混沌の使い魔 (Freccia)
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第1話 Summons

ただひたすらに戦い続けた

助けたかった友も殺した

最後の勝者となったはずなのに――結局、全てを無くした

足りなかったのは……


 

 

 

 

「宇宙の果てのどこかにいるわたしのシモベよ!

 神聖で美しく、そして、強力な使い魔よ!

 わたしは心より求め、訴えるわ……我が導きに、答えなさいッ!!」

 

 ただ、叫んだ。何度も何度も失敗して、半ば意地だった。

 

     

 

 ドオン、と景気良く巻き起きる大爆発。ようやくの結果がある意味では見慣れた失敗魔法で、思わず肩を落とした。立ち上る煙を睨みつけるが、それでどうなるものでもない。そう思ったが、煙の中に何かが見えたような気がした。

 

 目を凝らしてみると、ちょうど人と同じぐらいの影が揺らいでいた。煙が晴れて、ようやく影がくっきりと見えるようになった。

 

「……何、あれ?」

 

 思わず眉を顰めてしまった。途中経過はともあれ、初めて魔法が成功したことが、飛び上がりそうなほど嬉しかった。それなのに、その結果が思っていたものとは違いすぎた。

 

 使い魔の召喚、メイジのパートナー。私の実力を誰にでも分かる形で証明してくれるドラゴンか、それでなければ、ずっと一緒にいられる猫を願っていた。それなのに、ようやく見えた影は人の姿をしていた。

 

 顔の形云々はともかく、格好がおかしい。まず、上半身が裸だ。それはなんとか目をつぶるとしよう。だが、顔を含めて、体のいたるところに意味の分からない刺青のようなものがある。ついでに、よく見えないが首の後ろに黒々と伸びる角のようなものさえある。なんとなくだが、神聖な、というよりはむしろ禍々しいという気さえする。見たこともない、妙な亜人。強さからも、可愛らしさからもほど遠い。

 

「ちょっと、あんた何『ミス・ヴァリエール!! 下がりなさい!!』

 

 思わず何者かと尋ねようとしたところで、監督のコルベール先生に遮られた。

 

 思わず振り返ると、敵を見るような、という表現が相応しいのだろうか。いつもの、どこかのんびりとした様子はない。普段なら文句のひとつも言うところなのに、いつもとはまったく違うその剣幕に、思わず口ごもってしまった。からかうつもりだったらしい他の生徒達も、その変化に何事かと押し黙る。それくらい真剣な様子だったから。

 

 

 

 

 

「……君、いや、あなたは何者ですか?」

 

 ――絶対に勝てない。妙な胸騒ぎがしてディテクトマジックで魔力を探ってみたが、根本的に次元が違うということが分かっただけだった。いつでも魔法を放てるように杖を向けてはいるが、正直、時間稼ぎができるとも思えない。正しいのは、相手がその気になる前に、とにかく逃げ出すことだと思った。

 

 只単に格上の相手なら何度も戦い、そして、勝ってきたからこそ今ここにいる。戦い方次第では多少の実力差など、どうとでもなる。そのことは、そうして生き残ってきた自分だからこそよく分かる。だが、目の前の相手は違う。ただ人の形をしているだけで、そもそもの存在からして違う。そんな相手には戦術も戦略も何の意味も持たない。今杖を向けているのは、単純に私が先生なんてものをやっていて、生徒を守ることが義務だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前の煙が晴れ、俺をまっすぐに見つめる桃色の髪の少女、それを遠巻きに眺める、少しだけ年上らしい少年少女。そして厳しい目を向ける中年男性。なんとなく、状況についての予想はついた。どうやら、自分が仲魔を召喚していたのと同じように呼び出されたようだ。実際、今までいたのとは別の世界だろう。明らかに世界の雰囲気が違う。すでに終わったあの世界のような、息苦しさにも似た閉塞感がない。

 

 そして、何よりも違うものがある。目の前にいるのは、人間だ。あの世界にはマネカタはいても、もう人間はいない。久しぶりに人間に会えたのは素直に嬉しい。懐かしいとすら感じる。ただ、人間ではなくなったということを自分でも自覚しているとはいえ、流石に、こうはっきりと悪魔同様に扱われるのは、悲しくもある。向けられた言葉を心の中で繰り返す。

 

 

 

「……俺は何者か、ね。自分でもそれを知りたい」

 

 ――人間なのか、悪魔なのか。結局、自分はどちらにもなりきれなかった。そんな中途半端な自分だからこそ、中途半端なことしかできなかったのかもしれない。

 

 

 

 

「それよりも、なんで俺を呼び出したんだ?」

 

 さきほどの中年男性に問いかける。それが分からない。今更自分に用があるとは思えないし、たとえ力を求められたとしても、それで戦うつもりもない。それに、周りの人間の様子にも分からないことがある。自分を警戒するというのは分かる。純粋に力という意味では、どんな悪魔にもそうそうは負けない。実際、高位の悪魔達も数多く打ち破ってきた。ならば、警戒するというのは当然のことだ。

 

 ただ、それならばなぜ周りにいるのは子供ばかりなんだという疑問が起きる。男の言葉からすると意図して自分を呼び出したわけではなさそうだが、もし悪魔を呼び出すのに子供ばかりでは、下手をしたらそのまま餌になるだけだ。

 

 

「それは……『私が使い魔として呼び出したのよ!』……ミ、ミスヴァリエール!」

 

 男の言葉を遮って少女が叫ぶ。

 

 男の方は慌てているが、少女には何の恐れもない。真っ直ぐにこちらを見すえ、男とは対照的に対等の立場として言葉を投げかけてくる。目には怯えといったものは全くなく、幼げな容姿であるというのに、はっきりとした意思の強さを感じさせる。

 

 ――まるで、見ている方が眩しいと思うぐらいに

 

 

 

 

「……使い魔、か」

 

 一般的な意味で考えるなら、主の望むままに行動し、自分で何かを考えることのないモノ。

 

 ――自分の道すら決められなかった俺には、お似合いかもしれない

 

       

「分かった。使い魔になろう」

 

 

 

「な、なぜ?」

 

 男の方は心底理解できないといった様子だ。確かに、わざわざ使い魔などというものになる必要性などない。そもそも、今の自分を無理やり従えさせられるものなど、思いつく限りは存在しない。

 

 

 

「……別に、他にやることもないからな」

 

 本当に、何もない。やりたいことも、何も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キスという、随分と簡単な契約を済ませた後、その相手であるルイズの部屋に移動した。見た目通り学生であり、住んでいるのは寮というからには質素なものを想像していたのだが、随分と立派なものだ。ぐるりと部屋の中を見渡してみても、家族で過ごせそうなほどの広さもさることながら、家具の一つ一つがアンティーク調の高級品だ。高級品ばかりといっても、成金趣味といった類のものではなく、細部にまで丁寧に手をかけて作られた、むしろ高貴さを感じさせるようなものばかりだ。

 

 それと、今現在部屋にいるのは、ルイズと自分の二人だけだ。コルベールという男は最後まで警戒していたようだが、契約が一応成立したということと、学院長に相談するとかいうことで分かれた。

 

 

 

 

「そういえば、アンタの名前はなんていうの?」

 

 部屋に入って最初の言葉がそれだった。コルベールと比べて、ルイズには俺を警戒するといった様子はない。身長差からルイズが見上げる形になるというのに、むしろ、ルイズがこちらを見下しているようですらある。それに思うことはないではないが、恐れられるよりはよほど良い。コルベールのような反応が自分を知るものにとっては当然なのかもしれないが、俺は違うものだと突きつけられているようで、あまり良い気分はしない。

 

「俺の名はシキだ。……人修羅とも呼ばれていたが、できればシキの方がいい」

 

 ――人であり、修羅。その名は自分を良く表しているが、あまり好きじゃない。特に、せっかく自分のことを恐れていないこの少女には、そう呼んで欲しくない。

 

 

 

「ヒトシュラ? 変わった呼び方をされてたのね。まあ、呼びづらいし、シキって呼ぶわ。それよりあんたの仕事だけど……」

 

 あまり興味がなさそうに首をひねる。

 

「使い魔の仕事か?」

 

 思いつくのは吸血鬼の蝙蝠とかいったものだが、それにしても何をするのかというのはよく分からない。仲魔のようなものかとも思うが、流石に合体の材料にというのは困る。

 

「そうね、まずは使い魔は主人の目となり、耳となる能力を与えられるんだけど、……無理みたいね。そんな気配まったく無いし」

 

 魔力が通りづらいせいだろうか? 少々の魔力には耐性がある。まあ、曲がりなりにも契約はできたんだから違うかもしれないが。

 

「次にあげられるのは、主人の望むもの見つけてくる事。 例えば秘薬ね」

 

 秘薬。そう言われて真っ先に思いつくのはソーマだ。あれならば秘薬というのにも相応しい。

 

「こんなものか?」

 

 ルイズの手に、ポケットから取り出した小瓶を渡す。

 

「……何これ? なんかの薬?」

 

 瓶を揺らしたりと中身を見ているが、さすがにそれで何かは分からないようだ。

 

「そんなものだ。大抵の傷は一瞬で治るし、魔力も回復する。まあ、死んでさえいなければ何とかなる」

 

 最後まで温存し過ぎてあまり世話になることはなかったが、効果は大したものだった。

 

 

「……本当に?」

 

 いぶかしげにルイズが呟く。どうやら半信半疑らしい。俺と瓶の中の液体を交互に見つめ、疑うような視線を向けてくる。

 

 確かに、自分もそういったものを最初にしった時は信じられなかった。まあ、悪魔がいるのだからそんなものもあるだろうとすぐに納得できたが。

 

「この世界の秘薬というのは違うのか?」

 

「そんなに出鱈目なものじゃないわよ。確かに傷の治りは早くなるけれど、傷が深ければ治るまでに何日もかかるわ」

 

「そんなものか」

 

 ルイズに右手を差し出す。

 

「何?」

 

「いや、返してくれ」

 

「何で?」

 

 心底不思議そうだ。返そうという気は全くないように見える。ころころと変わる表情が可愛らしくもあるが、言葉通りの小悪魔のようにも見える。

 

「それは、結構貴重なものなんだが……」

 

 それに、あげるなどとは一言も言っていないはずだ。

 

「だから?」

 

 今度は何を馬鹿なことを言っているんだという表情だ。

 

「……返す気はないと?」

 

 ――ないんだろうな、とはもう理解できているが。

 

「何で返す必要があるのよ? 使い魔の仕事は主人の望むものを見つけてくること。だから、使い魔のものは主人のものよ」

 

 腰に手を当て、まさに当然のことといった様子だ。

 

「……おまえのものは?」

 

「もちろん私のものよ。何、馬鹿なことを言っているのよ」

 

 何の淀みもない。

 

「そうか。……まあ、いいか」

 

 こういうのをジャイアニズムと言うんだったか。まさか、こんな女の子がそんなことを言うとは思わなかった。思った以上にがめついらしい。

 

「それと、私のことはご主人様と呼びなさい」

 

 いくらなんでもそれは……

 

「――ルイズ、そんなことばかり言っているとろくな大人にならないぞ」

 

 自分が誇れる大人だとは言わないが、子供の時からそうでは先が思いやられる。

 

「……私、何歳ぐらいに見える?」

 

 さっきまでのコロコロと変わる表情は消え、急に無表情になる。子ども扱いされるのはイヤなんだろうか? しかし、どう見たって子供だ。小学生でも通りそうな身長、幼げな顔立ち、当然、胸もない。

 

「そうだな、……せいぜい12,3歳ってところか?」

 

 話しぶりからするともっと上なんだろうが、そうは見えない。それ以下になら見えるが。

 

「あんた、しばらく食事抜きね」

 

「…………」

 

 ――まあ、理不尽な扱いには、慣れている。

 

 

「……あと、使い魔の仕事としてはこれが1番なんだけど……使い魔は主人を守る存在なのよ」

 

 少しは気が晴れたのか、とりあえず無表情ではなくなる。

 

「それは問題ない」

 

 進んで戦おうとは思わないが、守るということならば構わない。自分の身を守るためにも、今まで散々戦ってきた。

 

 ルイズはこちらを見ると、鼻で笑う。

 

「……それはあんまり期待できないから、あんたは洗濯掃除、その他雑用かしら。」

 

「そんなに俺は頼りないか?」

 

 曲がりなりにもあの世界で生き抜いた自負はある。

 

「うん」

 

「……そうか、即答か」

 

 ――構わない、全く構わないが、何か納得がいかない。

 

 他にもこの世界について聞いてみたが、最初の予想通り、平和そうな場所だ。もっとも、前の世界に比べてだが。ドラゴンなどがいる辺り、やはり普通とは違う。魔法が生活の中でも重要な地位を占めるなど、まさに本で見たお伽の国の世界だ。いくつも質問をしているうちに、ルイズが時折眠たげな表情を見せるようになった。一度に尋ねすぎたかもしれない。

 

「……ふ、あふ……。今日はもう疲れちゃった。そろそろ寝るわ」

 

 そう可愛らしい欠伸をしながらつぶやく。それだけならそうか、の一言で済むのだが、次の行動には流石に驚いた。着替え着替えとブラウスのボタンに手をかけ、一つ一つボタンを外していく。   

 

 そして、投げ渡してきた下着を思わず受け取る。ブラなんてものはもちろんない。というよりも必要ないんだろう。

 

「明日になったらそれ洗濯しといて」

 

 凹凸の全くない体で、胸を張って実に偉そうだ。おかげで、胸がないのが尚更目立つ。

 

 ――自虐的だってことに気付いていないないんだろうか?

 

「……恥じらいってものはないのか?」

 

 自分のことを警戒しないというのはありがたいのだが、いくらなんでもそういったことについては警戒して欲しい、いや、警戒するべきだと思う。

 

「……上半身裸で平気な顔して歩き回っているあんたにだけは言われたくないわ」

 

「……そうだな」

 

 自分の姿を思い浮かべて納得した。常に上半身裸、しかも怪しげな模様まで入ったのが自分の姿だ。全く持ってその通りだと思う。誰だって、俺にだけは言われたくないかもしれない。

 

「じゃ、おやすみ。」

 

「……おやすみ。」

 

 床に寝ることになったがそれは構わない。今まで散々野宿してきた上に、下手にベッドなどに寝ると、首筋の後ろにある角が刺さる。

 

 パチン、とルイズが指を鳴らすと、部屋のランプが消える。センサー式ということはないだろうから、これも魔法だろう。随分と便利な代物だ。

 

 部屋の中が暗くなる。そうすると、俺の体の刺青は光る。暗闇を照らすほどではないが、俺の姿を浮かび上がらせるのには十分なほどに。一旦目を閉じたはずのルイズがまじまじと俺を見ている。

 

「……寝辛いからあんたは外で寝なさい。」

 

「……分かった。」

 

 ――本当に、何のために光るんだろうか。洞窟などでは的にしかならない。よくよく考えてみれば、自分の体にある悪魔らしいものはよく分からないものだ。暗闇で光る刺青はもちろん、首の後ろの角もだ。武器にも威嚇にもならない上に、寝るときには邪魔だ。光るおかげで外では安心して眠れないことだってあった。

 

 

 

 

 

 

 

 せっかくだから、と外を歩いてみることにしたが、ここは随分平和なところだと思う。つい癖で周りに悪魔がいないのかを警戒していたのだが、自分に敵意を向けてくるものなどいない。だからだろうか、月を見る余裕があったのは。

 

 空には二つの月が浮かんでいる。二つあるとはいえ、見た目は普通の月と変わらない。そういえば、月なんてものを見るのも随分と久しぶりのような気がする。

 

 この姿になる前も月なんて落ち着いて見たことはなかったが、こうして見ると素直に綺麗だと思う。ただ、その姿が最後に見たカグツチのそれに重なる。人の世界から、悪魔が跋扈する世界へ変わり、その中心で輝いていたもの。そして、そこから更に新しい世界に生まれ変わる、その始まりになるもの。その始まりの中心になるはずだったもの。

 

 ――呪う

 

 そう言葉を残して消えたカグツチ。ふと、思う。もしかしたら、自分の行動次第では別の結果もあったのかもしれない。例えば、変わり果てたあの世界をもとの形に戻すことも

 

 ――足りなかったのは



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第2話 Magic

 暖かいと感じた。

 いつの間にか寝ていたようで、朝日で目が覚めた。朝日と言っても、見上げればもうそれなりに日は昇っているようで、いつもに比べると随分と長く寝ていたのが分かる。警戒しなくていい、ただそれだけのことなのに、それだけでいつもよりも深く眠れた。起きて清々しいなどと感じることができたのも、何時以来のことだろうか。



 ここは、本当に今までの世界とは違う。ここで静かに暮らすのも良いかもしれない、そんな考えも自然と浮かんでくる。ただ、同時に本当にそれでいいのかとも思う。何に対してだかもよく分からないが、罪悪感のようなものを感じる。自分だけが生き残ったことか、自分の行動の結果か、何にしても今更としか言いようがないことだが、素直に受け入れられない。

 

「……洗濯をするように言われていたな。」

 

 昨日言われたことを思い出す。家事など進んでやりたいとは思わないが、何時までも答えの出ないようなことを考えていても仕方がない。それに、何もやることがないよりはずっといい。

 

 

 

 

 

 昨日の夜来た道を通ってルイズの部屋に向かう。いちいち立派な建物だが、日が上ってはいても時間としては早いのか、人には会わなかった。

 

 昨日のドアの前に立ちノックする。ドア一つとっても良い材料を使っているのか、心地の良い音が返ってくる。しかし、部屋の中からの返事はない。男の前で着替えるのも平気とはいえ、曲がりなりにも女の子の部屋。流石に了承もなしにというのは気が引けるが、仕方がない。一つ息をつき、扉に手をかける。

 

「入るぞ」

 

 この部屋の主は、と探せばまだベッドの中。幸せそうに寝息を立てている。昨日は険のある表情をしていたが、寝顔は無邪気なものだ。むしろ、これが本来の表情なんだろう。昨日の様子を見た限りだが、他の生徒とはあまりうまくいっていない様子がうかがえた。もしかしたらそのせいかもしれない。あるいは、勝手な思い込みかもしれないが。

 

 ひとまず目的の洗濯物はと見れば、脱がれたそのまま無造作に置かれている。デザインだとか、着けていた人間だとか他にも理由はあるかもしれないが、こうも無造作に置かれていると色気も何もあったものではない。これもまた、勝手な思い込みかもしれないと苦笑するばかりだが。

 

「そういえば……」

 

 ふと気付く。洗濯はどうするんだろうか。まさか洗濯機なんてものはないだろう。歩きながら観察していたが、電気はおろか、水道も整備されている様子はなかった。文化的なレベルからしても、近代以前のレベルにしか見えない。とすると、手洗い、せいぜい洗濯板といったところだろうか。

 

――まあ、いつも通りか。

 

 人が作った文明の残骸がかろうじて残るだけのあの世界には、洗濯機なんてものはなかった。探せばあったかもしれないが、まさか持ち歩くわけにもいかない。当然、洗濯は手洗いになる。仲魔にそんなことをさせるのも気が引けて、洗濯は自分でやっていた。すぐにぼろぼろになるということで使い捨てにも近かったが、いつでも手に入るというわけではなかったのだから。

 

 どちらにしても水場だかがどこにあるのかは聞かないといけないが、ベッドの中で幸せそうに寝ている相手を起こすというのは気が引ける。それに、この学院程度の広さなら自分で回っても問題ない。

 

「洗濯に行ってくる」

 

 返事がないのは分かっているが、一応伝えて部屋を後にする。水場だが、水道がないのなら多分外だろう。洗濯物を干すといったことを考えれば、大体の場所の予想はつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ないな」

 

 建物から出た開けた中庭のような場所、予想をつけたあたりに来てみたのだが、どうやら当てが外れたようだ。が、見回してみれば人はいる。おあつらえ向きに、黒のワンピースに清潔感のある白のカチューシャとエプロン。ずいぶんと若いようではあるが、格好からするとメイドだろう。洗濯について聞く相手にはちょうど良い。

 

「ちょっといいか?」

 

「あ、は……い?」

 

 黒髪の、少しそばかすのある少女だ。素朴ながら、笑顔とあいまってかなり魅力的だと思う。もっとも、その笑顔もすぐに曇ってしまったが。様子や、上から下へと移る視線から大体の理由は分かる。

 

「怪しくない、とは言わないが、そんなに警戒しないでくれ。別に何かしようというわけではないから」

 

 言っていて逆に怪しいと思わなくもないが、他に思いつかないのだから仕方ない。

 

「……じゃあ、その手に持っているのは?」

 

 警戒心は全く変わらないようで、そうおずおずと尋ねてくる。視線の先に目をやれば

 

「……パンツだな」

 

 しかも女物の。言うと同時に大声で

 

「だ、誰か来……」

 

 叫び声は続かなかった。声をあげようとした少女は腕の中でもがいている。しかし、思わず羽交い絞めにして口を押さえてしまったが、どうするべきか。

 

「……騒がないでくれ。本当に何もしないから」

 

 できるだけ優しく言ってみるが、どう考えても説得力はない。傍から見てもそうだろうし、当事者にとっては言わずもがなだ。少女もただ涙目でコクコクと頷くばかりだ。

 

「……何から言うべきか。そうだな、俺はシキという名で、昨日ルイズという子に使い魔として呼び出されたんだ」

 

 少女は変わらずひたすら頷くばかりだ。さっきよりも怯えている様な気もする。とはいえ離すわけにもいかない。

 

「それで、洗濯をするように言われたんだが、水場が分からないから聞こうと思って声をかけたんだ。それは、分かってくれるか?」

 

 本当に分かってくれているのか分からないが、頷いている以上、手を離さないわけにはいかない。

 

 手を離すと、少しだけ距離を取り、いぶかしげな視線を向ける。こちらを警戒するようにしばらく見ていたが、とりあえずは何もしないと分かってくれたようで、ようやく会話ができた。

 

「……あの、すみません。その、変わった格好なので驚いてしまって……」

 

「いや、こちらこそすまない。脅かすつもりはなかったんだが、自分の格好を忘れていたんだ」

 

「あ、ご自分でも変だって分かっているんですね

 

 ようやく笑顔になったが、割と良い性格をしているようだ。遠慮がない。まあ、ルイズといい、それぐらい方がよっぽどいい。

 

「……まあ、好きでしていたわけじゃなくて、気付いたらこの姿になっていたんだ」

 

「もしかして、貴族の方が何か魔法を?」

 

 そう何かに恐れるように尋ねてくる。ルイズもそうだったが、コロコロと表情の変わる子だ。

 

「貴族、かもしれない。魔法とは少し違うかもしれないが」

 

 確かに貴族といえば、貴族かもしれない。本来の姿かどうかはともかく、10に届くかどうかという少年の姿ながら、将来をうかがわせる整った顔立ち、手入れの行き届いた金色の髪、そして、上に立つものの空気をまとっていた。カリスマというものなのかもしれないそれは、貴族というのにふさわしいように思う。

 

「まあ、ひどい……。そんな怪しい姿に」

 

 対して目の前の少女は口元に手を当て、本当に同情しているようだ。しかし、それ以上に本当に良い性格をしている。本人を前にそうはっきりと言えるというのはたいしたものだ。

 

「それで、洗濯ができる場所を聞きたいんだが」

 

 いくら変だと分かっていても、流石に何度も言われると傷つく。これ以上言われる前に本題に戻す。

 

「あ、洗濯の場所ですね。私も行きますからご案内しますよ」

 

「すまない。何かできることがあれば言ってくれ。できる限りのことはする」

 

「いえ、気にしないでください。変だって言ったお詫びです」

 

 屈託のない笑顔を見せる。ただ、お詫びという自覚があるあたり、いい性格をしているというのは間違いないようだ。

 

 

 

 

 

 洗濯場には先客がいて、大抵がこのシエスタという子と同じような反応をしたが、彼女がうまくとりなしてくれた。

 

「この人は貴族にこんな怪しい姿にされたんだそうで」

 

 との彼女の言葉で、同情心が多分に含まれていたようだが、何とか受け入れてくれた。ただ、もう少し言い方というものがあっていいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どこに行っていたの?」

 

 部屋に戻ると、ルイズが不貞腐れた子供のような表情で待っていた。てっきり朝食を摂りに行っているかと思っていたのだが、まだ残っていたようだ。

 

「洗濯をしていたんだ」

 

「……そう。ちゃんと仕事をしていたのはいいけれど、主人を起こして、身支度を整えるのも仕事よ。明日からはそのことも覚えておいて」

 

 少しは不機嫌さが和らいだように見える。

 

「ああ、分かった。ところで、朝食は摂ったのか?」

 

 今は朝食の時間のはずだ。

 

「使い魔を放って置くわけにはいかないもの。今更行ったって授業に間に合わなくなるし、今日は諦めるわよ」

 

「……すまない」

 

「いいわ。あんただって食事抜きだもの。一食ぐらい構わないわ」

 

 少しだけ大人びた表情を見せる。わがままな子供だと思っていたが、多少は大人の部分もあったようだ。ただ、そう笑顔で言ってくれるのはいいが

 

 

 

 ――悪い。賄いを分けてもらったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早めに教室に来ることになったのだが、大学の講義室のような部屋でなかなか立派なものだ。魔法に関するもののデザインは大抵変わっていると思っていたのだが、案外大差がないように見える。

 

 早めに来たので他の生徒はいなかったのだが、時間が経つにつれて他の生徒もやってきた。入ってくる度にルイズと、その傍らに立っている俺をチラチラと見てきて、あまり居心地は良くない。例外は炎のようなと表現するのがふさわしい赤髪のキュルケとか言う少女で、ルイズとは悪友といった関係のようだ。キュルケのからかいからすぐに言い争いを始めたが、まさに喧嘩するほど仲が良いという風に見える。少なくとも、言葉の中にそこまでの悪意は見えないのだから。大人の容姿を持つキュルケが子供の容姿のルイズをということで、多少大人げなく見えなくはないが。

 

 そのキュルケという子は、一言で言うのなら妖艶という言葉がふさわしい。周りを男が囲んでいる辺り間違っていないだろう。それと、胸が大きい。キュルケが胸を張ると、負けじとルイズも胸を張るので尚更その差が際立つ。ルイズの胸を張るという仕草は、多分胸に対するコンプレックスの表れなんだろうが、見ていて悲しいと指摘してあげるのが優しさか、それとも、あえて触れないのが優しさなのか迷う。

 

「ねえ」

 

 そうキュルケとルイズのやり取りを観察していたら、不意にその本人から話しかけられた。

 

「なんだ?」

 

「あなたがルイズの使い魔?」

 

 面白そうに見ている。からかう対象をこちらに移そうかと考えているのかもしれない。 

 

「まあ、一応そうだな」

 

 そう答えたのだが、そのご主人様は気に入らなかったようだ。

 

「何で『一応』なんてつけるのよ!!」

 

「なんとなくだ。気にするな」

 

「そうね。あんまり細かいことを気にしていると大きくなれないわよ? 胸なんてただでさえ『ゼロ』なんだから」

 

 その言葉でもともと怒りやすいのに止めをさしてしまったようだ。さっき少しは大人かと思ったが、こういったところは見た目通り子供なんだろう。さっきの続きとばかりに、キュルケが楽しそうにからかい始めた。

 

 

 

「もう許さない……。ツェルプストー、今日こそ決着をつけてあげる!!」

 

 そう指を突きつけて今にもつかみかかりそうな勢いだが、さすがにそろそろ止めないわけにはいかない。ちょうど教師らしき人物もやってきた。

 

「止めておけ。もう授業が始まるんじゃないのか?」

 

 その言葉に多少は理性は残っていたようで、歯軋りをしながらも何とか引いてくれた。

 

「……命拾いしたわね。覚えてなさい!!」

 

 悪役のような捨て台詞だが、キュルケの方は余裕だ。ヒラヒラと手を振っている。見た目通り、キュルケの方が精神的には上なんだろう。肉体的には比較対象にすらならないが。

 

 なんとか落ち着いてくれたところで、少し太めの教師らしき中年の女性が入ってきた。にこやかな、どこにでもいそうな雰囲気だ。

 

「皆さん、春の使い魔召還は大成功のようですね。このシュヴルーズ、みなさんの使い魔を見るのを毎年、楽しみにしているのですよ」

 

 そして教室を見渡すと、俺に眼をとめた。

 

「……ミス・ヴァリエールは変わった使い魔を呼び出しましたね」

 

 先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、こちらに幾分警戒感を含んだ視線を向けてくる。

 

 昨日の話ではあるが、ミス・ヴァリエールの呼び出した使い魔をどうするかという名目で教師達が集められた。その場にいたコルベールの話からすれば並みのメイジでは、ましてや学生などにはとても従えられるものではない。しかし、使い魔になった以上、下手に手を出すわけにもいかない。

 

 加えて、力尽くでどうにかなるような相手でもない。ならばどうするかというということで出た結論は、とにかく様子を見るということだった。現状では暴れるといった様子もなく、時間が経てば使い魔のルーンの効果で完全に危険はなくなるはず。ならば、下手に手を出すよりは様子を見るのが得策だということになった。それは教師だけしか知らないことではあったが。

 

 

「ゼロのルイズにはその変なのがお似合いだ!!」

 

 ある生徒がルイズを指さして笑う。その言葉にルイズも言い返そうとするが、それよりも早く教師の方が対応した。

 

「黙りなさい!!」

 

 シュヴルーズと名乗った女性が魔法をつかい、その生徒の口を何かでふさいだ。口からはみ出している赤い塊は粘土だろう。温厚そうだと感じた印象は少し間違いだったようだ。ただ、唖然とした表情を見せる他の生徒の様子を見るに、普段とは違うのかもしれないが。

 

「……ええと、お友達の使い魔を馬鹿にするようなことを言ってはいけませんよ。……ああ、もちろんお友達もです。分かりましたか?」

 

 努めて明るく振る舞っているが、生徒達はただ頷くばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 授業が始まったが、さっきの教師の行動のおかげか、なかなか静かなものだ。無駄口をたたくような生徒はいない。その授業の中身はと言えば、今までの魔法というものに関する知識との違いがあり、それなりに面白い。

 

 例えば、こちらには土、水、火、風、虚無の五つの属性があるらしい。今までの知識に当てはめて考えるならば、水は氷結、風は衝撃、火はそのままといった所だろうか。土というのはなかったが大体の想像はつく。残りの虚無だが、それは他のものとは明らかに違うように思う。話ぶりから考えても、何か特別なものなんだろう。

 

 授業が進み、シュヴルーズが錬金とやらで石を金属に変えて見せたが、これも面白い。自分が使えるものは基本的には戦闘に関するものばかりで、そんな日常でも使えるような便利な術はほとんどない。単純に俺が使えないだけかもしれないが、改めて世界の違いを感じる。ましては、魔法を教える学校があるなど。

 

 生徒にも実践させてみるということでルイズが選ばれたが、周りの様子がおかしい。先ほどのシュヴルーズの行動のせいか、表立って何かを言う生徒はいないが。

 

 ルイズもなにやら渋っていたが、「あなたならゴールドも錬金できるかもしれませんね。」とのシュヴルーズの言葉に決心したようだ。金というのは難しいもの、それができるかもしれないと言われてやる気になったんだろう。

 

 ルイズが前に出て、目を閉じ、何やら熱心に呟いている。ルイズが魔法を使うのを見るのは初めてかもしれない。

 

 ルイズにとってみれば、彼女は教師に諦めの目で見られることは多くても、そこまで期待されるということはここ数年なかった。だから、いつもよりもずっと張り切っていて、いつもの何倍も力を込めた。そして、その結果もきちんと現れた。

 

 

 

 ――いつもよりも大規模な爆発として

 

 

 

 教室の、特に爆心地の周りは特にひどい状態で、原型をとどめていない部分もそこかしこにある。死人が出てもおかしくなさそうな惨状だが、どうやら人間にはあまり被害がでなかったようだ。飛び散った破片で怪我をしている生徒はいるようだが、比較的軽症と呼べるものばかりのようだ。一番ひどそうなのはルイズの側にいたシュヴルーズだが、壁に強かに打ちつけらて目を回してはいるものの、命に別状はなさそうだ。

 

 改めて室内を見渡してみると、今意識があるのは自分とこの惨状を引き起こしたルイズと、何時の間にやらちゃっかり外に逃げ出していたらしい青い髪の少女だけだ。

 

「ルイズ、万能魔法が使えるなんてたいしたものだ」

 

 虚無の使い手はいないとかいう話だったのだが、たぶんこれが虚無なんだろう。褒めたつもりだったのだがルイズはそれどころではないようだ。

 

「……すごく、失敗したみたいね……」

 

 ルイズは引きつった顔でただそう言うだけだった。

 

 

 



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第3話 Third Birthday

 当然のことかもしれないが、授業は中止になった。教師はおろか、ほとんどの生徒が気絶してしまった以上、やりようがない。しばらくして、タバサという青い髪の女の子が別の教師を連れてきたが、教室の惨状に随分と驚いているようだった。

 まあ、それも仕方がない。原型を留めていない場所がそこかしこにある。だが随分派手に壊れてしまっているので、教室が使えるようになるにはしばらく時間がかかるだろう。

 取り合えずということでルイズには教室の片付けを命じられたが、そう時間はかからなかった。教室自体の修繕が必要なので、基本的には壊れたものの処分だけで済んだからだ。



 結局午前中の授業も中止ということになり、暇を持て余していたのだが、昼食の時間だということで食堂に来た。ちなみに今回はルイズと一緒に来ている。使い魔として来るようにとの事だったが、何より随分と落ち込んでいるようで心配だったからだ。普段気丈なところもあるが、今回はさすがに堪えたらしい。

 

 食べて少しは気が晴れてくれればと思っていたのだがそうもいかないようだ。流石にその頃には気絶していた生徒のほとんどが起きていて、あからさま聞こえるようにルイズの悪口を言っている。良い悪いの判断は別にして、その言葉も仕方がない。被害を受けたのは事実なのだから。

 

 ルイズはとみてみれば、今回ばかりは言い返すこともできないのか、おとなしい。朝食を摂っていないにもかかわらず、食も進んでいない。

 

「気にするな。 アレだけのことができればたいしたものだ」

 

 聞こえてくる悪口からするとアレは失敗だったのだろうが、失敗だということを差し引いても十分だと思う。

 

「……ほっといて」

 

 いつもの、といってもまだ会って間もないが、ルイズらしくないと思う。多少失敗した程度ではへこたれない方が彼女らしいはずだ。

 

「私は部屋に戻るから。食べたいなら食べなさい。 ……それと、しばらくは一人にして」

 

 結局、ほとんど食べずに帰ってしまった。慰めるべきだとは思うが、こういうのは苦手で、かけるべき言葉が浮かばない。

 

 

 

「……あんな調子じゃ張り合いがないわね。 慰めてあげたら?」

 

 さっきから様子を伺っていたらしい朝方ルイズをからかっていたキュルケが話しかけてくる。

 

「そういうのは苦手なんだ。 代わりにやってくれ。 ――友人なんだろう?」

 

「……まあ、友人というのはおいといて、私じゃ喧嘩になるもの。使い魔として慰めてあげて」

 

 最後に一言、よろしくねと去っていった。

 

 

 

 

 

 

 ――どうしたものか

 

 やはりそういったことは苦手でうまい方法が思いつかない。しばらく考え込んでいたのだが、少し周りが騒がしい。何事かと見てみれば

 

 

 ――馬鹿がいる。

 

 気障ったらしく大きく胸元の開いたシャツ、それだけが浮いてしまうことのない軽薄そうな雰囲気といい、ナルシストという言葉がふさわしい少年だ。聞こえてくる声から判断するに二股をかけていたのがばれたらしいが、わざわざ火に油を注ぐような真似をしている。おかげで本命と浮気相手の二人から制裁を受けたようだ。これに懲りて精々少しはましになるんだな、と思ったのだが、無理そうだ。

 

「あのレディ達は、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

 

 まだそんなセリフを言える辺り、救いようがない。更に救いようがないことに、今度は朝方世話になったシエスタにお前のせいだと責任を押し付けている。呆れるばかりだが、彼女は随分と怯えているようで、今度ばかりは放っておくわけにも行かない。

 

「それくらいにしたらどうだ? 今のはどう考えてもお前が悪い」

 

 

 

「その通りだギーシュ!お前が悪い!」

 

 少年の名前はギーシュというらしい。周りからも同意の笑い声が上がる。

 

「き、君はルイズの呼び出した……。 君には関係ないだろう。平民の躾は貴族の役目だ」

 

「……貴族と平民、身分の差だけでそんな馬鹿なことを言っているのか?」

 

「何を言っているんだ。貴族は魔法を使える。魔法が社会を支えているんだ。ならば、魔法を使えない平民は貴族に従うべきだろう?」

 

 ――本気で言っているのか?

 

「……魔法が使える。力があれば、何をしても良いとでも思っているのか?」

 

 自然と語気が荒くなる。

 

「な、何を怒っているんだ。力のない平民が貴族に従うのは当然のことじゃないか!!」

 

「……なら、俺がお前を殺しても文句はないな」

 

 男にしては細いその首をつかんで持ち上げる。宙に浮いた足をばたつかせて逃れようとするが、その程度でどうなるというものでもない。

 

「……や、やめ……」

 

 随分と苦しげだが、力を緩めるつもりはない。

 

「……お前が言っているのはそういうことだ。力があれば何をしてもいいなんて、考えるな」

 

 それだけ言って手を離す。このままだと首の骨を折りかねない。地面に倒れてこんで咳き込む様子を見下ろす。

 

 自分でも気付いていなかったが、さっきこいつが言った、怒っているというのは当たっているのかもしれない。力があれば何をしてもいい、そんな言葉に結局この手で殺してしまった千晶のことが浮かんだ。世界をどうしたいのか、何のコトワリも選べなかった自分だが、弱いから、ただそんな理由だけでマネカタ達を皆殺しにするような考えは認められなかった。もっとも、本当に怒っていたのはそんな千晶を止められなかった自分に対してなのかもしれないが。

 

 

 

「……ま、待て」

 

 咽てはいても、その言葉ははっきりとしていた。

 

「……こんなことをしておいてただで済むと思うな。 決闘だ!!」

 

 薔薇を模したらしい、奇妙な造形の杖を突き付け、高らかに言い放つ。周りには止める者もいたが、聞く気はないようだ。俺も、断る理由はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――とはいえ、どうしたものか。

 

 決闘ということで外に出てきたが、今現在、それぞれ武器を持った青銅の人形が周りを囲んでいる。それがこの世界の言うゴーレムをつくる魔法、少年の使う魔法らしい。なるほど、確かに普通の人間にとっては脅威だろう。武器を持った金属の人形が数体。これならば魔法の使えないという平民にとっては貴族が恐怖の対象になるというのも仕方がない。

 

 だが、所詮その程度だ。そのうちの二体が手に持った武器を振りかざして切りかかって来るが、ほとんどその場から動かずにかわせるようなものだ。

 

 遅すぎる。加えて、動かす人間が素人だからだろう。精々鎧を着込んだ素人の動きだ。全てが金属でできているせいか動きにもぎこちなさがあり、数に物を言わせてただ闇雲に武器を振り回すばかりで、少し体の位置をずらしてやるだけでかすりもしない。殺すつもりなんだろうが、話しにならない。もっとも、こちらは殺す気など全くないが。

 

「どうした避けるばかりか!!」

 

 笑いながら人形に命令を下す。こちらが避けるばかりということで、調子に乗っているんだろう。少しは反省させなければ意味はない。周りにはこのギーシュと同じ考えらしき者もいるはずだ。そういった相手にも見せ付ける必要がある。

 

 しかし、あまり痛めつけても、逆に力に溺れた千晶の二の舞だ。どこまで手加減するかが難しい。

 

 

 

「……そうだな」

 

 力の差を見せ付けるのが手っ取り早い。

 

 丁度槍で突きかかってきた一体の武器を左手でいなし、そのまま懐に入る。入ったところで腰を落として反転し、腕を取って背負い投げの要領で他の人形に向けて投げつけた。

 

 金属のぶつかり合う音をたてて、人形が地面に転がる。青銅ということだが、金属としても弱いようで、まとめてひしゃげてしまっている。かろうじて動こうとはするが、形が変わりすぎていて立ち上がることもできないようだ。

 

「ば、馬鹿な!? 行け!!」

 

 戦闘といったものには慣れていないんだろう。作戦も無しにまとめて突っ込ませてくる。が、むしろ丁度いい。

 

 右手に魔力を集中させ、剣を作り出す。そしてそれをを横なぎに振りはらう。生じた魔力の剣圧が人形達に向かう。

 

 金属を断ち割る澄んだ音とともに、二つに分かれた人形が地面に落ちる。地面に落ちた人形はもう動かなかった。そのうちに、崩れて砂になった。

 

 ただ、手加減しそこなったようで周りにも余波で怪我をしている人間がいる。あとで治すからと心の中で謝罪しながら、少年のもとにあえてゆっくりと向かう。

 

「……ひっ、……こ、殺さないで……」

 

 さっきまでの余裕はどこへやら。地面にへたり込んだままそう言って来る。もちろん、これ以上痛めつける気など毛頭ない。

 

「……力を向けられる側の気分はどうだ?」

 

 あと二歩といったところまで歩みを進め、上からそう言葉を投げかけた。

 

 何か言いたそうだが、言葉はない。この世界の価値観でずっと育ってきた以上、そう簡単に変わるなどとは思ってはいない。

 

「……力が全てじゃない。力だけがあっても何もできない。本当に大切なのは、それをどう使うかだ」

 

 そう言うが、これは誰に対しての言葉だったのか、もしかしたら自分に対してだったのかも知れない。

 

 最後に、シエスタには謝っておけ、それだけ言って背を向けた。先ほど怪我をさせてしまった相手へと向かう。

 

「……ひっ」

 

 先ほどのギーシュと同じようにおびえている。自業自得とはいえ、いい気はしない。

 

「さっきはすまなかった」

 

 そう言って、傷口に回復魔法をかける。かすり傷ではないが、そう深い傷でもなかったので見る間にふさがる。

 

「え?」

 

 怪我をしていた少年は、傷のあった場所と、俺とを見比べている。

 

「……今のは、先住魔法?」

 

 そんな言葉がそこかしこから聞こえる。心なしか、周りからの恐れの視線が強くなった気がする。例外は二人だけのようだ。青い髪の少女と、ルイズの友人のキュルケ。

 

 

 青い髪の少女、タバサにとっては、恐れよりも興味の方が大きかった。彼女にとっては、何よりも母のことが優先する。母親を助ける手がかりになるのなら、どんな危険があったとしても構わない。先住魔法の毒で苦しんでいる母親を救うには、先住魔法が手掛かりになるはずだと思っていたから。

 

 騒ぎを聞いて見に来ていたキュルケは、やっぱり、とある意味納得していた。もともとルイズには人とは違うところを感じていたが、今回のことでそれを確信していた。

 

 そして少しだけ離れた場所に、本来なら止めるはずだった教師達はもちろん見張りについていた。だが、誰が止めにいくかで揉めていた。結局、学院長の所に報告をということになったのだが、そのころにはとっくに決闘、そう呼べるかは別として、は終わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今は一人にして」

 

 今はルイズの部屋の前にいる。放って置くわけにはいかないと思って来たのだが、取り付く島もない。こんな時にはどうするべきなんだろうか。考えてはみるが思いつかない。

 

「……そうか」

 

 どうしようかと思った所で廊下に出てきたキュルケに話しかけられた。

 

「駄目だったの?」

 

 そう尋ねてくる。心配そうなそぶり自体は見せないが、やはりルイズのことが心配なのかもしれない。

 

「こういったことは苦手なんだ」

 

「まあ、張り合いもないし、私からも言ってあげる」

 

 困った子と、どこか母親のように笑い、呟いた。

 

「すまない。……俺は外にでも行ってくる」

 

 なんだかんだで付き合いは長いはず。任せるのが一番いいだろう。

 

「ま、あんまり期待しないでね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルイズ」

 

 声はかけてみるが、予想通り返事はない。まあ、返事はないだろうと思っていたので、いつものように魔法で鍵を開けて入る。

 

「……何よ。 わざわざ私を笑いに来たの?」

 

 ベッドの上で足を抱えているのが見える。こちらに視線を向けてはいるものの、普段の気丈さはなく、喧嘩腰になるということもない。こうも違うと別人のように見える。

 

「もう、辛気臭いわね。 いつもの元気さはどうしたの?」

 

 こんな様子では、調子が狂ってしまう。

 

「……ほっといて」

 

 そう言うとまた俯いてしまう。

 

「……さっきね、貴方の使い魔がギーシュと決闘したの」

 

 いつもと勝手が違うので戸惑ってしまったが、すぐに言葉を続ける。

 

「……あの馬鹿……」

 

 そう吐き捨てるように呟く。使い魔まで問題を起こすとは思っていなかったんだろう。

 

「すごかったわよ? 一瞬でギーシュが作ったゴーレムを真っ二つにしちゃうんだもの」

 

「え?」

 

 それには心底驚いたようで、顔を上げる。

 

「使い魔を見ればメイジの実力が分かる。貴方も自信を持っていいかもしれないわよ? ……彼は外にいくって言ってたから、会ってきたら?」

 

 それだけ言って部屋を後にする。これだけおぜん立てしてあげたんだから、あとは自分でどうにかしてもらわないと。ルイズも、シキも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やりすぎた、か」

 

 騒ぎを知ったらしい生徒達からは、恐る恐るといった様子で遠巻きに見られるようになった。その中には、使用人らしき人物も混ざっている。

 

 キュルケと青い髪の少女は例外だったようだが、周りにいた生徒のほとんどが怯えていた。支配階級らしい貴族でもそうなら、それに対して怯える平民もということだろう。

 

 ――もともとこうなるものなのか

 

 そんなことが頭に浮かぶ。いつの間にか、人気のない中庭に来ていた。朝は別として、それ以外では人は来ないようだ。ちょうどベンチがあったので腰かけ、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

「ここにいたの」

 

 誰かが近づいてくるのは分かっていたが、ルイズだとは思わなかった。

 

「少しは気が晴れたのか?」

 

「……おかげさまでね」

 

 少し憮然としながら隣に腰を下ろす。キュルケに頼んだというのは、気付いているのかもしれない。

 

「そうか、それは良かった」

 

 うまく言ってくれたんだろう。自分も、勇と千晶とはそんな関係だったのかと思う。

 

 

「友人は大切にな」

 

「ツェルプストーのこと? 冗談じゃないわよ!」

 

 どれだけ家同士の確執があるのかとまくし立てるが、思うところがあるのか、朝のようにけなす言葉はない。

 

 まあ、何にせよ元気になってくれてよかった。ルイズのような子は元気であって欲しい。そんな人間は周りも明るくさせる。そんな存在が何より自分にとってはありがたい。つい側に来ていたルイズに手が伸びる。

 

「……何、ご主人様の頭をなでてるのよ」

 

「……可愛かったからな。 いやか?」

 

「……別に、いいけど」

 

 そっぽを向くが、照れているようで、頬が赤い。妹がいたらこんな感じなんだろう。つい笑みが浮かぶ。

 

「あんたが笑ってるところ、初めて見たわ」

 

「そうか?」

 

「そうよ」

 

 ――そうかもしれない。これもルイズのおかげだろうか。

 

「……ありがとう」

 

「何よ、いきなり?」

 

 怪訝そうな顔をしているが、ルイズへの感謝は変わらない。

 

「気にするな。 あんまり細かいことを気にしていると大きくなれないぞ。胸とかな」

 

「……何よ、あんたまで馬鹿にするの?」

 

 少し拗ねたようだが、さっきまでの暗さはない。

 

「……この世界に来てよかった」

 

 本当に、心からそう思う。



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第4話 Emerald

 分かってはいたことだが、周りの雰囲気が変わった。もっと具体的に言うならば、あからさまに避ける人間が増えた。あのシエスタですら目が合った時には逃げ出してしまう。

 代わりに、監視する人間は増えた。もともと見張っていたらしい教師は倍に、それと、青い竜と、時たまサラマンダーが加わった。

 ――正直、少し挫けそうだ。


「ルイズ、買い物ができるような場所が近くにないか?」

 

 ルイズの朝の身支度、といっても着替えを準備したりといった差し障りないことだけだが、一通り終えて切り出した。

 

「……あるけど、何の用があるの?」

 

 ルイズはベッドの上に腰掛けて、なんでそんなことを言うのか分からないといった様子で、怪訝そうだ。

 

「服を買いたいんだ」

 

 そう、思いついたのが服だ。自分の何が悪いのか。まずは見た目だ。上半身裸というのがそもそもありえない上に、全身に刺青がある。加えて、夜に出歩いていたら、幽霊と間違えられた。確かに暗闇でぼんやり光る様子が見えればそれも仕方がない。

 

「……ああ、服ね。すっかり慣れてしまっていたけれど、うん、服は必要よね」

 

 ルイズもしきりに頷く。我が事ながら、慣れてしまうから不思議だ。そんなことを気にしていられなかったというのが正しいが、もうすっかり慣れてしまっていた。

 

「そうね。明日なら虚無の曜日で休みだし、案内してあげるわ」

 

「買い物程度なら一人でも問題ない。町の方角さえ教えてもらえれば十分だ」

 

 確かに地理といったものに明るくはないが、今までもなんとかしてきた。わざわざ案内してもらわなくても大丈夫だろう。

 

「……そういうわけにもいかないでしょう? だいたいお金はどうするのよ?」

 

「まあ、手持ちの宝石を売れば何とかなるはずだ」

 

 確かにこの世界の通貨はないが、交換の余りということで結構な数の宝石が残っている。換金さえできればそれなりのものにはなるだろう。

 

「へー、宝石なんて持ってたんだ。『断る』……まだ、何も言ってないじゃない」

 

 そうむくれるが、既に手が出ていた。

 

「俺だって多少は持っておきたい」

 

 今のところなくて困ったということはないが、一文無しのままというのはいくらなんでもいただけない。

 

「……ま、いいわ。でも、どうせ買うなら貴族の使い魔として恥ずかしくないものにしなさいよ」

 

 そう言うとベッドの側に設えてある鏡台をごそごそと漁って、随分と重そうな袋を取り出す。

 

「それは?」

 

「服の代金ぐらい出すわ。主人としてそれくらいは当然のことよ」

 

 差し出されたので思わず受け取ったが、中を覗くと金貨が片手では掴みきれないほど入っている。金銭的な価値と言ったものは良く分からないが、結構な額のはずだ。

 

「……意外だな」

 

「何が?」

 

 きょとんとした、という表現が相応しいような視線をこちらに向けてくる。

 

「……いや、大した事じゃない」

 

 ――もっとセコイと思っていた。

 

 ルイズは首を傾げているが、わざわざそんなことを言って怒らせる必要もない。せっかくの好意だ。有り難く受け取るべきだろう。

 

「まあ、夕方までには戻ると思う」

 

 そう言って部屋を後にする。その時にルイズは馬車を借りるように言っていたが、必要ないだろう。走った方がよほど速い。

 

 ――まあ、それはそれでかなり目立っていたようだが、今日で終わりにしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……流石に人が多いな」

 

 辺りを見渡すと、石造りの街並みに、道端で声を張り上げて果物や肉等を売る商人達、老若男女と大勢が行きかっている。学園にいた人間の数にも最初は驚いたが、ここには更に多くの人間がいる。加えて、けして豊かとまでは言えないにしても、市場独特の活気といったものもあって、見ているだけでもどこか楽しくなる。

 

 ……一つだけ不満があるとすれば、周りの人間が絶対にこちらに近付こうとしないということだ。近づくと話していた人間も静かになる。洋服屋の場所を尋ねようともしただけなのだが、皆あからさまに避けていく。

 

 もちろん、それも仕方がないと納得はしてはいる。だからこそ服を買いに来たのだから。自分の姿を見てみれば、上半身裸で、更に異様な刺青がある。少し離れた場所から、「変質者」といった声が上がるのも、……不本意ながら仕方がない。おかげで、狭い道ながら随分と歩きやすい。

 

 とはいえ、こんな調子では今までしてきたようにそこらにある店を一つ一つ見ていくということもできない。学院内なら知られている分まだ何とかなるが、この格好で歩き回るというのはいくらなんでも問題があるかもしれない。現実問題として、既に騒ぎになりかけている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あんな格好で何をやってるんだか」

 

 物陰から様子を伺っているのは、学院長の秘書でもあるロングビルだ。様子を見るということで来ているが、今回は一人で来ている。他の教師達は授業があるという事で来れなかった。

 

 もっとも、それは事実ではあるが、怖いからできるだけ関わりたくない、それが本音だ。関わりたくないという事では彼女も同じようなものだったが、今後障害になるかもしれないということで、渋々ながらも引き受けた。

 

 

 

「……ちょっといいか?」

 

 なぜだか物陰に隠れているはずの自分に声をかけているような気がする。距離はそれなりに離れているはずだが、こちらに声がはっきりと聞こえる。様子を見ようと顔を出したのだが、目が合った。どうやらこちらに話しかけているというのは間違いないようだ。

 

 ――参ったね

 

 気配を消すといったことには自信があったのだが、相手を甘く見すぎていたらしい。

 

 

「……何でしょう?」

 

 こうなると誤魔化しようがない。諦めて出て行く。今までの行動からすればいきなり襲ってくるということはないはずだ。そう覚悟を決めて行く。

 

 

 

 

 

 

 通行人には話を聞けそうもないということで、見張りについている人間に聞くことにした。こちらから話しかければ出て来ざるを得ないと思ってはいたが、素直にとまでは行かなくとも、案外あっさりと出てきた。エメラルドグリーンの髪を肩口の下まで流し、シャープな形状のメガネと合わせて、落ち着いた雰囲気の女性だ。他の教師陣に比べると堂々としたもので、嫌々ながらというのは伺えるものの、他が他なだけに好感が持てる。

 

「道を教えて欲しいんだ。……どの道ついて来るんだ、手間が省けていいだろう?」

 

 断れないと分かっていて聞くというのはあまり趣味がいいとは言えないが、それはお互い様だ。こんなときぐらいには役に立って欲しい。

 

 

「えっと、……どこへ行きたいんでしょうか?」

 

 他の教師達に比べればマシなのかもしれないが、やはりこちらを警戒しながら尋ねてくる。

 

「洋服屋だ。いつまでもこの格好のままというのは不味いからな」

 

 自分の体を示して見せるが、格好と言うのも語弊があるかもしれない。上半身は服すら着ていないのだから。

 

 

「――ああ、自覚はしていたんですね」

 

 そう言って、しまったという顔になる。事実だからあまり気にはしないが、しばらく前にもこんなやり取りがあった気がする。

 

「……まあ、今日はそれを何とかしたいから来たんだ」

 

 格好を変えたらどうなるというわけでもないかもしれないが、こういった反応がごく自然に返ってくる辺り、意味はあるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 怒らせてしまったかもしれない、そう思ったのだが、案外大丈夫だったようだ。むしろ、そっぽを向くという仕草が子供っぽいとすら感じる。とりあえずは、安全と思っていいのかもしれない。

 

「何か好みだとかはありますか?」

 

 まず最初に聞かないといけないことを尋ねる。上半身裸な上に、奇妙な刺青で歩き回っているような相手だ。好みというものが全く想像がつかない。もし新しい刺青を、なんて言われても困る。

 

「……あえて言うならシンプルなもの、か。普通に見えるようになりさえすれば十分だ」

 

 ただ、淡々と言ってくる。注文も漠然としていてあまり参考にならない。まあ、これ以上怪しくなりようもないのだから、分かりやすいと言えば分かりやすいのかもしれないが。

 

「拘りがないようでしたら、私が行くような店でも構いませんか? あまり貴族向けといった店ではないので、それでもよろしければですが……」

 

 貴族達が好んでいくような店には行かない。わざわざ貴族に会いたいなどとは思わない。……たまにはそんな格好をしてみたいと思うこともあるけれど、今の私にそんな余裕なんてない。

 

「構わない」

 

 そう答えるだけだ。

 

 こうなった以上、道すがらできるだけ情報を聞き出したいと思ったのだが、この調子では会話を続けるのも苦労しそうだ。まあ、こんな相手から話を聞き出すなんて事も今まで散々やってきた。何とかしてみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここには良く来るんですが、……いかがですか? 貴族の方は利用しませんが、デザインも評判でこの辺りでは男女を問わず人気があるんですよ」

 

 連れて来たのは自分も良く利用する場所だ。10人も入ればちょっと窮屈に感じるような小さくまとまった店だが、その分手に取りやすく工夫したディスプレイや外観に工夫を凝らしていて、一見しただけでもセンスの良さが分かる。流石に貴族向けに比べれば質で劣るが、デザインとしては悪くはない。むしろ、私はこちらの方が好きだ。店の雰囲気も、貴族向けのように入る人間を選ぶということはなく、開放的で好ましい。

 

「いい店だと思う。デザインも嫌いじゃないな」

 

 言葉にはあまり表れてはいないが、本当にそう思ってくれているようだ。店の様子を見渡しながらも、頷いている。

 

 店自体に対しては割と気に入ってくれたようで案内はうまくいったようだが、話を聞きだすということではあまり芳しいとは言えなかった。まずは今までどこで何をしていたのかを聞き出そうとしたのだが、それに対して随分と口が重かった。当たり障りのないことからと思ったのだが、失敗だったようだ。おかげで他の事を聞くのも難しくなってしまった。

 

 とはいえ、それでも分かったことはいくつかあった。何かを引きずっているのか少し暗い所があるが、誠実ではあるらしい。聞かれたくなければ無視すればいいようなものだが、聞いたことにはきちんと答えようとしてくれる。話してくれるのが一番いいのだが、私を含めて、誰にだって言いたくない事はある。そうである以上は仕方がない。

 

 それと、わがままな貴族のお譲ちゃんの相手ができるだけあって、かなり受身でもあるようだ。男としては物足りないが、うまくいけば利用できるかもしれない。それが分かっただけでも十分な収穫だろう。

 

「……貴族と何かあったのか?」

 

 いきなりそんなことを聞いてくる。

 

「どういうことですか?」

 

 意味が分からずに、思わず聞き返してしまう。

 

「……いや、貴族のことを口にするときに嫌っているように聞こえただけだ。まあ、単純にそれだけということでもなさそうだったが」

 

 表情を見ると、ハッタリといったといったところはない。真っ直ぐにこちらを見つめている。

 

 騙しやすいと思ったけれども、案外鋭いのかもしれない。こちらが探っていたように、向こうも似たようなことを考えていたようだ。そうであるならば、下手にごまかすわけにもいかない。

 

「……そう、ですね。私にも色々、あったんです。詳しいことは、貴方が言いたくないことがあるように、私も言いたくありませんが」

 

 わざわざ口に出したくはない。たとえ聞かれたとしても、そこは譲れない。

 

「……そうか。変なことを聞いて悪かった」

 

 そう言うと一足先に店に入っていく。

 

 後姿を見送り、思わず考え込んでしまう。

 

 本当に良く分からない相手だ。鈍いと思ったのに、学院の人間が全く気付けなかったことをあっさりと見抜いたり。魔力は桁違いにあったりと、もしも戦ったなら勝てる気はしないが、なぜか話していてそう脅威も感じなくなった。言葉にはし辛いが、戦うということを嫌っているように思う。

 

 昨日の広場での話を聞く限り、必要とあらば別なのかもしれないが、それでも結局、相手には怪我すらさせなかった。どうにも戦う姿というものが思い浮かばない。

 

 ふと気付くと店の中が騒がしい。覗き見てみると、騒ぎの中心は使い魔の彼のようだ。原因は、……たぶん格好のせいだろう。ここに来るまでは話を聞き出すということであまり気にならなかったが、やはり異様だ。そういった意味では、あまり関わりたくない。

 

 

 

 

 

 

 

「なんでもいいからとにかく普通に見えるような服を」

 

 やはりこの格好は目立つようだ。一瞬店員も離れようとする素振りを見せたが、その前にこちらから声をかける。気を取り直して採寸を初めたが、首の後ろの角のことが気になるようだ。とりあえず、飾りだと押し通したが。

 

 試しにすぐに着れるものをということで、以前愛用していたようなものに近い、黒のズボンと白いシャツを着てみた。特に特徴のあるものではないが、手作りらしいそれは丁寧に仕上げてあって、悪くないと思う。あまり個性のあるものではないが、むしろ今は下手に目立つよりもその方がいい。流石に顔の刺青はどうにもならないが、まあ、今までに比べれば十分に許容範囲だ。

 

 

 

 

 

 

 

「似合っていると思いますよ」

 

 そう笑顔で言ってきたのは、さっきまではいなかったはずのロングビル、で良かったはず。タイミングを考えるに、外で待っていたんだと思う。見た目通り、抜け目がないようだ。

 

「なら、とりあえずはこれでいいか」

 

 代金を払って店を後にする。他にもいくつか買ったが、そのうちのいくつかは仕立て直す必要があるということで、後で受け取ることになった。

 

 外に出て見回してみたが、あまり視線を感じない。この程度のことで喜ぶというのもなんだが、買って良かったと思う。

 

「この辺りで宝石を細工できるような場所はないか?」

 

 ふと思いついたので、尋ねてみる。

 

 

「宝石でも持っているんですか?」

 

 幾分興味を持ったように聞き返してくる。理知的な雰囲気を装っているようだが、そういった部分の方が本質に近いのかもしれない。

 

「ああ、案内してくれたお礼と、わがままなご主人様に土産でもと思ってな。このままじゃなんだが、細工をすればそれなりのものにはなるはずだ」

 

 腰に下げた皮袋から一つ取り出して見せる。単純なカットで見栄えはあまりよくないが、質的にはそう悪いものではないはずだ。何しろ、悪魔が集めていたものなのだから。

 

「…………」

 

 手に持った宝石をじっと見つめて何も言わない。随分と真剣な様子だ。

 

「何か問題でもあるのか?」

 

「いえ、問題というか……。いいんですか、そんな高価なものを? かなり価値があるはずですよ」

 

「別に構わない。それに、宝石も美人が持っていた方が喜ぶだろう?」

 

「……意外、ですね」

 

「何がだ?」

 

 驚いたように言ってくるが、何のことだか良く分からない。

 

「いえ、何と言いますか、そんな歯の浮くようなセリフを言うようには見えなかったので……」

 

 目を閉じて考えてみる。確かに、言われてみればそんなセリフだ。昔はそんなことは口に出さなかったが、今は言い慣れているような気がする。女王様な仲魔のおかげで慣れてしまったのかもしれない。ただ、自覚すると確かに恥ずかしいことを言っているような気もしてくる。

 

「……思ったことを言っただけだ」

 

 なんとなく、顔を逸らしてしまう。

 

「……えっと、腕利きの知り合いがいる店があるんで案内しますね」

 

 そそくさと先に行ってしまう。

 

 色々と変な癖が付いてしまっているのかもしれない。気付けるかどうかは別だが、できるだけ気をつけようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 盗品を処分するのにも利用する店に来たのだが、カウンターに無造作に広げられた宝石を見て驚いた。店の主人も驚いているが、それも仕方がない。どれもこれも大きさといい質といい一級品だ。そんなものがいくつもある。貴族の宝物庫にもこれだけのものはそうないだろう。確かに傷があったりと年代を感じさせるが、それが問題にならないほどのものだ。

 

「……どれがいい?」

 

「え?」

 

 いきなり聞かれたので反応できなかった。

 

「流石に全部というわけにはいかないからな。一つ選んでくれ」

 

 並べられたもの右から左へ確かめる。実際に選ぶとなると悩んでしまう。どれもこれも素晴らしい。盗品を身につけるというわけにはいかなかったから、今までそういったものをつけたことはほとんどない。貴族からプレゼントされたことはあったが、下心が見え見えで、すぐに売り払ってしまった。どうしようかとは思うけれど、遠慮するのももったいないので、目に留まった一つを指し示す。

 

「……なら、このエメラルドをいいですか?」

 

 自分の髪と同じ色のものだ。別に、他意はない。

 

「髪の色と同じか……。確かに似合うな。じゃあこれとこれを」

 

 そう言うと店主にエメラルドともう一つを渡す。たぶん、それがご主人様へのお土産なんだろう。

 

 細工を頼んだが、流石にしばらくは時間がかかる。研磨などには魔法を使うので早いが、複雑なデザインを施すにはそれなりの時間が必要だ。繊細な宝飾品であるだけに、こればかりは魔法以外の部分こそ重要になってくる。

 

「ところで、あんな宝石どこで手に入れたんですか? そこらにあるようなものじゃありませんよ」

 

 聞かずにはいられない。確かに金を積めば手に入るかもしれないが、それにしてはそう大事にしている様子もなかった。ただ集めているといった感じにしか見えない。

 

「あれは、……もらったり、拾ったりしたものだ」

 

「もらった、ですか?」

 

 つい眉をひそめてしまう。あんなものをポンポンくれる相手なんているはずがないし、ましてや落ちているなんてありえない。

 

「……正確に言えば、力尽くで、だな。襲ってきた相手が持っていたりしたものだ」

 

 そうばつが悪そうに言う。

 

「力尽く、ですか……」

 

 思わず呆れてしまう。人のことが言えたものではないが、おとなしそうでいて、なかなかやるものだ。

 

「まあ、襲ってきたというのなら仕方がないですよね。身包み剥がされる位は自業自得ですよ」

 

「そう……だな」

 

 どこで何をしていたかということを聞いたときと同じように、口が重い。

 

 もしかして殺したんだろうか? 引きずっているように見えたのはそんなことなのかもしれない。

 

「えっと、時間がかかるみたいですけれど、これからの予定なんかはありますか?」

 

 多少無理やりという気がしなくもないが、話を変える。これ以上暗くなられたら会話にならない。それに、興味もある。

 

「別にないな。適当に街を見て回るつもりだ」

 

「……お暇でしたら、他にも街を案内しましょうか?」

 

「いいのか?」

 

 笑うとまではいかないようだが、嬉しそうだ。随分と表情の変化が分かり辛いが、しばらく話していて多少は分かるようになった。ただ、何だかぎこちない所もある。

 

「あれだけのもの頂くんですから、それくらいはさせて下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 顔はともかく、服を着たおかげで随分と目立たなくなった。といっても、知的な美人と一緒という意味では目立ってはいるようだが。まあ、そういった目立ち方なら構わない。

 

 このロングビルという女性、未だに本性は隠してはいるようだが、こういったタイプなら良くあることだ。ひたすら直情のルイズとは正反対で、少しは見習うべきだろう。まあ、それがルイズの良さなのかもしれない。自分を信じて真っ直ぐに行動できるというのは、正直うらやましいことだ。

 

 道案内では最初は城などの一般的な場所だったが、段々と裏道に入ってきた。表とは違って怪しげな商売をやっている所もちらほら見える。むしろそういった方面の方が詳しいのかもしれない。とはいえ、裏道にあるような店の方が面白い。

 

 進んでいくと色々と変わった店がある。木の根らしきものをそこらじゅうに吊り下げた、漢方薬を扱っていると思われる店、ガラクタ集めマネカタの店のような、なんだかよく分からないものばかりを扱った店。もう少し片付けないと商売にならないと思うのだが、成り立っているから不思議だ。

 

 不思議といえばもう一つある。そのなんだかよく分からない店でロングビルが何かを買っているということだ。「掘り出し物ですよ?」とのことだが、何に使うのか全く分からない。

 

 次に来たのは武器屋だ。入った店の中は薄暗く、光源はランプの灯りのみ。壁や棚には、剣や槍などが乱雑に並べられており、実用品というよりは骨董品屋といった雰囲気がある。その前に寄ったなんだかよく分からない店に比べれば片付いているが、ここも相当なものだ。

 

「そういえば武器はどうしているんですか? 青銅のゴーレムを剣で真っ二つにしたと聞いているんですが、錬金で作ったわけではなさそうだとか……」

 

 思いついたように尋ねてくるが、何と答えたものか。授業で聞いた内容からすると、錬金は金属を作るもののようだが、あれは違う。魔力から剣を作るという意味では同じだが、金属といった形をとらずにそのまま魔力を剣の形にしている。むしろ力技といえるだろう。

 

「あれは似ているといえば似ているが、違う。魔力をそのまま剣の形にしただけだ」

 

「……よく分かりませんが、なんだか凄そうですね。先住魔法を使うとかいう話も聞いたんですが、それがそうなんですか?」

 

 探りを入れにきたのか、随分と執拗に聞いてくる。まあ、いつまでも正体不明というわけにもいかない。全てを伝えるというのは逆効果だが、ある程度は話しておくのもいいかもしれない。

 

「あれは、魔法というよりは技だな。先住魔法というのがそういうものなのかもしれないが、俺がいた世界ではそんな言い方はしなかった」

 

「……いた世界というのはどういうことですか?」

 

 予想外の所に疑問を持ったようで、尋ねてくる。

 

「そのままの意味だろう? 呼び出される前にいた世界だ」

 

「ここからは遠い場所ということですか?」

 

 いまいちかみ合わない。どちらかというと、別世界というよりも、中世、古代の頃の、どこかにあると認識されていた新大陸のように感じているらしい。狙って呼び出したわけではないのかもしれないが、呼び出したからにはある程度は分かっていてもいいようなものだが。

 

「言葉通り別世界だ。異世界と言えば分かりやすいか? こことは全く違う、とまでは言わないが、それでもかなり違いはあるな」

 

「…………」

 

 手を顎に当てて考え込んでいる。まあ、中世レベルなら今自分達がいる世界すら分からない事だらけだ。いきなり言われても想像がつかないのかもしれない。そもそも、どこまで世界の理解がすすんでいるのか。星は球体、いや、魔法があるような世界なら、案外象の上に世界が乗っているという構造であっても別におかしくはない。

 

「あなたはサモンサーヴァントの呪文で呼び出されたんですよね?」

 

 考えがまとまったのかそう尋ねてくる。

 

「呼び出す呪文がそれなら、そうだな」

 

「あれはこの世界の生き物を使い魔として呼び出す呪文です。だから、異世界というのがあるかどうかは分かりませんが、もしあるとしても呼び出せないはずです」

 

 そう断言する。言うとおりならそうなのかもしれないが、ただ……

 

「ルイズならできるんじゃないのか?」

 

 ルイズなら人と違うことができてもおかしくないように思う。

 

「どうして彼女なら、なんですか? 失礼ですが、彼女は落ちこぼれとかいう話で……」

 

 どうにも納得できないようで、隠す様子もなく眉を顰めている。

 

「魔法使い、メイジか。それぞれには得意な属性があるんだろう?」

 

 暇つぶしに聞いていた授業でそんなことを言っていた。彼女は小さく頷く。

 

「ルイズの属性というのは虚無とか言うものじゃないのか?」

 

 ルイズが教室を爆破した呪文、あんなことは他の人間にはできないとかいう話だ。暴発のようなものだったが、確かに万能魔法に似たものを感じた。他の属性とは明らかに違う以上、あれが虚無とかいう伝説のものなのかもしれない。伝説になるぐらいなら他と違うことができても不思議はないはずだ。

 

「……どうしてそう思うんですか?」

 

 いきなり伝説と呼ばれるものを話しに出されても、納得し難いようだ。

 

「そうたいした理由はないな。ルイズが起こした爆発が他の四つの属性とは違うようだから、もしかしたらと思っただけだ」

 

「それだけ、ですか?」

 

「それだけ、だな。そもそも、虚無がどんなものかも知らないんだ。単なる想像でしかない」

 

 困ったように黙り込んでしまう。といっても本当に予想でしかない。どうしてと聞かれても、他に言いようがない。ただ、属性として万能魔法のようなものがない以上、そうであってもおかしくはないとは思うが。

 

「それより、ここでは何も探さないのか?」

 

 話題を変えるという意味もあったが、気になったので聞いてみる。他の店でも、彼女いわく掘り出し物を探していた。武器なんかを使うようには見えないが、案内ついでにここにも何かを探しに来たのかもしれない。

 

「ええ、まあ。あなたは、……武器なんて必要ありませんよね。しばらく待っていただけますか?」

 

「構わない。俺は適当に店の中を見ているから、気にするな」

 

 そう言って店の中を見渡してみるが、色々なものが乱雑に並んでいる。剣、盾、槍と分けるでもなく置いてある。中には刃が欠けてしまっていて、売り物にすら見えないものもある。

 

「ん?」

 

 特に目を引くということはなかったが、一つだけ気になるものがあった。他の剣に比べてもボロボロだが、魔力だかを感じる剣がある。思わず手にとって見る。鞘から刀身を引き抜くと、見た目にたがわず、刃にも錆が浮いている。

 

「オメー、使い手か」

 

「喋るのか」

 

 まさか剣が喋るとは思わなかった。良く見ると、柄の一部がカタカタと動いている。ここが口の代わりなんだろう。なるほど、喋ることができるなら魔力を感じてもおかしくはない。

 

「インテリジェンスソードですね」

 

 ロングビルが後ろに来て、肩越しに剣を見ている。

 

「もういいのか?」

 

「ええ。今、興味があるのはその剣ですね」

 

「これか? こんなものをどうするんだ?」

 

 手にある剣を見てみるが別に欲しいとは思わない。確かに珍しいのかもしれないが、それだけだ。武器としてみれば見た目に反して頑丈そうだが、女性が欲しがるものではない。

 

「確かにオメーには必要ないだろうけどよ。もう少しこう……」

 

 剣が何か文句を言っているようだが無視する。

 

「ええと、恥ずかしいんですが……。私、魔具を集めるのが趣味なんです」

 

 頬に手を当てながらそう言う。

 

「別の店で買っていたものもそうなのか?」

 

 言いながら剣を渡すが、他のものを含めて、なんで集めたがるのか良く分からないものばかりだった。

 

「そうですよ。もしかして貴方も何か持っています? もしよろしければ見せていただけたらなー、なんて……」

 

 手を胸の前で組んで、上目遣いに見てくる。

 

「あるにはあるが、やらないぞ」

 

 おねだりをする悪魔のような目をしていたので、一応釘を刺しておく。まさかルイズのようなことはしないだろうが、念のためだ。

 

「も、もちろんです。ただ見せていただければ十分です」

 

 図星だったんだろう。今までの様子と違って慌てている。

 

 目を合わせると、気まずげに視線を泳がせる。

 

「ほ、本当ですから!」

 

「まあ、見せるぐらいならいいか」

 

 いつでも取り出せるようにポケットにいつも入れているものを一つだけ取り出す。

 

「鏡、ですか?」

 

 随分と真剣に覗き込んでいるが、流石に正体は分からないようだ。確かに見た目はコンパクト程度の鏡でしかない。裏面にはびっしりと文様が刻まれているが、俺自身、どういった意味があるのかは分からない。ただ分かるのは、それの使い道だけだ。

 

「これは魔反鏡というものだ。名前の通り、少しの間だけ魔法を反射することができる」

 

 もう物反鏡と合わせても数枚しか残っていないが、切り札の一つだ。これのおかげで何度も命拾いした。

 

「……もしそうなら、随分とすごいものですね。もしかして、貴方がいたっていう場所にはそんなものがいくつもあるんですか?」

 

「そう手に入るものじゃないな。だから、そう簡単に渡すわけにはいかない」

 

 物欲しそうにしているのでもう一度釘を刺しておく。

 

「……そうですか。残念です」

 

 本当に残念そうで、やはりどうにか手に入れるつもりだったらしい。釘を刺しておいて正解だった。恨めし気な視線がどれだけ欲しかったのかをうかがわせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分遅かったじゃない」

 

 ルイズの部屋に戻ってきたのだが、随分と険がある。遅くなったからということで食事も済ませてきたが、そこまで遅いということはないはずだ。不機嫌になるという理由が分からない。

 

「そうか?」

 

「そうよ。使い魔は主人を守るものなんだから、こんな時間まで離れているものじゃないわ」

 

 そっぽを向いて拗ねた様が相手をしてもらえなくて不貞腐れている猫のように見える。猫と同じで、放って置かれたのが気に入らないのかもしれない。言うと怒るかもしれないが、見た目通りの仕草で可愛いらしい。

 

「土産もあるからそう怒らないでくれ」

 

 機嫌を直してもらおうと、土産のことを口にする。

 

「……何? 物でつる気なの?」

 

「む」

 

 良く考えたら、何でも物で解決するというのは褒められたものではない。すっかり物や金で解決するという癖が付いていたが、これも直さないといけないかもしれない。

 

「ま、まあ、せっかく買って来たって言うんなら受け取ってあげなくもないわ。……何?」

 

「…………」

 

 確か、千晶が子供の頃もこんな感じだった気がする。別に構わないが、良くないと思う。ルイズの今までの言動を見る限り、ツンデレと呼ばれるタイプなんだろう。ツンデレというのは流行っているのかもしれないが、いつまでもそのままというのは、正直相手をする側としては疲れるときがある。結婚などでは苦労しそうだ。もしくは、その後でか。その場合、苦労するのは相手の方かもしれないが。

 

「な、何よ?」

 

「……いや。まあ、受け取ってくれ。ルイズなら似合うはずだ」

 

 ロングビルの分と合わせてもう一つ加工を依頼していたものを差し出す。

 

「何か気になるけれど、……結構いい趣味してるじゃない。でも、真ん中の真珠なんてかなり大きいし、高かったんじゃないの?」

 

 ルイズに作ってもらったのは、中心に持っていた真珠を、その周りを蔦が絡むようなデザインの銀で覆ったバレッタだ。できるだけ可愛いというよりも、綺麗といったことを中心のデザインにしてもらったが、ルイズの整った顔なら十分に映えると思う。

 

「真珠自体は持っていたものだから気にするな。俺が持っていても仕方がないしな。それよりも気に入ってくれたか?」

 

「ま、まあまあね。あんたにしては頑張ったんじゃないの」

 

 口では素直じゃないが、気に入ってくれたようだ。にやけそうになる顔を無理やり抑えている。もう少し素直になっていいと思うが、その分全身で表現するからチャラといった所だろう。尻尾があったらパタパタと振っていたかもしれない。

 

「気に入ってくれたようで良かった」

 

 こちらもそう喜んでくれると贈った甲斐もあると、嬉しくなる。それでも照れているのか誤魔化そうとするが、可愛いものだ。自然と笑みも浮かぶ。しばらく前まで笑うということもなかったが、ルイズのおかげで笑えるようになってきたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「使い手ってのが何かは思い出したかい?」

 

 自室へ戻り、手に入れた剣に話しかける。傍から見ればちょっとまぬけかもしれないが。

 

「忘れた。昔過ぎて思い出せね」

 

「……はぁ」

 

 つい、ため息が出る。

 

 この剣は何か知っているかもと思ってわざわざ買ったのだが、期待はずれもいいところだ。それなりの値段ではあったので学院長のエロジジイに引き取らせるつもりだが、何だか損した気分になる。

 

「……まあ、こんなものを貰ったんだから、よしとするべきなのかね」

 

 指に絡ませた鎖がかすかに音を立てる。

 

 貰ったエメラルドはネックレスにしてもらった。せっかくの大粒のものということでカットだけに工夫をして宝石自体には最低限の装飾を、チェーンも銀の鎖で繋いだだけのシンプルなものだ。それでも、ものがものなので相当の品になっている。これだけでも十分な収穫だといえる。しかも、盗んだわけでもなくただでもらったというんだから大したものだ。それに、使い魔の彼が面白そうな魔具を持っているということも分かった。手に入れられるかは別だが、興味はある。

 

 高く掲げてみたエメラルドを月にかざす。月の光を柔らかな緑光にかえて反射する。

 

「売ればそれなりのお金にはなるけれど……。ま、せっかく下心無しのプレゼントだ。大事にするとしますかね」



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第5話 Take the Lead

「外で食べているんですか?」
 
 親しげに、そうロングビルが声をかけてきた。彼女がかすかに顔を傾けた拍子に、胸元に下げられたエメラルドが陽光を淡く反射する。その石に負けないほどに艶やかな髪によく映えている。ふと目が合うと、にこやかに顔を綻ばせた。気に入ってくれたのなら、贈った甲斐もある。


「食堂の方は堅苦しくて性に合わないからな」

 

 全てが品格というものを重視した食堂とは幾分趣の異なる、外のカフェ席。こちらはティーブレイクといったことには使われるが、純粋な昼時であれば席にも余裕がある。

 

 ルイズは一緒に食事を摂るようにと言っていたが、堅苦しいので辞退させてもらった。代わりに食卓に有った物を少々拝借して席に運んで来ているが、もとが特権階級に対して出されているだけあって美味しい。純粋に人で会った時にもこんな手の込んだものは食べられなかったので尚更だ。それに、周りの様子の変化もその理由かもしれない。

 

 他の席にもちらほら埋まっているが、こちらに向けられる視線というものを感じない。

 

 服を着た、ただそれだけだが、広場での当事者とは気付けなくなったんだろう。人は目立った特徴の方を良く覚えているもので、その他の特徴は逆に目に入らなくなる。自分の場合は、上半身裸で刺青があるといった所。目立ちすぎるその特徴が服を着て隠れてしまったから気付かないらしい。服自体も一般的で、ほとんど目立っていない。おかげでゆっくりと食事ができる。

 

「そうですね。ああいった雰囲気だと食べていても美味しくないですよね」

 

 そう微笑みながら、丸テーブルの真向かいに座る。

 

「それで何のようだ?」

 

 昨日はなし崩しに一緒に行動したが、話しかけてくるからには何か理由があるんだろう。

 

「冷たいですね。用がないと話しかけちゃいけませんか?」

 

 そう拗ねたように言うが、実際、何かあるはずだ。

 

「本当の所はどうなんだ?」

 

「……はぁ。話が早いと言えば早いんですけれど、もう少し愛想があっても良いと思いますよ?」

 

 呆れたように眉根を寄せる。

 

「自覚はしている。ただ、性分だからな」

 

 昔はともかく、今は変わってしまった。

 

「まあ、実際の所を言うとですね、学院の人間が貴方のことを監視していたりするのは知っていますよね?」

 

 顔を上げ、そう確かめてくる。

 

「……ああ」

 

 教師以外にもいたが、素人だけあって勘のいい人間ならすぐに気付くようなものだった。

 

「気を悪くしないで下さいね。貴方のような相手が召喚されるというのは初めてだったんで、学院側としては仕方なかったんです」

 

 自分もそうだったからか、苦笑している。

 

「……分かっている」

 

 納得しているからこそ昨日までは黙っていたのだから。正体の分からない相手を警戒するというのは、むしろ自然なことだ。

 

「それで、ですね、監視というのはやっぱりしばらくは必要なんで、昨日のことを報告した時に、その役目を私が引き受けたんです」

 

「そのことを本人に言ってもいいのか?」

 

「まあ、本当は良くないんでしょうが、昨日のこともありますしね。今更です」

 

 自分でもおかしいと思っているのか、苦笑する。

 

「そうか」

 

 まあ、裏でこそこそと探られるよりはその方が良い。

 

「それにですね……」

 

「何だ?」

 

「貴方に、個人的に興味があるんです」

 

 そう言いながら、上目遣いに見つめてくる。普段のクールな雰囲気とは違い、熱っぽい眼差し。男であれば、誰だって魅力的に感じるだろう。俺も、見つめ返す。

 

「そんなに魔具が欲しいのか?」

 

「はい。それはもちろ……」

 

 言いながら気付いたのか、動きを止める。

 

 まあ、そういうことだろう。昨日は随分と興味を持っていたようだった。いきなり惚れるといったことがない以上、大体の予想は付く。色仕掛けのつもりだったのだろうが、生憎と慣れている。流石に何度もそれで死に掛ければ、嫌でも慣れる。痛い目を見て、ようやく学習するというのが男の悲しい性ではあるが。

 

「……えーと、その……」

 

 言い訳が思いつかないのか、右へ左へと目を泳がせる。

 

「諦めろ。少なくとも、色仕掛けには慣れている」

 

「……はい」

 

 大きく溜息をついてうなだれる。

 

「とりあえずは監視に付くことになったということか。まあ、できるだけ問題は起こさないようにするから、そのことについては安心してくれ」

 

 広場でのことはつい頭に血が上ってしまったが、もうそんなことはしない。

 

「……あの」

 

 叱られた子供のように小さな声。

 

「何だ?」

 

「……説得力はないかもしれませんが、貴方自信にも興味があるというのは本当なんですよ? ……確かに、魔具にというのも大きいんですが……」

 

 言いながら俯いてしまい、最後は消え入りそうな声になっている。

 

「……別に気にしてはいない。まあ、渡すわけにはいかないが、昨日も言ったように見せる分には構わない。とりあえずはそれで我慢してくれ」

 

「本当ですか! ありがとうございます」

 

 随分と嬉しそうだ。魔具が好きということ自体は、本当なんだろう。そうであるならば、駄目だと言う理由もない。嘘は見抜けても、結局は、あまり強く出れない。こんなだから利用されてたんだろう、ついそんなことを考えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご主人様との食事を断っておいて何デレデレしてんのよ。だいたい使い魔はご主人様に付き従うものでしょうが!!」

 

 食堂の窓から外の席を覗き、ご主人様であるルイズは随分と不機嫌そうだ。真っ赤な顔は、私の髪よりも赤いかもしれない。

 

「そうなの?」

 

 試しに自分も覗いてみるが、そうは見えない。そもそも表情が変わっているのかも良く分からない。時々私の使い魔であるサラマンダーのフレイムを通して見ていることもあるけれど、未だにはっきりと感情を表している所を見たことはない。顔は悪くないし、強いんだけれど、そういったところが何となく物足りない。

 

「……ご主人様より胸の大きい女と一緒なんて認めないわ」

 

 ルイズが吐き捨てるように言葉を加える。

 

 結局、それが本音か。ざっと食堂の中を見渡してみるが、並、並、小、大、並、小でルイズが無、と。

 

「……無茶言っちゃ駄目よ」

 

 正直、ルイズが勝てるのってタバサぐらいじゃないかしら? それも、ごくごくわずかな差だろう。

 

「駄目ったら、駄目なの!!」

 

 おもちゃを取られた子供のように声を荒げる。実際この子にとってはそんな心境なんだろう。子供を見るようで微笑ましいといえば微笑ましいが、彼にとっては大変かもしれない。まあ、彼も困った妹を見るような感じだったし、案外楽しんでいるのかもしれないけれど。

 

「いいじゃないのそれくらい。ちゃんと言うことは聞いてくれているんでしょう?」

 

「……それは、そうだけど」

 

 ふてくされたようにそっぽを向く。本当に子供のようで微笑ましい。もしかしたら、彼もこんな心境なのかもしれない。

 

「それだけでもいいじゃないの。言うこと聞いてくれるだけでもすごいのよ。なんで従ってくれるのかも分からないぐらいなのに」

 

 本当にそうだ。いきなり成体のドラゴンが使い魔になってくれるようなものだろう。もしかしたら、それ以上なのかもしれない。

 

「……そんなにあいつすごいの?」

 

 ルイズの顔からは信じられないといった思いがありありと見て取れる。

 

「ギーシュに勝ったじゃない」

 

「たかがギーシュじゃないの」

 

 即答だ。確かにその通りなのだが。

 

「……例えが悪かったわね。でも、本当にすごいのよ?」

 

 どうやって勝ったのかを言えばいいのかもしれないけれど、魔法まで使えるなんていったら、立ち直れないかしらね。

 

「……まあ、あいつがどうあれ、使い魔としてしっかりしてれば別にいいんだけれど」

 

 そう口を尖らせる。でも、実際彼のことをどう思っているのかしら? 子供の独占欲みたいなものかしらね。

 

「彼は一応あなたの使い魔よね?」

 

「何であいつといい、『一応』なんてつけるのよ!!」

 

 再び声を荒げる。本当にコロコロと表情を変える子だ。すっかりすれている私ではそんなに素直な感情表現はできない。それはこの子の悪いところでもあるけれど、良いところでもある。

 

「細かいことには気にしないの。で、彼のことはどう思っているの?」

 

 何だかんだで気にしてくれているし、少しぐらい特別に思っていたっておかしくないはずよね。

 

「……別に。ただの使い魔よ」

 

 さっきまでとは違って、少しだけ考え込む。

 

「それだけ? ……詰まらないわね。でも、ま、それなら好きなことしてたっていいじゃない。ちゃんと言うことは聞いてくれるんでしょう? それだけでも感謝しなきゃ」

 

「ぁ、う――ぅ……。それは、そうだけど……」

 

 納得がいかないのか、口を尖らせる。ま、自分でも良く分からないって所かしらね。そういうことも、この子には必要でしょうね。恋心か独占欲か、どうあれ、そうやって、女の子は女になるんだから。ああ、少しおばさんっぽいかなぁ。

 

「もう、何で笑っているのよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズはどうしているかと部屋に様子を見に来たのだが、随分とご機嫌斜めのようだ。いかにも私は不機嫌ですといった目で睨みつけてくる。

 

「どうかしたのか?」

 

「別にどうもしないわよ。それより……、あんた、ミス・ロングビルと何話してたのよ? というか、いつ仲良くなったのよ?」

 

「ただ単に俺の見張りだとさ。それと、仲良くというよりも、俺が持っているものに興味があるんだろう」

 

 実際そんなものだ。

 

「……持っているもの?」

 

 不思議そうに首を傾げる。何となく小動物を思わせる。

 

「最初にお前が没収したようなものだ」

 

「……全部出しなさい。それで問題ないでしょう?」

 

 さあ、とばかりに手を突き出してくる。

 

「そうわがままは言うな。子供……じゃないんだからな」

 

 なんとなくルイズの体を見て、つい言葉が止まってしまった。

 

「……どこを見て止まったのよ」

 

 さすがに気付いたのか、感情を押し殺した声だ。やはり年の割に幼い外見というのはコンプレックスなんだろう。ふわふわと柔らかそうな桃色の髪に、コロコロと表情を変える豊かな感情、華奢な体つきというのは女の子ととして可愛らしいが、本人がそれを望むかといえば別の話だ。

 

 ――これは、下手に誤魔化さない方がいいのかもしれないな。どうせ聞きはしないんだろうから。

 

「……いや、小さいのが好きというのは案外多い。顔立ちといい、そういった人間には喜ばれるはずだ。――ああ、可愛げはもう少しあったほうがいいかもしれないな。ツンデレとか言うのが流行っているらしいが、実際問題、見て好きになるというのは……」

 

 できる限り角の立たないよう言葉を選ぶ。ただ、選んでは見たが、これは駄目かもしれないとは薄々感じてはいる。

 

 無表情にルイズが立ち上がり、目の前まで来ると両腕でぐいぐいと体重をかけて押してくる。なんとなく、されるがまま後ろへ下がる。ドアの側まで押すと扉を開けて更に押し出し、ただ一言。

 

「あんた今日は食事抜き。出て行きなさい」

 

 一息に言うと、力任せに扉を閉めた。

 

「……困ったものだ」

 

 見た目通り中身も子供だ。まあ、言葉はともかく、励ましたつもりだったんだが。

 

「また追い出されたの? ……たしか、前もなかったかしら」

 

 廊下を挟んだ反対の部屋から扉を開けて、キュルケが声をかけてくる。胸元が透けて見えるような薄い服、部屋ではそういった恰好が普通であるようだ。相変わらずルイズとは口げんかをしているのを見かけるが、ルイズはともかく彼女はからかっているだけ。他の生徒とは少し壁があるルイズには大切な友人だ。

 

「ルイズは子供だからな。まあ、それが可愛くもある」

 

 ぴったりと、しっかり鍵までかけられた扉を振り返る。

 

「……随分心が広いのね。嫌にならないの? 普通は怒るわよ」

 

 呆れたように呟く。

 

「まあ、何だかんだで妹が欲しかったからか。もう少しぐらいは可愛げが有ってもいいのかもしれないがな」

 

 つい苦笑してしまう。たしかにキュルケが言う通り、昔なら多少は腹を立てたりしていたかもしれない。だが、今はむしろ微笑ましいというのが大きい。

 

「追い出されちゃったんなら外に行かない? 私もあなたとはゆっくりと話してみたかったのよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何であいつはあんなに生意気なのよ! 強いんだかなんだか知らないけれど、よりにもよってご主人様のむ、胸を見て子供だなんて!! しかも何! その手の相手には好かれる!? 喧嘩売ってるの!?」

 

 そう一息に言って自分の胸に目をやる。

 

「…………むぅ」

 

 胸に手を伸ばして触れてみるが、私の理想の姿である姉にあるような感触は返ってこない。

 

「……ちょっとは、……あるもん。……いつかはちぃ姉さまみたいに大きくなるんだから」

 

 ふと、ドアがノックされた。

 

「……誰!?」

 

 さっきのは聞かれていないだろうか? つい焦ったように答えてしまう。

 

「私です。学院長の秘書のロングビルです」

 

 確かにこの声はそうだ。でも何の用だろうか。断る理由もないので、さっき閉めた鍵を外して、扉を開く。

 

「お忙しい所をすみません。今、お時間はよろしいでしょうか? 学院長がお呼びなのですが……」

 

 丁寧に一礼して言う。

 

「……どういったご用件でしょうか?」

 

 緊張する。呼び出されるということは何かを壊すたびにあったが、この前教室を壊したときにはなかった。そのことかもしれない。他の生徒に比べてはるかになれているとは、それでも緊張しないわけではない。そもそも、それを開き直れるようでは貴族として、人としてお仕舞であるから。

 

「……ええと、あなたの使い魔の彼のことなんですが」

 

 言いにくそうに言う。

 

 あいつについて、心当たりがないでもない。もしかしたら決闘騒ぎのことかもしれない。見ていないから詳しいことは知らないが、確か決闘は禁止されていたはずだ。

 

「……あいつは今いませんが」

 

 つい声が硬くなる。

 

「ああ、彼はいなくても問題ありません。むしろいない時を見て来たんですから」

 

 こちらの緊張を解くためなのか、努めて明るくしているのが分かる。

 

「どういうことですか?」

 

 決闘騒ぎのことならあいつがいた方がいいはずだが。

 

「……そうですね。詳しいことは学院長室で話しますから、来ていただけますか?」

 

 少し困ったように答える。

 

「……はい」

 

 本当に何なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わざわざ休みの日に呼び出してすまんの。別に君がどうこうというわけではないから安心して欲しい。といってもこの雰囲気ではそれも無理かの」

 

 少しおどけたようにして言うが、学院長が見渡した先はいつもと少しばかり様子が違う。他の先生方がいるというのは今までなかった。いても、怪我させた先生がいることぐらい。今回は学院のほとんどの先生がいるように思う。

 

「……いえ」

 

 本当にどういうことなんだろう。オールドオスマンにはいつもの軽い雰囲気といったものはないし、部屋にいる他の先生方もどこか張り詰めた空気がある。

 

「まあ、今回呼んだ理由を単刀直入に言うとじゃな、君の使い魔についてなんじゃ」

 

「……あいつが何か?」

 

 ここまで大事にするようなことは思いつかない。決闘についてなら他の先生まで集める必要はないはずだ。

 

「……そうじゃな。君は彼についてどの程度知っておるかね?」

 

 あまり見たことのない真面目な表情のままだ。

 

「…………名前だけ、ですね。」

 

 言われて気付く。何も知らない。そもそもあいつは何者なのだろうか。ギーシュに勝ったという話を聞いたとき、所詮ギーシュだからそんなこともあるだろうと納得したのだが、そんなことがあるのか。あいつが魔法を使っているというところは見たことがないから変わった亜人とでも思っていたが、エルフは別として、そこらの亜人が貴族に勝てるのか。召喚ができたという喜びで忘れていたが、最初にあいつを見た時のコルベール先生の様子もおかしかった。

 

「ならば、君から見て彼はどう見える? 怖いとか危険だとかは思うかね?」

 

 少しだけ、いつものようなおどけた様子を見せる。

 

「……別に。少し頼りないとしか。」

 

 自分にとっての印象はそんなものだ。少なくとも、自分が見る限りはそうだ。

 

「……そうじゃな。例えば、君はもっとも強い生物は何だと思う?」

 

 少し考えるような仕草をしてから、そんなことを尋ねてくる。

 

「……えっと、……ドラゴン、でしょうか?」

 

 質問の意図は掴めないが思いつくままに答える。ゼロと呼ばれる自分であるが、ドラゴンのような使い魔を呼び出せることをずっと夢見てきた。

 

「まあ、それがこの世界の常識じゃな。しかしな、おそらく、彼はそのドラゴンですらたやすく上回るじゃろう。……エルフですら勝てんかもしれん。」

 

「……え?」

 

 つい驚きがそのまま口をつく。とてもそんな風には見えない。ましてやメイジにとって天敵と言えるエルフになど。

 

「驚くのも無理はない。が、たぶん間違いないじゃろう。生徒達によると先住魔法を使ったという話もあるしの」

 

 信じられない。が、表情を伺ってもいつものような冗談を言うような雰囲気はなく、とてもからかっているようには見えない。

 

「まあ、実際の所良く分からんのじゃよ。人型に角という特徴から、東方に伝わる『オニ』と呼ばれる亜人かと思っておったのじゃが、ミス・ロングビルの話によると異世界から来たとかいう話での」

 

「……異世界、ですか?」

 

 思わず眉をひそめてしまう。何で異世界などという言葉が出てくるのかが分からない。

 

「こちらとしても良く分からんことばかりじゃ。そんな状態で君に知らせるというのもどうかと思っておったのじゃが、いつまでも知らぬままというわけにもいかんからな」

 

「……そうですか」

 

 いきなりそんなことを言われても頭が追いつかない。

 

「それと、じゃ」

 

「……何でしょう?」

 

「彼については分からん事ばかりでの、こちらでも調べては見るが、君も何か分かったら知らせて欲しいんじゃ。頼めるかの?」

 

「そういうことでしたら、分かりました。……あ」

 

 一つ、思い出すことがあった。

 

「どうかしたかの?」

 

「あいつが持っていた薬を貰っていたんです。それを調べれば何か分かるかも……」

 

「ふむ。見せてもらえるかね?」

 

「分かりました。今から取ってきます」

 

 そう言って部屋を後にする。たしか、もらったのはいいけれどそのままにしていたはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……彼女自身のことについては言わないんですか?」

 

 周りに控えていた教師達の一人がようやく口を開く。おそらく、他の教師達も思っていることだろう。

 

「彼がそう言ったとしても、まだ単なる推測でしかないからの。それは確信を持ててからでいいじゃろう。ただし、このことは学院外には他言無用じゃ。良いな?」

 

 教師達を見回し、そう念を押す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……見つけた」

 

 薬を持って行った後、あいつがどこにいるかと探していたのだが、まさか今度はキュルケなんかとカフェにいるとは思わなかった。体が勝手に走っていた。

 

「ちょっと! 何、キュルケなんかと一緒にいるのよ。そんなに胸の大きな女が好きなの!?」

 

 思わず声も荒くなってしまう。

 

「いや、関係ないだろう。胸のことを気にしすぎだ」

 

 何でこいつはどんなときでも冷静なんだろう。でも、今は何よりも聞かないといけないことがある。

 

「それよりも、あんた魔法が使えるの!?」

 

 バンッとテーブルに手を叩きつける。それなのにこいつときたら、

 

「……言ってなかったか?」

 

 淡々とした答えだ。

 

「聞いてないわよ!! なんでご主人様を差し置いて魔法が使えるのよ!?」

 

 さらに言葉が荒くなる。周りから視線が集まっているが、そんなことは気にしていられない。

 

「お前も使えるじゃないか」

 

 持っていたカップをテーブルに置くと、こちらを向いてそう言ってくる。

 

「……何をよ?」

 

 魔法なんか、見せた覚えはない。

 

「爆発」

 

「喧嘩売ってるの!?」

 

 思わずまた手を叩きつけてしまう。キュルケは呆れたように見ているが、今はそんなことは気にしていられない。

 

「いや、あれはちゃんとした魔法だ。……といっても暴発に近いみたいだけれどな」

 

「……何を言っているのよ?」

 

 言っていることの意味が良く分からない。

 

「……そうだな。まず、お前の属性が虚無とかいうものじゃないのか?」

 

 少し考えるような仕草をしていたが、そうこちらに対して確かめるように言ってくる。

 

「そんなわけないでしょう。虚無は伝説のもので……」

 

 私の魔法の失敗が人とは違うといっても、まさかそんなことがあるとは思えない。だって、私は魔法を成功させたことがないのだから。召喚だって、結局何回も失敗したし、こいつを呼んだ時だって、結局爆発していた。

 

「まあ、虚無がどういったものかも分からないからな。……とりあえず、使い方を分かっていないようだから、見せたほうが早いか」

 

 何かを思いついたように、立ち上がる。

 

「……どこに行くのよ」

 

「とりあえず、誰にも迷惑をかけないような広い場所はないか?」

 

 顔をこちらに向け、そんなことを言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここならわざわざ誰も来ないけれど……」

 

 辺りは見渡す限り草原が広がっている。つい先日召喚を行った場所だ。何もない場所で、もし大型の使い魔が召喚されてもいいようにと毎年この場所が使われている。見晴もよくて、もし誰かが近付いてきてもすぐに分かるから何をしても危険ということはないはずだ。でも、一つ納得がいかないことがある。

 

「何でキュルケまで付いて来るのよ。あんたには関係ないでしょうが! それに、ミス・ロングビルまで!」

 

「何でって、面白そうだからに決まっているじゃないの」

 

 何を当たり前のことをといった様子だ。

 

「私は一応は見張り役ということになっていますし、来ないわけにはいきません」

 

 胸に手を当てそう述べる。確かにキュルケはともかく、こちらには納得できる。キュルケは結局帰らないだろうし、ミス・ロングビルは仕方ないか。結局、溜息をついて私が折れる。

 

「……うー。……まあ、いいわ。で? ここで何をするのよ?」

 

 人気のない場所をと、ここに来る原因になったシキの方に目を向ける。

 

「来る前に言った通りだ。ルイズは魔力の使い方が分かっていないせいで安定していないみたいだからな。実際に見せてみようと思っただけだ」

 

「どういうことよ?」

 

 さっきもそうだったが、言っている事の意味が良く分からない。自分の魔法は失敗して爆発しているだけで、そんなにどうこう言うものではないはずだ。

 

「まあ、見てから考えればいい。それと、念のため後ろに下がっておいた方がいいかもしれない」

 

 こちらに対してそう言うと、距離を取るように前へ歩いていく。

 

「……分かったわよ」

 

 見せるというのなら見てから言えばいい。何をするのかは分からないが、まずは見てからだ。魔法を使うのなら、どんなものなのか見ておきたいと思っていたから丁度いい。

 

「良く見ておけ」

 

 そう言うと手を前に掲げる。

 

 思わず目を見開いた。

 

 でも、それも仕方がないと思う。ディテクトマジックなんかを使わなくてもすぐに分かる。あいつの周りにありえないくらいの魔力が集まっている。他の二人も似たような様子だ。

 

「――メギド――」

 

 そう呟くと手を向けた先の地面に、自然ではありえない紫の光が集まっていく。激しく輝く光を中心に周りをはっきりと目に見える魔力が渦巻いているのが分かる。あんなものは見たことがない。そもそも、あれだけの魔力は人に扱えるものじゃない。呆然とその様子を見ていたのだが、不意にその光が中心に集まって、一気に弾ける。

 

 

「な、何!?」

 

 思わず目を覆ってしまう。他の二人も口々に何かを言っている。

 

 

「……う、うそ……」

 

 本当に驚いたようなロングビルの声が聞こえる。私も恐る恐る目を開いてみる。

 

「…………」

 

 思わず息を呑む。

 

 光が弾けたところを中心に、何人もの人が入れそうな大きなクレーターがある。

 

 あんなものはありえない。確かにファイヤーボールなんかで地面を吹き飛ばしたりといったことはできる。ただ、それはあくまで吹き飛ばすだけ。周りに土砂だって吹き飛ぶ。

 

 だが、あれは違う。光があったところを中心にスプーンでえぐり取ったように綺麗に消滅している。それなのにクレーターの周りの草は焼け焦げてすらいない。一体どういう現象なのか、想像も付かない。

 

「どうだ?」

 

 なんでもないことのようにシキが振り返る。

 

「何なのよ!? 今のは!?」

 

 思わず叫んでしまう。

 

「何って、お前が使えそうな魔法だ。何か感じなかったのか?」

 

「……少しはそんな気も。じゃなくて、威力が全然違うし、そもそも先住魔法じゃない!! 使えるわけないでしょうが!!」

 

 確かに何となくだが似ているような気はした。でも、それとこれとは別だ。あんなことができるとは思えない。

 

「練習でもすれば使えるんじゃないか?」

 

 それなのにあいつは、気軽に言ってくる。

 

「先住魔法は人間には使えないの!!」

 

 そんな様子につい怒鳴り返してしまう。

 

「……まあ、どういうことなのかは良く分からないが、やってみたらどうだ? 何だかんだで系統的には似ているはずだ。それに、ルイズ、ここに来る前に言ったように、お前のは暴発に近いはずだ」

 

「……どういう意味よ?」

 

 失敗ならば分かるが、暴発というのは分からない。

 

「勉強して覚えたものじゃないから伝えるのは難しいが、お前のは形になる前に爆発しているんじゃないのか? 作るべき形がイメージできれば少しは形になるかもしれないと思ったんだが……」

 

 今度は少しばかり困ったような様子だ。

 

 でも、確かに言っていることは分かる。メイジが使う魔法は、イメージが重要だ。自分の起こしたい現象を強くイメージし、それを魔力で形にする。魔法の前提になるのがそのイメージだ。まったく別の魔法、虚無の魔法など、確かに私はイメージできない。そもそもどんな魔法なのか、本当の意味で知っている人間などいないのだから。

 

「……やってみる」

 

 もし言う通りなら、やってみる価値はある。ああいった形の魔法ということなら、もしかしたら私にもできるかもしれない。似ていると感じたことも、少し気になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきのはすごかったですね。あんなのは初めて見ました」

 

 そうロングビルが言ってくる。興味津々と言った様子だ。

 

「ええ、火の属性かとも思ったけれど、あんなことはできないわ」

 

 キュルケが続ける。こちらも似たような様子だ。

 

「あれは万能魔法と呼ばれるものだ。まあ、原理が分かって使っているわけじゃないから全てが分かるわけじゃないが、虚無とかいうものに近いんじゃないかと思う」

 

 今はロングビルが魔法で椅子とテーブルを作ってくれたので、そこでルイズの起こす爆発を見ている。こちらとしては、そんな便利な魔法の方がすごいと思う。錬金ということらしいが、本当に便利なものだ。そこらの地面を材料に家具を作り出して見せるのだから。

 

 しばらくそこで話をしながら皆でルイズの起こす爆発を眺めている。不謹慎かもしれないが、見ていてなかなか面白い。そこかしこで爆発が起きているが、たまにルイズも巻き込まれている。怪我をするようであれば止めるが、ルイズ自身には影響がないということで安心して見ていられる。たまに吹き飛ばされてはいるが、ルイズの運動神経はなかなかに良いようで、きちんと受け身もとれている。たぶん、問題ないはずだ。

 

「……できないじゃないの」

 

 何度目かも分からない爆発のあと、よろよろと起き上がったルイズが泣きそうな顔で訴えてきた。

 

「随分、ぼろぼろになったわね」

 

 キュルケが言うが、本当にそうだ。全身が煤だらけだし、スカートなんかは半分なくなっていてひどい有様だ。それでも怪我をしていないあたりは流石だが。

 

「具体的に教えるということはできないからな。まあ、手っ取り早く使えるようになりそうな方法もあるにはあるが……」

 

 確かにあるが、とてもお勧めはできない。

 

「あるなら先に教えなさいよ!!」

 

 噛みつきそうなほどに怒り出す。いや、ルイズの体を押さえている腕に本当に噛みついてきた。他の二人も興味があるようで乗り出してくる。

 

「……副作用みたいなものがある」

 

 まあ、どちらかと言うと魔法が使えるようになるというのが副作用なのかもしれないが。ルイズを宥めながら説明する。

 

「いいわよ、ちょっとぐらいなら。で、どんな副作用があるって言うのよ」

 

 急かしてくるが、本当にお勧めできない。と、ようやくルイズが口を離した。服は、噛みつかれた部分が食いちぎられている。この服、どうしようか。

 

「たとえば、印みたいなものが体に表れる」

 

「どういうことよ?」

 

 眉をひそめる。ルイズ以外の二人も同じような表情だ。

 

「まあ、分かりやすく言うとだ。俺みたいになる。頭に角が生えたりとかな」

 

 それを聞いて俺を見ると、即座に返事が返ってきた。

 

「却下よ。他にはないの?」

 

 そう断言する。他の二人からも口々に「……それはちょっと」といった言葉がもれる。……まあ、分かってはいたが。

 

「なら、地道に練習するしかないな。――ああ、そうだ。実際に戦ってみるというのもあるな。なんなら俺が相手をしてもいい」

 

 戦いというのは集中力を高めたりといったことには良い経験になる。少なくとも、何かのきっかけぐらいにはなる。なにしろ、自分がそうだったのだから。

 

 俺を悪魔の姿に変えたマガタマ。それを取り込むことで悪魔の力を得たが、ただそれだけで魔法が使えるようになったというわけじゃない。マガタマは悪魔の力の結晶。それはもとになった悪魔の魔力や経験、知識の一部ではある。だが、それを取り込んだからといって、すぐさまそれが自分自身の一部になるのかといえば違う。あくまでそのままでは借りものでしかない。戦いの中で、それが本当の意味で自分のものになっていった。

 

「……ルイズじゃ無理よ」

 

 キュルケが言うが、それにはロングビルも同意してくる。もちろんルイズは反発してくるが。

 

「まあ、そうだが……別に怪我をさせるつもりはないからな。きちんと手加減はする」

 

 あくまで練習相手としてのつもりだ。それでも、実際に戦いの中で使ってみることで分かることもあるはずだ。

 

「……なら私達も加わるというのは? それくらいしないと形にすらならないでしょう?」

 

 横からキュルケが身を乗り出す。

 

「私『達』って、私もですか?」

 

 ロングビルが驚いたように尋ねるが、キュルケはもちろんと頷く。

 

「三対一ぐらいが妥当か……」

 

 いくら手加減するにしても、それ位が丁度いいのかもしれない。ルイズ一人を相手にただ的になるというのはあまり意味があるようには思えない。

 

「なら……」

 

 ロングビルが思いついたように口にする。

 

「なんだ?」

 

「勝ったら賞品があるというのはどうでしょう?」

 

 上目遣いに見てくる。言いたいことは、まあ、大体分かった。

 

「賞品って?」

 

 キュルケも興味を持ったようだ。

 

 それを見て、ロングビルが胸元のネックレスに指を絡める。

 

「これシキさんに貰ったんです」

 

 キュルケが楽しげに目を細める。

 

「……素敵ね」

 

 キュルケも同じように上目遣いに見てくる。……なぜかルイズは睨みつけてくるが。

 

「……まあ、構わない。そうだな、俺に攻撃を当てられたら勝ち、できなかったら俺の勝ちでどうだ?」

 

 ルイズにはいい経験になる。それくらいはいいだろう。

 

「……随分余裕ね。でも、まあ、自信過剰ってわけでもないのよねぇ。それと、私達だけに賞品があるというのもなんだし、あなたが勝ったら私達を一晩好きにしていいというのはいかがかしら?」

 

 そう意味ありげに流し目を送ってくる。

 

「ちょっと、何勝手なこと言ってるのよ!?」

 

 慌ててルイズが反発する。

 

「……ルイズはいいわ」

 

 そう言うとキュルケはこちらに目を向けてくるが、ノーコメントということにしておこう。

 

「……私も、それで構いません」

 

 意外なことにロングビルが乗ってくる。

 

「無理しなくてもいいんですよ? 私が言い出したことですし」

 

 そうキュルケが言うが、威勢の良い返事が返ってくる。

 

「いえ、女は度胸ですから。それくらいのリスクはあって当然です」

 

 そう誇らしげに言うが、正直、リスク扱いというのは、言われる側としては微妙なものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……準備は良いか?」

 

 彼は特に構えるといったこともなく、自然体で立っている。隙があるといえばそうであるようにも思うが、ただ魔法を放っても、あっさり回避しそうなイメージがある。それと、破れたら困るということで、最初の頃と同じように上着は脱いでしまっている。一部破れていたが、そこは許容範囲としたらしい。

 

 それはそれとして、良く良く見てみると、細身ではあるが随分と鍛え込まれた体だ。魅せる体ではなく、戦うための体。そう考えると意味の分からない刺青も、戦いの為の装飾に見えてくる。

 

「ミス・ロングビル。打ち合わせ通りでいいかしら?」

 

 そうツェルプストーが言ってくる。彼女も私も、メイジのランクとしてはトライアングルとこの学院の中でもそれなりの実力者ではある。ただ、難を言うのなら荒事の経験が少ないというところか。私は多少慣れているといえばそうなのだが、正面を切ってという経験は、考えてみると少ない。

 

「……ええ」

 

 ひとまず、せっかく多対一ということで役割を分担した。私が土系統いうことで、主に足止めを。ツェルプストーは火の本分ということでその後の攻撃だ。

 

 もう一人にはあまり期待していない。……そもそもの目的である彼女を鍛えるという目的とずれてしまっているかもしれないが、こんなチャンスはなかなかない。普通に勝つのは無理でも、当てるだけならどうとでもしてみせる。当然彼女は不服なようだが、最初は見てみることも大切だと二人で何とか説得した。

 

「ルイズは後ろに」

 

 ツェルプストーの言葉に不服そうながらおとなしく従う。

 

「……まずは様子見」

 

 そう言うとファイヤーボールを放つ。普通の人間が当たればただでは済まないだろうが、その心配はないだろう。だから遠慮なく行くということになっている。私はその間にゴーレムを作る。足止めということで、とにかく数を。

 

 そしてそのファイヤーボールだが、あさっての方向へと消える。

 

「……分かっていたけれど、あっさり避けるわね。当たる気がしないわ……」

 

 そうツェルプストーが呟くが、全くだ。ほんの少し、体を半歩横にずらすだけであっさり回避する。私がどう足止めするかが勝負になる。

 

「……私が足止めしますから、なんとか当ててください。一分はもってみせます」

 

 そう言って、作ったゴーレムを前に進ませる。造形は気にしなかったので人型をしているというだけだが、整然と並んだ様は一個大隊の兵士を思わせる。頑丈さなどというものより機敏さを重視したので、その動きは非常にスムーズだ。人が動くのとそう大差はないだろう。そのまま彼を囲ませるが、攻撃には移らない。

 

 とにかく動きを封じることが目的だ。先に壊されたらどうしようかと思っていたのだが、そこまでは待ってくれるようだ。別に馬鹿にされているような気はしないが、なんとか一矢ぐらいは報いたい。

 

「了解」

 

 そう言うと呪文の詠唱に移る。

 

 それを合図としたのか、一体のゴーレムが、もとの土くれへと戻る。

 

 準備ができたと判断したのか、彼の拳が一番手近にいたゴーレムをあっさりと砕いた。あっさりしすぎて、少々反応に困る。土で作ったとはいえ、あんなに簡単に砕けるものではない。少なくとも強度としては岩に近いはずだ。

 

「……やっぱり15秒ぐらいで」

 

 ひとまず15体作ったので、一体一秒計算だ。できる限り補充はするが、あまりもちそうにない。

 

「もうちょっと頑張って下さい!!」

 

 詠唱を中断して言ってくるが、文句は彼に言って欲しい。

 

「とにかく攻撃を! ゴーレムは補充しますが、このままだとすぐに尽きてしまいます!」

 

 話している間にも彼が触れるそばからどんどん潰されていく。補充が追いつかない。

 

「……分かっています」

 

 そういうと目の前に炎の塊を作り出す。普通のファイヤーボールよりも小ぶりだが、数が三つある。とにかく当てるという目的なら良い選択だ。

 

「行きなさい」

 

 言葉とともに炎が向かう。わずかにタイミングをずらしたそれは、全てを視認するということすら困難。私であれば避けるということは諦めて岩の壁でも作り出す。もちろん見てからでは間に合わないから、あらかじめ準備をしておいてだ。

 

 流石に彼も無視するわけにはいかないということで、そちらに注意を向け、避け、もしくは素手で叩き落す。なんとも出鱈目な体だが、今はそんなことは気にしていられない。とにかくその間にとゴーレムを補充する。その間もツェルプストーは攻撃し続ける。誘導したり、フェイントを掛けたりはしているが、向こうの方がそういったことにも上手な様だ。決定打にはならない。

 

「なんとか動きを止めます。その時に当ててください」

 

 攻撃が加わったことで、ゴーレムが壊されるスピードが落ちた。ほんの少しだが余裕ができる。ゴーレムを操りながらということで大したことはできないが、体勢を崩すぐらいならできる。ほんの少しだけ意識をそちらに向ける。彼が意図した場所にさえ来てくれれば。――ここだ。

 

「……ぐっ……」

 

 彼が少しだけ足を取られる。

 

 ほんの少しの邪魔、例えば、彼の拳が当たる瞬間に足元のゴーレムの残骸を泥にしたり。離れた場所のものをすぐに変化させるということはできないが、もとが自分の魔力が通ったものならできる。倒れるとまではいかなかったが、体勢は崩した。

 

「今です!!」

 

 思わずツェルプストーの方に叫ぶ。

 

「もちろん」

 

 言われずとも分かっていたのか、攻撃の準備はできている。今度は小さな火の玉ではなく、ファイヤーボールだ。普通のものよりは大きく、そして早い。今はゴーレムを潰そうと手を伸ばしていたので手は使えない。バランスも崩しているので避けられない。これなら当たる!

 

 それが彼の目の前に迫った時、なぜか大きく息を吸い込んでいた。なぜ、と思う間もなく、炎に向かって青白い、何かのブレスを吐きかけるのが見えた。炎は形も残さずかき消え、それは周りのゴーレムにも向けられた。それに触れたゴーレムは皆動きを止める。動かそうとしても、関節部分が固まってしまって、ギシギシと嫌な反応だけが返ってくる。それなりに数が残っていたゴーレムだが、それでみな動けなくなってしまう。なぜか肌寒い。どうやら、さっきのは冷気のブレス、皆、氷ついてしまったようだ。

 

「……口からって、ありですか」

 

 思わずそんな言葉がもれる。いくらなんでも口からというのは、正直予想外だ。ツェルプストーの方も唖然としているようで、動けないでいる。

 

 

 

 

 

 

 今のは流石に危ないと思った。泥に変えてしまうのも錬金というものなのかもしれないが、使い方、タイミングともにうまかったと思う。だが、二人だけで頑張ってもらっても仕方がない。だから、当たっても良いかと一瞬迷ったが、少しだけ意地悪い真似をする。今回の目的はルイズに実戦を経験させることだから。二人から目を離し、ルイズに視線を向ける。目が合い、少し悩んだようだが、細長い指揮棒のような杖を構え、前に出てくる。

 

 ――それでいい。とにかく向かって来い。

 

 

 

 

 

 

 

 彼の側で爆発が起きる。流石に目の前でいきなり爆発が起これば反応できないのか、避けようとした様子はなかった。

 

「何しているのよ!! とにかく攻撃でしょう!!」

 

 そうヴァリエールが言ってくる。いつの間にか前に出てきて彼に杖を向けている。その間にも爆発を起こしているようだが、命中精度が低いのか、なかなか思ったようにはいかないようだ。

 

「彼女の援護を!!」

 

 思わず叫ぶ。普通の魔法では当たらない。当てるなら予備動作のない彼女の魔法だ。ツェルプストーもすぐに理解したのか、行動に移る。最初と同じ小さな炎の玉だ。それを使って一箇所に誘導しようとしている。私も負けてはいられない。もう一度ゴーレムを使ってとにかく動きを止めるために歩かせる。

 

「ミス・ヴァリエールはとにかく数を打ってください。何とか一箇所に留めます!」

 

 下手な鉄砲も数を打てば当たるはず。たった一発、それが当たれば勝ちだ。

 

「分かったわ!」

 

 彼女も理解したのか、とにかく魔法を放つ。全く関係ないところで爆発が起きたり、ゴーレムが巻き込まれていたりしているが、そんなことは気にしていられない。とにかく数だ。彼もそれには対処できないのか少しばかり焦っているようだ。下手な鉄砲の話通り、足元で爆発が起きる。

 

 

 ただし、『私達』の足元で

 

「「「え"っ?」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………大丈夫か?」

 

 上から顔を覗き込んでいた彼が、心配そうに声を掛けてくる。

 

「………怪我は、ないみたいです」

 

 上半身を起こして自分の体を見てみるが、確かに怪我はない。ツェルプストーもヴァリエールも同様なようだ。

 

 

「………まあ、惜しかったな。最初のバランスを崩す所はうまかったし、爆発の使い方も良かった。ただ、運が悪かった」

 

 彼はそう言うが、納得できるものではない。よりにもよって自爆など。

 

「………あの………ごめんなさい」

 

 見れば、原因であるヴァリエールが俯きながら言う。流石に普段の勝気な様子はなく、落ち込んでいるように見える。

 

「そう、気にするな。これは練習だったんだ。すぐに上達するというものでもない」

 

 彼が頭を撫でながら言う。まるで兄が妹を慰めているみたいだ。私もティファニアのことは妹のように可愛がっているから、なんとなく気持ちは分かる。

 

「賭けのことは気にしないでいいから、あまり責めないでやってくれ」

 

 彼が言う。――そんな言い方をされると何も言えなくなる。

 

「………ま、ルイズの爆発に頼った時点で運頼みだったしね。普通にやったって勝てそうもなかったし、仕方ないんじゃないの」

 

 そう髪をかき上げながら言う。何だかんだで仲がいいんだろう。庇っているのが分かる。なら、彼女も私もそれでいいということ。

 

「ま、仕方ないですよね。私達の負けです。そろそろ暗くなりますし、学院に戻りましょうか? 汗をかいちゃったんでお風呂にも入りたいですし」

 

 命のやり取りということはなかったが、それでも私は本気だった。土まみれにもなったし、服が汗で張り付いている。早くお風呂に入りたい。でも、まあ、こんなのも悪くはない。盗みに入る緊張感とはやっぱり違う。これはこれで楽しかった。

 

「そうだな」

 

 彼も賛同する。だが、良く見たら彼は全く汗をかいた様子もない。やっぱり本気で動いていたというわけでもないんだろう。実際、本気になったらどうなのか、考えると恐ろしい。まあ、それがこちらに向くというのは想像できないから、本当の意味で恐ろしなどということはないが。

 

「勝ったのはあなただし、背中ぐらい流しましょうか?」

 

 ツェルプストーがニヤリと笑いながら彼の腕に胸を押し付ける。豊かな胸が形を変える。せっかくだ。私も、乗ってみよう。

 

「私も、手伝いますよ?」

 

 反対の腕に同じよう胸を押し付ける。大きさでは勝てないが、色気では負けない。一人残されたヴァリエールが後ろでうーうー唸っているが、彼女は………頑張れとしか言えない。ティファニアとはそう年も違わないのに、この差はなんなのか。こんな所にも不平等があるなんて。まあ、ティファニアに比べれば誰の胸も貧しいのかもしれないけれど。

 

 美女二人をはべらせた彼の反応があまりないのが残念だけれど、これはこれで楽しい。いつかは彼を私の虜にして、彼から手を引かせるように。それはそれで、楽しそうだ。



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第6話 Sympathizer

 少しばかり激しい運動をこなした後、いつもに比べれば随分と早い時間ではあるが、食事を取る前に汗を流すことにした。三人が三人とも汗をかいただけではなく埃まみれになってしまったので、着替えを取ると真っ直ぐに大浴場に向かった。

 日が暮れる前、とあまり人が利用する時間ではないが、貴族のための施設なので大浴場はいつでも利用できるようにと準備されている。湯は適温に保たれ、惜しげもなく使われた香水の香りが心身ともにリラックスさせてくれる。一度に何十人と入っても手狭になることはないが、時間が時間だけあって、自分達三人だけの貸切状態だ。今は大理石でできた浴槽に、それぞれ思い思いの場所に、といっても話ができるような距離でくつろいでいる。






「汗をかいた後にというのは気持ちがいいものですね」

 

 ミスロングビルが浴槽の縁に腰掛け、足だけを湯船に浸しながら呟く。右手のタオルで胸などは隠しているが、その何気ない仕草が色気を感じさせる。上気した肌に加え、今は眼鏡もはずしており、普段とはまた違った雰囲気がある。

 

「そうですわね。本気でやったのなんか久しぶりだし、いい運動になりましたわ。……それに、あそこまで力の差があると悔しいなんて思う余地もありませんし」

 

 キュルケが苦笑する。こちらもミスロングビルと同じように浴槽に腰掛けてはいるが、仕草は反対で、隠すといった様子はない。ただ、色気を感じるという意味では違いがない。

 

 いつもと同じく、舞台での演技のようにいちいち芝居がかっているが、こいつの場合はそれが自然に見えてくる。その仕草の一つ一つが女を感じさせるもの、それでいて下品といったことがない。認めたくはないが、認めざるを得ない。

 

「ルイズ。あなたもそろそろ彼との付き合い方を考えないとね。いつまでも使い魔扱いなんかじゃ、そのうち愛想を尽かされちゃうわよ?」

 

 不意に視線をこちらに向け、からかうように言ってくる。

 

「……分かっているわよ」

 

 二人とは異なり、体を深く湯船につけたまま。言葉とともに表情も曇っていることは自分でも分かる。

 

 そんなこと、言われなくても自分が一番良く分かっている。ゼロの自分とあいつじゃ全然釣り合っていないことぐらい。強い使い魔さえ呼べれば誰も私のことを馬鹿になんかしなくなると思っていたけれど、私自身がゼロのままじゃ、意味がない。

 

 ……それに、二人に比べて色気もないし。隠すように湯船につけている自分の体と二人を見比べてみるが、全然違う。なんで自分は魔法だけでなく胸までゼロなのか。神様なんてものがいるのなら、呪いたくなる。

 

 湯船から身を起こした拍子に、派手な飛沫が上がった。

 

「あら、もう上がっちゃうの?」

 

 後ろからキュルケの声が聞こえる。

 

「……ええ、今日は疲れちゃったし」

 

 気のない返事を残して一人で先に脱衣場に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

「……何だか元気がありませんね」

 

 ルイズに向けていた視線を戻し、ミスロングビルがこちらに声をかけてくる。若干心配しているような響きもある。

 

「まあ、自分とじゃ釣り合わないとか思っているんじゃないかしら?」

 

 ルイズとは学院に入学してすぐからの付き合いだ。何となく、考えることも分かる。いつものルイズならどんな時でも前向きに努力するものだけれど、今回ばかりはそういうわけにもいかないのかもしれない。

 

「そんなことを考えても仕方がないでしょうに……」

 

 呆れたように言うが、全く持ってその通りだ。釣り合いそうな相手といったら始祖ブリミルぐらいのものだろう。でもまあ、そんな風に考えられるのもあの子らしさなのかもしれない。普通ならどうにかしようなんて考えることもないのだから。

 

「多分、大丈夫ですよ。今までゼロと馬鹿にされながらも何だかんだで頑張ってきた子ですし。案外、彼の言うとおりに虚無にでも目覚めるかもしれませんよ?」

 

 もう姿は見えないが、ルイズが出て行った方向に視線を流す。

 

 いつもからかってばかりだったけれども、ルイズの失敗してもめげない姿勢は気に入っている。本人には言えないけれども、尊敬すらしているのかもしれない。自分がもしルイズと同じ立場だったら、多分諦めていた。もしあの子が本当に力に目覚めることがあったら素直に祝福してあげたい。

 

 ま、それまではついからかっちゃうかもしれないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事もそこそこに部屋へと戻ってきたが、何となく落ち着かない。部屋の様子はいつもと何の違いもない。いつものようにシキが部屋を整え、私はベッドの上に腰掛けているだけ。それなのに落ち着かない。

 

 今日のことで、シキがどれだけすごいのか分かった。私にはどれだけ不釣合いなのかも十分すぎるほどに良く分かった。それなのに、こいつは何も文句を言わない。文句を言うどころか、今まで押し付けていた雑用をいつも通り黙々とこなしている。

 

 こんな雑用のような真似だって、させるべきじゃないということも分かっている。でも、何も言えない。さっきから何度もそう言おうとしているけれど、言葉が出ない。今までの関係を変える様なことを言ったら、シキはいなくなってしまいそうで怖い。今もまた、口にしかけた言葉を飲み込んで、思わず俯いてしまった。

 

「ルイズ」

 

「な、何?」

 

 急に声をかけられて、思わずどもってしまった。考えていることが分かってしまったのかと不安になる。

 

「着替えだ」

 

 それだけ言うと、いつものように手渡してくる。

 

「……ありがとう」

 

 手を伸ばして受け取るが、何となく目を逸らしてしまう。

 

「さっきからどうしたんだ? 何か言いたいことでもあるんじゃないのか?」

 

 少しだけ間をおいて、そう声をかけてきた。うぬぼれじゃなければ、心配しているような響きも感じる。

 

「……別に」

 

 そっけなく返してしまう。どうして素直に言えないのか。

 

 こんな時に自分の性格が恨めしくなる。せっかく聞いてくれているんだから素直に言えばいいというのは分かっているの。なのに、それができない。シキもしばらくは待っていたけれど、短く、そうかとだけ言うといつものように部屋から出て行った。

 

 ゆっくりと閉じられるドアを追う。

 

 私が寝づらいと最初に言ってからずっと寝るまでの何時間かはそうしてくれているみたいだけれど、何でそこまでしてくれているんだろう。私には何の才能もないし、何もしてあげられていない。それどころか、外でというのは流石に止めにしたとはいえ、未だに床に寝させたりしているのに。

 

「……何で、私なんかの使い魔になってくれたんだろう」

 

 思わず口からこぼれる。聞いてみたい。でも、そんなこと怖くて聞けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究室をかねた部屋の扉を叩く。本来ならもうとっくに日の落ちた時間であって人などいるはずもないのだが、この部屋の使用者に限ってはそんな心配はない。教師と言うよりは学者と言った方がしっくりくるタイプであり、学院長に調べるのを任された以上に、自分の興味でヴァリエールの持ってきた薬を調べているはずだ。

 

 

「……どなたですかー?」

 

 間を置いて、返事が聞こえる。少し声が遠いが、多分調べる手を休めずに返事をしているんだろう。

 

「学院長の秘書のロングビルです」

 

「す、すぐに開けます」

 

 ばたばたとした足音が扉まで近づいてきて、ガチャリと金属の擦れる音がした。

 

「こんな時間にすみません。……ご迷惑ではなかったでしょうか?」

 

 最後は上目遣いに、本当に申し訳ないといった様子を相手に見せる。

 

「そ、そんなことはありません。あなたならいつでも歓迎します」

 

 そう一気にまくし立てる。

 

 出てきた男は、お世辞にも二枚目と言えるようなものではない。年の頃はまだ30そこそこのはずだがそうは見えないし、今着ている白衣もよれよれと言った有様。まあ、言ってしまえば冴えない男と言った所。男としての興味はないが、私に惚れているようなので利用させてもらう。

 

「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」

 

 営業用の笑顔を向ける。使い魔の彼には通じないかもしれないが、女っ気のない相手にはこれでも十分。これだけでも、既に表情を崩してしまっている。何を言ったって大抵のことは聞いてくれるだろう。

 

「ミス・ヴァリエールから預かった薬について興味があるんですが、とりあえずのことでいいので、分かったことについて教えていただけませんか?」

 

 今度もまた上目遣いに言ってみる。こういった相手は教えて欲しい、と言われることに弱い。案の定すぐに乗ってくる。

 

「もちろん構いませんとも。ささ、立ち話もなんですから中へどうぞ」

 

 そう言ってくるが、それは流石に遠慮したい。あとあとの面倒は避けたいものだ。

 

「いえ、研究の邪魔をしてはいけませんし、そんなにお時間は取らせませんので……」

 

 できるだけやんわりと断る。

 

「そうですか……」

 

 一瞬残念そうな顔をしたが、すぐに言葉を続ける。

 

「……まあ、そんなに言えるような事もありませんしな。恥ずかしながら、実際の所良く分からんのですよ。すぐに結果が出るようなものは試しましたが、そもそも水の秘薬なのかも良く分からないと言った有様で。少し時間をかけて調べてみるつもりですが、それで分からなかったらお手上げ。どうしても知りたければ王立研究所にでも持っていかねばならんでしょうな」

 

 苦笑して頭をかきながらそう言ってくる。

 

「そうですか……」

 

 小首をかしげ、考えるような仕草を見せる。

 

 まあ、少し残念だが、何も分からないのならそれはそれで構わない。それだけ大層なものだということなのだから。ただ、王立研究所に持っていかれるというのは困る。盗めないということはないが、流石に後が面倒だ。彼から盗むのが無理だと分かった以上、これはぜひとも手に入れたい。

 

 といっても、今の時点で盗むなんてことをすれば犯人を絞られてしまうので下手なことはできないが。

 

「……でしたら、何か分かったら教えていただけませんか? そんなにすごいものでしたら私も個人的に興味がありますし」

 

 今はこれだけ言っておけば十分だろう。チャンスならいくらでもある。

 

「もちろんですとも。何か分かったら真っ先に知らせますから」

 

 そう笑顔で言ってくる。

 

 私も笑顔で返す。とりあえず、今日のところはこれでいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暖かい。目を開けると、カーテンからうっすらと漏れる太陽の光が顔にかかっていた。

 

「……朝か」

 

 警戒のためにいつのまにか癖になっていた、すぐに動ける座ったまま寝る体勢から体を起こす。この体になってからは別に寝なくともどうと言うことはないが、やはりゆっくり眠ると気分が良いものだ。加えて、昨日は久しぶりに体を動かしたので良く眠れた。殺しあうというのは好きになれないが、純粋に闘うといったことは嫌いではないのかもしれない。

 

 部屋の中を見渡し、ルイズのほうに視線を向けるが、まだ眠っているようだ。

 

「……起こすにはまだ早いな」

 

 改めて窓の外に目を向けるが、早朝といっても良い様な時間だ。いつものようにしばらくは外を散歩していればいいだろう。そうのんびりと過ごすのも嫌いではない。ルイズを起こさないようにできるだけ足音を立てないよう扉に向かう。

 

 ドアノブに触れ、鍵を開ける。

 

 「……どこに行くの」

 

 後ろから声をかけられる。いつもならこの程度の音では目を覚まさないのだが、今日は起こしてしまったようだ。もう少し注意した方がいいのかもしれない。

 

「まだ起こすには早いからな。外で散歩でもしていようかと思っただけだ」

 

 右手で扉を押さえながら振り返る。

 

「……そう」

 

 ベッドの上で上半身だけを起こし、少し考え込むようにしている。表情も、何となく冴えない。

 

 昨日からルイズは元気がない。何かを言いたそうにもしているが、聞いても答えようとしない。何とかするべきだとは思うのだが、こういったことはやはり苦手だ。表情を読んだりといったことできても、その後どうすべきかということまではなかなか思いつかない。人に頼ってばかりというのはどうかと思うが、またキュルケに頼んでみるのも良いのかもしれない。

 

「起こしておいて言うのもなんだが、まだ起きるには早いだろう。後でまた来るからのんびりしていたらどうだ?」

 

「……そうね」

 

 返事にもいまいち覇気がない。

 

「……昨日からどうしたんだ?」

 

 どうにも気になる。ほんの数日の付き合いとはいえ、人となりは分かる。やはりルイズらしくない。

 

「…………」

 

 聞いてはみたが、なかなか顔を上げない。

 

「……俺に言い辛いのならキュルケにでも言ってみれば良い。なんだかんだで助けになってくれるはずだ」

 

 ルイズの顔を見ながらしばらくは待ってみたが、言い辛いというのなら仕方がない。

 

「また後でな」

 

 そう言い残して部屋を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから部屋に戻って来たが、元気がないのは変わらない。着替えの準備をしている間もこちらの様子を伺っていたが、結局何も言ってくることはなかった。

 

「外に出ているからな」

 

 いつものように着替えを渡すと部屋の外に出た。

 

 

「――あら、おはよう」

 

 廊下にはキュルケがいて、声をかけてくる。ルイズの事を聞くには丁度いいのかもしれない。

 

「おはよう。……聞きたいことがあるんだが、いいか?」

 

「何?」

 

 軽い調子で返してくる。

 

「昨日からルイズが元気がないんだが、何か知らないか?」

 

「あー……、やっぱり?」

 

 渋い表情になる。知っているのかもしれない。もしくは原因か。

 

「何か言ったのか?」

 

「まあ、言ったというか何と言うか……」

 

 言い辛いのか、少し考え込んでいたがすぐに続ける。

 

「私が言ったのは『いつまでも使い魔扱いじゃ愛想を尽かされちゃうわよ』ってことだけなんだけれど……」

 

「それがどうかしたのか?」

 

 思わず眉をひそめる。そんなことは今更だ。別に気にしていない。その様子からか、更にキュルケが続ける。

 

「あなた、昨日どれだけ自分に力があるかを見せたでしょう?」

 

 それに対して小さく頷く。確かにルイズに見せたのは初めてだ。そのせいか、今までは全く強いとも思っていなかったようだが。

 

「それで、多分なんだけれど、あの子、自分とあなたが釣り合っていないとか思っちゃったんじゃないかしら? ただでさえ魔法が使えないことを気にしているのに、あなたは見たこともないような魔法をあっさり使っちゃうんだもの。自分には過ぎた使い魔だとか思っているのかもしれないわ」

 

「そうか……。しかし、そんなことを考えても仕方がないだろう」

 

 ルイズは何だかんだでプライドが高い。そういうことを気にするということもあるのかもしれない。普段は努力するといった形でいい方向に働いているが、そればかりは努力でどうにかなるものでもない。力といった意味で俺を従えるということは、人間には不可能だ。そもそも、そんな相手に従うつもりはないのだから。

 

「そうなんだけれど……。いつもなら努力してどうにかしようとする子なんだけれど、あなた相手じゃねぇ。そこがあの子の良い所なのに」

 

 苦笑しながら言う。やはりルイズの一番の理解者はキュルケということだろう。

 

「そうだな。俺もそんなところが気に入っている。まあ、難しいな。言ってどうにかなるものでもない」

 

 なんだかんだで同じ考えだということに、つい苦笑してしまう。ルイズの長所が裏目に出ている訳だからなんともしがたい。

 

 後ろから、扉が開く気配があった。

 

 着替え終わったらしいルイズが顔を出してくる。

 

「キュルケもいたの。――私は先に行ってるわ」

 

 そう言うと、脇を抜けてすたすたと歩いていく。

 

「……本当に元気がないわね」

 

 ルイズの後姿を見ながらそう呟く。

 

 

「ああ。……もっと元気な方がらしいんだが」

 

 一人で行かせるわけにもいかないので追いかける。大丈夫だとは思うが、もしこのままなら何とかしないといけないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人で何を話していたんだろう。もしかして昨日言っていたことをあいつに話していたり……。

 

 頭を振ってそんな考えを追い出す。昨日からつい思考が悪い方に流れてしまうけれど、そんなんじゃ、私らしくない。

 

 

「……本当、私らしくないわね」

 

 魔法が使えないぐらい今更じゃない。使い魔はメイジの実力を表す。あいつが特別なら私にだって何かあるはずだ。あいつの言ったことを信じるわけじゃないけれど、放課後に虚無について調べてみよう。今までがゼロだったんだから、駄目でもともとだ。くよくよするのはやるべきことをやってからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なかなか見つからないものね」

 

 疲れもあるのか、自然とため息が出る。張り切っていた分、尚更。

 

 放課後、一人で図書館に来て調べているのだが、なかなか思うようなものが見つからない。もちろん始祖ブリミルについて書かれた本は沢山ある。今まで自分の系統を探すために散々読んだ本にも始祖ブリミルについての記述はあった。だが、肝心の虚無の魔法について書かれた本は見当たらない。たまに記述があっても、万能の力といった抽象的な記述ぐらいだ。あいつの使った魔法が虚無だったら私の属性も虚無といっていいのかもしれないけれど、これではそれすらも分からない。

 

「何を探しているの?」

 

 後ろからいきなり声をかけられる。あまり感情の込められていないその声には聞き覚えがある。

 

 振り向くと、立っていたのは青い髪の少女だ。私も年齢的にはかなり小柄な方だが、この子は更に小柄だ。加えて、無表情でまるで人形のようにも見えるその様子が余計に幼く見せる。あまり面識はないが、たまにキュルケと一緒にいるのを見かけたことがあった。対照的だったせいか印象に残っている。

 

 たしか、……名前はタバサといったはずだ。今までここで勉強しているときにも見かけていたが、今日もいたんだろう。しかし、声をかけてくるとは思わなかった。むしろ人とできるだけ関わりたくないように感じていたのだが。

 

「……虚無の魔法について書かれた本を探しているんだけれど、具体的な記述がある本が見つからないのよ」

 

 隠すことでもないので、素直に答える。

 

 それを聞いて何やら考え込んでいたようだが、すぐに一言「手伝う」と言ってきた。

 

「……どうして?」

 

 いきなりそんなことを言ってくる理由が分からない。

 

「……私も興味があるから」

 

 そうぽつりと言うと、踵を返してフライの魔法を唱えると、浮かび上がって私の背丈よりも上の本棚へと近づいていく。

 

「よく、分からない子ね。確かにフライが使えるのなら助かるけれど……」

 

 高い所にある本は探すのに苦労するので、正直ありがたい。ただ、そんな初歩の魔法すら使えない自分が情けなくもあるけれど……。

 

 

 

 

 

 

 

「これ」

 

 そう言うと、私の前に何冊かの本を並べていく。

 

「あ、ありがとう」

 

「別に構わない。私はこれを読んでみる」

 

 そう無表情に言うと、手に持った別の本と一緒に、空いている席にすたすたと歩いていく。

 

 本当に、良く分からない子だ。感情が伺えないから何を考えているのか良く分からないし、そもそも何で手伝ってくれるのかも良く分からない。

 

「ね、ねえ」

 

 声をかけてみる。

 

「……何?」

 

 本を読む手はそのままに、視線だけをこちらに向けてくる。

 

「何で手伝ってくれるの?」

 

 それぐらいは聞いておかないといけない。

 

「興味があるから」

 

 さっきと同じ答えが返ってくる。だが、それだけではないはずだ。なんとなくだが、それだけで声をかけてくるとは思えない。

 

「それだけじゃないでしょう?」

 

「…………」

 

 こちらを見ながら考え込んでいたようだが、しばらくして口を開く。

 

「……あなたの使い魔にも興味がある」

 

 少しばかり目を逸らしながら言ってくる。

 

「あいつの何に?」

 

 どうして興味を持つのだろうか。あまり意識していなかったが、恐れている人間はいても、キュルケやミスロングビル以外には特に接点を持っている相手はいなかったはずだ。……もしかしたら知らないだけなのかもしれないけれど。

 

「…………」

 

 私をじっと見つめて何やら考えているようだが、何かを納得したのか、言葉を続ける。

 

「彼は見たこともないような魔法を使っていた。何か普通の人間が知らないことを知っているかもしれない」

 

 淡々と言う。が、それがどうしたんだろうか。続きを促す。

 

「……色々あって、先住魔法の毒の解毒法を探している。彼がそういったことを知らないか聞いてみたかった」

 

 何やら言い辛そうにしていたが、そう言葉を続ける。

 

「……どうかしら? そういえばどんな傷でも治るとかいう薬を持っていたし、そんなものも持っているかもしれないけれど……、どうしたの?」

 

 見てみると随分と驚いたような表情をしている。さっきまでの無表情とは随分と違って、ああ、こんな表情もできたんだと、妙な感想を持ってしまう。

 

「その薬について教えて欲しい」

 

 鬼気迫るといった表情で私の肩をつかんでくる。まさかそんなに感情を表すようなことをするとは思わなかった。思わず後ずさってしまう。

 

「え、ええと……。その薬が本当にそんなものなのかは分からないわよ? 実際に試したわけじゃないし……」

 

「構わない」

 

 今までとは打って変わって、その口調にも感情が現れている。

 

「昨日までは私が持っていたんだけれど……『今はどこに?』……学院長に預けたわ」

 

 言葉を遮ってまで言ってくる。もしかしたら、よっぽど大切な人がその毒とやらに侵されているのかもしれない。

 

「そう」

 

 ゆっくりと肩をつかんでいた手を離す。

 

「……そんなに必要なら、戻ってきたらあげるわよ?」

 

 私が持っているよりは、その方がいいかもしれない。

 

 見ると、一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐに深々と頭を下げる。まるで神様相手にでもするように。

 

「ありがとう。私にできることなら何でもする」

 

 本当に嬉しそうに言う。表情はぎこちない。でも、その嬉しいという感情がよく分かる。

 

 ……もしかしたら、本当は感情豊かな子だったのかもしれない。多分、その大切な人が毒とやらに侵されたせいで隠れてしまっただけで。もしそうだとしたら、私もこの子にできることをしてあげたい。一瞬薬が惜しいかとも思ったけれど、今はそんな気持ちは綺麗さっぱりなくなった。

 

 

 

 

 

 あれから数日、図書館に入り浸って探したのだが、なかなか目的のものが見つからない。タバサが手伝ってくれるおかげで随分とはかどってはいるのだが、それでもだ。こうなると学院の図書館以外の蔵書を調べるということも考える必要があるかもしれない。そうなると思いつくのは――

 

「ちょっと出かけてくるけれど、今日も付いて来てもらわなくても大丈夫だから」

 

 そうシキに言う。大丈夫なのかと念を押してくるが、問題ない。別に未開の地へ行くというわけではないのだから。

 

「タバサが風竜で送ってくれるから心配ないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりね。ちびルイズ。わざわざここにまで来るなんて、何の用?」

 

 部屋の中の椅子に足を組みながら腰掛け、肘掛に置いた手の甲を顎に当てるポーズのまま尋ねてくる。

 

 私とちい姉様とは異なる、緩くウエーブした父様譲りの金糸のような長い髪。鋭利な印象のメガネから覗く、凛とした眼差し。正に理想の貴族を体現するような高貴さがある。同じぐらい威圧感もあるのだが。

 

 ……うう。やっぱりエレオノール姉さまは苦手だ。ちい姉さまと違って、前にいるだけでプレッシャーを感じる。思わず後ずさっていた。

 

 ここは王立研究所の中にある研究室の中の一室。私の目の前にいる人物、エレオノール姉さまの仕事場ということになる。研究室といっても別に変な実験器具があるといったことはない。こちらは主にレポートをまとめたりといった、むしろ書斎といった役割の場所だ。であるから、机と、資料や文献をしまった本棚が部屋の大部分を占めている。もちろん誰でもこういった部屋が与えられるわけではなく、それだけでも姉さまの優秀さが分かる。

 

「……あの、エレオノール姉さまに相談したいことがあって」

 

 緊張しながらも口を開く。

 

「……珍しいわね。いつもならカトレアの方に行くのに。……まあ、いいわ。言ってみなさいな」

 

 考え込む仕草も優雅に、促してくる。

 

 そういえば、エレオノール姉さまに相談なんてするのは初めてかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまり、あなたの使い魔によると、あなたの属性が虚無かもしれない。だから、確かめるために虚無について知りたい。それと、そう言ったあなたの使い魔は人の姿をしていながらスクエア以上の魔力を持っていて、見たこともないような魔法を使って、しかもドラゴン並みのブレスを吐く。そちらについても調べて欲しい、そういうことね?」

 

 思わず目頭を押さえる。

 

「は、はい……」

 

 心なしか声が震えているようだ。

 

 椅子から立ち上がり、ルイズに近付くと頬を両方から引っ張る。

 

「あなた、馬鹿? というか、馬鹿よね? どうせ嘘をつくのならもう少しマシなものにしてくださるかしら?」

 

 つい、何時もよりも力が入る。この子はわざわざここにまで来て何を言っているのだろうか。

 

「いひゃい。いひゃいです。おにぇえさま――」

 

 目には既に大粒の涙を浮かべている。だが、今回ばかりは手加減できない。何時もよりも念入りに引っ張る。

 

 ……うん。久しぶりだけれど、ルイズの頬は良く伸びる。少しは気も晴れた。

 

 

 

 

「……さて、もう一度聞こうかしら。あなたはどんな使い魔を呼んだの? そもそも、呼べたのかしら?」

 

 できるだけ優しく声をかける。この子には優しく言う方が怒っているという事が良く伝わる。

 

「うう……。本当なんです。信じてください。お姉さまー」

 

 涙目で縋るように訴えかけてくる。

 

「…………」

 

 思わず考え込んでしまう。……おかしいわね。ここまで言っても謝らないなんて。こんなことは今まで一度もなかったのに。

 

「あなた……」

 

 声のトーンを少しだけ下げる。

 

「は、はい……」

 

 震えながらもきちんと向き合う。

 

「使い魔は、ちゃんと呼べたのよね?」

 

「……はい」

 

 声によどみはない。少なくとも、これに関しては嘘じゃないはず。

 

「そう……」

 

 使い魔を呼べたということなら、この子が初めて魔法を使えたということになる。虚無云々はさておいて、この子が魔法を使えたというのには興味がある。

 

 そもそも、ヴァリエール家の者が魔法を使えないということはありえない。魔法を使えるのは王家に連なる貴族のみ。その中でも、ヴァリエール家は特に濃い血の繋がりを持つ。であるならば、その血を受け継ぐはずのルイズが魔法を使えないというのはありえないはずだ。今までも何とかしてあげたいとは思っていたのだが、結局分からなかった。もしルイズが魔法を使えるようになるヒントがあるのなら、何とかしてあげたい。

 

 ――もし嘘だったなら今度こそ容赦しないけれど。

 

「まずはあなたの使い魔とやらに会ってからね。今から学園に行くわ。案内なさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼が……私の使い魔のシキです。そしてこちらが私の姉のエレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールよ。今は王立魔法研究所の研究員をなさっているわ」

 

 ルイズの紹介のもと、お互い簡単に挨拶を交わす。

 

 場所は食堂の外のカフェ席。円形テーブルに私と彼が向かい合い、その間にルイズが座っている。今はアフタヌーンティーには少々早すぎる時間なので、周りの席にも人はいない。

 

 私の目の前に座っている人物を観察する。確かに、見た目には変わった刺青のようなものがあるぐらいで人と違いはない。でも、根本的な部分で違う。こっそりディテクトマジックで探ってみたけれど、魔力が桁外れに大きい。最高純度の魔石を更に凝縮したとしてもこうはならないだろう。見た目には分からなかったが、確かにルイズの言うような存在なのかもしれない。しかし、それならば尚更ルイズの使い魔ということに納得ができない。

 

「……いきなりで不躾ですが、質問をしてよろしいかしら?」

 

 まずは、そのことについて確かめなければならない。

 

「何だ?」

 

 無視するということはなさそうだが、表情が読み取れない。何時ものように会話の主導権を握るというのは難しそうだ。

 

「あなたは本当にルイズの使い魔なのですか? ……正直に言って、あなたの方がはるかに上の存在でしょう」

 

 ルイズに一瞬視線を向けるが、目が合うとすぐに俯いてしまう。理解はしているのだろう。ルイズでは、というよりも、そもそも使い魔となるような存在ではない。

 

「……力は、そうだな。だが、ルイズは使い魔として呼び出すことができた。俺も、それで構わないと思っている」

 

 答える声に淀みはない。

 

「ルイズを、主人として認めると言うことですか?」

 

 なぜだろうか。分からない。思わず眉をひそめてしまう。

 

「ああ。ルイズのことは気に入っている。……まあ、どちらかといえば可愛い妹を心配する姉と同じ心境だな」

 

 声に若干からかうような、そんな響きがある。

 

 思わず体が跳ねて、見つめ返してしまう。ほんの少しだが、彼の表情が緩んでいる。

 

 ――からかわれた?

 

 ……うふふふふふ。上等じゃないの。私に対してそんなことする相手なんて久々よ。後で、覚えてなさいね。テーブルの下で拳を握り締める。

 

「……お姉さま、怖い……」

 

 とりあえずこっちを見ていたルイズを睨みつけて黙らせておく。そのやり取りを微笑ましそうに見ていたのが何となく気に食わないけれど、まあ、今は、いいわ。軽く咳払いする。

 

「そうですか。では、もう一つ。ルイズの属性が虚無かもしれないというのはどういうことですか?」

 

 さっきのことは置いておいて、使い魔としての契約を結んだのならとりあえずの心配はない。彼に対して使い魔のルーンの効果があるのかは別としても、何となくだがルイズに害意を持っていないのは分かる。ならば聞くべきことはもう一つ。ルイズのことだ。

 

「……それについては俺が言えることはあまりないな。ルイズの起こす爆発がもしかしたら虚無と呼ばれるものなのかもしれない、そう思っただけだ。あれは明らかに普通の魔法とは違うらしいからな。それに、俺が使う魔法と似ていた」

 

「あなたが使う魔法、ですか?」

 

 思わず眉をひそめる。そういえば、ルイズが見たこともないような魔法を使うと言っていた。どういったものなのだろうか?

 

「説明するのは、難しいな。……ルイズ、お前は見てどう思った?」

 

 ルイズへと話を振る。それにならって私もルイズに視線を向ける。

 

「どうなの?」

 

 魔法の研究者という立場柄、そういったものには興味がある。

 

 

「どうと言われても……。確かに似ているとは感じましたが、火とも、水とも、土とも、風とも違う。先住魔法であるにしても全く違う、初めて見るものでした。実際に見ないと、あれは分からないと思います」

 

 要領を得ない。先住魔法も根本的には系統魔法と近い部分がある。それから外れるような魔法と言うのは聞いたことがない。確かに、全く違うというのなら虚無という可能性もあるのかもしれないが……。

 

「なんなら、一度見せようか?」

 

 不意に声をかけてくる。

 

「……たしかに見てみたいですが、なぜそこまでしてくれるんですか?」

 

 私にまで親切にする必要はないはずだ。

 

「なぜということでもないだろう? ルイズが魔法を使えるようになるヒントを見つけてくれるかもしれないからな」

 

 さも当然とばかりの様子だ。それに誤魔化しだとかいったものは感じられない。ルイズのことを思ってくれているのは、本当なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見せてもらった魔法は確かにルイズの言う通り、他の系統とは違うもののように感じた。実際に器具を使って測定したわけではないので詳しいことは分からないが、確かに虚無と言う可能性もあるかもしれない。しかし、今はそれよりも重要な問題がある。

 

 

 

「学院長殿。お久しぶりでございます」

 

 久方ぶりにお会いした学院長に、スカートの裾を持ち上げ挨拶をする。

 

「おお。久しぶりじゃのう。ここを卒業して以来じゃから、何年ぶりかの。そろそろ結婚は……いや、なんでもない。……じゃからそう青筋をたてんでくれ。で、王立魔法研究所の研究員ともなれば忙しい身。何の用かの?」

 

 ……まあ、細かい事は、今回は置いておこう。

 

「妹が無事に使い魔を呼び出すことができたと言うことを聞きましたので、様子を見に来たのです。あの子は魔法が苦手で、こちらでも随分とご迷惑をおかけしているでしょう?」

 

 これは事実。きっと色々なものを壊しているはずだ。

 

「なに、努力するいい生徒じゃよ。まあ、ちっとばかり備品を壊したりすることも多いがの。それもまた努力した結果じゃよ」

 

 苦笑している。これに対しては私もそうせざるを得ない。

 

 その後も社交辞令的に言葉をいくつか交わすが、次からが本題だ。

 

「そういえば、そのルイズの呼び出した使い魔に会ってきました。また、変わった使い魔でしたが」

 

「そうじゃな」

 

 表情に変化はない。

 

「ですが、随分と強力な使い魔。しかし、そんな話は聞いていませんね。あれほどのものともなれば王宮に報告すべきではありませんか?」

 

 学院長に若干強い視線を向ける。

 

「あの子の為になるとは限らんからの」

 

 飄々としたものだ。

 

「王家への報告は義務では?」

 

 こちらも更に語気を強める。

 

「生徒のことを考えることの方が重要じゃよ。少なくとも、ここは学院じゃからな」

 

 嘘や、戸惑いといった様子は全くない。

 

 流石に年の功。大したものだ。こういったことには自信があるのだが、勝てる気がしない。でもまあ、これは確かめようとしなくても本心だろう。私も貼り付けていた表情を緩める。

 

「――ふふっ。試すようなことを言って申し訳ありません。やはり私も妹のことは大切ですから」

 

 思わず笑みがこぼれる。普段の行動はともかく、こういった部分では信用できる。私も素直に謝罪する。

 

「何、構わんよ」

 

「妹のこと、お願いできますか?」

 

「もちろんじゃよ。まあ、君にも手伝ってもらうかもしれんがの」

 

 学院長が笑う。いつものおちゃらけた笑い方とは違う、本当に優しい笑みだ。

 

「ええ、私もできる限りのことはさせていただきますわ」

 

 同じように返す。学院長のもとにいれば、ルイズのことは安心だろう。さて、私は私でやるべきことをやらないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、お姉さま。その荷物は?」

 

 ルイズが指差すのは私の後ろの馬車に積み込んだ荷物の山。

 

「しばらくはこっちにいようと思ってね」

 

 笑顔で答える。

 

「え、えーと、なんでそんなことに?」

 

 対してルイズは随分と慌てている。麗しいお姉さまが来るのは不満なんだろうか?

 

「あなたのためよ。感謝なさいな。まあ、研究対象としても面白いしね。ということでしばらくは毎日会えるわね」

 

 ルイズに対して飛び切りの笑顔を向ける。

 

「…………」

 

 あからさまに嫌そうに眉をひそめている。

 

 随分と失礼な子だ。またちゃんと教育してあげないと。

 

「……何かしらその嫌そうな顔は?」

 

 ルイズの側まで歩いていって柔らかな頬を引っ張り上げる。

 

 

「いひゃい。いひゃいでひゅ。おにぇーひゃまー」

 

 涙目で訴えているけれど止めてあげない。うん。やっぱりルイズの頬を引っ張るのはいいわね。

 

 ふと、ルイズの後ろの方では使い魔の彼がかすかに笑っているけれど、ルイズと一緒の時は割と良く笑うみたいね。

 

 ――使い魔の儀式ではお互いの利害が一致して初めて呼び出されるとか。彼が応じたのは、何でなのかしらね。



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第7話 Teacher

「昨日は準備で時間が取れませんでしたが、あなたが使っていた魔法について詳しく教えていただけませんか?」

 ルイズの部屋を訪れ、出てきた相手へ挨拶もそこそこに用件を切り出した。


 学院に来た昨日も話を聞いてみたいとは思っていたのだが、流石に部屋の準備といったこともあり時間が取れなかった。朝早くから、というのは褒められたものではないが、やはり私は根っからの探求者なんだろう。興味を持った以上、確かめずにはいられない。





「俺は別に構わないが。場所は――ここでか?」

 

 ルイズの代わりに応答に出てきた彼が、ドアの奥、視線で部屋の中を示す。

 

 この様子を見る限り、使い魔としての働きはきちんとやっているということだろう。まあ、こういったことは使い魔というよりは執事の役割に近いのかもしれないが。それはともかく、ルイズの部屋でも別に構わないが、やはり本人が授業に出ている間に使うというのは体裁が悪い。

 

「職員寮の一室を借りていますから、そちらに移りましょう。朝食もまだでしょうから運ばせますわ」

 

「――そういうことらしいが、構わないか?」

 

 彼が何時の間にやら後ろに出てきていたルイズに確認を取る。まだネグリジェ姿でだらしないとは思うが、まあ、時間的には仕方がない。今回は大目に見よう。

 

「ええと……『いいわね?』……はい」

 

 少しばかり渋っていたようだけれど、とりあえずこれで良し、と。

 

 ――ああ、今のうちに渡しておかないと。

 

「ルイズ。適当に見繕ってきたものだけれど、参考にはなるでしょう。時間がある時にでも読んでおきなさいな」

 

 ルイズに研究所から持ってきた本を渡す。あまり持ち出していいような本ではないが、まあ、読む人間などいないし、問題はないだろう。

 

「では行きましょうか。それとルイズ、あなたはちゃんと授業に出なさいね」

 

 返事を待たずに、そのまま歩き出す。

 

 ――昨日は失敗したけれど、やっぱり私が主導権を握らないとね。

 

 

 

 

 

 

 

「……ルイズの姉か」

 

 後ろ姿を見送りながら思わず口に出す。隣に出てきているルイズと見比べてみるが、確かに姉妹だ。意図に気付いているのか不服そうだが、良く似ている。ルイズが大人になったらきっとああなるだろう。――まあ、もう少し性格は丸くなってもいいとは思うが。さて、このまま置いていかれるわけにもいかない。おとなしく付いていくことにしよう。

 

「また後でな」

 

「……うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、急ごしらえであまり見せられる部屋ではありませんがどうぞ」

 

 ドアを開け、部屋の中へと案内される。

 

「……十分すぎるだろう」

 

 中を覗き込んで、そう思った。

 

 部屋は随分と立派なものだ。ルイズの部屋も寮というにはかなり広かったが、こちらは更に広い。家族で暮らしても問題ないほどだ。加えて、運び込まれている家具が違う。ここにあるものはよほどの金持ちの家でもなければ見ることができないようものばかりだ。おかげで、ドアの中と外では別の建物のようにさえ見える。

 

「そうですか? しばらくはここに住む以上、これぐらいは当然ですが。――まあ、立ち話もなんですし、こちらへどうぞ。朝食もじきに運ばれてきますわ」

 

 当然といった様子で促される。実際、彼女にとってはそうなんだろう。常に凛とした様子といい、そう言えるだけの雰囲気はある。ルイズにはまだまだ子供といったあどけなさがあるが、こちらは違う。まさに物語に出てくる貴族そのものなのだから。

 

「……ああ」

 

 促されるまま、中央の丸いティーテーブルの傍の椅子へ座る。

 

 もちろん、ティーテーブルといってもこちらもそこらにあるようなものではない。木材は種類までは分からないが、見るからに高級だと分かるもの。加えて、細かい所まで細工が施されている。これだけで何百万とするかもしれない。軽く部屋を見渡してみるが他の家具も同じで、こういったものに対してはもとが一般人なだけに、少々落ち着かない。

 

「さて、せっかくルイズがいないことですし、ルイズについてどう思っているのか聞かせていただいてもよろしいかしら? 昨日はうまくはぐらかされましたが、正直な所を」

 

 姿勢を正すと表情を引き締めて切り出してくる。初めて会った時からずっと意志の強さを感じさせる様子だったが、それが更に強める。嘘や誤魔化しは一切許さないといった強い口調だ。しっかりとこちらの目を見据え、流石にルイズの姉だと感じさせる。同時に、きつそうな雰囲気とあいまって、付き合う相手は大変だろうな、とそんな考えも頭に浮かぶが。そのあたりもルイズと同じかもしれないが。

 

 まあ、それはともかく、別にはぐらかしたつもりはない。

 

「昨日言った事は本心だ。ルイズの何だかんだで努力する姿勢は好ましいし、あの真っ直ぐな所は――正直、羨ましい」

 

 こちらも相手に合わせ、目を逸らさずにはっきりと答える。自分を信じて真っ直ぐに生きるというのは、俺にはできなかったことだ。この言葉に嘘や偽りといったことはない。

 

 

「羨ましい? それは……」

 

 言葉の途中で控えめなノックがあった。

 

 疑問が顔に表れているが、ちょうどそれを言葉にする所で遮られる。おそらくここに来る途中で頼んでいた朝食が運ばれてきたんだろう。

 

「……朝食の用意ができたようですね。続きはその後にでも」

 

 残念そうではあるが、ドアの方に呼びかけ、招き入れる。

 

「失礼します」

 

 ドアを開け、そう深く一礼するとワゴンを押してメイドが入ってくる。思えば、普通にメイドがいるということにも随分と慣れたものだ。なんとなく顔を見てみると、見覚えがあるものだった。

 

「――シエスタか」

 

 まともに顔を合わせるのは久しぶりだ。たまに見かけることはあっても、大抵は避けるようにして逃げていった。顔を覚えていない人間が多い中でしっかりと覚えているということなのだから、そのことに関してだけは喜ぶべきなのかもしれないが。とはいえ、やはり寂しい。

 

「あ……」

 

 あちらも気付いたのか、小さく声をあげ、気まずそうにしている。流石に今回ばかりは逃げるわけにもいかないからだろう。

 

「ご存知ですの?」

 

 気になったのか、エレオノールが尋ねてくる。

 

「ああ。ここに来て初めて洗濯をする時に手伝ってもらったんだ」

 

 そういえば、実際にはそんなに経っていない筈だが、ここに来たのも随分前のように感じる。ここではのんびりと過ごすことができ、何かに急かされることもない。時間の感覚も違うように思う。

 

「もしかして……あの子の?」

 

 ぼんやりとそんなことを考えていたのだが、何に対してかは分からないが、随分と驚いたように尋ねてくる。

 

「そうだが?」

 

 別に隠すようなことでもないので、深く考えずに答える。 

 

「まさか、今もなんてことは……」

 

 昨日会ったばかりとはいえ、初めて見る表情だ。唖然とした、とでもいうべき顔をするというのは、雰囲気からはなかなか想像できなかった。さっきの表情もあり、尚更そう思う。

 

「今もというか、今朝も洗濯してきたな」

 

 料理を作る機会はないが、俺も随分と家庭的になったものだ。掃除に洗濯。炊事以外は全部やっている。いっそのこと料理を始めてもいいかもしれない。ずっとサバイバルといった形でしかやっていなかったが、もともと料理は嫌いではない。食材や料理法にそう違いはないようだが、この世界にはこの世界なりのものがあるかもしれない。

 

「…………」

 

 急に黙り込んでしまったので見てみると、なぜだか右手で額を押さえ、俯いてしまっている。

 

「どうした?」

 

「いえ……。あの、今更かもしれませんが、そういったことをやる必要は一切ありませんから」

 

 疲れたようにして言ってくる。

 

「ルイズは使い魔の仕事だと言っていたが?」

 

 初めて会った日にそう言っていた。まあ、本来やるべき仕事ができないからと言っていたような気もするが。

 

「本当に、必要ありませんから。あの子には、私からよ───く言い聞かせておきますので」

 

 笑顔のまま言ってくる。ただ、清々しいといえるような笑顔ながら、擬音語に直せばなぜだかニヤリだとか、ニタリといったものしか思いつかない。そんな笑顔だ。その笑顔の奥に、ルイズが怯える表情が浮かぶ。

 

「……まあ、ほどほどにな」

 

 昨日の様子を見る限り、たぶん口だけでなく手も出るんだろう。頬をつねり上げている様が目に浮かぶ。半分は愛情表現なんだろうが……まあ、ルイズには一人ぐらいはそんな相手がいてもいいのかもしれない。

 

「ええ、ご心配なく。それよりもすみません。まさかそんなことまでやらせていたなんて……」

 

 目を伏せ、本当に恥じ入っている。しかし、俺は別にそんなことは気にしていない。それ以外は割りと自由に過ごしているし、慣れると案外悪くない。全く何もすることがないというのは、それはそれで苦痛だろう。

 

「俺は気にしていない。それよりも朝食にしないか? 何時までも待たせたままというわけにはいかないだろう?」

 

 そう言ってから後ろに控えているシエスタに視線を送る。……まあ、目は合わせてくれなかったが。

 

「そう、ですわね。準備していただけるかしら?」

 

 シエスタに対して促す。

 

「は、はい。ただ今」

 

 そう言うと、ワゴンで運んできた料理を並べ始める。数が多いのでできれば手伝いたいとは思うのだが、こういった場合は待つべきだとこちらに来て学んだ。おとなしく待つ。とはいえ、慣れたわけではないので未だに落ち着かない。この部屋の様子に落ち着かないことといい、もとは根っからの小市民なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ――はあ。まさか洗濯なんてさせていたなんて。あの子にはよーく言い聞かせておかないと。ディテクトマジックを使えば彼が……そっか。あの子はそれも使えないんだっけ。

 

 思えば、不憫な子よね。よりにもよって名門のヴァリエール家の者でありながら魔法が使えないんだもの。召使にだって裏では何を言われていたのか。あの子はよく屋敷を抜け出したりしていたけれど、たぶんそういうことに気付いていたのよね。私達家族だって、やっぱり同情的に見ている部分はあったもの。

 

 ……それを考えたら、この人の言う通り、本当に真っ直ぐに育ったのものよね。本当に良く見てくれている。洗濯なんてさせても怒らないみたいだし、ルイズのことを分かってくれている。しかも、戦っている所までは見たことがないけれど、たぶんお母様よりもずっと強い。

 

 

 そこまで考えてふと気付く。

 

 ……あれ? ルイズって、思いっきり当りを引いてる?

 

 既に食事にうつっている彼の様子を良く見てみると、一応は使い魔といっても姿形は人間にしか見えない。顔立ちについても、変わった刺青があったり、男性にしては彫の浅いあまり見ない顔のつくりではあるが、どちらかといえば中性的で、悪くない部類に入るだろう。いや、軟弱なそこらの貴族とは違ってたくましさもあり、むしろ良い。なおかつ強くて、自分のことを良く分かってくれている。男性として――最高? ルイズのことは可愛く思ってくれているみたいだし、ルイズがそれに気付いたら……

 

 

 

 

 

 

「……ねえ、シキ」

 

 ベッドに腰掛けたルイズは遠慮がちに声をかける。

 

「何だ?」

 

 あまり気にした様子はなく答えるが、それに対して口にしようかしまいかと躊躇しながらもルイズは続ける。

 

「私のことは……どう思っているの?」

 

 一瞬言葉に詰まるが、一気に言葉にする。

 

「急にどうしたんだ?」

 

 さすがにいつもとは違うと気付いたんだろう、ルイズに向き直り、当然の疑問を口にする。

 

「正直な所を、あなたから聞きたいの……」

 

 自分で言って恥ずかしくなったんだろう。目を合わせられずにそっぽを向きながら答える。

 

「まあ、いいか。そうだな……何に対しても真っ直ぐな所はうらやましいな」

 

 意図に関しては分からないが、思いつくままに答える。

 

「他には? 私自身に対してはどんな風に見ているの?」

 

 聞きたいのはそんなことではない。更に続きを促す。

 

「どんな風に、か? 一番近いものなら妹『イヤ 』……ルイズ?」

 

 疑問に思いながら続けるが、ルイズに遮られる。どうしたのかと確かめようとするが、ルイズは俯いてしまっていて表情は伺えない。一呼吸置いて、ゆっくりとルイズが口を開く。心なしか声が震えている。

 

「それだけじゃ……イヤなの。あなたが私のことを妹のように思ってくれているのは分かっているわ。でも――それだけじゃイヤなの。妹じゃなくて、一人の女として見て欲しいの。私なんかじゃ……駄目なの?」

 

 涙で潤んだ目で見上げる。

 

「そんなことは、ない。ルイズは十分魅力的だ。好きになる男はこれからいくらでも出てくるだろう」

 

 ルイズの気持ちは分かった。ただ、それに対しての言葉を迷い、つい逃げるような言葉を口にしてしまう。

 

「あなたは……どうなの? もし魅力的だと思ってくれるなら……私のこと、抱きしめて」

 

 精一杯の勇気を込めて、口にする。もし断られたらどうしようといったことも表情には浮かんでいるが、それでもできる限りの勇気を振り絞って言葉にした。

 

「……ルイズ」

 

 どれだけ本気だということかが分かったんだろう。ルイズの側まで近付き、ゆっくりと、ベッドに座ったルイズを抱きしめる。

 

「……シキ」

 

 身長差から抱きしめてくれた相手を見上げる形になる。そして、ゆっくりと目を閉じる。そして力を抜き、ベットに倒れこみ……

 

 

 

 

 

 

 

「――ありえないわね。どっちも」

 

 ルイズが素直になることなんてないだろうし、ルイズは年齢的には問題がなくても見た目は子供だ。まさかロリコンなんてことはないだろうし、一線を越すということが想像できない。いや、半分していたが。……というか私は何を考えているんだろう。変な小説の読みすぎだ。なんとなく手持無沙汰なときに読んでいたりするけれど、控えよう。

 

「……何がだ?」

 

 思わず口に出ていたようで、彼が手に持ったカップを傾けたまま尋ねてくる。

 

「――いえ、大したことではありません。少し、ルイズのことを考えていただけです」

 

 嘘は、言っていない。正確にはルイズともう一人登場人物がいたが。

 

「そうか。……そういえば、ここに来る前にルイズに本を渡していたな。あれはどんな本だったんだ?」

 

 あまり気にはならなかったんだろう。別の話題を口にする。

 

「あの本ですか? ……そうですね、虚無の使い手である始祖ブリミルのことはご存知ですよね?」

 

 私としてもその方が都合がいいので、そのまま合わせる。

 

「ああ、名前ぐらいはな」

 

 彼が小さく頷くのを確認して続ける。

 

「ルイズに渡したのは始祖ブリミルに関連する本ですね。例えば……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ふうん。『始祖ブリミルの使い魔たち』か。こういった本までは探していなかったわね。でも、もしこの本の中にシキのようなことが書かれていたなら、それは私の属性が虚無ということの証明よね」

 

 授業中ではあるが、今まで散々自分で予習してきた。当然今日の授業の内容もその中には入っている。だから少しぐらいはこんなことをしても罰はあたらないだろう。こっそりと表紙を開き、古い本なので破らないようにして丁寧にページをめくる。

 

 

 

 神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる。

 

 神の右手ヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。

 

 神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す。

 

 そして最後にもう一人・・・・・。記すことさえはばかれる・・・・・。

 

 四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた・・・・・。

 

 

 

 

 この話は聞いたことがある。始祖ブリミルの使い魔。始祖ブリミルほどとはいかなくても、各地に伝説という形で残っているもの。確か、イーヴァルディの勇者もその力を受けたという話だったはず。使い魔は、契約する時に何らかの影響を受ける。猫や鳥といった普通の小動物でも人の言葉を理解できるようになったり。なら、シキにももしかしたらその特徴があるのかもしれない。

 

 ええと――ガンダールブは違うわよね。武器以前に、素手でゴーレムを壊していたし、ブレスまで使っていたし。しかも魔法まで……。絶対違うわね。

 

 ヴィンダールヴは……獣を操る。そんな所は見たことはないし、これも違う。

 

 ミョズニトニルン。変わった道具は持っているのかもしれないけれど……どう考えても武闘派よね。

 

 最後は――記すことさえはばかられる、か。一番可能性がありそうなものが全くの正体不明じゃ意味がないわね。でも、始祖の使い魔より凄そうな気が……。そんな不敬な考えが頭を過った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ということは、あなたは別の世界から使い魔の召喚の儀式で呼び出されたということですの?」

 

 あの後も、メイドに食器を片付けさせて話を続けた。聞きたいことはいくらでもあるのだから時間は無駄にしていられない。一応ルイズに渡した本についても聞いてみたが、心当たりがないらしく、残念ながら手がかりになりそうなことは聞けなかった。

 

「ああ、そうらしいな」

 

 メイドに淹れさせた紅茶のカップを傾け、他人事のように言う。こういった普段の部分では、相変わらず感情を読むのが難しい。

 

「あなたがいた世界ですか。どんな世界なのか興味がありますね」

 

 彼の様子云々はともかく、その世界というのは素直に気になる。一体どんな世界なんだろうか。これだけの力を持つようになったということは、よほど過酷な世界なのかもしれない。

 

「信じるのか?」

 

 不意にそんなことを言ってくる。

 

「何をですの?」

 

「……いや。使い魔の召喚はこの世界の生き物を呼び出すものなんだろう? 前にその話をした相手がそんなことを言っていたからな」

 

 持っていたカップをテーブルに置き、こちらに視線を向けてくる。

 

「ああ、その事ですか。確かに使い魔の召喚というのはそうですね。ですが、何事にも例外があるものですし、正直、あなたは規格外ですから」

 

 自分で言って、思わず苦笑する。

 

 確かに普通の使い魔ならそんなことは信じない。だが、この人は本当に普通とは違いすぎる。そもそも、ある程度以上の知能を持つ相手を使い魔として呼び出すことはできないものだし、何より持っている力が大きすぎる。逆に、別の世界から呼び出されただとか、普通と違う、むしろ何かの事故とでも言った方が納得できる。

 

 それに、何となくルイズなら普通と違ってもおかしくはないという気がする。昔からルイズには普通の人間とは違うものを感じてきた。だから、むしろ、普通の使い魔を呼び出すとかいったことの方が思い浮かばない。まあ、良くも悪くもといった意味ではあるが。

 

「そんなものか。まあ、話が早くていい。それで俺が昨日見せた魔法についてだったか。――あれは、俺がいた世界では万能魔法と呼ばれていたな」

  

「バンノウ魔法ですか……」

 

 これといったものが思い浮かばないが、虚無の別名ということだろうか。私の疑問に気付いたのか、彼が付け加える。

 

「何でもできるとかいった意味での万能だな。俺も考えて使っていたわけじゃないから口で説明するのは難しいが……。例えば、火の属性の魔法は、火の属性を持つ相手には効果がなかったりするだろう?」

 

「ええ。効果がないとまではいかなくても、効果は薄いでしょうね。サラマンダーのような生き物はそもそも体が高熱に耐えられるようにできていますし、身にまとう魔力も火の属性を帯びていますから」

 

 彼の話に対して頷く。

 

「ああ。それは他の属性でも同じのはずだ。それで万能魔法というのは、そういったことがない。つまり、どんな相手に対しても効果がある。言うなら、防ぐことができない魔法といったところか。そういった意味で万能と名づけられているんだろうな」

 

 それで万能か。確かにそういった魔法なら攻撃魔法としては万能と呼ぶのも納得がいく。

 

「昨日見た限りはそれも納得できますね。あれほどの威力ならたとえスクウェアクラスの固定化でも防ぐといったことは不可能でしょうし。虚無といわれても納得できます。でも、ルイズの起こす爆発は本当にそれに近いものなんですか? とてもそうは見えないのですが……」

 

 現象としては似ているのかもしれないが、ルイズの起こす爆発は彼の使った魔法とは全く威力が違う。とても同じものとは思えない。ルイズのは失敗魔法というのがしっくりくるようなものだし。

 

「それは俺も分からない。何となく似ていると感じただけだからな。そもそも虚無と言われるものがどういったものかも分からないんだ」

 

 肩をすくめてそう言うと、再び私の方に視線を戻す。

 

「――そこで私の出番、と言うわけですか」

 

 思わず考え込む。

 

 期待されるというのには悪い気はしないが、虚無の魔法についてはほとんど分かっていない。完全に伝説上のものとなっているのだから。実際、専門に研究しているメイジは多いが、大したことは分かっていなかったはずだ。まあ、宗教庁なら別かもしれないが、そこから情報を得ることは難しい。それに、そんなことを公にすればルイズを危険にさらすことにもなるかもしれない。それは絶対に避けたい。

 

「……でしたら、あなたも協力していただけますか? 正直な所、私の知る限り手がかりとして有力なのは、あなた自身とあなたの使う魔法ですから」

 

 実際、それが一番の近道かもしれない。伝説を追いかけるのではなく、目の前にあるものを見ることができるのだから。それに、私自身興味がないと言えば嘘になる。研究者としてこれ以上のものなどないのだから

 

「ああ、それは構わない。もともとそのつもりだったからな」

 

 はっきりと言ってくれる。そんな様子に自然と笑みが浮かぶ。本当にルイズは当りを引いたものだ。ここまでいくと、正直うらやましい。まあ、この人がそこまで言ってくれるのなら、私も頑張らないとね。姉として負けてなんていられないもの。

 

「ありがとうございます。今日はこれから町に行ったりと時間が取れませんが、またお話を聞かせてくださいね」

 

 朝早くからなので随分と話し込んでしまったが、今日の所はこんなものだろう。これ以上となるとさすがに気が引ける。

 

「何か必要なものでもあるのか?」

 

 気になったのか尋ねてくる。

 

「まあ、そんなところです。取り急ぎ必要なものはこちらに運ばせましたが、流石に全部というわけにはいかなかったので。これから自分で見に行ってみるつもりですわ」

 

 新しく必要なものもあるので、どの道町には一度行かなければならなかった。

 

「……買い物か。なら、俺も手伝おうか?」

 

 そう言った後、ぐるりと部屋の中を見渡して「――大荷物になるんだろう?」と付け加える。

 

 ……ん。人差し指を顎にあて、考える。部屋の中を見渡すと、確かにルイズの部屋よりはすでに荷物が多いかもしれない。

 

 私としてはそう買い込むつもりはないが、一般的な尺度からすれば確かに大荷物にはなるのだろう。さっきのメイドにでも運ばせるつもりだったが、確かに男手はあったほうがいい。そういった意味ではそこらの人間よりもよっぽど期待できそうだ。

 

「そう、ですわね。お願いできますか?」

 

 ここは素直に好意に甘えることにしよう。町に向かう間にも話が聞けるから、丁度いいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

「これなんかはどうだ?」

 

 彼がショーウインドーの中のもの指し示す。見てみるが悪くはない。

 

「そうですね。せっかくですからそれにします。……と、そろそろいい時間ですね。食事にしませんか? 今日の御礼にご馳走しますよ」

 

 そう口にして、荷物を持っていてくれている彼に向き直る。つれてきたメイドの方は私が持つといったのだが、そういったことは男がやるべきだと彼が譲らなかった。なかなか変わった人だ。まあ、そういった考えは珍しいが、嫌いではない。

 

 部屋での話の後、さっきのメイドを御者に町へと来た。そして、予定通り買い物と、時間が時間だったので食事に。なんとなくデートのようなことをしている気がしなくもない。まあ――

 

 

 

 

「シキさんって優しいんですね」

 

 そんなことを言って彼と仲良く話している学院長の秘書がいるのでそんな雰囲気にはならなかったが。一緒に来る理由は良く分からないが、なぜか彼が呼んできた。まあ、それはいい。どちらかというと一方的に話しかけているといった感じで、いちゃついているというわけでもないし。

 

 ただ、時折彼の腕に、その、胸を押し付けたりしているのは、見ていて……

 

 別に私に胸がないとか、そんな悪意はないと思う。私はもちろんそんなことは気にしないし、気にしないけれど――やっぱり、むかつくわ。

 

 

 

 

 

 

 学院長室にまで呼びに来るから何かと思えば、買い物とは。わざわざ監視役の相手を呼ぶ辺り、律儀というかなんというか……。ま、そういう所がらしいのかもしれない。とはいえ、デートかどうかは別にして、女性と一緒に出かけるのに他の女まで呼ぶのは問題だ。もっとも、その相手は私なわけだが。

 

 ちらりとエレオノールだったかに目をやれば、少しばかり不機嫌そうだ。さっきから割りとあからさまに彼にアピールしているのだが、面白いように反応する。この辺りはやはりあのヴァリエールの姉ということだろう。隙がなさそうに見えて案外分かりやすい。貴族のことは嫌いだけれど、この素直な姉妹のことは、まあ、嫌いではない。私もついついからかうようなことをしてしまう。

 

 

 

「……ああ、ちょうどいいか」

 

 そんな言葉が聞こえたので彼の方へと振り向く。

 

「何がですか?」

 

 側を歩いているので自然と私も立ち止まり、一歩遅れてではあるが先頭を歩くエレオノールも振り返る。メイドの方は最初から後ろに控えているのでそのままだ。

 

「いや、大したことじゃない。すぐに追いつくからしばらくは三人で回っていてくれないか?」

 

 一度私達を見渡すと、そう切り出す。

 

「それは構いませんが……、どこにいるか分かるんですか?」

 

 当然の疑問をエレオノールが口にする。だが、それぐらいこの人ならどうにかするだろう。

 

「それぐらいはなんとかなする。じゃあ、適当に回っていてくれ」

 

 そう言うと、大荷物を持ったままではあるが、人ごみの中を危なげなく進んでいく。メイドに渡すなりして置いていけばいいようなものだが、ま、彼にとっては大したことじゃないんだろう。

 

「――彼はああ言っていましたが、そろそろ休憩にでもしませんか? ちょうどそこにカフェもありますしね」

 

 そう言って右手の建物を示す。そう高級といった佇まいではないが、赤レンガの割と凝ったデザインで洒落ている。これならば貴族のお嬢様でも問題はないだろう。彼なら別にこちらが動いても平気だとは思うが、私の方が少々疲れてしまった。そろそろ休みたい。それに、わりと体力に自信がある私がこうなのだから、メイドの方はともかくとして、お嬢様なら休みたいはずだ。

 

「そうですね。頃合としてもいい頃です。入りましょうか」

 

 くるりと背を向けるとそのまま入っていく。

 

「じゃあ、私達も入りましょう」

 

 後ろを振り返り、メイドに声をかける。

 

「……いえ、私はここで。ご一緒するなんて恐れ多いですから」

 

 そう言うとその場で立ち止まる。

 

「そんなことは気にしなくていいと思いますよ?」

 

 私もそうは言ってみるが、多分変わらないだろう。

 

「いえ、お気遣いはありがたいのですが……」

 

 深く一礼するが、固辞するのは変わらない。まあ、これは分かっていたことだ。この子は貴族に対してかなり恐れを抱いている。とすると、無理強いする方がよほど可哀そうだろう。

 

「……そう。じゃあ、シキさんが来たら知らせていただけるかしら?」

 

「はい。お任せください」

 

 安心したような表情を見せる。それが自然な反応だ。

 

 

 

 

 

 

「私はもう注文を済ませましたが、何になさいます?」

 

「……そうですね」

 

 落ち着いた店の中、豪奢な雰囲気が一際目立っているこの女性の向かいに腰掛け、メニューを開く。見ると紅茶だけでもメニューが豊富らしく、ダージリン、アッサムといった定番はもちろん、あまり耳慣れないものもある。さて、こういう所にはあまり来ないのだけれど、どうしようかな……

 

「……一つ、いいですか?」

 

 そう声をかけられたので、メニューから顔を上げ、向き直る。

 

「何でしょう?」

 

「あなたは、その……あの人に対して好意を持っているんですか?」

 

 幾分視線をさまよわせ、控えめに尋ねてくる。言い方はともかく、内容は随分とストレートではあるが。

 

 しかし、まさかいきなりこんなことを聞いてくるとは思わなかった。ま、そう思うのは無理ないのだけれど。少し、考えてみる。

 

「そうですね。確かにあの人には好意を持っているかもしれませんね。少なくも、一晩一緒に過ごしてもいいと思うぐらいには好きですよ?」

 

 別に今更隠すことでもないので、思ったまま答える。本当はもう少し強引なぐらいがいいけれど、彼のことは嫌いじゃない。

 

「なっ……」

 

 眉をひそめ、露骨な反応だ。ま、貴族ならそれが普通なんだけれどね。

 

 ――貴族のお嬢様だった昔の私なら、同じだったのかな。ふと、そんな考えが頭に浮かぶ。もちろん、今の私にはそんな資格なんかないということは分かっているんだけれど。

 

「勘違いしないで下さいね 私だって誰でもというわけではないですし、あの人だからですよ? 分かりづらいですけれど、本当は優しい人」

 

 ……それに、私のこともきっと分かってくれる。これは聞こえないように、口の中で付け足して。

 

 

「……それは、そうかもしれませんが」

 

 顔をそらし、歯切れが悪い。とはいえ意外だ。まさか多少なりとも理解を示すとは思わなかったんだけれど。

 

「ふふ、貴族ならそれが普通の反応ですよ。私は元貴族。貴族の価値観は分かります。そして――平民の価値観も。だからなんでしょうね。しきたりなんかに縛られずに自由に考えられるし、自由に動ける。私は貴族ではなくなりましたが、そのことについては良かったとさえ思っています」

 

 貴族でなくなったことで随分と苦労した。そこそこの貴族のお嬢様からいきなり平民に、ううん、下手をしたらそれ以下にまで落ちて、受け入れるにも時間がかかった。けれども、このことにだけは感謝しているかもしれない。

 

 しばらく向き合うがお互い言葉はない。

 

「……まあ、そんな人間もいるということです。私は先に失礼しますね。シキさんには宜しく言っておいて下さい」

 

 ゆっくりと椅子を下げ、立ち上がる。

 

「……ええ」

 

 そのまま振り返らずに店を後にする。つい自分の身の上を話してしまったけれど、少し後味が悪い。別にそんなことを言う必要はなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

「……そんなものかしらね」

 

 一人、温くなってしまった紅茶を片手に独り言ちる。カップの紅茶がゆらゆらと揺れる。

 

「……あの」

 

 ぼんやりとしていて気付かなかったが、何時の間にかメイドが席の前に立っている。

 

「何?」

 

 視線を向け、問いかける。

 

「……シキ様が戻られました」

 

 そう、ゆっくりと答える。最初から思っていたけれど、随分と私に対して怯えているようだ。

 

 ――平民の価値観か。

 

 立ったままのメイドの顔を見上げぼんやりと考える。

 

「な、何か……」

 

 いっそう怯えた声をあげ、最後は消え入りそうな声になっている。表情も今にも泣きそうといった様子だ。

 

「……何でもないわ。別にあなたがどうこうというわけじゃないから。」

 

 これ以上怖がらせる必要もない。椅子を引かせ、立ち上がる。

 

 ……そういえば

 

「一つ、いいかしら?」

 

 傍らに控えるメイドに問いかける。

 

「……何でしょう?」

 

 先ほどのような怯えはないが、やはり声は硬い。

 

 そんな様子に思わず苦笑してしまう。こう間近に見ることで、自分達貴族がどう思われているのか良く分かる。平民にとっての貴族というものが。

 

「好奇心で聞きたいだけよ。あなたにはシキさんがどう映っているのかしら? ……やっぱり、怖い?」

 

 平民にとって貴族がどういったものなのかは分かっている。だったら、シキさんのような相手はどう映るのか。ちょっとした好奇心のようなものだ。

 

「……あの方を、ですか?」

 

 こちらを窺うように見上げてくる。まだ怯えているようなので、単なる好奇心だとできるだけ安心させるように付け加える。といっても、普段とは逆なのでなかなか難しいのだが。それでも、ゆっくりと口を開く。

 

「……やっぱり、怖いです」

 

 そう言うと視線を下ろし、一呼吸置いて更に付け加える。

 

「……貴族の方は、平民に対しては絶対です。……でも、あの人は……」

 

 そこまで、言って言葉が途切れる。まあ、大体言いたいことは分かった。これ以上無理強いすることもないだろう。

 

「ありがとう。参考になったわ。これ以上待たせるわけにもいかないし、行きましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは明日からのことは頼むの。生徒達にとってもいい刺激になるじゃろう」

 

 学院に戻ってから、明日からのことで学院長室に打ち合わせに来た。

 

「ええ、任せてください。期待には応えて見せますわ」

 

 笑顔で返す。

 

「さすがに頼もしいの。まあ、心配はいらんじゃろうがね。とはいえ、さすがに慣れるまでは大変じゃろう? もう一つの方はしばらくは無理せんでいいからの」

 

「いえ、ご心配なく。どちらも手は抜きませんから」

 

 心配するのは分かるが、その必要はない。きちんと両立してみせる。

 

「むう。頼もしいが、もう少し肩の力を抜いた方がいいかもしれんよ。でないとおと『何か?』……いや、疲れるんじゃないかとの」

 

 ちょうどいい。学院長が私のことをどう思っているのか、しっかりと聞いておかないと。何で目を逸らしているのかなんかをしっかりと。

 

「あ、明日は準備なんかもあるし早いじゃろう?」

 

「いえ、ご心配なく。手抜かりはありませんし、たとえ何であっても手は抜きませんから」

 

 ニッコリと微笑んでみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歩みを進めるに合わせて、床からは心地よいリズムが反響する。

 

「この雰囲気も懐かしいわね」

 

 教室までの廊下を歩きながら、思わず口からこぼれる。この廊下を歩くのは学生時代以来だから本当に久しぶりで、素直に懐かしいと思う。普段は昔のことを思い出したりといったことはないけれど、ここを歩いていると自然に昔のことが頭に浮かんでくる。――と、そんなことを考えている間に辿り着りついていた教室のドアを開け、教壇にまで真っ直ぐに歩く。

 

「皆さん、初めまして。しばらくの間、特別講義を担当することになったエレオノール・ド・ラ・ヴァリエールです。そう長い間こちらにいられるわけではありませんが、よろしくお願いしますね」

 

 そう簡単に挨拶を口にし、教室を見回す。

 

 そんな中、一瞬ルイズと目が合ったが、随分と驚いた顔をしている。笑いかけると、ルイズの後ろに立っているシキさんにも視線を向ける。まあ、ルイズとは対照的にこちらは無反応だったが。できればもう少し反応があった方が面白いんだけれど。

 

 

「……な、なんでエレオノールお姉さまが!?」

 

 ガタンッと音を立てながら、ルイズが立ち上がって当然の疑問をぶつけてくる。姉妹ということに驚いたのか、周りも少々騒がしくなっている。

 

「驚くのは分かるけれど、もう授業の時間は始まっているんだからおとなしくなさい。臨時とはいえ、私も教師になっただけです。……さあ、時間もそうあるわけではないのだから、皆さんも静かになさいね」

 

 ほんの少しだけ語気を強めておとなしくさせる。

 

 ――うん、いい子達ね。すぐに静かになった。

 

 教師の真似事をしている理由は簡単。学院内に部外者がいるというのは体裁が悪いので、教師という立場を取っただけだ。まあ、実際にこんなことまでする必要はないのだが、せっかくなので授業も行うことにした。知識は十分あるし、教える立場というのは自分にとってもいい勉強になる。もちろん王立魔法研究所で行っているようなことをそのままで、ということではない。あくまで、学院で教えるような内容を。ただし、それから一歩踏み込んだ応用を実践に即する形でだ。

 

 皆が静かになったようなので、黒板に向き直り、早速今日の内容を書き始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――やっぱりお姉さまはすごいのね。

 

 素直にそう思う。始めてすぐは私を含めて皆が緊張していたが、授業が半ばに差し掛かった頃にはほとんど全員が興味を持って聞いていることが分かる。もちろん私も含めてだ。学院で行われている授業全般に関して言えることなのだが、本当に基本だけだったり、教師が自分の好みで行ったりと、お世辞にも面白いとはいえない。でも、お姉さまの授業は本当に面白いと思う。

 

 まずは面白いと思えるような部分を中心に据え、興味を持たせるということを第一にしている。面白いと思うことさえできれば飽きることはないし、理解しやすい。しかも、ただ面白くするというだけでなく、要所要所はきちんと押さえている。本当に、すごいと思う。きびきびとした動作が本当に凛々しくて、こういった部分は素直に憧れる。あとはちい姉さまみたいに優しければ言うことはないんだけれど……。

 

 ともかく、そのおかげか、大分雰囲気が和やかになってきた。私の後ろで隣と軽口を言っている人間もいる。 

 

 

「……ルイズの姉って話だけれど、全然違うな」

 

「……ああ、美人だし、大人の女性って感じだよな」

 

 そこに含まれた私に対して持っている印象が正直なところむかつくけれど、それも仕方がない。お姉さまは本当にすごいし、私にとって理想の貴族そのものだ。むしろ、そんな人が私の姉であるということが誇らしく、あまり気にはならない。それに、お姉さまにもしっかり聞こえているんだろう。後姿からも上機嫌だということが分かる。お姉さまの機嫌がいいというのはいいことだ。……とばっちりは大抵私にくるんだから。

 

 

 

「……でも、性格は更にきつそうだな」

 

「……ああ。確かヴァリエール家の長女は嫁ぎ遅れているとか」

 

  よどみなく動いていたお姉さまの手がピタリと止まった。

 

 ……あ。――ああああああああ、この馬鹿!! しっかり聞こえているのになんてことを!?

 

 冷や汗をかきながら、奥歯を噛み締める。でも、もしかしたら聞こえていないかもしれない。そんな一縷の望みにかけてみようと思うが

 

「……そうね。この魔法を実践してみようかしら。……じゃあ、そこの二人、前に出てきてくださる?」

 

 やっぱり聞こえていたようだ。ピンポイントでさっきの二人に当てている。お姉さまはニッコリとこれ以上ないような笑顔だ。そんな表情に安心したんだろう。指名された二人は多少慌てながらもおとなしく前に出て行く。……でも、私には分かる。ああいった表情の時のお姉さまはこれ以上ないくらい怒っているということを。

 

「二人には魔法をかけられる相手役をお願いしたいんだけれど、いいかしら?」

 

 さっきの笑顔のまま、本当に優しく問いかける。私にとっては恐怖でしかないのだが、二人には分からないんだろう。聞かれてはいないと二人はお互い顔を見合わせ、安心しきった表情になっている。

 

「先生がかけるんですか?」

 

 出て行ったうちの太った方、マリコルヌがのんきにそんな質問をする。

 

 それに対してお姉さまは、いい質問ねとばかりに笑っている。ただ、急に私の方を向くと、ニタリと、ほんの一瞬だがそんな表情を見せる。

 

「私じゃないわ。――ルイズよ」

 

 再び二人に向き直ると満面の笑みだ。反対に言われたほうはみるみる青くなっていくのが分かる。

 

「だ、駄目です!!」

 

「そうです。駄目です!!」

 

 二人そろって随分と慌てている。悲しいが、理由は分かっている。

 

「大丈夫よ。心配ないわ」

 

 慌てる二人に本当に優しく答える。まあ、こっそり「……ちゃんと治療するから」と付け加えているのが聞こえたけれど。

 

「さあ、ルイズいらっしゃい」

 

 本当に楽しそうに言う。そんなだから結婚できないとは、間違っても顔には出さない。

 

「は、はい。……でも、いいんですか?」

 

 お姉さまが何を考えているかは分かっているとはいえ、やはり確かめずにはいられない。物に対して魔法をかけるならともかく、人に対してとなるとどうしても躊躇していまう。

 

 

「もちろんよ」

 

 それに対して、遠慮は要らないとばかりに答えるが、その対象となる二人は違う。

 

 

「「良くないです」」

 

 言うや否や走って逃げようとするが、お姉さまはそんなに甘くはない。

 

「教室で暴れちゃ駄目よ」

 

 と、予め用意しておいたんだろう。杖を振って二人を空中へと浮かせる。

 

「さ、快く手伝ってくれるみたいだから思いっきりやりなさい。……手加減なんかいらないから。ほら、二人とも喜んでいるし」

 

 空中で暴れている二人を指差す。二人は激しく首を振り、何かをわめくようなしぐさを見せている。……サイレントをかけているんだろう。何を言っているんだかは分からない。けれど、逆らうわけにもいかない。やめてくれと言っているんだろう二人に対し、心の中で謝罪しながらゆっくりと杖を掲げる。――まあ、さっきは私のことも馬鹿にしていたしいいか。

 

 

 

 

 

「……じゃ、じゃあ」

 

 前に出て来たルイズが身構える。それにあわせて私はゆっくりと後ろに下がる。

 

 そして、いつものようにルイズが起こす爆発を見ながら考える。

 

 ――やっぱりルイズの起こす爆発は普通の魔法とは違うわね。私がこっそりかけてた固定化をものともしなかったし、何だかんだで威力は大きいのに、怪我はしないんだもの。

 

 現象としては彼の使った魔法に似ていると言われればそんな気もするけれど、実際の所はどうなのかしら? 固定化を全く無視したということは普通の魔法ならありえないことだし、彼の言っていた万能魔法の特徴にも一致しているんだけれど……もう少し調べてみないと駄目ね。

 

 ――ふふ、なかなか面白いじゃない。しばらくは退屈しないですみそうね。

 

 

「……こういったこともほどほどにな」

 

 いつの間にか後ろに来ていたシキさんが声をかけてくる。

 

「さて、何のことでしょう? たまたまルイズの魔法が失敗しただけのことですから。二人には運がなかったんでしょうね」

 

 何のことやらととぼけてみせる。ルイズのこともそうだが、この人もなかなか面白い。しばらくは本当に退屈しなくてすみそうだ。



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第8話 Mysterious Thief(前半+後半)

「――ええと、次に必要なものは」

 次の授業に必要なものを頭の中で思い浮かべながら、職員室へと入る。教師として一週間近く過ごしたが、まだまだ慣れない部分もある。だからといっては何だが、今のようについ直前まで準備ができていないこともある。

「……どこかで聞いたような気はするのだが」

 自分へ割り当てられた席へ向かう途中、そんな声が聞こえてきた。

「何がですの? ミスタ・コルベール」

 何となく気になったので、声の主に尋ねてみる。





「……ああ、ミス・ヴァリエール。つい、口に出していたようですな」

 

 座った席から振り向くと、苦笑しながらこちらに視線を向けてくる。この人は同僚ということになったミスタ・コルベール。基本的にはここではなく、彼の研究室――そう呼べるかは別として――の方にいるのであまり話す機会はないのだが、初日に学院長から紹介されているのでお互い面識はある。加えて、彼は学院長からシキさんについて調べるように言われているので、時たま意見を交換することもある。この人も直接話を聞きに行けばいいようなものだが、そうもいかないらしい。まあ、私とて知らなかったからこそだ。もし彼のように前提知識があったとしたら、ああもたやすく口をきくというわけにはいかなかっただろう。

 

 それに、最初は他の教師と同じく彼が怖いのかとも思ったのだが、そう単純でもないようだ。「怖い、確かにそれもあります。ですが、見ているとなぜか昔のことを思い出すようで……」と、何やら要領は得ないのだが、何か複雑なものがあるらしい。多少は気になったが、無理に聞き出すのもどうかと思ったので、深くは尋ねなかった。見た目にはのんびりとした人だが、何やらあるのかもしれない。

 

「大したことではないのかもしれませんが、あの剣、本人曰くデルフリンガーと言うらしいのですが、その名前にどうにも聞き覚えがあって……」

 

 先ほどまでと同様、腕を組み再び考え込んでいる。

 

 あの剣――というと、ミス・ロングビルが購入してきたというインテリジェンスソードのことだろう。見た目にはボロボロで大したものにはとても見えなかったのだが、シキさんのことを相棒と呼んでいたということから学院で買い取ったらしい。――しかし、改めて考えてみると、確かにその名前は聞いたことがあるような気がする。最近、のことではないから、多分ずっと昔、もしかしたら子供の頃かもしれない。

 

「そう言われてみれば確かに聞き覚えがあるように思います。他に何か分かったことはありますか? もう少し情報があれば思い出せるかもしれませんが」

 

「他に……ですか? 残念ながらほとんど。しかし、特別な魔法がかかっているのは間違いないでしょう。見た目に反して随分と丈夫ですし、錬金といった魔法も受け付けません。一般的なインテリジェンスソードとは根本的に違うようで、なかなかに面白い剣です」

 

 残念といいながら、随分と嬉しそうだ。このあたり、この人も私と同じで根っからの研究者なんだろう。研究者というのは変わった人種で、問題が難しければ難しいほどやる気が出るものだ。そうなると私も興味が出てくる。

 

「何なら私も手伝いましょうか?」

 

「いや、あなたはどうせなら薬の方を。最初は私も調べていたのですが、なんともならないままに預けてしまいましたから。あなたならそちらの方が詳しいでしょう?」

 

「確かにそうですね。……まあ、必要でしたらいつでも声をかけてください。なんでしたらアカデミーの方にも掛け合ってみますわ」

 

「はは。もう少し頑張ってみますが、すぐにでも頼るかもしれませんな」

 

 笑いながら言うが、多分そう簡単には諦めないだろう。残念な気もするが、むしろその方が好感が持てる。

 

 ――さて、次の授業もある。そろそろ準備に戻るとしよう。

 

「何か分かったら私にも教えてくださいね。楽しみにしていますから。それでは、また」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確か……、この辺りのはずだけれど」

 

 少しばかり薄暗い雰囲気のある廊下を見渡し、頭の中の地図と照らし合わせる。学生時代にも来たことがなかった場所なのでなかなか見つけづらい。ちなみに、今探しているのはシキさんから受け取った薬を調べているはずの相手の研究場所だ。別に学院長からは調べるようには頼まれてはいないが、単なる個人的な興味のようなものだ。あの人が持っていた薬というだけでも十分興味深い。できればサンプルぐらいは分けてもらいたいものだ。

 

「あら、ミス・ヴァリエール? こんな所でどうしました?」

 

 不意に後ろから声をかけられ、聞き覚えのある声に振り返る。

 

「ミス・ロングビル……」

 

 向こうには変わった様子はないが、何となく先日のことが頭に浮かんで言葉に詰まる。そんな様子に気づいたのか、あちらから話を続ける。

 

「この前のことなら気にしないでくださいね。あまり深く考えられても困ってしまいますし」

 

 言いながら苦笑するが、確かにその通りかもしれない。それに、私としても余計な気を使わなくて済むのなら、そうしたい。

 

「そう、ですね。――それで、何をしているかでしたか。そうですね、ミスタ・マーシュが学院長から預かっている薬のことはご存知ですよね?」

 

 「ええ」と小さく頷くのを確認して更に続ける。

 

「私の専門はどちらかというとそういった分野で、少し興味があるので見に来たんですよ」

 

 もちろん、それだけではなくできれば自分でも調べてみたいのだが。

 

 ミス・ロングビルはそれに対して何やら考え込み、少し間を置いて口を開く。

 

「……そうですか。でしたら私もご一緒しても構いませんか? 私も多少興味があるんですよ。シキさんが持っているものは面白いものばかりですから」

 

 そう笑顔で言ってくる。まあ、ちょうどいいと言えばいい。場所が分かりづらかったのだから、むしろ渡りに船だ。

 

「それはもちろん構いません。ちょうど場所が分からなかったので、むしろ助かります」

 

「あ、そうなんですか。まあ、確かに分かりづらいですからね」

 

 苦笑すると、私の前に出て「こちらです」と先導していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さてと、何から試そうかしら?」

 

 ここは私の部屋だが、目の前にはさっき見に行ったはずの薬がある。

 

 ここにある理由は……まあ、何というか、ミスタ・マーシュがあまりにも頼りにならないから私の方で調べることにしたのだ。ミス・ロングビルは少々呆れていたようだが、仕方がない。私からの質問もはっきりと答えられない上に、話の間中ずっとおどおどしっぱなしだったのだ。――まあ、私も多少上から言っていた気がしなくもないが、それはそれ、これはこれだ。

 

 とりあえず、せっかく現物があるのだから調べてみることにしよう。幸い必要そうな道具はすべて持ってきている。強引に、いや、預かった以上はきちんと結果を出さないと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――参ったね。あそこまで強引に持っていくとは思わなかった」

 

 自分の部屋へと戻り、思わずため息をつく。

 

 あの薬のことを知りたいという彼女を案内したまでは良かったのだ。ただ、その後がまずかった。最初は普通に質問をする程度だった。だが、ほとんど答えられないことに少しずつ機嫌が悪くなって、最後には「あなたには任せられない」と半ば強引に持って行ってしまった。確かにあの男ではあまり頼りにならない。しかし、あそこまで強引に持って行くことはないだろう。そこまで考え、再びため息をつく。

 

「……そろそろ動かないとまずいかな?」

 

 顔を上げ、そう呟く。あの男が持っているうちはそう簡単にアカデミーに移されることはなかった。だが、ヴァリエールの元にあれば別だ。彼女はもともとアカデミーの研究者。すぐにでも持っていかれる可能性がある。となると、早めに手に入れなければ面倒なことになるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なかなかうまくいかないものね」

 

 日当たりの良いカフェ席で一人ごちる。あの薬を受け取ってから数日、受け持っている授業自体はそう多くはないので合間に色々と試してはいるのだが、いまだに大したことは分からない。分かった事といえば、本当に常識はずれの効用があるということぐらいだ。ほんの少量を植物の切片に与えてみたのだが、そこから全体を再生してしまった。何なのかという興味は尽きないのだが、属性だとかいったものすら分からない。

 

 一般的に薬は水の属性を持つものなのだが、どうもそう単純なものではないらしい。今までの常識とも外れており、根本的に違うものなのかもしれない。もう少し休憩したら戻ろうとは思うが、次にどうすべきかというのも全く思いつかない。

 

 

「ここにいたのか」

 

 そう後ろから声をかけられたので、後ろを振り返る。

 

「シキさん、何かありましたか?」

 

 振り返ると、いつものように黒を基調としたシンプルな服装に身を包んだシキさんが立っている。

 

 ――そういえば、とふと気づく。普段はあまり目立つような格好もないので忘れがちになっていたが、別の世界から来たという話だった。ということは、持っていた薬もそうだということになる。だとしたら、調べるにも今までとは全く違う方法が必要なのかもしれない。もちろん、そうは言ってもなかなかそんな方法は思いつくものではないのだが。

 

 まあ、シキさん本人に聞くという方法もあるにはあるが、それは最後の手段だ。できれば自分自身で考え出してみたい。せっかく全く未知の新しいものに触れたのだから、滅多にないそのチャンス、自分で何とかしてみたい。合理的ではないとは分かってはいるが、これは性分のようなものだ。自分でも苦笑してしまうが、何ともしがたい。

 

「――いいか?」

 

 そう声をかけられて、我に返る。つい考え込んでしまっていたようだ。考え込んでしまって周りが見えなくなるというのは学者にありがちとはいえ、悪い癖だ。気をつけないといけない。

 

「すいません。つい……。それで何の御用でしょう?」

 

「別に用というわけじゃないんだが、渡しそびれていたものがあってな」

 

 そう言うと懐から何かを取り出す。

 

「何ですか?」

 

 手元を覗き込んで見れば、随分と丁寧に作られた箱だ。表面はビロード張りになっており、宝飾品でも入っているのだろうか?

 

「まあ、礼――というのもなんだが、色々と頑張ってくれているようだからな。この前町へと出かけた時に頼んでいたものだ。そう悪いものではないだろうから受け取ってくれ」

 

 そう少しばかりぶっきらぼうに言うと、私の方へと差し出す。しかし、思わず受け取ってしまったが、そういうわけにもいかないだろう。

 

「あの、お気持ちはありがたいんですが、そういうわけには……。半分は妹の為、もう半分は私自身の興味。私たちがあなたに感謝することはあっても、あなたからそんなものまで頂くわけにはいきません。残念ですが、お返しします」

 

 そう言って、受け取った小箱を差し返す。

 

「……俺自身も感謝しているんだが。――そうだな。なら魅力的な女性へのプレゼントということではどうだ? せっかく似合うと思って選んだんだ。できれば受け取って欲しい」

 

 予想もしていなかったような言葉に思わず見つめ返してしまう。顔色を窺ってみるが、からかっているという様子はなく、真顔だ。確かに今までにもそういったことを言ってくる相手はいたが、いつも取り入ろうといった様子や下心といったものが見えていた。しかし、そういった様子は一切ない。となれば、純粋な好意からのもの。

 

「な、何を……」

 

 なんと返せばいいんだろうか? 今までこういう相手がいなかったのでどう対応すればいいのかが分からない。

 

 ――それに、顔が熱い。多分、赤くなっているだろう。自分でも想像しなかった反応に、つい俯いてしまう。

 

「別にお世辞を言っているわけでもないぞ。少し気が強いようにも見えるが、理知的でそれも魅力だからな」

 

 臆面もなく更に言葉を続ける。シキさんとは逆に、私の方がますます赤くなっているのが分かる。

 

 う、うー、な、何か言わないと……

 

 

「……見境がないですね。あまり女性にプレゼントをした上そんなことを言っていると、いつか要らぬ誤解を受けますよ?」

 

「……ミス・ロングビル」

 

 後ろから聞こえてきた言葉に振り向くと、彼女が立っている。そして、更に言葉を続ける。

 

「ちなみに、私のときは『宝石も美人が身に着けていたほうが喜ぶ』でしたね。そしてこれを」

 

 視線を下へと移しながら胸元のペンダントのチェーンに指を絡ませる。見れば、装飾自体はそう派手ではないが、大粒のエメラルドで相当の値打ち物のようだ。

 

「……別に見境がないわけじゃない。ただ思ったことを言っているだけだ」

 

 彼が少しばかりばつが悪そうに言う。

 

「……天然は、一番性質が悪いです。普通に考えたら狙っているとしか思えませんよ」

 

 対して彼女は少しばかり呆れたように呟く。聞きながら私は少しずつ冷めていくのが分かる。むしろ、真に受けていたことが恥ずかしいぐらいだ。

 

「……まあ、せっかくですからこれは頂いておきます」

 

「あ、ああ。……そういえば、さっきは何か悩んでいるようだったが、どうかしたのか?」

 

 多分、話題を変えようとしているんだろう。しかし、私もその方が良い。さっきの言葉で赤くなっていた私だって恥ずかしいのだから。

 

「ええと、あなたがルイズにあげた薬があったでしょう? ちょっとそれを調べていて……」

 

「あげたもの? ……ああ、最初に没収されたやつか」

 

 思い出したとばかりに呟く。しかし、没収?

 

「あの、没収ってどういうことでしょう?」

 

「そのままだが? 見せたときに使い魔のものは主人の物だとか言われてな」

 

「……今、ルイズはどこに?」

 

「授業中だな」

 

「――ちょっと、失礼します。ここで待っていてください。すぐにルイズを連れてきますから」

 

 そう言って足早に教室へと向かう。

 

 

 

 

 

 

「言わないでいた方が、良かったのか?」

 

「さあ? とりあえず、私は先に失礼しますね。ああ、それと、これ以上見境のない真似はやめた方がいいですよ」

 

「……まあ、気を付ける」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつもの様に授業中ではあるが、虚無についての文献のページを捲る。時間さえあればこのように読んでいるのだが、何せ数が膨大だ。斜め読みといってもいいように読んでいるとはいえ、それでも読むべきものはまだまだある。タバサも手伝ってくれてはいるのだが、なかなか終わりがみえない。

 

 意識のほとんどを文献を読むのに向けていたのだが、不意にガタンと力任せに扉が開かれる音がしたので目を向ける。見れば、お姉さまだ。まっすぐにこちらに向かってくるその表情は、どちらかといえば無表情とはいえ、明らかに怒っている。心当たりは、と考えてみるが――正直、ありすぎる。教室を爆破したり、問題は散々起こしてきた。考えているうちに、目の前にお姉さまが立つ。ゆっくりと見上げると、にっこりと笑うその顔が見える。

 

「お、おねえしゃまっ」

 

 途中まで言った所で頬を引っ張られ、最後まで言えなくなってしまう。

 

「……来なさい」

 

 そのまま立ち上がらせられ、更に教室の出口へと引っ張られる。

 

「いひゃい、いひゃいです。おにぇえしゃまー」

 

 必死に訴えるが聞いてくれない。どうしようもないので、痛くないよう逆らわずについて行く。皆に見られて恥ずかしいが、今はそれどころではない。痛いし、どれが原因なのかが分からない。

 

「ミ、ミス、いったい何を?」

 

 後ろからようやく我に返った先生が慌てて声をかけてくる。しかし、頑張っては欲しいのだが完全にお姉さまの迫力に負けている。頬を引っ張る手はそのままに少しだけ視線を向け

 

「ルイズは借りていきますわ。……何か問題でも?」

 

「え? あ、その……」

 

「ないようでしたら失礼します。お騒がせしたのは謝罪しますわ」

 

 そう言うと、来たときと同じように扉を閉め、そのまま私を引っ張っていく。

 

 

 

 

 

 

「ええと、……とりあえず授業を再開しましょうか」

 

 遠くになった先生の声が聞こえる。私のことは、なかったことにしたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「座りなさい」

 

 カフェに来てようやく手を離してくれたお姉さまが、そう命令する。

 

「ええと、はい……」

 

 逆らえないので、言われたとおり手近な椅子に手を伸ばす。しかし、お姉さまの声に遮られる。

 

「椅子じゃなくて、下よ」

 

 その声に思わず手を止める。恐る恐るお姉さまへと目を向けるが、本気だ。こうなると、逆らえない。諦めて地面へと正座する。

 

「何もそこまで……」

 

 そう言ってシキが止めようしてくれたが

 

「あなたは黙っていてください」の一言で「……ああ」と黙ってしまった。……強いんだったら、せめて、せめてもう少し粘って欲しい。お姉さまからも私を守ってほしい。

 

「さて、ルイズ。私が何に対して怒っているか分かるかしら?」

 

 優しく、声だけは優しく問いかけるお姉さまを見上げる。

 

「え、ええと、分かりません……」

 

 これ以上怒らせないように、丁寧に言葉を選んで答える。 

 

「そう。じゃあ、これからゆっくりと教えてあげるわね」

 

 にっこりと微笑む。それなのに、死刑宣告をしているように感じるのは何でなんだろう……

 

 

 

 

 

 

「ちゃんと反省しなさいね」

 

 そう言って、ようやく開放してくれた。

 

 ――何時間経ったんだろう。視線を向けた先に沈み始めている夕日を見て、ぼんやりと思う。

 

 本当は、もっと早く開放してくれるはずだった。しかし、「そんなんじゃ結婚できないわよ」との言葉に思わず「お姉さまだって」と言ってしまった。

 

 本気で、後悔した。逆鱗に触れるというのはああいうことを言うんだろう。お姉様の口元がゆっくりとつり上がっていくあの様子、しばらくは忘れられそうもない……

 

「……とりあえず、大丈夫か?」

 

 シキが心配そうにそう尋ねてくる。その顔を見てあんたが余計なことを言うから、というのも一瞬浮かんだが、今考えればお姉さまの言うとおり馬鹿なことをしていた。もしシキの気性がもう少し荒かったなら自分はどうなっていたのか分からないのだから。今ならそんなことはないとは分かっていても、もし愛想を尽かされていたらと思うと、怖くて仕方がない。

 

「……あの、シキさん。薬の方は、お返しします。ご迷惑をおかけしました」

 

 そう言うと、深々と頭を下げる。普段のお姉さまからは想像もつかないが、非はきちんと認める人だ。そんなことをさせる原因を作った自分が、今更ながら恥ずかしくなる。

 

 それに対して、シキは気にしていないとばかりに頭を上げるよう促す。

 

「いや、構わない。役立ててくれるならそれでいい。無駄にするつもりはないんだろう?」

 

「それはそうですが、それは……」

 

 頭を上げたお姉さまが、多少困惑気味に口を開く。しかし、タバサのことがある。

 

「あの……」

 

 恐る恐るではあるが、口を挟む。

 

「……何?」

 

 多少いらだちがあるようだが、タバサの為にも言わないわけにはいかない。

 

「言いにくいんですが、どうしてもその薬が欲しいという子がいて、その……」

 

 分かってはいても、なかなか言葉が出ない。言いよどんでいる所にシキが口を開く。

 

「怪我でもしているのか?」

 

「……ううん、良くはしらないんだけれど。大切な人が毒に侵されていて、普通の薬じゃどうにもならないらしいの」

 

 タバサは聞いてもあまり答えたがらなかったが、様子を見るに、思いつく限りのことはやっているようだった。そのタバサにとってはあの薬はある意味では希望だ。しかし、シキがそれを否定する。

 

「……毒か。だが、あれには解毒といった効果はないはずだぞ」

 

「そうなんですか? 効果としては十分可能そうでしたが……」

 

 実際に効果を試してみたんだろう。お姉さまがそう言うからには相当なもの、本当にシキが言ったような効果があるのかもしれない。

 

「ああ。仕組みまでは知らないが、あれは純粋に体や精神の疲労、傷を治すだけのものだからな。まあ、それに関してはあれ以上のものはないだろうがな」

 

 それに対して指を顎を当てて考え込み、口を開く。

 

「それでも仕組みの一部でも分かれば、もしかしたら……」

 

「そうなのか?」

 

「恥ずかしながらまだ大したことは分からないので断言はできませんが、分かれば応用するとといったことも可能でしょう。分かれば、の話ですが」

 

「できるかもしれないんですか?」

 

 お姉さまの言葉につい声が大きくなる。タバサと知り合ったのは最近だが、助けてもらうばかりで何とかしてあげたいとずっと思っていたのだから。

 

 私の言葉に多少驚いたようにこちらを見たお姉様は、苦笑しながらあくまでできる「かも」と強調する。

 

「……そうか」

 

 そのやり取りを眺めていたシキはそう呟き、更に言葉を続ける。

 

「なら、預ける。そういったことができるのなら、俺が持っているよりもずっと有用だろう」

 

「……ですが」

 

 まだお姉様は納得しかねているようだが、それでは困る。

 

「いいじゃないですか、役に立つのなら。シキもそう言っているんだし」 

 

 その言葉に反省していないのかとばかりにギロリと睨まれ、さっきまでのことを思いだして一瞬ひるむが、今度ばかりはシキも助け舟を出してくれた。

 

「まあ、役に立つのなら俺も嬉しい。それに、貴重ではあるが最後というわけでもないからな」

 

 本人がそう言うのならと納得してくれたんだろう。しばし考え、「預からせていただきます」と言ってくれた。お姉さまがそう言うのなら安心だろう。やる気が出たのか、これから早速と戻っていく背中をそのまま見送る。

 

「……ところで、立たないのか?」

 

 お姉さまを見送る私に対し、疑問に思ったのか尋ねてくる。まあ、疑問に思うのも当然だろう。さっきから床に正座したままなのだから。

 

「立たないんじゃなくて、……立てないの。ずっと正座だったから」

 

 目をそらして答える。正座だった時間が長すぎて、痺れるのを通り越して感覚がない。

 

「……そうか」

 

「な、何しているのよ!?」

 

 いきなり抱えられらげ、慌てる。ひざの裏と背中に手を回して抱えられ、まあ、いわゆるお姫様抱っこというやつだ。私は慌てるのだが、シキは意に介した様子はない。

 

「歩けないんだろう? だったらこの方が早い」

 

「だからって……。ふ、普通に背負えばいいじゃない!!」

 

 学院内をお姫様抱っこで部屋までなんて、いくらなんでも恥ずかしすぎる。対して、困ったように口を開く。

 

「背負うと……刺さるからな」

 

 その言葉に首の後ろへと視線を移し、ああ、と納得する。最近は服に隠れていて忘れていたが、首元に角のようなものがある。確かに背負いなんてしたら刺さるかもしれない。

 

「う、うう、でも……」

 

「なら、やめておくか?」

 

「……いいわ。運んで頂戴」

 

 せっかく運んでくれるって言っているんだし。それに、こういうのに憧れがなくもない。何だかんだ言って、結構たくましいし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 外に出る時よりも幾分足取り軽く、部屋へと向かう。具体的に何かが変わったというわけではないが、それでもモチベーションが違う。そうなると考えも前向きになってくる。全く新しい考え方が必要というヒントも得た。外に出る前ならヒントとも思わなかったかもしれないが、今なら違う。新しい理論をと前向きになれる。とりあえず思いつく限りのものを頭の中で組み立てながら、ドアのノブへと鍵を差し込みそのままひねる。

 

「……開いている?」

 

 感触のおかしさに眉をひそめる。外に出る前に確かに鍵は閉めていったはずだ。幾分警戒気味にゆっくりと扉を開いて中を覗き込み、思わず息を呑む。

 

「な、何これ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うう。やっぱり止めておけば良かった……」

 

 ベッドに倒れこんだまま、部屋の中で一人呟く。

 

 他の生徒に見られるかもしれないということは当然覚悟していた。――でも、よりにもよってキュルケに見られるなんて思わなかった。

 

「あらあら、良かったわねー。お姫様抱っこなんてなかなかないわよ? ふふ お人形さんみたいで可愛い」

 

 本当に微笑ましいものを見るような目で見られた。しかも、去り際に

 

「――この前のかけは有効だから。夜はいつでもお相手するわ」

 

 そう言ってからこちらをちらりと見て

 

「ルイズじゃ抱きがいがないしねー」

 

 ときっちり馬鹿にしていった。

 

 シキはシキで 

 

「いや、喜ぶ人間は喜ぶ。だから心配するな」

 

 と真顔でフォローにもなっていないことを言うし。ついでに、無理して殴ろうとしたら 首を傾けてあっさりよけられた。

 

 そんなやり取りを思い出しながらばんばんとベッドを殴りつけてもだえていると、ふと外が騒がしいのに気づく。扉の外なので何を言っているかまでは分からないが、複数の人間が口々に話しているようだ。貴族とはいえまだ学生なので騒ぐこともあるが、こういったことは珍しい。少しばかり気になったので扉を開けてみる。

 

 扉から身を乗り出し、声の聞こえた辺りに目を向けるとちょうどキュルケとタバサがいる。騒いでいたのはこの二人ではないようだから、おそらく声は他の生徒のものだったんだろう。とりあえず、さっきのことは忘れて聞いてみよう。

 

「ねえ、何があったの?」

 

「――あら、ちょうどいいわね。あなたのお姉さんの部屋に泥棒が入ったみたいよ。見てきた方がいいんじゃない?」

 

 こちらに気づいたキュルケが気になることを言ってくる。

 

「え? どういうことなの?」

 

 キュルケは知らないとは思うが、反射的に聞き返してしまう。

 

「さあ? 私も聞いただけだしね」

 

 言葉通りなんだろう。となると、実際に行ってみないと分からない。

 

「とりあえず、お姉さまの所に行ってくるわ」

 

「……私も行く」

 

 声に振り返るとタバサだ。あの薬の為だろういうことは分かっているが、手伝ってもらってばかりだ。感謝すると同時に、私も何かしてあげたいと思う。……残念ながら思いつかないのだが。

 

「あら、あなたからそんなことを言うなんて珍しいわね。……そういえば、最近あなたたち仲が良いものね。んー、そうね。私も行くわ」

 

 キュルケは少しばかり考え込むと、そう言ってあとを追ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 職員寮の方に来たのだが、人だかりができている。まあ、場所のせいか遠巻きにだが。私たちもあまり近くまで行くわけにはいかないので、同じような距離から見渡してみる。右から左へと視線を移す中で、ちょうどお姉さまが見えた。声までは聞こえないが、他の教師と話しているのが分かる。それなら直接聞く方が早い。

 

 しばらく待つと話が終わったので、お姉さまの方へと向かう。

 

「お姉さま。何があったんですか?」

 

「あら ルイズ。戻ったら部屋が荒らされていたのよ。……それに、変なものまで盗まれていたし」

 

 お姉さまの性格なら激昂しても良さそうなものだが、その様子がない。むしろ元気がないように見える。いったい何を盗まれたんだろうか。 

 

「変なものって何ですか?」

 

 こちらを見て言いにくそうにしていたが、ゆっくりと口を開く。

 

「その……下着よ」

 

「そのものを盗んで何に……」

 

 思わず正直な感想がもれる。わざわざ下着なんてものを盗む理由が思いつかない。そんなことを考えていると、不意に後ろから声が聞こえてきた。

 

「……そういうものが好きなやつは、ここにもいるんだな」

 

 振り返ると部屋の外へ出ていたシキがいつの間にやら立っていた。

 

「あら、あなたも来たのね」

 

 それに気づいたキュルケが手で軽く挨拶する。

 

「まあ、ここまで目立っていたらな」

 

 もっともだ。それで私たちもここへ来たわけだから。ふと気づいたのだが、さっきからタバサがなぜかおとなしい。どうかしたのだろうか?

 

 と、そういえばさっき気になることを言っていた。

 

「そういうものが好きってどういうことなの? 下着なんかどうするのよ?」

 

 わざわざ他人のものを盗んでも仕方がないはずだ。

 

「どうするって……その、かぶったりでもするんじゃないか?」

 

「「え」」

 

 声が重なる。お姉さまは自分のものをそんな風に扱われるのを想像したんだろう。心底嫌そうな顔をしている。まあ、それは分かる。もし自分のものだったらと思うと……嫌過ぎる。

 

「そ、そんなことをして何が楽しいんですか?」

 

 その予想外の答えに、お姉さまが食って掛かる。まあ、当然の反応だ。

 

「俺に言われてもな……。盗んだやつにでも聞いてくれ」

 

 彼自身理解はできないんだろう。困ったように答える。

 

「そ、そうですよね……」

 

 珍しく気落ちしている。その辺りは仕方がないのかもしれないが。となると話題を変えた方がいいだろう。

 

「他に盗まれたものはないんですか?」

 

「え、それはまだ……。クローゼットを中心に荒らされていて、他はまだ確認していないから」

 

 さすがのお姉さまも慌てていたということだろう。普段ならこういったことはないはずだから。

 

「もしかしたら金品も盗まれているかもしれないな。確認した方がいい。もしそうなら換金するだろうから手がかりになるしな」

 

 シキが冷静に言う。確かにその通りかもしれない。

 

「……なら、私も手伝いましょうか? どうせ片付けないといけないでしょう?」

 

 横からキュルケが申し出る。

 

「……そうね。お願いできるかしら?」

 

 なんで、と思ったけれど、キュルケならとも思う。よくよく思い出してみると、キュルケはなんだかんだで面倒見がいいのよね。家同士は敵対しているのに、私のことも結構気にかけてくれているみたいだし。まあ、普段は別だけれど。

 

「ルイズ。何ボーっとしてるのよ? あんたの姉なんだから、当然、あんたもよ」

 

「……分かっているわよ」

 

 やっぱり素直に感謝できない。今までのことからかなかなか直りそうもないが、いつかはとは思う。

 

「……私も手伝う」

 

 見ればタバサも手伝ってくれるそうだ。本当にこの子には頭が上がりそうもない。

 

「――私も手伝いますよ」

 

 第三者の声に皆が振り返れば、ミス・ロングビルが笑顔で立っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはどこに?」

 

「ああ、それは……そこのクローゼットの中に」

 

 部屋の中を片付けながら、何がないのかも確認していく。しかし、それでも大した手間はかからない。人数が多いこともあるし、何より、単なるカモフラージュの為に荒らしたのだから。馬鹿な貴族共ならともかく、少なくともこの姉妹に嫌悪感はない。まあ、カモフラージュの分ぐらいは許容範囲ということで。

 

 

「……あら?」

 

 隅の実験器具を並べている場所に目を向けたエレオノールが小さく声を上げる。

 

「どうしました?」

 

 自分でもわざとらしいとは思う。なにせ、盗んだのは自分なのだから。……欲を言えばせっかくカモフラージュに荒らしたのだから、できればもう少し遅らせたかったのだが。隠したかったものに早速気づいてしまったようだ。

 

「……ないわ」

 

 せわしなく視線を動かし、もしかしたら別の場所にあるのではと探している。もちろん、私が持っているのだから見つかるはずはない。 

 

「何がないんだ?」

 

 横から本来の持ち主が声をかけてくる。それに対して、言いづらいそうに戸惑いながら答える。

 

「あの、あなたから預かった薬、確かにここにおいておいたはずなんですが……」

 

 指でその場所を指し示すが、何かを調べるように器具は並んでいても、その中心にあるべきものがない。並んでいるものは調査用にもかかわらず、その対象となるべきものがないのだ。

 

「盗まれたということ!?」

 

 さっきから様子を伺っていたらしいタバサが、間に入ってくる。慌てており、いつもと様子が違う。私の知る限り、成績などに関しては間違いなくトップクラスであるが、このように感情を出すということはなかったはずなのだが。

 

「ないんだったら、そういうことになるのかしらね」

 

 ついで、こちらの様子を見に来たキュルケが口を開く。タバサの様子に関しては私と同様の感想なのか、訝しげな視線をそちらへと向けている。

 

「もしかしてあなたが……」

 

 何かに気づいたのか、タバサへと視線を向けたエレオノールが言う。この様子を見る限り、タバサがあの薬のことを必要としているということなのだろうか? 二人に対して交互に視線を向けるが、エレオノールの方は考え込むように、タバサの方は珍しく感情をはっきりと表しており、その予想は当たっているのかもしれない。

 

「……まあ、かえって好都合なのかもしれませんね」

 

 不意に、エレオノールが視線を横へと向けながら言う。

 

「どういうこと?」

 

 それに対して承服しかねるのか、タバサが殺気立った様子で口にする。子供じみた見掛けに反し、十分な威圧感を持っている。この様子からすると、子供だと思ってかかったなら痛い目にあうだろう。後々のことを考え肝に銘じる。しかし、好都合というのは気になる。

 

「何か手がかりでもあるんですか?」

 

 これは絶対に聞いておかなければならない。こういった、もしかしたらということを警戒してわざわざ様子を見に来たのだから。

 

「確認しましたが、サンプルにと分けていたものは残っています。うまくいくかは五分五分ですが、それを使って探索することもできるはずです」

 

 視線をこちらへと戻したエレオノールが一息に言う。五分五分とは言っているが、十分に自信が感じられる。――これは、できると思った方がいいだろう。

 

「……それはすごいですね。すぐにでも可能なんですか?」

 

 今すぐにできるとなると非常にまずい。何せ、今は自分の懐にあるのだから。

 

「さすがにすぐというわけには。準備があるので、明日の朝にはといった所でしょうね」

 

 苦笑交じりにといった様子で口にする。とりあえず、すぐにはできないということで一安心といった所だろうか。 

 

「そうですか。もしできたのなら私にも手伝わせて下さい」

 

 少しばかり考える仕草を見せ、申し出る。何をするにせよ、様子は確認しなければならない。

 

「私も探す」

 

 私に続いて、予想通りタバサも手を挙げる。理由は、やはり聞いておくべきだろうか。

 

「……一ついいですか?」

 

 タバサに対して言う。返事はないがそのまま続ける。

 

「なぜ、あなたまで? あまりそういったことには関わりたがらなかったと記憶しているのですが……」

 

 それに対して、口にするべきか迷っていたようだが、私が諦めないと思ったのか、簡潔に答える。

 

「私にはどうしても必要」

 

 なぜという答えとしては不十分。しかし、表情を見る限り、どうしても必要としていることは十分に理解できた。決して諦めないだろうということは。

 

「……まあ、そこまで言うのなら私も手伝うわ。あなたには色々と手伝ってもらっているしね」

 

 横からキュルケが言うのを聞いて、一瞬表情が緩んだように感じたが、次の瞬間には戻っていた。しかし、面倒なことになった。とりあえずは隠すにしても、どうするか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の朝、準備ができたということで、昨日のメンバーがエレオノールの部屋へと集まった。結局、皆が行くということになったのだ。

 

「これで調べることができるはずです」

 

 手の中にあるものを示しながらエレオノールが告げる。その手の中にあるのは……羅針盤、だろうか? 羅針盤自体も遠目にしか見たことがないので良くは知らないが、なんとなく似ているように思う。盆のようなものに液体が満たされ、周りには何らかの模様が描かれている。羅針盤であれば方位なのだろうが、これは別の意味をもっているんだろう。まあ、探知用なのは間違いないはずだから、似たようなものなのだろう。問題は、これがどこまで使えるかだ。

 

「それで調べられるんですか?」

 

 皆の疑問をキュルケが代弁する。幾分胡散臭げだが、それも仕方がないだろう。そう大層なものには見えないのだから。

 

「……まあ、やってみれば分かるはずです」

 

 胡散臭いということは承知しているのだろう。論よりも証拠と準備を始める。ルイズへと盆を渡し、残っていたというサンプルだろう、小さな容器に入ったそれを懐から取り出し、盆の中心へと据える。そして、何やら呪文を唱える。すぐには変化が分からなかったが、ゆっくりと盆の周りの模様が光を放つ。端の一部分だけが光っているが、どういった意味なのだろうか?

 

「……この光がある方向に、中心にあるものと同じものがあるはずです」

 

 その言葉に皆が視線を移せば……シキ? 皆の視線に気づいたのか、彼が横へと動く。しかし、それに合わせて光の示す方向も変わる。

 

「「「「「え?」」」」」

 

 彼以外の皆の声が重なる。更に彼が動くが、光も更に動く。その様子に彼が止まるが、ややあって、思い出したように懐から私が盗んだものと同じ瓶を取り出す。

 

「……まだ他にも持っているだけだ。だから、そんな目で見ないでくれ」

 

 困ったように言う。私は違うと分かっていたが、他の者はそうは思わなかったんだろう。キュルケなどは「言ってくれれば下着ぐらい……」とまで言っていた。

 

「……えっと、それを貸していただけますか?」

 

 エレオノールが困ったように言うが、彼女も半信半疑ということなのだろう。ちょっと、悪いことをしたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三人寄れば姦しいとはよく言ったものだが、確かに目的の場所へと向かう馬車の中は少々騒がしい。まあ、主にヴァリエール姉妹とキュルケだが。最初はルイズとキュルケの二人のだけだったのだが、下着から胸に関しての話題になった時に姉も参加してきた。

 

 なんだかんだで胸のことは気にしているんだろう。姉妹揃って小さいし。妹の方は全くと言っていいほどないが、姉の方も……見た所似たようなものだ。家同士もそう仲が良くなかった所に気にしている話題が加わったのだから、これはある意味当然なのかもしれない。

 

 それよりも、今は考えることがある。まだばれてはいないけれど、どうしたものか……。昨日も考えていたのだが、結局思いつかなかった。とりあえず、ということでほとんど使っていない隠れ家においてきたのだが。考えながら、何時ものように本を読んでいるタバサへとちらりと視線を向ける。見た所あまり集中できていないようだ。理由は、たぶん薬のことが心配なんだろう。

 

 ……まあ、どうしても必要だって言うなら仕方ないか。やっぱりそういうのは、ね。でも、こんなチャンスはないだけに残念だ。思わずため息が出る。

 

 

「……どうした?」

 

 馬を操りながらシキがこちらへと尋ねてくる。最近になって初めてやったということで慣れてはいないようだが、私がやるといっても、男がやるべきだと聞き入れなかった。相変わらずそういったことには拘る人だ。もちろん、好ましいといえばその通りなのだが。

 

「いえ、下着を盗むような相手はどんな人間なのかなぁと思って……」

 

 その言葉にまずエレオノールが嫌そうな顔をして反応する。そのあたりに関しては他の人間も同様だ。まあ、それも仕方ないか。どう考えても碌なやつじゃないだろうし。カモフラージュに、それでいてあまり迷惑が掛からないものをと下着も盗んでおいたけれど、余計なことをしたかもしれない。実際、大した意味はなかったのだから。こう、詰めが甘いのは自分の欠点だ。反省しないといけない。もっとも、今日をうまく乗り切れたら、の話だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下着と薬は、林の中の目立たない所にあった小屋であっさり見つかった。まあ、当然と言えば当然だ。別に隠すように置いていたわけではないのだから、大体の場所さえ分かってしまえばすぐに見つかる。小屋自体は見つけづらくても、方向が分かってしまえば意味がない。

 

 

「案外あっさり見つかりましたね。犯人も見当たりませんし、戻りましょうか」

 

 私がそう言うが、エレオノールの「なぜ?」という言葉にあっさり否定される。

 

「なぜって……危ないですし……」

 

 自分でも説得力はないとは思うが一応言ってみる。

 

「どんな危険があると?」

 

 エレオノールが言いながら見渡すと、皆が頷く。

 

「……ですね」

 

 メイジがこれだけ集まっており、何より彼がいる。正直、敵になるものというのが思いつかない。でも、そういうわけにもいかない。

 

「ええと、探す方法も……」

 

 なんとか帰るように誘導しようと思うが、またもやエレオノールに抑えられる。

 

「薬の方と同様、中に髪の毛でもあれば探せるはずです。下着泥棒など放っておくわけにも行きません」

 

 その言葉にまたもや皆が頷く。タバサなどはその身に不釣合いな杖を抱え、天罰などと物騒なことを言っている。一番やる気のなさそうなキュルケですら乗り気だ。

 

「……そ、そうですよね」

 

 ……どうしよう。このままだと非常にまずい。しかし、いい手が思いつかない。考え込んでいると、横から声をかけられる。

 

「……さっきからどうしたんだ?」

 

 この人には、下手なことを言うと見抜かれるかもしれない。いつもの様子と変化はないが、墓穴を掘らないようにしないと……。

 

「い、いえ 犯人が出たら怖いなーって……」

 

「あなたなら大丈夫でしょう。実力もかなりありますし」

 

 横からキュルケに言われる。

 

「ま、まあそうなんですが……。心理的にですね、嫌だなーって……」

 

 顔の前で手を組んで誤魔化してみるが、さっきから余計なことを言っている。もう、しゃべらない方がいいかも……

 

「話はそれくらいにして、早速中を調べましょう。髪の毛などがあれば探せますが、時間が経って遠くに行かれると面倒ですから」

 

 どうしよう。……何か、手は打たないと……

 

「……あ、私はこの周りを見てきますね。もしかしたらまだ近くにいるかもしれませんし」

 

 荒っぽいが、ゴーレムで小屋を潰せば何とかなるはずだ。

 

「……そうだな。なら俺も行こう」

 

 シキが名乗りを上げる。普段なら頼もしいことこの上ないが、今はこれ以上ないほど困る。

 

「い、いえ、一人でも大丈夫ですから……」

 

 何とか一人で行こうと思うが、またもやエレオノールにあっさり否定される。

 

「さすがに一人だとまずいでしょう。こちらは心配ありませんし、お二人の方がこちらとしても安心ですから」

 

 二人とも善意なんだろうが、今は何よりそれが困る。

 

「……そうですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他の皆を小屋に残し、二人で外に出る。

 

「えーと、……とりあえず行きましょうか」

 

 彼が「ああ」と頷くのを確認して、小屋からは死角になっているような場所へと歩き出す。

 

 とりあえず、どうしよう。ゴーレムでもけしかけて小屋ごとなくしてしまうというのが一番手っ取り早かったのだが、このままだとそれもできない。ちらりと、私に少し遅れて歩く彼へと視線をめぐらせる。――何にせよ、まずは一人にならないと。もう少し小屋から離れたら、気は進まないが、やるしかない。

 

 しばらくは取り留めのないことを二人で話しながら進み、頃合を見て立ち止まる。

 

「……あ、あの、ちょっと一人になりたいんですが」

 

「どうしてだ?」

 

 当然の疑問を彼が口にする。

 

「その……トイレに……」

 

 演技でもなんでもなく顔が熱を持つのが分かる。こんなことは言いたくはなかったのだが、他に一人になれるような口実が思いつかなかったのだ。……恥ずかしいが、仕方がない。彼も納得したのか、離れた所へと歩いていく。うまくいったのはいいが、なんとも言えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きゃーーーー」

 

 ……自分でもわざとらしい悲鳴だとは思うが、その辺りは仕方がない。今大事なのは、このまま小屋だけでも壊してしまうことだ。証拠さえなくなってしまえば後はどうとでもなる。ゴーレムの手の中で、考える。

 

 ゴーレムの手の中にいれば、人質ということになる。私はゴーレムに関してはそこらのメイジには負けない。特に、大きさと再生能力に関しては自信がある。うまく人質になって大技さえ使わせなければ、小屋を破壊するまではなんとか――いや、持ちこたえてみせる。彼も戻って来たが、手を出しあぐねているようだ。しかし、いつまでもそうはいかないだろう。早く小屋の方へ行かないと。そう考え、周りにある木をなぎ倒しながら、ゴーレムを進ませる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴーレムが近づいてくる音に気づいたのか、小屋の中から皆が出てくる。戦闘に慣れているのかタバサがすぐに氷の槍を作って攻撃を仕掛けてくるが、質量が違う。その程度はどうということもない。それに倣って他の者も攻撃に加わるが、結果は同じだ。小回りが利かないのが地の魔法の欠点だが、ゴーレムはタフネスや破壊力では他の魔法の数段上を行く。そのまま気にせずに小屋へと歩みを進める。

 

「――皆さん、小屋から離れてください!! ゴーレムの狙いはその小屋のようです!!」

 

 その言葉に、皆が一旦攻撃の手を緩め、離れる。それを確認し、空いている方のゴーレムの腕を振り上げ、そのまま振り下ろす。木でできた粗末な小屋だ。何の抵抗もなくばらばらになる。――とりあえず、これでやることはやった。あとは適当に隙を見せて破壊させればいいだろう。そんなことを考えていた所へ、背中に爆発音が聞こえる。ゴーレムを振り返らせると、特徴的な髪。やはりルイズだ。この子は完全な素人。下手に動かれては困る。

 

「ミス・ヴァリエール!! あなたの魔法では歯が立ちません!! 逃げてください!!」

 

 そのまま動かないわけにはいかないので、ゴーレムを彼女の元へと向かわせる。しかし、逃げるようなそぶりは見せず、こちらを見据える。他の者も魔法を唱えるのを中断し、逃げるようにと言うが、聞き入れようとしない。

 

「――いやよ!! 私だって戦えるんだから!! 敵に後ろ見せない者を貴族と言うのよ!! 私だって――ゼロのルイズじゃないんだから!!」

 

 そう一息に言うと再び呪文を唱え、いつもの爆発を起こす。――しかし、その程度でどうにかなるようなものではない。

 

「逃げてください!!」

 

 言うが、驚いたように見上げるだけで、逃げる様子がない。しかし、動かないわけにはいかない。やむを得ずゴーレムの足を持ち上げ、おろす。頼りになる彼女の使い魔を期待して。

 

「命を粗末にするな」

 

 声の方を見ると、いつの間にかルイズの側に来ていた彼が彼女を右手に抱えていた。最初はどうなるかと思ったが、期待通り彼が何とかしてくれたようだ。こんなことで死なれては後味が悪すぎる。演技でもなんでもなく安堵の溜息が漏れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あ――っ――」

 

 いきなり抱きかかえられ、思わず声が漏れる。そのままシキが一足飛びにゴーレムから離れ、ゆっくりとおろされる。そして、その相手を見上げる。

 

「――邪魔しないでっ!!」

 

 助けられたのは分かっている。でも、口から出たのはそんな言葉だった。

 

「あのままだと死んでいたぞ」

 

 ゴーレムを見据えたまま、いつものような感情の薄い言葉で言う。――いっそのこと、叩かれでもした方が気が楽だったのに……

 

「……分かって、いるわよ。でも、いつも馬鹿にされて……逃げたら、また、馬鹿にされるじゃない。私には……あんたみたいな力はないんだから!!」

 

 自分でも滅茶苦茶だ。八つ当たり……八つ当たりにすらなっていない。でも、最高の使い魔に、最低の主人だということがそう叫ばせる。今まで馬鹿にされてもずっと泣かないようしてきたけれど、知らず涙が流れる。

 

「お前にもある」

 

 静かに、そう口にする。

 

「――え?」

 

 自分にそんなもの……

 

「お前は俺を召喚した。俺が――お前の力だ」

 

 一息に言い切る、でも、それは……

 

「……私は……何も、できないし……」

 

 言いながら俯いてしまう。言葉にして、尚更自分が情けなくなる。

 

「……俺が力を貸す」

 

 そう言うと、私の方に手を伸ばし、小さく聞いたことのない呪文を唱える。思わず見上げ――体が熱い?

 

「な、何? 何をしたの?」

 

 なんだか分からないけれど、体が熱い。思わず両手を見てみるが、魔力の流れが全然違う。今なら、いつもよりもずっと大きな魔力を使えそうだ。

 

「一時的にだが、魔法の潜在能力を引き出した。今なら多少は戦えるはずだ」

 

 あっさりと言うけれど、そんなことが……。いや、シキならできるのかもしれない。

 

「でも、私じゃ当てられないもの……」

 

 シキが言うぐらいだ。たぶん、今ならあのゴーレムにも通じるような爆発を起こせるだろう。しかし、狙いがうまくいくとは思えない。前にシキと戦ってみた時も、自分じゃうまくコントロールできなかった。このままだと、ただ大きな爆発を起こせるというだけだ。

 

「心配するな。俺が側まで連れて行く。――それでも、できないのか?」

 

 ゴーレムから私へと視線を向け、試すように見据える。――そこまで言われて、できないなんて言えるはずがない。

 

「――やれる、やって見せるわよ!! 私だって、何時までもゼロじゃないんだから!!」

 

「良く言った」

 

 シキが嬉しそうに言った。今度は、感情がはっきりと見える言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……もう少し、かな? エレオノールと、タバサ、二人で一定の距離を保ちながら氷の槍で少しずつゴーレムを削っていく。足を中心に狙うそれは同時に足止めにもなっており、そこをキュルケが狙う。

 

 ――消耗を狙ううまいやり方だ。ゴーレムは破壊力といった面では強い。しかし、小回りが利かないというのと同時に、維持にも魔力を消費し、燃費が悪い。足を止め、破壊すれば更に魔力を削ることができる。このままいけば、ごく自然に逃げたと思わせることができるはずだ。それに、ルイズを連れて下がった彼が戻ってくれば一気に片がつく。――そんなことを考えているうちに彼が戻ってきた。しかし、左手に抱えているのは……ルイズ? なんでわざわざ……

 

「シキさん!! 彼女がいては危険です!!」

 

 言うが、答えたのはルイズの方だった。

 

「私だって戦えるわ!!」

 

 そんな予想外のことを言う。そして、彼が更に予想外のことを。

 

「ルイズと俺で何とかする!! 三人は下がっていてくれ!!」

 

 そう言うが、納得できるようなものではない。確かに、彼の腕の中ならばルイズは安全だろう。しかし、それでは片手が自由とはいえ、彼が動きづらい。彼が一人だというのならまだ分かる。それなのに、そこまでして連れて行っても、ルイズの起こす爆発程度では力不足もいい所だ。ここにいる誰もが納得していないが、彼が片手に抱えたまま駆ける。しかし――速い。そうなると動かないわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……行くぞ」

 

 そう私を抱えたまま言うと、走る。馬が遅すぎると感じるほどの速さだ。ゴーレムからは30メイル以上離れていたが、それが一瞬でなくなる。思わず意識を手放しそうになるが、歯を食いしばって耐える。ここで気を失うようでは本当の役立たずだ。意識を集中させ、いつもよりもはるかに調子の良い魔力を、いつもの何倍もまとめる。

 

 

 頭上で、何か巨大なものがうなりを上げて過ぎていく。

 

 遅れて、大木を更にまとめたようなゴーレムの腕が一瞬前にいた場所に振り下ろされるが、走る速さに比べて遅すぎる。危なげなくかわすと急停止し、逆にゴーレムの腕へと向かい、それを足場に駆け上がる。

 

「――出番だ」

 

 そんなこと、言われるまでもない。杖を振り上げ、一気に魔力を開放する。

 

「――ファイヤーボール!!」

 

 爆音ともに、ゴーレムに穴があき、瓦礫の山が地面にできる。このゴーレムにしては一部ではあるが、それでも相当の威力。今までになかったような爆発だ。

 

 ……もしかしたらきちんとファイヤーボールが使えるかと期待していたのだが、そんなに甘くはなかった。しかし、威力に関しては上だ。ゴーレムの頭部へと放った魔法は、穿たれた穴を中心に上へ下へと大きなヒビを入れている。しかし、まだ破壊するには至らない。

 

「……次で仕留めるぞ」

 

 そう言うと、再びゴーレムの肩を足場に蹴り、離れる。

 

「分かったわ!」

 

 私は次の攻撃のために、集中する。爆発がコンプレックスだった今までとは違い、自分の魔法としての爆発を起こすために。

 

 再び、ゴーレムの巨大な腕がうなりを上げる。

 

 ただし、先ほどまでの勢いはなく、体の一部を地に落としながらだが、当たれば人間などひとたまりもない。それでも、怖くはない。私の使い魔は最強だから。シキは期待に答えるように危なげなくかわし、今度はそのまま飛び上がり、ゴーレムの前へと行く。

 

「――ファイヤーボール!!」

 

 再び魔法を放つ。巨大なゴーレムだったが、二度目の爆発を受け、ヒビからどんどん崩れていく。

 

 ……しかし、唱える呪文がファイヤーボールでいいんだろうか? なんと言うか、色々と間違っている気がする。そんなことを考えているうちに着地する。ゴーレムに目を移せば、表面から剥がれ落ちていく。そして、太い腕が……

 

「――ミス・ロングビルが!!」

 

 途中から忘れていた。そういえば、人質になっていたんだった。

 

「任せておけ」

 

 私を左手に抱えたまま、ミス・ロングビルの捕らえられたゴーレムの腕へと向かう。

 

「――シャアアアアア――――」

 

 大きく右腕を振り上げると獣の雄たけびのような声を上げ、そのまま一気にゴーレムの腕へと振り下ろす。

 

 まるで指の先に巨大な爪でもあるように大木のようなゴーレムの腕を、それどころか地面にまでまっすぐと亀裂が入っている。砕かれた破片が地面に落ちていく。

 

 やったことにもだけれど、声にちょっとびっくりした。というか、こんなにあっさり切り裂けるんだったら私がやる意味は……。いや、そんなことを気にしてはいけない。やったことに意味があるんだから。――そう思わないとやっていられない。

 

 軽く地面を蹴るとシキはそのままミス・ロングビルも右腕で捕まえる。様子を見てみるが放心状態のようだ。――なにせ、捕まえられている所ぎりぎりで切断されているのだから。たぶん、自分ごと切られると思ったんだろう。逆の立場だったら同じように感じたと思う。

 

 一拍だけ遅れて、ゴーレムも完全にばらばらになる。

 

 着地すると同時に、大量の土砂が土煙を上げる。小山のように積み上がったその残骸を見て、改めて良くこんな大きなゴーレムを破壊できたと思う。アレだけの大きさ、少なくともトライアングル、もしかしたらスクエアクラスのゴーレムかもしれない。そんなことを考えているうちに、周りに皆が集まってくる。

 

 

「大したものじゃないの、ルイズ。あれだけの事ができればあなたの爆発も立派な特技よ」

 

 キュルケが駆け寄ってくると同時に言う。いつもだったら爆発なんてと反発するが、今日は……素直になれると思う。

 

「……その……ありがとう」

 

 キュルケにお礼なんていったことがないから照れくさい。最後の言葉は心持ち小さくなる。でも、キュルケもなんだか照れくさそうだし、お相子だ。

 

「……すごかった」

 

 タバサが素直に褒めてくれる。これは、素直に嬉しい。

 

「……ありがとう」

 

 魔法で人に認められたのは、本当に初めてのことだ。本当の意味で嬉しい。さっきの涙とは違い、嬉しさで涙が出てくる。こんな涙なら悪くはない。でも、まだ言わなくちゃいけないことがある。私を抱きかかえてくれている相手へ視線を向ける。

 

「ありがとう。あなたのおかげで自信が持てそうよ。……本当にありがとう」

 

 これは私の本心からのもの。だから、何の衒いもなく口にできた。ずっと、言いたかったことだから。

 

「俺はお前の使い魔になったんだからな」

 

 こっちも嬉しそうで、珍しく少しばかり照れくさそうだ。表情にはそう表れていなくても、何となく分かる。そして、そんなことも何となく嬉しい。

 

「……また、力を貸してくれる?」

 

「ああ」

 

「……一緒に、いてくれる?」

 

「ああ」

 

「……ありがとう」

 

 いつもと違って随分素直になれている。――でも、それくらい嬉しい。

 

 

「――ただし、今日のことは危なかったな」

 

 急に、雰囲気が変わる。表情は変わらなくても、声のトーンが冷たくなった。

 

「……え? ……怒って、いるの?」

 

 恐る恐る聞いてみる。

 

「まあ、な。しかし、叱るのは俺の役目じゃない」

 

「え?」

 

 言葉と同時に、後ろから肩に手が置かれる。……振り返りたくない。

 

「私の役目――ですね。とりあえずルイズをこちらに……」

 

 地面へとおろされ、そのままずるずると力任せに引きずられる。

 

「ちょっと……いらっしゃい……」

 

 声が……怖い。助けてと視線をシキに送るが、目をそらされる。タバサもキュルケも自業自得とばかりに目をそらす。

 

「お、お姉さま……お、お手柔らかに……」

 

 声が震える。多分ゴーレム相手に死にそうになったときよりもずっと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……うー、さっきは死ぬかと思った。まさかゴーレムごと真っ二つにされそうになるなんて。その相手を恨みを込めて睨み付ける。抱きかかえられながらなので、様にはならないが。

 

「……自業自得だ」

 

 こちらを見ると、他の人間には聞こえないように小さく呟く。

 

「……え? もしかして……」

 

 ――ばれてた? 思わず驚きに目を見開いてしまう。それに対し彼が小さく頷く。

 

「……どうします?」

 

 私の運命は、文字通りこの人の手の中ということになる。

 

「……別に。分かった上での行動だからな」

 

 そうしれっと言ってのける。

 

「……とりあえず、後でお話を……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学院に帰り、一応の報告を済ませると、そのままフリッグの舞踏会へと参加することになった。広々とした会場では着飾った生徒や教師がテーブルを囲み、歓談している。私もそれに見合うよう、一張羅の胸元と背中が大きく開いたコバルトブルーのドレスを着込み、その会場にいる。胸元にある、もらったエメラルドのペンダントを握り締め、目的の人物を探す。

 

「探しているのは俺か?」

 

 後ろから目的の人物に声をかけられた。

 

「……随分似合っていますね」

 

 思わず苦笑する。あまりにも服装が似合いすぎていたからだ。黒のタキシードに身を包み、ご丁寧にも胸元には真っ赤な蝶ネクタイをしている。ヴァリエール姉妹に用意されたんだろう。おそらく相当上等なものなのだろうが、、貴族というよりは、立派な執事といった様子だ。

 

「……あまり、着たくはなかったんだがな。パーティーである以上仕方がない」

 

 そう、少しばかり不貞腐れた様に言う。こういったところは微笑ましい。戦うときとは別人だ。しかし、今はそれよりも話すべきことがある。

 

「……向こうのテラスには人がいないのでそちらへ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まず、一つ聞かせていただいてもいいですか?」

 

 彼が小さく頷くのを確認して続ける。

 

「……何時から、気づいていたんですか?」

 

 気づかれないようずっと行動してきたはずだ。しかし、答えは予想外のものだった。

 

「ほとんど最初からだな。……最初から行動がおかしかった。そうでなくても、人質になった割には交渉だとかいった様子も、近くに犯人がいる様子もなかったからな」

 

 ……あー、つまり、一人で踊っていたと。

 

「……どうしますか?」

 

 どういうつもりなのか、確かめなければならない。

 

「別に……。盗んだのはともかく、タバサのことを見てからは返す気だったんだろう? ……もともと悪人じゃないようだしな。もうそういったことをしないというのなら、俺から言うことはない」

 

「……そんなこと、分かりませんよ。もしかしたら単なる悪人かもしれませんし……」

 

 ――少なくとも、盗人には違いがないのだから。軽蔑されたって仕方がない。

 

「その時は、俺が責任を取ろう。それでも、やるのか?」

 

 そう言うと、こちらを見据える。感情は見えないが、本気だろう。

 

「……あなたを敵には回したくはないですね」

 

 それは、正直な気持ちだ。

 

「なら、いいだろう。もうすぐルイズが出てくる。――今日の主役を祝福してやってくれ」

 

 そう言い残し、踵を返すと、会場へと戻っていく。

 

「……ふん。甘いね。――まあ、嫌いじゃないけれど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あら、シキさん。今までどちらへ?」

 

 戻った所でエレオノールに声をかけられる。燃えるような――とでも表現するのが相応しいような、真紅のドレスに身を包んでいる。デザインとしては肩だけを露出し、腕は同色の長いグローブで覆っている。ロングのスカートは右側にのみスリットが入っており、露出が少ないにもかかわらず、色気を感じさせるつくりになっている。――下半身に視線が行くようにして胸がないのもうまくカバーしている。

 

「――何か、失礼なことを考えませんでしたか?」

 

 少しばかり語気を強める。なかなかいい勘をしている。

 

「いや、別に。――それよりも、贈った物は身に着けてくれたんだな」

 

 首元には送ったチョーカーが見える。コーラルを全体にあしらった、銀糸で編まれたベルト状のものだ。

 

「――ええ。石の選択といい、気に入りましたわ。ありがとうございます」

 

 指でふれ、嬉しそうに言う。喜んでくれたなら贈った甲斐もあるというものだ。喜ばれれば、こちらも嬉しくなる。

 

 

「喜んでもらえたのなら何よりだ。また、後でな。――主役に会ってこないといけないからな」

 

 それに対して「ええ」と嬉しそうに言う。さっきはこれでもかというぐらいに叱っていたが、やはり心配だったからだろう。たとえ度が過ぎていたにしても、それもまた愛情だ。そうでなければ、本当の意味で叱ることはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたも楽しんでいる?」

 

 右手に持ったワイングラスを上げ、男に囲まれたキュルケに声をかけられる。相変わらず――いや、いつもよりも更に露出の多いドレスに身を包んでいる。首筋から胸元まで大きく開き、豊満な胸を惜しげもなく晒している。とはいえ、さすがは貴族ということだろう。下品さといったものが表れないようよう、絶妙なバランスだ。

 

 まあ、色気はもう少し抑えてもいいのかもしれないが。何せ、周りの男はほとんど胸に視線がいってしまっている。若い男には目の毒だろう。――といっても、そう俺と年は変わらないわけだが。むしろ、この反応の方が普通だ。

 

「ああ。しかし、男を誑かすのもほどほどにな。周りから怖い目で見られているぞ」

 

 言葉の通り、遠巻きにだが女生徒達が睨んでいる。こう男を集められたのなら、こういった反応もあるだろう。イメージでしかないが、こういったパーティの場というのは、将来の相手を見つけるためのもののはず。その相手をかたっぱしから集められてしまってはこの反応も仕方がない。

 

「あら、私の二つ名は“微熱”。こういったことは当然よ。できればあなたともお付き合いしたいものだけれど」

 

 少しばかりからかいを含めたように言う。周りの男は気が気でないだろうが、それは惚れた相手が悪かったと思うべきものだ。

 

「光栄だが、体力的に持たないだろう。主役に会いに行くからまた後でな」

 

 

 

 

 

「……体力的にもたない? ……えっと、私が、よね? そんなにすごいのかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よく、食べるな」

 

 黒いパーティードレスに身を包んだタバサが、一心不乱に料理を口に入れている。小動物を思わせるが、料理が消えていくペースが速い。確か、昔見た大食いタレントにあんな人間がいたような気がする。それもまた不思議だったが、タバサは更に小さいのだから、尚更疑問が大きくなる。いったいどこに食べた料理が入っているのか。そして、どうしてそれで太らないのか。そんなことを考えていると、こちらに気づいたタバサが口元を拭い、大事そうに皿を持ってくる。

 

「……私の気持ち。受け取って欲しい」

 

 そう言って、手に持った皿を差し出してくる。皿には……変わった野菜が載っている。……勘だが、これは食べてはいけないんじゃないだろうか?

 

「……ああ、ありがとう」

 

 一応お礼を言い、手に持った皿を見つめる。……もしかしたら、美味しいのかもしれない。

 

「……また今度、その時はゆっくりと……」

 

 そう言うと、また席へと戻り、食事を開始する。――ペースは変わらないんだな。そんなことを考えながら、手元の皿に載ったものを口に運び、思わず顔をしかめる。

 

「……悪意はなかった……はず。これは……決闘を申し込むという意味か?」

 

 ――いや、何を考えているんだ。見れば、今食べたものを、タバサは美味しそうに食べている。だったら、これは純粋な善意だ。……とりあえず、何か口直しを……。手の中の皿をテーブルに置き、次々にワインを呷る。一本空けたというのにまだ消えない。……どれだけ癖が強いんだ。というよりも、なんでこんなものを美味しそうに食べられるんだ……。もう少し食べ物を摘んで、ようやく消えた。

 

 ――その間にシエスタが来たが、逃げていった。まあ、それはいつものことだ。無理を言うわけにもいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しんでいるか?」

 

 一人でいたルイズに声をかける。桃色の髪を、贈ったバレッタでまとめ、大きく肩を露出した純白のドレスを着ている。綺麗――というよりも可愛らしい。小さな花嫁といった所だろうか。……まあ、両頬が腫れているのはご愛嬌といった所か。

 

「……うん」

 

 両手を胸の前で握り締め、少しばかり畏まった様子だ。珍しい。

 

「どうした?」

 

 聞くと、少しばかり照れたように俯き、ややあって顔を上げる。

 

「……ダンスの相手がいないの。もし良かったら――ううん、よろしければお相手願えないかしら?」

 

 頬を更に赤くしながらも、恭しく頭を垂れる。

 

「……ああ、喜んで」

 

 こんな場所で踊るようなダンスなどやったことはないが、それくらいは何とかしよう。せっかくのお姫様からのお誘いだ。むげに断るわけにはいかない。

 

 それに、こういったことも悪くはない。俺にはもうこんな時間は訪れないと思っていた。だったら、今を精一杯楽しみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――後日、小さな噂が広がった。曰く、土くれのフーケは下着も盗む、と。

 

 

「……ハハ……これは、廃業、かな」




前半・後半と分けていたものを結合


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第9話 Our Little Princess

「――どうした?」

 そう目の前の相手に問いかける。こちらが話しているのにさっきから後ろが気になるようで、ちらちらと視線を送っている。

「い、いや。なんでもない!」」
 
 少々慌てながら、珍しく大仰な身振りも含めて答える。何をそんなに慌てているのかと、さきほどまでの視線の先に目をやれば――

「ルイズがどうかしたのか?」






 そこにいたのはゼロのルイズだった。いつものように使い魔と――といっても何時もというわけではないが――何やら話している。さすがにこちらからでは何を言っているのか分からないが、少なくとも仲が良いというのが分かる。ルイズの方が一方的に喋っているようにも見えるが、それでも仲の良さそうなという印象は変わらない。

 

 それに、ルイズ自身なんだか楽しそうだ。今まで散々馬鹿にされてきたからだろう、いつもどことなく刺々しい雰囲気があったのだが、少なくとも今はそんな様子はない。なんと言えばいいのか、。愛らしい――、同い年の女の子相手そんな感想を持つというのはどうかと思うが、それが一番最初に思ったものだ。そういえば、この前の舞踏会の時のドレス姿も、素直に可愛らしいと思ったし、それでいて、綺麗だった。普通の貴族とはやはり違う、そう思わせるのに十分だった。

 

「――ほ、本当に何でもないんだ! ちょっと、気になっただけで……。それより、もうすぐ授業が始まるだろう。また怒らせるわけにはいかない」

 

 さきほど以上に慌て、話題をずらそうとしている。それだけルイズが気になるということか。

 

 ――まあ、それも分からなくは無い。ルイズは見た目は子供っぽいところがあるとはいえ、間違いなく美少女に分類される。美しく、それでいて可愛らしい桃色の髪。くるくると変わる表情は子供っぽくもあるが、見ていて飽きることのないそれは、傍にあるものとして好ましい。女性らしい膨らみに欠ける華奢な体も、見方を変えればルイズの可愛らしさを引き立てる。魔法が使えないという欠点があるにはあるが、あれだけの、正直、規格外の使い魔を呼び出している。となれば、すでに魔法が使えないと馬鹿にはできない。

 

 家柄、容姿、性格……には多少問題があるかもしれないが、少なくと前二つにおいて一級であるルイズに惹かれるというのも当然の話だ。それに、性格についても最近は変わってきたように見える。自分自身、ルイズは魅力的になったと思う。

 

「そうだな。またルイズの姉――今は先生か、怒らせるわけにはいかない。せっかく尊い犠牲になって、身をもって教えてくれたやつがいたんだ。それを無駄にするわけにはいかない」

 

 少しばかり茶化して返事をする。そういえば、あの人はルイズの姉なんだよな、と今さらながら思う。将来同じようになると思うと……ちょっと、怖いな。どう考えてもS、を通り越してそちら方面の女王様だ。少なくとも、姉の方は俺には無理だ。そんなこと考えているうちに教室の扉が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、それでは授業を始めましょうか。今日は前回の続きから……」

 

 全体を見回し、お姉さまがそう口にする。先日のこともあるのだろうが、お姉さまの授業は皆が真剣に聴いている。それは私も例外ではなく、授業中に文献を読んだりはしない。なにせ、面白いし、下手な本などよりもよほど為になるのだから。隣にいるシキも真面目に聴いているようだ。これもまた珍しい。最初の頃はともかく、最近は飽きはじめていたようだから。

 

 そういえば、お姉さまの授業にはシキも毎回出ている。他の教師の授業に関しては必ずというわけではないので、それだけお姉さまの授業は面白いということだろう。妹としては鼻が高い。ただ、シキは毎回授業に出るというわけではないので、椅子は用意していない。使わない椅子が有っては邪魔になるからだ。

 

「ねえ、立ったままじゃ疲れない? なんなら今からでも椅子を用意したって……」

 

 いくぶん声を潜め、隣に立っている相手に話しかける。

 

「いや、大丈夫だ。もう授業が始まったろう。ちゃんと聞いていないとまた叱られることになるぞ?」

 

 少しばかり私の方へと腰を落とし、耳元で囁く。声には若干からかうような響きがある。お姉さまは何かと私を叱る。まあ、理由が無くも無いんだけれど……、とにかくそのことをからかっているんだろう。

 

「……うー、分かっているわよ。あなたも途中で抜け出すなんて駄目よ?」

 

 お返しとばかりに、たまに抜け出すシキに言い返す。

 

「分かっている。それに、他の教師の授業に比べて面白い。途中で抜け出したりなんかはしないさ」

 

 当然とばかりに言ってくる。まあ、その意見には私も同感だ。そのことに関しては心配ないだろう。むしろ、怒られるのは私になるのだから、そうでなくては困る。……と、そんなことを考えているところで肩に手が置かれる。

 

「……仲がいいのは結構だけれど、授業中にというのは感心しないわね」

 

 言いながら、肩に置かれた手に力が込もる。

 

「……う……」

 

 思わず呻き声がもれる。

 

「何か、言うことはあるかしら?」

 

 優しく、ゆっくりとした声だ。後ろからなので表情は見えないが、きっと笑顔だろう。だが、死刑宣告にしか聞こえない。なんせ、肩に置かれた手は万力のようにきりきりと力がこもっているのだから。

 

「そんなにルイズばかりを叱らないでやってくれ。話しかけていたのは俺なんだから」

 

 言い訳を考えていたところに、横から助け舟が入る。

 

「……え、あ。べ、別にあなたがどうというわけではなくて……」

 

 珍しく困っている。どんな時でも強気なお姉さまだが、さすがにシキを相手に同じように、というのは難しいようだ。

 

「……まあ、今度からはあなたからも注意してあげて下さい」

 

 あきらめたようにそう言うと、授業を再開すべく前の方へと戻っていった。

 

 

「……気をつけないとな」

 

「……うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 戻りながら、ルイズ達の方へちらりと視線を向ける。見れば、何やらシキさんがルイズを慰めるようにしている。さっきまで怯えた様子だったルイズも、すっかり表情が緩んでいる。

 

 ――ん、何と言うか、最近は仲が良いわね。まあ、使い魔との関係がそういうものといえばそうなんだけれど、ルイズらしくない。随分と信頼しているようだし、甘えているようにも見える。今までのルイズだったなら、少なくとも表にはそう出さなかったはずだ。他の生徒も似たような感想なんだろう。ルイズの方を見ている。それだけルイズらしくないということか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――お姉さまの授業じゃ、庇ってもらっちゃった。うれしい、けれど、私からも何かしてあげたいな。でも、どんなことをしたら喜んでくれるのかな?

 

 お姉さまの授業が終わるとシキはどこかへと行ってしまったけれど、その後の授業の合間、空いた時間があると、ついそんなことを考えてしまっていた。今も廊下を歩きながら、そんなことを考えていた。

 

「――ああ、ルイズ、もう授業は終わったのか?」。

「え? あ、うん。さっき……」

 

 廊下の曲がり角でいきなり考え事の相手に出会い、つい反応できなかった。対して、シキはいつものように落ち着いている。服装もいつものように基本的には黒一色で、なおさらその印象が強くなる。

 

「……そういえば、あなたっていつも黒っぽい服装ばかりよね? 他には買わなかったの?」

 

 確かに似合ってはいる。けれども、いつも黒ばかりというのはどうだろう。たまには明るいものだって着てみれば良いのに。ふとそんな疑問が口から出た。

 

「ん? まあ、基本的にはそういったものばかり、だな。別に意図していたわけじゃないが、無難なものを選んでいたら自然にな」

 

 小首をかしげ、そういえばとばかりに答える。

 

「そう……。じゃあ、今度の休みの日に、一緒に見に行かない? 私が選んであげる。あ、もちろん無理にとは言わないけれど……」

 

 いい考えだとは思ったのだが、最後の方は尻すぼみになる。

 

「たしかに、俺が選ぶとまた同じようものになりそうだな……。しかし、いいのか? 最近は色々と忙しいんだろう?」

 

 確かに休みの日には朝から図書館にこもったりしている。そのことに関して遠慮しているんだろう。

 

「もちろんよ。あなたには助けてもらってばかりだし、それくらいはお安い御用よ。それに、私だってたまには息抜きぐらいしたいわ。買い物の後は私に付き合ってくれるんでしょう?」

 

「そうか……。じゃあ、頼めるか?」

 

「任せて。私だってそこそこのセンスはあるんだから、期待しててね」

 

 少し、得意になれる。いつも助けてもらってばかりだけれど、これなら。自分が何かしてあげられるということが素直に嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 虚無の曜日、約束通りに二人で服飾店へとやってきた。まずは、ということでシキも自分で選んでいるのだが、見れば、やはり黒だとか、よく言えば落ち着いた、悪く言えば地味なものを手に取っている。デザインなんかは悪くは無いんだけれど、もう少しぐらいは遊びがあっても良いと思う。――せっかく顔は悪くないんだから、もう少し、ね。

 

「こんなのはどう?」

 

 このままだとまた同じようなものを選びそうなので、手にとって広げ、示す。色自体は今までのものとそう変わらないけれど、デザイン的にはそこそこ遊びの入ったものだ。胸元まで大きくスリットが入っている。

 

「……少し……派手じゃないか?」

 

 思ったとおり難色を示す。でも、それは予想通りだ。

 

「大丈夫よ。一つだけで見れば派手でも、トータルで見れば違うから。他のものとうまく組み合わせればいいのよ。それとね、同じような色ばかりじゃなくて、差し色とかも考えないと」

 

「……そういうものか?」

 

 少し困ったような表情だ。あまりそういったものを考えたことはないようだ。

 

「そういうものよ。とにかく試してみたら? まずは合わせてみれば良いじゃない。何でもまずは試してみるものよ」

 

 間髪いれずに答え、まだ難色を示しているのを構わず、無理やり試着室へと押し込む。思ったとおりこういうところには疎いようだ。自分が何かを教えられる。――なんか、いいな。

 

 

 

 

 

 

 ややあって試着室のカーテンを開き、姿を見せる。

 

「……どうだ? やっぱり、少し派手じゃないか?」

 

 自分では判断しかねるようで、しきりに自分の姿を確認している。

 

「大丈夫よ。あとはその上に……」

 

 見た姿を確認して、それに合いそうなものを探しに行く。きちんと鍛えた体はシルエットが綺麗で、大抵の物は合いそうだ。そういうものを選ぶのも楽しい。もちろん、首の後ろの角のことは忘れていない。デザイン的には少し狭められるが、それはどうとでもなる。だいたい、そんなものはあとで合わせればいいんだから。

 

 

 

 

 

 

 

「こんなのは?」

 

 新しく見繕ってきたものを渡す。

 

「……ああ。ただ、もう今日はこれぐらいで良いんじゃないか?」

 

 何度も試着してみて、気分的に疲れているようだ。

 

「駄目よ。せっかくだから、今日はトータルでコーディネートしてあげる」

 

 シキは疲れているようだが、私は逆に楽しくなる。――今日は徹底的に選んであげないと。そんなわけで、私はずっと笑顔のままだ。こんなに楽しいのは、久しぶりかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これくらいあれば、とりあえずは十分かしらね?」

 

 可愛らしく小首をかしげ、こちらを見ている。

 

「……ああ。十分すぎるぐらいだ」

 

 ルイズの視線の先には、両手に抱えるほどの量の服がある。何と言うか……今まで買ってきた量の数年分ぐらいはあるんじゃないだろうか?

 

「んー、じゃあ、そろそろいい時間だし、どこかに食べに行きましょうか?」

 

 そうルイズが提案してくる。確かに時間的にはいい頃合だ。それに、なんというか精神的に疲れた。休憩という意味でもちょうどいい。

 

「そうだな。適当に歩いていけばいいだろう」

 

 言って歩き出す。後ろからルイズも置いていかないでとばかりに小走りでついて来る。小さな歩幅で必死に追いつこうする様子は、見ていて微笑ましい。

 

 

 

 

 

 

 しばらく歩いていくと、道の先にある開けた場所から、食欲をそそるような匂いが漂ってくる。

 

「……なかなか良い匂いだな」

 

 少し懐かしいような、そんな感じだ。

 

「ん? そうね。何かしら?」

 

 

 

 

 匂いの元はすぐに分かった。ちょっと進んだ先、ちょうど町の中心になる。真ん中には噴水があり、広場のようになっている。屋台などが集まっているが、その中でも特に人が集まっているものがある。どうやら匂いの元はそこのようだ。

 

「ちょっと見てこないか?」

 

「え? うん」

 

 ルイズと一緒にその屋台へと近づき、人の隙間から覗いてみる。

 

 屋台の中心にはかなり大きめの鉄板がある。その上に小麦粉だろう、それを水と卵で溶いたもの、鉄板の上に薄く延ばし、さまざまな野菜、そして肉と重ね、豪快にひっくり返して蒸し焼きにしている。見慣れない野菜が入っていたり、上に乗せるソースもかなり違うようだが、間違いなくお好み焼きだろう。

 

 ――懐かしい。こちらに来てからからは基本的に洋食ばかり。こういったものを見ることは無く、ましてや食べてなどいない。貴族に相応しい食事というのは、それはそれで良いが、たまにはこういった豪快なものが無性に恋しくなる。

 

「ルイズ。昼食はこれにしないか?」

 

「え? 別に……良いけれど」

 

 匂いには惹かれているものの、店の周りの人間だとかの様子を伺って躊躇している。たぶん平民がどうとか、そういったことを気にしているんだろう。この世界は見たところ文化的には中世レベル、それでルイズが貴族となれば、そんな反応も仕方が無いのかもしれない。しかし、それではもったいない。

 

「気乗りしないのは分かるが、たまにはこういうものも良いんじゃないか? 『 何でも試してみるもの 』 なんだろう?」

 

 少しばかりからかいを含めて言ってみる。

 

「……もう、分かったわよ。自分で言ったことだものね」

 

 苦笑交じりだが、嫌がっている様子はない。何だかんだ言って興味はあったんだろう。ただ、貴族の矜持だとか、そういったもので試す機会が無かったのかもしれない。自分の常識と違うものというのは、なかなか近づきがたいものだ。服屋での自分がまさにそうだった。

 

「とりあえず、二つ。お勧めのもので」

 

「――あいよ!」

 

 元気のいい返事が返ってきた。こういったやり取りも、屋台の醍醐味だ。昔から、下手に気取った店よりも、そんな店の方が好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、どうやって食べたらいいの?」

 

 受け取ったものを手に、周りを見渡している。

 

 椅子は無い。歩きながら食べるということを考えているんだろう、別に薄く焼いて作った皮で巻いてある。それをちょうどハンバーガーのように手で持てるように紙で包んである。なるほど、タレが随分と違うと思ったが、こんな風に食べるのを前提に、粘性を強めに作ってあるんだろう。なかなか面白い工夫をしている。

 

「これはそのまま立ったまま食べるんだろう。周りもそうしている」

 

 指で周りを指し示す。

 

「え、じゃ、じゃあ」

 

 恐る恐る口を開いて、かぶりつく……とまではさすがにいかないが、口元を汚さないように可愛らしくかじっている。小さな手で押さえ、なんとなく小動物を思わせる。

 

「な、何? 何で笑っているの? 何か、おかしかった?」

 

 慌てて周りを見て、確認している。

 

「いや、可愛らしい食べ方だと思ってな」

 

「うー……」

 

 その言葉が不満なのか、頬を膨らませ、少しすねたようにこちらを見ている。だが、それもまた可愛らしい。食べ物もしっかりと抱えたままというのがなお一層その表情に似つかわしい。

 

「それより、どうだ? こういうものも案外良いものだろう?」

 

「う、うん。ちょっと……見直したかも」

 

 あまり正直ではないが、どうやら気に入ってくれたようだ。

 

「こういうものは熱いうちが美味しいからな、歩きながらでも食べよう」

 

「え、歩きながらというのはさすがに……」

 

 今度ばかりは正直に難色を示す。まあ、言ってしまえばルイズは筋金入りのお嬢様。いきなりそれはハードルが高かったかもしれない。

 

「じゃあ、あそこにベンチがあるからそこに行くか」

 

「うん」

 

 二人で並んでそちらへと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食べ終わってから、そのまま二人で町を歩いた。

 

「あ、これも可愛い……」

 

 目の前にある棚の前に屈み、手にとって見あげている。細かい雑貨を扱った店には、様々な可愛らしいものが並んでいる。中にはキモ可愛いとでも言えばいいのか、正直理解に苦しむものもあるが、それでも色とりどりの小物が並んでいる。そう広い店内ではないが、それぞれの棚には数え切れないほどのものがある。

 

 女の子がこういったものが好きだというのはどこでも変わらないし、身分といったものにも関係が無いんだろう。ルイズの他にもちらほらと女の子が小物を手に取っている。

 

 まあ、その分異物である俺は少しばかり居づらいのだが。他の女の子連れの男、目が合ったが。お互いに苦笑する。どうやら、こういった場所で男が居づらいというのも万国共通のようだ。

 

 その後も色々な店を回った。途中で裏通りに入ったりと怪しい店にも入ったが、まあ、楽しかったといえるだろう。何よりルイズも楽しんでくれているようで、こちらとしても嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人が増えてきたな」

 

 もともと休みということもあるんだろうが、夕食の買出しだろうか。買い物籠を抱えた女性が、そこかしこで市場を物色をしている。

 

「そうね」

 

 ルイズは答えるが、歩きづらそうだ。

 

 もともとここはあまり広い通りではない。そんな所で人がごったかえしていれば、そうなるのも仕方が無い。加えて、ルイズはかなり小柄だ。そういった意味では尚更だろう。

 

「ルイズ」

 

 手に持った荷物を左手に集め、ルイズへ右手を差し出す。

 

「え?」

  

 意図を図りかねたのか、こちらと手を交互に見て戸惑っている。

 

「この人ごみの中だと、歩くのも大変だろう?」

 

「あ、そ、そうね」

 

 ゆっくりと、多少戸惑いながらだが、差し出した手を握り返す。

 

 ――小さな手だ。ただ、あまり目立ったりはしていないが、傷がある。その中には新しい傷も。おそらく、魔法の練習をしている時にでもついたんだろう。頑張っているということか。

 

「……怪我をしたときには俺に言え。たいていの傷なら治せる」

 

 握り返してきたその小さな手に魔法をかける。痕になってしまえばなかなか消えないが、新しいものならば傷跡も残さないことができる。

 

「……あ。うん、ありがとう」

 

 自分の手を見つめ、戸惑いがちに言葉にする。

 

「そろそろ帰るか?」

 

 もう時間的には遅い。あまり長居をしては夕暮れになってしまうだろう。

 

「……うん。もうそろそろ帰らないと、暗くなっちゃうしね」

 

 顔を上げ同意する。

 

 そのまま二人で手をつないだまま、馬車へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜、もう完全に日が落ちてから随分と経っており、真夜中といってもいい時間だ。そんな中、私は一人、物音を立てないようにして廊下に立っている。この時間には少々肌寒くなるが、ガウンの下にはベビードールだけしか着ていない。

 

「もう、ルイズは完全に寝たころかしらね」

 

 そう、誰にともなく呟く。

 

「――でも、彼は起きているわよね。あんなことを言われたら、微熱の二つ名をもつ身としては、ね」

 

 私とって夜は、第二の活動時間。いやいや、この時間こそが私にとって重要。そして彼も、なんだかんだで活動しているはず。彼がよく外にいるのを見かけていたから。そして、そろそろ部屋へと戻っている時間だ。

 

 そのまま音を立てないようにルイズの部屋へと向かう。扉の前に立ち、小さく呪文を唱え、鍵を開く。開いたのを確認すると、ゆっくりと、あまり音を立てないように体を滑り込ませる。そして、寝ている人間は起きないだろうが、起きている人間ならば気づくような声で問いかける。

 

「――起きているかしら?」

 

 その問いかけに、案の定すぐに返事がある。

 

「――ああ。ただ、鍵を開けて、というのは感心しないな。普通はドアの外から確認するものじゃないか?」

 

 暗闇の中から聞こえてくる。でも、ベッドの方から。たしか……、床でって話じゃなかったかしら? よく目を凝らしてみると、彼がベッドから上半身を起こし、こちらへと視線を向けている。顔の入れ墨を仄かな光が彩っている。なかなかに変わった装飾だ。

 

 ただ、その右手にはルイズがいる。俗に言う腕枕、加えて、彼の方へと手を伸ばし、体に抱きついている。安心しきった、随分と幸せそうな表情だ。ただ、少し服が乱れている。

 

 えっと、これは……。ルイズも見た目は子供とはいえ、年齢的には……おかしくないのよね。問題があるとすれば……その、相手の嗜好だけで。

 

「お邪魔……したわね。対象外じゃ……仕方無いわ」

 

 そのままの体勢で、ゆっくりと後ろへ下がる。

 

「いやいや、ちょっと待て。まだ何もしていない!」

 

 彼が珍しく慌てたように言う。

 

「……なら、尚更。……どうぞ、ごゆっくり。邪魔は、しないから」

 

 開けたままだったドアから外へ出て、ゆっくりと閉める。鍵は、閉めなおさないと迷惑よね。

 

 

 

 

 

 

 

「……ん~、な~に~?」

 

 瞼をこすりながら、ルイズが問いかけてくる。

 

「……いや、なんでもない。起こして、悪かったな」

 

 そう左手で優しく髪をなでる。

 

「……ん……」

 

 目を細め、さっきまでと同じように抱きつき、すぐに可愛らしい寝息を立て始める。

 

「……あまり気にせずに一緒に寝るといったが、客観的にはまずいかもしれないな。明日、キュルケにはよく言っておかないと、な」

 

 小さくため息をつく。再びルイズの方へと目を向け、指で髪をすく。一瞬くすぐったそうな表情になったが、すぐに安らかな寝顔になる。こんな様子を見ているとまあいいか……というわけにはいかないか。

 

 もう一度ため息をつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、シキさん……」

 

 廊下の先にちょうど歩いている。いつもは黒っぽい服装ばかりなのだが、今日は珍しくそれ以外の色がメインになっている。いつものように挨拶しようと手を上げたのだが、先に彼の後ろから駆けて来たルイズが抱きついていた。

 

「――もう、どこに行くのよ。どこかに行くのなら私に言ってからにしてちょうだい」

 

 拗ねるように言う。対して、シキさんはちょっと困ったような表情だ。でも、迷惑といった様子は無い。

 

「あ、お姉さま。……どうかしたんですか?」

 

 彼にくっついたまま、尋ねてくる。

 

「いえ、別に……」

 

 上げたままになっていた手をゆっくりと下ろす。

 

「じゃあ、行きましょうか。――お姉さま、失礼します」

 

 半ばルイズが引きずるように、二人で歩いていく。

 

「……………まあ、いいけれど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、待って!」

 

 またセクハラが過ぎる学院長から逃げてきた所、少し離れたところからそんな声が聞こえてきた。特徴的な声で、すぐに誰だか分かる。そして、追いかけられている相手も大体は想像がつく。曲がり角の先を覗き込んでみれば、案の上だ。

 

「もう、昨日も言ったじゃない……」

 

 こちらは不機嫌そうに腰に手を当てながら。

 

「ああ、悪かった……」

 

 その相手は困ったように、だが、満更でもなさそうだ。

 

 二、三言葉を交わすと、彼が歩いていく。そして、その後ろからルイズが付いていく。カモの子供……そんなものが頭に浮かぶ。

 

 ――そういえば、テファも昔はあんなふうによく付いてきたっけ。もう随分会っていない。久しぶりに会いに行ってみるのもいいかも、そんなことがぼんやりと頭に浮かぶ。

 

「あらあら、相変わらず子供ですね」

 

 そんな言葉が後ろから聞こえた。

 

「ええ。でも、いいですね。いいお兄さんがいるみたいで」

 

 振り向きざまに答える。見れば、ツェルプストーが呆れたとばかりに大げさに手を広げている。いつものように大きく胸元が開いた服を着ており、同性から見てもはっきりと分かる色気が更に強調されている。

 

 私も胸は大きいほうだけれど、さすがにこの相手には勝てない。まあ、更に一回りは大きいテファに慣れているから驚きはしないけれど。何事には上がいるものだ。そして、さっきのルイズのような子も。

 

「んー、だといいんですけれど……」

 

 私の言葉に対し少し考えるように腕を組むと、ややあって気になることを言ってきた。

 

「何かありましたか?」

 

 少なくとも、今見た感じは羨ましいぐらいのいい兄妹に見えたのだが。

 

「――実は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室ではルイズとその使い魔――シキというらしい――が、楽しそうに話している。使い魔の方はなかなか笑ったりはしないのだが、その分ルイズがよく笑う。話すたびにころころと表情が変わり、見ていて飽きない。それに、時たま使い魔の方に、猫がじゃれ付くように甘えている。こうして見てみると、ルイズは本当に可愛い。正直――うらやましい。甘えられる相手が自分だったら……そんな考えが頭に浮かんで仕方が無い。

 

 

 

 

 

「ねえ?」

 

 ルイズが周りを確認して首をかしげ、話しかけてくる。

 

「どうした?」

 

「最近妙に視線を感じるんだけれど、何でかしら?」

 

 分からないとばかりに呟く。

 

 確かに、そこかしこからの視線がある。まあ、ルイズが振り向こうとするとすぐに向き直るので、分からないのも仕方が無いが。

 

「まあ、気にするな。別に悪意なんかは感じないだろう?」

 

 少なくとも悪意はないはずだ。……もしあるのなら、とっくにどうにかしている。

 

「んー、そうだけれど、なんか気になるというか……」

 

 何やら納得がいかないようだ。たぶん、今までの視線が悪意だったから、今のような視線には慣れていないんだろう。そればかりは仕方が無い。

 

「気にするな。案外、ルイズが可愛いからかもしれないぞ?」

 

 そう茶化すように言って髪をなでる。

 

「……もう」

 

 少しばかり照れたような表情だ。ただ、本当だとは気づいていないようにも思える。まあ、今は俺が独占するとしよう。いずれはルイズにも相手が現れるのだから。ただ、もしそんな相手が現れたとしたら、俺が確かめるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、シキさん。ちょっといいですか……」

 

 歩いていると、いきなりエレオノールに話しかけられた。いつもよりも雰囲気が厳しい。まあ、それが基本といえばそうなのだが。

 

「何だ?」

 

「ルイズのことなのですが……」

 

 言いにくそうに一旦言葉を切るが、無言で先を促す。

 

「最近……あなたに甘えてばかりですよね。ご迷惑ではありませんか?」

 

 一気に言い終えるとこちらをじっと見る。

 

「いや、そんなことはないな。甘えられて悪い気はしないものだろう?」

 

 妹ができたようで悪い気はしない。まあ、多少はわがままなところもあるかもしれないが、それはそれで可愛いものだ。

 

 その言葉を聞いて何やら考え込み、普通なら聞こえないような声で小さく呟く。

 

「……やっぱり、甘えたりするほうが可愛いんでしょうか……」

 

 生徒の誰かが話しているのを聞いただけだが、やはりそういったことも気にしているのかもしれない。なにせ、この呟きの主はその対極に位置しているわけだから。

 

「甘えてくる相手は、やはり可愛いな」

 

 その言葉に、呟いたことが聞こえているとは思わなかったんだろう。一瞬体がはねる。

 

「だが、普段はどんなに気が強くても、たまには違う面を見せてくれれば、それはそれで可愛い。――たとえば、そんなことを気にしていたりな」

 

「……え?」

 

 驚いたように見上げてくる。そして――

 

 

 

 

 

「なにをまた口説いているんですか?」

 

 後ろからの呆れたような声に遮られる。……二回目だな、このやり取りは。

 

「別にそういうわけじゃなくてだな……」

 

 このセリフも、二回目か。

 

「天然ですか――と言うのは二回目ですね」

 

 からかうように笑っている。もちろん、そのつもりなんだろう。前のことを思い出したのか、それではとばかりにエレオノールがそそくさと去っていく。珍しく小走りになりながら。

 

「あ、そうだ。ちょっと聞いておきたいことがあるんですが……いいですか?」

 

 それ以上からかう気はないのか、ロングビルから話題を変える。もちろん、それを断る理由はない。

 

「なんだ?」

 

 ややためらって、一気に言葉にする。

 

「ロリコンだって……本当ですか?」

 

 打って変わって真剣な表情だ。ただし、それに言葉が伴ってはいない。

 

「どうして――そう思う」

 

 キュルケから聞いたんだろうが、完全に信じているようだ。

 

「だって……私やミス・ツェルプストーは相手にしなかったのに、ミス・ルイズとは……ましてや、一緒に寝るなんて……」

 

 変わらず大真面目な表情だ。

 

「……………さて、何から話そうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やりすぎだ。そんなに最強だと証明したいのなら――俺が相手をしよう」

 

 ミス・ツェルプストーを抱きとめ、こちらを見据える。別になんらの構えも取っているわけではない。だが、話は聞いている。いや、そうでなくても分かる。その気になれば自分など一瞬で殺されるということを。

 

 ――なぜ、なぜこんなことになったんだ!? 私はただ、風の優秀さを示したかっただけなのに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さて。諸君、さっそくだが『最強の系統』とは何か、分かるかね?」

 

 ゆっくりと教室を見渡す。

 

「『虚無』、じゃないんですか?」

 

 少々期待とは異なる答えが上がる。……少しばかり予定とは違うが、まあいい。

 

「伝説の話ではない。現実における話だ」

 

「あら、そこの彼は使えるようですよ?」

 

 ミス・ツェルプストーがある男を指し示す。絶対に触れてはいけない、既に了解がなされたその男を。

 

「……彼は……例外だ。一般的な話でだ」

 

 伝説など……いや、この際そんなことは関係ない。根本的に存在が違うのだ。

 

「あら、それでしたら全てを焼き尽くす、この私の『火』に決まっていますわ、ミスタ・ギトー」

 

 自慢げに答える。これこそ期待していたものだ。わずかに唇が歪む。

 

「ほほう、ではどうしてそう思うのかね? ミス・ツェルプストー」

 

「全てを燃やし尽くせるのは、炎と情熱。破壊こそが『火の系統』の本領、そうじゃございませんこと?」

 

 胸をそらし、演技がかった仕草で自信たっぷりに答える。

 

「――残念ながらそうではない」

 

 ゆっくりと、しかし、諭すように口にする。

 

「――最強は我が『風の系統』さ。風こそは不可視の剣にして盾。きみの火ぐらいなら『風』で吹き消して見せよう」

 

 言いながら、後ろ手に杖を取り出し、挑発するように前へと掲げる。

 

「では試しに、この私に君の得意な『火』の魔法をぶつけてきたまえ」

 

「あらあら、『微熱』のキュルケをなめると、ただの火傷じゃすみませんわよ」

 

 予想通りあっさりと挑発に乗ってくる。好戦的で、今回に関しては実に望ましい。

 

「――なあに構わん、本気で来たまえ。でなければ証明になるまい」

 

 

 

 

 目の前には生徒が作ったとは思えないほどの炎の塊がある。ほんの数瞬で、私に届く。

 

 予想通り、ミス・ツェルプストーが得意の火球を放ってくる。なかなかではあるが、我が風の前では無力だよ。杖を横なぎに払うと、私の放った風によってあっさりとかき消される。

 

「――ははは、やはり『風』の方が強いようだね、ミス・ツェルプストー。さらに風は身を守るだけではないのだよ」

 

 もう一度杖を振るい、ミス・ツェルプストーへと風を巻き起こす。私の風の前にあっさりと吹き飛ばされ壁に――という所で、後ろから出てきた者に抱きとめられる。それこそ、風の如く現れた者が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室がざわめく。皆話は知っているのだろう。到底勝てるわけが無いということを。

 

「……く」

 

 おもわず唇を噛み締める。そんな命を捨てるような真似、できるはずがない。しかし、ここまで引き下がることも……。何か――何かないか!? 面目をつぶさずにすむ方法は!!

 

 逃げる――違う。

 

 偏在で逃げる――まとめて蹴散らされる。そもそも一緒だ。

 

 攻撃――死にたくない。

 

 必死に考えを巡らせている中、突然教室の扉が勢いよく開き、緊張した面持ちのミスタ・コルベールが顔を出す。わざわざ正装して、ご丁寧にもカツラまでつけている。

 

「ミスタ・ギトー!! 失礼しますぞ!!」

 

 慌てた様子で一気に口にする。

 

「ミスタ・コルベールどうしました!?」

 

 極力落ち着いたように、しかし、何とかしてくれるかもしれないとの期待からかうまくいかない。

 

「ええ諸君、今日の授業はすべて中止であります!!」

 

 よく来てくれた!! 今ほどあなたに感謝したことはない!! 思わずつかみかかったときにカツラがずれて、薄くなった頭が光っているが、今の私には後光のように神々しい。

 

「どうしました! 授業が中止とはどういうことですか!?」

 

 極力落ち着こうとするが、うまくいかない。ああ、こんなに上機嫌になったのは何時以来だろうか!!

 

「アンリエッタ姫殿下がいらっしゃるのですが……、どうしたのですか、そんなに嬉しそうに……」

 

 目を白黒させ、随分戸惑っているようだ。ああ、仕方が無いだろう。なんせ、私自身驚くほどなのだから。

 

「いやいや、なんでもないですとも! 姫様がいらっしゃるとなれば仕方が無い、授業は中止だ。さあ、皆すぐに準備をするように! 姫様に粗相があってはならんからな!」

 

 ああ、にやけるのが止まらない。ありがとう、ミスタ・コルベール! ありがとう、姫様! いや、女神様!

 

「さあ、こうしてはおられん、私も準備をしなければ!」

 

 ステップを……それはさすがに必死に我慢したが、そのまま教室を出る。ああ、このまま踊ってしまおうか!

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まあ、いいか。それよりも大丈夫か?」

 

 私を心配そうに覗き込む。そのたくましい腕で私を支えながら。――前に見たけれど、痩せ型に見えて、本当にたくましいのよね。ああ、本当に……

 

「――ありがとう。あなたのおかげよ。ねえ?」

 

 私を心配する優しげな目を見つめ、問いかける。

 

「私じゃ駄目? 子供にしか反応しないの?」

 

 お尻が床とキスをする。

 

 無言で落とされたようだ。

 

「……い、た。何で離すのよ?」

 

 うった所をさすり、その相手に文句を言う。

 

「変なことを……言うからだ。少なくとも……ロリコンじゃない」

 

 無表情に口にする。でも、私にも言い分はある。

 

「……私にも、ミス・ロングビルにも反応しなかったし」

 

「それは……単純に慣れているからだ」

 

 まだ、他にもある。

 

「……ルイズと一緒に寝ていたし」

 

 その言葉に教室にどよめきが起き、問題の二人に視線が集まる。

 

「それは……『な、何よ。一緒に寝ていただけよ !!』……」

 

 答えに窮しているところにルイズの声が重なる。……顔を真っ赤にしたルイズの声が。それでは逆効果もいいところだろう。案の定、教室のあちこちでざわめきが起きる。

 

「ち、違うわよ!! 何もしていないんだから!!」

 

 真っ赤になったルイズが必死に叫ぶ。でも、そんな様子じゃあ、ねえ?

 

「……ナニも、か……」

 

 顔を真っ赤にしたある男子生徒が呟く。その言葉に次々と、赤い顔が増えていく。

 

 ルイズもだけれど、皆子供ねえ。でも、子供とっていうのも……ある意味背徳的で、官能的かも。

 

 その後もルイズが必死に否定しているが、教室の空気は変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うううううう……。明日からどんな顔をして出れば……」

 

 姫の来訪が終わり――といっても、その前の出来事で頭が一杯でほとんど覚えていないのだが――部屋へと戻るとそのままベッドに突っ伏した。今までだって散々からかわれてきた。だから、人よりもずっと悪意に慣れている。でも、こんなからかわれ方は今まで無かった。

 

「あんまり気にするな。俺だってロリコン疑惑が……」

 

 とりあえず、無言で枕を投げつけておく。やっぱり避けたけれど。うう……ロリコンって、私だってそんなに……。ゆっくりと自分の体に視線を移す。

 

 あんまり胸は大きいほうじゃないけれど……身長も、人よりちょっと低いけれど……私だってもう16だし……。

 

 

「……誰か、来たな」

 

 その言葉のあと、ややあって扉がノックされる。初めに長く二回、それから――短く三回。その音にベッドから起き上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 扉を開けて入ってきた相手は、顔まで真っ黒なフードで覆っている。だから、分かるのはせいぜいがその相手が女性であるということだが、さっきのノックの合図は姫様しかいない。そう口にしようとした所で、姫様は口元に手を当て、黙っているようにという合図を送る。

 

 そうして懐から杖を取り出し、呪文を唱える。フードの合間から聞こえてくるものから判断すると、魔力感知だ。警戒するというのは身分を考えれば当然だが、それにしてもなぜこんな時間に、しかも、わざわざ人目を忍んで……。

 

 呪文を唱えたところで、姫様が驚いたようにシキの方を見ている。

 

「……この方は?」

 

 声には緊張が見られる。私には魔力感知が使えないので分からないのだが、シキは桁違いの魔力を持っているらしい。しばらく前はそれがコンプレックスであったが、今では誇らしい。

 

「私の使い魔のシキです。すごく頼りになるんですよ」

 

 つい自慢するような口調になってしまう。だが、尊敬する姫様にこそ、シキは見せたかった。

 

「…………」

 

 姫様はシキのことをじっと見て、随分と時間を置いてから口を開いた。

 

「……そう、ルイズ。あなたは昔から変わっているとは思っていたけれど、本当は誰よりも才能があったということなのね。……やっぱり、あなたになら頼めると思っていたわ」

 

 シキから目を離さず、そう口にする。そして、その頼みごとというのを語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリステインとも親交の厚いアルビオンの貴族達が反乱を起こし、今にも王室を打倒しそうであるということ。王室にはもう戦力が残っておらず、それは時間の問題であるということ。そして、そのアルビオンを制圧すれば、次はこの小国であるトリステインに攻め入ってくるのは間違いないということを。

 

 もちろんそれが分かっている以上、対抗措置は考えている。利害の一致するゲルマニアと同盟を結ぶということが。ただし、トリステイン王女であるアンリエッタ姫の嫁入りという形でだ。そのことに対し、叫び出したいような気持ちになったが、姫様の話が続く以上、抑える。

 

 そして更に姫様の話は続く。ゲルマニアとの同盟を結ばれるというのは問題の貴族達にとって面白いものではなく、それを阻止するための材料を探しているというのだ。悪いことに、姫様がしたためた一通の手紙がその材料となるらしい。そこまでくれば、話は分かる。

 

「……そ、その手紙はどこにあるのですか?」

 

 私は姫の信頼に答えなければならない。

 

「――実は」

 

 目を伏せ、ぽつぽつと語りだす。

 

 悪いことに、手紙のありかはアルビオン。そして、その持っている相手というのが正に戦の渦中の人、アルビオン皇太子、ウェールズ皇太子だという。

 

「ああ、破滅です! ウェールズ皇太子は遅かれ早かれ反乱勢に囚われてしまうでしょう。そうしたら――あの手紙も明るみに出てしまうわ!」

 

 そう言って泣き崩れる。

 

「姫様! 私にお任せください。シキがいればどんなことだって……」

 

 言い切る前にシキに遮られる。

 

「駄目だ」

 

「……え?」

 

 耳を疑う。聞き間違いかと思ったのに、シキの表情は厳しいままだ。

 

「な、何でよ?」

 

 シキがそんなことを言うなんて、ありえない。

 

「危険だ」

 

 そう、一言だけ口にする。

 

「危なくなんか無いわよ。あなたがいれば……」

 

 シキがいれば、どんなことだってできる。たとえ戦場に行くことになっても、シキがいれば怖くなんか無い。

 

「……それでもだ。危険なのには変わりが無い」

 

 断固とした口調だ。それに、抑えてはいるようだが姫様を睨み付けている。姫様も、怯えたような表情を見せている。

 

「な、何でよ!? 私の力になってくれるって言ったじゃない!!」

 

 自分の耳に入る声が、まるで自分のものじゃないみたいに聞こえる。

 

「それでも……駄目だ」

 

「なんで、なんで!?」

 

 更に問い詰めるが、返事は無い。

 

「……いいわよ。あなたがいなくたって、何とかして見せるから……。出て行って! あなたの顔なんか見たくない!!」

 

 自分でも、何を言っているのか分からない。しかし、その言葉にシキが無言で部屋を出て行く。部屋から出るとき一瞬こちらに目を留めたが、すぐに出て行った。扉を閉める音が――やけに耳に響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜、普通ならば誰も訪れないような時間に扉がノックされた。

 

「……どなた?」

 

 後ろを振り返り、尋ねる。

 

「……私、です」

 

 ややあって返事が返ってくる。この声はルイズだ。……ただ、いつものような明るさはなく、まるで別人だ。

 

「……入りなさい」

 

 入ってくるようにと促す。

 

「……失礼します」

 

 ゆっくりと扉を開き、入ってくる。しかし、その動作にも力がない。そして、その表情にも。

 

「どうしたの?」

 

 さっきまでずっと泣いていたんだろう、ルイズの目は赤くはれ上がっている。暗く、いつものルイズならありえない表情とあいまって、痛々しいぐらいだ。しばらく俯いていたが、顔を上げ、ゆっくりと口を開く。

 

「実は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話すうちに疲れてしまったんだろう、今日は私のベッドで寝るようにと促し、ベッドに横にさせる。最初は遠慮していたが、よほど疲れていたのか、すぐに寝息を立て始める。

 

「――ということみたいですよ。それで、どうしますか?」

 

 そうベランダの方へと問いかける。ルイズが寝ているというのは分かっていたんだろう、すぐに窓を開き、中へと入ってくる。

 

「もちろん、ついては行く。……心配だからな」

 

 やはり心配だったんだろう。予め、ルイズが相談に来るはずだと言いに来たぐらいだから。

 

「でも、どうして駄目だと言ったんですか? 確かに危険でしょうが、あなたがいれば心配はないでしょう?」

 

 そこが分からない。今の返事からすれば、ルイズを守るということに異存はないようだ。となると、なぜそこまで行かせたくなかったというのが分からない。その疑問に、ゆっくりとだが答える。

 

「ルイズのことは、分かっている。姫と友人だというのも、本当のことだろう」

 

「だったら……」

 

「だからこそ、だ。無意識にだろうと、元からルイズに行かせるつもりだったんだろう。俺がいると知っているのならともかく、それを知らなかったのに、だ。友人だと言いながら、命の危険のあるものに利用する気だったんだ。ルイズは深くは考えていなかったようだが、そのことにはすぐに気づくだろう」

 

 深く、実感のこもった言葉だ。そうして小さく「信じていた相手に裏切られるのは……つらい」と。背を向け、痛そうに俯いている。どこか、打ち捨てられた動物のように寂しげに。どうしてそう思ったのかは、分からない。

 

「…………」

 

 その側へ、ゆっくりとだが近づく。

 

 何があったかなんて、そんなことは聞けない。でも、後ろからそっと抱きとめる。なんとなく、そうしたいと思った。

 

「……あなたはルイズを裏切ったりはしないんでしょう? ルイズは、まだ子供です。だったら周りが何とかしてあげないと」

 

「……ああ、そう、だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼が部屋から出て行った後、ベッドにいるルイズの側へ近づき、指で髪を梳く。

 

「――うらやましいわね。あんなにあなたのことを思ってくれる人がいるなんて。……嫉妬しちゃうわ」

 

 指をルイズの頬へと滑らせ、軽くつねる。少しだけ身じろぎするが、起きる気配はない。

 

「……私も、負けてなんかいられないわね」

 

 誰にともなく、一人呟く。

 

「あなたは本当に幸せね。私の――ううん、私達の小さなお姫様」



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第10話 Overprotection

 「EL ELOHIM ELOHO ELOHIM SEBAOTH」

 暗闇の中、朗々と響き渡る。  

 「ELION EIECH ADIER EIECH ADONAI」

 闇の中、その言葉を紡いでいるのは一人の男だ。

 「JAH SADAI TETRAGRAMMATON SADAI」

 常人には意味が分からなくとも、その言葉には確かな力がある。

 「AGIOS O THEOS ICHIROS ATHAMATON」

 その証拠とばかりに、地面に六芒星が浮かび上がり、光を放つ。 

 「――AGLA AMEN」
 光は集まり、人の形となる。





 屈強なその体を血に染まったと見紛うような鎧と兜が覆い、更に左手には体の半分を隠すほどの巨大な盾、右手にはその身に比べても長大な槍を携えている。並みの者ならば動くことも困難な重さであろうが、この者に関してはそのような心配は無用だ。

 

 何せ、そもそも人ではないのだから。その証拠に、背中には翼がある。肌と同様、闇に溶け込むような紫の翼だ。紫の体、そして血に染まったような赤を示す武具。盾には曲がりくねった奇妙な文様まで描かれているが、それでもこの者には禍々しさだけでなく、ある種の神聖さをも持ち合わせている。

 

 おそらく、それはこの者の持つ空気がゆえだろう。戦士としてのそれ、この者が持つ信念さえも感じさせる。例え側にいたとしても、畏怖こそ感じこそすれ、恐怖を感じるということはないだろう。

 

 そのような者ではあるが、今は地面に膝を付き、目の前の男に恭順の意を示している。傍から見れば滑稽な様だ。なにせ、一見した所は傅く者こそが強者なのだから。 

 

 

 

 

「――頼めるか?」

 

 傅かれた男は、少しばかりのやり取りのあと、そう締めくくる。

 

「お任せを」

 

 その言葉に一切の迷いはない。言葉とともに膝を上げ、すぐに飛び立つ。一つ羽ばたくとともに速度を上げ、やがてその姿も闇に紛れる。

 

「用心するに越したことはない。さて、あとは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――嘘つき。一緒にいてくれるって……言ったのに」

 

 口からはそんな言葉が漏れる。だが、その声は自分でも驚くほど力がない。理由は、分かっている。

 

 まさかシキがあんなことを言うなんて思わなかった。姫様の頼み、冷静になって考えれば、戦争の真っ只中に行くということ。怖くないはずがない。でも、昨日はそんなことは露とも思わなかった。むしろ、姫様の役に立てるということが嬉しかったし、誇らしくもあった。

 

 ――でも、それはシキがいたから。

 

 たぶん、私のことを心配してのことだと思う。でも、シキだけは私のことを分かってくれると思っていた。私にとって、今までずっと馬鹿にされるだけだった私にとって、姫様が私を頼ってくれるというのは特別な意味があることだ。もちろん、シキの言いたいことも分かる。でも、シキなら分かってくれると思っていた。

 

 知らず、流れてきた涙を拭おうとして、指輪が目に入る。代々王家に受け継がれる宝だという、水のルビー。せめてもの信頼の証として、姫様が授けてくださった。

 

 

 そうだ。そもそも姫様は私を頼ってわざわざ私の部屋へ。だったら、シキがいなくても……

 

 

「――なあ、ルイズ。本当に君の使い魔は来ないのかい?」

 

 せっかく人が決心を固めているのに、横から呑気なギーシュの声が耳につく。姫様に良い所見せるためだけにわざわざ志願までして……。そちらには視線を向けず、苛立ち交じりの言葉を投げかける。

 

「来ないわよ。だいたい、昨日シキを見て悲鳴を上げていたのは誰よ」

 

 その言葉に押し黙る。自分でも情けなかったと思っているんだろう。見れば顔も赤い。身振りを交えて何やら言い訳がましいことを言っているが、その姿に少し気分が晴れる。八つ当たりじみていて大人気ないとは思うが、せめて今だけは許して欲しい。

 

 結局、今回の件にはギーシュもついてくることになった。あろうことか話を盗み聞きしていたのだ。シキを見て悲鳴を上げていたが、どうしても姫の役に立ちたいと志願してきた。情けないところを見せてすぐにそんなことを言えるのだから、それはそれで大したものだ。まあ、尊敬などはできないが。

 

「足手まといにはならないでよね」

 

 そんなギーシュを見ながら何となく口にしたが、その言葉が自分の胸にもチクリと刺さる。でも、そんなことは覆してみせる。私だって、いつまでもゼロのままじゃない。

 

 そう心に誓う中、耳に近づいてくる蹄の音が聞こえてくる。音のする方へと振り返る。

 

「あら、ルイズ。……彼も行くの?」

 

 旅装を整えたお姉さまが怪訝そうに尋ねてくる。しかし、そう思うのももっともだ。逆の立場なら私も同じことを尋ねただろうから。

 

「成り行きでそういうことになりました。でも、そのユニコーンは?」

 

 お姉さまが跨っているのは随分と立派なユニコーンだ。透き通るほどの白さ。そして、絹と見紛うほどの毛並みの美しさ。気高い聖獣であるユニコーンは王族の馬車を引くのにも用いられるほど。そして、良くは覚えていないけれど、姫様いらっしゃった時にも。

 

 しかし、このユニコーンはそれよりも更に美しく、一回りも、二回りも大きい。王族が用いるものは、選りすぐりであるはずにも関わらずだ。

 

「まあ、ちょっと、ね」

 

 少しばかり困った表情で言葉を濁す。まあ、お姉さまのことだ。どこかから無理やり調達したんだろう。そういったことを聞くのは薮蛇になる。それに、そんなお姉さまが来てくれるのはやっぱり心強い。あとはシキさえ――頭に浮かんだその考えを振り払う。ついさっき、シキには頼らずにと心に誓ったばかりなのだから。

 

「――でも、お似合いですよ」

 

 とりあえず、当たり障りのない言葉を口にする。しかし、これは正直な感想だ。純白とも表現すべきその姿は凛としていて、お姉さまには良く似合う。例えとしては少し攻撃的かもしれないけれど、戦乙女とでも。もしくは、噂に聞く若いころのお母様か。

 

 ちらりとお姉さまを見ると、眉間にしわを寄せ、こちらを睨んでいる。

 

「な、何でに睨むんですか!?」

 

 思わず後ずさる。いつもよりも更に鋭い、射抜くような目線だ。たぶん、ユニコーンに跨っていなかったらその場でつねり上げられていただろう。その剣幕に、未だに悶えていたギーシュも何事かと身構えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――連れて行くといい。護衛としても期待できるはずだ」

 

 朝方、私の所へシキさんが訪れた。わざわざルイズが部屋へと戻ってからだったが。そのまま外へと連れられたのだが、案内された先にはユニコーンが待っていた。王宮で見かけるものよりも大きく、それでいて美しい。ユニコーンは他の幻獣に比べて見た目が美しいが、強さと言った面では少々劣る。しかし、目の前のものは、その点でも全く引けをとらないように思える。

 

「随分と、立派ですね」

 

 素直な感想が口をつく。しかし、見れば見るほどそれが間違いではないと分かる。それに、振舞い方といい、知性さえも感じさせるほどだ。

 

「そこらのものどもと一緒にされては困りますね」

 

 不意に、目の前のユニコーンが口を開く。

 

「な、喋った!?」

 

 一瞬耳を疑ったが、確かに見た。間違いなく、今喋ったのは目の前の存在だ。あまつさえ、驚くばかりの私へ呆れたような仕草まで見せている。

 

 幻獣はもともと他の動物に比べてはるかに高い知能を持つ。使い魔となったのなら、人間の言葉も当然理解する。しかし、喋るということはない。そもそも、体のつくりが違うのだから。

 

「喋らないものなのか?」

 

 シキさんが不思議そうに尋ねてくる。喋るのがさも当然といった様子だ。

 

「ええ、まあ……」

 

 曖昧に答える。それに対して、シキさんが顎に手を当て、呟く。

 

「――この世界にもユニコーンがいるのなら目立たないと思ったんだが。なら、仕方がない。とりあえず、人前では喋らないでいてくれるか?」

 

 傍らのユニコーンに対して話かける。

 

「――畏まりました」

 

 恭しく――人のような動きではないのだが――心持ち頭を下げ、主に対する恭順の意を示す。

 

「そのユニコーンはあなたの使い魔ですか?」

 

 気になったので尋ねる。人語を使うユニコーンなど聞いたことがないので、そう考えるのが自然だ。そして、この世界のものではないと。対して、少し困ったように間をおいて答える。

 

「パートナーといった意味でなら、確かにそうだな。まあ、俺は仲魔と呼んでいたが」

 

 その言葉に、ユニコーンが自慢げな表情を見せる。さすがに人語を使うだけあって、表情もそれに近いものを浮かべている。見ていてなかなか興味深い。どれだけの知能があるのか、どういった生態なのか、興味は尽きない。

 

「――いいか?」

 

 その言葉に慌てて前のめりになっていた姿勢を戻し、向き直る。

 

「俺も後ろからついては行くが、見えないように少し距離をおく。だから、何かあった時にも、すぐにというわけにはいかない。その間の護衛を兼ねてと思ってくれ」

 

 その言葉に続いて、ユニコーンが私の方へと一歩踏み出す。そうして、普通のユニコーンとは違う、赤い目で私を見つめてくる。何となく、品定めをされているようで居心地が悪い。しばらく私を見た後、口を開く。

 

「――フム、確かに乙女。ならば我が背も許しましょう」

 

 もったいぶるように、やけに人間くさい仕草で呟く。それに気をとられて、一瞬言っていることが分からなかった。

 

「年齢を考えれば少し語弊がありますが、まあ、そこは主殿に免じて不問としましょう」

 

 そうしれっと付け加える。そうして、ようやく言っていることが飲み込めた。

 

「何なんですか、この失礼な馬は!?」

 

 同時に文句が出る。ユニコーンを指差し、シキさんに食って掛かる。

 

「……まあ、何だ、役には立つはずだ。そこは我慢してくれ」

 

 心持ち眉を下げ、私とユニコーンを交互に見ながら口にする。

 

 ――う、そう困ったように言われると、あまり強くは言えない。ちらりとユニコーンの方を見て、諦める。少なくとも、他の事に関しては文句のつけようがないのだから。ただ、人を食ったようなその表情が腹立たしい、それだけなのだ。口元まで出かかった文句を、無理やり飲み込む。

 

「それと……」

 

 シキさんが、懐から何かを取り出す。拳大の塊で、何かの結晶のようだ。宝石、ではないように思うが、鈍い光沢は何かの原石のように見えなくもない。

 

「何ですか、それは?」

 

 素直に尋ねる。

 

「役に立つと思って、昨日作ってみたんだ」

 

 差し出されたので、両手で受け取る。手のひらに載せて光にかざしてみるが、光を鈍く反射するばかりでよく分からない。触ってみても、確かな感触があるというだけだ。あえて挙げるとすれば、何となく温かいような気がするといったぐらいだろうか。

 

「それは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ど、どうしました?」

 

 及び腰のまま恐る恐る尋ねてくるルイズの声で我に返る。

 

「いいわ。別に、悪気があったわけじゃないでしょうしね」

 

 自分が何かをしでかしたのではと心配そうなルイズを見て、大人気なかったと反省する。悪いのはこのユニコーンだ。跨っているユニコーンを睨み付ける。まあ、こちらはどこ吹く風といった様子だが。

 

「……えーと、確かギーシュ君ね? あなたも一緒に?」

 

 先ほどの質問を繰り返す。

 

「は、はい。姫様のお役に立たせてください」

 

 拳を握り締め、熱っぽい目で見つめてくる。どうやって話を知ったのかは分からないけれど、事情を聞いているというのは間違いないようだ。

 

 一先ず、彼を見てみる。見るからに荒事には向いていなさそうな、特に鍛えているわけでもない典型的な貴族。といってもそれが普通なのだが。肝心の魔法は――ドットだったかしら? でも、錬金の精度なんかを見る限りは実力的にはラインぐらいに届くかというところかしらね。

 

 まあ、いいか。仮にも元帥の家系。そこそこは期待できるかもしれない。それに、私とて実戦経験があるわけではないのだから。先日のゴーレム騒ぎの時にも、結局はサポートに回っただけ。足手まといになるな、などとは私からは言えたことではない。

 

 それに、見えないところでしっかりシキさんが見ているはず。

 

 何とはなしにちらりと後ろを見てみるが、分からない。まあ、もともと気配を読むなんてことはできないのだが。そもそも、そう簡単に見つけられるとは思えない。

 

 でも、そこまでするのなら素直に出てくればいいのにとも思う。ルイズは半ば意地になっているようだが、無理してそれにあわせなくても良いようなものだ。

 

 ――まあ、あの人の何時もの様子を思い出して、そういうものなのかとも思う。何時もルイズとは一緒にいるけれど、引っ張っているのは決まってルイズだった。彼から何かを、ということはほとんどなかったはずだ。

 

 思えば、何かを伝えたり、感情を表したりというのは本当に不器用な人だ。ちょっと、微笑ましい。誰よりも強くて、それでいて優しいのに、そのどちらもぱっと見には分からない。本当に、人は見かけによらないって。

 

「どうしました?」

 

 ギーシュ君が怪訝そうにたずねてくる。どうやら、知らず笑っていたらしい

 

「――いえ。あなたにも期待していますね」

 

 そう微笑みかける。さっきのこともあって、自然に。

 

「も、もちろんです」

 

 目を伏せ、頬も少し赤い。もしかして照れているのかしら? 

 

 ――ふふ、色に長ける家系だって聞いていたけれど、まだまだ子供ということかしらね。頼りにはならないかもしれないけれど、微笑ましい。子ども相手にそういう反応をされると、私も捨てたものじゃないと満更ではないものだ。

 

「あ、あの……」

 

 そんな様子を微笑ましく見ていると、彼が思い出したように口を開く。

 

「ん? 何かしら?」

 

「できれば使い魔を連れて行きたいのですが……」

 

 心配そうな表情で続ける。使い魔――確か前に見たことがあったはずだ。

 

「……ええと、あなたの使い魔はジャイアントモール、だったかしら?」

 

 そうだ、人よりも大きなそれと抱き合っているのを見かけた。あまりにも絵になっていなかったので、逆に印象に残っている。

 

「はい。ジャイアントモールのヴェルダンディーです。――出ておいで」

 

 そう言うと、視線を地面へと向け、足を踏み鳴らす。すると、予め近くにはいたんだろう。モコモコと彼の足元の土が盛り上がり、茶色の小熊ほどの生き物が顔を出す。目などは小さいのだが、爪はかなり大きく、全体的になんともアンバランスだ。

 

「ヴェルダンデ! ああ! ぼくの可愛いヴェルダンデ!」

 

 姿を現すや否や、ギーシュ君は膝をつくと、その生き物を抱きしめた。まるで愛しい恋人でもあるかのように。

 

「……却下」

 

 つい正直な感想が口をつく。

 

「な、なぜですか!?」

 

 二人して、抱き合ったまま見上げてくる。しかし、見ていて本当に絵にならない。なんというか、いい年ををしてぬいぐるみを抱きかかえている男を見る心地かしら?

 

 でも、まあ使い魔は一心同体とも言うし……いいか。ジャイアントモールの地面を掘る能力は見た目に反してかなり高い。アルビオンに入った後、城に近づく際には役に立つかもしれない。包囲されているはずの城に近づくのが難題である以上、選択肢は多いほうがいい。細かいことは向こうの状況を見ないと分からないが。

 

「どうしてもというのなら、構わないわ。ただし、責任は自分で取りなさいね」

 

 それだけは釘を刺しておかなければならない。

 

「もちろんです」

 

 自信たっぷりに言い放つ。さっきの様子を見る限り、よっぽど溺愛しているんだろう。しかしながら、彼の横にいたジャイアントモールは鼻をひくつかせ、ルイズへと圧し掛かろうとする。

 

 ――とりあえず、氷の槍で、文字通り釘を刺す。目の前のそれに遮られ、圧し掛かろうとした姿勢のまま大人しくなる。

 

「……ちゃんと見ていなさいね? 手元が狂ったりしても――恨んじゃ駄目よ?」

 

 諭すように優しく言い放つ。全く、使い魔は主人に似るものとはいえこんな所まで。正直、呆れるわね。そういったことに関してグラモン家は筋金入りだと聞いたが、まさかここまでとは。これでは怒る気にもならない。

 

 すかさずギーシュ君がジャイアントモールを抱しめ、二人してコクコクとうなずく。

 

「まあ、のんびりしていたって仕方がないし、そろそろ向かいましょうか?」

 

 抱き合う二人から視線をルイズへと移し、出発を促す。もう私が来た時点で用意はできていたようだし、いつまでも出発しないわけにはいかない。

 

 そう言った所で、近づいてくる羽音が聞こえてきた。鳥にしてはずいぶんと大きなその音に、皆が視線を向ける。

 

「――待ってくれ!」

 

 朝もやの中から、少しずつ姿がはっきりとしてくる。グリフォンに跨り、羽帽子をかぶった男だ。遠目からでも鍛えていると分かり、ギーシュ君とは対照的だ。その姿がゆっくりと地面に降りると、帽子をとり、優雅に一礼する。

 

「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ。姫殿下に同行を命じられてね」

 

 そう言うと、すぐに人懐こい笑みを浮かべ、まっすぐにルイズの元へ向かう。ワルド子爵のことは良く知っている。この国でも有数の実力者で、そういった面では確かに申し分ない。

 

「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」

 

 実に嬉しそうにルイズへと言葉を投げかける。

 

「お久しぶりでございます。子爵様」

 

 さすがに真っ直ぐにそんな言葉をかけられては気恥ずかしさがあるんだろう。わずかに頬を染め、視線を落とす。

 

 でも、どういうこと? 

 

 ルイズの話から大体の事情は把握した。現在トリステインはゲルマニアと是が非でも同盟を結ばなければならない。しかしながら、姫の認めた手紙が公になってはその障害となる。だから、これからその手紙を回収しなければならない。

 

 もちろん、それだけならばしかるべき者に任せれば良い。だが、それができなかったからわざわざルイズを頼ったのではないのか? 現在の最高権力は、少なくとも名目上は王家にある。だが、実情は異なる。

 

 政治の実権といったものは宰相が握っているし、各機関に関しても似たようなものだ。加えて、ヴァリエール家のような古参の貴族はともかく、その他の貴族については、王家に対する忠誠心が薄れ始めている。だから、これ以上の権威の失墜は避けなければならず、表立って動かすこともできなかったのではないのか? 

 

 件のものは完全に姫の個人的な手紙。そんなものが国を危機に晒すなどということは、これ以上ないスキャンダル。アルビオンで貴族の反乱が起こった以上、臣下といえどもこのことに関しては簡単に助けを求めることはできない。

 

 そうであればこそ、危険な任務であっても、名誉でありこそすれ、断る理由がなかった。加えて、国の存亡がかかっているという任務の重要性もある。

 

 しかし、ワルド子爵のような者に依頼できるとなると話が別になる。彼ならば実力的にも申し分がないし、グリフォン隊の隊長ということならば――確かに信頼できるだろう。

 

 後で心配になったというのも分かるが……

 

「相変わらず軽いねきみは!まるで羽のようだね!」

 

「……お恥ずかしいですわ」

 

 子爵がルイズを抱きかかえ、抱きかかえられたルイズはさっき以上に頬を赤くしている。

 

 ――とりあえず、二人とも私は無視かしら?

 

「お久しぶりですわね。子爵殿」

 

「あ、ああ。これは失礼しました。ミス・エレオノール」

 

 慌てて抱き上げたルイズを地面へとおろし、こちらへと向き直る。狼狽えるぐらいなら最初から無視しなければいいものを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――正直、苦手なんだが。不機嫌そうなエレオノールを見て、内心ため息をつく。が、仕方がない。ルイズを手に入れるつもりならば、どの道避けては通れなかった道だ。

 

 改めてルイズ以外にも目を移す。さっきまでルイズの側にいたのは、同級生だろう。シャツの胸元が大きく開いたデザインの、いかにも気障ったらしい奇抜なセンスをしているのが嫌でも目に付く。まさかルイズの恋人という事もないだろう。まあ、たとえそうだとしても、取り戻す自信ならばあるが。

 

 そして、ユニコーンに跨ったエレオノール。さっきのこと根に持っているのか不機嫌そうだ。あまり触れないほうがいいだろう。そうでなくても、年上ということもあって、昔から頭が上がらなかった。三つ子の魂百までとは良く言ったものだ。どうにも苦手意識が消えない。

 

 そして、傍らのルイズ。再び目を移すが、昔とほとんど変わっていない。相変わらず小さいままだ。まあ、それはいい。そんなことは持っている力には関係がない。

 

 ――しかし、ルイズの使い魔は? 予想通りならルイズは虚無の使い魔を呼び出しているはずだ。改めて辺りを見渡す。

 

 ジャイアントモールは、同級生の使い魔のはず。さっきから抱き合っているのを見る限り、それは間違いない。エレオノールが跨るユニコーンは――なるほど、確かに見事なものだ。しかし、ユニコーンには違いがない。それに、ルイズの使い魔ならば、ルイズが跨っているはずだ。それならば……ルイズが呼び出したものは?

 

「ところで、僕のルイズ。一つ聞いていいかい?」

 

 できるだけ目線の高さになるように腰を落とし、努めて優しく問いかける。

 

「何ですか? 子爵様?」

 

 遠慮がちに答える。照れている――そう言えなくもないが、どこか距離を感じる。記憶の中のルイズは、もっと全面的に頼るような視線を向けてきたはずだが。

 

 だが、まあそれも仕方がないのかもしれない。ルイズの力については半ば確信していたが、ずっと連絡も取っていなかった。この旅の中、何としてもルイズの信頼を得なければならない。それには――再びルイズにとっての白馬の王子にならなければ。

 

「君の使い魔はどこだい? 姿が見えないようだが」

 

 努めて優しく問いかけたのだが、ルイズは眉をしかめ、目をそらす。不機嫌になったというのがその様子からもありありと分かる。

 

 しかし、なぜだ? ルイズが使い魔を呼び出したというのは間違いない。それが進級の条件なのだから、もしできなかったのなら話ぐらいは耳に入るはずだ。

 

「どうかしたのかい? 君が呼んだのなら、きっと素晴らしい使い魔のはずだが」

 

 そう、想像通りならば呼び出されたのは虚無の使い魔。それならば、誇るべきもののはずだ。しかし、少なくとも今のルイズの表情からはそういった様子が見て取れない。

 

「――まあ、確かに並ぶものはないでしょうね」

 

 さっきから大人しかった同級生がポツリと呟く。随分と実感のこもった口調だ。やはり、虚無の使い魔ということだろうか?

 

「どんな使い魔なんだい? ぜひとも見てみたいのだが……」

 

 学生の方へと向き直る。どうにもルイズは口が重い。ならば、それを知るものに聞けばいい。ルイズは嫌がりそうだが、こればかりは見ておきたい。

 

「どんなと言われても……」

 

 言葉に迷っているのか、考え込んでしまっている。やはり、普通とは違うということだろう。俄然興味も沸く。しかし、更に促そうとした所でエレオノールに遮られる。

 

「今はいいでしょう?」

 

「しかし……」

 

 食い下がる。だが……

 

「何か、問題でも?」

 

 じっとこちらを見据え、有無を言わさぬ口調だ。昔からこういう人だった。こうと決めたのなら梃子でも動かない。今回も引く気などないだろう。

 

 ――仕方がない、ここは素直に自分が引くとしよう。代わりに、傍らのルイズに問いかける。

 

「ルイズ。何時かは見せてくれるんだろう?」

 

「……ええ」

 

 目を伏せたまま答える。さっきから、使い魔の事となるとどうにも歯切れが悪い。いったいどういうことなのか。使い魔ならばこのような任務には連れて行くはず。並ぶものがないというぐらいだから、実力的にも相当なものがありそうだ。ならばなぜここにはいないのか。

 

 もちろん目的の邪魔をされる心配がないというのはありがたい。しかし、虚無の使い魔というものにも興味があったのだが。

 

 ――まあ、全てを終わらせてからでもいい。急いては事を仕損じる。信頼は一朝一夕に得られるものではない。ならば、今はまずやるべきことから片付けるべきだ。それからでも遅くはない。

 

「さて、それではいつまでも出発しないわけにはいかない。そろそろ向かうとしよう」

 

 順番に見渡すが異論はないようだ。

 

「ルイズは僕と」

 

 ルイズの方へと手を差し伸べる。姫に対するように、理想の王子となるために。

 

「……ええ」

 

 微笑を浮かべゆっくりと手をとる。しかし、ルイズはこんな笑い方だったろうか? もっと屈託のないような……。

 

 まあ、いい。この旅の中で再び信頼を得ればいいのだから。ルイズをグリフォンへと抱え上げ、抱しめるような形で手綱を取る。

 

「――さあ、行こうか」

 

 腕の中のルイズの耳元に囁く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出発した後、少しばかり離れた場所の茂みが揺れた。

 

「――さて、俺も行くとするか」

 

 そして、誰にとはなしにそんな声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今日の宿はここにしましょう」

 

 エレオノールがユニコーンの歩みを止め、宿を見上げる。最高級の、とまではいえないが、街道沿いにあるものとしては文句の付けようのないレベルである。実際、途中で見かけたものの中では最上のものであろう。

 

「そうですね。ミス・エレオノール」

 

 こちらもグリフォンの歩みをとめ、答える。

 

 ここはちょうどアルビオンへの港町であるラ・ロシェールとの中間点。本来ならすでにラ・ロシェールへとたどり着いていたはずだった。しかし、予定通りに進むことができなかった。

 

 当初の予定としては今日中にラ・ロシェールへと向かい、その入り口で傭兵に襲われるはずだった。ルイズに自分を印象付けるためのちょっとした演出だ。しかし、急いだところで船は出ないとのエレオノールの言葉に、台無しになってしまった。

 

 急ぐのだから金で船を出させればいいと説得しようとはした。しかし、そんなことをすれば目立ってしまって逆に危険だとの言葉に反論できなかった。

 

 全くもって正しい。正論なだけに従うしかない。全くもって厄介だ。おかげで予定を変更せざるを得なくなってしまった。

 

「ルイズ、疲れてはいないかい?」

 

 ルイズの頬に手を触れ、優しく問いかける。予定が狂った以上、少しでもポイントを稼がなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そうね。私とルイズが相部屋、子爵とギーシュ君が一緒、でいいかしら?」

 

 言葉尻は尋ねる形になっている。しかし、これはただの確認だ。

 

 ルイズと話をしようと、相部屋を提案した。しかし、「婚約者だから」との言葉に、「婚約者であっても婚姻前は」と、あっさり否定されてしまった。ルイズも納得してしまい、強くは言えない。全く、ここまで妨害されるとは思ってもみなかった……。つい恨めし気に見てしまえば、ギラリと睨みつけられた。それで引いてしまうとは我ながら情けない。

 

「ルイズ、食事の後にでもラウンジに来てくれないか?」

 

 ルイズにそっと耳打ちする。時間は有限だ。この旅の間に、何としてもルイズの信頼を得なければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なん……こ……き……」

 

 ラウンジへと向かう途中、何やら聞こえてくる。それなりに離れているので声など聞こえるはずがないのだが、よほど声を張り上げているのか、漏れ聞こえてくる。そして、その声には聞き覚えがある。これから会いに行く相手、ルイズだろう。このような場所で声を張り合げるなどまさしく子供のすることだが、それならばそれでやりやすい。

 

 声のする方へと進み、ドアを開ける。

 

「どうしたんだい、ルイズ?」

 

 部屋の真ん中で声を張り上げていたが、こちらに気づくとまずいところを見られたと思ったのか、突き出していたんだろう手が所在無さげに揺れている。

 

 部屋の様子を見渡してみる。ルイズの他には二人だけだ。一人は赤毛の、ルイズとは全てが正反対の女。もう一人はやけに表情の乏しい、この国では珍しい青い髪の少女。こちらはルイズと同様、いや、ルイズよりも華奢に見える。ルイズの知り合いということを考えると、ギーシュとやらと同様、二人とも同級生だろうか? 

 

 しかし、この二人は魔法の才といった意味ではなかなかのものだ。身にまとう魔力、少なくともトライアングル以上だろう。しかも、青い髪の方は、見た目に反して相当場慣れしていそうだ。学生であるならば驚嘆すべきほどのものだ。

 

「ルイズ、こちらの二人は?」

 

 何時ものように顔に微笑を貼り付け、話しかける。しかし、ルイズよりも先に赤毛の女の方が先に口を開く。

 

「あら、いい男じゃない」

 

 無意識なんだろうが、胸を強調した、いちいちこちらを誘惑するような仕草が目に付く。

 

「ツェルプストー!! 何いきなり色目を使っているのよ!! 大体、何をしに来たのよ!?」

 

 すぐに横からルイズが噛み付く。

 

 しかし、なるほど。ツェルプストーということはゲルマニアの……。それではこの様子も頷ける。ヴァリエール家とツェルプストー家は犬猿の仲。加えて、これだけスタイルの差があれば、家云々とは関係無しにそうなるのかもしれない。

 

「何をしにって、朝からあなた達が出かけていくのが見えたから、タバサに頼んで追いかけてきたのよ」

 

 あっけらかんと言い放つ。それに対して、ルイズは再び噛み付いていく。

 

「だからって……、だいたいお忍びなのよ!!」

 

 まあ、確かにその通りなのだが。すでに学生が二人いる現状、加えて、自分で言うのもなんだが、すでに筒抜けだ。聞いていて滑稽ですらある。

 

「ワルドからも何か言って!!」

 

 自分で言っても効果がないと感じたのか、こちらに話を振ってくる。

 

「――まあ、いいじゃないか。見たところ、二人ともそれなりの実力があるんだろう?」

 

 二人を見渡し、口にする。

 

「だからって……」

 

 ルイズは納得いかないようだが、それに対して青い髪の少女が口を開く。

 

「私は手伝いたい」

 

 さっきまでと同様、感情は見せない。しかし、純粋に手伝いたいんだろうということは、ルイズに向ける視線で察しがつく。ルイズとはどういう関係か知らないが、こちらに対してはルイズも何も言えないようで、困ったように助けを求めてくる。

 

 ただし、さっきまでとは違って幾分嬉しそうだというのが見て取れる。少なくとも、青い髪の少女とはいい関係なんだろう。ならば、それなりの扱いをしなくては。

 

「心配ないさ。いざとなったなら、ルイズだけでなく皆を僕が守るよ」

 

 二人っきりで話をするというのは難しそうだが、こういう展開なら、まあ最初のステップとしては悪くはない。

 

「――あらあら、あなたにはシキ以外にも頼りになる人がいるのね」

 

 赤毛の女が楽しそうに口にする。

 

「シキっていうのは誰だい?」

 

 初めて聞く名だ。

 

「誰って、……ルイズの保護者?」

 

 小首を傾げ、ルイズに対して少しばかりからかうような口調だ。ルイズは横を向いて、「そんなんじゃ……」と、小さく呟く。この様子は朝にも見た。使い魔の話になった時だ。

 

「そのシキと言うのは、ルイズの使い魔のことかい?」

 

 ルイズではなく、赤毛の女に尋ねる。今はエレオノールもいないし、ちょうどいい。せっかくだ。

 

「まあ、使い魔といえばそうですね。傍から見たらお兄さんみたいですけれど……」

 

 相変わらず不機嫌そうなルイズを見ながら、苦笑しつつ口にする。

 

 しかし、使い魔でありながら兄のような? どういう意味だ?

 

「どんな使い魔なんだい? 随分と普通とは違うようだが……」

 

 その質問に少しばかり考え込み、ゆっくりと答える。

 

「そうですね……、たぶん亜人、なんでしょうね」

 

 

 ――ふむ。ガンダールブの伝承では武器を使うとある。知能が高いものは使い魔とはならないものだが、虚無の使い魔ともなれば別なのかもしれない。それに、エルフの英雄にガンダールブらしき伝承があったはず。亜人であってもおかしくはない。むしろ、他ではそういったことがない以上、虚無の、少なくとも普通とは違う才能の証明にはなる。

 

「――あと、見たこともない魔法を使っていましたね。魔力なんかは、スクエアクラスが束になってもかなわないはず……」

 

 

 ――見たこともない魔法か……。先住魔法には何があってもおかしくはない。魔力に関しても、エルフならば十分にありえることだ。

 

「――それに、ゴーレムは素手で砕くし。この前なんかは30メイルはありそうなゴーレムを爪で切り裂いていましたね」

 

 ……素手? ……爪? ……何だ?

 

 エルフ――ではないな。魔法の使い手としてはエルフ以上のものは存在しない。しかし、その分純粋な肉体的な強さでは人間にも劣る。ゴーレムを素手で砕くとなると相当の膂力の持ち主。それも、30メイルのということはそれに匹敵する巨体のはず。

 

 となるとエルフではない。どちらかというとオーガーといったもの……。普通ならたいした知能を持たないが、神話には高度な魔法を扱うようなものが存在したはずだ。いや、そういったものならば巨人というものもある。数ある神話の中には巨人とも呼ぶべきものが存在する。加えて、巨人が作ったという遺跡だってあったはずだ。虚無自体が神話のようなもの。それに一つや二つ伝説が加わったところで不思議はない。

 

「――あ、そうだ」

 

 ……まだ、あるのか?

 

「口からブレスまで吐いていましたね。あれって下手なドラゴンよりもよっぽどすごいんじゃないかしら?」

 

 表情を見てもからかっているといった様子ではなく、目を閉じ、ただ思い出したことを喋っているだけのようだ。少なくとも、そこに誇張といったものは一切見られない。

 

「……正真正銘の化け物か」

 

 正直な感想がもれる。これを化け物と言わずに、何を化け物と言うのか。

 

「シキのことを悪く言わないで!!」

 

 ルイズの、聞いたことのないような強い口調に思わず振り向く。拳を握り締め、敵を見るような目だ。すぐにそれは消え、謝罪の言葉を口にするが、今のはルイズの本心、なんだろう。

 

 ――迂闊だった。どんな化け物であってもルイズの使い魔。そして、俺が手に入れるルイズの力の一つだ。

 

「――すまない、ルイズ。メイジにとって使い魔は一心同体。今のは君に対する侮辱も同然だ。この通りだ。どうか許して欲しい」

 

 深く頭を下げる。立場からすればありえないほどに。

 

「そ、そんな! 頭を上げてください! 今のは私も声を……、なんで……あんなに……」

 

 なぜかルイズが戸惑っている。なぜ自分があんなに声を荒げたのか、と。

 

 それにしても、一体どんな使い魔なのか、そしてどういった関係なのか。まあ、ルイズと、いや人間と恋愛関係になることはありえないだろうが、何としても使い魔以上に自分を印象付けなければならない。しかし、今日は本当にうまくいかないものだ。ラ・ロシェールについてからはうまくやらなくては……

 

 

 

 

 

 

 

 

「――じゃあ、タバサ、私は外に行くけれどあなたはどうする?」

 

 ルイズと、そのルイズの婚約者だというワルドと分かれて部屋へと戻る途中、隣を歩くタバサに問いかける。

 

「私も行く」

 

 淀みなく返事が返ってくる。

 

「そう? なら行きましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そろそろ暗くなり始めた中、木の上から辺りを見渡す。ここは割合見通しのいい場所で、かなり遠くまで見渡せる。それぐらいには開けた場所だ。その中心にある道も、少なくとも馬車が通れる程度には均されている。

 

 しかし、それだけだ。道から少し離れてしまえば、まだそこかしこが木々に覆われている。そこからは、時たま獣の遠吠えも響いてくる。日が落ちてしまえば全てが闇に包まれ、人の気配などというものはほとんど感じられない。唯一の例外は、外にまで光を落としている宿だけだ。特にすることもないので、ただぼんやりとその様子を見ている。

 

 ふと、そこから見覚えのある二つの影が出てきたので、今までいた木の上から下り、そちらへと向かう。

 

「――あら、どうやって呼ぼうかと思ったんだけれど、すぐに気づいちゃったのね。それとも、待ち遠しかった?」

 

 声には少しからかうような響きがある。そういえば、この人物は普段からそういったところがある。だが、不思議と誰もそれを嫌がることはない。もちろん、それは俺も例外ではない。むしろ、好ましくすらある。

 

「他にすることもなかったからな」

 

 反して、こちらはそっけなく答える。キュルケのような言い方は俺にはできない。キュルケの様子を好ましく感じるのは、俺にはできないということもあるのかもしれない。

 

 そして、それはルイズに対しても言える。感情を隠すことなく表に出す、子供だからと言ってしまえばそれまでだが、少なくとも俺には難しい。

 

「とりあえず、ルイズ達とは合流することになったから。――それで、あなたはこのまま後ろからついていくの?」

 

「ああ」

 

 簡潔に答える。少なくとも、今日、明日は合流しないだろう。

 

「……ねえ?」

 

 幾分声を潜め、珍しく遠慮がちに尋ねてくる。

 

「何だ?」

 

「ルイズとは喧嘩でもしたの? こんな風に隠れてついて行くぐらいなら一緒に行けばいいじゃない」

 

 至極当然の疑問だ。しかし答えには困る。

 

「別に喧嘩をしたというわけじゃないんだが……。まあ、似たようなものかもしれないな」

 

 曖昧に答える。――喧嘩、というわけではない。ただ、ああ言った手前顔を出し辛いだけだ。

 

 友人を助けたい。もちろん、それはよく分かる。例え利用されているとしても、例えそれが分かっていても助けたいということは。それがはっきりと目の前に示されるまでは、信じたくはない。例え誰に言われてもそれは変らないだろう。自分がそうだったのだから。

 

 もちろん、ルイズにははっきりとそう伝えるべきだろう事は分かっている。だが、なかなか伝える決心がつかない。ルイズの悲しむ顔は見たくない。昨日のルイズの泣き顔が目にちらついて、どうにも躊躇ってしまう。

 

「――それより、二人ともアルビオンにまで行くつもりなのか? 二人にはわざわざ危険な場所に行く理由はないだろう?」

 

 そう。二人には関係のない話のはずだ。聞いた話では、そもそも二人ともこの国の人間ではないらしい。それなのに、ここに来る途中で会った時に口は堅いだろうということで大まかな部分は話したのだが、そのままついてきてしまった。港町までは心配ないだろうが、アルビオンとやらに入る前には言っておかなければならない。

 

「――恩があるから」

 

 タバサが淀みなく答える。

 

 そういえば、何かとルイズを助けていたはずだ。理由は知らないが、様子を見る限りそれは曲げないだろう。

 

 

「――まあ、友人だし、ほっとけないわよ」

 

 頬に指を当て、珍しくキュルケが照れたように口にする。

 

 そうだ。キュルケも何かとルイズのことは気にかけていた。普段はからかうということが多くても、何かあったときには必ずルイズの助けになるようにと動いていた。そんなことは聞かなくても分かっていたことだ。

 

「……そうか」

 

 二人とも、純粋にルイズを助けたいということだろう。だったら俺から言うことはない。危険からは、俺が守ればいいだけのことだ。俺にはそれができるし、それぐらいしかできない。

 

「だったら、俺から言うことはないな。俺は今日と同じように後ろからついて行く。二人はルイズ達と一緒にいてやってくれ」

 

 そう言って踵を返し、歩き出す。

 

「ねえ、別に宿に泊まったっていいんじゃないの?」

 

 後ろかのキュルケの言葉に、振り返らずに答える。

 

「……もし、出くわしたら気まずいだろう?」

 

 言い残すと、そのまま木々の間へと戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……もう少し急ぐなりすれば良かったね」

 

 すっかり暗くなってしまった中、周りを見て呟く。久しぶりにテファに会いに行こうと休みを取ったのだが、ちょっと寄り道をしたおかげで、ラ・ロシェールに入る前にすっかり日が落ちてしまった。まあ、盗賊家業なんてものをやっていた手前、暗闇が怖いということは全くないのだが。

 

 

 

 

 ……ィン……

 

 

 

 

「……ん?」

 

 今、何か音が聞こえたような気がする。気のせいかと思ったが、今もまた聞こえた。耳を澄ませて音が聞こえてきた方向へと意識を向ける。

 

 

 ……金属がぶつかる様な高い音が、断続的に……これは、戦い? 状況を掴もうと更に意識を向けるが、すぐに聞こえなくなる。

 

「……何だったんだい?」

 

 まあ、全く想像がつかないというものでもない。ラ・ロシェールは全てが岩でできている。全体が岩をくり貫いて作られた町なのだ。もともとが巨大な岩山で、町の周りも似たようなものだ。だから、町への入り口までの道も四方八方を岩壁で覆われた狭い峡谷のようになっている。

 

 実際、今いる道の両端は崖のようになっていて、所々には人一人が入れるような窪みがあったりもする。

 

 だから、物盗りに取ってはこの上なくやり易い場所だ。加えて、アルビオンへの玄関口ということで旅人も多く、通商の玄関口であることもあってか、実入りも悪くない。そんな場所だ。もちろん、巡回も行われ、特別に警備されている。しかし、どうせ危険を冒すのならと考える者は度々出てくる。

 

 今のもそういうことかもしれない。もう少し様子を見るのが安全なのだが、町へと向かうにはどの道この道を通らなければならない。まあ、これでもトライアングル、しかも盗賊としてそれなりに名の知れた。注意して進めばそう大した危険はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――拍子抜けだね」

 

 注意して進んできたのだが、結局何もなかった。死体どころか、争った様子というのも見当たらなかった。ちょうど音が聞こえてきた辺りにまで来たのだが、何も見当たらない。もう一度辺りを見渡してみるが――

 

「……羽?」

 

 月明かりに照らされて、一枚の羽が落ちている。普通の鳥にしては随分大きい、暗闇の中で分かりづらいが、紫という変わった色だ。何となく気になったので見てみようと馬から下り、手を伸ばす。

 

 

「……あれ?」

 

 首をかしげる。確かに手に取ったと思ったのに、手の中には何もない。掴んだ感触はあったのだがどういうことだろうか。しばらく地面と自分の手を見比べていたのだが、いくら考えても分からない。諦めてラ・ロシェールへと入ることにした。気にはなるが、いくら考えても分からないものは分からない。それに、物盗りやらが出ては面倒だ。再び馬に跨り、この狭い道を歩かせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お姉さま、起きていますか?」

 

 ベッドから起き上がり、寝ているのなら気づかない程度に、起きているのなら聞こえるぐらいの大きさで問いかける。お姉さまも起きていたようで、すぐに閉じられていた目が開く。窓からは月明かりが漏れていて、ちょうどお姉さまと私の表情が伺えるぐらいには明るい。

 

「……眠れないの?」

 

 もう遅いのにも関わらず、嫌な様子はない。むしろ、純粋に私を心配するような気遣いを感じる。

 

「……一つ、聞いてもいいですか?」

 

 どうしても声には遠慮が混じってしまう。

 

「……なあに?」

 

 聞くという姿勢を示すためだろう、お姉さまもベッドから体を起こす。緩やかなウエーブがかかった髪がさらりと後ろへと流れる。月明かりに照らされて、素直に綺麗だと思う。月と同じように輝いて見える。

 

「……何で、シキは来てくれなかったんでしょう?」

 

 昨日は泣き疲れてしまって、そのまま寝てしまった。今思えば恥ずかしいような気がしなくもないが、今はいい。

 

「……そうね」

 

 お姉さまはちょっと困ったような表情だ。

 

「……嫌いになっちゃった、とか」

 

 自分でもそんなことはない、と思う。でも、なんとなくそんな弱気な言葉が出てしまう。

 

「それは絶対にないわよ」

 

 きっぱりと否定する。その言葉にお姉さまを見つめる。

 

「昨日のことは、あなたのこと思ってのことよ」

 

 それは、分かっては、いる。

 

「私は……姫様のために……」

 

 半分は――自分の誇りのために

 

「……そうね。この任務は誰にでも言えるものではないし、同盟のためには必要なこと。貴族としては正しいわ。ただ……」

 

 俯いて、続く言葉を待つ。

 

「私だってあなたに危険なことはして欲しくないし、あの人もそれは一緒。ただ、あの人はそういうことを伝えるのが不器用なだけよ。あなたの方が一緒にいる時間が長いんだから、よく分かるでしょう?」

 

 少しだけからかいの入った言葉に、私もほんの少しだけ笑みが漏れる。

 

「シキさんに会ったら、あなたから言ってみなさい。あの人は――不器用だから。今もきっと、どうやって会えばいいのかなんて考えているはずよ」

 

「……はい」

 

 その後も月明かりの中、一緒に話した。今までの学園生活でどんなことがあったかだとか。魔法の失敗で色々なものを壊してきたことも、恥ずかしいけれど正直に話した。呆れられるかと思ったけれど、そんなことはなかった。まあ、ちょっと笑っていたけれど。

 

 でも、お姉さまとこんな風に話したのは初めてかもしれない。こんな風に話していたのはちい姉さまとばかりで、エレオノール姉さまとはなかった。今までは思わなかったけれど、エレオノール姉さまもちい姉さまとは違った温かさがある。一晩続くかと思うぐらい長く話していたけれど、明日も早いからということでお開きになった。そして、シキは今どうしているのかという疑問がふと頭に浮かんだ。

 

 ――今頃、シキは何をしているのかな? 私のことを心配してくれているんなら、嬉しいな。

 

 ついと視線を窓の外へと向ける。

 

 もう二つの月がほとんど重なっている。もうすぐ、スヴェルの月夜。月が一つに見える不思議な日。そういえば、シキが元いた世界は月が一つだって言ってたっけ。シキが見たら、やっぱり懐かしいって思うのかな。

 

 今、窓の外にシキがいたような気がしたけれど、私、そんなに会いたがっているのかな? 会ったら、なんて言えばいいんだろう。



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第11話 Operetta

 ――昨日、気になることを聞いた。

 今回アルビオンに行くのは、まあ、なんだ。シキに甘えているルイズを見ていたら、テファはどうしているのか気になったというのが一番だ。だが、別の理由もある。
 盗賊なんてものをやるには、それなりに情報が必要になる。狙うのが秘宝と呼ばれるようなものになれば尚更だ。そんなわけで、私もそこかしこに情報網を持っている。その一つがここ、ラ・ロシェールにある。


 貿易港になっているここには、様々な場所の情報が集まる。そして、情報を得るにはギブ・アンド・テイクが基本なのだが、信頼がその前提条件となる。信頼できなければ、ギブ・アンド・テイクが成り立たないのだから。そんなわけで、定期的にコンタクトを取る必要がある。もちろん、危険は伴うわけだが、それが一種の誠意を見せる形になっている。

 まあ、そもそも盗みは止めるように言われていなくもないんだけれど、どうしようもない貴族相手なら……たぶん、大丈夫、のはず。まあ、なんだ、コネクションは一朝一夕にできるものではないし、あって損はない。

 ――それに、テファ達にお金も送らなくちゃいけない。今は孤児達も養っていて、普通に働いてどうにかなるものでもないのだから。



「よお、元気そうだな」

 

 片手を上げ、店に入ってきた男が気安げに声をかけてくる。それなりに身なりは整えているのだが、言葉と同様、やはりその雰囲気には軽いものがある。こいつは情報屋のジョン――偽名だろうけれど。まあ、私だって偽名で通しているしそれをどうこう言うつもりはない。

 

 とにかく、こいつはこんなやつだが、情報に関しては信頼できるし、勘もきく。私が盗賊として今までうまくいってきた一部には、こいつのおかげの部分もある。正確な情報がなければ、メイジである貴族相手に盗賊などということはできない。下手をすれば手間取って、あっさり包囲されてしまう。そんなことになってはいつ下手をするということがあったものじゃない。

 

「――そっちこそ」

 

 こちらも持っていたグラスを軽く掲げ、返す。ジョンは私のテーブルに向かい合って座る。遠慮なんてものは微塵もないが、それは何時ものことだ。

 

「最近はどうしてたんだい? ここしばらくは大人しくしていたようじゃないか」

 

 ウエイトレスにワインとパイ包みを注文すると、早速探りを入れてくる。まあ、教えるつもりはないし、その辺りは向こうも分かっている。これは挨拶みたいなものだ。

 

「ま、私も色々とあったのよ」

 

 グラスを軽く揺らしながら、答えてやる。それ以上は向こうも深くは聞いてこない。そのまま話を続ける。

 

「――ああ、そういえば下着がどうとかっていう話も出てたな。女なんだからありえないのにな」

 

 そうからからと、実に楽しそうに言ってくる。別にこれは嫌味でもなんでもない。ただ純粋に面白いと思って言っているんだろう。

 

「……全くだね」

 

 しかし、一応は事実ではあるのだから、私としてはあまり面白い話ではない。ここは適当に話題を変えよう。

 

「それで、アルビオンの戦争の様子なんかはどうだい?」

 

 アルビオンにはテファがいる。その辺りはきっちり把握しておきたい。

 

「ん? 知ってるだろ。まあ、時間の問題だな。すぐにでも総攻撃になって決着がつくだろうさ」

 

 軽く両手を広げ、当然とばかりに答える。

 

 まあ、そうだろう。それはある程度情報を得ることができる人間なら皆知っている。しかし、気になることがある。

 

「ま、そうなんだろうけれどね。ただ、あまりにも早すぎるのが気になってね」

 

 そう、戦争が始まって以来、ここまであっという間だった。最初は王党派についていた連中も、あっさり寝返ってしまった。憎い王家が滅びるというのは願ったり叶ったりだ。だが、どうにも腑に落ちない。妙なのだ。

 

 戦争の始まりは一つの反乱だった。そんなものはすぐに鎮圧されるようなものだ。だが、それがここまで、もうひと押しで国が倒れるというところまで来てしまった。

 

 貴族達に不満があったというのは分かる。私ほどではないにしても、それはどうしても出てくるものだ。だが、そんなものはどこの国でも似たようなものだ。それで国が滅びるなどということがあるのなら、何千年も前にとっくに王家なんてものはなくなっている。

 

 そう、簡単に国を潰すことなどできない。それが分かっているからこそ、半ば八つ当たりのような形で盗賊なんて事をやってきた。だから、今回の内乱はどう考えてもおかしい。いくらなんでもうまく行き過ぎている。

 

 極めつけは、内乱軍が掲げたスローガンだ。大陸を統一するだとか、聖地をエルフから奪還するなだとか、正直血迷ったとしか思えない。そんなことを掲げたものに、そうやすやすと加担するだろうか? 貴族共は無能ぞろいだが、自己の保身ということには鼻が利く。そんなやつらがあっさり乗るとは到底思えない。

 

「――いい所に目をつけたね」

 

 そう嬉しそうににんまりと笑い、続ける。

 

「そう、普通ならありえないんだよな。結果はまあいい。そういうこともあるだろうさ。けれども、展開が速すぎる」

 

 指を立て、もったいぶる。……分かっている。

 

「――買うよ。いくらだい?」

 

 その言葉に、毎度ありとばかりに今日一番の笑顔を見せる。余計な出費は避けたいけれど、仕方がないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 要約すると、今回の反乱の中心人物が「虚無」の奇跡とやらを見せたらしい。しかも、その奇跡とやらの内容が「死者を蘇らせる」といったものだそうだ。

 

 ――死者を蘇らせるとなると眉唾物も良い所だ。そんなものは伝説の中にしか出てこない。だが、あいつの情報は信頼できる。ということは、真実といえるだけのものがあったということだろう。そして、そんなものでもないと、今回の展開はおかしい。死者の蘇生、不老不死にも通じるそれは、自己の保身を第一にする貴族共に取ってはこれ以上ないほどの餌だ。

 

 そして、サービスということで、今日の夜にも追加の情報を持ってくることになっている。それまでは、私も自分で動くつもりだ。といってもまあ、あいつ以上のというのは無理だけれど。それでも、自分で調べたものがあるのと無いのとでは多少は違ってくるというものだ。判断材料が一つというのは、全てをそれに任せてしまうということだから。

 

「――今日はここで宿を取って、必要な物資の調達と、情報を集めましょう」

 

 ……ん? 通りの向こうから話し声が聞こえる。何やら聞き覚えのある声だ。よく通る声だが、同時に気丈さを感じさせるような。その声の方向へと目を向ける。

 

 やはり、知り合いだった。さっきの声はエレオノール、そして、その後ろにはルイズ、キュルケ、タバサ……。男子学生の方は名前が分からない。加えて、もう一人男がいる。何時もならシキだろうが、今回は違うようだ。羽帽子をかぶった、そこそこの良い男だ。ついでに、遠目からでも鍛えていることが分かる。メイジであるのだが、足運びにも隙がなく、そこらの魔法だけのメイジとは違うようだ。どこかで見たような気もするが、いまいち思い出せない。

 

 しかし、なぜこんな所にいるのだろうか? あの中の半数以上は学生。今は別に学院が休みというわけではない。ならば今は授業を受けているはずではないのか。私のように休暇を取るということがないわけではないだろうが、一体何をしに来ているのだろうか? それに、シキがいないというのも気になる。何だかんだでルイズには甘い人だ。心配だとか言って来ないはずが無い。周りへと目をやる。

 

「……なんだ、後ろから来ていたのか」

 

 そんなことを考えながら彼らを見送ると、やや離れた場所から歩いてくるのが見えた。まあ、別に急ぎの用事もないし、挨拶ぐらいしてこよう。ついでに何をしに来ているのかを聞けばいい。ちょうど向こうも気づいているようなので、小走りに彼の元へと向かう。

 

「――シキさん、こんな所で会うなんて奇遇ですね。何をしに来たんですか?」

 

 手を振りながら駆け寄る。

 

「ん、まあ、たいした用事じゃないが、アルビオンとやらに用があってな。――そっちこそ何をしに来たんだ? 今はあまり治安も良くないだろう?」

 

 曖昧に返事をすると、こちらのことを尋ねてくる。まあ、そう深く聞くつもりも無い。

 

「私もアルビオンに用事があって。まあ、家族に会いに行くようなものです。……だったら、目的地は同じみたいですし、一緒に行きませんか? どうせ向かう船もそう無いでしょうし」

 

 アルビオンに向かう船は、戦争中である今に関してはそう多くはない。出ていても貨物船ばかりだ。加えて、アルビオンが一番近づく日に一斉に出ることになるだろう。

 

「――そうだな。女の一人旅というのも、危ないしな」

 

 顎に手をあて少し考え込むと、了解の意を示す。

 

 そういえば、何でさっきの集団と離れているんだろう。そんなことを言うのなら、前の集団とも、当然一緒にいるはずだ。

 

「さっき、ミス・エレオノール方が宿へと向かったようですが、どうして一緒じゃないんですか? 何時もならミス・ルイズの側には必ずいるでしょう?」

 

 そう、何時もなら本当にべったりといった様子だ。なんせ、そんな様子を見ていてテファに会いに行こうと思ったぐらいなのだから。

 

「まあ、色々あってな。……アルビオンに入る頃には合流するつもりだ」

 

 頭をかき、少し困ったように言う。まあ、喧嘩でもしたのかもしれない。といっても、あの子からの一方的なものだろうが。

 

「じゃあ、今はまだお一人ですね。だったら、私と一緒に町を回りませんか? この町のことは分からないでしょうし、案内ぐらいならできますよ?」

 

 そう言って手を取り、腕を絡ませる。今までの経験上、強引に行けば大抵のことは断らない。案の定、エレオノール達が向かった宿とこちらを交互に見比べ、「まあ、いいか」とあっさり折れた。

 

「――ふふ。じゃあ、行きましょうか」

 

 腕を絡ませたまま歩き出す。……情報収集は、まあ、夜にジョンからの情報を聞く前にでもやればいいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ちょっと見に行きませんか?」

 

「ああ」

 

 

 

 

 

「――随分美味しそうに食べるな」

 

「え? まあ、甘いものはやっぱり好きですし――そんなにまじまじと見ないで下さい……」

 

 

 

 

 

「――あ、可愛い」

 

「そういうものにも興味があるのか」

 

「……私だって女の子らしいものだって好きです」

 

「――女の子、か」

 

「…………」

 

「……いや、悪かった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は初めて話した日のように、色々な所を回った。貿易港になっているだけあって、面白いものなら城下町などよりもよっぽど多い。まあ、ずっと私が引っ張ってという形だったけれど、それはそれで楽しかった。色々と買ってもらえたし。

 

「――随分と機嫌が良さそうじゃないか。何かいいことでもあったのかい?」

 

 落ち合ったジョンがそう言ってくる。

 

「ん、まあね」

 

 つい表に出てしまっていたようだ。……いけないいけない。浮かれすぎというのは良くない。私には少し詰めが甘い所があるようだし、普段から気をつけないと。おかげで盗賊なんてものをやっているのが極最近ばれたわけだし。心持ち、気を引き締める。

 

「……そういえば、さっきから何だか荒くれ共が騒がしいようだけれど、何かあったのかい?」

 

 周りを見渡す。今いる酒場は普段からそういった連中が集まっていて騒がしいものだが、今日はそれに輪をかけて騒がしい。武装しているやつもそこかしこにいるし、そういうやつらが今日は一段と集まっているようだ。

 

「あ、それかい? まあ、急な話で詳しいことまで知っているわけじゃないが、王党派のことを嗅ぎ回っているやつらいるらしくてね。そいつらを宿ごと襲うらしい。そこまでやる必要は無いと思うんだが、まあ、見せしめの意味もあるんだろう。金に糸目をつけずに町中から集めているらしくてね。結構な数のメイジも加わるらしいぜ」

 

 ご苦労なことだと辺りを見渡しながら呟く。

 

「――ちなみにその宿は?」

 

「女神の杵亭だな。街中でそこまでなんて、何を考えているんだかな」

 

 特に金になる情報だとは思っていないからだろう。あっさりと喋ってくれる。すぐに終わるのなら価値などないも同然ということか。

 

 それよりも、さっきの名前、エレオノール達が泊まっている宿だ。――そうだ、昼間の羽帽子の男。グリフォン隊の隊長だ。これで大体の事情は飲み込めた。わざわざそんな人間が来るぐらいだ。おそらく、王族だけでも救出にということだろう。

 

「――ちょっと用事ができたから失礼するよ」

 

 席から立ち上がる。教える義理なんてものは無いけれど……罪滅ぼしみたいなものだ。アルビオンの王家はどうなろうと知ったことではないが、エレオノール達には死んで欲しいとは思わない。

 

「おや、もう行くのかい?」

 

 椅子から立ち上がった私を見上げながら言う。

 

「まあね、今度改めて礼はするよ」

 

 そのまま出口へと向かおうとする私に、後ろから声をかけてくる。

 

「――礼なら今度は体で頼むよ」

 

 からかう様な口調だ。まあ、本気ではないんだろう。

 

「――お生憎様。私はそんなに安くは無いよ」

 

 振り返らずに答える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今言った通りです。ですが……」

 

 あの後シキと合流、そしてすぐさま宿の方へと来た。だが、少し遅かったようだ。全員を集めるのに少々時間がかかってしまい、もう下の方が騒がしくなってきている。とっくに包囲されてしまっているんだろう。

 

「……そのまま逃げるというわけには、いかないようですね」

 

 エレオノールがカーテンをずらし、窓から外の様子を伺いながら言う。

 

「ま、何とかなるでしょ」

 

 キュルケが気楽に言ってのける。こういった場合、普通なら窘めるようなものだが、まあ、確かに何とかなるだろう。羽帽子の男以外がシキを見て頷く。ルイズだけはちょっと複雑そうではあるけれど。

 

「随分と信頼しているようだが、彼はそんなに頼りになるのかい?」

 

 羽帽子の男が疑問を口にする。そうしてシキの様子を少しばかり見た後、更に口を開く。

 

「――だったらこうしよう。こういった任務の際には、半数が辿りつければ成功とされる。だから、ルイズ達は先に船に向かうといい。僕と彼とで足止めをする。それでどうだい? どの道、このままにしておくというわけにはいかないからね」

 

 羽帽子の男が皆を見渡す。特に異論は出ない。まあ、妥当な所だ。このままにしておくわけにいかないし、下手に実力のない人間が残っても足手まといになるだけだ。

 

「……だったら私も残りましょう。傭兵達の中にはメイジも多いらしいですし、ゴーレムを使えば壁ぐらいにはなるでしょう」

 

 まあ、乗りかかった船だ。戦力を考えるに、そう危ないものでもない。それくらいなら別に手伝ったっていいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――大丈夫かな」

 

 隣を馬で走るルイズが後ろ振り返りながら口にする。

 

「大丈夫よ。シキさん一人で十分なぐらいだもの。あの人をどうにかできるような相手がいるのなら、見てみたいものだわ」

 

 その言葉に皆が頷く。

 

「だから、今は急ぐわよ。今のうちにシキさんに何て言うか考えておきなさい」

 

 ルイズに話しかける。

 

「……はい」

 

 少しだけ迷うような様子を見せたが、すぐに視線を前へと向ける。私の妹なんだから、そうでないと。

 

 何か巨大なもので空気を打ち付ける音が聞こえた。

 

 後ろからタバサの使い魔の風竜がやってきたようだ。少しずつ主人のもとへと下りていく。こちらまで下りて来たのを確認すると、タバサが馬からそちらへと移る。

 

「……私は先に船を調達する」

 

 いい判断だ。全員が乗るというのは、風竜とはいえ幼生、さすがにそれは難しい。ならば先に船を調達する方が効率が良い。今日はもともと船が出る日ではないのだから、交渉にも多少時間がかかるだろう。

 

「私も行くわ」

 

 キュルケがタバサを見上げる。それに対して小さく頷くと手を伸ばし、引っ張り上げる。

 

「……ぼ、僕は」

 

 ギーシュ君は迷っているようだが、キュルケの「あんたはここにいなさい。一応は男なんだから、体を張って守りなさいよ」との言葉に残ることを決めたようだ。まあ、別にいてもいなくても構わないんだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シキといったね。皆が期待するその力、僕も頼りにしているよ」

 

 予定とは違うが、まあいい。虚無の使い魔の実力とやら、どれほどのものか見せてもらおう。

 

 あまり魔力を無駄遣いしたくは無かったのだが、向こうには偏在を一体送った。邪魔になりそうなエレオノールさえ始末できれば、それで良しとしよう。ルイズに心の傷でも作ればやりやすくもなる。

 

 

 ――さて、お手並み拝見といこうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――どうしますか? このままだと、二人は、追いつかれる、でしょう」

 

 ユニコーンが駆けながら私に話しかけてくる。喋ることができるということを知らなかったルイズとギーシュ君の二人は驚いたようにこちらを見たが、後ろから追いかけて来る者があるということで、すぐに注意をそちらへと戻す。

 

 後ろには、仮面を着けた男が追ってきている。私が跨っているユニコーンはまだ余裕があるようだ。その点では心配が無い。だが、ルイズとギーシュの二人は違う。乗馬が得意なルイズはともかく、ギーシュ君の方は明らかに後ろから追ってくる男に劣る。今はまだ距離があるが、確かにいずれは追いつかれるだろう。そうでなくとも、もしメイジであるならば、魔法を使ってこないとも限らない。

 

「――あなたは戦えるの? 護衛を任されたからには、それなりの能力があるんでしょうね?」

 

 ユニコーンへと問いかける。シキさんがわざわざ護衛にと寄こすぐらいだ。ただ喋れるだけではないはずだ。

 

「――それなりには。ただし、後ろの二人にまでは、手は、回りませんよ」

 

 何時ものように皮肉げに答える。しかし、自信は見て取れる。 

 

 後ろの二人にまでは手が回らなくとも十分だ。ルイズとギーシュ君には期待できない。ルイズの起こす爆発にはそれなりの威力があるようだが、精度は低い。馬を走らせながらでは尚更だ。ギーシュ君は、とにかく怯えており、とてもではないが期待できない。……となれば

 

「――ルイズ、ギーシュ君! あなた達は先に行きなさい! 私たちは足止めだけでもしてから向かいます!」

 

 二人に聞こえるよう、体を後ろへと向けながら声を張り上げる。その言葉にルイズが不安そうな顔をしているが、先に行ってもらわなければならない。たぶん、私だけでもユニコーンにとっては重荷になるんだろうから。

 

「行きなさい! このユニコーンはシキさんから預けられたもの! 何とかなります!」

 

 その言葉に、大丈夫だと判断したのか不安そうな顔をしていた二人も馬を急がせる。逆に、こちらはゆっくりと速度を落とす。少しずつ位置がずれていく。ルイズとギーシュ君の馬が前に出て、代わりに、私達と追っ手との距離がじりじりと近付いていく。二人が完全に前に出てしまってから、ユニコーンに顔を寄せ、語りかける。

 

「――ああ言ったからには、何とかできるんでしょうね?」

 

 後ろを伺いながら、ルイズ達には聞こえないように。もうすぐ、魔法で攻撃できるぐらいには近づくだろう。そして、ルイズ達との距離はますます離れていく。

 

「――そうでなければ、主に、示しが付きません。……しっかり掴まっていてください!」

 

 その言葉に、何をするのかまでは分からないが、手綱を強く握る。それを確認すると、ユニコーンが右へと体を傾け、前足を止め、くるりと体を前方へと流す。そのまま、ちょうど追っ手と向かいあう形になる。

 

「何を……」

 

 いきなりの行動に私が疑問を呈す前に、ユニコーンが前足を浮かせ、何事かを呟く。

 

「――――――」

 

 人語とも、獣の雄たけびとも付かない。しかし、これは魔法だ。魔力が渦巻き、目の前で形を成していく。魔力の渦が広がり、地面を凍らせていく。氷の侵食が進み、追っ手へと向かっていく。

 

 その様に気づいた相手が馬を止めようとするが間に合わない。もともと無理をさせていたんだろう。氷に足を取られ、馬が地面へと転がる。だが、乗り手は無事だ。レビテーションでも予め唱えていたんだろう、綺麗に地面へと着地している。その様子に危なげな様子はない。

 

「このまま行く、というわけにはいかないようですね」

 

 動きを止めたユニコーンが、相手へ警戒の視線を向けながら呟く。向こうもユニコーンが魔法を使うなどとは思わなかったんだろう。杖を前へと掲げながらも、様子を伺っている。杖を剣に見立てたような独特の構えで、素人目にも隙が無いことが分かる。かなりの訓練を受けた人間なんだろう。

 

「ええ、残念だわ。さて、これからどうしようかしら?」

 

 私には下手な援護もできそうも無い。情けないが、このユニコーンだけが頼りだ。

 

 ユニコーンと一瞬だけ目が合うと、何やら呟いた。いきなり攻撃に移ったのかと思ったのだが、違うようだ。魔力が私とユニコーンを包んでいく。ほんのりと、温かい。おそらく、防御魔法なんだろう。本当に大したものだ。人語を話し、見たこともない魔法をいくつも使いこなす。

 

「私はあなた方の護衛を命じられていますからね。守ってみせますよ」

 

 相手からは視線を戻して、実に頼もしいことを言ってくれる。

 

「――期待しているわ」

 

 そう言い終わるや否や、今の魔法を警戒してか動かなかったんだろう相手がこちらへと駆けてくる。

 

 

 速い。10メイルは離れていた距離が、一瞬でゼロになる。あちらも魔法を使いこなしている。

 

 ――ギインと激しい音が聞こえる。

 

 相手の杖と、ユニコーンの角がぶつかり、金属を打ち合わせるような音が辺りに響く。一度ではなく、続けて何度も。相手のメイジは杖をレイピアのように振るい、打ち合わせてくる。私にはとても目に追えない。だがユニコーンも負けてはいない。角を振るい、騎士顔負けの速さで合わせていく。小回りが効くのはもちろん相手の杖の方だが、受けながらも果敢に相手へと突き返していく。私は振り落とされないように必死に捕まっていることしかできない。

 

「……イング ……ハグル……」

 

 杖を激しく打ち付けながら、相手が何事かを呟いている。少しづつ、周りの空気の温度が下がっている。

 

「――いけない!! 下がって!!」

 

 ユニコーンも気づいたのだろう、すぐに反応して距離を取ろうとする。

 

「――ライトニング・クラウド!」

 

 しかし、下がりきる前に相手の呪文が完成する。いや、そもそも雷よりも速く動くことなどできない。相手の杖から放たれた雷がこちらへと絡み付いてくる。違う、私が見たのはその残像だ。すでに、ユニコーンへと絡み付いている。

 

「……ッ……」

 

 人間ならば致命傷となるはずの魔法も、さすがに耐え抜く。しかし、見れば何時もの余裕のある様子とは異なり、苦悶の表情だ。直撃を受けたわけではない私は大したことはない。さっき私達を包んだ魔力の影響もあるんだろう、火傷も負ってはいない。だが、ユニコーンの方は違う。真っ白なはずの体にははっきりと焦げた跡があり、そこからは肉の焼ける嫌な臭いとともに煙が上がっている。後ろへと下がろうとするも、さっきよりも動きが鈍っている。そして、その隙を相手が逃すはずがない。一気に距離を詰めてくる。

 

 激しい金属音が何度も続く。

 

 逃すまいと、さっきまで以上の猛攻だ。ユニコーンも打ち合うが、防戦一方になってしまっている。反撃する余裕も無い。少しづつ、傷が増えていく。それに、こんな状況でも私を庇っているんだろう。例え自分が傷つこうとも、私に向かってくる杖を優先して弾いている。相手も、それに気づいたようだ。

 

 今もまた、私を庇って体に受ける。致命傷となるのは避けるも、じわじわと真っ白な体が赤く染まっていく。

 

 何もできない――いや、はっきりと邪魔になっている自分が歯がゆい。唇を噛み締める。口の中に血の味が広がる。だが、何もできないことには変わりが無い。

 

 そして、相手は今も呪文を唱え続けている。もうすぐ、詠唱が完成する。そうなれば今度こそおしまいだ。

 

「――ライトニング……」

 

 相手も電撃が有効だと分かったんだろう。さっきと同じ呪文。そして、それが放たれる。

 

 

「――ただでは、死なん!!」

 

 今までにない、はっきりと感情の露になった言葉で叫ぶ。防ぐなどということは考えていないんだろう。相手の心臓を穿つように一気に角を突き出す。――だが、もうすでに相手の詠唱は完成している。雷が絡みついてくる。だが、それでも退かない。体を焼きながらも、相手への足を止めない。

 

 何かにぶつかった。男が跳ねあげられる。相手を穿ち、角が相手の体を抜ける。

 

 ――だが、もう立っている力も残っていないのか、相手を穿った勢いのまま地面に倒れこむ。足をつくということもできずに、頭から地面へと。

 

 私も投げ出され、地面を転がる。体を強かに打ちつけ、ようやく止まる。そこかしこが痛む。だが、無理やり腕をついて起き上がると、服についた泥も払わずに駆け寄る。

 

「――しっかり!!」

 

 ユニコーンの側へと駆け寄る。

 

 だが、もう助からないのは分かっている。無理な体勢で倒れこんだせいか、前足からは骨が皮膚を突きぬけ、顔の半分は焼け焦げてしまっている。ひどい場所は完全に炭化している。残った目も見えていないんろう。駆け寄った私が見えていないようだ。

 

 そして、少しずつ存在が希薄になっているのが分かる。あんなに魔力に満ち溢れていたのに、今は穴の開いたバケツのように、どんどんそれが感じられなくなっていく。それにつれて、本当に少しづつ、姿が薄れていく。触れている手にも、体温が感じられなくなってきた。

 

 その様子に呆然となる。何とかしようとするが、何も思いつかない。必死に何か無いかと考えているが、助からないということがはっきりとするだけだ。――ふと、口元が動いているのが分かる。すぐに耳を寄せる。

 

「……主を……あの、方は……人と、会いた……、そばに……」

 

 途切れ途切れではあるが、言いたいことは、なんとなく分かった。

 

 前にシキさんが言っていた。「もう人と話せることはないと思っていた」と。ここにいられることが本当に嬉しいと。

 

 こんなになっても、あの人のことを……。

 

「……私の、せいで」

 

 そうだ。私のせいだ。私がいなければこんなことには――

 

 涙が、頬を伝う。

 

 

「……ァ……、…………」

 

 見えていないだろう目をこちらに向け、更に何かを伝えようとする。――だが、その姿は更に薄れていく。

 

「ま、待って……」

 

 手を伸ばすが、虚しく空を切る。まるで、その場所には最初から何もなかったように。

 

「………あ……」

 

 伸ばした腕が、地面に触れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――お姉さま!!」

 

 遠くから、ルイズの声が聞こえた。

 

 きっと、心配になって戻ってきたんだろう。困った妹だ。それじゃあ先に逃がした意味がない。右手で涙を拭い、立ち上がる。すぐ近くまでルイズが来て、馬を止める。

 

「――戻ってきたら意味が無いじゃないの」

 

 無理やり困ったような笑顔を作る。今は――それが精一杯だ。

 

 もうここには私しかいない。魔法で作った分身だったんだろう追っ手は消えてしまったし、ユニコーンも消えてしまった。でも、私の赤くなった目を見て、大体の事情は察したんだろう。それ以上はルイズも何も言わない。

 

 

 

 

 ――あなたのことは、嫌いではなかったですよ。

 

「……え?」

 

 ふとそんな声が聞こえた気がした。聞き覚えのあるような、少しばかり嫌味なその声に振り返る。もちろん、そこには誰もいない。だが、月明かりに照らされるものがある。

 

 金属のような光沢を持ったそれは、最後まで私を守ってくれたユニコーンの角だ。最後の最後に折れてしまったものだろう。半分ほどになってしまっているそれの側へと駆け寄り、そっと拾い上げる。傷だらけになってしまっているそれを、抱きしめる。それは、どこか温かかった。

 

「――ルイズ、船に向かうわよ」

 

 せっかく体を張って守ってくれたんだ。何としても任務を達成しなければならない。そして、絶対に生き延びなければならない。今更に彼に……本当の名前すら知らなかった彼だけれど、そうでなければ顔向けできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――どれくらいで合流できそうかしら?」

 

 船の中でタバサに尋ねる。タバサの使い魔であるシルフィードをシキさんたちのもとへと迎えに行かせたのだ。

 

「あと一時間もあれば」

 

 淀みなく答える。心配なんてしていなかったけれど、とっくに襲ってきた相手は片付けたということだろう。

 

「そう……。なら後はアルビオンについてからの事を考えるだけね」

 

 皆で集まり、アルビオンに着いた後、どうやって城まで向かうかを話し合う。戦地に向かうわけだから他人を頼りにするのは難しく、自力で城まで向かわなくてはならない。それぞれが案を出すが、どうにもうまい方法が見つからない。どれも時間がかかりすぎたり、危険すぎたり、これはと思うようなものが浮かばない。そんな中……

 

 ギシリ、と船全体が一瞬軋む。そして、さっきまであった振動も感じなくなった。たぶん船が止まったんだろう。だが、なぜこんな場所で? まだアルビオンに到着するには随分と時間があるし、わざわざこんな所で止まる理由なんてないはずだ。

 

「――何かあったのかしら?」

 

 誰にともなく呟く。もちろん誰も分からないんだろう。私と同じように、皆分からないといった顔をしている。そんな中、私達のいる部屋へと足音が近づいてくる。しかし、妙だ。船の中にも関わらず、走っているのがはっきりと分かる。しかも、一人や二人じゃない。

 

 皆もおかしいと思ったんだろう。全員が顔を見合わせる。タバサだけは一人、杖を取り身構える。

 

 しかし、扉が開くのが早すぎた。バタンと、荒々しく扉が蹴破られ、マスケット銃を持った男達が一斉に部屋へと雪崩込む。そして、油断なく銃を私たちに突きつける。今ここにいるのは三人。しかし、さっきの足音からすると他にも数人。これで全部ではないということだろう。男達の中の一人が一歩踏み出す。

 

「……貴族か。大人しく杖を捨てな。下手な抵抗なんて考えるなよ? 今から呪文なんて唱えても間に合わないんだからな。それに、外からは大砲が狙いを定めているんだからよ」

 

 身構えているタバサを目で見ながら、後ろ手に合図を送る。更に二人が入ってくる。一人は銃を持った男、もう一人は杖を持っている。

 

「――『今は』、言う通りにするしかないようね」

 

 ――カラン――

 

 ルイズ達に視線を送り、杖を下へと落とす。皆も素直にそれに従う。

 

「……物分りが良くて助かる。何、女子供ばかり。大人しくしてくれれば手荒な真似はしないんだからよ」

 

 リーダー格らしい男が顎をしゃくると、一人の男が杖を集めていく。そして、一人ひとり予備の杖がないかを調べていく。

 

 ――当然のことなんだけれど、あまりいい気はしないわね。全く運の悪い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――困ったことになったわね」

 

 今のままならそう危険はないだろうが、やはり不安はある。閉じ込められた船倉が明かりが乏しくて薄暗いのも、それに拍車をかけているのかもしれない。酒樽や穀物の詰まった袋、火薬だかを入れた樽、他にも物騒な砲弾だとかがそこかしこに雑然と積んである。

 

 杖は取り上げられたが、ここから出るだけなら何とかなる。だが、わざわざ危険な真似をする必要はない。もうすぐシキさんたちが追いつくだろう。ならば、今はただ待てばいい。

 

 皆もそのことは分かっているんだろう。こんな状況ではあるが、誰も必要以上に慌てたりはしていない。まあ、本来はここでしっかりするはずの、唯一の男の子が一番怯えたりしているんだけれど。

 

「さて、これから……」

 

 念のためにこれからのことを皆に確認しようとした所、扉からガチャリと音がして遮られる。皆が一斉にそちらへと目を向ける。

 

 扉が開き、さっきとは違う男が姿を現す。いかにも屈強な男だ。しかも、油断なく銃を構えている。その男が、私たちを見渡し口を開く。

 

「おめえらは、もしかしてアルビオンの貴族派かい?」

 

 低い、威圧的な声だ。その言葉になんと答えるべきか迷う。私たちに必要なのは時間を稼ぐことだ。ここで下手なことを言うわけにはいかない。

 

「――おいおい、だんまりじゃわからねえよ。でも、そうだったら失礼したな。俺たちは、貴族派の皆さんのおかげで、商売させてもらってるんだ。王党派に味方しようとする酔狂な連中がいてな。そいつらを捕まえる密命を帯びているのさ」

 

 銃はそのまま、空いた片手をあげ、さっきとは打って変わって親しげな口調で話しかけてくる。

 

「じゃあ、この船はやっぱり、反乱軍の軍艦なのね?」

 

 ルイズが疑問を呈す。わざわざ言うからには何か考えがあるんだろうか?

 

「いやいや、俺たちは雇われているわけじゃねえ。あくまで対等な関係で協力し合っているのさ。まあ、おめえらには関係ねえことだがな。で、どうなんだ? 貴族派なのか? そうだったら、きちんと港まで送ってやるよ」

 

 その言葉に、一気果敢にルイズが口を開く。

 

「誰が薄汚いアルビオンの反乱軍なものですか! バカ言っちゃいけないわ。私達は王党派の使いよ。まだ、あんたたちが勝ったわけじゃないんだから。アルビオンは王国だし、正統なる政府は、アルビオンの王室ね。私達はトリステインを代表してそこに向かう貴族なのだから、つまりは大使よ。だから、大使としての扱いをあんたたちに要求するわ!」

 

 指を突きつけ、言い放つ。ルイズ以外は誰も口を開かない。時間が止まったように感じられる。

 

 ――最悪だ。ただ時間稼ぎさえすればよかったのに、余計なことまで……。

 

 ルイズに指を突きつけられた男は唇の端を吊り上げ、ニヤリと笑う。

 

「――正直なのは美徳だが、お前達はただじゃ済まないぞ。頭に報告してくるからよ。その間に良く考えておくんだな」

 

 そう言い残すと、再び扉を閉め、報告のためだろう、戻っていく。

 

 

 

 

 

「……馬鹿」

 

 キュルケが呟く。もちろん誰もそれを否定するものはいない。ルイズだけは食ってかかっていくが。

 

「……あなたは黙っていなさい」

 

 手を伸ばし、キュルケに文句を言おうとしていたルイズの頬を引っ張りあげる。

 

「にゃにふぉふるんふぇふか!?」

 

 目に涙を浮かべて抗議してくる。だが、誰も同情などしない。タバサに助けてくれるよう視線を送っているが、フイと目を逸らされる。――当然だ。

 

「……呆れて何も言えないわね。あなた、ちゃんと考えているのかしら? そのピンクの頭は空っぽかしら?」

 

 更にギリギリと引っ張りあげる。

 

 ――ガチャリ――

 

 そんなことをしている内にさっきの男が戻ってきた。今度は三人。油断なく銃を構えている。

 

「頭がお呼びだ。そうだな――桃色の髪の嬢ちゃんと、端っこでびびってる坊主だけでいい。……きな」

 

 そう言って促す。銃を突きつけられたこの状況、従わざるを得ない。

 

 重々しい音を立てて扉が閉じられる。二人を連れて部屋を出て行ってしまった。

 

「……ようやく近くにまで来たみたい」

 

 少し間をおいてタバサが口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――韻竜だったというのも驚きだが、まさかいきなり空賊に出くわしているとはね。なんとも運の悪い」

 

 私の背中に乗ったワルドとか言う人が呟く。

 

 今回だけは仕方がないと、人前で喋ることをお姉さまが許してくれたのだ。喋っていいのは嬉しいけれど、お姉さまが危ない目にあっているというのは心配だ。

 

「どうするのね?」

 

 あまり船に近づき過ぎないように気を配りながら、シルフィに乗った人たちに尋ねる。お姉さまは杖がなくてなんともできないみたい。今はこの人たちだけが頼りだ。

 

「強行というわけにもいきませんよね。全員が一箇所にいるのならともかく、お二人の場所が分からないなら、下手をすると人質になってしまいますし。せめて場所さえ分かれば……」

 

 ロングビルとか言う人が、考える込むように口にする。

 

「……それは、俺が何とかしよう」

 

 シキが言う。何となくこの人は怖いんだけれど、今回はこの人が一番の頼りだ。

 

「どうするんですか?」

 

 さっきの女の人が尋ねる。その相手は、見ていろとばかりに何かの呪文を唱え始める。――何となく、不吉な呪文を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今、何か横を通らなかったか?」

 

「気のせいじゃないのか? いくらなんでも何かが目の前を通れば気づくだろう?」

 

「まあ、それもそうか」

 

「……念の為見ておくか。ここでへまをするわけにはいかないからな」

 

「そうだな。注意するに越したことはないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――大使としての扱いを要求するわ。そうじゃなかったら、一言だってあんたたちになんか口を利く者ですか」

 

 私達が連れてこられた船長室には武装した空賊達が何人もいて、こちらの様子を面白そうに見ている。怖くないわけがない。今だって、必死に足が震えるのを我慢しているぐらいだ。でも、それを知られるわけにはいかない。

 

「王党派と、言ったな?」

 

 無精ひげに左目に眼帯をした、手入れもしていない長い髪の男が威圧するような声で言ってくる。部屋の中の空賊たちは豪華なディナーテーブルの周りに陣取り、この男が一番上座に座っている。きっとこいつが空賊達の頭だ。

 

「ええ、言ったわ」

 

 声が震えないよう、拳を握り締めて口にする。

 

「何をしに行くんだ? あいつらは、明日にでも消えちまうよ」

 

 感情のない目でこちらを見てくる。

 

「あんた達に言うことじゃないわ!」

 

 精一杯の強さで口にする。側にいるギーシュが驚いたようにこちらを見ているが、無視する。

 

「――貴族派につく気はないかね? あいつらは、メイジを欲しがっている。たんまり礼金も弾んでくれるだろうさ」

 

 頭が、さっきとは打って変わって実に楽しそうに言う。実際こいつらにとってはそんな程度のことなんだろう。私の答えは決まっている。

 

「死んでも嫌よ!」

 

 きっぱりと口にする。すると、頭を含め、他の空賊たちも一斉に笑い出す。

 

「どうしてもかね?」

 

 私の答えは決まっている。

 

「どうしてもよ!!」

 

 それを見て、頭が楽しそうに口にする。

 

「……なるほど、なるほど。実に勇気のあるお嬢さんだ」

 

 そうして不意にガラリと雰囲気が変わる。さっきまでの粗野な雰囲気はなりを潜め、随分と穏やかな笑い方。まるで別人だ。

 

「無礼を働いたこと、どうか許して欲しい」

 

 そう言うと頭へと手を伸ばす。

 

 

 

 

「――ミツケタ」

 

 ふと、耳元でそんな声が聞こえる。冷たい、思わず震えるような。しかも……

 

「――ミツケタ」

 

     「――ミツケタ」

 

「――ミツケタ」

 

 いくつもいくつも、そんな声が聞こえてくる。声が私の周りを囲んでいく。いや、声だけじゃない。ぼんやりと、もやみたいなものが見える。それが少しづつ形になって……

 

「……顔?」

 

 はっきりとは分からない。でも、もやの中に、目、鼻、口と見える。その口がぐにゃりと歪んで――笑って、いる? 更に大きく開いて……

 

「「「「「ィィィィィィィィィ――――!!」」」」」

 

 聞き取れない、ただ、耳障りな音が辺りに響く。思わず耳を押さえる。

 

「な、何なのよ!?」

 

 誰にともなく叫ぶ。わけが分からない。このもやみたいなものは何?

 

 大きな音が聞こえた。

 

 今度は、船に何か重いものが落ちてきたような音だ。たぶん、甲板だけでは勢いが止まらなかったんだろう。そのまま続けて床を破るような音が響く。そして、止まった。

 

「何だ!?」

 

 空賊達も口々に叫ぶ。いや、もしかしたらこの人たちは……

 

 また、音とともに船が揺れた。

 

 さきほどと同じぐらいの破壊音が響く。今度は、垂直にではなく、横に。……しかも、こっちに向かってくる?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――飛び降りちゃいましたね」

 

 竜に乗ったまま、はるか下を見ながら呟く。

 

「……ああ」

 

 同じように下を見ながら、気のない返事を返す。

 

「――船、穴が開いちゃってますよ」

 

 はっきりと上から見ても分かるほどの穴が開いている。あの勢いだったら普通の人ならただでは済まないだろう。

 

「……ああ」

 

 再び気のない返事が返ってくる。

 

「――私達は、どうしましょうか?」

 

 顔を上げ、もう一人の男と目を合わせる。

 

「……待っていれば、いいんじゃないかな。たぶん、やることはないだろうし」

 

 困ったように言うが

 

「――ですよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 船の中、破壊槌で壁を破るような音が響き渡る。振動がこちらにまで伝わってくる。

 

「――私たちも出るわよ。人質なんかになるわけにいかないもの」

 

 キュルケとタバサ、そしてギーシュ君に向かって口にする。

 

「でも、どうやって?」

 

 キュルケが疑問を口にする。

 

「――これを使って」

 

 懐から取り出した石を示す。

 

「それは?」

 

 今度はタバサが口にする。首をかしげ、何時もとは違う歳相応の仕草だ。

 

「――シキさんがくれたの。魔法の力を結晶にしたものだそうよ」

 

 言いながら扉へと投げつける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また船が揺れた。

 

 向かってくる音とは別の場所からも、何かが爆発するような音が聞こえてくる。そして、さっきから聞こえてくる方の音はどんどん大きくなっている。もうすぐ、ここまで来る。たぶん、何かは分からないけれど、このもやみたいなものが呼んだんだ。

 

 ゆらゆらと揺れているそれを睨みつける。もう、はっきりと分かる。私の周りにいくつも浮かんだそれには、顔がある。それも人の……。本当に何が何だか分からない。さっきから色々なことが起こりすぎて、頭がパンクしそうだ。

 

「お、王子を守れ!!」

 

 いよいよ音がここまで来るとなって、頭を他の者達が守るようにと囲む。皆、銃ではなく杖を構えている。もうはっきりとした。この人たちは王党派。しかも、王子と近衛だ。

 

 目の前の壁から音が聞こえた。

 

 そうして壁ごと砕ける。穴からはとてもそんな破壊ができるようには見えない手が覗いており、すぐさまその持ち主が部屋へと入ってくる。そして、す私の方へと視線を向ける。

 

「ルイズ! 無事か!?」

 

 何時もとは違い、はっきりと感情が表れていて、本当に心配していたということが分かる。

 

「……え、あ、うん。大丈夫だけれど……」

 

 肝心のことを言う前に、すぐにシキが王子たちへと向き直る。

 

「待っていろ。すぐに片付ける」

 

 本当に頼もしい。本当に、あっという間に片付けてくれるだろう。だが、それは非常にまずい。その前にと止める前に、私を囲んでいたもやのうちのいくつかがふわりと前に出て行く。

 

「――オレ、スウ」

 

 シキはそれにちらりと視線を送ると。

 

「――死なない程度ならかまわない」

 

 よりによって、そんなことを言った。それを聞いたもやは嬉しそうに口元を吊り上げると、王子たちへと向かっていく。

 

「――だ、駄目……」

 

 あまりのことに思考がついていかない。

 

 シキはこちらを振り返ると、安心させるつもりなんだろう、にっこりと笑ってみせる。

 

「すぐに終わらせる」

 

 いつもなら頼もしいはずが、今は何よりもまずい。更に悪いことに、シキまで向かっていく。

 

「ま、待って……」

 

 もう、間に合わない。

 

 そうしてあっという間に戦い、いや、そんなものですらない。もやにとっては単なる食事。皆、魔法も使えず、一人ずつ倒れていく。あるいは、シキに首をつかまれて持ち上げられ、壁に叩きつけられている。手加減はしているようだけれど、そういう問題じゃない。

 

 

 

 ――ああ、終わった。

 

 

 

 

 ……私が。

 

 ペタリとその場にくずおれる。



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第12話 An Ark

 目の前のそれは、奇妙としか言いようのないものだった。

 不定形のもやのようなようなそれらは、ゆらゆらと揺れながらも確実に存在している。何より、そこに浮かんだ歪な顔、ケタケタと嗤うその表情に目をそらすことができない。

 こちらを囲むようにと近づいてくる。次々と変わるその表情に、時折愉悦の表情を混ぜながら。





「――オオン――」

 

 もやの一つが、一所へとまとまった私たちのところへと向かってくる。人のような表情を貼り付けながらも、その口は人ではありえないほどに開いている。まるで、そのまま食らいつこうとでもするように。

 

「――こんな所で!!」

 

 部下の一人が杖を掲げ、呪文を唱える。そして、現れた氷の槍がもやを半ばからえぐるようにと突き刺さる。その部分は霧散し、より一層、歪な表情を見せる。見た目に反し、効果はあるのかもしれない。

 

 だが、それを合図とでもするように、他のもやのようなものも、次々にこちらへと向かってくる。その表情にははっきりと憎悪といったものが見て取れる。まるで怨念の塊のようなそれには、とてもではないが説得など通じそうにない。それに、そんな暇などない。

 

「――オオン!!」

 

 もはや人になど、とてもそう見えない表情を浮かべ、さっき以上の速度で迫ってくる。

 

「……くっ!」

 

 もやが通り過ぎていく。

 

 一つが食らいついてこようとするのを、身を低くすることなんとかかわした。空気のようにも見えるそれだが、もし食いつかれたらどうなるか分かったものではない。

 

「――エア・ハンマー!」

 

 側を通り抜けたもやへと、後ろから魔法を放つ。室内ということもあり、あまり大きな魔法は使えない。それでも、さっきの様子から魔法も効果があることが分かった。魔法を受けたもやはそのまま弾かれる。だが、大きく形を変えながらも、未だに健在だ。

 

 そいつはひしゃげた顔をこちらに向けてくる。どうやら、一度の魔法でどうにかなるようなものでもなさそうだ。最初に半ばからえぐられたものも、少しずつとはいえ元の形へと戻っている。今はせめて膠着状態には持っていかなければ話にならない。

 

「――うあああぁぁあぁああああ!?」

 

 声に振り返る。一人が後ろからもやに食いつかれている。手を伸ばして必死に引き剥がそうとするも、離れない。血が出ているわけではない。だが、どんどん顔色が土気色に変わっていく。まるで植物が枯れていくように。

 

「エア・カッター!!」

 

 風が抜けた。ぞぶりと、半ばちぎるかのように一人が魔法で切り離す。そのまま食いつかれていた者が床に倒れる。

 

「大丈夫か!?」

 

 それぞれが他のもやを魔法で牽制しながら、合間をぬって声をかける。

 

「……なんとか」

 

 ちらりと目をやれば苦しげながらも起き上がる。外傷もないのだから、命に別状はない、そうであって欲しい。

 

「集中して攻撃しろ!! そうでなければすぐに元に戻ってしまう!!」

 

 もやは少しぐらいえぐられた所ですぐに戻ってしまうようだ。だが、それが大きければやはり時間がかかっている。現に、最初のもやはまだ完全に形を取り戻してはいない。

 

「分かりました!」

 

 先ほど食いつかれていた者も、なんとか体勢を整えて呪文を唱え始める。魔法が完成し、他の者に続いて放つ。だが……

 

「馬鹿な!?」

 

 何も起こらない。杖と相手を見比べるも、全く魔法が発動する様子はない。

 

「――オマエノマリョク、ウマカッタゾ」

 

 さっきのもやが言う。ニヤリとでも表現するのがふさわしいような笑みを浮かべ、実に楽しそうに。そして、からかうように付きまとう。追い払おうとするも、魔法が使えず、慌てふためいている。その状況では他の者もなかなか手が出せない。

 

 ――まずい。魔法が使えなくなるとなると、どうしようもなくなってしまう。

 

「――王子!!」

 

 何かに押し倒された。声の主が体当たりをしたようだった。

 

「何を……」

 

「あああああああ!?」

 

 見れば、さっきまで私がいた場所で部下がもやにまとわりつかれている。

 

「エア・カッター!!」

 

 まとわりつかれたままだが、魔法を放つ。威力が低い。切り離すことはできたが、さっきの者のように魔力は吸われてしまったのかもしれない。

 

 しかし、この隙を逃すわけにはいかない。

 

 

「ジャベリン!!」

 

 氷の槍が壁ごともやをつなぎとめる。

 

「――オオン……」

 

 更に他の者が攻撃を加える。続けて受ければさすがに耐え切れないんだろう。穴が空いた部分から蒸発するように霧散していく。見れば、同じように別の場所でも更に一体消えていく。

 

 これならば何とか……

 

 

「――オオオオオオオオオオン!!」

 

 別のもやが叫び声を上げた。すると、するりと壁を抜け、別の一体が現れてくる。

 

 

「「――イッパイ、イルゾ――」」

 

 増えたそれと合わせ、ニヤリと笑う。そうして、更にまた一体現れてくる。

 

 何かが砕ける音がした。

 

 反射的に振り返ってみれば、一人が壁へと叩きつけられ、半ば壁へとめり込んでいる。死んではいない。だが、腕はあらぬ方向へと曲がり、とてもではないが戦えそうもない。更に悪いことに、そこへもやが取り付いていく。

 

 また、音がした。

 

 別の者が今度はテーブルへと叩きつけられていた。どれだけの力でそれが行われたのか分からない。それなりの強度があったはずのテーブルが半ばから割れてしまっている。

 

 それを引き起こした相手は、とてもそんなことのできるようには見えない男だ。確かに鍛えているのは分かる。それでも、目の前の光景は異常だ。また一人、大の男を片手で持ち上げ、今度は壁へと叩きつける。

 

「――アキラメロ――」

 

 耳元で声が聞こえた。振り向いた先にはもやがいた。見る者を不快にさせる笑みを貼り付けながら。

 

「――オマエデ、サイゴダ――」

 

 その言葉とともに人一人飲み込めるほどに口を開き、食らいつかれた。もやの口の中には、真っ暗な闇がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うああああぁぁぁあああああああ!?」

 

「――王子!? 大丈夫ですか!?」

 

 体に触れる何かがあった。腕を振り回す。それでも、その何かは離れない。それは、耳元で何度も大丈夫だという。聞き覚えのある声だ。

 

 体を抱きとめ、心配するようなその声の持ち主に目をやれば、パリーだった。化け物などではなく、執事のパリーだ。改めて自分の様子に目をやれば、着替えており、ベッドの中だった。

 

 

「……夢「申し訳ございません!!」」

 

 半ばまで言った所で、遮られる。聞き覚えのない声だ。しかし、なぜ床の方から?

 

 改めてそちらへと目をやると、大人から子供までいる。そして、なぜか皆、床に土下座の状態で。見える頭がカラフルで――赤、青、緑、ピンクと様々に。そして、あの男も……

 

 

「……夢じゃなかったのか」

 

 ――確かに、夢では都合が良すぎる。ついと額に手をやる。

 

「なんとお詫びすればよいのか……」

 

 一番年長者らしい、金髪の女性が顔を下げたまま口にする。今の状況、何となくだが想像がついた。

 

「……いや、そもそも空賊の真似事をしていたのは私達だ。君達は身を守るために当然のことをしただけだ」

 

 ――そう。いくら戦争中とはいえ空賊の真似事、いや、物資を調達するために実際空賊になっていた。これは、自業自得とでもいうものだ。それに、まだ生きている。やるべきことはまだあるのだ。そのことに感謝しなければ。女性がまだ、何かを言おうとしているのを、制する。

 

「――他の者達は?」

 

 ベルスランへと視線を向け、尋ねる。

 

「怪我は魔法で完治しているはずです。ただ、魔力については……」

 

 沈痛な面持ちだ。自分の体へと注意を向けてみると、確かに魔力がほとんど感じられない。あのもやに吸われてしまったということだろう。他の者も同様ということか。

 

「……無事であることに感謝しなければ。魔力は……決戦までには回復するだろう」

 

 そう、無事であることだけでも感謝しなければならない。決戦までそう日数があるわけではないだろうが、それでも、いくらかは回復するだろう。

 

「……いえ、敵は明日の正午にと通知してきました」

 

「それでは、満足に戦うことも……」

 

 ベルスランのその言葉に、シーツを握りしめた。

 

 もともと勝ち目のない戦い。数万に対して我々はたったの300程度。せめて勇敢に戦い、われらの存在を知らしめる。そして民を苦しめるあの憎きレンコンキスタに一太刀浴びせるつもりが、それでは……。

 

 いや、それでもやらなくてはならない。それに、何としても非戦闘員は逃がさねばならないのだから。例え魔法が使えなくとも、城に残った全てを使ってでも時間を稼がなければならない。

 

「……まだ、悪い知らせがあります」

 

 ベルスランが更に暗い口調で言葉を続ける。

 

「……何だ」

 

 これ以上悪い知らせなど……

 

「……イーグル号が焼け落ちました。商船の方に移ることでなんとかここまでたどり着いたようでしたが、それだけでは、とてもではありませんが非戦闘員を載せ切れません……」

 

「私達は、どうすればいいのだ……」

 

 思わず頭を抱え、ベッドに拳を叩きつける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――マリー・ガーラント号に乗っていたのが唯一残されたものだった。その者達が魔法が使えないとなれば、それでは無駄死にしかならない!」

 

 感情的とも言える声が辺りに響き渡る。

 

「だからといってどうする!? 今更逃げるわけにはいかん! 第一、逃げようにも船がないのだぞ!?」

 

「いっそのこと非戦闘員も含め全員で戦うべきだ!!」

 

「いや、船で運べる者だけでも非戦闘員は逃がさなければならない!!」

 

 会議の場でそれぞれが意見を述べる。いや、意見と呼べるかも怪しいような状態だ。中には半狂乱になっている者もいるのだから。

 

 だが、それも仕方がないのかもしれない。どこか冷静に見ていた。昨日までは皆が死ぬことも受け入れていた。だが、それは意地を見せるというものがあってこそだ。唯一の支えであったそれができないとなれば、皆が動揺するのも仕方がない。非戦闘員だけでもという願いも、それすらも難しいのであるから。

 

 私は指揮官として、皆に行く末を示さなければならない。だが、どうして言えるだろう。大した損害も与えられない、無駄死にと分かってもそうするとなどと。

 

 ドアが開く音がした。

 

 会議室にと使っている部屋の扉が開き、皆がそちらに視線を向ける。そこに立っているのは、あの時の男だった。皆を見渡し、口を開いた。

 

「……戦争に加担するわけにはいかないが、船ぐらいはなんとか手に入れてくる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シキさんを見つけた。いつも以上に無表情で、表情からは考えていることが伺えない。

 

 一体、どうするつもりなんだろう。まさか王党派について戦うつもりじゃ……。こんな状況でまで恨み言を言うつもりはないけれど、それでも、憎しみはそう簡単には消えない。

 

「シキさんは……どうするつもりなんですか? シキさんには関係のないことでしょう? 今日のことだって自業自得だし、わざわざ危険を冒す必要なんかは……」

 

 近づき、尋ねる。私は――何が言いたいんだろう。

 

「……そう積極的に関わるつもりはない。俺が関わるべきものでもない。ただ、俺のせいで逃げることができなくなったというのなら、その責任ぐらいは取ろうと思っている」

 

「……そう、ですか」

 

 それ以上は言わない。願いどおりなのだから。――でも、私はこれで満足なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、シキ……」

 

 どこかへと行っていたシキが、私がいる広間の方へと戻ってくるのが見える。向こうも、とっくに気づいているようだ。目が合い、お互い立ち止まる。一瞬だけ目を伏せ、私からシキの元へと歩みを進める。

 

「――ね、ちょっと、話してもいい?」

 

 上目遣いに尋ねる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――こうして二人で話すのも、久しぶりよね」

 

 私にと宛がわれた部屋のベッドに二人で腰掛ける。

 

「――そうだな」

 

 少しばかり遠慮を含んだままの答えだった。もちろん、私も人のことは言えないけれど。何だか不思議な気分だ。しばらくお互い何も言わず、私から続ける。

 

「……えーと、シキ、後ろから着いてきてくれていたのね」

 

 胸の前で指を組み、なんとなく、視線を床へと落とす。こうなると目も合わせづらい。

 

「……ああ」

 

 ちらりと目をやれば、シキも私と似たような様子だ。ちょっと、おかしい。つい、くすりと笑みがこぼれる。

 

「心配してくれて、嬉しかったわ」

 

「……ああ」

 

 少しだけ視線を逸らし、照れたような様子だ。何となくだけれど、可愛いかもしれない。

 

「――船ではびっくりしちゃったけれど」

 

 少しだけからかうように言ってみる。シキが動きを止め、明らかに目を逸らす。

 

 その様子がおかしくて、ついクスクスと笑ってしまう。困ったようにしていたけれど、やがてシキも笑い出す。ようやく、今までと同じように話せそうだ。どちらからともなく、ここまでの道のりでの出来事を話しだした。一緒じゃなかった時にどうしていたかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ?」

 

 どうしても聞いておきたいことがあった。

 

「何だ?」

 

 シキが答える。

 

「シキはさ、何であんなに姫様の依頼を嫌がったの? シキがいれば危ないことなんてなかったはずだし……」

 

 シキを見つめる。それに対してしばらく考えるようにしていたけれど、ややあって口を開く。

 

「……俺がいた世界のことはほとんど言ったことがなかったな」

 

「ええ」

 

「まずは、そこからの話になるな。長くなるが、それでも聞くか?」

 

「ええ。私も知りたいもの」

 

 シキがいた世界のことは今までほとんど聞いたことがなかった。時折そんな話題になったこともあったけれど、あまりシキが言いたくないようだったので、そのままにしてきた。

 

 しばらく腕を組んで考え込んでいて、ようやく口を開いた。

 

「……そうだな。まずは変わってしまう前の世界からか。――もともと俺がいた世界には魔法なんてものがなかった。いや、あったんだろうが、普通の人間はその存在も知らなかった。まあ、物語に出てくるぐらいだろうな」

 

 思い出すようにポツリポツリと話し始める。

 

「魔法がなかったら、不便じゃないの?」

 

 疑問に思ったことを尋ねる。魔法のない世界なんて考えられない。魔法がなかったら不便で仕方がないはずだ。

 

「そうでもないな。むしろこの世界よりも便利なぐらいだ。例えば……」

 

 

 

 

 そうしてシキがその世界のことを一つ一つ教えてくれたけれど、信じられないような世界だ。遠くまで移動するための道具があって、人が月にまで行けたり。シキの話どおりなら本当にすごい世界だ。行けるものなら一度行ってみたい。シキはこの世界の方が御伽噺のようだと言っているけれど、私からすればシキのいた世界こそ空想の世界だ。

 

「――だが、その世界も変わってしまった」

 

 不意に、少しだけ目を伏せた。

 

「……え? 世界が変わった? どういうこと?」

 

 言っていることの意味がよく分からない。その疑問にシキがこちらを見つめ、ゆっくりと話しだす。さっきまでの楽しそうとも言えるような表情はなりを潜め、悲しそうな表情を浮かべながら。

 

 

 

 

 

 ある日突然世界が変わってしまった。「東京受胎」と呼ばれるできことによって、本当に、全てが。

 

 新たな世界を創る、その為に一旦世界を卵の状態に戻す。生まれ変わるには一番最初の状態に戻せば良い。実際に世界は卵のような形になり、その中心には太陽の代わりに「カグツチ」と呼ばれるものが現れた。言うなれば卵の黄身のようなもの。そして、人は一部の例外を除いて死に絶え、悪魔と呼ばれる者達が代わりに現れた。

 

 そして、世界を作り変える「創生」を行う方法は一つ。「コトワリ」という、言わば世界の設計図となる、作るべき世界のイメージを持ち、その世界の覇者となること。

 

 悪魔と呼ばれる強大な存在が跋扈する世界、人間など生き抜くだけでも困難。だが、その中で生き残った。何者かによって悪魔の力を植えつけられることで。更に別の悪魔の力を吸収していくことで。そして、その世界の勝者となった。

 

 だが、世界は生まれ変わることはなく、混沌のままだった。理由は簡単なこと。シキには「コトワリ」がなかったから。世界を創るべき勝者に創るべきイメージがなければ、世界は生まれ変わる形を得られない。世界は卵のまま、孵らない卵となった。

 

 そして、信じられないことをシキが言う。「コトワリ」を持った三人のうちの二人がシキの友人で、その手で殺したということを。

 

 シキと違い、二人は普通の人間のままでその世界に投げ出された。普通の人間など生き抜くことさえも困難な世界に投げ出された二人。運よく、もしくは運悪く生き残ってしまった二人は、やがて歪んだコトワリを持った。

 

 一つは「ムスビ」。極限の状況では誰も信じられない。それならば一人でいればいい、一人で完結すれば良いという考えから辿りついたコトワリ。そのコトワリから創られる世界は孤独な世界。一人ひとりが完全に独立した世界。決して誰とも関わらず、誰もが独りとして存在する。

 

 もう一つが「ヨスガ」。何度も打ちのめされて辿り着いた、弱肉強食というとてもシンプルなもの。選ばれた者、すなわち強者だけが生き残ることを許される世界。弱者には生きる資格すらなく、そして、その友人だった者は、実際に弱者を虐殺した。

 

 絶望からたどり着いた結論。どちらの世界も認められない。シキはどちらも止めようとしたけれど、結局世界を作り替える力を得た二人と戦い、殺した。

 

 最初は生きることすら精一杯だったとはいえ、力を持つ存在になったシキは二人を守りたかった。だが、二人は歪んだコトワリを持ち、それぞれの世界を作るために最後は裏切られた。結局、そんな世界を創らせないために戦い、守りたかったのに殺してしまった。

 

 ――シキの行動は、間違ってはいない。だが、正しくもなかった。確たるものを持たずに戦った結果は、世界を混沌のままにとどめるだけだった。後悔したが、全ては遅かった。世界は孵らない卵になってしまったのだから。

 

 そして、その世界から私が召喚した。シキが言う。自分が召喚に応じたのは、その世界から逃げ出したかったからかもしれないと。

 

 

 

 

 

 

「――まあ、俺の話はそんな所だ」

 

 そんなことがあったと昔話でもするように淡々と語った。だが、表情には色々な感情が浮かんでいる。ちらりと私を見、再び口を開く。

 

「……それで、行かせたくない理由だったな」

 

 目があい、私が無言で促すと更に続ける。

 

「……姫、アンリエッタだったか、主君であると同時に、まずは、友人なんだろう?」

 

 その確認にうなづいて返す。

 

「今回の任務は危険なものだ。死の危険だって十分に考えられた」

 

 それは――承知の上だ。

 

「……シキがいれば平気よ」

 

 どんなことがあったって、きっと助けてくれる。今日のことだって、もしかしたら心の中では助けれくれると期待していたからあんなことが言えたのかもしれない。

 

「……少なくとも姫は、俺がいることなんて知らなかった。依頼は、ルイズが危険な目に会うのを承知の上だったはずだ」

 

「……臣下としての勤めでもあるわ」

 

「友人として頼まれたのにか?」

 

 じっとこちらを見つめる。

 

「それは……」

 

 私の方が目を逸らしてしまう。

 

「信じていた友人に裏切られるのは……つらい。ルイズにはそんな目にあわせたくなかった。それが俺が行かせたくなかった理由だ」

 

「私は……」

 

 なんと言えばいいのだろう。姫が私を、無意識にせよ利用しようとしていたのは事実。でも、それでも……

 

「たとえそうだとしても、私は姫様の役に立ちたい」

 

 それも、私の正直な気持ちだ。

 

「……そうか。……そうだな。俺もそうだった。ただ、そういうこともあるということは知っておいて欲しい」

 

 それだけ言うと立ち上がる。

 

「……どこに行くの?」

 

 シキを見上げた。

 

「明日の準備もあるからな」

 

「……シキは……どうするの?」

 

 シキがいればどれだけの敵だろうと、きっと勝てる。でも、シキは戦いなんて好きじゃないはず。きっと、自分のしたことに責任を感じているから。

 

「……責任は、取る。だが、それ以上のことをするつもりはない。この世界のことは、この世界の人間が決めるべきだ」

 

 それだけ言って、そのまま部屋を後にする。きっとシキの言うことが正しいんだろう。それに対して文句を言うことはできない。

 

 姫のことは、それでも……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城の窓からは朝日が差し込んでいる。空に浮かぶこの国の朝は清々しい。澄んだ空気と、何時もよりもずっと近くに見える雲。それだけでも気分が軽くなりそうなものだが、今日ばかりはそうもいかない。

 

 決戦は正午からとはいえ、そう時間があるわけでもない。文字通り最後の準備が必要で、城の中は慌しい。だが、その表情に覇気はない。

 

 ――仕方がない。誇りのために戦おうにも難しく、非戦闘員を逃がすことすら……。シキがその責任は取ると言っていたけれど、シキのことを知らなければ絶望しかないだろう。

 

 私も――シキならなんとかしてくれるとは信じているけれど、戦争そのものには関わる気がないと分かっているから、暗い気分はどうしても抜けない。今はただ、どうなるのかを見届けることしかできない。

 

 

 

 

 

 

「――ルイズ」

 

 シキに声をかけられる。

 

「――ええ。私にも責任があるもの。なんと言おうとシキと一緒に行くわ」

 

 シキが何をするのかは知らない。けれど、シキに責任があるというのなら、それは私の責任でもある。

 

「そういうことならば僕も行こう。何、足手まといにはならないさ」

 

 とっくに準備を整えていたらしいワルドも加わってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――この辺りでいいか」

 

 シキが歩みを止める。

 

「何をするの? 待ち伏せでも、するの?」

 

 シキへ尋ねる。目の前にはまっすぐに道が伸びている。城へとつながる唯一の道。道の両端はそう高くはないが崖状になっており、待ち伏せをするには最適だと言える。でも、そんな直接的に戦うなど思えない。シキは――きっと、責任を取る以上のことはしないつもりだろうから。

 

「単なる足止めだ。ルイズ達はここで待っていてくれ」

 

 そのまま歩き出す。追いかけようとするが手で制される。

 

「道を塞ぐだけだ。すぐに終わるからここから動かないでくれ。下手に近づくと巻き込んでしまうからな」

 

「――そういうことなら仕方がない。ルイズ、ここで見ていることにしよう」

 

 ワルドが優しく諭す。だが、何となく楽しそうなその様子に違和感がある。でも、ワルドのいう通りだ。どのみち、私にできることはないだろうから。

 

 私が待つと分かったからか、シキが更に歩みを進める。100メイルほどだろうか、それだけ進んでようやく足を止めた。

 

「何を……」

 

 そう言葉にしようとした所で、シキがなにやら構えを取る。腰を落とし、両手を体の前に合わせる。そして、服の上からもはっきりと分かるほどにあの刺青が光っている。それは刺青だけでなく、体全体が緑の光を放っている。

 

 いや、体だけじゃない。地面からもぽつぽつと蛍のような光が昇っている。素直に綺麗だと思う。でも、それを見ていられたのも一瞬だ。

 

 

 地面が――揺れる。

 

「な、何!?」

 

 慌ててシキの方へと視線を向ければ、シキを中心に、地面を縦横無尽に亀裂が入っていく。それだけじゃない。亀裂は全てを飲み込むように広がり、そこからは眩しいばかりの光が溢れている。

 

「――ああああああああぁああぁあ!!」

 

 大きく手を広げ、シキの声が響く。そして――光が弾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うそ……」

 

 自分の口からはそんな声がが漏れる。目の前の光景が信じられない。

 

 

「……素晴らしい。これこそが力だ……」

 

 ワルドが何かを言っているが、何を言っているのか、それすら良く分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――おい。さっき地面が揺れなかったか?」

 

 隣を歩くやつがそんなことを言ってくる。……知ったことか。

 

「このアルビオンでそんなことがあるわけないだろう。空にあるこの国に地震なんて起きるわけがない」

 

 ――もしあったとしても、どうでもいい。今は生き残ることが何より大事なのだから。

 

 先頭を行く俺達は、言わば捨て駒だ。なるほど、確かに敵は300程度。負けるなんて事はありえない。だが、俺達一人一人は違う。

 

 敵は城を中心に守りに入っている。城はもっとも守りやすく、攻めにくい場所にある。城は浮遊大陸の端にあり、一方方向からしか攻めることができず、ほぼ一本道。そうなれば、下手に近づけば大砲と魔法の餌食だ。向こうも最後だと分かっている。出し惜しみなんてしないだろう。

 

 そんな場所に船で向かうわけには行かない。せいぜいが途中まで大砲と駒である俺達を運ぶだけ。だからこそ、平民の歩兵である俺達が、死んでも良い使い捨ての兵として先陣を切っている。

 

 近くでは、殺してやると威勢のいいやつらが声を張り上げている。確かにうまく手柄さえ立てられれば一生安泰だ。だが、本当に分かっているのか。今いるやつらのほとんどが生き残れないということに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――何なんだ、これは!?」

 

 目の前の光景に目を疑う。城までは一本道が続いているはずだ。だが、目の前にそんなものはない。

 

 まるで巨人がその手で地面を引き裂き、砕き、散々に暴れまわったような様相を呈している。歪な塔のよう聳え立つ巨大な岩が何本もあるかと思えば、地の底にまで続いていそうな亀裂がそこら中にある。もしかしたら、見えないだけでこの大陸を貫通してしまっているかもしれない。何をどうすればこんなことになるのか、想像もつかない。ここを越えて行くぐらいなら、山でも越えた方がよっぽど楽に進めるだろう。

 

「……まるで、地面の口だな……」

 

 隣を歩く男が手近な亀裂へと近づき、呆然と呟く。

 

 ――なるほど、確かにそんな風に見えなくもない。亀裂も歪で、曲がりくねった中の壁は鋭い歯のようになっている場所も多い。そんな場所に落ちれば、人間など、切り刻まれてあっという間に肉団子になってしまうだろう。落ちた者は――地面に食われるといった所か。……俺は遠慮したいが。

 

 しかし、これはどうするのか。とてもじゃないが、このままでは進めそうもない。迂回できなくもないだろうが、それでは正午の決戦には間に合わないだろう。そんなものはどうでもいいとは思うが、貴族はそんなわけにはいかないものなんだろう。案の定、一番安全な場所で見ていた指揮官である貴族が、他のメイジを連れて前へと出てくる。大したことができるわけでもないのに偉そうで、むかつくやつだ。

 

「……せこい手を使いおって。ここまでするのは大したものだが、単なる時間稼ぎにしかならん。そうまでして死にたくないか」

 

 憎々しげに吐き捨てると、連れてきたメイジ達に命令する。

 

「たかだか数百人相手に手間取るわけにはいかん。ゴーレムでも何でも使って通れるようにしろ」

 

 それだけ言うとまた安全な場所へと戻っていく。部下であるメイジ達もこいつのことは嫌いなんだろう。忌々しげに見送ると、呪文を唱え、20メイルはあるゴーレムが地面から立ち上がる。見上げるような巨体でも、地面の穴には一飲みでしかないだろうが。

 

 岩同士の擦れる、嫌な音が聞こえる。

 

 ここを何とかするためだけに作ったからだろう、緩慢な動きのゴーレム達はゆっくりと足を持ち上げ、そのまま何とか道を作れそうな場所へと向かう。分厚い手袋を何枚も重ねたように膨らんだ手が手近にあった岩を掴み……

 

 

 砕けて落ちた。

 

 「何だ」と疑問の言葉すら言う暇がない。破砕音が辺りに響く。しかも、断続的に、何度も。どこからともなく現れたいくつもの光がゴーレムを打ち抜いていく。腕、足、頭、胴体と、複雑な軌道で光が穿つ。全てのゴーレムが粉々になってしまうまでの時間は、本当に瞬きをする程度のことだった。

 

「――逃げろ!!」

 

 一瞬遅れてそんな言葉が響く。そうだ。あれだけ魔法の数だ、待ち伏せていたに違いない。このままだと次は自分達があのゴーレム達と同じ運命を辿ってしまう。皆が走リ出すのも当然のことだ。自分も、同じように走り出す。

 

 だが、メイジはどれだけの化け物なんだ。一瞬見えた光は、銃ですら届かないような距離からだった。化け物は化け物同士で戦っていればいいものを……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――時間稼ぎにはこんなものか。あとは、待つだけか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場となるべき場所から距離を置いた、開けた場所。そこに貴族派のキャンプがある。切り開かれ、見通しの良くなったそこには船が整然と並んでいる。

 

 空を飛ぶ船ではあるが、基本は普通のそれと変わらない。風の魔法の力の結晶である風石によって浮かびあがらせ、受けた風の力で進む。であるから、見た目にはほとんど違いがないと言って良い。ただ、水の上にあるべき船が地上に整然と並んでいるのはやはり違和感があるものだが。

 

 そして、マストの上には見張り台もあるが、今は誰もいない。どうせすぐにでも決着がつくであろうから、そこまで心配する必要などないということだろう。

 

 そんな様子を、空から眺める者達がいる。

 

 一人は、白い翼に金色に輝く髪を持つ美青年。赤を基調とした服に全身を包み、その上に聖職者が着るような貫頭衣を身に着けている。白が基調であるそれにはいくつもの金の十字架が刺繍され、まさしく聖職者のそれだと分かる。唯一おかしなものがあるとすれば、右手に持った剣ぐらいだろうか。

 

 そして、もう一人は胸元の大きく開いたドレスに身を包んだ美女。背中には、御伽噺に出てきてもおかしくない、四枚の妖精の羽がある。森をそのまま布に映したような、吸い込まれそうなほど鮮やかな緑のドレスに身を包んだ彼女は、長いブロンドの髪を風にたなびかせている。

 

 

「――陽動の方には私が行きましょう。あなたは、船の方を」

 

 青年が、傍らの女性へと言葉を投げかける。

 

「――分かりました。できるだけ派手にお願いしますわ」

 

 はるか下を見下ろしながら、女性が答える。

 

 

「――さて、本来なら人間同士の争いに介入するのは褒められたことではありませんが、我が主の頼みとあれば」

 

 船を眺め、青年が口にする。声は感情のない、淡々としたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――カツン

 

 ある船の中でチェスを打つ音が響く。本来なら褒められたことではないが、誰もとがめる者などいない。立場的なものあるが、何よりも、勝利が確定しているということが大きい。

 

「――そろそろ始まった頃ですかな」

 

 駒を進め、口にする。

 

 ――カツン

 

「――そうですな。まあ、すぐに終わるでしょうが」

 

 当然のことと、返す。

 

「――ふむ。ではこれで……チェックメイトと」

 

 ――カツン

 

「――おや、もう終わってしまったか。しかし、ずっとチェスをというのも飽きますな。どうです、賭けでもしませんか?」

 

 顔を上げ、口にする。お互い、チェスにはそろそろ飽きてきた頃だ。

 

「――それで、何に対して?」

 

 案の定乗ってくる。

 

「『何時まで王党派が持つか』ではどうですかな?」

 

「――それでは賭けにはなりますまい。お互い今日までとなるでしょう?」

 

 笑いながら口にする。

 

「確かにその通りですな。いや、それでは賭けにはならない」

 

 敵がこちらの方に来るかもしれないという報告があったが、こうも暇なら、むしろ来て欲しいぐらいだ。

 

 

 部屋の外から、誰かが騒ぐ声が聞こえた。 

 

「――外が騒がしいようですな、ちょっと見に行ってみます」

 

 席から立ち上がり、外が見渡せる場所へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何だ、これは?」

 

 目に入った光景に息を呑む。一緒に来た部下達も同様だ。何せ、そこら中から火の手があがっているのだから。今いる船は無事だ。だが、私がいる船以外はマストが火に包まれてしまっている。魔法で消火に当たっているようだが、火の勢いが強すぎる。下手をすれば、船ごと焼け落ちてしまうだろう。

 

「――そうですね。この船にしましょう」

 

 場違いな、透き通るような声に振り返る。そうして、さっきとは別の意味で皆が息を呑む。それぐらいに、美しい。

 

 美しい、完璧とも言うべき整った容貌。人ではありえない赤い瞳も、その美しさを際立たせる。しっとりと濡れた唇が艶めかしい。そして、背中にある四枚の羽。まさしく、伝説に詠われる妖精とも言うべきもの。

 

「……捕まえろ」

 

 口から漏れたのはそんな言葉だった。この状況でそれは正しいのかは分からない。だが、どうしてもこの女が欲しい。私の言葉に、気がついたように部下達が動き出す。

 

「――あらあら、困った人達ね。でも、私に触れていいのは主様だけ……もとい、主様と夫だけですわ」

 

 ぐらりと、視界が歪む。

 

「――本当なら石にでもしてあげる所だけれど、今は、機嫌がいいの」

 

 立っていられない。

 

「――ゆっくり、おやすみなさい」

 

 意識が――遠のいていく。ただ、甘い声と優雅にスカートをつまみ上げる様だけが頭に残る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あれは」

 

 空を見上げ、呟く。一隻の船が向かってくる。他の船に比べ圧倒的に巨大なそれは、レキシントン号。そして、もとの名は王軍の旗艦、ロイヤル・ソブリン号。この国の象徴でもあったそれは、平民である自分も良く知っている。

 

 しかし、なぜ? この状況、艦隊で一気にというのは分かる。だが、今はあの一隻しか見えない。それではどんな戦艦であっても的になりに行くようなものだ。それなのに、船は進んでいく。さっき攻撃があった場所へと一直線に……。

 

「――おかしい」

 

 誰かが呟く。だが、確かにおかしい。攻撃される様子はなく、そのまま真っ直ぐに城へと向かっていく。一体、どうなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――まさか、こんな形でこの船を見ることになるとは」

 

 調達してきたという船を見て、そんな言葉が漏れる。この船を見る者たちは、皆同じ気持ちのはずだ。かつてのこの国の象徴、そして敵へと渡り、その象徴となった。それが再び戻ってくることになるとは夢にも思わなかった。なかには涙を流す者さえいる。

 

「――それで、どうする?」

 

 責任を取るといっていた男が、ゆっくりと口にする。

 

「どうする、とは?」

 

 言っていることの意味が掴めず、疑問を呈する。周りにいる他の者達も一斉に彼を見る。

 

「この船ならば、全員が乗れるだろう」

 

 その言葉にざわめきが起きる。確かに、彼の言う通り、この船ならば全員が乗ってもおつりがくるだろう。だが……それは……。

 

「――結局の所、生き残った者が勝者だ。命乞いをしてでも、生き残ればチャンスはある。……俺から言えるのはそれだけだ」

 

 それだけ言うと、船へと登って行く。私達にとって、この国にとって特別な船へと。

 

 

 

 

 ――私は、指揮官としてどうするべきなのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 船へと登っていったシキを追いかける。

 

「――待って!」

 

「……どうした?」

 

 シキが振り返る。

 

「……シキは、結局どうしたいの?」

 

 少しだけ考え込むようにした後、苦笑する。

 

「本当に、どうしたいんだろうな?」

 

 困ったようにそれだけ言うと、そのまま歩いていく。



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第13話 Hidden Feelings

「──主様」

 ティターニアがゆっくりと歩みを進める。

「それでは、約束通り……」

 魅惑的で、引き込まれるような妖しい笑みを浮かべながら。艶めかしい、紅い瞳と唇が女を感じさせる。





 

「──確かに、あの船ならば皆で乗ったとしても十分な余裕がある」

 

 ポツリと、一人が口を開く。皆が思ってはいても、口に出さなかった言葉だ。もちろんその言葉に噛み付く者がいる。

 

「何を弱気なことを!! 我らが取るべき道は一つ。あの無法者達に我らの意地を見せねばならん!」

 

 ダン、とテーブルに拳を叩きつける。

 

 あの船に、ようやく我らの元へと戻ってきた船に勇気付けられたのだろう。昨日までとはまるで覇気が違う。そして、それは一人ではなかったようだ。

 

「その通り! ──そうだ。あの船を戦に投入すべきであろう。我らの意地を見せるのにあれほど相応しいものはない」

 

 その通りだと共鳴する者達が一人、また一人と出てくる。

 

 確かに、あの船があれば……。あれほど相応しいものはなく、勝つことはできずとも、満足な結果を上げることができるだろう。皆それに惹かれるものがあるのか、徐々に賛成の声が大きくなっていく。

 

 だが、それでいいのだろうか? 小さな、そのチリチリとしたわずかな疑問が私を戸惑わせる。

 

 扉が開く音が響いた。 

 

 皆がその考えに流れようとした時で、その音の元へと一斉に視線が集まる。 

 

 その視線に耐えかねたのか、入ってきた少女は一瞬たじろいだような様子を見せるが、すぐに表情を引き締める。あの時の、空賊相手に啖呵を切った時のように。

 

「──ご無礼を承知で申し上げます。どうかトリステインへと亡命なさって下さい。生きていればチャンスは……」

 

 まるで子供がするように、小さな体を精一杯動かし、声を張り上げる。必死に説得しようとするも、やはり遮る声がある。

 

「……お主のような小娘に何が分かる!! そのような生き恥をさらすような真似ができるとでも!? 第一、トリステインは我らを見捨てたのだ! 援軍さえあればこのようなことにはならなかったかも知れぬのだぞ!?」

 

 まるで糾弾するような苛烈な言葉を叩きつける。本人にその意図はないのであろうが、子供に対してとは思えぬほどの苛立ち混じりの言葉だ。少女の影にトリステインでも見ているのか。もちろん、その言葉に理などない。矜持がどうとか言うのであれば、そもそも他国の助けがなかったことを攻めるなどということは……。

 

 だが、それは本心の一片だ。もしかしたらこのようなことには、と。私とて、全てを否定することはできない。

 

 誰もこのような結末など、本心から望んでいるものではなかった。皆も多かれ少なかれ同じ気持なのだろう。だから、咎める者がいないのかもしれない。

 

 ある意味ではまっすぐな、やり場のない気持ちをぶつけられた少女は、口ごもる。何かを言おうと口を開くも、言葉が形にならない。それも仕方がない。この場に少女の味方となる者が一人もいないとなれば。皆に責められているのと同じなのだから。

 

 やがて場が静まり返る。その言葉を言った者も、他の者も、皆が言葉をなくす。少なからず分かっているのだ。この少女を責めることなど八つ当たりもいい所だと。私は──何を言うべきだろう?

 

 様々なことが頭をよぎる。戦うこと、逃げること、様々な可能性が。どちらにも、理はある。

 

 例えば、王家の責任を果たし、少しでも後に続く者に道を示すこと。だが、王家の責任を果たすというのなら、今は恥をしのび、戦い続けることもまた。あの男が言ったとおり、生きてさえいれば……、いや、生きていればこそだ。

 

 それは、ある意味ではもっと勇気がいることでもある。恥に耐え、それでも戦い続けること。前者の方が華々しく散ることはできるだろう。様々な考えが頭に浮かび、消えていく。

 

 そんな中、一人の少女の姿が脳裏をよぎる。私が愛した、たった一人の少女の姿が……。その者を思うのなら、とも思う。だが、それでも

 

 

 

 

 ──会いたい。

 

 

 

 

「……亡命……しようと思う」

 

 口から出たのはそんな言葉だった。

 

 ざわりと声が上がり、一斉に皆の視線が集まる。ほんの少しの間だけ目を閉じ、再び開く。

 

「──私達は民を守るために、少しでもやつらを挫くために、そう思っていた」

 

 再び皆が静まり返る。私がこれから話すことを聞き逃すまいと。

 

「だが、それが本当に民を救うことになるのだろうか? 本当に民のことを思うのならば、例え今は恥辱であろうとも、生き残り、勝利するべきだはないだろうか? そうでなければ、全土を統一などと掲げた者達。争いは全土へ広がるだろう。責任というのなら、我らは責任を持ってやつらに打ち勝たなければならない」

 

 一息に口にする。

 

「……それでも」

 

 ポツリと、ある者が下を見つめながら口にする。きっと、感情が認めないのだろう。しかし、力はない。この者とて死にたくはないはず。理解はできても、納得できないのであろう。

 

 

「──私は誓う」

 

 何かを言いたそうにしているのを遮り、再び口にする。

 

「必ずややつらに打ち勝ち、民を守ると。その為には、ここで死ぬわけにはいかない。皆には、恥に耐え、どうか一緒に戦って欲しい」

 

 言葉とともに皆を見渡す。一人一人をしっかりと見据えて。

 

「王子……」

 

 皆にはまだ、迷いがある。それは、私も同じだ。だが、間違っているとは思わない。間違いになど、するわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──夫がいるだろうに」

 

 ベッドの中、首筋にアラバスタのごとく透き通る白さの腕を絡ませてくる美女へと問いかける。しかし、相手はどこ吹く風といった様子だ。

 

「あら、最初に求めてきたのは主様ですわ。――それに、そんなことを言っても体は正直ですものね」

 

 組み敷かれる姿勢ながら、楽しそうに呟く。いつもとは違う、子供っぽさも含んだ声で。そうして、からませた腕を解き、右手をゆっくりと伸ばしてくる。

 

「──もちろん、私も」

 

 体をこちらへと投げ出したまま、もう一方の腕でこちらの手をとり、自分の方へと引き寄せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉が叩かれた。

 

「──いいだろうか」

 

 ノックがあり、あの王子の声が聞こえてくる。

 

「……氷付けにでもしてあげようかしら?」

 

 扉を見据え、冗談でもなんでもなく部屋の中の温度を下げながら、乾いた声で呟く。早くも凍ってしまったのか、部屋に置かれた水差しがキシリと音をたてる。

 

「頼むからやめてくれ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──とてつもなく嫌な予感がした。それに寒気もする。思わず身震いをしてしまう。体にははっきりと鳥肌も見える。だが、彼と話をしないわけにはいかない。

 

「……どうした?」

 

 少しだけ間をおいて、部屋の中から彼の声が聞こえてくる。

 

「話がしたい。いいだろうか?」

 

 気を取り直し、口にする。

 

「今は……出られない」

 

 困ったような声な声が返ってくる。もちろん困らせるなどというのは本意ではない。

 

「ならば一つだけ言わせて欲しい。私達は生き残って戦い続けることにした。──たとえそれが恥であろうともね。その選択ができたことも君のおかげだ。感謝している」

 

 これが最良の選択だったかどうかは分からない。だが、最良となるようにすればいいだけだ。

 

 それだけ言って後にする。それだけ伝えられればいいから。そして、それ以上そこにいると後悔しそうな気がしたから……。もう一度だけ、ぶるりと体を震わせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──主様」

 

 赤い瞳がこちらを見据える。

 

 ちらりと半ばまでを凍りついた扉を見やり、すっかり不機嫌になってしまった女王様のご機嫌を取るため、再び抱きしめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋を抜け出し、広々とした廊下を進んでいく。生憎と乗ったことはないが、おそらく頑強を重視しながらも装飾といった意味でも豪華客船に負けないだろう。何度か曲がり角を抜け、これまた船とは思えないほど重厚な扉を開く。中はこの船の中でも特に広いつくりになっているようで、見上げるほどに天井が高く、開放感がある。そして、中にいた者全ての視線が集まる。

 

「──シキさん。今までどちらに?」

 

 その中の一人であるエレオノールが尋ねてくる。この部屋でこれからのことでも話していたんだろう。あの城での会議で見かけた者達、そして学院の関係者達が集まっている。とりあえず、分かれてはいるようなので、後者の方へと向かう。

 

 

「──少し部屋で休んでいた。さすがに疲れたからな」

 

 本当のことなど言えるはずがない。もっともらしい言葉で濁す。それに、完全に嘘というわけではない。疲れているというのは本当だ。――もっとも、更に疲れたわけだが。

 

「さすがにあれだけのことをやってのければ――そうだろう」

 

 学院側のエレオノールと同様、中心を占めているワルドが口にする。何となく楽しそうな様子が少しだけ気にかかる。あの時から向けてくる視線が違う。何となくそんな様子をどこかで見たような気がする。だが、今は思い出せない。

 

「今はこれからのことについて話あっていました。王族の亡命ともなれば影響は大きいものになりますから。シキさんも、話だけは」

 

 エレオノールが横から、視線を落とし本当に申し訳無さそうに口にする。

 

 確かに、全くの無関係というわけにはいかない。選んだのは彼らだが、その結果は知っておく必要があるだろう。エレオノールが用意してくれた席へとつく。

 

「今までの話を伝えておきますね」

 

 声を大にして話すべきものではないからだろう。耳元に口を寄せ、周りには聞こえないよう手を当て、話し出す。

 

 大まかに言ってしまえば大体二つになるようだ。すなわち、これからアルビオン王家はどうするか、そして、トリステイン王家にどういったことを求めるか。これは一種の取引であるから話は表面的なものにならざるを得ないが、続く話を含め、多少は分からなくもない。

 

 例えば王族の亡命。今まではどちらかといえば不干渉という形であったが、亡命に関しては受け入れられる、いや、受け入れざるを得ない。もちろん政治的には様々な問題があるが、血のつながりがあり、更にこの状況、受け入れないという選択はできないと思っていい。

 

 もちろん、亡命を受け入れれば貴族派との争いは避けられなくだろう。だが、エレオノールの見立てでは遅かれ早かれ何らかの諍いは避けられなかった。ならば手を組むという形は悪くはない。貴族のみが魔法を使えるというこの世界、純粋に戦力としても、もしくは大義を立たせるという意味にしても。直接的にではないが、味方をするということで貸しを作るというのも悪い選択ではないだろう。

 

 その後、ある程度の話を聞いたところで席を立つ。これ以上関わるということは考えていないこと、そして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──もう、待ちくたびれましたわ」

 

 ベッドに腰掛け、拗ねたように口を尖らせる。

 

「──今夜は寝かせませんから、覚悟してくださいませ」

 

 ほんの少しだけ嗜虐心を覗かせる。真紅の瞳と濡れた唇がやけに艶めかしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓からは光が差し込んでいる。そこから外を覗けば、遠くに見覚えのある景色が見える。壁に囲まれた町があり、その中心に城がある。普通に歩いていた時とは違い、空からなのではっきりと全貌が確認できる。ここまではっきりと見えるということは、もうすぐ到着するということだろう。

 

「──シキさん、何だか昨日よりも疲れていませんか?」

 

 エレオノールが不思議そうにこちらを見ている。しかし言う側の方が疲れているように見えなくもない。昨日はあの後もずっと話し合っていたんだろう。目にはうっすらとくまが見て取れる。とはいえ見た目には、というだけで、一つ一つの挙動はいつも通りしっかりとしている。この辺りはさすがといったところだろう。

 

「そうですね。でも、シキさんでもやっぱり疲れたりはするんですね」

 

 ロングビルも不思議そうに──少しだけ楽しそうに──相槌を打つ。

 

「んー、何だか一晩中愛し合った次の日みたいね」

 

 唇に指を当て、キュルケがなかなか鋭いことを言う。──大正解だ。実にいい勘をしている。いや、この場合は経験の賜物だろうか?

 

「……あんたの男と一緒にしないでよ」

 

「……あまりそういう冗談を言うのは感心しませんね」

 

 ルイズとエレオノールが口を尖らせ、不機嫌そうに反論する。

 

「まあ、そういう人じゃないですしね」

 

「確かに……そうですよね」

 

 ロングビルもそれに同意し、キュルケも認める。

 

 ──なんだか、複雑だな。そういう風に見てくれているというのは悪くはないが、妙に裏切った気分になる。続く会話を聞きながら、つい顔を背けてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甲板に出てみると、兵が船を囲み、遠巻きにだが、更に一般の人々が囲んでいるのが良く分かる。普通のサイズの船だったならば城に直接下りることができたらしいが、この船は大きすぎてそれができなかったようだ。そういうわけで、今は城の外の、町からも出た場所に停船している。

 

 おかげで船の周りは騒がしい。いきなりのことで状況が掴みきれていないんだろう。エレオノールによると、アルビオン王家の人間であることはすぐに確認できたが、政治的に色々と厄介なことがあるらしい。このままにという方がよっぽどまずい気がしなくもないが、まあ、そういうものなんだろう。

 

 そんな話の中、視界の中にユニコーンに引かれた馬車が入ってくる。エレオノールがそっと耳打ちするが、どうやら王族らしい。王族を迎えるのは王族ということか。この辺りも難しい部分か。

 

 嬉しいような悲しいような、複雑な様子でそれを見ながら、王子からこちらへと顔を向ける。

 

「──面倒をかけるが、もうしばらくだけ付き合って欲しい。どうしても私達だけでというわけにはいかない。もちろん、できるだけ迷惑をかけないようにはするが……」

 

 王子が恐縮しながら口にする。一国の王子がここまでというのは普通は考えられないと思うのだが。

 

「……これも責任のうちだ。かまわない」

 

 俺にはこういう言い方しかできない。つくづく不器用だと実感する。思ったことをそのまま伝えられるルイズのような人間が本当にうらやましい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──無事を喜ぶのもいいでしょう。ですが、良いことばかりとはかぎりませんぞ」

 

 馬車の中、傍らのマザリーニが口にする。いつも以上に厳しい表情だ。

 

「……分かっています」

 

 表情を引き締め、答える。私だって何も知らないわけではない。マザリーニが心配していることも分かる。これから大変なことが起きるということも。

 

 ──でも、それよりも、何もよりも、嬉しい。またあの人と一緒に――不謹慎だが、問題が解決しない間は一緒にいられるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城の一室では会談がもたれることになった。もちろん全員がというわけではない。王族を始めとする重鎮達と、関係者ということでエレオノールが。学院からの者で残っているのはエレオノールだけだ。

 

 これ以上迷惑はかけられないという王子のたっての希望と、身元がしっかりしているということから他の者は戻ることが許された。もちろん代表者──この場合はエレオノール──が残るということが前提だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──お姉さまは大丈夫かな? 昨日も夜通しだったし、疲れていると思うんだけれど……」

 

 ルイズが心配そうに口にする。だが、昨日はルイズも一緒だったはずだ。その証拠にルイズにもエレオノールと同じように、うっすらとくまが見て取れる。

 

「そうだな。だが、寝ていないのはルイズも一緒だろう? くまができているというのは一緒だからな。今のうちぐらいはゆっくりしても罰は当たらないんじゃないのか?」

 

 ルイズの頭に手をのせ、諭すように口にする。

 

「うん……」

 

 視線を上げ、小さく頷く。そういえば、王子達を説得したのはルイズという話だったか。俺の肩口ほどという小さな体で、本当に大きなことをやってのけたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──さすがに、疲れるわね」

 

 口からはため息がもれる。今はと言えば一旦学院に戻っているのだが、別に全ての話に区切りがついたわけではない。ただ単純に、学院にも話を通す必要があるからというだけだ。それが終わればまた城に戻らなければならない。

 

 今回の件に関しては学院の生徒が関わっている。もちろん、今に関しては私もその中に入っているようなものだ。加えて、亡命者の数というものがある。さすがにあれだけの大所帯、城で全てをというわけにはいかない。有力な貴族のもとにと最終的には落ち着くのだろうが、それにもそれなりに準備というのものが必要になる。そこで学院に白羽の矢がたった。──まあ、推薦したのは私だが。

 

 とにかく、そんなわけで学院に戻ってきている。これから学院長に話を通す必要があるのだが、その前にやらなければならないことがある。

 

 視線を落とし、懐に手をやる。コツと硬いものが手に触れる。ユニコーンの、唯一残った角だ。ごたごた続きで忘れていたけれど、これはシキさんに返すべきだろう。その方が、きっといいはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズの部屋の前に立ち、ノックする。

 

 一呼吸、二呼吸……、待ってみるも返事はない。軽くノブ捻ってみるが、ガチリと音が鳴るだけで鍵がかかっていることが分かる。どこに行ったのかしら? そんなことを考えている間に、ガチリと扉が開く。残念ながらルイズの部屋のではなく、後ろの扉だったが。誰かと振り返る前に声をかけられる。

 

「──あら、ミス・エレオノール。もう話は済みましたの?」

 

 特徴的な赤毛を揺らしながら首をかしげ、口にする。相変わらず、嫌味なまでに胸元が開いた服を着ている。つい自分の視線もそこへと向いてしまうのが何となく癪に触る。だが、今はそんなことはいい。……少しは気にするけれど。

 

「それはまだ。今は学院の方にも用事があるだけです。それと、シキさんに用事があって」

 

 それだけ聞くと、少しだけ考えるような仕草を見せる。たまに思うのだが、仕草が何となく芝居がかっているように見えなくもない。そして、それが実に様になっていると。

 

「シキならルイズと一緒に外に出て行ったみたいですけれど? たぶん、近くにはいると思いますが」

 

 軽く礼を言って外へと向かう。あまり時間があるわけでもないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下を進み、一旦宿舎から出る。さすがに学院の外までということはないだろうから、たぶん学院の中ではあるはずだ。二人がいそうな場所を探すことにする。ルイズの髪は目立つし、シキさんも同様だ。いればすぐに分かるだろう。心持ち、足早に進んでいく。

 

 テラスの前、念のため中の方も覗いてみる。残念ながらいなかったが。足を止めずに進んでいく。たまにいる生徒からの挨拶へ返しながら。そのまま建物沿いに歩みを進めるが、なかなか目的の相手は見つからない。

 

 そのうち生徒もほとんどいない所にまで来てしまった。ここで会えなかったなら一旦諦めよう。そう思った所でようやく見つけた。手を上げ、声をかけようとして――やめた。

 

 二人は学院の中でも特に静かな所にいた。

 

 この学院は基本的には芝生が植えてある。しかし、ここは違う。あえてそのままにしてある。全く手入れをしていないというわけではないが、自然に任せている。まばらに木もあり、夏はちょうどいい日陰ができる。少し離れた場所は林で、そこから吹いてくる風は木の臭いがして落ち着く場所だ。私も、好きだった。きっと、ルイズも好きなんだろう。そんな場所に、二人が寝ている。

 

 シキさんがとある木の一本に寄りかかり、首もとの角がささらないように器用に寝ている。そして投げ出した足の片方に抱きつくように、ルイズが猫のように丸くなって寝ている。うまく仲直りできたということだろう。姉として素直に嬉しい。

 

 そんな二人を見て、少しだけ迷ったけれど、足音を立てないようにゆっくりと近づく。手を伸ばせば届くぐらいに。

 

「──幸せそうに寝ているわね」

 

 ルイズの寝顔を見て、素直にそう思う。自分を隠さずに甘えられる、うらやましい限りだ。ルイズも私と同じで、そんな風に甘えるなんてことはしないと思っていたけれど。何となく、ルイズの側に腰を下ろして、頬をつんと突いてみる。くすぐったそうに身じろぎする。そのまま手で顔をかく仕草なんかは、本当に猫みたいだ。素直に、可愛らしいと思う。

 

 そして、そのままシキさんの方へと視線を移す。さっきからほとんど身じろぎするということがない。朝の様子からすると、よっぽど疲れていたんだろう。どうやって足止めしたかはしらないけれど、聞いた限りは天変地異レベルのことをやってのけたという話だし、仕方がないのかもしれない。

 

 ──今ルイズと一緒に寝ている様子を見る限り、穏やかでそんな風にはとても見えないけれど。普段の様子なんかを思い出して、つい、くすりと笑みが漏れる。

 

 そういえば、とふと思う。今の様子は、ルイズとは本当に仲の良い兄妹みたいだ。そうすると、私とシキさんだったらどういう風に見えるんだろう? そんな考えが頭に浮かぶ。

 

 シキさんの顔をじっと見てみる。珍しい顔立ちで、年齢的なものはよく分からない。10代といえばそういう風にも見えるし、落ち着いているし、もっと上でもおかしくないような気もする。本当に、見れば見るほど分からなくなる。

 

 思えば、本当にこの人のことは知らないんだと実感する。そして、それを知りたいと思う自分がいるということも。

 

 ──今までこんなことはなかったんだけれど。こういうのが……好きっていうことなのかな? 今まではそんなことがなかったから、よく分からない。

 

 また、じっと顔を見つめる。ルイズだったら兄妹だけれど、私とシキさんだったら、もしかしたら恋人同士に同士に見えるのかな? 見ていると、そんなことが頭に浮かぶ。何度もシキさんを見て、何度も気恥ずかしさから目を逸らす。

 

 そんなこと何度も繰り返して、また王宮に行かなければいけないと思い出して立ち上がる。何となく周りを見渡してみると、近くには私と、シキさんと、ルイズを除いて誰もいない。当然だ。普段ここには誰も来ないから、ここはこんなに静かな場所なんだから。

 

 もう一度、辺りを見渡す。やはり誰も近くにはいない。ゆっくりとシキさんに近づき、腰を落とし、頬に口付ける。

 

 少しだけ頬に触れた後、ゆっくりと離れる。それでも、シキさんは眠ったままだ。少しだけ、残念な気もする。

 

 なんとなくそのままシキさんの顔を見ていて、みるみる自分の顔が熱を持っていくのが分かる。今までの人生の中で、一番赤くなっているかもしれない。今更ながら、ものすごく気恥ずかしい。寝ている相手に、しかも、妹が傍にいる場所で。

 

「……そ、そろそろ戻らないと」

 

 誰かに言い訳するようにとくるりと背を向け、小走りに歩き出す。そんなことはないと思うけれど、手と足が同時に出ているかもしれない。とにかく、それくらい動きがぎこちなくなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──起きるタイミングを逃したな」

 

 ルイズの髪を撫でながら、空を見上げる。くすぐったそうに身じろぎするルイズがやけに平和に感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、いくつかの噂が広がった。

 

 例えば、突然のアルビオンの艦隊の戦線離脱に関して。その理由が、見たこともないほどの強力な魔法を使う翼人が艦隊を焼き払ったという噂だ。

 

 その中には、他にもおかしなものがある。

 

「──妖精を見た」

 

 伝説にのみ詠われる妖精を、その場で見たという。確かにその背に妖精の羽があったという。そして何より、美しかったと。

 

 どちらも眉唾物もいい所だ。翼人は先住魔法の使い手ではあるが、エルフではあるまいし、……いや、そんなことができるとしたら、はっきりとエルフ以上の化け物もいい所だ。妖精にしても、森ならばとも思うが、よりにもよって戦場でなどと。なんともアンバランスだ。

 

 どちらも、取るに足らないような話だ。まあ酒の肴にはなる、その程度の話だ。だが、そんな話もある男にはきちんと届いている。その男がいるのは、この大陸でもっとも強国であるガリア。そして、その男というのが無能であるとあざけりさえ受ける王、ジョセフ。

 

 だが、事実は、正反対だ。これ以上なく優秀であり、それが問題でもある。いっそのこと、本当に無能であったほうが良かっただろう。最愛の者を自らの手で殺めて以来、すっかり心が歪んでしまったこの者に関しては。

 

 その王が、誰にともなく呟く。

 

「──何か、想定外のものがあったのは間違いないか」

 

 噂に関して、完全に信じるでもなく、さりとて、笑い飛ばすでもなく。ただ情報として冷静に受け止める。だが、考えた後、かすかに唇を歪める。

 

「──予定通り過ぎて、少々飽きてきたところだ」

 

 傍にいるものだけがかすかに聞こえるような声で、呟く。そして、その響きには本当に彼のことを知るものならば分かる程度に喜びがある。

 

「──しかし、亜人か。ふむ……。まあ、それも面白いかもしれんな」

 

 それだけ言うと、再び考え込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、最強の国に唯一対抗できるであろう教皇庁。表立った権力などはなくとも、古来より宗教は力を持つ。心のよりどころとしてはもちろんのこと、それ以外に関しても。

 

 そんな存在だ。当然の如く、組織としても暗部を持つ。諜報、果ては暗殺まで。そこでは様々なことを行っている。組織が大きくなれば自然とそうなるものだ。

 

 もちろん、そう後ろ暗いことばかりをやっているわけでもない。たとえば、ガンダールブの槍の回収。ブリミルの使い魔であるガンダールブ。そして、その武器である槍。これを収集することは教皇庁としては重要なことだ。

 

 ──目的はどうあれ。

 

 そして、その槍というのは当然武器だ。それもただの武器ではない。そういったものが発達した世界から、扱える中で最強のものが召喚されてくるのだ。そのゲートとでも呼ぶべき場所が聖地にあり、そこを通って様々な武器が現れる。中には武器でないものも通ってきてしまうことがあるのだが。

 

 何にせよ、召喚されたものは自然に手元に来るわけではない。となれば、回収しなければならない。そういったことが秘密裏に行われている。ずっとずっと昔から連綿と続いている。しかし、最近になって問題が起こってきた。

 

「──どういうことだ? 聖域が危険だということは分かっている。だが、最近の生還率は異常だ。ゼロなどということはいくらなんでもありえん」

 

 ダン、と机を叩く。回収の責任者である男が息を荒げ、口にする。周りにいる部下もその通りだとは思っているが、結果は変わらない。

 

 ガンダールブの槍は、武器が発達した世界から召喚される。すなわち──地球から。

 

 だが、その世界は。すでに滅び、まったく別のものへと変わり果てている。



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第14話 Refugee

 原因は不明であるが、アルビオン自慢の艦隊が交戦能力を喪失した。その情報はトリステインにも伝わっていた。

 原因は不明である――しかし、誰がそれを行ったのかはここ、トリステインとアルビオンからの亡命者達の首脳が集まるこの広間では、ある意味共通の認識であった。すなわち、魔法の才など皆無だと、ゼロと嘲られた少女の使い魔であると。
 どうやったのかは分からない。しかし、万にも及ぶ大軍をたやすく退け、更には最強とも言われるアルビオンの空軍を沈黙させた者は、間違いなくその使い魔だ。





 便宜上、使い魔とは認識しているが、ほとんどの者はそのようには捉えてはいない。始祖ブリミルの使い魔をはるかに凌ぎ、始祖本人すらも越えるような可能性のある存在を使い魔とは、とてもではないが同一視できない。

 

 むろん、使い魔という形ではあるのだろう。今回の亡命が成功したのは、その使い魔が少女の願いごとを、一部とはいえ受け入れたからなのだから。

 

 ならば、戦力として考えてよいのか? 

 

 ――答えは否だ。

 

 主人に絶対服従などということは一切なく、共にするのは主人である少女が愛おしいからに他ならない。今回に関しても、あくまで戦争には関わる気はないとのことだ。それでもあれだけの損害を与えたわけではあるが。

 

 まあ、それならば、実際に行うかは別にして、少女を人質にということもできないではない。

 

 終わった後のことを考えないのであれば。戦争には間違いなく勝つ。しかし、その後は? そのような存在を敵に回すぐらいならば、全ての国を敵に回すほうがよほど楽であろう。

 

 幸い、アルビオンを手中に収めた連中の戦力は大幅に低下している。最強の手札などに頼らずとも、十全以上に戦える。

 

 アルビオンが強国であった理由は、ひとえに唯一の進入経路である空に全戦力を集めることができるから。他国と違って空軍のみ戦力があればよいアルビオンは、その質が違う。空で戦えば間違いなく――ガリアですらも敗北するだろう。

 

 逆に言えばアルビオンには空軍しかない。その空軍が満足に戦えないとあれば、今のアルビオンは丸裸のようなものだ。

 

 勝算は十分、そしてアルビオンからの亡命者を抱え、戦争の大義も立つ今は、間違いなく攻め入る好機であるといえる。統一を詠い、敵対するのが明らかな相手に挑むにはまたとない好機だ。ゲルマニアと協力すれば被害も最小限になろう。

 

 であるから、この場で論議の的となるのは見返りについてだ。いくら血縁関係にあろうとも、それだけでは動けない。足元などいくらでも見れる状況。それを全く使わないのは、例え感情的には正しいと思おうとも、それでは臣下の、そして民の不満を買って己の首を絞めるだけだ。お互いにとって程よい落とし所というのが重要になる。

 

「――全ての経費をアルビオンで。加えて、こんな所ではどうですかな?」

 

 皆が配られている資料へと目を落とす。程よいといっても、国家予算に匹敵する額。戦争で勝っても一切得るもののないアルビオンにとっては、この上なく重い負担であるのだが。

 

「――そこが、無難なラインでしょうね」

 

 王子が苦々しくも口にする。例えそうであっても、自身とて納得する所であれば。亡命とは、国と国の間において助けを求めるというのはそういうことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――仕方がない、そういうものなんでしょうね。まさか、トリステインがあの人を苦しめることになるなんて、夢にも思わなかったわ」

 

 アンリエッタ姫が暗く、沈んだ声で口にする。亡命者達がこの国にやってきた当初の隠し切れない嬉しさというものはなりを潜めている。

 

 姫と王子の関係は全く知らぬというものでもない。それがこのようなことになるというのは、ずいぶんと皮肉なものだ。もちろん、死ぬよりはいいだろう。だが、なんともやりきれないものだ。

 

「……姫様」

 

 つい、口にしてしまう。昔から王家とは親交があった。一番仲が良かったのはルイズであるが、だからこそ、ある意味では、妹のようにさえ感じているのだから。

 

「――大丈夫です」

 

 沈んだ表情は変わらないまでも、努めて明るく振舞おうとしているのが見て取れる。

 

「あの人が王子として振舞っているんですもの。私もそれに見合ったものでなければ、示しがつきません。――近いうちに、ヴァリエール公爵もこちらにいらっしゃいます。その後は、あなたには学院の方をお願いします。……あなたにはルイズとはまた違った形で助けられました。本当に、ありがとうございます」

 

 姫という立場でありながら、深く頭を下げる。本当に、感謝しているということだろう。――ここまでさせる愛情というもの、今なら……分かりそうな気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――学齢期のもの、および、過半数はこちらに。住居に関しては空いていた部屋の活用、学生寮、職員寮といったもので何とか数を揃えましょう。ただし、あくまで仮という形でしか用意できていないので、この状況が続くのなら増設といったことも必要になるでしょう。加えて、人が増えれば仕事も同様ですから、人員に関しても多少は補給する必要があるかと思います」

 

 学院長室で、報告書をめくりながら必要事項を伝えていく。

 

「そうかね。まあ、その辺りは何とかしよう。予算に関しても国から出るじゃろうしな」

 

 長いひげを撫でながら、珍しく至極真面目な様子だ。まあ、腐ってもこの学院のトップに立つ人間、そうでなければ務まるまい。セクハラまがいの普段の言動の方がおかしいのだ。できればいつもこうであって欲しいものだ。

 

「報告は以上ですが、何かありますか?」

 

 書類をまとめ、問いかける。

 

「――いや、今の所は特にないの。下がってもらってかまわんよ」

 

 少しだけ考えるようにして答える。

 

「そうですか。では、これで失礼します」

 

 軽く一礼してくるりと背を向ける。

 

「――ああ、そうじゃ」

 

 ドアに手をかけたところで、思い出したように声が投げかけられる。

 

「なんでしょう?」

 

 向き直り、尋ねる。

 

「いや、大したことじゃないんじゃがな」

 

 この人物にしては珍しく、遠慮した様子が見える。

 

「――なんとなく、不機嫌なように見えてな」

 

 それだけ言ってこちらに視線を向ける。さっきまでと同様、何時ものふざけた様子は伺えない。

 

「――気のせいでしょう。忙しくなったので、比例してそういったことはあるかもしれませんが」

 

 簡潔に返す。感情を込めない、言葉だけを。

 

「――そうかね。まあ、それは仕方がないかも知れんな」

 

 少しだけ間を置くと、そう呟く。納得したというようには見えないが、それ以上追求するつもりもないようだ。

 

「以後そういったことはできるだけ表に出さないようには努力します。もう、かまいませんか?」

 

 言葉通り、感情を込めずに口にする。こういった対応は、なんとなく子供っぽいようにも思うが。

 

「あ、ああ。引き止めて悪かったの」

 

 戸惑う様子を見せる学院長を尻目に、失礼しますとだけ、極めて事務的に部屋を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――こちらはご自由にお使いください。さしあたって必要なものは中に揃えてありますので。もちろんそのほかにも必要なものはあるでしょうから、遠慮なくおっしゃってください」

 

「ありがとう、ございます」

 

 幼い子供を連れた貴婦人に、着替えといったものをわずかでしかないが手渡す。そんなものではあるが、涙を浮かべ感謝される。

 

 ひとまずはここで暮らすことになった人々に、さしあたって必要なものの支給、そして、ここで暮らすのに必要なことを伝達していく。――そして、その度に感謝される。貴族に、よりにもよってアルビオンの貴族に。

 

 この中には、もしかしたら私の家族を貶めた者達もいるのかもしれない。よりにもよって私がその世話役になるのだ。なんて皮肉なことだろう。

 

 でも……、今は恨みきるということもできない。ここにいるのは、負け戦の中、最後まで城に残った人間。少なくとも、軽蔑するくずのような貴族達とは、違う。でも、私にとっては……

 

 どうすればいいのか分からない。――心が、ざらざらする。何時ものように、いや、何時も以上に内心は見せずに事務的にこなしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――しばらくは、私が世話役か」

 

 なんとなく、口に出して確認してしまう。

 

 簡素な自室には私だけ。ベッドとその高さにあわせたテーブル、後はそれほど広くはない部屋の隅にワードローブがあるだけだ。家具にも特に飾り気はない。女の部屋にしては随分と殺風景だろう。色があるとすれば、テーブルに載ったワインぐらいだろうか。そのワインも安物で、この部屋に見合ったものでしかないが。

 

 目を閉じると、昔の生活が頭に浮かぶ。私だって、もう随分と前のことだけれど、部屋に飾るような雑貨を集めたり、そういった女の子らしいというようなことが好きだった。綺麗な服で自分自身も着飾って、――それこそ、貴族らしく。それなりに有力な貴族の娘だった私は、そういったことで不自由するなどということは考えもつかなかった。

 

 ――まあ、もう昔の話でしかないけれど。

 

 皮肉を胸のうちで呟きながら、ワインを一息に煽る。気づけば、まだ宵の口だが、もう既に半分ほどあいている。安酒だが、酔うだけなら十分だ。今はただ、それだけでいい。もう、そういうものにもずいぶんと馴染んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 綺麗に手入れをされた庭が、薄ぼんやりと月に照らされている。とうに満月は過ぎてしまったが、さすがに二つも月があるだけあって十分に明るい。ぽつぽつと並ぶ木々の影が地面に広がり、不思議な模様を描く。時折風が吹くと、影絵芝居のようにも見えてくる。そして、庭といってもこの学院の庭だ。国立公園だとかと同等の広さの庭は、毎日歩いても今の所は飽きない。そんな場所を二人で歩いている。

 

 しばらく前までは一人でだった。だが、最近はルイズもついてくるようになった。別に喋ったりするわけでもなく、ただ歩くだけ。だが、飽きない。特に、ルイズがついてくるようになった最近は。

 

 歩幅を合わせてはいても、時折ルイズが遅れる。そんな時はパタパタと追いかけてくるのが、つい笑みがこぼれてしまうほど可愛らしい。おかげで、たまにはわざとやってしまう。そんなときにはルイズも気づいて不機嫌になる時もあるが、そんな様子も可愛らしくて、ついついやってしまう。

 

 ――今日も、つい。しかし、ふと目に入ったものが気になって足を止めてしまった。

 

「どうしたの?」

 

 追いついてきたルイズが、急に止まったことに、不機嫌になるよりも先に、不思議に思ったんだろう。人よりも大きな瞳を丸くして、こちらを覗きこんでくる。

 

「――いや、あそこに」

 

 さっき目に入ったものを指差す。ルイズが追う指の先に、食堂に通じる石畳の上をふらふらと歩く影がある。本人にとってはまっすぐに歩いているつもりなんだろうが、時折揺れる体は随分と危なっかしい。いつもはそんな様子は絶対に見せることのないロングビルなら尚更だ。

 

 よくよく見れば、まだ遅い時間ではないがずっと飲んでいたのかもしれない。分かりやすく、手にはワインの瓶が握られている。出てきたのは食堂の方角からだから、そこから拝借してきたんだろう。危ない足取りながらも、瓶だけはしっかりと抱えて、落とす様子がない。 

 

「先に戻っていてくれないか? どうにも、危なっかしい」

 

 視線をルイズへと戻しながら口にする。ロングビルはこうしている間もふらふらと進んでいく。

 

「そうね。でも、珍しい。そんなにお酒を飲むような人じゃなかったと思うんだけれど……」

 

 ルイズが考えるように、心配げな視線を送る。確かに、ルイズの言うように、そんな風には見えないのだが。以前、学院長がセクハラばかりだと愚痴ってきたこともあったが、そんな時でも酒に飲まれるといった様子はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――飲みすぎなんなんじゃないか?」

 

 後ろから声をかけると、今気づいたとばかりにゆっくりと振り返り、胡乱な目を向けてくる。 実際、気づいてはいなかったのかもしれない。

 

「――ああ――シキさん。夜のお散歩、ですかぁ?」

 

 見た目どおり、結構な量をすでに飲んでいたんだろう。少し間を置いてから、何時もとは明らかに違う、のんびりとした声が返ってくる。赤く染まった頬が色気を感じさせなくもないが、手に持ったワインからトプンと音が鳴り、どうにも滑稽だ。立ち止まってはいても揺れる体であれば尚更だ。

 

「さっきまでは、な。それより、今日は酒はその辺りにしておいたらどうだ? さっきから足取りが危なっかしい」

 

 顔をこちらに向け、聞いてはいるんだろうが、理解しているかは怪しい。いや、酒を後ろに庇うようにしているからにはしっかり理解しているんだろう。ただ、言うとおりにする気がないだけで。

 

「大丈夫、ですよ。自分のことは、自分で分かっています、し」

 

 揺れる体と間延びした言葉とともに、はあ、と酒臭い息が漏れる。口では大丈夫といっているが、実に分かりやすい。

 

「……今日はもう寝た方がいい。酒は没収だ」

 

 とりあえず、手に持ったままのワインのボトルを取り上げる。酒を離すまいとはしているが、所詮は酔っ払い。酒をこちらに引き寄せると、あっさりと手から離れる。

 

「あー……。むー、……もうちょっと、欲しいです」

 

 口を尖らせ、上目遣い言う様子は、おもちゃを取り上げられた子供のようで、いつもとギャップがる。可愛らしいとも言えるだろう。とはいえ、これくらいにしておいた方が次の日に後悔しなくて済む。

 

 とりあえず、酒を取り替えそうとする手を空いた右手で制する。――もっとも、すぐにその右手は取り返そうとしてよろけた体を支えることになったが。

 

「……どうして今日はそんなに飲んでいるんだ? 何時もはそんなことはないだろう?」

 

 抱きとめながら尋ねる。ここでは酒が出る席というのはそれなりに多いのだが、何時もはもっと控えめだったはずだ。少なくとも、口調が変わるまで飲んでいるということは今まではなかった。

 

 問いかけると体を支える手を追い返し、さっき以上に口を尖らせ不機嫌そうに呟く。

 

「……知りません」

 

 ぷいとばかりに顔を背ける様は、本当に子供のようだ。可愛らしくはあるが、やはり多少は呆れてしまう。まあ、それも仕方がないだろう。なにせ、正直な所、俺は酒が分からない。この体になる前は飲むということはなかったし、この体になってからは、少々の酒では酔わなくなってしまったのだから。

 

「だからってそこまで飲まなくてもいいだろうに……」

 

「――半分は……シキさんのせいですよ」

 

 俺の呆れたような言葉に、ぽつりとそんな言葉が返ってくる。

 

「……俺のせい?」

 

 その言葉に、つい鸚鵡返しに尋ねてしまう。聞こえているとは思わなかったのか、驚いたようにこちらを見るが、すぐに言葉を続ける。

 

「……うん、全部シキさんのせいです。だからぁ、お酒は返してください」

 

 さあ、と子供が没収されたおもちゃを取り替えそうとするように、力任せに手を伸ばしてくる。が、言っていることの意味はよく分からないが、そうですかと渡すわけにもいかない。

 

「言っていることの意味はよく分からないが、それとこれとは別だ」

 

 届かないようにと高く持ち上げる。もしかしたらジャンプでもしてとりに来るかと思ったが、さすがにそれはないらしい。むーむーとうなりながら、焦点の定まらない目でこちらをにらむ。

 

「じゃあー……一杯だけ」

 

 何が「じゃあ」なのかよく分からないが、どうしても飲みたいらしい。確かに、わざわざ食堂にまで行って調達するぐらいだ、どうしても飲みたいんだろう。それくらいは、まあ、理解できなくもない。

 

「一杯ぐらいなら……」

 

 ちゃんと送り届ければいいだろうと口にしたところで、クイクイと袖を引っ張られる。

 

「部屋にいきましょう?」

 

 コトリと首を傾け、無邪気に笑う。

 

 ――まあ、見ていないと全部飲んでしまうだろうし、俺のせいというのも少し気になる。それに、子供がするように言われると断れない。基本的にルイズの言うことを断れないのには、そういうこともあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さあ、入ってくださいな」

 

 引っ張られるまま、部屋に招き入れられる。歩いている間に多少は酒が抜けたようだが、随分と楽しそうだ。そんな様子を尻目に、不躾ではあるが何となく部屋を見渡してしまう。

 

 ルイズやエレオノールの部屋に比べればもちろん質素な部屋だ。シングルサイズのベッドがあって、その傍にベッドに合わせた丸テーブル、部屋の隅には実用性重視のワードローブが、と。まあ、二人の部屋に比べたらというだけで、飾り気がないだけで良く整理された部屋だ。そんな部屋の丸いテーブルの上に、持ってきたワインをおく。ふと、視線をずらせば、床には空の瓶が二本見える。

 

「ちょっと待っててくださいねー♪」

 

 鼻歌交じりに言いながらグラスを二つ並べる。少しばかり手つきが覚束ない様子だが、別に倒してしまいそうということはない。グラスが二つというのは――まあ、来た時点でそうなるのは分かっていたことだ。椅子はないのでお互い隣り合わせになるようにベッドに腰掛ける。

 

「……一杯だけだぞ?」

 

 念のためにと確認する。分かってますよーと返事は返ってくるが、一体どこまで分かっているのやら……。

 

「じゃあー、乾杯ぐらいしましょうか?」

 

 グラスを持ち上げ、中に入ったワインを揺らして乾杯の仕草をする。

 

「まあ、せっかくだしな」

 

 それではと掲げたグラスに軽く打ち合わせる。キンと小気味良い音だ。そのままお互いグラスを口に運び、俺は三分の一ほど、ロングビルは一息に飲み干す。空になったグラスをテーブルに戻し

 

「――ん、お代わり……「こら」」

 

 とりあえずボトルに手を伸ばすのを制する。

 

「一杯だけだと言っただろう?」

 

 えー、と不満そうだ。

 

「じゃあー、シキさんが飲むのを私は見てるだけですかぁ? ……意地悪です」

 

 悲しげに眉を寄せ、本当に泣きそうな様子だ。目にはうっすらと涙も見える。

 

 今日は、本当に子供のようだ。酒のせいなのか、それとも別に理由があるのか。とはいえ、そんな様子を見ると、どうにも駄目だとは言いづらい。――むしろ、酔っ払い相手にそんな約束をした俺が馬鹿だったんだろうか?

 

「どうして今日はそんなに飲みたがるんだ?」

 

 部屋に来る前にも聞いたことだが、何かあったんだろう。今度は答えることもせず、不機嫌そうに俺のグラスを掴むと、一息に空にする。

 

 しかし、不機嫌になる理由はなんだ? この部屋に来る前に言っていた、俺のせいというのも気にかかる。思い当たることといえば、アルビオンでの夜のことだ。どうしてもアルビオンの王家に肩入れはさせたくないようだった。

 

 ――そういえば、理由までは言わなかったが、前にも貴族が嫌いだと言っていた。貴族を馬鹿にするような形で怪盗なんてものをやっていたのだから、それは間違いない。そして、アルビオンには妹に会いに行ったということは、あの国が故郷のはず。なら、本当に恨みがある貴族というのは……

 

「――亡命者のことか?」

 

 その言葉にびくりと体を震わせる。どうやら正解らしい。だが、別に無理やり聞き出そうという気はない。

 

「言いたくないのなら、無理に聞き出そうとは思わないが……」

 

 誰にだって言いたくないことはある。もちろん、言うことにも意味はあるとは思う。自分も、ルイズに話すことには意味があったと感じるのだから。誰かに自分のことを分かって欲しいというのは、少なからず、あった。

 

 視線を移すと、ロングビルは苦々しい様子だ。がりがりと頭をかき、やがて、はあと深くため息をつく。幾分、息とともに酒も抜けたようにも見える。

 

 そうして、普通なら聞こえないような声で、「誰かに聞いて欲しかったのかなぁ」と呟く。

 

「――愚痴になっちゃうかもしれないですけれど、聞いてくれますか?」

 

「ああ」

 

 俯いたまま呟く相手に、簡潔に返す。

 

「――何から言えばいいかなぁ」

 

 目を閉じたまま空を仰ぎ、考え込む。少しだけ考え込んだ後、再び口を開く。

 

「私、もともとは貴族なんですよ」

 

 小さく、盗賊にまで堕ちましたがと、皮肉気に付け加えながら。

 

「昔はそれなりの家だったから、何の不自由もなかったなぁ。メイドが何人もいたから何もしなくても良かったし、毎日綺麗に着飾って、美味しいものを毎日食べて……」

 

 言いながら昔を振り返っているんだろう。目を閉じ、噛み締めるように口にしていく。懐かしむように、楽しかった思い出を口にするように――それでいて、表情には諦めも含んで。そして、誰に向けたものか、怒りも。同時に、意味をなさない恨み言もこぼれる。ひとしきり口にして落ち着いたのか、肩の力を抜き、こちらに視線を向ける。

 

「――知っていますか? 貴族でなくなることがどんなに惨めか……。なまじ知っているだけに受け入れられないんですよ? 平民と同じものなんて食べられないとかね」

 

 自分自身を嘲るように。

 

「馬鹿ですよねぇ。そんなくだらない意地なんて張って。蓄えがそこをついてようやく気づいたんですよ。最初からそれなりにしていれば、もっと楽だったのになぁ……」

 

 また俯いてしまう。さっきから、くるくると表情が変わっていく。

 

「――でも……ですね、私も頑張ったんですよ?」

 

 こちらに視線を向ける。だが、その表情は今にも泣きそうだ。

 

「生きるためにはお金が必要で、テファには――妹には私しかいなかったから。」

 

 ゆっくりと視線を地面に落とす。ベッドから投げ出した足をぶらぶらと揺らしながら。

 

「――でも、あの時の私、本当に馬鹿だったなぁ。何にも知らないから散々弄ばれて。おかげで、本当に貴族が嫌いになったんだっけ。やたらと見栄を張るくせに欲望まみれの変態で……。私は結局、そんなやつら汚されて……堕ちる所まで堕ちちゃいました」

 

 最後は笑って口にする。だが、涙が頬を伝い、泣き笑いとしかいいようのない、そんな表情だ。何時ものような冷静さはなく、少女のように。きっと、昔のままの表情なんだろう。

 

「――私、子供じゃないですよ?」

 

 ついルイズにするように頭に手を乗せてしまった俺に、拗ねるような視線を向ける。そういうところも、子供のようだが。

 

「――今は、子供に見えた。何時ものように自分を隠すのも必要かもしれないが、たまには弱みを見せたっていいんじゃないか? 少なくとも、ここには敵はいないだろう?」

 

 味方がいない寂しさは、俺にだって良く分かる。そんな時にどうしたいかも。

 

「――いい年をした大人が、子供のようにですか?」

 

 少しだけ、苦笑いを見せる。

 

「それはそうかもしれないが……「そこは認めなくていいです」……そうか」

 

 わりと年のことは気にしているのか、グーで返事が返ってくる。だが、表情も少しは和らいだ。少なくとも、壊れそうだなどとは感じさせないぐらいに。

 

「――じゃあ」

 

 少しだけ考えるようにして、照れたような微笑とともに体を預けてくる。

 

「――今日は、付き合ってもらってもいいですか?」

 

 目はあわせずに、少しだけ恥ずかしそうに。赤いのは酒だけが理由ではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――私、分からないんです」

 

 不意に、そう口にする。

 

 

「私たちをそんな目に合わせた、憎んでいた相手なんだから、今の状況はむしろ喜ぶはずなんです。……でも、今はあの人たちのことは憎みきれない。貴族なんて、自分達のことだけを考えているはずなのに、負けると分かっていても国を守るなんて……。意味なんて……ないのに。――あはは、何が言いたいのかなぁ?」

 

 どうしたらいいのか分からない、声にもそんな様子がありありと見て取れる。

 

「――私、どうしたいのかなぁ?」

 

 誰にともなく、口にする。

 

「自分で決めることだ」

 

 自分のことは自分にしか分からない。そして――自分のことは自分で決めるものだ。難しいということは身にしみてよく分かっているが、それでも、自分で決めなければ意味がない。

 

「意地悪ですねぇ。でも、そうなのかなぁ。――でも、私、きっともう憎んでいないんでしょうね。あんな風にできるのなら、貴族だって捨てたものじゃないって思っているし。……そういえば、あの姉妹もそうだっけ」

 

「――そうだな。あそこまで真っ直ぐなら、むしろうらやましいぐらいだ。俺も、そういう風にできれば、後悔しなくてすんだ……」

 

 全く、同感だ。あれだけ真っ直ぐなら、きっと迷わなくて、もし迷ったとしても自分で道を切り開けるだろう。

 

「――私……聞きたいです」

 

 ふと、言葉を投げかけられる。その言葉に、疑問と共に視線を向ける。

 

「何をだ?」

 

「シキさんのこと、です。私、結局何も知らないんですよね。ずっと私と同じものを感じていたけれど、でも、何にも知らない」

 

「そんなに面白い話でもないぞ?」

 

「いいんです。私だって今まで誰にも話したことがなかったことを話したんですよ? シキさんも話してくれないと、やっぱりずるいです」

 

「子供みたいなことを言っているな」

 

 つい呆れたように言ってしまう。

 

「――ああ、そうですねぇ。でも、今日はいいんでしょう? だってシキさんがそうしろっていったんだから」

 

 身を寄せたまま、いたずらがうまくいった子供のように無邪気に笑う。

 

「まあ、そうだな。ルイズには話したんだから、いいか。そうだなぁ。何から話すか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――シキ……遅い。今頃、ミス・ロングビルと……。ううん、シキはそんな人じゃないし……。でも、遅いなぁ」

 

 ベッドの中、時折扉へと目を向け、その度にため息がこぼれる。



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第15話 Hangover

「――私の代理を含め、良くやってくれた。私としても鼻が高い」

 何時もは厳しい表情を崩さない父上も、今は幾分和らいだような表情だ。お父様が満足できるよう処理できたということだろう。それが認められたということは素直に嬉しい。何時もはそういったことがないだけに、尚更。

「ありがとうございます。そう言っていただけると、私としてもを骨を折った甲斐があるというものです」

「後のことは私に任せておけば良い。お前には学院の方を頼む。――後々のためにも重要なことだ。期待しているぞ」

「はい、お任せください。きっと期待に応えて見せますわ」

「わが娘ながら、頼もしいな」

 お父様が優しく微笑む。つられて、私も。

 ――期待には応えないとね。





「――今回の件に関しては、私が正式に王室から派遣されることになりました。負担をかけることになってしまいますが、学び舎でありながら亡命者を受け入れていただいたこと、王室に代わってお礼申し上げます」

 

「君がそのようにかしこまる必要はない。なに、学院だからこそじゃよ。こういったときに率先せんで、人に教えるなどということはできんからな。――さしあたってのことはミス・ロングビルに頼んでおる。引継ぎはそちらから……と言いたいところじゃが、今日は体調を崩しておるらしくての。すぐにはと言うわけにはいかん。まあ、本当に必要な分はすでにやってくれておる。そう急がんでもいいじゃろう。君も王宮の方で奔走しとったはず。多少は休んだところでばちはあたらんじゃろうよ」

 

 学院長がカラカラと笑う。

 

「まあ、引継ぎ云々はともかく、お見舞いにはいきますよ。体調を崩したのは負担をかけてしまったせいかもしれませんし」

 

 

「……ふむ、まあ、そういうことなら。何か必要なことがあったら遠慮なく言っとくれ。できる限りの協力はするからの」

 

「ありがとうございます。そういっていただけると心強いですわ」

 

 こういう時には学院長は本当に頼りになる。普段からそうだったらいいのにというのは――贅沢だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 短くノックを三回続ける。

 

 

「……エレオノールです。少々構いませんか?」

 

 

「……どうぞ」

 

 少しだけ間をおいて返事が返ってくる。具合が悪いと聞いていた通り、声にもそれが表れている。返事を聞いて、ゆっくりと扉を開ける。

 

 ――換気はしてあるようだが酒のにおいが微かにある。

 

「二日酔いですか?」

 

 ベッドで半ば体を起こした状態のミス・ロングビルに言葉を投げかける。

 

「まあ、恥ずかしながら……。ちょっと、飲みすぎました……」

 

 ベッドの中で頭を押さえたまま口にする。

 

「――食事はどうされました? もしまだでしたら運ばせますが。もちろん、食べられるならですけれど……」

 

「ありがとうございます。でも、それについてはご心配なく。あとでシキさんが持ってきてくれますから」

 

 顔色に関しては良くないながらも嬉しそうだ。いつもの沈着冷静といった様子とは、ちょっと違う。

 

「……えっと、昨日はシキさんと?」

 

 何となく、気になってしまう。

 

「そうですね……。まあ、途中からですけれど。飲みすぎたのは自分のせいですし」

 

「そうなんですか」

 

「ところで、何か用事が?」

 

「――ああ、はい。学院に逗留されるアルビオン貴族の方々のことです。私がその責任者ということになりましたので、今までのお礼に。遅れてしまいましたが、本当にありがとうございました。おかげで、不自由をかけずに済みました」

 

「……いえ、それくらいは当然ですし、私にも、必要なことでしたから」

 

 かすかに微笑む。

 

「あなたにも?」

 

「ああ、大したことじゃありませんから。とにかくお気になさらずに」

 

 不意にノックの音が響く。

 

「……俺だが」

 

 聞き慣れた、そして、一番聞きたかった人の声が聞こえてくる。

 

「ああ、シキさん。どうぞ。今ちょうどミス・エレオノールも」

 

 ガチャリとドアが開かれる。

 

 二日酔いに合わせたものなのか、何かのハーブが使われているんだろう。あまり馴染みのない、独特の香りがする。そして、いつものように白いシャツと黒のパンツに身を包んだシキさんがお盆を片手にこちらへと。つい、部屋へと入ってくる様子をじっと見詰めてしまう。

 

 シキさんに、私は……。この前の出来事がまじまじと頭に浮かんでくる。私が、寝ているあの人に何をしたかが。

 

「――ええと、もともとお礼だけのつもりでしたし、私はそろそろ戻りますね。ミス・ロングビル、仕事の方は今日から私が引き継ぎますので、ご心配なく。細かいことはまた後日ということでよろしくお願いいたします」

 

 出口の方へ――当然、シキさんのいる場所へと小走りに向かう。

 

「まだ戻ったばかりだろう? 今日ぐらいは休んでいてもいいんじゃないか?」

 

 体を少しずらしながら、シキさんが問いかける。

 

「あ、え? ……ええと、そういうわけにもいかないですし。色々とやることもありますし、ここで失礼しますね。ミス・ロングビルのことはよろしくお願いいたします」

 

 そのまま振り返らずに、パタパタと駆けてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――初々しいですねぇ。多分、初恋じゃないんですか?」

 

 クスクスと楽しそうに笑う。

 

「もし、私とあの人だったら――どっちを選びます?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロングビルという人は優秀らしい。真っ先にやらなければならないことは短時間の間にほとんど終わらせてしまってある。

 

 生活スペースの確保、衣類といった必需品の支給、食料の追加の注文などなど。確かに必要最小限ではあるが、最初にここまでやれれば十分だ。今のままでもしばらくは問題はでないだろう。今の状況が急場を凌ぐためということを考えると、このまま現状を維持していくという形でもいいかもしれない。

 

 もちろん、優先順位が高いものが処理されているだけなのだから、やるべきことというのはいくらでもある。それでも、ミス・ロングビルのおかげで随分と楽になっているはずだ。改めてお礼を言わなければならない。

 

 問題なのは――シキさんのことだ。思わず逃げるように部屋を後にしてしまった。しばらくは、まともに顔をあわせられそうもない。もちろん、自業自得だということは分かっているが、なんというか……。思い出す度に顔が熱を持つのが分かる。誰かに見られていないか心配になるぐらいに。

 

 今は、やるべきことに集中しよう。お父様の仰ったとおり、今の仕事は重要なことだ。将来的なことを考えれば、決してないがしろにしていいものではない。やるべきことが多いだけに、余計なことなんて考えていられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――じゃあ、これもお願いね」

 

 ドサリと机の上に書類が積み上げられる。

 

「……はい」

 

 思わず弱気な返事になってしまうのも仕方がないと思う。言葉通り、紙の束が積み上げられたのだから。しかも、ほとんど全てにびっしりと書き込まれている。

 

 もともと、私は勉強だとかいったものは嫌いではない。加えて、ずっと自分に使える魔法がないかと古文書までをひたすらに読み漁ってきたのだから、むしろ、事務的な仕事は得意な部類に入るだろう。だからこそ、忙しそうなお姉さまを手伝おうと、事務仕事の手伝いを申し出た。だから、手伝えることがあるということ自体には何の問題もない。……ないのだが、多すぎる。いくらなんでもここまで仕事があるとは思わなかった。

 

 まずは亡命者の受け入れ予定先への挨拶状、十分にお金を持ち出してくることなどできなかったのだから、その分の手当ての申請書類、更には学齢期の亡命者の入学申請などなど。まさか、ここまで多岐に渡るとは思わなかった……。

 

 本当は相談したいこともあったんだけれど、とてもそんな暇がない。何より、お姉さまの方がずっと忙しくしているのだから。まずは、急ぎで必要なものだけでも終わらせてしまわないと。頑張れば、今日、明日中には……

 

「――これもお願いね」

 

 ドサリと、先ほどのものではないにしろ、結構な量の書類が追加される。

 

 ――明日中には、終わるといいなぁ。はぁ、とため息が漏れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間のかかる事務仕事をルイズに任せられるおかげで、随分と楽になった。魔法の才能に関しては――今となっては分からないけれど、こういったことに関しては安心して任せられる。もっとも、さすがに量が多すぎるのか、顔にはっきりと現れるぐらいに疲れているみたいだけれど。まあ、この子なら大丈夫でしょう。簡単に音を上げたりするような子じゃないのはよく分かっているから。

 

 ――そもそも、簡単に音を上げるなんて私が許さないし。

 

 ふと、控えめにノックがされた。休憩にも、ちょうどいい頃かしらね。

 

「入って頂戴」

 

 失礼しますと扉を開け、ワゴンを引いたシエスタが入ってくる。その上にはまだ焼きたてのクックベリーパイと紅茶の準備がされている。ルイズは頑張ってくれているし、少しぐらいはご褒美をと予め頼んでおいたのだ。

 

「ここに並べてもらえるかしら? ルイズ、そろそろ休憩にしましょうか。あなたの大好物のクックベリーパイもあるわよ」

 

 クックベリーパイの言葉に、ルイズはやや俯き加減だった顔を上げ、瞳を輝かせる。そう分かりやすく喜んでもらえると、素直に嬉しい。はしゃぐ様子を見ていると私も元気になるような気がしてくる。

 

 その間にも、シエスタが部屋の中心のテーブルにクックベリーパイを切り分け、そして二人分の紅茶を注いでいく。部屋中に紅茶とパイの香ばしい香りが広がり、食欲をそそる。やはり、疲れたときには甘いものが欲しくなる。ルイズは言わずもがな、私だって嫌いじゃない。

 

 ルイズは我慢しきれないのか、早速パイにフォークを伸ばしている。いきなりというのは行儀が悪いけれど、今日は頑張ってくれたし、まあ良いかしらね。幸せそうに口いっぱいに頬張るルイズを見ていると、私も我慢ができそうにないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――はぅ、満足」

 

 パイを半分、紅茶もお代わりをして、言葉どおり満足気にルイズが口にする。

 

「美味しかった?」

 

「はい」

 

 溢れんばかりの笑顔で返事が返ってくる。大好物のクックベリーパイを食べたら、疲れなんてどこかに行ってしまうんだろう。

 

 幸せな時間を邪魔する形になって悪いけれど、ちょうど良い機会だ、シキさんに聞く前に、ルイズに聞いておこう。

 

「ルイズ」

 

「何ですか?」

 

「このままだと、まず間違いなくトリステインはアルビオンに攻め込わ。シキさんが貴族派の戦力を削いでくれたおかげで、戦力差が完全に逆転したから。当然、お父様も兵を出すことになるでしょうね」

 

「……そうですね。それは避けられないんでしょうね」

 

 悲しげに口にする。ルイズも馬鹿じゃない。それくらいは分かっているだろう。そして、それが意味することも。

 

「それについては、シキさんはどう思うかしら?」

 

 気になるのはそのことだ。シキさんは戦争には関わる気がない、関わることを嫌っていた。でも、結果としてはシキさんの行動からトリステインは戦争を行うということを決めた。それについては、どう思うんだろう。

 

「……私たちがちゃんと考えて、それで決めたというなら、シキはたぶん、何も言わないと思います」

 

 寂しげに口にする。

 

「どういうこと?」

 

「うまくは、言えないんですけれど、シキは戦いそのものは否定しないはずです。どうしても戦わないといけない時があるっていうのは、私達なんかよりもずっと身にしみて理解しているはずですから。一緒に戦って欲しいとは……言えないですけれど」

 

「そう……」

 

 ルイズは、きっと私よりもシキさんのことを知っている。何にも知らない私とは違って。それがたまらなく羨ましい。できることならルイズから聞いてみたい。でも、ルイズの様子からすると軽々しく口にするような話でもないようだ。もし本当に知りたいのなら、シキさんに本人に聞くべきだろう。

 

「きっと、シキさんにも色々あったんでしょうね」

 

「……はい」

 

 つい、雰囲気が暗くなってしまう。これ以上この話を続けても仕方がないだろう。どうしたって憶測での話しにしかならないのだから。

 

 

「――そういえば、ミス・ロングビルとシキさんで昨日飲んでいたのよね。あなたも一緒だったの?」

 

「え、私は、一緒じゃなかったので……」

 

 視線をそらし、先ほどとはまた違った苦い表情になる。

 

「どうかしたの?」

 

 私を上目使いにうなり声をあげる。

 

「……シキ、帰ってこなかったんです」

 

「ん?」

 

「シキ、酔っ払ったミス・ロングビルを外で見かけて、危ないから部屋に送るって。でも、連れ添ったまま一晩帰ってこなくて……。だから、私は知らないんです」

 

「……送っていって、そのまま帰らなかったの?」

 

「……はい」

 

「……そう。きっと、朝まで飲んでいたのよね。ミス・ロングビル、今日は二日酔いだったし」

 

「……そうですね。きっと、朝まで飲んでたんでしょうね」

 

「……それだけ、よね」

 

「……たぶん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――とてつもなく嫌な予感がする。

 

 何となくだが、そんな気がする。虫の知らせだとか、あるいは第六感だとか、言い方は様々あるだろう。昔、れっきとした人間だったころは時たま当たることはあっても、それに頼れるほどのものではなかった。当たることもあれば、裏目にでたり……。

 

 だが、今のそれは確かに信頼できる感覚だ。この言葉にできない何となくというものが何度命を救ったか。道の先に何か嫌な気配を感じた時、果たしてそこに待ち伏せている悪魔の姿があったことも。油断が死を招き、逆に敵の油断をつくことで生き延びた自分にとって、この感覚は何よりも信頼できるものだ。

 

 その勘が確かに何かがあると言っている。もちろんそれに従わない理由はない。だが、何があるというのだろう? 何かを避けなければいけないということは分かる。しかし、それが何かというのが全く検討がつかない。避けなければいけないほどのもの、それはなんだ? 自惚れでも何でもなく、そんなものはそうそうないはずだ。ましてや、この世界では。

 

 それなのに、今歩いている先、そっちに行ってはいけないと勘が言っている。何があるのか気になる、だが、あえて危険を冒す必要はない。余計な好奇心は身を滅ぼす。危険があると分かっているのなら、それに近づくべきではないというのは、今までの経験から学んだことだ。確かに危険を冒す必要があるときというのはあるだろう。だが、それは本当に必要があってこそのものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なぜだ」

 

 ついそんな言葉が口から漏れる。あの後、何度となく嫌な予感がして、その度に避けていた。そんなことをしているうちに時間が経ってルイズの部屋へと戻ってきたのだが、なぜかその部屋こそ入るべきではない、何となくそんな気がする。ルイズに危険が迫っていて、急いで部屋に入るべきというのなら分からなくもない。だが、部屋に入るべきではないというのは分からない。扉を前にして考え込んでしまう。だが、どうしても分からない。ゆっくりとノブに手をかけ、音を立てずに少しずつ開く。

 

「――遅かったのね」

 

「――それに、二人でずっと探してたんですよ」

 

 例え中に誰かがいても見つからないように開けたつもりだった。だが、まるで待ち構えていたかのようにドアが開くと同時に声をかけられた。ルイズと、そしてエレオノールから。こうなると、こそこそするのもおかしな話だ。半ばまで開いたドアからいつものように入る。

 

「何か用があったのか?」

 

 さて、嫌な予感は当たるのか、できれば外れて欲しいものだが……。

 

「……え、まあ、用というわけでもないんですけれど、ちょっとお話が……」

 

 エレオノールがそう言いながら、珍しくルイズに視線を向けながら遠慮がちに口にする。だが、これもまた珍しく、ルイズが姉を睨むように強い視線を向けている。逆なら案外良く見かける――というよりも、しばしばなのだが。そんな視線を向けられたエレオノールが、ぎこちなく視線を戻す。

 

「……えーと、その、ですね……」

 

 言葉の端々で視線を下に向けながら、ゆっくりと続ける。これもまた珍しいことだ。

 

「……その……、まずはこの国とアルビオンとのことで報告しないといけないかなぁと思いまして……」

 

 それは確かに知っておくべきことだ。今の態度と、話すことが一致しているかは疑問だが、それはまた別の話だ。

 

 アルビオンという国で起きたクーデターの大まかな内容、そして、この世界の統治の形態はそれなりには把握している。そして、それから導かれる道筋も。結果的に、思った以上に関わってしまったのだから、知らないでいるわけにはいかない。

 

「戦争になるのか?」

 

 疑問をそのまま投げかける。

 

「はい。統一を謳うレコンキスタと相容れることは不可能です。今が攻め込む好機となれば、近いうちに……」

 

 口にしたあと、遠慮がちにこちらを見る。

 

 言いたいことは分かる。最後の一押しをしてしまったのは自分だということは。言い訳をしようと思えば、もともとそうなるものだったということはできる。だが、それは言い訳でしかない。単なる足止めのつもりだったが、自分と、そして仲魔達が持っている力を過少評価しすぎていた。そして、忘れていた。多少魔法が使える程度では、人では悪魔に対抗できないということを。ましてや、ウリエルにティターニアともなれば。

 

「シキが気にすることじゃないわよ。民のことを考えないあいつらは放っておくことはできなかったもの。でも、もし戦力がそのままだったら戦いは厳しいものになっていたわ。シキがどう思うかは分からないけれど、結果を考えれば最良だったはずよ」

 

 ルイズがこちらをじっと見据え、断言する。励ますつもりというのももちろんあるだろう。だが、それ以上にルイズ自身が正しいと信じている――目がそう言っている。

 

「――そうか」

 

 そう言ってくれると、少しは気が晴れるというものだ。それに、ルイズは強いな。

 

「じゃあ、この話はこれでおしまい。こうなった以上、私達にできることはないもの。シキもこれ以上は関わるつもりはないんでしょう?」

 

「……そうだな」

 

 ふと、嫌な予感がした。

 

「――ねえ」

 

 ルイズがこちらへと近づいてきて、何時もの、何かお願いするときのように見あげる。

 

「何だ?」

 

「お姉さまも久しぶりに戻ってきたんだし、一緒に食事にしましょう。せっかくだから、料理を運んできてこの部屋で」

 

 ルイズが楽しそうに笑う。確かに、それもいい。

 

「そうですね。たまにはそういうのもいいですよね」

 

 何時もならあまりそういったことには興味がなさそうなエレオノールも乗り気だ。

 

「それもいいか」

 

 三人でというのはあったようでなかったから、せっかくだ。――ただ、嫌な予感がするのはなぜだ?

 

「――じゃあ、お酒も準備しないと」

 

 ルイズがこちらを見ながら、クスクスと楽しそうに笑う。

 

「――シキさんはお酒には強いんですよね?」

 

 エレオノールも同じように。

 

「……ああ、まあ、それなりには……」

 

「――そうよね。昨日はずっとミス・ロングビルと飲んでいたんだし。まさか帰ってこないとは思わなかったなぁ」

 

 ルイズが表情を変えずに口にする。

 

「――そういえば、ミス・ロングビルは二日酔いだったそうですね。一緒に飲んでいたから朝食をシキさんが運ばれていたんですよね。優しいですねぇ」

 

 ――エレオノールも。

 

「いや、まあ、成り行きというか……」

 

 何となく、一歩あとずさる。

 

「――でも、夜に女性の部屋でっていうのはちょっとねぇ」

 

「――やはり学院ですから、問題はありますよねぇ」

 

 二人が、一歩近づく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――嫌な予感は、これか? 

 

 

 ……逃げるか?

 

 

 

 

 

 

 

「――あ、ルイズ。シエスタにでも食事とお酒を三人分運ばせて頂戴。お酒は多い方がいいかしらね? 何せ、一晩分だしね」

 

「――そうですね。今から行ってきます。シキはこの部屋で待っててね」

 

 ルイズが横を通り抜け、パタパタと駆けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……だからね、何度も言っているけれど、夜に女の人の部屋に行くっていうのはぁ、いけないと思うの」

 

 トン、とグラスをテーブルに置く。

 

「……そうだな。確かにそれはまずかったと思う」

 

「……私はシキのことは信じているし、変なことはしないと思うの」

 

「……………………ああ」

 

「……でもねぇ、やっぱり駄目なの。――うん、駄目。誰がどう思うか分からないし、そういうことはちゃんとしないと駄目なの。……そうでしょ?」

 

「……そうだな」

 

「……あ……ふ……。シキ……ちゃんと聞いてる? 夜に二人っきりって言うのはそういうことなの。だから、駄目。私を置いていくっていうのも駄目なの」

 

 欠伸を噛み殺しながらルイズが口にする。睨むようにとこちらをじっと見ているが、胡乱な目は焦点があっていない。飲んだ量が量なだけに、そろそろ限界だろう。実際、シエスタが持ってきた酒は三人分というには随分と多かったが、もうすでに大半が消費されている。――ルイズはあと一押し。あとは……

 

 ちらりとエレオノールに目をやる。こちらはちびりちびりと飲むタイプのようだ。一度に飲む量は少なくても、休まずに飲んでいるだけあって、ルイズ以上に飲んでいる。最初こそ饒舌になっていたが、絡み酒であるルイズとは違って、酒が入るとおとなしくなるらしい。しばらく前から黙って飲んでいる。ただ、その手は止まる様子がない。

 

 ルイズが寝たら、切りがいいところで部屋へと送ればいいだろう。実際問題として何も解決していないかもしれないが、とにかく、これでしばらくは大丈夫なはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、ルイズ……寝ちゃったんだ」

 

 ルイズを見て、エレオノールが口にする。いつもとは違って、動きも口調も緩慢になっている。こちらも、そろそろ限界だろう。

 

 テーブルに突っ伏したまま寝てしまったルイズを、椅子の後ろから抱き上げベッドへと運ぶ。さすがにそのままの格好で寝るというわけにもいかないだろうから、着替えも準備する。着替えさせるというのも久々な上に、寝たままというのは初めてだが、まあ、できなくもない。華奢なルイズなら片手で抱えてというのも難しくはないのだから。

 

「――じゃあ、そろそろお開きだな」

 

 着替えを終わらせたルイズをベッドに寝かせ、エレオノールに振り返る。

 

「……ん、そうですね。部屋に……戻ります」

 

 ふらふらと立ち上がる。もちろん、危なっかしくて一人では歩かせられない。倒れそうになる体をすぐに支える。もしかしたら嫌がるかとも思ったのだが、案外素直に肩に寄りかかる。

 

「………………じゃあ、お願いします」

 

 ルイズの部屋を出て、体を支えながらゆっくりと廊下を抜ける。誰もいない学生用の寄宿舎の廊下を抜け、一旦外へ出てから教員用の寄宿舎へと。

 

「――鍵は?」

 

 エレオノールの部屋の前でたずねる。

 

「今……開けます」

 

 たどたどしい手つきで鍵を取りだし、扉を開く。明かりがないので暗かったが、エレオノールの一声で明かりが灯る。なかなか便利なのものだ。灯った明かりに部屋が照らされる。何となく、しばらく前に見たときと印象が違う。

 

 それなりに整理されているようだが、書類の束がそこかしこに山になっており、どうしても散らかった印象を受ける。仕事の量が多いだけにそこまで気にする余裕がないんだろう。

 

「…………散らかってますねぇ」

 

 視線から何を思っているのか分かったのか、ぼんやりと口にする。

 

「……これだけ仕事があれば仕方がないだろう。手伝えることがあったら言ってくれ。字は読めないが、力仕事だとかならどうとでもなる」

 

「……じゃあ、明日……お願いします」

 

 もうそろそろ限界なのか、目を閉じて、言葉も途切れ途切れになっている。

 

「――着替えは?」

 

 いつものようにブラウスとロングスカートのままであり、さすがに寝るには不向きだろう。

 

「……着替え、ないと。……あ、そうだ。早速……手伝ってください。着替えは……そこに」

 

 言うだけ言うと、力尽きたのがもうすでに寝息を立て始めている。しかし……

 

「――俺が着替えさせるのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャッ、とこきみよいおとがひびき、かおにひかりがさしこむ。

 

「……あう……」

 

 いつもならすがすがしいはずのそれも、きょうはなんだかうっとうしい。それに――なんだかあたまがいたい。あたまからもうふをかぶる。

 

「――朝食はどうする?」

 

 だれかがたずねる。

 

「……いらない。……あ、でも、ハーブのはいったあれなら……いいかも」

 

 きのう、シキさんがもってた――あれならたべられそうなきがする。うん、たべられそう。

 

「――あれか。まあ、ルイズの分も一緒に作ればちょうどいいか。じゃあ、できたら持ってくる」

 

 だれかがそういうと、へやをでていく。

 

 ……ん、そういえばだれなんだろう? まあ、いいや。いまは……あんまりかんがえられそうにないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さて、厨房を借りて作ってくるか。飲ませたのは……俺だからな。二人とも昨日のことは忘れてくれていたら助かるんだが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先にルイズの部屋へと持ってきた。部屋に入ってみると、ルイズが寝起きのまま、ベッドの上で上半身を起こしている。起きてすぐはまともに会話もできない様子だったが、今は大分ましになったらしい。しっかりと二日酔いにはなっているようだが、案外しゃんとしている。

 

「――食べられそうか?」

 

 ルイズの口元へスプーンを近づける。さっき作ってきた、ハーブ入りのお粥のようなものだ。米を野菜のように使ってあって、薄めのリゾットといえば近いかもしれない。少し味は薄めに作ってあるが、それを補うようにハーブの風味があり、これはこれで面白い。このハーブは二日酔いにも効果があるらしいので一石二鳥だ。昨日二日酔いに合ったものはないかと聞いて作ってみたのだが、ロングビルにも好評だった。

 

「……あむ……」

 

 可愛らしくルイズが口にする。

 

「……どうだ? 一応、俺が作ってみたんだが」

 

 自分で作ったのでやはり評価は気になる。

 

「……お代わり」

 

 どうやらそれなりに気にいってくれた様だ。素直に嬉しい。

 

「気にいってくれて何よりだ。ただ、ちょっと自分で食べていてくれるか? 冷めないうちにエレオノールにも持っていかないといけないからな」

 

「……お姉さまも、二日酔い?」

 

「……ああ。ルイズ以上に飲んでいたから、もっと酷かったな」

 

 少なくとも、寝起きの様子はそうだった。

 

「うわぁ……。でも、ちょっと見てみたいかも。お姉さまが隙を見せるなんて滅多にないし」

 

 驚いたように口にする。確かに普段は完璧に振るう舞うだけに、家族でもなかなかそんな様子は見せないのだろう。

 

「――まあ、そういうわけだから、行ってくる」

 

「うん、いってらっしゃい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 念の為とノックをする。まあ、予想通り返事はなかったが。もしかしたら、また寝てしまったのかもしれない。

 

「………やっぱり寝ているのか」

 

 部屋へと入ってみると、ベッドの上に毛布が丸くなっている。作ってきたものをテーブルへと置き、ベッドへと近づく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ん?

 

 だれか、ちかづいてくる。

 

 ゆっくりとめをあける。めがねがないから、よくみえない。

 

 

「――起きたのか。朝食を作ってきたんだが、食べられそうか?」

 

 

 シキさんだ。

 

 そっかぁ、さっきのもシキさんだったんだ。

 

 それに、わざわざつくってくれたんだ。

 

 なんだかうれしいなぁ。

 

「――はい。せっかくつくってくれたんですから」

 

「ちょっと待っててくれ」

 

 ゆっくりとからだをおこす。あたまはちょっといたいけれど、まあ、いいや。ねたままじゃたべられないし。

 

 おかゆなのかな? シキさんがスプーンですくってめのまえにちかづけてくれる。たべさせてくれるんだ。そういうのっていついらいかなぁ。……わかんないや。でも、きのうはきがえも……

 

 

 ……きがえも

 

 

 ……着替えも?

 

 そっと視線を落とす。いつものように、ちゃんとキャミソールに着替えている。……いつものように、下には何もつけていない。着替えさせたのは……。ゆっくりと視線を戻す。シキさんがスプーンを持ったまま、こちらを不思議そうに見ている。

 

 

 

「…………あむ…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………寝ぼけていたことにしよう。

 

 じゃないと――生きていけない



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第16話 To Be Honest

 コツコツと自分でもそれと分かるほどに苛立たしげに石畳の上を歩く。一人であるせいか、普段は言わないような言葉が口をつく。怒りと、多分――認めたくはないけれど、寂しさのせいで。





「全くギーシュったら。……そりゃあ、まあ、亡命してきて不安がっている子に優しくするのは当然だと思うけれど。だからって……」

 

 とてもではないが、普段愛しているなどということを嫌というほど受け取っている私は、はいそうですかなどと言えるはずがない。

 

 亡命者の中には同年代の子達も沢山いる。しかも、アルビオンでは戦争があった。自然、女の子が多くなるというものだ。

 

 だから――だからというのがまたムカつくんだけれど、ギーシュは亡命してきた女の子達の世話をかいがいしく焼いている。「あの子達を安心させることができるのは僕しかいない」なんてことを言って、私よりも優先して。

 

 納得、できないでもない。普段から女の子には優しくというのが絶対の信条になっているギーシュが、不安がっている女の子を放っておけるはずがない。それに、それは貴族としても当然のことだと思う。

 

 当然だとは思う――でも、それとこれとは別でムカつく。理由はどうあれ、私よりも他の女の子を優先しているのだから。それに、状況が状況だからだろう。ギーシュが何時も以上にもてている。それが何より許せない。私のことを一番だといつも言っておきながら、ギーシュ自身まんざらでもない様子なのだから。

 

 いや、今は「あの子達は僕を必要としているんだ」なんて言って、はっきりと私よりも優先している。なまじ貴族の務めという大義名分があるだけに、余計に性質が悪い。

 

 ――ああ、もう。考えているだけでもムカついてきた。早く、作らないと。材料は後一つだけなんだから、すぐにでも。あの子達には悪いけれど、放っておいても後で悲しむことになっちゃうしね。

 

 俯いていた顔を上げ、しっかりと前を向く。そして、今までそんなことをしたことはほとんどなかったのに、店へと続く路地でつい小走りになってしまう。のんびりとしていることは誰にとってもいい結果にはならない。

 

 

 

 

「――あの子は……確か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――例のものを」

 

 少しだけ周りを伺って、店主に声を潜めて尋ねる。怪しげなものが立ち並ぶ路地の中、一際怪しいものが集まった店だ。メイジである自分でも分からないものもそこかしこにある。店に負けず劣らず怪しい格好をした店主が、心得たとばかりに店の奥にへと入っていく。

 

 この店は私の行きつけだ。はじめてきたときは薄気味悪いと思わなくもなかったが、今では毎週のように通っている。小遣い稼ぎに作っている香水の材料の一部もここで調達しているし、趣味で作っているポーションの材料もまたそうだ。確かに一つ一つの材料は安くても、私は結構な数を購入している。だから、私も立派なお得意さまだ。

 

 ――そういうわけで、多少の無茶も聞いてくれる。たとえば、ご禁制の素材を融通してくれたり。今回作るポーションにも、それが欠かせない。

 

「……これでギーシュも他の女の子に目が行かないはずよね。まあ、女の子に優しくするのはいいけれど、一番は私なんだから」

 

 つい貴族らしさとは程遠いけれど、握りこぶしを作って力説してしまう。だが、これはあの子達のためでもある。何も優しくしてはいけないというわけではない。それに関しては今まで通りで構わないのだから。ただ、私が一番だということをはっきりさせるためだ。その方があの子達も後で悲しまなくてすむ。

 

「……うん。確かに好きな人が他の女の子に目移りしていたら、嫌よね」

 

「……ええ。惚れ薬なんて使うのは気が引けるんだけれど、ギーシュの性格じゃ惚れ薬でも使わないと泣かされる子が増えるばっかりだもの。だから、それを食い止めるためにも仕方がないのよ。ご禁制の薬だけれど、そういうことなら始祖ブリミル様もきっとお許しになるわ」

 

 そう、言わば必要悪。それに、もともと私が一番だというのなら何の問題もないはず。

 

「なるほどねぇ。……優柔不断な性格だと、そういうものも必要になってくるのかしらね」

 

「……ええ。女の子に優しくするというのはいいことよ。でも、それに優柔不断が加わったら性質が悪くてしょうがないわ。だから、これは必要なことなの。私が恋人だってことが周りにはっきりと分かるようになれば、泣かされる子も減るんだから」

 

「……そうね、確かにあなたの言うことにも一理あるわ」

 

 

 

「……例のもの、だけれど……」

 

 奥から戻ってきた店主がこちらを、訝しげに見ている。気にならなくもないけれど、今は店主の手にあるものの方が重要だ。普通の小瓶を更に一回りも小さくしたものの中に、それでも大きすぎるとばかりにほんの少しだけ入った液体。ほんのわずかな量ながら効果は絶大で、値段もそれにふさわしいものだ。

 

「……代金はここに」

 

 ジャリ、とカウンターの上に金貨がぎっしりと入った袋を置く。途端に普段はあまり愛想の良くない店主も、口元が緩む。これだけあれば、平民ならば家族でしばらくは遊んで暮らせるだろう。これも地道に香水を売ってためてきた成果だ。ちょっと惜しい気がしなくもないけれど、これもまた必要経費。これで皆が幸せになると思えば安いものだ。

 

「……ああ、じゃあ、これを……」

 

 店主から例のものを受け取る。小さな瓶を壊してしまわないように、両手で包むように。とても貴重で、自分にとってとても重要なものだから。

 

「……ふふ。これで材料は全部揃ったわ。早く調合してギーシュに飲ませないと」

 

 手の中のそれを見て、つい笑みがこぼれる。今回調合する惚れ薬はそれなりに難度が高い。粗悪品ならば平民でも作れそうなものだが、今回作るものはそれとは格が違う。効果も持続時間も段違い。調合が趣味の私としては、そういう意味でも楽しみである。学院に戻るのが待ち遠しい。店に背を向け早速歩き出す。ああ、本当に待ち遠しい。

 

「……作ろうとしているのは惚れ薬よね。それで、調合に必要なものは全部揃ったの?」

 

「ええ、後は調合するだけ」

 

 さっき手に入れたものは別として、他の材料はそれほど珍しいものではない。すでに揃っていたものがほとんどだ。

 

「……ええと、モンモラシーだったかしら? あなたの気持ちは分かるんだけれど、立場上、止めないわけにはいかないのよねぇ」

 

「……え?」

 

 ピタリ、と急いでいた足を止める。そういえば、さっきから話しかけてくるこの人は――誰なんだろう? いや、もう声で大体分かっているんだけれど……振り返りたくないなぁ。つい立ち止まっちゃったけれど、もう逃げちゃおうかな……。

 

「――とりあえず、これは預かっておくわね」

 

 ひょい、と手に持っていた瓶を取り上げられ、逃げる間もなく回り込まれる。見上げればやっぱり、エレオノール先生だ。この人だと、言い訳はできそうにないなぁ。

 

「……はい」

 

 すごく、高かったのに……。

 

「私はちょっと用事があるからすぐにというわけにはいかないけれど、後で私の部屋に来なさいね。分かった?」

 

 言葉はともかく、エレオノール先生のこれは命令だ。それを無視するなんていう勇気は――私にはない。

 

「……うう……はい……」

 

 よりにもよって、この人なんて……。他の先生ならもう少し誤魔化しが効いたかもしれないのに。すたすたと先を歩いていくエレオノール先生を、つい恨めしげに見送る。

 

 

 ……うう、帰りたくない。どんな罰を受けるんだろう。ご禁制の材料を使って惚れ薬を作ろうとしていたのだ。きっと、軽くはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うう……」

 

 ノックしようとして持ち上げた手を、ゆっくりと下ろす。できる限り引き伸ばそうと思ってゆっくり、ゆっくりと帰ってきたんだけれど、いくらなんでもそう引き伸ばせるものではない。ノックをする勇気こそなかなか出ないのだが、もう部屋の前まで来てしまった。これ以上は引き伸ばすのも難しい。それに、遅くなったことで機嫌を損ねるわけにもいかない。

 

 ゆっくりと、ノックをする。もし留守ならばとも思ったのだが

 

「――どうぞ」

 

 やはり人生そう甘くはないらしい。すぐに返事があり、入るようにと促される。

 

「……失礼します」

 

 ゆっくりとドアを押し開く。手入れが行き届いているおかげか、力をいれずとも開くドアが今は恨めしい。

 

「案外早かったのね。もしかしたら来ないかとも思っていたんだけれど」

 

 キィと椅子を回転させ、エレオノール先生が振り返る。話に聞いていた通り、亡命者の受け入れに関して仕事がたまっているからだろう。部屋のそこかしこに書類が山積みになっている。先生が向かっていた机も、多少は片付いているが似たようなものだ。それだけ忙しいのに町で見つかったのは、本当に運が悪い……。

 

「――単刀直入に言うわね。あなたの作ろうとしていた薬だけれど、ご禁制なのはもちろん知っているわよね?」

 

 確かめるように、ゆっくりと尋ねる。詰問といった様子はない。だが、ここにきてつい目に涙が浮かんでくる。

 

「……私……退学ですか?」

 

 ご禁制――しかも惚れ薬だ。そんなものを作る、ましてや使おうとするなんて貴族として恥さらしもいいところだ。悪ければ退学、しかも、そんな理由で退学になんてなったら、家にも影響が及ぶかもしれない。只でさえ厳しい状況のモンモラシ家、どうなるか、分からない……。少なくとも、今より状況が悪くなるのは間違いない。

 

「――なんで?」

 

 しかし、予想とは違って不思議そうな声が返ってくる。思わず見返してしまう。

 

「それはまあ、褒められたことじゃないけれど、まだ作っていないんでしょう?」

 

「それは、そうですけれど……」

 

 もしかして、見逃してくれるんだろうか? そんなこと、絶対に許してくれそうもない人だと思っていたのに。

 

「まあ、以前にも作ったことがあるのかもしれないけれど、少なくとも今は作ってはいないのよね。だったら、退学になんてならないわよ。――それに、あなたの気持ちも分からなくもないって言ったでしょう? 本当なら叱るべき所なんでしょうけれど、そんな気にもならないしね」

 

「……じゃあ」

 

「ええ。今回は厳重注意という所かしら? 別に学院長に報告するつもりもないから心配しなくてもいいわよ」

 

「良かった。ありがとう、ございます」

 

 さっきとは、違った意味で涙が出てくる。

 

「――それとね、これをあげるわ」

 

 椅子から立ち上がり、目の前までコツコツと歩みを進める。そうして差し出された小瓶を受け取る。

 

「……これは?」

 

 ポーションだということは何となく分かるけれど、さすがにどういったものかは分からない。

 

「町で没収したものはさすがに返すわけにはいかないから、その代わりっていうところかしね。持っていてもしょうがないし、材料にしちゃったの。それでだけれど、惚れ薬がご禁制になっている理由は分かるかしら?」

 

 先ほどと同じく、ゆっくりと尋ねる。

 

「……ええと、人の心を歪ませるものだから、ですか?」

 

 惚れ薬は、好きでもない人を好きにさせることを可能とするものだ。つまり、人の心を操る。それは、本来許されないことだ。

 

「――そう。人の心を歪ませるということは本来許されないことよ。だから、惚れ薬はご禁制になっているの」

 

「……はい」

 

 それは、人として許されないことだ。

 

「――ふふ。そう硬くならなくてもいいわよ。別にお説教をしようというわけでもないんだから。軽く聞き流してくれてもいいわ。それでね、惚れ薬は心を歪ませるものだから許されないの。だったら、歪ませるものじゃなければ構わないはずよね?」

 

 まるでいたずらを披露するように、楽しげに口にする。

 

「……確かに、そうなりますね」

 

「その薬はね、精神に干渉するという意味では惚れ薬に似ているといえば似ているんだけれど、ちょっと特殊なの。それはね、本当に心を許した相手――好きな人に対してしか効果がないの。で、その効果なんだけれど、その人に正直になるって言えばいいのかしら? たとえば、その人に嘘をつけなくなったりね。ほら、そういうことだったら歪めるということにはならないでしょう? 何せ、もともとあったものと方向性を変えたりするものじゃないんだから。それに、その方が惚れ薬よりもあなたの目的にはぴったりなはずよね」

 

 ギーシュが私のことを本当に好きなら、すべて解決する。ギーシュが飲めば本当に私が一番かどうかははっきりするし、変な隠し事もなくなる。

 

「……えーと、そう、ですね。でも、なんでそんなものを私に?」

 

 理屈上では問題なくても、そう気軽に渡していいものでもないはずだ。ましてや、そもそもが叱るべきことなのだから、応援してくれるというのはどうにもおかしい。さすがに話がうますぎる。

 

「――あら、言ったはずよね。あなたの気持ちも分からなくもない、って。本当に、はっきりして欲しいって思うわよねぇ」

 

 苦笑交じりにしみじみと、まるで自分のことのように呟く。私と、同じってことなのかな。でも、誰に。思い浮かぶのは

 

 ――あの人しかいないか。うん、確かにあの人には態度が違う。

 

 へえ、そうなんだ。あの人のことを考えているんだろう、先生をまじまじと見詰める。分かってしまうと本当に分かりやすい。普段の先生とは違うだけに、ちょっとからかってみたくもある。

 

 もちろんそんなことはしないけれど。私、まだ死にたくないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――何か手伝えることはありますか?」

 

 午後になってミス・ロングビルがたずねてきた。正直な所、一人では手が回らない部分がある。今日などは気晴らしを兼ねた買い物と、その後のちょっとしたプレゼントの為に時間を使ってしまった。決して無駄ではないが、その間は仕事は進まない。ルイズも手伝ってはくれるけれど、やはり勉強が優先ということで普段から期待するわけにもいかない。だから、申し出は願ってもないことだ。

 

「本業の方に支障が出ないのなら、ぜひお願いしたいです」

 

「そのことについてはご心配なく。学院長からもあなたを最大限サポートするように言われていますから」

 

 いつものように魅力的な微笑を浮かべると、早速書類の山を一つ抱え揚げる。処理能力に関しては文句のつけようもないし、先日まで行っていたのはこの人だ。安心して任せられる。

 

「じゃあ、そこの席をお借りしても構いませんか?」

 

 視線で今では物置状態になっている予備の机を示す。当然片付けてからということになるだろう。なんだか悪いが、片付けるほどの余裕はない。

 

「散らかっていて申し訳ないのですが、お願いできますか? この部屋にあるものは自由に使っていただいて結構ですから」

 

「ええ。お借りしますね」

 

 それだけ言うと、書類の束を空いた場所に一旦置き、手際よくスペースを確保する。この分だと遅れた分はすぐに取り戻して、お釣りまできそうだ。安心して自分の仕事に集中できる。

 

 

 

 

 

 

 

「――そろそろ休憩にしませんか?」

 

 ちょうど、先ほどお願いした仕事が終わったんだろう。書類をまとめながら、ミス・ロングビルが口にする。

 

 ――私は、切りがいいところまではあと少し。

 

「じゃあ、紅茶でも準備してきますね。準備が終わるころには一息つけるでしょうし」

 

 私の様子から察したんだろう。本当によく気が利く人だ。

 

「すいません。お願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはりここも物置になっていた部屋の中央のティーテーブルを片付け、ポット、カップと手際よく並べていく。さすがに学院長の秘書をやっているだけあって、こういうことに関しても卒がない。……メイドに任せたことしかない私と違って。

 

「どうかしました?」

 

 手元をじっと見つめていた私のことを不審に思ったんだろう。準備する手は止めずに、不思議そうに私を見ている。

 

「あ、いえ、何でもできるんだなぁと思って……。私はお茶の準備だとかはあまりやったことがなかったので」

 

「必要に迫られて、ですよ。必要がなければ私もできなかったでしょうしね」

 

 少しだけ、ほんの少しだけ悲しげに口にする。だが、すぐにいつものように微笑を浮かべる。いつものように、同姓から見ても魅力的な。綺麗で、有能で、何でもできて……胸も大きくて。男性にとって確かに魅力的だろう。同姓だからこそ、なおさらよく分かる。

 

「――シキさんとは、お付き合いされているんですか?」

 

 この前は結局聞き損なっちゃったけれど、そういうことなんだろうなぁ。シキさんも私のことを、少なくとも嫌いではないはずだとは思うんだけれど、この人を見ていると、単なる思い込みなんだっていう気がしてくる。

 

「……え?」

 

 驚いたように振りかえる。

 

「――あ、い、今のは……」

 

 つい口元に手をやるが、一旦言ってしまった言葉は取り消せない。私は、何を言っているんだろう。こんなことをいきなり……。聞きたいことだけれど、決してこんな風に聞くべきものではない。

 

「……うーん、どうなんでしょうねぇ?」

 

 持っていたカップをコトリと置くと、最初は驚いたようだけれど、少しだけ考え込んで、困ったように口にする。でも、どうしてそこで困ったような顔をするんだろう。

 

「前にも言ったように、私はシキさんのこと好きですよ。……先日は、体の関係も持ちましたし」

 

「……そう……なんですか」

 

 やっぱり、そうだったんだ。

 

 ――そっか。

 

 

 

「――でも」

 

「でも?」

 

 シキさんのことが好きで、関係を持って――それで何があるんだろう?

 

「シキさん、私のことを好きだって言ってくれたわけじゃないですから」

 

「……でも、……その、シキさんと関係を持ったわけでしょう? だったら、シキさんも……」

 

 当然、そういうことのはずだ。

 

「だったら、嬉しいですね。――でも、シキさんは優しい人だから、同情かもしれないですし」

 

「……同情?」

 

 何でそこで同情なんて言葉が出てくるんだろう? いきなりのその言葉に、つい鸚鵡返しに繰り返してしまう。

 

「――私、本当はすごく悪い女なんです。シキさんには、シキさんだから全部話しました」

 

 独り言のように呟く。視線を落としながら。

 

「……どういうことですか?」

 

 「悪い」女ということの真意は分からない。いきなりこんなことを口にする理由も。だが、自分で「悪い」というようなことを全部話したのなら、それだけ信頼しているということだし、それでも受け入れてくれると思ったからではないのだろうか。同情というのなら、それだけの理由があったということでもあるはずだ。  

 

「――シキさんはきっと全部分かってくれています。でも、それと好きかどうかは別です。同情……かもしれないですし。それに……」

 

 俯いていた顔を上げ、私の方を真っ直ぐに見つめる。ただ、悲しそうな、それでいて羨むような目で。

 

「……シキさんには、あなたのように真っ直ぐな人の方が相応しいかもしれませんし」

 

 いつもと、なんだか雰囲気が違う。だが、すぐに表情を緩ませ、口を開く。

 

「――変なこと言ってすみません。それと、勘違いしないでくださいね? 別にシキさんのことを諦めるというわけじゃないですから。……ええと、変な話になっちゃいましたね。」

 

「あ、いえ……。私から、口にしたことですし」

 

「やっぱり、ちょっと気まずいですね。うーん、私は別の部屋で手伝うことにしますね」

 

 そういうと書類を一束抱え、部屋の入り口へと向かう。ふと、思い出したように足を止める。

 

「――好きなら、告白した方が良いですよ。シキさんも、あなたの気持ちは気づいていますしね。それでいて、何もアクションを起こさないのはあの人の悪いところですけれど」

 

 それだけ言うとドアを開け、振り返らずに出て行く。

 

「――告白、か」

 

 出て行ったドアを見つめたまま思い浮かべる。今までだって、考えなかったわけではない。女の方からというのははしたないような気もするけれど、シキさんと二人っきりになって……

 

「――言い忘れましたが」

 

 ガチャリ、といきなり扉が開かれる。

 

「うぇぇ!?」

 

 だから、驚くのも仕方がないことだと思う。変な声を出してしまったことも。

 

「シキさんあれで案外手馴れているみたいですし、初めてでも安心していいと思いますよ。最初だけ押し倒しちゃえばあとは任せて大丈夫です」

 

 小悪魔のように悪戯っぽい笑顔で口にすると、それではと部屋を再び後にする。

 

 時間を置いてその言葉の意味を理解して、真っ赤になった私を残して。

 

「……告白、か」

 

 はっきりと言葉にして、もう一度部屋の中で悶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――シキさん、今日の夜ちょっと飲みませんか? 珍しいお酒があるんです。お米を使ったもので、ワインに比べて結構強いものだとか。たぶん、シキさんでも楽しめるはずですよ。……もちろん、良かったらですけれど」

 

 いつものように言うつもりだったのだが、つい言葉尻が弱くなってしまう。

 

「……米の酒か。興味はあるな」

 

 何か良いきっかけがないかと部屋を探して見つけたものなのだが、存外興味を持ってくれたようだ。人生、何が役に立つか分からない。

 

「良かった。じゃあ、部屋でお待ちしていますね。……待ってますから、来てくださいね」

 

 それだけ念を押すと部屋へと戻る。どうしても仕事に集中できなくて、結局何度も練習した甲斐があった。十分及第点だと思う。まだ、心臓が落ち着かないが、言ってしまった今ではそれも心地よい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何度目になるか分からないけれど、ゆっくりと部屋を見渡す。書類の一部が部屋からなくなったおかげで、積んである書類も随分減った。本当は残りもどうにかしたいんだけれど、そればかりは仕方がない。それ以外に関しては、掃除もシエスタに念入りにさせたし、右から左に視線をやっても大丈夫だといえる……はず。お酒に合わせた器も自分なりに準備してみた。こればかりはちょっとした意地だ。それぐらいで追いつけるなんて思わないけれど、何もしないというのは負けを認めるようなものだと思う。

 

 本当は掃除も自分でできたなら良かったのだが、さすがにそれでは時間がかかりすぎる。もう一度部屋を見渡して、こんどは視線を自分に移す。

 

 ……もう一回お風呂に入ってこようかな。なんだかまた汗をかいたような気がするし。でも、もうシキさんが来ちゃうかもしれないし。でも、もし……

 

 あの人の去り際の言葉がちらりと頭をよぎる。というよりも、準備をしている間も頭から離れなかった。私だって、その、今まで全く意識してこなかったわけじゃないし……

 

 ――やっぱり、もう一度入ろうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ねえ、シキ。お米のお酒ってどんなのかな? そもそも、お米でお酒なんて作れるの?」

 

 ルイズは米で作った酒というものに興味があるものの、どうやら半信半疑らしい。

 

「ワインと味は全く違うが、問題なく作れるぞ。まあ、昔飲んだときには味なんてよく分からなかったが、あれはあれで悪くないだろう」

 

 今飲んだら、どう感じるのか興味がある。多少は違うかもしれないが日本酒という、言ってしまえば故郷の味なのだから。

 

「ふーん……、飲んだことあるんだ。だったら、ちょっと楽しみかも」

 

 どうやらそういう酒があるというのは信じてくれたらしい。もっとも、面白そうというだけで味にはあまり期待していないようだが。

 

「まあ、好き嫌いはあるだろうが、一回は飲んでみるといい。ただし、飲みすぎるなよ?」

 

「……分かっているわよ」

 

 ばつが悪そうに目を逸らすルイズを尻目に、立ち止まる。ちょうど部屋の前だ。ゆっくりとノックをする。

 

「……は、はい。ちょっと待ってください……」

 

 言葉は聞こえてくるが、すぐには開かない。まあ、片付けるものでもあるんだろう。書類が山積みになっているだけに、その辺りは仕方がない。

 

「……珍しいこともあるのね」

 

 何かを考えながら、ポツリとルイズが呟く。

 

「仕事が忙しかったんだろう。その辺りは仕方がない」

 

「……そうね」

 

 何か思うことがあるのか、ルイズの声には含みがあった。

 

 そうしてしばらく待って、ようやく扉が開いた。

 

「お待たせしてすみません。あの、準備はもう整っていますから、どうぞ入ってください」

 

 申し訳なさそうにしているエレオノールが、右手で部屋へと促す。

 

「そんなに待ってはいないさ。それに、米の酒というのは楽しみにしていたからな」

 

「そうですか。――そう言ってもらえると嬉しいです。じゃあ、入ってください。道具もお酒に合わせて色々と揃えてみたんですよ。私が準備したので、もしかしたらおかしな所があるかもしれませんが」

 

 嬉しそうに、少しだけ自慢げに口にする。俺も、日本酒というのはたまたま珍しいものをということなんだろうが、やはり楽しみだ。

 

「――シキ、楽しみにしていたものね」

 

「そうだな。ルイズも気に入ってくれればいいんだがな」

 

「…………なんで、ルイズが?」

 

 ルイズを見て、今気づいたとばかりに呟く。心なしか表情もこわばっているような気がしなくもない。

 

「まずかったか? てっきり誘うつもりだと思っていたんだが……」

 

「――あ、いえ……。ただ、明日からも普通に授業がありますし、遅くまでというのはまずいかなぁと思っていて……。でも、そうですよね。せっかく珍しいものなんですし。――ルイズ、あんまり遅くまでは『絶対』に駄目よ?」

 

「あ、はい……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――シキさん、どうぞ」

 

 そう言ってエレオノールが徳利を手に、お猪口に注ぐ。道具までといってもどんなものがと思っていたが、なかなかどうして、徳利、お猪口と一式がきちんと揃っている。まあ、金髪の女性がという部分には違和感があるが、そこはご愛嬌といったところか。持ち方がどこかぎこちないのもまたそうだ。

 

「ありがとう」

 

 指先でお猪口を傾け、素直に受ける。

 

「――返杯、というんだったかな?」

 

 お返しということで徳利を受け取り、同じように注ぐ。エレオノールもまた、見よう見まねで、ただしこちらは両手で包むようにしながら。

 

「ありがとうございます。でも、面白いですね。手に入れたときに器が小さいと思ったんですけれど、こういう意味があるんですね」

 

 ワイングラスに比べればはるかに小さなお猪口を手に、楽しそうに笑う。小さいから、何度もお互いに注ぐことになる。酌み交わすという意味では、ワイングラスに比べてはるかに小さなお猪口は都合がいい。

 

「ルイズはどうだ?」 

 

 すぐ隣で小さなお猪口を両手に持ったルイズに視線を向ける。

 

「うん? んー、温めて飲んだりだとかは初めてだけれど、これはこれで面白いのかなぁって。ちょっと強いけれど、少しずつ飲む分には気にならないし。……ただ、チーズとかはちょっと合わないかも」

 

 ルイズがちらりと視線を移す。その先には、テーブルの中でチーズなどが盛られて唯一違和感を出している皿がある。

 

 確かに、それはあるかもしれない。道具は揃っているが、つまみにはワインと同じものが準備されている。まあ、この酒自体が珍しいのだから、そうそう手に入るものでもないだろう。それに、いかにも日本酒の友といったものがあったら、それはそれで違和感がある。アンバランスというより――そこまでいくとシュールだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ルイズ、あなたはそろそろ寝なさい。この前みたいに二日酔いになるわけにはいかないでしょう?」

 

 酌み交わすということを何度かお互いに繰り返して、エレオノールが優しく諭す。本来ならあまり人に言えたことではないのだろうが、まあ、そこは言わぬが花だ。

 

「……はい。じゃあ、シキ、そろそろ寝ましょうか」

 

「まあ、授業があるのに二日酔いになるのはまずいしな。この前と同じになるととても授業どころじゃない」

 

 ルイズが腰を上げたのに続いて、テーブルに手をつく。 

 

「――え? あ、あの、シキさんもですか? ……その、一人で飲むのも寂しいですし、えーと、できたら……」

 

 しどろもどろにチラチラとこちらをうかがう。

 

「……せっかく、だからな」

 

 一旦は浮かせかけた腰を落とす。

 

「じゃあ、私も……」

 

「あなたはもう寝なさい」

 

 私もと言いかけたルイズに、間髪いれずにエレオノールの声が重なる。

 

「……う……でも『いいわね?』……はい」

 

 こういう場面ではどうしてもルイズは勝てない。諦めたように席を立ち、とぼとぼと入り口へと向かう。そうして部屋を後にする前に、名残惜しそうに振り返る。

 

「……シキ、早めに戻ってきてね。……待ってるから」 

 

 それだけ言うと一瞬だけじっと俺の目を見つめ、出て行く。扉を閉める音もなんだか寂しげだ。

 

「……ちょっと可哀想、だったかな」

 

 まだ残りたそうだったし、飲みすぎなければ問題なかったような気がしないでもないのだが。

 

「……それは、そうかもしれませんが、やっぱり教える側としては、その……良くないですし」

 

 さっきまでとは打って変わって、気弱げに俯く。

 

「まあ、確かに飲みすぎはまずいしな。この前は二人とも、な」

 

 少しだけからかってみる。

 

「……え、あ、その……その節は……ご迷惑を、おかけしました」

 

 真っ赤になったまま目を泳がせる。こういう反応は珍しい。つい、もう少しからかってみたくなる。普段が普段なだけに、少女のようで可愛らしい。そんな風に言ったら、いったいどんな反応を返してくれるだろう?

 

「あのときのことは忘れてください。今日はそんなことありませんから。」

 

 早口でまくし立て、とにかく飲めとばかりに注ぐ。勢いあまってこぼしてしまうというのも、動揺しているというのがはっきり分かって面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございます。じゃあ、私も」 

 

 ルイズが帰ったあとも、お互いさしつさされつ。器が小さいからこそこんなことができると思うと、なるほどよくできたものだ。東方からのものは、変わってはいても、それぞれに意味がきちんとあって良くできているという評価もうなづける。さっきまではこんなことを考える余裕もなかったけれど、そんなことを繰り返しているうちにようやく落ち着いた。

 

 ――が、今日の目的はお酒を飲むことじゃない。いや、もちろんこれはこれでいいんだけれど……とにかく目的は別にある。だからこそルイズも早めに帰したのだから。

 

 でも、お酒の勢いがあればというのもあったのだが、なかなか思うようにはいかない。何度か言おうとしたのが、どうしても最期の一歩が踏み出せない。まさか自分にこんな少女のような面が残っているとは思わなかった。

 

 お開きになる前にと心は逸っても、最期の一歩が踏み出せない。今になって、もし駄目だったらという想いが胸をつく。このままの関係というのは嫌だけれど、それさえもなくなるというのはもっと嫌だ。その想いが告白しようとするのを邪魔する。

 

 

 

 

 

 

 

「――もう空か、そろそろ遅いしな」

 

 徳利をテーブルに置くと、コンと最初に比べて随分と軽い音がする。随分と軽くなってしまっていた最期の徳利も、エレオノールに注いですっかり空だ。それに、徳利もお猪口も一つ一つは小さいとはいえ、これだけ飲めばそれなりの量にはなる。

 

「そ、そうですね……」

 

 エレオノールが小さなお猪口を両手に俯く。

 

「あ、あの……」

 

「ん?」

 

「……や、やっぱりいいです」

 

 ルイズが部屋へと戻ってから、これで何度目になるか分からない。何かを言いたそうにしては止めるということは。

 

「……う……、その、ちょっと待っていてください」

 

 そう言うと席を立ち、何かの薬品が並べてある棚へと向かう。結構な量を飲んでいるからと心配したのだが、今回は足取りがしっかりしている。むしろ、いつもより力強いとさえ感じる。

 

 そうして棚の前に立ち、少しだけ動きを止めてから手前にあった瓶の蓋を開けて一気にあおる。

 

「……ちなみに、今のは何なんだ?」

 

 さっきの棚は薬品棚だったはず。自分で作ったものがほとんどだと言っていたから心配はないだろうが、酒と薬を一緒にというのは良くないと聞いたことがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今の薬、ですか?」

 

 空になった瓶を置いて、くるりと振り返る。シキさんが良く見えるように。

 

「今のは、ですね……」

 

 ゆっくりと足を進める。少しだけ、足元が覚束ない。お酒と一緒というのは、まずかったかな? そんな様子を見たからか、シキさんが席を立ってこちらへと歩いてくる。やっぱり、シキさんは優しい。

 

「生徒に作ってあげた、薬の残りで……」

 

 シキさんが肩を支えてくれたから、素直に寄りかかる。一旦は胸に顔をうずめて、もう一度顔を上げて言葉を続ける。名残惜しいけれど、ちゃんと言わないと。その為に飲んだんだから。

 

「自分に正直に、なれるんですよ」

 

 覗き込むシキさんの唇と自分の唇を合わせる。前とは違って、お酒の匂い。でも、ちゃんとキスするのは初めてかな。名残惜しいから、離れたくない。でも、言わないと。順番が逆な気がするけれど、まあ、いいや。ゆっくりと唇を離す。

 

「――シキさん」

 

 シキさんを見上げる。

 

「……ああ」

 

「私、シキさんのことが好きです。こうやって薬を使ってでも言いたいし、寝ているシキさんにキスしたりするぐらい、好きです」

 

「…………」

 

「シキさんには、私はどんな風に見えていますか? 気ばっかりが強くて、可愛くない女ですか? そんな女は……嫌いですか?」

 

 ずっと聞きたかったことだ。今なら言える。やっぱり恥ずかしいけれど、言える。

 

「……そんなことはない。いつも真っ直ぐで、気が強いと気にしたりしているのは、十分可愛らしいと思う」

 

「――可愛い、ですか? ……本当に?」

 

 そんなこと、言われたのはいつ以来だろう。本当に嬉しい。

 

「ああ、嘘じゃない」

 

 じっとシキさんを見てしまう。でも、シキさんなら嘘はつかない。なら……

 

「……じゃあ、こっちに来てください」

 

 シキさんの手を取って引っ張る。テーブルの脇を抜けて、足元にまだ残っている荷物を避けて……

 

「……ベッド……」

 

 それを見てシキさんが呟く。

 

「……改めて口に出さないでください。恥ずかしいものは、恥ずかしいんですから」

 

 ここまで引っ張ったのは自分とは言え、恥ずかしいものは恥ずかしい。とてもシキさんの顔を見れない。火がついたように顔が熱い。

 

「……あの人とは、その……したんですよね。私とじゃ、嫌ですか?」

 

「そんなことはない。……ただ、それでいいのか? その、別の女と関係を持っているのに……」

 

 少しだけ顔を逸らす。

 

「……嫌ですよ。でも、好きなんだからしょうがないじゃないですか」

 

 もちろん嫌だ。でも、それ以上に好きなんだからどうしようもない。シキさんの手を握ったまま、ベッドに倒れこむ。もちろん、シキさんと一緒に。私が仰向けになって、シキさんが覆いかぶさるように。

 

「……ここまでさせたんですから、これ以上恥をかかせないでください。私は、シキさんのことが好きです。それじゃ、駄目ですか?」

 

 シキさんの返事は、キスだった。シキさんからは、初めてだ。それが、どうしようもなく嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと唇を離す。離れてといっても、目と鼻の先の距離だ。何せ、組み敷くような格好なのだから、それ以上離れようがない。目の前にはエレオノールの顔がある。少しだけ髪が乱れて、酒のせいか、薬のせいか、いつもより険のない表情で。ただ、すこしだけ緊張を見せながら。

 

「あ、あの……私、初めてで」

 

 エレオノールが恥ずかしそうに視線を横へと向ける。

 

「ああ、知っている。できるだけ優しくする」

 

 処女と、というは初めてだ。痛いものだというのは何度も聞かされている。だから、それを忘れるわけにはいかない。

 

「……変ですよね。この歳で初めてなんて。もうとっくに結婚していてもいい歳ですし……」

 

 ポツリと呟く。正直になるという効果か、よっぽど気にしていたんだろう。今日は隠そうという気が全くないようだ。

 

「そんなに気にすることでもないさ。俺のいた世界では30でというの珍しくなかったからな」

 

 言ったところで下からギュウと頬をつねられる。

 

「……まだそこまではいってないです」

 

「……悪かった」

 

 歳のことを、本当に子供っぽい仕草で口にしているというのが、どこかおかしかった。

 

「――とにかく、優しくするから心配しないでくれ」

 

「……はい。……あ、明かりを」

 

 ルイズの部屋の仕組みと同じなんだろう。指を振って消そうとするのを押しとどめる。

 

「別に消さなくてもいいだろう。消しても、意味がないからな」

 

「……シキさんがそういうのなら、別にいいです。えーと、その……お願いします」

 

「任せてくれ」

 

 つい笑みがもれる。普段とは打って変わって、素直で可愛らしい様子に。

 

「……ん……」

 

 可愛らしくて、ついキスをしたくなる。そのまま、スカートへと右手を伸ばす。一瞬エレオノールが止めようとしたが、すぐに力を抜く。

 

 スカートのサイドのフックをはずし、中へと手を差し入れる。一つ一つの動作の度に身じろぎするが、今度は抵抗しない。太腿の上から指でなぞる。そしてそのまま、下着へ指を当てる。形をなぞるように指を何度も往復させる。そのたびに身を震わせて、もどかしそうだ。今度は周りではなく、中心へと。

 

「――ん……。あ、へ、変な声を出して済みません」

 

 口元を両手で押さえる。もしかしたら、自分で触ったこともないのかもしれない。

 

「自分で触ったことは?」

 

 今度は下着の中へと指を滑り込ませ、直接触れる。少しだけ強く、輪郭をなぞるように。

 

「……んっ。な、ないです、そんな所、触る必要もないですし」

 

 自分の反応にも驚いているのか、戸惑いながら答える。そんな反応が可愛くて、つい少しだけ意地悪をしたくなる。

 

「――たとえば、こんな風に」

 

 何度も何度もこするように触れる。口を両手で押さえているから声は出さないが、分かりやすいぐらいに体は反応してくれる。触れるたびに体を震わせ、だんだんと湿ってきた。これならばと今度は指を下へ滑らせ、差し入れる。初めてだけあって、これぐらいでは足りないんだろう。人差し指だけなのに拒むように締め付ける。一本だけで一杯になってしまったように錯覚するぐらいに。それでも少しずつなら動かせる。少しずつ、少しずつ指を前後に動かす。少しずつ奥にまで進めることができるようになる。

 

 やがて、湿った音が聞こえてきた。

 

「……あ、あの……」

 

「何だ?」

 

 動かす指はそのまま、問いかけに応える。

 

「えーと、その……変な音が……するんですけれど……」

 

「……これか?」

 

 クチュリと、わざと一際大きな音がなるように指を動かす。それと同時に今まで以上に体をのけぞらせる。

 

「そ、そうです。あの、……私どうなっているんでしょう」

 

 荒い吐息で、答える。慣れない感覚と、音が恥ずかしくてしょうがないんだろう。

 

「――なら、自分で確かめてみるといい」

 

 エレオノールの左手を掴み、先ほどまで触れていた部分に、下着の上から触れさせる。もう下着の上からでもはっきりと分かるぐらいに濡れている。

 

「う、うえ? な、なにこれ?」

 

 よっぽど驚いたのか、すぐに手を戻そうとするがそれでは面白くない。戻そうとした手を掴み、自分がしていたのと同じように触れさせる。下着の上からだが、こうなると下着の上からだろうがなかろうが関係ない。

 

「――ドロドロだろう?」

 

「な、なんでそんな恥ずかしいことを言うんですか!?」

 

「恥ずかしいも何も、自分の体じゃないか」

 

「そ、それはそうなんですけれど……、なんと言うか……」

 

 よっぽど恥ずかしいのか、その場所を両手で隠そうとする。目にはうっすらと涙も浮かんでいる。が、この涙は逆にいじめたくなる。普段とのギャップが、なおさらそれをあおる。

 

「手をどけてくれないと続きができないんだが」

 

「……意地悪、です」

 

 表情から理解したんだろうが、しぶしぶといった様子で手をどける。

 

「そろそろ下着も脱がないとな」

 

「うえええええ!? ぬ、脱ぐんですか? い、嫌です。恥ずかしくて死んじゃいます!」

 

 いやいやと激しく首を左右に振る。

 

「――それだと続きができないな。……止めるか?」

 

 もちろんここで止める気などない。止められる男がいるのなら見てみたいものだ。いや、止められるのなら男ではない。

 

「……う……く……そ、それは……。わ、分かりました。脱ぎます……」

 

 恨めしげにこちらを睨みながら、しぶしぶと下着に手をかける。

 

「……そ、そんなにまじまじと見ないでください」

 

 両手で目隠しをしようと、顔に押し当ててくる。

 

「分かった。脱いでいる間は見ない。約束する」

 

「……本当ですね? 本当ですよね?」

 

「ああ、約束する」

 

 言いながら目を閉じる。これくらいは妥協しよう。

 

「……約束、ですよ? 絶対見ないでくださいね」

 

 見ないというのを確信できたのか、衣擦れと、脱ごうと身じろぎする音がする。

 

「……うあ……この下着……もう使えない……」

 

「もう「駄目です!!」……そうか」

 

 更に衣擦れの音が続く。多分他の衣服も脱いでいるんだろう。

 

「も、もういいですよ」

 

 声に目を開けると、頭から毛布をかぶったエレオノールがいる。見られるというのが一番恥ずかしいんだろう。

 

「……シキさんも入ってください」

 

 毛布の片端を持ち上げ、促す。

 

「……スカートも脱いだんだな」

 

 毛布の中をちらりと見て、口にする。肝心な部分はしっかりと手で隠したままだったが。

 

「その、邪魔になりそうでしたから……。脱がない方が良かったですか?」

 

「いや、脱いでいた方がいい」

 

 言葉と同時に、左手で肩を抱き、さっきまで触れていた場所に直接触れる。スカートも下着も脱いだおかげでやりやすい。最初と同じように形をなぞるように触れ、それから一番反応の良かった部分に触れる。ただし、今度は少しだけ強く。そして、その下へと指を滑らせる。一本、二本……

 

 やはりまだきついが、さっきとは違って指二本ぐらいならなんとか入る。前後に動かせば奥の方にまで。動かすたびに息が漏れる。声は出さないようにと必死に押さえているのがよく分かる。

 

 ならばと、つい声を出させてみたくなる。さっきまではどうしても遠慮があってゆっくりとしか動かせなかったが、この様子なら大丈夫だろう。前後に動かしていた指の動きを早める。クチュクチュとはっきりと音が聞こえるぐらいに。

 

「……ふ……あ……や、やめ……」

 

 ギュウと力いっぱい抱きついてくる。そして指を動かすたびに体を痙攣させる。それでも構わず、むしろ、指の動きを早める。やがて一際体を大きくふるわせ、ギュウと締め付ける。

 

「……あ……ぐ……」

 

 指の動きを止めてもびくびくと体を振るわせ、力も抜けてしまった様子で、息も長い。抱きついていた腕からも力が抜ける。

 

「……何か……変です。力が、抜けちゃって……」

 

 荒く呼吸しながら、さっきまで力一杯抱きついていた腕も投げだす。隠そうという気も起きなくなったのか、足も投げ出した状態で。

 

「――どうだった?」

 

 髪を梳くように撫でながら問いかける。

 

「……ん……あんなの、初めて、でした。すごく気持ちよくて、どうにか……なっちゃいそう……で……」

 

 すっかり力が抜けてしまったのか、声を絶え絶えだ。そのうちスー、スー、と寝息も聞こえてくる。

 

 

 

 

「……寝息?」

 

 

 

 

 

「……そうか、寝たのか。……そうだな。仕事で疲れていて、あれだけ飲めば、仕方ないか。……仕方ない、な」

 

 寝顔に目をやれば、幸せそうに寝ている。とてもではないが、起こそうという気にはならない。――ならないんだが。

 

「――俺はどうすればいいんだ?」



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第17話 As You Wish

「――ん……」

 半ばまで毛布で隠れてしまっているが、ちょうど目の前にエレオノールの寝顔がある。右腕を枕に、抱きつくように体を預けてくるというのは、姉妹だけあってルイズと良く似た仕草だ。
 顔立ちなどはるかに大人びてはいても、それでも良く似ている。二人とも起きているときはしばしば険のある表情をしているが、寝ているときは無邪気なものだ。

 それが本来の表情なのかもしれない。ただ、二人ともなかなか周りには見せてくれないだけで。それを自分だけが独り占めにできるというのはどこか優越感を感じる。緩くウエーブのかかった髪に指を通すとふわふわと、色は違えど、これもまたルイズと良く似ている。

 ――それを思えば、一緒に寝て、それで何もしないのは別に変なことじゃない。

 それに、柔らかな髪に指を通す感触は好きだ。指の間をさらと髪が流れていくのは気持ちがいい。ルイズやエレオノールの髪は良く手入れされていて、どんなに最上級の織物だって勝てないだろう。




 

「……ん……ぅ……」

 

 エレオノールがもう一度身じろぎする。窓の方に目をやれば、カーテン越しながらうっすらと床に朝日が刺し込んでいる。

 

 ――長かった夜も、ようやく明けた。

 

「――そろそろ起きるか?」

 

 ちょうどすっぽり腕の中に納まったエレオノールが、ゆっくりと目をしばたたかせる。

 

「……い……や……」

 

 それだけ口にすると、ギュウと抱きつく腕に力を込める。

 

「――そうか。最近はろくに休めなかったみたいだからな」

 

 さっきまでと同じように頭を撫でると、くすぐったそうにはにかむ。まるで子供のように。きっとこんな表情を見たのは俺か――さもなくば子供の頃を知っている両親ぐらいなものだろう。そう思うと、なんだか嬉しくもある。それだけ何の衒いもなくということだから。

 

 そのまま、二人でまどろむ。こういう時間を誰かと過ごすというのは、とても贅沢だ。

 

 

 ――が、そういう時間ほど長くは続かないものだ。いきなり毛布を跳ね上げ、エレオノールが起き上がる。顔を真っ赤にして。

 

 もしかしたら、昨日以上に赤く染めて。

 

「どうした?」

 

「……ああああ、あ、あの……。き、昨日は……」

 

 そこまで言うと更に顔を染め上げ、起き上がったときと同じぐらいの勢いで毛布に包まる。

 

 手を差し入れ、毛布を少しだけずらそうとすると――噛まれた。結構な力で。

 

「……………………落ち着け」

 

今度は噛まれないように、注意を払って。めくってみると両手で顔を覆い、泣いている。

 

 落ち着かせようと、抱きしめる。最初は身を硬くしたが、さっきまでと同じように頭を撫でるにつれ、徐々に力を緩める。

 

「どうしたんだ、いきなり?」

 

 頭を撫でながら、できる限り優しく問いかける。

 

 エレオノールがおずおずとこちらに目を向ける。恥ずかしさと、申し訳なさとがない混ぜになった目を。

 

「……ごめんなさい」

 

 ポツリと呟く。

 

「……ああ、そういうことか。初めてなんてそんなものだろう」

 

「で、でも……。私、自分だけ……」

 

 そこまで言って俯く。昨日のことを気にしてしまっているんだろう。

 

 右手でエレオノールを顔をあげ――口付ける。

 

「最初は、これだけでも十分じゃないか?」

 

 そう笑いかけると、さっきとは別の意味で恥ずかしそうに俯く。

 

「なら、そろそろ起きようか? いつまでも二人でというわけにはいかないだろう?」

 

 そう言って腰を浮かせようとした所で、服のすそを引っ張られる。

 

「……良かったら」

 

「ん?」

 

 俯いたままのエレオノールに向き直る。

 

「……その、……今からでも続き、してくれませんか? ……良かったら、ですけど……」

 

 そこまで言ってもう一度毛布をかぶってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左手で書類を抱えたまま、軽くノックをする。

 

「私です。昨日受け取った分が終わったので」

 

 片付いた分を渡すのと、新しい分を受け取るためだ。

 

 すぐに返事が返ってくる。声も随分と機嫌がよさげだ。部屋に入ると実に楽しそうに受け取りにくる。表情もニコニコというのがふさわしいぐらいで、まるで別人だ。

 

「何かいいことありました?」

 

「え、大したことじゃないですよ」

 

 言いながらも幸せそうな表情は変わらない。ただ少しだけ歩き方が違う。もしかして……

 

「――昨日はどうでした? うまくいきました?」

 

 少しだけカマをかけてみることにする

 

「え!? う、うまくというか……。わ、分かりません!! 初めてなんですから!!」

 

 いっきにまくし立てる。

 

 ――ふうん、やることが早い。

 

 ――どっちも。

 

 それにしてもいきなりそこまでいくとは思わなかったなぁ。

 

「そうですかー、もうしちゃったんですねー。わー」

 

 ちょっとだけジト目で見ながら。

 

「……う、うう。そんな目で見ないでください」

 

 一応は罪悪感を感じているようなので、からかうのはこれぐらいにしておこう。

 

 ――今の所は

 

「まあ、それはそれとして、どうでした?」

 

「え? そ、その、人に話すようなことじゃないですし……」

 

「あら、こういうことは女同士、話すものですよ? 多少はアドバイスできますし、男の人の喜ばせ方はそうやって情報収集するものですから」

 

「そ、そうなんですか? ……で、でも確かに、そんなこと本には……」

 

 そのままあごに手を当てて考え込む。

 

 ……嘘は言っていない。そんなことが描いてある本なんて普通はないし、女同士で話すというのも本当だ。

 

 問題があるとすれば、貴族の矜持がどうこうというものぐらいだろうか。だが、むしろ貴族の方がこういう話が好きだったりするものだ。だから、問題はない。

 

「――どうします? やっぱり恥ずかしいでしょうから無理にとはいいませんけれど」

 

 うんうんと悩んではいるが、ここまで来たら答えは決まっている。

 

「や、やっぱりお願いします。その、シキさんにも喜んで欲しいですし……」

 

 えへへと可愛らしく笑いながら。

 

「――お安い御用です」

 

 本当に可愛い。これは色々と教えてあげないと。

 

 ……ええ、色々と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――他にも口でしたりとか」

 

「え!? ……く、口で……。そ、そんなことまで……」

 

 

 

 

 

「――あと……、好きな人は好きなんですけれど……」

 

 

 

 

 

 

「む、無理です!! それだけは絶対に無理です!! シキさんでもそれだけは駄目です!!」

 

「まあ、無理にするものじゃないので」

 

 ちょっとぐらい悪戯をしてもばちは当たらないはず。なんていったってライバルだし、案外シキさんもそういうのが好きかもしれないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――シキさん」

 

「ん? なんだ?」

 

「え? あ、その――用というわけじゃないんですけれど……」

 

 手持ちぶたさに指を絡ませ、尻すぼみに。

 

「えっと、その、ですね。今夜……」

 

 うー、と唸るようにこちらをじっと見る。

 

「――別に何も予定していないが」

 

「本当ですか!?」

 

「ああ、まあ……」

 

「じゃあ、良かったら私の部屋に来てください!」

 

 それだけ言うとパタパタと駆けていく。そして、やおら振り返って

 

「――待ってますから」

 

 照れたようにそれだけ言うと、またパタパタと駆けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――へぇ。もう自分から。人間、変わればかわるものですね」

 

 カラカラと笑う。「色々と教えた甲斐があるというものです」――というのは聞こえなかったことにする。

 

「でも」

 

 そっと体を預けてくる。

 

「何もせずにただ一緒にっていうのも、ものすごく贅沢ですよね」

 

「――あ、もちろん……やっぱりはっきりと口に出すのは恥ずかしいですけれど、その、私も好きですよ? だから……最期まで言わせないでくださいね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ねえ、シキ今日は一緒に寝られるのよね?」

 

 ここ最近は毎日の日課になった質問をシキにぶつける。

 

「……今日は、ちょっと用事が」

 

 気まずそうに口にする。

 

「……ふうん、今日「も」いないんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今日も一人かぁ」

 

 ごろんとベッドに倒れこむ。やっぱり一人だと広すぎる。最近は一人で寝ることも多くて、その度に感じる。

 

 シキが今日、どちらの部屋にいるのかは知らない。でも最近は週の半分はどちらかと一緒だ。直接的には言わないけれど、私だって子供じゃない。どういう関係になっていて、男女二人で何をしているかぐらいは分かる。

 

 お姉様とミスロングビル二人というのはどうかと思うけれど、複数とというのはそう珍しくもない。甲斐性さえあれば――そうとやかく言うものでもない。なにより、二人があまり気にしていないようだから。

 

 たまにどちらをと迫ることもあるけれど、どちらかというと二人もただ困らせるのを楽しんでいるようだ。なんだかんだで皆楽しんでいる。

 

 ――私以外は

 

 私はたぶん、シキのことが好きだ。シキは優しいし、頼りになるし、いつだって一緒にいたい。でも、シキに対する好きってどういうものなんだろう? そう考えるとよく分からなくなる。

 

 たとえば肉親に対する親愛のようなものなのか……、それとも、お姉様たちと同じ、愛情なのか。よく分からない。兄のようにも思っている。でも、初めて抱かれるならと思うと、シキ以外頭に浮かばない。他の人なんて考えられない。

 

 結局、私はどうしたいんだろう。今までは独り占めできたけれど、今は違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ま、待ってくれ。誤解だ」

 

「へえ、何が誤解なの? あなたがあの子を見てたのは間違いないと思うんだけどなぁ。違うの?」

 

 ふと、最近聞きなれたやり取りに目をやれば、ギーシュとモンモラシーだ。最近ようやくよりを戻したみたいだけれど、こういうやり取りはやはりなくならないようだ。どうせなら、シキたちもあんな感じでもめればいいのに……

 

「……い、いや、見ていたのは見ていたんだけれど。その、つい、可愛い子がいると条件反射で見ちゃうんだ」

 

「……ふう。ねえ、ギーシュ。何度も言っているでしょう? あなたがそういう人だっていうことはよーく分かってるわ。でもね。二人でいるときぐらいは――」

 

 ゆっくりと拳を握る。

 

「止めろって、言ってるの!!」

 

 言葉と同時に拳がギーシュにめり込む。

 

「……いい加減懲りて頂戴」

 

 ふん、ときびすをかえすと、くず折れたギーシュをそのままに歩き去る。

 

「――ばかねぇ」

 

 全部がそうなんだけれど、少しぐらい隠せばいいのに。いつものこととはいえ、ちょっと哀れだ。自業自得だから可哀想だとは思わないが。でもまあ、多少は言ってあげるのが情けというものだろう。

 

 

 

 

 

 

「ねえ、ギーシュ、生きてる?」

 

 足元に転がったギーシュに声をかける。

 

「……なんとか」

 

 よろよろと立ち上がる。結構いいのをもらっていたが、さっきのやり取りを見る限りいつものことなんだろう。

 

「さっきのやり取りをちょっと聞いちゃったんだけれど、もう少しうまくやれないの? あんまりいいことだとは思わないけれど、もう少し隠すとかあるでしょう」

 

「――できないんだよ」

 

 ポツリとつぶやく。

 

「何言って……。って、ちょっと、何で泣いているのよ!?」

 

「僕だって、僕だってこんなことになるなんて思わなかったんだよ」

 

 そういうギーシュの目には大粒の涙が浮かんでいる。まるで一生の不覚とでも言わんばかりに。

 

「もう、何があったのよ。話ぐらいは聞いてあげるから」

 

「……うぅ。実は……」

 

 

 

 

 

 

 

 ――知っての通り、僕はギーシュ。女性皆を楽しませる為にいる、バラのような男さ。

 

 聞くのを止めるわよ?

 

 ま、待ってくれ。話はこれからなんだから。

 

 とにかく、ちょっと失敗することもあるけれど、そのことに関しては誇りを持っているんだ。ただ、最近困ったことになっていてさ。

 

「ギーシュ、私のことを本当に好きならこれを飲んで」

 

 そうモンモラシーに薬の瓶を突き付けて言われてさ。最初は毒かと思って焦ったよ。本気で逃げようかとも思った。でも、「別に毒なんかじゃないし、私のことを本当に好きなら害はない」そう言ってモンモラシーが半分飲んだんだ。そこまで言われたら、さすがに飲まないわけにはいかなくて、その場の勢いで飲んじゃったよ。

 

「本当に好きな相手に正直になる」

 

 飲んだあとでそれを聞いたよ。僕がモンモラシーのことを本当に好きかどうかを知りたかったっていうことだから、少し困るけれど、それならそれでいいやって思ったんだ。不安にさせたのは僕のせい、それなら仕方がない。

 

 それに、もし他の女の子に目を奪われた時、本当に好きなのはモンモラシーだってことを分かってもらえるのなら、それぐらいやすいものさ。

 

 ――そう思ってたんだ。

 

 

 

 

 

 

 ――あ、あの子可愛いな

 

そばを通り過ぎていった、緩くウエーブのかかったロングの髪の子、ついそっちを見ちゃったんだ。

 

「ねえ、ギーシュ。今あの子に見とれていたわよね?」

 

「見てました。――すいません、許してください。僕、条件反射で見ちゃうんです」

 

「――毎回言っているわよね。デート中はそんなことしないでって」

 

 その時からさ。モンモラシーから手が出るようになったのは。

 

 

 

 最初はさ、遠慮もあったんだ。それが毎日毎日続くうちに的確、かつ破壊的になってきたんだ。君も見ていたから分かると思うけれど、さっきのなんて、しっかり腰の入った良いパンチだったよね? 僕も見る側だったら、きっと見ていてほれぼれするぐらいさ。

 

 

 

 それでさ……

 

 

「僕どうしたらいいのかなぁ!? つい見ちゃうんだよ、本能なんだよぉ!? このままだと僕、いつか死んじゃうよ!!」

 

 足元にすがりつき、必死の形相で訴えてくる。実際、毎回毎回やられても直らない。本当に本能なんだろう。ついこのまま踏みつけたくなる。だが、馬鹿馬鹿しいが、ちょっと可哀想にも思えてくる。

 

 

「……分かったわよ。モンモラシーにちょっと控えるようにぐらい言ってあげるわよ」

 

「ほ、本当かい!? 頼むよ! いや、お願いします!!」

 

 もうそのことに関してはプライドがないのか、その場で土下座の体勢を取る。よっぽど辛いんだろう。確かに可哀想になってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ねえ、モンモラシー、ギーシュのことなんだけれどちょっといいかしら?」

 

 あまり人に聞かれてもいい話ではないので、ちょうどモンモラシーが一人になったところで話かけた。おあつらえ向きに、人通りも少ない場所でもある。

 

「なあに、ギーシュがどうかしたの?」

 

 さっきギーシュを思いっきり殴ってストレスはなくなったんだろう。不機嫌になるかと思いきや、そんな様子は一切ない。ちょっと拍子抜けだ。

 

「……えーと、どうしたというか、さっきのやり取りを見ていたんだけれど。ちょっとやりすぎかなぁって」

 

「あら、だっていくら言っても聞かないんだもの。それに、ああすれば私もストレスを解消できてそれでおしまいにできるじゃない」

 

「……まあ、そうね。実際言っても治らないものね。本人も本能だって認めていたし」

 

「でしょう?」

 

 ――いやいや、説得されちゃ駄目じゃない。

 

「で、でも……。そう、「正直になる薬」って、言葉はいいけれど、そういうのってやっぱりまずいじゃない。そういうものを使うのはどうかと思うの」

 

 「正直になる薬」、それを聞いて一瞬焦った表情を浮かべる。でも、「ルイズなら問題ないか」とすぐに元に戻る。

 

「私もどうかなって最初は思ったけれど、あの薬ってね、もとから好きな相手にしか効果がないの。だから惚れ薬みたいなものとは違うわ。それに、それってあなたのお姉さまにもらったのよ? 本当、感謝しているわ」

 

 お姉さまに、そう聞いてふと思いつくことがあった。ギーシュのことよりもとても重要なことだ。

 

「ちなみに、何時ごろもらったの?」

 

「……ええと、何時だったかな? 2週間ぐらい前だったと思うけれど」

 

「……そう」

 

 ――ちょうどお姉さまがおかしくなり始めたぐらいだ。

 

 正直になる、まさに今のお姉さまの状態。多分――いや、絶対に自分でも飲んでる。そうでないとあのプライドの塊のようなお姉さまが……

 

 

 

 

 

 ずんずんと廊下を歩いて行く。お姉さまの部屋へと行くのはいつもならしり込みするところだけれど、今回ばかりは違う。だから、歩くのにも自然、力がこもる。おかげで、いつもの半分ほどの時間でお姉さまの部屋の前までたどりついた。いつもなら扉の前に来てもノックするまでに時間がかかるけれど、今日ばかりは違う。

 

 ――コンコンコンコンコン

 

 ……ちょっと叩きすぎた。

 

「……だ、誰!?」

 

 普段ならこんな呼び出し方をされたらその場で怒り出しそうなものだが、今回に限ってそんな様子はない。

 

「私です」

 

「……ちょっと待っていなさい」

 

 しばらくしてようやく鍵が開く。

 

「な、なんのようかしら?」

 

 半分だけドアを開けて、なぜか遠慮がちに口にする。もしやと思って覗き込もうとすると、体でさえぎられた。

 

 ――まあ、大体分かった。

 

「――単刀直入に言います。モンモラシーに渡した薬の解毒薬をください」

 

 それで全て解決する。ギーシュのことも、何より、お姉さまのことも。

 

「……確かに私が作ったんだけれど、どうしても必要なの?」

 

 作った人間まで知っているということで引け目を感じているのか、いつもに比べて随分と弱腰だ。たぶん、お姉さまが飲んでいるのも間違いないだろう。

 

「ええ、すぐにでも」

 

 ――お姉さまに飲ませないと。最近のお姉さまは「本能」にまで正直になり始めているし。

 

「……すぐには無理よ。材料の一つは手配しないといけないし」

 

 チラチラと私の反応を伺っているが、それぐらいで諦めるつもりなら最初から来ない。

 

「すぐに手配してください」

 

「別にそのうち効果も切れるし……分かったわよ、手配すればいいんでしょう?

 

 お姉さまも、私のお願いの視線に折れてくれたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「材料なんだけれど。ちょうど今手に入らないみたい。しばらくは無理そうだから我慢しなさい。ね?」

 

「ちなみに、何がないんですか?」

 

「精霊の涙よ。それが大本になるから、ないとどうしようもないの」

 

「じゃあ、取ってきます」

 

「ちょ、ちょっと、何言っているのよ!? 精霊の涙は契約を交わした水のメイジだけが手に入れられるものなのよ? だからあなたが行ったって……」

 

 お姉さまとしては色々な意味で行かせたくないだろうが、当てはある。

 

「――シキも一緒に行くから大丈夫です」

 

「え? なら私も……。何よ? なんでそんなに嫌そうな顔をするのよ」

 

 今度ばかりは思いっきりつねり上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひゅうひゅうと風が顔を撫でていく。竜籠には何回も乗ったことがあるけれど、今回はちょっと違う。直接竜の背中に乗っている。だから、風を直接体に受けることになる。もちろん、シキが目の前にいるから、そういった意味では随分と楽だ。

 

 今回は、私とシキとタバサ、そして私達を乗せてくれているシルフィードだけだ。タバサも私の頼みなら、シルフィードも行きたいということで二つ返事で引き受けてくれた。特にシルフィードは最近シキと仲が良いようで、よくじゃれている。

 

 ただ、それだけなら良いが、油断できない。韻竜ということで人間の姿になることもできるらしいし、平日には一緒に町に食べに行ったりしているようだ。ついでに人の姿になった時には胸も結構ある。

 

 ――別に、うらやましくはないけれど。

 

 ちなみに、お姉さまも行きたがったが、すぐに戻るということで遠慮してもらった。

 

「――ところで」

 

 シキが口にする。風で聞き取りづらいが、全く聞こえないというほどではない。

 

「何?」

 

「水の精霊っていうのは、どんな相手なんだ?」

 

 ――そう改まって何かと言われると難しい。

 

 直接見たことはないので本からの知識になるが、どうしても相手が相手なので抽象的なものになる。

 

「えーと、何と言えばいいのかしら……。生きた水っていうのが一番ふさわしいのかしら? 高い知能を持った優れた先住の魔法の使い手であると同時に、その体の一部が「精霊の涙」として秘薬の材料にもなるの。普通は先住の民とは相容れなかったりするんだけれど、水の精霊に関してはそういった理由から一定の交友もあるわね。でも、実際に会ったことがあるわけじゃないから……。ちなみにタバサは会ったことがある?」

 

 シキの前に乗っているタバサに声をかける。シキよりも離れているから、心持ち、声を大きくして。

 

「……一度見たことはある。けれど、同じ程度しか知らない」

 

 おそらく魔法を使って声を流したのだろう。別に声を張り上げた様子はないのに、風に邪魔されずにはっきりと聞こえる。もっと詳しいことを聞ければと思ったのだが、知らないものは仕方がない。

 

「会ってみれば分かるのね。だから、そんなこと考えても仕方がないのね。それに、もう湖が見えてきたのね」

 

 途中で割り込んで来たシルフィードの声に下を見てみれば、確かにもう見えてきた。馬だと休み無しで走らせても時間がかかるけれど、もう目に見える範囲で湖が日を反射しているのが見える。

 

 ……ただ何となく違和感がある。空の上からなんて見たことはないけれど、昔見た記憶よりもずっと大きい気がする。子供の時に見たのだから、むしろ小さく感じる方が自然なはずだが。

 

 高度を落として近づくにつれ、その違和感が確信に変わる。やっぱり広がっている。半ば水の中に木が立ち枯れているのだ。それも、古いものではない。少なくとも数年前は地上に生えていたはずだ。

 

 ゆっくりと旋回し、ちょうど湖の近くに開けた場所があったのでそこに降りた。地面に降りて見渡すが、やっぱり数年前までは地上だったと思しき場所まで湖の中に沈んでいる。

 

「――湖が広がるなんてこと、あるのかしら?」

 

 思わず口にするが、実際に目の前にあるのだから、そういうこともあると考えるしかない。それに、今は「精霊の涙」を手に入れることの方が重要、そして、今思ったのだが、そのことに問題がある。

 

「水の精霊にはどうやって会えばいいのかしら?」

 

 水の精霊と契約を交わした水のメイジが必要だということを考えていなかった。シキがいれば危なくなんてないと思っていたけれど、会えなければ意味がない。

 

「心配ないのね」

 

 そうシルフィードが口にする。そうか。韻龍もいわば先住の民のようなもの。だったら関係を持っていてもおかしくはない。

 

「水の精霊なら誰かが近づいたら分かるのね。だから、必要なら向こうから来てくれるはずなのね」

 

 えっへんとばかりに、人の姿なら胸を張っているんだろう体勢をとる。多分、シルフィードにそういうことまで期待してはいけないんだろう。

 

 が、言っていること自体は正しかったらしい。

 

「――そう。いわば湖そのものが我。必要があれば姿も見せよう」

 

 声のする方に目を向ければ、湖の水面にゆらゆらと浮かぶ人型がある。人型と言っても、人間のそれとは全く違う。単純にシルエットとしてなら間違いなく人だ。しかし、ゆらゆらと蠢く水が無理やりその形をとっているだけなんだろう。すこしずつ姿を変えていくように、一定していない。水の精霊ということでもっと美しいものを想像していただけに、裏切られた気分だ。加えて、声を出すときの口を開いたさまはグロテスクですらある。

 

「――かの人修羅とあれば、姿も見せよう。今更我に用があるとも思えぬがな」

 

 ヒトシュラ、一度どこかで聞いたような……

 

「……俺のことを知っているのか?」

 

 シキが答える。そうだ、ずっと前、初めてシキと会った時に、そう呼ばれていたと言っていた。

 

「むろん。我、いや、我らは一にして全。たとえ世界を隔てようとも、アマラでつながる限り、同じこと」

 

「……そういうことか。なら、あの世界のアクアンズと共有しているのか」

 

「完全にというわけではないが、間違いではないな」

 

 ――二人で話しを進めていく。シキはもともと別の世界にいたと言っていた。普段は意識することがないけれど、こうやって全く人外のものと平然とやりとりをしているのを見ると、改めてそうだと感じる。

 

「……ルイズ」

 

「え? 何?」

 

 つい考え込んでしまって反応できなかった。

 

「水の精霊に頼みごとがあったんだろう? 話ぐらいは聞いてくれるはずだ」

 

「あ、うん」

 

 水の精霊は、先住の民の中でも、純粋な生き物とは違う、特別な存在。だから、人間に対しても決して態度を変えることはない。それなのに、シキに対してはそれが当てはまらないように感じる。感じる、だけかもしれないけれど。

 

「――水の精霊よ。あなたにお願いがあるの。私達に精霊の涙を分けて欲しいの」

 

 私の言葉を聞いて、水の精霊がぐにゃりぐにゃりと形を変える。どうやら形を変えることで感情を表しているらしい。それがどういった意味かというのははっきりとはしないが。

 

「――わざわざその為に、か。かの人修羅とあらばここに来ずとも手はあろうに。まあ、いい。」

 

 水の精霊が腕、でいいのだろう、腕らしき部分を私の方へと延ばす。意図を理解して、腕から落ちた雫を慌てて瓶に受け取る。たぶん、これが精霊の涙。精神に干渉する強い力を持つ水の精霊の一部なら、そういった力を持つというのも理解できる。

 

「――用件はこれだけか?」

 

 水の精霊は予想していたよりもずっと親切らしい。もしくは、シキがいるからか。おそらくは後者だろう。でも、せっかくだ。気になっていたことも聞いておこう。

 

「教えて欲しいことがあるの。この辺りの水かさが随分と増えているみたいだけれど、何か理由を知っている?」

 

「むろん。奪われた秘宝を取り戻すため、我が行っているのだから」

 

「えっと、誰かに盗まれたのよね?」

 

「そうだ」

 

「ということは、ゆっくり侵食していけばいつかは見つかるということ?」

 

「そうだ」

 

「ええと、随分気の長い話ね……」

 

「我とお前とでは、時に対する概念が違う。我にとって全は個。個は全。時もまた然り。今も未来も過去も、我に違いはない。いずれも我が存在する時間ゆえ」

 

 まあ、確かにそうなのかもしれないけれど、私にはとても理解できそうにない。

 

「……ところで、奪われたものというのは何だ?」

 

 シキが間に入る。そういえば、その奪われたものとやらを聞いていなかった。

 

「アンドバリの指輪。我が共に、時を過ごした指輪」

 

 その名前には聞き覚えがある。

 

「聞いたことがあるわ。確か水系統の伝説のマジックアイテム。確か、偽りの生命を死者に与えるという……」

 

「ろくなものじゃないな」

 

 確かにシキの言うとおりだ。でも、求める者というのはいつの時代にもいた。偽りの命とは言え、死者に新たな生を与える。不老不死にも通じるそれは、何時の時代の権力者にとっても魅力的だった。たとえ得られる命がどんな形であってもだ。

 

「そう。所詮は仮初の命。だが、死を避けられぬ人の身には魅力的なのであろうよ。我と、不死にも等しい力を得た者には分からぬものではあるがな」

 

 水の精霊がシキに目を向ける。顔がはっきりしないから断言できないが、ここでいう、不死というのはシキのことだろう。

 

「俺も探しておこう。代わりに水かさを増やすのは止めてくれないか? この辺りに住んでいる人間も困るだろうからな」

 

「――承知した。手段はどうあれ、戻るのなら方法は構わない。風の力を行使して奪っていったのは数個体。……確か個体の一人がこう呼ばれていた。クロムウェルと」

 

「――覚えておこう」

 

「ところで、人修羅よ。この世界で何をする。その力があればできないことはない。また世界を滅ぼすも良し、作り変えるも良し……」

 

 一瞬、ぞくりとした。理由は、分からないし、たぶん、知る必要もない。

 

「……言葉が過ぎたな。もう用はあるまい。我は戻るとしよう」

 

 それだけ言うと、もとから何もなかったように水面へ溶けていった。

 

「――さあ、目的のものも手に入った。早めに戻ろう」

 

 シキがくるりとこちらに顔を向ける。優しそうな、いつも通りのシキだ。

 

「う、うん。早く帰らないとお姉さまが待ちくたびれちゃうしね」

 

 ――水の精霊が言ったことって、前にシキが言っていたことだよね。また世界を滅ぼす。またということは……

 

 ……ううん。シキは、シキだよね。最近はちょっとだらしないけれど、優しいし、頼りになるし。例え昔に何があったって。それに、シキの昔の話は本人から直接聞いている。あれは、本当に他にどうすることもできなかった結果だから……だから、仕方がなかったこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――できたわよ」

 

 お姉さまが不機嫌そうに小瓶に入った解毒薬を差し出す。

 

 戻って早速、お姉さまに精霊の涙を渡した。もしかしたら作ってくれないかと思っていただけに一安心だ。あとは……

 

「――ところで、お姉さまはもう飲んだんですか?」

 

 まずはお姉さまに飲んでもらわないと。そうでないとわざわざ取りに行った意味がない。目的の半分以上はお姉さまに飲ませるためなんだから。

 

「な、なんで私が飲まないといけないのよ?」

 

 プイと顔をそらす。いつも通り強情だが、今回ばかりは引き下がるつもりはない。

 

「お姉さま、あの薬飲んでいますよね?」

 

「…………」

 

「飲んでますよね?」

 

「――どうしてそう思うのかしら?」

 

「見れば分かります」

 

「……あなた、最近生意気よ」

 

 ギロリと睨みつけてくる。いつもならここで逃げ出すところだけれど、今回は私の方に分がある。だから、目を逸らさない。目を逸らしたら負けだ。

 

「……随分と意地を張るじゃない」

 

 ふん、と目を逸らしたのはお姉さまが先だった。

 

「じゃあ……」

 

「……飲まないわよ。一言も飲むなんていっていないでしょう。私が良いって言っているんだからいいの。なに、それにも文句をつけるの?」

 

 ――開き直った。いい年をして子供か、この姉は? そんなだから嫁ぎ遅れるというのに……

 

「……分かりました。もう「私から」は何も言いません」

 

 そう、「私から」は。お姉さまがそこまで言うのなら私にも考えがある。

 

「……分かればいいのよ。ほら、早くその薬をギーシュ君に渡してきなさい。全部飲んじゃって良いから」

 

 さっさと行きなさい、と半ば追い払うように急かされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――これが!? ありがとう、ありがとう!!」

 

 涙を流し、ガシッと手を握ってぶんぶんと振り回す。

 

「な、泣かないでよ。それより、解毒剤を飲んだからってモンモラシーを悲しませるようなしたら駄目なんだからね?」

 

「分かっているさ、もちろんだとも!」

 

 そう言うと一気に飲みきる。

 

 ――まあ、浮気癖は直らないと思うけれど、少しは懲りたでしょう。いい薬になったろうし、これはこれでいいのよね。あとは、お姉さまをなんとかするだけ。

 

 さて、部屋に戻って早速準備しないと……

 

 お姉さまがどんな顔をするか、楽しみね。

 

 ――そうそう。

 

 シキにもちょっと反省してもらわないと。

 

 うふふふふ、本当に楽しみだわ。

 



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第18話 Malice hurts itself most

拝啓

ラ・ヴァリエール公爵夫人殿

国家危急との話もある中、いかがお過ごしでしょうか。
伝聞ではありますが、お父様が此度の開戦に伴い奔走し、領地を守るお母様の心労は如何ばかりか、そしてそこに何もできないこの身が情けない限りです。
学院にて学び、微力ながらお手伝いできる日が来るのが待ち遠しいばかりです。




さて、この度はそんな中でも非常に喜ばしいことがあったので筆をとりました。

これを聞くに、お母様、お父様の驚く顔が浮かばんばかりです。

 

なんと、お姉さまに好きな人ができました。

妹である私の目にも、こんなに幸せそうなお姉さまを見るのは、初めてではないかと思うほどです。

見ること、話すこと、そんな何気ないこと一つ一つが楽しくて仕方がないという様子です。

 

本当に人を愛するということについては、まだ私には真には理解できないかもしれません。

ですが、その様子は見ているだけでうらやましく、お父様とお母様が出会った時もかくやと思わんばかりです。

そんなに幸せになれる素敵な恋、私も早く見つけたいものです。

 

しかしながら、そのことに関してもう一つ、お母様にはお伝えしなければならないことがあります。

お姉様は、本当に幸せそうです。

険のある表情をされることも少なくなり、それは妹である私にとっても嬉しいばかりです。

 

ただ、それでもわきまえるべきはあります。

若輩者である私が言うのはお門違いかと思われるかもしれません。

ですが、お母様が見ても同じ感想を持つのではと思います。

それほどまでにお姉さまは、私が使うにふさわしい言葉ではないかもしれませんが、あえて一言で言うのなら、節操がなくなりました。

 

その好きになった方の部屋を毎夜訪れる。

私とて、何時までも子供ではありません。

何のためかということぐらいは分かりますし、好きであるもの同士であるのならば、そういった感情を持つのも仕方ないのではということを思わなくはありません。

ですが、一般の民であるならばともかく、ヴァリエール家は由緒正しき血を伝える一族です。

おのずから、そこには民の見本となるべき責務があります。

 

おそらく、お姉さまはこのことはもちろん、好きな人ができたということも、お父様にもお母様にも伝えていなかったことでしょう。

両親の許しを受け、正式に婚姻を結んだのであるのならともかく、これはいかがものかと思います。

一度、しっかりと話す必要があるはずです。

 

そして、お姉さまが懸想する相手方にも言うべきことがないではありません。

そもそも、その人物というのは、何度か手紙にて記しました、私の使い魔となったシキです。

お母様もご存知の通り、使い魔としてではなく、一人の個人としてみるべき人物です。

貴族ではないながらも、類まれな魔法の才を持ち、姉のこと、そして私のことを大切にしてくれています。

朴訥ながら、人柄としても十分に信頼できる相手です。

余計なしがらみもないので、姉との関係について自由な感情を持つことは当然ですし、今の関係については、むしろ姉から求めたものです。

そこに責めるべきものはなんら有りません。

 

しかしながら、それとは別に非常に大きな問題があります。

なんと、関係を持っている女性が我が姉だけではないのです。

おかしなことかと思われるかもしれませんが、その相手には、私も面識があります。

 

その人物もまた、女性として、人としてとても尊敬できる人物です。

知的で女性的な魅力に溢れ、そこに魅かれるというのは分かりますし、そこは私も故なきことではないと思います。

しかしながら、それが複数の女性と関係を持つ理由にはなりません。

 

確かに、事情はよく分からないのですが、その一人の男性に対して好意を持った二人とも、そのような状況を受け入れている節はあります。

それでも、最初からそんな関係であるというのは、常識からは外れたことではないでしょうか。

今は、表面上は何も問題がないように過ぎております。

ですが、いつかはそれが対立、そして姉の不幸になるのではと、私は心配でなりません。

 

その思いから私は筆をとり、いわば告げ口という後ろめたい行為でありながらもそれをせずにはおられません。

このような状況に対し、恥ずかしながら私ではまだ子供です。

誰かとそういった関係になったこともありません。

私も、一度は姉に進言しました。

しかしながら、愛の前にといわれれば、それ以上何も言うことはできないのです。

 

ですが、それでも私はなんとかしたいのです。

どうかよき知恵を授けていただけないでしょうか。

今からでは遅いかもしれません。

それでも私は姉の幸せを願っているのです。

 

敬具

 

 

 

 

「姉を心配する」手紙を出した後、わずか数日で返事が来た。お母様もそれだけ重要なことだと思ってくれたということだろう。非常に頼もしい限りだ。

 

 ベッドに腰掛け、その手紙の封を切る。内容としては便箋の半分にも満たない、非常に簡潔なもの。でも、それで十分。

 

「――あらあら、お母様が直接学院にだなんて。私は助言だけでも十分だったのに」

 

 知らず笑みが浮かぶ。口元をゆがめた、歪なものかもしれないが。

 

 まあ、誰にも見られていないのだから大した問題ではない。それに、悪巧みの類なのだから、むしろ当然の反応だ。

 

「さて、来るのは、――あら、明日じゃない。そうねぇ、お姉さまたちには、明日伝えればいいかしら?」

 

 目を閉じれば、お姉さまたちの慌てふためく様がありありと浮かんでくる。もちろん、非難されるかもしれないけれど、いつかは分かること。ただ単純に、それが遅いか早いかの違いだ。ならば、むしろこれは感謝されてしかるべきことだろう。

 

「――うふふ、あはははははははははははっはっははあはははっは」

 

 しぃっかり反省しないとね。やっぱりおかしいもの。お姉様もね、あれじゃ発情期かと言いたいぐらい。

 

 それにシキ。姉様とミス・ロングビル、確証はつかんでいないけれど、キュルケにも手を出している可能性がある。もっと言うなら、しょっちゅう町にも出かけているから、外でも。

 

 シキのことは信じている。けれど、はっきり言ってそのことに関しては全く信じられない。むしろ、いつどこから「シキの子供」というのがでてきてもおかしくはない。

 

 なにより、何で私だけはいつまでも子供扱いなのか。胸に関してはお姉さまとそんなに変わらないのに。

 

 ……いやいや、そういう話じゃない。とにかく、二人にはしっかり反省してもらわないと。

 

 ――ああ、明日が楽しみ。

 

 

 

 

 

 

 

 枝葉の間から、空を駆けるその姿が見える。今日は、変わった人が来たようだ。その人は、真っ赤というには少しだけくすんだ赤土色の、ライオンのような獣に乗っている。

 

 ただし、ライオンのようなというだけで、全く別の生き物らしい。顔つきは人のようだったし、何より、ライオンに羽はない。蝙蝠のような皮膜に包まれた羽を羽ばたかせ、真っ直ぐに学院の方向へと向かっている。

 

 ごくごく稀に、人が乗ったかごのようなものを下げた竜や、訓練中らしい竜と騎士とが近くを通ることはあった。とはいえ、目の前まで通りかかることはこれまでなかった。さて、この人は学院へと向かうのだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 ごうごうと風が頬を撫でる。動きやすい服装であるが、愛用していた隊服ほどではない、そもそも空を駆けることが前提ではないので、ばさりばさりと風にあおられる。

 

 もちろん魔法で風を受けないようにもできるが、あえてそうはしない。久しぶりに愛騎に跨っての遠出なのだから、風の感触と、そして、愛騎の乗る感覚を感じていたい。馬とは違うその背は跨るのに適しているとは言いがたいが、長年のことだったので、すっかりこの体になじんでいる。久しぶりに体に感じる、羽ばたくたびに伝わる筋肉の動きも、懐かしくてなんだかむず痒いほどだ。

 

 力強さという意味では昔に比べれば多少衰えたのかもしれない。しかし、私自身に比べればそれは些細なものだろう。私はここまで来るだけで少々疲れてしまったが、この子はまだまだ余裕がありそうだ。それを思うと、私も負けてはいられない。

 

 遠く、城壁が見えてきた。緩やかな弧を描いたその中に、中心部の尖塔、そしてそれをぐるりと囲むように大小さまざまな建物が並んでいる。大きなものが学び舎、その次に大きな、少しだけ距離をおいた二棟の建物がきっと寮だろう。ルイズと、少し前からエレオノールが暮らしているのがそこだと思うと、なんだか感慨深い。

 

 そして、少しだけうらやましく思う。私自身の少女時代が決して退屈なものだったとは思わないが、それとは違う、同年代に囲まれた生活というものもきっと得るものは多かっただろう。今ちょうど学院に通っているルイズには、それを知って欲しい。母として、それは正直な気持ちだ。

 

 魔法の使えないルイズにはきっと辛いこともあるだろう。それでも、それが今の貴族社会の姿。ならば、そこでルイズは生きていかなければならない。こればかりは手助けすることはできないし、魔法の才に恵まれていた私には、本当にルイズのことを理解することはできないだろう。

 

 だから、それにはルイズ自身で折り合いをつけなくてはいけない。そして、沢山の出会いのある今、ルイズ良き理解者になってくれる友人を見つけなくてはいけない。

 

 だが、少なくとも後者に関してはもう、その心配はしていない。

 

 学院に入ってからのルイズの手紙は、どこか無理している様子がありありと見て取れた。貴族たるべく、楽しむのではなく、常に闘っているようだった。

 

 それが、いつしか過去のものとなった。ここしばらくの手紙は、誰かとどこそこへと行った。そんな歳相応の姿があった。

 

 そして、その中には対等に付き合える友人の姿もある。お互いに助け合っているタバサという子、確執はあるけれど、なんだかんだで友人としてうまくいっているらしいツエルプストー家の娘。そのきっかけになったルイズの理解者。ずっと、ずっと無理していたのは知っていたけれど、きっともう心配要らない。

 

 それとは別の問題は、私がなんとかできる範囲だろう。

 

 そして、エレオノール。随分と楽しく過ごしているようだ。親としては、複雑ではあるが。

 

 ――と、もう学院の目の前だ。

 

 さすがに、いきなり来て学院へ空からというのはあまり好ましくない。マンティコアともなれば、生徒を驚かせてしまうだろう。すでに意図は察してくれているので、使い魔は一心同体、手綱を引かずとも、ゆっくりと高度を下げる。

 

 それに、ずっとついてきている鳥がいる。後ろに視線をやれば、梟だろうそれは、ずっとこちらを伺っている。誰かの使い魔だろうが、こんな時間からとは、意図はともかく、随分とご苦労なことだ。

 

 意図については、主人に聞けばいい。まるで知っていたかのように、学院の前から真っ直ぐにこちらを見ている男性。それがきっと主人だろう。

 

 

 

 

 

「わざわざ私の前に下り来てくださるとは、随分と親切ですね」

 

 地上に降り立ったところで、その男性がにこやかに話しかけてきた。

 

 二十台半ばと思しき、なかなかの美貌の持ち主だと言えるだろう。邪魔にならぬよう丁寧に整えられた金糸の如く流れる髪と、白い、文字通り透き通るような肌。神官服と思しき、中心の白地部分に銀の十字架をあしらった鮮やかな赤の貫頭衣、腰に刺した剣というのが少々奇抜だが、戦士の風格もたたえるその姿は、私にとっては軟弱なだけよりも好ましい。

 

 それでいて、その身にまとう空気はまさに聖職者のもの。普通、聖職者といっても、案外世俗的なものだ。最初はどうかしらないが、時を重ねるうちにそうなるものらしい。

 

 だが、目の前の人物にはそれがない。まさに聖職者のあるべき姿と言えるだろう。服装からすればロマリアの神官とは異なるようだが、さて、どういった人物だろうか。

 

「理由は分かりませんが、わざわざ私を待っていたとなれば無視するというわけにはいかないでしょう」

 

 男が微かに笑う。

 

「いえ、大したことではないのですよ。門番の真似事なんてことをやらせていただいておりましてね。武勇にすぐれそうな方がいらっしゃった時には、必ず会うようにしているのですよ」

 

 にこやかに、よどみなく答える。しかしながら、その内容はどうにも解せない。

 

「学院ではいつからそんなことを? 近頃は物騒になってきたとはいえ、学院をどうこうしようという人はいないはずでしょう」

 

「ああ、そのことですか。そうおっしゃられるのも当然かもしれませんね。実のところを言えば、私は学院自体とは無関係なんですよ。ですが、どうにも過保護な方がいらっしゃいまして」

 

 男が少しだけ困ったように笑い、少しおどけたように続ける。

 

「門番の真似事も基本的には不要なんですけれど。まあ、とはいえ、つい先日ちょっと物騒な方々がいらっしゃいまして、全くの無駄というわけでもないんですよ?」

 

 その言葉に、目を細める。

 

 もう一度、目の前の人物を見てみる。ずっと浮かべているにこやかな表情。透き通るような声と、私が知るどの神官よりも神官らしい穏やかな空気。悪意も、嘘をついているようにも感じられない。

 

 しかし、嘘をついているというわけではなさそうだが、おかしい。物騒なことがあった、それが私の耳に入らないということもおかしいし、なぜそれで目の前の神官らしき人物が門番のようなことを行う。誰がそんなことを行わせる。

 

「はて、そんなことがあったということは聞いていませんね? 事実なら、いくらなんでも私の耳にも入っているはずですが」

 

「いやいや、全く手厳しい。確かに、私達で処理してしまいましたしね。そこは適当に聞き流していただいて結構ですよ」

 

 どことなく不穏当な印象を受ける言葉ではあるが、にこやかな表情には全く変化がない。何かを考える様子もない。表情を除けば、ずいぶんと無機質な反応だ。

 

 いや、さっきから変化のないその表情も、ある意味、無表情と同じ種類のものなのかもしれない。この反応は、やり取り自体に大した意味を感じていないということだろう。たとえ、どういった返答であろうと構わないという。

 

 ――それに、私「達」ね。

 

「まあ、その辺りは言っても判断のしようがありません。しかしながら、個人的には気に入りませんね。いきなり門番云々、更には別に見張っているものがいるというのは。これでも風のメイジの端くれ。隠れているものがいるかぐらいはわかります」

 

 そこで初めて、ほんの少しだけ表情の変化があった。そして、草を揺らす音があった。

 

「――隠レテイタツモリハナイガ、マア、結果ハ同ジカ。アマリ良イ気ハシナイダロウナ」

 

 草陰から、くぐもった声が聞こえる。そして、視界の端にその姿が映る。ゆっくりと、その足先から。

 

 筋肉で引き締まった体が滑らかな曲線を描き、その上を幾分不釣合いな、触れれば怪我をしそうな硬質な毛皮とたてがみが覆っている。見た目にはオオカミか獅子か、全くの異形というわけではない。

 

 しかし、牡牛かと思うばかりの大きさだ。草陰から最後に、蛇を思わせる、のたうつ尾がゆらゆらと揺れている。

 

 初めて見るが、喋ることいい、歳を経た相当高位の幻獣だろう。

 

「それがあなたの使い魔ですか?」

 

「いえいえ、同僚のようなものですよ。私と同じく門番なんてものをやっています」

 

 なんでもないことのように言ってのける。

 

「で、従わなければ力づくで、ですか?」

 

 目の前の男性と、後ろの獣を交互に見やる。男性の方はよく分からないが、獣の方は人など触れるだけで引き裂いてしまうだろう。

 

「――まあ、今更言っても仕方がありませんね。確かに仰るとおりです。ですが、はっきりと敵対されればともかく、私達も争いごとが好きなわけではないんですよ。少々お時間はとらせてしまいますが、目的とそれさえ証明できれば何も邪魔立てなどするつもりはありません。お互い手っ取り早い方が良いでしょう?」

 

 空気が変わる。男は笑顔のままではあるが、与える印象は正反対に。

 

 言葉通り、もう隠す気はないということだろう。さっきまでの穏やかさがまるで別人のように、威圧感に包まれる。私にここまでの威圧感を感じさせる相手。

 

 ――おそらくは

 

「まあ、私もいきなり来たようなものですしね。あなた方が誰かはともかく、それくらいは構いません」

 

「ご協力、感謝します」

 

 一瞬前の出来事がまるで嘘のように、にこやかな笑みを浮かべる。ここまで鮮やかに切り替えられる。断れば切り捨てることに、何の戸惑いもないだろう。

 

「目的は大したことではありません。そう、ルイズとエレオノール、娘達に会いに来ただけです。――さて、何か問題がありますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お姉様を見つけて、自然と笑みを浮かべてしまった。ただ、はたから見れば、にこにこと言うよりは――どちらかというと、にやにやとした方が表現としてふさわしいかもしれない。だって、お姉様が慌てる様しか頭に浮かばないんだもの。

 

「――なに、下品な笑いかたをしているの?」

 

 開口一番、お姉様につねり上げられた。多少は自重すべきだったかもしれない。

 

「お、お母様から手紙があって」

 

 つねられて、熱を持った頬を押さえる。

 

「――ふうん、それで?」

 

「お母様が学院に来ると」

 

 その言葉にいぶかしんでいるのが分かる。少なくとも、お姉さまが学院に通っていたときにもお母様が来るということはなかったはずだから。

 

「何でわざわざ学院に。お父様が戦争にかかりっきりで、領地の管理で手が離せないはずだけれど。まあ、いいわ。それでいつ?」

 

「――今日です」

 

「はあ? なんで、そんなに急に!?」

 

「――さあ、何ででしょうね」

 

 わずかに唇の端をあげ、笑みを浮かべる。いや、あざ笑うというのがよりふさわしいかもしれない。自分でも分かっているから今度はつねられる前に距離をとる。

 

「――だからその下品な笑い方は止めなさいって言っているでしょうが。それになに? なんか馬鹿にされているみたいなんだけれど? 言いたいことがあるならさっさと言いなさい。聞くだけは聞いてあげるから、聞くだけは」

 

 私が逃げたせいで振り上げたままになっていた手をひとまず下ろし、睨みつける。思わず逃げ出したくなってしまったけれど、ちょうどいい。この際お母様と話す前に言うべきことは言っておこう。

 

「じゃあ、言わせてもらいます」

 

 意思を決め、睨みかえす。普段ならそれだけでもつねりあげられるところだけれど、本当に聞くだけは聞くということのようだ。ずっと、ずっと言いたかったことだ。あとがどうなれ、言うべきだ。

 

「毎日毎日、シキさんシキさん。夜になればなったで私の部屋にいたシキを呼びにきたり……。さっき私のことを下品だと言いましたが、その方がよっぽど恥ずかしいんじゃないですか? そんなの、夜這いと一緒じゃないですか」

 

 自分でも分かってはいるんだろう。うめき声を上げて目を閉じる。いつもなら力づくでどうにかしようとするのに、それがなくて。そうして、ようやく口を開いた。

 

「――そうね、でも、それがどうかしたかしら?」

 

「え?」

 

 帰ってきたのは予想とは随分と違う言葉だった。

 

「たしかにあまり褒められたことじゃないかしらね。でも、何か問題があるのかしら? それくらいシキさんのことが好きだもの。夜這い? いいわよ、言われたって。好きなら当然でしょう」

 

「う。だ、だからって変な薬に頼ってまで……」

 

「それでも好きなんだからいいでしょう。それに、薬の効果なんてもうほとんど切れているはずだもの。だから、私は私が本当にそうしたいからそうしているの。たとえ誰になんと言われようとも、止める気はないわ」

 

 真っ直ぐに私を見ている。

 

 根負けしたのは、私が先だった。

 

「お母様にも、同じことが言えますか?」

 

「……その為にお母様を呼んだのよね。いいじゃない、いつかは言わないといけなかったもの。ちょうどいいわ。シキさんにも少しははっきりしてもらいたかったところだもの。の、望むところよ」

 

 顔を青ざめさせているが、曲げる気はないようだ。そんな返事がくるとは、思わなかったのに。

 

 そもそも、どうしたかったんだか。

 

「シキさん。ちょうどいいところに……」

 

 ふと聞こえたお姉さまの声が尻すぼみになる。

 

 視線の先に目をやれば、私達を探していたのか、こちらに歩いて来ているシキがいる。ただし、女の子と一緒に手をつないで。

 

 年のころは12、3ぐらいとまだあどけなさが残っている。ほっそりとした体に黒いワンピース。どことなくくすんだ金色の髪を両端でまとめ、病的に白い肌、切れ長の目はどこか眠そうで不機嫌な印象も受ける。非常に整った顔立ちをしているが、どこか不健康そうでもある。

 

 それはそれとして

 

「「また女の子を連れて」」

 

 出てきた言葉は、お姉さまと全く同じだった。

 

「……なんでそんなに信用がないんだ?」

 

 表情を見るに、自分が悪いという考えは全くないようだ。お姉さまも相当なものだが、シキも負けていない。ちょうどいい。シキにも言うべきことは言っておこう。

 

「普段の行動を思い返したら? 私だって子供じゃないんだから。お姉さまとミス・ロングビルととっかえひっかえ。私と一緒に寝るのって週に二回ぐらいだからそれ以外は一緒なんでしょう? ああ、そういえばタバサの使い魔の子ともなんだかんだで仲がいいのよね。しょっちゅう街に出ているのだって知っているんだから。で、それでもそんなこと、言えるのかしら?」

 

「あの人だけかと我慢していたけれど、そう言われれば……。シエスタを部屋に呼んだ時にも話しかけようとしてたっけ……」

 

 お姉さまが力なくつぶやく。

 

「――シキ、ちょうどいい所に来たわ。今日、お母様が学院に来るの。シキももちろん同席するわよね?」

 

「――俺も、か?」

 

すでに足が一歩下がっていたが、何を言っているんだろうか。

 

「当然でしょう」

 

「シキさん、ちょうどいい機会だからしっかり話しましょう。お母様が来る前に」

 

 覚悟を決めたお姉さまがシキの右手を掴む。

 

「私もシキには言いたいことあるの。一緒にいる子のことも含めて」

 

 私がシキの左手、女の子と手をつないでいる方の手をとる。

 

「――私、どうしましょうか?」

 

 つないだ手はそのままに、女の子がシキに話しかける。困ったような顔をしているが、こんな状況でも目は眠そうなままだ。

 

「……あー、ウラルは、ウリエル達にしばらく『任せた』と伝えてくれ」

 

 

 

 

 

 比喩でもなんでもなく、ずるずると二人に引きずられる。二人の母親が来たということを聞いて、多少は嫌な予感がしていた。今まで干渉がなく、それなのに今の状況になって初めて。答えは一つしか思いつかない。

 

 エレオノールとロングビル――いや、マチルダ。二人が今の状況で満足だと言ってくれていたから、それに甘えていた。二人はそれで良くても、親からしたらどうだろう?

 

 人間だかもよく分からない相手で、なおかつ二股――それで何も言わないほどあの二人の母親が大らかだということは絶対にありえない。

 

 どうする。

 

 どちらかを選ぶ?

 

 ――無理だ。

 

 それができるのなら、そもそもこんな状況になってはいない。いや、現時点で二股になっているんだから、そういう問題じゃない。

 

 ならば、二人とも愛していると正直に。そうだ、地球では一夫多妻制というものがあるというのはどうだ? 少なくとも嘘ではない。しかし、嘘ではないがこの世界の常識としてはどうなんだろうか?

 

「――シキ! ぶつぶつ言ってないでちゃんとまっすぐ歩いてよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確認しに行ったという少女が戻ってきた。梟の姿から人の姿へというのは正直驚いたが、使い魔の、更にその使い魔ですら普通とは違うということだろう。ルイズが呼んだモノがどれほどのものかは分からないが、王宮からの「無用な干渉をするべからず」との厳命もうなずける。

 

 エレオノールも、大変な相手に惚れたものだ。

 

 

 

 

 

 

 ウラルが話を聞いて戻ってきたが、予想とは随分違う返事だったようだ。「しばらく任せた」、本当に母親だということは間違いないと思っていいだろう。それでいてしばらくは、と。

 

 直接聞いているわけではないが、今の、ありていに言えば女性関係を全く知らないわけでもない。ようは、時間稼ぎをということだろう。

 

「――それで、確認とやらはとれましたか? 『娘達』のことを守っていただくというのはありがたいのですが、私としては早く会いたいものですから」 

 

 あまり気が長くないのか、少しばかり不機嫌な様子が伺える。加えて、最初にあったようなひるんだような様子はない。やっかいなのは、こちらが手出しできないということをすでに理解しているらしいこと。

 

 面倒だと分かったのか。ケルベロスの方は早々に逃げだした。

 

 ――あの犬め。

 

 普段ならば絶対に出てこない言葉が頭をよぎる。

 

 とはいえ、どうしたものか。

 

 力づくでというのは論外。説得するにも、良い材料はない。そもそも、わざわざ来た理由を考えれば、時間稼ぎというのも良い印象を与えるはずがない。行うべきは時間を稼ぐことと、できれば機嫌良く話せるようにしておくこと。

 

 まあ、やれる範囲でやってみましょうか。

 

「ちょっと手間取っているようでして。そうですね、お茶でもいかがでしょうか?」

 

「せっかくのお誘いですが、それでしたらなおさら娘達と楽しみたいものですから」

 

「そうおっしゃらずに。珍しいものがあるんですよ。とても『美容』に良いもので、なにしろ、飲んだだけで若返るというぐらいですから。効果のほどは私が保証しますし、試してみるだけでもいかがですか?」

 

 ――若返り、その言葉にわずかに反応を示す。

 

 それは、女性である限り、抗いがたい魔力を持っている。それが限りなく本物の可能性が高いとなれば、なおさら。

 

「準備にもそう時間がかかるわけでもないですから。先ほどのお詫びも兼ねてと思ってください」

 

「――そういうことでしたら、無碍にするというのも失礼な話ですね」

 

 とりあえずは、これで十分だろう。それ以上は本人同士の問題で、そこはなんとかしていただきたい。それ以上は、私も席をはずすつもりなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこにあったのは沈黙だった。

 

 最初に一言二言話した後、誰も口を開かない。思ったよりもお母様が穏やかではあったが、それもささいなことだ。テーブルの上の紅茶も、何時の間にやら湯気を上げなくなった。

 

 いや、シキとお姉様のを除いてだ。沈黙に耐えられなかったのか、すぐに飲み干してしまい。二杯目の紅茶がゆらゆらと湯気を上げている。

 

 席についているのは私と、顔色の悪いシキにお姉様、反してやけに肌つやの良いお母様、そして関係者ということでミス・ロングビル。ああ、あとはシキと一緒に来た女の子、ウラルと言ってたかしら。

 

 たまにシキと一緒にいる、ウリエルと名乗った男性が置いていった。女の子はすがりつくような視線を送っていたけれど、そそくさと去っていった。優しげに見えて結構外道だと思う。

 

「……なんで私まで」

 

 ぼそりとミス・ロングビルがつぶやくが、もちろん関係者の一人だからだ。

 

「……私、関係ないのに」

 

 ウラルという子がつぶやく。この子は、関係者なんだろうか? 最初に見たときもなんだか不健康そうだったが、今では本当に病気のようだ。こちらはちょっと可哀想だったかもしれない。

 

 そんな状況なので、もっとも口火を切るべき二人、シキとお姉様に皆がちらちらと視線を送るが、二人ともひたすらに紅茶を飲んでいる。もうすぐ三杯目に突入するかもしれない。

 

「――まあ、お茶を飲みに来たわけではないですから。それで、あなたがシキさんですね? 話は聞いています」

 

 やはりというか、痺れを切らしたのか、お母様が口火を切ることになった。

 

 シキと実際に会うのは初めてのはずだ。シキの話は色々と出ているようだけれど、そこはさすがお母様、冷静だ。向かう側になるとお姉様以上に怖いけれど、今日、この場に限ってはこれ以上頼もしい味方はいない。

 

「――そうそう、門番というのはあなたがさせていたんでしょう? 結構な歓迎をいただきました。害があるわけではないでしょうが、独自にやるにはいささかやりすぎかと思いますね」

 

 意図した本題ではないようだが、なんのことだろう?

 

「――そうだな。しかしまあ、結果論だが、ここを襲いに来た人間がいたんだ、全くの無駄でもなかった」

 

 ようやくシキがまともに口を開く。

 

 しかし、初耳だ。少なくともそんなことは聞いていなかった。言葉通りに捉えるなら、夜盗の類が来たということだろうか。学院を襲いくるなんて自殺行為もいいところだ。先生方は高位のメイジばかりだし、生徒も皆貴族。よっぽどの大戦力か、最精鋭でもなければ無謀もいいところだ。

 

「門番の方もそんなことを言っていましたね。なんでも内々に処理したとか」

 

 ああ、フーケのことだろうか? 学院内でという意味でなら確かにその言い方で間違いはないが、シキにどうこう言う話でもないように思う。見れば、お姉様もミス・ロングビルも怪訝そうにしている。

 

「話を聞いただけだが、ウリエル達――この子を含めた門番達で処理したと」

 

 ウラルに視線をやり答える。さっきの男性を含めて、門番というには少々頼りないようだが、シキが門番というから、そういうものなんだろう。

 

「……そうですか。随分と頼りになる部下をお持ちですね。まあ、そこはあまりどうこうと言うつもりはありません。そういったことについては干渉しないよう厳命されていますから。ただ、私も『歓迎』を受けることになったので、個人的に一言言いたかっただけですので」

 

 言葉にどこか棘がある。シキが一瞬顔を引きつらせた辺り、あまり穏やかでないことをやっているのかもしれない。おそらくは、私達のためなんだろうけれど……。

 

 それと、干渉しないように。これもまた初耳だ。厳命というからには国からということだろう。なぜ――いや、アルビオンでのことを含めて考えれば当然か。何をしたかはともかく、『誰が』というのは分かっているはずだから。

 

「……できるだけ、穏便に済ませるようにする」

 

 シキがようやくそれだけ口にする。

 

「それで、十分です。もともと、そんなことを言うつもりはなかったので。そもそも、今日は母親として来たのですから」

 

 シキと、お姉様の動きがぴたりと止まる。皆の視線が二人に集まる。ウラルは心配そうに、ミス・ロングビルは面白そうに。

 

 しかし、ミス・ロングビル、この人はどうしたいんだろうか? シキのことが好きなんだということは分かるけれど、どうにも一線を引いたところがある。まるで、シキがお姉様とくっつくのならそれでもいいというような。私にはどうしてもそこが分からない。

 

「私が聞きたいのはまず一つ。どうして今のような関係になっているのですか?」

 

 シキとお姉様とミス・ロングビルの関係。そのことはお母様に手紙で伝えているし、それを知っているということも、シキとお姉様はすでに理解している。さて、どう答えるだろうか。

 

 二人を見れば、目を泳がせている。

 

「――今のような関係というのは、私達の関係のことですよね?」

 

 なぜか、この場ではあまり積極的には関わらないと思っていたミス・ロングビルからだった。沈黙から肯定と受け取ったのか、更に言葉を続ける。

 

「今のような関係になったのは、まず第一に、私もエレオノールさんもシキさんのことが好きだからですよ。私とシキさんが、まあ、有体に言えば男女の関係になって。それでもエレオノールさんがシキさんのことが好きだというのは関係ないですからね。私が勧めたんですよ。本当に好きならちゃんと伝えるべきだってね。その結果が今ですね」

 

「――あなたは、それで良かったんですか?」

 

 何かを思い出すような、何かを懐かしむようなお母様が尋ねる。ただ、なぜそこでそんな表情を浮かべるのか分からない。普段のお母様ならばっさりと切り捨てるはずの言葉だ。

 

「私ですか? ええ、構いませんよ。たとえシキさんがどちらを選んでも恨むつもりはないですし。別に、二号さんでも、私には十分ですから」

 

 きっぱりと口にする。こちらも、私には分からない。なんで好きなのにそんなことを言えるのか。

 

「――そうですか。では、エレオノール。あなたはどうですか? 今の関係について、どう思っているのですか?」

 

 お姉さまが一瞬だけシキを見る。

 

「……私には、シキさん以外は、考えられません。他に好きな人がいても関係ありません。私が――愛していることにはまったく関係ありませんから」

 

 たどたどしくはあるけれど、はっきりと口にする。

 

「そうですか。まあ、私の娘ですしね……」

 

 お姉様の言葉にも、やけにあっさりとした反応だった。むしろ、仕方がないと納得しているようですらある。

 

「……シキさん。あなたはエレオノールを、いえ、二人を真剣に愛していますか?」

 

 ただ、静かな声で質問する。そこには、純粋に確かめたいという想いしか見えない。

 

 何か、違うような気がする。もっとこう、他に言うべきことがあるはずだ。シキの二股しかり、お姉様の行動しかり。

 

「俺は……」

 

 シキがお姉様と、ミス・ロングビルを交互に見やって口ごもる。何かを考え、そうしてようやく口にする。

 

「二人のことを、愛している。二人とも幸せにしてみせる」

 

 ようやくまっすぐに見て、きっぱりと言い放つ。

 

 ――えーと、三人とも開き直った?

 

 ちょっと、待ってよ!? 何よそれ!? お姉様、最初から二股オーケーって!? ミス・ロングビル、二号さんってそれでいいの!? 何より、シキ! 母親相手に二股しますって、なんてこと宣言してるの!?

 

 恐る恐るお母様を振り返る。全くの無表情だ。だからこそ、怖い。

 

「――皆で了解済みですか。それなら私が口出しするようなことではないですし、そもそも私にとやかく言う資格はないですしね。まあ、父親が、少なくとも公爵としてどう受け止めるかとは別の話ではありますが」

 

 それなのに、随分あっさり口にする。思わず机を叩き、立ち上がる。

 

「ちょっと待ってください。了解済みだからってやっぱりおかしいです。最初から複数となんて……。それにここはカッタートルネードとかじゃないんですか!?」

 

「さっき言ったでしょう。結婚云々は公爵が判断すること。今回はあくまで母親として確認したかっただけです。感情は抑えられないもの。その感情が本物なら私は否定するつもりはありません。身分だとか、亜人だからということは、些細なことです。相容れないかどうかぐらい実際に話してみれば分かります。それに――エレオノールの歳も考えなさい」

 

 その『歳』という言葉にお姉様と、なぜかミス・ロングビルがうめき声を上げる。

 

「もう27でしょう。その歳で初めて本当に好きになった。今後はもう可能性はないでしょう。夜這い云々は――あとでエレオノールと二人できっちり話します。もちろん、シキさんにもエレオノールの『母親』として少々話はあります」

 

 あとできっちり、その言葉にお姉様とシキが顔を青ざめさせる。でも、それだけ? いや、夜這いと二股のことをきっちり注意してくれるんだろうけれど、何かが違う。

 

「――それよりもルイズ」

 

 なぜか私に、体の芯から底冷えするような声がかけられる。

 

「私はあなたの方が問題だと思っているのです。なぜだか分かりますか?」

 

 今までとは違い、そこにははっきりと感情が見て取れる。それも、本来ならシキ達に持ってしかるべきものを。

 

「え、え? わ、わかりません……」

 

「そうですか。では一つ一つ教えてあげましょう。まず一つ。私に出した手紙。あれには悪意しかありませんでした。しかも貴族にあるまじき姑息な。二つ。人の恋路を邪魔するというのは無粋にもほどがあります。そして最後に、さっきの発言。いきなりカッタートルネード? あなたが私のことをどう思っているか、よく分かりました」

 

 浮かべたのは笑みだった。ただし、あえてもう一つ付け加えるなら、壮絶なとつけるべき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――遠く、幻視した。

 

 温かくふりそそぐ光。

 

 そのなかをゆっくりゆっくり空から降りてくるこども達。

 

 背中にある小さな羽がとても可愛らしい。

 

 目を閉じれば、様々なことが浮かんでくる。

 

 いつもいつも魔法を失敗して、メイドたちにすら馬鹿にされて。

 

 それが嫌で毎日毎日練習しても、結局は失敗してその繰り返し。

 

 だから、シキを呼べた時はすごくうれしかった。

 

 それは最初ははずれかと思ったけれど、なんだかんだで初めて成功した魔法だったし。

 

 後にはなるけれど、何より、シキがすごい人だって分かったし。

 

 ああ、シキを呼んでからはすごく楽しかったな。

 

 すごく安心できたし、なんだかんだで友達もできた。

 

 私の人生の中でも短い時間だけれど、毎日毎日色々なことがあった。

 

 ふわりと体が浮かぶ。

 

 目を開けると、さっきの子供達がそばにいる。

 

 ああ、これが空を飛ぶ感覚なんだ。

 

 一度ぐらいは、自分で飛んでみたかったな。

 

 ふと、下から腕を引っ張られる。

 

 目を向けると――たしか、ウリエルさん?

 

 なんで良く知らない人が私の……

 

 

 

 

 

 

 ――そんな夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――本当に、良いんですか?」

 

 キャミソールの上にガウンを羽織ながら、エレオノールが尋ねてくる。おどおどとした様子が、昔いたずらをした時の様子を思い出させる。

 

「さて、何がかしら?」

 

似たような格好のまま、エレオノールの対面のソファーに座る。今日はエレオノールの部屋に泊まることにした。色々と伝授しないといけないこともあったから。

 

「その、何がというと難しいんですけれど、言うなら全部です。えーと、夜に通っていたこととか、二股をかけられていることとか……」

 

「あら、今からでも反対して欲しかったのかしら?」

 

 自分でも意地悪な返し方だと思う。

 

「まさか。でも、何も言われないなんて思わなかったので……」

 

 まあ、普段のことも思えばその反応も仕方がないのかもしれない。

 

「あの時も言ったけれど、実際に結婚ということならそれは公爵が判断することです。だから、私は母親としてだけ。そもそも、見合いの話を断った時からうすうす分かってはいました。きっと好きな人がいるんだろうと。それがまさか亜人の、それもルイズの『使い魔』として呼ばれた人だとは思わなかったけれど」

 

「それは、まあ……」

 

 困ったように目をそらす。

 

「でも、ルイズの使い魔だからこそ良かったのかしらね。直接確かめることはできなかったけれど、ルイズからの手紙はずっと受け取っていました。二股というのはともかく、ルイズにとってどんな存在かは分かっていましたから」

 

「……それでも」

 

 やはりそれだけでは納得できないんだろう。もちろん、他にも理由はある。

 

「――ここだけの話だと、約束できますか?」

 

 今まで誰にも話したことのない話だ。本当は墓まで持っていくつもりだったけれど、少なくともエレオノールには話しておくべきだろう。

 

「え、あ、はい」

 

「私と、公爵の話です。そもそも公爵には私とは別に、いえ、私と出会う前から愛している、愛し合っている人がいました。それなのに、私はその公爵を愛してしまいまいました」

 

「……それって」

 

「ええ、あなた達とほとんど同じです。まさか細部まで一緒だとは思わなかったけれど。公爵には愛している人がいて、それでも私は好きになってしまって。なかなか伝えられなかったけれど、あなたと同じで、言わば恋敵からの助けで想いを伝えて……。その後も同じですね。結局どちらかを選べなかった男性まで。だから私も公爵も、あなたのことを責めるなんてことができないのですよ。夜這い云々は……まあ、あまり褒められたことではないですが、抗いがたいものですからね。私もあなたぐらいの時が一番、その、行為に……」

 

 夜這い云々を含めて、少なくとも私にはエレオノールに何かを言うことはできない。

 

「くれぐれも他言は無用ですからね」

 

「――はい」

 

 ようやく安心したのか、エレオノールが笑顔で返事をする。二股に関しては、あとはエレオノールが頑張るだけだ。その為の知識はしっかり伝授する。公爵に妾を一切作らせなかった私のテクニックだ。エレオノールならきっと役立てることができるだろう。

 

 お世辞にも、私も、エレオノールもスタイルが良いとは言えない。恋敵のスタイルが良いとなると、そこはおのずから努力が必要となる。

 

「でも、亜人か」

 

 少しだけ気になることがある。

 

「……亜人というのは、やっぱり駄目ですか」

 

 エレオノールが心配そう眉根を下げる。どうやら余計な心配をさせてしまったようだ。

 

「少なくとも、私は亜人だからとは思いませんよ。たとえ吸血鬼でも、必ずしも敵対者とは限らないでしょう?」

 

「吸血鬼が敵じゃないかもだなんて、そんなことを言えるのはお母様ぐらいでしょうね。やっぱり吸血鬼は怖いものですし。まあ、シキさんがいれば怖くないですけれど」

 

 からからとエレオノールが笑う。つられて私も笑う。

 

 だが、不安は消えない。アルビオンでの戦争のことだ。

 

 結論から言ってしまえば、すぐに決着がつくだろう。トリステインにゲルマニア、ウェールズ王子が陣頭に立っているから離反者も期待できる。何より、どういう風の吹き回しかガリアが正式に参戦することを表明した。普通ならそこで降伏することもあるはずだが、実際にはそうなっていない。

 

 どこからか亜人を結集させて、見境なく破壊活動を行っている。戦争の終結については時間の問題ではあるのだが、亜人たちに話を受け入れる様子はなく、それだけに殲滅戦という双方にとって非常に被害の大きな状況になっている。

 

 だが、妙だ。なぜ亜人達が結集してそんなことをする。知能が低い者達も多いが、それでも戦況ぐらいは分かるだろう。そんな状況でなぜ戦う。

 

 亜人だからと、それが全て悪ではないということを私は知っている。だが、一般の感情としてはあまり良いものではない。エレオノールとて、吸血鬼に対してそうだったように。

 

 だが、エレオノールは分かっているのだろうか? あなたが愛するといった相手、はたから見れば、吸血鬼や、あるいはエルフよりもはるかに恐ろしい相手だということを。

 

 亜人に対する感情。今回のことで変な方向にすすまなければ良いのだけれど。この二人とルイズの為にも。

 

 ――そして、おびえて暮らす、亜人達のためにも。

 

 結局は、彼らも人と何ら変わらないのだから。誰かを愛するということには人と変わりなく、誰かに残虐になることもまた、人と変わりなく。

 



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第19話 In the wrong direction

 信じて、そして裏切られるというのは、辛く、悲しい。

 ――たとえそれがどういった理由からでも、たとえ仕方ないものだとしても。



 

 

 柔らかく煮込んだ牛肉にナイフをあてる。力を入れずとも刃が通り、肉汁があふれる。食べやすい大きさに切って、フォークで口へと運ぶ。口の中ですぐにほどけてしまうような柔らかさと、肉汁と繊維一つ一つにまで浸みこんだソースとが、とても美味しい。朝から牛肉の塊かと思ったが、よけいな脂は溶け出たこれなら、いくらでも食べられる。もとの肉が良いのか、料理人の腕が良いのか、たぶん両方だろう。

 

 付け合せのポテトはと手を伸ばせば、主役ではないながら、こちらも十分以上に存在感がある。指先ほどの厚さにスライスしたジャガイモはこんがりと揚げてあり、表面のカリカリとした食感と、控えめの塩、これまた香ばしいスパイスとがとても合う。付け合せながら、これだけ先に食べてしまいそうだ。

 

 朝食とは思えないほどの手の込みようは、本当に大したものだ。毎日こんな食事ができるというのは、本当に贅沢だ。

 

 ――それでも、贅沢には際限というものがないらしい。

 

 

「シキさん、どうかしました? あまり食事が進んでいないようですが。もしお口に合わないということでしたら、代えさせますが?」

 

 手に持ったナイフをいったん皿へと戻し、エレオノールが問いかける。

 

 そんなちょっとした動作も様になっている。ナイフを置くときにも全く音がしなかった。ここで食事をするにあたって、エレオノールやルイズ達からテーブルマナーの簡単な手ほどきを受けたのだが、全く持って及ばない。生まれながらの貴族とはそういうものなんだろう。努力は必要だが、どうしてもそう思ってしまう。いつも一緒に食事をとっている、エレオノール、ルイズ、マチルダともに皆、マナーというものが意図したものではない、ごく当然のものとしてそうしている。傍から見れば、自分だけが場違いに映ることだろう。

 

「とても美味しいから代える必要なんかないさ。そんなこと言っては罰があたる」

 

「――罰があたる、というのはよく分かりませんが、まあ、確かに我が家のものと比べても全く引けを取らないものですね。あなたもそう思うでしょう、ルイズ?」

 

 エレオノールも美味しいとは認めているが、ただ、それは平均点と同じか、少し上といった程度らしい。生まれた時からそれが当然となると、評価はおのずと辛口になるようだ。

 

「まあ、そうですね。たぶん、美味しいと思います」

 

 姉妹だけあって評価は同じらしいが、それにしてもルイズの返事はそっけない。この前のことをまだ根に持っているようだ。普段ならそんな態度を取ろうものならエレオノールの「教育」ものだが、少なくとも今はエレオノールはもちろん、自分も強気には出られない。

 

 マチルダは唯一例外だが、いつも通りそんな様子をニコニコと見ている。ただ、たまに焚き付けたりもするのは止めて欲しい。もちろん、自業自得なのだからあまり強くは言えないが。

 

「でも、シキさん。あまり食が進んでいないですよね? 具合が悪い――なんてことはありえないと思いますが、何か考えてませんでした?」

 

 カラカラと笑いながら、多少毒が入っていようと平気ですよね、と言葉の中に毒を混ぜるのはマチルダ。二人の時はと本名を話してくれてから、遠慮がなくなった。あることに関しては一歩引いたところがあるが、それは俺には言う資格がない。少なくとも、今のままでは。いずれははっきりしなくてはいけないが、それでも、今の関係が心地良くて、それを壊すようなことができない。だから、甘えてしまう。

 

「考え込んでいると言っても、贅沢な悩みさ。故郷の味が恋しくなっただけだからな。……と、別に帰りたいとかそういったことじゃない。ただ単に、食べたいと思っただけだ」

 

 三人が表情を曇らせたことに、あわてて言い繕う。帰りたい、そんな感情が全くないとは言わないが、ただ純粋に食べたいと思っただけだ。本当の意味で平穏な生活に慣れて、ずいぶんと贅沢な悩みを持つようになったらしい。

 

「まあ、故郷の味って言うのは特別ですからね。離れていると、ふと食べたくなる。私も、時々我慢できなくなる時があります」

 

 マチルダが時折国へと帰っているのは、妹がいるからというのは聞いている。だが、案外それも理由の一つなのかもしれない。どんなに嫌な出来事があっても、すべてがそうだったわけではないのだから。特に、子供のころから食べていたものというのは、やはり忘れられないものだ。離れてみて、それが分かってくる。

 

「――ねえ。シキの故郷の味って、どんなものなの?」

 

 純粋に興味があるのか、ルイズが尋ねる。

 

「全く違うからイメージしづらいかもしれないな」

 

 ふと、テーブルに載った料理を眺めてみても、先ほどの肉料理に、サラダ、スープなど、こちらの食事は、パンを主食とした洋食だ。米もあるにはあるが、野菜として使うこともあるぐらいかけ離れている。加えて、故郷の味となるとまずは味噌や醤油となるから、説明するとなると難しい。何かにたとえようにも、似たものというのは思いつかない。根本的なところで違ってきている。

 

「まず、米が主食だな。炊く――柔らかく煮たものだから、たまに食べるものと同じと思ってくれていい。ただ、主食が違うから、一緒に食べるものが変わってくる。材料は同じでも、調味料に変わったものを使ったりな。たとえば味噌や醤油、詳しい作り方は知らないが、大豆を発酵させるなりした調味料。しょっぱいのが基本の味なんだが、コクがあるというか何というか……。聞いたことはあるか?」

 

「ミソに、ショウユ? それに発酵って、チーズを作る時なんかの作り方ですよね。発酵で調味料を作るということはないですね」

 

 マチルダがこめかみに指をあてて唸っているが、心当たりはないようだ。

 

「私も聞いたことはないですね。東方には高温多湿な気候の土地があるという話ですし、もしかしたらそういった手法を使っているのかもしれませんが」

 

 エレオノールでも聞いたことがないらしい。専門ではないにしろ学者であるエレオノールが知らないとなると、少なくとも発酵食品というのは一般的ではないらしい。

 

「お姉さまが知らないのなら、本当に変わったものなのね。そういえば、前にお姉さまが見つけてきた、お米で作ったっていうお酒。あれって東方からって話でしたよね? シキも確か故郷でとか言っていたような」

 

「そういえばあったな。同じものかは分からないが、多分作り方は同じなんだとは思う。あれは東方からだったのか?」

 

 この世界は魔法という根本的な常識が違うにしても、地球と地域的に大まかなところでは似通っているらしい。ここをヨーロッパとすると、東方はアジア。町を出歩く中でたまに見かけるアジアの雰囲気がある物。たいていはガラクタのようなものだが、よくよく由来を聞いてみれば東方かららしい。案外、魔法がある以外はほとんど同じなのかもしれない。

 

「ああ、あれね。確か、由来は東方だって言っていたわね。でも、あれは直接東方からの品じゃなくて……。ずっと昔に作り方が伝わって、細々と作っているらしいけれど。うーん、ああいうものかぁ。探せばあるかもしれないけれど、ちょっと分からないわね」

 

 エレオノールが難しいと眉根を寄せている。まじめな顔で考えてはいるが

 

「――あれか。そういえば、飲んだ次の日は」

 

 エレオノールを見て、クツクツと笑ってしまう。あの時のエレオノールは子供のようで可愛らしかった。もちろん、何のことかと顔を真っ赤にして誤魔化そうする今のエレオノールも、だが。

 

「まあ、可能性はあると分かった。のんびり探してみるさ」

 

 今は、それで十分だ。なんなら自分で作るというのに挑戦してもいい。作り方にしても、全くヒントがないというわけじゃない。それはそれで、面白い。いっそ、それで商売をしてみるというのも面白そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん、東方の食事……。文化研究の一環としてないかしら?」

 

 本の表紙を指でなぞり、棚の端からのぞいていく。しかし、さすがの蔵書量を誇る学院の図書館とはいえ、文化、それも東方の文化の研究を行うということ自体が少ないだけに、いかにも心もとない。何冊がめぼしいものをピックアップしてみたが、ヒントになるようなものが見つかれば上出来といったところか。

 

 部屋に戻り、さっそく広げてみる。ぱらぱらとめくってみるが、さっそく壁にぶつかる。東方と一概に言っているが、わずかながらの交流がある場所は一部で、そこから更に広がっているらしい。それだけ広いとなると、東方は東方でも、その中でもどこを指すのか難しい。かたっぱしからあたっていくつもりではあるが、さて、例え「東方の食事」とやらを見つけても、それがシキさんの故郷の味と重なるかは怪しい。もちろん、東方と異世界の住人であるシキさんの故郷と本当に重なるのかという根本的な問題もあるが。とにかく、これはと思うものを抜き出していくしかない。幸い、作り方はともかく、探せば本の中に数行とはいえ記載がある。

 

 多種多様なスパイスで煮込んだ料理、具体的にどんな料理を指すかは分からないが高温の火力を利用するもの、更に変わったものでは生の魚を食すというもの。そしてこれは違って欲しいと心から願うが、虫を食材にするというものも。だが、全く別ものというわけでもなさそうだ。発酵を利用する文化があるということ。東方は気候が多様であり、高温多湿と発酵の条件が整った土地では、そういった手法を使うことがあるらしい。

 

 らしいというだけで具体的な記載はなかったが、可能性を見つけることができただけでも収穫としては十分。貿易を行っているような人間から調査するにしてもヒントになるだろう。

 

「……あの」

 

 控えめに声をかけられる。

 

「――お茶が入りました」

 

 いつも通りの、質素ながらもきちんと洗濯して清潔感のあるメイド服に身を包んだシエスタが手持無沙汰に佇んでいる。いけないいけない。自分で呼んでおいて、すっかり忘れていた。

 

「ん、ありがとう」

 

 シエスタが淹れた紅茶を受け取る。リクエスト通りはちみつをたっぷり入れた甘さが心地良い。満点はさすがにあげないが、きちんと基本を押さえた丁寧な淹れ方は評価できる。この真面目さと、そばかすのある、いかにも純朴な顔立ち、どこかシキさんを思わせる黒髪からなんとなくこの子を指名してしまう。控え目なところも高評価なのだが、今日は珍しく何か主張したげだ。

 

「……何? 気になるの?」

 

 シエスタが、じっと書き散らかしたメモを見ている。

 

「あ、いえ……」

 

 しゅんと子犬のようおびえた様子を見せる。それはそれでこの子の魅力なのだが、そろそろ慣れてくれても良いと思う。これではまるで、私がいじめているようだ。私がいじめるのはルイズだけで、シキさんには、むしろいじめられている。もちろん、それはそれで良いのだけれど。

 

 ――いやいや、昼間から私は何を考えているんだか。そんなことじゃルイズに発情期と言われても言い返せなくなる。今はシエスタと話しているんだから、少なくとも貴族らしく振る舞わなければいけない。

 

「別に怒りはしないわよ。何が書いてあるか気になるんでしょう?」

 

「えっと、……はい。これって東方の食事のことですよね」

 

 シエスタが書き散らかした紙片の一枚を指し示す。殴り書きの、文字だけなのだが。

 

「ああ、そういえばあなた文字が読めるのよね。ちょっと調べているんだけれど、あなたは何か聞いたことがあるかしら?」

 

 別に何かを期待をしているわけではない。気まぐれのようなものだ。

 

「ほとんどは初めて聞くものばかりですけれど……。これなんかは私の故郷の料理に似ているなぁと」

 

 そう言って、さっきじっと見ていたメモを持ち上げる。

 

 料理としては、そこまで奇抜なものではない。山菜でベースを作ったスープを作り、それにいろいろな具材を入れて複雑な味を作るというもの。料理の方法自体はそう珍しいとは思わないが、山菜からというのが少し珍しい。

 

「ふうん……。あなたの故郷では何て呼んでいるの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――シキさん。”ヨシェナベ”というものに聞き覚えはありますか? 山菜で作ったスープに肉でも魚でも、いろいろなものを入れるという煮込み料理なんですけれど」

 

 興奮気味のエレオノールが尋ねてくる。

 

「ヨシェナベ……。ああ、寄せ鍋か! 懐かしいな。寒い時期にはあれが一番だな。具材は何でもいいが、魚介類でも何でも、いつも以上に美味しくなる」

 

 鍋と聞くだけでも、ぐつぐつと煮立つ様子が浮かんでくる。故郷の鍋というものはないが、冬の風物詩。日本人でアレが嫌いだという人間はいないだろう。

 

 しかし鍋か。まず味噌汁なんかを考えていたが、鍋も和食の代表。それに、味噌や醤油じゃなくても、昆布や椎茸の出汁だって和食の基本だ。それなら、案外簡単に手に入るかもしれない。

 

「――シキさん。どうやら故郷の味と同じみたいですね」

 

 見れば、エレオノールが満面の笑みを浮かべている。きっと俺も同じだろう。手に入る可能性があるのなら、探してみてもいいかもしれない。とりあえず、市場にでも行ってみるか。せっかくなら一緒に。

 

「じゃあ、私はちょっとやることがあるので……」

 

 誘おうと思ったのだが、足早に歩き去ってしまう。一度だけ笑顔で振り返って、そのままに。

 

 まあ、探すだけなら一人でも良い。

 

 さっそく出かける準備を――といっても、そう大したことはない。いつも通りの白のシャツに、まだ肌寒いらしいから周りに合わせるための皮のコート、探すものが「珍味」に分類されるものかもしれないから、少々手持ちを多目にする程度だ。あとは、できれば町の様子に詳しい人間が欲しいところか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――食材探し、ですか?」

 

 普段着に、薄手のカーディガンを羽織ったマチルダが首をかしげる。その拍子に、珍しく結ばずにおろした髪が肩口をすべる。

 

「ああ、時間があればでいいんだが、珍しいという言われるようなものを扱っている店を知っていれば教えてくれないかと思ってな」

 

「ふふ。例え忙しくたって断ったりなんてしませんよ。珍しくシキさんからデートに誘ってくれたんですもの」

 

「デートと言えるほど大したことじゃないんだが……」

 

 言葉の途中で、口元に指があてられる。

 

「そういう野暮なことは言うものじゃないですよ。女性がデートだって思ったらデートなんです。あ、デートだから二人きりじゃないと、嫌ですよ? すぐに着替えますから、待ってて下さいね。何なら部屋の中で待ってもらってもいいですけれど。……ふふ、嘘ですよ。結局出かけないなんてことになったら嫌ですもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人、並んで歩く。手をつないだりはしないが、右手にマチルダが腕を絡ませて。女性にしては身長が高いから、引っ張るようなことにはならない。

 

 まずは食材が並ぶ市から。スーパーのような品揃えはさすがに期待できないだろうが、周辺の地域から農産物が集まっていて、珍しいものもあるかもしれないとのことだ。

 

 ただものが載せられれば良いとばかりに木の板を打ち付けただけの台があり、そのうえに自分で作った野菜やらどこかの山から探してきたらしい食材が並んでいる。並ぶものは知るものと同じ。ホウレンソウやカブ、形は不ぞろいだったり、虫食いがあったりもするが、たぶん同じものだろう。

 

 さて、目的の一つ、キノコはどうだろうか? さすがに栽培はしていないだろうから、取ってきたものになるのか。右へ左へと視線をやりながら探していく。名前は知らなくとも見覚えある食材ばかりではあるが、どちらかというと洋食をイメージさせる食材ばかりのようだ。そんな中で見つけたキノコも、椎茸とはやはり違うようだ。

 

「――キノコも探している食材なんですよね?