法を使えなくて落ち込んでいたときには、そんな声で励ましてくれた。昔は、よくふさぎ込んでいて、人には見られたくなくて隠れていた。それなのに、ワルドはどうしてか私を見つけてくれた。

 

「君だって立派な働きをしたんだよ。これは王子がおっしゃったことなんだけれどね。ひたすらに亡命をすべきだと、本当に愛しているのならそうすべきだと言ったのが君だった。考えないように、決して考えないようにと口にしなかったその言葉を言ったのは君だけだった。建前だけで、自分でも本当の気持ちを分かっていなかった自分に選択肢をくれたのは君だってね。だからもっと自信をもっていいんだよ。それは、君にしかできなかったことなんだからね」

 

「私で、いいのかな」

 

 誰に言ったわけでもない。あえて言うのなら自分にだろうか。ぐるりと、部屋にいる人を見渡す。

 

「君は自分にもっと自信をもっていいんだよ」

 

 ワルドが繰り返す。

 

「……皆の前での、生きるべきだと説いたあの口上。あのような敵意の中で言えるものなどそうおりませんよ。少なくとも、王子にとってはとても心に響くものだったのでしょう」

 

 パリーさんが優しくほほえむ。あの時はとても怖かった。でも、それでも言わなくちゃと思った。

 

「俺は、ただ流されるだけでの行動だった。本当にこうすべきだと思って、その道を示したのはルイズだ。それは、俺には絶対にできないことだ」

 

 道を示したのは私だと、いつかのようにシキが断言する。

 

「ミス、ワシはおまえさんが何を見て、何を思って、そして何を伝えたのかはしらん。だが、皆がおまえさんが代表としてふさわしい働きをしたと言っておるぞ。ならば、それを受け入れてはどうかね。わしとて、おまえさんが普段どれだけ頑張っておるのかぐらい知っておるぞ。それを見る限り、それだけのことをやってもおかしくないとは思うがのう」

 

 学院長が、普段が嘘のように学院長らしいことを言う。

 

 目を閉じて、皆が言った言葉を何度も反芻する。ちょっとくすぐったいけれど、私を認めてくれる言葉が何にもまして嬉しい。誰かに認められること、それは、私が何よりもも欲しかったものだから。

 

「――そこまで言ってくださるのでしたら、その大役、謹んで引き受けさせていただきます」

 

 どうしてか、涙が頬を流れた。

 

 

 

 

 学院長室を出てからずっと、ドクン、ドクンと胸が痛いぐらいに高鳴っている。

 

 私が巫女に。国を代表する巫女に。アンリエッタ様とウェールズ様、愛し合う二人の結婚式で。本当に、これ以上素晴らしいことはない。畏れ多くもあるけれど、その祝福を私がだなんて。

 

「――ルイズ」

 

 ワルドだ。そうだ、ワルドも、皆も一緒に部屋を出たんだった。ようやくそれに思いいたって、顔をあげる。

 

「本当に、久しぶりだね。さっきも言ったけれど、またほったらかしにして済まなかったね」

 

「いえ、私こそ戦争中だというのに何もお手伝いできずに……」

 

「いや、戦争なんて学生が関わるべきものではないからね。あの時のことだって例外中の例外なんだ。まあ、それは今更言っても仕方がないことか。でも、僕は君は必ず何か大きなことをすると思っていたよ。代表になったのが、最初の大仕事になるね。ああいや、王子を救ったのが一つ目だから、もう二つ目になるのか」

 

 ワルドが笑う。

 

「私一人では、何もできなかったことです」

 

「そんなことはないさ。あの時のことは君がいたからこそだし、今度のことはその結果さ。まあ、祝詞を考えるというのがあるから、前とは違った意味で大変ではあるけれどね。そのことを考えて君には先に知らせるという意味もあった訳だし。そういえば、どんな言葉を作るかは思いつきそうかな?」

 

「え?」

 

 言われて初めて思い至る。そういえば、祝詞は準備されているものではなかったはず。ということは、私が準備するものということになるのだろうか。

 

 目を閉じ、深く深く考える。私が祝詞を考えるのならば。

 

 大切なのは、二人を祝福すること。そして、それを導いて下さった始祖に感謝の意を示さなくてはいけない。しかし、最初からそれでは繋がりが悪い。となるとまず言うべきは導入としての挨拶だろうか。

 

「……本日は御日柄も良く」

 

 そして、二人への祝福を。私は学生だ。であるならば、あまり固すぎるというのも、ふさわしくないだろう。見合ったものでなければ、どうしても言葉だけが浮いてしまう。

 

「……お二人のご結婚、私はとても嬉しいです」

 

そして、始祖への感謝を。お祈りのような言葉はやっぱり堅苦しいし、遠回り。もっとストレートな方がいいだろう。

 

「……この出会いを作って下さった始祖は、とてもすばらしいです」

 

 まあ、基本の形はこんなものだろうか。目を開け、ワルドを見る。なぜが、眉を下げ、とても難しそうな顔をしている。

 

「……良いと思うよ。君はどう思うかな?」

 

 ついと、シキを見た。私もその視線を追う。

 

「……個性的で、いいんじゃないか?」

 

 ほとんど目を合わさずにお姉様へ視線を逸らした。いっそ、だめならだめだと言って欲しい。それが優しさだと思う。

 

「……ルイズ、あなた、全くセンスがないわね。聞いているだけで恥ずかしいわ」

 

 でも、できればもう少しオブラートに包んで欲しいかも。いきなり、ぎゅりっと頬をひねられた。すごく痛い。ずいぶんと久しぶりな気がする。最近はずっと私の方が優位だったのに。

 

「ルイズ、ちょっと私と一緒にお勉強しようかしら? ええ、もしかしたら無駄かもしれないけれど、あなた、ひどすぎるわよ」

 

 つねられたまま、ぐいぐいと引っ張られる。

 

 後ろから声が聞こえた。

 

 

「……えーと、ルイズ。今日は任務できたから話ができないけれど、また来るからその時にゆっくり話そうか」

 

 ワルド、助けてはくれないんだ。また、ほったらかしにするんだ。どこか懐かしく、引きずられながらそんなことを思った。ああ、これでまたお姉様の態度はもとに戻るんだろうなと思いながら。

 

 特別授業はしばらく続いた。でも、途中で諦めたようだ。どうやら、私は自分でも驚くほどそういう才能がないらしい。結局お姉さまが考えるということになった。まあ、お姉様は今までの私に対するストレスをきっちり発散できたからそれで十分なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 朝からにぎやかなものだった。どこか祭りのそれに似た空気がある。誰にとってもそれは、心地の良いものだ。

 

 普段からしかめっ面をしている人も、その中ではいつもと違った表情を見せる。そんな中で暗い表情をした人がいたとしたら、それはよっぽどのこと。どうしても受け入れがたい理由があるに違いない。

 

 そんな空気の中、学院長の秘書ということで忙しかったが、すでに私が準備すべきことは終わって学院内をぶらぶらと歩いていると、出会う人皆が浮き足だっていた。

 

 メイド達は、ゴミひとつ残すまいと、会場となる本塔はもちろん、直接は関係ないであろう学院内の廊下であっても忙しそうに駆け回っている。やはり、外部からも人が来るとなれば違ってくるのだろう。

 

 少しだけげんなりして、軽くなにか食べらればと食堂に向かってみれば、こちらはさながら戦場だ。いわば指揮官であるマルトーを筆頭に、湯気を上げる兵站を積み上げていく。オーブンで程良く焦がされた自慢のソースが香ばしい。

 

 ほとんどは無駄になるのだろう。だが、それでもこの特別な時というのは、彼らにとっても特別なものとなるのかもしれない。皆が忙しそうにしているが、それでも、楽しそうだ。

 

 ――まあ、そんなものか。

 

 直接は関わりのない別世界のこととは言え、娯楽などほとんどない。よくわからなくともおめでたいということが重要なのだろう。素直に喜べれば、それはそれですばらしいことだ。

 

 それに、大した被害はなかったとはいえ、間近に感じられるようになっていた戦争が終わる。それは、それだけで十分だ。

 

 そして、生徒達。

 

 そこここで、トリステイン万歳だの、アンリエッタ姫万歳だの、異口同音に同じようなことを口走っている。確かにまあ、彼らにとってはめでたいことだろう。ほんの数年前であったのならトリステインが属国になっていただはずだ。しかし、今は立場が逆だ。属国になるのはアルビオン。今すぐではなくとも、いずれは直接、間接に利益が入ってくる。

 

 アルビオンの領主として土地を得る者がいるだろう。それなりの数のトリステイン貴族がアルビオンにも封じられるであろうから、男爵程度でも玉突きの要領でおこぼれに預かれるはず。

 

 はたまた貿易であろうか。もともとアルビオンは食料の輸入国。輸出する食料に少しばかり上乗せしても誰も咎めはしまい。そしてトリステインは、安く羊毛やら風石やらが手に入る。

 

 そうなれば、いくら頭の固い、いわば衰退するしかなかったトリステインとはいえ持ち直す。大した出費もなしにそれなら万々歳だ。

 

 さて、それなら、アルビオン側はどうだろう?

 

 喧噪のなか、歩いていく。廊下を抜けて一旦外へ。一月ほど前には使われていなかった、離れの寮へと。

 

 ふと、笑い声が聞こえた。無邪気に笑う、5、6才といったところだろうか、男の子が、一回り小さい女の子を連れている。たぶん、兄妹なんだろう。

 

 そして、そばにはすっかり顔見知りになった女性が立っている。子供がいるというのは知っていたが、それならばこの子達がそうだと言うことだろう。

 

 ここしばらくは質素な服であったが、今日ばかりは特別ということか、今では一張羅ともいうべきドレスに身を包んでいる。晴れ渡る空のような鮮やかな青だが、対して表情には陰りがある。

 

 子供たちは王子が結婚するということ、そしてもうすぐ帰れるということがうれしいのだろう。

 

 だが、母親はその後のことも考えてしまうのだろう。王子側だということで国に残る貴族達に比べればましにしても、それでも、国の将来を思えば仕方があるまい。他の亡命者はまだ部屋の中にいるのだろうが、多かれ少なかれ似たようなものだろう。

 

 ぼんやりと見ていると、ふと、足下に何かがぶつかってきた。さっきの男の子だ。尻餅をついてしまっている。さっきまでの元気はどこへやら、顔をゆがめて泣きだしそうだ。

 

 知らず、頬が弛む。男の子の目線まで腰をおとして、頭に手を乗せる。

 

「気にしなくてもいいんだからね。子供は元気なのが一番なんだから。さ、起きれる?」

 

 少しだけ遠慮して、それから、こくんと小さくうなずく。いい子だ。右手を差し出す。握り返された手は小さくて、柔らかい。ちょっとだけうらやましい。

 

 ごめんなさい、ありがとう、そんなことを言ってまた女の子と走っていった。

 

 ふと、さきほどの女性と目が合う。申し訳なさそうにお辞儀をするのに、軽く手を振って返す。

 

 さて、そろそろ迎えに出る準備をしないといけないか。あんまり気は乗らないけれど、仕方がない。それくらいは、まあ、いいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 先頭はグリフォンに跨った一団だった。

 

 立派な羽根付帽に、いつもとは違う、儀礼用だろう金糸で縁取られた真っ白なマントをまとったワルド、一歩遅れて似た格好をした隊員たちが従っている。そして、彼らに守られる形で4頭ものユニコーンに引かれた馬車。ごてごてしい飾りにはっきりと分かる形でこの国の紋章の百合が描かれているから、これが今日の主役たちのものだろう。

 

 一団が歩みを止め、ワルドだけが一歩前へ出る。

 

 迎えるこちらは学院長が同じように一歩前へ。こういう時ぐらいは着飾ってもよさそうなものだが、いつも通りの地味なローブを身にまとっている。

 

 らしいといえば、まあ、らしい。いつも飄々とした彼は、いつか言っていたように、権力を畏れるということはないのだろう。そこだけは、素直に尊敬できることかもしれない。

 

 そうして一言二言言葉を交わすと、合図とともに一団が学院へと進む。細かい話はまた学院の中でだ。

 

 一団が横切っていく。ワルドを先頭に、団員たち、そして姫達の乗った馬車が。

 

 ふと馬車の中が目に入る。真っ白なドレスをまとったお姫様に、枢機郷。そして、それに同乗という形が今の国の関係ぴったりに、王子と側近の初老の男。なんともまあ、皆、辛気くさそうな顔をしている。違うのは枢機郷ぐらいのものだが、さて、少なくとも姫はもっと堂々とすべきだと思うけれど。

 

 そんな風に見ていると、一瞬だけ、王子と目があったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 学院の代表という大役を務めるともなると、やはり緊張する。大きく深呼吸をして会場を見渡す。

 

 本塔の中に設えられた聖堂。学院の式典にも使われるこの場所は、本塔の中でも一番広い場所になる。入り口側が扇形に広くなっていて、壇上に向かって狭くなっていく。そして、入り口から壇上に向かって少しずつ下がっていくので、扇にそって並べられた椅子と、壇上まで延びた通路が一望にできる。

 

 普段なら生徒全員分の椅子を並べてもまだ余裕があるはずが、今日ばかりはちょっと様子が違う。普段ならばがらんとした扇の端の方まで、今日は椅子がぎっちりと詰められている。当然、全ての椅子は埋まっている。今回出席するのは近郊の貴族だけだが、それでも結構な数になるようだ。

 

 ぐるりと見渡すと参列者は皆貴族なので、皆が皆、豪奢に着飾り、扇を色とりどりに飾っている。そんな中でも、中心になる壇上、扇の取っ手大粒の真珠が飾られたようにひときわ輝いている。もちろんそれは、この国の宝石、アンリエッタ姫だ。

 

 そこここに青だの、赤だのときらびやかな中に、だからこそ混ざりけのない白が、はっきりとその純白を主張している。頭上には銀のティアラの輝きがあり、まさに一つの宝石だ。

 

 そして、その傍らに、これから伴侶となるウェールズ王子。アルビオン王族の正装である豪奢なマントで身を飾っている。

 

 だが、当然それは最上級のものではあろうが、アンリエッタ姫の隣に立つには、大国の王子がこの場でまとうには少しばかり物足りない。

 

 仕方がないことではあるが、アルビオンの今の状況と、そしてトリステインとの関係を如実に表している様で胸が痛む。ああ、そういうことなんだと見せつけられるようで。

 

 姫様が愛する王子と結婚できるということでただただ嬉しかったけれど、もしかしたら、本当はそう単純なものではないのかもしれない。少しだけ、悲しくなる。

 

 いや、暗い顔など、この場では最大の不敬。頭を振ってその考えを追い出す。たとえそうだとしても、これは喜ぶべき、両国にとってとても意味のあることだ。お二人の婚姻を発表する、いわば平和への一里塚。

 

 式が始まった。

 

 まずは王子の、トリステインの協力に対する感謝、亡命者の受け入れに対する感謝。

 

 それに対して姫の、謝意の受け入れ。これからの協力の約束。アルビオンが助力を願い、トリステインが受け入れる。それを本当の意味で約束する、始祖に誓う婚姻発表。

 

 さあ、細かいことは今はいい。私の出番だ。壇上まで続く通路へ一歩足を踏み出す。それに合わせて久しぶりにまとったマントがふわりと空気をはらむ。参列者皆が私を見る。

 

 こんなに注目を浴びるのは初めてだ。気後れしそうだけれど、姫様と王子が、そして皆が私にといってくれたのだから、恥ずかしい真似はできない。踏みしめるように、一歩、一歩とお二人の前へと向かう。それなりの距離があると思ったのに、もうお二人は目の前だ。最初の言葉はごく自然に出てきた。

 

「アンリエッタ姫殿下とウェールズ皇太子のご婚約、臣下として、そしてトリステインの一員として、この上ない喜びに存じます。苦難の内のアルビオンは辛き日々にあることでしょう。しかし、それは今しばらくの辛抱です。この婚姻はトリステインとアルビオンとの未来永劫の協力を約束するものです。なれば、アルビオンの苦難はわずかなものとなることでしょう。トリステインの助力によって、アルビオンは持ち直すことでしょう」

 

 何度も何度も練習を繰り返したから、この後の口上もすらすらと続く。ただ、どうしても感情を込めることはできない。これは私が贈りたい言葉とは違うから。これはマザリーニ枢機郷から届けられた、いわば、トリステインからアルビオンに対する言葉だから。

 

 私の言葉に姫と王子は柔らかく、どこか儚くほほえむ。

 

 姫が枢機郷から古びた一冊の本を受け取る。この学院の図書館にある本とどこが違うのかわからけれど、この国が始祖の時代からずっとずっと受け継いできた、この国の根幹を成す宝だ。トリステインの王族の結婚式では、この本を手に選ばれた巫女が祝詞をあげる。始祖が直接残した宝を始祖に見立てて永遠の愛を誓うということだ。偶像崇拝を禁止するブリミル教のある意味では例外と言えるだろう。

 

 姫がその本を私へと差し出す。私はその本を押し頂く。私が選ばれた巫女になったということだ。そこここから拍手があがり、それが会場全体へと広がる。今だけは本当の意味で私が中心。気恥ずかしくもあるし、やはり、嬉しく思う。ほんの一時の間ではあっても、私にはそれで十分だ。

 

 拍手が疎らになったところで、使用人達が一斉に入ってくる。椅子が取り払われ、代わりに、次から次へと料理が運び込まれてくる。ある意味これからが本番ではあるが、私の役目はここでおしまい。これから先は、まだ私には早い。姫様と話すこともしばらくは無理だろう。

 

 ゆっくりと視線を落とす。腕の中に抱きしめた本、始祖の祈祷書を開いてみる。仰々しい表紙の下は何にもない。ぱらぱらとめくって見てもただの白紙。真っ白。

 

 姫と王子を見る。お祝いを述べる貴族に囲まれているが、ただただ、さきほどと同じ笑みを浮かべている。二人の、そして両国のこれから。もし本に書くとしたら、どうなるんだろう。真っ白でまだ決まっていないというのなら、もしかしたら、その方がいいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 学院長の傍らで、式を見ていた。

 

 姫と王子の短い言葉のやりとり、そしてルイズが国宝だとかいう古い本を受けとる。

 

 なかなかえげつないことをする。

 

 当然だが、今回の参列者はトリステインの貴族が大部分を占めている。アルビオンの人間もいるが、それは王子と、ここに避難してきてる人間だけだ。だから、今回のこれはトリステインの貴族に向けたものだ。

 

 さすがに姫と王子は表の意味でも好きあっている。だから、言葉も控えめだった。だが、あのルイズの言葉。おそらく自分で考えたものではないだろう。あからさまとまでは言わないにしろ、助けてやる、と上からのものだった。

 

 なんともまあ、今のトリステインとアルビオンの関係を実に分かりやすく示してくれたわけだ。わざわざ、王子を前に言うことで。これではまるでさらし者。さすがに、哀れだ。

 

 式が終わって、会食になった。合わせて、有象無象の貴族共が姫と王子の周りに集まる。壇上からは離れているのでよく分からないが、きっと口々にお祝いを述べていることだろう。きっと、口だけではあろうが。

 

「おや、ミス。どちらへ?」

 

「いえ、ちょっと気分が悪いので、外の風に当たりに」

 

 気分が悪い。見下すような目、そんな目で見られるのは惨めで、本当に惨めで嫌だった。

 

 会場を出て、手近にあった石に腰を下ろす。緩やかな風が頬をなでた。嫌な空気もまとめて洗い流してくれるようで、少し、気分が落ち着いた。軽く伸びをする。

 

「さすがに見ていられなかったか?」

 

 きっと、しばらく前から様子を見ていたんだろう。

 

「ええ、ちょっと前ならいい気味だって思っていたんでしょうけれどね」

 

「そうか」

 

 いつも通り、短い言葉だった。

 

「シキさん。せっかく来てくれたんなら、そばに来てください。その方が嬉しいです」

 

 ぺたぺたと隣を叩く。何も言わず、そばに腰をおろす。何か気の利いたことを言ってくれるわけじゃないけれど、それでいい。結局は、私の問題なんだから。ゆっくりともたれ掛かる。もう一度、風が吹いた。

 

「ねえ、シキさん。私、しばらく学院を休むことにします」

 

「そうか」

 

「ここしばらくは忙しかったけれど、ようやく落ち着きましたしね。妹にもずいぶんと会っていないし、アルビオンまで行ってきます」

 

「戻って、くるのか?」

 

「うーん。でも、シキさん。ここを離れる気はないでしょう? だから、気持ちが落ち着いたらまた戻ってきます。そうですね。たぶん、1、2週間ぐらいですよ」

 

 もう一度、そうか、と短い言葉だけで、それ以上は聞かなかった。少し物足りないけれど、それでいい。

 

 ふと、誰かが駆けてきた。

 

「……ミスタ、ミス。王子がお二人をお探しでしたよ」

 

 私も? シキさんならまあ、なんとなく分かるけれど、私に何の用事だろう。

 

 

 

 

 

 

「やあ、あの日以来だから、ずいぶんと久しぶりだね」

 

 王子が私とシキさんに話しかける。改めて近くで見ると、少し痩せたような気がする。浮かべた笑みも、どこか乾いたものだ。一緒にいる姫も、どこか似ている。

 

「そうだな」

 

 一国の王子を相手にするには随分な返事だ。だが、怪訝な顔をするものは一人もいない。ここにいるのは王子をはじめとして、直接、間接に事情を知るもの達だけ。知らないような者は遠ざけれているのだろう。そうでなければ、落ち着いて話もできない。

 

「君は変わらないね。それが、うらやましくもある。また会えて、本当に嬉しいよ。あの決断ができたのは君のおかげだからね。どうあれ、ただ死を選ぶよりはずっと良い選択だった。だから、どうしても直接会ってお礼を言いたかった」

 

 やはり、乾いた笑みだった。

 

「俺は自分の責任をとっただけだ。それ以上は、何もしていない」

 

「君らしいね。でも、感謝しているよ。そして、ミス・ロングビルで良かったかな?」

 

 王子が私に視線を向ける。直接話したことなどなかったはずだが、覚えていたということだろうか。

 

「君にも感謝しているよ。情けない王に替わって、亡命者達を支えてくれた。自分の味方をしてくれた国民すら守れないのだから、情けない限りだよ」

 

 自嘲するような言葉が、どうしてか嫌だった。

 

「そんなことはありません。皆、王子がいたからこそ希望を失うことはありませんでした。私も、私がやるべきことをやっただけです」

 

「……そうか。君にそんなことを言ってもらえるとは思わなかったよ」

 

かすかに笑った。さきほどまでの乾いた笑みとは、少しだけ違った。

 

「……ところで」

 

 王子が続ける。

 

「君たちは、恋人同士なのかな? 」

 

 シキさんと目が合うと、腰を手に抱き寄せられた。

 

「そうだ」

 

 眼を閉じる。頬が熱い。少しだけ、恥ずかしい。普段は言葉になんて絶対にしてくれないのに、こういう時はすごくストレート。分かっていてそんな風にしているとしたら、とても罪な人。

 

 私一人だったら、もっと嬉しかったけれど。でも、そんな贅沢は言わない。私はそれで十分だから。

 

「そうか。君たちなら、きっと幸せになれるよ」

 

 王子が眩しそうに眼を細めた。

 

 

 

 

 

 

 

 馬車に揺られ、トリステイン城へ戻った。車内では、ずっとアンリエッタと一緒だった。

 

 私はアンリエッタを愛している。アンリエッタも私を愛してくれている。自惚れではなく、それは事実。それなのに、交わされる会話はどこかぎこちない。

 

 お互いに、その理由は分かっている。私は自らの情けなさから。アンリエッタは、きっとこの状況に対する引け目から。分かってはいても、どうにもならない。むしろ、日に日にそれは大きくなっていく。

 

 私だって、最初から覚悟していた。していた、つもりだった。

 

 トリステインにいる限り向けられる視線。どんなに表面上は丁寧な言葉でも、そこに込められたものは違う。所詮は負け犬という嘲り、一国の王子がという同情。

 

 そして、一緒に逃げてきたもの達から向けられるもの。今の状況に対する悲しみと、何より、今を受け入れるしかないという諦め。責めるものではないということが、より一層自分の無力さを際だたせる。

 

 ただの被害妄想かもしれない。しかし、私自身がそれを当然のものだと思ってしまっている。

 

 私を見るアンリエッタは、それに引け目を感じてしまっている。今の状況、決してアンリエッタに責任はない。今の状況は当然のことなのだから、責任など感じる必要はないのだ。むしろ、堂々としてくれた方が気持ちは楽かもしれない。愛する人が気に病んでいるというのは、それだけで自分が情けなくなる。それなのに、私を愛してくれるいるからこそ、当然だということに引け目を感じてしまっている。

 

 その結果が、今の状況だ。

 

 私を含めて、王族の一部はトリステイン城に滞在している。いや、間借りしているというのがふさわしい。同じ建物に住んでいるというのに、アンリエッタと顔を合わせるのは今日のように用事がある時か、さもなくば食事の時だけだ。

 

 用意されている部屋に入り、なんとなくその中を見渡す。調度品の一つ一つにも気を配られたこの部屋は、この城でも、いや、この国でも最上のものの一つであろう。それなのに、どこかよそよそしく、落ち着かない。まるで……

 

 ――やめよう。いくら考えたところで仕方がない。それに、父に話さねばならないこともある。

 

 

 父に用意された部屋、こちらも借り物ではあるが、軽くノックする。メイドが私だと分かると、すぐにドアを開けた。年は私の母ほどになるだろうか。メイドとして残ってくれたのは、古くから使えてくれている彼女、マリーだけになってしまった。得難いものでなんとか報いたいと思うのに、それすらままならない。

 

 眼を閉じ、椅子に深く腰をおろした父に向き直る。この動乱の中で、刻まれた皺もすっかり深くなったように思う。それも仕方がない。あの時から本当に気が休まることはなかったのだから。伏せるということはないにしても、やはり衰えは隠せない。

 

 ようやく父が私を見た。

 

「そう、暗い顔をするな。お前がアルビオンの顔なのだ。せめてお前だけでも、胸を張らねばな」

 

 言葉に力はない。父も仕方がないと思っているのだろう。大きく息をつく。

 

「今日は、姫と学院に行ったのだったな。お前にばかり、苦労をかけるな」

 

「いえ、どうあれ、私達に代わって彼らを助けてくれたのですから、それに対して礼を尽くすというのは、当然のことです」

 

「そう、だな。皆は、どうしていた?」

 

「元気にしていましたよ。子供達も、もうすぐ国に帰れるということで喜んでいました」

 

「そうか。……そうだな。早く、帰れるようにしなくてはな」

 

 二人して笑う。だが、それは表面だけのものだ。だから、そのまま黙ってしまう。それがずいぶんと長く続いて、ようやく私は口を開いた。

 

「……マリー、少しだけ席をはずしてくれるかな」

 

 マリーに言う。彼女に対しては必要ないのかもしれないのだが、余計な気を使わせてしまうだけだろうから。何も言わず、ドアを閉める。本当の忠臣、本当に得難いものだ。

 

「今日、サウスゴーダの娘と会いました」

 

 その言葉に父が目を閉じ、大きく息をつく。

 

「……そうか、あの時も、来ていたな。やはり、お前も覚えていたか」

 

「随分と昔ですが、一緒に遊んだこともありましたから」

 

 そうか、と短く言うと、もう一度沈黙が支配した。長く、長く眼を閉じ、ようやく口を開いた。

 

「やはり、私たちを恨んでいたか?」

 

 どこか悲しげだ。

 

「かも、しれません。ですが、アルビオンから避難した者達には良くしてくれていたようです。子供達も懐いていたようですから」

 

 父は再び黙り込んでしまった。私を見て、もう一度視線を落とした。

 

「……ウェールズ。近く、お前に王位を譲ることになる」

 

 アンリエッタとの結婚の後は、私達とは別のところで既に決まってしまっている。つまりは、アルビオンをどうするかということ。中心になったのはトリステインではなく、ガリアとロマリアのようだが。まあ、どこが筋書きを書こうが大した違いはないだろう。

 

「その前に、一つ、話しておくことがある。本当は、墓まで持っていくつもりだったのだがな。もう、そういうわけにもいかんだろう。お前も知っておくべきことだろうからな」

 

 目を伏せたまま口にする。父がここまで言いよどむのは、初めてかもしれない。常に決断をして、皆を率いていく本当の王だったのだから。

 

「お前も、おかしいとは思ったかもしれない。弟の、大公のことだ。謀反を企てての処刑など、ありえないとな」

 

 それは、常々思っていたことだ。あの時はまだまだ子供ながら、叔父はそんなことをするような人ではないと思っていた。野心などとはほど遠く、どこかのんびりとした、父を助けることで満足しているような人だった。

 

「……その通りだ。謀反などあいつは考えていなかった。そんなことなど夢にも思うまいよ。それは私が一番よく分かっていた。まあ、ある意味ではそれよりも罪なことだったかもしれないがな。処刑までせねばならなかった、本当の理由。あいつはな、――エルフを妾にしていた」

 

「それは……」

 

 思わず息をのむ。言うべき言葉が見つからない。よりにもよって、エルフなど。もしそれが公になれば、あのレコンキスタが起こした動乱に匹敵する騒ぎが起きてもおかしくはない。何より、ロマリアが黙ってはいない。あのロマリアがおとなしくしているなど考えられないことだから。

 

「そう、あってはならんことだ。そんなことが表沙汰になればどうなるかなど、あいつとて分かっていただろうに。だが、あいつは拒んだ。なんとか話が表にならんようにエルフを差し出せと言ったのに、それはできないとな。それでは私とてかばい立てはできん。だから、処刑した。処刑せざるを得なかった」

 

 全てを吐き出すように息をつく。

 

「本当に身を裂かれる思いだったよ。実の弟を処刑。しかも、それを反逆の汚名などで覆い隠さねばならなかったのだからな」

 

 堅く閉じられた眼からは、いつしか涙が伝っていた。

 

「……それとな、もう一つ、言わねばならぬことがある。あいつには、子がいたのだ。エルフの血を引いた、な」

 

 今度は言葉すら出なかった。まさか、人間の敵となど。それも、始祖の血を引いた者がだ。

 

「最後までエルフを隠したあいつを処刑したあと、その相手をなんとか見つけだした。すぐに兵が向かったがな、持ち帰った死体は母親だけだった。そんなはずは、ないのだがな。そこで初めて分かったのだが、部屋には子供の服があった。どうやったのかは分からんが、兵達はその時のことを覚えておらず、そして、サウスゴーダの娘が消えた。エルフを隠していたのはサウスゴーダの者で、その娘だけが消えていた」

 

「では……」

 

「その通り。サウスゴーダの娘がつれて逃げていた。もちろんすぐに追わせたし、すぐに見つけたよ。だが、殺せなんだ。年端もいかぬ娘二人、必死に生きていた。サウスゴーダの娘にとっては親の敵のようなものであろうに、自分が体を売ってまでな。……私も、疲れていたのであろうな。本来ならその場で殺すべきだったのだ。だが、できなかった。最後に残った弟の子、そして、体を売ってまでそれを守る娘。もう、十分だとな。子はいたのかもしれない、だが、見つからなかったのだ。それでいいとな。そして、いつの間にか姿を消していたよ。私は、どこか安心した。自分の手で殺さずにすむ理由がようやくできたとな」

 

「……まだ、生きているのでしょうね。そして、まだ守っているのしょうか」

 

「かも、しれんな」

 

「……私は、どうするべきでしょうか」

 

「……すまん。本来なら私だけで片づける問題だったのにな。お前には、余計なものばかり……」

 

 最後は言葉にならなかった。

 

 ずっとずっと小さく見える父から眼をそらし、窓から空を見上げた。明日は晴れるだろう。星がとても綺麗だ。寄り添う月もよく見える。

 

 そういえば、昔、ラグドリアン湖でアンリエッタと一緒に星を見たのも、たしかこの時期だった。あの時も、月と星が綺麗だった。そして、私に永遠の愛を誓ってくれた。国のことを考えてしまった私は、ずいぶんとひどいことをしてしまったが。

 

 アンリエッタは、今でも私のことを愛してくれているんだろう。だからこそ、今彼女は苦しんでいる。そして、私も。

 

 アンリエッタと結ばれること、私は嘘偽りなくそれを願っていた。そして、その願いは叶う。

 

 だが、選択としては本当に正しかったのだろうか。いや、本当に正しい選択などというものはあるのだろうか。

 

 私の選択は正しかったのかもしれないし、同時に間違っていたのかもしれない。父の選択もそうであり、叔父の選択も、きっとそうだったんだろう。

 

 



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第22話 Ressentiment

 風が頬を撫でていく。私が乗った馬も、くすぐったそうに首を振る。ほんの少しだけ遅れて、木々がさらさらと音を奏でる。とても優しい風。空の上では、風はもっと激しかった。

 もう、ずっとずっと昔のことのようだけれど、目を閉じればすぐにでも頭に浮かんでくる。

 ざあ、と強い風が吹いた。

 ――ああ、ちょうどこんな感じだったっけ。




 スカートなんて履いていたら、いつ風が吹いても良いように準備していなければいけなかった。それは、空の国では淑女としての嗜み。

 

 物心がようやくつきはじめたぐらいの頃の私は少しだけ、本当に少しだけやんちゃだったから、お母様はいつも口をすっぱくして言っていたっけ。

 

 

 

 

 

 

 

「――マチルダ。お願いだから、スカートで走るのは止めてちょうだい」

 

 背中にお母様の声が聞こえた。

 

「だって……」

 

 ひらひらと舞う蝶を捕まえようとのばしていた手を下ろす。お母様が本当に呆れたように見ていたから。少しだけ悲しくなる。

 

 そんな私を見て、お母様が仕方がないなぁと笑った。

 

「私は、元気なあなたが好きなんだけれどね。私も子供のころは同じことをして怒られていたし」

 

 本当に綺麗な人だった。目も鼻も口も、すべてが整っていて、なおかつ、時折浮かべるいたずら好きの子供のような表情がかわいらしい人だった。そして、ちょうど今の私と同じぐらい、腰まで長い髪をのばしていた。お母様と同じ、深い緑の髪は私の自慢だった。

 

 そして、金色の髪と髭を蓄えた父は、そんなやりとりをいつも楽しそうにみていた。厳しくはあったけれど、私が本当に間違ったことをしない限りは、本当に優しい父だった。

 

 二人はとても仲が良かった。政略結婚だと愛情なんてないことなんてよくあるものだと聞いていたけれど、二人には関係がないようで、本当に好きで一緒にいるようだった。

 

 そんな二人の子供であるということは、口に出しては言わなかったけれど、密かな私の自慢――だった。

 

 

 

 

 

 

 10を越えるぐらいになると、結婚相手を探す意味も兼ねたパーティーにも参加するようになったっけ。その頃には多少は落ち着いて、まあ、問題ないだろうと思ってくれたのかもしれない。慣れなくて、子供向けとは違うドレスに最初から四苦八苦してしまったけれど。初めて着た時なんて、本当に大変だった。

 

 コルセットを思い切り締め付けられて、思わずうめき声を漏らした。

 

「ほ、本当にこんなに締め付けないといけないの? 私、こんなことをしなくても結構細いと思うんだけれど」

 

 コルセットでギュウギュウに締め付けられたお腹を見下ろす。確かに細く見えるし、そのおかげで、最近大きくなってきた胸が強調されるのも分かるけれど、やっぱり苦しいものは苦しい。メイドは単純に役目を果たしているだけだというのは分かるけれど、思わず恨みがましく言ってしまう。

 

「――そういうものですから。それに、今日はウェールズ王子もパーティーいらっしゃるとのことで、奥様からも念入りにと言われております。さあ、お二人にもお見せしましょう」

 

 この頃には貴族としての役目というのも、ようやく分かってきたぐらいだったかな。でも、私は単純に両親が喜んでくれるというのが一番だった。

 

 それと、確かにみんな私のことをお姫様のように扱ってくれたけれど、本当のお姫様というものにも、やっぱりあこがれがあった。そう年の変わらないウェールズ王子も、素直にかっこいいと思ったこともあったし。

 

 

 

 

 

 テファに初めて会ったのは、いつだったかな。その頃にはもう、一人前の貴族だと認められるようになっていたように思う。だから、紹介しても大丈夫だと思われたのかもしれない。

 

 お父様に太公の別荘だっていうところに連れられて、綺麗な女の子を紹介された。

 

 本当に、綺麗な子だった。肩にまでのばされた金色の髪はうらやましいぐらいにサラサラで、小動物を思わせるようにくりくりと動く可愛らしい目、体の一つ一つのパーツが抱きしめたいぐらいに華奢で可愛らしかった。まだ、10歳かそこらだったと思うけれど、将来、国一番の美人になるのは間違いないって思ったぐらい。

 

 私だって、いろんな男の人に綺麗だって言われていたけれど、正直、勝てないなぁって思った。綺麗すぎて、ただ、うらやましいとしか思わなかった。普通ならライバル心を持つものなのかもしれないけれど、認めるしかないぐらいに差があると、いっそ清々しいぐらいにあっさり認められるみたい。そして、太公と、母親の背中に隠れるテファにこう言ったっけ。

 

「テファちゃん。初めまして。私の方がお姉ちゃんだから、何でも言ってね」

 

 心配そうに見守る母親と、テファの耳を見て、エルフだってことはすぐに分かった。どんなに怖い存在かなんて話は聞き飽きるぐらいに聞いていたけれど、不思議と怖いなんてことは思わなかった。だから、自然とそんな言葉が出た。

 

 テファも母親もとても穏やかな表情で、怖い存在とは正反対。それに、驚くぐらいに質素な生活、そして、人から隠れるように住んでいるのを見て、なんとなく分かった。私がここに連れてこられた理由、そして、分かった上で私自身そうしたいって思った。

 

 

 

 

 

 それから先はあっと言う間だった。太公の処刑まで、そんなに間がなかったと思う。今思えば、私に紹介した時点で、もう後戻りできないところまで行っていたのかもしれない。

 

 ある日突然、太公に謀反の疑いありという話が出た。そんなことをする人ではないことはよく知っていて、だから、これはテファ達のことだってすぐに分かった。

 

 私は、怖かった。

 

 父がエルフを匿うのに一役買っていたの間違いないことだったから。きっと、次は私たちだって。直接的な接触を断っていたけれど、それだっていつまでも通用するはずがない。

 

 それからは毎日が怖かった。そして、その現実が目の前に突きつけられた。

 

 お父様が、屋敷にテファを連れ帰ってきた。

 

 ぼんやりと前を見つめるテファの目は何も映していなくて、ただ時折、お母さんと呟いていた。

 

「――マチルダ」

 

 お父様の声に、びくりと体を震わせた。私は、ただひたすらに怖かった。

 

「おまえは、この子を連れて逃げて欲しい」

 

 そう口にするお父様の顔は忘れられない。悲しそうで、悔しそうで、それでいて諦めたような。

 

「……駄目、だよ。駄目、そんなことをしたら」

 

 パシン、と乾いた音がした。お父様にぶたれたのは、それが初めてで、最期だった。

 

「マチルダ、おまえは妹を見捨てるような子なのかい?」

 

 お父様の目は本当に悲しそうだった。

 

「それは……」

 

 私は父と目を合わせられなかった。お父様の深いため息が聞こえて、両手が肩に置かれた。

 

「……すまない。私がおまえに酷いことを言っているのは分かっている。父親として、失格だということも分かっている。でも、あの子には、もう私たちしかいないんだよ」

 

 お父様の視線の先では、テファがぼんやりと私達をみていた。何の感情も浮かべなていないテファは、まるで人形。いつもの、くるくると表情を変えるテファと同じだとは思えなかった。

 

「マチルダ。これは、お願いだ。おまえは、テファと逃げて欲しい」

 

 お父様の目は涙に濡れていた。私は、ただうなずくことしかできなかった。

 

「さあ、もう時間がない。馬車と護衛は準備させている。人数は少ないが、古くから私達に使えてくれている信頼できる者達だ。お前達は、生きていてくれ。私は、妻と時間を稼ごう」

 

 最期に見送りに来てくれた父と母。ほとんど言葉を交わすことはできなかったけれど、その時は、忘れられない。

 

 それから数日だったと思う。逃げた先の宿で父と母の処刑の話を聞いたのは。そして、私とテファ二人っきりになったのは。

 

 父が信頼できるといった護衛は、その日あっさり姿を消した。父が残してくれたお金を持って。ついでとばかりに、皆で私を犯して。痛くて、痛くて、泣き叫んでも止めてくれなかった。

 

 しばらくは、何も考えられなかった。だから、ぼんやりと天井を見上げていた。

 

 ようやくズキズキと痛む体を起こして、部屋を見渡した時にはここにもともとあったものだけだった。お金になりそうなものは、みんな持って行かれた。ただ、それを見るしかできなかった。

 

 悔しかった。なんで、なんで私だけがと。私が、私達が何をしたと。ただ、エルフの……

 

 どれくらいそうしていたか分からないけれど、不意に服の裾が引かれた。顔だけそちらに向けると、テファが私をじっと見ていた。フードを目深にかぶったテファは、すがるように私を見ていた。

 

 その時のテファの目は、今でも忘れられない。そして、その目を見てようやく思い出した。

 

 ――そうだ。この子には私しかいない。私にも、もうこの子しかいない。

 

 ぎこちないものでしかなかったと思うけれど、テファに笑いかけた。

 

「――大丈夫、テファには私がいるから。なにも心配しなくても大丈夫だから。私にも、もうテファしかいないから。私は、体だってもう汚れちゃったしね。もう、何だってできる。だから、だから、テファだけはずっと綺麗でいてね。そうすれば、私も頑張れるから」

 

 

 

 

 

 

「……あー、転落人生にもほどがあるなぁ」

 

 思わず、そんな言葉を呟いていた。馬は気にせずに進んでいくけれど、もし周りに人がいたらおかしなものを見る目で見られていたかもしれない。でも、それぐらい、愚痴ぐらい言ってもいいと思う。

 

 お嬢様から、没落、裏切られて、体を売って、最後は盗人に。本当に神様がいるのなら、もう少し手加減してくれたっていいのに。物語だってもう少しぐらいは救いがある。そんなものは、物語の中だけの特権で、現実なんてそんなものかもしれないけれど。

 

 ああ、でも、テファと、浮気性かもしれないけれど一応は王子様を用意してくれたっけ。またお嬢様になんてなれなくてもいい。平民と同じ暮らしでもいい。家族として静かに暮らせたら。

 

 

 ――いいなぁ。

 

 テファとシキさんと私、それに私達の子供、ああ、いいなぁ。

 

 そうしたら、今までのことを忘れて……、ううん、今までのことを含めて神様に感謝したっていい。

 

「――子供、欲しかったな」

 

 ぽつりと、呟いた。今まで口にしないようにしていたのに、つい言ってしまった。そして悲しくなった。

 

 育てるのは一人でだって良い。女の幸せ、うん、今なら分かる。好きな人との子供。どんなに高価な財宝よりも、ずっと欲しい。

 

 でも、私には叶わない願い。私はもう、子供なんて産めないだろうし。ただ一緒にいられれば、それでいい。それだけで、いい。

 

 不意に、視界が暗くなった。涙のせいかと思ったけれど、違った。見上げると、いつの間にか視界が緑に覆われている。森の中に入っていたようだ。この森を抜ければもうウエストウッド村だ。

 

 バシンと両手で顔を叩く。

 

 暗い顔をしてちゃ、テファまで心配する。

 

 もうすぐテファに会うんだから。私の最後の宝物に。テファがいたから、一人じゃなかったから、守らないといけないものがあったから私は生きてこれた。私には、それだけがあればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 森に入ってしばらくすると、カアン、カアンと甲高い音が聞こえるようになった。

 

 何度か続いて、しばらく止んでも、また始まる。森の中を進むにつれ、少しずつ大きくなる。止む時はあっても、また始まる。

 

 何か固いものを叩いているようだけれど、何だろう。まさか山賊がそんなことをするはずはないけれど、動物がというのは考えにくい。

 

 念のため、馬から下りて手綱をそばの枝へ結びつける。音をたてないよう、慎重に進む。杖は既に取り出している。

 

 少々の音では目立たないとは思うけれど、念のためだ。もうすぐ音のもとだろうというところで、木々の陰に隠れて、隙間から様子を伺う。

 

 一人の男、まだ顔には幼さを残しているから、男の子というのがしっくりくるかもしれない。

 

 薄い紫の髪を邪魔にならないように後ろに結んだ男の子が、手に持った棒きれを、目の前の大きな木に振るっている。その度にカアン、カアンと森の中へ音が広がる。ここからでも分かるほどに髪を汗で濡らしているから、ずっと続けているんだろう。少なくとも、私が森に入る前からもずっと。

 

 横顔しか見えないけれど、その子の顔には見覚えがあった。

 

 たしか、ルシードだったと思う。12、3歳になったぐらいで、テファが世話をしている子供の中では一番の年長者のはず。その子がずいぶんと一生懸命に棒きれを振るっている。

 

 打ちつけられた木に目をやれば、皮が捲れて、はっきりと分かるぐらいに抉れている。きっと、繰り返し繰り返し打ちつけているんだろう。

 

 息を切らしながらも棒きれから手を離す様子はない。もう、何日も続けているのかもしれない。ルシードが大きく息をついたところで、声をかけた。

 

「――ルシードで良かったよね? 随分と頑張っているみたいだね」

 

 誰もいないと思っていたんだろう。びくりと体を振るわせ、こちらに視線を向ける。

 

 初めてこちらをまっすぐに見たその顔は、まだまだ子供だけれど、立派に男だ。少なくとも、軟弱なそこらの貴族の坊ちゃんとは違う。テファに任せっきりとはいえ、しっかりと成長してくれているのは、やはり嬉しい。

 

「私が分からない、なんてことはないよね?」

 

 反応がないので、いたずらっぽく微笑んでみせる。

 

「……マチルダ、お姉ちゃん? 帰ってきたの?」

 

 険しかった顔が、少しだけ綻んだ。

 

 ずいぶんと久しぶりだけれど、きちんと覚えてくれていたようだ。帰ってきたと実感できて、私も自然と頬がゆるむ。

 

 誰かが迎えてくれるというのは嬉しい。故郷は、家族はなくしてしまったから尚更に。手を振ってルシードの前に出ていく。

 

「久しぶりにまとまった休みが取れてね。ちょっと今は持っていないけれど、ちゃーんとお土産も買ってきたよ」

 

 馬に積んだままだけれど、皆に服や、大きな塊のベーコンなんかを買ってきた。育ち盛りの子供ならきっと喜んでくれるだろう。選ぶ時も、皆が喜ぶ顔が浮かんでついつい買いすぎてしまったぐらい。旅の間はちょっとぼんやりしていたけれど、子供達の期待を裏切らないよう、それは忘れられない。

 

「――そうなんだ。うん、楽しみだな」

 

 喜ぶ顔は年相応のそれだった。凛々しく男の顔をしてくれるのもいいけれど、やはり子供は、子供の顔が似合う。

 

「そうやって喜んでくれると、私も買ってきた甲斐があるよ。それじゃ、頑張っていたみたいだけれど、一緒に帰ろうか?」

 

 ルシードは少しだけ考えこんで、うなずいた。

 

 

 

 

 

 

 ルシードとは並んで歩いた。馬を引いて歩くというと遠慮したけれど、まあ、せっかくだ。別にそこまで急ぐ理由もないのだから。それに、ルシードとは二人きりで話したいこともできた。

 

「――さっきのはさ」

 

 私の言葉に、ルシードが顔を上げた。まだまだ子供だから、私の肩までしかない。だから、自然と私を見上げる形になる。遠目にはもっと身長があるように見えたから不思議だ。まあ、いずれは追い越されるんだろうけれど、それはまだ先の話だ。

 

「剣の練習をしていたのかな?」

 

 尋ねると、ぷいと顔をそらした。顔が赤いのはさっきまでずっと体を動かしていたからかもしれないけれど、それだけでもなさそうだ。

 

 あの時は凛々しいと言ってもいいぐらいでも、こういう姿はまだまだ可愛らしい。弟――うん、テファは妹だから、この子は弟のようなものだ。だったら少しぐらいからかうのは、姉の特権だ。

 

「そんなに恥ずかしがらないの。木に打ちつけていたルシード、一生懸命ですごくかっこ良かったんだから」

 

 顔は逸らしたままだ。でも、赤くなった耳が可愛らしくこちらを向いている。

 

「んふふふふ。どーしたのかな? もしかして、恥ずかしいのかな? んー?」

 

 ルシードの前に周りこんで顔をのぞき込む。それでも誤魔化そうとするところはやっぱり可愛らしい。軽く頬をつつくと、むきになって振り払う。

 

 さて、あんまりからかうのも可哀想だ。もう少し楽しみたいところだけれど、やりすぎて嫌われるのは本末転倒。次の楽しみが減ってしまう。それに――

 

「ルシードが強くなりたいのって、テファの為だよね?」

 

 ルシードが驚いたように目を見開いた。

 

「……そっか。うん、そうかぁ。ルシードは良い子だね」

 

 ルシードは一度口を開きかけて、何も言わずに、ただ小さく頷いた。

 

「うん。ルシード達にはあんまり言わなかったけれど、やっぱり分かるものなんだね」

 

 私が足を止めると、ルシードもそれにならった。

 

「テファはね、ハーフだけれどエルフなの。だから、町で――住むのも、買い物をするのも、誰かと話すのも、すごく、すごく難しいの。何でかって言うのは、それも難しいんだけれどね」

 

 本当に、難しい。ここにいるテファは本当にいい子なんだから。テファのお母さんだってそう。あの時だって抵抗しようとすればできたはずなんだから。

 

「ルシード達はさ、いつかは町で暮らせるようにしたいと思っているけれど、テファにはそれが無理なの。ルシード達はあんまり気にしなくてもいいんだけれど、できれば、できればでいいの。いつか町で暮らすようになっても、テファに会い来てあげて欲しいの。危ない目に遭うこともあるかもしれないけれど、それでも、テファもことを嫌いにならないで欲しいの。テファは何も悪いことはしていないんだから、それはテファのせいじゃないってことは分かってあげて欲しいの」

 

 私の言葉は、どこか必死だった。ルシード相手に、懇願するように。

 

「そんなの、当然だよ」

 

 ルシードの言葉は力強かった。私と目が合っても、今度は恥ずかしがるということもなくて、まっすぐだった。

 

「――うん、ルシードは本当に良い子だね」

 

 本当に嬉しかった。

 

 だからルシードの頬にキスをした。少し、塩味がする。でも、それはルシードが頑張っていたから。そして、さすがにキスは恥ずかしかったようだ。また顔を赤くするのが可愛らしい。

 

 テファは一人じゃない。皆、本当の家族になったんだ。それは姉として、すごく嬉しい。

 

「じゃあ、行こうか。テファも皆も待っているだろうしね」

 

「でも、テファお姉ちゃんは……」

 

 ルシードが一瞬だけ目を伏せて、それからすぐに、何でもないと首を振った。その時には年相応の朗らかな顔だった。

 

 ただ、気のせいじゃなければ、ほんの一瞬、子供とは思えないぐらいにひどく悲しげな目をしていたように思う。

 

「ルシード」

 

 両手で頬を包んで抱き寄せる。

 

「私も家族なんだよ? そりゃあ、あんまりこっちにはいられないけれどさ。それでも、何か心配ごとがあるんなら言って欲しいんだ」

 

 何かを言いたそうにしていたけれど、やっぱり目をそらした。

 

「……うん。分かってる。ちゃんと、分かっているよ。でも、ただなんとく不安で。どうしてかが自分でも分からないんだ。お姉ちゃんに言いたいのに、それも言葉にできないんだ」

 

 本当に、悲しそうだった。私はそれ以上何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供達の声に出迎えられた。

 

 ルシードだけじゃなく、皆私のことを覚えていたようだ。私を囲む無邪気な顔に、自然に笑みがこぼれる。

 

 皆はっきりと分かるほどに大きくなっているけれど、それでもまだまだ子供。もう少ししたら生意気なことを言うようになるかもしれないけれど、今はただ、可愛らしい。

 

「――おかえり。姉さん」

 

 声の聞こえる方に目をやれば、いつの間にか、子供達に手を引かれたテファがいた。少し痩せたかもしれないけれど、優しげな微笑みは変わらない。

 

「ただいま、テファ」

 

 いつものように抱きついてきたテファの頭を撫でる。普段は子供達の姉でなければいけないテファ、私がいる時だけはこうやって甘えさせてあげたい。それは、私だけができること。私がテファにしてあげたいこと。

 

「――それにしても」

 

 体に感じる柔らかい感触。視線を落とせば大きく形を変えた胸が、嫌でも目に入る。

 

 テファに抱きつかれると、その胸の膨らみの規格外さがよく分かる。私だってスタイルにはそれなりの自信があるというのに、テファのそれと比べるとどうしても見劣りする。

 

 テファはエルフの血をひいているせいか、年の割に幼くて、体つきも、ある一部をのぞいて華奢だ。

 

 子供のように大きな目に、柔らかそうに丸みを帯びた顔立ち。腰までのばした綺麗な金色の髪も重さを感じさせないほどに細いし、腰つきなんて、私が片手で抱えられそうなぐらい。それなのに、その胸だけがあきらかに違う。

 

「ねえ、テファ」

 

 テファの体を両手で少しだけ押し返し、その手でテファの胸を持ち上げる。そう、つかむじゃない、持ち上げる、だ。きゃうと可愛らしく悲鳴をあげるが、手に感じる重さは凶悪とも言えるほどのものだ。

 

「あんたの胸、また大きくなったんじゃないの?」

 

「……え、う。そ、そうかな? やっぱりおかしいのかな?」

 

 その質問に対する答えは決まっている。

 

「うん、おかしい。その体つきでその胸はありえないから」

 

 そのままテファの胸をつかむ手に力をこめると、おもしろいぐらいに形を変える。

 

「ね、姉さん……」

 

 テファが顔を赤く染め、潤んだ目で見あげる。こんなに大きいのに感度も悪くない。はっきり言って、うらやましい。だからもう少しいじめることにする。

 

「もう、やめてってば」

 

 両手で胸を抱えて二歩、三歩と下がる。ほう、と唇からこぼれる熱い吐息が、幼げな容姿に反して、どこかアンバランスな妖艶さを感じさせる。シキさんがいたら、きっとおいしくいただかれてしまうことだろう。なんだかんだであの人、節操なしで、底なしで、ついでに変態魔人だから。

 

 メイド達からそう呼ばれている理由の一端は私にもあるとはいえ、原因の大本はシキさん自身。納得付くとはいえ、冷静になるとちょっとムカつく。だから、ストレス解消じゃないけれど、もう一度両手を持ち上げる。残念ながら、テファはさらに一歩逃げ出すけれど。

 

 しかしテファのその仕草、男はさらに追いかけそうなものだから、あまりよろしくない。物心ついてからテファが接したのは私か、他は子供達だけ。だから仕方がないとはいえ、良くも悪くもテファは純粋すぎる。いずれは子供達だって大人になる。その時のことを考えると、テファが全く自分のことを知らないというのは、テファにも、子供達にもよくないことになる。折を見て、そこは考えないといけない。

 

 ま、すっかり胸を押さえて警戒してしまったから、時間をおいてだけれど。

 

「ごめんごめん。ちょっと悪のりしちゃったね。お土産もいっぱい買ってきたから機嫌を直して。ね? 皆も今日はご馳走だからね」

 

 ご馳走の言葉に、子供達がテファのところに群がってあれが食べたい、これが食べたいと口ぐちにリクエストを出す。

 

 それでようやく、テファも肩の力を抜いて、仕方がないなぁと笑った。子供達を見る目はとても優しげで、皆のお姉さんというより、母親のそれだった。子供達だけでなく、テファもいつの間にか変わっていたようだ。

 

「頑張ってご馳走を作るから、姉さんも手伝って下さいね? それでさっきのは許します」

 

「えーと、私はあんまり料理は得意じゃないからさ……」

 

 目をそらすが、先ほどの仕返しとばかりにテファは許してくれないようだ。

 

「駄目です。皆手伝うんだから姉さんもです」

 

 どこか叱られているようで、私もテファの娘になったような気分。本当にお母さんらしさが身についたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 予想通り、料理には苦戦した。まな板の上の食材を切るだけだというのに、時折皆からの視線が向けられる。

 

 結局私も料理をすることになったけれど、これがなかなか難しい。テファにも時おり心配そうに見られるし、子供達にもとなると、いくら何でも自分が情けなくなる。

 

 そりゃあ、確かに私は料理を作らないけれど、別に不器用というわけじゃない。実際、包丁だって使う分には何の問題もない。

 

 ただ、どうすればいいかというのが分からないだけだ。下拵え一つにも私が知らないことが色々あるようで、切ったジャガイモをそのまま使おうとしたら、テファに怒られてしまった。どうやら、水にさらして灰汁抜きしないといけなかったらしい。

 

 その後も子供達が私を見るたびにクスクスと笑い、何か間違えてやしないかとそのたびに不安になる。間違えたときに大笑いした子はきっちり制裁したけれど、それでも笑うのをやめやしない。

 

「痛っ……」

 

 すぐ隣から声が聞こえた。サマンサが左手の人差し指を押さえている。指先には血の玉が見える。どうせ野菜を切りながら私を見ていて指を切っちゃったんだろう。

 

「こーら、どうせ私の方を見てたんでしょう? ちゃんと……」

 

「大丈夫なの!? すぐに治療するからね」

 

 テファがあわてて駆け寄る。指もとには母親の形見の指輪がある。

 

「テファ。指を切ったぐらいで大げさな……」

 

 私の言葉は耳に入らないようだった。サマンサしか見ていない。大げさ、本当に大げさなほどの光が放たれて治療される。それでもテファは心配そうに見ている。

 

 たかが指先の切り傷、それに最上級の治療を施して、それでも安心できない。本当に必死で、滑稽という言葉では足りないぐらい。どこか、病的とも思えた。

 

 サマンサも皆も大丈夫だと言っても、それでも安心できないようだった。皆がうつむき、ルシードが悲しげに目をそらした。

 

 確かにテファは過保護だった。でも、ここまでだっただろうか? 誰かが大きなけがでも……

 

 子供達を見渡しても、そんな様子はない。ルシードも、サマンサも、サムも……

 

 あれ、エマは見ていないような。口に出しかけて、止める。

 

 テファには、聞かせない方がいいかもしれない。テファの様子を見てなんとなくそう思った。あとで、ルシードにでも聞いてみよう。

 

 

 

 

 

 

 ようやく料理ができあがった。カボチャのスープ、豪快にベーコンをそのまま使ったステーキ。その他にもテーブル一杯に料理が並んでいる。私のお土産でいつもより豪華になったようで、子供達も今か今かと待ちかまえている。そんな様子をテファも楽しそうに見ている。

 

 そんな子供達とのやりとりを、頬杖をついて、眺める。いつも通り、私がお土産をもって帰ってきた時となにも変わらない。

 

 何かが違うというのなら、どこかテファが大人びて見えるということぐらいだろうか。でも、それは当然のこと。子供達は大きくなったし、そうなれば当然、その子達の面倒を見るテファだって変わる。

 

 テファは明るく輝くように、本当に純粋。私のように捻くれたっておかしくないのに、全く陰の部分がない純粋な子。まるで子供のままで、太陽のように眩しい。

 

 ううん、いつも私の心を照らして、温めてくれた太陽そのもの。でも、今の雰囲気はちょっとだけ違うかもしれない。

 

 子供たちを見るとき、優しく微笑んでいる。でも少しだけ違う。今までは一緒になって笑っていたのに、どこか遠くを見ているよう。今は、離れたところから見守るようにような。今までが太陽なら、あえて例えるのならば月。

 

 母親のようといえば確かにそう。いつかは誰でも大人になるものだし、こういう状況は別におかしなことじゃない。何かきっかけがあれば変わるだろう。

 

 むしろ、ずっと子供っぽいところがあったテファだから遅いぐらい。本当に良い子だけれど、どこか純粋すぎるというのがテファだった。

 

「――テファ、何か変わったことあった?」

 

 つい、そんな疑問が口から出た。

 

「なんで、そんなことを聞くの?」

 

 テファは子供達に向けるように微笑む。でも、どこか無機質なものを感じた。

 

「いや、何となく思っただけだよ。少し、大人びて見えたから」

 

「そうかな? でも、私だっていつまでも子供じゃないから。さ、せっかく姉さんのお土産でご馳走を作ったんだから、冷めないうちに食べましょう」

 

「そう、だね」

 

 どうしてか、それ以上聞こうとは思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 皆でお祈りをして、食べ始める。

 

 私やテファに祈るものはないけれど、子ども達までそれに倣うことはない。いつかは自立するんだから、ブリミルに感謝して祈る、そういう「普通」のことは必要なこと。

 

 まあ、お祈りはそこそこに食べ始めちゃうのが子供なんだけれどね。それは、むしろ子供らしさ。

 

 皆美味しそうに頬張っているし、私はそうやって喜んでくれる顔が見たかった。

 

「……姉さん」

 

「ん?」

 

 テファの方を振り返る。いつのまにか、テファが私をじっと見ていた。

 

「姉さんは……」

 

「私が、なあに?」

 

「……あ、ううん、何でもない。さ、皆が全部食べちゃわないうちに私達も食べましょう」

 

「そうだね」

 

 テファがいつものように柔らかく微笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 お腹一杯になると、子供たちはそれぞれの部屋に戻っていった。すでに目を擦っていたから、ベッドに入ればすぐに眠ってしまうだろう。

 

 私は、昔と同じようにテファの住んでいる家で眠る。

 

 テファが住んでいる家は、もともと家族で住んでいたものらしかった。簡素なキッチンと、小さいながらも二部屋。テファと私、二人で住むには十分すぎるものだった。余計なものなんて一切ないけれど、テファがきちんと片づけていて、暖かい空気がそこにはある。

 

 今まで使っていた部屋へと入る。その部屋は普段からきちんと換気もされていているようで、清々しい空気がある。

 

 誰も使っていないはずだけれど、テファはきちんと掃除してくれていたようだ。そうやって、テファはいつでも私が帰ってくるのを歓迎してくれる。だから私はここへ帰ってくる。

 

 部屋の中を見渡すと、前に帰ってきた時そのままに、ベッド、ワードローブ、小さなチェスト。ニスすら塗っていない木目そのままのものだけれど、いつしかこの部屋に馴染んでいた。それはきっとテファが手入れをしてくれていたおかげ。すっかりこの部屋の一部になっている。

 

 さすがに疲れているから、服だけ脱いで、下着姿でベッドに横になる。ここにくるまで、ずっと馬の上だった。ただ揺られているというのも、やっぱり疲れるものだ。

 

 クッションの効かない代物だけれど、目を閉じると毛布から太陽の匂いを感じる。気持ちよくて、自然に瞼が降りてくる。

 

 ぼんやりとしていると、昔のことも自然に思い出されてくる。どうやら、昼間のことと良い、ずいぶんと感傷的になっているようだ。

 

 

 

 

 

 

 初めてきた時、ここはすでに廃村となっていた。けれど、人がいなくなっても家だけは残るもの。住まなくなれば荒れてしまうものだというけれど、見つけた時はまだ形を残していた。

 

 もちろん壁面には蔦がしっかりと自己主張をしている状態だったけれど、表面の痛みは酷くない。魔法で手を入れればそれで十分。大本の形が崩れてしまっていたら私には手の出しようがなかったから、そういう意味では本当に運が良かった。

 

 人がこない、それでいて生活の基盤が残っている。なくなったものも、錬金で補えばなんとかなる。正に私達にとって理想的だった。

 

 魔法が使えなければなんともならなかったかもしれないけれど、私には魔法があった。それに、最初はうまくいかなくても、使っているうちに上達する。必要になれば上達する。錬金なんかはまさにそうだった。

 

 確かに町からは離れていて不便だったけれど、それこそが私達には都合が良かった。あの時、私も人には会いたくなかったから。

 

 それに、それまでのことを忘れて新しい生活が始まる気がしてわくわくした。残念ながら、そのころの私はひねくれ始めていたけれど。

 

 思い出がぼんやりとし始めたところでノックが聞こえた。ついで、キイと、ドアがきしむ音がした。

 

 薄ぼんやりと目を開けると、若草色のゆったりとしたローブを身にまとったテファがいた。たしか、お母さんの形見だっけ。

 

 何か一つぐらいはと思って、持ってきた。最初は袖から指も出なかったけれど、今ではテファが追いついた。胸なんて窮屈なぐらい。ああ、胸に関しては割とすぐに追いついていたっけ。あれには私もびっくりした。

 

 声が出すのが億劫だったから、もちあげた腕でひらひらと招く。

 

 テファが素直に歩いてくる。昔はとてとてと、子供たちよりもちょっと大きいぐらいだったけれど、テファも大きくなったものだ。でも、たまに帰ってくると甘えてくる。それがたまらなく愛しい。

 

 ベッドに入ってきたテファの髪をなでる。ろくに手入れなんてできないだろうに、びっくりするほど柔らかくて細いテファの髪。触っていると心地良い。ついでにテファを抱きしめた。

 

 また一つ、瞼が重くなる。私にとってもテファを抱いて眠るのは落ち着くから。

 

 

「姉さん……」

 

「……ん」

 

 なんとか目を開けると、テファが大きな目で私をみていた。子供っぽい、子供っぽいと思っていたけれど、大きくなったなぁ。

 

 テファも私を抱き返す。暖かい人肌、あの人に抱きしめられるのも好きだけれど、テファは柔らかくて、抱き応えという意味ではもっと良い。

 

「姉さん……」

 

 首筋にかかる吐息がくすぐったい。ああ、駄目だ。もう目を開けていられない。眠りに落ちてしまう間際に、もう一度テファが私を呼んだ。

 

「姉さんは、私の味方だよね。……姉さんは、いなくならないよね」

 

 ――そんなの、あたりまえじゃないの。

 

 言葉にできたかは分からないけれど、そんなのは、当然のこと。言うまでも、ない、こと。そこで意識が途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 もぞもぞと毛布の中をまさぐる。でも、期待した柔らかい感触が返ってこない。

 

 なんとか目を開けると、寝ていたのは私だけ。どうやら、テファはもう起きてしまったようだ。テファの胸、なんだかんだで柔らかくて好きなだけに、ちょっと残念。

 

 毛布の中で、軽くのびをする。

 

 きっともう朝食を作り始めているんだろう。手伝えるかは別として、私だけが寝ているというのものなんだ。名残おしくはあるけれど、毛布から抜け出す。

 

 目をこすりつつ、部屋の片隅のワードローブから、適当に白いシャツと動きやすいパンツを取り出す。テファがきちんと部屋と合わせて手入れをしてくれているからそのまま着ても問題ない。

 

 シャツのボタンを上からとめていく。ボタン以外に飾り気などないものだけれど、まあ、それはいつものこと。今更、フリルのついた服など似合いはしないし、むしろ気恥ずかしい。そんなものを着ても喜ぶのは……シキさんぐらい。それに、あの人はあの人で、私が恥ずかしがるからというのが先にある。だから、自分から着ようなどとは思わない。

 

 最後に、枕元においていたメガネを身につけて、ドアをくぐる。しかしながら、テファの姿は見あたらない。キッチンも昨日片づけた皿がそのまま積み上げられている。まだ料理を始めているという様子はないし、部屋の中心にある、この家には不釣り合いの大きさの机も綺麗なままだ。

 

 私一人で料理を始める――というのは子供たちからクレームが出るだろう。それぐらいは私も分かる。逆の立場なら私も同じことを言うだろうから。片隅の椅子を引いて、腰をおろす。

 

 まあ、子供たちを起こしでも行ったんだろう。それなら私も一緒に起こして欲しいものだが、それだけよく眠っていたのかもしれない。

 

 いろいろと疲れていたし、普段なら、隣に寝ている人が起きて気づかないということはないのだから。

 

「ま、これも平和ぼけってやつかね」

 

 自然に笑みがこぼれる。

 

 怪盗なんてものをやっている間は、やはりどこかで気を張っていた。それがなくなれば自然に緩んでしまうものなんだろう。恨みを買っていることを思えば怖くはあるけれど、それが代償だというのなら、たぶん仕方がないことなんだろう。

 

 目を閉じ、足をぶらぶらと揺らす。テファもそのうち戻ってくるだろう。

 

 ドアを開く音がした。

 

「テファ――目が赤いけれど、どうかしたの?」

 

 私が起きているとは思わなかったのか、テファが驚いた顔で私を見ている。目元を隠そうとしたけれど、今更だ。赤い目に、うっすらと涙が滲んでいる。

 

「テファ、何かあったの?」

 

 慌ててテファに駆け寄っても、うつむいたままだ。何か言いたそうに口を開くけれど、続く言葉はない。テファの肩に手を置き、もう一度、優しく問いかける。

 

「ね、私はいつだってテファの味方だよ?」

 

 テファが私をじいっと見上げる。ずっと昔、私をすがるように見上げていたときのように。なぜかあの時の姿が重なった。捨てないでと訴えるような。少しだけ言いよどんで、ようやく口を開いた。

 

「うん。エマのね、お墓参りに行っていたの。それで、悲しくて。……ごめんね。姉さんにも言わないといけなかったんだけれど、どうしても口に出せなくて」

 

 そうか。昨日の夕食のこと、ようやく納得がいった。でも、それにしても、少し様子がおかしかった気がする。サマンサの血を見た時の反応は普通じゃなかった。そして、その様子を見る子供達も。

 

 そういえば昨日、ルシードも妙なことを言っていた。もしかしたら、テファが何かの記憶を消しているのかもしれない。エマが死んじゃった、悲しいことだけれど、ただそれだけじゃないのかもしれない。

 

「ねえ、テファ。言いたくないとは思うんだけれど、何があったの? 私も、皆のことは知っておきたいから。テファだけで全部を抱えなくていいんだから、私はいつだってテファの味方だから」

 

 テファがもう一度すがるように私を見て、ようやく覚悟を決めたように口を開いた。

 

「……うん。森にエマと薪を拾いに行った時にね。山賊がいたの。二人で分かれて集めていたから、それで、それで……」

 

 テファを抱きしめた。テファも素直に顔をうずめる。

 

「テファ。私は何があったってテファの味方だから、何だって話してくれていいんだよ。テファは優しい、優しすぎるから、全部を抱えたら壊れちゃうから」

 

 テファがうなずくのが分かった。背中を優しく撫でる。

 

 テファがゆっくりと私を見上げる。何かを言いたそうなのに、どうしてか怯えているようだった。

 

「わ、わたし……」

 

 体ががちがちと震えていた。だから、強く、強く抱きしめた。そうしてようやくテファが言葉を続けた。

 

「――私、エマを殺した人を……殺したの」

 

 ぽつりとそれだけ言った。

 

「……そっか」

 

 私も、それだけしか口にできなかった。

 

「……姉さん」

 

 テファが私を見上げていた。その目にあるのは、悲しみだか、怯えだか、憎しみだか、何があるのか分からなかった。いや、もしかしたら全てなのかもしれない。

 

「私って、結局化け物なのかな? いつかは、お母さんみたいに殺されちゃうのかな? 人と一緒に、暮らしちゃいけないの? 私はただ、静かに暮らしたいだけなのに。皆と一緒に、暮らしたいだけなのに」

 

 テファの声は震えていた。

 

「――大丈夫。テファは悪くなんかない。私が何とかしてあげるから。私はテファを見捨てりなんか、絶対にしないから」

 

 ただテファを抱きしめた。でも、一つだけ確かめないといけない。

 

「ねえ、テファ。そのこと、子供達は知っているの?」

 

 テファが、もう一度大きく体を振るわせた。

 

「……知らない、と思う。いけないことだって分かっているけれど、ルシードも、私が、記憶を消したから」

 

「……そっか」

 

 きっと、記憶は消えても、テファを守らないといけないっていう気持ちは覚えているのかな。

 

「……なら大丈夫だね。ね、テファ。もしかしたら私はテファに酷いことをするかもしれない。でも、テファも子供達も絶対に守るからね。それだけは分かっていて欲しいの」

 

 テファが微かにうなずく。その背中を優しく撫でて、天上を見上げる。

 

 テファには、テファだけは綺麗なままでいて欲しかったんだけれどなぁ。

 

 盗人に、人を殺したエルフ。

 

 本当に救いようがない。

 

 

 

 

 神様って、本当にいるのかな。

 

 それとも、私たちのことが大嫌いなのかな。

 

 私たちは、静かに暮らせればそれで良かったのに。

 

 それだけで、良かったのに。

 

 本当に、それだけで。



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第23話 A Little Happiness

 私は、何も悪いことなんてしていない。

 私が悪いというのなら、それはこの世界が悪いから。

 そんな風に思っていた時もあった。

 でも、今は違う。




 今更そんなことを言おうなんて思わない。怪盗などと気取っては見ても、所詮は盗人。結局は自分の復讐の為だし、殺した相手はいなかったけれど、それはただの結果。たまたまそうなったというだけのこと。だから、私がどうなるとしても、今の幸せを手放すなんて本当に嫌だけれど、たぶん仕方がない。

 

 けれど、テファは違う。テファは心優しい子だし、幸せにならなくちゃいけない。テファが人を殺したのだって、きっと仕方がなかったから。そうでなければ、テファがそんなことをするはずがない。目の前でお母さんが殺されたっていうのに、人を恨むということは決してしなかった、それがテファだ。

 

 そんなテファが悪いというのなら、それは、エルフだから。それなら、テファは生まれて来ちゃいけなかったということ。ただエルフだというだけで普通の暮らしすらできないなんて間違っている。私はそんなの認めないし、テファの為なら私は、なんだってする。

 

 本当は、テファが静かに暮らせるというのならそれで良かった。それだけで良かった。でも、それはもう無理。だから、例え最善じゃなくても、普通の幸せじゃなくてもいい。

 

 その為なら私は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ただいま」

 

 ようやく故郷から帰ってきたマチルダが笑った。本当に嬉しそうで、それはきっと、俺も同じ。だから、同じように言葉を返した。

 

「おかえり」

 

 ほんの数ヶ月前は、そんな言葉で人を迎えることになるとは思わなかった。それなのに、今ではその言葉が当然のものになっていた。

 

「シキさん、私がいなくて寂しかったですか?」

 

 いたずらっぽく笑ってみせる。せいぜい一週間ぐらいだというのに、その笑顔がとても懐かしいものに思えた。ああ、俺は本当にマチルダのことが好きなんだと、改めて思う。この日常、もう二度と手放したくない。一度は無くしたものだから、その大切さが分かる。

 

「ああ、早く帰ってきて欲しいとずっと思っていた」

 

 だから、本心をそのまま伝える。そうすると、いつもからかってきたマチルダの方が恥ずかしげに身をよじらせる。今だって、頬を赤く染めている。

 

「そういうところ、ぜんぜん変わらないですね。でも、そういうセリフ、私も期待してたんですよね」

 

 そう言って、マチルダから唇を重ねる。

 

「――今日は、私の部屋に来てくれますよね? どうせ毎日エレオノールさんの部屋に入り浸ってたんでしょう。だったら、しばらく私が独占したって良いですよね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜になって、マチルダの部屋を訪れた。

 

 部屋の中でマチルダはベッドに腰掛け、その脇の小さなテーブルの上にはワインの瓶とグラスが二つ。そして、食堂から失敬して来たんだろう、一部がすでに切り取られた丸いチーズにサラミとがあった。

 

 質素ながらも、相手が特別ならそれで十分。ただ、今夜の誘いは酒かと、少しだけ拍子抜けした。表情に出したつもりはなかったというのに、マチルダは何を考えているのか分かったのか、意地悪く微笑んで見せる。

 

「あはは、最初からそのつもりだったんですか? もうシキさんってば、えっちなんだから。あ、別にしたくないわけじゃないんですよ。……ただ、ちょっとぐらいお話したいなっていうだけですから。女の子のそういう気持ちも、ちゃあんと汲んでくださいね?」

 

 それもいいかと、笑い返して、マチルダの隣に腰掛けた。手渡されたグラスを受け取る。グラスの半ばまで注いでもらい、お互いにグラスを傾けた。俺は半分程度だが、マチルダは一息に飲み干した。

 

 お互いに笑って、もう一度継ぎ足す。

 

「久しぶり会った妹は元気だったか?」

 

「――ええ。元気でしたよ。一緒に暮らしている子供達も一回り大きくなっていましたしね」

 

 一瞬だけ目を伏せ、すぐに笑った。何か言いたそうに見えた。

 

「……そうか。元気だったというのなら、何よりだ。一緒に暮らしている子供達というのは、確か、孤児だったか?」

 

「はい。理由はそれぞれですけれどね。両親が死んじゃったり、捨てられたり。テファは優しいから、そういう子達を見つけると放っておけないんです。テファは本当に、優しすぎるぐらいに優しいから。きっと、これからもっと増えるでしょうね」

 

「それは、戦争のせいか?」

 

「ええ。戦争は終わったといっても、アルビオンはまだこれからが大変ですからね」

 

 マチルダが手の中のグラスをじっと見つめる。それでいて、どこか遠くを見ているようだった。

 

 ほんの数年前は遠い世界での出来事だった戦争。今は、ただの命のやりとりだけではないということも、身にしみて感じている。戦争は、その世界の全てを台無しにする。あの世界でもそうだったし、この世界でもそうだ。

 

 たとえば、戦争で人がとられれば、その間は畑は荒れる。直接的に荒らされることだってあるだろう。もし戦争が終わったからといって、それですぐに元通りになるわけではない。その国で生活する人間にとっては、むしろこれからが大変なのかもしれない。孤児ともなれば、きっとそれ以上に。

 

「子供達を引き取ってくれる孤児院というのは、ないのか?」

 

「もちろんありますよ。それが子供達にとっていい場所かは別ですけれどね。虐待なんて日常茶飯事で、酷いところでは子供を食い物にしている場所だってありますし。もちろんちゃんとした場所だってあるでしょうけれど、そこだって余裕があるわけじゃないですしね。それに、無事にそこを出ることができたとしても、一人で生きていけるかは、やっぱり分からないです」

 

「……そうか」

 

 それが現実なのかもしれない。誰だって、自分たちのことで精一杯だろう、分かりきったことだった。

 

 思えば、先進国と呼ばれる日本でも孤児院には後ろ暗い話があった。ちゃんとした法律がないこの世界では尚更だろう。

 

「ま、あんまり暗い話をしたって仕方がないですよね。少なくとも、テファが引き取った子達は幸せに暮らしています。それ以上はやっぱり難しいです。国をあげてでもないと。どこかのお金持ちがお金を出してくれたとしても、その時だけでは意味がないですから。子供達が大きくなるまで、少なくとも、一人立ちできるようになるまでは。それまでは誰かが手をさしのべないと」

 

 言い切る様子に、迷いはない。

 

 きっと、体を売ったというのも、盗みを始めたきっかけというのも、もとをただせば妹と、そして子供達の為だったんだろう。

 

 なにかできれば、とは思う。ただ、本当になんとかしたいと思うのなら、まとまった金、世話をできる人間、そしてそれを安定して運営できるようにしなくてはいけない。将来のことを考えるのなら教育、働き口だって必要だろう。全てを揃えるというのは、難しい。

 

 いつの間にか、マチルダがじっと見ていた。

 

「――シキさんも、優しいですよね。そんなに真剣に考えてくれる人なんてなかなかいないですよ。貴族は皆自分本位だし、平民は、自分が生きることで精一杯。一部は違う人も居るみたいですけれど、そんな人は本当に少ないですからね。何より、そんなもの、見ようとしない限りは分からないものですし」

 

 肩にマチルダが身を寄せる。テーブルに置かれたグラスは、既に空になっていた。

 

「本当は一緒に暮らせればいいんですけれど。そうすれば、少しは。……あはは。あんまり暗い話ばかりだと気が滅入っちゃいますね。――うん。久しぶりに抱いてください」

 

 上目遣いに見上げるその様子は、どこか縋るようだった。

 

 ゆっくりと目を閉じると、マチルダから唇を合わせてきた。今度は合わせるだけではなく、舌を絡めるようにして。だから、肩を抱き寄せ、そのままベッドに押し倒した。

 

 唇は合わせたまま、右手でブラウスのボタンをはずしていく。恥ずかしげに身じろぎはしても、なすがまま、拒むことはない。一つ、二つ、順番にはずしていく。

 

 ようやく唇を離し、ブラウスをはだけさせると、下着の中に、形の良い乳房が露わになる。隙間から指を差し入れると、その下着からもこぼれ落ちる。唇を落とし、舌を這わせる。

 

 耳元に熱い吐息がかかる。それでもゆっくりと、じらすように。マチルダが自分から「お願い」するまで。

 

 それが分かっているから、マチルダもおずおずと口にする。どうしても慣れないから、小さな声で。俺の左手をとり、自分の足の間へと導きながら。触れると、下着の上からでもそれと分かるほどに濡れていた。

 

 ゆっくりと円を描くように触れた。それだけで切なげな吐息がこぼれる。

 

「――意地悪、しないで下さい」

 

 すっかり濡れてしまった下着を、マチルダは自分から脱ぎ捨てる。指を差し入れると、体を震わせ、貪るように飲み込んだ。ゆっくりと引き抜き、代わりに俺のものをあてがう。背中に回された手に、急かすように力が込められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 マチルダが疲れて動けなくなるまで愛し合った。今は腕の中で丸くなり、うとうととしている。その表情は全くの無防備で、どこか子供のようだった。

 

 もしかしたら、それが本当の素顔なのかもしれない。守るものが多すぎて子供のままでいられなかっただけで。髪を撫でながら、そんなことを思った。

 

 マチルダが、腕の中で身じろぎした。

 

「……テファ……」

 

 悲しげに名前を呼んだ。アルビオンにいるという妹を。

 

 本当は、一緒に暮らしたいんだろう。アルビオンという国のことを思えば、そこにいる妹のことを心配するというのは、姉として当然のことだ。

 

 腕の中で丸くなるマチルダを抱きしめる。女性らしい柔らかさはあっても、力を入れれば折れてしまいそうなぐらいに細い。

 

 眠る前、今日は抱きしめられたまま眠りたい、朝を起きた時も一緒に居て欲しいと言った。だから、今日は抱きしめたまま眠ろう。朝目が覚めたときに、そこに居られるように。

 

 マチルダの妹と、世話をしているという子供達。マチルダにとっては大切な家族。自分を犠牲にしてでも守りたい、一人で守ってきた家族。

 

 傍らに眠るマチルダの頬に触れる。

 

 俺のやるべきこと。

 

 迷う必要はない。愛する人の家族すら守れないなら、なんのための力だ。俺は、俺が守りたいもの為に力を振るおう。そのためなら、例えこの世界の神と敵対しようが構わない。もし邪魔をするというのなら、力付くででも押し通す。

 

 ――もう、迷わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 故郷であるアルビオンに帰ると言っていたロングビルさんが、ようやく学院へと帰ってきた。しばらく考えたいことがあるということだったけれど、答えは見つかったのだろうか。

 

 でも、久しぶりに会ったその顔は、まだ見つかっていないようだった。

 

 もしも悩みがあるというのなら、できるならば、私には話して欲しい。

 

 確かに同じ人を好きなった、言うならばライバル。でも、抱く気持ちは同じ。同じ人を、同じくらい愛して。私はそんな感情を今まで持ったことがなかったし、そんな正直な感情を誰かと共有したことはなかった。だから私は、彼女をかけがえのない友人だと思っている。

 

 正直なところを言えば、シキさんを独り占めしたい気持ちはある。

 

 でも、同じくらい――それは言い過ぎかもしれないけれど――彼女のことも好きだ。

 

 綺麗で、頭が良くて、スタイルが良くて、人付き合いもうまくて。私にないものをたくさん持っている。そんな彼女がうらやましくもあるし、同じ人が好き、同じ気持ちを持っているということが誇らしくもある。

 

 友人が少ない私ではあるけれど、彼女は私にとって一番の友人。一生つきあっていきたい、そう思った初めての人だ。だから、彼女が何かに悩んでいるのなら力になりたい。それは、偽りのない私の本心。

 

 だから、彼女がシキさんを独り占めするのも、我慢しよう。

 

 

 

 

 

 

 

「昨日はシキさんと一緒でしたか」

 

 食堂の外、オープンテラスでロングビルさんと二人。我慢すると言っても、私はやはり嫉妬深いようで

、言葉は恨みがましくなってしまう。そういう性分を彼女は分かってくれているので、苦笑しながらも嫌な顔はしない。だからついつい彼女に甘えてしまっている。何だかんだでそれ受けて入れてくれる彼女がやっぱり好きだ。まあ、年上としてそれでいいのかとは思うけれど。

 

「ええ、しばらくエレオノールさんが独り占めしてたんですから、私だって良いですよね?」

 

 そう言われれば反論できない。

 

「……5、3ぐらいで」

 

 我慢する。でも、いざ口にしようとするとそんな言葉がでてきた。頭と感情は違う。身を持って体験するとは思わなかった。

 

「駄目です。まあ、譲歩して3、2ぐらいですかね?」

 

 ロングビルさんがテーブルの上に肘を乗せ、絡ませた指の上で不敵に笑う。その顔が、どうしてか悪魔のように見えた。確かに十分すぎるぐらいに譲歩してくれているというのが分かるのに。

 

「……分かりました。ええ、私だって独り占めしてたんですからね。仕方ないです」

 

 納得はしているけれど、どうしても恨みがましく上目遣いになってしまう。

 

「じゃあ、しばらくは私が優先ということで」

 

 わがままな子供に対するような視線を向けられて、本当にどちらが年上なのか分からない。私自身、自分がこんなに子供っぽいことをするなんて思わなかった。

 

 少しの間睨み合って、どちらからともなく、笑いだす。

 

 今はこんなやり取りが楽しくもある。何かにそこまで夢中になるなんて、今までなかったから。まあ、この話はここまでにしよう。これ以上子供のようにわがままを言っても仕方がない。

 

「アルビオンでは、妹さんに会ってきたんですよね? 元気にされていましたか? あなたの妹さんでしたらきっと綺麗な方なんでしょうね」

 

「――ええ、元気にしていましたよ。ただ、確かに私よりもずっと綺麗な子ですけれど、実は血はつながっていないんですよ」

 

 ロングビルさんが困ったように笑った。そこにはどこか悲しげな陰があった。

 

「あまり、聞くべきことではありませんでしたか」

 

 すでに言葉にしてしまったけれど、心配になる。

 

「いえ。まあ、事情はあまり言うべきことではないですけれど、大切な妹には違いがないですから。あなたが妹を大切に思っているのと同じように、私はあの子のことが好きです。私の、大切な妹です」

 

「私は、苛めてばかりですけれどね……」

 

 何かと頬をつねったりしているから、ルイズも私よりもカトレアに懐いている。シキさんのことで相談に来てくれた時は、嬉しかったけれど、やっぱり意外だった。大好きだとはっきり言えるロングビルさんが少しだけ羨ましい。

 

「でも、大切にしているのは変わりないでしょう? 確かにちょっとやりすぎなこともありますが、それでも、大切にしているのぐらいは分かりますよ。私も、同じですから分かります」

 

「……まあ、そういうことにしておきます。その方が良い姉のようですから」

 

 面と向かっていわれるとさすがに気恥ずかしいので、つい視線を逸らす。それこそ認めてしまっているようなものではあるけれど。少しだけ気まずいから、別の話題に変えよう。

 

「そういえば、妹さんとは一緒に暮らさないんですか? 少なくとも今は、この国の方が安全でしょう。何でもとは言えませんが、私も有る程度の便宜は図れますし」

 

 何なら、実家から竜駕籠を手配してもいい。それぐらいはさせて欲しい。

 

「ありがとうございます」

 

 困ったようにかすかに浮かべたほほえみは、拒絶だろうか。何か事情があるというのなら、差し出がましかったかもしれない。

 

「……エレオノールさんの実家は、この国でも有数の貴族なんですよね」

 

 ロングビルさんが誰にともなく呟いた。

 

「まあ、そうですね」

 

「できるなら……。いえ、何でもないです」

 

 何かを懇願するようだったけれど、すぐにまた困ったようなほほえみに変わった。

 

「私にできることなら何でも言ってください。私はあなたのことを――親友だと思っていますし、できることなら助けになりたいですから」

 

「ありがとうございます。本当にどうしようもなくなったら、お願いしますね」

 

 寂しげなほほえみは、変わらなかった。

 

 私はこの人の助けになりたい。それは、素直な私の気持ち。でも、これ以上踏み込んでいいことなのかは分からない。ただ純粋に助けになりたいだけだけれど、私はどうしたらいいんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベッドに背中から倒れ込む。安物のベッドだから、クッションはあまり効いてはいない。

 

 何となく視線を部屋の中へと流す。

 

 ベッドから見る部屋は殺風景なもの。軽く体をひねって見渡してみても、家具は必要最小限、実用性だけで選んだから仕方がない。今自分がいるベッドと、傍のサイドテーブルと、小さなワードローブぐらい。寂しい部屋。

 

 二人なら気にならないけれど、一人になるとそう思う。

 

 家具については、テファと住んでいたあの家ともそう変わらないはずなのに、どうしてだろう。あの家はあんなに温かいのに。

 

 テファと一緒なら、シキさん達が言うように、一緒に暮らせたらどんなにいいだろう。

 

 そのためには――

 

「いつ、話そうかな……」

 

 テファを守って欲しい、ただ一言、シキさんにお願いすればそれで叶う。

 

 シキさんならきっと助けてくれるし、シキさんの庇護下なら、たとえエルフだとしても誰も手が出せない。テファの父親は二人を守れなかったけれど、シキさんなら例え何があっても大丈夫。

 

 でも、それはシキさんを利用するようで、……違う、紛れもなく利用するということ。

 

 私達があげられるものなんて、体ぐらいだし。テファにもそれは言い含めたけれど、そんなんじゃ足りない。

 

 テファにとっても、それがいいことなのかは分からない。でも、テファを守るためには、仕方がない。今のままあそこに暮らしていたって、いつかは破綻する。

 

 ううん、もう既に壊れかけている。あのままだと、全てを抱え込もうとするテファはいつか壊れちゃう。

 

 だったら、お母さんと同じ立場にはなるのかもしれないけれど、今度はたとえ私たち以外の皆が敵になったって大丈夫。

 

 子供達は、エレオノールさんにお願いすれば。

 

 彼女の実家はすごいお金持ち。たぶん、サウスゴーダ家が一番力を持っていたときよりもずっと。今テファが世話をしている子達を使用人としてでも受け入れてもらえれば、きっと今よりは幸せ。

 

 最初はつらいかもしれないけれど、大人になった後のことも心配ないと思う。彼女は良い人だから、お願いしたなら、なんだかんだいろいろと面倒を見てくれると思う。

 

 代わりに私ができることは、私が身を引くことぐらいかなぁ。そんなことあの人のプライドが許さないかもしれないけれど。

 

 ううん、私が……

 

 天井を見上げたけれど、目に映るそれは歪んでいた。

 

 やっぱり嫌だよ。せっかく初めて本当に好きな人ができたのに。目を右手で拭った。考えただけで涙が出るなんて思わなかった。

 

 あはは、覚悟、決めたつもりだったんだけれどなぁ。

 

 テファのことはシキさんに、子ども達のことはエレオノールさんにお願いする。二人なら絶対に力になってくれるし、それが一番良いって思ったんだけれど、私、自分で決めたことなのに、まだ躊躇してる。テファをそのままにしてちゃいけない。そんなの分かりきったことなのに。

 

 ――明日は、二人に話そう。

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 

 シキさんのそばには、エレオノールさん。そして、少しだけ離れてテファがいる。でも、いつも笑っていたあの子は寂しそうな顔。そして、私はそこにはいない。そんな夢。

 

 覚えていたのはそんな一瞬だったけれど、目が覚めた時、とても悲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 憂鬱な気持ちで廊下を歩いていると、シキさんに呼び止められた。

 

 そして、そばにはエレオノールさんも一緒にいた。見慣れた光景のはずなのに、変な夢を見たから、私も変な気持ちになる。ただそれだけで、どうしてか二人の顔を見られなかった。

 

 今日は絶対に話すって決めたはずなのに、これじゃずるずると先延ばしになっちゃう。

 

「昨日、二人で話したんだ」

 

 シキさんが言った。何のことだろうと私が疑問を浮かべると、エレオノールさんが言葉を続けた。

 

「あなたの本当の名前も、教えてもらいました」

 

 私は、シキさんを睨みつけていた。

 

 私はシキさんには、シキさんだから教えていた。この人にだけは知っていて欲しかったから。

 

「了解を得なかったのは――済まないと思う。だが、俺だけでは助けになれそうもなかった。だから、手伝ってもらうことにしたんだ。妹と子供達と、一緒に暮らせるように」

 

 ようやく、分かった。二人が何を言いたいか。

 

「同情、ですか……」

 

 それなのに、助けてもらおうと考えていたはずなのに、声が震えた。

 

「ねえ、マチルダさん」

 

 限られた人しか知らない、捨てたも同然の名前を呼ばれた。その声は、とても優しかった。

 

「私はあなたのことを親友だと思っています。親友を助けたいと思うのは当然じゃありませんか? 私ができることで頼ってもらえないのは、悲しいです」

 

 彼女が浮かべているのは、優しい笑顔だった。

 

 物語の中の女神様よりもずっとずっと温かい。どうしてか、お母様のことを思い出した。

 

 私はもう、何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の部屋に入って、三人で話した。私は、ただ聞かれたことを答えるだけだったけれど。

 

 一つ一つの出来事を話した。

 

 ウエストウッド村のこと。親を亡くしたり、捨てられたりして孤児になった子供を引き取っていること。そして、テファがハーフエルフであること。

 

 エレオノールさんは一瞬驚いたような顔をしたけれど、それ以上のことは尋ねなかった。

 

 私が言いたくないことは聞かず、ただ必要なことだけを聞くと、シキさんとエレオノールさんは二人で話し始めた。子供達とテファを引き取るということを前提に、その為にはどうすれば良いかを。

 

 エレオノールさんの実家で引き取る。でも、ただ引き取るだけでは駄目。戦争で増えた孤児は他にもたくさん居るはずだから、仕組みとしても安心して過ごせるような孤児院が必要ではないかということを。今あるものはそれから遠いということも。

 

 それならばと、将来のことを考えて、教育も必要。実際、一部の寺院などで平民相手に文字の読み書きを教えている、そういったことを参考にできないか。あくまで例外ではあるが、非常に有用だと。

 

 資金はヴァリエール家で出せるように、父に相談する。シキさんも個人で調達できるようにする。それだけじゃなく、将来の自活の為の方法を考える。

 

 そんなことを、他人事のはずなだというのに、シキさんとエレオノールさん、二人はとても真剣に話していた。

 

 私は夢の続きを見ているようだった。

 

 

 

 

 

 

 ――どうして、こんなに優しいの?

 

 ――どうして、私達なんかに優しくしてくれるの?

 

 それが信じられなくて、別の世界での出来事のように、私はどこか遠くみていた。私たちみたいなやっかいもののことを考えてくれるような人なんていないと思っていたから。

 

 でも、本当に真剣な二人を見て、本当のことだって分かって。

 

 ようやくそれが実感できて、私は声をあげて泣いていた。子供の時だってこんなになったことはなかった。二人の目の前だというのに、涙が止まらなかった。

 

 二人は優しく笑うと、子供相手にするように抱きしめてくれた。

 

 それが温かくて、心地よくて、これが幸せということだって、ようやく分かった。



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第24話 Darkside of the Moon

 月には兎が住んでいる――そんな言い伝えがある。

 そんな風に言われるようになった理由の一つには、月の模様がちょうど兎に見えるということがあるんだろう。

 もちろん、人によって見え方は様々。兎に見えるという人もいれば、少女や女性、はたまた、蟹に見えるという者だっている。月の模様はそんな風に、見る人々の想像力を誘ってくれる。

 ただし、一つだけ共通していることがある。月は常にその表だけを見せている。だから、月の裏側を見ることは決してできない。表と同じように美しい姿なのかもしれないし、はたまた、光の差さない深い深い闇の世界なのかもしれない。






 学院を後にするマチルダが、見送りに対して馬上から手を振る。ほんの数日前まではふさぎ込んだ様子だったが、心配ごとが解決したからか、晴れやかな表情で。動きやすい服装にマント、旅支度を整えたマチルダに続いて、ウリエル、その肩に留まったウラル、更にその後をケルベロスが続く。

 

 本来ならばウリエル一人でも十分すぎるほどだが、今回は子供たちを連れ帰るという目的がある。大所帯である以上、万が一ということだってある。見た目での抑止力という意味でも効果的だろう。

 

 それに、旅路の中でやって欲しいこともある。もっとも、それは俺だけが知っていればいいことだが。

 

 やがて、マチルダ達の姿もすっかり小さくなった。何度か振り返るが、それも見えなくなった。ほんの一時とはいえ、やはりもの寂しい。

 

 とはいえ、いつまでもそんなことを言ってはいられない。俺にもやるべきことはある。子供達を迎えると決めたからには、彼らが安心して暮らせるようにしなければいけない。

 

 マチルダは、妹と妹が世話をする子供たちを迎えに行った。今度は明るい顔で。

 

 そして、エレオノールは子供たちを引き取るための準備を進めている。今に限って言うならば別の国の孤児を引き入れることにそう大きな抵抗はない。だが、それでも国との調整は必要となる。そして資金。なにをするにしても、ある程度まとまった金が必要になる。本来なら国が出すべきものだろうが、簡単にそれができるというのならそもそもの問題がなかった。だから、彼女の実家の助力を得ることにした。エレオノールの仕事に俺が手伝う余地はほとんどない。

 

 だから、俺は俺なりにできることをする。

 

 

 

 

 

 一人、町へ来た。

 

 まとまった金を作る方法と、引き取った子供たちが将来的に身を立てる方法を探す、それが俺がやるべきことだと思っている。そもそも、この世界に来て全く考えていなかったわけでもない。

 

 差し迫った必要性がないせいで先延ばしにはなっていたが、いずれは自分にとっても必要だと思っていた。

 

 そして、一つ思うことがあった。この世界には科学技術といったものが発展していない。そもそも、話しを聞く中でも、驚くほど社会の進歩というものがない。地球ではほんの一時のものだった中世的な価値観というものが何百年、下手をしたら何千年も続いている。

 

 理由は、おそらく魔法。社会にしっかりと根付いたそれは、とても便利なものだ。

 

 一つ例を挙げるのなら、錬金。呪文一つで思い思いのものを作ることができ、科学技術的な知識の裏付けなしに基幹となる金属を作ることも可能となっている。非常に便利で社会の発展に寄与したのだろう。だが、現在ではそれが足かせになっているように思う。

 

 なぜなら、個人の能力に依存したそれは、あくまでその域からでることができないからだ。人という種は、協力すること、そうすることで一人が達成できること以上のものを作り出してきた。更にはそれを連綿と受け継ぐことで洗練させていった。夢であった空を飛ぶこと、更には宇宙という地球の外まで。

 

 個人の魔法という技術に頼りきったこの世界では、その壁を越えることができていない。もちろん、魔法という地球にはなかった技術を駆使することで、地球以上の発展を目指すことも可能かもしれない。だが、今の状況を見る限り、それには成功していないようだ。魔法を使える人間が貴族という特権階級になることで、この世界にはしっかりと線引きがされている。魔法とそれを使える貴族というものがすべての中心になっている。

 

 だから、科学技術をうまく取り入れることができれば、もしくは魔法と科学技術をうまく組み合わせることができれば、これまでになかった全く新しいものを作ることができるはずだ。それができれば、子供たちが身を立てる一助になるはずだ。

 

 町中へと歩みを進める。気にかけてみていけば、そこかしこに魔法の力が伺える。

 

 たとえば、食料。少し歩いただけでも魔法の影響がある。魔法で作った氷に、食料そのものに対する固定化。流通分野は面白いことをやっている。ただし、その結果として保存食といった考えはあまりないようだ。もちろん単純に干すといったことはやっているようだが、それまでだ。当然だろう。もっと簡単な方法があるのだから。

 

 もし何かを考えるとすれば、ここにはない料理法を使うといったところだろうか。だが、残念なことにそんな知識はない。

 

 個人的な嗜好から和食を作ってみたいとは思っているが、まだできれば良いといった段階だ。調味料が見つかればなんとかできるかもしれないが、それまではいかんともしがたい。それに、特殊な調味料であるから、ここで作れるということが前提条件になる。条件としては厳しい。子供達と、あとは数人の大人だけで完結させるというのはなかなかに難しそうだ。

 

 ならば、食料以外のものを作るというのはどうだろう。科学技術といっても広すぎる。身近だった家電でいえば、テレビ、冷蔵庫、洗濯機――駄目だな。再現が難しすぎる。

 

 一足飛びに現代まで行くのではなく、地球の歴史で考えればどうだろうか。まずは、蒸気機関を中心とした産業革命。

 

 いや、最初は分業という概念だったか。人が集まって工場を作る。一人が一つの工程を担当することで効率的な生産を可能とする。そこに動力として蒸気機関の導入で更に効率化。製糸に始まり、大量に作ったものを遠くのマーケットまで運ぶ。そして更に離れた場所の知識を取り入れて発展。

 

 単純にやっても駄目だな。大がかり過ぎる上に、スパンが長すぎる。それは国単位でやるべき話だ。平民の地位向上といった意味では良いかもしれないが、今回は目的が違う。まだ工場という概念がない状態では時間がかかりすぎる。

 

 もしかしたらと服屋をのぞいてみたが、まだ個人の仕事からの脱却もできていない。布一つ取ってみても、織り目もムラがある。生地も綿か絹。化学繊維があれば面白いものが作れるだろうが、そんなものは手には入らない。もっとも、必要であれば生地に固定化という魔法を使えば、更に丈夫なものになるかもしれないが。

 

 鍋や釜といった金属製品でも、結局は同じだ。下手な工夫よりも魔法の方が手軽で効果が高い。それでは少々の工夫など意味がない。そもそも必要性を感じないのだろう。

 

 ため息が漏れる。身近な不便さというものは大概魔法で解決されてしまっている。必要は発明の母といったものだが、必要がなければ発明もなされない。それがここでは証明されてしまっている。ちょっとした工夫というものが何の価値も持ちそうにない。

 

 何か科学知識を使うヒントになるものがあればということで、町中を回ってみたがなかなか思いつかない。せいぜい、魔法がどれだけ万能であるかを再認識するだけだ。少し、アプローチの方法を変えてみる必要があるかもしれない。

 

 町外れの屋敷を訪ねる。

 

 屋敷といっても周りの家から比べれば大きいというだけで、それほど立派なものではない。あまり手入れが行き届いていないのか、よく分からないものがそこらに積んである。扉も最後に掃除をしたのはいつなのか、うっすらと土埃に汚れている。そんな扉を叩く。

 

 しばらく時間をおいて返事があり、扉をあけて髪も適当に切りそろえただけの偏屈そうな顔がでてきた。

 

 最初はいぶかしげな顔だったが、相手が俺だと分かると少しだけ表情を緩めた。少し前にある本のおかげで接点を持ったゼファーが、部屋に招き入れてくれる。

 

 外観に負けず壁には無造作に本が積み上げられているが、一応は応対用の部屋があり、ソファーに向かい合わせに座る。

 

「やあ、久しぶりだね。君の方から訪ねてくれるとはね」

 

 ゼファーが口を開く。少しだけ緩ませた表情を見せてくれるあたり、歓迎してくれているんだろう。どちらかといえば感情の薄い俺と同じで、分かりづらいものではあるが。まあ、そういった意味ではお互い気兼ねがなくていい。

 

「今日は頼みが有ってきた。ここにある本を見せて欲しくてな」

 

「君には世話になったからそれは構わないが、どんなものを探しているのかな?」

 

「どんなものを、というわけじゃないな。何か面白いものを見つけられればといったものだ」

 

「ふむ。まあ、君ならば構わないよ。好きに見ていてくれていい。代わりに、何か面白いものがあった時に私にも教えてくれればそれで十分だ」

 

 

 

 

 ぱらぱらと雑誌をめくる。そこに様々な色のバイクとが載っている。ものとしては面白いが、再現はたぶん無理だろう。あるページで手を止めたところで、尋ねるタイミングを待っていたんだろうゼファーが問いかけてきた。

 

「それはなんだい? 人が跨っているようだが」

 

 ああ、そうか。俺から見ればバイクとしか見えなくても、ただの写真であれば何なのか分からないようだ。

 

「まあ、一言で行ってしまえば乗り物だ。この二つのタイヤ――車輪といえばいいか、それが回転して移動するためのものだ」

 

「それがねえ……。しかしどうやって動かすのかね? 曳くものが見えないから魔法かね」

 

 素直な感想につい笑みが漏れる。魔法以外に理解のあるゼファーでも、確かにそうとしか思えないだろう。魔法が生活の中にあるこの世界では、下手な工夫よりも魔法の方がずっと効果的なのだから。

 

「これはエンジンというものを利用した乗り物だ。なんと言えば分かりやすいか……。そうだな、爆発的に燃えあがる液体を燃料に、その爆発の力を車輪の回転に利用して動かすというものだ」

 

 ゼファーは今の説明に口の中で繰り返すが、やはりイメージできないようだ。首を傾げている。

 

「場違いな工芸品の知識というのは一筋縄では理解できないということかな。爆発の力を利用する。まあ、動かす力にはなりそうだが、どうやってそんなものを制御するのか、とんとイメージがわかないな。正直、そんな物騒なものは怖くて使えそうもない」

 

「そうだな。俺自身、概略的な理屈は分かっても、いざそれを作ろうとしてもどうすればいいのか分からない。残念なことに形にするための方法が分からない。でなければ言う通り、危なくて使えないだろうしな」

 

 そう、それが問題だ。科学の産物の使い方は分かっても、それがどうやって形になっているのか分からない。俺にとっては、それはもう既に生活の中に当然のものとして存在していたのだから。パタリと雑誌を閉じる、これはヒントにはならないだろう。

 

「なら、こうすればどうだろう」

 

 考えこんでいたゼファーが言う。雑誌から顔を上げ、続きを促す。

 

「君は知識の方向性は分かっているが、それを形にするための前提知識や技術がない。そうだね?」

 

 ゼファーの問いかけに軽くうなずく。

 

「私はもちろん、この国には新しい技術や知識を使うための土台がない。魔法至上主義といってもいいほどだからね。しかし、ゲルマニアなら違うかもしれない。私も人伝のものでしかないのだがね、かの国では実力さえあれば平民でも貴族になることができる。たとえば、質を高めた鉄を作る技術を考え出した者はそれに見合った待遇を得たそうだ。それはつまり、新しい技術を受け入れる土台と、それを使う為の環境が揃っているということだろう。ならば、かの国の技術者の協力を得るというのは? もちろん、ゲルマニアとの伝がなければ難しいし、トリステインとあまり仲の宜しくない国と協力というのはあまり良い顔をされないだろうがね」

 

 後者に関しては、変わり者の私達は気にする必要はない、と皮肉気に付け加える。

 

「協力者は必要かと思っていたが、ゲルマニアか……。心当たりがないでもないな」

 

 頭にルイズの友人の姿がよぎる。確か、ゲルマニアから留学生ということでルイズがいろいろと言っていたような覚えがある。ルイズの理解者である彼女なら、頼みさえすれば協力してくれるだろう。ルイズの実家と国を挟んで睨み合うことができるということは、家としてかなりの力を持っていることも伺える。

 

「羨ましいね。私も科学技術というものを活用するにはトリステインは難しいと思っていたところだ。何かやろうというのなら、私も一枚噛ませてて欲しいものだね」

 

「ああ、理解のある協力者がいるというのは俺としてもありがたい。準備ができたら、こちらから協力をお願いしたい」

 

 

 

 

 

 

 

「――ふうん。なるほどねぇ。確かに新しい技術ということなら、トリステインよりもゲルマニアの方がずっと懐が広いわ」

 

 話を聞いたキュルケが妖艶に足を組み替え、考える。

 

 ごくごく無意識に、肉付きの良い太股を強調する男を誘う仕草を見せられるというのは彼女の長所でもあり、欠点でもある。男には効果的であっても、ルイズなどはいらだたしく感じるようであるから。

 

 それともう一つ忘れてはいけない長所がある。色気といった意味でもルイズとほとんど変わらない年齢に見合わないものを持っているが、それに加えて、冷静に損得を考えられるだけの知性を持っている。もっとも、同時に快楽を何よりも優先させてしまうという全く正反対の性質も持っているのだが。

 

「うん、いいわ。協力してあげる。うまく当たれば面白いことができそうだし。それに」

 

 口もとに緩やかな弧をつくり、妖しく笑う。

 

「最初からトリステインではなく、ゲルマニアへというのがいいわ。やっぱり、誰から見てもトリステインの気質って古くさいものねぇ」

 

「まあ、それは、な」

 

 本来ならトリステインでできれば一番だったんだろうが、この国は魔法というものに凝り固まっている。町を回ってみても、魔法があるからか、何かを工夫しようという気概は伺えなかった。まだそれほと長くこの国に住んでいなくても、なんとなく感じることだった。俺が出せるのは方向性だけであるから、それを形にするだけの柔軟な思考ができる人物でなければ協力者として成り立たない。

 

「で、本当ならすぐにでもといいたいところだけれど、一応は手順を踏んでからにはなるわね。……そうね、まずは実家へ手紙での打診と、成果に対するもの分け前なんかをきちんと決めてからにはなるわね」

 

「ああ、そうでなければ後で面倒なことになるだけだからな。それにしても、ずいぶんとしっかりしたものだな」

 

 自分の立ち位置というものをきちんと理解している。加えて、利益というものの扱いはどうすれば良いのかも。

 

「そうかしら? それで言うのならあなたもずいぶんと落ち着いたものだと思うけれど。聞いたわよ、あなたの年齢。それと、それを聞いたあの二人の反応」

 

 やりとりを思い出したのか、くつくつと笑う。

 

「あの二人には禁句だからな」

 

 一度からかうのに使ったルイズがきっちりと制裁を受けていた。それこそ、代わる代わる二人からの制裁でしばらくうなされたほどに。

 

「ルイズみたいな馬鹿なことはしないわよ。私はもう少しうまく使うわ」

 

 まあ、キュルケというのはそういう人物だ。それでも、ルイズよりはうまくやるだろうから心配はいらないだろう。

 

「とばっちりは勘弁して欲しいな」

 

「努力はするわ」

 

 キュルケが楽しげに笑う。きっと、それはそれで面白いと思っているのだろう。

 

 さて、そう簡単には行かないが、目途はたった。しばらくは地道に稼ぐしかないが、今は将来的な心配さえ取り除ければいい。子供たちが自立するとき、何かの商売か、理想を言えば事業という形で形になっていれば十分。悪くとも、出所のはっきりとした資金ができればそれでいい。

 

 

 

 

 

 

 

 カラカラと音をたてていた車輪が止まった。

 

 ウエストウッド村では珍しいことに、馬車で客人が訪れた。ああ、「客人」と一括りにするのは間違い。マチルダ姉さんは家族。だから、客人は一緒に来たちょっと変わった人たちだけ。

 

 優しげの微笑みを浮かべた、金髪の男の人。宗教衣のような体をすっぽりと覆うような不思議な服に、腰のところには剣。宗教は――怖いけれど、この人は大丈夫だと思う。だって、子供たちを見る目がとても優しげだから。それに、肩口には眠そうな梟がいて、なんだかアンバランスでおかしい。

 

 そして、その後ろにはすごく強そうな幻獣。鬣のある狼のような姿なのに、雄牛よりも大きいぐらい。堅そうな尾をゆらゆらと揺らしている。迫力に逃げ出したくなるぐらいだけれど、姉さんと一緒だから、きっと大丈夫。姉さんがウエストウッド村をあとにするときに、助けてくれる人達のところに行くと言っていた。だから、何の心配もいらないと思う。

 

 おっかなびっくり様子を伺っている子供たちと、私を守るように前に出てきたルシードに苦笑しながら、姉さんが紹介してくれた。

 

 一緒にいたのは、やっぱり私達を助けてくれるという人の仲間。

 

 金髪の男の人がウリエルさん。魔法も剣も得意なすごく頼りになる人。その肩口にいるのが、ウラルさん。梟の姿をしているけれど、実は人の姿にもなれるし、喋ることもできるとか。そして、その後ろにいるのがケルベロスさん。見た目通りすごく強くて頼りになる。子供達を連れての旅になるから、護衛として一緒に来てくれたと教えてくれた。

 

「――さあ。これから皆でトリステインに引っ越しだよ。もちろん準備は必要だから、明日にはでられるようにね」

 

 紹介が終わったところで姉さんが皆に向かって語りかける。でも、既に皆には話しているから、準備はほとんどできている。それに、持っていくものなんてそんなにないから。

 

 

 

 

 夜になると皆で食事を囲んだ。姉さん達が食材をたくさん買い込んできてくれていたから、すごく豪勢なもの。

ただし、旅の予行練習ということで、外で食事の準備をした。

 

 でも、準備はあっさり。ケルベロスさんが火を吐くと、あっと言う間に炊事用の火の準備ができた。

 

 それに、買ってきた食材に加えて、眠気がさめたらしいウラルさんが近くの川から魚を取ってきてくれた。並べた石の上に鉄板をおいてただ焼くだけだけれど、すごく美味しかった。

 

 美味しい食事はやっぱり幸せな気持ちになれるから、最初はおっかなびっくり見ていた子供達も、優しげなウリエルさんの誘いに加えて、今では興味が勝ったのか、ウラルさんとケルベロスさんに話しかけている。作った焚火の周りは賑やかだ。

 

 ウラルさんが真っ黒なワンピースの可愛らしい女の子の姿になってみせると、同年代に見えるということからか、子供達も自分から話しかけるようになった。

 

 ケルベロスさんに子供達が近寄るのを見るのはちょっと怖かったけれど、触られるまま相手をしてくれているので安心した。

 

 明日からは長旅になるということで子供達には隠しきれない不安があったけれど、これならたぶん大丈夫。そして、子供達さえ安心できるのなら、私は大丈夫。

 

 ふと、隣に座っていた姉さんが私を見ていた。

 

「ねえ、テファ」

 

 優しげに皆を見ながら、姉さんが言った。

 

「トリステインには、この前話したシキさんがいる。だから何も心配しなくていいんだからね。テファのこともちゃんと守ってくれるから」

 

「うん」

 

 シキさん。姉さんが好きな人で、その人も姉さんのことを好きな人。シキさんのことを話す姉さんの顔は、とても幸せそう。ずっと昔、あんまり会えないお父さんのことを話すときのお母さんも、そんな表情を浮かべていたと思う。

 

 人を愛するっていうのはまだ私にはよく分からないけれど、きっと、その人のことを思うだけで幸せになれる、そういうことだと思う。

 

 でも、私には叶わない。私が誰かを好きになっても、きっとその人に迷惑をかける。だから誰かとそんな風になっちゃいけないんだと思う。

 

 ――そんな私だから

 

「私も一緒に行っていいのかな? 私がいたら」

 

 子供達の将来に――その言葉は最後まで続けられなかった。姉さんに思いっきり頬をつねられたから。

 

「にぇ、にぇえしゃん?」

 

「こーら、テファ。何馬鹿なこと言っているの? 私はテファが嫌だって言ったって連れていくんだからね」

 

 頬を引っ張る手を緩めると、それから姉さんはいたずらっぽく笑った。

 

「大丈夫。シキさんにはテファのことも含めてお願いしたんだから。たとえ、世界中の全てを敵に回したって大丈夫なんだからね。だから、テファは何も心配しなくていいの。今だって、トリステインの方で準備してくれているから、あとは何も心配しなくていいの」

 

 つねられた頬をひりひりと痛んだけれど、優しげな姉さんに見つめられるのは心地よかった。

 

「――ただ」

 

 姉さんがどこか沈んだ声色で言った。

 

「たぶん、ティファの貞操は守ってくれないというか、敵に回るんだろうけれど……」

 

 ああ、姉さんはこうも言っていたっけ。そのシキさん、恋人がもう一人いる上に、他にも愛人がいそう、と。

 

「ううん、いいの。子供達が幸せになってくれるのなら、私はそれでいいから。私が返せるものがあるなら、私はそうしたいの」

 

 姉さんは悲しそうで、どこか諦めたような不思議な顔だった。

 

 

 

 

 

 夜が明けて、皆が馬車の前に集まった。荷物なんてそんなにないと思っていたけれど、いざ馬車に積み込んでみると小さな小屋ぐらいはありそうな荷台の半分は埋まっている。

 

 そして、子供達は不安がるどころか、知らない国に行くということにわくわくしているようだった。この村に来て以来遠くに行くということはなかったから、皆、外の世界に行くことに憧れを持っていたのかもしれない。

 

 きっと、皆優しいから私のことを思って言わなかっただけで。

 

「――さあ、皆」

 

 姉さんが見渡しながら言った。

 

「お墓は後で動かすから、しばらくはエマとはお別れだよ。ちゃんと行ってきますって言わないとね」

 

 お墓には皆でお花を飾った。小さなお墓いっぱいに。赤、青、黄色とお墓が埋まってしまうぐらい。エマはお花が好きだったからきっと喜んでくれていると思う。生活が落ち着いたらきっと迎えにくるから、皆で少しの間だけのお別れを言った。

 

 

 

 

 

 

 旅は楽しかった。

 

 ゴトゴトと揺れる馬車。さすがに子供達皆が乗るスペースはないから、小さい子から順番に乗る。でも、次々に変わる景色に皆が目を輝かせていた。そんな様子を見て、私もうれしかった。姉さんもきっと同じだと思う。

 

 疲れてしまっても、ケルベロスさんが背中に乗せてくれた。はじめて見たときのケルベロスさんは怖かったけれど、子供達にはとても優しかった。

 

 そして夜、泊まるという宿を見てびっくりした。私達が住んでいた家の何倍も大きくて、思わず見上げてしまうぐらい。それに、建物の中にはいろんな置物がある。私にはよく分からないけれど、きっと高いんだろうといういこと、それぐらいは分かる。そして、そんなものが置いてある宿も同じだっていうことも。

 

 子供達も同じこと思っていたみたいだったけれど、ウリエルさんが笑って言った。

 

「お金のことは心配しなくても大丈夫ですよ。せっかくの長旅ですからね、こういうところに泊まるのもいいでしょう」

 

 子供達は、私もそうだけれど、宿に入ってからはきょろきょろと落ち着かなかった。宿の人はそんな私たちをいぶかしげに見ていたけれど、ウリエルさんが何かを渡すと、とたんに笑顔で出迎えてくれた。

 

 宿は、こんな場所もあるんだって驚くぐらいに快適だった。部屋は広くて豪華だし、ベッドはふかふか。食事も沢山のお皿で分かれてでてきて、豪華すぎて味が分からないぐらい。ううん、やっぱりそれは嘘。ついお代わりまでしちゃったし。

 

 とにかく、すごく幸せだった。子供達も同じみたいで、だからなおさら。そんな私たちを、姉さんもウリエルさんも優しげに見ていた。

 

 みんなお腹が空いていたからか、楽しい時間はあっと言う間にすぎた。満腹のせいか、子供達もうつらうつらとし始めたので、ちょっと早いけれど部屋に戻ることにした。旅が楽しくて疲れるなんてことはなかったけれど、明日も歩かないといけないから。

 

 部屋へと戻る中、ウリエルさんが思い出したように言った。

 

「私とウラルは少し外出しますが、彼がいるので安心してくださいね」

 

 ケルベロスさんが軽くしっぽを揺らして答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇の中、ちらちらと炎が揺れる。

 

 あたり一面を照らしていた炎もすっかり小さくなった。消えないうちにと、手近にあった木の枝を適当に投げ入れる。まだ乾ききっていなかったのか、くすぶるばかりでなかなか火がつかない。くすぶるばかりで何の役にも立たない。まるで俺達みたいだ。

 

 ひょいと後ろを振り返る。明かりがのぞく洞窟からは下卑た声と、くぐもった女の声が聞こえる。暇なのは分かるが、まったく、よく飽きないものだ。

 

 あの女をさらってきたのはいつだったか。飼うための女を適当に調達してきて、もう一月にはなるか。特に見目の良い女ではないが、使い捨てるとなればまあ、それで良いのだろう。見目が良ければ売ってしまう。

 

 俺とて最初は世話になったが、そのうちにろくな反応もしなくなった女に飽きてしまった。もう、あの女の抱くのは偏屈なやつらばかり。壊れた女でもかまわないというようなやつらだ。まあ、よくよくもってあと一月か。

 

 見上げれば、空一面に星が広がっていた。星を見て喜ぶような感性は持ち合わせていないが、暇つぶし程度にはなる。じっと見ていれば、不意に何か別のものように見えてくるから不思議なものだ。

 

 ああ、星座なんて考えたやつらも、きっと俺のように暇だったんだろう。でなけりゃ、すぐに飽きてしまいそうなものだ。普段の俺なら5分と持たずに飽きてしまっていることだろう。

 

 ふと視線を落とすと、また火が小さくなっていた。適当に枝を投げ入れる。

 

 こうやって暇を持て余すと考えることがある。俺は何をしているんだろうか、と。

 

 山賊なんてものになったのは成り行きだ。ただ、楽をして、食いっぱぐれないようになりたいと思ったら、いつの間にかこの集団にいるようになった。最初は食い物なんかをちょろまかした程度だったのが、気づけば戻れなくなっていた。

 

 自業自得といえばそれまでだし、今更真面目に働こうなんて思わない。それでも今の生活には嫌気がさしてきた。

 

 平民は金を持っていない。金を持っている貴族はおっかない。だから、金を持っていない平民から奪い続けなければいけない。罪悪感なんて殊勝なものは持ち合わせていないが、俺は何をしているんだ、それぐらいはときたま思うものだ。

 

 洞窟からは変わらず声が聞こえる。毎日楽しくやっているあいつらがおかしいのか、それとも、今更こんなことを考えるような俺がおかしいのか。ああ、世間一般からすればどっちもはずれたやつらだ。どっちだってかわりはしないか。

 

 軽く頭をふると、いつの間にか目の前に子供がいた。綺麗な顔だと思ったときには、胸に何かを突き立てられていた。

 

 何が起こったのか分からなかった。気づいた時には地面に倒れていて、口を開けると、ゴボゴボと嫌な音が聞こえた。

 

 子供は無表情に俺を見下ろしていた。子供のそばには男がいた。

 

 男は言った。子供に対して、よくできました、と。

 

 にこにこと嬉しそうに笑っていた。ずっと昔、子供に頃に褒めてくれた親父がそんな風に笑っていた。なぜかそんなことを思い出して、消えた。

 

 男の声だけが聞こえた。

 

 さあ、考えましょうか。死んでしまっては持ち帰るのが面倒ですから、残りもできれば殺さずに、その為にはどうすればいいか。もちろん、誰か一人でも逃がすようなことがあれば駄目ですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝は皆、寝坊した。

 

 目を擦りながら食堂に集まったときには、他に泊まっていた人たちは朝食もとっくに食べ終わっていたみたいだった。でも、仕方ないのかも。

 

 昨日はずっと歩いてばっかりだし、夕食はおいしくて皆お代わりして満腹、それでふかふかのベッドに入ったらなかなか出られなくなっちゃう。私がそうだったから、今日ばかりは子供達に言えない。私自身、ウリエルさん達に笑われちゃったし。

 

 私が起きてきた時には、もうウリエルさんも、ウラルさんも、ケルベロスさんも先に食事は食べちゃったって言っていた。満腹なのか、気持ちよさそうにウラルさんもケルベロスさんも丸くなっていた。

 

 ウラルさんはともかく、ちょっぴり怖いケルベロスさんが丸くなっているのはおかしかった。すっかりケルベロスさんに慣れた子供達もじゃれついていたし。

 

 あはは。

 

 皆優しい人だし、シキさんも優しい人なんだろうな。子供達を大切にしてくれるのなら、私は――

 

「――おはよう。皆早いね」

 

 あくびをかみ殺しながら、一番最後に姉さんが食堂にやってきた。自分達も寝坊したのを忘れて子供達も、私もくすりと笑う。本当に、仕方ないなぁ。でも、私も気をつけないと。こんな贅沢な旅に慣れきっちゃだめだと思うから。

 

 知らないところへ行く旅というのは今まで考えたこともなかったけれど、楽しい。頼りになる人がいて心配することがないから、何の不安もないし。

 

 空を飛ぶ船から見下ろす世界はすごかったし、外から見るアルビオンはすごく綺麗だった。国そのものが空に浮いていて、周りを包む雲に光が反射してきらきらと輝いていた。

 

 アルビオンではいいことばかりじゃなかったけれど、本当に綺麗だと思う。子供達だって楽しいことばかりじゃなかったと思うけれど、じっと見上げていた。

 

 地上に降りると、また馬車での旅が始まった。

 

 いろんなところに寄り道をして、その地域地域の名産を食べたり。チーズが名産の場所では、大きなハンバーグにたっぷりのチーズを乗せて焼いたものを食べたり、野いちごが美味しいという場所ではそれを使ったジャムをたっぷりと載せたパンケーキを食べたり。

 

 楽しくて楽しくて、本当にこんなに楽しんでいいのかと不安になるぐらい。子供達が心から楽しんでくれていて、私は本当に幸せだった。

 

 そんな楽しい旅もようやくゴール。

 

 遠くに大きな塔が見える。いくつも大きな塔が並んでいて、その周りをぐるりと壁が囲んでいる。本当に大きくて、それだけで一つの町みたい。

 

 近くにくると、待っている人達が見えた。

 

 門のところに男の人と、女の人、それに私と同じ年ぐらいの女の子。男の人がシキさんで、女の人がエレオノールさん。女の子がきっとルイズさんかな。

 

 門の前に来て、姉さんが言った。

 

「わざわざ出迎えていただいてありがとうございます。紹介しますね。この子が私の妹のテファです。それから他の子たちが――」

 

 シキさんは子供達のことも心配はいらないと笑ってくれた。本当に子供達のことを思ってくれていると分かって、すごくうれしかった。もう大丈夫だって、思わず涙が出たぐらい。

 

 エレオノールさんとルイズさんは、驚いたように私をみていたけれど仕方がない。だって私は、エルフだから。怖がったりされないだけでも私には十分。

 

 でも、何でだろう。何で二人とも私の耳じゃなくて、胸をみているんだろう。やっぱりおかしいのかな。二人とも小さいみたいだし、私がおかしいのかも。姉さんもおかしいって言っていたし。私は、どうすればここで暮らせるのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――遠くまで、済まなかったな」

 

「いえ。あれはあれで楽しかったですからね。純粋な子供達というのは可愛らしいものです。子供ながら、姉のことを想うだけの優しさも持っていましたから」

 

 ウリエルがふわりと微笑む。

 

「それに、ウラルには良い経験になったでしょうし、役得もありました。私も、ウラルも、ケルベロスにも。質はともかく、それなりの量にはなりましたから。ただ……」

 

 同じ微笑みを浮かべながら続けるが、最後に言葉を濁す。

 

「何か問題があるのか?」

 

「ええ、資金についてです。あまり芳しくないですね。この国は滅びへと向かっています。山賊やらの標的は生活に余裕のない民ばかり。大したものは所持していませんでした。もちろん、駆除はこの国にとっても、私達にとっても悪い話ではないで良いのですが。ただ、手っとり早く進めるなら、問題のある貴族やらを見つける方が面倒がないかと」

 

「そうかもしれないな」

 

 この国は魔法を使えるという貴族が全てを握っている。魔法という優位は、この国では思った以上に大きい。町を回って改めて実感した。

 

「ただ、曲がりなりにも施政者を兼ねているから無闇にという訳にはいかないな」

 

 全くの空白になれば、そこは無法地帯となる。それは、悪政よりも性質が悪い。人々が互いに食い合うということにもなりかねないのだから。

 

「ええ、分かっております。ですので、いっそ国と取引するのも良いかと。王族は話にならないようですが、この国の政治を取り仕切っている枢機卿。彼は一角の人物ではあります。宗教家にありがちな理念だけでなく、この国の為に改革を考えております。ただ、残念ながら、己の利しか考えない輩が多いようで……」

 

 ウリエルが視線で伺う。今までなら国というものに近づく気はなかったが、今は違う。

 

「分かった。ただ、あまり肩入れし過ぎない程度にな。あまりあてにされすぎても、この国にとって良くはない」

 

「承知しました。では、結果はまた改めて。――ああ、そうそう」

 

 ウリエルが何かを思い出したと呟く。

 

「直接確認したのは私ではないのですが、この国の孤児院もあまり宜しくないようですね」

 

「……そうか」

 

 あまり期待はしていなかったが、予想通りということだろう。

 

「上をすげ替えるのはもちろんですが、さし当たっては世話役にも手を入れる必要があります。まあ、それなりに時間はかかるでしょうが、彼ならうまくやるでしょう。『影に潜むもの』の名は伊達ではないですからね」

 

 ふと、ウリエルが壁へ、部屋の外へと視線を向ける。

 

「そろそろ戻ることにします。ルイズさんがこちらに来ているようですし。万が一にも子供に聞かせるような話ではないですからね」

 

 

 

 

 

 扉を開けて、ウリエルさんが出てきた。私に気づいたのか、優しい顔で笑いかけてくれた。軽く手を振ると、子供達がまだ慣れない場所で不安だろうからとそのまま立ち去った。裏表のない、本当に優しい人。ああいう人こそ、ロマリアの神官として相応しいんだと思う。

 

 ウリエルさんが出てきた扉から、ひょいとのぞき込む。シキが難しい顔をして椅子に座っていた。カーテンは開いているけれど、すっかり外も暗くなったみたいで、少しだけ薄暗かった。

 

「ルイズ、どうかしたのか?」

 

 私に気づいたシキが、少しだけ表情を緩めた。

 

「ううん、ウリエルさんが部屋から出てきたから、何をしていたのかなって。シキも難しい顔をしていたけれど、二人で何を話してたの?」

 

「いや、大した話じゃない。ただ、少し金を稼ごうかと思ってな」

 

「ふうん。で、うまくいきそうなの?」

 

「なかなか難しいな。まあ、なんとかなるだろう。なんとかするさ」

 

 また、シキが難しい顔になった。

 

「何だったら、お父様に相談する? シキの能力だったらいろいろな使い道があるだろうし。もちろん、お姉様のこととか、ロングビルさんのこととかきちんとしてからだけれどね」

 

「……それは、難しいな」

 

 シキが困ったように笑った。

 

「まあ、今更そんなこと期待していないけれどね。……更に増えそうな気もするし。さ、シキもこんな薄暗い部屋にいないで、皆がいるところに行きましょう」

 

 部屋に入ってシキの手を取る。窓の外には、まんまるい月が二つあった。

 

「どうした?」

 

 立ち上がったシキがかすかに首をかしげた。

 

「ううん、そういえば今日は満月だなって思って」

 

 まだ真っ暗にはなっていないからぼんやりとだけれど、二つの月が空に輝いていた。

 

「ああ、そうだな。もうそんな時間か」

 

「そういえば、さ」

 

「うん?」

 

「月っていつも同じ模様だよね? いつも同じ方ばかり見えているっていうことだと思うけれど、裏側ってどうなっているんだろうね」

 

「ああ、確かに裏側は見えないな。でも、だからいいんじゃないか。どんな風になっているのか、分からないからこそいろんな想像ができる。それに、もしかしたら、見なければ良かったと思うかもしれないしな」

 

 どうしてかシキが困ったように言う。

 

「ふうん。そういうものかな? でも、それを含めて月だと思うし、やっぱり見てみたいと思うけれど」

 

「――そうか」

 

 ルイズらしいな、そう言ってシキは笑った。



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第25話 Invitations

 打ち上げられた丸い玉が、白い尾を引いて空へ空へと上っていく。太陽まで届かんとして、景気良く弾ける。

 パアンと心地よい音がほんの少しだけ遅れて届く。届くころには次が花開く。音も次々に重なっていく。

 それに負けじと、人々からも歓声があがる。久々の祭りとあれば、それも当然。そして、そんな人々がいるとあれば、出店の数もこれ以上ないとばかりに。そこからの呼び声だって負けてはいない。

 アンリエッタ王女とウェールズ皇太子との結婚。

 ――めでたい。

 これ以上、めでたいことはそうそうないだろう。





 

 

 トリステインという国が落ち目であるということは、皆がなんとなく肌で感じていたもの。加えて、見目麗しい姫はいても、国を率いるのは、あまり宜しくない鳥の骨。なんやかやと働いているんだろうが、所詮はトリステインの人間ではない。それに、結局のところは変わらなかったのだから。

 

 それが、変わる。

 

 戦争に勝ち、アルビオンから婿を迎え入れる。この国の未来に、もはやなんの憂いもない。めでたい、めでたいことだと皆が言う。

 

 遠く城の檀上、真っ白なベールに身を包んだトリステインの白百合。一歩引いた場所に王子、更に奥に控える形で鳥の骨。それこそがあるべき姿。

 

 ふと、桃色の髪の少女が歩いていく。

 

 遠目であるということを差し引いても、随分と小柄だ。喧噪のせいで聞こえやしないが、大きな本を抱えて声をはりあげる。どうせ意味なんてわからないが、たいそう立派な文句なんだろう。それは、それだけで十分ってものだ。

 

 トリステインがあるべき姿へ戻る。それが分かっているからこそ、皆がこんなに浮かれている。

 

 ――トリステイン万歳、ふとそんな声が聞こえた。

 

 次から次へと止むことがない。

 

 並々と注がれたエールを一息に煽る。心地良い刺激が体に染み渡る。

 

 ああ、うまい。

 

 これだけうまい酒はとんとなかった。

 

 本当に、本当にめでたいことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 わあわあと止むことなく注がれる歓声。壇上から離れても、それが止むことはない。

 

 この日の為にと準備した、今まででは考えられないほどに贅を尽くしたウェディングドレス。上等の絹だけで作ったそれは、羽のように軽いはずなのに、どうしてか沈むように重い。

 

「――王族の婚姻でこれだけの歓声とは。いやはや、どれだけ民に歓迎されているのか、これだけでも分かろうというものだ。さすがはトリステインの白百合。それほどに愛されるとはうらやましい限りだよ」

 

 トリステインなどとは比べものにならいほどの強国、ガリアの王、ジョセフ。彼の声は意識してか良く響く。ガリア王族の印の青い髪に、中年に入る年に見合わぬ若々しく精悍なその姿。両手を投げ出したいかにも大仰な仕草は芝居じみているが、しきりに感心しているその様は本心からのものだろう。

 

「全く、同感ですな。我が婚姻の時など、これに比べれば葬式かとでも言うもの」

 

 いくぶん自嘲が伺えるのはゲルマニア王。身内に対してすら言葉にしがたいことをやってきたというのもあるけれど、始祖の血を曳かないということで、他国はもちろん、自国内でも嘲るものがいる。なにより、本人がそれを一番良く分かっている。私を妻に迎えて始祖の血を入れたかっただろう彼にとっては、今日という日はさぞかし口惜しいものだろう。

 

「確かに、これだけ歓迎されるというのは、私が知る限りでもなかったことだ」

 

 口数少ない、アルビオン王――近く、そこには元という字が冠される。息子の晴れの舞台というのに、表情にどこか陰りがある。その心情が分かってしまっただけに、心を締め付けられる。今となっては贅沢なことかもしれないけれど、この人には本心から祝福して欲しかった。私の義父ともなる、この人には。

 

「私も祝福にと参りましたが、これでは花を添える役にもたちませんね?」

 

 打って変わって、柔らかく、若々しい声。優しげに微笑む教皇。腰元まで流した髪と見ほれるほどの美しい容姿に加えて、他のお歴々と違って私と年もそう変わらぬはずだというのに、その存在感は勝りこそすれ、劣るものではない。

 

 ハルケギニア一番の強国であるガリアの王、勃興著しいゲルマニアの王、私の義父ともなるアルビオン王、ある意味では最大の影響力を持つブリミル教の教皇、そしてトリステインの女王となる私に、アルビオンの……

 

 マザリーニと目が合うと、かすかにうなずきが返された。

 

「みなさま。本日は私達の婚礼の儀にご足労いただき、ありがとうございました。ささやかですが、宴の準備をしております。どうぞごゆるりとお過ごしいただきますよう」

 

 ウェールズ様へと向きなおる。けれど、困ったように笑っただけだった。そして、そのことに対して誰も口を挟む者はいなかった。まるで、それが当然のことと。

 

 

 

 

 

 

 

 国民へ向けた儀式が終わり、別の儀式が始まる。城へ招待されているのは国内外の王族と、それぞれの国を代表する貴族のみ。表面上は穏やかなパーティーではあっても、その内実は異なる。それぞれが、それぞれの思惑をもって臨むこととなる。

 

 主役である私たちのもとへは国内、国外とを問わず有力とされる貴族達がやってくる。我先にとに祝辞を述べに来る彼らも、その肚はどうであろう。何しろ、彼らが見ているのはウェールズ様ではなく、私だけなのだから。

 

 政治は綺麗事だけでない。籠の鳥であった私にもようやく分かってきた。それは、施政者としては成長なんだろう。こういった場では決して離れなかったマザリーニが、リッシュモン卿に呼ばれて席をはずすことができる程度には。ほんの少しも、嬉しくはないけれど。

 

 ふと、ひっきりなしにやってきたそれが止んだ。目に入った者も、どこかこちらを窺うようにして見ている。見渡してみて、合点がいった。ガリア王ジョセフと年若いヴィットーリオ教皇が二人してこちらに歩いてくる。正確にはもう二人。

 

 ガリア王の後ろには、妙齢の、蠱惑的なまでの色気を湛えた女性。珍しい、腰元まで伸ばされた艶やかな黒髪は彼女にこそふさわしいと思わせるだけの何かがある。

 

 教皇の後ろには、私と同じほどだろうか、まだ少年らしさを残した男性。どこか挑発的な微笑みがとても印象的だ。そして、珍しいことに、両の目の色が異なる月目であるらしい。

 

 後継者でもないものをここで連れているということは、従者であろうか。しかしながら、どちらも従者にしては不必要なほど、その存在感を主張している。

 

 四人が目の前で足を止める。ガリア王が快活に笑った。私とは父ほども年が離れているというのに、どこか子供じみた笑い方だった。

 

「主役というのはなかなかに辛いものだね。主役は常に表舞台に立たなければならない。今日という日は心休まる時もないだろう」

 

 決して嫌みではないのだが、王族としては型破りなその様子、それが無能王との嘲りの理由の一つなのかもしれない。そばに佇む教皇とて困ったように笑っている。

 

「今日だけ、ではありませんわ。トリステインとアルビオンの民の為にも、しばらくは馬車馬のように働かなければなりませんもの」

 

 くくと、こらえ切れぬとばかりにガリア王が声をあげて笑った。

 

「――おお、確かにその通りだ。国というものは民があってのものだからね。年若い姫に、ああ、いや、失礼。女王陛下に教えられてしまいましたな。全く持ってその通りだ」

 

 彼が同意を求めるように教皇へと笑いかけると、今度ばかりは確かにと頷く。

 

「それに、始祖の血をひく正当なる王家が結びつきを強めるというのは素晴らしいことです」

 

 ちらと私を見て、ほんの少しだけ硬い表情を見せた。。

 

「――いずれ今までにない困難が訪れることでしょう。その為にも、とても重要なことです」

 

「何のこと、でしょうか?」

 

 嫌に確信めいた言葉だった。あたりを見渡すと声を潜めて言った。

 

「ここで話すには……。夜に時間を作っていただけますか? 私達だけで話したいことがあります。あなたにも、いえ、この国にとっても、とても大切なことです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 有力な貴族ということで、トリステイン貴族の筆頭であるヴァリエール家には当然招待があった。公爵であるお父様に、公爵夫人であるお母様。そしてその令嬢である、エレオノール姉様に、途中で具合を悪くしないかと心配ではあるけれど、今日という日ばかりはと無理を押して来たちい姉様、そして、祝詞を読むという大役を授かった私。

 

 更に、もう二人。

 

 本来であれば招かれることはなかったけれど、主役の一人であるウェールズ王子からのたっての願いということで、私の使い魔であるシキに、言葉では言い表しがたい関係のマチルダ――もとい、ロングビルさん。私たちが集まった一角は、一種、異様な空気が漂っていた。

 

 お父様が難しい顔で、歯を食いしばるようにしてシキへ言った。

 

「――君のことは、話には聞いているよ。娘も、世話になっているようだね。妻からも、色々と聞いているよ」

 

 シキも、いつも以上に難しい顔で言った。

 

「――こちらこそ二人には、世話になって……います」

 

 シキが敬語――敬語だろう、を使うのは初めて聞いた。いや、どうでもいい話なんだけれど。

 

 そうして、一言交わしたきり無言でにらみ合う二人。我関せずとばかりのお母様。珍しくおろおろとうろたえるエレオノール姉様に、にこにこと笑みを絶やさないちい姉様。

 

 私は、たぶん意地悪く笑っていることだろう。ただ、それ以上は何も言わない。一度死ぬ目にあったから。理屈は良く分からないけれど、ウリエルさんがいなかったら本当にどこか遠いところに行くことになっていた。まあ、それは――あんまり良くないけれど、良い。

 

 そして、ロングビルさんはと見れば、巻き込まないで欲しいと泣き出しそうだ。とばっちりではあるかもしれないけれど、前回同様当事者ではある。

 

 いつものパーティーのように、有力貴族であるお父様のもとへは誰かしら挨拶へと近づくけれど、そのたびにお父様とシキ、二人の視線が突き刺さる。物理的な力でもあるのだろうか、その視線に耐えられずに場違いであるということを嫌というほどに思い知らされ、そそくさと去っていく。だから、遠巻きにする人間は一人、二人と増えていき、異様な空気は増していく。いつの間にか、そこへワルドも混ざっていた。思い出は美化されていて、案外へたれなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 その異様とも思える空気が、人垣ごと割れた。ふとのぞく特徴的な青い髪はガリア王。なぜだか教皇様も一緒であるようだ。

 

「主役を差し置いて注目を集めているのはどなたかな?」

 

 そのおどけた様子に、強国であるガリアの王であるというのにも関わらず、幾人かは顔をしかめている。なるほど、空気を読まないという他国にまで響く評判は伊達ではなかったようだ。だからこそ、この空気を一瞬でなかったものとしてしまった。もう少しシキを追いつめたかったのに残念だ。

 

 ふと、ガリア王と目があった。ニヤリと笑うと、軽い足取りでこちらへと来る。考えていたことが表に出ていないかと慌てて気を引き締める。ガリア王が目の前まで来て、楽しげに笑う。

 

「やあ、壇上での口上、大したものだね。あの堂々とした様子はなかなかのものだったよ」

 

 手放しの褒め言葉に、思わず固まってしまう。助け船は、もう一人の同行者からだった。

 

「――いきなり、他国の王からそんな風に言われては困ってしまうでしょう」

 

 教皇様が困ったように笑っていた。それでようやく我に返ることができた。

 

「お褒めにあずかり、光栄です。他国の王からお褒めの言葉をいただけたとあれば、推薦していただいたアンリエッタ女王へも顔向けができます」

 

 ひざまずき、体が覚えていた最敬礼の形を取る。体が覚えていたものだからこそ、内心の震えを出さずに済んだ。

 

「ああ、そんなに畏まらなくてもいいとも。余はただ思った通りのことを言ったまでなのだから」

 

「――そこまで言われては、恐縮するばかりでございます」

 

 教皇様がくすりと笑う。ある意味ではガリア王以上の影響力を持つ方であるというのに、その微笑みは人を落ち着かせるものだった。

 

「その気持ちは分かりますが、あなたは誇ってもいいのですよ? 彼の言う通り、あなたの口上はすばらしいものでしたし、あなたの手にあった始祖の祈祷書は、まさにあなたのものかと見紛うほどでした。あなたの年であれだけのことができたのは十分に賞賛に値することです」

 

 ただひたすらに私は恐縮するばかりだった。それに、これだけ誉められるというこそばゆさを内心で抑えるのに精一杯だった。頬は熱を持ったように熱くて、それが分かってしまわないかと恐くて、まともに顔をあげることができなくなった。

 

「――顔をあげてください」

 

 教皇様の声は優しかった。優しく、心にしみ入るような声。その声を聞いて、一つ息をすると、少しだけ落ち着いた。見上げた教皇様は、やっぱり優しく笑っていた。

 

「ふふ。あなたはとても素直な人ですね。いずれ大きなことを成し遂げるでしょう」

 

 何のことだろうと、思わず首を傾げてしまった。なぜ一介の貴族の末娘に過ぎない私にそんなことまで……。トリステイン内であればともかく、この方はもっとずっと遠くを見られるような方のはずだ。

 

 教皇様が表情をゆるめ、いたずらっぽく笑う。そんな表情もできるんだと、随分と場違いなことを思った。

 

「今は、分からなくとも良いのです。いずれ自分でその時を知るでしょうから」

 

 そういって、ゆっくりと視線をずらすと、そこにはシキがいた。

 

「……そうそう、ちょうどあなたの使い魔がいるのなら紹介しておきましょう」

 

 教皇様が振り返ると、一人、綺麗な顔立ちをした青年が一歩踏み出す。

 

「私の使い魔――というのは、少しばかり言葉として正しいのか悩みますが、ジュリオといいます」

 

「……人?」

 

 思わず、そんな言葉が口をついた。教皇様の言葉に合わせて前に出たのは、どう見ても人間。整った顔で、月目というのは珍しいけれど、どうみても人だった。

 

 私の戸惑った様子に教皇様が笑う。

 

「ええ、あなたと同じように、ね。今言っても混乱するだけかもしれませんが、私達には大切な役割があるのです。それはまた、語るべき時に、そのための場を設けるとしましょう」

 

 教皇様がガリア王を見る。

 

「私の方も紹介しておこう」

 

 ガリア王の視線に合わせて、一人の女性が前に出てきた。

 

「シェフィールドと申します。以後、お見知り置きを」

 

 恭しく頭を下げた。こちらも間違いなく人だった。随分と色気を湛えた女性。ただし、感情が伺えず、それだけが惜しいと思った。

 

「私達はそれぞれ人を使い魔にしているというわけだ。なんとも不可思議な偶然ではないかね。それと、ルイズで良かったかね? 私の娘、イザベラはちょうど君と同年代だ。君にはぜひ良き友人となって欲しい。なかなか同年代の友人とは得難いものだからね。ああ、もちろん、国外だ。正式な形で招待させてもらうよ。城の花園は――自賛ではあるが、ちょっとしたものだ。きっと君も気に入ってくれるだろう」

 

 驚く私と皆を残して、言うべきことは言ったとばかりに、ガリア王に教皇様、そしてその使い魔だという二人は離れていった。

 

 二人は、そんなことはあり得ないとは思うけれど、わざわざ私に会いに来たということ……だろうか?

 

 ――まさか、ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「可愛らしいお嬢さんでしたね」

 

「まだ、子供であったな」

 

「トリステインの虚無は彼女に、そして、そばにいた彼がガンダールブでしょう。結局誰も戻りませんし、警戒心が強くて直接に確かめられないのは残念ですが、ほぼ間違いないでしょうね。アルビオンも正当とされる王家には現れなかったようですし、ガリア以外では血筋が変わったということでしょうか。……おや? どうかしましたか?」

 

「……いや、大したことではない」

 

「時代とは移り変わるものなのでしょうね。残るアルビオンの虚無の担い手は傍流のどこか……。魔法が使えないなどという話もありませんし、どこかに埋もれているとなると難しい。ですが、最後の鍵、なんとしてでも見つけなければいけません」

 

「ふん、雲をつかむような話だな」

 

「そう悲観することはありませんよ。此度は全てが揃う時代。私たちは必ず引かれ合うのですから。案外、もう既に出会っているかもしれませんね。私達の近くにいるのかもしれないし、あの少女のそばにいるのかもしれない。何にせよ、全ては既に決まったことなのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広々としたホールには、要所要所に並べられたテーブルがあり、ぞれぞれにどっさりと料理が載せられている。皆が皆メインをはれるほどに立派なものばかりだが、きっとほとんどは無駄になるんだろう。無駄にするのなら、孤児院の予算に少しでも回せばいいのに。でも、そんなことは貴族にとってはどうでもいいんだろう。そんなことよりは、見栄をはる方がずっと、ずっと大切なんだから。

 

 ふう、と息を吐いて、肩の力を抜く。

 

 まあ、そんなことを思っても仕方がない。何にせよ、トリステインにしては頑張った。私はどうせ場違いだし、今日はシキさんのそばにいると危ない目に合いかねない。だったら、料理だけでも楽しむとしよう。話しかけられないと思えば気楽なものだ。

 

 テーブルの上にこんがりと揚げられた海老は、丸々として美味しそうだ。無駄になると料理人も分かってはいても、手を抜くということはない。もったいないから、トレイに一尾、二尾と載せていく。ふわりと漂う、揚げたネギの香ばしい匂いが食欲を誘う。どうせ余るのなら、お土産としてでも持ち帰りたいものだ。きっと、喜んでくれるだろうなぁ。

 

「――迷惑かとは思ったが、料理は楽しんでくれているようだね」

 

 ふと、声をかけられた。振り返ると主役の一人であるはずのウェールズ皇太子だった。

 

「……せっかく、招待していただきましたから」

 

 声が――硬い。我が事ながら、もう少し愛想があっても良いかもしれない。たとえ嫌いな相手でも、なんと言ったって王族なのだから。実質は、どうあれ。

 

「……そうか。それは良かった。君には、感謝しても感謝しきれないからね。本当に、感謝しているんだ」

 

 ふっと、寂しげに笑う。

 

「亡命者の方のことでしたら、仕事ですから当然のことです。それより、今日の主役が私如きに構っていて良いのですか?」

 

「主役……、ああ、主役と言えば主役なのかな? まあ、周りがどう思っているのかは分からないけれどね」

 

 両手を広げておどけて見せる。そういえば、王子がいるというのに誰も挨拶にもこない。こちらを伺っているものはいても、それだけだ。

 

 ああ、いや、その必要を感じないとあれば、そういうものなのかもしれない。そういうのは、損得それだけというのはなんとなく……嫌だけれど。

 

 私が考えていることでも分かったのか、王子が困った様に笑う。

 

「……変な話をしてしまったね。まあ、好きにのんびりできるとあれば、そう悪いことばかりでもないさ。ところで、君に一つだけお願いをしたいんだが」

 

「何でしょう? 私にできることなんて、そう多くはありませんが」

 

「少し、話をしたいんだ。ここでは何だから、後で少し時間をもらえないかな?」

 

「話、ですか? 貴族でもない私とですか?」

 

 思わず眉を顰める。わざわざ私のところなんかに来たり、目的が分からない。

 

「なんと言えば分かってくれるかな。――うん、僕の従姉妹について、といえば分かるかな? ……ああ、そんなに恐い顔をしないでくれ。今更僕たちがどうこうしようというわけじゃないんだ。そんなことできないし、そもそも、そんなことをしたって意味がないからね」

 

「……何が、目的ですか?」

 

 知らず、奥歯がギシリと音を立てる。テファのことを知っているはずなんて、ないのに。

 

「恨まれているの分かっている。でも、話だけはさせて欲しい。もし、その気があるのなら、二つ時が進んだ後に、この塔の二階に来て欲しい。借り物の場所で申し訳ないけれどね。来てくれるなら、君は通れるようにしておくから」

 

 私がただ睨むように見ていると、王子は待っているとだけ言って歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲルマニアの王であるというのに、他国から私の元へ訪れるものは少ない。その国のトップがそうであるように、一介の貴族ですら同様であるようだ。

 

 分かりきったこととはいえ、やはり、面白くはない。

 

 それに、ガリア王と教皇はなにやらたくらんでいるようだ。トリステイン女王に何やら囁いて、何を考えている? あのような小娘、手玉に取るのなどたやすいことだろうに、わざわざ回りくどい真似を……。

 

 そして、私はそのたくらみからはのけ者というわけだ。

 

 まったく、始祖の血がなんだというのだ。古くさいしきたりだけを守ることに何の価値がある。貴族とて、見合った能力がなければ腐っていくだけだ。そもそもをたどればメイジというのは皆、始祖の血を引くものだろうに。ガリアとロマリアさえ邪魔しなければ……

 

 ――まあ、それはいい。

 

 しかし、あいつらは何を考えている?

 

 なぜあいつらが手を結ぶ?

 

 ガリアの無能王。意図は読み切れぬが、何らかの考えがあるはず。人としては欠陥品ではあるが、能力だけは本物だ。それだけは認めざるをえん。恐らく、純粋な能力であれば世界でも有数のものだ。

 

 ロマリアの教皇。欲に塗れた坊主どもの国。そこのトップに立ったということは、見た目通りの優男ではあるまい。だが、賢しい真似はしても政治には口を出さないというのがあの国だったはずだ。わざわざ表舞台にでてきて何を考えている。なぜ、ガリアと手を結び、トリステインとアルビオンを結びつける。そこに何の利益がある。今更始祖の血のつながりを強めて、何が変わる。国をまとめて聖戦でも始めようとでもいうのか。

 

 ――分からん。それぐらいしか思いつかぬが、だとしたらなぜ、今そんなことをする。なぜ今更になってそんなことをする。何か状況を変えるものがあったのか。

 

 しかし、今確実なのは、このまま座してみている訳にはいかんということだ。

 

 トリステインを飲み込むのはもはや不可能だろう。そして、アルビオンとあわせて勢力を盛り返すことは間違いない。あの無能ぞろいのトリステインとはいえ、それをみすみす見逃すなどということはあるまい。切り崩すにも邪魔が入るであろうし、正攻法の国力増強では間に合わん。

 

 なんとか、手を打たねば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――マザリーニ枢機卿殿。お呼びだてして申し訳ございませんが、主がお待ちしておりますので」

 

 使いの者に案内される。リッシュモン卿はパーティの会場とは別の部屋にいるということだ。

 

 珍しいことに、リッシュモン卿が直接私を指名し、内密に話したいことがあるということだった。はっきり言って、不可解なことではある。彼は私のことをもっとも疎んじているものの一人であるからだ。

 

 恐らく、彼は多くの不正を行っている。残念なことに証拠は掴めていないが、まず間違いない。だからこそ、私は彼の動向に目を配っている。不正を見つけることはできていないが、何らかの効果はあるのだろう。少なくとも、彼が私を追い落とそうと躍起になるほどには。

 

 だから今回の話、悩むところではある。だが、証拠を全く残さないほどの者だ。自分の直属の配下を使いにして人の見える場所で私を呼んだ。何らかの形で私を害するにしても、誰が見てもリッシュモン卿の関与を疑わざるを得ない。それこそが罠という可能性もあるが、本当に内密の話があると考える方が自然だろう。

 

 ある部屋の前に来て、使いの者が立ち止まる。

 

「――リッシュモン卿、マザリーニ枢機卿殿ををお連れしました」

 

 ややあって返事が返ってきた。

 

「部屋へお通ししろ」

 

 リッシュモン卿の声。案内の者が扉を開き、部屋に招き入れられる。

 

 

 

 

 

 部屋には二人の男がいた。

 

 一人はリッシュモン卿。職を示す、豪奢な衣装を身にまとっている。中年をとうに越えた年ではあるが、野心を伺わせるぎらついた雰囲気はその姿を遙かに若く見せる。今日という日ばかりは分をわきまえているようではあるが。

 

 そしてもう一人。こちらは知らない顔だった。

 

 リッシュモン卿とは正反対。優しげな表情と清涼な空気をたたえた青年。ブリミル教とは違うものではあるようだが、宗教衣とも思える赤と銀を基調とした貫頭衣を身につけている。聖職者とはかくあるべき、そんな青年だった。

 

 リッシュモン卿が顎で示すと、ここまで案内してきた者は部屋から出ていった。後ろで扉がゆっくりと閉じる。それを確認して、リッシュモン卿が言った。

 

「内密にというのは他でもない。ご紹介したい方がいるのだ」

 

 彼の視線の先にはさきほどの青年、その青年が一歩踏み出す。

 

「初めまして。私の名はウリエルと申します。名前は知らないでしょうが……」

 

 くすりと青年が笑みを浮かべた。まるで最初からそこにあったように、青年の背に純白の羽が現れる。

 

「アルビオンで船を焼いた翼人――自分で言うのは違和感がありますねぇ。まあ、それはいいでしょう。とにかくそれが私だと言えば分かりますか?」

 

 青年は楽しげに私を見ている。

 

 アルビオンでの話、事実を確認する術はないが、この国で、ある意味最大の禁忌。触れてはならない者、いや、者達。

 

 アルビオンの艦隊はすべからく燃え落ちた。奪われた――いや、あるべきところへ戻った国の象徴であったそれを除いて。

 

 そこ居た者達は言った。強力な炎の魔法を扱う翼人が片端から船を焼いていったと。不意を打ったとはいえ、空で最強の名を欲しいままにしていたアルビオンが誇る艦隊を。

 

「……いきなり、だな。それを信じろと?」

 

「まあ、そうですねぇ。なんなら、この城ごと焼いて見せましょうか?」

 

 青年は変わらず笑っている。

 

 だが、はっきりと部屋の空気が変わった。ただ見られている、それだけで息苦しいと感じるほどに。寒気が体中を走りまわり、背中を汗が伝う。

 

「――ふふ、冗談ですよ。だから、そんな怖い顔をしないでください。今日はただ、良い機会なのであなたに会っておこうと思っただけですから」

 

「私に、何のようだ? それに、なぜリッシュモン卿と一緒なのだ」

 

「今のところ、用というほどのものはありませんね。ただ一言、私たちに余計な干渉をしないようにと釘を指すために。なに、私達もそう大きなことをしようというわけではありませんし、わざわざ敵対するつもりもありません。ただ学院周りは不干渉としていただければそれで十分です。それと、リッシュモン卿についてですか。あなたの方が私よりもはるかに良くご存じでしょうが、あまりよろしくない人物だったようですね」

 

 青年の視線がリッシュモン卿に向けられる。

 

「――我が事ながらお恥ずかしい話です」

 

 おかしなことに、自分のことだというのにまるで他人事のようだった。それがなんとも奇妙だった。

 

 青年が言葉を続ける。

 

「私達も多少資金が必要だったので、てっとり早く彼の財産を利用することにしたんですよ。ああ、正規の予算などには手を出していませんよ? 不正に流用していた分なので、国の運営には支障は出ないでしょう。もともと消えていたものですからね」

 

「……リッシュモン卿が自ら協力するということか?」

 

「自らというのは語弊がありますね。本当はそれが一番良いのでしょうが、そのまま使うには少々使い辛かったもので」

 

 青年は変わらず笑っている。淡々としたその様子が、どこか人ではないものを見ているようだった。

 

「本当は居なくなった方が良い人物なのでしょうが、それなりに重要な仕事を任されていたようなので、殻はそのまま使うことにしたんですよ。そうすれば仕事に支障は出ないでしょう?」

 

 青年は、何を言っているのだろうか。

 

「あなたは知っていも良いですから、もう少し分かりやすく言いましょうか? リッシュモン卿という人物は始末して、その抜け殻を再利用して仕事をさせているということです。それすれば仕事に穴は空きませんし、わざわざ抜け殻が仕事以外の不正をやる必要はありません。国にとっては良い方向に進むし、私たちはその報酬として不正に蓄財したものの一部を受け取る。ほら、いいことづくめだとは思いませんか?」

 

 理解できない、だが、何かおぞましいことが行われているということ、それだけは理解できた。

 

 睨みつけると、青年が肩をすくめて言った。まるで子供に言い聞かせるように。

 

「あなたは真面目すぎるんですよ。本当はあなただって分かっているんでしょう? 人が皆が正しくあることはできません。だから、時には荒療治も必要となるのです。もちろん、それが全てだとは言いません。あなたの清廉な心は私としても好ましいものですし、あなたが本当に国を思っているというのは、私は理解しています。ですが、それを皆が分かってくれていますか? 国を立て直そうとするあなたに協力しようとしていますか?」

 

 青年は変わらず笑う。まるで引き込まれるほどの微笑みを浮かべながら

 

「私はあなたのことを理解しています。だから、あなたに力を貸すことだってやぶさかではありませんよ?」

 

 蝋燭の明かりに照らされて、青年の影がゆらゆらと揺れる。壁一面に広がる翼のそれは、神々しくも、全てを押しつぶすようで、まるで悪魔のように恐ろしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そっと触れた扉はひんやりと冷たい。目を閉じると、テファのことが頭をよぎる。

 

 ウェールズ王子の従姉妹。それは紛れもない事実。

 

 この国、いや、この世界で忌むべきものであるハーフエルフであると同時に、純粋な血筋で言うのなら、王位継承権の一端を担うほど濃い王家の血を引いている。だからこそ、その存在すらも消されようとした。関わったサウスゴーダ家の者すべてをあわせてでも。

 

 本当は、今更関わりたくなんかない。

 

 ずっと復讐したいと思っていたけれど、今はもう、自分でも分からないものなのだから。私達はただ、静かに暮らせれば、それで十分。もう、それだって難しくなってしまったんだから。

 

 でも、わざわざ私のことを呼んだのはテファのことを話すため。無視は――できない。

 

 大きく息を吸う。

 

 扉の中には人の気配。私が来たことは、もう分かっているのかもしれない。ほんの少しだけ力を込めると、扉は音も立てずに開いていく。

 

「――来てくれたこと、感謝する」

 

 声をかけたのは、ウェールズ王子ではなく、ジェームズ王だった。壮健さはすっかりなりを顰めている。そばに控えたウェールズ王子も、そういう意味では同じではあるが。

 

「まだ、パーティは終わっていませんよ」

 

 知らず、言葉には皮肉が混じる。

 

 かすかに顔を歪ませ、ウェールズ王子は笑う。

 

「別にいなくとも問題はないさ。事実、誰も探しになどこないのだからね」

 

「愚痴になんて、つきあうつもりはありませんが」

 

 二人して力なく笑う。見ていて、どうしてかいらいらとする。

 

 私のそんな様子に気づいたのか、ウェールズ王子が言う。

 

「済まなかった。確かに、君と話したかったことはそんなことではない。僕の従姉妹、そうだ、名前は何というんだい? 女の子だということは分かっているんだが、それだけしか知らなくてね」

 

「……ティファニア。姓はない、ただのティファニアです」

 

 父と母がつけた名前は大切でも、それ以外はテファに必要ない。そもそも、既に表舞台からは消されたものだ。

 

 ジェームズ王が、そうかと噛みしめるように呟いた。

 

 ウェールズ王子は父親と私とを交互に見やる。悲しげに一度だけ目を伏せ、そうして私を見上げた目は、まっすぐなものだった。今までの全てを諦めたようなものとは違った。

 

「もう一度モード大公の姓を、いや、それは正確じゃないな。新しい名、そして、アルビオンの新しい王朝となってくれないか?」

 

 意味が分からずに眉を潜めた私に、ウェールズ王子が訥々と語った。

 

 自分達はすでに形だけの王家になっている。だがそれでも、アルビオンの正統な血筋であり、アンリエッタとの婚姻に併せていずれアルビオンという国が無くなるであろうこと。目的は分からずとも、ガリアとロマリアがそのように動いている。アルビオンという国を残すため、親子共々殺そうとしたテファに新しい王朝を興させ、負の遺産は自分達が引き受けて消える。そして、アルビオンという国を守って欲しい、と。

 

 ぐつぐつと胸の奥が煮えたぎる。

 

「随分と、勝手な言いぐさですね? エルフだからとテファの両親を殺しておいて。私の家族を殺しておいて。だったら、最初からそんなことをしなければいいのに。そんなにアルビオンという国が大切なんですか?」

 

 私の声は自分でも驚くほど平坦だった。怒りがすぎると、返って声から感情が消えるらしい。

 

 ウェールズ王子は唇を噛みしめ、臆面もなく口にする。

 

「ああ、大切だよ。それが私たちの義務だし、その為に私たちは存在しているのだから。たとえ自分達がどうなろうとも、ね」

 

 まっすぐな瞳に、私の方が息を飲んだ。

 

「――私達には、関係のないことです。恨みはあっても、恩なんてないんだから。そんなに大切なら自分達でなんとかすればいいでしょう。そんなことを私にいいたかったというのなら、話はこれで終わりです」

 

 扉を乱暴に押しあけて部屋を出る。私には、私達には関係のないことだから。

 

 ――だから、逃げるわけじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開かれた扉から、ウェールズ様が姿を見せた。

 

「……これでようやく話を始められますね。待っていたんですよ」

 

 教皇様がウェールズ様を席へと促す。

 

「わざわざ私を待っていてくれたのですか。結果だけでも、良かったのですがね」

 

 ウェールズ様らしくない、皮肉気な言葉だった。いや、今までのウェールズ様だったら、なのかもしれない。

 

 ウェールズ様が席につくと、教皇様とジョセフ王は笑った。特に気分を害した様子はなかった。もしくは、本当にどうでも良かったのか。待っていたのは、私がそうお願いしたから、それだけだったのか。二人に付き従う男と女、従者らしきその者も、特に興味はないようだった。私が、私だけがおかしいのだろうか。

 

「これから話すことは他言無用。ですが、今すぐにでも対策を打たねばならない、重要なことなのです」

 

 教皇様が普段の超然とした空気を消し、切々と語り始めたた。

 

「言葉だけでは信じられないかもしれません。ですが、これから確実に起こる災厄は、国だけではなく、我々すべての生存を脅かすほどのものなのです」

 

 私はちらりとガリア王を見やる。教皇様の言葉に表情を変える様子もない。ガリア王にはすでに話しているということだろうか。

 

「何が、起こるというのですか?」

 

「――大隆起です。そのために、私達は力を併せて聖地を目指さなければならないのです」

 

 大隆起という言葉に眉を顰める。今まで聞いたこともない言葉だ。

 

 教皇様が顔を伏せ、ゆっくりと語り始める。

 

 

 

 

 

 教皇様の言うことは、不敬を恐れなければ馬鹿げているとしか言いようのないことだった。

 

 曰く、もうすぐハルケギニアの大地のほとんどがアルビオンの様に空へと浮かび上がり、人が暮らせる大地が無くなってしまう、と。

 

 船を空へと浮かべる風の力の結晶である風石。膨大な量のそれが地下深くで作られ、臨界に達すると同時に大地が空へと押し上げられる、その限界が近いと。そうなれば残った土地を奪い合う世界規模の戦争になってしまうだろうと教皇様が言った。

 

 だが、一つだけ希望がある。それが聖地。かつて始祖が光臨した聖地には大隆起を防ぐため、始祖が残した装置が眠っている。その力を使えば大隆起を防ぐことができると。

 

「――まさか」

 

 思わず、私はそう口にしていた。教皇様の言葉を真っ向から否定する、すなわちブリミル教を否定する。それは本来ならばあってはならないこと。

 

 それでも、教皇様は何も咎めなかった。

 

「そうでしょう。確かにあなたの言うとおり、とても信じられるものではありません。私とて、今すぐに信じろとは言いません。ですが、もうすぐ現実として起こることです。その時には私の言葉が真実として分かるはずですが、それでは残された貴重な時間を無駄にしてしまう。地下深くにはその証拠があります。すでにこの大地の底には膨大な量の風石の眠っているのです。それを見れば私の言葉が真実であると理解できるでしょう」

 

 教皇様が断言する。

 

 でも、たとえそれが真実だとしても、希望となる聖地にはエルフがいる。エルフを退けるなど、何千年繰り返してもできなかったことだ。

 

「――アリエッタ王女。あなたが心配しているのはエルフのことですね?」

 

 私の表情から理解したんだろう、そのことをはっきりと口にする。

 

「確かにその通りです。今まではいくら血を流しても実現できませんでした。ですが、今までとは違います。はっきり言いましょう。この危機に、伝説のものだった虚無が目覚めたのです。あなたにも――そうですね、ウェールズ王子にも心あたりがあるのではないですか? 常識外の力の体現者に。アルビオンでのクーデターをたやすく退けた存在に。私達も知らないではありません」

 

 思わず息を飲む。

 

 思い浮かぶ存在は一つ。決して触れてはならない、不可侵の存在とした常識外の使い魔。そして、私の幼なじみであるその主人のルイズ。確かにあの力があればエルフとて……

 

「ご理解いただけたようですね? 彼らこそがトリステインの虚無の担い手なのです。虚無の担い手はある特徴から識別することが可能です。虚無は始祖の血を色濃く引くものだけがその担い手足り得ます。そして、その者達は始祖の血を色濃く継いでいるはずなのに、通常のメイジならば使える魔法が全く使えない。――そう、あなたの良く知る、今日巫女としての大役を果たした彼女のように。まだ完全には目覚めていないようですが、始祖のルビーと祈祷書の二つを渡せば分かることです。始祖の遺産、それが虚無を完全に目覚めさせる鍵となるのです」

 

 教皇様は私をじっと見ている。その目にはいささかの揺るぎはなかった。

 

 教皇様の言葉は、突拍子もないこと。でもそうとは断じきれないだけの説得力がある。おののく私の様子に、表情をゆるめた教皇様がくすりと笑う。いつもの、見るもの全ての心を溶かすような微笑みだった。

 

「もう一つ言いましょう。目覚める虚無は一つではありません。4つの4が目覚める時、真の虚無が目覚める。つまり、彼女以外にも、三人の担い手がいるのです。すなわち、トリステイン、ガリア、ロマリア、そしてアルビオン。もう少し分かりやすく言いましょう。ロマリアとガリアの虚無の担い手は私とジョセフ王です」

 

 思わずガリア王を見やると、皮肉気な笑みが返された。

 

 そして思い出す。

 

 ガリアの無能王――ドットの魔法すら使えない落ちこぼれ。まさに、どんな魔法でも爆発させてしまうルイズのように。

 

 驚く様に満足したように教皇様が笑う。

 

「4つの4のうち、3つは既に目覚めているのです。最後の一つ、アルビオンの虚無さえ目覚めれば、真の虚無、すなわち始祖の虚無が復活します。そうすれば今度こそ聖地を取り戻すことが可能となるでしょう。私達があなたがたにお願いしたいことは一つ。最後の鍵であるアルビオンの虚無を目覚めさせること。最後の虚無は必ずアルビオンの縁者の誰かに現れます。私たちは必ずそれを見つけなければなりません。この世界を生きる為、私達が協力して事に当たらねばならないのです」

 

 真の虚無の目覚め、確かにそうなれば聖地を取り戻すことも……

 

 もし、あの強大な力が始祖の虚無の一部だとすれば、真の虚無はどれほどのものとなるのだろうか。文字通り、世界すらも変えてしまうほどの……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ジョセフ様。これで良かったのですか? あれではまるで、ガリアはロマリアの使い……」

 

「ミューズ」

 

「……申し訳ありません。差し出がましいことを申しました」

 

「いや、責めるつもりはない。言うことはもっともだ。だが、ロマリアの若造、あれで大したものだ。花を譲ったところで惜しくはない」

 

「ジョセフ様は、あの者の言うこと信じておられるのですか?」

 

「それこそまさかだ。ロマリアの言う言葉を全て信用するなどできぬよ。まあ、性分でもあるがね。宗教にどっぷりと浸かった者の言うことなど信用できぬ。信仰などと言えば聞こえは良いが、本質的にはだましているのと変わりないのだから。それが善意から出たものであれ、欲望を隠した善意かは別だがな。まあ、お互いに真からは信用などしていないのは了承済みだ」

 

「――私は何をすればよろしいのでしょうか?」

 

「そうだな。まずは聖地に何があるのかを調べる。大隆起を防ぐ、本当にそんなに都合の良いものがあるのか。その上であいつらが何をしたいのかを調べる。そうそう、調べるのならエルフの知識も役に立つだろう。何せ、今聖地を確保しているのはあいつ等なのだから。土地などに執着を見せないあいつ等が、さんざん見下す蛮族である余に接触するほどだ。何かそれに見合った意味があるのであろうよ。おそらく、あやつらにとっても都合の悪い事実があるはずだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ガリアの虚無を味方にできるというのは良いのですが、本当にあの者は信用できるのですか?」

 

「それこそまさかですね。それに、あちらとて私達の言うことを完全に鵜呑みにするということはないでしょう。彼は人が言う様な無能者ではありません。純粋な能力で言うのなら、私よりも上でしょう。ですから、いずれはすべての真実にたどり着くでしょう」

 

「だったら、もっと与しやすい者に……」

 

「ふふ。あなたの懸念はもっともです。ですが、それは大した問題ではないないのです。結局のところ、私たちと行動を共にすることになるでしょうから。それに……」

 

「……それに?」

 

「――真の虚無が目覚めれば、真実を知ったところで変わらないのですから」

 

 

 



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第26話 The eye of a typhoon

 流れる景色、そして、耳元のゴウゴウと唸るような風の音。まるで、怯えるよう。

 でも、怯えているというのは案外正しいのかもしれない。だって、風の声が聞こえない。風の精霊は、どこにだっているはずなのに。どこか遠くへ、もしかしたら逃げてしまったのかもしれない。

 ――風が緩んだ。

 見下ろせば、地面に映る二つの影が大きくなっていく。ああ、降りるんだと、どこか人事のように思った。東の果てから、今度は西へ。本当に、本当に遠くまで。






 ベッドの脇に座ってずっと考え込んでいたけれど、どうしてもうまくまとまらない。背中から倒れ込む。見慣れた天井が、どこか違って見える。

 

 私の世界が変わる――それは、きっと正しい。

 

 本当は使い魔の儀式でシキを呼んでからずっと続いていたんだと思うけれど、それがこの国の、ううん、世界の行く末まで変えるかもしれない。アルビオンでの出来事も大きなことだったけれど、私は流されるままだった。

 

 でも、今度は違う。私の行動一つ一つが大きな影響を与えるようになる。

 

 大きく息を吐いてみるけれど、固くなった体からは力が抜けない。たった一日で色々なことがありすぎて、頭が壊れそう。

 

 机に目をやれば、古びた一冊の本と青いルビーの指輪。

 

 預けられていただけの本と、姫様のものだった指輪。どちらも私が正しい持ち主だということで下賜された。本物だった始祖の祈祷書に水のルビーを、すなわち、虚無の担い手として。

 

 目を閉じれば、姫様の驚いた、それでいてどこか納得のいったような顔が浮かび上がる。

 

 姫様の言うままに、指輪を身につけて祈祷書に触れた。歴史はあってもただの白紙だったそれは、本当の姿を表した。本が輝き、文字が浮かび上がる。

 

 そして現れた。私が虚無の担い手だと、始祖であるブリミル様からの言葉が。

 

 教皇様が言われた、私の役目って何だろう?

 

 世界を救う私の役目って何だろう?

 

 ――シキじゃない、私ができることって何だろう?

 

 もしかして、夢じゃないのかな?

 

 ベッドからゆるゆると起きあがる。たったそれだけなのに、体が重い。机の上の本に手を伸ばしたけれど、届く前に、落ちた。

 

 やっぱり、恐れ多い。始祖から受け継ぐ秘宝、トリステインの宝その二つともを私がだなんて。自分の両手に視線を落とす。女性だということを差し引いても小さな手。子供とだって、きっとそう変わらない。私にどれだけのことができるんだろう。そんな考えが浮かんでは、また消えていった。

 

 そうだ、エレオノール姉様に相談しよう。アカデミーでは始祖の偉業を紐解く研究をやっていたはずだから。シキのことを相談した時と同じように、きっと力になってくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なるほどねぇ。姫様に呼ばれたと思ったら、そういうことだったのね。教皇様にガリア王までがわざわざあなたに声をかけたというのも、ようやく納得がいったわ」

 

 姉様が難しい顔をしてうなずく。

 

「私、どうしたらいいんでしょうか?」

 

 姉様が顔を上げ、そして、優しく笑った。まるでちい姉様みたいに。

 

「あなたはきっと、不安なのね。――そうよね。いきなりあなたが世界を救うなんて言われたんだもの。怖くなって当然よ」

 

「そう……ですか?」

 

 私は、怖がっているんだろうか。

 

「そうよ。もし私があなたの立場だったとしても、どうすればいいか分からなくなっちゃうもの。ね、あなたの役目ってまだ教えられてはいないのよね?」

 

「……はい」

 

 いずれ本当の意味で目覚める――つまり、今はまだ目覚めていないということだ。

 

「じゃあ、今すぐに答えを出さなくてもいいじゃない。四つの四、アルビオンの担い手が見つかるまでは時間があるということよ。だから、もう少し考えていたっていいのよ。まあ、私があなたの立場じゃないから言えるのかもしれないけれどね」

 

 珍しく、本当に珍しくいたずらっぽく笑って、ついでにウインクまでして見せた。

 

「……ウインクは、ちょっと似合わないですよ」

 

 くすりと笑ったら、つねられた。謝ったけれど、許してくれなかった。

 

「……まあ、いいわ」

 

 ひとしきりつねりあげて、ようやく離してくれた。上目遣いで睨んでいたら、またつねられそうになったので、渋々謝った。

 

「とりあえず、シキさんに預けたらどうかしら?」

 

「シキに、ですか?」

 

「ええ、自分の部屋に始祖の秘宝があったら落ち着かないでしょう? シキさんに預けていれば安心だし、始祖の使い魔が守るというのは、きっとブリミル様もお許しになるわ。決心がつくまで預かってもらいなさいな。一緒にお願いに行ってあげるわ」

 

「そう、ですね。それまでは、シキに預かってもらいます」

 

「それにしても……」

 

 姉様が言った。

 

「シキさんが始祖の使い魔、どれだけ特別かがはっきりしたわ。ガリア王のミョズニトニルン、教皇様のヴィンダールブとどれだけ強大な力を持っているんでしょうね」

 

 ふと、アルビオンでのことを思い出す。シキはたった一人で、文字通り地を割った。それこそ、神話の再現のように。

 

「もし力を合わせれば聖地だって。でも、エルフと争う、シキはそんなこと……」

 

「そうね。それに、きっとシキさんは聖地のことは知らない。でも知らないというわけにはいかないわ。だから、一度この世界の歴史については話しておかないといけないわよね。きっと、テファさんにも関わることだから。それからどうするか、それはシキさん次第よ」

 

「……はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――いないわね」

 

 エレオノール姉様が、シキがここにいるかもと来た場所でぐるりと辺りを見回し、つぶやく。どこか拗ねたように見えるのは、私のことを口実にしたいからということがあったからに違いない。お姉様のそういうところには、もう慣れた。

 

 ならば子供達のところにいるかもと、彼らが暮らしている部屋に来てみたけれど、テファとウラルが子供達の相手をしているだけだった。二人とも私達に気づいたようだ。

 

 テファとウラルは本当に対照的だ。

 

 私が言えたことじゃないけれど、二人とも容姿はとても幼い。それなのに、与える印象は全然違う。まるで太陽と月。

 

 陽の光できらきらと輝く金の髪に、くるくると変わる表情を浮かべて子供達をあやしているのがテファ。一緒になって楽しんでいるようで、私から見てもほほえましくある。皆の母親でもあり、姉でもあるテファだからこその姿。

 

 少しだけくすんだ金の髪に、いつも眠そうなせいか、どこか無表情にも見えるのがウラル。どうしてか分からないけれど、ウラルも子供には懐かれているらしい。

 

 そんなウラルが、黒いワンピースに子供をまとわりつかせてトツトツと歩いてくる。無表情との対比が、テファとは違った意味でほほえましい。胸が控えめというのが、なお良い。それはお姉様とも一致した見解だ。

 

「――何かご用ですか?」

 

 少しだけ首を傾げ、ウラルが尋ねる。

 

「シキを探しているんだけれど、どこにいるか知っているかしら?」

 

「シキ様でしたら、外へ」

 

 そういってウラルの小さな指が、窓の外をさす。のぞく先には、木々が風に揺れている。薄暗いとまではいかないけれど、ここからでは奥はうかがえない。何をしているんだろうと思わず首を傾げると、ウラルが教えてくれた。

 

「東の地に行かれていた方々がようやく戻られたとのことです。詳しいことは私も分かりませんが、何でも、シキ様の言いつけで捜し物に行かれていたそうです」

 

 

 

 

 

 

 

 木々を抜けた先にシキがいた。ウラルが言った通り、別の人物も一緒に。シキと男の人が二人、そしてもう一人。腰元まで流れる金の髪、人よりも尖って伸びた特徴的な耳――エルフ。

 

 美しい顔立ち、どこか怯えた表情を見せてはいても、その美しさが損なわれることはない。人を越えたところにあるその美しさは、どんな状況でも陰ることはないんだろう。視線を落とした先の、スレンダーな体は均整がとれている。わずかな膨らみでしかない胸も、それとあわせて美しい。

 

 だが、それはエルフとして見慣れたものとは違う。あの凶悪な胸を持った彼女とは違う。エルフなんてテファが初めてだったけれど、小麦色に焼けた肌といい、全くの別人だ。

 

 ウラルが言っていたことを思い出す。

 

 

 

 ――東に行かれていた方々がようやく戻られた

 

 ――詳しいことは私もわかりません

 

 ――何でも、シキ様の言いつけで捜し物に行かれていたそうです

 

 

 

 

「……シキの言いつけで捜し物に行っていた、か。へえ、わざわざ東の地から調達してきたんだぁ」

 

 さすが、シキ。やることのスケールが違うなぁ。ほんと、軽蔑しちゃう。

 

「……シキさん、ちょっとお話しましょうか? ねえ、ルイズ、あなたはどう思うかしら?」

 

 傍らのお姉様と目が合う。考えていることは、きっと一緒。

 

「シキとはしっかりと話し合わないといけないと思います。ええ、しっかり、きっちりと」

 

 シキが言う。

 

「……まず、言いたい。二人とも誤解している」

 

 さて、シキは何を言うのかな? とりあえず、シキがスケベだってことは間違いないと思うんだけれどなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっと長い話になるからと、たまたま空いていた教室へ移動した。10人も入ればいっぱいになるような部屋だけれど、中央に皆が囲んで座れる円卓があるというのがちょうどいい。特に、今回のようにシキの話をきっちりと聞かないといけない場合には。

 

 私とエレオノール姉様、そして途中で合流したミスロングビル、それと差し向かう形でシキ、両脇に二人の男性と問題のエルフ。二人の男性は腕を組み、難しげにこちらを見ている。中年にさしかかろうという年に見えるが、どこか猛禽を思わせるような鋭い目に服の上からでも分かる筋肉といい、どうにも厳めしい。

 

 そしてエルフの――私とそう変わらない年齢に見えるが、実際の年齢はどうだろう。二人の男性と違い、どこか怯えるように、ちらちらと上目遣いにこちらを見ている。掛け値なしにきれいな顔立ちなだけに、こちらが悪者かと罪悪感を感じずにはいられない。

 

 ――悪者は、シキだというのに。

 

「……まず」

 

 エレオノール姉様がシキに問いかける。

 

「東で調達してきたというものについて教えてくださいな。というか、シキさん。よっぽどエルフが気に入ったんですね。わざわざ砂漠からさらってきたんですか? 今度はあえて胸の小さな……まあ、それが好きというのはいいでしょう。でも、わざわざ浚ってくるというのは私はどうかと思いますね」

 

 視線はエルフの少女へ。それを受けて、彼女は可愛そうなぐらいに身をすくませる。

 

「最初に言ったように、誤解をしているようだからそこから話そう」

 

 シキが訥々と語る。そもそも、傍らの二人にはあるものを探してもらうために東へ行ってもらっただけだ、と。それは以前、エレオノール姉様が見つけてきた「酒」に類する調味料であり、シキの故郷の味。その際、たまたまエルフの住む地域を通りかかり、争いになった。それで、案内役となる代わり見逃した、と。

 

「……なるほど」

 

 エレオノール姉様が、大きくうなずく。私も大まかに理解できた。だから、お姉様から言葉を引き継ぐ。

 

「東へ調味料を調達する中で、このエルフの少女も「調達」してきた、と。間違いないわね?」

 

「いや、俺が言ったのは調味料だけで……」

 

 シキが無用な言い訳をするのを、今度はミスロングビルが遮る。にっこりと笑いながら。半分、楽しんでいるのかもしれない。つい先日、シキに虐められたと言っていたから、その仕返しもあるのかもしれない。

 

「それはシキさんが「女好き」だから――だから言われずとも、ということですよね? 主思いの部下がシキさんの好みを考えておみやげにと。うふふふふふ、本当に気が利きますね?」

 

「まあ……、そういうことも……あるかもしれないが……」

 

 心当たりがあるのか、シキが目を逸らす。たぶん、それが一番の理由なはずだ。しかも……

 

「この怯えよう、シキが「食べやすい」ように、よね。本当に気が利いた部下ね?」

 

 シキがそれでもいい募ろうとするけれど、皆で入れ替わり立ち替わり言葉を投げかける。

 

 変態魔人、ドエス、むっつりスケベ、そして、年増好き――その言葉で私が両脇からつねりあげられるまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金色の髪の女性、緑の髪の女性、そして桃色の髪の少女が騒ぎたてる。私の持ち主になるシキ様を言葉で責めているけれど、それでいてガルーダ様もジャターユ様も困ったように眉をしかめるだけで、止める様子はない。

 

 私は考える。

 

 思うに、三人はシキ様にとって特別な女性。おそらく感情的なつながりが強いはず。そこに別の女である私がくることで……

 

 気づけば、ガルーダ様とジャターユ様が目を細めて私をみていた。

 

 今の状況、不和の火種は私。

 

 私はいらない――必要ない。

 

 体が冷えていく。

 

 早鐘のような心臓の音が、自分のものじゃないように鳴り響く。水の中にいるように息苦しい。

 

「――その子、様子がおかしくないかしら?」

 

 どこか遠くに慌てたような誰かの声が聞こえ、私は抱き抱えられていた。緑の髪の女性が私をのぞき込んでいる。いつの間にか、机に倒れ込んでいたようだ。

 

「ひどい汗。シキさん、今度は何をしたの?」

 

 責めるような声。

 

 良くない。

 

 それは、良くない。

 

 このまま、シキ様に迷惑がかかることは絶対に良くない。

 

「……何でも、ありません」

 

 頭を振り、自分で体を起こす。三人の女性が私をみている。

 

 ――私は考えないといけない。

 

 私はどうすべきか。大まかな状況は見たとおりだと思う。

 

 私の主人になるシキ様には複数の恋人がいて、とても大切にしている。でも、私がここに来たことで、そこに波紋が起きた。このままだと、私のせいで不和が起きる。私のせい――私が害悪、私はいらない。

 

 ――いやだ。

 

 いやだいやだいやだいやだいやだ……

 

 私ができることは、しなければいけないことは?

 

 シキ様の役に立つこと。

 

 そのためには女性たちを落ち着かせること。問題になっているのは何?

 

 シキ様が、他の女にまで手を出すこと。それは、私にはどうしようもない。

 

 だったら……矛先を私に向けること。そうすれば、少なくともシキ様に迷惑がかかることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 急に倒れこんだエルフの少女。ミスロングビルが抱えあげたけれど、様子がおかしい。服の上からでも分かるぐらいの酷い汗。荒い吐息が私にも聞こえる。思わず、エレオノール姉様と顔を見合わせる。

 

 ふと、少女の声が聞こえた。初めて聞く声。澄んだ、きれいな声なのに、どこかかすれ、うわずった声。エルフの少女。

 

「――私は、ただの道具です。道具に嫉妬するなんて恥ずかしくありませんか?」

 

 思わず眉をしかめた。挑発的な言葉に、じゃない。エルフの少女が体を震わせ、ひどく怯えながらそんな言葉を言ったから。きっとシキをかばう為に。

 

「別に、あなたがどうこうっていうわけじゃないんだから」

 

 思わずそう口にしていた。見ていて可哀想だと思うほど怯えているのに、そんなことを言うから。

 

 エレオノール姉様も言う。

 

「そうね。あなたにどうこう言うというのは、お門違いよ。あなたは、無理矢理に浚われてきたんでしょう?」

 

 姉様の言葉に、慌てたようにエルフの少女が言う。

 

「ち、違います! 私が、私達が身の程を弁えていなかったから……。だから、悪いのは私達なんです。私の自業自得なんです」

 

 エルフの少女は訴える。自分達が愚かだった。通りがかっただけの二人に攻撃を加えた。皆殺しにされても文句を言えなかったのに、寛大な二人が私一人で他の皆を見逃してくれた。だから悪いのは自分達で、贖罪のために尽くさなければならないのだと。

 

 エルフの少女は、涙ながらにシキをかばおうとしている。

 

 なんだか、これ以上シキに言えなくなった。どこまで本当かは分からないけれど、見ていて可哀想だと思うほどに必死だから。

 

 ――どうせ、誰が悪いのかと言えばシキが悪いんだから。

 

 

 

 

 

「……それで、あなたはどうしたいのかしら?」

 

 見かねたのか、エレオノール姉様がエルフの少女に問いかけ、さらにシキの両脇の二人に問いかける。

 

「えっと、ガルーダさんに、ジャターユさんで良かったかしら? 取引をしたのはあなた方ですね。取引したといっても、シキさんさえ認めれば、別に解放したっていいんでしょう?」

 

 二人が目配せしあい、ガルーダと呼ばれた方の男の人が言った。

 

「――むろん。必要な役割は十分果たした。主が不要だというのなら、それでかまわん」

 

 とても簡潔な言葉。二人にとっては、シキが気に入りそうだったから。本当にそれ以上でもそれ以下でもないんだろう。だったら、やっぱり悪いのはシキだ。

 

 そして、ミスロングビル。

 

「ねえ、シキさん。もうこれ以上女性は必要ないですよね? さすがに、これ以上増やすつもりはないですよね?というより、許しませんから」

 

 詰め寄るのは、エルフに対して、何か思うところがあるんだろう。

 

「……ああ、まあ、それでいい」

 

 シキが口にする。今更惜しい、ということは恐らくないはず。エレオノール姉様がにっこりと笑う。

 

「ルクシャナさん、で良かったかしら? とにかく、良かったですね。シキさんも心良く送り出してくれるそうです。だから、安心して故郷に帰っていただいてもいいですよ」

 

 エルフの――ルクシャナという少女が恐る恐るといった様子で、何度も私達の様子をうかがう。シキも他の二人も何もいわないからか、上目遣いに、縋るように言った。

 

「……本当に、本当に帰ってもいいんですか?」

 

 テファもそうだけれど、どこか卑屈さを感じさせる。その様子は、今までイメージしていたエルフとは何だったんだろうと思わせる。たとえ話半分だとしても、エルフは人間を蛮族と見下す、高慢な種族だったはずだ。それが目の前の少女のように酷く怯えるというのは、言い方は悪いかもしれないけれど、可哀想だと思ってしまう。よほど怖い目にあったのだろうか。

 

 シキの傍らにある、二人の男性を見る。

 

 厳めしい表情で、それでいてどこか困ったようにルクシャナを見ている。どこから見ても、人にしか見えない。

でも、もしかしたら違うのかもしれない。

 

 タバサの使い魔は、韻竜という人の姿を取ることができる特別な竜だった。二人も同じようように、そんな存在なのかもしれない。ルクシャナの話が本当ならば、エルフの戦士達を苦もなく蹴散らして見せたわけだから、更に格上の。

 

 そして、一番困った顔を見せているシキ。

 

 どうしても言いたい、そんな二人に何をさせている、と。

 

 シキの話が本当なら、たかが調味料が欲しいからと、言ってしまえばお使いのようなことに使ったわけだし、もしかしたら本当は女目当てのエロ魔人のようなことをやったのかもしれない。どちらにしても性質が悪い。

 

「シキ、ちゃんと責任をもって送り届けてよね」

 

 シキを見る目には、どうしても軽蔑の色が混じらざるを得ない。そのせいか、シキが少しだけ悲しそうにうなずく。ミスロングビルが、机をタンと叩いて立ち上がる。

 

「じゃあ、さっさと準備をしましょう。あんまりのんびりしているとシキさんが手を出さないとも限らないですし」

 

 シキは泣きたそうな表情だったけれど、シキに対しては可哀想だと思わなかった。いいかげん、色々と自重するべきだと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 ルクシャナは、辺りをもの珍しそうに見ている。まだまだ怯えが完全に消えているわけではないようだけれど、好奇心が勝っているのか、控えめではあっても楽しそうだ。私にとっては見慣れた城下町であっても、ずっとエルフの世界に暮らしていた彼女にとっては珍しいんだろう。本当は、好奇心が旺盛な快活な性格だったのかもしれない。

 

 そして、そんな彼女をテファが手を引いて案内している。ここに来たばかりの頃はテファも似たようなものだったけれど、すっかり慣れたということなんだろう。そんな二人の耳元にはお揃いのイヤリングが揺れている。

 

 帰る前にということで、ミスロングビルが一つだけお願いをした。それが、妹であるテファにエルフのことを話してあげて欲しいということだった。

 

 テファにとってルクシャナは、母親以外に初めて会ったエルフだ。だからか、耳元のイヤリングをはずして、本来の自分の尖った耳を見せた。ハーフだということを聞いて驚いていたルクシャナだったけれど、半分とはいえ同族ということで少しだけ安心したようだった。

 

 そんなルクシャナに、テファはいくつもいくつも質問した。

 

 自分の母親の故郷はどんな場所なのか、他のエルフはどんな人達なのか、食べ物は、気候は、思いつく限りの質問を。

 

 ルクシャナは一つ一つ丁寧に答えていって、そうして、テファにも質問した。ハーフであるあなたは、ここでどんな風に暮らしているのかと。

 

 テファの答えはとても簡単だった。毎日が楽しい。昔は辛いことが沢山あったけれど、お釣りがくるぐらい今は幸せだと。

 

 大切な子供達と一緒に暮らせる。人前にもなかなか出られなかったけれど、耳を隠すイヤリングのおかげで普通に買い物ができて、食べ物屋さんで色々なものを食べて、沢山の人と普通に話すことができて、毎日が刺激的で楽しいと。

 

 本当に楽しそうに話すテファに、ルクシャナがぽつりと言った。うらやましい、自分も見てみたいと。

 

 だから、私は二人に提案した。

 

「じゃあ、しばらくは観光でもしてみたらどうかしら? せっかく遠い国まできたんだし、色々見て帰ったらいいと思うわ。なんだったらシキにテファと同じイヤリングをお願いしたっていいし」

 

 もしかしたら貴重なものなのかもしれないけれど、シキが悪いんだから、イヤとは言わせない。

 

 

 

 

 

 そして、ルクシャナにテファ、そして私とシキとで城下町へと出てきた。

 

 テファがルクシャナの手を引いて案内している。二人とも整いすぎているほどに綺麗な顔立ち。加えて、テファには不必要なほどに大きな……胸がある。

 

 本当に普通の服を着ているのとても目立っていて、食べ物屋さんで何かを買うと必ずおまけをしてもらっている。もちろん、絶世の美女と言っても良いルクシャナも。

 

 テファ以上に体の細いルクシャナは小食かと思ったけれど、ガツガツという表現がぴったりなほどに急いで食べる。小さな口で精一杯に、どこか小動物のように可愛らしく、それはそれで人目を引いている。

 

 そんな風にテファと町を回るうちに、どこかぎこちなかったルクシャナも、少しずつ自分の希望を言うようになった。あれを見てみたい、あれを食べてみたいと。もともとの好奇心が少しずつ表に出てきたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 そんな二人を見ながら、隣を歩くシキに言う。

 

「――こうやってみると、エルフも人間も何も変わらないのね。恐ろしい魔法を使って悪魔みたいに怖いと思っていたけれど、むしろ子供より純粋なぐらい」

 

「分からなければ恐れるものだからな。実際に話してみれば案外そんなものだ。第一、その結果がテファだろうしな」

 

 言われて気づく。テファのことは本当に特別なことだと思っていたけれど、テファの母親だって同じだということだ。むしろ、ハーフとして生まれたテファと違って、母親は純粋なエルフだったはずなのだから。

 

「そっか。そうだよね。むやみに恐れたりしなければ、テファのお母さんだって……。シキ、テファは守ってあげてね。もちろん、シキが手を出すのもダメだから」

 

「……分かっている。少しは信用してくれ」

 

「じゃあ、信用できるような行動をしてよ」

 

「……善処する」

 

 たぶん、自分でも難しいとでも思っているんだろう。シキは遠回しにできないと言っている。まあ、それができるのならとっくに行動を振り返っているよね。わざとらしくらしく溜息をついてみせると、シキがまた悲しそうに視線を落とす。本当に、そうやって反省するだけでなく行動に移してくれればいいのに。

 

 ああ、そうだ。シキに話さないといけないことがあったんだ。

 

「今度は、真面目な話だからね」

 

 そう前置く。

 

「姫様の結婚式の後、私が呼ばれたでしょう」

 

「……ああ」

 

「前にシキが言っていたように私、虚無の担い手で、ある役目の為にいずれ本当の意味で目覚めるんだって。言われた訳じゃないけれど、もし聖戦が始まったりしたら――始祖が降臨した土地をエルフが占拠していてそれを取り戻そうという話なんだけれど、私はエルフと戦わないといけないかもしれないの。エルフは悪魔のような相手だからそれでもいいと思っていたけれど、他のエルフもテファやルクシャナと同じだったら、私、そんなことできないよ」

 

「それは、ルイズが絶対に関わらないといけないのか?」

 

「私が本当に虚無の担い手なら、始祖の意志を継がないといけないわ。もちろん聖戦を起こすとなったらだけれど、遅かれ早かれ、そうなると思う。聖地の奪還はブリミル教の悲願だから。それこそ何百年、何千年と続けてきたことだから」

 

 少しだけ考え込むようにしてシキが言った。

 

「……聖地の奪還か。俺のいた世界でも、似たような話があったな。同じように何度も戦争をして取り戻したという話だった」

 

「それで、どうなったの?」

 

 同じように戦争をして、そして、取り戻した結果は。

 

「はじめに行っておくが、俺もすべての歴史を知っている訳じゃないし、間違った理解もあるかもしれない」

 

「それでもいいから」

 

「なら、全く同じかは分からないから、最初の話からだな」

 

 思い出すようにシキが目を閉じる。

 

 シキの世界で言う聖地。不遇の民、故郷を失い、迫害を受けながら世界を放浪した民。そして過去の伝説に従い、その故郷として伝わる聖地を別の国の力を借りて取り戻した。そこにすんでいた人間を力で追い出して。

 

 追い出された方はたまったものじゃない。ずっと昔の、言ってしまえば本当かどうかも分からない伝説で住んでいた場所だったからという理由で追い出されてたんだから。

 

 追い出されたその時に住んでいた住民は難民になっても行く場所がない。当然だ。彼らにとってはそこか故郷なのだから。彼らを受け入れた側だって面白くはない。もともと仲が良くなかったところに、そんな厄介ごとを押し付けられたのだから。

 

 その後は、「故郷を奪われた」住民がその地を取り戻すために戦争、戦争。たとえそんな大規模なものはなくなったにしても、局所的なテロとして終わらない。それからは、報復の連鎖。

 

「――もし、ルイズの言う聖戦なんてものが起こったら、勝ってもろくなことにはならないだろうな」

 

 シキがそう締めくくる。

 

「……そっか。きっとそうだね。だったら、誰にも言わないでね? そんなことになるぐらいだったら聖地なんて取り戻さなくていいや。取り戻して誰かが幸せになるんじゃないなら。エルフがテファ達みたい人なら、話合いで済ませた方がずっと良い」

 

 シキが笑った。

 

「それが一番いい。力付くだと、相手を完全に屈服させるまで終わらないからな。そもそも、終わらないかもしれない」

 

「でも、難しいんだよね。それができないから、ずっと、もう何千年も続いているんだろうし」

 

 シキが私の頭に手を乗せ、クシャリと撫でる。

 

「ルイズは、頭がいいな」

 

 シキは自分のことも重ねているのか、目を細めてどこか遠くを見ているようだった。戦争の話をすると、いつもそんな顔をする。

 

 ふと、シキを呼ぶ声か聞こえた。

 

 見れば、テファがぶんぶんと手を振っている。そのそばには屋台。鉄板に、おいしそうな狐色に焼けた平べったくて丸い、パンのようなものが載っている。ここからでも香ばしい匂いが分かる。ルクシャナもちらちらとそちらをうかがっている。ずいぶんと印象が変わったけれど、テファと一緒というのがきっと良かったんだろう。

 

「ルイズも食べるか?」

 

「もちろん」

 

 外の屋台で食べるものが案外美味しいっていうことは、シキに教えてもらった。あの丸いパンのようなものは食べたことがない。だったら食べてみないともったいない。

 

「ああ、そうだ」

 

 シキが言う。

 

「東の方には調味料を探しに行ってもらったんだ。念のために言っておくが、それは本当だからな? 今度それを使って何か作ってみよう」

 

「――へえ、それは楽しみ」

 

 丸いパンのようなものは、子供たちにもお土産として買った。きっと喜んでくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「――いつ頃戻りたい? 二人に送らせよう」

 

 帰り道、シキがルクシャナに問いかけた。

 

「本当に、いいんですか?」

 

 帰りたいだろうに、ルクシャナはやはり半信半疑なようだ。

 

「今更嘘なんて言わないさ。責任をもって送り返すと約束したからな」

 

 ルクシャナは嬉しそうにしていたけれど、思い出したようにテファを見た。

 

 テファは優しく笑っていたけれど、やっぱり寂しそうだった。

 

 ルクシャナが言った。

 

「……本当はそんな立場じゃないって分かっています。でも、一つだけ、お願いをしてもいいですか?」

 

「できることなら、な」

 

「私、人の世界を見てみたかったんです。それに、人の世界で暮らしていたテファさんのことをもっと知りたい。だから、もうしばらくだけここにおいていただけませんか。その間は、使用人扱いでも、何だっていいですから」

 

 ルクシャナがシキに懇願する。そして、テファが言う。

 

「シキさん、私からもお願いします。私も、ルクシャナさんともっと話してみたいです」

 

 そういうことなら、私も別にかまわないと思う。ただ、これだけは言わないといけない。

 

「二人とも、シキに手を出されそうになったらちゃんと言ってね」

 

 そう言って二人を見たら、なぜか揃って不思議そうな顔をしていた。

 

 テファは、むしろ嬉しそうに言う。

 

「私は、シキさんがそれで喜んでくれるのなら」

 

 ルクシャナも当然と。

 

「私も……、私なんかでよければ」

 

 私はシキに向き直り、とりあえず股間を蹴りあげる。

 

 ……受け止められたけれど。

 

「ねえ、二人ともこんなことを言っているけれど、シキ、どうするつもり?」

 

 じいっと睨みつける。たじろぐようにシキが言った。

 

「……二人とも、それは本当に好きになった相手と、そうしたいと思った時だけだ。いつかはそんな相手ができるだろう」

 

 でも、テファは言う。

 

「私には、そういうことは分からないです。でも、シキさんとなら」

 

 ルクシャナは一瞬だけ悲しそうな顔をしたけれど、何も言わなかった。

 

「シキ、本当にお願いだから、シキのこと信じさせて……」

 

 私には、それしか言えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 版面には、精緻な細工が施された駒が並ぶ。

 

 ひょいと一つをつまみ上げる。馬の形を象った駒。はめ込まれた宝石と、当代随一だとか言う細工士の技、一つの駒で一人の一生分の価値があるとのことだ。遊技とはいえ、王たるもの、それにふさわしい道具でなければならないとのことらしい。貴族優位というこの世界の理を守るという意味では重要な意味があると同時に、この上なく無駄でもある。

 

 もし、そこで浪費される金銭をもっと別の使い方をすればどうであろうか。

たとえば、商業活動を活発化させるために港湾、街道を整備する。はたまた、もっと直接的に見込みのある産業の活性化に使っても良い。浪費は浪費で意味はあるだろうが、所詮それは一時的なもの。長く続かせなければならないのが国であるならば、当然、それを考えたものでなければならない。

 

 長い戦いの為にはそういう土台も必要だ。でなければ、途中で息切れしてしまうではないか。それは、あまりにも詰まらない。せっかくの仕込みが無駄になってしまう。

 

 版面に目を戻せば、「聖職者」の駒を中心にぐるりと囲む他の駒。せっかく版面に集めたこの駒も意味がなくなる。ふと、聖職者の傍らにある駒が揺れる。

 

「――余のミューズ、頼んだことはうまくいっているかね?」

 

 かたりと人形が揺れ、声が聞こえる。しっとりとした女の声。しかし、潜むように沈んだ音色。あまりよろしくないということだろう。

 

「……申し訳ありません。思いの外用心深いようで、機会を得ることができておりません」

 

「ああ、それはあわよくばというものだから気にしなくとも良い。ミューズの能力を知れば警戒してもおかしくない上に、そう簡単に答えが分かっては面白くない。では、墓の方はどうかね?」

 

「そちらは無事、手に入れました。抽出に多少時間はかかりそうですが、時間さえいただければ必ず」

 

「――そうか。であるならば余は待てば良いというわけだ。が、ただ待つというのも芸がないな。少しばかり推理してみるとしようか。余興としても悪くはない。ミューズよ、どちらが先にたどり着くか比べてみるとしよう」

 

「……畏まりました」

 

 駒がカタリと揺れて、それきりとなる。

 

 腰掛けていた椅子へ深くもたれ掛かると、柔らかく沈みこ込む。華美な装飾は無駄であるかもしれないが、この柔らかさは存外悪くない。

 

 さて、順を追って考えるとしようか。

 

 教皇の言う、大隆起。地下深くに風石が大量に生成され、大地がめくれあがる。まだ調査の段階だが、これは嘘ではないだろう。何せ、調べればすぐに事実が分かるのだから。それに、アルビオンという空を飛ぶ大地のことを考えるに、決してあり得ない話ではない。

 

 では、その大隆起を止める「魔法装置」とやらはどうであろう。全くあり得ないとは言わないが、少しばかり疑問がある。そもそも、どうしてそれが聖地にある? 始祖が聖地に光臨したというのだから、一緒にやってきたということで辻褄が合わないでもない。が、いささか都合が良すぎないだろうか? それに、そんなものが本当にあるというのなら、なぜ欠片もその話が伝わっていない。いずれ訪れると分かっているのなら、その備えをしてしかるべきであろう。

 

 次に、別の側面から見てみようか。

 

 エルフにとって、始祖、そして虚無とは悪魔の術らしい。そう言うからには、過去、明確に敵対したということだろう。エルフという種族を考えるに、高慢ではあるが、あえて自ら敵対するということは考えづらい。ならば、エルフにとって始祖ないしは虚無が害悪であったということだ。だが、余が知る限り、虚無は強力ではあるが、エルフに全く対抗手段がないというほどのものでもない。ならば、余が知らぬ何かあったということか。もしくは、エルフにとっても看過できなかったのか。

 

 まず思いつくのは、エルフに伝わる大災厄とやら。ビターシャルも多くは語らなかったが、相当数のエルフが死んだとのことだ。だが、人の間にその話は聞かない。となると、エルフにとってより大きな被害を出したということになる。シェフィールドがいたという東の地でも同様であるというのは、どういった災厄だったのあろう。

 

 強大な攻撃魔法、疫病、自然災害……。候補はあるが、どうにもしっくりこない。人間の中に話としても残らないというのは不自然ではないだろうか。

 

 大災厄に関連するだろう悪魔の門。門であるならば、何らかのモノが入った、ないしは出ていった。明確に門というからには何らかの意味があるはずだが、さてそれは何であろう。

 

 ふむ、考えてはみるが、どうにも推測の域を出ない。ありきたりな答えでは詰まらないが、これではシェフィールドに先を越されてしまうかもしれぬなぁ。

 

「――まあ、それはそれで面白い。予想しきれない、やはり人生とはそうでなければな。……あいつがいればもっと楽しめただろうがな」

 

 遊戯室にある、余が座っているものとは別の椅子を見る。自分のものとも、そう劣るものではない。座るのを許されるものがいるとすれば、余に並ぶに相応しい者だけ。それに相応しい者は、もうこの世にはいない。その椅子は、誰にも使われることのないまま朽ちるだけだろう。

 

「……残念だ」

 

 そんな言葉が、意図せずに口をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緊急の召集だというのに、議員全員が集まった。それぞれが「悪魔」からの被害という難題を抱えて忙殺されているというのにも関わらず。

 

 ――せめて敵が組織だっているのなら軍として当たることができるのだが、あくまで個、それでいて軍に匹敵するものがあるというのが始末に追えない。

 

 それはそれとして、今回の召集、驚くべきことに、理由は一通の手紙、それも若輩者が書いたものだ。が、その手紙の内容、そして、若輩とは言え、その人物が問題だ。

 

 何せ、その人物というのが、先日「悪魔」に連れ去られた「ルクシャナ」という少女が残したものだからだ。

 

 手紙にはこうある。

 

 ――自分は、皆を見逃してもらう代わりに、悪魔の所有物となった。蛮族の地にいるという、悪魔の主の所有物になった、と。

 

 これは、とてもつもないことを意味している。今までの状況より、基本的に悪魔達は個として行動する。が、例外として悪魔は自らよりも強い個体には従うということが分かっている。だが、調査隊と交戦した2体。精鋭のみを集めた部隊にも関わらず、それを歯牙にもかけなかった。話を総合するに、今まで確認された個体の中でも際だって強力な個体ということになる。であるならば、その主という存在は、その2体を遙かにしのぐ強力な個体と考えるべきだ。それこそ、悪魔の王と呼ぶべきほどに。それは、軍の総力で当たっても手におえない可能性がある。

 

 だが、すべてが悪いニュースというわけでもない。

 

 交戦した2個体は、どうにも他の個体と異なり、それなりの理性を持っているようなのだ。その2個体曰く、自分達は攻撃されたから応戦したのだ、と。もちろん本当のところは分からない。だが、純然だる事実として、調査隊の中には死者も、食われた者もいなかった。連れ去られたルクシャナとて、残された手紙の筆跡から本人であることの確認がとれている。となれば、対話の可能性が全くないではない。

 

 これは一つの光明となりえる。対話にて協力を得ることができればすべてが解決する可能性があり、もし敵対することになったとしても、敵がまとまりさえすれば軍としての行動が取れるのだから。

 

 幸いなことに、我々には現在、向こうから求めてきた蛮族との接点がある。我々は蛮族の地のことを知らない。だが、協力者がいれば、その悪魔の王と接触できるかもしれない。

 

 悪魔という善悪の別なき混沌の者達。もしその王たる存在がいるのならば、彼の者は混沌王と呼ぶのがふさわしいだろう。混沌王とは何者なのか、何か目的があるのか、味方と成り得るのか、何を優先しても確かめなければならない。



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第27話 Mixing Together


 ――トリステインが誇る白百合。

 姫様を表すに、これほどふさわしい言葉は他にないだろう。わずかに幼さを残した、可憐で、それでいて清楚なその姿。しかし今、せっかくの形の良い眉を顰めているというのは惜しいというべきだろう。

 視線の先にあるのは一通の書状。つまるところは、それが原因というわけだ。

 無理もない。私とてなかったことにしたいほどなのだから。よりにもよって、あの者に……





「――マザリーニ。これはどうすれば良いのでしょう? そもそも、額面通り受け取っても良いものなのでしょうか?」

 

 姫様の顔には本当にどうすればよいのか分からない、そんな困惑しかない。

 

「姫様。ひとまずこれは私に預けていただけませんか?」

 

 姫様は、かの者のことは知らない。

 

 ただ、アレに関わることで軽率な判断は国を危うくする。だから、私が直接対処すると話した。幸い、姫様も危険性を十二分に感じていた。だから、そのこと自体に問題ない。

 

「あなたがそう言うのでしたら。とはいえ、なぜわざわざ名指しでルイズを。確かに、虚無の担い手でありますが、だからといって……」

 

 姫様が物憂げに目を伏せる。

 

 数少ない友人に対する素直な心配からだろう。一度はルイズ嬢を危険に晒すようなことをしたが、だからこそ危険性を感じることができるようになったのかもしれない。それならば、愚かとしかいいようのなかったあの行動にも意味があったと言えるかもしれない。正直なところ諦めがあったが、姫様が変わっていけるのなら、私こそ導いていかなければいけない。導びかなければ、いけないのだが……

 

「今はまだ、分かりません。しかし内々に処理できる内容でもなく。もし……、ああ、何でもありませぬ」

 

 軽く頭を振る。

 

 もし私が戻らなければ、そのような仮の話をしたところで、何かが変わるものではない。今の姫に他に頼れるものはいないのだから。ウェールズ王子に相談するということは難しいであろう。

 

 私には味方がいない。そして、それは姫様にも言える。なりふり構わずに私は政治を進めてきたが、敵を増やすばかりであったそれが今は悔やまれる。私では、私の他に姫様の力になる者を作ることができない。むろん、彼の者の助力を得ることができれば大きな力になる。だが、決して味方ではない。信に足る者、先代とて多くの味方がいたからこそであったというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ほう。ガリアの王から直々に国へ招待すると。一公爵の娘である、ルイズ嬢を」

 

 かつて城に現れた青年は、あの時見たものとを同じ、柔らかな微笑みを浮かべている。しかし、変わらないそれが、返って恐ろしい。ゆったりと席についた彼は、極々自然なたち振る舞いだというのに。余計な勘ぐりを受けないよう、城の一室でひっそりと会合を持った。馴染んだ場所であるのに、どうしてだか私の方が心細い。

 

「ウリエル殿。トリステインという国は、私が言うには抵抗がありますが、ガリアに比べれば弱小国というのも良い所。国の立場からすれば、よほどのことがなければ断れないのですよ」

 

 知らず、いいわけがましい言葉が口をつく。事実ではあっても、それに理解を得られるかは分からない。それでも私はそんなことを言っていた。唯一課された、「私達に干渉するな」それに完全に抵触しているから。

 

 反応を伺うが、青年はわずかさえも表情を変えない。ただ、言葉だけは困ったように。

 

「ルイズ嬢をガリアへ招待したい――ですか。確かに、婚姻の式でそんなことを言っていたとは聞いていますね。あなたの言うとおり、断るのは難しい。この世界で生きるに、あまり良い選択でありませんし。虚無の担い手であるということにしても、そもそもをたどれば、かの国からもたらされた情報ではある。拒否する理由にはなりがたいですねぇ」

 

「……それは、許可するということで宜しいか?」

 

 慎重に言葉を選ぶ。一つの間違いが、私だけではなく、この国そのものに関わる。

 

「回答は主に話してからにはなりますが、仕方がないでしょう。――何、安全は私達で確保しますからね。もちろん、仮に招待を受けるにしても、主が戻ってからにはなるでしょうが」

 

「――今は、どちらへ?」

 

 他国にまで干渉しているなどということは考えたくない。だが、あり得ない話ではない。何せ、抱える者達それぞれが、比喩でも何でもなく一騎当千を体現する。それぞれの国に一人入り込めば事足りるのだから。たとえば、今の私に対するように。

 

 青年がくすりと笑った。作りものではなく、本当におかしなものを見たとでも言うように。

 

「なに、心配せずとも、ちょっとした私用のようなものです。場所も隣のゲルマニアという国です。本当はトリステインでできれば良かったのですが、この国では少々難しいとのことで」

 

「……それは、内容を聞いても?」

 

 青年は笑う。

 

「まあ、あえて言うのなら商用でしょうか。国をどうこうという話ではありません。そうですね、少々の観光を行うにしても、一週間程度で戻るでしょう」

 

「……そうですか」

 

 内容は聞けそうもない。そも、聞いたところで何かができるわけでもない、か。ただ、何事もないことを祈るしかできない。

 

 話は終わりだとばかりに青年が立ち上がり、思い出したように言った。

 

「……そうそう」

 

 足下から鳥肌が立ち上る。体中を虫がはい回るように。見上げた青年の顔に、笑みはなかった。

 

「またこういったことがあるようならば、私達の関係も考え直さないといけないかもしれませんね。それは、私達にとっても好ましくはないのですが……」

 

 見られているというだけで、水の中にいるように息苦しい。

 

 ――分かっている。

 

 彼らにとって、私たちなどそこらの塵芥にすぎない。決して、味方ではないということを。

 

 ウリエルという青年の目は語っている、次はない、と。

 

 その時には、何のためらいもなく私は消されるだろう。そして、誰かとすげ替えられるのかもしれない。頭よりも、もっとずっと深い所で理解した、理解できてしまった。気づけば、彼は姿を消していた。

 

 ようやく、忘れていた息をつく。

 

 視線を落とした先、テーブルの紅茶に映る顔は誰のものだろう。幽鬼のように落ち窪んだ目には、光がない。まるで死人。これでは鳥の骨とすら呼んでもらえまい。

 

「……まだ、死ぬわけには、いかんのだがな。せめて誰か、姫のそばに信用できる者を……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は遡ること数日、学生寮という場所には些か不釣り合いに艶やかな声が響いてから――

 

「シキ、返事が来たわよー」

 

 燃えるような赤毛と肉欲を誘う体を惜しげもなく晒すキュルケ。装飾といったものの乏しい廊下、そんな場所だからこそ、彼女の華やかさがより一層際だつ。

 

 そして、そんな彼女は掲げた手紙をひらひらと振っている。随分と軽い扱いではあるが、手紙にはご大層な家紋が封印とともにある。しかるべき者が、しかるべき手順をもって送ったものということだろう。

 

「思ったよりも早かったな。もっと時間がかかると思っていた」

 

 キュルケのツテを頼ってのゲルマニアとの取りなし。商業が盛んであるとの話は聞いていたが、数ヶ月待たされるということも十分に覚悟していた。そもそも、「場違いな工芸品」からの技術を解読するなどという、雲を掴むような話なのだから。

 

 俺の言葉にキュルケがいたずらっぽく答える。

 

「トリステインだったならシキの予想通りで間違いないと思うわよ? 時代錯誤も良いところのお堅い国だから。ああ、でも、今回は私が面白そうだって口添えしたから、その分は考慮されているかもしれないわね。お父様もそういうものは嫌いじゃないし。まあ、楽しませてくれればそれでいいと思うわよ?」

 

 まさかとは思う。だが、キュルケの自由奔放さを見ると、案外そうなのかもしれないとも思えてくる。

 

「そういった意味で期待されるとなると、それはそれでハードルが高いな。まあ、やれるだけのことはやるさ」

 

「期待しているわよ? で、どうするの? すぐにでも出発する?」

 

「授業はいいのか?」

 

 長期の休みなど、そうそうあるものではないだろう。

 

「いいんじゃない? シキの名前を出せば学院も何も言わないでしょうし」

 

 さも当然とばかりにキュルケが言う。

 

「あまりそういったことは良くないとは思うんだが……。それに、一日、二日で帰るとは限らないだろう?」

 

「細かいことはいいじゃない。人間、たまには休暇も必要よ? まあ……」

 

 ニヤリとでも言うべき、人の悪い笑みを浮かべる。面白いいたずらを思いついた時、彼女はそんな笑みを浮かべる。そういった奔放さは魅力であり、そしてまた、欠点でもある。特に、それを向けられる者にとっては。

 

「私と違って、一晩中でも平気なエロ魔人さんにはそんなもの必要ないのかもしれないけれど。ああ、それとも、ミス・ロングビルはお尻が痛いって嘆いていたし、変態魔人さんとでも呼んだ方が良いかしら? 情事には興味がないって顔をしておいてそういうことにまで手を出しているんだから相当よねぇ。何も知らないのをいいことに、ミス・エレオノールとも何だか良からぬことをやっているみたいだしね?」

 

 過去の意趣返しのつもりか、実に楽しそうに笑う。本人としてはしてやったりということなんだろう。

 

 だが、負けっぱなしというのは面白くない。ましてや、からかわれ続けることになるかもしれないというのはいただけない。

 

「……そんなに悔しかったのか?」

 

 む、とほんの一瞬、キュルケが眉根を寄せた。

 

「べーつーにー? 変態魔人が相手じゃ、微熱だなんてあってないようなものだもの。絶倫のあなたにとっては物足りなかったのかもしれないけれど」

 

「そうだな。だが、――もう許して、なんて言われてはな」

 

「うぐ……」

 

 ばつが悪そうに息を飲む。

 

 やはり、愛に生きると広言してはばからないキュルケにとっては痛い所だったらしい。そして、微かに頬を染める。何においても大人びているキュルケが、そういった素直な感情を見せるのは珍しい。

 

「キュルケの方から誘ったというのに、涙ながらに――」

 

 ちらりとキュルケの方を伺えば、自慢の髪と同じぐらいの赤い顔。だが、何かを言いたそうながらも、まだ余裕がありそうだ。

 

「……もう無理だといいながらも足を投げだして。あれでは誘っているようなものだったな」

 

「あれは……、その、動けなくなっちゃっただけで……」

 

 さらに俺が続けようとすると、ようやく観念したのか、キュルケが肩を落とす。

 

「分かりましたよ。ごめんなさい、私の負けです。サディストのシキには勝てません」

 

 ひらひらと両手をあげて、降参だと言葉を投げやる。

 

「サディストというのは……」

 

「あら、撤回する必要があるのかしら?」

 

 それは譲れない、とキュルケが睨む。

 

 サディスト――は撤回させるのは難しいか。心当たりがなくもない。マチルダとは、もう一度良く話しておこう。エレオノールは、俺がどうこうというより、自分でどこからか妙なことを覚えてくるんだが……

 

「さて、この話はもういいか」

 

 なおもキュルケが言いたそうにしているが、それ以上は何も言わない。お互いにとってそれが良いというのは分かっているんだろう。

 

「ゲルマニア行きで学院を休むのは好きにするといい。ただ、一緒に行きたい人間がいるから、しばらく待って欲しい」

 

 キュルケが不思議そうに首をかしげる。

 

「一緒にってルイズ? 私が言うのもなんだけれど、トリステインの人間はゲルマニアにはあまり行きたがらないと思うわよ? 私達だって見下されるというのはあんまり面白くないし、余計な火種は抱えない方が良いと思うけれど……」

 

 確かに言う通りだろう。そんな国柄だからこそ、トリステインではなく、ゲルマニアを選んだ。

 

「一緒に行きたいというのは学院とは別の人間だ。協力してもらうのに丁度良い知り合いがいて――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬車から見えるのは、随分と大きな屋敷――城と呼んでも遜色のないものだった。辺境伯、つまりは田舎の領主のようなものかという予想はあっさりと裏切られた。

 

 トリステインの王都には、国内で有力とされる貴族の屋敷も数多く並んでいた。だが、王城に遠慮してなのか、城と呼べるだけのものはなかった。しかし、キュルケの実家という屋敷はまさに城。

 

 ゲルマニアという国がそれだけ富んでいるのか、はたまた、辺境伯という位置づけが想像していたものよりもずっと重要な位置を占めているのか。いずれにせよ、予想は良い意味で裏切られたといって良い。

 

「……いや、これは素直に驚くしかないな」

 

 同行してきた人間、こういったことには興味をもたないであろうゼファーも、巨大な城を見上げたまま素直に関心の声をあげる。

 

 引きこもって研究していることもあってか普段は服装に頓着しないであろう彼も、今回ばかりはとしっかりと正装に身を包んでいる。この建物を見るに、少しばかり不足があるかもしれないが、それは俺自身にも言えることだ。

 

 そんな俺たちの様子にか、満足気にキュルケが笑う。

 

「トリステインではゲルマニアを成り上がりだって蔑むけれど、その結果がこうやってあるんだから素直に認めても良いと思わない?」

 

 普段はあまり自慢することはないが、褒められれば素直に嬉しいのだろう。たとえ、道中ではあまりソリの合わなかったゼファーの言葉であっても。

 

「――さあ、もうすぐ入るわよ。私からも歓迎するわ」

 

 どこか楽しげに、まるで自慢のおもちゃを見せびらかすように言った。

 

 

 

 

 

 通された部屋も、壮大な城に見合うだけのものだった。部屋は一目で高価だと分かる品々で埋め尽くされている。どこかの有名な山を描いたのであろう一抱えはありそうな大作の絵画。丁寧に金で縁取られた家具。冷めるような赤を示す敷き詰められた柔らかな絨毯。そして、なぜだかある、ある意味では見慣れている仏像――これは毘沙門天だろうか? そういった、高価ではあっても違和感しかない骨董品もそこここにある。

 

「……成り上がり、か」

 

 思わずだろう、ゼファーが呟いた言葉。

 

 言葉にはしないが、同意する。成り上がりという言葉にこれほどふさわしい部屋もそうないであろうから。キュルケ自身、苦々しげな表情は見せても、否定はしない。せいぜい――

 

「どれもこれも一級品よ。一つ一つはとても良いものなんだから。ただ、ちょっと多すぎるだけで……」

 

 根本的なところには触れない、曖昧な言葉のみを呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 出された茶が一度取り替えられた頃、城の主人が現れた。

 

 キュルケと同じ、燃えるような赤毛と若々しい褐色の肌。赤毛を短く切りそろえた精悍な顔立ちで、この屋敷の趣向した人物とは思えないほど均整のとれた体躯。椅子に座る動作も年齢を感じさせない軽やかなものだった。キュルケ自身の高い実力が示すように、武力を重んじているというのもうなずける。面影があることを差し引いてもキュルケの父親だと一目で納得できる、そんな人物だった。

 

 その人物がからりとした笑みを浮かべる。

 

「ようこそ。娘の紹介であるからね、歓迎しよう」

 

 適度に威厳をもった、それでいて人を緊張させるだけではない、柔らかな声。

 

 なるほど、商業が盛んであるというのは上に立つ人物の資質かと納得させるだけのもの。ただし、それだけ油断ならないという意味でもある。事実、ごく自然に話を主導していく。

 

「さて、娘の話だと面白いものを見せてくれそうだね。何でも、場違いな工芸品の技術解読をやっているとか。美術品収集の一環、道楽のようなものだが、変わったものが多いあれは私も好きでね。表に出してはいないが、コレクションしているのだよ。試しに作ってみたものをあるということだから、個人的に見てみたいと思っていたところだ」

 

 キュルケの父が笑う。あえて個人の興味だと前置くのも、交渉の一環だろうか。

 

 まあ、何にせよ見せなければ話が進まない。傍らのゼファーに視線を送ると、心得たと、彼が試しに作ってみたものをテーブルに置く。

 

 つり下げられたガラスの球体からガラスの管、筒、宙に浮いた車輪とが複雑につながっている。形状は複雑になってしまったが、この世界には練金という便利なものがあるので、粘土細工のように簡単に作ることができた。試作をしながら形を自由に変えられるので、驚くほど効率が良い。

 

「なかなか面白い形だが、それがどうなるのかね?」

 

 キュルケの父が尋ねると、それに答えるようにゼファーが動く。

 

 ガラスの球体の中に水を入れ、その下に火を灯す。やがて球体の中の水が沸騰し、泡立つに合わせて蒸気がガラスの管を通っていく。管の行き止まりまで進んだ蒸気は、つながった筒の中で管を塞いでいるピストンを押し出し、外側でそれにつながった棒を更に押し出す。すると、押し出された棒につがったクランクが宙に浮いた車輪を回転させる。そしてビストンが戻り、同じことを繰り返していく。繰り返すにつれ、車輪の回転もどんどん勢いの良いものになっていく。ただ車輪を回転させるだけの構造だが、これも立派な蒸気機関だ。

 

 それを見て、キュルケの父が感心したような声をあげる。

 

「蒸気の力で車輪を回転させる、か。いや、面白いものだね。いや、本当に面白い。これを見せてもらったからには私も見せたいものがある。本来ならば機密ではあるが、君ならば見せても良いだろう」

 

 そういいながら、どこかいたずらっぽく笑った。しばしばキュルケが見せるような笑い方。やはり親子なのだと思わせる。

 

 

 

 

 

 

 豪奢な雰囲気とは打って変わって石造りの無骨な場所へと案内される。城とは少しだけ離れた場所にあるが、普通の家ならば何軒も入りそうな大きな建物だ。何でも、様々な技術研究を行っている場所ということだ。

 

 道すがら説明をしてくれた。ゲルマニアの皇帝の考えで、国力の発展に寄与する技術に関して、各諸侯は積極的に投資すべしとのことだ。むろん、発展は各諸侯にとっても有益であることからそれぞれが積極的に投資している。最近更に力を入れるようにとの通達があったとのことで、これでも少し手狭になっているらしい。

 

 警備のある入り口をくぐると、中ではむっとするような熱気と金属のぶつかる大きな音が聞こえてきた。外からは音が聞こえなかったから、おそらく防音の魔法なりが使われているのだろう。

 

 そして、熱気と音の正体。燃え盛る石炭とそれから作られる蒸気を利用した上下運動機関。巨大な天秤の片方につながり、もう片方に大きなハンマーがつり下げられている。音の正体はハンマーが鍛造を行っているものだったらしい。初期の構造なのかもしれないが、これも蒸気機関。

 

「――なるほど、蒸気の力とすぐに分かったのは既に使っているからか」

 

「道楽というのも案外馬鹿にできないものでね。場違いな工芸品の技術は理解仕切れないにしろ、大したものだ。試行錯誤を重ねながらではあるが、再現のようなこともやっているんだよ。まあ、やはり半分は道楽のようなものだから効率にはかけるがね。見ての通りずいぶんと大きなものになっているし、何より使い道というのが後回しだ」

 

 笑いながら、それでいてどこか試すような視線。

 

「改良と活用のヒントになればということか?」

 

「話が早くていいね。本来なら機密にするべきことではあるが、既に知っているというのならこちらとしても問題ない。何かしらのヒントを得ることができるというのなら、こちらからの協力というのもやぶさかではないよ」

 

 ……さて、どうしようか。確かに、お互いにとっても悪い話ではない。

 

 ゼファーに視線を移すが、関心したように唸り声をあげるばかりで、期待はできない。キュルケはどこか試すようではあるが、静かに見ている。余計な口出しをするつもりはないということだろう。もう一度「蒸気機関」に視線を戻す。

 

 音と蒸気を出し、ピストンが激しく上下運動を繰り返している。歴史からすれば、かなり初期のもの。とはいえ、技術的にどうこうというのは難しい。蒸気機関のエポックメイキングに従うのなら、運動の方向性の変換がまず有効だろう。

 

「たとえば、本の中には、これを回転運動に変換するというものがあった」

 

「さっきの試作品にあったものだね」

 

 かすかに反応はあったがどうであろう。すでに知っていて試してはいるのかもしれない。活用法を含めて、こちらからもう少し情報を出すか。

 

「コンロッドという機構を用いることで上下の動きを回転運動に。そうすることで活用範囲が広がる。例えば、布を織るための機械の動力として。もしくは、それを車につけて馬に代わる動力として自動的なものにするといったものがあったな」

 

 様子を伺う。さて、現状を鑑みれば、提案としては十分だと思うが

 

「……それだけかね?」

 

「ああ、これに関してはそうだな」

 

「一度変換する、なかなか面白い考え方だ。ただ、馬の代わりかね。見ての通り、機構がずいぶんと大きくなってしまっていてね。よほど小型化しなければ難しいと思うのだよ。それもできるのかね?」

 

「さあ、どうだろう? 手紙にした通り、機構に対するアイデアはあるが、それを形にすることが難しい。だから

、それができそうな所と協力したいというのが本音だ」

 

「雲をつかむような話ではあるね」

 

「そう思われるなら、それはそれで仕方がない。まあ、そこまでやれというのなら、こちらにとっても組むメリットがない。時間がかかるが、トリステインでやるのと大差はないな」

 

 キュルケの父親がかすかに目を細める。

 

「――ふむ。まだるっこしいさぐり合いは興味がないと見えるね。まあ、いいだろう。正直な所、本当に場違いな工芸品の技術を理解できているのかというのは、判断がつかない。が、馬の代わりにするといったアイデアというのはなかなかに個性的だ。方向性を出すには十二分に評価できると思うね。いいだろう、どのみち実用化するには様々に試していくしかない。その方向性の一つの提供を受けるというのはメリットこそあれ、デメリットはないな」

 

 キュルケの父が手を差し出し、それに答えた。

 

 

 

 

 それから、工房の責任者を交えて会合を持った。コンロッドの試作や、ゼファーが集めていた雑誌についてなど。彼が所有していた子供用の教材に手を加えたおかげで、多少は翻訳のまねごともできる。

 

 効率だけを考えれば当然俺がすべて話す方が手っとり早い。しかし、すべてが知るべきものか分からない以上、そこは任せるべきだと思っている。当然、完全な再現などはできないだろう。だが、それでちょうど良いのではないかと思う。運命論者ではないが、必要なアイデアは自然と生まれてくるものだ。

 

 一日はあっと言う間に過ぎた。そして、他の人間がいなくなったところで、話かける。端から見れば独り言のようだろう。

 

「――ところで、わざわざここまで来るということは何かあったのか?」

 

 影から、ウリエルの返事がある。

 

「ええ、ルイズ嬢のことで……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学院ではルイズとエレオノール、そしてルイズの母とがガリア行きの準備をしていた。ガリアからは必要なものを揃えた上で迎えが来るとのことだが、それでも貴族として準備すべきことがあるらしい。その一環として、ルイズの母と使用人が幾人かやってきていた。流石に公爵自身がというのは難しかったようで、公爵婦人がということらしい。何にせよ、これに関しては手伝うことがないので、ただ見るだけとなる。

 

 ふと、ルイズの母とエレオノールとが話をしていた。曰く、私が教えたことは役に立っているかと。なぜか視線は俺に向けながら。対してエレオノールが同じく俺を見てうなずく。ほんの少しだけ頬を染めながら。

 

 大方の想像はついた。色々とエレオノールに教えていたのは母親だったということだろう。ああ、いや、貴族の教養として房中術というものがあるらしいから、おかしなことではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ガリアからの迎えとして、何匹かの竜が大きな籠をつり下げてやってきた。籠といっても今回向かう人間が全員であっても十分なほど立派なものだった。ルイズとその母、使用人が二人に俺とウリエルが乗っても十分にスペースがある。

 

 ふと、ルイズが心配そうに俺を見ていた。

 

「……どうした?」

 

「ええと、今回はその……、大きくなる人達とかは一緒じゃないのよね?」

 

 ……大きくなるというと、オンギョウキにアルシエルだろうか。

 

「今回はわざわざ一緒に行く必要はないだろう?」

 

 まあ、一緒には、だが。俺の内心の言葉を知らずに、ルイズが安心したようにつぶやく。

 

「そう、だよね。戦争に行くんじゃないんだから、シキにお母様にウリエルさんがいれば十分……というか、十分過ぎるよね」

 

 最後の言葉は尻すぼみになった。そして、ルイズの母が言う。

 

「ルイズ。戦争というのは手段であって、目的ではないのですよ? 極力回避すべきものではありますが、必要があれば躊躇してはならないものなのです」

 

 その言葉には同意する。

 

「そう、避けるべきものではあっても、選択肢の一つではある。相手の目的が分からなければ、最悪の可能性だって考えなければいけない。心配してしすぎなんてことはない」

 

 ルイズは顔を俯かせる。

 

「そうなんだけれど……。何で二人とも否定はしないの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空から見えるガリアの城は、なるほど、ハルケギニア一の強国というのもうなずける。

 

 大きく広がる肥沃な国土からは潤沢な税収があり、その結実したものである王城は、決して小さなものではないトリステインの城の一回りも二回りも大きい。加えて、税収に陰りのあるトリステインと異なり、城を囲む色とりどりの花壇もきちんと手入れされていることが分かる。

 

 ルイズが教えてくれた。豪華絢爛なその花壇がガリアを象徴するものであり、東、西、南、それぞれの花壇の名を冠した騎士団がガリアの誇る精鋭だという。

 

 城が近づく。

 

 王自らの招きであるということで、特に煩わしい手続きを得ずとも城の中心に降り立つことができるとのことだ。面倒がないという意味ではありがたい。もっとも、この状況そのものが「面倒事」ではあるかもしれないが。

 

 

 

 

 

 初老の執事とおぼしき者に先導され、王城をすすむ。足下に隙間なく敷き詰められた絨毯、壁面、柱、天井――その全てに精緻な装飾が施され、この城そのものが美術品の如く飽きさせない。ルイズとその母の感心した様子を見るに、この世界でも相当なものなのだろう。

 

 外の花壇に加えて内の装飾もこの国が誇る自慢であるらしく、男はうるさくならない程度に解説を加える。曰く、これには何千年の由来があるとも。その長大な歴史には感心させられる。良い意味では連綿と受け継がれる歴史に対する賞賛、悪い意味では、数千年も変わらないその停滞に。どうあれ、飽きさせないという意味では大したもの。城内の移動でありながら相当な時間がかかるのだから。

 

 衛兵が両隣に待つ扉、よりきらびやかな装飾が目の前に広がり、立ち止まった男が振り返る。

 

「――広間にて王がお待ちいたしてございます」

 

 頭を垂れた男が言い、重そうな扉が音もなく開かれる。

 

 

 

 広間の中心、玉座だと一目で分かるその場所には、以前トリステイン城で見た青い髪の男が楽しげに笑っていた。一つの国を率いる王という立場とは不釣り合いなほどに、ただただ楽しそうに笑っている。

 

 その男の右手にはルイズと同年代かとおぼしき青い髪の少女。どこか不機嫌に人を見下す空気と、その青い髪。おそらく王女という立場にあるのだろう。

 

 左手には、これはどういった立場だろうか。見た目には20の後半にさしかかったほどだろう、人間離れして整った顔の男がいる。青い髪がガリア王家の人間の特徴であるということだから、金髪であるこの男は、少なくともそこに連なるものとは違うようであるが。目があったが、それは一度だけで、すぐに逸らされる。

 

 他には、少なくとも服装だけは立派な者達が左右に列をなしている。ここにいられるほどには身分は高い者達なのだろう。

 

 そして、ルイズとその母とが、他国とはいえ相手が王族だからだろう、跪くようにして頭を下げる。余計な波風を立てる必要もないので倣う。

 

 それから、ガリア王から来城への感謝と、夜に宴を開くとの言とが続く。わざわざ呼んだからには目的があるはずだが、おそらくここではなく、宴の席か、もしくは人目のない場所でのこととなるのだろう。ガリア王が型破りと呼ばれる人物だからか、無駄に長い話などといったことはなく、部屋へと案内された。

 

 一つ変わったことといえば、部屋に予想通り王女だった少女が訪れ、ルイズに自慢の花壇を案内すると言ったこと。本人曰く、父親であるガリア王からそうするように言われからだとのことだ。

 

 不本意だと全身で表現するその様子は年相応のもの。ルイズは恐縮してしまっていたものの、少なくとも案内する本人には裏がないと分かるだけに好ましい。もちろん、ガリア王自身が何を考えているのか分からないが。今のところは、虚無というのがこの世界では特別なものであり、その使い手との関係を深めたいのか、その程度しか予想できない。

 

 どうあれ、断ることが難しいと分かってやっているのだろうから受け入れるしかない。先行者からの報告もないのがから、少なくとも表だってのやっかいごとはないと見ていいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「――これが、ガリアが誇る東花壇よ。まあ、綺麗ではあるけれど、これの維持にいくらかけているか分かる? 本当に無駄だと思わないかしら?」

 

「……いえ、そんなことは。とても美しいものだと思いますし」

 

 ルイズが困ったように答える。イザベラがルイズへ視線を向ける。

 

「私は気にしないから別に正直に言っていいわよ? で、後ろのあなたは彼女の使い魔だったわよね? あなたはどう思う?」

 

 視線は俺へと移る。

 

「綺麗、ではある。あとはまあ、そういった飾りも権威を出すには必要だろう?」

 

「あ、あのね、シキ? もう少し、もう少し言葉を……」

 

「いいわよ、別に。裏で何を言われているか分からないよりよっぽどいいわ」

 

 心底どうでも良いと進んでいく。強がりでも何でもなく、そういうものだと言うように。が、足を止めてくるりと振り返る。

 

「――ただ、主人を困らせるのはどうかと思うけれど?」

 

 いたずらがうまくいった子供のような笑み。切れ者ではあるらしいガリア王、その娘にもその一端はしっかりと引き継がれていたようだ。素直に一本取られたと認めるべきだろう。何せ、お願いだからと縋るように見上げてくるルイズがいるのだから。

 

 くくっと、楽しげな含み笑いが聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 宴とやらは、花壇の中心で開かれた。

 

 ぐるりと囲む篝火、それにうっすらと照らされる花々は、昼とはまた違った儚げな表情を見せる。城の中とは違って美術品の類はないが、それが良い。あればかえって無粋というもの。先だって連絡のあった、ドレスなどは不要というのもそういうことだろう。

 

 列席者はガリア王にイザベラ王女、謁見の際にもいた若い男。そしてこちらは、ルイズ、その母、俺、ウリエル。少し離れた先に料理人と給仕係がいる以外は随分と砕けたホームパーティーといった様相だ。ワインが手渡されたところで口火を切ったのはガリア王。

 

 

「遠いところはるばるガリアまできてくれたことを感謝するよ、ルイズ嬢」

 

 どこか人なつこい笑みを浮かべるガリア王。壮年といっても良い年ながら、そこに違和感はない。作ったものではなく、純粋に楽しんでいるからだろうか。

 

「いえ、私のようなものをお招きいただけるなど、ただ感謝するだけにございます」

 

 恐縮する様子のルイズに、ガリア王が、かかと笑う。

 

「これは余のわがままだよ。であるならば、感謝すべきは余の方だ」

 

 娘であるイザベラ王女へと振り返る。彼女は普段着がドレスになるからか、髪と同じ青のドレスに身を包んでいる。ただ、昼間にも感じた粗野な空気のせいか、良いか悪いか、砕けたこの場にも良く馴染んでいる。

 

「前に話した通り、立場もあってイザベラはなかなか同年代の友人をもてなくてね。国外ならば気兼ねも少ないだろう? であるから、ルイズ嬢にもそう振る舞って欲しいのだよ」

 

 困った表情を見せるルイズに、ガリア王は更に笑う。

 

「余のような変わり者であればともかく、いきなりは難しいだろうね。なに、今日のこの席は共に食事をとれただけでも十分というものだよ。いずれは余と行動を共にこととてあるだろうから、少しずつでも慣れてくれれば十分だとも。料理はこの日の為にと用意したガリア自慢の品々だ。ここにはうるさい輩もおらぬし、存分に楽しんでいって欲しい」

 

 ガリア王がグラスを高々と掲げ、一息に飲み干す。タイミングを合わせたかのように、給仕が料理を運んでくる。自慢の品というだけあって、確かに美味しそうだ。

 

 ガリア王の意図というのはどうにも読み切れない。先に調べた報告からも、少なくとも表だっておかしな様子はなかったということだった。今すぐどうこうということはないのかもしれない。少なくとも、今この時は。

 

 

 

 

 

 

 

 窮屈なドレスを脱ぎ捨てる。窮屈ではあっても、私が王女であると示すためには必要なもの。魔法の才能の乏しい私は、自身以外でそれを示さなければいけない。そうでなければ侍女にすらなめられる。

 

 もっとも、裏で何を言われているかぐらいはそれなりには把握している。だから、無駄だと分かってはいる。だが、これは、意地のようなものだ。

 

 ベッドに乱暴に倒れこむと、柔らかいそれに深く沈み込む。部屋には誰もいないから、ようやく肩の力も抜ける。一人の時だけが、私が私としていられる時間。

 

 目を閉じる。

 

 トリステインの一侯爵の娘だという、桃色の髪の娘。父は、私の友人とする為に招待したと言った。そんなことはありえない。父が私のことを見ることなんてなかった。

 

 そもそも、表面だけは常に上機嫌であっても内心はそうではない。それが私が知る父。あの人の心には闇がある。普通の幸福というものが、あの人にとってもそうであるとは限らない。私には理解できない人物、それが父。

そんな父が私の為になんてことは、絶対にありえない。

 

「――私のことを見てくれるなんて、絶対にない。絶対に、ないんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ビターシャル郷。あれが君たちが言うところの混沌王だと余は見ているのだが、どうかね?」

 

「……分からない」

 

「うん? 君らしくもない言葉だね。確かめるためにも色々と準備をしていたと思っていたのだが」

 

「確かに、あれは精霊が怯えるほどの力の持ち主だ。それは間違いない。だが、あれだけではない。一緒にいたもう一人の男も、先だってあった侵入者も、悪魔の王であっておかしくない」

 

「ほう、それはまた豪勢なことだ。随分とまた、当たり外れが激しい。……ああ、いや、大した意味はないとも。ゲームで手札が偏るなど当然のこと。それをどうするかが醍醐味だよ。それでこそ腕が鳴るというものだ」



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第28話 The Beginning of the End

 ーーパラリ、パラリと紙を手繰る音。

 読み進めるというにはいささか早いように思えても、いつもそんな調子、本人にとってはそれで問題ないらしい。

 ふと、音が止んだ。

 見れば、エレオノールが優しげに微笑んでいる。





 

「孤児院の件、ようやく工事が始められますよ。ほら、見て下さい」

 

 エレオノールの肩越しにのぞき込む。むろん、読めはしないが。そんな様子に気づいたのか、エレオノールがクスリと笑い、俺の手を取り、手紙をなぞる。

 

「ほら、ここから。国からの裁可と、関連法案の草案ですね。最初の資金に関しては家からの持ち出しにならざるを得ないですが、将来的には国が責任を持つことになります。建物などは既存のものの改修で十分ですし、あと数ヶ月もすればそれなりの形になりますよ。アルビオンの孤児についても、そこで受け入れられそうです」

 

「良かった。これで、テファもようやく安心できるな。テファだって、自分の好きなことができるようになる」

 

「ええ。ルイズとそう歳が変わらないんだから、学校に通っていたっていいぐらいですからね。ところで……」

 

 不意に、エレオノールの手に力がこもる。まるで逃がさないとばかりに、いつの間にか両手が添えられている。

 

「いつ、行きましょうか?」

 

 エレオノールは変わらず微笑んでいる。

 

「……どこへ?」

 

「もう、分かっているんでしょう? 私の実家にですよ。手紙だけのやりとりで資金を出すというのもおかしな話ですから、やっぱり一度は顔を出さないと。それに、シキさんもお父様も、姫様の結婚式の時に言っていたでしょう? また、日を改めてって」

 

「……言った、ような気はしなくもない、な」

 

「はい、言いました。じゃあ、色々と準備もありますから……。そうですね、来月最初の虚無の曜日にでも行きましょう。あ、準備は全部私の方でやっておくので、シキさんは何もしなくてもいいですよ。ただ……」

 

 エレオノールは笑う。まるで、ずっと準備してきたいたずらがうまくいった子供のように。

 

「逃げないで下さいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紙面にはびっしりと、几帳面な文字が書かれている。

 

 これは書いた人間の性格からだろう。そして、以前に比べればどこか丸みを持った文字であることが、その変化もまた表しているのかもしれない。それは良い傾向で、素直に嬉しい。そしてまた、書かれた内容についても。

 

「ーー孤児院の件はうまく進んでいる、か」

 

 エレオノールからの、孤児院設立のことを報告する手紙。

 

 学者というものは得てして頭が硬くなりがちのものだが、なかなかどうして、我が娘は家名も利用してうまく立ち回ったようだ。資金のことはともかく、それ以外には特に手助けをしたわけでもないというのに、短期間でここまでこぎ着けた。父として嬉しいばかりだ。

 

 国の基礎は人。であるならば、孤児をただそのままにするよりは、人材として使えるようにするというの理にかなったこと。しかし、それだけは回らぬというのが政というものだ。娘の思わぬ成長をこんな所で見れるとは思わなかった。ただ一つ……

 

「アレと一緒に挨拶に来る、か」

 

 何のおかしなこともない。むしろ、当然のこと。だが、アレと会わなければならないかと思うと、一貫して非常識であった方がはるかに有り難い。アレと良い関係を保つ、それは国としても、一貴族としても理に叶ったことではあるが。

 

「見なかったことには……」

 

 不意にノックの音、思わず体が跳ねる。

 

「ーーああ、丁度良かった。あなたも読んだ所だったようですね」

 

 扉から覗くのはカリーヌ。何のおかしなことはない。ただ一つ気になるのは、手元の紙片。今しがた見た手紙と同じだと思しきもの。だが、なぜわざわざカリーヌの手元にも同じものがある。

 

 儂の視線に目を細め、カリーヌが言った。

 

「同じ手紙は私にも届いていますので。ああ、少しだけ違いますね。エレオノールから一言、公爵には必ず同席して欲しいとのことが書かれていました。もしかしたら出ないと言われるかもしれないと心配だったようですね」

 

 カリーヌが微笑み、緩やかに首を傾ける。

 

「逃げるなどという恥知らずな真似、まさか公爵ともあろうものがするはずないでしょうにね?」

 

「……もちろんだとも。そんなこと、あるはずがないだろう」

 

「ふふ、そうですね。もしそんなことがあれば、私は恥ずかしく死んでしまいます。まあ、その時はあなたも一緒ですけれどね」

 

「当たり前……だろう」

 

 背中を汗が伝う。カリーヌは、冗談を言うことはない。やるといったらやる。

 

「そうですね。では、準備は私の方でやりますので、ご心配なく」

 

 それではとカリーヌが去っていく。

 

 天を仰ぐ。

 

 エレオノールも、うまく立ち回れるようになったものだ。本当に、それ以上いらんという程に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーールイズ、お父様から手紙が来ていたわよ?」

 

 掲げたエレオノール姉様の手に、ひらひらと揺れる紙片。

 

「……はあ。お父様からというのは珍しいですね?」

 

 普段はお母様からで、時折、その中にお父様からの言葉が入っていることがあるぐらい。思わず首をひねる。

 

 お姉様が言う。

 

「まあ、内容はだいたい分かるわ。私とシキさんの様子でも聞きたいんでしょう。とりあえず、へたれとでも返しておきなさいな。シキさんについても、ーーお父様についてもね」

 

 それだけ言うと、お姉様は立ち去る。

 

「また何かやるつもり、なのかな? それにしても、シキはともかく、お父様も?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車輪が何かを踏む度にゴトゴトと揺れる馬車。

 

 町と学院の間の道は舗装したが、それでも馬車は揺れるものらしい。時間の短縮はできたが、もう一工夫必要かもしれない。通うとなるとテファも辛いだろう。

 

 ーーまあ、それは時間がある時にでも考えればいい。今はもっと別のこと。

 

「……エレオノール」

 

「何ですか?」

 

 上機嫌な返事。まるで、鼻歌でも歌うように。

 

「実家に行く準備をするというのは分かるんだが、また服を仕立てる必要はあるのか? この前の結婚式の時にも一つ、仕立てたじゃないか」

 

 貴族とはそういうものなのかもしれないが、その感覚は今一つ理解できない。

 

「そういうものなんですから、気にしないで下さい。採寸と、あとは一緒に来てくれれば大丈夫です。ほら、もうすぐ着きますから。ーーふふ、これもデートですよね。せっかくですから夕食も食べて帰りましょうね。うーん、どこがいいかなぁ……」

 

 エレオノールの口からは聞き覚えのある店の名が出てくる。中には屋台の料理の名も。

 

「そう、だな」

 

 ーーどうする。

 

 エレオノールの実家に行ったらどうすれば良い。ここは娘さんを下さいと言うべきなのか……。

 

 エレオノールはそれを期待しているんだろうが、俺が父親なら、まず二股をどうにかしろと言う。いや、もう母親には言ったーー言ってしまったんだが。誠意を見せるにも、どうすれば良い……。手遅れとしか思えないんだが……

 

「シキさん、聞いてます? 頭を抱えてないでシャンとしていて下さい」

 

「……分かった」

 

 

 

 

 

 いくつかの店を周り、エレオノール曰く、もっとも上等だという店で仕立てることになった。どんなものになるのかはよく分からない。ただ、エレオノールが自身の為に仕立てを頼んだのはドレスだと分かった。多分、ダンス用のものだと思うが、なぜそんなものが必要なのかよく分からない。それから先はエレオノールに促されるまま、王室御用達だかの店を回った。何を買っていたのかはあまり覚えていない。

 

 俺も、何かお礼の品を準備すべきだろうか……。しかし、喜ばれるものは何だ? 金貨や宝石は違う。逆に礼儀知らずになるように思う。何か、喜ばれるものを……。誤魔化すわけではなくて、ただ純粋に礼として。

 

 たっぷりと買い物をして食事もとなったが、味がよく分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーああ、シエスタ。丁度良いところに」

 

 朗らかに笑う、エレオノール様。どこか楽しそうに手招きされる。

 

 ーー良かった、今日は機嫌が良さそうだ。

 

 それは私にとっても嬉しいこと。割と変態魔人次第なところがあるので、そこは感謝しても良い。なんなら変態魔王と呼んでもいいぐらい。

 

「何かご用でしょうか?」

 

「ええ、お茶の準備をお願いしたいの。私の部屋に三人分」

 

「かしこまりました。茶菓子は如何致しましょう?」

 

「そうね。あまり甘すぎないものがいいかしら? あなたのことは信用しているし、任せるわ。じゃあ、よろしくね」

 

 エレオノール様は部屋へと戻っていく。微かに鼻歌も聞こえる。本当に機嫌が良さそうだ。

 

 

 

 

 

 

 蒸らし終わった紅茶を、予め温めておいたカップに注ぐ。

 

 まずはエレオノール様の分。そして、同席されていたウリエル様の分。優しく微笑まれて、知らず頬が熱くなる。

 

 ウリエル様は女性と見紛うほど美しい顔立ちだけでなく、とても紳士な方。当然、メイド仲間の中でも人気が高い。そして、持っている空気が違うというのだろうか、そばにいるだけでどこか心が休まる、そんな方。きっと、とても偉い司祭様なんだと思う。変態魔人と一緒にいる所をたまに見かけるけれど、アレにもぜひ見習って欲しいものだ。

 

 部屋がノックされる。出迎えると、ロングビル様だった。

 

「あら?」

 

 ふわりと微笑む。

 

「あなたが給仕に来ていたのね。じゃあ、私の分の紅茶もお願いできるかしら?」

 

 知的だけれどどこか冷たい、そんな風に思っていた。

 

 けれど、今は全く逆の印象。貴族ではないということが理由の一つかもしれないけれど、私達にも分け隔てのない、優しい方。メイドの中にもあんな大人の女性になりたいという言う声がある。

 

 人気といった意味ではエレオノール様も同様。確かに怖いところはあるけれど、仕えるのなら尊敬できるエレオノール様のような方が良い。それには素直に皆がうなずく。

 

 そして、そんなお二人に堂々と二股をかけている変態魔人はありえない、それにも皆がうなずく。変態的な行為を強いているという話も聞くし、本当にありえない。一度死んだら良いと思う。

 

 

 

 

 

 部屋の片隅、邪魔にならないように控える。

 

 話の雰囲気はとても和やか。内容を話すには少しばかり憚りがあるようなものだけれど、それは私がどうこう言うべきものではない。私はこの部屋にはいないもの、だからこそ同席できるのだから。求められるのは給仕のみ、それ以上でもそれ以下でもない。

 

「ーーああ、そうだ」

 

 エレオノール様の良いことを思いついたという弾んだ声。どうしてだが私に向けられているようだった。

 

「シエスタ、あなたにお願いしたいことがあるんだけれど、いいかしら?」

 

「私にできることでしたら、喜んで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、ウリエル。少し、相談したいことがあるんだが……」

 

 そう、ウリエルに切り出す。

 

 結婚の実経験が合ったという話は聞いたことがない、そういった意味では相応しい相手ではないかもしれない。だが、常識的な判断という意味では十分に期待できると思う。

 

「何でしょう?」

 

 いつものように、穏やかに笑う。

 

「エレオノールの実家に行って、父親に会うことになった。ことによっては、エレオノールとの関係についての話も出てくると思う」

 

 流石に即答はしかねるのか、ウリエルはしばらく沈黙する。

 

「……そろそろ、結婚ということで良いのでは? 幸い、この国では一夫多妻ということもあるようですし。少なくとも、貴族であれば問題ないでしょう。この国の貴族とは違いますが、たとえば別種族の王として、堂々すれば良いのです。このまま長引かせる方が身動きがとれなくなりますよ? 今ならまだこちらが主導権を握れますが、それ以上になると余計な波風というのも出てくるでしょうし」

 

「それはそう、何だが……」

 

「いっそ、マチルダ嬢のことも併せてきちんと整理しましょう。お任せいただければ、横槍が入らないよう、予め周りの整理ぐらいはできますので」

 

「……その方が、いいのか」

 

「では、あとは私にお任せを」

 

 ウリエルに任せておけば、少なくとも悪いようにはならないだろう。

 

 そろそろ、きちんと話はしないといけないと思ってはいる。この世界の婚期というのは早いらしい。エレオノールはもちろん、マチルダも結構な嫁き遅れという括りになるようだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 忙しく立ち回るカリーヌ。

 

 メイド達にもてきぱきと指示を出していく。お陰で、私が口を出すことは何もない。

 

「ーーお母様、動物達も一緒に出たいんだけれど駄目かしら?」

 

「普通ならば認められないけれど……。まあ、あまり格式ばったものでもないですし、問題無いでしょう。ただ、あなたが責任を持つのが条件ですからね」

 

「もちろんです」

 

 最近は体の調子が良いカトレアも楽しそうだ。くるくると変わる表情は、まるでルイズのよう。

 

 以前は部屋にこもって動物とだけ接していた。もちろん、私達がそうさせていたということもあるが、カトレアも自分の体のことをきちんと理解していた。だから、体に負担がかかることは決して行わなかった。だが、今は普通の生活ならば支障はない。

 

 人並みの幸せは難しいと思っていたが、これならば。一代限りの領地を持たせ、せめて静かに暮らせるようにと考えていたが、改めて伴侶を見つけても良いかもしれない。体調さえ落ち着けば、親の贔屓目を抜きにしても聡明で器量良しだ。

 

 そうなると、少し準備が必要か。妙に勘の鋭い子ではあったが、人との関わりがそもそも少なかった。そういった当たり前のことから考えていくのがまずは必要だろう。次に王宮に向かう際には同行を考えても良いかもしれん。良い相手が見つかれば、それでも良い。

 

 何にせよ、良いことだ。私自身、カトレアの当たりまえの幸せというのは諦めていたのだから。

 

 それは良い、良いことなのだが……

 

「ーーなあ、カリーヌ。そこまで張り切って準備をしなくても良いんじゃないか。ただ、孤児院のことで一度会うだけじゃないか」

 

「やる気がないのなら黙っていて下さい。私たちで全部やっておきますから」

 

「ええ、私たちに任せて下さいな」

 

「そ、そうか……」

 

 私が知らぬ間に、様々な準備が整っていた。

 

 いつの間にかダンスパーティーが開かれることになっていた。ただ挨拶に来るだけだというのに、わざわざ東方伝来だという料理を出すことが決まっており、なぜか学院からメイドが一人手伝いに来ていた。

 

 エレオノールからカリーヌに手紙が度々来ていたから、きっとその中にあったのだろう。なぜか王室からの手紙も混ざっていたようだが……

 

「なあ、カリーヌ。何か大きなことになっていないか?」

 

「あら、エレオノールのことは私に任せて下さるんですよね? ーーそれに、早く結婚して欲しいとおっしゃっていたじゃありませんか」

 

「まあ、それはそうなんだが……。いや、いつの間にそういう話になっていたんだ? 今回はただ会うだけだろう?」

 

「エレオノールにとって悪いことにはなりませんから、心配しなくても大丈夫ですよ。ただ、あの子の良き人を迎えるので、それなりの準備をしているだけですから。……あら、カトレア? 厨房に何か用事ですか?」

 

 見れば、いつの間にか厨房の中にいたカトレア。

 

「お母様、私も料理を作ってみたいのだけれど、駄目かしら?」

 

 叱られると思った子供のような、どこか不安げな表情。

 

「そうですね……。できるに越したことはないでしょうから、興味があるのなら。せっかくですから、今からでも練習なさい。それはそれとして今回のこと、段取りを含めてこれからの参考になるよう、よく覚えておきなさい。殿方は最初が肝心ですからね。最初を間違えれば遊び歩くようになるかもしれまんせんが、最初さえきちんとすれば、そんなことはありませんから。男性は誰もが貞操観念を持っているわけではないですからね」

 

「犬の躾と同じですね」

 

 朗らかに笑うカトレア。しかし、いつの間にそのような恐ろしいことを言うように……

 

「ーーおおむねその理解で間違いないでしょう」

 

 カリーヌは、……変わらんか。

 

 そうだな、カトレアも体が弱かっただけでカリーヌの娘であるからな。病弱であっても弱音を吐くことは決してなかった。柔らかい雰囲気を持ちながらも、これと決めたことは曲げなかい。そういった意味では、カリーヌの血をもっとも色濃く引いているのはカトレアなのかもしれない。良くも、悪くも……

 

「エレオノールからの要望は二人きりになれる部屋も準備して欲しいということだったから、それも考えておかないといけませんね」

 

 ああ、エレオノールも、張り切っているのだろうな。どうしてだが、かつてのカリーヌの様子が目の前に浮かぶ……

そうだ、あの時もいつの間にか逃げ道がなくなっていたか……。

 

 先延ばしにしていた儂が悪かった、確かに悪かったのだが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見上げんばかりの石造りの門。そこからのぞく、国主のものよりも立派かとも思える城。そして広がる、地平線が見えてもおかしくないほどの敷地。

 

 エレオノールが準備した馬車は少々立派すぎるのではと思ったが、なるほど。これならばそれなりの格のものでなければ見劣りしてしまう。

 

「ーーやっぱり、国一番の貴族ともなると違いますねぇ」

 

 ただただ関心したという様子のマチルダ。羨むのではなく、本当にすごいと。

 

「まあ、単なる見栄という部分もありますけれどね。ゲルマニアとの国境ということもあって、それなりのものでないと格好がつかないんですよ。それに、最前線となったこともありますし、戦略上の拠点としても重要ですから」

 

 以前にも同じような感想を聞いたことがあるのだろう、淀み無く答えるエレオノール。

 

 ルイズもうなずき、ただ一言。

 

「大きいのはいいんですけれど、毎回の移動が大変で……。ほら、門をくぐってもまだこれからだし」

 

 ルイズが指さした先、城までの道がずっと続いている。門扉の前には、右から左へとずらりと並んだ使用人。だが、まだ指の先ほどの大きさにか見えない。

 

 

 

 

 

 ようやく門までたどり着くと、それからはまさに流れるようにスムーズだった。予め話を通していたというのはあるだろうが、一番大きいのは、使用人達にきちんと教育がなされているからだろう。国を代表する大貴族ともなれば、客層もそれなりのもの。これならば決して恥ずかしくない対応ができるだろう。

 

 そうして通された先にはエレオノールの両親と妹ーールイズにとっては姉ーーが待っていた。

 

 会合はよどみなく進む。

 

 孤児院の件については、カトレアが中心となり、父である公爵に説明する形で進めていく。俺は時折、そこに言葉を混ぜる程度。孤児院はどういったものになるのか、これからどうするのか。そして、協力に対する謝意を述べる。

 

「ーー孤児院については何も問題は無さそうですね」

 

 不意に、それまで沈黙を保っていたエレオノールの母が口を開いた。

 

「ええ、何も問題ありません」

 

 なぜだか母に対して目配せをするエレオノール。母はうなずくと、視線をエレオノール、そして俺に。

 

「ではそろそろ本題、あなた達の婚約についての話に移りましょうか?」

 

 ーーここで、その話になるのか?

 

「なあ、カリーヌ。儂はそんな話は聞いていなかったのだが……」

 

 先ほどまでとは打って変わって随分と弱気のエレオノールの父。

 

「当然でしょう? 言っていませんから」

 

 表情を微かにも変えないエレオノールの母。そして、エレオノール。

 

「付け加えると、シキさんにも言っていませんから」

 

 確かにエレオノールが言う通り、今聞いた。いつのタイミングで話そうかと迷っていたのがバカらしくなるぐらいにあっさりと。

 

「……そうか」

 

 それだけをやっと口にするエレオノールの父。何かを訴えるように妻を見るが、言葉が続かない。

 

 気持ちは、なぜだか分かる。

 

「ヘタレの二人に任せても進まなそうだったので、私たちの方で進めたんですよ。ああ、国にも話は通してあるのでご心配なく」

 

 ーーそうだ、マチルダは。

 

「……あ、私のこともご心配なく。というか、知ってたので。私の方は重婚だからととやかく言うような親戚はいないので大丈夫です。まあ、それもすぐという話じゃなくて、あくまでけじめという話ですよ? だって……」

 

 マチルダの視線がエレオノールへ。そして、エレオノールの手は慈しむように腹へ。

 

「ーー私たちのお腹には」

 

 言葉を引き継ぐマチルダ

 

「ーーシキさんの子供が」

 

 マチルダの手もエレオノールと同じように。

 

「……………………それは、本当か?」

 

 むっと不機嫌そうになるエレオノール。

 

「あら、シキさんの浮気ならともかく、私たちの浮気を疑うんですか? ねえ、マチルダさん?」

 

「ええ、今更心当たりがないとか言ったら流石に怒りますよ」

 

 もちろん心当たりはあるーーありすぎるほどある。だが、今までできたことがなかったのに……

 

「ーーということは、私もようやくおばあちゃんになるのですね。孫をみれるのはもう少し先かと思っていましたが、思ったよりも早かったですね」

 

 もしかして、人間相手ならということなのか? 確かにそういうことなら今までできたことがなかったという理由も分かる。そもそも悪魔が子供を生むなんていう話は聞いたことがなかった。

 

「ーーあらあら、じゃあ、私はおばちゃんになっちゃうのね。うーん、姉さんが羨ましいなぁ」

 

 いや、それはどうでもいいことだ。そんなことより、結婚前に子供を作るなんてことはあって良いことなのか?

日本でもあまり褒められた話じゃない。エレオノールはもちろん、マチルダだって血筋で言えば相当のお嬢様ということになる。例え歳がいっていたとしてもーーそれは関係ない。

 

「ーーまあ、作っちゃったものは仕方ないにしても、責任ぐらいは感じてよね。それと、これ以上節操なくというのは私も恥ずかしいから。実は他にもいたっていうのも嫌だからね。ねえ、聞いているの?」

 

 どうする?

 

 婚約云々という話はともかく、ーーできちゃいました、それはまずい。謝るーーいや、それはそれでおかしい。

 

 とにかく、エレオノールの父親はーー彫像のように無表情。体もぴくりとも動かない。

 

 ーーどうする?

 

 

 

 ふと、くすくすと漏れ聞こえる笑い声。エレオノールとマチルダ、そしてこらえきれないと笑い出す。

 

 からかった、のか? が、余計なことは言えない。言えば、やぶ蛇だ。

 

 エレオノールがマチルダに語りかける。

 

「私としては早くできて欲しいんですけれどね。一応、名前も考えてはいますし。一番上は男の子がいいかな?」

 

「私も、そうですね。頼りになる兄というのも、昔憧れたことがありますし。ーーということで」

 

 くるりと向けられる、二人の視線。そして重なる言葉。

 

「ーー頑張って下さいね」

 

「……善処する」

 

 それだけ言うのが精一杯。

 

「……儂からはもう、とやかく言わん」

 

 ふと、エレオノールの父。

 

「たが、一つだけ助言しておこう。女は強くなる。母になれば尚更にな。まあ、もう手遅れかもしれんが……」

 

 目を細め、遠くを見るように。重く、やけに実感のこもった言葉。

 

 ああ、なるほど。エレオノールの母がそうだったのか。どうしてか、心が通じ合った気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 ーー広々としたホール。見上げる程の天井の高さは、ここが室内であるということをつい忘れそうになるほど。

 

 決して華美すぎるということはないが、柱材一つをとっても、よくよく見ればさりげなく職人が技を競ったのだろう精緻な彫刻が伺える。ここにいるのは使用人を合わせても10人に満たないというのに、随分と豪勢なものだ。まだ日が高いということで酒は控えめだが、ホールの中心のテーブルにも、それに負けない料理の数々が並んでいる。牛一頭を使ったのだろう料理に、これは和食もあるのか?

 

「ーーシキさんはこういうものの方が好きでしょう?」

 

 エレオノールがとっておきを披露するように笑う。

 

「シエスタの実家に伝わっている料理がシキさんの好みに合うようでしたからね。ちょっと手伝ってもらったんですよ。私が作ったのはちょっと失敗だったようですから。あ、あまり変わった食材は使っていないので、心配しないで下さいね?」

 

 その言葉に、料理を注意深く伺っていたマチルダが安心した表情を見せる。あのときは酷い目にあったとため息まで。

 

「ーーシキさん」

 

 見れば、ふわりと笑うエレオノールの妹。確か名は、カトレアといったか。

 

 ルイズと同じ、母親譲りの桃色の髪。柔らかくウエーブを描いたそれは、穏やかな表情と相まって優しい空気を作り出している。良くも悪くも気が強い姉と妹を受け止めて来たんだろう。

 

「こうして話すのは初めてですね。ずっとお礼を言いたかったんですよ」

 

「礼を言われるような覚えはないんだが……」

 

 カトレアの為に何かをしたということは思い当たらない。言葉を交わすのも初めてだと思う。

 

「聞かれてませんか? 毎月姉さんから、シキさんにいただいた薬を参考にしたというものを送ってもらっているんです。姉さんはまだまだだって言うんですけれど、おかげですごく体の調子が良いんです。少し前までは外を散歩するのも日を選ばないといけなかったんですけれど、今は好きなときに外へ出られます。だから姫様の結婚式にも行けたんですよ? そうでなければ遠出なんて夢のまた夢でしたから」

 

 エレオノールが言葉を引き継ぐ。

 

「本当は治療できれば一番なんですけれどね。でも、シキさんのおかげで日常生活には支障がなくなりましたから。今までのことを思えば、それだけでもすごいことなんですよ」

 

 そしてカトレア。

 

「ええ、シキさんのお陰で私の世界は広がりました。あ、シキさんというのは少し他人行儀ですね」

 

 大人になったルイズが浮かべるようないたずらっぽい笑顔。

 

「ふふ、もうお兄さまとでも呼んだ方が良いですか?」

 

「それは少し気が早いというか、そもそもエレオノールの方が年上なんだが……」

 

 ぴしりと表情を凍らせるカトレア。

 

「えっと、何歳なんでしょう?」

 

 ああ、カトレアの歳も……。しかし、今更嘘をつくわけにも。

 

「……20と少し、だな」

 

「……じゃあ、私にとっては弟に、なるんですね」

 

 後ろに回り込んでつねるエレオノールにマチルダ。

 

「シキさん、デリカシーというのはとても大切なものなんですよ?」

 

「ええ、とても大切なことですから」

 

 周りからの視線はどこか遠慮がち。エレオノールの両親にルイズ、そして使用人達も。静かになった室内。お陰で普段であれば聞こえないだろう鳥の羽音が聞こえた。逃げるように窓の外を飛去る鳩が見える。少しだけ羨ましい。

 

 そんな風にして、実家訪問はどうにかこうにか終了。ただ、外堀が全て埋まった、埋まっていただけの話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー随分とまた、楽しそうですね?」

 

「そうですか? ああ、確かにそうかもしれないですね」

 

 自分でも気付いていなかった、ともう一度笑う。そうして教皇の手が窓枠で休んでいる鳩に触れる。ありふれた、どこにでもいる鳩。そう、どこにでもいるもの。あえて違いを挙げるのなら、足下に手紙を運搬するための筒があることぐらい。

 

 教皇が言う。 

 

「ジュリオ、愛情というものは普遍的だと、改めて思ったんですよ。形はどうあれ、彼も、そして私も捨てきるということはできなかった。まあ、それはいいでしょう。私達にとっても、決して悪いことばかりではないのですから。それで、他の国の様子はどうでしたか?」

 

「そうですね、それぞれの国が、それぞれの思惑を持って動き出したようです。まずはガリア、平民に対してという限定はつきますが、無能王とまで言われた彼が評価を上げているようです。魔法が使えないからこそ、自分たちのことを分かるのでは、とね」

 

 教皇は特に驚いた様子は見せない。ただ、そういうこともあるだろうと微かに目を細めたのみ。

 

「無駄に費やしていた税を街道の整備やらに使い始めています。すぐにどうこうということはないでしょうが、事実として資金が様々な場所に投資されています。一部では景気の良い話もでているようですね。他にも子飼いの騎士団を派遣して、山賊やら亜人やらの駆除を積極的に行っているとか。奇行という扱いではありますが、悪い話ではないですからね。概ね良い評価を受けているようです」 

 

「各諸侯の反応は?」

 

「様子見、ですね。彼らは民以上に王の奇行になれています。そもそも、彼らにとっても悪い話ではないですから。下手なことを言って機嫌を損ねるよりはということでしょう。それと、これはまだ噂なのですが……」 

 

「構いません。噂になるということはそれなりの背景があることでしょう」

 

「確かにその通りですね。噂というのが、王女がトリステインに留学するとかで」

 

「ーーそれは」

 

 教皇が初めて驚いた顔を見せた。

 

「ええ、もし事実だとすれば、トリステインの虚無に接触するためでしょうね。それで、どうされますか? もし事実だとすれば、何かしらの不確定要素になりえますが」

 

「……いえ、その必要はありません。恐らく、その噂は真実でしょう。そして、余計な邪魔はするなということでしょうから。ただ、私達も何がしかの『手』は必要でしょうね。目だけでは、後手に回ってしまいますから。……もちろん、難しいのは分かっています。既に失敗していますから」

 

 裏から入るというのは不可能。そういった意味では、噂が真実であればガリアのやろうとしていることは最も確実で、それでいて安全なやり方だと言える。効果については未知数ではあるが、そこにあり続けることができるということには大きな意味がある。

 

「分かりました、他に手段がないか考えてみます」

 

「ええ、難しくても必要なことですので、お願いします。それで、他の国でも何かありますか?」

 

「エルフについては変わりがありません。悪魔とやらを押さえるので精一杯、こちらとしても現状維持というのが都合が良いでしょう」

 

「ええ、それで構いません」

 

「次にゲルマニアですが、こちらは焦りがあるようですね。トリステインの取り込みが難しいということで、以前から進めていた技術への投資を王主導で更に押し進めているようです。まだ大した結果は出ていないようですが、将来的には魔法とは違う力に結びつくかもしれません。何せ、場違いな工芸品という証拠が既にあるのですから」

 

「自分達の首を締めることになるかもしれないということは、きっと分かっているんでしょうね。それでも、優位点を持つにはそれしかない。まあ、お手並み拝見というところでしょうか。これまでの歴史では、皆途中で諦めてしまった道ですが」

 

「それしかないとなれば、仕方がないことでしょう。では次にトリステイン、こちらはアルビオンを取り込もうと躍起になっているようです。いくらトリステインでもそれくらいはできるでしょう。それすらできないというのは心配事の一つでしたが、流石にそれは杞憂だったようです」

 

「それは良かった。……ところで、肝心のアルビオンは? そろそろ彼らにも動き出してもらわないと始まらないのですが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――遠く、天を目指す石造りの塔が見える。その周りに一回り小さい塔が並び、更にそれを、ぐるりと塀が囲む。

馬車がゴトゴトと音をたて、目に映る塔が少しずつ大きくなる。

 

「ほんの数日だというのに、帰ってきたという気がしますね。テファ達も元気にしているかなぁ」

 

 マチルダが言う。

 

 戻る日は既に伝えてある。テファの性格なら既に門で待っているかもしれない。

 

 ーーああ、案の定だ。

 

 門の前でテファが手を振っている。いつものように子供達も一緒に。外に出かけるとマチルダは必ず土産を買って帰る、だからきっと、それが目当てだろう。

 

 子供なら、それぐらいで良い。喜んでくれる、ただそれだけで十分に嬉しいのだから。昔見たテレビで、酔って帰った父親が寿司やらピザやらを買って帰る。決して安くはないそれは酒で気が大きくなったからかと思っていたが、ただ純粋に喜ぶ顔が見たい、きっとそういうことだったんだろう。

 

 

 ただ一つ、予想していなかった顔もある。あれは確か、アルビオンの王子付きの者だった。名は、パリーと言ったか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――仏頂面で突っ立っているけれど、私と一緒に行くというのはそんなに不満?」

 

「いいや、そんなことはない。君のお陰でトリステインに堂々と入れるのだ。そのことにはとても感謝している。

むしろ、君の方こそどうなのだ?」

 

「私?」

 

「聞けば、トリステインというのはこの国に比べれば二流も良いところなのだろう? そんな国へわざわざ留学するというのは面白くないのではないか?」

 

「――ははっ。そんなことを言うのはあんたぐらいだよ。私は魔法に関しちゃできそこないも良いところ。貴族共にはむしろお似合いだと言われるだろうさ。ああ、別に気を使ってもらわなくても結構。せっかく国を離れるんだ、私も好きにやらせてもらうよ。余計な目がないんだから、むしろ気楽なものさ。エルフのあんたがいれば、少なくともそこらの連中にどうこうされるということもない。食事だって向こうが勝手に気を使ってくれるだろうしね」

 

「努力はしよう。だが、知っての通り、あそこには何が潜んでいるか分からない。期待に答えられるかは、何とも言えない」

 

「あんたも真面目だね。人間、どうしようもないものはある。老いて死んだり、天災で死んだりね。あんたが言うような化け物は、そういう類のものだよ。それで恨むほど狭量じゃあないさ。なに、あんたが言うところの混沌王とやら、なんだかんだ話は通じるんだ。こそこそ私の命を狙うようなやつらに比べれば、それだけましだよ。私は表面だけ取り繕っても裏で何を考えているんだか分からないやつらの方がよっぽど恐ろしいね。だから、さ、話が通じる、私には、それで十分。私にとって損はないんだから、トリステインに行くのもまあ、、あんたらにとってでも役に立つというのらそれでいいさ。私より、あんたこそ一人でそんな場所に行けって言われているんだから、良い迷惑だろう?」

 

「いや、それだけ、ではない」

 

「ん?」

 

「国だけでなく、私個人も感謝している。あそこには、私の家族がいるかもしれない」

 

「――ふうん、そうかい。見つかれば、いいけれどね。そういうことならまあ、多少なりとも協力したっていいさ。何ができるかなんて知らないけれどね」

 

「感謝する」

 

「そういうのは見つかってからでいいよ。で、名前は何て言うんだい? 一応覚えておくよ」

 

「――ルクシャナ。人間で言うのなら、ちょうど君と同じぐらい年代だよ」

 

 

 



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第29話 Be Ambitious

 コトリと置かれた、何の変哲もないもない古びたオルゴール。テファは懐かしげにネジを巻き、そばの椅子へ腰をおろす。

 

 ゆっくりと、オルゴールが動き出す。どんな曲を奏でるのだろう。私は、知らない。

 

 テファの肩は揺れ、何かを思い出すように目が細められる。私には「聞こえない音」が、テファには聞こえているんだろう。

 

 聞こえないからこそ、私はとても怖くなる。できることなら、こんなオルゴールは捨ててしまいたい。

 

 でも、テファのことを思うとできない。いつの間にやら頬に涙を伝わらせるテファのことを思うと、そんなことはできない。私は、あの時にこそ止めるべきだったのだろうか。

 

 

 

 

 

「――何故、貴方がテファと一緒にいるんですか?」

 

 自分でも分かる冷たい言葉。

 

 テファが驚いたように私を見ている。テファのそばにいる男、アルビオンで見た、王子の付き人だった男が曖昧に笑う。

 

 

 

 

 あの夜のことを思い出す。

 

 テファから、私達から全てを奪った奴ら。それが今度は、唯の重荷でしかないものを押し付けようとする奴ら。それがなぜ、テファと一緒にいる。

 

 男が、申し訳ないと全身で示しながら口にする。

 

「ミス・ロングビル。我が主から、貴方へどうしても受け取って欲しいというものを預かってきました。ミス・ウエストウッドとは偶然に、本当に偶然なのです。貴方をお待ちする中でご一緒することとなりました。……白々しいと思われるかもしれませんが、それは本当のことなのです」

 

 そんなこと、信じられるはずがない。テファも、なんでそんな男を心配そうに。なんで私を咎めるように。

 

「姉さん、どうしてそんなことを言うの? パリーさんは良い人だよ? 子ども達にだって優しくしてくれたよ?」

 

「そういう問題じゃ、ないんだよ」

 

 歯痒い。

 

 良い人では、あるだろうさ。今でも王子に愛想を尽かさず、憎まれ役でもやろうという男さ。忠義心は私だって認めるよ。でも、私達にとっては疫病神でしかない。アルビオンなんていう泥舟をテファに押し付けようなんて考えているやつらの使いなんだよ?

 

 

「――どうしたんだ? 」

 

 シキさんが私の手を取ると、ズキリと痛んだ。いつの間にか、手のひらが血に滲んでいた。見る間に傷は塞がるけれど、赤い跡は消えない。

 

「パリー、だったか? 要件なら俺が代わりに聞こう」

 

 男は、シキさんに向き直る。

 

「先ほど申し上げた通り、王子よりミス・ロングビルに渡して欲しいとの言伝を受けまして」

 

そういって、懐から恭しく取り出す。とてもそんな大層なものだとは思えない、古びたオルゴールと小さな指輪。

 

「それ、は……」

 

 テファが声を上げる。ずっと昔に無くした、とても大切なものを見つけたように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 テファは、両親の形見になるようなものなんてほとんど持っていない。せいぜい、母親が使っていた、若草色の風変わりなワンピースとエルフの宝物らしい指輪ぐらい。パリーが持ってきたものは、テファにとっては父親を思い出させてくれるものなのかもしれない。ガラクタに見えても、テファにとってはかけがえのないものなのかもしれない。

 

 でも、それを見ていると心が騒ぐ。ただの勘なのかもしれない。でも、あの王子がわざわざ持たせたもの。きっと、王権に関わる厄介の種に違いない。できることならすぐにでも壊してしまいたい、どこか遠くに捨ててしまいたい。なのに、愛おし気にオルゴールに触れるテファを見ていると、取り上げようという気が見る間に薄れていく。

 

 なぜよりによってテファがいる時に。どうして執拗なまでに私達に。

 

「……シキさん。私達のこと、助けてくれるよね?」

 

 頼るだけの弱い女になんて、なりたくない。重荷になるだけの女になんて、なりたくない。でも、私達にはあなたしか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 傍を歩くウリエル。ただ、一言。

 

「国が消えるとなれば、王族もまた然り。彼女達を何かに巻き込もうというのなら、そろそろ退場していただく頃合いかもしれませんよ?」

 

 その言葉に特段の感情は伺えない。言ってしまえば、道端の石ころをどうするかといったこと。万が一転ぶ可能性があるというのなら、どこかへ蹴り飛ばしてしまえば良い。ただ、そうしたいかどうか。そも、石ころに心をかけるなどということはないだろう。

 

 既に、借りは返した。ならば、マチルダとテファのこと以外は瑣末なこと。

 

 しかし、同時にそれで良いのかとも思う。

 

 パリーがアルビオンの王子に代わって持ってきた、古びたオルゴールと指輪。恐らく、ルイズが預かった本と指輪と同じ来歴を持つもの。虚無とやらに関わるもの。

 

 そして、テファはあれを知っていた。そして、テファがあれに触れた時に確信した。

 

 そも、ルイズが虚無とやらの担い手と呼ばれるものだったように、テファがそうであるという可能性は決して低くない。4人いるとされるうちの3人が王族、もしくは、それに準ずる血脈を継ぐ者。であるならば、王弟を父にもつテファであれば条件は同じ。

 

 加えて、虚無と呼ばれるものは今、この時代に揃おうとしている。それは恐らく偶然ではない。伝説として残るものにはいくらかの真実が含まれる。ましてや、何千年も残った伝説だ。風化しないそれには強い意思が含まれる。ともすれば、妄執ともとれる意思が。

 

だが、使いようによっては、テファが人の中で生きる切り札になりえる。人と敵対しているエルフに虚無が目覚めたとしたら皮肉にもなるが、だからこそ、そこに強い意味を見出すこともできる。人とは、そういうものだ。

 

「アルビオンのことは、今は良い。今はまだ、そのままで良い。ただ、虚無のことは調べておきたい。虚無とテファ、そしてルイズの関係は」

 

「もし厄介の種でしかないようでしたら?」

 

「時代の流れの中で消えていく伝説は、多いものだろう?」

 

「――然り」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――面倒臭い」

 

 延々と続く退屈な「儀式」に、思わず漏れた本音。しかし、思っても見なかった相手に咎められる。

 

「私がどうこう言うべきものではないかもしれないが」

 

 男はそう前おく。

 

「もう少し本音は隠した方が良いのではないかね? 個室とはいえ、王女たるものがそのような言葉遣いではな。いくら面倒とはいえ、他国の王女が自国に留学しようというのだ。それなりの者らが挨拶に来るというのは、歓迎の為にも必要なのだろう。私が知る人の文化というのはそういうものだ」

 

 ソファーに腰掛ける男は、本から目を離すこともなく口にする。

 

 ともすれば私とそう年も変わらぬのではと思えて、どうして、私の何倍も生きてきているという相手。それがエルフというものだというのなら、私とて女の端くれ、羨ましくないといえば嘘になる。

 

 余計な軋轢を生まぬように、耳だけは魔法で姿を変えているのだが、案外その美しい容姿の方が特徴になるのかもしれない。このビダーシャル曰く、取り立てて自らの容姿が優れいているわけではないということだから。

 

「まあ、あんたが言うことはもっとも。でもね、私はそんな上等なもんじゃない。裏じゃろくに魔法も使えない落ちこぼれなんて言われてるんだ。むしろ、お似合いだろうさ」

 

 別に嫌味を言いたいわけではない。なんだかんだで、私とて理解してはいるのだから。

 

 しかし、ビダーシャルは言う。

 

「施政者に必要なものは魔法などではない。政治の場で魔法が必要となることなど皆無だろう? むしろ、相手へ与える印象が変わる立ち居振る舞いの方がよほど重要で有益だ。少なくとも、私はそう考える」

 

「これっぽっちも嫌味なんて入っていないんだろうねぇ。ま、そりゃそうか。魔法が使えて当然のエルフにとってみれば、それはどうこう言う対象にもなりゃしないか。なるほどねぇ」

 

 ガリアがそうであれば、私もこんなに捻くれたりしなかっただろうか。

 

「………下らない」

 

「無理に押し付けようとは思わんよ。エルフと人の価値観が同じとは限らん。それに、所詮私が知る人に関する知識など書物から得たものだ」

 

「ああ、違う、違う。今のは自分にさ。あんたが気にするようなことじゃあない。それより、あんたこそ早く学院の方に行きたいんじゃないのかい? えっと、ルクシャナと言ったか、あんたの姪というのは」

 

「気にはなっているさ。だが、それはあくまで私事。自分の役目は弁えている」

 

 忠君の鑑。しかし、気のせいだろうか。姪のこととなると、感情を見せないこいつのことが伺える気がするのは。無理に感情を抑えようとしている様子が見えるのは。

 

「――何が面白い?」

 

 ようやく私に目を向ける。冷静さを装っているのかね。ふふ、鉄面皮のこいつにも可愛いところがあるじゃないか。

 

「いいやぁ、何でもないさ。さ、明日こそは学院へ行こうじゃないか。トリステインの王城なんか何にも面白いものなんかない。あの、あんた達が言うところの混沌王とやらをからかう方がずっと楽しそうだ」

 

 ビダーシャルがあからさまに眉を潜めて、困った顔を見せる。

 

 ふふ、楽しみじゃないか。どう転ぶのか分からない、それでこそ人生ってもんだ。私は、そういうのは嫌いじゃないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早速退屈な王城をお暇し、件の学院へと急ぐ。貴族の子弟ばかりが集まる学院だけあってそう距離が離れたものではない。龍籠で向かえば、それこそあっという間だ。

 

 ――そら、もう見えてきた。

 

 何にもない平原の中に、少しばかりに不似合いな高い塔が並び、その周りをぐるりと囲むように塀がある。今はともかく、もとは強国だけあって、結構なものじゃないか。

 

 真下に見える塀の中では子供ら遊んでいる。しかし、さすがに生徒というには幼すぎるし、子持ちの学生なんているのかーーまさかねえ。

 

 十分に開けた場所に降りると、さっきの子供らが遠巻きにこちらを伺っている。しっかし、子供ってのは物怖じしないもんなんだねぇ。感心するよ。むしろ、子供らを引率していた女の方が困った様子だ。どう宥めようかと目を白黒させている。

 

 しかし、随分と整った容姿だ。まだ幼さを見せてはいても、全てが完璧とも言えるほどに整っている。それこそ、エルフかと思うぐらいに。ほら、ビダーシャルと見比べてみたって………

 

「あんた、何でそんな驚いた顔をしているのさ?」

 

 ふと、先ほどの美しい少女に相応しい、澄んだ声。どこか恐る恐るといったていで。

 

「……叔父様?」

 

 えっと、それって……

 

「……ルクシャナ?」

 

 ビダーシャルが言うってことは、やっぱり。ああ、ビダーシャルの姪らしき女が走りより、ビターシャルに抱きつく。子供のように、本当に嬉しそうに。

 

「いや、驚いたねぇ。確かにいてもおかしくないとはいえ、最初に会うのは目的の人物とはこれまた」

 

 ビダーシャルは困った様子だが、やはり嬉しそうだ。まさに感動の再開。美男美女というには女の方が幼くとも、美少女とくればずいぶんと絵になるものだと、素直に思う。

 

「――ふふ。やっぱり退屈しなさそうだ。本当に、楽しいことになりそうじゃないか」

 

「――それは良かった。遥々遠くまで来た甲斐があるというものでしょう」

 

ふと、後ろからこれまた透き通るような涼やかな声。覚えがある。確か、あの混沌王とやらと一緒にいた男の声だ。いきなりというのは心臓に悪いが、「そういうやつら」だと思えば、案外図太くもなれる。

 

「ああ、楽しいね。……そうそう、一応は学院の責任者に会ってからにはなるけれど、あんたらの親分の所にも顔を出すつもりだったんだ。時間があるのなら伝えておいてくれるかい?」

 

 気配が、笑ったような気がした。

 

「――いいでしょう。勇気のあるお嬢さんは私も嫌いではありません。私達も、良い関係を築けることを望んでいますよ」

 

「それは嬉しいね。ところで、あんたの名前を教えてくれるかい? ガリアでは結局話をする機会もなかったからね」

 

「ああ、それは確かに。私のことはウリエルと。対外的なことは何かと私が担当していますので、以後、良しなに……」

 

 声が遠く、途切れる。振り返っても、既に影も形もなかった。

 

「――すまない」

 

 ビダーシャルが言う。

 

「何がだい?」

 

「私には、気配すら全く分からなかった。これが私と彼らの力の差だよ。護衛など期待できないというわけだ」

 

「ああ、そのことか。別に気にしちゃいないよ」

 

「すまない」

 

 だが、ビダーシャルは謝罪する。

 

「本当に、バカがつくほど真面目だね。私だって、一人だったら虚勢だって張れなかったよ。まあ、悪いと思うのなら、一つお願い事をしても良いかい?」

 

「私にできることならばな」

 

「肩を、貸してくれるかい? はは、今になって足が震えてきちゃってさ……。ああ、でもさ。ハッタリに関しては私もなかなかのものだったろう? それだけは私も自信があってね」

 

 ビダーシャルが無言で肩を貸してくれる。少しぐらいは恰好をつけたいものだが、ままならない。

 

 しかし、こいつぐらい真面目なら、私を裏切ったりはしないだろうか。少なくとも、利害関係が一致している間ぐらいは大丈夫、か。

 

「あんまり、筋肉はないんだね。……いや、それぐらいで睨まないでくれよ。悪かった。そうだ、姪は放っておいて良いのかい? せっかく会えたんだろう、それを邪魔するほど野暮じゃないよ。この様じゃ説得力はないけれどね」

 

「ルクシャナとはまた後で会える。生きていると分かったんだ。今はそれで十分。それに、最低限の役目ぐらいは果たさねばな」

 

「真面目だねぇ……」

 

 まあ、嫌いじゃない……けれどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先導するのは相当に高齢の老人。

 

 長くたくわえた髭とも相まって、80はとうに越えているようにも思える。しかし、魔法学院の長ともなれば、それ以上なのかもしれない。

 

 事実、ガリアではそうだからだ。もっとも、私に言わせれば自分の正確な年すら分からないような耄碌ジジイだが。

 

 さて、目の前の爺さんはどうだろうか? 動きはずいぶんと機敏なようだが。

 

「学院長殿。私も他国の王族とはいえ、ここでは一介の生徒。学院長自ら案内いただかなくとも構いませんよ」

 

老人が振り返る。

 

「明日からはそうさせていただきましょう。しかしながら、守るべき礼というものもありますからな。そうそう、勉学に関しては特別扱いすることはありませんぞ。それは返って失礼というものですからな」

 

「さすがは学院長殿。若輩者である私が言うまでもないことでしたね」

 

 ふうん、無闇に阿ることもなく、一角の人物ではある、か。

 

 胃を抑えながらも案内を買ってでるぐらいの気骨はあるようだし、なかなかどうして、曲がりなりにも由緒は正しい国の施設なだけのことはあるね。

 

 

 

 

 

 ガチガチに緊張した顔のルイズ。そして、至って冷静なな彼女の使い魔。

 

 全く対象的ではあるが、だからこそ似つかわしいのかもしれない。

 

 

「ルイズ、また会えましたね」

 

「は、はい! 私もお会いできて嬉しいです」

 

 ふふ、やっぱりからかいがいのありそうな子だ。予想通りに面白い反応を返してくれる。何をしたって鉄面皮の「あいつ」じゃあ、こうはいかない。

 

 そういえば、あいつも学院にいるんだから、一応はあっておかないとまずいか。わざわざ説明するつもりはないが、余計なことをされても困る。

 

 さて、まあ、「友人」をあまりからかうというのも宜しくない。今日は大人しく顔見せだけにしておこうか。

 

「私もこの学院の生徒となりした。とはいえ、私が知っているのはあなただけです。分からないことがあれば教えてくださいね」

 

「はい、喜んで」

 

 ルイズの使い魔はただ見ているだけ。

 

 こいつとは、学院長がいない時になるか。ビターシャルは何かを言いたそうだが、今日のところは我慢してもらおう。時間はある。その為にこそ留学までしたんだ。

 

「さて、学院長殿。あまりあなたの時間を取らせる訳にも参りません。学院の中をご案内いただけますか?」

 

 急ぐことはない。私は私なりに楽しませてもらわないとね。悔やむだけの人生で終わるなんて、私はごめんだね。

 

 例え短くても、私だって楽しみの一つぐらいあったって罰は当たらないだろうさ。

 

 

 

 

 

 

 

 一通り学院の案内を受け、ようやく自由に動けるようになる。そして、それはビターシャルも同じ。

 

「――邪魔だとは言わないよね? ここでどんな風に過ごしてきたかというのは私も知りたいことだからさ」

 

「好きにすれば良い。私が断る理由はない」

 

「そうさせてもらうよ。で、場所はどこだって言っていたっけ?」

 

「この学院のカフェテリアだそうだ。ある程度は自由に使えるらしい」

 

 カフェテリアとなると、さすがに貴族だけしか使えないはず。使用人などとは別になっていたはずだ。

 

「ふうん、じゃあ、まあ、ちゃんと扱われているということだね。良かったじゃないか」

 

「……ああ」

 

 どうにもはっきりとしない返事。

 

 まあ、そりゃそうか。見た目が大丈夫でも、中身はどうだかね。エルフには心を壊す薬なんてものがあるんだ。自分たちが考えるようなことなら、相手だってね。どこか雰囲気が違うというのはビターシャルが言っていたことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 指定された席には、ビダーシャルの姪が座って待っていた。

 

 そして、もう一人。黒いワンピースの小柄な少女。お目付役にしてはずいぶんと可愛らしい。まして、二人の前には既に空になった皿が並んでいて、どこか微笑ましくもある。

 

「やあ、あんたがビダーシャルの姪の、ルクシャナだね? 」

 

「……あ、はい」

 

 恐る恐るといったていでうなずく。はて、ビターシャルに聞いた様子じゃあ、私が言うのも何だが、お転婆だった。さて、悪魔とやらに躾でもされたかね。

 

「ビダーシャルに聞いているだろうと思うけれど、私の名はイザベラ。ガリアの、一応、第一王女さ。ここには……」

 

 ルクシャナと一緒の少女に向き直る。

 

「あんたはルクシャナのお目付役かな?」

 

「――そう思っていただいても構いません」

 

 特に興味もなさげでやりづらい。ああ、誰かに似ていると思ったらタバサに似ているのか。知ってて選んだというのなら、ずいぶんと嫌味なものだ。まあ、それはいい。

 

「そうかい。昨日、ウリエルというやつにも話したんだが、 私達はあんたの親分とは多少なりとも仲良くしたいと思っているんだ。その為にはお互いのことを知らなくちゃいけない。その為にも私はここに留学することにしたのさ」

 

 ウリエルと呼び捨てにした時、少しだけ敵意が伺えた。この少女にとって特別なのかね。そして見た目通り、まだ幼いのか。どちらにしても、少しだけ安心した。本当に人形のようなやつは、詰まらない。

 

「そしてルクシャナのことは、まあ、言ってみればついでになるのかね。私の護衛役として一緒に来たビターシャルの姪がトリステイに攫われているということでね」

 

 しかし、とうのルクシャナが否定する。

 

「攫われた、というのは少し違います。叔父様は私の手紙、読んだんですよね?」

 

「ああ」

 

「手紙に書いたことが真実。私が、私達が愚かだった、自業自得なんです。それに、国に帰る許しは既にいただいています。今は、私がこの国のことを知りたいと残っているんです」

 

「お前は、人間の文化に興味を持っていたな」

 

 ビターシャルが言う。そういう所はルクシャナもビダーシャルも似ているのかね。ビダーシャルとて蛮族と蔑む人の国行きに選ばれたぐらいだ。

 

「ええ。それに、今はそれだけじゃありません。この国にいたエルフと友人になりました。私は、彼女がどんな風に暮らしているのか、どんなことを思っているのか、私はそれを知りたいとも思っています」

 

 ルクシャナがビダーシャルをまっすぐに見据える。

 

 少なくとも、私にはそれがルクシャナ自身の願いだと思えた。私よりもルクシャナのことを知っているのはビターシャルだ。だから、私よりも感じたのかもしれない。

 

「ルクシャナ。お前が本当にそうしたいというのなら、止めない。不自由していることは、ないんだな?」

 

「はい。街は面白いし、毎日が新鮮です。それに……」

 

 ルクシャナが少しだけはにかむ。エルフのように綺麗な顔でそんな表情を作ると、女の私でも可愛らしいと思う。

 

「食べ物だって美味しいです」

 

「それは良かった。これまでお前がどんな風に過ごしてきたのか、教えてくれるか?」

 

 ルクシャナが傍の少女を伺う。

 

「私を気にすることはありませんよ。シキ様が気にされることは、すでにあなたもご存知でしょう?

 

「そう、ですね。じゃあ、あの砂漠での出来事から………」

 

 ルクシャナという少女は目を閉じ、語る。

 

 砂漠での巨鳥との戦い――いや、一方的な蹂躙から。エルフの戦士達は鎧袖一触、あっさりと蹴散らさられた。

 

 そして、行き違いはともあれ、エルフの愚行をルクシャナが償うことこととなった。小娘一人で手を打つというのだから、その巨鳥はなんとも「慈悲深い」

 

 そして、ガルーダとかいう巨鳥に連れられ、話も聞いたことがない東の地へ。何が目的だったかは知らないが、無事目的のものを手に入れ、戻ってきた。そうしてビダーシャルがいうところの混沌王の役にたった功績で、晴れて自由の身に。なるほどね。

 

 さて、ビターシャルの話も踏まえると、どうにも途方もない話だ。

 

 曰く、エルフは突然現れた「悪魔」の対処にかかり切りとのことらしい。守るばかりでどうにも温いところがあるエルフとはいえ、その戦力は相当のもの。個体の能力でそれを凌ぐ悪魔とやらは文字通りの化物といえる。

 

 そして、まず間違いなくそれらを凌ぐ巨鳥は天災の類だ。世界を渡る強靭さ、エルフ以上の魔法の使い手となれば、それこそ神の領域。それを従えるというのなら、悪魔の王、混沌王というのも相応しい。なるほど、直接ビターシャルから聞いたわけではないが、どうにかして助力を得たいと考えるのもうなづける。

 

 私が見るに、あのシキという男、そこまでのものとは見えなかった。虚無の使い手などという大したものなのかもしれないが、ルイズという小娘にたいそうご執心のようだった。どうにかして悪魔を従える術を持っていにしても、分かりやすい弱みがあるわけだ。あるいは、ルイズ経由で頼みごとをすれば、あっさり首をたてに振るかもしれない。

 

 今のところ、権力や富だとかには一切興味がなさそうである以上、取引できるかどうか分からない。だが、人となりは分からないが、素直に頼んでみる、決して馬鹿げた考えというほどでもないように思う。人間相手なら馬鹿げていると笑うかもしれないがね。

 

 となると、状況を把握するにも、ルイズと良い関係を築くということはガリアとしても必須だね。敵対などというのは愚の骨頂、そうなる可能性は潰しておく必要がある。そして、エルフとの仲立ちができれば恩を売ることができる。もちろん、表立って動けば教皇庁が面倒だからこれはあわよくばというところだが。

 

 さて、これでとりあえずの方針は固まった。学院生活を過ごす中でルイズと接近、そして、混沌王のことを探って行く。今の所はそれで十分。

 

 結局、私をトリステインなんかに留学させたのはそういうことだろう? 貴族なのに碌に魔法を使えない、そんな惨めさを本当に分かり合えるのは私ぐらいだ。

 

 もっとも、虚無に目覚めることもなさそうな私こそが本当の落ちこぼれだがね。同じ醜い家鴨に見えても、本当に醜いのは私だけだってオチなんだろうさ。

 

 ――だが、ね。

 

 私だって惨めなまま終わるつもりはないからね。

 

 そう、これまでの道筋を語る、ルクシャナという少女。確かにあんたはエルフである以上、私なんかよりはるかに優れた魔法の才能があるんだろう。だが、悪魔の機嫌を伺い、随分と卑屈になっているようじゃあないか。私は、私が私であることは決して捨てないよ?

 

「……あの、私が何か?」

 

 怪訝な顔を見せるルクシャナ。

 

「ああいや、何、大変だったんだと思ってね。しかし、早く帰りたいとは思わないんだね。そういえば、エルフの友人がいると言っていたっけ? エルフと一緒にこの国に来た私が言うのもおかしな話だけれどね、エルフなんてばれたら大変だろう? 私達だって最初にあんたを見つけなければバラすつもりなんてさらさらなかったしね」

 

「彼女も、ずっと隠していましたよ。私がエルフだと知ったから初めて明かしたんでしょうし」

 

「まあ、そりゃそうだろうねぇ。この学院にいるのかい?」

 

「えっと………」

 

 気づいたように、ルクシャナは傍の少女を伺う。つまり、悪魔達にとっても特別扱いされている人物ということだね。

 

「別に無理して知りたいというほどじゃないよ。単なる興味だからね」

 

 少女は言う。

 

「――いえ、構わないでしょう。いずれは分かることですし。それに、同じくエルフとともにこの学院にやってきたあなたがたが軽々しく口にするとは思いません」

 

「はは、全くもってごもっとも。私もそういうことがバレるとさすがにまずいねぇ。これでも一応はガリアの第一王女だしさ」

 

「そういうことです。ただ、テファ様に要らぬ干渉をすることはおすすめできませんね。私達もそれなりの対処が必要になりますし」

 

「そりゃあ、怖いね。本当に怖い。少なくとも私はあんた達仲良くできるにこしたことはないと思っているんだよ?」

 

 それは私の本心。私だって死にたくはない。無意味に死にたくなんて、ない。

 

「私達もそうしたいと願っています。私達は、あなた方に何も望みません。それだけ覚えておいて下されば、それで十分です」

 

 見た目には10かそこらの少女。でも、その金色の目は作りものじみて冷たい。

 

 昔、人が変わったように感情をなくしたタバサもそうだった。人を殺すのに全く躊躇がない連中はそういう目になるのだろうか。

 

 ――でも

 

 例え言外に殺すと脅されてもね、人間引けない状況っていうのはあるのさ。何せ私は、尻に火がついているんだ。結果を出さずに国に帰れるなんてほど甘くはない。私には何の取り柄もないんだから。

 

 それに、ガリアという国だってそうだ。教皇庁はもちろん、ゲルマニアも何かしらをやろうとしているみたいだしね。そんな状況で自分だけが足を止めるというのは、それこそ自殺行為なんだよ? それこそ、いくらあんたらが文字通りの人外であっても、止まったままならいつかは追いつかれるのが道理さ。

 

 

 

 

 

 

 

 鉄と油の匂い。

 

 そして、金属を打つ音。

 

 この工房に溢れるものこそ、平民が言うところの科学というものだろう。

 

 もちろん、こことてハルケギニア。何処かにか魔法の恩恵はあるのかもしれないが、それはあくまで一つの道具として。それがこのゲルマニアと、故郷を悪く言うつもりはないが、トリステインとの差だろう、活気が違う。ここ最近とのことだが、貴重な火石すらも潤沢に使えるとのことだから。

 

 実際にこうやって目にして思う、私の夢はゲルマニアでしか叶えられない。彼と出会ったのは本当に偶然だが、あれこそ、ブリミルの思し召しというものだろうか。

 

 

「――よお、おはようさん」

 

 騒々しい中でもよく響く声。

 

 近づいてくる、にかっと人好きのする笑顔。頭は薄いのに髭だけは立派、加えていつも油で黒く汚れた作業服。そんなむさ苦しいおっさんであっても、こうやって歓迎されるのは悪くはない。

 

 人付き合いの少なかった私にとっては慣れるのに時間がかかったが、毎日続けば、それが当然となり、心地良い。

 

「ああ、おはよう。今日も私が最後かね」

 

「まあ、そりゃあ、そうさ。でもよ、最初に比べりゃあ、頑張っているんじゃねえの。そもそも、俺らが早いってのあるんだからよ」

 

 そうだろう。

 

 まだ日が昇ってそうたっていないのに、既に工房のそこかしこから金属を叩いたり、削ったり、そんな音が聞こえる。それが夜にまで続くというのだから、ただただ感心する。好きでもなければ続けられない。

 

 そして、もともとそういうものが嫌いではない私も影響を受ける。こうやって慣れない早起きをするぐらいには。

 

「さすがの私も、一人だけ高いびきでは恥ずかしいじゃないか」

 

「違いない」

 

 男は笑う。

 

 しかし、馬鹿にする響きなどない、気持ちの良いものだ。と、そこで思い出したらしい。

 

「そうそう、あんたが昨日言ったものはできているぜ」

 

 男が顎でしゃくる。

 

「おお、さすがに早いな」

 

 机の上にあるのは、曲がったクランクシャフトという部品。本の中にあったものを実際に形にしてもらった。シキ殿に話は聞いているが、実際の動きとなると実物がないとなかなか思い描けない。

 

「何の、何の。俺らも改良のヒントになれば儲け物ってところだからな。もともとここの作品らは試行錯誤でどうにかこうにか組み上げているものばかり。まず作ってから更に作り直すってのがいつものことだ。何はなくとも手を動かせってね」

 

「そう言ってもらえると助かる。私も自分で作って見るということもやったが、どうにも思った形にならなくてね」

 

「そりゃあ、そうさ。そもそもあんたは学者、俺らは技術者。適材適所ってやつだよ。こんなものを試したいって言ってくれりゃあ、俺らが形にする。とはいえ、すぐに壊すのはやめてくれよ? 一つ一つの部品にも結構手間がかかるし、同じものを作るっていっても、それはそれで結構大変なんだぜ?」

 

「わかっているとも。決して無駄にするつもりはない」

 

「ま、実際に試して初めて分かるっていえば、そういうものだ。あんまり遠慮する必要はないからな。ああ、そうだ」

 

 少しだけ意地悪く笑う。

 

「場違いな工芸品の仕組みもそうだが、作り方についても考えてくれていいんだぜ。いっそ職人じゃないあんたの方が奇抜な方法も思いつくかもしれんしな」

 

「作り方か………。そういうことを考えたことはなかったが、実際にものを作らない私が思いつくようなものなのだろうか?」

 

 男は言う。

 

「今のこそ、ものの試しというものだ。そこまで気にすることはないからな。ま、頭の片隅にでもおいておいてくれれば良い」

 

「善処はしよう」

 

 もちろん、本の中で見たことがないではない。しかし、作っている様子らしきものの絵は良く分からなかったのだ。

 

 この、そこここに人がいる工房とは全く違う。そして、極端なものだった。人がひたすらにならんで何かを作っている様子や、よく分からないものが並んでいる中で、逆に人がいないというもの。場違いな工芸品を作った人間は、確かに特別な製作法を持っていたのだろう。

 

 場違いな工芸品を見るに、一つ一つの部品がとんでもなく精密なものだ。だが、精密さだけなら手をかければ出来ないものではない。本当に驚嘆すべきは、その一つ一つががっちりと噛み合う、その統一された正確さだ。しかも、それを大量に作るというのだから。

 

 実際に部品を作ってもらう中で、同じものを作ってもらおうにも、何度も手直しが必要だった。精密なものを作るのが難しいのと同じぐらい、同じものを作るというのは難しい。それはそれで一つの技術なんだろう。人がつくる限りばらつきというものはどうしても出てくるのだから。

 

 シキ殿はトリステインに先に戻っているが、少し聞いてみようか。

 

 ああ、いや。実際に作ったというわけではないと言っていたから、そういうものには詳しくないかもしれないな。自分で試そうにも、技術もその為の道具もないとか。

 

「……何か作ろうというのなら、それに見合った道具が必要なのかね」

 

 つい漏れた言葉に返事があった。

 

「そりゃあ、そうさ。だから俺らも出来の良い道具を使う。もちろん技術で補うこともできるが、それだって限界がある。道具の限界が作れるものの限界にもなる。それに、人が作る限りはバラツキだって出るしな」

 

「場違いな工芸品を作っていた連中はどんな道具を使っていたのかね。いっそ、完璧な技術者でも作っていたのか。正確な加工ができて、まったく同じ動きができる。それでいて疲れない、ゴーレムみたいなものが理想かね」

 

「確かにそりゃ、完璧な技術者だな。それができりゃあ、確かにできるかもな。しかしまあ、本当にそんなものができたとしたら俺たちはお払い箱だから困ったものだな」

 

「……完璧な技術者、か」

 

 加工場に人がいない絵というのは、そういうものだったんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石造りの薄暗い地下室。

 

 効率的に魔力が集まるように計算されて作られたものらしいが、どこか淀んだ空気の中にはそれ以外のものも混ざっているのではと思えてくる。そんな部屋の中心。

 

 ――ヒトガタ。

 

 素っ裸ではあるが、二本の腕と足、きちんと頭もある。

 

 しかし、人と呼ぶにはどうにも不細工に過ぎる。指の一本や二本足りないのは可愛いもの。力任せに捻じり、引き伸ばされたように醜悪に歪んだ顔には、怒りとも憎しみとも悲しみともよくわからない感情がごちゃ混ぜになったようで気味が悪い。

 

 そして、見るはしからグズグズと体が崩れて行く。

 

 ヒトガタのそばにある砂の山。時をおかず、これも同じように塵に還ることだろう。

 

 これがかつての聖戦を率い、教皇として尊敬を集めていたものの似姿とは哀れなものだ。いくら名高きスキルニルとはいえ、何千年も前の死体からの再生ではこれが限界らしい。

 

「……ジョセフ様。今準備できるのはこれで最後になります」

 

「では、尚更に無駄にできぬな」

 

 ジョセフ様がヒトガタに尋ねる。

 

 これまでと同じく、聖地のこと、始祖のこと……。しかし、少しずつ変えて、確かめるように。

 

 そして、ヒトガタは答える。酷く聞き取り辛い、途切れ途切れではあっても、逆らうことはない。

 

 不意に途切れる。

 

 ああ、と嘆く間にヒトガタのクビが落ちる。それが地面に落ちるころには、全てが塵へと返っていた。

 

 これで、本当にお役に立つことができたのだろうか。ヒトガタ達が言ったことのほとんどは、私には理解ができなかった。

 

 せいぜい、聖地で始祖と呼ばれるものが生まれ、この世界を救おうとしたらしいということぐらい。この地に残る言い伝えと大差ないことだけ。

 

「ジョセフ様、お役に立てずに申し訳ありません」

 

 現教皇の血を手に入れることができれば、もっと簡単なことだったのだ。いくら警戒されていたとは、それが出来なかったことが口惜しい。

 

「余のミューズよ」

 

「はい」

 

「十分な働きをしてくれたよ。何、これはイカサマのようなものだ。確認作業ができただけでも儲け物。ヒントが多すぎるというのもそれはそれでバランスが悪いしな」

 

 ジョセフ様は楽しげだ。

 

「余は、あいつらのことを須らく欲深い坊主だと思っていた。しかしな、こいつは私欲以外で聖地の奪還を考えていたというのだ。そして、単なる言い伝えを事実として捉えていたという。余にはそこに確信が持てなかっただけに、大きな収穫だよ。それに……」

 

 ジョセフ様がポツリと呟く。

 

「聖地には余が求めるものがあるのかもしれない」

 

 その表情は伺えない。

 

 だが、ジョセフ様が望むのもの。それを見つけることができれば、本当に喜んでいただくことができるかもしれない。私を愛していただけるかもしれない。

 

 もう少し、もう少しでジョセフ様が本当に望む物が見えるような気がする。ならば私は、やるべきことをやるだけだ。

 

 

 

 



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第30話 Reach for the Stars

今回は今までと同じく一人称で。
ただし、実験的に一人の視点で通しての描写。
誰の視点か分からないという評価に対して、三人称で書く以外にこれもありかなと。

それと、本編とは別の短編は小話という形で別に分けました。


 

 

 

 

 ――イザベラ

 

 ハルケギニア最大の強国であるガリアの第一王女であり、現王唯一の子。であるから、自然その権威は王に次ぐものとなる。例外である教皇を除けば、そのままハルケギニアの中でもと言い換えることができるだろう。

 

 しかし、今のガリア王と王女に関しては、それをそのまま当てはめられるかというと難しい。何しろ、貴族の証とも言える魔法がろくに使えないのだから。

 

 だからこその無能王であり、その娘。表立って言われることはなくとも、それは当事者であるイザベラ自身もよく理解している。ましてや古臭い価値観に凝り固まったトリステイン。魔法の才がないことをその目で見ればどうであろうか。最初はともかく、いずれは嘲るようになるのだろう、少なくともイザベラはそう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「――何というか、拍子抜けだね」

 

 学院に用意された部屋。一人、いや、正確には一緒にトリステインに来たビターシャルと二人だけになると、つい本音が出る。だが、そいつは部屋に戻るなりせっせと報告書だかの手紙を書いているからカウントする必要はないだろう。

 

 他の生徒と一緒に授業を受けて、早一週間。

 

 王家の者ながら碌に魔法が使えないということを十二分に見ただろうに、態度が変わることがない。むしろ、より一層腫れ物を扱うようになったのだから分からない。

 

 まあ、全く心当たりがないでもない。

 

 おそらく、ルイズと、その使い魔が関係しているんだろう。虚無の担い手というルイズであるが、驚いたことに、その魔法の腕前は表現に苦しむほど。

 

 いや、ここは正直に言おう。一見して私以上に才能がないと思わせるなど、ルイズが初めてといっていい。

 

 もちろん虚無の担い手というのなら秘めたものはあるのだろうが、少なくとも、講義中にそれが発揮されることはない。必ず爆発させるという状態からは改善したらしいが、精々、必ずという枕詞が取れるぐらいだ。親近感と、少しだけ優越感が湧いた。

 

 そんなルイズがいて、更にそのルイズを溺愛する大魔王みたいな使い魔がいれば、魔法の才能がない私にどうこう言えるようなやつはいなくなるだろう。むしろ、そんなやつがいたとしたら大したものだ。よほど骨のあるやつか、もしくは、ただの馬鹿か。

 

「――今日も機嫌が良さそうだな」

 

 ビターシャルが言う。見れば、いつの間に報告書を書き終えたのが、広げられていた便箋は既に封がされている。

 

「そうかい? ………まあ、そういうこともあるかもね。ああ、そうだ。あんたの国からの指示はもう来たんだよね? もちろん、言えないっていうのなら仕方ないけれどね。あんたならそんなことをしないというのは分かっているけれど、嘘を混ぜられるぐらいなら、話せないって言われた方がましだからね」

 

 ビターシャルは人間と敵対するエルフ。私に協力するのも、所詮はそれがエルフの利益につながるからでしかない。

 

「いや、構わない。君も知っているようなことで、隠すようなことではない。なに、つまるところ、私達がまず欲しいのは情報だ」

 

「情報、ねぇ」

 

 エルフっていうのは、確かに情報というものを重視する。そも、重鎮の一人であろうビターシャル自身がガリアと接触してきたのも、それが理由の一つだ。

 

 ビターシャルは続ける。

 

「ああ、私達が悪魔と呼んでいる者達。そう呼んではいるが、彼らについては何も分からない。その正体、目的、どこから現れたのすら」

 

「そういえば、ルクシャナが攫われたのものその調査がきっかけだって言っていたっけ。でも、どこからっていうのは目星がついているんだろう? 悪魔なんて呼び方をしているんだからさ」

 

 エルフはブリミルのことを忌むべき悪魔と呼んでいる。なら、ここでいう悪魔とやらも、ブリミルが降臨したという聖地から現れたと考えているだろうことは想像に難くない。

 

 ビターシャルは、なぜだか私のことをまじまじと見ている。

 

「何だい?」

 

「いや……。確かに君の言う通り、聖地から現れたのではないかと考えている。まだ確証は取れていないがね」

 

 ふと、思う。もしかして、私は何も知らないとでも思っていたのかと。まあ、あながち間違いじゃないけれど、王族としての最低限ぐらいは齧ってはいる。

 

「ふうん、聖地っていうのは本当にあんたらにとって鬼門だねぇ。ブリミルやら悪魔やら、ついでに、神の槍ってものまで流れ着くというんだから」

 

 教皇がこそこそ集めている場違いな工芸品、はっきり言えば、使い道も分からない武器がどこからともなく流れ着くという。全くもって、厄介極まりない場所だろう。

 

「――謝罪しよう」

 

 ビターシャルが言う。

 

「んあ? 何だい、急に」

 

「少しばかり君のことを見くびっていたようだ。それは謝罪する」

 

 クソ真面目な顔で言われると、こっちも困るんだけれどねぇ。

 

「いいよ、別に。どうせ役に立たないと思って、お勉強は聞き流していたからね。それに、私なんて実際、あんたの何分の一も生きちゃいないんだから。まあ、悪いと思うんだったら、次からはそういう扱いをしてくれれば良いよ。で、何だっけ? ……ああ、あいつからはどんな情報を得るつもりだい?」

 

「――まず、聖地に現れた悪魔との関係が知りたい」

 

「そりゃ、そうだね。実は指示を出していたのは自分だ、なんてことになった目も当てられないからね」

 

「そうだ。しかし、それは心配ないと思っている。私が知ることができた範囲で考えての結論ではあるが、そんなことをする理由がない」

 

「まあ、ね」

 

 それは、ビターシャルに同意する。

 

 ルイズとその周りについては念入りに調べた。基本的には学院内に篭るような、狭い範囲でしか活動していない。そこにちょっかいさえかけなければ無害もいいところ。政治には、少なくとも影響力を行使している様子はない。

 

 私は続ける。

 

「基本はこの国に対しても不干渉としているみたいだし、わざわざそんなことをすることはないだろうさ。もし関係があるとしても、放置しているからってところかね。とりあえず、ここは無関係だったと仮定しようか。で、あんたらとしては、聖地から現れたらしい悪魔とやらの情報を得る。首尾よく得られれば儲け物ってところか。ところで、トレードの材料は何かあるのかい? 何かあれば助力のお願いぐらいはできるだろうけれどさ」

 

 ビターシャルは首を振る。まあ、分かっていたことではあるけれどね。

 

「でも、駄目元では頼んでみるんだろう?」

 

「ああ、実現可能な条件であれば、全て飲む覚悟はある」

 

「それは、私の、ガリア経由でもってことだよね?」

 

「むろん」

 

 ビターシャルの目に迷いはない。

 

 エルフであるビターシャルの容貌は、施政者としては若造も良いところ。しかし、強い眼差しは経験を重ねたものだけが持つ迫力がある。それは、年月だけで身につくものでもない。

 

「ふうん。その言葉、覚えておくよ。んじゃ、ま、善は急げというしね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的の人物はすぐに見つかった。ルイズの桃色の髪はとても目立つ。歩いている生徒の二、三人も捕まえれば、誰かがどこかしらで見ている。

 

 ルイズは図書館に、意外な人物と一緒にいた。学生らしく勉強していたのか、二人して机に本を広げている。ただ、そのもう一人は目を合わせても何も言わない。

 

 王宮でのように、私をじっと見るだけ。子どものように凹凸のない体だというのに、冷たい目だけはずいぶんと大人びている。従姉妹だというのに、王族の証である青の髪以外は私とは似ても似つかない。いや、魔法の才というごく一般的な尺度を基準にするなら、落ちこぼれの私が正しくはないのだろう。

 

「いくら本好きとはいえ、あなたが一緒にいるとはね。タバサ」

 

 ルイズは、私とタバサを恐る恐る見てはいても、何も言わない。タバサは身分を明かしてはいないだろうが、髪の色と私と面識があるということを見れば、事情持ちだということは分かるだろう。よほど愚かでなければ、それは察してしかるべきもの。仮にも公爵令嬢であれば、当然。

 

「ルイズ」

 

 私は言う。

 

「……はい」

 

 ルイズの表情が強張る。

 

「今日はあなたに、いえ、あなたの使い魔に用事があるの。彼女には席をはずしていただいていいかしら?」

 

 タバサが無言で席を立つ。しかし、これはこれでちょうど良かったのかもしれない。

 

「――タバサ。夜に私の部屋に来てもらえるかしら?」

 

 タバサは頷くこともなく、立ち去る。いつものことといえばそうだが、ルイズにはどう見えるだろうか。やはり、何か迷うようにタバサを見ている。

 

「二人で勉強をしている所、ごめんなさいね。さっきも言った通り、あなたの使い魔に用事があるの。ああ、私じゃなくて、 後ろのビターシャルが、だけれどね。あなたが一緒の方がいいかと思っているんだけれど、同席していただけるかしら?」

 

 当然、ルイズは頷く。

 

 権力を傘に切るやり方は、ことここに関しては望ましくなくとも、ようはバランスだ。使えるものは使わないと、とてもじゃないがやっていけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズと一緒に、今度こそ本命の人物の元へ向かう。私と一緒だということは既に知っていたのか、ルイズの部屋で至極当然といった様子で待っていた。学院が完全に相手の土俵というのも、こういう時には面倒がなくて良い。

 

「や、待っていてもらったみたいで悪いね。もう聞いているだろうから紹介はいらないかね? 後ろのビターシャルがあんたに話があるんで、よければ時間をもらえないかなと。ああ、ルイズに来てもらったのはその方が話しやすいというだけだからね。断るというのはそれはそれで仕方が無いことだって分かっているからさ。ええと、始祖に誓う――って言って信じてもらえるかね?」

 

「そこまで言わずとも、話ぐらいは聞くさ」

 

 少しばかり警戒してはいても、それだけだ。

 

「助かるよ。まあ、話は簡単だ。あんたの部下が、エルフの国の方に行っただろう? そこで見ているかもしれないが、最近困ったことがあるらしくてね。なんでも、今まで見たことがないような化け物どもが現れるようになったんだそうだ。で、まあ、単刀直入に言うとだ、そういう奴らに心当たりがないかい? 正体が分からない上に数が多くて参っているらしいんだ。――ああ、いや、もちろんあんたが直接関係しているなんて思ってはいないよ。そんなことをする意味がないだろうからね」

 

 ちらりとルイズの様子を伺う。

 

 特に口を挟むことはないようだ。全く知らないということはないだろうが、どこまで知っているのか。あまり、はっきりというのはよろしくないか。

 

 目の前の男に向き直るが、男の表情は変わらない。タバサへと違って命令するわけじゃないから、少しばかりやり辛い。

 

「まあ、何だ、馬鹿をやらかしたのもそれを何とかしようとしていたわけでね」

 

 後ろに立つビターシャルは何も言わない。同族を馬鹿にされて良い気はしないだろうが、そこは我慢してもらおう。

 

「その話は聞いている。が、化け物云々の話は知らないな。そもそも、遠出をしたのはあの時きりだ」

 

「そう。じゃあ、仕方ないね。となると、地道に調べるしかないってことか」

 

 さて、無関係と言われたからにはどうしたものか。藪をつついて蛇を出すのは論外。

 

「――ただ」

 

 少しだけ考え込むようにして男は言う。

 

「その話は気にならないでもない。それに、ルクシャナはまだこちらに残るつもりのようだが、一度ぐらいは帰ってもいい。二人に、送らせる。……滞在している間は、時間があるだろう」

 

 二人というと、あのエルフを蹴散らしたという悪魔かね。なんだなんだ、随分と気前がいいじゃないか。これだけ遠回しに言うからには、ただでとはいかずとも、対価は後払いってことだろう。

 

「ああ、助かるね。ビターシャル達も困っていたみたいでね」

 

 自分の名前が出たせいか、ビターシャルが息を飲むのが分かる。

 

 いや、こういうことははっきりと言っておかないとね。やだよ、ガリアに全部請求が来るとかさ。というか、だからこそ言質をとっておいたんだけれどね?

 

 

 

 

 

 

 

 思ったよりあっさりと要件が済み、ルイズの部屋をあとにする。ただ、背中にはどうにも恨みがましい視線。

 

「……なに? 言いたいことがあるならはっきりいいなよ」

 

 ビターシャルへ振り返らずに口にする。女々しいのは嫌いだよ。

 

「いや、君には感謝している。君のおかげで協力を取り付けることができた。ただ、どう報告したものかとね……」

 

 随分と覇気のない言葉に、つい様子を伺うと、疲れたように胃を抑えている。

 

「いいじゃないか、目的は果たせそうなんだから。対価のことは、まあ……」

 

 少しばかり考える。もし部下が白紙手形で交渉を終えていたら――

 

「私なら、一発殴るぐらいで勘弁するよ?」

 

「……そうかね。何とも、寛大なことだ」

 

 せっかくの美形も、どこか煤けている。だらしない、中間管理職というのはそういうものだろうに。もちろん、私は遠慮するけれど。

 

「まあ、何だ。ルクシャナを送ってもらえるというのなら、あんたも休暇がてら連れて行ってもらえばいいさ。それぐらいのお願いなら聞いてくれるよ」

 

「しかし、……私が役に立っているとは言えないが、君の護衛はどうする?」

 

「考えていなくもないさ。ほら――」

 

 視線の先、私の部屋の前に小柄な姿がある。

 

 しかしタバサ、夜と言ったのにいつから待っていたのだろうか? 窓の外を覗いてもまだ薄暗くなり始めたばかりだというのに。そりゃあ確かに、普段から難癖をつけているけれどさ……。

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の中、私はベッドに腰掛け、ビターシャルとタバサが立っている。背の低いタバサとはいえ、どうしても私を見下ろす形になる。あまり好ましくないが、こればかりは仕方が無い。

 

 ビターシャルは私とタバサを何度か見たあとは、我関せずといった様子だ。あとで説明はしておかないとまずいだろうか。

 

 

「……さて、タバサ。あんたに来るように言った理由だ」

 

 タバサはいつもの人形のような目で私を見る。人形の名前だったタバサというのを名乗らせたのは私だが、皮肉なことに、思いの他相応しい名になったらしい。昔の、活発だったころの面影は既にない。

 

 いや、今その話はいい。

 

「私の護衛としてこの学院に来たそこのビターシャルは、今は隠しているが正真正銘のエルフだ。魔法薬なんかにも、それなりに詳しい」

 

 タバサは、跳ねるようにビターシャルを見る。どこかすがるような視線に、流石のビターシャルも戸惑うようだ。それも仕方がない、ビターシャルは私たちの事情を知らないのだから。

 

 タバサがもともと、既にこの世を去ったガリアの王となるはずだった男の娘で、母がエルフの毒薬で心を壊されたということなど。潔癖な所のあるビターシャルは、そのことを知ったら私を軽蔑するだろうか?

 

「タバサ、それなりに賢いあんたなら分かるよね? 」

 

「私は、何をすれば良い」

 

 珍しく、タバサの目には憎しみと、それ以外にも様々な感情が浮かんでいる。

 

 ……それで良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビターシャルは、閉まる扉を見つめる。

 

「………私がエルフだと明かすことに、何か意味はあるのかね? それと、彼女を護衛代わりにするというには、どうにも剣呑な関係なようだが」

 

 ビターシャルの懸念はもっとも。

 

「なに、あんたの正体を明かしたことに大した意味はないさ。ただ、あの子も馬鹿じゃないから、やるべきことはやってくれると思うよ。ちょうど、小間使いも欲しかったしね。まあ、手綱はきちんと握っているから心配しなくても大丈夫だよ」

 

「君がそういうのなら、信じよう」

 

 ビターシャルも、それ以上の追求はしない。

 

 そりゃ、さ、私だって怖いよ。タバサがその気になれば、ろくに魔法の使えない私は抵抗なんてできないんだから。でも、それは今までだってそうだし、何より、手札が少ないんじゃ仕方ないじゃないか。私は人望なんてこれっぽっちもないんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出発の日は、それから三日後だった。ビターシャルからルクシャナに話したということもあるだろうが、着の身着のままで来たルクシャナ自身も気にはなっていたのだろう。ビターシャルからルクシャナの無事は伝わっているにしても、家族がいれば心配していることだろう。

 

 東に向かうのはルクシャナにビターシャル。見送りにはルイズにシキ、その愛人二人、そして、今もルクシャナとの別れを惜しんでいるテファ。ビターシャル曰く、彼女もハーフとはいえ、エルフらしい。どういう因果でここにいるのかはまだ分かってはいない。愛人その二の妹ということだが、姉の方は間違いなく人間。まあ、訳ありだろう。ルイズ同様、シキに大切にされているようだから下手に藪をつつくつもりはないけれどね。

 

 そんな様子を少しだけ離れて見ながら、ぼんやりと思う。よくもまあ、多少歳はいっていても美女、そして美少女ばかりが集まっている。見返りは案外女を要求されたりしてね。

 

 ……いや、ありえない話でもないのか。

 

 なかなかどうして、むっつりらしいしね。ほんの数日の調査でも分かるんだから、大したものだ。私に色気があるなら、色仕掛けも試すだけ試してみたどころだよ。残念ながら、そこまでの器量良しじゃないからやるだけ無駄だと分かっているけれどね。

 

 と、名残を惜しみながらもそろそろ向かうようだ。ルクシャナとビターシャルが準備された竜籠に乗り込む。

 

 そして腕を組んで立っていた2人の男。見る間に大きく、大きく、見上げるほどの巨鳥に姿を変える。そして、籠を掴むと軽々と飛び立ち、あっという間に見えなくなる。速度に優れる風竜よりはるかに速い。

 

 

 まあ、何だ。

 

 人と見分けがつかないことから最悪の妖魔と呼ばれる吸血鬼。こいつらに比べたら吸血鬼なんて可愛いものだ。本当、嫌になるね、全く。

 

「――おや、浮かない顔ですね。あなたとしても好ましい形になったというのに」

 

 ふと、聞き覚えのある声。見るまでもない、私が学院に来て早々に脅しをかけてくれたウリエルという男。面倒だから離れて見送ろうと思ったけれど、余計に面倒だったかね。

 

「そりゃあ、私としても助かるけれど、あんなにあっさり受け入れられるとは思わなくてね。後でどんな見返りを要求されるかと思うと、怖いじゃないか」

 

 振り返ればやはり、初めて会った時と同じように笑っている。私の経験上、そういうやつの方が……怖い。平気で人を殺せるのは、案外そういうやつだ。

 

「ああ、そのことでしたか。なに、あなたがが気を揉む必要はありませんよ。調べるのは私達の為でもありますしね。情報は、あるに越したことはありませんから」

 

「随分と余裕だねぇ。そりゃあ、人間はちっぽけなものだと思っているかもしれないけれど、集まれば小賢しい真似をするかもしれないよ?」

 

 こうも余裕だと、皮肉の一つも言いたくなる。

 

「然り。数というのとてもシンプルですが、最も強い力の一つです。――あなたは賢い人だ。それは、施政者として必ず理解しておくべきことです。この世界では魔法という大きな差があるといえども、基本は変わりません。その若さで理解しているというのは、誇って良いでしょう」

 

「……そりゃ、どうも。褒めてくれるというのなら、ついでに教えてくれるかい?」

 

「ええ、私に答えられることなら」

 

「じゃあ、教えてくれるかい。あんたらは何をしたいんだい? その気になればできないことなんてないんだろう?」

 

 少し、皮肉がすぎただろうか。しかし、ウリエルは余裕の表情を崩すこともなく答える。

 

「それは買い被りというものです。私たちとて、できないことはできません。そして私たちが何をしたいか、ですか。それは、少しばかり難しい。……まあ、主の望むままにとでも言っておきましょうか。ふふ、心配しなくとも良いですよ。なに、言ってしまえば昼寝のようなものですよ」

 

 ああ、触れるな、そして、起こすなってか。

 

「……分かりやすくていいね」

 

 ああ、本当に分かりやすい。私は、私達は眼中に無いってことか。

 

「理解が早くて助かります」

 

 言うべきことは言ったからか、去って行く。

 

 悠々と歩くその背中を見送って、見えなくなってようやく力を抜けた。

 

「……たかが小娘一人に、大人げないとは思わないのかね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寮の部屋に戻ると、少しだけ広く感じた。

 

 ぐるりと見渡せば、王宮の私の部屋よりずっと狭いというのに、なぜだろうか。何だんだで常に一緒にいたビターシャルがいなくなって、不安でも感じているんだろうか。

 

 ――馬鹿らしい。これが私にとっての普通じゃないか。

 

 力を抜いて、とベッドに倒れこむ。

 

 ああ、そうだ。メイドをどうにかしないと。このベッドだって今でこそ整えられているが、一人もメイドを連れてきていない。ビターシャルにやらせていたということをすっかり忘れていた。あいつのおかげで部屋のことは何もしなくても良かったというのに。エルフの魔法というのは本当に便利だ。部屋そのものが勝手に動く。

 

 でも、明日でいいか。

 

「………疲れた。あいつと話すと疲れるんだよ」

 

 つい漏れ出た独り言。しかし返事があった。

 

「それは残念。私は楽しいですよ?」

 

 ふと、ついさっき聞いた声。

 

「――ぎゃあぁぁあぁ!?」

 

 ベッドの端まで這っていく。端まで行って声の方を見れば、さっき別れたはずのウリエルが笑っている。

 

「おや、淑女の部屋に勝手に入るものではない、ぐらいは言うかと思いましたが」

 

 変わらないのに、とても嫌らしい笑みに見える。

 

「わ、分かっているなら来るな!?」

 

 くそ……。情けない。不意打ちぐらいで、動悸が治まらない。これぐらい、分かっていたことじゃないか。学院内にいる限り、すべてあいつらの手の内だと。

 

 ――落ち着け。

 

 こいつらは、私のことだってどうでもいいんだ。いざとなればどうとでもできる。逆に、何かがなければそれはない。ただ、睨みつける。

 

「――結構。しかし、涙ぐらいは拭ってからの方が良いかと」

 

「死ねぇぇぇぇ!」

 

 握りしめていた枕が中を舞い、男――ではなく壁に当たる。

 

「お転婆ですねぇ」

 

「うがぁぁぁぁぁぁ……」

 

 ガシガシと頭を掻き毟る。

 

 こいつは敵だ。

 

 わざわざ私で遊びに来やがった。これ以上乗せられるな、落ち着け。

 

 大きく一つ、息を吸う。

 

 微笑ましそうに見るな、この野郎………。

 

「………で、何のようだい。わざわざ私をからかいに来たわけじゃないんだろう?」

 

 周りには聞かれたくない、そういうことだろう。

 

「いえ、からかいに来たんですよ?」

 

 朗らかに、何の悪びれもなく言ってのける。

 

 ――ははは、こいつ、殺したい。

 

「……というのは冗談です。せいぜいが半分」

 

「こ、この………」

 

「ふふ、気丈に振る舞うのも良いですが、今の方が本来のあなたらしいと思いますよ?」

 

「知ったような口を聞くね。言葉を交わしたことだって数回しかないというのに」

 

「もちろん、調べた上でのことですよ。あなたが私たちのことを調べるより、私たちがあなたのことを調べる方がよほど簡単だと思いませんか?」

 

「は、そりゃそうだ。じゃあ、私のことは全部お見通しってわけかい?」

 

 頭が冷える。ようやく冷静になれそうだ。

 

「まさか。全てを理解するなんて傲慢なことは言いませんよ」

 

「どうだかね」

 

 いつでも余裕なんて顔をしておいて何を言う。

 

「少しばかりからかいすぎましたか。そこは謝罪しましょう。ただ、脅迫ばかりもよろしくないと思いましてね」

 

「どういう心情の変化だい?」

 

「心情の変化というわけではないのですが……。なに、あなたはルイズ嬢の友人としては好ましい。魔法が不得手なあなたこそ、彼女のことを理解できる。あなたの思惑はどうあれ、認め合える友人というのは貴重なものです。それは、あなたにとっても同じ。あなたが人として弁えるべきことを守るのであれば、私たちがどうこう言うことはない――ただ、それは言っておこうかと」

 

「人としてってのは随分と曖昧だね。そんなもの、それこそ千差万別だろうに」

 

「それはあなたの心に従ってということで構いません。私もそれぐらいはあなたのことを理解しているつもりです」

 

 私の思うまま好きにやれってか。何とも人を食ったやつだね。

 

「まあ、私が言いたかったことはそれだけです。では、お邪魔しましたね」

 

 それだけ言ってウリエルは出口へ向かい、思い出したとばかりにくるりと振り返る。

 

「何だ、まだ言うことがあるのかい?」

 

「ええ、髪は整えた方がいいですよ。おてんば姫なんて言われたくはないでしょう?」

 

 それではと、今度こそ部屋を出ていく。

 

「……ふふ、最後までコケにしてくれるね」

 

 沸々と怒りが沸き立つ。

 

 ……覚えてろよ。私にだってプライドってものがあるんだからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 使いにやったタバサが戻ってきた。一応は北花壇警備騎士団の一人。考えていたよりもずっと早く戻ってきた。

 

 うん、学院内で使う手駒として、これほど便利なやつはいないかもしれない。内実はともかく、指揮官である私が使うというのは、少なくとも形式上でも問題はない。

 

「……で、ルイズはどこにいる?」

 

 生徒の居場所を探す、たとえ、そんな雑用であっても。

 

「図書館で勉強中」

 

 愛想のないタバサの返事。まあ、そんなものははなから期待しちゃいないがね。しかし、また図書館か。

 

「この前も図書館にいたけれど、ルイズってのはそんなに真面目なのかい?」

 

 授業がある日はともかく、休みの日にも図書館篭りというのはルイズぐらいではないだろうか。少なくとも、他の生徒がそこまでやっているというのは、私は知らない。

 

「魔法を使えるようになる為」

 

 ああ、そうか。虚無の魔法も、色々と試してはみても結局は使い方が分からないんだっけね。才能があると言われても、それが使えない、か。

 

「……難儀なものだね。あんたにゃ、分からないだろう?」

 

 タバサは何も言わない。

 

 分かるはずがない、魔法を使えないってことがどんなに惨めかなんてね。

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズはうず高く積まれた本と格闘していた。年齢に比べても華奢なルイズと比較すれば、それは言葉通りの山。

 

 図書館内を見渡しても、ルイズほど真面目な生徒はいない。それほど努力しても結果に結びつくとは限らない。

才能がないというのは、そういうことだ。

 

 案内させたタバサに、周りに声が聞こえないようサイレントだけを唱えさせ、待たせる。ここから先は、タバサがいない方が良い。

 

「――やあ、ルイズ。相変わらず真面目だね」

 

「え? イ、イザベラ様!?」

 

 慌てて立ち上がるルイズだが、私は気にせず向かいの席に座る。

 

「驚かせたのは私だけれど、図書館で騒ぐものじゃないと思うよ? 周りに聞こえる心配はないけれどね。私じゃ心もとないけれど、タバサのサイレントだから大丈夫だろうさ」

 

 顎でタバサを示すと、ルイズは確かめるように周りを見て、変わらない様子に納得したようだ。

 

「えっと、何か御用でしょうか?」

 

 ルイズは離れて立っているタバサのことは言わない。

 

 わざわざ説明したりはしないが、ルイズならそれなり正解に近い答えを出せるだろう。感情のままに行動する節はあるが、決して頭が悪いわけではない。純粋な理解力という意味では、むしろ優れている。

 

「用っていうほどじゃないけれどね、二人だけで話してみたいと思ってさ。あんたの使い魔じゃなく、あんたとね」

 

「私と、ですか?」

 

 思った通り、ルイズは怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「ああ。もう十分に見ていると思うけれど、私は魔法がろくに使えなくてね。ドットの魔法も怪しいぐらい。他のメイジならともかく、王女の私がだよ」

 

「それは……」

 

 ルイズは余計なことは言わない。ただ、深い、深い同情と悲しみの表情。いや、同情は少し違うか。共感というのが相応しいかもしれない。

 

「私も色々あったよ。……まあ、それはいいさ。ルイズ、あんたとはもう少し前向きな話をしたくてね。話を聞くに、魔法を使えるように色々とやっているそうじゃないか。私に虚無の才能があるとは思わないけれど、父親は虚無の担い手だそうだ。私も魔法を使えるように、何かヒントを貰えないかと思ってね」

 

「まだ結果が出ていないですけれど、そういうことでしたら喜んで」

 

 固くはあるも、ルイズは快諾する。

 

「助かるよ。ただ、もう少し楽にしてくれると嬉しいね。人目があれば仕方ないけれど、私は堅苦しいのは嫌いなんだ。その為のサイレントでもあるしね」

 

 くすりと、ようやく自然にルイズが笑った。

 

 

 

 ルイズは、今までの努力を語る。私にも覚えがあること。

 

 片っ端から魔法書を読み込み、声が枯れるまで呪文を唱える。昔は私もよくやったことだ。

 

 驚いたのは、シキに言われたという実戦の中で魔法の力を目覚めさせようというもの。私の脳筋すぎるという素直な感想に、全くだとルイズが笑う。

 

 周りからの陰口の話は、私だって今でこそ割り切っているけれど、辛かった。そして何より、誰かと比べられること。ルイズは二人の姉と、私はタバサという魔法の天才と比べられ、勝手に同情された。才能がないという陰口と違って、言った本人に悪気はないんだろう。でも、ただ馬鹿にされるより、そうやって同情される方が辛かった。こんなことは私たちにしか分からない。

 

 ああ、認めないといけない。

 

 散々私を馬鹿にしくさったウリエルが言った通り、私は、私のことを理解している人が欲しかったと。本当に癪に触るけれど。

 

「……あの、いくらなんでも馴れ馴れしかったでしょうか?」

 

 知らず不機嫌な顔になっていたのか、ルイズが不安そうに口にする。

 

「ルイズのことじゃないさ」

 

 そうだ、忘れてはいけない。つい話込んじゃったけれど、もともとの目的は別のことだ。

 

「……実はルイズにお願いしたいことがあってね」

 

「私にできることでしたら」

 

「嬉しいね。いや、大したことじゃないのかもしれないけれど、シキの部下にウリエルっているだろう?」

 

「ええ」

 

「それだけといえばそれだけなんだけれど、私の知らない間に部屋に入ってきてね………」

 

「……ええ。………え? っえ!? ま、まさか!? シキならともかく、ウリエルさんがそんなことを!? 」

 

 バンっと立ち上がり、テーブルに頭をこすりつけんばかりに謝罪するルイズ。

 

「いや、ルイズを責めるつもりはないんだよ。いきなり学院に留学してきた私に釘を刺すためだとは思うんだけれど、一応私も女だしね。そういうことは心臓に悪いから止めて欲しいから、それとなく言ってくれると嬉しいんだ」

 

「分かりました! 私に任せてください。 今すぐに!」

 

 そう言って走り去るルイズ。

 

「――いやあ、頼りになるねぇ。うん、友人ってのはいいものだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道、ウリエルがいた。いや、これは待っていたと言うべきだろうか。

 

「――あなたも、なかなかに面白い方ですね」

 

 そう、朗らかに言う。

 

「――いやあ、お褒めにあずかり光栄だね。私も好きにやらせてもらうことにしたよ」

 

 ははは、ざまあみろ。

 

 私だってやられるばっかりじゃないんだからね。後のことなんて知ったことか。



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第31話 Old soldiers never die, they just fade away

 

 アンリエッタ姫は笑わなくなった。

 

 物憂げな表情を浮かべ、物思いに耽ることが常。心労は疲労へ、姫百合と謳われる美貌においては陰となる。

 

 自分が愛しい王子を苦しめているということに、心がついていけていない。

 

 今とて、私がいることにようやく気づいたと、ゆるゆると顔をあげる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……マザリーニ、そこにいたのね? 今日は、何をしなければいけないのかしら?」

 

 姫は、恨めしげに私を仰ぎ見る。

 

 私が持ってくる案件の多くは、アルビオンを切り取る、引いては、王子へ苦痛へ与えるもの。だから、姫様は私へ恨みの視線を向けるようになった。表情には出さぬように努めようとも、私とて、辛い。だが、それを見せてはならない。

 

「――印を」

 

 姫は、私が抱える紙の束へ目を向ける。そして、忌々し気に逸らす。

 

「分かりました。そこへ置いておいてください」

 

「できるだけ、早く目を通さなければなりませんぞ。それがトリステインの、ひいてはアルビオンの為なのですから」

 

「……分かって、います」

 

 それだけ言うと、私になど関心はないとばかりに背を向ける。

 

 ――姫は分かっていない。

 

 ただいたずらに引き伸ばしたとて、結果は同じ。であるならば、いっそ急ぐべきだというのに。貴族も国民も、いつまでも待ってはくれない。

 

「明日、また伺います」

 

 一礼し、扉を閉じる。そして、ため息が漏れる。

 

 

 

 

 

 

 

 ――姫様に、政治の才覚はない。

 

 そもそも録に政の教育を受けていない以上に、心が弱い。ほんの少しでも先王の心を継いでいれば、ほんの少しでも先王の政治を見ていてくればもう少し違ったものになったろう。いくら私が支えようにも、前に立つ心がなければ如何ともしがたい。

 

 今までのツケ、私が先頭に立つことはできない。私は、憎まれすぎている。

 

 姫様さえその気になってくれれば、いっそ、私を敵にまとめるという手だてもあるというのに。準備は進めてきたが、最後の一押しは姫でなくてはならない。私では駄目なのだ。

 

 打てる手は、少ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴァリエール公爵はしかめ面で待っていた。

 

 私のことを嫌っているのだから、それは仕方ない。しかし、この国では数少ない良識派、先王への忠誠心も厚い模範的貴族。同時に、もっと野心があればこの国をまとめ上げ、良い方向へ向かったかもしれない人物。現王家以上に国を率いるに相応しいというのは、いっそ皮肉なものであるが。

 

 まあ、思惑はどうあれ、このタイミングで表舞台に出てきたのは彼なりに思うところがあるのだろう。私としても歓迎できる。アルビオンのことがまとまればすぐ帰るつもりだったのだろうが、現場を知ることで、それもできなくなったのかもしれない。半ば引退することで後進が出るのを期待していたのだろうが、結局、まとめることができるのは公爵以外にはいなかった。今回のことは、結局それを証明しただけでしかない。だから、私の相談にも、一蹴ではなかった。

 

 経緯はどうあれ、国の癌であったリッシュモンが変わり、やりやすくはなってはいるが、それだけだ。結局のところ、国そのものが病に蝕まれていた。歯車が本来の動きを始めただけで、それ以上ではない。この国には大局を見れる人間、つまりは公爵のような人物が必要なのだ。そして、公爵もようやく重い腰をあげようとしてる。それは、素直に喜ばしいことだ。

 

 私が表情を崩したのが気に食わなかったのか、公爵は私を睨みつける。

 

「……姫は?」

 

 私が言うのもおかしなものだが、無愛想なものだ。癖になってすらいるため息も、今ばかりは飲み込む。

 

「いつもの通り。やるべきことだと頭では分かっていても、手が進まない。わずかでも進むようになっただけでも、まだ良くなったのですが」

 

「そう、か」

 

 目を伏せ、公爵は考え込む。

 

「そろそろ、心は決まりましたか?」

 

 私の問いに、公爵は苛立たしげに舌打ちする。

 

「やむを得ん。一年、一年だ。それまでにやれるだけのことをやる。この機会を逃せば、次はない。ここを間違えれば、取り返しがつかん」

 

「感謝します。この国にはそれしかないのです」

 

「感謝など、いらん」

 

 じっと私を睨みつける厳めしい表情が、ふっと、自嘲するかのように緩む。

 

「……すまなかったな」

 

 公爵は苦悩するかのように顔を伏せる。

 

「何を?」

 

「お前のことは気に入らない。だが、お前一人でどうにかするなど、土台無理な話だったのだ。放り出したこと、すまなかったと思う」

 

 そう言って、公爵は頭を下げた。

 

 公爵は、貴族としての誇をもった数少ない人物。今は亡き王に対する忠誠心が厚く、だからこそ、自らの影響力が大きくなりすぎぬよう、あえて政界から身を引いた。それは、国を思うからこその選択の一つ。

 

「いえ、頭を上げて下さい。私も、意固地になっていたのです。今となっては過ぎたことですが、私も認めるべきだったのです。いくら身を削ろうとも、余所者が一人でできることなど、限られているのですから」

 

「……そう、か。だが、任せておけ。国内の貴族と、アルビオンのことは私が受けもとう」

 

 目には強い光。

 

 そして、公爵から差し出された手。私はそれを握り返す。そこらの軟弱な貴族連中とは違う、かつては戦場を駆け抜けた者の力強い手。

 

 頼もしい。

 

 公爵ならば一度口にしたことは必ずやり遂げるだろう。だからこそ、国において誰よりも必要な人物だと、王からの信もあれだけ厚いものだった。

 

「……それともう一つ」

 

 公爵が、こちらは少しばかり顔を歪める。

 

「姫は少しばかり、心労が大きくなりすぎたようだな。気休めにしかならぬかもしれんが、娘をつかせよう」

 

「娘というと、一緒に来られた?」

 

 頭に浮かぶのは、母親譲りの桃色の髪を持つ、妙齢の令嬢。

 

 こう考えるのは失礼だろうか。失礼ながら、両親二人に似ない、柔らかな女性。

 

 すでに子がいてもおかしくはない年齢ではあるが、生来の病弱さからあえて分家し、半ば隠居の身の上。病弱でさえなければ、引く手数多であったであろう。そも、アルビオンのことが一度は落ち着いた後、今回あえて出てきた理由の一つに、体調の良くなった娘を連れてくるということがあったとは聞いている。

 

「ああ。親の贔屓目を抜いても、人の心の動きに聡い娘だ。そして、一緒にいる者の心を安らがせる。思うに、姫には本心から話をできる人物が必要だ。だが、それができて、なおかつ信頼できる者はそうはおらんだろう」

 

 確かに必要性を常々感じていた。

 

「助かります。そればかりは私にはいかんともしがたい」

 

「それは、お前のような年寄りでは務まらんだろうな」

 

 ふっと、公爵が初めて笑った。そして、私もついつられる。

 

 これでようやく、肩の荷が降りる。私も、ようやくやるべきことへ取りかかれそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、公爵が自ら前に立つことを宣言した。

 

 それまではあくまで一歩引いたものであった公爵の復帰は、劇的な変化をもたらした。常であれば公爵が力を持ちすぎることを懸念する者が出そうなものではあるが、それすらもなかった。

 

 そのようなことを望んでいないということは既に明らか。ならば、下手に競争となるより、誰もが認めるものが先頭に出る方が望ましい。以前であればリッシュモンが何かしら言ってきそうなものだが、それも過去のこと。

 

 何より、この好機を逃すべきではないということは誰もがわかっている。これがよそ者である私であれば心情から認められずとも、そうでなければ、これは乗るべきもの。

 

 そして、それはすぐに一つの方針へと変わる。トリステインとアルビオンとの共同軍の創設、ただし、実質的な指揮系統はトリステインがすべて持つというもの。

 

 つまり、アルビオンはトリステインの手の中に入るということだ。名義的にアルビオンは別の国、別の王を頂くとも、その実質はトリステインに併合するのと変わりない。

 

 先行して共同訓練も始まった。

 

 既にアルビオンで亜人退治で協力したという実績がある。その延長上で、報告のあった亜人被害に対して共同で当たる。これが上手く行けば、ガリアやゲルマニアに対して劣っていた戦力が、いっそガリアを上回る可能性もある。流石にそれにはガリアの邪魔が入るかもしれないが、今のところはそのようなこともない。

 

 それに、増加傾向であった亜人の被害に対する速やかな対処は、国民に明るい未来を抱かせるのに十分な効果をもたらした。トリステインの往時への復興、それは漠然とした期待から、確たるものへと変わった。

 

 その意味を十分に知るアルビオンの王と王子は渋るも、それは抵抗にもならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さすが、公爵ですな」

 

 忙しい合間をぬって、ようやく二人で時間を取れた。

 

「先頭に立つのが私からあなたに変わるだけでこれほどスムーズにいくとは、流石に思いませんでした」

 

 ここまで劇的であると、悔しいという思いは皆無で、いっそ清々しい。しかし、公爵は顔を曇らせる。

 

「本来は、アルビオンは尊重すべき国。あまり好ましいことではないのだがな」

 

「それは、私とて理解しています。積み上げてきた歴史の意味は十二分に理解しています。しかし、これは皆が望むこと。おそらく、アルビオンの国民とて、理解するでしょう」

 

「分かっている。だからこれは、ただの愚痴だ。それに、綺麗事をいつまでも言っていられぬからな」

 

「確かに。まさかあのようなことが本当に起こり得るとは夢にも思わなかった」

 

 私と公爵が思い描くのは、一つの、おそらく約束された未来。つまり、教皇とガリア王からもたらされた大隆起について。

 

 秘密裏に進めるために時間がかかったが、地下に、国を空に浮かび上がらせることも可能なほど膨大な量の風石が眠っていることの確証が取れた。

 

 大地の大部分が空へと浮かび上がる、そんな冗談にしても馬鹿げたものが起こり得る。もしそうなれば、食糧が確実に足りなくなる。食糧を輸入することでなんとか成り立っているアルビオンのような状況がそこここで発生する。それなのに、浮かび上がったのと同じだけ耕作に適した土地は減少する。

 

 いずれは適した食糧生産の方法が確立できるかもしれない。だが、それをもっとも望むアルビオンがこれまでできなかったのだ。輸入するという代替手段があったとはいえ、だ。

 

 何年も、下手をすれば何十年という単位で食糧が不足することになるだろう。どれだけの餓死者が出るのか想像もつかない。そして、奪い合いが起こることは間違いない。

 

「――だが、聖地には、それを防ぐための装置があるという」

 

 ポツリと公爵が言う。その表情は硬い。

 

「ええ、何とも都合が良いことに。ロマリアでそれなりの地位にいた私が欠片も知らず、現教皇とガリア王だけが知っていた。同じだけの歴史を持つトリステインにはそのような言い伝えはないというのに。もっとも、トリステインでは途絶えてしまったという可能性がないではありますが」

 

 口伝で伝えられていたというのなら、先王の急な崩御の際に失われたという可能性もあるだろう。だが、ことがことであれば、途絶えぬ為の工夫を何重にも行うものだ。

 

「今となっては分からぬことではあるがな。……しかし、そもそも、始祖の虚無とは何なのだろうな?」

 

 公爵がどこか投げやりに呟く。娘が虚無に目覚めるという、いわば当事者の一人である公爵が。

 

「その言い方は不敬とも取られ兼ねませんぞ?」

 

 むろん、本心ではない。

 

 そも、私自身司祭として長年疑問に思わなかったでもないのだ。

 

 虚無とは、そして、始祖とは何なのか?

 

 漠然とした言い伝えしか残らない虚無と同様、始祖についても全ては曖昧だ。姿を象ることすらも許さぬということを筆頭に、具体的な話は驚くほど何もない。

 

 それはブリミル教の司祭であろうが、王族であろうが変わらない。結局のところ、誰も知らぬ。まるで「意図的に」そうなるようにしたとしか思えない。公爵が言いたいのは、つまりはそういうことだ。

 

 公爵が言う。

 

「仕方あるまい。実の娘が虚無の担い手とのことだが、結局、肝心なことは何もわからない。曰く、世界を救うとのことだが、さてな……。むろん、あの使い魔であれば何とかしそうではあるがな」

 

 確かに、あの使い魔ならば世界を救うことも、逆に、世界を滅ぼすことも可能だろう。虚無とはつまり、そういうものなのかもしれない。であれば、いっそ埋もれてしまうべきものと考えるのも分からないではない。

 

「――何にしても、知らねばなりませんな」

 

 肝心なことを私達は知らない。そして、ロマリアは知っている、知っていなければならない。

 

「ああ」

 

 公爵が深く頷く。

 

「あとは、頼みます」

 

「すぐに出るのか?」

 

「準備が整い次第、すぐにでもロマリアへ。なに、伝手はあります。むろん、公爵がいなければ意味がなかったことですがな。これも、公爵のおかげです」

 

「分かった。あとは任せておけ」

 

 今度は私が公爵へ手を差し出し、公爵がそれを握り返す。

 

 きっと大丈夫だと、心で感じる。

 

 戦友に対する信頼とはこのようなものだろうか? 

 

 安心して死地に赴けるというのはこういうことだろうか?

 

 私は最後の仕事として、必ずやり遂げる。なに、ガタのきた体もそれぐらいはもつだろう。それこそ、この命と引き換えでも構わない。公爵がいるのなら、掛け金として安いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳がおり、ふと窓の外を覗けば、全てが黒く染まっている。

 

 城内に蝋燭を灯しても、光が届かない場所はそこここにある。時折見回りが恐々と巡るも、どうしてもおざなりにならざるを得ない。

 

 扉を開けて外を覗くと、今は誰もいない。蝋燭の影がゆらゆらと揺れるだけ。それだけ見て、扉を閉じる。

 

 

 

 

 

 こんな時間に、彼はふらりと城を訪れる。

 

 そうして彼は言う。

 

 ただ、顔を見にきたと。

 

 あるいは、まるで世間話をするように、どこそこで人が消えたと。

 

 私が、この国にとっても疎ましいと思っていた人物。

 

 いずれにせよ、彼は気まぐれにやってくる。

 

 だが、今夜ばかりは違う。

 

 私が彼を呼ぶというのは初めてだ。しかし、拍子抜けするほど、彼はあっさりと受け入れてくれた。

 

 自室で一人、彼を待つ。そろそろ時間だろうか。どうにも落ち着かない。

 

 

 

 

 

 

「――おや、待たせてしまいましたか?」

 

 涼やかな声。いつの間にやら、部屋には私以外にもう一人。

 

「いや、驚くほど正確ですよ」

 

 私の返事に、それは良かったと朗らかに笑う青年。年若く見えても、私がこれまで会った誰よりも底がしれない。

 

 ブリミル教とは違うが、どこか厳かなものを感じさせる貫頭衣を見にまとい、さらに腰には剣を吊るしている。私は、ウリエルという彼の名しかしらないが、彼は私のことをよく知っている。

 

「さて、あなたから呼ばれるというのは初めてですね。何でも、しばらく城を離れるとか」

 

「ええ、ロマリアと、それとガリアに赴こうと思いましてね」

 

「――ああ、なるほど。しばらくの間ならあなたがいなくとも国が回る環境にはなりましたからね」

 

 やはり彼は知っている。

 

「あなたのおかげでもあります」

 

 彼は曖昧に笑う。私は構わずに続ける。

 

「ロマリアが言う、大隆起。どうやら世迷言ではないようです。地下の発掘をして、確かなその可能性を見つけました。大量の風石、あれだけの量であれば、国がひっくり返るということも、なるほど、あり得ない話ではない」

 

「しかし、それを防ぐ装置とやらは信じがたい、そういうことですか?」

 

 話が早い。

 

「ええ、どうにも都合が良すぎます。それに、私もあの国にいた時にはそれなりの地位にいました。それなのに全くそんなことを聞いたことがない。聖地の事実については無知ではないつもりでしたが」

 

「確かにそうですね。この地に伝わる虚無とやらの言い伝えは、なるほど、なんとも便利なものでした。ですが、それにも限度があります。いくら脚色があるにしても、ね」

 

「私達には情報が必要です。ですから、私はあの国へ行くことを考えています。自分の目と耳で確かめたいのです。昔もった疑問、虚無とは何なのかを今一度調べねばなりません。どうやらこの時代に伝説の虚無が蘇るというのは間違いなさそうですから」

 

 ここまで言って、彼の様子を伺う。

 

 何と言うだろうか? ルイズ嬢のことがあるからだろう、彼も虚無には注意を払っているようだった。これは彼にとっても悪い話ではないはず。

 

「……ちょうど良い」

 

 ポツリと彼は言う。

 

「虚無とは何か、そろそろ本格的に調べなければと思っていたところです。しかし、言い伝えがどうにも偏っているようで、なかなか難しかった。あなたが直接行くというのは私達としても好ましい。すぐにでも立つのですか?」

 

「ええ、旅支度さえ済めばすぐにでも」

 

 彼はうなずく。

 

 そして初めて会った時に一度だけ見た、彼の背に広がる純白の羽。暗い中でも輝くそれは、恐ろしくも、やはり美しい。彼は無造作に、そこから一枚の羽を抜き取り、私へと差し出す。

 

「つい最近、同胞が北に向かったところ。場合によってはあなたのもとに向かわせましょう。これはそう、目印のようなものです。あるいは、魔除けぐらいにはなるかもしれませんね」

 

 最後だけいたずらっぽく笑う。

 

 そういった顔もできるのだと初めて知った。何にせよ、これでようやく下準備は済んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長旅になるからには、それなりの旅支度は必要だ。といっても、そう大げさなものではない。

 

 もともと私は領地を持っているというわけではない。管理の手間はもちろん、よそ者である私が持つことに反感を持つ人物は多かろうとは想像に難くなかった。だから、本当に必要最小限のものだけを準備すれば事足りる。都合の良いことに、それは、同行者も同じことだった。

 

 

 

 部屋がノックされる。彼の荷造りも終わったんだろう。

 

 部屋に入ってきたワルド子爵はいつもとそう変わらぬ装い。無駄に華美にならぬ、動きやすさを重視した親衛隊の隊服に、何時ものようにマントを羽織っている。これまでの功績で王女の親衛隊の総隊長としての立場を賜った彼ではあるが、無駄な権力闘争に染まることはない。それは、私としても好ましいものである。たとえ、内心はどうあれ。

 

 彼が聖地に並々ならぬ関心を抱いているのは、既に調べている。恐らく、聖地に執着し、ついには心を壊した母親のことを知るため。ああいや、もう一つ。事故とはいえ、自らが「手をかけてしまった」母親への罪滅ぼしでもあるのだろうか。

 

 彼女が死んだ今となっては、その執着が何に向けられていたのかは分からない。だが、彼はそれを知りたがっている。それは、今回の私の目的とも重なっている。子爵の目的は純粋で、だからこそ強い。危うくもあるが、目的を同じくする限りは信頼できる。だからこそ私は、今回の同行者に彼を選んだ。

 

 それに、ちょうど良い機会でもある。子爵が姫を支えるものたり得るが否かを知るには。

 

 その子爵が、彼のトレードマークでもある帽子を取り、口にする。

 

「私の準備は終わりましたが、卿も――そう時間はかからないようですね」

 

「公爵のおかげでね。それに、私はしがらみも少なくてね。心配するとすれば体力的なものだが、なに、心配はいらんよ。今となっては昔の話になるが、年の半分を旅で過ごしたこともある。司祭というのも存外体力が必要なものでね」

 

「確かに。本当に民のことを思うならそうあらねばなりませんからな」

 

「耳が痛い話ではあるな」

 

 思わず苦笑する。

 

 子爵の言葉には、引きこもって贅沢三昧の司祭に対して、幾分の皮肉が含まれている。が、それは誰もが持っているものだ。

 

 司祭であった私とて、何とかしたいという思いはあった。しかし、病巣はあまりに根深く、だからこそ一人の持つ時間では足りない。ただ、可能性もないではない。

 

「まあ、今の教皇はあの若さで上り詰めた。何かしらの変革はできるかもしれんな」

 

 むろん、教皇が真に考えていることは分からない。私はそれを含めて知らなければならない。

 

「さて、ようやく全ての準備が済んだ。本来の順番としては間違っているが、姫に説明せねばな」

 

 

 

 

 

 

 

 旅立つ日、姫の見送りはなかった。旅のことを告げても、ただそうかと呟くだけだった。

 

 期待はしていない。

 

 だが、やはり寂しくはある。好かれていないことは分かっているが、私は姫のことをどこか娘のように思う心があったということだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 枢機卿が目的を伏せて旅に出ると、いっそ戻ってこなければ良いと平気でのたまう者たちがいた。

 

 ワルド子爵と二人だけの旅。追放だと考えるものが出るのも仕方がない。半ば隠居していた私が復帰したタイミングであるからには。

 

 それに、私とてそれを咎められる立場にはない。であれば、やるべきはただ、この国をまとめ上げることだけ。

約束は果たさねばならん。

 

「――お父様」

 

 ふと、鈴の音のように柔らかなカトレアの声。思わず顔を上げると、困ったような、拗ねたような表情。

 

「お父様ったら、また眉間に皺を寄せていますよ? お茶を煎れてきましたから、少し休憩を取られてはいかがでしょう」

 

 自覚があるほどに頑固な性の儂だが、カトレアに言われると素直に従おうという気になる。その穏やかな声は心地良いからか、それとも、本心からの心配だと分かっているからか。あるいは両方か。

 

「そうだな。たまには甘い茶菓子も頼めるかね?」

 

「はい」

 

 本当に嬉しそうに、カトレアが表情をほころばせる。

 

 ああ、もう一つ、この笑顔が見たいからか。

 

 儂とカリーヌの娘でありながら、よくぞこのような娘に育ったものだと感心する。少しばかりはエレオノールとルイズにも、あわよくばカリーヌにも影響すれば良いと思ったことは、両手では足りない。

 

 カトレアは、手慣れた調子で茶を淹れる。

 

 手ならないで覚えたものだが、なかなかどうして、どうにいったものだ。それに、既に茶菓子も準備してあったようだ。こうした気配りは、素直に嬉しい。

 

 ううむ、これならすぐにでも良い相手が見つかりそうなものだが、生中な輩にはやれん。かといって、うかうかしているとあやつの毒牙にかかりかねん。それは絶対に避けねばならん。

 

「……お父様。また難しい顔をしていますよ?」

 

 いつの間にやら目の前に覗き込んできていたカトレア。

 

「ああ、すまんすまん。せっかく休憩するというのに、それでは意味がないな。おお、せっかくお前が手ずから淹れてくれた茶だ。冷めぬうちにいただかねばな」

 

「はい。お口に合えば良いのですが」

 

 言葉とは裏腹に、その表情には自信がうかがえる。これは楽しみだ。

 

「うむ、いただこう」

 

 カトレアが入れてくれた茶は、爽やかな香りと、風味。これはハーブティーか。たまには、悪くない。カトレアも満足気に自分の分に手を伸ばす。言葉を交わさずとも、そんな穏やかに時間は好ましい。

 

「お父様」

 

 ふと、向かい合わせに座ったカトレアが尋ねる。

 

「何だね?」

 

 カトレアは少しばかり困った表情。

 

「姫様のことなのですが……」

 

「お前にも本心は見せてくれんのかね?」

 

「ええ……」

 

 カトレアの表情が曇る。

 

 ここしばらくは一緒に過ごすことも多いが、どうだろうか。

 

 ルイズに対しても心の支えになったのだから、力になれるとは思う。とはいえ、人の心の機微には本当に敏感な娘だが、そうやすやすとはいかないかもしれない。一旦閉ざされた心はなかなかに頑強なものであれば。

 

「なに、焦ることはない。姫様にとってはお前がそばにいるだけでも支えになるだろう。だから、しばらく見守って欲しい。姫様がお前を必要とする時、お前が必要だと思うことをやって欲しい。それで十分だ。お前もいずれは分かるだろうが、愛する人を傷つけるというのは、自分の身を割かれるよりも辛いものだからな」

 

「ええ。姫様はそのことに心を痛めています。同時にそれも仕方が無い、そうせざるを得ないということも理解しています。そう思うこと自体が辛いようで、何も考えたくないと思っているようです」

 

「姫様は、そこまで語ってくれたのかね?」

 

 少しだけ期待する。そうであれば、悩みを口にできれば、心の荷も少しは軽くなる。

 

 しかし、カトレアは首を横に振る。

 

「いえ、そう私が感じただけです。まだ姫様の口から話してくれるようになるには時間がかかりそうです。それと……」

 

 カトレアが言いづらそうに、いっそう表情を曇らせる。

 

「何だね?」

 

「王子も、ウェールズ王子も深く悩んでおいでです。とても追い詰められているというか。あまり話したこともないので、はっきりとは言葉にできないのですが……」

 

「そう、だな。確かに、国のことを思えばそうだろう」

 

 その原因である儂が言えたことではないが、な。

 

 王子は、年若いといえども、王族としての確固とした自覚をしっかりと持っている。であれば、国を割かれようという今の状況は、それこそ身を割かれる思いであろう。

 

 儂とて、できることならそのようなことはしたくない。むろん、言っても詮無きことではあるが。時が時であれば、二人の婚姻も対等な、望ましいものであったろうに。好き合うもの同士での婚姻は、本当に得難いものであるからには。

 

「……本当に、詮無きことだな」

 

「いいえ」

 

 思わず漏れた独り言に、カトレアが言う。

 

「お父様がアルビオンのこと思うにも意味はあります。王子もそれは肌に感じているでしょうし。それに、そう思えるお父様だからこそ、アルビオンにとっても最悪の事態は避けられるでしょう。中にはアルビオンをどう食らうか、それしか考えていないような方もいらっしゃるようですし……」

 

 珍しく、本当に珍しくカトレアが嫌悪感を表に出している。カトレアは、良き娘に育ったようだ。

 

「そうか。お前にそう言ってもらえると、少しは心が軽くなる。本当に、お前が一緒にきてくれていて良かったよ」

 

 一人であれば、やはり辛かったこともしれない。カトレアには昔から隠し事ができない。素直に心のうちを吐露できるのは、何事にも変えがたい。

 

「こんな私でも、役に立てるのは嬉しいです」

 

 自分を卑下するような言葉。それはよくない。

 

「そんな言い方はするものではないよ。せっかく安心して外に出られるようになったんだ。お前は、お前がやりたいことを精一杯やればいいんだよ」

 

「ごめんなさい。――そうですよね。せっかく好きな時に外へ出られるようになったんだもの。ああ、いけない。健康な体をくれた姉さんと、そしてシキさんに感謝しないと」

 

 そう、朗らかに笑う。それでいい、せっかく自由になれたのだから。

 

「……ただ、感謝は必要だが、彼にはあまり近づくな」

 

 それだけが心配だ。親としてはどうしても心配だ。エレオノールはもういかんともし難いが、せめてカトレアは真っ当な恋愛をして欲しい。

 

「それはダメです」

 

 しかし、カトレアは言う。

 

「恩を受けたのは私なんですから、私自身がお礼をしないと。何ができるというわけじゃないですけれど、それは絶対に譲れません」

 

 カリーヌを思わせる、引き結んだ表情。だからこそ、悟る。

 

「……言っても、聞かんのだろうな」

 

 とたんに表情を綻ばせ、カトレアはからからと笑う。

 

「ええ、いくらお父様でも。道理に外れたことは聞けませんわ。あ、大丈夫です。会うとしても、お姉様かルイズと一緒で、ですから」

 

「確かに、道理はお前にある。まあ、儂が何を心配しているか分かっているのなら、これ以上は言うまいよ」

 

「わがままを言ってごめんなさい。でも、あの人には本当に感謝しているんです。あの人のおかげで私の世界は広がりました」

 

 眦をさげ、叱られた子供のように俯く。

 

 全く、そんな風に言われては何も言えんじゃないか。

 

「お前は、今までわがままを言ったことなんてなかったな。ああ、少しぐらいなら、そうだな、悪くない」

 

「………じゃあ」

 

 カトレアがおずおずと上目遣いにお願いをする。

 

「ん、何だね?」

 

 これは初めてペットが欲しいと言った時以来だろうか。懐かしい。思わず、頬が緩むのが分かる。

 

「早速、明日にでも学院に行っていいですか?」

 

「……ん? どこへ、何をしに行くと?」

 

「学院へ、シキさんに会いに」

 

 カトレアはピシリと言い切る。

 

「……なぜ?」

 

「さっき言った通り、お礼を言いに。この前、家にいらした時はあまり話せませんでしたし」

 

「いや、確かにそうなんだが……。確かに、必要だろうが……」

 

 不意に悟る。これは、曲げる気はないなと。さては、最初からそのつもりだったな。

 

「……分かった」

 

「ありがとうございます。じゃあ、早速準備しますね」

 

 ふわりと花開くように微笑む。

 

 この使い分け、分かってやっているのなら末恐ろしい。いつの間にそのような強かさを身につけたのやら。

 

「まあ、待て。せっかくなら儂も行こう。改めて話しておくべきこともあるからな。ただ、すぐにとはいかん。そうだな、次の虚無の曜日にしよう。授業が休みであれば、エレオノールもルイズも時間を取りやすいだろう」

 

 それまでの間にエレオノールに言い含めておいて、ついでに縁談の一つや二つを準備しておけば良い。なに、縁談があるとだけ言えれば良いのだ。そうと知っていれば粉をかけるということもあるまい。

 

 むろん、そう簡単には娘をやる気はないがな。なに、良くも悪くも――いや、何も言うまい。とかく噂になったエレオノールの話がある、それぐらいは相手とて分かっているだろう。生中な男では務まらんとな。

 

「分かりました。じゃあ、早速姫様に伝えておかないいけませんね」

 

 カトレアがパンと小気味良く手を叩き、立ち上がる。

 

「あ、ああ……。確かにやるべきことは早めに済ますに越したことはないな。ああ、確かにお前の言うとおりだ」

 

 本当に頼もしい娘。いっそ息子であればこのような心配も不用だというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 メイドへ取次を依頼すると、姫様は王子と一緒とのことだった。遠慮するべきかとも迷ったが、姫様からは許可があった。

 

 不思議にも思っていると、カトレアが付け加えた。曰く、できるだけ二人でお茶をするようにしているが、どうにもギクシャクしたところがあるから、ちょうど良いのかもしれない、と。

 

 言われて、さもありなんと思う。友好を見せるために時間を共有することは欠かせないが、当人にとってもはいたたまれないだろうと。

 

 

 

 

 

 

 

 入ると、これは歓迎と取るべきだろうか。

 

 二人からの視線にはどこかすがるものがある。姫はもちろんのこと、王子もそうであった。アルビオンで王たらんと教育を受けて自覚を持とうとも、全てを分けて考えるというのには、さすがにまだ若い。ここは儂が口火を切るべきか。

 

「歓談のところ申し訳ありません。次の虚無の曜日に娘が城の外へ出ますので、それをお伝えに参りました」

 

「それは構いませんが、どちらへ?」 

 

 姫が首を傾げる。 

 

 確かに、常にとは言わずとも、ここしばらくは姫と共にいた。不満は抱かずとも、不思議には思うだろう。

 

「学院へ、件の使い魔の所へ向かいます。カトレアが個人的に助けられておりまして、そのお礼を直接言いたいとのことでして。今でこそ王宮へ来ることができましたが、生来それもできないほど体が弱かったのです。彼の持っていた神薬とやらはそれだけ素晴らしかったようでしてな」

 

「彼は、何でもできるんだね」

 

 ポツリと王子が言う。

 

 使い魔のことを口にした時、彼の反応は大きかった。そして、羨望やら何やらがないまぜになった響き。それはそうだろう。彼ほどの力があれば、できないことはない。

 

 王子は常に考えているはずだ。アルビオンを、自らの国の窮状をどうすれば救うことができるのか。常識で考えれば、既に詰んでいる。いくつもの代を重ねればあるいは芽が出ることもあるだろうが、逆に言えば、今代ではいかんともしがたい状況。

 

 だが、その例外が一つだけある。それがルイズの使い魔。

 

 彼が何かの気まぐれで手を貸すということがあれば、アルビオンの窮状を救い、それ以上のことすら可能だ。それが難しいというのは、当然理解しているだろうが。ともあれ、これは話題としてあまり好ましくなかったか。

 

「さて、あまりお邪魔をしても仕方がありませんな。次の虚無の日、儂も行きますが、あるいは泊まりなるかもしれません。一番上の娘も、一番下の娘も学院に居りますからな」

 

「そうですね。ルイズはカトレアさんのことが好きですからね。久々に会えれば喜ぶでしょう。どうか私のことはお気になさらず」

 

 姫様が微笑む。

 

 トリステインが誇る白百合は美しい。だが、その美しさは、あるいは折れそうな儚さと同居している。

 

 それからは会話というほどもなく、部屋をあとにした。 

 

 

 

 

 

 

 

「――お父様」

 

 後ろを歩くカトレアから呼びかけられる。声にはどこか悲しげな響き。

 

「何だね?」

 

「王子は思いつめています」

 

「そうだろうね」

 

 王族としての誇りを持っていれば、当然そうだろう。だが、カトレアは続ける。

 

「国の行く末を案じ、それでいて、姫様のことを大切に思っているから憎みきれずにいる」

 

「……あまり、人に聞かれる可能性のある場所で言うものではないよ」

 

 周りをうかがうと、幸い、廊下にひと気はない。あるいは、だからこそか。

 

「でも、王子は何かしら希望を持っているようです」

 

「お前の、勘かね?」

 

「はい」

 

 カトレアの言葉に淀みはない。

 

「なら、そうなんだろうね。ただ、そのことは私以外には言ってはいけないよ」

 

 アルビオンの王子にとっての希望は、トリステイン貴族にとっては邪魔でしかない。かろうじて利用価値があるからこそ、綱渡りの綱は切れずにいる。だが、切れずにいるだけだ。現王と王子をこの世から消すということはとても簡単なことなのだから。それだけは避けたい。貴族の誇りとして、それだけは譲れない。

 

 それに、もしそんなことがあれば、姫の心は壊れてしまうかもしれない。それだけは防がねばならない。

 

 儂等のような老いぼれならともかく、年若いものにはもっと自由に生きて欲しい。だが、それができないだろうことは儂自身が理解してしまっている。自分自身で信じられぬことなど、実現できるはずがないというのに。 

 

「……どうにも、ままならなんな」

 

 つい、諦めの言葉を口にしてしまう。それではいかんと分かっているというのに。

 



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第32話 Maiden’s Mind

今回の話はいつもより短めで、どちらかというと「小話」にしているものに近いです。


 いつものように、机で何かを読んでいるエレオノール。

 違うのは、難しい顔ではなく、どこか嬉しそうだということ。

 

 机にあるのは、優美ながらもどこか可愛らしさを感じさせる装飾の封筒。

 見たところ、親しい人物からの手紙といった所だろうか。

 

「何か良いことでも書いてあるのか?」

 

 問いに顔を上げたエレオノールが、ふわりと微笑む。

 

 普段、生徒には険しい表情を見せることが多いエレオノール。それとは違う表情を、自分だけが独占している。

 

「ええ、カトレアから――妹からの手紙です。シキさんも一度会いましたよね? ほら、ルイズと同じ色の髪の。私の妹で、ルイズにとっては姉ですね」

 

「ああ、あの時の……」

 

 思い出す。

 

 健康な体をくれた、と自分に対して礼を述べた女性。母親譲りだろう、ルイズと同じ桃色の髪の女性。ただ、ルイズ、エレオノール、そして母親とも違う、柔らかな空気をまとっていた。あとはそう、胸元が豊かだった。体のラインが目立つ服装ではないというのに、ブラウスがその豊かな胸にそって強調されていた。テファまでとはいかずとも、マチルダよりも大きいかもしれない。

 

 それはさておき、エレオノールは一つ頷き、続ける。

 

「 あの子が言ったように、万全とはいかないみたいですが、外に出歩けるようになったようで。それで今、お父様と一緒に王宮に滞在しているんですよ。手紙には、時間ができたから学院に来るって書いてあって」

 

「それは、ルイズも喜ぶな」

 

 城――エレオノールの実家はそう呼ぶべきものだろう――に滞在した時、久しぶりの再開だと一緒に寝ていた。とても仲の良い姉妹なんだろう。

 

「そうですね。ルイズは私よりもずっと、カトレアに懐いていますから」

 

 ちょっと悔しいですけれど、と本当に残念そうに付け加える。

 

 どこか拗ねたようなその仕草は、やはり可愛らしい。可愛らしいなどと言うと恥ずかしがるが、それがまた、一層可愛らしい。以前そんな様子を見たルイズなどはその手にあったカップを取り落としたりもしたが、それもまた一興。

 

「ところで、いつ頃ここに来るんだ?」

 

 せっかくだ。何か歓迎の準備ぐらいはしたい。

 

「ええと、ちょっと待ってください。……うん、次の次の虚無の曜日みたいですね。ちょっと準備することがあるとか。あと、もしかしたら何か嬉しいニュースを伝えることができるかもしれないって書いてありますね。うーん、何でしょうね?」

 

 エレオノールが軽く首をかしげる。

 

「さて、何だろうな? 何か悪戯でも考えているのかもしれないな」

 

 自分などよりエレオノールの方が詳しいとは思うが、何となく悪戯が好きそうな印象を受けた。エレオノールとルイズの父と対峙した時、なぜだかそんな風に思った。それは楽しみでもあり、どこか怖くもある。

 

 

 

 

 

 

 

 その日は、あっという間にやってきた。

 

 学院にいくつもある応接室、予約すれば生徒も使えるそこで会うことにした。エレオノールの部屋でも構わないといえば構わないのだが、無駄に華美すぎず、落ち着いた調度品が設えられたその部屋の方が適している。何だかんだで、エレオノールの部屋は書類が山となっているというのもある。

 

 部屋の中心のテーブルへ人数分の紅茶が並べられ、配膳したメイドであるシエスタが部屋の隅に佇む。エレオノールのお気に入りなようで、こういった場では必ず彼女が呼ばれる。俺に対しては警戒感があるものの、職務にはきちんと取り組んでいる。この世界で最初に仲良くできた人物であるだけに寂しいが、それは仕方がない。今は、目の前のことが重要だ。

 

 エレオノールとルイズは、カトレアと、そして父親との再会を素直に喜び、俺は、三人の父親と軽く挨拶を交わすので精一杯。どうにも気まずいが、それは向こうも同様。世に溢れる義理の親子関係はどういったものか、寡聞にて知らず。ましてや、入り婿などというものの心労はいかばかりであろうか。それを思えば、自分はまだ気楽なものだ。二股という、その状況以外は。

 

「――シキさん」

 

 ふと、エレオノールの妹であるカトレアの声。目が合うと、柔らかく微笑む。そうやって笑う時は、やはり姉妹なのかと思う。

 

「シキさんのおかげで、遠出もできるようになったんですよ。心配性の主治医もようやく許してくれて。本当に、ありがとうございます」

 

「ああ、前にも言ったように、気にしなくて良い。俺自身が何かをしたわけではないからな。それに、エレオノールの妹なら当然のことだ」

 

「相変わらずですね、お兄様は」

 

 微笑むカトレア。

 

 そして、咳き込むルイズにその父親。エレオノールは至極当然と頷く。俺は、どう返すべきだろうか。とりあえず、一つ言うべきことがある。

 

「いや、兄というよりは………」

 

「嫌です」

 

 カトレアは微笑んだまま、ピシャリと言い切る。

 

「弟………」

 

「絶対に、嫌です」

 

 微笑みながらも、カトレアは決して目を逸らさない。そして、エレオノールが言う。

 

「前も言いましたよね? そういうのはシキさん、良くないですよ」

 

 更にルイズが同意し、そして、ルイズの父も無感情に同意する。

 

 エレオノールが続ける。

 

「シキさん。シキさんは別の世界の住人だったんですよ? だったら、時間の流れが同じとは限らないでしょう?」

 

「それはまあ、そうだな」

 

 体感での違いはないが、そういった可能性もあるだろう。当然、歳が下に離れる可能性もあるわけだが。

 

 知ってか知らずか、エレオノールは諭すように口にする。

 

「だから………、そうですね。取り敢えず、シキさんは40歳ということにしましょう。うん、それがいいですね。あなたもそう思うでしょう?」

 

 問われたカトレアも、我が意を得たりと、嬉しそうに頷く。

 

「はい、それがいいですね。シキさん、落ち着いていますし、きっとそうですよ。ルイズもそう思うでしょう?」

 

「え、私? ええと、私は歳が近い方が………。いえ、何でもないです。はい、シキは40歳ぐらいですね。お父様はどう思いますか?」

 

「あ、ああ………。まあ、違和感はないとは思う」

 

 俺以外の同意を一応は得たエレオノールが大きく頷く。

 

「じゃあ、そうしましょうか。誕生日はいつにしておきましょうか?」

 

「いや、そこまで決める必要があるのか?」

 

 代わりにカトレアが答える。

 

「大切ですよ。あとで辻褄が合わなくなったら大変ですし」

 

 エレオノールだけでなく、カトレアもやけに真剣だ。以前ルイズから人となりを聞いた時には、むしろ達観しているような雰囲気を受けたが。

 

 しかし、あり得ない話でもないのか。死が間近にあるという状況から解放されれば、自然、変わっていくだろう。それは、悪いことではない。例えば、結婚だって意識するかもしれない。

 

「そうだな。なら、この世界に来た日を誕生日にしようか」

 

 人として生まれ、悪魔として生まれ変わり、そして、この世界でルイズと出会って希望を見つけた日。三度目の誕生日と言っても良い。そう考えれば、年齢自体は大した問題ではない。

 

 とん、と肩を叩かれる。

 

 ルイズがはにかむように笑い、自分にだけ聞こえるようにつぶやく。あの日は、私にとっても特別だよ、と。ルイズの父親が本当に心配そうにこちらを見ているのはおいておこう。

 

 そういえば、と一つ思い出す。この話をこのまま続けるのも、気恥ずかしいものがある。

 

「確か、嬉しいニュースがあるかもしれないとか」

 

 エレオノールが受け取った手紙に、そんな言葉があったはず。今日来たのは、恐らくその報告もあったんだろうと思う。

 

 エレオノールも思い出したようだ。

 

「ああ、そういえば………。あなたにとって嬉しい話なら、私にとっても嬉しいわ」

 

 とたん、さっきまで笑顔だったカトレアの表情が強張る。なぜか、その父親も合わせて。そして、ルイズはこういった時に空気を読まない。

 

「婚約する――とか?」

 

 加えて、そういう時限って勘が良いというのは、不幸だろうか。

 

 父親は、見てはっきりと分かるほどに顔を青ざめさせる。それには決して触れないでくれとばかりに。そして、カトレアが強張った表情のまま、震える声で呟いた。

 

「全部、断られたわ………」

 

 シン、と音を立てるように凍りつく空気。

 

 そして、それを破るのはまたルイズ。身を乗り出して驚いた声をあげる。

 

「そんなことあるはずが………。エレオノール姉様ならともかく………」

 

 空気を読まずにつねりあげられるルイズは、一先ずおいておこう。

 

 しかし、断られるというのはおかしいように思う。自分が想像が及ぶ限りでも、引く手数多となるはず。公爵という、貴族としては最上位に近い血筋。容姿振る舞いどれをとっても理想的。健康上の問題さえなくなったとなれば、むしろ、求婚を断るのに苦労するだろうとは想像に硬くない。エレオノールも、少なくとも最初はそうだったと聞く。性格上の不一致は、……あとの問題だ。

 

 カトレアがポツポツと続ける。今までの印象とはまるで別人、はっきりと影を纏って。

 

 

 

 

 

 

 

 父親が画策していた、カトレアに婚約者をというのは本人にとっても悪い話ではなかった。だが、いくら話を作ってもすぐに消えていった。様々なことを理由に、例外なく候補者が逃げて行く。

 

 例えば、こんなことがあった。

 

 相手方の両親は乗り気であったが、肝心の息子があそこだけは勘弁して欲しいと泣きついた。曰く、エレオノールの婚約者が、その性格の苛烈さから逃げ出したという話を知っていたらしい。公爵からの後ろだてを得られるという餌がありながら、それでも逃げ出すという苛烈さに恐怖したとのこと。いくら後ろだてを得られるといっても、家の中で自分がどのように扱われるか、一生をどう過ごすのかという恐怖から。

 

 むろん、それは承知の上。性格の苛烈さは長女だけだろうという可能性もある。だが、ここで三女にも問題があった。呼び出した使い魔が絶対不可侵の魔王のような存在だということ。更に、周りで問題のある人物が消えているという話は、まことしやかな噂として流れている。

 

 そうなると当然、皆が思う。次女にも絶対に何かがある、と。

 

 そして調べる中で、更なる事実が出てきた。三姉妹の母が半ば伝説、貴族の社会でそれなりに長く過ごしたものには恐怖の代名詞である、名高き烈風であると。戦争での鬼神のごとき活躍はもちろん、余計なことをして血祭りにあげられた貴族は、両手、両足でも足りない。

 

 無理やりにでも息子を出そうという者たちも、それで諦めた――というより逃げ出した。血縁関係を結ぶということはすなわち、烈風とも血縁関係になるということ。息子のことを道具して見ていなくとも、やはり自分は可愛い。余計なことを画策すれば自分がどうなるか、それを思うだけで皆が震え上がった。

 

 やがてそのことが表に出ると、噂はあっという間に広がり、一斉に引いて行った。あそこの娘は無理、と。

 

 ただ一人、公爵だけは真の剛の者だと尊敬を集めたが、本人としてはたまったものではない。そのような話をどこからか知ったカリーヌから、散々に嫌みを言われたのだかから。文字通りの烈風をまとったカリーヌからの言葉に、嘘偽りなく死を覚悟したとは本人の談。

 

 

 ――そんな話を、カトレアは涙ながらに語る。結婚に憧れていたのにとさめざめ。

 

 部屋には、沈黙。それぞれが顔を見合わせ、そして、視線はエレオノールへと向かう。耐えられなくなったエレオノールは、顔を引きつらせながらも謝罪する。

 

「………本当にごめんなさい。半分は、私のせいね」

 

 そして、エレオノールの視線はルイズと、そして、俺へ。

 

「え? う、ごめんなさい?」

 

 ルイズは反射的に謝ったものの納得がいかないのか、あんたが悪いんでしょうとばかりに俺を小突く。

 

 いや、まあ、確かにその通り。ルイズ自身は何もしていない。エレオノールも、そして父親も俺を見ている。いつの間にかカトレアも。

 

「その、済まなかった。そんなことになるとは思わなかったんだ」

 

 沈黙は変わらない。我ながら、もう少しまともなセリフはなかったのかと思う。ようやく沈黙を破ったのはカトレア。

 

「じゃあ………」

 

 顔を上げたカトレアがポツリと呟く。

 

「責任、とってくれますか?」

 

 ……責任というと、つまり、そういうことだろうか?

 

 エレオノールが吠える。

 

「待ちなさい、カトレア!? あなたどさくさに紛れて何を言っているの!?」

 

 父親もまた。

 

「そうだ! いくらなんでも娘全員を出せるか!?」

 

 そして、ルイズ

 

「シキはエロいだけだよ!」

 

 ――ルイズはちょっと、黙ろうか。

 

 

 詰め寄る3人を見て、カトレアが急に笑いだす。

 

「さすがに今のは冗談ですよ。姉さんの想い人をなんてダメですし」

 

 ちらりと舌を出し、そしてカラカラと笑うカトレアに、エレオノールは何とも言えない表情を見せる。

 

「今のは冗談にしても性質が悪いわよ………」

 

「あら、結婚に憧れていたのは本当ですよ? 子どもだって、ずっと欲しかったし………。だから、これくらいのいたずらは許してくれますよね?」

 

 当然とばかりのカトレアの言葉。そこにはエレオノールも反論できないのか、歯切れが悪い。

 

「え? ……うー、そ、そうね。私が原因だものね。それは確かに、私が悪かったわ………」

 

 小さくなる姉を見て、ルイズが一言。

 

「ちい姉様、性格が悪くなった?」

 

 父親も同意する。

 

「健康になってから少しずつ、な。それに、王宮の有象無象共と関わるようになってから更に。人を疑うようなことのない、純粋な娘だったというのに………。まさか一番カリーヌに似るとは思わなんだ。ここ最近はカリーヌと何やら話し込んでいることもあってな。儂も何とかしたいとは思っているのだが………」

 

 カトレアは涼しい顔をして、そんな二人の言葉を聞き流す。

 

 一番性格が苛烈なのはエレオノールかと思いきや、案外どうして、カトレアなのかもしれない。強がっては見せても実は臆病なところもあるエレオノール、良くも悪くも子どもらしいルイズ、対して、一見して全てを受け入れそうに見せながら、こうやって父親を含めて手玉にとるだけの強かさ。

 

 実際、今日のところはカトレアの独り勝ちといったところ。なんだかんだで自分も手玉に取られたのだから。

しかも、カトレアに関しては全く考慮していなかっただけに何も言えない。ルイズもいずれは同じ悩みを持つだろうだけに、何か考えないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、学院を見たいというカトレアを案内することになった。ただし、二人で。

 

 ついていくといって聞かなかったエレオノールとルイズ、そして父親をカトレアがあっさりとやり込めた。エレオノールなどは泣きそうな顔になりながらも諦めた。どうも、家族全員の弱みを握っているらしい。そこまで強かであればいっそ、清々しい。

 

 そんなカトレアは、何が楽しいのか、鼻歌交じりに教室を回っている。休日ということもあって誰もいないが、それでも嬉しそうだ。

 

 ただ机が並んでいるだけだというのに、カトレアには違ったものが見えているのかもしれない。黒いと表現するしかないほどの強かさを見せた人物と同一人物とは、とても思えない。

 

 不意に、カトレアに話しかけられる。

 

「私、小さな頃から体が弱かったので、学校なんて行ったことがないんです。いつでも治療を受けられるよう、実家で家庭教師に勉強を教えてもらっていて。だから、皆が集まる学校という場所に憧れていたんです」

 

 この告白に、何と返すべきだろう。同情などすべきものではないということは分かっている。そんな考えを知ってか知らずか、カトレアは気にした様子もなく続ける。

 

「あ、気にしていただかなくても大丈夫ですよ。ずっと、長生きはできないだろうなぁと思っていたので、こうやって普通に外に出られるようになっただけでも幸せですし」

 

 カトレアはくるりと振り返り、微笑む。少しだけ遅れて、スカートがふわりと膨らむ。

 

「それに、ほら。こうやって時間があれば、教室に来ることだってできますし」

 

 さすがにこの歳になって学生になるのは恥ずかしいですし、と舌を出す。そして、別人のように表情を引き締める。

 

「さて、じゃあ、そろそろ本題に入りますね」

 

「王宮で何かあったのか?」

 

 カトレアはここしばらく王宮に滞在していたという話は聞いている。

 

「うーん、何かがありそう、という感じですね?」

 

 カトレアの言葉には若干の迷い。まだ事は起こっていないが、これから起こるかもしれない、と。

 

「私、何と無くなんですけれど、目の前の人が考えていることが分かるんです。家族にもはっきりと言ったことがないので、ものすごく勘が良いという風に思われているみたいですけれどね。例えば、動物達の考えていることも分かるので、彼らが望むことをやってあげるとすごく懐いてくれますね」

 

 確かに、エレオノールの実家では、猛獣であっても懐いていた。ずっと人と暮らしてきたというのなら分かるが、そうでなくとも同じらしい。

 

「なら、俺が考えていることも分かるのか?」

 

「いいえ。あなたの心は全く見えません。まるでそこがない湖みたい。そんな人はあなたが初めてです」

 

 しかし、あっさりと首を振る。

 

「でも、悪い人じゃないというのは分かりますよ。だって、姉さんとルイズが心の底から信頼しているんですもの。あ、でも、女癖に関しては心の底から信頼されていないみたいですね?」

 

「……それも、心を読んだからか?」

 

「えっと、それもありますが、お母様に堂々と二股のことを言ったんですよね? だから、それだけじゃ信じてもらえないですよね?」

 

「いや、信じよう」

 

「あら、いいんですか? そんなにあっさり」

 

「ああ、似たような相手を見たことがあるし、それに、そんな嘘をつく必要はないだろう? エレオノールとルイズの信頼する家族がそんなことをするとは思わないしな」

 

「えっと、それは惚気というものですか? だとすると、ちょっと反応に困るんですけれど………」

 

 本当に困ったように笑う。

 

「………なら、忘れてくれ。こちらも反応に困る。それより、わざわざそんなことを言うということは、それだけ重要なことなんだろう? 例えば、アルビオンのことか」

 

「あら、もうご存知でした?」

 

「知っているといっても、何とかしてアルビオンという国を守ろうとしていることぐらいだがな」

 

 テファに王家の証とも言える宝を渡したというのは、そういうことだろう。まだ相談は受けていないが、マチルダにも接触しているようだった。決して悪いことばかりでもないだけに、あえてそのままにしているが。

 

 カトレアが息を吐く。

 

「やっぱり、知っていたんですね。ええ、そのことです。王家の、そして虚無の血を引いている少女に国を託すことを考えているようですね。そうして、ある意味では新しいアルビオンとして、枷のない国を作ろうと考えている。そして、その少女はあなたの近くにいるんでしょう?」

 

 確信を持った言葉。

 

 王子から決してそのようなことを言うはずはないだけに、心を読むという能力も本当だろうか。あるいは、その能力もまた虚無に関係するものなのかもしれない。血がそれをつなぐものであるのなら、ルイズの姉であるカトレアにもその資格は十分にある。

 

 真偽はともかく、そこまで知っているというのなら、こちらから情報を出すことも悪くはない。

 

「ああ、その通り。当の本人はそのことを知らないだろうがな。それで、そのことは他の誰にかも話しているのか?」

 

 カトレアは否定する。

 

「いいえ、話したのはあなただけです。証拠なんてない話ですし、何より、私自身がどうすればいいか分からないんです。あの人達は本当に国を守りたいと思っているだけで、私はそれを悪いことだとは思わない。そして、託そうと考えている少女が国を率いること、それは正しいことなのかもしれない。虚無に目覚めたということは、それが始祖の御心に叶うことなのかもしれない。ただ………」

 

 カトレアがそっと顔を伏せる。

 

「ルイズのことか?」

 

「ええ、もしそうだとしたら、ルイズもそうそうすべきとなるかもしれない。でも、それはあの子が望むことではないです。そんなことになれば、現王家と反目することにもなるでしょう。悪いことに、それは望めば容易く叶う。国をまとめられない今の王家より、ヴァリエール家をと望む声は少なくないですしね。何より、ルイズの後ろにあなたがいます。でも、あなたはどうすべきか迷っている」

 

「――本当は、俺が考えていることも分かるんじゃないのか?」

 

 カトレアはただ微笑む。

 

「いいえ、これは単なる想像です。あなたがルイズのことを一番に思ってくれているのは分かっています。だったら、こう考えているだろうな、と」

 

 カトレアは、頭の良い女性なんだろう。

 

 一つ一つのヒントを積み上げて、客観的に事実を見つける。それは、心が読めるというのはまた違った強み。

 

「ああ、認めよう。ルイズと、もう一人の虚無の担い手のテファ。二人ともが俺にとっては妹のようなものだ。二人にとっても好ましくないのなら、アルビオンはもちろん、この国のことだってどうだって良い。必要なら、いくらでも手を汚そう。これ以上、汚れようがないのが俺だからな。――軽蔑するか?」

 

「まさか。私も家族のことが大切ですから。私の知っている世界は狭い。私の世界の中心は家族もだけです。でも、お父様は違う。トリステインの貴族としての誇りを持っています。だから、私は伝えるべきかどうかも決め切れませんでした」

 

「それは、俺も同じだな。何が正解なのか分からない。そして、中心にある虚無というものが何なのかが分からない。だから今、それを調べている」

 

 カトレアが浮かべる、本当に安心したという表情。

 

「あなたみたいな人がルイズの使い魔になってくれて良かったです」

 

「俺も、ルイズの使い魔になって良かったと思っている。俺もルイズに救われたんだ」

 

 それは、紛れもない事実。だから、ルイズのことは絶対に守りたい。

 

「ふふ、お互いがお互いがの為にって、本当に良いパートナーですね。良かった、私が王宮で調べてきたことも無駄にならないですね。人の心が分かるというのは、良いことばかりじゃないんです。純粋な悪意は、心が痛むんです。でも、私のこの力は、この為にあったんだと思えばとても嬉しい。私が知ったこと、あなたにだけは伝えます。どうか、それを役に立ててください。ルイズのことを、守ってください」

 

「ああ、約束する。必ずルイズのことを守る。もちろん、その家族も」

 

 カトレアは嬉しそうに頷き、そして、上目遣いに見上げる。

 

「じゃあ、私も囲ってくれますか? 相手が、本当に見つかりそうもないんです。国内だと皆断るし、今の状況だと他国というわけにもいかなくて………」

 

「それは、何というか………」

 

 どうにも切実な言葉に、思わず、目を逸らす。

 

「子どもが、私が生きた証がどうしても欲しいんです……。いいじゃないですか、今更一人増えたって………。お姉様とお父様のことは私が説得しますし、お母様は今更何も言わないですよ? お母様も似たようなことをしたみたいですし」

 

 カトレアは、確かに魅力的な女性だ。だが、そうは言っても……。エレオノールとルイズに合わせたプレゼントを準備していたが、これは別の日にするか。

 

 

 

 

 それから、今後のことを考えてテファを紹介した。決して、逃げたわけではない。

 

「ずいぶんと信頼されているみたいですけれど、さすがに囲うつもりはないですよね?」という言葉は、あえて無視した。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、心配そうに部屋の前で待っていたエレオノール。こちらもまた、信用されていなかったようだ。それに対して言うべきこと、言えることはないが。

 

 駆け寄り、不安そうに見上げてくるエレオノール。良い子ですよねと言いながらも、どこか不安そう。聞きたいことがありながらも口にできない、まるでそんな風に。そんな様子を可愛いと思いながら、それでいて、そんな思いをさせてしまったということに罪悪感を感じる。






33話ではエルフ、ロマリア近辺での話を予定しています。


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第33話 Ant and Elephant

少しばかり独自解釈と政治批判が入っています。


さくり、さくりと足元の砂が擦れる音。

 

体に纏わせた空気の膜が暑さを遮っても、何もない荒野では照り返しが目に刺さる。その久方ぶりの刺激に帰ってきたと感じても、同時に、我らの領域は蛮族達の住む地に比べて不遇ではある。

 

遠く目を向ければ、見えるはネフテス。並ぶ白の建築物は美しくはあるが、無駄のないそれは無機質に過ぎる。こんな感想を持つのは、蛮族の生活に関わりすぎたからであろうか。不便ではあっても、あれにはあれの良さがある。

 

 

 

 

 

「――叔父様」

 

 背中にかかるルクシャナの問い。不安げな響きに、言いたいことの予想はつく。

 

「なるようにしかならんさ。それに、だからこそ行くのだからな。それで駄目だというのなら、それこそ、何ともならん」

 

 少しばかり自嘲が過ぎるだろうか。しかし、それも仕方がないと言わざるを得ない。

 

 かの混沌王の使いと共に、国へ戻る。本国には既に報告していたものの、ついぞ受け入れの返事が来なかった。

結局、彼らと一旦別れ、攫われたことになっているルクシャナと戻り説明せざるを得なくなった。

 

 懐に特大な爆弾を迎え入れるなど狂気の沙汰――ああ、そうだろう。

 

 それは否定しない。だが、今更理想論だけを語って如何とする。愚かしさに、ただ、ため息ばかり。それも、ルクシャナに聞こえてしまったか。

 

「問題視しているのは、噂に聞く過激派ですか? 確か、鉄血団結党とか……。蛮族に対して討って出るべしとかいう………」

 

 鉄血団結党――悪名高いだけに、ルクシャナも知っているか。 

 

 繰り返し攻め込んでくる蛮族に対して、守るばかりではなく積極的に駆逐すべきだと言う者達。我らにはそれだけの力は十分にあり、そうするだけの大義があると。短絡的ではあるが、確かに一部では賛同を得ている。

 

 ただ、結局のところは自分たちの権勢を伸ばしたいというのが実態だ。事実、彼らの私兵と化している水軍は酷いものだ。自分たちの意に沿わないものは排除し、上層部は自分たちの身内で固めてしまっている。そして困ったことに、件の悪魔に対しても積極論を唱えている。

 

「ああ、それが全てというわけではないが、中心は彼らだ。困ったことに、普段は様子見の勢力も今回は理解を示していてな」

 

 元々それなりの勢力があるのに加えて、そのことが話しを難しくしている。

 

「頭の悪い過激派ですよね? 何であんなのに賛同する者があんなにいるんでしょう。いくら綺麗事や勢いの良いことを言っても、現実を見ていなくて実現は到底不可能なことばかり。私には理解できないです」

 

 ルクシャナの言うことはもっとも。現実を見て、きちんと考えれば同じよう結論に至るだろう。悪魔のことも蛮族のことも、結局は同じ問題が立ちはだかる。

 

 私たちは、数としては決して多くなく、そして、一度失われれば回復にはそれなりの年月が必要となる。目の前のことだけではなく、将来のことを見据えて考えなければならない。それが政治であり、それを行うべきが政治家というものだ。

 

「ルクシャナ、お前が言うことは正しい」

 

 皆がルクシャナのように現実を考えられれどんなに良いか。私の、いや、真っ当な政治を行いたい者の、それこそ無駄と言っていい苦労がどれだけ減るだろう。

 

「だったら、どうしてそうならないんでしょう」

 

 素直なルクシャナの疑問。

 

 いくら賢くても、まだ至らないか。思わず漏れた笑いに、ルクシャナのむっとした反応。こうやって素直であれるというのは好ましい。

 

「そうだな、敢えて言うならこういうことだろう。誰しもが合理的に考えることはできない。蛮族だけでなく、私たちであっても一時の感情に引かれることがある。そして、民主主義というのは優れた制度ではあるが、最善ではない。一歩間違えれば衆愚政治になりかねないという欠陥がある。一見好ましく見えても実現は不可能、そんな言い分でも勢いを持って言われれば引っ張られてしまうことだってある。加えて、政治と民衆をつなぐべきものが、自らの利益の為に真実を曲げるなどザラだからな。私は、そういうことだと思っている」

 

「そういうもの、何でしょうか………」

 

 どこか納得がいかないといった様子のルクシャナ。

 

「今のはあくまで私の意見だよ。お前はお前で、自分が正しいと思うことを信じれば良い。それぞれが自らの信条を持つことが大切だと私は思う。誰かが言ったから正しいのではなく、自分が本当に正しい思えることが重要――敢えて言えば、それが私の信条かね」

 

「そう、ですね………」

 

 それきり、ルクシャナは黙り込む。ただ、さくりさくりと砂を踏む音だけが着いてくる。

 

 ルクシャナは蛮族の文化に傾倒するという異端児ではあるが、それは先入観だけで全てを否定するわけではないという証明でもある。これは、なかなかに得難い才覚だ。もっとも、周りに降りかかる厄介事に関してもう少しばかり意識を向けて欲しいものだが。婚約者であるアリィーは苦労事が多いと聞く。むろん、惚れた弱みを抱えたアリィーが情けなくもあるが。

 

「さあ、もうすぐだ。私達は私達でやるべきことをやるだけだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――馬鹿げている。自ら悪魔を招き入れるなど狂気の沙汰だ。万が一に備えて、街の外で軍と会えば良かろう。そも、我らの役目は民を守ることだということをいかがする。そう思いませんか、皆さん」

 

 件の、鉄血団結党の代表であるエスマーイル。

 

 評議会の中でも若手である彼は、大げさな身振りを交え、朗々と自説を主張する。私達の中では珍しい、短い前髪の下の釣り上がりがちの目をギラギラとさせながら。

 

 何かを発言するものはない。周りを伺うに、一概に賛成はせずとも様子見というのが大勢か。今の状況でも他人事のように振る舞えるとは、それはそれで大したものだ。

 

 さて、これを何とかせねばならぬが、そもそも全うな理屈が通らない相手なだけに難しい。むろん、底には自らの利益に対する計算があるのだろう。だが、継ぎ接ぎだらけの自論と混ざり、本人ですら自分が言っていることの意味が分かっていないのはないか。何をおいても強硬論を唱えれば良いというものではない。

 

 しかし、このような集団であっても一定の勢力を持っている。加えて、勢力を伸ばしているというのが厄介だ。キリがないので、私は右手をあげる。

 

「そろそろ、私からも述べさせていただきたいのだが」

 

「ビターシャル殿」

 

 議長からの発言の許可。ふと、彼と視線が合う。彼としても参っているのかもしれない。であれば、期待にも答えたいものだ。私は独奏会を繰り広げるエスマーイルに向き直る。

 

「基本に立ち返っていただきたい。我らは助力を得られればと乞い願う側だ。今回は、先方の善意で使いを出していただいている。だというのに、信用できぬからと礼儀を尽くさぬなど、蛮族にも劣る。そうは思いませんかな?」

 

「下らない! 」

 

 即座に否定する、エスマーイル。

 

しかし、議長を無視しての発言。議長も眉をひそめるが、そこには幾分かの諦めが見える。いつものことなのだろうと思うと、苦労が偲ばれる。

 

 確かに、主張を通すのに声が大きいというのは効果がある。しかし、やり方というものがある。野次の類を全くの禁止すべきとまでは言わぬが、ここは冷静に議論すべき場だ。

 

「エスマーイル殿。私はおかしなことを言ったという認識はないのだが。貴殿は何をもって下らないとまで言われる」

 

 エスマーイルは鼻で笑う。

 

「ビターシャル殿、あなたこそ根本的に間違っている。外交儀礼というものはなるほど、確かに重要だ。たとえ蛮族がどうあろうとも、我々エルフは誇り高くあらねばならん。しかし、だ! 相手は無差別の殺戮を繰り返す、文字通りの悪魔だ。礼儀など通じん。であれば、其れ相応の対応をすべきだと、どうして思わんのかね」

 

 続く、同意する声。エスマール達の取り巻き達だ。

 

 とかく声を大きく見せることで優位に運ぼうとする彼らの常套手段。そんな論理で運営するのは内輪事だけにして欲しい。私は、これを黙らせた上で、保身を図る者たちからの賛同を得なければならない。気は重いが、私がやらねばならん。残された時間はそう多くない。

 

 彼らの真似などする気はないが、声を張る為に息を吸う。

 

 

 

 

 

 

「――そろそろ、私からも発言させていただきましょう」

 

 ふと、議場に響く声。その声に皆が振り返る。

 

 議場の入口に、いつの間にか男が立っている。上等のものだと思われるタキシードに身を包んだ男が、どこか呆れたように笑っている。そして、この男はエルフではない。

 

「誰だ!」

 

 エスマールの誰何の声。この状況、想像ぐらいはつくだろうに。

 

 男が答える。

 

「あなたが言うところの、悪魔ですよ」

 

 エスマーイルの視線が、いや、皆の視線が私の元へ集まる。エスマーイルの表情は騙されたとでも思っているのか、滑稽なほどにゆがんでいる。今更他人のせいにするなどおかしなことだと、なぜ思えんのか。同じように自説を語れば良かろうに。

 

 そして、答えたのは男。

 

「ああ、彼を責めるのはお門違いというものですよ。私は彼らとは別に来ていますから。そも、私と面識もありませんしね。まあ、言うなれば、あなた方が私達を警戒するのも道理であれば、逆もまた真なりとは思えませんか? 私達があなた方を無条件に信じるというのも無理な話。それなりの裏取りは必要でしょう?」

 

 男の言うところはもっとも。それぐらいするのは当然であるし、考慮に入れるべき事柄だ。

 

「一つ良いかね?」

 

 騒然とする中でも落ち着いた、統領であるテュリュークからの言葉。この状況でも取り乱さず冷静に対応できるというのは流石と言える。私よりも一回りも二周りも多く重ねた年月が為せるものであろうか。

 

 しかし、気負わぬといえば皆の注目も集めるこの男も同様。

 

「どうぞどうぞ」

 

 茶飲み友達にでも接するように、気安く言ってのける。実力のほどは分からないが、一人でどうとでもできるという自信の表れだろうか。

 

「そなたの――、ああ、私の名はテュリューク。ここネフテスの統領の位置にある。まずは名前は聞かせていただけると助かるのだが………。名も知らぬとあってはどうにもやりづらいのでな」

 

 男が笑う。今度は、含みもなく、本当に楽しげに。

 

「それも然り。私の名はアルシエル、と。ああ、今の姿は仮のものなので、別の姿で会うこともあるでしょうがね。なにぶん、部屋の中では窮屈なものでしてね」

 

 男が言うと、背後に黒い影がゆらりと広がり、消える。ちょうど、成体のドラゴンと同じほどの影が。

 

「おお、なるほど。ちなみに、アルシエル殿。悪魔とは自由に姿を変えられるのかね? この国に現れる悪魔からの被害もバカにならんで、知っておきたい」

 

 男は少しだけ考え込む。

 

「さて、この国に現れるという悪魔とやら、私には面識がないのでなんとも。しかし、私が知る悪魔に関して言えば、そういった能力を持ったものはもちろん、それなり以上の格のものであれば当然できるでしょうね」

 

 広がるどよめき。

 

 そうだろう、自由に悪魔が街に入るかもしれない。いや、既に入っているかもしれないのだから。しかも、言葉が真実であれば、強力な個体であれば当然にだという。

 

 統領は慌てずに、片手を掲げて制する。

 

「なるほど。これは有用な情報をいただいた。早速助けられたというわけですな。それで、続けて聞いてばかりで申し訳ないのだが、宜しいか?」

 

 男は構わないとばかりに、ひらひらと手を振る。統領は感謝の言葉を述べ、続ける。

 

「先ほどの話、裏取りということであれば、あえて姿を表す必要はないはず。先ほどの礼を失した発言、やはりそのせいですかな。しかし、あれはエルフの国としての総意ではないということは理解して欲しい」

 

 皆の視線が集まったエスマーイルの顔面は蒼白。

 

 当然だろう。統領の発言は、手を打つのなら彼一人で勘弁して欲しいと言っているようなもの。ここで、堂々としていられるのなら見直すが、所詮は自分が可愛い小物でしかない。

 

 男の視線は、エスマーイルを舐めるよう。いつの間にか彼に賛同していた者たちも離れ、一人だけになっている。

 

 アルシエルと名乗った男は、クツクツと楽しげに喉を鳴らす。

 

「エスマーイルと言いましたか」

 

 エスマーイルは声も出せない。しかし、アルシエルは続ける。カツカツと歩みを進め、エスマーイルの目の前で足を止める。並んだ二人の身長はそう変わらずも、その空気は捕食者に対峙したもののそれ。

 

「あなたが言うこともまあ、理解できないでもない。国の安全を考えれば、それもまた一つの意見」

 

 男は、滑稽なほどに震えるエスマーイルの両肩に手を載せる。

 

「――でもね」

 

 ピチャリ、と粘つく水音が聞こえた。

 

 見れば、男の足元に黒々とした水溜りのようなもの。まるで生き物のようにエスマーイルの足元へと広がって行く。

 

 男は、うろたえるばかりのエスマーイルに笑いかける。

 

「せっかく、我が主が助力もやぶさかではないと、選りすぐりを送っている。それを迎えるのがこれでは、無礼にもほどがある。私としてもね………」

 

 広がる闇に、ズブリズブリとエスマーイルが沈んでいく。もがくばかりの耳元に、男がつぶやく。ただ、私たちにもはっきりと聞こえた。

 

「虚仮にされているようで、面白くないわけですよ」

 

 男はエスマーイルの頭をつかむと、ゆっくりと押し込める。

 

 エスマーイルが我武者羅に魔法を放つ。光球が浮かぶが、それはアルシエルの目の前で蒸発するように掻き消える。あとには、詰まらなそうな溜息と、そして、命乞いをする声。

 

 ふと、それが通じたのか、男の手が止まる。闇からはかろうじて頭と、何かに捕まろうともがく腕が突き出ている。

 

 アルシエルが統領に問いかける。

 

「私が見るに、コレは厄介の種だったかと思いますが、いないと困りますかね?」

 

「それは………」

 

 統領も言葉につまる。

 

 一人で済むのなら重畳。そして、男の言う通り、厄介の種でしかないとなれば。

 

「――なら、結構」

 

 男の足が一押し。エスマーイルは沈んで見えなくなった。

 

 残るのは黒々とした闇のみ。狂ったような金切り声だけは聞こえるのだから、生きてはいるのだろう。そして、後を追うように男の体も沈んで行く。

 

 そして、一言だけ。

 

「一先ず帰りますが、良い返事を待っていますよ。私が言うのもなんですが、連れもまた、あまり気が長い方ではないのでね」

 

 あとに残るのは粘つくような闇だけ。そして、エスマーイルの断末魔と、ボリボリと何かが砕ける音だけが聞こえた。声が聞こえなくなってようやく、その闇も地面に溶けた。

 

 

 知らず、ため息が漏れる。

 

 いくら保険として自分で仕組んだこととはいえ、後味は良くない。時が時であれば、私もこのような手段など取りたくなかった。避けられるのならば、避けたかった。

 

 それからようやく侵入者の報が届いたが、既に遅い。そして、混沌王の使いを最大限の礼を持って迎えることは全会一致で決まったが、もう少しだけ、ほんの少しだけでも冷静な判断さえしてくれればとは、思わずにはいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人の男を迎え入れた。巨鳥から人の姿をとった二体の悪魔。

 

 アルシエルと名乗った男はいなかったが、それでも馬鹿な真似をしようとする者がいないのは重畳。行き違いは瑣末なことと、平和的に進むというのは何より。悪魔には散々に手こずってきたのが私達の現状。更に格上だろう相手に策も無しに挑むなど狂気の沙汰でしかない。むろん、街一つと引き換えにすればあるいは、しかし、そのような覚悟が今の我々にあるはずもなし。禁呪などと言っては見ても、扱いきれないからこその呼び名でしかないのだから。

 

 そして、悪魔が要求するのは情報。蛮族達が言うところの「虚無」、そして、「始祖」とは何かという、エルフが持つ知識。

 

 それを渡すことの結果がどのようなものとなるか、それは確かに懸念される。しかし、我々が直接痛みを被るわけではない以上、悪い話ではない。むしろ問題となるのは、私達が持っている知識で取引の対価として満足させられるかということ。

 

 そのことは統領も理解している。遠い昔のことであり、言い伝えとしてしか残っておらず、はっきりしない。統領はそう前置き、語る。

 

 蛮族達が言うところの聖地であり悪魔の門。そこに虚無の始祖と呼ばれる、ブリミルという者が現れた。これは蛮族に伝わる話と共通するところだろう。しかし、私たちにおいては、そこに少しばかり加わる。

 

 そもそも、ブリミルも悪魔の門も、それぞれが別のものとして存在した。ブリミルもごくありふれた一個人であり、悪魔の門もまた物騒な代物ではなかった。その時点において、ブリミルは言い伝えも残らないような一人の人間に過ぎず、悪魔の門も、いつから存在したのか分からないが、単に別の世界につながっているらしいというものでしかなかった。問題も、時折そこから迷い込む者たちの対処で済んだ。

 

 しかし、ブリミルと悪魔の門が出会い、そこで何かがあった。何かは、何かとしか言いようがない。ただ、そこでブリミルは特別な存在になった。そこで初めて、虚無と呼ぶ悪魔の力を行使するようになったという。

 

 大いなる意思の力を食らう正に悪魔の力。その、生まれ変わりと言える変化を降臨と呼ぶのなら、あるいは、それは表現として正しいのかもしれない。

 

 そして、悪魔の門も変質した。それからだろう、悪魔の門と呼ばれるようになったのは。災厄を運ぶ門となり、その災厄が我々エルフへ数えきれないほどにの犠牲を出したという。多くの同胞を失い、一度は滅びかけたとも伝わる。

 

 しかし、我々の中で聖者アヌビスと呼ばれるものがブリミルを討ち取り、滅びを免れた。とはいえ、一度は滅びかけたのだ。犠牲は多く、同時に多くの知識も失われた。災厄そのものに関する知識も例外ではない。悪魔の門と虚無については分からなくなってしまったことも多い。危険だと分かっていても、その危険の正体が断片的で分からないからこそ下手に手だしできない。それが我々の現状だ。

 

 蛮族が聖地を自分たちこそ正当なる所有者として返還を要求するが、それがどんな結果に結びつくか分からない。だから、本質的に土地に執着を持たない我々であるが、飲めない要求として拒む。正直なところ、得体のしれない厄介者でしかないのだから、我々としても手放すに越したことはないのだが。

 

 そして、こちらは憶測でしかないのだが、別の考え方もある。そもそも、虚無の力とはそれだけのものだったのかということ。残滓であるはずの蛮族の魔法も驚異には程遠く、果たして、虚無の魔法だけが我々の驚異となったのか?

 

 この疑問に対して我々は推理し、ある一つの仮説をたてた。悪魔の門から時折、正体の分からないものが発掘される。蛮族がしつこく回収にやってくるそれは、ここ数十年で単純な仕組みのものから、いくら調べても目的もその原理も分からないほどに高度化した。もしや、我々に破滅に導きかけたのはその正体も分からないほどの技術ではないか、と。

 

 虚無はこの世界の根幹である大いなる意思の力を破壊したという。しかし、それは少しばかり誤解があったのではないか。世界に備わる大いなる意思の力とは別の原理を元にした技術、加えて、誰でも扱えるという技術こそが災厄をもたらしたのではないか。そのようなものが広がれば、世界に遍く存在する大いなる意思の力は失われる。

 

 それは、世界に対する驚異。秩序が破壊され、別の理が生まれる。二つのルールがあれば、それはぶつかり合い、やがて一つに収束する。そこでは争いが生まれ、どうやっても変質は免れない。

 

 その時、誰でも扱える技術というものは驚異だ。数も、そしてその回復力にも乏しい我々にとっては滅びにもつながりかねない。いくら我々が一人で10の蛮族を退けられるとも、それが半分になってしまえばどうか。加えて、我々が一人前の戦士を育て上げるよりもはるかに早いペースに蛮族は兵を送り込んでくるだろう。虚無は殺しても復活するというのも、つまりはそのことを言ったことなのかもしれない、と。

 

 そして、もう一つ。まだ確証が取れていないが、悪魔の門と思しき場所から、新たな驚異。それこそ悪魔と呼ぶべきものが現れた。驚異になぞらえて悪魔と呼んでいるが、むしろ逆で、それこそが正解だったのかもしれない。

 

 純粋に悪魔が現れる門ということでその名なのかもしれない、と。だから、私たちは悪魔の正体を調べたい、そして、悪魔の門の正体を知りたい。封印してきたそれを、今度こそ調べたいが、できないでいる。

 

 これは状況に対して理由付けしたもので、単なる推測なのかもしれない。しかし、ただ否定するだけでは済まない状況になっている。そもそも、この状況はすぐにでも対策を打たなければならないことであるから、我々は、何としても悪魔の門を調べなくてはならない。しかし、直接調べることは芳しくなく、だからこそ、トリステインにも出向くこととなった。

 

 

 私達が語ったことに、悪魔は言った。悪魔の門については自分たちとしても調べる必要がある、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪魔の門へは、私と二体の悪魔で向かうこととなった。

 

 これは双方の都合を取った結果だ。主目的が調査である以上、エルフ側からそれなりの見識がある者が出る必要があったが、身の安全が保証されるものではないからか、結局立候補する者はいなかった。そして、悪魔側からすれば、余計な荷物は少ない方が良いという至極当然の理由。

 

 もっとも、ルクシャナは異なる。本人が希望し、悪魔側からも今更否やということはなかったが、あえて残るように伝えた。ルクシャナの婚約者であるアリィー。状況が状況なだけにすぐに会うということは難しいかもしれないが、共に過ごせるのならば、すぐにでもそうすべきだろう。お節介かもしれないが、むしろ、これは年長者として必要なことではないかと思う。ルクシャナが生きていると知った時のアリィーの喜びようはなかったと聞いている。これ以上叔父である私が独占するというのであれば、きっと嫉妬することだろうから。

 

 そして、悪魔の門への道程は、拍子抜けするほどに順調だった。業を煮やした戦艦が一隻向かい、結局戻らなかったということを聞いていたのだが、襲われることなどない快適なものだ。

 

 遠く見かけることはあったが、むしろ相手こそが避けようというとするのだから。敵対すればこれほど恐ろしいものはないが、そうでなければ、これほど頼もしいものもないだろう。

 

 景色が流れ、私が何かを言うまでもなく悪魔が地に降りる。

 

 何もない、ただ開けた場所。せいぜいがポツリポツリと石ころが落ちているような、本当に何もない場所。

 

「言うまでもないかもしれないが、ここが我々が悪魔の門と呼んでいる場所だ。ただ、便宜上門と呼んでいるだけで、何かそれらしいものがあるわけではない。時折別の世界とつながり、そこから何かがもたらされるだけだ。加えて、中心こそここだが、門が開かれる場所もその時々によって異なる。私達は、悪魔は別の世界からここを通って現れているのではと考えている」

 

 二体の悪魔は辺りを見渡すばかりで、何も言わない。ただ、その猛禽の目は鋭い。

 

 私には見えないものが見えているのかもしれないが、それも想像でしかない。私は待つことしかできないが、どうにもいたたまれない。しかし、私は待つことしかできない。

 

 ただ、待つ。

 

 そして、どれだけ時間が過ぎたか、悪魔がようやく言葉を発した。悪魔は、何もないはずの場所を、じっと睨みつけている。

 

「――これは、確かに門だ」

 

 あえて門と言葉にすることに思わず眉をひそめるが、悪魔は構わずに続ける。

 

「不完全も良いところだが、世界をつなぐ巨大な門になる。だが、不完全だからこそ破壊も難しい。誰が作ったのかは知らないが、相当な力の持ち主だろう」

 

 我々としても理解の及ばない門については、神が作ったとも言われていた。この悪魔をしてそう言わしめる、たしかに、それこそ神の所業だろう。だが、私達が知りたいのは、もっと目の前のことだ。

 

「聞かせて欲しい。この門から悪魔から現れたのかどうかを」

 

 悪魔は少しばかり考え込むような素振りを見せるが、言った。

 

「この門は、ボルテクス界とつながっている。我々と同じ悪魔が通ってくるということも、確かにあるだろう」

 

 悪魔の言葉には、聞きなれないものが含まれていた。

 

「ボルテクス界とは、何だ?」

 

 問いに振り返った悪魔は面倒臭気に目を細めたが、それでも、話す気がないではないようだ。

 

「ボルテクス界は――そうだな、我らがつい先ほどまでいた世界だ。悪魔の世界、今となってはそれ以上でもそれ以下でもない」

 

 悪魔の言葉には、何かの含みがある。

 

 残念ながら私には理解できず、悪魔もこれ以上語る気はないようだ。だが、悪魔がここから現れているということに対して、それなりの確証を持つことができた。それは十分な収穫だと言える。戦力を集中することに対して指針ができるというのは、非常に大きい。蛮族ではないが、数は力だ。

 

「――それと」

 

 悪魔の言葉に、見上げる。

 

「この門に関しては、我々としても様子を見る必要がある。その間なら、手を貸しても良いだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリステインから遠く離れた、ロマリア。かつての古巣ではあるが、距離だけでなく、心としても遠い。

 

 ワルド子爵と共にロマリアを訪れてより後、かれこれ一週間にはなるだろうか。物事には順序というものがあり、しがらみもある。使える時間が少ない中で得られたものは多くはないが、全くもって無意味だったというわけでもない。

 

 わしは曲がりなりにもトリステインのブリミル教を司る者の中でも最上位の位置づけであり、かつての功績もあるということで歓迎された。

 

 加えて、本意ではないが、教皇は、わしが引いたからこそ今の地位に辿り着けたという。わしはロマリアよりもトリステインを、いや、先王の頼みを優先しただけのこと。言ってしまえば責務を投げ出したのであり、今更古巣に大きなことなど口が裂けても言えぬ。

 

 教皇の今の地位は自ら勝ち取ったものだと言いたいところだが、利用させてもらった。おかげで、邪魔を入れずに教皇と二人で話をすることができた。さすがに全てを知ることなどできないが、今はそれで十分。それに、全くの無意味というわけでもなかった。

 

 教皇は、この時代に分かれた虚無の全てが揃うということに絶対の確信を持っている。始祖の虚無が復活し、世界へ救いがもたらされる。そして、最後にかけられた言葉。

 

「すべてが揃うことで、あなたも真の虚無の復活を見ることになるでしょう。我らが教えはすべてをその為にこそ生まれたのですから」

 

 ブリミル教は、分かれてしまった全てを揃える為にこそある。そして全てが揃う時、失われた真の虚無が復活する。それは、数多く枝分かれするなかでも古くからある教えの一つ。その核心である真の虚無とは、すなわち――

 

 ノックと、そして声。

 

「ワルドです。よろしいですかな?」

 

 ああ、もうそんな時間か。ワルド子爵にばかり働かせておきながら、わしがこの体たらくではいかんな。

 

「ああ、入ってくれ。鍵は空いている」

 

 挨拶もそこそこに、ワルド子爵が入ってくる。今までの服装では少しばかり目立つので、ここいらを訪れる貴族に一般的な服に取り替えてもらった。最も、帽子は譲れないとのことだが、それはくらいは良いだろう。実際、よくやってくれているのだから。

 

 さて、現在滞在しているのは、一般的な宿屋。教皇からは神殿に滞在すれば良いとの言葉はもらっているが、節度は必要だ。自由に動けることが重要であるし、何より、客人が訪れることもあるであろうから。

 

「して、どうだったかな? 息災であられたか?」

 

 わしの問いに、子爵は首を横に振る。

 

「既に亡くなられておりました。幸いなのは、苦しむことなく大往生であられたとのことでしたが」

 

「ううむ。亡くなられておいでか……。確かに、私がこの国にいた時からご高齢であられたとはいえ。この国一の知恵者をなくすとは惜しいものよ」

 

 ただただ、残念だ。伺いたいことあったということだけでなく、師事した方が亡くなられた、そして、それすら知らずに過ごしていたということが口惜しい。

 

 気を使ってか、子爵からは慰めの言葉がある。

 

「お気持ち、察します。皆からも慕われていた方だそうですな。民草からもとはまた、聖職者の鑑でしょう」

 

「そうだろう。清貧を旨として、清廉潔白な方であった。わしもそうありたいと常々思っている」

 

 賄賂など決して認めない。今の情勢では疎まれることも多いが、それこそが本来あるべきものだと、わしは思う。今の教えを堕落したものと批判する新教徒を手放しで認めるわけではないが、そういったものが生まれるということに自ら反省すべきことがあるのではないかとわしは思う。ようは、身から出た錆なのだ。いくら弾圧しようとも、自らが変わらぬ限りきりがない。師は、常々そう言われていた。

 

「――枢機卿殿」

 

 子爵の言葉に、そぞろな意識から我にかえる。

 

「済まぬな。やはり寂しいものではあってな。続きがあるのだろう」

 

「はい。ご本人は亡くなられていたとはいえ、弟子を取られておいででした。今では師の後継者となられている方がいらっしゃるそうで。明日、時間をとっていただけそうです」

 

「おお、そうか。そのような方がいるのであれば、わしとしてもぜひお会いしたい。子爵。本当に引き継いている方であれば、子爵の疑問にも近づけるかもしれんな」

 

「ええ、あなたのおかげです。私一人では、いずれは身を滅ぼしていたでしょうから」

 

「何事も、一人の力では成せんことがある。わしも身に染みて感じているよ」

 

 子爵は優秀だ。だが、優秀だからこそ、一人で全てを背追い込もうとしてきた。味方などいないと思うことも、確かにあるだろう。しかし、誰かはきっと力になってくれるものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 師の弟子、リカルドと名乗った男はとても気持ちの良い男だった。

 

 肉体労働も苦にしないと思わせる体格ながら、どこか愛嬌を感じさせる笑い方をする。そして、どこか師の面影を感じさせた。もしや血の繋がりがあるのではという問いには笑って否定したが、わしには、師の後継者であることがストンと胸に落ちた。

 

 挨拶もそこそこに、リカルドはちょっと待っていて欲しいと部屋を出て行った。そして、戻ってきた手にはワインの瓶。つい顔をしかめたわしにも、そしらぬ顔で言ってのける。

 

 師は、なかなかに酒が好きだった。師との思い出を分かち合うには酒が欠かせぬ、と。窓からはまだ陽の光がチラチラと揺れている。この生臭坊主めと思わぬでもないが、まあ、たまには良かろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 チビリチビリと飲むわしとは正反対、リカルドはグラスを傾けると一息に飲み干す。子爵は、邪魔はせぬと傍で静かに飲んでいる。つまみはチーズと、信徒が分けてくれたというハム。塩が効きすぎたそれは高級品とは言い難いが、軽く炙ったそれは、このような場ではむしろ相応しい。

 

 ワインを舐めつつ語り始めると、師との思い出はすらすらと出てくる。わしは、少しばかり酒が回った方が舌はよく回るのかもしれない。一つ一つの出来事に、リカルドは大げさとも思えるほどに感心してみせる。しかし、決して嫌みではない。

 

 リカルドは、次は私の番だとばかりに、わしが知らない師匠との思い出を語る。恨みを買って命を狙われたという話もあったが、この男にかかれば笑い話となるらしい。しかしなるほど、豪胆な男だと思ったら、どうやら師とはそういったゴタゴタの中で知り合ったらしい。冗談混じりには言うが、なかなかどうして、変わった男だ。話す中でもグラスを常に煽り続けるその姿は、いっそ荒くれ者の取りまとめるという方がしっくりくるかもしれない。

 

 とすると、先ほどから給仕に忙しい子爵はキレもの参謀といったところか。ううむ、いかんな。少しばかり飲みすぎているか。どうにも、目の前で本当に旨そうに飲まれては歯止めがきかん。しかし、しかし、こうも旨い酒は何年ぶりか。加えて、リカルドは見た目に反して師譲りの博学。問答事の真似事をしても話題は尽きぬ。

 

 

 

 

 

 

 聖地について話した。

 

 既に確実なこととして、そこでは別世界より、場違いな工芸品と我らが呼ぶものが流れ着く。専門の者たちが細々と回収を行っているが、どうにも武器に偏っている。そのことから、「ガンダールブの槍」と、使い方も分からぬものも含めて来たるべき日に備えて保管している。むろん、表立っては言えぬことではあるが、リカルドも既知であった。

 

 聖地とはそもそも何だろうかとリカルドは問い、そして自ら続ける。

 

 始祖は聖地に降臨したというが、どこから、何の為になのだろうか。聖地が別世界とつながっているのだからその世界と考えても良いのかもしれないが、私は、それは違うのでないかと思っている。

 

 それはなぜかとのわしの問いに、リカルドは答える。

 

 公式なものとしては残っていないが、始祖と同じ名を持つ青年がちょうど同じ時代にいたという記録があった。

そしてそもそも、別世界の為に尽くすよりは、自らの住む世界の為に尽くすことが自然だろう。始祖が世界を救おうとしたというのは、残る話の節々を調べても確かなこと。始祖は実在した方、ならば、確固とした信念とその理由があったはず。

 

 それは確かにしかりと言うべきこと。ならばとわしは問う。

 

 教皇が言う、危機に対して世界を救うシステムがあるという話はどうであろうか? 始祖が我らの為に準備しているということはあるだろうか。

 

 リカルドは、全くあり得ない話でもないと言う。ただし、こうも言った。

 

 始祖は、聖地に関してエルフと敵対した。そして、何かを成し遂げようとしたが、それが叶わなかったという。

ここが重要だと思うのだが、その何かはエルフにとって都合が悪いこと。争い事を好まないことは今までの歴史から見ても明らかなエルフが看過できないできないことだった。もし世界を救うとしても、それは人間にとって都合は良くても、エルフにとってはそうではない。

 

 いや、大いなる意思というものを神聖視するのがエルフであるからには、それは世界そのものにとっても好ましくないのかもしれない。何せ、土地に執着など乏しいエルフが今でもそこだけはきっちりと守ろうとしている。なぜ、エルフはそうまでして守ろうとするのだろう?

 

 それは、エルフにでも聞かねば分からないこと――わしの思わず言った言葉に、リカルドは大仰に頷き、続ける。

 

 その通り、エルフとの話し合いも必要だろうと。もっとも、今までの散々戦争をしかけたのが我々であるから、罠としか思わないだろうがと付け加える。

 

 できることなら、始祖に直接伺いたいものだとのわしの言葉に、今度もまたリカルドは大仰に頷く。

 

 うむ、始祖に伺えるのであれば、直接聞きたいことは山ほどある。過去の文献はその時々の時代の中で曲げられていることがしばしば。いくつもの文献を照らし合わせて探ってはいるが、そもそも残っているものだけでは難しい。何か絶対と言えるものが一つでもあれば違うのだが。

 

 肩をすくめるリカルドに、一つ興味が湧き、尋ねた。もし、始祖に何か一つだけ尋ねることができるとしたら、何とする?

 

 わしの問いに、リカルドはこれは難題だと顔をしかめる。一つだけかと念を押すリカルドに、わしは一つだけだと勿体ぶって答える。リカルドはうんうんと唸り声をあげ、ようやく一つ挙げた。

 

 ――なぜ自らの姿形を後生に残さなかったのか、私はそれを知りたい。

 

 リカルドの意外な問に、私はなぜかと尋ねる。

 

リカルドはよくぞ聞いてくれたとばかりに笑う。

 

 始祖がどのような方だったのか、その人となりが分かれば、様々な解釈に方向性がつくと思う。なぜ姿形を後生に残さなかったのか、人となりを知るにはその質問が良いと思う。なぜなら、始祖はあえて自らの姿を表すものを作ってはいけないとの言葉を残した。そこには明確な意思がある。少しばかりでも虚栄心があれば当然残したであろうし、凡人であれば美化することだってあるはず。どういった意図があってそうしたのか、とても興味深い。

 

 おお、なるほど。始祖の姿形を表すことは不敬であると言われるが、そこにはそれだけではない意図があるはず。人となりを知るための質問としては確かに興味深い。

 

 面白いと、その問いに対してわしとリカルドは喧々諤々の議論となった。ついには容貌を気にしてなどという冗談がすぎるような仮説も出てきてしまう始末。どうにも酒が過ぎてしまったが、私にとって、そして、リカルドにとってもとても有意義で楽しい時間だったと思う。

 

次の日には残った酒で地獄を見たが、代償としては安いもの。なんとも、若い時を思い出すではないか。子爵には醜態を見せてしまったが、それも甘んじて受けようぞ。リカルドとの会合は、それだけ心踊り、そして、私の考えをまとめるのに非常に有意義で実りがあるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、数日後にもう一つの大きな出来事。

 

 アルシエルと名乗る男と出会ったこと。抱く感情は正反対であっても、得たものは大きい。

 



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第34話 As it should be

 時系列的には、混沌の使い魔 小話と別に分けている中にある「得たもの、失ったもの」の直後になります。

 今回の話は、ルクシャナ、ファーティマと正統派貧乳エルフ娘二人がメイン。原作でのファーティマは嫌われそうなキャラクターでしたが、従順なエルフであれば、それはそれで可愛いかな、と。


 


 

一面に並ぶ、白亜の建物。

 

規則正しく揃ったそれは、たとえ美しくても、どこか物足りない。私にとっては、いっそ人間の街の乱雑さが心地良いのかもしれない。喧騒、食べ物の匂い、そんなものがいっぱいに集まった、生きていると感じさせてくれる空気。離れると、尚更に懐かしい。

 

本当は今ここにいるエルフの国のことこそを懐かしいと感じるはずなのに。私はいっそ、あの国に住んでも良いのかもしれない。

 

そして、中心にある、一際高い塔の天頂。目を凝らせば、赤い影がかすかに伺える。地上から見えるということは、それは成体のドラゴン以上の巨体であるという証明。鳥の王という二つ名も、なるほど、これ以上ないというほどに相応しい。街の守護者としては、これ以上ないほどに頼もしい。隣に並んだアリィーも同じ感想なのか、息を飲む様子をありありと感じる。

 

 ――不思議。

 

 どうしてか私はそれを誇らしいと感じている。一度は、食べられてしまうということだって覚悟したのに。うん、アリィーだって本当に驚いた顔して……

 

「本当に、化物……」

 

 アリィーは、言い終わる前にお腹を抑えてうずくまる。反射的に殴っていたけれど、我ながら惚れ惚れするほどきれいに鳩尾に入った。アリィーは、油断し過ぎだと思う。いや、まあ、少しやり過ぎた気がしなくも無いけれど、とりあえず、言うべきことは言わないといけない。

 

「ねぇ、アリィー。口には気をつけないと、殴るわよ?」

 

 アリィーは怯える子犬のような目で見上げる。ちょっと、可愛いと思ってしまったのは、いけないことだろうか。

 

 そんなアリィーが、躊躇いがちに口を開く。

 

「もう……」

 

「返事は、はいかイエス。分かった?」

 

 分かり切ったことは言うだけ時間の無駄だから。

 

「はい………。ルクシャナが本当に元気で、嬉しいよ……」

 

 アリィーはそれだけ言って、項垂れた。もう、私の初めてをあげて、アリィーも童貞を卒業したんだからもう少し堂々とすれば良いのに。そんな風にされると、またゾクゾクしてきちゃう。

 

 

 

 

 久しぶりに来た市場は、思ったよりも活気があった。もちろん、人間の国のような賑々しさとは違う。でも、人の行き来が多くて、景気が良いのかなと肌で感じるぐらい。擦れ違って行く人々の様子も明るい。

 

「ねえ、アリィー?」

 

 後ろを歩くアリィーを振り返ると、なぜかびくりと体を震わせた。確かにさっきは思わず殴っちゃったけれど、幾ら何でも、何も無しに殴ったりはしない。そんな不満を視線に載せて睨みつけると、今度はぶるぶると震え出す。

 

 もう一回殴っておこうかと一瞬だけ思ったけれど、そんな考えはすぐに追い払う。こういう場合は、むしろ優しくしないといけないんだと思う。

 

 だから、今日の夜は優しくしてあげよう。そういった方面での人間の文化の進み具合は私達とは比べものにならない。ちょうど参考にしたいと思うことがある。きっと、アリィーも喜んでくれると思う。

 

 ――更に怯えた様子のアリィーは、敢えて無視する。

 

「でね、ちょっと聞きたいんだけれど。ほら、街の様子って明るいじゃない? それってどうしてなの? どちらかといえば落ち込んでいるんじゃないかなって心配していたから……」

 

 事件があれば、どうしたって雰囲気は暗くなる。私がこの国の外にいる間に解決したわけでもないんだから、今の様子には誰だって疑問を持つと思う。

 

「ああ、そのことか……。まあ、あまりおおっぴらに言うことじゃないんだけれどね………」

 

 アリィーはごく自然な仕草でぐるりと周りを見渡す。そして、私にだけ聞こえる程度に声を落とす。どんなに情けなく見えても、やる時はきちんとやるのがアリィー。

 

「事件は時折あるんだけれど、その分警備は強化されることになった。詳細については伏せられたままだけれど、状況としては可もなく不可もなくさ。一番大きいのはね、輸出が増えたということだよ」

 

「輸出って、人間の国に対してよね? 必要最小限というのがエルフとしての方針じゃないの?」

 

「それはまあ、本音と建前というやつかな。状況が状況だからね、情報を積極的に集める為にも一時的に譲歩するということになったのさ。そうすると今まで輸出拡大を狙っていた所が色々と頑張ったようだね」

 

「ふうん、私としては閉じこもっているよりはよほど健全だと思うけれど、人間の方はどうなの? ガリアという国は王が変わっているとはいえ、宗教上の問題でそう大っぴらには取り扱えないでしょう? 増やすにも限界があると思うけれど」

 

 色々と抜け穴を準備して、とても面倒な方法でやり取りをしていたはずだ。茶番も良いところだが、互いに誰とやり取りをしているのかを敢えてぼかすようにしている。そういった部分での面倒さは、エルフも人間も変わらない。

 

「ああ、そうか、君は知らなくても当然か……」

 

 合点がいったという様子のアリィー。

 

「なに? 改宗でもしたの?」

 

「いや、そういうわけじゃないよ。単純に、別の国とも貿易するようになったというだけでね。何て言ったか、そうだ、ゲルマニアという国だったかな?」

 

「ゲルマニア……。ああ、あの国だったら、あり得なくもないのかな」

 

 私が知る限り、実力があれば貴族以外も積極的に登用するなど、保守的な人間の国の中でも珍しい所だと聞いた。それに、ブリミルとやらの血を重視するというあの宗教の中では、直系ではないという理由で国の格を低く見られていたはず。足りないものを別の場所から持ってくるというのは理にかなったやり方だ。

 

「うん、まあ、そこは君の方が詳しいだろうね。ゲルマニアからの使者が砂漠を越えてやってきてさ。普段なら追い返す所だろうけれど、さっきも言ったとおり状況がね。一国からの情報だけに頼るのも危険だということで、ほどほどに付き合うことになったのさ。まあ、蛮族様々というのが難だけれどね……」

 

「ふうん、誇り高いエルフとしては複雑でしょうね」

 

 エルフという国は排他的だ。自分たちだけで完結しているけれど、それは閉じたもの。外からの影響がないせいで、変化というものがほとんどない。

 

 その証拠に、技術は別にしても、文化という意味ではもう何百年も変化がない。私達と人間の間には大きな差があるけれど、成長という意味では私達の方が大きく劣っている。認め難いけれど、それは事実だ。人間に私達の技術を渡すことは危険だけれど、少しは考えないといけないことだと思う。私達もいつまでも立ち止まってはいられないのだから。

 

 それはそれとして――

 

「ねえ、アリィー、そろそろお腹が空かない? 他にも変わったことがあれば聞いておきたいし、どこかのお店に入りましょうか?」

 

「え? 来る前にも食べた……ああ、いや何でもない。お腹、空いたね。うん、そうしようか。最近できたお店もあるし、そこにしよう」

 

 うん、物分かりの良い人って好きよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 テーブルには空になったお皿。

 

 アリィーの分より私が平らげた分の方が多かったけれど、まあ、それは仕方ない。味付けの繊細さに少しだけ物足りなりなさを感じてはいても、やっぱり懐かしい味。だから、つい食が進むのも仕方がない。アリィーだって何も言わなかったし。何も言わずに、私にお皿を差し出したし。

 

 さて、お腹も一杯になったし、そろそろ本題に戻そう。

 

 アリィーの話を聞くに、この国も色々と状況が変わったようだ。目を閉じ、聞いた内容を頭の中で整理する。

 

 悪魔に関しては大きな進展は無し。ただ、ガルーダ様、ジャターユ様の助力を得られる見込みということを考えれば、解決はともかく、街の安全という意味でなら先行きは明るい。

 

 外交に関しては、正直、私には分からない。もともと叔父様が人間の情報を得る為に接触していたガリアについては、今まで通り、つかず離れず。敵のことを知る為のパイプというのは必要だから、それは必要なこととして今後も継続していくべきだと思う。

 

 ただ、ゲルマニアという国が接触先として増えた。確かにパイプが一つよりも二つである方が望ましい。情報の確度を上げるには効果的だから。でも、こちらから提供する技術が増えるということは、やはり危険があると思う。もちろん精査した上でだろうけれど、こちらが思いもよらない使い方を考えたり、あるいは、自分たちが持っている技術と組み合わせることで更に優れたものを発明する可能性だってある。逆だってあり得るのだから一概に悪いとは言えないけれど。

 

 そして、人間の亜人に対する扱い。しばらく前から、私達を頼って逃げてくる亜人が増えたという。例えばガリアから。人間が自らの領域を増やすため、積極的に追い出しているようだ。人間にとっては善政になるのだろうけれど、人間とはやはり相入れないのかとも思う。

 

 でも、それは私達が非難できることでもない。エルフを頼ってきた彼らを、私達も積極的には受けれることはない。エルフと他の亜人は違うというプライド、そして、彼らに比べてはるかに人口の成長率が低いということから。身の内に入れるべきではないという考えから、せいぜい外部の土地を教えるぐらいだ。アリィーは仕方ないというし、私もそう思う。でも、どこか言い訳をしているような居心地の悪さを感じる。

 

 そして、もう一つ――

 

「あなたはシャジャルという名前を聞いたことがある? 人間の国に渡ったエルフらしいんだけれど」

 

 私はアリィーに問う。

 

 トリステインからこの国へ向かう時、テファに頼まれたこと。名前しか知らない自分の母親のことを知りたいという、テファの純粋な願い。

 

「うーん、シャジャル、か。それだけじゃ何とも。僕よりも、君の伯父さんに聞いた方が良いんじゃないかな? もし人間の国に渡ったという話があるのならきっと知っているだろうし」

 

「やっぱり、そうかしらね」

 

「うん。ただ、あまり良い話じゃないと思うよ。蛮族の国に渡るなんてよほどの物好きか、君の伯父さんのように密命を受けているか。あるいは、追放されたとかじゃないかな? 」

 

「ええ、そうね……」

 

 私も、分かってはいる。ひょっとしたら、テファは知らないままの方が幸せかもしれないということぐらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は、一人の少女との面会を水軍に求めた。どういう配慮か、私の名と立場を知ると至極あっさりと会うことができた。

 

 連れられてきた少女は、何日も寝ていないかのようにやつれていた。そして、まるでつい先ほど殴られたかのように赤く腫れた頬。怯えるような視線に、思わず目を顰める。

 

 ルクシャナから相談を受けた、シャジャルという名。直接の面識こそないが、その名に心当たりはあった。我らの言葉で真珠という名に恥じない、美しい女性だったという。しかし、それは侮蔑と共にある名でもある。

 

 私とて人づてに聞いただけで、詳しい話は知らない。知っていることと言えば、ただ、一族の恥として追放されたということだけ。

 

 話としてはそう込み入ったものではない。シャジャルという女性が砂漠で行き倒れた蛮族を助け、その蛮族が恩を仇に、保管された場違いな工芸品を手土産に逃げたという。所詮はガラクタ、それだけと言えばそれだけのことで、大した被害でもない。しかし、それだけと済ますわけにはいかなかった。

 

 蛮族如きに騙されるなど、誇り高きエルフの恥。やがて話は、シャジャルが手引きしたのではという話になった。エルフの恥であり、裏切り者。そうして彼女は一族の恥として追放されたという。むろん、その事実は消えないから、今でもその一族は肩身の狭い思いをしているということだ。

 

 そして、そんな一族に一人、目立つものがいた。ファーティマという、ルクシャナともそう年齢も変わらない一人の少女。私がシャジャルだけでなく、彼女まで知る理由はその悪名から。

 

 彼女が何を考えてそうしたかは私には分からない。ただ、彼女にとってはそうすることが正義で、物事の解決の手段になると判断しただったというだけだろう。

 

 彼女は軍に入った。経緯などは知らない。自らの意思か、それとも、誰かに唆されたのか。例えば、エスマーイルにとって便利な駒となるようにと。

 

 実際、ファーティマは不幸な事故で死んだエスマーイルの後援で、水軍の中でめきめき地位を築いた。エルフの種族としての優秀さを説き、エスマーイルに言われるがままに蛮族に対する強硬論に凝り固まっていった。まるでシャジャルの存在を否定するように。少なくとも、今まではそれで良かったのだろう。

 

 だが、ただでさえ嫌われていたのがエスマーイルの作った鉄血団結党。そして、若造もいいところであるファーティマが凝り固まったご高説を説き、それだけで、少なくとも回りからはそう見える中で少校という地位まで得た。それで憎まれないはずがない。そして、厄介者であるエスマーイルが死んだとなれば、ほんの数日でもこの有様か。

 

 連れられてきたファーティマという少女。よくよく見ればなるほど、トリステインで見たテファというハーフエルフと似た面影がある。身体的な特徴こそ違うが、たれ目がちな眼差しなどはよく似ている。

 

 ただ、その怯えるような卑屈な視線と、痛々しい赤黒い頬の痣が目に付く。以前見た時には、高慢とも言えるほどだったというのに。無理に気丈に振舞っていただろうものが、すっかり折れてしまっている。

 

 私は、ファーティマを連れてきた男に席を外すよう促した。男は何を勘違いしたのか、邪魔はしないと下品に笑った。ファーティマは恨めし気に私を見つめ、自らの服に手をかける。まだ幼さを残した体には、やはりいくつもの痣。

 

 男が外へ出て、私はため息をついた。彼女と交わす初めての言葉は、服を着るように促すことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の中央のソファーへと腰掛け、向かい合う。体が痛むのか、ファーティマは少しだけだけ顔を顰めたが、すぐにそれを隠した。

 

 ファーティマは自らのことを話すことを頑なに否定したが、私がシャジャルについて知ることと、そして、ここ数日で起こったであろうことの予想を話すと、ようやく、ポツリポツリと口を開いた。

 

 エスマーイルが死んで、鉄血団結党はあっさりと瓦解した。急激に拡大したものの理で、崩れるのは瞬くほどの間に。ましてや、皆から憎々しく思われているとあれば。

 

 そして、そんなことは当事者とて、いや、当事者だからこそよく分かっている。だからこそ、軍の中でも高い地位にいたものは我先にへと逃げ出した。叩けばいくらでも埃の出る身であれば、それが賢い選択だ。

 

 無理して残ったものは惨めなもの。ただでさえ憎まれているというのに、我先にと逃げ出す恥知らずの集団としてのレッテルが加わるのだから。そして、ファーティマは後者であり、その筆頭となる。それまでのツケが全て、あるいはそれ以上のものが帰ってくる。要は、見せしめだ。

 

 これは私の想像だが、これには穏健派もあえて黙認しただろう。軍を私物化する鉄血団結党のやり方にはそれだけの問題があり、自業自得とも言える。であるならば、自主的に去ってもらった方がお互いの為になる。

 

 分からなかったのはなぜそんな針の莚の状態ですぐに軍を去らなかったということだったが、ファーティマの言葉で合点がいった。要するに、実家からも捨てられていたのだ。

 

 ファーティマはファーティマなりに一族の助けになろうとして、他の者もその稚拙なやり方を苦々しくも黙認していた。だが、更なる醜聞の種になるとなれば、切らざるを得ない。そして、周りに敵ばかりを作ってきたであろうファーティマには、もう行く場所がない。

 

 それでも、私は言わざるを得ない。

 

「ファーティマ。君の事情は分からなくもないが、このまま軍にいても何ともならないだろう? 田舎であれば、君のことを知らないものがほとんどだろうに」

 

 しかし、ファーティマは力なく首を振る。

 

「それでも、私は逃げられない、から」

 

 逃げて、これ以上の恥を重ねたくない。せめて、自分が作った恥だけでも濯ぎたい。自分のせいで一族を苦しめるなんて真似には耐えられない。逃げたら、もう何もできなくなる、と。

 

「残ることで何かが変わると思っているのかね?」

 

 私の問いに、ファーティマは唇を噛みしめる。言い返そうにも、パクパクと溺れる者のように口を開き、閉じる。

 

「ならば、一つ、私から提案をしよう」

 

 ファーティマが 胡乱げに私を見上げる。

 

「なに、それだけの覚悟があればきっとできることだ。君の恥を濯ぎ、更に一族の名誉も回復できるかもしれないとなれば、どうかね? その為なら何だってやろうと思えるだろう?」

 

「それは、もちろん………」

 

 答えながらも、ファーティマは訝しげだ。そうだろう、誰よりも、自分自身がそれを難しいと思っていたのだろうから。

 

「順を追って話そう。君の方がよく知るであろうシャジャルだが、すでに蛮族の世界で死んだそうだ。ああ、いやそれは正しくないな、正確には、蛮族に殺されたそうだ」

 

「そう、ですか……。裏切り者の末路は、そんなものなんでしょうね」

 

 意外にも、ファーティマはそれ以上は言葉にしない。恥をさらした者の末路として、自分のことを重ねたか。何にせよ、勝手なだと激昂などされるよりは話が早い。

 

「だが、彼女には娘がいたそうだ。ハーフエルフとしての娘がな」

 

「あの裏切り者は、どこまで恥を重ねれば……」

 

 ファーティマは、わなわなと体を震えさせる。噛みしめた唇からは、血が零れる。さすがにこれは認められないか。

 

「――ふむ。君には、まずはその恨みから捨てて貰わねばな」

 

 ファーティマは飛び上がり、叫ぶ。

 

「そんなこと、できるわけがないでしょう!? あいつのせいで私は、私の一族はどれだけ苦労したと! 愚かで、救い様のないほど愚かなあの女のせいで皆が私を馬鹿にした! 何をやっても認められなかった……。所詮は裏切り者ものの一族だと皆が、皆が馬鹿にした……。あいつさえいなければ、私だって人並に幸せになれたはずなのに……」

 

 ファーティマも限界だったんだろう。ボロボロと子供のように泣いていた。実際、まだエルフとしてはまだまだ子供だ。だが、それでは困る。

 

「何でもできるといったのは、嘘だったのかね?」

 

「……え?」

 

 ファーティマは呆けたような声をあげる。

 

「その恨みすら捨てられないようなら、私も何ともできないな」

 

「……私に、何をさせたいんですか?」

 

 ファーティマも少しだけ冷静になったようだ。ならば、話すだけ話しても良いだろうか?

 

「では、話を戻そう。そのシャジャルの娘は、我らエルフにとって極めて重要な人物に近いところにいる。彼女がハーフエルフとして生まれた経緯が経緯なだけに下手に近づくわけにはいかんのだがな、彼女はちょうど、自分の母親のことを知りたいと思っているらしい」

 

「つまり、私にシャジャルの娘に尻尾を振れ、と?」

 

「冷静になれたようで何より。事がうまくいけば、シャジャルの娘は我らエルフを救う英雄となる。そして、そうなればシャジャルの名誉は回復され、合わせて、君の働きも評価されることだろう。ただし、件の重要人物というのが、極めて重要であると同時に、同じか、あるいはそれ以上に危険でな。最悪の場合、エルフ全てを危険に晒す可能性がある。――ああ、信じられないというのも無理はない。だが、それはすぐに身を持って知るだろう。君が軽率なことをすれば、どうなるかということをな」

 

「脅し、ですか?」

 

「いや、単なる事実だよ。君も軍でそれなりの地位だったからには聞いているだろう? 悪魔と呼ばれる者たちが現れたということは」

 

 ファーティマはソファーに座り直し、無言で頷く。

 

「ここまで言えば、ある程度は想像がつくだろう。私が言った重要な人物というのは、その悪魔達の王と思しき者だ。まあ、王というのは私達が仮に呼んでいるだけだがな。しかし、悪魔の門への先遣隊を容易く蹴散らした、現在確認される中で最強の個体の主であることは間違いない。つまり、君が軽率なことをすれば、現在中立の立場をとっている彼らが皆、敵に回る可能性があるというわけだ。むろん、君がどうなるかは言うまでもないな」

 

 ちらりと、ファーティマの様子を伺う。話はきちんと聞いてくれているようだ。

 

「――さて、君から返答はどうかね? 事が事なだけに、無理強いはしない。お互いに不幸になるだけだからな。だが、君にとっても悪い話ではないし、私としても、君を押したいと思っている。他の一族の者と違って、君は軍で心体ともに十分に鍛えられている。あえて心配事を挙げれば軽率なことをしないかどうかだが、後がない君は、それほど愚かではないだろう? 私が思うに、もう他にチャンスはないはずだが」

 

 ファーティマは俯き、握りしめた拳を震わせる。私は、すっかり冷めてしまった茶を口に運ぶ。質は悪くないはずなのに、どうにも渋い。

 

「………さい」

 

 聞き取れないほどに掠れた、ファーティマの声。

 

「これは大切なことだ。はっきりと言葉にして欲しい」

 

 ファーティマは顔をあげる。いつか見た時とも違う、意思の強さを感じさせる瞳。

 

「私に、やらせてください。お願いします」

 

 深く頭を下げる。

 

「――よく言ってくれた。ならば、私もその為に動こう。あとは、……そうだな。君は私の養女としよう。その方が動きやすいし、私も君を守りやすい。ああ、これは嫌なら嫌と言ってくれ。君の一族の汚名を灌ぐという意味では、その方が良いかもしれないからな」

 

「いえ、嫌なんてそうな……。もう、家からは絶縁状を出されていますし……。でも、良いんですか? 私なんかを娘にして。私は誰にとっても厄介者で、養女にしていただくなら、事がうまく行ってからの方が、その、迷惑もかからないし………」

 

 おどおどしい、戸惑った様子のファーティマ。小動物を思わせるその様は、生来的なものを思わせる。本当は、ごく普通の少女だったんだろう。無理に無理を重ねて自分を偽ってきただろうということは、やはり哀れだ。確かに間違いはあったが、それも、純粋過ぎたんだろう。

 

「なに、厄介というのなら、これ以上ないほど厄介な姪が既にいる。今更そこに一人加わった所で変わりはない。それに、君だけに押し付けるべきではない。何かがあれば、私も責任を取るべきだからな」

 

 ファーティマは、ポロポロと涙をこぼす。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 縋るように見上げるファーティマ。

 

 これには少しばかり罪悪感を覚える。エスマーイルの死には私も関わっており、今もまた、それを利用しようとしているのだから。むろん、私は私でやるべきことをやるだけだが。今更都合の良いことだけを言えるほど恥知らずでもない。

 

 それには、まず、あの悪魔達に伝えなければならない。それは少しばかり気が重い。

 

「あの、……えっと、お父様?」

 

 心配そうに、そして、頬を赤らめたファーティマ。ファーティマは更に言葉を重ねる。

 

「その、疲れたような表情だったので……。それと、ダメ、ですか? そんな風に呼んじゃ……」

 

「ああ、いや、どちらも気にしなくて良い。それに、父と呼ばれるのも、まあ、悪くはない」

 

 あえて、心配があるとすれば、姪であるルクシャナが何と言うかぐらい、か……。以前ルクシャナがそう呼びたいと言った時には、私も少しばかり若かった。気恥ずかしさから断ってしまったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある面倒事から、急遽会合を開いた。

 

 そして、話を持ってきたガルーダが言う。

 

「……で、アルシエル。状況を聞くに、連れ帰らざる得ないと思うが、どうする?」

 

 だが、私としては賛成し難い。

 

「女はまずいでしょう。これ以上増やさないようにと何度も念を押されていますし。テファ嬢が会いたいというのは母親のことを知りたいから。ならば、適当な他の男でも問題はないわけで」

 

 ジャターユが口を挟む。

 

「だが、話を聞くに、そのファーティマという者をそのままにすれば、遠からず死ぬかもしれんな。それは、あまり宜しくないのではないか?」

 

 私としても、それは分かっている。テファ嬢が知れば、それを良しとしないであろうことも。だが、大きな問題がある。

 

「このことを何と伝えれば良いか……」

 

 ガルーダは鼻をならし、両断する。

 

「知るか。自分で考えろ。考え無しに食ったお前が悪い」

 

 そう言われるのならば、私としても言いたいことがある。

 

「もともとはと言えば、あなたがルクシャナを連れ帰ったことがあったからでしょう?」

 

 ガルーダは少しだけ言い澱むが、すぐに反論する。

 

「――役に立ったのだから問題無い」

 

「開き直りましたね」

 

「知らんな。とにかく、お前が責任を持って連れ帰ることだ。まあ、せいぜい、色目を使わないように言い含めておくことだな」

 

「ぬぅ……。止むを得ない、ですね」

 

 

 

 

 

 ひっそりとそんなやり取りがあったのは誰も知らない。

 

 そしてもう一つ、こちらは少しだけ先の話。案の定増えたと、責めるでもなく、呆れの目で見られて一人涙した誰か。



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第35話 Everything is in a state of flux

34話に続いて、今回もまた準備回。
なおかつ、主要キャラクターも出てこないという……
必要だと思うからこそ書いているけれど、軽いノリにする予定の次話はできるだけ早めに書きたいところ。

それと、最近ネット小説は別として、新しい本の開拓というのが全然ないから、そこもなんとかしたい。
SFやスチームパンクといったジャンル、ベースになるものがないとなると、いざ書こうとしても難しい。







 村に来た、見慣れない男達。

 

 先頭の馬に乗った男は、遠目にも分かる上等な布地に、やたらと手の込んだ作りの服を着ている。ここらでゴテゴテしく飾りの付いた服を着るやつなんていやしない。一目でお貴族様と分かる。しかし、領主の所にいるのと違って、ぶくぶくと無駄に太っているなんてことがない。むしろ、どこか肉食獣染みた鋭さを感じさせるほど。

 

 そして、後に続くのは──ぱっと見には男だと思ったが、ちょっと分からない。何せ、大柄な体を真っ黒な布ですっぽりと覆っている。そんなのが二人も続いていると、はっきり言って気味が悪い。

 

 しかし、いつもは偉そうな村長がやたらと頭を下げているからには、本当にお偉い人ではあるのだろう。興味がないといえば嘘になるが、面倒事を押し付けられてはたまらない。こういうときは村長に頑張ってもらうに限る。その為の村長だ。

 

 さて、畑に戻るとしよう。お貴族様にサボっているなどと言われてはたまらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、村長が皆を集めた。後ろには昨日のお貴族様。その両隣には、変わらず布を被った大柄な人物。

 

 何が始まるのかと周りを見渡すと、隣のやつと目があった。不安げな表情は面倒ごとにならないでくれよという心配の現れだろう。きっと俺も同じ顔だ。前に似たようなことがあった時は、荷運びに駆り出された。弁当こそ出るが、結局はタダ働き、たまったものじゃない。そもそも、畑仕事だって休むわけにはいかないのだから。

 

「──皆、聞いてくれ」

 

 村長が声を張り上げる。

 

「こちらにおわすはガリアが誇る、花壇騎士団のお方。はるばるこの村の為にお越しくださった」

 

 おお、という声が上がる。かく言う俺もその一人。

 

 花壇騎士団と言えば、親が語ってくれる物語にも出てくるぐらいだ。俺だって小さなころは憧れた。貴族でない俺が魔法なんて使えるわけがないと分かって、結局憧れで終わったけれども。

 

 しかし、花壇騎士団と言えば貴族の中の貴族。そんな方が何のためにと疑問が浮かぶが、そこで続く村長からの答え。

 

「ゴブリン共の被害を訴える我らのために、王が派遣下さった」

 

 ──ああ、と思い至る。

 

 確かに、ゴブリン共に畑が荒らされていると領主様に訴えたことがあった。しかし、全く期待していなかった。むろんあわよくばとは思っていたが、誰が真面目に期待するだろう。これは俺だけじゃないはず。

 

 ふと、お貴族様──いや、騎士様が前に出る。なるほど、騎士様がぶくぶくと太っているなんてことはあるはずない。俺らとは違う凄みも、それならばと納得がいくというもの。

 

「諸君、まず名乗らせてもらおう。私は、南花壇騎士団のバロリーだ」

 

 ツラツラと続く騎士様の声はよく通る声なんだが、少し難しい。なんとか理解できたのは、とても偉い方だということと、どうやらゴブリン退治に一緒に来ていただけるということ。

 

 そして、一緒にいるのはガーゴイルだという。布を取ると、ずんぐりとした人型なんだが、体と一体になった全身鎧を着ているよう。顔らしいものはあっても表情がない。それこそ、馬鹿でかい爬虫類のようで気味が悪い。ギョロリとした目は生き物のようだが、同時に作り物染みてもいて、不気味さに一層拍車をかける。

 

 連れているガーゴイルというのは強そうだし、そりゃあ確かにメイジの方に来ていただければ心配もない。しかし、森の中に入れるのか。騎士様もやっぱり貴族だし、連れているのも体が重そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い、一人で入るのを戸惑わせる空気さえある森の入り口。

 

 辛うじて獣道らしきものがないでもないが、せいぜい一人が通るのがやっとといったところ。今日は村の若いのが総出で来ている上に騎士様が一緒だから怖くもないが、正直、一人では遠慮したい場所だ。

 

 それはそれとして、また一つ問題がある。人が来ない場所であるから、馬で行くのは難しい。当然、馬で来た騎士様は降りなければならない。

 

 何と言うべきかと迷っていると、騎士様は戸惑いなく馬から降り、そのまま歩き始める。後を追うのは2体のガーゴイルだけ。どちらも感心するほど軽やかに進む。まさかお貴族様が文句も言わずにと見ていると、振り返る。

 

「何をしている? 案内役が先を歩かずになんとする」

 

 その言葉に慌てて皆が追うが、騎士様はその間もどんどん進む。言われるがままなんとか武器になりそうな農機具を持ってきた自分たち。そのせいで歩き辛いといっても、まさか自分達の方が置いていかれるとは。以前に領主様に従った時には、なかなか進まずとっとと終わらせたい自分らがやきもきしたというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 案内役が先頭に、ゴブリン達の住処があるだろう場所へ進む。騎士様が場所について尋ね、答える。巣穴の様子や何匹ぐらいいるのか、加えて回りの地形やら、普段自分達はどうやって追い払っているのかなどまで。なんやかんや、色々なことを考えようとするのには、ただただ感心した。雲の上の方には本当に偉い人がいるんだなと。

 

 そりゃあ、国を治める貴族様なんだから村長よりもすごいのは当然なんだろうけれども、今までそんな人は見たことなかったものだから。

 

 先頭のやつがそろそろ巣穴が見えてくると言うと、騎士様が足を止めた。何事かと皆が戸惑う中、皆に言われる。

 

「さて、これからゴブリンどもを退治するわけだが、基本的に私は手を貸すだけだ。実際の退治は君らにやってもらう」

 

 思わず首を傾げる。皆も同じ気持ちのはずだ。だったらなぜ、わざわざここまで来てくれたのだと。騎士様が言う。

 

「疑問はもっとも。君らでも分かるよう、きちんと説明しよう」

 

 大人から子供への言い含めるように──それに思うことがないでもないが、仕方がない。騎士様からしたら、俺らは何も知らないもいいところだから。騎士様は気にせずに続ける。

 

「ゴブリン如き、私からすればものの数ではない。が、君らにとってはどうだろう? むろん、一対一ならどうということはない。しかし、数が多いうえに、番いが残ってしまえばすぐに数が戻ってしまうのがあいつらだ。一度退治してもまたどこかから移ってくるということもあるだろう。となると、私がいつまでもいるわけではない以上、君らでも対処できるようにならねば解決しないというわけだ。──それは良いかね?」

 

 騎士様の言うことは分かる。

 

 しかし、怪我をする可能性がないわけじゃない。あいつらだって武器らしきものを使うし、稀に手強いやつがいる。そのせいで怪我をして畑を耕すことができなくなれば、食えなくなる。それはとても恐ろしいこと。

 

 だからこそ、なかなか思いきれない。村総出でやればまた違ってくるが、それはそれで難しい。村が空っぽになるのもそうだし、結局、誰かが怪我をするだろうということは変わらない。

 

 不安げな皆の様子に、頷くかのようにお貴族様が言う。

 

「君らが心配しているだろう内容は分かる。怪我をするかもしれないということだろう。しかし、そこは心配しなくても良い。ただ闇雲にやれとは言わない、私から策を授けよう。それに、危なくなれば私がいるのだから」

 

 見るからに自信に溢れた騎士様。きっと、これまで何ともならないことなんて無かったんだろう。それは、羨ましい。うまく言葉に出来ないけれど、そんな生き方ができたら幸せだろうなと、何となく思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──さて、皆準備は良いかね? 」

 

 俺らが頷くと、騎士様は呪文を唱えはじめる。

 

 お貴族様が言った作戦というのはどんな仰々しいものかと思えば、存外簡単なものだった。敢えて威力を弱めた炎の魔法を巣穴に投げ込む。ようは、煙で炙り出すというものだ。それなら、準備さえすれば俺らでもできること。難しいことを考えられない俺らでも、巣穴に篭った獣を追い出すのにやることだってある。

 

 騎士様から注意を促す声。

 

 そして、騎士様が掲げた杖から、炎の塊が飛ぶ。巣穴の前で弾けて、ものすごい量の煙が出てくる。ただし、燃やすのではなく敢えて煙だけを。そうして、あとは待つだけ。

 

 出てこないかと思うようになった頃、咳き込みながら緑色のゴブリン共が出てきた。巣穴から出てきたところで、俺は握りしめていた石を投げる。俺のは外れたが、他のやつが投げた石がゴブリンの頭に当たる。

 

 ガツンと嫌な音。

 

 薄気味悪い緑色の皮膚だが、血は赤い。ゴブリン共は頭を庇うようするが、構わずありったけの石を投げる。何匹かは巣穴に逃げ込んだが、当たりどころが悪かっただろう、6匹はそのまま倒れている。適当に削っただけの棍棒をもっていたが、使われることなく転がっている。

 

 弓は使えるやつしか使えないが、石を投げるだけなら誰でも出来るし、どこでも手に入る。言われた通りにやっただけだが、効果的かもしれない。毛皮の厚い獣にはともかく、亜人のようなものには案外良さそうだ。

 

 無理に近づいて怪我をする心配がないというのも良い。いざとなれば騎士様のガーゴイルが盾になってくれるという話だが、いくら安全だと分かっていてもそんな状況になるのは勘弁して欲しい。

 

 しばらく待ってもう出てこないとなると、騎士様が杖を振る。すると、もくもくと上がっていた煙が水をかけたように消えて無くなる。魔法というのは本当によく分からない。槇もないのに一人でに燃え上がって、それが自由自在。ほんの小さな火でも自由に作れれれば、飯を作ることだってどれだけ楽になるだろう。

 

「──さて、では巣穴の中の確認をするとしようか。ガーゴイルが最初に入るから、後ろから付いて行くように。2人は見張りとして残る。何かあれば片方が知らせに入る。それと、念のためそこに転がっているのにはとどめを必ず刺して、土を被せるだけで良いから埋めておくように。その方が面倒がない」

 

 騎士様の言う通り、まだ息があったゴブリンにトドメを刺す。断末魔は、耳障りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あとはただの作業。

 

 巣穴に逃げ込んだやつに、雌と子供を全部始末する。反撃してくるような元気なやつもいたが、ガーゴイルを棍棒で叩いても硬い音がするだけ。その隙にこちらからも槍を突き出すのだが、ゴブリン共は既に逃げ腰になのだから楽なもの。そんな奴が相手なら自分が怪我をする心配なんてない。

 

 そして、終わったら巣穴の回りで待ち伏せ。戻ってくるものがあれば、前と同じように石を投げて動かなくなったやつにとどめを刺す。日が暮れるまでそれを繰り返したから、たぶんこの巣穴を根城にしているやつは皆殺しにできただろう。

 

 それにしても、誰も逃げ腰にならないから、驚くほど簡単だった。普段なら少し大きな獣を狩るにも腰が引けるやつがいて大変だというのに。いや、まあ、安全だと分かっている今と同じに考えるのがおかしいんだが。

 

 最後に、騎士様に普段の退治とどう違ったかを随分と熱心に聞かれた。答えた内容に対して、だったらこうすればどうかということまで聞かれて、ない頭を必死に働かせた。ひょっとしたら、ゴブリン退治よりよっぽど疲れたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 戻ると、久方ぶりの宴になった。

 

 村の中心に火を焚いて、猪を焼く。気前の良い事に、騎士様が帰り掛けに皆の為にと仕留めてくれた。そして、街から持ってきたというワインまで振舞って下さった。街でも人気だというだけあって、やはり美味い。素人作りと違って丁寧なのか、妙な渋みもない。美味い肉に、美味い酒、俺らにとってはそれだけで十分。

 

 ただ、一つだけ不安だ。

 

 騎士様は宴を見るだけで、挨拶が終わった村長と家で何かを話している。料金の請求などはどうなるのだろう。前に領主様からの手伝いが来た時には、なんやかんやと請求された。税を払っているのだから領主様からの請求はないにしても、実際に来た人間がどうするかは別問題。あまり高いと、冬を越せないなんてことだってありえる。騎士様の請求なんて、一体全体どれくらいになるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、やはり村長が皆を集めた。そばには騎士様もいる。話は費用のことかと思ったら、そうではなかった。

 

 どうにも意外な内容で、なんと、皆で山賊狩をするという。今度はそのための方法を教える、と。そりゃあ、山賊の被害の方が大きいとはいっても、わざわざ訴えたことがあっただろうか。騎士様にとっても面倒なだけじゃないだろうか。とんと分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小屋を建てようということで乾かしていた木材は、山賊退治に使う道具の材料にすることになった。人が隠れられるぐらいの長さの板切れを並べて、その上に、ちょうど間を塞ぐように少しだけずらして板切れを並べる。そして紐をぐるりと何重にも回して固定する。あとは持ち運びできるように内側に取手をつける。仕上げに騎士様が「固定化」という魔法をかけてくださった。なんでも、その魔法をかければ弓矢ぐらいなら防げるようになるということだ。

 

 あとは木を削っただけの槍を作って、同じように魔法をかけてもらう。ためしに盾と槍を軽く合わせてみると、カアンと硬い音がする。騎士様曰く、元が木だから鉄の剣と打ち合えば壊れてしまうし、長く使えるものでもないということだが、本当にすごい。魔法というのは何でもできる。ゴブリン退治の時には農機具を無理やり槍に仕立ていたが、何だかんだ痛んでしまっただけに、助かる。

 

 

 

 

 

 

 流石におっかなびっくりだった山賊狩も、騎士様の言う通りにしたらあっさりと終わった。もともとかすめ取るように盗みを働くやつらだから大したものじゃないんだろうが、弓を使ったりとこちらからは手を出せなかった。下手に手を出して怪我をする方が高くつく。

 

 ゴブリンの巣穴に押し入った時と同じように、盗賊の根城へガーゴイルの後ろに数人が盾を構えてついて行く。騎士様もガーゴイルも頼りになるのが分かっているのだから、少しは気が楽だ。流石に見張りから射かけられた時はびびっていたが、ガーゴイルにも盾にも弾かれて、むしろ、相手の方がうろたえて居たほど。

 

 逃げ腰な相手というのは本当にやりやすい。前と同じように、俺を含めて隠れていたやつらが石を投げる。仲間に当たらないようにしたからほとんど当たらなかったが、注意さえ引ければそれで十分。盾を構えていたやつが近づいて、槍を突き出して殺す。同じことを繰り返して殺していく。

 

 それでも力自慢のガタイの良い斧を持った大男には盾を構えたやつがびびってしまったが、騎士様が光る剣の魔法で腕を切り落とす。なくなった手を見て喚く男。そして、騎士様に石を投げろという指示。言われるがまま石を投げつけると、やがて男が動かなくなった。そうしたらあとは同じこと。穴だらけになって生きていられるような化け物なんかじゃないのだから。

 

 残りの作業を終えて、山賊のやつらが持っていた武器と溜め込んでいたものを持ち帰る。大したものはないと思っていたが、頭らしき男の部屋には行商人からでも奪ったのか、金貨や宝石もいくつかあった。お貴族様は宝石を一つと金貨のいくらかを取ると、これで村長には話をつけると言い、残りはここに来た人間で分けるようにと言った。下手をしたらほとんど村長に巻き上げられてしまうだけに、これには皆が喜んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 村に戻ると、また宴になった。

 

 今度は形だけではない、心からの。何せ、何ともならないと諦めていた山賊共を退治した。それをやった俺たちは英雄なのだから。騎士様も粋な方で、自分はほとんど手を出していないと言って下さった。

 

 普段は年が上だからというだけで偉そうなやつも、相手を探す盛りの娘も酌に来る。つい酒もすすむ。どれくらい飲んだのかも分からないほど。

 

 ふと、お貴族様が目の前に。慌てて立ち上がろうとすると、立ち上がれない。

 

「──その様子では、難しいか。明日、少しばかり話したいことがあるからまた来よう。せっかくだ、十分に楽しむと良い」

 

 そう言って去って行く。様子を伺っていたやつからは何の話だったかと聞かれたが、こちらが知りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、痛む頭を抱えて唸っていると、騎士様がやってきた。

 

 話はゴブリン退治の帰り道と同じように、山賊退治でどういうことを思ったとか、どうすればうまくできると思ったかといったこと。痛む頭で考えるのは辛かったが、何とか思いついたものを答える。

 

 そろそろ勘弁して欲しいと思った所で、騎士様が笑う。そして、一握りの金貨を押し付けられた。驚いて見返した所で騎士様が言った。

 

「もう一つ、仕事をして見る気はないかね?」

 

 一も二もなくうなづいた。悪酔いも一気に冷め、これは逃すべきではないと思ったから。

 

 肝心の仕事は、簡単ではないが、できないということでもなかった。騎士様がこの村でやったように、近くの村の人間と一緒に亜人やら山賊やらを退治すること。そして、その内容を定期的に報告するということ。既に村長に話を通していて、他にも何人が連れて行って良い、加えて、ガーゴイルも貸してくれるという。騎士様にとってはガーゴイルも惜しいものではないということだ。

 

 ただ気になるのは、なぜそんなことをするのか。思わず尋ねると、騎士様は良い質問だと笑った。

 

「私が思った通り、君は他の村人に比べて頭が良い。そして、難しい質問だ。何せ、私もいくつか予想は立てられても、とんと答えが分からないのだから。まあ、あれだ。本当の雲の上の方が考えていることは分からないということだよ。加えて──あの方は極めつけだ」

 

 困ったものだと言いながらも、騎士様は随分と楽しそうだった。まるで祭りが待ち遠しい子供のよう、ふと、そんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──諸君。私は君たちをゲルマニアの誇りだと思う」

 

 力強く、はっきりと通る声。木を組み上げただけの簡素な壇上の人物は、声に相応しい筋骨隆々。貴族に負けぬ豪奢な衣装ながら、職人として実際に働いてきた者のあり方を感じさせる。

 

 そして、彼をぐるりと囲む中には同じような体格のものが少なくない。むしろ、もともと引きこもって研究に明け暮れていた私のような人物の方が少ない。トリステインからゲルマニアへ来て、何だかんだと手を出しているうちに、気付けば腕など一回り太くなったが、それでもまだまだ。

 

 そんな私がここにいて良いのか。ゲルマニアの選ばれた職人方を集めたこの場所。生粋の職人ですらなく、友人のおかげでチャンスをもらった私。良くて、単なる場違いな工芸品に対する研究者だ。そんなことを心の片隅に罪悪感と感じながら、演説は進む。

 

「知っての通り、我が国は貴族でなければ人にあらずといった国ではない。人は皆、働きに見合った評価を受けるべきだ」

 

 そして、男が笑う。

 

「ここゲルマニアだからこそ、私は一代で成り上がった。国に貢献する発明であれば、惜しみなく認めるのがゲルマニア。さあ、今日はその披露会。遠慮はいらない、存分に見せて欲しい。そして、もう一つ。この国の最高の職人たちがここには集まっている。明日の作戦決行まで、それぞれの知見を高め合って欲しい」

 

 野太い歓声、しかし、悪くない。この空気も心地よいし、ゲルマニアの思想は体に馴染む。

 

 ゲルマニアは、何か新しいものを作ろうとするには良い国だ。私がここに来てからそう時が経っていないというのに、いくつも新しい試みが始まった。

 

 例えば、国からの援助金。

 

 研究内容に応じて毎月一定金額の援助があるというのは非常に有難い。自分の資産を食いつぶしたり、高い利子の借金をしなくて済む。私はたまたま辺境伯からの助力を得ることができたが、それとて成果が出なければ、機嫌をそこねればいつ切られてしまうか分からない不安定なもの。年単位で保証されるというのは大きい。

 

 むろん条件はあるが、それも考えようによってはメリット。互いの技術を可能な限り共有し、協力すること。たしかに、独占したいという思いは出てくるものだろう。それでも、足りないものを持ってこれる可能性が出るのは大きい。そもそも、各自がバラバラでやっていれば、解決の為の技術があるかどうかすら分からず、無駄な時を過ごすはめになるのだから。そうやって埋れた、失われたものはきっと多いと思う。

 

 ゲルマニア皇帝がそれぞれ抱え込みたいだろう各領主をどう説得したかは分からないが、本当に大したものだ。つい先日までは、各諸侯があくまで手元においた上でという形だったというのに。もともと祖国では認められないからとゲルマニアを訪れるものは多かったが、今後は更に増えていくだろう。実際、自分の元にも相談が入っているぐらいだ。

 

 それに、私個人としても、新しいものを見て、実際試すことができるのは大きい。それは、純粋に楽しい。今日だって面白いものをきっと見れるだろう。

 

 後ろからそっと耳打ち。

 

「──おい、ゼファー。行くのは良いだろうがほどほどにして置けよ? 皆が皆、俺らみたいによそ者を受け入れるとは限らないからな。トリステインの人間はまあ、高慢ちきで嫌いだっていうやつが多いからなぁ」

 

「分かっていますよ。自分自身、今となってははあの国に愛着もないぐらいですしね」

 

 私があの国に戻ることは、きっと、もうないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それなりに覚悟して行ったが、最初に渋ることはあっても、話し始めれば皆気の良いものだった。いや、むしろ時間が足りないほど。何せ、話が合う。

 

 全部が全部というわけではないが、多かれ少なかれ場違いな工芸品の技術を取り入れようという試みを考えたもの達がいて、そうすると、悩みというのも共通している。つまり、使われている技術がどういう意図を持ったものなのかの理解が難しいこと、そして、純粋に再現が難しいということ。

 

 前者は当然のこととして、場違いな工芸品は、使われている部品一つをとっても、非常に高精度に、そして、狂いなく作られている。今回の催しではとにかく一つ試作できれば良いということになっているが、その一つに手間がかかる上に、更に同じものをつくるというのが難しい。解決には高精度の加工機と、そして、それ扱う能力が必要。私達が言った完璧な職人が必要だというのは大いに納得された。

 

 場違いな工芸品を作った者達は、それを作れるだけの人としての能力が遥かに優れていたのか、それとも、その為の道具すらも生み出したからこそか。私としては後者だと思っている。作られた物は私達と変わらないような能力の持ち主の能力を拡張するようなものだと思われるし、何より、私が見た本と、友人から聞いた話。

 

 巨大な工房で分担して作成する様子や、忠実に命令を再現する機械式の「ロボット」というものの存在。友人は、前者はともかく後者は非常に難しいし、仕組みも知らないものだと言った。しかし、実際に使っていたからにはできないものではないのだろう。ちょっと考えても、確かにガーゴイルやゴーレムは複雑な命令や精密なことを行うのが非常に難しい。だが、可能性としてはないではない。私が話をした人物も難しいとは言ったが、アプローチを変えればあるいは。

 

 それこそ、場違いな工芸品の世界では無いという魔法だ。魔法には火を生み出したりといった直接的な効果だけでなく、魔力が人の能力を強化するというものもある。達人と呼ばれるものは、無意識的にも魔力がそのように働いているという。それを何らかの手段で道具の形にすることができれば、可能性はあるのだと思う。今の試みが形になったなら、次はそれをテーマに取り組みたい。むろん、まずやるべきことをやってからだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──頑張ってくれよ」

 

 金属板を貼り合わせた角ばったボディ。

 

 コンと叩くと、しっかりとした感触が逞しい。今回乗り手の栄誉こそ私よりも運動神経に優れたものに譲ってしまったが、それでも、相棒という気持ちは変わらない。

 

 前方に一つ、後方に二つのタイヤのついた車台。その上には操舵輪をつけた一人で一杯になる操縦席に、後方半分は少しばかりゴテゴテしく、小型の炉とパイプで繋がれた水のタンク。炉の動力を上下運動から回転運動に変換して前に進む力にしている。

 

 私達が作成したのは、馬のいらない馬車。それを馬車と呼ぶべきかには疑問があるが、私達の中でもそれぞれが名付けを譲らなかったので、仮の名前としては丁度良い。私としては自ら進む車、「自動車」というのを押したい。

 

 これは、ベースとしては石炭を使った蒸気機関であるが、使うものが火石になっている。これまた国からの援助様々で、貴重な火石惜しげも無く実験に使うことで形にできた。何度か爆発事故こそ起こしたものだが、おかげで、安定して火力を取り出すことができている。

 

 場違いな工芸品を参考に最小限の部品で構成、芸術家もかくやとの作り込みで組み上げ、これまで慣らし運転を行ってきた。同じものを作るのは難しいかもしれないが、こいつの安定性には自信を持てる。

 

 そして、今回見せるべきはその安定性と動力としての活用の柔軟性。その為に、皆の発明品を目的の場所へ運ぶということを行う。戦争において輸送は重要だ。直接的な戦争の道具ではないが、有用性は認められた。

 

 何より良いのは、それはそのまま平時の輸送にも役立つということ。国からの援助を受けるにあたって戦争の道具が求められることは仕方がない。だが、私としては、それだけでは寂しい。次のテーマである工作技術の研究を行うにも参考になるだろうし、その結果はまたこれの改良、発展にも役立つだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──オークの巣の殲滅。確かにゴールには辿り着きましたが、少しばかりやんちゃが過ぎますかな」

 

 居並ぶ諸侯の中、年嵩のものが苦々しげに口にする。「やんちゃ」という評価に、同じく困ったように笑う者も。

 

 一堂に介せば潜在的な敵同士としての探り合いになるが、今回は少しばかり違う。隙あらば私から王の座を奪おうとする者達であるが、目的を一とする今、協力の姿勢であることは重畳。

 

「まあ、そう言ってやるな。これが場違いな工芸品の難しさではないか。だから作ったものの中で一つでもまともに動けば良いとした。まあ、確かに自爆というのは予想外であったがな」

 

 脳裏から離れない、見事なまでの自爆。

 

 加工した火石を爆弾として、大口径の榴弾砲で打ち出すというもの。1発目こそ中々の威力を示したが、2発目は不発、3発目は見事な自爆。死人こそ出なかったことは救いか。

 

「──だが、それでも面白いものもあった。何より、あれらの運用の可能性を見れたことは大きい。実際に使えるようにするには発明家ではなく、戦術論を理解している我らの仕事。それぞれに領分というものがある。ゲルマニアという国を埋れさせない為には、ここが力の入れ時だ」

 

 見渡せば皆が頷く。

 

 潜在的に各諸侯はそれぞれが王の座を狙う敵。だが、始祖の直系を中心に、ロマリアがゲルマニア以外の国の結びつきを強めようとしている現在、内輪もめなどして手を打たねばどうなるかが分からないほど愚かではない。

 

 だからこそ、使えるものは何でも使う。それこそ、エルフの協力であったとしても。敵の敵は味方──とはいかずとも、少なくとも、仲良くして悪いことはない。何より、足りないものはあるところか持ってくる、それこそがゲルマニアだ。古臭い、全てを始祖に依存した価値観、その中では血が全て。ならば、ゲルマニアは新しい価値を提示するまでのこと。

 

 ──それに、始祖への対抗馬とて、ないではない。それが今この時代にあるとは、何ともよく出来たものじゃないか。



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第36話 Tears for fears

あけましておめでとうございます。なんとか1月1日中に更新できました。それと、ファーティマが可愛くなったのでちょっとだけ虐める話になって、話として大きく動くのは次の話になります。






 

 

 

 

 

 

 椅子に腰掛けたまま、じっと私を見つめるつり目がちの少女。全てを見透かすような視線が、どうにも落ち着かない。今日の夕食にと選ばれるガチョウは、もしかしたらこんな気分なのかもしれない。

 

 年の頃は、人で言うところの15かそこらだと思う。人は、私達エルフより成熟そのものは早いという。であるならば、私と同じか少しばかり上だと考えるべきなのか。人と接したことがない私には分からない。ただ打ち倒すべき敵だとだけ見ることができなくなった私には。

 

 私にはもう、エルフが他の種族よりも優れていると無条件に信じることはできない。嫌というほど、この体で知ったから。

 

 目の前の少女はイザベラという名で、人間の世界では最大の国の姫。特徴的な青い髪がその証だという。そして、今お父様が仕える相手。それはつまり、私にとっても絶対だということ。

 

 不意にイザベラの視線が逸らされる。私には興味を無くしたように、お父様の話をただじっと聞いている。そして、話が終わっても、こめかみを指で叩きながら彼女は思索に耽る。

 

「──まあ、いいんじゃないかい」

 

 ようやく発された、彼女の声。楽しそうに笑っている。

 

「会いたいという相手をはるばるこんな遠くまで連れてきたんだ。感謝こそすれ、文句を言うことはないだろうさ。本人がどう思うか、そして保護者がどう思うかだよ。私が思うに、テファって子が会いたいというのなら、それに文句をつけることはないね。あいつは、そういうやつだよ。そして、ちゃんと借りだってことは認めるだろうさ。ただ……」

 

 視線は私に、ただ、どこか訝しげ。

 

「あんたがちゃんと話せるかどうか、私はそれが心配だね。私相手にそんなに弱腰じゃあ、さて、あの化け物共の前に出られるのか。もちろん、テファって子に恨み言をぶつけるよりはマシだろうけれどね」

 

 私は、言い返すことができない。少し前の、ただ強がることができた私は、もういない。ガチガチに固めていた虚勢は、壊れてしまった。

 

 肩に心地よい重さ。温かい、お父様の手。

 

「心配はいらない。ファーティマは強い。でなければ、自分一人で一族を助けようなどとそもそも思わない」

 

 お父様の言葉が嬉しい。優しい言葉、私が欲しかったもの。

 

「……まあ、あんたらがそれでいいなら、いいさ。私がとやかく言うことじゃない。しかし、エルフっていうのは不思議なものだね」

 

「何がだ?」

 

 急な言葉に、お父様の疑問。それは私も同じ。

 

「いや、何がってあんたらの関係がだよ。さっきの話じゃあ、養子にしたってことじゃないか。エルフが年を取らないっていうのはビターシャル、あんたを見ているから知っているよ。でも、いざ目の前でさ、年の離れた兄妹と言ってもよいような2人が親子になったって言うんだ。そりゃあ、不思議だと思うよ。聖人君子ばかりでもないってことは、あんたらの話で分かったしね」

 

「確かにエルフは子供を持つことが少ない。しかし、若いうちに──エルフの基準の中ではあるが、ないではない。寿命が長ければ、そういったことも当然にある」

 

 イザベラが意地悪気に笑う。そんな表情が嫌に似合う。口に出しては言えないけれど。

 

「ふうん、でもねぇ。見た目がそう変わらないとなると、私としては間違いがあるんじゃないかと思ったりするんだよ。もちろん、誰だ何をしようと自由だよ。でもね、同じ部屋にいる中でそういったことをやられると、やっぱり気になるというかね。ほら、私だってお年頃だからさ」

 

 からかうようなイザベラの言葉に、眉を顰めるお父様。

 

「……近親相姦は、好ましくないと言われている」

 

「言われているってことは、あるっていう証明みたいなものだろう? 悪いとは言わないよ。私達だって王族の中じゃ聞かない話でもない。……ああ、いや、私はそんなのごめんだけれど」

 

 イザベラもお父様もそれきり押し黙る。

 

 私も、何と無くいたたまれない。私はそれでも良い──それが私の本心。でも、今この場所で言うべきではないことぐらいは分かるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ファーティマさんって言うんだね。私達、従姉妹になるんだね」

 

私とよく似た容姿の──エルフとしては突然変異としか思えない胸を除いて──テファというハーフエルフは嬉しそうに言う。

 

 今までなら、有無を言わさずに銃を抜いたかもしれない。でも、お父様に迷惑をかけるわけにはいかない。だから私はその感情を押し込める。

 

 いや、その必要はないかもしれないけれど。だって、金縛りにあったように体が動かないから。

引きつった変な顔になっているだろうことは、自分がよく分かっている。今、一緒に部屋にいる人たちのことは、大まかにお父様とイザベラから聞いている。

 

 顔の両側に走る奇妙な刺青以外は、これといって特徴のなさそうな男性。でも、実際は悪魔の王とも呼ぶべき存在で、私達エルフにとって最大級の重要人物。

 

 対峙して分かる、この人物がこの地の本当の意味での支配者であると。思えば、この地で精霊の力を借りることがなぜか難しかった。遍くあるはずの大いなる意思が、遠くベールにかかったようで、どこか違和感があった。

 

 こんな考え方があるという。物質はそれぞれ引き合う力を持ち、巨大な物質であればあればあるほど、その力は大きくなるという。そして、最も巨大な力に、全てが従う。門外漢の私でも、その言わんとすることはなんとなく分かる。

 

 そして、目の前の人物こそまさにそれ。大きな力はただそこにあるだけでルールとなる。少なくともこの場所では、大いなる意思を曲げるだけの大きな力。加えて、この学園の中には他にもそんな存在がいる。ここは、全てが悪魔達の支配下。文字通りの魔窟──万魔殿。

 

 

 そして、ただの人間であるはずの女性達。

 

 眼鏡をかけた金色の髪の女性。一見笑顔だというのに、私と悪魔王に投げかける視線が異様に鋭い。前情報も加えて判断するに、女として近づくことは絶対に許さないという警告。

 

 同じく眼鏡をかけた、緑の髪の女性。こちらも笑顔のままだというのに、まっすぐに私に向けられる視線が痛い。たぶん、妹であるテファを泣かせるようなことがあったら許さないという警告。

 

 まだ幼さもある桃色の髪の少女。ニコニコと笑っているけれど、得体がしれない。一見無害に見えても、悪魔の後継者。心の内で何を考えているのか分からない。そもそも、悪魔の王を呼んだのだって……

 

 この人たち、怖いよ。お父様、見てないで助けて……

 

「──あの、ファーティマさん、なんで泣いているの?」

 

 何で憎かった相手に慰められるなんてことに……。何でそんな相手に、助けて欲しいだなんて思ってしまうの……。

 

 

 

 

 

 

 結局、私が話した内容は当たり障りのないものになった。

 

 私の故郷と、人伝に聞いていたシャジャルの生い立ち、そして、どうしてシャジャルがエルフの国を出て行くことになったのか。悪意に曲がっているだろうことは省いて、できるだけ客観的な話として。

 

 知りたいだろうシャジャル本人の話とは違うから、私の一族がどういう扱いを受けることは言わず。私がシャジャルのことを恨んでいることは言わずに。私自身、冷静に話せるとは思わなかったし。

 

 何より──この人たち、怖いんだもん。余計なこと言ったら、絶対に消されるもん。やだよ、そんなの、せっかく私がいる場所ができたのに。

 

 でも、一安心。無難に乗り切れた。何にしても、これで私の役割は終わり──

 

 

 

 

 

 

 

 

──にはならなかった。

 

「──こっちだよ」

 

 私はテファに手を引かれる。連れて行きたい場所があるからと。

 

 そして、後ろの様子を伺うと、ニコニコと笑いながら付かず離れず一人の男性。ウリエルと名乗った、人畜無害にみせていながら腰には剣を下げた男性。真剣を音も立てず、更には違和感も見せず──それは、剣が体の一部とも言えるほどの達人でしかありえない。

 

 加えて、さり気なくこの場の力の流れを全て支配している。つまり、剣も魔法も何でもござれの化け物。私が変なことを考えでもしたら……

 

 この人たち、小娘一人に容赦なさすぎるよ

 

「……ファーティさん、どうかしたの?」

 

 振り返るテファ。

 

「……いえ、別に」

 

 あ、具合が悪いとか言ったら、解放してくれるカナ?

 

 後ろから声。

 

「もし具合が悪いということがあれば、遠慮なく。そういった心得もありますので」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供たちがテファを囲む。そう身長が高いわけでもないテファの腰までしかない子もいる。いくらここが学院にしても幼いのではと思っていたら、テファが言った。

 

 ここで面倒を見ている孤児だと。本当はこことは別の場所もあるけれど、引き取る子が増えて、準備が大変でなかなか移せないでいるという。

 

「……人間の子を、エルフが面倒を見ているんだ」

 

 思わず漏れた、私の疑問。テファは、クスリと笑う。

 

「そうだよ。私の宝物。ああ、ものじゃないんだから、おかしいかな? でも、私にとって何よりも大切な子たち。あなたにも、見せたかったから」

 

 テファは子供たちを抱きしめ、そして、皆で遊んでおいでと背中を押す。見送る視線は、まるで本当の母親のよう。

 

「私に?」

 

「うん。あなたはお母さんのことを教えてくれたから、私は、私が知っているお母さんのことと、そして、私のことを話さないといけないかなって。あなたはお母さんのこと、恨んでいるだろうから、聞きたくないかもしれないけれど」

 

 思わず息を飲む──けれど、当然か。よほど世間知らずでもなければ、それくらいの想像は着くはず。でも、私は言葉に困る。

 

「姉さんは、あなたと話すことをあまり勧めなかったんだ。そうだよね、お母さんが追放されたんだろうっていうことぐらいはすぐに分かることだから。どうしたって気持ちの良い話にはならないだろうし。あなたは、お母さんのせいで白い目で見られただろうし。でも、私はそれでも聞きたかった。お母さんのことを少しでも知りたかった。記憶だって曖昧だけれど、理想のお母さんだった。私は皆の──子供たちの、そんなお母さんになりたい。あなたにとっては迷惑だとは分かっていても、それでも知りたかった」

 

「……どうして、そこまで」

 

 テファが子供達を思う感情は、きっと本物。それは、見ればすぐに分かる。

 

 でも、自分の子ではない、そもそも、なぜ人間に対して。テファ自身、エルフの特徴である耳を隠しているというのは、つまりは隠さなければならないということのはず。

 

「それは、人間に対してっていうことかな? もし、そうなら、確かに、私も怖い目にあったよ。エルフだってだけで怖がられるし、目の前でお母さんも殺されたよ。それこそ、記憶も曖昧だけれどね。──あ、それは知らなかったみたいだね。たぶん、あなたの想像通り。お母さんが追放されたというのと、結局のところは同じかな。汚らわしい化け物であるエルフが人間と、それは許されないという勝手な理由。ほら、一緒だよね?」

 

 私は、思わず目を逸らす。エルフだけが高潔ではないことは、身を持って知ったこと。でも、今までの私ならきっと同じことをした。

 

 テファは構わずに口にする。まるで独り言のように。テファは、私を見ていなかった。

 

「私はハーフエルフだから、どこに行けば良いのかなってずっと思っていたの。人間でもない、エルフでもない、中途半端な存在。人間の世界では受け入れられないということは分かっていたから、エルフの世界ではどうなのかなって。でも、あなたの話を聞いて、私はどこに行っても同じだって分かったよ。あ、気にしないでね。ルクシャナさん──ビターシャルさんの姪になるのかな? ルクシャナさんにエルフの国のことを聞いていたから、たぶんそうじゃないかとは思っていたの。あなたの話で、諦めがついたって言えばいいかな。少しだけ、期待はしていたみたい」

 

 テファは泣き笑い、そんな表情。でも、それも一瞬。

 

「それで、どうして人間にだったかな? それは、私にもよく分からないかも。でも、私にとっては、とても大切だから。考えれば理由はあるかもしれないけれど、たぶん、そこに理由なんていらないんじゃないかな。例えば、母親が子供のことを大切に思うのに理由が必要? 私はそういうことだと思う。自分の親のことすら知らないのにって言われちゃうかもしれないけれどね。それでも、私がやるべきこと──ううん、私がやりたいこと」

 

「……そう。だったら、あなたがエルフであるということはずっと隠した方が良いと思う。今、耳を隠しているようにして。知らなければ、誰も傷つくことはないから。エルフと人間が和解するには、血を流しすぎたから」

 

 人間に比べてはるかに長い寿命を持つエルフの中でも、世代交代が何度もあった。それでも、憎しみが続いている。こうなっては、もう終わることはないと思う。

 

「そうだね。本当は仲良くできれば良いんだけれど、きっと難しいよね。あ、そうだ。私が謝っても何もならないと思うけれど、あなたのことはシキさんにお願いしてみるね。難しいことは分からないけれど、国にとって役立ったとなれば、きっと評価も変わると思う。それで許してなんて言わないけれど、私にはそれくらいしかできないから。私が何かするってわけじゃないけれどね」

 

「……それで、十分。私のような想いをする子は、いなくなるから」

 

 そもそもの私の願いは、ただそれだけ。一時は忘れかけていたけれど、それが一番大切だったこと。惨めな思いするのは私だけでたくさん、ただ、それだけ。

 

「……そっか。うん、不思議だなぁ」

 

 唐突な言葉。私の疑問に、テファは笑う。

 

「なんていうか、私も変わったなって。少し前なら、私はあなたに謝ることしかできなかった。もしかしたら、あなたに殺されても仕方ないって思ったかも」

 

 いきなりの言葉に、私がずっと隠し持っていた望みに息を飲む。でも、テファは続ける。

 

「でも、私には大切なものができた。それを捨てるなんてことはできないから」

 

 テファが両手を広げる。ここにいる子供たちを抱きしめるように。小さな手だけれど、精一杯慈しむように。そして、懐かしそうに小さな指輪を撫でる。

 

「それは……」

 

 テファの指にある二つの指輪。片方は見覚えがある。

 

「あ、これ? お母さんが残してくれたものなの。残っているのは、これと服が一枚だけかな。思い出も薄れているから、これも宝物かなぁ」

 

「それは、私達の家で代々受け継がれていた指輪のはず」

 

「そうなんだ。じゃあ、お母さんが最後に持ち出したのかな。じゃあ、返した方がいいかな?」

 

 寂しそうなテファに、私は首を振る。

 

「それは大切なもののはずだけれど、無くなったという話は聞いたことがないから。きっと、最後の手向けとして渡されたもの──だと思う」

 

「そっか。ありがとう。お母さんも、だから希望を無くさなかったんだね、きっと」

 

「私には、分からない」

 

 そう、私には分からない。エルフの国を追放され、一人で人間の世界に。どんな道を辿ったのか分からない。どんなきっかけがあれば人間との子供を持ったのか。そもそも、テファは望んだ子だったのか。

 

 でも、テファにとってはそれで充分だったみたい。嬉しそうに何度も頷く。

 

「あ、それと、もう一つだけ……。本当は、これが一番大切なことなんだけれど」

 

 なぜか、全身に鳥肌がたった。テファは笑っている。それなのに、見つめられるだけで体が震えるような。

 

「子供たちは、私にとって、とても、とても大切だから。何かあったら、絶対に許さないから。それだけは覚えておいてね。私、自分でも何をするか分からないかも」

 

「あ、あうぅぅ……」

 

 テファは、笑っている。でも、目が、その目がぞっとするほど冷たい。

 

 言外に殺すと言われたのは、気のせいじゃない。誰かを殺したことがなければ、こんな目はできない。軍でも、ほとんど見たことがない。口だけの私と、本当の古参の兵との違い。

 

──この子も、怖いよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ようやく解放、してくれないの?

 

 後ろからずっとついてきていたウリエルと名乗った男性。テファから逃げた後も、まだいた。

 

 ニコニコと笑っているけれど、だからこそ余計に怖い。何か言ってよ、何でもします。だから、もう虐めないで。

 

「──おや」

 

 ウリエルの言葉に、反射的に頭を庇う。そうしたら、もう一つの声。

 

「──やっぱりあんたは性格が悪いね。そんな臆病なのを虐めてさ」

 

 聞こえてきた意地悪そうな声は、イザベラ。

 

「虐めるとは、これまた人聞きが悪い」

 

 心外とばかりのウリエル。イザベラ、やめて。これ以上、私、無理。

 

「あんたもまあ、えげつないよね。私が来た時にもしっかり脅しをかけてきたから、絶対にこうなっていると思ったよ。──ほら、ファーティマ、こっちにおいで」

 

 イザベラ、大好き。

 

「……抱きつくな、鬱陶しい。いや、まあ、いいけれどさ。だから、泣くな。……あー、まあ、なんだ。ウリエル、あんたもここまでする必要はないだろう。こんな小娘が、あんたらの大切な娘らに何かできるわけがないじゃないか」

 

 イザベラ、頼もしい。

 

「もちろん、分かっていますよ。ですが、何かあってからでは遅いでしょう? それに、私達も人の謀というものには一目置くべきだと分かっていますからね。どうしても用心をしないわけにはいかないんですよ。不幸な事故があれば、それこそお互いにとって良くない結果にしかなりません」

 

「何とも、用心深いことで。しかしね、私達だってそれぐらいは分かっている。連れてきたからには、責任だってあるさ。だからさ、これぐらいで勘弁してやってくれないかい? きちんと監督するからさ。それで何かあれば私も──見苦しい真似はしないさ」

 

「……確かに、私も少しばかり大人気なかったですね」

 

「いやぁ、そこは大いに大人気なかったと思うよ?」

 

 イザベラ、やめて。

 

 やめてやめてやめてやめて──二人で怖い笑い方、しないで。

 

 口を開いたのはウリエル。

 

「──まあ、いいでしょう。ファーティマさん。……そんなに怯えなくても良いですよ。あなたが何もしなければ、ね」

 

「ひうっ……」

 

「だからそう、脅してやるなよ。……ファーティマ、苦しいからそれ以上縋り付くな、鬱陶しい。……あー、これやるから。ちょっと下がってろ」

 

 震える私に、イザベラが無理やりにハンカチを押し付ける。レースの小さな花がそこここに、結構可愛らしい。でも、頭を撫でたりの子供扱いはちょっと恥ずかしい。私、イザベラより年上だし。

 

「……で、ウリエル」

 

「何でしょう?」

 

「私としては、いたいけな少女に少しばかりやりすぎじゃないかと思うわけだ。右も左も分からない、人の世界に来て早々この扱い。あまり大きな声じゃあ言えないけれど、来る前にもたちの悪い狼共に虐められててね。この子犬ちゃんは色々と参っちゃっているわけだよ」

 

「ええ、知っていますよ」

 

「……知っててこの容赦の無さは恐れ入るね。いや、本当に。まあ、いいや。言っても仕方が無いね。私が言いたいのはね、少しぐらい真っ当なやり方で歓迎してやってもいいんじゃないかと思うんだよ。例えばそうだね、質問の一つや二つ聞いてやるとかね。それぐらいなら構わないだろう?」

 

「答えられる範囲でしたら、いつでも構いませんよ?」

 

「いやいや、ただより高いものはないって言うだろう? 理由もなく与えられるというのは余計な枷になる。それに、理由があればそれが担保になる。形はどうあれ、対等な取引からであれば、あんたが嘘を付くことはない。あんたにはそういうプライドがあるだろう?」

 

「結局のところは、あなたがそう思っているというだけでしょう?」

 

「いいんだよ、それで。最後は自分が信じられるかって話だ」

 

 自信たっぷりのイザベラ。

 

 どうしてそんな風に言えるんだろう。人間なんて、エルフよりも貧弱なはずなのに、どうしてそんなに堂々と。王族と言ったって、今は一人。自分一人で向かい合っているのに。

 

「──ということですが、どうしますか? ファーティマさん」

 

 何を言われたのか、分からなかった。

 

「良かったじゃないか。せっかくだ、よーく考えなよ。チャンスは大切にするものだ」

 

 イザベラに言われて、ようやく私に投げかけられたものだと理解した。

 

「……私が、聞きたいこと?」

 

 イザベラに肩を叩かれ、背中を押された。

 

 ウリエルは笑っている。これまでとは違って、ただ、面白そうに。

 

 聞きたいこと……何だろう?

 

 エルフにとって有益なこと? ううん、もう十分だよね。国の守りに力を借りて、テファからの言質も──たぶん──もらったし。もらったよね?

 

 ……だったら、イザベラの為に。今だってイザベラに助けてもらった。イザベラが聞きたいことって何だろう。

 

 イザベラは王女なのにわざわざ別の国に留学してきた。目的は、私達と同じ。私達が言うところの混沌王のこと知り、可能ならば関係を結ぶため。少しだけ勇気を出す。今は、イザベラがいる。

 

「──だったら、教えてください」

 

「何なりと」

 

「あなた達の目的は何? 何をしたいの? その気になれば、何だってできるんでしょう?」

 

「少しばかり抽象的ですね。できれば具体的なものの方が良かったのですが……」

 

 ウリエルは困ったようにこめかみに指を当てる。

 

「──まあ、いいでしょう。目的が何かと言われれば、特に無い。したいことも特には無い。ただ、平穏を望むといったところでしょうか」

 

 そこで一呼吸、ウリエルはイザベラに意味ありげに見る。イザベラはただ涼しげ。

 

「もう少しだけ付け加えるなら、私達は主の望みに従う。そして、主はここでの生活を楽しんでいる。平穏な生活、大切な人の幸せを望む。大切なものの為には、文字通り全力を尽くしましょう。そんな、ごく普通のことですよ。さて、こんなところでどうですか? サービスとしては十分だと思いますが」

 

 言葉は、イザベラに。

 

「さて、ね。ファーティマが良いんなら、良いんじゃないかい?」

 

 イザベラは、ただただ涼しげ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、ありがとう」

 

 ようやく、本当に解放された帰り道、私はイザベラにお礼を言った。

 

「気にするな。私が好きでやったことなんだからさ」

 

 イザベラは何でもないことだと歩いていく。私はただ、置いていかれないようについて行く。

 

「それでも、あなたが来てくれなかったらどうなっていたか……」

 

 本当に、それを思うだけで体が震える。

 

「そんなにビクビクしなくても大丈夫だよ。一線を越えなきゃ、どうこうされるってことはない。ただまぁ、さっきみたいにネチネチ虐められるかもしれないけれどね」

 

「十分、怖いよ……」

 

「そんなんじゃあ、この先やっていけないよ? とっとと慣れないとね。あいつは、少なくともあいつは性格が悪いからね」

 

「イザベラは、平気だったの?」

 

「ん? ああ、私がここに来た時か。そりゃあ、私だって怖かったさ。でもね、命をかける覚悟で来たんだ。逃げるわけにはいかないよ」

 

 イザベラは何でもないことのように言ってのける。でも、それがどんなにすごいことか。

 

「強い、ね。そっか、私とは違うんだ。イザベラは一人でもウリエルに……」

 

 あれ? イザベラ、こうなるって分かってたんだよね?

 

 自然に足が止まる。そしてイザベラも。

 

 くるりと振り返ったイザベラは、やっぱり意地悪そうに笑っている。

 

「あんたが素直な良い子で良かったよ。ただ、悪い男には気をつけなね。あんたはころっと騙されて貢がされるとか、普通にありそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

……あうぅ。人間、怖いよ。

 

 

 

 



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第37話 I want to protect my dear

 つい最近、起承転結で言えばまだ「承」じゃないかという感想があったけれど、おそらくこれで、「転」には入ったはず。もしかしたら話の結末がどうなるのか予想がつく人が出てくるかもしれないけれど、せっかく話を作るからには良い意味で裏切って行きたいところ。

 加えて、せっかくクロス小説として作ったからには、両者の世界観をうまく取り入れた形。ゼロの使い魔は永遠に未完という形にはなったけれど、自分なりに考える結末を反映させた形で。ペルソナではなく真女神転生を選んだからにはもちろんそちらも。







 

 握りしめた手に伝わる、ゴツゴツとした感触。

 

 削りっぱなしの木刀も、随分と手に馴染んだ。 

 

 正眼に構える。

 

 踏み込み、振り下ろす。

 

 相手に見立てた巻藁。

 

 打ちすえ、そしてまた離れ、構える。

 

「──ちょうど100回、次に行こうか」

 

 デルフの声で、長く息を吐く。

 

 息切れはしなくなったから、体力がついたことは実感できる。地面に刺したデルフに振り返る。

 

「なあ、デルフ。確かに体力はついたと思う。ただ、これで本当に強くなれるのかな?」

 

 剣の鍔の部分がカタカタと揺れる。

 

 デルフにとっては口になるのか、笑われているようだ。お互いに相棒と思っているとはいえ、文字通り剣の表情が読めるようになったというのは、少しだけ不思議な気持ちだ。

 

「相棒も言うようになったなぁ。俺っちとしても嬉しいもんだ。弟子の成長を喜ぶってのはこんな気持ちかねぇ」

 

「茶化すのはいいから。で、どうなんだよ?」

 

 本人、いや、本剣曰く自分よりもはるかに長く生きているとはいえ、剣に子供扱いされるというのはやっぱり面白くはない。

 

「そりゃ、相棒。それだけで強くなれるんなら苦労はしないに決まってる」

 

「……そこは嘘をついてでもやる気を出させてくれよ」

 

「お、相棒も言うねぇ。もちろん意味はあるとも。さっき相棒が言ったように、体力がついたろ。いざやろうって時にまともに動けないんじゃ、話しになんね。それに、振るための筋肉もつく。腕だって一回りは太くなったじゃねえか」

 

「そりゃ、ごもっとも」

 

 自分の体のことは、自分自身で実感している。でも、どうしても時間が惜しい。誰かを守れるだけの強さが、早く欲しい。

 

「──それに」

 

 デルフが言う。今度は少しだけ真面目に。

 

「こりゃまあ、一朝一夕にはいかないけれどよ。何度も繰り返した動きは体に染み込む。奇を衒うより、そういう基本ってのがいざって時に一番頼りになる。考えるよりも先に体が動くといえば良いかね? 相棒もそのうち分かるだろうよ」

 

「……そういうもの、なのかな」

 

「おうよ。たまにくる、コルベールのおっさんだって言ってたじゃねえか。基本がなけりゃ、下手な小細工にも手玉に取られるし、策も弄しようがないってよ。あのおっさん、ああ見えて分かっているやつだ。──まあ、無理に今分からなきゃいけないってもんでもない。何年かすりゃ、分かる時がくるってもんよ。相棒はわけえんだ、急ぎすぎても良いことなんてねえ。地道に見えるものの方が、案外最短距離だったりするもんよ。年長者の言うことが全てじゃあねえが、自分で何かを掴むまでは素直に従っておきな。分を弁えずに怪我をするってのは、面白くねえだろ?」

 

「分かって、る」

 

「おう、相棒は素直で好きだ。さ、次に行こうか。せっかく体があったまってるんだからよ」

 

 もう一度木刀を正面に構え、振り下ろす。

 

 鈍い手応え、そして、ばきりと折れた。

 

「──あ」

 

 折れたものはクルクルと空を舞い、飛んでいく。やけにゆっくりと弧を描いて、そして、茂みに落ちる。

 

 手に残ったのは、短くなった柄だけ。

 

「まあ、生木を削っただけのもんだからな。しょうがねえよ。大事にしていても、いつかは壊れるもんだ」

 

 そう言うデルフは、少しだけ寂しそう。

 

「取ってくる。あいつも、壊れても、大切な相棒だから」

 

 それだけ言って、走る。

 

「……だから、相棒は好きだぜ」

 

 耳に届いた声が、少しだけくすぐったい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうしよう」

 

 折れたものはすぐに見つけた。けれど、同時に別のものも。

 

 目の前には、自分より2つ、3つは幼い女の子。たぶん、10歳かそこら。短い茶色の髪の、どこか小動物を思わせるような子。もとは白かったんだろうけれど、汚れた、布に穴をあけただけのような服。怯えるように自分を見ているけれど、気になるのはもう一つ。彼女の背中にある、大きな翼。

 

「──翼人」

 

 初めて見るけれど、間違えようがない。

 

 彼女は震えながらも、俺から目を離さない。怖いなら逃げればいいのに、その様子もない。

 

「……あ」

 

 ようやく分かった。

 

 奥に、具合が悪そうに木にもたれかかった女の人。たぶん、母親。

 

 たた、翼が赤黒く染まって、具合が悪そう。血は固まっている。けれど、怪我が熱を持っているのか、酷い汗で呼吸も荒い。

 

「えっと、言葉、通じるかな?」

 

 少女からは返事がない。

 

「……参ったな。そうだ、ちょっと待ってて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デルフを掴んで戻ると、女の子は一層怯える。それでも、母親を庇うように手を広げて守るように。

 

「……相棒。状況は分かったけれど、やり方がまずいな。ほら、いきなり剣なんて持ってきたら、そりゃあ、怯えるに決まっているじゃねえか」

 

「いや、それは……確かに。言葉、デルフならなんとかなるかと思って」

 

 どうすれば良いか分からないからって、やっぱり不味かった。デルフの言う通りだ。

 

「言葉は同じなんだが、ま、俺っちに任せない。相棒がどうしたいかは分かっているからよ。見捨てられないんだろう?」

 

「……当たり前だろ」

 

 翼人やら亜人のことを人間のできそこないだって悪く言う人はいる。けれど、俺はそんなことできない。それは、テファお姉ちゃんのことを否定すること。それに、テファお姉ちゃんなら、こうして怪我している人を見捨てることは絶対にない。

 

「それでこそ相棒だ。よっし、嬢ちゃん、俺っちが相棒の代わりに話させてもらうぜ。まずは自己紹介だな。俺っちはデルフリンガー。大いなる意思の力で生まれた、言ってしまえばお前さん方寄りだな。で、相棒は人が絶対だって面倒なやつじゃないから、お前さん方に危害を加えようなんてことはない。むしろ手助けしたいってわけだ。見たところ、随分長く旅してきたみたいじゃないか。……慣れない歩きでよ」

 

 デルフの言葉に見れば、確かに酷いありさま。靴の作りはどうにも簡単なもので、なんとか形を保っている程度。普段移動には飛んでいるというのなら、そうだと思う。そして、歩いていた理由は、たぶん母親のこと。

 

「なあ、悪いようにはしない。ちょっとばかり、その身を預けてみないか。そのままじゃ、どこにも行けないだろう」

 

 翼人の少女は、母親と俺とを見て、ずっと、ずっと悩んでようやく頷いた。どこか諦めたようにも見えた。やつれて、もう限界だったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識のない母親を背負って学院に戻ると、師匠であるウリエルさんとウラルちゃんが待っていた。なぜ待っているんだとは思わない。きっと、知っているんだと思う。

 

 そして、話は自分がしなければいけない。デルフは、あとは任せたと黙ってしまったから。

 

 以前に色々とあって、ウリエルさんの前ではデルフがカタカタ震えてうるさいから丁度良い。

本人曰く、トラウマというそうだ。でも、先に口を開いたのはウリエルさんだった。

 

「怪我をしているようですし、話は後にしましょうか」

 

 ウリエルさんが近づくと少女が──道すがらサラサと名乗った子がおびえる。

 

 ウリエルさんが一つ考え、そして背中に真っ白な翼が現れた。

 

 ほとんど見ることはないけれど、ウリエルさんの背中には、本当は翼がある。ただ、普段は隠しているだけで。お姉ちゃんと同じで、面倒だから秘密だとは言われているけれど。

 

 そして、ウリエルさんが言う。

 

「こうすれば少しは安心してもらえるでしょう。さあ、傷だけでも治療しておきましょう」

 

 サラサは驚いた表情だったけれど、ウリエルさんの見るからに人を安心させる笑顔ですっかり気を許しているようだ。同じ姿というのも大きいかもしれないけれど、少しだけ羨ましい。

 

 ウリエルさんがサラサの母親に触れると、苦しげな表情が和らぐ。ウリエルさんは剣だけなく、すごい魔法も使える自慢の師匠。見ると怯える人もいるけれど、どうしてだかよく分からない。

 

 ……いやまあ、ことがあれば容赦がないというのは良く知っているけれど、それは必要だからこそ。この世の中は綺麗事だけでできてはいないんだから。

 

 本当にそうなら、テファお姉ちゃんは誰よりも幸せにならないといけない。だから、俺は……

 

「さて、これで大丈夫でしょう。ただ、心労と栄養不良はしっかり休養をとる必要があります。そうですね、まずは湯浴みと食事の用意をしましょう。ウラル、手配は任せましたよ」

 

 ウラルちゃんは頷き、梟の姿に戻ると飛び立つ。サラサはその様子を、大きな丸い目を更に大きく、ただ見ていた。

 

 初めて見せた年相応な表情は、素直に可愛いと思う。辛そうな表情をしているより、ずっと良い。そうさせてあげたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 サラサは、どこか心細そうに座っている。

 

 話を聞くからということで部屋を借りたけれど、今はサラサだけで、母親はいない。無理に無理を重ねてここまでは来れたけれど、ついに倒れた。傷は治せても、まだしばらくは眠ったまま。酷く軽かったから食事を取らないといけないと思うけれど、それもしばらくは無理そう。

 

 でも、サラサは見違えた。

 

 体を拭いて、清潔な服に。羽を出せるように背中の部分を切り抜いたのは不恰好だけれど、汚れた服よりずっと良い。いきなり無理をしないようにとスープだけだけれど、温かい食事で頬に朱みがさした。

 

 本当はサラサも休ませてあげたい、母親と一緒にいさせてあげたい。でも、まずは事情を聞きたい、できれば力になりたい。サラサのことは、どうしても放っておけない。

 

 亜人との関係というのは、まだ子供の自分でも何と無く分かってきた。エルフであるお姉ちゃんと結局は同じ。人間に取っての敵、そして、邪魔者。強い魔法を使えるエルフは恐れるけれど、そうでなければ追い出そうとする。サラサのことも、もしかしたら。

 

 でも、だからこそ、見捨てるべきじゃないと思う。ウリエルさんに相談したら、まずは知識と経験をと、手伝ってくれると言ってくれた。今も一緒に話を聞いてくれている。

 

 これは、将来の目的の為にも必要なこと。俺はお姉ちゃんの力になりたい、なれるようになりたい。それは、亜人と、亜人だからこそ重要だと思う。どうすれば良いかを知りたいという打算。もちろん、助けたいというのは本当の気持ち。だから──

 

「サラサ。俺は君たちの力になりたいんだ。確かに、亜人だからと言う人は多いよ。サラサだって、危害を加えられたってことだってあるかもしれない。でも、俺は違う。亜人だからなんて言わない。そんなことを言う人は、許せない」

 

 信じてもらうことしかできない。だから、サラサの目をまっすぐに見つめる。

 

 先に目を逸らしたのはサラサだった。

 

「……村が、焼かれたの。人に」

 

 サラサちゃんが、ぽつりと呟く。ゆっくりゆっくり、噛みしめるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サラサが住んでいたのは、人里からは離れた、高い木のある森の中。

 

 地理には詳しくないけれど、たぶん、ガリアのどこかだと思う。そこで、ひっそりと暮らしていたという。人間と翼人、お互いに不干渉で暮らして来たけれど、それがいきなり終わった。

 

 近くまでやって来た人を追い払う。特にお金になるものがあるわけじゃないから、いつもならばそれでお仕舞い。その日もそれで終わったと安心していたら、夜に攻めてきた。夜目が効かないから反撃もできず、ただ逃げ出すだすことしかできなかった。

 

 何とか戻ったら、家にしていた場所は焼かれていた。そして逃げ遅れた仲間は捕まっていた。その中にはこれ見よがしに子供もいて、なんとか助けようとしたけれど、逆に数を減らすだけ。どうにもならなくて、諦めた。捕まった仲間は、どうなったか分からない。

 

 結局、どこか安全な場所へと移動することになった。でも、怪我をしていたサラサと母親は、はぐれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「……そっか」

 

 それだけ、ようやく口にできた。

 

 もしかしたらとは思っていた。けれど、実際に自分の耳で聞くと胸が苦しい。お姉ちゃんと同じ、違う、もっと悪い。

 

 俺たちは暮らしていた場所が危なくなって、安全な場所にということで、ここに皆で来た。お姉ちゃんは、助けてくれる人がいて、人の中に身を隠せたからここにいられる。でも、2人には……。

 

 ここは、特別な場所。シキお兄ちゃんがいるから、ここは安全で、だから特別な場所。

 

 でも、小さな場所。2人を匿うだけならできるかもしれないけれど、それだけじゃ足りない。

結局、隠れ住むだけ。本当は自由に暮らせるはずなのに、それができない。何とか、したい。

 

「──あなたは、悪くないよ」

 

 サラサちゃんが言った。ただ、無感情に。

 

 悲しい。

 

 俺に期待していない、そう思われることが、悲しい。頼って欲しい、自分だけで全部を抱え込まないで欲しい、何かやらせて欲しい。

 

 心から、思う。

 

 どうしてそう思うか分からない。でも、止まらない。

 

「……どうして、あなたが泣いているの? あなたには、関係ないのに」

 

「違う! 違うんだよ、もっと、頼ってくれよ! 一人で何でもやろうとしないでくれよ!」

 

 思わず立ち上がる。

 

 手を振り回して、子供みたいだ。なんで、なんで俺はこんなに腹が立っている。

 

 ──分からない、分からない。

 

 肩に乗せられる手。

 

「少し、落ち着きなさい。彼女も、驚いているでしょう」

 

「……あ」

 

 サラサが、怯えたように俺を見ている。

 

「……ごめん。でも、もっと頼って欲しいんだ。何ができるかなんて、分からないんだけれど」

 

 そうだ、俺が悪いんだ。

 

 まだ子供で。今だって癇癪を起こすだけの子供で。だから、だから……

 

「ルシード。あなたも、一人で何でもできなくて良いのですよ? もっと、大人を頼って良い。まずはできることから、一つ一つやっていけば良い」

 

「……はい」

 

 俺は、まだ何もできない。

 

「……あの、ルシー、ド」

 

 サラサが俺を見ている。

 

「……あなたの気持ち、私は、嬉しい」

 

 はにかんだように、笑った。

 

 ウリエルさんが言う。

 

「ルシード。あなたの気持ちは尊いものです。私は、それこそが素晴らしいものだと思います。その気持ちこそ、忘れてはいけない。それに、これは少しばかり荷が重い。まあ、まずは私のような大人に任せておきなさい。身の安全は私の名にかけて保証しましょう。ですが、何とかするには少し時間がかかる。それまで、あなたが2人を守って欲しい。ここでの生活は、何をするにも分からないことばかりでしょうから」

 

「分かり、ました」

 

 できることから、一つ一つ。ほんの少しでもできることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の外で待っていたのは、ウラルちゃんと豚──じゃなくて、誰だっけ?

 

 癖のある金髪、それを真ん中から分けて垂らしたぽっちゃり体型。よくウラルちゃんに折檻されているのは見るんだけれど……

 

「やあ、ルシード君。こうして話すのは初めてだね。君の力になるようにと、ウラルちゃんに呼ばれたんだ」

 

 やけに友好的だけれど、名前が思い出せない。

 

「ウラルちゃんの頼みだからね、大船に乗ったつもりで居てくれて良いよ」

 

 差し出された手。

 

「えっと、その、よろしくお願いします?」

 

 握り返すと、ブンブンと振り回される。少し、汗ばんでいる。

 

「うんうん、ウラルちゃんに頼られるなんて嬉しいね。それに……」

 

 視線はサラサへ。

 

「君、可愛いね。それに良いおっぱ……」

 

 破裂音と、風。そして、太めの人がくずおれる。ウラルちゃんはその様子を冷たく見下ろしている。

 

「余計なことはしなくて良いです。それに、ルシードはあなたの名前を知らないでしょうから、まずは名乗るべきでしょう」

 

 太めの人がお腹を抑えて、けほっと咳き込む。でも、生きていた。

 

「さ、さすがだよ、ウラルちゃん。直接の風でなく、圧縮した空気の破裂。ふふ、内臓が飛び出るかと思ったよ」

 

 お腹を抑えながらも、なぜか嬉しそう。

 

 良く、分からない。サラサが背中に隠れようとする気持ちも分かる。太めの人は、こっちを見ないで欲しい。

 

「そういえば、皆で豚って呼ぶから知らないよね」

 

 朗らかに笑うけれど、相当のことだと思う。豪華な服で、貴族には違いがないわけだから。例え、中身が変態でも。

 

「じゃあ、改めて名乗ろうか。風上、改め、狂い風のマリコルヌ。最近なったばかりとはいえトライアングルだからね、それなりに頼りにしてくれて良いよ。なんなら、兄貴と呼んでくれてもいいとも」

 

「えっと、……遠慮します」

 

 なんとなく断ったけれど、それでも機嫌良く続ける。

 

「そうかい? まあ、それならそれでいいさ。で、だ。君は平民だからね。おっと、それが悪いわけじゃないよ。ただ、ここって貴族の学院だからね、色々と面倒事があるだろうからさ。その時は僕を頼ってくれていいよ。さっきも言ったけれど、トライアングルになって一目おかれるようになったからね」

 

「それは、どうも。でも、なんでそんなことを?」

 

 色々とやらかしてテファお姉ちゃんの手伝いをやっていたりはするけれど、こうして上機嫌な理由が分からない。

 

「いやあ、罪滅ぼしというかなんというか。正直に言うとね、報酬としてウラルちゃんにご褒美を貰えることになっているんだ。1日デート、むしろ感謝したいぐらいだね」

 

 本当に嬉しそうに、人として最低なことを言っている。

 

 大人にはなりたいけれど、こうはなりたくない。サラサにも、できるだけ近づかないように言わないといけない。

 

「でも、ウラルちゃんは良いの?」

 

 もしかしたら役に立つかもしれないけれど、それが一番の気がかり。

 

 ウラルちゃんはそっと目を閉じる。

 

「……私のことは、良いんです」

 

 でもウラルちゃん、この人のこと本当に嫌いだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 予定を変えて、最初は食事に来た。

 

 サラサのお腹が鳴って、それならと豚が張り切った。さっき食べたのはスープぐらいだったから、それで我慢ができなくなったみたい。

 

 食堂の外の席で、サラサは恥ずかしそうに小さくなっている。

 

「やあ、お待たせ」

 

 豚がトレイ一杯に載せた食事をテーブルに。色とりどりのサラダに、まだ香ばしい匂いをたてるパン、やけに手の込んだ料理がいくつかに、メインはサラサの希望に合わせた川魚。

 

 そして、ウラルちゃんがデザートを。ウラルちゃん、これで結構甘いものが好き。

 

 見れば、サラサの目は料理に釘付け。手を出そうとして、止まる。

 

 ああ、やっぱり遠慮しちゃうよね。自分だって、初めて豪華な食事を見た時はそうだった。

 

「好きなだけ食べて大丈夫だよ。せっかく持ってきてくれた料理だから」

 

 豚も言う。

 

「そうだとも。一杯食べてもっと大きくなれば、それは素晴らしいことだよ」

 

 何か違うけれど、それは言わない。

 

「食べて、いいの?」

 

 うなずくと、サラサはゆっくりと手を伸ばす。フォークの使い方が少しだけぎこちなかったけれど、切り分けられた魚を口に運び、ゆっくりゆっくり噛みしめる。

 

「美味しい?」

 

 サラサは頷いて、涙をこぼした。

 

「え!? た、食べられないものだった?」

 

「……違う、の。こんなに美味しいもの、初めて食べたから。村にいた時も、ほとんど火は使わなかったから。火を使った料理は特別な時だけで」

 

「そっか、そうだよね。木の上で暮らしているなら、難しいよね」

 

 ウラルちゃんが、デザートのお皿をサラサの前に押す。

 

「甘いものは美味しいですよ。初めて食べた時、私は感動しました」

 

「甘いもの?」

 

 思案げなサラサに、ウラルちゃんが力強く頷く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、重くない?」

 

 耳元にサラサの声。

 

「むしろ、軽いよ。やっぱり、そうじゃないと空なんて飛べないんだね」

 

 サラサは今、背中に。

 

 初めて甘いものを食べたサラサは、限界になるまで食べたみたい。歩くのも辛そうだったから、背負うことにした。豚が自分こそといったけれど、何と無く良くない気がしたから。

 

「……分からないけれど、そうかも」

 

「そっか。飛ぶのって気持ち良さそうだね。それより……」

 

「なに?」

 

「その、汗臭くないかな。君に会う前に運動していたから」

 

「ううん。それに、あなたの匂い……嫌いじゃない、かも。

 

 なんだか、くすぐったい気がする。

 

 そして、後ろから声。

 

「──ぬぅぅぅぅ、妬ましい。背中に、背中にぃぃぃ……。そうだ、ウラルちゃん──はい、ごめんなさい。調子に乗りました」

 

 もう、黙っててくれないかな、この人。

 

 確かに、サラサの胸は大きいのかもしれない。今も背中に当たっているのが分かるぐらいだから。

 

 テファお姉ちゃんとマチルダお姉ちゃんが普通だと思っていたけれど、実際はそうじゃないみたい。平均というのが分からないけれど、年にしては大きいんだと思う。お母さんの方は、テファお姉ちゃんと同じぐらいかもしれない。

 

 そういえば、ウラルちゃんも大きい。鳥っぽい人って胸が大きくなるものなのかな? あれかな、羽を使うとそうなるとか。エレオノールおば──お姉さんに教えてあげようかな。気にしているみたいだし。でも、胸が大きいと大変だって言うけれど。テファお姉ちゃんも、肩が疲れるってよく言っているし。

 

「あの、ルシード。やっぱり下りるね。もう、大丈夫だから」

 

「そっか。疲れたら言ってくれれば良いから。後ろのは、気にしなくても良いと思うから」

 

 離れた体温が、少しだけ名残おしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サラサを見たお姉ちゃんは、随分と驚いた顔をしていた。

 

 サラサのこと、そして、自分がどうしたいかを話すと、困ったような、泣きそうな、そんな不思議な表情になった。

 

「翼人、なんだね。そっか、ルシードは皆のお兄ちゃんだもんね。うん、ルシードなら大丈夫だね。その子を守ってあげて。でも、無理はしないでね。何かがあれば、私ができることなら何だってやるから。だから……」

 

 テファお姉ちゃんは何かを言おうとして、止める。そして、にっこりと笑う。

 

 視線はサラサへ。

 

「大切なものが無くなるのは、悲しい、ね。静かに暮らせれば、それで十分なのにね。いる場所が無くなるって、本当に悲しい。よく、分かるよ」

 

 お姉ちゃんはそっと、魔法のかかったイヤリングをはずす。自分にとっては見慣れた、尖ったエルフとしての耳。

 

 サラサの、息を飲む様子。

 

「エルフ、なの?」

 

 テファお姉ちゃんは困ったように笑う。

 

「うん、ハーフだけれどね。だから、あなたの気持ちは分かるよ。私も、色々とあったから。ルシードがあなたのことを助けたいのなら、私も同じ。私も、あなたの味方になるよ。どこかに行く場所はあるの?」

 

 サラサは悲しげに俯く。

 

「もしなければ、ここにいても大丈夫だよ」

 

 テファお姉ちゃんはサラサに微笑んで、そして、悲しそうに俺を見ている。

 

「ルシードは、この子を助けたいんだよね?」

 

「……うん」

 

「そっか。でも、無理はしないでね。私も、手伝うから」

 

「……うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学院の中で用が出てきそうな場所を、一緒に回る。

 

 亜人というのは、やっぱり色々と言われるし、何かされるかもしれない。だから、最初に見せておく必要がある。誰の関係者であるかを。

 

 シキお兄ちゃんを利用するようで気分は良くないけれど、必要だから。

 

 それと、意外なことに豚──マリコルヌさんが役に立った。学院のことを知っているのはやっぱり生徒だし、それに、この国のことはもちろん、貴族としての風習だって自分は理解しているわけじゃないから。だからこそ、本当に涙を飲んでウラルちゃんが……

 

 それはそれとして、もちろんお姉ちゃんが耳を隠すように、羽だけを隠すということもできる。

けれど、それは難しい。

 

 サラサは今だって難儀して歩いている。体つきそのものが華奢だけれど、足は尚更。それこそ、折れそうなぐらいに細い。少なくとも、母親が元気になるまでは学院にいることになる。その間、飛ばずに過ごすというのは難しい。

 

 今も、休み休み歩いている。また負ぶおうかとは言ったけれど、何のために歩いているかを話した後は、今度はサラサも首を横に振る。頼るばかりだと、それが辛いからと言われた。

 

 その気持ちは、何と無く分かる。だから、意識して休憩を入れる。

 

 他の建物とは少しだけ離れた場所にある、そして、少しだけ見窄らしい建物をノックする。

 

「──おや、ルシード君。……と、珍しい客人だね。まあ、何だ。中においで。散らかっているがね」

 

 顔を出したのは、頭髪が少しだけだけ寂しいけれど、メガネをかけた優しげな雰囲気の顔。もう一人の師匠であるコルベールさんの所。

 

 

 

 

 

 

 

 

 他の建物から離れた所にあるコルベールさんの研究室は変わっていて、人もあまり近付かない。理由は、前に爆発事故があったから。

 

 安全策を考えていたから最悪にはならなかったということだけれど、やっぱり近づきたくはないと思うのが自然だと思う。今だって、壊れた修理跡が残ったままだし。

 

 そして、当然中も変わっている。入ると色々な発明の試作品が積み上がるように並んでいる。

サラサも不思議そうにキョロキョロと見回している。自分が初めてここに来た時もそうだったなと、少しだけ懐かしい。

 

 と言っても、鉄の筒によく分からない管が束になってくっついたものだとか、使い道というのは未だによく分からないけれど。正直に言えばガラクタにしか見えないけれど、コルベールさんの人の役に立つものを作りたいという熱意を分かっているから言わない。

 

「──やあ、お待たせ。安物のお茶だけれどね。砂糖は好きに使ってくれて良いから」

 

 ウラルちゃんがザラザラと砂糖を入れて、マリコルヌさんもそれに負けず、そして、サラサもそれにならう。随分と贅沢、というか、体にあんまり良くないんじゃないかなと心配になる。ふと、コルベールさんと目が合う。

 

「まあ、女の子は甘いものが好きだというからね」

 

「そう、ですね」

 

 一人女の子じゃないけれど、それは言わない。それより、コルベールさんも聞きたそうにしていることを話さないといけない。

 

「この子の名前はサラサ。母親と一緒にしばらくここで暮らすことになりました」

 

「そうか。この辺りに翼人の集落は無かったと思うが、どこから来たんだね?」

 

 コルベールさんがサラサに尋ねる。サラサは困ったように、俺とコルベールさんを見比べる。

 

「たぶん、ガリアの方だと思います。土地の呼び方は違うみたいですね」

 

「なるほど。確かに土地の名前は勝手に私達が呼んでいるだけだからね。むしろ、違って当然だ」

 

 俺はサラサに予じめ言っていたことを、もう一度伝える。

 

「コルベールさんは亜人だからとか言ったりする人じゃないからね。頼りなる人だよ」

 

「いや、そう言ってもらえるのは嬉しいが、しがない一教師なんだけれどね」

 

 コルベールさんは困ったように笑う。

 

「ああ、そうだ。もし話す機会があればと思っていたんだ」

 

 コルベールさんが何かを思い出したように口にする。発明家という人がそうなのか、唐突に言うことがある。疑問はそうなると止まらない。

 

「サラサ君で良かったかな? 君に是非聞きたいことがあるんだ」

 

「私に、分かることなら」

 

 サラサの警戒心も少しは薄れたみたい。

 

「そう難しいことじゃないさ。君らはどうやって飛んでいるのかね?」

 

 サラサが首をかしげ、コルベールさんが続ける。

 

「ああ、もちろん、背中の羽でというのは分かるんだ。ただ、それだけだと少し辛いんじゃないかと思っていてね」

 

 サラサが納得したようにうなずく。

 

「それは、大いなる意思が助けてくれるから」

 

「つまり、先住の魔法の力と合わせて飛ぶということかね」

 

 サラサは顔を顰める。不機嫌そうに、そして、どうしてか悲しそうに。

 

「あなた達は、大いなる意思のことを見ていない。大いなる意思は全ての物に宿っていて、皆、そのおかげで生きることができるのに。どうして、分かってくれないの。どうしてそんな、蔑んだ言い方をするの」

 

「あ、いや、そんなつもりはないんだが……。すまない。確かに、君たちがどう思うかを考えた言い方じゃないな」

 

「……ごめんなさい。あなたが、悪いわけじゃないのに」

 

 サラサは俯き、コルベールさんも困ったように目を泳がせる。

 

 先住の魔法。亜人が使う恐ろしい魔法だとした聞いたことがない。人の魔法よりも前からあって、だから先住と言うんだと勝手に納得していた。でも、それは人から見た一方的な言い方、なのかもしれない。

 

 沈黙、そして、不意に控えめなノックの音が聞こえた。

 

「──今日は来客が多いな。ちょっと失礼」

 

 コルベールさんが立ち上がり、積み上げた物を崩さないように入り口へと向かう。

 

 サラサに、何か言うべきなのかな。

 

「おや、テファ君じゃないか。ちょうど、ルシード君達が来ていた所だよ」

 

 振り返ると、テファお姉ちゃんが何かの包みを持っている。

 

「もしかしたら、こっちにお邪魔しているかなと思って、クッキーを。お腹も空いたかなって」

 

「わざわざありがとう。ちょうど良かった。甘党が多いようだけれど、見ての通り、そういう気の利いたものは置いていなくてね」

 

「ふふ。ルシードが良くお邪魔していますし、また持ってきますね。じゃあ、ルシードのこと、よろしくお願いします。……どうかしました?」

 

「あ、いや、その指輪が……」

 

 コルベールさんの視線は、テファお姉ちゃんの手、正確にはその指輪に。

 

「これですか? こっちがお母さんの形見で、こっちは少し前にもらった指輪なんです」

 

 テファお姉ちゃんが指輪を見せる。肌身離さず身につけている形見の指輪と、しばらく前からつけるようになった、透明な石の指輪。

 

「そう、か。あ、いや、そのもらったという指輪に見覚えがあったような気がしてね。しかし、気のせいだったようだ。変なことを言って済まないね」

 

 何でもないと言うけれど、視線はその指輪に。どう見ても動揺しているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──翼人と呼ばれる種族の親娘が、学院を訪れました。いずれ、他の亜人と呼ばれる種族も訪れるかもしれません。どうも、それぞれの国が動いているようですね。

 

 まず、翼人の親娘はガリアの方から来たようです。ガリアでは、表立っては評価されていないようですが、十分に「善政」と呼べる政治を行い、結果が出てきているようです。積極的な投資を行い、街道を整備し、富国強兵策を進め、そして、人の領域の拡張。今回の大元は、それでしょう。

 

 なかなか大したものです。3桁に届くかという実験的な試みを同時並行で行い、それぞれを取捨選択、改善、組み合わせるといったことを繰り返している。政治、軍備を問わずに。近く、完全な中央集権体制を築き上げるかもしれません。一人でそれをやっているのですから、称賛すべき天才。今代の王、間違いなく歴史に名を残すことになるでしょう。名声か、悪名となるかはまだわかりませんが。

 

 

 そして、ゲルマニアという国も、この世界では少々特異な方向に進んでいるようです。科学技術と呼べるものの積極的な開発。

 

 もともと技術発展の土台があったとはいえ、性急に発展が進んでいます。魔法があるということで進み辛かった発展を、むしろ危険視する側の支配層が積極的開発している。生産技術の開発まで含めた地に足がついたものです。

 

 この世界特有のものと融合することで、参考にしている科学技術とは違った発展するかもしれません。事実、魔石を使った動力などの萌芽があります。特異な動力源と参考にする材料、そして、それを忌避する思想を積極的に排除しているとあれば、大きく進むことでしょう。一部、この世界で特に進んだエルフからの協力まで得ようとしているようですしね。

 

 ロマリアという国は、こちらは未だによく分かりません。何かと小賢しい真似をしているようですが、かといった自ら積極的に動くというわけではなく。ただ、何かを探しているか、もしくは待っているのか……。探らせてはいますが、あまり芳しくはないですね。

 

 まあ、何にせよ、この状況は少々よろしくない。どうにも、急に過ぎます。バランスが崩れてきているので、後々のこと、例えばテファ嬢の将来を考えるとよろしくないでしょう。例えば、余計な手出しができないよう、力を削ぐなり──お互いに食い合わせるというのも良いかもしれませんね。

 

 

 ──そうかもしれないな。だが、もう少し様子を見たい。この世界は、この世界の人間が決めるべきことだ。その時は、それで良い。あるいは、テファがどう考えるか。ただ、気になるのは悪魔の門というものだ。

 

 

 

 ──確かに。あれは、この世界だけのものではない可能性が高い。何かしらの意図があるものです。それも、大物の。誰でしょうね、そんなもの好きは。

 

 

 ──さて、暇を持て余すと、碌なことをしないものだからな。

 

 

 

 



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第38話 Iven in mud, be a progressing

 37話のルシードを主人公にした話と対になる、テファを主人公にした話。大好きなお姉ちゃんの為に頑張る男の子と、だからこそ自分を犠牲にしてでもと頑張る女性。そういう健気な在り方というのは話として好みで、何とかして表現したいところ。

 それと、次の短編はできるだけ早めに。温泉の話か、カトレアを主役にした話とかでも……







 

 

 こうあって欲しい、そうであればどんなに幸せだろうと思う生活がある。たぶん、人によって全然違うもの。美味しいものを食べたり、好きな人と一緒にいたり。

 

 私は、贅沢な暮らしはいらない。

 

 半分はエルフの私にとっては、皆が仲良く、それこそ、人かそうでないか関係無く過ごせれば、それだけで十分。

 

 私のもとに戻ってきた、古びたオルゴール。

 

 人の記憶を奪う忘却の魔法をくれたように、今度は幸せな夢を見せてくれる魔法をくれた。

 

 夢の中で見たそれは、とても素晴らしいものだった。私は、涙を流すほど幸せだった。

 

 でも、だからこそ、夢から覚めた時の悲しさは──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシードを中心に、子供達は集まる。

 

 すっかり皆のお兄ちゃんになったルシード。いつも子供達の真ん中で、皆を引っ張っている。強くなる為、体も毎日鍛えている。雰囲気だって逞しくなって、どんどん男の人になっていく。

 

 ルシードが強くなりたいのは、きっと私を守る為。

 

 私は馬鹿だ。

 

 私が中途半端に記憶を消してしまったせいで、ルシードを縛ってしまった。ルシード自身も分からないまま、ずっともがいている。

 

 私は最低だ。

 

 そんなことをしておいて、ルシードの気持ちを嬉しいと思ってしまう。私の為に、私なんかの為に。

 

 

 

 サラサは──そんなルシードに懐いている。

 

 他の子にはなかなか近づけないのに、ルシードだけは別。今だって、後ろにくっついている。ルシードへの視線は、他の人に向けるものとは違う。

 

 きっと、私が一人ぼっちになった時に姉さんに向けていたものと同じ。私にはこの人しかいない、この人に見捨てられたら本当に一人になっちゃうって。子供だから、頭で理解しているわけじゃないのにそう思う。

 

 私は姉さんに、サラサはルシードに。

 

 本当は、私が向けていたものとは少しだけ違うものも入っているのかもしれない。昔ならきっと分からなかった。けれど、今の私には分かる。助けてくれる、頼りになる人に惹かれてしまうということも……

 

 

 

「──テファお姉ちゃん?」

 

 薄い紫色の髪、目の前にルシードがいた。鳶色の瞳が心配そうに私のことを覗き込んでいる。いつの間にか、私と身長もそう変わらないぐらいに大きくなった。

 

「あ、ごめんね。ちょっと考え事をしていたから。どうしたの?」

 

「何かっていうわけじゃないけれど……。なんとなく、テファお姉ちゃんが辛そうな顔だったから」

 

「心配、かけちゃったね。ごめんね、大丈夫だから」

 

 心配してくれるルシードに、私は謝ることしかできない。一緒にいるサラサも心配そうに私を見ている。

 

「本当に、ごめんね。そうだ、サラサちゃん、お母さんの調子はどう?」

 

 サラサが嬉しそうにはにかむ。

 

「ようやく、一人で食べられるようになったよ」

 

「そっか、じゃあ、またお見舞いに行っても良いかな?」

 

「うん、テファお姉ちゃんが来てくれたら、お母さんも喜ぶから」

 

 サラサはルシードと同じように、私のことをお姉ちゃんと呼んでくれる。私にとっても、妹のよう。まるで、昔の私を見ているみたいで。

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に入るなり、サラサはベッドに駆け寄った。そして、ベッドの女性からは申し訳なさそうに会釈された。

 

 ルシードの話だと痛々しい傷で真っ赤だったという背中の羽も、今では真っ白。すぐにでも飛びたてそう。サラサのお母さんのアリサさん、前に来た時よりもずっと顔色が良くて安心した。

 

 サラサと同じ鳶色の髪をかきあげ、後ろで丸くひとまとめに。髪と同じ色の瞳は優しげにサラサを見ている。お母さんって、きっとこんな人なんだろうな、こんな風になりたいなと思う女性。

 

「良かった、本当に元気そうで。これでサラサちゃんも安心できますね」

 

 私の言葉に、アリサさんがふわりと微笑む。

 

「お陰様で。あの時ルシード君に見つけてもらえなければ、もしルシード君でなければ……。本当に感謝しています」

 

 ルシードはどこか照れ臭そうに頬をかいている。そして、サラサはそんなルシードを愛おしげに見ている。

 

「ルシードは、頼りになる子ですから。もし、何か必要なものがあれば遠慮なく言って下さいね。どんな風に暮らしていたのか、私達には分からないので」

 

「ありがとうございます。でも、こうして体を休められる場所と、美味しい食事をいただけるだけで十分過ぎるぐらいです。むしろ、今まで食べていたものよりずっと美味しくて。食べたものが美味しかったって、毎回教えてくれるものね、サラサ?」

 

 サラサは恥ずかしげに頬を染めるけれど、素直に頷く。

 

「だって、美味しいから……」

 

 そんなサラサに、ルシードが少しだけ意地悪を言う。

 

「そういえば、サラサ。初めて甘いものを食べた時には食べ過ぎて動けなくなって……」

 

 サラサはさっき以上に真っ赤。

 

「ル、ルシードの意地悪!」

 

 いつもは引っ込み事案なサラサが、ルシードの口を塞ごうと飛び上がる。じゃれ合うような2人は本当に可愛らしい。サラサも、何だかんだで楽しそうなルシードも。

 

 ふと、アリサさんと目が合う。

 

 悲しげな表情は一瞬、いつもの優しげな微笑みを浮かべる。そして、アリサさんが二人にやんわりと注意する。

 

「元気そうね、二人とも。でも、遊ぶのならもっと広いところで遊んで来なさいな」

 

 サラサは素直に、今度はルシードが恥ずかしそうに返事をする。私もつい、笑ってしまう。

 

「ふふ、そうね。せっかく良い天気だもの、二人で遊んできたらいいわ。私は少し、アリサさんと話すことがあるから」

 

「そうなの?」

 

 ルシードはどこか訝しげ。

 

「うん、男の子の前だと、ちょっと話せないことかな」

 

 そう言うと、ルシードは黙ってサラサの手を引いて出て行った。顔が赤かったのは、気のせいじゃないかもしれない。

 

 慌ただしく扉が閉まり、ルシードとサラサが駆けていく。

 

 きっと、サラサは意味も分からず引っ張られて目を白黒させている。ルシードはやっぱり男の人になったんだなぁと思う。子供と大人の真ん中で大変だ。

 

「……二人とも、仲が良いですね」

 

 そんな余韻から、アリサさんの悲しげな声で引き戻される。

 

 アリサさんは続ける。

 

「サラサはもともと引っ込み思案だったのに、すっかりルシード君に懐いています」

「そうですね。年も近いし、惹かれることになったって仕方ないのかもしれません。ルシードは毎日頑張っていて、ずっと見てきた私にとっても頼りになるし、強くなりました」

 

「良く、分かります。本当、サラサがあんな表情を見せるのなんて、初めてですよ」

 

 寂しげに言って、それきり、言葉がなくなる。

 

 だから、私が本題を切り出す。親として、親代わりとしてとても酷いこと。仲の良い二人が知ったら嫌われて、恨まれても仕方がないこと。

 

「もし、もしも子供ができたら、人と翼人のハーフになりますね」

 

 アリサさんは、深く、深く嘆くように息を吐く。でも、私は言わなければいけない。アリサさんも分かっている。

 

「私は、エルフとのハーフです。辛いことも、沢山ありました。翼人は、もし、二人の子供が生まれたら、受け入れられるでしょうか?」

 

「……難しい、いいえ、不可能だと思います。元から難しかったのに、何人も仲間が死にました」

 

「そう、ですよね。やっぱり、そうですよね」

 

 分かってはいたこと。私も、アリサさんも分かっていること。

 

 アリサさんは言う。

 

「私、私達──動けるようになったらここを出て行くつもりです。かけがえがなくなってからだと、尚更に辛いですから」

 

「……そうですね。大切な人に会えなくなるのは、本当に辛いことです」

 

 沈黙と、深い嘆き。

 

 そうしてようやく、アリサさんが呟いた。

 

「私、酷い親、ですよね」

 

 誰にともなく、まるで、自分を責めるように。アリサさんはうつむき、震えていた。

 

 気持ちは、痛いほどに分かる。

 

 私もアリサさんと同じことを考えて、それでも悩んでいた。でも、ハーフに生まれることがどういうことか、私はよく分かっているから。どこにも居場所がない、それがどういうことか分かっているから。

 

「行く場所は、あるんですか?」

 

「……心当たりだけは。集落が襲われる前、聞いたことだけはあったんです。いくつも亜人の集落が襲われていて、まとまろうという話があるって。いざ目の当たりにするまでは誰も信じていなかったんですけれど」

 

「でも、同じ種族でもバラバラに暮らしていたはずですよね?」

 

「そうですね。エルフぐらいじゃないでしょうか、国としてまとめ上げているのは。皮肉ですよね。人のせいで、まとまれるかもしれないなんて」

 

「人に対する憎しみ、ですか……。でも、それは……」

 

「ええ、とても、悲しいことだと思います。集まったとしても、何ともならないかもしれません。それでも、私達にも居場所が必要なんです。それを、守らないといけないんです」

 

 アリサさんの表情は険しい。でも、迷いは見えない。

 

 迷っているのは、むしろ私の方。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古びた扉をノックする。

 

 建物の中は散らかっているのか、ガサガサと何かを掻き分けるような音が近付いてくる。開いた扉からは、何とも言えない薬品の匂い。

 

 そして、私にとってお父さんぐらいの年齢の、眼鏡の優しそうな顔。年齢にしては髪が薄いのかもしれないけれど、かえって愛嬌がある。ただ、今は不思議そうに首を傾げている。

 

「コルベールさん、忙しいところごめんなさい。今、大丈夫ですか?」

 

「ああ、それは構わないよ。テファ君ならいつでも歓迎だとも。ただ、今日はルシード君は来ていないんだが……」

 

「ええ、知っています。今日は、コルベールさんに聞いてみたいことがあって」

 

「うん? 私に答えられることであれば良いのだが……。まあ、外で話すのも何だ。遠慮なく入ってくれ。いつもながら散らかっているがね」

 

 困ったように笑うその様子は、どこか純粋な子供のよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 コルベールさんの前に、紅茶のカップを置いた。

 

「砂糖はいらないんですよね?」

 

「ああ、うん。いや、ありがとう」

 

 私が尋ねると、コルベールさんは困った顔、今度は本当に苦いものでも食べたような顔。

 

「お口に合えば良いんですれけれど」

 

 私もカップを置いて座る。ちょうど、コルベールさんと向かい合うように。

 

「私が淹れるよりずっと美味しいと思うよ。ただ、客人に淹れてもらうというのはなんともね。いや、まあ、せっかくなら美味しい方が良いに決まっているね。それで、私に聞きたいこととはなんだね?」

 

「ええ、虚無ってどんなものかご存知ですか?」

 

「うん? それはまあ、人並みには。誰でも──といえば語弊があるが、メイジを名乗る者であれば知らない者はいないだろうね。偉大なる祖先である始祖が用い、この世界をまとめあげた力。今では失われた、地、水、火、風とも違う、5つめの属性。それぞれの王家は始祖の血を引き、それこそが正統なる後継者である根拠となっている。ああ、こうやって説明しようとすると、具体的には言葉にできないな。どんなものか分からないのだから。しかし、それがどうかしたのかね? 聞くなら私より……」

 

 急に言い淀むコルベールさんに、私は続ける。

 

「シキさんに聞いた方が良い、ですか?」

 

「ああ、いや……。何と言えば良いか、彼なら、大抵のことを知っているんじゃないかと、ね」

 

「そうですね。そうします。困らせるようなことを言ってごめんなさい」

 

「困るわけじゃないが……。急にどうしたんだね?」

 

「ちょっと、気になることがあって。──この指輪のことを知っているコルベールさんなら、色々と知っているじゃないかなって」

 

 左手を持ち上げ、見せる。透明な石が輝く、貰い受けたあの指輪を。それを見たコルベールさんが気の毒になるぐらい狼狽した指輪を。

 

 今だって、驚き、そして、後悔する罪人のような表情。まるで、人を殺したあの日の私のような酷い表情。

 

 コルベールさんは目を伏せ、縋るように口にする。

 

「……聞いても、良いかね?」

 

「私に答えられることなら」

 

「君は、どこでその指輪を?」

 

「とある人から、譲り受けました。これは、私が持つべきものだって」

 

 ああ、とコルベールさんは吐息を漏らす。深く、深く、まるで嘆くように。

 

「そう、か……。運命なんて言葉、口にはしたくないが。これを運命と呼ばずに、何をか」

 

 コルベールさんは、運命と何度も繰り返し呟く。

 

 そして、不意に立ち上がると、奥の机へと向かった。背中で隠れて見えないけれど、しばらく迷ったように机の前で立ちすくみ、そうしてようやく戻ってきた。

 

 手には小箱。

 

 コトリと私の前に置き、開いた。中には、飾り気のない、赤い石の指輪。ちょうど、私が持っているものと色が違うだけ。

 

「始祖の、火のルビーですね。私の風のルビーとそっくり」

 

「……そうか。君は、これが何かも知っているんだね?」

 

「指輪と、一緒に受け取ったオルゴールが教えてくれたんです。これは始祖が分けた魂の欠片だって。ぼんやりとしか教えてくれないんですけれどね」

 

「……そうか。ならば君も、虚無の担い手ということか」

 

「ええ、そうみたいです。実感は、ないですけれど。虚無の後継者、もう一人はルイズさんですよね? ──あ、大丈夫です。私が勝手にそう思っているだけなので。コルベールさんを困らせたいわけじゃないから、自分で話します」

 

「運命、そんな言葉は好きではないのだが、そうとしか思えない。私が託されたこの指輪、君が持っていて欲しい。私は、君に託すべきなんだろう。ただ、一つだけお願いがある」

 

「私にできることなら」

 

「大したことではないんだ。ただ、少しだけ話を聞いて欲しい。君には関係のない、詰まらないもので申し訳ないが、昔話を聞いて欲しい。とある愚かな男の話だ。本当に愚かな男だよ」

 

 コルベールさんは戸惑い、言い淀み、ようやく、ポツポツと語り始める。

 

 ダングルテールという、少しだけ他とは毛色の違う地方。

 

 かつてアルビオンからトリステインに移住してきた人々が開いたという、海に面した小さな村が集まるだけの辺鄙な場所。少しばかり独立独歩の気風はあったが、良くも悪くも上手くやっていた。世俗に染まったブリミル教を正しい姿に戻すべしという実践教義運動、少々過激なそれを取り入れても、弾圧をうまくかわしてすらいた。

 

 しかし、20年ほど前にあっけなく終わった。地図から消えるという最悪の形で。

 

 ロマリアの宗教庁が新教徒として厳しく弾圧する人物を匿い、それが為に滅びた、正確には滅ぼされた。とある愚かな男が国の命令に従い、伝染病の撲滅の為にと全てを焼いた。

 

 愚かな男が真実を知ったのは全てが終わった後。真実は単なる新教徒の弾圧であり、そして、その協力から得られる賄賂の為であったと。

 

 愚か者は悔いるが、灰になったものは、もう戻らない。そして、恥知らずにも教師などということをしている。せめてもの罪滅ぼしをと足掻いてはいるが、結局何も成せずに20年が過ぎた。

 

 ──血を吐くような言葉。

 

 語り終えたコルベールさんは、一気に老け込んだように見えた。それだけの思いを込めて告白した。

 

 私は、応えるべき。

 

 だから、人前では決して取らなかったイヤリングをはずす。コルベールさんの目に映っただろう尖った耳と、そして驚いた表情。でも、卑怯なことはしたくないから。

 

「──私も昔話を。ううん、ほんの最近の話しですね。とあるエルフの、人とエルフの間に生まれた者の話」

 

 私は、語る。

 

 とあるハーフエルフが家族を亡くして、どうやって生きてきて、人を殺して、そして、何を考えているのか。ちっぽけな小娘が、どれだけ大層なことを考えているのか。

 

 随分と長く語ったような、それとも、ほんの一瞬だったような。

 

 そして、目の前の男の人は、話が終わっても、ただじっと私を見ていた。哀れむように、そして、どうしてか眩しいものを見るように。

 

「──君は、本気なのか?」

 

「もちろん、そうですよ。冗談でこんなことは言いませんし、エルフであることを明かしたりなんかしません」

 

「すまない、変なことを言ってしまって。そうか、君が聞きたかったことというのは……。確かに、君にはその資格がある。君にしか、できないことだ。やはり私は、君にその指輪を託す為にここにいたのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は、姉さんとシキさんを呼び出した。とても大切な話があるから、どうしても話したいことがあるから、と。

 

 姉さんは、どこか落ち着かない様子。いつもな気丈で頼れる姉さんが、まるで怯えるよう。

 

 私は不出来な妹だ。

 

 せっかく姉さんが守ってくれてきたのに、血のつながりなんてない、むしろ敵のような私を守ってくれた姉さんの想いを台無しにする。それが分かっていながら諦められないなんて、本当の恩知らず。

罵倒されても、ぶたれても仕方ない。

 

 シキさんは、姉さんとは逆。きっと、私が何を言っても動じないで受け入れてくれる。

 

 たぶんだけれど、私が何を考えているのか知っている。お願いすれば、きっと助けてくれる。私がやりたいこと、それにはシキさんの助けがなければ実現できない。私には何を返せるものがない。でも、縋るしかない。

 

「──私、声を聞いたんです。私が虚無を継ぐものだって。そして、虚無を継ぐことの意味と、私が本当にやりたいことが分かったんです」

 

 姉さんは、ただ嘆き、私を止めようとする。

 

 でも、シキさんが押しとどめる。姉さんらしくない言葉も、シキさんはただ受け止める。

 

 私は、姉さんが止めたかった言葉を口にする、口にしてしまう。

 

「──私は、国が欲しい。亜人だからって差別されない国を作りたいんです」

 

 

 

 

 

 

 



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第39話 Golden Sun and Silver Moon

 今回の話は、基本的に会話のみで構成。地味にはなったけれど、ルイズとテファがこれからどうしていくかという意味でこの辺りは欠かせないかなと思うところ。ただ、最初はコメディタッチにしたかったのが、結局シリアス風にもなったのはなんとも……。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の名は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。はたから見れば仰々しいだろう私のフルネームはともかく、ヴァリエールの名を知らぬものは、少なくともここ、トリステインにはいない。

 ヴァリエール家は、トリステインの中では名家中の名家。客観的な事実として、王家を除けば貴族の頂点であると言っても良い。当然、私はそれに見合う生活をしてきた。二つとないだろう珍品だって数限りなく見てきたから、驚きには耐性があるつもり。

 

 でも、それを聞いた時は人生の中でも──いや、ここ最近は驚くことは多かったけれど、少なくとも、片手には入るぐらいには驚いた。両手かもしれないけれど、数の問題じゃない。とにかく、それだけ驚くべきことだったということだ。

 

 私の部屋に、珍しくテファと一緒にやってきたシキの言葉。

 

「実は、テファも虚無の担い手というものだったらしい」

 

 思わず、一緒にいたテファを凝視する。でも、テファはのんびりといつも通り。

 

「うん、本当。この指輪もお揃いだね」

 

 左手を掲げ、嬉しそうにテファが言う。

 

 確かに、その手の指輪は私が姫様から預かった水のルビーにそっくり。違うのはそこにある石、何より、二つあるということ。透明な石と赤い石の指輪、それらがテファの指で輝いている。

 

 あれ? ということは……

 

 トリステインの虚無が私で、ロマリアの教皇、ガリアのジョセフ王、そして残るアルビオンがテファで──虚無の担い手が揃ったということ? つまり……

 

 いやいやいや、テファはエルフでしょう?

 

 虚無と敵対するエルフが担い手なんてことがありえるの? そもそも、虚無の担い手は始祖の血がひいていることが必須条件のはず。

 

 ああそうか、テファはハーフなんだっけ。だったら、テファの父親は……

 

「ねえ、テファ。一つ確認させて。テファの父親って口に出せない人?」

 

 変わらずのんびりとした様子のテファ。

 

「もう地位はなくなったから大丈夫だよ。王様の弟で、モード大公って呼ばれていたのかな? あんまり、会えなかったけれどね……。でも、優しい人だったよ」

 

 寂しそうではあっても、そういう問題じゃない。

 

「そんなさらっと言うことじゃないでしょう……。モード大公様といえば、亡くなられた時にも色々と噂があった……。あなた、本当に分かっているの? 事によっては第二のレコンキスタ騒ぎが起こりかねない話よ?」

 

 不倶戴天の敵と言われるエルフと──それは王権の根幹にだって影響しかねない一大事。

 

「え、え? 分かっているつもりなんだけれど、おかしなこと言っているのかな?」

 

 うろたえたテファは、隣のシキに問いかける。ただ、そのシキも困ったように眉根を寄せるだけ。

 

「テファのことは、時が来るまでは信用できる人間にしか話さないつもりだ。ただ、隠すにしても、……まあ、何だ。テファ自身が世間慣れしていないからな。ルイズから話して色々と教えてやって欲しい。同じ立場というのなら、互いに思うところはあるだろうから」

 

「そういうことは、まあ、理解できるけれど……。私も、同じ立場で考えられる人がいるって嬉しいし」

 

 隠れ住んでいたテファが色々と疎いということは、男性に対しての反応だとか、これまでも実感してきている。私と同じ立場の人と話したかったというのも本当。

 

 でも、それはそれ。いくらなんでも、急に過ぎる。

 

「──助かる。これからの事はおいおい話していくが、まずは頼む」

 

 そう言って踵を返そうとする。まるで、後のことは私に任せたとばかりに。

 

「ねえ、シキも一緒にってことじゃないの? あと、服が破れたりしているけれど、何で?」

 

 そう、力一杯引っ張られたように服はよれ、よくよく見れば袖なんて取れそうという有様だ。

 

「……そういうこともある。とにかく、あとは任せた」

 

 それだけ言って、それこそ逃げるように去っていく。比喩でもなんでもなく風が流れるような動きで部屋を出て行き、扉が閉まる音で我に返るという有様。

 

 私としては、何ともやるせない。

 

 伸ばしかけて何も掴めなかった右手が、落ちる。前にもこんなことがあったような気がしないでもない。

 

「あの……」

 

 おずおずとテファが言う。

 

「えっとね、私のせいなの……。それで今、ちょっと、大変なの」

 

「じゃあ、ミス・ロングビルが?」

 

「……うん」

 

 テファは、コクリと本当に申し訳なさそうに頷く。

 

「経緯は分からないけれど、修羅場?」

 

「……そんな感じ」

 

 悲しそうに目を伏せる。

 

「テファに手を出そうとしたとか?」

 

「……ん? どういうこと?」

 

 本当に分からないと首を傾げる。

 

「──いえ、ただ言ってみただけだけよ」

 

 思うに、虚無の担い手であることを明かすのに、姉代わりとしては大反対ということだろうか。そして、テファとしては珍しく、姉に譲らなかった、と。

 

「まあ、いいわ。いつものことだし。取り敢えず、話せることだけで良いからあなたのことを教えてくれる? 人に言いふらしたりなんかは絶対にしないから。これは誓ってもいいわ」

 

「あんまり、面白い話じゃないけれど、それでも良い?」

 

「もちろん。──それと、改めてよろしくね。虚無の担い手ということもそうだけれど、私達、遠い所では血も繋がっているということよね」

 

「うん、よろしくね」

 

 テファはとても嬉しそうに笑った。それこそ、宝物を見つけた子供のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テファの話は、ある一つを除けば良くあること。テファの父であるモード大公がとある女性を見初め、ひっそりと囲った上で子供をもうけた。そうして生まれたのがテファ。

 

 どこにでもあることだし、感情は別として、場合によっては必要とされること。世継ぎが多すぎれば諍いの種でも、世継ぎがないということは、それは家が断絶するという、それ以前の話になってしまう。

 

 問題は、そのとある女性というのがエルフだったということ。テファを見れば分かるように、とても美しい女性だったんだろう。非の打ち所のない、それこそ芸術品とも言える美しさと、そこに同居した柔らかな可愛らしさ。テファの母親なら、そんな人だったと断言できる。そして、大公は心から愛してしまった。人の天敵とも言うべきエルフと結び、子をなした。

 

 せめて他の亜人であれば誤魔化しようはあったかもしれない。でも、よりにもよってエルフ。事が公になれば、国の存立基盤そのものが揺るぎかねない一大事。それなのに、大公は捨てられなかった。その結果が、モード大公とその周りの多くの人を死に追いやったということだろう。誰が間違っていたとは、言わない。

 

 そして、ミス。ロングビル。

 

 詳しくはテファも語らないけれど、本当の名はマチルダ。大公の重臣中の重臣の娘だったということは、かなりの名家。文字通り、身を捨ててテファを守ってきた。名を無くした貴族の、殊更、女の末路は悲惨なもの。それこそ、死ぬよりも辛いことだってあるというのに、彼女には死すらも選べなかった。

 

 テファが虚無の担い手であることを明かすべきではないと考えるのは、ある意味では自然なこと。テファを守る為、その出自は決して明かせなかったはず。テファのことを想うのなら、これからもそうすべきかもしれない。それが間違いだとは、誰にも言えない。

 

 ──唯一の救いは、テファ自身は恨みを持たず、復讐などは決して考えていないということ。

 

 テファは、本当に純粋なんだろう。真っ白な、一点の曇りのない純粋な心の持主。世間慣れしていないからか、そもそもそういった人なのか。ああ、テファの母親こそがそんな人だったのかもしれない。人がエルフを恐れ憎むように、エルフが人に持つ感情だって好ましいものではないのだから。

 

 ただ、そんなテファだから、貴族としての知識や常識、価値観といったものからも距離をおいてしまったのかもしれない。貴族としては必須のものであっても、テファにとってはそうではなかった。そもそも、平民と同じように過ごしてきたのだから、価値観などが似通ったものとなっても仕方がない。それは、どんな環境で生きてきたのかが作っていくものだから。

 

 もしテファが貴族となることを望むのなら、誰かが足りないものを教えてあげないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何気ない、テファからの質問。例えば、「王様ってどんなことをするのかな?」といったもの。

 

 貴族というものを知るのに必要なことで、そしてなるほど、いざ説明しようとすると、少しだけ難しいかもしれない。王権は、権力と呼ぶべきものすべてを包括した内容と言えるから。私は、できるだけ丁寧に答えた。

 

「王としての仕事──国によって違うけれど、全ての権力のトップとして在る、ということかしらね?」

 

「国で一番偉くて、国のことを決めるのが王様だよね?」

 

 間髪入れず返ってくる返事。

 

「そういうこと。で、権力は大きく分けると三つになるでしょう? つまり、国をどう運営するかを決める法律を作る立法、問題になった時のジャッジをする司法、そして、実際に運営する行政。行政っていうのは、立法と司法以外って考えてもあながち間違いじゃないわ。厳密には分かれてはいなかったりするんだけれど、理解の仕方としては分けた方が無難ね」

 

「え、ええと……。国のルールが法律で、有罪無罪を決めるのが司法。王様は一番偉いんだから、そこに命令するし、他のことも含めて全部決めるのが王様の仕事ってこと、かな?」

 

 不安そうではあるけれど、間違ってはいない。王様の仕事なんていきなり言うからどうかと思ったけれど、案外大丈夫そうね。

 

「テファの、決めるのが仕事っていうのは良いわね。全ての権力のトップとして在るなんて言っても、それだけじゃピンと来ないもの。本質をついていると思うわ」

 

「そ、そうかな? 良かった」

 

 テファが、少しだけ照れたようにはにかむ。

 

 うんうん、やっぱり正解って言われると嬉しいものね。じゃあ、ちょっとだけ追加。

 

「王様の仕事が決めることって言うのはその通りよ。でも、いくら決めるだけといっても、その量が半端じゃないわ。だってそうでしょう? 例えば、この学院だって国の施設。だったら、全ての決定権は王様にあるの。でも、一々王様が決めてなんていられないわよね。じゃあ、どうすれば良いかしら?」

 

「え? 学院で一番偉いのは院長先生で、学院のことは院長先生が決めているんだよね? えっと、院長先生に任せているっていうこと、だよね?」

 

「そう、その通り。理解が早いと話し甲斐もあるわ。王様が決めるっていうのは、もちろん王様自身が決めるということでもあるけれど、それ以上に誰に任せるかっていうのが重要よ。そして、その任された人が更にその下を決めていく。ちなみに、任せる形にも色々あるわね。単純に上から下に順番に決めていく役所みたいなものから、地域そのものを任せちゃうという形。そうやって地域を任されたのが土地持ちの貴族。任された貴族は、ある意味ではそこの王様のようなものね。特に、重要な場所を任せるには、それこそ血を分けた存在にとなるわ。例えば……」

 

 ──テファの父親のことを言うのは、やめておくべきよね。

 

「私の実家のヴァリエール家は、公爵家として、何度も直接の刃を交えてきたゲルマニアに国境を接する要所を任されているわ。王家に代わって地域を治めるのはもちろん、防波堤としての役割も期待されているの。力のない貴族だと防波堤にならない、かといって、力を持ちすぎれば反乱の可能性がある。どうしても王都から離れて目が届かないしね。そんなわけで、王家とも深い血のつながりをもつ私の実家は公爵家として絶大な権限、それこそ、時には王家に匹敵する権限と、それに背かない忠誠を持ってあたるの。そして逆に、王はその忠誠を保つことが重要。そういう意味では、まあ、王に一番求められるのは人の上に立つものとして、家臣をうまく使えることが大切ってことかしら。どう、イメージとしてでも掴める?」

 

 テファは唸りながら、自信はなさそうだけれどなんとかうなずく。

 

「……全部を自分でやるわけじゃなくて、皆と一緒にっていうこと、だよね?」

 

 「使う」のと「一緒に」というのは違う。でも、これは実際その立場にならなければ難しい。貴族にとって大切なのは、自分で動くことより、どう人を上手く使えるか。それが人の上に立つということ。優しすぎるテファには、難しいかもしれない。それに、こればかりは言葉でどうこうというものじゃない。

 

「使うと、一緒にというのは違うわ。人の上に立ち、人を使う──まあ、おいおい理解してくれればいいわ。そういう判断が求められた時に初めて体で理解できるものだから。じゃあ、次はちょっとだけ応用編ね。どこまで理解できるかのテストと思えば良いから、理解しきれなかったらそれで良いわ」

 

「う、うん。お手柔らかに……」

 

 あら、そんなに不安そうな顔をしなくても良いのに。さっきのだって、分からないのはある意味で仕方がないことなんだから。

 

「さっきまでの話は、その国の中の話。王様が一番偉いという前提よ。でも、国って一つじゃないわよね? 今いるトリステインがあれば、テファが生まれたアルビオン、そして、離れたところにエルフの国だってあるわ。国としての建前は対等なんだけれど、実際はそうじゃないわ。強い国があれば、そうでない国もある。前者が後者を支配するっていうことだってある。強い国は後者に対して影響力を増す為に行動して、後者はそれを防ぐために行動する。それが国と国との関係、外交よ。で、その手段には戦争も含まれるわ」

 

 戦争という言葉に、テファは眉をひそめ、露骨に嫌な顔をする。テファなら、そうだろう。だからこそ、私は言葉を続ける。

 

「国として、その利益を最大化するというのは当然のことよ。それができない施政者は、施政者として問答無用で失格ね。国同士の利害がぶつかりあえば、戦争だって解決手段の一つになるの。でもね、なんでも戦争で解決しようとしたら、それこそ施政者失格よ?」

 

「……そう、なの?」

 

「当然じゃない。戦争になったら国民に犠牲が出るもの。それはそのまま国力が落ちるのとイコールよ。それに、必要となる費用は莫大、たとえ勝っても被害は出る。加えて、勝ったからと搾り取りすぎれば将来の禍根として残り続けるから、なんでもできるってわけじゃないのよ。必ずしも戦争が合理的選択になるとは限らない、だから、少しは安心できるかしら?」

 

「そうだと、いいけれど……」

 

 テファは何と無く納得できていないみたい。それもまあ、仕方がない。実際、戦争なんて起こる時は起きてしまうものなのだから。プライドの問題から戦争が始まることだって、ないではない。

 

 ああ、それこそ話すべきかもしれない。

 

「それ以上は理屈にしからないし、もう少し別のことも話しましょう。理屈とは別のもので、たぶん、テファに一番欠けているものだと思うわ」

 

 はっきりと言い切る。

 

「えっと、何?」

 

「一言で表すなら、貴族としての誇りよ。時には法律より優先することだってあるわ」

 

「法律より優先って、それで良いの?」

 

 何を馬鹿なと、テファの顔に書いてある。

 

「何、そんな顔をしているのよ。これからはあなたも貴族として生きるつもりがないわけじゃないんでしょう? 貴族の誇りってそんなに軽いものじゃないの。何年も、それこそ何百年、何千年と積み重ねてきたものなんだから。言ってしまえば国の歴史そのもの。先人の知恵の結晶でもある、とても重いものなのよ。時に応じて変わる法律とはそれこそ重みが違うわ。貴族は、貴族としての誇りを胸に、時には命だってかけるの。それをなくしたら貴族じゃないわ」

 

 私がこれまで私としてあれたのは、その誇りがあったからこそ。そう、たとえ魔法が使えなくても、貴族としての誇りが私を支えてくれた。誇りは、例え何があろうとも蔑ろにして良いものではない。決して。

 

「貴族が貴族としてある為に一番大切なものは、土地やお金じゃないの。一番大切なのは誇り、誇りの為に時には命をかけるのが貴族よ!  分かる!?」

 

 ピシリとテファに指を突きつける。

 

「え、え? う、うーん、分かるような分からないような……」

 

 これは、よろしくない。

 

「ダメよ! 言ったでしょう、それが一番大切なことなのよ! ちょうど良いからしっかりレクチャーしてあげる。人の上に立つにあたってすっごく大切なんだから。──いいわ。さっきはおいおい理解してくれれば良いと言ったけれど、貴族としての心構え、しっかり叩き込んであげる!」

 

「えーと、また今度じゃ……ダメ?」

 

 肩を引き、少しだけ怯えるような仕草。

 

「ダメ。大丈夫、ちゃーんと理解できまるまで付き合ってあげるから」

 

 にっこりと笑いかけてあげたはずなのに、どうしてだかテファは頬を引きつらせている。あまつさえ、逃げようとまで。だから私は、両手でしっかりとテファの肩を掴む。

 

「ダメって、言ったでしょう?」

 

「う、うぅぅ……。あ、ありがとう……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「──まず、ヴァリエール家の興りから話すべきよね」

 

 

 

「──言い伝えでしか残っていないんだけれど、初代はそうやってその名を轟かせたの」

 

 

 

「──でね、私が一番尊敬するのが……、あ、もちろん初代もとても尊敬すべき方よ?」

 

 

 

「──で、話は戻るんだけれどね?」

 

 

 

「──その時、こう言ったの。敵に背を向けない者を貴族と呼ぶと」

 

 

 

「──幼いながらも私の心は震えたわ。それこそが貴族として、私があるべき姿だと」

 

 

 

「──まあ、簡単だけれどこんなところかしら? 言葉だけじゃ分からないものだから、これから実感してもらえれば良いとは思うけれど」

 

 貴族の誇りは、言ってしまえばかくあるべしという在り方。言葉だけでなく、実践し自らの血肉としなければならない。単なる成り上がりと本物の貴族との違いはそこ。

 

「……うん」

 

「良かった、分かってもらえて」

 

 テファに貴族の誇りを理解してもらえるというのは、貴族という在り方を、ひいては私という人間を理解してもらえたようで嬉しい。

 

「……うん」

 

 何かおかしいと様子を見れば、テファの目はどこか虚ろ。

 

「……大丈夫?」

 

「……うん」

 

「……もう少し話したいことがあるんだけれど、続けて大丈夫?」

 

「……うん」

 

 返事は、確かに返ってくる。

 

「……ごめん、嘘。宗教のこととか話したいことはあったんだけれど、今度の方が良いわよね?」

 

「……うん」

 

 テファはただ、相槌だけを繰り返す。

 

「……本当に、ごめんね。何か、冷たいものでも持ってくるね?」

 

「……うん」

 

「……ごめんなさい。少しだけ待ってて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──コクンと、テファの喉が鳴る。

 

 コップを渡しても反応がなかったけれど、手を添えて口元に近づけたら飲んでくれた。三分の一ほど飲み干した所で、テーブルへと戻す。

 

 テファの目はやっぱり虚ろ。

 

 面倒になって軽く左、右と頬を叩いてみたら、寝起きのように目を白黒させている。

 

「目、覚めた?」

 

「え? なにが?」

 

「──もう一度最初から説明する?」

 

 テファは首を傾げ、目を見開いて顔色を青ざめさせる。ちょっとだけ、悪いことをしたかもしれない。

 

「……ごめんなさい。一度に話しすぎたわね。えっと、一度に全部理解しろなんて言うつもりはないから。少しずつ理解すれば良いのよ。そんなに聞いてすぐに理解できるぐらいだったら、私の立場がないしね」

 

 冗談めかして言ったつもりだったけれど、テファはブンブンと首を横に振る。苦手意識を持たれたんじゃないか、少しだけ心配。

 

「私としては、まだまだ話すことがあるんだけれど……」

 

「あ、あううぅ……」

 

 テファはサアっと顔色を悪くする。

 

「一度に話すのもなんだし、またじっくり補習しましょうね?」

 

「……あ、あう」

 

 テファもそう、涙ぐまなくても良いのに。上目遣いでそういう表情をされると、何て言うかこう、嗜虐心がくすぐられるというかなんというか。まあ、それはまた今度にしましょう。

 

 びくり、とテファの体が大きく震える。

 

 だからねテファ、そうやって体を震わせたら逆効果でしょう? 大きな胸を跳ねさせたりとか、ね。また今度にしようという決意がね、揺らいじゃうじゃない。ほら、体を抱えるように腕を寄せると胸が強調されてね……

 

 ──いけない。

 

 大きく息を吸って、吐く。少しだけ落ち着いた。

 

「勉強は、無理に一度でやろうとしても逆効果よね」

 

 テファはブンブンと何度も頷く。よっぽど、嫌なのかしら。

 

「じゃあ、勉強じゃないけれど、最後に一つだけ」

 

「う、うん……」

 

「テファは、虚無の担い手としてどうしたいの?」

 

「……私、が?」

 

 テファがゆっくりと頭を傾ける。

 

「うん。かく言う私も分からないんだけれどね。シキから伝えたのか、テファから話したのかは別として、テファがこうしたいっていうものがあるんでしょう? 理屈じゃなくてね、こうしたいっていう、そう、想い」

 

 テファは、やっぱり上目遣いにこちらを伺うように私を見ている。

いや、少しだけ違う。今度は、私のことを探るように。

 

「これは、正しいとか、正しくないとかじゃなくてね。私だと、そうね。国の役に立ちたいとか、貴族として正しくありたいとか──ううん、もっとシンプル。私は自分に自信が欲しい。シキがどんなにすごくても、私自信は魔法が使えなくて自分には何もできないと思っていた。だから、自分自信で誇れることを成し遂げて、皆に認められたい。ちょっと俗っぽいかもしれないけれどね。だから私は、虚無の担い手として誇れるようにありたい。私が虚無の担い手に選ばれたのにはきっと理由があるはずだから、それを見つけて成し遂げたい。テファも、何かあるんでしょう?」

 

 テファはじっと私を見つめる。怯えず、まっすぐに。まっすぐな視線には、まっすぐに応える。

 

 ポツリと、テファが言った。

 

「私、ハーフエルフでしょう」

 

「ええ、そうね」

 

「エルフと人間の合いの子。やっぱりね、どちらにも居場所がないの。あ、ルイズは友達だと思っているよ? でもね、やっぱり他の人には隠さないといけなくて、そういう時に私はなんなんだろうって。皆が仲良くできて、隠さずにいられればいいなって。そして、思うの。ルシードとサラサのことを……」

 

「あの子たち、仲が良いみたいね」

 

 ルシードは人間、そして、サラサは翼人。根本的な生い立ち、種族から違うのに、それを感じさせない二人。兄妹か、あるいは──恋人のように。

 

「うん、二人ともとても仲がいいの。でも、もし将来子供ができたら、私と同じ思いをすることになるわ。そんなこと気にせずに仲良く暮らせるようになれば……。ルイズは、無理だと思う?」

 

 テファはじっと、私を見つめる。

 

 そんなこと、私よりテファの方がよほど知っている。でも、言葉を求めている。だから、隠さずに答える。

 

「難しいわね。私も、ずっと教えられてきたの。人と亜人は違うって。エルフのことだって、とても恐ろしい敵だって教えられてきたわ。それは、簡単には変えられない」

 

「そうだよね……。簡単じゃ、ないよね……」

 

 テファは、残念そうではあっても、それ以上は言わない。きっと、テファにとっても分かり切ったことだから。私が言うまでもなく、それは客観的な事実。

 

「でも、絶対に不可能だと思わないわ。だって、私自信、それは間違いだったって分かったもの。それこそ、テファのおかげでね。テファは私達と同じような価値観を持っている、むしろ、優しすぎるぐらい」

 

 私はテファの手を取る。

 

 私ともそう変わらない、小さな手。少しだけ荒れてはいても、子供達を世話する優しさ。そして、人と変わらず温かい。

 

「こうやって、友達にもなれたでしょう? だから、私はテファが虚無の担い手で良かったと思うの」

 

 テファは、不思議そうに私を見ている。

 

「だってそうでしょう? 始祖が求め続けた聖地と、エルフとの確執。私は、虚無の担い手として聖地奪還を求められるかもしれないと怖かったわ。エルフと、テファの親戚とも戦わないといけないかもしれないって。そして、本当にそれが始祖の御心なのかという疑問もあった。でも、テファが虚無の担い手であれば、それが私の、ううん、人の勝手な思い込みだったという証明になる」

 

 私はテファから目を逸らさず、続ける。

 

「ハーフエルフのテファが虚無の担い手に選ばれた。それが単なる偶然じゃなければ、始祖がそれを望んだということ。それはきっと、テファにエルフとの橋渡しになって欲しいということよ。だってそうでしょう? 他の誰でもなく、人とエルフの両方の血をひいたテファが選ばれたんだもの。始祖がエルフとの平和を望むのなら、他の亜人とだって一緒よ」

 

「……ルイズは、本当にそう思う?」

 

 おずおずとテファが問いかける。不安げなテファには、はっきりと言葉にしてあげなければいけない。

 

「当然でしょう。これまで揃わなかった虚無の担い手が今この時代に揃ったのよ。もちろん、私達だけじゃ何もできないわ。でも、シキは私達の味方をしてくれる。人の考え方はすぐには変わらないから、手伝って欲しいってお願いすれば良いの。可愛いテファの頼みなら、力づくでもなんでもやって、きっとなんとかしてくれるわよ」

 

「……ルイズも、そう思う?」

 

「もちろんよ」

 

「──そっか。実はね、もうお願いしたの。姉さんはそれに反対で、シキさんにもまだ早いって言われたから不安だったんだけれど」

 

「反対って、どういうお願いをしたの?」

 

「えっと……、その、なんて言うか……」

 

 テファは、一度は口を開いて、でも、言い淀む。

 

「言いづらいことなの?」

 

「う、うん……。でも、ルイズなら……」

 

 言おうとしながらも、おどおどと不安そう。不安があるというのなら、それは私のせい。

 

「いいわ。まだ言えないのなら、無理をしないで。──ほら、そんな顔をしないの」

 

 テファは、今にも泣き出しそうな表情。そんなテファの頬を両手で包む。

 

「ね、気にしないで。いつかはちゃんと教えてくれるんでしょう? そりゃあ、気になるけれど、そんな顔される方が嫌だもの」

 

「……ごめんね、友達なのに。ルイズに言って良いことなのか、まだ分からないから」

 

「いいの。何も悪いことをしようってわけじゃないんでしょうから。テファの為にならないのなら、シキだって止めないはずがないもの。はたから見たら私達には甘すぎるぐらい甘いかもしれないけれど、本当にだめなことは、だめだって言うから」

 

 少しだけ戯けて言ってみせたら、ようやくテファはクスリと微笑んだ。

 

「うん、そうだね。ルイズはシキさんのこと、心から信じているんだね。私もその気持ち、分かるよ」

 

「うーん、そういう風に言われるとなんかくすぐったいんだけれど……。うん、信じているわ。当の本人は爛れた生活をしているけれど、最低限の節度は……」

 

 節度については、どうだろう。そこはだめかもしれない。前にテファの胸を思いっきり凝視していたことがあったような……。

 

「ん? 何?」

 

 テファは可愛らしく首を傾げて見せるけれど、その大きな胸は、それこそメロンのように大きな胸は凶悪。少なくともそれには、私は血のつながりを感じない。むしろ、絶対の敵とさえ思う。

 

 こうやって両手で持ち上げればずっしりと重い、というか、手に収まり切らない。私の胸は掴むことすらできないというのに。

 

「あ、あの……ルイズ? どうしたの、目が怖いよ? 何で持ち上げるの?」

 

「……さっきの話じゃないけれど、胸ばっかり大きくたって、誇りがないんじゃだめなんだからね」

 

「好きで大きくなったわけじゃないよ。邪魔になることだって……、い、いたっ、痛いよ!? 千切れるよ!?」

 

「うん、千切れるものなら千切りたいわね。いらないなら私によこしなさい。その胸もどき、あったって邪魔なんでしょう?」

 

「る、ルイズ酷いよ。自分の胸が小さいからって…… い、いた 、 ご、ごめんなさい、やめて……」

 

「これから一緒に頑張っていくんだから──そうね、半分よこしなさい。じゃないと、不公平でしょう。ね、私達、友達でしょう? なら、分かち合わないと。そういうのって、私は大切だと思うなぁ」

 

「あ、ああう……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──腕にギリギリとかかっていた力が、ようやくなくなった。

 

 後ろから抱きしめていたマチルダが、ようやく歯を立てるのをやめた。子供のように癇癪を起こして、動けないとなると今度は噛み付いた。散々に泣きじゃくって、噛み付いて、どれだけ時間が経ったか。

 

 強張っていたマチルダの体からも力が抜ける。

 

「……そろそろ、離してください。私も、疲れちゃいました」

 

 いつもの声色に腕を緩めると、するりと抜けだし、向き合う。泣き腫らして、赤い目。凝り固まった体をほぐすように伸びをして、そして、ため息。

 

「……私だって、テファが言っていることが分からなくは、ないんです。テファが安心して暮らすには、そういう国が必要だって」

 

 マチルダも、テファが間違ったことを言っていないことはよく分かっている。心配しているのは、別のこと。

 

「でも、テファが苦労しなくたって良いじゃないですか。テファばっかりが辛い思いをしなくたっていいじゃないですか。王様なんて、優しすぎるテファには向いてない。そんなことをするぐらいなら、いっそシキさんが世界征服でも何でもしちゃえば良いじゃないですか」

 

 それが、マチルダの正直な気持ち。

 

「部外者の俺には、大義も何もない。力で押さえつけた世界、それはテファが望むものじゃない。力で抑えつければ、誰かが不幸になる」

 

「いつだって、不幸になる人はいるじゃないですか。私達だって、そうでしたよ。私達ばっかり、我慢しないといけないんですか?」

 

 縋るように見上げ、ため息と共に伏せる。

 

「ずるいですよ、そんなの。もっと楽な生き方をするぐらい、良いじゃないですか。だから、嫌だったのに。だから、隠していたのに」

 

 マチルダが睨む。嘘は許さないと。

 

「それとも、アルビオンの王子達が何を考えているのか、知っていたんですか?」

 

「単なる推測だ。テファがルイズと同じ、虚無の担い手だろうということは分かっていた。そして、彼らが国を守ろうとすること。もしもテファが望むことがあれば、それも一つの答えだと思っていた」

 

「……そうですか。いいです。確かに私も、隠してましたしね。あいつらが、国を渡すと言ってきたこと、その権利だって十分にあるってこと。でも、テファにそんなこと、できるわけがないじゃないですか。あんなに優しい子が、今だって壊れてしまいそうなのに……」

 

「テファは、弱いばかりの子供じゃない。もしそうなら、絶対にやらせない」

 

「でも……」

 

 なおも不安げなマチルダ。

 

「だから、確かめる。本当にそんなことができるのか」

 

「もし……。もしも、だめだったら?」

 

「その時は、テファでない誰かが王になるだけだ。可愛い妹に、そんなことはさせない」

 

 何かを言いたげなマチルダは、ただ、不機嫌そうに目を逸らした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第40話 I've seen it all

前回に引き続き、テファのお勉強。
人によってはスパルタ過ぎると感じるか、それとも手温いと感じるかはそれぞれ。
これとは別の教育は、同時に更新した短編にて。



 

 

 

 

 

 

「──さあ、テファ。そろそろ行こう」

 

 シキさんから差し出された手。私は楽しみにしているのか、それとも怖いのか、それすらも分からない。ただ、その手を取る。

 

 行き先だって、知らない。聞いたのは、私に見せたいものがある場所ということだけ。

 

 私は何も知らない。私はずっと目を閉じて、姉さんの優しさに甘えてきた。だから、私は知らないといけない。そして、シキさんに認められないといけない。

 

 地面に広がる黒い水溜りのようなもの。シキさんに手を引かれ、足を踏み入れる。ズブリズブリと沈み込み、足先から登ってくる冷たい感触。握る手が無ければ、凍えてしまいそう。

 

 秘密の抜け道というものを準備してくれたアルシエルさんは、これまで見た中で一番と言ってよいほど楽しそうに笑っている。

 

「──では、良き旅を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秘密の抜け道を抜けた先は、どこかひんやりとした石造りの建物の中。

 

 手を伸ばしても届かないぐらいの天井に、隙間なくぴったりと敷き詰められた石畳、私だと抱えきれないぐらいの柱も立派で、まるでお城の中みたいだと思う。ただ、誰もいない。

 

「ここにいたって何もない。さあ、行こう」

 

 歩き始めたシキさんを追いかける。私に合わせて歩いてくれているけれど、やっぱり男の人。のんびりしていると置いて行かれちゃいそうになる。

 

「あの、シキさん。ここってお城の中なのかな?」

 

「トリステインの、な。どこの城でも良かったんだが、ここが一番融通がきくからな。ただ、フードは念の為かぶっておいて欲しい」

 

「あ、はい。でも、お城の中でフードなんて被っていたら怪しくないかな?」

 

「それは心配しなくても良い。あくまで念の為、だからな」

 

「そういうもの、なのかなぁ」

 

 私はシキさんに言われた通り、着込んできた外套のフードを被る。自分でも、はたから見たら怪しいんじゃないかなぁと思いながら。

 

 でも、すごく怪しい二人組がお城の中にって、少しだけ可笑しい。シキさんと一緒で怖くないからそんな風に思えるのかもしれないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 お城の中を二人で歩く。何人ともすれ違うけれど、誰も私達のことを気に留めない。まるで、誰もいないみたいに。最初こそ怒られないかとびくびくしていたけれど、何だか馬鹿らしくなった。

 

「──テファ。政治については色々とルイズに教えてもらったんだな?」

 

「一通り、なら。ルイズが丁寧に教えてくれたおかげ大分理解できたと思います。貴族の誇りとかは、ちょっと難しいですけれど……」

 

  背中からだから表情は分からないけれど、シキさんは笑ったみたい。

 

「貴族の誇りというのは難しいな。なにせ、俺も分からない。さて、じゃあ、復習と行こうか」

 

「……は、はい」

 

「なに、そう怖がる必要はないさ。ただ、実際に見てみようというだけの話だ。まずは、一番分かりやすい司法というものから。お誂え向きに、ちょうど良いものがあった」

 

 行き当たった扉、それを前にシキさんが振り返り、戯けたように唇に人差し指を当てる。だから私も、両手で自分の口を塞いで見せる。

 

 扉を抜けた先は、随分と広い部屋だった。

 

 入った扉から緩やかに下る不思議な形。沢山の椅子がずらっと横に何列も並んでいて、一番奥に立派な服を着た人と、それに向かい合う形で男の人が立っている。男の人はこちらに背を向けているから、どんな人なのかはよく分からない。

 

 シキさんに促されて、一番後ろの席に座る。ちょうど坂から見下ろすようになっているから、後ろの席からでも全体が見渡せる。

 

 立派な服を着た人はこの部屋に入った時からずっと難しい事を言っていて、背中しか見えない男の人はただ項垂れてそれを聞いているだけ。周りに座っている人が何人かいるけれど、何かをずっと書いているか、聞いているのか聞いていないのかよく分からない人達だけ。

 

 ふと、隣の席に誰かが座った。見れば、この人も立派な服を着ている。むしろ、ずっと難しいことを言っている人よりも立派なぐらい。

 

「──お待たせしてしまいましたかな?」

 

 男の人がシキさんに言う。もともと、ことで会うことになっていた人なのかも。

 

「いや、ちょうど今来たところだ。テファにこの裁判のことを教えてくれるか?」

 

「お安い御用ですとも。可愛らしいお嬢さんに話すにはもっと気の利いた話の方が良いのですが……。しかし、普段むさ苦しい男どもに囲まれている私としては役得というもの」

 

 男の人はかかと笑う。怖そうな雰囲気があったけれど、気さくな人みたいで安心した。お父さん──には年が離れているから、まるでお祖父ちゃんみたい。

 

 男の人が、難しいことを言っている人を指差す。

 

「ほれ、あそこで偉そうに講釈を垂れているのが裁判長。殊勝な態度でそれを聞いているのが被告人──最初から刑罰を受けることが決まっているからには、罪人と呼んでも差し支えはありませんな」

 

「決まっているって、あの、それは、裁判で決めることじゃないんですか?」

 

 有罪無罪を決めるのが裁判のはず、少なくとも私はそういうものだと理解しているし、ルイズもそう言っていた。

 

「ええ、そうですとも。それが裁判ですとも。そうでなければ、わざわざ裁判などという手間をかける意味もなくなるというもの」

 

 男の人は、全くもってその通りと何度も頷く。

 

「だったら……」

 

「困ったことに、何事も建前だけでは回らんのですよ」

 

「それは……。でも……」

 

 言っていることは、そうなのかもしれないけれど。男の人が、諭すような優しい声色で続ける。

 

「もちろん、正しくはない。しかし、こうやって現実にあるのですよ。加えて、それが一番面倒が無いということもある。救いは、今回に限って言えばあそこの彼も納得しているということですかな」

 

 視線は、罪人と呼んだ男の人。

 

「あの人は何をしたんですか?」

 

「何をしたかと言えば、何もしていませんな」

 

「どういうことですか? 何もしていないのに裁かれるなんて、あるんですか」

 

「あくまで例外といえば例外なのですが、まあ、分かりやすく言えば生贄ですな。誰かが責任を取らねばならぬという時には、その誰かを準備することもあるのですよ。今回は、生贄の彼も納得しているので、良心的な方ですな」

 

「あの、どうにかして助けることは、できないんですか?」

 

 無理だと分かっていても、どうしても口にしてしまう。たとえ無実であっても関係ないことだってあるのは、私自身がよく知っていることなのに。

 

「あなたが望むのなら、何とかしましょう」

 

 でも、男の人はあっさりと言った。

 

「出来るんですか?」

 

「こう見えて私、顔がききましてな。無実の彼を助けることぐらい造作もありませんとも。高等法院長という肩書きもなかなか便利なものでしてな」

 

 男の人は自身たっぷりで、頼もしい。

 

「良かった、です。無実の人がっていうのは、良くないですし」

 

「そうですな。なら、すぐにでも手を回しましょう。ただ、路頭に迷う者は、増えるでしょうなぁ。まあ、それもあるべき形といえばそれまでのこと」

 

「どういうこと、ですか?」

 

「いやなに、あの男はとある家に仕える家令でしてな。国に納める税金を使い込んだ主人の身代りになったのですよ。その主人というのが後を継いだばかりの、所謂道楽息子でしてな。補填できないほど使い込んでしまった。だから、彼がやったことにして、主人はあくまで監督責任という形にする。それであれば金も借りやすいですから。しかし、正直に馬鹿な主人がやったとなれば、手っ取り早く家を取り潰して作るとなりますな。褒賞にする土地は常に不足しておりますから。で、そうとなれば、一族はもちろん、家臣も路頭に迷うでしょう。だから、生贄の彼も納得しておるのですよ。むろん、家族の面倒を面倒を見るという条件付きですが。何にせよ、家臣の鑑ですな」

 

「でも、そんなの……」

 

 正しくは、ない。

 

 そして、男の人はうなずく。

 

「正しいかそうでないかで言えば、正しくはないでしょう。しかし、必要ではある。そういうことも、この世の中にはあるのですよ。何が大切で何を切り捨てるか、確固たるものさしがなければ難しいですがな」

 

「……そう、ですね」

 

 国というのは、そういうものなのかもしれない。アルビオンという国はお父さんを切り捨てて、お父さんは私達を捨てなかった。正しいとか正しくないとか、そういうことじゃない。

 

「──テファ」

 

 シキさんが私の肩に手を置いて言った。

 

「今日はもう、帰るか?」

 

 私は首を横に振る。

 

「まだ、見るべきものはあるんですよね? だったら、見せてください」

 

 シキさんは頷き、男の人が笑って言った。

 

「さて、彼はどうしましょう? あなたにお任せしますよ。──ちなみに、このままいけば死罪になるでしょうな」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナイフを当てただけでほどけるような柔らかいお肉。口に入れると、それこそとけてしまった。

 

「──美味しい」

 

 思わず、素直な感想が口をつく。

 

「それは良かった」

 

 城の中を案内してくれたリッシュモンさんが朗らかに笑う。本当に偉い人だったみたいで、こうやってお城での食事も手配してくれた。

 

「本当に、美味しいです。毎日こんな食事を用意するには、お金も沢山必要ですよね」

 

 リッシュモンさんはお城の中で色々なものを見せてくれたし、教えてくれた。議会でのやり取りや、その裏でのお金の流れまで。そして、そもそも、どこからそのお金が出ているのか。私が知らなかっただけで、税金だってとても高かった。ただ食べて行くということがどんなに大変か、私は分かった気になっていただけだった。

 

「──食欲があまりないようですな。まあ、今日は疲れたでしょう。温かい湯につかり、ゆっくり眠ることです」

 

「そうですね、確かに、疲れました」

 

 本当に疲れた。体も心も、ずっしりと重い。

 

 ふと、思う。皆がルイズのように誇りに溢れた人なら暮らしやすい世界になるのか、それとも、やっぱりそれだけじゃダメなのか。そもそも、ルイズのような人が大人になっても、ずっとそうあれるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 訪れたのはゲルマニアという国、そこで一番栄えているという街。逆に目立つからと、今度はフードは被っていない。

 

「テファは、この街を見てどう思う?」

 

 シキさんに尋ねられて、私はぐるりと辺りを見渡す。

 

「印象ですけれど、とても賑やかですね。言葉にはしづらいですけれど、歩いている人みんなが活き活きとしているみたい」

 

 ずっと森の中にいた私にとっては、トリステインの城下町だってすごく活気があると思った。でも、ここは何かが違う。

 

 道を歩く人が多い。色々な服を着た人が、誰かが威張っているということもなく行き来している。買い物をする様子だってそう。トリステインだと、どこかに線引きを感じる。

 

 シキさんが笑う。何と無く、褒められたような気がした。

 

「そうかもしれないな。活気があれば、スラムの人間だっておこぼれにはあずかれる。飢えで死ぬ人間だって少ないだろう。それだけでもトリステインとは違う。だから、その理由を見に行こうか」

 

「また、お城に行くんですか?」

 

「いや、しばらく前からここに来ている友人のところだ。少し変わっているが、悪い男じゃない」

 

「シキさんが言うなら、本当に変わった人なんでしょうね。……あうっ」

 

 シキさんに、額を小突かれた。酷いよ、本当のことなのに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 連れて来られたのは、豪華な飾りなんかない無骨な所だけれど、とても大きな建物。外からでも聞こえる金属を叩くような音、そして、入ると古い油とか何かが燃える匂いとか、色々な匂いが混じりあって襲って来た。

 

 シキさんの友達だといういう男の人は、すぐにやってきた。シキさんを見て本当に嬉しそうに笑っていたから、紹介されなくても一目で分かった。

 

「──やあ、久々に会えて嬉しいよ。ちょうど相談したいことも色々とあったんだ」

 

 言うなり、シキさんの手を取って再会を喜ぶ。男の人の手は油で黒い。コルベールさんの姿が重なって、だからか、悪い人じゃないと思った。

 

「……随分と雰囲気が変わったな」

 

 シキさんは、男の人にどこか呆れたように言った。

 

「なに、環境が変われば変わらざるを得ないさ。一人でやっている時ならいざ知らず、皆で何かを作るとなれば、無愛想ではやっていけん。それに、ここの職人達は良い男達だ。役に立つと分かれば余所者だって素直に受け入れる。金次第と揶揄もされるが、いっそ分かりやすい。トリステインと違って新しい技術が受け入れられるというのも良く分かる。私は、ここに骨を埋めるつもりだよ」

 

 男の人は本当に満足そうに笑っている。見ていて羨ましいと感じるぐらいに。そして、男の人は私を見ていた。

 

「君がテファだね。シキから話は聞いているよ。確かに、そうそうお目にかかれない美人だ」

 

 まっすぐに言われると、やっぱり恥ずかしい。そして、そう紹介されていたことが──嬉しい。

 

「さて、じゃあ案内するとしようか。本来なら部外者立ち入り禁止だが、話は通してある」

 

「ゼファーがここにいてくれて助かった」

 

 シキさんが、歩き始めたゼファーさんにお礼を言う。

 

「なに、話を通したと言っても、手間はない。辺境伯の知己というのは、この国でも大きな意味があるらしくてね。まあ、さっき言った相談に乗ってくれれば十分だよ。前に言っていたロボットというものについて興味が出てきてね」

 

「そう言えば、そういう話もしたな……。しかし、あの時は特に興味を持たなかったように思ったが」

 

「なに、実際にもの作りに関わるようになれば生産技術の重要性というのも痛感する。一つだけとなるとどうとでもなるが、数を作るとなると考え方が別物でね。いや、ゲルマニアというのはすごい国だ。上に立つ人間も生産技術の重要性を理解している。新参の私の話ですら興味を持ってくれてね。今すぐとは言わんが、案内が終わったら改めて相談させて欲しい。そのまま真似するなんてことは難しいとは思うが、ヒントにはなるはずなんだ」

 

 ゼファーさんの目は、子供たちのように真っ直ぐで綺麗。大人になってもそうあれるというのは羨ましい。

 

 そして、工房で働いている人達も、皆が活き活きとしている。案内してくれたゼファーさんが言うには、成果がきちんと認められるから。場合によっては、生まれがそうでなくても貴族にだって成れる。だから、皆が頑張れると。

 

 この街に来た時に最初に感じた、活気の違い。どうしてトリステインと違うのか、分かったような気がする。そしてきっと、それがシキさんがここで見せたかったもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲルマニアの次は、ロマリア。ブリミル教の総本山。

 

「──シキさんがここで見せたいのは、その、宗教、ですか? それなら、大丈夫ですよ。何かを信じるということは、私も否定しません。でも、それが身勝手なものになれば人を不幸にするだけだということは、身に沁みていますから。それに、誰かにとって都合の良い神様なんて、この世界にはいません」

 

「それもあったが、その様子なら説明はいらないな。そうだ、いっそ宗教の方が腐敗は酷い。善人の皮をかぶる分、下手な悪人よりよほど性質が悪い」

 

 シキさんの視線を追う。

 

 立派な建物に、綺麗な服を着た太った人。そして、見るからに痩せた、物乞いをする人。それが、一人や二人じゃない。そんな状況を恥ずかしいとも思わないから、平気でいられるんだと思う。トリステインからの賄賂だって、ここには沢山あるはずなのに。ううん、他の国からだってきっと。

 

「私、あの人達のこと嫌いです」

 

 お母さんのことだけじゃなく、心からそう思う。

 

「そうだな。あれが普通というのだから、困ったものだ。善良な者もいるんだろうが、権力を得るには金か、さもなくばよほどの運が必要だ」

 

 ただ、とシキさんが続ける。

 

「確かにいないではない。これから会いに行くのがちょうどその例外だ。トリステインを一人で支えて来た、マザリーニという男。俺も直接は会ったことがないが、ウリエルが認める男だ。テファも、会えば得るものがあるだろう」

 

 

 

 

 

 

  石造りの大きな建物。でも、他の豪華な建物とは違う。飾り気のない、ただただ頑丈そうな建物で、何より違うのは見ていて嫌悪感を感じないこと。必要だから大きいだけ、とどこかゲルマニアの工房と同じ印象を受ける。

 

 そして、入り口に男の人が立っている。大きな羽帽子を被っていて、シキさんと私を見て扉を開く。

 

 案内された先で待っていたのは2人の男の人。お爺さんと呼ぶぐらいの歳だけれど、対照的。一人は厳しい表情の痩せた人、もう一人は朗らかな表情のがっしりとした体つきの人。どちらもこの街で偉そうにしている人が着ているようなゆったりとした服を着ているけれど、不思議と嫌な印象は受けない。普段なら、そういう服を着ている人を見るだけで落ち着かないのに。

 

 がっしりとした体つきの人が挨拶だけして席をはずすと、痩せた男の人が口を開く。淡々としているけれど、どうしてか冷たいという印象は受けない。

 

「こうしてお会いするのは初めてですかな、シキ殿。わざわざ私などの元にいらっしゃるとは思いませんでしたよ。それも、このような場所でなど」

 

 男の人──たぶんこの人がマザリーニさんだと思う──が私を見る。観察されているようで、どこか居心地が悪い。

 

「美しいお嬢さん」

 

 マザリーニさんの声に、背筋が伸びる。そうさせる何かがあったから。

 

「私は、何年も政争の中でもがいてきました。ただがむしゃらにやってきて、多くの敵を作り、恨まれてもきました。しかし、この年になってようやく気づけたこともあります。年寄りの退屈な話になるやもしれませんが、求められたとあれば語りましょう」

 

 マザリーニさんは、どこか懐かしみを込めて語る。

 

 仕えるべき王を見つけ、それからのことを。王が亡くなった後もひたすらに国の為に、たとえ有力者にも、国民に恨まれてもただだた真っ直ぐに尽くしてきたことを。そして、それでも変わらなかったということを。

 

 少しだけ表情を緩める。自分は間違っていたと言うけれど、どこか晴れ晴れとした表情。一人では限界がある。本当に信頼できる人を見つけ、その人を信頼して頼むことでできることがある、と。

 

 シキさんがなぜマザリーニにさんに会わせたかったのか、私にも

分かった。そして、思う。こんなマザリーニさんが慕った王様、どんな人だったんだろう、と。王様はどうあるべきか、まだはっきりとは言葉にできないけれど、何かがつかめてきた気がする。

 

 帰り道、シキさんが言った。

 

「──テファ。そうだな、一月。一月経ったら、また話をしよう」

 

「──はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──テファ、お帰りなさい」

 

「──姉さん。……うん、ただいま」

 

「──私は、あなたには幸せになって欲しいの。でも、あなたが本当に望むのなら……」

 

「──ありがとう。兄さんに、頑張って認めてもらうから。ふふ、そんな顔しないで」

 

 大丈夫だよ、姉さん。そのことは、私は諦めるから。私は、これだけで充分。本当に充分。だから、これだけは許して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第41話 It is sink or swim

 最近レンタルで見た孤独のグルメ。日本のテレビドラマは基本的に見ないけれど、あれは本当に面白い。主人公の「腹が、減った……」から、毎回隠れた名店というべきお店で食べるというお決まりのパターン。お決まりなんだけれど、それが面白い。そして、本当に美味しそうに食べる。毎回の放送後には紹介されたお店が行列になるというのもよく分かる──というか、もともとの深夜に放送されていたので、あれこそ本当の飯テロ。7月にはシーズン4が放送されるとのことで本当に楽しみ。

 ちなみに、今回参考にしたのはシーズン1だったはず。商店街で色々と買い込んで事務所で食べるという回がなかなかに魅力的だったので参考に。食事を美味しそうに表現するというのは難しいけれど、完結させた後に書くつもりのオリジナルの為にも練習を兼ねて挑戦。短編のつもりが長くなったから本編に繋げたり、ルイズの話を書くつもりがイザベラの話になったりはしたけれど、話そのものは進まなくても、食事をテーマに据えたり、頑張る女の子ということに絞って書くというのはなかなかに楽しいもの。

 それと、先だって書いた通り、完結後はオリジナルの作品を作って、賞への応募まで行うつもりです。これまで感想などで指摘のあった、視点が変わった時に分かりづらいという点を反省。主要なキャラクターは主人公の青年にヒロインの2人で、基本的に視点は主人公に固定。善良な主人公に、人間のことを憎んでいるけれどという訳ありのヒロイン、話のベースはダークファンタジーになる予定です。

 だいたい7年ぐらい書いてきた混沌の使い魔は必ず完結させるので、どこが良い、ここは改善した方が良いという意見をいただければ幸いです。混沌の使い魔には必ずしも反映させられないかもしれないですが、オリジナル作品では取り入れたいと思っています。







 紙に包んで渡されたコロッケ。手に伝わる熱はいっそ心地良い。

 

 齧れば、サクリと割れる衣に、火傷するぐらいに熱いホクホクのイモ。肉なんて入っているんだかないんだか分からないぐらいだが、それが良い。シンプルなイモの甘さに、ちょっとばかりの塩のアクセント。余計なものはいらない、これがうまい。熱いものを熱いままに食う、これが一番うまい。

 

 ふと、脂の焦げる香ばしい匂いに、胡椒の刺激的な香り。

 

 ──おお、炭火の串焼きか。

 

 抗いがたい匂いに近づけば、聞こえてくるジュウジュウと脂の弾ける音。

 

「おい、ビターシャル。残りはお前が食え。私は、あれが食いたい」

 

 まだ半分以上残ったコロッケはビターシャルに押し付ける。イモを食ったら、今度は肉が欲しくなった。

 

「イザベラ、何度も言うが私もそう食べられないからな?」

 

「いいから食え。そして、今度はファーティマを連れてきてやれよ。釣った魚に餌をやらないような男、捨てられるぞ」

 

「む……。そういうもの、なのか……」

 

「分かったなら、自分でも何がうまいのか覚えておけよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋台の先に、私を引きつけて止まないジュウジュウと音をたてる牛串、そして、既に焼き終わった鳥やら何やらが皿に山盛りになっている。

 

「──お嬢ちゃん、どれにする? 今焼いているのでもいいし、ちょっと待ってくれれば他のも炙るよ」

 

 店先のおばさんは、焼く手を休めず惚れ惚れとする手際。

 

「そうかい。しかし、色々あるねぇ」

 

 焼きたてが一番だが、他のもの捨てがたい。焦げ目のついた玉ねぎの輪切りなんてのも、一緒に食うには悪くない。じっくりじっくりと焼いたニンニクなんてのも、これはこれで良い。表面だけ着飾ったようなものより、ずっと性に合う。

 

「熱心だねぇ。なんならそこで食って行ってもいいよ?」

 

 おばさんが顎で刺した先には、板を渡しただけの粗末なテーブル。椅子なんてものはない。立って食えということだろう。

 

「そうそう、向かいのモツの煮込みもうまいからね。買ってきて一緒にでも良いさ。ワイン一杯はサービスするよ。もちろん、二杯目からは金を取るけどね」

 

 道を挟んだその向こうとやらをのぞけば、大鍋が見える。見なくても分かる。雑多に刻まれたものがグツグツと音を立てていることだろう。

 

「よし、ビターシャル。行ってこい」

 

 一瞬恨めしげな視線を向けてくるが、素直に従う。

 

 ビターシャルという男は、面倒な所はあってもそういう男だ。今でこそファーティマが言うがままだが、子供ができたら逆転なんてことになっても、私は驚かない。

 

「じゃあ、何にするんだい?」

 

 ビターシャルを視線で追うおばさんは、笑って言う。

 

「んー、じゃあ、今焼いている牛串と……。いいや、適当に炙ったやつから一本ずつくれ。残ってもさっきの男が食うからさ」

 

「あいよ。じゃあ、ワインは適当に自分で注いでおくれ。ああ、さっきの色男の分はサービスだ」

 

「ほう、色男は得だねぇ」

 

「そりゃあ、私だって色男は好きさね。ちっとばかり線が細いが、見る分にはいいもんだよ」

 

「違いないね」

 

 

 

 

 

 

 

 グラスにワインを注いてでいるところで、ビターシャルが煮込みの入った皿を置いた。

 

 ニンニクと一緒にじっくりと煮込んだろう濃厚な匂い。何が入っているか分からない雑多な匂いだが、食欲を誘うのは間違いない。

 

「ご苦労様。色男にワインのサービスとのことだが、お前も飲むかい?」

 

「そうだな、いただこうか」

 

 お使いの褒美に、王女である私直々に注いでやる。安物を更に薄めたものだが、これで値千金に違いない。

 

 せっかくだからとグラスを合わせ、一息に煽る。

 

 うん、予想通りチープな味だが、こういう場所にはこれが良い。ただ、これは冷たい方がうまい。

 

「ビターシャル、これを冷やしてくれ。そうだな、井戸水ぐらいの温度で良い」

 

 ビターシャルはただ、私のグラスに指先だけで軽く触れる。試しに飲んで見ると、希望に違わず。

 

「うん、これぐらいが良い」

 

 エルフの魔法というのはよく分からないが、強力で便利、そして精緻なものだ。こうやって程よい温度ということもたやすくやってのける。素直に、羨ましい。

 

「──魔法ってのは便利だね。私なんて火を起こすのだって大変だってのに」

 

 おばさんが本当に羨ましそうに言い、串を盛った皿を置く。

 

「取り合えず、適当に焼いたからさ。言ってくれれば次のを焼くよ。一度に焼くより、こういうのは焼きたてがうまいからさ」

 

「さすが、分かっているね」

 

 まだジュウジュウと音をたてる牛串に鳥、豚、そして箸休めになる玉葱の輪切りに茄子、か。

 

 いいね、煮込みと合わせて、どれから食べるか迷う。もちろん全部食べるが、こういうのは順番も大切だ。

 

「──しっかし」

 

 おばさんの呆れたような声。

 

「うん?」

 

「いや、なに。最近はお付きと出歩くようなお嬢様もこういう所に来るんだなと思ってね」

 

「そりゃあ、まあ、珍しいだろうね。私もこっちに来たからこうやって堂々と来れるわけだし。自分の国だったらそれこそお忍びだよ」

 

「ああ、別の国から。最近うちのような店に来る貴族様がいるんだけれど、やっぱり珍しいんだねぇ」

 

「まあ、自分で言うのもなんだが、そいつも変わり者だろうさ。それこそ私が言うなという話だが、面倒なのもいるだろう?」

 

「いやあ、良い子だよ。まあ、デートで来るっていうんだから変わってはいるけれどね。男の方にはちょっと言いたいことがあるんだけれど、まあ、この辺りで問題を起こすようなヤツを追い払ってくれたりと助かってはいるよ。普段から見回りとかもやらせているみたいでね、揉め事になる前になんとかしてくれてたりと願ったりさ」

 

「ふうん、ま、せっかく遊びに来るのに邪魔されたらたまったものじゃないからね。気持ちは分からないでもないよ」

 

「うん、そういう貴族様なら大歓迎だよ。上品なものは出せないけれどね」

 

 おばさんは卑下するように言うが、それは違う。

 

「いやいや、こういうのが食べたいから来るんだよ。どんなヤツかは知らないけれど、たぶん同じだろうさ」

 

 手間に手間を重ねたものは、もちろん良いものだ。だがナイフとフォークでチマチマ食べるのはそれはそれで疲れるし、何につけても作法というものがある。うっとうしい周りの目だって、常にある。

 

「そうかい。ま、私には分からないけれど、かえって新鮮らしいね。私は逆に、貴族様が食べるような繊細な料理ってものを食べてみたいけどね。おっと、あんまり話し込んでいられないね。なくなったら何時でも声をかけてくれよ」

 

 そう言って、火の前にと戻っていく。

 

 うん、このかたっ苦しくない感じ、これが良い。上辺だけ丁寧にされたって、そんなもの鬱陶しいだけでしかない。裏で私のことを馬鹿にしているのなんて、見てりゃ分かるんだよ。

 

「──食べないのなら、もらうぞ」

 

 ビターシャルがヒョイと私の串を奪う。

 

「あ、てめっ。それはまだ食ってないんだぞ」

 

 味も見ていないもの渡すなんてことは、絶対に許さない。

 

「そうか。なに、難しい顔をしていたようだったからな」

 

 ビターシャルはいつもの澄まし顔。

 

「なんだ、そりゃ。気でも使ったつもりか? 自分の女以外に優しく

なんて、ろくでもないぞ」

 

 ビターシャルのくせに、さ。

 

「……って、本当に食うんじゃねえよ」

 

「ふむ、これはこれで美味いな。悪くない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いくつかの店を冷やかして、ふと思いつくものがあった。

 

「──そう言えば、テファが出している店ってのもあるんだっけね」

 

 ここ最近何やら出かけたりというのが多かったようだけれど、落ち着いたようだ。もともと時間があれば店に行っているという話だから、今日はそっちにいるんじゃないだろうか。

 

 くるりと振り返ると、ビターシャルが険しい顔で固まっている。

 

「せっかく来たし、また手伝ってもいいかもね? ──ふふ、冗談だよ。やりたいなら別だけれどね」

 

 ビターシャルは、面白いぐらいに何度も首を横に振る。さすがに大の男があの仮装は懲りたか。

 

「せっかくアレも似合っていたのに残念だね。まあ、今回は様子さえ見れれば十分だよ。余計な刺激はしたくない。とりあえず、近くまでいいからさ、案内してくれよ」

 

 ビターシャルは渋々に、本当に渋々とうなづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 店には、家族の食卓という看板がかかっていた。

 

 持ち帰り客向けだろう、今も数人が並ぶ販売窓。そして、小さな入り口から中に、テーブルが並んでいる。それなりに繁盛しているようで、子供達が埋まったテーブルの合間で料理を運んでいる。

 

 ああ、テファがいた。

 

 子供達と一緒に料理を運んだり、接客をしたり。仕事なんだろうけれど、楽しそうだ。子供達もよく懐いていて、一緒に笑いあっている。

 

 そういう雰囲気も──悪くはない。まるで物語で見るような家族のようで。言うなら、テファが皆の母親か。ああ、だから、家族の食卓なのか。家族という言葉がストンと胸に落ちた。

 

 そうだ、学院でもそうだった。テファはエルフなのに、いや、エルフだからこそ、か。最近は翼人の子が加わったようだったが、それもテファだから。人と亜人の関係は決して良いものではないが、それを良く知るテファであれば。自身のことを鑑みれば思うことはあるだろうが、受け入れるだろう。あの店の雰囲気は、きっとそういうテファだからこそ。

 

 客はテファ目当てだろう若い男もいるけれど、老若男女、そして、──店に似合わないやたらとごつい男がこっちを見ている。十中八九、あっちの関係者だろう。

 

「……ビターシャル、今日はもう十分に食べたし帰ろうか」

 

 さすがに、これ以上は警告じゃ済まないかもしれない。見るからに融通がきかなさそうだから、尚更だ。

 

「──おや、もう帰るのですか? せっかくなら寄っていかれてはいかがです?」

 

 後ろから、学院で聞き覚えのある声。

 

 ああ、やだよこのながれ。ビターシャルも言いたいことがあるなら言えよ。やっぱりなんて顔するんじゃないよ。

 

 そもそも、何でここにウリエルがいるんだよ。学院が落ち着かないから外に出たのに、何でよりによってこいつなんだよ。あれか? 私への嫌がらせか?

 

 見なくても分かる、ウリエルはニコニコと笑っているんだろう。ああ、やっぱり。

 

「テファ嬢にはできるだけ売り上げに協力して欲しいと言われていましてね。ちょうどこの辺りを回っているところであなたを見かけたもので」

 

 ふと、おばさんに言われた言葉を思い出す。

 

「見回りって、おまえかよ……。テファも、可愛い顔して何でもありか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──あ、ウリエルさん? ビターシャルさんも? えっと、そちらの方は、どこかでお会いしましたか?」

 

 テファは、見覚えはあるけれどといった様子で首を傾げる。この辺りでは珍しい、私の青い髪に見覚えがあるといったところか。だが、一瞬探るように目を細め、警戒心を見せた。奥の奥まで見透かそうとするような、居心地の悪さはなんだろうか。

 

「あー、うん、学院で。今は、学院に留学しているから……」

 

「えっと、イザベラ王女様?」

 

 おお、ぼんやりとしているように見えて、それなりの記憶力はあるらしい。

 

「私のことも知っているん──ですね? ええ、その通りです」

 

「おや、やはりちゃんとネコをかぶるんですね?」

 

 茶々を入れるのはウリエル。こいつ、本当に黙っててくれないか。何がしたいって、まさか本当に嫌がらせか? どうあれ、思い通りになるつもりはない。ウリエルのことは横目でうかがうに留める。

 

「さて、なんのことやら……。私は常に王女たらんとしているだけですから」

 

 しかし、テファのため息。その遠いものを見るような、私への視線は何だ?   

 

「王女様……。王女様というのも、大変なんですよね?」

 

「うん?」

 

「周りには、表面上はにこやかでも裏では何を考えているのか分からない人がいたり……」

 

 ──ここにいるウリエルなんか、まさにそれだね。今回だって、本当は何がしたいんだか。

 

「老獪で、えげつないことだって平気でやるような人……」

 

 ──いや、まったく大変だよ。性格がこれでもかと捻じ曲がっているから。

 

「そんな人とも、少なくとも表面上はうまくやらないといけない……」

 

 ──本当に大変なんだよ。できるものならくびり殺してやりたくたって、できないんだから。

 

「国のために……」

 

 ──ん。まあ、そうだね。それだけじゃ、ないけれどね。

 

「王女様は……。こんな国にしたいという想いはありますか? それがとても難しかったら、どうしますか?」

 

 やけに真剣なテファの表情。

 

「……漠然とした質問ですね」

 

「あ、ごめんなさい……。つい……」

 

 謝罪しながらも、私の答えを待っている。しかし、なぜそんなことを聞きたがるのか、分からない。いや、ウリエルが仕向けたのか?

 

「いえ、構いません。そう、ですね……私にも、こうしたいという想いはあります。国としてではなく、私個人としても。でも、難しいからと諦めたりはしません」

 

 テファは真剣だ。普段のどこかぼんやりとした様子は皆無。誤魔化しは、できない。いや、そもそもこれに関しては私も誤魔化す必要はない。

 

「私の、王女という立場は、国という総体からすれば替えのきく歯車でしかありません。ですが、私にも意思があります。私がその歯車である限りは、私の理想を目指します。やれるだけのことをやって失敗したのなら、所詮私はそれまでだったということです」

 

「でも、それで失敗して、沢山の人が苦しむことになったら……」

 

「それで諦めるぐらいなら、最初からやらなければ良いだけのことです」

 

「それは、そうですが……」

 

 初めてテファの視線が揺れる。

 

「自分勝手なわがままだと言われても、それが王族。そうでなければ、結局何もできない。全てを自分で決めて、その責を負う。それこそ、命だって取られることだってある。そういうものです」

 

 今だって、その覚悟でいる。

 

「……強い、ですね」

 

 ポツリと、テファの言葉。

 

「そうでなければ、一人でなんて来れませんよ。ああ、ビターシャルは一緒ですけれど。私は、その、ろくに魔法も、使えませんし」

 

 エルフであるテファには、分からないだろうな。

 

「すごいなぁ。本当に、すごい」

 

 魔法のこととなるつい卑下してしまう私に、そんなことは関係無いと心からのテファの言葉は面映い。すごいすごいとまるで子供のように。

 

 ──テファは、不思議な子だ。

 

 エルフといっても、ビターシャルやファーティマとは違う。ハーフエルフだからとしても、やはり普通の人とも違う。

 

 私だって、色んな人を見てきた。でも、誰とも違う。

 

 くるくると変わる表情に、まるで子供のような純粋さ。それでいて、子供たちに対しては母親としての顔を見せる。そして、そこにエルフ譲りの美しさが同居しているのだから、神秘的ですらある。地味な格好でも、いや、地味な格好をしているからこそ、その美しさが際立つ。テファの指の飾り気のない宝石より、いっそ、テファ自身こそが宝石のようですらある。

 

 ただ、同時にどこか怖くもある。理由は、なんだろう。そうだ、私に見せた警戒心。どうしても言葉にするのなら、危うさだろうか。思い詰めた時、なんでもしそうというか。タバサの母親がそうだったように、子供を守ろうとする母親とは、そういうものなのかもしれないが。

 

 ウリエルが、私を見ていた。

 

「あなたは施政者として、なかなかの才覚をお持ちだ。それは、誇って良い」

 

「……それは、どうも」

 

 普段から分からないところがあるやつだが、今日はいっそう分からない。

 

「どこで線引きすべきかを見極め、危うくも間違えない──それも誇って良いでしょうね」

 

 そりゃあ誰だって、無意味に死にたくなんてないさ。お前は、本当に私のことが邪魔になったなら、表情一つ変えずに私のことを殺すくせにさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テファのことを意識して見ていると、学院では、シキと一緒にいるところを見かけることが多くなった。そして、そういうところを見ていると、自然に別のものも目に入る。

 

 二人を遠目に、苛立たしげにテーブルを指で叩くルイズ。

 

 自分の使い魔が血の繋がった姉の恋人になって、恋人は更にもう一人。私が見るに、そこにテファが加わってもおかしくない。他人である私にとってすらそう見えるというのなら、ルイズにとっては尚更だろう。心配というか嫉妬というか、まあ、そういう対象がまた増えたということになる。

 

 苛々とした様子を見せたり、嘆くような様子を見せたり、拗ねたような表情を見せたり。一言で表すのなら──可愛い。それなりの地位の貴族でありながらここまで素直というのは、本当に稀有。いっそ、才能と言っても良い。同じように魔法の才がない自身のことを省みれば、こんなにも捻くれているのだから。私にとってルイズは……言葉にはし難い、けれど、嫌いにはなれない。

 

 まじまじと見ていたせいか、ルイズと目があった。

 

 見られていたことに思い至ったのか、気まずそうに目を逸らす。微かに頬を赤く染めているというのは、それこそルイズらしい。

 

 ビターシャルに目配せし、一人で向かう。

 

「──席、宜しいですか?」

 

「も、もちろんです。イザベラ様」

 

 尋ねると、ルイズは慌てて向かいの席を引く。私は礼を言って座る。

 

「ルイズが見ていた二人、最近は随分と親密なようですね」

 

「な、仲が良いのは、良いことですから」

 

 言葉だけは何でもないと言いながら、しかし、ルイズの体は面白いぐらいに震えている。そういう所、本当に可愛い。

 

「たとえば、使い魔の主人としては、言いたいこともあるでしょう?」

 

「慣れていますから」

 

 そこだけはきっぱり。慣れたというのは、いや、まあ、分からなくもないか。

 

「なるほど。では、何が気になるのですか?」

 

「それは……。別に、大した事じゃなくて。最近、ちょっとテファの雰囲気が変わったというか……」

 

「そうですか? まあ、確かに楽しそうですね」

 

 少し前には、塞ぎ込んでいる様子も見かけたように思う。

 

「何と言うか、大人っぽくなったというか……」

 

──ああ、そっちの心配か。手を出されたんじゃないか、とね。

 

「経験は、男女ともに大きなきっかけになると言いますね。……そんなに愕然とした顔をしないでください。ただの、一般論ですよ」

 

「……すみません」

 

「そんなに気になるのなら、本人に確認すれば良いのではないですか?」

 

「それは、そうなんですけれど、私がとやかく言う話じゃないというか……。テファにも、色々と考えはあるでしょうし」

 

「確かに、貴族でなければ、本人がそれを望むかどうかという話ではありますね。私達の、純潔は一番高く買ってくれる相手に売るというのとは、やはり違います。ああ、その意味で言えば不足はないですね」

 

「イ、イザベラ様?」

 

「これも、一般論ですよ。まあ、私の場合は王女という血筋がその価値の大部分ですので、ちょっと違いますけれどね。父次第で国内の有力者か、それとも国外か……。あの父なので、どうなるか全く決まっていないんですけれど」

 

「そう、ですか……」

 

 ルイズが向ける視線は、哀れみか。しかし、ルイズの方がよほど面倒だろうに。

 

「私からすれば、ルイズの方が苦労すると思いますよ。何と言っても、担い手であるからには。王権の源泉がそこにある以上、どういう扱いにするか、非常にデリケートな話になりますね。場合によっては、いえ、確実に他国の思惑も重なってきます。本流はどちらなのか、とか」

 

「そんな、私は、ヴァリエール家は王家の忠実なる臣下です。それは、何があろうとも変わりません。あ……」

 

 不意にルイズは、視線を落とす。正確には、指輪に。青い宝石こそ大振りだが、飾り気のない地味な指輪。最近もどこかで見たような気がするが、どこだったか。

 

「もしかして、テファは……」

 

 ルイズはブツブツと繰り返す、まさか、そんなはずはない、と。

 

 ああ、そうだ、テファだ。テファもこんな指輪をつけていたっけ。もう少し飾りぐらいはあって良いだろうにもったいないと思ったんだった。

 

 ──違う。

 

 バカか私は。この指輪、知っているじゃないか。ガリアにも伝わる、始祖の至宝として。茶色なんて地味な石な上に見るからに嘘臭かったが、虚無が真実にあるのなら、あれだって本物じゃないのか? 始祖の血から作ったという伝説の代物で、代々正統な王権の後継者が受け継ぐという代物、確かにそう聞いている。

 

 既に分かっている虚無の担い手は、父に、教皇に、ルイズ。教皇は分からないが、少なくとも父とルイズは同じ始祖のルビーを身につけ、テファがそれと思しきものを身につけていた。となれば、残るアルビオンの虚無は……。

 

 いや、テファはエルフ、……ハーフエルフか。もし、テファの片親がアルビオンの王家に連なることがあれば、あるいは。万が一、万が一そうだとしたら……。

 

 ルイズは、まだブツブツと独り言を呟いている。

 

 ──どうする。

 

 私の思いつきは荒唐無稽も良いところだが、否定はしきれない。ルイズも、何かを知っている。だが、これ以上踏み込むことは、私でも恐ろしい。今度こそ、警告では済まないかもしれない。いや、済むはずがない。これは、そういう類の話だ。

 

 ルイズとは、それから特に会話もなく、別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 テファがもともとアルビオンに住んでいたことは、すぐに分かった。ビターシャル曰く、ルクシャナがそういう話を聞いていたということだ。誰かがテファの母親を匿い、テファが生まれた。それは間違いの

ないこと。

 

 私のカンを信じるのなら、テファが虚無の担い手ということは、可能性として決して低くはない。運命などというものは信じない性だが、今この時代に何かの力が働いているのは捻くれ者のこの私ですら感じている。だが、それだけで命を賭け金にするには心もとない。たとえ見逃されても、もう何もできなくなる。邪魔だと思われれば、それで終わりだ。ろくに近づくことだって出来なくなる。

 

 ガリガリと頭をかく。指に絡む、ブチブチと千切れる感触。

 

「──はっ、凡人の私が小さくまとまってどうするよ。ようやく見つけたチャンス、私如きに二度は無い」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テファは学院にいる時でも、やはり子供達と一緒にいた。私に気付いたテファは不思議そうに首を傾げる。私が近づいてくることにか、それとも、曲がりなりにも王女がお付きも無しに一人でいることにか。

 

 そして、テファの指輪は……やはり間違いない。色こそ違うが始祖のルビーだ。透明な石に、赤い石の二つ。もう一つは分からないが、今それは良い。

 

「──少しだけ、お時間を宜しいですか?」

 

 

 

 

 

 

 板を適当に組み上げたような簡素なテーブル。ただ、子供達が使うことも考えているのか、角などは丁寧に落とされている。外に置きっ放しにするならそれで十分だろう。

 

 目を向ければ、子供らが駆けるのが見える。疲れたら、きっとこのテーブルでおやつでも食べるんだろう。

 

「──皆、元気ですね。子供はあれぐらい元気な方が良い」

 

「はい、皆ここでの生活を満喫しています。兄さん……あ、シキさんのおかげです」

 

「ああ、姉の良き人であるなら、確かに兄と呼ぶのも自然なことですね」

 

「ええ、そうですね」

 

 テファは微笑む。どこか儚げなのは、果たして気のせいか。しかし、あまり時間をかけると何が起こるか分からない。今だって視線を感じる。本題に行こうか。

 

「テファさんも子供達の世話があるでしょうから、手短に言いますね。テファさんは、虚無の担い手ですよね?」

 

 テファの表情が強張る。

 

「あ、勘違いしないでくださいね? それでどうこうというわけではないですし、あなたが望まない限り、決して誰にも言いません」

 

 テファの表情はいつもの微笑みに戻るが、空気が変わる。背中に何かが這い回るような気配。テファか、それとも別の誰かか。 

 

 テファが言った。

 

「私が虚無の担い手だと、どうして思うんですか? 私は、イザベラ様もご存知の通り、エルフなんですよ?」

 

「ええ、でも、ハーフでしょう? それに、あなたの指にある始祖のルビーは、ガリアにも伝わっているものですから」

 

 テファの視線は、自らの指輪に。

 

 時が止まり、そして、テファのため息。

 

「ああ、すごいなぁ。たったこれだけのことで分かっちゃうんだ。本当の王女様って、すごく頭が良い。私には、そんなことは絶対に無理」

 

「本当に、偶然ですよ。それに、ハッタリというのも重要ですね」

 

 私の言葉に、テファは困ったような顔をする。嫌悪感は浮かんでいない、純粋にやられたという表情。

 

「テファさん──あなたと私は、良い関係を築けるんじゃないかと思うんです」

 

 テファはじっと私を見ている。

 

「私はビターシャルと一緒にこの学院に来ました。父も、表立ってというわけではないですが、エルフの国と関係を持っています。私もあなたの目的を全て把握できているというわけではないですが、お互いにメリットのある関係を築けるんじゃないかと思うんです。父自身、虚無の担い手でもありますしね」

 

 

 

 

 

 

 

 私は、テファと一緒にあいつの前にいる。本物の化け物としてのあいつの前に。

 

 私は、まだ生きている。私は、賭けに勝った。少なくとも、歴史の舞台に立つ資格を勝ち取った。神に選ばれたわけでもない私自身の力で。

 

 

 

 



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第42話 Turning Point

ようやく、本編更新。
大きな見せ場は次になるけれど、地味な今回の話も、これはこれで書きたいこと。

ただ、スピードアップして続き書き上げたいけれど、平日にかけないのは辛い。
もっとハードな仕事でもコンスタントに更新している人はいるけれど、どうやっているのか素直に気になるところ。






 

 

 

 

 

 テファは国を興そうと考えている──イザベラ様と話している時に至った結論。私が問いただしたら、テファも、シキも認めた。

 

 そして、全てを話すと言った。

 

 

 

 

 

 

 

 私の部屋に皆が集まった。シキにテファ、姉さんにマチルダさん。それぞれが椅子に、足りない分はベッドに腰掛ける。

 

 中心になるのはテファ。だから、シキではなく、テファが立ち上がる。テファは、自分の口からきちんと話したいと言った。

 

 ただ、私を見て、申し訳なさそうな表情。

 

「──ごめんね。ルイズには、ちゃんと自分の口から言うつもりだったのに」

 

 私が何かを言う前に、テファは表情を引き締める。これまでになく揺るぎない──それこそ、人の上に立つべき者の顔。

 

 テファは語る。自分が何を考えているのかを、自分が何をしたいのかを。

 

 テファが作りたい国。それは、テファにとっての理想郷。

 

 テファが虚無の正当な後継者として、アルビオンに新しい王朝を打ち立てる。人とエルフのハーフであるテファを象徴に、人と亜人が平等に暮らせる国。虚無という王権の根拠となる理に、それを認めさせる武力として、シキが表舞台に出る。考えうる限り最強の武力の裏打ちがある以上、これは理想論などではない。

 

 しかし、貴族として、トリステインの貴族として認めるわけにいかないこと。

 

「そんなの、国の乗っ取りじゃないの」

 

「──それは、違うわ」

 

 私の言葉を否定したのは、マチルダさんだった。言葉に感情はなく、事実として、その顔には何の表情も浮かんでいない。むしろ、否定する本人こそが認めたくないというような。

 

「王権の根拠が始祖の血を引くことである以上、正統性はテファにこそある。何より、現王家の人間がそれは望んでいる。アルビオンという国を、アルビオンとして残したい。あいつらの、そんな身勝手な理由からだけれどね」

 

 言い終えたマチルダさんは、唇を噛み締めていた。感情を押し殺しても溢れる、自分の言葉に苛立ったような乱暴な言葉。いつもの丁寧な物腰とは、まるで別人のよう。

 

「マチルダさんは、それでいいの?」

 

 マチルダさんはテファのことを誰よりも大切に思っている。そして、臆病なぐらいに優しいテファの性格を誰よりも知っている彼女なのに、なぜ。自らの名を捨てたのだって、結局はテファの為だったはずなのに。

 

 私の問いに、マチルダさんは目を閉じる。

 

「テファが考えて、考え抜いて決めたことだもの。私ができることは何でもやるし、焚きつけたシキさんにも責任をとってもらうわ」

 

 それきり、押し黙る。これ以上、語ることなどないとばかりに。

 

「──だったら、姉さんはどうなの?」

 

 私は、私よりも貴族らしい姉さんに問いかける。姉さんはまっすぐに私を見据える。

 

「トリステインの貴族という立場からすれば、今のテューダー家が続く方が好ましいわね。トリステインという国にとっての利益は、その方が大きいでしょう」

 

 姉さんは私の言葉を肯定する。でも、更に言葉は続く。

 

「ただ、始祖の血を継ぐ私達貴族の本分として、テファさんのやることを否定できるかというと、難しいわ。偉大なる始祖がテファさんを選んだということの意味は、決して無視して良いものじゃない。私はアカデミーで始祖の足跡をずっと研究してきた。けれど、始祖ははっきりとした言葉は残さなかった。その始祖が選んだということは、とても、とても大きな意味があると考えるべきことよ」

 

「だったら、私が選ばれたことはどうなんですか? 私も、テファと同じように、新しい王朝を興すべきだと言うんですか? 姫様を蔑ろにして」

 

 姉さんは眉根を寄せるけれど、それも一瞬。

 

「もしかしたら、そうなのかもしれない。あなたはただ虚無の担い手というだけでなく、別世界の住人であるシキさんを呼んだ。正統性に、シキさんの手助けがあれば、できないことなんて何もないわ。それに、この国は……。先王が亡くなられてからは、マザリーニ卿のおかげで何とか形を保っていたというのは事実。誰も、口にはしないけれどね」

 

「ふ、不敬ですよ」

 

 それは、決して私達が口にしてはいけない言葉。

 

「事実は、事実よ。今だって、姫ではなく父が先頭に立って政を行っている。国の中心は、事実として父。もともと、父が国を率いるという話だって無かったわけじゃない。正統な王位継承権だって、姫に次ぐもの。あなたは知らないかもしれないけれど、それを避けるために父は一線からは引いていたの。でも父が表舞台に戻り、あなたが虚無の担い手であることが広く知れ渡れば、周りはそれを許さないかもしれない。父自身が王家の血を立てることを理由にしてきただけに、虚無のことを言われれば反論できない」

 

「でも、姫様は女王として……」

 

「ねえ、ルイズ」

 

 言葉には、優しい、そして悲しげな響き。

 

「その姫も、今の立場を望んでいないのよ。王子とのことを知っているあなたが分からないわけないわよね? テファさんが新しい王朝を建てて、もし姫様が全てをあなたに譲ってしまえば、元王女と元王子の自由な立場。今のままじゃ、好きな人と一緒になったって辛いだけ。それに、血生臭い話が起こる要素も、欠片もない。その必要がないんだもの。あなたにそうしろなんて言うつもりはないけれど、考えるべきことではあるわ」

 

「わ、私は……。そんなこと、考えたことも……」

 

「貴族としても、人としても、あなたが見ないわけにはいかないことよ」

 

「でも……」

 

 姉さんは私に笑いかける。

 

「結論はすぐには出せないのは仕方がないことよ。とても重い選択だもの。でも、忘れないで。どの道を選んでも、私は、家族はあなたの味方だから」

 

 そして、姉さんはシキに向き直る。どこか苦々しげで、何かに怯えるようでもある。

 

「シキさんがテファさんのことを手伝って、それでも私のことを大切だと思ってくれているのなら、シキさんと私との正式な婚約を。私達の関係が皆に分かるよう、大々的に発表を行います。そういった形であれば、周りがうるさくなることはないでしょう。父と母は、何としても私が説得します」

 

 マチルダさんは、ただ俯く。

 

「──それと、マチルダさんとも同じように。ロングビルという偽りの名ではなく、本来の家名で、テファさんの姉として。そうすれば、余計な軋轢も減るでしょう」

 

 姉さんの視線はマチルダさんに。顔には、色々な感情がないまぜ。

 

「トリステインの利益だけを考えればそうして欲しくはないですけれど、必要なことですよね」

 

 マチルダさんの驚いたような表情に、姉さんはただただ苦笑い。

 

「本当はきちんとしたかったけれど、テファさんが自分の意思を曲げる気がないのなら、これが一番良いはずです。テファさんが静かに暮らせればというあなたの気持ちは、よく分かります。私も、それが良いと思って色々と考えてはきたんですけれど、残念です」

 

 謝罪の言葉を口にするテファに、気にしなくて良いと姉さんは首を振る。

 

「ここまでは前置き。シキさんはルイズのことを兄として守って欲しいし、テファさんにはトリステインの利益も考えて欲しいわね。食糧のことを考えれば、持ちつ持たれつになるとは思うけれど。それに、ガリア、ロマリア、ゲルマニア、それに、エルフの国との関係をどうするかも必要ね。それは考えていますか? まさか、全てを力づくでというわけではないですよね? もしそうなら、いくら私でも反対ですよ」

 

 ようやく、シキが口を開く。

 

「それぞれの国に伝はある。認めさせる、ないしは、口を出させないことはできる。今まで準備していたことも、無駄にはならない」

 

 姉さんとシキ、ドンドンと話が進んでいく。現実に可能な案として。

 

 いや──そもそも、シキが本当にやろうと思えば、できないことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姉さんは父のもとへと向かった。姉さんがなんとかすると言った以上、恐らく失敗はない。

 

 そして、シキとテファはガリアに向かうという。私も、そこに同行する。それは、譲れない。

 

 案内役となるのはイザベラ様にエルフの2人、そして、タバサ。タバサが訳ありということは分かっていたこと。王家に近い青い髪と合わせて、つまりは、そういうことだったんだろう。私からはあえて聞かない、必要があれば向こうから話してくれると思う。そうでなければ、それは知る必要がないということ。

 

 ガリアから国賓を迎える為のものだろう、国の紋章に彩られた竜籠がトリステイン学院に降り立った。

 

 イザベラ様が、私達に対して優雅なお辞儀。王女であるイザベラ様が頭を下げる、つまりガリアとして最高の待遇で迎えるということ。

 

「ガリアは、あなた方の訪問を歓迎します。王も良き関係を築けることを望んでいます」

 

 それなのに、シキは言う。

 

「相変わらず、ルイズの前ではネコを被るんだな」

 

 あんまりな物言いに、イザベラ様は表情をしかめ、私を見るとふっと力を抜いたように笑う。がらりと、それこそ別人かと思うぐらいに雰囲気が変わる。

 

「全く、主従そろって……。まあ、そろそろ面倒と言えば面倒だと思っていたところだ。でも──ルイズにテファ、私があんたらとうまくやっていきたいというのは本当だからね。それは信じて欲しい」

 

「え、え……」

 

 あまりといえば、あまりの変貌。狼狽える私に、イザベラ様が不敵に笑う。

 

「何だい? 父親がアレで、その娘の私が普通のお姫様なんてことあるわけないだろう?」

 

「それは……、あ、そ、そういう意味じゃ……」

 

 イザベラ様はくつくつと笑う。

 

「それでいいよ。私が一番分かっているんだからさ。しかし、私からすればトリステインこそが変わっている。姫に、その母親もお姫様らしいお姫様でさ。先王のことは急だったとは聞くが、それで済むものでもないだろうに。もちろん、悪いとは言わないがね。その国にはその国の考えがある。なんだかんだで身を尽くして国を支えた忠臣だっていたんだ。──まあ、それはいい。早速、向かおうじゃないか。せっかく、今回は無駄な儀礼もいらないんだからさ」

 

 私は、知らないことが随分と多かった。私は、あまりにも鈍感過ぎたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び訪れることになった王宮。最も強大な国であるガリアに相応しい壮麗な佇まい。しかし、人の気配がない。

 

 イザベラ様の話では、あえて人払いをしたということだった。念には念を、そして、要所にガーゴイルが配置すれば案外どうとでもなるということだ。

 

 進んだ先、一際立派な扉がひとりでに開く。

 

 そこに待つのは、玉座で子供のように楽しげな微笑みをたたえた王と、そばに控える女性。虚無の使い魔、神の頭脳、シキに匹敵する能力を持つかもしれないもの。

 

 壮年であるはずの年に似合わぬ、若々しい王の弾む声。

 

「やあ、また会えたこと、心より嬉しく思う。本来であれば歓迎の宴でも設けたいものだが、それは次の機会を待つことにしよう」

 

 視線は巡り、私と、そして、テファへ。

 

「おお、その耳はなるほど、確かに」

 

 テファは敢えてイヤリングをはずしている。とはいえ、テファが身を強張らせるのが分かる。それに気づいたのか、王は言う

 

「ああ、不躾であったな。心から謝罪しよう。なに、同じく虚無の担い手であるというのなら、それは兄弟のようなものだ。その身に流れる血など、些細な問題。それに、娘から君の事は聞いているよ。いやはや、我が娘ながら確かな炯眼、誇りに思う。他の者ではとんと思い至らぬであろうよ。──ああ、娘を自慢するのもほどほどにせねばな。何より、テファ、君のことだ。君の望みを叶えるため、私も最大限の協力をしようじゃないか。さあ、来たまえ」

 

 王は立ち上がり、私達を別の部屋へ誘う。自慢のおもちゃを見せるのかのよう足取りが軽い。扉の先には、巨大な模型──それも最高の職人達につくらせただろう精巧な立体図。象るのは、恐らくハルケギニア。

 

「さあ、世界の行く末について、存分に語り合おう。私はこの時を待っていたよ。その為の準備もしてきた。失敗も多かったが、方向性もようやく定まったところだ。間に合いそうで何よりだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジョセフ王は驚くほど饒舌で、気前が良くて、そして、楽しげだった。

 

 テファの新王朝設立に賛成することを無条件で約束。更には、正式な国交樹立に、混乱の中で不足するであろう食糧安定供給の約束までも。アルビオンの弱みになるのが食糧供給の問題、それがトリステインとガリアからのルートが確立することは、大きな意味がある。こちらが言うまでもなく、欲しいものを気前良く約束してくれる。淀み無く、話はまとまる。まるで、単なる読み合わせの作業と勘違いするほどに拍子抜け。

 

「──ところで」

 

 ここで一息かというタイミングに、王からの問いかけ。

 

「聖地には、何があると思うかね?」

 

 これまでとは趣の異なる問いに、シキが答える。

 

「あそこにあるのは、門だ。別の世界と繋がる門があった」

 

 ジョセフ王は笑う。我が意を得たりと。でも、ここでもまた、私が知らなかったこと。

 

「ほう、その口ぶりからすると既に確認済みということだね? それは話が早くて助かる。実際に確かめた上でということであれば、余としても助かる。あれに関して確証を得るというのはなかなかに厄介だったのでね。であれば、大地が浮き上がるという、大隆起の話はどうかね?」

 

「今のままであれば、いつかはそうなるだろう。実際に、アルビオンという空に浮く国もある」

 

「そう。そして、教皇曰く、それを防ぐための装置が聖地にあるという。なんとも準備が良いことだ。さすがは全能の始祖というべきではないかね。そのような始祖の虚無の力を受け継ぐことを余は誇りに思う。4人の虚無の担い手が揃うことで復活するという真の虚無、楽しみでならぬよ。──なあ、そうは思わんかね?」

 

 私と、テファへの視線。

 

 本当に待ち遠しいと、子供のように純粋。あまりにも純粋過ぎて、怖いと感じるぐらいに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が落ち、人気のない城はいっそ寒々しい。いくら最上の部屋を充てがわれても、それは変わらない。

 

 来客用の棟の中でも最上階で、王族かそれに準ずる扱い。それは、テファも同じ。ジョセフ王の言った、兄弟との呼び方を律儀に守ってくれたということだろう。

 

 窓からは、ガリアが誇る庭園がうかがえる。私達の為に焚かれているんだろう篝火に照らされ、昼とはまた違った色彩に包まれている。一つ一つの部屋が、それぞれにこの景色を独占できるという設計だろうか。テファなら、きっと目を輝かせていることだろう。美しいものは、たとえどんな時であっても美しい。

 

 不意に、扉を叩く音。夜だからか、控えめに二度。

 

「──どなたですか?」

 

「私だよ」

 

「イザベラ様?」

 

「まだ起きているのなら、少し話せないかと思ってね」

 

 慌てて扉を開けると、少しだけ困ったようなイザベラ様の顔。そして、手にはワインの入ったバスケット。薄暗い廊下には、他の影は見当たらない。

 

「お一人、ですか?」

 

「ああ、せっかくなら二人で話したくてね。ルイズが良ければ、だけれど。あれから、話す機会もなかったからさ」

 

「そんな、私には勿体無いお言葉です」

 

「よしてくれよ。そんな、堅苦しい言い方はさ。ルイズに親近感を感じていたっていうのは、本当なんだ。いつまでも他人行儀じゃ、寂しいじゃないか」

 

 私の目は節穴かもしれないけれど、本当に寂しげな表情は本当だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テーブルに置かれたワイン。

 

 とくに凝ったところのない、ごくごく普通のラベルに、覚えのない名前。グラスに注いでも、香りは軽い。

 

「──ああ、知らなくても当然だよ。安酒ってことはないが、それこそ、平民だって飲めるようなものさ。飲み口も軽くて、下手に高いのより、私は好きなんだ。気取らず、主張せずってね」

 

 イザベラ様が掲げるグラスに、軽く合わせる。喉を通る、爽やかな香り。軽やかな、若い味。

 

「私も、嫌いではないです」

 

 イザベラ様が微笑む。

 

「そうか、それは良かった。こいつの良さは、なかなか分かってもらえなくてね。そりゃあ、高いのは高いでそれなりのものではあるけれどね。どんな時でもそれが良いかって言えば、私は違うと思うんだ。ごてごてと飾るのも必要、なんだけれどさ」

 

 視線は、まっすぐに私へ。

 

「ええ、私も大切なことだと思います。でも、ずっとそれでは疲れてしまいますね」

 

「ああ、全くだよ。本当に、疲れる。私はもともと、そんなお上品なものじゃないから尚更、さ」

 

「そんなことは……」

 

 イザベラ様はゆっくりと首を振る。

 

「前にも、話したけれどね。私は魔法の才能が無くてね、やっぱり色々と言われるものさ。女王付きとなれば、メイドだってそれなりの家柄でね。ろくに魔法が使えないってのは、やっぱりね。例え言葉にされなくても、分かるもんさ」

 

「……はい」

 

 遠い目をするイザベラ様が見ているものは、私にも朧げに浮かんでくる。

 

「いくら強がっても、やっぱり認められたいものだよ。でも、誰でもいいかってわけじゃなくてさ。まあ、それは、それぞれだと思うけれど……。私にとっては、さ……」

 

 イザベラ様が、ガシガシと頭をかく。

 

「何というか……。私は、嬉しかったんだよ。あの父親に褒められてさ。あの一言だけだったけれど、柄にも無く、その……。たったあれだけで、涙が出そうで。ルイズのおかげで……さ。たったあれだけでも、物心ついてからは初めてで、ね」

 

 ああ、私にも分かる。痛いほどよく分かる。欲しいのは、ものなんかじゃなくて、たった一言、それだけで良い。

 

「嬉しかったんですね」

 

「……あぁ、……あぁ、そうなんだよ。無能王なんて言われるけれど、あの人は天才なんだ。私はただ才能が無かっただけだけれど、あの人はそんなことは関係ない。魔法が使えないっていうのは、親子だと思っていけれどね。でも、本当は虚無なんて才能があって、私とはやっぱり違った。虚無なんて、最高の魔法の才能じゃないか」

 

 私は、何と言えば良いんだろう。置いていかれた子供のような顔のイザベラ様になんて言えばいいんだろう。

 

「……ああ、ルイズを困らせたいわけじゃないんだ。そんな風に遠くなったけれど、ルイズのおかげでまた近づけたようで、それでルイズに──ありがとうって言いたかったんだ」

 

 初めて見せてくれた年相応の女の子の表情と、そして、うっすらと目に輝くもの。

 

「ずるいです、イザベラ様。そんな風に言われたら、何も言えないじゃないですか」

 

「そうだよ、私はずるいんだ。なんたって、女王様だからな」

 

 私達は二人で笑いあった。そして、空になったワインの代わりを探しに、二人で食料庫へ忍び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉を開けると教皇の柔らかな微笑みで迎えられ、そして、困ったような顔に変わる。手に取ったばかりであろう本は、書棚に戻された。随分と古い本のようだった。

 

「ジュリオ、あなたにしかめっ面は似合いませんよ?」

 

「僕もそんな顔はしたくないのですがね。また、ガリアの問題児が勝手なことをしようとしているようで」

 

「ふふ、問題児ですか。たしかに、あの王には似合いかもしれないですね。本人が聞いたら手を叩いて笑うことでしょう。で、今度は何を始めました? また新しい玩具を作りましたか? それとも、本格的な戦争ごっこでも始めましたか?」

 

「新しいガーゴイルは毎日のように作っていますし、戦争ごっこも、辺境も辺境ですが、領主軍と良い勝負をできるようになったようです。地方など表も裏も掌握済みで、そんな必要などないでしょうに」

 

「ほう、さすがですね。それを中心に軍でも作るつもりでしょうか?」

 

「さて、僕にはなんとも……。事の成り行きを確かめた後には、綺麗さっぱり皆殺しでしたからね。もちろんそちらも問題ですが、件の、混沌王とのことですよ」

 

「なるほど、ついに直接接触を図りましたか。せっかくリカルド殿がくれた手紙も活かしきれないかもしれませんね。これは、勿体無いことをしてしまった」

 

「もう少し早ければ、違ったかもしれませんがね」

 

 マザリーニ卿への客人のこと知らせるだけの手紙、それだけであればもっと早く寄越すことができたはずだ。

 

「そんなことを言うものではないですよ。彼は良くやってくれました。万全の注意をしてとなると、なかなかに大変なものです。事実、その注意深さのおかげで彼は彼として在ることができているのでしょうから」

 

「それはそうかもしれなませんが……。しかし、どうにも食わせ者としか思えません」

 

「だからこそ信用できるのですよ。彼は確固とした信念を持った方です。彼なら、もし私が失敗したとしても、正しい知識さえあれば、私の信念を継いでくれることでしょう」

 

「──失敗することなど、欠片も思っていないでしょうに」

 

 教皇の浮かべる、悪戯好きの微笑み。確かに、こうも思惑通りに進めば楽しいだろう。約束された勝利があるのであれば、何の憂いもあるまい。

 

「それはそれとして、ですよ。それで、問題児の様子はどうなのですか?」

 

「客人が王宮を訪れたことは分かりましたが、それ以上のことはなんとも。官吏どころか使用人さえも関わらせない念の入れようで」

 

「それはそれは……。まあ、それも仕方が無いでしょう。彼は宗教家などペテン師と同じだと考えていますしね。我が事ながら、私自身そう思います。いやはや、本当に困ったものです」

 

「聖下は単なる俗物共とは違うでしょうに。……それで、どうなさるおつもりで? ただ待つだけというのも芸が無いでしょう?」

 

「それはもちろん。帰結は一つにしても、やるべきことを尽くさないのはただの怠慢。事が滞りなく進むよう、下準備は続けますよ。それに、迷い子達への助言も、ね。……ああ、そうそう。そろそろ会合を開く準備も始めなければいけませんね」

 

「準備など、とうに済んでいるのでは?」

 

「いえいえ、大切なことを忘れていますよ」

 

「……それは?」

 

「食材の手配があるでしょう? 美味しい食事は心を和ませます。それに、宴も開かなければなりません。国を、いやいや、世界をあげて祝わなければ。皆が待ち望んだ日が、ついに訪れるのですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第43話 Easter

 ロマリアの、教皇からの返事が届いた。

 

 曰く、虚無の目覚めを祝福し、最大限の敬意を払う。我ら始祖の御意思に従う。虚無の復活を共に祝おう、と。

 

 そして、時をおかずして届いた報せ。

 

 ロマリアの教皇とガリアのジョゼフ王、それぞれが大々的に発表した、自らが虚無の担い手であるという声明。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロマリアに来てからこれ、世話になっているリカルド殿と共に、教皇庁へと召喚された。任意とは口では言うものの、有無を言わさぬ強引なもの。心当たりがないではないだけに、覚悟もした。ワルド子爵がいかに手練れとて、1人でできることには限りがある。だが、いざ教皇と面会すれば拍子抜け。

 

 曰く、トリステインからの客人に万が一の事があってはならない。嵐が去るまでの数日、我慢して欲しいとのことだった。

 

 そして、集められたのは私達だけではなかった。

 

 教皇庁の中は、かつて見たどんな時よりも人でごった返していた。贅沢に着飾った者たちだけでなく、老若男女、恐らく教皇が私的に面倒を見ているだろう孤児達も。すっかり拝金主義がまかり通るここでは、決してあり得ないだろう光景。

 

 年若い教皇が私達に宣言する。

 

 自らが虚無の担い手であることを。これから数日、嵐が起こるが、始祖の加護が皆を必ず守る。そして、友人達が駆けつけてくれることを。

 

 

 

 

 

 

 しかして、嵐は起きた。

 

 教皇庁を囲む、聖堂騎士団。本来教皇を守ることこそが彼らの役割であるが、どうしたことか、その杖は、その守るべきものに向いている。

 

 だが、それも宜なるかな。皇国の、本当の意味での実権は教皇にあるわけではない。教皇庁の闇は深く、たとえ最高権力者が教皇であっても、それはあくまで肩書きでのことでしかない。

 

 歴史は、どうしても派閥というものを作る。表だっては出てこなくとも、それらの長が、良くも悪くも自らの利益の為に行動し皇国を運営する。

 

 教皇が自らが虚無に担い手であることを宣言、全ての汚職を糾弾し、皇国を再生すると言った。いくらそれが正しいことであっても、表だってそんなことを言えば、普段は表に出てこない彼らとて表舞台に出ざるを得ない。そもそも、年若き教皇がその座についたのは、上手く立ち回り、それが派閥の長にとっても有益となるように動いてきたことこそが大きかったのだから。

 

 ──歌が、聞こえる。

 

 幾人も重なる声。聖堂騎士団が誇る、賛美歌詠唱。力を重ね合わせ増幅する、個では無し得ない奇跡を実現する儀式魔法。彼らが最強の一画に名をあげられる由来である武力を背景に、団長らしきものが教皇へ退位を促す。

 

 しかし、それが無駄であると彼らは知らない。口上は、腹に響く、巨大なものの声で遮られる。

 

 竜の、何匹にも重なった竜の声。竜だけではない、様々な魔獣達の声。凶暴すぎて人には扱えないはずの獣の声も。恐れのない狂信者といえど、恐怖の具現の前では異なるか。

 

 唸り声が止む。

 

 そして、静寂の中、美麗な、年若い声。不思議なほどに通る声で、名乗りを上げる。ジュリオ・チェザーレ、そして、教皇に仕える虚無の使い魔ヴィンダールブとして。

 

 外を伺えば、あり得ない光景がそこにある。ジュリオを守るように竜達が、獣達がいる。教皇の言った、頼りになる友人達がそこにいる。

 

 例えば竜という生き物、これは幼生のころから教育をほどこして、才のある騎士だけがようやく生涯の相棒として飼いならすことができる。しかし、そんな彼らがただ一人の少年に従っている。それこそ、あらゆる獣を従えると唄われる始祖の使い魔、ヴィンダールブでしかありない光景。

 

 聖堂騎士団の困惑は理解できる。彼らの信仰心は、歪んではいても紛れもない本物。だからこそ、彼らは混乱する。都合の良い駒となるよう、信仰心だけ植え付け、敢えて考えさせないように教育を施された彼らでも、いや、そんな彼らだからこそ、目の前の事実には動けない。

 

 ジュリオの、歌うような声。

 

「君たちの信じるものはなんだい? 君たちの信仰は、始祖にこそ捧げたものじゃないのかい?」

 

 広がる動揺の中、彼は続ける。

 

「そんな君たちは、今何をしているんだい?」

 

 言葉にならない、呻き声。

 

「君たちは、始祖の後継者に杖を向けるのかい?」

 

 カラン、カランと、何かが落ちる音。

 

「でも、分かっている。君たちが悪いわけじゃない。君たちは利用されていたんだ」

 

 杖を向ける者は、もういない。

 

「さあ、一緒に行こう。今度こそ、本当に始祖の為に働こう。始祖は寛大だけれど、それに甘えてはいけない。一緒に罪を濯ごう。僕の友達が手伝ってくれるよ」

 

 そして、力強い羽音がいくつも重なる。飛びたつ竜達の背には、さっきまではジュリオに杖を向けていた者たち。竜に乗ったことなどあるかないかといった所だろうに、各国の精鋭の竜騎士に負けないほど堂々としたもの。いや、竜達と、獣達とまさに一心同体、アルビオンが誇っていた騎士達にも勝る。

 

「さあ、行こう。聖堂騎士団──いや、聖獣騎士団の皆」

 

 ハルケギニアで最強の兵種こそ、竜騎士。華々しく騎士団を率いるジュリオは、かつての覇王の名に勝るとも劣らない。まさしく、大王ジュリオ・チェザーレの再来。

 

 

 

 

 

 時をおかずして、謀反を企てた者たちは、諦めの良いものは捕縛され、しかし、多くはその場で処刑された。逃げおおせたものはいない。

 

 竜から逃げるには竜と、至極真っ当な考えをする者もいた。それは、正しい。しかし、誰が思うだろう。乗り物としか見ていなかった竜に食い殺されるなど。その無様な死に様に人々は噂する。ああ、やはりバチは当たるものだと。

 

 結局、嵐は1日も経たずに過ぎて行った。ロマリアに長年すくってきた膿だけを綺麗さっぱり洗い流して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガリアの象徴であるヴェルサルテイル宮殿に、久方ぶりに人の息遣いがそこここにある。大舞台の準備となれば、人手が必要だ。

 

 そんな中で、私も王女としての身嗜みを整える。

 

 窮屈で仕方が無いコルセット。衣装係がこれまで使っていたものを諦め、恐々と新しいものを持ってくる。成長期だからとは、ものは言いようだ。そして、平均に辛うじて届くかという胸をこれでもかと持ち上げる。確かに、胸の開いたドレスで谷間すらないというのはいただけない。だが、泣きそうな顔でそんなことをするというのは何の冗談か。

 

 そして、仕上げにやたらと重い冠をと。案の定、鏡に映る自分には、なんとも大きく、重い。

 

「──イザベラ王女様、いつにもましてお美しゅうございます」

 

 衣装役は卑屈に微笑んで見せる。どうせ、首になんて出来ないというのに、健気な努力。使用人の大部分はガーゴイルに代えてしまったけれど、美意識なんか人形に期待なんてできないというのに。

 

「これでいい。後は、連れに相応の格好をさせてやりな。私の隣でも見劣りしないようにね」

 

 タバサなら──シャルロットなら──私より立派なものになるだろうさ。

 

 

 

 

 

 

 ガリアが誇る庭園を見下ろす、展覧台。

 

 先頭に王が立ち、私は王女として右手に、シェフィールドという女が左手に立つ。私より汚れ仕事に染まり、影にどっぷりと浸かった女。私がそれをどうこう言うつもりはないが、自らの父に女としての視線を向ける相手というのは、どうにも困る。気まずさという意味ではお互い様ではあるが。そして、私の後ろにはタバサもいるのだから、我ながら大した肝の太さだ。すっかり感覚がおかしくなったらしい。

 

 それはさておき、見下ろす先には国内の主要な貴族達が集まり、私達を見上げている。人、人、人、この国にはこれだけの貴族がいたのかと呆れる。当主に準じるものだけでこれだから、多すぎるのではと思えるほど。

 

 彼らの表情は一様に困惑。そうだろう、狂王の突拍子もない命令にはすっかり慣れているとはいえ、今回の命令は一際奇妙なもの。有無を言わさずの強制参集。戦時下の総力戦もかくやという強権発令。そして、これから成される宣言はそれ以上の衝撃だろう。

 

 こんな中でも一切の気負いのない王。

 

「──やあ、諸君。突然の招集にも快く参集してくれた事、まずは心より感謝する」

 

 拡声の魔法など使っていないというのに、隅々にまで届く、よくよく通る声。演劇の技法をも駆使したそれは、一朝一夕ではなし得ぬもの。魔法の才あるものであれば、失笑ものだろう。理解のできない無駄な努力であるからには。

 

 王は続ける。

 

「余の奇行には慣れっこであろう貴君らではあるが、今回はさぞ扱いに困ったであろう。王としての強権を十二分に使っての招集であるからには。しかし、理解して欲しい。何せ、事が事。戴冠と同様に、いや、それ以上に扱わねばなら重大事であるからには、余の口より語るが筋というもの」

 

 動揺と困惑が広がる。この王がそこまで言うほどの重大事とは何事か。次々に増幅され、熱はこれでもかと広がる。

 

 その最高潮の中に、王は言葉を投げ込む。

 

「──余は、虚無の担い手であった」

 

 耳が痛くなるほどの静寂。

 

 貴族達は一様に間抜け面を晒し、ようよう理解しただろう1人が吹き出す。そして、爆発する笑い。腹を抱え、涙を流し、呼吸すら儘ならぬほどの笑い。階下からのそれで、空気が震えるほど。

 

 誰かが言った、ついに王が狂った、と。

 

 しかし、そんな中でも、一際よく通る王の声。道化役が戯けて見せるような、大仰な響き。

 

「──喜びを共有したいのであるが、儘ならぬな」

 

 しかし、笑いがぴたりと止む。なぜだろう、なぜ、王が階下に、彼らの目の前にいるのだろうか。皆の視線が集まり、またもや静寂が包む。なぜ、どうやってと、一様に混乱が伺える。

 

 王はこれまた大仰に両手を広げ、芝居がかった仕草で演説を続ける。

 

「これは虚無の魔法の一つで、加速というものらしい。文字通り、目に捉えられぬほど早く動けるようになるものだ。便利ではあるが、使いこなすというのは難儀であるな」

 

 誰かが叫ぶ。偏在だ、偽物だ、と。

 

 しかして、どうしたことか、その彼の後ろに王がいる。友人にするように肩に手をおく。

 

「うむ、君の意見ももっともだ。たしかに、虚無の技を見せるというのは難しい。何せ誰も見たことがないのだから。恐らく、今頃はロマリアの教皇も同じ悩みに直面していることだろうよ」

 

 クツクツと笑い、だが、彼が振り返る前に王の姿がかき消える。そして、王の姿はまた壇上へ。

 

「──まあ、虚無というのは無駄遣いできるものではないようでな。もっと効率よくいきたいと思う」

 

 王は、左手の人物を、取って置きだとエスコートする。

 

「紹介しよう。我が使い魔、ミョズニトニルン。神の頭脳という二つ名の通り、魔道具の扱いは随一。ちょっとした人形劇をお見せしたいと思う」

 

 王城の扉が開き、金属のこすれ合う音が響き渡る。歩み出すのは人型、それに何かをつけたしたもの、巨大な車輪のついた不恰好な馬車のようなもの。嫌悪感を沸き立たせるようなものが、ワラワラと、それでいて整然と溢れ出してくる。どこか人型を保っているというのが、グロテスクな気味の悪さをなお一層かきたてる。

 

 そんな中に、ドオンと爆発音。

 

 人形達の元で煙が上がっている。どうやら、さっきの王を侮辱した男が火球で放ったらしい。なんとも、正気とは思えない表情。どうにも、思慮の足りない人物だったらしい。愚行が過ぎれば、本人だけの処刑だけで済まなくなるというのに。そして、男の顔は更なる間抜け面を晒す。煙が晴れると、人形がそのままにあった。

 

「君は行儀が悪いな。しかし、どうかね。なかなか頑丈なものだろう? 技術のつてがあってね。少々の魔法では傷一つつかない自信作だ。実戦での運用もそれなりに形なってきてね。なかなかに面白いことができるようになったよ。1小隊で砦ぐらいなら十分に落とせる」

 

 男はもう一度、火球をぶつけた。

 

「頑丈ではあるが、ここが王城であることを忘れてもらっては困る」

 

 いつの間やら男のそばにいた人型の爪が振るわれ、男の首が落ちる。もはや、王を馬鹿にしようという者はいない。

 

「さて、君達にはこれから退場いただく──なぁんて言うと思ったかね?」

 

 ざわめきに、カカと王は笑う。

 

「いやいや、余にそんなつもりはないとも。余としても彼のことは残念だ。もう少し思慮深いと思ったのだがね、あんなはしたない真似をされては、ああせざるを得ない。誠に残念だとも。余はただ、玩具を見せびらかしたかったのと、ただ、先日地図から消えた城があったと言いたかっただけだというのに。いや、誠に残念」

 

 一昼夜でおちた城のことは、皆知っている。きれいさっぱり皆殺しだった場所のことは。

 

「──貴君らが混乱するのはよく分かる。これまでも余は余なりに考えての行動をしてきた。しかし、はたから見れば突拍子もないと言われても仕方がない。であるからには、この場での、これまでの不敬は問題としない。良く良く考えて欲しい。余は、貴君らが他国に誇る優秀な者たちであることを知っているのだから」

 

 

 

 

 

 反乱は、起こった。

 

 しかし、それも予定調和の小規模なもの。暗殺された王弟を信奉していた、謂わばオルレアン派の残滓。正しい血筋に戻そうと燻っていた者たちが中心ではあったが、所詮は内部の扇動者によってなし崩しに動いただけの烏合の衆。そもそも、肝心の神輿が無ければ片手落ちも良いところだ。

 

 唯一の望みであったであろう、追従する者たちは皆無。現王が虚無の担い手であるという、突拍子もない言説には半信半疑ではあっても、それと思しきものを見て、そして、同じく虚無の担い手であることを宣言した教皇の追認。四つの四の一こそジョセフ王であると、教皇が言った。それは、皆を黙らせる十分な効果があった。何せ、教皇自身が伝説にあるヴィンダールブでなければ不可能であろう規模の竜騎士団を組織、瞬く間に真の意味で皇国を統一したのだから。

 

 そして、それと同じことを王は、父は行っている。虚無の使い魔、ミョズニトニルン、その名に相応しい大量のガーゴイルと人との混成部隊を連れて。

 

 私は、兵法なんてものは分からない。

 

 上空からの爆撃や、画期的な制圧兵力と言われても、恐らく有効だろうということしか分からない。しかし、報せを聞く限り、被害はほとんど無しに砦に篭った反乱軍を1日で落としたというのだから、大したものなんだろう。恐らく、もう反乱を起こそうなどという者はいない。

 

 部屋に控えさせていたタバサに、小瓶を投げ渡す。

 

「──それをやるよ。ビダーシャルに作らせた、あんたが欲しがっていたものだ。だから、バカなことは考えないことだ。誰にも、身の丈にあった幸せというものがある。欲をかけば、全部を無くす。それは、私からの餞別だよ、……シャルロット」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロマリアとガリアからの、自分達は虚無の担い手であるという報せ。それはゲルマニアに届いた。

 

 直系ではなくとも知る資格があると、なんとも親切なもの。奴らにとって私は、ゲルマニアの王などはその程度のものらしい。

 

「……い、いかがされました」

 

 親書を持ってきた男の引きつった顔。細面のなまっちろい見た目に相応しい、びくびくとした様子。事務方の才能に優れるだけに、惜しい。いや、だからこその慎重さ、だからこそ安心して下における。それを考えれば、真に稀有な存在だと言える。

 

「お前がどうこうということではない。それよりも、試作品の出来の方が重要だ。前回のもので出土品とほぼ同等だったはず、ならば今回のものは完全であろう?」

 

 男が取り出す、黒光りする銃身。これまでの銃と全く異なる、場違いな工芸品の再現品。銃と言えば単発式で、実戦では使い物にならない困った代物。

 

 しかし、これは違う。

 

 初弾こそ引き金を引く必要があるが、あとはその際に発生する力、ガス圧というものを使用して自動的に次弾を装弾、連射し続けるという、芸術的なまでの一品。

 

 難点は、それを実現する為の加工が高度過ぎ、そもそも銃弾一つ一つが芸術品とも言えるほど高度なものになること。いっそ、金貨を打ち出した方がよほど安上がりかもしれない。だが、生産さえできれば平民を主力にできるだけの代物でもある。

 

 男が言う。

 

「前回の反省を踏まえ、無理に劣ったレベルで材質を揃えるのではなく、要求を満たせるだろう別のものに置き換えました。総合的に判断すれば──」

 

「──よい」

 

 いつまでも喋りそうな男を押しとどめる。

 

「細かい理屈よりも、大切なのは実際に使えるかどうかだ。その為には、だ」

 

 両手で銃を構える。

 

 脇で挟み、右手をトリガーに。そして、左手を添える。ただそれだけで安定する、これまた芸術的に考えれ尽くされたフォルム。

 

 ダダン──ダンッと銃声、扉の穴からは煙が上がる。

 

 さすがに鉄を仕込んだ扉を貫通するまではいかないが、対人用としては十分過ぎるほど。少々の魔法壁であれば、容易く貫通するであろう。

 

 感動を邪魔する、慌てて扉から飛び込んで来た護衛は下がらせる。少しばかり軽率だったことは、反省しよう。

 

 口を開けたまま間抜けヅラをさらしている男。

 

「──合格だ。工房へ行くぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 城の地下、100人は詰め込めるほどの工房。

 

 十分に余裕を持って、整然と何列にも並べた机の男達が、ただひたすらに金属の加工を行う。監督役の男だけが行き来して確認作業を行う。これまでは実験段階だったが、ようやく本腰を入れられる。

 

「──分業体制というのは効率的です。1人に複数の行程をさせるよりも、はるかに作業効率が高く、それに、調整も容易になりました。ただ……、これは……」

 

「なんだ、始祖がお許しにならない──か?」

 

 男は口ごもる。根が善良であるだけに、この男には受け入れ難いか。

個人であればそれで良くとも、国はそんな単純なものではないというのに。

 

「下らぬ良心など捨てろ。それに、大した違いなどあるまいよ。平民を道具として使うか、本当の道具に作り変えてから使うか。同じ道具であるならば、より性能を引き出せるようにすることの何がおかしい。事実、これまで複製すら不可能だったことを実現しただろうが」

 

「……その通りでございます」

 

 男は項垂れる。頭では分かっても、心が受け入れないか。生きた人間を材料にした生産特化ゴーレム、ただそれだけのことだろうに。

 

 ああ、認めよう、認めようじゃないか。確かに始祖の影響は大きなものであると。神として、道徳として人を深く縛っていると。

 

 しかし、エルフに追われたという事実はどうだろうか? 始祖とて全能ではないということだろう。

 

 私は、その先を行く。駆逐した先住の魔法とて、なかなかのものだ。使えるものは、全てを利用する、それこそが人の強みだ。

 

「──ああ、そうだ。休ませなかったものはどうなった?」

 

「……一週間しか、持ちませんでした。そのまま、死にましたよ」

 

「そう、か。ならば、6時間の睡眠を取り入れろ。生産性は落ちるが、なに、その分は数で補えば良い。ただし、最適解は引き続き探せ。何事も、一朝一夕にはいかぬからな。それと、死んだのではない、壊れたのだ。人だと思うから悩むのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昏い、昏い道。

 

 寒々しい影の道を抜けた先は、随分と手の込んだ、百合の意匠が編まれた絨毯の部屋。

 

 部屋には1人の年若い男。窓際でワインのグラスを傾けたまま、間抜けな顔でこちらを見ている。暗がりのせいか、前に会った時よりも顔色は良くない、そんな気がする。

 

 ウェールズ・チューダー、謳われほどの美男子の面影はどこへやら。

影のある男が好きなんて女なら別かもしれないが、頼りがいがない男なんて、私はごめんだ。こんな軟禁状態を良しとして、姑息な小細工しかできないような男は。

 

 私は決して好意的な視線など向けていないというのに、男は微笑む。

 

「──まさか、マチルダ殿、君から尋ねて来てくれるなんてね。そして、君の後ろにいるのは……」

 

 私の後ろで、テファが息を飲むのが分かる。テファも、言いたいことは沢山あるだろう。でも、テファは恨み言なんて言わない、そういう子だ。

 

「……はい、私がテファです。私達、従兄妹になるんですね。それなのに、初めまして、なんですね」

 

 ウェールズが微笑む。恐らく、作ったものではなく、心から喜んで。

 

「本当に、会えて嬉しいよ。私達のことを恨んでいるだろうし、それは当然のこと。だから、会ってくれることはないと思っていたから。私達の身勝手な思いにも巻き込んでしまったしね」

 

「──いえ、私にも必要なことでしたから。私は私の、私達の国を作ります。たとえ人でなくても、安心して暮らせる国を」

 

「そうか……。うん、私はそれで良いと思うよ。何せ、君こそが始祖が選んだ後継者だったんだから。それがあるべき形なんだよ。それがきっと、アルビオンの本当にあるべき形だったんだよ」

 

 ウェールズは満足気な顔をしているけれど、私達はこいつの為に来たんじゃない。

 

「不本意ながら、結局はあんたらの思惑通りさ。でも、あとは私達の好きにやらせてもらう。本当は会いに来る必要はないけれど、仕方なく、こんな所まで来たんだ。最後の責任ってものを取ってもらう為にね」

 

 ウェールズは困った顔を見せる。

 

「何だろうか。私にできることなら何でもしよう。死ねと言うのなら、それでも良いが」

 

「今更あんたの命に価値なんてないよ。ただ、最後の勤めを果たせというだけだよ。古臭い儀式やらはどうでも良いけれど、受け継がなければならない知識はあるはず。無駄に長く続いた歴史があるから。教えてくれるような私達の家族は、もういないから」

 

「……なるほど。それは確かに、私達の責任だ。しかし、私だけでは心許ない。すまないが、父とパリーも呼んでくれないか? なにぶん、不自由な身でね。自由には動けないんだ。本当に、情けない限りなんだがね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公爵である、私の父。常に威厳のある表情で、尊敬はしていても、やっぱり怖かった。

 

 しかし、その父は今、困ったように眉尻を下げ、ましてや、私を見るなりため息をつく始末。娘に対するものとしてはいかがであろうか。

 

 そして、カトレアも楽しそうに笑うんじゃない。

 

「──お父様。言いたいことがあるのなら、はっきりおっしゃってくださいな。それともなんですか、まだ私とシキさんとの婚約に何か言うつもりですか?」

 

 父は、途端に苦々しい表情。

 

「いいや、今更何も言うことはない。アルビオンは、私も蔑ろにしたくはなかった。単なる損得で考えればそのまま取り込むべきだが、独立した王家があることにも、意味がある。トリステインが誇りを忘れ好き放題をということがあれば、将来の禍根にもなりかねない。感情というのは、厄介だからな。それに、他の貴族共を黙らせる方策も自分で考えて、自分で話もつけた」

 

 父はなお一層に困った、そして、どこか情けなさすら感じさせる表情。

 

「……ただ、文句を言うようならお前の婚約者とカリーヌが話し合いに行くなど、悪質な脅しにもほどがある。本当に、無茶を押し通してくれる」

 

「あら、お母様の子ですもの。結婚の為ならそれぐらいしますわ。お母様の武勇伝は、聞いていますよ。結婚を認めさせるために相当無茶をしたそうですね?」

 

「む……、それはそうだが……。しかし、ならば尚更、独占欲は強いだろうに。あいつは他の女の記憶を消すぐらいに考えていたぞ。むろん、あいつなりの優しさだったんだろうがな」

 

 父は困りながらも、どこか嬉しそう。

 

 父の、かつての想い人。詳しいことは知らない。でも、死人に想いを寄せるのは──やはり、悲しい。ずっと縛ることは、その人だって望まないと思う。

 

「私だって、独占はしたいです。ずっと、ずっと一緒にいたいです。でも、難しいことは最初から分かっていましたから。それぐらいは、我慢します。この国とアルビオンにとっても、その方が良いと思いますし。力には責任が伴う──ですよね?」

 

「ああ、そうだ。魔法という、始祖から託された力。権力という、人を率いる為に託された力。……国をまとめる王権は、その最たるものだ」

 

「姫様から、話があったんですよね」

 

「ああ、誰に入れ知恵されたのか、虚無の血筋に託すのは、あるべき姿へ正すこと。そして、何もできない自分には御輿になる資格もない、とな」

 

 お父様は俯く。かつてなく、迷い、弱々しく、そして無力を嘆くように。

 

「……正直に言えば、私もどうすべきかは分からなくなってきた。ロマリアとガリア、そしてアルビオンが虚無の担い手に率いられるとなってはな。卑怯かもしれないが、私はルイズの選択に任せようと思う。猶予は、多くないがな。ロマリアでの虚無の復活祭というのは、大きな岐路になる」

 

 父は、真剣なな表情で私達を見つめる。

 

「エレオノール、カトレア、お前達は何があってもルイズの味方であって欲しい」

 

 私とカトレアは、深くうなづく。

 

 

 

 

 

 

 

 ロマリアから招待された、虚無の復活祭。失われた虚無の復活を喜び、国をあげて大々的に執り行うという。

 

 そして、招待はもう一つ。

 

 関係者だけで行うという前夜祭。始祖の秘宝とやらの持参を求められ、ご丁寧にも、テファへは二つの指輪の指定まであった。テファがそうであると知ってからは時間も無かったろうに、大した情報収集能力。浸透した宗教の強みというものを存分に見せつけてくれた。何千年もの歴史というのは、伊達ではないと。

 

 不安気なテファには、ただ心配ないとだけ伝える。

 

 

 

 

 

 

 ロマリアでは、和やかな教皇の微笑みで迎えられた。ただただ恐縮する、ルイズにテファ、そして、エレオノールとマチルダ。挨拶もそこそこに、教皇はテファへと向き直る。

 

「──テファさん。私は、始祖があなたが選ばれたことには深い意味があると思います。あなたの理想こそ、始祖が望んでいるということでしょう。ロマリアから失われ、行方不明になっていた火のルビー。それがあなたのもとにあるというのはなんとも示唆深い。強い意志は、強い運命を引き寄せると」

 

 テファは逡巡し、指から、赤い石のルビーを抜き取る。そして、教皇へと差し出す。

 

「これは、教皇様の持ち物だったということですよね? 私にこれをくれた人は、自分はこれを持ち主に返すことはできないからと言っていました。だから、私からお返しします」

 

 教皇の、きょとんとした表情。そして、笑う。

 

「──感謝します。あなたにも持つ資格があると思いますが、おかげで私も格好が付きますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の中心にはテファ。

 

 100メートル四方のただただ広いだけの部屋。四つの四の最後の一つ、テファの使い魔を呼び出すための舞台。それぞれの国からの者が囲み、使い魔召喚の儀式を見守る。

 

 テファが、使い魔召喚の呪文を口ずさむ。

 

 ロマリアの、教皇とその使い魔はただ静かにテファを見守る。教皇の指には赤い指輪。使い魔の男の手には、古ぼけた鏡。

 

 ガリアの、ジョセフ王と使い魔の女は対照的。茶色の指輪をはめたジョセフ王はただただ楽しげ。使い魔の女は、静かに古びた香炉を持っている。

 

 ゲルマニアは、王と、どこにでもいそうな気弱気な男。観覧者として、ただ見ている。

 

 トリステインは、アンリエッタ王女と、ロマリアに滞在していたマザリーニ枢機卿。心ここにあらずの姫に、マザリーニだけが真剣な表情である。

 

 アルビオンは、王子──いずれ元王子になる者と、執事であるパリーとが観覧者として。執事はテファに仕えることになったからには、これが最後の務めとなるのだろう。

 

 俺は、テファから預かったオルゴールをもて余すマチルダを、不安げなエレオノールを、そして、古びた本と水色の指輪を携えたルイズを庇うように立つ。

 

 皆でテファを見守る。テファは、最後の一節を歌いあげる。

 

「──我の運命に従いし、使い魔を召喚せよ」

 

 そして、いつか見た、鏡のようなものが現れる。なぜだか俺の前に。

 

 混乱するテファに、教皇が言う。饒舌に、本当に楽しげに。

 

「いや、まさかとは思いましたが、こうなるとは。実は、あまり知られてはいないのですが、始祖の使い魔も二つ役割を兼ねていたのです。まさか、まさか、それが再現されるとは。あなた方を強い想いが結びつけたのでしょう。かつては愛情だったと聞きますが、あなた方にもそれに負けずとも劣らない深い絆があるのでしょう」

 

「──テファと契約をということか」

 

 俺の問いに、教皇がうなずく。

 

「あなたに不服がなければ」

 

 テファは、不安げな表情。鏡をくぐると、目の前に。

 

 振り返る。エレオノールも、マチルダも、そしてルイズも何も言わない。ただ、じっと見ている。

 

 テファは、震えている。

 

「──俺では、嫌か?」

 

「そんなこと、そんなこと……ない。シキさんが、いい。でも、でも……」

 

 テファの頬に手を。

 

「最後の呪文は、覚えているな?」

 

「……はい」

 

 テファはマチルダとエレオノールとルイズを振り返り、そして、決意したように向き直る。

 

「……我が名は、ティファニア・ウエストウッド。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の、使い魔となせ」

 

 目を閉じたテファに、口付ける。

 

 離れると、涙ぐんだテファの顔。

 

 ルイズの時と同じ痛みが、胸にある。使い魔としてのルーンを刻むという。使い魔としての、祝福と…………

 

 ──違う、これは、呪い。支配、利用、作り変える呪い。

 

「おおおおぉぉっっ」

 

 胸ごと、引き裂く。溢れる、久方ぶりの、自分の血。テファが血に濡れる。ほうけた様子に構わず、テファを抱えてルイズ達の元へ跳ぶ。

 

「──アルシエル、オンギョウキ」

 

 闇が、影が、本来の姿を持ってルイズ達を守る。事によっては、教皇はこの場で消えてもらう。

 

 教皇の焦った表情。だが、こいつは、知っているはずだ。

 

「──貴様、何を仕組んだ?」

 

 答えず、狼狽えた表情。ただ、唸るように繰り返す。

 

「そんな、これは……、四つの四が揃わなくては……」

 

 

 

 

 

 

「──いいや、問題ない。確かに、揃った」

 

 部屋の中央に、誰かの声。

 

 光が、部屋の中央に集まる。テファの指輪、ルイズの指輪からも。そして、秘宝と呼ばれていたものが、役目は果たしたと崩れ落ちる。

 

 部屋の中央には黒い影、ローブをかぶったような姿で様子は伺えない。ただ、顔と思しき場所からは、呟きが漏れる。

 

「──予想とは違ったが、四つの四は、確かに、揃った」

 

 影は、形がはっきりとしない。しかし、分かる。これは──守護クラス。強い信仰とが集まったもの。この世界で信仰を集めたもの。話が本当であれば、8000年の信仰の結果。

 

「……そうか、お前がブリミルか」

 

 男の影は、答えない。

 

 代わりに、アルシエルが言う。いざという時の為の、足元の闇を広げながら。

 

「少しばかり、厄介そうですねぇ」

 

 男の影が、首を振る。

 

「争うつもりは、ない。ルイズにテファ、お前達からも止めて欲しい」

 

「なにっ!?」

 

 テファは、虚ろな瞳。ルイズも、意思のない人形のような瞳。空気を求めるように、パクパクと何かを訴える。

 

 男の影は、ただ口にする。

 

「──娘達に庇われるとは、情けなくはあるがね」

 

 

 

 

 

 




復活する真の虚無といえばやっぱりこれだろうと考えていた設定がようやく出せました。
ありきたりかもしれませんが、少なくとも自分が知る限り描いている人はいないはず……。
そもそもゼロの使い魔のSSを今でも続けている人はすっかり減りましたが、できるだけ原作の設定を活かして、それでいて真女神転生のテイストを加えた形でラストまで続けたいと思っています。


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第44話 Bloody Chain

お待たせしました。
予定がちょっとずれ込んで、完結は年度内目標で考えています。







 

 

 

──黒

 

 インクでべったりと塗りつぶした、そんな真っ黒なフードを目深に被った人。誰だかなんて分からない、分かるはずがない。そもそも、男か女かだって分からないんだから。

 

 それなのに、知っている。この男の人のことを知っている。会ったことはないと、それだけは分かるのに。

 

 私は、ヴァリエールの領地でずっと過ごして、学院に入る為にようやく家を出た。パーティでもあれば領地や国を出ることはあっても、それは特別な出来事。そこで会った人のことは、忘れない。だから、私は会ったことはない。でも、知っている。

 

 ずっと、ずっと前から知っている。どんな人だったのか、何を考えていたのか、何をやりたかったのか、そして、何ができなかったのか。

 

 皆が好きで、この場所が好きで、この世界が、大切なものが多過ぎて。全てを無くすことが諦められなくて、悩んで、悩んで、ようやく選んだ。この世界だけは守ることを。愛した人も、分かってくれた。そう思った。

 

 何かが、胸から背中までを抜けた。幅広の、よく見知った剣。綺麗な、大好きだった顔は泣き顔に歪んでいる。痛みはない、ただ、悲しい。

 

 この世界だけは、救えると思った。それなのに、お前だけは、お前だけは分かってくれると思ったのに。お前だって、この世界を守りたかったはずなのに。この世界さえ守れれば、誰かが続くことができるのに。

 

 ──悲しい

 

 分かってくれなかったことが、悲しい。

 

 

 ──苦しい

 

 大切なものを守れなかったことが、苦しい。

 

 

 ──悔しい

 

 見えた救いに届かないことが、悔しい。

 

 

 何もない、何も残らなかった。

 

 サラサラ、サラサラ、砂粒が積もっていく。

 

 サラサラ、サラサラ、砂粒に全てが埋まっていく。

 

 サラサラ、サラサラ、砂粒の世界が広がっていく。

 

 

 

 

 

──私は、私はルイズ。

 

 こんなものは知らない。こんな記憶は、私のものじゃない。私には、分からない。

 

 これは、何? 私は、知らない、知っているはずがない。この人の、この人は……

 

 悲しい、苦しい、悔しい、悲しい、苦しい、悔しい──グルグル、グルグルと回っていく、沈んでいく。

 

 

 

 

 

 ──何かが、聞こえる

 

 声、ああ、私を、呼ぶ声……

 

 シキの、声……

 

 ドクドクと、胸から流れる血。シキは気にも止めずに、私に、テファに。心配するように下がった眉尻。

 

 でも、みるみるつり上がっていく。血よりも紅い瞳、眩しいぐらいに輝きが走る刺青。憎しみを、塗り固めた貌。

 

 シキの姿が、揺らぐ。チラチラと揺れる、大きく、大きく。シキの影に、赤い炎がまとわりつく。ゴウゴウと、ゴウゴウと真っ赤に、燃える……

 

 ああ、ああ……

 

 見える、見えた……

 

 私は、何も見えていなかっただけ。大きすぎるシキの魂。大きすぎる、この世界には、大き過ぎる、どこまでも広がる、広がっていく。

 

 キシキシ、キシキシ、世界が軋む。ゴウゴウ、ゴウゴウ、世界が燃える。世界が軋む、歪む、壊れる。

 

 ──止めろ

 

──そうだ、止めないと

 

 ──止めろ

 

──私が、止めないと

 

 私が、私がやらないといけない

 

 伸ばした手が、焼ける、燃える、崩れる

 

 

 

 

──影の、咆哮

 

 揺れる、揺れる

 

 軋む、軋む

 

 憎しみと、全てがないまぜになった声

 

 心が裂かれるような声

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──目が、覚めたのね?」

 

 声の先に、エレオノール姉様がいた。

 

 笑いかけようとする顔は、酷く青白い。起き上がろうとする私を制して、ぎこちない仕草で毛布を掛け直す。

 

 私は、ベッドの中にいた。

 

「目が覚めて、安心したわ。あなた、ぴくりとも動かなくなってね。私、すごく心配したのよ」

 

 額に当てられた手のひらは、冷たくて心地良い。チカチカしていた頭が、冷めていく。

 

 悲しかったこと、苦しかったこと、悔しかったこと、恐ろしいのに、私がしようとしたこと。薄ぼんやりともやがかかったようだけれど、私はちゃんと覚えている。あれは、夢じゃない。あの焼け付くような手の痛みは、まだ残っている。

 

 握って、開く。今動かせることの方が、嘘みたい。

 

「──あれから、どうなったの?」

 

 私を止めようとする姉様の手を押しのけて、体を起こす。心配するような、困ったような顔。

 

「お願い、私は知らないといけないことだから」

 

 姉様は、目を泳がせる。でも、私は視線をそらさない、そらすことはできない。だから、根負けしたのは姉様で、諦めたように口元をゆがませる。

 

「私も、全部を理解しきれたわけじゃないけれどね。始祖とシキさん、お互いに関わらない、そういうことだと思うわ。それ以上でも、それ以下でもない、きっと、それだけよ」

 

 姉さんは力なく微笑み、子供にするように私の髪をすく。

 

「ルイズ、あなたはまだ辛そうな顔よ。もう少し、おやすみなさいな。ゆっくり休んで、それから、また話しましょうね。私も、まだ整理がつなかないから」

 

 体は、自分のものじゃないように重い。一度ベッドに倒れれば、すぐにでも眠ってしまいそう。でも、苦しそうなのは姉様だって一緒。理由はきっと……

 

「シキのこと、怖くなったの?」

 

 姉様は、びくりと体を震わせる。

 

「シキがあんなに怒っているのは、初めて見たよね。私達が、敢えて見ていなかっただけなのかもしれないけれど」

 

 姉様は、泣き笑いの表情。

 

「……そっか。ちゃんと、覚えているのね。うん、どうなのかしらね。私も、分からないの。でも、本気で怒ったシキさんを見て、初めて理解したのかもね。私達とは、根本的に違うって。愛している、愛しているのに……。ね、見て」

 

 掲げた指は、震えている。

 

「本当に、情けない……。思い出すだけでこんな調子」

 

 ポタリ、ポタリと涙が頬を伝う。

 

「殺される、なんて思ってしまったの。あなたが、テファさんが止めなければそうなるって、信じてしまった。私は、そんな風に信じてしまった。何も、できなかった。悲しそうだった、シキさんは本当に悲しそうだったのに、何も言えなかった」

 

 さめざめと涙をこぼす姉様に、私は言葉が思いつかない。

 

──だから

 

「……シキは、どこにいるの? 会いたいの」

 

 私はいっそ、薄情だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姉様が指差した先、真っ直ぐな廊下を歩いていく。同じものを見た、テファと一緒に。私達は、目を合わせただけでお互いのことが理解できた。お互いに頷きあっただけで、歩き出した。

 

 丁寧に磨かれた廊下は、歴史を感じさせる深みのある色味。記憶にある学院の廊下と全く同じなのに、どうしてか別のものだと理解できる。

 

 何かが違って、どこかふわふわと頼りない。似ているけれど、全く別のものだとだと感じる。例えるなら、何かがずれている、そんな感覚。

 

 形だけは見覚えのある扉を開けても、シキはいない。でも、いつものように一分の隙もない正装に身を包んだアルシエルさんがいる。

 

 姉様は言った。私は知らないけれど、私達をここへ連れてきたあの人なら知っているだずだと。

 

 いつもニコニコと笑っているあの人は、今は、腕を組み顔をしかめている。

 

 違うのはそれだけじゃない。重なるように、黒々とした深い闇、奈落の底のように見通せない闇が見える。世界が、そこだけが塗りつぶされたように真っ黒。そうとしか言いようのない姿。

 

 今は、分かる。

 

 見えなかっただけで、そういう存在だったんだって。誰にでも優しげだったのは、単なる錯覚。とても、とても高いところから見下ろしていた。それこそ、無邪気に遊ぶ子犬でも見るようなものだったんだと。

 

 今の私は、理解している。よって立つものがそもそも違い過ぎたんだと。けれど、それでも敢えて口にする。

 

「──シキに会わせてください。ここには、いないんですよね? ここはきっと、私がいた世界とは違う場所ですよね?」

 

 アルシエルさんが口元を歪める。私と、テファをゆっくりと見やる。

 

「そう、ですか。アレが蘇って、もともと持っていた力が馴染んだようですね。せっかく用意したのに、気休めにしかならなかった。──ええ、ええ、その通り。ここは、あなた達の世界とは違います。世界は一つではなく、それこそ星空のようにいくつも広がる。しかし、ここはそれとも違う。ここは、その狭間、どこでもない場所、どことも繋がっていない場所。アレとの繋がりを断つには良いかと思ったんですけれどねぇ。分かっているかもしれませんが、今のあなた方の状態、聞きますか?」

 

 私は、首を振る。

 

「私達は、虚無の担い手、始祖の後継。始祖と、深くつながっているということですよね?」

 

 テファが続ける。

 

「だから私達は、あの人の記憶を見てしまった。今だって、繋がっている」

 

 アルシエルさんが息を吐く。

 

「満点をあげましょう。ええ、その通り。アレとあなた方の関係は、血よりも深く繋がった親と子のようなもの。肉体だけでなく、魂から深く結びついている。よりにもよって、ね」

 

 アルシエルさんの周りの、黒々とした闇が蠢く。憎々しい獲物を引き裂くように。

 

 何かが、怯えるように震える。世界か、私か、──両方か。ただただ、息苦しい。

 

「……と、あなた方に言っても仕方ありませんね」

 

 力を抜いた声に、揺れが凪ぐ。私は、深く息を吸う。テファも、同じ。

 

「始祖を殺したい、そういうことですか?」

 

 私の問いに、アルシエルさんは皮肉げに笑う。

 

「それができれば、一番手っ取り早いんですけれどねぇ。いっそ向こうが強気に出れば、やりようはあったものを。なんとも、賢しいことにね」

 

「シキには、会えますか?」

 

 本当に困ったような顔。その仕草だけは、今までと重なる。

 

「ああ、どうしましょうかねぇ。話し合いはもう終わっているでしょうが……」

 

 テファが問いかける。

 

「話し合いで、済むんですか?」

 

「言葉が通じるのであれば、それが一番ですよ。力づくでというのは、最善とは限りません」

 

 話し合いこそが最も好ましいと、私は知っている。そして、それが難しいということも。私は、それを体験したばかり。

 

「もし、話し合いで終わらなければ、どうするの? シキ、すごく、怒っていたけれど」

 

 シキの姿がよぎる。

 

 目の前のもの全てを殺し尽くしても、世界を滅ぼしてでもとすら見えた。それこそ、不吉な影が重なる目の前の人物よりも、ずっとずっと深い闇。

 

 目の前の人物は、凄惨に笑う。

 

「話し合いで終わらなければ、誰にとっても良いことにはなりませんね。……そんな、泣きそうな顔をする必要はありませんよ。あくまで、アレが度し難いほどに愚かだった際の話ですから。むろん、その時は我々を虚仮にしてにしてくれた報い、必ず思い知らせますがね。これほどの屈辱、私も受けたことがありませんからね」

 

「シキさんも、そうなの?」

 

 テファの、不安気な声。

 

「──さあて、私の口からはなんとも。ただ、まあ、あれほど激怒しているところなど、私はとんと知りませんがね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天井から落ちる礫。

 

 瓦礫の上に、カツ、カツンと乾いた音。

 

 壁だったものは、ぽっかりと空いた大穴の傍らで山になっている。静謐さを誇った聖堂は、悲しいまでに面影を残していない。あの男は力任せに殴りつけ、わざわざそんな真似をして出て行った。

 

 ただ、どろりと粘つくような空気が薄れたことは、それだけは喜ばしい。おかげで、ようやく満足に息もつける。私の側に控えるジュリオも、きっと同じ思いだろう。あの男の言葉には、視線には、存在そのものに死が満ち満ちていた。

 

 アレの正面に立った始祖の表情は、背中越しでうかがえない。あの男の去った後に視線を送られるのみ。目深に被ったフードの下で、どのような表情をされているのだろうか。

 

 伝説の全てが揃い、始祖はようやく復活された。

 

 私達は始祖の遺志を継ぎ、弟子としての役目をついに果たした。幾千年の信仰は、始祖の存在を神として押し上げた。それは、かつての救済に届かなかった力を補い、全てを成すにあまりあるほどの力となる。

 

 全ては成った。

 

 そうだというのに、この不安は何なのか。

 

「──始祖よ。お聞きしたいのです」

 

「答えられることであれば、答えよう」

 

 ただただ平らかな、始祖の言葉。

 

「なぜ、あれほどの敵意を向けて来るものを、そのままにされるのですか? 虚無の使い魔であれば、あなた様に従わねばならぬものでありましょう。もし、従わぬというのであれば、排除すべきものでしょう。枷になるものとて、あるではないですか」

 

「アレには、関わるな」

 

 始祖の言葉には、一切の拒絶の意思。

 

「アレの本性、見えなかったか? 今のお前であれば、見えたであろう」

 

 確かに、見えた。私が私である限り、記憶から消えることは決して無いだろう。

 

 そこにあるだけで、死を想像した。あれは、死という概念そのものではないかとさえ思った。ただの言葉が、死へ誘う呪いだった。しかし、それでも。

 

「神になられたあなたであれば……」

 

 神──信仰の全てを集めた始祖こそは、この世界における全能の神。

 

「神とは、一つのあり方に過ぎない。そうありたい、そうあって欲しいという。嘗て人であったものには比べるべくもない。しかし、アレはそのようなものではない。私は、ルイズとテファを通してその片鱗を見た。──そも、お前が知るとおり、世界は一つではない」

 

 私は、この目で見てきた。始祖が私に与えてくださったものこそ、それを繋ぐ力。初めて別の世界を見た時、私は身を持って理解した。

 

 世界は泡沫に浮かぶもの。この世界は私達にとっては唯一無二であっても、神の視点からすれば多くの中の一つに過ぎない。幾千年の間も停滞し、緩慢に死に向かう一つ。朽ちかけた古木のように、芽吹くものなくやがては土に還るだけの世界。始祖の願いこそ、それを救うこと。新たな命を与えること。

 

 始祖が、天を仰ぐ。

 

「世界とは無限にありながら、計り知れぬほど巨大で、何物にも代え難く、尊い。あの男は、一つの世界そのもの。一つの世界と引き換えに、いいや、おそらく、あれを生み出すために、いくつもの世界を贄とした究極の一。比べるものではない。紛い物の私とは、根本の在り方が違う」

 

 始祖の言葉は、どこまでも静か。だからこそ、それが事実であると突きつけられる。そこには、諦めにも似た響き。アレは、始祖よりも上位の存在であると。それでは──

 

「もし、もしもアレが始祖の願いを損なうようなことになれば……」

 

「この世界のことなど、アレには関わりのないことだろう。アレにとっては、どうでも良いことだ。例え目障りではあっても、それ以上にはならない。しかし、アレが動こうというのであれば、その時こそ魂を分けた我が娘達が助けとなる。我らだけでなく、娘達にとっても、この世界はかけがいのないものなのだから」

 

「……承知しました」

 

「それで良い。まずは、私の復活を知らしめよ。救済の器こそ無くしたが、積み重ねた時と信仰は、それを補ってあまりある力となる。それに──」

 

 うかがえぬにも、声には歓喜の色。

 

「なに、ちょうど、空の器がある。私が万全となれば、代わりはどうとでもなろう。ああ、この世界が滅ぶ前に間に合った幸福に感謝を。老いた世界は、ようやく生まれ変わる。私の愛した世界は、終わらない。──終わらせない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あの場」より戻ってからこの方、ジョセフ様は椅子に深く腰掛け、思い悩んでおられる。

 

 ロマリアが用意した部屋は広すぎるほどであるが、部屋の隅の椅子から離れることすらない。

 

 ジョセフ様は目を閉じ、口元を真一文字に結んでいる。これほど思い悩んでいる様子は、かつて見たことがあっただろうか。言いつけ通りに回収してきたものをお見せしても、おざなりな労いの言葉しかいただけなかった。どんな難問であろうと鼻歌まじりに解いてしまうこの方が、ただひたすらに思索にふける。

 

 私は、何なのだろうか。

 

 神の頭脳などという仰々しい名は何なのか。私ではジョセフ様の思索の助けになることすらできない。せめて邪魔にならぬよう、ただ、息を殺してそばに控えることしかできない。

 

 ただただ過ぎる時間が、口惜しい。何もできぬこの身が憎らしい。

 

 どれだけ時間が過ぎたろうか。微かに聞こえる、深く息を吐く気配。そして、自嘲するがの如き笑い。

 

 口元には、皮肉げな笑み。

 

「──詰んだな。これはもう、何ともならん」

 

 しかし、言葉とは裏腹、声には清々しいとさえ思える響きがある。ジョセフ様は立ち上がるなり、快活に笑う。

 

「あの若造め、やってくれる。そもそも余の勝つスジなどないではないか。認めよう、余の完敗だ。事がなった時点で余の負けではないか。まさかアレをも押さえるとはな。──痛快、誠に痛快。実に良い」

 

 かつて聞いたことがないほどの笑い声が、部屋に木霊す。

 

「余は敗者だ。であれば、敗者としての足掻きを見せねばな。──これで良い、これで良い。そもそも、余には誠に相応しい。こうしてはおれん、時間が惜しい」

 

 言うなり、机へと向かう。紙を取り、引き出しを漁るが、ついぞ肩を落とす。

 

「余のミューズ。すまないが、紙を探してきてくれないか? そうだな、本としてまとめられるだけのものが欲しい。それと、できるだけ大きな紙があればなお良い」

 

 活き活きと、これまでにないほどに漲らせた姿。これ以上ないというほどに楽しげ。であれば、私はやれることをやるのみ。ジョセフ様に喜んでいただけるのであれば、この身は、この魂がどうなろうとも構わない。私には、そうするだけの理由がある。この方への愛を示すには、それしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あの場」に同席できたおかげで、私は確信した。アルブレヒト王の行為は、ゲルマニアという国そのものの存亡に関わるものだと。

 

 思い悩んでおられる今こそ、この身に代えても進言せねばならない。

 

「──閣下。もう、止めましょう」

 

 王は、胡乱気な視線を投げかける。

 

「私は感じました。始祖からの直接の血こそ引いておりませんが、私とてメイジの端くれ。あの偉大なる存在こそ、我々が従うべきに始祖に他なりません。現に、あの化け物とて手出しできなくなったではありませんか。今ならば間に合います。おぞましい罪を重ねて何になりましょう。ゲルマニアを導く王として、始祖に顔向けできる道を歩まねばなりません」

 

 王は、重々しげに頷く。

 

「……分かった。お前の考えは、十分に分かった」

 

 王は、ゆっくりと立ち上がる。

 

「おお、それでは──」

 

「ああ、よく分かったとも」

 

 耳障りな破裂音と、腹の灼熱。

 

 王の手には、無骨な、煙がのぼる銃。

 

「やはりお前は、凡人に過ぎんとな」

 

 体を流れ、床に、溢れた血が、広がっていく。

 

 足音が、近づいてくる。

 

「……これがなんなのか、その意味すら理解できぬとはな。始祖の恩恵がないのであれば、それに代わるものが必要だとなぜ分からん。度し難いほどの馬鹿ならば、いらん」

 

 足音が、止まる。

 

 乾いた、音。

 

 遠くなる、声。

 

「……頼りになるのは、所詮、自分だけか。王とは、かくも孤独なものだとはな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロマリアの聖堂から、花火が上がる

 

 道々には、復活を祝うパレード

 

 そこここで繰り広げられる演説

 

 全てが、信仰を形にしていく

 

 形になったそれは、アレの力になる

 

 ──全てが、忌々しい

 

 

 

 なりふり構わなければ、ルイズとテファとて解放はできる。穢された肉体を捨て、魂を禊ぐ。

 

 しかし、肉体と魂とが変質すれば、それは別のもの。それこそ、俺自身が身を持って知ったこと。アレも、それが分かっている。そして、時が経てば経つほど、アレとの繋がりは強くなっていく。

 

「──ウリエル、時間は何とかできないか?」

 

 ウリエルは、首を横に否定する。

 

「主要都市だけならば、一両日中には灰にできましょう。しかし、小さな集落までを含めるのであれば6日は。飢餓と病とが全てを覆うには、1年は必要でしょう」

 

──遅い

 

──遅い

 

──それでは遅すぎる

 

──あれを殺しつくすには、時間がかかりすぎる

 

「……何かあれば、殺してやる。必ず、殺してやる」



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第45話 Atlas

 

 朽ちた世界と、朽ちゆく世界。

 

 振り返れば、ただの気まぐれだった。ささいな干渉が、予想外の稀有な結果を作り出した。数限りない試行を繰り返してきた中、どちらも唯一無二といって良い独自の結果を生み出した。

 

 そもそも世界とは、一つの括り方に過ぎない。それこそ無限とも言うべき数が存在し、生まれ、朽ちる。あるいは、とある条件を満たすことによって生まれ変わる。それこそが新たな世界の創造──創世。その世界に住む者の強い意志こそが、それを成し遂げる。自らが生まれた世界の否定であり、同時に、巣立ちとも言える尊い行為。

 

 ただし、それは可能性。事実として、とある世界では失敗した。世界は滅び、悪魔が跋扈する魔界と化した。

 

 本来であれば、そのような結末を迎えるはずは無かった世界。何しろ、その世界には、最上の才覚を備えた創世の巫女が存在したのだから。甘言に容易く踊らされる愚かな娘ではあったが、その才は本物。停滞した世界を憂い、その世界を終わらせた。そして、その世界の全てを持って、カグツチを生み出した。

 

 カグツチ、それはすなわち、全ての意志の結晶、始まりの卵に戻った世界を照らす太陽、新たな世界の核となるもの。それを率いるに相応しい強い意志こそが、カグツチを使う資格。強き意志は世界のいく末を示すコトワリとして形を取り、カグツチと共に新たな世界を創る。

 

 その世界で育まれたコトワリは3つ。シジマ、ヨスガ、そして、ムスビ。いずれも新たな世界の礎となる資格を持った、類稀なコトワリ。その体現である守護を擁し、競い合った。

 

 静謐なる秩序を願うシジマが擁するは、秩序を司るアーリマン。かのものが勝利すれば、秩序と法に導かれる世界が生まれたことだろう。それは「正しい」世界のあり方。つまらない世界であるが、それもまた、一つの真理。

 

 力ある者の楽園を願うヨスガが擁するは、力を司るバアル。力こそが全ての単純明快なる法。競いあうことで磨き抜かれた者たちは「力強い」世界を生んだことだろう。猥雑であるが、それもまた美しい。

 

 絶対なる自由を願うムスビが擁するは、自由を司るノア。他者に一切の関心を持たない、孤独という名の自由。決してぶつかり合うことのないそのあり方は「平和」な世界を生んだことだろう。世界の中に無限の世界を内包する、稀有なそのあり方は興味深い。

 

 いずれであろうとも、新たなルールを礎として世界は生まれ変わるはずだった。

 

 しかし、一人の悪魔によって全ては潰えた。全てのコトワリを下したのは、コトワリを持たない悪魔。コトワリがなければ、世界の卵は孵らない。カグツチは悪魔を呪い、去った。孵らない卵は、ただ腐り落ちる。その世界には、コトワリを持たない悪魔だけが残った。しかし、その悪魔こそ、僕の気まぐれと奇跡的な偶然とが重なって生まれた、ある意味では世界よりもはるかに希少な、究極の一。

 

 そして、またある世界でも創世に失敗し、今は緩やかな滅びを待つ。気まぐれの干渉は、それで終わった──そう思っていた。

 

 いずれ訪れる世界の終わりを知った、ブリミルという一人の男。才の無かった男は、足りないものを別のものから補おうとした。すなわち、その世界で最も優れた存在であったエルフから。しかし、それを良しとしないエルフによってうち倒された。最も信頼していた、愛情すら捧げていた者によって。お互いに憎からず思っていたが、最も大切なものが違うことを理解できていなかった。様々に工夫を巡らす様には見るべきものがあっただけに、残念ではあった。

 

 しかし、それでお終い、期待はずれの失敗作かと思いきや、なかなかどうして、慎重な男であった。無様に失敗しても、復活までの道筋を備えておく、その生き汚さは大したもの。そして、悪運もあった。偽りとはいえ神に上り詰め、2度目の機会を掴んでみせた。ある意味では、とても人間らしい足掻きをみせた。

 

 似ているようで、正反対の道筋を辿った2人。だが、どちらも予想をはるかに上回る成長を見せてくれた。どんな結末を迎えるにしても、楽しみでならない。

 

 だから、僕は見届ける。たとえどのような結末を迎えようとも、何を生み出そうとも。

 

 奇しくも、彼らが並び立つのは同じく3度目の生において。僕は、祝福しよう。ルシファーの名において。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白いローブを全身に被った始祖を追う。教皇である私も、始祖の前では付き従うべき信徒の一人に過ぎない。

 

 始祖こそは、エルフにとってはこの上ない異物。しかし、この国の純白の街並みに驚くほど溶け込んでいる。歩みに迷いは無く、真っ直ぐに都市の中心部へと向かう。

 

 誰何の声はない。馬車の横転という不幸な事故と、エルフ以外の姿が珍しくなくなっていたからには。

 

 有事に備え、優れた防御機構をもったエルフの都市。いつか訪れる可能性に何千年も備えてきたのだろうが、その敵が最初から中に入ってしまえば無意味。転移の魔法は、都市の防御機構を容易く無効化する。ましてや、姿こそ変わろうとも、ここは始祖がかつて訪れた場所。どれだけの年月が過ぎようとも、その事実は不変。

 

 道がひらけ、他とは違う物々しい威厳を漂わせた建物が見えてきた。

 

 始祖が最優先の目標と定めた、議会と思しきもの。人間以上に理性を重要視するエルフにとって、全ての頭脳とも言うべき存在。

 

 かのものとの不干渉を取り付けた以上、最優先の撃破対象とすべきはエルフ。ましてや、エルフの代わりを見つけたからには、躊躇する理由はない。

 

 建物の前から訝しげな視線を向ける門番達。しかし、そんなものは単なる烏合の衆。何より、もう遅い。見掛け倒しの扉と共に千切れ飛んだ。

 

 建物の内部は、全ての無駄を排除したエルフらしいもの。始祖はぐるりと一瞥し、最も広い通路を真っ直ぐに進む。

 

 ただ偶然その場にいたのだろうエルフの女、紙束を大事そうに抱え込んで、目を白黒させていた。その首が地面に落ちた今も、何も理解できていまい。

 

 順路と思しきものを、真っ直ぐに進む。

 

 人影は無く、おかげで手間がない。遠くで悲鳴が聞こえたが、どうやら丁度、目的の場所についたらしい。始祖の前に、他とは異なる両開きの扉。

 

 扉を抜ければ、長命のエルフには珍しい年かさのものばかりが揃っており、ここが正解だということを実に分かりやすく教えてくれる。

間の抜けた顔は驚愕に、そして、始祖の力の一振りで物言わぬ屍の群れに。

 

 いや、異形に庇われた1人だけが残っている。

 

「──やってくれる」

 

 空気の震えが感じられるほど憎しみが凝縮された声。

 

 異形は、かろうじて人の姿を持ってはいる。広々とした室内の天井に届こうかという巨体に、それに相応しい雄々しい羽。例えるならば、猛禽の巨人。それが、1人のエルフの男の前に立ちふさがっている。

 

 報告に聞いていた、エルフの国に在るかのものの配下だと理解した。男を庇っただけに、少なくとも、その男とは相応に友好的な関係であることがうかがえる。

 

 ここで対峙することは好ましくない、はず。

 

 私は、どうすることが正解なのか分からない。この配下がどれだけの力を持っているのか、それすら理解が及ばないのだから。先ほどの始祖の一撃、全力には程遠いとはいえ、この猛禽は健在。悪魔と呼ぶ者達の中でも、相当の高位存在であることが伺える。

 

 だが、始祖は変わらず、静かに口にする。

 

「君らに関わりないことだ。ここで対峙などしても、互いに得などあるまい」

 

 猛禽の射殺すような視線は変わらない。が、この状況で攻撃に移らないということは、始祖の言葉が事実であることの証明。

 

 猛禽は、一層苛立たしげに体を震わせる。

 

「……しかり。だが、全てが思うままになるとは思うな」

 

 呪詛にも、始祖は動じない。

 

「好きにすれば良い。ここでの用事は──1人残った程度なら良しとしよう。あとは……」

 

 始祖の視線の先は、部屋の中心に鎮座する、ただ丸いだけの石。しかし、その実態は都市を防衛する反射の魔法、その要石の一つ。

 

 石は、音も無く砂へと崩れる。

 

「さて、我々にはまだやることがある。ここで失礼させてもらおう」

 

 始祖が踵を返すも、猛禽は何も言わない。

 

 

 

 

 

 

 議会の次は軍本部、そして、行政府。効率的にまとまっているおかげで、我々としても無駄が無い。一つ一つ、順番に排除する。

 

 エルフは長命種であることも相まって強固な文化基盤をもっているが、逆に言えば、融通の効かない硬直した組織だとも言える。だからこそ、その中心を潰してしまえば動き出すことすらままならない。

 

 彼らがようやく事態を理解した時には、もう遅い。這々の体で出てきた戦艦も、守りの要がなければ丸裸も同然。始祖の、空に広がる神の炎の前に一瞬で燃え落ちる。

 

 むろん、彼らが積み上げてきた歴史が生み出した、驚異となるべき数々の兵器は健在。しかし、使う者がいなければそれまで。過ぎ行く年月の中で、なぜそれらを生み出す必要があったのかすら忘れてしまったのだろう。

 

 残るのは、悪魔と罵る怨嗟の声、憎しみ、悪魔を滅ぼせという叫び、あるいは、嘆き。そんなものが虚しく木霊す。

 

 始祖は嗤う。

 

「呪いは、甘んじて受け入れよう」

 

 始祖が、フードが落とす。その姿は、その事実こそ知ってはいても、初めて目にするもの。

 

 人でなくなった時、始祖の肉は腐り落ちた。残るのは、髑髏のように朽ちた、死体としてのその姿。見る者に、嫌悪の感を抱かせるもの。

 

「醜いものだろう? 生き汚い私には似合いの、悪魔に魂を売ったものにの末路にこれ以上相応しい姿はない」

 

 しかし、その落ち窪んだ瞳には強い意思の焔。

 

「だが、私はこの世界を救う。去るのは、やるべきことを終えてからだ。それから先は……」

 

 始祖は、私を見据える。私は、ただ頷く。

 

「──ヴィットーリオ。時は、近い。もうすぐ、カグツチに届く。生まれ変わる新しい世界は、お前が導くのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリミル教の神は、誰もが分かる形でその復活を示した。人間に対する敵であり、そして、恐怖の象徴でもあったエルフ。その首都に対する痛烈なる打撃を持って。

 

 ブリミル教のせいで私は全てを失い、テファの両親だって殺された。私は、あんなものを信じてなんかいない。そこらの人間だって、いくら貴族連中がありがたがっても、本心では信じてなんかいなかった。いや、貴族達ですらそうだろう。

 

 それでも、人知の及ばないものがあるということは皆が知っている。だから、そんな形のないものに皆が祈りを捧げる。そして、ブリミルはまさしく祈りを捧げるものになった。皆が、それを理解した。

 

 昼間でも遠く届いた光は、全てを変える巨大なものを感じさせた。教会が華々しく喧伝する、幸福の到来を思わせるには十分。復活した始祖こそが訪れようとする苦難を打ち払い、誰もが幸福になれる世界がやってくる、と。

 

 その幸福がどんなものかは分からない、だが、きっと良いことが起こると、誰もが疑わない。そうさせる力が働いているとしか思えないほどに、無条件に信じてしまっている。まるで、そうでない人間の方が異端であるかのように。

 

 これからどうなるのか、特別ではない私には分からない。

 

 漠然とした不安だけがあって、何か取り返しがつかなくなるとしか思えない。全ては、ブリミルという神が復活した時から動き始めた。神が予言の通り復活し、私は、見えていなかったシキさんの本質に触れた。

 

 そして、テファが、妹までもが変わってしまった。

 

 あの子は、「神」につながった。妹として誰よりも理解していたあの子のことが、見えなくなった。かつての人を殺したという告白は、それでもテファだからだと理解できた。優しすぎるテファだからこそ、だった。

 

 でも、今のテファは私の手の届かないところへ、遠くへ離れてしまった。まるで、人とは違う何かのように──それこそ、シキさんのように。こうして目の前にいても、姿形はそのままであっても。

 

「──ねえ、テファ」

 

「なに、姉さん?」

 

 テファはふわりと微笑む。どこか大人びた表情で、テファの一番の魅力だった、子供のような分かりやすさとは、少しだけ違う。

 

「……ううん、何でもない。ただ、何となく、ね」

 

 何となく、不安で。

 

「ふふ、おかしな姉さん」

 

 テファは、困った子にでもするように笑う。こんなんじゃ、どちらが姉なのか分からない。

 

「──私は、私だよ。それは、変わらないから」

 

 テファの諭すような言葉。

 

「……それは、分かっている。分かっている、けれど、ね」

 

 私ばかりが空回りしているようで、息が詰まる。テファはテファ、そんなことは分かりきっていることなのに。何があったって、それは変わらないのに。

 

 テファの表情が、ほんの少しだけ陰る。

 

「……本当は、私も分からないんだけれどね」

 

 テファが、どこか遠くを見上げ、そして、目を閉じる。

 

「たぶん、私はブリミルって人に近づいたみたい。だから、あの人が理想としていることが何となく分かるの。死にそうな世界を生まれ変わらせて、もっと良い世界を作ろうって。この世界の色々な所が壊れそうだっていうことは、何となく感じる。まるで、長く生きた古い木みたい。新しい芽は生まれなくなって、強い風が吹いたら折れてしまう。方法は分からない。でも、あの人がそんな世界を救うことができるっていうのは、理解できる。それは、悪いことじゃないのかも。感じるの。ブリミルって人はとても純粋で、私はそれを手助けするべきなんじゃないかなって。私の罪だって……」

 

 私は、何と答えるべきなんだろう。凡人の私に、今のテファのことを理解できるんだろうか。シキさんなら、何と言うんだろうか。

 

 テファは、冗談めかすように笑った。

 

「──なぁんてね。全部を無かったことにして、なんてできないし、良くないよね」

 

「……そう、ね」

 

「そうだよ。そんなこと、できないもの」

 

 テファの瞳は、雨上がりの空のように澄んでいる。降り注ぐものに綺麗さっぱり洗い流されて、どこまでも遠く、見通せないぐらいに。

 

 倒れた時に、テファは色々なものを見たと言った。テファは、テファのままなのか、私には分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここ最近では日課になった、テラスへと向かう。

 

 待ち合わせているわけじゃないけれど、今日は私の方が遅かったみたい。いつもの席には、既に先客がいる。

 

 私に気付いたエレオノールさんが微笑む。

 

「マチルダさん。今日は私の方が早かったようですね」

 

「ええ、そうみたいです」

 

 私は、彼女の真向かいの席に。

 

 専属のメイドにでもなったのか、常にそばに控えるシエスタに紅茶をお願いする。いつものことなので、彼女も慣れたもの。流れるような動作で紅茶の準備を進める。

 

 エレオノールさんが言う。

 

「昨日は、王宮に行ってきました。予想通りの状況で、行くまでもなかったですが」

 

「まあ、そうでしょうね」

 

 この世界の絶対の神である始祖が、予言の通り復活した。

 

 神の炎の事実と、そして、誰もが始祖を神聖を疑わないという状況。ならば、それに従おうと考えるのは当然の摂理。王権すらも始祖に由来するもので、それを前提にしてきた。数千年の時を経てもなお、そうあった。

 

 いや、そのように作られていたんだろう。全ては、この時の為に作られてきた。そうだとしか思えない。

 

 だとすれば、駒に過ぎない全ての国はその役割に沿って動くだろう。例外になりそうなのは新しい国であるゲルマニアぐらいだが、大勢は変わらない。変わり者であるガリアの王も、しっかりと首輪をつけられてしまった。

 

 そんな中、ロマリアは始祖に対する正しい信仰を掲げ、他の国にも積極的に喧伝している。そして、貧者に対する施し。それこそ数ヶ月で蓄積の全てを使い尽くす勢いで、多くの者達が感謝を捧げている。形のある救いは、何よりも強い。空腹に苦しむ中でのパンは、絶対の正義。かつて、私自身が身をもって知ったこと。

 

 今の状況では、疑問を持つ私達だけが異物──だった。

 

 子供の頃から当然の如くあった倫理からか、はたまた、ごく僅かでもこの身に流れる血の仕業か、私自身感じるものがないではない。あの、怪奇としか言いようのない異界に居合わせた私達ですらそうなのだ。変わってしまった妹を持った私達ですら。

 

 姉である私達の悩みは、同じ。

 

「……それに、ルイズも相変わらずね。別人のように大人びちゃって、可愛げがないったらないわ」

 

 エレオノールさんは困ったものだと、肩をすくめる。

 

「テファも、同じようなものですね。始祖とつながることがどういうことなのかは、きっと、あの子達にしか分からないんでしょうね」

 

「まったく、ね。それに、シキさんもそう。何かをしようとしているのは分かるけれど、それは教えてくれないし。それは確かに、私達も聞いていないというのはあるかもしれないけれど……」

 

 エレオノールさんの言葉に、いつもの気丈さはない。私だって、気持ちは同じ。

 

「……寂しい、ですよね。あの人の恋人なのに、あの子達の姉なのに。私達だって、何かできることがあれば良いのに」

 

「……ええ。何も、できないかもしれないけれど、それでも」

 

 エレオノールさんの瞳に浮かぶ感情は、私と同じもの。だから、言葉が重なる。

 

「……それでも、あの人を、あの子達を支えたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シキさんが私達を呼び集めた。ようやく、これから起ころうしていることを話す、と。

 

 シキさんは私達に言った。

 

「──ブリミルは、この世界を作り変えようとしている」

 

 シキさんの口から聞いて、思い出すことがある。そんな話をシキさんから聞いたことがあったと。

 

「それは、シキさんがいた世界と同じようにということでしょうか?」

 

 作り変える為に世界は一度終わりを迎え、そして、シキさんがその再誕を阻んでしまった。その、懺悔ともとれる言葉を。

 

 シキさんもその質問を予想していたんだろう、ゆっくりと首を横に否定する。

 

「ブリミルがやろうとしていることは、違う。……いや、元々考えていたことはその通りだ。過去に世界を終わらせる時点で阻まれ、復活した後にそれを成し遂げようと手を打っていた。だが、世界を終わらせないで済む方法を見つけた。世界を作り変える為の力を見つけた。俺がいた世界に、その為の力がそのままに眠っている。それさえ使えれば、世界を作り変えることは可能だ。何千年と停滞した世界も、それを命に動きだす」

 

 シキさんの話は、とても抽象的なもので難しい。

 

 でも、言葉通りに私が理解した通りで間違っていなければ。同じことを思ったんだろう、エレオノールさんが疑問を投げかける。

 

「元々は世界を一度終わらせてということを考えていた。でも、それをせずに済むということですよね? 大隆起なんていうとんでもないことが起ころうとしているのも、この世界をそのままに作り変えるということで何とかなるということをじゃないんでしょうか? 世界を作り変えるという話が大きすぎて理解仕切れていないかもしれないんですが、もしかしたら、悪い話じゃないのかと……」

 

 テファが言っていたこととも重なる。

 

「ああ、それだけなら、な」

 

 シキさんは続ける。

 

「世界を作り変える力──既に生まれているカグツチを利用することで、この世界をそのままに生まれ変わらせることができるはずだ。だが、この世界の根本に流れるルール、コトワリは変質する。それは、この世界にある全てのものに影響する。全てが、ブリミルという存在の一部になる。恐らく、ルイズとテファの今の状態か、もしくはそれ以上に強い繋がりを持つことになる」

 

 エレオノールさんと目が合う。きっと、私達だけが理解仕切れてはいない。そこには言葉以上の意味があるはずなのに。

 

「……理解することは難しい、かな」

 

 ポツリと、ルイズさんの困ったような言葉。

 

「悪く言えば、命を握られているようなものなのかも。多分、死ねと命じられたら、その言葉を受け入れてしまうかもしれない、そんな風に感じるの。でも……」

 

 ルイズさんとテファ、2人は互いに見合い、ゆっくりと頷く。そして、テファが言葉を引き継ぐ。

 

「怖くはないの。むしろ、私達も守ろうとしている、そんな風に感じたの。あの人に悪意は感じないし、あの時に見えた、あの人の記憶だって、ただ、この世界をなんとかしたいっていう純粋なものだった」

 

「確かに、悪意は感じない」

 

 シキさんも、認めた。

 

「ただ、それが絶対の本心なのかは分からない 。どんな変化が起きるのかだって分からない。仮に、今はルイズとテファのことをあえて支配していないにしても、いざとなれば、どうなるのか分からない。そうなれば、手の打ちようすらなくなるかもしれない」

 

 シキさんの言葉には、苛立ち、そして、不安を感じた。

 

「だから、選んで欲しい。新しい世界と新しいコトワリを受け入れるか、それとも、今のままに在り続けるか。受け入れれば、その支配には誰も手が出せない。拒否すれば、この世界では永遠の異物になる。たとえ死を迎えた後も、世界に還ることもなくなる」

 

 永遠の異物という言葉は、実感のこもったもの。シキさんの全てに距離を置いたあり方は、そういうことなんだろうか。自分は、違うものだと。だとしたら、とても寂しいこと。

 

「私は、受け入れても良いと思う」

 

 テファが、はっきりと口にする。

 

「私自身には元々選択肢なんて無いようなものだけれど、この世界がもっと良い世界になる可能性があるのなら。自分でもより良い世界に、皆が差別されないで生きられる世界を作るようにしたい」

 

「私は、まだ、保留かな」

 

 今度は、ルイズさん。

 

「まだ、良いか悪いか判断できていないから。でも、より良い世界を作ろうという意思に、悪意は感じていないわ」

 

 テファもルイズさんも、自身のことは受け入れている。だから、これはまだ選択肢のある私達にということ。だったら……

 

「じゃあ、シキさんはどうして欲しいんですか?」

 

 私は、それが聞きたい。

 

 エレオノールさんも続ける。考えていることは、きっと同じ。

 

「どうして、そこで選択に任せるなんて言うんですか?」

 

 シキさんは、何も言わない。エレオノールさんの、嘆くような吐息。

 

「一緒にいて欲しい、お前達は俺のものだって言ってくれれば良いのに」

 

 それでも、口にしない。だから、エレオノールさんも言ってしまう。

 

「──意気地無し。こんな時にも男らしさを見せられないんですか?」

 

 私達が、ずっと言いたかったこと。この人に対する不満も同じ。だから──

 

「あなたの、そんな所が嫌いです。どうして自分は独りだって考えるんですか? どうしてそんなに寂しいことを言うんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お待たせしました。
年度が変わって仕事の繁忙期が終わるはずがそうならず、個人的に予定していたよりは遅れそうです。



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第46話 Humpty Dumpty had a great fall

 

 

 

 学院の片隅にある、忘れられたも同然の一室。

 

 ウリエル達が集めた、各国の情報。定期的に報告こそ受けるも、既にその意味は乏しい。事ここに至っては、ブリミルが予定通りに物事が進めているという事実の確認にしかならない。

 

 何か手を打つには既に手遅れ。数千年来の戦略という意味は、重い。当初の目論見とは別の道を辿ってはいても、それはより有利な条件を取り入れたという結果。決して驕らず、執拗なほどに注意を払って物事を進めていくその在り方に、隙はない。

 

 今は、あの世界に近づく時が訪れるまでの不安要素の排除に勤しんでいる。この世界において一大勢力であったエルフは、真っ先にその対象となった。ウリエルの報告も、既に終わった事と、その結末について。

 

「──襲撃を受けたエルフの首都についてですが、一先ず、最低限の秩序の確保はできました。残った首長の上にガルーダ、ジャターユ両名とその眷属が表に出て、状況の悪化は防いでいます。ですが、ブリミルの行為に目を瞑ったという事実がある手前、あくまで対症療法の域を出ません。辛うじて崩壊を免れたものの、国としての機能は停止しています。エルフとして気質か暴発こそ避けられていますが、種としてまとまることは、少なくとも数十年は不可能でしょう。一部には、エルフの国から流れ、ゲルマニアとガリアに向かった者達がいます。人を蛮族と見なしていた彼らですから、なりふり構わず人を利用しようということでしょう。しかし、所詮は価値観の混乱した烏合の衆、恐らくは使い潰されてお仕舞い。こちらとしても、利用価値はありません」

 

 エルフも、呆気ないものだった。ブリミルの復活に対する準備をしてきたはずが、それを活用することすら出来ずじまい。詰まる所は、平和が長く続き過ぎた。人に数倍する長寿の種ながら、皮肉なことに時に、ブリミルの執念に負けた。

 

 

 

「──ブリミルの本拠地になるロマリアは、エルフの国とは対照的に、かつてないほど強固なものとなっています。神の存在と、その名のもとに行われる改革。腐敗者を一層し、その財産をあるべきものへ返還するとの名目での施しは、救いとして誰にとっても分かりやすい。その場凌ぎの方策ではあっても、現況では一切の無駄のない方法です。他国の民もその信仰に惹かれる上に、支配層への抑止力にもなる。あの国に滞在するマザリーニの話では、国民全てが喜んで兵になるだろうとのことです。愚直に信仰を深めてきた彼が危機感を持つほどですから、狂信の域と言って良いでしょう。そうなっては、下手な小細工は通じません。事実、彼の手のものも、身動きが取れなくなっているようです。いずれは、他国でも同じ状態に至るでしょう」

 

 これが宗教を敵に回すことの厄介さ。だからこそ、ブリミルは宗教という形を選んだんだろう。一神教として他の神を弾圧してきた結果、他に並ぶ権威は既にない。復活した今は、自らの基盤となる信仰を万全のものとした。この地においては、一分の隙もない。

 

 

 

「──ガリアについては、全てを把握はできてはいません。表面上は大人しいものですが、裏では何かを企んでいるようですね。大した手腕で、これまでに蓄積した物資を元手に、生産を更に加速しています。表向きは商業生産ですが、軍事物資に流用できるものこそが優先されています。加えて、その豊富な物資を使い尽くす勢いで人形の大量生産を進めています。悪趣味ではありますが、数を揃えれば一大勢力。旧型に新型、合わせれば数百万の軍勢に匹敵するものとなるでしょう。全てを破綻させずに回す手腕は、私が調べたこの世界の歴史の中でも最優と言えます。それに、真っ当な調査では絶対に分からない紛れさせ方。人形であれば始祖の影響を受けないからだろうとは思われますが、それをどこで、何に使うつもりなのかが分かりません。恐らくは、かの王一人で全てを采配しているのでしょう。もちろん、既にブリミルの傀儡となっている可能性もありますが」

 

 あの王の動きは、読みきれない。ブリミルに首輪は付けられているだろうが、素直に従うようなものではない。常人の欲とは全く別の意志で動いている上に、その能力は随一。完全に支配されていないのであれば、何か事を起こすはずだ。

 

 

 

「──ゲルマニアは、これまでの魔法至上主義とは異なる、工業化の道筋を完成させたようです。他国とは異なる、独自の道への歩んでいます。自分に縁の遠いブリミルの存在を確信したことで、一層技術というものへの傾斜を強めたのでしょう。武力にしても、複製した武器の生産を進めています。最も普及した銃器では、生産の簡易化も完成されていますから。加えて、単なる模倣に止まらずに、この世界の技術である魔法を積極的に取り入れています。敵であったはずのエルフからもなりふりを構わずに技術を導入、その融合を持ってして確実な成果を上げています。創意工夫は人のあるべき姿とはいえ、この世界では異端。外法をも厭わず、自らの力をもって成し遂げようとする姿は、人として好ましいやもしれまえせん。この状況だからこその姿かもしれませんが、この世界の在り方の枠から自ら踏み出した、ガリア王とは別の意味での傑物でしょう」

 

 ゲルマニアは、ブリミルの血筋から外れていたからこそ歴史よりも結果を重視していた。だが、実際に復活したとなれば、単なる過去の歴史では無くなる。それは、自身の発言力の更なる低下につながる。だからこその、別の力。ブリミルに自らの有用性を示すためか、それとも自ら立つ為か。今は様子を見ながらも、可能な手は全て打ってくるだろう。

 

 

 

 

「──トリステインとアルビオンについては、表立っての変化はありません。ただ、既にブリミルの影響下にあるものと言って良いでしょう。どちらも船頭となるものが不在、加えて、施政の基盤が傷みきっています。トリステインは、長年の無責任な有様から、アルビオンは内戦の疲弊から。頼るべきものが無い民にとって、形を持つに至った宗教こそが確実なものに見えるというのは仕方の無いことでしょう。個別問題への対処は可能ですが、仮にブリミルが事を起こそうという意志が無くとも、影響力が増している事実があります。この状況では、テファ嬢が何かを行うということは不可能。そもそもの逆風、更に枷がある中での行動は得策ではありません。彼女の望みを叶えるには彼女自身の才覚を示す必要がありますが、難しいでしょう。そもそも、今は迷いもあります」

 

 テファの迷いは、確かにその通り。テファもルイズも、ブリミルに惹かれている。それは、子が親に向けるようもの。特にテファは、ブリミルの理想に惹かれている。ブリミルの理想が事実であるなら、それはテファの作りたい世界にもつながる。事実であるならば、否定はできない。

 

 

 

「──もう一つ、こちらは政情とは異なりますが」

 

 ウリエルと、視線が交差する。

 

「エレオノール嬢にマチルダ嬢、随分と思い悩んでいるようですね。妹のことだけでなく」

 

「……そう、だな」

 

 口だけでは話せても、まだ、心を開いての話はできていない。結局のところ、二人の不満に対しての答えは、返せていない。

 

「差し出がましい話ではありますが」

 

 ウリエルは、そう前置く。

 

「彼女達も、不安なのでしょう。何かしたくとも、恋人と妹に何もできずに。そして、はっきりとしない態度というのは、人を不安にさせるものです。分からないということは、良く取るよりも、悪く考えてしまうもの。その点では、いっそ、感情を表に出して分かりやすい方が良いと言えるでしょう。本物の愛情があるのなら、それを秘めることに何の意味があるでしょうか。それに、与えられるだけでなく、与えたい。それが望みとなることもあるのです。彼女達は、それを望んでいると思いますが」

 

 試すような眼差し、それは天使としての本質だろうか。言わんとすることは、分かる。

 

「説教染みたことも、言うんだな」

 

「それが、必要とあらば。天使の役割には、人を導くということもあります。人としての貴方を導くのはその本質に叶うこと。愛の形とは様々です。共にありたいというのもその一つ。あなたと共にある為、眷属とすることはその一つの解。今回のことが無くとも、命の時間が違ったのですから。もうすぐ、あの世界と境界。私が今言えるのは、ここまでです」

 

 ウリエルは、それきり口を噤む。それ以上は必要無いと。

 

 

 

 

 

 

 エレオノールとマチルダ、一晩かけて話した。

 

 二人に言われて気づいた、はっきりと言葉にしたのはこれが初めてだと。愛している、ずっと一緒にいて欲しいという本心を伝えたのは。

 

 二人には、思いっきりひっぱたかれて、説教をされて、泣かれた。不安だったこと、怖かったこと、寂しかったこと、ずっと言えなかったこと。そして、最後に釘を刺された。許すのは今回が最後だから、次は許さないから、と。

 

 

 

 

 

 時は、ただ過ぎた。

 

 ぎこちなく、噛み合わないものがあっても、それでも時間は過ぎる。

 

 ルイズは、テファが見たものを自らも知ることを望み、テファは、面倒を見る子供達とただ静かに過ごすことを望んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──夜、気付けばそこにいた。

 

 フードに隠されていた場所には、髑髏と紛うばかりの容貌。ただ、そこに見えるのは憐憫であろうか。

 

「……ふむ。ガリアの王たる余の部屋に約束も無く訪れるというのは宜しくない。が、それが偉大なる始祖であれば、喜ぶべきなのかな? まあ、喜べるような用向きではないと思うがね」

 

「君には、申し訳ないと思う」

 

 表情の変化というものは伺えない。返ってくるのは、ただ言葉のみ。

 

「出来そこないの余にそのように思っていただけるとは、これは喜ぶべきことかな」

 

「純粋な能力ではあれば、君が随一だった」

 

「まさか、まさか。始祖にそのような言葉を賜るとは、何ともこそばゆいものよ」

 

「死を前にしても変わらぬその胆力一つとっても、十分に誇れるものであろうよ」

 

「はは、覚悟があればこそ。しかし、余としては遅かったと見るが、どうだろう? エルフの次には、いや、その前にはと思っていたが」

 

「障害になるかもしれないという懸念だけで子を殺せば、それこそ、疑念に繋がる。だからこそ、全ての準備が整うまで待った」

 

「なるほど、始祖でもアレは恐れるか。なるほどなるほど、では、あれは本当の規格外か」

 

 であれば、仕込みにも期待出来る。この、偉大なる始祖に対しても。

 

「私は臆病者だ。だからこそ、できる手は全て打つ。私は、ずっとそうしてきた」

 

「それは、何があっても新しい世界を作るのを余に邪魔されるわけにはいかないということかね?」

 

 始祖に、はっきりと浮かぶ感情の揺らぎ。

 

「君には、あえて見せていないはずだったが……」

 

「見えてはいないとも。ただ、もっとも強い願望、いや、渇望に関しては、微かながらも感情が流れてきた。それに、私とてこれまで調べていくつかの仮説ぐらいはできていた。他者に無関心なはずのエルフとの確執、初代のガンダールブの裏切り、歴代教皇の聖地への妄執、大隆起。今回のことはイレギュラーが多く混ざったとはいえ、それでも、大元の方針は変わっていない。余はそう読んだが、どうだろう?」

 

「なるほど、そこまでは思い至らなかった、あえて接触を避けたが、それが失敗だったか。確かに、私の存在の中心は、根源は抑えられないか」

 

 ポツリと、始祖は呟く。

 

「……惜しい、な。愛する弟をその手にかけるなどということがなければ、賢王として名を残したろうに。我が後継としても、申し分の無い者となったろうに。狂い切ることもできぬとは、ただ、哀れだ」

 

「さて……。仮にそうだとすると、余は最初の一歩で取り返しのつかない失敗をしたということかね。全知全能の神となれば、後悔など知らぬだろうが」

 

「いいや、私は後悔し続けてきた。どれだけの時間、後悔し続けてきたことか。だからこそ、万が一にも失敗するわけにはいかない。我が子を手にかけるなど、どれほど罪深いことだろう。だが、それでもやらねばならない。いくら惜しくとも、君には退場してもらわねばならない」

 

 始祖はゆっくりと歩みを進める。

 

「覚悟はしているとも。しかし、少しだけ待って欲しい、一つだけ願いを聞いて欲しい。なに、すぐに終わることだ」

 

 踏み出した歩みが止まる。

 

「余というよりも、シェフィールドの望みなのだがね。どうせ死ぬのであれば、余の手にかかって死にたいとのことだ。献身に何も返せていない甲斐性無しでね。叶えられる願いならば叶えたい。罪滅ぼしがそんなことになるとは、皮肉だがね。余と一緒に始末するつもりだったというのなら、手間ではないと見るが? なに、呼べばすぐに来てくれる。献身的な、余には過ぎた女だからね」

 

 ──献身的で、才ある良い女だ。我らの後継は、きっと役目を果たしてくれるだろう。この俺が考えうる限り、最も悪辣なものになる。ああ、それをこの目で見ることが出来ないというのは、心残りではあるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうした? ついに壊れたか?」

 

 アルブレヒト王の無遠慮な言葉、そして、侮蔑の表情。

 

「我が友、そうではないよ。──はは、そのように心底嫌だと言う表情、飽きないね」

 

 厳しく眉根を寄せた表情、実に王という立場に相応しい。しかし、ため息というのは宜しくない。王とは、常に鷹揚でなければ。

 

「諦めてはいるがな。擬きとはいえ、貴様に友などと言われて喜ぶものなど居らんだろうに」

 

「余とて、それは理解しているとも。だからこそ面白いのではないか」

 

「……もう良い。何かあったのだろう。早く言え」

 

「おお、忘れてはいかんな。この体ではないのだが、ある意味では同じようなものだ。悲しいことにな、私の本体が死んだようなのだ」

 

 ジョセフという、狂った男が。

 

「ますます、分からんな。もともと貴様のことは理解仕切れなかったが、どうして自らの死に笑っていられるのかね? まさか、その人形の体があれば十分だとでも? 確かに、私もスキルニルというもののに興味を持ったことがある。不老不死の望みのために生み出された、自らの血から生み出す記憶を持った複製。しかし、所詮は複製。不老不死の概念とはほど遠い。結局は玩具としての扱いに堕ちたというのは私も理解できる」

 

「いやいや、私とて、自らの死は残念であるとも。君の言う通り、所詮この体は人形だ。古代の王がどうして諦めたのか分かるよ。哲学的な問題かもしれないが、この体は所詮紛い物で、死んだものこそがジョセフという人間だ。ただね、余はそもそも不老不死といったものには興味が無くてね。それよりも、まあ、カンニングのようなものではあるが、答えを得られたというのが嬉しいのだよ。どうしても確証の持てなかった疑問だったからね。上手くいくかは分からないが、仕込みが無駄にならずに済むわけで、それが嬉しいのだよ」

 

「その仕込みとやらは、話す気はないのだろうな」

 

 興味を向けるも、それまで。無駄な労力を払う気がないというのは、互いに無駄が無くて良い。

 

「その方が面白いではないか。まあ、それはさておきだ、時間がない。偉大なる始祖ならば、紛い物とはいえ、ここにジョセフが存在することに気付くかもしれない。早々に勤めを果たして消えねば。まあ、それが果たせるかは、アルブレヒト王、君次第だ。ああいや、大したことではないよ。そう警戒しないでくれ」

 

「お前の言葉を警戒しない者などいない」

 

「しかり、しかり。だが、断る理由はないはずだ。単にね、私の遺産を受け取って欲しいというだけだよ」

 

「……条件は何だ?」

 

 眉根を寄せるだけで、間髪入れない受託。

 

「おや、やけに素直だね。少々の問答は覚悟していたというのに」

 

「お前のこと信用していないが、認めてはいる。書いた本一つとっても、役に立つ。新しい概念を幾つも生み出し、その実用化の手段まで考えてある。私が準備してきたものまで踏まえて、な。真の天才とは、お前のことを言うのだろう。だが、それでも足りん。私が作り出してきたもの全てと掛け合わせても足りん。エルフの知識を合わせてもだ。エルフ共が十全であればともかく、残滓だけでは、届かない」

 

 輝かしいほどの野心、それは、余には無いもの。だからこそ、良い。

 

「さすがは我が友。それでこそ真の王だ。条件などとけち臭いことは言わない。君が役立ててくれるのならば、それで十分だ。それこそが余の願いなのだから」

 

「貴様のことは信用できない。だが、お前の力は必要だ。だから、貰えるものは貰っておこう。どう転ぶにせよ、無駄にはならない。無駄にはしない」

 

「そうかそうか、それは良かった。君にそう言ってもらえなければ、心残りになるところだったよ。それと、ついでといってはなんだが……」

 

「なんだ?」

 

「いや、君さえ良ければなのだが、娘のことを頼みたい。王家の血、後の施政で何かの役には立つだろう。アンリエッタ王女に比べれば貧相な体だが、オツムの方は上等だ。我が娘ながら、なかなかに優秀だと思うよ」

 

「まさか、貴様がそのようなことを言うとはな。どういう風の吹き回しだ」

 

 この言葉にこそ驚くとはな。面白いものだ。

 

「一つぐらいは親らしいことを、などと言っても信じまいな?」

 

「……まあ、良い。邪魔にはならん。丁重に扱うことは、約束しよう」

 

「感謝する。娘を、頼むよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始祖が復活されて、時は瞬く間に過ぎた。

 

 私の、教皇としての役目。かつて始祖に託された役目に従い、ロマリアを真の意味で一つにする。そこを起点に、人々の希望をまとめあげる。

 

 意思の力とは偉大だ。例え一つ一つは取るに足らないものであっても、まとまれば大きな力となる。集まった力は始祖の力となり、それを呼び水に、更なる力へと循環する。

 

 世界再編の要であったリーブスラシルこそ失った。しかし、作り出すべき結果が先にあるのであれば、それは問題ではない。ジュリオのヴィンダールブとしての力、ジョセフから回収したミョズニトニルンの力があればそれで事足りる。既に存在するカグツチを利用するのであれば、わざわざ器を準備する必要はない。

 

 そして、今ようやく聖地へと来た。いや、帰ってきたと言うべきだろうか。不確定要素を排除し、カグツチのある世界へと近づく、この時を待った。数千年の時に比べれば瞬きほどの間とは言え、それでも、長かった。始祖は、この時をどれだけ待ったことだろう。だからこその喜びは、格別。かつての面影などない場所であっても、この場所こそが始祖にとって、そして、私達にとって始まりの場所。

 

 この場所に、かつての面影は無いだろう。何も無かったとはいうが、何せ今は陸地ですら無い。ジュリオの愛竜から見下ろすそこには、海洋に申し訳程度に浮かぶ岩礁のみ。聖地だった場所は、既に海に沈んだ。有るのは息がつまる程の磯の匂い。小さな海の生き物が死んだ匂いだという生き物の気配だけ。だが、大切なのは座標としての点。別の世界と近づく特異点としての意味のみ。

 

 空に浮かび、ある一点を見下ろす始祖が何事かをつぶやく。

 

 変化は劇的。

 

 岩礁がどろりと形を崩す。そして、粘土のように海面に広がり、のっぺりとした陸地となっていく。地面が海を侵食するという、何とも不可思議な光景。

 

 始祖が降り立ち、それに続く。新たに生まれた地面は、竜の重さも確実に支えられるものだった。

 

「──懐かしい」

 

 始祖の呟き。

 

 その言葉には、どれだけの想いがあるのだろう。たかだか数十年の生しか知らない私には、決し

て計り知れない

 

「私が死んで、生まれ、そして、また死んだ場所。ここが全ての始まりで、終わった場所。私の全てはここにある。面影などないというのに、帰ってきたという想いが溢れてくる。私が人であれば、既に枯れ果てた涙すら流していただろう」

 

 これほどに雄弁に語る様子は、初めて目にするもの。それだけの喜びということだろう。始祖の喜びは、私にとっても喜び。悲願の成就は、待ち遠しい。失敗は、ない。

 

「──不安か?」

 

 私に向けられる、始祖の言葉。

 

 不安など、始祖が復活された以上は無い。万が一の失敗もない。そんなことはあり得ない。

 

 ……いや、始祖の前に心を偽る必要はない。私は確かに不安に思っている。

 

「エルフの妨害の可能性を排除し、身中の虫となる懸念のあったジョセフを排除しました。何より、あの者とも不干渉の約束を取り付けました。しかし、一つだけ思うのです。あれが本当に何も事を起こさないのかと、それだけが気がかりなのです」

 

「そうだな。あの者がここに来れば、それだけで失敗する可能性がある」

 

 始祖は、私の不安をあっさりと認めた。

 

「世界を隔てて漂うことになったカグツチ。カグツチは自らの存在意義である世界の再誕を阻んだあれを憎み、自らの全てを無にしたあれを呪った。自らの意思など単なる付属物でしかないカグツチが呪った。だからこそ、カグツチは眠りについた。世界の誕生だけを望むべきカグツチとして、あってはならない姿だからだ。カグツチの中には、世界を生み出すだけの無限の力がある。呪いは、その無色の力を暴走させる。もし仮に、あれが来れば、その時は何が起こるか分から無い。だからこそ、あれは近付けない。不本意な失敗は、あれの本意でもない。我々は、ただ役割を果たせば良い。私は、絶対に成し遂げる。ヴィットーリオ、そして、ジュリオ。お前達はそこにいて、私を信じてくれれば良い。ヴィンダールブとミョズニトニルン──カグツチを我がものとする為の力は、私が行使しよう」

 

 絶対の自信に満ちた、始祖の言葉。そう、わざわざ私が不安に思う必要はない。神は、救いはここにあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 始祖は、新たに出来た大地の中央に。そして、ゆっくり空を仰ぐ。背中越しには、その表情は伺えない。

 

 始祖の影が膨らみ──そこに、始祖へと寄り添うように佇む者がある。鮮やかな若草色の衣服、ほっそりと優美な曲線を持った体付きは女性で、その長く尖った耳はエルフ。その手には大仰な剣が握られているが、それは始祖を害する為のものではない。

 

 恐らくは、かつてのガンダールブ。始祖と共にあり、最後には始祖を裏切った者。始祖はガンダールブを愛していて、ガンダールブも始祖を愛していた。始祖を裏切ったことも、始祖を愛していたことも事実。私が知っているのはその事実のみ。それ以上の事は、始祖しか知らず、私が知る必要のない事。

 

 始祖が必要としたからこそ、そこにいるのだろう。これからの儀式は重要なもの。そうであるならば、守り手は必要。守り手であるガンダールブは、その為のもの。あれは、サーシャという始祖を裏切ったエルフでは無く、ただ、ガンダールブとしてある。かつての姿を残すその理由は、始祖にしか分からず、それは知る必要の無いこと。

 

 始祖の声、一定のリズムを持ったそれは、歌のようですらある。いや、確かにこれは歌だ。世界の誕生を祝福し、新たな世界を描く壮大な歌。その歌に、世界がさざめく。何かの軋むような響きは、世界の恭順。目に映る景色が、ゆらゆらと歪む。

 

 始祖の残した四つの秘宝、それ自体は単なるガラクタに過ぎない。大切なのは、それが内包する概念。それぞれが別個の方法で実現する、世界の描き方。全てを重ね合わせてようやく表現するものを、始祖の歌が実現する。

 

 風が、砂混じりの風が頬を撫でる。ここは、海洋。この砂は、とても遠くから運ばれてきたもの。しかし、既にこの場所でもある。現に、目の前に映るのは一面の砂漠。

 

 歌が、止んだ。

 

 聖地において、世界は繋がった。ここは、二つの世界が重なった場所。どちらでも世界でも無く、どちらの世界でもある。

 

 その証左こそ、始祖の前にある。城とも見紛うほどの巨大な、そして、淡く輝く球体。カグツチとは世界を照らす太陽のようなものだと聞いた。しかし、これは違う。寒々とした白い光は、凍りついた月のようにも思われる。自ら眠りにつき、自らを閉じた成れの果て。ただ、そこに在るだけのもの。

 

 始祖が、カグツチへと手を伸ばす。カグツチの巨大さに比べれば、偉大なる始祖ですらも小さな存在に見える。しかし、触れた場所からボロボロとカグツチの表面が崩れていく。漣のようにそれが広がっていく。

 

「孵らない卵とは哀れなもの。眠りについたその力をただ無に返すは、あまりに惜しい。その力は私がもらい受けよう。……ああ、哀れなのは、お前達もか」

 

 言葉は、カグツチにでは無い。振り返る視線の先、砂漠と海との境目に何かがいる。

 

 へばりつくように境目を登ってくるもの。ずんぐりとした塊に、ゴツゴツとフジツボやら貝やらがびっしりと張り付いている。人型のようなもの、竜のような形をしたものと様々だが、しかし、そのように見えるだけかもしれない。四肢のあるべき場所に欠損があるなど、形が歪に過ぎる。動きも緩慢で、登りきれずに落ちるもの、ようよう登っても、それから動けなくなるものすらあった。脅威よりもむしろ、哀れを誘う。とうに死を迎えていただろう体を無理やりに動かしているようにすら見えた。

 

 始祖の傍のガンダールブも、それらを見ていた。美しいのに、感情のない瞳は作り物めいている。とうに死を迎えたはずのものという意味では、彼女も同じかもしれない。いや、それならばカグツチすらも。

 

「──作った者にすら忘れられたもの達だろう。どのような願いであったとしても、今となっては呪いにも同じ。せめて、役目だけでも果たさせてやるべきか」

 

 気付けば、ガンダールブがそれらの前にいた。人型が両断されている。大剣が振るわれ、刈られた草のように残骸が舞っている。剣を振るい黙々と破壊していく様は、単純作業の繰り返し。どれだけの数があるのかは分からないが、それこそ時間の問題。規則正しい破壊音など、何たる言葉の矛盾であろうか。

 

 始祖は、それきり興味を無くしたようだった。始祖は、始祖の務めへと向かう。カグツチへの侵食は進んで、そこにはつるりとした表面がある。そして、それはどんどん広がっていく。

 

 全体の四分の一ほどであろうか、目に映る場所が変化したところで、カグツチの表面が泡立つ。どろりと形を変え、球体が歪に盛り上がる。粘土のように、しかし、自らこねくり回されるように蠢くと、そこには不可思議な、それでいて巨大な顔が生まれた。

 

 呆けたような、間抜け面は何とも言い難い。焦点のあっていないような目は、何かを探すように緩慢に巡らされる。奇妙な顔に、奇妙な所作、なまじ人と同じだけに気味が悪い。例えこの世界の救い手になるにしても、気味が悪いという感情は拭いがたい。それと目が合うと、なお一層嫌悪感が募る。よりによって、なぜ私を見てそこで止めるのか。ああ、いや、見ているのは私ではない。もっと遠くを、丁度、ガンダールブを。

 

 違う、ガンダールブでも無い。

 

「なぜ、ここに……」

 

 不可思議な刺青の顔は、あれしかいない。胸元を貫かれたガンダールブ、素手で貫いた混沌王。混沌王は、鬱陶しげに投げ捨てる。嗤う混沌王の手には、ガンダールブの大剣。

 

 体に衝撃が、何かに、押し倒された。ジュリオだった。赤い、ジュリオ。誰かの腕が落ちていて、地面には剣が刺さっている。

 

「──残念、力加減が分からんな」

 

 どこか聞き覚えのある声に遅れて、巨大なものがぶつかる音。始祖の不可視の障壁の前に、混沌王がいた。殴りつけ、殴りつけ、殴りつける。障壁は軋みをあげ、混沌王はやはり狂ったように笑っている。その体には亀裂が走り、大きくなっていく。腕がひしゃげていくのも、気にも止めないように。

 

「さすがは、偉大なる始祖。だが、女が気になるか?」

 

 違和感。馬鹿にしたような声は、誰かに重なる。自らが壊れていくのを気にもしないその姿と。

 

「──お前は、ジョセフ。……そうか、あの時の血を」

 

 混沌王は、ただ狂ったように嗤う。狂ったように、腕だったものを叩きつける。

 

「さすが、さすが、さすが。もう見抜いたか。だが、遅い。余は、消える。もう、終わりだ。それでも、この体は、止まらない。カグツチの呪いは、止まらない」

 

 始祖の背後、広がる、黒。カグツチが、カグツチだったものが変質している。白かったそれは黒々と染まり、呆けた顔は、明確な感情を、憤怒の表情を。引き裂けた口には、更なる闇。

 

 混沌王の姿をしたジョセフだったもの、ひしゃげた腕は、それでも始祖の障壁に食らいつく。腕が千切れても、喰らいつく。

 

「狂人が……」

 

 カグツチの巨大な口が二人を飲み込む。

 

 二人は、カグツチに食われた。それでも、笑い声が聞こえる。

 

 カグツチに亀裂が入り、巨大なブロックとして形を変える。何かを砕くような、怖気の走る音。巨大なパズルが組み合わさっていく。バラバラになって、また、組み上がる。

 

 笑い声は、消えた。

 

 音も止んだ。

 

 あるのは、歪な形を取った黒いカグツチ。

 

 黒い光という、矛盾する在り方。

 

 腐った傷跡のように、泡立つ。瘧のようにボコボコと弾ける。

 

 顔が浮かぶ、喜びの表情

 

 顔が浮かぶ、憤怒の表情

 

 顔が浮かぶ、哀しみの表情

 

 顔が浮かぶ、恐れの表情

 

 弾けては繋がり、混ざり合う。

 

 一つの巨大な顔が浮かぶ。感情の無い、気味の悪い顔。

 

 口元から、粘つくような音、金属のこすれ合うような音。不快な音積み重なって、それを声になる。

 

「……何たる、何たること。紛い物では、満たされぬ。ああ、もはや、呪いは、止まらぬ、止められぬ。我が光は、腐り果てた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第47話 The Great War

 

 

 

 

 

 

 空へと昇る、穢れた太陽。

 

 空気を震わせる胎動に合わせて、どす黒い何かを垂れ流す。

 

 世界の中心となるが為に生まれるカグツチは、全ての可能性を内包した無色の存在。身の内に取り込んだあらゆる供物を糧に、その無色の力を育む。新たな世界の礎になることこそがカグツチの喜びであり、存在理由。

 

 しかし、カグツチは呪った。

 

 世界の可能性を奪った者を憎み、呪ってしまった。無色とは即ち、あらゆる色に染まるということ。その無色の力は、カグツチ自身の呪いに染まる。無尽蔵とも言える膨大な力は、呪いへと変わる。

 

 カグツチから溢れ落ち続ける、黒い何か。

 

 それらは蠢き、様々に形を取る。人や獣、あるいは、どちらとも取れない奇妙な姿へ。かつてカグツチに取り込まれたものの、成れの果てなのかもしれない。

 

 確かなのは、カグツチの呪いから生まれ、呪いそのものだということ。形を与えられたに過ぎないはずのそれらは、歩き出す。感情どころか知性すらないだろうそれは、しかし、一様の方向へと歩きだす。おそらくは、呪いの矛先へと。

 

 不意の浮遊感。体が中空へと投げ出され、ゴツゴツした硬い場所へ落ちた。目の前には、ジュリオの愛竜が首をもたげている。私は、竜の背にいた。そして、背後にはジュリオも。

 

 ジュリオは残った左手で、竜の手綱を握っている。真っ赤に染まったジュリオの服と、対して、土気色の顔。

 

 しかし、その目は諦めてはいない。ジュリオの手綱に合わせて竜が走り出し、飛び立つ。優美さの欠片も無い、我武者羅な飛び方。

 

 ジュリオが言う。

 

「……トリステインへ、行きましょう。それしか、ありません。止めるには、それしかありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪い予感がした。

 

 ルイズとテファは、体を抱え、身を震わせる。理由は分からないのに、でも寒い、と。

 

 そして、外に空間の揺らぎと強い敵意。かつて感じたもの、呪いの言葉と共に向けられた憎悪。

 

  学院の外へと急ぐと、空には閉じかけた空間の穴。そこから舞い降りただろう竜の背には、血に汚れた教皇とその使い魔の二人きり。教皇は意識の無い使い魔を抱え、そして、ブリミルはいない。穴の奥には、ただただ憎悪の気配がある。

 

「──そこにいたか」

 

 遠く聞こえる、カグツチの声。くぐもった、かつての世界で聞いた声とは違う。違うはずなのに、分かる。憎悪と、そして、歓喜とも取れる感情も。

 

「止めてみせろ。我はもはや止まらぬ。我が内にある創世の力は、呪いへと変質した。そこなる愚か者共は、閉じ込めた我が呪いを溶かしてしまった。もはや、呪いが費えるまで止まらぬ」

 

 空の穴が、消える。

 

「──この呪いは、お前の罪だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人で抱え込まないと約束した。

 

 だから、何が起こったのかの話を聞くのにも、何が起きたのかを薄々感じ取っているルイズとテファだけでなく、エレオノールとマチルダも同席した。

 

 一様に、不安そうな表情を浮かべている。教皇自身は無事とはいえ、その使い魔は重症。何より、ブリミルがいない。良くない話だというのは、明らか。

 

 皆の視線が集まる中で、教皇は素直に話し始める。溢れる自信は無く、ただの人間として。

 

 ブリミルは、世界の特異点から二つの世界を繋いだ。創世の力と共に眠りについたカグツチを呼び出し、それを利用する。念を入れた準備の甲斐があり、悲願の成就は時間の問題だった。失敗する要素など、皆無。しかし、予想外の邪魔が入った。

 

 何をどうやったのか、なぜそんな選択したのかは分からない。死んだはずのジョセフが俺の姿を取ってその場へと現れ、カグツチを暴走させた。そして、暴走を始めるカグツチに、ブリミルを道連れとして食われた。

 

 もはや自ら止まることもできないカグツチは、時をおかずここへとやってくる。

 

「──最悪だな」

 

 率直な感想に、教皇は顔を背けず首肯する。

 

「その通りです。考えうる限り、最悪の形で失敗しまいました。しかし、こうなっては、もはやあなたしか対抗できない。あれは、全てを憎む呪いになっています。だから──」

 

 教皇は、地に額を擦りつける。

 

「どうか、この世界を救ってください」

 

 土下座するその姿は、血でうす汚れて見窄らしい。この頼みを聞く筋合いなどない。

出来うる限り全ての準備をしたとは言え、無様に失敗したのだ。だが、しかし、カグツチは俺の元へ必ず来る。カグツチは、必ず追ってくる。

 

「……あれは、俺のツケでもある」

 

 カグツチの敵意の矛先は、俺にこそ向いている。

 

 ジョセフがどこまで知っていたのか分からない。しかし、ジョセフはカグツチの呪いを目覚めさせた。あの天才的な狂人は、考えうる限り最悪の状態を作り出した。カグツチは、もはや止まらない。カグツチ自身が語る通り、自ら止まることすらできない。世界を創る力は、世界を破壊する力になりうる。

 

 集まる、不安げな視線。

 

「カグツチは、何としても止める」

 

 俺のせいで、皆の故郷を無くすわけにはいかない。今の俺には、愛する人こそが全て。生きる理由は、そこにしかない。

 

 教皇が、顔を上げる。その目は、死んでいない。

 

「──ありがとうございます。ならば私は、私がやれることをやりましょう」

 

 口元を引き締め、覚悟を決めた表情。教皇は、自らがやるべきことに気づいたのかもしれない。だから、尋ねる。

 

「今のお前に、何ができる? 信じる神はもはやいない。ブリミルの力とて、いずれは消える。カグツチが何かは、知っているんだろう?」

 

 今のカグツチは、世界そのものが災厄となったのと同じ。

 

「ロマリアの全て、影響の及ぶ全ての戦力をまとめてぶつけます。たとえ僅かであっても、この世界の為に戦いましょう」

 

  教皇は、戦うことを誓う。

 

「それができるのか? まとめていた神はいないというのに」

 

  問いに、ただ肯首する。

 

「出来る、出来ないではありません。私は、この世界を愛しています。だからこそ、この世界の再誕を望みました。いつか必ず迎える滅びを避けたかった。始祖の願いだからというだけではありません。私自身の望みでもあるのです。私は、何をしてでも皆をまとめます。たとえ日々の不平不満があったとしても、皆、この世界に生きています。より良い生を求めて生きています。この世界を愛している皆ならば、それができると私は考えます」

 

「他人の全てを勝手に推し量るとは、随分と傲慢な考えだな」

 

「たとえ傲慢であっても、私は信じていますから」

 

 教皇は、何の疑いも無く言ってのけた。

 

「なら、やってみろ。俺は、俺ができることをやる」

 

「ありがとうございます」

 

  教皇はようやく笑って見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここでやるべきことは終わったと、教皇はようよう目覚めたジュリオと共にロマリアへと飛んだ。

 

 ロマリアをまとめていた、神という名の中心は無くなった。いくら口で言ってみせた所で、結局何も出来ないかもしれない。だが、絶望的な状況の中で自らを動くことを誓った。それは、英雄となるに十分な資質。期待はしない。しかし、可能性を自ら閉ざすことをしなかったことだけは、認めても良い。

 

「──必ず、俺がなんとかする。だから、待っていて欲しい」

 

 愛する人達の寝顔に、語りかける。ルイズ、テファ、エレオノール、そして、マチルダ。共に戦うという言葉は、素直に嬉しかった。しかし、危険な目に合わせるなど、俺自身が我慢できない。

 

 意思に反した眠りは、目元に涙を残した。目を覚ましたら、きっと怒り狂うだろう。あるいは、悲しむだろうか。口すら聞いてくれないかもしれないのは、恐ろしい。だが、もしも命を落とすようなことがあれば、それを考えることの方が何倍も恐ろしい。

 

 思考を切り替える。

 

「……さて、根比べになるな」

 

 ウリエルが応える。

 

「ええ。カグツチ──カグツチだったものの中には無尽蔵の力が眠っています。使い道が無いとなれば、出し惜しみも無い。正直、幾度殺せば尽きるのか、想像もつきません」

 

「それでも、無限ではない。百でも千でも、例え万となっても、いつかは尽きる」

 

 アルシエルが応える。

 

「それも道理ですねぇ。では、まあ、私が先行しましょう。向こうにはガルーダ、ジャターユと居たはずですね。やれるだけのことはやってみせましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようよう戻ったロマリアは、あれほどに満ちた熱が冷めようとしていた。聖地で何が起きたのかなど、知るはずがない。しかし、心に感じていたものが無くなったことは、分かるのかもしれない。そもそもが理屈の通じるものでは無かったのだから、これもまた同様ということだろうか。

 

 教皇庁で私達を迎えた者達も、職務には忠実ながら、言葉にできない何かは感じているようであった。何か言いたげな彼らを無視し、執務室へと戻る。誰も通さないようにと告げると、彼らは一様に不安げな表情を浮かべた。

 

 部屋でジュリオと二人きりになる。先に言葉を発したのは、ジュリオだった。

 

「──さて、現状を正しく認識しているのは僕たちだけです。これからどうしましょうか?」

 

 いつもの飄々とした口調に戻ったジュリオ、幾分、顔色も良くなったようだ。

 

 右腕こそ無くしたが、命に別状は無い。最初こそ軽くなった半身に戸惑いながらも、持ち前の運動神経の良さがそれを克服した。

 

 変わらないその様子に、少しばかり安堵する。1人では、私はきっと腑抜けたままだった。唯一の可能性にも気づかなかったことだろう。どんな時でも私を支えてくれるジュリオには、感謝しかない。

 

「約束、しましたからね。私は、いえ、私達ができることをやると」

 

 何もしないなどという選択肢など無い。もしそうなら、私はあの場で朽ちるべきだった。私には、自ら死を選んで逃げることも許されない。私の死で何か一つでも改善するのであれば、喜んでこの身を捧げよう。しかし、そんなことはあり得ない。もしそうであれば、どんなに楽なことだろう。

 

 ジュリオは、苦々しげな表情を浮かべている。

 

「まあ、それはそうなのですが……。僕のヴィンダールブとしての力はガタ落ち。手に負えそうもない獣はもとの住処へと返しました。他の獣とて、いずれは……。純粋な信者である騎士団こそ健在ですが、それだけではあの化け物共に一矢報いるにも戦力が足りません。いえ、拠り所が無ければ、そもそもアレに対峙する前に心が保たないでしょう」

 

「私に真に教皇としての器があるのか、試されますね」

 

 ジュリオが力無く笑う。

 

「今この時にも強くあれるあなた以外に、誰にその資格がありましょう。しかし、一人一人は弱いものです」

 

「それを導いてこその宗教でしょう。心の拠り所、それこそが本質です」

 

「それはそうですが……。と、誰か来たようですね?」

 

 ジュリオの言葉に遅れて届く、扉へのノック。

 

 人払いをした上での訪問、これは、誰だろうか。不測の事態にも備えながら、ジュリオが立ち上がる。

 

「どなたでしょうか?」

 

 返ってきたのは、しわがれた年嵩の声。

 

「私です。マザリーニです。お話したいことがあり、友人と共に来ました」

 

 思わぬ客に目を見合わせ、しかし、素性が素性なだけに招き入れる。マザリーニ卿の友人とは、果たして、リカルド卿であった。

 

 部屋に入るなり、リカルド卿は言う。

 

「どうにも、大変なことが起こったようですな」

 

 真意を測りかねる言葉に、そして、マザリーニ卿が言う。

 

「どうにも胸騒ぎがした所に、知らせがありましてな。そして、二人で腹を割って話した上でここにきました」

 

 マザリーニ卿のつながりは把握しているが、敢えて尋ねる。

 

「さて、どういった方から、どういった内容でしょうか」

 

 マザリーニ卿は皮肉気に笑い、頷く。

 

「あなたも良くご存知の取引相手から、世界の危機について。できることは手伝ってやれと」

 

「それはそれは。しかし、リカルド卿もですか?」

 

 私の問いに、リカルド卿は意味ありげに笑ってみせる。いつもの快活な笑みとは、少しばかり趣の違うもの。

 

「聖地と、その真意について継ぐのは教皇のみ──そう思っていましたかな? しかし、それだけではないのですよ。恐らくは、保険の意味もあるのでしょうな。まあ、平たく言えばその一つを私が握っていたということですよ。そして、マザリーニ卿の慌てぶりから、これはと直感しました。互いに意図せぬ奇妙な巡り合わせでしたが、これもまた、神の思し召しか。このようなことにならねば、お互い深入りはしなかったろうことを思えば、まこと、運命とは分からぬもの。しかし、こうなれば私も動かねばならないと理解した次第というわけです」

 

「つまりは、世界の危機を理解し、それをなんとかしたいといらっしゃったわけですね?」

 

 リカルド卿は、鷹揚に頷く。

 

「しかり。始祖の悲願成就が失敗し、形となった災厄がこの世界を滅ぼそうとしている。止められなければ、世界はただ破滅するのみ。縋れそうなものはあるとはいえ、それに頼り切るわけにはいかない。今この時こそ、戦うべき時。その為にやれることは、やらねばならない」

 

「例えば、どのような? 正直、どう手を打ったものかと、これから考える所だったのですよ。良い考えがいただけるなら、確かにありがたいですね」

 

 本当になにか出来ると言うのなら、どれほどありがたいものだろうか。

 

 今度は、マザリーニ卿が言う。

 

「まずは、国を、人々をまとめねばなりません」

 

 それは至極もっともな意見。

 

「しかし、それこそがまず難題ですね」

 

 私の言葉に、リカルド卿がどうにも腹立たしい笑みを浮かべる。

 

「でしょうな。となれば、できることを分担しましょう。我らに教皇殿のようなカリスマは無いが、ジジイにはジジイにしかできないこともあるのですよ」

 

「分担、とは? もしや、辻説法でもいただけると? 確かにリカルド卿も、マザリーニ卿も音に聞こえた素晴らしい方です。しかし、言っては難ですが、一宗教者でしかありません。私の教皇としての立場でも、恐らく難しいでしょう」

 

 リカルド卿が笑う。

 

 何であろうか。先ほどから垣間見える、人の良いものとは違う、陰のある表情。人格者を謳われ、裏表のない奔放さから慕われているという評判とは違う一面。

 

「むろん、常識的に考えればそうでしょう。しかし、今この状況だからこそ言いますがな、実は、私は腐りきったこの国の変革の準備をしていたのですよ。何年も、何代もかけて、人を繋いで」

 

 リカルド卿の表情に、冗談の色は一切見えない。むしろ、より一層真に迫っていく気迫がありありと浮かんでいる。

 

「……教皇殿。あなたが改革を行わねば、既に行動に移していたかもしれない。今は様子見としていますが、しかし、未来を担う若い世代が中心になった頃には改めて判断するつもりでした」

 

 リカルド卿の正体に、ようやく思い至る。

 

「この国に見え隠れしていた改革者の中心は、まさかあなたでしたか。そういった潮流があること、むろん私も認識していました。しかし、実態を掴めなかった」

 

 存在することが分かっているのに、どうしても見つけられなかった。だから、懸念であるというのに何の手立ても打てなかった。

 

 リカルド卿はまたも笑う。今度の笑みは、これまでのリカルド卿に相応しい、しかし、こうなるとそれこそが小憎らしいと思わざるを得ない。

 

「それはそうでしょう。実体があってないようなもの。見つけようと思って見つけられるものではない。この国を何とかしなければという想いでつながった、緩やかなつながり。そのつながりこそ深めるものの、実際の行動はまだ無かったのですからな」

 

「新教徒のことは、違うというのですか?」

 

 無謀な理想を掲げてこの国をかき回し、そして、私の母を誑かした思想。私が何を思っての言葉が理解したのだろう、リカルド卿は僅かに眉をひそめる。

 

「信じるかどうかは別だが、あれは違う。あれは、性急に過ぎる。自然発生的なものだからこそ、止められなかった。ロマリアに巣食う病巣は深く、あのような拙速な運動がうまくいくはずなどない。私は、私達は、だからこそ準備してきた。……むろん、うまくいくのであれば、それはそれで良しと思っていた。結果としてだが、その種を撒いたことは否定しない」

 

 リカルド卿の言葉がどこまで真実かは、分からない。しかし、問題はそこではない。

 

「……あなたの言葉、信じましょう。今ここで作り話をする必要はない。それで、あなたは何をしようというのですか?」

 

 リカルド卿は、得意気に頷く。

 

「宗教家としては、人を導く説法をしなくてはな」

 

 マザリーニ卿も。

 

「ええ、人の心を一つにまとめるために」

 

 二人の真意が、どうにも掴めない。

 

「それだけ、ですか? 私とて、ええ、表には出せない手段とて取るつもりではあります。しかし、それだけでは何ともならないと思っている次第で」

 

 マザリーニ卿が私に問う。

 

「それは、取れる手段全てですかな? 私達は、全ての手段を取るべきなのですよ。教皇派といった派閥を問わずにあらゆるつながりから、そして、大人から子供まで、全て」

 

 リカルド卿が言葉を引き継ぐ。

 

「例えば、学校など。手の内を明かすなら、我々の活動の中心の一つに学び舎があります。穏健な改革こそが我らの本懐ですからな。本来は学校を巻き込むというのは、下策。しかし、子供らから、大人と子供の境のものからの声というのは、中々に強い意味をもつものでしてな。良心的な思想の持ち主などは特に、子供が純粋に何とかしたいと声をあげられれば放って置けないと考えるものなのですよ。そして、未熟ながらに溢れる情熱というのは扱いやすいもの」

 

「そのようなやり方は、後の世で悪魔の所業と言われるでしょう」

 

 学生は中途半端に知識があり、自分のことを大人だと思っていて、情熱というエネルギーに溢れている。ちょっとした言葉でたやすく転ぶ。それが自分の意思だと疑いもしない。

 

 マザリーニ卿の表情は、いつもの生真面目そのもの。

 

「全ては、後の世があってこそ」

 

 諭すように口にする。果たして、このような考え方をする人物だっただろうか。

 

「甘い部分が教皇の座を逃した理由だったでしょうに、変わりましたね」

 

 マザリーニ卿は、困ったように眉をひそめる。

 

「朱に交われば、かね。しかし、世界を守る以上の大義などあるかね?」

 

「愚問でしたね。では、決行はいつに?」

 

 リカルド卿が重々しく頷く。

 

「今すぐに──と言いたいが、準備に1日待ってくれ。それまでに、素晴らしい演説を準備して欲しい。余計なことは、ジジイに任せてくれ。ただし、全てが片付いた後、別の教皇が就任するだろうことは了解して欲しい。むろん、行動が成功してこそだが、失敗すれば、それどころではない」

 

「まさか、あなたが? 異論など、私に言う資格はありませんが……」

 

 リカルド卿は、カカと笑う。

 

「それこそ、まさかだ。私のようなジジイが今更教皇になどになって、何となる。まだ絞りきれていないが、うまく片付く頃には頭角を現すだろうさ。未来は若人が作るものだ。ジジイはその為の手伝いだけで良い。まあ、余計なお節介は存分にするがね」

 

「全く、食えない方ですね」

 

 しかし、それでこそ頼もしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪魔の門に、異形の軍勢が現れた。これこそが、私達エルフに伝わる予言の実現かと思われたが、しかし、確証には欠けた。

 

 多くの同胞の命が失われるという予言と異なり、現時点ではエルフに対する直接の脅威となってはいない。事実として、現れたものがエルフの国を素通りしていることの確認が取れている。通り道には文字通りに何も残らなかったという結果こそあるも、それ自体は偶発的なものと捉えることも出来なくはない。

 

 結果、首都を中心に軍が再編成こそされるも、現時点では様子を見るという意見が大勢。攻勢に入るという意見は、極少数の戯言という扱い。辺境の軍は、そもそも、その地の防衛の為に手離さないという強い力が働いている。とはいえ、数だけは十分に膨らんだ首都防衛戦力は、一部の眷属のみ残してガルーダ様方が抜けた穴だけは塞いではいる。

 

 ただ、そのガルーダ様方の様子は芳しくない。

 

 この国に連れてこられた戦力と共に移動、攻勢に入った。しかし、効果が出ているかどうかの判断がつかない。エルフの魔法を遥かに凌駕する攻撃魔法で薙ぎはらうも、敵の進軍状況に大きな影響が見られない。直接の確認ができないので予想となるが、敵は強力な再生能力を備えていると思われる。

 

 加えて、敵の反撃もある。特に、中心にある黒い球体の攻撃は苛烈。空を薙ぎはらう超広範囲の光は、触れるもの全てを蒸発させるだけの想像を絶するもの。見知った山の稜線が、奇怪に変化していた。

 

 そんな戦いなどという言葉で括って良いのか分からない現象は、速度をわずかに落とすのみで西へと移っていく。つまりは、人の国であるトリステインへと。

 

「──で、アリー。誇り高いエルフの軍人として、あなた達は何をしているのかしら?」

 

 私は、婚約者であり、軍に直接の籍を置くアリーを詰問する。アリーは不満げに眉根を寄せる。

 

「なかなか俺達、軍が直接どうこうするというわけにはいかないんだよ。まずは、自分達のよって立つ場所を守らないと」

 

「だからって、アレをそのままにして良いはずがないでしょう」

 

 アリーは目を伏せるも、一瞬のこと。

 

「それは、もちろん分かっている。俺だけじゃない、若手は悪魔だけに任せるわけにはいかないと思っている。蛮族の軍が準備をしていても、そんなものは頼りにならない。このまま放置できないとなれば、今こそエルフの底力をと。ただね──」

 

「口だけなら、要らないのよ」

 

 私は、言い訳を繰り返すだけのアリーの言葉を遮る。

 

「アレは良くないもの。未だ大きな被害は出ていないとはいえ、予言にあった災厄がアレではないと考えるなんて楽観的に過ぎるわ。そもそも、これまで守っていただいてそれでお終いなんて、誇り高いエルフの矜持にもとると、どうして思わないの」

 

 アリーは、苦々しげに呻くばかり。 とても、残念だ。

 

「あなたがそんな日和見なら、私が行くわ」

 

 部屋を出ようとすれ違う私の肩を、アリーが掴む。

 

「行くって、どこへ行くつもりだよ」

 

「あなたが頼りにならないから、私が説得しに行くの」

 

「いや、しかし、上が……」

 

 アリーの手を振り払う。

 

「そんなことは、どうでも良いの。上と言ったって、結局の所は緊急事態に急遽出てきた繰り上がり。まともな判断なんか期待できないわ。最悪、まとも判断ができている若手だけでも動くべきだわ。当てにならない命令なんて、あってもしょうがないでしょうが」

 

「そんなことをしたら、クーデターじゃないか」

 

「だから、何? 何もせず、滅びを待つのが良いの? アレは決して良くないもの。人の国だけで済むものではないわ。だからこそ、ガルーダ様方がああやって戦っているんでしょう」

 

 アリーは、ただ私を睨みつける。

 

「私は、私がやるべきだと信じることをやるわ。あなたは、あなたが最善だと思うままに行動すれば良い。だから、邪魔をしないで」

 

 アリーは視線を逸らさず、しかし、口の端を上げる。

 

「全く、君は困った婚約者だな。──分かった。君の言う通りだ。だから、1人じゃ行かせない。俺も行く。君だけじゃどうにも危なっかしい。そもそも、君はどこに行けば良いかなんて分からないだろう?」

 

「あら、私も色々とあってね、議長とは親しいのよ?」

 

「それはそれで大切なルートの一つではあるけれど、君は何というか……。まあ、良い。とにかく行こう。決めたのなら、時間を無駄にする必要はない」

 

 アリーの顔には、もう迷いは見えない。

 

「少しは良い顔をするじゃない。後で可愛がってあげてもいいわ。もちろん、あなたが役に立ったらだけれどね。ちゃんと、男らしい所を見せてよね。情けない男なんて嫌いなんだから」

 

「まったく、君は……。俺が、君を、可愛がるんだよ」

 

 照れた笑いは、生意気な彼の可愛い所。

 

「あら、言うじゃない。口先だけの男だったら、願い下げよ? それに、他の男はどうかしら。本当に骨のある男なら良いけれど」

 

 アリーは口元を引き結ぶ。

 

「大丈夫。皆、何とかしたいとは思っているんだ。今までは正しいと思ってもできなかったことが多かったけれど、何だかんだで以前より風通しは良くなっている。だから、必ず何とかしてみせるさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガリアに、二つの知らせが入った。ガリアの女王となった私に、面倒な手続きやら儀礼やらをすっ飛ばして直接届けるという、ふざけたやり方で。平時なら少しばかり言ってやりたいことがあるが、それはさて置く。

 

 一つは、トリステインにいるあの男から。偉大なるブリミルがバカをやらかしたという事実と、現れた厄介な敵に出血を強いつつ、最終的にトリステインで迎え撃つということ。淡々と事実が書かれたもので、どう行動するかの判断は私に任せるといったところだろう。

 

 もう一つは、ロマリアから。世界の危機に対する協力の要請と、父の仕出かしたことに対する責任をと鬱陶しく書かれたもの。言いたいことは分からないでもないが、それこそ、お前が言うなというものだ。もっとも、そもそもが表に出せる話ではないのだから、これもどう判断するかは私次第と言える。

 

 私は、ガリアに取っての最善を選ばねばならない。

 

 私とて、いくつかの事実は把握している。ゲルマニアとガリアの間を、「世界の敵」が移動しているという現実。そして、複数回に渡る大規模な悪魔の軍勢との衝突。

 

 一帯を更地にする大規模な暴風、夜を昼空に変える光の奔流、何百リーグ先にも衝撃が届くほどの爆発、空を黒く染める怖気の走る蝗害なんてものまであった。どれを取っても

、歴史に残るような災害レベルのありえない現象。

 

 しかし、何よりあり得ないのは、敵の軍勢が尽きずに健在だということ。ついには、ある時を境に、ぱったりと大規模な攻撃が無くなった。状況を鑑みるに、悪魔の軍勢を率いていた大物が敗北したものだと思われる。事実、それからは衝突そのものが無くなり、敵の軍勢は変わらず西へと向かっていく。

 

 これまでの状況からすれば、敵はガリアを素通りしてトリステインへと進むのだろう。その可能性はかなり高いと思われ、ガリアとしてはこのまま何もしないというのも考え方ではある。

 

 実際、戦いの最中にエルフのものだと思われる軍艦が一隻、遠くに待機しているのを確認できた。おそらくは様子見だろう。状況の確認は必要だが、無闇に手を出して藪蛇を避けるというのは、理にかなう選択。

 

 だが、通り道にあった集落などは、軒並み消滅している。たまたまそこにあっただけで、運が悪かったと捉えることもできるだろう。しかし、そのような人の敵を放置して安心できるというのは、いかにも楽観的に過ぎるのでは無いだろうか。

 

 あの男は、トリステインで本命と共に迎え撃つつもりだという。そして、ロマリアもそこに合流する為に動いていることが確認できている。となれば、国土の外であるトリステインに援軍として送ることこそがまだマシな選択ではないだろうか。敵の軍勢の中心はともかく、それ以外は全く手の出せないものでは無いということの確認が取れている。ならば、援護にも意味があるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「──と私は考えていますが、あなたはいかがでしょうか?」

 

 相対するはゲルマニアの王であり、そして、私の夫となるというアルブレヒト王。お互いに状況は確認しており、国境で会合を持った。互いに直接の被害はわずかと言えるが、だからといって座してはいられない。

 

 アルブレヒト王は、しかめ面で髭を撫でる。父と同じだけの年齢で、夫になるというのはどうにも実感が湧かない。だから、今はただ同盟国の王として対峙する。

 

「火中の栗を拾うのは、あまり賢いとは言えないな」

 

「そう、ですか」

 

 今はあえて、無理に関わら無いと判断するのも道理。私は、多少なりとも責任のようなものを感じているが、アルブレヒト王には全くあずかり知らぬ所で起こった災害のようなもの。それもまた、王として正しい判断だと思う。

 

「──しかし」

 

 アルブレヒト王の、ギラつく笑み。

 

「このままでは、何も残ら無い可能性がある。手に入れるものが無くなっては元も子もない。イザベラ女王の言う通り、トリステインに援軍として送るのが最善であろう。ああ、私は自身が赴くべきかと考えるが、女王殿下は残っていても良い。男として、女の身は守るべきであるからにな」

 

 私を試す、か。

 

「冗談はやめて欲しいものです。私を誰だと? あの底意地の悪いジョセフの娘です。厄介事こそ、自分で何とかしてみせましょう」

 

 アルブレヒト王は、喉の奥で笑う。

 

「結構。さすがはあのジョセフ王の娘だ。私は、気の強い女は嫌いでは無い。気の強い女を屈服させるのは、従順な女をただ組み敷くよりもずっと滾るものでね」

 

「そのような趣味の悪い言葉を吐くだけの結果、見せてくれるのでしょうね?」

 

 アルブレヒト王のギラつく笑みは、より一層激しいものに変わる。

 

「見せよう、最後に勝つのは私、いや、私達だと」

 

「では、いかがしますか? ガリアは、両用艦隊を全て出撃させます。今回ばかりは出し惜しみ無しに、ガーゴイルも全て。少しばかり艦隊が足りませんが、運搬だけなら商用船でも十分。父は何を考えていたのか、必要だと思われるものは既に増産してあった上に、風石の在庫までもが有り余るほどありますから」

 

「豪勢なことだ。うちは、第一陣として新装備の機甲兵団を派兵しよう。一部の武器には余裕があるから、そちらにも融通しよう。ただ、運搬は手伝ってもらうとしようか。全軍輸送できるほどには手が回っていなくてね」

 

「問題有りません。父も、そのつもりだったのでしょう。両国で合わせれば、1000万近い軍勢になるでしょうか」

 

「正面にあの者が立つとすれば、援護ということでは十分と見るね。ただ、そうするとエルフのことが気にかかる。そうそう自由に動けるとは思え無いが、人の様子を伺っているというのは気に入らない。面白く無い動きをしている者もいるからな」

 

「それは、私の方で何とかしましょう」

 

 アルブレヒト王は、満足気に頷く。

 

「さて、人の持つ底力というものの見せ場だ。知れば知るほど、人とは大したものでね。この身を持って、改めて実感するよ」

 

 野心溢れるその在り方は、今この時においては頼もしくある。野心は、国の活力ともなる。飼い慣らせなければ、その身を焼かれるのだけの話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリステインに、「敵」が押し寄せようとしている。

 

 だが、娘婿からは言われた。国としての助力は不要、娘達も必ず守る、と。既に整いつつある陣容と、要塞と化し、そして、出ることのできなくなった「学院」だったものを見るに、それは事実だろう。負けん気の強い娘達には、それぐらいでなければならない。つくづくカリーヌの血を色濃く受け継ぐ娘達には。

 

 しかし、だからといって国を守る役目を放棄するわけにはいかない。公爵たるヴァリエール家に何もしないという選択肢はない。国を守ることは、公爵という位から切り離すことのできない責務。今回に限っては妻もやる気で、共に軍会議に臨んだ。

 

 会議とはいっても、面倒なことははない。やるべきことは既に決まっており、主要な者達は凡そ、その準備を済ませている。会議は、顔を合わせての詰めの作業。なんといっても、命のやり取りであるからには。

 

 予定外といえば、アンリエッタ女王のこと。今この時にこそ、王権を譲りたいという。しかし、それは承諾できない。今この時だからこそ、できない。このような時には、美姫こそが神輿に相応しい。

 

 会議には、アルビオンも参加した。王子はトリステインに合流する形で自国の兵を出したいとのこと。最期の仕事とするに、悪い選択ではない。トリステインへの借りを減らし、力を誇示するというのは、アルビオンだけでなく、将来のトリステインにとっても好ましい。

 

 

 

 

 

 

 そして、戦いの準備は整った。過去の聖戦にもこれほどの戦力が揃ったことは無いだろう。

 

 トリステインとアルビオンの混成部隊。魔法を使える我ら貴族を中心に、それぞれが平民の部隊を纏める。魔法の強みを発揮できることを何より重視した在り方。今回はアルビオンが温存してきた竜騎士が加わったおかげで、空から援護を十分に期待できる、かつてなく汎用性の高い陣を組むことができた。

 

 ロマリアは、一見すれば統一性の無い部隊。聖獣騎士団と名乗るに至った魔獣混成の部隊に、年齢どころか性別すらもバラバラの集団。しかし、宗教を中心に一つにまとまった集団。何をどうしたのか、今この時においても始祖の悲願を成就する為にとまとめること

ができたらしい。それにはマザリーニ卿も絡んでいるらしく、つくづく大した男だと認めざるを得ない。野心さえあれば、王ともなる男だったということだろう。トリステインの外でなら、それも良い。

 

 ガリアは、ゲルマニアとの連合部隊を作っている。地形を選ばない即時展開能力を誇る両用艦隊、それに商用船と見受けられるものが、夥しい数の戦力を運んできた。新兵器と思しき銃で武装した兵だけでなく、大量のガーゴイルらしきものを交えて。

 

 全体の陣容は、複雑なものではない。トリステインとアルビオン、ロマリアが右翼に、ガリアとゲルマニアが左翼に。全てを合わせれば2000万からなる軍勢となろう。

 

 しかし、特筆すべきは中央にある悪魔の軍勢。数こそ人に大きく劣るも、その戦闘能力ともなれば、何倍になるのか分からない。

 

 空には、武装化した翼人と思しき集団、竜種、魔獣。地には、オーガの集団と魔獣の数々。それぞれが将と思しき悪魔に率いられている。それらが文字通り空気を、地を震わせる雄叫びをあげ、駆ける。

 

 ──向かう先に、見える。

 

 視線を遮るもののなき平原の先にあるは、聖地から現れ、始祖を喰らったというカグツチ。球体というには歪に過ぎる。張り付く巨大な憤怒の貌と、瘤の如く並ぶ数多の顔と顔。黒い波としか言いようのない、夥しい数の何かが向かってくる。

 

 初撃は、悪魔達。

 

 空を覆うは、あらゆる色が混ざり合った極彩色の光。悪魔達の作り出した魔法がカグツチの軍勢へと降り注ぐ。黒い波は揺らぐも健在、勢いそのままに向かってくる。

 

 地が、大きく揺れる。これまでのものとは違う。大地が砕け、地の裂け目から溢れ出す光の奔流に、黒い波が割れる。

 

 カグツチも砕け──否、意思を持ったパズルのように形を変えていく。

 

 巨大な顎が四方に引き裂け、禍々しい赤色が溢れる。溢れ出した光の奔流は、しかし、別の光に立ち割られる。

 

 光の槍はカグツチの一部を貫くも、カグツチもさしもの。赤色の先にあった悪魔達を蒸発させる。全体からは一部でも、それでも千に届こう。

 

 カグツチは、その場で時が遡るように再生する。戦場に一際響く、カグツチの咆哮。

 

「──我が憎しみ、その身を持って知れ」

 

 カグツチの呪いの言葉は、既に相対する男に向けられたもの。巨大なカグツチには比べるべくもない矮小に見える。しかし、その拳がガグツチを穿つ。ただ殴りつけるようだというのに、波状鎚もかくやとの一撃。そも、遠く離れたこの距離でも理解できる戦闘というものが尋常ではない。

 

 悪魔とカグツチ、軍勢同士の戦闘も始まった。

 

 空には、一際荘厳な姿の翼人が、オーケストラの指揮者の如く剣を振るう。空の翼人達より降り注ぐ光に、黒い軍勢は蒸発するように崩れ落ちる。残ったものにも、炎が、風が、雷が襲う。そして、重厚な陣を組んだ兵団が、その槍を持って余さず穿っていく。

 

 竜種や魔獣達は、空と地と、縦横無尽にその巨体と力を持って、敵をひきつぶしていく。それぞれが、自らの力を持って敵と相対していく。少々の反撃などは、その強靭な肉体を持って受け止めてのける。

 

 地のオーガは、魔法をも駆使する将が率いていく。いくつもの偏在を従え、それぞれが鉄塊にて触れる敵全てを薙ぎはらう黒のオーガ。その身に受ける攻撃を意に返さず、逆に捻り潰していく黄のオーガ。敵を氷像へと変え、嬉々として砕いていく紫のオーガ。風にてなぎ払い、自らも風に乗って暴れまわる青のオーガ。続くオーガ達も、その有り余るほどの力を持って陣形の穴を広げていく。

 

 瞬く間に極限化した戦闘に、人だけが乗り遅れている。人知をはるかに凌駕する化け物どもの争いに、萎縮している。兵の動揺がありありと伝わってくる。

 

 しかし、命じねばならない。これは、我らの戦いでもあるのだから。だからこそ、私は声を張り上げる。これほどの戦いは、妻と共に戦場を駆けた時にも無かった。

 

「──全軍、突撃せよ! トリステインの底力を見せてくれる! 他国に遅れなど取るな!」

 

 

 

 

 

 

 右翼にて、先陣がぶつかる。

 

 悪魔の勢いには及ばぬも、我らも戦果をあげていく。黒い泥のような人形は奇怪なるも、主敵を我らと見ていない。そも、猛威を振るう悪魔には比ぶべきも無く、あの悪魔達が今この時において味方であるということは、それ即ち我らの勢いにつながる。戦における勢いは、往往にして戦の趨勢を決する。

 

 勢いに乗ったからには、雑兵でもそれぞれが協力することで力を発揮する。これは、魔獣退治と同じだ。個で劣る人は、人の力たる数を持って対抗する。戦慣れしていない平民とて、後ろに我ら貴族が、竜騎士がいるとなれば、前を進むことを躊躇しない。それでこそ、我らも魔法の力も存分に発揮できるというもの。そして、アルビオンとの連携もうまくいっている。先王の時代以前より持ってきた軍同士の交流も、なかなかどうして、馬鹿にできないものだったといえる。

 

 

 

 

 

 他国も、それぞれの戦を始めている。

 

 同じ右翼のロマリアは、再精鋭である聖獣騎士団を中心に刃を進め、討ち漏らしを他の兵がうまく処理していく。有象無象の練度の低さについて完全に割り切った、ある意味でロマリアらしいと言える戦い方。

 

 左翼であるガリアとゲルマニアの連合は、これまでの戦い方と異なる。ジョセフ王の試行の結果か、これまで数合わせ的な使われ方しかされてこなかったガーゴイルが戦陣の中で機能している。ガーゴイルと人の連携が、攻撃にも防御にも活用されている。亀のような奇怪なガーゴイルなどは、塹壕的な意味もあるらしい。加えて、多様な砲台がそこここで火を吹いている。着弾場所の様子を見るに、砲弾に魔法的な細工がされているようだ。着弾地が凍るなど、普通の弾丸ではありえない。ガリアとゲルマニアは、厄介な形で結びついていると思われる。むろん、この戦が終わってこその心配ではあるが。

 

 

 

 

 

 半日が過ぎ、人には疲れが見えるも、それぞれ交代して凌ぐ。しかし、悪魔は見た目通りの化け物。無尽蔵かと思える体力で、夜となっても勢い変わらずに戦い続ける。我らとて魔法の炎やらで灯りには困らないが、そもそも、あれらにとっては灯の有無などは関係ないのかもしれない。

 

 夜が過ぎても、戦いは続く。しかし、2日目において何もかもが変わらないことには違和感を感じる。陣として崩れることは無くとも、敵の圧力は変わらない。つまりは、疲労だけが蓄積していく。再生する敵をとにかく潰し続ける必要があるということは分かっている。分かってはいても、終わりが見えないという事実そのものが疲労に繋がる。

 

 3日目になると、悪魔にも変化がある。カグツチそのものとの、激しい戦いは変わらない。軍勢を率いている、将たる悪魔も健在。一騎当千という言葉すら足りないだろう力を持って、敵を薙ぎはらう。傷つこうともたちまち再生するというのは、何たる化け物か。

 

 しかし、それ以外の悪魔は減っているのではないだろうか。増えゆく人の損耗は、疲労だけではなく、その結果なのではないだろうか。あの男からは、上位の悪魔とて不死では無く、カグツチも例外ではないと聞いている。しかし、ここのまま戦い続けて終わるのか、不安はどうしても募る。私は、トリステインの将として兵を鼓舞しなければならないというのに。

 

 

 

 

 

 

 ガリアの陣幕の中、タバサが何かを言いたげに私を見ている。身の丈に合わない大きな杖を抱えるその姿は幼く、それこそ子供のように錯覚する。

 

「言いたいことがあるなら言いな」

 

「イザベラ、必要なら私も戦う。私なら1人でも戦える」

 

 やる気があるのは結構だが、それは私が求めているものではない。思わずついたため息に、タバサはムッとした表情を見せる。表情豊かになったのは、それはそれで結構なことではあるが。

 

「今のあんたの役目は、ビダーシャルの代わりに私を護衛することだ。それ以外のことは気にしなくて良い。だからこそ、敢えて軍服も渡さなかったんだ」

 

「分かっている。でも、私も前線で戦える」

 

 実力に裏打ちされた言葉は勇ましく、しかし、ゆらゆらと揺れる大きな杖は、不満げな子猫のように愛らしい。

 

「あんたが兵を心配する気持ちは、私も分かる。私だって同じさ。だから、効率もあるけれど、兵の被害を抑えることも考えてガーゴイルを配置して陣を組んでいる。父の残したガーゴイルというかゴーレムというか……、正直余り使いたく無いものだって、その為には使っている。型にはまった戦術のトリステインなんかより遥かに被害が少ないし、総合的に見て継戦能力も高い。つまり、……まあ、なんだ、あんただけが無理をすることは無いってことさ」

 

 揺れていた杖の動きが止まる。

 

「イザベラは、民想いの良い王様になれる」

 

「──無駄口もいらない。そうだ、暇ならお前も来い。ゲルマニアの第二陣が到着したらしい」

 

 ゲルマニアという言葉に、タバサは眉根を寄せる。

 

「アルブレヒト王、あの人は信用し過ぎてはいけないと感じる」

 

 タバサの言葉は、純粋に私のことを案じたもの。

 

「……だろうね。だから、あんたも連れて行くのさ」

 

 ──結局、王とはそういうもの。自国の利益を最大化することこそが、その責務。外道と言われるような真似も、その為にならば正当化される。いや、それができない王こそ、王たる資格が無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──お疲れ様です、ジュリオ」

 

 一旦戻った僕を迎える、教皇様の言葉。しかし、その声に、表情に、疲労は隠しきれていない。

 

「あなたも、休まなければ持ちませんよ」

 

 教皇様は、困ったように笑うのみ。

 

「私は、直接戦えるわけではないですから、民の死を悼むことしかできません。直接戦争に役立つ魔法の一つでも使えれば、良かったのですが。そうすれば、民の死を減らすことが出来たでしょうに、残念でなりません」

 

 民の死亡率は、恐らく他国よりもロマリアこそが多い。正真正銘の素人の集団であるからには。しかし、これでも過去の聖戦に比べればマシだ。過去においては文字通り使い捨てるつもりで信徒を前面に出していたのだから。幸か不幸か、あらゆる手を尽くして掻き集めた信徒達は、ある意味不安定で、そのようなことはできない。

 

「人には、それぞれの領分というものが有りますから。ここに兵を連れてくることで、あなたは役目を十二分に果たしました。性悪老人2人の活躍も、もちろんありますが。そして、ここで戦うことこそが僕の役目。幸い、ワルド子爵は魔獣の扱いにも長けていて、僕が休む間の代わりを問題無く果たしてくれています。彼がいなければ、本当に烏合の勢になりかねなかった所ですよ」

 

「戦場でも、ワルド子爵に皆は従っているのですか?」

 

 新参者だからという教皇様の心配は、もっとも。しかし、それは杞憂というもの。

 

「何と言っても、今は命のかかった戦の真っ最中ですから。実力こそが何より大切です。彼は、トリステインのグリフォン隊の隊長だった男。本来であればトリステインで主力を率いて戦うはずの男ですから、獣の扱いにおいて付け焼き刃の我らとは違います。実力差が分かるからこそ、皆が彼を認めます。それに、トリステインとの連携を示すのにあれほど分かりやすいシンボルも無い。実体は、マザリーニ卿と合わせてなし崩しに我らの陣営に入ったということであってもね。皆がこの世界の為に戦う、真の意味での聖戦であることを実感していますよ」

 

「皆、良くやってくれています」

 

 教皇様は、目を閉じる。

 

「しかし、私達にできるのは、ここまでなのでしょうね。真に勝てるかは彼ら──いいえ、彼次第」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──オオオオォォォォォッ」

 

 

 殴りつけた先、カグツチの顔の一つが吹き飛ぶ。破片が飛び散った大穴は、蠢き、乱杭歯の不細工な口に変わる。それが閉じる前に、右に跳ぶ。

 

 跳んだ先のカグツチの表面に、腕程の触覚が離れて2本、突き出していく。1本を、力任せに引き千切る。残る1本が帯電するが、それだけで何も起こらない。揃って初めて機能することは、既に理解した。

 

 遠く、何かが引き攣れ、弾ける音。カグツチの、奇妙にねじくれた新しい顔。目玉だけがギョロリとこちらを向く。口元が蠢くが、遠い。だから、足元の瓦礫を力任せに投げつける。出来たばかり顔は、顎から下が消失する。魔法を使うなら、使う前に潰せば良い。

 

 カグツチの、一際巨大な正面の顔に回り込む。両手に、魔力の剣。振り抜き、何度も振り下ろす。カグツチの赤い光の力は絶大だが、それだけに、そうやすやすと使えるものではない。ならば、使わせない。下顎が、崩れ落ちる。

 

 カグツチが動き出す前に、更に回り込む。崩れた顔が盛り上がって再生していくのが見えるが、それで良い。未だに城ほど巨大であっても、最初に比べれば、一回りも二回りも小さくなっている。カグツチの再生も、無限ではない。再生し、更に溢れてくる汚泥の軍勢も、勢いが落ちた。

 

 正面の顔が、壊れたままの顔で無理やりに嫌らしい笑みを模る。

 

「──さすがは、混沌王」

 

 取り合う必要は無い。両手を魔力剣を振り下ろし、魔力として叩きつける。カグツチの表面が剥がれ落ちるも、それでも嫌らしい表情は変わらない。

 

「──いずれは、我が負けるだろう」

 

 奇妙な様子のカグツチから跳んで離れるが、変化は見えない。顔も増えていない、触手が増えているわけでもない。

 

 いや、一回り、更に小さくなっている。代わりに、離れた場所、戦場の真っ只中に大きな力を感じる。

 

 カグツチは、声をあげて笑う。破片をこぼしながら、それを気にも止めずに笑う。

 

「──我は、世界の礎。無様な敗者は、我が供物となるが責務。朽ちた守護は、最高の馳走よ」

 

 覚えがある気配。かつての世界で下した、アーリマン、ノア、バール。守護として絶大な力を誇った3柱。

 

「アレを使うというなら、また倒すだけだ」

 

 カグツチは、一層愉快気に笑う。

 

「確かに、お前なら出来るだろう。我も彼も、全てを破壊するだろう。理解しているとも。だが、お前の大切なものまで、守り切れるか?」

 

 カグツチの表面が一斉に蠢き、鱗の様に顔で覆われていく。ただひたすらに醜悪な姿。

カグツチそのものが動くに、引き潰れる顔までもがある。

 

「──お前は、大切なものを手元からこぼした。今度は、我こそが奪って見せようぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──地に満ちた汚泥。

 

 それらが集まり、死体も、何もかもを喰らう。汚泥は膨張し、赤褐色の何かが溢れ出す。

 

 見上げるほどに巨大なその姿。甲殻類を思わせる上半身に、白い触手に包まれた座禅を組む下半身。ただひたすらに異形なるも、瞑目するその貌は静謐。

 

 その巨大な口から発せられる声が、戦場に響く。

 

「静寂たるシジマの世界は潰え、我は走狗となるか。──しかし、良かろう。敗者には相応しかろうよ」

 

 怪物が、その目を開く。

 

 触手が蠢き、外殻のこすれ合う耳障りな音と共に、上半身が解けていく。強固な外骨格のうちから現れた二本の腕が地を砕く。名状しがたいその姿、背中に現れた甲虫の羽、体をくまなく覆う鱗。四つ足の怪物は、咆哮を上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い汚泥から現れた、その対極の白は、ある意味で荘厳。

 

 しかし、冠を頂いた女神には、何かが足りない。たおやかなる右腕はあるも、対となる左腕はない。宝玉の輝く右翅はあるも、対となる左翅はない。だが、それをもって神聖さを減じることはない。むしろ、あるべきものが無いというその姿は、より一層神秘的なものを感じさせる。

 

 女神の声が、戦場に響きわたる。

 

「──力のヨスガは潰えた。より強い力に負けたのだから、我は認めよう。しかし、我は力こそを信じる。我が前に倒れる力無きものなど、不要」

 

 女神の右手が掲げられる。

 

 地に降りる二条の光が、ヒトガタを取る。剣を携えた、獣頭の戦士。女神に従う、2人の戦士。

 

 

 

 

 

 

 

 

 汚泥より浮かび上がる、人間大の赤い玉。周りの空気が歪んでいる理由は、すぐに知れる。

 

 赤い玉を中心に、ひたすらに巨大な河馬の如き四足獣の姿が浮かび上がる。半透明の体表面には、びっしりと奇怪な文様が浮かんでいる。

 

 巨体が身をよじると、その姿はより奇怪に変質する。

 

 頭頂部がコブのように盛り上がり、ついで、その下に憤怒に歪み切った少年の顔が現れる。背中には丸太の如き棘が林立し、醜悪さをいや増す。その体の周りに何層にも揺れる光のカーテンは、美しくも、不吉。

 

 

 







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第48話 Strength in the Man

 

 

 肌に感じる空気が変わった。ただでさえ重苦しかったそれが、今は絡みつくように体に感じられるほど。

 

 理由など、言うまでもない。突如として現れた、遠目にも分かる巨大な2体。しかし、それだけではないと、この身が理解している。

 

「──おい!」

 

 急拵えの副官に呼びかける。不安げな顔は、何かを感じているからだろう。

 

「指揮は一旦任せる」

 

 この副官は、二人が死んだ上での三人目。しかし、小隊を任せられる程度には優秀だ。

 

「ワルド子爵? どこに行かれるのですか!?」

 

 背中にかかる、縋るような声。事ここに至っても臆病なのは欠点とも言えるが、逆に、きちんと危険を把握しているとも言える。無理をして死んだ、前の二人を思えば。

 

「上空から確認する。確認でき次第戻る。それまで持ち堪えろ」

 

 情けない声は無視する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おおよそ200メイルの上空からは、戦場の「穴」が俯瞰できる。穴は4つ。

 

 1つ目の穴は、戦場の中心。

 

 カグツチとあの男との戦闘。元より最激戦の場が、一層激しくなったように思われる。カグツチの周りには、目が焼くほどの多様な光が暴れ狂っている。人など、いや、たとえ屈強な悪魔であっても、あの場では容易く蒸発してしまうかもしれない。そして、それを意に介さず殴りつけるあの男の非常識さ。互いに戦況をひっくり返す化物同士のぶつかり合い。

 

 何者も介在できず、全体の勝敗にも帰結する戦い。それは、周りの悪魔にとっても変わらない。あれは、そういうものだ。

 

 

 

 2つ目の穴は、左翼に。

 

 他の悪魔が可愛く思えるほどの巨体の、赤い凶獣。どういったものなのか、姿形こそ人を思わせながら、上半身を覆う赤黒い攻殻に、腰元に何本も蠢く触手、体をくまなく覆う鱗、甲虫の羽、あらゆる生き物を混ぜ合わせたと思しき異形。戦場でも一層際立つ巨体から振るわれる触手は竜種すらなぎ払い、そして口から魔法の光まで放つという出鱈目さ。まるで、出来の悪いお伽話にでも出てくるような怪物。そんなもの、どうやって退治しろというのか。

 

 そこには色付きのオーガの将達が向かっている。しかし、どうか。色付きは有象無象の悪魔共とは比べるまでもなく強力な個体揃い。それでも、赤い獣の巨大さの前には子供のようなもの。大きければ良いというものではない。人ですら強大な魔獣を倒すのだから。だが、巨体はそれ即ち力。剛力を持って戦うオーガには、分が悪い戦いではないか。

 

 

 

 3つ目の穴は右翼に。

 

 遠目には、白いヒトガタとしか分からない。むしろ、目に引くのはその傍にある、獅子と豹の如き獣頭の二戦士。獣の剣が幾度となく煌めき、その一瞬に、対峙するものは切り払われる。尋常なる腕前ではない。そこに、切られても捨て身でヒトガタへと向かう魔獣。しかし、ヒトガタの前にて消え失せる。何があったかは見えず、突如掻き消えた。何かしらの魔法を使用したのだということしか分からない。

 

 ここに、空より翼人達が向かう。あれは、指揮を取っていた者と、それを囲んでいたものか。空における本命の戦力、つまり、それだけ厄介な敵であるに違いない。

 

 

 

 

 4つ目の穴は正面にあり、そして、中心の巨体と共に移動している。

 

 遠目にも分かる、ずんぐりとした空を泳ぐ河馬の如き四足獣。体に比しても巨大な、額に瘤の張り出した人の如き顔部。びっしりと呪術的な不吉さを感じさせる文様に覆われた体は、赤い獣にも劣らぬ悪趣味な造詣。そんな化物が近づいてくる。早くは無いとはいえ、それは巨体に比較してに過ぎない。背中に並んだ「棘」から周りに、炎を、電撃を、様々な破壊の魔法を振りまく。目立つ悪魔がいない代わりに、多種のものが向かう。しかし、明らかに敵が優勢。

 

 化物の周囲で、光と光のぶつかり合い。そして、弾けた光が悪魔自身を襲う。巨体を幾重にも囲む光のカーテンの如き帯、それは魔法を反射するようだ。どういう仕組みか、通らない魔法と、わずかに通る魔法がある。しかし、新たな光の帯が浮かぶに、通った魔法すらも通じなくなっている。嫌らしいことに、作る毎に性質が変化しているのではないか。無敵では無いからこその、嫌らしさ。

 

 幸いと言って良いのか、離れた場所からの砲弾は反射されていない。あらぬ方向にこそ逸らされるが、光の帯を掻き乱している。榴弾であれば、爆発が広く光を波打たせる。しかし、それだけ。何より、巨体だからこそ何とか当たっているだけで、それにも限度がある。当たらないものがはるかに多い上に、敵は移動している。魔獣退治に大砲を使うことも無いではない。しかし、巨大な魔獣に使えるのは、それこそ、追い込みの技術があってこそ。留めようの無い獣には、いずれ蹂躙される。

 

 この状況において、今持って何とかせねばならないのは、この河馬の化け物だ。こいつだけは、明らかに留めきれていない。陣を浸透し抜けようとするこいつは、なんとかせねばらない。下手をすれば、いや、いくらも時間をかけずに全体が崩壊する。

 

 既に、影響の萌芽は見て取れる。友軍における強力な個体が抜けた分、汚泥の軍勢の圧力が増している。友軍の将が勝てば良いが、それは向こうも同じ。この止めきれていない個体をなんとかしなければ、戦力が損耗し続ける。

 

 見渡せば、戦場の至る所に、幾千、幾万もの人の死体転がっている。

 

 人の死体ばかりが増えていく。悪魔の死体は消え、汚泥は崩れるだけ。残っているのは、人の死体ばかり。延々と打ち捨てられた死体。引き取る余裕など無いのだから、当然だ。

 

 地獄が、広がる。地獄が、広がり続ける。

 

 この地獄を作ったカグツチは、聖地から這い出てきたという。聖地のことを調べるうちに、心を病んだ母。母を狂わせた絶望とは、このことか。抗いようのないこれは、紛うことなく絶望だ。

 

 地に降りるなり、走り寄ってくる副官。しかし、訝しげな顔を向ける。

 

「どうした?」

 

「あ、いえ……。どうも、子爵殿の顔が、その、笑っているように見えたもので」

 

「──そうか? ああ……。そうかも、しれないな」

 

 俺は、ようやく見つけた。

 

 俺が真にやるべきこと、やりたかったこと。 俺は狂人となった母を疎み、そして、死に追いやった。母が狂った理由も知らず、知ろうともせず。だが、俺は見つけた。今、この場所、この時こそ俺が探し求めてきたもの。

 

「えっと、これからどうされるので?」

 

 おずおずと、副官の問いかけ。何を疑問に思う必要があろうか。

 

「やることは変わら無い、戦うに決まっているだろう。何をおいても、あの河馬の化け物を何とかしなくてはな。それに、アレも無敵ではない。どうにも、何か規則的なものがあるようだ。それさえ分かれば何とかなるかもしれない」

 

「まさか、あれに挑むつもりですか!?」

 

 副官の当然の反応が、どうしてか可笑しい。

 

「そのまさかだ。ただし、精鋭のみで挑む。もちろん、お前もだ。お前のことは認めているからな。──喜べ、あれをなんとかできれば英雄だぞ。ここはジュリオに任せて、俺はいく。こればかりはあいつに譲れないな」

 

 俺の贖罪だ。ここで逃げては、母に顔向けなどできはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上空より近付くに、河馬の巨体が一層大きくなる。

 

 聖獣騎士団より借り受けた、新たな相棒のグリフォン。あの常識外の化物と対峙するのを理解しているだろうに、怯えなど無い。

 

「──良い子だ。それでこそ、安心して命を預けられる」

 

 背後に続く、所属も出身もバラバラの精鋭達。彼らも皆、相棒を上手く宥めているようだ。

 

 魔獣と共に戦うのに大切なことは、対等であること。魔獣は単なる獣ではない、しかし、人とも違う。それを理解し、それでありながら対等であること。どうやら、命をかけた戦の中で、十二分以上に学んだようだ。こいつらになら、安心して背中を任せられる。

 

 地上にて化物に向かう悪魔達は、有効打を与えられないままにその数を減らしている。化物の魔法だけでなく、自らの力を込める程に手痛い反撃に。

 

 あの化物に、単なる力押しは無駄だ。力押しならば、悪魔の方が俺たちよりもはるかに上。しかし、こちらにも頼もしい援軍が来た。

 

 合流の為に、速度を落とす。

 

「──生ける伝説、烈風のカリン殿の戦線復帰とは頼もしいですな」

 

 凛々しい女騎士に、それに率いられるトリステインの主力であるマンティコア隊の面々。

 

 見紛うはずも無い。カリン殿はかつての相棒であるマンティコアに跨り、そして、戦装束こそ色褪せたとはいえ、その全て蹂躙する気迫は変わらない。身をもってその実力を知るに、これ以上心強いものは無い。

 

 カリン殿が左手に並ぶ。

 

「アレを何とかしないわけにはいかない。あなたと一緒ですよ。私は、夫と違い前線に出てこそ。あの人がいるからこそ、私も気兼ねなく杖を振るえるというもの。それに、私だけではありません」

 

 彼女が振り返る先には、マンティコア隊の面々。一糸乱れぬ編隊は、かつて無く高い士気が見て取れる。当然だろう、トリステインにおいて烈風のカリンの勇名を知らぬものはいない。人が持てる戦力として、これ以上は無い。

 

 ならば、あとはどう戦うか。皆の視線も俺たちに集まる。それ次第で彼らの生き死にも変わるのだから。

 

「カリン殿、あの厄介な怪物の魔法障壁をどう見ますか? 俺は、全ての魔法に対して無敵ではなく、ある法則を持って変化するものだと見ています。それを見つけられるかが鍵でしょう」

 

 カリン殿が同意する。

 

「ええ。それに、あの怪物が使用する魔法も変化しています。自分の魔法だけは通すなんて都合の良すぎるものはないでしょうから、そこに法則があるのではと考えています」

 

「しかり。これまでに確認したのは炎、氷、風、電撃ですね」

 

 背中に生えた「棘」が魔法的な器官らしく、そこから、遠く離れた場所でも見える馬鹿げた威力の魔法が放たれていた。

 

「……だったら」

 

 気弱な声に二人して振り返ると、とたんに口を噤む副官。しかし、そういった軟弱な態度を嫌うのがカリン殿だ。

 

「思ったことがあるのならば、言いなさい」

 

 言葉は丁寧でも、そこに込められたものは誰でも分かろう。俺とて、幼い頃に身をもって知った。しかし、優柔不断は戦場で死を招く。そして、常識外の化物に挑むには、少しでも有効な作戦は不可欠だ。出し惜しみはできない。

 

「あ、そ、その……。炎と氷は反目しあうので、炎の魔法の時には氷が有効なのかと」

 

「では、風と電撃は?」

 

 カリン殿が問う。

 

「炎と氷と同じ関係じゃないかと……」

 

「雷は、風と水が生み出す複合魔法なのですよ。あの怪物が使わないだけで、地属性の魔法が対応するものかもしれません」

 

「……すみません」

 

 副官がうなだれる。

 

「気にする必要はありません。結局の所、私も同じことを考えていました。だからこそ、確証が持てないでいる」

 

 カリン殿の視線は俺に。

 

「俺も同じです。しかし、悪魔達の魔法を見るに地属性の魔法が無い。いっそ別世界のものと考え、常識を捨てても良いかもしれないとも考えています。それに、俺とカリン殿には保険もある」

 

 カリン殿が、微笑む。

 

「規格外の怪物に挑むには、賭けも必要でしょうね。何のリスクも無しに勝とうなど、おこがましいというもの」

 

 戦場にふさわしく無い──いや、戦場においてもなお艶やかな笑み。3人の子持ちだと知らなければ、惚れてしまうかもしれない。ある意味で罪深い戦乙女としての伝説は、未だに健在だ。彼女となら、負ける気がしない。

 

「では、彼の考えを前提に行きましょう」

 

「ちょ、ちょっと、それで良いんですか? 違っていたらどうするんですか。もし違ったら……」

 

 副官の慌てた声。

 

「なに、違ったら死ぬだけだ。ここにいる者ならその覚悟はできている。そうだろう、皆?」

 

 返ってくる、応という威勢の良い声。

 

 副官は違ったようだが、他は皆が覚悟している。そも、戦場に絶対安全などということは無い。死ぬ時は死ぬというのが戦場だ。ましてや、敵はおとぎ話にも出てこないような化け物。例え刺し違えでも、大金星だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 化物の「棘」が、放電を始める。

 

 足元の悪魔達に、雷の嵐が襲いかかる。そして、悪魔達の魔法が光のカーテンに反射される。多くの者達は自らの魔法に焼かれ、凍らされる。しかし、風のみは化物の体表を引き裂く。人間など気にもしていないこと、今は感謝しよう。

 

 一番槍はカリン殿。化物の周りに渦巻く暴風、巨体を覆うほど超特大のカッタートルネード。そこに、俺も同じ魔法を重ね合わせる。二つの災害が現象として融合し、化物の体を引き裂く。

 

 が、浅い。人ならば肉片も残さないというのに、この巨体には足りない。新たな光のカーテンに、残る風も掻き消える。化物の不細工な顔は、こちらを見ている。肌に、空気の流れを感じる。その中心は、化物の背中の「棘」

 

「風だ! 散会せよ! 回り込め!」

 

 化物の魔法がいくら反則染みて強大でも、真正面でなければ逃げ道はある。グリフォンの背中にしがみつき、化物の右側面に回り込む。

 

 風が、爆発する。

 

 結界越しでも体を押しつぶす風に、ただ耐える。苦しいのは、グリフォンの方だ。グリフォンが一つ羽ばたき、体勢を立て直す。幾人かは、余波だけで墜落したかもしれない。俺も、自らを守るので精一杯。

 

 しかし、カリン殿は違う。風を読み、化物の背中にまで回り込んでいた。紫電を散らす、彼女の杖。化物の棘へ、雷が落ちる。表面を焼くまでとはいえ、雷が通った。騎獣を含めて構築した「遍在」は力尽きて消えるが、その役目は十二分に果たした。

 

 化物を包む、光のカーテン。そして、炎の世界が顕現する。

 

 逃げ遅れたものは、灰も残らなかった。しかし、化物に幾本もの氷の槍が突き刺さる。体表ではなく体の内部への攻撃、悪くない選択だ。

 

 続く、力の限りの雄叫び。青いブレイドを突撃槍に、化物の巨大な顔へ突き進むもの。駄目だ。それは逸り過ぎだ。化物は見ている。俺たちを「敵」と認識している。

 

 化物の人面が、裂けんばかりに顎を開く。青白い光が吸い込まれていく。光は、落ちていく騎士から抜け出たもの。人も、騎獣も落ちていく。奇妙に萎びた体が落ちていく。化物は、何かを咀嚼している。新たに光のカーテンが張り巡らされたが、今のは何だ。範囲こそ狭いが、明らかにこれまでと違うもの。そして、とてもまずいものだ。一所にいるのはまずい。

 

「──そう、上手くはいかないようですね」

 

 隣を並走するカリン殿。

 

「ええ、別の属性でしょう。明らかにおかしな現象。まるで命ごと喰われたように見えました」

 

「虚無、かもしれませんね」

 

 カリン殿の言葉は、俺も考えていたこと。

 

「今度は俺がいきます。4体が限界、一回こっきりです」

 

「分かりました。予備に私が2体、それで駄目なら一旦引きます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 化物は、悪魔達を含めて喰っている。悪魔すら及び腰なのか、反撃はわずか。だから、俺がいく。

 

 一体目は、風。自らの風に引き裂かれ消滅する。

 

 二体目は、近づく前に喰われる。

 

 三体目は、炎。通った。表面を炙るだけとはいえ、通った。

 

「──ならば、いける」

 

 分かった。青白い魔法は、弱点を隠すためだけのものだ。

 

 化物が新たな光のカーテンを構築する。化物はこちらを見ている。化物の表情など分からないが、きっと、忌々しげにこちらを見ている。

 

「──聞け! 俺とカリン殿の遍在が弱点を探る! お前達は全力でそこを突け!」

 

 張り上げた声に、生き残りが集まってくる。20人はいる。よくぞ生き残ってくれた。留まれずに移動しながらであるが、数人づつの班として、皆ついてきている。

 

 先頭グループの男が左翼につく。

 

「いや、捨て駒は俺たちに任せて欲しい。俺たちでは、打撃力にかける。消耗の大きい遍在は、攻撃に温存すべきだ。決め手を持っているのはあなた達だけだ」

 

 言う間に、男が空を駆けていく。続く二人の男。

 

「聖獣騎士団第一部隊、いくぞ! 無駄死にするな! 死ぬなら、役に立ってから死ね!」

 

 全ての班が、示し合わせたかのように後に続く。重ならぬよう、広く散会していく。

 

 カリン殿の声。

 

「──確かに、これが一番勝算が高い。行きましょう。無駄死ににさせない為に」

 

「……確かに、あいつの言う通りだ」

 

 

 

 

 

 

 最初の班が自らの魔法で全滅した。使わなかったのは、電撃。続く電撃が化物の棘を、体表を焼く。喰われたものもいたが、まだいける。光のカーテンが新たに現れる。

 

 次の班は、炎の魔法を使った者が生き残った。幾つもの炎の魔法が化物に殺到する。その中には、生き残りの悪魔からのものもある。大きく数を減らし、強力な個体ほど既に倒れている。しかし、心強い。光のカーテンが新たに現れる。

 

 三つ目の班は、皆生き残っている。代わりに、何かが崩れ落ちていった。重い羽音と共に、次々に集う。空に幾つもの、千に届こうかというほどのガーゴイル。残る悪魔の元にも集っていく。

 

 俺のそばにも、ガーゴイルが来た。奇妙な配管が巡り、口元がラッパように拡がったもの。くぐもった声が、しかし、まだ少女かと思しい声が聞こえる。

 

「──兵として立派だが、命を無駄にしているんじゃないよ。こういうのは適材適所、使い捨てるにはそれに相応しいものがある。あんたらは、あんたらの仕事を正しくやりな。敵が正真正銘の化物だってのに、馬鹿正直に挑んでどうするよ」

 

 化物の回りで重なる爆発。空からの砲撃が、光のカーテンを激しく揺らす。途切れぬ砲撃の元は、艦隊。旗印は、エルフ。

 

「──ようやく、きたか。たく、遅いんだよ。あいつは」

 

 悪態ながらも、どこか誇らしげな少女の声。

 

「さあ、今度こそあんたらの出番だ。あいつには魔法しか効かないらしいからな。だから、こっちはあんたらが全力を出せるよう、全力でサポートする。良いところは、譲ってやるよ。民草には、英雄が必要だからね」

 

 楽しげな声に釣られたのか、カリン殿までもが声をあげて笑う。

 

「──これは急がねば。英雄と讃えられるのは、存外悪くないものですよ?」

 

 その心持ち、今の俺には分かる。

 

「──ならば、俺は烈風のカリンを越えてみせましょう」

 

 母を狂わせたもの、俺が蹴散らしてみせる。

 

「良くぞ言いました。しかし、まだ譲る気はありませんからね」

 

 少女のように笑うカリン殿は、紛うことなくルイズの母。

 

 ここに、心強い相棒がいる。共に戦う仲間達がいる。悪魔も、エルフすらも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳をつんざく轟音に、船が揺れる、揺れ続ける。

 

 砲撃が空を泳ぐ化物に集中する。壊れることも厭わぬ連射は、あとどれだけも持たないだろう。どれだけ効果があるのかも分からない。

 

 だが、それで良い。イザベラからの情報に従い、艦隊を2つに分けた。一部をこの化物に、残る主力を戦場全体に対する援護の為に。全艦隊が、その全砲門を解放する。ここで出し惜しみなど、愚か者のすること。真に混戦になれば、艦砲など飾りにしかならない。

 

 安堵する。この場に艦隊を連れてくること、何とか間に合った。内戦になろうかというルクシャナとアリーの行動は、行動への呼び水となった。若い意思に奮い立たぬ者などあろうか。子供にだけ重荷を背負わせるなど、範となるべき大人としてあってはならぬこと。

 

「──ビダーシャル艦長。主砲、全弾を撃ち尽くしました。副砲も、半分を切っています」

 

「ならば、竜騎士達の出番だ。残弾は援護に回せ。防護用の最小限を残せば、撃ち尽くしても構わん」

 

「承知しました」

 

 敬礼と共に、伝令へ走る。

 

 無駄な驕りの無い将兵達は、エルフの国の精鋭としての名を恥じぬもの。軍に巣食っていた濁りが除かれ、在るべき姿に戻れたか。

 

 しかし、まだ足りない。

 

 空を泳ぐ化物だけを見ても、未だに健在だ。数限りない攻撃が集中するも、巨体は悠然とある。戦いの初めに強力な悪魔こそが自滅したからだろう。決め手にかけるままでは、持久戦となる。反射の魔法の使い手同士の戦いの常とはいえ、この化物には別の問題もある。イザベラから、あの化物は命を食って再生している可能性があるとの情報があった。長期戦がこちらに優位とは限らない。そも、相手は一撃で戦艦を落とすことも可能な、正真正銘の化物だ。

 

 ふと、悲鳴が聞こえた。ルクシャナの、そして、他の者達からも誰かを引き止めようとする声。

 

「──まさか、動けるとは」

 

 ルクシャナ達が引き止めようとしていたのは、ガルーダという名の高位悪魔。見つけた時には、文字通りの半身だった。体の右半分が消し飛び、それでも生きていることに驚嘆した。

 

 甲板を歩くその姿は、巨体を支えるに足りる羽を含め、復元している。しかし、分かる。どう取り繕おうとも、かつての圧倒的な存在感が薄らいでいる。それが分かるからこそ、ルクシャナが縋り付いてでも止めようとしているのだろう。ルクシャナは、アレに心酔している。どうあれ、エルフの国を守ったことは皆が認めるところ。遠巻きの者達の視線にも、それが表れている。

 

 ガルーダは、目の前で歩みを止めた。見上げるほどの、しかし、かつての姿を知るからこそ、死に体だということが嫌でも分かる。

  

「……行くつもりですか?」

 

「叔父様も止めてください!」

 

 ルクシャナの懇願も、通じないだろう。自らの状態など、自分が一番把握しているはずだ。

 

「──そなたらのおかげで生き恥を濯ぐ機会を得られたこと、感謝する」

 

 猛禽の表情など、どう読めば良いのかなど、分からない。しかし、言葉通り、退くことなどないと理解している。誇り高い戦士とは、そういうものだ。それに、無駄死にしない為の切り札があるということだろう。

 

 ガルーダは、背中の羽を広げ、あらん限りの声を張り上げる。

 

「我が真なる主よ! 我が忠誠の対価、今ここに貰い受けたい!」

 

 天を衝く光と共に顕現するは、優しげな風貌ながら、上半身を露わにした人とは違う4腕の偉丈夫。かつてのガルーダに、いや、それ以上の存在感を漲らせた男。その手には、武器であろう棍棒に円刃、戦場に似つかわしくない、しかし、この男には相応しい、柔らかな丸みを帯びた花と法螺貝を持っている。

 

 男が、ガルーダに声をかける。

 

「そなたとまた共に戦えることは、我にとっても喜びよ」

 

 ガルーダが跪き、男はその背に跨る。男は、私達を見下ろし、言った。

 

「さあ、小きものものよ。我らが渾身の一撃、とくとご覧あれ」

 

 男は笑い、ガルーダと共に飛びたった。ガルーダは最後にルクシャナを見たが、それが優しげなものだと感じたのは気のせいか。

 

 飛び立った姿は、瞬く間に空を泳ぐ化物のそばにあった。

 

 男の声が聞こえた。

 

「我が4つの武器──貴様にくれてやろうぞ!」

 

 男が手に持ったもの掲げると、一面の空を照らす光が化物を覆った。化物を包む光のカーテンを消し去るほどの、莫大な光。光は、幾条もの柱の如き巨大な槍へと収束、何度も、何度も化物を貫く。化物の体にいくつもの大穴を残し、名も知らぬ悪魔とガルーダは消えた。

 

 そして、二条の光の剣が化物の体を通り抜ける。巨体は4つに分かたれ、消え落ちた。

 

 最後の最後、見せ場は人間の魔法使いが持っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い魔王、バアル・アバターが笑う。互いに余力など無いにも関わらず、愉快この上ないと。

 

「まさか、まさか、ノアこそがまずもって堕ちようとは! 死に損ないの足掻きはともかく、塵芥如きが存外にしぶとい!」

 

 確かに、認めねばならない。頭数に無かった者達が、その力を見せたことを。ノアは、再生できていない。この勝負所に、乗らぬわけにはいかない。何より、我らが遅れを取るわけにはいかない。続くものが、あるのならば。

 

「──兄弟達よ! その血を、我に捧げよ!」

 

 呼びかけに兄弟達が赤い光へ、マガツヒへと姿を変える。力として取り込むに、かつての戦いの時の如く、溢れる力。ここに、全霊を持って挑もう。三対の羽、熾天使のウリエルとして。

 

 バアルは、なお一層愉快気に笑う。

 

「共食いとはまた、らしからぬ! しかし、良い! 弱者は強者の糧となるべし! 一度は滅びた身なれど、強きものとの戦いは我が喜び、死力を尽くすは我が本懐!」

 

 バアルの右手が、配下であるものを貫き、食らうが如く同化する。そして、もう一体も。残るは、両手、両羽の、完全なる姿の魔王。白く、ただ白に染まる、他の存在を許さぬ、罪深き白の姿。

 

 力こそが全て、力無きことこそが罪。ヨスガのコトワリに傾倒するきっかけとなった、弱さゆえの身体の欠損。バアルの化身としての礎となった少女の残滓は、完全に消え去った。

 

「ゆえに、我は全霊をも持って貴様と戦おう!」

 

 真なるバアルとしての宣言。

 

「望む所! 我らは元より、相容れぬ!」

 

 滅ぼし合うは、根源からの定め。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 相対するは、アーリマン。暴れ狂う触手が地を打ち、地を砕く。

 

「ノアが落ちた! バアルとウリエルが全霊にて打ち合う! さあ、貴様らは如何する!」

 

 天を衝く巨体に相応しい堅牢さで、未だ触手の一本をとったのみ。水鬼と風鬼の半身と引き換えでは割りが合わぬ。人が存外に力を見せたというのに、我らはこの体たらく。

 

「──我らだけが遅れを取るわけにはいかぬ! 水鬼! 風鬼! 金鬼! 例え道連れでも、叩き潰してくれようぞ!」

 

 この身を二つに分かつ。影ではなく、分体として。

 

 金鬼が雄叫びをあげ、地面を喰らう。土も、岩も、地にある何もかも。全てを喰らい、その身へ取り込む。

 

 我は、二つを、四つへ。魂から、分かつ。

 

 水鬼と風鬼、互いに喰らう。喰らい、喰らわれ、残るものは一つ。水鬼であり、風鬼であるもの。

 

 我は、四つを、八つへ。この身を裂こうとも、敵を喰らう為に。

 

「──いいぞ、それでこそだ! 我らに言葉など不要! 理性など邪魔なものは不要! 我らが根源に、愚かしく従おうぞ! 殺し合おうぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 両手でも足りない数の鏡が並び、そこにガーゴイル共が見た視界が映し出される。一時の膠着が嘘のように、目まぐるしく移り変わる。

 

 空を泳ぐ巨大な化物は、討ち取った。悪魔からの増援もあったが、「人」こそがそれを成し遂げたのは大きい。新たな「英雄」の誕生は、希望。士気をこれでもかと高め上げる。敵であったエルフとの共闘も、驚くほどうまくいっている。人も、エルフも、悪魔までもが共に戦っている

 

 翼人と白い化物との一騎打ち。翼人の剣が振り下ろされ、白い化物の羽が受け止める。白い化物の羽から放たれる光を、翼人の翼が受け止める。互いに退かぬ、激しい応酬。しかし、全力同士だからこその決着。翼人の剣が白い化物の腹部を貫き、白い化物の腕が負けじと翼人を貫く。そして、互いに光の塵となって消えた。

 

 オーガ達と赤い化物との、獣の戦い。赤い化物に比肩する岩石の巨人が、化物の触手を抑え込む。掴みそこねた触手が岩石の巨人を激しく打ち据えるが、その触手に二頭四腕の奇怪なオーガが触れるなり、砕け散る。押さえ込んだ赤い化物に、黒いオーガが獲物に群がる蟻の如く這い登り、その手の獲物で激しく打ち据える。何度払い落とされ、潰されても、執拗に食らいつく。赤い化物の頑強な外殻も、そこここで崩れ落ちていく。

 

 あの男とカグツチという名の敵との戦いは、他にも増して一層激しい。破壊の光は耐えることなく、その戦いを彩る。カグツチの体表に寄生するかの如く覆う、幾つもの顔。そこから放たれる魔法に、さすがのあの男も無傷では無い。いや、激しく疲弊している。しかし、それにも負けじとあの男の拳、幾条の光の槍がカグツチを貫く。いつからかあの男に寄り添うようにある羽の生えた小さな人型も、その外見に見合わぬ凶悪な破壊の魔法を放っている。戦況は、あの男が優勢──

 

「……消えた?」

 

 突如、鏡の光が消えた。

 

 あの男の戦いの映像が消え、間抜け面を晒す私の顔が写っている。いや、他の鏡もただの鏡になっている。

 

「ガーゴイルが壊れた? あり得なくは、無いけれど……。でも、なぜ急に、それも、全て?」

 

 分から無い。もし壊れたとした、何ともできない。父の残したノートには、必要最小限の情報しか残されていなかった。使うのに必要な情報はあったけれど、何かがあった時の対処方法は書かれていなかった。今は戦況が優位に傾いているからまだ救われているけれど、どうにも嫌な気配がする。

 

 人の走ってくる気配。

 

「──イザベラ!」

 

 走り込んで来たのはタバサ。その顔には、はっきりと困惑の表情が浮かんでいる。

 

「何があった? あんまり良い報せじゃ無さそうだけれど……」

 

 タバサは眉根を寄せ、どこか私のことを探るような視線。

 

「ガーゴイルにあのゴーレム達、急にゲルマニア軍と一緒に戦場から離れ始めた。あなたは、何をした?」

 

 違う、そんな命令はしていない。私は、何もしていない。父の残したガーゴイルとゴーレムを制御する為の指輪、これも反応が無い。父は、私に教えていない何かを仕掛けている。そして、父は既に死んでいるとすれば。

 

「──アルブレヒト、お前か?」

 

 不意に、空気が、地面が、世界が揺れるほどの巨大な爆発音。幾つものそれが重なった、世界の崩壊を思わせる不吉な響き。頭の奥底から、じんじんと痛む。そして、体を包む熱気に汗が噴き出す。肌に服が張り付く、真夏の、いや、火に炙られるような熱気。

 

 陣幕の外に、不可思議な光景があった。空高く昇っていく、ひたすらに巨大な、丸い雲。戦場から今も伸び上がる、幾つもの、巨大で、不吉な雲。

 

「……あれは、何だ?」

 

「──どうかね、大したものだろう?」

 

 自信たっぷりに笑う、アルブレヒト王。

 

「実際に使うのは初めてだが、予想以上だ。不安もあったが確信を持てたのでね、切り札を使わせてもらったよ」

 

 

 




独自解釈ではありますが、ゼロの使い魔原作の完結に先駆けて、自分も完結まで持っていきたいと思います。


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第49話 The Rebels

 

 

 吹き付ける風が、ジリジリと肌を焦がす。

 

 同じ風にさらされているというのに、アルブレヒトは涼しい顔。戦場から伸び上がる不気味な雲を眺めて、満足げに笑ってすらいる。それも、余裕からか。

 

 アルブレヒトの両脇に控えるのは、対照的な二体の人型。どちらも無機質な仮面を付け、表情は伺えない。

 

 一体は、常人の二倍を越えようかという巨体。トロールかオーガといったところの化け物が、大砲とも鈍器とも取れる鉄塊を担いでいる。もう一体は、人と変わらない、あるいは、いっそ華奢とも取れる肢体。他の兵と同じような銃を持っているが、本命は別にあるのかもしれない。どちらにせよ、亜人の生きた肉体を材料にした、どうやればそんなことを思いつくのかという悪趣味極まりない代物。どこから亜人をかき集めて、それを単なる道具として使う。

 

 タバサが、私の前に出る。私よりも頭一つ小さな体で、私を守らんと立ち塞がる。

 

 それでも、アルブレヒトは動かない。タバサは見かけとは異なるスクウェアの実力、アルブレヒト1人ならどうとでもできる。だが、タバサを口元を固く引き結んだまま。あいつが連れているものには勝てないと、タバサ自身が理解している。

 

 戦場に昇る雲は、四つ。激戦の場に、噴火のように立ち昇る。恐らくは、父がエルフ達から入手したという技術。火石の力を極限解放したに違いない。エルフが禁じ手としていたものも、父やアルブレヒトなら戸惑いなく使うだろう。使えるものを使うのは、当然。

 

 しかし、なぜ味方まで、共に戦うものまでも道連れにする。どんなに強力な個体であっても、万全ならばともかく、疲弊した状態であれば致命的。もはや、アルブレヒトに敵はいない。

 

 私は、ようやく理解した。父は、この男にこそ全てを託していたんだと。

 

 私の前に立つタバサを、押しのける。子供のように軽くて、小さな体。昔は、そんなに変わらなかったのに。

 

 タバサの、驚きに目を見開いた顔。私だって驚いた。事ここに至って、タバサだけでも守ろうなんて思うなんて。

 

 アルブレヒトは、興味か、ただ面白そうに見ている。こいつにとっては、もはや余興。私に切れる札は既にない。逆転の目は無い。

 

「──全て、あなたの仕業ですね」

 

「むろん。なぜとは聞くまいな?」

 

「邪魔になるものをまとめて消そうということだろう。敵だけでなく、人、エルフ、悪魔、全てを葬れば、お前こそが全てを支配できる。そんな機会は今をおいてない」

 

 アルブレヒトは満足気にうなずく。

 

「さすがはジョセフ自慢の娘だ。だが、惜しい。理解できても、実践出来ねば満点とは言えない。君にもそのチャンスはあったというのにな。今でこそ、君の兵達も返してもらったがね」

 

 笑みを深めたアルブレヒトは、指揮者のごとく大仰に両腕を開く。無機質な両隣の配下と、随分と対照的だ。

 

「世界をあるべき姿に戻すには、今をおいてない。幾千年の停滞は、私が打破する。なに、君のことはジョセフから託されている。賢い女としてあれば、尊重することを約束しよう。──君が庇おうという元王女は、悩みどころではあるがね。取り敢えずは、杖を捨ててもらえれば私も安心できるのだが。私の魔法の才は並でしかないのでね。こういうものにも、頼らなくてはならない」

 

 アルブレヒトの手には、鈍く光る拳銃が握られている。装飾のない、実用一辺倒のもの。大人しく従うことで得られる未来は、どうにも明るくない。わざわざ女と言ったこの男だ、詰まる所は情婦の扱い。最悪の、一歩前。せめてもう一歩。

 

 背中に感じる風。タバサは、乏しい表情の中に、はっきりと嫌悪の感情。タバサから感じる風は──いけない。

 

 タアンと、発砲音が聞こえた。地面に倒れこんだタバサの胸元に、赤い円が広がっていく。起き上がろうとする手が宙を泳ぐ。まだ、間に合う。

 

 タバサの傷口を、両手で押さえる。溢れる血が、火のように熱い。タバサはもがき、ゼイゼイと荒い息。呼吸音がおかしい。

 

「──さすが、魔法の天才と謳われたシャルルの愛娘だ。心臓を狙ったというのに、得意の風でずらしてのけたということかな。旧来の銃であれば何とかなっただろうが、見誤ったな。ああいや、及第点以上だ、恥じる必要は無い」

 

 アルブレヒトが投げるのは、感嘆の言葉。取るに足らないことだと、ただ見下ろすばかり。噛み締めた唇から、血の味が広がる。

 

「あなたは、本当に女性の扱いというものを知りませんね」

 

「そう、怖い顔をしないでくれ。ゲルマニアは野蛮な国なものでね。しかし、必要であれば紳士的な振る舞いはできる。彼女もまだ生きている。今から治療すれば、間に合うだろうな。あとはイザベラ、君次第だ。私にはまだ、これからの仕事がある。私も手早く済ませたいと思っている」

 

「……紳士的な振る舞いという言葉、違えることはありませんね?」

 

「結構。賢いというのは、上に立つ資質だ。これからのことは、君にもよくよく知ってもらいたい。それと、君には、女としての役割も期待しているよ。父の才を受け継ぐ君と、私との子。将来が楽しみではないか。まあ、今更跡取り云々に意味はないのだがね。新しい風を常に受け入れる。私はそれこそが人の世に欠かせないものだと考える。停滞は、衰退だ。──それと、言葉遣いは君らしいものの方が好ましい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲルマニアの陣幕には、私1人が連れて来られた。

 

 タバサの血に濡れたドレスは、赤い、ケバケバしいゲルマニアのそれに変えられた。私の青い髪には、赤も映えるとの皮肉とともに。

 

 タバサは、治療の名目で人質に。形見でもある杖を固く握りしめていたが、今は折られ、欠片だけを私が持っている。これだけは、なんとか返してやりたい。

 

 陣幕の奥には、どこかで見たような鏡が並んでいる。もはや隠す必要も無いということだろう。違うのは、その様式のみ。ガリア、ゲルマニア、エルフと雑多な影響が見て取れる。あるいは、それこそがゲルマニア式。使えるのであれば、何でも良いと。事実として、数多くの試作の結果らしきものが見て取れる。一つの戦場に対しても複数の視点を確保できるような組合せは、確かに便利だろう。

 

 単なるモノが、改めて現実を突きつける。父が私にだけ残したと思ったものは、その実、一部にしか過ぎなかった。私をアルブレヒトに託したというのも、結局の所は、私への悪意への発露だったのかもしれない。

 

「──年相応の顔をするではないか。らしくないぞ?」

 

 王として中心に在るアルブレヒトを、呪いよあれと睨みつける。

 

 しかし、言葉は出てこない。何か手があるのであれば、虚勢とてはれよう。私はもはや身一つ。所詮、私の魔法など児戯も良い所。それが分かっているからこその余裕。睨むことしかできない、それが一層腹立たしい。

 

「結構結構、それだけ強気であればこそだ。それを組み敷くというのは、楽しかろう。お前のように骨のある女などそうそういないからな。さて、約束通りお前にも見せたい。状況が分かるよう、私からレクチャーしよう」

 

 アルブレヒトは、顎で鏡を指し示す。鏡の中の現実を。

 

 人間側の、離れた本陣には余力などそもそも無かった。そこを、小狡く温存してたゲルマニアの部隊がほとんど反抗も受けずに制圧していく。こんな形での奇襲になど、誰も備えていなかった。この戦いでそんなことをするなど、誰も考えていなかった。私だってそうだ。残したのはタバサのみで、他は主戦場に回していた。アルブレヒトは時間の問題だと言い、大した興味は無いようだ。

 

 エルフは、大隊を組んでいた船は壊滅。燃え落ちたか、形を残すも墜落し、やはり燃えている。生存は、絶望的。旗艦に乗船していたビダーシャルも、そうだろう。ビダーシャルも、この戦が終われば正式に妻になるはずだったファーティマも。

 

 アルブレヒトが、指し示す。これが本命だと。

 

 予想通り、主戦場はほぼ壊滅。当然だ。主力同士が潰しあったところでの、敵味方を問わない奇襲。

 

 そして、アルブレヒトが放ったのだろう、私から奪った、空から何かを運ぶガーゴイルの群れ。遅れて、ゲルマニアの正真正銘の本隊が戦場を進んでいる。形の統一などない異形の軍勢が、しかし、一つの生き物のように整然と進む。自ら動く、大砲の化け物のようなガーゴイルともゴーレムとも見える何か。共に進む、もとは真っ当な生き物だったはずの人擬き。未だ火の燻る中、それすら意に介さない者達。

 

 先頭で指揮をとっている若い男こそいる。アルブレヒトの面影を見て取れるからには、縁者か。真っ当な兵士は最小限で、あとは、趣味の悪い、人や、亜人やらを作り変えたものばかり。私は嫌悪してうまく使えなかったが、アルブレヒトはそのような感情など持ち合わせていないのだろう。

 

 科学としての技術を駆使した武装と、先住の魔法なども良識無しに組んで作り上げた奇怪で醜悪な技術。認めよう。感情を越えられない私は所詮小娘だったと。そんなものを喜んで使えるのは、父や、この男だけだと。

 

 進軍の中での戦闘は、殆どない。最初の奇襲でほぼ壊滅した上に、第二陣のガーゴイルが空からの攻撃を加えている。地上を進む者達は、そこから漏れたものに対して遠慮なくその手の銃を使っていく。氷の魔法が込められた銃弾は、残る敵を凍らせ、砕く。空からの補給があるからか、節約する様子すらない。

 

 猛威を振るった赤い巨獣と、岩石の巨人が見えた。

 

 人型をかろうじて保つも、四肢すら崩れかけた惨めな姿。両者が体を起こすも、もはや死に体。巨体が災いして、銃弾の的となるばかり。砲弾の爆発が起きる度に、大きく体を損なう。

 

 異様なほどに統率された兵達は、既に答えを知っているパズルのように、ただただ作業のように繰り返す。それは、蟻が獲物に群がる様を思わせる。蟻の毒に、獲物はその動きを止める。獲物は、光の塵になって消えた。

 

 勝利すらも意に介さず、兵達は進む。幾つかに別れて進んでいた兵も合流し、目指す場所は一つ。最後の戦闘の場。

 

 呆れたことに、未だに戦っている。

 

 カグツチは、右半分が大きく崩れた歪な球形になっていた。しかし、それでも攻撃を止めない。体が砕けながらも、その魔法を繰り返す。

 

 矛先には、あの男。

 

 姿形はそのまま。しかし、再生したにしても無理やりに動いているのか、カグツチからの攻撃を避けきれていない。近づく兵に気づいているのか、そうでないのか。今も崩れていくカグツチの攻撃を避けるばかり。

 

 アルブレヒトは、さすがだと感嘆の声を上げる。

 

 兵は既に終結しており、数えるのも馬鹿らしいほどの砲身を向けている。整然と並んだ陣形は、決着をつけるつもりだろう。

 

「……本当に、そんなことをするつもりか。」

 

 私の、意味の無い問い。

 

「無論だ。そもそも、あのような人外がいる世界など安心できるのか?」

 

 ──それは、不可能だ。

 

 人は、自らの理解を超えるものを受け入れることはできない。自らが信じる神という例外を除けば、そこには恐れという感情が生まれる。

 

「君も承知の通り、あれは人外どころか、この世界にとっては異物でしかない。むろん、もたれされたものは有効活用させてもらうがね。危険の芽は摘める時に摘まねばならない。言ってしまえば、これこそがもっとも重要な事柄だ。君もその目で見たまえ。新たな歴史の一歩だ。さて、始めようか」

 

 言葉に寸分の遅れもなく、砲火が始まる。

 

 音は聞こえずとも、その激しさが分かる。全てを打ち砕かんと、カグツチもあの男も構わずに。

 

 カグツチの崩壊が見る間に進み、ボロボロと破片を落としていく。一際大きな爆発に、ごっそりと大穴が空いた。

 

 あの男も、異様な頑強さであっても、再生するより血に染まる方が早い。

 

 カグツチが、落ちる。しかし、更に歪な姿となって、あの男を目掛けて落ちる。巨大な顎となったカグツチが食らいつく。歓喜か、地に落ちたカグツチは大きく震え、幾らも経たずに崩壊する。

 

 砲撃は止まない。もはや土煙で見えずとも、それでも止まない。

 

「──念には念を入れねばな」

 

 なぜか砲撃が止み、軍が引いていく。空に何か大きなものを運ぶガーゴイルの一団が見え、それを落とした。

 

 鏡から光が溢れ、ほんの少し遅れて、あの世界を揺らす破壊の音が聞こえた。

 

「イザベラ、君の感想も聞きたいね。一番の難題は片付いた。あとは作業的なものだ。そこには、ぜひ君の考えも借りたいと思う」

 

 アルブレヒトの顔は、これまでになく晴れやかなもの。

 

「……良いだろうさ。しかし、世界の覇者となって何を求める。全てを支配して何とする」

 

 どうしてか、困ったように笑う。

 

「より良い世界を作る。こればかりは信じて欲しいとしか言いようが無いな」

 

 肩をすくめてみせるこの男の瞳には、いつも絶えないギラギラしたものとは違うものが浮かんでいる。

 

「──私は、ずっと疑問だった。人の価値とは、何を成したかではないかと。どのような血を引くかなど、些細な問題でしかない。君も知っての通り、ゲルマニアでは平民でも功績をあげれば貴族にとりたてることにした。実績で判断するようにしたわけだが、これがすこぶる効果的でね。人は、その実績をきちんと認められてこそ、より良い結果を出す。しかし、だ。古い価値観しか持たないものは、結果すら認めない。古い価値観にかなうものでなければ、ろくに価値を認めようとしない」

 

 アルブレヒトは、じっと私を見ている。

 

「なあ、君ならば理解できるだろう? 君は、私寄りの考えの持ち主のはずだ。そうやって、育ってきたはずだ」

 

「──勝手に、同類扱いするな」

 

 なぜ、そこで笑う。なぜ、私を憐れんだ目で見る。

 

「では、あくまで私の考えとして聞いて欲しい。私はあらゆる手を使ってゲルマニアを発展させてきた。客観的事実として、民も豊かになった。だが、それでも頑なに認めようとしない者達がいた。ゲルマニアの外の貴族などは、皆そうだと言っていい。所詮、始祖の血を引かぬ成り上がりだとね。血など取るに足らぬこと、しかも、何ともならぬことでだ。私は、自らの努力でなんともならぬというのが許せない。だから、自らの才覚によって全てを勝ち取れる世界を作りたい。貴族制とは違う、努力が正しく評価される世界だ。それは素晴らしいと思わないか? 例えば、魔法の才だけが全てというのは、間違いだ。施政者が魔法だけにすぐれていて何とする?」

 

 アルブレヒトは、目を細める。心を見透かされるような、嫌らしいもの。

 

「それに、こうは思わないか? そのような世界であれば、魔法とは違う才に溢れた君の父も、あるいは歪まかったかもしれないと。そもそも、真に魔法というものに優れていたのは君の父だったというのは、皮肉だがね」

 

「──ああ、父は、優秀な弟を憎むこともなかったろうさ。国の発展には、魔法など関係無い」

 

「理解が早くて良い。賢い女というのは良いな」

 

 アルブレヒトは満足気に笑う。だが、違う。私は決して認めたわけではない。だから、言ってやる。

 

「それでも、お前のやり方は間違っている。こんな悪辣な裏切り、誰もお前を認めない。誰もお前を信用しない。いつかきっと、お前が裏切られる」

 

「普通なら、そうだろうな。だから、私がきちんと管理する。人は、容易く愚かにもなる。管理は必要なことだ」

 

「結局は、お前の都合の良い世界を作るということだろう。全てをお前の手の内にする。お前は、神にでもなるつもりか」

 

「神、か……」

 

 アルブレヒトの口元が歪む。

 

「思えば、ブリミルは結局それを選んだのだろうな。実にうまいやり方だ。加えて、何千年もそれを維持する仕組みも作ってのけた。愚かな者を愚かなまま管理するのにも、都合が良い。管理されていることを知らなければ、それは幸福だ。悩むことがないのだからな。余計な悩みがなければこそ、その者に見合った努力もできる」

 

「ならば、お前は何を持って神となる? 悪辣な裏切りを行ったお前に、それができるのか? 管理など、1人ではできない。1人の手の届く範囲など、限られている。一つの国ですら、零れ落ちる。お前に忠義を誓う臣下がいなければ、いつかは裏切られる。すぐではなくとも、いつか必ず」

 

「そうだな、ちゃんと考えているとも。裏切られることのない、絶対にあり得ない方法をな」

 

「随分と自信があるようだが、人形共で固めるつもりか?  ……そんなことは不可能だ。あれは所詮、人形でしかない。自らの意思の無いものに、新たなものを作り出すことはできない。それとも、軍隊を率いていた者か? どうだろうな? 人は、例え肉親であってもその心を理解仕切れないことだってある」

 

 お前の目の前にも、いるだろう。

 

「私を見ろ。父にとっては玩具でしか無かった私を見ても、人を信用できると言えるか?」

 

 父が見れば、思惑通りだと笑うだろう。お前も、笑えばいい。所詮、取るに足らない小娘だと。

 

「──君の言う通りだ。例え肉親であっても、どこまでいってもそれは他人でしかない。私も、身をもって知っているよ。王位を手に入れる時、邪魔者として消した。野蛮だと罵られたが、私は間違ったことだとは思わない。だからこそ、私も考えた。考えて、考えて、答えを見つけた。君の父君でも見つけられなかった答えだ。いいや、歴史上全ての王が探してきたが、ついぞ見つけられなかった答えだと自負している」

 

「そんなもの、あるわけが無いだろう」

 

 アルブレヒトは、楽しげに目を細める。

 

「いいや、いるとも。絶対に裏切らない者がな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づけば、陽が陰っていた。

 

 木々の間より覗けば、ようやく太陽が地平にかかり始めていた。あと一時間もすれば、完全な闇に包まれるだろう。厄介な空からの追跡も、恐らくは撒けよう。

 

 そうすれば、一時とはいえ姫にも身を休めていただける。

 

「アンリエッタ姫、もうしばらくご辛抱ください。もうひと頑張りいただければ、どこかに身を隠すこともできましょう」

 

 姫の手を取るも、力が無い。振り返る姫の顔に、生気が無い。足を完全に止めている。傍に寄り添い、姫を案じるカトレア。カトレアがまだ動けるからには、精神的なもの。人手さえあれば背負うこともできるが、私とカトレアだけでは何ともならない。口惜しいが、姫には自ら歩いていただかねばならない。

 

「ここは何とか引くしかありません。ここに残っては、ただ蹂躙されるだけです」

 

 姫は、足元へ視線を落とす。歩くためでは無い靴は泥に汚れ、血が滲んでいた。

 

「……逃げられたのは、結局私達だけででした。これ以上、何となるというのです。全て、ゲルマニアの思う通りにしかならない。公爵とて、理解しているのでしょう? 私の希望はあの人に、ウェールズ王子にあった。でも、アルビオンの為に、戦場に散りました。あなたとて、あなたの妻も……」

 

 カリンのことは、理解している。だからこそ、その意志を継がねばならない。

 

「分かっております。それでも、やるべきことを放棄するわけにはいかないのです」

 

 姫の、卑屈な笑み。女王として、あってはならないもの。

 

「あなたは強いのですね。私は、やっぱり弱い。どうか、捨て置いてください。やはり、私は女王の器などではなかった」

 

 振り払われた手は、拒絶。これまで姫を励ましてきたカトレアも、何も言えないでいる。

 

 姫は、暗い笑みを浮かべる。

 

「どうか、あなた方だけでも……。ああ、もう来てしまいましたか」

 

 音が、聞こえる。重い何かが近付いてくる音が、いくつも重なって聞こえる。ゴーレムやらガーゴイルが入り混じった先頭集団は、既に視界の内にあった。

 

 年若い、1人の男が前に出てくる。

 

「ようやく見つけた。なに、恥じる必要は無い。他の国に比べれば、側近として十分に優秀だ。残念ながら、私が最後だからな。しかし──」

 

 男の視線は姫に。

 

「アンリエッタ姫を無傷で迎えられるのであれば、悪くはない」

 

 不躾な視線を、姫の前に立ち、遮る。男は目を細める。

 

「お前はヴァリエール公だな。覚えているぞ、先王と一緒にいたな」

 

 この男は、誰だ? 私は知らない。しかし、この男は私を知っている。アルブレヒト王に似ているからには縁者か。しかし、それならば尚更、私が知らぬはずがない。いや、今は良い。

 

「卑劣な裏切りに飽き足らず、アンリエッタ姫に対する不敬。例えどのような時であろうとも、王族に対する作法はあろう」

 

 男の表情は動かない。

 

「お前は、優秀な男だと聞いている。人望も厚く、ともすれば王座に手も届くだろうという。しかし、王家に対する忠誠心がこの上なく強く、決してそれを良しとしない」

 

 男の手が無造作に動き、発砲音が響く。

 

 カトレアの悲鳴が聞こえる。体の中を焼かれる痛みに気が遠くなるが、倒れるわけにはいかない。

 

「ふむ、優秀な魔法使いというのは、どうにもしぶといものらしいな」

 

「……お前は、女王をどうするつもりだ?」

 

 男は、眉をひそめる。

 

「自らの死を前にしても、不出来な女王を案ずるか。単に、あいつの娘であるというだけで」

 

 発砲音が、聞こえた。

 

「──忠誠心は認めよう。あいつは、確かによい部下を持ったのだろう」

 

 カトレアの声が、耳元にある。そばにあるはずなのに、遠い。

 

「こんなことをして、何をするつもりですか! アルブレヒト王!」

 

「面白い娘だ。美しく、賢い。いいや、賢いのとは違うな。本当に、惜しい。本当に、残念だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二つの月は、霞がかかったようにぼやけている。

 

 自分の体を見下ろすと、服もボロ布みたいだし、血の固まり始めた傷だらけ。瓦礫の山から抜け出す時に、こうなったんだと思う。意識すると、今更になって痛む。

 

 でも、生きている。船が落ちる時、ビダーシャルが私だけでもと守ってくれた。ビダーシャルのおかげで、私は生きている。ビダーシャルは、私の目の前で死んじゃった。

 

「──私だけじゃ、だめだよ」

 

 1人じゃだめだよ。私1人だけじゃ、だめだよ。まだあなたとも結婚もできていないし、子供もいない、幸せな家庭だって。私が欲しかったものは、なに一つ持っていない。

 

 発砲音が、聞こえた。

 

「──まったく、エルフの魔法というのは大したものだな。まさか生き残りがいるなどとは思わなかった。これだから気が抜けない」

 

 ごめんなさい。せっかく、せっかくあなたが守ってくれたのに。

 

「エルフですら生き残りがいたとなると、やはりアレももう一度確認しなくては」

 

「しかし、地形すら変わっているとなると、場所もはっきりしない」

 

「だが、必要なことだ。見張りとしておく必要もあるだろう」

 

「当てのない見張りとなると、貧乏くじだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 今はまだ楽しい夢を見ているエレオノール様、マチルダ様、ルイズ様、そして、テファ様。でも、いずれ、夢から覚める。そして、全てを知る。

 

 絶対に安全だったはずのこの学院も、いつかは占領される。今はまだティターニア様の守り力が残っているけれど、その当人が亡くなられたからには。裏切ったのは、ゲルマニア。

 

「ねえ、ウラルちゃん。これからどうしよっか?」

 

 力無く笑う、アイリス。アイリスとイリヤ、いつも一緒にいる銀髪の姉妹は、今は1人だけ。

 

「……この方達だけでも、逃がせるように努力すべきなんでしょうね」

 

「でも、あなたは行くつもりでしょう?」

 

「最後に一つワガママぐらい、良いでしょう」

 

「うん、そうだよね。だから、私も行きたい。あなたと同じ、恩返し──とは違うね。私達の自己満足だから、勝手な敵討ち。私達がお父さんみたいに思っているのも、勝手だからね。私なんて、単なる偶然であの場所から助け出してくれたことを、勝手に感謝しているだけだから」

 

「妹は、どうするつもりですか?」

 

「行くのは、私だけでいいの。だって、最期ぐらい姉らしいことをしたいじゃない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体が重い。

 

 自分の体の中に、アルブレヒトのものが残っているような感触。最悪の気分だ。

 

 鏡に囲まれた急拵えの玉座、全てを把握できるそこがこいつの定位置か。私を迎えるにやけた顔が、癪に触る。

 

「──やあ、気分はどうかね?」

 

「最悪だよ。紳士的な振る舞いとは、口だけか?」

 

 にやけた顔のまま、手で顔を覆う。

 

「それに関しては耳が痛いな。素直に謝罪しよう。いや、破瓜の痛みにも決して目を逸らさぬ君がいじらしくてね。しかし、君は最高の女王たらん素質があるな。実のところ、少しばかり心配していたんだよ」

 

 自殺するとでも思っていたか? 自死など選ぶぐらいなら、お前の首でも食い千切ってやる。だが、そんなことはどうでも良い。

 

「──タバサは?」

 

「君は誤解されがちだが、慈愛にも満ち溢れている。素晴らしいね。なに、心配はいらない。監視こそつけさせてもらっているが、命に別状は無い。大人しくしていれば、問題にはならないさ」

 

 私の表情の変化を、一々楽しげに見ているアルブレヒト。

 

「随分と余裕じゃないか。昨夜だって、襲撃があっただろうに。騒ぎがあったことぐらいは、私でも分かった」

 

「ああ、あれか。なに、想定の範囲内だ。大した問題では無い。闇夜に紛れての襲撃など、まず第一に想定してしかるべきだろう?」

 

「……当然、だな。あとは、時間の問題か」

 

「そうだな。あとは学院の制圧さえ終われば、引き上げの準備を始めるつもりだ」

 

 学院には、あいつの女達がいたはず。それで、最後か。

 

 ゲルマニアは、戦力の損耗がほとんど無い。本国にもまだ残しているだろう。ガリアは、私を含めてこいつのものに。そういう意味では、トリステインもそうだ。加えて、アルビオンのおまけ付き。ロマリアは、肝心の要が消滅。勝手に瓦解するだろう。エルフも、主力が消滅した。

 

「……まったく、呆れるばかりの完全勝利だな。あとは、足元をすくわれないよう、注意することだな。そんなことになっては、せっかくの勝利も台無しだ」

 

 私の嫌味にも、自信に満ちた表情は一切陰らない。

 

「言っただろう? その心配は無いと。私は、答えを見つけたんだよ。一にして全、全にして一といったところか。ああ、分からないといった顔だな。なに、それは当然だ。私自身、体得して初めて真に理解できたのだからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 落ちる──落ちていく

 

 ゆっくりと、どこまでも

 

 何もかも、遠くへ

 

 

 

「──そろそろ起きて欲しいな」

 

 見下ろす、少年の顔。知っている。

 

「そんなに身構えなくても良いじゃないか」

 

 飛び起きた俺に、困ったように涼やかな眉根を寄せる。

 

 金髪の子供。少女のように整った顔立ちに、煌びやかな舞踏会に参席できる正装。遠く、砂礫だらけの地面が広がる何もない世界に、場違いなその姿。

 

 知っている。姿だけは子供を装ってはいても、根本的に違うもの。

 

「やあ、直接相対するのは久方ぶりだ。シキ、こうして君と話せるのはとても嬉しいよ」

 

「お前は……」

 

 俺を、人から別のものへと作り変えた張本人。戯れにマガタマを植え付け、そして、俺を試した。幾度も顔を見せるが、目的は分からなかった。

 

「──ああ、そうだ」

 

 見かけだけは無邪気に笑う。

 

「直接名乗ったことは無かったね。僕のことはルシファーとでも何でも、好きなように呼んでくれれば良いよ」

 

 名前などは、今更。もっと重要なことがある。

 

「お前は、何をした? 俺は、死んだはずだ」

 

 覚えている。俺は、カグツチに喰われた。喰われたはずだ。

 

「君は自らを過小評価し過ぎだよ。もちろん、可愛らしい妖精の献身あってこそではあるけれどね。ただ、自らの命を捧げても構わない忠誠を得たというのは、それも実力のうちさ。で、君の疑問に答えるなら、”子”の危機に駆けつけるのは”親”としての勤めといった所かな?」

 

「──何を言う。全ては、お前の思惑通りだろうに」

 

 重なる、非難の声。

 

「……ブリミル。お前も、生きていたのか」

 

 ゆっくりと歩いてくる男。

 

 髑髏のような面貌に、感情は伺えない。しかし、ルシファーと名乗ったものへと向ける視線は剣呑。

 

 ブリミルは、こちらを一瞥する。

 

「お前と同じだ。カグツチに喰われた。しかし、生かされた。大方、カグツチに細工をしていたんだろう」

 

 ルシファーは、肩をすくめてみせる。

 

「細工というほどじゃあないさ。あのカグツチの誕生の場には、僕も立ち会っていた。カグツチは必ず創世の中心になるからね。それを見守れるようにという、瑣末なものだよ。カグツチをどうこうできるというものでもない。──ああ、それを言えばシキ。そもそも君と出会ったのも、それが理由ということになるね」

 

 ブリミルが、鼻で笑う。

 

「お前にとっては瑣末なものかもしれない。だが、意志を喪失したカグツチならば別だろう」

 

 毒づかれても、ルシファーは微笑んで見せる。

 

「──それこそ、偶然。偶然に、偶然が重なった結果さ。しかし、ブリミル。僕は君に不利益になるようなことをした事があったかな? 君に提示した選択だって、決して悪い話では無かったと思うな。僕は、君と良い関係を築きたいと思っているんだから」

 

「……分かっている。あとは人修羅、お前次第だ」

 

 ブリミルはこちら向き直り、そして、ルシファーの傍へ。一歩遅れて立つ。

 

 ルシファーと名乗った者は、満足気に微笑む。

 

「僕は、君にも提案したい。もちろん、提案だから無理強いなんてしない。それは約束する。断るというのなら、残念だけれどね」

 

 崩れぬ笑みは、断ることなどないという確信。

 

「まずは、聞いて欲しい。大方の予想はついているかもしれないけれど、あの世界は言ってみれば失敗作なんだ。世界の寿命が尽きているというのに、無理に形を保っていたに過ぎない。ブリミルはそれをなんとかしようとしていたんだけれど、失敗した。そして、二度目の失敗は致命的だ」

 

 ブリミルは、否定しない。

 

「無理に無理を重ねていた所に、歪なカグツチを呼び出した。あの世界はそもそもが壊れかけ。もう、いくらも経たずに崩壊する。あのカグツチが無ければ、ブリミルは自らが新たな世界の核となるつもりだった。けれど、もはやそれだけの力は残っていない。そしてシキ、君の力は随一だ。でも、それ以外は別だ。だから、僕が手を貸そう。僕ならば、既に壊れた世界を延命させられる」

 

 ルシファーは、うっすらと口元を歪める。

 

「なにより、君の愛する人達にも幸福な未来を与えられる。あの世界の勝者の手にかかろうとしている彼女らにもね」

 

「──対価に、何を求める?」

 

 花開くような微笑み。

 

「来るべき戦いの時に、君の力を貸して欲しい。あの傲慢なる神との戦いにね。ブリミルは受け入れてくれた。そこに君が加われば盤石だ。しかし、迷う必要はないだろう? 君にとって本当に大切なものはなんだい?」

 

 大切なものなど、決まっている。

 

 俺は、愛する人を守ると誓った。それなのに、願いを裏切って惨めに負けた。それが挽回できるのなら、全てを投げ打っても余りある。

 

「──了解した」

 

 ルシファーは、満足気に頷く。

 

「嬉しいよ、親愛なる友。では、あの世界に帰ろう。少しばかりおいたが過ぎた彼には、身の程というものを教えてあげようじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 





最終の第50話は、原作復活の2月25日を目標に。


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第50話 What a Wonderful World

本編 最終話です





 

 

 

 ──私は、ベッドの中にいた。

 

 名残おしい毛布をのけて体を起こすと、見覚えのない部屋だった。寮の部屋よりはずっと広いけれど、ただそれだけ。いくつかのベッドとワードローブがあるぐらいの、簡素な部屋。

 

 膨らんだベッドの一つには、見覚えのある金髪がこぼれている。緩やかなウエーブは、エレオノール姉様だと思う。それなら、もう一人の金色はテファ。細くてまっすぐ、羨ましいぐらいの綺麗な髪。その隣のベッドの柔らかな緑は、マチルダさん。

 

 ここは、どこだろう。まだ、ふわふわと心許ない。私は、……そうだ。夢を見ていた。

 

 あれは、私の夢。

 

 民に対しても慈悲深い私は、誰からも尊敬の対象。そんな私は、自信に溢れていた。誰よりも優れた魔法を使える私は、特別。とても、俗っぽい夢。

 

 そんな夢は何年も、ううん、私の運命が変わったあの日からずっと

見ていなかったのに。現金な私には、呆れるしかない。せっかく、もっと大切なものを見つけたはずなのに。

 

「──ルイズ」

 

 テファが、ベッドから身を起こしていた。頬には、渇いた涙の跡。

 

「あなたは、悪い夢を見たのかしら?」

 

 テファは、ゆっくりと首をふる。

 

「そんなこと、ないよ。とても、良い夢だったから。ルシードとサラサのね、結婚式。周りのみんなも祝福する、とても素晴らしい夢」

 

 覚めなければ良い、テファはそう付け加える。

 

「そっか、私もそうだったよ」

 

 手放したくない、とても心地良い夢。だからこそ、悪趣味。たとえ夢だと気付いても、離れたくない。

 

 夢に落ちる前の最後の記憶で、シキは言った。

 

 世界が終わろうとしている。だから、私達を守るために戦う、何をしてでも守ると。記憶は、そこでぷっつりと途切れている。

 

 コン、コンと、軽くて小さな音。

 

 ゆっくりと開かれた扉の前に、長い銀髪の少女が立っている。真っ白なワンピースに身を包んだ、雪のようにどこか儚げな少女。そんな印象のまま、ふわりと微笑む。どこかで会った気がするけれど、思い出せない。

 

「──イリヤ」

 

 テファが少女に呼びかける。

 

 ああ、そうだ。テファが面倒を見ていた子だ。とても仲の良さそうな姉妹の、妹だったかな。

 

「皆様、お目覚めですね。少しだけ、待っていてください。すぐに温かいタオルを持ってきますから」

 

 振り返ると、エレオノール姉様と、マチルダさんも目を覚ましていた。2人とも、苛立たしさを隠せない、怖い顔をしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イリヤが持ってきてくれた温かいタオルが、肌に心地良い。軽く伸びをすると、体がぱきぱきと音を立てる。眠っていたのは丸一日、あるいは、もっと長い間だったんだろうか。

 

 ふと、甘い香りに振り返ると、イリヤが人数分の紅茶とクッキーの準備をしていた。その香りに、私はお腹が空いていたことを実感する。

 

 それは皆が同じで、行儀が悪いけれど立ったままクッキーを1枚、2枚とお腹に入れる。普段だったら甘すぎると思うぐらいに砂糖を入れた紅茶も、とても美味しい。

 

 ようやく人心地がついて、イリヤを囲んで腰を下ろす。元々この部屋にあった椅子は足りなかったから、イリヤがどこからか持ってきてくれた。

 

 八つ当たりをするかと思った姉さん達は、今は落ち着いている。むしろ、少女のことを案じている。テファの、アイリスはとの問いに、イリヤは曖昧に首を振った。よくよく見れば赤く腫れた目に、なんとなく、分かった。

 

 そうして、ぽつりぽつりとイリヤが知っている状況を話してくれた。戦争と、その結果。

 

 ほんの数日の間に、ハルキゲニアの人口が何百万人も減っていた。正確に言うのなら、最後の最後、その一瞬で。

 

 あと少しでという勝利の間際、ゲルマニアが裏切り、全ての状況が変わった。そして、私達が呑気に寝ていた今のこの状況、それも長くは持たないということは、言われずとも分かった。遠くでの銃声だけでなく、建物の中の物音に。話の途中でも、少しずつ近くなっているような気がした。

 

「……あの人は、どうして私達を置いていったの」

 

 マチルダさんが、悔しそうに爪を噛んでいた。

 

 ふと、今までになく激しい音。止まない銃弾と、大きな爆発、そして、建物の揺れ。それが、唐突に止んだ。いや、ゴーレムが暴れるような、激しい音。まっすぐに近づいてくる。

 

 エレオノール姉様が、扉を睨む。

 

「これからどうするかを考えさせる時間すらくれないなんて、本当にせっかちね。これだからゲルマニアは嫌なのよ」

 

 姉様がせわしなく、部屋の中に視線を巡らせる。同じようにマチルダさんも。でも、2人して難しい顔で目を見合わせる。

 

 ここは、建物の中。今必要なゴーレムを作れるような広さは無く、そもそも肝心の材料が無い。私の魔法じゃ、間に合わない。

 

 しかし、騒々しさは、扉の前に。扉が、ゆっくりと開く。

 

 入ってきたのは、どこにでもいそうな年若い一人の男。私達の数を確認すると、人懐っこい笑みを浮かべる。きちんとした身なりだけれど、だからこその違和感。開いた扉の奥からは、はっきりと分かる血の匂い。そんな中で、彼は笑っている。

 

「良かった良かった、いや、間に合わなったらどうしようかと、気が気でなかったんだ。ようやく入れたと思ったら、ここまで来るのにもなかなか難儀してねぇ。うん、元気そうで何より」

 

「あなたは、誰?」

 

 エレオノール姉さんは、彼に剣呑な視線を向けている。ただ、その胸には、前に出ようとしたイリヤを抱えている。イリヤは何かをしようとして取り落としたのか、地面には小さな瓶と、それが作ったんだろう小さな水溜りがある。抱えられたまま、必死にそれに手を伸ばそうとしている。

 

 男は、バツが悪そうに眉根を寄せている。

 

「すまないね。驚かせてしまったようだ」

 

 パタパタと手を振って、少しだけ考え込んだ様子を見せる。

 

「名乗るのは、──今は控えさせてもらうけれど、敵じゃあない。君達に何かあってはまずいとの言いつけでね。だから、君達が無事で本当に良かったよ。せっかくまとまる話もまとまらなくなる。いや、俺の首が飛ぶね」

 

 少しだけ、分かった。いくら冗談めかしてはいても、目の奥は笑っていない。こういう人には、覚えがある。無害を装っても、本質は違う。でも、今この時に大切なのは敵かどうか。騙されずに、よく見なければいけない。

 

「あなたは、シキの関係者なのかしら?」

 

 男の人の、貼り付けた笑みは変わらない。じっと、私を観察するような視線。

 

「関係者と言えば、関係者。まあ、会ったことは無いから、難しいところではあるね。でも、君らを守る為に来たというのは嘘じゃない。実際問題、途中までは入り込まれていたことを思うと、肝を冷やしたよ」

 

 つい先ほどまでは聞こえた銃声と、それが止んだこと。そして、彼の浮かべる安堵の表情、これは本心からのものだと感じた。でも、言葉を信じるなら、守るようにと言いつけたのはシキとは違う人。事実なら、その言いつけの理由を知りたい。でも、今はもっと大切なことがある。

 

「あなたは、シキがどうしているか知っているの?」

 

「さあ? 死んだんじゃないかな?」

 

 視界が、揺れる。

 

「──いやいや、早合点しちゃあいけない!」

 

 慌てた声。

 

「重ね重ねすまないね。言い方が悪かった。あいつなら死んだとても、そうそう魂の消滅なんてしない。君らの感覚で言えば、生きているというのが正しい。今は大切な話をしている真っ最中だと思うよ、うん」

 

「……だったら」

 

 膝をついている、エレオノール様。今は逆に、イリヤに支えられている。

 

「生きて、いるのね?」

 

 彼が、大きく頷く。

 

「生きているとも。大切な君達の為に、必ず生きている。だから、少しばかり待っていてくれ。どうか大人しく待っていて欲しい。帰ってくるまでは、俺が何とかするからさ。約束する。君らはそうだね、まずは湯浴みでもしてきたらどうかな。大丈夫、覗いたりなんかしないからさ」

 

 にこやかに、最初の人好きのする笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋を出て分かった。私達が眠っていたのは、学院にある来客用の宿泊部屋。近くには、大浴場とまではいかないけれど、それなりの大きさの浴場がある。

 

 皆で汗を流して、イリヤが準備してくれていた衣服に着替える。私達の部屋にあった着替えを、予め持ってきてくれていたんだと思う。働き者の子で、今は片付けもしてくれている。

 

 さっきの部屋に戻ると、寛いだ様子の彼がワインを瓶のまま飲んでいる。既に空になった瓶が並んでいるのを見るに、どうやら、口調に相応しい大雑把な性格のようだ。

 

 さっきは紅茶とクッキーだけだったので、彼に勧められるまま、手をつけていなかったクラッカーとチーズをいただくことにした。

 

 残りが心許なくなった所で、ふと彼が立ち上がった。彼の視線の先、部屋の中央の空間がゆらゆらと波打っている。

 

 そんな揺らぎを通って、始祖と、見覚えのない金髪の子供と、そしてシキ。シキは、私達を見るなり表情を強張らせる。

 

 そんな中、口火を切ったのは子供。労いの言葉を出迎えた彼に投げかける。良くやってくれたと、尊大なのにそれがしっくりとくる。

 

「いえいえ、うまくいったようで何より。では、俺は先にお暇しましょう。帰る前に、もう一回りしてきましょうかね」

 

 彼は、私達に振り返る。

 

「じゃあ、またね?」

 

 そして、シキと始祖へ。

 

「今後ともよろしくな──兄弟」

 

 楽しそうに声をあげて笑い、ヒラヒラと手を振りながら部屋の外へと出ていたった。

 

 現れた3人は、それぞれ。始祖は、面貌と相まって、その生も感じられないほどに静かに佇む。シキは、耐えるように表情を強張らせたまま。子供は、自信に満ちた笑みを浮かべている。

 

 この子供こそが、言いつけをした相手。そして、シキとの交渉の相手。交渉の結果は、きっと子供にとって満足いくものになったんだろう。シキと敵対したわけではない。でも、何らかの取引の結果、この子供こそが優位になった。私達の知らない所で、また何かが決まった。

 

 始祖と子供とがその位置を譲り、一歩離れる。自然、シキが一歩を出る形になる。

 

 シキに、また会えて嬉しい。無事であったことが嬉しい。

 

 でも──

 

 エレオノール姉様とマチルダさんが前へと出る。そして、姉様が言う。

 

「あんなことをして、良く顔を出せましたね?」

 

 これは、八つ当たりでは無い。怒りの矛先を向けるべき本当の相手だから。

 

 シキは、2人の視線に狼狽える。

 

 マチルダさんの語気も厳しい。

 

「何をするつもりか、話してはくれましたね。でも、話しただけ。有無を言わさず眠らせるなんて、黙っていたのと一緒でしょう」

 

 シキは、ただ謝る。そして、危険な目に合わせたくなかったと、言い訳の言葉を並べる。

 

 エレオノール姉様にマチルダさんは肩を震わせ、力なく落とす。怒りは、嗚咽に変わる。

 

 それでも、シキはただただ狼狽えるばかり。やっぱり、分かっていない。

 

「──シキ、あなたは本当に馬鹿ね。どうして2人が怒っていたのか、これっぽっちも分かっていない」

 

 シキは、守りたかったと、同じことを繰り返す。

 

「それぐらい、分かるわよ。でも、どうして、私達の言葉も聞かずに、あなた一人で決めてしまったの? こうしたいと、こうしようと、どうして言ってくれなかったの? 私達だって、何かしたい。あなたを一人にしたくなんかない。あなたは、どうしてそれを分かってくれないの?」

 

「それ、は……」

 

 こんなこと、言いたくなかった。

 

「──結局、あなたは誰も信用していない。私達のことも信用していないんじゃないの?」

 

 いつもそうだった。全てのものから一歩引いている。

 

「……違う」

 

「あなたは、未だに裏切られることを恐れているんじゃないの? だから、一人で閉じてしまっている」

 

「……違う」

 

 私は、知っている。シキがかつて友人にも裏切られて、そして、自ら手を下したことも。

 

 シキは、関わりの中で最後の一歩を踏み出さない。本心も、語らない。たとえ近づきたくても、最後の一歩を拒絶する。きっと、愛にすら疑いを持っている。

 

「あなたは、どうして私達を信じてくれないの? 私達は、あなたを裏切らない。家族のように思っている。それなのに、あなたは違うの? 裏切るのが前提なんて、私達のことを馬鹿にしているんじゃないの?」

 

 シキが私の召喚に応えたのは、信じられる家族を求めから。私は、そう思っていた。でも、そこには壁があった。どうしてもそれを超えられなかった。越えてくれなかった

 

 シキは、体を震わせ、私に何も言えかえせないでいる。シキ自身が、その事実を認めた。

 

 痛いほどの静寂に、カツ、と足音が聞こえた。

 

 始祖が背を向け、その前には空間の歪みが見える。

 

「……ああ、なるほど」

 

 子供がうなずく。

 

「これは、君にとっても耳の痛い話だね。せっかくだ、君からもアドバイスの一つぐらい、あげたらどうだい?」

 

 始祖は、振り返らずに空間の穴を通っていく。誰に言ったのか、愚か者は刺されても分からないという言葉だけを残して。

 

 その良くわからない言葉の意味を知っているのか、子供がクツクツと見た目に似つかわしくない笑い声をあげる。

 

 ひとしきり笑うと、子供は私をじっと見つめる。視線に感情は無い。あるのは、ただ知ろうとする観察者のもの。

 

「君は、真っ直ぐで良い子だ。見込み通り、聖女に足る素質がある」

 

 子供は、シキに向きなおる。

 

「さて、ブリミルはゲルマニアに行ってしまったよ。だから、代わりに僕が先達としてアドバイスしよう。まず、君はきちんとルイズの言葉に向き合うべきだ。自分を開かなくては、お互いに届かないものがある。これからどうしたいのか、よくよく話し合って決めればいい」

 

 子供が、私に微笑む。

 

「君達の希望は、最大限尊重するよ。残るもよし、一緒に来るも良し。ただ、あまり時間はないからね。さて、僕も行こうか。ゲルマニアの困ったさんには、是非とも会っておきたかったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳障りな叫び声で、目が覚めた。続く、荒々しい足音。

 

 気怠い体を起こすと、私を無理やりに組み敷いていた男がいない。

 

「……何があった?」

 

 あれほどに余裕ぶっていたアルブレヒト、そんな男が今更に慌てる理由が分からない。しかし、尋常なことではない。仕方ない。破れたドレスの代わりにシーツを体に巻きつけ、追いかける。あいつはきっと、あの場所にいるはずだ。

 

 

 

 

 

 アルブレヒトは、果たして鏡の間にいた。しかし、その様子はおかしい。

 

 錯乱したとしか思えない様子のアルブレヒトは、鏡を握りしめて怒鳴りつけている。そして、鏡を地面に叩きつける。鏡の残骸が、そこここにある。アルブレヒトは頭を掻き毟り、私の国がと、壊れたように繰り返す。そして、いきなり動きを止める。

 

「……また、死んだ」

 

 疑問に思うより先に、銃声と爆発音が聞こえる。音は、近い。止まない銃声は、本陣の中だ。永遠に続くかと思った喧騒は、唐突に止んだ。

 

 続くのは、散発的な銃声。それが近づいてくる。

 

「バケモノ……」

 

 地面にへたり込んだアルブレヒトは、酷く怯えた様子で入口を見ている。

 

 入口には、子供が笑っていた。

 

「やあ、お邪魔するよ」

 

 鎖に繋いだもの、赤く汚れた生首が三つ、子供の手に揺れている。滴る血の匂いが、これが夢では無いとうるさいぐらいに主張している。

 

「ここにあった予備はこれだけだと思うけれど、どうかな? ゲルマニアはブリミルの八つ当たりで無くなったからね、本体の君で最後だと思うんだけれどな?」

 

 アルブレヒトは、いない。いや、壁の隅に這っていく。

 

 子供は、困ったなと言いながら歩いていく。

 

「──君は、誇っていいんだよ。君が考えた不死というのは、なかなかに面白かった。自らを複製し、記憶を共有する。手勢の指揮には最適だし、統治の仕組みとしても粗がない。君と似たような存在は見たことはあるけれど、人格が壊れていて意思の疎通なんてできたものじゃあない。もちろん、それはそれで面白かったんだけれどね」

 

 子供の手に揺れる生首は、四つになっていた。

 

「欲をかかずに、ちゃんと時間をかければどうとでもできたのにね。でも、君のことも評価しているよ。君は、本当に良くやった。だから、君のことも有効活用するつもりだよ。……さて」

 

 バケモノの視線に、身が竦む。

 

「──年頃の娘がむやみに肌を晒すものじゃないよ。大丈夫、君をどうこうしようなんて気はないからさ」

 

 バケモノが、コトリと首をかしげる。

 

「君は、ジョセフの娘だね? うん、君の周りに集まる男は優秀だけれど、人格的には難がある。つくづく男運が無いね。……せっかくだ、恨み言の一つぐらい、言っておくかい? 使えそうだからね、こっちも回収しておいたんだ」

 

 バケモノの手には、青い髪の何か。

 

「──素晴らしきかな、この世界。豊かな実りに感謝を」

 

 バケモノが、笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サラサが、頬を染めてはにかむ。

 

 大きく肩口の空いた純白のドレスは、その背中の羽と相まって美しい。

 

 サラサに腕を取られたルシードも、仏頂面ではあっても、頬が赤くなるのは我慢できずにいる。そんなルシードが、テファに複雑な表情を向ける。

 

「全部、テファ姉さんのおかげだよ。とても嬉しかった。でも、パレードをやるなんて聞いていなかったよ。おまけに、他の国の王族の人までいるし……」

 

 テファが微笑む。

 

「あら、とても意味のあることよ。人種の違いなんて関係無いって、すごく分かりやすいでしょう? 利用するみたいなのは、ごめんなさいね。それとね、皆お友達だから、大丈夫」

 

 ルシードは、言い返せずに口元を引き結び、そして、肩を落とす。

 

「姉さんの為、だからね。嬉しいことでは、あるし。でも……」

 

 コトリと、テファが首をかしげる。

 

「なあに?」

 

「女王から降りるつもりって、本気? せっかく姉さんが統一した国。頑張ったんだから、一生贅沢をしたって誰も文句は言わないのに」

 

「私は、十分贅沢をしたよ。だから、良いの。本当はすぐにでもそうしたいんだけれど、あと少しだけ、責任を果たしてから。それにね。アルビオンは、血よりも、それができる人が引き継いでいく方が皆にとっていいことだと思うの」

 

 ルシードが、テファをじっと見つめる。

 

「それから先は、どうするの?」

 

「静かな所で暮らすわ。私より、マチルダ姉さんが……」

 

 眉根を下げるテファ。そんなテファの額を、マチルダが小突く。

 

「あなたを一人にはできないでしょう? 大切な、妹だもの」

 

 

 

 

 

 そんな様子を見ていたキュルケは、傍で行われる会話にため息をつく。

 

 ルイズがイザベラに言う。

 

「あなたは、条件がある?」

 

 イザベラが答える。

 

「馬鹿は問題外。だが、頭が良すぎるのも嫌だ。絶対に嫌だ。お前は?」

 

 ルイズがうなずく。

 

「同じく。じゃあ、一月後にパーティを開くから。最低3人は見繕ってちょうだい。ああ、そっちはシャルロットも連れてきてね。私も姉さんと一緒に行くから」

 

 再び、キュルケがため息をつく。

 

「あんた達は、何て夢の無い会話をしているのよ。純情な恋愛結婚の2人を見て、何か思うことは無いの?」

 

 ルイズがぴしゃりと言い放つ。

 

「それとこれとは別よ」

 

 イザベラが続ける。

 

「それが女王というものだ。というか、お前だって他人事じゃないだろうが?」

 

 ならばと、ルイズが提案する。

 

「あなたも混ざる?」

 

 キュルケは一瞬だけ無表情になり、そして答える。

 

「──のるわ。……のる、けれど。私は、もっと自由な恋愛をしたいのに。なんでこんなことに。どうして私が女王なんて……」

 

 頭を抱えてうずくまるキュルケに、ルイズが現実を突きつける。

 

「なっちゃったものは仕方ないじゃない。良いじゃ無いの、どこの国も女王なんだし」

 

 イザベラがうなずく。

 

「だな。少なくとも今は問題が無い。もっと言うなら、問題が起こらないよう努力するのが私達の義務だ。そういう意味では、真っ当なパートナー探しは重要だ。国と国とを結びつけるにも最適だからな。顔だけで選ぶだとか馬鹿なことをしたら、ただじゃおかないからな」

 

 止めの言葉に、キュルケが唸る。

 

「うう……。私の情熱は、どこに向ければ良いの……」

 

 ルイズが冷たく言い放つ。

 

「良いじゃない、どうせ微熱だし。さっさと現実を見なさいな。私達がやるべきことは山積みなんだからね」

 

 そんな中、使いの者が呼びに来た。

 

 寒そうに身を抱えるキュルケが、テファに尋ねる。

 

「……ところで、何で木なんて植えるの? 記念にっていうのは分かるけれど、残すなら石碑とかで良いじゃない。固定化をかければそうそう壊れないでしょうに」

 

 テファが微笑む。

 

「うん、それはキュルケの言う通り。これはね、エルフの習慣なんだって。特別なシンボルに、長い寿命の木を植える。ね、素敵だと思わない? この世界を生きるものが、記憶をつないでいくって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──あの世界は、もう大丈夫。これ以上は、手を出すべきじゃない。ところで、君達は後悔しないね? エレオノールに、サーシャ」

 

「ええ、この人を1人にしたら駄目だって、よく分かったから。シキさんの勝手は、もう許しませんから」

 

「ブリミル、あんたもよ。あんたは死んでも治らないぐらいの馬鹿なんだから」

 

「──これは手厳しい。しかし、愛されているねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──大きな木だね」

 

「うん。この木、アルビオンの新たな門出を記念して植えたんだって。まあ、おばあちゃんが植えたんだけれどね」

 

「ってことは、300年ぐらい? やっぱり、長生きだね」

 

「そりゃあ、ハーフエルフだもの」

 

「色々、あったんだろうね。お葬式には、すごい人達が来てたし」

 

「そうだね。青い髪の人はガリアの王族の人だろうし、桃色の髪の人はトリステイン、赤い髪の人はゲルマニアからだよね。そんな人が何をおいても来るって、凄い人だったんだよね。やっぱり、大々的にお葬式をすれば良かったのに」

 

「そういうの、好きじゃないから」

 

「おばあちゃんらしいね。おばあちゃんは、幸せ、だったのかな?」

 

「こんな話、聞いたことある? 人の幸せは、最後に笑っていられるかだって。だから、幸せだったんだと思うよ」

 

「そっか、あなたが看取ったんだよね。私も、そこに居たかったな」

 

「うん、最期に初恋の人に会えたって笑っていたよ」

 

「そっか……。その人も随分長生きみたいだけれど、エルフ?」

 

「そういえば……。あれ? そもそも、誰かが来たりはしていなかったはず。ずっと一緒にいた私が知らないなんて、ないと思うんだけれど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遅い、ですよ。

 

 私だけが長生きで、すっかりおばあちゃんになっちゃいました。

 

 ああ、大丈夫です。

 

 私は、満足しています。

 

 姉さんはそばにいて支えてくれたし、皆と一緒にこの世界を精一杯生きました。

 

 皆、先に逝ってしまったけれど……。

 

 でも、皆の子供達が可愛くて、寂しくなんてなかった。

 

 だから、私は幸せでした。

 

 私の夢は、叶ったから。

 








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