無双†転生 (所長)
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プロローグ

 ご注意。

 作中で後漢における長さ、重さ、体積、時間などの単位を使用しております。大部分はメートル法などで補足しておりますが、わかりにくい点などがあるかもしれません。日本の尺貫法と同じ単位を使いながら中身が異なることもあります。
 また、後漢における官位に加え、一部は創作した官位を使用しており、任官の対象も史実に正確ではないことが多々あります。

 内包する要素は作品のタグになるべく記載してあるつもりですので、警告タグ以外も今一度ご確認ください。
 警告タグには含んでいませんが、三国志演義や史実のエピソードをアレンジするにあたり特定のキャラクターへの批判などを描写する可能性があります。原作キャラを悪人に仕立てようといった意図は一切ありませんので、ご理解くださいますようお願いいたします。

 あともちろんフィクションです。


 そろそろ夏も近づき、長袖の服をしまい始めた頃。

 数日続いた過ごしやすい夜から一転、今日からは折角の休日だというのに、今夜は太平洋高気圧さんが頑張り過ぎちゃいましたと言わんばかりの熱帯夜で、横になるときにつけたエアコンがタイマーで切れてからも転がり続け、カーテンの外が白み始めた頃になってようやく雀さんにお休みを言った。

 

 

 

 

 目が覚めれば午前11時53分。

 寝相と汗で凄いことになってるシーツをはぎ取りつつ、のろのろと脱衣所へ向かう。

 パジャマとシーツを洗濯機に放り込んで、ぬるめのシャワーを浴びながらヒゲを剃り、全身くまなく洗って綺麗に流し、贅肉の落ちた腕の表面を撫でながら「見て見て奥さんこのタマゴ肌!」などと言ってるウチに徐々に頭も覚醒してくる。

 

 おろしたての服を着て、洗濯機は……あー、パジャマとシーツ一緒に放り込んじゃったよ……あきらめよう。乾燥まで入れて1時間とちょっと。お昼ご飯を食べに行って、夕飯の材料を買って来たら1時間半くらいか?

 洗濯物のことを考えるのは帰ってからでいっか、と財布を持って玄関へ。休みの日用の履き慣れていない靴を履いて、うだるような暑さの外に出て、部屋の鍵を回して、駐車場に向かって歩き出し、携帯と愛車のキーを忘れたことに気が付いて振り返ると、

 

 

 一面真っ青な世界に、黒髪の超絶美女が浮かんでいた。



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0-0 序章

「脱げ」

「……は?」

 

 目の前の黒髪超絶美人がいきなり脱衣命令をして来た。クレオパトラと仮称する。

 っていうかここはドコd

 

「二度は言わぬ」

 

 そう宣言すると同時に俺は両脇を白いドレスのような服を着た金髪美女たちに捕まれて服を脱がされにかかる。

 え? この人たちどっから現れた?

 

「……はっ! いやいや待て待て待てーい!」

 

 なんとか金髪美女――アリスと仮称――を振り払って自らを抱き寄せることか弱き少女のごとし。

 

「誰が脱ぐか! っていうか何で脱がせるの! 意味わからん」

 

 アリス(仮)は困惑したようにクレオパトラ(仮)を見るが

 

「……やれ」

 

 Oh……

 

「ふぉおおおおおお! 必殺ダンゴムシ拳!」

 

 説明しよう! ダンゴムシ拳とは――

 ガシッ

 あ、やべ

 

「脱いでたまるかァ!」

 

 苦節6ヶ月! 家族にも友達にも内緒でいきなりマッチョになって動画サイトに裸体を晒そう計画も残すところあと1週間! 皆様いかがお過ごしでしょうかい避!

 

 ビリッ

 アッー!

 

「く、くそっ! どこの誰とも知れぬ輩に未完成俺のマッチョな上腕二頭筋を晒すことになるとはなんたる不覚! だが! それでも! 守りたい筋肉があるんだあああー!」

 

 ガシッ

 あ。やだアリス(仮)ったら積極てkそうじゃない!

 

「あと1週間! あと1週間、秘密筋肉を守り通せばその後は晒す! だから見逃してくれ!(あとメルアド交換してくれ!)」

 

 ビリビリー。やめて!

 

「ら、らめぇー!」

 

 アリス(仮)に無理矢理脱がされてクレオパトラ(仮)に裸体を晒す俺。

 

「しくしくしくしく……」

 

 未完成のマッチョを対価にしてもクレオパトラ(仮)たちのメルアドを知ることすら出来なかった。体脂肪率2%切ってるから目から溢れるオイルも1㎏しか流せまい。いっそのこと全部流してしまおうか。

 っていうか

 

「ここはドコだ」

「脱ぐ前に気付け」

「気付く前に脱がせるな」

 

 上も下も真っ青である。秋の空のように深い蒼。まるで空に浮いているかのようだ。足下も青しかないけど。あの世か! そしてアリス(仮)はまたどこかに消えてた。

 

 とりあえず練習していたポージングを決める。クレオパトラ(仮)には背筋の盛り上がる様子が見えているだろう。

 

「ヌシは死んだ」

「……ふぅ~、フッ! マジで」

 

 ゆっくり振り返ると、腕をまっすぐに伸ばし、前腕の筋肉を盛り上げる。クレオパトラ(仮)の視線は大胸筋から腕の先へと向かう。視線が握り拳まで向かったところで、拳で視線を掴んだまま腰の前で手首を交差させる。腕、腹、胸の筋肉がギュッと引き締まり、僧帽筋が大きく盛り上がった。

 

「う、うむ。マジだ」

 

 あー、やっぱ死んでたか。あんまり親孝行出来なかったなー。

 

「すぅ……ハァッ! ではここは死後の世界か?」

 

 身体をひねり、上腕から肩にかけての筋肉を見せつける。肩越しに窺えばクレオパトラ(仮)は少しばかり頬を染めているようだ。さすが俺の筋肉。

 

「そうだ……ハァハァ」

 

 死後の世界か。好きな色に囲まれているのは幸せなのかもしれないな。

 

「フウゥゥ……すぅ、フン! 俺の死因は何だ? 思い当たる節がない」

 

 腕を押し上げるほどに膨らんだ広背筋がクレオパトラ(仮)を誘う。

 頬を赤く染めたクレオパトラ(仮)の目が潤み――

 

「ごめんなさい」

「……言えないような死因か?」

 

 それも事情を知る他人が涙しちゃう程の。

 振り返った瞬間にその勢いで頸椎骨折してたとか。それは貧弱すぎて可哀想だ。

 

「ちっ、違うのだ! 死因は心臓麻痺なのだ! だが、その……」

「だが、何だ?」

 

 大胸筋を揺らしながら待つ。もしやこんなことしてるから心臓麻痺になるのか?

 

「あぁ……ああっ……! それは私が、その――ハァハァ――殺してしまって」

「うん? 心臓麻痺なのに殺されたとはどういうことだ」

「えっと、だから――ハァハァ――私が、心臓麻痺にして殺したのだ!」

 

 で、デスノ――ゲフン! 詳しく話を聞けば、面白い人間、つまり俺を見かけて観察していたが、一週間後に迫ったネタバレの日を前に殺せばどんな反応をするのか気になり実行したとのこと。

 あー、やっぱりこの女性(ひと)は神様か? いきなり脱がせたのは事情を知っていたからなんだな。納得した。

 

「ぉ、怒らないのか?」

「え? あー。んー。これを言うと自虐っぽく聞こえるかもしれないんだけどさ」

「ああ」

「俺って、俺の都合でアリを拾い上げたり潰したりしても、アリの気持ちなんて考えないと思うんだよね」

「神と人の関係が、それにあたる、と?」

「関係というか、考え方がね」

「……うむ。よくわかっている。人と神の距離はそんなに近くはないが、構図はまさしくその通りだ」

 

 やっぱり神か。雰囲気凄いもんな。オイルを流しきっていなかったら黄金の流動体で出来た紳士の魂を漏らしていたかもしれないね。友達や家族に自慢できないのは残念だ。

 

「それで、俺の死には(たのしんで)意味があった(もらえた)かい?」

「……それは……」

 

 聞けば、自らの死を理解しているにも関わらず薄暗い感情を持たず、目の前の観客を楽しませよう、あとどのくらい楽しませてあげられるのか、遺してきた友人家族への感謝と謝罪、滅私の感情を覗くに至って強い後悔の念にとらわれたとのこと。顔に出てた?

 あとついでに惚れたとのこと。

 

「……惚れた?」

「先っちょだけ」

「メルアド交換してくれ!」

「携帯電話を持ってない」

「そういえば俺も持ってないな」

 

 部屋に置きっぱなしである。諦めて話を聞く。

 これから俺は「どうしたいのか」を選ばなければならない。クレオパトラ(仮)が示した選択肢は三つ。

 

 一つ、生き返る。一度死んで生き返った人間として生きる。これはないな。ある日突然マッチョ(突マ)がかすむ程のインパクトになってしまう。っていうか生きづらいことこの上ない。みんなには悪いが、もう一緒に生きることは出来ないだろう。

 二つ、神になる。超新星爆発を起こす程度(また垣)の能力とか手に入るとか。オススメらしい。いやこのオススメは私情入ってるだろう。多分このクレオパトラ(仮)自身が神で、惚れたから一緒にいてくれって意味なんだろうが、これもあまり選びたくないな。

 三つ、記憶を持ったまま生まれ変わる。転生や半トリップを選べるらしいが、ある程度の年齢でもって誕生する半トリップ型であっても世界的には一から生み出されることになるらしく、過去を持たない人間となるらしい。

 

「言っちゃ悪いんだが、遺してきた友人家族に俺が返すはずだった分くらいの幸せを返しつつ俺自身は死ぬ、というような選択肢はないのか?」

「う……。幸せを返す、となるとな。ヌシが死んだ途端に今までよりも幸福になってしまうワケでな?」

「ん? あぁー。俺が疫病神だった、みたいに思われるかもしれないのか」

「うむ……」

 

 そんなこと言われても死んでるものは死んでるしなぁ。

 

「まあ、それでもいいや。なるべくいっぱい幸せにしてやって欲しい。出来るか?」

「……良いのか?」

「『二度は言わぬ』――だったか?」

 

 少しおどけてみせると、クレオパトラ(仮)も柔らかく笑う。

 

「わかった。任せよ」

「頼むよ」

 

 

 

 それから少しだけ会話し――やがて、覚悟が決まった。

 

「よし、じゃあ逝くか」

「え?」

「んー、名残惜しくはあるが、そろそろ死んでも良いかなと思ってね」

 

 これを聞いたクレオパトラ(仮)が慌て出す。

 

「待て! 待ってくれ!」

「ん?」

「ヌシは死にたいのか!?」

「いや?」

 

 何を言っているんだ?

 

「ならば何故『死ぬ』などと口にするのだ!」

「何故って……幸せを返して俺自身は死ぬ、という選択をしたつもりだったんだが」

 

 認識の齟齬があるらしいな。

 

 

 

 どうやら先に幸せを返した件はクレオパトラ(仮)の謝罪のつもりだったようだ。言われもしないのにそんなのわかるか! と指摘しただけで彼女は涙目である。弱すぎる。

 彼女は「勝手な言い分ですまないが」と前置きし

 

「ヌシには生きて欲しいのだ」

「ホントに勝手だな!?」

「うぅ」

 

 またしても涙目である。

 あ。泣いた。あーあ、泣ーかしたー。

 

「あー。ほら泣くな」

 

 涙をぬぐってみる。

 

「勝手な言い分だとは思うさ。だが、怒ってもいなければ、恨んでもいない。もう返して貰ったしな(ちょっと呆れたけど)」

「――グスッ」

「わかった。生きることにするから泣くなって。ほらっ」

 

 そう言って手を差し出して腕の筋肉を見せつける。クレオパトラ(仮)の目は釘付けだ!

 勢いで決めちゃったけど、まあいいか。とりあえず情報収集から始めよう。

 

「で、転生っていうのはどういうトコに生まれるんだ?」

 

 出来たら日本がいいなぁ。それも近未来の東京。徒歩通学が出来る小中高大学と自転車通勤が出来る会社が揃ってる裕福な家庭がいい。ついでにお金持ちで性格の良い美少女の幼なじみが2-3人いて

 

「贅沢すぎるわ!」

 

 突っ込まれた。やべ、具体的な条件が顔に出てた?

 

「やだなぁ、冗談じゃないか。さすがに東京は諦めるよ」

「そこじゃない!」

 

 違ったらしい。妥協してサイタマでも良かったんだが……。

 

「そもそも同時代、あるいは未来には生まれられぬ」

「何ィ!? ……まあいいか」

 

 とりあえず平和な時代で美少女幼なじみが居ればいいや。

 

「それどころか同じ世界には生まれられぬ」

「何ィ!? ……まあい――いや良くない! 青い肌の両生類系女子(あるいはメス)と幼なじみとかは断固拒否する! じゃあ昆虫系はどうかって? いやだよ!」

「落ち着け」

 

 落ち着いた。よく考えたらネコミミならいいじゃん。

 話を聞いてみると、どうやら行ける『世界』というのはおおよそ決まっているらしい。

 ちゃんとした人間もいるが、俺たちの住んでいた世界とは別の歴史、あるいは似たような歴史を刻む別世界ってヤツだそうだ。

 そんなものがあったんだな。ちょっと驚いた。

 

「そういうコトは先に言えよー」

「先に言わせろよ?」

「ごめんなさい」

「ではどのような世界に送るのか、あるいは私付きの神になるのかを決めようと思う」

「後半なんかダダ漏れですよ」

「いくつかの質問に答えて貰う!」

 

 好きな女性のタイプは? 賢い黒髪の人と答えたらもの凄くアピールしてきた。やめてよね。頭悪く見えるでしょ。

 好きな三国志武将は? 張遼。戦国武将だと――え? 戦国武将いらない?

 好きな三国志の国は? 魏。なんで三国志?

 好きな三国志ゲームは? 無双。三国志強調しすぎだろ。

 好きな三国志武将の出身地は?

 

「ねぇよそんなもん! 三国志の世界か! もしくは三国志に似た状態の世界か!」

「hai」

「さすがにそれは死ぬでしょう?」

 

 死亡フラグ満載過ぎて過積載である。

 だが普通の人間がいそうで良かった。2千年前の人間って骨格から違いそうだけど。

 

「私付きの神になってもらってもいいんじゃよ?(チラッ」

「あ、何か嫌いになってきたかもしれない」

「(ビクン)」

 

 じと目で見つめることしばし

 

「そ、そうだ! 転生に当たって能力の特典をつけよう! (テン)プレゼントだ!」

「うん? 何か不穏な言葉が」

「キノセイデース」

「わかりました」

 

 わかるー。大人の事情だよねー。それにしても能力か。

 

「じゃあ王の財宝――王の財宝ってなんだ?」

「えっ」

「えっ」

 

 違うんです。口が勝手に動いたんです! ほんとうです!

 

「……」「……」

 

「やり直していいですか?」

「構わぬ」

 

「じゃあ近未来東京を再現できる能力を」

「遠回しに神になりたいと言っているんだな?」

「おとこわりします」

 

 ダメか。町田を南蛮ってことにして浦安は東京に含めてもいいと思うんだが。奥多摩は五胡で千葉は高句麗だな。

 うーん。どうやって近代社会を再現するか……。上下水に摩天楼、道路……そうだ!

 

「じゃあ土木工事をスムーズに行える知識や能力と、保険として乱世の荒波を乗り越えられる丈夫な身体をいただきたい」

 

 器用な指先とか病気になりづらい身体とか柔軟な関節や筋肉とか!

 

「ふむ――(ニヤリ)――いいだろう。丈夫な身体と土木工事に向く力を与える!」

 

 あれ? 何か喜ばせる要素があった? まあいいか。

 

「あ、半トリップだっけ、大人の姿で頼むよ」

「わかっておる」

 

 おっけー、これで子供時代に死ぬコトは回避出来た! あれ? でも、もしかして世界的には生まれたばかりって事になるのか?

 見た目は大人、頭脳も大人、実年齢だけ子供! みたいな。……まあいいか。

 

「それじゃあ、お礼に――コレを」

 

 逆三角形の上半身をこれでもかと見せつけるとっておきのポーズで感謝を示す。

 

「ぉぉぉ……! ハァハァ――(ゴクリ)」

 

 フフフ、どうやらこちらの謝意を存分に受け取っているようだな。

 

 三国志時代。死亡フラグ過積載の時代である。身動きすら取れない乳児時代から死亡フラグに晒される生活は遠慮したい。幸いにも戸籍がはっきりしないだろう時代でもあるので、突然大人として出現したところで大きな問題にはなるまい。

 どこかの川の近くに送り出して貰えばいい。水は丈夫な身体で何とかなるだろうし、川から土木工事の能力でいくらか水を引いてヤナ場を作ってしまえば食べるのには困らないだろう。

 

 

「ところで三国志の登場人物名なんてあんまり覚えてないから、何て名乗ったら不自然でないのかわからないんだ。そこで、だ。転生後の俺に名前を付けてくれないか?」

 

 クレオパトラ(仮)は一瞬きょとんとした後、にっこりと笑って頷いた。

 

「名を空海。真名を天来(てんらい)と名乗るが良い」

「まな?」

 

 聞き覚えのない単語が出てきた。

 

「身内やかなり親しい間柄でのみ使用する名前だ。許しを得ずに呼ぶことは大変な失礼にあたると理解しておけ。空海も正確に言えば法名……まぁ『号』と言えば良いだろう」

「なるほど。そして一つ言わせて欲しいのだが、空海は日本人僧侶の名前だよね」

「価値観の違う現地人と同じ様に名乗って疑われない自信があるのか?」

「ないです(キッパリ)」

 

 確かに流行りの漢詩とか聞かれても答えようが――

 

「そういえば言葉が通じない!」

「それは心配せずとも良い。ちゃんと言葉の通じる場所(・・・・・・・・)だ」

「おお、助かった!」

 

 その他、いくつかの注意事項を聞く。一つ、知らない男の人にホイホイついて行かないこと。二つ、知らない女の人にホイホイ真名を許さないこと。三つ、利率3%を超える国債に手を出さないこと。あとは好きにやれ。

 何とか守れそうな項目ばかりだ。

 ちなみにこれだけ守っていればまず痛い目には遭わないとのこと。

 あれ? 三国志ってそんなヌルかったっけ?

 

 何はともあれそろそろ話も尽きたようだ。

 最後に出現場所の要望を伝え終えれば、あたりは静寂に包まれた。

 

「……ではな、空海。空の果てと、海の果てとを別ける者よ」

「そんな大げさな意味あったの!? あ、そういえば貴女の名を聞き忘れていたが」

「私の名は天照。日の本をあまねく照らす者だ」

「超大物じゃねぇか!」

 

 だが言われて見れば小雪っぽい日本人で通るような顔つきではある。

 天照はその端正な顔を笑みの形にして、告げた。

 

「では、また会おう(・・・・・)

 

 ん? また(・・)

 疑問を口にする前に、俺は『外』に立っていた。

 

 青い空、どこまでも広がる大地、見下ろす先にある大河――

 

 そして

 

 

「あー。あんにゃろ……やりやがった」

 

 力の使い方が脳裏に浮かぶ。

 その名称も。

 

 

 

 

 天地を開闢する(土木工事を行う)程度の能力

 種族:神

 

 

 

 

 どうするんだこれ。



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1-1 天水の江陵

 2話までが旧第一章からの差し替えになります。



「あー」

 

 魂が抜けるような、気だるい午後の欠伸のような、何かを納得するかのような、諦めを含んだような微妙な嘆きの音が漏れる。

 小さな口、小さな顔、小さな身体、やや高い声。まるきり子供姿になり果てた男、空海である。

 声を漏らす前に把握していたいくつかの衝撃的な事実に折り合いをつけるため、何とはなしに声を漏らしたのだが……結果的には、自分の身体の変化という更に衝撃的な事実が積み重なって言葉を失う。

 

「……ちいせぇ」

 

 まず視界が低くなっているのだ。見知らぬ土地で見知らぬ風景で見知らぬ白い着物青い羽織姿をしている上に、背丈まで変わっていた。元々身長が低かったため視界の低さには敏感なのだ。

 おまけに口にした台詞も音が高く、声変わり前と言われても違和感がない。

 

「でけぇ」

 

 目の前の川が、である。目の前と言っても川まで1㎞近くはあるだろう。そして、それほど離れて見ているにも関わらず、大河の流れは地面の何割かを彩っている。

 一見、何の因果関係も見いだせない空海と目の前の川だが、今、空海は壮大な自然と身長との対比に理不尽を感じていた。

 

「くっそ。なんで俺はちっちゃくなってるのに……お前はでかいんだパンチ!」

 

 

 川が消えた。

 

 

「……えー? うっそーマジー? 消滅が許されるのは小学生(反物質)までだよねー!」

 

 消えていた。

 

「――マジで?」

 

 

「えー。検証の結果、川を作るとセットで魚も出来ることが判明した」

 

 検証などと言っているが慌てて作り直しただけである。一方で身体能力が向上していることも判明した。その場から一歩も動かずに1㎞も先にある水中で泳いでいる小魚の姿を視界に捕らえたのだ。普通の人間なら船で魚の真上まで近づいても見えないだろう。

 背後から聞こえる木々の間を風が通り抜ける音ですらも何メートル何ミリ離れた所から発生したものなのかが感覚的に理解できるし、頑張れば左前方5㎞ほどの位置に街があること、さらに30㎞ほど先や右前方40㎞ほどの位置には城壁に囲まれた都市が存在することもわかった。

 

「なるほど……わからん」

 

 川を作り直してわかったことと言えば、思った通りに力が使えるということくらいだ。

 川が作れれば十分かもしれないが、能力はもっと出来ると囁いて――実際に空海の頭に説明が浮かんでいた。操作マニュアルのごとく。

 ()()()()()()()程度の能力。

 ()()()()()パンチが撃てる。山とか川とか海とか作れる。金とか無限に作れる。月とか宇宙とか作れる能力。お湯や水が無限に湧き出る泉とか作れる。人間では傷つけられないような堅い物質とか、綿飴のように柔らかいのに絶対にちぎれない物質とか作れる。あらゆる物質を()()()()()()()()()()にできる能力。

 概念を加えさえすれば建物を倒れないように出来るし、空中に建物を固定することも、空中を漂う建物を作ることも可能。ラピュタは本当にあった、もとい、作れるのだ。

 どう見ても数学と物理学と土木工事とその他諸々に喧嘩を売っている。

 

「だが、オリジナルの空海もその辺をつついて温泉を作っていたんだから、温泉くらいは作れても不思議はない――のか? まあいいや、温泉作ろう」

 

 今は癒やしが必要だ。空海は超新星とか明らかにヤバそうなもの全てを後回しにした。

 

 

 

「風゛呂リー……です」

 

 いいお湯である。睡眠が必要ない神も、薄ぼんやりと眠気くらいは感じられる。空海は癒やし効果を求めて作った温泉を心底活用するつもりだった。現実逃避の一環として。

 

 いざ風呂に入ろうか、と思った時になって気がついたのだが、空海は着物の着付けなど出来ないし洗濯の方法などもわからない。どうしようかと悩んだとき、脳裏に閃くものがあった。それは――着物の説明書である。

 思わず「なんでやねん」と叫んでしまった空海に罪はないだろう。

 頭に浮かんだ説明では、汚れない、(着衣のまま)丸洗い可、自浄機能、自己進化機能、自動防御機能、温湿度調整機能、消臭殺菌だの殺虫だの粛正だの諸々やってくれるとか。

 簡単に言えば使えば使うほど綺麗になっていく服だそうだ。あと身につけたいと思えば勝手に装着される便利機能付き。脱ぎたいときも同じく。情緒がない。

 ここまでの説明をゆっくりとかみ砕いて理解した空海は、もう一度「なんでやねん」と呟いて温泉に沈んだ。お湯の中で着物を脱いだり着たりして遊んだのは秘密である。

 

 

「うーん……どうしようかなぁ」

 

 空海は湯船につかったまま呟く。悩んでいるのは今後の方針だ。

 神という種族は年を取らないし桁違いに強い。であればこそ集団に受け入れられるのは難しいし、一部の人間にとってはどんな手段を用いても手に入れたい諸々がある。そしてそういった諸々に執着する人間、他者の若さや強さなどを求める人間は、他者の持つもので自身を満たしてきた者達の間にこそ多いだろうと予想できた。

 つまり、権力者に追われまくるどどめ色の未来だ。

 

「ぐぬぬ。逃げることは簡単なんだけど……ぶくぶくぶく」

 

 逃げたり隠れたりすることは難しくない。身体スペック的にはジャンプ一つで太陽系を脱出できるし、呼吸も必要ないし睡眠も不要なので火の中水の中土の中で何十年も動きを止めていれば相手もいずれ忘れるか諦めるかするだろう。

 しかし、だ。天照も言っていたではないか、と空海は自身に言い訳する。知らない男の人にホイホイついて行ったり知らない女の人にホイホイ真名を許したり利率3%を超える国債に手出ししなければ好きにやっていいと。天照の言うことも一理ある。確かに国債の利率は流動的であるため、きわどい指標で運用していたらいつの間にか3%を超えていたなんてこともあるかもしれないが、他の二つは見たらわかるのだから。

 一言でまとめると寂しいので人に関わりたい。独り言が多いのもそのせいだ。

 

「となれば、関わっても不都合が出ないようにしなくてはいけないからー」

 

 空海は2秒ほど真剣に考え、結論した。

 

「日本人らしく形容しがたい日本のようなものを作ればいいのでは?」

 

 商売っ気とテクノロジーと海的なもので、戦うより味方にした方が得という立ち位置の国を作り、そこの権力者となるのだ。しかしそれには一つの問題がある。

 

「せっかく三国志っぽい土地にきたのに、なぜ日本に戻って政治家の真似事をしなくてはならないのか? ――っていうか、結果的に神になるなら近未来東京を再現できる能力が欲しかった……ぶくぶくぶく」

 

 空海は30秒だけ凹んでから水面に浮かび上がる。

 

「……んー、三国志のマップに使えそうなところってなかったっけ?」

 

 地方。幽州とか交州とかだ。地方は比較的守りやすいが仮想敵国から見て後背に当たる場合がある。そうなれば、相手は領地の安定のため、別の敵国への対応のために積極的に平定を狙ってくることだろう。三国へと集約することがわかっているのに一国の後ろ側に隠れるような土地で勢力を築いても防衛が難しくなるだけだ。

 中央。意外と狙い目かもしれない。中原スタートの曹操プレイでは、周辺勢力との間に友好関係を築いて周辺勢力同士がつぶし合っている間に一点突破で勢力を伸ばすのが全土制圧への近道だ。しかし、反董卓連合という歴史も存在する。強大すぎる権力を一勢力が手にした場合、その手段次第では全土をまとめて敵に回すことになることもある。

 ならば、現在の中央からは外れていて、将来の三国における係争地。荊州襄陽や江陵、漢寿、江夏あたりならどういうことが出来るだろうか。

 

 ――なかなか良いんじゃないか?

 

 空海は浮かんだ考えを自画自賛してみる。

 例えば孫権になりきって考えてみよう。彼は長江下流の呉から北の魏や西の蜀を狙うが長江上流の江陵や江夏を二国に奪われれば呉の危機だ。出来れば奪いたいが、相手が強いのなら最低でも中立であって欲しい。

 曹操になりきって考える。魏にしてみれば呉や蜀を狙う足がかりに必須の襄陽や江陵は南方への出入り口の一つにあたるはずだ。だが、最大勢力の曹操にとっては必須でない、という事実も重要だ。他に取られたくはないがなくても道は存在する。

 劉備なら、蜀にとって二国への出口になる襄陽と江陵。特に呉への通過点として必須の経路だ。魏へは他の道もなくはないが、敵国に抑えられることは避けたい土地でもある。

 

 それらの都市は、敵国に奪われて欲しくない立地にあるのは間違いない。なら、そこに他の理由も加わればどうなるだろう。

 例えば攻撃を考える幹部たちがその地の出身者で、その地を深く愛しているとか。

 例えば攻撃を考える国では普段からその地と大量の商取引を行っているとか。

 例えば攻撃を考える国の民は他所から来た君主よりその地に愛着を持っているとか。

 敵国に奪われては困るからその地の防衛を手伝うように動かざるを得ないだとか。

 

 考えれば考えるほどに、空海にはこの発想が優れたものに感じられた。漫画で培った三国志知識と戦略ゲームで培った直感が合わさり最強に見える。

 

 ――フフフ、いいぞ! 冴え渡れ、小覇王出陣シナリオを呂布プレイで勝ち抜ける俺の戦略眼! 名付けて天下三.五分の計ッ!

 

「うん。襄陽か江陵か江夏だな!」

 

 空海は最後まで、三国が競い合ってその土地を狙ってくる可能性に気が付かなかった。

 

 

 

「よし! 行くか!」

 

 山の斜面に立った空海が夕闇を見渡して頷く。

 温泉でのんびりしている間に、西(だろう)にある山間に日は沈み世界は薄明に包まれていた。

 

「方角よし!」

 

 大体の東西南北を指差して目印になりそうな地形などを確認する。

 

「秘密基地よし!」

 

 背後の斜面に作られた怪しげな入り口――無限湧きの温泉、当面の活動記録を残すための机や本棚を備えた活動拠点のそれを指差して満足げに頷く。

 

「次っ! 能力確認!」

 

 ちょっと確認のために――比較的に難しいだろう――超新星を作ってみようかと考え、全天から目立たない場所を検討し、南側の星座の方が見づらかったことを思い出して南の空の外れに作れば目立たないのではないかと楽観的に結論して山を登る。

 

「ぜーはー……とは一体なんだったのか。まったく疲れない。なんだこれ絶好調」

 

 空海は標高にして100メートルか200メートルかというその山を登り切ると周りを見回し、数㎞西に一回り高い山を発見してジャンプで向かう。そしてまた頂上から南西の方角に跳んで、今度こそ南の空を見つめる。

 いよいよ超新星爆発を生で見られるんだ、と。

 

 ――しかし1000光年じゃ威力が大きすぎたときに地球がヤバいな……1万光年まで行くと怯えすぎのような気がするし。遠いと暗くなる、よな?

 

 数百光年内で巨大な超新星爆発が起こった場合、オゾン層に著しい影響が発生して生態系への重大な悪影響が引き起こされる可能性がある。という情報をテレビで聞いたことのあった空海は若干ビビっていた。

 

 ――あ、でもそしたら過去に爆発させておかなきゃならんのか。出来るけど。それなら……よし。よし、8000光年先だ!

 

 若干日和った空海は拳を固める。

 

「祝! 方針決定!」

 

 松の木の枝に腰掛けたまま少しだけ身体をひねって、南の空の明るい星の横を睨む。

 

「8000年前、あの方向8000光年先に()()()()()パンチ!」

 

 

 

 歴史書『後漢書』の天文志にはこうある。

『十月癸亥、客星出南門中、大如半筵、五色喜怒、稍小、至后年六月消』

 中平二年十月癸亥(西暦185年12月7日)、南門(ケンタウルス座)に突如として眩い星(客星)が現れた。

 大陸南方の地でかろうじて南の空の端に浮かぶそれは、8ヶ月もの間、夜空で()()()()()()となった。

 

 世の乱れが徐々に顕わとなった時代、人々はこれを凶事の前触れと捉えたという。

 

 

 

 空海は音を置き去りにして星と反対側に逃げ出し、雲を引きながら川に飛び込んだ。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「ご降臨お慶び申し上げます」

 

 イケメンの少年が棒読みで告げた。

 

「う、うん」

 

 道士風、とでも言えばいいのだろうか。ゆったりとした、そしてかなり仕立ての良い服に身を包んだイケメンの少年と、少年と同じく道士風の装束を身に纏ったイケメン眼鏡の青年、紐パン装着のボディビルダー風な筋肉に三つ編みが生えたものと、布製のビキニの様な装束を変態チックな燕尾服で隠した筋肉ヒゲが空海の前で(かしず)いている。

 

「とりあえず、なんでここがわかったの?」

 

 およそ12時間前に幅千数百メートルはあろうかという巨大な川に飛び込んだ空海は、約10時間の死んだふりと約2時間の瞑想の果てに自然の摂理として東の空に昇った光の塊を見て「そうだ、太陽も明るいんだから問題ない」と結論し、川岸に上陸していた。

 そして、付近の人里を目指して数分進んだ所で4人に捕まったのだ。

 

「大御神より遣わされましたので」

 

 見た目に知的なイケメン眼鏡青年が落ち着いた声で答える。

 

「なるほどなるほど」

 

 空海は「お天道様には隠し事が出来ないということか」と笑う。最初から全部見られていたのではないかと内心焦っていたのだ。

 

「そういえば、ここが何処だかわかる?」

「荊州南郡は江陵県の南です」

「おお、江陵? ……へぇー、江陵。……。計算通り(ニヤリ)」

 

 空海の心情を一言で表すなら「もうここでいいや」である。

 本命の地はおざなりに決まった。

 

「お前たちは……えーと、名前は?」

 

 何かを言いかけた空海が呼び方に迷い、4人に尋ねる。

 

()(きつ)と申します」

 

 最初に答えたのは眼鏡の青年だ。優しげな風貌ではあるものの表情を動かさないことに空海は気付いていた。道士風の服装といい、仙人のように何かしらを悟った存在なのかもしれない。

 

()()

 

 イケメン少年が簡潔に告げる。こちらは逆に表情豊かといった所だろうか、ふて腐れたような態度はとても道士や仙人と呼ばれる類の存在には見えない。ただ、白髪に見えるほどに薄い茶色の髪と額に刻まれた謎の紋様、于吉に似た道士風の服と相まって、神秘的な雰囲気は見られる。

 

()()()じゃ」

 

 全盛期のシュワちゃんが仮装したらこんな感じだろう。ビキニ風の布きれ、襟とネクタイだけがついた前あきの変態燕尾服、弥生人風とでも言うべき無駄な髪型オシャレ、アンテナと見まごうばかりの立派な白髭と立派なケツ顎。声まで渋いが、膝をついた姿勢でも若干内股であったり、地面についた拳の小指が立っていたりする。

 

(ちょう)(せん)よぉん」

 

 卑弥呼に続いて内股気味の筋肉。ピンクの紐パン、明るいルージュ、の筋肉。もみあげ部分だけを三つ編みにしてピンクのリボンを結び、頭部を無毛地帯にした奇抜な髪型、の筋肉。切りそろえられたあごひげの周り2㎝くらいを見ているだけなら常人に見える気がしたので、空海は貂蝉をその部位で判別することにした。

 

「ほぉ。于吉、左慈、卑弥呼、貂蝉……? って、同姓同名の有名人がこの世界にいる、なんてことは」

「ないですね」「ない」「ないのぅ」「ないわよぉん」

「半分絶望した!」

 

 空海は頭を抱えて15秒ほど唸り――目の前で頭を抱えた空海を見て4人は慌てていたのだが空海は一切無視した――唐突に顔を上げた。

 

「よし、立ち直った。話を戻すと、お前たちが何でここにいるのか聞きたかった。つまり天照に言われて何をしに来たのって」

「む? 大丈夫そう、じゃな。うむ、儂らがここに遣わされたのは――」

 

 聞けば、天照が空海を心配してつけたサポート超人だそうだ。

 左慈は道術使いで無手の近接戦闘が得意。気の扱いは一級品であるとか。

 于吉は方術使いであり医学に精通。傀儡の扱いと謀略を得意としている。

 貂蝉は踊り子。人とのふれあいが得意。気の扱いは左慈に並ぶ。

 卑弥呼は見た目に反して政治に絡んだ話が得意。貂蝉の兄弟子に当たるらしい。

 

 気が存在すると聞いてテンションの上がった空海だが、山をも震わすという左慈の全力崩拳を受けてみても気がどんなものであるかはわからなかった。一方で全力の中段突きを片手で、しかも怪我をしないよう配慮までされながら軽く掴まれた左慈は流石に凹んだ。

 左慈は、気に食わないながらも長年同僚として付き合ってきた貂蝉らに慰められ鍛錬の約束を取り付けてもらったり、新しい上司にして自身を打ちのめした空海から勤務形態に配慮する旨の謝罪を受けたりして親交を深めた。稀によくある悲劇である。

 

「うふふ、それじゃあご主人様は私たちにナニをお望みかしら♪」

「ごしゅ――あー、端的に言えばこの辺で勢力を立ち上げて権力者になりたいからそれを手伝ってくれ」

 

 貂蝉の「ご主人様」発言を努めて無視して、空海は自身の考えを述べた。

 

「目標は未来の三国全てからの要求をはねのけられるようになること。目的は俺が人間と一緒に暮らしていても余計な事を言わせないため。手段は不問。ただし、俺としては後の三国の英雄たちに会いたいのと、文明的に生きたい過ごしたいから――」

「ふぅむ。ならば文化都市かのぉ。学術都市というヤツじゃ」

「一定規模の街は城塞都市となるのがこの国での基本です」

「人が集まるにはまず食べ物がいるわよん♪」

「……兵の調練はお任せを」

 

 空海の言葉に四者がそれぞれ助言を送る。一部舌打ちが混じったが、彼らの言葉は暗に肯定の意を示していた。

 

「じゃあまずは左慈と貂蝉で周囲の賊を討伐だな。1日で往復できる範囲を適当に回って貰って、その間に俺と于吉と卑弥呼で計画を練っておこう。これだけはやって欲しいとかこれはやめて欲しいというものがあったら早めに言ってくれ」

「特には」

 

 直近の方針を打ち出した空海の言葉に左慈は淡泊に答え、貂蝉は興奮した様子で――。

 

「ヤって欲しい!? そ・れ・な・ら♪ ご主人様が大勢の人たちが笑って暮らせる世の中を作ってくれたら、私の■■■■■(粛正されました)を捧げ」

「黙れ消し飛ばすぞ」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 話し合いの結果、江陵を奪って要塞都市に改造する方向で当面の行動が決定した。

 現地住民にとっては不幸にも、そして空海たちにとっては幸いなことに、現在の江陵は賊の根城になっているらしい。どうやら、太守を引き締める役であるはずの刺史(しし)が武官を軽んじているために、治安を守るはずの軍部が賊と結ぶことすらあるのだとか。結果的に軍部のそういった行動が刺史をさらに頑なにしてしまい荊州(けいしゅう)の安定が遠のいている。

 そんなわけで周辺を含めて簡単な視察が終わると空海たちは危なげなく都市に侵入し、夜盗のたまり場に火炎瓶を投げ込んだり、山賊のたまり場に火炎瓶を投げ込んだり、河賊のたまり場に火炎瓶を投げ込んだり、腐敗軍人のたまり場に火炎瓶を投げ込んだりして、疑心暗鬼に陥った彼らがつぶし合うのを眺めて次にどこがどことぶつかるのかを予想するゲームに興じたりしつつ、都市制圧の準備を進めていった。

 

「へぇ。門の中ってこうなってるんだー」

 

 江陵を要塞化するにあたっては空海の土木工事能力がフル活用されることになり、今は現物を見ながら様々な役割についての説明を受けているところだ。空海にとっては目新しいことばかりで、楽しみながらイメージを膨らませている。

 例えば門と言えば大手門や西洋風の城門を想像してしまいがちだが、本来は門に繋がる道からまっすぐ先には壁を設置し、門は横を向いた位置につけるのが良いらしい。向きを変えなくてはならないから、攻められたときにも勢いを削る事ができるのだとか。正面の壁の上からは攻撃が出来るようになっていたり、さらに門をくぐったらまた横向きに門が出てくるような作りが一般的なのだそうだ。

 門ひとつをとってみても空海には興味深いのに、さらに堀だの塀だのに加え、橋、道、上下水、家、畑、水田、窯、トンネル、大規模地下工場、城、鉄道、(やぐら)などについても講釈を受けており、新生する江陵に活かされることになる。

 

「そろそろ江陵の民も動かせるじゃろう」

「では先に新しい街を作り始めましょう」

「中心部は川下の予定だよね。東かな?」

 

 

 まず地下に巨大空間を作り、その上に大地で蓋をした。そして于吉や卑弥呼の指示通り台地を作って斜面を改造して城壁に当たる部分は謎の金属へと変質させる。巨大な水堀を設置して川で結び、道となる場所をなぞり、円形の都市を一周したら田畑と宅地造りだ。

 そうして内側から作り始めて3層目、ついに旧江陵を飲み込むときが来た。

 旧江陵から民を追い出して街が半分ほど出来上がっただけの新江陵へ移動させる。賊の拠点や役立たずの太守などに襲撃をかけ、かつての江陵は一昼夜で消え去った。

 

 新しい江陵は円形の都市を取り囲むように城壁が続き、所々に攻撃用の櫓の役目を持つ稜堡(りょうほ)が突き出た『稜堡式城郭(じょうかく)』と呼ばれる構造をしている。

 誤解を恐れずに言えばヒトデ型の要塞だ。主にこの指に弓兵が配置され、隣り合う指を射程限界内に収めることで、例えば中指に敵が寄ってきた時には人差し指と中指と薬指が連携して攻撃を行える構造になっている。広い要塞では指の数が増えるわけだ。

 そもそも稜堡に取り付くためには巨大な水堀を渡らなければならず、一方で稜堡からは堀の向こう側が射程に収まっているのだ。さらに稜堡に取り付いてもそこにあるのは高さ8メートルもの壁。壁を越えてもまた壁が登場する。相手にとっては悪夢だろう。

 こんなものが1周200㎞もの規模で作られた。城壁の長さだけで洛陽の3倍超だ。

 

「上手に出来ましたー!」

「次は地下ですね」

「おお、地下施設潜入ミッションか。任せろ」

「儂たちは田畑や水場に祈祷を捧げておこう」

「古代の宗教行事的な? そっちは頼むわー」

「うふ。私たちに、ぜぇ~んぶ任せてねん♪」

 

 空海は執拗に身体をまさぐろうとする貂蝉を蹴り飛ばし、颯爽と地下に消える。衝撃で変わった地形は後に修正された。

 地下に潜った空海は巨大空間に植物プラントや塩の精製施設を作り、西の山岳地帯から地下水を引いて浄水施設に通してプラントや表層まで配水したり、琉球海溝まで取水用の巨大トンネルを通して製塩施設に繋げるなどして地下空間を埋めていく。

 直径数十メートルの空間が時速100㎞を超える速さで地球を貫通していく姿は端から見れば天変地異と大差がないのだが、海溝に横穴を開けてジェット水流に追われることになった空海は気付かなかった。一緒になって海水に追われた于吉は気付いたが、逃げるのに必死でやがて考えるのをやめた。

 

「え? 何? 海洋深層水いっぱい飲んだから健康になった?」

「ゲホゲホゲホッ、ゴホッ」

「え? やっぱり不健康?」

「ォエッゲホッ、ゴホッゴホッ!」

「濁流サーフィンの発想は悪くなかったと思うんだけどトンネルの方がねー最後ループになってたんですよねー。いやー忘れてたわー、はっはっは。……ホントごめんね」

 

 後漢代において、塩や鉄といったものは専売制である。鉄は当時最新鋭の武器に転用される可能性があったため流通量やその形態は限られており、塩は内陸の勢力につける首輪であり巨大な収入源でもあった。双方を合わせた税収は歳入の4割を超えた。

 

「ぜー……ぜー……」

「それにしても塩の密売とか……財布が厚くなるな!」

 

 故に江陵はその利権に割り込むことを企んだ。官吏の目を様々な方法で誤魔化して塩に絡んだ利益を奪い、ゆくゆくは専売の権限を正式に買い取るのだ。

 幸いにもこの時代の商売の多くは物々交換であり――詐欺が横行しやすい面もあるが、だからこそ――加工品に含まれる塩分を誤魔化すのは難しいことではない。

 江陵の産業を支える柱の一つとして、また、衣食住を満たす手段の一つとして、新しい江陵は食品加工業を計画的に拡大していく予定でいる。

 

「では儂らは紙の材料を探してこよう」

「江陵に来たいっていう人もいーっぱい集めて来ちゃうわん」

「ああ、うん。――いやちょっと待って。貂蝉(を見た人)が心配だからついて行くわ」

 

 新しい江陵では、食品加工の他にもいくつかの産業を主力に据えていくことが決まっている。その中の一つが出版業。そして、その出版業を支える製紙業だ。

 

「んまぁっ! ご主人様ったら私の魅力的な肉体を――」

「空海パンチ! コイツを甘やかすべきではないと俺のゴーストが囁いている」

 

 本には貂蝉監修のファッション誌や空海監修の都市情報誌が含まれる予定だ。もちろん学術都市として恥ずかしく無いよう教養に関する本なども取り扱う。

 ただ、現状では紙の生産すら行われておらず、本の出版にこぎ着けるのはしばらく先の話になりそうだった。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 日暮れ前に街に辿り着こうと早足に歩く旅人たちの流れに逆らうように、一人の巨漢と一人のチビが街道を北上していた。

 

「次がもう襄陽なの? 街道沿いなのに意外と集落少ないのな」

「そぉねぇ……。やっぱり最近は危ないから、村や町を守る壁を作ってその中で暮らしてるわね。街道の近くだけじゃなくて、どこもみーんな同じよ」

 

 大柄な貂蝉が大げさに身を震わせながら「やんなっちゃうわ」と続ける。小柄な空海は貂蝉の見た目を指摘しようとして、思いとどまった。ギリギリで。

 

「んー、じゃあさっきの(へん)って街が特別ってわけじゃないのか」

「そうよん。まだ日が出ていたから普通に中を見られたけど、日が沈んだら街の人間でも門を開けても貰えないわ」

「そうなると野宿かー。虫とか両生類はあんまり食べたくないな」

 

 あと爬虫類とかカラフルなキノコも嫌だと笑う空海。最近、空海には意外と好き嫌いが多いことを知った貂蝉は意地悪そうな笑みを浮かべて脅す。

 

「あらぁん? そんなこと言ってると夜盗に食べられちゃうわよ」

「うぇー。その時は守ってくれよ」

 

 バカな話をしながらもちょっとした段差に立ち止まった空海を両脇から抱え上げ、そのまま前方に視線を向けた貂蝉が――雰囲気を鋭いものに変える。

 

「あら? ――あの集団、良くないわね」

「え? ドイツー?」

 

 空海はゆるかった。

 

 

 

「……へぇ。賊に追われているらしい女を見て、今のウチに逃げればいいと考えた、と。ろくでもないなー、ここの連中は。これが標準的な反応なの?」

 

 茶化す空海を半ば握りつぶすように、巨漢の漢女が身と心を震わせている。

 

「……ご主人様」

「そうだよね。お前のような反応が標準だよなー」

 

 空海は両脇を抱え上げられたまま前方を指差す。

 

「よし行くぞ、貂蝉っ。早くしろっ!! 間にあわなくなっても知らんぞーッ!」

 

 チビと巨漢は、土煙を残して飛び去った。

 

 

 

 街道からややそれた川岸で、一人の女性が複数の男に追い詰められている。その様子を上空から見下ろす影。()()()の空海と貂蝉だ。

 

「――アレだな! 分離だ貂蝉ッ、お前は殲滅、俺は盾! 俺を間にぶん投げろ!」

「ぶるぁああああああああ!!」

 

 貂蝉は即座に命令を実行し、一瞬の後には空海は空の人と化して集団に迫っていた。

 

「は、早――くなかったべらっぷ!」

 

 相当な速さで後頭部から岩肌に激突した空海は砂煙を巻き上げ、しかしコンマ1秒にも満たない時間で跳ね起きてポーズを決める。

 

「っしゃ! 助けに来たぜ!」

 

 空海は羽織をはためかせるような良い感じの風を呼び、その風に乗る音だけで『矛』の位置を把握する。『矛』が地に触れるその瞬間。唖然としている賊に向け、空海は獰猛に笑って指を突きつけた。

 

「よぅし貂蝉ッ、ヤッチマイナー!」

「――ぅぅるぁああああああああ!」

 

 爆音を立てながら、空海の声援を受けて筋肉お化けが跳ね回る。

 

 ――えぐり込む様に打つべし! 打つべし!

 

 目の前で繰り広げられるど迫力アクションに夢中になっていた空海は、熱に浮かされたように背中を見つめる女性の姿に気付いていなかった。むしろ忘れていた。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 ――自分は無感動な人間なのだと思っていた。

 

 司馬(しば)()は生まれてこの方、感情を大きく動かしたことがない。

 別に喜怒哀楽が欠落しているわけではない。父親には優しい子だと言われていたし、母親には落ち着きのある子だと言われていた。笑うこともあるし、怒ったこともあったし、泣いたことも、人を騙してみたこともある。

 ただ、人が感情を顕わにしているのを見ては、何故ああも大げさに振る舞えるのだろうかと常々疑問に感じて居た。

 

 

 ――自分は時代に埋もれていく人間なのだと思っていた。

 

 司馬徽は人より良くものを覚えて居たし、素早く考えをまとめることが出来たし、誰かに物事を伝えることを難しいと思ったこともなかった。どちらかと言えば子供の方が教え甲斐があるから好ましい、という程度の感想を抱いたことしかない。

 ただ、その才が万人の上に立てるほどではないことにも早くから気がついていたし、彼女自身がそれを万人のために活かしきれるとは思っていなかった。

 

 だから、著名な人物鑑定家でもある友人から『水鏡』の号を送られたときにも「ああ、やはり才の限界は、自分の価値はここまでなのか」と納得する気持ちの方が強かった。

 

 

 ――それなのに、どうしてだろうか。

 

 号を受け取ったその日。字を決めたその日。どこか逃げるように旅立ちを考えて。

 旅立ちを決めたその日。行き先を考えたその日。南方に『(まどう)星』が現れたと聞いて。

 

 いつの間にか。そう、いつの間にかと言っていいだろう。

 その星(やがて消えるもの)の出現に自らの境遇を重ね合わせ、司馬徽は勢い込んで南に向かっていた。ただ自らの内にくすぶる「自分の価値がその程度」だと見限ることに納得しない気持ちが、足を動かしていた。

 

 

 焦りがあったのだと言い切れる。彼女は襄陽から出て僅か1日と言ったところで盗賊に追い詰められ、あと数歩のところで捕まるか入水自殺するかという選択を迫られていた。

 

 ――なんで、こんな……私は『私』を知らないまま死ぬというの?

 

 後になって思うが、あれは本当に人生最悪の瞬間だった。最低の末路か、最悪の結末しか選べないなんて、誰のどんな人生のどんな瞬間に訪れたとしても最悪だろう。

 

 ――助けは、来ない。

 

 先ほど遠くに見えた旅人を思い出す。賊に追われる姿を見て、きびすを返した人間を。

 恨みはない。彼らに自分が助けられるとは思えないし、逆の立場なら自分だって助けを呼ぶくらいしか出来ないだろう。

 しかし、それはつまり、助けが来る見込みがほぼなくなってしまったことを意味していた。道を外れてしまった今、仮にこの身を差し出したところで、助けが来ないのであればそれまでだ。

 

 ――こんな瞬間のために、生きてきたの?

 

 自力での打開は不可能に近かった。助けを待つのも不利な賭け。

 これまで二十に満たない年月で培った経験が、人よりも素早いその思考が、周囲を見渡せる冷静さが、司馬徽が終わる瞬間を宣告していた。

  そして、

 

 ――でも、誰か、誰か、誰か……ッ!

 

 呼吸が浅くなり、視界が歪み、心臓が痛いほどに脈動し。

  彼女の人生最悪の瞬間は、

 

「誰か、――っきゃぁああ!?」「――ぁっぷ!」

 

 轟音と共に砂煙が舞い上がり、一瞬遅れて吹いた風によって視界が開ける。

  最良の瞬間に塗り替えられた。

 

「助けに来たぜ!」

 

 威勢の良い言葉と共に目の前に青い衣が翻り。

 司馬徽の感情は爆発した。

 生まれて初めての感情が、()()を踏み越えた。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 ――賊に襲われてたっぽい女性を助けて賊らしき連中を(貂蝉が)ボコボコにしたけど、肝心の女性が泣き止まない止まらない件。

 

 空海は、自身にしがみついて泣き続ける女性の頭や肩を優しく撫でながら、これで賊に襲われていた女性じゃなかったら困りそう、などと考えていた。

 女性は白い肌に整った顔立ちで、光に透かすとやや茶色に光る長い黒髪を後ろで丁寧に結って高く持ち上げている。髪を結んでいる桃色の布も、金色の髪留めも、紺色の着物もどれも派手さのない色合いや作りをしながら高級品を思わせる上品さを兼ね備えており、それは女性自身の雰囲気もあって一つの芸術品のようですらあった。

 身なりの違いや漂っていた雰囲気や女性の様子から見て8割方大丈夫だとは思うのだが心配なものは心配なのだ。早く落ち着くようにと優しさ5割増しで撫で回す。

 

「よーしよしよしよしよし!」

「ふぇぇん……ひっく、ぁん、うぅぅぅ、ひっく」

 

 ただ撫でるだけというのも芸がないから首もみや肩もみを混ぜたりしてみよう。空海は慰め一つに無駄な創意工夫を込め始めた。

 

 

「もう大丈夫だからね、お嬢さん」

「あ……は、はい……」

 

 座り込んだまま顔を赤くした女性が、空海をボーッと見上げる。

 言動から見て、どうやら親類縁者などではなかったようだ。空海は胸をなで下ろす。

 空海は未だ興奮状態にあるように見える彼女を落ち着かせるよう、努めて優しい表情と口調で話しかける。

 

「まず、非常時だから確認もせずにボコったんだけど、こいつらは賊で、お前は襲われていたんだよね?」

「はい、そうです……ん」

 

 女性が、肩に置かれた空海の手に頬をすり寄せながら答えた。空海は「犬みたいで可愛いな」などと失礼な感想を抱きつつ、そのくすぐったさに頬を緩める。

 

「そうか。うん、間に合って良かった」

「はい……しあわせです」

「えっ」

 

 二人はそのまま3秒くらい見つめ合っていたが、女性の目が潤み始めたのを見て空海は慌てて話を続ける。

 

「あー、それは良かったと言いたい所だけど、俺は指示しただけだし礼は功労者に言ってくれるかな。見た目はアレだがいい奴だよ。――おいで、貂蝉!」

「ダァレが見ただけで目が潰れる肉団子ですってェ!」

「ひっ」

 

 女性が空海に抱きつく。思わず、といった反応でくっついた後は顔を赤らめながら必要以上に密着していく。むしろ着物に手を突っ込もうと空海の身体をまさぐり始める。

 

「くらっ、貂蝉! はしゃぐな。相手を怖がらせてまでネタに走らんでもいいだろ」

「あらぁん、ごぉめんなさいねェん?」

「大丈夫だよ、お嬢さん。お前の気持ちはよくわかる。痛いほどよくわかるが、コイツはむやみに暴力を振るうことはないし、人を助けることを当たり前に出来る心根の持ち主でもある。だから足を離してくれ、くすぐったい」

「そ、そうですか……あの、貴方が言うなら信じます」

 

 こねくり回していた手が空海に掴まれたところで女性の抵抗が止み、しかし空海の腰と腹に上半身全てを使ってひっついたまま小さく頷く。

 しかし空海はそんな女性の様子に気付くこともなく。

 

「んっふふふ、ご主人様にそんな風に思われていたなんて……私、感激しちゃぁうッ!」

「寄るな。二度と近寄るな」

「そぉんな風に冷めてるところもス・テ・キ♪」

「黙れお前まじぶっ消し飛ばしょ?」

「(んもうっ、ご主人様のイぃケズゥぅぅ)」

「(イラッ)」

 

 空海が女性にしがみつかれた上に彼女を抑えるため両手両足を使えないのを良いことに貂蝉は二重の意味で挑発を繰り返し、苛ついた空海によって空間ごと停止させられた。

 

「あ……あの」

「おお、すまん。たった今コイツの功は全て俺のものということになったから、思う存分お礼してくれていいぞ」

「じゃ、じゃあ貴方の身柄を引き取って育てます!」

「いきなり子供扱いしてんじゃねぇ! 俺、大人! 多分お前より年上だっつのぅ!」

「えっ」

「えっ」

 

 またしても二人は3秒くらい見つめ合い、女性の目が潤み始めたのを見て空海は急いで話を続ける。

 

「えーと、そんなに重いお礼はいいから。もっとこう、笑顔でさ、ありがとうって言ってくれるだけで十分なんだって。俺が支払った労力への対価はそれでいい」

 

 少々恥ずかしい台詞だと自覚する空海は、頬をかきながら視線を逸らす。

 

「はわっ、あ、あの、私……私……っ!」

 

 そんな空海を見ていた女性は、徐々に表情を歪ませていき。

 

「……おい、ちょっと! 尋常じゃないくらい赤くなってるんだけど大丈夫か、お前」

「私ぃあわわ――きゅぅ」

「うおーっ!? 死ぬなー!」

 

 

 

「――お、おはようございます……」

 

 仕切りの影から恥ずかしげに顔を出した女性が、青い羽織に小さく声をかける。

 

「おはよう。()()()()()()()()()()()()よ。しばらくしたら貂蝉が帰ってくる。その時に一つこっちから聞きたいことがあるけど、他は自由だと思って欲しい」

 

 空海は特に驚いた様子も見せず挨拶を返した。ちょっとした皮肉を込めたのは、心配をかけさせた対価だ。

 

「えっと、はい。あの……助けていただいて、ありがとうございました」

「あははは。そう言えばそれはまだだったね。はい、どういたしまして」

 

 女性は恥ずかしそうに少し俯き、落ち着いた後に再び深く頭を下げた。

 

「その上こんなお世話に……えと、あっ! 私、司馬(しば)徳操(とくそう)、真名を永琳(えいりん)と申します!」

 

 司馬徽は相手の名前を知らないことに思い当たり、そもそも自分も名乗っていなかったことに気がついて慌てて名を告げる。

 

「ああ、俺は空海(くうかい)。助けたのは事実だと思うが、真名はもっと大切にしておくといい」

 

 自分が木箱に腰掛けているせいで司馬徽が必要以上に深く頭を下げているのだと気がついた空海は立ち上がり、司馬徽の手を取って体を起こさせた。

 

「くーかい、さま……。あ、真名は私が預けたいって、助けられたからだけじゃなくて、昨日お話ししてそう思って決めました! どうか受け取って下さいっ」

「あ、うん。そこまで考えて言ってたならいいよ。受け取ろう」

 

 大人しそうな見た目に反した司馬徽の押しの強さに、空海はややきょとんとしながらも笑って答える。そのまま木箱(イス)まで導かれた司馬徽が、やや不安げに空海を見る。

 

「その、ここは……どこかの宿でしょうか?」

「うん。襄陽の南の方にある街、(へん)って言えばわかるかな? そこの宿だよ」

 

 市場の南側の、と説明を続ける空海の様子に、思った以上に迷惑をかけていないことに安心した司馬徽はほっと息を吐いた。これで空海の両親と強制対面することにでもなっていたら、一生の思い出になっていたことだろう。色々な意味で。

 

「そうでしたか。編の……あっ、私、お金出さなきゃっ」

 

 司馬徽は慌てて服の中をまさぐり、空海の前だったことを思い出して赤面し、財布にも服にも全く手を付けられていないことに気付いて少しだけ目を見開き、続いて微笑んだ。

 

「あの、お礼も一緒に出しますね」

「まぁお待ちなさいなお嬢さん。さっきも言ったけど答えて欲しいことがあってね。回答次第ではこっちの旅がかなり安上がりになるんだ。お礼はいいし、宿代も出させてくれ」

「え? えっと、何を答えればいいんでしょうか……?」

 

 司馬徽は金になる情報など知らない。勿論聞かれれば何を答えることにも否はないが、空海が司馬徽の不利になることを尋ねるとは微塵も思っていなかった。

 

「んっと、簡単に言えばある植物を見た事があるか、生えている場所や地域、育ちやすい土地などを知らないか、ということだ」

「植物……? どのようなものでしょうか?」

「実物を貂蝉に持ってきてもらってるよ。紙の材料になる木なんだけど、ひょろ長い枝が地面の近くからドカンと広がって、春先にはその先端に良い香りの小さな花がボンッって感じでいっぱいつくもの、らしい。印象的だから多分わかるはずだ」

 

 それは沈丁花(ジンチョウゲ)という植物の亜種で、和紙の材料となる樹木のことだ。

 ちょうど空海の手足の大きさや長さがそれを表現するのに向いていたこともあり全身を使って説明するのだが、司馬徽はそのおどけた仕草よりも話の中身に目をむいている。

 

「紙――紙を、作られるのですか? 空海様は商いを?」

 

 紙というのは古くなった麻や竹の製品を主原料として特権階級が使うものという認識が司馬徽にはあった。その詳しい製法は一般に知られていないはずだ。実物を持って来られるのにさらに材料の産地を探しているというのだから、それを継続的に作り出そうとしていることがわかる。

 会話から得られたいくつかの情報から、司馬徽は空海が商売を行うつもりなのだろうと当たりを付け、果たしてそれは肯定された。

 

「紙を作るのは、うん。商いをするのかというのも、そう。商人かという意味なら違う」

 

 空海の言葉に、司馬徽はもう一度会話を思い返す。特定の地域を重視しておらず、自ら探索と、おそらくは交渉にまで出ていることから職人ということはないだろう。若くして従者らしき人物を付けていることからもそれがわかる。

 

「職人、のようには見受けられませんし……もしや、どこかのお役人様ですか?」

「前半俺の背を見て言っただろ。まぁ職人でも役人でもない。そのうち江陵でいろいろとやらかすつもりだけど、今はしがない自称太守代理ってトコだな」

 

 じと目で告げられた前半で司馬徽は苦笑し、得意顔の後半で司馬徽は停止した。

 

「……。え? 自称!? 太守代理ってどういうことですか!? やらかすって――!」

「落ち着け司馬徳操。それは本題ではないだろ? まぁ、気になるだろうから言っちゃうけど、そのうち太守()()()に任官されるだろうから今は自称代理、やらかすのは起業とか組織作りとか街作りとか色々だよ」

 

 空海が笑いながら軽く告げた言葉は、しかしとても野心的なものだった。

 司馬徽は桃色に染まりそうな頭で、紙を献上して官位を受け取るつもりなのだろうかと考えをまとめ、尋ねる。

 

「……。そのために、今、紙の材料になる木を探してらっしゃるんですか?」

「そんなところ。順序は理解できてないと思うけど、やることは変わらない」

「順序……。太守となってから、紙を使って何かをされる……?」

 

 その時の司馬徽の気持ちを、なんと表現するべきだろう。不可解でもあり、苛立ちでもあり、喜悦でもあり、感動でもあり、憧憬でもあった。

 空海は難しいことを言っていないのに、それを理解しようとした瞬間から道が途切れ、そして遥か遠くに空海の指す目的地へ続く道が突然現れるのだ。しかも空海は理性的で、見ればわかる明らかな力を有し、言動にも落ち着きが感じられ、行動を従者任せにしないひたむきさまで見られる。それらは全て、司馬徽が探し求める宝石だ。

 だが、気付く。

 

「理解しなくていい。部下でもない者が聞くべきことではないよ」

 

 司馬徽と空海の間に掛かった橋というのは、細くて不安定なものでしかないことに。

 そして、()()司馬徽にはそれが()()()()()我慢ならない。

 司馬徽は自らの胸の内を理解する前に。気がつけば、動いていた。

 

「――司馬(しば)()徳操(とくそう)です。どんな仕事でもします。私を貴方の部下にしてください」

 

 今度は空海が停止する番だった。

 

「……。……顔を、上げて?」

 

 空海が司馬徽を眺める。司馬徽はその瞳を、磨き上げた黒曜石のような色だと思った。

 黒曜石の鏡に司馬徽が映り込む。不安に揺れ、しかし意志を曲げるつもりはなく。

 

「――お前はまるで水だね」

 

 ドキリ、と司馬徽(水鏡)の胸が跳ねる。

 

「水は低きに流れると言う……」

 

 嫌な符合を、感じた。

 司馬徽に、自身を縛り付けさせている号。

 司馬徽と過去を一つにする『水鏡』。

 

「だけどその水は今、ずいぶん熱くなっているみたいだ」

 

 司馬徽が伏せかかった顔を上げる。その目に驚愕を滲ませて。

 それは司馬徽も自覚していたことだ。友人に、人を映す鏡のようだと言わしめた自身。

 

「温められた水はやがて湯気となり、雲となり、空の高いところに辿り着く」

 

 空海が明かり取りから漏れる光に顔を向ける。司馬徽も思わずそれを追い、その輝きに目を細めた。眩しくて見通せない窓の向こう側に、白く光る雲を幻視する。

 司馬徽が目を戻すとそこには海を思わせる青い衣が起立して、その色の一番()()()から自身を見つめており。

 

「空に漂う水は、やがて海の深いところへと行き着く」

 

 嗚呼、と。司馬徽は声にならない声を漏らす。この方は()()()を水と評しながらそこに留めず、()()()の『水鏡(わたし)』を肯定してくれるのだ。すくい上げて熱したのに飽き足らず、空と海にまで導いて下さるのだ。

 空海が賊との間に降り立ったとき、司馬徽は生まれて初めて本当の意味で『欲しい』と感じたのだと思う。あの時、そしてつい今しがた。話をする中で考えていたのは、一緒に居られるだけで十分だというもの。それだけで満たされるという期待だった。

 

 だが、違った。そんなものでは足りなかった。

 

「俺は空と海の空海。これも何かの縁かもしれない。これからよろしくね、司馬徳操」

 

 永琳(わたし)はその場所に、全てを(なにもかも)捧げたいと感じた。

 

「――永琳(えいりん)とお呼び捨て下さい、ご主人様」

 

 

「ごしゅ!? ――お嬢さん、女の子がそういうことを言っちゃいけません!」

 




「でも旦那様はアリだと思う」

 おや、すいきょうせんせいのようすが……?

>超新星だぞぅ
 板垣公一は日本のアマチュア天文家。過去12年で超新星を80個も見つけている世界有数の超新星ハンターであり、アマチュア天文学界の英雄である。
 2ちゃんねる科学ニュース系の板では超新星を見つけるたびにスレが立つため、新発見を繰り返すうちにスレ住民からは尊敬を込めて「また板垣か」とレスが付けられるようになった。しかし、板垣さんは2006年頃からは年間10個近いペースで超新星の発見を続けたため、「また板垣か」といちいち書くのも面倒になったスレ住民は、やはり畏怖と尊敬を込めてこれを「また垣」と省略するようになった。
 スレのカテゴリが[天文]ではなく[板垣]となっていることと合わせて、多分このお方だけの珍事である。
 なおこの頃から、板垣さんは超新星を創造しているのではないかという説が根強く囁かれており、時折「超新星創造お疲れ様です」といったレスがつくこともある。
 185年12月7日に観測された超新星SN185。記録の残る最古の超新星と言われ、超新星残骸RCW86として現在も残る。RCW86は距離約3000光年、半径約50光年。50光年の範囲に広がっているのは高温のガスだが、地球に届いたのはガンマ線などの光のみ。

>だっつのぅ!!
 ヨロシク仮面だっつーの! 親御さんにヨロシク! ダッツノゥ!!


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1-2 二つの江、二人の黄

「精米もせずに炊飯とな!?」

「――実は米に限ったことではないんじゃが、脱穀や精米といった作業には手間も時間も掛かるもの。民らも苦しんでおる故、脱穀機や精米機を用意したいのだ、ご主人様」

「おお、そうなの。いいよいいよ、どんどんやっちゃって」

「やり方については儂に考えがあるのだが」

 

 そんなやり取りから始まった卑弥呼の提案を受けて、江陵には大型の脱穀精米機が置かれ、技術の秘匿や徴税を含めた生産管理の一環として全ての作物が一度回収されて保管や洗浄や精白を施されてから配布されることになった。

 民は初め穀類が回収されることに反発したものの、それまで1日の大半を使って行っていた脱穀や精白の作業を代わってくれると知って積極的に協力するようになり、その場で税を納めたり現金に交換できることが知れ渡ると制度は完全に定着した。

 野菜や果物についても、未来の品質基準で管理され加工された物品はまたたく間に民に浸透し、無加工のそれらを駆逐していった。

 

 

「これで虫とネズミが減るのか。どっちも得意じゃないから良かったけど。あと衛生的な生活のために大型ペットの飼育禁止令と牛馬のレンタル制を始めます、って?」

「どんどんどんどんパーフーパーフー! こんな時代だから、牛や馬を個人が持ってると狙われちゃうこともあるのよん。だぁから私は大・賛・成♪」

 

 カンペを読みながら小首をかしげた空海に、貂蝉が野太い声ですかさず喝采する。

 納得するように頷く空海に向け、さらに于吉と卑弥呼からも補足が入る。

 

「この地域の民は屋内で牛や豚を飼うことも多いのですが、流石にそれは衛生面で問題があります。まとめて管理する利点は多く江陵発展の助けとなるでしょう」

「人の糞尿の処理も合わせて行ってしまえば良いじゃろう。当面は于吉の傀儡で堆肥化を行わせれば事足りるはずじゃ」

 

 于吉は冷静な表情を浮かべたまま卑弥呼の言葉に頷く。傀儡とは、単純な動作しかできないロボットのようなものだ。一から術で作ったものや人を操るものがあり、それぞれにメリットとデメリットが存在するのだが、人に狙われる理由がないような作業を人の目に触れないような場所で行うならデメリットは気にしなくてもいい程度だ。

 本来なら卑弥呼の『漢女道』とは真逆に近い在り方である于吉の傀儡だが、それほどに違うからこそ不得意面を任せられる。『管理者』と呼ばれる4人の人外がそれぞれに持つ能力は、元来それぞれを補うことで世界の歯車となるように設計されているのだ。

 かつて解決方法を巡って対立した管理者も、この地では一つの意志の元に集っている。

 

「……ふん」

 

 管理者の最後の一人、左慈が鼻を鳴らす。長年の確執は短期間の利害が一致しただけで感情を塗り替え納得をもたらすほどのものではない。だが、理性では関係を崩す無意味さと現状の利益を理解しており、不満を口に乗せることなく消化していく。

 

 新しい江陵の体制は、まあまあ上手く働き始めていた。

 

 

 そんな江陵に加わったばかりの一人の女性がいる。恋する乙女、司馬徽だ。これまでは実年齢より年長に見られることが多かった彼女だが、空海に出会って以来、実年齢よりもずっと若く見られることが増えていた。

 空海の部下としては江陵の官僚人事の一部と、本人の強い希望により空海の身の回りの世話を任されている。空海が近くに居ないと落ち着かない様子であるため特に夜中などは逆に空海が寝るまであやしたりもしているが、それ以外ではとても優秀な人材だ。

 

「空海様っ、新しいお漬け物を持ってきました」

「おー。どれどれ?」

 

 空海が于吉に作らせている調味料と手に入りやすい食材を使って新しい料理を開発し、猛特訓で鍛え上げた料理の腕を振るって空海好みに調整するのが現在の司馬徽にとっては最重要の任務である。

 司馬徽がニコニコと笑って差し出す皿から大根の漬け物を一つ摘んで口に含み、空海は驚きに目を見開いた。

 

「やたら甘い!」

「はい、お茶です」

「……おお、緑茶によく合う。なんか思ってた漬け物と全然違うけど美味しい」

 

 しばらく目の前の漬け物と固定観念との狭間で唸っていた空海は、やがて意を決したように顔を上げ、司馬徽を見つめた。

 

「次は白米に合う感じのでお願いします」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 その男は今、悩んでいた。

 

「どうやってかけるべきか」

 

 川幅2㎞はあろうかという長江本流を前に、南の長江と北の襄江から水を引いた江陵の水堀を背に、雄大な風景とは対照的な小さい男が思い悩む。

 

「どういう橋を架けたらいいのかな、これ」

 

 どう転んでもオーパーツとなることは確定していた。

 

 川を越えようとする人類の歴史は古く、それに伴って橋には多くの種類が存在する。想像しやすいものだと吊り橋や眼鏡橋、跳ね橋などがあるだろう。橋をかける位置によって沈下橋や流れ橋、抜水橋といった特徴を持つ。

 さらに、橋を架けられる位置と川の水上交通との兼ね合いによっては可動橋が作られたりもするが、流石に動く橋はやり過ぎだろうと空海は思考を放棄した。

 

「材料は石っぽい見た目にすればいいとして……」

 

 考えるべきことは主に3つ。1つ目は橋の位置や向き。これは江陵要塞前にどのように接続するかという意味だ。対岸に向けては利便性を重視していい。2つ目は水面から見た橋の高さ。橋には船の交通を妨げない高さが必要であり、同時に高過ぎる橋は渡ることに著しい不便が発生する。特に、多くの荷を積んだ馬車などが動けないような急勾配を作ることは、橋を架けるメリットを大きく潰すことになってしまう。3つ目が目立ちすぎては困るということ。そもそも要塞だけでも目を付けられるのに、観光名所がとなりに出来てしまってはこの斜張橋を作ったのは誰だあっされてしまう。

 

「――ハッ! 中州を作る→中州のループ線で高くする→中州のこっち側は大型船が通れにい→検問の効率アップ→賊が遠ざかって商人が増える→人気者。……中州作るます!」

 

 完璧な理論によって問題を解決した空海は派手に水しぶきを上げて幅1㎞長さ2㎞にも及ぶ中州を創造し、ちょっとした洪水を起こしたりしながら石のような物体でアーチ橋を架けて半径50メートルから500メートルまで3つのループ線への分岐に接続した。

 出来上がってからお披露目したところ異口同音に「目立ち過ぎ」だと言われたが、港を要塞に横付けする短所を解決するため中州が利用される方向で計画が見直され、広範囲で修正作業が発生して主に空海が派遣された。この時の経験により水面を1㎞以上に渡って叩き切る必殺技『派遣切り』が出来るのだがそれはまた別のお話。

 

 

 

「欄干かける、欄干とる……」

 

 立ち入り禁止の橋の上で手すりの微妙な凹凸にこだわっている男は空海。

 

「そこのちっこい男!」

「やめたまえ! 高低差を論じることは下向きの運動しか生まない!」

「は?」

 

 空海は後ろからかけられた張りのある声に勢いよく反論しつつ振り返り、自分と声の主以外には人っ子一人いないことを確認して、もう一度確認して、もう一度確認した。

 呆気にとられたような表情で空海を見ているのは、青みがかった銀の長髪を高い位置でまとめた褐色肌の()()()

 渋みのある紫の服や引き締まった身体、やや鋭さを感じさせる目つきで随分と大人びて見える少女。だが彼女が今浮かべている表情には、未だ字を持っているかも怪しいほどの幼い純朴さが窺えた。

 

「何を言っておるんじゃお主は……」

「何だよ、今のもしかして俺に話しかけてたの? 俺より小さい人類が生息してるのかと思ってつい庇ってしまったじゃあないか」

 

 空海が笑いながら欄干に寄りかかり、その出来に笑みを深くする。ここに、宇宙戦艦が突っ込んでも逆に特殊装甲の方が真っ二つになる欄干が完成した。

 

「なんじゃ、見た目通りの年ではないのか」

 

 それは()()に見えるのか中身がオッサン臭いのか、どっちに転んでも――

 

「なかなかに酷い言いぐさだ。でもお前が若作りしてなきゃ俺のが年長なのは間違いないだろうね。敬意を払ってくれて構わんよ、お嬢さん」

「たわけ。敬意を払うべき相手くらい自分で決められるわ」

「ふふ。そう? じゃあもっと親しみを持って接してくれていいよ」

「たわけ。儂のような美少女を前にしておるんじゃ。儂から許すのが筋じゃろう?」

 

 そう言って少女は自信満々に胸を張る。育ち盛りのやや大きな胸がぷよんと震えた。

 

「へー。あれれぇ~? 急にここが立ち入り禁止になってた気がしてきたなぁ~」

 

 わざとらしく声を上げながら空海は周囲を見回す。橋は立ち入り禁止になっているため当然のように人っ子一人見当たらない。

 

「ぬ、ぐっ。儂は(おう)荊州刺史様より江陵の調査の任を賜った身じゃぞ!」

 

 少女がやや焦りながら反論するが、空海は意地悪そうに笑って、たった一人で武器まで持ってやってきた少女を見つめる。昨今の()()は刺史に軽んじられているのだ。

 

「刺史から任を受けた者に命じられて、の間違いでしょ? ここはまだ開通してないから渡し船もあるし、出入り口の詰め所に居たヤツに江陵側から許可を貰えって言われてると思うけど? おおかた橋が通れそうに見えたから渡し賃を出し渋――」

「いやぁ今日は暑いのぉ! 少々薄着になりたくなってきたわ!」

「……この娘、面白いな」

 

 素早い動きで太もものスリットや横乳をアピールする少女に空海は感心する。手慣れているのかいないのか、その動きはぎこちないようでいて多彩だった。

 ちなみに春の肌寒い日のことである。少女はだいぶ汗をかいているようだったが。

 

「俺の記憶が確かならこの辺りの渡し賃は20銭より多かった気がするねぇ」

 

 そう言って空海は右手を差し出す。実際には35銭くらいだ。外食代と大差ない。

 

「ど……堂々と袖の下を要求するとは太い輩じゃ! じゃが気に入ったので20銭くらい今夜の酒代から出してやろう! ……やる。やるぞ。っく、儂のおごりじゃあ……!」

「顔の方は泣きそうになってるじゃん……。冗談だよ。2刻(30分)もおっかなびっくり歩いてきたお前から掠め取ろうなんて思ってない。さっさと握手しようず。そしてもっと親しみを持って接してくれていい。そしたらこんな些細なことで告発したりはしない」

 

 空海は上に向けていた掌を立て、少女が握りやすいよう高く持ち上げた。少女は涙目で上目遣いをしたかと思いきや徐々に目を輝かせ、花が咲いたような笑顔を見せる。

 

「ほ、本当か? 本当じゃな? ……ま、まぁ儂の握手に20銭以上の価値があることは明白じゃからな!」

「え? 何? 自分で持ち上げたってことはそこから突き落としていいってこと?」

 

 途端、少女は勢いを失い、しなびて風に吹かれる枯れ草のようにうなだれた。

 

「参りましたので、やめて下され」

好々(よしよし)

 

 

「こんな滑らかな石造りの橋は見た事がないわ」

「マジで。足とか引っかかったら危ないじゃん」

「床の隙間から落ちたという話もあるんじゃぞ?」

 

 少女の疑問に空海がトンチンカンな答えを返したり。

 

「お主は立ち入り禁止の場所で何をしておったんじゃ?」

「そりゃ橋を作ってたんだよ。この手すりとか自信作だ」

「石、じゃよな? もしや、木か? 何なのだ、これは」

「わからんけど自信作だ。この通り、上を歩いても平気」

「これ、手すりに乗るでないわ! ……子供かお主はっ」

 

 年上であるはずの空海が何故か手を引かれて歩くことになったり。

 

「一体どうやって作ったんじゃ、この渦のような橋は……」

「ほら、あの辺とか工夫して、えーと、気合で」

「大事な部分の説明を諦めたじゃろ」

 

 説明を投げ出した空海にツッコミを入れたりしつつ、しかしだんだんと空海との会話のペースを掴んできた少女は、目を背けていた最大の問題について尋ねることにした。

 

「ところでのぅ……何じゃ、あのバカでかいのは」

「え? ドイツー?」

「あの壁じゃ」

 

 そう言って少女は、橋の先で視界のほぼ端から端まで続く灰色の壁を指し示す。本当はその周りの堀らしき巨大構造物やそこに取り付けられた門や門前の広場に続く細い橋など遠近感や常識を狂わせる諸々があったのだが、一言で壁の謎にまとめてしまった。

 

「ああ。あれ江陵の城壁」

「……こんな怪奇の起こる街ではなかったと儂は記憶しておるんじゃが」

「目と記憶のどちらが確かなのかが試される時が来たな」

 

 本当は両方正しいのだが空海は誤魔化す気である。

 だがそれよりも気になることがあった少女には通用しなかった。

 

「街の者は中におるのか?」

 

 生真面目な少女の様子に空海は苦笑し、しかしもう少しだけからかいを混ぜておく。

 

「順序が違うね。中にいるから街の者なんだよ。まぁ、以前からこの辺で暮らしてる民はだいたいあの中かな。一部いなくなった連中もいるけど」

「ふむ……。太守様はどうしたのだ?」

「ああ、ふた月くらい前に賊の討伐が行われてね。討伐が終わってみたらその賊に紛れて太守なんかの首があったみたいでさ。色々あって今は土の下だよ」

 

 あれがいなくなった連中の一人だと軽い調子で空海が告げる。

 

「……そうじゃったか。太守は既におらんのか」

「ちなみに討伐は義勇兵がやったものだよー」

 

 数秒、何かを考えるように俯いていた少女は空海に鋭い視線を向けた。

 

「聞きたいことがある」

「どうぞ?」

 

 空海は薄く笑ったまま、繋いでいない方の手を少女に向けて続きを促す。

 

「お主、何者じゃ?」

「あ、そういえば自己紹介がまだだったか。俺は空海だ」

 

 何かを疑う少女は鋭い視線のまま、誤魔化す空海は笑顔のまま、静かに見つめ合う。

 

「……それだけか?」

「何が聞きたいのかはっきりしないな」

 

 肩をすくめてあくまでとぼける空海に、少女はため息をついて脱力する。

 

「お主、太守殺しに関わっておるじゃろ」

「ばれたか」

 

 じと目に捉えられた空海は、にこやかに笑ったまま、しかし即答した。

 

「太守が賊と共におったのは事実か?」

「一部の兵と一緒にその辺に関わってたり癒着してたのは事実だね」

「……そうか。ここも、か」

 

 世間話よりは緊張感がある、しかし尋問と呼ぶには軽すぎる会話で、少女はこの小柄な男の正体をある程度察していた。

 

「被害者に会いたければ案内するけど?」

「いや、良い。儂に何が出来るわけでもない。お主のことも疑ってはおらんからの」

「そうなんだ。やっぱり握手は大事だよね」

 

 相変わらず少しばかりペースがわかりづらい空海との会話が少女を脱力させる。

 

「のぅ――お主は壁の向こう側のお偉いさんじゃろ」

「うん、当たり」

「儂が来たのにも気付いておったな」

「橋を渡り始めたのは知ってたかな」

「橋には他の者はおらなんだのか?」

「目立たないところに少し居たね。剛毅な役人が来たというから隠したんだ」

 

 橋の警備員にはどういう者が橋に来たのかを合図するように命じてあった。少女が門を通り抜けたやり口は悪い方から数えた方が早い事態として対岸に知らされており、中州の近くで作業していた者達は橋を監視しやすい船着き場の建物に身を潜めさせた。荊州には軍の皮を被った賊が溢れている、というのが昨今の常識なのだ。

 

「そ、そうじゃったのかー、ははは……いやぁ、握手は大事だのぉ」

 

 割と威張り散らして橋に踏み込んだ少女は、目を泳がせながら笑って誤魔化す。

 空海も少しだけ笑って繋ぎっぱなしの少女の手を引いた。

 

「ここに居るとあいつらも困るだろうから、さっさと移動するよ」

「うぐっ、わ……わかった」

 

 

 中州と江陵を結ぶ橋、その上を小さな男と難しげな表情の少女が手を繋いで歩く。

 

「お主らは、あの街をどうする……あの街の民はこれからどうなるんじゃ」

「んー……。例えばお前とは軽妙に話せてるけど、その辺の人間を捕まえて話しかけてもこうはいかないよね」

「? それは、まぁ、そうじゃろう」

「お前には他の者にない才があるだろうことはわかる。けど、それ以前の問題でその辺の人間は――」

「学がない。故に知らんことが多すぎて何を言いたいのかを察することも出来ん」

 

 空海の言葉を少女が引き継ぐ。それは少女が立ち上がった理由であり、いつか変えたい状況だ。そう思っていたから、続く空海の言葉から受けた衝撃は計り知れなかった。

 

「だから、全ての民に学を与える。全ての民と、いつか、こんな風にしゃべれるように」

 

 それは理想に燃える少女の意志を凍らせるほどに傲慢で、慈愛に満ちた決意だった。

 少女は色を失った思考を誤魔化すように、視線をはるか上空に向ける。広がった青空のその先を見通すように。

 

「お……お主はこの地を……、天子様が治めるというこの国を、どう見ておる?」

「末期。治すなら荒療治しかないけど、そんなことしたら治した相手にも周りの連中にも恨まれるだろうね。つまり実質、治せないと同じ」

「横柄な病人、か。なるほど、言い得て妙なもんじゃの……。じゃから、作るのか」

 

 何を、とは言わなかった。

 

「別に令を発する場所にしたいわけじゃないよ。ただ、俺と民のおしゃべり空間の邪魔はさせない」

 

 空海は静かに尊大に語る。

 

「民が豊かに暮らし、争いを忘れるくらい平穏無事な街がいい」

 

 少女は黙って耳を傾ける。

 

「だけど、壁の向こうもこっちもみんなまとめて豊かならその方がいい。だからこそ高い壁を作って門を厚くして堀を深くして守りを固めた。より豊かな世を許容するために」

 

 あの壁の高さは、堀の広さはその決意の証なのだと言う。

 少女は遠くに向けていた視線を空海に戻し、いつの間にか強く握っていた手からそっと力を抜く。()()選択を空海に委ねようと考えて。

 

「のう、お主、儂の手をずっと握っておったじゃろ」

「うん。そうだね」

「儂が武器を取れんように。――周りで身を隠しておる職人たちに儂を狙わせんように」

 

 少女の言葉に空海は僅かに目を見開く。

 

「おや、驚いた。職人だって気付かれてるとは思わなかったよ」

「これでも目は良いのでな。足運びも武人のそれではないし、そもそも手にした武器(もの)が槌やノミでは兵は名乗れんじゃろう。……ふむ。儂の手を引いて歩き続けておったのも連中の包囲を完成させんようにか」

「武器は俺からは見えなかったけど。あいつらそんなもんで戦うつもりだったのか?」

 

 空海は面白そうに、少し困ったように笑う。この時代、徳の高い者を救うためなら安い命は盾にされるべきだという思想が根付いているのだ。学問や宗教に基づくその倫理は、未来における「命を粗末にすべきではない」という道徳よりも根深く強力な呪いだ。

 最初から一人も失わせないつもりだった空海は、しかしその背格好のせいで悪い役人に騙されて連れ去られる子供のように見られてしまい周囲に心配をかけまくっていた。

 空海には大人の自覚があるためそんな風に見られているとはつゆほども思わず、むしろ周囲を安心させようと仲良しアピールをするものだから悪循環に拍車が掛かる。

 

「ずいぶん慕われておるのぉ。……それも道理か」

 

 民を守るため悪党――少女にとっては不本意ではあるが、自身のことだ――に立ち向かい、たった一人で知恵を武器に戦う男。故事(おとぎ話)にある君子のごとき勇姿。民に期待を抱くなという方が無理な話だろう。

 

「俺としてはお前の嫌われように驚いてるところだ。何やらかしたんだ?」

「あー……うむ。ここに来るまでに少々、恥ずべきことをしでかした」

 

 少女は荊州下での扱いの悪さに腐り、粗暴な言動を繰り返していたことを思い出す。それを自覚した途端、自分が保身のために空海の手を取ったことが無性に、心底恥ずかしくなった。空海を守るために決死の覚悟で二人の様子を窺う者達に、そして、少女と彼らの心情を理解しているだろうその上で少女までをも守ろうとしてくれている空海に、かつてないほどに強く熱い衝動が胸にこみ上げてくる。

 

「だから……まぁ、これは仕方ないのぉ」

 

 少女は誰にともなく言い訳し、空海の手をやんわりほどくと流れるように膝をついた。

 そうしたところでふいに、目の前の小柄な男がただの『お偉いさん』ではなく、江陵を代表する『長』なのであると確信する。理屈ではない。そうされるのに慣れているという気配を少女は感じ取り、こみ上げた想いがますます高まった。

 大胆にスリットの入った紫の服から太ももがのぞき、しかし二人の纏う空気は神聖さを感じさせるようなもので。卑猥さは微塵も感じられない。

 

(こう)公覆(こうふく)、名は(がい)。江陵のこの先をお側で拝見させて頂きたい」

「――おや。敬意を払うべき相手は自分で決められるんじゃなかったの?」

 

 周りを恐れて言っているのではないか、と空海は問い、しかし黄蓋は首を振る。流れるような銀髪が、日に焼けた褐色の肩を滑って落ちた。

 悪党が君子に改心させられるというのは民も喜ぶ王道の展開だ。舞台がこれほど整ってしまったからには、君子を守り生を全うするところまで付き合ってみても良いのではないかと黄蓋は思う。それに空海と黄蓋(自分)ならば、1000年後に語られる君主とそれを支える忠臣という配役にふさわしいのではないだろうか。

 黄蓋は意外なほどに現状を楽しんでいる自分自身に小さく笑う。

 

「無論のこと、自分で決めました。我が真名は(さい)。どうか、お側に」

「そう……わかった。ただ、部下たちが気にしそうだから実力は示して貰うよ」

「お任せあれ」

 

 返事と共に立ち上がった黄蓋には、何の気負いも見られなかった。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「お土産にうちで作った酒を持っていくというのはどうだろう?」

 

「これは罠です! どうしても行くなら、私もついていきます」

「罠なのは明らかですのでやめてください」

「わざわざ罠にかかりに行くのは感心せんのぅ」

「流石に儂の名が入った酒を刺史の元へ持っていくというのは、恥ずかしいんで勘弁して欲しいんじゃが……」

「強引な男の子は嫌われるわよぉん」

「賛成はしない」

 

 非難囂々である。

 

 

 これよりしばらく前、荊州刺史の(おう)(えい)が孫堅によって殺害されていた。

 跋扈した賊によって荊州への反乱が起こった荊州南部の長沙(ちょうさ)。厄介払いを兼ねて長沙の正式な太守として送り込まれたのが、軍部の実力者でありながら荊州南部で王叡に代わる人気者として支持を集めつつあった孫堅だ。

 孫堅はまたたく間に長沙の反乱を治めると、零陵(れいりょう)桂陽(けいよう)の太守たちと共謀して州の首都である漢寿(かんじゅ)を攻めて王叡を殺害。そのまま漢寿に居座り、我が物顔で()()を敷いているらしい。

 とはいえ。荊州への反乱というのは国家への反乱と同義だ。現在は交流が途絶え、やや苦しい状況にあると見られている。

 

 さて、刺史を殺害された朝廷だが、それを許しておくわけにはいかない。そこで、荊州立て直しのために軍属経験のある劉表が派遣されることが決定した。

 すぐに荊州に赴任した劉表ではあったが、そこには王叡政権下で好き放題していた賊が無数に立ちはだかっており、さらにこの時代、刺史が軍事力を持つことは許されていないため、苦しい状況の下で策を巡らせたようだった。

 そして、荊州北部を中心に『各地を治める()()()たちへの挨拶のために宴会を催す』と招待状が送りつけられたのだ。()()()()()()()

 

 未だ文字が読めない空海に代わって文を読んだ司馬徽は目からハイライトを消し、血のように赤い布で出来た人形に『劉』の文字を刻んで縛り上げて踏みつけたり、頭を熱湯にくぐらせて尖った石で丁寧に叩きほぐしたり、包丁で腹を割いてねじ切った手や足を詰め

 

   何  を  見  て  い  る

 

 

 

 なんとか手だてを講じようと部下を集めて話し合ってみたものの、なかなか良い考えに行きつくこともなく。やがて空海はしばらく前にできたばかりのお酒を持っていくことを思いつき、その考えを伝えてみたのだった。

 言いたいことをちゃんと伝えなかったせいで、その反応は思っていたものとはかけ離れていたのだが。

 いろいろ打ちのめされた空海は言いわけがましく考えを明らかにしていく。

 

「ええと、罠だとわかってるけど、何ていうか……罠なんか破ればいい、みたいな?」

「罠を破れる俺かっこいい! ですか? ……いいですけど」

「ふふふ。()()()はそうでなくては」

「ごぉ主人様ったらかぁっこぅいぃーい!」

「やーめてー!」

 

 空海の罠破り発言の中身を静かに考えていたのだろう眼鏡の青年が顔を上げる。

 

「……一理ありますね」

「よしきたー!」

 

 于吉の発言を受けて空海が喝采を上げ、他3人の管理者と黄蓋が続きを促し、司馬徽が圧力を伴うほどの視線で発言した于吉を睨み付ける。自身と空海のスペックを知る于吉は彼女の視線を軽く受け流し、考えを説明していく。

 

「こちらを陥れる場として考えるのではなく、劉表が何を成したいのかに先回りして考えることで、引き込んだ方が安全で得になると思わせることができれば……」

 

 策の目的を理解した卑弥呼と黄蓋が納得したように頷き、空海の前で言いづらい『第三者からの認識』を口にしたのは卑弥呼だった。

 

「うむ。ご主人様が『賊』の立場を捨て協力者として地位を得る好機となるわけじゃな」

「空海様が賊であったことなどありません! 訂正しなさいッ!」

「水鏡殿、落ち着かれよ」

「水鏡ちゃん、落ち着いてねん。ご主人様も驚いてるわよ?」

「はい」(※ちょっと怖いです の意味)

 

 空海を貶めるような卑弥呼の物言いにいきり立った司馬徽は声を荒げて立ち上がり、その反応を半ば予想していた黄蓋と貂蝉は彼女の肩をそっと押さえて声をかける。

 得意の状況を迎えた于吉は、その様子を気にすることもなく提案を続けている。

 

「この際ですから、有力な相手はこちらからも手を回して片付けてしまうべきでしょう」

「ふん、まどろこしいな。――だが邪魔者を片付けるというのはわかりやすい」

 

 于吉の過激な発言を左慈が肯定し、劉表への対応は概ね定まった。空海が二人に頷いて了承を示すと、于吉と左慈は水を得た魚のようにいきいきと対策に動き出していく。

 

 活きの良い魚となった二人が去ったところで、ここ最近、割とあくどいことをしてきた気がする空海は少し気になって司馬徽に尋ねてみた。

 

「ねぇ。徳操は俺が賊になったらついてきてくれないの?」

「一生ついていきます!」

 

 一瞬の迷いもなく、止めるとか更生させるとかいった選択を無視して肯定した司馬徽に空海も若干呆れ顔を見せる。

 

「じゃあ別にいいじゃん……」

「まぁ儂とて水鏡殿の言いたいことはわかるがの。これまで賊もどきであった官憲どもに賊呼ばわりされる謂われはないわ」

「洛陽では、代替わりした程度で先代の悪行を棚に上げられる程の良質な鉄面皮が安売りされているのでしょう。安い誇りではそれを買うことくらいしか出来ないのでは?」

 

 黄蓋が自身の過去を思い出しながらむすっとした様子で告げれば、司馬徽はほっぺたを膨らませて不満を漏らす。空海はその様子に笑い、胸を張って立ち上がった。

 

「まぁ俺がそんな鉄面皮装備の刺史に後れを取るはずは無いな」

「か、かっこいいぶるぁあああああ!」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「俺、進まずして迷うこと無し。目的の街、見つからざるとも屈せず。これ、予定と共に死すこと無し――」

 

 長い沈黙の後、男の口から小さく納得の言葉が漏れた。

 

「そうか……そうだったな……」

 

 男の目に、近くのあぜ道で腰を落として作業する少女の姿が映る。

 

「――お嬢さん、街への道、教えてくれないか?」

「え? あ、はい……?」

 

 空海は道に迷っていた。

 

 

 地面に書いた簡単な地図を挟むように、小柄な男と年若い少女が向かい合って話し込んでいる。少女は若干困惑したように、男は若干悲しそうに。

 

「つまりこの邑は、目的地である宜城(ぎじょう)の北の襄陽(じょうよう)の北北東の南陽(なんよう)の北にあって、俺は500里も道を外れて彷徨ってたってワケか……。あ、これは後ですごく怒られそう」

「えと、その……間違いは誰にでもありますから!」

「今はその優しさが痛いよ」

 

 500里というのはおよそ200㎞、徒歩での移動なら3日分ほどになる距離だ。なぜ空海の旅が目的地からこれほどにズレてしまったのかと言えば、江陵の北側、編の街との間にある山地で野生の竜を見つけてちょっかいを出したからに他ならない。

 山に棲む竜を見つけ、鳴き声一つ許さず屈服させ、大体北の方に向かって1時間ほどの遊覧飛行を強制し、降り立った地が南陽の街の北側だったのだ。

 竜を見てテンションが上がりすぎたせいで「その辺の馬より、ずっとはやい!!」してしまった空海の自業自得であった。

 目的地が江陵の北にあるというので、着地後に北に向かってきたのも失敗だった。

 

「ちくしょう、劉表はバカだ」

「りゅーひょ?」

「ああ、こっちの話。気にしないでくれ」

 

 小首をかしげる少女に空海は何でもないと手を振り、立ち上がって軽く周囲を見回す。

 

「南陽はあっちでいいのか?」

「あ、はい。そこの道をまっすぐ行って、右に行って、まっすぐ行くんです」

「なるほど、わかりやすい。助かったよ、可愛らしいお嬢さん」

 

 青い羽織を翻し、空海は颯爽と歩き出す。ただし、歩幅が小さいので見た目ほど速くはない。道を教えた少女の視線は、その背中をいつまでも追っていた。

 

 

 右に曲がる道だと思っていたら地元の車はウィンカーも出さずに進んでいた、といった経験はないだろうか。

 

「ナ・ル・ホ・ド・ネ」

 

 空海の目の前には分かれ道。川上へと向かう道と川下へと向かう道である。

 川も道も蛇行しており、川上にも川下にも前にも後ろにも森が広がっている。

 邑を出てから歩いてきた道は曲がりに曲がっていたので既に方向がわからない。

 

 少女の案内に従ってまっすぐ進み、右折し、まっすぐ進み、まっすぐ進んできた空海は今、丁字路にぶつかっていた。

 既に右折を使い切っていたのである。

 少女の言葉を信じるのであればここでも右折だろう。しかし、空海の目には左側の道に朽ちて読めなくなった案内板らしき物体が刺さっているように見えた。地元の人間的にはここは一本道であり、おそらく右か左がまっすぐという扱いになっているのだ。

 

 ――もしかしたら掟破りの地元走りで川を飛び越えるという可能性も……

 

「待ってっ、下さい!」

「これは俺の心の声じゃない……いるのか? そこに……!」

 

 空海が振り返れば、先ほど道を教えてくれた少女が顔を赤らめて息を切らしている。

 

「ハァッ――ハァッ――、南陽は、右っ、です」

「俺はどこへ行こうと言うのかね! あの案内板の反対方向に南陽があるのだ! 親切なお嬢さんや……これは僅かだが心ばかりのお礼だ、飲んでくれたまえ」

 

 空海は急ぎ足で引き返しつつ手を袖に隠して果実水の入った水筒を創り、未だ苦しげに大きな呼吸を繰り返す少女の手を取って握らせた。

 

「あ、あの、さっきの説明じゃ、わかりにくいかと、思って……。あ……美味しい」

「ありがとう、お嬢さん。先ほどの説明も十分にわかりやすかったよ」

 

 空海は果実水の美味しさに目を丸めている少女に笑いかけ、改めて礼を述べる。

 

「ただちょっと、現実に比して説明が簡潔に過ぎたことと俺が人の知性と道徳を信じ切れなかったことが問題だったんだ」

「……? あの、ごめんなさい、難しいお話はわからなくて」

「ああ、こっちこそごめん。大したこと言ってるわけじゃないんだ。宜城(もくてきち)へ向けた行程の、まず南陽への道で躓いたことに若干の不安を感じているだけだよ」

 

 少女は、自身より小さな男の子、それも上等な服を纏った良いところの御曹司のような彼が浮かべた大人びた表情に少しだけ驚く。もしかしたら、思っていたより年長なのかも知れない。そう考えて急に今までの態度に落ち度があったのではないかと焦り出す。

 

「あ、あの、お役人様」

「お役人? 俺、役人っぽく見えるかな?」

 

 空海が何か嬉しそうに返す。少女の発言が幸先の良いものに感じられたからだ。

 

「――お役人様じゃないんですか?」

「半分だけ当たり。これから偉い役人のとこへ行ってちょっとぶっ話し合うんだよ」

 

 そう、これから起こす話死合い(カチコミュニケーション)に向けた明るい材料である。

 

「ぶっ……話し、合う?」

「はっはっは。しかしその格好は寒そうヨ! これをあげるから羽織っとくといいネ!」

 

 少女の疑問に答えず空海は誤魔化すように笑いながら懐から大きな布を取りだした、ように見せかけてその場で創った。表地がやや落ち着いたエメラルドグリーンで裏地が渋い藍色の外套――つまりマントだ。

 

「こっ、こんな高そうなもの受け取れません!」

 

 少女は慌てて押し返す。空海が自分の着物を参考にした、とても肌触りの良いマントである。見た目くらいなら人間でも再現できるかもしれないが、その性能まで見れば皇帝であっても手にすることは出来ない逸品だ。

 

「引き取るのが嫌なら次に会ったときに返してくれるんでもいいよ?」

「こんなに綺麗だと、汚してしまうかもしれませんから……っ!」

 

 空海は気軽に扱っているが、少女に取って見れば気が気ではない。呼吸が届かないよう顔を逸らしてすらいる。これまでの人生で目にしたあらゆる高級品よりもなお素晴らしい品にしか見えない。押し返すときに図らずも触れてしまったが、あれはもう自分が触れていいものではないと結論するしかなかった。

 流石に少女が涙目になっているのを見ては空海からもちょっとだけ押しつける気が失われていく。しかしその代わりに、上目遣いと子供ボディのコンボがどこまで通じるのかを試してみたくなった。それが攻撃であると気付かずに。

 

「あのね」

 

 当時、街というのは一つの姓で完結してしまうことも多いものであった。少女にとって子供というのはどれも似たような顔立ちのレプリカのようなものであり、野原を駆け回るくらいしか遊びのなかったことも手伝い活動的でやんちゃな者が多く、浅黒く日焼けしていたり、少女が呆れるくらいに不潔な子もよく見かける存在だった。

 

「確かにあまり高そうなものを持たせるのは危ないとも思ったんだけどさ」

 

 空海は日本人が見でも、それだけで常識を塗り替えるほどのイケメンではない。

 ただ、未来人として常識的なレベル――この時代の基準でみれば狂気的なレベル――で清潔であり、未来人として常識的なレベル――この時代の基準で見れば名士レベル――でインドア派の色白であり、少々派手で抜群に質の高い着物を着ただけの、中身はともかく見た目にはあどけなさを残す、活発そうなそこそこの美少年であった。未来基準では。

 

「このくらいあげても惜しくないくらいに嬉しかったんだよ」

 

 未来から来た美少年が上目遣いをしていると言われても想像しづらいだろう。ならば、神話から登場した美少年が上目遣いをしていると言われたらどうだろうか。少なくとも、それまで邑からまともに出た事がなかった少女にとって、それは危機的な状況であった。

 子供だと思ったから異性として意識していなかった。だが、その分油断していた。

 御曹司だと思ったから雲の上の話だと思っていた。その分、憧れを抱いていた。

 どこか遠くに向けた表情ばかりだったから他人事に見ていた。視線を近づけていた。

 

「これを貰ってくれないか? お前にはよく似合うと、俺は思う」

「ひゅぇ!?」

 

 少女が息を飲むようなしゃっくりのような同意のような否定のような声を漏らす。驚き過ぎて言葉にならなかったのだ。果たして攻撃力か回復力か状態異常か。

 そんな少女を見て空海は小さく笑みを浮かべる。作戦の効果が感じられたからだ。

 だがその笑みは『とどめ』になった。少女自身がよくわからないが会心の一撃だった。

 

「ひょれ、わたくしいたたたただきます!」

 

 土下座でもせんばかりの勢いで頭を下げ了承を上手く告げ損ねた少女の言葉に、空海は凄く痛そうだ、などと失礼な感想を抱く。

 しかし彼女の態度はこの時代の一般人にしては相当に上出来なものだ。

 民に向けた浅く広い教育が始まった江陵ですら、お礼の気持ちは野菜や穀類で示すものである。両手に抱えきれないほどの『お礼』を持って歩いているのに、さらに野菜を差し出すことしかしない民には空海も困っている。

 空海は改めて「野菜じゃなかっただけ上出来だ」と考え、ゆっくりと頷いてみせた。

 

「それじゃあ、遠慮なく貰ってね」

「かしこまりもりました!」

 

 余程に興奮しているのだろう、顔を真っ赤にした少女の純朴さに、空海は思わず笑う。

 

「あはは。それで南陽までの道だけど、他にわかりづらい場所はないかな?」

「なっ、なりゃばわたくしが南陽(なにょう)まで案内(あんにゃい)いたしますです!」

「マジで。ありがたいけど、いいの?」

「おかかませください!」

 

 少女はキビキビと無駄な動きを繰り出し、受け取ったマントを胸にかき抱いたまま、それを持つ両手を交差させたまま空海の手を取って歩き出す。とても歩きづらそうにして。

 

「あれがこっちですっ」

「そっちは今来た道だが」

「あっ、わたくしの家で!」

「待てっ、何故お前の家に案内する! ……アクセルとブレーキを間違えたか?」

 

 その後どうにか南陽に辿り着いた二人ではあったが、色々とのんびりとしすぎたせいで着いた頃には日が暮れており、門も開けて貰えず野宿を強いられた。

 

 

 

「これはまた不味そうな……まぁ、賊どもにはちょうどいい目くらましだ」

 

 くきゅるるるる

 

「食べちゃダメだぞ、紫苑」

「……はい」

 

 可愛らしいお腹の虫をならしながら、それを気にする余裕もなくお膳を見つめる少女は黄忠、真名を紫苑という。彼女の隣でそれをいさめるのはいつも通りの青い羽織を纏って少々珍しく苦笑を浮かべた空海だ。

 各人の前に配られたお膳には色とりどりの炒め物や揚げ物、色鮮やかな炒め物や揚げ物など、明らかに脂っこそうで目に鮮やか過ぎる食べ物が並んでいた。

 空海にとってそれは味を確かめたくもない類の食べ物だったのだが、ここ数日、空海に付き合って色々な料理を食べ歩き、その味に感心しっぱなしの黄忠にとっては、味を確かめたことがないだけのご馳走なのである。

 

「皆の者、よく来てくれた」

 

 配膳が終わったところで劉表の取り巻きだろう女性が声を上げた。宴の席を謳っているにも関わらず、武装したままで。実際、何人かの招待客は武器を持ち込んでいるようであるため誰もそれを咎めない。

 空海にとって幸いだったのは、なし崩しに連れ込んでしまった黄忠が目の前の料理に夢中であったため、緊張をはらんだ会場の空気やぶしつけな視線を気にしていないことだ。

 

「劉刺史は善政で知られた景帝より――」

 

 空海の考えでは南陽への道を教えて貰って別れるつもりだった黄忠だが、貰いすぎを気にして南陽まで同伴することになり、閉門に間に合わなかったことや朝まで空海に守って貰ったことなどを気にして襄陽に同行することになり、襄陽で悪(そうな顔をした)人にも簡単についていこうとする空海を見て宜城に付き合うことになり、宜城で招待状を見せた空海に対して軽んじた態度を取った門番を見て中にまで一緒に入り込んでいた。

 黄忠の中では既に『空海をどうやって立派な役人にするか』というよくわからない行動指針がドーンと小さくない面積を占領している。ひとまずこれから会うという偉い役人を見極めて、大丈夫そうなら預けようと考えていた。難しいことはわからないので顔で選ぶ気である。

 

「――から天子様より高く評価され――」

 

 空海は辺りを軽く見回す。劉表隷下からは重武装した武官らしき者が2人、宴会に背を向けつつも会場を囲むように弓を持った兵士が50人と少々。弓を持つというのは正規の訓練を受けた熟練の兵士の証であるため、これに対抗するには相当な戦力が必要だ。

 対して客席には軽く武装した客が数名と、武装したまま連れ込まれた護衛らしき者達が30名と少々。少人数の護衛として連れ込んでいるのだから腕は立つのだろう。しかし、屋内とは言え武器は剣しか持たず、何人かの前には酒の載ったお膳が並べられてもいる。

 

「――を祝して、今日は大いに楽しんで欲しい。……劉荊州様」

「うむ。では、乾杯」

 

 まず劉表が杯の酒を飲み干し、杯を返して見せる。それに続くように参加客も次々に酒を飲み干していく。

 

「飲むなよ、紫苑」

「は、はい」

 

 最後に空海たちの杯だけが残り。

 

「――飲まぬのか?」

「俺は酒は飲まないんだ。……だが、気分くらいは味わいたいな。ちょっとこっちに来て飲んでくれないか、劉荊州」

「くっ、空海様!?」

 

 黄忠が慌てたように止めるが、空海は見向きもせずに劉表に笑顔を向けている。

 劉表は空海と見つめ合う間に徐々に表情を硬くして行き、最後には笑顔を消した。

 

 

「――賊どもを討て」

 

 

 劉表の小さな声が届いたのは果たして何人だったろうか。まず彼の周りにいた武官が一斉に剣を抜き、大声と共に近くの賊に斬りかかった。会場の人間は一斉に立ち上がろうとして、多くの人間が足下をふらつかせて転んだ。

 直後、会場の出口に近い席から順に、矢の雨が降り注ぐ。

 

「ッきゃあああああ!?」

「大丈夫だ、紫苑。俺を信じて動くな」

 

 思わず立ち上がりかけた黄忠を、空海が見た目に似合わない膂力で引き寄せる。その間にも矢が降り注ぎ、降り注ぎ、降り注ぎ――

 

『やめろ』『打つな!』『どけ!』『助けて!!』『\いてえ/』『待て!!』

 

 赤い海の中に、空海と黄忠だけが残った。

 

「な、何故あやつを殺さぬ! 打て!」

 

 劉表が大声で命じる。おそらく会場に入ってから最も大きな声だろう。それでも兵士は動かない。

 

「どうした!?」

 

 兵たちは打たないのではない、打てないのだ。空海たちに射掛けようというその意志に反して、腕を上げることすらできない。周囲を見回すことは出来るのに――。

 兵の一人がそれをなんとか劉表に伝えたところで、場に似合わない笑い声が上がる。

 

「ははははは」

 

 座の中央付近で声を上げているのは、怯える少女の肩を抱いた小柄な男、空海だ。

 

「荊州へようこそ、劉景升……歓迎しよう。盛大にな!」

 

 空海が強い調子で告げると同時、大きな音と共に会場の扉が吹き飛んだ。

 

『!?』

 

 道士姿の小柄な少年と無表情な青年が並んでそこから現れる。

 

「ほどほどに暴れろよ、左慈」

「わかっている」

 

 薄い茶色の髪と道士風の服の少年姿、左慈は血の海の上を滑るように移動して劉表らの集まる席へと迫る。

 無表情な青年、于吉は何事かを小さく呟いた後、血の海をゆっくり空海の元へと参じて流れるように跪いた。

 

「空海様、ご無事で」

「うん。余裕」

「すぐに制圧します。少々お待ち下さい」

 

 立ち上がった于吉が手を振る。会場を囲んでいた兵が一斉に表情を消して弓を捨て、数秒と持たずに左慈に無力化された劉表たちを取り囲んだ。

 

「きっ、貴様ら何を!」「正気に戻れ!」「ああ! 窓に! 窓に!」「……オウフ」

 

 左慈の攻撃で立ち上がることも出来ないほどのダメージを受けた身で、1人に4人もの兵がついて手足を取り押さえられては抵抗する気も無くなるらしい。

 左慈と于吉が左右に分かれ数歩引いて頭を垂れたことで、この場の支配者が誰であるのか、劉表も悟ったようだった。

 

「整いました」

「ご苦労様。――紫苑、大丈夫だ。俺を信じろ」

「ひっ……は、はい……!」

 

 空海がゆっくりと血の海を渡る。気付いたのは、否、気付く余裕があったのは、左慈と于吉だけだったが、その歩みは波紋一つ起こしていない。

 

「流石に賊だけあって、こいつら考えなしだよね。出入り口じゃなくてお前の首を狙えばまだ逃げられる可能性があったものを。毒を飲んでちゃそれも無理か」

 

 たくさんの矢が生えた賊の死体を横目に、空海はのんびりと劉表に近づいていく。

 

「さて、お前は正義の荊州刺史で、この場に招かれたものは全て賊らしいが……」

 

 膝をついた劉表の前に立った空海は、高さが並んだ視線を劉表に向け、笑みを深める。

 

「今この場の生殺与奪の権利においては、俺が上でお前が下だ。果たして今、お前は生きあがくのか。それとも――」

「賊に頭を垂れてまで生きながらえようとは思わぬ。殺せ」

「ふふっ、お前がそう言うと知っていた」

 

 空海は僅かに吹き出し、劉表に見えるよう指を三本立ててつきだした。

 

「いくつか訂正させて貰おう。一つ目。俺は賊ではない」

「何を馬鹿なことを言っている」

「ああ、今はお前たちの言う賊には当てはまるかもしれんが、なに、お前が俺を『賊』で無くせばいいだけだし、仮にお前が頭を垂れるとしてもその時点で俺は賊ではない」

 

 一瞬言葉に詰まった劉表だが言葉遊びだと思い直す。だが、先にその言葉遊びを仕掛けたのが自分だと気付き、不機嫌そうに批難の言葉を飲み込んだ。

 

「二つ目だ。俺はお前を従えるためにここに来たのではない。いま来たのは、招待された時に入った方が面倒が少ないだろうと思ったからで、罠を打ち破って逆に殺し返すために罠にかけた、ということでもない。制圧したのは声が少ない方が話しやすいからだよ」

 

 またしても劉表は言葉を飲み込む。これだけの力がありながら今を狙ったのは、ここに集まった賊を確実に殺すためなのだろう。だが、やはり。先に仕掛けたのは劉表であり、目の前の男はその思惑に乗っているに過ぎないのだ。

 空海はそんな劉表の葛藤を面白そうに眺めた後、さて、と句切って三本目の指を折る。

 

「ここに来た目的はお前を従えるためではないと言ったことに絡むが……お前が俺たちの良き理解者である限り、互いが協力して出世できるだけの案がある」

 

 三本目の指を示しながら空海が漏らした言葉は、今度こそ劉表の意表を突いた。

 

「どういう意味だ」

「言葉通りさ。俺たちが俺たちであることを助けてくれるなら、お前には刺史よりずっと上まで出世して貰った方が都合が良い。だから、その方法を用意した」

 

 劉表は空海を睨む。甘言は聞き飽きている。たかだか数十人をどうか出来るだけの力で出世をすることなど不可能だ。そしてそれ以外の力を持っているのかもわからない。その程度のことも示せない者の言葉を簡単に信用するわけにはいかなかった。

 

「手を取らぬ場合は――」

「取ってくれる者を待つかな」

()()()()、ということか」

 

 つまり断ればそれで終わりというだけの話だ。劉表はこの場をしのいで次こそこの者を仕留められるかを考え始め、それは空海の手で中断させられた。

 

「今ここで答えを出す必要はない。これを持って帰って、よく考えて決めるといい」

 

 差し出されたのは一冊の本だ。随分と質の良い紙を使っている。題字を確認する前に、それは劉表の着物の内側に差し込まれた。

 

「返事は明日の昼に聞こう。まぁ、その本を持って逃げるという手もなくはないぞ」

「そのようなことはせぬ」

 

 討ち取るにしても、何かしらの交渉をするにしても、逃げ帰って再起するよりは簡単で確実な手になるだろう。

 

「ただ、その本はお前がこの地で読むから価値があるのであって、持ち帰っても役立てることは出来ないだろうね、劉景升が儒学者である――」

 

 劉表の言葉を聞いているのかいないのか、空海は挑発するように言葉を続けて、唐突に全身で振り返る。

 

「死にかけだと油断したか」

「――ぶ、武器を捨てて膝をつけっ!」

「え?」

 

 満身創痍といった様子の兵士に、黄忠が捕まっていた。

 兵士はおそらく会場に残る賊たちの死体をかき分けながら進んできたのだろう、全身が血にまみれている。装備を見る限り会場の警備ではなく外を守っていた者の一人である。

 

「半端な仕事をしましたね、左慈」

「――チッ、カスが」

 

 黄忠の命に価値を見いだしていない于吉と左慈は、要求を全く無視して突っ立ったまま悪態をつく。空海もこの『何とでもなる状況』に少しだけ頭を働かせて。

 

「ふむ……。二人とも動くなよ」

 

 管理者二人に言葉を掛けながら、空海は黄忠に向けて温かい視線を送った。その視線は黄忠の脳裏に『俺を信じろ』という言葉を再生させ――直後、空海は顔だけで振り返り、隠しきれない喜びの表情を浮かべた劉表へと色のない視線を向ける。

 

「お前の部下にはバカしかいないのか? ()()

 

 ビクリと、視線に射貫かれた劉表が体を震わせた。空海の言葉の意味を考える。歓喜に踊り出しそうになる思考を抑え、この男の冷めた視線の意味を考え――背筋が凍った。

 

「――そ、その(むすめ)を、離せ。その娘には『価値』がない」

『え!?』

「その通りだ、劉表。仮に言われた通りにしても、お前たちは俺たちを殺してその()をも殺そうとするだろう。もしその娘を殺すなら、お前たちが死ぬことになる」

 

 言葉に従う利が全くない。その利を生み出す人質ではないと空海は言っている。

 劉表らは空海()()を順番に殺そうとしているだけなのだから。

 

「お主が素直に捕まればその娘は殺さぬ、と言えば?」

 

 そう言いながらも劉表は、これが無意味な問答だと考えていた。お互いが握る命でさえ天と地ほどの差があるのだから。

 この子供と見紛わんばかりの男は、振り返るまでの僅かな間に劉表を納得させるだけの理屈を確かめ、人質を取る兵ではなく、人質となっている娘でもなく、最短最速の解決先である劉表に向け、劉表が必要とする最小限の言葉で解決を促している。劉表の部下への批判に見せかける余裕まであったのだ。

 劉表はこの時点で既に部下の誰よりも、そしてあの瞬間に逆転を錯覚した自分よりも、空海への評価と警戒を一層高めていた。今ここで敵に回すには危険すぎる相手だと。

 

「許しを請う『賊』を目の前で何十人も討ち滅ぼしたばかりのお前を、信じると思う?」

「で、あろうな。故に価値がないし、その行動は我らの心証を悪くするだけだ。やめよ」

 

 わざわざ会話をしながら説明するのは、そんなこともわからない部下のためだ。未だに少女から手を離すべきか悩んでいる兵に対して舌打ちしたい気持ちを抑え、努めて冷静に説明を続ける。生殺与奪の権利は未だ空海の元にあるというのに。

 万一兵士が勝手に少女を傷つけたりしたら、空海との溝が決定的となってしまうかもしれない。劉表は、こんな愚図に自身の命運が握られていることにはらわたが煮えくり返るような思いだ。空海を見た今その思いは輪をかけて強まるが、それを表にするほど気位も冷静さも捨ててはいなかった。

 

「……よいか。私はこの者の手を取るかもしれぬ。この者の提案には検討する価値があるだろうと思っている。私の命令に逆らい、それを邪魔するつもりか?」

 

 そこまで言ってようやく手を離した兵士に向けて劉表は追い払うような視線で視界から外れるよう命じ、いまだ兵士が側に佇む少女の元へ無防備に歩み寄った空海を見て、その剛胆に舌を巻いた。

 空海が近づくと、慌てた兵士は黄忠を突き飛ばし自身も尻餅をついて後ずさる。空海は小さな悲鳴と共に倒れかけた黄忠を抱き留め、その体を抱き起こした。

 

「人質に取られるとは予想外だったな。でももう大丈夫だからね。痛いところはないか、紫苑?」

「くっ、空海、さま……っ」

 

 黄忠が堰を切ったように涙を流す。ようやく混乱から立ち直り、今になって恐怖が追いついて来たのかもしれない。本人にもわからない感情がない交ぜになったものがその目に涙を生み出し続け、空海の胸元にしみ込んでいく。

 

「お前は俺にとっては大事な友達だからね。……無事で良かった」

「っ、はい……! はい……っ!」

 

 その後も空海は大丈夫ダイジョーブと繰り返しながら黄忠の頭を撫で続ける。やがて、黄忠の体から力が抜けたところで空海は彼女を抱き上げ、顔だけで振り返った。

 

「明日の昼にもう一度来る。于吉、劉景升は離してやれ。あとは()()()()よろしく」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 翌日の昼前。宜城の一室には劉表と空海を含めた数人の姿があった。

 劉表に協力する数人の豪族たち。現在は実権などないものの、将来は荊州幹部の地位が約束された彼ら彼女らが、緊張の面持ちで膝をついている。

 少しばかり憔悴した様子の劉表が、しかし力強く切り出す。

 

「案は読ませて貰った」

 

 劉表が疲れた表情を見せているのは、昨日の『宴会』の後始末や、ほとんど寝ずに本を確認したことも原因だが、一番は本の内容が衝撃的だったせいだ。

 当たり前に書かれたその内容を理解するのに、覚悟が必要だとは思っていなかった。

 だが、その価値があったと劉表は思っている。元より『賢人』を厚遇することは当然と考えてもいることであるし。

 

「これが見られただけでも、荊州に来た価値があると儂は思う」

 

 この場で立っているのは劉表と空海、そして空海の数歩後ろに従う二人のみ。その左慈と于吉も空海の視線を受けて膝をついて、やがて、大人の中でも大柄な劉表と子供にしか見えない空海という珍妙な組み合わせだけが残った。

 

「故に、そちらの要求を飲まぬ理由はない」

「なんでそんな回りくどい言い方するの?」

「ふっ……これからよろしく頼むぞ、空海」

「はいはい。こちらこそよろしく、劉景升」

 

 言葉と共に差し出された手が結ばれ。

 

 

 生まれ変わった『江陵』は、表舞台へと上がる。

 




>竜が出たぞー!
 実は江夏郡の東部には「天を支える」とも言われた天柱山という山がありまして、竜が出そうな雰囲気なんです。写真で見ると。編からは400㎞くらい離れてますが。

 その他のネタなどは活動報告にて。



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2-1 自分では暴れない将軍

「そなたを江央将軍に任ずる」

 

 堂々と、しかし少しの呆れをにじませながら黙って突っ立っているチビは空海。

 その正面に堂々と立ち、疲れた表情ながら威風を感じさせる男は、先日征南(・・)将軍に任じられた劉表(りゅうひょう)である。

 

「これで、そなたが軍を持つ理由が出来たわけだ。理解してくれ」

「理解しているとも。だから黙って聞いていたじゃないか」

 

 

 今回、空海は紙の試作品を持って来たのだ。これまで作られていた紙よりも遥かに白く薄く滑らかなそれを見せて驚かせ、気分が良くなったところで劉表が言った。

 

「ではこの功を以って空海を江陵県侯ならびに江央将軍に任ずる」

「は?」

 

 

 空海は是とも非とも言っていないのにあっという間に書類の類が運び込まれ、服従のポーズ(土下座スタイル)を取れと言われ、拒否してみたものの返事は聞いていないとばかりにそのまま無理矢理に任官された。

 

「先の同意にあった通り、江陵は国から独立した政治経済軍事を持つつもりなんだが?」

「わかっている。今後は江陵周辺を特別郡として南郡より独立させ、太守(たいしゅ)(こう)といった形を取った後、官位を新設して江陵丞相(じょうしょう)のような役についてもらおうと思う」

 

 独立区画の制定、統治者として新設の官位を制定。どちらも提案済みの事項だ。空海が投げやりに提案した職名は変わっているが。

 太守や侯というのは市長のようなものである。政治と経済の実権を握る。街と郡が同じ意味となる江陵では県令の上位版だ。将軍位で軍事も言い訳が立つため、これで公的にも江陵が独自の政治経済軍事を持つだけの根拠が出来た。

 そして丞相。これは漢における最高位の一品官の中でも最上となる官位である。江陵と頭につくことから限定的な権限しかないことは想像に難くないが、ほぼ全ての相手からの要求を拒否出来るだけの根拠を持てるだろう。

 

「うーん、まあそのくらいが限度か」

「私か陛下の親族を名乗ってくれたら楽だったのだが?」

「断る」

 

 苦笑と共に意地悪な視線を向ける劉表に、空海は呆れを含んだ視線を返す。郡へと格上げして郡王とするだけなら過去にも例があり手間も掛からないのだ。だが、郡王は皇帝の親族でなければつけない。

 

「と、言うと思って面倒な手を打ったのだ。改めて言うが、理解してくれ」

「理解したよ」

 

 漢において天子と同位ということはあり得ない。国外の全ての国が漢より下であるという立場を崩さないからだ。その徹底ぶりは交易品すら献上品に対する下賜として交換しているほど。

 国内最高位と同じ名の付く官位を創設し与えるというのは、ほぼ最大限の譲歩だろう。

 劉表が現在のように幕府を持てる高官である限り、解任するまで空海の将軍位は残る。

 おそらく劉表が征南将軍にある内に江陵丞相とやらにする自信もあるのだろう。劉表は卓越した政治手腕を持っている。既に各方面に手を回しているに違いない。

 

「この紙の他にも何かの功績があるのなら、推挙も容易になるのだが?」

「お前たちの好みそうなものだと、海の幸の内いくつかを加工して、涼州(りょうしゅう)くらいまで腐らせずに運ぶ方法を考えたぞ。野菜についても同じく」

 

 漬け物の類である。魚については一夜干しなども視野に入れている。

 

「まことか!」

 

 割と食いつく劉表。荊州南部の食料は腐りやすいのだ。その問題点の克服は荊州にとって莫大な利益となる。

 

「ああ、あとは籾殻をこれまでより容易に脱穀する方法についても、道具の作り方を模索しているところだ。これは今のところ江陵内で効果を競わせている」

「なんと!」

「上手く行けば民も畑を広げられるだろう」

「ほう……!」

 

 劉表の目は徐々に政治家の色をにじませている。空海は面白そうにそれを眺める。

 

「稲を育てる方法の改善策については来期まで様子を見てから、こちらにだけ伝えよう」

 

 劉表の目は空海を見ている。だが、脳裏ではそれらの技術革新がもたらす利益が計算されているのだろう。

 数瞬黙った後に、口元を隠す様に手を添え、わざとらしく咳払いをする。

 

「ううむ……では、来期を目処に特別郡の侯となって貰うつもりで居てくれ」

「まあ、いいだろう」

 

 空海は相変わらず呆れを見せつつ答える。

 

「こちらからはもう一つ、長沙(ちょうさ)孫堅(そんけん)のことだが」

「謀略によって太守連中の不和を誘発したり、都市をかき乱すことくらいはやってもいいが、討伐は行わんし、江陵での対応を強いるようなら、取引に出したいくつかの条項について改定を求めるぞ」

「いくつかの条項とは……?」

 

 どうやら本当に江陵に任せたいらしい。ならばふっかけるかと、口を開く。

 

「長城の修復についてこれを免じること。12年の免税をさらに加えて24年の免税とすること。国において罪を犯した者が江陵に逃げ込んだ場合でも、江陵が彼らを独自に裁く権利を持つこと」

 

 ちなみに江陵の犯罪者が漢の側に逃げ込んだときには引き渡して貰う、という項目は前回の取引で了承されている。あまりにあっさりと認められたため、漢と江陵でどれほど刑罰が異なるのかを理解していないらしいと推測した。

 

「12年……12年は大きい。何とか4年ほどにならないか?」

 

 ――やはり。

 劉表が免税などに気を取られているウチに話をまとめようと決める。

 

「ダメだ。10年、いや、8年の免税と4年の半額免税までなら譲歩しよう」

「むむ……! 6年、どうだ?」

 

 空海は黙って首を振る。

 江陵から出てくる利益は現金以外の部分でなお大きいのだ。劉表はその大きさを理解し評価しているため、判断を曇らせている。

 

「うむむ……、仕方あるまい。8年の免税と4年の半額免税を認める」

「うん、では軍を1万5千ほど貸せ」

「なんだと? 江陵で対処するという話で認めたのだぞ!」

「わかっている。だから、大筋では俺たちが手を伸ばす。だが、お前のとこの将が手柄を上げた方が今後のためになるだろう」

 

 つまり、大将首を取らせるから名前を貸せと言っているのだ。

 

「……なるほど」

「無論、戦っても貰うが、財貨や物資でその補填は行おう」

「うむ。それならば文句はない」

「大筋で言えば、太守らの不和を煽り連携を阻む。それぞれの太守に個別に当たり、街から引きずり出して罠にかけ、勢いや数を殺した上でお前たちの軍がとどめを刺す」

 

 劉表は大筋を想像し、納得する。

 

「ならば部下の(こう)軍司馬(ぐんしば)を遣わす。そなたの言葉に従うよう告げておく故、見事逆賊孫堅を討ち取ってみせよ」

 

 黄軍司馬とは黄祖(こうそ)という人物のことだ。頑固だがなかなか有能らしい。

 

「同意書を作っておこうか。軍を動かすのは再来月の末日からということにしてくれ」

「む。良いだろう」

 

 元々、軍の出立には日数が掛かる。再来月末からの行動ならば、今すぐ徴兵して一通り訓練まで行うことすら可能だろう。

 同意書につらつらと条項をまとめ、筆を置く。空海はまだ文字の練習中なので劉表側に書かせて、連れてきた文官に確認させる。

 

「江陵はまず、長江と襄江の河賊どもを駆逐する」

「なに? 再来月までそうしているということか?」

「そうではない。再来月を超えて河賊の討伐に当たっているから、黄軍司馬を助ける余裕はなかった、ということにするんだ」

「なるほど……」

 

 実質は助けておきながら、対外的には黄祖が単独で打ち破ったことにする。黄祖を遣わした劉表の名声に繋がるし、やはり劉表が任命した江央将軍の役目も果たせる。

 

「良い手だ。結果が伴うなら言うことなしだな」

「問題ない。孫堅が王叡(おうえい)を殺害してすぐに種をまいておいたからな」

「なんと、それはまことか!」

「王叡には見る目がなかったが、孫堅には機がなかった。王叡を殺害した時点で詰みだ」

 

 一時的にはそれで良かった。荊州の一部で天下を取った気になれたし、喜んだ民も居ただろう。だが政治的には行き先がなくなった。

 江陵からの謀略によって都市の勢力基盤はぐらつき、身動きが取れなくなった。

 劉表が赴任した時点で従属すれば望みはあったかもしれないが、窮地にあって汝南郡の袁家と結んで劉表に対抗しようとしてしまった。これは劉表を赴任させたこの国へ反逆の意志を示したと言っても良い。

 

 袁家と孫堅、そして劉表と孫堅を結ぶ線の上には江陵がある。それぞれのやりとりを思うように動かせる位置にあって于吉を通じて既に手も打たれていた。

 太守同盟とも言うべき南方の都市に不和が起こし、それに乗じれば、状況を動かすことはさらに容易になる。

 おそらく罠を悟り長沙から出てくる頃には歴戦の兵は五千も残らない。あとは、小さな怪我やストレスを与え続けるだけで、食べ頃に熟れる。

 

「うむ、では頼むぞ」

「ああ、任せおけ」

 

 顔も知らない孫堅に対し、俺を頼れば助けてやったものをと心の中で独りごちて、頭を切り換える。

 

「話は変わるが、涼州(りょうしゅう)方面で力がある勢力と言うとどのあたりだ?」

「涼州? ……そうだな。刺史が討ち取られたばかりで不安定ではあるが、隴西(ろうせい)の董家は上手く治めていると聞く」

 

 隴西はかなり西側の郡だ。西側の異民族との国境ではなかっただろうか。

 この件ではあまり遠い場所はよろしくない。荊州のすぐ北、司隸(しれい)ならばどうだろうか?

 

「司隸を含めてもいい。それなりに近場ではどうだ?」

「それならば先日、反乱に際して仕官して軍功を上げ、直後に賊軍と結び、官軍に打ち破られ、皇甫(こうほ)中郎(ちゅうろう)に免罪されたという愉快な経歴の者がいるぞ」

「波瀾万丈すぎるだろ。誰それ?」

扶風(ふふう)郡の馬騰(ばとう)なる者だ」

 

 ――バトーさんかよ!

 かろうじてツッコミを飲み込む。見所でもあったのではないか、と呟く劉表は、空海を見て意地悪そうに笑っている。

 

「……では、馬家との取引で馬を手に入れたいと思う。年に数度の交易について、馬家と江陵の間で大規模な護衛を含めた交易団を通す許可を得ておきたい」

「大規模な護衛とは?」

「今すぐの話ではないが、騎兵を、最大5000」

 

 かなり大きな数だ。そこそこの規模の軍でも騎兵でこの数はいない。

 であるにも関わらず劉表の驚きは小さかったようだ。驚かされ慣れてきたらしい。

 

「5000か……。わかった。荊州については問題ない。だが司隸の通行には何か対価が必要となるだろう」

 

 劉表は賄賂を当然のものとして考えている。好き嫌いを差し置いて、こういった濁流に理解のある人物であるために南部方面軍の司令官という立場にまで出世できたのだ。

 

「下っ端の方には安酒でも振る舞う予定だ。上の方は権威で何とかならないか?」

「ううむ……権威か」

 

 賄賂では通行のたびに要求され、いずれはその額も上がっていくだろう。だが『権威』ならば一度手に入れてしまえば毎度の賄賂要求などは避けられるのでは、と考えた。

 

「そうだ。五銖銭(ごしゅせん)の鋳造でも行おうか」

「なっ!? 鋳造、いや、出来るのか!?」

 

 五銖銭の鋳造は長安だけで行われている。偽造の難しい貨幣であり、特に配合は秘中の秘とされていた。京兆尹(けいちょういん)によって監督されており、同時に京兆尹の特権でもある。

 

「おそらく出来る。出回っている貨幣も緩やかに増やしていかねばならないだろう?」

「馬鹿な……そんなことが、いや、京兆尹はそれを認めまい」

「だから、長安に納めに行くんだ。護衛を伴って。1年に何度か。1千万銭ずつ」

「なる、ほど……それなら……だが、どうやって京兆尹に認めさせるか」

「まずは古い貨幣を潰して鋳造し直す部分を請け負おう。京兆尹を立てつつ認めさせるなら、上司を懐柔すれば良いんじゃないか?」

 

 そう言っていくつかの名をあげる。大司農や司徒、いくつかの監察官たちだ。京兆尹が重要な役割である以上、直接の上司というのは少ない。

 さらに言えば、その上司たちはほぼ最高位の官である。これ以上の出世も見込めないため、金よりも現物を好む連中が多い。名士筆頭劉表の認める、『徳を高める名酒』などを差し出せば漏らしながら喜ぶだろう。

 袖から取り出した徳利を差し出す。日本酒の製法で作られた江陵の酒は、まだどこにも出回っていない透明な清酒だ。劉表はその透明さに、香りに、味に驚嘆した。

 

「なにこれ超美味ぇ!」

 

 キャラが崩れるほど驚いた。

 

「江陵で作る公良酒というものだ」

「超美味ぇ! ……うむ。これならばこちらでも打つ手はある。やってみよう」

 

 劉表もやけに乗り気である。

 美味しかったのか? それだけ特権に食い込めるうまみは大きいのか?

 

「ところで……。美味い酒が目の前を右から左へと流れていく奴の気持ちを考えたことありますか? マジで飲みたくなるんで勘弁してくれませんかねぇ……?」

「……わかった。わかったから。今度持たせるから、その切ない視線をやめろ」

「9杯でいい」

 

 さすが謙虚な劉表は格が違った。

 

 

 

 

「――そういうわけで県侯兼将軍となった」

「なるほど。では今後は空海江央将軍様と呼んだ方が」

「ああ、それは元のままでいいよ」

 

 空海は黄蓋の言葉を遮る。

 

「どうせすぐに郡侯だかになって、江陵丞相だか何だかになるはずだからね」

「……空海様は、とんでもないことをさらりと申されますな」

 

 黄蓋の頬は引きつっている。丞相など官位の頂点ではないか。江陵丞相が何であるかは知らないが、その名が許されるというだけで桁違い、それこそ歴史に残るほどの大事だ。

 とはいえ空海としては官位は望んでいない。温度差を自覚しつつも無視して続ける。

 

「そういえば将軍に任官されたから、今度河賊退治をするぞ」

「ほう。腕が鳴りますな……と、そういえば一つお伝えしたいことが」

「ん、なに?」

「調練の最中に見所のある兵を見つけたのです」

 

 黄蓋は毎日調練を行い、あるいは左慈の調練に参加し、帰り際に酒を試飲していく。

 調練への参加時間は左慈に次ぐ都市第2位だ。当然、兵と接する機会も多い。

 

「ほー。俺に伝えるって事は取り立てるに値すると思ってるわけだ」

「左様ですな」

 

 黄蓋の目にかなうなら期待できる、と空海は考える。河賊退治のために時機も良い。孫堅とぶつかる可能性のある部隊には黄蓋を使いづらかったために、駒が増える事は素直にありがたい。

 

「じゃあ、とりあえず会ってみようか。今度連れてきてよ」

「承知」

 

 

 

 于吉と左慈には既に指示を出し、あとは成果を待つだけだ。表向きの軍事行動に司馬徽の知恵を用いるべく、料理試作部へと足を向ける。

 

 

「徳操」

「空海様、ようこそいらっしゃいました」

「少し話がある。今いい?」

「はい」

 

 空海は直近の話題として、将軍と県侯への任官、劉表との取引、馬騰との取引を考えていることなどを伝える。

 

「河賊退治の方ではお前も知恵を出しておくれ」

「了承」

「もちろん、于吉や左慈と相談の上で、ということになるけど」

「承知しております」

 

 さらに現在動かせる兵の数、于吉に用意させている策、新規に将を採用するかもしれないことを付け加える。

 将について話してから何かを考えていた様子だった司馬徽が顔を上げた。

 

「一つ腹案があるのですが、お聞きいただいても?」

「うん? なんだ?」

「襄江の方面に黄公覆殿を派遣されてはいかがでしょうか」

 

 襄江は長江の支流の一つ、北から流れ江陵の北側を通り東に向かう。北にある襄陽から江陵をかすめて、江陵の東で長江本流と合流する形だ。

 江陵から襄陽に続く陸路が側を通っているため、叩いても叩いても埃が出てくる地域でもある。治安の改善は襄陽と江陵、双方の利益となるだろう。

 

「一方で、江陵周辺では別部隊を運用するということにし、そちらを孫堅へと割り当てれば兵を動かす表向きの理由が出来ます」

「なるほど。それで行くか。于吉達と相談して詰めておいてくれ」

「了承」

 

 司馬徽が新しい仕事に取りかかろうと立ち上がったとき、ふと空海が思い出したように告げた。

 

「そういえば徳操」

「はい、何でしょうか?」

「河賊退治が終われば、都市周辺の街道整備に入る」

「はい」

「都市から人手が出て行くから、子供を預かる大規模な施設を用意するんだ」

「素晴らしいですわ。お手伝いしても?」

 

 司馬徽の目は輝いている。子供好きなのだろうか。

 

「ダメー。お前にはやって貰うことがある」

「……承知しました」

 

 意気消沈してしまったようだ。空海は意地の悪い笑みを浮かべて続ける。

 

「ふふふ。まあ最後まで聞け。……預かった子供達には読み書き計算や教養の試験にある諸々を教えていくことになっているんだ」

「そうなのですか……」

 

 司馬徽はますます沈む。何故そこに自分がいないのかと。

 

「そして、子供達の中から特に出来の良いもの達を集め、さらに進んだ内容を学ばせる」

 

 空海は悪戯を成功させた子供のように笑いかける。

 

「……まさか」

「身体の動かし方などを貂蝉が教え、各種の職業につく者達からの話や日常生活にまつわる話を聞かせるため講師として街の者を呼び、その他の学問を……お前が教える。まとめ役はお前だ」

「えっ、あわ、はわわっ」

「水鏡学院とでも名乗ると良い。江陵が、学ぶ者と教える者を助けてやる」

「ありがとうございましゅ!」

 

 司馬徽は顔を真っ赤にしながらも深く頭を下げ、その光景を脳裏に描く。

 

「――ありがとうございます」

 

 水鏡学院は開校ほどなくして女学院に変わるのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

 玉座が置かれた広場(・・)から奥、裏庭とでも呼ぶべきか、桜が咲き誇り岩の隙間を落ちるせせらぎも爽やかな庭園の隅に、大きなテーブルがある。

 

「なんで雲一つないんだろうなー(棒読み)」

 

 空海が江陵に来てからかれこれ数ヶ月、江陵は一度も雲に覆われたことが無い。空海の言葉に慌てた太陽神が居るとかいないとか。

 今、空海はテーブルについてお茶を飲んでいた。わざわざ卑弥呼に作らせた日本茶だ。

 

「空海様、連れて参りました」

 

 声を掛けたのは黄蓋。今日は先日話に上がった見所のある人物を連れてくると言っていた。空海の座る後ろで二人が膝をついて頭を垂れる。

 

「うん、いらっしゃい」

 

 空海は座ったまま、お茶を片手にのんびりと振り返り、思わず笑みを浮かべた。

 

「よく来たね、紫苑」

「――お久しぶりですわ。空海様」

 

 黄蓋の横で膝をつき、空海の言葉に顔を上げたのは黄忠だった。

 

「む? ご存知でしたか」

「ああ、最初に劉景升のところに行ったとき、案内をしてくれたのが紫苑なんだ」

 

 迷子になっていたのは秘密だ。

 

「ええ。その際に江陵のことを伺って、邑の人たちと共に移住してきたのですわ」

「そうじゃったのか。では推薦は必要ありませんでしたかな?」

「腕前は聞いていないよ。確か、狩りに弓を使うとは言っていたな」

「はい。江陵に来てから兵士に志願し、先日、長弓兵から一軍へと上がった際に黄将軍に声をかけていただきました」

 

 読み書きの出来る健康な者が入れるようになる第二層。その第二層を守るのが三軍であり、この三軍で一定量の訓練をこなすか目立った軍功か成果を上げると、第三層を守る二軍へと昇格する。

 二軍からは扱いの難しい長弓兵だ。二軍で一定量の訓練を受けた上で、一定の軍功などを上げるか指揮官としての適正が高い人間は第四層の一軍へと昇格する。

 黄忠が移住してきてからまだ半年も経っていない。適正があったとしても、かなり短期での昇格と言える。黄蓋からの推薦も考えれば本当に優秀なのだろう。

 

「そうか。公覆、紫苑の実力をどう見る?」

「そうですな。武器を持った近接戦闘ならば、ワシには及ばずとも並の兵士では敵いますまい。……しかし、弓では江陵一でしょうな」

「お、褒めるねー」

「こちらが撃った矢を空中でたたき落とされた時は、思わず訓練を忘れて唖然としてしまいましたわ」

「へぇ。凄いじゃないか。指揮の方は?」

「訓練では問題ありませんな。後は実戦で臨機応変に対応出来るかと言った所でしょう」

「なるほど」

 

 黄忠は目の前で評されて少し居心地が悪そうだ。頬を染めてもじもじしている姿はとても矢で矢をたたき落とす武人とは思えない。

 

「なら、ちょうど良いと言えばちょうど良いかな」

「む?」「え?」

「河賊退治の話さ」

「なるほど」「?」

 

 黄蓋には河賊退治の話をしてある。何も聞いて居ない黄忠は不思議顔だ。

 

「紫苑」

「あ、はい!」

「お前は明日から武官だ。家も用意するから、来月くらいまでには引っ越しだぞ」

 

 空海が告げると、黄蓋からも話を聞いていたのだろう、黄忠は元気よく答えた。

 

「はい!」

「どのような待遇になるかは公覆から聞いておけ。詳しい話とわからない部分は司馬徳操か于吉に聞くように」

「わかりましたわ」

 

 では、と前置きして話を続ける。

 

「公覆、お前は襄江を遡って襄陽方面の河賊退治だ」

「はっ」

「紫苑には指揮の訓練もかねて江陵付近で部隊の展開をしてもらう」

「はい!」

 

 先日司馬徽と話していた黄蓋の遠征を指示しておく。

 

「二人とも、陸と連携して街道付近の掃除もしていくから、徳操たちに行動計画を聞いておくようにね」

「承知した」「はい」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 黄蓋に率いられ、江陵から襄陽に向けて兵士と共に大量の荷車が運び出されている。

 物資を川上の襄陽に持ち込み、襄陽から江陵に向けて水軍と陸軍共同で河賊退治を行うためだ。

 襄陽に向かう間にも適当に賊を討伐。襄陽から長沙に向けて進軍する黄祖の軍の露払いとする。劉表を通じて襄陽で手配した分と持ち込んだ物資でそこそこの船団を用意し、折り返して陸軍と協調しながら江陵までローラー作戦。

 汚れの酷い地域なので雑巾がけは念入りに、というのが今回の方針だ。

 黄祖と入れ替わりで襄陽に入ることで拠点も用意出来るし、作戦が少々長引いても大丈夫である。船の手配に手間取ることなどよくあることなのだから。

 

「刺史の劉表には協力を依頼すると共に、船の手配については少々遅らせるよう要請してあります」

「黄蓋には伝えていないが、気がついてしまうかな」

「……物資にあれだけ酒を詰め込んでいるのです。さすがに気がつかれないということはないでしょう」

「だって酒好きだろ!?」

「理由になっておりません」

「気を回しすぎたかなー」

 

 于吉曰く。長沙の孫堅は、零陵(れいりょう)桂陽(けいよう)の太守と仲違いを起こし長沙の郊外で野戦。余裕で勝ったものの兵士や民の間には孫堅への疑心が蔓延しているようだ。

 零陵と桂陽の太守は逃げ帰り、今は都市に引きこもって追撃に怯えているそうだ。こちらも、兵士や民の間には強い不信が募っているらしい。

 

「孫堅には兵を率いる才こそありますが、豪族のとりまとめには知恵が足りていません」

 

 目の前で長々と説明していた于吉がようやく結論に入ったようだ。

 

「ふーん。劉表の手駒がたどり着くまでに弱らせることは出来そう?」

「既に商人らの協力も取り付けており、こちらの指示があればすぐにでも孫堅軍は瓦解するでしょう。今は弱らせすぎないように削り取っています」

「そう。手加減しすぎて足下をすくわれないようにね」

「はっ」

 

「空海様」

「お、紫苑」

 

 于吉の話が終わるのを待っていたように黄忠が現れ、跪く。

 

「これより演習に向かいます」

「うん。明日の夕方までだったかな? 川に落ちたりしないようにね」

「大丈夫です! 泳ぐ練習もしましたから!」

「えっ? あ、そうなの。うん、まぁ、頑張って」

「はい!」

 

 あれ? 黄忠って天然入ってる?

 ついつい応援してしまうのは黄忠が可愛いからだろうか。何はともあれ、50隻を超える船を指揮するべく、黄忠も出立する。

 

 

 今更だが江陵の軍艦は主にジャンク船と呼ばれる未来志向の乗り物である。未来と言っても10世紀頃のものなのだが。

 喫水線より下には謎の金属を多く用いており、サイズの合うねじとドライバーを使用して頑張れば、馬車で運べる大きさに分解できる。

 神様パワーで生み出した謎の金属製なので、座礁しようが横から船をぶつけられようが沈むことは無い。実は無敵水軍を作りたかったわけではなく、木がなかったので仕方なく使っただけの素材だ。

 とはいえ、この時代の船にしては比較的大型の船体、大きい割に浅瀬でも安全な行動が可能な作り、船体の大きさに比してかなり余裕のある積載量、布製の大きな帆。謎の金属を除いたとしても贅沢なスペックの船である。河賊など鎧袖一触であろう。

 

 ここで長江を抑える水軍の強い江央将軍、という認識を持たれるのは悪くない。

 それなりに戦闘が起きてくれるのが最善だが、劉表を通して大げさに喧伝してもらえばあまり戦う必要もないかもしれない。

 いずれにしても河賊は普通に討伐する予定であるから、それなりの数の戦闘は見込まれる。あとはリアリティを持たせつつ大げさに広まりさえすれば良い。兵士の口を通して民にも広がるよう、学級新聞レベルの広報を作らせ始めた。文字が読める者が多い江陵ならではの情報操作である。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 孫策(そんさく)孫権(そんけん)の姉妹を(のが)した。

 

 意外と言えば意外な急報を携えてきた于吉が跪く。

 

「お叱りいかようにも」

「中身を聞いてからね。何があったの?」

「はっ。実は――」

 

 江陵(こうりょう)で船に乗り換えた黄祖(こうそ)らは、長江を下り南側の支流から洞庭湖に入り、湖の南西側にある荊州都の漢寿(かんじゅ)を制圧。すぐに東へと進路を取り、孫堅(そんけん)のいる長沙を包囲した。

 この時点では孫堅はまだ抵抗する気だったようだ。家族も重鎮も手元に残し、南陽(なんよう)の袁家に向けて庇護を求める文を発している。

 不仲となった太守連盟も当てにしていたようだ。危機には立ち上がるだろう、と。甘い見込みだったのだが。

 孫堅以外の2つの郡の太守は、戦闘すら起こさずに討ち取れた。というより、民衆や太守の部下が討ち取った太守の首を黄祖が受け取っただけで終わってしまったそうだ。

 

 孫堅を討つべく長沙を取り囲んだまま、2つの首を受け取って酒盛りを始めた黄祖の部下達は、黄祖からの下達を受けて一旦は騒ぎをやめたものの、夜半に寝入って孫堅軍に強襲され、あっけなく突破を許した。

 その上、失態を隠そうと夜明けまで報告を遅らせ、結果、一時的に孫堅達を完全に取り逃がすことになった。

 直ちに追撃が行われたが、結局その場では追いつけず、于吉の部下らが孫堅の追跡及び逃亡の妨害、黄祖を含む本隊は川を下って追撃と戦闘をすると役割を分担し、長江と襄江の交わる大都市、江夏付近まで約2週間にわたって追跡。

 江夏郊外で対峙した孫堅軍約3000と決戦し、これをほぼ一方的に打ち破るが、討ち取れたのは孫堅を中心に数名と名も無き兵士たちだけ。孫家重鎮を始めとして、幹部クラスを数名、兵士数千人は完全に見失ってしまった。

 

「荊州内では情勢不安定な都市にも密偵を放っております。網に掛からないところを見ますに、おそらく揚州の……かなり奥地まで逃げた可能性があります」

「ふーん。でも、揚州でも手近なところにはもう手は打ってあるんだよね?」

「はい。長江沿い、または主要街道沿いの都市では既に網を構築しつつあります」

 

 揚州では各地で豪族の勢力が強いため、警戒網の構築は容易ではない。

 

「んー、『呉』は?」

「未だ手が回らず……誠に申し訳ございません。急ぎ手配を行っております」

 

 長江河口付近にある呉は孫家の本拠地だ。だが、この地における孫家の影響力は意外と小さく、他の四家が実質的に呉を抑えている。逆に言えば、四家全てに対してそれなりに影響を与えなければ、ここに警戒網を敷くことは出来ないということだ。

 

「そう。まあ于吉に抜けられても困るから……そうだな。劉表に約束していた黄祖出兵の穴埋めがあるんだけどね。黄祖の失態の分を取り返してきてよ」

「そのような――いえ。謹んで拝命いたします」

「ああ、ちゃんと相手には気持ちよく支払ってもらうように」

「かしこまりました」

 

 空海の命を受けて、于吉が深く頭を下げる。

 

「じゃ、于吉への罰はこれで終わり。劉表が追わなくても良いって言ったら、手を緩めて居場所を探るだけにしていいよ」

「はっ」

 

「お待ちください、空海様」

「ん、徳操(とくそう)どうした?」

 

 声を上げたのは水鏡(すいきょう)先生こと司馬徽(しばき)徳操。ずっと黙っていたが、于吉の報告前から側に控えていたのだ。

 

「この際です。表に出た謀り事の責は黄軍司馬(ぐんしば)に押しつけては?」

「ふむ。于吉はどう思う?」

「はっ。その条件、必ず飲ませます」

「えっ、あー。うん。じゃあその方向でよろしく。劉表だけじゃなく、黄祖にもちゃんと話を付けておくようにね」

「はっ」

 

 于吉が足早に去り、司馬徽と空海だけが残される。

 感想を聞きたかっただけなのにいつの間にか実行することになっている案件はこの他にもたくさんある。どれも空海のことを思って勢い余っているだけなので空海としては責めるに責められないのだ。むしろお礼を言って誤魔化してしまう。

 

「徳操、ありがとね」

「はい」

 

 この態度が彼らの行動を助長していることに、空海は気付かない。

 

「さて、お待たせ。学校の件だったね」

 

 孫堅の件の報告に司馬徽が立ち会ったのは、たまたま学校設立の件で相談に来ていたからだった。学校を建てる土地は既に準備に入っている。今は内装と設備について授業内容などに合わせて決めていこう、という段階だ。

 先日気がついたのだが、水鏡先生を江陵に取り込んでしまった事で諸葛孔明と鳳士元が世の中に出てこなくなったら色々な意味で残念だ。

 とりあえず水鏡には江陵の学校で教鞭を執ってもらい、多少なりとも誤差を埋めようと空海は考え、学校計画を大きく水鏡寄りのものとした。

 

「はい。教科書について、人数分を揃えるのは至難、と結論いたしました」

「うん」

「ですので、生徒にではなく机に教科書をつけてはどうかと考え、試算いたしました」

 

 司馬徽は空海に手渡した資料を指しながら説明する。

 

「この3ヶ月分の費用と期日がどうこうっていうヤツ?」

「はい。講師の数や授業の中身をひと月を区切りとして調整することで、内容を理解している生徒から順に段階的に引き上げようという試みです」

 

 実に未来的な手法である。現代日本での大学の単位に似ているっていうことは――

 

「卑弥呼あたりが提案したのかな?」

「いえ、貂蝉さんが提案してくださったものを卑弥呼さんと私とでまとめたのです」

「へぇ。貂蝉は半年区切りって提案したけど、実情に合わせてひと月区切りにした、とかそんなところ?」

「え、ええ。その通りです。ご存知だったのですか?」

「あはは、そうだね、そんなところ」

「さすがは空海様です」

 

 司馬徽の目から時々ハイライトが消えるのが怖い。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「作り手が足りない?」

「そうなんじゃ、ご主人様」

 

 住居の作り手、要は大工が足りないと卑弥呼に相談を受けた。

 

「道具や材料が足りてないってことじゃないよね? 釘とかもあまり使わないし、大して難しくないと思ってたんだけど」

 

 そう、日曜大工レベルのオッサンでも数人で取りかかれば1日で建てられるような作りになっていたはずなのだ。

 

「ご主人様が旧江陵に行ったときは、市街地しか見ておらんのじゃったか?」

 

 旧江陵の市街地にあったのは角材で作ったログハウスを思わせるもので、縦横を交互に積み上げたような意外にオサレな平屋の商店である。路地を少し眺めれば、角張った石を積んで作ったのだろう石造りの平屋も見受けられた。

 

「うん、けどあの建物に比べたらだいぶ簡単――もしかして」

 

 あれらの建物に比べれば柱を組み合わせて枠を作り、壁を貼り付けるだけの工法なんて手間も時間も僅かだ。もしかして、市街地の外ではもっと簡単な建物しかないのか?

 正岡子規式住居とか。

 

「今、江陵に移り住んできた民のほとんどは、竪穴式住居に住んでおったんじゃ」

「……なるほど、竪穴式住居か。そりゃ、理解出来ないか」

 

 洞穴じゃなかっただけ良かったと思うべきなんだろうか。

 

「建て方はもちろんじゃが、住み方についての教育も必須でしての」

「拘り過ぎたのも、あだになったか」

 

 上水道トイレ冷暖房庭温泉付きで南向きの平屋一戸建て住宅はまだ早かったと。住人の文化水準的な意味で。

 

「左様。そこで、集団生活で教育と慣らしの期間を取らせたいと思っとるんじゃが」

「ふむ。体育館のようなものが良い? あるいは長屋とか?」

 

 卑弥呼曰く。段階的にならしていくのがベスト。スペースや手間の圧縮のために長屋のような施設にするべきで、住人50人に対し2人以上の監督の設置は必須とのこと。

 

「アパート風にして風呂やトイレを共同にするか」

 

 いくらか生活に慣れるまでは、監視に近い形で保護するという方針でいこう。いきなり全部を変えるのは大変だろうし、段階を踏んで普及させるべきこともあるだろう。

 

「以後、移民の受け入れはそこを経由して行おう。街の出入り口近くの建物を潰して、土地を用意しないとな」

「確か軍の練兵場がありましたのぉ」

「左慈と于吉に相談して場所を用意しておいて。上手く使えば防衛の利にもなるだろう」

「了解じゃ! では早速行って参りまする。ご主人様、さらばじゃ!」

「よろしくね」

 

 土煙を残して跳び去る卑弥呼を見送る。

 種族が変わってから、躍動する筋肉の動きの一つ一つまで目で追えてしまうのが憎い。

 

「……ぉぇ」

 

 口直しに含んだ緑茶は、いつもより苦い気がした。




2話をまとめて一つに。大幅カットしました。次の2話もまとめたいけど、悩ましいところ。
追記。タイトル直しちゃいましたー。


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2-2 洛陽型小娘

「ヒック……ヒック……(さい)殿ぉ……」

 

 森の中で年若い少女が泣いている。

 薄闇に包まれた森がその声を飲み込んだ。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「へぇ。公覆(こうふく)に認められるなんて大したものだね」

「ええ、本当に」

「なに、才能はあれど、まだまだ小娘でしてのぉ」

「才能があって、伸びる時期に伸びる余地があるわけだ」

「楽しみですね」

 

 玉座の広場(・・)でテーブルについてお花見気分のチビと女性二人。

 

「まぁ泣き虫なところが玉に瑕と、今も恐がりを克服する訓練しておるところで」

「昨日帰ってきたばかりなのに、もうそんなことしてるのか。徳操(とくそう)も噛んでるの?」

「いいえ、初めて耳にしました」

「じゃあ公覆の言う訓練とかいうのに区切りがついたら、徳操の方でも見てあげてよ」

「了承」

「公覆もお願いね」

「おやすい御用じゃ」

 

 青い羽織の着物姿に黒い短髪、男性タイプの小型生命体が空海。最近お茶をがぶ飲みする程度の能力に目覚めた。

 青みがかった銀の長髪を高い位置でまとめた褐色肌の美少女は黄蓋(こうがい)公覆。ツリ目と張りのある声で年寄り臭い口調をしている。

 黒の長い髪を熨斗袋の結びの様にかんざしでまとめ、藍色の着物に桜色の羽織、羽毛扇を持つ優しげな面立ちの美女は司馬徽(しばき)徳操。天下の水鏡先生である。

 

 今日は江陵の初等学校と、高等学校である水鏡学院の運営についての話し合いと、そもそもの学校発足のきっかけとなった街道整備の準備のために集まっている。

 遅れて現れたのは二人。

 

「待たせたのぅ」

 

 筋肉にヒゲが生えたものが卑弥呼。白いビキニを着ている。政治に絡んだ話を得意とするため召喚。

 

「お待たせして申し訳ありません」

 

 イケメンの少年が左慈。工事の人員を現場で指揮する。軍の責任者でもあるため、工事中の警護も担当。

 

 

「全員集まったね。早速だけど、学校の準備状態から聞こう」

「はい」

 

 江陵には現在も初等学校と寺子屋の中間くらいの施設は多数存在している。読み書き計算を習わせるためだ。年齢性別身分の如何を問わずに入学が可能で、一週間でループする授業内容を繰り返して試験に合格するだけの、学校の二歩手前程度の中身でしかない。

 今回の初等学校はこれまでの学校に比べれば別格だ。1日1授業×1ヶ月でループする内容が60単位。1日に受けられる授業は最大で5つ。毎月の試験では優秀な成績の生徒には3単位先までの内容が出題され、合格すれば一気に4単位進める。つまり、1ヶ月で最大20単位、最も優秀な場合に3ヶ月で卒業出来る内容となっている。

 

 そして、本命。高等学校こと水鏡学院。

 こちらは非単位制で個別の生徒に徹底教育を行う。寮完備。

 運動に才ある人間なら、一騎当千を目指すべく、訓練メニューから食事、休憩時間まで徹底管理。有望ならば左慈が出張って稽古を付ける。

 商才があるのならば、基礎をたたき込んで商家に奉公。手先が器用ならやはり職人の元で修行を付けさせる。

 軍事、政治、外交官、指揮官、その他についても江陵そのものが協力体制を築くことで安定的に一流以上の人材を育て上げるシステムだ。

 

 江陵の最下層と最上層を除いた層に、合わせて60ヶ所ほどの初等学校を設置。

 日本の公立学校をイメージして作ったので、校舎が謎の金属製であることを除けばほとんどそのまんまイメージ通りの学校なのだが、江陵の学校では大人と子供が同じ授業を受けるために座席は講堂形式である。

 最初に開校するのはこのうち10ヶ所程度で、人口が増えるのに合わせて順次開校していく予定。

 

 そして最上層の一つ下、第四層に水鏡学院。

 20ヘクタールほどの土地に学舎、寮、運動設備、職業訓練の施設など、大小20以上の建物。運動場や弓道場なども10個近くが揃う豪華な学校となっている。

 こちらは最初の初等学校の卒業生受け入れ後に開校する。

 

 教科書は用意出来た。教員も現在教育中。施設も準備完了。通達も終了。希望者もおおよそ見込み通り集まっている。

 

「やっぱり見込み通りか」

「はい。やはり見込み通り、希望者は限定的です」

「給食で釣るのは無理なんだっけ」

「はい。残念ながら、食材の購入や調理を任せられる人材が揃いません」

 

 江陵は現在どこもかしこも人手不足である。消費者ばかりが過剰に多いため、人材の取り扱いには慎重にならざるを得ないのだ。

 

「ご主人様」

「なに、卑弥呼?」

「軍の糧食を回してはどうですかのぅ?」

 

 空海は司馬徽と顔を見合わせ、すぐに軍事担当の左慈を向く。

 

「左慈、出来るの?」

「はっ。食事内容を凝ったものにすることは出来ませんが、提供だけでしたら量を指定していただければ問題ありません」

「ほほぅ。どうかな徳操?」

「ええ、それで十分です! 日々の授業で惣菜を一品程度用意すれば、十分に事足りるでしょう」

 

 調理は授業の中でも継続性の高いものとして、入学から卒業までの長きにわたって教え続ける内容だ。作ったものをその日のうちに消化出来るというのも良い。腐らせる心配をせずに済む。

 

「卒業生が増えて学校に就職して貰えたら、その辺を任せられるようになるね」

「はい。そういった人材育成の機会を与えてくださったこと、感謝いたします」

 

 空海の考えてもいない部分にまで先回りしてお礼を言われることにも慣れてきた。

 

「ん。言葉よりも、そうだね……お前の育てた人材で返せ、司馬徳操」

「了承」

 

 司馬徽の目に強い光が宿る。

 

「クックック……水鏡先生を本気にさせたようだがヤツは四天王の中でも最強……」

「も、もう! 空海様、茶化さないでくださいっ!」

「はははっ、次っ! 街道の話ね!」

「空海様っ」

「はいはい。卑弥呼、よろしく」

「承知した」

 

 卑弥呼がほっこり笑って声を上げてくれた。司馬徽は顔を赤くしながらも大人しく椅子に座る。

 

「まずは人員の募集じゃが、半ば強制とはいえ思ったより集まりが良い」

「確か募集に上限は付けておりませんでしたの」

 

 卑弥呼がやや渋い顔をして告げれば、黄蓋が補足する。

 更に司馬徽と左慈が口を挟む。

 

「集まりすぎても監督が追いつきませんね」

「俺が見られるのは多くて5千。それを超えるなら于吉の助けがいるだろう」

「そこで、50日を目処に二期に分け、およそ4千ずつの派遣を考えておりまする」

「50日でこの、(へん)って所くらいまで行けるの?」

 

 左慈の言葉を受けて卑弥呼が自らの考えを明かした。50日と聞いて疑問を抱いたのは空海だ。広げた地図に書かれた編の地名には聞き覚えがなかった。

 編は現在の江陵と襄陽(じょうよう)のおよそ中間地点であり、張飛の仁王立ちで有名な長坂の北側にある。

 今回の街道整備では江陵から襄陽まで、およそ130㎞を広く平らに整える予定だ。地図を見る限りでは、編は江陵の端から北に70㎞程度の位置にある街のようだ。

 

「編までならば50日は掛からんじゃろう。だが、編の前後の数十里は少々起伏が豊かな土地じゃから、時間と人員にはいくらか余裕を持っておくべきであると考える」

「あー、あの辺かー。川を挟んでちょっと山みたいになってる所だったね」

 

 半年くらい前に龍を見かけてとっ捕まえた場所だなー、などと口に出さずに考える。

 

「北の方になれば江陵からの運搬に割く人数も増えますからの。襄陽近くではいっそ襄陽から材料などを買ってしまう方が手間も減って作業もはかどるやもしれませぬ」

「ふむふむ。じゃあ卑弥呼と左慈は残ってその辺を詰めよう。ちょっと注文もあるし」

「承知」「はっ」

 

 卑弥呼と左慈が深く頷く。

 

「最後に、街道整備後の話になっちゃうんだけど……公覆」

「はっ」

司隸(しれい)扶風(ふふう)馬騰(ばとう)というものがいる、らしい」

 

 司隸は中央の意味だ。東京都みたいなものか。扶風は司隸の西の外れ、涼州との境にある郡である。

 

「先日話しておられましたな。登用でも試みますかな?」

「ははは、それもいいんだけど、今はまず馬を手に入れたくてね」

「ということは、交易の申し込みですかの?」

「相手は無官だから、何とかこちらに連れて来たいんだよ。護衛や宿泊の費用を出すから交渉して欲しいんだ」

「なるほど。故に街道整備後、ですか」

 

 無官の相手に出向くなど下に見られるだけ、らしいのだ。

 

「個人的には会いに行ってもいいんだけど、無官を相手にそれはやり過ぎ……らしい」

「うむ。ご自重くだされば幸いじゃ」

「やっぱり官位は面倒だよね。とは言っても、卑弥呼の言いたいこともわかるから、呼びつけることにしたんだけどね」

 

 誠意を持って接しつつ下に見られないよう注意しなくてはならないというバランス感覚の重要な役割である。そのため、学校で忙しい司馬徽か、色々忙しい于吉か、酒を飲むのに忙しい黄蓋くらいしか適役が見当たらなかった。

 

「謙らず、侮らず、嘲らず。難しい任となるでしょうね」

「うん。だから(・・・)公覆が良いと思ったんだ。出来るかな?」

 

 黄蓋は一度目を瞑ると、ゆっくりと目を開き、空海の目をしっかりと見据えて言った。

 

「お任せあれ」

「うん、よろしくね。黄公覆」

 

 こういう台詞を言ってみせる黄蓋は、やっぱり格好良い。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「おかしい。当陽ってこっちじゃなかったっけ?」

 

 前後左右全て森ではあっちもこっちもあったものではないのだが。

 

 旧当陽市街地に盗賊が住み着いているらしく、街道整備にもその後にも悪影響がありそうだと管理者を交えた会議で話題に上がった。空海は今、当陽を更地にするべく江陵から北西に向かって直進している。

 そして。

 

「あえて言おう。樹木だらけであると!」

 

 空海は考える、

 当陽は山際の土地であるからして、山にぶつかったら高いところに上って周りを確認すれば良いのではないか?

 自らの発想の素晴らしさに感動を覚えた空海は、そのまま北西っぽい方向に歩き続けることにした。太陽をやや左方向に見つつ前進だ!

 

 前進を決意してから1時間。江陵からは4時間ほども歩き続けた森の中。

 

「ん?」

 

 どこからか泣き声が聞こえる。

 

「……女の、子?」

 

 夕闇。

 人気のない森の中。

 かすれたような女の子の泣き声。

 つまり、これは

 

 

当陽(ひとざと)か!」

 

 

 実は太陽を左に見るくらいしか方角を確認する術を持っていなかった空海は声のした方向へ足取りも軽く近づく。

 

「人里はここかー!」

「ひぅっ!?」

「お、やっぱり女の子か。こんばんちは!」

 

 ギリギリで「こんばんは」の合わない微妙な時間帯であることを挨拶ににじませる。

 

「あゎ、さ、祭殿ぉ」

「ん? どうした? 大丈夫か? 飲み物いるか?」

 

 果実水の入った水筒を創り、袖から取り出す。

 女の子の目の前でチャプチャプと音を立てれば、今にも泣き出しそうだったその顔は水筒へと向けられた。

 

「ほら、飲み物だ。飲むか?」

「えっ……ぁ」

 

 気になってはいるようだが、警戒して手を出せないようだ。

 

「飲んで見せようか」

「あ、えと……」

 

 空海は腰をかがめ、顔の高さを合わせて微笑んで見せる。

 窺うように顔を上げた女の子は、決意したように力強く首を振り、水筒を受け取る。

 

「い、いただきます……」

「一気には煽るな。喉が渇いてるなら、一口二口ごとに口を離して一息空けろ」

「あ……はい。……おいしい」

「落ち着くまではそうしていろ」

 

 女の子から一歩離れて様子を観察する。

 赤いチャイナドレスっぽい服、黒髪、褐色を思わせる肌、10歳には少し届かないくらいだろうか。

 足は汚れ、所々に傷が付いている。そもそも靴がくるぶしすら覆っていない。街を歩いていて突然野山に放り出されたかのような有様だ。

 

「あの、ありがとう、ございました」

「うん。何でそんな格好でここに居るのかも気になるけど、一つ聞きたいことがある」

「……なんですか」

 

 女の子に警戒が戻る。

 

「当陽ってどっち?」

 

 

 

(しゅう)洛陽(らくよう)(れい)の娘?」

「はい」

 

 洛陽令というのは、洛陽の県令のことだ。県令は……市長のようなものだろう。

 この時代、役人の大半は世襲だ。正確には世襲制ではないが、一族で一定の役職を受け持つものという言葉で、おおよそ現実を示すことが出来る。

 つまり、首都洛陽の県令という高官を輩出するくらいの名家の娘ということになる。

 

「洛陽生まれの洛陽育ちじゃ土地勘はないよなぁ」

「すみません……」

 

 森のど真ん中で少々の土地勘が役に立つかは甚だ疑問であるが、それは口にしない。

 

「謝らなくてもいいから一緒に落ち込もうず」

「……落ち込んでも何もはじまりません」

「近頃の女の子は強いなー」

「女性に向かってそのようなもの言いはしつれいです」

「ふーむ。それもそうだね。すまなかった、これをやるから許してくれ」

 

 そう言って取り出すのは果実水の入った水筒。空海がそれを女の子に差し出せば、おずおずと伸ばされた手が、しっかりと筒を掴む。

 

「し、しかたありませんね。いただきます」

「気に入った?」

「……はい」

「そう」

 

 優しげに細められた空海の目から逃れるように、女の子は水筒を傾ける。

 

 

 

「さて、日が暮れる前に目的を確認しよう。俺は当陽に向かっている。お前は?」

「私は……ここで、むかえを待つか、江陵に向かうつもりです」

「こんな目印もないところに迎えが来る当てがあるのか?」

「うっ」

 

 空海が口にしたのは驚きのためだ。江陵へ向かうというにも奇縁を感じたが、迎えを期待しているということには純粋に驚いた。

 周りは森が広がっているだけだ。人の手が入った形跡もない。例え地元の人間であってもこの場所には近づいていないと言うことだろう。

 

「というかここがどの辺りなのか、わかっているのか?」

「ううっ」

 

 江陵に行くとは言っていたが、どちらに向かえば良いのかくらいはわからなくては進むことも出来ない。

 しかし、女の子はがっくりといった様子で膝をついた。

 空海は落ち込んだらしい女の子の前に屈み、優しく声を掛ける。

 

「当陽に行った後は俺も江陵に帰るつもりだ。一緒に来るか?」

「えーと、その……」

 

 江陵へ『帰る』という空海の言葉を聞いて彼女の表情にも迷いが浮かぶ。

 

「ちなみに当陽はここからすぐ北にある! はず」

「で、ではここは江陵の北西なのですね?」

「お? よく知っているなー。俺は江陵から当陽へ、近道しようと思ってまっすぐ進んできたんだ。俺が来た道を辿れば、三時(6時間)くらいで江陵まで戻れると思うぞ」

 

 江陵が直径60㎞を超えるほどの巨大要塞となったため、当陽との距離は劇的に近づいていた。かつては子供の足で2日ほど掛かっていた両者の距離も、今では1日ほど。空海の健脚ならば半日と掛からない。

 空海の足でこの場所まで4時間。子供の足ならば1.5倍くらいは掛かるだろうという単純な計算で時間を告げた。実際はもっと掛かるかも知れないが、どうせ江陵に辿り着く前に日をまたぐことになる。

 

「む、無茶苦茶なことをしているのですね」

「そして俺の勘が正しければ、あと少しで当陽かそこに続く街道に出られる! はず」

「お話を聞けば聞くほど不安になるのですが……!」

「ははは。まぁ動かないならそれでも構わないぞ。一晩くらいなら付き合ってもいい」

 

 もうすぐ日が暮れるため、女の子がここに残ると言うなら、空海も一晩くらいは面倒を見るつもりでいた。

 

「とはいえ、お前も自分の居場所がわかっていなかったわけだし、動くとしてもこの程度の根拠しかないだろう?」

「それは……そうなのですが。何かなっとくがいかない」

 

 自信満々に動きながらその根拠が勘だと告げる者など、彼女にとっては初めて見る人種である。

 それでも、彼女は空海の言動に一定の理性と教養を感じ取ったため、それが言葉通りに全くの勘というわけではなく、経験や計算を加味したものだろうことに気が付いた。

 

「もう日暮れまで時間が無い。移動するなら、すぐに行くぞ」

「あっ、行きます! 少しだけ待ってください! 荷物を取ってまいります」

 

 空海の言葉に慌てて肯定を返す。今はこの人を信じてみよう、彼女はそう考えた。

 

「はいはい。荷物なんてあったのか」

 

 女の子は近くにあった木の裏に回って風呂敷のようなものを引っ張り出し、肩に回して胸の前でしっかりと結びを作った。

 

「お待たせいたしました!」

「む、肩に毛虫が付いてるぞ」

「えっ? きゃあああああああ!!」

 

 

 

 

「すみません……」

「大丈夫だ」

 

 お姫様抱っこで進む赤と青。縮こまっている方が赤で、包み込んでいる方が青だ。

 いざ出発という時に、女の子の腰が抜けるというハプニングに見舞われたが、最初から女の子を背負うか抱っこしていくつもりだった空海にとっては問題はあってないようなものだった。

 

「ところで、あの場所に置き去りにされたということは聞いたが」

「はい」

「なんであんな所に置き去りにしたの? しかも自炊道具まで渡して」

「……祭殿は、きょうふをこくふくしろ、とおっしゃっていました」

「あんな場所で未知の危険にさらされ続けても、恐怖は克服出来ないと思うが……」

「同感です……」

 

 しばらく、空海の歩く足音だけが響く。

 

「こう言っては何だが、その人物は信用できるのか?」

「で、出来ます! 祭殿は私をすくってくださいました!」

「ふむ。こんな所まで連れてきて殺すくらいなら、わざわざ助けたりはしないか」

「殺す……そ、そんなことするはずありません」

「すまん。結論を急いだ。許せ」

 

 女の子が落ち着くまで歩調をゆるめる。

 

「それで、救われたというのは?」

「その、祭殿は私たちののった船が河賊におそわれていた時、助けに入って下さった方なのです」

「役人なの?」

「はい。あ、しかし、その辺りにいる役立たずといっしょにされては――」

 

 彼女はきっと、誰かに話したくて仕方なかったのだろう。空海が軽い相づちを打っているだけだというのに、何分も途切れることなく喋り続け、水筒の果実水を一口含み、そしてまた話し始めた。

 

「――覚悟したその時、間にわって入って立ちふさる人影が!」

「おお、ついに」

「そうです! 祭殿はたずさえていた剣を抜き、大きな声でこうおっしゃったのです」

 

天網恢恢(てんもうかいかい)()にして()らさず。観念せい!』

 

「祭殿が賊に向かって剣をふり下ろすと、周りから一斉に矢がはなたれました!」

「おおー」

「次々といぬかれる賊たち! しかし賊もさるもの。矢を受けながらも、いく人かは祭殿にきりかかります」

「やるじゃない(ニコッ)」

「祭殿は大声を上げてせまる賊に『甘い!』とするどく叫び、次々ときりふせます!」

「すごいなー」

「そうしてたくさんの賊をきりつけ、ついには頭目の首をきり落として、見事に河賊をたいじしたのです」

「めでたしめでたし、だね」

 

 空海が茶化しながら引き継いだことで、自分が熱く語っていたことを自覚した女の子は顔を真っ赤にして伏せた。

 

「と、とにかく祭殿にはかんしゃしているのです」

「なるほどねぇ。確かにそれだけ聞くと、森の中に置き去りにするような人には聞こえないな」

「もちろんです! このようなことになったのも、元はと言えば私が祭殿に無理を言って『しゅぎょうを付けて欲しい』とお頼みしたのが始まりなのです」

「修行?」

 

 修行と聞いて空海は山ごもりを思い浮かべる。そして、山ごもりがあるのならば森ごもりもあって良いのかもしれないと考えた。

 

「はい。祭殿は孫子(そんし)六韜(りくとう)の書をかしてくださいました」

「ほー。そいつは教養もあるのか。お前も読めるの?」

「むずかしいご本でしたが、私も洛陽では七経(しちけい)をたしなんでいた身。少しずつ読みといておりました」

「凄いじゃないか。七経は儒学書だっけ?」

「最近では書にもなっているのですね。私は城南(じょうなん)太学(だいがく)門外にて一昨年に完成した石経(せきけい)を読んで学びました」

「へぇー」

 

 ――書じゃなかったのかあぶねぇ。

 

 空海は漏らしそうになった言葉を飲み込んで相づちを打つ。

 江陵で小規模に取り扱い始めた出版事業で書籍にしているかもしれないと空海は考えていたが、七経は厚手の小説よりも文字数が多く、漢の中心学問の教本でもあるため敷居が高い。そのため、江陵では未だ扱われてはいなかったりする。

 

「一昨日、私は孫子を読むのに夢中になってしまい、日が暮れてから祭どのにご本をお返しに行きました」

「うん」

「そのとき、暗い場所をおそれていることがわかったのでしょう。昨日になって祭殿はこの荷をまとめ、ご本をかりに上がった私をつれてこの森までやってきました」

 

 空海は改めて女の子の姿を上から下まで観察する。

 

「その格好は本を借りに行った時の格好か」

「はい」

「なるほど。納得は出来ないが、理解は追いついたよ」

 

 ――なんか符合する点が多いよな。やっぱりあの祭だよな。

 

「聞きたいんだが」

「なんでしょうか」

「お前が先ほどから口にしている祭殿というのは」

「ッ! あなたは真名を!」

「黄公覆の真名の祭か?」

「え?」

 

 一瞬で沸点を突破した様子の女の子は、だが、そのまま一瞬で凝固点を下回ったような顔をして固まった。

 

「……え?」

 

 

 

 

「その、もしかして」

 

 長いこと沈黙していた女の子が、おずおずと顔を上げた。しかし少し赤面している。

 

「あなたは、祭殿の旦那様ですか?」

 

 自分で言った旦那様という言葉を恥ずかしがっているようだ。

 

「旦那? 公覆の旦那さんかぁ……ちょっと見てみたい、とか言うと怒られそうだな」

「違うのですか?」

「違うねぇ」

「では一体どういったご関係なのですか?」

 

 空海は顔を少し上げ、改めて女に子に笑いかける。

 

「ふふ。どういう関係だと思う?」

 

『ふざけてんのか、てめぇ!』

 

 突然横合いから怒鳴られた女の子は心底驚いて周囲に目を向けた。

 

「えっ――ひぅっ!」

 

 そこには、むさ苦しい男ばかり十数人が空海と女の子を取り囲でおり。

 

「別にふざけてなんていないよ?」

 

 殺気立つ周囲のことなど全く無視するように空海は薄く笑う。

 

「てめぇ何者だ! 官憲か!?」

「そんなところだね」

 

 男達は太刀を振りかざして威嚇している。空海は震える女の子を改めて抱き寄せた。

 

「俺は空海。江陵の主だ」

「そうか――じゃあ、死ね!」

 

 ぽんぽんと軽く叩かれた背中に死を予感し、女の子が強く目を閉じた数瞬の間に、全ては終わった。

 

 

 ほんの数瞬だ。派手な音もなく、衝撃もなく、もちろん痛みもなく。彼女がおそるおそる目を開けてみれば、そこにはまっさらな土地が残っているだけだった。

 城塞も、家も、人影も、草木の一本すら、残っていない。

 

「はい、当陽の用事は終わったから江陵に戻るよ」

「えぅ?」

「ん?」

「――ヒック」

 

 

 

 

「すみません……」

「大丈夫だ」

 

 お姫様抱っこで進む赤と青。小さくなっている方が赤で、抱き上げている方が青だ。

 

「しっかりしている割には泣き虫なんだな」

「……すみません」

「責めているわけじゃない。危機に立ち会ったんだ。その克服にも近づいただろう」

「そう、でしょうか」

 

 大勢の賊に取り囲まれ、刃物で脅されていることを理解した上で泣かない子供がいるのか? と返す。

 

「お前はアレが生命の危機だと、ちゃんと理解出来たんだろう?」

「はい」

「なら、その危機を乗り越えられるようになれば、克服したも同然というワケだ」

「……」

「納得いかないか?」

「そのようなことで、私の……その、泣き虫、が、直るのでしょうか?」

「直る、というのは正しくないかもしれない。変わるんだ」

 

 吠え掛かってきて恐ろしかった犬を、撫でられるようになるように。

 苦くて嫌いだった野菜を、美味しく食べられるようになるように。

 その程度の事だ、と空海は告げる。

 

「……変わる」

 

 何かを決意するように呟く彼女に、空海は笑いかける。

 

「ま、泣くのが悪いわけではない」

「悪く、ないのですか?」

「泣かずに考えれば、あるいは、泣かずに動けば、助かるかもしれない。そんな可能性もある」

「はい」

「そういう時に、泣くだけで何も出来ないことは、お前にとって良くない」

「私にとって、良くない?」

「そういう時に泣いているのは、お前にとっては、悪いと言えるんじゃないか?」

「はい」

 

 女の子は頷く。空海もわかったように頷く。

 

「でも、それ以外の時はいつ泣いても良いんじゃないか?」

「ええ!?」

 

 割と極論である。

 

「というより、泣いていても状況をより良く打開できるなら、泣いても良いと思う」

「ええー!」

 

 極論である。

 二人の声は、女の子が寝付くまで、夜の街道をちょっぴり賑わせた。

 

 

 

 

「お帰りなさいませ、空海様」

「待っておりましたぞ、ご主人様」

「ただいま。ちょっと、この子を寝かせるのに寝台を用意してくれる?」

「了解じゃ」

「あ、街道ね。長坂の辺りまでは軽く整地しておいたから、あとは適当によろしく」

「承知しました」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「お、おはようございます。空海様」

「うん、おはよう。よく眠れたみたいだね」

「ううっ、はい。お世話をおかけしました」

「そんなに畏まらなくてもいいよ。ほら、飲むか?」

 

 そう言って袖から果実水を取り出す。

 

「い……いただきます」

 

 くぴくぴと水筒を傾ける女の子のお腹が小さく鳴った。

 女の子は停止し、一瞬で顔を真っ赤にし、涙目で空海の様子を見る。

 

「腹も減っているだろうが少し我慢してくれ」

「ううううううぅぅ、わかりました……」

「今から公覆の所へ連れて行く。そこで食事にしよう」

「えっ、はいっ!」

 

 

 

 二人並んで街を歩き、黄蓋と司馬徽を呼んだ玉座の広場の裏手を目指す。

 女の子が寝ている間に第四層まで移動していたため、玉座までは1時間ほどだ。馬車を乗り換えるたびに抱き上げていたのに、彼女はぐっすり眠ったままだった。やはりとても疲労していたようだ。

 

「そういえば俺が空海と名乗ったのを聞いていたんだな」

「あ、はい。……その、勝手に呼んでしまって」

「いいよいいよ」

 

 女の子の謝罪を遮り、足を止める。

 

「では改めて名乗るが、俺は空海だ。姓でも名でも字でもない、号みたいなものだが、空海と呼べ」

「わ、私は周洛陽令が娘、字はまだございません。真名を冥琳ともうします」

「うん? 真名を告げて良いのか?」

「空海様は祭殿の主で、私の命の恩人です。私が、告げよう、そう決めました」

「ん。んー。わかった。字を付けたら預けに来い。その時にまだ真名を預けて良いと考えていたら、改めて名乗れ。それまでは、仮に預かっておくことにする」

「なっ、何故ですかっ?」

 

 告げた真名を預からないなど無礼な行いだ。

 

「お前は大した子供だが、それでもまだ、子供だからだ」

「しかし真名はっ」

「わかっている。だから、もう一度名乗りに来いと言った」

「空海様っ!」

「――冥琳」

 

 空海は腰をかがめ、顔の高さを合わせて微笑んで見せる。

 

「俺の勘では、お前はちゃんともう一度、名乗りに来る気がする」

「……勘とはどういう――」

 

 冥琳の追求にも空海は笑ったままだ。勘だ何だと繰り返す空海に、やがて冥琳は怒気を霧散させ、呆れたように空海の顔を見上げる。

 

「さあ、公覆たちを待たせている。行くぞ」

「まったく。しかたがありませんな」

「ははは」

 

 

 

 

 二人の女性が席に着き、顔をつきあわせている。

 深刻そうな表情を浮かべているのは黄蓋公覆。青みがかった銀の長髪を高い位置でまとめた褐色肌の美少女だ。

 

「水鏡殿、相談がある」

「何でしょうか?」

 

 黒の長い髪を熨斗袋の結びの様にかんざしでまとめ、藍色の着物に桜色の羽織、羽毛扇を持つ優しげな面立ちの美女は、水鏡こと司馬徽徳操である。

 

 

「飲みながら出来る調練の方法を考えて欲しいんじゃ」

「まず酒から離れなさい」

 

 

 こんなこと真面目に口にする黄蓋は、かなり格好悪い。

 

 

「子供の教育にはよろしくない場面だったな」

 

 観客となっていた子供は今、龍のごとき怒気を背負っているのだが。

 

「祭殿おおおおおおおおっ!!」

 

 

 その日からしばらく、黄蓋が酒屋に現れることはなかった。



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2-3 馬だ、馬を出せ!

「すげー。でけー」「うわぁー」

 

 昼下がりの江陵郊外、そこで騒いでいるのは茶色の髪のちびっ子二人。

 

「祭ねーちゃんはやくー!」「おばさまもはやくー!」

「これ、引っ張るでないっ」「はいはい。今行くから走るな」

 

 ちびっ子二人に引っ張られるのは綺麗な女性二人。

 一人は青みがかった銀の長髪と褐色肌の美少女、黄蓋。

 一人は長い栗毛に萌黄色の服で白い肌を包んだ美女、馬騰。

 

「これどのくらいの大きさなんだ?」「どれくらいおおきいのー?」

「見えておるのは第一層、外周は480里(200㎞)ほどじゃよ」

「すごいなっ母さま!」「おっきいねーおばさま!」

「あ、ああ。……洛陽よりデカいだろ、これ」

 

 ちびっ子たちを抑えながら長い橋を渡る。馬車と人がなんとか並んだまま通れる程度の幅しかない細いものだ。しかも途中で大きく湾曲しており、現在も渋滞気味だ。

 

「ちなみにこの堀の幅は150歩(200メートル)ほどじゃ」

 

 堀には透き通った水が一杯まで注がれていた。覗き込めばうっすらと水底を見ることも出来たが、馬騰は吸い込まれそうなその深さに慌てて顔を上げる。視線を水面の果てに向ければ、数里は離れているだろう場所にも橋が架かっているのが見えた。

 振り返れば反対側にも橋が見える。どちらも街から出て行く方向に人が流れていた。

 

 列の長さの割には対して待つこともなく、いくつかの門をくぐる。両手で数えなければならないほどの数の門一つ一つに異なった趣の装飾が施され、子供達も飽きずにそれを眺めている。

 一つ目と最後の門でそれぞれ短い列に並んで審査を受け、ようやく中へと入った頃には半時(1時間)以上が過ぎていた。

 江陵まで乗ってきた馬車を乗り換え、一行は江陵内を走る馬車鉄道の駅へと向かう。

 

「最上層はここから200里(83㎞)ほどじゃな」

「そんなにあるのか!?」「あるのかーっ!?」

 

 元気に騒ぐ子供達の姿に、黄蓋から苦笑が漏れた。

 

 江陵内はまっすぐ最上層へ向かうことが出来ない作りになっている。一層からまっすぐ最上層方向へと向かっても橋は架かっていないのだ。橋を渡るためには、堀に沿って左か右に20里ほど移動しなければならない。

 同様に二層から三層へ向かうときも、その先も、あみだくじを辿るように移動して行くことになるのだ。それぞれの層を移動する時には、外から第一層に入る場合と同等以上に大きな堀と多数の門を超えて行く。

 更に、江陵内で馬に乗れるのは特別に許可された者だけだ。

 一般人向けに公共の乗合馬車が存在するため、普通はそれを利用する。馬車鉄道と馬を乗り継いで最上層へは最短で3時間、馬車鉄道と乗合馬車を上手く乗り継げば通行許可を持つだけの一般人でも6時間ほどで最上層までたどり着ける。

 

「今日は最上層の一つ手前、第四層に宿が用意してある」

「ずいぶん手厚いもてなしだな」

「こんなもので終わりではないぞ?」

 

 黄蓋は挑発するような笑みを浮かべ、馬車へ乗り込む。官位持ちの自分が乗り込めば、周りの連中もさっさと出発の準備を整えてくれるのだ。馬騰を拾ってから旅を続けること1週間、そろそろ慣れてきた気軽さもある。

 

「子供達も腹を空かせておるようじゃし、少し早いが第二層で食事にしようかの。そこから一時半(3時間)ほどで宿に着くじゃろう」

 

 黄蓋は慌てて前後の馬車に乗り込みつつある馬家一行を横目に見ながら、2週間ぶりの江陵の空気に頬を緩めた。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「空海様、ただいま戻りました」

「うん。ご苦労様、公覆」

 

 白い石畳の敷き詰められた謁見の広場は今、玉座に腰掛けたチビ男が一人とそれ以外に女性が数人、女中を含めれば更に女性率が上がる空間が出来上がっていた。

 

「こちらが、扶風(ふふう)()寿成(じゅせい)殿です」

「馬寿成、召喚に応じて参りました」

「うん。旅程に不満はなかったかな?」

「はっ。娘共々、大変よくしていただき感謝の言葉もなく」

「それは良かった」

 

 空海はそれまで静かに馬騰の影に隠れていた幼女に目を合わせる。

 興味津々で見ていた幼女は、目が合ったことに気がついてにっこり笑った。

 

「江陵のご飯はどうだ?」

「すっげーおいしかった! でもちょっとからいって母さまが言ってた」

「こ、これ翠っ」

「良いんじゃよ、寿成殿。空海様はそのようなことは気にせぬよ」

 

 黄蓋の発言にクスクスと笑うのは司馬徽や黄忠と行った江陵組だ。

 身を乗り出して子供に話しかける空海を見て、馬騰も苦笑いを浮かべる。

 

「馬車はどうだった?」

「座るところがすげーふわふわで気持ちよかった!」

「そういえばもう一人、一緒に来ていた子がいたね」

「たんぽぽだ! たんぽぽはまななんだぞ」

「ほほう。今は一緒じゃないのか?」

「今はお外でまってるって言ってた!」

「ほー、偉いなぁ。偉いその子と、元気の良いお前にご褒美がある」

「ごほうび?」

「実はここに、超美味い飲み物がある」

「ちょーうまい!?」

 

 袖から水筒を取り出して揺らしてみせる。

 

「あそこにいるお姉さんと一緒に、その子の所に届けてくれないか?」

「おねーさん?」

 

 空海は黄忠を指して、手招きする。

 

「この子を、外で待っているもう一人の子の所に連れて行ってあげて。飲み終わったら一緒に来ている者達もこっちに連れてくるように」

「はい」

 

 ちびっ子に水筒を手渡し、目を見て告げる。

 

「こぼさないように注意して持って行くように」

「……わかった」

 

 幼女が神妙な顔で頷いたのを確認して、黄忠に任せる。

 

 

 

「待たせたね」

「いえ……」

「空海様はずいぶん子供の扱いに慣れておられますな」

「あの子が人なつっこかっただけだよ」

「我が子は空海殿に呼ばれて連れてこられたのだと思っておりましたが?」

 

 黄蓋に言われて連れてきたのだ。言われなければ扶風から連れ出す気もなかった。

 

「悪かったね。少し見ておきたかったんだ。外で待っている者達と一緒にこちらに連れてくるように言っておいたから、本格的な話し合いはそれからだな」

「左様、ですか」

 

 疑うような視線を向けてくる馬騰に苦笑を返す。

 

「とりあえず、名乗ろう。江陵の主、空海だ」

「改めて名乗ります。馬、騰、寿成と申します」

「馬扶風、ではおかしいか。馬寿成、と呼んでもいいか?」

「……はっ」

 

 馬騰は字を呼ばれたことに少し渋い顔をする。

 

「まぁ、この交渉が上手く行けば、そのうち気兼ねなく呼び合えるようになるだろう」

「そうですな」

 

 空海は離れて見ていた司馬徽を目で呼ぶ。

 

「じゃあ、場所を移そう」

 

 

 

 桜の花びらが舞う庭園の大きなテーブルに、ひと組の男女がついている。

 席に着いている男の方、空海は桜を背に静かにお茶を飲み、

 向かい合って席に着く女の方、馬騰は、この世のものとは思えない光景に口を半開きにして周囲を見回している。

 

「早速だが、話に入ろう」

「え? あ、はい!」

「交易の話はお前には少し難しいか? だがまずはさわりの部分だけだ。そう緊張しなくても良い」

 

 空海は、色々重なってガチガチになった馬騰に笑いかける。

 

「お前達の地元では、塩は1升(200ml)あたり10銭くらいだと聞いているよ」

「はい、左様……ですな」

 

 同意したはずの馬騰の目が泳いでいる。

 

「わからないところはわからないと言って良い。どこがわからないかをはっきりさせて、文官達に確認しろ」

「おおお、思い出していただけです! 1升10銭で間違いありません!」

「ふむ、そうか。では続けるが、1升10銭ならば1石(20リットル)1千銭だな」

「……。そう、ですな」

 

 指折り数えなかっただけマシなのだろうか。

 

「今回の取り決めでは、江陵とお前たちとの交易の内、毎年の6往復について決めたい」

「たった6往復ですか?」

 

 黄蓋に迎えに行かせた道がそのまま交易路となる予定だ。馬上の少人数ならば片道1週間ほどだが、荷車が混ざれば、仮に馬に引かせたとしても、片道2週間ほどになる。

 襄陽から江陵までの道が整備されたことで1日半ほどの短縮に繋がった。襄陽から南陽までの道も整備する予定であるため、あと1日分くらいは短縮できる。ここまでで5日。

 南陽から長安までは、やや起伏の大きな道が続くため、1週間。管理者を交えた検討会では、ここも整備すれば2日ほど短縮できるのではないかと考えられている。

 

「雪解けから半年の間、毎月1回ずつ護衛付きの交易団を往復させるんだ」

「護衛付きですか」

「そう、護衛はお前たちに任せる」

「――なんですと?」

 

 馬騰の目が剣呑な光を帯びる。馬家をただ働きさせる気か、と。

 

「まず、江陵は毎年塩1万石(1000万銭)に相当する品を出す」

「いっ、1万石!?」

「そうだ。塩気の強い食べ物を中心に1度に5万石、6往復で30万石を出す」

 

 塩1(万)石は24(万)㎏くらいだ。対して食べ物の1(万)石は27(万)㎏ほど。

 5万石は135万㎏にもなる。1350トンと言えばそれほどの量には聞こえないが。

 

「お前たちに支払う金があるなら、護衛はこちらで用意してもいい。無いなら6往復全てに騎兵2500騎をつけろ」

「騎兵を!?」

 

 騎兵は金食い虫だ。馬騰は一度出世した際に与えられた騎兵団を解体していない。今も無理をして養っているのに、それを護衛ごときに引っ張り出せとは何を言っている!

 

「護衛に必要な糧食、塩、宿はこちらが支払おう。護衛を出している間は、500万銭を品物の値段から割り引く。さらに、今後5年は品物の値段そのものもこちらで3割持ってやる」

「ええっ!? えーと、えーっと……ありがたい申し出なのですが……少し、考えさせて貰っても良いですか?」

 

 馬騰の目が回り始めたのを見て空海は笑う。

 

「内訳を書いた紙を用意してある。同じものだが、文官たちの分もいくつかある。続きは皆が来てからにしようか」

「すまん……じゃなかった、感謝します!」

 

 馬騰は言い間違いを慌てて訂正し、怯えたように空海を見やる。無官の馬騰に対し、空海はかなりの高官だ。下手なことを言えば処刑されてもおかしくない。

 空海は意地悪そうに笑いかける。

 

「そっちが素か。気にしなくていいぞ、馬寿成(・・・)

 

 馬騰は困ったような楽しんでいるような形容しがたい表情で言葉に詰まり。

 

「……感謝します」

 

 最終的には苦笑して謝意を示した。

 

 

 空海は側に控えていた司馬徽を呼ぶ。

 

「馬寿成」

「はっ」

「これは司馬徳操。水鏡と言う。江陵の文官で一番賢いヤツだ。わからないことがあればコイツに聞くといい。徳操、任せる」

「よ、よろしく頼む」「了承」

 

 

 文官の到着を待ち、司馬徽が一つ一つの項目について説明を行っていく。

 

「塩1万石相当と言ってもわかりづらいでしょうが、およそ2万人と馬5千頭が毎年使う塩の量と考えて貰えれば良いでしょう」

 

 江陵発の料理が広まればもう少し使われることになるかもしれないが。

 

「内訳の漬け物……その、司馬漬けは、今朝の食事にも出しております。こちらにあるのがその漬け物で――」

「hai」

「司隸では手に入れづらい海の魚も揚州から江陵を経由して――」

「hai」

「3割を引いた価格ですと、30万石で6500万銭の――」

「hai」

「対価として求める馬に関しては1頭で2万銭と評価しています」

 

 馬の産地である涼州では1万銭で2匹の馬が買えることもある。2万銭は相場の数倍の評価と言える。

 

「こちらが割り引く500万銭は年に6回ですから、合わせて3千万銭になります。騎馬兵の維持には1年で2万銭ほどがかかると聞いておりますから、1500騎の維持費に相当しますね」

 

 馬母娘はあまりわかっていないみたいだが、文官は頷いている。

 

「初年度、つまり今年から、2年後までは規模を限っての取引を提案いたします」

「お前達の懐具合や民心の掌握に余裕を持たせるためだな」

「hai」

 

 もう馬騰はダメかもしれない。

 

「最初にそちらから馬を持って来て頂いて以降は――」

「hai」

「支払いの際には五銖銭と金が――」

「hai」

「交易路の宿泊地点のうち、荊州内の5ヶ所は――」

「hai」

「荷の受け渡しは時間を省くために――」

 

 文官たちは総じて賛成に回っている。「受けた方が良い」とか「馬家の名が天下に轟きますぞ」とか「9回でいい」とか大体はそんな感じだ。

 

「うむ、わかった。我らはこの申し出を受けることとする。空海殿、よろしくお願いいたします」

 

 馬騰の決定を受けて空海も頷く。

 

「うん。では大筋はこれで良いとして、詳しいところは文官に詰めて貰おうか。徳操、手配しておいて」

「了承」

 

 文官達の間で、軍の通過許可がどうとか護衛が失敗したときの責任がどうとか日取りがどうとかが徐々に煮詰まっていく。

 もはや馬騰は子供達と一緒に笑っているだけだ。

 だが、送られる馬には全て本当に馬家のお墨付きが与えられることになった。相場の倍額を出して貰っているのだからと停止しかけの馬騰も乗り気だ。

 

「聞きたいことが、あります」

 

 文官達の喧噪から少しだけ離れ、子供達を膝にのせた馬騰が空海をにらむ。

 

「どうした?」

「空海殿は、この取引で、私に何を望むのですか?」

 

「ん? ああ、裏があるのだろう、という意味か?」

 

 明け透けな物言いに馬騰がひるむ。だが、誤魔化したところで自分が空海を欺けるとも思えず、結局は思ったままを口にした。

 

「……そうです。我らの得が、過ぎます」

 

 確かに、数字だけを見れば馬家には毎年1億銭に近い利がもたらされることになる。その負担がどこから出てどこに向かっているのか、ということを、直感的に捉えて問題視しているのだろう。

 江陵としては、品物を現金に換えられれば大きな利益は必要ない。しかし、どうせ取引をするなら儲けるのも悪くない、ということで儲けは確保してある。そもそもこの取引は塩の密造を誤魔化す手段の一つでもある。

 

「まずは、一気に輸送して、販売の手間を省くことに利がある」

「補足いたします。これを小規模に行った場合の見込みは――」

「hai」

 

「同じく、一気に受け取って輸送することでも利益があがる」

「江陵での馬の価格と、交易の安定後に余剰放出分でもたらされる――」

「hai」

 

「江陵での馬の使用方法も利益に繋がっている」

「江陵の民への貸し出しと軍での――」

「hai」

 

「お前達との取引で1億銭近くを割り引いても、江陵には十分に大きな利益が出ている」

 

 一部の品物、民間から集めて作っているものでさえ、原価から売値まででは1石あたり200銭、30万石ともなれば6千万銭もの利益が出る。税として集めている穀類などを使った品物に関しては何を言わんや、である。

 加えて、涼州方面では安い馬でも、江陵まで連れて来ている間にその価値は何倍も上がっている。馬家お墨付きで2万銭と評価した馬ならば、荊州で売ればどう少なく見積もったとしても倍額は超える。

 軍用に良馬を選別し、いくらかを民間へのレンタル用に確保して、残りは都市の外へと売りに出す。ある程度の数が揃ってからの話にはなるが、これも年間に3千万銭近くの利益を見込めるだろう。

 

「お前達から更に1億銭を搾り取りつつ3年で破産となる取引と、半分の利益で10年以上続く取引では、どちらの方が美味しいかな?」

「なる…ほど…?」

 

 相当わかりやすく言ったつもりだが、馬騰は頭から煙が上がり、ちびっ子二人の片割れは目を回し、もう一人は目を輝かせて笑っている。

 馬家の文官には呆れ顔に気付かれ、馬母娘共々生温かい視線まで受けてしまった。

 

「まぁ、なんだ。お前たちは毎年1億銭以上の余裕が出来て万々歳。俺たちもそれなりに稼いで万歳という形にしたんだ。気持ちよく取引を続けるためにな」

「なるほど!」「それならわかるぞ!」「そーだねー!」

 

 一番小さい4、5歳の幼女の理解力と並んでいるのだが、その他二人は気がついていない様子だ。

 空海は一応恩を売ろうと告げておく。

 

「得をして良かったな」

「そうだな!」「やったな母さま!」「よかったね!」

 

 素直な良い子たちである。

 

 一通り騒いだところで馬騰が身を正す。

 

「感謝します、空海殿。良い取引となりました」

「ああ。品物を受け取って驚け」

「え?」

「江陵との取引に心底感謝するほど素晴らしい品を出してやる」

「――はっ、ははははは! ならばこちらも相応の馬を用意しましょう!」

「期待している」

 

 

 

 

 翌年最初の交易団には、新年を祝う品が持たされることになった。

 精米済みの真っ白な米、香り豊かな黄良酒、のどごし爽やかで透明な公良酒、塩を綺麗に固めて作った手のひらサイズの純白の馬像、野菜や魚の漬け物。

 どれも涼州にほど近い大陸の奥地では見かけない、あるいは滅多に手に入らないものばかりだ。

 物珍しさに加え、その見事な見た目と味わいは馬家の心と胃袋を鷲掴みにした。手のひらサイズの塩馬を鍋に投入しようとしたところ、そんな可愛い馬を食べるとはけしからんと馬母娘が暴れたとか暴れなかったとか。

 

 さらに次の年から、年初に江陵へ向かう護衛団にはいつも馬家一同の姿があった。催促のためである。

 以降、馬家の勢力は劇的に伸び、司隸を飛び出し、涼州南部の天水、隴西までもを飲み込んだ。

 

 当代の主馬騰は賢人と称えられた。




遅れすぎてすいません。その割に進んでないですね。
旅行などを挟みつつしばらく忙しくて返信出来ません。すいません。


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閑話 屋台の親父曰く、おめぇに読ませる短短編はねぇ

また少し遅くなりました。若干の修正がありますが、加筆は本当に僅かです。


■クッキーと竜と鳳凰

 

「あ! くっきーさ、じゃなくて空海様!」

「おい雛里今お前クッキー様って言っただろ」

「あわわ……しゅしゅ朱里ちゃんの罠でしゅっ」

「はわわ!? 違いましゅ! たまたま、そう、偶然! くっ――うかい様が持って来てくださる鶏卵入り小麦菓子について話していただけでしゅ!」

「今お前も俺のことクッキーって言いそうになってただろ、朱里」

「ききき気のせいでしゅ!」「あわわわわ」

「はぁ……」

 

 水鏡女学院に初めて焼き菓子を持ち込んだのが4年ほど前だ。鶏卵入り小麦菓子と名付けたそれは、簡単に言えばせんべいとクッキーの間くらいのもので小麦粉に卵と植物油と少量の砂糖を混ぜてこね、蒸し器の類似品で焼くだけの菓子だ。

 これだけだと味気ないので桑の実を混ぜ込んだものもある。甘くはなるのだが、風味が独特で好き嫌いが結構分かれてしまった。緑茶に合うので俺は好きだよ。

 

「不本意ではあるが、ここにクッキーがある」

「きたぁーッ!!」「びゃあああああわわわ」

 

 目の前の子供達は孤児であり、初めて持ち込んだときは、まだ5歳と少々の舌っ足らずな幼児だった。今も慌てたり緊張したりすれば舌足らずな部分が見え隠れするが。

 舌足らずな幼児に鶏卵入り小麦菓子などと言っても残念なことにしかならず、クッキーという名称を提示してしまったのも不可避の流れであったと思う。ちなみに、せんべいの発音は「しぇんべぇ」だった。

 空海という名前が言いづらいためにクッキー様という呼び方が幼児の間に定着するとは夢にも思っていなかったわけだが。

 

「放課後になったら、徳操(水鏡)も呼んでお茶にしよう」

「はい!」「わかりました!」

 

 俺が最初にクッキーを持ち込んだ水鏡女学院は江陵最上層の一つ下、第四層にある。皆に請われてちょっと材料を口にしただけで、探求心旺盛な江陵の民は似たようなものを再現してしまった。しかしクッキーは鉄板で焼くものじゃないぞ。

 

 元々後漢には「(へい)」という小麦粉を水で練って焼く料理があった。CDくらいの大きさで10枚ひとくくりにして30銭くらいである。少々お高い食事くらいだ。せんべいとしてはかなり高い印象だが、具の少ないお好み焼きと考えれば安いと言える。

 これに卵と甘味を加えるだけ、あるいは加えた上で水を減らすだけであるという事に気がついた民は、改造した餅を堂々とクッキーとして売り出した。それはもう、餅という名前がクッキーに置き換えられるくらいあっちこっちで作られた。

 

 改造が進んで、せんべいで作るサンドイッチのような、お好み焼きの類似品のような食べ物も出来たようだ。栄養価が高いので太らない程度に食べることは奨励した。

 あと何故か、これを機に麺も進化した。これまでのうどんの手前のようなものを脱却して、ラーメンっぽいものが出来るようになったらしい。嬉しいけど何でだ。

 

 ちなみにクッキーという名前が広がる前は密かに空海焼きという言葉が使われていたようである。使われなくなったのには、そのなまえをつかうなんてとんでもない! とかそんな感じの理由があったらしい。俺も焼かれるのは嫌だよ。

 

 そして気がついたときには『クッキー様』の名称が江陵中に蔓延していた。それはもう蔓延していたのだ。

 江陵の最下層、外周の第一層で『クッキー様』と呼ばれて気がついた時には、もはや卵を混ぜた餅は全部クッキーであるという風潮が出来上がっていた。ついでに子供達には空海の名前よりもクッキー様の方が知られていた。

 

「くっ、空海様! 呼んで参りました!」

「おい朱里またか?」

「はわわわわ」「あわわわわ」

 

 この『はわわ』が朱里。水鏡女学院で最も政経学の成績が良い生徒だ。このまま研鑚を続ければ、徳操曰く『後世に名を残す人材となる』らしい。その割には俺の名前を間違える残念な子だ。

 そして『あわわ』が雛里。少々内気なところを除けば、朱里のカラーリングを変更してツインテールにしたような少女であり、軍略においては他の追随を許さない正真正銘の天才である。まぁやはり俺の名前を覚えてくれてはいないようだが。

 

「ようこそいらっしゃいました。いつもありがとうございます、空海様」

「うん。これ、みんなの分のクッキーね。朱里と雛里の分も入ってるけど……」

「後で除いておきますわ」

「水鏡先生(しぇんしぇい)!?」「あわわ、ど、どうしよう」

「半分くらいは残してやれ。皆と一緒の時間を過ごすのも大切だ」

「ほっ……」「くっ……空海様」

 

 二人はあからさまにホッとした様子を見せる。そして雛里、今また間違えただろ?

 

「……やっぱりいらないか?」

「「ありがとうございます空海様!」」

 

 言動が完全に一致している。頭を下げるタイミングまで一緒だった。

 そして徳操、笑ってないで指導しなさい。

 

 

 

「今日はクッキーが本題じゃなくてね。前に言ってた遊戯板、駒も作らせてみたから徳操に見てもらいたくてね」

「まぁ。もう出来上がったのですか?」

「新しい遊戯板ですか?」

「あ、また将棋みたいなものですか?」

 

 そう、俺は既に将棋を持ち込み、ルールを教え、そして朱里と雛里に敗れている。

 最初の10回くらいしか勝てなかったのだ。当時10歳に満たなかった少女相手に。

 囲碁に至っては実に中国的な人海戦術がルールに現れているようで馴染まなかった。盤上を石で埋め尽くすまで戦うとか怖すぎる。

 ちなみにどちらも雛里の方が少し強い。雛里に負け越している方の朱里でさえ、司馬徽より強いのだけどね。ちなみに俺は司馬徽にも勝てない。

 とはいえ、天下の水鏡先生と毎月何度か将棋を指しているというだけで俺は十分だ。

 

「今回は趣向を変えている。一つは戦略ゲーム(ゆうぎ)で一つは戦術ゲーム(ゆうぎ)だ」

「戦略遊戯?」「戦術遊戯?」

 

 疑問符にもそれぞれの好みが出たな。

 

「戦略ゲーム(ゆうぎ)は、簡単に言えば一つから複数の拠点を運営し、人や装備を揃えて敵対する勢力の征服を目指すものだ」

 

 いわゆるストラテジーというゲームジャンルのアナログ版だ。戦略シミュレーションと言えば聞き覚えがある人間も多いだろう。

 

「やってみたいでしゅ!」

「ははは。後で、な」

 

 朱里の頭を撫でて落ち着かせる。まだ小さいから撫でやすい位置に頭があるのだ。

 

「戦術ゲーム(ゆうぎ)は、同数あるいは数の違う駒を、六角形のマス目に沿って囲碁ではなく将棋のように複雑に動かし、勝利を目指すものだ」

 

 ターンごとに1手を動かすのではなく、ターンごとに駒に数手の行動力が付与される点で、将棋などの遊戯よりも複雑な動かし方だと言える。こちらはSRPGなどの動きを参考にルールを設定してある。

 

「わ、私もやりたいです」

「うん。お前も、後でな」

 

 雛里の頭を軽く撫でる。この子もそのうち俺より大きくなるのだろうと思うと嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになるね。

 

「これら二つの遊戯は連動することも出来るし、個別に遊ぶことも出来る。まぁ、時間があるなら連動させて遊ぶ方が良いんじゃないか?」

「駒の方も良く出来ておりますね」

 

 司馬徽が手にした駒は、金属の台座に木彫りの人形が乗った弓兵ユニットだ。

 

「職人が頑張ってくれてねぇ。台座の方が時間かかったくらいだよ」

 

 大きさを揃えて台座を作るのは、結構難しいらしいのだ。鉄で作ったり銅で作ったり金で作ったりしたみたいだが、受け取ったときには完成品の200倍くらいの試作品が床に転がっていた。

 

「あのっ! 空海様、遊び方を教えてください!」

「わ、私もお願いします!」

「ああ、わかったわかった。じゃあ今から軽くやってみるか」

「はい!」「お願いします!」「あらあら」

「今回は連動させて遊ぶから、戦略の方は主に朱里が、戦術の方を主に雛里が担当するように。徳操は遊び方の説明なんかを手伝ってくれ。前に言ってたのと変わらないから」

「はい!」「あわわ、了解ですっ」「了承」

 

 

 で。

 

 

「…………。……負けました」

 

 今日初めて戦略ゲーと戦術ゲーに触ったヤツらに……。

 呂布プレイで小覇王出陣シナリオを勝ち抜ける俺が負けた……。

 

「ええーと、空海様……?」

「――ちょっと陳留で旗揚げして漢を滅ぼしてくる」

「はわわ!?」「あわわ!?」

 

 これ以降、みんなが少し優しくなった、とだけ言っておく。

 

 

 

 

 

■于吉の日

 

 江陵で一番忙しい男、于吉の朝は早い。

 東の空が白く染まり初め、しかし日が昇る前には寝台から身体を起こす。

 

 着替えて執務室に向かい、寝ている間(・・・・・)にたまった書類に目を通す。

 一通りの確認を終え、その日行うべき執務に取りかかり始める頃には日が昇る。

 

 日の出と共に入ってくるのは警邏を終えた左慈だ。報告や警備計画とのすりあわせを行い、場合によっては傀儡を出して足りない手を補填する。

 

 左慈が退出すると、卑弥呼か貂蝉、あるいはその指示を受けた傀儡がやってきて、農民の陳情などを上げる。大半には卑弥呼らの手によって指示が出されており、事後の報告と言った形ではあるが、一部には江陵の運営方針まで関わってくるため、管理者同士の意見の交換も必要となってくる。

 

 次に各種予算の配分が行われる。正確に言えば、160万の人口に達した後の予算のひな形を作る作業とを平行している。当然、その作業は膨大だ。もちろん現在の予算が優先されるため、10日で1%ほどしか進まない。

 

 昼食時も休むことはない。区画や組合などの代表者と会合を行わなくてはならない。他の管理者は諸事情から(・・・・・)こういった仕事には向いていない。

 

 昼食後は司馬徽などと共に調味料等の開発だ。料理や調味料の仕込みといった複雑な仕事は傀儡を通して行うことが出来ない。そのため、足を運んで試作品を食べたり舐めたり飲んだり咽せたり吐いたりしている。

 

 そしてその足で新薬開発へと向かう。抗生物質やワクチンが適当な作用を起こすように調整するのが主な仕事だ。やはり複雑すぎて傀儡には向かない案件と言える。傀儡に出来るのは精々が余計な場所を探ろうとする間諜を待ち伏せて捕まえるくらいであり

 

「ふむ。この量では多すぎた(・・・・)かな」

 

 薬物の効果を確かめるためには、最終的に人間を使った臨床試験が必要になる。最近は実験対象にも困らなく(・・・・)なってきた(・・・・・)ため全体的に進みが早い。

 元々于吉が得意としていた分野の探求であり、治安の向上に繋がり、ストレスの発散にもなり、江陵の、ひいては大陸のためにもなる。

 

「やりがいのある、素晴らしい仕事だ」

 

 于吉は思わず頬を緩める。空海からどれほど仕事を押しつけられようとも文句を言わないのは、ひとえにこの施設のためだ。

 そして江陵が発展することは、この施設の稼働率向上にも繋がる。自身の手腕一つでさらに面白いことになるのだ。于吉は恵まれた職場に感謝を深めた。

 

 

 

 

 

■黄忠も二日酔いにはなる

 

 ……ん、朝……?

 

「んぅ……~~ッ!」

 

 あたま、いたい……。

 

「ここ……?」

 

 夕べはお酒を飲んで……(わたくし)の部屋では、ないわね。

 夕べはお酒を……空海様と一緒に……空海様と?

 

「あ……ぁぁ――」

 

 空海様と一緒にお酒を飲んで、前後不覚になって知らない部屋で起床!?

 どうしようどうしようどうしようどうしよう――!

 

「起きたか、漢升」

「空海さっ、~~ッ!」

「ゆっくり飲め」

 

 あ……。これ、いつもくださる、飲み物。

 私の、だいじな、思い出

 

「……いただきます」

「うん。落ち着くまでそうしているといい」

「……はい」

 

 あの時と、同じ台詞。

 やっぱり、おいしい。

 

 

 

 空海様は、人ではないのかもしれない。

 

 私はかつて、江陵に雨が降らないことを心配していた。

 江陵では昼も夜も、ずっと晴天が続く。

 その時、空海様は『天が俺を見てるから』なんて冗談のように軽く答えていたけれど、今思えばそれはきっと本当のことだったのでしょう。

 水が必要なら雨などなくとも用意出来るとも言い、その言葉が実現されてすらいる。

 

 空海様は、誰よりも人に交わる。

 

 朝、この街の誰よりも早く起きる農家のおばあちゃんたちに混じって散歩をし、時にはゴミ拾いまで行う。

 屋台や出店の準備をする商人達に声をかけ、傾いだ荷物を支え、味付けを手伝う。

 子供達と戯れ、井戸端会議に顔を出し、畑仕事に加わり、病人達に話を聞かせる。

 桜を見ながらお茶を飲み、歩哨の真似事をする時もある。

 夜にはお一人で筆を執って毎日何かを書かれている。

 

 空海様は、誰よりも人間離れしていながら、誰よりも人間らしくあろうとしている。

 

 

 

「あ、あの、空海様」

「なんだ?」

「その、私、お酒を飲み始めてからの記憶が曖昧で」

「お前、あれだけやったのに覚えてないのか?」

 

 何をしたというの昨日の私!?

 

「も、申し訳ありません」

「しばらく深酒は控えろ。お前のためにならない」

「……はい」

 

 でもだって空海様と一緒だったから……

 

「一緒に飲み始めたところまでは覚えて居るか?」

「はい」

「公覆の名前を出したとき、他の女の名前を出すなと俺を脅したのは覚えて居るか?」

「か、かろうじて」

 

 何を言ってるのよ私は! お世話になってる祭さんのことくらい話題にしたっていいでしょうに!

 

「その後か……」

 

 

「まずは羽織の中に無理矢理入り込んで首に抱きつかれたな。さながら蛇のようだった」

 

 深酒は良くないわね。例えそれが空海様と一緒だったとしても。

 

「あとは耳を噛まれたり舐められたりしたぞ」

 

 あ、水鏡さんにどんな自殺方法が苦しくないのか聞いておいた方がいいかしら?

 

「まぁ、耳元で『好き好き大好き』と言われたのは悪い気分ではなかった」

 

 なっ――なんてこと言ってるの私はぁぁぁあ!!

 く、空海様の顔が見られない! ああああ、こっちを見ないでください!!

 って、これ空海様の羽織じゃない! なんで私が持ってるのよ!

 ああっ、でも顔を上げられないいいい!

 

「み、見ないで……!」

「ふむ」

 

 えっ?

 

「これでいいか」

 

 あ――空海様、もしかして抱きしめてくださってる?

 

「こうすれば俺からは漢升の姿が見えないな」

 

 ッ! 空海様ぁ!

 

「ごっ、ごめんなさい……ごめんなさい……っ! 嫌いにならないで――!!」

「うん。『悪い気分ではなかった』と言っただろう? あのくらいで、お前を嫌いになることなどないぞ、紫苑(・・)

 

 あ、真名……空海様ぁ、だから好きなのよぉぉ

 

 

 

「ほら、羽織を返して。お前は風呂に入っておいで」

「あ……はい。申し訳ありませんでした」

「風呂から上がったら、少し遅い朝食になるが食事に出よう。今日は水鏡学院に用があるからその近くだな」

「はい」

 

 空海様と一緒に食事かぁ……

 

「ああ、もちろん、酒はなしだぞ?」

 

 !

 

「――もう! からかわないで下さい!」

「あはは。紫苑の可愛らしい姿を見て気分が良いんだ。大目に見てくれ」

「……もぅ」

 

 また今日も、特別な日になっちゃうなぁ……

 

 

 

 

 

■水鏡"女"学院

 

「あの、空海様はどうして水鏡女学院が男子禁制なのかご存知ですか?」

「ん? お前たちは知らなかったのか?」

「水鏡先生に聞いても教えて下さらなくて……」

「そうかぁ、まぁ新年に話すようなことではないんだけどなー」

 

 

 アレは学院が始まってから2ヶ月くらいだったかなぁ。

 その頃はまだ手探りの運営が続いていたから、結構頻繁に見に行ってたんだよ。

 あの日も、徳操を訪ねたんだけどね。なんか、ちょっと普通聞けないような口汚い言葉が聞こえてくるわけよ。徳操の声で。

 もしかして徳操に何かあったのかと思って慌てて見に行ったらね。

 

 男の子が泣いていたんだよ。

 それはもう子供だったね。5歳くらいに見えたなあ。泣きながら謝ってた。

 で、その男の子を見下ろしながら、こう、ね。徳操がちょっとお子様には見せられないような表情で口汚い言葉を吐いてたんだよね。端的に言えば男の子を罵ってた。

 時々挑発しながら、顔を上げるのを見てたたき落としたりね。薄く笑いながらそういうことしてるんだよ。あの優しげな声で。

 

 聞き込み調査を行った結果わかったのは、5人くらい既に再起不能(おんなのこ)になってたということだね。たった2ヶ月で。

 別に徳操を怒らせたっていうわけじゃないみたいだった。素行に問題がありがちな子の方が被害に遭ってるみたいではあったけど、どういう基準が適用されていたのかは、今となってはちょっとわからないな。

 ちなみに、女の子には被害がなかった。こっちが普段通りの徳操だと、思いたい。

 まぁ、それで男子禁制にしたんだよ。

 

 え? その男の子? すぐに、新しく作った軍学校に入れてね。しばらくして、なんとか持ち直したって聞いたな。今は兵士になるために学んでいるはずだよ。

 残念ながら再起不能(おんなのこ)になっちゃった5人は、卑弥呼と貂蝉のとこに預けたよ。なんとか幸せを掴んでくれるといいなぁ。

 

 徳操は極端に疲れがたまったりすると『ああなる』っぽいからお前達も気をつけろよ。

 俺に言えば何とかしてやるから。

 

 

「あらあらうふふ」

「……おや? 徳操(とくそう)さん、なにやら新年会(この場)にふさわしくない武器(もの)をお持ちのような」

「いえいえ天来様。武器(これ)処刑場(この場)にふさわしい彩りですわ」

「こやつめ、ハハハ!」

 

 

 

 

 

■左慈の日

 

 江陵で一番荒っぽい男、左慈の朝は遅い。

 正確に言うならば、夜通し警邏を行ってから昼まで睡眠を取るのだ。

 

 寝具から身体を起こせば、その1分後には八極拳(はっきょくけん)劈掛掌(ひかしょう)の型を全力で繰り出している。

 起床から最短で全力まで持って行けるよう、常日頃から心掛け行動する。その心構えは起床に始まり、着替え、食事、移動、全てで実践されており、起床から30分以内の左慈に話しかけると、もれなく空を飛べる(悪い意味で)と兵士らの間でも有名である。

 

 昼食(左慈にとっては朝食だが)を終えればすぐに練兵場へと向かう。

 江陵には近衛兵を除いて、一軍から四軍までの兵が置かれている。一軍や二軍といった名前が付いて居るが、平時の担当区分けに沿った名前が付いて居るというだけだ。数字の小さい軍ほど江陵の中心部に近い区域を担当し、士官の割合が加速度的に増していく。

 

 上級士官らに一軍と二軍の訓練の指示を出し、いくらかの士官と大勢の下士官を連れて三軍と四軍の訓練へと向かう。

 三軍と四軍では新兵の割合が大きい。武器の扱い方、行動における正しい動作、命令を行動につなげる訓練などを繰り返す。指示を出した後は近衛兵を相手に組み手をするのが常だが、時には近衛兵と共に100人単位の愚図共(・・・)を相手に仕置きを下すこともある。

 

 夕刻になって三軍と四軍の訓練が終われば、次は二軍と四軍の別部隊を交えた集団行動訓練である。整列、移動、隊列変更、行軍訓練、陣形展開、陣地構築、陣地撤収などを短時間に何度も反復する。

 短時間しか出来ないのだから、より密度を高めなければならない。この訓練には左慈が一層厳しく当たるため、大人の男でも泣き出す地獄となる。当の左慈の顔に浮かんでいるのは大半が不満で残りは冷笑だが。

 

 訓練が終わったら、片付けを指示して警邏へと向かう。夜目が利かないヤツは、堀にたまった水と友達になってもらい、スゴいね人体して目を良くして(・・・・)もらう。おかげで一軍には、月のない夜に600メートル先にいる人物が敵か味方かを判断出来ないような腑抜けは一人もいない。

 もっとも、堀はうっすらと光っているため、光源がないというわけでもないのだが。

 

 最近は侵入を目論む流民や間諜、逃亡奴隷が多い。都市から逃げ出すそれを捕縛するのも左慈の仕事だ。適当に捕縛しては于吉に引き渡す。

 

 与えられた任に最大限の力を注ぐ。左慈は今日も、夜明けの太陽を眺めてから于吉の待つ執務室へと向かった。

 

 

 

 

 

■黄蓋はそれでも懲りない

 

 ぬ……眩しいな。朝か?

 む? ドコじゃここは?

 それに、何やら股がすーすーする……?

 

 ふむ。服も替わっておる。

 はて。ワシは昨晩着替えたかのう?

 

 いや、待てよ?

 昨晩は空海様と一緒に飲んでおったような。

 というか空海様が飲まないからワシだけ飲んでおったような。

 

 空海様と一緒に飲む、前後不覚になる、眩しい朝、新しい着替え、股がすーすー。つまりこれは

 酔った勢いで空海様とヤってしまったか!?

 

「起きたか、公覆」

「む、空海様」

 

 い、いかん。そういう仲(・・・・・)になったかと思うと意識してしまって顔を見ることが出来ん!

 

「まず臭いが酷いからさっさと風呂に入ってこい」

「に、臭い!?」

 

 あ、アレか!? 男女の体液がどうとかそういうヤツか?

 

「身体を拭いて服を取り替えたのは冥琳だ。礼を言っておけ」

「冥琳が!? ……め、冥琳には少し早すぎやしませんかの?」

「冥琳が一番慣れているだろ?」

 

 一番!? どういうことじゃ冥琳! 覚えておれよ!

 

「い、一番とはどういう意味――」

「それより、風呂に入る前に水分を取っておけ。ほら」

 

 ぬ、これはいつもの水筒か。

 相変わらずどこから取り出しておるのかわからんのぅ。

 

「頂戴します」

「うん」

 

「重ねて言うが、冥琳はお前が気持ち良く寝ている横で、後始末をしてくれていたんだ。よく礼を言っておくようにな」

 

 気持ち良く、寝ていた…じゃと…!?

 

「しょ、承知しました」

 

 ワシは一体どこまで進んだんじゃ!?

 男女の仲になったんじゃろ? 気持ち良くなって、そして……子供とか?

 

「く、空海様」

「なんだ?」

「その、昨晩はワシとどこまで――」

「なっ、お前あれだけやったのに覚えてないのか!?」

「いいいい、いえ、覚えております、覚えておりますとも!」

「……そうかぁ?」

「さ、酒に酔っておったので記憶が少し混乱しておるだけです!」

 

 その目はおやめくだされー!

 

「……順を追って出来事を話すとだな」

「はい!」

「まず一緒に飲んでいたら割と突然絡みつかれたな」

 

 突然絡みついたのか!? え? 脱がずにか?

 

「で、しばらくしたらぶっかけられた」

 

 ぶっかける!? ……ハッ! 乳か! ということは子供が出来てしまったのか! 何で覚えてないんじゃ! なんと惜しいことを!

 

「そんで臭いに釣られてというのか、自分でもかぶってたな」

 

 体液を!? そ、そういえば変な臭いがしておるような?

 

「まぁ、しばらく飲むのはやめておけ」

「な、何故ですか!」

「昨日のようにはなりたくないだろ?」

 

 いやいやいや! 酔ってしまったのは不本意ですが、結ばれたのは本意ですぞ!

 

「……まさか、またやりたいと言うのか?」

「く、空海様さえ良ければまた、したい……です(酔っていない時に)」

「お、俺さえ良ければ!?」

 

 何を慌てておられるのですかな空海様? もしやワシが思っているより初心なのか?

 

「空海様、片付けて参りました」

「ぬ、冥琳か(邪魔をしおって)」

「冥琳! 助かった! 公覆が、公覆が!」

「どうなさいました空海様?」

「公覆が、俺さえ良ければまたしたいって言い出して!」

「なっ、空海様!?」

 

 冥琳に言うことはないじゃろう!?

 

「――は?」

 

 …………あれ?

 これ逃げた方が良いんじゃ?

 

 

「祭殿」

 

 冥琳のワシを見る目! まるきり汚物を見る目じゃ!

 

「貴女はまた、したいと」

 

 おおおお、おうとも! 冥琳がなんぼのものじゃい! 空海様はやらんぞ!

 

「酔った挙げ句、空海様に全身で絡みつき、髪の毛をひっつかんで噛みつき、衿の内側に向かって嘔吐し、自らも吐瀉物を浴びたいと。そう仰るのか」

 

 

 ……え?

 嘔吐(ゲロ)

 空海様? 何で両手で顔を覆ってらっしゃるんじゃ?

 

 あれ? ワシ、ここで死ぬんじゃ……

 

 

「実に良いご趣味ですな。祭殿」

「ご……誤解じゃ冥琳!」

「問答無用」




「問答無用」 メコッ


石で埋め尽くすまで戦う
後漢の囲碁のルールは現代とは異なる。中押し勝ちというのもなかったらしく、いわゆるヨセの後まで全部石で埋めて石の数で勝敗を決めた。コミというものも存在しなかった。
ちなみにゲームの恋姫では8世紀に発明されたはずの象棋で大会が開かれていた。
ゲーム内での象棋の描写はどことなく囲碁っぽかった。

小覇王出陣シナリオ
ゲーム三國志9のシナリオ3、呂布の兗(エン)州強奪と小覇王出陣の呂布プレイ。かなり難易度が高いため、プレイに慣れていなければ数ヶ月で滅びる。スタート地点が兗州。
兗州は恋姫において陳留州と扱われているような雰囲気なので、ここでは陳留州という意味で使っている。

「こやつめ、ハハハ!」
その後のちょっとしたホラー展開も考えたけど、キャラ崩壊著しいのでカット。

「(起きたらゲロ臭かったら混乱もするか)……順を追って出来事を話すとだな」
空海は黄蓋に配慮してあえて「ゲロ」という言葉を口にしていない。愛ゆえに。

黄忠は純心で盲目な恋。初恋をこじらせて空海の肯定者になっている。
黄蓋は豪快な割に初心。半端な知識で間違った判断も多々。男女の関係になる=子供が生まれる、みたいな。


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3-1 広げた後ほど忙しい

「足りない?」

「左様」

 

 筋肉にヒゲが生えたものが筋肉を揺らしながら答える。

 

「土地が?」

「そうなのよぉん」

 

 筋肉に三つ編みが生えたものが身体をくねらせながら答える。

 

「人が増えすぎて?」

「はい」

 

 イケメンの少年が静かに肯定する。

 

「予想をぶっちぎったってこと?」

「面目次第もございません」

 

 イケメン眼鏡が申し訳なさそうに頭を垂れる。

 

「どうしてこうなった……」

 

 

 まだ要塞都市が造られてから5年である。予想では10年くらいはかかるはずだった。

 

「西の方が広かったっけ……」

「はい」

「どうやって拡張する?」

「その前に現状の確認を行いましょう」

「ああ、そうだね」

 

 江陵という都市は豊かであり、江陵には仕事が多い。

 

「現在の江陵の人口は、最下層が30万人。外周から二層目、最低限の読み書きを覚えた層が30万人。一定教養のある第三層に35万人。政庁を含めた機密を多く取り扱う第四層が25万人」

「このうち第二層と第三層の人口が限界なんじゃ」

「hai」

 

 貧しい民の新天地であると噂された江陵の人口は、僅か5年で20倍増していた。

 

「我々の予想では、江陵は外周から人口が埋まる見込みでした。にもかかわらず、先んじて上層が埋まった原因は――」

 

 一つは予想より学習意欲が高かったこと。学力の向上に伴う収入の上昇に釣られた人間は多かった。これが全体を底上げしている。

 そしてもう一つが、家族から離れ単身赴任となってでも収入を増すことが善いことだと認識されたこと。実際には手続きが少々面倒なだけで、移動にかける時間も大したものではないため、近所の職場に住み込みしているような感覚なのだろう。

 

「選別はしておるんじゃがそれでも流入が多すぎるんじゃ。拡張案はいくつか用意したんじゃが、いずれも第二、第三層を広げる方向になっておる」

「hai」

 

 非常に贅沢な悩みだ。

 現状ですら健康なものだけが都市に残り、病気などを持っている人間は都市への入場を拒否している。一時滞在でも同じ措置である。江陵にはまだ病気に勝てる医療インフラが整っていない。

 さらに、病人達が近くにスラムを形成しないよう追い払うことすらしている。食事を持たせたり道を教えたり、場合によっては船を出すなどして下流の揚州へ誘導し、荊州防衛にも一役買っているのだ。

 そして、これだけ捨てているのに、流入人口が限界だという。

 

「これほど早く限界にぶつかった原因じゃが、現荊州()が関わっておる」

「孫堅討伐の際、江陵は荊州南部を煽るだけ煽りました。しかし、荊州牧劉表はこれに収拾を付けなかったため、南部から逃げ出した人間の多くは北部に向かいました」

「江陵を見た人の多くが江陵に残ったんじゃ。通り過ぎた人も、その多くは江陵に引き返して来おった」

「hai」

 

 対応の遅れた劉表だが、後に、江陵を通さずに南部を抑えるために江陵の東を回り込むように新しい街道を設置した。

 南陽から襄陽を通り江陵へと南北に続いていた街道のうち、襄陽のすぐ北側から東へと『ト』の字に分岐する新街道。江陵の東、江夏郡西陵へと続く道である。

 江夏からは川と湖畔を遡って南の長沙まで道を広げるつもりだったようだ。江陵方面と揚州方面への抑えとして名高い黄祖を太守に据えるなど、それなりに本気も見せた。

 江夏が銅製品の大産地であることも加え、荊州が取り得る万全の体制だった。

 

 だが、結局は江陵を通る方がアクセスが良かった。

 江陵からは旧州都漢寿を経由して長沙へ続く道が存在した。前漢時代から使われた知られた道だ。江陵からならば漢寿までは船で移動することも出来たし、何より江陵そのものが目的地となり得る都市である。

 結果を見れば劉表は江夏と襄陽と江陵を結ぶデストライアングルを完成させてしまったことになる。もちろん劉表にとってのデスである。

 

 江陵と江夏はそれぞれ、荊州の南部と北部を結ぶ大拠点となった。特に、江陵商人のもたらす金銭は荊州を大いに潤した。

 賑わう荊州には多くの人々が流れ込み――そのうちの2割以上が江陵に留まった。

 

 この5年、荊州には150万を超える人々が流れ込んだ。流出も数十万人ほどいたようであるが。そして、約30万人が江陵に向かったのである。

 

「さらに、袁家が南陽をまとめきれず住民の一部が江陵に来ておるんじゃ。一部と言いましても南陽は人口200万を超える大都市。江陵を通過して南陽へ向かった難民が改めて江陵に引き返すことも多く、釣られる形で多数の民が流れ込んでおるんじゃ」

「現在は落ち着きつつありますが、将来、乱などで世が乱れれば、民の流入は再び大いに増加する可能性が高いかと」

「hai」

 

「以上が現状です」

「hai!!」

 

 

 江陵要塞は上から見ると大きな円形をしている。細かいことを言えば最下層、第一層の外周が800角形なのだが、一つの角が0.5度すら曲がっていない多角形など、ほぼ円形と言っても良いだろう。

 

 拡張プランは全部で3つ。

 1つ目は円と円を並べて行くだけのもの。3つ目以降は間を埋めていくことで面積を稼ぐ。防衛に向いているが拡張出来る居住空間は少ない。

 2つ目は要塞を大型化して各層の比率を変えるもの。ただし、現在の江陵の位置が既に襄江と長江に挟まれて結構ギリギリなので、襄江と長江の流れを変えた(・・・・・・)上でやや北西よりに大きく広げることになる。

 3つ目がポンデリ○グ風。円と円の間隔を縮めて互いに重なり合うように配置。二つのプランの中間タイプになり、良く言えばいいとこ取り、悪く言えば中途半端なもの。

 

 大型化が最も欠点の少ないプランだ。ただ、最も大きな土木工事を伴い、空海の手間が増えるため、管理者としては避けたいようだった。

 とはいえ、空海にとっては『ほぃさっ』が『ほいさっ』になる程度の違いでしかない。

 結局は北西に大拡張して最大700万人までが一戸建ての家に住めちゃう超巨大要塞都市となった。

 

 直径60㎞以上、外周400㎞、総面積120万ヘクタール。東京都の5倍を超える面積を一つの要塞の中に閉じ込めた化け物である。

 満員ともなれば市街地面積だけでも洛陽の10倍を超える都市になる。仮にそうなったとしても近未来東京には遠く及ばないため、空海としては不満足なスケールだったが。

 人が少ない今は軍用地(あきち)が多いのだが、将来人が増えてきたら徐々に屯田兵用居住区域、一般居住区域として開放していく予定だ。

 

 

 突然広がった土地に江陵の民は驚愕した。そして事情を聞かれた空海が、毎回楽しそうに『内緒』だと答えていたため、犯人はバレバレだった。

 しばらくして、江陵の外の民や下層の住民の間で、空海が漢王朝を滅ぼすために江陵に降り立った天の御遣いであるとの噂が流れた。江陵を作ったり民を導いたり朝廷を滅ぼしたり悪人を改心させたり巨大化したり一騎当千の猛者を従えたりするのだそうだ。

 この噂は、空海自身が否定したことで、すぐに終息したように見えた。ただ、噂の半分くらいが事実だったためにしっかりと否定出来ず、火種となってくすぶり続けた。

 

 

 

 ところでいつだったか、当陽という街をぶっつぶしたことを覚えて居るだろうか。

 今回、江陵の北の端がだいぶ北上して、旧当陽市街跡地を完全に飲み込んでしまった。

 

 実は『張飛仁王立ち』の長坂という場所は、当陽の近所なのだ。

 襄陽と江陵を結ぶ街道から枝分かれする道で、街道から枝分かれした直後の入り口付近にある土地が長坂だ。道自体はそのまま西の当陽を通ってさらに西へ続いている。

 江陵が北西に広がって当陽を飲み込んだせいで、長坂を通って西に向かう利点がなくなり、結果、道がほぼなくなってしまった。

 拡張から数ヶ月が過ぎて、今この道は所々崩れていたり草が覆っていたり細くなったり本筋を見失うような枝分かれがあったりと、既に歩きづらいものへと変貌しつつある。このまま行けば、遠からず完全に街道としての機能を失うだろう。

 

 ――つまりこれ、長坂の戦いが起きないんじゃないの?

 

 桶狭間を平地にして関ヶ原に城を作ってたレベルのブレイクである。

 空海にとっては貂蝉に指摘されて初めて知った話だ。

 焦った空海は江陵に直接入らずに西の夷陵に向かう街道を自ら作り、途中にゆるく長い坂を設置、その終点付近の割と緩やかな谷っぽい地形にちょっと無理して吊り橋をかけさせた。吊り橋などは、わざわざ地元民に頼み込んで。

 空海が自分でやってしまうと何をしても傷つかない謎素材になりがちであるし、江陵の民を使うと張飛が落とせない程度に頑丈な物を作ってしまう恐れがある。そこで、あの手この手で地元民に協力を仰ぎ、作ってもらったのだ。

 なお、歓待で使われた酒や料理を気に入った地元民は、工事が終わった後に揃って江陵に引っ越した。計算外である。

 

 謎の金属に覆われた非常に歩きやすい街道の先に突如現れる木製のみすぼらしい吊り橋は旅人達の人気スポットとなった。主に悪い意味で。橋を渡らずに低地を歩く者達すら現れたくらいである。

 

 空海は勢い余り、益州と荊州の境、長江の小さな支流(日本で言う一級河川)が流れ込む巫峡(ふきょう)まで街道の整備を進めることにした。

 ちゃんと街道にしておかないと張飛たちが通らない可能性もある、と考えたのだ。

 

「うーん、実に素晴らしい自然だな」

 

 青い空、雄大な山々、見下ろせば大河、散歩をするように道作りに励む空海。

 ――青い空、雄大な山々、見下ろせば大河?

 

「どこかで……」

 

 空海の顔から血の気が引いていく。

 

「……やべぇ、あの秘密基地どうなった?」

 

 この国に降り立ったあの土地に作り、しかし使うことなく放置した拠点のことだ。

 温泉なんか延々とあふれ出している可能性がある。

 しかし、そもそも場所がわからない。

 空海は懐かしのあの場所に思いをはせる。主に悪い意味で。

 

 わかっているのは、背後が山だったこと、江陵よりも上流のおそらく長江沿いであったこと、しかし巫峡ほど上流ではないと思われること、川は視界の左から右へと蛇行しながら流れているように見えたこと、川幅が500メートルくらいだと思われること。

 天気の良い昼下がりに小舟が一艘だけしか見えなかったところから、人里からは遠いのではないか、そう考察したところで結論を出す。

 

「よし、探してもらおう」

 

 空海は、今こそ増えすぎた人口を活用するときだと、密かに確信していた。

 

 

 

 大陸南部の荊州と大陸南西部の益州の境、巫峡に突如現れた馬車が通れるほどの立派すぎる街道。それまで、人一人がようやく歩けるほどの道と、崖に打ち込んだ杭の上を渡る桟道しか通っていなかったはずの場所である。

 

 荊州側の関の兵士は、激務に追われたせいで幻覚を見たと判断して大半が自主的に寝込んだ。日々増え続ける江陵関係の通行人を捌くため、1日12時間を超える労働が続いていたのだ。

 

 益州側の城の兵士は荊州が戦争の準備をして来たんだ、と色々漏らした。最近荊州の連中は調子に乗っている、と噂していたのを聞かれていたのではないかと。

 

 

 そして何故か敵対すらしていないうちから益州が荊州に降伏した。

 

 

 その時、荊州と益州の境で緊張が高まっている、という急報を受けた劉表は対策会議に入ろうとしていた。しかし、会議の直前に降伏の使者の訪問を受け、劉表は思わず人生最大の醜態をさらした。

 普段遠地に留まる部下達が集まり益州の使者までもが揃った謁見の場で、降伏の使者に向かって全身全霊でツッコミを入れてしまったのである。

 

 これ以降、荊州の団結はより強固なものになった。

 荊州幹部達の友情は、断金の交わりと評された。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「征伐は任せろー」グビグビー

「やめて母様!」

 

 今日は馬騰の偏将軍就任祝いである。元気よく飲んでいる方が()(とう)寿成(じゅせい)。それを止めようとしているのが()(ちょう)孟起(もうき)、真名を(すい)という。

 

「一気飲みはやめておけ、寿成」

「止めるな翠、空海殿! しばらくは来られないから、飲み貯めておくんだ!」

「母様ぁ……」

 

 偏将軍就任に伴って、馬家は漢の北西部にある涼州、その更に北西の最奥地、敦煌郡に本拠を移すことになった。西涼と呼ばれる地である。

 江陵からは馬を飛ばしても片道4週間。交易として見れば片道10週間もの日数が必要とされる。気軽に江陵を訪れることは出来ない。

 今までも異民族征伐のために西涼まで遠征をすることはあったようだが、今回は本拠を移すのだ。毎年2、3回会っていたものが1回に減るのは、双方に寂しさがあった。

 

「お前、去年似たような事言って食べ貯めるのに失敗してただろ……」

「そうだよ叔母様! たんぽぽもう叔母様から逆流した物の片付けなんて嫌だからね!」

 

 本人曰く「光が逆流した」のだとか。そして逆流した光を片付けたのが()(たい)、真名は蒲公英(たんぽぽ)

 

「去年のことなんか忘れた!」

「母様ぁ……」「叔母様ぁ~……」

 

 これでも偏将軍は涼州で刺史に次ぐほどの軍の権力者である。しかも中央でも中郎将と並ぶほどの権威を持つ。

 この場でこれを上回る官位を持つのはただ一人、空海中司空(ちゅうしくう)だけだ。当人は官位など気にしていないが。

 

「本当にその辺にしておけ」

「止めてくれるな空海殿!」

「お前のためにならない。――寿成、俺の言葉は聞くに値しないのか?」

 

 寂しそうな目で告げる空海に、馬騰がひるむ。

 

「む……ぅ……けぷっ。すまん。はしゃぎすぎた。ごめん。その目はやめてくれ……」

「……うん。俺はもう良いから二人に謝ってやれ」

「ほっ……翠もたんぽぽも、悪かったよ」

「ハァ。うん。もういいよ、母様」

「んふふ。いつものことだもんねー♪」

 

 馬家の様子に空海も笑顔を取り戻す。

 

「折角良い酒を用意したんだ。味わって飲まなくては酒にも悪いぞ?」

「……そうだな。ありがとう、空海殿」

「気にするな、寿成。ほら、こっちの乾物も食べてみろ」

「ああ」

 

 急にしおらしくなってあれこれ世話を焼かれ始めた母を見て、馬超は複雑な表情だ。

 喧嘩っ早い馬騰は、言い方一つで相手に斬りかかることさえあるのだ。そんな馬騰をたしなめた上、一瞬で仲直りまでする人物を、馬超は一人しか知らない。

 

「空海様って相変わらず母様の手綱を取るのが上手いよなぁ」

「本当だよねー。もう叔母様たちそのまま結婚しちゃえばいいのにー♪」

「な、何言ってるんだよ、たんぽぽ!」

「そそそそうだぞ、たんぽぽ!」

 

 馬岱の茶々に真っ赤になる馬母娘。いちいちこういう反応をするから馬岱もからかうのをやめないのだが。

 そんな中、空海だけは優しく微笑んで口を開く。

 

「俺はたんぽぽのような姪が出来るのは嫌だぞ」

「ひっどぉい!!」

 

 宴会は、宿の主人が迎えに来るまで続いた。

 

 

 

 

「よっ! ほっ! っせい!」

「ふん! まだまだ!」

 

 馬超と黄蓋が打ち合っている。朝一番から2回目の模擬戦だ。最初は黄蓋が勝ち、今も黄蓋が押している。

 

「孟起、強くなったね。公覆が反撃狙いになってる」

「まだまだあたしの後を継ぐにはひよっこだけどな」

「でも、字を贈ったのは気まぐれではないんだろ?」

「……それは、そうだけど」

 

「それに比べて……」

 

 

「っひぃん! へなっぷ! たわば!」

 

 馬岱は黄忠に責め立てられて防御と回避に手一杯になっている。むしろ時々攻撃を受けている。

 

「たんぽぽは……。同じ環境で育って、どうしてこれほど差が?」

「あたしにもわからん!」

「わからん、って。どうにかならないのか?」

「ちょっと目を離すと手を抜くんだよ。実戦に出そうにも五胡と戦わせるにはまだ力不足だし、どうしたもんかなー……」

 

 筋は良いはずなのだ。手抜きの鍛錬だけで黄忠の攻撃をそれなりに防げるのは誇っても良い。

 空海は何か良い方法はないかと考え、口を開いた。

 

「二つ、思いついた」

「うん?」

「一つは、江陵にいる間、左慈に鍛錬の監督を任せる」

「左慈?」

「ウチの軍事教官といった所だな」

「へぇ、強いのか?」

「江陵の軍事を任せるに足りる強さだな」

「へーぇ……」

 

 馬騰が面白そうに頬をつり上げる。

 

「だが、今回は左慈の強さよりも厳しさが重要だ」

「厳しさ?」

「左慈は、そうだな……鬼教官の名にふさわしい厳しさだ」

「お、おぉ。そうなのか」

 

 馬騰は、黄蓋が鍛錬に対して厳しい姿勢であることを知っている。空海は、その黄蓋に対しても鬼という言葉は使っていなかった。

 

「ただ……ちょっと、泣いたり笑ったり出来なくなるかもしれない」

 

 割とマジな目だ。

 

「あと、二度と江陵に近寄らなくなるかもしれない」

「そ、それはちょっと……」

「ですよねー」

 

 思ったよりも厳しそうな雰囲気に、思わず馬騰の腰も引ける。

 

「もう一つは、河賊退治だ。近いうちに行ってもらおうと思っていた案件があったから、それに同行させる」

「おおっ? それはなかなか良さそうじゃないか?」

「船の上での戦いは経験がないだろうが、まぁ、孟起は心配いらないとして、たんぽぽも身を守るくらいは余裕だろう……あの様子なら」

 

 

「無理無理ッ! ――激流に身を任せどうにかすちにゃっ! 無理だってヴぁ!」

 

 

「うん。大丈夫だよな、寿成?」

「あたしが聞きたいよ、空海殿」

 

 

 

 

「朝も早いが、みんな起きているか?」

「あたしは大丈夫だけどたんぽぽが……」

「うー」

「タレてるのか」

「タレてるんだよ」

「にゃー……すぴー」

 

 馬超と馬岱とその護衛が数名、それに空海とその護衛が数名で出立の時を待っていた。

 馬超は馬岱の身体を支え、護衛達が二人の荷物を抱えている。

 

「あと軍師見習いと指揮官見習いたちがくるから」

「見習い?」

「それぞれ学校を出たばかりなんだ。訓練はこなしてるが、実戦で上に立つのは初めてという連中だな」

 

 水鏡女学院と、江陵高等学院の第一期卒業生達だ。参謀が一人とあと全員が指揮官の候補という偏りである。

 男子校の方からは文官が一人も上がって来ていない。卑弥呼に担当させたのは間違いであったかもしれなかった。

 

「大丈夫なのか?」

「河賊退治くらいで今更怖じ気づく程度の奴らではない。……たんぽぽと違って」

「あー。あたしもここまで嫌がるとは思ってなかったよ……」

 

 河賊退治に出ることを告げてから、たんぽぽは陸に上がった魚のように全身を使って拒否を示し、泣き疲れて死んだ魚のようになるまで馬超に縋り付いて泣いていたそうだ。

 馬騰曰く半分以上嘘泣きだそうで、結局送り出されることになったのだが。

 

「寝ていた方が大人しくて良いかもしれないな」

「母様が起こさずに連れて行けって言うから、そのまま連れてきたんだよ」

「その寿成はどうしたんだ?」

「あー、母様なんか調子が良くないみたいでさ(髪が整わなくて空海様の前に立てないって泣いてたことは秘密にしておこう)」

「そうか。なら、後で見舞いに行くか」

「え!? そ、そうだな。少し時間をおいてから見に行ってやってくれよ、空海様」

 

 

 やがて早朝の靄に紛れるように、静かに馬車が到着する。

 

「お待たせいたしました、空海様」

「うん、おはよう」

「おはようございます」

 

 馬車から現れたのは長い黒髪に褐色肌の美少女だ。最近になって江陵の外にも売り出され始めた眼鏡を掛け、鮮やかな紅い服には桜模様の染め抜きが目立つ。

 

「孟起、紹介する。今回の作戦の指揮を執る周公瑾、さっき言ってた軍師見習いだ」

「周公瑾と言う。よろしく頼む」

「馬孟起だ。こっちの寝てるのが馬岱。引き返せないとこまで進んだら起こすから、自己紹介はそれまで待ってやってくれ」

「……ふむ、なるほど。了解した」

 

 周瑜がニヒルに笑い、釣られて馬超も笑う。

 

「よかった。あんたとなら上手く行きそうだ。よろしくな」

「ああ」

 

 二人の様子を見た空海が声をかける。

 

「公瑾」

「はっ」

「今回は、殲滅する事よりも戦いの経験を得ることを意識しろ」

「承知しました」

 

 神妙に頷いた周瑜を見て、空海も頬を緩める。

 

「期待している」

「お任せください」

 

 その自信に満ちた笑顔は、黄蓋によく似ている。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 第二層と第三層の人口は早期に限界を迎えたが、限界を迎えていたのは何もそれだけではなかった。

 代表的なものが本の製造だ。これまでの製本は、出版と言うには手段が古く、手作業でページを模写して手作業で束ねて作っていた。

 

 江陵では民の収入が多く、学習意欲が高い。

 結果、1冊500銭もする子供向けの絵本すら次々と売り切れる。

 500銭は江陵の外では農民一戸の1ヶ月分の総収入に匹敵する。収入が多い江陵の民達であっても、半月分の収入とほぼ同額である。

 軍略本も人気だ。高等学校での必修科目になっているから、自習用に買う人間も多いのだろう。孫子は全十三編が1冊に、六韜は全六章が2冊に、三略は全三章が3冊にまとめられて、それぞれ1冊1000銭で売られている。

 

 それらが売れすぎて、生産が追いつかなくなっている。

 本の製造はこれまで、ある程度の教養がある民達の層において、数百人単位で行っていた。主にご家庭で、毎日数ページずつ作られる内職のようなものである。

 当然、生産性は高くない。必然的に価格も上がるし、乱丁なども多かった。

 

 そこで新たに登場したのが木版印刷である。版画のイメージそのままの印刷技術だ。

 空海は木版印刷で大量生産を行う出版社を立ち上げ、本を一般化することを目論んだ。

 書の上手い人に原稿を書かせ、木版の彫刻師に写刻させ、印刷する。これまでの十分の一の人員で業務の大半が行える。にも関わらず、すぐに増員することになったのだが。

 ひとまずこれまで本の製造を行っていた知識層の人員の手が空いたため、彼らを記者にして、いわゆる雑誌の刊行も行った。

 元々教養の高かった人々だ。それぞれに与えられたコンセプトの取材を空海が思ったよりも上手くこなし、江陵の都市情報誌からファッション誌、小説本まで様々な本が刊行されるようになった。

 

 空海は出版社の元締めとして都市情報誌を空海ウォーカーにしようと企んだが、意味が通じなかったので空海散歩で妥協した。もちろん空海自身が散歩した場所も載っている。

 一方、ファッション誌は貂蝉の口出しで阿蘇阿蘇(あそあそ)という名前になった。貂蝉は筋肉に三つ編みのファッションで流行を牽引していると言い張っているのだ。

 

 なお、漢字の数は膨大であるため、活版印刷を行うのは難しい。少なくとも現在の江陵の技術ではまだ無理だと判断している。

 木版印刷でも、多色刷りくらいは行っているが。

 

 

 そして、小説本である。その中でも成人向け(・・・・)の娯楽本。

 需要があることはわかりきっているため、特に誰からも反対意見は出なかったのだが。

 

 ――もちろん小説本もこれだけではない。全年齢向けや15歳以上を対象にするものもちゃんとある。だが、成人向けは難しかった。だから作家を厳選することにしたのだ。

 

 厳選したのだ。

 

 

 司馬徽がモジモジしながら告げる。

 

「わ、私が書きます」

 

 その瞬間、空海の脳裏によぎった感情は複雑だった。あらかわいいとか、あの水鏡先生にそんなことさせるのはどうなの? とか、そういえば学院運営で最近ストレス貯めているように見えたなぁとか。

 

「徳操が、書くの?」

「ダメ……ですか?」

 

 空海は背が低い分、上目遣いに弱い。だが水鏡先生に艶本を書かせるのは流石に――しかし代わりに書く人間もいないし――けど徳操には学院もあるから――ストレス発散の場は必要――もはや才能の不法投棄――

 それでも結局、代案が浮かぶことはなく。

 

「……わかった。よろしく頼む」

「はい。お任せください」

「どうせ書くなら、お前自身も楽しんでやれ」

「はい! もちろんです!」

 

 いらんことを言ったかもしれない、だがとりあえず、徳操一人に汚名()を着せるわけにはいかない。

 空海は、司馬徽のペンネーム伏水に対して、ペンネーム静水として出版社の社長に名を連ねることにした。名前だけのつもりで。

 

 伏水と静水の名は後に、伏龍と鳳雛という二大軍師からあがめられることになる。

 

 

 

 さて、ファッション誌が出来たと言ったが、ここ数年の最も大きな変化はその根っこ、つまりオシャレという概念が出来たことにある。

 色とりどりの染料、様々な糸とその縫い方、スカートや下着や靴下、リボンやタイ、見せるための重ね着など。

 

 元々この三国志に似た世界には、洋服のようなものや比較的色鮮やかな布を使った衣服などがかなり多かった。

 しかし、布や服は主に奴隷に作らせており、手工業そのものを見下す風潮があったため質も量もふるわず、その割には高かったので一部の金持ちにしか受け入れられず、文化として花開くには時間がかかるものと思われた。

 

 そこに登場したのが江陵だ。

 江陵は独自の職人制度を作り、免許状を得た人間しか扱えない染料や素材をいくつも用意し、管理者(主に貂蝉と卑弥呼)らが中心となってファッションショーを執り行い、入賞作品の販売権を買い取って江陵の公営店で取り扱った。

 生産性を上げるために専業の仕事として地位を確立し、大量生産のための未来的手法を多数導入し、素材の生産から製品の販売までを行政主導で管理し、これまでに比べて8割も安く、それでいて高品質な衣料品を大量に売り出したのだ。

 

 さらに、美男美女を雇って販売促進を行ったり、街の外で行っている仕入れの際に支払う物品に格安で混ぜ込んだりして売り込み、比較的簡単に作れる染料や飾り縫いなどは全江陵民を対象に行っている教育の一環として広め、それらを含めて劉表を通して朝廷へ献上品として伝えた。

 江陵や劉表、そして朝廷から全土へと広がったファッション文化は、江陵を中心に年間数十億銭の市場を生み出し、材料の高騰によって全土の農民が僅かばかりの財を築いた。

 そうして豊かになった民がファッションへと興味を示し、やがてあらゆる国民へと新しい文化が広がり。

 

 その結果。

 

 

「な、なんか言ってくれよ、空海殿」

 

 リボンやらよくわからないひらひらとした布きれやらがついた、うぐいす色の服。白いキュロットスカート。白い編み上げ靴。

 俯いておきながら睨み付けるように上目遣いで空海を窺う馬騰。

 

「とてもよく似合っていて可愛いと思うが……調子が悪いんじゃなかったのか?」

「か、可愛いって……」

「聞けよ未亡人」

 

 顔を真っ赤にしてクネクネしてる馬騰と、純真な馬騰が眩し過ぎて疲れてきた空海。

 

「よし……よし! 翠とたんぽぽの分も買ってやらないとな!」

「というか、孟起とたんぽぽにご褒美を買いに来たんだろ。なんでお前の分を買うことになってるんだ? というか、調子が悪かったなら休めよ」

「そそそ、それじゃあ行くぞ、空海殿! まずはあっちだ!」

「聞けよ寿成。そっちは茶畑ばっかだぞ? おーい」

 

 その日はチビの手を引いて歩く一騎当千と、一騎当千に手を引かれて歩くチビが江陵のあちこちで目撃された。



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3-2 アイツが空き家に一番乗り!

 東からの風を受けて、大きなジャンク船が長江を上っていく。

 

「それで、策は?」

 

 馬超が神妙な顔で周瑜に尋ねる。

 対する周瑜はクスリと笑って馬超をたしなめた。

 

「そう硬くならずとも大丈夫だ。まずは味方の鎧と顔を覚えて、間違えてぶちのめさないようにしておいてくれれば良い」

「うっ……やっぱ、わかるか?」

「ああ。緊張はしておいた方が良いが、怖がるほどの相手ではないぞ」

「そうか……うん。楽になった。ありがとう、周軍師」

「こそばゆいな」

 

 二人は穏やかに笑う。

 

「実際、策というほどのものは必要ないんだ」

「そうなのか?」

「ああ、馬孟起殿は――」

「孟起でいい。真名はこれが終わってからな?」

 

 馬超は先ほどまで緊張をしていたとは思えないほどの気軽さで周瑜に笑いかける。

 勝ち気な笑顔は馬超にとてもよく似合っており、生来の気質を思わせた。

 

「ははは。わかった、孟起殿」

「殿もやめてくれよ~」

「わかったわかった。孟起。これでいいか?」

「ああ。……わかっててやったろ?」

 

 半眼の馬超に意地悪く笑ったまま肩をすくめる周瑜。

 

「さてな? 話を戻すが。孟起の仕事は、船に乗り移ってくる敵を倒すか、敵の居る船に乗り移って敵を倒すだけだな」

「そんなに簡単なのか?」

「ああ。伝令が要るような動きをさせるには連携に不安があるし、偵察や討ち漏らしの処理に使うには勿体ない人材だからな」

「あんまり褒めるなよ……って、なんかあたしのこと知ってるような口ぶりだな」

「祭殿――黄公覆と鍛錬をしただろう?」

「ああ、まだ負け越してるけどな」

「なかなかやる、と評しておられた」

「えー? 褒められてんのか、それ?」

 

 周瑜は苦笑を漏らしつつ勿論だと答え、続けて馬超に優しく笑いかけた。

 

「あの方はこういった人物評で世辞は言わない。ここまで褒められる武人は、お母上を含めて2人しか知らんぞ」

「そ、そうか? なんか照れるな……」

「うむ。祭殿の言葉だ、誇って良いだろう。……あれで酒飲み癖さえなければ文句はないのだがな」

「んん? ああっ! 黄将軍の言ってた口うるさい小娘って――」

「――ほう?」

「あ、やべっ」

 

 周瑜は獰猛に笑う。その笑顔は肉食獣が餌を目の前にしているかのような凄みに満ちており、草食系女子である馬超としては一刻も早く最大限の距離を置くべきであることは疑う余地もなかった。

 

「是非、聞かせてもらいたい話が出来たな、孟起?」

「いやー、あたしはちょっとたんぽぽの様子を見に行かなきゃって言うかー」

「おお、いいとも。いくらでも見てくるといい」

「そ、それじゃあお言葉に甘えて――」

「いやぁ……帰路が楽しみだな?」

「全てお話しさせていただきます」

 

 そして、距離を取ることも出来ない船の上では、結末は全く予期した通りなのだった。

 

 

 

 一晩が過ぎて。

 船上には、操舵方法のレクチャーを受ける馬超と、船酔いから回復したのに元気のない馬岱の姿があった。

 先ほどから部隊へと指示を出していた周瑜が戻り、二人を呼ぶ。

 

「目標まで2刻余り(30分強)だ」

 

 馬超の顔が引き締まり、馬岱の顔が僅かに青ざめる。

 

「早ければ、そろそろ敵が動き出す。2刻後には敵の船を奪うために戦闘になるだろう。まず無いとは思うが、移動中に奇襲を受ける可能性もある。注意は怠らないように」

 

 馬超は頷いたが、馬岱は落ち着きなく周りを見回している。

 

「孟起達はそろそろ身体を温めておいてくれ」

「わかった!」「……うん」

 

 

「……慣れぬうちは仕方が無い、か」

 

 周瑜のつぶやきは、誰の耳にも届くことがなかった。

 

 

 

 戦闘は、完全に予定した通りに始まった。

 遡ってきた長江の流れ、その中央付近から岸辺の河賊達の船に向けて急速に接近する。

 見張りだろう数人の男達が船内に飛び込み、そして再び甲板へと上がったときには、白銀の穂先が胸に突き立っていた。

 

「おっし、一番槍もらいっ!」

「孟起! 船内はこちらの兵が見て回る! お前は甲板を抑えてくれ!」

「りょーかいっ!」

 

 賊に一、二歩道を譲った馬超は、後退をやめて軽く踏み出し、一息で三人の胴を貫く。

 初戦は一人の怪我人すらなく、あっさりと終結した。

 

 

 馬超は、細い身体のどこにそれほどの力があるのかと思わせるほどに、力強く槍を振り回して血糊を払う。

 そうして今度こそゆっくりと周りを見回し、気付く。

 

「たんぽぽ! お前何やってんだよ!」

「ひーん。だってぇー……」

 

 馬岱は、船を移ることも出来ずに槍を持って突っ立っていた。

 

 

 遺体の検分をしていた周瑜が眉をひそめる。

 

「ふむ。派手な飾りと鈴を身につける河賊か」

「なんだそれ?」

「ん? たんぽぽの説教は済んだのか?」

「あー。なんかぐちぐち言ってたけど右に行くヤツだけ任せることにして置いてきた」

「大丈夫なのか?」

「アレでも馬家の人間だよ」

「……そうか」

 

 静かに同意した周瑜を眺め、改めて馬超が尋ねる。

 

「で、何の話だったんだよ」

「派手な飾りと鈴。この河賊たちの特徴だ。確か、長江のもっと上流の方で活動していた連中に同じような特徴のものがいる、と聞いた事があったんだ」

「じゃあ、そいつらが川を下って来たってことか?」

「おそらくな。ここ数ヶ月はこの辺りを縄張りにしているようだ」

「ふーん。鈴が特徴ねぇ」

「何でも頭目は『胸に七つの鈴を持つ女』らしいぞ」

 

 二人はその姿を脳裏に描く。

 

「そいつ鈴が好き過ぎだろ」

「そうだな……」

 

 

 

 ――リン

 

「!! 下がれ周軍師!」

 

 馬超がはじかれるようにして槍を構え、一瞬遅れて周瑜が声を上げる。

 

「もう次が来たのか!? ――アレは孟起に任せてお前達は周りを抑えろ!」

「たんぽぽを頼む!」

『ハッ!』

 

 船に飛び移ってきただろうその女性は、ゆっくりと身体を起こす。

 赤みがかった服と、白いシニョンキャップ、太刀を逆手に構え、堂々と張った胸には七つの鈴が――

 

「お前らァ――私の名を言ってみろォ~!!」

 

「知るかっ!」

「孟起っ、そいつは例の河賊の頭だ! それは任せる!」

「! おう!」

 

 身構える馬超を目の前に、賊の女性は不満そうに鼻を鳴らす。

 そして周りにも聞こえるよう、大声で名乗りを上げた。

 

「甘寧、一番乗り!」

 

 

 解答は、白銀の穂先だった。

 

「賊の名前なんざ、いちいち覚えておかねーよッ!」

「チッ!」

 

 甘寧はかろうじて穂先を捌きながら、大きく飛び退り手すりや段差を巧みに足場にして逃げ回る。小回りがきかない槍をあえて船上で使う相手に、油断は出来ない。

 甘寧は逃げ回りながら思う。これは名のある将か、と。

 

 甘寧が穂先を避け、弾き、掠め、避け、弾く。反撃に移れない。狭く障害物の多い船上で、それを利用する甘寧と、不都合しかない馬超との差が、埋まらない。甘寧は舌打ちと悪態を飲み込み、縄や小道具を蹴り上げて隙を狙う。

 馬超にかわされ、弾かれ、あるいは避けることもせずに無視される。絡みつくように投げられた縄を馬超は無理矢理引きちぎる。

 狭い船上で縦横無尽に駆け回っていた甘寧は右舷と左舷で向き合った瞬間、足下の段差を足先で捉えて、思い切り踏み込んだ。

 

 ――リン

 

「行くぞっ!」

 

 

 足場が揺れる、という未知の感覚に馬超は一瞬我を失う。

 首に迫る甘寧の太刀筋にかろうじて槍を割り込ませる。

 

「くっ」

 

 はじく、などという上等なものではない。腕の力だけでなんとか防いだだけだ。

 甘寧の攻撃の勢いに押されてそのまま数歩下がってしまう。

 不安定な足場であることを一瞬頭の隅に押しやり、踏み留まって石突きを振り上げる。

 

「ッらァ!」

 

 甘寧はその石突きすら足場にして馬超と距離を空ける。

 体勢を崩した馬超は追い打ちすら出来ずにたたらを踏み、槍を構え直した。

 

 力も早さも勝っておきながら、あわや首を落とされるところだったことに、馬超は警戒を強める。

 

 奇策で奇襲してくる相手に後手はダメだ。馬超は戦略を変え、先んじて攻撃を加えるために大きく踏み込んで突き上げる。

 甘寧は太刀ではじきながら無様に身体をひねって避ける。鈴がチリリと鳴った。

 馬超はその姿に心動かすことすらなく槍を引き、甘寧の胴体を狙って切り払う。

 甘寧は壁と手すりを走るように駆け上がり、大振りの後の馬超に斬りかかる。リン。

 馬超は太刀を防ぎ、踏み込みながら押し出す。距離を空ければ槍が有利。甘寧の後を追うように数度突くが全て防がれる。チリリン。

 甘寧が身体ごと飛び込むようにして繰り出した大振りの太刀筋をほぼ真正面から突いて払う。石突きで額を狙うが避けられる。リン。

 甘寧の回し蹴りを長柄で受けてしまい、手すりを折りながらなんとか甲板に留まる。

 

 ――やりづらい!

 

 馬超は素直にそう感じる。

 黄蓋ほどの恐ろしさはないが、甘寧はとにかくいやらしい手でこちらの決定打を阻む。

 攻撃に大振りが多いのも、読みやすいが防ぎづらい。さらに鈴の音に惑わされる。

 なにより、この狭い甲板で障害物を利用する相手に、揺れる足場で慣れない戦いをするというのは――

 

「面白ぇじゃねぇか」

 

 槍をふるいきれない船上、奇策を用いる油断ならない相手、慣れない戦い、しかし。

 

「あたしが勝つ」

 

 不敵に笑って告げた馬超の言葉に、甘寧の敵意がふくれあがる。

 

 馬超と甘寧は再び向き合って距離を詰め――

 

「――えいっ」

「じゃぎッ」

 

 突如横から現れた馬岱に石突きで打ち抜かれ、甘寧がその場に倒れる。

 

「なっ!? 何するんだ! たんぽぽ!」

「お姉様まわり! 周りを見て!!」

「あ? 周り?」

 

 馬岱、穴が開いて傾いた甲板、倒れた帆柱、目を回しているだろう兵士とそれを介抱する兵士たち、取り押さえられた賊たち、肉食獣のように笑う周瑜、怯えて固まっている兵士たち、折れた手すり、倒れたまま動かない甘寧、申し訳なさそうにしている馬岱。

 

「……。助けてくれ、たんぽぽ」

「お姉様……その、ごめんね?」

「う、裏切り者ぉ~っ!!」

 

 

 

 

「で、船は沈めてきたと」

「左様です」

「で、孟起とたんぽぽが沈んでいると」

「左様です」

「で、そこで一人浮いているのが、鈴をむしり取られた甘寧か」

「左様です」

「むーむー、むむむーむむ!(観念一番乗り!)」

 

 空海は一つ頷き、周瑜に尋ねる。

 

「まず、甘寧はどうするべきかな」

「法に照らし合わせれば死罪です」

 

 周瑜はあっさりと告げる。

 

「だが、生きたまま連れて帰って来ているということは別の方法を考えているのか」

「はい。更正の機会を与えてみては、と」

「なるほど? それほどの人材だったか」

「取り込むことが出来れば、江陵の力となるでしょう」

 

 打てば響くような周瑜の反応に、空海は心の中だけで感嘆する。

 改めて甘寧に目を向け、武闘派の彼女を制圧できる人材を思い浮かべる。

 

「ふむ……左慈と貂蝉の監督の下で半年間兵役に従事、様子を見て改めて沙汰を下す。これでどうだ、公瑾?」

「よろしいかと存じます」

 

 周瑜が頷いたところで馬超と馬岱に目を向ける。

 

「孟起の方は、寿成と公覆に任せよう。武人として成長すれば調子も戻るだろう」

「左様ですな」

「あとは、たんぽぽか」

「ええ……私見ですが、戦いを怖がっているように感じました」

「ふむ?」

 

 この時代の人間というのは人の死が近いため、強い相手に卑屈になったり、死生観がとても希薄であったりする。

 空海が見る限り、馬岱は強い相手にあまり媚びることもなく――何かを要求するときや相手の要求を拒否する時は除く――人を殺すことに関しても、馬騰や馬超の働きを誇っているように見える場面が多々あった。

 自分の手に掛けることに忌避感でもあるのかと思ったが、とうの昔に済ませたはずの初陣の後にも、変わった様子があったとは聞いていない。

 

「聞かなくてはわからないことかもしれないな」

「既に私や孟起から尋ねてみたのですが、かなり言いづらいことらしく……」

「じゃあ、俺が聞いてみよう」

「よろしいのですか?」

「場合によっては、お前達に理由も話さず、かばうことになるかもしれない。まぁ、なるようになるだろう」

「……承知しました」

 

 周瑜も納得したのか、静かに頷いた。

 空海は不安そうにしている馬岱に声を掛け、二人だけで話をしてみることにした。

 

 

 

「さて、たんぽぽ」

 

 馬岱がびくりと身体をこわばらせる。悪いことをしたのだと、思っているようだった。

 

「まず最初に聞いておく。お前が戦えなかった理由と、鍛錬から手を抜く理由は同じ……あるいは似たようなものか?」

「……うん」

 

 馬岱は少しだけ考えて、首をこくりと縦に振る。

 

「その理由は『なにがあっても絶対に』寿成や孟起に話すことが出来ないものか?」

「そんなことない!……です」

 

 空海は少し考える。

 

「言わない理由は『それを言ってしまうと、何らかの理由でたんぽぽが困る』からか?」

 

 馬岱は今度は声を出さず、顔を赤くしながら首を縦に振る。

 

「何故赤く……もしかして『それを言ってしまうと恥ずかしいから』か?」

 

 さらに顔を赤くしてかろうじて頷いた馬岱を見て、空海はよくわからない脱力感に襲われた。馬家の連中は何故こうも純情派が多いのだろうか。

 空海は顔を伏せがちな馬岱の肩に手を置き、目をしっかりと見つめて話しかける。

 

「わかった。俺はお前の理由を馬鹿にしないし、お前が言わない限り他の連中には言わないし、この件に関してお前が困ることはなるべくしないし、問題の解決のために助力してやるから。理由を話してみろ」

「う……」

 

 空海に見つめられ、馬岱は気まずげに目をそらす。

 二人の間に長い沈黙が降りた。

 

「……ホントに言わない?」

「うん。真名に誓おう」

「ホントだよ!?」

「ああ」

 

 馬岱は何度も逡巡し、何度も空海の意志を確認して、やっと口を開く。

 

「下着が見えちゃうから恥ずかしいんだもん……」

「なん…だと…?」

 

 乙女チックな馬家の一員だからと覚悟していた分よりさらに女の子らしい理由であったために思わず言葉を失う。

 

 ――というか下着が見えると恥ずかしいって武人にあるまじき……ああ、江陵の影響を受けているのか。あるいは俺や漢升が言っていたのを覚えているのか?

 

 馬岱は赤くなってうつむいたままだ。

 

「あー……その、下着が見えないような服は買わなかったのか?」

「だって叔母様たちたんぽぽの意見なんか聞いてくれないもん!!」

「お、おう」

 

 爆発するように顔を上げ迫る馬岱の勢いに押される。

 

「それにこんなこと言ったら叔母様やお姉様にたんぽぽ絶対怒られちゃうよ!」

「ありそうだなー」

 

 聞けば、着せ替え人形にされた上に意見は通らず、小遣いも少なくて自分では買えず、鍛錬を逃げているからと少ない小遣いすらなくなっているらしい。

 話しているうちに涙さえ流し始めた。

 

「わかった。うん。わかったから泣くな。理由もわかったし、助けてやる」

「ひっく……ホント? ……ヒック」

「うん。とりあえず、新しい服を見に行こう。俺が買ってやる。鍛錬や実戦に使える服に限ってなら、いくらでも買って良い」

「ぐすん……それだけ?」

 

 何やら嘘泣きっぽい雰囲気が漂い出す。これも馬岱なりの照れ隠しなのかもしれない。

 

「可哀想なたんぽぽに好きな服をいくらでも買ってあげるって言ってくれたら、すっごく格好良いと思うよ?」

「そういうことを思うたんぽぽは可哀想だと思わないからなー」

「ぐす……空海様のケチ」

「鍛錬が出来るようになれば、寿成たちがご褒美に買ってくれるだろ?」

「えー。空海様が買ってよね! グスッ……可愛いたんぽぽがお願いしてるんだよ?」

「お願いはしてないだろ……」

 

 先ほどまで泣いていた馬岱は、今はもう半泣きで、そして半分は笑っている。

 

「じゃあ、こうしよう。今日は鍛錬用と実戦用だけ買い、その服ですぐにもう1件の河賊退治に出てもらう。上手く終わらせられたらご褒美にいくらか買ってやろう」

「うーん……まあそれでいっか! 約束だよ!」

 

 あっという間に涙を引っ込めた馬岱を見て、空海は苦笑いを浮かべた。

 

「うん。これも真名に誓おうか?」

「あー! 真名を安売りしちゃダメなんだよっ?」

「一人称に真名を使ってるものの発言ではないな……」

「たんぽぽのことはいいの!」

「はいはい」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 秘密基地の温泉を潰し、甘寧ら河賊によって運び込まれていたものを検分し、家財道具を潰し、最後に基地そのものを潰して作業を終える。

 丘の上で待つ二人の元に戻り、一息吐く。

 

「悪いね、付き合わせてしまって」

「お気になさらないでください、空海様。これもお役目ですわ」

「左様。それに、いくら冥琳達が掃討した直後とはいえ、賊が現れぬとも限りませぬ」

 

 空海は今、黄忠と黄蓋を連れて、先日河賊討伐を行ったばかりの土地へと来ていた。

 もちろん秘密基地を潰すためである。場所がバレてしまった秘密基地など秘密と呼ぶ価値すらないのである。

 

 空海は最後にこの場所から見る景色を目に焼き付けておこうと視線を巡らせ、すぐに顔をしかめた。

 

「……公覆は先見の明があるね」

 

 あるいはフラグ建築士か。

 

「……もしや、賊ですか?」

「うん」

「えっ?」「どこじゃ?」

「アレだよ」

 

 そういって空海が指した先は、蛇行する川の真ん中付近。大型ジャンク船を、1隻の大きなガレー船が追いかけている。

 周辺に目を向けていた黄忠と黄蓋は揃ってそちらを向き、反応したのは黄忠だった。

 

「あれは……!」

 

 弓の名手である黄忠は目も良い。黄蓋も名人と言えるが、そこは野生で鍛えた黄忠には一歩及んでいなかった。

 

「後ろの船の船員は、太刀を持っているようです」

「……よく見えん。何人かが船首に集まっているのはわかるんじゃが、既に武器を抜いているということか?」

「はい。おそらくは」

 

 黄蓋の顔が引き締まる。

 

「急がねば。乗り移られてからでは手を出しづらくなる」

「そうだね。今は横風になってるから引き離しているけど、流れに沿えば1刻(15分)もせずに手漕ぎ船の方が早足になりそうだ」

 

 見下ろす先にある大河は、船の向かう先で大きく蛇行している。追い風になれば帆船の逃げ足が鈍ることは間違いない。船が速くなるほど相対的に風が弱くなるからだ。

 

「少し早足で行けば、ちょうど先行してる船の横に付けそうだね」

 

 空海たちが乗ってきた船は、ちょうど大きく蛇行しているその場所に停めてあった。

 今いる丘からは直線距離で1㎞程度。少々道が悪いとはいえ、大半は膝下程度の草が生えているだけ。空海たちの足ならば早足で10分も掛からない。

 

 

 

 船の周りに居る乗員を拾い帆を張った頃には、逃げていた船が目の前を横切っていた。

 

「まずは先行する船の横に付けて隅に寄せさせよ。船の位置を入れ替えたらワシらで賊を迎え撃つぞ」

「俺と公覆と漢升で行こう。一度横に付けて、俺たちが乗り移ったらすぐに離れろ」

「空海様、いけません!」「おやめくだされ、空海様!」

 

「……あの船な」

 

 空海の視線の先にあったのは先行していた船だ。空海の雰囲気に押され、黄忠と黄蓋は息を飲んだ。

 

「子供が乗っていた」

「っ!」「!!」

 

 船の甲板では、武器とも呼べないだろう木ぎれなどを持った大人たちが、震えながらも気丈にこちらを睨み付けている。

 

「兵はあの船に乗せる。船を動かすのに必要な船員だけ連れていく。乗り移るのは俺と公覆と漢升。俺たちが乗り移ったら、俺たちの船はあの船の護衛に回す」

「危険です、空海様」

「どうかご自愛くだされ」

「お前達……」

 

 黄忠と黄蓋の言葉を受けて、空海は言葉を詰まらせる。どちらかと言えば呆れで。

 

「黄漢升と黄公覆が揃っているのに、あんな50人程度の賊相手に危険などあるか」

 

 呂布や関羽が賊をやっているわけではないんだから、と心の中だけで続ける。

 二人は一瞬だけ呆けてその後顔を見合わせ、黄蓋は苦笑を浮かべ、黄忠は赤面した。

 黄両将軍がいれば護衛を任せるのに何の心配も要らない、と聞こえたのだ。

 

「それもそうですな」「……お、お任せくださいっ」

「じゃあ、そういう感じで手配して、賊の船に乗り込めー」

 

 周りで聞いていた兵士は、たった二人の護衛で軽々と死地に飛び込める江陵の主に、畏怖に似た感情で顔を引きつらせていた。

 

 

 

「頭ァ! こっちに来ますぜ!」

「戦闘用意! 敵は少ねぇ、まだ打つなよ!」

『応!』

 

 江陵の紋が入った船は、舳先をぶつけてすぐに離れていく。

 

 大きく揺れ軋む船の上を一瞬で移動した『三人』が賊船の甲板上に立っていた。

 一人は青い羽織姿の小柄な男。男の両脇に控える二人は大変な美少女だ。

 

「ヘイヘーイ……女だ、悪かねえぜ」

「ブッヒィイイイイ! 極上の獲物があっちから飛び込んできやがったな!」

 

 頭目の男の言葉に、賊の間から下卑(ブヒ)た笑いが上がる。

 三人のうち、先頭に立った小柄な男が口を開いた。

 

「獲物か。天敵の間違いだと思うが」

「どこに目を付けてやがんだチビが。こっちは50人も仲間がいるんだぜ? たった3人で何が出来る!」

「ふん」「……」

 

 黄蓋は見下すように鼻を鳴らし、黄忠は既に戦意をにじませている。

 二人の放つ強者の空気に賊たちから笑いが消えた。

 対して空海は、ただ一人ニヤリと笑って賊を見回す。

 

「50対3? そっちこそ、どこに目を付けてる」

 

 空海はニヤニヤと笑ったままだ。

 

「ここに居る二人は一騎当千」

 

 護衛の二人を指す。そして軽く指を振って一方的な(・・・・)戦いの火蓋を切った。

 

「――50対2000だ。悲鳴を上げろ」

 

 

 空海の言葉通り、賊たちの絶叫が船を覆った。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「孟起が沈んでるのは、最も手強かっただろう相手をたんぽぽに取られたからか」

「左様です」

「すっごく素早くてぴょんぴょん跳ね回って大変だったんだよ!」

「で、たんぽぽが捕まえて来た、小さくて素早くて黒光りしているというのがそれか」

「左様です」

「黒光りじゃなくて、黒髪だよ?」

「孟起が捕まえた蒋欽(しょうきん)という者が賊の頭なのだろう? そっちに転がってる蓑虫状の物体」

「左様です」

「たんぽぽもあっちの方が良かったのにー」

 

 空海たちが秘密基地の探索と破壊に向かっている間、周瑜たち討伐組は長江下流側の河賊退治へと向かっていた。

 討伐は無事に終わり、馬超は賊の頭目を、馬岱は賊で一番強かったという少女をそれぞれ捕縛し、重傷者もなく全員無事に帰還したということで周瑜も表情が柔らかい。

 

「じゃあ、わざわざ生かして連れてきたその賊二人は、先の甘寧と同様に手配して」

「お待ちください」

「ん?」

 

 空海の指示を周瑜が遮り、馬岱の横に転がされている少女を指す。

 

「こちらの者は、小柄で素早くとても身軽です。他の者とは別に、江陵の目として教育することも視野に入れるべきです」

「なるほど」

 

 NINJAにするのか。

 

「では左慈と于吉にそちらの教育も行うよう言っておけ。公瑾も参加するか?」

「はい。私としてもこういった経験は貴重です。是非参加させていただきたく」

「うん。それじゃ、その方向でよろしく」

 

 空海は、空気を読んで黙っていた馬岱を褒め、気になっていたことを尋ねる。

 

「ところで、その……蒋欽だっけ? なんでそんな状態になってるの?」

「はっ……えー、なんと言いますか。蒋欽はいかにも賊らしく、非常に口が悪く」

「お姉様かわいそー。クスクス」

 

 空海は一瞬だけ想像を働かせ、すぐにその光景が思い浮かんで苦笑した。

 

「あー。孟起が何か言われて真っ赤になりながらぼっこぼこにしたのか」

「左様です」

「顔とか刺してたよー」

「よくわかった。だから包帯だらけなのか」

 

 蒋欽は包帯と縄のコントラストも鮮やかな蓑虫状態で虫の息なのだ。自業自得とはいえかなり惨い絵面と言える。

 

「……もしかして、公瑾がその娘の教育に参加するっていうのも」

「お任せください。必ずや矯正させてみせます」

「そ、そうか」

 

 周瑜を送り出し、蒋欽と少女を運び出し、馬超を慰めて馬岱を褒めて連れ出し、馬騰と一緒に買い物に繰り出し、頑張った馬岱を何度も褒めていたら馬騰と馬超から妙な雰囲気がにじみ出し、空海は早々に逃げ出した。もちろん馬岱は泣き出した。

 

 

 

 空海が馬岱を裏切った翌日。

 

「たんぽぽが鍛錬に付き合えるようになったからと言って、アレはないんじゃないか?」

 

 空海の視線の先には、槍にしがみついて生まれたてのトムソンガゼルのように膝をふるわせている馬岱がいた。

 

「激流を制するは雰囲気――」

 

 その声は病人のように定まらず、その目は人生を50年ほど先取りしているかのように遠くの何かを見つめている。

 

「むごい」

「……すまん」「ご、ごめん」

 

 馬岱がいつもの調子を取り戻すのには、丸1日かかった。

 

 

 

 

 馬家の面々が西涼に旅立ってからしばらく。

 

 左慈は甘寧という生意気な兵士の参加に実に生き生きとした日々を過ごし、貂蝉は蒋欽というイケメンの教育係として肌をツヤツヤさせる日々を過ごした。

 于吉と周瑜もまた、諜報員の育成というやりがいのある(・・・・・・・)仕事に熱心に取り組んでいるようだ。時々様子を見に来るよう頼まれその通りにすれば、会うたびに確実におしとやかになっていく少女に、空海は恐怖を覚えた。

 

 

 数ヶ月後、蒋欽と甘寧が共謀し、隙を突いて江陵から逃亡。冬の長江を1㎞近く泳いで逃げたと聞いた空海の脳裏にアルカトラズという名前がよぎった。

 

 逃げ出せなかった少女の教育には、左慈、于吉、周瑜に加えて司馬徽、黄忠までが参加し始めた。とんでもないNINJAを作る事になってしまったのかもしれない。

 最近は会うたびに涙を流して喜ぶ少女に同情し始めた空海である。

 

 

 なお、江陵を逃げ出した甘寧は、南陽の袁さんとこに就職したらしい。




「甘寧逃亡も一番乗り!」

油断をすると会話に逃げたくなるのは、きっと二次創作作者共通の悩み。

『俺の名を言ってみろォ~!』
甘寧の史実のエピソードから。名前を知らなかった人間をぼこぼこにしたらしい。
そりゃあもう、こうするしかないだろう? ということで、こうなりました。

次回は閑話を挟んで原作時期へ。


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閑話 バトーさんじゅうななさい

■プラモデラー空海

 

「ようこそいらっしゃいやした。今日は何の御用でしょう、空海様」

「うん。折り入って相談があってね。職人長と工房長に会いに来たんだ」

「承知しやした。中でお話に?」

「そうだね。そうしようか」

「ではこちらへ」

 

 空海が今日訪れているのは戦略ゲームなどの駒を作っている工房だ。

 ここでは金持ち向けの彫刻や、各種遊戯の駒を作っている。

 

「お待たせいたしやした」

「うん。今日は特殊注文じゃなくてね。半分は商売の提案なんだ」

「半分ですか? もう半分は」

「提案が上手く行くかを試すための注文」

「……なるほど。うかがいやす」

 

 水鏡女学院に入っている遊戯板などは、ほとんどがワンオフのオーダーメイド品だ。一般に広く出回って欲しいものではない場合、その製造を制限する契約で注文を行う。

 この工房の客層では半分くらいがそういった特殊な注文で、残りがある程度決まった型から作る量産型だ。

 

「まずはこれを見て欲しい」

「人形ですかい?」

「うん。職人長も」

「へい」

 

 取り出したのはいわゆるアクションフィギュアというものだ。

 と言っても精々腰や首が回るとか肩が回るとかいうだけなのだが。

 

「へぇ……」

「これが何か?」

「うん。これ、作りが良ければ各部を動かしたり位置を変えた状態で止められたりー」

「こりゃすげぇ」

「確かに……しかしそれで?」

「つまり、動きを表現出来る。例えば獅子に斬りかかる兵士と猫に餌をやる兵士を同じ人形で使い分けられる」

「はぁ……?」

「子供たちが布の人形で遊ぶ時、多くは人形に動きを持たせている。『こんにちは』ってお辞儀をさせたりな」

 

 説明していくうちに工房長にも徐々に理解の色が生まれてくる。

 

「今まで布の人形しか選択肢がなかった部分に食い込める可能性がある。それどころか、硬質の材料を使うことで表現の幅が広がる……具体的には今まで少なかった男の子向けの人形として喜ばれる……かもしれない」

「なるほど」

「いいじゃねぇか、作ってみようぜ!」

 

 工房長が理解を示し、職人長が賛成したことでとりあえず先行する注文を出すことになる。

 

「まずは1万銭で作れるだけ作ってみてくれ」

「どんなものを作りゃよろしいんでしょう?」

「そうだな。子供の男女、大人の男女、兵士姿、動物あたりかな」

 

 需要が考えられる何種類かを提案する。もちろん、その先にある本当に作って欲しい物の布石も行う。

 

「……兵士、動物っと。わかりやした。早速手配いたしやす」

「うん。再来月頃にまた様子を見に来ようと思うけど、大丈夫か?」

「そうですね……職人長?」

「へい。問題ありやせん」

「では、そのように」

「うん。任せる」

 

 ――これで赤壁のジオラマを作るんだ……。

 

 空海は密かに決意していた。

 

 

 

 

 

■二大軍師

 

「朱里」

「はい! 私は諸葛(しょかつ)(りょう)孔明(こうめい)と名乗ることにいたしました」

「ほー。……孔明かー」

 

 空海は内心の驚愕を隠して何とか頷く。神スペックで思考を加速していなければ確実に吹き出していただろう。(あざな)に罪はない、と自らに言い聞かせる。

 

「うん。良い字だと思うぞ。よろしくね、孔明」

「ありがとうございましゅ!」

「うん。シメくらいは綺麗に決めて欲しかったな」

「そうですね」

「はわわっ! す、すみましぇん!」「あわわ……」

 

 ――先日、朱里と雛里の二人は水鏡女学院を無事に卒業した。

 

 無事という言葉は果たして正しいのか、空海は悩む。まだ学院創立から10年ほどしか経っていないというのに、これから数世紀は破られないような好成績を残すことを無事と言うのなら、紛れもなく無事なのだが。

 そして一人前と認められた証として、今日ついに字を考えてきたとのことで、今は孔明の字を本人の口から聞いたところだ。

 

 次の獲物は、紫色の帽子を目深にかぶった小娘。

 

「次は雛里ですよ」

「あわわっ! 鳳、統、士元です!」

 

 慌てすぎである。空海は内心の驚愕と苦笑を、わざとらしい絶叫への燃料にした。

 

「キェェェェェェアァァァァァァ帽子がシャァベッタァァァァァァァ!!」

「あわわ!?」「はわわ!?」

「徳操ー! 帽子が! 帽子が喋ってるー!!」

「あわっ違っ! 違いますー!」

「徳操助けて! 喋る帽子が追いかけてきたァァァァァァァ!!」

「待ってくださいー!」

 

 その様子を見て司馬徽はため息を吐く。

 

「はぁ……帽子を取れば良いのですよ」

 

 すれ違いざまに雛里の帽子をひょいっと取り上げる。

 

 ――流石に徳操は意図に気がついてくれたかな?

 

「あっ! 水鏡先生(しぇんしぇい)……」

「おお、徳操ありがと! 助かったー」

 

 大げさに汗をぬぐう仕草をしながら帽子を持つ司馬徽に近寄り帽子に(・・・)話しかける。

 

「鳳士元、もう人を食べちゃダメだぞ。……大丈夫だったか雛里? 鳳士元に食べられかけていたようだが」

「違うんですー!」

「どうした? 怪我でもあったのか?」

「ちがっ、そうじゃなくて、私が鳳士元なんです!」

 

 空海はニヤリと笑う。

 江陵には賢いのに純粋な子が多い。空海はそれをとても好ましく感じている。

 

「うん、わかってた」

 

「……え?」

「顔を隠さなくても自己紹介は出来るじゃないか。俺は、俺の前で名乗ったお前の顔が見たいんだ。お前がどんな帽子をかぶっているかを知りたいわけではない」

「え? あの、その」

 

 空海に撫でられて真っ赤になりながら雛里は大いに混乱する。

 一番慣れている男性とはいえ、男の人とこんなに無防備に向き合うことは滅多にない。雛里は誰かに何かを助けてもらおうと周囲を見回し、いつの間にか隣に来ていた親友からの視線に気がつき――ようやく、自身が深い後悔にさいなまれていることを自覚した。

 

「……ほら、雛里ちゃん」

「あ……。うん! 私――ごめんなさいっ、空海様!」

「よし許す! ただし。もう一度ちゃんと名乗れ、雛里」

「はい! 私は鳳、統、士元です! よろしくお願いします、空海様!」

「うん。良い字だな。よろしく、士元(・・)

 

 鳳統と空海が向かい合って優しく微笑み合う姿に、横で見ていた司馬徽も孔明も温かい気持ちに包まれる。

 

「良く出来ましたね」

「雛里ちゃん、お疲れ様」

「あわわ、す、水鏡先生……朱里ちゃん」

「ほら、貴女の帽子ですよ。どうすればいいのかは、わかりますね?」

「はい! 先生、空海様、申し訳ありませんでした」

 

 鳳統は帽子を受け取ると、それを胸に抱き(・・・・)司馬徽に対し深く頭を下げた。

 

「この経験を次に活かしなさい」

「はい!」

 

 そして未来の二大軍師が見つめ合い、柔らかく微笑み合う。

 

「朱里ちゃん、ありがとう」

「ううん。――雛里ちゃん、よかったね」

「うん! 朱里ちゃんも、おめでとう」

 

 二人を見守っていた空海だが、一つ頷くと威厳を持って告げる。

 

「では、お前たちに言っておくことがある」

「「はい!」」

「もうクッキー様はやめろ」

「既に対策済みです!」「もう大丈夫です!」

 

 空海は鷹揚に頷き、爆弾を投下した。

 

元直(げんちょく)のことをクッキーちゃんと呼ぶのもやめろよ?」

「あわわ!?」「はわわ!?」

 

 何故バレたのかと噛みまくる二人を冷ややかに見下ろす。

 元直とは徐庶(じょしょ)元直のことだ。

 孔明と鳳統の学友だが、こちらは親が江陵に住んでおり、卒業と同時に元直の字を贈られている。空海への挨拶も早くに済ませているため、今日は自らに遅れて挨拶を行う友人二人のためにクッキーを焼いている。

 

「確かに元直の作るクッキーは美味しいけれども」

 

 ――徐庶は空海の唯一の弟子だ。お菓子作りの。

 

 徐庶は、空海が水鏡女学院に顔を出すたびに、独自に工夫を加えた、しかしあと一歩足りないクッキーを親切心から贈ってくるという、よく気の回ると同時に空海にとっては扱いに困る娘だった。

 そこで、どうせ贈ってくれるなら美味しいものが良い、という空海の思惑からクッキーの作り方についてただ一人空海から直接教えを受け、結果、クッキー作りに関して江陵で右に出る者はいないという二代目クッキー様が出来上がってしまった。

 その彼女の水鏡女学院での愛称が『クッキーちゃん』である。内気な彼女が身内にのみお菓子作りを伝えていることから『クッキーの伝道師』とも呼ばれる。

 

「お前たちの間ではクッキーちゃんと呼んでいるんだよな?」

「あわわわ、どどど、どうしよう朱里ちゃん」「はわわわわ」

 

 どう切り抜けるのかと噛みまくる二人を冷ややかに見下ろす。

 

「よしわかった。呼び名を改めるまで、お前たちを『はわわ軍師』及び『あわわ軍師』と呼ぶことにしよう」

「はわー!?」「やめてくださいー!」

 

 それでも徐庶の持って来たクッキーにはかじりつく二人である。

 

 

 

「二人の字にずいぶんと驚かれていたようですが?」

「うん。朱里が孔明を名乗るとは思ってなかった。欲を言えば、もっと『今です!』って感じに期待したいんだけど……あの子は『はわわ』だからなぁ」

「……はわわです?」

「――徳操、やめるんだ。本人を前に吹き出したら困る」

 

 これ以降、なにかと「イマデス!」を連呼する少女が江陵で目撃されるようになる。

 連呼するようになった理由は知られていない。

 

 

「あ、士元も良い字だと思ってるからね」

「もちろんです」

 

 

 

 

 

■絡繰空海

 

「だから、鎧の内側はある程度手を抜いてもいいんだよ。見習いとかに仕事を出すとかして職人の労力は目に見える所につぎ込むんだ」

「しかしそれでは鎧を脱いだ――」

 

「武器は一体型は無理かな?」

「こんなちーせー弓を木で作ったら子供でも折っちまうよ」

「思い切って鍛冶屋に発注――」

 

「あー、なら安い方は一体型にしてしまおう。鎧を着るんじゃなくてそもそも身体そのものが鎧を着た状態って感じで作るの。武器は別」

「それでは作業工程――」

 

「鍛冶屋と服屋にも染色を試してもらいたいな。あと小物の製作も」

「ならばこちらのツテで――」

 

「市場の感触を確かめるために、仕様を固めたらいくらか先行して作って、第二層以上に新しく引っ越してきた人間に記念品として配ってみようと思う。この辺を各千体作るとしたら、いくらになる?」

「千体!? しょ、少々お待ちくだせぇ」

 

「うーん。1500万銭は少し高いな。もう少し価格を落とせないか検討しておいてよ」

「承知しやした!」

「制作期間は……そうだね、受注から1年程度で。今のままだと厳しいだろうけど、その辺も考えておくようにね」

「わかりやした。出来るだけのことはしておきやす」

「よろしくね」

 

 

 

 

 

■第一回大酒飲み大会(最終回)

 

「人口300万人突破記念祭、第一回江陵大酒飲み大会どんぶり杯。いよいよ開始の時間が近づいて参りました。実況は私陳琳(ちんりん)が。解説席には江陵の主、空海様をお招きしています。空海様、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 

 大通りの端の方に作られた特設ステージ上で今、密かに緊張感が高まっていた。

 

「さて、どんぶり杯では、一次予選、二次予選を勝ち上がった8名が決勝で杯を交わすことになります。空海様、早速ですが何故このような方法となったのですか?」

「はい。まず、今回のどんぶり杯には、2000を超える参加希望が寄せられました」

「なんと! 2000ですか!」

 

 実況席の二人はちらちらとカンペを見ながら会話している。わざとらしい会話もこの手のイベントの醍醐味だ。

 

「そのうち書類の選考で落ちたものは100にも満たず、参加者をある程度絞るために一次予選を開催しました」

「一次予選では3升(600ml)の酒を半時(1時間)で飲みきれるかが試されました」

 

 陳琳が手元に置かれた1升のコップを持ち上げてみせる。

 酒を安く提供した酒家の名前が入った限定品だ。珍しい催しの記念として、ほとんど全ての参加者が持ち帰ったらしい。

 

「本番でも用いるかなりキツい酒でしたが、参加者のうち500名以上がこれを通過してしまいました。予想外でしたね」

「私も事前に試飲しましたが、これが辛いのです。1升で音を上げてしまいました」

 

 酒の宣伝を挟む。試飲も提供されていたため、会場にはほろ酔いの観客もいる。

 

「そこで、この大会は予想よりも参加者の質が高いのではないか、と判断し、当初考えていた『大勢でたくさんのお酒を消費する』という大会の方針を変えることにしたのです」

 

 元々は、適当にエントリーして適当に飲み、特に多く飲めた参加者に記念品を渡す程度のものを想定して準備していた。

 

「それが今回の8人の決勝進出者、彼らを生み出した二次予選へと繋がるのですね?」

「その通りです。二次予選では1斗(2リットル)の酒をいかに早く飲みきるかを競い、その上位8名が決勝へと駒を進めました」

 

 ちなみに内訳は江陵系女子が3人、江陵在住の男性が3人、旅人の男性が1人、偏将軍が1人である。

 

「この二次予選、なんと100名以上が1斗を飲みきったそうです」

「上位は特に早かったですね」

「1位と2位の通過時間は、驚くことに半刻(7分)を切っています!」

「8位ですら1刻(14分半)ほどですから、接戦だったと言えるのではないでしょうか」

「空海様の仰る通り、参加者の質の高さがうかがえます」

 

 20分を切るような猛者はこの8人だけだった。実力が特に抜きん出ていたため、この8人を決勝進出者としたのだ。

 

「さて、決勝では半時(1時間)でどれだけの酒が飲めるかが競われます」

「一杯2升半(500ml)のどんぶりで渡される酒を何杯飲めるか、という戦いですね」

「このどんぶりが、『どんぶり杯』の由来ともなっています。……これは大きいですね」

 

 どんぶりを手に持って掲げる陳琳。どんぶりとしてはほどほどだが、酒の器と考えればとんでもない大きさである。

 

「ははは。しかし決勝に集う選手達にとってはそれほどでもないのでしょう」

「なるほど。仰る通りですね、ではその期待の選手紹介に移りましょう」

 

 

「まずはいきなり優勝候補筆頭、江陵武官の最高位、黄将軍です!」

「公覆選手は二次予選を1位で通過していますが、二次予選の審査員によると『酒が消えたように見えた』そうですよ」

「なんと黄将軍、あまりに早く1斗を飲みきってしまったため、確認のためもう1斗飲んでいます。2度目の1斗を飲むのに掛かった時間が予選1位の通過時間となっています」

「その場で2斗(4リットル)飲んだことになりますね」

「この大会のために昨晩から禁酒をしているそうで、今も手が震えて……え? 昨晩?」

「諦めてください」

「……。では次の選手です!」

 

 

「西涼馬家は酒でも強い! この日のためにはるばる西涼からやってきました! 予選第2位の馬家当代当主! 馬将軍です!」

「寿成選手は公覆選手ほどお酒に強くありませんが、早飲みには定評があります。制限時間付きという条件であれば有利かもしれません」

「しかし馬将軍、女の私から見ましても可愛らしいと言いますかめかし込んでいると言いますか気合いの入った衣装と言いますか」

「よく似合っていますね」

「あ、真っ赤になりましたね。――え? もしかしてそういう関係?」

「違います。次の選手に行きましょう」

「あ、落ち込んでる」

 

 

 

「絶対に負けられない飲み会が、そこにはある……。第一回江陵大酒飲み大会、どんぶり杯、いよいよ開幕です!」

 

 酒が運び込まれ、どんぶりに注がれ、選手たちの前に並べられていく。

 選手にどんぶりを渡したり、受け取って片付るサポーターとして、酒家から派遣された娘たちがそれぞれの選手の隣に付く。

 開始の合図を任された酒家の娘が、緊張した面持ちで銅鑼の前に立ち、会場から音が消えた。

 

 

「よーい……」

 

 

 

 ジャーンジャーン!

 

「ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴク」

「気持ち悪ッ!!」

「おーっといきなり黄将軍のどんぶり流し飲みだァ! 一つのどんぶりに口を付け、もう一つのどんぶりで上から酒を流し込む! 私は目の前の光景が信じられません!」

「俺も信じたくない! 何あれ気持ち悪っ!」

 

 あまりの暴挙に空海がどん引きし、観客からも変な声と歓声が上がる。

 

「一方、予選第2位の馬将軍! こちらは両手でどんぶりを支える可愛らしい飲み方だが凄い勢いだ!」

「良かった……勢いは凄いけど寿成がマトモで良かった……」

「いやぁ、私も女ですが、馬将軍の飲み方は何やら一生懸命さが見えて保護欲をかき立てられますね」

 

 飲み方を評されるという稀な体験に馬騰の顔に赤みがさす。

 

「お前にはやらんぞ。俺の癒やしだからな」

「あ、目を回した」

「ええっ? しまったっ、寿成、大丈夫!?」

 

 いつもの調子でからかってしまったが、今は酒を飲んでいる。目を回して倒れたということは緊張などが重なって急性アルコール中毒になったという可能性もある。空海は馬騰に駆け寄って抱き起こす。

 いよいよ真っ赤になった馬騰を見て、陳琳はお前がとどめを刺したんだ、という言葉を飲み込んだ。大会を通じて空海の気さくな人柄は理解していたが、その実とんでもない高官なのだ。馬騰と合わせれば、一族が歴史から、故郷が地図から消えかねない。

 陳琳は一瞬でそれらのことを考え――

 

「あちらに控え室があります! 人払いはしておきますので、どうぞごゆっくり!!」

「お前、あとで覚えておけよ」

 

 自らにとどめを刺した。

 

「ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴク……」

 

 

 

 最下位となってしまった馬騰だが、空海にはそれほど悔しそうには見えなかった。来年もまた会う約束をして別れる。

 

 そして優勝はもちろん黄蓋だった。

 

「優勝した黄将軍には審査員長周軍師様より書類仕事1年分が贈られます!」

「ゲェーップ……ほえ?」

 

 

 

 

 

■絡繰太子空海

 

「空海様! この絡繰り制作費1000万銭とはなんですか!?」

「落ち着け公瑾」

「ぐ……理由を、お聞かせ願えますな?」

 

 周瑜は書簡を綺麗にまとめ直して姿勢を正した。何度か深呼吸をするうちに息も整い、目にも理性的な光が宿った。

 

「まずは、作っているのは人形だ」

「は? 人形、ですか?」

「そう。少し凝った人形ではあるが、まぁ子供の玩具にあるあれだ」

「……子供の玩具に、い、1000万銭、ですか?」

「落ち着けと言うに」

 

 日本円に換算すれば少なく見積もっても億単位である。下手をすればビルが建つ。

 

「……失礼しました。どうして、そのようなことを?」

「うん。公瑾は、以前に俺が贈った人形をまだ持っているか?」

「ぇ、あの……はい」

 

 10年近く昔、周瑜がまだ江陵に来たばかりの頃に、当時彼女が強く憧れていた黄蓋をモデルにした人形をプレゼントしたのだ。

 周瑜が少し赤面しているが、空海は気にせずに続ける。

 

「お前を迎えた翌年に、公覆を模した人形を売り出した。その翌々年には漢升を模したものに入れ替えてみている」

「それは覚えております」

 

 当時の女の子たちにとってはそれなりに大事件だったのだ。『お人形』は彼女たちのお小遣いで買える安さではなかったが、親たちの手が届かないほどではなかった。

 

「で、その後の経過を調査しているんだが」

「経過?」

「詳しくは孔明に聞け。資料をまとめさせている」

「……承知しました」

 

 周瑜は資料の確認の必要性を頭の片隅に留め置く。

 

「件の人形の発売を機に、公覆と漢升、それぞれに対して好意を持つ女子の割合が劇的に増加している。兵士を希望する者もな」

「……は?」

 

 告げられた内容が余りに想像とかけ離れていたためか、周瑜は呆けたような表情をしている。頭の回転が速く、普段から凛々しい彼女にしては珍しい表情だ。

 

「し、失礼いたしました。しかし、どうしてそのようなことが?」

「うん。それも調査の資料にあるんだが、おおむね人形に対する思い入れが現実のそれに反映されている、と言っていい傾向を示している」

「そのような……いや、しかし……では祭殿に対して……」

 

 思考に没頭し始めた周瑜に、空海は容赦をしない。

 

「では、江陵の兵士を模した人形を男子向けに用意したらどうなる?」

 

 周瑜は顔を上げ、空海を見て、その向こう(・・・・・)を見て、再び視線を戻した。

 そこに見える表情はいつになく厳しい。

 

「さて公瑾。1000万銭は高かったか?」

「……直ちにもう1000万銭、手配いたしましょう」

「任せる。現状は孔明から説明を受けてね」

「はっ」

「あ、そうだ」

 

 空海はきびすを返して去ろうとする周瑜を止める。

 そろそろ認めないといけないかな、と思ったのだ。

 

「公瑾、お前に俺の真名を許す。まぁ、普段は号の方で呼ぶように」

「はっ……」

 

 跪いた周瑜を見下ろし、空海は静かに告げる。

 

「俺の真名は天来(てんらい)。俺に仕えろ、周公瑾」

 

 

 

 

 

■初号機

 

「これが西から来た馬?」

「兵士の間じゃ赤兎馬って呼ばれてるヤツらだよ。あたしの馬たちもこれ」

 

 馬騰がシルクロードを通って入って来た大型の馬を江陵まで連れてきた。3年ほどかけて集めた300頭らしい。流石に最西端の土地では出回っているものも違いが大きい。

 馬車鉄道に使えるかもしれない、ということで今は駅で貨車と繋いでいる。

 

「どうです、勇ましいでしょう? 余裕のいななきだ。馬力が違いますよ」

 

 西涼からついて来た飼育員のおっちゃんも誇らしげだ。

 

「……あのおっちゃん悪い人じゃねーんだけど、なんでかあたしの馬をキャディって呼ぶんだよな。麒麟だっつってんのに」

「キャディに乗るヴァモーキか……イイネ!」

 

 空海はキャディ(※キャデラックの愛称)と聞いて霊柩車を思い浮かべる。霊柩車を乗り回す馬超(ヴァモーキ)なんて三国無双にも登場しそうで実に空海好みだ。

 

「あたしは馬孟起だ! 下唇を噛むな! んで、キャディじゃなくて麒麟っ!」

「お姉様もツッコミが板に付いてきたよねー」

「……たんぽぽ、午後の鍛錬は覚悟しておけよ」

「えーっ! 横暴だよお姉様!」

 

 そう良いながらも馬岱はからかうのをやめない。周囲の耳目を集め始めたことに気付いた空海が口を出す。

 

「たんぽぽ、諦めて行ってこい。たんぽぽは元気がない時の方が可愛いと思うぞ」

「空海様ひどすぎるよ!」

「あははは。空海様はよくわかってるよなー」

「お姉様まで!?」

 

 

 

 馬騰の待つ第二層の食事処を目指して馬車で移動中、新しく出来た料理について空海が説明していると、馬超が何かに気付いた。

 

「なあ空海様、アレってなんだ?」

「ん? どれだ?」

 

 馬超が指したのは雑貨屋だ。店先に大きな馬の絡繰りが飾られている。

 

「あの黒い馬だよ」

「ああ……あれは絡繰り江陵馬三号だな」

「絡繰り江陵馬三号?」

「絡繰りは人形の一種だ。近くで見ればわかる。三号というのは大きさだな」

 

 一号で等身大、二号で縦横奥行きが各半分、四号で更に半分といった具合だ。

 馬車を止めて雑貨屋に立ち寄る。

 

「あー。木彫りなのかこれ」

「うん。足とかが多少動かせるようになってるから、例えば走ってるかのように格好をとらせることも出来る――こんな風に」

「おおっ! すげぇ!」

 

 左右の後ろ足を伸ばしきり、前足の片側をピンと伸ばした姿勢を取らせる。今にも走り出しそうな躍動感は、細部までこだわった作り手の技量によるところが大きいだろう。

 

「こっちの大きいのが三号、そっちでたんぽぽが見てるのが六号。七号以下の小さなものは全部木彫りの人形で、絡繰りがあるのは一号から六号まで。六号は絡繰りのと木彫りのがある」

「へぇ。白いのと黒いのしかないのか?」

「あ、お姉様こっちに栗毛のとか月毛のもあったよ!」

 

 一人で奥に進んでいた馬岱が声を上げる。栗毛は木の色を少し暗くしたようなもので、月毛は明るい木の色を更に明るくしたような毛色だ。

 

「江陵馬っていうのは、涼州馬からさらに選別した青毛や白毛の馬なんだ。それは普通の涼州馬だな」

 

 青毛は黒、白毛は白い毛色を指す。どちらも希少だが、江陵のように馬を大量に扱っていれば年に十数匹は手に入る。

 

「へぇ。――って涼州馬に江陵って名前付けてんのか?」

「毎年、涼州から仕入れている馬の半数くらいを民に卸しているんだが、体格や毛並みの良い青毛や白毛の馬は、特別に江陵馬と名を付けて高値で売ってるんだ」

 

 荊州刺史が洛陽に向かう際に幹部たちの馬車を引かせていたことや、その後に皇帝へと献上されたことで人気に火が付き、今や漢の北の外れである幽州からも買い手が訪れるという超人気ブランドとなっている。

 

「うーん。なんか納得いかないような……」

「馬家が仕入れている漬け物だって民に売ってるだろ? 特に良い物に馬家お墨付きって書いて売ればいいんだよ。その程度のことだし、そんなことは止めたりしない」

「あー。なるほどなー。そう考えると別に大したことじゃない気がしてきた」

 

 1頭2万銭で仕入れている涼州馬を100万銭超で売っていると聞いたら考えを改めるかもしれないが。言わなくても良いことは言わずにいる空海である。

 

「お姉様って単純だよねー」

「……たんぽぽ、自滅したか」

「あ。」

 

 馬岱が恐る恐る振り返ると、そこには蒲公英(えさ)を目の前にした草食系女子が笑顔を浮かべて立っていた。

 

「鍛錬三倍――な?」

「ひいぃっ!」

 

 

 

「しくしくしくしく……」

 

「買ってやろうか?」

「え?」

 

 突然声をかけられた馬超は驚いて振り返る。絡繰り江陵馬に夢中になっていて近づいてきた空海に気がつかなかった。

 

「その馬。欲しいんだろ?」

「うっ。い……いいのか?」

 

 確かに興味はあった。あったが、1つで小遣い4ヶ月分なのだ。馬超の手持ちのお金では足りない。

 

「いいよ。欲しいんだよな?」

「ほ、欲しい……です」

 

 馬超の返事を聞いて、空海が店員を呼ぶ。

 いくつかをまとめて購入し、大きいものは馬車に運び込んでおくように伝えたところで馬超の様子に気がついた。

 

「ん? なんだ、そっちの人形も欲しいのか?」

 

 馬超がちらちらと見ていたのは女の子らしい(・・・・・・)布の人形だ。

 そういえば馬家(・・)だったなと空海が思い返す横で馬超が真っ赤になる。

 

「わ、悪いかよ! じゃなくて、あたしは別にっ!」

 

 馬家の気質を知る空海としてはどうやって引き取らせるかが問題だ。

 

「じゃあ、取引しよう」

「こういう女の子っぽいのは――っへ? 取引?」

 

 混乱から立ち直った馬超は今度は呆けた表情に、そして徐々に渋い顔となる。

 取引なんていう言葉はいかにも苦手ですと言わんばかりだ。

 

「そう。お前を模した人形を作る許可をくれ」

「あ、あたしの人形!?」

「うん。どういう人形かは――」

 

 空海はニヤリと笑う。

 

「実際に所持してみなくてはわからないだろ?」

「……あ」

 

 空海の意図に気がついた馬超は再び呆けたような表情に戻って、やがて落ち着きなく人形を見回し始めた。

 

「挨拶代わりの分と取引の分で、そうだな……『ここにある人形全て』で、どうだ?」

「全て……えええっ!? 全部!?」

「うん。代わりにお前を模した人形を好きに作っていいという許可をくれ」

「い……いいのか?」

 

 馬超の様子は先ほど馬を購入した時の焼き増しだ。

 

「それはこちらの台詞だ。取引に応じるか?」

「……うん。よろしく、空海様」

「ああ」

 

 

 

 西涼に帰還する馬超は誰の目から見ても上機嫌だった。

 

 翌年、江陵を訪れた際に馬超(にしき)人形六号と並んで売られる絡繰り錦馬超(きんばちょう)二号を見つけて言葉を失ったことは、本人以外に誰も知らない。




徐庶はこれからも名前以外登場しませんし活躍しません(多分)

没ネタ
「あ。」振り返るとそこには世界一可愛い般若さんじゅうななさいが。「頭冷やそっか」
※この時点で翠は17歳、蒲公英は15歳。原作開始3年前くらい。という本作設定。


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4-1 江陵大要塞

「お前に民が救えるのかッ! このいやしい豚め!」

「はわわ!? 空海様やめてください!」

「あわわっ! 豚さんをいじめちゃダメですー!」

 

 ただの餌やり体験の光景である。

 

 

「ふぅ……堪能した」

「豚さんごめんなさい……空海様を止められませんでした……」

「ええっと、次は公共浴場へ立ち寄ります」

 

 

 

「ええのんか! ここがええのんか!」

「あわわ!?」「あわわわが目にー!」

「参ったな……二人とも泡だらけで区別が付かなくなってしまった……」

 

 ただの入浴の光景である。

 

 

「ふぅ……(気分が)温まった」

「空海様~、雛里ちゃんの髪の毛がまだ乾いてないので待ってくださいー」

「あわわ、しゅみません……」

「じゃあ先に陳留に行って旗揚げしてるから後からちゃんと合流しろよ?」

「はわわ!?」「あわわ!?」

 

 

 

「えっと、次はお店を見て回ります」

「今回は南の茶屋区画です」

 

 孔明と鳳統が先導して歩き出す。

 空海は一瞬考えて立ち止まり、何もない空間に向け、手の平を上に突き出してのんびりと要求(・・)する。

 

「空海散歩用覚え書き帖~」

「ここに!」

「ぉ。幼平、良い仕事だ」

「――はいっ!」

 

 突如現れてメモ帳を差し出すくノ一装束は、周泰(しゅうたい)幼平(ようへい)

 空海と同じくらいの背丈で、地面につきそうな程に長い黒髪を持つ小柄な美少女だ。

 何年か前に河賊をしていたところを捕らえられ、軽めに人格否定したり優しく人格を破壊するような教育を念入りに施された末に生真面目で素直な良い子に生まれ変わった。

 空海を信奉するあまり褒められるたびに涙を流して喜ぶ残念な娘でもある。

 

「仕事中は?」

「泣きません!」

「わ、わぁ……」「み、明命ちゃん……」

 

 一瞬で表情を消し、しかし唇を噛んで血を流しながら涙をこらえる周泰の姿は、軍師二人にとってはかなり引く(・・)光景だ。普段の彼女を知るが故になおさらである。

 

「血は拭いておけ。……戻って良い」

「はい!」

 

 周泰は現れたときと同じように一瞬で姿を消す。軍師二人は目で追うことも出来ない。

 近くに居ることはわかっているため慌てたりはしないが、江陵の将軍たちから直接の指導を受け続ける真正の軍人の身体能力に驚くのも無理はなかった。

 

「はわわ……明命ちゃん凄いです……いろんな意味で」

「う、うん。私あんなこと絶対に出来ない……いろいろな意味で」

「孔明と士元は幼平が絶対に思いつかないようなことを考えられるじゃないか。卑下することはないぞ」

「はわ、空海様」「あわわ、ありがとうございましゅ」

 

「じゃあ、幼平には絶対思いつかないような道順で案内してくれ」

「はわわ!?」

「ご、護衛の観点から薦められません!」

「そうかー。残念だなー」

 

 もちろん普通に案内された。

 

 

 

「あの、空海様。一つ伺いたいのですが」

「なんだ?」

「何故これほど積極的に商店を回られるのでしょうか?」

「水鏡先生もよく見てくるように仰っていましたが……」

 

 空海が散歩をし、情報誌に載せるのは末端の店がほとんどだ。大手の商家からは面談の申し込みも多いが、実際に会うのは重要な要件の時だけだ。

 そのような対応に比べれば、庶民が出入りする店などに積極的に足を運ぶ空海の行動は軍師たちには合理的に思えなかった。

 

「ああ、そうか。お前たちは江陵育ちだからわからないのかもしれないな」

「え?」「江陵育ちだから……?」

「そうだ」

 

 頭の回転が速く、学んだことほぼ全てを暗記している二人なら、どこかで知識と一致しているだろう。気付いていないということはおそらく知らないということだ。

 

「江陵の中と外では商家、商店の扱いが異なる」

「扱いが」「異なる……」

「江陵の外では、商店で値切るのは当然の行為なんだ」

「値切るのが?」

「当然、ですか?」

「何故だと思う?」

 

 面白がって言葉を紡ぐ空海とは対照的に、孔明と鳳統は真剣そのものだ。

 二人はすぐに解答に行き着く。

 

「明らかに高値で置いてあるから、でしょうか」

「(コクコク)」

「その通りだ」

 

 自らの解答に納得していない様子の二人に答え合わせをしていく。江陵の商人を基準に考えているから誤解があるのだと、言い聞かせるように。

 

「一つ。商人が『安い』と言ったら仕入れが安かったのだと思え。売値は高いままだ」

「……」「……」

 

 二人の生徒は真剣に聞いている。学ぶことに真面目な天才は見ていて気持ちが良い。

 

「一つ。商人が『希少』と言ったら売り物にならないものが少ないと思え。商人たちならいくらでも手に入れられる」

「一つ。商人が『今しかない』と言ったら一番高い価格が今だけという意味だ」

「一つ。商人が『買いたい』と言ったら買い叩けると思っているか何かを買わせるための布石だと思え」

 

 そろそろわかったか、と見れば、二人はつらそうな顔をしている。

 

「つまり、江陵の外の商人たちは騙すことばかり考えている、という意味でしょうか?」

「正確には、外の民は、外の商人たちがそう(・・)なのだと思っている」

「それは……」

「……あっ! だから空海様が訪ねられるんですね!」

 

 正解にたどり着いた孔明に笑顔で頷き、まだ真剣に考え込んでいる鳳統の答えを待つ。

 

「江陵の商品はこのくらいの値段なのだと内外に喧伝するため、ですね」

「正解だ。他にもあるぞ」

「……江陵の商人が、その値段を一度で提示している、と理解させるため?」

「それも当たっている。だが、まだある」

「……。空海元帥(・・)が直接訪ねることで権威と信用を持たせるため」

「さらに正解。空海散歩を読んだ人間の行動も視野に入れてみろ」

「江陵の品を探す……あるいは、空海様と同じように、自らの足で歩き比べて信用できるお店を探す、とか」

「空海散歩に書かれた江陵の商品価格を参考に、ですね。そして江陵の小売店が――」

 

 空海の答え合わせを引き継いだ孔明がああだこうだと説明し、鳳統が相づちを打ったり所々で否定したりあることないこと勝手に議論していく。そこまで考えてなかった空海も『色々な効果があったらいいな』くらいには思っていたため否定しない。

 

「あわわ、空海様すごい! 凄いです!」

「で、でも本当に全部効果があるんでしょうか?」

「まぁ最低限このくらいの効果はあって欲しいという期待は超えているから良いんだよ」

「最低限の効果……あっ! わかりました! 水鏡先生が仰っていた『一を投じた策に対して無が返ってくることはない』とはこういうことだったんですね!」

「そっか! それだよ雛里ちゃん! だから水鏡先生は私たちによく見ておくようにって注意してくださったんですね……」

「(コクコク)」

 

 水鏡はそこまで考えていたかもしれないが、空海は考えていなかった。キラキラと目を輝かせる二人の視線が眩しくて思考がそれていく。次号の情報誌に何を書こうかとか。

 前回の茶屋特集の時は美味しい茶葉の紹介が中心だったから今度は二番煎じでも美味しい茶葉を重点的に探すことにして二人に声をかける。

 

「よーし、話はまとまったな。それじゃあ水腹になるまでお茶を飲むぞー」

「はい! お任せください!」

「はわわっ!? 雛里ちゃんそれはダメー!」

 

 孔明は難敵である。

 

 

 

 

 

「やはり司隸の状況は良くない、ですか」

「商人たちの感覚では、ね。公瑾の方からは何かない?」

「最近は北方の河北四州を中心に、治安の悪化が顕著です。それと……」

 

 周瑜は少し言いづらそうに目を伏せる。

 

「西方の益州と荊州南陽で、増税と税収の落ち込みが同時に起こっています」

「ふぅん。どこに集まっているの?」

 

 益州と南陽方面ではここしばらく災害などは起きていない。つまり、どこかの誰かに富が集まっているからこそ、こういう事態が起きている。

 

「益州は劉璋に集まっています。正確に言えば劉璋隷下の官吏たちですが。そして劉璋にはこれを扱う脳がありません。手に入れた富のいくらかについて荊州牧の劉表を通し、さらに江陵を通すことでようやく破綻を免れる程度に民へと還元しております」

「そう。じゃあ西はその方針を続けて(・・・・・・・・)行こう」

 

 江陵からの謀略は周瑜たちに一任しているため、空海も詳しくは知らない。とはいえ、ほとんど関係のないはずの江陵に利が生まれていることからも、何らかの策が取られていることは明らかだろう。周瑜も否定しない。

 

「南陽は?」

「南陽は太守の袁術と、その配下の孫策に集まっている、と思われます。袁術の方は暗愚ですな。正直に言えば関わらない方が得でしょう」

 

 軽く頷いて続きを促す。

 空海としても袁術より孫策に興味があった。あの(・・)周瑜が、孫策を評する場面に立ち会えることは素直に嬉しくも思っている。

 

「孫策はどうなの?」

「……積極的な防諜を行っている様子は見られません。しかし、肝心な情報についてはなかなか尻尾を掴ませず、精査に時間の掛かるいやらしい相手ですな」

 

 ――難敵、という意味かな?

 

「諜報員の質が問題なら幼平を動かしても良いけど?」

 

 周泰幼平は今や江陵の誇る最強のNINJAだ。

 冗談でKATANAを持たせたところ、彼女の身長ほどもあるそれを軽々と振り回したり、草鞋とくノ一っぽい服を与えたら一生脱がないとか宣言したり、とにかくNINJAである。

 

「いえ、それが……大変申し上げにくいことなのですが、手を変え品を変え情報の入手を試みますも、孫策当人が関わると肝心な部分で重要な会合が流れたり、諜報員を捕らえられるなどしており……」

「へー」

「諜報員が捕らえられていることも、明命に『どうして情報が得られないか』をやや遠巻きに見る方法で探らせてようやく判明したことでして」

 

 何度も現場で犠牲が出たために最強のNINJAを動かして確かめたのだ。

 

「どうやって見つけ出してたの?」

「わかりません。潜伏は明命の目から見ても完璧だったそうです。ある時など、孫策が突然何かを気にして部屋の隅を探り出し、結局は潜んでいた者が見つかってしまったとか」

「? 居ることに気がついたっていうより、居ることに気がつかなかったけど居る場所はわかっていたって聞こえるんだけど」

「言いたくはありませんが、私もそう申し上げました」

「なにそれこわい」

 

 周瑜は頭痛を耐えるような仕草で吐露する。空海としては相性の悪さでもあるのかと、気になるところだ。

 

「……情報が漏れている動きでは、ないよね?」

「そうですな。我々としては、これを優れた動物的感覚の持ち主であるとして、直接的な情報収集を避け、極力接触を避けることで一定の安全性を確保しつつ情報収集を行う方法を継続して模索しています」

「そうだね。小勢力ならまだやりやすいか。じゃあそれも任せる」

「はい」

 

 荊州の南部、揚州、河北を経て話が涼州に移ったところで、そう言えば、と前置きして周瑜が告げた。

 

「今年は馬将軍は江陵に来られぬとか」

「ん? やっぱり征西将軍ともなると忙しいのかな」

「それもあってのことでしょうが、体調を崩されておられるらしく、今も長安で療養中だそうです」

「そうなのか。んー、じゃあ孟起たちが帰るときに見舞いの品を持たせよう」

見舞い(・・・)? もしや――」

「うん。こっそりついて行って驚かせようかと思」

「おやめくださいね?」

「はい」

 

 にっこり笑って『はい以外の返事をしたら噛みつくぞ』みたいな雰囲気を出せば何でも譲歩すると思ったら大体正解である。

 

「ああ。さっきの話だけど、商人は司隸を嫌がってるし、折角だから司隸は後回しにして長安の方から先に攻めようか」

 

 攻める、とは江陵商人による経済支配の拡大作戦のことだ。

 大筋では各地の主要都市で流通や販売の占有率を拡大し、江陵の商人を仲介しなくては都市の生産品を売ることも出来ない体制にしてしまおうというもの。

 攻めるにはリスクが大きく利が少ない、未来の日本に倣った存在になろうという江陵の防衛政策の一翼を担っている。

 

京兆尹(けいちょういん)から、ですか。一時的には出費が増えるかと思われますが、よろしいでしょうか」

「うん。寿成が長安に滞在している間にやれるだけやっといて。……別に馬家を利用するような方法を使うのに俺の許可を取る必要はないよ」

「……はっ。申し訳ありません」

「謝ることでもない」

 

 策には冷徹に見える周瑜が、江陵全体の利益よりも空海の『思い入れ』を考慮していることに、空海は笑顔を浮かべる。

 

「ただ、損とは感じさせないようにね。適当に得も与えるように」

「心得ております」

 

 最近の周瑜には悪役笑いがよく似合う。

 

 

 

 

「お? 公覆、3日ぶりだね」

「空海様。会いとうございました」

「うん、俺もだよ、祭。ここのところ忙しそうだけど、何があったの?」

 

 軽口に優しげな声で真名を呼ばれ返されたことで黄蓋は恥ずかしそうに顔を伏せる。

 

「は、はい……。それが――」

 

 

「やっぱり、司隸方面や南陽からの移住者が多いのかー」

「北方の民が司隸を経由して荊州へと入る例も多いようですな」

「うーん。公覆が忙しいのは新兵の調練をしてるからか」

「ワシが面倒を見ているのは第二層より上だけですが、それでもここ半年で1万は増えました故。今月は落ち着きましたが、また来月には忙しくなりそうです。……現場を任せられる士官が少々足りませんな」

 

 江陵の人口はこの2年で70万人以上増加した。

 その前の数年は毎年10万人程度の増加で安定しており、現在はこの間に稼いだ人的資産の余裕を食いつぶしつつある。兵士などはこの2年で12万人から16万人にまで増えているのだ。

 増員の影響の直撃を受けているのは第一層を守る第四軍だ。第四軍、最下層の兵は読み書き計算を習えていくらか給金も出る屯田兵として健康な男子の内2割ほどが就く人気の職業となっている。

 読み書き計算の試験に合格した者は大半がすぐに第二層へと移住するため、第四軍に残るのは読み書きも出来ない新兵が多い。もちろん、それをまとめるための人員も多数配置されているのだが、まとめられる側の新兵がたった2年で5割も増えていてはそれも無理が出てくる。

 

「あんまりやりたくなかったけど、警邏の方から予備兵を引き上げるべきか」

 

 ある程度の訓練を積んだ兵士を積極的に街の警邏隊へと配置転換していたのは、こういう時のためでもある。しかし、人口そのものが増加している状態にあって、警邏隊からベテランを引き抜き過ぎるのも不利益が大きい。

 バランス取りは孔明と周瑜に任せようと、空海は丸投げを決める。

 

「ワシの力不足で……申し訳ございません」

「公覆の力不足で新兵が半年に1万も増えるなら、あと2年は力不足でいいよ?」

 

 実際、大きすぎる江陵に対して、兵数は少しばかり足りていない。正確に言えば、街の防衛に回しているだけで使い切ってしまい、自由に動かせる兵がほぼいないのだ。

 賊退治などのたびに警邏隊などから特別編成の部隊を防衛に当てるなどしているが、人手不足の解消には人手を増やすのが最も効果的であることは疑いようがない。

 新兵の急激な増加は一時的には苦しいものの、長期的には江陵を助けることになる。

 

「はははっ――空海様、からかわないでくだされ」

「それなら、俺が疑わないお前の力を、お前自身が卑下するなよ」

「えっ……あぁ……うぅぅ」

 

 何も知らずにこれを見て、彼女が黄蓋だと気付ける者はいないだろう。

 真っ赤になって悶えている今の姿は、ただの美少女戦士である。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 襄陽で劉表の宗正卿(そうせいきょう)就任記念の祝賀会が開かれている。

 上座の劉表に大勢の参加者が挨拶のため群がる中、何事かを耳打ちされた劉表が席を立ち、広間の入り口へと向かう。

 

『空海元帥様、御出座』

 

 途端に、全ての人間の関心が入り口へと向く。

 元帥は京兆尹から貨幣製造、大司農卿から貨幣管理と塩鉄の専売権を奪って創設された最新の二品官だ。非常設とはいえ劉表の持つ車騎将軍と並ぶ高官であり、大陸においての地位は車騎将軍のそれを上回るとさえ目される。

 江陵周辺県内のみという最も狭い範囲で幕府を開く権限を持ち、独自の税制、刑罰、県内で三品官相当官までの任命権、朝廷から命じられる人事の拒否権、その他強大な権限は一つの朝廷とすら言われるほどだ。

 荊州牧にして車騎将軍の劉表に加え、十常侍、大将軍らが官位の創設に尽力し、権益を奪われるはずの京兆尹や大司農卿、果ては帝までもが名指しで許可を出したことから、賄賂として十億銭単位の金が動いたのは確実と見られている。

 

 両開きの扉が開き、その向こう側が見えてくる。

 現れたのは白の着物に青い羽織をしたチビ――空海と、3人の美少女(・・・)だ。

 

 少女の一人は元帥府付き中将、黄蓋。朝廷からも三品官の江北将軍の地位を与えられている高官だ。二黄(にこう)と呼ばれる江陵最大戦力の一人でもある。

 もう一人も同じく中将、黄忠。黄蓋と同じく三品官の江南将軍の地位にあり、二黄の片割れでもある。

 最後の一人は元帥府付き軍師の周瑜。官位は二黄と同じく三品官だが、江陵の政は実質この周瑜が取り仕切っていると周囲からは見られている。

 

 つまり文化の中心地から来た高級官僚で未婚の美少女3人(とお付きの上官)である。

 

 会場の男たちの背筋はいつの間にか伸び、朗らかに笑ったり目を細めて口を結んだりと各々キメ顔で上下左右のキメ角度を維持しつつ、適切な距離と角度から少女らに接近しようと最適な位置を測り始めた。

 この時代の男は肉食系が多いのである。

 

 

 そんな中、身の丈8尺余り(180㎝以上)もある大男が空海(チビ)の前に立つ。

 

「久しぶりだな」

「お、劉景升、お前また背が伸びたのか?」

「そういう空海はだいぶ縮んだようだな?」

「コイツ返しが上手くなってやがる……!」

 

 10年ほど前には「背のことは言うな」と怒ったり落ち込んだりしていた劉表だが、毎年のように言われていれば流石に耐性が付くし対策を考えつく。

 

「あ、これ、お土産の酒な」

「公良酒キタ! コレで勝つる!」

「あと、車騎将軍就任祝いの時は来なかったから、その分と合わせて俺が選んだ美味しい茶葉と、焼き菓子と、良い感じの茶器一式と、この茶器の製法を記した指南書」

 

 さりげなく出された茶器の製法指南書に、周囲にどよめきが広がる。

 茶器や食器などにしても、江陵産のものは大半が高級品の代名詞なのだ。その製法ともなれば、そのまま皇帝へ献上するだけでも閣僚クラスの地位が望めるだろう。

 

「また茶葉か。前にもらったものを飲んで以来、他の茶葉が美味しくなくて……このままでは江陵以外の茶が飲めなくなってしまうぞ」

「だったら飲めばいいだろ! 江陵のお茶を」

「うむ、まぁそうなんだがな。ああ、すぐに煎れさせよう」

「ははは。俺に合わせなくてもいい。お前は酒が飲みたいんだろ?」

「hai!!」

 

 和やかに話す二人はすぐに人の群れに飲み込まれた。美少女に群がる男の群れに。

 

 

「そういえば、染色技術の流布についてだが」

「この前持って来させたヤツか。もう献上したのか?」

「ああ、だが一色だけ献上を取りやめたので、知らせるつもりでいたのだ」

「ん? そういえばうちの連中も青は俺の色だから使わせるなとか言ってたな」

 

 黄忠や周泰らの主張である。管理者たちも良い表情はしていなかったが、別に反対もしていなかった。ちなみに軍師たちは今の朝廷を見ればむしろ積極的に広めているし、気にしなくて良いという立場を取った。

 

「そうではなく、黒が駄目なのだ」

「黒か。なぜに?」

「朝廷は、劉家は火徳の家なのだ。水を意味する黒の染料を広く流布することは禁じられる可能性がある」

 

 五行相剋に基づく水剋火において水を表す黒や北は、それぞれ火を表す赤や南の徳性を打ち消してしまうという考え方だ。

 海を表すのも水であり、空海が火で表される漢王朝を打倒する、という天の御遣い説の根拠の一つにもなっている。

 

「ああ、五行かー、なるほど。わかった。江陵でも注意させよう」

「うむ。頼んだぞ、空海」

「ということは、広めて良いのは赤と青と黄色だけ?」

「そういうことになるな。赤はめでたい席に使って欲しい。劉家の色だからな」

「あ、この部屋真っ赤なのそのせいなの。俺青いけどいいの?」

「木生火。空海の青は赤の劉家の繁栄を支えてくれるものだと確信している」

 

 木を表す緑は青とされることもある。そして、木は燃えて火を生むことから、青い羽織を纏う空海は今の劉表を生み出した原動力なのであると、劉表自身が感じていた。

 

「ん。劉家は知らないが、劉家を含めたお前たちの繁栄は江陵にとっても利になる」

 

 具体的には周辺文明の進歩による文化水準の向上が見込めるのだ。劉表は、江陵の発明品を名士たちに認めさせたり広めたりしている。上手いこと言って儒学に準拠しているとお墨付きを与えることすらある。

 

「そして江陵の繁栄は我らにとっても利になる。この関係を続けていきたいものだ」

「そうだな。そのためにはまず……」

 

 空海は視線を背後の男の群れに向ける。美少女に群がる男達が主催と主賓に尻を向けていた。

 

「……そうだな。はぁ……。――貴様ら席に戻らんかァ!!!」

 

 蔡瑁の親類として祝賀会に参加した張允曰く「ここ10年で一番怖かった」とか。荊州幹部たちが並んで正座している姿は、何かの儀式を思わせる。

 

 その後の食事会では、男たちの囲みから逃れた黄忠と黄蓋と周瑜が文字通り空海に密着してため、周囲に壮絶な歯ぎしりの音が響いた。

 江陵の女子には肉食系が多いのである。

 

「まぁ俺のことは気にせず飲んでくれ」

「酌をしてくれてもいいんじゃよ?(チラッ」

 

 

「空海様、あーん」「空海様お茶をどうぞ」「空海様こちらの焼き物など絶品ですぞ」

 

 

「しくしくしくしく」

「……すまん、泣くな、劉景升(おおおとこ)

「しくしくしくしく」

「お前が泣いてると、密着されるんだが」

「ギリギリギリギリ」

「だからって歯ぎしりはやめろよ……ますます密着される」

「ギリギリギリギリギリギリギリギリ」『ギリギリギリギリギリギリギリギリ』

「うわぁ増えた……」

 

 なお、会場の半数くらいは女性である。江陵の3人組が必要以上に空海にくっつくのは彼女たちを牽制する意味であることを、空海は知らない。

 

 

 

 

「お前たち、そろそろ許してやれって……」

 

 時と場所は変わり、翌日の荊州運営に関する大会議の場。

 江陵の三人娘はまだ空海にくっついていた。

 他の参加者を代表して劉表が声をかける。

 

「そなたら、真面目な話し合いをしようとしてる横でキャッキャウフフされる奴の気持ち考えたことありますか? マジで死にたくなるんでやめてもらえませんかねぇ……?」

「わかってる。今――ひぃ! 顔色悪過ぎるッ! すいまえんでした!」

「むぅ、残念じゃな」「あらあら、ごめんなさい」「仕方がありませんね」

「え!? 劉景升の肌が年を経た大木みたいな色になってるのは放置!?」

「よーし始めるぞー」

「お前もそれでいいの!?」

 

 

 

「江陵が、南陽の民をさらっている?」

「南陽から逃げ出した民が駆け込んできてるんだよ。襄陽にも入ってるだろうが」

 

 南陽の文官からの訴えに劉表が疑問を示し、空海が呆れたように説明する。

 劉表が頷いて襄陽の文官たちにも視線を向けた。

 

「確かに、襄陽でも流民が増えているな」

「江陵としましては、南陽側が希望するのなら送り返しても良いですし、西陵に送っても構いませんぞ」

「アイツら身一つで江陵に来てるから、こっちがやってる食料やら宿やらの補償だけでも毎月1億銭は消えてるんだぞ」

「江陵に受け入れてからは我らの負担も減りましたが。可能であればこちらが受け持った負担分の費用を請求したい所ですな」

 

 周瑜と空海は、逆に南陽の姿勢を劉表に訴える。いくら江陵に年間50億銭を越える税収があるのだとしても、社会保障費に十数億銭も出して平気というわけではない。

 最も負担の大きかったひと月を例に挙げて現状を伝えていないのは故意なのだが。

 南陽の文官が慌てて声を上げた。

 

「劉将軍! 彼らは南陽の民をさらったことを有耶無耶にするつもりですぞ!」

「少しは考えてものを言わんか。江陵には誘拐などせずとも人が集まっているぞ」

「むしろ最近は集まりすぎて困ってる。出来れば月2万人程度にまで抑えたいんだ。襄陽の方で月1万人ほど引き取ってくれないか?」

「む……無茶を言うな」

 

 襄陽には現在、100万に近い人が住む。都市の規模を考えれば、年に5万も受け入れられれば上等だ。近隣の街を全て合算しても年10万人は不可能だろう。

 月に3万、年間30万人以上を受け入れてなお破綻していない江陵が異常なのだ。

 

「じゃあ民が流出してるという南陽が引き取ってくれるか?」

「くくっ、それは良い案だな」

「こ、困ります。我らは民がさらわれた分、失った税について補填を求めているだけで」

「馬鹿者が!!」

 

 劉表が大声を上げ、南陽の文官はビクリと縮こまった。

 重税と圧政、そして浪費。南陽の実情を知る荊州幹部たちは蔑みの目で見下ろす。

 小さく「たかりが」と罵る声さえ漏れた。

 

「よいか……そもそも、南陽を出た民が『さらわれた』と言うのなら、私にもその補填を求めるべきではないのか?」

「りゅ、劉将軍……」

「そなたの論理は破綻しておる。南陽には追って沙汰を伝える。そなたは先んじて南陽に戻り、太守に『おいたが過ぎるなら仕置きを下す』と伝えよ」

 

 劉表が手を振ると、左右から現れた兵士たちが南陽文官を会場の外へと連れ出した。

 騒然とする会場を尻目に、空海が劉表に尋ねる。

 

「仕置きとはなんだ? まるで子供を叱るようだったが」

「子供だ」

「……南陽太守が?」

「そうだ。袁南陽太守は、まだ子供なのだ」

 

 劉表は空海を見ず、扉を見つめたまま告げた。

 

「じゃあ、あの文官は、子供の考えた恐喝方法を、命がけで実行したのか」

「考えたのは補佐官の方だろうが……大筋ではその理解で良いだろう」

 

 彼が去った扉を見る。事情を知る何割かの人間は、おそらく空海と同じ気持ちでそれを見ているのだろう。

 

「公瑾」

「はっ」

「南陽から逃れてきた者の中に文官がいたら」

「直ちに確認させましょう」

「……まぁ、嫌がらせくらいはしておくか」

 

 しばらくして、南陽の文官が減って江陵の文官が少し増員したのだとか。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「天和姉さん、ちぃ姉さん、この本……凄いわ!」

 




没ネタ
「こんなの茶葉じゃないわ! 緑色の宝石よ!!」「だったら飾ればいいだろ!」

江陵女子が若いのは神様パワーを受けているから。水鏡先生も若い。神様パワーを与えていると、大体全盛期の頃の肉体に近づくんです。
孔明たちは少しだけ大人の女性スタイルに。栄養バランスに優れた食事と適度な運動は健康な肉体をはぐくんでいます。


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4-2 黄巾賊

「わたし、大陸のみんなに愛されたいのー!」

「大陸、獲るわよっ!」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「大規模な賊?」

「はい。朝廷より討伐の令が下されました。劉車騎将軍からも近隣の賊について積極的な討伐と殲滅が要請されています」

 

 江陵では姿形もない賊の話題に空海が疑問を呈し、文官をまとめる周瑜が答える。

 臨時の会議が開催され、広場には江陵における幹部級の文官や武官が集まっていた。

 

「ふぅん。珍しいくらいに積極的な動きだね。朝敵にでも指定したの?」

「はい。宮中からも内応したと思しき者が出たため、官民合わせて千人あまりが処断されたと聞きます」

「公瑾はそれで難しい顔をしてるの?」

 

 空海が周瑜の顔をのぞき込むように見上げる。周瑜は慌てて頷いた。

 

「え、ええ。江陵内も警戒しなくてはなりませんし、敵の動きを探り、遠征を行える者を選抜し、特別に予算を組んで早急に動き出さねばなりません」

「……そう。じゃあ、孔明と士元が怒ってるのはなんで?」

 

 周瑜が慌てて二人を目をやり、苦虫を噛み潰したような表情となった。

 江陵のツートップの視線に晒された孔明と鳳統は、私怒ってますと言わんばかりの表情で頬を膨らませて胸を張る。

 

「……その、賊が掲げております標語というのが少々」

「標語? 賊なんじゃないの?」

 

 強盗や泥棒をするのに犯行声明を発表する賊など、この時代には存在しない。賊に身をやつすのは、その大半が学のない庶民だからだ。

 義賊なのかと尋ねる空海に、周瑜は首を振って否定する。

 

「朝敵として賊とされましたので」

「ああ、なるほど。反乱か」

 

 朝廷としては、理性ある反乱ではなく、賊の起こした蛮行だと言いたいのだろう。

 

「それで標語というのは何?」

「……大変申し上げにくいのですが『蒼天すでに死し、黄天まさに立つべし』と」

「え? ……あははははっ! なるほど。確かに、空海の時代が終わって俺たちが立つ時が来た、って言ってるように聞こえるね」

 

 なるほど黄巾"賊"か、と空海は一人頷いて笑う。

 そもそもその標語の指す蒼天は空海のことではないだろうし、人間が何十万と集まって叫んでいたとしても空海にとっては他人事だ。種族的にも、せいぜい雑菌が集まっている程度にしか感じられない。

 

 しかし、江陵の民にとってはそうでもなかったらしい。

 空海のこととなるとすぐに実力行使しようとする武官たちはもちろん、今回は普段冷静な二大軍師が怒りを顕わにしている。

 

「笑い事ではありません!」

「すぐに討伐すべきです!」

「朱里! 雛里! 二人とも落ち着け! ……空海様、申し訳ございません」

 

 周瑜が難しい表情をしていた本当の理由がわかり、空海も苦笑する。

 

「孔明と士元の態度が、おおむね総意と取って良いかな?」

「それは――はい。仰る通りかと」

「わかった。参考にするよ。他に賊の特徴は?」

「はい。賊は皆、黄色い布を身につけている模様です。おそらく先の『黄天』にかけての行動でしょうが……。そのため朝廷からは黄巾または黄巾賊と呼ばれております」

 

 頷いて続きを促す。答えたのは厳しい表情の孔明だ。

 

「賊は南陽より北側に多く、その北側の潁川(えいせん)、さらに北側の陳留付近、さらに北の冀州(きしゅう)と、北に向かうほど多数見られます。おそらくは冀州のどこかに本拠があるのでしょう」

 

 さらに鳳統が続ける。

 

「漢に対する反乱ならば、漢を打倒することが目的だと思われます。具体的な目標はわかりませんが、単純に考えれば洛陽を陥落することが勝利条件でしょう。仮に冀州と河南尹(かなんいん)洛陽の間で迎え撃つとした場合、河内郡または魏郡が決戦場となります」

 

「朝廷は各地より指揮経験のある武官を集めています。馬将軍らも先日洛陽入りしたそうですが、その他にも盧植(ろしょく)董卓(とうたく)皇甫嵩(こうほすう)朱儁(しゅしゅん)らが任官されているようです」

「寿成か……病気は大丈夫なの?」

「それが、病気を理由に洛陽郊外の城に駐屯することになったとか」

「ふむ。仕方ない。さっさと賊を討伐して寿成の負担を軽くしてやるか」

 

 

 

 

「南陽の宛城が黄巾賊に奪われました」

「はやっ」

 

 2月の会議での通達から1ヶ月弱である。流石にこれには報告を携えてきた周瑜も呆れ顔を見せている。

 

「南陽では大きな戦闘もなく、城塁はほぼ無傷。南陽から逃れた首脳部、南陽軍10万、難民10万が襄陽に迫っているようです」

「劉景升も頭を抱えてるだろうね」

 

 南陽には200万に迫る人が住む。逃げ出した人が20万と少々では、大半の人間が都市に残ってしまっているということになる。

 そして劉表は、守るべき城と守るべき民を放り出して逃げ出す太守が自分の城に迫っているのだ。立場としては受け入れざるを得ないが、支持を得られるものではないだろう。

 

「その劉車騎将軍より要請がありました。難民の何割かを受け入れて欲しい、それと出来れば南陽の奪還にも手を貸して欲しいと」

「ん、孔明と士元は?」

「朱里には既に難民受け入れの指揮を任せました。襄陽に迎えを出すため、下層から2万ほどの兵を連れ出すことになるでしょう」

「うん、孔明はわかった。士元は?」

「雛里には南陽奪還作戦の立案を指示しました。兵の準備についても自由な裁量で行わせています」

「おお。俺の立場がない」

 

 空海と周瑜は笑う。これだけの独断専行を笑って許してくれる職場に、周瑜は密かに感謝を深める。

 

「両者共に計画の確認と承認はこちらで行うことになっています。特に雛里の方は、最近は憤りを積もらせておりましたので」

「例の蒼天が死んでるやつかー」

「左様ですな」

 

 

 周瑜の予言通りに勢いよく飛び込んできた鳳統がまとめて来た案のうち、全軍出撃とか最大戦力で撃滅とか南陽を火の海にするとかいったことが書かれた書類については、周瑜がその手で破棄していく。

 正座してべそをかきながら代案をまとめさせられている鳳統だが、そんな状態でも最大戦力出撃の有用性を周瑜に訴えられるのは、余裕があるのか能力の無駄遣いなのか。

 

「士元」

「はい!」

「この討伐令は俺たちにだけ出たものではないだろ」

「空海様の仰る通りだ。河南尹には既に10万に近い兵が集められている」

 

 空海と周瑜に追い詰められるが、それでも鳳統は諦めない。

 

「でしゅから、それらと連携して――」

「連携して討伐して、蒼天が死んでないと証明できるとでも言うのか? 雛里のそれは、鬱憤を晴らすための手段でしかない」

「公瑾やめろ」

 

 周瑜を止めたことで、空海が同じ気持ちなのだと知り、鳳統は涙を浮かべる。

 

「士元、お前はうちの上級参謀だろう。どうすればいいのか、わかるだろ?」

「……はい……」

「公瑾だって、大軍でなければ兵を用いることは否定していない」

 

 周瑜に目をやれば静かに頷いている。そこで空海はニヤリと笑って鳳統を向く。

 

「とはいえ、お前たちの総意も気にしてやらないとな」

「……え?」「空海様?」

「少数で派手に戦うというのはどうだ? なんなら俺が出てもいいぞ」

「なっ! 空海様!?」「――お、お任せくだしゃいっ!」

 

 周瑜から声が上がるが、空海は鳳統を盾にして逃げる。

 

「空海様! 御身を――」

「冥琳さん! 遠征軍の皇甫嵩(こうほすう)という方はどういった方ですかっ?」

「なっ……ぐ。涼州北地郡の太守で、軍功がある。叔父の中郎将皇甫規(こうほき)に似て公正で厳格な人物だと聞く。――空海様、そのまま動かないでくだ――」

「冥琳さん、盧植(ろしょく)はどういった方でしょう?」

「……盧植は揚州九江郡で蛮族平定の功がある。あの馬融の弟子だが、清廉で落ち着きがあると言われている。今回は冀州への遠征を任されるはずだ」

 

 馬融は天才学者で女好きで不真面目と言われた人物である。いくつかの古典に注釈書を作っており、それらの大半は江陵で印刷されている。

 

董卓(とうたく)という方はどうでしょう?」

「ククク」

「くっ――涼州の騎馬を用いることに定評がある。人となりは聞こえてこないが、陣営の人材は充実し始めている。今回は試金石と言った所だろう」

 

 空海の狙い通りに鳳統にペースを乱され、周瑜は悔しそうだ。

 

「では朱儁(しゅしゅん)という人物は?」

「あれは今回招集された者の中では小物だな。苛烈な言動だが、反してなかなか粘り強い用兵という印象を受けた」

「なるほど……」

 

 聞くことを聞いたのか、鳳統はサラサラと書類をまとめ始める。空海は横に回り込んでその様子をのぞき込む。周瑜は後ろに回り込んで空海を捕まえる。

 

「あ」

「油断されましたな?」

「hai!」

「――出来ました!」

「hayai!」

 

 空海は鳳統の働きによって辛くも周瑜の魔の手から逃れた。だがそれが問題の先送りにしかなっていないことには気付いていない。

 

 

「南陽宛城にこもる賊軍は推定10万単位。やはり兵糧ですね」

「既に明命を動かし、潜入と内応を試みるよう指示してある」

 

 周瑜と鳳統が二人だけで完結する会話をしている。空海は寂しくなって聞いてみた。

 

「『袁術は暗愚』『南陽の民は餓えてる』『目標はたぶん洛陽』だっけ」

「はい。南陽に残る兵糧はおそらく多くありません。さらに宛城はまだ奪われたばかりで賊の周囲には敵対勢力もなく、攻め立てられたとしても立て籠もり続けなければならない理由はありません。今なら最小の労力で南陽から追い出せるでしょう」

「俺が江陵軍を率いて追い立て役でもする?」

「はわわわ……その、あのー……」

「空海様、どうかご自愛くださいますよう」

 

 このままでは認められないと悟った空海は、味方を増やすことにした。

 

「公覆と漢升が遠征担当だ! お前らも俺と一緒に行きたいよね?」

「え!? え、ええ、それはそうですが」

「そういう言い方をされると否定しづらいですな」

 

 静かに控えていた黄蓋と黄忠を引き合いに出して数を合わせる。

 

「空海様、なりません!」

「はわわわ」

 

 さらに味方を増やそうと考えた空海の脳裏に素晴らしい発想が芽生えた。

 

「クッキー……」

「は?」「賛成します!」

「よし!」

 

 餌付けはしておくものである。

 あとは、鳳統が周瑜の追求に負けないうちに周瑜を丸め込まなくてはならない。

 

「じゃあ公瑾も従軍させる! 一緒に行こうず!」

「いけません、空海様。私が遠征に参加することは問題ありませんが、空海様の御身をむやみに危険にさらすようなことは……」

 

 周瑜は冷静だ。空海は切り札を持ち出すことにした。

 

「冥琳」

「え?」

 

 突如、真面目な表情となった空海に、周瑜は言葉を詰まらせる。

 

「一緒に行こう、冥琳。俺はお前と一緒に、江陵の外の世界を見たいんだ」

「は……はい……」

「 説 得 完 了 」

 

 切り札その1。乙女回路を刺激する台詞10選。

 根が素直な江陵の民には効果は抜群だ!

 言質は取った。この勝負、空海の勝ちである。

 

 

 勿論4人からすごく怒られた。今後、切り札の使用は控えようと空海は決意した。

 

 

 

 

(のん)、軍をまとめるわよ。袁術ちゃんから南陽を奪取しろってお達しよ」

 

 桜色の長い髪を後ろに流しながら、きつそうな口調で命令を伝えた美女は孫策。

 今は袁術の下で客将として爪を研いでいる猫科の肉食獣系女子だ。

 

「了解です~」

 

 答えたのは肩に掛かる程度で切りそろえられた若草色の髪と、優しげな目つきに眼鏡が特徴の女性。

 孫策の下で呉の軍師を勤める陸遜(りくそん)である。

 

「姉様! この上、袁術に従うのですか!?」

 

 強い口調で孫策を批難したのは、その妹の孫権だ。

 姉を一回り小さくしたような見た目をしている。

 

蓮華(れんふぁ)様、お二人に話を伺いに来たのでは?」

 

 赤みがかった服と短いスカート、くすんだ藍色のストールを首に巻き、赤いリボンと白いシニョンキャップで髪をまとめた女性――甘寧が、睨むような視線で孫権を止める。

 

「っ……そうだったわね。ごめんなさい、思春(ししゅん)

「あーあ。蓮華の言う通り、この機に南陽を奪っちゃうのも悪くない気がしてきたわ」

「いけませんよ~。今奪えば黄巾一味として朝廷から追われてしまいます~」

「チッ、しょうがないわね」「あ……」

 

 自身のために芝居を打ってくれたのだろう孫策(あね)と陸遜の様子に、孫権は顔を赤くしてうつむいてしまう。

 

「……まぁ、今戻っても奪える気は微塵もしないんだけどね」

「えっ?」

「またいつもの勘ですか~?」

「そうよ」

 

 陸遜は、軍師泣かせのこの勘に、いつもいつも論理的思考の帰結を覆されていることから、警戒と信頼と諦観を持って可能性を推察する。

 

「南陽を出てから、例の『見られてる感覚』はなくなったんですよね~?」

「そうよ。ここ数日は感じていなかったんだけど……昨日くらいから少しずつまた戻って来てるみたいね」

「なっ! どこにっ!」

 

 慌てて探し始める孫権の様子に、孫策はそれを苦笑を交えながら止める。それでも露骨な警戒をやめられない孫権は、真面目なのか不器用なのか。

 甘寧もその顔に無表情を貼り付けたまま、薄らと警戒をにじませる。

 

「昨日から合流し始めたのは、民の受け入れのために劉表さんのところから派遣された人たちと~」

「同じ理由で江陵から来た役人たちね」

「江陵の……!」

 

 甘寧からあふれ出した敵意に、孫策と陸遜は顔を見合わせる。

 

「相変わらずねー、思春は」

「蓮華様も~、捕まえるにしても泳がせるにしても、その様子はいただけませんね~」

「……申し訳ありません」「ご、ごめんなさい」

 

 普段通りの様子が戻ったところで、行動方針の話に戻る。

 

「江陵相手じゃ警戒するだけ無駄ね」

「いつものように~、必要以上に探られないよう要点を押さえるに留めましょう~」

「とりあえずは軍か。穏」

「はい~。では蓮華様にもお手伝いしていただきましょうか~」

 

 孫策の勘に従って、軍をまとめ始める。

 そこには10万の敵兵に突っ込む悲壮感は、微塵も感じられない。

 

 

 

 

 孫策たちが青空の下で意見を戦わせていたころ。江陵での会議から4日後のこと。

 

 空海率いる江陵最精鋭の部隊は、わずか500騎で南陽を強襲。

 一人の脱落もなく、南陽を占領していた賊の大将趙弘(ちょうこう)を討ち10万に近い賊軍を蹴散らした。

 さらに、南陽軍が戻るまでの1週間で残党の追撃、治安の回復、民の手を借りた防御の強化を並行して行い、南陽は賊に襲われる前以上の活気を手に入れた。

 南陽の民は江陵軍の勇姿を大いに称えたという。

 

 

 

 江陵が初めて行った都市攻防の結果は、全土に衝撃を持って伝えられた。

 

 河北や中原で自軍に数倍する黄巾賊を打ち破り、民たちの語りぐさとなっていた官軍や公孫賛の大戦果は、一斉に江陵軍の英雄譚に塗り替えられた。

 

 

 

 

 

「要請を説明しましょう」

「イラッ……七乃、何じゃあやつは」

「シッ!(あの人は江陵元帥府付き軍師の周瑜さんですよっ!)」

 

 玉座に腰掛けた袁術を、下から(・・・)見下すような態度で話し始める周瑜。

 

「依頼主は劉車騎将軍。目的は南陽周辺から潁川方面へ移動中の賊の討伐となります」

 

 南陽郡を含めた洛陽周辺の大まかな地図を、持ち込んだ机に広げて教鞭のようなもので各地を指しながら話を進める。

 

「賊は黄色の布をつけた一団で、総数は8万程度が確認されています。彼らが豫州潁川郡長社(ちょうしゃ)に駐屯している官軍と接触する前に排除して下さい」

 

 8万の賊というのは、江陵軍が南陽から追い払った一団だ。江陵軍以外に討伐させるため、わざと官の討伐軍方面へ逃がしたのだ。なお、潁川は南陽の北東にある郡である。

 

「また、依頼主は江陵軍との連携をご希望です。最終的にはそちらの判断ですが、無理はしない方が良いのでは?(嘲笑)」

「(イラッと来るのじゃ!)」

「(お、落ち着いてくださいー!)」

 

 袁術がさらに顔をしかめる。周瑜はその顔を見て鼻で笑う。

 

「フッ……説明は以上です」

 

 周瑜は嘘を言っていない。必要な情報もしっかりと伝えた。余計な事も言わない。

 

「荊州並びに江陵との繋がりを強化する好機です。そちらにとっても、悪い話ではないと思いますが(失笑)」

「七乃! もう我ムグッ――!?」

「(お嬢さまダメですってー!)」

 

 周瑜の態度に切れかけた袁術を張勲が取り押さえる。今ここで江陵に喧嘩を売ったりしたら、江陵はもちろん、荊州全土、下手をすれば南陽(ホーム)までが敵に回る。

 

「ムグムグッ(何をするんじゃ七乃!)」

「(あの人はとーっても怖い人ですから、黙ってないと食べられちゃいますよ!)」

「どうかされましたかな?」

「ムグッ!?」

 

 青い顔をして黙った袁術を抱きしめ、張勲が慌てて返事をする。

 

「いえいえー、何でもありませんよー。あとはこちらでやっておきますので、周瑜さんは帰っていただいて結構ですよー」

「……ふむ。では、そうさせてもらおう」

 

 

 

「正確に伝えてきたか?」

「ええ、もちろんです。これ以上無いほど正確に」

 

 宛城の兵舎前でのんびりとお茶を飲んでいる空海に、袁術の元を辞した周瑜が報告している。勿論、空海にも嘘は言っていない。

 

「思ったより上手く行って余力があるからね」

「そうですな。狙いはしましたが、潁川方面へ逃げてくれる者が多く、洛陽方面へ負担をかけずに済みました」

 

 豫州潁川郡には今、黄巾賊の大部隊と官軍の大部隊が揃っている。

 むやみに洛陽に向かわれては江陵軍の評判を落とすと考えた軍師たちは、黄巾賊の間に潁川の『お仲間』のことを伝え、洛陽には恐ろしい馬将軍がいると噂を流した。

 そして、食料庫を襲撃し、命令系統を要所で壊し、派手に夜襲を行って、逃亡を始める先頭集団を潁川方向に逃がしたのだ。

 

「よし、じゃあ用意が出来たら潁川郡へ向けて出発だね」

 

 あとは、潁川郡に集まる大軍の間に官軍側の白馬の騎士として現れて、戦場を支配して勝てば良いだけだ。

 それが出来るだけの官位と、それが出来る軍師は揃っている。

 

「いえいえ、空海様。我々は江陵に戻ります」

「えっ?」

「袁南陽太守はこちらの申し出を拒否いたしました」

「えっ?」

「自軍のみで追撃戦を行うので我々には江陵に戻るようにと、要求されました」

「えっ?」

 

 空海は、周瑜のやったことを知らない。

 

「え? この状況で?」

 

 南陽から逃げ出した賊や朝廷が用意した本隊から見れば、南陽の遠征軍など弱小零細の集団に過ぎない。本拠で負けたばかりでは発言力も皆無だろう。

 劉表という上官からの要請、空海という高官からの申し出、加えて南陽軍自身の汚名返上のために、江陵軍と組むのは当たり前だと空海は考えていた。

 

「あるぇ?」

 

 

 

 

 

「待たせたな、雛里」

「冥琳さん」

 

 江陵に帰り、周瑜が真っ先に向かったのは鳳統の所だった。前日に送った伝令が仕事を果たしたのだろう。鳳統も慌てることなく周瑜を迎え入れる。

 

「官軍の人事については聞いたか?」

「はい、先ほど確認を……あまりに予想外でした。まさか騎兵を城にこもらせ、城攻めと防衛に定評のある人物を籠城させるとは……」

「ああ、他にも宦官の動きがきな臭い。ヤツら、鎮圧よりも出世が大事らしい」

 

 周瑜が苦々しげに呟き、鳳統も悲しげな表情で言葉を詰まらせる。

 

「ともかく空海様にはご帰還いただいた。また出るつもりでおられるだろうから、まずは策を万全にしておこう」

「はい」

「おそらく江陵(こちら)の方が情報が集まっているだろう。まとめて貰えるか?」

 

 鳳統は一つ頷くと書類を取り出して一枚ずつ周瑜へと渡していく。

 

「豫州頴川郡では遠征軍の朱儁が賊に敗北しています。賊将の名は波才(はさい)。頴川郡の北側で朱儁とは別に行動していた皇甫嵩が8万の賊によって長社城に追い込まれています」

「何故ここに董卓を……いや、詮無きことか。頴川についてはわかった」

 

 鳳統は何枚か紙をめくり、下の方にあった書類を周瑜へと渡す。

 

「董卓や馬将軍ら涼州騎兵は、河南尹の洛陽周辺の城に押し込められています。これには()大将軍の意向も絡んでいるようです」

「……何進(かしん)か。……これ以上に悪い知らせがあるなら先に教えて欲しいのだが」

「黄巾賊に絡んでは、今のところこれだけです。ただ、別件が一つ……」

 

 言いづらそうにしている鳳統に、周瑜は嫌な予感を抱く。

 

「何だ?」

「馬将軍の容態が悪化しているそうです」

「それは……! いや、そうか。空海様へは後で伝えよう」

 

 鳳統は同意し、書類の束から比較的新しい一枚を取り出して周瑜に見せる。

 

「朝廷は盧植を冀州の中南部へと派遣しました。鉅鹿(きょろく)郡の南部に黄巾賊の大集団があると見込まれているようです」

「ふむ……この人事には問題が見当たらないな」

「そうですね。盧植ならば大いに勝つでしょう」

 

 その他、細かい数字や確認出来ている賊の活動範囲と規模を伝達する。

 

 

「よろしい。では、策だ。空海様の安全のため、明らかな負け戦と、敵戦力が不明のものには触れたくはない。よって、まず考えられるのは盧植よりの進路で機を見て介入し、官軍の勝ちを決めること」

「次点で頴川の官軍を救い出すこと、でしょうか。ただ、こちらには近場の陳留から刺史が援軍に向かう可能性があります。手早く行わなければなりません」

「あとは、河南尹へ官軍兵士の鼓舞に赴くのも良いかもしれん」

 

「いえ、それはやめておいた方が良いでしょう」

 

 会話に割り込んで来たのは孔明である。

 

「朱里ちゃん!」

「……どういうことだ、朱里?」

「その前に確認を。空海様の今後の方針で、河南尹へ向かっていただく、という手について考えられていたのですね?」

「そうだ。安全であるし、中央への印象も深められる」

「なるほど。しかし、河南尹には馬将軍がいらっしゃいます」

 

 ここで馬騰の名前が出るとは思わず、周瑜は意表を衝かれる。

 

「中央に召集されたにも関わらず半ば冷遇されている馬将軍に、南陽で大勝した空海様が会いに行かれた場合……」

「なるほど、確かに、余計な疑いを持たれ、いらん罪を着せられる可能性があるか」

「はい」

「馬将軍の体調が優れないことは既に空海様にも伝わっています。河南尹へ向かわれれば会見を望まれるでしょうね……」

「そうだな。まず、間違いはあるまい」

 

 周瑜と鳳統と孔明は、三人が揃ってため息を吐き、その様子がおかしくて少しだけ笑い合ってから情報を交換する。

 

 

 

「――そして、最も消極的な策として河南尹へ向かうことを検討していた」

「なるほど。ではこれはある意味で朗報ですね」

「ん? 何か新しい情報があるのか?」

「はい。陳留(ちんりゅう)の北側、(とう)東武陽(とうぶよう)の周辺に黄巾賊の大きな集団が侵入した模様です」

「かなり、北の方ですね。陳留の街からは往復だけで半月は掛かるでしょう」

 

 東郡は冀州魏郡の南隣にある。黄巾党の本拠地が冀州の中部とされているので、かなり近所だと言えるだろう。

 江陵から見れば、北東の南陽の、北東の潁川の、北東の陳留の、北東の東郡の、北の冀州魏郡の、北の鉅鹿が黄巾賊の本拠地と思しき場所だ。

 

「では江陵は……」

「陳留の刺史が豫州の平定に援軍を出すなら、東郡を本命に。東郡の平定に動くのならば豫州頴川を本命に据えて行動しよう」

「わかりました」「はい」

 

 この予想は、半月も経たず覆されることになる。




アディ・ネイサンの慇懃無礼な口調は実際に耳にしないと表現しづらいかも。
でも冥琳にはよく似合うと思うんです。祭に嫌みを言ってる時みたいな感じで。
「オーメル・サイエンス社との繋がりを強くする好機です。そちらにとっても、悪い話ではないと思いますが?」


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4-3 江陵→←南陽→

『中! 黄! 太! 乙! 中! 黄! 太! 乙! 中! 黄! 太! 乙!』

「ほぁぁぁー! ほっ、ほぁ、ほぁぁぁぁ!」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「緊急です」

「ぉ。何かあったか、幼平?」

 

 空海は、突如現れたNINJA周泰(しゅうたい)に慌てることなく用件を尋ねる。

 

「はい。南陽が賊の襲撃を受けて再陥落しました」

「また?」「なっ!」「はわ!?」「あわわわ!」

 

 その場にいた周瑜たち軍師を始め、護衛の黄蓋たち武官の間にも動揺が走る。

 

「どこから沸いた賊? 規模は?」

「賊は潁川郡長社で官軍を取り囲んでいた者達の一部、6万です。速報では――」

 

 潁川郡南部で波才率いる黄巾賊8万が、朱儁率いる官軍2万を撃破する。黄巾賊は洛陽に近づくために北部に向かい、長社城にこもる皇甫嵩率いる官軍を包囲した。江陵の手で南陽から追い出された黄巾賊もここに合流。

 一方、黄巾賊に破れた朱儁は、南西の南陽郡から袁家の孫策が連れてきた援軍と合流して北上。さらに東から陳留刺史の曹操が援軍として参戦し、長社城の官軍と連携して城を包囲していた賊を内外から攻撃、そして壊走させた。

 その後、官軍は北側から圧力をかけ続け、討ち漏らしの黄巾賊12万の半数、約6万を南陽方面に押しやる。直後に曹操は東郡の平定を理由に撤退。

 官軍は潁川と汝南(じょなん)、南陽の平定を行うことを決定。潁川を共同して平定の後、皇甫嵩と朱儁を別々の場所に派遣する方針であるようだ。

 

 南陽方面に逃げ出した6万近い黄巾賊は再び徒党を組み(えん)城を攻撃。南陽軍も今回は多少抵抗したが、やはり一瞬で敗走して襄陽方面に逃亡。

 戦闘の前後で南陽から脱出した兵士は5万弱、難民は既に20万を超えているとか。

 

「20万?」

「20万人を超えていると思われます」

 

 空海は生真面目に答えた周泰に頷いて、顔を引きつらせている周瑜に尋ねる。

 

「公瑾、今回は何割が江陵に来ることを希望してると思う?」

「……。……おそらく、9割以上は」

「そうだよね」

 

 春先の肌寒い空気の中、周瑜は滝のように汗を流している。

 空海は軽く目をやるだけに留めて、孔明に視線を移す。

 

「よし、孔明。徳操(とくそう)元直(げんちょく)も使って良い。難民については任せる」

「はわわっ!?」

「急げ。放っておいたら、腹を空かせた難民が人を食べ始めるぞ」

「はわ!? ……きゅぅ」

 

 真っ青になって目を回した孔明を、すぐ隣の鳳統が支える。

 空海は黄蓋を呼び、孔明を指差す。

 

「公覆。孔明を……たたき起こして徳操の所へ連れて行ってあげて。道すがら、元直にも伝令をやって呼び出しとくように」

「そちらも乱暴に取り扱ってよろしいのですかな?」

「うん。今寝てたら本人たちが後悔するだろ?」

「左様ですな」

 

 ニヤリと笑って了承した黄蓋を送り出し、空海は周瑜に向き直る。

 汗もぬぐわず、顔色を悪くして眉を寄せ、それでも打開策を必死に練っているのだろう周瑜の表情が、空海は嫌いではなかった。

 

「さて。受け入れはこれでいい。南陽はどうする?」

「え……? これでいいとは、どういう意味ですか! 20万人ですぞ!?」

だから(・・・)諸葛(しょかつ)孔明と(じょ)元直と水鏡(すいきょう)に任せたんだろ。もう大丈夫だ。お前の仕事は他にある」

 

 周瑜は情けない顔で呆けたあと、吹き出し、笑い始める。

 笑い声は徐々に大きくなっていき、ついには涙さえ流して笑う。

 

 そうしてひとしきり笑って徐々に落ち着いてくると、周瑜は空海の横に跪いた。

 

 

「――空海様、お慕い申し上げております」

「お……おう」

 

 

 すっきりした表情で、あまりにあっさりと告げられたために、空海以外――広場にいた人間の理解が遅れる。

 

「それにしても、空海様は我ら軍師という人種に対する理解が不十分です」

「ですよねー」

「軍師というのは、考えられる可能性について思考してしまう生き物なのです」

「だから、どんな風に言われても20万人の難民が起こす諸々を心配してしまう、と」

「その通りです」

 

「その割には、ずいぶん晴れやかな表情をしているけど?」

 

 空海の言葉に、クスクスと笑い声を漏らした周瑜は柔らかい表情のまま、潤んだ目で空海の顔を見上げる。

 

「空海様が疑わぬ我らの(・・・)能力を、どうして私が疑えましょう」

「これまで通りに歩くけど、足下の確認に向けていた目線を上げたってこと?」

「左様です」

「んー……ならばよし!」

 

 満面の笑みになって告げた空海の顔に、周瑜は思考を忘れて魅入っていた。

 

 当の空海が、曹操の台詞を取って喜んでいたのだと知る者はいない。

 

 

 

「さて、どうする?」

「能動的に動くのは南陽の奪還に来る官軍の陣容が判明してからですな。皇甫嵩が来るならばこれに協力し、朱儁が来るのであれば南陽は放置しましょう。軍は――雛里」

「はい。いずれにしても、難民のために軍の派遣は必須です。当面は前回の3倍、6万を動かせるよう手配しておきます」

「あとは今回の陳留刺史の動きを精査してからとしましょう。まずは情報収集です」

 

 頷き合って、それぞれの仕事に取りかかるため慌ただしく動き出す。

 空海の仕事は頷くところまでしかなかった。女中と護衛の兵士ばかりが残る、女性率の高い空間に取り残される。

 

「あれ? 俺の仕事は?」

 

 何もなかった。

 

 

 

 

「――陳留の刺史、名はなんと言ったか」

(そう)孟徳(もうとく)さんですね」

「ああ、曹操か。……この動き、警戒が必要だ」

 

 周瑜は持っていた報告書を鳳統に見せる。

 そこに書かれているのは、曹操軍の動きだ。

 陳留から3日の強行軍で朱儁らと合流、そこから長社城の包囲網に接触するのに1日、賊を破って官軍を誘導し北側に回り込ませて1日、追撃を辞して陳留に戻る行程を2日で半分まで消化した、という時点で出された報告書のようだ。

 都合9日で陳留へと戻った曹操は、続いて東郡の平定へと乗り出すつもりらしい。

 

「神速の用兵……いえ、それ以前にこの動き……私たちの狙いに気がついた、と?」

「おそらく、我々が押しつけた南陽の賊軍を我々に返したつもりなのだろう。意趣返しとしては効果的だと頷かざるを得んな」

「空海様の名が広まったこと、江陵の利が大きかったことに対しての憂さ晴らし、あとは自らの時間的制約と兵力の節約でしょうか?」

「雛里の言う通りだろうな。……民たちの被害をなんだと思っているのか」

 

 南陽は漢の下で最大の人口を誇る郡だ。曹操治める東郡の4倍もの人が住む。

 今代太守の悪政、そして二度の襲撃で数十万人の逃亡者が出てなお、東郡の3倍は下らない人が暮らしているのだ。江陵が大軍をぶつけなかった理由でもある。

 そこに規律を失った賊の敗軍をぶつけるなど、想像を絶する被害となるのは必至だ。

 

 周瑜も鳳統も民の幸福を望める人間だ。二人は唇を噛む。

 彼女たちはつい先日まで、難民10万を受け入れるための施策と指示で眠れない日々を過ごしていた。新しい法の立案と施行、新しい仕事、部署、人員の確保、一時の衣食住の提供、一時措置ではない衣食住への移行など、数百万人の江陵の民を動かすために。

 

「今度は南陽から追い出すのは至難だぞ……」

 

 後がないとわかっている賊に城を乗っ取られた時点で、宛城内は地獄絵図だろう。

 おまけに、南陽側に出張ってきたのは朱儁らしい。

 

「朱儁は賊の徹底討伐を唱えています。おそらく降伏は認めません」

「最悪なのは、朱儁の方針が朝廷のそれと完全に合致していることだ。南陽郡を奪われた袁術も、その方針に反対することはないだろう」

「それどころか、南陽の民すら……いえ、こうなってしまった以上は、南陽の民であればこそ、賊の徹底的な殲滅を望むでしょう」

 

 そして、賊たちも死にたくない(・・・・・・)から死ぬまで(・・・・)抵抗する。

 

「恩赦か、せめて減刑だけでも認められるのであればやりようはあると思います」

「我らが訴え出れば空海様は動いてくださる……だが」

「はい……空海様が、立場を悪くされてしまう」

「最悪の場合、こちらの要求が通らない上に空海様が罰せられる。……それだけは避けねばならん」

 

 南陽に来る将が皇甫嵩だったならば、自主的に(・・・・)動いてもらうことで罪を被せた上、こちらの要求を十分に満たすことが出来た可能性もあった。

 二人は南陽の不運を嘆く。だが、いつまでも立ち止まっていられない。頭を切り換えて広げられた地図に目を移す。

 

「となれば、次善の策だな」

「はい……乱の早期終結ですね」

 

 周瑜は頷き、手にした書類で地図を叩いた。

 

「各地の賊の討伐……そして、賊どもの本拠を落とす」

 

 指し示した先にあるのは、冀州(きしゅう)鉅鹿(きょろく)郡。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「そのまま死んでてくれてたら、こっちとしてはありがたいんだけどなー」

「南陽の軍は敗走の最中ではあるものの、未だ軍の体裁を保っています~。かろうじて、と前置きする必要はありますが~……袁術は健在でしょう~」

 

 孫策は舌打ちしつつ、陸遜に相づちを打つ。

 

「あーあ、朱儁はいつまでこの辺をウロウロしてんのかしら。汝南には袁術ちゃんの実家があるんでしょ? いっそ放っといてくれないかなー」

「駄目ですって雪蓮様。ここを平定しないと、寿春から揚州に入られてしまいます~」

「わかってるわよ。寿春に入られたら建業まであっという間だしね。言ってみただけ」

 

 大規模遠征軍の下っ端援軍であることと、小規模な討伐を繰り返しているという状況が揃っているせいで、出陣もない上に軍議でも相手にされない。

 かろうじて回される復興支援の仕事も、頑張れば頑張った分だけ『袁家の方が家臣を遣わしてくださった』と感謝される。

 やる気を失って仕事に身が入らなければ、簡単な仕事も出来ない援軍と言われて、ますます遠征軍の中心から遠ざけられる。

 孫策の一軍は今、悪循環に陥っていた。

 

 加えて、孫策自身は袁術の下に残した妹たちの様子も心配している。そのストレスが仕事にも現れ……。現状が良くないことだとは自覚しつつも、それを打破する最適な方法が『南陽へ向かう』ことである以上、どうしようもない。そして遠征軍が早期に南陽攻略に乗り出してくれることを期待してしまうことも、やめられなかった。

 

 

 遠征軍が南陽に向かったのは、これより4週間後のことである。

 

 

 

 

 

 朱儁が主催した軍議に周瑜が参じている。

 朱儁は汝南郡平定の功績で鎮賊中郎将に任じられている。中郎将は皇帝直属軍の指揮官だ。鎮賊ということで、賊の鎮圧のために臨時で設置された職ではあるが、有事にあって四品官相当の権限が与えられている。

 しかし、それでもなお周瑜の方が高官である。上座の席を空けて、全員が深く頭を下げたまま周瑜を迎え入れる。

 

「では、袁太守をお返しする」

 

 周瑜は特に気にした様子もなく、孫策に向けて袁術を押し出す。

 

「ガクガクブルブルガクガクブルブル」

「わたしの物じゃないんだけど……」

 

 袁術は、頼りの張勲が入場を禁じられ、軍議の場の異様な雰囲気に押され、隣の周瑜は怒らせると自分を食べてしまう(と思っている)ので、刺激もできずに震えるばかりだ。

 ほぼ唯一の味方である(と思っている)孫策にまで受け取りを拒否(と思っている)されて涙目である。

 

 遠征軍首脳部はやり取りを無視して、袁術を孫策に押しつけて議場から追い出す。

 

「南陽を除いた荊州内の敵の拠点はほぼ全て制圧済みだ。ただ、南陽の内応者までは追えなかった」

「江陵には感謝しております」

「我ら江陵があなた方の方針に口を出すつもりはない。ただ、明後日にはここに空海様が到着される。それまでに全軍の引き継ぎが終わるよう、協力をお願いしたい」

 

 南陽を巡る話し合いは、南陽軍(とうじしゃ)を無視して続く。

 

 

 

「七乃ぉ~っ! 怖かったのじゃ~!」

「はいはい、お嬢さま。もう大丈夫ですよー」

 

 袁術と張勲が抱き合い、くるくる回りながらどこかへと消えていく。

 それを横目に自陣へと戻る孫策の視界に、しばらくぶりの姿が映る。

 

「雪蓮姉様! ご無事ですかっ?」

「蓮華……思春も。よかった、あなたたちこそ無事だったのね」

 

 孫権と甘寧が孫策に駆け寄り、互いの無事を確認する。

 

「こっちはほとんど無傷よ。まともな戦闘なんて1回しかなかったもの。貴女たちの方が大変だったはずよ」

「いえ……こちらも大変だったのは宛城を脱するときくらいで、4日目には江陵軍に保護されましたから……」

 

 孫権は暗い顔をして告げる。南陽を捨てて逃げたことをふがいなく思っていた。

 

「江陵、ね。そういえば、さっき軍議に周家の娘が出てたわ」

「周家の……! 周瑜ですか!?」

 

 周家は今や揚州最大の豪族だ。揚州の奪取を最終目標に掲げる孫呉にとっては、袁術に並ぶ障害と言える。

 その周家の当代最高の実力者が周瑜だ。

 

「ええ、思ってたよりずっと若い……あなたと同じくらいじゃないかしら、蓮華」

「私と、同じ……」

「そのようなはずはありません! 数年前私が江陵に捕らえられたときには、周瑜は既に現在の蓮華様と変わらぬ年格好でした!」

 

 今はまだ手の届かない場所にいるその高官が、自らと変わらない年だと聞いて、孫権はまたしても落ち込む。

 それを否定したのは甘寧だ。怒りをにじませて拳を握りながら語っている。

 孫権はやんわりと甘寧を抑えながら気になっていたことを告白する。

 

「そういえば、江陵軍を率いる黄蓋も、とても若く見えました」

「黄蓋は私よりも年上よ。それは間違いないわ」

 

 孫策は母が生きていた頃を思い出しながら語る。かつては母の友人だった黄蓋も、今は遠い場所に立っている。

 

「妖術……でしょうか?」

「ぶっ」

 

 甘寧が真剣な顔で告げるのを見て、孫策は思わず吹き出す。

 

「単なる若作りじゃない? そういう邪な気配みたいなのは感じなかったわよ」

 

 直感を含めた自身の感覚に絶対の自信を持つ孫策は、気軽に考えて気軽に告げる。

 笑われた甘寧は少し不満そうな表情を見せるが、すぐに表情を改めた。

 

「軍は、この後は、どうなるのでしょう?」

「南陽軍はほぼ壊滅しています。江陵軍と遠征軍が揃った以上、南陽奪還のために攻勢に移るのでしょうか?」

「んー、そこまで聞く前に議場を追い出されちゃったんだけどね。江陵軍はすぐに居なくなりそうな気がするわ」

「……それは、またいつもの?」

「そ。勘よ」

 

 あっけらかんと笑う孫策に、孫権はため息を漏らす。

 そんな孫権の様子を見た甘寧はフォローに回る。

 

「しかし蓮華様。江陵軍が撤収準備を始めていることも事実のようです」

「えっ?」

 

 孫権は慌てて周りを見回す。そこには、明らかに早くから炊飯を行っていたり、天幕をたたんでいたりする江陵軍の姿があった。

 孫策の様子を知るために、いかに孫権が周りのことを見落としていたのかがわかる。

 

「ま、なるようになるわ。今官軍を敵に回すわけにはいかないし、大人しくしてましょ」

「はい」「はっ」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 南陽郡から北東方向に向かう道の途上。

 

「ヒマデス!」

「朱里の真似をしても退屈は紛れませんぞ、空海様」

 

 馬車の席で突然奇声を上げた空海にも、周瑜は冷静だ。黄蓋と黄忠も笑っている。

 

「昨日も一昨日もその前も移動しかしてないんだぞ……」

 

 空海率いる、あるいは空海を伴っている江陵精鋭軍は、江陵から出て1日で襄陽、さらに1日で南陽、さらに1日で頴川郡襄城を通過した。

 

「我が軍だからこそ3日で潁川郡に入れたのです」

「他軍であれば10日は掛かりますかの」

「馬も違いますからね」

「なん…だと…?」

 

 全方位から否定されて空海がひるむ。

 周瑜すら感覚が麻痺しかかっているため忘れがちだが、江陵の最精鋭たちは一人ひとりの装備が最低で20万銭、軍馬に100万銭を軽く超える赤兎馬、その赤兎馬に引かせる荷馬車集団という黄金が服を着て歩いているような連中である。1万銭が金220グラム程度であるから、本当に純金の半分くらいの価値はある。

 その最精鋭が700人。漢の国家予算5%に相当する集団だ。彼らの持つ最精鋭としての強烈な自負は、行軍の常識すら現在進行形で塗り替えている。

 八日で二千五百里を進んだ江陵軍に漢全土が震撼するのは、少しだけ未来の話だ。

 

「陳留刺史がなかなかやり手でしてな。彼女を見習って早めの行軍を心掛けております」

「冥琳が燃えておるので大変じゃったわ」

「クスッ……そうですわね」

「お、おお。なんかわからないけど凄そうだからよし! 良い感じでよろしく」

「お任せください」

 

 そのまましばらく会話が途切れる。

 

「……あれ? 俺が暇であることは何ら変化がないね?」

 

 空海の言葉に周瑜が苦笑し、進軍先を指差す。5列縦隊に並んだ馬群が何十と続く先。

 

「昼過ぎには、長社に差し掛かります」

「先日官軍が籠城し賊が包囲をしておったという場所じゃの」

「賊の痕跡が確認出来れば野営を行い、場合によっては早朝に討伐を行う心づもりです」

「ふーん。楽しそうだけど、外に出るなって言われない?」

 

 実際、南陽についた時など朱儁への挨拶以外に出ないよう言われていたのに、朱儁から挨拶に来てしまったためにどこにも出歩けなくなった空海である。

 

「城の周囲を固める予定ですので、城内は好きに歩いていただいて構いません」

「おお、さすが公瑾! ありがとー!」

「我らが護衛に付きます故」

「ご安心ください」

「公覆と漢升もありがとうね!」

 

 お礼の言葉を引き出すためにわざわざ声を上げた黄蓋と黄忠は、狙い通りの結果に上機嫌だ。一方、周瑜は笑顔の裏に少しの打算を持つ。

 城では、賊討伐のために報告を受ける必要がある。空海の隣でそんな話をしていては討伐に出かけると言い出しかねない、と周瑜は考えている。餌でペットの気をそらす行為と大差が無いことには目を背けつつ。

 

「明後日は船での移動となりますので、今日と明日は早めに休むことになります」

「明日には河南尹入りですな」

「おおー、船かー。黄河?」

「ええ、河水です」

 

 空海は知らないが、河とはそれそのものが黄河を指す言葉だ。大河と言えば黄河だし河水と言えば黄河である。長江も同じく大江で長江である。

 

「楽しみだ」

 

 

 

 

「お、ビワ発見」

「む?」

 

 低い背の割にしっかりと枝を広げた木の多い、なかなか立派なビワの畑だ。

 遠目に見える黄色い実りに、甘い物好きな空海の目が輝く。

 

「よし、見に行こう」

「空海様お待ちください!」

 

 空海が馬車から立ち上がって飛び降りる。

 慌てて止める周瑜に悪戯っぽい笑みを向けて、空海は味方を呼ぶ。

 

「漢升おいで!」

「はい!」

「なっ、しまった!」「あ、こら、紫苑! お主も止めぬかっ」

 

 黄忠は大体いつも空海の行動に味方する。

 急いで黄蓋に後を追わせて、周瑜自身は軍を止める。空海がビワをおやつに、茶飲みを含めた休憩を希望する可能性が高そうだと考え、長めの休憩を指示する。

 

「全軍、大休止に入る。即時、周囲の偵察を行って報告に来い!」

 

 空海の周囲には既に護衛が10人以上広がっていた。だが、それで危険がなくなるわけではない。周瑜は更に数十人の護衛を選出し、空海の元へ急ぐ。

 

 

 

「おねーちゃんたち、だめー!」

「お?」

 

 畑に近づいた空海の元に小さな女の子が駆け寄る。護衛たちが警戒の色を見せた。

 

「威嚇するな。この畑の持ち主かもしれない。話をする」

 

「おじちゃんもだめー!」

「クルルァ!(威嚇)」

 

 

 

「なるほど。やはりお前の家の持ち物だったか」

「そうだよ! おとーさんがとってくれるの。とーってもあまいんだよ!」

「うん。確かによく手入れされていて美味しそうだな」

「すっごくおいしいよ!」

「おおー、いいね。一つくれ」

「だめー!」

 

 両手を広げて空海の行動を阻もうとする姿に、黄忠の口からも笑い声が漏れる。

 

「どうしよう、漢升。この子、手強い」

「クスクス……そうですわね。では、買い取るというのはどうでしょう?」

「その手があったか! 我が財力を見よ! いくぞ小娘、ビワの貯蔵は十分か?」

 

 30秒に及んだ畑の主(子供)と江陵の主による首脳会談の結果、2個1銭で買うことで決着が付き、二人はやりきった感のある笑顔で握手を交わす。

 

「よし、では5銭分を……。……。……誰か5銭持ってない?」

 

 空海はお金を持ち歩かないし、護衛は仕事中お金を持たないし、黄忠も行軍中は小銭を持ち歩くことなどない。空海は遠巻きに見ていた周瑜に詰め寄る。

 

「小銭だ! 小銭を出せ!」

「え? わ、わかりました。今用意させます」

「あれ? あるの?」

 

 行軍と言っても陸の移動である。当然、途中には街もある。買い物を行えるよう金銭は持ち歩いている。

 

「ええ、もちろん。5銭でよろしいのですか?」

「うん。よろしくね」

 

 周瑜から5銭を預かった空海は、女の子の前に屈み、目線を合わせて手を差し出す。

 

「では5銭分のビワを頼む。良い感じのを見繕ってくれ」

 

 女の子はにっこりと笑ってお金を受け取り、そのまま空海の手を引いて歩き出した。

 

「うん。こっちだよ! いちばんあまいのがこっち!」

 

 

 

「ご馳走様でした」

「えっと、あまり食べられなかったようですが、よろしかったのですか?」

「いいよいいよ。璃々、美味しかったか?」

「うん! あまかった!」

「よろしい、ならば満腹だ」

 

 空海は女の子の頭を撫でながら笑う。黄忠は女の子の口の周りをぬぐう。

 ここだけを見ればまるで親子のような姿だった。

 

「公瑾」

「はっ」

 

 空海は、近くに控えていた周瑜を呼びつける。

 

「血の臭いがする。何があった?」

「!?」「「!」」「ち?」

 

 黄忠が驚き顔を上げる。周瑜と、いつの間にか近くに来ていた黄蓋が苦々しく顔をゆがめる。女の子はよくわかっていないように空海たちを見上げている。

 

「……近くに、賊の拠点があり、最寄りの集落に襲撃を受けた形跡があります。結論から言えばここで休止を挟んだのは正解でした。賊が拠点にしている廃城は長社周辺で最大の集結地だと思われますが、未だ気付かれた様子はありません」

「そう。それともう一つ、気になっていた」

 

 空海は厳しい表情をそのまま女の子に向ける。

 

「――璃々、父と母はどこだ?」

 

 何十人もの護衛と共に移動しているのだ。子供をこの場に放置しておいて、この事態に1時間以上も気付かないというのも不自然である。

 

「おとーさんは、おかーさんがかえってこないから、おむかえにいくって」

 

 その言葉と共に、女の子の表情に陰りが見えた。

 聞けば、昨日の朝、黄色い布を付けた賊たちに襲われて母親が居なくなり、昼過ぎには父親が出かけ、夜は一人で寝た、と。

 黄忠などは既に悲痛な表情で璃々を抱き寄せている。

 

「そうか。……どう思う、公瑾?」

「おそらく賊のところでしょう。本当に奪還を狙っているか、玉砕かは……」

 

 周瑜の言葉に空海も頷く。

 

「わかる範囲で調べておいて」

「承知しました。集落の方にも人をやろうかと思うのですが、そちら側もまずは遠巻きに探ってみることにします」

「よろしくね」

 

 

 女の子を昼食に誘い、周囲の探索を行う。

 続報が入ったのは1時(2時間)後のことだった。

 

 

「空海様、おそらく発見しました」

「おそらく?」

「対象の男性の周りに旅人らしき3人組がおり、遠目での偵察に留めたそうです」

「そう。じゃあ直接行くか」

「畏まりました」「はっ」「はい!」

 

 空海は女の子を抱き上げて護衛たちに囲まれ、周瑜の指し示す方向へと歩き出す。

 

「静かに周囲を取り囲み、もし誰かが逃げ出すようなら取り押さえろ! 相手は賊の可能性がある、怪我をさせるくらいは構わん。絶対に油断するな!」

『はっ』

「おお。俺の立場がない……」

 

 周瑜が全て指示してしまって、空海は女の子を抱き上げて歩いているだけだ。

 とはいえ、空海は指揮などしたことがないので、普段から部下に任せきりである。今更指揮をしたいとは言い出せない。

 子供にまで笑われ、しょんぼりと馬車に乗り込む。

 

 

 

「ここからは徒歩になります」

「森の中?」

「はっ。奥に1里(約400メートル)ほど入ったところです!」

 

 森の側で馬車を止め、背の低い樹木の少ないそこに足を踏み入れる。

 護衛たちは木の陰に隠れるようにしながら周囲を移動する。ここまで案内してきた兵もそれに紛れ、空海と共に歩くのは、腕に抱かれた女の子と黄蓋、黄忠、それに周瑜だけとなった。

 

「あれか」

「! おとーさん!」

『!?』

 

 急に聞こえた子供の叫び声に、男性を取り囲んでいた3人が大きく反応する。

 青緑の服を着て眼鏡をかけた少女、水色の服を着て背の低い亜麻色の髪の少女、白い服を紫の大きな帯で止め赤い槍を持った少女。

 特に大きく反応したのは白い服の少女だ。槍を構え、険しい表情で周囲に視線を巡らしている。

 

「……(祭殿、紫苑、油断しないでください)」

「(うむ。何かあればあの白いのから潰すぞ)」

「(はい)」

 

 3人組が一歩下がり、空海に支えられた璃々が駆け寄る。黄蓋たち護衛が空海と3人組との間に割り込むように立つ。

 

「おとーさん!!」

「っ、璃々……!?」

 

 3人組のうち、眼鏡の少女が代表して声を上げる。

 

「あなた方は?」

 

 空海はちらりと目をやっただけですぐに男性に視線を戻す。

 

「先にこっちだ。怪我の様子は?」

「……もはや、苦しませるだけです」

「そうか」

 

 黄蓋も黄忠も、警戒を怠ってはいない。しかしそれでも、表情の変化までは抑えられなかった。

 

「璃々、すまん……すまんっ! 母さんのっ、仇を、取れなかったっ……すまんッ」

「おとーさん! おとーさんっ!!」

 

 璃々が泣きながら父親の手を握る。

 父親は、その手を握り返すことも出来ずに涙を流す。

 

「璃々、お前を遺して、ゴホッ、逝く……せめて、お前だけは、幸せに……」

「おとーさん、やだよ! ダメ! まって!」

 

 空海は璃々の後ろにしゃがみ、やんわりと璃々の肩を抱く。

 

「死にかけのお前に言うのもなんだが、璃々のことは任せろ」

「どなたか、存じませんが……最期に娘の、顔を……ゴホッ、見られました。璃々を、娘を、頼みます……。どうか……! ゴホゴホッ」

 

 口から血の混ざった唾液を垂らしながら、それでも頭を下げようとしている男を、空海が押しとどめる。

 それまで警戒を見せていた白い服の少女が、ゆっくりと槍を引いた。

 

「大人になるまでは面倒を見てやる。お前は娘に悪い虫が付かないかだけ心配していろ」

「――はは、ハハハッ……それは、しんぱい……です、な……ゴフッ……感、謝……」

「おとーさん、やだ! おきて! おとーさん!!」

 

 空海は、璃々が泣き止むまでその背中をなで続けた。

 

 

 

 璃々が泣き止み、空海が布で遺体の顔を綺麗にしている間、誰もが口を開けない時間が過ぎた。

 やがて、血濡れた布をたたみ、空海が立ち上がる。

 

「見ていてわかったかもしれないが、俺はこの子供の保護者だ。……だから、お前たちに聞かなくてはならないことがある」

 

 空海の言葉と共に黄蓋たちから僅かに戦意が漏れる。空海に質問を浴びせた少女が少し慌てた様子で答えた。

 

「――あっ、わ、私たちは、この男性が黄色い布を付けた3人組の賊に襲われているのを見かけて助けに入り、賊たちの拠点があるだろうあちら側から見られないよう、森に運び込んだのです!」

 

 少女は空海たちが入って来た方向とは反対側を指差して説明する。

 空海は頷いて周瑜に目をやった。

 

「事実だと思うか?」

「賊の拠点については間違っておりません。璃々の父親もこの者たちには警戒しておりませんでした。おそらく事実でしょう」

「そうか」

 

 空海はそれだけ言って璃々の横にしゃがむ。

 

「璃々、決めろ」

「……え?」

「この者たちは、お前の父親を救おうとした。どうするのか、お前が決めろ」

 

 厳しい空海の言葉に口を開きかけた者を止めたのは、璃々の行動だった。

 父親の側から立ち上がり、涙をぬぐって3人をしっかりと見たのだ。

 そうして誰もがかける言葉を見つけられない中、璃々は頭を下げ。

 

「おとーさんをたすけようとしてくれて、ありがとうございました!」

 

 その言葉に、眼鏡の少女と、亜麻色の髪の少女が目を細める。涙もろい黄忠などは静かに涙を流している。

 空海は璃々を優しくひと撫でして、厳しい表情に戻る。

 

「良く言った、璃々。だが、もう一つだけ決めなくてはいけないことがある」

 

 空海は璃々の両手で肩をしっかりと抑え、目を合わせて告げた。

 

「お前の父と母をこんな目に遭わせた賊どもをどうするのか。決めるんだ」




ならばよし!は、用法を守って正しくお使いください。
正しくは『是非もなし』的な使い方をされますが空海は気付かずにミスしており「そのように改善されたならば良いよ」の意味で使ってます。気付いてないのでこのミスは直りません。

没ネタ
「見上げた孝行心だ小娘。だがな! てめぇの命を張るほど値打ちのある親か! さあ頭を冷やしてよく考えてみろ! 握手してんのは左手だ、利き腕じゃないんだぜ」

次回、子連れ元帥。ただし(拝)一刀ではない。


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4-4 黄巾賊々

 空海は頷いて立ち上がる。

 

「幼平」

「はい!」

 

 突如現れたNINJA周泰に、江陵組以外の全員が目をむく。

 

「これから賊の拠点に征く。こちらから向かって正面以外の出入り口を潰し、兵を率いて周辺を固め、一匹も逃がすな」

「わかりました!」

「空海様っ! そのような兵の使い方は賛同致しかねます!」

『空海!?』

 

 周瑜が上げた声に3倍の声が上がる。今まで話していた相手が、国家で一、二位を争う実力者にして有名人だと言われれば当然の反応かもしれない。

 

「護衛を残してここの兵も連れて行っていい。行け、幼平」

「はいっ!」「空海様!」

 

 周瑜の声を無視して周泰が消える。白い服の少女だけが一瞬だけ目で追ったが、すぐに見失って視線を戻す。

 

「公瑾、よく見てみろ。今はこれが最適だ」

 

 空海はそう言い切って、闘志をむき出しにしている武人たちに顔を向けて笑う。

 

「漢升、公覆。好きにやれ」

「お任せください」「腕が鳴りますのぉ」

 

 枷を外された二人が嗤う。

 それを見てただ一人、白い服の少女が怯えたように数歩後ずさった。

 

「星?」「星さん?」

「い、いや、なんでもない」

 

 少女は、槍を握り直して黄蓋と黄忠を正面に見据える。

 

「……あなた方が、かの二黄か」

「どの二黄かは知らんが。まぁ、自己紹介くらいはしておくかの。儂が黄公覆じゃ」

「私は黄漢升ですわ」

「そして俺が璃々の保護者だオウフ」

 

 空海は抱き上げていた璃々にひっぱたかれる。

 空海は睨み付ける璃々が怖いので、近くで吹き出した少女に目を向けた。

 

「あ。お前も参加するよね? 白い武人のお嬢さん」

「無論。今立たねば武人として生きてきた意味がございませぬ」

「ふん。足を引っ張るでないぞ」「期待しているわね」

「よろしい。なら後始末は任せろ。好きに暴れていいぞ」

「――ふっ、はははは! これはこれは。理想の上司ですな。お二方が羨ましい」

「ドヤぁオウフ」

 

 空海は必要以上に胸を張ってまたしても璃々にひっぱたかれる。

 黄蓋と黄忠は誇らしげだ。

 白い服の少女はニヤニヤと笑い、眼鏡の少女と亜麻色の髪の少女は江陵組を量るように見ている。

 ただ一人、周瑜だけが苦々しい表情のままだ。

 

「空海様、私はまだ納得しておりません」

「んー、だからさ、ここは武人に任せればいいんだよ。正面から突き破って天網恢々(てんもうかいかい)()にして()らさず、でいいの」

「く、空海様っ!」

『?』

 

 天網恢々疎にして漏らさず、とは『悪人には必ず報いがある』という意味の言葉で、周瑜が最も好きな黄蓋の台詞である。周瑜本人を除けば空海しか知らない秘密だ。

 当の黄蓋にとっては、いつも通りの心構えで放った言葉であるため、特に記憶に残っているわけではないのだが。

 最も好きな台詞をバラされた(と思っている)周瑜は真っ赤である。黄蓋をチラリと見るが不思議そうな顔をされて脱力する。

 

「お前は足下と周りを固めてやれ。今はそれで十分だし、それ以上はやりすぎだ」

「う……うぅぅぅ……わかりました……」

「よし。勝ったッ! 第三部オウフ」

 

 璃々は的確にツッコミを入れてくる。今の空海は自然に不自然なポーズを決めることも許されない。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「よろしかったのですか?」

 

 眼鏡の少女が空海に尋ねる。黄蓋と黄忠、白い服の少女を送り出したことを言っているのだろう。

 

「敗残兵の千や万程度があいつらをどうにか出来るわけないからね」

 

 とはいえ、本当に3人で送り出したわけではない。矢の補充や倒した相手の片付け、その他諸々のフォローを行うために数十人が後ろから支えている。

 

「あの白いお嬢さんについても大丈夫だよ。万一の時は幼平が拾って連れてきてくれる」

「いえ、星がどうこうなるということは、心配していないのですが……」

 

 眼鏡をいじりながら恥ずかしそうにしている様子に、空海は笑う。

 

「稟ちゃんはですねー、策もなしに敵に突撃させることを良しとした、空海さんの態度を気にしてるのだと思うのですよー」

 

 亜麻色の髪の少女が眠そうな表情で補足する。

 

「んー。お前たち策士は、うちの公瑾もそうだが、将兵を数として見ることに固執していて、あいつらが人だということを忘れがちだ」

「人であること? 忘れては……いえ、私の言っている人とは違うのですか?」

「つまりー、人なのだから、気分で実力が変わることもあると仰りたいのですかー?」

 

 空海は理解の早い二人に頷き、続ける。

 

「人だから、実力が気分で増減する、環境で上下する、状況で左右する。後ろにいる者、前を進む者、隣に立つ者、下から支える者、上で率いる者で何もかも変わる」

「なるほどー。天地人ですかー」

 

 眠そうな少女が相づちを打つが、眼鏡の少女は納得していないような表情だ。

 

「あとな、相手の実力も評価し直せ。お前たちが不得意な、敵を減らす考えだ」

「敵を減らす?」

「うん。今言った天地人もそうだし、気の充溢した今の漢升や公覆の正面に立って、お前たちが想定した実力を十全に発揮出来る者があの中に何人いるのか、とか。本当に本当に怖いんだぞ?」

 

 空海は、江陵の女子が肉食獣のように笑い出した時には、ちゃんと正座して判決を待つようにしている。逃げると能面のような表情で何時間も追いかけ回されたりするのだ。

 意味も無くシリアス顔をさらす空海に対して、眼鏡委員長は真剣な様子である。

 

「しかし、それは相手の過小評価というものに」

「現状が過大評価だと言っているんだ。今ここに居座る賊は、頴川での討伐で一番最初に逃げ出したヤツらだぞ」

「……確かに、抵抗していたものは南陽へと押し出されましたが」

「南陽へ押し出される前に逃げた人たちは、汝南にも向かったようですねー」

 

「それに、だ」

 

 空海がニヤリと笑って二人を見る。

 

「本物の策士が自らの命を策に組み込むように、今あいつらが振るおうとしている武にはあいつらの命が掛かっている。お前らだって、全霊を注いだ策に自分の死を組み込んだのに、それが過分な配慮から十全に実行されなかったなどとなったら……わかるだろ?」

「ぐっ……そうならぬようにするのが策士だ、と言いたいのに……! 理解してしまった自分が憎いっ」

「ふふふ。そんなことになったら風は化けて出てしまいますねー」

 

 悔しそうにする眼鏡の少女と飄々と笑う亜麻色の髪の少女を見て、空海も笑う。

 

「だからこれは、あいつらが自分の命を組み込んだ突撃策なんだよ。策士なら、その辺も織り込んでみろ」

「空海様にそのように言われては、私としても精進するしかなくなってしまいましたな」

「ぉ、公瑾」

 

 討伐の様子を見るために廃城に赴いていた周瑜が戻ってきた。

 

 

「――ことに致しました」

「そうか」

 

 空海は、少し離れたところで遠目に討伐の様子を見ていた璃々を連れ戻す。

 

「璃々。賊の頭の首は公覆が取ったようだ」

「……うん」

「母の遺体は、他の者達と一緒に弔ってやることになった。日の当たる場所に墓を作ってやろう」

 

 賊の拠点には多数の遺体があったが、どれも状態が酷かったようだった。

 一つ一つ璃々に見せて確認させるわけにもいかず、賊の死体と分けて被害者たちだけでまとめて弔うことにした。

 

「お前の父の墓だが――」

「おかーさんのよこがいい」

「母たち(・・)の墓の隣でいいか?」

「うん」

 

 璃々は気丈に振る舞っている。悲しそうな顔をして、空海の肩に顔を埋めることもあるが、それでも泣き声を漏らさずにしっかりと末路を見ている。

 賊たちの末路を見届けるのは、空海との約束である。仇を願ったのだから、その願いの結末は見せてあげるべきだと空海は思ったのだった。

 

 そうして、賊の討伐はその日の内に決着した。

 

 

 

 翌朝。

 

「20年前、この畑を作る時にアイツが死んだら譲ると――」

「ウチの爺さまが土地を拓くのを手伝ってたんだから、半分はウチに――」

「俺んちが隣にあんだから畑の面倒を見るのも――」

「娘は子供のいるところが預かった方がいいに決まって――」

「お前んとこは去年子供を亡くしたんだから娘を引き取っても――」

「うちにゃ男の子がいるから、これ以上は――」

 

「お前たち」

 

 話し合いを見ていた空海が声を上げる。芯に響くような声色だ。白熱していた村人たちも、今にも飛び出しそうだった武人たちも、顔をゆがめていた軍師たちも、全てが空海に注目する。

 

「この話し合いは璃々の居ない場所でやった方がいいだろう。璃々は連れて行くから、結論が出たら伝えろ」

 

 空海は言うだけ言って、うつむいて震える璃々を抱き上げ立ち去る。

 

 

 

「空海殿! 何故あんなものを許しているのです! あれは、あんまりだ!」

 

 星と呼ばれる白い服の少女が、ビワ畑まで来ていた空海に追いつき、食ってかかる。

 

「お前が暴れていたら、一瞬であいつらを張り倒せたな」

 

 空海が笑って見つめ返す。星は言葉に詰まり、わかっているなら何故こちらを止めるような言動を、と空海を睨み付ける。

 

「璃々、あの場所で暴れて欲しかったか?」

 

 星が凍ったように固まった。

 璃々は空海の肩に顔を埋めたまま、それでも首を振って拒絶する。

 星は悔しそうな、悲しそうな表情となるが、拳を握って胸に詰まった言葉を振り絞る。

 

「……すまな、かった。私の、勝手だった」

 

 璃々は首を振る。

 

「璃々、彼女も、お前のために怒っていたんだ。わかるな?」

 

 頷く。

 

「許してあげるね?」

 

 もう一度頷く。

 空海は璃々の背中を撫で、今にも泣き出しそうな星を見る。

 

「璃々のこれまで(・・・・)を預かる者たちだ。璃々の好きにさせてやれ」

 

 星はかぶりを振って大きく息を吐く。

 

「ままなりませんな」

「そうだね」

 

 さて、と前置きし、空海は璃々を地面に降ろす。そしてビワを一つ、もいで与えた。

 

「璃々。ビワというのは、丁寧に世話をしなければ、すぐ増える上にすぐ枯れる」

「うん」

「この畑は良いビワ畑だった」

「……うん」

「仮にお前の手で世話をしたとしても、この畑はすぐに荒れてしまうだろう。あの者たちでは、もっと酷いことになるかもしれない」

 

 璃々が耐えきれずに嗚咽を漏らす。空海の着物を掴み、それでも顔を上げている。

 空海は慰めることもせず、ただその横に立って続ける。

 

「璃々、この景色は見納めだ。よく見ておけ」

 

 二人を見ていた星が、畑に背を向けて歩き出す。

 今はただ、離れたかったのだ。あの喧噪と、泣き声から。

 

 

 

 

 璃々と3人組を誘って朝昼を兼ねた遅めの食事を取り、食事と陣の片付けが進んでいく中で空海が切り出した。

 

「璃々。俺たちはこれから、黄巾賊の本拠を潰しに征く」

「こうきんぞく?」『!』

 

 璃々が不思議そうな顔をして空海を見上げ、3人組の表情が変わる。

 

「お前の父と母を奪った賊の、親玉の、そのまた親玉みたいなヤツらだな」

「我らは元々、黄巾賊の討伐のために冀州へと向かっていたのだ」

「空海様への不敬から始まったが……璃々の両親のことも含め、許しておけぬ」

「その通りですわ!」

 

 蒼天が死んでることに始まり、馬騰への過剰な負担、南陽への襲撃、難民による江陵の大打撃、そして璃々の両親のこと。

 

「最近は黄巾賊に対する恨み辛みが増えていくばかりだなー?」

「おいて来た雛里がいきり立って全軍を出撃させないよう、今回の連絡内容にはずいぶん気を遣いました……」

 

 江陵の将兵がいかに優れていたか証明されたとか、ただ一人もかけることなく圧勝したとか、これで潁川郡の賊は息の根を止めたとか色々誇張し、その上であれこれとやらせて軍は動かすなとか書いておいた。忙殺させた上に動きを縛らなければ不安をぬぐうことも出来なかったのだ。

 

「いっそ全軍でたたきつぶしてやればいいんじゃ」

「その通りですっ。江陵ならば朝廷が動く前に全て終わらせられます!」

 

 これが江陵の民の総意と言って良いのだから。

 ただ、周瑜は頭痛を耐えるように額を抑える。

 

「あなた方は……決起の事情が見えぬ以上、その根を断つのは簡単ではありません。それに15万人の将兵を動かすのに一体いくら掛かると思っておられるのか」

『15万!?』

 

 聞き耳を立てていた3人組が思わず声を上げる。

 今回の黄巾賊討伐のために朝廷が動かした兵士の総数が約10万人だ。しかも、実際に遠征を行っているのは7万程度でしかない。各地で集めた義勇兵を含めてようやく8万を超える程度である。

 一応、黄巾賊の総数は現在わかっているだけで30万人を超える。超えるが……江陵の兵ならば2万もいれば簡単に勝てるだろう。町内の囲碁好き老人たちの相手にプロ棋士が徒党を組んでやってくるようなものだ。

 

「え。ひと月で1億銭くらいだから何とでもなるって雛里ちゃんが」

『1億銭!?』

「は?」

「儂も同じことを言われたぞ」「俺もー」

「ひ、雛里ぃいいいい!!!」

 

 国家予算が年間200億銭程度なのだ。ひと月1億銭もの額を、しかも臨時に出費してなんとでもなると言ってしまえるなど、一都市の予算としてはふざけた規模の話である。

 なお、江陵組は給金が毎月10万銭を超えている上に、空海の周りでは5億銭10億銭と言った数字が飛び交うので感覚が麻痺してしまっている。

 漢の一般農家の収入は年6千銭相当である。江陵でも一般人の収入は年間5万銭程度が上限であり、それ以上を稼ぐ一般人は両手で数えられる程度の数しかいない。

 

 一方で盛大にツッコミを入れた周瑜は、自身の見込みが甘かったことを悟っていた。

 鳳統はそういった根回しが苦手であるため、孔明たち出口(・・)に注意を払っておけば、独自に軍を動かすまでの勢いにはならないと思い込んでいた。

 黄忠、黄蓋、空海の周囲などは鳳統のことがなくても注意を払っている場所である。周瑜に気付かれずに全員に接触しているところを見るに、他の部署への根回しなども盛大に行われている可能性が高い。

 

 身内に対する諜報を真剣に考えなくてはならないなど頭の痛い問題である。

 普段は孔明や鳳統、周瑜の意見が根本から一致することは滅多にないため、三すくみになって有利も不利もないのだが、今回は周瑜と他二人の意見が対立した。しかも、周瑜も積極的に対立する意見ではなかったため、二人の正面には立たなかったのだ。

 二人が独自に軍を動かしたせいで南陽を火の海にされたりしてはたまらない。ここからは本気で鳳統たちの妨害を考えなくてはならないと周瑜は考え、とりあえずは――

 

「雛里が何か言い出したら止めてくださいとお願いしてあったはずですね?」

「はい。空海ごめんなさい」

 

 とりあえずは空海を正座させることにした。

 

 

 

 

「じゃあ、お前は黄巾賊の親玉を見に行きたいんだな?」

「うん。なんでわるいことするのか、ききたい」

 

 空海の言葉に璃々がしっかりと頷く。

 

「よしわかった、なら俺が首謀者に会わせてやろう」

「空海様!? 貴方はまた、何をおっしゃるのです!」

 

 軽く告げられたとんでもない内容に周瑜が声を上げた。空海は軽い調子で返す。

 

「首謀者が生きている間に辿り着いて、本陣以外を適当に潰して、本陣を囲んで楚歌でも歌ってやれば会えるだろ」

「えっ、い、いいえ。籠城する相手ではそう簡単には……」

「なら門を開いて本営に切り込めばいいだろ」

 

 周瑜はそれを「不可能だ」と言いたいのに、昨日の討伐の感触から、出来そうな方法がいくつか浮かんでしまう。しかし、そのどれもが空海の安全に不安のある方法であり、周瑜には認められるものではなかった。

 

「く、空海様。どうかご自愛ください」

「出来る出来ないの問題じゃなくて、やる、やらないなんだろ? なら、やれ」

 

 それでも迷う周瑜に、空海は笑みを消す。

 

「公瑾。俺がやると決めた。お前は実行すれば良い」

「わっ、わかりました……」

 

 周瑜は赤くした頬を見られないように頭を深く下げる。空海はお茶で唇を湿らせて、口を開いた。

 

「方法は任せる。全軍動かしてもいいからね」

「動かしません。雛里に毒されませぬように」

 

 一転してげんなりした様子で答える周瑜に、周囲から笑いが漏れる。

 

「おにーさん、ちょっとよろしいですか?」

 

 風と呼ばれる少女がのんびりと告げる。

 

「お兄さんという呼ばれ方は珍しいな。なんだ?」

「賊の討伐に、風たちもご一緒させて貰えませんかー?」

「いいぞ。荷馬車か馬があるだろうから、それに乗れ」

 

 一瞬の迷いもなく許可した空海に、江陵組から非難の視線が集まる。

 

「空海様、身元もわからぬ者を意味も無く同行させるのは……」

「じゃあ仕事を与えよう! お前たちには同行中は璃々の護衛と世話を任せる」

 

 3人組は顔を見合わせる。璃々のことなど言われずとも守るし、そもそも江陵軍の中にいれば襲われるということもないだろう。世話についても、徒歩でないのならその苦労は半減だ。空海は、有名無実の仕事を与えたので同行を許す、と言ったのだ。

 

「あと、名乗れ」

 

 その空海の言葉に最初に反応したのは、星だった。

 

「姓は(ちょう)、名は(うん)、字を子龍(しりゅう)。常山の昇り竜を自任しております」

「おお、格好良い……けど、竜? りゅう~?」

 

 空海のふざけた態度に趙雲はこめかみをぴくぴくと引きつらせる。

 

「……なにか、文句がございますかな?」

「竜っていうより、蝶々じゃないか? なぁ、璃々」

「んなっ」

「うんーかわいいー」

 

 趙雲は顔を僅かに赤くし、拗ねたようにそっぽを向いて席に着く。

 

「し、知りませぬっ」

「はっはっは……?」

 

 江陵女子が笑顔で垂れ流す雰囲気が恐ろしくなった空海である。

 続いて稟が頭を下げる。

 

「私は()……いえ、(かく)()奉孝(ほうこう)と申します。名乗りが遅れたこと、謝罪いたします」

「よし許す! なんか頭の良さそうな名前だ郭奉孝。よろしくね」

「は、はい」

 

 眼鏡をいじって照れる郭嘉に、空海は自身に再び危険が迫っていることを悟る。咳払いをして最後の一人を促す。

 

「風は(てい)(りつ)仲徳(ちゅうとく)ですー。よろしくですよー」

「うん。こっちもよろしく」

 

 空海の返事に対し、程立の頭に乗った人形が動く。

 

「おうおう兄さん、よろしくな」

「キェェェェェェアァァァァァァ本体がシャァベッタァァァァァァァ!!」

 

 空海は比較的乱暴に鎮圧された。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 江陵軍は司隸(しれい)河南尹(かなんいん)陽武(ようぶ)に向かって道を北上している。

 空海は今、郭嘉、程立、趙雲ら3人が乗る荷馬車に乗り込み、璃々を抱き上げて歓談中である。

 

「陽武からは船で移動だよ」

「おふねのるのはじめて!」

 

 璃々が元気よく笑う。村を出たばかりの今は空元気のようだが、空海に抱き上げられることは気に入っているようだった。

 

「陽武ということは、官渡で一息に渡るのでしょうか」

「陳留の北東にある、東郡の聊城(りょうじょう)だったかな? そこまで船だね」

「なるほど。清河(せいか)国側から()州に入るのですね」

 

 郭嘉は考え事のたびに眼鏡をいじっている。癖なのだろう。

 

「風たちは、東郡に大規模な黄巾賊が現れていると聞いていたのですがー」

東武陽(とうぶよう)のヤツか。何日か前に鎮圧の報を受けたぞ」

「……ぐぅ」

「寝るな!」

 

 程立が会話中に寝息を立て、郭嘉が勢いよく突っ込む。素早く的確なツッコミに、璃々も笑い声を上げる。

 

「ふむ。では音に聞く陳留刺史の姿は拝めぬのですか」

「東郡へ遠征に出ていた皇甫嵩(こうほすう)が賊の本拠制圧のため広宗(こうそう)に向かうんだけど、曹操はそれに同行する、とか言ってたはず」

「ほぅ。ならば広宗で会えるかもしれませんな」

 

 趙雲の言葉に空海がニヤリと笑う。

 

「どうかなー? ウチの公瑾はなかなか負けず嫌いらしくてね? 曹操より先に広宗に到着して、曹操の到着より先に制圧しちゃうつもりかも」

「なっ!?」「なんと……」

「東武陽から広宗に向かったとすれば250里ほどですがー、ここから広宗まで、陽武と聊城を経由すると千里を超えちゃうと思うのですよ?」

 

 郭嘉が声を上げるほど驚愕し、趙雲も驚きを顕わにする。そして、程立が真偽を確認しようと空海に水を向けた。

 

「陽武から広宗までで1100里(540㎞)だったかな。そこは3日で行けるらしいぞ」

「ふっ、不可能です!」

 

 郭嘉が大声を上げる。

 後ろで周瑜が勝ち誇ったような笑みを浮かべていることにも気がつかずに。

 

「私だって、他軍を指揮してそんな用兵が出来るとは思わんな」

「しゅ、周軍師殿」

 

 取り乱したことが恥ずかしいのか郭嘉が縮こまるが、周瑜はそれを見ても当然といった態度で続ける。

 

「我が江陵の兵は1日300里を進む。陽武から聊城までの700里は船で1日だ」

 

 300里は約125㎞、700里は約290㎞だ。どちらも『行軍を考えなくても』かなり速い移動速度だ。行軍を考えれば普通は2倍から3倍は掛かる。

 60㎞離れた土地に行くのに時速120㎞で走って30分だと言うようなものだ。理屈と現実の間に埋めがたい差がある、はずだった。

 

「そういえば江陵から頴川へ行く時も、他軍なら10日はかかるって言ってたね」

「左様ですな」

 

 周瑜が胸を張って笑う。常識外れの行軍が成功していることが誇らしく、郭嘉が驚く姿が、自身が夢想した曹操のそれと重なって見えたのだ。

 

「な、何日で頴川入りしたのか、伺っても?」

「3日だよ。あの集落まで4日」

 

 空海までが当たり前のように答えたことで、郭嘉は驚きと引きつった笑いを顔に貼り付けたまま固まった。そこで何かに気がついた趙雲が空海に尋ねる。

 

「……もしや、陽武へは本日中に?」

「そうだよ。誰も言ってなかった?」

「は、ははは……」

 

 趙雲たちは、黄河のすぐ脇の街から頴川へ、ほとんどまっすぐ向かって8日掛けて移動している。その行程をわずか半日で戻るというのだから笑うしかない。

 別の道を通る上に、徒歩の旅人である趙雲たちとは事情が異なるが、行軍というものは本来、軽装の旅人よりも足が遅いものだ。それが常識である。人の噂よりも速く移動する軍など聞いた事がない。

 

「噂以上、そして想像以上ですねー。そいえば、負けず嫌いと言っておられましたがー、曹操さんとの間に何か確執でもあったのですかー?」

「神速の用兵なんて言われてるから、彼女を見習って素早い行軍をする。みたいなことを言っていた気がするなぁ」

「そのようなところです」

 

 周瑜は否定しない。両軍の動きを理解して初めてわかるような深いところは、わかる者だけがわかれば良いと考えていた。部外者のいる前でわざわざ口にすることでもない。

 事実、周瑜の言葉の裏を読んだであろう郭嘉と程立だけが鋭い目つきとなる。

 裏を読むよりも気になったことがあった趙雲が先に口を開いた。

 

「そう言えば空海殿。私、仕えるべき主を探して諸国を巡り歩いているのですが」

「蝶々のように?」

「そ、それはやめてくだされ!」

「ひらひらー」

「こらっ! 璃々まで……!」

 

 空海の言葉を赤くなって否定する趙雲に、璃々と空海は笑顔を向ける。趙雲は、それを見て何も言えなくなり、唇を尖らせて黙り込む。

 

「だから、曹操を気にしていたんだね。何が知りたいの?」

「……諸侯の話を」

 

 反射的に漏れそうになった悪態を飲み込み、趙雲は気になっていたことを聞く。事態の中心人物の一人に聞けば、わかることもあると考えた。

 

「南陽の方に来ていた朱儁は、賊の徹底殲滅を訴えて宛城の外を浄化してるらしい。

皇甫嵩は戦功があるものの、上奏文がやたら鬱陶しいって宦官が気にしてるらしい。

盧植は宦官との間に何かあったらしくて、事実と異なった報告をされて左遷された。

董卓は騎兵を中心に持って来たのに城の防衛と城攻めを命じられて、そろそろ涙目。

曹操は本拠の隣の頴川で起きた乱を南に押しつけて自分たちは東郡の平定に行った」

 

 さりげなく高官しか知り得ない情報を混ぜている空海の言葉に、3人組はそれぞれ強い興味を示しているようだ。

 

「宦官は何を考えているのか」

「出世だろうね」

「北に向かっていると言う皇甫嵩さんは盧植さんの交代要員ですかー」

「盧植の交代要員は董卓だけど、実質、皇甫嵩への繋ぎかな」

「曹操殿の『神速の用兵』は頴川への派兵のことでしょうか?」

「頴川へ派兵して戻って東郡へ出兵するまで10日くらいでやったらしいよ」

「ほぉ」「やりますねー」「なるほど……」

 

 それぞれ、世情を考えたり、政治を考えたり、戦術を考えたりしているようだ。

 空海は抱き上げた璃々に笑顔を向ける。

 

「璃々は何か気になることはある?」

「うん! おふねに、おさかなさんいる?」

「ふーむ。陽武の船は商人に預けているものだから、魚の取り扱いもあるかもしれない」

「ほんとに!?」

「残念だけど食べるための魚だよ。泳いでる姿は見られないと思うぞ」

 

 空海と璃々が、ドジョウにヒゲがあってぬるぬるしているとかコイは30年生きるとか話をしている横で、程立と郭嘉が頷いている。

 

「商人に船を貸し出すことで死蔵を防ぎ、有事には徴発して使用するわけですね」

「そですけどー、空海さんは黄河を渡るような有事を想定していたのでしょうかー」

「上流の長安には江陵派の大物がいるではないですか」

「馬騰さんですねー。それなら騎馬を積めるようにしてあるのも――」

 

 ウナギ料理は美味しいぞー。じゃあ璃々も食べるー。支払いはまかせろー。やめて!

 空海が璃々を抱き上げ、その横で趙雲がニコニコと笑っている姿はまるで家族のようであり、後に、嫉妬に狂った江陵組によって璃々が奪い合われることは避けられない運命であった。

 

 

 

 

 

「お久しぶりでございます、空海様」

「うん。久しぶり。そしてこれ言うの2回目だと思うんだけど、顔を上げろ。俺はお前のやや寂しい後頭部を見て話すの嫌だからね」

 

 船着き場に、身なりの良い商人たちが土下座スタイルで並んでいる姿は異様だ。

 

 江陵の外で活動する江陵商人たちは、江陵で教育を受け、江陵で商売を学び、江陵から資金や商売道具などを借り受け、江陵によって整備された商人のネットワークで繋がりを保つため、江陵に頭が上がらない。

 しかも、それだけの支援がありながら江陵から課される条件は、まっとうな商売を行うこと以外には精々「お金をあまり貯め込まずによく使うようにすること」くらいである。

 

 そしてもう一つ、商人たちが頭を上げられない最大の理由が空海にある。

 江陵の外に出ている商人たちの大半が江陵内にも店を持って江陵の外の品を扱っているのだが、空海はこの店を頻繁に巡って家族の様子を気にかけているのである。

 長い者では1年以上も江陵に帰らない商人たち。江陵に残る彼らの家族から届く手紙には、空海の心遣いに感謝する言葉が書き連ねられている。その話題が商人のネットワークで共有されて広まり、感心と感謝を深めることになる。

 

 空海は苦笑しながら続ける。

 

「家族のことなら本人たちから直接礼を言われている。重ねての礼など不要だよ」

 

 それでもなお、商人たちは顔を上げられない。年に何度も会わない自分、そして家族の一人ひとりを記憶して気にかけてくれる空海への信仰は篤い。

 見かねた黄蓋が口を出す。

 

「面を上げよ。空海様の手を煩わせるな」

「そうだぞ。あまりしつこいと、江陵に帰ってからお前たちの家族に『頭を上げてくれなくて困った』って伝えるからな? ていうかもう伝えることにした」

「それは勘弁してください! 母ちゃんに怒られます!」

 

 焦って頭を上げた一人の商人に周りから笑い声が漏れる。それを機に、徐々に皆の頭が上がり始めた。

 

「今日は魚を食べたいんだ。出来たらウナギ。美味しかったら家族には内緒にしておいてやろう。あと、生きてる魚がいたらこの子に見せたいから、持って来てくれる?」

「畏まりました」「お任せください!」「すぐに準備させましょう」

「荷を上げろー!」「桶だ! 桶を出せ!」「料理長に伝えよう」

 

 一度頭を上げてしまえば、商人という生き物は止まったら死ぬ。威勢良く声を上げて、慌ただしく動き出し、将兵に声をかけ始める。

 空海もまた、夕飯を楽しみにしながら船に乗り込んだ。



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4-5 広宗包囲

「江陵軍はあれの前に布陣する。お前は速やかに指揮権を引き継ぎ、邪魔をさせるな」

「はっ」

「曹孟徳が来ることになっているはずだが、到着はいつごろだ?」

「はっ。曹陳留の到着は、明日中でしょう」

「では合流の前に西にあるという物資の集結地を叩かせろ。鹵獲は禁ずる」

「承知しました」

「この陣の前で義勇兵がひとかたまりになっているのは、敵とぶつかったときに弱点になり得る。さっさと後方に回して分散させろ」

「りょ、了解です」

「以上を直ちに実行し、命令が終わったら江陵の陣まで来い、皇甫中郎」

「はっ!」

 

 皇甫嵩が天幕から飛び出すのを待って、空海も歩き出す。皇甫一族は口うるさい人物が多いと聞いたため警戒して一緒には出なかったのだ。

 護衛を伴ったまま、広宗城の正面から4里(1.7㎞)ほどの位置で待機している本隊に戻る。官軍の陣はここから更に1里ほど城へ近づいたところに敷かれていた。

 

「おお、璃々よ。良い子にしていたとはなさけない」

「うん! いいこにして、あれ?」

「よーしよしよしよしよしよし!」

 

 良い子は褒めて伸ばす方針の空海である。璃々が疑問を忘れるくらいになで回す。

 空海が皇甫嵩の陣へ向かうまでは忙しそうにしていた周瑜も、既に落ち着いていた。

 

「補給は終わった?」

「半分ほどは。残りは陣地の作成後ですな」

「何か問題は?」

「正面の官軍陣地、東中郎将の董卓が残していった者たちのようですが、糧食を要求しています。多数の軍馬を連れていますので、その関係でしょう」

 

 周瑜が何かを探るように空海を見る。以前、買い物に付き合ったときに同じ顔をされた空海は、笑って許可を出す。

 

「好きにやっていいよ」

「はっ」

 

 一礼して去って行く周瑜を見て、空海は声を上げて笑った。

 

 

 

 

「アンタが空海元帥か」

 

 紫の髪をアップにした美女が、独特のイントネーションで空海に声をかける。白いさらしと青い羽織は、空海の姿を彷彿とさせる。

 

「いや、この娘が空海だ」

「へ?」

「えーっ? 璃々ちがうもん!」

「え?」

「なんで言っちゃうんだ璃々。これでは秘技、身代わ璃々が出来なオウフ」

 

 璃々が右フックを覚えだしてから、空海の立場は相対的に下がった。

 青い羽織の美女は、そのやり取りよりも疑問が先に立ったようだった。

 

「なんでこないな子供がおんねん」

「この娘は戦災孤児なんだ」

「っ!」「せんさいこじ?」

 

 空海が笑いながら言った内容の重さに、周囲の人間までもが息を飲む。

 

「せ、せやったんか……すまん」

「くうかいさま、こじってなぁにー?」

「ん? そりゃお前、江陵に住む子供っていう意味だ。江陵に住むと美人になれるぞー」

「ほんとー!?」

 

 緊張感のないやりとりに、彼女も笑う。

 

「……おおきに。お嬢ちゃん、ごめんなー。ちょっと『くうかいさま』を借りたいんやけどええか?」

「んー……だめ!」

「駄目なんかい!」

 

 条件反射のようにツッコミを入れてしまった彼女は、相手が子供だったことを思い出して顔を赤らめる。

 着物を掴んで離さない璃々を見て、空海が口を出す。

 

「璃々。俺はこれからこのお嬢さんと大事な話をするんだが、公瑾がいないとちょーっと困るんだ。趙子龍と一緒に璃々が探してきてくれないか?」

「めいりんおねえちゃん?」「む?」

「そうだ。あと、戻ってくる時にお茶を煎れてきてくれ」

「わかったー……おちゃをごよういします!」

「そんな感じで行け、璃々! 昇り竜!」

「いってきます!」「ふふ。行って参ります」

 

 璃々は空気が読める子だから、彼女を少しからかっただけだろう。趙雲にも声をかけて送り出し、黄蓋と黄忠を含めた護衛たちと青い羽織の美女とで向かい合う。郭嘉、程立もいるが、空気を読んで静かにしているようだ。

 

「で、お前は誰だ?」

「わかっとらんかったんかい!」

 

 つい叫んでしまうのは魂に染みついた関西芸人の気質なのだろう。

 

 

「ウチは(ちょう)(りょう)文遠(ぶんえん)や。董中郎のトコで騎馬の指揮なんかをやっとる」

「……俺は空海。江陵の主だ」

 

 気を取り直して行った自己紹介。空海は自身の受けたショックを外に漏らさないようにするため、大変な労力を要した。

 かつて無双シリーズを山田無双と呼んで500時間以上プレイした空海。自身の抱いていた山田こと張遼へのイメージが音を立てて崩れていく。

 

「兵糧のことで礼を言いに来たんや」

「どういたしまして」

「早いわ!」

 

 わざとらしくニヤニヤ笑う空海を見て、張遼は悔しそうにしている。

 

「ウチら、城攻めをすんのに馬なんか連れて来おったから言うて、宗員(そういん)からも兵糧をほとんど分けてもらえへんかったんや」

 

 宗員は董卓が引き継ぐまでの予定で広宗包囲軍を指揮していた仮の司令官だ。

 董卓が広宗に現れなかったため、皇甫嵩が引き継ぐまで漫然と包囲を行っていた。

 

「どれだけ連れてきたの?」

「……一万騎」

「夢が溢れすぎだろ」

 

 張遼と空海以外の全員が吹き出した。軍馬というのは人の2倍から3倍は食べるのだ。城攻めに使えない1万の兵と2万5千人分の食料消費係を連れているようなものだ。

 

「と、とにかく、このままやったらウチら死ぬとこやったんよ。ホンマおおきに!」

「どういたしまして」

 

 深く頭を下げる張遼にも、空海は軽く笑いかける。

 

「せやけど、一つ聞きたいことがあんねん」

「なんだ?」

「ウチらも騎兵。アンタんトコも騎兵。せやのに、何でウチらの前に布陣した? ウチらの前に布陣してどないすんねん?」

 

「ん? 『勝つため』じゃあ不足か?」

 

 にっこり笑って告げる空海に、張遼はしばし言葉を失うのだった。

 

 

 

 

 

「曹操が合流したか」

「上手く物資を焼き払ってくれたようです。ただ、義勇兵を3千余り拾ってきたとか」

 

 曹操に西回りを指示してから5日。

 この5日は江陵軍主導での襲撃作戦が繰り返されている。

 

 黄巾賊は、何故かこの広宗周辺で士気がとても高い。何をするにしてもまずはこの士気を落とすことでことの運びが楽になるというのが上層部共通の判断だ。

 ストレスを与えて士気を落とすため、夜間の襲撃や、防御方法の異なる侵攻をいくつか試みたり、目の前で大規模に炊き出しを行ったり、罪状を読み上げてみるとか、鎮圧後の賊の末路を大声で語るなどしている。

 官軍側の攻撃に対する反応の遅れや過剰な反応、少しずつ出始めた逃亡兵、自暴自棄になった突撃など、黄巾賊にもそろそろ崩壊の兆候が見られるようになってきていた。

 曹操の襲撃によって追加の兵糧などがなくなったと知れば、いよいよ食べ頃だろう。

 

「義勇軍はもういらないんだけど……まぁ扱いは任せる」

「畏まりました」

 

 

 ところで最近、江陵の将兵の間では璃々に対する教育が流行している。

 それもこれも、黄忠が教育と称して璃々に「お母さん」と呼ばせたのが始まりである。次いで空海を「お父さん」と呼んだことこそが真の始まりなのかもしれないが。

 今や江陵軍の陣営内には璃々の「お母さん」が10人以上いる状態だ。

 なお、空海を「お父さん」と呼ぶことは禁止した。女性陣が怖かったからである。

 

 璃々の日課は午前中が勉強、午後は空海と一緒に陣地を見て回ることだ。空海の護衛に黄忠と黄蓋も同行する。諸侯の陣容を知りたい周瑜や郭嘉、程立、趙雲も同行する。馬で城攻めに来て暇をしている張遼も同行する。とんでもない集団が完成する。

 

 本日の獲物は曹操だ。

 陳留刺史の曹操は、原則的には四品官の文官であり、軍事権を持たない。陳留が比較的重要な土地であるため、三品官に近い四品官と言った所だ。

 空海が文武の両方で二品官、周瑜が文武の三品官、黄忠と黄蓋が三品官の武官である。

 賊の討伐に派遣されている中郎将は五品官から四品官相当だが、軍事権は曹操より上になる。曹操の軍事権は張遼と同等以下だ。

 つまり、本社の大幹部が重役を引き連れて子会社の視察に来るようなものだ。

 

 曹操陣営が天幕を手早く立てていくのを見て、空海は笑みを深める。お昼寝中の璃々をそろそろ起こすべきか、と。

 

「クックック……行くぞ曹操、おやつの準備は万端か」

「行軍におやつは持って来ないでしょう」

「食の娯楽という意味では、(へい)なんかを用意するかもしれませんがー」

「空海殿にはメンマをお勧めしますぞ」

「ごめん、メンマは苦手なんだ」

 

 苦手を告白した空海に、趙雲が驚愕の表情を見せる。

 

「なんと! それはいけません、メンマのすばらしさについて――」

「あの食感」

「食感! コリコリとした歯ごたえ、噛んだときにあふれ出す――」

「食べられまいとするタケノコの、最期の抵抗みたいに感じて苦手なんだ」

『……』

 

 空海以外の全員が顔を引きつらせる。嫌な想像をしちゃったじゃないか、という抗議の視線が集まり、空海が咳払いをして誤魔化す。

 

「味は好きだよ。細かく切ってあれば平気だし、刻んで料理に使ってあるのはいいよね」

「おまっ、お待ちいただきたい!」

 

 趙雲が大声を上げる。

 

「何?」

「江陵には……江陵にはっ! メンマを使った料理があるというのですか!?」

「え。うん。メンマ入りの餅とか、麺とか」

「な……」

「チャーハンの具とか、煮物とか、包み焼きみたいなのもあったかな」

「な……なんと……」

「辛い味付けの炒め物は酒のつまみに良いって聞」

「趙雲子龍真名を(せい)と申します一生お仕えしますぞ空海様いえ主っ!」

 

 あまりの早業に、身体スペック的に追いつけたのは空海だけだった。

 趙雲は。深く一礼し、その場に跪き、にじり寄って空海の手を取るまでを、護衛も反応出来ない程の早さでやってのけたのだった。

 

「興奮したのはわかったけど、頭を下げるならもう少しゆっくりやれよ……。髪飾りから風切り音が聞こえたぞ」

 

 動きかけた護衛を手で止めた空海は苦笑を見せる。

 

「そんなに気負わなくても、江陵の料理で美味しいものは、いずれ全土に広がる。まず曹操とか他の諸侯を見てから決めればいいよ」

 

 しかし続いて空海は挑発するように目を細めた。

 

「それに、江陵は地位を安売りしない。公覆も漢升も公瑾も、江陵にいる幹部たちも、基本的には全員が試験を受けて訓練を経て俺の側にまで上がってきた。お前には門戸を開いておくから、いつでもおいで」

 

 趙雲の目に強い光が宿ったのを見て、空海が黄蓋に目を向ける。

 

「過去最短は公覆の3ヶ月だったか?」

「冥琳が2ヶ月と少々ですな」

「私は学院時代より実地の訓練を受けておりましたので、数に入れるべきではないかと」

「そういう意味じゃ孔明と士元の方が早くから深い部分を任せてるしね」

「朱里などは最初に与えた仕事が『流通における遅延要因の特定と解消』ですからな」

 

 周瑜が苦笑いと共に口にした話題に、江陵組の意識が馬車鉄道に飛ぶ。

 

「孔明の馬車早いよねー」

「駅の発想には驚きましたな」

「ワシは馬車のアレを見て『コイツには敵わん』と思ったわ」

 

 孔明はそれまで2頭立てまでだった馬車を6頭立てまで用意し、そのために厩舎の整備計画を用意し、連結器を考案して実用化し、駅に分岐を作り、線路と駅の間に段差を作ることで荷物の上げ下ろしを効率化する方法を編み出した。

 連結器にいたっては、興奮した鳳統がバーベルより重いそれを持ったまま空海の所まで駆け込んできたほどである。物流の革命と言って良かった。鳳統は死にかけた。

 実は江陵軍の馬車にも使われているのだが、あえて連結を隠してあるため、詳しくない郭嘉たちには気付かれていない。

 

 江陵の話題に郭嘉が静かに頷く。

 

「江陵……私も一度行ってみたいものです」

「風は一度行ったことがあるのですよー。ご飯がとても美味しかったのです」

 

 程立は東郡出身、郭嘉は頴川郡出身で、郭嘉の方が徒歩3日ほど江陵に近い。

 

「私は……地元が、江陵に学ぶものなどないと言った空気でしたので、なかなか」

「まぁ外層には本屋も少ないもんね。旅行者じゃ勉強には向かないかも」

 

 少し悔しそうにしている郭嘉に空海が同意する。周瑜が見下すように笑った。

 

「江陵の知は第3層以上に詰まっている。外層の本屋を覗いて判断する程度のものに、江陵の知を得るすべなどないな」

「ちなみに、さっき言ったメンマ料理は大半が第3層より上の店だね。外に出ない料理もあるかもしれないから、そこはあきら」

「ふた月、いやひと月でお側に上がりましょう! 必ず!」

 

 まだ見ぬメンマ料理に魂を燃やす趙雲が、空海の言葉を遮り拳を握って立ち上がる。

 周瑜と空海はどこかの酒好き将軍を思い出して乾いた笑みを浮かべる。

 投げやりに趙雲を応援してから、空海は周囲に声をかけた。

 

「よし、じゃあ曹操の所にあそ――視察に向かう!」

「聞こえましたね」「手遅れですな」「そうじゃな」「誤魔化せませんね」「ですねー」

「私は主の味方ですぞ?」

「ありがとう子龍、でもやめて」

 

 そこに昼寝から起きた璃々が元気よく飛び込んでくる。

 

「くうかいさま、あそびにいこー!」

「今日は厄日だわ!」

 

 璃々を抱き上げてクルクル回り出した空海に、周囲は爆笑の渦に飲み込まれた。

 

 

 

「陣地の作成はなかなか早いですな」

「柵の一部は廃材じゃの」

「堀にある波模様はなんでしょうか……?」

「女性が多いですわね」

「天幕も男女に分かれているようですねー」

「おっきいはたー」

「璃々よ、あれは牙門旗(がもんき)と言うのだ」

「ヴァモーキ?」

「牙門旗や! 下唇を噛む発音はドコにもないわ!」

 

 騒がしい集団が曹操陣営に近づいていく。もの凄い高官である上にもの凄く人目を惹く集団であるため、陣地に着く前から陣中は大騒ぎになっていた。

 遠巻きに人垣が出来たことで一団の歩みが遅くなる。

 

「ぐぬぬ……公瑾、陽動作戦だ」

「は? ああ、私が曹操に会いに行けと」

「うん。あ、お前たちも一緒に行っていいぞ」

 

 空海は郭嘉たち3人組に告げる。武官をもう一人くらい付けた方が良いかと考え、黄蓋と黄忠に目をやる。

 

「そうだな、公覆も一緒に行くように。公瑾を止めてやれよ」

「はっ」

「私の方が祭殿を止めることになりそうなのですが……」

「公覆がいるだけでも冷静になれるだろ」

 

 空海の言葉は半分はからかいだが、半分は事実だ。黄蓋に限らず、暴走しそうな人間がいれば自分が冷静になるだろうことが予想でき、周瑜は口を閉ざす。そして、万一周瑜がいきり立ったときに止められるだろう人物が黄蓋しかいないことも事実だった。複雑な表情の周瑜に微笑んで、空海は黄忠と璃々を連れて離れる。

 

 そうして、周瑜たちが完全に人影で見えなくなってから立ち止まった。後ろから付いてきていた張遼が追いつく。

 

「もー。置いてかんといてやー」

「幼平」

「はいっ!」

「うっひゃあ!?」

「公瑾と公覆に付け。万一戦闘になるようなら、まずは戦闘を止めることを優先し、その後は公瑾の指示に従え」

「わかりました!」「え? え? 何なんこの娘?」

 

 空海の命令を受けた周泰消えたように移動するのを見ていた張遼が声を上げる。

 

「誰なんあの娘! めっちゃ早いやん!」

「あの娘は周幼平、俺の部下の一人で猫好きの娘だよ」

「猫は関係無いやろ!」

 

 騒ぎまくる空海と張遼が落ち着くのを待って、黄忠が心配そうに尋ねる。

 

「空海様、あちらは……戦闘に、なりますか?」

「さあ? まぁもし戦闘になっても、酷いことにはならないと思うよ」

「そう……ですか」

 

 考え込んでいる黄忠を放置し、空海はさっさと歩き出す。抱き上げている璃々が人混みを見回すのに飽きてきたようなのだ。

 

「よし、まずはあっちに行ってみよう!」

「いこー!」

「え? あっ、待ってください!」

「ちょっ、だから置いてかんといたってやー」

 

 

 

 二人の少女が木箱を椅子代わりに、荷車を机代わりにして本を広げている。

 

「はぁー……アカン。ウチもう絡繰り馬家と家族になりたい」

 

 一人はドリルを側に置き、縞模様のビキニと革のベルトとマントとゴーグルで時代を間違えている少女。

 

社練(しゃれん)の新作香水……何で、何で、荊州限定なのぉぉぉー」

 

 もう一人は明るい色の髪を三つ編みにし、紫を基調にした服とピンクのベルト、身体の所々にドクロをあしらったアクセサリを身につけた眼鏡の少女。

 

 二人が読んでいるのは江陵情報誌『空海散歩』だ。

 互いに興味のあるページを開いて顔をつきあわせて好きに読んでいるようだ。空海たちが近づいても、本に顔をくっつけるように近づけていて、全く気がつかない。

 空海は唇に人差し指に当てて璃々と張遼に笑いかけ、二人も意図に気がついてニヤニヤ笑う。黄忠だけが苦笑して、それでも生来の悪戯好きは何も言わない。

 

「なっ! 商品化目前の新製品お披露目会やて!?」

靴地(くっち)の新店舗開店記念特売が来月から!」

「旧店舗は1割引だが、新店舗の方は3割引だな」

「さ、3割も……!? 買い放題! 買い放題なの!」

「洗濯機! 手回し洗濯機や! 実用化してたんか!」

「西芝区の工房の新作だな。江陵から持ち出すのにはまだ制限がある」

「アカーン!! アカーン! アカーン アカーン……(エコー」

 

 ドリル少女の叫び声に張遼が吹き出す。

 

「えっ? 社練の抜具(ばっぐ)が豫州でも取り扱い開始予定って書いてあるの!」

「それ、黄巾賊が鎮圧されるまでは無期延期ということになったぞ」

「こうしちゃいられないのー!!」

 

 眼鏡少女が勢いよく立ち上がり、そしてようやく空海に気がつく。張遼が笑い転げ、黄忠までも璃々を置いて口を押さえている。

 

「あれ? お兄さん誰なの?」

「あー! 何すんねん沙和! 工具店が移転や書いてあったのに!」

「六徳工具なら、入り組んだ場所にあった店が表通りに出てきただけだぞ」

「おお!? せやったんか! 兄ちゃんおおきに……誰?」

 

 空海のネタ晴らしよりも早く、本を覗き込んだ璃々が声を上げる。

 

「あー! くっきーがでてる!」

 

 ここ数日で覚えたクッキーの味、といっても江陵で焼いてきたものなのでいくらか味は落ちているが、とにかくクッキーの味を気に入った璃々は、おやつのクッキーを誰よりも多く食べているのだ。

 

「おお。この店か。ここは香りの良い茶葉に蜂蜜を入れて飲むんだ。クッキーの方も花の香りのする少し柔らかいものだから、女子に人気が高いな」

「おいしそー!」「へー。ウチも行ってみたいわー」「美味しそうなのー」

 

「この店は、前は工具店だったんだが、色々あって店の場所を入れ替えたんだ。前に服屋だった方は、今工具店に改装中だよ」

「服屋さんの場所は覚えてるの」「ウチも前の工具店の場所は覚えとるわ」

 

「ここの新作髪留めは新しい工具を使って作られてる。先端に硬い宝石をはめ込んだ彫刻用の……キリみたいなものでね。細かい模様を付けるのに使ってるんだ」

「すっごく可愛いのー」「あら? この髪飾りなら私も持っていますわ」

「しおんお母さん璃々もつけるー!」「沙和もつけるのー!」

 

「せやで! あの堀はウチのドリルで掘ったんや! 大将が城の方よりも外側の方を深く掘れ言うもんやから大変やったわ」

「ずががががーって凄い勢いだったの!」「螺旋の力が高まる……溢れる……!」

 

「あ、ここはやめておけ。筋肉モリモリマッチョマンの変態たちが給仕係なんだ」

「「なんでやねん!!」」

 

 

 ドリル少女が本をパタンと閉じ、伸びをする。

 

「いやー。兄ちゃんの話が上手くてつい話し込んでまったわー」

「そうなのー。あ、沙和は()(きん)文則(ぶんそく)なの!」

「ウチは()曼成(まんせい)や! 兄ちゃんは?」

「俺か。俺の名は――」

 

 空海は悪戯を思いついた様にニヤリと笑い、

 

「その本の表紙に書いてある」

 

 少女たちの絶叫が響くまで、2秒。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「ふむ。張角(ちょうかく)張宝(ちょうほう)張梁(ちょうりょう)か。こちらの耳には入っていなかった。礼を言おう」

「はっ」

「これでこちらの策(・・・・・)にも厚みが出るというもの。曹陳留の働きには期待している」

 

 周瑜の言葉に曹操が顔をゆがめ、しかしそれを隠す様に頭を下げる。

 

「じゃがあの義勇軍は何じゃ?」

「然り。糧食を要求されたことはいい。だが皇甫中郎の目の前に陣地を、しかも構築まで要求するなど……専門家である我らの意見が軽視されるとは、どこの誰が間違った認識を植え付けたのか知りたい所だな」

 

 周瑜は、同行してきた曹操が与えた官軍の印象に基づいて行動しているのではないか、と攻め立てる。曹操は頭を下げたまま、淡々と答えた。

 

「はっ。義勇軍を率いております劉備は先の盧中郎の門生であり、私見ですが、中郎将の後継を自任しているのではないかと……また、簡雍(かんよう)田豫(でんよ)と言う者が入れ知恵を行っていると思われ」

「もうよいわ!」

 

 曹操の言葉を遮ったのは黄蓋だった。

 

「盧中郎の威名に萎縮して媚びたんじゃったら、そう言えばよい!」

「っ貴様ァ! 華琳様に」

「やめなさい春蘭!」

 

 黄蓋の挑発に飛び出しそうになった夏侯惇を、咄嗟に曹操が止める。他に数人の部下を視線で抑え、すぐに黄蓋と周瑜に向かって再び頭を下げる。

 

「部下を御せず申し訳ありません。ただ、私も部下も、盧中郎や皇甫中郎や空海元帥らがいかなる人物であるのか存じておりませんので、萎縮のしようがありません」

 

 曹操が謝罪し、弁解しつつ挑発する。周瑜は大仰に驚きを示した。

 

「これは驚いた。ずいぶんと視野の狭い刺史も居たものだ。このままでは、お前のために死ぬ部下が哀れに過ぎるな。いっそ例の義勇軍と陣地を入れ替えてはどうだ?」

「ご厚意に感謝いたします。ですが、過分のご配慮はどうぞ無用にされますよう」

「じゃが、このような弱兵で包囲を行うなどザルで水をすくうようなものじゃ。音に聞く夏侯惇とやらでも連れてきたらどうじゃな? ここに居る(・・・・・)弱卒とは出来が違うんじゃろ?」

 

 左右から交互に繰り返される挑発に、曹操が歯を食いしばる。夏候淵が夏侯惇を抑え、同時に後ろの控える少女たちを視線で封じる。

 

「心配は無用です、祭殿。例え弱兵であっても使い切るのが軍師というもの。曹陳留、命令にはもちろん従ってもらうが、それとは別に、そちらが実力以上の功を上げるために策を授けても良いのだが?」

「過分のご配慮はご無用に……」

 

 周瑜は小さく、ふむ、と漏らす。ここで斬り合いになるのは望ましくない。この辺りが引き際かと考えて一つ頷く。

 

「ならば討伐への口出しは無用。追って命があるまで大人しくしていることだ」

「……はっ」

「帰るか、冥琳」

「そうしましょうか、祭殿」

 

 遠くから聞こえてきた絶叫に向かって、二人は歩き出す。

 

 

 

「動くかのう?」

「さて。あるいは、我らを動かそうとするやもしれません。ただ……周囲の者は、戦功を焦るでしょうな」

 

 黄蓋と周瑜は、先ほどとは打って変わって飄々と会話する。

 

「焦っても焦らんでも変わらんがな」

「左様ですな。慎重に動いて我らの命令通りとなるなら良し。命令を無視して無理矢理に戦功を上げても良し。奸計を巡らせればこれを潰し、以後の抑えとしましょう」

「こちらに直接襲いかかってくるかもしれんぞ?」

 

 黄蓋は面白そうに笑う。わざわざ後ろの者に聞かせているのは、これを知られることもまた、損にはならないからだ。

 

「何のために1万の騎兵に恩を売り、その目の前に布陣したと思っているのです」

「では、例の義勇兵で曹操の後ろをふさいだのは、後退を防ぐためか?」

「あの義勇兵たちは曹操以上に功を焦っているようです。曹操が引くにも進むにも留まるにも、義勇兵が足かせとなるでしょう」

「……というワケじゃ。わかったか?」

 

 黄蓋が後ろを振り返り、意地悪そうに笑う。

 郭嘉がやや顔を青ざめさせつつも鋭い目つきで、程立が眠そうに、先ほどまで仏頂面を晒していた趙雲が今は緊張した面持ちで、二人を見つめ返す。

 

「お二人が煽っていたのは、曹孟徳自身ではなく、その周囲だったのですか?」

「そうじゃ」

 

 郭嘉の質問に黄蓋が短く答える。

 

「曹操さんに何を期待されてるのでしょうー?」

「あえて言葉にするなら、この戦いを手早く終わらせること、か。程度の違いはあれど、もはや曹操がどう動いても得になる」

「……ぐぅ」

「寝るなっ!」

 

 程立が周瑜に問い、郭嘉に突っ込まれる。あるいは、この件に関しては曹操が動かなくても、反抗されても、江陵の利益につなげることが出来る。

 

「あれだけ煽ったのです。本当に襲われるかもしれませんぞ?」

「今なら討ち取ることは容易い。あの場でやり合っておっても勝てたからの」

 

 趙雲がおどけるようにして尋ねれば、黄蓋は軽々と答える。背を伝う冷や汗を誤魔化すように、趙雲は更に踏み込む。

 

「では、今襲われたら?」

「儂が油断しておるように見えるのか」

 

 静かに笑う黄蓋に武人の境地を見た気がした趙雲は、黙って首を振り、一歩下がる。

 

 普段と変わらぬ様子を見せている周瑜と黄蓋をよそに、3人娘はそれぞれ自身の思考に沈んでいた。

 空海が指示を出した後に考え出されただろう策が、打ち合わせもなく阿吽の呼吸で実行されたこと。

 まるで兵法書の一節をなぞるように、どう動こうと策が成るなどと言われたこと。

 一流と言えるだろう武人たちを目にしておいてなお、気負いすら感じさせずに勝てると言い切ったこと。

 

 ただ、3人に共通する思考は

 ――もしかしたら空海は、全く油断のならない人物なのではないか?

 そしてその空海が今こうして別行動を取る意味はと考え、同時に視界に入った光景を、幻覚だと思い込むことにした。

 

 

 空海は、曹操軍の将と思しき2人の少女に跪いて拝まれながら、少女らの仲間と思しき凛々しい少女に頭を下げられ、3人に荷車に追い詰められて、荷車に乗っている璃々には頭を叩かれていた。

 

「靴地の厚底算駄留(さんだる)編み上げ不宇津(ぶうつ)手提げ当都(とうと)抜具(ばっぐ)5番香水曳似(びきに)の水着……」

「高級工具一式50体限定からくり馬岱一号新作塗料手動のこぎり捻子式くるみ割り人形手回し洗濯機……」

 

 2人の少女に呪詛のようなものを唱えられ、身体を反らしてどん引きした様子で距離を取ろうとオタオタする空海。離れて様子を見ている張遼と黄忠には爆笑され、少女たちを両手で押さえながら周囲に助けを求めている。

 なお、護衛は笑っていた。

 

 

 空海以外全員が周瑜と黄蓋に怒られた。




参ったな……(策の説明を混ぜたら)予定より長くなってしまった……。次回、山田。
空海は漢の有名人かつ重要人物です。どのくらい有名かと言えば、沙和と真桜が名前を知っているレベル。

プチ解説。
算駄留、不宇津、当都、抜具、曳似、高級工具、新作塗料、手動のこぎり、捻子式くるみ割り人形は全てゲーム内で出てた言葉です。そしてゲームでからくり夏侯惇を作っていたのは許昌の職人。この作品では江陵の職人が作る予定。そのうち肖像権を買うんです。


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4-6 覇王、歌姫、小娘

 曹操が合流してから2日目の午前。江陵陣内では皇甫嵩や張遼、曹操らを交えた軍議が執り行われていた。

 

「では明日からは門の破壊と、早朝の襲撃を追加する」

「お? やっとウチの出番かぁー」

「これまで通り遊撃も行ってもらうが、左右の抑えは曹陳留が行う。左右は包囲の兵数を多く見せるように」

「はっ」

 

 朝夕には兵士を横に広げて旗を多く立て、包囲の兵を実際より多く見せて士気を落とす作戦が繰り返されている。

 賊が焦って飛び出してくれば馬で蹂躙し、守っていれば追加で策や攻撃を行う。

 

「逃げ出す賊も多い。そちらで一時的に受け止め、可能な限り撃滅。以降は指示を待て」

「……はっ」

 

 実際、当初は賊15万人に対して官軍3万程度だった戦いは、既に賊が12万人にまでその数を減らしている。官軍など、逆に4万人にまで数を増やしている。

 15万人で攻められれば官軍の兵1人が賊を5人殺さなくてはならない戦いも、2千から3千人ずつの小集団の駆逐なら、近づかれる前に半減し、触れれば蒸発といった戦いになるため、兵力の損耗はほぼゼロだ。

 

「張文遠は夜明けと共に北に布陣し、賊に川を渡らせぬよう壁となってもらう」

「ん、任せとき」

「馬では夜襲は出来ぬだろうから、夜襲に参加したい者は江陵の陣まで来い」

 

 周瑜が笑いながら告げる。夜襲のために陣まで来る者など張遼しかいないからだ。

 張遼に滞在許可を出すのは空海からの要望である。曹操への抑えにもしている。

 張遼が笑いながら了解し、周瑜は諸侯の布陣を伝えていく。

 

「では皇甫中郎の本隊を除いてはこれまで通りに。本隊は正面の城門への攻撃を指揮していただく」

「お言葉ですが……賊たちは既に戦意を失っております。降伏勧告を行うべきです」

「そのための布石ですよ、皇甫中郎。連中も、数で劣って口うるさいだけの我らに降伏したいなどとは思っておりますまい」

 

 実際、周泰を使って探らせている範囲では、未だ熱心に防衛を説いている者たちも多いらしい。身内の犯行を装って排除を行っているが、万に届くかという狂信者たちが相手では焼け石に水だ。

 周瑜の説得に対して、叔父の話を持ち出したり儒学がどうとか言い出したり、人道がどうとかこうとかうるさくなってきた皇甫嵩を適当にあしらいつつ、軍議を切り上げる。

 

「では軍議はこれまで。各自の働きに期待する」

 

 

 

「あれ?」

「む? どうかされましたか、空海様」

 

 黄蓋を伴って陣中をウロウロしていた空海は、曹操陣営から違和感を感じとった。

 

「今日も夜襲があるよね?」

「そうですな。冥琳からも特に変更があったなどとは聞いておりませぬ」

 

 黄蓋に集まる視線が妙に多いのだ。最初に陣を視察したときに匹敵するほどに。

 

「曹操軍の兵士たち、妙に浮き足立ってない?」

「……陣中を覗いたときと大差ないように見えますが」

「だよね……あ、郭奉孝、程仲徳、いいところに来た」

 

 璃々を昼寝に連れて行くのは郭嘉たち3人娘に与えられた仕事である。おそらくはその仕事を終えて陣内に出てきたばかりであろう2人を空海が発見した。

 

「何か御用でしたか、空海様」

「おやおやー、まさかこんなところで風たちを」

「今日も夜襲があるんだけど、曹操陣地の様子おかしくない?」

 

 程立の発言を最後まで許すと、火のない所に煙を立てて社会的にダメージを与えてくるので、空海が積極的に妨害している。空海以外が止めてくれないのだ。

 

「儂は、陣中を覗いた時と大差ないと思うんじゃが……」

「んー。確かに浮き足立って見えなくもないですねー」

「しかし戦闘前ですし、そういうこともあるのでは?」

「左様ですぞ、空海様。戦闘前というのは気が高ぶるもの」

 

 黄蓋と郭嘉は否定派、程立も違和感を説明できない程度であって、確信にはほど遠い。むしろ、確信に最も近い位置にあったのは空海の心情だった。

 

「曹操って、そんなものなの?」

『!?』

 

 空海の一言に全員の持つ空気が変わる。先ほどまで感じていた侮りが消え、曹操軍の陣から感じる僅かな違和感に、強い疑問がわき上がる。

 

「俺の印象だと……こっちを見てる兵の体つきが、細いというか農民っぽいというか」

「……まさか、例の義勇兵か?」

「では、本物の兵士たちは……もしや」

「ひょっとしてー、曹操さんは威嚇の夜襲ではなく、独断で(・・・)本格的な夜襲を行うつもりで準備しているのではー?」

 

 義勇兵を陣内に招き入れて夜襲の準備を行うフリをさせているために、緊張感のようなものとはかけ離れた視線が黄蓋に、現在は郭嘉や程立にも集まっているのではないか。

 そう結論づけてからの黄蓋は早かった。

 

「明命」

「はっ」

「冥琳に伝えよ。『曹操陣営に動きあり』と」

「了解しました」

 

 天幕の物陰に向けて声をかけて周泰を動かす。

 

「相変わらず、とんでもない身体能力ですね」

「理屈さえわかってれば半年間鍛えるだけで半分くらいは再現出来るよ」

 

 もう半分を鍛え抜くのに抜群の才能と10年近い歳月が必要であることには触れない。

 

「ほほー。風も猫さんみたいにぴょんぴょーんと跳んで回りたいものですねー」

「まぁあの娘も猫好きだからな」

「猫は関係無いでしょう……」

 

 空海たちの元に周泰に声をかけるため離れていた黄蓋がやってくる。

 

「空海様、軍議を開くことになります。一度、戻ることをお勧めしたいんじゃが……」

「いいよ、戻ろうか。お前たちも来る?」

「是非に」「もちろんですー」

 

 軍議に部外者を誘うことに、黄蓋が渋面となる。

 

「空海様、軍議にあまりよそ者を……」

「江陵軍の最大の優位は、独自性ではなくて練度だ。公覆もそう思うだろ?」

 

 練度というものは、真似したくても真似できるものではない。精々が、目標だ。

 長く険しい鍛錬の果てに得た自負を刺激する言葉に、黄蓋は何も言えなくなる。

 

「――はい」

 

 

 

「……で、軍議に部外者を連れ込んだのですね?」

「はい」

 

 空海は素直に頷く。

 

「軍事というものは秘密があればあるほど他者から恐れられるものなのです」

「はい」

 

 空海は素直に同意する。

 

「軍議というものはその秘密を明らかにした上で多く取り扱う場です」

「はい」「はい!」

 

 璃々が真似をして返事をするが、その返事を聞いて周瑜が眉をつり上げるという、空海にとっては非常によろしくない事態になっている。

 

「今回に関しては事前に予想して手を打ってあった状況であるため、連絡を指示してこの後の行動予定を確認すれば済みますが、そうでない状況もあり得るのです」

「はい」

 

 空海は神妙に頷く。

 

「今後、誰かを軍議に招きたいという場合には、我々……出来れば私に確認を取るようにしていただきたい」

「はい」

 

 素直な空海をいつまでも一方的に怒るわけにもいかず、周瑜の視線は黄蓋を向く。

 

「祭殿。どうして空海様を止められなかったのです」

「い、いや、それは……」

「公瑾。えーと、公覆はちゃんと止めてくれたよ。俺が大丈夫だと思っただけで」

「ほう?」

 

 不機嫌そうだった周瑜の顔が笑顔に変わったことで、空海は急に逃げ出したくなった。

 

「空海様は私のことを余程好いて下さっているようだ……そんなに私の言葉を聞きたいのでしたら、いくらでもお聞かせしましょう」

「はい」

 

 軍議が始まったのは1刻(15分)ほど経ってからのことだった。

 

 

「曹操は自ら進んで消耗してくれるようですな」

「で、あるならば儂らは消耗を曹操に押しつければ良いじゃろ」

 

 周瑜と黄蓋が状況と方針をそれぞれ口にする。

 

「利だけを奪う、という意味でしょうか?」

 

 郭嘉が疑問を口にする。夜襲のような確認しづらい戦場で利を奪うのは難しいのだ。

 黄蓋が鼻で笑う。

 

「戦功などくれてやればよい。儂らの目標は賊の早期鎮圧と……」

「璃々と賊の首謀者を引き合わせること、ですな」

 

 周瑜としては優先度のやや低い目標だが、空海の言を違えさせるのも心苦しい。被害を抑えて実現出来るなら出来るだけ実現を目指そうと考えている。

 

「じゃが、義勇兵と結んだのには少々困ったのう」

「首を約束しているかもしれませんな。張角たちの周りには狂信者どもがいますが、乱戦ともなれば突き抜ける者たちも出てくるかと」

 

 曹操軍のように訓練された兵士ならば夜襲を行っても整然と戦える。どのような戦場であっても味方と連携して戦えるようにすることが、軍に入って最初に学び最後まで訓練をやめない基礎であり基本なのだ。

 しかし義勇軍ではそれが出来ないため、状況が悪くなればあっという間に敵味方が入り乱れる乱戦へと突入してしまう。少数精鋭の江陵軍にとっては、突入のタイミングを計りづらくなる上に敵を確認しづらくなる、打って欲しくない手であった。

 

「現段階で最も望ましい展開は、曹操軍と義勇兵が足を引っ張り合いながら黄巾賊を引きつけている間に、我らが首謀者を確保してしまうことじゃな」

「最も望ましくない展開は、曹操軍が黄巾賊とぶつかった後に義勇兵が割り込み、混戦にもつれ込むことでしょう」

 

 郭嘉が密かに冷や汗を流す。周瑜が言っているのは、つまり、首謀者の首がなくても構わないということだ。この集団に勝つ(・・)方法が浮かばない。共通の敵に勝ってしまえば、どのような形であっても勝たせてしまう。

 ならば江陵に最小の利だけを拾わせ、曹操(じぶん)が最大の利を拾うには、と考え、小さく「あ」と漏らした。

 

「気がついたか、郭奉孝」

 

 周瑜が笑う。郭嘉が口を開く前に、ほぼ同時に気がついていた程立が確認する。

 

「曹操さんはー、江陵の真似をするつもりなのですねー?」

「意趣返しとも言えるだろうな」

「何の話じゃ?」

 

 黄蓋が疑問を挟む。

 

「つまりです、祭殿。曹操は我らが用意したこの状況を利用して、賊を混乱または逃亡に追い込み、張角周辺で起こるであろう乱戦に『少数精鋭』で割り込んで、首を獲るつもりなのですよ」

「ほう」

 

 黄蓋が面白そうに笑う。郭嘉たちの後ろで聞いていた趙雲も同じ表情だ。

 周瑜が表情を戻して続ける。

 

「最も望ましくない展開です。曹操が黄巾賊とぶつかってヤツらを壊走させ、次いで義勇軍をぶつけ、乱戦の起こった場所――つまり、最後まで抵抗している場所に対して制圧を目論むこと、ですな」

「これなら、仮に江陵がこの策を読んでいたとしても、五分より少し悪いくらいで大きな戦功を立てられる可能性がありますねー」

「いえ、江陵がこれまで消耗を避けた戦い方を続けているため、もう少し高く見積もっている可能性もあります。私も……璃々のことを知らなければ、江陵がそのように動くとは想像も出来なかったでしょう」

 

 それまで黙っていた空海が口を出す。

 

「それって逃げ出した賊は夜の闇に紛れて、馬も夜には役に立たないから追撃も出来ない壁にもならないんじゃ?」

「はぁっ? なんやそれ。曹操は……ウチらが何のために包囲しとると思っとんねん!」

 

 周瑜たちが慌てていないのは、首謀者を討ち取り、適当に壊走させれば、組織的抵抗を失うだろうと予測しているからだ。

 空海は今にも飛び出しそうになっている張遼の首根っこを掴む。

 

「にゃ!? ちょっ、何すんねん!」

「まず、曹操が朝まで待たない理由は?」

 

 空海の言葉を聞いて大人しくなった張遼を離す。話を聞く気になったようだ。

 

「はい。まずは持久力の問題でしょう。曹操軍だけが十分な休養の後に夜襲をかけるか、我々と同じような条件から朝駆けをするか、という」

「攻撃が始まってしまえば、暗くて義勇軍の収拾が付かないー、といった理由を挙げられるかもしれませんねー」

「加えて、もし首謀者を捕らえ損ねたときに包囲が十全に働いてしまえば戦功を奪われることにもなります。万一捕らえられても、曹操軍が城から追い立てたという形には出来るでしょうが……」

「ふむ。ならば捕らえ損ねた時には、包囲網か義勇軍かに責任を押しつける、と」

「あの小娘も、弁が立ちそうじゃったからのう」

 

 軍師たちと趙雲、黄蓋がそれぞれの考えを述べる。

 

「では、こちらが策を読んでもなお戦功を立てられると考えている根拠は?」

 

 空海の疑問に最初に答えたのは郭嘉だった。

 

「乱戦は運です。曹操軍は6千人、江陵軍は700人。実際に動かせる人数ともなれば、曹操軍5千に対して江陵軍は300も出れば良い方でしょう。同じように飛び込んだのであれば、運良く(・・・)抜け出せる可能性が高いのは曹操軍だと思われます」

「じゃが、実力で左右する部分もある。現に曹操も『少数精鋭』を用意しておる」

「それも江陵が100人出せれば良い方であるのに対して――」

「我が軍の精兵は全員が一騎当百よ。10倍程度の差など――」

「お待ち下さい、祭殿! 今は曹操の意図を考えているのであって――」

 

 郭嘉と黄蓋が熱く語る。消耗を避けたい周瑜は板挟みとなり、趙雲と張遼の二人はただそれを見守る。

 

「なら江陵は全軍を投入すれば良いじゃないですかー」

「は?」「なにを」

「風! あなたは何をっ」

「空海さんは首謀者を璃々ちゃんに会わせたい、黄将軍は軍の練度に自信がある、周軍師は消耗を抑えたい、官軍は賊を逃がしたくない、曹操さんは戦功を上げたい。それなら、曹操さんが一人で賊を追い立てる前に、日が沈む前に(・・・・・・)、全軍でやっつけちゃうのがいいのですよ」

 

 程立が眠そうに、しかし深々と切り込んだ。これならば江陵の目標はほぼ確実に達成出来るし、空海の目標もかなり高確率で達成出来るだろう。

 張遼が尋ねる。

 

「せやけど馬じゃ城攻めは出来へんで」

「馬は城から追い出した賊を叩くのです。先ほど仰っていたように、賊の士気は崩壊直前なのですよ。最後まで抵抗する前に逃げ出すでしょうー」

 

 空海が尋ねる。

 

「夜襲じゃ馬は使えないんだろ?」

「夜までに片を付ければ良いのですよ」

「む、無理です! 『それ』をやるには練度が足りません!」

 

 郭嘉が声を上げた。程立は柔らかく微笑み、江陵の将に顔を向ける。

 

「江陵軍には、指揮官経験者が居るのではありませんか?」

「ぬ? 確かにおるが……。少将は何人来ておる?」

 

 程立の言葉を受けた黄蓋が周瑜に尋ねる。

 

「なるほど……そうですな。確か、10人ほどではなかったかと」

「少将とは何でしょうー?」

「1万人の軍指揮を取れる将軍だ」

「なっ! バカな! それほどの人材を10人も!? 何という無駄な――」

 

 聞き覚えのない将軍名に程立が疑問を示し、周瑜の解答に郭嘉が絶叫する。

 たかが700人の集団にそれほどの高官を10人も詰め込むなど、と口にしかけ、郭嘉はある可能性(・・・・・)に思い至る。

 

「も、もしやその、『少将』以外の指揮官も同伴しているのですか?」

「うむ。儂と紫苑は中将じゃし、他は全員佐官じゃろ」

「中将は最大10万の、佐官は最低1000人の指揮官だ」

 

 黄蓋の言葉を周瑜が補足する。

 佐官は少佐から大佐を指す言葉だ。将官も佐官も、この時代にはなかった概念なので空海たちが作った。

 つまり、700人全員が1000人単位の指揮が可能だと言っているのだ。普段からそれだけの指揮を執るわけではないが、全員が技能として習得している。

 

「風も、ちょっとここまでは想像してませんでしたねー」

「当たり前です!」

 

 いつも眠そうにしている程立までもが目を丸くして驚く。ですが、と前置きして程立は薄く笑った。

 

「これならば、どうにかなるのではありませんか?」

 

 

 

 

 

「やられたわね」

「申し訳ございません、華琳様。官軍の連携を甘く見ておりました」

「違うわ、桂花。この動きは江陵軍よ」

 

 予定より2時(4時間)早まり、申の初(15時頃)から始まった攻城戦において、官軍の連携は目を見張るものがあった。

 盾を持った歩兵を密集させ、隊列の合間を騎馬隊が縦横無尽に走り回り、賊の逃げ道を見事にふさいでいく。

 城門近くの城壁にハシゴを立てたかと思いきや、周りに群がる賊に矢が殺到する。矢の斉射の後には間を置かずに城門への攻撃が行われる。

 江陵軍の本隊が布陣した南側の門は、近づいただけで内側から開かれた。皇甫嵩の本隊がある東側も、まもなく門を破るだろう。

 

 西側に布陣していた曹操軍など、最初に城壁に取り付いておきながら、むしろ出遅れている感すらある。連携して賊を追い立てる官軍に多数を押しつけられている形だ。

 だが――

 

「関羽と春蘭が城壁を越えたようです!」

「そう。桂花、出来るだけ支援なさい」

「はっ!」

「……勝負はここからよ」

 

 

 

 

 正面から門を突き抜けて入り込んだ江陵軍の突入組。程立と郭嘉には、空海の名代として皇甫嵩の陣に残るよう指示している。

 これで突入組は黄蓋、黄忠、趙雲、張遼、周泰、周瑜、そして璃々と空海を加えた8人が中心になる。

 江陵の兵士は周囲の建物や物陰を次々と制圧していく。通りに溢れる賊は、猛り狂った武官たちの餌食だ。アイロンがけのように、通り過ぎる所から真っ平らにして征く。

 

 

 

「これが、張文遠?」

 

 開幕から張遼の背中を見つめていた空海の言葉は、明らかな失望の色を含んでいた。空海が冗談以外でこういった発言をするところを初めて見た江陵組に強い驚きが生まれる。

 

 一方で張遼本人に生まれたのは、空海に対して抱いて居た淡い期待を裏切られたような怒りと、誇りを傷つけられたという名状しがたい気持ちだった。

 その気持ちが暗い方に向かず、絶対に認めさせてやるという負けん気に現れるのも誇り高い張遼らしいところではある。

 

「なっ……よう見ときぃ!!」

 

 張遼が強く言い放ち、その背丈よりも大きな偃月刀を振るう。

 細く高い音が重なるようにして、矢が落ち、太刀が弾かれ、黄巾が落ちる。三歩を進む間に偃月刀を六度振るい、その六度で六人の命を刈り取る。

 その早くて鋭い武に、横目に様子を窺っていた趙雲も口の端を持ち上げた。

 

 しかし空海は。

 

「はぁ……マジか……」

「――なんや、文句あんのか」

「当たり前だ」

 

 空海の心境は一言で表せた。

 

 ――張遼と聞いて期待していたのに。

 

 落胆である。

 

 目の前の張遼があの(・・)張遼でないことは、空海も理解していた。

 しかし、三国時代で最も楽しみにしていた邂逅がこのような結果になってしまったことに、落胆は隠せなかった。

 

 ――これじゃ俺の(持ちキャラの)張遼(やまだ)じゃないだろうが!

 

 ほんの数秒間、落胆一色だった空海の心。だが、もとより楽観的な空海はある可能性に気がついて、一瞬で反対方向にテンションを振り切った。

 

 ――そうか! なら育てればいいじゃん!

 

 空海は急に元気になって璃々をその場に下ろし、いそいそとその辺に落ちてた槍っぽいものを拾い上げ、1本だと強度が心配なので3本まとめて引っつかみ、張遼の一歩前に出て、笑顔を抑えきれない今の顔を見られないよう前を向いたまま、告げた。

 

「よく見ておけ。これが、張文遠に期待していたものだ」

 

 まずは見本プレイである。

 

 いぶかしむようないくつもの視線や慌てて止めようと近づく江陵組を振り切って、小さな身体が賊の目の前に躍り出る。

 人体が超えられない壁、音すらも置き去りにして。

 

 

 

 それは、敵対する賊すら目を奪われる暴力の嵐だった。

 

 広宗城の中央で、

 荷車がすれ違えるほど広い通りに限界まで詰まった人の群れが、

 青の暴風に触れた瞬間から消し飛んでいく。

 

「――ふっ! せやっ! おりゃっ!」

 

 一声ごとに、一振りごとに、数十人の黄巾が宙を舞う。

 風を起こすような踏み込み。束ねた方天戟(ほうてんげき)が振るわれる。

 

「推して参る!!」

 

 掲げた武器は折れ、構えた盾は割れ、地面さえ震えた。

 至近距離で放たれる矢すら、踏み込みながら武器を振るう動きでかわしていく。

 

「真の武よっ!」

 

 矢と血が降り注ぐ中、一点の曇りもない青い衣が翻る。

 流れ出した血液さえその姿を恐れるように青と白には触れようとしない。

 

「いざ――」

 

 凄烈の気合いが炎のようなオーラとなって立ち上がる。

 見ている者の目には、打ち付けた方天戟から炎が燃え広がる姿が映り――

 

邪魔(やま)だアアアァァーッ!!」

 

 叫び声と共に振るった方天戟の軌跡から、黄金の輝きが放たれた時。

 

 張遼は、そこが戦場であることも忘れて跪いていた。

 

 

 

 埃が晴れる。一点の曇りもない青い羽織と白い着物を纏った小柄な男が、方天戟3本を束ねて持ち、息一つ乱さずに薄く笑って『賊だったもの』を見下ろしている。

 

 男はゆっくりと視線を上げ、やがて、棒立ちとなった人の壁と目を合わせた。

 

 賊たちの絶叫が上がり、生きて動けるものは全てが我先にと逃げ出す。

 黄色い波が引いたとき、そこに残ったのは突入組だけだった。

 

「ふぅん。リアル無双ってこんな感じなのかー」

 

 神スペックを振るえば、特殊能力を使わなくてもこんなものである。むしろ、ほどよく手加減するために苦心したほどである。発光するのは難しかった。ぐわっという感じで。

 空海は手に持っていた槍っぽいものを投げ捨て、すっきりした笑顔できびすを返す。

 そして空海は。

 張遼が跪いているのを見て疑問を抱き、黄忠と黄蓋が停止しているのを見ておそらく空気を読まずにやらかしたのだと推測し、趙雲が横目に自分を見ながら固まっているのを見て何かやってしまったのだと確信し、周瑜が固まって呆けているのを見て常識を外れすぎた行動を取ったのだろうと確認し、璃々だけが目を輝かせているのを見てまあ何でもいいかと何もかも投げ出した。

 

「すごーい! くうかいさまっ、すっごーいっ!」

「どうだ、璃々。俺の山田無双、格好良かっただろ?」

「かっこよかった! すごかったー!」

 

 もはや動ける敵は一人も居なくなった戦場で、空海が作り出した『通路』を璃々が駆け抜け空海に飛びつく。空海は優しく抱き上げて、教育によろしくない風景を見せないよう璃々の顔を胸に抱くように支え直す。

 

「よし。道が空いたから張角まで一気に近づけるね……どうしたの、子龍?」

「い、いえ? 何でも? ありませぬ?」

「文遠も顔を上げてよ」

「はい! ご主人様(・・・・)!」

 

 世界が止まった。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「……もう潮時ね。応援がどうこう言っている場合ではないわ」

「何? その荷物」

「逃げる支度よ。3人分あるから……みんなでもう一度、やり直しましょう」

「……仕方ないわね。でも、2人がいるなら」

「そうだね、ちーちゃんとれんほーちゃんがいれば何度だってやり直せるよねっ」

 

 3人の少女が、旅支度を整えて立ち上がった。

 

「そういうこと。そうだ、これも持って……」

「太平なんとかだっけ……?」

「そうよ。これを使って、またみんなで」

「もうそんなのいいよぅ! 2人がいれば十分だから、速く逃げよぅよー!」

 

 遠くで起こった絶叫が、黄色い波を伴って、3人に迫る。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「あー、うん。時に落ち着け、張文遠」

「ウチのことは霞とお呼び下さい、ご主人様!」

 

 最初は関西弁に違和感しか感じなかったはずなのに、今は標準語に違和感を感じる空海である。張遼のキラキラと輝く目が眩しい。

 

「ほぉ、ご主人様……」「あらあら」「面白い冗談じゃな……」

「こんなはずじゃないことばっかりだよ!」

 

 張遼が自主的に言い出したことなのに空海が肩身の狭い思いをしている。

 

「とりあえず真名は預かってもいい、けどっ! みんなみたいに字で呼ぶからね!?」

「わ……わかりました、ご主人様……」

「う、うわぁ……」

 

 張遼が両手両膝を地面について沈んでいく(ように見えた)。

 助けを求めて江陵組に視線を向けた空海は、そこに攻撃的な笑顔を見つけて、上げた視線をそのまま下げた。

 

「くくっ。主は女泣かせですなぁ」

 

 茫然自失から回復した趙雲がからかい始めたため、江陵組の機嫌がますます悪くなる。

 

「文遠。ご主人様という呼び名はやめろ。本当に。空海の方で呼んでくれ。本当に」

「わ、わかりました。く……く、空海様」

 

 張遼は空海の名前を口にするだけで真っ赤になっている。このままでは何故か自分が怒られることになるので、空海は話題転換を試みた。

 

「まず、お前には董卓という主君が居ただろ」

「もぉ臣下やめます!」

「おいィ!?」

 

 状況が悪化してしまい、空海は焦る。助けて趙雲、と視線を向ければそこには嫌らしい笑みをたたえた趙雲が。

 

「くくくっ。女にここまで言わせておいて応えないのは男ではありませぬぞ」

 

 助けを求める相手を間違えた空海は窮地に追い込まれた。女性に泣かれるのは、昔から苦手なのだ。騙してくる相手ならまだしも、慕ってくる相手なら容赦もする。

 

「……わかったから、普通にやめてこい。仕事を投げ出して江陵に来るのは駄目だよ」

「わかりました! すぐやめてきます!」

 

 空海は慌てて飛び出そうとする張遼の首根っこを掴む。

 

「にゃ!? 何すんねん! です!」

「ここでやること済ませてからだってヴぁ!」

 

 言葉遣いはショックで戻った。空海はそのままにしておくよう懇願した。

 

 

 

「ん? てんほー?」

『張角、夏侯元譲が討ち取ったぁ!』

「む」「ぬ」「そんな」

 

 遠方の建物の影から繰り返されながら徐々に近づいてくる鬨の声に、空海たちが顔を見合わせ、黄巾が膝をつく。

 夏侯元譲は曹操の部下、夏侯惇のことだ。空海にはその容姿はわからないが、聞こえてきた声は女性のそれだった。

 

「公瑾、漢升、すぐに確認してこい。黄巾の連中は『てんほーちゃん』がどうだとか口にしていた。年若い女が含まれている可能性が高い。公覆はこの辺りの掃討だ」

『はっ』

 

 既に周泰の調査によって、張角、張宝、張梁らの3人が居るらしいこと、狂信者を集めて何度か集会らしきものを開催したことが確認されている。

 そして空海は、経験則から彼女たちがおそらく3人組の女性なのだと考える。

 

「幼平!」

「はいっ!」

「周囲を、特に曹操陣営を探れ。張角たちの居場所を独自に掴んでいる可能性がある。あるいは、陣内かその周辺で保護か捕縛かされている3人組の女が居たら厳重に調べろ」

「わかりました!」

 

 いくら空海たちが立ち止まっていたとしても、曹操の部下たちが門を破り、有象無象をかき分けて、狂信者の囲いを越えて張角に迫るには少し早すぎる。

 そして何より、なぜ夏侯惇が包囲を離れているのかが、空海には疑問となっていた。

 

「この辺りを片付けたら一度戻って兵をまとめろ。……もう一戦あるかもしれない」

 

 空海の言葉に武官組は顔を合わせ、神妙に頷いた。

 

 

 

「お待たせいたしました、空海様!」

 

 夏侯惇の元に首を確認に出していた周瑜と黄忠、曹操周辺を探らせていた周泰、皇甫嵩軍で捕らえた黄巾賊に『てんほーちゃん』について聞き出させていた程立と郭嘉が江陵軍の陣営に戻る。

 空海は最後に到着した周泰をねぎらった後、まずは周瑜たちから、と話を聞いた。

 

「はっ。まず、差し出された首は男のものでした。周囲の黄巾賊に確認したところ、誰がどの首かの不一致などが見られたものの、口を揃えて張角らが男だったと証言を――」

「ですが、離れた場所で捕らえた賊にカマをかけてみましたら、女の子だったとか巨漢の男性だった、老人だったなどと……無茶苦茶な内容になりましたわ」

 

 空海は周囲を見回し、全員が確認したところで程立に話を促す。

 

「風たちは皇甫嵩さんの陣地で聞き込みを行ったのですよー」

「『てんほー』に加えて『ちーほー』という名前、もう一名は不明ですが、3姉妹であるという証言を得ています。念のため、皇甫嵩には知らせていません」

 

 二人の働きをねぎらい、空海は最後に周泰を向く。

 

「3姉妹を確認できたか」

「はい! まず、義勇軍を率いる劉備らしき者たち女性3名を曹操陣内に確認。先の攻城戦にも参加していたようです!」

「まぁ、予想通りだね。戦闘になると邪魔だけど、今引き離すわけにもいかないか」

 

 空海の言葉に周瑜が頷く。空海は周泰に続きを促す。

 

「さらに、陣の奥に隔離される形で保護されている、類似の衣装を纏った女性3名を確認しました。一名は『ちー姉さん』、一名は『天和姉さん』と呼ばれていました!」

 

 周泰の報告内容の大きさに、動揺が広がった。

 

「ほぼ確定だな。あとは本人に聞くか。よくやった、幼平。良い仕事だ」

「はいっ!!」

 

 空海が周泰を褒める。周泰は褒められた喜びに震えて泣き出した。

 

「仕事中は?」

「泣きません!」

「いい子いい子。そのまま控えていろ」

「はっ」

 

 噛みしめた唇から血を流しながらそれでも直立して動かない周泰と、それを見て微塵も動揺していない江陵組に、それ以外の者が顔を引きつらせる。どん引きである。

 

「……程仲徳、郭奉孝」

「はいー」「えっと、はい」

 

 空海は数瞬考えた後に、程立と郭嘉を呼ぶ。

 

「お前たちは皇甫嵩の軍を動かして、理由を明かさずに何とか城に入れろ。万一、曹操と江陵が戦闘に陥った時には理由を明かしても良い。その場合は、曹操が城に取り付く前に門を閉じ、防衛に徹しろ」

「了解ですー」

「……我々は江陵軍ではありませんが」

 

 外部の者である自分たちにそのような大きな権限を与えて良いのか、と聞こえる。

 だが、権限のことを言うなら、先に皇甫嵩の所へ向かわせたときも名代を名乗る許可を与えていた。郭嘉は、曹操という傑物を心情的に(・・・・)敵に回したくないのだ。

 だから、空海が行う説得は再確認に過ぎない。『そうなったとき、はたして曹操に価値が残るか』という。

 

「もし戦闘になるとしたら、あちらが庇ったときか」

「曹操さんが理性的でなかった時くらいでしょうねー」

「……。そうですね。璃々のことは私も思うところがあります。お手伝いさせて下さい」

 

 郭嘉が頭を下げる。

 空海は備え付けの机に向かって紙を一枚取り、サラサラと何かを記す。

 

 心善淵、與善仁、動善時。

 老子の一節。心は奥深いことが良い、交友は情を重んじるのが良い、行動は臨機応変が良い。といった意味だ。軍師向きの言葉として、空海が水鏡先生から直接教わった。

 

 空海は『空海』と言えば『字が上手い』と考えていた。考えていたので練習することにしたのだが、それを決めたときには水鏡先生と黄蓋くらいしか書を持っていなかった。仕方ないので老子とか六韜とか孫子といった難しい本を毎日何十回と模写したのだ。夜中に一人で。眠らないので。10年以上練習したらちゃんと上手になった。

 

「す、素晴らしい教養があるのですね」

 

 空海の文字の美しさを見た郭嘉がポツリと漏らす。空海の書を見慣れている江陵組すらため息が出ることもあるのだ。その部分以外の意味がわかっていないことは、空海だけの秘密である。空海にとって漢文は雰囲気で読むものだ。

 

「頑張ったからね」

 

 嘘ではない。中身ではなく文字にこだわっただけである。

 空海は、墨も乾かないうちからそれを郭嘉に渡し、礼を言う。

 

「郭奉孝。璃々のことをよく見てくれた。ありがとう。お前は璃々の結論を重視しないだろうから、この仕事が終わったらそのまま去っても良い」

 

 郭嘉は、考えの一つを言い当てられてやや恥ずかしそうにする。確かに郭嘉が重視するのは、璃々の結論で事態がどう動くか、である。

 

「もちろん、江陵への帰路に同道したいなら来ても良いぞ。璃々も喜ぶ」

 

 空海の誘いに、郭嘉は苦笑を返した。機会があれば、と答えを返して一歩下がる。

 

「おやおやー? 風には何もないのですかー?」

「お前は璃々の結論を重視するだろ?」

 

 普段の飄々とした態度や、人を食ったような物言いに惑わされるが、程立は『人間』が大好きなのだ。事態がどう動くかよりも、璃々が何を選ぶかの方が大切だと考える。

 だから璃々が何を選ぶかを見届けるか、最低でも、何を選んだかを知るつもりなのだろうと、空海は言う。程立も薄く笑って一歩下がる。

 

「じゃあ、準備をして行くぞ」

 

 

 

 

 

「あなた達の正体を知っているのは、おそらく私たちだけだわ。そうよね、桂花」

「現状、首魁の張角の名前こそ知られていますが、他の諸侯たちの間でも、張角の正体は不明のままです」

 

 曹操たちが3姉妹を前に笑う。気の強そうな少女がいぶかしげに尋ねた。

 

「……どういうこと?」

「誰を尋問しても、張三姉妹の正体を口にしなかったからよ。……大した人気じゃない」

 

 事実、曹操が東郡から広宗に至るまでに捕まえた黄巾賊は、誰一人として口を割っていない。曹操たちが三姉妹の正体に気がついたのは、偶然にも許緒が彼女たちを目撃していたからだ。

 

「それに、この騒ぎに便乗した盗賊や山賊は、そもそも張角の正体を知らないもの。そいつらのでたらめな証言が混乱に拍車をかけてね。今の張角の想像図は、これよ」

 

 そう言って曹操は近くにあった姿絵を広げる。

 身の丈1丈3尺(約3メートル)、腕が8本、足が5本に角と尻尾が生えて、空を飛びながら長い舌で馬を補食する、黄色いリボンをつけたひげ面の大男(?)が書かれている。

 

「馬を食べてるわ、天和姉さん」

「いくら名前に角があるからって、角はないでしょ……角は」

「か……かわいい」

『ええっ!?』

 

 

 

 

 

「皇甫嵩の軍はほぼ入城を完了しました。西門には既に人員が配置されたようです」

「騎馬隊も準備完了や! あとは号令だけやで、空海様!」

「弓兵もなんとか1000は集められました。開幕だけですから、何とかなります」

 

 空海は璃々を抱きかかえて立ち上がる。

 

「じゃ、行くぞ」

 

 

 

 

「私が大陸の覇を唱えるためには、今の勢力では到底足りない。だから、あなた達の力を使って、兵を集めさせてもらうわ」

「そのために働けと……?」

 

 曹操の宣言を聞いて、眼鏡の三女が静かに尋ねた。

 

「ええ。活動に必要な資金は出してあげましょう。活動地域は……そうね。私の領内なら自由に動いて構わないわ。通行証も出しましょう」

「ちょっと! それじゃ、私たちの好きな所に行けないってことじゃない!?」

 

 

 

 

「空海元帥のお通りである。直ちに道を空けよ!」

「武器を掲げるものは反逆者と見なします! 武器を置いて頭を下げなさい!」

「元帥の前では声を出すな。雑音を立てるな。呼吸さえ慎重に行え」

 

 

 

「……わかったわ。その条件、飲みましょう。その代わり、私たち3人の全員を助けてくれることが前提」

「問題ないわ。決まりね」

 

 突然、外が騒がしくなる。

 

『どうかお待ちを! しばしお待ち下さい!』

『通せ』

『いけません! どうか――』

 

 天幕が切り裂かれる。外から聞こえた『男』の声に、荀彧が強い敵意を燃やす。

 

「何を騒いでいるの!」

 

 裂かれた天幕の隙間から差し込む光を背に、青い羽織を纏った男が立つ。

 

「曹孟徳はどこだ?」

「空、海……?」

 

 その瞬間、曹操の膝が後ろから崩され、膝立ちとなった曹操の首に後ろから刀が回される。隣に立っていた荀彧も倒され、電池が切れたように動きを止める。

 

『!? 華琳様!』「桂花っ!」

 

 曹操を押さえつけたままの周泰が、地の底からわき上がるような声で呟く。

 

「逆賊ごときが空海様を呼び捨てにするとは良い度胸です。……命令がなければすぐにも殺せたものを――!」

『――!!』

 

 動き出そうとした曹操軍の将たちに、全方位から強い殺気が叩き付けられ、彼女たちが気付いたときには各々の喉元に一撃必殺の武器が突きつけられていた。

 

 夏侯姉妹には二黄が武器を向けている。武器を持とうと伸ばしかけた手が、それを掴むことも出来ずに固まっている。動けば殺されると理解させられた。

 楽進や于禁、李典たち3人娘は張遼に偃月刀を突きつけられ、強烈な殺気を叩き付けられていた。昨日会ったばかりの張遼だが、その様子は信じられないほど違う。間違っても動くことは出来ない。

 親衛隊の少女二人は蝶のような武人と向かい合っていた。趙雲は薄く笑っており、他に比べれば殺気も弱く、少女たちには比較的余裕があるように見える。しかし、武器に手を伸ばせばいつの間にかたたき落とされる。二人は趙雲から圧倒的な実力差から生まれる余裕を感じて息を詰まらせる。

 

 天幕の内外を江陵軍が完全に固めたところで、空海が膝をつく少女を見る。

 

「お前が曹孟徳か。張角、張宝、張梁とはどれだ?」

「嘘偽りなく応えろ。解答以外の行動を取れば殺す」

「よ、幼平が超怖い……」

 

 曹操が3姉妹に目を向け、慎重に腕を持ち上げて指差し示す。僅かに動くだけでも刀が喉に食い込む。呼吸が乱れることにすら恐怖のわく距離だ。

 周泰が空海に向かって頷く。

 

「事実だと思われます。先ほどまで勧誘を行っておりました」

「なるほど。お前たちか」

「な、何なのよあんた……!」

 

 気の強そうな次女が震えながらも空海を睨む。

 

「俺は空海だ」

『空海!?』

 

 瞬間、3姉妹の足下にバカでかい針のようなものが突き立つ。3人がそれぞれの履いていた黄色のブーツは針によって地面に縫い付けられ、黄巾の末路を思わせた。

 姉妹は咄嗟に口を閉じ、涙目で空海と周泰を交互に見ている。

 

「次は心臓と目を狙う!」

「狙うなよ。勝手に殺すな、幼平」

「……申し訳ありません、空海様」

 

 刀で曹操を押さえ込んだまま、空いた手を使って一息で3本の針を正確無比に投げつける技量に、張三姉妹が抵抗を諦める。靴と地面を貫いている針は、足を全く傷つけていないのだ。姉妹の誰も痛がっていないことが何よりの証拠だ。

 

「では、黄巾の親玉であるお前たちには聞かなくてはならないことがある」

「な、何よっ」

 

 次女は涙目になりながらも姉妹を庇うように声を上げる。

 空海は璃々を地面に降ろし、しかしそのまま自らが3姉妹に尋ねた。

 

「何故、黄巾を立ち上げた?」

「はぁ!? あたしたちそんなの立ち上げてなんかないわよ!」

「あ、あの人たちは勝手に集まってきたんです。それで私たちの支持者を名乗って」

「だから3人で逃げようって」

「それで人の波に乗って何とか城から抜け出したところで」

「曹操に捕まったのよ!」

 

 3人がしどろもどろになりながらもまくし立てる。そこで空海は疑問を抱いた。

 

「曹操に捕まったとき……西側の城門だな、そこまで人の波に乗ったと言ったが」

「そ、そうよ。あっちからなら逃げられるからって支持者の連中が言うから」

「事実か曹孟徳」

 

 後ろで控えていた周瑜が、思わず口を出す。怒りで声が震えている。

 曹操には賊を受け止めることを命じてあった。賊の勢いを削いだところで騎兵で蹂躙するのだ。曹操に限らず、全ての官軍は同様の作戦を行っていた。

 

「……私たちだけで、あれだけの数の賊を受けきることは出来なかったわ」

「それって、夏侯元譲を城内に送り込んでいたからじゃないの?」

「っ!」

 

 曹操が息を飲んで黙る。口を閉じたことが、何よりも雄弁だった。

 命令にない行動を取ったせいで大量の賊を取り逃がした。実際には夏侯惇がいても何も変わらなかったかもしれないが、大いに変わった可能性もある。

 

「貴様……!」

「公瑾、後にしろ(・・・・)

 

 空海は前に出かかった周瑜を手で止め、その手で璃々をゆっくりと撫でる。周瑜はその意図に気付き、唇を噛んで下がる。

 空海は再び3姉妹を向き、尋ねる。

 

「お前たちを官軍が取り囲んだとき、あるいはその前に、何故事実を明かして保護を求めなかった?」

「そ、それは……」

「だってみんな私たちの歌を聴きに来てくれてるからー」

 

 眼鏡の三女が言葉を失う横から、間延びした声で長女が答えた。

 

「盗賊、山賊のようなことをしていることには、気がつかなかったと言いたいのか?」

 

 3姉妹と璃々の硬直が重なった。姉妹は、言い訳を探すように目を泳がせている。

 

「気付いていて放置したのか」

「で、でも」

「黙れ。不快だ」

 

 空海が短く命令すると同時に再び、強い殺気が天幕を襲う。

 

 空海はその場に跪き――あの空海が膝をついているということに、事情を知らない全ての人間が驚愕した――璃々と視線を合わせる。

 

「璃々。この者たちは、お前の両親を殺したような者たちを集めておきながら、歌を聞かせることの方が大事だったようだ」

 

 空海は、璃々の肩を掴んで張角たちに向ける。怯えたように璃々を見る姉妹を全く無視して。さらに曹操の方に璃々を向けて続けた。

 

「この者は、あの者たちが悪いことをしたと知っていたのに、自分がその力を使いたいからという理由で悪いことを隠そうとした」

 

 曹操は苦虫を噛み潰したような顔でその言葉を受け入れる。言いたいことはあるが、黄巾の被害者であろう子供を相手に言い訳など出来ない。目を伏せて、そこに倒れた荀彧を見つけ、もう一度目を上げる。

 

「お前が決めろ、璃々。この者たちを殺すか、生かすか。両親の仇を取って欲しい、でもいい。この者たちを許すのというなら、それでもいい」

 

 璃々が肩に置かれた空海の手を掴む。強く強く掴んで、嗚咽も漏らさない。涙を流しながら、それでも璃々は、3人と1人を睨み付ける。

 3人が化け物を見たかのように怯え、1人が能面のように表情を消していく。

 

「……おねえちゃんたち、なんか……っ」

 

 震える声で告げる。3姉妹が震え、曹操が完全に表情を消して、曹操陣営の武将たちもつらそうな表情で、それでもその時(・・・)には決死で動きだそうと決意し

 

 

 

「おねえちゃんたちなんか、だいっきらい!!」

 

 

 

 璃々が叫んで、空海に縋り付く。

 大声を上げて泣き出した璃々を空海が抱き上げて、静かに背中を撫でる。

 誰もが沈痛な表情で声を発することが出来ない中、空海だけが薄く笑ったまま璃々の背中をなで続ける。

 

「璃々。それは最もつらい選択肢だ。よく、選んだ。俺はお前を尊敬する」

 

 高まっていた緊張がほどけそうになる。だが、空海はそれを許さなかった。

 

「……張角、張宝、張梁、そして曹操。璃々はお前たちを生かすことを選んだ。だから、お前たちは生きたまま罪をあがなえ」

 

 空海は昔聞いた故事を思い出して告げる。

 

「曹孟徳に命じる。この者たちに教育を与えろ。黄巾が侵した罪の大きさを必ず理解させること。自覚させること。これを持って張角らへの罰とする」

 

 空海の言葉を受けた周泰が刀を揺らして促す。曹操はか細い声で必ず、と答え、自らへの罰を待つため目を閉じる。

 空海からの視線を受けた周瑜が頷き、口を開く。

 

「曹操。貴様は私欲のため命令を無視し、逆賊の所在を偽った。これは朝廷に弓引く行為である。よって今回の戦功は全て取り消し、罰として夏侯校尉の官位を剥奪。さらに陳留以北かつ司隸以東での黄巾残党の平定を命ずる」

 

 夏侯惇の持っていた軍事権を剥奪する決定。そして、逃がした賊を追って鎮圧しろ、という命令だ。もちろん首都へ逃がしたりすれば大事になるだろう。

 

「それに伴い、これより二月の間、曹操が臨時に中郎将相当の兵数を統率することを許可する。ただし、義勇兵は集めるな」

 

 部下の軍事権を剥奪したため、曹操には軍を率いる名目がなくなった。そのため臨時で兵権を与えて遠征を行えるよう許しを出す。失態を民にぬぐわせるな、とも。

 

「張角を皇甫義真が、張宝を張文遠が、張梁を趙子龍が討ち取ったものとして扱い、戦功もそれに準ずる。そのつもりでいろ」

 

 張角たちへの罰は既に空海が決めている。だから、周瑜は罰を追加しない。その代わりに、曹操から奪った『首』を目の前で分配することで姉妹への牽制とした。

 

「……軍師殿、私は」「……」

「子龍、受け取っておけ。文遠もな。どこで何をするのにも有利になるだろう」

「主まで……」

「しゃーないわ。政治っちゅうもんや」

 

 朝敵の首を獲ったのだとすれば、どこに仕官するのにも自分を売り込む材料になるだろう。それは、江陵が相手でも同じだ。

 官軍を率いてきた皇甫嵩に最大の戦功、同じく張遼に二番手の戦功、江陵の客将として討伐に参加していた趙雲に三番手。江陵が少しばかり損をしているように見えるが、それも張遼と趙雲が江陵に合流すればひっくり返る。

 

 江陵軍そのものには戦勝の功績が付く。江陵は、既に賊の首一つに左右されないほどの立場にある。半ば強引に軍を動かしたことさえ相殺出来る戦功があれば良かった。

 最初から(・・・・)

 

 曹操たちとは、最初から争ってなど居なかったのだ。江陵は首などどうでも良かった。

 江陵に取っては、誰がどう戦ってどう名を上げても良い戦いだった。勝ちさえすれば。

 

 曹操たちもまた、逃がした黄巾が賊になるとは考えていなかった。彼らがおそらく張角たちのファンなのだろうと気付いていたから。

 西門から逃げ出す者たちを簡単に逃したのも、最後まで抵抗を続けているほどに熱心なファンが賊になるとは考えなかったからだ。

 

「戻るぞ」

 

 空海がきびすを返す。

 青い羽織と共に遠ざかる泣き声に、曹操はいつまでも立ち上がることが出来なかった。

 解放された夏侯姉妹が曹操に駆け寄る。荀彧の手当も始まる。張三姉妹が恐怖から泣き出して許緒がそれを慰める。

 それでも、曹操が涙を流すことはなかった。

 

 

 

 広宗城包囲戦は城内にて3万人の黄巾を打ち倒し、城外において5万人の黄巾を倒して捕らえた。主に西門から流出した4万人の黄巾残党の鎮圧は、西門で流出を防げなかったとして陳留刺史の曹操が担当することになった。

 後に広宗制圧と南陽鎮圧の報を受けた帝は大赦を行い、中平と改元する。




 黄巾を書くときはね、プロットに邪魔されず、自由で、なんというか、お笑いじゃなきゃダメなんだ。三人組で、おバカで、ノリノリで……
 というわけで、次回の落差はエンジェルフォール並。

『こんなはずじゃないことばっかりだ!』
 私の中のクロノくん(リリカルなのは)のイメージは
 ストップだ!→撃墜(二次)→こんなはずじゃなかった!→いつの間にか提督 です。


 ここまで書いておいてなんですが、曹操は自分の利益の為に清濁あわせのみ正しい行動を取ってると思うのです。作者的に見て。主人公勢は個人に肩入れしすぎています。
 ただし、この作品においては国家の存亡に関わるような大局で俯瞰すると空気を読めていないのも曹操なのではないかと。史実では曹操は漢王朝を生かすために参戦していたはずですが……。賊の討伐が『手段』でしかないところは、彼女の嫌いな宦官のそれと同じ。この辺は恋姫本編と似通っていますね。
 主人公勢は政権に媚びることも出来る大物ですから(キリッ
 だから、稟と風は


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4-了 世紀末黄巾伝説

冒頭部分は甲高い男性の声で読み上げる感じでどうぞ。


 西暦19X年――大陸は黄色い布に包まれた!

 田は枯れ、畑は荒れ、全ての一般人が死滅したかのように見えた……

 だが、漢民族は死滅していなかったァ!

 

 

「ヒャッハー! 米だぁ!」

「バーロロロロロー(歓喜)」

「ヘイヘーイ……見ろよ、コイツ太平要術の書なんて持ってるぜ! ウケルー」

「今じゃケツ拭く紙にもなりゃしねぇってのによォ! ゲラゲラゲラ」

「ブルスコ!(嘲笑)」

「この水も使おう。やつにはもう要らん」

 

「……」

「あん? なんだてめぇらは?」

「ダァシャアリェス!(恫喝)」

「ん? 何する気だ?」

 

「み……ミズ……」

「動くんじゃねぇ!」

「マーオ!(威嚇)」

「怖いかクソッタレ! 当然だぜ、元黄巾指揮官の俺に勝てるもんか!」

 

「み……ミズク……」

「お、おい! そこで止まれ!」

「ファー?(困惑)」

「君は私を……脅しているのか?」

 

「み……ロクンミンギア……?」

「やっ、やっちまえええ!!」

「クルルァ!(怯懦)」

「テメェらなんかこわかネェェェ!(ジョロロッ)」

 

「ほあたァ!」(※周泰さん、やぁっておしまい! の意味)

「ひでぶっ!」「ウルトラソゥッ!」「畜生ぉ!(ジョバー)」

 

 

「むぅ、制限なしの璃々と動物縛りでしりとりするのがこんなに大変だったなんて」

「くうかいさま、まだー?」

「すいません、そろそろ『み』攻めは勘弁してもらえませんか」

「んー……だめ!」

「駄目なんかい!」

 

 空海の護衛たちが頭から針を生やした3人組の賊を片付けていく。3人に襲われていたと思われる黄巾を付けた者も一緒だ。共食いである。

 

 騒がしかった者がいなくなる。空海たちは、そのまましばらく歩き続けた。

 

「うーん……駄目だ。負けました」

「かちました!」

「はっはっは。では璃々よ。報告してらっしゃい」

「はい!」

 

 璃々が大小の墓に向かう。

 

 手を合わせて静かに声をかける、という行為は、墓が出来てから知ったことだ。

 璃々が墓に向かって静かに声をかける間、空海は璃々の後ろに立って待つ。

 

「……。……じゃあ、おとーさん、おかーさん、いってきます!」

「うん。『お前たち』は璃々に悪い虫が付かないかだけ心配していろ」

「? くうかいさま?」

 

 璃々は、墓に向かって声をかける空海を見上げる。

 柔らかく微笑む顔が、そこにあった。

 

「行くぞ、璃々」

「――うん。お父さん(・・・・)

 

 璃々は全くの無意識でそう漏らす。

 

「ん? 俺はお前の父じゃないぞ?」

 

 空海は笑って璃々の頭を小突いた。璃々はごめんなさい、と謝って、それから笑う。

 二人は手を繋いでその場を離れていく。

 ここだけを見れば、まるで親子のような姿だった。

 

 

 

 

「お帰りなさいませー、ご主人様ー」

「次にご主人様と言ったら、無慈悲で激しい叱責によって断固懲罰を与える」

「おおっ、それは困りましたねー」

 

 全く困った様子を見せずに程立が笑う。ご主人様と呼ばれると、何故か呼ばれた自分が怒られるので空海も必死だ。程立の真似をしようとする璃々も小突いて黙らせる。

 

「今日中に襄城に入って、明日には南陽だから、降りるなら準備した方がいいよ」

「相変わらず、とんでもない進軍速度ですねー」

「襄城と言えば頴川の南端ではないですか。この軍は一体どうなっているのか……」

 

 空海がやんわりと告げるが、程立と趙雲は座ったまま動く気配がない。

 それならそれでいいか、と空海も席に着く。

 

「郭奉孝はどこに行くと思う?」

「曹操さんの所でしょうねー」

「まぁ確かに、あの陣営は他に比べて引き締まって見えましたな」

 

 よく似合っていると話す趙雲に、違いますよーと程立が笑う。

 

「稟ちゃんは曹操さんが大好きですからー」

「あ、やっぱり?」

「ほぉ。百合色の気配を感じ、もしやと思っていたが」

 

 理性的で合理的で、思いやりもあるのに計算を優先していたのが郭嘉だ。だが、曹操に対しては時折強いこだわりのようなものを見せていた。

 

「ということは……俺たちは、窮地に陥った曹孟徳の前に郭奉孝が劇的に登場するためのお膳立てをしてしまったわけか」

「くくくっ、なかなか豪華な舞台ですな」

「二人は出会い、そして禁断の恋に落ちる……稟ちゃんと曹操さんは女同士でありながら夜な夜な」

「クルルァ!(本家)」

 

 教育によろしくない長台詞は妨害する空海である。

 

 

 

 

「伝令によれば、南陽の平定は宛城を除いて完了したそうです」

「おぉ? 思ったより早くない?」

 

 周瑜が持ち込んだ報告を皆で聞く。

 

「そですねー。徹底討伐と聞いていましたので、ちょっと意外ですねー」

「方針転換でもあったのでしょうか?」

 

 程立が空海との会話を思い出しながら、のんびりと感想を述べる。黄忠が誰にともなく疑問を発する。答える周瑜は、複雑な表情だ。

 

「再編された南陽軍が活躍しているようですな……それと」

「あぁー。もしかして孔明と士元が何かやった?」

「ええ。おそらくは」

 

 疲れたように答える周瑜を見て、黄蓋と黄忠がこの場にいない二人を褒める。周瑜がそんな二人に苦言を呈し、ギャーギャーわーわーと騒がしくなっていく。

 

「どなたですかな?」

「諸葛孔明と鳳士元。ウチの軍師見習いというか……もう軍師かなぁ」

「なるほど。流石に江陵は層が厚いですな」

「クスクス……風の存在感が薄れてしまいますねー?」

 

 趙雲、空海、程立が笑う。

 二人は、新たなる職場に。一人は、新たな部下の加入に思いをはせて。

 

「石は水では薄まらないだろ」

「こんなか弱い乙女を石に例えるなんて、空海様は乙女心を理解していませんねー」

「えー。お前は水に溶けないどころか千年は残る大岩だよ」

「……お兄さんはなかなかとんでもない台詞を口にしますね」

 

 程立が笑みを消し、上目遣いで空海を見る。

 

「これは距離を取られたのか近づいたのか、どっちだ?」

「おやおや、結局、乙女心は理解しておられぬようですな」

 

 切り札その1、乙女回路を刺激する台詞10選を封印した今、わかりづらいアピールに対して好感度を確認する手段は空海にはないのだ。

 趙雲はニヤニヤ笑っていてからかわれそうだし、江陵組は未だに騒いでいるし、頼りになるのはもはや一人しかいない。

 

「璃々。お前が大きくなったら、乙女心について教えてくれ」

「んー……だめ!」

「これも駄目なんかい!!」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「穏、江陵軍が戻って来たそうよ」

「もうですか~? いくらなんでもちょっと早すぎるような~……」

 

 孫策が軍議から持ち帰った報は陸遜にとって興味深いものだった。

 江陵が北に向かってからまだ半月あまりだ。陳留の北にある東郡で賊が出たという話があったが、そこまで行ってきたのだとすれば早すぎる。

 頴川郡で賊の討伐を行ったという話は聞こえていたため、その後の平定に手間取り、今までかかって帰ってきたのかと陸遜は考え、それは裏切られた。

 

「冀州に居た黄巾の首魁を討伐してきたらしいわ」

「……えぇぇ~~っ!?」

 

 陸遜は宛城から冀州まで何日かかるのか一瞬で計算し、徒歩で10日、行軍なら最短で20日という解答に行き着く。片道で、だ。

 

「ど、どうやってっ? 一体どうやったんですかぁ~!?」

「知らないわよ。詳しくは話してなかったし、聞けなかったわ。ただ、曹操が軍令違反を犯したから、陳留以北の残党狩りと復興について無償奉仕することになったんですって」

 

 陸遜は孫策の言葉にがっくりと肩を落とす。それでも聞けそうな情報の方を優先して確認しておかなくてはならない。

 

「曹操さんというと、洛陽で苛烈な取り締まりをしていた方ですよね~? 1、2年前に陳留刺史に栄転されたんでしたっけ~?」

「らしいわね。今回の失態で軍事権を剥奪されることになったそうよ。なんか平定まではいくらか待つみたいだけど」

「はぁ~。いくら刺史さんでも、無償奉仕となると相当な負担となりますねぇ~」

 

 孫策はでしょうねと相づちを打ち、くくっと笑って自虐的な笑みを浮かべる。

 

「今のウチと良い勝負ってトコかしら?」

「あちらは下向き、こちらは上向き、ですよっ! まずはこの戦いで功績を上げることを考えましょう~」

「ふふっ、そうね」

 

 孫策と陸遜は笑い合い、計画を練っていく。

 

 黄巾賊の動きは読みやすく、南陽郡内で行われてきた掃討作戦では、実力を低く見積もればちょうど予想通りの動きをしてきた。

 今回の予想では『賊は江陵軍を恐れて城内深くに引きこもる』だ。ならば城壁や城門に張り付く好機となる。機を見て攻勢に移るように命令されているのだから、問題もない。

 

「でも何か嫌な予感がするのよねー」

「う~ん。ではこれまで通り大人しく包囲しておきましょうか~? 現在までの働きでも十分に名は売れていますし~」

「でもでもー、ここが好機だとも思うのよね。嫌な予感以上に」

 

 二人は悩む。危険は出来るだけ避けたいが、利益は大きそうである。孫呉の置かれた状況を考慮すれば、賭に出る方が良いとの結論に行き着く。

 

「ま、元々悪化分を取り戻しただけだしね。ここで稼いでおくのも悪くない、ってね」

「御身は孫家だけのものではないのですから、十分にご注意くださいね~?」

 

 孫家は揚州呉郡の豪族だ。そして、呉郡をまとめその地位を向上させるため、呉郡の有力豪族である陸家から陸遜を預かっている。

 成功すれば二人は出世頭となり、いずれは揚州をまとめる大豪族へ、その道筋を見いだせるかもしれない。

 だが、失敗すれば孫家、陸家の両家を凋落させることに繋がりかねない位置でもある。

 普段はのんびりと本のことばかりを考えている陸遜でも、家(に置いてある本)のことくらいは考えるのだ。親戚の顔を判別することには、少し自信がないが。

 

「わかってるわよ。要は勝てば良いのよ!」

 

 

「ハッ! また姉様が暴走してる気がする」

「いつものことです、蓮華様」

 

 

 

 

 二黄を意味する旗印、コイノボリを平面にしたものを想像するのが近いだろうか。緑がかった青と赤みがかった青の二つの布地が風になびく。

 

「こっ、こ、こうっ、江陵軍だああああああああ」

 

 この時代の賊には、文字が読める人間は稀だ。大半の構成員は読み書きも出来ない民である。彼らにとって、情報というのは噂を指す言葉だ。

 つまり、黄巾賊の思い描く江陵軍とは、往復するだけで急いでも40日はかかるはずの道を僅か半月で往復したり、700人の精兵で15万人に立ち向かって一方的に勝ったりした理不尽の権化である。あるいは『化け物』と言ってもいいかもしれない。

 

「し、死ぬ! 殺される!! 逃げろぉぉおお!」

 

 宛城の中で、5万に迫る賊の叫び声が、地響きを伴って江陵軍から遠ざかる。

 それもこれも江陵で待つ、ちびっ子軍師たちの策によるものなのだが、事情を知らない人間は目をむき、覚悟をしていた周瑜だけが頭痛を耐えるようにため息を漏らす。

 

「……とりあえず近づいて門を開けてしまおう。あとは朱儁たちに任せればいいだろ」

「ぎょ、御意」「あっ、はい。承知しました」

「はぁ……朱里と雛里め、一体何を吹き込んだんだ……」

 

 なお、『化け物』を『英雄』に入れ替えれば民の評価に早変わりする。

 とはいえ、『目を合わせると死ぬ』とか『見ただけで狂う』とか『時を止められる』という評価に関しては、何とか否定しようと江陵民も考えている。

 

 

「では朱中郎、以降は任せる。我らは江陵に戻ることとする」

「お、お待ち下さい! 現在、襄陽側には賊が多数押し寄せており、その、包囲に穴が」

「――は?」

 

 確かに江陵が近づいた直後からの黄巾賊の動きは派手だった。しかし、賊が押し寄せたくらいで穴が開くものは包囲とは呼べない。

 何より、襄陽側の包囲に穴があるということは、江陵側に賊を逃すということだ。

 

「い、一部の者が命令違反を犯したのです。今その穴をふさいでおりますので、なにとぞ今しばらくお待ちを!」

 

 周瑜からわき上がった怒気を感じて、朱儁が必死にそれをなだめる。江陵の英雄譚に土を付けたなどとなったら粛正ものだ。良くて官位剥奪の上に前線送りである。

 周瑜と朱儁はしばらくにらみ合う。やがて息を吐いたのは周瑜の方だった。

 

「良いでしょう。今しばらく様子を見ましょう。無論、宛城の制圧にも手抜かりなどありませぬように」

「か、感謝します」

 

 朱儁は深く頭を下げ、誰を穴埋めに回すべきか考え。

 

 

 

「今です」

 

 

 

 地平を覆うような江陵の大軍が現れたのは、周瑜たちの会合の終了とほぼ同時だった。

 包囲網の外を更に包囲するようにして現れた江陵軍は、宛城の包囲から逃げ出した賊に僅か2刻(30分)で接触。2万人を超える黄巾賊を尽く切り伏せた。

 勢いに乗った官軍は降伏を許さず、朱儁の主導でその日のうちに南陽の賊を殲滅する。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「大事に至らなかったから良いものの、ここでも軍令違反を見ることになるとは……頭が痛いですな」

「それだけ官の統制が失われておるということじゃ」

 

 頭痛を耐えるような仕草をしている周瑜に対して、答えた黄蓋は言葉とは裏腹に上機嫌に笑っている。江陵軍が大活躍で賊も綺麗に討伐が終わって言うことなしなのだ。

 

「とりあえず、件の違反者は南陽黄巾の指揮官をしていた韓忠なるものの首を獲りましたので、その戦功と違反分を相殺することに致しました」

「ふーん。逃げたんじゃなくて攻めてたんだ? 実力はあったんだね」

「ええ、例の孫策ですな。加えて、孫策主導による南陽郡内平定の功績も、南陽陥落の失態と相殺という形になりそうです」

 

 孫策は南陽太守の部下という形で参戦していたため、戦功の全てを南陽に持って行かれた形だ。名前は売れたが心情的には納得できまい。

 

「でもそれ、失態の方が大きいように見えるんだけど?」

「はい。そこで、袁南陽太守には寿春(じゅしゅん)への異動が命じられました。劉将軍の決定であるとのこと」

「寿春は、揚州の大都市だっけ」

「左様です」

 

 寿春は揚州の北の外れ、豫州との境近くにある都市だ。豫州側には袁家の本拠地である汝南が近い。南陽との比較では人口で3割足らず、首都洛陽からも遠い田舎になる。

 

「そう。んじゃ、新しい南陽太守は、候補がないなら盧植か皇甫嵩でも推挙しておいて」

「では、そのように」

 

 

 

 

「何故黙っておられるのです、姉様!」

「何の話よぉー?」

「戦功です! なぜ袁術の失態を私たちが埋め合わせなくてはならないのですか!」

 

 薄紅色の姉妹が人目をはばかりながら、それでいて声を潜めることなく向かい合う。

 

「大体予想通りでしょ?」

「んなっ」

「袁術ちゃんなんて自分で功績を立てることも出来ない小物なのよ」

 

 孫策がひらひらと手を振って余裕を見せる。孫権はその仕草にいくらか溜飲が下がったのか、話を聞こうと口を閉じた。

 陸遜が孫策の発言を補足するように語りかける。

 

「ですから~、私たちは名を売ることを目的にしてたんですよ~、蓮華様~」

「名を?」

「そ。汝南のあれはちょっと想定外だったけどねー」

 

 今はただ孫家の名を売るだけでいいのだ。いずれ立ち上がるときに「あの孫家なら」と思わせることが出来ればそれで良い。

 汝南の民には『袁術の家臣が来てくれた』という反応をされてしまったが。

 苦笑を見せる孫策だが、軍師の陸遜は得意げだ。

 

「それに、今回の失態で袁術さんは寿春に異動になっちゃいましたから~、私たちの方が有利になったんですよ~っ」

 

 寿春は孫呉の本拠地である建業から北西に5日ほどの場所にある。急げば3日といった所だ。建業は丹陽(たんよう)郡の一都市である。

 建業まで出れば、孫家や陸家のある南東側の呉郡まで往復10日もかからない。そしてそれほどまでに近づけば、役人の多くに一族の息が掛かる。南陽では袁家一門に占められていた官職の多くを、寿春でなら孫呉が奪える。

 もちろん、袁家の本拠地である汝南も近いことからその影響は無視できないが、これまでと比べれば天と地ほどの差である。

 

「そ、そうなの?」

「そうなの」「そうなんですよ~」

 

 信頼する姉たちに断言されては強くは言えない。孫権はごめんなさい、と口にしかけて思い出す。

 

「だからと言って先頭切って賊の群れをかき分けていく必要はないはずです!」

「あ、気付かれちゃった」

「蓮華様の言う通りですよ~! 御身に何かあったら私たちまで困ります~っ!」

「ごめーん!」

 

 黄巾が宛城から飛び出してきたときに、陸遜は孫策を止めたのだ。

 それでも孫策が前に出たのは、そのまま包囲網に留まってもいずれは抜かれるだろうということ、そして包囲を抜かれてもたぶん平気だろうということを直感していたからだ。

 まぁ、前に出て戦いたいという気持ちも7割5分(ちょっと)はあったが。

 

 そして、結論から言えば奪われることを覚悟していた戦功は予想通りに奪われ、売ろうと考えていた名は予定通りに売れた。

 江陵のようなこれ以上高まりようのない名声に隠れ気味ではあるが、江陵を除けば良い意味でも大きな名声を拾うことが出来ただろう。

 さらに、本拠地近くへの異動という棚ぼたもあった。

 

 あと一息で、あと一押しで、表に立てる。

 

 

 

 

 

 南陽包囲戦の翌朝。

 

「おはよう朱里。今朝は冷えるな、えぇ?」

 

 南陽から南西に240里(100㎞)ほどにある襄陽の郊外で。

 

「はわっ!? はわわわわ、めめ、冥琳しゃん……!」

 

 孔明(しゅり)周瑜(しゅら)に捕まっていた。

 

「伝令を複雑に多重化して司令部の位置を隠すという発想は良かった……。だが、通信網そのものを乗っ取ってしまえば、むしろ正常に動いている部分が浮き彫りになる」

 

 個別の兵士の持つ技能が優れ、小さな集団にも必ず頭脳となる者が存在する、江陵ならではの作戦だ。伝令の大半が情報の共有に使われるものであり、司令部からは比較的大まかな指示しか出されないためだ。

 

 孔明は、いや、孔明と鳳統は、鳳統の監視が厳しくなったと悟るや否や、直ちに行動を開始した。鳳統の監視を強化するために孔明側の監視に出来た僅かな隙を狙って、予定してあった行動計画を小刻みに実行し、南陽に向けて調略をかけ、江陵の内外で遠征の準備を整えて、ついに出兵にこぎ着けた。

 

 1万を超える騎兵を周瑜の監視に止まらずに出兵までさせた手腕は特筆すべきものではあるのだが、これは能力の無駄遣いなのだろうと空海は思う。

 そして周瑜にしても、いくら怒ったからといって孔明が編み出したのだろう複雑な逆探知妨害の手法を真正面から攻略しなくてもいいじゃないか、と空海は思う。

 周瑜と、それを手伝っていた程立、手伝わされていた黄蓋や黄忠は、おそらく一睡もしていないのだ。

 

「逃げるのだったら、襄陽に船でも用意しておくべきだったな。……もちろん、そうはさせないために、夜明けに間に合うよう私も急いだのだが?」

 

 

 孔明の悲鳴に飛び起きた璃々を寝かしつけて、孔明の悲鳴でも起きなかった程立を横にして、孔明の悲鳴で頭痛を起こしたらしい黄蓋と黄忠も休ませて、空海はそれからやっと周瑜を止める方法を考え始めた。

 

 思いつかなかった。

 

 

 

 

 孔明が一人で全ての片付けを命じられて涙目で仕事に励み、周瑜が休みに入った後。

 空海は起きて来た程立と趙雲をお茶会に呼んでいた。

 

「さて程仲徳。お前が俺を主人と呼んだのは冗談からか?」

「まさかですよ。風は誰にでも股」

「クルルァ!(元祖)」

 

 教育に悪すぎる台詞は短くても妨害する空海である。

 

「よし。じゃあ、仲徳と子龍にお小遣いをあげよう」

「おうおう兄さん、岩の次は子供扱いかい?」

「まぁ、お使いのお駄賃だから、そうなるな」

「ほう、お使いですか」

 

 趙雲がニヤニヤと笑う。また何か面白いことを言い出したな、という表情だ。

 空海もニヤリと笑い返して、改めて程立を見る。

 

「今回の黄巾関連の騒動について、劉景升との交渉を任せる。子龍は護衛ね」

「! 劉車騎将軍ですか。これはまた大物が出ましたな」

「……交渉を任せるというのは、どういう意味でしょうー?」

 

 いつもの眠たそうな表情を少し隠して、程立が上目遣いで空海を見る。

 

「今回、江陵はそこそこの戦功を上げてる。だけど、南陽から受け入れた難民が30万に迫っていてね。流石に楽ではない」

「それで劉表さんから金子を奪ってこいとー」

「欲しいのは金子ではなくて、猶予だな」

 

 江陵は荊州に人材を提供することを約束している。ただ、知識や利益の提供、依頼の対価などで先延ばしにしてきたのだ。そして今回もそれを先延ばしにしたいと説明する。

 

「なるほどー。失礼ですが、履行するつもりはー?」

「ないよ」

 

 空海が即答したことに趙雲は驚いた。こういった約束事を守らない人物だとは思っていなかったのだ。

 

「約束を、違えるつもりですか?」

「もうすぐ、その約束にも意味がなくなる。仲徳もそのつもりで聞いたんだろ?」

「もうすぐ乱世になりますからねー」

「なっ!?」

 

 目を細めた程立が飄々と答えた内容は、趙雲を驚かせるには十分だった。

 

「約束と言ってもお互いの幕府、元帥府と車騎府の間に結ばれたものだから、立場が変わるなら守る必要はない。まぁ、少々立場が変わる程度では反故にされないよう、お互いの署名は入っているが」

「ですが大きく立場が変わるのなら、その約束にも意味が無くなる、というわけですよ」

「お、大きく立場が変わるというのは……?」

 

 空海と程立の説明は、この世の終わりを示唆しているようであり、そんなことを軽々と話す二人に対して趙雲は冷や汗が出る思いだ。

 

「今回の騒動、黄巾の集団が洛陽を狙ったことは無視できない」

「発端は熱狂的支持者の行動だったようですが、民の不満と結びついたのでしょうねー」

 

 話が飛んで、趙雲が一瞬戸惑う。だが、すぐに乱世について話し始めたのだと気付いて耳を傾ける。

 

「それに、軍令違反とかあっただろ?」

「曹操さんと孫策さんですねー。盧中郎のは虚偽の報告だったでしょうかー」

「まあ、あの二人は出てくるよね。最初から官を信じてない上に実力があるんだから」

 

 そこまで聞いた趙雲が、気付く。

 

「もしや主が尋ねられた、稟がどの陣営に行くのか、というのは……」

「稟ちゃんの才は今後の曹操さんの陣営でこそ、最も必要とされるものでしょう」

 

 答えたのは空海ではなく程立だ。程立は前にも彼女たちの『両想い』をほのめかしていた。そしておそらく空海や劉表も、その乱世の一勢力となるのだ。目の前の二人の視点がどこにあるのかすら掴めず、趙雲は言葉を失う。

 

「仲徳も引く手あまただと思うけど」

「風は空海様のところが面白そうだと思ったのですよ。それに、無官の風たちに車騎将軍との交渉を任せるなんて、曹操さんでもやりませんよー」

「『曹操のやり方は苛烈ではあっても突飛ではない』とウチの軍師さんが言っててね。俺は苛烈でもないから突飛でいいかなって思ってるんだけど」

「……主が軍師殿に怒られる未来が頭を掠めたのですが?」

 

 復活した趙雲がからかったため、慌てて空海は周囲を見回している。その様子がおかしくて、重くなっていた空気が霧散した。

 

「とりあえず、お前たちは俺の名代だ。事情を知ってるヤツを付けるから上手く交渉してくるように。もちろん公瑾に見つからないように出かけてね」

 

 空海の言葉に趙雲がククッと笑いを漏らす。

 

「ではさっさと行って済ませてきましょう」

「明日の朝まではここに居るから、合流したかったらそれまでに戻っておいで」

「わかりましたー」「承知」

 

 趙雲と程立は立ち上がって出立の準備へと向かう。

 残された空海はその辺に向かって声をかけた。

 

「幼平」

「はいっ!」

「あの二人のこと……」

 

 そこまで言って空海は、真剣な表情で周泰の目を覗き込む。

 

「公瑾に内緒にしておいてくれたら撫でてやろう」

「内緒にします!」

「いい子いい子」

「えへへ~」

 

 

 これよりおよそ1ヶ月半後、黄巾の乱の平定が宣言される。曹操がまだ戦ってたのに。




 黄巾の乱終結ッ! 黄巾の乱終結ッ!! 黄キャオラッ! 長らくお待たせいたしました。

 ヒャッハーしたくて年代を198年頃に設定したんです。史実より14年遅れ。
 史実から遅れつつ起こる事件は他に一つ予定しています。恋姫になかったのでオリジナルになるでしょうか。ちょっとした大事です。

 前回のシリアスからこの落差はあっていいのか本当に悩みました。筆が進まなかった一因だったりします。しかし、テキストエディターを開いて最初に見えるこのヒャッハーの文字を見ていると、そんな悩みが小さなものだと思えてくるわけです。そうか……モヒカンというのもあるのか、と。

 ここで一つ告白してしまうと、実はこのヒャッハーと、これから登場する月ちゃんの台詞と、鈴々の名台詞はかなり早い時期に決まった内容なんです。山田無双より前です。扱いが気になってる人もいるとは思うんですが、キャラクター性が明らかに原作から乖離してるのは月(と詠)と鈴々と白蓮くらいだと思います。多分。
 月ちゃんは初登場からぶっ飛んでいくことはほぼ決定しています。着陸予定もありません。ごめんね、月ちゃん。並行世界で一刀くんと幸せになってね。

 揚州九江郡の郡都は寿春ではなく陰陵です。揚州の州都が寿春。後に袁術が本拠を移した場所ですね。ただ、細かいとこなんて書いても仕方がないと思ったので寿春に全部お任せすることにしました。浦安を東京にカウントするようなものです。暴挙です。

 本編次回は反董卓連合。閑話は挟みません。


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5-1 月の出

賈駆(かく)っちー! (ゆえ)っちー!」

 

 遠くから独特のイントネーションが大声を上げながら近づいてくる。

 

「あん?」

 

 眼鏡でツリ目の軍師が振り返る。何か張遼(あいつ)の機嫌が良くなることでもあったのか考え、そう言えば速報には江陵の名前があったことを思いだした。おそらく江陵騎馬の姿を見てご機嫌なのだろうと推測し、とりあえず、その興奮に付き合うだけの元気を配分するのはやめようと心に決めた。

 

「大事でもないのに官庁を走り回るんじゃないわよ!」

 

 つまり、これが彼女の素である。

 

 

「ウチ、ここ辞めることにしたから! ほな!」

「待てゐ!!」「へぅ!?」

 

 どうやら張遼の興奮には強制的に付き合わされることになるようだ。賈駆は内心の混乱を怒りに変えて、張遼に水を向けた。

 

 

 

「――そしたらな、空海様は笑って『勝つためじゃあ不足か? 俺の霞』って言うねん。ホンマに格好良かったんよ……」

「それって恋かも!」

「月黙って。聞くなら黙ってて」

「へぅ……ごめんね詠ちゃん」

 

 董卓は話し始めてからずっとこうである。この娘は普段は大人しくてとても良い娘なのに、昔から興奮すると性格が変わるのだ。賈駆としてもそれを含めて親友だとは思っているのだが、今そんなことに構う元気はない。

 

「――そんで、空海様は本を指差して『俺の名ならそこに書いてあるだろう?』って言うてん。ウチも一度でええからあんな台詞言うてみたいわー」

「わ、私はクッキーが、食べたいんだな……なんて」

「月黙って。わかったから黙って」

「へぅッ」

 

 張遼は話し始めてからずっとこうである。惚気話か、と叫びたくなる衝動を抑え、なんとか客観的に見るよう努めるだけで、賈駆は今日使おうと思っていた元気が全て消費されてしまうのではないかと感じ始めていた。

 

「――ほんでな、空海様が『お前の顔を見せてくれ、俺の霞』って言うてくれてんのに、ウチ恥ずかしぅて顔を上げられへんねん」

「生まれる前から好きでしたーっ!」

「月黙って。お願いだから黙ってて」

「っへうッ!」

 

 話に出てくる空海は無茶苦茶だ。張遼の思い出の中では初対面で真名を呼んでいるなど明らかな誇張が見られるため、話半分で聞かなくてはならないのかもしれないが。

 いずれにしても音に聞く江陵の長でありながら、気さくな人物であるということは理解出来た。だが、賊の討伐で先頭に立ったり、ましてや武器を持って突っ込んだり、刺史と会見するより拾った子供と遊ぶ方が大事だなんて、これだから男は――と、賈駆はそこまで考えて、今は張遼の方が重要だと思い直す。

 

「――せやのに、空海様が『辞めるなら普通に辞めてこい。仕事を投げ出して来ては駄目だぞ、俺の霞』って言うから、普通に辞めに来たねん」

「キャー!」

「あれのどこが普通よ! 月もキャーじゃない!」

「キャオラッ!!」

 

 どうやら大事にはならずに済みそうだ、と賈駆は胸をなで下ろす。空海の思惑は見えないものの、張遼の熱烈な申し出に対して冷静に応じてくれたことには感謝したかった。

 張遼をどう言いくるめるかと賈駆は考え、彼女の視線がこちらを向いたことに気付く。

 

「あによ?」

「っちぅわけで、あとのことは賈駆っちに任せるわ! ほな!」

「って、行かせるかァ! 賈文和眼鏡斬りッ!!」

 

 振り返った張遼の進路を阻むように賈駆の跳び蹴り(・・・・)が炸裂する。

 冷静にそれをかわした張遼だが、進路を阻まれたことに関しては立腹していた。

 

「なにすんねん!」

「出たー! 詠ちゃんの8つある必殺技の一つ、賈文和眼鏡斬りッ!」

「月黙って。黙ってないと、わかるでしょ?」

「ご、ごめんね詠ちゃん」

 

 興奮する張遼と董卓に対して、賈駆は比較的冷静に憤慨していた。

 

「今出てったら、あんたの大好きな空海様に『ウチの張遼が仕事放り出して行ってしまいましたが、行方をご存知ありませんか』って手紙を送るわ」

「汚い! 賈駆っち汚い!!」

 

 張遼が一瞬で崩れ落ちる。張遼にだってわかっていたのだ。『普通に辞める』というのは一方的に辞表を突きつけることではないのだと。それでもやるだけやってみたのは、董卓が雰囲気に流されやすい子だと思っていたからだった。

 

「はぁ……騎兵はまとめて来たんでしょ。すぐに洛陽に行くわよ。洛陽で用事を済ませて隴西(ろうせい)まで帰ったら辞めても良いから、そこまでは指揮してちょうだい」

「ええぇ!? 隴西なんて行ってたら1ヶ月はかかるやん!」

「だからその1ヶ月の間にあんたの後任を見つけるって言ってんでしょ! こっちも無理してんだからあんたも我慢しなさい!」

 

 それでも張遼は反論を探そうとして、理由が見つからずに落ち込んでいく。

 そして賈駆は、他人がそういう姿をしているのを見るのが大嫌いだった。

 

「あーもう! 早く見つかったら先に隴西に帰った華雄を呼んで代わってもらうし、洛陽で今回の戦功の対価に人材を探してもらうから! ……あんまり功はないけど」

「クスッ……詠ちゃんたら」

「ゆ、月!? 何よ、何か言いたいことでもあるのっ?」

「ううん、なんでもないよ、詠ちゃん。私も早く帰りたいな」

 

 優しく微笑む親友に、内面を見透かされているような気がして、賈駆は真っ赤になってそっぽを向く。

 

「早く帰ったらそれだけ早くお馬さんが食べられるもんね」

「月、黙ってて」

 

 しかし、許せない発言もあったらしい。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「寿成が来ているのか」

 

 空海たちが江陵軍を引き連れて凱旋し、お祭り騒ぎの3日が過ぎた翌朝。

 

「はい、昨日こちらに。ただ、こちらまでの行軍の疲れもあったようで、病の状態がよろしくありません。治療を行っておりますが、状態の改善が限度でしょう」

 

 于吉が案内がてらに馬騰の状態を伝えている。

 

「そんなので、周りはよく江陵行きを止めなかったな」

「ご本人たっての希望ということで、訪問を決められたのだとか」

 

 江陵軍の凱旋は、普段清潔を優先する病院にすら多くの飾り付けを残していた。

 病は気から、というのなら、この3日で病状が改善した人間も多数出るのだろう。

 

 しばらく後、于吉と別れた空海は、護衛付きの重厚な扉の前に立っていた。

 

「ちわー空海屋でーす」

「きゃああああああ!」

 

 病人の叫び声が一番元気だった。

 

 

 

「むむむむっ無視して入って来るなんてぇぇぇええ!」

「髪なら整えるのを手伝ってやるから泣くなって……」

「うぅぅぅぅううう!!」

 

 馬騰が真っ赤になってむくれるが、その姿は、男女の関係に疎い馬超さえ笑って見ていられるようなものだった。

 

 髪を整えた後は、馬騰に食事を取らせる。

 馬家は江陵の戦勝を祝い、噂がどこまで本当かも話題になった。

 馬騰が墓を江陵に作りたいなどと言い出して馬超たちが慌てたりもした。

 

 

 やがて話が落ち着いた頃、空海は馬超と馬岱を食事に送り出し、護衛たちまで遠ざけて人払いをする。

 

「さっき聞いたんだがな。お前の命、長くないそうだ」

「だろうな」

 

 空海はしばらくの間、馬騰と目を合わせていたが、やがて目をそらす。

 再びしばらくの時が流れ、空海は顔を上げた。

 

「笑って逝けそうか?」

「ああ」

 

 馬騰は僅かな迷いすら見せずに答える。

 その目は空海を見据え、その顔は柔らかく微笑んですらいた。

 

「そうか」

「そうだ」

 

 空海はそれ以上言葉を紡がず、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「あーづーいー……」

 

 ミーンミンシャカミミンミンミンミーン

 

「あんた1ヶ月前の熱意はドコへ行ったのよ……」

 

 かくいう賈駆も、ヘタレた張遼を元気づけるほど動きたくはない。一流の軍師を自任する身であっても暑いものは暑いのだ。

 

「……せやかて、賈駆っちが見つけてきた人材がアレなんやで?」

「うっ」

 

 視線の先にあるのは、馬にまたがったまま器用に熟睡してヤギの群れと一緒に移動する赤い少女、と、走ってそれを追いかけまわすちびっ子だ。

 

「でっ、でも、あんたより強いでしょう!?」

「確かに強いけどなー……指揮の方はてんでやし。武やって、空海様には敵わへんよ」

 

 張遼は未だに空海の名を口にすると赤くなる。賈駆としては絶対に思い出補正が入っているのだと考えているところだ。

 

「あんたの中で空海様っていうのはどれだけ強いのよ」

「真の武や」

 

 張遼は迷いなく答える。賈駆はじと目でその様子を観察し、そして、認識を変えさせることを諦めた。

 

「はぁ……。あの娘の指揮、もうちょっとマシになってくれないかしら」

「無理やと思うなぁ。周りの意識から変えたる方がなんぼかやりやすいと思うで」

「ああ、周り。周り、ね……はぁ」

 

 あの陳宮(ちんきゅう)という、視野が狭くて、狭い視野すら偏っている少女を思い出す。頭の回転は悪くないのだから、もう少しだけ視野が広ければ力になったのに、と賈駆は悔やむ。

 それでもなんとかあの少女が『恋殿』を通して周りを見るすべを得られれば。賈駆の悩みは目下それだけだ。

 

「詠ちゃーん。お馬さん獲ってきたから一緒に食べようー!」

 

 片手で馬を持ち上げて振り回す親友の姿など、賈駆には見えないのだ。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「さて、かつての連結器では士元が醜態をさらしたわけだが」

「あわわ……」

 

 鳳統が帽子を目深にかぶって顔を隠す。それでも僅かに見える耳は真っ赤になって、彼女の内心を表していた。

 

「今度は孔明に醜態をさらしてもらおうと思う」

「はわわ!?」「あわわ?」

 

 空海が用意したのはダイヤである。ダイヤと言ってもダイヤモンドではなく、ダイアグラムが元になった、列車などの運行を視覚的に表した図だ。

 江陵の馬車鉄道における個別の車両あるいは馬が、どこから出発してどこまで、途中にどのくらいの時間をかけて移動するのか、ということがわかるようになっている。

 もちろん空海が一人で思い出して書いたものではない。空海は、孔明を驚かすために頑張って考えてダイヤというものを思い出しただけであり、管理者たちと水鏡に協力してもらってそれっぽく仕上げたのだ。完成度は折り紙付きである。

 

「とりあえず、この運行図表を見るが良い!」

「あわっ!?」「はわわ!? ……。はわわわわ」

 

 図表の文字と数字、線の意味を極めて短い時間で理解したらしい二人が慌て出す。

 

「士元、よく見ておくがいい。アレが孔明の醜態だ……おや?」

「はわわわわわわわ」「あわわわわわわわ?」

 

 壊れたレコードのように、あるいは「はわわロボ」のように止まらなくなった孔明の様子を観察する。空海は鳳統にもその様子を見るように促すが、鳳統も鳳統でダイヤを見てあわわロボとなっていた。

 

「こっ、これどうやって、どうやったんでしゅか!?」

「あわわわ、これを使えば輸送計画の立案が効率的に」

「厩舎の利用率を上げて――ううん、馬車増発計画も」

「あっ、これ向きを、折り返しが、あわ、どうしよう」

「そうです、折り返しでしゅ! はわわっ、これなら」

「はわわわわウフフ……」「あわわわわクククッ……」

 

「参ったな……二人とも壊れてしまった……」

 

 孔明の罠である。空海の自爆とも言う。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「へ? また洛陽へ行くんか?」

「そうよ。何でも徐州辺りで黄巾の残党が決起したから、その討伐をするんですって」

 

 徐州は大陸の東、海に面した場所にある土地だ。黄巾賊は徐州とその北側の青州で多く発生した。董卓の他にも各地の中郎将には召集が掛かっている。

 

「ふーん……。って、なんでココやねん? 隴西なんて西も西やないの」

「知らないわよ。勅令なんだからそういうのは考えなくてもいいの。すぐに行くわよ」

 

 隴西から徐州へは、漢の領土を西から東へ横断する必要がある。軍で向かうなら、それだけで数ヶ月はかかるような距離だ。

 だが、隴西に配備されている軍の大半は国からの金で維持を行っており、遠征費の大半も国が持ってくれる。異民族の襲撃に晒されている最中ならばまだしも、今は拒否出来る理由もない。

 賈駆は、今度こそ城攻めも防衛も出来る兵科を揃えることを決め、軍をまとめ始める。

 

「ほな、長安までは一緒に行ってもええけど、そこでお別れやで」

「ぐっ」

 

 賈駆は、なんだかんだと言って張遼を3ヶ月近く引き留めてしまっている。心情的には好きにさせたいが、実情として厳しいために送り出せないのだ。

 しかし、張遼の良心によって保たれていた関係も、これで終わる。

 

「……しょうがないわね。長安で送別会を開くから、勝手に出て行くのはナシよ」

「おっ。賈駆っち太っ腹ー! 楽しみにしとんでー」

 

 宴会に参加する面子への呼びかけ、場所や飲食物の手配、細かい日程などを考え始め、賈駆は小さくため息を吐いた。

 

「全く……現金なヤツ」

 

 それはいつものため息より、少し軽い気がした。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 馬騰が空海の手を握り、自分から握ったにもかかわらず真っ赤になって空海を睨み付けている。

 

「じゃ、じゃあな! 世話になった、空海殿」

「うん。困ったら孟起たちも頼るようにね。何かあったら文でも寄越せ」

 

 馬超は既に長安に戻り、馬騰の代理として軍を率いて洛陽へと出頭している。

 徐州方面で再発生したという黄巾賊の討伐のため、帝が洛陽に兵を集めたのだ。

 

「あ、ありがとう」

「うん。何と言うか、悔いのないようにな」

「……わかってる」

 

 馬騰は、これから長安へと帰る。遠征に代理を立てたとしても、征西将軍として仕事がなくなったわけではない。

 むしろ最近の五胡による侵攻は、頻度こそ減っているが規模は大きくなり、装備や戦術において大きな飛躍が見られるため、危険度は増している。異民族討伐のために将軍位を授けられた馬騰には、休まる暇などないのだ。

 

「一応な、太子太博(たいしたいほ)に推挙しておいたから、征西将軍の印を返上することも考えておけよ。上手く通れば多少は労も減るはずだ」

「……名誉職か」

 

 太子太博は三品官の文官で実権をほとんど持たない名誉職であり、名目上は次期皇帝の教育係にあたる。現在の太子である劉弁は()子眇(ししょう)に育てられ、もう一人の子供である劉協は(とう)太后に育てられているため、それらに割り込む形になる。推挙が認められるかは五分五分だ。

 

「ああ、お前の教育が良かったって宮中で評判になってるらしくてね」

「え? 教育?」

 

 

 

 そんな会話から3ヶ月とちょっと。

 

「で、では、みっ、帝に代わり馬討虜校尉が、くくく空海元帥の忠誠に」

 

 今、馬超がガチガチになりながら書状を広げ、それを読み上げようとしていた。

 

「うーむ、まさか方位磁針占いで命が助かるなんて」「お姉様ガチガチだねー」

 

 空海と馬岱が書状の中身と馬超の様子について好き勝手コメントする。

 帝は半年と少し前に暗殺されかかり、しかし、占い係が方位磁針を使った占いで暗殺計画を予言したためにかろうじて難を逃れていた。

 そのため、直後のごたごたが片付いた今になって方位磁針の礼をするため、東方黄巾の討伐に功のあった馬超に感謝状を持たせて江陵へ送り込んできたのだ。

 

「お、お前ら……あたしがっ……人の話を聞けーっ!」

「あ、書状は破らないようにね」「陛下の書状をもったまま暴れて良いの?」

「ハッ! あぶぶぶぶぶ!?」

 

 馬超が叫ぶが、空海たちは冷静にからかう。

 そもそも馬超は高官である空海に会いに来るのに正装をしていないし、それ以前に到着を知らせる使者すら出していない。

 帝の手紙を持参したのなら、事前に使者を出して受け入れの準備をさせ、必要以上に着飾って全員を平伏させ、歓待を受けた後に大仰に差し出すべきなのだ。

 いきなり出世した上に大役を仰せつかった馬超は知るよしもなかったが。

 

「ほら、書状は俺が預かろう」

「お姉様、校尉になったんだからもうちょっと頑張ってよね!」

「うぅ……」

 

 遡ること約4ヶ月。

 馬超は皇帝に直接『軍の威容』を自慢され、しかし、思わず素で返してしまったことで逆に気に入られて討虜校尉に任じられた。

 遠征軍を指し、江陵の軍と比べてどうだ、といった意味で尋ねただろう帝に対して、馬超はおおむねこんな風に答えたのだそうだ。

 

『ここに兵士を集めても仕方がない。敵はここには居ないんだから、討伐に行こう』

 

 馬岱によれば、馬超はしどろもどろしていて何を言ってるのかわかりづらく、直感的な内容ばかりで、しかも部分部分でため口だったので周囲に凄く睨まれていたのだとか。

 だが、その言葉を聞いた帝は衝撃を受け、もっともだと頷いて馬超を褒めた。

 

『乱から離れた場所に軍を集めてそれを誇っているなど、自分は愚かだった。だが馬超はそれに気付かせてくれた。もっと早くに言葉を聞くべきだった』

 

 帝は賢すぎたのだった。

 そして、賊の鎮圧を手早く終わらせた馬超は、これらの功績を称えられ討虜校尉に任じられると共に、帝からの感謝状を江陵へ届ける大役を仰せつかった。江陵産の占い道具が暗殺を防いだことに関する礼だ。洛陽を出立したのが半月ほど前の話である。

 

 

 

 洛陽の帝は今、軍を率いていた宦官たちと距離を取り始めている。地方の賊を討伐するのに洛陽に兵を集めさせた彼らを、もはや将として信用できないのだろう。

 一方で大将軍の何進も同じく帝と距離を置かれ始めている。二度にわたる大規模な遠征軍において、初動から洛陽の守りを固めていたことは評価されたものの、最後まで洛陽の前から動かなかったことで全体としては評価を落とした。

 

 失態を取り戻すべく躍起になった宦官と大将軍による縄張り争いと足の引っ張り合いと騙し合いと暗殺合戦によって、洛陽はずいぶん荒れているようだ。

 両陣営は皇甫嵩、朱儁、盧植、董卓、袁紹、袁術、曹操といった、意志を明らかにしていない大物たちを、自らの仲間に引き入れるべく洛陽に集めている。

 

 江陵や馬家は劉表を筆頭とする勢力に表向き組み込まれているため、今のところはこれらの動きには巻き込まれていない。朝廷における劉表寄りの勢力によって政治的に守られている形だ。

 もっとも、勢力の呼ばれ方は『江陵派』であり、劉表の性格もあってそれぞれが独自の勢力のような動きもしている。そして、高い自由度が意味するのは、放っておけば泥沼に引き摺り込まれることになるということだ。

 

 

 今回、馬超が二つの陣営から大きな恨みを買ってしまった。今も、暗殺を狙われ失脚の機会を窺われている。形としては両陣営の自業自得なのだが、馬超にあることないことの罪を被せて『馬超の言葉には価値がなかった』とでも言うつもりなのだろう。

 

 馬超が形式に則らずに帝の書状を持ってきたことは、伝わっていない。だが、人の口に戸を立てることも出来ない。空海は軍師に対処させ、結果、馬超の訪問は『逆賊の討伐や暗殺未遂といった国の恥を解決しただけであり華美に飾る必要はない』という判断の下で質素に行われたことになった。少なくとも宮中では。

 

 

 1ヶ月ほどを置き、この話が帝に伝わると、馬超は更に評価を上げ護羌校尉に指名された。馬騰直下では、最高位の涼州刺史に次ぐ高官への栄進だ。ここで功績を立てれば州刺史や州牧、あるいはその先への出世すら見えてくる。馬騰征西将軍の後継として恥ずかしくないスピード昇進だ。

 からかい混じりに褒められて悶える姿は全くそれを感じさせない上、当人は何故出世したのか全くわかっていないのだが。

 

 なお、この件で一番の出世頭はさりげなく司馬に指名された馬岱だった。

 馬岱は仕事が増えることは泣いていやがったが、収入が出来たことは泣いて喜んだ。

 こちらは褒められて偉そうにしたのだが、周囲全員が自分より高官であると知らされてもう一度泣くことになった。

 その馬岱でも兵士2千人に1人すらいない高官だ。収入も一般的な農家10軒分以上なのだから、基準点がおかしいだけである。

 

 

 

 そんな風にして、馬超の『はじめてのおつかい』が上々の成果を残し、馬岱の涙が空海の羽織を濡らし、洛陽が泥沼の様相を呈していた頃。

 

 帝崩御の知らせが届く。

 

 

 

 

 

 先帝、霊帝を継いだのは劉弁だった。

 

 霊帝の葬儀に出席した空海は、何故か何進にくっつかれた。何進は何を着ても着崩してしまうエロティックな美女である。空海は江陵女子の目が怖すぎて戦々恐々としていたが劉表が宦官の親父たちにくっつかれているのを見て我慢することにした。

 喪服を着崩した色っぽい美女に密着されて、艶めかしい吐息を吹きかけられるだけの簡単なお仕事なのだから。

 ちなみに、元帥は既に政治面において大将軍位に次ぐ権威を有している。何進の態度は最低でも敵対しないよう媚びを売ると同時に、周囲へのアピールも兼ねていた。

 

 空海が後から確認したところによると、宦官たちも空海を取り囲もうとしていたらしいのだが、劉表が身体を張ってブロックしてくれたらしい。劉表にも思惑あってのことではあったが、それは空海に伝わることはなかった。

 空海は心から感謝し、お礼に酒蔵一つを丸ごと購入して中身を劉表に送りつけた。

 

 

 そして何故か元帥が一品官相当へ昇格した。表向きには大将軍を超え、三公に限りなく近い高官へと。あと劉表も散騎常侍を加官された。

 

 

 空海が劉表に渡した酒は日本酒風の公良酒が合わせて1千石(2万リットル)ほどだ。

 劉表は一人で飲みきれないため部下に振る舞い、それでも飲みきれそうにないので宦官たちに大量に送りつけたそうなのだ。

 

 江陵の酒を除いた場合、高級酒は1斗(2リットル)あたり50銭程度。だが、公良酒において高級品と言えば400銭から。出回っている程度の高級品でも上は4千銭、本当の最高級品は1万銭を超える。

 今回空海が買い取った酒蔵は、上等な高級品から上を扱う場所だった。しかも名士筆頭劉表お墨付きの『徳の高い(マジ美味ぇ)酒』だ。

 

 宦官たちの上位十数人に対して、500石(1万リットル)ほどの美酒が送りつけられ、しかもそこには江陵の名と劉表の名が入っている。

 いろいろな意味で狂喜乱舞した宦官たちは、この贈り物を宣伝材料にして、自分たちの勢力に組み込んだ(と思っている)空海たちに官位を配ったらしい。おそらくは酔っ払ったまま。

 

 これらの動きに危機を感じた何進が諸侯をまとめ――そこで唐突に失脚した。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「月、去年に続いて洛陽の何進がお呼びよ」

 

 賈駆が、疲れた様子で書状から顔を上げる。

 

「ええ? 大将軍様たちには関わらないって詠ちゃん言ってたよね……?」

 

 洛陽の混迷した政治に関わったりしたら、命がいくつあっても足りない。

 そのため、以前から拒否出来る要請は拒否し、洛陽に行かなくても済む案件は離れたまま処理してきた。出世に興味がないことをアピールするため、人に譲れる案件もできる限り譲っていた。

 

「そうよ。でもこれは正式な命令だから拒否は出来ないの。とりあえず顔だけ出してすぐ逃げるわよ」

 

 それでも、というべきか。

 なりふり構わず周囲へと助けを求め始めた何進は、距離を置こうとしていた董卓の元にまでその手を伸ばしてきた。

 

「えっと、逃げちゃっていいのかな……」

「いいの。っていうか、宦官に江陵派がついた時点で勝負にならないわ。ホントはこの命令も拒否しちゃっていいと思うんだけど、後で難癖付けられたりしたら困るもの」

 

 江陵が本当に宦官の味方になっていたのなら、勝負は決している。何進に味方する理由はなくなったとも言える。

 江陵が本当は宦官の味方になっていないのなら、状況の混迷は続いている。何進に関われば中央の権力闘争に巻き込まれる。

 江陵が宦官の仲間になっておらず、なおかつ中央に進出してきたのなら危険だ。何進も宦官も共倒れの可能性がある。

 

 いずれにしても、命令を無視したりしたら、勝ち残った勢力によっては地位を奪われる口実となってしまうかもしれない。正式に発行された命令なのだから、公的な記録を辿ればすぐにバレてしまうのだ。

 

「でも、今は麦の刈り入れ時だよ?」

「わかってるわよ。だから、ひと月だけ遅らせて行くわよ。その間に決着がついていれば良いんだけど」

 

 出立をひと月遅らせ、洛陽までの行軍で更にひと月。合わせてふた月あれば状況は変わるかも知れない。

 今も洛陽には有力な諸侯が集められているのだ。ふた月もあれば何かしら事態は動くだろうと賈駆は考える。

 

 だが、董卓陣営と洛陽で交わされる情報の距離は、賈駆の想定を超えていた。

 

 

 

 

 洛陽城壁の内側、洛陽大城の西側には屋敷付きの大きな二つの庭園がある。その一つが先々帝時代に造営された顕陽苑(けんようえん)だ。

 

 あの命令から2ヶ月余り。

 董卓たちは今、軍の進駐許可を得るためにその顕陽苑の脇に馬を進めており

 

 賈駆の目は、自分たちの運命が崩れていく景色を映す。




>生存報告
 ご心配おかけしています。生きて書いてます。現状5-4くらいまで書けています。色々余計な部分を削ってスリム化したいのですが、勿体ない精神が出てしまって消せないのであえて書き足して行こうと思います。現在の進捗は7割完成くらいだと思います。次は来週の土日に投稿しようと思います。

>宣伝
 そしてかなり今更ですが、歴史検証などに使用した資料をそれなりに見やすくまとめた拙作『資料 恋姫時代の後漢』の存在を宣伝するのを忘れていました。この作品はもともと宣伝用に作ってたはずなのですが。でもよく考えたらこの作品思い切り歴史を無視してるので気にしなくていいような気もしてきました。資料の方から見て下さってる方々、硬派なの期待されてる方々はごめんなさい。

>西暦199年→200年頃のお話?
 麦の実りは夏。「麦秋」は初夏を指す言葉です。実りの秋を理由に場を辞するため、夏に洛陽に向かった董卓たち。張遼が抜けてから約1年が経過しました。

>賈文和眼鏡斬り
 やがみさんの『彼女になった彼』からお借りした必殺技です。避けられやすいです。

>高級品は400銭から上
 キームン紅茶の最高級品は高級すぎて出回らないのです。江陵のお酒もそんな感じですよ、という。

>何進と張譲、二人はライバル。
 ちょろっと出しちゃいました。とはいえ、出したからには生き残ってもらおうということで、暗殺オチではなく失脚となりました。慌てるな張譲の罠だ。
 ちなみに史実では入水自殺した張譲ですが、ここでは洛水に飛び込んだらテンションが上がってしまい泳いで渡り切り、冷静になってから(泳いで)戻ったものの帝にクビを言い渡されました。多分次話でも書きませんのでここで。

>史実ネタ
 霊帝暗殺計画と占いによる阻止は史実です。でも本当は江陵は関係無いです。中平五年六月のこと。
 青州と徐州の黄巾も史実です。発生は以下と合わせて中平五年十月。
 洛陽に兵士を集めた霊帝が諫められるのも史実。ただし相手は討虜校尉の蓋勲。
 史実の何進は暗殺を恐れて霊帝の葬儀を欠席したため呼び出され、殺されています。
 あの二人を拾った顕陽苑の位置も史実から。中平六年八月。


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5-2 董卓と連合

 空海様にため息を吐かれるのも、当たり前のことだった。

 

 最初の踏み込みは、目で追うことも出来なかった。

 振り切った方天戟を目にして初めて、攻撃が行われたことに気がついた。

 

 一振りごとに何人もの賊が舞う。

 舞い上がった賊が、何十人も巻き込みながら吹き飛んでいく。

 武器を構えた賊に向かえば、風を残して武器が両断される。

 盾を持った賊に向かって踏み込めば、地面さえもが畏怖するように震え、盾が割れる。

 

『推して参る!!』

 

 賊をかき分けすぎて弓兵の前に躍り出たにもかかわらず、進撃は加速する。

 飛んでくる矢の隙間を縫うように進む。

 矢かわして方天戟をふるうのではない。方天戟をふって矢をかわすのだ。

 賊たちは攻撃をされるために矢を放っているのではないかとすら思ってしまう。

 

『真の武よっ!』

 

 圧倒的な高みにありながら、そこにあるのは孤高ではなく調和。

 しかも、そうであるのに、戦場の彩り(あか)が青と白を曇らせることはない。

 当たり前だ。この高みに触れることが出来るのは、高みを目指す者だけだ。

 

 

 

 ――ああ、せやけど

 

邪魔(やま)だアアアァァーッ!!』

 

 ――あの武と踊って逝けるなんて――

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

(ちょう)(りょう)文遠(ぶんえん)、真名は(しあ)です。改めてよろしゅうお願いします、空海様」

「うん。よろしくね、文遠」

 

 謁見を行う広場で、今日から空海の側に仕えることになった張遼を半ば囲むようにして江陵の幹部たちが立っていた。

 張遼が仕官に訪ねてきた時に会って以来、およそ半年ぶりの再会になる。広宗の包囲戦から見れば約1年半が経過していた。

 空海はニコニコと笑って再会を喜び、張遼は幸せそうに悶え、江陵系女子は壮絶な笑顔を二人に向けている。

 

「時間が掛かったけど、変わりはなかった?」

「はい! あっ……ホンマに申し訳ありません! ウチ、空海様のご期待を裏切るようなことをっ!」

「そんなことないよ。左慈相手に1刻(約15分)も戦えるようになったんでしょ?」

 

 二人の会話に必要以上の注意を払っていた江陵女子の間に動揺が走る。普段は最下層で兵士の教導を行っているだけの左慈だが、その実、江陵武官の誰よりも強いのだ。

 黄忠など得意な獲物との相性も悪いため運が悪ければ数合しか打ち合えず、近接戦闘に自信のあった趙雲でさえ1刻もあれば少なくとも2回は沈められる。最もよく食い下がる黄蓋ですら1刻持ち堪えるのは難しい。

 それまで張遼に向けられていた嫉妬に似た視線が、驚愕と感心へ塗り代わる。

 

「せやけどまだ一度も勝てなくて」

「左慈はたぶん呂奉先より強いよ。勝つのは簡単じゃないと思うなぁ」

 

 左慈と比べる人物として、黄蓋ではなく聞き覚えのない名前が出てきたことに周囲から疑問の声が上がる。代表して空海に尋ねたのは武官筆頭の黄蓋だ。

 

「空海様、呂奉先とは? 儂は聞いた事がありませんが……」

「ウチの――じゃなかった、董卓んとこの将や。一騎打ちに限って言えば左慈ちんと比べられるくらい強いと思うわ」

 

 武官たちの間に本日2度目の驚愕が広がる。一つは、それほどの将がいたことに対する驚き。もう一つは、そんな将を空海が知っていたことに対して。

 

「黄巾騒動の後に并州刺史から董仲穎のところに推挙された武官だね。天下に並ぶ者なしなんて評価を受けてたから動向を気にしてたんだよ」

 

 空海は、実際に調査を行っていたのは周瑜だと説明する。周瑜は呂布が張遼に勝ったことや、飛将軍の再来との呼び声も聞こえるといった補足をした。

 空海は改めて張遼に笑いかける。

 

「勉強も頑張ったんだってね。子龍や漢升よりも良い成績だったって聞いたよ」

「そ、そんな。ウチは空海様のお側に上がりたくて必死にやっとっただけで……」

 

 突然比較に出された趙雲と黄忠は驚いたりばつが悪そうにしていたが、張遼が悶えているのを見て落ち着いたらしい。からかったり褒めたりして更に悶えさせている。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 袁隗(えんかい)とは袁紹・袁術の叔父に当たり、袁氏きっての政治家である。

 

「袁隗が帝の璽綬(じじゅ)を解き、劉協に奉りました」

 

 璽綬を解くというのは、帝の地位を剥奪する、という意味だ。大事件の知らせは周瑜を経由して空海へともたらされた。

 袁隗は(名目上は)帝を指導する役目とされる太傅の地位にある。かつて文官筆頭の地位にあったこともある生粋のエリート政治家だ。

 

「え? 解くって……もしかして死んだ?」

「いえ、劉弁は弘農王とされたようです」

 

 郡王の大半は洛陽に留まるため、名ばかりの任命と言える。

 とはいえ、弘農は洛陽の西隣、長安との間にある郡で、洛陽と長安を結ぶ街道と関に加えて、荊州の襄陽と長安を結ぶ街道と関をも有する要所だ。名目上、要衝を預けているというのが言い分だろう。

 

「劉弁にはあまりよろしくない気質が見られたとか。袁隗は劉協こそ帝の器と考えているようですな」

「だからって引きずり下ろしたりしたら袁隗の首が飛ばない?」

「袁隗は董卓に全てを押しつけるつもりのようで、袁家一門にはこれに呼応する動きが見られます。董卓は偶然居合わせただけであるとも言われておりますが」

 

 袁家一門と言えば、先に劉協が渤海王に任じられると同時に実質的な太守である国相として渤海へと赴任した袁紹、そして寿春の太守にして袁家本拠の汝南を勢力下に治める袁術らに代表される官民の大集団だ。

 三公を幾人も輩出する規模の集団ともなれば、その政治力は一州を超えるほどになる。

 

「まず、帝の譲位に先立ち袁紹らの手によって主要な宦官が一掃され、譲位に合わせて董卓が三公の武の筆頭――太尉に指名されました」

「袁家が何進の方針を継いだワケか。董卓は中郎将からいきなり三公?」

「いえ、中郎将からは前将軍に昇格しています。太尉へは無官からの任命ですな」

 

 三公は太尉を含む文官筆頭の3つの官位をまとめた呼び方であり、中郎将と前将軍は武官の位だ。

 太尉ともなれば軍事の関わる政治のトップに位置する高官であり、文官の官位としては宮廷内での序列において空海の持つ元帥を超えるほどである。

 ちなみに、武官としての地位や文武を合わせた給金では元帥の方が遥かに高い。

 

 そして、前将軍もまた武官の中では政治色の強い官位であり、漢の閣僚会議とでも言うべき宮廷での朝議への参加資格を持つ。

 

 太尉・前将軍への就任というのは、中郎将という、いわば一部隊の指揮官からの出世としては異例中の異例であり、下手をすれば数万人抜きの大抜擢なのだ。

 諸侯に『董卓が帝の地位を剥奪して地位を強要した』と判断されるだけの材料が揃ったことにもなる。

 

「文武両方で昇進か。どっちも袁隗が手を回したの?」

「正確には袁家一門が、ということになるでしょう。帝への奏上なども袁隗やその取り巻きが行っていたと劉車騎将軍より聞き及んでおります」

「劉景升か。そこまで詳しいということは、巻き込まれる位置にいないか?」

「それについては『今は霊帝陛下の喪に服するという理由で会見を拒める』と」

「悪い奴だな」

 

 口では悪く言いつつも、空海は楽しそうに笑う。

 実際には会見を拒んだとしても危険は残る。しかし、実戦派の実力者として名高い三者を有する勢力に喧嘩を売る人間はどこにも居なかった。

 

 南方司令官兼司令長官の劉表、西方司令官の馬騰、黄巾討伐の英雄空海。

 漢の主力は東にあると言われているが、東から見ても一つ一つが無視できない規模の勢力となっている。

 

 それは同時に、葬儀の時に何進がしたように、一つ一つ個別に接触される可能性があることを示している。

 

「袁家からの接触には注意するように寿成たちに知らせておいて。長安に居ては巻き込まれるかもしれない」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 周瑜がやや難しい顔をしながら空海に声をかける。

 

「董卓が相国に指名されました」

「相国? なにそれ」

「三公の上に新設された、帝を補佐して政を執り行う官だそうです。丞相のようなものであるとのこと」

「へぇ、三公の上(・・・・)ね。まさか袁隗の指示?」

 

 空海は任官させたのが袁隗だとは思っていない。袁家は『三公』を輩出した名家であることを強調しているからだ。

 

「いえ、これは帝の意向だそうです。袁隗は反対するも取り上げられず、同意する条件に寿春太守の袁術を揚州刺史に推挙、さらに渤海太守の袁紹を冀州牧へと推挙し、直後に洛陽から逃亡しております」

 

 正確には帝の前で推挙を行うことを条件にし、実際に推挙を行ったという実績を作って逃亡した。帝に認められた人事ではなく、推挙した事実だけで引き下がったのだ。

 後に地位を奪ったとき、事後承諾の理由として御前での推挙を引き合いに出すつもりなのだろう。同時に、袁家に連なる者に対して『地位を奪って上洛しろ』と伝えたかったのかもしれない。

 帝の意向に逆らったため保身に走ったようだが、一族へのメッセージを兼ねて最後まで引っかき回していくところは恐るべき政治家の力を感じさせる。

 

「袁家ってそんなのばっかりなの……捕まえられる?」

「いえ、それが……どうやら袁隗は京兆尹方面へと逃亡したらしく、これから指示を出しましても、追いつくのは袁隗が長安へ入った後になるかと」

「長安か。寿成たちがどう動くか……。とりあえず、生きてるならこちらで預かるように手配しておいて。洛陽や長安の周辺にいる人材についてもよく調べておくようにね」

「はい」

 

 取り込むにも敵対するにも距離を取るにも情報はあった方が良い。対象地域の出身者や懇意にしている商人からも聞き込みを行わせる。

 

 だが、事態は既に動き出していた。

 

 

 

 その知らせもまた、いつものように周瑜からもたらされた。やはりいつものように難しげな表情のままだ。

 

「袁隗が袁紹を通して諸侯へと檄文を送った模様です。おそらく洛陽を出る前に指示していたのでしょう。また、檄文の発信に合わせ、袁紹が冀州牧の地位を奪ったようです」

「ああ、例の推挙を受けてか。檄文って言うと?」

「漢の臣下たる我ら悪逆の董卓を討つべし、と書かれています。体裁としては袁紹の名で送られた檄文ですが、中身はどう見ても我らの知る袁紹の考えたものではありません」

 

 さんざんな言い回しだが、あの(・・)袁術と袁家次期当主を争う程の実力者と噂されていたため、慎重に調べた結果の適切な評価である。

 

「ん? 待て、諸侯に送ったと言ったが……誰に届いてる?」

「まず、全てを把握することは出来ませんでした。申し訳ございません」

「それはいい。わかってる範囲ではどうなってる?」

「幽州の公孫賛、平原の劉備、陳留の曹操、荊州の劉表、我ら江陵、寿春の袁術、益州の劉璋、そして、長安の馬家にも送られているようです。袁紹からの使者は、彼らの呼応が間違いないかのような物言いで参加を迫っておりました」

 

 このうち重要になるのは、現状では江陵として手を結んでおきたい劉表と、空海を含めた江陵幹部の思い入れがある馬騰の動きだ。

 劉表は得の大きい方に付くだろう。むしろ、劉表が付いた方が大義名分になる可能性すらあるため、ある程度の得を示せば江陵が方針を動かすことも可能だ。

 その点、馬騰は政治的な動きが読み辛い。最近になって当主の仕事を任され出した馬超がいるため、頭が――それも直感的に動く人間が――2つ並んでいることになる。

 

「今のところの、馬家の動きは?」

「申し訳ございません。袁隗捕縛の指示が間に合ったかどうかも、未だ不明です」

 

 連絡は密にしていたが、そろそろ今年の最後の交易団が来る時期なのだ。情報を直接仕入れられるために、諜報の手をやや緩めていたことがあだになった。

 いつもより数日(・・)後手に回っている

 

「……劉景升を止められるか? ああ、動けるなら仲徳に回しても良い」

「馬家の動きが判明するまで、でしょうか?」

「そうだ」

「直ちに手配いたします」

 

 交渉役として最も信頼できる程立を出してでも劉表を止めるよう言い渡され、周瑜にも緊張が走る。

 すぐに馬を走らせ、程立はその日のうちに襄陽に向けて出立した。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「翠が――馬超が、長安へと逃亡を図った袁隗を討ち取り、洛陽へ向かったようです」

「なん…だと…?」

 

 劉表を止めに走った僅か2日後に届いた急報である。事件自体は1週間近くも前に既に起こっていた。

 

「馬超は2万を超える兵を率いて洛陽へと向かいました」

「孟起は……いや、馬家は、董卓に味方するつもりか」

「間違いないでしょう。兵糧や金銭を過剰に持ち出している模様です」

「きっかけは檄文か」

「時期を見るに、おそらくは」

 

 たった数日の諜報の遅れが致命的な時間差を生み出していた。周瑜は難しい顔でため息を吐き、空海も珍しく顔をしかめている。

 

「例の檄文に呼応すると思しき諸侯は?」

「現在、精査しております。襄陽から風が戻りましたら、そちらの報告と共に皆を集めて確認しましょう」

「うん、そうだね。じゃあ、手配はよろしく」

 

 

 

 

「劉景升が連合への参加を決めた。江陵へも参加の要請が届いている」

「申し訳ありませんでしたー。連合参加への動きを止めるどころか、逆に参戦を迫られてしまいましたー」

「いや、これは諜報の手を抜いた私の責任であり、風の責任ではない。諸侯からも同調する動きが出ているのだ。むしろ、よく結論を持ち越してくれた」

 

 劉表との交渉のため襄陽に出向いていた程立を迎え、報告会を執り行っている。

 一通りの報告が済み、空海がまとめた。

 

「しかしこれで、馬家と劉景升の勢力が別れてしまったか」

 

 幾人かが沈痛な表情を浮かべ、幾人かは好戦的な笑顔で興味深げに空海を見ている。

 

「まず簡単に状況をまとめよう。……公瑾」

「はっ。まず一昨年、洛陽での政争が激化したところから――」

 

 洛陽に董卓が呼ばれ、何進が失脚し、諸侯が宦官を排そうと集まり、宦官の一部が逃亡に成功し、逃げた先に董卓がいて逃亡に失敗し、董卓が祭り上げられて帝の譲位の責任をなすりつけられ、諸侯が董卓を排したいがために連合を呼びかけ、馬超が義を為して董卓に味方し、劉表が董卓を排する事に決めた。

 

「言葉にすればたったこれだけのことではあります。しかし、江陵は連合につくか董卓につくか――いえ、劉表に付くか馬家に味方するかを判断せねばなりません」

「劉将軍が参戦を表明した今、連合軍へは袁家だけでなく多くの諸侯が付くものと思われます。全ての勢力を合わせれば兵数は20万を超すかもしれません。檄文の通りであれば司隸の東側にその軍を集結させ、数によって事を為すつもりのようです」

 

 周瑜が説明をまとめ、鳳統が軍事面を補足する。

 

「……心情としては、馬家に味方したいところじゃの。昨今の洛陽で悪政が行われているなど、聞いた事もないわ」

 

 黄蓋がため息と共に漏らした言葉は、話し合いに参加しているほぼ全員の心情を表しているようだった。しかし、軍師たちの浮かべる沈痛な表情もまた、選ぶべき道が定まっていることを示している。

 

「檄文には書いてあったけどね。洛陽が地獄絵図で全部董卓が悪いとかなんとか」

「ふざけた話じゃ」

 

 空海の茶々に黄蓋は笑おうとして、しかし笑うことが出来ずに顔をしかめる。

 一呼吸置いて、空海が軍師たちの注目を集める。

 

「公瑾。董卓は自らの窮地に気がついていないのか?」

「いえ、おそらくは既に逃げようにも逃げられないのでしょう。袁家一門によって外堀が埋まりすぎています」

 

 周瑜の語る推測に武官たちの苛つきが増して怒気が漏れ出す。

 

「仲徳。参加の見込まれる諸侯とその兵力はどのくらいだ?」

「確実なのは袁紹さん約6万と劉将軍6万。人物も地理も可能性が高いのが曹操さん5万と劉備さん1万。五分より高そうという程度で公孫賛さん2万と袁術さん3万。おそらく来られない勢力は劉璋さんの4万くらいでしょう」

 

 軍師たちの間からも小さく呆れの色を含んだため息が漏れる。呆れの対象は、もちろん名声を得るために目の前の餌に飛びついている諸侯だ。

 

「士元。諸侯が集まり洛陽に届くまでどれだけかかる?」

「軍の移動だけならば10日ほどです。主要な関を固めればいくらでも、と言いたい所ですが、あまり強固にしてしまうと迂回を考える人たちも出てきてしまうでしょう。董卓軍が上手く引き込んだとして……半年間足止めできれば良い方ではないかと」

 

 武官たちはおそらく董卓の側についた用兵を考えているのだろう。江陵から遠征軍を組んだ上で連合軍20万を相手取るのは容易ではない。静かに口を結んで空海を見ている。

 

「孔明。孟起たちだけを引きはがして董卓と関係を断ったことに出来るか?」

「……翠さんたちの意向を無視し、わだかまりを残しても良いのであれば、可能です」

 

 諜報や交易を含め、馬家の勢力に最も食い込んでいるのは孔明だ。同時に、思い入れが強いのも孔明だと言える。余りの無理難題に、いつもの快活な表情を全く消している。

 

 空海が小さく笑って視線を集めた。

 

「なるほど。どちらに付くべきか、か」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「馬護羌」

「あん?」

 

 馬超が声を上げながら振り返る。やや離れたところに立っていたのは、ツリ目に眼鏡の少女だった。

 

「その、荊州の劉表が連合に付いた、って……江陵も連合に付くだろうって聞いたわ」

「ふぅん」

 

 賈駆の言葉に素っ気なく返事をして馬超は武具の手入れに戻る。

 

「ふーん、って。それだけ?」

「あー。まぁ江陵が本気であっちに付くっていうのは嘘だな」

「は? 嘘? ……なんでそんなことわかるのよ?」

「江陵が本気だったら、洛陽なんて知らせが届いた時点でもう囲まれてるよ。下手したら母様と一緒に外から楚歌を歌うくらいしてくるかもな」

 

 あたしもそれは嫌だ、と馬超は苦笑いを浮かべる。

 馬超は江陵の手腕に対して、一種の信頼のような感情を抱いていた。敵に回れば先手を取られて、自分がまともに戦えないような状況を作り出されて、その上無理矢理その場に立たされるくらいのことはされるだろうと考える。

 

「そもそもあたしたちが来るからって函谷関もほとんど兵を置いてなかっただろ」

 

 函谷関は洛陽の西側にある関だ。東の虎牢関に並ぶ難攻不落の関として有名である。

 賈駆は訳がわからないと言った表情だ。

 

「来もしない敵のために兵は割けないんだから、当然でしょ。言っとくけど、いくら江陵でもボクに察知されずにあそこを通るのは無理よ」

「まあ察知されないか、っていうのはわかんないけどさ。こっちの対応が間に合わないような時期と方法で来るのは間違いないよ」

 

 短い期間ではあったが江陵で軍略を学んだ馬超は、頭を使う相手を侮ることはしないと誓っていた。江陵の演習では、1対1の模擬戦で確実に勝てる相手にも簡単に5対1の状況を作られてしまい、結果として十連敗したことすらある。

 

「こっちも言っておくけど、江陵が弱いことなんて期待しても無駄だぞ」

「別にそんな期待してないわよっ。ただ、ボクたちはどうしても勝たなきゃいけないの」

「わかってるって。だから(・・・)、江陵はあっちに付いてないって言ってるだろ?」

「……それが何なのよ」

 

 馬超は、何て言ったらいいかわからないけど、と前置きし。

 

「あたしたちもそろそろ汜水関に向かわないと間に合わないだろ。ってことは、そろそろ何か動きがあると思うんだよな」

「動き?」

 

 馬超が言葉を紡いだちょうどその頃、運命の狼煙は洛陽の西の空に上がっていた。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「では空海はこちらへは参らぬのか」

「空海様からは『長丁場は御免蒙る』とのお言葉を預かっておりますー。しかし手抜かりなどあっては成らぬとは空海様も重々承知。そこで、元帥府より鳳長史(筆頭参謀)と程従事中郎(上級参謀)、趙将軍と張将軍を参戦させ、万全の体制としたわけです」

 

 諸侯が集まる陣地の奥、ひときわ大きな天幕の中、劉表の前で顔を伏せたまま、挨拶に訪れた程立が慇懃に、しかし淡々と報告を重ねる。

 

「ふむ、そうであったか。……では周瑜はどうした?」

「周軍師は洛陽への調略を指揮しておられます。こちらが実を結び次第、劉車騎将軍には呼応していただきたいとのことー」

 

 程立はいぶかしむような劉表の視線を顔を伏せたままかわし、『時機』を匂わせる。

 江陵に判断の時間を与えぬよう先手を打ったはずの連合で、既に手を回されていることに劉表は驚く。しかし、その驚きを悟らせぬよう静かに続きを促した。

 

「まずは折々で戦を支える端役は江陵にお任せいただき、いざ要所を攻め落とさん時には劉車騎将軍に決していただければ幸いとのことですー」

「うむ。まぁ参戦を促した身である故、そのくらいは請け負おう。時機には知らせよ」

「御意にございますー」

 

 顔を伏せたまま下がっていく小さな身体を見下ろし、劉表は小さく息を吐く。どうやら江陵を引っ張ってきたのは正解であったと。

 

 

 

「雄々しく、華麗に、前進ですわ!」

「ならば先陣こそが最も適当であるかと」

「うむ。袁紹は先陣を務めよ」

「……あら?」

 

 決め台詞一つで命運を決められてはたまったものではない。袁紹は視線を巡らす。

 

「今、私を推挙したのはどなたかしら?」

「私です。袁"渤海"」

「袁"冀州牧"ですわ! 私のことを知らないなんてどこのお猿さんですの?」

 

 郡太守ではなく州牧なのだ、と袁紹は興奮したように言葉を発する。

 声をかけられたツインテールの娘は帽子と髪で表情の大半を隠し、しかし普段の彼女を知る人間ならばもれなく逃げ出すだろう極寒の気配を漂わせながら袁紹を見つめ返す。

 そして、帽子を被り、椅子に腰掛けたまま、言葉を返した。

 

「……そうでしたね。名乗りが遅れました。私は空海様の名代にして、元帥府付き長史の鳳士元です」

「な、空海元帥のっ?」

 

 『三公』相当の権威を保つ元帥の名代であり、自身も元帥府の長史という冀州牧に並ぶ高官だと名乗った少女に、袁紹がひるむ。

 袁紹は一瞬だけ名家袁家の名乗りを上げようかと考え、少女が自分より上座にあることを認めて、口にしかけた言葉を飲み込んだ。

 

「そう。元帥の……」

 

 それにしても、と袁紹は思う。名だたる諸侯や高官が洛陽にて交流を図る中、だた一人江陵にあって滅多に上洛しない引きこもりの元帥。その部下、こんな田舎者の娘に舐められたものだと。

 

「仕方ありませんわね。前進するにも訓練が必要ですもの。亀のように引きこもって前に進んだこともない方たちに、先陣をお任せするわけには参りませんわね。でしたら、この袁・本初が! 手本をご覧に入れますわ!」

「……これは困りましたね。ここまで言われて反論しなければ、訓練に励む兵たちに申し訳が立ちません。――劉車騎将軍、下知を賜りたく存じます」

 

 鳳統は全く困っていない様子で淡々と議事の進行を促す。軍議に臨席した江陵の将軍はもとより、近くに居た劉表たちまで恐ろしさから若干引いている。

 気にしていないのはいきり立っている袁紹と、遠巻きに見ている数人の諸侯だけだ。

 

「う、うむ……よかろう。先陣左翼を江陵が、先陣右翼を袁紹が務めよ」

「御意です」

「――わかりましたわ」

 

 二者はそれぞれの思惑通りの展開に、矛を収める。

 しかし、それぞれが思い描く結末が全く異なっていることに、袁紹は気付いていない。

 

「では本陣前部に公孫賛、本陣後部に曹操、輜重隊に袁術と劉備を当てる」

 

 劉表は会議の前に程立から頼まれた通り、公孫賛を先陣の後ろに当てる。

 なお、地理的な要因から劉璋は連合には不参加だ。

 

「出立は明後日」

 

 劉表麾下の将軍が立ち上がり、命令を下すために天幕から駆けだしていく。鳳統たちもまた、話し込むこともせずにその場を辞した。

 

 

 

「白蓮ちゃん! やっと会えたー!」

「ん? おお、桃香。久しぶりだなぁ」

 

 桃色髪の少女が、赤い髪の少女と親しげに声をかわしている。

 

「久しぶりだねー♪ 元気だった?」

「おかげで、無病息災さ。桃香――に預けた馬も元気か?」

「あ、あれ? 白蓮ちゃん、私のことは? 私もいるよ?」

「あははっ! 冗談だ。桃香のことも同じくらい気になっていたよ」

 

 赤い髪の少女は笑いながら、しかしその目は『お前とお前の無駄にデカい乳の元気なんて見ればわかるからさっさと馬の安否を教えろ』と告げている。

 

「う、うん。私もあのお馬さんも元気だったよ! あ、でも前に鈴々ちゃんがお馬さんの身体に墨で『四駆』って落書きをした時は綺麗に」

「殺ス」

「待って白蓮ちゃん!!」

 

 

 

 

「どうやら上手く『要所を落とす』『時機』と思わせることが出来たようですねー」

「お疲れ様でしゅ……です、風さん。嘘を言わずに時機を待たせる。少しばかり加減の難しい任でしたが、まずは一つ片付きましたね」

 

 程立の言葉に、鳳統が能面のように表情を貼り付けたまま笑い声を漏らす。

 一方でそれを見て厳しい表情をしたのは趙雲だ。

 

「雛里よ。本当に難しいのはこれからだぞ。あの(・・)曹操たちの目まで誤魔化さねばならんのだ。策はあるのか?」

「曹操さんなら大丈夫です。明命ちゃんに動いて貰っていますから、当面は先日の失態をつついて封じておくことが出来るでしょう」

 

 鳳統は、悪辣と言って良い手をうっすらと笑みすら浮かべながら説明する。

 

「むしろ、連合の発足人である袁紹さんが問題ですね。そちらは勢力を削ぐため、そして報いを与えるため策を当てることにします」

 

 さらりと、何でもないことのように報復を仄めかしたことに、厳しい表情を作っていたはずの趙雲の顔が引きつり、背筋に冷たいものが流れる。

 軍師という生き物は味方の兵士を手足のように動かすが、一流と呼ばれる軍師は敵兵までもを思った通りに動かすのだ。その中でも『とびきりの天才』に狙われるなど、悪夢と言うほかない。

 袁紹の自業自得とはいえ、それに巻き込まれる兵たちの冥福を、趙雲は静かに祈る。

 

「ほな、ウチらの最初のお仕事はその策っちぅことかいな?」

 

 鳳統の言葉を受けて張遼が尋ねた。

 

「そうですね。連合本陣の兵の動きを封じることが、最初の仕事になるかと思います」

「『我ら連合が連携に戸惑う』間に、敵は袁紹に一当てして悠々と関へと戻る、と?」

 

 思っていたよりも単純な策に、趙雲も張遼も疑問の表情を浮かべる。

 

「そない簡単に行くんか?」

 

 鳳統はそれすら見越していた様に静かに頷いた。

 

「汜水関の前で3つの関と城塞を無傷で占拠できた後の初戦ですし、敵が関という有利を捨てていきなり騎兵で現れれば混乱も仕方ありません」

「騎兵? ということは……」

 

 鳳統はこれからの『予定』を当たり前のように話し、それを聞く者はそれを当たり前のように受け止めている。

 

 

「はい。初戦は翠さん――『錦馬超』に、袁紹を叩いて貰います」




 修正前のものを上げてしまったので直しました。変更は一部のみ。

>資治通鑑は小説で後漢書は歴史書
 資治通鑑の59巻、中平六年九月甲戌の項には『袁隗が帝の璽綬を解き以って陳留王に奉ると、弘農王を扶けて下殿させ北面して臣と称させた』とあります。
 袁隗って長安遷都にノコノコついて行って殺される役回りののんきな人だと思っていたんですが……。
 なお、後漢書の72巻、列伝の62巻にある董卓伝にはこの記述はありません。

袁隗(えんかい)
 なぜ袁隗を悪役にしたか。袁紹さんが真恋姫本編で酷いことしてたのでその肩代わりをさせたのです。袁家は真恋姫で月ちゃんに酷いことしたんだから親戚を悪役にされるくらい我慢してよね!
 私は史実なんて聞いた事もないので真恋姫本編こそが正しい流れです。なお、袁家でも有数の辣腕政治家であったことは事実のようです。

>6万+6万+5万+1万+2万+3万+江陵5万
 想定している人口は袁紹の冀州600万(兵6万)、劉表の荊州(江陵除く)550万(兵6万)、曹操の陳留州(エン州)400万(兵5万)、劉備の平原国100万(兵1万)、公孫賛の幽州200万(兵2万)、袁術の揚州400万(兵3万)……ただしまだ統一前。江陵の450万(兵5万、総兵力17万)くらいです。

>赤い髪の少女
 うまがすきだぞ!

>桃色髪の少女
 ちちがでかいぞ!

 土曜日の更新を忘れていたのは金曜日夜に見た動画で超エキサイティン!してしまったためであることを告白しておきます。5-4までは概ね出来たはずなんですけど、そこに虎牢関があれば立ち止まってしまうのが人の運命。流石、虎牢関です。


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5-3 アンチ・トータク・ユニオン 英雄集結

「これが江陵赤兎……これなら仕官と引き替えにしても……いやいや、しっかりしろ私、自分を安売りするのは良くないぞ。ああっ、でも体格からして違うんだよなぁ……!」

 

 身なりの良い少女が江陵軍の赤兎馬を前に、素早い蟹歩きでうろついている。

 

「これはもう馬じゃなくて別の何かだろう。キャディとかそういう……ッククク」

 

 清潔な服、引き締まった身体、よく手入れされた赤い髪、ややツリ目の整った顔立ち、トランペットに憧れる少年のような瞳で――しかし、喉の奥から漏れ出すような笑い声と不自然に素早く細かいステップを刻む蟹歩きと時々口から漏れる早口の独り言が、全ての魅力を打ち消す不気味さを演出していた。

 

「汗が血のような色をしてるんだよな……いや待て肝心なのは馬力だ」

 

 知る人ぞ知る幽州の雄、公孫賛である。

 

「ウホッ、白馬! しかもいい体格……ほ、ほほ欲しい欲しい欲し欲し欲ほほほほ!」

「あー、そこの赤毛さんや」

「ホホホホホホ――ホァッ!?」

「馬と兵士が怯えとるさかい、その辺にしたってや?」

 

 公孫賛が振り返ると、そこには青い羽織を纏った女性が、江陵の紋が入った鎧を身につけた兵士たちを引き連れて堂々と立っていた。大物っぽく。

 

「! あ、あ、ほぁ――あの馬の主か!」

 

 白馬を見て冷静さを失っていたところに、白馬を与えられている(と思っている)ほどの高官が現れたのだ。

 

「あの馬をくれええええええ!」

 

 公孫賛は殺してでも奪い取ることを選択して。

 

「ひっ! こっち来んなや!」

 

 ゴツンと派手な音がして。

 結果、公孫賛は地に伏した。

 

 

 

公孫(こうそん)伯珪(はくけい)です。先ほどは申し訳ございませんでした」

 

 赤毛の少女が身を縮め、地面に額を付けて謝罪している。いわゆる土下座だ。

 ここに至るまでの簡単な経緯を聞いていた他の者達も、今は緊張というよりむしろ疑念を向けていた。

 気まずい沈黙の中『お前が連れて来たんだろ』的な視線を受けた張遼が嫌々前に出る。

 

「ちょい聞きたいんやけど、ええか?」

「は、はい。なんでもお聞き下さい」

「ほなら、あそこで何しとったん?」

「えーと、その。視察というか、何というか」

「視察て。あそこ馬と見回りの兵しかおらんで」

「うっ」

 

 何か言い訳を探すように視線を巡らせる公孫賛に、疑惑の目が向けられる。

 やがてその圧力に耐えられなくなったのか、公孫賛が息を吐いた。

 

「う……馬が、好きで、その……」

 

 顔を真っ赤にして目に涙をためる少女を責められる人間はここには居なかった。強い視線を向けていた者たちも居心地を悪くしている。

 空気を変えるため、今度は趙雲が声をかけることにした。

 

「ふむ。さすがは白馬長史と言ったところですかな」

「――白馬力長史(はくばりきちょうし)

「は?」

「白馬"力"長史だ」

 

 公孫賛は真剣そのものの表情で訂正を求めている。

 

「あーと……白馬力長史殿は、江陵の馬が気に入ったと」

「あ、ああ。そうだ! あの白馬! 江陵赤兎にあんな白馬がいたなんて! そもそも江陵赤兎ってだけでウチの予算じゃ年10頭しか買えないのに、まだ別格がいるのかと!」

「お、おぉ、そうでしたか。いや待て縋り付くのは、ええい、とにかく落ち着かれよ」

 

 趙雲は助けを求めるように鳳統に目を向ける。鳳統は笑って答えた。

 

「伯珪殿。確かに江陵赤兎は、江陵外に100万銭からの値で販売しています。しかし白馬については、皇帝陛下と劉車騎将軍の他には江陵幹部にしか与えられていません」

「そ、そうだったのか!?」

「……なんと。それほどの馬だったとは」「ああっ、空海様……! ウチにそんな――」

 

 事情を知らなかった二人の武官が、驚愕と歓喜に身を震わせている。江陵を出るときに預けられたばかりで事情を知る時間も無かったのだ。名馬だとは感じていたが、皇帝への献上品に並ぶほどのものだとは考えていなかった。

 鳳統はそのまま公孫賛に話しかける。普段の彼女らしからぬ、堂々とした態度と妙に艶のある流し目で。

 

「白馬をお譲りするには陛下のお許しが必要になります。ですので、白馬にまたがりたいのであれば、功を立てて陛下に許しをいただくか、江陵の幹部となる他ありません」

「ゆ、幽州の民を捨てろと……?」

 

 震える公孫賛に、鳳統は優しい目を向けて首を振る。江陵で仕込まれた演出である。

 

「そのようなことは申しておりません。音に聞く白馬…力…長史殿ならば、幽州で戦功を重ね、陛下に申し出れば良いのではないでしょうか」

「そ、そうか……そうだよな」

 

 公孫賛の目に希望の光が戻る。しかし、この話の展開もまた、江陵赤兎を特別な方法で販売し始めた時からの江陵の戦略であることを、公孫賛は知らない。

 

「しかし、先に申しておかねばならないこともあります」

 

 鳳統は残念そうに――この演技指導に当たったのが周瑜と孔明と水鏡だと知れば一部の人間は発狂するだろう――目を伏せ、内緒話をするように公孫賛に顔を近づけた。

 

「江陵赤兎の白馬は、馬征西将軍にも与えられておりません」

 

 その瞬間、公孫賛は絶望の余り、自らを支えていた地面が崩れていく姿を幻視した。

 馬と共に生き、軍の実力者として漢で五指に数えられるほどの地位にまで上り詰めた馬騰ですら不可能。馬騰の生き方は公孫賛の人生の目標と言っても過言ではない。馬と共にある立身出世の代名詞。

 その人物が、超えられない壁。

 

「そ、そんな……」

 

 実のところ、馬騰には空海と一緒に品評会に出かけて選んだ月毛(クリーム色)の愛馬が居たため願い出ることも受け取ることもなかっただけなのだが、誤解上等である。

 

「さて伯珪殿。申し訳ありませんが、ここに居る皆さんはこれより『江陵に仕官してから初めて大仕事に臨む』ため、軍議を行わなければ――」

「ま、待って! 待ってくれ!」

 

 公孫賛からは見えることはなかったが。その瞬間に鳳統の顔を見ていた全ての人間は、彼女の浮かべていた表情についてその後に語ることはなかった。

 幸いなことに、あるいは不幸にも、視野狭窄と言って良い状態に陥っていた公孫賛は、鳳統の顔を見て表情を変えた人間が居たことにも気がつかなかった。

 

「なんでしょう、伯珪殿?」

 

 振り返った鳳統は実に優しそうな笑顔を浮かべている。

 

「た、頼む! 何でもするからあの白馬をッ――」

 

 

 この2刻(約30分)後、江陵の陣地から意気揚々と立ち去る公孫賛が目撃されたとかされなかったとか。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「何をやっていますの!」

 

 金の長髪を振り乱し、袁紹が声を荒げる。

 

「麗羽様っ、下がってください! 文ちゃんが向かっていますけど、一人では『アレ』は抑えられません!」

 

 前方に見えた砦に我先にと殺到した結果、袁紹率いる約6万の兵は縦10里(4㎞強)に伸びきって前進していた。そこに砦の陰からいきなり飛び出してきた2万を超える騎兵が斜めに突入し、伸びきった紐を断ち切るように袁紹へと迫っているのだ。

 文醜が飛び出していった先に馬旗を確認した顔良は、『一刻も早く文醜の援護に向かうため』袁紹に後退を促そうと本陣まで下がっていた。

 

「麗羽様。私たちが前をふさいでしまったせいで今、退路には江陵軍が広がっています。陣を組み直しているようですから、それが終わってからでないと全軍に後退命令を出せません。ですから、まずは麗羽様だけで劉将軍の所まで下がってください」

「斗詩さん、貴女、何を言っていますの!?」

「……私と文ちゃんは、江陵軍が陣を整えた後に下がります。急いでください、袁紹様」

 

 袁紹の声を振り切って顔良が飛び出して行く。馬超の軍勢は2里(約800メートル)にまで迫っていた。

 

 

 

 前方では袁紹の兵が馬超たちに蹂躙されている。しかし江陵は袁紹軍の退路をふさぐ形で防御陣を構築しつつあり、その陣内に即席で用意された指揮官用の陣幕では、4人の首脳部が静かに今後を話し合っていた。

 

「袁紹がこちらに会見を要求しているようでしゅ――っです」

「思ったよりも早かったですねー」

「こりゃ潮時ちゃうか?」

「兵らの準備は万端だが」

 

 報告を受けた鳳統が江陵軍首脳部に告げる。それぞれがのんきに感想を漏らし、しかしいつでも動けるよう緊張を保っていた。

 

「そうですね。袁紹の兵たちは思ったよりも脆かったですから、ちょうど良かったのかもしれません。風さん、ここからいくらかでも恩を売ることは出来るでしょうか」

「ぐー」

「風、起きろ」

「おお? んー……袁紹さんたちはあまり頭を使われないようですからねー。くふっ……ですが、やれることはやっておきましょうかー」

 

 程立がふらりと陣から立ち去る。それを見送って武官たちが口を開いた。

 

「風が戻ってくるのを待つか?」

「風さんならば、その必要はないでしょう」

「まぁ、せやろなぁ」

 

 強い信頼を置いた言葉に、張遼も趙雲も頷く。

 張遼が立ち上がって身体を伸ばし、趙雲も陣幕の外に控えた副官を呼ぶ。

 

「よっしゃ、そんじゃさっさと陣を組み替えて合図を出さんとな」

「遅れるなよ、霞」

「はっ、言っとれ」

 

 それから1刻(約15分)を待たずに江陵の陣容が整い、馬超たちはその後の1刻ほどで反転していった。

 

 被害は袁紹軍に集中しており、袁紹は6万の兵のうち実に1万を喪失。3万の負傷兵を抱えることになる。

 

 

 

 

「申し訳ありません、劉車騎将軍。もっと強く危険を訴えるべきでした」

「うむ。ああいや、先の戦いはこちらの従事中郎も見ている前で起こったこと。あれも、お前たちの行動に非はないと証言している」

「……納得いきませんわ」

 

 鳳統が頭を下げ、劉表が重々しく頷く。江陵軍の動きを見るために送り込んでいた劉表軍幹部が袁紹の独断専行と自滅を報告しており、覆しようがなかった。

 袁紹も小さく異議を唱えるが、3万もの負傷兵を後方に下げるために、袁紹軍に残った兵士2万に加えて劉表からも2万以上の兵を貸し出されており、劉表の陣内では今も袁紹配下の武将たちが治療を受けているのだ。いつもは軽く開く口が鉛のように重い。

 

「明日からは陣容を組み替える。袁紹は本陣の後ろまで下がれ」

 

 文醜や顔良が傷ついている今、無理をして軍を前に出すことは出来ない。袁紹は黙って同意を示す。

 

「そして今回の罰だが……」

「劉車騎将軍、よろしいでしょうかー」

 

 罠に気がつかなかったという責任は袁紹以外にもある。だが、嬉々として罠にはまりに行った責任が袁紹にあるため、やはり袁紹を罰するしかない。

 その罰を諸侯の前で決めるべく開いたのが今回の軍議である。

 しかし、それに待ったをかけたのが程立だ。

 

「申してみよ」

「御意ー。まず、今回の件では江陵軍より後方の兵士はほとんど無傷で、袁紹さんの軍が被害を一手に引き受けて下さったことで連合の瓦解が防がれたという面がありますー」

「だが欲をかいて連合を危険に晒したことも事実」

「はいー。そこで、負傷兵の世話を含め、以後は縁の下を支えることに務めていただく事で罰としてはいかがでしょう?」

「ふ……ぅむ」

 

 元々有志が集まった連合ではお互いの立場は対等だ。そんな中で、地位の差によってまとめ役に収まっているだけの劉表にそれほど大きな権限はない。罰が厳しすぎれば「連合を離れれば良い」と判断される可能性もある。

 程立の提案に乗れば、袁紹は部下や兵の治療に専念しながら負傷兵の世話という名目で連合に残れる。

 江陵としても、袁紹たちが連合から離れてしまうのは本意ではない。袁紹に対して恩を売るついでに、連合に袁紹という枷を取り付けたい。

 劉表としても袁紹の発言力を落としつつ、連合の正当性を主張するための責任をすりつける相手として残したい。

 思惑は一致しつつある。

 

「江陵としましては、それ以上の処分を求めることはありませんー」

 

 程立はそれだけ伝えて眠そうに目を細めた。

 

 幾人かが江陵の提案にそれぞれ違った感想を抱く。

 江陵と劉表の近さであるとか、江陵自身の発言力の大きさであるとか、優しい罰に感心するとか、甘い罰に憤慨するとかである。

 曹操は江陵の提案に小さな違和感を抱くが、確証もないままつつくには江陵に握られた弱みは今でも少々痛い。頼れる軍師に相談することにして、会議に目を向ける。

 

「よろしい。では袁紹には後方での支援と輜重の管理を申しつける」

 

 劉表が頷き次の議題へと進むと、程立は袁紹に目を向け小さく目礼をし、袁紹は程立に向けて小さく首を縦に振った。何人かがそれに気付き、しかし誰もそれを口にすることなく会議が進んでいく。

 

 

「さて、本陣の後部だが、場合によっては袁紹を支える位置になる故……」

 

 露骨に目をそらした人間も居るが、諸侯は概ね渋い表情で目を伏せている。劉表が議場を見回し、一人の少女と目が合った。

 

「私がやるよ――じゃなかった、やります」

「公孫賛か」

「白蓮さん……?」

 

 名乗りを上げた公孫賛が袁紹に向かって頷く。

 

「気にするなよ、麗羽。荷を引かせるなら馬力がいるだろ?」

「白蓮さん、貴女……」

 

 公孫賛の素晴らしい笑顔を向けられた袁紹は、頬をやや紅潮させながらも、かろうじて微笑みを返すことに成功した。いつもの袁紹を知る袁術や曹操が、半ば唖然とした様子でそれを眺める。

 劉表は江陵組をチラリと横目で見る。劉表の視線を受けた程立が小さく頷きつつ、目と本体で劉備を指したのを見て、劉表が告げた。

 

「よろしい。本陣後部には公孫賛と劉備を当てる」

 

 劉備は連合の中でも小規模な勢力であり、参加に至る経緯も消極的な賛同からであったために、後方に留まることを良しとしているようだ。馴染みの友人と一緒になったことで喜んでさえいるようだった。

 

「他は兵数を鑑み、先陣に曹操、本陣前部に袁術とする」

 

 袁術は嫌そうに、曹操は表情を消して同意を示す。

 曹操にとっては江陵の狙いがわからないままに前線と江陵軍に挟まれる位置に置かれるのは面白くない。しかも、現在諸侯の中で最も力を残す自軍がここに置かれたということは、襲われる可能性と襲われない可能性が同時に高まったということだ。

 

 この場から汜水関のどこで何を仕掛けられるのかわかったものではない。

 何事も無ければ汜水関までは6日。曹操にとって、とても長い6日が始まる。

 

 

 

 

「そう、何もなかったのね」

「はっ、今のところ新たな罠も確認されていません」

 

 先陣に立って進軍を開始してから4日、2つの砦と1つの関を越え、今は2つ目の関の偵察を終え、曹操は荀彧から報告を受けていた。

 曹操は、あと2日と考えて漏れそうになったため息を飲み込む。

 

 この4日は曹操陣営にとってひたすら神経をすり減らすだけの進軍が続いていた。

 江陵軍が地形に合わせて陣を変える、索敵や伝令の人員を飛ばす、宿泊のために天幕を設営する、それら一つひとつに斥候を放ち将を集めて動きを注視してきた。

 現状は後手に回らざるを得ないが、江陵軍は陣替えも『なかなか素早く』、すぐに対応しないと最悪の場合には無陣形で脇腹を晒すことになるのだ。

 無論、完全に味方だと信じられるならば頼もしい限りなのだが。

 

「厄介ね、江陵は」

 

 不気味過ぎる味方である江陵に気が休まるときのない行軍は、曹操たちの精神に大きな負担を強いていた。

 一つ朗報があるとすれば、黄巾の残党を取り込んでいることについて――おそらくは江陵主導で――諸侯を通じて入れられていた探りが落ち着きを見せたことだ。馬超が先帝に申し開いた例を出して劉表を丸め込んだため、江陵も手を緩めたのだろう。

 

 一方で、地道に江陵軍の調査を続けていた荀彧が厳しい表情をしながら顔を上げる。

 

「ひとつご報告があります、華琳様」

「何かしら?」

「袁紹配下の兵から聞き取りを行った所、先の馬超戦で江陵が行った斉射は、矢を当てる気がまるでなかったとしか考えられません」

 

 荀彧の言葉は『江陵が敵である』証拠を指摘しているようで――しかし、曹操は納得の表情と苦々しいとしか言いようのない表情を続けざまに浮かべた。

 

「……なるほどね。さっきまで程立が来ていたでしょう。あの娘『袁紹からの依頼で兵を救い出した』ことを強調していたのよ。……つまり、そういうこと」

 

 程立の話は――曹操ですら――袁紹の救出という連合への貢献を笠に、曹操軍へ圧力をかけているかのように聞こえていた。実際に重圧を感じて居るのだからなおさらだ。

 もちろん『裏で探っていることなど筒抜けであり、江陵は対策まで取っている』のだとわざわざ宣言しに来ているとは曹操も考えていなかった。

 

「馬超を追い返すことを優先した斉射であって、袁紹とも話が付いている、と?」

「『袁紹からの依頼』で手加減したのだとすれば、私たちが江陵を追求することは出来ないわね。……麗羽の馬鹿が積極的に江陵を庇うでしょう。麗羽を連合に残したのには、こういう理由もあったのかしら」

 

 袁紹が庇う理由も多い。彼女がどこまで考えているかはわからないが、配下を実質的な人質に取られ、しかし江陵に恩を感じて居るだろうことは容易に想像が付く。

 情勢もまた曹操には向いていない。連合への貢献度は、確かに江陵の方が上なのだ。

 

「為人は知っておりますが、袁紹が江陵に味方するとはとても思えないのですが……」

「アレは悪い意味でも馬鹿だけど、いい意味でも馬鹿なのよ」

 

 誇りのために誇りを捨てられるという潔さは、極めて稀有な、あるいは袁家にあってはならない類の人間性だ。袁紹本人に『江陵に恩を返そう』と思わせたのであれば、それに横合いから手を出すのは面倒極まりない問題となったと言える。

 事実、袁紹を知る曹操は既にこの件で口出しする気を無くしているのだ。

 

「では汜水関まではこのまま――?」

「程立が来ていた、と言ったでしょう。本題は麗羽の件ではないわ。いえ、袁紹関連ではあるのだけれど……」

 

 言葉を濁す曹操の姿が珍しく、荀彧は内心驚いた。ここまでの精神的負担が曹操の態度にも表れつつあるのだ。やや戸惑いつつも荀彧は尋ねる。

 

「袁紹の件ではない袁紹関連の話、ですか?」

「袁紹軍と連合の行軍についてだったのよ。負傷兵と輜重が思っていたより負担になっているので、進軍を遅らせるのだそうよ」

 

 そう告げる曹操は本当に不機嫌であるようで、うっすらと笑いながら指先で机を叩く。

 

「これ以上軍が縦に伸びるのは好ましくない、と劉表が言ったらしいわ。しかも、私たちだけは『江陵が責任を取るから先行しても構わない』のですって」

 

 責任を取るとはどういう意味かしらねと笑う曹操は、近寄りがたい恐ろしい雰囲気をまき散らしている。先の『圧力』はこれを促しているように聞こえていたのだ。

 荀彧は、真っ先に思いつく可能性を口にした。

 

「江陵が董卓と繋がっているとして、最悪の場合、連合を前後から挟み撃ちに――」

「桂花、最悪はもっと悪いわ。江陵が連合の足を遅らせて私たちとの距離が十分に開いたところで私たちの前に董卓軍20万と江陵軍10万の連合軍が現れ、後方で劉表が江陵についていたら……」

 

 30万に追い立てられた状態で10万が進路をふさいだりすれば、流石に手の打ちようがない。江陵の思惑を外すような方法に思い当たることなく、曹操は唇を噛む。

 そもそも程立の言葉は()を匂わせるだけで脅しですらないのだ。あえて思惑を外そうと言うのなら、その代償を血で支払わねばならない状況に陥るかもしれない。

 

「私たちに連合と離れるという選択肢は、ない」

 

 曹操は小さく呟いて笑った。今度の笑みは暗いものではない。むしろ、面白くてたまらないといった感情を無理矢理に押さえ込んだような笑いだ。

 

「いいえ。選択肢を無くされた、というのが正しいかしら。劉表と連合の方針を私たちに伝える、たったそれだけの席で私たちの行動を縛った。……程仲徳、欲しいわね」

「華琳様ぁ……」

 

 切なげに声を上げる荀彧の頬を撫で、曹操はさらに笑う。

 

「連合と離れる選択肢はない。それならまず、私たちの負担を一部でも押しつける相手がいるわ……桂花」

「でしたら袁術――いえ、その配下の孫策が適当でしょう。かの者は勇猛果敢で知られています。先陣を押しつけるのには適任です」

 

 黄巾の乱で名を上げた人物の登場に、曹操の胸中が僅かに波立つ。だが、それを態度に表すことなく続きを促す。

 

「袁術には功を稼ぐ機会であると伝え、説き伏せましょう。黄巾の際も同じ構図であったため受け入れやすいでしょう。劉表も同じ線で説得が可能かと」

「そうね。それで構わないわ、桂花」

 

 曹操は荀彧に伝令の手配を指示し、ふと、先ほど外へ連れ立って出た程立と郭嘉の姿を思い浮かべた。

 あの郭嘉が、程立から何かを引き出してくれることを期待して。

 

 

 

 気の強そうな眼鏡の少女と、眠そうな目の少女が並んで歩く。

 

「璃々も元気にしていますか……。それを聞いて安心しました」

「稟ちゃんが江陵に来たときには案内役をしたいと言っていましたよ」

「それは楽しみです」

 

 璃々に対して若干の負い目を感じていた郭嘉は、その言葉にほっと息を吐いて優しげに微笑む。そして、自らの微笑みを隠す様に意地の悪い笑顔を作った郭嘉は、怒ったような口調で程立を攻める。

 

「それにしても、江陵は後ろ汚い手を好みますね」

「クスクスッ。風には何のことだかわかりませんねー。それに風たちは、空海様がやれと言ったことをやっているだけなのですよ?」

 

 程立は、自分は悪くない、といった論調で否定した。確証を持たせぬまま煙に巻く言動で、その上自らの主に罪をなすりつけて笑う程立に、郭嘉は呆れたように告げる。

 

「それを飄々と実行出来るだけでも同類です」

「……ぐー」

「寝るな!」

 

 変わらない程立の姿に郭嘉も思わず吹き出してしまう。

 いつもの調子が戻って来たところで、郭嘉はそれまで一番聞きたかった、しかし立場上どうしても聞きづらかった質問を口にした。

 

 

「風。空海殿の元は、充実していますか?」

 

 策に絡むために口に出来ないこともあるだろう。それ以上に心情の面で聞きづらい。だが聞かなくてはならないことでもある。

 

「そですねぇ……。その答えは、洛陽にあるのだと思いますよー」

「――洛陽」

 

 程立の思いがけない解答が、遠く黄巾の潰された地に馳せていた郭嘉の意識を目の前の大地へと引き戻す。

 

「江陵の策が後ろ汚いとして。風たちがそれを実行していたとして。洛陽に至り果たして本当に後ろ暗いのは一体誰なのか……くふふっ」

「っ! 本当に、貴女たちは……」

 

 唐突に緊張感のぶり返した程立との会話は、郭嘉にはお互いの距離を再確認させられているように感じられた。同時にどこか気分が高揚しているのも自覚する。

 思わず笑みが浮かぶ。郭嘉はそれを隠すことなく程立を見据えた。

 

「思った以上に、難敵になりましたね」

「過大評価かもしれませんよ?」

「私は相手を小さく評価するのは苦手なんです」

 

 二人は小さく笑い合い、そしてお互いに背を向けた。

 

 

 

 

 そこは陣地と陣地の隙間に出来た、谷間のような場所だった。冬の日は短く夕刻に吹く風は冷たい。

 多くの護衛を引き連れ自陣に戻る程立は、先ほど別れた親友に向けて真っ白な息と共に小さく言葉をこぼす。

 

 

「洛陽で待っているのが風の覚悟を裏切る答えであって欲しいと……望んだ答えであって欲しいと、風も心から思っているのですよ、稟ちゃん」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 空海が小さく笑って視線を集めた。

 

「なるほど。どちらに付くべきか、か」

 

 腕を組み、少し難しそうな顔をし、もう一度小さく笑う。

 

 

「矛を収めるには、董卓が名実を捨てられ、諸侯が名実を得られ、孟起が納得して離れられる状況を用意する必要があるわけだ」

『えっ?』

 

 軍師たちが驚いたように声を上げ、武官たちが「またか」と笑う。

 

 

「……うん。悪役を作ろうかな」

 




◇二枚舌+1
 江陵は劉表に味方するために連合に呼応するフリをして、董卓について連合にダメージを与えるように見せ掛けて、袁紹に恩を売るフリをして、連合の足を引っ張るように見せ掛けて、本当は

>ATUシリーズ。五章にはこんなタイトルを付けたかった的な。
 アンチ・トータク・ユニオン ~英雄集結~
 アンチ・トータク・ユニオン2 ~紅に染まる大地~
 アンチ・トータク・ユニオン3 ~黄河の中流で牙をむく野生~
 アンチ・トータク・ユニオン4 ~大陸の行方~
 アンチ・トータク・ユニオン5 ~夜明けの時~

>普通脱却記念日
 この公孫賛を書くのが楽しすぎて困惑している昨今。普通が嫌だと聞こえてきたので。
 横文字が許されるならパゥワァァァアア!と叫ばせたいキャラです。作中唯一のパワー厨の予定。幽州は馬がいいので正義だったが、江陵はもっと馬がいいのでもっと正義。彼女が董卓と出会ったとき、新たな物語が始まる――! 予定はありません。

>わたしは 華雄も すきです
 出番あるの?
 春蘭たち武将も書きたいんですけど、400行の話、120行のシーンに軽く絡めるだけで50行くらい一気に追加することになるので、バランスが取れなくなる上シリアルになってしまい書くに書けず……。

 板垣さん通算80個目の超新星発見おめでとうございます。今年5個目だそうです。使いどころのない空海の必殺パンチの威力が上昇しました。
 そしてお気に入り2000件超えありがとうございます。評価も一杯感謝一杯。あと、ありがたいことに前回の更新からランキングも上位に入ってたみたいです。感謝です。
 お礼になるかはわかりませんが、明日も1話投稿します。5-4です。


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5-4 華雄、覚えていますか

「ぐぬぬ……」

「ぐぬぬじゃないですよぉ、雪蓮様ぁ~」

「ねぇ思春、こう何度も地味な嫌がらせに直面するの何故なのかしら?」

「半分は董卓の、もう半分は袁術のせいでしょう。手が止まっております、蓮華様」

 

『……はぁ』

 

 4人のため息が重なった。

 

 孫策たちは今、山間の細道いっぱいに埋め込まれた杭を抜く作業に取り組んでいた。

 杭は人が歩いて通るのには問題が無いくらいにはまばらに、しかし軍が通ると考えれば明らかに邪魔になる程度に密集していた。おまけに、大半の杭が地面のかなり奥深くまで突き刺さっており、しかも上からたっぷりと水をかけられて冬の冷気に晒されているため表面の一部は凍っていて掘れば泥になるという悪質さである。

 

 数少ない救いは、歩調を合わせている江陵軍が比較的広範囲を担当し、なおかつあまり慌てて作業していないということだろうか。

 作業を始めてしばらくはうるさかった袁術も、江陵軍をだしにして追い返した後は静かにしているようだ。

 曹操軍は杭の手前でさっさと大休止に入り、杭を超えたところには江陵軍の簡易本陣が置かれているため、間に挟まれたこの場が安全地帯であることもありがたい。

 

「何で江陵の兵はあんなに手慣れてるのよぉー」

「廃材と槌と縄であんなに手早く引っこ抜けるなんて……」

「馬に引かせてもいますねぇ~」

「馬は全て江陵赤兎のようです。……一体いくら掛かっているのか」

 

 孫策たちの知らない事だが、通常の軍において5万の兵と2万の馬を揃えるのに必要な経費は6億6千万銭ほど。対して江陵はそれらに25億銭を掛けている。維持費まで含めればその差は5倍程度にまで開く。

 江陵の物価は確かに高い。しかし、江陵では大量生産の技術が他より優れているため、軍事物資のように同一規格品を多数揃える場面で必要になる費用は、諸侯と比較しても大幅に小さい。

 つまり高い質でまとまった装備を潤沢に揃えているのが江陵なのだ。全兵士に防寒具が行き渡っている軍など連合内でも江陵しかいない。

 

 それなのに、なぜ孫策たちの作業に比べてもそれほど早くないのかと言えば。

 

「汜水関の目と鼻の先で無陣のまま兵のほとんど全てを休ませるなんて、『江陵は董卓に味方してるので疑って下さい』って言ってるようなものじゃないの?」

「確かに、これはやり過ぎです」

 

 

 

「万事が策ですのでー。敵がこれに食いつくのであれば、敵将の首級をあげ、兵の半数を討ち取ってみせましょうー」

「そ、そこまで言うのであれば見逃すが、これは全軍の士気にも関わる故、今後は形だけでも陣を組んで貰うぞ」

 

 余りに堂々と即答した程立を見て、追求を考えていた連合首脳部がひるむ。しかしそれも劉表の要望に対する解答を見てからだと気を取り直し、程立の返事に注目する。

 対して程立は、ほとんど考えるそぶりも見せずに深く礼をして同意を示し、逆に劉表に意見してみせた。

 

「御意ですー。ではでは今回は『敵の鼻先で堂々と休み、その胆力を見せつける目的』と銘打ってあえて全軍を休ませてはいかがでしょうー。風たちに策があるのならば、あとは後方にいる袁紹さんが警戒するだけで済みますからー」

「む……」

 

 追求のために呼び出したはずの劉表が今度は「江陵を信じられるのならば態度で示してみせろ」と要求されている。

 確かに、江陵を信じた上であればその提案には魅力も感じるのだ。

 

「関の前でしっかりと休めるのも最後と考えれば、それも良いかもしれんな」

 

 これより汜水関に近づけば、敵は油断を突いた攻撃を仕掛けようと関から飛び出してくることもあるだろう。現時点でもかなり危険なのだ。江陵が責を負うなら悪くない。

 

「はいー。曹操さんたちの杭抜き作業もしばらく掛かりそうな気配でしたので、そちらを除いて兵に酒などを振る舞うのはどうでしょうー?」

「ぬ、酒か……それはいささか過ぎてはおらんか」

 

 曹操や前線に出ている孫策に対する嫌がらせと、連合の足止めを兼ねての提案。同時に江陵から恩を売る機会でもあり、江陵の品の売り込みにも繋がる。

 

「一人二杯までとすれば良いのですよ。明日、前進して関の前で陣を組んだら休むことになるでしょうから、明後日の朝までに取り戻せば良いのです。ならば、むしろ明日の陣内で振る舞う理由を無くすのにも使ってしまいましょうー」

「なるほど。確かに敵前で酒盛りする愚を思えば、一歩でも二歩でも引いた場所で済ませるのは悪くないな」

 

 既に劉表の中ではこの場で進軍を停止して休むのは『前提』になっている。そのように誘導して振る舞ったのは程立ではあるのだが。

 

「よかろう。酒は江陵も出すのか?」

 

 劉表の言葉に程立は江陵軍の物資状況を思い浮かべる。酒1万石に水12万石、自前の糧食と飼料を8万石ずつ、矢を1200万本など。馬車6千台で約20日分の消耗品。

 江陵の売り込みのため酒を出すのはもう決まりだが、どの程度を拠出するべきかは程立に一任されている。ケチと思われても得はないし、大盤振る舞いが過ぎては劉表の面子を潰すことになる。1人2杯ならば全軍で30万杯くらいだろうかと程立は考える。

 

「そですねー。1千石(10万杯分)はこちらから出しましょうー。ですが、江陵の兵には今夜は飲ませられませんから、ほんの少し陣を離して下さるとありがたいですねー」

「ほぅ、さすが江陵だな。うむ、陣地は配慮しよう」

 

 どこまでも江陵のための提案だ。曹操たちは必要以上に警戒するだろう。

 しかし、劉表はむしろ必要以上に警戒を解いてくれている。劉表にとってこれは自身と連合のための提案であり、これまでに築いた江陵との信頼関係もあって疑う意味はないのだから。

 

 

 しばらくの後、日暮れも近づいた先陣近く。

 

「なんでウチには酒が来ないのよぉ! 江陵の酒よ! 江陵の! わかってんのっ!」

「飲んでいては作業が終わりそうにないからでしょう。手が止まっております、雪蓮様」

「姉様、酒よりも日暮れまでに作業が終わりそうにないことの方が問題です」

「蓮華様ぁ~、作業よりも糧食が届いていないことの方が問題ですよぉ~!」

 

 後方で本隊が陣を組み始めた頃、孫策たちはまだ作業を続けていた。不慣れで過酷な内陸の冬の作業に、身も心もぼろぼろである。

 その日の夕食は曹操に分けて貰ったのだとか。夕食時に酒を求めた孫策が一騒動起こすのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「やっとぉ……やっと着いたのだぁー、汜水関なうー」

 

 梅干し色の頭髪が特徴的な少女が、梅干しの様にしおれた表情でだれている。劉備の配下、張飛その人である。後ろから黒髪の女性が呆れた顔で近づく。

 

「鈴々、休むのは天幕を張ってからにしろ。泊まる場所がなくなるぞ」

「んにゃー……なら、さっさと作っちゃうのだー! 作業開始なうっ!」

 

 疲れた表情から一転して、張飛が元気よく駆け出していく。黒髪の女性、関羽は苦笑いでそれを見送った。

 さらに後ろから桃色髪の女性、劉備が笑いながら話しかける。

 

「あはは……鈴々ちゃん元気だねー。私もうお尻が痛くて……」

「桃香様は休んでいて下さい」

 

 見目麗しい女性が自分の尻を揉みしだきながら微妙に年寄り臭いことを言っている姿は見るに堪えず、関羽は半ば目を背けながら助け船を出した。

 

「うーん、みんなが頑張ってくれてるのに私だけ休むのは……」

「いえ、堂々とされていることが主君の仕事でもあります。お気になさらず」

 

 劉備は渋るが、人に指示を出すのが苦手な劉備が一人加わったところで仕事がはかどるということもない。繰り返し関羽に言われ、劉備も考えを変えることにした。

 

「仕事……あ、そうだ! それなら劉表さんたちに挨拶してくるね! ご飯とお酒ありがとうございましたって」

「なるほど、それは良い考えですな。護衛は――」

 

 視線を巡らせた関羽の耳に、張飛の向かった方向から上がった変な悲鳴が届く。

 おそらく張飛が設営の邪魔になっているのだろうと気付き、関羽はため息を吐いた。そして、ちょうどいいと言わんばかりに劉備に提案する。

 

「護衛には鈴々をお連れ下さい。陣の方は私にお任せを」

「あはは……、うん。それじゃお願いするね。こっちは任せてよ!」

「はい。すぐに呼んで参りましょう」

 

 にこりと笑って駆け出す姿からは、一騎当千の猛者の気配は感じられない。

 

 

 

 

「華雄が汜水関に入ったようでしゅ」

「冥琳さんが止められませんでしたかー。あまり良くない展開ですねー」

「望ましくはありませんが、最悪でもありません。目標は10日間です」

 

 空海に命じられた任を果たすため、鳳統と程立は毎日のように相談を重ねていた。

 汜水関に到着したことで作戦は佳境に入り、進軍中の戦力分析の正確さが試される時が近づいている。

 

「袁術さんを前に押し出し時間を稼ぎますかー?」

「いえ、ここはまず曹操さんを前に出しましょう。両軍共に健在な今、曹操軍の兵だけが疲弊するのは彼女も望まないはずでしゅ……はずです」

 

 曹操は劇薬だ。前面に押し出し過ぎれば過剰な戦果を上げてしまう。鳳統は、優秀だからこそ慎重にならざるを得ない場面を曹操に押しつけることで時間を稼ぐつもりなのだ。

 

「最初の数日を曹操さんにお任せして、その後に袁術さんを前に出しますか?」

「あるいは、汜水関で劉備軍の実力を測っておくのも良いかもしれません。黄巾賊騒動の際には、あの曹操さんに先鋒を認められていますから」

 

 内情をつかみ切れていない勢力で一定以上のものと言えば、残るは劉備のみだ。劉姓を前面に押し出して劉表からの支援を引き出すなど――弱者の振る舞いではあるものの――侮れないしたたかさを感じさせる。

 関羽や張飛と言った将たちは、黄巾賊の時には曹操軍の夏侯惇と共同戦線を張っていたことも確認されている。積極的に労力を割くべき大勢力ではないが、野放しには出来ない程度に力のある勢力だ。

 

 軍師たちの話し合いは白熱しているが、指揮の方針は確認しなくてはならない。静かに見守っていた趙雲が口を挟む。

 

「いずれにしても我らは高みの見物というわけだな?」

「少なくともこれから数日はそうなりますねー」

「なんや、つまらんなー」

 

 張遼が拗ねたように言えば、趙雲も同意するように息を吐いている。

 

「だからこそ――」

 

 そこで言葉を句切り、鳳統は強い視線を張遼と趙雲に向けた。

 

「お二人の力が必要です」

『……』

 

 二人の武人は顔を見合わせ、笑みを浮かべた。

 

「うむ。了解した、軍師殿(・・・)

「ウチらに任しとき」

 

 

 初日は、何事もなく過ぎた。

 

 

「また袁術ちゃんからご飯が送られてこなくなったんだけどー?」

「関攻めの命令は送られてきてますよぉ~……」

 

 二日目、移動中と合わせて2度目の補給停止が孫策たちを襲っていた。

 初回は直接の抗議に加えて曹操からも非難の声が出たため、すぐに曹操が立て替えていた分の食料が補充された。

 しかし、曹操の関攻めに加わる形となった今回、曹操と結んで袁術の影響下から逃れようとしているのではないかという声が袁術の部下たちから上がり、結果的にその意見は袁術本人によって認められた。

 今の曹操陣営は、先日、他軍にのみ飲酒が許されたことで若干の陰りが見えた士気を回復するため糧食を多めに振る舞っているため、立て替える余裕がない。曹操からは袁術への抗議と劉表への通告に留めて、孫策たちは前線から外された。

 

 曹操は軍を前進させ関から1里(400メートル強)ほどの距離に柵を建て始める。定石通りの城攻めの準備だ。関からの妨害を警戒して大軍を用いる事が出来ず、夕刻まで使い切ってようやく馬の侵入を防ぐ柵が一通り前線に並んだ。

 

 三日が過ぎて、四日目も曹操は定石通りの準備を進めている。弓を防ぐ塀を建て、関へ侵入するための雲梯をこれ見よがしに作る。一貫して防衛を整える姿勢のまま、この日を終えた。

 

 

 四日目の夕刻、とある陣にて。

 

「なんじゃあやつは! 攻めると言っておきながら何もやっとらんではないか!」

「さすがお嬢さま! 兵法も知らないのに言葉だけは威勢がいい酒場の中年親父みたいな物言い! よっ、大言壮語の申し子!」

「うん? 中年親父のたいげんそーごとはなんじゃ?」

「もうお父様とお母様を超えられたも同然、という意味ですよっ」

「なるほど! そうじゃろうそうじゃろう。もっと褒めてたも!」

「無謀と勇気をはき違えた蛮勇の化身っ!」

「うははははーっ」

 

 

 五日目、袁術の強い要望(わがまま)により、曹操陣営が後退して袁術陣営が前線へと出る。合わせて劉備陣営が前線へと押し上げられ、関攻めに参加し始めた。

 最前線には孫策、甘寧、関羽、張飛らの姿が見られる。合わせるように関に掲げられた牙門旗が左右へと別れ、正面から見ると『()』『()』になった。

 これまでの様子見のような攻撃は過ぎ、連合の前線は曹操(これまで)よりもがむしゃらに攻め立て始める。

 関からの反撃は限定的だったが、連合に数千の死傷者を出す。

 

 六日目、孫策や劉備たちが関に向かって罵声を浴びせかけ始める。申し訳程度の攻撃を除けば丸一日ほど動きがなかった。

 

 

 

 六日目の夜、連合軍内の江陵陣地、首脳部の集まる天幕にて。

 汜水関の攻略は全く進まず、連合の足は止まったままだ。江陵の思惑通りの展開であるはずなのに、ほぼ同時に届いた良い知らせと悪い知らせが首脳部を悩ませていた。

 

「まず、あまり良くない知らせです。翠さんでは華雄を抑えきれないようでしゅ」

「予想通りと言えば予想通りですねー」

「……面倒なやっちゃなぁ」

「あの罵声には、確かに耳を汚された気分ではあるが」

 

 気を取り直して、趙雲が鳳統に尋ねる。

 

「して、良い知らせの方は?」

「はい。成都までに予定を2日短縮出来たそうです。朱里ちゃんによればそのまま予定を2日早めて考えても問題は無いだろうと」

「では最短であと2日か」

 

 目標の10日間まであと4日。2日の短縮が可能ならあと2日だ。洛陽で待ち構えているだろう大事件に刻一刻と近づいていく重圧に、皆の緊張がにわかに高まる。

 だが、そこで程立が致命的とも言える問題を指摘した。

 

「ここで華雄さんを逃した場合、虎牢関に入られてしまうことになりますがー」

「げっ」「うぅむ」「あわわ……」

 

 将たちが苦々しい表情で声を漏らす。汜水関は10日で抜く『予定』だが、虎牢関はその倍をかけることになっているのだ。たった1日で我慢が効かなくなる者が関の中で兵の指揮を執るなど、考えるだけで嫌になる。

 鳳統は少しだけ考え、結論した。

 

「でしたら、ここで討つか捕らえるか……星さん、出ますか?」

「ふむ? では任せて貰おうか」

「あー! ずっこいー!」

 

 一騎打ちを仄めかした鳳統に趙雲は頷き、張遼は駄々をこねる。歴戦の戦士らしからぬその姿に、鳳統たちは目を細めて笑う。

 

「霞さんには、虎牢関で『飛将軍』の抑え役に回って貰うつもりですから」

「あん? あー、確かに恋の相手はウチしかおらんな……んまぁそういうことなら今回は譲ったるわ♪」

「フッ。ぬかせ」

 

 武人たちが結論を出したのを見計らい、いつの間にか横で寝息を立てていた程立が鳳統にたたき起こされる。

 

「風さん、起きてください!」

「おおっ? ……ではでは明日は陣を組み替えて貰い一騎打ち。明後日にも劉将軍を前に出して関を占拠していただきましょうかー」

 

 程立が起きると同時にさらりと話がまとまり、武人たちは急にだらけモードへと突入した。張遼が憮然とした表情の鳳統を見て笑う。

 

「雛里も強ぉなったなー?」

「し、霞さんっ、真面目に聞いてくだしゃい!」

「ちゃんと聞いとんでー。上手く立ち回れば2日3日稼げるっちぅこっちゃろ?」

「うむ。負けろと言われても聞けぬ時はあるが、勝てと言われれば大抵の相手には勝ってみせよう。その辺りの差配は任せて良いのだろう?」

 

 趙雲は気負いもなく言ってみせる。張遼も同じ気持ちで頷いてみせるが、程立は相変わらず眠そうにしながらも、僅かに眉を寄せる。

 

「軍師としては、必要な時には負けたフリくらいはして欲しいものですねー」

「せめて引き分けくらいは……」

「ふむ? まぁ約束は出来んが引き分けならば努力しよう」

「相手が三下やなかったらなー?」

 

 張遼が茶々を入れ、趙雲も笑いながら頷く。軍師たちの苦悩は続くようだ。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「陣地を入れ替える? あー……この嫌な感じは、それだけじゃないわね」

「そ、それがですねぇ。私たちのやり方は評価をしてくださるとのことでしてー。なんと言いますか、そのー」

 

 言いよどむ陸遜に、孫策の中で嫌な予感が更に膨らむ。そしてそれは、とても嫌な形を作り始めていた。具体的には自分たちの目標達成が遠のいたかのような。

 

「まさか……。まさか、袁術ちゃんにその手柄を取られたのかしら?」

「あ、あはは……はいー」

 

 陸遜は半泣きで肯定した。落ち込んで大きな二つの果実が地面に落ちそうな程に沈んでいる陸遜を責めることは出来ず、孫策は唇を噛む。

 

「なんてこと……。功を上げるどころか、名を売る機会すら奪われるなんて……っ!」

「姉様」「雪蓮様」

 

 今にも崩れ落ちそうなほどに弱々しい孫策の姿に、孫権と甘寧はかける言葉が見つからず、伸ばしかけた手を下ろす。

 

「ですけどぉ、江陵の取りなしで、劉将軍からは一定のはからいが」

「茶番でしょ。劉表と江陵はどう見ても繋がってるもの」

 

 陸遜の言葉を遮って孫策が言い切る。孫権と甘寧はそれを見ることしか出来ない。陸遜は無理に笑って劉表からの『はからい』を振る舞うことにした。

 

「そう、ですね……。ではでは、もう、今夜はパーッと飲みましょうか~」

「えっ? お酒飲めるの!?」

「姉様?」「雪蓮様?」

 

 一瞬で態度を切り替えた孫策の姿に、孫権と甘寧はかける言葉が見当たらず、それぞれの得物に手を伸ばす。

 

「あ、あら? 二人ともどうしちゃったの」

『反省してください』

 

 

 

 七日目、連合軍は朝から関から3里(1.2㎞)ほどの位置で陣地を入れ替える。

 昼前、関から300歩(350メートル弱)ほどの最前線に江陵が戦陣を組んだ。

 

 関からならば遠当ての矢が届く距離ではあるが、射程いっぱいまで飛ばして勢いを無くした軽い矢が貫けるような江陵軍ではない。一方で江陵の長弓も関の高さに届かせるには威力を削るしかなく、結局の所、牽制くらいしか行われていない。

 

『馬ー華、馬ー華!』

「イラッとした。ちょっと江陵軍潰してくる」

「だあああ! もうちょっと我慢しろって!!」

 

 なぜ「もうちょっと」なのか。それは朝から華雄の牙門旗に向かって何度も同じ文面の矢文が打ち込まれているからだ。

 

 ――華雄に一騎打ちを申し入れる。未の初、関より二百歩の場にて待つ。

 

 未の初、つまり13時頃に、関から二百歩、約230メートルの位置で待つ、と。

 江陵の戦陣の前には、おそらくどちらかが一騎打ちの相手だろう白馬の将が二騎並んでたたずんでいる。13時まではあと2刻(30分)といったところ。そろそろ華雄の我慢も限界だった。

 それを抑える馬超も、江陵の狙いを部分的にではあるが正確に察していた。つまり、限界を訴えた馬超のため華雄をここで仕留めてその負担を軽くするという目的を。故に自分のためにもなるべく江陵の思惑から外れたことをやって欲しくない。

 今はその江陵のせいで抑えるのに苦労しているのだが。あの先頭で白馬に乗って華雄を煽っている青い羽織のヤツは後で絶対にぶっ飛ばすと心に決め、馬超は華雄を抑える。

 

 13時まであと1刻(約15分)を切っただろう頃合い。江陵からの攻撃と罵声の一切が止んだ。

 僅かに間を置いて2頭の白馬が前に進み出る。

 

 

「我は江陵の将、趙子龍なり! 華雄に一騎打ちを申し込む!」

 

 

 

 さらに1刻後、両軍は約1里(400メートル強)の距離を置いて対峙していた。

 一方は反董卓連合軍約20万。一方は馬超と華雄直属の兵数百、背後には関を背負う。

 中央に進み出るのは『趙』と『張』の旗と将、『馬』と『華』の旗と将。

 

「口汚く嘲弄してくれた割には潔い態度ではないか。ここでもあの不快な台詞を聞かされるのかと思っていたぞ」

「あの程度の罵倒で曇る武であるなら、それまでの人であったということだろう?」

 

 栗毛の馬に跨がった華雄が前に出る。対するように趙雲がゆっくりと進み出る。

 

「ぷっくく、華雄っちはどっちかっちゅーと――」

「どちらでも構わんよ。仕事が楽になるか、仕事が楽しくなるかの違いでしかない」

「ほざけ! 我が武の曇りなき様、とくと見るがいい!」

「やっちまえ華雄!」

 

 立場を忘れた馬超の声援によって戦いの火ぶたは切って落とされた。

 最初から激しく攻め立てる華雄の槍を趙雲が受け流すようにして立ち合う。

 やや離れた場所に居た張遼が、打ち合う趙雲と華雄を避けるようにゆっくりと馬超の隣に回り込んだ。

 

「なぁなぁなぁなぁ……ウチらもやらん?」

「あん? 何言ってんだお前?」

「あっちはえっらい楽しそうやんー」

「そぉかぁ? 華雄が楽にあしらわれてるだけじゃねーか」

「そんなこと言わんとー、ウチ虎牢関まで暇やねん」

「お前は後でぶっ飛ばすつもりだけど、今そんなことしたらあたしが怒られんだろ」

「……へぇ。まるでウチをぶっ飛ばせるみたいな言い方やな?」

「当然だろ」

「なんやて?」

「なんだよ?」

 

「敵将華雄、趙子龍が捕らえた!!」

 

『おおぉーっ!』

「「はやっ」」

 

 二人を除いた周りは割と盛り上がっていたらしい。

 

 

 

 

「馬超と華雄。関を抑えるのに適当な将とは言えないわ」

 

 再び閉じられた関の門を遠目に見ながら、曹操が傍らの軍師たちに話しかける。

 

「はい。守りに徹すれば今しばらく保たせられたものを、のこのこと一騎打ちに出てくるような連中です」

「そこよ、桂花。なぜ彼女たちは江陵が前に出た途端に一騎打ちに応じたのかしら?」

「――やはり江陵との間に密約があったのではないかと」

「関を明け渡すのが予定通りならば何を狙うのか……。稟、貴女の考えは?」

「はい。考えられるのは大きく分けて3通り。一つは連合に味方し、馬超を獅子身中の虫として董卓軍で働かせること」

「連合参加については、劉表から要請が出されるまで江陵は様子見をしていたはずよ」

 

 曹操たちは黄巾賊騒動以来、江陵に関しての情報収集を怠っていなかった。

 そして劉表に付けた間諜から判明している限りでは、劉表に遅れること数日程度とはいえ江陵の動きは明らかに劉表より後手に回っている。

 そのため、先立って動いた馬超とは連携が取れていないのではないかと考えていた。

 

「その通りです。ですから状況を利用したと考えます。この場合、江陵は未来への布石のために袁紹や、あるいは我らを生け贄にしている可能性があります」

「2つ目は?」

「董卓軍に味方し、江陵が獅子身中の虫となることです。これならば、我らを関の間に誘い機を見て連合から離脱、前方の董卓軍10万を虎牢関に、後方の江陵軍10万を汜水関に入れてしまえば我々に手はありません。……ですが」

「その兆候は見られないわね」

 

 曹操が確認するように荀彧に目を向ける。

 

「我々は陳留付近を通る道には全て関を置いて厳重に通行を管理させています。更には、聞こえてくる噂、間諜、斥候にもそれらしき影は掛かっていません」

 

 汜水関に残した兵も万に僅かに届かない程度の大兵力だ。疑って掛かっている曹操たちに気付かれるより早く制圧することなど不可能に近い。

 

「ですので最後の一つ、どちらの味方でもないか……双方の味方である場合。私は後者の可能性が高いと考えます」

 

 郭嘉の言葉に、曹操は目を細める。

 

「そうね。私を出し抜いて横から全てを奪い取って勝てるというのなら、どちらかの味方でなくとも勝者たり得るでしょう」

 

 そんなことは不可能だと言わんばかりの口調だ。そしてそれは郭嘉にとっても同じ認識であったらしい。微塵も揺らぐことなく曹操の言葉を待つ。

 

「ならば、双方の味方というのはどういう意味か?」

「黄巾賊討伐の折、江陵の目的は乱を治めることでした」

 

 曹操や荀彧にとっては苦い記憶だ。引き合いに出されただけで荀彧は拳を強く握る。

 

「今回は無理よ。劉表が立った時点で董卓は『賊』になった。仮に董卓が賊でなかったとしても、いえ、洛陽にいた劉表が知らないわけがない。董卓を賊として扱い続ける利点を無くすか、賊でなくすことに利を生み出さなくては劉表は認めないわ」

 

 荀彧の指摘した解法を聞き、曹操はすぐに解答に至った。

 

「……つまり、江陵は劉表が認めるだけの利を与えて乱を治め、その結果で(・・・)利を得ようとしているわけね」

 

 連合と董卓らをぶつけるより、諸侯を多く残すことで利に繋げるのだろう。

 

「その通りです。彼らの振る舞いは君主のそれと言うより商人に近く、官位よりも実利に重きを置いていると考えれば、これまでの行動にも辻褄が合います」

 

 大陸で最も優秀とされる江陵商人達の親玉である、という考え方だ。元々商人に対してあまり良い感情を抱いていなかった荀彧も納得の表情を見せた。

 20万の大軍同士がぶつかって勝敗を付けるより、両軍を残す方が商売相手が多く残るということだ。酒を配ったことも宣伝に利用しているのか。

 

「商人……なるほど。官位すら商品というわけね」

 

 利益が一時手元から離れても、やがて大きくふくれあがって手の内に戻ってくるように方策を練っておく。やり口と視点は違うが、普通の君主や軍師と同じことをしているかのように見えてしまう。

 かみ合わないのは、江陵の目標と曹操らの求める場所が全く異なるからだ。さらに、空海の意思と江陵の行動が一致しないように見えることもあるため余計にややこしい。

 

「ふふっ。だとしたら空海は、史上最も出世した商人ということになるわね」

 

 曹操はここにきてようやく納得していた。『彼を知る』ことは本当に重要だった。出世株ということで目がくらんでいたらしい。求めている場所が違えば手段も異なるのは道理であるし、おそらくは出世も"手段"でしかなかったのだろう。

 空海を隠れ蓑にしている江陵幹部のしたたかさと、そんな幹部達をまとめ上げて江陵を育てた空海はやはり油断ならない。しかし、商人というのなら商いを許せば……否、許す許さないではなく、何らかの取引という形であれば関係を見直せるかもしれない。

 

 曹操は新しい興味を得て笑う。洛陽にあるという決着の行方を、今だけは忘れて。

 




>梅干し鈴々
 あるオンラインゲームで私入魂のアバターの赤髪が梅干しって言われたことがあるんです。思い返してみると鈴々の頭部にそっくりだったので彼女も梅干しと言うことになりました。性格改変は……今年のクリスマスが中止されたらツンデレにします。

>汜水関
 汜水と呼ばれる川の名前が付けられている。虎牢関と同じ県にあり、東が汜水関、西が虎牢関らしいです。両者の距離は10㎞くらい? どっちが西でどっちが東だったかよくわからなくなります。恥ずかしながら執筆中の3ヶ月くらい虎牢関と間違えてたり。

>虎牢関
 生け捕りにされて皇帝に献上された虎がこの地で飼育されたということで付けられたのが虎牢という名前。当時は城塞だったとか背が低かったとか言われることもありますが、この小説では難攻不落絶対無敵七転八倒虎牢関です。

>曹操と結んで袁術の影響下から逃れる
 後の時代の創作において、孫策は敵である曹操から官位を貰い、皇帝でもないのに太守の官位を配り、袁術に絶縁状を叩き付けて曹操に付き、曹操の命令を受けて袁術を攻撃する準備をしている最中に袁術が死んで後継者争いが起こると曹操から官位を貰い、曹操の本拠地を攻める準備をしている最中に殺されます。もちろん史実ではありません。
 孫呉が嫌いなわけではないのですが、史実ネタを織り交ぜようと調べていると、自分の部下が問題を起こしたので報償が延期されて「袁術を恨んだり」、「袁術を追い詰めるために」袁術と同等以上の敵対勢力を倒そうとしたり、兵士を返された「直後に兵士を返されていなかった」ことになったり、「後漢の忠実な臣なのに皇帝を無視して自ら」官位を発行したり、曹操側の記録にない「官位を曹操に発行して貰って袁術と手を切ったり」、袁術が死んだので「(用のなくなった)曹操の本拠地へ攻め入ろうと準備したり」。
 こんな孫呉書けるか!
 何故こんなことになっているのかと言えば、元は孫呉の残した記録が呉王朝に都合良く改ざんされて書かれていたせいであるのと、後の小説家が孫策らを格好良く書いて袁術を小者にするために勝手にエピソードを追加したせいらしいです。上で「」で書いた部分がオリ展開ですね。
 恋姫孫呉はこの創作されたエピソードのいくつかを元に作られています。断金とか。

>袁術
 わたしは 美羽が すきです

>商人空海屋
 イチキュッパの官位が2割引! 報償一括払いで5%オフ! 今なら田祖還元が13%ついて! さて、いくらっ?

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5-5 難攻不落絶対無敵七転八倒虎牢関

 虎牢関に到着してから十日。

 

「江陵一の将……これでは敵が多すぎるか。空海様の右腕、は、もっとマズいな」

 

 口にしただけで感じる不吉な未来を回避するため、趙雲は一瞬で言を覆す。

 

「何しとんー?」

 

 いかにも暇そうな、そして眠そうな表情の張遼が趙雲の隣に腰掛ける。風よけの天幕に材木の椅子と暖かい日差しはのんびりするのに最適だ。

 

「……実は名乗りを考えていたのだ。常山の昇り竜だけではどうにも印象が薄くて」

「いやいやいやいや」

 

 張遼は勢いよく否定する。何をとぼけたことを言っているのかと。

 

「今回ばかりは常山の昇り竜以上の名乗りはないと思うで」

「うぅむ。そう言われるとその通りなのだが」

 

 張遼は煮え切らない趙雲を笑い飛ばす。

 

「空海様が送り出してくれたんやで? そのままで十分やって」

「……そうだな。どうも暇になると色々考えてしまっていかん」

「あぁー、まぁなぁ」

 

 関に到着する直前に董卓軍から襲撃を受け、先陣に立っていた袁術軍が少なくない被害を受けて混乱、結果的に丸一日を無駄にするハプニングはあったが、全体的には連合軍は落ち着いていた。

 劉表が先頭に立ち、初日から定石通りの関攻めを始めたからだ。

 

 城攻め、関攻めとはまず、一方的な攻撃を受ける弓を防ぐため塀を設置すること、そしてその塀を壊されないようにするため人や馬が近づけないよう柵や堀を作る事、それらの作業を行うために弓を防ぐ盾を持ち関からの奇襲に備えながら前線へ人を送り込むことを後ろから順に実行しなくてはならない。

 そして、時間をかけて少しずつ塀ごと前進して行き、ある程度近づいたら雲梯を使って直接関の上に人を送り込むのだ。同時に門の破壊を試みたりもする。この時、前線と関が近づいているほど大量の人間を送り込みやすいため、前線丸ごと少しずつ前進していくのが関攻めの基本と言える。

 

 現在の関と前線の距離はおよそ200歩(約230メートル)。この辺りになると火矢が飛んでくることもあるため、防火対策に土や水を含んだ布などを用意して慎重に前進しているところだ。

 もっとも、この9日で3回ほども雪がちらつき、朝になれば持ち込んだ水の上から半分近くが凍っている事を考えれば、その歩みがどれほど遅くなっているのか想像が付くかもしれない。江陵や劉表以外の軍では、程度の違いはあれど凍死者すら出ている。

 

 時間が経つほど洛陽が遠くなっているかのようにすら感じられるのだ。このような状況下で長く暇を持てあました趙雲の思考が暗いものへと落ちるのも不思議はなかった。

 

 こんな戦いが起きてしまったこと、虎牢関をいかに攻略しきるかということ、洛陽で待つ出来事、董卓がどうなるのか、そして大陸の行く末。

 おそらくは連合に積極的に参加している諸侯ほど、それらに対する焦りが強いのだろうと考え、趙雲は少しばかり溜飲を下げる。

 ただ、それでも重圧が消えたわけではなかった。空海に寄せられた期待に応えられるか不安で震える自分が情けなく、趙雲は大きく息を吸い込んで立ち上がる。

 

「お? なんや、百面相はやめたんか?」

「……ふん、いい趣味だな。――少し身体が冷えた。鍛錬に付き合え」

「おお、ええでええでー」

 

 気恥ずかしさからぶっきらぼうに言い放つ趙雲を気にした様子もなく、張遼は嬉しそうに偃月刀を振り回す。

 

 

 そんな日がさらに2日続いたところで、江陵からの文が届いた。

 

 文を開封して最初の数行を目に納めた瞬間、鳳統が笑顔になる。

 

「前回に続いての朗報ですっ。予定をさらに4日早められましゅ! ……ます」

「おお」「ホンマに?」

「どうやら益州の街道整備が予想以上に進んでいたことで雲南までに2日ほど旅程を短縮出来たようです。帰路については更に早められる可能性が高く、4日というのは余裕を見て立てられた予想だそうです」

 

 鳳統がそこまで伝えたところで、ようやく皆から安堵の息が漏れた。だが、程立だけがその顔に僅かな不安の色を浮かべる。

 

「どうした、風?」

「いえいえー。大したことではありませんよー」

 

 そう言って趙雲に向き直った程立はいつもの眠そうな表情で――

 

「……ふむ。なに、虎牢関を抜ければわかることよ」

「おや? 風は何も言っていませんがー?」

「そうだな。何も言っていない」

 

 趙雲は悪戯好きの猫を思わせる笑顔で程立を眺める。

 

「……心配しなくても大丈夫ですよ。風のこれは杞人の憂いみたいなものですからー」

「本当か?」

「もちろんですよー」

「うむ、ならば気にせぬことにしよう」

 

 信頼を込めた笑顔を向けられた程立はうっすらと頬を染め、小さく笑った。

 食い入るように手紙の続きを読んでいた鳳統が顔を上げる。

 

「次は主に洛陽の董卓軍についてですね。……主力の将兵は虎牢関へと入っている人達でほとんどのようです。洛陽には数こそ残っているものの、質は高くないとか。冥琳さんと祭さんは、やはり半ば人質のように扱われているそうです」

「二人はどうもせんでええんか?」

「問題ありません。この手紙が届いていることこそ想定を外れていない証明になるかと」

 

 鳳統はひらりと手紙を振って示して見せ、読み終えた一枚を丁寧にたたんで次の一枚を手に取る。

 

「なら、あとはウチら次第っちゅーこっちゃな」

「はい。虎牢関には『錦馬超』と『飛将軍』の率いる計4万がこもり、虎牢関を抜ければ洛陽から20万には届かない程度の軍勢が出るそうです」

「両軍合わせて50万近くが集まるか」

「それらを劉将軍に上手く伝えればさらに1日は稼げるでしょう。むしろ、1日延びることはほぼ確実です。逆にあと2日で抜けなくてはならなくなりました」

「兵数を伝えて、兵力の温存を理由にこちらから将兵を貸し出すことを劉将軍に申し出てみましょう。これなら一騎打ちを提案しても受け入れやすいと思いますよ」

 

 程立が趙雲と張遼に視線を送る。趙雲は静かに息を吐き、張遼は笑顔を浮かべた。

 

「いよいよか。……1年前の雪辱を果たさせて貰おう」

 

 決意を口にした趙雲に、鳳統が手紙の内容を伝える。

 

「祭さんの評では、翠さん――錦馬超は『今はまだ馬上において張文遠に勝る』と」

「あん? んあ゛~っ、やっぱ白黒付けとくべきやった!」

 

 反応したのは趙雲ではなく引き合いに出された張遼だった。張遼はここしばらくの間、汜水関で戦いをふっかけ損なったことを悔やみっぱなしである。

 趙雲はそんな彼女を見ていつも通りの意地悪な笑顔を浮かべた。

 

「言っておくが獲物は譲らんぞ」

「っくぅー! わかっとるわ! ウチかて『飛将軍』は譲らんで!」

「無論だ。飛将軍では肩慣らしにはならんのだろう?」

「まぁなぁ……恋じゃあ狙って引き分けとか器用な駆け引きは望めへんし」

「おや、弱気だな。勝っても良いのだぞ」

「そりゃこっちの台詞やで。ウチにも勝ちきれんのに、勝てる相手なんか?」

 

 闘争を前に少しばかり高ぶっているらしい二人の言葉にはトゲがある。鳳統は場を和ませるため――彼女にしては本当に珍しく――意地悪そうな表情で、その言葉を口にする。

 

「お二人には空海様からのお言葉が書かれていました。手紙によれば『二人の流した血と汗を覚えている』と」

 

 一瞬遅れて、武人二人の顔が真っ赤に染まっていく。そして――。

 

「――うひへへへへ」

 

 そして張遼が壊れた。

 

「なんや空海様覚えとるって。ちょくちょく鍛錬に来とったんはウチを見に来とったんかいな。こらウチも恋を相手に負けられない戦いっちゅーやっちゃな! うひひへふふ!」

「お、おい霞、不気味すぎるっ。笑うな!」

 

 張遼に釣られて趙雲も頬を緩ませる。張遼をたしなめてこそいるが、趙雲もかろうじて笑うのを耐えているだけだ。

 軍師たちは顔を見合わせて悪戯っぽく笑う。

 

 先ほどまで感じて居たトゲのある緊張感はどこかへと消えていた。

 緩みそうになる頬を意識しながら、趙雲は芯から湧き上がる熱のようなものを感じていた。それを身体の中に押しとどめるように拳を握る。

 冬の空気にかじかんでいた手は、いつの間にか色を取り戻していた。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「……来る」

「むっ、恋殿、戦の気配ですか?」

「ん。ちんきゅ、弓の準備する」

「了解ですぞー!」

 

 

 

 

「雛里っ、下がりぃ!」

「え!?」

 

 突然張遼に押された鳳統がよろける。

 直後、張遼は鳳統を突き飛ばした手をそのまま自身の隣に空いた宙にかざして――その右手に、関から250歩(約290メートル)近い距離を飛んで来た矢を掴んだ。

 

『おおっ』

 

 様子を見ていた劉表軍の幹部たちから驚きの声が上がる。

 

「あわわわ!?」

「なるほど。あれが飛将軍か」

 

 鳳統を掴んで横へ避けていた趙雲が感心したように告げた。張遼は笑みを浮かべる。

 

「せやな。遠当ての矢でもなしにこんな離れたとこまで飛ばしてのけるんは恋くらいのもんや。しかも的を外すとこまで恋らしいわ」

「これだけの距離だ。身体一つ分など誤差にもならんだろう」

「紫苑相手やったら眉間を射貫かれとるやろ?」

「弓の腕前で引き合いに出されるのが二黄の一角というのはとんでもないことだぞ」

 

 二人のやり取りを耳にして、やっと落ち着きを取り戻した鳳統が申し訳なさそうに顔を上げた。

 

「しゅみません……。もう少し後ろに居た方が良いでしょうか?」

「いやぁ、これだけ出来るんはあン中じゃあ恋だけやって。気にすることないで」

「本陣に居て貰っても構わんよ。私たちが仕事を終えるまでやることもないだろうが」

 

 張遼は手にした矢に目を落とし、そこに縛り付けられた紙を見て目を細める。

 

「こりゃ矢文やな。内容は……んっと、やっぱり一騎打ちしろって書いてあるわ。こない目立つ方法でやらんでもええやろうに」

「時は戻せません。これは後の布石としましょう。こちらの動き次第では好都合です」

「劉将軍を説得するのは風なのですけどー?」

 

 矢が飛んできたことを聞きつけた程立が少々慌てたように現れる。

 矢を片手に小さな紙切れに目を落とした張遼、それを覗き込むようにしている趙雲と、二人を見守るようにしている鳳統は、前線に近いこの場所で非常に目立っていた。

 漏れ聞こえた鳳統の言葉から素早く状況を理解した程立は、自身の持つ情報も合わせて事情を確認する。

 

「矢が届いたことは既に劉将軍の耳にも入っていますのでー、方針には賛成しますが」

「ひとまずは劉将軍の城攻めの影響が大きいということに。汜水関の折の因縁と、江陵を指名した一騎打ちという線ではどうでしょうか」

「実際、抜けるかはともかく堅実に戦っていたようですから、劉将軍だけでなくあちらも疲弊しているでしょう。そのくらいで十分ですかねー。ただし、雛里ちゃんは風と一緒に本陣へ来て貰いますよ?」

「あわわ……!」

 

 程立が有無を言わさぬ口調で鳳統を捕まえる。厄介事に巻き込もうとしているように見えて、矢が飛んでくる場所に置いておけないと考えたのも本音だろう。

 

「くくっ。そのまま本陣で吉報を待っているといい」

「ん、関の様子見とるとあんま時間もないみたいやし、ウチらはもう行くわ」

「あわっ、星さんも霞さんもお気を付けて!」

「本陣には諸侯が集まっていますので、一緒に見学していますねー」

「うむ」「おう!」

 

 趙雲と張遼は預けていた白馬に跨がり、振り返って前線を向く。

 遠く見える関の扉がゆっくりと開いた。

 

 

 

 

 関から現れた呂布と馬超、連合の前線から歩み出た趙雲と張遼。互いに数騎の供回りを連れ、両者はあと10歩(約11.5メートル)でぶつかると言う所まで近づいた。

 呂布と張遼の視線が絡み、張遼の僅かな仕草を合図にゆっくりと二人で移動して行く。

 

 続いて、若い木材のように明るいクリーム色の馬に跨がり長い槍を担いだ馬超が趙雲の前まで進み出た。

 

「よっ。今度はあたしが相手か。華雄の時見てたけど、1年前より強くなったんだろ?」

「ああ。以前は負け越したが……あの敗北は覚えているぞ!」

「地上のあたしと同じと思うなよ。馬の上なら母様にも負けねぇ!」

 

 二人はにらみ合う。だが、その声は楽しそうで。

 

「これまで流した血と汗を証明する」

「涼州騎馬の真髄を見せてやるよっ!」

 

 声と共に馬超の身体がふわりと持ち上がる。

 主人の意思を受けた馬超の愛馬が、全身を弾丸にして趙雲に迫った。

 

「む!」

 

 趙雲が――やはり馬ごと――斜め前へと逃げながら迫る槍を弾く。

 後手に回った上での対応としては十分以上、体勢の不利から考えればほぼ最上の回避を取ったにも関わらず、たった一撃で腕をしびれさせるほどの威力。

 趙雲は素早く、右手にかけていた力を左手に移して槍を掴み直し、ほぼ同時に足下から振り上げられた馬超の追撃を、今度こそ綺麗に受け流した。

 

 趙雲が二、三歩逃げ、馬の首を返したときには、馬超は既に趙雲に向けて馬を走らせている。一歩遅れて趙雲も馬超に向かって加速する。

 二人の突き出した槍が交差し、趙雲の槍が大きく弾かれる。

 今度は更に一歩早く馬の首を返し、その場に止まるようにして両者が猛烈な勢いで打ち合いだした。

 

 

 

 

「ひっさしぶりやなー、恋」

「……ん」

 

 趙雲と馬超から声の届かない程度の距離を置き、呂布と張遼がやや声を潜めるようにして話す。

 

「元気にしとったか?」

「ん。霞も元気」

 

 呂布という少女にしては珍しい気遣いに、張遼が笑みをこぼした。

 

「わかる? めっちゃ充実しとるからなぁ」

 

 張遼の言葉に呂布は何も考えていないような表情で頷く。そして、続いてやや難しげな表情で告げた。

 

「……月たち元気ない」

「そらまぁそうやろーな。ま、せやから(・・・・)ウチらが来てんねんけど」

 

 弱気を見せた呂布に対して、張遼は誇らしげに笑う。呂布は小さく首をかしげ、何かを納得するかのように頷いた。

 

「ほんなら今日は前哨戦(・・・)や。景気づけに勝たせてもらうで、恋!!」

「ん……来い!」

 

 二人は言葉と共に駆け出す。両者の矛がぶつかり、雷が落ちるような鋭い音を放つ。

 

 

 

 

 優勢に攻め続けているのは馬超だった。趙雲は押され続けながら、しかし全く譲らずに打ち続ける。そして息が上がっているのもまた、馬超だった。

 

「なるほど。人馬一体は確かに凄まじい……だが、今の私は絶好調(・・・)だぞ!」

 

 両者は1年ほど前に江陵で模擬戦をしている。馬上のことではないとはいえ、お互いの手の内には覚えがあった。

 だからこそ、馬超はたった1年で馬上の自分と打ち合うまでになった趙雲に驚愕し、同時にどこかすっきりしない感情を抱く。

 

「……強くなってんな」

「当然だ。私は空海様にふさわしい槍となる」

 

 まただ。こんな新参者が(・・・・・・・)空海の矛になっていることが苛立たしい。

 馬超は舌打ちを飲み込んで仕切り直しとばかりに槍を払う。

 

「いいぜ。空海様の側で大陸の中心に立てるってんなら……その槍さばき、まずはあたしが見定めてやる!」

「望むところ!」

 

 強く地を蹴った馬超の騎馬が趙雲に迫る。

 趙雲はかろうじて最初の攻撃を逸らし、続けざまに振るわれた素早く小さな振りを余裕を持って弾く。そして、弾いたその手で馬超の脇腹を小突くように槍を突き出す。

 

「チッ」

 

 先ほどからほとんど同じことの繰り返しだ。動きこそ様々だが、大振りから連撃を狙う馬超に対し、反撃狙いの趙雲が食いつき続けている。

 両者ともに数発がかすったのみ。受けた傷は趙雲の方がやや大きいが、攻撃の疲れは馬超に色濃く表れている。

 格下だと油断していたわけではないが、一度は完全に勝ちきっている相手に間違いなく苦戦を強いられているという事実は馬超の気を焦らせていた。

 そしてその焦りは、いつもより力んだ攻撃に現れている。

 大振りの払いを考えていたよりずっと軽くいなされて、馬超は僅かに体勢を崩した。

 

「しまっ――」

「貰った!」

「っくぅ!」

 

 趙雲の反撃をかろうじて防ぐ。防御は間に合ったが、甘い大振りの対価は左の肩にほど近い上腕からの出血。

 

 その瞬間、馬超の目に今までに無い光が宿ったことを趙雲は見逃さなかった。

 現在進行形で槍を交えている趙雲だけにしかわからないだろう劇的な変化。

 趙雲は全身をやや引くようにして馬超に声をかける。

 

「――どうやら、これまでのようだな」

「ふざけんなっ! こっからだろうが!」

 

 迂闊にも(・・・・)叫んだ馬超を見て、趙雲はその推測を確信に変えた。

 

「だからこそだよ、孟起殿()。貴女はようやく私を認めた(・・・)のだろう?」

「あっ!? ~~っ!」

 

 自らの心の変化を言い当てられ、馬超は悔しさと恥ずかしさから叫び出しそうになる。

 空海の槍として認めたという意味ではない。ただ、それを上からの目線で認めるのではなく『死力を尽くして競う相手』として認めてしまったのだ。

 未だ自らの勝利を信じる馬超をして、目の前の趙雲が自分と同じ舞台に上がりつつあることを認めざるを得ない。それは1年前に勝ち誇ってしまった代償でもあるのだろう。

 趙雲を恨むことも出来ず、ただその感情を飲み込んだ馬超は、苦虫を噛み潰したような表情で告げた。

 

「くそっ! 勝負は預けるっ、――決着は江陵(・・)で付けるからな!」

「ええ。空海様の前で(・・・・・・)

「ちっ……。お前、性格悪いって言われるだろ」

「おや。空海様には『いい性格だ』と褒めていただいているのだが」

「やっぱ性格悪い――っての!」

 

 言葉と共に馬超は派手に槍を振るう。

 

「おっと」

 

 危なげなく、しかし大げさにそれをかわした趙雲は反撃に移ることなく、馬の首を返して走り去る馬超を見送った。

 

 

 

 

 一方で数十歩離れただけの場所では、青い羽織が風を切るように翻り、赤い暴風に立ち向かっていた。

 

「――そこやッ!」

「ッ負けない……!」

 

 否。張遼が、呂布を追い詰めていた。

 

 圧倒的な腕力と勘の良さを持つ呂布に対して、攻撃を受け流し、点ではなく線の攻撃を可能な限り素早く繰り出す。わざと攻撃を止めさせて体勢を立て直し、わざと攻撃を受けて距離を離す。

 一手読み違えるだけで即死という状況にありながら、感じる確かな手応えに張遼は笑みを浮かべる。

 乗る馬がふらついたところで、自分から距離を取る呂布を張遼はわざと逃した。

 

「あとちょいかー」

「霞、強い」

 

 呂布は素直に賞賛する。張遼は少しだけ照れたように笑い、誇らしげに胸を張った。

 

「当ったり前やん。ウチは江陵で、美味い酒飲んで美味いもん食って、恋より強い連中を相手にして、一番見てて欲しい空海様の前で、ウチと同じくらい強い連中と武を競うてんねんで? これで強ぉならんかったら嘘やろ」

「ん……お腹へった」

 

 突然悲しげな表情を浮かべた呂布に、張遼は「しまった」と天を仰いだ。

 

「あっちゃー、恋の前で食べ物の話したんは失敗やったか……。まぁ、今のウチじゃ勝ち切れんみたいやし、このまま続けて負けたりしたらウチのこっわい軍師様らに怒られてまうからなぁ……。ここらで引き分けたフリしとこか」

「……勝てたかわからない」

「おおきに。恋に言われたら自信つくわ」

 

 張遼は軽く偃月刀を振り回して呂布へと斬りかかる。大振りで数合打ち合い、何度か派手に弾いて馬の首を返した。

 

「ほな、またなー。恋」

「ん」

 

 表情を消しながら本陣へと戻っていく張遼に倣い、呂布も関へと馬を向ける。その頃にはもう、呂布の頭の中は食べ物のことでいっぱいになっていた。

 

 

 

 翌朝、関の各所から煙が上がり、董卓軍が虎牢関から撤退したことが判明する。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「空海様、洛陽より『機が満ちた』と」

管理者(あいつら)は?」

「もう間もなく偃師(えんし)に到着するかと」

 

「よろしい。では諸君――派手に行こう」

 




>杞人の憂い
 杞憂のこと。空は落ちるのか。後漢から見ても600年ほど昔のお話。

>血と汗を知っている
 ある曲の歌詞からのオマージュです。意味変わっちゃってますけど。ちなみに、空海や江陵の街には執筆中のテンションを切り替えるためのテーマ曲が。

>矢を掴む
 一発芸にありますね。私もリズム天国レベルでならやれる気がします。

>諸君。派手に行こう
 もしかして→了解した……


 2012年12月25日、狙い通り私の下にAmazonサンタさんから荷物が届きました。
 そう――
    代 引 き で

「代引きのお荷物が届いておりますが、ご在宅でしょうか?」「はい(震え声)」


 次の土日で5章が終わる予定。


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5-小話 とある帝の竜の詩

 初平二年春正月、『空海散歩 初平二年春の書』に記す。

 

 

 

 かつて高祖劉邦は長安に悪竜を封じていた。この話は、およそ四百年後から始まる。

 

 

 大陸に民の怨嗟の声が満ち、黄巾によって司隸にまで多くの血が流れた。

 古に封じられた悪竜は怨嗟の声に共鳴してこれを破る。

 悪竜は全長一万尺、体重一千万石。最終形態の戦闘力は五十三万ほどもあった。

 

 悪竜は長安の地より天に昇ろうとするが、洛陽の現帝が人柱となってその身に封じる。

 しかし、現帝はその身体を乗っ取られて悪事を働き始めた。

 

 董卓と、かの者に仕えていた賈駆、呂布。

 董卓は身体を取り戻すために長安へと向かおうとした悪竜に遭遇し、言葉巧みに洛陽へ導き反撃の機会を窺う。

 悪竜は袁隗を操って先帝を殺害しようとするが、能弁な賈駆が袁隗に璽綬を解かせ、下殿させて臣と称させて逃がした。

 悪竜が洛陽を乗っ取ると、指示に従うふりをしながら悪竜の目を誤魔化して董卓が善政を敷き、賈駆は劉協に宿った悪竜を討つべく諸侯に協力を求めた。

 

 悪竜の目を欺くため反董卓連合という名で集まった諸侯。劉表、袁紹、袁術、公孫賛、曹操、空海の誇る将兵。

 馬超、華雄の守る汜水関で一騎打ちを演じ、華雄を破った趙雲。

 呂布、馬超の守る虎牢関で一騎打ちを演じ、引き分けた張遼、趙雲。

 関を抜け、連合軍は洛陽に迫る。

 

 賈駆は戦が大いに勝っているかのように装い、連日のように宴を開き、ある時ついに悪竜を酔わせることに成功する。

 そして劉表によってもたらされた神仙の水を浴びた帝は目を覚まし、その体から悪竜を追い出した。

 

 洛陽の東に暗雲と共に巨大な影がわき出る。

 にわかに生温かい風が吹き、雹が降り注ぎ、雷鳴が轟いた。

 

 悪竜は天へと昇ろうとする。しかし、空を覆うような矢の雨がその行く手を阻む。

 袁紹が呼びかけ、劉表が導いた連合軍の攻撃。

 後ろへ引いて逃げようする。しかし、悪竜の行く手を、またしても矢の雨が阻む。

 陳宮が導き、華雄に率いられた董卓軍の攻撃。

 

 悪竜は身をよじり暴れる。

 その身に斬りかかるのは飛将軍、呂布。天下無双の武で鱗を裂き血が噴き出す。

 劉の旗、袁の旗、曹の旗、公孫の旗、馬の旗、江陵の旗、董の旗、名だたる諸侯が悪竜を取り囲み、その囲いから一騎当千の将たちが竜の前へと躍り出る。

 白馬に跨がる趙雲と張遼が竜を手玉に取り、鼻先を駆け回って髭を落とす。

 馬超が槍で突き、夏侯惇が大剣で斬りつけ、夏候淵が弓で居抜き、顔良が鎚で砕き、文醜が、公孫賛が、関羽が、張飛が、孫策が、華雄が、それぞれの武器を手に悪竜を打つ。

 

 一刻が過ぎ、雷鳴が減った。

 二刻が過ぎ、雹が止んだ。

 三刻が過ぎ、ついに悪竜が地に堕ちて暴れるだけになった。

 

 趙雲がその頭に駆け上がり、槍で額を貫く。

 竜の断末魔と共に大風が吹き雷が落ちた。趙雲は雷を弾きながら引いた。

 呂布がその頭に駆け上がり、首を落とす。

 雨のように血しぶきが上がり、呂布は返り血で真紅に染まった。

 

 

 空が晴れ、呂布を照らし、趙雲を照らし、将たちを照らし、諸侯の兵士と旗を照らし、やがて洛陽一帯の雲が消え失せた。

 

 洛陽に平穏が戻った。

 

 

 董卓の活躍まさに蕭何のごとく。

 賈駆の活躍まさに張良のごとく。

 呂布の活躍まさに韓信のごとく。

 

 帝は皆の活躍を大いに称え褒美を与える。

 しかし、諸侯が領地へと戻ると、董卓とその部下たちは高祖劉邦の轍を踏まぬために、官を辞して旅に出ることを願い出た。

 

 帝は大いに悲しみ引き留めるが、董卓らの決意固く、ついにはこれを認めた。

 董卓たちはやがて大きな街へと辿り着き、そこで穏やかな日々を送ったそうな。

 

 

 これは初平二年春正月に、洛陽で本当にあったお話。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「これを来年の正月辛丑(しんちゅう)の日から全土で一斉に売れ」

 




(竜) < わたしの せんとうりょくは 53まん です

>全長一万尺、体重一千万石、戦闘力五十三万
 長さ2.3㎞、体重26万7300トン、個体値5V。

>初平二年春正月辛丑。
 史実では西暦191年。この日、献帝が大赦して(大いに罪を許して)います。
 この小説では11年後くらい。日付のルールとか違ってたらごめんなさい。

 明日、5章完結です。


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5-6 日の出

 洛陽の南、豫州潁川郡から山間を通って洛陽に続く道がある。

 司隸の南東、豫州潁川郡襄県から司隸河南尹に入り、梁県、陽人城、新城県を経由して平地に降り、洛水と呼ばれる黄河の支流に沿って洛陽に至る道だ。

 大軍が展開、進軍するのには向いておらず、連合軍もこの道を通らずに東回りで洛陽に迫った。

 

 洛水は新城県から山間を抜けるまで北に流れ、平地に出てからは緩やかに東向きに流れを変える。洛陽では人々の生活を支える水となり、洛陽を越えると偃師(えんし)の南を通ってやがて北東の黄河に流れ込む。

 

 今、偃師と呼ばれる地で反董卓連合軍22万と董卓軍22万が十数里(数㎞)の距離を置いて対峙している。

 連合本隊は後方で陣地を構築中であり、董卓軍もまた董の文字は前面に見えない。

 董卓軍の前面には馬超軍と呂布軍が並んで布陣しており、対する連合軍の前面には江陵軍と公孫賛軍が並ぶ。

 

 そして、連合の前面のそのさらに前方には今、白馬に跨がる武人が二騎。

 

 

 

 

「桃香様」「桃香お姉ちゃん」

「愛紗ちゃん、鈴々ちゃん。どうしたの?」

「それが、陣の前方をご覧下さい」

「前? あれは……白蓮ちゃんの言ってた凄い白馬?」

「趙雲と張遼なのだ!」

「彼女らの様子が、おかしいのです」

「おかしい? それって――」

 

 

「その、なんと言いますか……奴ら、尋常な様子ではありません」

「星……? 江陵は一体何を……」

「ちょっと春蘭、どういう意味よ? 華琳様の前なんだからはっきりしなさいよ!」

「しっ仕方ないだろう! 私にもよくわからんのだ!」

「待て桂花。私も姉者の意見に賛成だ。あの者たちは、今から一騎駆けでもせんばかりの気迫に満ちている。尋常なことではない」

「なら一騎駆けする気なのかもしれないでしょ!? それを早く言いなさい!」

「落ち着きなさい、桂花! アレは――」

 

 

「――違うわね」

「えっ? 姉様?」

「あれは一騎駆けを狙ってなんかいない。もっと、とんでもない獲物がいる」

「確かに雪蓮様の仰る通り、馬上にあって前を見ているようには見えません」

「……前に出られるかしら?」

「江陵軍が完全に前をふさいでしまっていますよぉー」

「この状況で、江陵の狙い通りの何かが起きると言うの?」

 

 

「星さん、お願いします」

「あとはお任せしますよ、星ちゃん」

 

 

 両軍が向かい合った平地のやや南に流れる川、洛水を高速で下って来た小舟から高速で飛び出した4つの影が、身を低くして両軍の間を駆け抜ける。

 そのいかにも怪しい影は、しかし今、誰からも注目されていなかった。

 なぜなら――

 

 

「え? なにこれ?」「これは――」「空に……」

 

『雲?』

 

 

「おーおー。ホンマに来よったわ。ま、背中は任せときー」

 

 誰もが目を向けなかった4つの影を追うように、誰の目にも明らかに、不自然な速さで南西から雲が広がっていく。雷鳴を伴う暗雲だ。

 分厚い黒雲は、両軍を覆うように広がってなお成長を続け、両軍のど真ん中に向かって噛みつくように落ちてくる。

 

 その鼻先が大地につく寸前、大柄な白馬に跨がった将が割り込んだ。

 

「お前の相手は私だ」

 

 軽い言葉に反するように、地をえぐり取らんばかりの激烈の気合いと共に赤い槍が振るわれ、今にも地面に触れんとしていた黒雲が大きく払われる。

 

 そこに見えたのは

 

『竜ッ!?』

「――オオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 

 竜がその巨大な顎を大きく開き、風を伴う程の咆哮を放つ。

 落雷を思わせる轟音が、遠く戦場を囲む数十万の兵の全身を叩く。

 その風と轟音を間近で受けた白馬の将は、しかし、全く動じていなかった。

 

「なるほど、良い馬だ」

 

 趙雲は再び大きく息を吸い込む竜に向かって白馬を走らせ槍を振るう。

 軽く振るっているように見えて、馬の勢い、体重の全て、そして体内で練り続けた気を載せた槍が、竜の巨大な顔の側面をえぐる。

 

「グオオオオオオアアアアアアアッ!」

 

 たまらず身を引いた竜に追いすがりながら、白馬がうるさそうに首を振る。

 

「おお、すまんな。すぐに片付けるっ!」

 

 軽口を叩きながら、趙雲は決して竜から目を離さない。

 竜が大きく口を開くと同時に、白馬は弾かれたように横へとそれる。直後、大地を揺るがす咆哮が元居た場所をすり抜けた。

 

(いやはや、これほど高ぶることがあろうとは思ってもみなかった)

 

 趙雲は波打つ胴から逃れ、風を切る爪を弾く。にやける頬を隠す様に腕を上げ、すれ違い様に胴体を浅く斬りつけていく。

 

(私も存外、気楽な質だったらしい)

 

「ゴォオオオァァァァァァァアアッ!」

 

 その巨体で小さなノミをすり潰そうとするかのように、竜が地面の上を這い回る。

 地面がえぐれ、人の拳ほどもある石が飛び交う。大きなものはたたき落とすが、小さく素早い石は趙雲の腕を持ってしても止められず、趙雲自身を、そして馬を打つ。

 暴れようとする馬を両足で挟み込み、竜から離れるようにと脇腹を蹴って馬に合図を送る。向きを変え走り出した馬の背を踏んで宙に飛び出す。

 

(格別に楽しいっ、強烈に面白いっ! しかし、それだけではない!)

 

 竜の腹を突き、その勢いで身を駆け上がり、背を飛び越えて尾を思い切り叩く。

 

「オオオオッ!」

「ははは! 芸がないな!」

 

 再び地面を這い回るように身をねじった竜の懐へと更に踏み込み、腹を持ち上げるように切り上げる。竜はたまらず胴体を浮かせて空中へと逃げた。竜の胴に付着した泥と草が雨のように降り注ぐ。

 

(この感情は、何なのだ?)

 

 趙雲の姿を見つけて勢いよく近づいてくる馬に跨がり竜を追う。ほんの数秒で未だ地面近くに残った胴に取り付き、二度三度と斬りつけ、突き上げる。

 

「オオオオオオアアアアアアアッ!」

 

 怒りを顕わにした巨大な竜の顎が迫る。

 地面を削りながら迫るそれを見てなお、趙雲は薄く笑ったまま数歩馬を進めて、鞭で打つように槍の腹でその鼻先を思い切りはじき飛ばした。その手から伸びた槍が、赤く細い軌跡を描く。

 

「ギュオオオオオ!?」

 

 人の腕ほどの太さで鞭のようにしなる髭が趙雲を掠める。肌に触れてもいないのに、焼けるような熱を感じ、趙雲は顔をしかめた。

 

(信頼、信用、安心……違う。これは、もっと熱い(・・))

 

 竜は大きく身をひねって頭を大きく持ち上げ、続いて勢いよく地面を叩いた。長い胴も連動するように波打ち、轟音と地震と凄まじい土煙を周囲にまき散らす。

 趙雲に向かう土煙の雪崩は突如南から(・・・)吹き付けた風によって押し戻される。

 

(興奮? 熱情? 違う、そんな移ろいやすいものではない!)

 

 遠くで連合と董卓軍の馬たちが暴れているのが趙雲の目の端に映った。混乱する兵馬は既に隊列を乱し、しかし、連合と董卓軍の前面は揺らがない。

 多くが混乱する中、趙雲の乗った白馬は彼女の意のままに竜を追って駆け回る。

 

(これは、信仰……?)

 

 趙雲はそんな馬の首を一撫でし、この大事にあって意外と余計な事を考え続ける自身の思考に向き合った。

 

(ああ、そうか――! これは、忠義(・・))

 

 途端、趙雲は吹き出した。

 

「ぷっ――ははははははははっ! あっはははははははははは!!」

 

 そんな場合ではないと理解しているにも関わらず、趙雲は笑い声を止められない。涙が浮かぶほどに笑い、浮かんだ涙を邪魔だと思う感情すらわき上がる。それなのに、笑いが止まらない。

 

「あはははは!」

 

 槍を振るう速度が上がる。趙雲自身が生涯最高だと感じていたこれまでを超えて、なおいっそう気が充溢していく。竜の牙を弾くように振り回す、目を潰す勢いで突き出す。

 

「グルォオオオオッ!」

 

 意外だ――こんなことを思う自分が意外でならない。趙雲はそう考えながらも、同時に納得の感情も抱いていた。

 自分が二君を抱くほどに移り気な人間だとは微塵も思っていなかったが、主君としての器にはまだ(・・)上がある(・・・・)かも知れないと考えていた。

 まさか最上であったとは――あの時の自分の慧眼と直感を自画自賛したい気分だ。

 

(これ以上の主君は望まない。望めない(・・・・))

 

 またがっていた白馬はいつの間にか息が荒れ、赤い汗を吹き出し、疲れ果ててふらついていた。ここまで頑張った馬の腹を蹴って逃がし、趙雲は槍一本で竜に飛びかかる。

 

(空海様は、想像の遥か上だった。私の想像の遥か上を示されてしまった)

 

 夢見ていたのだ。

 万の賊に立ち向かうとか、岩をも割る豪腕の武人との一騎打ちであるとか、無辜の民を背負って戦うとか、それほどに大それたこと(・・・・・・)を夢想していた。

 そして同時に、そんな夢物語はありえない、と諦めてもいた。

 

(曹操も、袁紹も、公孫賛も、劉表だって『これ』には敵わぬ!)

 

 誰がこれほどの舞台を用意してくれようか。

 竜の周りに落ちる雷を槍で弾き(・・・・)接近する。

 万を越える黄巾に立ち向かった。華雄や馬超との一騎打ちも果たした。50万もの兵を止めるため、無辜の人々を救うため『昇り竜』と成る(・・)機会まで得た。

 

 ――なんという愉悦か!

 

 手に持つ槍の重みが心地よく、それを振るう速度が更に増す。

 肩に掛かる重みが心地よく、踏み込む足がはっきりと地を捉える感覚を得る。

 背を押す期待が、身を空へ誘っているかのようだ。

 

(喜んで命を遂行する、という言葉を心底理解していなかった!)

 

「オオオオオオオオオオオッ!」

 

 趙雲は竜の放つ暴力的な咆哮を正面から突き破ってその鼻先に肉薄する。

 空海の言葉が、命令が、命令を実行した結果が、その結果の先にある世界が、楽しみで仕方ない。心の底から空海を支えたいと願い、共にありたいと祈った。

 ああ、これが忠義か。そう思った瞬間、趙雲の脳裏に大命を言い渡された記憶が蘇る。

 

 ――子龍に大役を申し付ける。

 

 趙雲の頭の中で、もう一度、空海の言葉が繰り返され。

 全身に満ちる歓喜は今、引き絞られた弓のように前へと放たれる瞬間を待つ。

 

 ――竜を討て。

 

「御意ッ」

 

 言葉と共に竜の顔を駆け上がった趙雲の全身全霊を込めた一撃が赤い閃光となって竜の額に深々と突き刺さる。

 額から起きた衝撃が、その全身を大きく一度だけ波打たせ、竜は地面へと墜落した。

 巨大な身体から空気が漏れるように静かな断末魔が漏れる。

 

「オオオオオォォォォ…ォ……」

 

(――未だ信じられぬ者はおりましょうが、主は言を違えませんでしたな)

 

 趙雲は、戦いの最中に突風を吹かせた南にそっと目を向ける。

 

「ハァッ ハァッ ハァッ ハァ」

 

 全力を使い切ったせいで、それ以上顔を上げる気力すら沸かない。だが、身体を動かす気にはならないくせに心の中からは熱い気持ちがあふれ出しそうで、その熱を冷まそうとわざと大きく呼吸をする。

 

(私も、言い渡された大命を果たしましたぞ、主!)

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「……うん。悪役を作ろうかな」

 

 空海は報告会に集まった一同の顔を見回し、趙雲に目を留める。

 

「んー。昇り竜、か」

「は? 何でしょう、主」

「子龍。お前、竜を見た事はあるか?」

 

 空海の質問の意図がわからず、問いかけられた趙雲以外の者も眉をひそめる。

 

「……謎かけですかな?」

「そのまま言葉通りに、竜を見た事があるかどうかが知りたいだけ」

「ありませぬが……」

 

 空海は小さく、難しいかなー、と漏らしながらも趙雲を見て目を細める。

 

「よし、子龍に大役を申し付ける」

「はっ。何なりと」

「連合に参加し、洛陽前で董卓軍と対峙」

 

 妙に半端な状況を口にする、と、列席した誰もが疑問を抱き、その疑問は次の言葉で空の彼方に飛んでいった。

 

 

「――両軍の前に竜が現れるから、派手に暴れてそれを討っちゃえ」

 

『は?』

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 夜を思わせるほどに分厚く重なっていた雲が、晴れていく。

 その隙間から一筋の光が伸び、竜の頭上で息を吐く趙雲を照らし出す。

 

「子龍、何を呆けてるんだ」

「――ッ!? あ、主っ」

 

 竜を囲む人の壁の前、いつの間にか間近に立った空海に声をかけられ、趙雲はようやく周囲の視線が自分に向かっていることに気がついた。

 

「ほら、名乗らなければ終わらないぞ」

 

 からかいを含んだ空海の声を受けて、趙雲は苦労して立ち上がり、やはり苦労して竜の額から槍を抜き放ち、それを天に掲げる。

 胸の内に渦巻いた熱い何かを解き放つように、静まりかえった戦場に声を響かせる。

 

「我が名は趙子龍! 常山の昇り竜にして――荊州江陵が主、空海元帥の槍であるッ!」

 

 趙雲の宣言と共に分厚い暗雲が割れ、世界が彩りを取り戻していく。雲間から漏れた日光がまっすぐ趙雲の上に降り注ぎ、鱗に覆われた竜の胴が黒曜石の輝きを放つ。

 その光景に何万という人間が涙を流して膝を付き、数十万の人々がただただ呆けて空を見上げ、一体のチビが太陽に向かって小さく感謝の言葉を告げた。

 

 

「結局、空海元帥の槍って付け加えおった……けど、しゃーない。今回は譲ったるわ」

「星ちゃん……それに、空海様……」

 

 

 趙雲は疲労で震える全身を支えきれずに竜の頭上で膝を付く。またしてもいつの間にか隣に立っていた空海が身体を支え、そのまま横抱きに持ち上げた。

 

 いわゆるお姫様抱っこの形で。

 

「あ、主っ!?」

「折角だから感想を述べさせて貰おう」

「えっ? は……!? いえっ、何の、感想、ですかっ!」

「やっぱりお前は竜というより蝶々だな」

「ふぇ」

 

 趙雲が呆けている間に空海は彼女を抱えたまま軽々と地面に駆け下り、江陵の兵が作り出した花道を軽快に通り抜ける。

 いつの間にか周囲に揃っていた護衛と共に、全身真っ赤になって目を回すほど狼狽した趙雲と、真っ青な羽織の空海が、遠く()の洛水に連なる船に向かって進む。

 空海たちの後を追い、5万を超える江陵軍が流れるように陣を組んで人の壁を構築していく。槍こそ立てていないが、その盾は油断無く両軍へと向いていた。

 

 ――子龍は、コンボとダメージでゲージを貯めると強くなるタイプだったんだな。

 

 空海のつぶやきは誰にも理解されなかった。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 44日前。

 

 劉表に反董卓連合への参加を要請され、江陵幹部を集めて開かれた会議。

 遅れて呼び出された管理者4人が会議に現れ、空海の前で膝を付く。

 

「貂蝉か卑弥呼が『前に』悪竜と戦ったって、江陵を広げた頃に言ってただろ」

「ぬぅ。よく覚えておられましたのぉ。流石はご主人様じゃ」

「あ・た・り♪ アタシたちと、ダーリンの3人で戦ったのよぉん」

 

 卑弥呼と貂蝉を交えて再開された会話は、皆を驚かせるものだった。

 詳しい場所を尋ねる空海に、貂蝉は悲しそうな表情で答える。

 

「ごめんなさぁい。益州永昌郡のどこかから向かったのは確かなんだけどぉん……」

「南蛮か、はたまた交州のいずこかか。儂らにもわからんのじゃ」

「ふーむ。前にこの辺に棲んでたヤツは居なくなっちゃったしなぁ」

 

 完全に『竜が実在する』ことを前提に繰り広げられる会話に、他の者は口を挟むことが出来ない。それを語る者が江陵の武の筆頭たちであるのだからなおさらだ。

 

「公瑾。ここから永昌郡と、永昌郡から洛陽までの移動には、どれくらい掛かる?」

「え、は、そうですね……。永昌郡の不韋までならば徒歩で40日、馬を使えば30日は掛かりますまい。不韋から洛陽までならば長江を下る船が使えますので、江陵を通ったとして10日、北回りで漢中を経由して25日ほどかと思われます」

 

 周瑜は混乱しながらも、かなり正確な数字を返す。江陵からの移動時間の情報というのは軍事的な価値が非常に高いため、漢全土のものが頭に入っているのだ。

 

「ふむふむ。貂蝉、卑弥呼。于吉を使って探索したとして、現地で悪竜を見つけ出すのに何日かかる?」

「前は20日ほど掛かったんじゃが……于吉がおれば5日もあれば何とかなるじゃろう」

「期待通りだな」

 

 空海は頷いて一同を見回し、表情を改めて管理者に向き直る。

 

「貂蝉、卑弥呼、于吉、左慈は5日以内に出立し、今日から50日後くらいに洛陽の東に展開している董卓軍と連合軍のど真ん中に竜をおびき出せ」

『御意』

「この、偃師(えんし)の地にしよっか。悪役が沈むのにふさわしい名前だし」

 

 偃師とは「戦いを止める」という意味の名を持つ県だ。洛陽の東60里(30㎞弱)ほどの距離にあって、決戦を求めるのならばこの近辺になるだろう土地と言える。

 地図を見れば、連合の進路上にあって洛陽に向かう最後の大集落を有する地でもある。

 

「同じ時期に同じ場所に引っ張り出すだけだが、今回は両軍を操る必要がある。連合には士元が参加して今から50日後を目処に偃師付近に展開させろ。補佐に仲徳が付け」

「ぎょ、御意です」「……了解ですー」

「文句を出させなければ好きにやっていい」

 

 鳳統が慌てたように頷き、程立は空海をマジマジと見つめながら同意する。

 

「子龍はさっき言った通り、連合に便乗して洛陽に向かい、両軍40万に迫るだろう兵の前で竜を討て」

「しょ――承知」

「思い切り暴れていいぞ。そいつが全部悪かったってことにするから、お前が勝てば後は上手くやってやる」

 

 趙雲は未だに理解が追いつかないのか、なんとか言葉を返しただけといった様子だ。

 空海は彼女に不敵に笑いかけ、そのまま視線を張遼に移す。見つめられた張遼は背筋を伸ばして頬をうっすらと赤く染める。

 

「文遠は子龍に付いて……士元たちの護衛と、竜討伐までの露払いと、子龍の鍛錬に付き合ってあげてね」

「露払いって……。最悪、両軍を敵に回すっちぅことで合っとります?」

「出来るだけ、一騎打ち程度までに納めて貰えるよう、士元と調整しておくように」

「――にひひっ、なんやウチ好みの話になってきたやないの」

 

 張遼は空海の言葉を一切疑わず、ただ戦いを喜んでいるようだ。お気楽そうなその様子に、軍師たちの一部からはため息が漏れた。

 

「連合へは劉景升の兵数をやや下回る兵を出しておこうか」

 

 空海はそう言って軍師たちを見回すが、誰一人として理解が追いつかないのか、言葉を詰まらせて空海や周りを見るばかりだ。

 この場での相談は諦めて、空海は続ける。

 

「公瑾は董卓側を偃師まで引っ張り出せ。これも今から50日後を目処にしろ。馬家には孔明から当たらせてもいい」

「わかりましたが、何というか……。いえ、わかりました」

 

 周瑜はどこか頭痛を耐えるように、しかし、最後には何かを決意したように首肯する。

 

「孔明は今言った馬家関係と、50日とちょっと江陵をまとめるのと、全土へ向けて竜が全部悪いって話を流す準備だ」

「はわっ!? はいです!」

 

 ついに話しかけられてしまった、と慌てたのは孔明だ。出来れば3日くらい暇を貰って考えをまとめたかった。

 

「公覆は公瑾について護衛と交渉の手伝いをよろしく。孟起がいるから悪いようにはされないと思うが、最悪、洛陽を制圧して貰う」

「お、お任せを」

 

 やや顔を引きつらせながらも黄蓋が返事を返す。なまじ物を知っているだけに、空海のとんでも