裸の毒蛇 (eohane)
しおりを挟む

【序章】蛇は1人 毒蛇も1人
蛇ではない“蛇”


 ────ボスは2人もいらない

 

「……(スネーク)は1人でいい、ね」

 

 

 

 ***

 

 

 

 1975/3/15 カリブ海海上 MSF(国境なき軍隊)司令室

 

「10日前、パスの生存が確認された」

 

 先ほどから室内に鳴り響いている、カチッカチッ、というライターの点火音。少々耳障りな、しかし既に日常となってしまっている音――――どうやら点火を諦めたらしい。音が止み、若干のイラつきを含んだため息が聞こえてくる。

 

「……生きていたのか」

 

 音の震源には、葉巻に火をつけることも忘れライターを知らず知らずの内に握り締めている男がいる。

 これまでに3度、世界を全面核戦争の危機から救った男────"彼女"への執着を捨て去り、違う未来を生きることを選択した男だ。

 元コードネーム:裸の蛇(ネイキッド・スネーク)。MSF司令官、俺達のボス────世界一眼帯がよく映える、と勝手に俺が称賛しているのは秘密だ。

 そんな彼は、驚きも、安堵も、そして戸惑いも入り雑じった声を上げた。

 

「────彼女はキューバ南端の収容キャンプで尋問を受けている」

 

 そして彼の相棒、MSF副司令カズヒラ・ミラー──カズが説明を始める。

 共産国(キューバ)の中のアメリカ。法を逃れた無法地帯(ブラックサイト)……うむ。これまた面倒な所へ捕らえられたようだ。彼の地はいろいろと()()な状況にある。アメリカでありながらアメリカの“法”さえ適用されない、まさに文字通りの無法地帯(ブラックサイト)

 ふむ、と頭の中でカズの言葉を吟味、反芻していく。“彼女”、か。……懐かしい。

 パス────パス・オルテガ・アンドラーデ。かつて、我々の依頼人(クライアント)だった人物だ。「ピースウォーカー計画」における様々な事件に巻き込まれ、結果的に共に行動することになってしまった16歳のいたいけな少女で、むさ苦しい雄共の中で数少ない(女性)、しかも料理上手な学生ということもあってか部下達の間で絶大な人気を誇っていたのを“記憶している”。

 そう、記憶している。

 本名パシフィカ・オーシャン。CIPHER(サイファー)という組織から送り込まれた、KGBともCIAとも繋がっている3重スパイ────それが、彼女の正体だった。CIPHERという謎の組織が確立するまでMSFに抑止力となるようスネークに要求し、交渉決裂となるや否やMSFという危険分子(テロリスト)が存在することを世界に知らしめるため、アレに搭載された核の発射を宣言。世にこのような輩を2度と誕生させてはならないという共通認識を生み、核に変わる新たな“抑止力”を誕生させる、と宣い我々と戦闘を開始。

 そして敗北した彼女はカリブ海に消えていった────はずだった。

 

「……おい。IAEA(国際原子力機関)の査察があるだろう? ……“タイミング”が良すぎないか?」

 

 日に日に強大になっていくMSF。世界の目が向けられるのは当然のことと言える。

 ────が。おかしな点がある。IAEA(国際原子力機関)の権限はNPT加盟国に対してのみその効力を発揮する。そもそも俺達のようなただの一組織に、査察がどうのこうのとなっている時点でおかしな話なのだ。さらに、問い合せて確認してみると、奴らの定例理事会で俺達のことは議題にすら登ったことが無いらしい。

 今回の査察はそうとは言いきれない、別のナニカがやって来る。

 ────なのだが。奴らの公式書簡、要約すれば「貴私設団体がウズベク当局から核燃料を購入した、との情報が入ったので、内部調査をさせやがれ」と言ったものに対し、先程述べた理由から1度“丁重”にお断りさせていただいた査察を、研究開発班所属のヒューイの意見、というより独断で了承してしまっているMSFは、その対応に追われていた。汎用2足歩行戦機(メタルギアZEEK)、登載されている例のブツ、小国のそれをはるかに越える軍事力。ただの民生軍事組織だとをアピールするため、様々な隠蔽工作を施しているのだ。

 

「ああ……恐らく、パスのリークを裏付けるためのものだろうな。だが、この“軍事力”が明るみに出れば、俺達は世界中を敵に回すことになる」

 

 情報(リーク)。諜報員パスが入手したMSFの“軍事力(機密情報)”────核だ。俺達の“最後”の抑止力。危機限界点に達した際にのみ所有を世界に宣言し、その抑止力を現実のものとするもの。

 彼女からソレの存在がCIPHERに漏洩し、わざわざIAEAを動かしてその確証を得ようとしてきた、と言ったところか。やはり今回の査察、CIPHERが絡んでいると見て間違いない。

 だが気になるのはCIPHERの“影響力”だ。……まだ誕生して日は浅いと言っていたはずだが────既にここまで成長した、ということか。

 

「世界、ね……"時代"に比べちゃかわいいもんだ」

「……違いない」

 

 ようやくライターの点火に成功したのか、葉巻に火をつけ、紫煙を吹かしながらスネークも笑う。

 “時代”という怪物と戦うことが宿命となった俺達。──“俺達”が、21世紀(新時代)まで生き残れるか、否か。そんな思いが、その笑みの裏側で駆け巡っているのだろう。

 

「……そうだな────とでも言うと思ったか、馬鹿!」

 

 「茶化すな!」とカズの叫びに苦笑しながら、俺は椅子に深く座り直した。

 

「────で、どうする? 介入するか?」

「あぁ……先ほど言ったように、その基地には単身パスの救出に向かい、捕らえられてしまったチコもいるはずだ。あいつはMSF(ここ)のことを知りすぎている。査察に差し支えることを洩らすかもしれん」

「……パスもろとも消せ(始末しろ)、と?」

 

 立ち込める紫煙に若干咽せ返りそうになりながら、カズに問う。

 チコ――サンディニスタの若き兵士。お前も面倒なことを引き起こしてくれたものだ。まあ、パスに並々ならぬ感情を抱いていた、アイツのことだ。しょうがない、か。

 

「違う。そこまで俺は非情じゃない。そもそもそんなことしたらアマンダがFSLN(サンディニスタ)を率いて襲ってくるぞ。……見るからに“罠”だが、試す価値はある」

 

 「はあ……」と1つ、溜め息を溢したカズは、俺達2人の顔を交互に見やりながら言った。

 

「パスはCIPHERの正体を知る唯一無二の手がかりだ。できるなら彼女には協力してもらいたい。……生きていれば、の話だがな」

 

 毎度宜しく潜入任務(スニーキングミッション)だ。

 IAEAの査察受け入れ準備に追われる海上プラント(マザーベース)からの応援はほぼ“ゼロ”。わずかながらに応援はキューバ本国の境界線から寄越すヘリのみ。装備は必要最小限、残りは現地調達である。

 

目標(ターゲット)は2人、チコとパスだ。チコからの最後の無線連絡は40時間前。南岸から基地内に潜入、2人を救出し合流地点(ランディングゾーン)で指示を出してくれ」

 

 最悪の場合は“死亡確認”が取れれば良い、か。なんとも嫌な結果だ。彼女には裏切られた俺達だが、つい最近、彼女自身が揺れ動いていた事も判明している。……許すかどうかは別にして、同情の余地があるのも、また事実。

 作戦確認(ブリーフィング)を終え、蛇──俺達は立ち上がった。

 

「頼むぞ。(スネーク)

 

 カズと目が合う。

 また、笑う。

 

「──毒蛇(サーペント)

 

 俺は、この()が好きだ。

 

 軍人になりきれない、戦いに理由を、意義を、求める変人が集う、このマザーベースが。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

チコ パス救出

 岩。

 岩石の大きな塊。

 大地に深く根を張り、巨大で、容易には動かしえないものをいう。雨に晒され、ヌラヌラと光るその様は何か、得体の知れない生き物の皮膚を連想させる。

 今現在、俺はそれに張り付いている。立っても座ってもいない。張り付いている。

 今の俺は“岩”だ。

 

《――サーペント、目標を指示(マーキング)する。端末機(iDROID)に情報を送るが……頼めるか?》

 

 見えるのは暗い闇の中に浮かび上がる円状の景色、それもT字の線(レティクル)入りだ。そのT字の線と線の結合部、途切れて隙間が空いている。人間の(レンズ)が光を捉え視神経より伝達された視覚情報が脳で映像化(イメージ)された、一般的な倍率から見ると1cmにも満たないわずかな隙間だが、光学機器(スコープ)として機能させれば人間の頭がすっぽりと入る隙間である。

 ────まあ、やたらと回りくどい、判りづらい言い方をしたが、要するに俺は岩に張り付き(プローン)ながら、メインウェポン“モシンナガン”の遠距離狙撃用スコープを覗いているわけである。

 因みに潜入任務とあってサプレッサー装備だ。

 

「……こちらサーペント。指示敵確認。鼻ほじってるぞ、こいつ……」

 

 iDROIDの情報を確認。赤く点滅するポイントの方角を、指向性マイク付き新型双眼鏡で索敵、同じく赤いマーキングを確認する。

 距離およそ270、湿度70、気温11、風速1、風向きは南東。これらの立地、自然条件及び重力の影響による弾道落下、それらを考慮し後は勘を頼りにだいたいの狙いを定める。スコープの倍率を2段階目に上げる。息を吐き、呼吸を止める。同時に手ぶれが消えた。

 体の延長と化したモシンナガンが────という感覚にはならない、というよりならないようにしている。意図的に。

 俺は基本的にそこまで銃に愛着があるわけでもない。1つの(武器)を使い込み、体に馴染ませるという手法を非難している訳ではないが、そうしようとも思わない。

 

 所詮、銃は銃。ただの道具でしかない。

 

 まあ、人を殺すための武器(凶器)が体の延長と化す、となると、どれだけ効率よく戦闘が行えるだろうと思うことはある。そのような感覚になれる人間を羨ましいと思ったことも無いことは無い。

 ただ、なんと言えば言いのか。……そう、ある種の誓約だ。

 “罪悪感”を感じることを恐怖し、自分を武器と同一化させることで責任転嫁する――――違うはずだ。殺したのは俺だ。

 数多の戦場を駆け抜けてきた兵士でも、人を殺す(撃つ)瞬間に罪悪感を感じない人間など1人もいない。気付いていないだけで、心のどこかで感じているはずなのだ。

 人を殺し過ぎて感覚が麻痺した、なんてよく聞くが、これが俺なりの答えだった。この感覚は、感じ続けるべきだ。

 

「…………」

 

 雨に濡れて光るトリガーに指をかけ、引く。

 うちの研究開発班が開発、さらに改良を重ねたサプレッサーにより、限界まで減音化された射撃音が響く。ギリギリまで絞り込まれた閃光(マズルフラッシュ)が目を灼く。

 得物(モシンナガン)から吐き出された7.62×54mmR弾は、吸い込まれるように(狙撃点)を直撃。サプレッサーによる弾丸の減速効果がほとんど無いのはMSF研究開発班の驚異的な技術力の賜物である。

 獲物は気付く間も、叫ぶ間もなくその命を散らした。

 じわり、と()()が身体中を蛇のように這い回る。

 俺は1度たりとも、人を撃った瞬間に感じるある種の“恐怖”を忘れたことはない。

 

「……敵兵排除、狙撃成功。基地の様子に変化無し……バレてない。死体を隠してさっさと進め。血は雨が洗い流してくれるさ」

《了解だ。パスの救出に向かう》

「スネーク、いいな? その先は施設内部だ。俺からじゃ援射はできん。カズも言ってたが絶対に捕まるな。……もう2度と“面倒事”は御免だ」

《はっはっは、了解だ。にしても相変わらずの腕だな。まさか当たるとは思ってなかったぞ》

 

 ────いいセンスだ

 

 狙撃(スナイピング)。というよりは精密射撃。俺はどうやら、スネークいわくいいセンスらしい。

 俺はこれといった得意な武器があるわけではない。別に今使っているからといってモシン ナガンが得意というわけでもなく、使う銃は状況により様々。

 ハンドガン、ショットガン、サブマシンガン、アサルトライフル、マシンガン、ロケットランチャー、そしてバナナ。

 バナナを馬鹿にしてはいけない。ハンドガンサイズ故にCQC(近接戦闘)に移行しやすく後ろから近づくことができれば無力化(ホールドアップ)も可能だ。さらに味は最高、栄養価も高くヘルシー。サバイバル任務において、ある意味必須の装備かもしれない。……が、1部のMSF隊員からは食べ物を粗末にするな、と批判の声もあるらしい。解せぬ。

 そうつまり俺は、あらゆる武器を使いこなす戦闘のスペシャリストなのだ────と思ったのなら大間違い。前述した通り、ただ単に状況に合わせて銃を変えているのみ。要は器用貧乏と言うやつだ。

 

「……その言葉、そっくりそのままお前に返すぞ、スネーク。お前、確か今年40だったろう?」

 

 iDROIDに新たな情報が送られてくる。どうやらマーキングの追加のようだ。

 すでに俺の位置からマーキングできる敵は確認できないので、スネークが基地内部からマーキングしたものだろう。見たところ、スネークの進路を妨害するような位置にいる敵兵はいない。難なく施設内部に潜入できるはずだ。

 

《まだまだ若い奴には負けんさ。……サーペント、合流地点(ランディングゾーン)に向かってくれ。すぐパスを連れて戻る》

「了解。少しチコと話してみよう……それと、確か岩場があったな。そこからできうる範囲で援射する」

《頼む》

 

 通信が切れた。

 同時にプローン状態を解き、モシン ナガンを仕舞う。腰のホルスターからマカロフP(ピストレット)B(ベッシュニィ)/6P9セミオートマチック拳銃を抜き放つ。

 ソ連軍及び東ヨーロッパ諸国の軍で使用された、信頼できる実績を誇る代物だ。さらには特殊任務遂行の為にマカロフPMを改造、設計された拳銃であるため、装備した状態でカムフラ率の低下がほぼないという特徴がある。

 そしてどういうわけか、サプレッサーを内蔵型にしたことで消音効果が無限になった────というわけのわからないおまけ付き。すでにMSFは世界に誇るべき、いや世界を揺るがす技術力を有している気がする。

 

「……まあ、兵士(ゲーマー)としては願ったり叶ったりだがな」

《何か言ったか、サーペント?》

「一人言だ。気にしないでくれ……ところでカズ、そっちの準備はどうだ?」

 

 増援(バックアップ)には期待するな、と言っておきながらしっかりと無線でアドバイスをしてくれるカズ。他にすることがあるだろう、と思う反面、正直カズ(こいつ)のこういった増援(心遣い)は非常にありがたい。こうして仲間の声が聞けるだけでも、精神(メンタル)的に大いに助けられる。

 

《順調だ。いかにも普通の会社(組織)に見えるよう人員削減、実戦兵器の隠蔽、放射能除去も実施済み……そしてZEKEは海の底だ。抜かりはない》

「ヒューイの奴、面倒なこと引き受けてくれたもんだ」

《……そう言うな。それにあいつの言う通り、遅かれ早かれこんな事態にはなっていたさ。上手く行けば宣伝になるかもしれんしな》

「……カズ、ビジネスはほどほどにな。あと女も」

《んな!? 女は関係ないだろう!?》

「黙れ。また俺のとこに相談(愚痴をこぼし)に来た奴がいたぞ。その前はスネークの所にもだ。……そろそろ、な?」

《……善処する。そもそもお前に言われたくねぇな》

「おい、善処ってなんだ。それに後半よく聞きと──」

《さあサーペント! スネークの指示通り合流地点(ランディングゾーン)に向かってくれっ! そこにはチコがいるはずだ!!》

「よぉしわかった」

《あの……サーペント……?》

「カズ、待機中のモルフォ01に伝えてくれ。ある程度の治療器具を積んでこいとな」

《……了解だ、サーペント。ところで──》

「チコがあれだけ衰弱していたんだ。ここの尋問、いや拷問は普通じゃないことぐらいわかる。連れ帰る途中で死なれても困るからな」

《サーペントオオオォ! 頼む、お前の“わかった”は別の意味に聞こえてしょうがないんだ! すまん、謝る! 謝るからあぁ──》

「さてと」

 

 早々に無線を切る。近接戦闘用ナイフを抜き取り、マカロフPB/6P9と同時に構え、姿勢を低く保ちながら俺は移動を開始した。

 

 

 

 ***

 

 

 

《────CP、CP! こちらズールー2……女の姿が見えない、脱走した模様。以上(オーバー)!》

 

 何故か、いつ聞いてもザマァミロって気分になれる焦燥感溢れる声。敵兵士の無線連絡を、こちらの無線機が傍受してくれた。

 女────捕虜(パス)の救出、スネークも上手くやったようだ。あとはスネーク、パスの2人と合流し、合流地点(ランディングゾーン)にてモルフォ01に回収してもらうのみ。

 ────とまあ、口で言ってみれば超簡単。残念ながら、現実(リアル)だとそう上手くはいかない。

 パスが捕らえられていると推測される――スネークが今現在いる収容所からここまで、人間の足で来るには相当な距離がある。スネーク1人ならまだしも、今彼はパスを引き連れているわけで……いや、引き連れる、と言うのは楽観視し過ぎた。最悪彼女が自力で立ち上がれない状態の可能性も有り得る。そう仮定した場合、必然的にスネークは彼女を抱えて基地内から脱出しなければならないというわけだが、

 

「……厳しいな」

 

 人間の視力()というのは、とりわけ“異質”なものには驚異的な索敵能力を発揮する。

 朝起き顔を洗い、ふと見上げた鏡に写る己の顔にそこまで目立ちもしないニキビを発見した、とか。

 数m先に落ちている硬貨を何故か発見できた、とか。

 装備一覧の中に、何故か「バナナ」という項目がある、とか(特に異質とは思わないが)。

 月1で開かれるMSFの誕生パーティーで、何故か全裸になろうとし始める金髪の男がいる、とか。

 

 基地内を徘徊する侵入者(怪しい人影)、とか。

 

 後半、かなりどうでもいいことばかり羅列してしまったが、まあ要するにそう言うことだ。故に、俺達侵入者(怪しい人影)はそれなりに異質でなくなろうと努力する。体にスニーキングスーツを纏い、カムフラ率の低下を招く角張った物体、つまり装備を必要最小限に抑え、敵の死角に常に在り続ける。

 

 それが潜入任務(スニーキングミッション)の鉄則。

 

 それでも異質なモノを可能な限り異質でなくしただけなのであって、結局周囲から見れば異質であることに変わりはない。透明人間にでもなれない限り異質なモノは異質なのだ。故に、科学技術では補えない極限までの空白を、潜入技術(センス)で賄う必要が出てくる。

 スネークはソレに恐ろしいくらいに長けている。いやもう、なんだこいつ、と言ってしまいたくなるくらいに。

 ────なのだが。

 2度目だが今彼はパスと共にいる。まさか捕虜にスニーキングスーツを着せているほどこの基地の人間も気前がいいわけないだろう。今、俺の隣でブツブツと何やら呟いているチコのように、恐らく捕虜脱走の際に迅速に対応するためであろう、黄色の(目立つ)服、またはそれに近い物を着用されられているはずだ。つまり、これでもかと言うほど彼らのカムフラ率は落ちているはず。そんな“異質”を、奴らが見逃すとは思えず、しかしスネークならやってのけてしまいそうな気も捨てきれず。

 しかし、いくらBIGBOSS(スネーク)と言えども、かなり厳しい状況となっているわけで。

 

「……チコ。また後で、マザーベースに帰ったら話そう。アマンダも待ってる」

 

 チコからの返事は、無い。

 岩壁に立て掛けてあったモシンナガンを掴み、来るであろうスネークの無線(援護要請)に備えるべく、俺は移動を開始。

 チコ、そして彼と共に捕らえられていた捕虜達を救出し、集めていた岩の窪み。そこから出た途端、冷たい雨が俺の顔を濡らす。頬を流れ落ちる雨粒を感じながら、雨に濡れてヌラヌラと光る岩壁をよじ登っていく。

 やがて、基地内部を一望────はできないが、まあ申し分無い岩場(スナイピングポイント)に到達。雨に濡れ垂れ下がってきた前髪をかき揚げ、iDROIDを起動する。スネークがあの後もマーキングを続けてくれていたようで、マップにはかなりの赤いポイントが点滅していた。スネークはどうやら、施設内部から出た後、南へ向かっているようだ。

 とすると、どうやら合流地点(ランディングゾーン)を変更するつもりらしい。

 

「……ん?」

 

 基地の敵兵士に、気になる動きがある。

 マーキングでわかる限りは、基地の東側のルートを通ってチコが捕らえられていた収容所に向かっている兵士が2人。すかさず、俺は双眼鏡を手に取りマーキングも兼ねて覗き込んだ。

 

「……警戒が強化……当たり前か」

 

 基地から収容所に繋がるルートは2つある。

 1つは、最初に俺とスネークがチコを救出する際、通ってきた基地の南側のルート。

 もう1つが先程言った東側のルートだ。

 そこへ、パスが居なくなったことで恐らく確認のためであろう兵士達が数名送り込まれてきている。つまり、俺達がルートを突破するため、排除してきた兵士達が見つかる可能性が出てきたわけだ。

 

「いや、収容所も捕虜が0になってるわけだから、バレるのも時間の問題か」

 

 いくら排除した兵士を見つかりにくい場所へ移動させたとしても、捕虜が居ないとあらば流石に気付かれる。

 とそこへ、お馴染みの呼び出し音(CALL)がスネークからの着信を知らせてくれた。

 

《────こちらスネーク。聞こえるか?》

「良好だ。ところでスネーク、わかってると思うが時間が無いぞ」

《ああ。だがお前達のポイントに通じるルートの警戒が強化された。パスと一緒だと突破は無理だ。予定通り合流するのは厳しい》

「どうするつもりだ?」

 

 だいたいのスネークの案はわかってきたが、確認も兼ねて聞いてみた。

 

《お前はそこでモルフォ01と合流しろ。俺は南のスタートポイントに向かう。そこで回収してくれ》

「了解だ、スネーク」

 

 俺の心配は杞憂に終わったようで、援護は必要無いらしい。

 じゃ遠慮なく、と無線を切り、モルフォ01へ回収要請を発信した。

 

 

 

 ***

 

 

 

《────こちらモルフォ。まもなく合流地点(ランディングゾーン)に到着する》

 

 雨雲のせいで、空と海の境界線が非常に見えにくい。そんな薄暗い上空を見上げていると、灰色の空と同化して本体を視認することは難しいが、青と赤に点滅するライトを確認できた。

 モルフォ01────鹵獲したMi-24A Customを、ウチの研究開発班が現地で運用する実戦部隊の隊員の要望を取り込み、従来の欠点であった旋回速度の遅さ、照準器のトラブル、視界の悪さ等に対して改修を加えたモノ────MSF仕様である。正直なところ、性能的にほぼ別物だ。簡単に言えば化け物(チート)ヘリである。

 

「……ん。いつ見ても良いデザインだ」

《こちらモルフォ。合流地点(ランディングゾーン)に到着……ってあれ? 隊長(キャプテン)、ボスはどうしたんです?》

 

 そうこうしているうちにモルフォ01がプロペラの駆動音を響かせながら目の前に降り立った。

 チコを担ぎ上げ、開かれるハッチへ向かう。ホバリング状態のモルフォ01から巻き起こる風が、降る雨を吹き飛ばし顔に打ち付ける。思わず手をかざしながら、機内へチコを運び込んだ。

 

《────……CP、CP! こちらズールー4……捕虜の姿が()()見えない。脱走した模様!》

「……予定変更だ。スタートポイントにてスネークを回収する。頼むぞ」

 

 待機しているメディックにチコを預け、一端モルフォ01から飛び降りた。

 

「……? キャプテン、何を……」

「すまんな、メディック。来て早々悪いがこいつら、診て貰えるか?」

 

 岩の窪みの奥にいる、収容所から救出した3人の捕虜を順番に担ぎ入れる。

 我らがMSFの優秀な医療スタッフ(メディック)ならば、オーダーが3人増えたところで問題は無いだろう。

 

「────とか勝手なこと考えてないでしょうね……」

「すまん。ずばり考えてた」

 

 頬をぽりぽりと掻きながら俺も機内へ乗り込む。「大丈夫ですよぉ……あなた達の自由(フリーダム)さには慣れてますからねぇ……」とメディックの呟きに苦笑しながら腰を下ろす。念のためにハッチは開いたまま、スネーク達の回収がスムーズにいくよう配慮しておこう。

 

「……足以外に目立った外傷無し。体力の衰えが認められる……──」

 

 両手で顔を拭う。スニーキングスーツから滴り落ちる水滴が、床に染みを広げていく。

 

《────収容(シート)確認。これよりスタートポイントへ、ボスの回収へ向かう》

 

 モルフォ01がホバリング状態を解き、ぐるりと旋回。基地の南へ機首を向ける。

 とそこへ、基地内部の無線連絡が傍受された。

 

《────CP、CP! こちらズールー3! 死亡している隊員を発見した。敵襲に遭った模様、以上(オーバー)!》

《了解。これより警戒体制へ移行。侵入者を発見し排除せよ。以上(アウト)

 

 無意識に、ヘリに標準装備されているアサルトライフル“FAL”を手に取っていた。

 

 

 

 




こんな感じですね。
恐らく、次回辺りでMGSGZ編は終わる予定です。

どうでも良いですがFALカッコいいよFAL。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦場に散る命

 

 

「そう言えばメディック、ウチに標準配備されてるこのFALだが、その生い立ちは知っているか?」

「いえ、そもそも西側の武器に関してはそこまで詳しくないですな」

「ほう、ならばここらで1つ、その特性、沿革について知っておくのも重要だと思わないか?」

「いえ別に。そもそも今ミッション中ですし」

「そうか。本銃はベルギーが産んだ傑作アサルトライフルだ」

「!?」

 

 FAL。

 Fusil Automatique Légerの略称であり、正式名FN FAL。フランス語で軽量自動小銃を意味する。

 西側諸国でM16シリーズと双璧を成す、ベルギーのFNハースタル社製高性能アサルトライフルだ。かなり財布に厳しい御値段の銃だが珍しくカズが注目しているモノで、MSFではガス圧作動ティルトボルト方式機構、FALPARA(パラトルーパー)の派生型で銃身長458mmのカービンタイプ、総重量3.79kgのモノを採用している。

 実はこのアサルトライフル、なかなか面白い経歴をたどっている。

 西側諸国、特にNATO構成国で独自にアサルトライフルの開発が進められる中、ベルギーの銃器メーカーFNハースタル社も1947年、設計、開発を開始。7.92×33mm弾等の弱装弾を用いたフルオートマチックの新型自動小銃として、プロトタイプ──後のFAL──が完成する。

 

 が、ここで1つ問題が起きる。

 

 当時、NATO構成国では作戦行動を円滑に行うために、NATO弾なるものを定め銃器弾薬の統一化が進められていた。当然FALもこの対象に入るのだが、ここでアメリカ合衆国がその発言力にモノを言わせ7.62×51mm弾をNATO軍標準弾薬にするよう要求、採用されてしまう。

 要するにFNハースタル社からしてみればやってくれやがったわけである。

 前述したように、元々7.92×33mm弾等の弱装弾を用いることを前提に設計、開発されたFALだったのだが、7.62×51mm弾がNATO弾となってしまったため、これに対応するよう再設計がなされた。

 しかし、威力、射程距離は上昇した代わりに反動がこれでもかと言うほど跳ね上がってしまう。よって、開発当初のフルオートマチックと言う持ち味が消え去ってしまったのである。

 7.62×51mm弾をフルオートで撃とうものなら文字通りFALは暴れ馬と化す。その反動の強さは、兵士(ゲーマー)ならば誰もが1度は聞いたことがあるだろう同時期に開発が開始されたAK-47()()()強い、と言えば想像できるだろうか。ぶっちゃけ3、4発射てば照準はブレブレ、なんじゃこりゃ状態となる訳である。

 ──と、まあ半分ほどスネーク(ウィキ)の受け売りだ。やたらと否定的な言葉ばかり羅列してしまったが、決してFALが使えない役立たずの銃と言う訳ではない。

 ドイツのH&K G3、ソ連のAK-47、アメリカのM16と列び、“4大アサルトライフル”と呼ばしめる優れた傑作アサルトライフルなのだ。AK-47とまったく逆の発想による、機構構成部品のクリアランスが0.1mmと言う精密にして堅牢な設計。不本意ながら7.62×51mmNATO弾により実現した高攻撃力、長射程距離。フルオートはアレだがセミオートならば照準能力は申し分なく、先ほどのぶっちゃけを逆にぶっちゃければ3、4発ずつ“指切り”すればフルオート感覚で射つこともできる。住めば都、ではないが、要は慣れだ。

 

「――と、言うわけだ。聞いていたか、メディック?」

「ええ、もちろん。頼んでもいないのによーくわかりました」

 

 と、何やら思考に耽る内に基地の南、スタートポイントへ到着。

 

《────……コンタクトオオォォ!!》

 

 暇潰しのFALの点検を終え、右手でグリップを握り締める。装弾数20発マガジンを装填、セーフティーを解除。これでFALは物言わぬ鉄塊から“死”を吐き出す悪魔と化した。

 金属製の折り畳み式軽量ストックを肩に当て、片膝を立てて座る。MSF仕様カービンタイプとあってか、取り回しは良好。俺がいる左側面を基地へ向けながら、モルフォ01がぐるりと上空を旋回する。

 スネークは――いた。

 

「ギリギリまで近付け。ここから援護する」

《了解》

 

 出口がもう目と鼻の先にある建物の側で、スネークを発見。恐らく彼を発見したのであろう兵士がすぐ近くで倒れているのも確認できる。

 が、一足遅かったようで、増援がぞくぞくと出口付近に集まりつつあった。咄嗟に無線を繋ぐ。

 

「スネーク、俺だ。敵はなんとかする。お前はパスをしっかり連れてこい」

《頼む》

 

 それどころではないのか、スネークは早々に無線を切ってしまった。刹那、射撃音が鼓膜を殴りつけてくる。基地の敵兵士が銃撃を開始したらしい。

 やはり、情け容赦は無いようだ。

 

《こちらモルフォ。支援攻撃を開始する》

 

 雨音でプロペラの駆動音が聞こえないのか、モルフォ01が基地へ接近しても敵兵士が気付く様子は未だない。ならばとモルフォ01は機首を彼らへと向ける。

 

《──セーフティー解除。目標補足……射撃開始》

 

 機首に取り付けられたNUB-1可動式銃塔────12.7mm機銃が文字通り火を吹く。

 微弱ながら感じる振動と共に響き渡る独特な射撃音。射たれて初めて敵兵士が俺達の存在に気付いたようで、何人かがこちらに向かって撃ち返してきていた。

 ──が、今さら遅い。

 12.7mm弾の雨が降り注ぐなか、無防備に背中をこちらへ向けていた敵兵士に生き延びる術など皆無に等しく、次々に銃弾に倒れていく。FALを構えたはいいものの、この様子だと出番は無いようだ。

 

「よし……」

 

 しかし、これで基地は完全に戦闘体制へ移行したようだ。先ほどから異常を知らせる警報が基地のあちこちから鳴り響いている。さらにはスネーク達の後方から増援の接近が確認された。

 こうなれば、リスクはあるが取るべき行動は2つに1つ。────スネーク達を見捨てて安全を取るか、危険を犯してでも彼らを救いだすか。

 

《────キャプテン、強制着陸します!》

 

 ……まあ、当然ながら前者は100%有り得ない。その思いは他の奴らも同じだったようで。

 

「頼む。メディック! ここは任せるぞ!」

「了解!」

《こちらモルフォ。これより強制着陸を実施する》

 

 基地内部へ乗り込むモルフォ01。

 フェンスを越え、コンクリートで舗装された道路上にホバリングを開始。ハッチから下を覗き込み十分に地面へ近付いたのを確認すると、俺は床を蹴り、飛び降りた。

 なんだかんだとFALの出番はあったようだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「────雲泥の差と言うべきだな。芳醇な香りに豊かな風味。立ち昇る濃厚な煙はもはや官能的とすら……ん? これ前にも言ったな……」

「だーかーら! やめろっ押し付けるな! 俺はタバコは吸わんと言ってるだろう!?」

「タバコじゃなく葉巻──」

「やかましい! 屁理屈こねるな! 確かに良い香りだとは思うがどっちも同じだっ!」

「はぁ……葉巻の美味さ (素晴らしさ)を知らずにいるとは……あいつと同じだな……」

 

 知らなくていい。あいつ、とやらは絶対に正しい。

 スネークがタバコ……じゃなく葉巻の美味さ(素晴らしさ)を語ってくれやがったわけだが、あんな癌を誘発させる可能性を秘めまくったモノを吸うと言う勇気(?)は俺にはない。以前スネークに吸わされた事があるが、あまりの不味さに卒倒してしまったほどだ。

 葉巻談義に花を咲かせながら、俺達はモルフォ01でマザーベースに帰投中である。強制着陸後、なんとか敵兵士を撃退しつつ無事スネークとパスを回収。離脱を開始した途端、敵装甲車と対空ガトリング砲に狙われると言う危機に陥ったがそれもなんとか切り抜けた。

 パスはと言うと、メディックによれば他の捕虜達よりも一層体が衰弱しきっており危険な状態だが、命に別状はないとのこと。やはり、ウチの医療スタッフは優秀である。

 が、同時に気になることもあった。

 上手く行きすぎなのだ。特に基地の敵兵士の動向。あれだけ基地に打撃を与え、暴れまわった俺達“敵”に対して追撃機の一機も出さないとはいかがなものか。迎撃においても空を飛ぶヘリに対して地を走る装甲車、対空ガトリング砲のみ、と中途半端感が拭えない。ブラックサイトの限界なのだろうか。

 いや、まあ運が良かった、と言ってしまえばそれまでなのではある。だがどうしても、一度気にしてしまったらしばらくは胸騒ぎが続いてしまう。特に実戦の直後なんていう、神経がささくれてる時なら尚更。

 

「……今はパスもいるんだ。葉巻は我慢してくれ。ほら、メディック、お前からも言ってく──」

「サーペント……スネーク!」

 

 突然チコが声を上げる。

 見ると彼が、横たわるパスの服を捲し上げ、腹部を露にしていた。

 

「……っ!?」

 

 彼女の腹には、目を背けたくなるほど乱雑に施された縫合の痕が。やたらと彼女の服、それも腹部が血に染まっていたのはこのせいだったのか。

 途端、全身を悪寒が突き抜ける。

 人間の最も本能的な部分――いや、というより勘が、寒気と言う表層的な症状をもって俺に危険を警告する。

 俗に言う、“虫の知らせ”と言うヤツだ。

 

「────おいおい……」

「……メディック!」

 

 縫合、つまりは腹を開いた後、その口を閉じるために施される施術。もちろんパスが病に犯されていた、とかそんな生易しいモノではなく。親切に()()基地の人間が捕虜の人権保護のために何らかの手術を施してくれた、とかそんな感動物語でもなく。

 

「罠だ……人間爆弾か」

 

 スネークが言う通り、恐らくと言うか間違いなく人間爆弾だ。俺たちを誘き出し、救出させた人質に仕込んだ爆弾で、()()()()()()戦果を狙う――この御時世、非人道的戦闘行為に対して風当たりが強くなっている中、とんでもないことをしてくれたわけだ。

 流石は法を逃れた無法地帯(ブラックサイト)。人間に爆弾を()()()()ことなど何の抵抗も無いらしい。

 

「────すぐに取り出します! ……麻酔、間に合いません、無しで開腹します!」

「……押さえるんだ。早く押さえろ!」

 

 可及的速やかに開腹の後、爆弾を摘出する。

 メディックの言葉に思わず顔を上げる。麻酔無しでの開腹。――想像したのを後悔した。そもそも当事者でなければ形容し難い痛みが襲うはずだ。

 

「……メディック、パスの体はもつのか?」

「人間の体を甘く見ちゃいけません。……無責任かもしれませんが、この娘に賭けるしか……」

 

 そう言いながら、メディックは縫合糸を切り取っていく。パスの体は、スネークが肩を押さえ、俺とチコが彼女の左右に待機している状態だ。

 

「……ダメもとで聞くが、麻酔銃は使えないのか?」

「無理です。あれは医療用麻酔薬とはまったく別系統のモノで……すぐに覚醒してしまう」

 

 恐らく「……すぐに」の前には「激痛を抑えられず」が入るのだろう。ならばスタンロッドを、と言いかけたが、生憎今回のミッションでそれを装備してきていない。そもそも、衰弱している彼女の体にこれ以上の負担をかけるわけにはいかない。

 

「くそ……」

 

 思わず毒づきながら、パスの両腕を押さえる。なんとか苦痛を和らげる方法は無いか――あれこれ考えるが、だめだ。直接いくしかない。

 縫合糸をある程度取り除き、メディックが傷口に器具を入れ込み軽く開腹する。薄い皮下脂肪の層、赤い内臓組織が目に写った。

 

「…………」

 

 チコにそれを預け、最後の縫合糸を切り取る。

 糸が体から抜ける度に腹部がピクピク、と動くのを見て、麻酔が()()()こうも動かないモノなのか、とか若干の現実逃避に走っていると、ついにメディックが医療用ゴム手袋に包まれた両手を捩じ込み、今度は強引に抉じ開けた。

 1拍おいて、パスの悲鳴──いや、絶叫が機内に木霊する。

 

「……っ!」

「うっ……ぅぁああ!? ……ぁあああ!? あ、あがっ……ァ"ア"ア"!!」

「……っ! 腸管(ダルム)を押さえろ!」

 

 暴れるパスの四肢を無理矢理押さえ付けながら、メディックの動きを見守る。

 グチュ、グチョ、と形容し難い、と言うかしたくもない音が耳に纏わりつく。腹部に捩じ込まれたメディックの手を見るに、どうやら今は胃の方向、上腹部を探っているようだ。

 パスからしてみればただの激痛でしか無いのだろう。何せ本来体内にあるべきではない(異物)が、本来あるべき場所にある内臓を掻き分け、押し退けて中で蠢いているのだから。

 

「────ぁああグッ……ゥウアアァァ!! ……アガッ……ぃいアアァァ!?」

 

 1度手を抜き取り、再び腹に捩じ込む。

 今まで以上にパスが暴れ始める。メディックの手の動きから見て、今度は下腹部を探っているようだ。俺達は、暴れるパスの体を押さえ付け、ただただ眺めていることしかできない。

 ……と言うか、さっきから血が噴き出してきているのだが、大丈夫なn────いや、大丈夫ではないな。見るからに。

 そもそも、爆弾を体内に埋め込むとなればそれ相応の“スペース”なるものを作らなければならないはず。下腹部を探るということは、先程の上腹部に爆弾はなかったことになる。

 下腹部に位置する臓器、さらには失っても人間の生命活動に支障を及ぼす可能性が低いもの……────。

 

「……くっ……っ! ……ボス、キャプテン…………」

「あ、ア"ァ"……────」

 

 ────。

 

 やっと終わった。

 スペースの代わりについては、今は考えないことにした。それにしても、パスに比べれば屁でもないのだろうが、いろいろとこちらも精神的にかなりダメージを負った気がする。

 メディックがパスの体内から取り出した爆弾──恐らくC4──をスネークに手渡す。縦横に10cm以上、厚みが4cm以上はある代物だ。

 このサイズのモノが腹部に収まるモノなのか、と一瞬疑問に思ったが、今はそれどころではない。御丁寧に時限式のようで、パスの血で赤く染まった表面が止まらずに明滅している。

 

「くっ……」

「呼吸は大丈夫……アクティブな出血無し、洗浄はいらない……閉腹します。しっかり押さえろ……連続縫合でいく」

 

 すぐさまスネークがハッチを開き、爆弾を外へ放り投げる。パスは気絶したのか、静かに横たわっていた。

 突然の出来事(アクシデント)だったが、無事に(?)爆弾は摘出。俺達に仕掛けられた(トラップ)は無くなったわけだ。…………なのだが。

 

「……寒い」

 

 悪寒が止まらない。明確な命の危機が未だ近くにあることを、俺の勘が雄弁に物語っている。

 残念なことに、俺の勘は悪い予感の時のみ恐ろしいほどに当たる。いや、もう悲しいほどに、と言うべきか。

 案の定運も悪い。特別に悪い。ただし悪運は強い。解せぬ。

 

《────管制、こちらモルフォ01。ハチドリを全て確保。これより……──》

 

 落ち着いて考えろ。

 何かを見落としている──気がする。

 無事パスとチコを救出し、()()()に追撃もなく損害も出ず、帰投できているのだ。特に問題はない。

 

 ────やはり変だ。

 

 落ち着いて考えろ。

 何かを見落としている────確信に変わる。

 (人間爆弾)にされたパスも、腹の爆弾を()()()に発見することができた。無事摘出にも成功したのだ。万々歳である。

 

 ────この悪寒をどう説明する。

 

 何か1本の線が、頭の中で繋がったような感覚になる。

 まるで逃げてください、とでも言っているかのような基地の迎撃、追撃システム。見るからに“何か”ありますよ、とでも言っているかのようなパスの腹部の縫合痕。

 

 ────あからさま過ぎる。

 

 まるでこうなることを予測していたかのような中途半端っぷりだ。迎撃、追撃は運が良かったで済ますこともできないわけではないが、パスはどうだ。爆弾は気付かれ、取り除かれても良いという前提だったのか。

 だが、それだと何のために……────。

 

 俺は、ある1つの“推測”のもと、1つの“結論”を出した。

 

「……錯乱(デコイ)だ」

「……? どうしたんです、キャプテン?」

 

 メディックを無視し、立ち上がる。そのまま、何かに取り付かれたかのようにフラフラと、横たわるパスの足下へ移動する。

 ヒューイと通信中のスネークは気づいていない。残りの2人、メディックとチコが訝しげな視線を向けてくるが、気にしない。────何故だろうな。沸々と怒りが沸いてくる。滅多なことで激昂するような性分ではないと自負するが、これは無理だ。

 そのままパスの囚人服のズボンを、力任せに引き裂いた。

 

「キャプテン!?」

「ちょ……サーペント!?」

 

 当然ながら下着なんてものは着用させられていない。────彼女の女性器、膣口が露になる。

 

「…………」

 

 いけない、と思いつつも、しかし目を逸らしてしまう。膣口周辺は赤黒く変色し、至るところに痣、鬱血が見られた。

 もう、言うまでも無いだろう。遠回しに言う必要も無いだろう。……あの基地で強姦されていたのだ。尋問と言う皮を被った拷問の、“一環”として。

 そして、できればハズレであって欲しいと願っていた俺の推測が、見事に的中してしまったことを悟る。

 

「……はぁ」

 

 膣口と肛門の間──確か会陰(えいん)と呼ばれる部位だったはず──に縫合痕があるのを確認する。

 これが、何よりの証拠。思わず顔を手で覆う。

 

会陰切開(えいんせっかい)……っ!? そんなっ、まさか……」

 

 いつの間にか真横に来ていたメディックが呟く。

 会陰切開────出産を経験した女性ならば聞いたことがあるだろう。胎児が産まれ落ちる時、膣口が無理に裂けるのを防ぐために前述した会陰という部位を予め切る施術を言う。

 まあ、パスの場合は“逆”だろうが。

 

「……頼めるか?」

「頼まれなくてもやります。これは……あんまりだ……」

 

 心底辛そうな表情を浮かべながら、メディックが取りかかる。

 わかると思うが、恐らくパスの膣内にナニカ──まあ爆弾だろうな──が埋め込まれている。まさかこんな場所に、命を産み出す場所に命を奪うモノが仕込まれているなど、()()じゃ気づかない。

 これを思い付いたヤツ、──あの基地の誰か──相当な変人と見た。……と同時に、相当な切れ者だとも。

 

「────正中切開(せいちゅうせっかい)でいく。しっかり押さえろ……」

 

 パスの悲鳴(絶叫)が先ほどよりも小さく感じたのが、せめてもの救いだったと言えよう。

 

 悪寒は、消えることは無かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

《────管制塔。こちらモルフォ01、応答求む……通じません! 回線異常無し……》

 

 スネークが立ち上がりハッチを開く。

 間もなくマザーベースへ到着というところで、謎の回線不通。気にならない訳がなく、パスを2人に任せてスネークの方へ振り返る。

 と同時に、“FAL”が投げて寄越された。

 

「……おい、何すんだスネー……ク…………」

 

 文句の1つ言ってやろうと彼を見やった瞬間、ハッチの向こうの景色が目に飛び込んでくる。

 時刻は真夜中だと言うのにオレンジ色に海面が光り、すぐさま俺に“異常”を知らせてくれた。ハッチで四角く区切られたその光景は、まるで映画のワンシーンかのような、明々と燃える海上プラントの崩れ行く様を俺に見せ付けてくれる。

 スネークの隣に立ち、俺は思わず呟いた。「何だこれは」と。

 

「くっ……」

 

 何だこれは。

 スネークの苦虫を噛み潰したような呻き声を聞きながら、頭の中でもう一度、自身が呟いた言葉を反芻する。

 マザーベースが爆煙を上げ、次々に崩壊していき、我らが仲間のカズ、そして隊員達が、武装した謎の部隊に資材搬入用甲板上で追い詰められている。それが目の前の“現実”だ。

 ──襲撃か。考えられるとすればIAEAの核査察。ヒューイの独断で受け入れてしまった国際原子力機関のガサ入れ。

 

 ────ああ……恐らく、パスのリークを裏付けるためのものだろうな

 

 偽り。裏切り。見事にノセられた訳だ、俺達は。

 ──根源から違っていたのだ。核査察自体がまず嘘。やって来たのは査察団体ではなく武装団体。俺達の核以前に、俺達を真っ向から潰しに来たと見える。

 それに対し俺達は偽装するために兵力を縮小させ、核査察とあって完全に警戒を解いている状況。

 さらにはBIGBOSS(スネーク)と言うカリスマの不在による士気の低下。

 まさに“最悪”の状態でマザーベースは襲撃を受けたのだ。

 

 ────だが、なぜだ。

 何故CIPHER()俺達を潰しに来た? 1度拒絶されたとはいえ、俺達と協力関係──いや、俺達を傘下に付けようと画策していたはずだ。──存在を知られたから? にしても“やりかた”が回りくどすぎる。仮にIAEAを動かすほどの力を持っているのだとしたら、このような“騒ぎ”になる手段に訴える訳がない。それなりに正式な──形だけの正義を振りかざしてやって来るだろう。いったい、何が……?

 よくよく考えてみればパスに対する“仕打ち”も変だ。爆弾を2個も埋め込んでいらっしゃるあたり間違いなく殺す気満々だが、まず爆弾2個という時点でおかしい。俺達に敗北し任務が失敗に終わった“罰”として消されるにしても、このような“方法”は無いだろう。明らかにCIPHERに対し不利になるような行動ばかりだ。────どうせ何らかの形で揉み消されるのだろうが。

 ────奴ら本来の目的に反った、何者かが動き出しているのか?

 

《あれは……ミラー副司令!》

 

 が、現実は状況を整理する時間さえくれないらしい。はっ。意味が判らん。

 

「……クソッ!!」

 

 毒づきながら、スネークと同時にFALで射撃を開始。強烈な震動に腕の筋肉が震え、FALが悪魔と化した証たる閃光(マズルフラッシュ)が目を灼く。謎の部隊に向け、セミオートではないが3、4発ずつ指切りで7.62×51mmNATO弾をまばらに撃ち出す。少しでもカズ達の時間稼ぎになってくれるよう祈りながら。

 

「サーペント、前だ!」

 

 モルフォ01が旋回、ガクンと揺れた機体。思わずハッチを掴み体を支える。カズ達の退路へ回ろうとした時、目の前にヘリが現れた。──もちろん味方ではない。

 UH-1N イコロイ────通称ツインヒューイだ。1970年(極々最近)になって運用が開始された“アメリカ”製新型汎用ヘリである。ハッチは開け放たれ、こちらに銃口を向ける敵兵士が見えた。

 

 まずい。

 

「……っ! スネーク、下がれ!!」

 

 体全体を露出しているスネークにサインをだし、後ろへ退かせる。同時に、モルフォ01の装甲が弾着を知らせる跳弾音を響かせる。

 

「────」

 

 ふざけるな。──そんな“感情”が俺の中を侵し始める。未だにこちらへ射撃を続ける敵。──ふざけるな。そんなんじゃぁ当たるモノも当たらない。

 (ハッチ)に手を掛けそれを2脚代わりにFALの銃身を固定。後部照準調整つまみを覗き込み照星(フロントサイト)着弾点(ポイント)を一直線上に合わせる。

 いただきだ。

 

「──ふぅ……」

 

 お返し、とばかりに発射。今回は単射(セミオート)

 弾道は狙った(ヘルメット)から大きく逸れ、相手の右太股を貫通。不安定なヘリからの射撃とあってか、かなり銃身がぶれてしまったようだ。

 が、太股に着弾したことに間違いはなく、高威力の衝撃波を纏った弾丸が筋肉組織をメチャメチャにしながら貫通したんだろうな、とかかなりグロテスクなことを考えながらもザマアミロと言う気持ちになってしまった自分を嗤う。

 ────駄目だ。かなり怒りに呑み込まれかけている。

 

「……代われ、サーペント」

 

 それを知ってか知らずかスネークが俺を引き下がらせる。ポン、と肩に手を置かれ、ふと必要以上にFALを握り締めていたことに気付く。

 同時に、モルフォ01が甲板上に着陸した。

 

「……メディック、彼女を頼む。チコッ!」

 

 ハッチからスネークが飛び降りるのを横目で確認し、機内の2人へ振り返る。彼らへ新しくFALを手渡すと、チコの表情が驚愕────いや、絶望に埋め尽くされているのに気が付いた。……何となく、察してしまった。

 だが、今は“そんなこと”を兎や角言っている暇はない。状況はいろんな意味で差し迫っている。とりあえず“活”を入れるため、思いっきり頭突きをカマしてやるとしよう。

 

「……っ!?」

「チコ……今度こそ、彼女を護ってやれ。いいな?」

 

 頼むぞ、小さな戦士。

 突如、外から爆音が轟く。──いや。爆発によって生じた衝撃波により一瞬にして鼓膜が麻痺し、轟く、と感じる前に何も聞こえない。

 RPGの弾頭の爆発――厄介な敵だ。現状我が方の総合火力を遥かに上回っている。

 とまあ、そんなことを考えつつ深く頷いた彼に笑って返し、俺もモルフォ01の外へ。

 

 ────ッ!

 

 途端、俺を熱気が包み込む。立ち昇る爆煙と充満する硝煙、僅かな“血”の香りが肺を満たす。

 間違いない。今、MSF(ここ)は戦場と化している。

 俺達の家が、戦場と化している。あちこちを(弾丸)が飛び交い、まるで呼吸をするが如く命が散っていく────己の血と共に。

 ────ああ、やはり……ここは戦場と化してしまった。

 

「……っ……!」

 

 ゴチャゴチャと頭の中を埋め尽くす雑念を振り払う。まずは牽制――敵正面へ弾幕を展開。フルオートで7.62×51mmNATO弾をばらまく。残念ながら照準がどうのこうのと言ってる場合じゃない。なんとか左手で暴れるフォアグリップを押さえ込みながら撃ち続ける。

 先ほどのツインヒューイが目の前で爆炎を上げている。その向こうには多数の敵兵士────RPGを携帯した敵兵士か、射撃姿勢を取っているのが見えた。

 

「来るぞぉ!」

 

 うつ伏せ状態のスネークも同時に撃ち始めているのを視界の端に捉えながら、俺もFALの引き金(トリガー)を引く。

 あのRPGを撃たせる訳にはいかない。確実に2、3人の命と共に他の奴らの行動まで阻害されてしまう。

 

「────っ!」

 

 途端、視界がクリアになる。全てがスローモーションになったかのような、全てを把握しているかのような感覚。

 極限までの緊張感、仲間の命の危機に対する焦燥感。それらが絶妙な割合でマッチし、異常なまでの精密射撃(プレクションファイア)を可能にするのだ。

 一気に3発発射。弾道が目に可視化される。

 一発が左肩、一発が喉を捉えるのが“わかった”。

 

「────ハァッ……」

 

 着弾(血飛沫)を確認、息を吐く。

 スネークが左へ、カズの援護に回ったのを見て、俺は右で抵抗を続ける隊員達の援護へ回った。

 

「──……ぐぁっ!」

「……っ!? ……COVER(カバー)!」

 

 また1人、やられた。盛大に血飛沫が飛び散る。仰向けに倒れた隊員の目は見開かれ、もはや命の輝きはない。着弾点────血が滲み出てきている喉元、出血量から見るに即死だ。コンテナを盾にしてはるいるが、次々に凶弾に倒れていく。

 まさに“戦場”。

 “死”は唐突に訪れる。自身を殺した相手の顔を拝むこともできず、仲間と今生の別れを悲しむことも叶わない。死が、常となる場所────それが戦場。

 俺は、どこか諦めにも似た思いを抱きながら、その光景を眺めていた。

 

「──……っ!? ……キャプテン!」

「馬鹿、集中しろ! 死にたいのか!」

 

 見たところ生き残りは4人。……いや、3人。

 俺は手榴弾(グレネード)を手に取る。迷わず投擲。少しでも時間稼ぎにはなるだろう。

 

「……撤退だ、急げ!」

「しかしマザーベースが……」

「そんなこと言ってる場合か! 早くっ!!」

 

 「MOVE(ムーヴ)!」とサインを出す。最後のグレネードを投げつけ、牽制しながら俺も移動を開始。残弾数が残り少なくなっているのを感じながらもFALで射撃。“道連れ”に3人、撃ち殺してやった。

 ザマアミロ。

 

「……道連れ?」

「────ぐぁっ!?」

 

 俺の左側で、共に囮役を買ってでてくれた隊員の叫び声。

 

「ん"っ!? ……ぐ……いてーよ、クソッ!」

 

 右足を撃たれたようだ。他の隊員達も負傷者を庇う、若しくは自分自身の安全のために精一杯のようで、とても助けられる状況ではない。正直、俺も余裕は無いが、カバーに入る。

 面倒なことになった。敵は目前に迫ってきている。最後方の俺たちが、最も敵の火線に晒されている。被弾は時間の問題だ。

 

「っ!? ちょ、キャプテン! 自分に構わず──いでっ!」

「ベタなセリフを吐くな。だいたいそう言う奴は生き残ると相場は決まっている」

 

 だが諦めるわけにはいかない。如何なる状況であっても、生存の可能性を手放すことはない。

 肩を貸しながらなんとかモルフォ01へ近付く。

 右手でFALを撃ち続けてはいるが、さすがに片手でこの暴れん坊をあやつるのはちと無理がある。面白いほどにぶれまくりだ。

 

「踏ん張れ……あともう少しだ…………っ!?」

 

 突如、足場が傾いた。破損したクレーンが倒れ、甲板をぶち抜いたらしい。──クレーンが倒れてきているのにも気付けないほど、今の俺には余裕が無い。

 ブンブン、と首を振り、余計な雑念を振り払う──余裕さえない。

 

「────っ!」

 

 突如感じる悪寒。

 刹那、全身を駆け巡る激痛。

 ああ────ついに、来たようだ。

 

「がっ!?」

 

 やられた。

 右脹ら脛と右胸だ。思わず倒れ込んでしまった。どうも肺に掠ったようで、口から血が溢れ返ってくる。────気持ち悪い。

 

「キャプテン!? ────うおっ!?」

 

 隊員を、モルフォ01へ向けて思いっきり投げ飛ばす。人間の火事場力、とやらは本当に存在するらしい。ぐえっ、と潰れたカエルのような声を出しながら、隊員はヘリの手前に着地した。今にも死ぬかも知れない状況だと言うのに、思わず笑ってしまう。いや────流石にこれは死ぬ。

 

「────っ! サーペントオオォォ!!」

「おい待てっ! まだあいつが────」

 

 そんな顔をするな、スネーク、カズ。

 もうお前達の声もよく聞き取れなくなってしまった。思ったより傷の“位置”が悪かったようだ。意識が朦朧としだす。もはや痛みさえ感じることができない。只の痙攣なのか、死の恐怖から来るものなのか、手がブルブルと震えている。

 戦場で生きる者としてそれなりに“死”は覚悟していたが、いざそうとなるとやはり名残惜しいものだ。せめてもうちょっとはお前達と過ごしたかったが、どうやらそうもいかないらしい。

 

 ならば────。

 

 窮鼠猫を噛む、とばかりにFALを撃ちまくる。4発撃つと残弾数がゼロへ。FALが無様に息を吐く。もっと根性見せろこの野郎、と八つ当たり。

 咄嗟に甲板上へうつ伏せ、プローン状態へ。手早く最後のマガジンをリロード────と同時に横ロール。血反吐を吐きつつヘリから遠ざかる。

 左腕の力が抜ける。どうも肩を撃たれたようだ。もうほとんど痛みを感じない。アドレナリンの成せる技か、ただ単に神経が麻痺しただけか……だが、問題ない。右手があれば銃の引き金は引ける。少しでも、俺に奴らの狙いが向けられれば上出来。時間稼ぎとしては十分だろう。

 せめて死に行く俺が、生きるお前達の盾になってやる。

 

「────じゃあな」

 

 生きてくれ。

 誰に向けて言ったのかは、つい一瞬前のことだというのにもう忘れてしまった。

 ずり落ちてくるコンテナに吹き飛ばされ、海へ投げ出されたのと同時に俺の意識は闇に埋め尽くされた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【第1章】 歩く“偽り”
こうして臆病な蛇は創出された


 全てには“始まり”がある。

 宇宙、銀河系、太陽系、地球、国、(ひと)、思想、規範────意志(ウィル)……いや、意志(センス)

 これら全てに、始まりは必ず存在する。

 到底、人間的感覚(センス)から見いだすことは不可能に近い、無限の可能性を秘めた始まり(ゼロ)。────そう。始まりは“1”ではない。その遥か以前の可能性(カオス)

 

 世界は(ヌル)から覚醒し──そして0(ゼロ)から生まれる。

 

 世界は、無限の可能性に満ち満ちている。だが可能性故に────世界は脆い。世界は容易く壊れてしまう。滅んでしまう。

 まさに無数の信管を突き刺した爆薬そのもの。その信管(可能性)1つで世界は揺れ動き、怪物(ビースト)が牙を剥く。

 

 全ては、年より達が始めたこと。

 英雄の遺志(ウィル)を、2つの意志(センス)が取り込み独自性をもって解釈し、この危うい世界は動き出す。

 1つの意志(センス)は、他者への尊重、信頼を放棄し、全ての意志(センス)を統一した世界、“内なる世界(インサイド・オブ・ザ・ワールド)”の確立を目指した。

 1つの意志(センス)は、暴走を始めたもう1つの意志(ビースト)の“包囲網”からの解放を望み、西部開拓期の無秩序を求め、誰しもが戦いの中で生の充足を得る世界、“天国に見放された世界(アウターヘヴン)”の確立を目指した。

 ────そう。全ては年より達が始めたこと。……結果的に、世界は破滅へと導かれた。

 たった1人の人間……いや、欲望は肥大化し、テクノロジーを吸収し、いつしか本人さえも自我を無くし、境界線を見失った。必然的に産み出された“代理人”は自我を保った頃の本人が意図し得ない“突然変異”を起こし、世界(けいざい)を操作した。……誰からも気付かれることなく。

 人々は非常に画一的なシステム、仕組まれた単なる規範の上を反復していたに過ぎない。

 極めて単純化された“規範”という神経回路の集団、意志や変革のない“普遍性”は“時代”をも操作し、そして時代は質量の無い新たな世界体型を創出した。

 世界は、人々の知らないところで、破滅していった。

 

 何度でも言おう。全てには始まりがある。……そして、何事も全ては再び繰り返す。新たなる“始まり”を。

 全ては年より達が始めたこと。元凶となった意志(すべて)は閉ざされ、元凶となった不毛な抗争の火種は消え失せ、この波乱に満ちた“過ち”の時代は終わる。

 

 世界は(ヌル)から覚醒し──そして0(ゼロ)から生まれる。

 

 0(ゼロ)から1(ワン)へ。

 この無限の可能性を秘めた世界は、囚われた意志(センス)解放(リベレイション)、喪われた革命(レボリューション)を求めて動き出す。世界は、(アウトサイド)へ向けた自由────フリーダムを手に入れる。

 世界は再び、裸の太陽(ネイキッド サン)を取り戻す。

 

 ────そこに、その世界に、俺の生きていける“居場所”はあるのだろうか。

 たった1人、無意味に生き残って……逝き遅れてしまった俺は…………。

 そもそも俺は、これから何を道しるべに生きていけばいいのだろうか。────いや、そもそも俺は、何を道しるべに生きてきた────?

 俺は……────

 

 ────……蛇は1人で……いや、蛇はもう……いらない

 

 英雄(スネーク)は力なく呟く。その顔は、戦場を生きてきた人間とは思えないほどに穏やかだ。……真の最期が近付くにつれ、“彼女”の、最期の遺志(ウィル)を、その真の意味を、理解する。

 ────お疲れ様。本当に、お疲れ様。

 お前ほど濃密な、生に満ち溢れた、血生臭い人生を歩んだ人間など、世界広しと言えどそうそういないだろう。兵士としての、戦士としての“全て”を求め続けた男などそうそういないだろう。

 ……だからこそ、なのだろうな。俺達が、お前に希望を見いだしたのは。救いを求めたのは。

 お前のためなら喜んで槍にも、盾にもなろう。お前のためなら喜んでこの命を捧げよう。────お前に“全て”を預けよう。

 ────こいつになら、何処へでもついて行ける。そう思えたのは。

 (あいつ)がいつも言っていた。奴は、俺達の希望だ、と。

 大蛇(あいつ)がいつも言っていた。奴が、俺達を救ってくれる、と。

 (あいつ)が言っていた。とても魅力的な男だ、と。

 それほど、お前には人を惹き付ける何かがあった。

 

 ……だが、俺達は……俺は、お前に任せすぎだったのかもしれない。……いや、事実そうだった。

 指揮を経験したからこそ言える。人の上に立ったことの無い人間は、その重圧を知らない。俺自身がそうだったのだから間違いない。俺達は、お前を英雄視し、お前に全てを任せきっていた。……“責任”を、押し付けていた。

 どれ程の重圧を感じていたのかは判らない。お前はそんなことオクビにも出さなかったからな。所詮、人間は他者の感情(センス)を完璧に読み取ることはできない。俺は、そこに甘えてしまった。

 少しでも、それに気づくことができたなら。

 少しでも、お前の悲鳴を理解することが、あの時の俺にできていたなら。

 世界の破滅を免れることが……この多大な犠牲を少しでも減らすことができたかもしれない。

 

 それが、俺の“(過ち)”。

 

 本来、俺にこのようなことを言う資格は無い。そもそも、俺はお前に会うのが恐ろしかった。……お前を見れば、俺は罪の意識に踏み潰され、引き千切られ、滅茶苦茶に蹂躙される気がしたのだ。

 “英雄”としての資格を持ちながらも恐怖に怯え、責任を負うことから逃げ出した俺には、お前に会わせる顔がなかった。いっそのこと顔の皮を全て剥ごうかとさえ思った。

 だが……お前は、俺を受け入れてくれた。崩壊を始めた“俺”を、抱き止めてくれた。

 卑しい話だが、俺がどれ程嬉しかったか、わかるか? 俺がどれ程救われたか、わかるか?

 結局、俺はお前に任せきりだった。けれど、どうしようもなく、嬉しかった。お前が、俺を俺でいさせてくれた。やはり、お前が俺の、“道しるべ”だった。

 

 ────だが。お前がもう、逝ってしまうのなら。……今度こそ俺は何を道しるべに生きていけばいい……? 教えてくれ。俺はいったい何を……────

 

 ────……いいものだな

 

 全てには始まりがある。

 何事も、全ては再び繰り返す。

 

 ────行きましょ

 

 ────……あぁ、あった。俺の道しるべは、自分の思っていた以上に身近にあったようだ。俺の右手を握り締める、暖かく包み込んでくれるこの、美しい手。

 なるほど。お前が俺に言ってくれたあの“言葉”の意味はそういうことだったのか。この手渡された葉巻──2つの内の、1つの意味は、そういうことだったのか。

 “彼女”こそ、俺の道しるべ。俺の、この世界を生きる意味。俺の全て。我が存在理由。この70年という歳月を生きた、我が人生の中で唯一の感情を抱いた人。忘却していたそれを、不器用ながら俺と共に掴もうとしてくれた人。

 ふと見ると、彼女は暖かい笑顔を向けてくれた。その瞬間、俺を雁字搦めに拘束していた(くさり)が、ボロボロに崩れ去っていくのを感じた。

 俺は俺自身の罪を、過ちを、忘れることはない。忘れてはいけない。この残り僅かな生を歩む過程で、それを永遠に背負う。

 この血に汚れた手で。この血を浴びた体で。

 ────けれど、彼女は俺に言ってくれた。私もその荷を背負う、と。私にも、(過ち)がある、と。

 そしてこうも言った。だからこそ、あなたも私の荷を背負って欲しい、と。私の全てを背負って欲しい、と。

 

 あなたとなら、何処へでも行ける、と。

 

 彼女は俺の手からそっと葉巻を取り、それを口に運んだ。慣れた手つきでライターを点火し、葉巻に近付ける。紫煙が立ち昇り、実に十数年ぶりの懐かしい“芳醇な香りに豊かな風味。立ち昇る濃厚な煙はもはや官能的とすら”言える薫りが鼻をくすぐる。

 案の定、彼女は目尻に涙を浮かべながら咳き込んでいた。ケホッ、ケホッ、と口に手を当て、嗚咽を堪えていた。その度に、美しい髪が波打っていた。そんな彼女が、苦笑しながら俺に葉巻を差し出した。

 しばらく──いや、実際はただほんの一瞬だったのかもしれない。俺はその葉巻を見つめ、彼女から受けとり、口に運んだ。

 案の定、俺も目尻に涙を滲ませながら咳き込んだ。それでも不思議と、あの日のように卒倒はしなかった。

 

 ────……いいものだな

 ────ええ。本当に

 

 俺の名は“真実の愛(ザ・ラブ)”。

 ───戦場に於いて、“愛”を見いだした1人。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夢を、見てい()

 夢の中にあってこれは夢だ、と知覚できる状態。知識として聞いてはいたが、実際のところ俺は初めての経験だったので、少なからず動揺していた。

 俺が今まで見てきた夢とは、俺自身の視点で夢の世界を見ているものや、空に浮かぶフワフワとしたナニカとなって夢の世界を見ているというのが常だった。そして大抵、俺自身の意志で、俺自身の体は動いてくれない。あらかじめプログラミングされた設定の中を淡々と動いている感じ。

 だが今は。今見ているこの夢は……明らかにいつもと違う。異常だ。

 まず体と言う感覚が無い。いや、あるのだが、無い。自身の目(目さえ無いのかもしれないが)はしっかりと視覚情報を捉えているし、俺はその光景が見えている。そして自身の体も、動く。あると仮定すれば動く。見えないのだが。感覚で手を顔の目の前に持ってきた、とわかっても、俺が眺める光景には自身の手なるものが映り込まない。まるで自分自身が空気────いや、“空間”そのものになったようだ。うむ。これが最もしっくりくる。

 そして目に見える光景も異常だった。

 見えるのは、1匹の蛇────そして3匹の蛇達。

 

 喰い合っていた。

 

 お互い血みどろになりながら、皮を裂かれながら、肉を喰い破られながら。

 1つの囲いの中で戦っていた。窮屈な囲いの中で、生存をかけ自由を求めて戦っていた。

 囲いを出れば、広大な自由があるにも関わらず。

 

 ────なんだこれは。

 

 既視感……そう、既視感(デジャヴ)だ。

 蛇達の血生臭い争い。不毛な抗争。囲いの中を破滅へと導いていく。やがて2匹の蛇が死に絶え、遺されたのは残り2匹。その両方とも、息は絶え絶えだ。

 やがて1匹が死んだ。最後に遺された1匹は囲いを出た。そして蛇は────自由に生きた。外の世界を、目に灼き付けながら、見届けながら。

 

 やがて最後の蛇も、眠るように終わった。

 

 ────いや。まだもう1匹、いた。

 悲しげに、どこか諦めたように蛇達を眺める、蛇が……。

 

 ────綺麗でしょう? 命の終焉(終わり)

 

 どこからともなく声が聞こえてくる。

 いや、今の俺に体は無い。聞こえてくる、という表現にはいささか語弊があるかもしれない。

 

 ────……切ない程に

 

 特に、驚きは無かった。今や懐かしささえ感じる、とても、聞き慣れた声だった。

 とても、美しい声だった。

 声のする方へ振り向くと、そこには白い蛇がいた。滑らかな鱗に覆われたその白い体は、どこからか光を当てられているわけでもないというのに光輝いていた。

 

 ────あなたはとても優しいわ。……優しすぎる

 

 俺は、ただ魅入っていた。白い蛇に、魅せられていた。

 

 ────彼らを……見守ってあげて……

 

 そして俺は、再び臆病な蛇、毒蛇(サーペント)となった。

 

 

 

 全てには始まりがある。

 何事も、全ては再び繰り返す。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

永久に語られることの無い“真実”

 ────どこからともなく、金属(メタル)が擦れ合う小気味良い音が聞こえてくる。まるで弾丸──それも45ACP弾──が、弾倉(マガジン)から抜き取られるような、小さく些細な音。

 

 相も変わらず、俺は未だに夢の中。

 辺りは先程までの、蛇達の抗争が嘘のように静かである。────いや。先程まで、というのはよくよく考えてみればおかしい。最後に遺された蛇が終わるまで、決して長くはないがそれ相応の“時”が流れていたはず。なのに俺の中の人間的感覚(センス)では、ただの一瞬だったように感じられる。どういうことだ……。

 ふと、先程まで聞こえていた、あの美しい声の主たる白い蛇が見当たらないことに気づく。無い目を動かし、無い首を捻って全周囲を見渡すが、やはり結果は同じ──どこにもいない。何故だろう……無性に寂しい思いに駆られる。もっと、話がしてみたかった。

 かさり、と眼下から音がしたので意識を戻す。見ると、先程の蛇が動き出していた。ズリズリとその身体をうねらせ、終わりを迎えた蛇達の元へと這っていく。

 興味が沸いた。このあとあの蛇がどうするのか、見てみたくなった。

 即断即決、移動を開始。身体は無いのでまさに“視点”のみでの移動となる。と言っても、空間そのものに等しい俺は、一瞬の内に地面──と呼べるのかは判らないが、まあ、蛇達が存在している空間の“端”らしきところへ到達。その蛇の視点から、物事を眺めることにする。

 “彼”が真っ先に向かったのは、最後に遺された2匹の内の、1匹。その身体はまさにボロボロで、至る所を喰い破られ、血塗れだった。唯一原型を止めている頭も、右目を失っている。

 彼は、その様を呆然と眺めていた。いや、彼は蛇だ。何故、“呆然と眺めていた”という人間的行動として捉えたのだろう。……まあ、いいか。

 彼は、迷っていた。自分の命以上に大事なナニカを失い、自分自身に迷い始めていた。

 

 ────どこからともなく、金属が擦れ合う小さくも質量を持った、カチッという音が聞こえてくる。まるで排莢孔(エジェクションポート)から弾丸を込めたかのような……ふむ。この音だとM1911A1(ガバ)……セミカスタムだろうか。初弾を手動で装填(ロード)している辺り、弾倉は装填されていない。────どういうことだ?

 

 不審に思い、辺りを見回すがガバは見当たらない。それどころか銃の姿形さえ確認できない。

 ん? と思った刹那、蛇の背後に“白い蛇”が現れた。……よく見ると、先程の美しい蛇ではない。別の蛇だ。けれど、白い。

 先程の白い蛇を表現するならば、全てを包み込む“母性”に満ち溢れた美しさだ。なら、この白い蛇は……そうだな。妖しげな“愛”に満ち溢れた、とでも言おうか。また一味変わった魅力がある。

 ────突如、“世界”が動き出した。

 抗争により荒れ果てた空間には“大地”が生まれ、海、川、山が形成されていく。そこに植物、動物……ありとあらゆる生命が誕生していく。……何かが足りない。────そう、太陽だ。そう思った途端、“太陽”が3つ、出現した。

 蒼い陽光(かみなり)を放つもの。紅い陽光(じゆう)を放つもの。黒い陽光(とうそう)を放つもの。やがてそれらは混ざり合い、この空間────いや、世界を彩る一部となった。

 

 蛇達はその移り行く様を眺めていた。どこからともなく生命が溢れ出し────はしない。この抗争を生き残った生命達が、番い(パートナー)を形成し、交わり、生殖を繰り返す。お互いの精子と卵子が出逢い、子孫を成し、文化的遺伝子(ミーム)肉体的遺伝子(ジーン)個人的意志(センス)が受け継がれていく。

 だが蛇達は────それが赦されない。いくら交わり、お互いを貪り合おうとも、子孫(M・G・S)を遺すことは叶わない。

 蛇はもう……この“世界”には要らないようだ。

 

 ────まただ。どこからともなく金属が擦れ合う、少々耳にツくガチッ、という音が聞こえてくる。まるで遊底(スライド)が動き装填動作(コッキング)を行い、撃鉄(ハンマー)が撃発可能状態──要するに射撃可能状態になったかのような。

 やたらと具体的にわかってくるのがなんとも不気味だ。けれどそれ自体から“悪意”は感じられない。まあ、大丈夫か。

 

 ────と、まあ、何やら得体の知れない“音”に意識を持っていかれてしまっていた。と言うか今さらだが、このような“夢”は初めてだ。夢とはこんなものだっただろうか。そもそも夢なのだろうか。少し不安になる。

 

 “世界”へ、意識を戻す。そこには、生命の営みが行われている様が────あるのかと思っていたら、違った。

 あるのは“女”の顔だった。女を、見下ろしていた。

 先程までの感覚と違う。身体がある。俺は今、“世界”じゃない。“空間”じゃない。人間として、ここに存在している。今、かなり壮大な発言をした気がするぞ。

 ……ここはどこだ? 見たことも無い場所だ。先程までの生命溢れる世界ではなく、ごく普通の家屋。……どこかの一室のようだ。

 

 ────俺はそこで、一糸纏わぬ“女”を抱いていた。小柄な彼女の、細くしなやかな裸体と汗ばむ肌を交えていた。部屋中にねっとりとした、絡み付くような熱い空気が立ち込め、結合部は汗と愛液で蕩けきっていた。──ただ純粋に、さながら絡み合う蛇のように、お互いの身体を求め(貪り)あっていた。

 

 ────……ん? ……んん?

 

 張り詰めた糸のようにピンッと彼女の背筋が戦慄く。

 ふるふる、と震える睫毛。汗に濡れ薄紅をさしたかのような頬。熱い吐息と共に甘い嬌声を溢し続ける、妖しく艶やかな唇。

 

 ────……なんちゅー夢を見ているのだ、俺は。

 

 “彼女”を抱いている“俺”が、じっ、と顔を見つめているのに気付いたのか、伏目がちに顔を背ける。……こいつ…………可愛いぞ。その仕草すら気に入っているのか、“俺”は延々と彼女の横顔を見続けていた。

 しばらく続く、根比べの時間。未だに“熱”は冷めない。“俺”の身体を走り廻っている。────彼女も然り、笑える。

 “お互い”が熱を持ち、熱く脈打っている。まだ足りない、もっと欲しいとでも言うかのように。

 ────熱い。熔けそうだ。

 根比べはやがて終わった。顔を逸らしていた彼女が、うっすらと開けた瞼から覗く、生理的な涙に濡れた双眼がチラリ、とこちらを見たのを確認。それを待っていた“俺”なわけで、バッチリ目が合ってしまう。見る見る彼女の頬が朱に染まっていき、文字通りりんごのようになってしまった。

 

 ────……まあ、悪くはないか、な……?

 

 謎の達成感に包まれる“俺”。口元がゆるゆると弧を描くのを止められない。いざ、尋常に……と、さらに奥深く、覆い被さろうとした瞬間、彼女がぎこちない身のこなしで、さながら蛇の如く“俺”の首に両腕を絡み付ける。ん? と“俺”が呆気に取られているのをよそに、彼女は動いた。

 

 ────……なんだ、この女……。

 

 響くリップ音。唇と唇が軽く触れ合っただけの、甘い接吻。顔が僅かに離れ、彼女のしてやったりザマァミロ的な笑みを間近に見て、やられた、と思わずにはいられなかった。

 ──それも束の間。彼女は、その美しい髪を掻き上げた。実に煽情的で、雄の“欲”を的確に刺激してくれる。口から溢れる甘く、熱い吐息が鼻腔を擽り、まるで媚薬を吸ってしまったのかと錯覚するほど“俺”の熱を燻ぶらせる。必死に冷静を装いながら彼女を見つめていると、その艶やかな、未だに甘い吐息を溢し続ける唇がゆるゆると弧を描き始めた。ちらり、と視線を上げる。そのとろんとした魔性のナニカを秘めた目と視線が交錯し、“俺”は文字通り目を奪われた。──ははっ。こいつには敵わない。

 “俺”も笑った。にやり、と口角を釣り上げる。ほぼ無意識に、右手を彼女の頬に添えていた。そのきめ細かい肌がなんとも心地好い。────彼女も同じように手を添えてきた。やがてそれが後頭部へと伸びる。

 ────愛おしくて堪らない。どうしようもないほどの“感情”が“俺”の心を満たす。もっと近くにいたい。──そんな思いからか、“俺”は彼女の額に己のを接触させる。目を瞑りその感触を楽しんだ後ゆっくりと目を開ければ、そこには美しい彼女の笑み。その双眼が“俺”だけを映してくれているのが、なんとも言えないほどに嬉しかった。

 彼女が目を瞑る。今度はゆっくりと唇を重ね合わせ、さらに奥へと進む。

 ────……本当に、敵わない、な。

 

 ────どこからともなく、金属が擦れ合う、ジャキンッ、とかなり耳障りな音が聞こえてくる。そう……まるで遊底を引き、同時にエキストラクターがリムに引っ掛けられ、引っ張られた薬莢がエジェクターと衝突し排莢孔から弾き出されるという、要するに“排莢”の動作状態にあるガバ独特の“音”…………。

 

 

 

 ***

 

 

 

「────……っッ!!?」

 

 あの甘い夢は何処へやら、俺の意識は一瞬にして“現実(リアル)”へと引き戻された。

 

「……ふむ。やっと起きたか」

 

 未だにボヤける視界の端に映り込む人影。徐々に、徐々にはっきりとしていく。

 

「おい。寝ぼけるのも大概にしろ。いつまで“ソレ”を私に向けるつもりだ」

「……ん?」

 

 変だ。右腕の感覚が無い。だが視界には朧気に映り込んでいる。──彼女に向けて伸びているのが気になるが。

 やっと視界がクリアになる。同時に戻る、右腕の感覚。……うむ。マカロフ──P(ピストレット)B(ベッシュニィ)/6P9セミオートマチック拳銃──を握っているぞ。何故だ。

 

「まったく……今日はZEKE(ジーク)のAIの調整を行うと予め言っておいたはずだが? それに実戦部隊隊長のお前の意見を取り入れたいから付き合って欲しい、とも」

「…………」

「おい、聞いていたのか。いい加減ソレを下ろせ」

 

 そう言って足を組み直すのは、MSF研究開発班 AI(自律思考ユニット)開発主任ストレンジラブ博士。

 グレーのベリィショートが清潔感を漂わせ、ぴったりとしたスーツにネクタイと相まって知的(ミステリアス)な雰囲気をも醸し出している女性だ。大きめの黒いサングラスはその目を隠し、本人の真意を読ませ辛くしているのも拍車をかけているかもしれない。

 基本的にこいつは愛想がない。それに無口だ。けれど口元にあるほくろは何故かチャーミングに見えるのが悔しい。解せぬ。

 そして真意の程は定かではないが、彼女を注視しているとだんだん“百合”の花が見えてくるそうだ。まれに耳に入る、女性隊員の「視線を感じる」という苦情と何か関係しているのだろうか。

 

 彼女は手に持った弾丸──45ACP弾──を弄りながら、優雅にコーヒーを嗜んでいた。その傍らにはM1911A1 CT(カスタム)────ガバがある。MSFに通常配備されているハンドガンの1つだ。先程までの、夢の中で聞こえていた“音”の正体は、彼女がそれを弄っていたものだったのか。そんなことを思いつつ、俺は恐らく反射的に構えてしまったのであろうマカロフを引っ込める。

 ……弾丸を弄りながらコーヒー、というのもなかなか異常な光景だが、まあそれは置いておこう。俺が今言いたいことはただ1つ。

 

「……さて博士。1つ、問題を出そう」

「構わないが」

「ん。じゃあ遠慮なく。……ここは何処でしょう?」

「お前の部屋だろう? 何を馬鹿なことを」

「判ってるなら今すぐ出ていけ。さも当然のように俺の個室でコーヒーを飲むな」

 

 ふざけるんじゃない。いつから俺の部屋は出入り自由になったのだ。そんなことを許可した覚えは無いぞ。

 

「スネークの許可受諾済みだ。何の問題も無い。因みに、鍵は自分で開けた」

「スネーク! 誰かスネークを呼べっ! MSFの管理体制に異議を申し立てるぞっ!」

 

 おいストレンジラブ、何だその顔は。何故お前が悲しいものでも見るかのように顔を歪ませている。お前、目がサングラスで隠れているからってお前の感情が完全に判らない訳じゃ無いのだからな。

 

「いいから落ち着け。いい大人がみっともないぞ。発情期か?」

「お前俺の夢見たのか? なんちゅードンピシャな質問を……」

「…………」

「おい。無言で距離をとるな。胸を腕で覆い隠すな。お前そんなキャラじゃないだろう」

 

 まったく、心外極まりないぞ。猿じゃあるまいに。

 

「とにかく、早く準備しろ。私はこれから医療班にピルを処方してもらいに行く」

「俺を孕ませの悪魔かなんかと勘違いしているようだな」

「はっはっは。冗談だ」

 

 コーヒーを飲み終えた彼女は、側のデスクにカップを置き去りに立ち上がった。ヒラヒラと手を振りながら、俺の部屋を出ていく。

 随分と表情筋の使い方をマスターしたようだな、と失礼をことを考えつつ、モソモソとベッドから抜け出す。名残惜しさを感じつつもそれを振り切り、手早く身支度を整える。むっ。あんな夢を見たのだというのに我が息子は元気が無いな。彼女が起こしに来た(来た、という時点でおかしいのだが、まあそれは追々問い詰めておこう)訳なのだから、時間帯は恐らく朝方。男特有の生理現象、アサダチなるものがあってもおかしくない気がするが──などとは思わん。そもそもアサダチとは性的な夢となんら関係性は無いのだ────メディック曰く。まあ、さっき言った通り彼女が起こしに来たのだから時間帯は朝方というのはあながち間違ってはいないだろう。

 しかし眠い。眠すぎるぞ。昨日は実戦部隊の兵器損傷率、隊員の死傷者数等の被害報告書、その始末書を作成する事後処理が予想以上に長引いてしまい、床に着いたのは確か2時半頃。果てさて、現時刻はいかほどに…………。

 

「3時13……分、だと……?」

 

 うむ。1時間も寝ていなかった。

 

「博士っ! 何故起こした!?」

 

 惜しい……実に惜しいぞ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「────……よし。音声認識能力を用いた連携(コンビネーション)動作(アクティブ)思考回路の学習を開始しろ。指揮系統は先程指示した通り。任務中は“現場にて最高指揮権限を持つ者”に一任する。いいな?」

ZEKE(ジーク)了解》

「これでよし」

 

 ZEKE格納庫の片隅、AI調整室にて、ストレンジラブ博士に入れてもらったコーヒーをぐいっ、と飲み干す。もう何杯目か忘れてしまったが、かなりの量を飲んだと自負しよう。果たしてカフェインは俺の眠気覚ましに役立ってくれるのだろうか。

 

「……博士。いい加減話してくれ。何故こんな時間にZEKEの調整を?」

「簡単なことだ。面倒だからさ」

「……ヒューイか」

 

 はぁ……、と思わず溜め息が出る。

 

「昼間に行うと必ず私の後を付いて回ってくるからな。はっきり言うと邪魔でしょうがない」

 

 えらく酷い言われようだ。彼女に並々ならぬ好意を寄せているヒューイが聞いたら舌を噛み千切って自殺を図るかもしれんな。

 

「それはあれか。好きな子にほど辛く当たってしまう小学生的な──ってちょっと待て。さり気無くガバにサプレッサーを着けるな」

「ん? ああ、すまん。手が勝手に、お前に銃を向けて引き金を引こうとしていた」

「ある意味病気だろ、お前」

「盛大なブーメラン発言だな。お前に言われる筋合いはない」

 

 ……というか何処からガバを取り出した。

 

「──しかし、彼らの言っていたことは本当だったな」

「何がだ?」

「一科学者として、このような矛盾した発言をしたくはないのだが……1度眠ると自分が決めた時間までは何をしようとも“絶対”に起きないお前を、“絶対”に起こせる方法、と言ったところだ」

 

 ……なるほど。スネークやカズ辺り、付き合いが長い連中の入れ知恵か。

 

「……やっぱり、ガバを“弄っていた”のはお前だったか」

「見事な反射神経だ、サーペント」

 

 わざとらしくヒュウッ、と口笛を吹いてくる。お褒めに預かり光栄ではあるが、できれば起こしてほしくなかったものだ。……2つの意味で。

 

「はぁ……」

「どうした。辛気臭い顔をしているな」

 

 そりゃあこんな夜中に叩き起こされれば溜め息の1つや2つつきたくなるものだ。今回は別の意味で、だが。

 

「ん。まあ、何が言いたいのかと言うとだな。いい歳した女が1人で男の部屋に上がり込むもんじゃないってことだ」

 

 まったく。俺のような紳士じゃなく性欲をもて余した雄だったらどうなることやら。

 

「安心しろ。暴漢対策用にスタンロッドを常備している。私独自(オリジナル)改造(チューニング)した、な」

「マジかよ」

「なんだ? 誘っているのか?」

「このアマ……しまいにゃ襲うぞ」

「まあ、お前なら悪い気もしないが」

「おっとすまん。ちょっと耳鳴りが……」

「まあ、お前なら悪い気も──」

「せっかく誤魔化したのにリピートするな。お前レズっぽく見えてそういうところはちゃっかりしてんのな」

 

 ま、まさか……バイなのか? 両方イける口なのか? ここここういう時こそ動揺を悟られてはならない。俺は必死に無表情をつつつ造り出す。

 

「どちらも同じようなものだろう。お互いありのままの姿でくんずほぐれつニャンニャンするだけ──」

「判った。もういい。もう勘弁してくれ。俺の中のお前という像が音を立てて崩壊している」

 

 呆気なく我が無表情は崩壊。無理矢理会話(と呼べるのかは置いておく)を遮り、はぁ……、と溜め息をまた1つ。椅子の背もたれに身体を預けんん、と背中を伸ばす。書類の散らばったデスクを挟み斜め前に腰掛けたストレンジラブ博士が、ズズ……、とコーヒーを啜る音が聞こえた。

 目を開ければ、そこにはメタルギアZEKEの全容がある。稼働していない今の静かな状態であってもその驚異的な威圧感は健在で、実際、紛争地帯で俺達とアイツに出会ってしまった敵はどんな気持ちになるのだろうか。──まあ、想像に難くない。始めは驚愕だろう。このサイズの兵器が恐るべき速度で変態機動を行うのだから。やがてそれは絶望に変わり、戦意を削ぎ落とし、終いには生への執着をも放棄させてしまう。

 AI搭載汎用換装2足歩行戦機メタルギアZEKE。MSF(俺達)の守護神と呼ぶべきに相応しい存在だった。

 

「……すまんな。お前の技術を殺戮兵器の強化のためなんかに利用してしまって……」

「気にしてなどいない。科学者は昔から利用されるのが常だ。いや、利用されるからこそ科学者は存在できる。その“利用”の意味が、科学者にとって善か悪かは関係無い」

「割りきってるなぁ……」

「そうでもしないとやっていけないさ。所詮、科学が生み出すものは要求(ニーズ)に翻弄される。産まれた物は、産みの親が意図し得ない方向に利用されていく……。ダイナマイト、飛行機、ロケットなんかは良い例だ。……その点、MSF(ここ)は良い。資金、資材、人材……何にも困ることが無い。私は研究に好きなだけ没頭できる……かえって贅沢過ぎるくらいさ」

「ならいい」

 

 いつの間にか注ぎ足されていたコーヒーに感謝しつつ、先程からずっと気になっていたことを尋ねた。

 

「博士。お前何日寝てない?」

 

 声に張りが無い。心なしか肌も荒れているように見える。

 

「……はぁ。お前には隠しても無駄か」

「何でもお見通しだ」

「3日は寝てないな。後は覚えていない」

「華麗にスルーしたな」

 

 3日、か。流石は科学者と言ったところか。どうせ理由を問い正せば、研究に没頭すると時が経つのを忘れていた的な、ありきたりな理由を臆することなく宣って来るのだろう。やはり、彼女は科学者だ。

 しかし、矢鱈と口数が多いところ、彼女らしかぬ発言の数々……やはり少なからず疲れているのだろう。疲れているから、という理由にしてくれ。

 

「少しは休め。寝不足は美容の大敵だ」

「寝不足イコール美容の大敵となる根拠を示してくれ」

「知らん。適当だ。そもそも興味がない」

「……はは。お前らしいな」

 

 そう言うと彼女は立ち上がった。サングラスを取り外しスーツの襟元に引っ掛け、俺の部屋を出た時と同じように手をヒラヒラと振りながら去っていく。

 やはり、サングラスを外すと彼女は綺麗だ。文句なしに。特に目が。……サングラス、外せばいいのにと思ってしまうのは俺だけではないだろう。何となく、ヒューイが惚れるのもわかった気がした。

 

「お言葉に甘えて少し休むことにするよ。……お休み、隊長(キャプテン)

「ああ」

 

 なかなか珍しい物が見れた。夢から叩き起こされたのは残念で仕方が無いが、今さらどうこう言って変わるものでもない。

 ……ん? どんな、夢だったか……? ……ああ、これはもう思い出せないパターンだ。あともう少しで記憶の扉が開きそう……っ! とか思いながらも絶対に思い出せない、質の悪い奴。思い出せないもどかしさのみ、募っていく。

 

「……寝るか」

 

 はぁ……、と溜め息を溢しながら立ち上がり、最後のコーヒーを飲み干した。カップを適当に水洗いし、いざ、俺の部屋へ。格納庫を出る時、ZEKEにお休みと声をかける。何やってるんだ、俺。

 

「……百合が見えてきたことは黙っておこう」

 

 後日彼女が、風邪を引いた16歳のいたいけな少女を襲っているという場面に直面し、ある種の恐怖を感じてしまうのはまた、別のお話────で済まないのがここMSFクオリティなのである。解せぬ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 その日から、ストレンジラブ博士とのAI調整作業は滞りなく進んでいった。AIは学習を繰り返し、時にスネーク、カズ、実戦部隊の面々とシミュレーションを交えながらその熟練度を上げていき、現地運用可能状態まであと一歩といったところだ。それこそ、ZEKEに搭載予定の核と双璧を成す、第2の抑止力と呼称しても遜色ないほどに。

 と言っても、もともとZEKEを頻繁に現地へ派遣するつもりは無い。こんな近未来的(オーバーテクノロジー)ばりの兵器をホイホイと紛争地帯(公衆の面前)に晒そうものなら、いろいろな意味で後々面倒になることは目に見えている。

 そこそこ名の売れ始めた俺達MSF故に、様々な諜報機関が“動き始めている”ことは我が諜報班の報告より主要メンバーは勿論、MSF周知の事実だ。現時点ではそこまで重要視されているわけでは無いらしいが、目を光らせていることに変わりはない。俺達が“奴ら”の目に「海上に居を構えた、通常戦力を保持する傭兵(軍事力)派遣会社」と写っている今だからこそ動きが表面化していないだけで、そこにもし、ZEKEのような機動戦機の存在がバレてしまえばもう……うむ。考えるだけで面倒なことになる。

 一気に俺達を危険視した奴らは、あの手この手を使って“全て”を手に入れようとしてくるだろう。急速に──それこそ異常な速度で──ここまで発展した俺達とはいえ、誕生から二桁の年数も経っていない赤ん坊のような組織だ。奴らを相手取るには少々厳しいものがある。

 とまあ、その旨はスネーク達には伝えてある。あいつらもその事は危惧していたらしく、MSF上層部の間ではZEKEの取り扱いについて取り決めが行われた。まあ、結果は言わずもがな、“慎重”だったわけで、こいつが陽の目を浴びるのはいつになることやら。

《────管制。こちらホーネット04、応答求む》

《──こちら管制。感度良好、西側からヘリポートに向かってくれ》

 

 とまあ、そんなやり取りがあったのが今から約1週間程前だ。ヒューイが「お願いだ、サーペント……僕から彼女を奪わないでくれぇ!」と今にも立ち上がるのではないかと思わせる程の剣幕で、隣に“彼女”がいるにも関わらず詰め寄ってきたのはいつだったか。そもそもいつお前のモノになったんだ、とか、そもそも何故俺とストレンジラブ博士が既にデキている前提で話を進めているのか、とか、そもそも……と突っ込みたいところは山ほどあったのだが、涙混じりに訴える彼の形相にただただ「何もないナニもしてない」と答えるしかなかったのは記憶に新しい。「何を言っている、サーペント。お互いくんずほぐれつニャンニャンした仲だr──」と口元だけ笑いながら宣いかけた彼女の口を、一拍遅れて我に帰った俺が塞いだのは忘れたい。……だめだった、あのストレンジラブ博士の心底楽しんでいるのが丸わかりな笑みと、ヒューイの絶望を具現化したかのような表情を忘れるのは恐らく無理だ。

 

《──あぁ、ホーネット04、ちょっと待った。現在離陸を開始しているヘリがある。待機してくれ》

《了解だ》

 

 はぁ……、と思わず溜め息が出る。せっかく任務が終わり、マザーベースに帰ってきたのだと言うのに気分はあまり晴れない。

 

隊長(キャプテン)、どうした? 溜め息なんてついて」

 

 気遣いの言葉を発しながらも、その手に持つ書類から目を離していないこの男は、今回の任務に同行することになった人物、コードネーム:タイガーだ。

 様々な“能力”を持つ隊員達で構成されるMSF。その中で戦闘に於ける特性が高い者、とスネークが振り分けた、いわゆるMSF実戦部隊をさらに振り分けた内の1つ、α(アルファ)チーム部隊長を務める男だ。銃器の性能を最大限に活かす能力に長けており、常に冷静沈着、統率力も申し分なく、チームのメンバーのみならず“仲間”との信頼関係も厚い。これと言った欠点が見当たらない、とても優秀な兵士だ。

 

「……せめて心配してるんだったらもう少し態度で示して欲しいもんだ」

「申し訳ない。報告書の作成に手間取っているんだ」

「マジメだねぇ……」

「言っとくが、実戦部隊の報告書だ。勿論あんた宛てだからな」

「よし、タイガー。今すぐその書類を寄越せ。海に投げ捨ててやる」

 

 曲がりなりにも実戦部隊隊長なんてやってる俺だ。デスクワークもそれなりにあるわけで、いつまでもトリガーハッピーやってる訳にはいかないのだ。あぁ、面倒くさい。だがサボるとカズがうるさい。ので、さらに面倒くさい。

 

《──こちら管制。ホーネット04、着陸を許可する。ヘリポート上へ進行せよ》

 

 今回の任務──と言うか、新たな“顧客”との契約締結のための出張だったわけだが、結果はなかなかのデキだ。これに免じていろいろと多目に見て貰えないだろうか。

 …………無いな。マジメにやるしかないか。

 

 

 

 ***

 

 

 予想外のダブルパンチに打ちのめされ、俺は暗いオーラを纏いながらヘリポート上に着陸したホーネット04を降りた。律儀にも敬礼付きの出迎えをしてくれた隊員達に休むよう合図し、手渡された書類に目を通していく。

 ……ふむ。特に目立って変わったことは無いようだな。新たな入隊希望者が3名、兵器戦力増減率が、ヘリはパーセンテージ5%上昇、陸上兵器7%上昇、海上兵器4%上昇、か。いい傾向だ。逆に延びすぎとも言える。

 

γ(ガンマ)チームが、紛争地帯で遭遇した敵戦力の無力化に成功したそうです。ミラー副司令も大喜びでした」

「現金な奴だ……」

 

 γチームか。実戦部隊全チームの中で、敵“戦力”の確保数が頭1つ飛び抜けているチームだ。何でも、俺達が海上プラントに住み込み始めて間もない頃、スネークが1度カズを実戦部隊に配置したとき特に“可愛がられた”チームの1つらしい。……奴に、徹底的にビジネスを叩き込まれたと見える。

 まあ、タダで戦力が増強されるわけだ。万々歳である。

 

「……ん?」

 

 気になる項目があった。医療班からの報告だ。

 

「おい、医療班に世話になってる奴がいるな。怪我人でも出たのか?」

「あぁ、それはそういう類いのものでは無くてですね。風邪を引いちゃったんですよ、パスが」

 

 ……パスが風邪を、か。珍し──くもないか。人間なのだ。誰だって風邪を引くことくらいある。

 気になったのはその被害だ。ただの風邪ではなく感染力の強い病気などであれば、現在人員が増加傾向にある狭いマザーベースだと瞬く間に拡がってしまうだろう。パスには申し訳ないが、それ相応の処置なるものはしたのであろうか。

 

「──あ、今のところ伝染った、という報告は聞いてないです。本当にただの風邪だと思われます」

 

 苦笑しながら隊員──コードネーム:エレファントが俺の心中を察してくれたようで、まさにドンピシャな返答をしてくれた。

 エレファントなどと物々しいコードネームではあるが、こいつは女だ。カズ曰く「ここにいるには勿体ないほどの美人」である。実際のところかなり美人だ。顔立ちも綺麗に整っているし、胸もそれなりにある。日々の訓練のおかげで筋肉はついているが、それでも女性特有の柔らかい、色気を備えた肉体を持つ。一時期カズと関係があったらしいが、本人は遊びのつもりだったようだ。エレファントもそれを了承しており、特に深入りはしない、いわゆる“大人の関係”だったと、彼女から話を聞かされたことがある。────他人の色恋沙汰を聞かされるこっちの身にもなってほしいものだ。と言うかカズ、少しは慎みを覚えろ。あいつ他の連中にも手を出していただろ。

 

「ならいい。いつからだ?」

「一昨日からですね。隊長(キャプテン)が出発してから1日後です」

「メディックの診断は?」

「そのメディック、私です。本当にただの風邪だったので、熱冷ましと一緒に、3日も寝てれば治ると診断しました」

「わかった」

 

 こんなことを言ってはいるが、彼女はタイガー率いる実戦部隊αチーム所属の隊員だ。どんな兵器も使いこなすオールラウンダーな兵士であり、俺も一目おいている優秀な人材である。さらには医学を少しかじっていたそうで、その気になれば医療班をもこなせるという、まさに“何でもできる”美人だ。……ずるくないか?

 

「……はぁ」

 

 ……む。なんだエレファント。今、露骨に溜め息をついたな。

 

「そこで『よし、見舞いに行ってやるか』の1つや2つ言えないからキャプテンはダメなんですよ……。ボスやミラー副司令とは大違い」

「……む」

 

 いや、それくらいわかってはいるんだ。ただ、今俺には山積みになっているであろう自室のデスクワークのことしか考えられないだけで、決して心配じゃない訳ではないんだ。

 ……いや、ここで言い返しても、「それくらい放っておいてもしてやるのが云々」彼女に言い返されるのは目に見えている。ここは素直に、彼女の遠回しなパスへの心遣いを汲み取ってやるとしよう。

 

「……はぁ。わかった、パスの見舞いに行こう」

「そうこなくっちゃ! 私もついて行ってあげますから、勇気出してください」

「あのな……」

 

 なるほど。彼女を見舞いに行く大義名分を手に入れたかった訳か。意外なところでシャイなんだな、こいつ。

 利用されている感が否めないが──事実利用されているが──まあ、彼女の仲間を思いやる気持ちに嘘偽りが無いことも了承しているので、特に怒ることもない。

 

「じゃ、キャプテン。俺はこれで。パスにはよろしく伝えといてくれ」

「タイガーてめぇ」

「だって面倒くs──俺も報告書の作成に忙しいんだ。まあ、あんた宛てだけどな」

「今再確認した。俺はお前が嫌いだ」

「安心しな。俺もあんたは嫌いだ」

 

 バイビー、と手を振り振り、タイガーは去っていった。

 

「いつも仲良いですねぇ、2人とも」

「……はぁ。あれで付き合いは長いからな」

 

 さて、パスの見舞いに行くとしようか。

 

 

 

 ***

 

 

 

 所変わってパスの自室前。俺達2人はその目の前で立ち往生を余儀なくされた。

 

「──さて。エレファント、1つ問題だ。……真っ昼間から男の俺が女の個室に上がり込むのは、モラル的に不味いんじゃないか?」

「デリカシーの欠片もないキャプテンが今さら何を言い出すんですか」

「あのな、だったらお前が先に行けばいいだろう。俺の背中にピタッとくっつくな」

 

 まったく。妙なところで初心(ウブ)なのがよくわからん奴だ。背中に何か当たってるしな。わざとか? わざとなのか?

 

「いや、何と言うか、私が診断した手前、妙に顔を合わせ辛いと言うか……」

「ガキかお前」

「う、うるさいですよっ!」

 

 おい、動くなエレファント。背中で感じる柔らかい感触が物凄いことになっているんだぞ。……あ、これはこれで役得か。いいぞもっとやれ。

 

「──や、ちょっと……」

「……ん?」

 

 今、室内から何か聞こえたな。背中でムキー! 状態のエレファントのせいではっきり聞こえなかったが、恐らくパスの声だ。室内に誰かいるのだろうか。

 

「……ちょっと離れろ、エレファント。どうやら先客だ。また出直そ──」

「やってやりますよ。私が開けてやりますよ。キャプテンのバーカ!」

「いや、ちょ、まっ──」

 

 ガチャリ。備え付けのインターフォンがあるにも関わらずドアノブへ真っ先に手を伸ばしたエレファント。虚を突かれたせいか、俺の反応が1歩遅れてしまい、パスの個室のドアが開け放たれるのを許してしまう。──何故、鍵がかかっていなかったのだろう。

 ────同時に、物凄いモノを見てしまった。

 

「いや、だからその……ぅ、っ……」

「大丈夫、力を抜いて……」

「あっ……」

 

 見えたのは女2人の姿だった。1人は見慣れたスーツ姿、もう1人は白のジャージ姿。──何故だろう。目に見える光景と共に矢鱈と思考がゆっくりになった。

 言うまでもなく、前者はストレンジラブ博士、後者はパスだ。……2人はベッドの上。パスが仰向けに、その上からストレンジラブ博士が覆い被さるように体を密着させてている。博士がパスのジャージの胸元をはだけ、何かを押し付けているように見える。パスはと言うと、風邪による熱のせいか、はたまた別のナニカのせいか、その頬は程好く上気しておりほんのりと赤い。……うむ。正しく現状を認識できたようでなによりだ。

 これはあれだ。博士が言っていた「くんずほぐれつニャンニャンする」と言う奴ではないか。普通は異性同士でするものと思っていたが、どうやら俺の常識が非常識だったようだ。これからは認識を改める必要があるな。

 

 ────と、俺の脳がここまで思考した瞬間、身体がとった反射的行動は3つ。

 

「」

「」

 

 思考を放棄。

 そしてエレファントとお互いの目を器用に手で覆い、パスの部屋から退散することだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ズズッ……、と紅茶を啜る。普段はコーヒーを飲んではいるが、今日はわざわざエレファントが紅茶をいれてくれた。ティーカップから口を離し、立ち昇る湯気と共に香りを楽しむ。……ん。いいな。コーヒーとは違った、上品な──決してコーヒーが上品ではないという意味ではない──香りだ。確かリラックス効果があるとか無いとか、そんなことを聞いたことがある。今の俺の……いや、俺達の精神状態には丁度いい。これからは紅茶もまたよし、か。 

 

「……紅茶、美味しいですか……?」

「……あぁ」

 

 ちなみにまたもや俺の自室だ。今さらだが、みんなガードが緩くないか? ホイホイ他人の部屋に上がり込むものではないだろう。……だが決して、甘い空気が部屋に漂っているとかそういう訳ではない。むしろ真逆。真逆と言ったら真逆なのだ。

 ふぅ、とティーカップを机に置く。若干伏目がちなエレファントと視線が交錯。……ふむ。いいか、エレファント。せーのっ、

 

「「マジかよ」」

 

 完璧。アイコンタクトのみの完全なる連繋。

 

「いや、え、ちょ……え?」

「安心しろ、エレファント。俺もかなり動揺している」

「博士が“そっち”の人かもって噂は聞いてましたけど……いや、ちょ、え?」

「落ち着け。無理だろうが落ち着け。……砂糖、どのくらいだ?」

「あ、もうドバァーでよろしくお願いします。激甘いきます」

 

 彼女の要求通り、砂糖をドバァーと入れてやる。最初の内は紅茶に溶けていくが、やがて許容範囲を超えた砂糖がティーカップの底に溜まっていった。

 ありがとうございます、と彼女は言うなりそれを口に運ぶ。……案の定咽せた。

 

「ケホッ、ゲホッ、ウエェェ……甘過ぎぃ……」

「だろうな。見ろ、砂糖の層ができてるぞ」

 

 だが、そのおかげで現実逃避から我に帰ったらしい。バンッ、と両手で机を叩くと立ち上がる。

 

「いや、あれはダメでしょ!? 思いっきり襲ってましたよね? パス襲われてましたよね!?」

「あぁ。博士が纏う雰囲気は紛うことなきガチレズだった」

「いや冷静に分析してる場合じゃないですよね!? ボスとキャプテンがホモォしてる並みに衝撃的でしたよ!?」

「あのな、ホモは正確には同性愛という意味であって、決して男と男のアレをアレすることを限定的に指している訳じゃ──」

「だから冷静に分析すな! 遠い目をしないで下さい帰ってきてキャプテン!」

 

 何を言うのだエレファント。俺はいつも通り正常だ。

 

「ダメだ……私だけでも何とかしないと……っ!」

 

 さあ、書類整理が山積みになっている。今日も張り切るぞっ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 とまあ、そんなことがあったわけで、現実逃避を名目に書類整理に没頭すること数時間。気付けばあれほど嫌だったこの仕事は完璧に片付いており、時刻は既に22時を過ぎた頃。冷めた紅茶をぐいっと飲み干し、俺は席を立った。

 

「……パス、無事だろうか」

 

 色々な意味で無事だろうか。救出に向かったエレファントもあの時から報告はないし、手持ち無沙汰になった俺は何故か、無性に気になった。

 

「はぁ……」

 

 ま、まあ、他人の色恋沙汰など人それぞれだ。異性を恋愛対象と見れず、同性にそれを求める人々も存在することは前々から知っていたことだ。……見るのは初めてだが。それに俺のような部外者が口を挟む権利は無い。そう、俺達は国境なき軍隊なのだ。まさに性別をも超越した軍隊に変わり──

 

「そんなことがあってたまるか」

 

 いかんいかん。また現実逃避に走っていた。未だに動揺が残っている。

 はぁ……、と溜め息をまた1つ。途中、何人か隊員とすれ違い敬礼を交わすというやり取りを経て、パスの部屋に到着した。

 

「……パス、いるか?」

 

 コンコン、とドアをノック。一拍置いて「……サーペント?」と彼女のくぐもった声がドア越しに聞こえてきた。やはり、元気が無いようだ。……と言うか、よく声でわかったな。

 

「あぁ、俺だ。体は大丈夫か?」

「……近くに博士、いない?」

「…………」

 

 周囲を見回す。露出している肌の神経を研ぎ澄ませ、探る。……呼吸音も、空気の震動も感じられない。生命独特の“匂い”すら感じられない。

 文字通り、人っ子一人いない。

 

「あー……大丈夫か?」

「……鍵、開けた」

 

 カチャ。小さな金属音が響く。ドア越しに感じるパスの気配が遠退き、部屋の奥へ行ったのだと理解した。

 

「……入るぞ」

 

 一応、声はかけておく。ドアノブに手をかけ、ガチャリと回す。ドアが開き、俺は彼女の部屋へ1歩、足を踏み入れた。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙。お互い何も口に出すことはない。彼女はベッドで毛布を頭から被ってしまっており、その表情は窺えず、俺も特に何かを話そうと考えていた訳でも無いので、それがよりいっそう沈黙を助長していた。

 

「……まあ、風邪はそこまで酷く無いようだから、ぐっすり眠るといい」

 

 とりあえず何か声をかけなければ、という使命感に取り憑かれ、言葉を発したは良いものの俺の口を突いて出たのはそんなありきたりなものだけだった。……くそ、こういう時、スネークやカズ辺りは何て声をかけるのだろうか。……ダメだ、何も思い付かん。これはあれか? 今日はいい天気だなから入るべきか? ──いやいや、今何時だと思っている。天気云々の話をする時間帯はとっくの昔に過ぎているから却下だ。ならばあれか? 今日も博士と楽しんでいたなとかか? ──いやいや、馬鹿か俺は。俺が部屋を訪れた時、真っ先に彼女が博士の存在を聞いてきた辺り間違いなく地雷だ。……どうしろと?

 

「……ん」

「ぬ?」

 

 毛布からニュッと手が伸びる。その指が指し示すのは、ベッドの隣に置かれた腰掛け椅子だ。その上には、体を丸めた猫──ニュークが佇んでいる。リズミカルに動く腹を見る限り、寝ているようだ。

 

「……座っていいか?」

「……ん」

 

 小さくくぐもった声が聞こえ、伸びた手が毛布の中に引き戻される。

 やはり、と言うべきか、彼女に元気が無い。昼間に見せる柔らかい仮面──いや、雰囲気は鳴りを潜め、何かドヨーンとした淀んだオーラが滲み出ている。どうも素で落ち込んでいるようだ。

 

「……よいしょ」

 

 すやすやとお休みのところ悪いが、ニュークの小さな体をつまみ上げ、椅子に腰を下ろす。そのままニュークを膝の上へ。「ゥニャァ……」と一声、すぐにこいつは寝始めた。

 

「……で、聞いていいのかわからんが、まあ、俺だから(デリカシー無いから)と許してくれ。大丈夫か?」

「……うん。枕で殴って追い返しちゃったけど……」

 

 誰を、とは聞かない。やはりこの話題は地雷臭がぷんぷんする。さっさと変えた方がよさそうだ。

 …………まずい。話題が無いぞ。何かないか……ないか……っ!

 

「……この花、綺麗じゃないか」

 

 見つけたのは机の上に置かれた小さなコップ。その中には、名前もわからないような白い花が活けてある。まるで“彼女”の白い髪のようだ。

 これはラッキー、とばかりにネタにする。我ながら情けない。

 

「チコが持ってきてくれたの。これやるよ、って……」

「ほう、チコが?」

 

 やったなチコ。自身の好きな相手にアタックすることは並大抵のことではない。かなり勇気を必要としたはずだ。

 ……にしても、“白い”。スネークが見たらどう思うのだろう。

 

「うん。何かに付着した少ない土で、ひっそりと咲いてたんだ、って」

 

 ……む。少し声に張りが出たな。話すことで少し気が楽になったか?

 

「はっはっは、そうか……他にも誰か来たか?」

「うん。たくさん来てくれた。アマンダにセシール、ミラーさんにヒューイ、アルマジロにタイガー、ピューマに……あ、それについさっき、20時くらいだったかな? スネークも来てくれた」

 

 ……ほうほう、なかなか面白い情報が聞けたな。今度からかってやろう。ついでに、明らかに省かれた人間がいるが俺は無視しておいた。と言うか、さすがはスネークだ。しっかりと気遣ってやってる辺り、本当にさすがボスと言わざるを得ない。

 

「ミラーさんが歌を歌ってくれたの」

「……耳、大丈夫か? かなり音痴だったろう?」

「うん。日本語だったから意味はさっぱりわからなかったけど、歌が苦手なんだなぁ、って思った」

「優しいねぇ、お前は……」

 

 思いっきり「うん」って言っちゃってるけどなっ。

 

「でも、『風邪には座薬が効く! 俺が見本を……』って、ズボンを脱ぎ始めて──」

「もっと怒っていいぞ」

 

 何やらかしてんだ、あの野郎。

 

「はぁ……スネークは何か言ってたか?」

「ちょっと質問してみた。……あまり多くは答えてくれなかったけど……」

「……はっはっは。だろうな」

 

 スネークは多くを語らない、それは確かだ。あいつは、絶対に他人に口にすることはないであろう“闇”を心の内に抱えている。それこそ俺や、カズにさえも話さないであろう闇を。

 人は完全に他人を理解することなど、到底できはしない。今この瞬間に、パスが何を思い、何を成そうとしているのか、俺に完全に“把握”することなどできない。

 それこそ全人類を、1つの“ナニカ”に統一でもしない限り。

 

「あいつはあれで口が堅いからなぁ。そうそう本心を語ることも無いだろう」

 

 今この世界が在る英雄の“真実”を、彼は胸に秘めている。

 それこそ、この世で3()()しか知らない真実を。

 

「……サーペントは、さ」

「ん?」

 

 一拍。

 

「スネークやミラーさんと……どういう経緯で知り合ったの?」

「……はっはっは。どうした、お前らしくもないな。気になるのか?」

「ちょっと……でも、答えたくないなら、いい。サーペントに悪いし……」

 

 ふーん、と椅子の背もたれに体を預ける。……懐かしいな。もう3年近く経つのか。

 

「──よし、子守唄代わりに昔話をしてやろう」

「……いいの?」

「なに、隠すような物でもないさ。戦場ではよくあることだ」

 

 ニュークの背を撫で、その柔らかい毛並みを楽しむ。……あ、なかなか良いな、これ。

 

「1971年、コロンビアでのことだ。スネークと出会ったのはカズより俺の方が先だった」

 

 目を瞑る。瞼に浮かび上がるのはあの日の光景。傭兵として政府側に雇われ、戦い続けていたときに、片目のHOUNDは現れた。

 

「あの日は確か、強い雨が降っていた────とかシャレたこと言おうと思ったが、よくよく考えてみればあの日は思いっきり晴れてたな」

 

 あいつは自分の部隊を引き連れていた。政府当局と契約し正規軍側の位置付けだったが、装備は全て自前で揃えていた。ただの傭兵がどうやったらこれだけできるんだ、と思った。

 

「スネークのことは知っていた。有名だったからな。戦場で生きる者は、誰でも1度は聞く名前だった。……英雄(BIGBOSS)として、な」

 

 あの人の言葉通り、“必然”だったのかもしれない。

 

 俺は、(スネーク)()()した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

毒蛇と蠍 IN COLOMBIA

ようやく過去編です。


 1971/9/2 コロンビア 第4前線基地――――対FARC(ゲリラ)特化型特殊部隊駐屯基地

 

 コロンビアは暑い。国土のほとんどが熱帯性の気候であり、標高900m以内だと年間平均気温は24℃以上。平均降水量は1500mmから2000mmと、とにかく暑い。だがバナナがいつも手に入るのは合格だ。コロンビアのバナナは美味い。美味いったら美味いのだ。“蜜”のところがまたなんとも……。

 俺のような“スタイル”をとる兵士にとっては、冗談抜きでバナナは必需品だ。必要な栄養素を豊富に含み、尚且つ味は最高、しかもヘルシー。お手軽にほいほいと食事を済ませることができる。

 

「────により、──が──」

 

 コロンビアは内戦が絶えない。俺かいるこの基地の名称通り、政府側と、マルクス・レーニン主義の社会主義革命政権樹立を掲げるコロンビア革命軍側による武力衝突が度々起こる。ことの発端と言えるかはわからないが、政権を左右する自由党と保守党のイザコザがここまで発展したらしい。1度両党は歩みより「国民戦線」体制を樹立したらしいが、これに自由党系の武装農民運動が反発し蜂起。キューバ危機の煽りを受けたアメリカが介入するという事態にまでなったとか。

 しかしながら1964年になるとゲリラ活動が激化し、前述したようにコロンビアは内戦状態へ陥った、と。…………落ち着きの無い国だな。

 

「────ある。解散!」

 

 ……お。基地司令のありがたーいお話が終わったようだ。

 この基地司令、黒い噂の絶えない男である。何でも己の欲望に忠実らしく、私利私欲を肥やすためにいろいろと“手を出しまくっている”らしい。そんな奴が、何故こんな前線基地にいるのか。────まあ、バレたわけだな。うん。要するに左遷という奴だ。だがまあ、1度味をしめればそう簡単にやめるわけでもなく、この男、現在進行形でいろいろとやらかしている。

 何やら近くにある麻薬カルテルと繋がりがある、とか、兵士達の給金を横領している、とか、そんな話を聞くのは最早日常茶飯時だ。恐らく、噂の域を飛び越えて真実なのだろう。

 私生活も軍人のそれとは言い難い。俺達傭兵はまだしも、正規軍の奴らはかなり粗末な扱いを受けているにも関わらず、豪華な酒池肉林の日々。慰安と称して毎晩の如く女を抱き、性活の方も潤っているご様子。出来上がったのはブクブクに肥え太った気色の悪いおっさんと言うわけだ。……その内クーデターでも起こしてやろうか。

 

 まったく、正規軍ではない傭兵の俺が、何故こいつの茶番に付き合わなければならないのか。その無駄に高い虚勢(プライド)、いつか圧し折ってやる。

 

「ふわあぁぁ……」

 

 欠伸が溢れる。目尻に涙が滲んでくるのを感じ、右手でゴシゴシと擦る。……む。今日も空は綺麗だな。

 特にすることもなかったので兵舎に戻る。宛がわれた部屋へ向かい、宛がわれたベッドに横たわった。

 …………暑い。暑いぞ、これは。とてもじゃないが寝れるような気温ではない。湿度の高いムワッとした空気に滲む汗が不快感を増幅している。

 たまらず、跳ね起きた。だめだな。兵舎のような建物の中だと風通しが悪すぎる。どこかに涼みにでも行こう。そうしよう。

 

「……よし」

 

 タオルを掴み、ベッドから重い腰を上げる。兵舎を出てまず向かったのは井戸。やたらと古典的だが、この基地だと水道設備を扱える箇所は限られている。下っ端兵士、ましてや俺達傭兵なんて使用可能時間を決められているくらいだ。そこで重宝されるのがこの井戸。奇跡的に地下水が通っていたらしく、俺がこの基地に来た時よりも前からあったようだ。

 

「よいしょ……」

 

 井戸から汲み上げた水を、半場ヤケクソに頭から被る。冷たい地下水が異常なほど心地好い。プルプルと頭を振り、タオルで顔を拭く。後はそのまま、俺は日陰に移動。ここは俺が最近になって見付けた、いわゆる穴場とでも言おうか、ほとんど人が来ないところだ。それでいて基地内部を眺めることができるので、俺としてはこれ以上無いほどの暇潰し場所兼休憩場所だった。

 積み上げられた土嚢を背に腰を下ろす。ん、ちょうど良い。しばらくここで小休止するとしよう。

 

 視界を通りすぎる物資輸送用トラック。今日もどこからか補給物資を送り届けてくれたのだろうか。いつもいつもご苦労様です。食糧、武器弾薬、医療衛生備品、日用必需品等々、俺達兵士の生命線を左右する物ばかりだ。決して表舞台に立つわけではないが、逆に表舞台に立つ(英雄)の裏方にはこういった仕事をこなす者達がいることを忘れてはいけない。

 ……まあ、表舞台に立つことすら叶わなかった(英雄)もいるわけだが。

 

「────まーた何か考え事してるの?」

「ぬ?」

 

 頬に感じる冷たい感覚。同時に皮膚が濡れたような感覚。

 見ると、そこには小さな氷があった。この気温のせいか既に氷面は溶け出しており、歪に歪んだ俺の顔を映している。

 見上げると、そこには土嚢の上から俺を覗き込む女の姿があった。上空の太陽と重なり顔はよく視認できない。土嚢越しに上半身を折り曲げ、顔を近付けてくる。……近付けてくる?

 形の良いふっくらとした唇が弧を描く。目は細められ、その瞳に妖しげな光が灯る。……いつの間にか左手までもが俺の頬に添えられており、然り気無く固定されていることに気づく。

 ────同時、鼻先をブラウンの長髪が掠め、くすぐったさに思わず我に返った。一瞬とは言え、こいつに目を奪われていたのが何故か悔しい。

 

「……おい」

 

 彼女の甘ったるい吐息が俺の唇に吹きかかるほど、顔の接近を許してしまったところでようやく右手が追い付き、彼女の額を押し戻す。何が「あんっ……」だ。無駄に色っぽい声を出すな、馬鹿。

 

「────相変わらずツれないなぁ。せっかく私とディープなキスができるチャンスだったのに」

 

 そう言って上半身を起こした彼女は氷を口元に運んだ。その口の中に半分ほど含み、チュッ、とリップ音をわざとらしく響かせて俺を見下ろし、煽るように笑みを投げ掛けてくる。

 ────(スコーピオン)。それが彼女の“名前”だ。去年、同時期に俺と彼女は傭兵としてコロンビアに流れ着き、以来このようなお察しの通りの関係になってしまっている。今では作戦行動時にチームを組むほどだ。兵士としての能力は言わずもがな、毎日のように対ゲリラ戦を繰り返すこの場で1年も生き残っているわけだ。十二分以上に猛者と言える。

 さて、そんな彼女だが今日はやたらと機嫌が良い。標準野戦服の上からもわかるほど膨らんだ胸元をボタンを外して惜し気もなく晒し、目のやり場に困るほど色気を振り撒いている辺り確実に何かあったようだ。

 長い髪を掻き上げ、流すように右肩から垂らす。────露になった左側頭部には、横に走る2つの裂傷。だがそれさえも、彼女の魅力の1つに思えてくるのが不思議だ。

 悪戯っぽく「フフッ……」と笑うスコーピオン。背景(バック)の太陽も相俟って無駄に神々しく見えているのがムカつくところだ。もしかすると、それさえも計算に入れているのかもしれない。

 

「相変わらず万年発情期のようだな。その髪があと5cm短かったら成功していたかもしれんぞ。……正直、()()のはヤバかった」

「お、ちょっとは進歩したかな?」

 

 「それじゃもう一度……」とか何やら危険な言葉が聞こえてきたので、仕方なく俺は土嚢に預けていた背を起こした。それに手をかけて立ち上がり、そのまま土嚢の上に腰を下ろす。

 氷をポイッと投げ捨て、彼女も土嚢を跨いで俺の隣に腰を下ろす。漂ってくる彼女の甘ったるい体臭にクラクラしながら、目の前の、俺にとっての“日常”を眺めていた。

 忙しく走り回る兵士。手榴弾が収められた箱を運ぶ兵士。俺達と同じように日陰でたたずんでいる兵士もいれば、銃を分解し手入れを施している兵士も。

 兵員輸送車が黒い煙を吐きながら通り過ぎる。今度は何やら偉そうな将校2人を乗せたジープが基地に入ってくる。

 ────日常だ、これが。どうしようもないほど、俺の日常だ。

 

「…………」

「……むぅ」

 

 可愛らしい声が聞こえてくる。……見るとスコーピオンがわかりやすく唇を尖らせていた。

 

「今、女の人のこと考えてたでしょ」

 

 …………わかるものなのだろうか。

 

「……ふーん。こーんな美女が隣にいるのに、他の女のことを考えるとは、サーペントも余裕ですねぇ」

 

 グリグリ、と彼女の指が俺の頬を突く。……地味に爪を立てている辺り、少し機嫌を損なっているようだった。

 

「すまんすまん、悪かった」

「…………むぅ」

 

 さらに強く指で突かれる。……痛い、痛いぞスコーピオン。かなりマジのようだな。面倒なスイッチを押してしまった。……女王様のご機嫌をとるのは難しい。

 

「……その様子だと、今日が何の日かすら忘れてるのねぇ。ふーん」

「……今日、お前の誕生日とかか?」

「…………」

「痛い痛い痛い」

 

 ハズレだ。別に何か記念日を祝うような関係でもないのだが、まずいぞ。俺の頬を彼女の指が貫通する前になんとか答えを見つけなければ。

 ……ふむ。スコーピオン、女、機嫌が悪い、イライラ…………むっ!

 

「わかった、生理だr──」

「ふん」

「ぬぐっ!?」

 

 まずい、今のはマジで頬を突き破る気だった。目が怖い。普段、綺麗に見える透き通ったグレーのはずの双眼が今は澱んで見えるぞ。

 …………。…………。はっはっは。

 

「────すまん、降参だ。何の日か教えて貰えるか?」

「いやー」

 

 ふんっ、とスコーピオンがソッポを向いてしまう。彼女としては怒っているつもりなのだろうが、こっちからしてみれば妙に可愛らしいだけだ。……これがギャップ萌えという奴か。

 

「そこをなんとか」

「やー」

 

 ほら、私の機嫌をとりなさいよオーラを出しまくっておきながらこの仕打ち。なるほど、これはかなり重大なことのようだな。

 

「あー、これはあんまりだよなー。これだけレディ悲しませといてなーんのお返しも無しとかだったら最悪だなー」

「…………」

 

 ……面倒くさいなこいつ。

 

「これは1つぐらいお願い事しても断れないよなー。いや、もう1週間くらい私のお願い事全部叶えてもらってもいーよなー」

「…………」

 

 ────うむ。こいつ、面倒だ。

 やたらと具体的な今の発言から考えられるのは、普段こいつがよく面倒だ、と愚痴を溢している雑務処理辺りを手伝えとか言い出すつもりだろう。

 もしここで俺が断っても、明日から俺の周辺でグチグチ文句を垂れ流してくるのは目に見えている。……うむ。よけい面倒だな。俺だって他人の雑務を手伝うほど余裕があるわけでもないが、なら「一緒にしよう」と彼女と同じ場でお互いの雑務をこなし、あたかも手伝ってますよ的な雰囲気を出しておけば万事解決。面倒な女王様のご機嫌も快復と言うわけだ。

 

「……はぁ。よし、良いだろう。むこう1週間、お前の言うことを何でも聞いてやる」

 

 さも「仕方ない……」的な雰囲気を出すため、はぁ、と溜め息をついておく。

 演技は完璧。これで彼女は罠とも知らず、自分は特をしているように感じながら実際は何も得していないという結果的に俺得な、安全な1週間が確約されるというわけだ。ふははは。

 

「…………本当に?」

「ああ」

「……本当に1週間?」

「そう言ってるだろう」

「本当に1週間、私のお願い事叶えてくれる?」

「しつこいぞ。男に二言はない」

 

 さあ、来い! 所詮は(さそり)と毒蛇、節足動物と爬虫類。上下関係は既に決まっているのだっ!

 

「────よし! じゃあサーペント、むこう1週間、あなた私のオモチャね」

「おう。いいだr──」

 

 ぶはっ。

 

「……いやいやちょっとまt──」

「あぁ、安心して。()()、だから」

「尚更だ。何勝手なこt──」

「あら? 男に二言はない、じゃなかったの?」

 

 ぐふっ。

 

「確か自分から言ったわよねぇ。『よし、良いだろう。むこう1週間、お前の言うことを何でも聞いてやる、キリッ』って。さも仕方ないな、みたいに溜め息までついちゃって?」

 

 ぐふぉっ。

 

「私の“お願い事”こんなのだから、少しはあなたの意志も尊重しなきゃ、って思って再三訪ねてみたけど、私の配慮をぜーんぶ突っぱねるんだもの。余裕よねぇ?」

 

 何が配慮だ、この……完全に裏をかかれたっ……!

 

「まあ私としては? あなたがそんなにノリノリなら? もう遠慮せず徹底的にあなたをオモチャにしてやらなきゃ? かえって失礼でしょ? ん?」

 

 や、やられたっ……! このアマ! 完璧に外堀を埋めにかかってやがるっ……!

 

「大丈夫よ、サーペント……」

 

 ガシッ、と彼女の両手で頬を挟まれ、ゆっくりと向きを変えられる。ほんのりと朱に染まった、うっとりとした表情を見、俺は逆に顔を蒼褪め口をヒクつかせるしかなかった。

 ニヘラ、とイヤらしく、妖しげな笑みを彼女が浮かべる。今度こそ逃がさない、とでも言うかのように顔を近付けてくる。俺はそれを、半ば放心状態で眺めていた。

 

「…………。……うーん、まだ我慢、ね。空腹は最高のスパイスって言うし……」

 

 間違いなく意味合いが違う言葉を、彼女が耳元で呟く。その生暖かい吐息が耳にかかる度に肌が粟立つ。

 

「……あのな……」

「サーペントが悪いのよ? 最近ほとんど構ってくれないし、良い機会じゃない」

 

 はむっ、と彼女が俺の耳を甘噛みした。

 

「欲求不満なの、私」

 

 耳元で最後に、ゾクリとするほど妖艶な声音でそう呟き、スコーピオンは顔を離す。その時になって初めて、彼女の甘ったるい体臭以外の空気を吸えたような錯覚に陥った。

 

「今私()()()なのよ。だからちゃーんとオモチャらしく振る舞ってよー? 逃がさないからねぇ~」

 

 妙に晴れやかな、艶々とした笑顔を浮かべながら、彼女は去っていった。

 後に残されたのは、ポツンと土嚢に腰掛ける、蠍に敗北した憐れな毒蛇こと俺1人。

 ……何故だ。男としてはこの上ないほどの申し出を受けることができたというのに、背筋を走る悪寒が止まらない。文字通り血の気が引いていく。

 

「…………」

「────……あ、隊長(キャプテン)! よかった、見付けたぁ。召集ですよ!」

 

 やっちまった……やっちまったぞ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

バナナは偉大だ

 体の1部がビックリするほど元気になってしまい、立ち上がるに立ち上がれずそれが直るのを待つこと8分。直ったは良いもののいい大人が何やってるんだ、と恥ずかしさ、情けなさにサンドウィッチされ自己嫌悪に陥ること5分。俺を呼びに来た兵士にポン、と肩を叩かれ「あなたも男なんですな」と爽快な笑顔を向けられ泣きそうになるのをこらえること4分。たっぷり17分近く時間を浪費し俺は動き出した。……あれ、景色が歪んで見えるぞ。

 

「いやー、それにしてもスコーピオンさん、メチャクチャ美人ですねぇ。あんな女性とお付き合いがあるとは、羨ましい限りです」

 

 そう言ってケラケラと笑うこの男は、コロンビア陸軍所属マクンミリアーノ・アルティネス2等軍曹だ。愛称はマック。例に漏れず、俺もマックと呼んでいる。

 2年前に対ゲリラ戦で負ったという、右頬から耳にかけての銃創がかなりの雰囲気を醸し出しておりなかなかの強面だ。それも手伝ってかこの前線基地で指折りの鬼軍曹と呼ばれることも少なくない。口調はこのように誰に対してでも──たとえ年下であろうと──敬語で話し、第一印象は柔らかいという感じを受ける。……いや、事実柔らかいな、この男は。だがそれ故に恐ろしいらしい。怒っても怒鳴り散らすようなことは無いが、その静かな物腰でゴリゴリと怒りを滲ませてくるのが、かなりの迫力なのだそうだ。

 まあ、軍曹というのは立場上こんなものだ。軍の士気、秩序、統制の安定に勤め、もしくは兵の教練役になることも。新米将校の補佐官に任命されることもあり、さらに歴戦の猛者軍曹となると、作戦会議に於いて彼らより軍曹の意見が重宝されることもしばしば。……まぁ実際のところ、将校達はいわゆる“エリート”という奴で、現場の事情など把握している者は数少ない。そう考えると、日々現場で汗を流す彼らがそのような扱いになるのも頷ける。

 

「……そうだな。ま、イイ奴だよ」

 

 ここに来て早1年が経とうとしている。これまで参加した作戦数はもう覚えていない。例えば補給部隊到着までの護衛、ジャングルに於いて敵哨戒部隊との接触、ゲリラ達の資金補給元麻薬カルテルの殲滅、敵基地及び敵部隊の大規模な制圧作戦…………自分で言うのもなんだがかなりの死線を掻い潜ってきたと言える。

 もちろん、幾度となく死にかけた。部隊が多大な被害を受け撤退を余儀なくされたことも数知れず、基地からの支援、補給が途絶え戦線に孤立したこともある。……まあ、これについてはある時期から、とある事情で基地司令と俺の仲が悪化したこともあり、認めるのも癪だが自業自得だ、と無理矢理納得させている。

 

 そんな死線を、共に掻い潜ってきたのが彼女()だ。傭兵仲間は他にも何人かいる。その中で特に“親交”が深いのが……まあ、彼女、スコーピオンなわけだ。

 

「あれだけ親密に接しているにも関わらず、あなた方に何の“関係”も無い、と知った時は驚いたものです」

「あのな……」

 

 ちゃっかり「関係」のところを強調してくるマック。俺はただ、苦笑いを浮かべるしかない。

 彼女とは同時期にここへ流れ着いたこともあってか妙に息が合っただけだ。……まあ、お互いに何度も背中を預けたことはあるが。

 一般的な生活では芽生えない、戦場でしか生まれることのない関係────そんなものだろう。それが既に1年経とうとしている。

 

「……だから9月2日、か」

 

 ────そうか。……“今日”だったのか。

 

「はぁ……」

「はっはっは。冗談ですよ、キャプテン」

 

 ……こいつも何だかんだでイイ奴なのだ。鬼軍曹と呼ばれながらも決して部下に対し冷酷無情というわけではなく、逆に部下想いで彼らからの信頼も厚い男だ。歳も若く部下達からしてみれば、かなり厳しいが頼れる兄貴分といったところか。

 頬の銃創も部下を庇った際に負ったもの、という噂を耳にしたことがあるが、本人は笑って否定していた。彼曰く、「市街戦だったものでしてね。住民の避難を行ってたのですが、その中にものすごい美女が──」だとか。敢えて最後まで聞かないことにしたのははっきりと覚えている。

 まあ、本人はこう言っているがマジメなマックのことだ。実際は負傷を「部下を庇ったから」という理由にしたくないからではないかと思っている。こいつが嘘を言っているとも思えんがな。まあ、そこはどうでもイイ。

 

「……で? 誰からの召集なんだ?」

「司令です。何でも、新たな敵前線基地の可能性が浮上した、とのことです。それについて至急、話があると」

「ほう?」

 

 可能性、ね。まだはっきりとした位置の特定ができていない、ということか。

 

「先日、ケリーの偵察部隊がやられたのを覚えていますか?」

「……ああ。確かここから南に50マイル行った(ジャングル)で、だったな」

 

 翌日、確認のために最終無線連絡座標(ポイント)へ部隊を送り込んだところ、発見されたのは変わり果てたケリー達。どうも急襲を受けたらしく、応戦の形跡が見られるも部隊は壊滅。装備一式、根刮ぎ奪い取られていたと言う。

 だが、ケリー達は訓練課程を終えた優秀な正規軍の兵士達だ。急襲とはいえ、敵方も相当な手練れを引き連れていることは一目瞭然であり、俺達の基地には警戒体制が敷かれている。近々“本格的”に動き出すとは思っていたが、まあ、白羽の矢が立ったのが俺────いや、俺達と言うわけか。

 

「最近は私の分隊がその警戒区域周辺の偵察に当たっていたのですが、度々不審なトラック、輸送車、果てはヘリまで目撃されるようになりました。報告したところ、上も危険性を認識したようで、ようやく作戦が開始されるとのことです」

「なるほどな」

 

 偵察には、彼の分隊に同行させてもらったことがある。見たところ、警戒区域の向こう側、要するに政府側とゲリラ側の勢力図境界線という、かなり危険な場所だった。早めに押さえなければ面倒なことになる、とマックに進言するよう伝えたのだが、まあ……お察しの通り。取り合って貰えなかったわけだ。

 ……経理部の連中から小耳に挟んだ話だが、ケリー達がやられたことで基地の戦力が消耗したことを中央に報告するのを誤魔化すのに躍起になっているんだとか。しかも誤魔化すどころか補給要請を割り増しし、あわよくば────とな。ん、あのデブ、なかなかのクズだったわけだ。

 

「キャプテン、大丈夫ですか? ……司令、また無理難題を吹っ掛けて来ますよ……?」

 

 無理難題、ね。まあ、俺と司令の仲が悪化してからはよくあることだ。

 

「はっはっは。安心しろ、マック。今じゃ司令の悔しがる顔を楽しむ余裕まであるんだ」

「ならいいんですけど……」

 

 基地作戦本部に到着。入り口の両側に立っている歩哨が敬礼、1拍置いて俺達も敬礼を返す。

 何やら会議があるらしいマックと途中で別れ、俺は無駄に長い廊下を歩く。やがて「司令室」と妙にコッた、クラシックな標識がかけられたドアの前に立ち、コンコン、と2回ノックする。『……入れ』とドア越しにくぐもった胸くそ悪い声が聞こえ、俺は努めて冷静に失礼します、とドアノブを回した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 室内に漂う重苦しい空気────なんてものはなく、目の前には椅子に腰掛け机に両肘を立てたぶくぶくの司令(おっさん)が1人。その横に立つ、彼の腰巾着兼共に甘い汁を吸っている仲間の参謀(おっさん)が1人。

 両手を組んで口元を隠しそれっぽい雰囲気を出しているつもりなのだろうが、正直に言って、何の威厳も風格も無い。顔はテカテカと脂ぎり、首回りには浮き輪でも付けてるのかと思ってしまうほどお肉が実っている。見事にお腹回りもダルンダルン、将校用の制服がただのコスプレに見えてきてしまう。絶えず口は半開きで、漂ってくる口臭は2mほど離れた位置に立っている俺でも顔を顰めそうになるほど。──挙げれば挙げるほど良いところが無い、そんな司令。金で買われているとは言え、こんな男に毎晩抱かれる女達が可哀想に思えてくる。

 参謀は知らん。その名の通り腰巾着その物。存在感がまるでない、ただオコボレに預かる奴、というだけだ。

 

 と、そんな司令がいかにも物々しく椅子から立ち上がる。後ろ手に組み、わざとらしく靴音を立てながら窓辺へ移動。カーテンをずらし、基地を眺め始める。……まずい。笑いが堪えきれん。

 

「貴様! 司令に向かってなんだ、その態度は!」

「失礼」

 

 だって、なぁ……。完全に空回りだぞ、司令殿。あんたのナリだとただただ“痛い”だけだ。

 

「……よさないか。彼は我が基地の貴重な人材の1人なのだ。少々は目を瞑ってやる」

 

 司令の言葉に、参謀が口を噤む。「犬め……」と小言が聞こえた。そりゃ傭兵だからな。だが俺を金で雇ったのはあんた達だ。今さらどうこう言われる筋合いも無い。

 

「それはありがたい。……で、司令。召集の目的をお聞かせ願えますか」

 

 なんだか面倒になってきたので、口から出た言葉には抑揚が無かった。

 その態度が気に食わなかったのか、司令の口元がヒクリ、と動いたのが見えた。だがすぐに気色の悪い笑みを浮かべると、どっかりと椅子に腰を下ろす。

 

「君を呼んだのは他でもない。斥候の任務について貰うためだ」

 

 心なしか、参謀も嗤っているように見えた。

 

「“斥候”、ですか……」

「その通りだ。知っての通り、南方にゲリラ共が新たな前線基地を建造しているとの情報が入った」

 

 当たり前だ。マックにそう進言して貰ったんだからな。

 

「これに対処すべく、今日より1週間後、作戦を発動する。基地が完成する前に制圧し、奴らの戦力を削ぐ」

 

 今度は参謀が口を開いた。

 

「そこで、君には進軍ルートの確保、敵前線基地の正確な位置の特定、基地内の戦力の確認、ひいては破壊工作を行ってもらう」

 

 ガッツリ押し付けてきたな。そこまでして俺()を死なせたいのか、この司令は。

 

「……了解です。因みに、支援はどれほど可能ですか?」

 

 まあ、答えはわかりきっている。今までもそうだった。

 

「初期装備はこちらから支給するが、残念ながら増援は出せない。この切迫した状況下で、正確な敵戦力の情報が得られていない以上、貴重な我が軍の兵士達を損耗させるわけにはいかん。……これは“優秀”な“傭兵”の君にしか任せられないのだ」

 

 もう隠す気も無くなったようだな。気になりはしないが、「金で雇われた傭兵のお前は別に死んでも構わない」と言っているようなものだ。

 ……はあ。そこまで尻の穴の小さな男だったか、司令よ。たかが“女”がモノにならなかったぐらいでここまでするか、普通。

 まあ、傭兵として雇われている身である故に、契約金に見合う働きはしなければならない。割に合わないような気もするが、その時は手当てを請求してやろう。

 

「────彼女も同行させろ。我が軍の勝利のためには、君達の任務成功が絶対なのだ」

「……了解です」

 

 つい、ドスのキいた低めの声を出してしまった。揃いも揃ってビクッ、と体を震わせる目の前の男2人に精一杯の笑顔(嘲笑)を送り、敬礼もせずに踵を返す。「き、貴様! なんだ、その態──」とヒステリックな()()の叫びは後ろ手に閉じたドアに遮られ、最後まで聞こえなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 あれよこれよと装備を整え基地を出発。作戦開始地点────(くだん)のポイント、ケリー達が襲撃を受けた場所へ、今現在俺達は向かっている。

 徒歩で向かおうとしていた俺達に、見兼ねたマックがいろいろとこじつけてジープを出してくれた。……正直に言うと、かなり助かった。ポイントまで、凡そここから50マイルある故に、徒歩だと最低でも2日は掛かる。俺が斥候を行うべきエリアはさらにその向こう側、勢力図が曖昧な境界線上ではなく完全なる敵地。そこから任務は始まるのだ。

 作戦が発動されるのは1週間後。体力はもちろんのこと時間も惜しい。課せられた任務内容は決して少ないとは言い切れず、のんびりしている暇はない。

 ────まあ、もちろんこれに不服な者もいるわけで。

 

「────だそうだ。未だに、お前にフられたのを根に持っているらしいな」

 

 ジープの後部座席で揺られながら、俺は隣に座る不貞腐れたスコーピオンに話しかけた。

 

「…………むぅ」

「仕方ないだろう。と言うか、いい歳したおっさんに嫉妬される俺の身にもなれ」

 

 俺と司令の関係が悪化した原因。

 ぶっちゃければ司令が彼女に関係を迫り、それを彼女が(ことごと)く──と言うか何やら屈辱的に──一蹴したから、という情けないものだ。

 そりゃあ確かに、スコーピオンはイイ奴でありイイ女だ。男ならば誰もが一発ヤらせて欲しいと邪な思いを抱くのも仕方のないことだろう。出るトコロは出て引っ込むトコロは引っ込んでいる、モデル顔負けのスタイルを持ち、妙に雄を狂わせる色気をも兼ね備えている、何故傭兵なんて世界に入ったのか不思議なほど、浮世離れした美女(スコーピオン)なのだ。

 例に漏れず、司令もその毒針に侵されたというわけだが、まあ、まさか断られるとは思ってもみなかったのだろう。金と権力で好き放題やってきたあいつのことだ。当然と言えば当然。それだけでも相当屈辱的だっただろうに、あろうことか彼女は彼を煽りに煽ってさらに屈辱を与えたらしい──詳しくは聞いていない──。……そこで怒りの矛先が、彼女のみならず俺にまで及んでいる辺り、普段から親交があったからというだけではなく、何やら俺絡みの彼女の言動だったのだろうとは、思う。……いや、俺まったくのとばっちりじゃないか?

 

「ほんっっと、あの司令イヤな奴! いつまでもいつまでもネチネチとっ……!」

 

 「うがあぁぁ……」とスコーピオンが嘆く。まあ、彼女としてもいろいろと申し訳ないとは思っているのだろう。ここまで執拗に付き纏われたことにも、かなり堪えたようだからな。

 

「おかげでサーペントをオモチャにできる1週間が台無しよ!」

 

 訂正。嘆く理由が根本的に違っていた。

 

「はっはっは。それについては司令様様だな」

 

 「クーデター起こしてやろうかしら……」とかなんとか危険な発言は無視し、俺は手に持つバナナの皮を剥き始める。糧食班の奴から餞別に、と頂いたものだ。そのお陰か、今の俺の機嫌はすこぶる良い。鼻唄混じりにムキムキ、立派に反り返り、所々黒く熟したバナナ本体が露に。

 …………たまらんっ。パクッ。

 

「…………美味い」

 

 機嫌はすこぶる上昇。MAXゲージを飛び越し際限無く上がり続ける。バナナは偉大だ。異論は認めん。

 

「…………私にもちょうだい」

「ん」

「…………美味しい」

 

 空っぽになったバナナの皮はポイッ、自然にリリースしよう────かと思ったけどやめた。これはマックに基地へ持って帰ってもらおう。

 

「仲良いですねぇ、2人共。…………さあ、着きました」

 

 ジープが止まる。重々しいエンジン音を除いて、辺りは“自然の音”しか聞こえない。草木のざわめき、野鳥のさえずり、川のせせらぎ……。

 懐かしいな。“森”に来るといつも思う。

 

「……あの、キャプテ──」

「着いていく、なんて言い出すなよ、マック」

 

 わざとマックの言葉に被せるように呟き、それを遮る。スコーピオンを促し、ジープから降りた。

 

「気持ちは嬉しいがな、お前は陸軍の兵士だ。俺達傭兵とは違う。……そうそう好き勝手に動くわけにもいかんだろう?」

 

 本来、ジープを出してくれただけでも十分過ぎるのだ。俺達と関わっている兵士達にも、あの司令は“嫌がらせ”を行っているらしいしな。

 

「ですが……」

「安心しろ────だなんて言うつもりも無いが、とりあえずお前は戻れ。……帰ったら、1杯やろう」

「あら、良いわね。私も混ぜてよ」

 

 む。程々にスコーピオンの機嫌も直ってきたようだな。きっとバナナのお陰だろう。バナナイケメンである。 

 

「……ははっ。わかりました。とびっきりイイのを用意しておきます」

 

 観念したのか、マックは苦笑を浮かべた。

 

「それじゃぁねぇ、マック。帰ったらキスしてあげるわぁ」

「はっはっは。そりゃ楽しみです」

 

 ケラケラと笑いながらジープに乗り込むマック。手だけ振りながら、彼のジープは去っていく。俺もそれを、笑いながら手を振って見送った。

 

「……さて。行くぞ、スコーピオン」

「ねぇねぇ。モノスゴイコトに気付いた」

「……?」

「これからさ、少なくとも1週間近くは2人きりじゃない?」

「…………」

「結局は基地からジャングルに場所が移っただけで、オモチャの約束は継続できそうなのよ」

「」

「ジャングルプレイができるわよ。やったね、サーペント」

「」

 

 今回の任務(ミッション)は、斥候及び諜報。

 来たる作戦のための進軍ルートの確保、新造されているとされるゲリラ達の前線基地の位置を特定、保有戦力の索敵、それに対する破壊工作。

 場所(ステージ)は敵勢力圏内。支援は一切なし。

 かなり高難易度な任務だ。あの司令のことだ、そもそも成功する確率があるのかさえ怪しい。────が、気にしない。

 戦いの中に身を置く。……あの日決まった、俺の人生。俺が選んだ、“道”。

 

 どこからともなく「逃がさないわよ~」と声が聞こえてくるが、無視。こんな時、あの男ならどのようなことを言うのだろうと頭の片隅で考えながら、俺は今思っていることを迷わず呟くことにする。

 

「バナナ食べたい」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

体を侵す甘い毒

「…………暑い」

 

 …………暑い。何度でも言おう。暑い。

 木々の隙間から射し込む日光。湿った地面から舞い昇る湿気。熱帯雨林特有のムワッと……いや、ベットリとした息苦しささえ感じる空気。生憎と微風さえ吹いておらず、サウナとまではいかないが体感的にとにかく暑い、コロンビアのジャングル。

 そんなところで、毒蛇と蠍は戯れていた。……意味深である。

 

「────ん、ふっ……んぁ……」

 

 場違いな甘い嬌声が耳をくすぐる。形の良い唇から溢れる熱い吐息は、間違いなく俺の体感温度上昇に加担しているだろう。先ほどから俺の意識を根こそぎ奪い取っている。暑い。……いかん、腹筋がプルプルしてきたぞ。

 暑さ故か、迷彩柄の野戦服は脱ぎ捨てられすぐそこにポイだ。彼女が上半身に纏っているのは胸元を強調する際どいタンクトップ1枚のみ。刺激的かつ実に扇情的だ。自慢の豊かなバストが成す魅惑的な谷間は、男ならば誰もが1度は目を奪われても文句は言えないだろう。と言うか、目を奪われたら最後、視線を逸らすにはそれ相応の覚悟が必要となる。……あれ、枕にしたら気持ち良さそうだな。

 真珠のような汗が額を伝う。彼女のきめ細かい肌も相まって、何とも幻想的な雰囲気を醸し出している。額から頬へ、頬から首筋へ、首筋から夢の秘境へ……。

 ほぼ無意識に──3割方男の性で──目で追ってしまっていた。いかんいかん。これは遊びだと言うのに。

 

「あ、んんっ……ひぅ、んぁ……」

 

 ふっくらとした艶やかな唇からは、相変わらず甘ったるい色香を撒き散らし続けている。半開きにされた隙間から覗く赤い舌がヌラヌラと蠢き、思わず吸い付きたくなる衝動を沸き起こすには十分過ぎる妖しさを秘めていた。

 

「…………はぁ」

 

 さて。色々な意味で周囲の暑苦しさを倍増しつつ、(ケダモノ)(ケダモノ)に豹変させるフェロモンをこれでもかと散布している女と共にいながら、何故俺が理性を保っていられるのか。

 答えは至極単純明快。ナニもイタしていないからだ。

 

「……ねえ、サーペント」

「どうした」

「すごく……虚しいわ」

「1人で喘いでるフリをしているだけだものな。そりゃ、虚しいだろう」

 

 俗に言う体育座りで膝に顔を埋めるスコーピオンを横目に映しながら、野戦食(レーション)の1つ、栄養ゼリーを胃に流し込んだ。……いかん、腹筋が崩壊しそうだ。ぶふっ。

 

「な~んでこんなにも無防備な女が隣で黄昏れてるのに、サーペントはナニもシてくれないのかな~……」

「ありがたいことに、お前の(エロス)用の抗体ができたようだ」

 

 毒をもって毒を制す……とはちょっと違うか。出会った当初は、それはもうこいつの扇情発言扇情行動に振り回されたものだが、今となっては懐かしい思い出になっている。

 それでも完全というわけではないのがこの女の恐ろしいところだ。男は、女に色々な意味で敗けていると切実に思う。

 

「まるで蛇の生殺しだな」

「別の意味でね……って誰が上手いこと言えって言ったのよ。こっちとしちゃたまったもんじゃないわ」

 

 「むぅ~……」と頬を膨らませながら、指先で地面をイジるスコーピオン。イジケた新鮮生蠍の完成である。

 とても20歳前半とは思えない、普段の年齢以上に大人びた雰囲気とは裏腹に、彼女にはこういった子供っぽいところが多々ある。機嫌を損ねると途端に質の悪いワガママ女王様になったり、今のように、リスみたく頬をパンパンにして不貞腐れたり……。あとは、意外と食べ物の好き嫌いが多い。例えばピーマンとかピーマンとかピーマンとか……。以前、兵員食堂で出された献立の中の、ピーマンを全て俺の器に移し替えて来やがったことがある。

 ────後で食堂名物の鬼バb──おばちゃんに報告して(チクって)やったがな! たっぷりこってり絞られるがいい! 俺もピーマンは苦手なんだっ!

 ……いかんいかん。これでは俺も同じようなものだ。任務に集中しなければ。 

 

「はっはっは。大丈夫、何もお前に魅力を感じないわけじゃない。と言うか……うん、なんかエロいな、今のお前」

 

 サクッと腹ごしらえを終了し、名残惜しさを感じつつもスコーピオンから目を離す。立ち上がって彼女の元へ移動し、拾った野戦服を肩に掛けてやる。

 

「……ありがと」

「ん」

 

 手を差し出すと、彼女はそれを掴みゆっくりと腰を上げた。握ったその手の、女性らしいすべすべした細い指先を密かに楽しみつつ引き起こす。

 ふわっと良い香りが漂ってきた。汗と、やんわりと香るのは彼女が好んで使用する柑橘系の香水のものだ。それと……強いて言うなれば彼女の体臭だろうか。

 ……いやいやいや。我ながらかなり変態チックな思考に至ってしまった。なんだ、体臭て。しかも、それを良い香りと感じるとは……やはり、抗体なんてできていないようだ。十分、彼女の毒にオカされている。毒漬け状態なのではなかろうか。

 それでも、正直こいつの体質はおかしいと思う。何故こうも甘ったるい匂いがするのだ。ジャングルに入ってからは特に身を清めている訳でもなく、たまに綺麗な湧き水を発見しては水浴び──終いには大の大人2人して水遊び──をするくらいで、はっきり言うと、今の俺はかなり臭うだろう。……だからと言って、他人にどう思われているか気になる的な思春期が訪れているわけではなく、むしろ普通だと思い始めている。とうの昔に、そんな感覚は麻痺していた。していると言ったらしているのだ。

 逆に言えば、自然に近い状態になれていることも意味し、ジャングルでの行動に於いては好都合と言えた。普段の生活臭が染み着いたままでは、完璧に自然へ溶け込むことはできない。聞こえは悪いが、獣臭に変わることで意外とメリットはあるのだ。

 とまあ、ポジティブシンキングの話は置いておき、問題はスコーピオンの体臭なのだ。何故臭わない。何故匂いが甘いのだ。

 特に自然へ溶け込むことができていない訳ではなく、むしろ一体化しているあたり、ずるいと思ってしまう。いったいこの女の体内で何が起きている……?

 

「────ん? どうしたの?」

「……いや、なんでもない」

 

 ぼーっと眺めていたことに気付き、スコーピオンの問いを笑って誤魔化す。「……そう」と、どこか嬉しそうに微笑みながら、短く返事を返した彼女は、ポケットから取り出したゴムで髪を1つに揃えた。それをくるくると巻き上げるようにして、迷彩柄のスカーフで纏め上げる。

 

「……おおっ」

 

 思わず声が漏れた。

 アップにされた髪型は清潔感を増しつつ、普段お目にかかれないうなじが晒されたことで妙な色気が加算されている。そのまま野戦服をラフに着崩し、相変わらず胸元をはだけさせていた。

 

「どうだっ」

「……参った。想像以上だ……」

 

 うむ。ここがジャングルではなかったら本当に押し倒してしまったかもしれない。スコーピオン恐るべし。

 自然と苦笑していた。目のやり場に困りながらも、取り合えず移動を開始。“彼ら”の会話に耳を傾け、時に“彼ら”と会話し、時に“彼ら”に助けられながら、俺とスコーピオンは歩を進める。

 

 基地を出発してから、既に2日が経とうとしている。俺達は順調に南下を継続中。敵勢力圏内でありながら未だにコンタクトは発生しておらず、まあ、まずまずの滑り出しと言える。と言っても、ある程度敵と遭遇していなければ基地の位置の特定が不可能な訳だが……そこは俺達でなんとかするしかない。

 ちなみにだが、俺の体はキレイなままだ。夜のオモチャにはされていない。スコーピオンもそこはわきまえてくれているようで、ジャングルプレイとやらはお預けになっている。助かった。

 

「…………」

 

 いかん。想像してしまった。

 いやいや……いやいや。決してジャングルプレイとやらに興味があるわけでは無く、況してや任務中に「ヒャッハー!」するほどケダモノでもない。…………はず。はずだ。

 …………ジャングルプレイ、か……。

 

「……ふむ」

「な、何よ。悟りを開いたみたいな顔になっちゃって……あなた、不気味よ?」

「……ん? ああ、何でもない。ちょっと考え事をしてただけだ」

 

 いかんいかん。頭をシェイクして邪な思考を吹き飛ばす。弛んだ表情筋を引き締め直し、目の前の現実に集中する。

 

「……ほっぺた、プルプルしてるわよ」

「ほっとけ」

 

 どうやら失敗に終わったようだ。いざ意識してしまうと、無表情を作り出すのは難しい。いずれは克服したいところだな。

 はぁ……、と溜め息を溢したところで、気になるものを見つけた。

 血痕だ。

 

「…………」

 

 血。生物の体内を循環し、各体細胞に酸素、栄養を供給したり、老廃物を運んだりと多種多様な役割を果たす、全てではないが赤色をした、ルーマニアのコウモリ野郎が好んで食すアレだ。

 

「……スコーピオン、周囲を捜索するぞ。……何か手掛かりがあるかもしれない」

 

 地を点々としている。見たところまだ血液凝固は始まっていない。日光に照らされて赤黒く反射する生々しさを、未だ有している。この血液の主が、この周辺に潜んでいる証だ。

 となると、主は何者かという当然の疑問が出てくる。人か、獣か……はたまた……はたまたは無しで頼む。こんなところで未確認○○なんかに遭遇したとしても、リアクションに困るだけだ。

 だがらこそ、血痕に寄り添うように蹄の足跡が追従していることには感謝しなければならない。形から判断して野豚の類いだろう。

 

「……はぁ~い」

 

 間延びしたスコーピオンの返事を背に、血痕を辿り始める。腰のホルスターからM1911(ガバ)を引き抜き、ナイフと同時に構える。安全装置(セーフティ)を解除し、軽くトリガーに人差し指をかけた。……うむ。いつまで経っても銃が己に馴染む気がしない。

 確認した足跡の、地面へのめり込み具合から重量は60~70kg辺りと、やや小振りと思われる。歩調を乱し、フラフラと覚束ない様子が見てとれた。歩幅から察するに体長は約1.6m。……とすると、小振りというより少し痩せ細っていると見るべきか。

 

「手負い、か……」

 

 これについてはかなり注意しなければならない。野豚は、文字通り家畜の豚が再野生化したものを指し、近年アメリカ大陸に爆発的に広まりつつある種だ。豚とは言え野生で繁殖した連中は家畜のものより気性は荒い。さらに流血するほどの傷を負っているとなればなおさらだ。外敵と見れば形振り構わず襲いかかってくる可能性もある。

 ……まあ、俺が気にしているのは野豚ではなく、野豚を襲った外敵の方だ。

 この辺りに、このサイズの野豚を好んで襲うような肉食獣は滅多にいない、と記憶している。いくら食物連鎖の上位に位置する彼らでも、成獣、若しくは成獣に近い固体を襲うことは少ない。あったとしても、年老い、弱った固体や、生まれて間もない幼獣、発達途中の固体を狙う。バッファローに踏み殺されるライオンやカバに食い殺されるワニの例があるように、上位固体であったとしても最強というわけではなく、肉食獣は生きるために自身より──種族的にではなく──肉体的に弱い固体を狙うはず。

 体長約1.6m、重量およそ60~70kgサイズの野豚。俺自身の思い込みがあるのは認めるが、これを狙った犯人は誰か、その答えを1つしか思い浮かべることができない。

 耳を澄ます。途切れ途切れに、荒い息遣いが聞こえてくる。間隔の短いその呼吸は、とても苦し気に聞こえた。同時にまた別の、ピー、ピーと弱々しい鳴き声まで聞こえてくる。……かなり、近付いたようだ。

 “彼ら”もそう、教えてくれた。

 

「…………」

 

 茂みを抜けると、そこは木々に囲まれながらも少し開けた場所だった。点々とする血痕の行く先には、かなりの年代物を思わせる苔にびっしりと覆われた倒木。かつて根っこであったのだろう部分に、それはいた。

 

「フー……フー……」

 

 荒い呼吸を繰り返しているのはやはり野豚だった。家畜の豚とは違い、猪のようにこげ茶色の体毛に覆われている。猪のそれとは違い、緩やかに湾曲する牙が目についた。

 ぐったりと横たわり、もはや動く気力さえないのか、俺に無防備な腹を見せたままだ。その腹には、授乳中だったのか小さな野豚達4匹が群がっている。先程の弱々しい鳴き声は彼らのものだったようだ。何かに怯えるように、4匹でぎゅうぎゅうに寄り添って、一心不乱に母親の乳首を吸っている。

 ……いや。1匹だけ、母親の口元で同じように横たわっている子豚がいた。母親はそれを慈しむように、体全体を舐めてやっていた。子豚の腹が、刃物で斬り裂かれたように赤く染まっている事に、気付いているのかは判らない。

 

「弾痕……2発も喰らって生きているのか」

 

 母親の腹に2つ、流血の原泉である赤い弾痕が見えた。これで、この辺りに銃を使った外敵、いわゆる人がいるということが判明した。……恐らく、敵基地の哨戒部隊か何かがいるのだろう。ようやく、敵基地の手掛かりを発見することができたわけだ。

 

「……確か、ニホンではウリボーって言うんだっけ……」

 

 4匹の小さな命を眺めながら、ぽつりとそんな言葉が漏れた。ガバをホルスターに仕舞い、右手にナイフを持ち変えて母親のもとへ近付いていく。

 ピクッと耳が動いた。どうやら俺の接近にようやく気が付いたようだ。それでも、動こうとはしない。じっとその瞳に俺を映したまま、微動だにしない。

 

 ──綺麗でしょう? 命の終焉(終わり)は……

 

 ……ああ。確かに、綺麗だ。……綺麗過ぎる。俺には到底、眩しすぎる美しさだ。

 

「……“切ない”、なぁ……ウリボー達よ」

 

 未だに、4匹のウリボーは母親の乳首を吸っていた。近付いていく俺には、見向きもしない。……それはそれでちょっと悲しいが。

 こいつらは、本当は何も考えていないのかもしれない。兄弟姉妹の死や、今にも死にそうな母親のことすら、実は気づいていないのかもしれない。このようにして外敵に襲われ、自身の肉親が死に母親が負傷したという状況であっても、ただ本能に従って乳首を吸っているだけなのかもしれない。野豚相手に何を感傷的になっているんだと今更ながらに気が付いた俺の葛藤なんて、気にして──いるわけはないか。これだけは。

 ────もし、母親が死んでしまったら。この4匹の内何匹が、成獣になれるのだろう。このウリボー達を産んだ母親のように、何匹が子孫を残すことができるのだろう。

 

「……どうするんだろうな」

 

 何が、どうするのか────自分が口にした言葉だと言うのに、その答えは出てこない。

 

 ──……あなたは優しいわ。……優しすぎる

 

 どこかで、苦笑を浮かべているような気がした。同時に、怒っているかもな、とも思った。

 今となっては、その1つ1つがよく思い出せない。……思い出したくないだけなのかもしれない。

 ナイフを握る右手に、力が籠る。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ~い」

 

 我ながら無意識に、間延びした声が出てしまった。……サーペントの視線を奪うことができて、自分でも予想以上に舞い上がっていたみたい。

 

「ほんと、鈍感なのか察しが良いのか……よく判らない奴ね」

 

 ぽつりとそんなことを呟きながらサーペントに背を向け、周囲の索敵を始めた。腰のホルスターからガバを抜き取り、ナイフと同時に構える。サーペントから教えてもらった、独特な構え方。状況に応じ、即座にガンファイトからナイフファイトへ切り替えることができる、というあまりにも理にかなった、効率的で完成度の高い戦闘技術だったから、疑問に思って誰かに習ったの? とサーペントに聞いたことがある。「……独学だ」と彼は言っていたけれど、まあ、見るからにはぐらかされたわけで、あまり詮索されたくないことなのだろうと思う。

 ……女、か……、と私は直感的に悟った。サーペントと過去に関わりがあった、この世界のどこかにいる──いや、いた女性。仕事上のパートナー関係にあったのか、それとも恋愛関係にあったのか、はたまたその他の関係か……まあ、私に判るはずがない。興味が無いと言えば嘘になるけれど、決して強がっているわけではなくその程度の興味しかない。強いて言えば、女性がこのような戦闘技術を持っているのか、と驚いたくらい。

 それでも、その女性がどんな人だったのか、については興味がけっこうあったりする。

 時おり彼は、何かを懐かしむような、哀しんでいるような、怯えているような、そんなたくさんの“感情”が1つに凝縮されたような表情(かお)になることがあるから。

 どこか他人と一定の距離を置いて、他人と普通以上の関係になることを拒んで……いや、忘れてしまったように生きているのが彼だと思っていたから。

 そんな彼の中に、未だに居座り続ける女性に興味が沸くのは仕方のないことだと思う。彼が恋愛感情を抱いているのかと言われると、そうとは思えないけれど……ちょっと悔しかったりするし。

 まあ、だからと言って彼から聞き出そうとすることは無い。恐らく、これからも。彼が話したくないと思ったのなら、無理に話させる必要は無い。…………なんだかムr──ムシャクシャしてきた。また今度襲ってやろう。

 

「……あら、ネズミさんこんにちわ」

 

 隣の茂みからひょっこりと顔を出したネズミに、なぜかあいさつしてしまった。もちろんネズミが返事を返すわけでもなく、無視されてしまう。……索敵索敵、と。

 特に異変は見受けられない。乾燥機が恋しくなるほど湿度の高い、高温多湿な気候。湿り気を帯びた、所々泥濘(ぬかる)んだ地面。朽ち果てた枯葉枯枝と売って変わって青々と茂る草木。……嫌になるほど暑い。ただじっとしているだけで、汗が体の至る所から吹き出てくる。野戦服の中に着込んでいるタンクトップはずっしりと重く、不快感を伴いながら肌に張り付いていた。……お風呂が恋しい。今すぐにシャワーを浴びたい湯船に浸かりたい。

 

「……ぅぇ~……汗臭い……」

 

 本当に、臭う。私自身の体臭なのに、気になってしまうほど。なのに何故、サーペントはあんなに臭わないのか。私に負けず劣らず汗はかいているはずなのに……。あいつの体内では何かよく判らない化学反応が起こってるんだと思う。じゃないと、ずるい。そんなに清潔さを気にしているようには見えないし、なんか、ずるい。……というか、むしろ好きな匂いなんだけれど……むしろいろいろと刺激的な感じなんだけど……。

 

「…………蠍が毒漬けにされてどーすんのよ……」

 

 ジャングルでの作戦行動では仕方のないこと、と割りきるしかないけれど、何せ今は私とサーペントの2人しかいないわけで。分隊単位での作戦行動ならば「自分以外にも、同じ人がたくさんいる」的な現実逃避に逃げることができるけれど、マンツーマン班単位で、となるとそうはいかないわけで。……サーペント、臭いとか思ってないだろうか。

 

「……はぁ……憂鬱だわ……」

 

 ふと、私達にこの任務を押し付けてきたブタ野r──基地司令の気色の悪い顔が目に浮かんでくる。……なんだろう、この気持ちは。無性にあの眉間へ弾丸を撃ち込んでやりたい衝動に駆られる。

 ……ああ、判った。殺意だ。

 

「というか、あんなに気持ち悪い人って本当にいるのねぇ……」

 

 殺意に続いて嘔吐感まで込み上げてきたので、あの基地司令のことは無理矢理頭の隅に追いやった。

 野戦服の袖で汗を拭い、途切れていた集中力を研ぎ澄ます。視界に映り込むわずかな異物や、自然からかけ離れたおかしな異音を逃さないように。

 

 カサッ。

 

 後ろ、と脳が判断する前に、脊椎反射で体は背後の茂みにガバを構えていた。断続的に葉擦れの音が聞こえてくる辺り、間違いなく何かがいる。

 

「…………」

 

 グリップを握る力を強める。トリガーに軽く指をかけ、それでいて体全体はほどよい緊張状態を保つ。……うーん、やっぱり嫌だな。この感触。

 初めて銃を握り、初めて人を撃ち、全身の筋肉が緊張のあまり痙攣を起こしたのはいつだったかな。確かあの時、私は言い様のない恐怖に襲われたんだ……。

 ────人を殺してしまったから、というわけではなくて。そんな中途半端な覚悟でこの世界に入ったわけじゃないしね。

 

 ────私は、こんなにも簡単に人の命が奪えることに、恐怖した。

 

 もう、こっちの世界に来てずいぶんヨゴレたな、と思う。いろんなことを知ったし、経験した。……我ながらマトモな生を送ってないなぁ。“人”って恐ろしい。

 まあ、今となっては多少の余裕が生まれるほどには場数も踏んできた、と自負しよう。相手方がどのように出てきても対応できる自信があった。……なんの根拠もないけれど。

 

 シュッ、シュッ……。

 

 ん? 今、明らかに葉擦れ以外の音が聞こえたな。鼻から抜けるような、どちらかというと動物的な……あれ? もしかして人じゃない……?

 

「……ああ、もうっ……焦れったいわね」

 

 意を決して茂みに近付く。私の首辺りまでの高さの植物が群生しており、見晴らしはまだ良い方。奥からは、水辺特有の生臭い香りを風が運んでいる。池か、沼かがあるのだろうか。

 ……まあ、もし相手方が人で、なおかつ私の敵となれば、姿の確認ができていない絶望的な状況に置かれているわけだけど、何も動きは無い。それがまた私の不安感を倍増させる。ここで無視し、後に危害が及んだとして、私だけならばまだしもサーペントがいるのだ。無責任な行動はできない。

 

「……ほんと、憂鬱だわ」

 

 むぅ~……、と唸る。再度、ガバとナイフを構え直し、ゆっくりと、それでいて臨機応変に反応できるよう五感を研ぎ澄ます。

 グチュ、と地面を踏み締める度に泥濘む。これでは相手方に自分の居場所を教えているようなものだ。いつどこから襲われてもおかしくない。──そして襲われたときは、間違いなく私は死ぬ。

 もし仮に捕虜にされたとしても、私は人としての扱いは受けられないだろう。……特に女なら、なおさら。

 ジュネーブ条約があるとはいえ、こんな最前線の、しかもゲリラのような集団が律儀に条約を守るとは思えない。そもそも、傭兵の私が適用範囲内にあるとも判らないし、問題になったとしても「正規兵じゃないから」とかなんとか誤魔化されるのがオチだ。

 思わず舌打ちしてしまう。暑さとは別に、先程から変な汗をかきっぱなしだ。……イヤなことを思い出す。

 

 ズズズズ……ポチャン。

 

 近かった。音の発生源が。

 

「……?」

 

 でも、何かおかしい。……足元から聞こえてくるとはこれいかに。

 

「……なんかオチが見えてきたわね……」

 

 音が聞こえてくる方角へ進むと、遂に茂みを抜けた。

 

「…………」

 

 目の前に広がるのは、沼地。水深が浅いのか、底の泥が遠目にも見えた。かなり水は綺麗だ。

 一見、自然の美しさを凝縮したような空間に見える。木々の隙間から降り注ぐ幾筋もの日光は幻想的な美しさを伴って水面に流れ込んでいて、群生植物と共に沼地を覆う木々からは青々とした枝葉が垂れ下がり、緑のカーテンを作り出していた。……ここがいいなぁ、サーペントとジャングルp──ゲホンゲホン。

 それでも、私はその光景に目を奪われることは無い。間違いなく。だって、すぐそこにモノスゴイことをヤっているお方がいたのだから。

 

 シュッ……シュッ……。

 

 ボアだ。南北アメリカ大陸に分布する、ニシキヘビ科と双璧を成す大蛇の1種。有名なのはアナコンダ、とかかな。大きいモノで9mを越す体躯を誇り、ほぼ筋肉でできたそのからだで獲物に巻き付き窒息死させ、丸呑みで美味しく頂戴するという、アレだ。

 ボアがぐるぐる巻きになっている。小さく見積もっても3mは越す巨体を、ウネウネと滑らかに絡み付けている。

 それも2匹、お互いに。これは……圧巻です、うん。

 

「うわあぁ……」

 

 思わず声が漏れる。丸太のように太く、3mを越す蛇が2匹、ぐるぐるのごちゃごちゃのでろでろ……もうよく判らない状態でてんやわんや、くんずほぐれつどすこいしているわけで……とにかくカオス。もうどこがどこなのか判らない。

 

「蛇の交尾、初めて見た……」

 

 とにかく、蛇の交尾は長いし激しい……的なことは知識として聞いてはいたけれども、実際目の当たりにするとこう、迫力あるなぁ……。

 うわあぁ……。鱗に覆われた、ぬめった体がガッチリとお互いを離さず、それはもう……ハッスルしていらっしゃる。文字通り絡み合いながら。……接近した私に気付いた様子はない。本能に従って、それこそ必死に次世代へ己の遺伝子を伝えるために、雄として、雌として交わっていらっしゃる。……うわあぁ……。

 

「……そうか。だから蛇ってアレの象徴なのか」

 

 妙に納得し、1人でうんうんと頷いた。

 

「……サーペントもあれくらい積極的ならなぁ……」

 

 楽しそうなのに、と呟こうとしたところで、後頭部に銃口を突き付けられた。

 

「────っ!!」

「動くな……」

 

 やられた……完全に後ろを取られた。一応、警戒は怠っていなかったはずなのに……。

 ……ん? 蛇の交尾に見とれて捕虜にされた、って……間抜け過ぎない……? どうしよう、なんか泣きそう……。

 

「バカだろ、お前」

 

 スパーン、と頭を引っ叩かれた。

 

「──いったぁ!?」

「ほら、立て。行くぞ」

 

 頭を押さえてうずくまる。涙目になりながら振り返ると、明らかな侮蔑の眼差しを向けたサーペントが立っていた。

 

「いくらお前が万年発情期とはいえ、蛇の交尾を見て興奮する変態だったとは思わなかったぞ」

「なんか失礼なレッテル貼られた!?」

「まあ、その……ほら、人の性へk──趣味は人それぞれだし、尊重されるべきだからな。動物の交尾を見て興奮する輩もいるということだろう。俺はべべべ別に軽蔑ししししたりしない。しないなぁ、うん」

「なんかおかしな方向に勘違いされた!?」

 

 ちょっとタイム。レフェリー、タイムをお願いします。少しは私の弁明を聞いて貰わないと本当に困る。

 

「……あれ、弁明できる要素が無い……?」

「ほら、行くぞ変態」

「……詰んでる……?」

 

 終わった……。なんかもう……いろいろと終わった……。どこからか某ベートーベンのデデデデーンが聞こえてくるよ。もう私の運命は決まった、みたいに現実を突き付けて来るよ……あ、某付けた意味無いや。アハハハハ……ウフフフフ……。

 

 呆然としていると、私とサーペント共有回線の無線機が、無感動に着信を知らせてくれた。何だろう、今だと無線機が可愛く見えてくる。

 サーペントが、耳の小型インカムに指を当て、回線を開いた。恐らく基地からの連絡だろうけれど、いったい誰だろう。周波数は……

 

「……こちらサーペント。感度良好だ」

《────おっぱい!》

「了解した。通信を終了する」

 

 あぁ……あいつか。

 

《あぁ! ちょっと待ってくださいキャプテン!》

「俺の知り合いにおっぱいはいない。以上だ」

 

 ゲンナリした顔になるサーペント。突然のおっぱい通信にかなりダメージを喰らったようだ。……見ていたら少し元気になってきた。

 

「……海月、調子はどう?」

《あっ! その声はスコーピオン先輩ですか?》

 

 頭がガンガンしてきたなぁ。インカムはずしたい。

 

《昨日の夜に、おっぱいに囲まれてる夢を見たんです! 今日はテンションマックスですよ!》

「わかった、わかったから、少し声のボリュームを抑えて……」

 

 インカムの奥で、「はぁーい」と素直に通信相手が引き下がったのがわかった。

 このおっぱい星人の名前は海月(キロネックス)。半年前にあの前線基地にやって来た傭兵。なんかもう……うん、いろいろと残念な子。

 

「……で? 通信兵でもないお前が、どうやって俺達に無線を寄越した? それに、まだ定期連絡の時間でも無いだろう」

《──申し訳ない、キャプテン……私のせいです……》

「……マック?」

 

 通信相手が変わり、あの生真面目なマックの声が聞こえてきた。

 

《はい。その声はスコーピオンさんですね? 実はこいつに脅されましてですね……》

《何言ってるんですか、マックさん。『通信させてくれないと、基地管制システム、潰しちゃうしちゃうぞっ』って言っただけじゃないですかぁ》

 

 語尾に星マークでも付いてそうな、ウキウキしたキロネックスの声。

 

《……ま、まあ、定期連絡規定時間まであと1時間ちょいでしたし、いろいろとこじつけて通信室への入室を許可しました。……クラッキングなんて冗談じゃない》

 

 最後の方はゴニョゴニョと何て言っているのか聞き取れなかった。……けど、まあ、声のトーンから、マックの頬が引き攣っていることが容易に想像できた。

 『天才と変態は紙一重』。キロネックスがモットーとする言葉だ。……もうここからして残念臭がプンプンする。

 傭兵としての能力もさることながら、この子は表向き変たi──天才ハッカーの肩書きを持つ。……どちらかというとクラッカーに近い気がする。

 あとは……そうだなぁ、無類の漫画好き。特にニホンのコミックが大好きらしく、よく私やサーペントに貸してくれる。……実は2人とも、ちょっとハマっていたりする。この子にわざわざニホン語を習うくらいには。今読んでいるのは『ワイルド7』とか……────

 

「……まあ、いい。良くないが。ついさっきちょうど、手がかりを発見したところだ。近くに奴らの哨戒部隊がいる可能性がある」

《……ポイントとしてはスタートポイントから南下して40マイルの地点ですか……了解です。上に報告しておきます》

「頼む」

 

 あら、いつの間にかそんな手がかり見つけてたんだ。…………私が見つけたものと言えば……蛇の……ウグッ。

 

「それで? キロネックスがわざわざマックを脅してまで通信をよこさなければならない理由はなんだ?」

《それは、ですね…………》

 

 途端、キロネックスが声をひそめる。かなり、深刻な話のようだ。……まさか、基地司令がまた何かやらかして来たのだろうか……?

 

「……何かあったの?」

《……キングギドラの数え方って、1頭なんですかね? それとも3頭?》

「切るわね」

 

 ふざけるんじゃない。せっかくのシリアスな雰囲気を返して欲しい。なんだ、キングギドラの数え方て。ちょっと気になってきたじゃない。

 

《わあー待った待った、姐御! 冗談ですって!》

「誰が姐御よ」

「キロネックス。悪ふざけも大概にして要件を話せ。いつまでも敵地で無防備な様を晒すわけにはいかない」

 

 サーペントの頬もわかりやすいほどに引き攣っている。普段、滅多に激昂したりしないサーペントが、マジギレ状態になる前兆だ。

 ……まあ、当たり前でしょうね。突然、無線で呼び出されたかと思えばおっぱいと叫ばれ、挙句の果てにはキングギドラの数え方云々だ。……多分、私の頬も引き攣っている。

 

《新戦力の投入ですよ! この基地に、新しい傭兵部隊が編入されるんです!》

 

 ……とすると、ケリー達がやられた分の増援、ということだろうか。正規軍兵士の増援ではなく傭兵達を雇い入れているあたり、この国もいろいろと苦しい状況に置かれているみたい。

 それでも、たかが新戦力投入というだけで、キロネックスがここまで騒ぐというのがどうにも腑に落ちない。何か、特別なことがあったのだろうか。

 

「……部隊、とすると、傭兵個人個人ではなくて、1つの団体として雇い入れた、ということか?」

「……あ、傭兵()()、か」

 

 珍しいこともあるのねぇ。傭兵が部隊を作るなんてそうそうあることとは思えないけれど。……よくよく考えてみれば私たちがそうだった。

 

《そこの部隊長の名前、何かわかります?》

 

 キロネックスの、どこか楽しげな声音。見るからに聞いて欲しいオーラを放っているので、とりあえず聞くことにした。

 

「……で、誰なの?」

 

 このあと、キロネックスが興奮気味に叫んだ名前に、私は今日1番の驚愕を受けることになる。銃口を突き付けられた時以上に。多分、サーペントも同じようなものだったはずだ。

 

《BIGBOSSですよ! あの! 有名な!》

 

 




野豚の子どもはウリ坊というかはわかりません。多分言わないんじゃないかな……まあいいや。

キロネックスは、あれですよ、あれ。ビリリッってくる、アレ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

振り切れない苦い毒

 あの日は確か、蛇に噛まれる夢を見て目が覚めた気がする。

 ────真っ白で、綺麗で……とても哀しそうな蛇だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ソレは突然やって来た。

 私はいつものように眠りから目覚め、いつものように顔を洗い、いつものように家族と顔を会わせ、「おはよう」と声を交わした。どうしようもないほど、いつもの日常だった。

 

 私の家は小さな雑貨屋を営んでいた。繁盛はしていなかったし、生活もお世辞にも贅沢とは言えず、むしろ貧しい方だったけれど、私達は楽しく暮らしていた。家族と共に過ごせることが幸せだった。

 私達の町は自然に囲まれていた。私を含むたくさんの子ども達はたくさんの動植物と触れ合って育った。暇を見付けては、友達と共に花を見に行ったりもした。

 決して裕福な町ではなかったけれど、笑顔の絶えない、明るい町だった。

 

 父は基本、穏やかな人だった。1本筋の通った人で、めったなことで怒ることは無いけれど、怒ったら……な人、だったと、思う。

 母はとても美しい人だった。父に何かとちょっかいをかけては狼狽える彼を手玉に取るイタズラ好きな女性だった。そして、父を愛しているということは私にもわかっていた。多分、内面は乙女だったんだろう。私がいるにも関わらず絶えずイチャイチャしてた気がする。

 その年、私には妹ができた。歳の差が10歳以上もある妹だった。その頃になると子どもだった私も、いわゆる性の知識とやらに興味津々な時だったわけで、まあ、その……父と母の夜の営みはちゃんとあったんだなぁって思った。……ま、それを差し置いても十分幸せだった。スヤスヤと母の腕の中で眠っている妹を、父と共にニヤニヤしながら眺めていた気がする。頬がゆるむのが止められなかったんだろうなぁ。うん。子どもながらに将来の旦那さんのことを夢想したりもしてたっけ。

 新しい家族も増えて、私達は本当に幸せだった。ありがちだけれど、本当にいつまでもこの幸せが続くものだと信じて疑わなかった。

 

 そして、ソレはやって来た。

 

 妹が生まれてから1年後、私の故郷(くに)は内戦状態に陥っていた。政権を巡って対立した2大勢力が各地で衝突を繰り返し、政権を取り逃がした勢力側はゲリラ活動を展開して現政府に反旗を翻し、政権を勝ち得た勢力側は正義の名の下に鎮圧作戦を発動した。

 自然、社会は非常に不安定な状態になっていた。

 各地で生活苦による暴動が起き、多数の民間人が巻き込まれ死亡するケースが相次いで起こったり、混乱に乗じて「この国の自由のために」とかなんとか綺麗事をヌカして無意味なテロ行為を行う輩が爆発的に増加した。市民は自ずと武装し、自警団なるものを組織して身を守った。1年前が嘘のように、人々の心は荒み、いつしか笑顔が見えなくなった。

 ある日の朝。私達はいつものように固いパンと薄いスープで朝食をとっていた。社会がどうあろうと、一家団欒は健在だった。

 確か、パンをちぎって口に運んだ瞬間だったと思う。

 表の通りから突如、耳障りな銃声が響いた。同時にたくさんの断末魔の叫びが聞こえた。車が走り回っているエンジン音も聞こえた。

 私達家族は、時が止まったかのように動かなかった。みんな、外で何が起きているのかわからなかったんだと思う。父はスープをすくったスプーンを持ったまま、母は朝食を溢した妹の口元を拭おうと腕を伸ばしたまま。私は確か……もう一度パンをちぎろうとしたまま、だったかな。唯一、妹だけは泣いていた。

 ドアが蹴破られた。突入してきたのは正規軍の兵士だった。

 

 ──おとう……さ、ん……?

 

 早々に父は撃たれた。椅子に座っていた父は、真っ先に突入してきた兵士にアサルトライフルで撃ち殺された。放たれた弾丸が父の右目を貫通し、()()()その射線上から少しずれた位置に座っていた私の側頭部を抉った。遅れて父の頭から吹き出る血を浴びながら、私は気を失った。

 妹の泣き声が、嫌に遠く感じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「────っっ!!?」

 

 目が覚めた。

 手が震えている。力が入り辛くてもどかしい。そんな手を使って、脂汗をかいている額を拭う。呼吸も荒く、動悸もなかなか収まりそうにない。……苦しい。肉体的に、ではなくなぜか苦しい。

 周囲は真っ暗、何も見えない。この世の光が全て無くなったのではないかと錯覚してしまうほど永遠の闇が私を包み込んでいる。……苦しい。辛い。どうしようもないほどの孤独と……恐怖が私を蝕む。よりいっそう、謎の苦しさを倍増させる。

 寒い。コロンビアのジャングルは永遠の夏だ。寒い。震えが手から体全体へ広がっていく。私を蝕んでいく。寒い。膝を抱え込むように体を丸める。悪寒は消えない。寒い……。

 

「……しっかり休んでおけ。2時間後には日の出だ。すぐに出発だぞ」

 

 はっと顔を上げる。私を包み込んでいる闇の中に於いて唯一の光がそこにあった。他人の声が聞こえたのが気持ち悪いほどに嬉しい。私は独りじゃない……私は()()、独りじゃない……そんな思いが、心の淀んだ奥底から迫り上がってくる。

 

「……あなたは……寝てないの?」

「お前の唸り声で目が覚めた」

 

 多分、嘘だ。先に寝てしまった私のために寝ずの番で周囲を警戒してくれていたんだと思う。あまり表には出していないが、抑えられたランプの光で照らされているその顔に疲労が滲み出ていた。

 「はぁ……」と溜め息をつきながら、ガシガシと頭をかくサーペント。もともと荒れ放題だった頭がさらに悲惨なことになっている。思わず吹き出しそうになりながら、私は言った。

 

「ごめん、今度はあなたが寝て。見張り、代わるわ」

 

 いつのまにか、不快な動悸は収まっていた。恐怖も、手の震えも、悪寒も無くなっていた。

 

「イヤだね。寝込みを襲われたら一溜まりもない」

 

 私に、ということだろう。正直今はそんなことを考えている余裕は無かったが、まあ、この男はそれをわかった上で言ってきている。

 

「ソレはソレで魅力的だけど、やっぱり正々堂々と襲った方が楽しいじゃない?」

「開き直るとこ、おかしいぞお前」

 

 おかしいことくらい、私だってわかっている。私はもう、普通じゃない。

 

「ま、なんにせよ見張りは代わるから。サーペントも少しは休んで。ね?」

「……まあ、ありがたい申し出なんだが……もう目が冴えてしまっている。寝るのは難しそうだ」

 

 そう言ってゴキゴキと首を鳴らし、サーペントは口を閉じた。おもむろにナイフを取り出し手入れを始めている。特にすることもなく、話すことも無かったので、私はただその光景を眺めていた。

 

「…………」

 

 悪寒が去った今になって意識し始めたけど、相変わらず暑い。昼間に比べるといくらかマシになっているけども。

 やたらと周囲の些細な音を、耳が敏感に拾っている。吠え猿の遠吠えや鳴き虫のリズミカルな音。夜行性の動物達の息吹き。自然が私達を覆い尽くしている。文明社会から遠く離れたこの地では、人間なんていかに小さいかを思い知らされる。────美しく神秘的でありながら、この世で最も残酷な地。

 

「……暑い」

 

 サーペントの呻くような声が聞こえた。見ると、ナイフを仕舞い、迷彩柄の野戦服の袖をたくし上げている。

 

「メフロキンは……まだ保つわよね」

 

 メフロキン──抗マラリア剤の一種。最近アメリカで開発されたらしい新薬で、キロネックスとマックが持ち前の広いネットワークを使って手配してくれた。ハマダラカに刺されることでマラリア原虫が媒介され、40℃近い高熱、頭痛、吐き気を催す原虫感染症(マラリア)の予防薬として、私とサーペントはこのメフロキンを服用している。

 マラリアに感染しないためには、極力ハマダラカに噛まれないことが前提になるわけなのだけれど、まあ、どっちにしろ全てを防ぐのは無理な話。この辺り一帯で抗マラリア剤に耐性のある原虫が確認された、という報告は聞いたことが無いので、なるべく肌の露出を控えてメフロキンの服用、という二段構えでマラリアの対策としている。

 

「今は大丈夫だ。近くにハマダラカはいない」

 

 いつもとさほど変わらない、ボーッとした表情のままサーペントが呟いた。

 

「……あなたって、ソコだけは妙に人外染みてるわよね」

「はっはっは……よく言われるよ」

 

 だけ、と言ったけれど、彼の銃器を用いた戦闘、大雑把に言えばガンファイトの技術()かなり人外染みていると思う。けれど、銃の特性を理解し尽くした、まさに銃その物と言っても差し支えないような彼は、どういう訳か銃器が“苦手”らしい。

 苦手、という言葉の意味をそのまま解釈するわけでもなく、不思議な言い回しに首を傾げたが、サーペント本人も自分の言い回しに違和感を覚えているようで、まあ、彼のよく判らないトコロの1つだ。

 

「ふーん……」

 

 それなら、と野戦服を脱ごうとしたけれど、やっぱり止めた。サーペントと同じように袖をたくし上げるだけに留めておいた。

 とそこで、彼の右腕が目に入る。

 裂傷でも刀傷でもない、白い(へび)が彼の右腕に巻き付いている。……妙にそこだけ、淡い光を帯びているように見えた。

 普通の痣じゃない。それは一目瞭然だと思う。例え傷を負ったとして、普通はこのような傷付き方はしない。彼の体を初めて見たとき、真っ先に思ったのがそんなことだった。じゃあ何なのか……それは今でも判らない。

 

「……お前、嫌にこの痣のこと気にするよな」

 

 おっと。ふと気がついたらサーペントがそんなことを言ってきた。思った以上に見つめ続けていたみたい。……どこか、探りを入れるような声音だったのが気になるけれど。

 

「……そうね。確かに気になるなぁ」

 

 口では戯けた声を発しているものの、私はサーペントの真意を探る。

 ……自分が、心底嫌になる。少しでも相手側に違和感があればすぐに警戒心を抱いてしまう、自分が。ましてやサーペントに対してなんて。でも、たぶんもう……一生この癖は治らない。

 

「大抵、こんな醜い痣──傷痕があるのを他人が知れば、それを負った経緯やら何やら聞いてくるもんだ。……お前はしてこなかった」

 

 普段、そこまでおしゃべりではないサーペントが、珍しく饒舌だった。

 

「かと言って割り切ってるのかと言えば違う。今のように、ちょくちょく気にする素振りを見せる……しかも“お前”が、だ」

 

 見抜いている、私の本質を────この瞬間、私はそう思った。故に、この男の前では隠し事なんて到底できはしない、とも思った。

 

「……強いて言えば、似てるから、かな」

 

 いつもの私なら、笑って誤魔化していたと思う。自分から自分のことを話そうとしたりしない。明らかにいつもの自分じゃない。────ここ最近見ることが少なくなった、あの夢のせいで、幾分か感傷的になっている。

 それでも、サーペントは()()()聞いてくれた。

 

「…………」

「何に、って聞いてくれないのね」

「……聞いた方が良いのか? 少なくとも俺には、お前は聞いてほしくないと思っているように見える」

「……私、あなたのそういうところ、好きよ」

 

 そして、とても有り難い。私のような、無意識の内にでも壁を造ってしまっている人種からしてみれば、特に。他人との境界線をはっきりと定義し、ソレ以上は極力踏み込まない、どこか冷酷で、どこかフランクで、どこか哀しさを秘めた繋がり。

 同じ人種だからこそ、できる芸当。たぶん彼も、どこかにぽっかりと穴が空いている。

 ……だからこそ、だと思う。

 話してみようと思った。今まで誰かに話そうと思ったことすらないけれど、特に何か変革を求めているわけでもないけれど、彼から特別な見返りを求めているわけでもないけれど……ただ、特に意味もなく話してみようと思った。

 ただ、今私の“中”に巣食うこのモヤモヤを、無意味に吐き出したかった。

 

「蛇よ。……白い蛇」

 

 ランプで朧気に浮かび上がるサーペントの影がピクッと動いたように見えた。

 

「あなたの腕の痣と……私の夢に出てきた、蛇」

 

 膝を抱える腕に、力を込める。

 

「私が初めて人を撃った日の夜に見た夢でね……今でもはっきり覚えてる」

 

 ほぼ無意識に、目を瞑った。同時に左手が、側頭部にある2つの裂傷に向けて伸びる。

 

「家族を、全てを無くして……死のうと思って、でも死ぬのが怖くて、そして失敗して……泣きつかれて眠ってしまって……」

 

 父が即座に撃ち殺され、同時に気絶した私が覚醒した時に目の前に広がっていた光景はまさに地獄だった。……まだ、母と妹が血の海に横たわっていた、とかの方がマシだったと思う。

 母は、殺された父の遺体の目の前で複数の兵士に輪姦(まわ)されていた。

 私はロープで後ろ手に縛られ、床に転がされていた。妹はまだ幼すぎた故か、特になにもされず私と同じように床に転がされていた。泣き叫んでいたと思う。

 その現状を認識した途端、私の世界から音が消えた。何かが壊れて、何かが崩れ落ちて────何かが弾け飛んで、視界が真っ赤に染まった。側頭部の痛みはアドレナリンのお陰か、ほとんど痛みを感じなかった。

 

 ──……ぐぇっ

 

 男共が母の体に夢中になっている隙に、床に落ちて割れた花瓶の破片でロープを切った。……かなりおかしな思考回路になっていることに、まだ私は気付いていない。手頃な距離にいた、己のモノをシゴいて自慰に耽ってる男の首を、その破片で掻き斬った後は本当に記憶がない。視界が完全に赤一色に染まったまま…………。

 気付くと、その場で息をしているのはハンドガンを握った私だけだった。

 

「全部がゴチャゴチャで、もうわけが判らなくなってて……5分置きに目が覚めてたと思う。そんな時に、その白い蛇が出てきたの」

 

 もしかしたら、夢と現実の区別が付かなくなっていて、あの蛇は本物だったのかもしれない。

 でも不思議と、その後はぐっすりと眠れた。

 

「……いつ頃の話だ?」

 

 聞きようによっては、冷たすぎる受け答え。特に事の詳細を詮索してくることもなく、特にいつもと変わらない声音で、特に興味が無いとでも言うかのようにサーペントが聞いてくる。……その様子に何故か安心する。

 

「ん~……6年前、ね」

「……1年後、か」

「……どうしたの?」

 

 どうもサーペントの様子がおかしい。そんな雰囲気がこちらにも伝わってくる。

 

「いや……この痣は、その1年前にできたものだ。俺は当時、ソ連にいた」

 

 おっと。かなり爆弾発言が聞こえたな。え、何? ソ連にいた?

 

「さらっと凄いこと言ってきたわね」

「……何をしてたんだ、って聞いてこないのか?」

 

 ニヤリと笑いながらサーペントが悪戯っぽく言ってくる。どこかで見たことのあるやり取りだ。間違いなくこの男、判ってて言ってきている。

 負けじと私は、彼に向けて中指を立ててやった。

 

「聞いたって話す気無いでしょ」

「まあな。それに……話すことはできない。恐らく、一生」

「……意味深ね」

 

 判ってはいたことだけれど、少し残念な気持ちになってしまう。……他人に興味が湧かないように生きてきた私だけど、何故かこの男には惹かれてしまう自分がいる……。

 強がりとかではなくて、恋愛感情とかそんな生易しいものじゃなくて──ただ純粋に、その人となり──人間として惹かれるのだ、この男には。

 

「はぁ……話し疲れちゃった。サーペント、何か面白いお話して」

 

 特に、何も意識せずに口から漏れた言葉だった。返事も期待していない。無かったら無かったで、夜明けまでボーッと起きておこうって思っていた。

 だからこそ、彼から返事が、それも本当に──面白いかは別として──お話を聞かせてくれる、と判った時は、自分から言い出したことだと言うのに凄く驚いた。

 

「……俺の家は、代々続く典型的な軍人の家系だった」

「…………」

「なんだその顔は。虚しくなってくるだろうが」

 

 あまりにも呆けた顔をしてたんだと思う。サーペントが「し、仕方ないだろう。面白い話なんて俺にできるわけが……」と、珍しくバツが悪そうに頬を掻いていた。まあ、彼なりの気遣いというヤツだろう。……ちょっと嬉しい。

 

「……ふふっ。いいわよ、続けて」

「いや、続けてと言われると余計話し辛いんだが……」

「いいから。それに、そこまで話されるとけっこう気になる」

「……はぁ……親父は……詳しくは知らないんだが、かなり変わり者だったらしくて……軍には所属せず家系唯一の傭兵だったそうだ。そして何故か、第一次大戦後にドイツに渡って、ドイツ国籍を取得したらしい」

 

 これはまた珍しい経歴の人物なことで。大戦後のドイツはかなりの混乱状態にあったはずだけど……わざわざそこに飛び込んでいくほど、何かそれなりのものがあったのかな。

 ……まあ、たぶん彼の口振りからしてもう生きてはいない。

 

「当時、軍備縮小で巷に溢れ返っていた元軍人達を集めて、小さな運送会社を経営してたんだと。だが第二次世界大戦が勃発すると、そこに目をつけられて纏めて徴兵されたらしい。……まあ、昔の傭兵としての血が騒いだりしたんだろう。もしかすると、次の大戦を予見してたのかもしれない」

 

 俯瞰的に、時代の流れを、大局を見つめることができる人物だったということ、なのだと思う。こういった能力を発揮する人物は、思いの外少ない。

 

「そのメンバーを元に特殊部隊を結成し、かなりの戦果を挙げたと聞いている。フランス占領後はそのままそこに常駐し、連合国側のフランス侵攻の兆しが濃厚になると、ノルマンディー付近に第7軍所属特殊部隊として配属されていたそうだ」

 

 「そこであの、ノルマンディー上陸作戦が発動されたわけだ」と、サーペントは特に表情を変えることなく言った。彼からしてみれば、特に感慨ある“思い出”話ではないということなんだろう。そもそもサーペントはまだ産まれてすらいないはずだ。

 

「親父の部隊は、連合国軍最強の特殊部隊と渡り合っていたそうだ。“コブラ部隊”……聞いたことはあるだろう? 特殊部隊の母、戦士(ヴォエヴォーダ)と呼ばれた伝説の兵士、ザ・ジョイが率いた部隊だ」

「ザ・ジョイ……?」

「…………ああ。すまない、ザ・ボスだ」

 

 ザ・ボス。兵士ならば1度は聞いたことがあるだろう軍人。……ここ最近は、あまり()()()は聞かない。その話が出る度、やれ売国奴だ、やれ狂人だとメッタクソにいい放つ輩ばかりだ。……よくも知らない、見聞きしただけの人物を何故そこまで口汚く罵ることができるのか、私には疑問だったけど。

 

「7月12日、親父はその戦いで死んだ。殺したのは、コブラ部隊に所属していた祖父だ。実に20数年ぶりの再開だったらしい。……部隊は善戦したが、親父が死んだことで結果的に崩壊した」

「…………」

 

 開いた口が、塞がらなかった。

 同時に、いろいろと頭が混乱して来ていたりする。……祖父が、サーペントの父である自身の息子を殺した、と。…………いやいやいや、いったい祖父の年齢はいくつなのだ。

 それに、あまりにもサーペントが淡々と、何事もないかのように言ってきたから大事なところを忘れていた。────肉親同士で殺しあっていた、ということになる。

 

「……はっはっは。祖父は当時、80歳を越えていたらしい。それで現役バリバリだったんだから、恐ろしいもんだ」

 

 いや、笑い事じゃないと思う。

 

「後に遺された母は、憔悴のあまりポックリ逝ってしまったそうだ。生まれたばかりの俺は、最終的にその祖父に引き取られた」

 

 そこまで言い切り、「はぁ……」と息を吐いたサーペントは力なく笑った。……全てが抜け落ちていくような、そんな嘆息だった。

 途端、私は眩しさに目を瞑る。気付けば、東の方角から木々の合間をぬって、日の光が射し込んできていた。

 

「俺の体には、アメリカ人とドイツ人の血が流れている。……ま、だからなんだって話だがな」

 

 

 




うわー祖父ってダレダロナー(棒)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愛国心無き者達

1970~01年って良くわからない。スネークさん何してたんだろ……。


 らしくもない、我ながら恥ずかしい過去のお話をスコーピオンに語ることになってしまった夜が明け、俺達は南下を開始。2人に纏わりついた、何かドロドロした(モノ)を必死に振り払いつつ、蒸し風呂のようなジャングルを南下する。

 太陽が既に上空へ姿を現している。射角が浅いとはいえ強烈な日光が気温を徐々に上昇させ、大地に含まれる多分な水分を水蒸気として蒸発させていく。結果、ただでさえ高い気温がさらに高く感じてしまう。湿度が上昇し、汗が乾く速度が鈍り、熱中症の危険度も増してくる。

 

「……妙だな」

 

 現地入りしてから既に3日が経つ。猶予は4日とない。それまでに敵前線基地を見つけなければ、任務失敗だけではなく作戦にまでかなり影響を及ぼす。

 焦りが無いと言えば、嘘になる。司令にどういわれようが構いやしないが、キロネックスやらマックやら他に世話になっている奴らに迷惑をかけるのは避けたい。必ず成功させなければならない。

 ……まあ、正直に言ってかなり無謀だ。正確な情報が無い区域の、正確な情報が無い地点にある、正確な情報が無い標的を見つけ出す斥候任務を、たった2人に任せている時点でこの作戦は既に破綻している。おそらくあの司令、作戦発動の準備だけはしておいて俺達が成功したならそれはそれでラッキーぐらいにしか考えていないだろう。大規模な、とか言っていたが、これだと最終的な増援もあまり期待できない。

 群生する植物の枝葉をマチェットで切り飛ばし、ゆっくりとだか確実に歩を進める。時間を確認。10時ちょい過ぎ。まあまあ良いペースだ。ジャングルに於ける徒歩での移動という特殊条件下にしては、俺も、スコーピオンもなかなか良い速度で移動できている。

 

「おかしいな。明け方には出発するはずだったのが、何故か明け方から今までの記憶がスッポリ抜け落ちている」

「不思議なこともあるものねぇ。私達結局寝ちゃったのかしら」

「……おかしいな。延髄辺りに違和感を感じるんだが」

「不思議なこともあるものねぇ。誰かに手刀でもイれられたんじゃない?」

「おかしいな。お前、心なしか目にハートが映ってないか? 妙に肌も艶々してるように見えるんだが」

「不思議なこともあるものねぇ。まさか私が、あなたをアレしてイロイロと吸いとったとか、そんなわけ無いでしょう?」

「そうか。そうだよな。ハハハ」

「ええ。そうよ。フフフ」

「「HAHAHAHA」」

 

 さあ、ゆっくりしている場合ではない。俺達に残された時間は少ないのだ。

 

「それで、スコーピオン。()()()()()()?」

「美味しく頂きました♡」

「てめぇこのヤロウ」

 

 ……わかってはいる。わかってはいるのだ。この女が俺を襲っていないことぐらい。こいつがこいつなりに気を回してくれていたことぐらい。……大丈夫だよな?

 だが素直に認めるのも癪だ。それが、俺の口をついて出る言葉にトゲを被せてしまう。

 

「でも、ゆっくり休めたでしょ?」

「…………」

「そりゃ、時間は多少ロスしちゃったけど、あなたの回復のためには必要経費じゃない?」

「……まあ、な」

「もっと素直になりなさいな。男のツンデレに需要は無いわよ?」

「誰がツンデレだ。いつお前にデレた」

「ん~……()()()()無いわね」

「そら見ろ」

「でも──私もだけど──ベッドの上じゃけっこうノリノリじゃない」

「やかましいわっ! 急に生々しい話をするな!」

「あら、サーペントったら顔真っ赤にしちゃって……カーワーウィーイー」

「なんか今日のお前果てし無くウザいな!」

 

 ……ふむ。案外、振り切れてはいる。こいつ(スコーピオン)も……俺も。

 

《──キャプテン大変ですおっぱいですおっぱい!》

「うるせぇっ!!」

《ええぇぇ──》

 

 …………ああ。こいつらといると、わりと落ち着いていられる。落ち着いている方なのだ。()()()、な。

 

 

 

 ***

 

 

 

《──うるせぇっ!!》

「ええぇぇ──って切られちゃいましたよ。いきなりなんて酷いです、キャプテン」

「…………」

「どうしましょう、マックさん」

「とりあえず、そのおっぱいの連呼をどうにかしないと」

「キャー、こんな朝っぱらから『おっぱい』だなんて、マックさんのえっち~」

「…………」

 

 マックが拳を振り上げる。顔はわかりやすく引き攣っており、笑ってるのか怒っているのかよくわからない表情だ。文字に起こせば「クワッ(#゚Д゚)ノプルプル」的な顔だ。正直、あのくそ真面目なマックなだけに見ている傍観者からしてみれば面白いことこの上ない。

 

「……み、ミスター・鮫影(サメカゲ)。……1発私をビンタしてもらえなかろうか……?」

 

 そこへ来たマックの依頼。このイライラを誤魔化すために、ということか。

 ならその振り上げた拳をそこの天然アホウに見舞ってやればいいのに……と思ってしまうが、まあ、そこが俺とマックの違いなのだろう。心の優しい奴だ。……言葉使いがおかしくなっていることは横に流す。

 

「はっはっは。遠慮しておくよ。コロンビア屈指の鬼軍曹にゃぁ、恐れ多くて手を挙げる気になれん」

 

 「そんなぁ……」と怨めしそうにこっちを見やるマック。両手を挙げビンタの意思がないことを示すと、仕方なさそうに「はぁ……」と溜め息を吐き、振り上げた拳を下ろした。怒りは治まったと見える。

 

「キロネックスも大概にしておけよ。またサーペントに〆られるぞ?」

「…………」

 

 途端、にこにこと笑っていたキロネックスはガクブルと震え出す。あの鬼軍曹(マック)相手にあれだけ余裕を見せていたのはどこへやら、通信席の椅子に膝を抱えて座り込み、肩で大きく息をしている。よほどのお仕置きにあったのだろう。日常生活に支障は無いが、こうしてサーペントのお仕置きをチラつかせれば、案外こいつは簡単に黙る。……心なしか、頬がほんのりと上気しているのが気になるが。もしや恐怖ではないのか……?

 …………あの若造、いったいこいつにどんなお仕置きを施したのだ。

 

「……ミスター・サメカゲ。キャプテンはいったい何者なんでしょうか……?」

「……まあ、底は知れん、とだけ言っておこう」

 

 むしろ俺が知りたいくらいだ。あの若さで俺達傭兵を纏め上げる手腕。何かバックでも付いているのか、身内しかその存在を知らない莫大な運用資金。あらゆる兵器に精通し、終いにゃ俺とヘリ操縦テクニックにタメ張る始末。

 何よりその腕っぷしの強さ。……日本にいたころ柔道空手を“それなり”にかじった身としてはまだまだ敗けるつもりは無いが。まあ、俺もそろそろ年だからな。……あまりこれを理由にしたくはない。

 

「マック。件の部隊が到着するのは何時だったか?」

「えーと、確か……午後の2時頃、ですね。最初に、司令と面会するはずです」

 

 4時間弱は時間がある。いろいろと片付けてから飯でも食って、射撃訓練場に行こう。ここ最近、銃把(グリップ)よりも操縦桿(スティック)ばかり握っていたからいい機会だ。

 

「キロネックス、お前はどうする?」

「……うー……ピトのおっぱい揉んできます……」

 

 「癒しが……足りない……」と危ない空気を醸し出しながら、キロネックスが通信室を出ていく。……今あいつグヘヘッて言ったぞ。

 哀れピト────もといピトフーイ。毒を自衛にしか使えない者はこの最強種の触手(どく)に絡め捕られるしかない。

 

「……いやまずいでしょ」

「気にするな。ほれ、マックも来い」

 

 

 

 ***

 

 

 

「……む」

 

 射撃訓練場であまりの腕の落ちように若干の焦りを覚え始めた頃。既にマックはどこかへ行ってしまった。

 

「……俺もやらせてもらおう」

 

 と、突然現れた、額にバンダナを巻いたその男はマックではない。ふらっと自然な動きで俺の隣に立った。……漂ってくるのは、葉巻の香りだろうか。

 

「……む?」

「…………──ッ」

 

 有無を言わさず、男は構えたアサルトライフルM16を標的に向け発砲。3点バーストにより射ち出された弾丸は、正確に標的へと吸い込まれる。

 

「ほう……」

 

 思わず感嘆の声がこぼれる。結果は満点。標的に描かれた人を模した像は、頭部に3ヶ所、綺麗に風穴を開けていた。

 かなりの腕だ。通常の体勢から射撃にまで持っていく時間の短さ、流暢さ、華麗さ。そして射撃の正確さ。────初めてサーペントに会った時を思い出す。

 

「……この基地に、()()()()()名の知れた傭兵部隊がいると聞いたんだが」

「…………」

「む、あんた日本人か? あー……スペイン語わかるか?」

 

 軽く身構える。わりと名の知れた俺達────それもこんな仕事を生業とする者達だ。良く思わない輩は5万といる。FARCを相手取っているのだ。麻薬シンジゲートの連中に命を狙われた事も零ではない。

 では、この男は何者か────わからない。肌は日焼けして浅黒いが、見たところ白人だ。オールバックにしたブラウンの髪に雑に生やした無精髭。横顔から覗く左目は綺麗なブルーだ。

 時計を見る。午後2時過ぎ────むっ、と思った。

 男は流暢なスペイン語で話しかけてきた。ある程度はこの(コロンビア)に通じていると見える。腕も一流────見るからに只者ではない。

 気紛れにキロネックスが漁った、基地の記録(ログ)から見つけてきた、とある部隊の契約データを思い出す。……なるほど。こいつか。

 

「……ふむ。お前がBIGBOSS (ビッグボス)か」

「はっはっは、ご名答。だがそのビッグボスというのはやめてくれ。そんな大層な男じゃない」

 

 男は快活に笑う。

 一見、好男子に見えなくもないその顔には右目の眼帯が良く栄えている。どちらかと言えばダンディな色親父と言ったところか。若くもないが俺ほど年老いてもいない、もしかすると若いが年以上の貫禄を備える男だ。

 野戦服の上からでもわかる、鍛え上げられた肉体に、何より彼自身が醸し出す雰囲気に迫力がある。どうやら「伝説の英雄」とは名ばかりではなく本当らしい。

 

「まさか日本人とは思わなかったが……」

 

 ……ああ、この男は勘違いしているようだ。

 

「お前が思い描いている男と俺は、恐らく違うな。俺はサメカゲ。どういうわけか、ここの連中は皆──」

「ミスター・サメカゲ、と呼ぶ」

「……ふむ?」

 

 当然の疑問を、視線で問う。男も感付いたようで、隠す素振りもなくすぐに訳を話始めた。

 

「いやなに、あんたらに興味がわいたんでな。……少しばかり調べさせてもらった」

 

 ……面白い。俺は警戒を解いた。

 次に移った興味は、この男がなぜ、わざわざ俺に接触してきたか、だ。

 

「元大日本帝国海軍所属、零戦パイロット……のサメカゲ。そうだろう? まったく40過ぎには見えないが……」

 

 「調べれば調べるほど、あんたらの部隊には興味がわく」と、目の前の男は言った。

 

「部隊長の異名が『アマゾンのシモ・ヘイヘ』と知ったときは笑ったがな」

「言ってくれるな。あいつ、わりとそれ、気にしているんだ。恥ずかしい、ってな」

「ははっ。だがそれほどの凄腕というわけだ」

 

 男は言いながら、葉巻を取りだし「吸うか?」と聞いてきた。俺は首を横に振り、「禁煙中だ」と答えた。 

 

「俺は(スネーク)だ。……よろしく。世界最強の毒蛇(タイパン)部隊、サメカゲ副長」

 

 「あんたらの毒蛇(ボス)とは楽しくやっていけそうだ」と、男は笑い、俺に右手を差し出した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 BIGBOSS。

 7年前、世界を全面核戦争の危機から救った、伝説の英雄。

 正直なところ、 俺はこの男について詳しく知っているわけではない。そもそも、あまり興味が無いと言うかなんと言うか。だが、そんな人間にさえもこれだけの情報が入ってくるほど、この男は“有名”なわけだ。

 ……だが、気になることがいくつかある。キロネックスの話によると、この男、1970年──つまり去年──に、このコロンビア北部の“どこか”でなんらかの事件に巻き込まれていたという。しかも()()核が絡んでいたとか。

 ──キロネックス曰く「信憑性は低い」らしい。噂に聞く、CIAに属する「とある特殊部隊」の反乱、最高軍事機密奪取、「とある部隊」による鎮圧後の解体、後者の「とある部隊」がその後釜に座る、という一連の動きと何かしらの関連性はあるものの、彼がその事件に巻き込まれていた、という物語(サーガ)は完全に鵜呑みにすることができない、と。

 つまり、何者かに捏造、誇張脚色されたモノである可能性がある、と。

 

「実を言うと、俺がコロンビアまで来たのはあんたらに会うのが目的だ」

「……と言うと?」

 

 これはまた直球だな。だが逆に、その隠すつもりの無いという姿勢がこの男に対する警戒を緩めていく。

 

「俺は来年、1度アメリカへ戻る。近々、俺とある男でアメリカに特殊部隊を結成する動きがあるんでな。……いや、既に形だけは結成されているんだが……」

「……ほう」

 

 この事か。「とある部隊」とやらは。

 

「国籍、人種、あらゆるしがらみに囚われず優秀な人材で構成される部隊だ。目的、というのは、あんたらをその部隊にスカウトしに来たことだ」

 

 だが何故だろう。この男の表情は、部隊結成にそこまで賛同しているようには見えない。

「もちろん、強制力は無い。1度、あんたらのボスにも話をさせて貰うが、その後はあんたらで話し合って決めてくれ」

 

 ……うむ。少し面倒なことになりそうだ。そもそも、俺達の部隊には“アメリカ”という国をよく思っていない連中がいる。

 

「……一応、“わかった”とだけ言っておこう。今出払ってる2人以外の連中には、俺から説明しておく」

「よろしく頼む」

「ああ。だが、まあ……期待はするな」

「はっはっは。ああ、わかった」

 

 そこで俺は(スネーク)と別れた。

 特殊部隊……恐らくCIA絡みのものだ。彼は「しがらみに囚われず」と言っていたが、間違いなく別のしがらみに囚われることになる。それを、あの若造は良く思わないだろう。

 「国」という存在を酷く疑問視──いや、憎悪している俺達が、「国」の管制下に置かれたがるわけがない。

 だが気になるのはあの男だ。彼こそまさにそのような状況を嫌いそうな人物だと思ったんだが……気のせいだったか……?

 

「──王蜘蛛(タランチュラ)、いるんだろう? さっさと出てこい」

「────……やだなぁ、気づいてたのかい?」

「戯れ言はよせ。…………どう、思った? 奴を」

「────そうだなぁ……ま、どう見ても本心じゃぁ無いだろうねぇ。……って、どうしてボクにそんなこと聞くんだい?」

「…………」

「────ウフフ。今キミが考えていること、当ててあげようか。──“似てる”──“誰に?”──“ああ、あいつだ”──そうでしょ?」

 

 ──イラッとした。

 同時。フッ、と背後から“彼女”の気配が消える。

 

「────ボク、キミの気持ち、ちょっとわかるよ。──だって彼、ボーヤ(サーペント)とそっくりだもの」

 

 いつの間にか真横に来ていた。透き通った碧眼をそなえた、文字通り“真っ白”な王蜘蛛が。

 2本の“毒牙(マチェット)”を笑わせながら、ふわふわと。

 

 

 

  ***

 

 

 

「…………暑いです」

 

 本当に、暑いです。いつまで経ってもこの暑さには慣れる気がしません。アイスクリームみたいに溶けてしまいそうです。早くピトのおっぱいニウムを補給しなくては。……私を謎の“使命感”が突き動かします。

 

「……あ、今日も殺ってますねぇ……」

 

 突然──という訳では無いですが、人の悲鳴、絶叫、そして銃声が聞こえてきます。多分、この基地に捕らえられたFARAC(ゲリラ)の捕虜さん達が銃殺されているからでしょう。この基地の人達は、けっこうゲリラさんに対して情け容赦がありません。まあ恐らく、国内の内戦で、しかもゲリラ相手に「捕虜に対するうんぬん」なんかクソ喰らえってことなんだろうと思います。ジュネーブ条約? 何それ美味しいの? ってことです。うむうむ。

 もっとも、国土の30%以上をゲリラに抑えられ、国内総生産(GDP)のやく40%を実質的に麻薬ビジネスが占める、汚職に塗れたどこかおかしなここ(コロンビア)では、まあ当然なのかもしれません。

 

「……嫌な響きですねぇ……」

 

 さあ、着きました。鬼バb──おばちゃんの根城、兵員食堂です。

 まあ、食堂と言っても仮設テントをそれっぽく改装しただけの、わりとシンプルな造りですが。ではでは。

 

「────うわっ!? またきやがったな!?」

 

 毒鳥(ピトフーイ)、発見。

 距離およそ6m。障害物──簡易デスク、ベンチ複数、問題無し。

 目標捕捉。おっぱい。

 突撃あるのみです。ぐへへ。

 

「────ぉぉぉおおおっぱい揉ませろやピトオオオォォォ!!!」

「だからあたしに揉むおっぱいなんて無いっつってんだろぉぉぉっ!! ぎゃああぁぁぁぁ来るなよおおぉぉぉ!!??」

 

 幼女だ幼女だクンカクンカうへへ。

 

 

 

 




*毒鳥君。
性別は♀。年齢6歳。韓国人とベトナム人のハーフ。いわゆるライダイハン。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

可愛い娘には“毒”がある

「やぁだぁよおぉぉっ! はなしてくれよキロっ!」

 

 問答無用。もみm──なでなで。

 

「ひうっ!? だ、だから手つきがヤバいんだって! もうソレをソレするときのソレじゃないかっ!」

 

 問答無用。ペロp──すりすり。

 

「なんか這ってるぞおいぃっ!? べろじゃ無いよな? 言い換えてるけどべろじゃ無いよな!? ああん!?」

 

 問答無用。ネチョn──チュパチュパ。

 

「擬音語じゃないかっ!? なんかもう説明めんどくさくなってるだろ!? んん!?」

 

 問答無用。よし、お持ち帰りでs──

 

「ぃいい加減にせいやっ!」

「うえっ」

 

 ハァハァハァ。ハッ! 私はいったい何を──

 

「わざとらしいんだよっ! このっ、変態っ、ロリコンっ!」

 

 あっ、ちょっと、そこはっ、うぶっ、あひんっ……。

 ……うーむ、()()()()調子に乗りすぎたみたいです。ピトに()()()()()()()しまいました。

 私の体に巻き込まれ、室内の簡易デスクやらベンチやらが音を立てて倒れています。ちゃんと直さないと……後でおばちゃんにコロされます。

 

「ううぅぅ……痛いじゃないですかピトォ。嫁入り前の娘になんてことするんです」

「嫁入り前の娘はこんなことしない!」

「ピトが知らないだけですよぉ。最近の女性はみーんなこうするんですって」

「…………。……う、嘘つけ。そうやってあたしをまた騙すつもりだろ」

 

 ……可愛い(チョロい)。今考え込みましたよこの娘。かと思えば、ワルをイメージしているのであろうドヤ顔で、無い胸を張って、腰に手をあてて鼻息荒くふんすって。

 …………ヤバい。なにこの娘可愛い。

 

「ふんすっ」

「あ、自分で言っちゃうんですね。可愛いです」

「……の、乗らないぞ。ここで乗ったらあたしの負けだ」

「ええええぇぇぇ……なんかつまんないですよ、ピト」

「ふふん。そう何度もキロロにやられるほど──」

 

 隙有り。わりとマジな目にも止まらぬ速さでピトを拘束。触手(うで)でやさしーく絡み付きます。もう衝撃波(サイコキネシス)は喰らいませんよ。痛いし。

 

「────速すぎんだろがっ!?」

「それじゃおばちゃんっ。ピト貰って行きますですよっ!」

 

 応急処置的な意味合いで簡易的にピトの貧乳(おっぱい)ニウムを補給し終えると、もう私のテンションはマックスマックスです。ぐへへ。普段はできないあーんなことやこーんなこともできちゃうのです。ぐへへ。

 

「ペロペロペロペロペロ──」

「ぃぃぃいやああぁあぁぁ────」

 

 

 

 ***

 

 

 

 ところ変わってここはヘリ機内。ヘリ、と言ってもコロンビア陸軍所属のものではなく私達「タイパン」の所有物です。正確にはキャプテンの、が付きます。

 機種はACH-47A。ベトナムにおいてAH-1G攻撃ヘリコプターが登場するまで活躍した優秀なガンシップですね。CH-47をベースとし、キャプテン、サメカゲさん()()に攻撃的改修が施された、通称「アームド・チヌーク」。スタヴウィングを増設し、M2重機関銃(アタッチメント)を付属させています。いろいろと変更可能なようで、よくこの部位は様変わりしていますね。鈍重そうな見た目に反してなかなかの高機動性、航続距離を有しています。まあ、私はそこまでヘリに詳しくないのでどうでもいいです。うむうむ。

 ……軍用ヘリを私物化している、というのもよくわかりませんが、まあ、私が初めてキャプテンと出会った時には既に乗り回していたので、そこらへんについても詳しくは知りません。……あの時のピト可愛かったなぁ……。今よりもっともっと小さくて、赤ちゃんぽさが残ってましたから。それが今や、私の触手(うで)の中にちょこっと大きくなった体を埋め、ちょこっと危ない表情を浮かべながらすやすや眠っています。ライジング(オリエント)の東洋人らしい黒髪、黒目、透き通るような白い肌──間違いなくこの娘、将来美人になりますよ。うむうむ。あぁ、可愛いです。ぐへへ。

 

 さてさて。私が今向かい合っているのは、チヌークらしい広大な機内に収まっているごつごつとしたメカです。ちょっとかっこよく言ったりすると、戦術情報支援システムなるものですね。

 ドイツのとある軍事兵器・システム開発会社にコネを持つキャプテンの仲介で、共同開発している代物です。今は実地試験も兼ねてデータの収集中、といったところか。

 

「楽しくなってきましたねぇ……」

 

 情報の統合・画一化されたシステム――――全てをアメリカに依存するわけにはいかない。少々遅すぎる対応なきもしますが、西側に所属するアジア、ヨーロッパ諸国が密かに下した決断――計画。

 1969年10月──今からだいたい2年ほど前──、遂に始動したARPANETはいまやアメリカ全土を飲み込む勢いで爆発的にその触手(ネットワーク)を拡げつつあります。これは私が()()()後に決まったことらしいですが、1973年には人工衛星と接続する予定のようです。これでアメリカに留まらず、海を、空を越えて親米政権樹立国、果ては西側諸国を中心にさらにその触手を侵蝕させていくでしょう。……ものすごーく“便利”にはなるのですが、ネットワークというインフラを一国が握るという状況になるわけです。

 

 私は()()()を離れました。あそこでの研究が面白くなくなったのも理由の1つですが──むしろこれがメインですが──私達が産み出したこの侵蝕する触手に、対抗可能な何かを造り出さなければならなかったわけです。

 そこで、私はソレまでの経歴をできる限り抹消し、姿を眩ましました。それでも、個人でできることには限界がありました。

 キャプテンと出会えたのは本当に幸運でした。この人、何故かARPANET計画が完成した1968年に私に接触してきたんです。どこからそんな機密情報を手に入れたのか、そもそもFBIが見つけ出せなかった私の潜伏場所を、何故彼が特定できたのか……未だにわかりませんが、彼も薄々何か私と同じようなことを察知していたようでした。

 「基礎理論は完成している。()()()に、こいつの“産みの親”になって欲しい」……彼が私に持ちかけた話はとても印象に残っています。

 彼の人柄にも惹かれました。何より“オモシロソウ”だったんです。

 私は彼の“仲間”になりました。私でええと……3人目でした。ピト、タランチュラさん(ふわふわガール)、そして私、みたいな。こんな幼女が最古参なのかっ、て驚いたのを記憶しています。よくよく考えてみれば、私達って「部隊」って言うほど人数多くないですね。誰だ、部隊なんて付けた奴。

 まあいいやです。ソレで、彼から資金提供を受けつつ、ANTI ARPANET SYSTEM計画の一環、情報の収集・解析・伝達を主目的とした支援システムを約2年ほどかけて開発しましたわけです。……1人、ARPAの“友人”に手伝って貰ったところもありますけど。うむうむ。

 

「……んんぅ……キロ、また難しいことしてる」

「……あれれ? ピト、起きてたんですか?」

「さっき目が覚めた。キロの手がまた動き出したから」

「ピ、ピトの体は触ってないんですけどねぇ……」

 

 あは、ははは……まあ、触手(うで)の拘束から逃れようとしてこないので、心底嫌がっている訳ではない、と自己解釈しておきます。

 

「……サーペント(チャー)、大丈夫かな」

「今朝、声を聞いた限りだと元気そうでしたよ」

「……そうじゃなくて、あの女狐(おんな)と一緒にいることが、だよ」

「……ほんと、ピトは姉御が嫌いですねぇ。どうしてです? 美人だし優しいしかっこいいし……」

 

 ……まー、私だって女です。そこまで鈍い訳でもありません。

 

「初めて見たときからずっと感じてるんだ。あいつ、ぜーったい腹に“一物”抱えてる」

「……んー、まあ確かに、たまに姉御は“一物”付いてるんじゃないかってくらいカッコいい時ありますもんね」

「どうしてそうなった。て言うか中身オッサンのクセによく言えたなキロ」

「あははは。でも、オッサンでもいいから男の子に生まれたかった、って私はいつも思ってますよ?」

 

 たいした“能力”も無いくせに女の子だからってバカにしてくる輩が、私死ぬほど大嫌いですからね。

 なんだかオモシロソウって思って入ってみた“あそこ”も、“女”、“年齢”でバカにしてくる“バカ共”は大勢いましたし。誘ってくれた局長には感謝しかありません。局長本人はむしろ私と同じような苦労をしてきた人でしたから。ただ、それでも結局はたいして変わらないということです。

 

「……でもですよピト。あなたが姉御に()()感じてるのなら、私はあなた()一物抱えてるように感じますよ?」

 

 ピクッ、と触手(うで)の中のピトの体が震えました。……ぎゅっと私の袖口を握りしめているのがわかります。

 

「もちろん、毒鳥(ピト)だけじゃありません。……毒蛇(キャプテン)王蜘蛛(タランチュラ)さんも鮫影(サメカゲ)さんも(スコーピオン)先輩も、もちろん(キロネックス)も、みーんな腹に“(いちもつ)”を抱えてるんです」

 

 ────そう。だからこそ私達は“ここ(タイパン)”に集まった。……傷口を毒で舐め合うことしかできない、私達だからこそ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「────調子はどうだい? 最近はヘリの操縦ばっかで少し鈍ってるんだろう?」

「……ああ。良い、とは言えないな」

 

 言うや否やサメカゲは口を噤む。ハンドガード、ピストルグリップに添える手を、波打つように握り直す。微かに、息を吐き出す音が聞こえた。

 そのまま、彼はM16のトリガーを引き抜く。どうやら単射(セミ)みたいだね。

 

「──さすが(ナ・ヴィダージ)!」

「…………いや、ダメだ」

「あれれ?」

 

 いや、ってなんだよ、いやって。ちゃんと標的の“口元”には、風穴が空いているのが弾着確認用望遠鏡で見ることができる。サメカゲは何が不服なんだろう。有効射程ぎりぎりの500m射撃なんだからかなり誇れる結果のはずなんだけどなぁ。ていうか、そもそも当たってる時点でおかしいんだけどね。

 

「……俺は“左目”を狙ったんだ。満点とは言えない」

「う~ん、真面目だ。さすが日本人(ジャポネス)

「ほれ、お前もしっかり訓練しておけ。あまりに怠けてる(レイジー)といつか死ぬことになるぞ」

「説得力が違うなぁ……それはキミの、“あの時”の教訓?」

「“空”の教訓だ」

「……ふ~ん」

 

 と、M16からマガジンを抜き取りコッキングレバーを2回ほど引いているサメカゲに、ボクは気の抜けた返事を返す。ちょうど右隣に立っていたボクの方へ、チャンバーへ残っていた薬莢が強制排莢される。地に落ち転がってくる薬莢を、特に意味もなく拾い上げる。……ボクはいつもこんなモノを相手にしてるんだなぁ。

 そんなわけで、サメカゲからM16を受けとる。新米兵士等の射撃訓練用に支給された専用カスタマイズタイプ。セレクターレバーが連射(オート)を選択できないようになっている奴。民間支給用でもあるのかな……ちょっと違うか。

 さっき拾った薬莢──5.56x45mm NATO弾を口に咥えて、試しにこのM16のドライファイアをしてみよう。サメカゲがしていたけど、一応ボクもコッキングレバーを引いてチャンバー内に残弾が無いかを確認。じゃきんっ、と乾いた金属音しかしない。大丈夫。

 セレクターレバーを確認。安全(セーフ)を指している。とりあえずセミに切り替えて、ストックを右肩に、ピストルグリップに右手を、ハンドガードに左手を添える。

 肩撃ちの要領でトリガーを引く。撃鉄(ハンマー)が、コッキングレバーとは違った金属音を打ち鳴らす。……少し、トリガープルが重い。

 そこで、サメカゲがマガジンを手渡してくる。体感(おもさ)からしてまあ……5発とない。

 

「……残弾」

「3発だ」

 

 まあいいや。M16を小脇に抱えて、口に咥えていた奴をマガジンに詰め込む。セレクターレバーがセーフを指しているのを再度確認、そのままマガジンを装填。

 コッキングレバーを引く。さっきとはちょっと違う、質量のある金属音。チャンバー内に5.56x45mm NATO弾が装填される。セレクターレバーを操作してセーフティ解除。セーフからセミへ切り替える。

 たったこれだけの操作で、M16がただの鉄塊から兵器へと変わる。サーペント(ボーヤ)の言葉を借りれば、「“死”を吐き出す悪魔」と化したわけだ。

 

 いざ────っ!

 

 

 

 ***

 

 

 

「お前、射撃に関しちゃまだまだだな」

「う、うるさいな。キミとボーヤが飛び抜けてるだけで、まだボクはマシな方なんだよ?」

「はいはい。言い訳はいいから、ちゃんと訓練は積んでおけ」

「むむむ……」

 

 ダメだ、まったくサメカゲに言い返せる気がしない……ここは素直にしたがっておいた方が良さそうだね。

 

「ふむ、お前、今打算的に考えているだろう」

「そ、そんなことないヨ~。ボクはいつだって真面目サ」

「……はぁ。レイジー・イェーガーだなんて上手く言ったものだ。お前、よく今まで生き残ってこれたな」

「よしてくれよ。照れる」

 

 はぁ……、とサメカゲの盛大な溜め息を隣で聞きながら、ボクらは基地の捕虜臨時収容施設に隣接している大型兵器収容施設へ向かう。目的はアームド・チヌークにいるキロネックスに会うためだ。と言うのも、ボクがキロネックスに頼まれてサメカゲを連れて来てるんだけどね。いろいろと皆に知らせたいコトがあるんだって。

 ピトはキロネックスの腕の中ですやすや眠ってたから、残るは射撃訓練場のサメカゲだけだったわけだ。

 

「────なんでもキミがキロネックスに頼んだらしいね。あの男(BIGBOSS)を調べろ、って」

「まあな。だが、まさかその結果を聞く前に奴から接触されるとは思わなかった」

「……ふ~ん。けっこう勘の良い人、らしいねぇ」

「そのようだ」

 

 とまあ、そんなやり取りをしているうちに大型兵器収容施設に着いた。隣の捕虜臨時収容施設からは、一定間隔で銃声と断末魔の悲鳴が聞こえてくる。どうやらちょうど、この基地の人間が言う“処刑”の時間だったらしい。

 

「……う~ん、やっぱりイヤだなぁ、これ」

「…………」

 

 ちゃんと処刑する人間は調査、選別の上で行われてる────処刑担当の兵士達の言葉。彼らはそのほとんどが、“基地司令側”の人間らしい。奴らの動きを抑制するためだ、とか、復讐(ほうふく)のための見せしめだ、とかいろいろ理由を着けてはいるけど……こればかりは捕虜に同情の念を抱かずにはいられない。マックを初め良心的な面々が司令に掛け合ってはいるものの、まだこの基地の捕虜は人としての扱いを受けるに至っていないのが現実だ。

 “内戦”なんてそんなものだ。ボクの故郷もそうだった。

 

「……タランチュラ、行かないのか?」

「…………あ、あぁ、ごめん。今行くよ」

 

 知らず知らずのうちに腰のマチェットを握りしめていたことに気付く。返事を聞いていたのかわからないけど、サメカゲは既に歩き出している。

 ボクは、何かを振り切るように、その大きな背中にうりゃっ、と飛び付いた。

 

 

 




*王蜘蛛君
性別は♀。モザンビーク出身。全身真っ白なアルビノガール。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

森の番人

 ……………暑い。とにかく暑い。

 木々の隙間から射し込む日光。湿った地面から舞い昇る湿気。熱帯雨林特有のムワッと────

 

「ちょっと待って。このくだり前にも見たことあるわよ」

「実に奇遇だなスコーピオン。俺もだ」

「暑さで頭をヤられたーとかシャレにならないからね……ほい、ガムあげる」

「…………俺、ミント味苦手なんだが……」

「あ?」

「いただきます」

 

 笑顔でサバイバルナイフを首筋にあてがってきたスコーピオンをあしらいながら、手渡されたガムをありがたーく頂戴する。ぱくり。噛み噛み。……うぅ~む。

 

「うん、わかった。おもちゃの約束2週間に延長ね」

「勘弁してくれ……」

 

 この鬱蒼としたジャングルの中を、すたすたと進んで行ってしまうスコーピオンに遅れぬよう、俺も歩を進める。……まったく、この女は俺からどれほど搾り取るつもりなのか。

 

「全部に決まってるじゃない」

 

 そうでした。

 

「さくっと任務終わらせるわよ。ほら、行きましょ。私、そこまで気の長い女じゃぁないの」

「あ、あそこ見てみろスコーピオン。何やら新種っぽいゴキブリがいるぞ」

「…………」

「まてまてまてまて。スムーズにガバを構えるな! ほんとに新種だったらどーするんだ!」

「……私、ゴキブリよりカブトムシ派なの。ヘラクレスとか」

「おう、予想の斜め上を行く応答だ」

 

 普通ゴキブリが気持ち悪い、とか、生理的に無理、とか、その辺かと思っていたが、そんなことはなかった。流石は“ボア”の交尾を見て興奮する変態女、格がちg────

 

「ふん」

「ぐぼぁっ」

 

 ────安定のぐるりんぽい(CQCびたーん)である。首を捻り上げられながら、折れたのではないかと錯覚するほどにおかしな勢いをつけて大木に向け放られる。逆さ大の字となった俺の体は、重力に従ってずーるずると地に向かって落ちていく。痛い。

 いわゆる脊柱起立筋のストレッチ(ちんぐり返し)の体勢になった。

 

「……だいたいな、そこは名前的に蠍にしとけよ。そもそも虫が大丈夫ならもっとこう、蝶蝶とかその辺の可愛いげがある奴を選ぶんじゃないのかよ。よりによってなんでそのゴリゴリのガチムチなんだよ」

「あんなヒラヒラのどこが良いのよ。どーせ蜘蛛の巣に引っ掛かって美味しく頂かれるのがオチだわ。蠍は……まあ、グロテスクな妖しさがあってエr──好きだけど、カブトムシほどじゃぁないわね」

「今さらだがお前ってやっぱ変態だn」

「ふん」

「あべしっ」

 

 スコーピオンが、俺の顔の目の前に腰────だけでなく拳もセットで下ろしてくる。後頭部が少し地面にめり込んだ。痛い。

 にしても、だ。俺も大概だろうがやはりこの女、感性がおかしいというかなんというか、どこかぶっ飛んd──ぶべらっ。痛い。

 

「……一応聞いておこう。カブトムシのどこがいいんだ?」

「そりゃーあなた、あの()()()な角に決まってるじゃない。……想像してみて。あの(なまめ)かしいツヤツヤとした色合い……」

「うむうむ」

「猛々しくも美しい反り返った形状……」

「……ぅうむうむ。うむ?」

「まさに雌を屈服させるためだけのような部位、まるでちn──」

「違うからな。それ絶っっっっ対に違うからな。似てないし、そもそもそんな目的の部位じゃないしな。うん?」

「ゴホンヅノカブトって良いわよね、あれ。ロマンの塊だと思う」

「……こっちを見るな。5本も生えてねーよ。最早人間ですらねーよ。りっぱなヤツが1本生えてるよ! 俺はいったい何を言ってるんだ!」

「あらやだ、こんな真っ昼間から下ネタなんて、どーしたの、サーペント? 美女なオネーサンに発情しちゃった? うん?」

「あは、あはは。4日目だからな。ちょっと溜まってるかも──ってやかましいわ。お前覚えとけよ? 初日からヒィヒィ言わせてやるからな」

 

 どこからか「計画通り」とかなんとか聞こえてきたが、まあ気のせいだろう。気のせいだ気のせい。

 ……はぁ。飛ばしすぎた。どっと疲れた気がする。……やはり溜まってるのだろうか。

 

「……む。この匂い……?」

「どーしたの?」

「いや、何か、こう、饐えたような、甘酸っぱい匂いというか……あ」

「うん? ……あら」

 

 ででん、と俺達の眼前にそびえるのは、野育ちのマンゴーである。樹高はわりと低めだ。

 もちろん、枝から垂れ下がっているモノからそんな匂いはしない。どちらかと言えば、マンゴーの外皮の匂いは薬品的だ。さらに、開花したマンゴーの花びらは強烈な腐敗臭を放つ。匂いの発生源は地に落ちた、皮を向かれ食べ散らかされた残り物の方である。……見ると、ぞろぞろとアリが群がっていた。

 

「……誰かいたのかしら」

FARC(ゲリラ)じゃぁないな。見たところ2人しか痕跡が無い。恐らくインディオだろう」

 

 インディオ。この地の先住民、真の意味での「森の番人」。

 この辺り一帯は近代文明の影響がほとんど及んでいない場所だ。……この状態がいつまで続くかはわからないが。“現代”のぬるま湯にどっぷり浸かった人間からしてみればなるべく踏み入りたくない場所であるが故に、未だにインディオ達独自の文化系態が生き残っている。最低限の焼き畑、狩猟採取──伝統的な自給自足の生活。

 かなり長い間過ごしたことがある、このアマゾンにあまり良い思い出は無いが、彼らと過ごした期間はとても有意義なものだった。“生きる”という単純で、そして最も複雑なコトを身近に感じることができたのだから。

 ちょっと、このインディオに会いたくなってきた。

 

「……追おう。何か知っているかもしれない」

「はぁ~い」

 

 しゃがみつつ周囲を捜索する。

 土のへこみ具合から、2人の人物がこの木の周辺に腰を下ろしていたことがわかった。恐らくマンゴーをかじっていたのだろう。小休止を終えた2人は立ち上がり北西へ…………ふむ。妙だ。2人ともえらく歩調が乱れている。いや、乱れすぎだ。まるで何かから逃げているかのような。

 痕跡を辿って進路を北西へ向ける。

 途中、スコーピオンがネックレスのようなものを発見した。色彩豊かな、猿を象った装飾品だ。間違いなくインディオのものだろう。

 おかしい。インディオは伝統的な生活を重んずる種族だ。彼らが独自に創り出す造形品には、先祖から受け継いできた祈りが込められている。それをこうも無造作に置き捨てるなど、あるはずがない。

 ────森が、自然がざわついている。自然の1部である彼らインディオに、何かが起こったことを知らせている。

 

「サーペント……この臭い……」

「…………」

 

 強烈な腐敗臭が辺りに漂い始めている。饐えたような、甘酸っぱい不快感を伴う臭い。さっきのマンゴーなんかじゃない。これは、「死んだ肉体」のモノだ。

 

「……残弾確認」

「…………ガバ、G3、よし」

「俺が先行する。5m間隔、直列に進め」

「了解」

 

 背に装備していたH&K G3 SG/1を構える。ドイツを代表する傑作アサルトライフル「H&K G3」の中から、生産過程において射撃成績が良好であったものを中抜きし、フルオート機構はそのままに各種スナイパーシステムを装着、カスタム化されたモデル(マークスマンライフル)だ。遠中近どの距離にも柔軟に対応できる性能を誇り、使用する弾薬も7.62x51mm NATO弾と強力。フルオートでトリガーハッピーしても驚異の命中率を叩き出す。……まあ操作性は少々やっかいだが。

 ボルトハンドルを引く。レール後端上部の溝に入れて遊底を後退させ、装弾数20発マガジンを装填、ボルトハンドルを叩き落として遊底を前進させる──とまあ、かなり面倒くさい。

 

「──── MOVE 」

 

 何はともあれ、油断は禁物。




久しぶりの毒蛇君回でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

スペツナズの虎



???「あなたに、お話があります。あなたはずっと……失踪状態だった。ええ、わかっています……どのくらいの長さか?」

eohane「ハァ……ハァ……」

???「あなたが失踪したのは……7年です」

eohane「ヒイイイイヤアァァァ」



観るMGSシリーズとアフリカハシリバコの生態動画に心から感謝を。

そして本作を読もうと思って下さった全ての読者様にも同様に、心から感謝を。




 

 

 

 俗に言う“死臭”というのは、いつまで経っても慣れることがない。まさに強烈だ。生物としての役割を終えた肉体が、大地に還る――とでも言えば、聞こえは良いのだが。やはり、否が応でも“死”を、連想させられるわけで。

 

「……惨いわね」

 

 ぽつりと、隣のスコーピオンが呟く。周囲の警戒のため目を光らせてはいるが、その表情は嫌悪に歪んでいる。俺の目の前で横たわる()に対しての嫌悪、ではない。彼をこのような姿にした()()に対してだ。

 壮年のインディオだ。独特なペイントに衣装、腰回りのアクセサリの数々。まだ文明に侵されていない、原始的なインディオの一族の一人だろう。

 その体には銃創が3か所、確認できる。左大腿部に1つ、胸部に2つ。また、あちこちに殴打の跡。右手の指、鼻が()()()()()いる。ブヨブヨと変色した皮膚には、既にウジが湧き、虫が集っている。奇妙なのは、瞼が閉じられ、手は綺麗に組まれ、まるで簡易的に埋葬されたような恰好だったことだ。

 

「所見は?」

 

 直接の死因は胸部へ至近距離からの射撃――ほぼ即死。銃創の大きさから見てライフル弾の一種――7.62×39mmのようだ。ご丁寧に薬莢が転がっている。右手指と鼻は鋭利な刃物での切断。傷口から見て、死後獣に齧られたものでは無さそうだ。周囲にははだしの足跡が2人分に、軍用ブーツの足跡が5人分――土へのめり込み具合から見て、かなりのヘヴィー級だ。最終的に裸の足跡はその5人に連れられ南西へ進路を向けている。

 人による銃殺――使用火器からしてFARC(反政府ゲリラ)とみて間違いないだろう。なぜ、インディオを追っているのかはわからないが、5人組はここでインディオに追いつき、1人を射殺、残る一人を連れ去っていった――かと思ったら、ヘヴィー級の中の1人が遺体を埋葬している。最低限死者の尊厳を保った、といったところか。

 

「とすると、指と鼻が訳わからないわね。変態がいるのかしら」

「……いや、恐らく()()()()だろうな」

 

 そうだとすれば、他にも多数のインディオが捕らえられている可能性が出てくる。前線基地建設のための安価な労働力として部族丸ごと徴収されている――脱走の意を削ぐための、シンプルで効果的な対処法。

 

「行こう。こいつらと接触できれば基地の発見も楽だろう」

「了解。……珍しいわね、怖い顔になってるわよ、あなた」

「はっはっは、よく拝んでおくんだな」

 

 やはり、森がざわついている。悲しみと、恐怖と――怒りが広がっている。

 野ブタの件といい、こいつらは少々好き勝手にやりすぎのようだ。

 

 

 

***

 

 

 

 なんてザマだ。

 簡単な仕事だったはずだ。脱走した捕虜2人の追跡、確保。

 確かに、まだ経験の浅い若い奴らを部隊に編成し、実戦の空気を感じさせる――少々の課題はあった。だが、日頃から教導し、スペツナズ仕込みの戦闘訓練を受けさせてきた。そして、現場には俺も一緒に出向く――上手くやれる、という自信があった。

 だが、実際にはどうだ。ゲリラという鬱屈とした日々に嫌気が差していたのか、はたまた実戦の空気に呑まれたか――隊の1人、最も若いヤツが、戯れてきた野ブタの子供をナイフで切り刻み始めた時からおかしくなっていった。血と、死の臭い――酷く臭う、鼻腔にこびりつくやつ。

 元から狂っていたのだろうか? まぁ、そこまで素行のいい連中とは言えなかったが……金と、耳障りのいい誘い文句につられてゲリラに志願してくるような連中だ。彼らにもそうするしかなかった事情があるかもしれないし、そこを責めるつもりはない。

 だがどうしても、確信してしまったのだ。こいつらは祖国のためを想って行動に移したのではない。ほんの少しの()()と、つまらない己の人生の憂さ晴らしがしたかっただけ、と。

 捕虜2人には比較的楽に追いつくことができた。小休止のところを射程圏内に捉え、威嚇射撃を数発。身振り手振りで大人しく投降するよう伝えた。2人は酷く怯え、追いつかれたことに絶望しているようだったが、俺にはどうすることもできない。これが今の仕事だ。せめて雇い主に、大事にすることのないよう進言しよう、とあれこれ考えていた矢先だった。

 1人がインディオを撃った。左大腿部を貫通――激しい出血が見て取れた。正しく処置しなければ死に直結するほどの。

 静止する間もなく、隊の奴らはインディオを殴りだした。もう1人の若いインディオが泣きながら庇っている。

 

 ――何をしている。やめろ

 

 暴力行為の停止を命令し、AK-47を構える。

 即座に2人が反応し、俺に向けてAK-47を構えた。

 

 ――楽しみの邪魔をするな

 

 俺は引き金を引けなかった。

 代わりに後ろの2人が引き金を引き、インディオは地に崩れ落ちた。

 若いインディオの、悲痛な叫び声が――まだ頭の中を木霊している。

 

 祖国に見棄てられ、帰ることもできない。

 かと言って自決する勇気もない。

 薄汚れた金で生き長らえている――虚しい人生だ。

 

 

 

***

 

 

 

 若いインディオを捕らえ、基地へ帰還する。

 俺の背後では、部下が"戦利品"で盛り上がっている。他のインディオに見せつけるつもりらしい。

 

「……すまない」

 

 ぽつりと、母国語で溢していた。インディオに意味が伝わるはずがない。仲間を惨殺しておいて何を言うか。だがそう言わずにはいられない――あまりに身勝手な、自己満足の薄っぺらい謝罪。

 

「少し、休憩しよう」

 

 1人、見張りに立たせる。

 妙な視線、というか気配を感じていた。コロンビア政府軍か、はたまたアマゾンの猛獣か。気のせいなら良いが用心するに越したことはない。

 軽く、水分を補給する。後ろ手に拘束されているインディオにも水を与え、軽く装備の点検を開始する。

 ここから南西に2マイルほど行けばジープが停めてある。そこからはある程度舗装された道だ。移動は格段に楽になるだろう。

 

「もうちょっとの辛抱だ」

 

 インディオにスペイン語で話しかける。意味がわかったのか、俯いていたインディオが顔を上げ、こちらをじっと見つめてきた。泣き叫んでいた時の、悲しみと絶望の表情はもう、浮かべていない。そこにはもう、何も無い。何も残っていない。

 ――恐ろしかった。思わず目をそらす。

 

「――――っ!!」

 

 それとほぼ、同時だった。

 先程から頭の中で木霊している悲鳴を切り裂くような、破裂音。

 見張りに立たせていた兵士の、宙を舞う血飛沫と肉片。

 そいつの瞳はあらぬ方向を向き、力が抜けた体が柔らかく崩れ落ちていく。

 敵襲だ。どうやら気のせいではなかったらしい。

 

「9時の方向だ!」

 

 インディオを背に庇いながら、遮蔽物に身を隠す。残った3人も撃ち返しながら、同じように身を隠している。おそらく無駄だろう、とわかってはいるが俺も弾幕を展開し、防御陣形を形成するため隊に指示をだす。

 

「ンぐぇ」

 

 聞こえてきたのは、空気が抜けたかのような、間の抜けた呻き声。茂みから何者かが部下の1人を拘束し、その喉笛をナイフで掻き切っている。

 

「――――女?」

 

 ゆらり、と襲撃者は姿を消した。残された部下が半狂乱になってAK-47を撃ちまくっている。

 脆かった。ある程度訓練し、使えはすると言っても、所詮は寄せ集めの人材だ。本当なら時間をかけて教育し、十分な訓練を積ませた上で実戦に出すべきなのだ。でないと、今のような不測の事態に対処できない。勢いでゴリ押しが効かない事態に、弱い。

 1人、また1人と消えていく。下手なホラー映画よりもあっさりと、部隊は壊滅しかけている。

 

「――――っ!」

 

 視界の端に黒い影を捉える――――遅かった。

 両手に衝撃が走る。AK-47が吹っ飛んでいく――――わざわざ銃を弾き飛ばしてくるとは、どういうつもりなのだろう。俺も撃ち抜いてくれれば、楽だったんだが。

 

「動くな――――諦めろ。残るはお前1人だ」

 

 フェイスガードで顔を覆った、恐らく男がホールドアップを促してくる。流暢なスペイン語だ。耳に残る、妙に心地の良い声だった。意識の中に入り込んでくる、静かな迫力も兼ね備えている。

 

「わ、わかった。わかったから撃たないでくれ」

 

 大人しく男の指示に従う――――わけにはいかない。両手を上げる振り、その途中で、野戦服の袖口が男の方を向いた瞬間に仕掛ける。

 

「むっ」

 

 仕込んでいたスペツナズ・ナイフを射出する。もちろん、こんなもので仕留められる敵だとは思っていない。こちらとしてはハンドガン(トカレフ)を抜く時間が稼げればそれでいい。

 案の定、男はアサルトライフル――H&K G3あたりか? その先端で射出したナイフを弾き飛ばし、改めて照準をこちらに合わせていた。

 だが、それはこちらも同じこと。

 

「安心しろ。今のところあんたを殺すつもりは無い。道案内は1人いれば十分だ」

「俺に、雇い主の顔に泥を塗れと?」

「そうだ。あわよくば手引きして欲しい」

 

 相手の出方を伺う――そんな暇もなく、かなり直球な要求だ。

 政府軍も、建設中の前線基地の情報を入手していたようだ。その脅威査定のために、偵察隊を繰り出してきた、ってところか。

 

「悪いが、お断りだ。俺にも生活があるんでね」

「ほら、言ったじゃない。そう簡単に寝返ってくれるなら苦労しないわよ」

 

 女の声だ。だが男から目を離すわけにはいかない。せっかく五分五分に持ち込んだこの状況を覆されたら、それこそ詰みだ。

 気配で探るしかない。恐らく挟まれた。俺の背後、5時の方向。ピリピリとした殺気――――銃口を向けられている。

 

「まぁ待て。……頼む、あんたを見込んでの頼みだ」

 

 あんたを觀察させてもらった。

 そう、呑気なことを、男は言ってくる。そしてそれに気づけなかった自分に、腹ただしさを感じている。

 

「あんたは他の4人とは違った。捕虜を人道的に扱い、残虐行為を許容しない……正義感がまだ残ってる。恐らく正規の訓練を受けた軍人。特殊部隊(スペツナズ)辺りか?」

 

 思わずピクリ、とトカレフの銃口が反応してしまった。それを男は目敏く気づいている。

 

「恐らく現状に不満を抱いてる。自分が持つ技術の使われ方に疑問を感じている」

 

 任務でここに来てるのなら、誰にも知らせず出国を幇助する。

 祖国へ戻るも良し、第三国で別人として生きるも良し。必ず身の安全は保証する。

 

「だから頼む。力を貸してくれ」

 

 酷く優しい声音だった。ふと、気がつけばこの男の声に、話に、聞き入ってしまっていた。

 祖国に、帰れるのだろうか。忠誠を誓い、国家に仇なす敵を打ち倒すべく訓練を積んだ。これまでの人生の大半を捧げてきた。愛しき、わが祖国へ。

 ――――祖国が、俺たちにした仕打ちはなんだ。

 

「無駄だ。俺にはもう、帰る国も無い。かと言って他所で生きていくのもここと同じ……ここにしか、もう居場所がない」

 

 俺たちは、祖国に見棄てられたのだ。

 

「ほう、丁度いい……だったら俺たちのとこに来い」

 

 見ると、男は笑っている。

 

「俺たちも同じだ。……国に棄てられ、国を棄てた。国家への信頼を失い、何かしがみつけるものを探して……もがいている、そんな連中の集まりだ」

 

 入隊資格は十分だ、なんて宣いながらケタケタと笑っている。絶好のチャンスだ。油断している。

 なのに、引き金を引けない。

 

「はっ……たかだか一軍人に何ができる」

「俺たちは軍人じゃない」

 

 男が、アサルトライフルを手放した。

 

「傭兵――――ただの、兵士だ」

 

 いつの間にか、男が目の前にまで迫っている。

 ぎょっとする。意識の隙間に潜り込まれた。ぬるりと、(ボア)が腕に絡み付いてくる。慌ててトカレフを構える――――できない。気づけば地面に突き倒されている。

 いや、本当に何が起きた。

 

「んぐっ……ぬっ!?」

 

 咄嗟に受け身を取り、トカレフを構え直す。引き金を引く……が、弾が出ない。そもそも引き金を引けていない。というか、無い。

 そりゃそうだ。俺の手にあるのは立派なバナナである。ふざけてんのか。

 

「美味いぞ、それ」

「えぇ……」

「いらないなら、私にちょうだいな」

「え、えぇ……」

「バナナはまだある。さぁ、話してくれ。たらふくバナナを食わせてやろう」

 

 また、ケタケタと笑っている。女も同じように。

 なんと言うか、つられて笑ってしまった。多分、この時点で俺の負けだ。完敗だった。

 もう、観念してもいいだろうか。変に意地を張っていた、過去の自分にそう、問いかける。

 

 ――――知るか

 

 口の悪い野郎だ。

 血生臭い死臭の中、場違いなバナナパーティーが始まった。

 

 

 

 





虎 君

死者の半島から流れ着いた、スペツナズの生き残り。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

○スペツナズの虎 2


前話の続きぃ!


 

「へぇ、あんたがスコーピオン……」

「あら、私を知ってるの?」

「そりゃ、なぁ……? ここいらじゃ、あんた有名人だ」

 

 麗しき死神、死の蠍……その悪名は南米にも知れ渡っている――グアテマラが産み落とした怪物。

 どうせ殺されるなら、彼女がいい――――そう言って、仲間と笑い合っていた記憶がある。あの半島で、終わりの見えない基地防衛任務に就いていた頃。どうせ死ぬなら、美女を目に焼き付けてから――その手のシモの話で盛り上がった。祖国に見棄てられ、希望を喪い……それでもまだ、仲間がいた。唯一の心の支えだった。

 結局そいつは、コロンビア政府軍との小競り合いで凶弾に倒れた。

 

「俺は運がいいのか、悪いのか……」

「……何よ、浮かない顔してるわね。大丈夫? バナナ食べる?」

「バナナはしばらく見たくない……」

 

 何がとは言わないが、そこは揉ませる流れじゃないのか。せっかくあいつへの土産話にちょうどいいと思ったのだが、どうもそう都合よく話が進むわけでは無いらしい。

 というか本当に、バナナはもう勘弁していただきたい。バナナ風味のレインボーシャワーができてしまう。

 

「ま、そう深く考えなさんな。……難しいのはわかるけど、ここにいたらそうしなくて済む生き方を見つけられるかもって思ったから、私は彼といる」

 

 祖国への想い、忠誠――――そんなシガラミを断ち切る。そんなことが、俺にできるだろうか。この生き方しか知らない俺が、ただの虎として生きる――――なかなか時間がかかりそうだ。

 

「いつかこの毒を全て吐き出せるように……自分達で、答えを探しながら、もがく……意外と楽しいものよ」

「そんなものか」

 

 まぁ、自分で言うのも何だが生真面目に生きてきた。こうやって道を踏み外す(ドロップアウト)のも悪くないだろう。

 

「……だいぶ時間がかかってるな」

「みたいねぇ」

 

 二人して視線を向けた先には、インディオと、サーペントと呼ばれるバナナ野郎がいる。彼女が属する傭兵部隊――――タイパン部隊の隊長。

 彼とインディオが、何やら話し込んでいる。インディオ特有の言語なのか、会話の内容はわからない。サーペントも身振り手振りを交えて話している様を見るに、インディオからの要望を、なんとかしてサーペントが宥めようとしている、といったところか。

 

「普通に考えて、俺を許せるはずが無い。俺を殺させろ、なんて言ってるんじゃないか?」

「……で、あなたはその報復を受け入れる覚悟がある、と」

 

 もちろんだ。直接手を下したのは、今は亡き元部下たちだが、それを統率できなかった俺にも責任がある。インディオの目には、俺も奴らと同じ側の人間だと映っているはずだ。

 許される道理がない。そして、俺は言い訳を並べて、彼らの境遇から目を逸らしていた。

 

「そんな大したこと話して無いと思うわよ。大層なお題目を並べるの、彼苦手だしね」

「なんだ、そりゃ?」

「自分でも何を言ってるのかわからなくなるんですって。自分が思い描いていることを、言葉として相手に伝えるのが難しいって」

「……正直、俺への勧誘文句も、今思い返したらよくわからなくなってきた」

「フフフ……私もよ」

 

 ……この女の立ち位置がよくわからない。

 どこか一歩引いた位置から、ドライな視点でサーペントを見ている――かと思えば、彼に対して全幅の信頼をおいているのは間違いない。

 男と女の関係――は恐らく有るのだろう。特有の生々しさを感じる。ただ、なんと言えば良いのか、俺の語彙力では言い表せない何かがこの二人にはあるようだ。

 

「それでも、()()()()()()は本音で伝えようとしてくるところが可愛いのよ」

 

 上手く言葉に表すのが苦手――それなりに、裸をさらけ出して、お互いの意志を分かち合う。

 人を惹き付ける、天性のタラシと言うやつだ。確かに、もうすでに俺は聞いていた悪名(サーペント)とのギャップに納得し始めている。

 

「あら、終ったみたいよ」

「……そのようだ」

 

 サーペントがインディオを引き連れて戻ってきた。合流し、そのままインディオが俺の目の前までやってくる。……やはり、そう簡単に許されるはずが無いのだ。

 俺たちがインディオにしたことは、死の報復に値する。

 小さな体に合わせて膝を付き、視線を合わせる。もう、逃げるわけにはいかない。その瞳を覗き――――何やら様子がおかしいことに気づいた。

 

「この子も同行することになった。仲間を助けたいそうだ。それから……」

 

 サーペントがちらり、とこちらを見た。その表情を窺う――――どこか、不安と緊張が入り混じった顔だ。

 はて、何故か。そんなことを考え始めた矢先だった。

 

「ふんぐぉっ……」

 

 股間に衝撃が走る。そう、股間である。

 視界が弾け飛んだ。生物としての急所、体外に露出した男性器と睾丸へ直接の打撃――――俗に言う、KI☆N☆TE☆KIだ。

 我が股間に食い込むはインディオの右足だ。膝を付いた姿勢が仇になったか、反応が遅れた。ものの見事にクリティカルヒットしている。

 美しい蹴りだ。必要最小限の動きで、狙い澄ました見事な一撃。KI☆N☆TE☆KIでさえなければ、なお素晴らしい。

 

「お、お"ぉ……」

「その、タイガー……あんたのことは別に恨んでないそうだ。ただ、どうにも腹の虫が収まらない……死ぬより苦しい痛みを、一瞬だけでも味わって欲しい、と」

「そ、それ許してないよねぇ"ぇ"……」

 

 息ができない。痛みに耐える訓練は勿論受けているが、()()に関しては耐えようがない。ひたすら無様に呻きながら、流れ去るのを待つしかない。

 

「え、えげつないわね……」

「彼ら部族の慣わしだそうだ。更生の余地なしと判断された者には死を――そうでない者には相応の苦しみを与えた後、きっぱりアトグサレ無くってな」

 

 脂汗が止まらない。サーペントが呑気に解説してくれやがっているがこちらとしてはそれどころではないのだ。我が愚息に更生の余地は無いのか。

 

「……ど、どうだ……ぃ"っ……? 気は晴れそうか?」

「…………」

 

 インディオが無言で腰を降ろす。無表情のまま、呻き続けている俺の顔を覗き込んでくる。

 怖い。やはり、この子の目には何も映っていない。――いや、一丁前に死の恐怖で怯えている俺が、映り込んでいる。なんとも無様だ。これが祖国で精鋭と謳われた人間の姿か。

 ――――ふと、インディオが笑った。

 

「ス……ス、パー……」

「……お、う?」

「ぬぅ……」

 

 もどかしそうに、インディオが唸りながら頭をガシガシとかいている。

 

「シー……ボ……ボ!」

 

 また、インディオが笑った。屈託のない、子供のような笑顔で。

 スパーシーボ、と繰り返す。新しいおもちゃを与えられた子供のように、その言葉で、遊んでいるかのようだ。

 

「お前……スパスィーバって言ってるのか……?」

「そうだ。俺が教えた。教えてくれってせがまれたんでな」

 

 サーペントが、インディオの頭を撫でくりまわしながら言ってきた。

 それにまた笑いながら、インディオが身振り手振りで何かを伝えてくる。俺たちが来た道を指差し、いつの間に持っていたのか、猿を象っているのだろう装飾があしらわれたネックレスを見せてくる。

 最後に、胸の前で手を合わせ、目を瞑った。

 あのインディオのことだ――――何となく、わかった。

 

「あんたのおかげで、あのインディオは自然に還ることができた……()()()()()()ってさ」

「スパーシーボ!」

 

 手を差し出してきた。よく見ると震えている。体全体が、小刻みに震えているのだ。

 ありがとう、許す、アトグサレ無く……それが部族のしきたり。だとしてもこんな小さな子どもに、こんな重い選択をさせてしまったのか――――やるせなかった。戦場での仕事で飯を食ってきたら、大なり小なりこのような事態には遭遇する。とは言っても、実際に目の当たりにしたらこの体たらくだ。

 思わす抱き寄せていた。

 

「――――すまない……イズヴィニーチェ」

「スパー……」

 

 わぁっ、とインディオが泣き出した。

 そうだ、頼む。せめて子供らしく、感情を爆発させてくれ。その小さな体の中に、せき止めないでくれ。

 でないと、あまりの惨めさに俺が潰されそうになる。産まれた国は違えど、守るべき存在を前にして涙を流してしまう。

 

「スパスィーバ」

 

 もう、泣くわけにはいかない。

 泣かせてたまるか。

 

 

 

 





MGSPOをメタルギア正史にねじ込んでいくスタイル。
死者の半島なんて美味しい設定をPW以降無くしてたまるか!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本事案を、「許可」無く閲覧することを禁ず
事案その1


どもども。eohaneです。
今回は、ちょっとした裏話的な奴です。後々毒蛇君達と絡むことになるとある人物の別視点から、後々のふらぐ(笑)になるかもしれない話をのせていく予定です。


 本計画の趣旨は、「究極の指揮官」を造り出す事にある。

 “兵士”なる1単位ないし複数単位の集団は、“統率”無くして軍事及び作戦行動を十分に遂行するに至らないとの結論は、先の大戦に於いても然り、人類史上数多の戦闘行動が実証する通り周知の事実である。例えどれ程戦闘能力に特化した超兵士──データを後に添付するが、この超兵士とは、同時進行中の極秘プロジェクトに於ける呼称を流用すると、「絶対兵士」と呼ばれる戦災孤児被験者を指す──が存在しようと、それらを軍事作戦行動可能な状態に至るまで完全に掌握し、完全に統率し、完全に“指揮”し得る「究極の指揮官」がいなければ、その絶大な戦闘能力を十二分に発揮することは期待できない。

 我々が定義するこの「指揮官」とは、少なくとも次に提示する4つの能力が必要とされる。

 その1。英雄(カリスマ)性。

 掌握、統率、指揮、これら3つを部隊へ即座に浸透させ、意志疎通を可能とさせる人心的魅力を有する、もしくは演じることが要求される。如何にして兵士という1単位の本質を掴み、自身の意のままに操ることができるか。本項目が、本計画に於ける最重要項目と言えるだろう。

 その2。戦闘技術(コンバットセンス)

 如何に前述した三大能力に優れていたとしても、兵士として基本的な範疇に留まった戦闘能力では超兵士の統率は不可能との結論に達している。戦闘に特化した超兵士ほどでは無いとしても、最低限肉体、精神共に並外れた強靭さを誇る兵士であることが要求される。

 その3。頭脳(インテリジェンス)

 指揮官として最も重要な資質である。私を滅し、常時俯瞰的に事象を見極め、必要とあらば「小を切り捨て大を導く」冷徹性を併せ持ち、多種多様な戦時状況下に於いて臨機応変、即断即決が可能である能力が要求される。部隊の命運を左右する本項目は、ある意味で最も重要な項目である。

 その4。生存能力(サバイバビリティ)

 指揮官と言えど根源を突き詰めれば一兵士と同じである。本項目は、その一兵士に於いて最も重要な項目である。如何に屈強な兵士と言えど、生への執着を手放せばそれはただの動物以下である。況してや部隊の長たる指揮官がそれを犯してしまえば全滅は確実となる。故に、如何なる状況下に於いて部隊の生存を目指す、またそれを可能にする技術及び能力が要求される。

 以上4項目が、我々の定義する「究極の指揮官」たる必要素である。

 

 ※※※

 

 独自に行った調査の結果、最適なモデルケースを発見した。以下、参照。

 

*ザ・ボス

 詳細な資料は、別途添付する。

 イギリス系アメリカ人。第二次世界大戦当時のコードネーム:ザ・ジョイ。本人共に今や伝説となりつつある連合軍特殊部隊、「コブラ部隊」を組織、指揮し、特にノルマンディー上陸作戦では多大なる戦果を挙げる。

 並外れた身体能力、戦闘能力も然ることながら、その脅威的なカリスマ性は本計画の趣旨と完全に一致する。CIAの「判断」はやはり妥当であったと言わざるを得ない。

 

*ザ・カオス

 詳細な資料は、別途添付する。

 アメリカ系ドイツ人。第二次世界大戦当時の別称:ヴァイパー。公式記録上はドイツ第7陸軍所属第18拠点防衛戦車中隊長。しかしながら、当時枢軸国最強と謳われた遊撃部隊、「タイパン部隊」を指揮する姿も多数確認されている。なお、このタイパン部隊に関しては一切の公式記録が存在していない。文字通り謎の部隊と化している。

 上記のザ・ボスにはカリスマ性の面で劣るものの、身体能力、戦闘能力に於いてはザ・ボスに匹敵ないしそれ以上のデータを叩き出している。本計画に於ける第2、第4項目のモデルケースにはこの人物が適切と思われる。

 

 ※※※

 

 ────以上が、「究極の指揮官」の創造、プロジェクト名「相続者計画」の全容である。

 本計画はただ1つの例外無く困難を極めることは明白である。慎重に精査、吟味されたし。

 

 

 

 ***

 

 

 

 続いて、前述した同時進行中の極秘プロジェクトについて明記する。このプロジェクト名は、文字通り「絶対兵士計画」と呼称されている。──そもそもの問題として絶対兵士とは、「あらゆる任務を確実に遂行する」ことが可能な、いわゆる完璧な兵士を指す──。

 多数の犠牲を払った、これまでの実験結果から絶対兵士に最低限要求される能力、及びそれを体得するために最適な訓練過程を設定した。

 

 その1。超兵士として、前述した第2、第4項目が必要とされる。

 その2。銃器の殺傷能力を無効化する。

 絶対兵士プロジェクトに於いて、本項目は最も重要であり、なおかつ極めて困難である。

 絶対兵士プロジェクトに於ける第1項目は、前述した相続者計画の前進であり、未だ試験段階の域を出ない。現在、特殊訓練過程を終えた者を、計画の第2段階として薬物強化する方法が提示されている。被験者のあらゆる記憶を消去し、あらゆる五感を遮断し、文字通り真っ白な状態にした上での超兵士化である。

 ここで問題となるのが第2項目である。戦時状況下に於いて、作戦行動を著しく阻害する致命傷もしくはそれに足り得る状態に陥った場合である。

 如何に戦闘能力に特化した超兵士であっても、肉体の強度は並の兵士と変わらない。その絶大な戦闘能力を行使できないのであれば存在する価値が無い。

 この問題の解決策として、極めて幻想的かつ非現実的だが、「弾丸を弾く」もしくは「弾丸を躱す」ことが要求されると、我々は結論に至った。

 弾丸を「弾く」もしくは「躱す」。これを可能とするには、簡単に明記すれば以下のようになる。

 *音速を超える銃弾を見切る──射撃後の弾道誤差修整を含む──動体視力を有する。

 *人間の反射に要する時間と言われる約0,1秒を軽々と凌駕する反射反応を起こす事が可能である。

 *弾丸を弾くにたる得物を正確に弾道上へ置くという動作を余裕で行うことが可能である。もしくは自身の肉体を文字通り一瞬で弾道上から逸らす事が可能である。

 *以上の身体能力を、実戦に於いて遺憾無く発揮する事が可能である。

 

 ※※※

 

 独自に行った調査の結果、本計画を実施するにあたり最適な被験者を選出した。以下、参照。

 

 ────。

 ────。

 ────本計画に於ける最適な被験者として選出されたが、回収に失敗。

 

*フランク・イェーガー

 詳細な資料は、別途添付する。

 回収にあたり指示した通り、戦災孤児である。モザンビーク解放戦線に於いて、少年兵でありながら驚異的な戦果を叩き出している。敵兵を殺傷するにあたり、用いた得物はナイフとのこと。本計画に於ける第2項目に、特性が確認されている。さらに、不安定な精神状態、冷酷無比な残虐性は、我々が求める超兵士として申し分ない資質である。

 

 ────。

 

 ※※※

 

 

 ────以上が、「あらゆる任務を確実に遂行する超兵士」の創造、プロジェクト名「絶対兵士計画」の全容である。

 本計画はただ1つの例外無く困難を極めることは明白である。慎重に精査、吟味されたし。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……なるほど。面白い」

 

 やはり、あの男は只者ではない。賢者達が欲したのも頷ける。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。