英雄伝説 天の軌跡 (完結済) (十三)
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オリジナルキャラクター設定集
主人公設定




※この章では『英雄伝説 天の軌跡』に登場するオリジナルキャラクターについて紹介致します。ネタバレを嫌う方はブラウザバックを推奨いたします。

※この項目では主人公について紹介致します。

※キャラのMatrixに関しては話数が進むにつれて追加される可能性があります。
 追加された際は活動報告、Twitterにて通知、そして前書き下記にて追記・修正場所を載せていきます。


―――*―――*―――

2021/01/03 【Matrix:No.12】~【Matrix:No.14】を更新。




 

 

■レイ・クレイドル

 

【性別】男性

【年齢】17歳

【身長/体重】149cm/42kg

【髪色/瞳色】黒銀/紫色

【一人称】「俺」(公的な場合は「私」や「自分」)

【所属/役職】トールズ士官学院特科クラスⅦ組

【異名】《天剣》

【武装】長刀《穢土祓靈刀(エドハラエノタマツルギ)布都天津凬(フツアマツノカゼ)

【投稿者】筆者

【元ネタ】特になし

【イラスト】

【挿絵表示】

 

 

【Matrix:No.1】

 本作の主人公。学生の身でありながら武人としての最奥到達者”達人級”の技量を持ち、他の仲間たちに「戦う者」としての心構えと技量をサラと共に仕込んでいくのと同時に、学生生活を自分なりに謳歌している。

 士官学院に入学するまではリベールのツァイス、クロスベルで遊撃士として活動していた経験を持ち、「力に頼らないで物事を解決する」という搦め手にも精通している。やや乱暴気味な口調で誤解されがちではあるが、一部の例外を除いて敬意を払うべき年上には敬意を払って対応しており、また学業には真面目に取り組んでいるため、教師陣からの信頼は高い。Ⅶ組内での座学の順位はエマ、マキアスに次ぐ。

 現在はサラと共にⅦ組メンバーの練度強化(という名の魔改造)に着手しており、本人としてはそこそこ楽しんでいる様子。

 基本的に節介焼きであり、一度引き受けた事は必ずこなす主義。頼まれれば否とはあまり言わないが、時と場合、物事の善悪を判断するだけの余裕は持ち合わせている。

 意外ではあるが、料理が得意かつ趣味であり、凝った料理から限りある食材でサッと作る料理まで網羅する。しかし本人曰く「本職には敵わない」。ただし、その情熱は本職にも比肩する。

 また、これも意外だが年下によく懐かれる。無垢な一般人の子供から明らかに普通ではない子供まで様々であり、フィー、レン、ミリアム、アルティナもその括りに入る。因みに本人は年下の異性は恋愛感情に至らないと断言している。つまりロリコンではない。

 

【Matrix:No.2】

 遊撃士になる前の前歴は、結社《身喰らう蛇(ウロボロス)》の《執行者》No.Ⅺ。《天剣》の異名を持ち、”武闘派”の一角として若くして頭角を現していた。

 《鉄機隊》に所属する副長にしてアリアンロードの戦友でもある《爍刃》カグヤに師事して剣技を磨き、名立たる”武闘派”の《執行者》達と比肩するまでの実力を得た。一時期は頻繁に出入りをしていた為、《鉄機隊》の騎士たちとは大体顔見知りであり、当初はマスコットキャラ扱いで可愛がられていた過去を持つ。他の《執行者》達とも程度の差はあれど交流はあったようだが、その後、とある出来事を契機として《結社》を脱退し、しばらくの放浪生活を経てカシウス・ブライトに推薦される形で遊撃士となった。

 だが、武人としては《理》を開く一歩手前まで若くして至った彼だが、経験がものを言う高度な腹の探り合いに関してはまだまだ発展途上なところがある。

 

【Matrix:No.3】

 普段、彼は本気で怒るようなことはない。怒っているように見えても、そこには必ず怒り以外の感情が混ざっているのだが、「身内の揉め事が関係ない人間に飛び火する事」「自分にとって大切な存在が害される事」に出くわした際は本気で怒る。激情家ではないが、暴発を内側に収めたまま怒るタイプである。

 

【Matrix:No.4】

 極東の島国に拠点を置いていた高名な呪術一族”天城(アマギ)”の末裔という出生歴を持つ。母であるサクヤ・アマギが有していた天才としての遺伝子を受け継ぎ、今わの際に母から継承された一族に伝わる呪術”天道流”の技術を戦闘用に改造して使用している。

 ”天道流”呪術は様々な効果を持つものがあるが、レイがその中でも特に得手としているのが「神性・聖性・魔性存在の封印及び従属」である。本来であれば数多くの使い魔と契約できる才能を有しているのだが、彼の場合はシオンという特級存在と永続契約している為、体内呪力の7割以上をそれに持って行かれているのが現状。とはいえ、神性存在の中でも特に規格外レベルの存在と契約できている時点で彼も充分規格外である。

 

【Matrix:No.5】

 カルバード共和国の辺境にあるクァルナ村にて生を受けたレイは、本来であればそこで薬師であった母の仕事を受け継ぐか、或いは街に出て遊撃士の仕事に従事していたかもしれない。

 だが5歳の時、「呪術師の一族の末裔」という特異な生まれに目を付けた邪教集団《D∴G教団》によって村は襲撃され、母を目の前で喪うだけでなく、拠点(ロッジ)の一つに拉致されてしまう。

 そこで様々な人体実験を施されていたが、「薬物・毒物に高い耐性を持つ」という呪術一族の特性に阻まれて”グノーシス”の影響を受ける事はなかった、しかし最終的に彼は、教団が確保していた《D》の神格が宿った聖遺物(アーティファクト)・《虚神の黎界(ヴァナヘイム)》を左目に埋め込まれ、その拒絶反応に耐え切ったものの、同じく収容されて顔馴染みになっていた少女が死んでしまった事で彼の心は壊れ、同時に二度と虐げられない、目の前で命を奪われないだけの力を欲するようになる。

 その願いは、そのロッジの制圧に来たカグヤによって叶えられる事になる。己の無力さを嘆き、贖罪の感情で強くなるレイ・クレイドルの第二の人生の始まりだった。

 

【Matrix:No.6】

 レイの武装は《執行者》に就任した際に《盟主》より賜った意思を有した長刀・《穢土祓靈刀(エドハラエノタマツルギ)布都天津凬(フツアマツノカゼ)》であるが、《虚ろなる神(デミウルゴス)》が遺し、レイの左目に嵌め込まれた《虚神の黎界(ヴァナヘイム)》を《結社》の技術力で加工し、より使用者への反動を少なくした改名聖遺物《慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)》も装備の一つと言える。

 現在に於いてこの”眼”の能力は「”大崩壊”以後に於いて築かれた文明技術の解析」である。ただしこれは無機物に限り、”人の心”などというものはどうあっても解析できない。これは、これを遺した《虚ろなる神(デミウルゴス)》が人の心を理解しようとした結果、その醜さに耐えきれなくなり消滅してしまった事に起因するものと思われる。

 なお、この”眼”の能力を使っている最中は恐ろしい程の頭痛に苛まれ、もし間違って《虚ろなる神(デミウルゴス)》に近しい存在に接触しようものならば体そのものに影響が出る事が確認されている。

 また、《虚神の黎界(ヴァナヘイム)》に封じられた呪いにより「体の成長」が著しく阻害されている。愛刀の”浄化”の能力により緩和されてはいるが、同年代の同性よりも子供っぽい体つきなのはその所為。一応気にしており、「チビ」などと言おうものなら制裁の一つは覚悟すべし。

 

【Matrix:No.7】

 レイ・クレイドルの行動原理は基本的に”贖罪”である。自身が弱かったから助けられなかった命を幾度も見て来たからこそ、「強くなったからには何かを護らなければならない」というある種の強迫観念に憑り付かれている節もある。そして、それが傲慢な考えであるという事も重々承知。

 元より《結社》に身を置いて後ろ暗い任務をこなしていたという事もあり、自分の行動が果たして”正義”であるのか否かという事は常に悩み続けている。そもそも、この世に絶対的な正義など存在しないという現実主義者で、だからこそ自分が「正義の味方」「英雄」と呼ばれることを嫌う。「自分はそんな人間ではない」という悲観的な心が常に在り、だからこそ周りと打ち解けているように見えても実際は一人で悩み、悩み続けて結論を出すという一面が見られていた。―――士官学院に入学して、本当の仲間たちに出会うまでは。

 彼と接し、彼の在り方を憂いていた者は分かっていたが、レイ・クレイドルに必要だったものの一つが「全てを知った上で、それでも全面的に受け入れてくれる仲間」だった。強いか弱いかなどは関係なく、ただ同じ目線で接してくれる同世代の友。17年という月日を経て、彼はようやく”それ”を手に入れたのだ。

 

【Matrix:No.8】

 そして彼にもう一つ必要だったのが、「心が折れそうになった時に全てを受け止めてくれる存在」。つまりは理解ある恋人だった。

 悲惨な半生を辿ってきたレイを憐れむのではなく、共にこれからの人生を歩む存在。彼に何があろうと、彼がどんな道を歩もうと見捨てないでいてくれる存在。サラ・バレスタイン、クレア・リーヴェルト、シャロン・クルーガーの3人は、心の底からレイ・クレイドルという男の存在そのものを愛し、支えると決めた気丈な女性たちだった。

 彼女たち3人を愛するという事に当初は「ダメ男」と自らを罵倒し続けていたレイだったが、次第にそういった思いは自分を信じて愛してくれている3人にも失礼であると思うようになり、堂々と愛するようになった。

 逆に言えば彼にはそれだけの魅力があるという事であり、反転して力強くあれど脆い為、「ちゃんと見ていないとダメだ」と他人に思わせる一面も存在しているという事である。そのあたりは歳相応と言えなくもない。

 

【Matrix:No.9】

 《結社》に所属していた時期が長かった為、「殺人」という行為を忌避するような事はない。無辜の人間を殺すという行為は過去の自身の体験から嫌悪しているが、戦場で覚悟を持って立ち向かってきた人間を敢えて殺さずに生かすという事を嫌う節がある。殺す際も甚振る事を良しとせず、なるべく一撃で仕留めるのがやり方(一部例外有り)。しかし、《結社》を抜けて遊撃士になった後は、カシウスに対する恩返しの意味合いも含めて人間の不殺を貫いている。

 もし彼がその誓いを破るような時は、彼にとってどんな事があっても決して相容れず、殺すことでしか決着が着かない相手と相対した時だけだろう。

 

【Matrix:No.10】

 自分が血が滲むような修練の果てに”達人級”という魔境にまで至った為か、彼は「諦めていない人間」に対して世話を焼くのが好き。だからこそ、諦めずに「強くなろう」と思っているⅦ組の面々に対しては本気で当たっており(加減を間違えている節はあるが)、その実力の伸び方は目を見張るどころではなかったりする。しかし本人曰く「獅子が我が子を千尋の谷に突き落とすようなやり方しか知らない自分は教育者には向いていない」と断言しており、将来そう言った道を歩むことはないだろう。

 そもそも理不尽な鍛え方をした師を反面教師にすると言いながらも、程度こそ違えど同じような鍛え方をしている時点で同じ修羅の仲間入りをしている。

 

【Matrix:No.11】

 誤解されがちではあるが、士官学院に入るまでに出会った人たちとの関係が全て「表面上だけのもの」というわけではない。《結社》時代のものは勿論、遊撃士時代に知り合った人物との思い出も、レイにとっては全て「忘れてはいけないもの」である。ただそれが、彼を変えるにはあと一歩及ばなかったというだけの事なのだ。

 彼は同じ元《執行者》のヨシュアの事を親友と呼んでおり、その関係に偽りはないが、同じような境遇で育ってきた彼とはどう足掻いても「お互いを変える関係」にはなれなかった。それはそのまま、レンにも適用されてしまっている。「自分は自ら陽の当たらない世界に生きることを選んだのだから、せめて他の人間には真っ当に生きてほしい」という願いがあるというのも理由の一つである。

 自分は善人ではないと断言するなど大分ひねくれてはいるが、根底のところは善人なのだと誰もが理解している。

 

【Matrix:No.12】

 彼の師は現《鉄機隊》副長カグヤと、元《鉄機隊》副長ルナフィリアの二人である。カグヤが修行及び戦術理論、ルナフィリアが礼儀作法や基礎学問等の倫理的な面をそれぞれ指導していた。

 カグヤに関しては、戦闘時以外は基本ダメ人間であり、更に言うと典型的な天才肌であったため、修業時代に何度も死にかけていた。レイがカグヤの事を「武人としては尊敬してるけれど、それ以外は論外」と称するのはその為。

 拾われた当時は復讐心で満たされてしまっていたレイが、戦闘が絡むとき以外はマシな人格になれたのは、偏に義姉であったルナフィリアの影響と言えるだろう。

 

【Matrix:No.13】

 遊撃士になる際に、カシウスと不殺の約束をしていた為に、ギデオンの殺害以前は人殺しの技能を封印していた。

 とはいえ、彼のそもそものスタンスは、「積極的な虐殺は好まないが、殺すべき相手はちゃんと殺す」である。ギデオンを葬ったことで彼の中のスイッチが完全に切り替わり、殺害という手段を選ぶことを躊躇わなくなった。

 しかし、これは決して彼の思考が悪側面に堕ちた訳ではなく、寧ろ本来の思考に戻ったとも言える。この状態になって初めて、レイ・クレイドルという少年は敵側に居並ぶ達人達と渡り合えることができるようになる。

 

【Matrix:No.14】

 帝都での決戦に於いて、【天道流】の禁忌術【代償奉納】の影響により、左腕を失う。しかしその状態で尚、敗北寸前だったリィンとヴァリマールの前に現れ、オルディーネの物理障壁を単身で割るという常識外の力を見せる。

 その後リィンを逃がしてからクロウに対して改めて宣戦布告を行い、予め要請をしておいた《マーナガルム》の部隊により回収された。

 「次は必ず俺が勝つ」―――その誓いを胸に、彼は新たな戦いに身を投じるのだった。

 

【筆者コメント】

 「元から強くはあるけれど、最強ではない主人公」をテーマに作り上げた主人公。以前は社畜。現在は鬼畜。サーヴァントとして召喚されるのならセイバー、キャスター、そしてワンチャンライダーです。

 彼が最強ではないのは、元より世界の難易度が原作よりも一段階上がっている事と、軌跡シリーズ名物「年上は強い」を踏襲していたから。つまり彼が精神的にも成長した暁には何だかとんでもないことになりそう。

 ハーレム系の主人公ではありますが、キチンと自分の感情に整理をつけて、「全員纏めて愛する。絶対だ‼」と始めから宣言しているタイプ。自分に向けられる好意にはなるべく細かいところも気づくようにして、その度に礼を言ったり、お返しができる、所謂「デキる男」。そりゃモテるよ。因みに原作開始時点でシオンに童貞を食われている状態。子供っぽい見た目で非童貞とか犯罪臭しかしない。

 『英雄伝説 天の軌跡』に於いて、彼―――レイ・クレイドルがメイン主人公なのは間違いないですが、リィン、ユーシス、リディアといった、所謂「サブ主人公」の面々を導く役割もあります。まぁ彼自身は導いてる自覚などありませんが。

 結社、猟兵団の棟梁、遊撃士と、色々な立場を経験し、そして何より世界の甘くない一面を見続けてきたからこそ弾き出せる冷静な判断力と、一方的な価値観に囚われない柔軟な考え方。彼の武器はただの腕っぷしだけではなく、そういうところでもあります。腕っぷしだけで生き残っていけるほど、このゼムリア大陸は甘くないんです。何故なら内政チートとか結構いるから。

 100話以上続けさせていただいた作品の主人公として、これからも恥じない活躍をご期待ください。

 

 

 

 

 

 



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オリジナルキャラクター設定(主人公周辺人物 編)






※この章では『英雄伝説 天の軌跡』に登場するオリジナルキャラクターについて紹介致します。ネタバレを嫌う方はブラウザバックを推奨いたします。

※この項目では主人公の周辺人物のオリキャラについて紹介致します。

※キャラのMatrixに関しては話数が進むにつれて追加される可能性があります。
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■シオン

 

【性別】女性(そもそも神性存在なので雌雄どちらにもなろうと思えばなれる)

【年齢】???(本人すらも覚えていない)

【身長/体重】???cm/??kg(身長体重は自由自在なので、その日の気分で変化している)

【髪色/瞳色】金色/翡翠色

【一人称】(わたくし)

【所属/役職】レイ・クレイドル/一等級式神

【異名】特になし(遥か昔は様々な異名で崇められていた)

【武装】特になし(決まった武装は持たない)

【投稿者】筆者

【元ネタ】(『東方Project』八雲藍+『Fate/』玉藻の前)÷2

【イラスト】

【挿絵表示】

 

 

 

【Matrix:No.1】

 主人公、レイ・クレイドルが従える唯一の”意思持ち”の式神。階級は一等級。レイの事は「(あるじ)」と呼んでいる。

 式神という形に収まってはいるものの、本来であれば式神操作や使い魔制御に特化した呪術師や召喚師(サモナー)が束になったところで従属させる事は到底不可能な存在であり、彼女を式神として従えているというただそれだけの事でレイの呪術師としての非凡さが窺える。

 因みにレイはシオンとの契約を継続させるために常に体内呪力の7割方を持って行かれている。おいそれと儀式規模の呪術を行使できないのはこれが原因。

 

【Matrix:No.2】

 基本忠臣らしく振る舞い、レイの命に応える形で独自に動き、各地に飛んでいる事もある。「仕事をしている時」は大変優秀で、名実ともにレイの相棒と呼んでも差支えはない。

 だが、平時の彼女は好奇心旺盛な上に他者にちょっかいをかけてその反応を見て楽しむなどの悪戯心があり、人の生き様を飄々と傍観する殿上人じみたところもある。

 だが主であるレイに対しては飄々と接しながらも時に甘えるような仕草も見せ、傍からはペットのように見えなくもない。だが甘やかしすぎると調子に乗って何かをやらかすので、甘やかす→調子に乗る→制裁→土下座というサイクルを繰り返している。ちなみに今のところ懲りている様子は一切ない。

 また、そもそもヒトではないせいか、アルコールの摂取上限が無限大であり、軌跡シリーズ最強酒豪として名高い遊撃士協会ロレント支部受付アイナ・ホールデンとの三日三晩続いた酒盛りの末に勝利したという伝説を打ち立てた。

 

【Matrix:No.3】

 その正体はレグナート、ツァイトと同じく《空の女神(エイドス)》より”至宝”を見守る為に生み出された聖獣の一柱。正式な名は『白面金面九尾(ハクメンコンモウキュウビ)』。

 彼女に課せられた使命は《虚ろなる神(デミウルゴス)》が遺した準至宝級の聖遺物を宿したレイを見守る事であり、当初は傍観者の視点で使命を果たしていたものの、本人の好奇心旺盛な性格が災いし、それに加えて慢心に慢心が重なってレイに敗北。力のほとんどを封じられた上、式神として従属契約を結んだ。

 だが彼女曰く「別に嫌な感じはしなかった」らしく、特に抵抗らしい抵抗もしなかった事から、当初はレイを警戒させたほど。

 

【Matrix:No.】

 彼女が本来下級生物に当たるレイを慕っている理由は、その生き方そのものに惚れ込んだというのが一番である。

 元より他の聖獣よりも奔放な性格を与えられていた彼女は、神の祝福などどこにも無いかのような凄惨な人生を歩みながらも、それでも自暴自棄にならずにひたすら前を見て歩き続けるレイを見続けて愛着が湧き、いっそ自分のモノしてしまおうかと接触したものの、敗北を喫してしまった。その際に”人間という存在の限界のなさ”を実感した彼女は、なるべくヒトと同じ目線で物事を見るために人型になる事が多くなった。

 レイに対して”恋愛感情”を抱いているわけではないが、式神となった後、本人曰く「つい出来心で」レイの童貞を奪った過去を持つ。

 

【Matrix:No.4】

 彼女は平時は”一尾”の状態で活動しており、これでもただの人間では束になっても傷一つ付けられない程度には強い。これが徐々に力を解放し”二尾””三尾”となると、もはや準天災級の力を出す事ができるようになり、”四尾”から先は完全に神性存在の力を解放していくようになる。とはいっても、レイの封印術と契約術式の影響で”四尾”以降の力の開放は原則禁止されている。

 基本的に自分の力で生み出した金色の神炎を使って戦闘を行うが、その他にも神炎で作った剣などで近接戦闘なども普通に行える。Ⅶ組の”対戦略型兵器指導官”でもあるので、存分に恐れられていたりもする(そもそも彼女の指導を受けた後は、砲撃程度ではあまり驚かないレベル)。

 

 

【筆者コメント】

 グランドキャスター(割とマジ)。”九尾”状態なら神霊玉藻と真正面から戦り合える。

 悪ふざけから生み出されてしまった産物(キャラ)。そもそもヒロイン以外で主人公をサポートするキャラがいればいいなぁと思ったらコレだよ。これでも今作屈指のチート枠です。

 金髪和装狐耳美女とか完全に使い古されたキャラですが、自分が書くとなれば話は別。ヒロインではないというのに主人公の童貞をヒロインたちよりも先に食った辺り、ある意味一番の勝ち組と言えなくもない。

 

 

 

 

■サクヤ・アマギ

 

【性別】女性

【年齢】28歳(享年)

【身長/体重】162cm/42kg

【髪色/瞳色】黒色/紫色

【一人称】私

【所属/役職】なし/薬剤師

【異名】なし

【武装】なし

【投稿者】筆者

【元ネタ】特になし

【イラスト】

【挿絵表示】

 

 

 

【Matrix:No.1】

 レイの実母。元々は極東の島国に拠点を置き、後に勢力争いに敗れて大陸に渡ってきた呪術者一族「天城(アマギ)」の娘として生まれ、本来であれば生涯を一族の掟に縛られながら生きなければならなかった。

 しかしとある時、武芸者であったレイの父と出会い、互いに惚れ合った二人は駆け落ちをする。そうして逃げて来たカルバード共和国領内の村で、一人の男の子を出産する。それがレイであった。

 

【Matrix:No.2】

 彼女は極東でも高名な呪術師の一族の末裔として生を受けながら、呪力をほとんど有しておらず、幼少期の頃からより優秀な「アマギ」の子を産むためだけの胎盤としての価値しか認められていなかった。

 彼女はその閉鎖的な環境を嫌って好いた男に着いていく形で出奔するという思い切ったことをやってのけたが、本人は長らく一族内でしか血の交わりを行っていないが故に引き起こされた劣性遺伝の影響を強く受けてしまい、それほど体は丈夫な方ではなかった。

 しかし、彼女自身は体が弱い事を全く引け目に思っておらず、性格も好奇心旺盛で囲われていた頃から外に興味を持ち続けるなど、閉鎖的なコミュニティの中に育っていたのにも関わらず奇跡的なまでに前向きな女性だった。

 レイが生まれると程同時に夫とは死別してしまったが、再婚をしようとは全く思わなかったほどに、夫の事を深く愛していた。

 それと同じくらい、自分のたった一人の息子であったレイの事も深く愛しており、時に優しく、時に少しだけ厳しくしながら、その子が真っ直ぐに生きられるようにと育てていた。いつかこの子が、自分の意志で自由に生き方を決められるように、と。

 

【Matrix:No.3】

 生まれつき呪力は貧弱であったが、彼女にはその欠点を補って余りある才能があった。

 本来は儀式呪術であるアマギの《天道流》呪術を、術式の再構築から呪力の込め方、詠唱に至るまで理論を全て見直し、より効率良く術を発動できるように術式を圧縮構築するという偉業をたった一人で、それも数年という短時間で果たした天才であったのだが、古くからのしきたりを重要視していた一族の老人たちはそれを忌み嫌い、終ぞそれが採用される事はなかった。

 お蔵入りしたその画期的な術式はしかし、本人にとっては望まない形で時代の「アマギ」へと受け継がれていったのである。

 

【Matrix:No.4】

 カルバード共和国領内クァルナ村で呪術師であった頃の知識を生かして薬剤師を営みながら一人息子のレイを育てていたサクヤだったが、突如村に襲来した《D∴G教団》が放った魔獣の凶牙にかかり、命を落とす。その直前に彼女は、一人遺して行ってしまう息子に本来であれば受け継がせるつもりのなかった、自分が構築した《天道流》の術式を”記憶”という形で託し、息子の波乱万丈な人生の―――その最初の”後悔”になってしまう事など露知らず―――「あなたの母でいられて幸せだった」という言葉を遺し、この世を去ってしまった。

 

 

【筆者コメント】

 レイ・クレイドルという少年が数多抱える”後悔”。その一番最初が”母の死”でした。

 「自分がもしもっと強ければ、失う事なんてなかったかもしれないのに」―――強迫観念とも取れるレイの行動の起源は、間違いなくそこにありました。誰よりも自分を愛し、誰よりも自分を理解してくれたであろう人が幼い時分に自身の目の前で凄惨な形で死んでしまう。そりゃ、トラウマにもなるってものでしょう。

 もし教団の連中が来なかったら、破滅的な道を歩んでいなかったら。多分レイは母の跡を継いで薬剤師になっていたか、あるいは母の言葉だけでしか知らない父の強さの在り方に憧れて真っ当な遊撃士になっていたか。……ここいらへんはif話としても良く分かりません。

 レイは今でも、母と一緒に撮った写真が入っているペンダントを大事に持ち歩いています。陽の差さない場所で生きていくことを決めた時に何度も忘れようとして、しかしやっぱり忘れられなかった彼の優しさがそこにあったのです。

 

 ―――まぁ、別の話(『天は歩む。桃源郷へと』)を書いた時は、片手間にグリムグリード抹殺する超アグレッシブなお母さんになっちゃいましたけどね‼

 

 

 

 

布都天津凬(フツアマツノカゼ)

 

【性別】不明

【年齢】???(精霊体のようなものなのでそもそも年齢など存在しない)

【身長/体重】???/???(そもそも測定した事すらない)

【髪色/瞳色】白金(プラチナ)/白金(プラチナ)

【一人称】ボク

【所属/役職】所有者はレイ・クレイドル

【異名】なし

【武装】なし(存在自体がそもそも武装)

【投稿者】筆者

【元ネタ】『東亰ザナドゥ』レム

【イラスト】

【挿絵表示】

 

 

 

【Matrix:No.1】

 結社《身喰らう蛇》に存在する《十三工房》の一つ、《紅鑪(あかたたら)の館》唯一の鍛冶師《鐵鍛王(トバルカイン)》の手によって鍛えられた”外の理”製の長刀。正式名称《穢土祓靈刀(エドハラエノタマツルギ)布都天津凬(フツアマツノカゼ)》。その刀に宿った意識の精霊体。精霊体の方を呼ぶときはただ単純に「天津凬」と呼ばれる。

 レイ・クレイドルが《執行者》に就任した際に《盟主》より賜った刀であり、その時から常にレイの相棒として傍に在り続けてきた。

 

【Matrix:No.2】

 どのようなコンセプトで鍛えられたのかは全く不明だが、他の”外の理”の武器とは違い、明確な意思を有している。基本的に精霊体である「天津凬」は刀の主であるレイにしか視認する事はできず、彼女(?)も普段はレイの深層心理の中に佇んでいる事が多い。

 ヒトではなく、実態も有していないのでヒトらしい感情表現や倫理観は薄く、一見タブーと思われる事も情け容赦なく口にする。本人に悪気は一切なく、ただ自身に蓄積された知識を元に正論を口にしているだけなのだ。

 とはいえ、特性の影響で刀身が劣化する事はないのにも関わらず日々欠かさず手入れをし、相棒として感謝を込めて扱ってくれているレイには人一倍の愛着があるようで(表情には出ないが)、レイが認めていない人物の手に自分が渡ろうものならばとんでもない事(規制案件)を引き起こす。レイはこれを「癇癪」と呼んでおり、機嫌を直すためにそれなりの誠意を見せなければならないとか。

 

【Matrix:No.3】

 「天津凬」に付与された特性は大きく二つある。

 一つは『不毀』。どれ程乱暴に扱っても、どれ程無茶な扱い方をしても決して刃毀れ一つ起こさないという、剣士にとっては垂涎の特性を有しており、実際レイもこの能力に幾度も助けられているのだが、彼自身は前述の通りそれを「当たり前」と思う事を良しとせず、感謝の意を込めて毎日刀身の手入れを怠らない。

 もう一つは『浄化』。不死属性を持っている魔物などを浄化できるなど、それだけでも優秀な特性であるのだが、その特性の大半は常にレイが右目に宿している《虚神の黎界(ヴァナヘイム)》の呪いの緩和に注ぎ込まれている。普通であれば準至宝級の聖遺物(アーティファクト)をヒトの身で宿せば、その神格の影響で宿主の成長は止まってしまうが、『浄化』の特性で緩和する事によってレイの身体は緩やかではあるが成長している。しかし同世代の男子と比べれば成長は遅く、身長が低いのはその影響である。

 

 

【筆者コメント】

 どう見ても斬〇刀です。本当にありがとうございました。アニオリの「斬魄刀異聞篇」みたいに具現化して敵対化したら地味に怖い。だって特性の影響でダメージ受けないんだもん。

 本来長刀で抜刀術なんて無理ゲーは誰もやらない(そもそも抜けない)のだが、二次元では誰も彼もやってるんだよなぁ。

 ヒロインじゃないんだけどヒロイン以上に主人公の事を理解していたりする。

 

 

 

 

■アスラ・クルーガー

 

【性別】男性

【年齢】21歳

【身長/体重】183cm/73kg

【髪色/瞳色】紫色/赤色

【一人称】俺

【所属/役職】クルーガー一門/現当主

【異名】《死拳》

【武装】拳

【投稿者】漫才Ⅽ- 様

【元ネタ】『シルヴァリオ ヴェンデッタ』アスラ・ザ・デッドエンド

【イラスト】

【挿絵表示】

 

 

 

【Matrix:No.1】

 カルバード共和国内に拠点を構える暗部一族、クルーガー一門の本家当主を務めている人物。シャロンの義弟であり、レイとは義兄弟の契りを結んだ仲でもある。一時期は《結社》の執行者No.Ⅻ《死拳》として活動していた過去も持つ”達人級”の武人。

 若いながらも当主としてそれなりに優秀だが、本人としてはやる気はないらしく、自分が籍を入れるような頃合いになったら分家の優秀な人間に当主の座を渡そうとも考えている。

 

【Matrix:No.2】

 元々次代のクルーガー一門の当主として英才教育を受けていたアスラだったが、そんな折に義姉のシャロンがとある少年に敗れてその組織に身を寄せたと聞き、「姉を倒した人物を見てみたい」という理由だけで小うるさい父をOHANASIでのして《結社》にまでやってきた。その際、まだ心を完全には開こうとしていなかったレイと仲良くなり、自身の言葉づかいを真似させるなど、現在のレイの人物像に影響を与えた兄貴分。

 しかし、シャロンが《結社》を去り、その後にとある事件に巻き込まれて自暴自棄になりかけていたレイが見ていられなくなり、「俺がお前の兄になってやる」「お前を一人にはしない」と言って、義兄弟の契りを交わした。そしてクロスベルで再開した際には、「窮地に抗う人物がいたら手助けしてやってくれ」という義弟の言葉に笑顔で頷いた。

 

【Matrix:No.3】

 性格は細かい事をあまり気にしない大らかなものであり、前述の通り年齢に見合わぬ頼もしい部分を持ち合わせている為兄貴分として慕う者も多い。無頼漢のような振る舞いをする時もあるが、少なくとも自分が気に入っている人物に関しては、相手が裏切らない限り自分から裏切る事はない。

 情熱的な一面がある一方、自分の関わった出来事がたとえ意にそぐわない結果に終わったとしても「そうなったのならしょうがない」と言えるほどの達観した思想も持ち合わせている。単騎戦闘が得意なのは言うまでもないが、大局的な観点からも物事を見る事ができるので、指揮官としても実は有能。しかし本人曰く「本職には敵わない」らしい。

 また、面倒見が良い事から自分が気に入った人間に対してはアドバイスを送るなどという事もするが、当人が気付かなければ成長しないと判断した時には敢えて何もせずにさせるがままにするなど、ただ頼りがいがあるだけの人間でもない。

 

【Matrix:No.4】

 戦法は祖父、コリュウ・クルーガーより直々に手解きを受けた、拳を使っての肉弾戦。

 凡そ”暗殺者”らしくない戦い方だと傍からは思われているが、人体の急所である”経絡秘孔”を的確に突く事により外傷無く即死させることが可能であるなど、やろうと思えばそこいらの暗殺者よりも暗殺者らしい仕事ができる。基本的に型などは重視せずにその場の判断で戦いたいように戦うので、弱点を探るなどの対処法は意味をなさない。

 だが本人は全力で、真正面からぶつかり合う戦闘を好んでいるらしく、”氣”を自由自在に練り上げて己の肉体の身を頼りに戦う姿は、まさに武人の在るべき姿といったところである。

 《執行者》に着任した時に《盟主》より《イルア=グランベ》という名の手甲を授かったが、「素手の方が戦いやすい」との理由で好んでは使っておらず、レイに続くように《結社》を脱退した際に返還した。

 

【Matrix:No.5】

 リーシャ・マオと出会ったのは、《結社》を抜けて少しばかり立った後であった。最初は自分とマトモに戦り合えそうな奴が欲しいという、ただそれだけの理由で彼女に襲撃を促し続けていたのだが、次第に諦め悪く襲撃し続けてくる姿にどこかしら特別な感情を抱くようになり、慌てた際の言動の端々から滲み出る根本的なお人好し具合も含めて、リーシャの人格に惚れ込んだ。

 その容貌から女性に言い寄られる事は少なくなかったアスラだったが、この時初めて本気で異性に惚れ、年齢差など全く気にせずに結婚を前提に付き合って欲しいと無骨に告白。リーシャ自身も慌てながらもそれに応えた事で恋人同士となった。

 ちなみに自分自身が恋愛という事柄そのものに不器用だという事は重々承知しており、自分ができる範囲で誠実であろうとしている好青年でもある。

 

 

【筆者コメント】

 元ネタのキャラの尖り具合は一体どこのゴミ箱に捨てて来たんだと言わんばかりの完璧兄貴分キャラへと変貌してしまったけど一切後悔してないんだよなぁ。いつかこの姉弟が何気ない一日を共に過ごす番外編を書きたいものである。彼の存在を以てして、この作品の世界内でのロイド・リーシャルートは完全に消滅しました。おめでとうございます。

 多分コイツ、《結社》に居た頃は日常的にヴァルターと殴り合いという名の手合わせしてたんじゃないかなぁ。これでもまだ”達人級”の中ではぶっ飛んでない方という衝撃の事実。ぶっ飛んではいないけど使徒博士が造ったアイオーンの機械人形の一体くらいは一人で破壊しそうな勢い。

 

 

 

 

 

 

 

 



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序章
軌跡の始まり


初めまして、『十三』と申します。

先日『閃の軌跡Ⅱ』を購入してプレイしていく内に上がっていったテンションのままに書こうと思った作品です。つまり、行き当たりばったりです(~_~;)

何分投稿作品を書くのは初めてなので執筆スピードは亀にも劣ると思いますが、チラリとでも見ていただけたら幸いです。

それでは、よろしくお願いしまーす。


戦うことが、存在意義。

 

 その事を今まで疑問に思ったことがあるかと問われれば、最初は首を傾げて悩み、そして否、と答えるだろう。

よくよく考えてみれば、これまで力を振るう事を否定したことはなかったのだし、戦場に立って戦う事を忌避したこともなかった。

 

 異常だと、そう言われてしまえばそれまでだ。

世間一般の、それこそ銃声にすら馴染みがない平和な日々を謳歌する人々からすれば、確かにこの考えは異常なのだろう。

それも少年は否定する気はない。祖国を護るため、などという高潔な理由があるのならともかく、確たる理由も無いままに命のやり取りを繰り返し、流れ作業のように刃を血に染めていた時期が、確かに自分にもあったのだ。

そんな日々から少しばかり離れた今となっては、それがどれだけ歪んでいたのかが分かる。これでは罵られ、誹られても文句は言えない。冷静になって鑑みれば、死んだら即地獄行きになるだろう所業を続けていたのだから。

 

 しかし生憎と、若気の至りと言うには余りにも度を越した事を続けていたあの日々を記憶の中から消し去る気は毛頭なかった。

あんな混沌を具現化したような場所でも、少年にとっては確かに”自分の居場所”だったのだ。仲の良かった人々がいて、一時的にでも背中を預けた人物がいた。例えそこが闇の巣窟であったとしても、彼は胸を張って言えるだろう。「あそこは、自分を受け入れてくれた場所だ」と。

 

 

 とは言え、やんごとなき事情の末に、もはやあの場所には戻れなくなってしまった。

悲しいと言えば悲しいのだが、不思議と涙は出てこなかったのを覚えている。大陸にいる限りふとしたきっかけで出会う事は間々あったし、新しい職に就いた後も顔を合わせることは何度もあった。まぁその時は、大体が敵同士として相対していたのだが。

 

 新しい職場の、アットホームながらも時々修羅場が舞い込んでくる雰囲気や、時々かつての同僚と鉢合わせする状況を過ごす日々。恐らく自分はずっとこんな生活を続けていくのだろうな、などと思っていた矢先に、人生何度目かの急転直下な事態が訪れた。

 

 

 特に驚くことはない。急な生活の変化などはこの齢にして既に慣れてしまっていた。幼少期に鍛えられた強靭な胆力は、例え明日自分が死ぬと告げられても薄い反応を返す程にまで、自分の常識を非常識で浸食しているに違いない。そう思い込み、信じていた。

 

 

 だからこそ、信じられなかったのだ。

 

 

 今自分が、ストローを使って飲んでいたジュースを危うく逆流させてしまいそうになるほどに動揺した事に。

 そして、それを見事成し遂げた人物が、一国の皇子であった事に。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 エレボニア帝国 首都ヘイムダル近郊 皇族専用避暑地『カレル離宮』。

本来であるならば式典などの行事や、皇族に近しい身分・地位にいる人間しか来訪を許されないこの特別な場所に、高位の身分どころか帝国臣民ですらない人物が、今完全に非公開にされた状態で招かれていた。

 招かれた過程ですらも、普通ではない。

隣国より特別急行列車を何度か乗り継いで半ば強制的に連れてこられた、いわば”被害者”であるはずの少年は、しかし先程までは一切狼狽えることをしなかった。

特に逆らうこともなく、暴れることもなく、離宮の気品が漂う応接間に通された時ですら、粛々と”招待者”である青年の言葉に従って腰を落ち着けた。

 その胆力には離宮に勤める使用人のみならず、招いた本人である青年ですら舌を巻いた程であったが、その年齢に不相応なまでの冷静さは、唐突にかけられた一言で不意を突かれて崩れてしまった。

 

 

 ―――ポタ、ポタ……と。

 

 危うく逆流しかかったオレンジジュースを口元から数滴垂らした少年は、直ぐにそれを拭うと、目の前にいる人物の方へ向き直った。

互いに高級なソファーの上に座り、その間を分け隔てているのは七耀石(セプチウム)の宝石が所々に散りばめられた横に長いテーブルのみ。自分が一年働いてもこんな豪奢な机は買えないな、などと下らない事を並列で考えながら、自分と同じように自然体で腰を下ろしている青年を見やる。

 鮮やかな金髪を首筋辺りで一つに纏め、その身を”紅”を基調とした服で覆った、自分よりも10は年齢が上であろう人物。

 知らない訳ではない。寧ろ情報の扱いが基本となる職場で仮にも数年働いていた身として、この人物の事を耳にした事が無いとは、そのプライドにかけても言えないだろう。それ程までに、このゼムリア大陸において、彼は有名人であった。

 

 

 《放蕩皇子》―――オリヴァルト・ライゼ・アルノール。

 

 

 このエレボニア帝国における皇族の一人にして、国民の敬意を羨望を背負う人間である。

 

「……スミマセン。最近歳のせいか耳が遠くなって来たような気がしましてね。もう一回、言って下さいますか?」

 

 そろそろ17になる人間が何を言うか、というツッコミが脳裏を過ったが、気にしない事にした。兎にも角にも、もう一度聞かない事には始まらない。今自分は、とても恐ろしい台詞を聞いた気がしたのだから。

 

「おやおや、言い方が悪かったかな? それとも私の声が小さかったのかな? いいだろう。もう一度、言わせてもらうよ」

 

 できれば聞きたくないなぁ、という願望が心の中で反芻されるが、それは決して表情には出さない。仮にも相手は王族、度が過ぎて不敬罪に問われたら目も当てられないだろう。

尤も、彼の後ろで怒気のオーラを立ち昇らせて身を震わせながら立っている黒髪の青年の姿を見る限り、その心配は杞憂になるだろうが。

 

「レイ・クレイドル君。僕は―――」

 

 再びストローに口を付ける。もう少しでなくなりそうなジュースの残量を一瞬だけ一瞥しながら、特に歓迎もしていない、目の前の皇子の次の言葉を待った。

 

 

 

 

 

 

「君が―――欲しい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ドガッ!

 

 ―――スゾゾッ……

 

 

 本来聞こえない筈の、否、聞こえてはならない筈の鈍い打撃音と、少年―――レイがジュースを吸い終わった音が偶然にも重なった。

 今度は動揺などしなかった。微妙に冷めた目で目の前で起きた惨劇を見つめながら、後ろに控えていた執事のような人物にジュースのお替りを頼み、再び視線を戻す。

何も知らない一般人がこの状況を見たら、あるいは卒倒するかもしれない。巷で人気な煌びやかな皇子が、思いっきり後頭部を殴打されたのだから。

 

「一辺死ね、このバカ」

 

 からの、この暴言である。その一連の流れを僅かの躊躇もなく行ったのは、先程から怒りで身を震わせていた長身の青年。エレボニア帝国が誇る機甲師団の軍服を纏っているその人物は今、眉間にこれでもかと皺を寄せながら、振りぬいた右の拳を元の位置に戻した。

 

 エレボニア帝国正規軍第七機甲師団所属、ミュラー・ヴァンダール少佐。

 

 各地で耳にするオリヴィエ皇子の話題は、大抵この人物の情報がセットで入ってくる。

それもその筈。帝国において<ヴァンダール家>は、代々帝国皇室を守護する名門中の名門。この人物が付き人兼要人警護として皇子と行動を共にする事は、何らおかしな事ではないのだから。

更に言えば彼はオリヴァルト皇子とは幼馴染であり、加えて親友の間柄でもある。だからこそ、この皇子の行き過ぎたアホな言動に対する窘めとして、拳と暴言を繰り出す事ができるのだろう。

 とは言え、流石に目の前で見ると迫力があった。レイが見る限り、あまり手加減をしていなかったように思える。

 

「アタタ……酷いな親友。今のは結構本気だったんじゃないか?」

 

「当たり前だ。お前がノリと思い付きで連れてきた客人だろう。少しは真面目に振る舞え」

 

 フン、と鼻を鳴らし、視線を皇子からレイへと移してくる。

言葉にこそしなかったものの、何故か憐れみと同情を含んだような目で見られ、黙したまま一つ頷いた。どうやら、この程度の事はスルーしなければいけないらしい。普段から接しているのならばともかく、出会ってからまだ一日と経っていない人間には少々難易度の高い要望だ。

 

「えっと、殿下?」

 

「うん?」

 

「あのですね、えっと、自分は流石に男色のケはないんですが……」

 

 一応確認としてオリヴァルトにそう進言したレイであったが、直後、盛大に笑われてしまう。それが数秒続いた後に、再びミュラーに殴られていたが。

 

「イタッ!……ハハハ、分かっているとは思うが、流石に先程のは言葉の綾さ。そういう風潮を否定はしないが、僕はちゃんと妙齢の女性が守備範囲内だよ」

 

「……良かったです。殿下がもし、本気でそうだったとしたら、自分は全力で以てここから脱出してクロスベルに帰ってました。えぇ、国境越えなんざ些細な問題ですよ」

 

「安心してくれ。君の安全は俺が保証する。この馬鹿が、無理を言って連れて来てしまった身の上だしな」

 

 全く以て笑えないジョークを解決した後、レイは届いたジュースを再び啜る。理不尽な緊張を強いられたせいか、やけに喉が渇いてしまっていた。

 可能な限り早く帰りたい―――そう思っていると、自分の眼前の卓上に、スッと一枚の封筒が差し出された。

 

「……」

 

 ストローから口を離し、それを手に取る。裏返してみるとそこには、黄金の一角獅子の紋章が堂々と真ん中に印刷されており、その上部にはとある一文が載っていた。

 

 

 

『トールズ士官学院  推薦入学受付願書』

 

 

 

「これは、本気ですか?」

 

 思わず問い質してしまう。それもそうだろう。何故この皇子は、今更自分に”学生”に戻れなどと言うのだろうか。青春などとうに捨てたものだと思っていた、自分に。

色々な複雑な思いが胸中で交錯し、怪訝な目を向けてしまっても、オリヴァルトは変わらぬ微笑を浮かべたまま、答えた。

 

「勿論、本気さ。一応僕はその学院で、お飾りであるが理事長なんぞを務めていてね。今回はその立場から、君の入学を勧めさせてもらったんだ」

 

「……それでしたら帝国内に優秀な人材は他にもいるでしょう。わざわざ他国に籍を置いている人間を誘うメリットなど、殿下にはないのでは?」

 

 談話の雰囲気が一変、真剣なものへと移り変わる。

 

 レイの方は変わらず”個人”として相対しているが、オリヴァルトの方はそうではない。あくまでも皇族の一員、<アルノール>の家名を冠する人間としての話し合いを仕掛けて来たのだ。

 

 噂通りの食えない人間模様に、内心で苦笑する。成程、伊達にリベール王国に偽名を使ってまで乗り込んだ人物ではない。交渉事には随分と聡いようだ。

 

「謙遜することはない。僕も幾つかの独自の情報網を持っているからね、君の活躍は何度も耳にして来たよ」

 

「そう言っていただけるのは素直に嬉しいです。先輩方の影に隠れて、細々と行動しているだけなんですがね」

 

「その行動が僕にとっては眩しく見えたんだよ。確たる実績を残しながらも決して名声を求めようとはしない。控えめに言っても、遊撃士の鑑のような人物じゃあないか」

 

 ―――そう言われる資格なんぞ、俺にはない。

反射的にそう言葉にしたくなる衝動に駆られたが、ギリギリ口内で呑み込んだ。

 

「”求めない”のは当たり前です。俺みたいなポッと出の若造が有名になりすぎたら支部に迷惑がかかりますから。そういう、打算的な意味ですよ」

 

 半分は本音で、半分は嘘。

 

 声色に震えはないし、言葉を詰まらせたりもしていない。普通の人間が相手ならば、この答えでうまくはぐらかす事ができた筈だった。

そう―――”普通の人間”であったならば。

 

 

「中途半端な嘘は良くないよ、レイ君」

 

 

 極めて自然に、そして間髪を入れずに、その思惑は即座に看破されてしまった。

それでもレイは心情の揺れを表に出さない。こんなやり取りはただの小手調べだと、そう言わんばかりの不遜な態度のまま、じっとオリヴァルトの双眸を正面から見据える。

 今の言葉が、当てずっぽうで放たれたものではない事は明らかだったし、こちらを探るためのカマをかけたものであったとも思えない。それが分かる程度には、レイも話し合いには慣れているつもりだった。

 

 恐らくは、全て知られているのだろう。

 

 自分の―――過去が。

 

 

「君が今までどれ程の茨の道を歩んで来たのかは、一応知っているつもりだよ。所詮、情報の羅列でしかないがね」

 

「ハハハ、皇族の方とはいえ人の過去を勝手に調べるのは止めて下さいよ。……面白いモンじゃないんですから」

 

 言葉に険が出始めている事を自覚しながらも、会話を続ける。

激情を表す事は簡単だ。今ここで殺気を出しても、恐らく目の前の皇子は咎めはしないだろう。

 だが、それでは駄目だ。

些細な挑発にホイホイ激憤していたら、それは癇癪を起こす我儘な子供と何ら変わらない。それに、過去を探られるのはこれが初めてという訳ではない。反応するだけ、エネルギーの無駄だろう。

 

「それでは殿下は、全てを知った上で俺を士官学院に招待しようと? 将来の明るい少年少女たちの群れの中に混ぜるには、些か異端すぎると思いますケド」

 

「新しい風を吹かすのに異端(イレギュラー)は必要さ。そして、僕はそういう若者たちを歓迎している」

 

「俺以上にヤバいモノを背負っている新入生がいるとでも?」

 

「いやいや、流石にいないよ。君のような人材を何人も抱えれば、さしもの僕でも手に余るだろうさ」

 

「ま、そうでしょうね」

 

 自分から振った話ではあるが、そんな教育機関はすぐに学級崩壊を起こすだろう、とは思った。教師陣としても悪夢以外の何物でもないに違いない。

 段々と、対話にも余裕が生まれてきた。

それに伴って自分の口調がいつもの友人や同僚に接している時のそれに戻りつつあるのにも気が付いていたが、特に今のところ問題は起きていない。レイはこの人物に、皇族の風格を残しながらも、頭の切れる自由な風来坊のような印象を抱き始めていた。

 

「それが、殿下が俺を入学させようとしている理由、という訳ですか。しかしまた、随分と思い切りが良いですね」

 

「未だ空を仰ぎ見るだけの雛鳥とは違って、君はもう立派な翼を持った成鳥だ。後は、羽ばたく切っ掛けさえあれば、と思ってね」

 

「それが故の先程の言葉、ですか。成程、確かに拒否する理由は何もないですね」

 

 唯一の懸念事項と言えば遊撃士の仕事を一時休職しなければいけない事だが、それについても訳を話せば同僚たちは自分を快く見送ってくれるだろう。常日頃からお節介焼きな面々の事である。留学などと言いだした矢先には、さて、どんな反応を見せてくれるのやら。

 そうしてレイがもう一度願書の封筒を手にしたところで、オリヴァルトが「あぁ、そうだ。もう一つ」と、思い出したように言った。

 

「僕がそれを君に渡したのは間違いなく君が優秀な人材であると判断したからなんだがね、君に興味を持った切っ掛けはまた別にあったんだよ」

 

「切っ掛け……遊撃士協会(ブレイサーギルド)伝手の情報じゃあないんですか?」

 

 正直、それ以外から今の自分の情報が入るとは思えない。

否、探そうと思えば情報など幾らでも探せるのが現代ではあるが、今ここで自分にそれを話すという事は、そんな漠然とした情報源ではないのだろう。

 

 

「初めは……そう、リベールに赴いた時だった。”とある少年”から、君の存在を聞いてね」

 

そう言われた瞬間、レイはその情報源にあたる人物を特定させていた。この皇子が当初は身分を隠して”彼”に接触していたのは知っていたが、まさか余計な事まで口走っていたとは露程にも思っていなかった。

 

「野暮用が終わって帰ろうとしていた時に言われたのさ。『自分はもう大丈夫だから、もし彼に出会ったら何か力になってやって下さい』とね。その時僕は、口約束ではあったけど、必ずその役目は果たそうと決心したのさ。”彼”の、君に対する感謝の念がひしひしと伝わって来たからね」

 

「あンにゃろう……他人の心配してる場合じゃねぇだろうによ」

 

 ガシガシと、思いっきり後頭部を掻く。

 

 変に気を遣わせてしまった事に対する面映(おもは)ゆさと、余計な事をしてくれたという苛立ちとが混ざり合って搔き乱している。かつて自分と同じく女装強要の被害に遭っていた親友の顔をはっきりを脳裏に思い浮かべ、それを振り払った。

そんな心情を知ってか知らずか、オリヴァルトは含みのない笑みをレイに向ける。

 

「良い友人を持ったじゃないか。大事にしたまえよ」

 

「はぁ……というかアイツには友人()じゃなくて彼女の方を大切にしてもらいたいんですがね」

 

 まるで反論するかのような言葉であったが、その口元には隠し切れない感情が漏れ出ていた。

何度も離れそうになった腐れ縁。再び繋がったそれが今回の事態を招いた要因の一つとなった事を考えると少しばかり複雑ではあったが、親友の頼みを無下にするほど落ちぶれてはいない。

結果として、オリヴァルトが切った切り札(ジョーカー)は、レイを納得させるに充分な要素となり得たのだった。

 

「ふぅ……了解しました。願書(コレ)はありがたく頂戴します」

 

「それは、推薦を受けてくれるという解釈で構わないのかな?」

 

「はい。人生何事も経験だと、昔師匠にも言われましたしね。それに、せっかくの親友のお節介です。受けておかないと損でしょう?」

 

「フッ、麗しき友愛か。いいねぇ、美しいよ」

 

 その芝居がかった言葉になぜか無性にイラッと来たが、冷やかしなどの悪意は感じられなかったためにすぐに鎮まった。この帝国皇室の長子は、良くも悪くも人の心を搔き乱すのに長けているらしい。

社交界では凄まじい人気を誇るという情報も、直接会った今ならば身に染みて理解できるような気がした。いつの世も、女性はミステリアスで自らを翻弄してくれるような異性に、少なからずの興味を抱くものだ。

 

 ―――ヴ―――ッ、ヴ―――ッ。

 

「あ、っと」

 

 そんな事を思っていた時、不意に上着の内ポケットの中に仕舞い込んでいた機器が振動した。そう言えば電源を切っていたことを忘れていたな、と今更ながらに思い出し、二人に許可を取ってから折り畳み式のその機器を開いて、耳の近くへと持って行った。

 

「はい、もしもし―――あぁ、ミシェルか。悪ぃ、心配かけたな」

 

 俗に『ENIGMA(エニグマ)』と呼ばれる戦術用でもある通信機器を使い、勤務先と通話をするレイ。その内容を聞いて流石に苦笑を漏らすオリヴァルトと、それを睨みつけるミュラー。

 

「いや、別に拉致られた訳じゃあ……ない、かな。うん。ともかく、もうすぐ支部に戻る。残ってる仕事は明日一気に片づけるから、依頼書は俺の部屋の机の上に積んどいてくれ。―――は? クロスベル支部全員で帝国に殴り込みをかける? 待て待てやめろ。国際問題になンだろうが」

 

 そんな不穏な会話が十数分続けられた後、どうやら穏便に収めたようで、やや疲れた顔をしながらレイが機器の電源を切った。

 

「……さて、ちょっとすぐに帰らなきゃいけなくなったんで特別便を用意していただけますか? 殿下」

 

「あぁ。皇室御用達の列車をすぐに用意させるよ。いやぁ、ゴメンね♪」

 

 茶目っ気を全開にして反省の色ゼロで謝るオリヴァルトに、再びミュラーの鉄拳が落ちる。それを冷めた目で見ながら、これまでの過程を思い返してみた。

 

 

 半ば強制的、とは言ったものの、実際のところレイ自身望んで付いてきた部分もある。オリヴァルトと会うのも今日が初めての事ではなかったし、名前こそ偽名を使っていたものの、やんごとなき身分の人間であることは最初から分かっていた。そんな人物に突然「重要な話がある」と持ち掛けられたら、多かれ少なかれ興味を抱いてしまうのは仕方のないことだっただろう。

しかし、近場のどこかで話をするのかと思いきや、まさかいきなり皇室の離宮にまで連れて来られるとは流石に思いもしなかったが。

余りにも急な展開に、職場に連絡をする事も忘れてしまっていた。この事は、レイの落ち度でもある。遊撃士たる者、いかなる状況でも冷静な判断と行動が求められる存在だからだ。今回の場合は、その状況が突拍子過ぎて対応が遅れてしまったせいで、危うく国際問題にすらなりかけてしまった。

 だが、わざわざ隣国くんだりまで赴いた甲斐はあったと言えた。こんな(・・・)自分が学生になるなど、数時間前の自分は露程も思っていなかっただろう。

 

「別に気にしていません。それに、面白そうな事を提案して下さっただけでも俺としてはとても有意義な時間を過ごせましたから」

 

「フフッ、そう言ってもらえるとこちらとしても嬉しい限りだ。ではまた、今度は学院の行事ででも会おうじゃないか」

 

「俺に新しい友人ができている事を期待しておいて下さい。……では、これで」

 

 そのやりとりを最後に、レイはソファーから立ち上がりって踵を返す。そしてそのまま、使用人に案内されて応接室を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ミュラー、彼をどう思う?」

 

 二人しかいなくなった広い部屋で、オリヴァルトがそう問いかけた。その言葉に顎に手をかけて少し考えた後、衛士であり、親友でもあるミュラーが答える。

 

「お前が目を掛けるだけの事はある、か。アレは相当修羅場を潜って来ている。強いぞ」

 

「もし一対一(サシ)で戦う機会があったとしたら……勝てるかい?」

 

「ヴァンダール流の名に懸けて負けるとは言わんさ。ただ、お前が見ているのは彼の技量だけではないだろう?」

 

 自分が求めていた的確な答えに、喜色を見せる。ミュラーの方はと言えば、未だ渋面を崩してはいなかったが。

 

「あぁ、その通りだ。彼には”あのクラス”のもう一つの”支え”となってもらいたい。決して常人が経験することのない道を辿って来た彼にしかできない在り方を、あの場所で示して欲しいと思っているよ」

 

「……悪趣味と取られても言い逃れはできないぞ、オリビエ」

 

「理事長として、最低限の責任は負うつもりだよ。たとえそれが、どんな結果に繋がろうとも、ね」

 

 

 オリヴァルトが放った最後の一言は、何故だかやけに真実味を帯び、余韻がしばらくその場に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




……という訳で序章なんぞを書いたわけなんですが、いかんせんオリビエさんの口調がよく分かんないことになってますね。殿下ファンの皆さん、ゴメンナサイ。

ちなみにこの序章は閃の軌跡原作が始まる昨年度の出来事となっております。主人公は会話の中でもあるとおり遊撃士なわけですが……あの濃い連中と仕事してれば大抵のことには耐性がつきそうですよね。怖いッス。

それでは次回、また読んで下さいませ。


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眠り猫と苦労少年

えっと、第2話の投稿でございます。
正直”繋ぎ”の部分なので奇を衒った展開などはございません。

ついでに言えば執筆中にPCがフリーズ起こして割とマジで焦りました。

……前途多難すぎる。


七耀歴1204年 3月31日 エレボニア帝国帝都近郊都市トリスタ。

 

 

 

 未だ冷たさが少しばかり残る春の薫風が頬を撫で、街中に美しく咲き乱れたライノの花の軽やかな香りが人々の心を陽気にさせる季節。

そんな時期、このトリスタでは人生の新たな門出を迎えた若々しい少年少女たちが、一様に目を輝かせながら石畳で覆われた道を歩いていく。

彼らが見上げるのは、街の一般区画から坂を上った場所にある、どこか荘厳さを醸し出す建物。緑、はたまた白の制服に身を包んだ彼らは、一人の例外もなく建物の門を潜って行く。

 

 

トールズ士官学院。

 

 七耀歴950年、エレボニア帝国史上最大の内戦とされた《獅子戦役》にて勝利を掴み取った大帝・ドライケルス・ライゼ・アルノールが設立した由緒正しい士官学院であり、その歴史は帝都ヘイムダルに存在する名門女子校、『聖アストライア女学院』と並んで長い。

帝国の貴族の嫡子から平民の生徒まで、その在校生の内訳は様々であり、卒業先の進路もかつては軍属が大半を占めていたが、今では士官学院で学んだ知恵と技量を生かして各々が望んだ道に進むことが多い。とは言え、それがトールズの名を低迷させたわけでもなく、むしろ多様な価値観が学内に生まれたことで生徒の間でも柔軟性が生まれたと、専らの噂である。

 

 若い身である自身が、在校する2年間の間で何を学び、何を見つけ出すのか。

 そんな簡単そうでいて難しい答えを求めて、今年も生き生きとした新入生が、抱いた希望と一抹の不安を胸に、この街を訪れていた。

 

 

 

「ライノの花か……綺麗だな」

 

 トリスタ駅の駅舎を出た途端に視界いっぱいに広がった白い花吹雪を見て思わずそう呟いてしまった黒髪の少年、リィン・シュバルツァーもその一人だった。

自らが愛用している得物を包んだ細長い袋を肩から下げ、他の生徒とは一線を画する”赤い”制服を纏った彼は、その感嘆もそこそこに、学園がある方向へと足を運び始める。

 入学式の時間まで、余裕はある。慣れ親しんだ街であるならばどこかの喫茶店で一休みしてから向かうという選択肢もあるのだが、生憎ここは慣れ親しむどころか初めて訪れる場所である。彼の生来の生真面目さとも相まって、そんな考えは最初から頭の中にはなかった。

だが、リィンは少し歩いたところで、ピタリとその足を止める。そうしてふと、自分の頭上を見上げた。

 まるで新入生一同を歓迎しているかのような雲一つない快晴。その青空を覆いつくさんばかりに舞う白い花弁。その幻想的でありながらもどこか懐かしい気持ちにさせてくれる光景は、リィンの心に僅かばかりの余裕を生み出した。

 

「(もう少し、この景色を堪能して行くか)」

 

 思わず零れた笑みと共にそう思った彼は、どこか腰を落ち着ける場所はないかと、辺りを見回す。

流石に突っ立ったままボーッと眺めていては通行人の迷惑だし、何より客観的に見てその状況が間抜けすぎる。目立つ制服を着ているため、輪をかけて異様に見えてしまうかもしれない。

 そう思って数秒ほど見回した後に、リィンはライノの木に囲まれた小さい公園のようなものを発見した。公園、とはいっても遊具の類はなく、ただベンチが幾つか設けてあるだけの簡素なものである。だが今は、それだけで充分だった。

 軽い足取りで敷地内に入り、端に設置してあったベンチの一つに腰かける。春先のやや冷たく感じる風も、このような状況で当たると不思議と風情を感じられた。

ふぅ、と一息をつき、その心地良さに身を委ねる感じでその双眸を閉じようと―――

 

 

 

 

 

 

「だあぁッ! だから起きろって言ってんだろうがこの駄猫! 流石にもうそろそろ起きねぇとマジで入学式遅刻するんだっての!」

 

 

 

 

 

 

 ―――したところで、公園内に響き渡った若い男性の怒号(というよりは口の悪い懇願)が、リィンの意識を覚醒させた。

危うく入学式前に眠ろうとしてしまった自分にまず驚き、次いで自分を図らずも起こしてくれた人物の方へと目を向ける。

 

 

 

「ぅん……むにゃむにゃ……あと50時間」

 

「却下に決まってんだろうが。何を思ってそれでオッケーだと思ったんだ、お前は」

 

「……レイも昼寝は好きだから、いけると思った。……一緒に寝よ?」

 

「ほほぅ、それは俺を馬鹿にしてるのか? 今ここでお前と一緒に寝たら間違いなく大遅刻コース確定だわ。入学早々説教だわ」

 

「大丈夫……怒られるのはレイだけだから」

 

「アホ、お前も引きずり出すからな。サラに怒られるときは諸共だ。絶対に逃がさねぇぞ」

 

「……めんどい」

 

 

 向かいのベンチに並んで座っていたのは、少女と少年の二人組。

銀のショートヘアーの少女がベンチの上で体を丸まらせて横になり、その隣で腰かけていた、毛先だけが銀色になりかけている黒髪の少年が、少女を起こそうと奮闘していた。

一見険悪そうに見える会話内容ではあるが、実際のところはそうでもない。少年が少女の身体を軽く揺すり続けながら声をかけ続け、それを少女がのらりくらりとマイペースに躱し続けている。傍から見れば、自由奔放に行動する妹を窘めている兄のようにも思えた。

 

 

「ったく、じゃあどうしたら起きるんだよ」

 

「レイがおんぶしてくれたら起きる。これで寝起きはバッチリ」

 

「フィーよ、俺には俺の背中で二度寝するお前の姿しか見えねぇんだが?」

 

「大丈夫。私の口約束は信頼でき……zzz」

 

「履行する前に破棄するんじゃねぇ!」

 

 流石に目に余ったのか、少年が勢いよく立ち上がる。とその時、少年のポケットから何かが零れ落ちたのがリィンから見えた。

 

「(あれは……ペンダントか?)」

 

 遠目から見ても金属部分が丁寧に磨き抜かれ、太陽光を反射しているペンダント。それが石畳の上に落ち、そのまま滑ってリィンの少し前の辺りまで転がって来た。

しかし、落とした当の本人は少女を起こすのに必死で気付いていない。リィンはそれをそっと拾い上げる。

 

「(綺麗に手入れされている……大事なものなんだろうな)」

 

大切にされた思い出の品、というものの価値を、リィンは知っている。彼にとっての家族写真と同じように、このペンダントは、少年にとって大事なものなのだろう。

まぁ、そうであろうとなかろうと、目の前で落とされたものを知らない顔をしてスルーできるほど、彼は薄情者ではない。そのまま近づいて、声をかけた。

 

「あの、ちょっといいかな?」

 

「フィー、てめっ……―――んぁ? どうしたん?」

 

 思っていたよりもあっさりと反応してくれた事に少し意外に思ったものの、直ぐに気を取り直して、少年の目の前にペンダントを差し出した。

 

「さっき落としてたからさ。君のものなんだろう?」

 

「あっ、マジか!? いやぁ、ありがとな、拾ってくれて」

 

 話しかけた瞬間は怪訝そうな目を向けていた彼も、自分のものを拾ってくれた人物だと分かって笑顔を見せる。そしてリィンからペンダントを受け取ると、「どっか壊れてないよな……」と呟きながら丹念に確認をし始めた。

 

「(それにしても……)」

 

 そんな姿を眺めながら、リィンは少年の容姿について思わず考えを巡らせてしまう。

 決して醜いわけではない。むしろ世間一般に言えばかなり整っていると言えるだろう。自分よりも低い、同年代の男子と比べると小柄と言っても差し支えがない身長と相まって、それはどこか中性的な雰囲気を醸し出していた。

 が、そんな整った容姿にある意味異質とも言えるアイテムが、彼の顔の左側を覆っていた。先程まではずっと横を向いていたために気付かなかったが、そこには威圧感を感じる程の黒い眼帯が装着されていたのである。

ファッション、のような適当な理由で着けているのではないという事は直ぐに分かった。最初こそ驚きはしたものの、その眼帯は何故だか少年の左目部分に馴染みきっており、見る側ですらも数分もすれば違和感がなくなってしまう程だ。これは、伊達や酔狂で装着していた場合には感じることができないものである。

 一体、何者なのか。それを問う機会は、意外と早く訪れるような気がしていた。何故なら―――

 

「同じ制服なんだな。俺も、君も」

 

 その少年も、ベンチで横になっている少女も、揃ってリィンと同じ赤い制服に身を包んでいたからである。周囲とは違うこの制服が一体何を現しているのかは見当もつかないが、同じ服を着ているという事が無関係であるとは思えなかった。

 

「おっ、確かにそうだな。俺もコイツも、もしかしたらお前さんと同じクラスになるかもしれん」

 

「ははっ、もしそうなったらよろしく頼むよ。俺はリィン。君は?」

 

自己紹介をするにあたってリィンが差し出した右手を、少年は笑顔で握り返した。

 

「俺はレイだ。そんで、そこで惰眠を貪ってるのがフィー」

 

「zzz……」

 

紹介されても尚寝続ける少女―――フィーの頭を軽く小突くレイ。その様子を見て、リィンが思わず問いかける。

 

「二人は、兄妹なのか?」

 

「ははっ、いや、違うよ。俺はコイツの監視役、みたいなモンだな。まぁ、妹分って言えばあながち間違ってねぇけどさ」

 

「そうか。その……大変みたいだな」

 

「おぉ、分かってくれるかリィン。良い奴だな、お前」

 

 年頃の妹(片方の場合は妹分だが)を持つ兄として共通点があった二人は、そのまま世間話のようなものをしていたが、ふとトリスタ駅の壁に取り付けられていた壁時計をレイが見たところで、話は強制的に中断せざるを得なくなった。

 

「うぉぁ、ヤッベ! このままじゃマジで共倒れで遅刻じゃねぇか!」

 

「っと、ついつい話し込んじゃったな」

 

 いつの間にかかなりの時間が経っていたことに焦りを見せたリィンは、ベンチに立てかけておいた自分の荷物を背負い直す。そこで振り返ってみると、どうやら本格的に熟睡を始めてしまったらしいフィーを起こすために先程以上に悪戦苦闘をしていたレイがそこにはいた。

 

「レイ! 君はどうするんだ? もうその子は背負うなりして運んだ方が良いんじゃ……」

 

「いや、駄目だ! ここで甘やかしたらコイツは自分では何もできないダメ人間になる! 是が非でも自分の足で登校させてやらぁ!」

 

「何か言動が兄というよりは父親になってる気がするんだが……でもこのまま続けていたら確実に遅刻だぞ」

 

「ハッ、嘗めんな! こちとら数ヶ月間の間だけだがコイツの底なしの睡眠欲求の深さに付き合ってきたんだ。今回も万事上手くやって見せる!」

 

 そう断言して見せるレイに、リィンは一瞬口を噤ませたが、直ぐに踵を返した。

 

「それじゃあ、先に学院で待ってるぞ」

 

「あぁ、行け。俺もすぐに追いつくさ」

 

 そんなやり取りの後、リィンは学院の方向に向かって走り去っていった。

 レイにとって、彼との会話は非情に有意義なものではあった。あんなことを言ったものの、この状態からこの眠り猫を起こすのはかなり至難の業だという事も知っていた。だからこそ、話が弾む相手と一時であるとは言え話し込むことでリラックスできたことは大きい。多少ではあるが、冷静に判断することができそうだったからだ。

 

「ナチュラルに死亡フラグ吐いた手前、間に合わねぇのはカッコ悪いしなぁ」

 

 誰に向かってでもなくそう言うと、レイはこの手のかかる妹分を叩き起こすための試行錯誤を始めた。

絶対に間に合わせてやるという、傍から見れば下らない覚悟を宣誓して。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 結論から言えば、遅刻こそしたものの、入学式を丸々欠席するという暴挙には至らずに済んだ。

 

 

 欲望に忠実な、かの妹分の目を覚まさせるために必要なキーワードはどうやら「早く起きないと今日のオヤツ抜きにすんぞ」であったらしく、それを耳元で聞いた途端にフィーは顔を寄せていたレイの鼻っ柱をへし折らんばかりの俊敏さで起き上がり、その頭突きの直撃を食らった当の本人の回復を待ってから一気に学院まで走り抜けたのである。

 

 とは言え、少々といえども遅刻は遅刻。校門の近くで佇んでいた先輩の小柄な女子学生に事前に告知されていた二人分の荷物を預けると共にお説教を受けること十数分。その後に二人は既に入学式が始まっていた講堂に可能な限り気配を消して潜入し、最後尾に設けられていた椅子に並んで座ることで一先ずの事なきを得るという、おおよそ士官学院に入学する人間が取るような行動ではない事を大胆に、そして確実に遂行して見せたのだ。無論、決して褒められた事ではないが。

 そして今、椅子に座ったことで性懲りもなくウトウトしかかっているフィーに向かって「今度寝たらオヤツどころか今日の夕飯も抜くぞ」と小声で脅しをかけ、その視線を再び壇上の方へと向けた。

 

 

「最後に諸君には、かの大帝が遺したある言葉を伝えたいと思う」

 

 

 壇上に立って新入生一同に向けて言葉を発しているのは、目測で2アージュ程もあるだろうかという、筋骨隆々の体躯を持った老人。その声には恐ろしさこそないものの、長きに渡って激動の人生を歩んで来た人間のみが含むことを許される厳粛さがあった。その圧倒的な雰囲気に、レイも内心で舌を巻いていた。

 

 トールズ士官学院学院長、ヴァンダイク。

学院長でありながら、エレボニア帝国正規軍名誉元帥という華々しい肩書も持つその老君は、今でこそすっかり鳴りを潜めているものの、現役時代はその怒声が大気を震わせ遥か彼方まで響いたというとんでもない伝説を持つ人物でもある。そんな名将から隠し切れずに漏れ出る覇気を感じ取って、レイはいつの間にか椅子の上で姿勢を正していた。ふと横を見ると、先程まで半眼であったフィーですらも、しっかりと目を見開いて言葉の続きを聞いている。

 

 

「『若者よ、世の礎たれ』――― ”世”という言葉が何を示すのか。何を以て”礎”とするのか。その意味を、考えて欲しい」

 

 

 学院の創設者、ドライケルス大帝が遺した言葉。

レイ自身、伝説の中でしか語られない人物の言葉など普通はあまり気にはかけないのだが、この人物だけは、ある意味”特別”ではあった。

 

「(250年前、《獅子戦役》の英雄、か)」

 

 個人的に縁がある訳ではない。ただし、その内乱の話は幾度か耳にし、そしてその度にある種の憧憬(どうけい)を抱いていたのだ。それと同時に、こうも思っていた。そんな人物の傍らに在り続けるというのは、どのような心境であるのだろうか、と。

 

「(ま、今はどうでもいいか)」

 

 夢のような伝説に思いを馳せるよりも、今はただ目の前の生活を続けていかなければならない。

そう結論付けると同じく、行事が終了して生徒らはそれぞれに分けられたクラスへと思い思いに散らばっていく。そんな中で”赤い制服”を着た自分たちだけが、何の連絡もなくポツンと取り残されていた。

 

「どうしよ、レイ」

 

「どうするつってもなぁ、何も言われてない以上動きようが……あ、おーい、リィン!」

 

 フィーと二人で所在無げに佇んでいると、レイが残っていた生徒の中からかろうじて知り合いとなっていた男子を見つけて駆け寄る。橙色の髪の男子生徒と一緒にいたリィンも、レイの姿を確認して手を振った。

 

「レイ、間に合ったのか」

 

「いや、正確には間に合っちゃいなかったんだが……まぁそれはいいか。それよりも、お前も何も聞かされてないのか」

 

「あぁ。……っと、紹介するよ。こっちはさっき知り合ったエリオット」

 

「初めまして。僕はエリオット・クレイグ。よろしくね」

 

 自分と同じように小柄な男子生徒が一礼と共にそう挨拶してくる。それに返す形でレイと、ついでのような形でフィーも挨拶を済ませると、ここで初めてその苗字(ファミリーネーム)にレイが反応した。

 

「(クレイグ……って事は、コイツが例のオーラフ・クレイグ中将の息子か)」

 

 とある事件の際に随分と世話になった剛毅な将軍の顔を思い出し、その上で、息子にあたるであろうこの少年の顔をもう一度見る。

結論、全く似ていない。いや、髪色はともかく、顔立ちなどはそこはかとなく似ている気がしないでもないが、とにかくエリオットからは武人のオーラが毛ほども感じられない。月とスッポンなどと言えばスッポンに失礼にあたるぐらの歴然とした差があった。

 

「えっと……?」

 

「あぁ、スマン。まぁ、よろしくな」

 

 じっと顔を見つめてしまった事を軽く詫び、改めて周囲の状況を確認する。これ以上曖昧な状態が長引くようならばこちらから勝手に行動することも辞さないと、そう思っていた時だった。

 

 

 

「はーい、”赤い制服”を着てる子たちはコッチにちゅうもーく」

 

 

 

 不穏な空気が漂い始めていた講堂に響く、場違いなほどに明るい声。恐らくこの場に残っている生徒の大半は初耳である声なのだが、フィーとレイにとってはその限りではない。その双眸を訝しげなものを見るそれへと変え、声がした講堂の出入り口の方へと、顔を向ける。

 

「やっとお出ましか、怠惰教官め」

 

「む、アンタは久しぶりにあったお姉さまに向かっても相変わらずの口の悪さね。ま、その方がアンタらしいけど」

 

「知るかっての。んで、俺らは一体どこへ向かえばいいんだ?」

 

 レイが声をかけたその先にいたのは、赤紫色(ワインレッド)の髪を後ろで纏め上げた一人の女性。彼らの関係が分からずに一様にポカンとしている生徒を前にして、女性は努めて明るいままの声で言った。

 

 

「君たちにはこれから、”特別オリエンテーリング”に参加してもらいます♪」

 

 

 

 ―――絶対に碌な事じゃない。

 

 レイは持ち前の直感で、これから起こるであろうことに対して、一人警戒のレベルをこっそりと上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




……書き終わって思いました。何だこのグダグダ感。

慣れてない内から何かをしようとすると本当に火傷しますね。ハイ、今後気を付けます。


さてさて、次回はいよいよ二人のこの作品の中での初陣です。
戦闘描写……ちゃんと書けるかなぁ(汗)


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異質な存在

申し訳ありませんでしたああああぁぁぁぁっっ!!
前回あとがきで「戦闘描写書く」なんてほざいてたワタクシめでしたが、書いてるうちに入りきらなくなって戦闘シーン書けませんでしたっ!

次回、次回はちゃんと書きますんでどうか平にご容赦の程を。

えー、それじゃあ第3話、見ていただけると嬉しいです。


隣接するカルバード共和国、クロスベル自治州とは異なり、エレボニア帝国には今現在も尚、強固な”身分制度”が存在する。

それはエレボニアという国家が建国された当初から存在したものであり、実にその歴史は700年にも及ぶ。故にこの国に存在する貴族の諸兄は皆、身分制度を”帝国の旧き良き伝統”と称し、守り続けることを誇りとしてきた。それが本当に国を想っての事か、保身に走ったためかは定かではないが。

 しかしながら、現在その伝統は少々ではあるが「綻び」を見せ始めている。その原因となっているのが、現エレボニア帝国宰相、ギリアス・オズボーン率いる『革新派』と呼ばれる勢力の台頭であった。

貴族制度を”時代遅れの風習”と断じ、その異常なまでの辣腕(らつわん)で以て確実に今、帝国臣民の心を掴もうとしているのだ。

それに対抗するのは、勿論貴族を中核とした勢力である『貴族派』。”国家に身分制度は必須”という大義の下、『革新派』を担う傑物たちと睨み合いを続けている。

 これが、この国のやや危うい現状であった。一触即発、と言うには未だ国内にそれほど不穏な影は落ちていないが、それもいつ悪化するかは知れない。

 

 しかし少なくとも、レイにとってはどうでもいい事ではあった。

彼が拠点としている場所は隣国であるクロスベル自治州。しかしそれですらも勤め先がそうであると言うだけで本来の故郷ではない。とは言え、”帝国内部の勢力闘争”という観点に絞って見れば、臣民ではない自分がとやかく言える立場ではないことは分かっていたし、その問題に興味本位で介入しようという気はそれ以上にない。―――確かに、そう思っていたはずだった。

 

 

 

「ユーシス・アルバレア。貴族如きの名前など、覚えて貰わずとも構わんがな」

 

「なっ……! だ、誰もがその大層な家名に臆すると思うな!」

 

 目の前で、クラスメイト同士がその話題で険悪な雰囲気になるまでは。

 

 

 

 

 

 事の発端は、今年度から新しく発足となった士官学院のクラスの担任に就任したという赤紫色(ワインレッド)の髪の女性にしてレイが良く知る人物、サラ・バレスタインが言い放った一言だった。

 

 

「今年から新しいクラスができたのよ。身分に関係なく選ばれた(・・・・・・・・・・・)君たち”特科クラス《Ⅶ組》が」

 

 

 その言葉に、学院の旧校舎に集められた”赤い制服”を着た生徒は一様に驚愕の表情を浮かべた。

 ”身分に関係なく”―――その言葉がこの国で与える影響は大きい。貴族と平民の間に決して越えることのできない絶対的な壁が隔たっている以上、その垣根を越えて一同に介するという行為は、本来在ってはならない事である。例え当人同士が何とも思っていなくとも、その制度が公になれば一部の選民意識が強い貴族から非難を受けるのは必然だろう。

そのリスクを負ってまでこの制度を試験的であるにせよ導入した理由。それはここにいる誰もが想像できていない。しかしレイは、この制度を提案した大元にあたるであろう人物の顔を思い浮かべて、心の中で苦笑した。

 

「(ったく、メンド臭ぇトコに放り込んでくれたな、あのアホ殿下)」

 

 だが、刺激のない場所で退屈な学院生活を送るよりは、よっぽどマシだろう。そう思ってサラの次の言葉に耳を傾けようとしたところで、一人の男子生徒が声を挙げたのである。

 

 

「じ、冗談じゃない!」

 

 身分に関係ないなどと言う事は聞いていない、と。その緑髪の生徒は声を荒げた。一瞬選民意識の強い貴族生徒の戯言かと思いもしたが、彼からは貴族特有の”余裕”が感じられない。その答えは、彼が自分の名前を言い放ったところで確信に変わった。

 マキアス・レーグニッツ。少しでも情報収集に精通している者ならば、その苗字を聞き間違えたりはしない。

 

「(レーグニッツ……あの帝都知事のオッサンの息子か)」

 正規軍中将の息子に、帝都知事の息子。身分に関係なくとは言ったものの、随分とネームバリューのある人物の二世が集まったものだなと感心する。否、この場合”集まった”のではなく”集めた”のだろうが。

 であるならば、先程の発言も納得は行く。帝都知事と言えばオズボーン宰相の盟友としても知られる人物。つまり、『革新派』の中で限り無く中枢に近しい存在だ。相対する『貴族派』に属する人物は、彼にとっては正に不倶戴天(ふぐたいてん)の敵といった存在だろう。それでも、ここまで貴族を敵視するのは少々度を逸しているとは思うが。

 そして、そんな彼の貴族に対する罵倒に反応するように名を挙げたのが、先の金髪の男子であった。

 

 ユーシス・アルバレア。

流石にこの名前には、さしものレイも驚かざるを得なかった。幾ら皇太子殿下肝入りのプロジェクトであるとは言え、まさか帝国における貴族の頂点、『四大名門』の一角にあたる家の男子を引き込むなどとは誰も想像できないだろう。しかも<アルバレア家>と言えば公爵の爵位を掲げる、大貴族中の大貴族。一体どんな手練手管を駆使したのか、少しではあるが興味が湧いてくる。

 

 しかし、そんな事を考えている暇はない。片や『革新派』筆頭クラスの嫡子、片や『貴族派』筆頭家系の末子。それぞれの背後に龍と虎が見える程にいがみ合い始める二人であったが、大喧嘩に発展する前にサラが言葉で制した。

 

「あー、はいはいそこまで。互いに言いたいこともあるだろうけど、とりあえず、”特別オリエンテーリング”を始めるわよー」

 

 仮にも教官である彼女の一言でとりあえず両者とも敵対心を抑え込む。

しかしレイの思考の矛先はは既に目の前の二人からではなく、サラの行動に向いていた。こんな人気のない空間に呼び出されて行われるオリエンテーリング。”普通”のものではない事は火を見るよりも明らかだった。ましてやそれを行うのが、他でもないサラ・バレスタインなのだ。

 

「……フィーよ」

 

「何? レイ」

 

「嫌な予感しかしねぇんだが」

 

「同感。なんてったってサラだもん」

 

「サラだしなぁ」

 

 小声でそう言い合いながら二人してこっそりと警戒心を強める。その他のⅦ組の面々は、一抹の不安に駆られながらも素直に教官の次の行動を待っていた。

 

 

「それじゃ、行ってらっしゃい♪」

 

 そう言うが早いか、校舎の壁に設置されていたいかにも怪しい赤いスイッチを、何の躊躇いもなく押した。

 直後、ガコンという重々しい音が響くと共に、一同が立っていた床が、大きく下方向に傾き始めた。

 

「うわぁっ!」

 

「な、何だ!?」

 

 かなり速いスピードでその角度はどんどんと直角に傾いていく。突然の事で対処どころか何が起こったのかすら分かっていないメンバーは次々と下へとずり落ち、階下へと為すすべなく落ちていく。

 

「ほっ、と」

 

 そんな中でフィーはあらかじめ右腕の袖の中に仕込んでいたワイヤーを伸ばし、それを天井に括りつける事で空中に逃げて落下を阻止した。しかし、共に警戒をしていたはずのレイは、連れていない。

 

「はぁ~」

 

 しかしサラは、空中に逃げたフィーではなく、レイに目を向けてため息をついた。当の本人は、さも不思議そうな表情を浮かべながら、その視線を受け止める。

 

「フィーはある意味予想してた方法で逃げたけど、アンタは相変わらず規格外ねぇ、レイ」

 

「失礼だな。むしろ俺の方がまともだろうが。一般人は腕の中にワイヤーなんぞ仕込んでねぇっての」

 

未だに床の上に立っていられる(・・・・・・・・・・・・・・)アンタの方がアタシには信じられないってのよ。何? 靴底に粘着テープでも貼ってあるのかしら?」

 

 現在の床の傾斜角度は約50度。普通ならば何の引っ掛かりもないこの床の上で人間が立っているのはほぼ不可能であり、それこそサラの言う通り靴底に細工でもしない限りは重力に負けて落ちて行くのが道理というものである。

だがそんな状況でレイは涼しい顔のまま、やや前傾姿勢になるだけで一歩も動いていない。その安定性は、この体勢のまま日没まで持ちこたえる事ができると言われても信じてしまいそうなほどに良い。

 

「んな訳ねぇっての。数年前に行った古代遺跡の方がもっとヤバかったぜ? 一瞬で足元の床が消えたからな。いやー、あの時は流石に焦ったわ」

 

「サラ、レイを落としたいなら最低でもそのくらいのビックリトラップが必要」

 

「仕込んでも良いんだけど、それやったらアンタら二人はともかく他のメンバーは死んじゃうでしょうが」

 

 確かに、と二人揃って頷く。レイもフィーも、この程度の修羅場には慣れきっているため、若干他人と常識が食い違う事は理解していた。この場でも、”未熟な”一学院生としては素直に落ちておくべきであったかもしれない。

とは言え吊り下げたワイヤーに掴まって宙に浮いている少女と、急傾斜の上で普通に立ちながら顎に手を当てて考えている少年。どこからどう見ても”異常”である。

 

「まぁとりあえず、とっとと下に行きなさい。アンタ達がいなきゃ始まるモンも始まらないでしょうが」

 

「へいへい了解。つーことでフィー、降りてこいや」

 

「レイが受け止めてくれたら降りる。ちょっと怖い」

 

「日常的に降下作戦やってた奴が何言ってんだ。早くしねーとそろそろお前のスカートの中が見えるぞ」

 

「レイなら別にいいけど?」

 

「おい、サラ。とっととコイツのワイヤー切ってくれや」

 

「……アンタ達ほんとに仲良いわよねー」

 

溜め息交じりにそう言うと、サラは上着の内側から取り出した投擲用のナイフを一振り投げる。それは直線の軌道を描きながら、見事にフィーのワイヤーを断ち切った。

 

「はぁ……めんどい」

 

「同感だが……ま、小手調べにゃ丁度良いだろ」

 

 それぞれが心境を口にしながら、穴の中へと身を投じる。とは言え、未だ軍事訓練を受けていない生徒にも配慮した作りであったようで、それ程深くもなく、数秒ほど床伝いに降下したところで地下のフロアへと辿り着いた。慣れた感じで見事な着地を見せた二人が目にしたのは―――

 

 

 

―――パァン!!

 

 

 

 軽やかな音を立てて頬を張られたリィンと、その行動を起こした金髪の女子生徒が向かい合い、それを他のメンバーがバラバラに囲みながら見ている状況。

 

「「……何コレ?」」

 

 思わずハモって疑問語を口にしてしまうほどに、その光景は訳が分からないものであった。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

「ほうほう、成程。そこの彼女をカッコ良く助けようとしたけどミスって転倒して気が付いたら胸に顔を埋めていたと……堕ちろ」

 

「何処に!? というか確かにそうだけど、ざっくばらんに纏めすぎだろう!」

 

「いやまぁ確かにお前が悪いわけじゃねぇんだけどな。なんつーか、こういう時は大抵男が悪者にされるモンなんだよ。スパッと謝っちまえ」

 

「やけに詳しいな、レイ」

 

「これでも昔はめんどくせー性格の異性に囲まれてたからな」

 

「17歳なんだよな? 俺たちと同じ」

 

 ヒソヒソと、他のメンバーから離れて小声で会話をしながら、レイはちらりとリィンに見事な張り手を放った金髪の女子を一瞥する。

一見すると吊り目気味なその双眸と凛とした佇まいからキツい性格をしているような印象を受けるが、悪意などは一切感じない上に、リィンの視線が向けられていない今は少しばかり申し訳なさそうな表情も僅かに見せている。それでも、あんな事をしてしまった以上、自分から謝るのは気が引けるのだろう。例え自分を庇ってくれた上に不可抗力の末の結果であったとしても、許せるものではなかったらしい。

 だが、そう遠くない内に仲直りができるであろう事も、レイには何となく分かっていた。少なくとも、先程からずっと頑なに視線すら合わせようともしていないユーシス&マキアスの犬猿コンビと比べれば大したことのない確執だ。

 とりあえずリィンは近い内に必ず謝るという事を誓ったため、一同は改めて自分たちが落とされたこのフロアを見回していく。前時代的な雰囲気を醸し出すその空間は、この場所が外界とは一線を画する所だという事を嫌でも認識させられた。

 

「ん? あれって……」

 

「あ、俺が門のところであの小さい先輩に預けた荷物じゃねぇか」

 

 そんな広間の壁際には、まるで円を描くかのように10の台座が設置され、その上には各々が校門前で預けたはずの荷物と、片手に乗るサイズの宝箱が置かれていた。レイも含め、一様に頭の上に疑問符を浮かべていると、突然制服のポケットの中から電子音が鳴り響いた。

その音の発信源となっていたのは、入学前に入学証明書と共に送られてきた導力器(オーブメント)。恐る恐る開くと、そこからサラの声が聞こえてきた。

 

『全員、無事みたいね』

 

 むしろ無事でない人間がいたらどうするつもりだったんだと、思わずツッコみたくなったが止めた。抜け目のないあの人物の事である。これくらいは予想の範囲内だったろう。そしてその後、サラによるこの導力器(オーブメント)の解説が行われた。

 

 エプスタイン財団とラインフォルト社が共同で研究・開発して製作した第五世代型戦術オーブメント『ARCUS(アークス)』。

”戦術オーブメント”とは、一般的に”魔法”と称される導力魔法(オーバルアーツ)の使用や所持者の身体能力の向上などの機能が備わった、その名の通り戦闘用の導力器(オーブメント)の総称であり、大陸各国の軍隊や警察、遊撃士協会などに普及している代物である。これまで戦術オーブメントを指す代名詞と言えば『ENIGMA(エニグマ)』と呼ばれるエプスタイン財団が中心となって開発した機器であったが、軍事大国として知られるエレボニアは、軍需産業の一大拠点、ラインフォルト社にも一枚噛ませて更に戦術用に特化した代物を作り上げていたらしい。

技術畑の出身者ではないレイには細部までの違いなどは分かるはずもないが、それでもなんとなく、これまで使用していた『ENIGMA(エニグマ)』とは格が違う物であるという事は察する事はできた。

 で、あるならば、この宝箱の中に入っている物もなんとなく想像ができる。他の面々が警戒して触ろうとしていなかったそれにレイは手を伸ばし、蓋を開けた。

 

「(やっぱり、か)」

 

 そこに入っていたのは、小さい球状のクオーツ。それもただのクオーツではなく、レイが使用していた次世代型の『ENIGMA(エニグマ)Ⅱ』より実践された、”進化するクオーツ”。名を、マスタークオーツと言う。これをオーブメントの中心に填めることで、適正の差異はあるものの、誰でも魔法(アーツ)が使用できるという優れ物だ。

その説明を聞いて、性能の優秀さに色めき立つクラスメイト。しかしレイだけは、こめかみに皺を寄せたままそれをじっと見つめていたが、やがて口を開いた。

 

「……聞こえるか? サラ」

 

『んー? 聞こえるわよ。ついでに言っておくと、アンタが言いたい事も分かってるから』

 

「あ、そう。じゃあ俺のところにマスタークオーツ(コレ)は置かなくても良かったんじゃねぇか?必要ねぇし」

 

 二人の間で交わされるその会話に、フィーを除く全員が首を傾げる。確かに向き、不向きはあれど、アーツは非情に強力な武器となる。それは常識だ。

では何故この少年はその元となるマスタークオーツを「必要ない」と断言したのだろうか。その疑問は、直ぐに明らかとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だって俺―――アーツ一切使えねぇもん(・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、えぇっ!?」

 

「き、君! それは本当なのか!?」

 

 エリオットがまず盛大に驚き、右隣の台座の前に立っていたマキアスが信じられないといった声を挙げた。そんな中で左隣にいたフィーが目を伏せたまま首肯する。

 

「本当だよ。レイは、本当に全くアーツが使えない。適正があるとかないとか、そう言うレベルの話じゃなくて」

 

「で、でも、そんなことって……」

 

 ありえない。金髪の少女がそう言いかけたところで、隣にいた青髪をポニーテールに束ねた長身の少女に無言で遮られた。その様子を見て、レイは苦笑する。

 そう。一般的な観点から鑑みれば、実質それは「ありえない」のである。アーツを発動させるのに必要なエネルギー源はセピスを加工して作られた結晶回路(クオーツ)であり、本来”魔法”を使用するのに必須である詠唱や展開方法などの技術面はオーブメントに代行させることで賄っているのである。つまり、使用者が考慮に入れなければならないのはアーツを使用する際の駆動術式の制御と発動後の対象地点の決定だけであり、つまるところ専用の訓練を積めば、理論上”誰であろうとも”アーツを使用する事が可能なのである。

 それが”できない”と言うのは、ある種異様な事ではあった。その上フィーの言葉から推察すると、それらの技術が足りていない訳ではないと推測できる。もっと根本的な、それこそ体質的な問題か、それに類似する別の何かに関わるという事は少し考えれば理解できる。だからこそ、青髪の少女は黙ってその先の言葉を制したのだろう。

 

「(ハハ、優しいねぇ)」

 

 そして実際、それ(・・)は当たっている。レイは周りの視線を避けるように、左目の眼帯をそっと指でなぞった。

 

「(とは言え、そこまで深刻じゃねぇんだけどなぁ。命に関わるような大それたモンじゃねぇし)」

 

 それに、アーツに変わる全く別物の変式術(・・・・・・・・・・・・・・・)が使えるレイにとっては、アーツが使用できない事がハンデにはならない。仮にも数年間遊撃士として活動して上々の戦果を修めていただけの実績があるために、そこまで重く捉えるものでもない、と思っている。所詮は使えるか、使えないかの違いだけ。異質扱いされるのはもう慣れているが、そこまであからさまに気を使われると少々居心地が悪くなってしまう。

 と、そこで、サラから新たな言葉が伝えられた。

 

 

『だから、アンタの分の『ARCUS(アークス)』だけ、特注品の別物だから』

 

「……は?」

 

『”さるお方”の要望のおかげでね。アンタの使う”術”がその機器でも発動できるようにって、ZCF(ツァイス中央工房)の知り合いの技師に頼んで改造した、とか何とか言ってたわ』

 

 その”さるお方”とやらが誰を指し示すのか、この場で分かっているのはレイだけだろう。数ヶ月前に散々おちょくってくれた洒落者皇族の顔を思い浮かべ、複雑な気分になった。この際、どこまで顔が広いんだ、とはもう言うまい。特注品の別物の製造を嬉々として依頼する姿が、何故かありありと目に浮かんでしまった。

 

『まぁ流石に”秘術”クラスは過剰駆動(オーバーヒート)になりかねないから、そこのトコは念頭に入れておきなさい。かなり無茶して作ってるみたいだし』

 

「ハハ、正直マジでビビったわ。コレ作った奴、真性の天才だろ。ちょっと会いに行きてぇかも」

 

『それを考えるのは後にしときなさい―――さて、と』

 

 ようやく本題に入れるわ、とサラが言うと同時に、広間を塞いでいた重厚な石の扉が重々しい音を立てて開いていく。その先には、不思議な光に照らされた道があった。

 

『そこから先はダンジョン区画で迷路みたいに入り組んでたり、ちょーっと魔獣なんかも徘徊してるけど、無事に終点までたどり着ければ旧校舎の1階まで戻ってこられるわ』

 

 説明がアバウト過ぎてもう何かを言う気力すらない。レイは自分用にカスタマイズされた『ARCUS(アークス)』をポケットにしまうと、道の先を見据えた。

不気味な迷宮区画ではあるのだろうが、それほど強い魔獣の気配はしない。なるほど、オリエンテーリングにはうってつけである。

 

『それじゃあこれより、トールズ士官学院特科クラスⅦ組の特別オリエンテーションを開始する。各自ダンジョンを踏破して、旧校舎1階まで戻ってくるように。文句はその後に受け付けるわ』

 

 問題をただ先延ばしにしただけのような発言ではあるが、一理あるとも言えた。確かに、ここで留まってゴチャゴチャ文句を言っている場合ではない。特注オーブメントうんぬんは、全てが終わった後にじっくりと問い詰めるとしよう。

 そう決意して、レイは台の上に置かれた自分の荷物を手に取る。二本の紐で上下を括り、縦に長い群青の布でくるまれたそれこそが、彼の相棒でもあり、得物。彼を彼たらしめる証明でもある存在でもあった。

 

 

 

『あ、それとレイ』

 

「? 何だよ」

 

『フィーのお目付け役、あれまだ続いてるからね。先走って一人で行かないようにちゃんと見ててあげなさい』

 

「あーはいはい。わーってますって」

 

『よろしい♪ それじゃ、頑張りなさい』

 

 声が途切れると同時に一つ嘆息をし、念のため忠告をしようと左隣に視線を移したところで―――レイは固まった。

 

「……なぁ、リィン」

 

「な、何だ?」

 

「あのバカは、一体どこに消えやがった?」

 

 先程まで確かに自分の隣にいたはずの少女が、いつの間にか忽然と姿を消していた。まんまと欺かれた自分自身への怒りを内に収めながら、フィーの左隣にいたリィンに問い質す。

 

「えっと、サラ教官のレイへの忠告が始まったあたりから、もう。ダンジョンの方へ走っていった」

 

 

 

「……あんの駄猫がああああああああああああああああっっっっ!!」

 

 

 本日何度目かのレイの心の底からの怒りの声が、旧校舎地下の広間に、虚しく木霊していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




えー、もう一度言いますがゴメンナサイ。

次回こそ、レイ君とフィーの初陣です。レイ君が”力”の一端を見せる予定となっております。

それと、彼の使用する”術”とやらはその先の話で登場するかもしれません。

それでは皆様、今回も読んでいただき、ありがとうございました。


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"力”と”心” ※

第4話でございます。

いやー……大丈夫かな、コレ。戦闘描写おかしくないかな? 凄い不安です、今。

あと何でしょう、日に日にフィーちゃんの存在感が大きくなっている気が。
気のせい……じゃねぇよなぁ。



追記

・第1話のタイトル変更しました。
・今回のあとがきのところに自分が描いたレイ君のイメージイラストを載せました。下手かもしれませんが、見ていただければ幸いです。


「ふぅ……」

 

 ”特別オリエンテーリング”の開始における最後の言葉を通信で投げかけた後、サラ・バレスタインは小さく息を吐いて壇上から降りた。担当教官として生徒たちにかける最初の言葉であったと言う事で、柄にもなく少しばかり緊張していた事は事実であり、同時に一癖も二癖もありそうな生徒たちを見て懐かしい気分にもなっていた。

 感情を表に出して正直にいがみ合えるのも、時間をかけて何かに悩む事ができるのも、言ってしまえば学生の特権だ。一度社会に出てしまえば否が応でも本音と建前を使い分けなければならないし、理不尽な現実に対しての怒りを呑み込んで堪えなければならない。困難に真正面から立ち向かう事のできる彼らの事を、サラは少し羨ましくも思った。

 しかし、そういう意味合いで”学生”という存在を定義づけるのならば、やはりレイ・クレイドル、フィー・クラウゼルの両名は”らしくない”と言えてしまうだろう。

否、フィーの場合はまだマシだろう。彼女は彼女で、胸の奥に眠る疑問と言う名の(わだかま)りを抱えており、戦う以外の道を模索させるためにサラが半ば強引に入学させた身だ。容易には口に出せない悩みを抱えているという点では、彼女も他の生徒たちとあまり大差はない。

だが、レイの場合は違う。彼がサラに対して偽らない口調で接するように、サラもまた、彼に対して信頼を寄せる事を厭わない。フィーの目付役を彼に頼んだのが、そのいい例だ。そんな個人的な事情が罷り通るほどには、レイとサラの付き合いは長い。

だからこそ、分かってしまう。彼は本来、”学生”という身分に押し込めるにはあまりにも異質な存在だ。未熟な士官候補生たちに混ぜて生活を送らせるという事は、下手をすれば彼自身の”劣化”を招く危険性も孕んでいる。サラ個人としては、あまりそれは好ましくなかった。

 

 

「おやおや、美人の憂い顔はそれだけで美しいものですね。そうは思いませんか? 学院長」

 

「それは些か不謹慎というものではないかね? 理事長」

 

 

 そんなサラの思考を遮るように旧校舎に入って来たのは、二人の男性。その二人は、彼女も良く見知った顔ぶれだった。

 

「オリヴァルト殿下。ヴァンダイク学院長も」

 

「やあ、久しぶりだね♪」

 

「無事、オリエンテーリングは始まったようだのう」

 

 いつもの通り邪気のない笑顔を浮かべるオリヴァルトと、満足そうな表情で開ききった床を眺めるヴァンダイク。サラは学院長の言葉に「えぇ」と鷹揚に頷くと、二人の近くまで足を進めた。

 

「しかし、学院長はともかくとして、何故オリヴァルト殿下までここに?」

 

「いやいや、私も一応理事長の職を拝命している身の上だからね。無事に駆け出したⅦ組の様子を見に来たのだよ」

 

 恐らく、その言葉にも嘘はないのだろう。だが、しかし―――

 

「なるほど……それで、本音は?」

 

「レイ君の様子を見に♪」

 

 そちらの方が本命であろう事は、姿を見た時点で大体分かっていた。この場に護衛役でもあるミュラー・ヴァンダールがいればいつものキレのいいツッコミ(物理)が入るのだろうが、生憎とサラにそこまでする勇気はない。

とは言え、レイをこの学院に勧誘したのは他でもない彼であるために、興味を持つのは普通だ。わざわざ足を運ぶだけの価値があるのだろう。

 

「そう言えばレイ、殿下が送られたカスタム『ARCUS(アークス)』に興味津々な様子でしたよ。気に入ってるみたいでした」

 

「ほぅ、それは重畳だ。コネを使って弄った甲斐があるというものだよ」

 

 オリヴァルトが素直に嬉しそうな声を出すのを、サラは内心複雑な感情を抱えたまま眺めていた。

そもそもレイは、自分がアーツを使えないことに対して、微塵も劣等感を抱いていない。無い物ねだりをしても仕方がないという事を理解しているし、彼はその分のハンデを別のモノで埋めるという努力を以て結果としてきた。今回、それを簡易的に扱える機器が手に渡ったことで、彼は、自分の努力を否定された気にはならないだろうか。

 

「(……いや、ないわね。アイツなら)」

 

 自分で考えた事を、軽く顔を横に振ることで否定する。良くも悪くもある意味で単純な少年だ。恐らく本気で「良い物が手に入ってラッキー」程度にしか思っていないだろう。

 

「フフ、大陸に名を轟かせる《紫電(エクレール)》殿も、一人の少年を真剣に想う心があったとは。まぁ、彼ならば当然か」

 

「……からかわないで下さいよ」

 

 ふいっ、と。目を逸らすサラ。やはり自分の「かつて」を知っている人間と話すのはやりにくいなと改めて思いながら、同時にこの人物から直接入学勧誘を受けたレイに対して同情の念を抱いてしまった。

 

 自分があの少年を気に掛ける理由。それは別に、複雑なものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――せっかく美人なのにしかめっ面してんじゃねぇよ。人殺しがしたくなくて悩んでんなら、いっそ転職でもしたらどうだ? その力、”人狩り”のためだけに使うには勿体ないと思うぜ?』

 

 

 

 

 

 

 自分が助けられて救われたから、自分も彼を救ってあげたい―――そんな単純で、身勝手な理由。

 

 彼は助けを求めたわけではない。かつての弱い自分のように、進むのが怖くて足を止めたわけでもない。

 

 彼はいつだって歩み続けた。いつだって―――たった一人で。

 

 

「(―――ま、それができるだけの力があったから、何も言えなかったんだけどね)」

 

 クロスベルで過ごすうちに仲間と過ごすことの価値と言うものはしっかりと学んだようだが、それでもまだ、彼は年相応の幸せを手に入れたとは言い難い。できる事ならばこの二年間、充分に学生生活を謳歌してもらいたいと、そう考えているのだが―――。

 

 

 

 

 

『今度と言う今度こそは許さねぇ! ひっ捕まえて朝まで説教してやらぁ!』

 

『また言ってる事が父親みたいになってるぞ、レイ! ……というか、お前も一人で行く気か?』

 

『クロスベルのジオフロントの鬼畜迷路ぶりに比べりゃ温いもんだ。心配はいらねぇよ』

 

『そ、そうか。まぁ、気を付けろよ?』

 

『あぁ。後で必ず合流する。戦闘に不慣れな奴もいるだろうから、お前らは慎重に進めよ』

 

『分かった。後で改めて自己紹介でもしよう』

 

『おう。―――オラ、フィー! 首洗って待ってやがれ!』

 

 

 

 ―――どうやら、前途多難なようである。それでもさりげなくクラスメイトの力量を推し量って忠告を置いていくあたり流石と言うところか。

 サラが手に持った『ARCUS(アークス)』から流れてくるその声に、オリヴァルトは必死に笑いを堪え、ヴァンダイクは孫の行動を見守る祖父のように優しい笑みを浮かべていた。確かに行動的には微笑ましくはあるが、独断専行した少女と、それを追った少年の素性を鑑みれば、中々に笑えない光景だ。

 

「まったく、先が思いやられるわねぇ」

 

 愚痴を言うようにそう呟いたサラの口元には、言葉とは裏腹に同じく柔らかい笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 実際のところ、旧校舎の地下ダンジョンは、レイが思っていた以上に単純な作りとなっていた。

 凝ったスイッチ制の仕掛けもなければ、トラップの類もない。徘徊している魔獣も一体一体が脆い上に数もそれほど多くないように見受けられた。クロスベルで任務をこなしている際、よくジオフロント内に潜り込んでエレベーターの起動やら跳ね橋の起動やらを日常茶飯事的に行っていたせいか、随分と物足りないように感じてしまった。

 

「俺も程良くあのカオスな場所に毒されたもんだなぁ……っと、追いついた追いついた」

 

 何度目かの角を曲がったところで、武器である双銃剣を両手にそれぞれ構えて先行するフィーの姿を視界に捉える。その距離、およそ30アージュ。

 

「―――ふっ」

 

 しかしレイは、その距離を足に力を込めたと同時に地を蹴り、ものの一瞬で縮めてしまう(・・・・・・・・・・・・)

いつの間に横に現れて自分と同じスピードで並走するレイをちらりと横目で見て、しかし特に驚くこともなく走り続けるフィー。そんな姿を見て、レイは先程までの怒りがどこかに霧散してしまったのを感じた。

 

「―――単独の偵察行動をするにしても、せめて俺に一声かけてから行け。ま、気付かなかった俺も悪いんだけどさ」

 

「……レイは残ってても良かったのに。あのメンツだと、レイがフォローを入れた方がスムーズに進める」

 

「アホか。あいつらはそこまで柔じゃねーよ。見た感じこのダンジョンを無傷で切り抜けられる程度の実力はあるだろうさ」

 

「それでも、一丸じゃあない。チーム内の不和は、予想外の事態を引き起こすから」

 

「最初の一歩くらいは自分で踏み出さねぇと意味がねぇ。それくらい、お前にも分かってんだろうが」

 

 その言葉に、フィーはあえて言い返す事はしなかった。ぶっきらぼうな言い方ではあるが、彼なりに彼らを心配した結果なのだろう。まぁ、ただ単に自分を追って来たというだけでもあるのだろうが。

 そこでフィーは、ちらりとレイの背中を見た。そこには、肩から対角線に斜めに掛けられた紐に括られた袋に入ったままの彼の獲物があった。

 

「何だ。まだ戦闘はしてなかったの?」

 

「あぁ。遭遇はしたが単体だったからスルーした。一度”抜い”ちまったら駆逐しちまいそうだったからな。それじゃオリエンテーリングにならんだろ」

 

「相変わらず、変なところで律儀だよね、レイって。……でも、どうやらそうもいかないみたいだけど?」

 

 走るスピードを緩める事なく、二人揃って進む先にある拓けた場所を見据えた。そこから流れてくる複数の敵意の気配を(あやま)たず捉えたレイは、紐を肩から外して袋を左手に握る。

 

「やるの?」

 

「”慣らし”だ。そこそこの数が固まってりゃ一掃しても分からんだろ」

 

「ん、分かった。ちょっと下がっておくね」

 

「サンキュ」

 

 そう言ってフィーが少しスピードを落とし、距離が少し開いたのを見届けると、レイは袋に入ったそれを、一気に引き抜いた。

 

 現れたのは、光沢が出る程の見事なまでの黒塗りが施された鞘に収められた、一振りの長刀。床に立てれば柄頭(つかがしら)から鞘尻(さやじり)までの長さは、約150リジュにも達する代物であり、今は隠れている刀身の長さも100リジュは下らない。自身の身長が165リジュにいたるかどうかという程度のレイが所持するには、少しばかり不相応な得物であった。

 

「よっ、と」

 

 しかしレイはそれを左腕一本で軽々と扱い、腰だめに構える。速度は落とさないままに、右肩を前に突き出して臙脂(えんじ)色の柄巻(つかまき)に包まれた柄に手を添える。

徐々に纏う雰囲気が怜悧なそれへと変わり、呼吸一つ一つが規則正しく、それでいて常人には出せない独特なもの。それを見て、フィーはもう一歩分、レイの後方へと下がった。

 本来ならそれは、刀身が長すぎるが故に慣れていなければ抜刀すらも手こずる代物。だが、レイは柄尻の部分を自分の頭部の辺りまで上げたまま、鯉口を切る様子もなくそのまま広間へと突入した。

 

―――ギィッ!

 

 

―――ギィィィッ!!

 

 広間の中心にたむろするように固まっていたのは、虫型の魔獣であるコインビートル。少なくとも10は集まっていた気性の荒いそれらは、レイの姿を視界に捉えると共に、一斉に飛び掛かって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――邪魔だ」

 

 

 

 

 

 

 

 刹那、レイの身体が靄もやのようにぶれ、先程までいた地点に小さな旋風(つむじかぜ)が置いてけぼりにされた。

そして、その場から敵の中心地点に向けて一直線に一筋の鈍色の閃光が疾り、それが群れを突き抜けたあたりで途切れた瞬間、甲高い金属音と共に走り抜けるレイの姿が現れた。その左手には、鞘に収まったまま(・・・・・・・・)の長刀が、何事もなかったかのように握られている。

 

「…………」

 

 フィーは、そんなレイが突き抜けたルートを辿って迷うことなく走り抜ける。その直後、一匹残らず細切れにされた(・・・・・・・・・・・・)コインビートルの残骸から弾け飛んだ体液が、広間の中心を汚した。しかし双方共がその状況には一瞥もくれず、ただ先程までと同じように走り続ける。

ここでフィーが走るスピードを少し上げ、レイも速度を若干落とす。再び並んで走るようになってから、双銃剣を持った右手で器用に、フィーが親指を突き立てた。

 

「グッジョブ」

 

「あいよ。支部を離れてから鈍ってるかと思ったが、そうでもなさそうで安心したぜ」

 

 軽く拳を合わせる二人。そして今まで踏破してきたエリアの数を思い出し、そろそろ終着地点が近いという事を感じ始めたとき、徐おもむろにフィーが口を開いた。

 

「相変わらず”速い”ね。私は見慣れてるはずなのに、それでもさっきは初動しか見れなかった」

 

「はっ、初動が見切られてたら俺の負けだ。目ぇ良くなったんじゃねぇか? お前」

 

「団長に比べたらまだまだだよ」

 

「飛んでくる弾丸見切って避けるような人外と同じカテゴリーに入ったらお終いだと思うんだわ、俺」

 

 もしこの自由奔放な猫少女がこれ以上の敏捷性を身に着けようものならば、自分の胃の疲労度は目も当てられないレベルになるだろう。実力が向上するのは良い事だが、その分精神もちゃんと成長して欲しい。

レイは、本気でそう思わずにはいられなかった。

 

「その団長とまともに戦り合ったレイが言っても説得力皆無」

 

「あん時はお互いに本気じゃなかったからノーカンだ、馬鹿。―――それよりもホラ、着いたみたいだぜ」

 

 ピタリと、ここまで一度も立ち止まらずに走り抜けてきた二人が、足並みを揃えて立ち止まる。その目の前には、重苦しい雰囲気が漂う、最初の広間の物より一回り大きな扉が鎮座していた。

そんな物を前に互いに顔を負わせると頷き、フィーは扉の左、レイは右側に、それぞれ半身になるように体を合わせ、3カウントの後に、一気に扉を開けて突入した。

 その先にあったのは、四階ほどの階層が吹き抜けになった今までとは比べ物にならないほどの広大な間。一見古代の闘技場のようにも見えるそこに、一歩、また一歩と、武器を構えながら進んでいく。

 

「……止まれ、フィー」

 

「ん」

 

 と、数歩進んだところでレイが制止を促す。その視線の先にあったのは、飛竜ワイバーンを象った、巨大な石像だった。

普通に見ればただの不気味な石像に過ぎないが、フィーに目で指示を出し、広間から再び扉の内側へと撤退した。扉は開けたまま、レイは遠くからその石像を睨みつける。

 

「完全にだな、ありゃ。分かり易過ぎて笑っちまうぜ」

 

「ん。前に古い遺跡に潜り込んだ時にあんな物を見た事ある。あの時のは侵入者撃退用の土人形ゴーレムだったけど、今回のはレベルが違うっぽい」

 

「俺らなら対処できるだろうが、ここはいったん戻るぞ。元より俺たちの任務は斥候だ。フィー、先に戻ってリィンたちに残りの距離を教えてやってくれ」

 

「了解。レイは?」

 

 そう問いかけると、レイはにやりと意地の悪そうな笑みを浮かべながら、全てを見透かしているかのような堂々とした口調で言い放った。

 

 

 

「お前の他にぜってー単独行動してそうな奴がいるから、そいつんトコに行ってくる」

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 自分を敵視する、頑固者の眼鏡が気に入らない―――ユーシスが早々にクラスメイトと一人別れ、ダンジョン内を一人で進み始めたのは、つまるところそれが一番の原因であった。

レーグニッツ帝都知事の息子。『革新派』の中心人物の薫陶を受けた人間ならば、なるほど確かに自分を気に入らない目で見ることも頷ける。ユーシス自身、出生が出生であったために、他人の陰口を受ける事など日常茶飯事であったし、むしろ自分の与り知らないところで悪評を広められるくらいならば、いっそあのように面と向かって敵意を示してくれた方がまだ分かり易くて良いとまで考えていた。

 だが、それとこれとは話が別である。敵意を真正面から受け止めるだけの技量は確かにユーシスには備わっていたが、それを受け止めてもなお相手に対して寛容な態度を示せるほど、彼は達観しているわけではなかった。

だから、単独で彼らの”輪”から外れる事には、特になんの感情を抱くこともなかったし、単身で魔物と戦って後れを取ることはないレベルの実力はあると分かっていたために、自分から応援など求めるつもりなどなかった。

 

そう、なかったのだ。

 

 

 

 

「……それで? お前はいつまで付いてくるつもりだ?」

 

「このダンジョンの最後まで、だ。意地っ張りの貴族殿といるのも面白いと思ってな」

 

 

 だからこそ、先程から自分と一緒にダンジョンを歩いているこの少年の事の意図が分からず、現在内心で彼に対する警戒度が上がっていた。

 

 現れたのは、ユーシスがスライム型の魔獣、グラスドローメに囲まれていた時だった。形状が一定ではないため物理攻撃に体勢が強いこの魔獣をアーツで一掃しようと駆動を始めた瞬間、突如魔獣の背後から現れ、瞬く間に殲滅してしまったのである。

小柄なその体躯からは想像もできない力強く、かつ俊敏な動きに正直に驚いていると、身長に見合わない長刀を片手で器用に回しながら、まるで道端で会ったかのように普通に話しかけてきたのである。

 

『よっ。やっぱりお前が一人でいたか。あ、俺はレイ・クレイドル。よろしく頼むぜ、ユーシス』

 

 その馴れ馴れしい言動に当初こそマキアスと同じように突き放すような態度を取っていたユーシスではあったが、いかんせん彼の行動には敵意もなければ皮肉すらもない。ただ単純に何の含みもなく「貴族殿」と呼び、何の見返りを求める雰囲気もなく、ただユーシスと行動を共にしている。

 

「……お前は、先の俺の言動を窘めに来たのか?」

 

 それがあまりにも不自然過ぎて、遂に根負けしてその理由を問う。

ユーシスが現時点でレイが考えている事の最有力候補がそれだった。地上にいた時にマキアスと派手に言い争い、結果的にこれから共に過ごすであろうクラスメイト達の雰囲気を険のあるものにしてしまった。それに対しての呵責かしゃくをするためについて来ているのではないかと。

 だがそれに対して、レイはあっさりと首を横に振った。

 

「ンな事はどうでもいいんだよ。そもそもあれはお前とマキアスの喧嘩だ。俺が口を挟む事じゃねぇし、その権利もねぇ」

 

「……では何故だ。俺に対して何か思うところでもあるのか?」

 

「あー、まぁアレだ。ちと経験則から忠告させて貰おうと思ったってのが理由の一つではある」

 

「忠告?」

 

 一層訝しむ様な視線を向けるものの、レイは全く気にしていないような表情で、ユーシスの顔を覗き込んだ。

 

「お前は貴族。それも大貴族中の大貴族の子弟だ。俺は帝国国民じゃねぇから貴族制のしがらみやら何やらを全部理解することはできねぇけどよ、お前が重い”何か”を背負ってんのは分かる」

 

「……」

 

「背負っているからこそ、譲れねぇモンもあるんだろうさ。例えばさっきだって、マキアスの発言は帝国の貴族全員を非難したような言葉だった。アレは、四大名門<アルバレア>の名を冠する立場であるお前にとって、見過ごすことのできない発言だったんだろ?」

 

「だから、何だと―――」

 

 どことなく話の結論が見えてこない事に苛立ちを覚え、突き返そうとしたものの、次の言葉を言おうとしているレイの表情が緩んだものではなく真剣なそれへと切り替わったために、思わず口を噤んでしまった。自分よりも頭半分ほど身長が低い少年であるはずなのに、何故かその圧力に押されてしまう。

 

「何かを背負い続ける覚悟を決めた奴は総じて強い。サラの奴は俺とフィーだけが学生らしくねぇと思ってるみてぇだが、俺から見ればお前だって相当だ。何かを胸の内に秘め、だがそれを誰にも悟られないように傲慢と言う殻をわざと被って振る舞う姿―――何の因果か、昔の俺にソックリなんだわ」

 

 だから、と、レイは再び口元に微笑を浮かべて、追い越しざまにユーシスの肩を軽く拳で叩いた。

 

「マキアスと直ぐに仲直りしろなんて言わねぇからさ、せめてリィンたちの前だけでももうちっとまともな態度で接した方が良いんじゃねぇか? せっかくこれから1年間過ごす仲間なんだからよ、どうせなら気負う事無くのびのびとして行きてぇじゃねーか」

 

 その言葉に、ユーシスは閉口した。呆れだとか激憤だとか、湧き上がってきたのはそういう感情ではなく、未だ彼に対しての拭いきれない不信感と、自分の今まで無自覚に醸し出してきた自分の心の内をこの僅かな時間で見透かされ、そしてそれを否定しなかったその言動に対する感佩(かんぱい)の念。同時に、その洞察力の高さに空恐ろしいものも感じていた。

 

「(コイツ……一体何者だ?)」

 

 現時点で、リィンとユーシスの二人が抱く事となったこの疑問。

外見こそ年相応ではあるものの、数時間行動を共にしていただけでその外見と精神が不気味なまでに反比例している事に気付いてしまった。ここまで行くと、この口の悪い喋り方も本心を隠す隠れ蓑なのではないかと、そう疑ってしまう程だった。

 ―――だが。

 

 

 

「……ユーシス・アルバレアだ。先程はゴタゴタしていたからな。改めて、名乗らせて貰う」

 

「―――ははっ、こんな口うるさい人間にわざわざ義理を通すこともねぇだろうによ。だがまぁ、ありがたく受け取っておくぜ」

 

「フン、食えない男だな、お前は」

 

「”食える”男を目指した覚えもねぇからな」

 

 先程の一件以来、ずっと張っていた自己に対する緊張の糸が途切れたのを感じながら、ユーシスはレイが自分に付いてくることを容認し、適度な緊張感は保ちながらも順調にダンジョン内を進んでいった。

その緩んだ雰囲気が再び張りつめたのは、それから数分後。

 

 

 

 終着地点にあたる大広間の方向から、盛大な破壊音が聞こえた時だった。

 

 

 

 

 

 

 




あ、ヤベ。これフィーちゃんヒロイン候補だ、などと危機感を抱き始めた今日この頃。

「閃の軌跡Ⅱ」では1周目はエマさんルートを突っ走りましたが、2周目はフィーちゃんか、それともサラ教官か、いやいやアルフィン殿下か……メチャメチャ悩みますね。

今回、ユーシス君の下りはなんかやりたくてやりました。後悔は一切していません。とりあえず初対面同然の人間にあそこまで踏み込む主人公の胆力に脱帽です。


サラ教官のパートの話の詳しいところはおいおい解明しますので、その時までお待ちくださいませ。


それでは、次話もよろしくお願いします!



【挿絵表示】



追記

・1リジュは現実世界でいうところの1センチです。
つまりレイ君の刀の長さは150センチ。
室町以降の通常の刀の平均的な長さが100センチ以下くらいなので、結構長いです。


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Ⅶ組結成! 

投稿が遅くなってしまい、申し訳ありません。

自分の通っている学校で文化祭がありまして、出し物の準備やら係やらをやっている内に気付いたらこんな時間。まだ課題が途中だってのにとりあえずこれだけは書き上げたいと思った次第です。

アニメの『Fate/stay night』の作画の神具合に驚愕しっぱなしの今日この頃、眠い瞼をこすりながら投稿させていただきます。


石の守護者(ガーゴイル)……だと?」

 

 音が響いた場所へと並んで走りながら、ユーシスはレイからこのダンジョンの終着地点に待ち構えている存在についての考察を聞いていた。

そして耳にする。かつてゼムリア大陸に訪れた《暗黒時代》に神殿等の衛士として製造された、魔導の産物の名を。

 

「あぁ。奴らは普段石像に擬態して指定された場所を守護してるんだが、侵入者を感知した途端に生命体に変貌して襲い掛かって来やがる。とにかく頑丈な上に自己再生能力とかも備わってる個体があるから、討伐はメンド臭ぇんだよな」

 

「信じられん……何故そんなものが士官学院の旧校舎なんぞに眠っている?」

 

 辺境の地に長い間放置されている古代遺跡などならばともかく、そんな危険極まりない上に歴史的に稀少な存在が、古い歴史を持つとは言えたかが一士官学校に放置されているなど、ユーシスの常識からすれば考えられない事だった。

 

「ま、ドライケルス帝が御自ら設立した学校だ。予想外な事の一つや二つ起きてもおかしくないんじゃねぇか?」

 

「……そう言われると否定できんな。そう言うお前は、そんな化け物と遭遇したかのような口ぶりだが?」

 

「何度かあるぜ? 昔は結構大陸各地を飛び回ってたからな。怪しい遺跡に侵入したときに、即死級のトラップとセットで遭遇してた」

 

「……お前は本当に俺たちと同年代なのか?」

 

 どうにも嘘を吐いているように見えないその体験談にさしものユーシスも若干引きかけていると、二人が走っているその前方に、後方から頭上を越えて飛び込んで来た影が着地した。突然乱入してきたそれに、ユーシスは反射的に右手に持っていた騎士剣を構えるが、レイは特に警戒することもなく、それに近づき、片手を挙げた。

 

「よぉ、フィー。どうだった?」

 

「ん。討ち洩らしもなくて丁寧に殲滅されてた。追ってくる可能性はないと思う」

 

 影の中から現れたのは、レイの掲げられた手にハイタッチをかますフィー。正体がクラスメイトである事を確認して、ユーシスは息を吐きながら臨戦態勢を解いた。

 会話を聞く限り、どうやらこの二人はこのオリエンテーリングにおいて斥候と殿(しんがり)という最も危険な任務を難なくこなしてくれていたらしい。それに加えて男子と女子に分かれて行動していたそれぞれのチームのフォローもしていたと言うから素直に驚かざるを得なかった。もしこの行事におけるMVPを決める機会があったとしたら、間違いなくこの二人が選ばれるだろう。そんなことも知らずに自らの感情を優先して一人で行動していたことを、ユーシスは今更ながらに少し恥じた。

 

「(俺たちの安全は、こいつらの働きで保たれていた、と言う訳か)」

 

 悔しい気持ち、と言うのも勿論あるが、何せこれは今まで正式な訓練を受けた事のない者たちが行う腕試しのようなイベントである。ユーシス自身も実家で宮廷剣術は修めているが、それだけだ。ダンジョンでの罠の解除や、サバイバル知識などは心得ていない。他のメンバーも、各々異なりこそあれ、似たようなものだろう。そんな中で自分たちが安全に、かつ思う存分実力を発揮できる舞台を整えてくれたこの二人には、口にこそしないが感謝の念は抱いていた。

 

「さて、まんまと石の守護者(ガーゴイル)を復活させたあいつらの手助けに行くとするか。ユーシス、お前はどうする?」

 

「行くに決まっているだろう。こんな場所で燻っているのは性に合わん」

 

「ん。それじゃあ行こっか」

 

 互いに頷き、再びダンジョンの中を走り始める。ユーシスも連れているために先程よりかはペースは落ちていたが、魔獣が一切出没しなかったため、順調にエリアを踏破していく。

そして最終地点が近くなった時、徐にレイが特注である『ARCUS(アークス)』を取り出した。

 

「入ったらまず俺が動きを止める。それと同時にユーシスが攻撃アーツを叩き込んで対象を怯ませろ。できるか?」

 

「当たり前だ。お前こそアーツの代わりになるというその”術”とやら、使い物になるのだろうな?」

 

「さっき試してみたが、問題なく発動はできた。使いこなすにはちと時間がかかりそうだが、足止め程度の”術”なら問題ねぇだろ」

 

 その言葉の真偽は生憎とユーシスには量りきれなかったが、レイの隣を走るフィーを一瞥すると、無言で一つ頷いた。問題はない。そういう事だろう。

ならば、と、ユーシスは自らの『ARCUS(アークス)』を構えてアーツの駆動準備をする。フィーはと言えば体勢を更に低くし、一気に飛び出す準備をした。

 

 

『う、うわあああああああっ!!』

 

 そして、大広間からエリオットの悲鳴が響くと同時に、先行したレイとフィーが同時に突入する。

 

 

 

「―――【(いにしえ)の術鎖よ、忌者を封じよ】」

 

 レイが呟くようにそう口にすると、通常アーツを駆動する際に浮き出る魔力光ではなく、黒と白の見慣れない文字列が虚空より現れ、それが列を成してレイの周囲を囲っていく。明らかにアーツを発動する時のそれとは違う光景に石の守護者(ガーゴイル)・イグルートガルムと相対していたリィンたちの視線が一瞬集まった時には、既にレイはその”術”を発動させていた。

 

「捕えろ―――【怨呪(おんじゅ)(ばく)】‼」

 

 特注の『ARCUS(アークス)』から放たれたのは妖しく輝く白黒(モノクロ)の光と、レイを囲っていたものと同じ、見慣れない文字列で編まれた鎖。それは猛スピードでイグルートガルムへと迫るとその右翼の部分に着弾し、一瞬のうちに対象を縛り上げた。

 

「なっ!?」

 

「何だ、コレは!?」

 

 驚愕の表情と声をあげる一同を他所に、次いでユーシスが突入する。

その瞬間、その場にいた十人全員が青白い淡い光に包まれ、加えて光のラインで繋がる。そしてユーシスが、アーツの駆動を終わらせてそれを放った。

 

「食らえ―――『エアストライク』‼」

 

 青い魔力光が弾けると共に、クオーツが生み出した風の魔力が球状に形を変え、直線に飛んで頭部へと着弾した。捕縛と攻撃が同時に行われたためか、耐え切れなくなったイグルートガルムが咆哮を吐き出して大きくのけ反る。

 その好機を逃さずに飛び込んだのはフィー。地面を蹴る動作で一気に小さい体躯を加速させると、敵が反応する前に懐深くまで潜り込む。

 

「それっ」

 

 発した言葉こそ気の抜けたようなそれだったが、両腕に持って振りぬいた双銃剣の二連撃は確かにイグルートガルムの右前脚を捕らえ、正確に削り取ることで大きくバランスを崩す事に成功した。人間の数倍はあろうかというその巨躯は、貴重な体の支えの一つを失った事で支えきれなくなり、右肩から転がるように倒れ込んだ。

 

「呆けてんじゃねぇ! 今の内に奴の首を刎ねろ! それで活動は停止するはずだ!」

 

 『ARCUS(アークス)』を構えながら”術式”を維持し続けるレイが喝を入れるかのようにそう叫ぶと、比較的戦いに慣れている面々がその声に正気を取り戻す。その中で真っ先に動いたのは青髪の少女、ラウラだった。

 

「承知!!」

 

 彼女は反応も早ければ、攻撃に移るまでの動きにも無駄が少なく、大剣を軽々と操ると、八相の構えから上段へと剣を移動させ、豪風を伴った一撃で迷いなくイグルートガルムの首部を刈り取った。

すると切り落とされた首部は勿論のこと、残されて無残な姿を晒すこととなった胴体も、魔法生物の末路に沿って紫色の光を発した後に爆発し、欠片も残さず消え失せてしまった。

 

「ふぅ……」

 

 捕縛する対象がいなくなった事で効果を失った”術”を解除すると、レイは一つ息を吐いた。

特に疲れたという訳ではなかったが、慣れない方法で理の違う術式を発動するという行為に多少の違和感を覚え、いつもより集中力を使っていたというのも事実であり、腰に差した長刀の柄を弄りながら今後の課題を頭の中に浮かべていた。

 しかし、とレイは思う。あの全員が淡い光に包まれた現象。アレが起こってから、ユーシスがどんなアーツを使用するのか、フィーが敵のどの部位に攻撃を加えるのか、はたまた誰が自分の声に反応してトドメを刺すのかまで、手に取るように”理解”できた。まるで全員の心が繋がったかのようなその感覚に、悪い気持ちこそしないものの、”術”を扱う以上の違和感を覚えてしまう。周りも自分の身に起こった事の方がインパクトが強かったせいか、レイの”術”に対しては誰も言及する事はなかった。

あのような現象が、偶然引き起こされたものであると思える程、楽観的な思考はしていない。可能性があるとすれば全員が特殊な体質の持ち主であるという事。そしてもう一つの推測としては―――

 

「なぁ、レイ……」

 

 偶然同じ結論に至ったリィンが視線を向けてくる。レイは、それに首肯で返した。

 

「さっき全員を包んだ光。これが”新型戦術オーブメント”の真価なんだろうさ。―――そうなんだろ? サラ」

 

「そ。”戦術リンク”。それが第五世代型戦術オーブメントの特徴にして本領。戦場で使用するには、まさにうってつけの機能ってわけね」

 

 ”リンク”で繋がれた者同士の行動を互いに予測し、常に先の一手を見据えて作戦を立案・実行できる機能。それが二人だけではなく、複数人の間で結ばれるとなれば、戦場において絶大な恩恵をもたらすのは火を見るよりも明らかである。どんな状況下でも最大限の連携が可能な精鋭部隊の誕生―――それは導力革命には及ばないものの、”戦闘”という人類が人類である以上避けては通れない行為においての新革と言っても過言ではなかった。

 大広間の上段にて石の守護者(ガーゴイル)との戦闘の成り行きを見守っていたサラは、そんなレイの言葉に促されて階段を降り、彼らの前に立った。

 

 恐らく今回のオリエンテーリングも、この戦術リンクという機能の汎用性の高さを、その身で以て知らせるためのものであったのだろう。レイやフィーといった”戦い慣れている”人物ならばともかく、実戦自体初めての面子がちらほらと見受けられたこの状態での魔法生物との戦闘ともなれば、苦戦は免れない。最初の時点でどれだけバラバラに行動しようとも、最後のこの戦いだけは全員が集まって力を合わせると踏んだのだろう。

そして見事、その思惑通りとなった。

サラが言うには、ここに集められた特科クラスⅦ組のメンバーは、新入生の中でも特にこの『ARCUS(アークス)』に対して適性の高い少年少女で構成されたものであるらしい。しかしながら果たして、こんな異色な経歴を持つ人間たちが計ったかのように一ヶ所に集まることなど、有り得るのだろうか?

否、蓋然性の観点から見てもその可能性は極めて低いだろう。ならばこの人選は、意図的に行われた事であると考えるのが普通だ。

 チラリ、とレイは先程サラが居た場所よりも更に上の場所に目を向ける。だが直ぐに興味を失ったかのように、ふいと目を逸らした。問い詰めるのは勘弁してやる(・・・・・・・・・・・・・)。そう吐き捨てるように小さく呟くと、不意にサラから声を掛けられた。

 

「ホラ、レイ。アンタはどうするの?」

 

「え、何? ゴメン、聞いてなかったわ」

 

 本当に聞いていなかったために正直にそう言うと、サラは溜め息と共に人差し指でレイの額を軽く押した。どうやら、Ⅶ組に入るか否か、その最終的な意思決定をしていたらしい。

最初にリィンが参加を表明し、その後は順調に誰も降りる事無く表明を終えた。あまり乗り気でなかったフィーでさえ、「レイが一緒ならいいよ」と前向きな検討をしたらしく、今彼を除いた9名の視線が、揃ってこちらを向いていた。

 

「参加表明ねぇ……これって必要?」

 

「一応、ね。やる気のない人間に強制はできないでしょ?」

 

「ま、俺に選択の余地なんか最初(ハナ)からねぇと思うんだが―――そんじゃレイ・クレイドル、及ばずながら参加させて貰うとしますかね」

 

 片手を軽く掲げてそう宣言すると、傍らにいたフィーが薄く微笑み、リィンが「これからよろしくな」という言葉と共に右手を差し出してきた。それをレイは、一言を添えて握り返した。

 結局のところほぼ全てが自分をこの場所に引き込んだ人たちの思い通りに着てしまった事を少しばかり悔しく思いながら、ここに”特科クラス《Ⅶ組》”が無事に設立されたのだった。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

「あー…………何だか変に疲れたなぁ」

 

 オリエンテーリングが終わってから数時間後、既に空が黄昏から宵のそれに変わり始め、昼間は活気のあったトリスタの街も、徐々に一日の終わりに向けての仕度を始めている。

そんな中でレイは、Ⅶ組専用として割り当てられた寮である『第三学生寮』の自室にて、ベッドに寝転がって何をするでもなくただ天井を見上げていた。

引っ越して来たばかりで、殺風景な室内。クロスベルから送ってもらった荷物が段ボールに包まれて部屋の隅に放置されたままなのだが、流石にこれから梱包作業をする気にもなれず、現実逃避の意味合いも含めてとりあえずベッドの上に避難しているのである。

 ゴロゴロと新品のブランケットの上で数回寝返りを繰り返すと、ふと何かを思い出したのか、ベッドを降りてまだ何も置かれていないラックの下へと駆け寄った。

 

「これだけは着替える前にちゃんと置いとかねぇとな」

 

 そう言って上着の内ポケットから取り出したのは、朝方リィンに拾ってもらった真鍮製のペンダント。特に有名な職人が作ったような代物でもないのだが、得物である長刀と同じく、彼の身の一部も同然の私物である。故にこれだけは、何があっても失くすわけにはいかなかった。

 

「………」

 

 専用に作った置き棚のところに置く前に、レイは少しばかり逡巡してからペンダントの脇にある小さなボタンを押して、その中身を開いた。

 そこに収められていたのは、まだ幼少期と言っても差し支えのない黒髪の少年と、ストールを肩から下げ、儚い印象ながらも毅然とした雰囲気で少年の横に立つ女性が写った写真。所々焦げてしまっているそれだが、辛うじて2人が仲良く並んでいるそこだけはまるで守られていたかのように無傷のままで残っている。

 

「ははっ、まーた俺は厄介なトコに放り込まれたみたいですよ、母上」

 

 自嘲気味にそう笑いながら、写真に写る人物に語り掛けるレイ。ただ一言、それだけを言うと、ペンダントの蓋を閉じ、置き棚に置いてしまう。

自分もまだあんな弱弱しい声が出せたのかと内心驚きながら、壁にかけた自身の相棒である長刀の鞘の部分に触れた。

 

「(だらしねぇ。新しい生活拠点に移っても、結局俺は女々しいまま、か)」

 

 サラやフィーは、それを決して否定はしないだろう。むしろその感情を忘れるなと、叱りつけてくるかもしれない。

だが、レイ本人はそう考えてはいなかった。今のこんな自分を見たら母はどう思うのかと、この写真を見るたびに思ってしまう。そんな気を紛らわすために、レイは刀の一部に触れる。自分の”業”の象徴とも言えるコレに触れている間は、余計な事を考えずにいられるからだった。

 

「(今更、俺が―――)」

 

 それでもネガティブな思考は止められない。そう思っていた矢先、自室のドアが少々控えめにノックされた。

 

『レイ、今大丈夫か?』

 

 扉の向こうから聞こえてきたのはリィンの声。レイは急いで額に浮かんでいた汗を拭うと、扉に近づいてそれを開けた。

 

「どうした? こんな中途半端な時間に」

 

 夕飯までにはまだ時間がある。そんな事を考えていながら、レイは相も変わらず人の良さそうな微笑を浮かべるリィンを見た。

 

「いや、レイはまだ面と向かって自己紹介しているメンバーが少なかっただろ? ちょうど今男子が一階の談話室に集まってるから丁度いい機会だと思ってさ」

 

「え、もしかして俺ってばナチュラルにハブかれてたの? 流石にちょっとショックなんだけど」

 

「だから呼びに来たんだろ? 寮に入ってからずっと部屋に籠りっきりみたいだったからさ」

 

 どうやら自分の与り知らないところで心配をかけていた事を知ると、流石にその申し出を無碍にすることもできずにリィンと共に階下へと降りていった。

2階から1階へと降りると、なるほど確かに「ユーシスを除いた」男子一同が談話スペースに会していた。恐らくは、ダンジョンの中で行動を共にしていたメンバーなのだろう。

 

「よぉ、楽しそうだな。俺も混ぜてくんない?」

 

「あ、レイ。いいよ、座って座って」

 

 エリオットは笑顔でレイを迎えると、特に緊張した様子もなく席を勧めた。すると手前に座っていた大柄な褐色肌の男子が立ち上がり、奥の席へと誘導してくれた。

 

「おー、サンキュ。えーっと、確か……」

 

「あぁ、俺はガイウス・ウォーゼルだ。ノルドから来た留学生だが、よろしく頼む」

 

「へぇ、あの高原地帯からか。俺もクロスベルからの留学生だから同じだな。よろしく」

 

 互いに国外から来たという共通点のせいか、それともガイウスの性格が思ったよりも柔らかかったせいか、2人は直ぐに握手を交わす。すると今度は、目の前に座っていたマキアスがレイに対して少し申し訳なさそうな視線を送って来た。

 

「ん? どうしたよ、んなしみったれた顔して。さっきまでユーシスの奴に突っかかってた気概はどこにいったんだ? ホレホレ」

 

「そ、それはこの際忘れてくれ! ……コホン。改めて、僕はマキアス・レーグニッツだ。僕の方も、よろしく頼む」

 

「おうさ。こっちもな」

 

 挨拶を交わすと、マキアスは次の言葉を出しかけたが、少し言いよどむ雰囲気を見せる。その反応だけで何を言おうとしているのか何となく分かってしまったが、敢えてレイは言葉を待った。

 

「その、正式に挨拶したばかりで不躾なのは分かっているんだが……君の身分を聞いても構わないか?」

 

 予想通りの、その問いかけ。恐らく、自分以外の全員にそれを聞いたのだろう。

そして、自分がその最後。流石に何回も繰り返していると罪悪感のようなものが生まれてくるのか、声の大きさは小さめであった。

だがレイは、ここで素直に答える前に少しばかり彼の心情を突いてみる事にした。

 

 

「―――貴族」

 

「!!」

 

「なーんて言ったら、お前は俺と今後どう接するつもりだったんだ?」

 

 口調こそ軽いものではあったが、問いかけ自体は本気であった。その答えを他ならぬマキアス自身から聞きたいと、真剣な表情で彼の瞳を見据える。空気を察してか、リィンらも押し黙った。

 

「それ、は……」

 

「ラウラにも聞いたんだろ? 栄えある<アルゼイド子爵家>の嫡女であるアイツにも、さ」

 

 ラウラ・S・アルゼイド。旧校舎を後にした時に同じ剣使いだと挨拶を投げかけてくれた彼女の姿を頭に浮かべながら、レイは更に問う。彼女が問われて自身の出自を誤魔化すような性格ではない事は一言言葉を交わした瞬間に理解できた。ならば、それを聞いてマキアスはどういう反応を示したのだろうか。

 

「お前はラウラの事を、どう思った?」

 

「……少なくとも、人格的には良い人物だ。そう思ったよ」

 

「充分だ。それが認められただけでも俺はお前を軽蔑せずに済む」

 

 貴族と平民。社会的に分け隔てられた階級の差がそこにあったとしても、結局のところそこにいるのはただの”一個人”に過ぎない。人間であることには変わりなく、思考も、言動も、全てが十人十色。そこには紛れもない「個」が存在するのだ。

 それを理解することすらできないほどの偏見の目をマキアスが持っていたのだとしたら、比喩でも脅しでもなく、レイはマキアスを軽蔑していただろう。その思想はつまるところ、人間を人間として見ていない事と同義になるのだから。

 

「…………」

 

「意地の悪ぃ質問したのは謝るよ。だがまぁ、それだけは知っておきたかったからな。あ、ちなみに俺は平民な。つーか俺の故郷に身分の概念なんか最初(ハナ)から存在してねぇっての。ガイウスのトコもそうだろ?」

 

「あぁ。ノルドには身分の隔たりというものはない」

 

 ガイウスがそう言い切ったところで、レイは俯いたままのマキアスの頭の上に少し強めのチョップをかました。

 

「イタッ! な、何をするんだ!」

 

「だからしみったれた顔すんなって言ったろうが。まぁそんな感じに誘導したのは俺なんだけどよ、それでも黙ったままってのは少しよろしくないぜ?」

 

 レイはそう言って立ち上がると、ソファーの背もたれを軽々とジャンプで飛び越え、着地する。そこで再び、マキアスの表情を見た。

 

「”人”をどう見て、どう判断するか。んなモンは人それぞれだ。お前がそうやって悩んでるのは良い事だし、答えなんてのはすぐ見つかるようなモンじゃねぇ」

 

 だから、と。レイは昔の自分を思い起こしながら、格好つけた言葉を口から紡ぐ。

 

「悩む事を忘れんなよ? 決めつけちまったら、そこでお前の価値観は固定されちまうからさ」

 

「悩む事、か」

 

 言葉を反芻するマキアスの目に徐々に生気が戻ってきた事を確認すると、レイは談話室の横にある食堂に目を向けた。時間もちょうど良い頃合い。久方ぶりに初対面の相手に腕を振るおうかと、はしゃぐような気持ちでリィンたちを見渡した。

 

「さて、一段落ついたところでメシにするか。今日は簡単なモンしか作れねぇが、30分ぐらい経ったら女子連中も含めて皆食堂に集めてくれ」

 

「えっ? レイって料理得意なの?」

 

 意外だと言わんばかりの表情で驚くエリオット。他の面子も程度の差こそあれ、同じような反応を見せていた。

 

「なめんなよ? これでもクロスベルの大衆食堂で厨房の仕事をやってた事もある。腕にはちっとばかし自信はあるさ」

 

「―――ほぅ、ではその腕とやら、存分に見せてもらおうじゃないか」

 

 階段を降りる音と共に聞こえてきたその声に、まずマキアスが渋面を作り、次いでレイが好戦的な笑みを浮かべた。

 

「本来なら外で済ませるつもりだったが……気が変わった」

 

「上等だ、ユーシス。その肥えた舌を唸らせてやるよ」

 

「フッ、期待しないで待っておこう」

 

 そんな掛け合いが続いた後、レイは本格的に作業に取り掛かり、言葉通りに30分で仕度を済ませた後にⅦ組メンバー全員に手料理を振舞った。

 

 

 

 その結果、寮の炊事係が自動的に決定してしまったことは、また別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




うーい……やっと序章が終わりましたよぉ。

次回からは少し置いてケルディック実習ですかねぇ? レイ君の立ち回りに気を配っておかないとパワーバランス崩壊しますわ。やばいやばい。

あと、感想とかバンバン下さいませ! 感想見るとメッチャ励みになるという事を昨今実感しております。

ではでは、また次回。


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第1章
とある春の一時


ちょっと更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
最近はめっきり寒くなって、体調を崩しやすい季節になってきましたね~。かく言う私も現在、鼻水が止まりません。ティッシュが相棒となっております。

PCも相変わらず調子が悪いですし……若干呪われてるんですかね?

まぁそんな事はどうでも良く、とりあえずサブタイトルのような閑話系の話ですね。一応原作には沿っていますけれど。

それでは、どうぞ。


コホン、コホン―――

 

 

 

 幼かった少年が日常的に見ていたのは、椅子に座って編み物をしながら時折咳き込む母の姿。

 

 特に珍しいわけでもない。体が弱いながらも気丈に振る舞う母の背中は幼心ながらに尊敬するものがあったし、何より物心ついた時から父の記憶がない少年にとって、肉親は母たった一人。遊び盛り、育ち盛りの道理も弁えない子供一人を男手なしで育てる事がどれ程までに難しかったのか、成長した今ならば痛いほど分かる。

 

 だが、5歳になったばかりの少年にそれを理解しろと言うのも酷な話である。幾ら知り合いの大人たちから利発な子供だと持て(はや)されようとも、所詮は天才には及ばぬ一般人。時に迷惑をかける事もあったが、母は決して怒る事はなく、常に穏やかな笑みを浮かべていたのを覚えている。

 

 御伽噺(おとぎばなし)代わりに一族に伝わる秘術書を読み聞かせるなど、どこか抜けている所があったことは否定しないが、それも少年の将来を想っての行動だったのかもしれない……否、やはりあれは素なのだろう。うん、間違いない。

 

 だが少年は、そんな母と過ごす平和な日常が好きだった。刺激は少なく、気持ちが昂るような出来事が起こるのは稀。それでもこれ以上の幸せはないのだと、そんな「当たり前の幸福」を享受する事に何の疑いも持たなかった。自分は戦いとは無縁のまま生きていくと、当時の少年は本気でそう思っていたに違いない。

 

 

 

「それでも男の子はね、何かを”護る”ために戦わなければならない事があるのよ」

 

 

 

 そんな少年に母が唯一口を酸っぱくして言っていた事が、それだ。その言葉を少年に伝える時に母は決まって窓の外、どこまでも広がる空を見ながら、優しさの中に憂いを帯びた表情で言っていた。

 

 

 

「あなたが大切だと思う人―――友達でも、恋人でも、仲間でも、好敵手でも、たとえ敵だったとしても関係ない。あなたが心の中のどこかで”失くしたくない”と思った人がいたのなら、それを護るために戦うの。弱くても、だらしなくても良い。諦めなければ、きっと願いは叶うから」

 

 

 世界は、それ程までに甘くはない。酸いも甘いも噛み分けた大人ならば、そう断じて答える事ができただろう。

だが少年は、それをどこまでも純粋に受け止めた。ただひたすらに前を向いていけば、どんな不可能も可能になると、本当に信じていたのだ。

それは、この世の闇を見た事のない、夢見る子供の幻想。ヒトはそこまで強くはないのだと、少し考えれば分かるはずなのに。

 

 しかし、少年は勇敢にも誓っていたのだ。護りたいものは、目の前の母。それを成し遂げるために、いつか必ず強くなると、根拠のないそれを胸に秘めて。

目を輝かせてそう誓う少年の頭を、柔らかな笑みと共に撫でる母。息子の成長を見守るその瞳は、いつか聞いた聖女のそれとも劣らない。その眼差しに誘われ、その日も少年は母の膝の上で眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――その誓いが脆くも崩れ去り、少年の全てが奪われたのは、その3日後の事であった。

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 この世に生を受けてから一度たりとも正式な教育機関には通ってこなかったレイではあるが、学業における成績は基本的には悪くない。

流石に帝国国民ではないために帝国史に関する教科はイマイチだと実感しているが、それも慣れの問題だ。少なくともそれが原因で落ちこぼれのレッテルを張られるのは勘弁であったし、何より彼自身のプライドがそれを許さない。時代は既に文武両道。脳筋キャラなど時代遅れである。

 

「(それに、情けねぇ成績残したら絶対にサラに爆笑される。それだけは嫌なんだよなぁ)」

 

 授業終了のチャイムが鳴るのを待ちながら、レイはそんな事を考える。

子供っぽいと言われればそれまでなのだが、そこそこ付き合いの長い人物にとやかく言われるのは年齢に関係なく嫌なものだろう。勿論、国外にある勤め先の沽券に関わるという心配もない事もないが、それよりもまずは目先の事だった。

 

 国語、数学、化学、歴史、政治・経済学、軍事学、芸術、導力学etcetc……と、この2週間と少しの間に一通りの授業はこなし、目下の課題もやや浮き彫りになり始めたこの頃。学生の本分である勉学にも本腰を入れ始めたレイであったが、それ以上に頭を悩ませる問題が幾つか浮上していた。

 

 

 

 case1:ユーシスとマキアスの対立

 

 これに関してはもはや何も言う事はない。日常的になりすぎて逆にⅦ組の名物になりかけているこの二人の仲の悪さは、一周まわって見ていて微笑ましくもなってしまう。互いに顔を突き合わせて怒鳴り散らすと言うよりかは、互いに無視していると言った方が正しいかもしれない。まぁ、事あるごとにユーシスが厭味ったらしい事を言ってそれにマキアスが過剰反応すると言うのがいつものパターンなのだが。

ともあれ、これは一種の天災のようなものである。現状では、いがみ合いが過ぎ去るのを待つしかないのだ。

 しかしレイは、現段階ではこれ以上二人の喧嘩に口出しをするつもりはなかった。お互いに最低限の忠告はしたのだし、これ以上踏み込むのは徒に彼らのプライドを傷つける事にもなりかねない。今のところ他人に直接危害を与えていない事も鑑みて、傍観に徹していた。もし彼らが想像以上に幼稚でないのだとしたら、遠くない内に自然鎮火するだろう。その望みは、限り無く薄そうではあるが。

 

 

 

 case2:リィンとアリサの確執

 

 こちらはユーシスとマキアスのそれとは違い、近い内に緩和する事が既に分かっている。先程の帝国史の授業中にアリサが、隣の席のリィンに対して教師に当てられた際の解答をコッソリと教えていたのを、レイは見ていた。結局リィンはそれに頼らずとも正解を導き出していたが、アリサがリィンに歩み寄っているのは確かだ。まだ意固地になっている部分も確かにあるが、根深くはない。数日中には解決できるだろうと、レイは踏んでいた。まぁ、この案件は完全にリィンの自業自得なので、レイは手を出す気など最初からなかったのだが。

 

 

 

 そしてcase3は―――

 

 

 

 

 

 

 

「委員長ぉ~……だからちゃんと見張っててくれって言ったじゃねぇか。コイツ誰も見てないとガチで寝続けるんだから。さっきはヤバかったぞ。ハインリッヒ教頭のヒゲ、めっちゃピクピク動いてたし。あれ絶対キレる五秒前だったぜ」

 

「し、しょうがないじゃないですか。ちょっと目を離したスキに寝ちゃってるんですから。私だって驚いてるんですよ?」

 

「あー……まぁ仕方ねぇか。成長期とは言え有り得ねぇくらい寝てるしな、コイツ」

 

 その視線の先にいるのは、毎度お馴染の眠り猫。机に突っ伏してスヤスヤと寝息を立てる彼女を見て頭を悩ませているのは、レイと眼鏡をかけた少女―――エマであった。

 入学試験に際してトップの点数を叩き出して奨学金で入学した彼女は、それを見込まれてサラからⅦ組の学級委員長の役を拝命していた。それと同時に、フィーの管理役の一端を担うことにもなったのだ。

何せここは教育機関。大前提として性別の違うレイがカバーしきれない場所も多く存在し、何よりこのままでは彼自身自由な時間が取れないとの事で見張り役を分担する事になった。……のだが。

 

「慣れるまでが大変なんだよなぁ、コイツの手綱役は」

 

 フィーとて、年がら年中寝ているわけではない。例えば2週間前に行ったオリエンテーリングの時のように実戦を伴う状況下で眠る事はまず有り得ないし、レイが厳しく指導したお蔭で、授業中に寝る頻度もかなり低くなった(とは言っても昼休み後の授業などは大抵寝ている。今回もそれ)。成長したと言えば成長しているのだが、もう少しまともに生活できる範囲での睡眠を指導しないと、まともな(・・・・)人間になれたとはとても言えない。規則に縛られる生活というものにも慣れて欲しいと、レイは思っていた。

 

「そう、ですね。私もできる限りお手伝いさせていただきます」

 

 本来面倒見が良い性格なのであろうエマもその思惑には同意の意を示す。元々サラに押し付けられた役割でしかない筈なのに根気よくフィーの過剰な睡眠欲求を諌めようとしてくれている辺り、彼女の責任感の強さが窺える。

 

「あぁ、頼んだぜ委員長。……さて、と。俺もそろそろ行かなくちゃな」

 

「? 誰かに呼ばれているんですか?」

 

「サラに放課後になったら職員室に来いって言われてな。不本意だが教員としての命令なら無視するわけにもいかん。委員長も文芸部の活動があるだろうし、そいつの世話はそこそこで切り上げて行っちまって良いぜ」

 

「え? で、でも……」

 

「そろそろ腹が減って起きる頃合いだろ。そうでなくても一応コイツも部活には入ってるしな」

 

「えっと、園芸部でしたっけ」

 

 エマ自身、フィーが部活に入ったこと自体驚いていたために知っている。しかしレイは、彼女が園芸部に入ったことについて当初からあまり驚いてはいなかった。

 

「あぁ。まぁ活動は真面目にやってるみたいだし、すっぽかす事もねぇだろう。部長さんも良い人っぽかったしな」

 

「それなら……はい。分かりました。でもやっぱり意外ですね。フィーちゃんが園芸に興味があったなんて」

 

 ハーブの栽培を趣味にしているエマは知っている。園芸とは、手間暇をかけて根気よく、そして愛情を込めて育てなければ良い結果は生まれないという事を。しかもその条件を満たしてもなお、失敗して枯らしてしまう事などはザラにある。ここら辺は要は慣れの問題なので、幾ら園芸の本を読み耽っても根本的な手段などは分からないのだ。

 失礼な事を思っているという事は重々承知しているが、フィーがそこまで粘り強く園芸に取り組めるとは思えない。すぐに飽きてしまうのではないかと、エマは密かに危惧していた。

しかし、蓋を開けてみればたった1週間程度の期間ではあるが、彼女は部の活動日には毎回必ずグラウンド近くの園芸スペースに足を運んでいる。更にそれ以外にも、昼休みなどには昼寝場所に行くついでに花の様子を見に行っているという。以前その様子をレイに話した時、彼は優しく笑ってこう言った。

 

 

『あいつ、育てたい花があったんだと。俺もまぁ、園芸はできない事もないんだが、やっぱり本職に教えて貰う方が良いだろ? だから、勧めてみたんだよ』

 

 そして彼のその優しさに従って、彼女は新しい道に進んだ。それは、今の自分にはできない事だ。

 

「レイさんは……」

 

「?」

 

「フィーちゃんの事を、信じているんですね」

 

 彼女ならばきっと意味のある学院生活を送れると、そう信じている。そんな強固な信頼関係を築くには、エマ(じぶん)と彼女ではまだ過ごした時間が短すぎる。

だから、だろうか。

彼らの(たゆ)み無いその関係を、羨ましいと思ってしまうのは。

 

「そんなんじゃねぇよ」

 

 否定しながらも、レイは嬉しそうだった。やや細められた眼帯に覆われていない右目が、未だ眠りこけるフィーを捉える。

 

「花でも育てて少しはお淑やかになって欲しいと思っただけだ」

 

 その望みは薄そうだがな、と。

苦笑交じりにそう言ったレイの言葉があながち照れから来た嘘ではないという事を、エマは何となく感じ取ることができた。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 夕日もそろそろ地平線の彼方に沈むかと思われるようになった時間帯、レイは他のⅦ組メンバーよりも早めに帰宅するために、トリスタの街を歩いていた。

帰宅部の面々ならば既に寮へと戻り、部活を行っている生徒ならばまだ学院に残っている中途半端な時間帯。しかし第三学生寮の炊事役を担っているレイにとっては丁度良い時間でもあった。

寮の冷蔵庫の中に入っているはずの食材を頭の中で思い浮かべながら下り坂を歩き、足りない食材を脳内でリストアップ。それを確認したら帰路の途中にある食品・雑貨店『ブランドン商店』で必要な物を購入して帰る。

この二週間、それが日課となっていた。

 

 逆に言えばこの日課があったからこそ、先程サラに職員室に呼び出された際の面倒臭い事案を断る事ができたとも言える。

 

 フィーの世話を押し付けてまで向かった先でサラがレイに頼んだ事は、「Ⅶ組用に製作していた生徒手帳を配って欲しい」という物だった。

 特科クラスとして設立されたⅦ組は、どうやら生徒手帳一つを取っても特別製であったらしく、その製作を生徒会長に一任していたとの事。そこでレイは入学式の際に遅刻した自分たちに対してお説教(全く怖くなかった。むしろ癒された)をした小柄な女子生徒の姿を思い浮かべ、教師としてそれは如何なものかという疑念を思いながら、それでもそのお願いを断った。

 

 理由としてはまぁ単純で、時間がなかったからである。

入学式からしばらく時間も経ち、新入生の中にも部活に精を出し始める生徒が多く出始めた中、新部員の部員届や各部活に対する予算の振り分けなどで、生徒会も多忙になっているであろう時期である。もし伺った時に会議中などで部屋に入れず、かなりの時間待ちぼうけを食らおうものなら夕飯の仕度の時間が足りなくなってしまう。初日の夜のように、付け合わせで何とか食事の形にまで持っていく、という中途半端な事は、できればしたくはなかったのだ。

 

 そう言ってもなお渋るサラに対して、本日の夕飯の献立がチーズ付の煮込みハンバーグである事と、サラの晩酌のつまみ用にソーセージの燻製を用意してある事をボソリと伝えると、あっけらかんとOKが出てしまった。仕方がないのでその役目はリィンに任せるという旨を聞いた時は、流石に少し友人に対して罪悪感を覚えたが、職員室を出て数分後には忘れていた。その頭の中は、本日の出費の計算と夕飯の副菜を何にするかという事のみで埋め尽くされていた。

 

 

 

 

「しっかしここも良い食材揃えてるよなぁ~」

 

 食材の調達を済ませた後、ホクホクとした笑顔で呟くレイ。

 帝都からそれ程離れていない場所であるとは言え、当初はこれ程までに店舗が扱う食材が充実しているとは夢にも思わなかったのだ。とれたて卵や熟成チーズ、粗挽き岩塩などのスタンダードな食材から、千万五穀、百薬精酒といった通常なら大店舗でしか扱われる事がない食材まで揃っている。仮にも料理に携わる者としてこれだけの物が目の前に並んでいれば目を輝かせずにはいられない。お蔭で、商店の店主とはこの2週間の間に随分と仲良くなり、今では数日に一回はおまけを貰える程の仲である。

 そんな所帯じみた喜びを噛みしめていると、ふと公園に咲いたライノの花へと目が行く。

入学当初は満開の花を咲かせていたライノも、今ではちらほらと緑の葉が目立つようになって来た。今年の見納めもほど近い。それが目に見えて分かり、柄にもなく少し哀愁の念が湧いてしまう。

 

「(また来年、か……)」

 

 来年の四月。自分がどうなっているかなど、今は想像できない。1年中忙しなく動いていた去年までの事を鑑みると、このまま何事もなくごく自然に進級できる一年後の自分が、何故か想像できなかった。

 

 何故?―――何故、だろうか。

 

 

 そんな事は分からない。答えの出ない問いを悶々と考えながら木を見上げていると、突然横から声を掛けられた。

 

 

「よぉ。今日は何だかⅦ組(お前ら)とはよく会う日だな」

 

 軽い気持ちで掛けられたと一瞬で分かる声。買い物籠を左手に抱えたままその方向をちらりと見てみると、そこには見覚えのない人物が立っていた。

―――否、見覚え(・・・)はある。たまたま気付いたのは、今より少し前の話。

 

「あー、旧校舎の近くで俺らを見下ろしてた人か」

 

「ハハ、やっぱお前さんは気づいてたか。ゼリカもジョルジュもトワも驚いてたぜ。あの距離から気付くとか普通ありえねーっての」

 

 首元まで無造作に伸ばした銀髪に白を基調としたバンダナを額に巻いたその青年は、レイの言葉に驚く事もなく、そのまま近づいて来た。

 少し風が強くなってきた公園内で、身長差のある二人が向かい合う。

 

「二年のクロウ・アームブラストだ。ま、以後よろしく頼むぜ」

 

「Ⅶ組のレイ・クレイドルっす。知ってると思いますけど、一応」

 

 物臭な感じを隠す事無くそう言うと、クロウは吹き出したかのように笑った。

 

「なんじゃそら。さっき会ったリィンって奴とは大違いだぜ」

 

「あいつはクソ真面目ですから。そりゃー初対面の先輩との挨拶と来りゃキチンとするでしょうよ」

 

「お前さんは違うのか?」

 

「腕が分離して飛んで行きそうな名前の先輩に会ってもなんとも」

 

 盛大にコケる。笑ったりリアクションを取ったりと、忙しなくも中々面白い先輩だという事を頭の中でインプットしたところで、街中に鐘楼(しょうろう)の音が響き渡る。トリスタ駅が午後五時を告げる、毎日の習慣だった。

 

「あらら、もうこんな時間っすね。先輩は第二学生寮に戻らなくていいんスか?」

 

 クロウが着ている制服の色は緑。つまりは平民生徒用の『第二学生寮』の所属である。時間帯を問わず個々人で比較的自由な行動が認められている貴族生徒専用の『第一学生寮』とは異なり、第二学生寮は士官学院寮という性質が色濃く残っている節があり、門限もそこそこ厳しかったとレイは聞いていた。

しかし目の前の先輩はまったく問題ないと言わんばかりに余裕の表情を見せた。

 

「チッチッチッ、同じ場所で一年も過ごしてると”抜け道”くらいは心得るモンさ。このまま『キルシェ』に行って、一息ついたら戻るわ」

 

 そう言いながらクロウは、駅前に佇む一軒の喫茶店を見る。学生や街の人の御用達なだけあって、中々グレードの高い料理と飲み物を出す店でもある。週末などは、レイも密かに買物帰りなどに立ち寄っていたりして、こちらも店主の青年であるフレッドとは顔見知りの間柄だ。確かに、放課後のひと時を過ごすには、うってつけの場所だろう。

 

「良かったらお前さんもどうだ? 金欠気味だから、奢るってわけにはいかんけどな」

 

 そんな考えを知ってか知らずか、クロウが同席を勧めてくる。だがレイは、微笑しながら首を横に振った。

 

「遠慮しときます。一応、これでも第三学生寮のコック担当でして。腹空かして帰って来る奴らのために上手いメシを拵えなきゃならないんですよ」

 

「へぇ、そいつは残念だ。機会があったら俺も食わしてくれ。これでも舌は肥えてるつもりでな」

 

「機会があったら、いいですよ。いつになるかは分かりませんが」

 

「ハハ、楽しみが増えてラッキーだぜ。じゃあな、後輩。いろいろと(・・・・・)頑張れよ」

 

 踵を返し、右手を掲げながら去っていくクロウ。レイはその姿を見届けてから、自身も寮の方へと足を向けて、歩いていった。

 

 

 最後にクロウが言った、浅くも深くも取れる台詞に、僅かばかし首を傾げながら。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 冷たくも耳心地の良い音が、自室の中に響いて消える。

 

 一切口を開かず、瞬きすらもせずに集中してその擦過音を奏でていたレイは、その”研磨”が終わると同時にふぅ、と小さな息を吐いた。

 

 

「……こんなモンか」

 

 

 文字通り丹精を込めて研ぎ上げたのは、自分の分身の一つでもある長刀。極限まで磨き上げたそれの刀身に映る自分の顔を覗き見て、砥石の上から引き離す。

 今彼が所持しているのは、柄や鍔の類の一切を取り払った、刀身と銘を刻む(なかご)と呼ばれる部位のみ。ある意味剥き出しとなった刀本来の姿を眺めながら、長く使い込んだ今ですら時に見惚れてしまう刀身をチェックする。

柄や鞘こそ濃い色で統一されているが、刀身だけは一線を画する。混じり気のない新雪ですらもここまで透き通ってはいないだろうと判断できる程の輝かしい”白”。波紋の部分に僅かに滲む鈍色が、その完璧すぎる色合いに良い意味でアクセントを加えていた。光を反射して欠片の瑕も見せないこの刀とは、もう十年近くの付き合いとなる。

 驚くほどに頑丈に作られているこの刀だが、レイは毎日手入れを欠かしたことはなかった。例え鞘から抜かない日であったとしても、打粉(うちこ)を塗し、拭い紙で丁寧に刀身をなぞるなどといった手入れはもはや日常的なものとして当たり前のように行ってきたのである。

 感覚が鈍る、などというのは有り得ない。もはや職人技の域にまで達した技術で一連の作業を終えると、再び(なかご)を柄の中に収め、鞘を被せて壁に引っ掛けた。

 

「さて……何すっかなぁ」

 

 ベッドの上に腰を下ろしながら、そんな事を考える。

 サラに出すつまみの類は既に並べたので、今頃自室に戻って一人で晩酌でもしているのだろう。その場に居合わせなかったのは、半強制的に晩酌に付き合わされる事を回避したかったからだ。

比較的自由気ままに過ごしていたクロスベル時代ならまだしも、明日も授業を控えている身で飲酒なんかできるわけもない。フィーに対してあれこれ言っている手前、他ならぬ自分が、学生の域を越えた堕落を見せるわけにもいかない。自分の料理を気に入ってくれるのはありがたいのだが、一人酒が嫌ならば仕事を終えた教官仲間と飲みに行けばいいのにと、毎度の事ながら思ってしまうのだ。

そんなわけで自室に避難したはいいが、いざやる事がなくなってみると暇なものである。復習はやっても予習をするほど勉強脳ではないレイは、いっそこのまま一眠りしてしまおうかと、そのまま大の字になって寝転がった。

 

 ―――コン、コン。

 

 そんな時にされた控えめなノックの音に、レイは聞き覚えがあった。この音を聞くのも2週間ぶりかと苦笑すると、「入っていいぞ」と声を掛けた。

 

 

「あぁ、良かった。寝てたのかと思ったよ」

 

 入って来て早々にリィンが言ったのは、そんな言葉だった。それに、レイは首を傾げる。

 

「おかしな事を言うな、お前は。確かにそう思っちゃいたが、流石にこんな早く寝る程疲れちゃいないぜ」

 

「いや、さっきノックした時に反応がなかったからさ。そう思ってたんだ」

 

 それを聞いて、再び首を傾げるレイ。

部屋に戻ってから扉がノックされた覚えなどないし、あったとしたら応えるだろう。そこでもしやと思い、一つ質問を投げかけてみた。

 

「ちなみにそれ、どれくらい前のことだ?」

 

「えっと、一時間くらい前だな」

 

 その答えを聞いて、やはり、と思った。一時間前と言えば、極限まで集中力を高めていた時間帯だ。気付かなかったのではなく、気付けなかったのだろう。

 

「あー、スマン。その時俺、刀の手入れしてたんだわ。やり始めは集中力使うからさ、気付かなかった」

 

「あぁ、そうだったのか。いや、俺も太刀の手入れをする時は気を張るからさ。分かるよ、その気持ち」

 

 納得したように頷くリィンに同調して、レイも頷き返す。

互いに帝国では珍しい”刀”という得物を持っているせいか、Ⅶ組メンバーの中でフィーを除けば、リィンは最も気が合う級友だとレイは思っていた。

そんな級友はと言えば、ひとしきり話し込んだ後で、右手に持っていた小さな冊子らしきものをレイに手渡してきた。

 

「これは……あぁ、例の生徒手帳か」

 

「サラ教官から頼まれてさ。最初はレイに頼むつもりだったのに上手く躱されたー、なんて言ってたぞ」

 

「ははっ、いや悪かったな。でも仕事押し付けちまった対価分の夕飯は作ったつもりだぜ」

 

「あー、確かに今日のハンバーグは美味かったよな。委員長やアリサなんかは食べ過ぎないように注意してたみたいだけど」

 

「調理した側としては嬉しい限りだけどな。今度は女子勢に考慮して野菜たっぷりのメニューでも作ってみるか」

 

 そんな事を考えていると、リィンは部屋の壁に掛けられていたレイの長刀に視線を移した。その目は珍しいものを見るようなそれではなく、同じ系統の武器を扱う人間特有の、何かを見定めるような視線だった。

 

「いつ見ても立派な刀だな。俺のと比べても、随分と長い」

 

「流石にもう慣れたけどな。俺の使う流派だと長刀(コイツ)を使うのが一般的だったから、扱い方は徹底的に師匠に叩き込まれたよ」

 

「流派、か。やっぱりレイが使う剣術は、俺のそれとは違うんだな」

 

 思考に耽るような表情になったリィンを見て、レイは少し感心した。見知らぬ人間の使う見知らぬ流派を推測するのは、剣の道を習った者にとっては大事な事である。自らが修めた流派の芯はそのままに、他流派の技量や型を見て知り、それを取り入れる事で己の剣術を昇華させる。そういう柔軟さも、剣を扱う者にとっては大切な事なのだ。

 だが、ともレイは思う。

幾らリィンが考えたところで、自分の流派を特定させることなどできないだろう。それは決して彼が無知であるという訳ではなく、知らなくて当たり前のことなのだ。

 

「ま、いつか見せる時が来るだろうさ。その時は、お前の剣も見せてもらうぜ」

 

「ハハ、お手柔らかに頼むよ」

 

 そんな言葉を交わした後に、リィンはレイの部屋を出ていった。再び一人となったところで、レイは先程貰ったばかりの生徒手帳を見やる。

 赤い布地に、金色の一角獅子の紋章があしらわれた表紙。パラパラと中をめくってみると、校則やらスケジュール帳やらメモ帳やらの通常の中身と同時に、『ARCUS(アークス)』の使用方法などといったⅦ組独自の項目まで書かれている。これを作り上げたというあの小柄な生徒会長に、レイは心の中で密かに感謝した。

 

「さて、マジで暇になっちまったな」

 

 もはや眠気すらもどこかに吹き飛んでしまったレイは、暇つぶしに明日の朝食の食材確認でもしようかと、ベッドの上から立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

「あら、レイ~。ど~したのよ、こんな時間に~」

 

 一階に降りたところで談話スペースの方から声を掛けてきたのは、すっかりと”出来上がって”しまっている様子のサラ。その姿を見て思わず蟀谷(こめかみ)を押さえたレイだったが、サラの向かいのソファーに何故だかエマが座っているのを発見すると、そのまま無視して回れ右をするわけにもいかなくなり深いため息をついたままサラの傍らに立った。

 

「明日の朝メシの用意だ。そういうお前は未成年の生徒を晩酌に付き合わせて何やってんだよ、不良教官」

 

「あによ~。一人じゃ寂しいから二階の廊下でウロウロしてた委員長を捕まえたってのに~。大丈夫よ~、お酒は飲ませてないから~」

 

「むしろ飲ませてたらお前の脳天に拳が入ってたな。結構本気の」

 

「ゲゲッ、アンタの本気の拳骨とか割とシャレにならないわよ? 大丈夫だっての。おつまみを一緒に食べてただけだから」

 

「あ、あはは……すみません、いただいてますね」

 

 テーブルの上にはつまみに用意していたソーセージの燻製と、多めにカットしていたチーズが八割ほどなくなった皿が置いてあり、それを前にエマがやや困ったような笑みを浮かべた。

どうやら本当にアルコールの飲酒には付き合わされていないという事が分かると、理由がないために怒るわけにもいかず、そのまま通り過ぎようとした。―――が。

 

「ちょっと待ちなさいよ~。せっかくだからアンタも付き合って行きなさい。飲めとは言わないから」

 

「酔っぱらいの誘いにわざわざ乗るか、アホ。委員長も、付き合いきれないってなったら無視して帰っていいんだぜ?」

 

「い、いえ。私は大丈夫ですよ? ちょうど少しヒマだったので」

 

「ホラ~、本人がそう言ってんだからいいのよ。そういうアンタだってヒマ持て余してたクチでしょ~」

 

「うぐ」

 

 図星を突かれ、何も言えなくなるレイ。その隙を見逃さず、サラはレイの腕を引っ張ると、抵抗する間も与えずに自分の隣へと座らせた。

 

「……オイ、コラ」

 

「いいじゃないのよ~。ホラホラ、アンタも食べなさいっての」

 

「元々俺が作ったヤツだぞ。ったく」

 

 そう言いながらも、カットされたチーズの一かけらを摘まんで口の中に放り込む。すると、その様子を見ていたエマが小さな笑いを漏らした。

 

「サラ教官とレイさん、やっぱり仲が良いんですね」

 

「違げーよ。少なくとも酔ってるコイツはうっとおしい以外の何者でもないからな? とっとと酔い潰しちまった方がラクなんだが、それをするには少なくとももう一人、コイツ並みの酒豪がいなきゃならん」

 

 今のレイは飲酒ができないため、少なくともこの寮の中でその作戦を実行するのは限り無く難しいだろう。だから一度引き込まれた以上、一応は付き合わなくてはならない。

レイは一度席を立つと、食堂から自分とエマの分の冷えたジュースをコップに注ぎ、席へと戻った。

 

 

 

「あー、そうだ。アンタも委員長に占ってもらいなさいよ~。この子、結構本格的にやってくれるらしいわよ?」

 

 数分ほど話した後に、サラがそう提案する。

「占い?」とレイがエマの方を見ると、彼女は少しばかり迷ったような表情を見せながらも、テーブルの上に束になって積まれたカードを置いた。

 

「コイツは……タロットか」

 

「えぇ。趣味で少しばかりやっていまして。と言っても、素人のようなものなのであまり期待はしないでいただけるとありがたいんですけど……」

 

 エマはそう言いながらも、手慣れた手つきでカードをシャッフルしていく。その滑らかな動きは、一朝一夕で身に着くものではなく、彼女がかなりの頻度でカードの類を触っている事を明確にしていた。

とは言っても、そのシャッフルは洗練された、一切の疚しさがないものだ。普段扱っているのはゲームのようなギャンブル性が高いものではなく、やはりこう言った占いの部類にあるカードなのだろう。

 

「(そう考えると……ちと不思議だな)」

 

 シャッフルした後にカードを並べていく順番にも淀みがない。この年齢で、普通に生きていてここまで”熟練”の雰囲気を醸し出す事ができるのだろうか。

勿論、幼い頃からこういった事が好きで続けていたのなら手慣れる事は当たり前なのだが、目の前の少女からは、それとはまた別種の存在感がある。それは、まるで―――。

 

「(……ま、今はいいか。そんな事)」

 

 思わず深いところまで推測を巡らせてしまいそうになったところで、意識を表面上へと引き戻す。今目の前でカードを手繰っているのは、自分と同じⅦ組の一員で、フィーの世話役を苦労をしながら務めてくれている心優しい少女、エマ・ミルスティンなのだ。それ以上を詮索するのは、野暮と言うものだろう。

 

 などと考えている間に、エマは並べたカードの中から、一枚のカードを手にしていた。それが恐らく、”レイ・クレイドル”を表している象徴とも言える物なのだろう。ここまで来ると流石に気になってしまい、コップをテーブルの上に置いて、エマの次の言葉を待った。

 

 

 

「―――”正義”の正位置、ですね」

 

 

 

 対象の「良心」を指す意味を持つそのカードの”正位置”の意味は、公明正大や友好的、と言った比較的穏やかな言葉が並べられている。それを、レイは無表情のまま見つめていた。

特に驚くわけでもなく、喜びも、落胆も示さない。それに少し違和感を覚えたエマが、レイに話しかけた。

 

「あの……レイさん」

 

「ん? どうした、委員長」

 

「あ、いえ……何となく、不満があったのかと思ってしまって」

 

 ただただ無反応を貫く人間を前にして、何も思うなと言う方が無理な話だろう。だがレイは、すぐさまいつもの不敵な笑みを見せると、そのカードを手に取り、徐に眺め始めた。

 

「いんや、不満なんてないさ。しっかしなぁ、よりにもよって俺が”正義”って……真逆じゃね?」

 

「い、いえ、そんな事はないと思いますよ? レイさんはクラスの中でも理性的な人だと思いますし、客観的な視点で動いてくれますから。影のまとめ役、といった感じですね」

 

「ま、それは言い得て妙だわね~。この子、口が悪い割に達観してるトコもあるし。やっぱ委員長、人を見る目があるわ~」

 

「やかましいぞ、サラ。ま、この結果は前向きに受け止めておくぜ。占ってくれてサンキューな、委員長」

 

「はい。真似事の延長線上ですが、そう言っていただけると嬉しいです」

 

 ようやっと笑顔に戻ったエマにカードを返すと、ちょうど空になった皿を持って、レイが本来の目的を果たすために厨房へと消えていく。

 しかし、食堂のシンクの前に立った時、いきなりピタリと、その動きを止めた。

 

「………………」

 

 皿を流し台に置き、片づけている間も、その表情は不気味なまでに固まっていた。そして水道の蛇口を捻って水を止めた時、背後から優しく、肩を叩かれた。

 

 

 

「なに怖い顔してるのよ。アンタらしくもない」

 

 先程まで酔いが回るのと比例して呂律が若干回っていなかった筈のサラが、素面(しらふ)同然の顔をして、真剣なまなざしでレイを見据えていた。

それに対してレイは先程までのように無下に応ずる事はなく、視線を少し伏せたまま、口を開いた。

 

「因果応報、ってヤツかもな。なるほど、確かに俺にはある意味お似合いかもしれん」

 

「その”意味”だけならアタシだってそう思うわよ。アンタが引っかかってんのは、そう(・・)じゃないでしょ」

 

 確実に自分の心を言い当ててくるサラの言葉に、レイは失笑するしかなかった。

正しいはずの言葉の一つ一つが、(やじり)となって心を穿つ。それでも平面上は平然としている彼に対して、サラは憚る事もなく言い放った。

 

 

「今のアンタは、アタシの生徒よ。他の子たちと同じ、障害を前に、乗り越えようとしている存在以外の何でもないわ」

 

 だから、と。

 サラはレイの頭の上に手を置いて優しく撫でる。本来なら屈辱的な事この上ない行動ではあるのだが、今はあえて拒絶をしなかった。

彼女なりの慰め方。昔と変わらずに、感情のままに率直に行動で示してくるその素直さに、レイは懐かしい心持ちになった。

 

「だから、辛くなったらいつでも頼りなさいな」

 

「ははっ、お前に頼る時が来たらもう俺は末期状態だ。迷惑かけるどころの騒ぎじゃねぇぜ?」

 

「アタシに向かってそれを言うかしら? 全く、いつまで経っても素直になんないわねぇ」

 

「お前が素直すぎるだけなんだよ。アホめ」

 

 頭の上に乗ったサラの手を軽く弾いて、互いに笑い合う。そこには、先程までのギクシャクとした感情の掛け合いは存在しなかった。

 

 

 

 こうして、また一つ避けられぬ想いを抱える事になったまま、春の宵時は刻々と過ぎていった。

 

 

 

 




わお、初めて一万文字越えた話が戦闘描写皆無の作品って何さ。フィー成分を何とか抑え込んだと思ったら委員長が台頭してきて―――やっぱこの二人好きなんだよなぁ、個人的に。

えっと、次回は自由行動日をメンド臭いのですっ飛ばして実技試験にでも行きましょうかね。
その後は初の特別実習……上手く書けんのかなぁ。

それでは次回も、よろしくお願いします。


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苦悩、そして留意

段々と寒さも増してきた今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか。

自分はといえば足りない脳みそを油を絞り出すが如く捻りまくって何とか書かせていただいております。あと風邪気味です。気温の変化、マジヤバイ。

あと、この作品を書き始めるにあたって零の軌跡&蒼の軌跡の公式設定資料集を買いました。いやー、凄い情報がいっぱいでテンション上がります。いつか閃の軌跡の設定資料集も出て欲しいですねー。電撃さん、お願いしまーす!



「このところ、《赤い星座》が妙な動きを見せてやがるらしいぞ」

 

 

 

 客の来店時から新聞を読み耽り、サービスの一つすらする素振りも見せない壮年の男性が何の脈絡もなく言ったその言葉に、店内のショーケースに飾られていたアンティークものの時計を眺めていたレイが、僅かながらに反応した。

 

 トリスタ駅前から少しばかり裏路地に入ったところに居を構えている店。表沙汰の名前こそ、そこは”質屋”となってはいるが、そこの主である不愛想な店主の副業であり、ある意味本業と言えるのが情報屋としての仕事である。遊撃士時代から何回か世話になり、顔見知りでもあったそんな人物と久方ぶりに顔を合わせたのはもう1週間程前の話であり、それからちょくちょく店で扱っている商品の冷やかしも兼ねて足を運んでいたりする。

 店主―――ミヒュトが徐にそんな情報をレイに漏らしたのは、そんなレイに対する彼なりのサービスだったのか。或いはちょっとした嫌がらせだったのか。

どちらにせよ、今のレイにはそんな思惑などどうでも良かった。

 

 

「あの戦闘狂共、まーた何かやらかすつもりか? 情報屋の耳に入って来るって事は相当大規模に動いてるって事だろ? ヤな予感しかしねぇわ」

 

 

 店の隅に飾ってある観葉植物の葉を弄りながら、そんな言葉を漏らす。実際”彼ら”と少なからずの因縁があるレイにとっては一概に他人事とは言えなかったし、そう思えなかった。

まぁ、そんな前提を抜きにしても、個人的にその集団の名前を聞いただけで眉を顰めてしまうのはある意味仕方のない事であるとも言えた。

 

 ゼムリア大陸西部を中心に神出鬼没に現れ、その起源はかの《暗黒時代》にも遡るという最強最悪の猟兵団。それが《赤い星座》と呼ばれる存在である。

 つい1年前までは《闘神》の異名で恐れられた戦士、バルデル・オルランドに率いられていたその集団は、陸戦任務においてまさに”最強”と呼ばれるだけの実力を有し、とある事情により団長の座が空席となった今でも、副団長である《赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)》シグムント・オルランドを中心として暴れ回っているという話は聞いていた。

 血気盛んな猟兵団の中でも群を抜いて危険度が高い戦闘狂集団。仕事柄、ヤバい組織は山ほど知っているレイですらも、できればもう二度とお近づきになりたくないと思っている連中である。

 

「そうだな。逆に言えば大規模な作戦だと分かっているだけでも収穫って事だ。こりゃ七耀教会や遊撃士教会も出張って来るかもしれんぞ」

 

「無いな。教会は守護騎士(ドミニオン)を駆り出すほど暇じゃねーだろうよ。シグムントやシャーリィクラスが前線に出て来るならそれくらいの戦力は必要だろうしな」

 

「ほぅ? 遊撃士も動かねぇと?」

 

「最低でもA級が何人かは欲しい。だがこの不安定なご時世だ。一ヶ所に戦力を集中させるのは難しいだろうさ」

 

 滔々と考察を述べるレイは、一見無関心なようにも見える。

だが先程から店内のあちこちを移動して視線も一定していない。情報屋の目から見れば、若干動揺しているのは明らかだった。

 本来、心根は優しく、実直なこの少年の事である。近い内に大陸のどこかで最凶の猟兵団が暴れ回り、少なからずの死傷者が出る事を、ただ黙して見てはいられないのだろう。

だが、今の彼はあくまで”学生”なのだ。このトリスタの街からも容易に出る事は叶わない身。さぞかし、もどかしく感じている事だろう。

 

 

「……もう一つ、情報がある」

 

 情報屋が”情”に流される事などあってはならない。だがミヒュトの口からは、次いで言葉が紡ぎだされていた。

 

「大規模な行動にも関わらず、『クリムゾン商会』の方に動きは見られない。お前は、これをどう見る?」

 

「……作戦の資金源が、身内の物ではない、っつーことか」

 

 《赤い星座》が作戦資金を得るために経営しているダミー会社、それが『クリムゾン商会』である。帝都に存在する高級クラブ、『ノイエ=ブラン』を中心として広がるその経営網は、現在も無視ができない利益を叩き出しており、団の重要な資金源となっていた。

それが大規模な作戦行動に際して全く動きがない。―――それが指し示す事実と考察を、レイはすぐさま弾き出す。

 

「大陸最強の猟兵団のほぼ全勢力を動かすほどの膨大なミラを支払う事のできる組織……ふーん、なるほどな」

 

「分かったのか?」

 

 ミヒュトのその問いに、レイは肩を竦めて首を横に振った。

 

「いんや、やっぱ候補が多すぎて今の段階じゃ絞り込めん。つーか、今の俺じゃ知ったところでどうしようもねぇしな」

 

 自嘲する風に笑う彼を見て、ミヒュトは元より不機嫌そうな表情を更に歪めた。

僅かに怒りを覚えたのは、レイに対してではない。彼を常に心配し続け、彼が学院生となる事を良しとした知己の女性に対してである。

 

「(お前はコイツがここにいて良いと思ってんのか? サラ)」

 

 ただの一士官学院生という地位に縛り付けてしまうには惜しい麒麟児。しかし、ミヒュトのそんな思惑とは裏腹に、レイは今度こそ、偽りではない表情を見せた。

 

 

「あっと、もうこんな時間じゃねぇか。邪魔したな、ミヒュトのオッサン」

 

「フン、貴重な自由行動日に来店したかと思ったら何も買わずにトンズラか。またクラスのガキ共のメシの材料を買いに行くのか?」

 

 皮肉ったらしいミヒュトの言葉に、「今日は違う」と、来店した際に一緒に持ち込んだ使い込まれた釣竿を肩に担いだ。

その行動ですべてを察したミヒュトは、呆れたような表情を見せる。

 

「今夜の主菜は自給自足、か。どこまで万能になる気だ、お前は」

 

「失礼だな。ここの川は良い魚がよく釣れる。今日はサモーナやクインシザーあたりを狙ってみるか」

 

 そんな宣言を残して、レイは質屋『ミヒュト』の玄関から店外へと去っていった。恐らく冗談でもなんでもなく、今から本気で魚釣りに興じるつもりなのだろう。

 先程までの重々しい雰囲気から一変、何とも言えない感じを作り出したまま去っていってしまったレイに対して虚空を睨み付けながら、再び新聞を開く。

 

 今度はもっと悩ませてやるような情報を仕入れよう。嫌がらせの意味も含めて、心の中でそう決めながら。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

「さーて、それじゃあ第一回の実技テストを始めるわよー」

 

 

 4月21日。雲一つない晴天の中、士官学院のグラウンドに集められたⅦ組メンバー10名は、サラの軽快な声と共に僅かばかり気を引き締めた。

リィン、アリサ、エリオット、ラウラ、エマ、ユーシス、フィー、ガイウス、マキアス、そしてレイ。各々が、その手に得物となる武器を携えて、例外が二名ほどいるものの、ほぼ全員がやや緊張した面持ちで次の言葉を待っている。

 

 

 士官学院に入学してからはや3週間が経過し、難度の高い授業にもようやく慣れてきた頃に、突然担当教官のサラから二つの事柄が伝えられた。そしてそれが、この”特科クラス”ならではの事項であった事に、皆が一様に不思議そうな顔をしたのである。

 一つは、定期的に行うという”実技テスト”の告知。戦術リンクが使えるⅦ組ならではのテストを行うとの事で、これにはレイもある程度の期待を寄せていた。ただ単に生徒同士の一対一、もしくは教官相手の多対一という形式では、有体に言ってつまらない。だからこそ、長刀の鞘を握る手にも、いつもよりかは力が入っていた。

 もう一つは、二つの班に分かれて行うという”特別実習”。各々の班がトリスタを出て帝国各地にて課題に取り組むという、現時点では内容が曖昧な取り組みだ。

だがいずれにせよ、このテストとやらを切り抜けなければならない。悪戯っぽい笑みを浮かべるサラに対して一同が揃って嫌な予感を感じたものの、一抹の不安と共に全員が自分の武器を握りなおす。

 

「そんじゃ、始めるわね~♪」

 

 開始の声と共に、サラの指鳴りの音がグラウンドに響く。

すると、それと連動するかのように突如として虚空から浮遊する謎の物体が現れた。

 

「「「「えっ!?」」」」

 

 その目の前で起きた非現実的な現象に、思わず驚愕の声を漏らす一同。それも当然の事だ。戦闘経験があろうとなかろうと、”普通に”生きていればこのような摩訶不思議な物体と遭遇する事などないのだから。

 それは機械と称するにはあまりにも滑らかに動く物体であり、さりとて生物と称するにはあまりにも不可思議過ぎる。ガイウスがポツリと呟くように言った「生命の息吹を感じない」という表現。有体に言えば、それが一番良くそれの正体を言い現わしていた。

浮遊しながら不気味なまでの滑らかな動きを見せる紫色のそれ。よく見るとボディの横腹に『Type-α』と刻まれており、それが名前である事が分かる。

 しかし、驚きや僅かな恐れが一同の間で伝播していく中、ただ一人無感情な瞳でそれをボーッと眺める生徒がいた。言うまでもなく、レイである。

彼はひとしきりそれを眺めると、一つの溜め息と共に徐に手を挙げた。

 

「一つ質問、いいか?」

 

「あら、どーしたのよ。レイ」

 

 クラスメイトの視線が集まる中、レイはジト目でサラを睨みながら、恐らく彼女自身が説明するつもりだったであろう事をあえて質問する。

 

 

「この不細工な木偶人形、一体どこから(・・・・)仕入れて来たんだ?」

 

 気にならない、と言えば嘘になる。こんなもの(・・・・・)が正規のルートで購入できるわけがないのはレイもよく承知していたし、それはサラとて同じ筈であった。この期に及んで白を切るわけもないと信じて待つと、サラからは「良く分からない」という旨の答えが返ってきた。

 

「なーんか”とある筋”から押し付けられたみたいなのよね。まぁでも、使い勝手は良いから重宝してるってわけ」

 

「んなテキトーな……まぁ安全性が保たれてんなら別に良いんだけどよ」

 

 もう一つ溜め息を漏らしたレイは、しかしそれ以上は踏み込もうとはしなかった。その代わりに、隣に立っていたエリオットに逆に質問を投げかけられる。

 

「レイはあの機械を知ってるの?」

 

「何回か見た事があるってだけだ。詳しい事は知らんぞ」

 

 自分で見てもあからさまな誤魔化しに内心冷や冷やしたが、まだ付き合いが短いせいか特に疑われる事もなく、そこで会話が終わった。

 そして、ひとしきり騒いだ後にサラからの”実技テスト”の説明が入る。

とは言っても複雑なものではなく、サラが指定した複数人で以てチームを組み、この機械―――”戦術殻”と戦闘をして、その結果で評価を決めるというもの。

ただし、ただ単に力任せの個人戦闘だけで勝利を収めても評価は低い。戦術リンクを駆使できるⅦ組の面々らしく戦い、勝利を収めろ―――要点だけ掻い摘めば、そんな試験内容である。

 

 最初に指名されたのは、リィン、ガイウス、エリオットの三人。上手い具合に前衛と後衛に分かれたチームであり、実際、その動きも悪くはなかった。

東方剣術《八葉一刀流》を駆使してスピード重視の戦い方で戦術殻を翻弄するリィンと、長槍を巧みに操り、その破壊力で以てリィンの作り出した隙をついて確実に攻撃を叩き込むガイウス。そこにエリオットがタイミングよくアーツの攻撃を挟み込むという、最良の意味でお手本のような戦闘を披露し、特に苦戦する事もなく勝利を収めたのであった。

 

「(たった数週間前に出会ったばかりの人間同士がこうも巧みな戦術の行使を可能にする……なるほど、確かにコイツが軍隊に導入されれば戦場における革命が起こせるな)」

 

 多感で未熟な学生同士ですら、ここまでの結果が出せるのである。無論、この三人の相性が初めから良かったという理由もあるのだろうが、それでも互いの動きを見透かしたかのような流れる動作に、レイはテストが終わって列に戻ってきた三人に掛け値なしの賞賛を送った。

聞けば三人は昨日、旧校舎の中を探検し、そこで戦術リンクの練度を高めていたとの事。そんな面白そうな事に自分を誘ってくれなかったという不満を一瞬考えたものの、よく考えれば昨日は完全に単独行動をしていた事を思い出し、僅かな後悔と共に口を噤む事となった。

 

 しかし、順調なのはここまでであった。次に指名されたのはラウラ、アリサ、エマ、ユーシス、マキアスの五名。些か人数が多い事にマキアスが疑問を述べたものの、実際そうした理由は誰もが理解していた。

金緑コンビという爆弾を抱えている以上、少人数でチームを組んでも碌な事にならない。それは、誰の目から見ても明らかだった。

実際、その戦闘内容は、お世辞にも優秀とは言い難いもので終わった。結果こそ女子勢三人の尽力により辛くも勝利したものの、”戦術リンクの活用”というテーマに沿って見てみれば落第点もいいところ。原因は言わずもがなであり、その結果を巡ってまた一悶着が起きそうになったところで、サラが言葉を挟んだ。

 

「はいはいそこケンカしないの。とりあえず君たちはこの結果を受け止めて充分反省するように」

 

「うっ……」

 

「フン」

 

 流石に担当教官の諌めを無視してまでいがみ合いを続行する気はなかったのか、大人しく列に帰っていく二人。それを見て女子勢も、嘆息と共に戻って来る。

 

「お疲れさん。大変だったろ」

 

「えぇ……心臓に悪いわ」

 

「あの二人にはなるべく早く関係を修復してもらわねばな」

 

 レイの言葉に、アリサとラウラがそう返す。それができれば苦労はしない。それがⅦ組の総意だった。

とは言え、とレイは考える。今までは二人の間だけでのいがみ合いだったのが、とうとう周囲にまで影響を及ぼし始めた事について、少しばかり危惧する。今回はテストであり、危険度は限りなく低かったとはいえ、本番の魔獣との戦いの際に連携が取れないというのは致命的だ。このままではいつか、誰かが巻き込まれて怪我をしかねないと、悪い予感が頭の中を巡る。

 

「(どうしたもんかねぇ……)」

 

 そう考えるも、現状はどうしようもない。別にお互い直接危害を加えたわけではないというところが、逆に関係の軋轢を広がる要因になっている。どちらかが謝ろうにも、そもそも何を謝ったらいいのかが分からないというのは、相当に面倒くさい。経験則からすれば時間が解決してくれるのを待つのが最善手なのだが、そう単純に行くとも思えなかった。

 

「さて最後ね。レイ、フィー、前に来なさい」

 

 などと思案を巡らせている内にサラに呼ばれたレイは、フィーと共に前へと歩み出る。

 

 

「二人だけとかイジメか?」

 

「仕事量が増える。めんどい」

 

 

 先の八人に比べてあからさまにやる気がない二人を見てサラは失笑する。

緊張していない……否、緊張などする必要もない(・・・・・・・・・・・)二人を前にして、再び指を鳴らす。すると、一体目の戦術殻と並ぶように、同型のそれが出現した。

 

「アンタたち二人は一体だけだと物足りないだろうからもう一体追加してあげたわ。感謝しなさい」

 

「「ありがた迷惑過ぎる」」

 

 珍しく声をハモらせた二人だったが、その怠惰そうな雰囲気とは裏腹に、早々に武器を構える。長刀と双銃剣、用途も攻撃範囲も全く異なるそれらだが、何故かそれらを構える二人の姿はサマになっていた。

 

「さて、アンタたちもよーく見ておきなさい」

 

 サラの声が、今度は待機中のリィンたちへと向けられる。しかし言われるまでもなく、彼らの視線は二人に釘付けとなっていた。

 

 

 

「これから見れるのが―――本当の戦術リンクの使い方よ」

 

 

 

 その声を合図にしたかのように、二体の戦術殻がそれぞれバラバラに行動し始める。戦闘経験が薄い者ならばこの時点で既にパニックになるだろうが、生憎とこの二人は違った。

 

「ダルいがやるぞ。―――速攻で終わらせる」

 

Ja(ヤー)

 

 手慣れた声の掛け合いと共に、”本物”の戦闘が始まった。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 戦場における鉄則と言うものを、二人は知っている。

 剣や槍などが武器の主流となっていた前時代の戦においては、密集陣形と言うものが絶大な威力を誇っていた。隊列を揃えて集結し、それが鬨の声を挙げて突撃をすることで自軍の士気の向上と同時に敵に恐怖の感情を植え付ける。また連帯感を実感させる事で兵の結束力を養うというメリットもあり、その戦法は先の時代においても不動の先方になるであろうと、誰もが思っていた事だろう。

 だが、銃や大砲が戦争における武器の主流になり始めた頃から、その常識は脆くも瓦解する事になった。

銃の一斉掃射と大砲の広範囲の制圧能力。密集陣形を主流としていた騎兵、歩兵にとってそれはまさに天敵とも言える攻撃となる。そして戦場から近接武器が姿を見せなくなり、戦の歴史が近代戦闘に移行するようになると、歩兵の戦術は散開戦闘が主流となっていった。連携を取りながら少人数で戦場に散らばり、機動性を生かして敵拠点を制圧する。それに伴って、情報収集技術や情報伝達技術なども比例して進化するようになったのだ。

 近代戦闘における鉄則は、敵に自軍の動きを可能な限り悟られない事にある。移動した時間・方向・距離などが分かってしまえば、そこから戦術を読まれてしまう可能性があるからだ。

 

 だからこそ、目の前で機械的な動きで散開したこの無機物生命体に、戦闘のプロである二人が負ける道理など、どこにもなかった。

 

 

 

「やらせない―――『クリアランス』」

 

 フィーが開戦早々行ったのは、二丁銃を構えての一斉掃射。巧みな動きで放たれたその弾幕は、しかし戦術殻本体ではなく、その周囲に着弾した。その攻撃を危険と判断した二体の戦術殻が一瞬だけ動きを止める。しかし、レイにとってはその”一瞬”だけで充分だった。

 

「そら―――よっと」

 

 散開を中止した二体の内の一体に肉薄すると、刃を収めたままの黒塗りの鞘の部分で下から掬い上げるように殴りつけ、それを宙へと放り出す。空中へと投げ出されて身動きが取れなくなったそれのボディに今度は容赦なく銃弾の雨霰を浴びせたのは、戦術リンクによってレイの動きを読んで戦術殻よりも高く跳躍していたフィーだった。

 空中戦は彼女の十八番。ほどなく決着が着くであろうことを察したレイは、もう一体の方へと目を向ける。

心を持たない無機物の面目躍如と言ったところか、銃弾に対する恐れなど一切なく、魔力で拵えた刃を腕の部分に展開させてこちらに斬りかかってくる機体。しかしレイは防御の姿勢は見せる事なく、ただ僅かに腰を落とした。

瞬間、レイと戦術殻の間に投げ込まれたそれが、カチッという音と共に爆発し、膨大な閃光を撒き散らす。

(フラッシュ)グレネード。フィーが常に数個は持ち歩いている携帯型の簡易戦術兵器だ。それが来る事が”分かって”いたレイは、あらかじめ目を伏せており、閃光による(くら)ましの影響は受けなかった。

空中からのサポートに僅かに口角を吊り上げると、レイは動いた。

 

「【剛の型・瞬閃(しゅんせん)】」

 

 見せたのは、旧校舎地下にてコインビートルの群れを瞬殺した技。一拍の呼吸と共に姿が消え、閃光の中でその刃が開帳される。それは確かに戦術殻の首の接続部分を捉え、両断した。

 

 

「うわっ……!」

 

「これは……っ」

 

 リィンたちギャラリーがその戦闘結果を視認できたのは、グレネードの光が収まった数秒後の事。そこには、片や銃弾でボディを穴だらけにされてグラウンドに沈み、片や剪断されたように綺麗に首を落とされた二体の戦術殻が機能を停止させている様子。そして、その中心で拳を突き合わせているフィーとレイの姿があった。

 

GJ(グッジョブ)。何とかなったな」

 

「ん。クリアタイムは5.47秒……まぁまぁかな」

 

 

 さも当然の事と言わんばかりに言葉を交わす両名を眺めて唖然とする一同。そこに、再びサラが声を挟んだ。

 

「まったく、あっさりクリアしてくれちゃって。さて、今の戦闘を見てどう思った? リィン」

 

「え? あ、はい!」

 

 いきなり指名された事に一瞬戸惑ったリィンだったが、直ぐにいつもの落ち着きを取り戻して今の戦闘の感想を述べる。

 

「何と言うか……圧倒されました。たった数秒の間でここまでの動きを見せる事ができるなんて」

 

 これが戦術リンクの真価なんですね? とリィンが問うと、サラは回答に逡巡した。

 

「いやー、あの二人の場合は元々のポテンシャルも高いから一概にそうとは言い切れないんだけどね。まぁ、正しい使い方っていう点では間違っちゃいないわ」

 

 サラの評価を聞きながら、自然な流れで列に戻る二人。レイは隣にいたガイウスからの賞賛に言葉を返すと、引き続き話を続けるサラの姿を見やる。

申し分ない評価でテストをクリアできたとは言え、意思のない木偶人形との戦いは、レイの戦闘本能に中途半端に火をつけたまま終わってしまった。つまるところ、燻っているのである。

 

「(あー、全力で戦いてぇなぁ。……そう考えるとクロスベルにいた時の方がアリオスさんと鍛錬できたし、良かったかもしれん)」

 

 目の前にいる女性教官も充分な戦闘能力をもった人物ではあるのだが、何せ彼女は曲がりなりにも教官である。生徒との私闘など、容易く許可できる立場ではないだろう。

 などと色気のない事で悶々としていると、サラから一枚の紙が配られてきた。既に話題は、3日後の”特別実習”に移っていたらしい。その班の振り分けの詳細が書かれたそれを一瞥する。

 

 

 

 

【4月 特別実習】

 

 

 

A班:リィン、アリサ、ラウラ、エリオット、レイ

(実習地:交易地ケルディック)

 

 

B班:エマ、マキアス、ユーシス、フィー、ガイウス

(実習地:紡績町パルム)

 

 

 

 

 

 

 レイが向かう事となったのは帝国東部・クロイツェン州にある交易が盛んな土地、ケルディック。ユーシスの実家<アルバレア公爵家>が治める土地であり、初めての”特別実習”を執り行う場所としては、悪くはないと言えた。

 問題となったのは、実習地ではなく、この班の振り分け方。A班はともかく、B班は狙いすましたかのように最悪だ。

 

 

「ど、どうして僕がこの男と……!」

 

「……あり得んな」

 

 レイとフィーの戦いを見て言い訳のしようもない格の違いを見せつけられたことで鎮火しかかっていた二人の間に再び油が投入される。

それだけではなく、彼らと同行する事になった三人もどこか憂鬱そうな表情を浮かべていた。特にフィーなどは「めんどい」という文字があからさまに顔に現れている。

 

 

「(ヤベェわ、コレ)」

 

 

 レイの顔からも、いつもの余裕そうな笑みが消えて真剣な顔で心の中でそう呟く。

せめて週明けに再び全員で集まった時に一人いなくなる、なんて事がないようにと、レイは柄にもなくそう思ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いやー、まさか実技テストだけで一話が終わってしまうとは思いませんでした。
でもこれ以上書くとだらだらと長引く恐れがあったので、いったんここで区切らせていただきます。

レイ君とフィーのリンクレベル? そんなものはMAXに決まっております。ラッシュⅡとか出しちゃいます。怖いな、この二人。

まぁそんなこんなで次回はお待ちかねの実習でございます。フィー、エマ、頑張れ! むしろそっちが気になるわ!

それでは、さようなら。またお目にかかりましょう。


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実習任務、始動

話が上手い具合に進まない事に昨今悩み始めた十三です。
先日この作品の評価を見た時にエラい事になっていてビックリしたので、皆様方の期待を裏切らないように頑張っている最中です。


私の「閃の軌跡Ⅱ」におけるレギュラーメンバーはリィン、フィー、ラウラ、エマです。控えとして、サラとエリオット(あとたまにアリサ)ですかね。後半における委員長のアーツの強さがマジで神がかっております。足を向けて寝られません。

ケルディック編では後方支援をエリオットとアリサが担っておりますね。
頑張れ! 二人とも!


 

 

「レイ、チェンジして。あの二人の相手とか、ホントに無理」

 

 

 

 4月24日、”特別実習”当日の朝。

 リィン、レイ、アリサ、エリオット、ラウラの組み合わせとなった実習A班は、第三学生寮の玄関前で集合してから各々の体調などを確認し、そのままトリスタ駅のホームへと向かった。その際に、先に到着していた実習B班に振り分けられていたフィーが、レイに駆け寄ると共に耳打ちをしてきたのが、そんな言葉であった。

その視線の先にいるのは、本日も本日で通常駆動の仲の悪さをこれでもかと見せつけている金と緑の二人組。わざわざ互いが確認できる距離に立って不機嫌な顔で背中を見せているところを見ていると、毎回レイの中で「お前らホントは気が合うんじゃねぇの?」という疑問が浮かんで来てしまう。

 しかし、これからこの二人という名の一触即発の時限爆弾を抱えて実習地に向かわなくてはならない面々にとっては死活問題らしく、フィーは元より、エマもガイウスも、どことなく元気がないように思えた。これでは、先のフィーの懇願も、ある意味仕方のない事だと思えてしまいそうになった。

 だが、これは学院長も公認してしまった正式な課外授業である。今更その内容を変更する事などできないだろうし、よしんば班の振り分けが決まったあの場で抗議をしたところで、サラに上手い事躱されていたのは目に見えている。

確かに不幸だとは思い、同情の念も湧いてくるが、だからといって目の前の嫌な事から目を背け続けたままではきっと成長など望めないだろう。そういう意味合いも含めて、レイはフィーを軽々と持ち上げると、エマの前まで持っていった。

 

「委員長、フィーを頼むぜ。厳しい実習になるだろうが、頑張ってくれ。あぁ、勿論ガイウスもな」

 

「あはは……はい、フィーちゃんの事は任されました」

 

「承知した。俺にどこまで務まるか分からないが、ともかくできるだけやってみよう」

 

 二人に激励を送っていると、フィーがジト目のままじっとレイを睨んで来た。

 

「……レイの薄情者」

 

 その一言だけで抗議の意を示してきたフィーの頭を軽く撫でる。

 

「無理だ、なんて思わないでやるだけやってみろ。帰ったらウマいモン食わせてやるから、な」

 

「……ホント?」

 

「ホントだ。ま、そんなわけだから頑張って来いや」

 

 そう言ってレイが手を離すと、フィーは少し俯いたまま、「……ん。頑張ってみる」と呟いた。

それを見ていた一同(ユーシス&マキアスを除く)が、張り詰めていた雰囲気も忘れて微笑ましい笑顔で二人を眺める中、リィンとアリサが小声で会話を交わしていた。

 

「なぁアリサ、やっぱりあの二人って……」

 

「えぇ、そうよね。どうみても……」

 

「「親子だな(ね)」」

 

 

 

「聞こえてんぞ、そこの黒金コンビ」

 

 

 

 めでたく今朝方仲直りしたばかりの二人の方を見て睨み付けるレイ。兄妹と言われるのは慣れているものの、親子と言われるのは流石に許容できなかった。

それほど親しいように見える、という意味で言われるのなら百歩譲って許すとしても、行動が老けて見える、という意味での発言だったのならとりあえずリィンはボコボコにする、という旨をドスの利いた声で告げると、二人は揃って高速で首を横に振った。

 

「そ、そう言えばお二人は仲直りをしたんですね。良かったです」

 

 話題を変えるようにエマがそう言うと、フィーやガイウスもはた、と気付く。昨日までは幾分距離が開いていたはずの二人が、今は普通に会話を交わしているのだ。

しかし、一瞬不思議には思っても、疑問には思わない。Ⅶ組メンバーの誰も彼もが、この二人の不和は長くは続かないと、そう確信していたからだ。

 実際、レイが今朝方起きて、集合場所である寮の一階エントランスに赴いた時は既に関係は修復していた。アリサが自分のやりすぎた行動を認めて謝罪し、加えて助けてくれた事に礼を言う。それに対してリィンは自分も無意識とは言え女性に対して失礼な事をしてしまったと、至極真面目に言葉を交わしあったのだと言う。レイが「遅い」と茶化すと、二人は揃って苦笑したのである。

 

 どんな経緯であったかなどはさておき、これから学院を離れて共に行動をするという時に不和を解消できたというのはとても大きな事だった。

レイの言う通り、多少遅くなった感じは否めないが、それでもまだ充分マシな方だろう。あの(・・)二人に比べれば。

 

「…………」

 

「…………」

 

 もはやそこに突っ立っているだけのただの彫像なのではないかと思ってしまうほどに微動だにしないマキアス、ユーシスの両名。

しかし、始発列車到着予定のアナウンスが流れると共に、ようやく動き始める。それでも頑なに、顔を合わせようとはしなかったが。

 

「……もはや筋金入りだな。アレは」

 

 ラウラがポツリと放ったその一言に、全員が頷く。

その後、いくらか気分が晴れた様子のエマ、ガイウス、フィーも二人の後を追ってホームへと向かっていった。

 B班が向かう実習先の紡績町パルムは、帝国領土の中でも最南端に位置する場所であり、道中も一度帝都を経由して乗り継ぎをしなくてはならず、始発の列車に乗っても到着するのは恐らく夕方頃だろうとエマは言っていた。それを考えれば、A班の実習地であるケルディックはトリスタと同じ帝国東部。クロスベル行きの旅客列車に揺られて1時間と言ったところである。距離的には充分に恵まれているとも言えた。

 

「よし、それじゃあ俺たちも行くか」

 

 リィンのその言葉に従って、A班の面々もホームへと向かい、到着した列車に乗り込んでケルディックへと向かう事となった。

 徒歩で向かえば半日はかかる距離も、文明の利器である列車に乗れば瞬く間に着いてしまう。この時代に生まれた事に改めて感謝しながらレイたちは、リィンが先日手に入れたという『ブレード』と呼ばれるカードゲームで遊びながら和気藹々と時間を過ごしていた。

 

「よし、”ミラー”だ。これで逆転したぞ、レイ」

 

「アホめ、”ミラー”返しだ。甘いぜ、リィン」

 

「うっ……な、なら”ボルト”でその”7”のカードを―――」

 

「はいよ、”1”だ。少しはポーカーフェイスを嗜んでるようだが、まだまだ未熟だな」

 

 ”1”のカードの特殊効果で”ボルト”で封じられた”7”のカードが復活すると、リィンは苦笑いを残して手札のカードを全てバラす。逆転するに足りるカードは、残されていなかった。

席に座れる人数の関係上、リィンらの座る四人掛けの座席ではなく、通路を挟んだ隣の座席に一人で座ったレイは、靴を脱いで二人分の座席にうつ伏せで横たわりながら悪戯っぽい笑みを浮かべて自分の手札を返す。

 

「つ、強いね。レイ」

 

「うむ。まるでこちらの手札がすべて見透かされているかのような試合運びだ」

 

 同じくレイとの勝負に敗北したラウラとエリオットがそう言うと、当の本人は座席の肘掛けに顎を乗せながら、「当たり前だ」と言い放つ。

 

 

「前にいた所だと、潜入任務なんか日常茶飯事だったからなぁ。マフィアの幹部の動向探るためにカジノに潜り込んでディーラーの真似事とかよくやったし」

 

「え?」

 

「あー、でもイカサマ摘発した時に数十人のマフィアの構成員に囲まれた時はちと焦ったな。あん時は刀持ってなかったからメンド臭かった」

 

「えっと……」

 

「あいつら全員プロだからよぉ、一瞬でも目を離すとすぐイカサマしやがるんだよ。カードゲームは特にそれが顕著で―――」

 

 

 

「よし次行こう次! アリサ、勝負だ!」

 

「え、えぇ! 負けないわよ、リィン!」

 

 

 

 思い出を話すたびに段々と右目から光が無くなっていくレイの暴走を止めるために、無理矢理テンションを上げて勝負を続けるリィンとアリサ。エリオットは嘘ではないと分かる口調で語られたその過去話に青い顔を見せ、ラウラに至っては「武器を持たぬ者を複数人で襲うとは……卑怯な」と、一人だけ視点の違う場所で憤っていた。

 始発で貸し切り状態とは言え、発車間もなくやや不可思議な空気に侵されてしまった車両。少しばかりその雰囲気が停滞した後、そこに静かな靴音が響いた。

 

「あらあら、何よこの空気。レイ、アンタまた何か言ったでしょ」

 

 その声に驚く事もなく、レイは寝転がったまま首だけを怠そうに動かして答えた。

 

 

「失敬な。俺はただクロスベル時代の仄暗い思い出を語っただけだぞ。流れで」

 

一般人(カタギ)にそういう事教えるんじゃないわよ。アンタのは特に心臓に悪いのが多いんだから」

 

「んだと? クロスベル支部の新年パーティーのカオスさに比べればマシだ。ガチで死屍累々だったんだぞ、あの時」

 

「アタシだって聞きたくないわよそんな事。いいから、いい加減にしなさいっての」

 

 コツンと、頭に軽い拳骨が入れられる。それを受けて渋々と座りなおしたレイだったが、他の面々は、その闖入者に対して疑問を抱かないほど達観した感情を持ってはいなかった。

 

 

「サ、サラ教官!?」

 

「ど、どうしてここにいるんですか!?」

 

 

 前日に相も変わらず酔っぱらいながら「アタシは同行しないからね。頑張って~」などと言っていた飄々とした担当教官が今ここにいる事に驚くリィンたち。

 だが、その理由を問う前に、欠伸を一つ漏らしながらレイが口を開いた。

 

「大方最初の実習の説明役ってトコだろ? ケルディックは何回か行ったって言ってたしな」

 

「ま、そんなトコよ。宿にチェックインするまでは君たちの面倒を見てあげるわ」

 

 それは初めての体験をしようとしている彼らにとっては願ってもない事ではあった。そもそも”特別実習”という課外授業で具体的にどのような事を為せばいいのかなどの事柄を聞けるのは大きい。

しかしそれ以上に懸念している事を、全員を代表してリィンが言った。

 

「あの、俺たちよりもB班の方に行った方がいいんじゃ……」

 

 未だ”友情”と呼ぶには至っていないとは言え、A班の結束力はとりあえずマシと言える高さである。たとえ初見の地へ赴こうとも、どうにか対処できる程度の技量は兼ね備えていると言っても過言ではないだろう。

だが、B班は違う。あのメンバーはもはや苦行と言い換えてもいい組み合わせで成り立っており、ここにいるメンバーですら黙っていたら心配をしてしまいかねないほど危うい旅路を辿っているはずなのだ。順当に考えればサラはB班の方へと赴くのが道理と言うものだろう。だが彼女は、一切悪びれていないような表情で言葉を返す。

 

「えー、だってメンド臭そうだし。まぁ、どうにもならないくらい険悪になったらフォローしに行くつもり―――痛っ!?」

 

 限りなく確信犯に近いセリフを言い終わろうとした直前、サラの体が若干くの字に折れ曲がった。なんとか踏ん張った後、背中の中心をさすりながら振り向いてレイをキッと睨み付ける。

 

「ちょっとアンタ! 今秘孔押さなかった!? 一瞬息できなかったわよ!?」

 

「うん、とりあえず少しは悔い改めた方が良いと思うんだわ、俺は。主に委員長やガイウスに対して」

 

 その言葉に四人が思わず心の中で頷いてしまう。フィーはまだしも、あの二人の今回の心労を考えただけでも少し陰鬱(いんうつ)な感情が沸き起こってしまい、いたたまれなくなった。

レイはそれを代弁するだけすると、サラの訴えも何のそので背もたれに体を預けて一息をつく。

 

「……何よ。アタシが来たのが不満?」

 

「いや。だけど早くパルムの方にも行ってやれよ? あのままだとアイツら、取り返しのつかない事になりかねないしな」

 

 割と本気で心配している様子のレイを見て、溜め息交じりに「分かってるわよ」と了承するサラ。そしてそのまま、レイの隣の席に腰かけた。

 

「え? 何で俺の向かいじゃなくて隣に座ったん?」

 

「良いじゃないのよ。アタシ徹夜続きで今凄い眠いんだから。ちょっと肩貸しなさい、肩」

 

「いやお前基本的にどこでも寝られ……ってもう寝てる!! 幾らなんでも早すぎんだろ!」

 

 肩を貸した(半強制的に)直後には既に寝息を立てていたサラの異常なまでの寝つきの良さに律儀にツッコミを入れたレイだったが、その後は特に押しのけて寝かすという事もなく、そのままサラの為すがままにされながら座っていた。

その様子を見て女子勢は身長差もあって肩どころか側頭部まで貸して寄りかかられているレイを見て同情の視線を向け、逆に男子勢はサラの方に視線を向けて少しばかり心を乱していた。

 まぁそれも仕方ないか、とレイは思う。

サラは普段こそ万事適当に自由奔放に振る舞っているせいで気付かない人間は意外と多いのだが、容貌、容姿はかなりレベルが高いと言って差し支えはない。若く、スタイルも良いためか、黙っていれば世の異性の大半の視線を集める事はできるだろう。

そのチャンスをこの酒豪家は、その残念な性格のせいで悉くふいにしているのである。今のように淑やかにしていれば、好みの異性くらい幾らでも魅了する事ができるだろうに。

 

 

「(絶対損してるよなぁ、コイツ)」

 

 

 年下とは言え”異性に寄りかかって寝る”という行動を起こしたサラの思惑など知らぬまま、レイはケルディックに到着するまで黙って肩を貸し続けていた。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 交易地ケルディック。

 

 帝国東部クロイツェン州に属するその町は、その名の通り、古くから交易が盛んな地として栄えてきた。

近郊に広がる肥沃な大地と温暖な気候が農作物の実りを豊かにし、それらが直接卸される事で商売が盛んになったという歴史もあるが、最も重要なのはこの地が各大都市との中継地点となっている事だろう。

 帝都ヘイムダルと東部の大都市バリアハート、更には貿易都市クロスベルへの直行便も用意されている事からも、この地の産業的価値の高さが窺える。

そんな土地だからこそ、東部近郊は元より、国外からの輸入品も集まりやすくなる。そしてそれらが売品として一堂に会するのが、ケルディックで一年を通して開催される『大市』だ。その一年間の総売上高は帝都の高級デパートのそれを上回るとされている事からも、その繁盛っぷりが窺い知ることができる。

近年は益々ここでの商いを求めてやってくる商人や、大市狙いの観光客なども増え、賑わいも増しているという。故に、観光を名目として訪れるのならば特に問題もなく楽しむ事もできたのだ。

 

 ―――そう、あくまでも”観光”が目的ならば。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、次は手配魔獣の討伐か」

 

 手に持った紙に書かれていた内容に目を通しながら、先頭を歩いていたリィンがそう呟く。改めて確認するようなその言葉に、後ろを歩く四人がそれぞれ返事を返す。

町の東側のゲートを潜った先に広がる、通称『東ケルディック街道』と呼ばれる場所をぞろぞろと歩いていく一同の手には、それぞれの武器が握られていた。

その最後尾を歩くレイは左手で愛刀の鞘を持ちながら、周囲に広がる広大な穀倉地帯へと視線を向ける。

季節は春であるためについ数日中に種が蒔かれたと思われるここいらの畑の色は一面土色であったが、それでも雄大な自然の息吹は感じられる。その心地よい風を一身に受けながらも、レイはここに至るまでの経緯を思い出して、思わず苦笑してしまった。

 

 

 つい数時間前、ケルディックに到着してサラに案内された一夜を過ごす宿、『風見亭』へと辿り着いた一行を待っていたのは、五つ(・・)のベッドが並んだ宿場の一室と、そこの女将から譲り受けた”特別実習”の詳細が書かれた紙の入った一枚の封筒だった。

 

 男女共に同じ部屋(ベッドは男女別で一応離れて設置されていた)で一夜を過ごす事に当初強い抵抗感を示したのはアリサだった。

しかしそれも当然の事。普通に考えれば年頃の男女が部屋を同じくして寝るなど有り得ない事である。少なくとも、彼女が今まで培ってきた倫理観の中ではそれは確たるものだったのだろう。

だがその訴えに苦言を呈したのは、意外にも同性のラウラだった。

 「”軍”とは昔から、男女を問わず寝食を共にする環境」。彼女が真剣な表情と共に言ったその言葉に、アリサは口を噤んだ。

アリサは元より卒業後に軍人の道を進む気はないものの、しかし士官学院に籍を置いている以上、自分の訴えが罷り通る事はないと理解し、”何かあった場合”として男子一同を軽く脅した後、話は本題へと移り変わった。

 

 ”特別実習”の内容―――そう称して女将であるマゴットがリィンに渡した封筒の中の紙に記されていたのは、『ケルディック周辺200セルジュ以内で執り行う事』という注意書きと共に連なっていた、三つの実習内容だった。

 『薬の材料調達』 『壊れた街灯の交換』『東ケルディック街道の手配魔獣』―――お使いじみたものから雑用、果ては魔獣討伐まで、良く言えば広範囲に用意された依頼、悪く言えば何でも屋と言った風なその内容にエリオットやアリサなどは落胆したような感情を漏らしたが、リィンやラウラはそれを真摯に受け止めていた。

 即ち、「こうした実習内容からどのようなものを得るのか、それを考えるのも含めての”実習”」。その考え方は実際間違っておらず、サラも意味ありげな微笑を浮かべたまま何も言わなかった。

レイも早々にその考えに至ったリィンの洞察力の高さに感嘆の息を零し、宿に到着して早々に酒場のカウンターで地ビールを昼間から呷っていたサラの脳天に少々強めのチョップを叩き込んだ後に、彼らに着いて宿屋を後にした。

 その後はアリサらも実習内容に際して文句を言う事もなく、気合を入れて依頼の遂行に臨んでいた。そのお陰か、礼拝堂の教区長からの依頼であった薬の調達や、武器工房からの街灯の交換依頼も早々に片づける事ができ、『風見亭』で昼食を摂った後に最後の依頼に向かう事になったのである。

 

 

「(しっかしなぁ……)」

 

 

 一人につき一枚ずつ配布された実習内容が書かれた紙をもう一度ポケットから取り出して確認するレイ。今になって改めて眺めてみると、そこに書かれていた依頼の内容は、彼にとって馴染みの深いものであった。

任務地を歩いて行動しろという所も、また似ている。

しかしそれを、敢えてサラの前では指摘しなかった。ただ単純に、「指摘しなさいよ」と言わんばかりのドヤ顔をした彼女にイラッと来たという理由もあったが。

 

「(余りにもあからさま過ぎる(・・・・・・・・)っつーか、コレ気付く奴は気付くだろ)」

 

 勿論、レイには経験者としてリィンたちにこういう手合いの依頼のこなし方をアドバイスする選択肢もあった。というより、そうした方がもっと効率よく依頼をこなす事もできただろう。

依頼主への対応や近隣住民への聞き込み。街道に出て任務をこなす際の注意事項や魔獣に囲まれた際の集団行動の仕方など、それこそ挙げてしまえばキリがない。リィンたちは初めての試みにしては随分と上手くこなしていたように見受けられたが、未だ要所要所に無駄な行動が垣間見える。そこを指摘し、よりよい行動が取れるように誘導する事は、彼にとってそれ程難しい事ではない。

 だがレイは、リィンたちの行動に口を挟む事はなかった。決して意地悪をしたとかそう言う事ではなく、その姿に、自分が初めて依頼を受けた時の初々しい行動を重ねていたのである。

最初の内は、上手くいかないのが当たり前。それでも試行錯誤を繰り返し、どうにか依頼主が望む結末へと繋げていく。その過程は、誰かに茶化されて邪魔されるべきものではない。

 無論、最悪の状況に陥りかねない事になったら口も手も出すつもりではあったが、今のところは順調であった。その過程を見て改めて、Ⅶ組に集った面々、少なくともこのA班のメンバーが優秀であることを実感したのである。

 

 

「――――ねぇレイ。レイってば」

 

「んぁ?」

 

 周囲を見渡しながら思考に耽っていると、右斜め前を歩いていたアリサが声を掛けてきた。

 

 

「今朝の事も含めて少し気になったんだけど……あなたとサラ教官って、一体どういう関係なの?」

 

 

 アリサの言い放ったその何気ない疑問に、他の三人もピタリと足を止める。

どうやらそれについてはレイを除いたA班全員が気になっていたらしく、休憩の意も含めて街道脇の大樹の木の下へと移動した。そこでそれぞれが備え付けてあった木製のベンチに腰掛けると、レイの方へと興味深々な目を向ける。どうにも話さなくては収まらないようなその雰囲気に、軽く諸手を挙げて降参の意を示すと、大前提として何を聞きたいのかを問うた。

 

「で? 何が聞きたいんだ? なるべく答えてやるから手早く済ませろ」

 

「……険があるね、レイ」

 

「いやまぁ、答えたくなければ答えずとも良いのだがな……」

 

「ここで答えなかったらどうせⅦ組の教室で公開処刑だろ? んな目に遭うくらいだったらここでバラす」

 

 諦めたようにそう言うレイからは怒りの感情は感じられなかったため、まずは言い出しっぺのアリサが挙手の後に発言した。

 

 

「それじゃあ……端的に言ってサラ教官とはどう言う関係なの?」

 

「今は教師と生徒以外の何でもないんじゃね? 昔は同業者として一緒に任務地に行ったりもしてたけどな」

 

「同業……というのは、レイがトールズに入学する前に就いていた職業、という事か?」

 

 ラウラのその疑問にレイは頷く。が、詳しい事までは明言せずにこの質問を打ち切った。

次に挙手をしたのは、リィンだった。

 

「そう言えばレイは結構昔からサラ教官と知り合ってたみたいだけど、どこで知り合ったんだ? その”同業”って奴で知り合ったんなら納得なんだけど……」

 

「おぉう。男女の馴れ初めを聞くとか勇気あんなお前。流石はリィンだわ」

 

「え?」

 

「り、リィン! それは流石にどうかと思って私も聞かなかったのに、何で敢えてそこに踏み込むのよ!!」

 

「えぇ!?」

 

「むっ、私には良く分からないが……それは褒められた言動ではないのではないか? リィン」

 

「えぇぇ……」

 

 女子勢から辛辣な言葉を返されて自信喪失するリィン。がっくりと項垂れる姿を見て、レイは笑いを堪えきれずに数秒後に吹き出してしまった。

 

「あははははははっ!! いやー、やっぱお前最高だわ。超弩級のリアクションをどうもありがとう」

 

「うぅ……何となくそうだろうなとは思っていたが、実際に食らうとキツいぞ、コレは」

 

 嵌められたという事を何となく理解していたようなリィンだったが思っていたよりもダメージは大きかったらしく、ゆっくりと顔を上げた。

因みにアリサやラウラとは示し合せてはいない。その証拠にアリサはこの光景を見て「え? えっ?」と、顔を赤らめたまま動揺している。

 

「……ま、そんなワケで色恋沙汰云々(うんぬん)な出会い方はしてねぇよ。ちっとばかし殺伐な出会い方ではあったけどな」

 

「さ、殺伐?」

 

「「…………」」

 

 エリオットはレイの口から出てきたその単語に驚いてしまったようだが、流石と言うべきか、実践形式の剣術を学んでいるリィン、ラウラの両名はその重みが加わった言葉に”何か”を感じ取ったのか、それ以上は追及してこなかった。アリサの方もそんな空気を読んだのか、黙り込む。

 停滞してしまったその雰囲気を払拭するためか、レイは一人、ベンチから立ち上がった。

 

「オイオイ、何しょぼくれてんだ。俺とサラの関係を聞くよりも、まず先にやるべき事があんだろうがよ。――――エリオット」

 

「え? な、何?」

 

 いきなり声を掛けられたことに動揺するエリオットに向かって笑みを見せると、彼の武器である魔導杖(オーバルロッド)の先端をコツンと指先で突いた。

 

「今回の手配魔獣の”スケイリーダイナ”は破壊力がデカくて、水属性のアーツに弱い魔獣だ。お前はメンバーの回復に重点を置きながら、隙を見て攻撃アーツを叩き込め」

 

「う、うん。頑張るよ」

 

「次にアリサは、標的と距離を保ちながら弓で牽制を続けろ。なるべく魔獣の注意をお前が引きつける形だ。体力は十全にして臨めよ」

 

「えぇ。分かったわ」

 

「リィンとラウラは前衛だ。ヤツは範囲攻撃を仕掛ける時もあるから、一ヶ所には固まるな。なるべくお互い対角線上に陣取りながら、アリサの方に行かないよう、攻撃を続けろ。サポートはエリオットに任せて、思いっきりやって来い」

 

「あぁ」

 

「うむ。任された」

 

 レイの提案する作戦に頷いていく一同。下がりかけた士気が、具体的な作戦行動を明確にする事で再び上昇していく。

そこで、リィンがレイへと視線を向けた。

 

「レイはどうする?」

 

「俺は遊撃に回らせてもらう。最初はお前らと同じ前衛だが、お前かラウラのどっちかが標的の背後に回った時点でアリサと前衛の間に入らせてもらうさ。幸い、行動阻害系の”術”は得意だしな」

 

 そう言ってレイは、懐から取り出したカスタム『ARCUS(アークス)』をこれ見よがしに軽く振る。それを見て、ようやくリィンの表情にも笑みが戻ってきた。

 

「その”術”の秘密も聞いてみたいな。見たところ、東方に由来のあるように見えたからさ」

 

「ほぅ」

 

 察しが良い。賞賛の意味を込めた視線を送ると同時に、他のメンバーもベンチから立ち上がった。

 

 

 

「そんじゃ、万事上手く回すとしようぜ、リーダー」

 

「あぁ。頼りにさせてもらうよ、レイ」

 

 中心人物である男子二人がそう言って軽く拳をぶつけ合うと、良い感じの緊張感を纏ったメンバーがその歩みについていく。

 

 

 

 その後の作戦では、初めてのチームでの大型魔獣の討伐であったのにも関わらず、怪我をした者は出ずに大成功に終わったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




依頼を受け取った時に出て来る「ケルディック周辺200セルジュ以内」という注意事項。
1セルジュが100メートルで換算されるため、200セルジュは20キロという事になりますね。
運動音痴の自分がそんな距離を一日に歩き回ったら……確実に筋肉痛と言う名の地獄を味わう事となるでしょう。いやー、元気だね。レイくんたち。

次回、少しばかりレイ君が怒ります。何に対しては……まぁ、見てからということで。

それでは皆さん、次回の投稿でまたお会いしましょう。


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弱さの発露

リィンの抱える”弱さ”は何なのか。


それを、自分なりに書いてみました。


勿論、それが全部ではないけれど。


古今東西、”市”という催しは程度の差こそあれど、開けば少なからずの金銭による潤いを(もたら)すものである。

しかし、個々の売店が稼いだ売り上げの純利益の全額を、その店主が懐に収めるという事は有り得ない。市があるところ、必ずそれを主催する”元締め”がおり、また国による税金もかかるものなのだ。

 無論、商人たちもそんな事ぐらいは承知の上。多少の金銭が飛んで行こうとも、それを上回る売り上げを叩き出せればよいと、そう言った前向きな感情がなければライバル店が(ひしめ)く激戦区で商売などはやっていられないだろう。

 

 だが、それにも程度と言うものは存在する。

 

 必要以上に商人たちを税金、または土地(ショバ)代という鎖で締め付けてしまえば、利益を出せる見込みがないと判断され、商人は遠のいた上にそれに比例して市を訪れる消費者も減ってしまう。そうなってしまっては元も子もない。

 だからこそ、市の統括者は経済の手腕と人望が必要不可欠になって来る。そういう点では、ケルディックの大市を統括する人物は、極めて有能な人であると言えた。

 

 長年ケルディックの経済の基盤を支えてきたオットーという老識の男性は、どんな素人目から見ても只者ではないという雰囲気を纏わせていた。

物腰こそ柔らかいが、佇まいとそれに伴う”商い”への熱情は、確かに幾多の商戦を潜り抜けてきた人物のそれである。大市に店を構える商人が彼を慕い、また頼りにしているその意味が、レイにはひしひしと理解できた。

 

 

「どうやら、君たちには面倒をかけてしまったようじゃな」

 

 

 時刻は黄昏時。とある一件の影響で大市の元締めであるオットーの自宅に招かれたⅦ組A班一行は、その一言と共に頭を下げられた。思いがけない重要人物からのその態度に若干たじろぐリィンたちとは別に、レイはオットーという人物をじっと見据え、「一つ、宜しいですか?」という丁寧な言葉の後に疑問を投げかけた。

 

「先程のような騒ぎはこれまでにも? 商人同士が場所の取り合いでもめるというのは、市にとっては見逃せない事件ではあると思いますが」

 

 

 

 

 時間はつい十数分前に遡る。

 

 東ケルディック街道の手配魔獣を完勝にて討ち果たしてケルディックに戻ってきたレイたちは、大市の方から怒号が聞こえるのを感じ、リィンの提案で直ぐに向かう事になった。

 そうして駆けつけた先にいたのは、市の中央部、最も客足が良さそうな位置にある店の前で胸ぐらを掴み合って互いをあらん限りの罵倒で罵り合う二人の男性。

このままでは流血沙汰になりかねないと懸念したレイとリィンは顔を見合わせて一つ頷くと、喧嘩をしていた二人をそれぞれ背後から羽交い絞めにして押さえつけたのだ。

押さえつけた当初こそ互いに興奮状態で部外者の話など聞く耳持たずだったが、アリサの「大人なんですから、もう少し理性的になったらどうですか?」という静かながらも的を射ぬいた言葉と、羽交い絞めにしていたレイの「このまま腕の一本くらい逝っときましょうか?」という限りなく冗談に聞こえない冗談によって沈黙した。

 

 その後、騒ぎを聞きつけて駆けつけたオットー元締めによって事態は一時収まりを見せ、ひとまずは市に平和が訪れた。

 

 二人の商人が殴り合いの直前まで発展した理由。それが、大市における店舗の位置だった。

それだけならばどちらかの手違いだという事で解決を図る事ができただろうが、奇妙なのは二人ともが同じ場所の店舗の設置許可証を持ち、それがどちらも本物であったという事だ。

 しかし、このままでは事態は平行線を辿るばかり。元締めがそこで出した結論は、”同じ店舗の場所を時間で区切って交互に使用する”というものだった。

落としどころとしては妥当なその判断に、これ以上騒ぎを大きくしては売り上げにも響くと考えた二人は素直に従った。その後、騒ぎを始めに収束させてくれたレイたちに礼をしたいと、オットーが大市からほど近い自宅へと招待したのである。

 

 

 

 

「うむ。大市の出店場所を決める許可証を発行しておるのは公爵家なのじゃが、些か問題が起こっておっての」

 

「問題?」

 

 オットーは頷く。リィンたちも真剣に耳を傾けていた。

 

 

 曰く、最近になってクロイツェン州を収めるアルバレア公爵家が大幅な売上税の引き上げを敢行し、前年度に比べて収める税の割合が格段に跳ね上がってしまったという。

 儲けの割合が少なくなると分かれば、当然商人は売り上げを伸ばそうと躍起になる。そう言った雰囲気が蔓延して、先程のような騒動が間々起きるようになってしまったらしい。

商売人の観点からすれば、売り上げが伸び悩むという事は死活問題だ。同時に純利益が少なくなると言うのも同等。市に来てまで元が取れないと分かれば、感情的になってしまう理由も分からないでもない。それでも、最低限の節度は守るべきだとは思うが。

 

 しかし、オットーも元締めとしてただその状況を黙して見ていたわけではなかった。

 

 本日の外出がそうであったように、オットーは頻繁にバリアハートのアルバレア公爵家まで赴いて何度も陳情を行っているらしいが、その都度門前払いを食らっているらしい。

その期間は2ヶ月。仮にも土地を収める大貴族にしては冷遇に過ぎる対応だ。

 

 

「ふーん。成程な」

 

 だがレイは特に憤りの感情を示す事もなく、むしろその言葉を聞いて合点が言ったという具合に頷いた。

何故公爵家が陳情に取り合おうともしないのか。何故証明書の発行に際して致命的とも言える手違いを行ったのか。そんな疑問から構成されたパズルのピースが、心地よい音と共にカチリと填まったのだ。

 

「オットーさん、今回のような騒動の取り締まりは、本来領邦軍の役割だったんじゃありませんか?」

 

「その通りじゃ。近頃は、動く気配すら見せなくなってしまったがのう」

 

 そこまで聞いて、リィンとラウラが気付いたような表情を見せた。次いでアリサも「もしかして……」と言葉を漏らす。

 

 

 『領邦軍』―――帝国政府が抱える正規軍とは違い、これは『四大名門』の四大貴族が有する私設軍の俗称である。

領地内の治安を維持するという名目で各地に常備軍として展開しているそれは、当然ケルディックにも駐屯していた。

 ただし今回の件、並びにここ2ヶ月の過去の騒動において領邦軍は一切動こうともしていない。それが指す意味は、至極単純だ。

 

 

「領邦軍が動かなくなったのは増税に対する陳情を取り消すため。それが行われない限りは公爵家はケルディック……いや、大市に対しての”嫌がらせ”を続けるという事ですか」

 

「む…………」

 

「ちょ、ちょっとレイ!?」

 

 率直であり、ものの見事に的を得ていながらも露骨過ぎるその物言いにエリオットが慌てる。

だが、それがこのケルディックで現在起きている紛れもない騒動の真実だ。レイは、それを簡潔に言い現わしたに過ぎない。

 故にオットーは、図星を突かれてもなお動揺する気配は一切見せず、逆に讃嘆の意を込めた視線をレイに向けた。

 

「レイ君、と言ったかな? 君はとても柔軟な考え方を―――いや、違うな。様々な価値観をその身に持っているようじゃのう」

 

「生憎と様々な人物と接触する機会がありましてね。こういった厭らしい考え方は自然に身に着いてしまったんですよ」

 

「フフ、君は案外商人に向いているかもしれんな。僅かな情報からすぐさま推論と結論を導き出すと言うのは、商人にも必須な能力じゃからのう」

 

 若干仄暗い笑みを浮かべるレイにも一歩も引くところを見せずに対応するオットー。後者の方は年の功が生んだ余裕であったとしても、レイのそれは違う。自分たちとは違う場所で積み上げてきた経験が、今帝国最大の市場を取り仕切る人物と渡り合わせているという事を理解すると、自然と四人の背がうすら寒くなった。

 しかしその空気は長くは続かず、レイがテーブルの上に置いたままだった紅茶を一啜りすると同じくして霧散した。オットーも、良いものを見たと言った風な満足した表情を見せて、再びリィンたちへと視線を向ける。

 

「君たちが思い悩む必要などない。これはワシら”商人”の問題じゃ。君たちは気にせずに、”特別実習”に専念しなさい」

 

 その言葉が、対話の終わりの合図だった。紅茶を御馳走になったことに各々礼を述べてからオットーの自宅を出る。外は、すっかり日が沈みかけていた。

 

 今の話を聞いて、何も思わない人間は幸いにもA班の中にはいなかった。終始落ち着いた物腰であったレイですらもどこか思う所があるようで、腕を組んだまま考え込んでいた。

 だが、あくまで自分たちの身分は”学生”である事もまた忘れてはいなかった。このまま大市の問題に関わるのだとしても、それは越権行為ともなりかねない。下手をすれば、元締めであるオットーに迷惑を蒙らせる危険すら出て来るのだ。

 

 身の程を弁えて引き下がるか。はたまた多少無茶をしてでも自分たちにできる最大限の行動をするべきか。

 

 そんな事を考えていると、突然現れたサラがレイたちに話しかけてきた。どうやらB班の状況が思った以上に芳しくないらしく、これから列車に乗ってパルムへと向かうらしい。

その旨を伝えて駅へと向かう途中で、彼女はレイの耳元に顔を寄せた。

 

「あの子たちの事、頼んだわよ」

 

「了解だ。打てる手はとりあえず最大限は打っておくさ」

 

 リィンたちに聞こえない小声でそんな会話が交わされた後、何事もなかったかのように駅へと向かうサラ。レイはそんな彼女の姿を見送る事無く、リィンたちに提案を投げかける。

 

 

 夕飯時で腹が減った。後の事はレポートを纏めている時にでも考えよう―――と。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

「本当、僕たちⅦ組ってどうして集められたんだろうね?」

 

 

 単純ながらも、核心をついた言葉。

 その一言を何気なく口にしたのは、美味な夕食に舌鼓を打ち、食休みを取っている時のエリオットだった。

 

 何故、自分が”特科クラス”と言う場所に選ばれたのか。サラは「『ARCUS(アークス)』の適性」と言っていたものの、それだけが理由ではないという事は各々が薄々感づいていた。

もし本当にそれだけが理由ならば、わざわざ手間をかけてまで”特別実習”などに生徒を向かわせたりはしないだろう。

 ならば、どういう基準で自分たちを選んだのか。

一同が思考を巡らせる中、リィンがポツリと呟いた。

 

「士官学院を志望した理由が基準と言う訳じゃないだろうしな……」

 

 帝国には数多くの学校が存在する。中には、トールズと歴史的にも学力的にも肩を並べる教育機関も幾つかあるものの、何故敢えて”士官学院”を選択したのか。

その”理由”を、各々が肝心なところは伏せたままに一人ずつ話していった。

 

ラウラの場合は、「目標としている人物に近づくため」

アリサの場合は、「実家を出て”自立”がしたかったから」

エリオットの場合は、「元々違う進路を希望していたものの、成り行きで」

 

そしてリィンの場合は―――「”自分”を見つけるため」

 

 

 若者らしく、それぞれが違う志望理由。

どれも悪いと言う訳ではない。形も見えない曖昧とした目標を追いかけるのも、ただ流されて辿り着いたと言うのも、人間らしい在り方だ。大事なのはそうして入った場所で何を見出し、何を為すのか、その一点に限られる。つまるところ、切っ掛けなどどうでもいいのである。

 故に、志望理由が”ない”と言うのも、また立派な理由になれるのである。

 

「ふむ……ではレイはどうなのだ?」

 

「………………」

 

「? レイ?」

 

 顎に指をあてて何かを真剣に考えているレイを不思議に思って軽く肩をゆするエリオット。すると「おおぅ」という声と共に彼の意識が現実へと引き戻された。

 

「え? 何?」

 

「もう……学院に入った志望理由を聞いてるのよ。私たちは皆言ったから、最後はレイの番」

 

「あー、そう。いや悪い。メシがマジで上手かったから明日大市で野菜とかどんだけ買い付けようか悩んでたわ」

 

 あはは、と笑うレイに対して、全員がガクリと肩を落とす。

 

「ま、まったく……」

 

「いや、でも俺たちにとっては重要な事じゃないか?」

 

「うむ、そうだな。レイが料理を作ってくれなければ、我らは今より随分不自由をしていたに違いない」

 

 入学から3週間と少し経ち、今や第三学生寮では朝食と夕食の二食はレイが作る事が当たり前になっていた。

レイ本人は「それ程のモンじゃない」と謙遜を貫いているが、その完成度は毎回高く、貴族出身のラウラやユーシスの舌をも唸らせる食事を毎回提供している。

最近では「レイ一人に負担はかけさせられない」という事で食事の支度を手伝う人数が増えて来ているが、それでも料理長(コック)は彼に変わらない。

そんな彼が食材の買い付けで悩んでいるという事を責める事はできない。料理の出来如何(いかん)で、これからの寮生活のクオリティーに大きな影響が出て来るのだから。

 

「ハハ、あんがとな。さて、俺の志望理由、だったか」

 

 そのまま再び考え込む事数秒。その後、何もない虚空を眺めながら、あっけらかんと言い放った。

 

「―――ねぇな」

 

「え?」

 

「な、ないの? 本当に?」

 

「あー、いや。俺の場合はちと特殊な方法で願書を手に入れたからな。正直何も考えずに試験受けて、フィーの世話してる内にいつの間にか入学してた、っつー感じだった」

 

「ほ、本当に特殊ね」

 

 驚いたような、それでいて呆れと感心が入り混じった視線でレイを見るアリサ。

しかし流石に”ない”という解答のままでは卑怯だと思ったのか、レイは再び口を開いた。

 

「……ま、入学ってのに限らないんだったら目標はあるぜ。そいつはまぁ、ラウラと同じかな」

 

「む、私と同じか?」

 

 それは即ち、「目標としている人物に近づくため」。しかしそれを言った後、レイは苦笑と共に肩を竦めた。

 

「ま、俺の場合は”近づく”んじゃなくて”超える”事が目標なんだがな。生涯かけて叶うかどうかは分かんねぇけど、ま、やるだけやってみたいってことだ」

 

「ふむ、良い目標だと思うぞ。私も、それくらいの気骨を見せねばならなかったかもしれないな」

 

 同じ目標を掲げていた人物に出会ったためか、その夢に同調するラウラ。

アリサやエリオットも、その不敵ながらも前向きな目標に対して笑みを見せる中、ただ一人リィンは、僅かに落ち込んだような表情を見せた。

 

「……ははっ、凄いな。レイも、ラウラも」

 

 その声色に、レイがピクリと反応する。口元の笑みも鳴りを潜め、無表情のままに横目でリィンを見やる。

 

「俺にも目標にする人はいるけれど、近づこうとか、越えようとか、そう言う事は思った事もなかったな。そう思う事自体、烏滸(おこ)がましいと思っていたし」

 

「……リィン」

 

 ラウラが何かを言いかけたところで、隣に座っていたレイが無言でそれを制した。彼は、いつもの飄々とした表情に戻り、軽く背伸びをしながらやや強引に話題を切り上げる。

 

「ま、いいんじゃね? 人の目標なんてのは人それぞれだ。それよりもホラ、さっさとレポート書かねぇと眠くなってそのまま書けず終いになっちまうぞ」

 

「あ、そ、そうだね」

 

「確かに、ボーッとした頭でやるのは効率が悪いわね」

 

 一日ごとにレポートを製作して後日担当教官に提出すると言うのも”特別実習”中に課せられた課題だったため、改めてそれを思い出したアリサとエリオットがその言葉につられて席を立つ。

それに次いで、残りの三人も食後の紅茶を一気に飲み干すと、直ぐに席を立った。

 

 

「―――待て」

 

 しかし、どうにも抑えきれない感情があったのだろう。ラウラが、リィンを有無を言わせぬ強い口調で呼び止める。

 

 今度はレイも止める気はなく、歩くスピードは緩めない。

ラウラの声を背で聞きながら、足が止まってしまった二人よりも一足先に、部屋へと戻っていった。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 (さえず)る鳥の鳴き声ももはや聞こえなくなり、陽も完全に落ち切った夜更け時。リィンは、ふとベッドの中で目が覚めた。

 不思議な事に眠気は一切なく、完全に冴えてしまっている。上半身をゆっくりと起こすと、他のメンバーが穏やかな寝息を立てて眠っている光景が目に入った。

 

 恐らく最初から、眠りが浅かったのだろう。それでも体力を回復させるために何とか眠ろうと無理をして目を瞑り続けていた結果、中途半端に寝てしまったのだ。

こうなると、再び布団を被ったとしても直ぐには眠れないだろう。最悪の場合、朝日が昇るまで眼が冴えている可能性もある。

 

「ふぅ……」

 

 気分を入れ替えるために、そっとベッドを降りて窓際へと向かう。

春もそろそろ終わりを迎えるとは言え夜更けはまだまだ肌寒く、壁のハンガーに立てかけてあった制服の上着を羽織った。

 

「………………」

 

 特にやることもなく、寝つきが悪かった理由を思案して見ると、思いのほか直ぐにその原因は見つかった。

それは誰の責任でもなく、他ならぬ自分自身が蒔いた種。思い出した途端に、また自己嫌悪に陥りそうになる。

 

 

 

 

 

『リィン。そなた―――どうして本気を出さない?』

 

 

 

 夕食後、部屋へと移動しようとした矢先にラウラに投げかけられた、その言葉。

それはあまりにも核心をついた言葉であり、同時にリィンの心の中に(くさび)となって深々と突き刺さっていた。

 

 《八葉一刀流》―――それが、リィンが教えを乞い、太刀から繰り出す剣技の名であった。

 《剣仙》の異名を取る大陸随一の武人、ユン・カーファイが興した、東方剣術の集大成として知られる剣術。

その継承者は大陸各地に存在し、その多くが武人として数々の名を上げている事でも知られ、剣の道に通じる者であれば、必ず一度は耳にする流派である。

更にその皆伝者は”理”に通じる最上級の剣士として、《剣聖》の異名で知られる事にもなる。

 

 無論リィンはその域には達していない。彼は―――”初伝”止まりで師であるユン老師から修行を打ち切られた身であった。

故に彼は、本気を”出さない”のではなく、”出せない”のだ。元よりないものを気合でどうにかできる程、才能があるわけでもない。

 

 だからリィンは偽りなく答えた。「これが俺の限界だ」―――と。

 

 《八葉》の名を穢している脆弱者。まだ見ぬ兄弟子たちに出会った時に、そう罵られる事を重々承知の上で言ったその言葉に、ラウラは特に反応を示す事はなかった。

言ったのは、リィンに背を向けて、漏らしたように呟いた一言だけ。

 

 

「……良い稽古相手が見つかったと思ったのだがな」

 

 

 同じく”剣”を志す者を失望させてしまったという罪悪感と、その後自分の胸中に残った寂寥感。

それらの(わだかま)りが、リィンの心を蝕んでいたのは確かだろう。現に自分は今、形容し難い蕭然(しょうぜん)とした感情を抱いていた。

 向上を受け入れた者と、向上を拒んだ者。

二者は決して相容れないのではないかと、そう思ってしまうまでに憔悴しかかっていた。

 

「(はぁ……ダメだな、これじゃあ)」

 

 これではレイに何を言われるか分かったものではない。

そう思いながら彼が眠っていたベッドへと目をやると―――そこに姿はなかった。

 

「(? 外にでも行ったのか?)」

 

 もしかしたら、レイも自分と同じように寝つきが悪かったのかもしれない。何となく部屋の窓から町を見下ろしてその姿を探してみる。

 すると、見つけた。宿屋の前に設置してあった大きな樽の上に腰かけて、何をするでもなくじっとしているレイの姿を。

流石にこの角度からでは表情までは見る事はできないが、そよ風に棚引く銀色交じりの黒髪が、何故か哀愁を感じさせた。

 気付けば、リィンは部屋を出て、宿の階段を下っていた。

理由は良く分からない。ただ、同じ系統の武器を操る彼にこの心情を明かすだけで少しは楽になるのではないか? と言う浅薄な感情があったことは確かだった。

 

 そうして静かに扉を開けて『風見亭』の外へと出ると、レイは違わずそこにいた。

 ただし、店の前で佇み、リィンを待ち構えていたような形で。

 

 

「よぅ。やっぱり起きて来たか」

 

 掛けられた言葉は軽やかで、いつもと何ら変わりはない。だと言うのにリィンは、何故か言葉を返す事ができなかった。

 その最大の理由は、レイが両手に(・・・)武器を携えていたからだろう。

左手には彼の得物である長刀。そして右手には―――リィンの得物である太刀が握られていた。

 

「とことんまで真面目なお前の事だ。ラウラにああ言われれば悩みに悩んで結局夜中に起きるだろうとは思ってたぜ」

 

「ハハ……怖いぐらいにお見通しだな。……じゃあレイは、俺が外に出て来ることも読んでいたのか?」

 

「いんや、そこは賭けだった。お前が出てこなかったら、俺は晩春の夜空の下で待ち続けて一人寂しく朝日を拝んでいただろうよ」

 

 それは余りにも分の悪い賭けだという事はリィンにも理解できた。逆に言えばレイは、そうしてまで自分に何か伝えたい事があったのだろう。

 するとレイは、リィンに太刀を渡し、着いてくるようにジェスチャーを残すと、そのまま町の中を歩いていった。その方向は、東ケルディック街道方面。

 

「…………」

 

 ここで無視ができる程、リィンは無神経ではない。渡された太刀の鞘の部分を握りしめながら、先行するレイの後を着いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 煌々と美しい満月が道を照らす中、リィンはレイの後ろをただひたすらに歩いていく。昼間とはまた違う景色を見せてくれている街道を進んでいく中で、リィンはレイの背中を見続けていた。

 決して大柄とは言い難い体躯に幼さの残る顔立ち。おおよそ外見的には闘争とは無縁そうな容姿でありながら、その実、Ⅶ組の中でもフィーと並んで抜群に戦い慣れている。

その確たる証拠が、先日の実技テストだ。その中で彼は、フィーと共に自分たちが三人がかりでようやく勝利する事ができた戦術殻を二体同時に相手し、10秒と経たずに完全に無力化していた。その実力の高さに思わず身震いをしたのは、記憶に新しい。

あの時にはフィーの投擲した閃光弾の影響で全てを視認する事ができなかったが、膨大な光に包まれる瞬間、レイがまるで瞬間移動をするかの如く超人的な敏捷性で動いたのを、辛うじて捉える事ができた。

 

 その強さに、未だ底は見えない。

 

 だが個人的にリィンは、レイに対して友人として好ましい感情は抱いている。入学式の日に彼のペンダントを拾ってから、どこか気の合う同級生だと思っていたし、その後も第三学生寮の炊事当番として日々料理に精を出す姿や、フィーの自由奔放さに振り回されながらも過ごしている彼の姿を好ましく思わない人物は、少なくともⅦ組の中には存在しない。少々口は悪いものの、行動は至って紳士的ではあるし、面倒見の良い性格も何度か垣間見せている。面倒くさいと言いながらもユーシスとマキアスの喧嘩が殴り合いに発展しそうになると間に入ってひとまず落ち着かせるなど、細やかな気配りもできる男だ。

 彼の行動そのものに、虚偽などは含まれていない。それは、十二分に理解しているつもりだった。

 

 だからこそ、時々彼の事が分からなくなる。 

 

 ただ、何が分からないのかが分からない(・・・・・・・・・・・・・・・)。そんなモヤモヤとした疑問を抱えたままに、リィンは歩き続けた。

 

 

 

「さて、まぁ、こんな所でいいか」

 

 レイが足を止めたのは、東ケルディック街道の一角に存在する風車小屋の前だった。僅かばかりに広場のようになっているその場所で、彼は振り向いた。

レイとリィンの距離は、およそ3アージュ。夜ではあったが、月光と街灯からの灯りのお陰で、互いの姿は問題なく把握できていた。

 

「まず、先に俺が言いたいことを言っておこう」

 

 刀を持っていない右の手を腰に当ててそう切り出すレイ。ラウラとの会話の事で何か責められるかと覚悟を決めていたリィンは、次に発せられた言葉に意表を突かれてしまった。

 

 

「俺は、お前とラウラの言い分の、どちらが間違っているとも思わない」

 

「……え?」

 

「お前が今の自分の実力を正直に告白した事、そしてラウラが何故本気を出さないのかと問うた事。どっちも間違った事は言ってねぇって言ってんだよ。ただそこに、見解の相違があっただけの話だ」

 

「見解の、相違?」

 

「”剣士”としての在り方の相違だ」

 

 カッ、と、長刀の鞘尻が高い音を立てて地面に叩き付けられる。

ここで改めてリィンは悟った。今のレイは、飄々としたいつもの雰囲気を全く醸し出していない。

 

 

「お前は言ったな。『これが俺の”限界”』だと」

 

 

 例えるならそれは、一振りの研ぎ澄まされた刃。触れれば断ち切れてしまいそうなその正体を、リィンは知っている。

 

 ”闘気”だ。

 

 

「その卑下する”限界”とやらがどれ程のモンか、俺は知らん。事実か、謙遜か、そんなモンは実際に刃を交わしてみねぇと分かんねぇからな」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。例えそうだったとしても、今ここでレイと戦う理由なんて俺には……」

 

 リィンが何とかその闘気を収めさせようと語り掛けるが、直後に強い風が巻き起こる。同時に大量の砂埃も発生させたそれに、リィンは思わず目を瞑ってしまう。

しかし、風が収まり、目を開けたその眼前にあったのは、漆黒の鞘に包まれたままの長刀の刀身が、自分の首筋にピタリと押し付けられている状況だった。もし刀身が剥き出しだったならば、薄皮の一枚くらいは斬られていたかもしれない。

 

「理由がない? お前、そんな精神的に中途半端な心持ちで実習を続けようってのか?」

 

「そ、それは……」

 

「心が籠っていない剣士が振り回す刀なんざ、(なまくら)と同じだ。仮にも《八葉》の剣士なら、それくらいは分かってんだろうが」

 

 明鏡止水―――即ち邪念のない、澄み渡った心情。

 刀を振るう者がまず持ち合わせなければならないのが、この偽りのない心。リィンとて、それくらいは存じていた。

だが、今の自分がそれを持ち合わせているかと問いかけられたら、その答えは否だ。乱し、揺れ、まるで崩れかけている。

この状態では、とても極限まで研ぎ澄ました一刀など、振るえるはずもない。

 

 

「刀を構えろ、リィン・シュバルツァー」 

 

 再び間合いを取ったレイは、長刀の柄頭をリィンの視界に突き刺さるように突き出し、静かにそう宣言した。

 

「お前の邪念を取り払ってやる。そんでもってついでに、先の発言の一部を撤回させてやるよ」

 

「え? ―――ッ!!」

 

 瞬間、反射的に体の前に構えた太刀の刀身に、大型魔獣の体当たりのような重い衝撃が圧し掛かった。思わず少し後退してしまう目の前には、抜刀した白い刀身を横薙ぎに振るったレイの姿があった。

 

 ―――見えない。ただ単純に、リィンはそう感じる。

姿は確かにそこにあるし、輝かしいほどの純白に彩られた刀身も確かに存在する。

 ならば、”見えない”のではなく”感じられない”と言う表現の方が正しいだろう。

ゆらり(・・・)と漂う靄のような、それでいて掴みどころのない烈風。静と動を併せ持ったそれに、冷たい汗が一筋、頬から流れ落ちる。

 

 

「歩法術【瞬刻(しゅんこく)】―――俺の流派の基礎になる動きでな。修めるに当たっては師匠にこれでもかってくらい厳しくシゴかれた」

 

 チィン、という甲高い鍔鳴りの音を立てて、刃を納刀する。

その音を聞いて我に返ったリィンは、流されるままに太刀を中段に構えた。自然体で構えているレイのそれとは違い、それはどうにも固い。

 

「レイの流派―――つまり、”速さ”に重きを置いた剣術、か?」

 

「ハッ、察しがいいな。できればその洞察力は、できれば自分の心に向けて欲しいモンだが」

 

 戦意を見せたリィンに対して、レイはようやく構えを取った。

腰を僅かに落とし、刀を腰だめに構えて柄にそっと手を添える。それは紛れもない、”居合”の構えだ。

 

 

 

 

 

「《八洲天刃流(やしまてんじんりゅう)》―――俺が修めたのは、そんな名も知られてない剣術だ」

 

 

 

 

 だから、と。

その目に、その口元に、獰猛な笑みを浮かべて、レイは次の言葉を紡いだ。

 

 

 

「なるべく本気でかかってこい。こんな邪流の剣(・・・・)に一太刀も当てずに負けたとあっちゃ、《八葉》伝承者の名が泣くぜ?」

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 己の心の弱さというものを、リィン・シュバルツァーは充分に理解していた。

 自身が抱える”闇”。それが自身と周囲に与える影響をただ恐れ、護るために学び始めた剣は、いつの間にか己を抑え込む”枷”としてしか見られなくなってしまった。

修行を打ち切られたのは、そんな心を老師から見透かされたからだと疑ってはいなかったし、事実、それは当たっていた。

 以降彼は、自分を”未熟者”だという自虐の念を抱きながら、それでも剣を捨てる事はできずに生きて来た。

 故に剣には、いつも迷いもあった。「未熟者なのだから仕方ない」という逃げ道が常に頭の中にあった彼に、清い剣閃など、繰り出せるはずもない。

 

 

「ぐっ……はっ……」

 

 荒い息を吐きながら、太刀の切っ先を地面に突き立て、膝をつくリィン。

しかし間髪を入れずに、容赦のない一閃が襲ってくる。尽きかけた体力で動かしている体に鞭を打って、懸命に鞘でガードをする。

 

「がっ!……」

 

 無論、威力を殺す事などできるはずもない。吹っ飛ばされて大木の幹に体をぶつけると同時に、再び鍔鳴りの音が響き渡る。

強い衝撃に肺の中の空気を吐き出しながらも、立ち上がる。そうしなければ、一方的に餌食になるだけだ。

 

「―――遅い」

 

 突きつけられる、真実を告げた一言。

その言葉を発した人物は、余裕そうに見えて隙のない足取りでゆっくりと近づくと、鞘でリィンの首筋をトントンと叩いた。

 

「二十だ。10分程度の手合わせの中で、お前は二十回死んだ。まぁ、これが実戦ならの話だがな」

 

「ッ……!」

 

「対してお前の剣は俺に掠りもしていない。これは、実力の差云々以前の問題だ」

 

 射殺すような右目の視線が、容赦なく貫く。歯軋りをするリィンを、レイはただ見据える。

 

「どんなに実力が伴っていなくとも、”覚悟”のある奴なら一刀くらいは届かせる。敗北をとことんまで忌避し、自分の振るう剣が鈍ではないと叫ぶ奴ならば、たとえ両の腕が動かなくなったとしても足掻こうと動くモンさ」

 

「…………」

 

「お前、”自分は未熟者だから、負けてもしょうがない”と思ってんだろ?」

 

 図星だった。

己の剣はただの鈍―――そうレイに言われた時から、その言葉を受け入れてしまった。

 自分は弱者で、彼は強者。決めつけたその時から、リィンの剣は鈍ったのだ。

 勝てるはずがない。だったら負けても仕方がない。

口では否と言えても、そう思ったのは事実だ。それは、確実にリィンの”弱さ”を拡大させていた。

 

「はっ、どこまでも腑抜けた奴だな。負けると分かってて戦意を見せる馬鹿がどこにいるよ? そう思ってる時点で、お前は剣士失格だ」

 

 口では白けたような言葉を吐きながらも、レイの目は未だリィンを見ている。

やや乱暴に胸ぐらを掴み、再び大木に叩き付けた。

 

「お前の剣は、どこにある?」

 

 問いを叩き付けながらも、胸ぐらは未だ掴んだままだ。リィンは、自分を拘束するその右腕を震えながらも掴む。

 

「お前の剣は、”剣の道”はどこにある? ―――答えろ!! リィン・シュバルツァー!!」

 

 眉を顰め、激昂するような口調で更に問うレイ。リィンは驚くほどに重いその腕を何とか振りほどき、右手で地面に落ちた太刀を握る。

 言葉は出さない。言葉にすれば、また偽りの感情を答えてしまうかもしれない。

だから、リィンは鈍色に光る剣鋩(けんぼう)を全力で突き出す事で、その答えとした。

 勿論、レイには当たらない。だが彼は、獰猛な笑みを浮かべなおして、ただ一言を発する。

 

「そうだ、それでいい」

 

 気付けば、彼の左頬に、僅かに赤い筋が浮かび上がっている。そこからたらりと、一筋の鮮血が滴った。

恐らく自分は、先程までとは似ても似つかない表情をしている事だろう。迷いを完全に振り払ったとは口が裂けても言えないが、それでも心の中に巣食った靄の一部は晴れたような気がした。

 あぁそうか―――とリィンは理解した。

 

 自分は、”剣の道”を軽んじていた。

 

 研ぎ澄ます事も忘れ、鍛え上げる事も忘れ、それでいて”限界”などとのたまった自分が、今となっては恥ずかしい。

それは、一度は奉じた剣の道を、間違いなく穢す思考だった。己の限界など、未熟なままの自分に分かるはずなどないのに。

 

「ただの初伝止まり」などと言って《八葉》の剣術そのものを貶し、

明確な実力差を畏れて、勝つつもりどころか抗うつもりすら持たずに刀を抜いてしまった。

 

 剣士として高みを目指し、それに向かって突き進む事も厭わない姿に、弱気になっていたのだろう。

だから、自分を卑下し、貶める事で心の安寧を得ようとした。

 

 全く以て、失礼な話である。

 剣に対しても―――自分に対しても。

 

 

 

 

「……俺は、お前の事を何も知らない」

 

 少しばかり優しい声色になったレイが、諭すような口調でリィンに語り掛ける。

 

「だから、お前がどう言う経緯(いきさつ)でユン老師から修行を打ち切られたのかなんて知らねぇし、どこで限界を感じたのかも知らねぇ。だから、俺はお前に、易々と”強くなれ”なんて言わん」

 

 強くなれない、或いは強くならない理由は人それぞれである。レイはリィンのそれを理解していないが故に、敢えてアドバイスは避けた。

それ以上は善意の押し売りであり、言ってしまえば”大きなお世話”だ。

 しかしそれでも、言わなければならないと思ったことは、言う。

 

 

「ただそれでも、”誇り”は絶対に忘れるな。お前が進むと決めたその道は、そんな柔なモンじゃねぇだろうがよ」

 

 

 同じ刀を使う者に対してのよしみか、はたまた単純に燻るクラスメイトを見ていられなかっただけなのか。

いずれにせよ、レイが放ったその言葉は、リィンの双眸に再び光を灯すのに充分なものだった。

 

「そう……だな。思えば俺は、情けない事を言ってしまった」

 

「………………」

 

「明日、ラウラには改めて謝るよ。剣の道を軽んじるような事を言ったことを」

 

 でもその前に、と。

リィンは両手で力強く太刀の柄を握りなおす。その目に宿っていたのは、純然たる闘気。

 

「最後にもう一度、今度は完全に”入れて”みせる!」

 

「……上等だ。かかって来いよ、リィン」

 

 レイが挑発をするように手を招くと、リィンは刀身が頭の上に来るように太刀を構え、腰を低く落とした。

そして、一拍の空白を挟み、地を蹴る。軌道は一直線。無謀と分かっていても、これ以外の策は思いつかなかった。

 

「八葉一刀流・弐の型―――『疾風(はやて)』」

 

 繰り出したのは、《八葉》の型の中でも特に速さに特化した剣技。レイも同じように速さに特化した剣士ならば、この型以外で捕らえられる気はなかった。

 渾身の気合を込めて振りぬいた刀身は、過たずレイの体へと迫る。未だ長刀は納刀されたまま。構えようともしていないレイの姿を見て、リィンは「捕らえた」と思った。

 しかし、刃が体に届こうとしたところで、突然レイの体がブレた(・・・・・・・・)

 

「―――悪くない剣だ。最初からこれくらいのを出しときゃ良かったのによ」

 

 その声が聞こえたのは、リィンの背後(・・・・・・)。残像すら残す速さで死角に回り込んだレイは、峰の方を首筋に向けた長刀の刀身を、スッと肩越しにリィンの視界に置く。

 

「だがまぁ、チョイスミスだ。その型は、今まで腐るほど見て来たからな(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 その言葉に疑問符を浮かべるより先に、首筋に受けた峰打ちの一撃で、リィンの意識は完全に刈り取られた。

そのまま重力に身を任せて倒れようとするその体を、レイが左腕一本で受け止めて、支える。

 

 

「八洲天刃流【静の型・輪廻(りんね)】―――ま、ネタ晴らしはまたの機会にしてやるよ」

 

 

 聞こえるはずのない呟きを残して、レイはポケットから『ARCUS(アークス)』を取り出す。そして、治癒”術”の駆動詠唱を始めた。

 

「【傷つきし武士(もののふ)に癒しの一時を】―――」

 

 外傷は一切与えていない。そのため、選んだ”術”は外傷の治癒ではなく、肉体疲労を短時間で回復させるものだ。

優しげな青い光が灯り、体を包み込む。光が収まった後にいたのは、安らかな寝息を立てるリィンだった。

 

「ったく、面倒掛けてくれるぜ」

 

 ぼやくように呟いたが、その表情は優しげなそれへと変わっていた。これで明日、素直にラウラに謝ればそれで万事解決である。

一仕事を終え、体を伸ばしてポキポキと骨を鳴らす。ついでに、欠伸も一つ漏らした。

 

「ふぁ……流石にちと眠くなったな……あぁ、いや、まだやる事残ってるんだったか」

 

 メンド臭い。そう言わんばかりに嘆息してから、レイは立ち上がった。

 夜はまだ更けたままであり、月もまだ姿を隠す気配はない。普通の人々が、総じて活動を停止している時間帯だ。

 だからこそ、今やらなくてはいけない。

 

 レイは上着の内ポケットを探り、目当てのそれを一枚だけ取り出す。

 

 それは、細長い白い紙だった。ただし、ただのメモ帳の切れ端という物でもなく、表面には不可思議な紋様と文字が黒一色で描かれている。

それを掌に載せ、ふぅ、と息を吐いて上空へと飛ばす。そして息を吐いたその口で、再び詠唱を口遊んだ。

 

「【我が僕たる式よ。主の命に従い、言霊を運ぶ形骸とならん】―――」

 

 夜空にその声が玲瓏に響く。すると、風に煽られていた紙が徐々にその姿を変え、数秒後には小鳥の姿へと変貌を遂げていた。

 レイはその小鳥の頭の部分に人差し指を置くと、十数秒ほど、何かを念じるように目を伏せて眉を顰める。

 

「―――よし。通達の委細は任せた。領邦軍に見つからないようにしながら、早急に帝都まで送り届けろ」

 

 指を離してそう言ったレイに、紙の小鳥は僅かに頷くような仕草を見せながらまるで生き物であるかのように羽ばたき、そのまま飛空して宵闇の中へと消えていった。

 

 

 

「―――はぁ、メンドくせ」

 

 

 

 ”特別実習”1日目の夜。自分ができる事の全てを終わらせたレイは、口癖となっているその言葉を吐きながら、再びリィンを抱えた。

後は、宿に帰ってベッドに放り込み、自身もベッドにダイブすればそれで任務完了である。

 

 

 明日も、どうせ厄介事が待っている。

 

 

 修羅場慣れした直感が平穏は望めないと頭の中でアラームを鳴らすのを聞き届けながら、レイはクラスメイトを抱えて、宿屋への帰路に着いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




少し長くなりました。
それでも、この話は二話に分けたくはなかったので、そうした次第です。

これは原作をプレイしていて私が不思議に思ったところですね。

何故リィンは、己の過ちを一晩で理解することができたのか。
それができたのなら、今後ウジウジ悩む事もなかったのではないかという疑問です。

この作品では、レイ君に少し諭してもらいました。

結果的にリィン君が少し脆くなってしまいましたが、そこの所はご勘弁下さいませ。



それではまた、次回でお会いしましょう。


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不可解への挑戦

季節の移り変わりの風邪、マジヤバいです。

以上、言い訳終了。



更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。

そろそろケルディック編終わらせないとヤバいな、コレ


―――時は少し遡る。

 

 

 それは、実習1日目の昼前。教会からの薬調達の依頼の際、薬の材料である『皇帝人参』を調達するために西ケルディック街道に赴いた時の事だった。

 

 

「? ここは……」

 

 高台の方を見上げて、リィンがそう呟く。その視線の先には鉄のゲートに囲まれた鬱蒼とした森林地帯が広がっていた。

自然と他のメンバーの視線もそちらを向き、時間に少し余裕があった事もあり、その場所へと寄り道がてら立ち寄る事に全員が同意した。

 

 

 『ルナリア自然公園』。

 帝国東部最大の自然公園であり、その総面積はクロイツェン州の実に五分の一にも及ぶ。

広大な森林に覆われたその土地には、帝国内での自生は珍しい植物や、入り組んだ自然地形を住処にしている魔獣などが生息しており、敷地内だけで独自の生態系が築かれている。

それ故に、一般人の大半の場所への立ち入りは禁止されているが、一部の区画は舗装され、通常ならば職員立会いの下、自由な見学が許されているのである。

 

 だが今は、立ち入り区画の入り口である鉄製のゲートは、固く閉ざされていた。

 

 依頼の遂行もあるため、元より立ち入る気は毛頭なかった一同ではあったが、ゲートに近づいた際に、両脇に立っていた職員と思われる制服を着た二人の男性に制止された。

それ自体は普通の事である。平時より無断での立ち入りは許可されていないため、引き止められるのは当然の事だった。

 しかし一行が違和感を覚えたのは、男の一人から本日は立ち入り禁止だという旨を伝え聞いた後の事である。リィンが工事でもしているのかと問いかけたところ、もう一人の男が鬱陶しそうに口を開いた。

 

『あー、まぁ大体そんなところだ。ほら、分かったら帰った帰った。俺たちはこう見えても忙しいんだよ』

 

 仮にも客であるかもしれない人間に対して随分とぞんざいな対応をする男たちに対して、言葉に従ってゲートから離れた後にアリサが不満を漏らす。それに尤もだと各々が同意をしながら、それでも運がなかったと諦めて、一行は材料を受け取るために公園近くの農家へと足を運んだ。

 

 

 

 さて、その時ケルディックの実習に赴いていたA班のメンバーの面々は、後に実習を終えてトリスタに帰還した際に思った。

 

 

 あの時、あの場所で、全員が感じた”違和感”。それを誰かが明確に口に出す事ができたのなら、”事件”はもっと穏便に済ませる事ができたのだろうか、と。

 

 しかしそう考えた直後に、各々が首を横に振る。たとえ感づいていたのだとしても、あの場で自分たちがどうにかする事はできなかった。

 あの時はまだ大市で騒動が起きている事なんて全く知らなかった自分たちが察する事など不可能だし、よしんば察する事ができていたとしても、それは曖昧な推測に他ならない。確証もなしに動き出すなどという浅薄な考えは、誰一人として持ち合わせていなかったはずだ。

 

 だからこそ、顧みずにはいられない。

 

 

 思えばあれが、ケルディックにおける騒動の序章となっていたという事を。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 「大市の方で騒ぎが起きている」―――宿酒場『風見亭』に勤めるウェイトレス、ルイセからその情報が齎されたのは、まだ陽が昇って間もない早朝の事。未だ欠伸交じりの寝起きだったA班一同は、その知らせを聞いて目を覚まさせた。

特に顕著な変わりようだったのはレイだ。その知らせを聞くまでは瞼を重くして時々閉じかけるという、まるで平時のフィーのような状態であったものの、直後に目つきを変えたのだ。

それでも飛び出すと言ったことはせず、努めて冷静に振る舞ってはいた。リィンたちはその詳細を聞いた後、大市へと向かう事となった。

 

「しかし……屋台が破壊されるとはな」

 

「その上盗難だ。一体何が起きているのやら……」

 

 今朝方無事に仲直りを果たした(そもそも喧嘩と言う程険悪な訳でもなかったが)ラウラとリィンがそう言葉を交わし合う中、後ろに控えるレイは顎に手を当てて何かの思考に耽っていた。

 

 ルイセが聞いて来た話は、大市に出店している屋台の一部が昨夜の内にバラバラに破壊され、展示してあった商品が根こそぎ消失したというものであった。

 状況から鑑みるに、窃盗事件以外に考えられない。町中に魔獣が潜入した気配も感じられない事から、十中八九人間の手による犯行とみて間違いはないだろう。

そして、現在レイが考えているのは、その犯行時刻だ。

 

「(昨晩、俺がリィンを抱えて帰ってきたのが午前2時過ぎ。ベッドに入って寝付いたのが2時半くらいだから、それ以降の犯行か)」

 

 屋台の破壊と言う大胆な犯行。『風見亭』が奇しくも大市に隣接する位置に建てられていたという事もあり、起きている間に破壊音が響けば流石に気付くだろう。

しかし、大まかな犯行時刻を特定したとしても、事件解決の糸口には繋がらない。そのためレイたちは、足早に野次馬が集まっていた大市の中へと足を踏み入れた。

 

「あっ……」

 

「やっぱり、か」

 

 そこで一同が見たのは、屋台を壊された商人の喧嘩。しかも彼らは、昨日出店位置の場所でもめていた二人だった。

 片や田舎風の服装をした若い青年。片や立派なスーツで着飾った壮年の男性。彼らは昨日よりも憤った様子で、怒声を浴びせあっていた。

 

 

「よくも私の屋台を滅茶苦茶にしてくれたな! この卑しい田舎商人め!」

 

「んだと、帝都の成金がぁ! そっちこそ俺の場所を独り占めしようとしたんだろうが!!」

 

 

 罵り合いは加速し、再び殴り合いになりそうになった所で、リィンが待ったをかける。事情を聞いてみると、その喧嘩の内容にも納得がいった。

 

 被害は屋台二件。大市正面に配置されていたものと、その裏手に配置されていたもの。それは、昨日元締めが指定した二人の屋台の出店場所だったのだ。

改めて検分をしてみると、商品を配置する棚は元より、屋台の骨組みの一部も壊されて無残な姿を晒していた。それに加え、二人が売り物にしていた商品が根こそぎ奪われてしまっていたのである。

 二人は、互いが互いの屋台を破壊して利益を独占しようとしたのではないか、という結論を弾きだして口論となり、元締めの仲裁も空しく、ここまで加熱に発展してしまったのだと言う。

 

 気持ちはまぁ、分からなくもなかった。昨日の今日でこの事態。しかも屋台を破壊された上に商品まで一切合財強奪されたと来た。これでは、冷静さを保っていろと言う方が難しいだろう。同じ理由で、お互いを犯人であると決めつけてしまう心情も理解できる。完全に商売が上がったりになってしまった憂さを晴らしたいのだろう。

 

 だが、冷静に考えてみるとおかしな点は幾つか存在する。ラウラの制止も何のそので喧嘩を再開しようとした二人にレイがその疑問をぶつけようとした時に、広場に第三者の声が響いた。

 

「こんな朝早くに何事だ! 騒ぎを止めて即刻解散しろ!!」

 

 青を基調とした制服に羽根つきの軍帽を被った男を先頭に展開する数人の兵士たち。それは、本来この場所に来るはずのない一団だった。

 リィンたちも思わず思考を止めて、疑問符が頭の上に浮かび上がる。

 

 ケルディック駐屯の、クロイツェン領邦軍。

 

 大市の動向に不可解なほどの不干渉を貫いて来た彼らが、今ここで大市の問題に首を突っ込んできたのである。

 

「(……ハッ)」

 

 レイはその一連の状況に対して心の中で失笑しながら、領邦軍の動きを観察していた。

隊長格であるその男は、終始訝しげな表情を浮かべながら元締めであるオットーから事情を聴く。

昨夜の内に起きた事件の全貌。そして二人が喧嘩をしていた理由。

 それらを聞くと、男は特に悩む様子もなく、商人二人を拘束するように命令を出した。

犯行は不満を持った二人が互いに報復をし合った結果。故に両者とも拘束する。―――余りにも強引過ぎるその判断にラウラが異議を唱えたが、男は聞き入れようとはしない。

「領邦軍はこんな些事に割いている余裕はない」という、現状を知っている者であればどの口が言うかと言う理由を引っ下げて。

 

「……お言葉ですが、隊長殿」

 

 口を挟んだのはレイだった。傍観に徹しているつもりだった彼だったが、男の判断が思っていたよりもあっさりとしていたので、介入せずにはいられなかったのだ。

 

「物的証拠がない内に状況証拠だけで事件を裁いてしまうと、後に冤罪だと証明された時に困るのでは? 栄えあるクロイツェン領邦軍の沽券(こけん)にも関わりましょう」

 

「む……」

 

「拙速な判断は確かに指揮官には必要不可欠ですし、事態を迅速に収めたいというお気持ちは分かります。ですが、この事件は無理矢理に収束させてしまっては後々の禍根にもなるでしょう」

 

 公爵家直轄というプライドを傷つけず、尚且つ調査の横暴さを嗜める。あくまでも声色は神経を逆撫でしない程度に柔らかく、また言っている事の道理も通っているため、一部隊を預かる身の上として、男は否と言えない状況に陥っていた。

それを見計らったのか、レイは男に対して更に”逃げ道”を提案する。

 

「自分は商業にはとんと縁がない身の上ですが、それでも商人にとってこの事態が死活問題であるという事は理解しております。ですので、この問題は当人同士に任せて退いては頂けないでしょうか? 元締めのオットー氏の手腕ならば、この場を穏便に収める事も可能でしょう」

 

 そしてレイは、「お願いします」という一言と共に頭を下げた。

ここまでへりくだった様子を見せた若者を相手に冷徹に振る舞えば、それこそ事態は徒に大きくなるだろう。男は苦虫を噛み潰したような表情を見せてから、喧嘩をしていた当人たちへと向き直った。

 

「……再び騒ぎを起こせば容赦はしない。覚えておくのだな」

 

 そんな言葉を残し、男は配下の兵を連れて屯所へと引き上げていった。

そして足音が聞こえなくなった頃にレイは下げていた頭を上げ、ふぅ、と一息をつく。

 

「あぶねーあぶねー。もう少しで最悪の事態になるとこだった……って、どうしたんだよ、お前ら」

 

 額を拭って振り向いたレイが見たのは、茫然とした表情で棒立ちになり、こちらを見たままの四人の姿。気が付けば、先程まで騒がしかった大市がシンと静まり返ってしまっている。

 

「え? 何? どうしたのコレ? 俺完全にアウェー状態?」

 

「あ、いや、そうじゃないさ。何と言うかその……余りにもあっさりととりなしてしまったから驚いたと言うか……」

 

「え、えぇ。……正直、いつものレイとキャラが違い過ぎて寒気がしたわ」

 

「褒めるのかディスるのかどっちかにしろよ、お前ら」

 

 レイはそう抗議するものの、一方で当然の評価だとも思った。普段の”素”のキャラとは正反対なくらいに乖離しているのは分かっていたし、それは彼らからすれば些か珍妙に映ったことだろう。

 

「ま、ああいう手合いとのやり取りは慣れてんだよ。―――オットーさん、すみませんが後の事はお任せしてもいいですか?」

 

「うむ、勿論じゃ。……君たちにはまた助けられてしまったの。改めて、礼を言わせて貰うよ」

 

「どーもです。―――あとお二人も、もう喧嘩はしないで下さいよ? 殴り合いよりも先に、することがあるはずですし」

 

「あ、あぁ。そうだな」

 

「……君の言うとおりだな。私としたことが、少しばかり冷静さを失っていたようだ」

 

 ようやく反省の色を示した二人を横目に見ながら、レイは何事もなかったかのようにふらりと大市の敷地内から立ち去っていく。リィンたちは、そんな彼の背中を足早に追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、ようやく得心(とくしん)がいった」

 

 大市を離れて町の広場に辿り着いた時、徐にラウラがそう言った。

 リィンたちはその言葉に疑問符を浮かべたが、レイは「やっぱりか」と苦笑がちに漏らした。

 

「真っ先に気付くのはお前だと思ってたぜ。俺も仕事でお前の地元に行った事何回かあったからな」

 

「ふむ、そうだったのか。となると今まで顔を合わせなかったのが不思議なくらいだな」

 

「いや、俺が言った時お前おやっさんと修行してたみてーだからさ、俺もそんなに長く滞在してたわけじゃねぇし」

 

「なるほど。フフッ、そなたならば私よりも父上と良い勝負をしそうだな」

 

「やめろやめろ。《光の剣匠》とガチで戦り合うとか寿命縮むわ」

 

 当初の話題もそっちのけで会話に華を咲かせる二人の間に、エリオットが「え、えっと……」と、遠慮がちに入って来る。

 

「け、結局ラウラは何が分かったの?」

 

「あぁ、すまぬ。予想がついたのは、レイの”職業”とやらだ。先程の慣れた手練手管。幾度か似たようなのを見た事があったのでな」

 

 そこまで聞いてリィンも理解したのか、あぁ、と頷く。対してエリオットとアリサは小首を傾げたままだった。

 

 

「《遊撃士(ブレイサー)》だろう。帝国ではあまり馴染みがないかもしれんが……」

 

「ま、確かにそうだな。俺はそれのクロスベル支部ってトコで働いてた。末席だがな」

 

「へぇー……遊撃士かぁ」

 

 ラウラの言う通り、エレボニアではあまり活動していない組織名に、エリオットが珍しそうに息を漏らした。

 

 レマン自治州に本拠地を持ち、エプスタイン財団の出資によって成り立っているこの組織は、『支える籠手』の紋章を掲げて主に地域の平和と民間人の保護を目的として行動している。

その規模は大きく、ゼムリア大陸全土に支部が置かれているほどだが、ここエレボニア帝国で正式に活動しているのはクロイツェン州南部にあるレグラム支部しかない。故に、帝国在住の人間がピンと来ないのも不思議な事ではないのだ。

 

 

「なるほど。ああいう揉め事の解決なんかも、クロスベルにいた時にやっていたのか?」

 

「いや、むしろああいう事は警察の人間に対してやってたかな? クロスベル警察と支部はぶっちゃけ反りが合わない関係だったし、お偉方に呼び出し食らってつまんねー説教を躱していく内に身に着いたスキルだよ」

 

「な、中々ハードな仕事をしてたのね……」

 

「それよりも、だ」

 

 話が停滞してしまう前に、レイが転換を行う。ここで話し合うべきは、こんな話題ではない。

 

「どーするよ、リィン。これからは」

 

「……そうだな」

 

 レイの言わんとしている事は、リィンには直ぐに理解できた。

このまま予定通りに課題を消化していくか、それともこの事件の不可解さを追求していくか、という事だろう。

 

「で、でも……」

 

 しかし、とアリサは口を挟む。確かに屋台を破壊した犯人を含め、この一件には謎が多い。それが気にならないと言えば嘘だ。

 だが、昨日も悩んだように、これは一介の学生が足を突っ込む許容を超えている。常識的な観点からすれば、手を引くのが道理だろう。無論、それが正しい事だとは思わないが。

 

 が、リィンはここで事件に関わる選択をした。その切っ掛けとなったのは、昨日『風見亭』のカウンター前でサラに言われた一言。

 

 

 

「―――せいぜい悩んで、何をすべきか自分たちで考えてみなさい」

 

 

 

 規則に囚われるのではなく、自分たちが自発的に”どうしたい”のか。そしてこのケルディックの地で”何がしたい”のか。それを考えるための”特別実習”なのだと。

 目の前で起きた現象から目を背けてやれと言われた事だけをやるならば、わざわざケルディックにまで赴く意味はない。

何故自分たちを学園の庇護下から離してまでこんな事をさせるのか。それを理解するのもこの実習の一環ではないのかと、リィンは言う。

 

 何を考え、何を為すのか。

 サラが言いたかった”自立”の考えを言い当てた彼の言葉に、一同は頷く。元より、ここで何もしなければ後悔しか残らないだろうから。

 

 

「(……ま、ちっとはマシな面構えになったかな)」

 

 昨日までの彼がここで前に進む選択をしたかどうかは分からない。それでもレイは、ここで僅かな迷いだけで進む選択をしたリィンの事を見直していた。

 自立性の発露。確かにそれはサラが言いたかった事の一端だろう。だが、付き合いが長いレイは彼女の言葉にそれ以外の”何か”が含まれているのも知っている。

 

 

「―――あの子たちの事、頼んだわよ」

 

 

 でなければ、わざわざ去り際に自分にそう耳打ちするはずがない。

 だが、任された以上はやり遂げるのが遊撃士としての矜持だ。既に打てる手の最初の一手(・・・・・・・・・・)は打った。願わくば次手を打たなくてもいいように事が運べばいいのだが、それも少し難しくなりそうだった。

 だが、それを面倒だとは思わない。こういった任務に慣れている身としては、結果の後の事態に備えるのも仕事の内だ。

 

 

「とにかく、足を使って調べるしかないな。レイ、もし良かったらアドバイスとかくれないか?」

 

「ん、りょーかい」

 

 タイムリミットは帝都行きの最終列車がでる午後9時。それまで実習課題も並行して進めながら事件解決の糸口を見つけ出す。それがリィンたちが出した最終日の計画であり、レイもそれに従う事に同意した。

 思えば、プランの大半が白紙のまま仕事に挑むのはいつ以来だろうか。遊撃士になりたての頃の自分を思い出して、失笑する。

 

「助かるよ。こういうのは慣れてないからさ」

 

「ま、心配すんな。しくじっても尻拭いくらいはしてやるよ」

 

 そう言って、軽く拳をぶつけ合う二人。それを見て、他の三人も良い表情を浮かべたまま頷いた。

 

 こうして特別実習A班は、予定外の事件の解決に、自ら足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

「―――『ケルディック駐屯の領邦軍に異質の動きあり。第三種警戒態勢を求む』ですか」

 

 

 帝都駅構内に存在するとある組織の司令所。その執務室に一人座っていた女性が、部屋の窓から闖入してきた仮初の息吹を与えられた紙鳥からの報告を呟くように反芻する。

 数秒、目を伏せて僅かな時間で熟考する。情報源は信用できると言っても過言ではないが、なにぶん状況証拠すらも曖昧なこの状況ではいかに警戒している領邦軍が不可解な動きを見せていようとも部隊を動かすわけにはいかない。

 とは言え、このまま知らぬ顔を貫くのが得策とも言えない。元よりケルディックは帝都からもさほど離れていない位置に属し、鉄道の重要拠点の一つでもある。そこが深刻な異常事態にでも陥れば自分たち(・・・・)は動き辛くなる。ただでさえバリアアート方面とは友好的な関係が築けているとは言い難いこの状況下で長所を潰されてしまうのは余りにも痛い。

 慎重に動く必要はある。とは言え状況の俯瞰に時間をかけすぎて機を逸してしまえばそれまでだ。そのタイミングを、情報が少なすぎる今この場で判断するのは難しい。

 

「……まぁ、彼の事ですし、二次報告の手筈くらいは整えているんでしょうけれど」

 

 このような刻一刻と事態が移り変わっていく事件に関しては驚くほどに抜け目のないあの少年の事である。この報告も恐らく、事件の全貌が掴みきれていない頃に放たれたものなのだろう。となればこれは、”とりあえずこういう事があったから、一応警戒だけはしておいて”というメッセージ以上の意味は含まれていないと推測できる。

 これ以上の報告が来なければそれでよし。少なくとも数日以内にケルディック駐屯のクロイツェン領邦軍が何かを仕掛ける事はなく、ケルディック自体に大きな変化は訪れないという事だ。

無論、こちらとしても独自に情報を仕入れる必要はあるが、目下警戒するべきはクロスベル方面の状況である。大きな事件が起こらなければ、それに越したことはないのだから。

 

 だが、どうにも胸騒ぎがする。

 そもそも彼が自分に直接職務的な意味合いで連絡を寄越した事自体が珍しい。個人的な連絡ならば二年ほど前から時々「お前んトコのレクターのノリがウザい。マジで何とかして」と言ったようなものが飛んできたりしたのだが、自分の職務に抵触するような内容の話はこれまで一切と言っていい程貰ってはこなかった。

 そんな彼が、トールズ士官学院に入学したとはいえ早々にこういった連絡を寄越してくることが無意味な事とは思えない。

 

「(……一応、動く準備はしておいた方がいいでしょうね)」

 

 女性はそういう結論に至ると、執務机の傍らに置いてあった小型の受話器を取る。そして、部下に連絡を取り始めた。

 

「ドミニク少尉、私です。第三分隊に出動準備の要請を。……えぇ、今はまだ本格的に動かなくても結構です。以降の命令に即座に従えるよう、意識はしておいて下さい」

 

 薄水色の髪を揺らし、女性は受話器を置くと執務室を後にする。

 

 

 

 

 彼らが帝都駅から出動したのは、その数時間後の事であった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ラウラの親父さんってユン老師とタメ張れるんでしたよね? 
何故この世界の親父枠はここまでチートが多いんでしょうか。ヴィクター、カシウス、アリオス、シグムントetcetc……。

……ってか、よくアリオスとシグムントに勝ったな、ロイドたち。

この人たちの戦闘描写とか求められるレベル高そうですね。もっと精進せねば。

ついでに健康にも気を付けます。ハイ。


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疑う事の正しさ

今回の言い訳



レイ:んで? 6日も間が空いて何を書いたんだ?
筆者:えっと、ケルディック編、です。
レイ:ほぅ、ロクに進まなかったのになぁ。もう5話目だぞ? そろそろ読者は飽きるぞ。いや、マジで。
筆者:あ、はい。仰る通りで。今回はですね。レイ君の心情の一端に触れようかと思ってちょっと寄り道を……
レイ:あぁ?
筆者:スンマセン。言い訳です。
レイ:次回で終わんのか? コレ。
筆者:あ、はい。一応、そのつもりです。ハイ。
レイ:……一応?


現場検証、などと大仰な言い回しをするほど大層な事はしていないが、それと似たような事を行うようにと、レイはA班の面々に伝えた。

 いつの時代になっても、人が足で歩き、その中で人々と交流した上で手に入れた情報と言うものは特別な意味を持ち合わせる。彼自身が遊撃士としてそれを幾度も体験した来たことも踏まえて、今回の事件の情報収集にその方法を勧めたのだ。

 

 まずは事件の被害者であった商人二人。ここでの聞き込みでは二人がどのような商品を扱っていたのか、そして昨日の喧嘩の後にどう言う行動を取っていたのかを聞き出す事ができた。

そこで大きな収穫だったのは、二人のアリバイを聞くことができたという事だ。と言っても、昨日大市が終わるまでの間のみ、だが。

 若い方の商人、マルコは喧嘩の後に仲間商人の家に上がり込んでヤケ酒を飲んだ後に二日酔いが残ったままに朝方屋台に来てみれば既に破壊された後であったと証言している。これは、その後に聞き込んだその仲間商人に確認を取ったために間違いはない。つまりこの時点で、彼が犯人であると言う線は限りなく薄くなったのだ。

 ならばもう一人の壮年の商人、ハインツが犯人であるかと言えば、その可能性も低い。彼は大市が終わった後にすぐに宿泊している場所に戻り、そのまま朝方まで外出はしなかったのだと言う。これは大市に出店していた他の商人や、宿泊所の関係者が証言しており、これもまた行動の正当性が確保できる。

そもそも、彼がマルコの屋台を破壊する動機と言うものが想像つかない。彼は元より交代制であるとは言え初日は良い出店場所を確保できていたのだし、売り上げもそこそこ好調であったはずである。マルコの話では「売り上げを独り占めするために俺の屋台も破壊した」という事だったが、レイたちが見た限りではそこまで傲慢な人柄ではなかったし、そもそもそんな自分が真っ先に疑われるような事をするだろうか。もし事が明るみに出れば売り上げどころか商人としての評判も底辺に落ち込むだろう。そんなリスクを冒してまで犯行に及ぶとは思えない。これは、マルコにも言える事ではあるが。

 

 

「さて、新しい線を辿ってみようか」

 

 

 探偵ではないレイは、本来論理的な推理は門外漢だ。それでも経験から分かる。この二人は、犯人ではないのだと。

 その考えは皆が薄々感じていたようで、反対するメンバーはいなかった。その理由の一つとして、あの二人よりも遥かに不可解な行動を取っている集団の印象が強かったからだろう。

 

「領邦軍、か」

 

 説明のつかない行動。具体的に言えば、「何故彼らは今回の事件で動きを見せたのか?」

 バリアハートへの陳情を取り消さない限りは不干渉を貫いていたはずの彼らが、かなり強引であったとは言えあの場を取り持ったのは確かである。部下の兵の準備も整っていた事から、衝動的な行動と見るには些か無理があるだろう。

 

 一体、何故?  

 しかし、その疑問を解くには現時点では情報が不足しすぎていた。そこでリィンは、思い切った提案を口にする。

 

「いっそ、領邦軍の詰所を訪ねてみないか?」

 

 不可解な行動の元凶の懐に潜り込む。正規の経験を積み重ねた遊撃士ならば普通は取らない手段だ。

だが、今の自分たちの身の上は学院生だ。多少の大胆さは”若さ”の一言で片づけられる。何より、普通とは違う手段でなければ垣間見えてこない真実もある。

 しかし、全員で行っては効率が悪い事もまた事実。そこで、二班に人員を分ける事にした。

片方は領邦軍の詰所に聞き込みに行き、片方は課題である大型魔獣の退治に行く。その案が出た時、真っ先にレイは魔獣退治の方に行くと伝えた。それも、一人で。

 

「どーせあの隊長サンに会いに行くんだろ? あのキャラ維持すんの疲れるから俺はパスな」

 

 と、言ったのはもちろん建前。正直中々に聞き込みの筋が良いリィンたちならばプライドの塊のような人間からも少なからずの情報を引き出せるのではないかと期待していたし、何より昨晩中途半端に体を動かしてしまったせいか、本気とまでは行かなくともちょっと暴れておきたかったのだ。

 その強さを昨晩体験したリィンはレイが魔獣退治の方に回る事は賛成したが、流石に一人だけで向かわせるのは仕事を押し付けるようで少し気が引けたのだろう。悩んでいると、アリサが黙って手を挙げていた。

 

「それじゃ、私も魔獣退治の方に回るわ。道中、ちょっとレイに聞きたい事もあるしね」

 

 という事になり、結局班分けは順当なものに収まった。人目を気にせず魔獣相手に暴れると言う目的は果たせなくなったレイであったが、特に不満の感情を漏らす事はなかった。常識的に考えて学院生の実習で単独行動などあり得ない。それくらいは理解しているつもりだったからだ。

 

 

 

 そんな経緯があり、中央広場でリィンたちと別れて十数分後、レイとアリサは昨日も課題の途中で通った西ケルディック街道を歩いていた。

 周辺一帯が穀倉地帯であるこの地では、東の街道を歩こうが西の街道を歩こうが景色は変わらない。ただし西側からは、日に何度も往復する導力列車を眺める事ができる。汽笛の音と共に軽快に運航するそれを眺めながら、魔獣の姿の見えない平和な道を歩いていく。

 最初は他愛のない雑談などで会話をしていた二人だったが、道中も中盤に差し掛かったころ、不意にアリサが言葉を漏らした。

 

「……ねぇ、レイ」

 

「ん?」

 

「あなた、私のファミリーネーム、知ってるわよね?」

 

 いきなり問われたその言葉にも、レイは躊躇う事無く首肯した。ここで誤魔化したとしても、きっと彼女は納得しない。そんな勘からの選択だった。

事実、レイは彼女の苗字(ファミリーネーム)を知っている。彼女が何故、皆の前で「アリサ・R」とイニシャルで覆ってそれを誤魔化したのかも、大体想像はついているが。

 

「何で俺が知ってると思ったんだ?」

 

「特に理由はないけれど……勘の良いあなたなら知ってるんじゃないかと思っただけ」

 

「おーおー、随分と高く買ってくれたモンだな。ま、結果的に当たってたわけだが」

 

「……これでも一応、いろんな人は見てきたつもりだから。だから分かるの、あなたが私の事を他の皆に言いふらしたりしないって事も」

 

「別にそんな後ろ暗い過去背負ってるわけでもねぇだろうに」

 

 俺と違って、という言葉は飲み込む。

 恐らく彼女は、”真っ当に生まれて”、”真っ当に生きて来た”世間で言う所の幸せな部類に入る人間だろう。その辿った十数年の人生の中で、少しばかり特異な影を抱え込んだだけの、レイから見てみれば”普通”の枠から外れない少女だ。

 

「言っとくが、俺ぁお前のトコの家庭事情(・・・・)にまで首突っ込む気はサラサラねぇぞ? そういうのを相談したいなら、リィンにぶちまけてみろ。多分嫌な顔の一つもせずに聞いてくれるさ」

 

「なっ……何でそんな事まで知ってるのよ!?」

 

 図星を突かれたアリサが前を歩くレイの肩を掴んで揺さぶる。しかし彼は抵抗らしい抵抗も見せず、「だってよ」と続ける。

 

「俺お前のお袋さん知ってるし。そこに来て昨日の志望動機だ。『実家を出て自立したい』だろ? 誰だって分かるわ、そんなモン」

 

「か、母様を知ってるの!? ていうか昨日のアレは聞いてなかったんじゃなかったの!?」

 

「聞いてないフリすればスルーできるかなと思ってただけだ。誰かさんが律儀に振ってくれたがな」

 

「う、うるさいっ!! ……遊撃士のあなたが母様と会ったのは、ビジネス?」

 

「んー、初めて顔を合わせた時はそう言うんじゃなかったんだが、まぁビジネスが多かったな。クロスベルに来た時に護衛頼まれたりとか」

 

 正直彼女に”外部”の護衛など必要なかったのだが、アリサの母、イリーナはクロスベルを訪れた際は必ず支部にレイの護衛を要請していた。それも、本来必要のない遊撃士に対する依頼金を大量に用意してまで。

 それは彼女がレイの腕を見込んでいたという事以外に、彼女以外の人物の要望が反映されていたという事はつい最近になってようやく知ったのだが。

 

「お袋さん、ザ・キャリアウーマンって感じだもんな。働いてる人間から見りゃあ羨ましいと思うもんなんだが、やっぱり娘から見ると違うもんか?」

 

「………………まぁ、ね」

 

 その答えるまでの微妙な間を聞いて、レイはある事を感じ取った。

勿論、あまり関係の宜しくないのであろう母親との関係を上手く言葉にできなかったが故の時間でもあったのだろうが、それ以外の感情が含まれているのではないかと思ったのである。

自身の性格と職業柄、他人の感情の機微に同年代の人間よりも過敏である彼は、カマをかけるという意味も含めてアリサに問いかけた。

 

「なぁ、アリサ」

 

「? 何よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――俺の事を警戒してるなら、そんな話持ちかけるべきじゃないんじゃねぇの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ!!」

 

 図星を突かれた、というよりは思ってもみなかった事を指摘されたというような表情。

 

 

 その反応に、聞いた本人であるレイ自身も何とも言えない表情を浮かべる。その理由は、昨今の自分の言動にあった。

 

「(……何でこんな、”大きなお世話”ばっかしてんだろうなぁ、俺)」

 

 入学式の日のユーシスとマキアスを皮切りに、どうにも要らぬ厄介を自ら背負い込みに行っているようでならない。”大きなお世話”と言うよりは、”要らぬお世話”と言った方が正しいかもしれないが。

 今だって、こんな自分に対して悪印象しか抱かないようなカマかけなどしなくても、素知らぬ顔で違和感を流していればそれで済む話であったのだ。昨夜のリィンの時と言い、自分の不器用さにほとほと嫌気がさしてくる。

 自分は一体何がしたいのか? それすらも見えてこないままに、レイは退かずに次を問う。

 

 

「お前と……あぁ、後はユーシスか。とりあえず現時点で俺を完全には信用していないのはⅦ組の中ではお前らだけだ。―――まぁ、それを責めるつもりなんてのは毛頭ないんだがな」

 

「う……」

 

「いや、マジで。これ皮肉とかじゃないぜ。異形の剣技と術を操る存在なんてのは本来警戒して当たり前だ。むしろ何でこんなに受け入れられてんのか、不思議なくらいだ」

 

 

 出自を、能力を、その他諸々を疑われるのは慣れている。その結果、自分と距離を取られる事になったとしても、特にショックを受ける事はなかっただろう。

 だがⅦ組一同は、レイが見せたそれらを当初こそ懐疑的に見る事はあっても、今では言及してくる事も疑わしい視線を向ける事もなくなった。この学院に入学するまでは周囲が大人ばかりの世界で活動してた彼にとって、それはさぞ異質に映った事だろう。

 だからこそ、今でも自身を疑うような存在を稀少に思ってしまったのかもしれない。

 

 

「……あなたは、信じられるのがイヤなの?」

 

「いや、そういう訳じゃない。ただもうちょっと未知のモノに対して疑う心を持てって事だ」

 

 無論、疑っているだけでは信頼関係など築けるはずもない。だが、不確定要素が残っている中でその人物を信じ切ると言うのもまた、社会を生き抜く中ではあってはならない事だとレイは思っていた。

 常に、心のどこかに僅かな懐疑の念を留め置く。実際彼はそうして生きて来たし、その生き方に疑問を持つ事もなかった。

 

「疑う、ね。確かに私も、学院に来る前までは色々と疑ってた事もあったわ。そういう意味では、あなたの言う事も正しいのかもしれない」

 

「へぇ」

 

「でも、恩人を疑う程、私は恥知らずではないつもりよ」

 

 強い声色で発せられたその言葉に、レイは首を傾げた。はて、恩を着せたつもりなど一度たりとて覚えはないのだが。

 

 

「私がリィンとその、ギクシャクしてた時に色々とフォローしてくれていたでしょう? 食事の時の席を向かい合わせにしてくれたり、食事の準備が必要な時に私とリィンを一緒に呼んだり」

 

「あー……」

 

 今度は、レイが曖昧な返事を返す番だった。

幾ら懐疑を肯定するとは言え、やはり共に学ぶ仲間同士が不和なのは彼にとっても歓迎すべき事ではなく、エマからの要請もあって自分なりにさりげなく行動した結果なのだが、見抜かれていたとなると話は別だ。途端に恥ずかしくなってくる。

 

「それに、あなたは何だかんだ言って誰かが困ってる時はさりげなく助けてくれる。毎日美味しい料理も作ってくれる。そんな人を疑いたくなんてないわよ」

 

「いや、俺がメシ作ってんのは趣味も入って―――いや、何でもない」

 

 ここで何か反論をしようとすれば空気が読めない男のレッテルを張られると、直感的に悟ったレイは言葉を中断した。

 

 

「それに、あなたが昨日の夜に自分の目標を言ってた時。あの時だって嘘を言ってるとは思えなかったわ。私はあなたやリィン、ラウラみたいに武道に精通しているわけじゃないけれど、それでも分かった」

 

「…………」

 

「私があなたに遠慮してたのは、ただあなたの行動が私の良く知ってる人に似てただけ。だから、ちょっと驚いてたの」

 

「似てる?」

 

「そう。料理の腕前とか、やけに気配りが上手なところとか、そういう所。見知ってた人に似ていたから―――うん、やっぱりあなたの言う通り警戒していたわ」

 

 ごめんなさい、と、謝って来るアリサ。

しかしレイはと言えば、あまりにもあっさりと認めて来て、あまつさえ謝罪まで口にした彼女を見やった。

 

「なんで謝るんだよ」

 

「だって失礼な事じゃない。言い換えればずっと、あなたを信用してなかったんだもん」

 

「それで良いと言ったはずだぜ?」

 

「”私”が嫌なの。少なくとも、貸しを作ったあなたに対してはね」

 

 言い終わってから、互いに顔を合わせて苦笑する。

レイとしてはまさかここまで言い返されるとは思わず、そして予想以上の言葉が返ってきた事に嬉しさが込み上げてきていた。

 

「(流石はあの人の娘だ。人の言いくるめ方を本能的に分かってやがる)」

 

 決して口に出せない賛辞を心の中で出し、同時に自分の審美眼もまだまだ未熟だという事を思い知らされた。

どうやら彼女たちは、思っていた以上に自分の中の”芯”が見えているようだった。

 他人がどう見ているかではなく、自分がどう見たいかという、単純ながらも難しい在り方。それは、他人との迎合に依存しきった人間には到底見えてこないモノだ。

 

 

「ははっ、いつの間にかラインフォルトの息女に貸しを作ってたってか。こいつはラッキーだ」

 

「うっ……い、言っておくけれど、別に大したお返しはできないわよ?」

 

「わーってるっての。お前になんか無茶させたら俺がリィンに怒られちまうしな」

 

「な、何でそこでリィンが出てくるのよ!!」

 

 漸くいつもの調子でからかう事が出来るようになったところで、レイは改めて街道を先へと進み始めた。勿論、顔を赤くして喚き散らしてくるアリサを軽くあしらいながら、だ。

 

 

 

「大体お前、ツンデレキャラにしてはツンとデレの割合が4:6くらいで何かおかしいんじゃねぇの? やっぱ6:4くらいがちょうどいいと思うんだわ、俺は」

 

「人のキャラを勝手に決めた挙句に冷静に分析しないでよっ!! あーもうっ、やっぱりあなたは苦手だわ!!」

 

 

 そんなことを言い合いながらも、その後の魔獣討伐では最高の戦果を叩き出したのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

「よぅ、オッチャン。こんな昼間っからどうしたよ? 何か嫌なことでもあったのかい?」

 

 

 魔獣討伐を終え、ケルディックへと戻ってきた直後、レイは酒瓶片手に道端で酔いつぶれて座り込んでいた男性にそう話しかけていた

いや、話しかけられた、と言った方が正しいのかもしれない。二人がゲートを潜って町に戻ってきた時に、覚束ない口調で声をかけられたのだ。

 

「んぁ~? お前さんたち、ここじゃあ見ない顔だなぁ~? 商人か?」

 

 普通ならば、この類の”絡み”は相手にしない方が得策だ。現にアリサは「行きましょう」と言って早々とその場所を離れようとしたが、なぜかレイは男性の言葉に呼応する形で歩み寄り、眼前でしゃがんでそう言ったのである。

 

 この時点では、特に何か思惑があったわけではなかった。ただ遊撃士としてクロスベル市内をぶらついている時にこのように道端で酔い潰れている人物は結構見てきたため、何となく懐かしくなったという、ただそれだけだったのだ。

 昼間から酒を飲み、路傍で潰れている人間は、大抵の場合何か問題を抱えている事が多い。新人の頃にはこういう類の予定外のトラブルにも対応していたため、仮にも遊撃士の一人として、見て見ぬふりをするわけにもいかなかった。

 

「んぁ~? お前さん、俺の話を聞いてくれるのかぁ~?」

 

「そんな”この世の全てがどうでもいい”ってなツラしてる人間を放っておけるかっつーの。ホレ、若輩モンが相手で悪いけど、何があったか話してみてくれねぇか? もしかしたら、何か力になれるかもしれねーからさ」

 

 こういう手合いの酔いつぶれの理由としては経験上、二つに分かれる。

 一つは家族(特に奥さん)と喧嘩して家を追い出されたというもの。この場合は完全に他人事となるために事情を聞いたとしても特に力にはなれない。精々、仲直りをする手段をさり気なく教える事くらいだ。

 もう一つは、勤め先をクビになったというもの。割合的には、幾分かこちらの方が多い傾向にある。

 

 そして今回の場合は、後者の方だった。

 

 

「ったくよぉ~俺は本当にどうしようもないロクデナシだぜ。あっさりクビになっちまうんだもんよぉ~」

 

「あー……そいつは残念だったなぁ。にしてもオッチャン、随分とその勤め先に入れ込んでたみたいだな」

 

 まるで酒場でたまたま居合わせたような自然さで男性の愚痴を聞き続けるレイ。アリサはその姿に溜め息をつきながらも、中々他人が入り込めない筈の話題に自然体で潜り込む彼の手腕に再び感心していた。

それは、一朝一夕で得られる技術ではない。まるで旧知の友人に会ったかのように初対面の人間と会話できるそのスキルを、羨ましいとも思っていた。

 

 一方でレイは、前述の通りに、この時点ではこの男性―――ジョンソンの事をただの”可哀想な酔っぱらい”以上の存在として見てはいなかった。それでも一度関わったからには気が済むまで愚痴を聞いたうえで「これから頑張れよ」という一言をかけて去るつもりだったのだ。

 ジョンソンの、次の言葉を聞くまでは。

 

 

「そうなんだよぉ~。ったく、自然公園の管理は俺の生きがいだったのによぉ~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――カチリ、と、新たなパズルのピースが填まる音が再び聞こえた。

 

 

 

 しかしレイは平静を失わないままに、そのまま会話を続ける。

 

「……自然公園、ってのは、ここを行った先にある『ルナリア自然公園』の事か?」

 

「おぉ? 坊ちゃん、知ってんのかい?」

 

「ま、昨日通りがかる機会があってね。門前払い食らったけど」

 

「んぉ~。俺はさぁ~そこの管理人をしてたわけよぉ~。でもよぉ、この前いきなりクロイツェン州の役人が来て突然解雇されちまったんだぜぇ~……」

 

 アリサが、その言葉に眉をピクリと動かした。レイは表情を変えないまま、更に問いかけた。

 

「へぇ……ちなみにオッチャン、後任の人間って分かるか?」

 

「んぁ? あ~、チャラチャラした若造どもだよぉ~。ったく、礼儀もなってねぇみたいでさぁ~。嫌んなっちまうぜ」

 

「……何したんだ? そいつら」

 

「それがよぉ~、俺は昨夜もここで飲んでそのまま眠っちまったんだがな? そしたら真夜中に管理服来たその若造どもが木箱抱えて西口から出てったんだよ。あんなデケェ音立てて、近所の人たちの迷惑も考えろってんだ。ったく」

 

「真夜中、木箱、ね」

 

 レイはそのキーワードを呟くように反芻し、立ち上がるとアリサと顔を合わせた。

彼女も、それが指し示す意味を理解したようで、双眸には緊張の色が浮かび上がっていた。

 

 

「アリサ、先に合流地点に行っててくれ。後は―――まぁ、分かるよな」

 

「……えぇ。リィンたちに今の事を知らせるわ」

 

 

 その言葉を残して、アリサは合流地点である中央広場の噴水前へと駆け足で向かった。

残されたレイは、ジョンソンを見下ろす形になったものの、先程とは違い、見た者を安心させるような微笑を浮かべていた。

 

「……オッチャン、アンタ、運がいいな」

 

「あん?」

 

 制服の上着の内ポケットから昨日と同じ形の紙を取り出し、それを人差し指と中指の間で挟んでヒラヒラと弄びながら、確信した口調で言い放つ。

 

 

「今の内に酒を抜いておきな。―――職場復帰は近いぜ」

 

 

 

 トールズ士官学院Ⅶ組A班、ケルデック実習の大市事件。

 

 

 その終わりが、刻一刻と迫っていた。

 

 

 

 

 

 




次回、戦闘です。ケルディック編最終回……の予定でございます。ハイ。

書き終わって思った。アリサのイケメン度が半端ない。

しかしヒロインだと思った方、それは錯覚です!! 彼女は健全にリィンルートを歩んで行って下さい。私の願いです。


さーて、クレア大尉だー。クレア大尉だーっと♪


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理不尽な現実

今回の言い訳


レイ「結局終わんなかったじゃねぇか!!」
筆者「しょうがねぇじゃん!! 今回15000文字超えたんだぞ! これ以上延ばしたら永遠に終わんなくなるっつーの!!」
レイ「逆ギレか? おい」
筆者「あ、す、すみません。謝るんでアイアンクローはマジでやめて下さい、はい」


……次で終わります。はい、絶対に。


《剣聖》、と呼ばれる人間たちがいる。

 このゼムリア大陸でその異名が指すのは、前述のとおり《八葉一刀流》の免許皆伝者。大陸全土にその実力を認められた”(ことわり)”の体現者に他ならない。

 

 それは、決して鍛錬のみで辿り着くことはできない境地。

己と刀を一体とし、混じり気のない意志を持ってそれを振るう事で得られる”空”の概念。

色即是空、明鏡止水―――目には決して映らない無形の存在は、剣を修めようとする者の前に、越えねばならない”壁”として立ち塞がる。

 技ではなく、力でもなく、心の在り様という、とてつもなく大きなそれが。

 

 

 だからこそリィンは、己の在り方も分からないような自分が、この剣術を修めるべきではないと思ってしまった。それをしてしまえば、今まで《八葉》の名を背負っていった先達たちに申し訳ないと感じたからだ。

無論、技量的な問題もある。それは彼が老師から初伝しか伝えられていなかった事からも分かるだろう。

とは言え、リィンはまだ17歳。それを理由に嘆くには、まだまだ早すぎる年頃だ。

 

 ただ、恐ろしかったのだ。

 自分の中に眠る”ナニカ”。それが剣の道を穢してしまいそうで。

 

 だから、彼は目を逸らしていた。

 自分が目指すべきはずの道の先を。登るために一歩を踏み出さなければいけない筈のその道の先を。

見てしまえば、欲が出てしまう。もう一度、その先にあるものに手を伸ばしてみたい、と。

その時に、道を踏み外してしまったら? 自分が振るう鈍色の刃が、万が一でも守るべきものを傷つけてしまったら?

 そうなってしまったら、自分を保てる気がしない。自分を育ててくれた敬愛する両親に何も返す事がなく、そのまま息絶えてしまうかもしれない。

 その可能性は、リィンの心の中に抗いきれない恐怖を植え付けた。

それでも剣を完全に捨てきる事ができなかったのは、それも”弱さ”が生み出した結果だったのだろう。

これを手放してしまえば、本当に自分には何もなくなってしまうという、自身の存在に起因する”弱さ”に屈した―――と、彼は思っていた。

 故に、自分は弱いと思い込み、それを否定する事もなかったために、常に怯懦(きょうだ)な感情が付き纏うようになってしまったのだ。

 少なくとも、昨夜までは。

 

 

 

 

 

「お前の剣は、どこにある?」

 

 

 

 問いとしては単純だ。たった一文の問いかけに過ぎない。

 

 だからこそ、答える事が際限なく難しいものである。

 特に、自分を見失っている人間にとっては。

 

 

 

 

 

「お前の剣は、”剣の道”はどこにある? ―――答えろ!! リィン・シュバルツァー!!」

 

 

 

 幾百の説法、幾千の慰めよりも、なお重い言葉。

 それは紛れもなく、同じ”剣の道”を歩んだ者にしか口に出せない言葉だった。

 

 咄嗟に剣を振るったのは、証明するためだった。

 

 

 ”ここにある”―――と。

 

 無論、全てを打ち払う事などできるはずもない。ただ、卑屈な思いが消えたのも、また事実だった。

 翌日目を覚ました時、リィンは頭の中がやけにスッキリしていたのを覚えている。

そして自分の悩みの一端をとても”らしい”やり方で解決してくれた人物が隣のベッドで「う~ん……いや、師匠……それマジでヤバいですって。俺消し飛んじゃいますから……」と物騒な寝言を呟いていたのも何となく覚えていた。

 

 ともあれ、剣の鞘を握った時に、妙に軽く感じたのだ。昨日までは、それこそ見えない重しが鞘尻にぶら下がっているかのような不快な違和感がどこかにあったのだが、不思議な事にそれが感じられなかったのだ。

 我ながら単純だと思いながら、その澄んだ心持ちのままにラウラに謝罪すると、彼女は鷹揚に頷いた後に、昨夜とは違う、穏やかな口調で再びリィンに問いかけて来たのだ。

 

 

「そなた、”剣の道”は好きか?」

 

 

 以前のリィンならはぐらかしていたか、全く期待外れの答えを返していたかもしれない。

 だが彼は、それほど深く考えずに答えを出していた。

自分の気持ちを偽らず、恐れる事無く、ただ正直に。

 

 

「……好きとか嫌いとか、もうそう言った感じじゃないな。あるのが当たり前で……自分の一部みたいなものだから」

 

 

 そうだ。自分は、何のために剣の道を歩もうとしたのだろうか。他ならぬ、”大切なものを守ろうとしたため”だ。

挫折を味わい、修行を打ち切られてもなお剣を手放さなかったのは、決して己の”弱さ”に屈したわけではない。

 そこにあるのが、”当たり前”だったから。いつの間にか、自分にとっての”当然”になっていたそれを、一体どうして手放せようか。

 

 それを理解したからこそ、改めて自分に発破をかけた友人の存在が大きく見えた。

 

 

 レイ・クレイドル。現役の遊撃士にして、恐らく自分の遥か先を行く剣士。

 昨夜身を以て知った限りでは、彼の剣には一切の迷いがない。どこまでも真っ直ぐで、その剣閃が斬り裂く先こそが己の行く道であると、そう主張しているようだった。

 

「(……遠いな。全く)」

 

 現時点では、彼の背を見る事すら烏滸(おこ)がましい身の上だ。

 だが、このままでいいとも思えない。いつかきっと、一人の剣士として彼の横に並んで見せる。

そんな”目標”が、自然とリィンの心の中に浮かび上がっていた。それが長年立ち止まっていた一歩を踏み出した瞬間であった事は気付いていなかったようだが。

 

 

 その目標が明確な成果として現れるのは、まだまだ先の話である。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

「どー考えても犯人(ホシ)は領邦軍以外に有り得ねぇわな、コレ」

 

 事件の概要を的確に表したその言葉に、リィンたちは揃って頷いた。

皆一様に真剣な表情をしている中、何故かレイだけが僅かに笑みを浮かべている。勿論、気付かれないようにだが。

 

 

 結論から言って、リィンたちは領邦軍の詰所で予想以上の情報を引き出していた。

領邦軍が(一応)公爵家の意向に沿って行動しているという事。そして、何故だか領邦軍が事件の概要について詳しかったという事だ。

 元より大市の事に関して不干渉を貫く構えを見せていた領邦軍が、今朝起きたばかりの事件について詳しいと言うのは色々と矛盾している。レイたちでさえ、今朝方大市に向かうまで詳しい事情は知らなかったのだから。

隊長の男は「我々も独自の情報網を持っている」と言い繕ったそうだが、それを鵜呑みにするほど甘くなどない。

そしてそれと、レイたちが出会った酔っぱらいの男の証言と照らし合わせると、ある一つの結果が見えて来た。

 

 

 狂言犯行。または自作自演。

 考えてみれば単純な事だ。彼らは末端と言えど、大市の商売許可証を発行しているアルバレア公爵家直属の部隊。ならば、大市に出店する商人の情報を手に入れる事など容易いだろう。

 そしてその情報を手に入れた理由も、自然と分かる。恐らくこの事件は、仕組まれたものであったのだと。

 それは、昨今のケルディックの現状を鑑みれば一目瞭然だ。彼らは、公爵家の増税に反対し、今でも抵抗を続けている。

領邦軍の不干渉も何のその。彼らは「関係ない」と言わんばかりに商売を続けている。今回、わざわざ出張ってきた理由が”自分たちの存在をアピールするため”、即ち、ケルディック市民にとって領邦軍と言う存在がどれだけ重要なものであるのかという事を理解させるというものであったのなら、全ての辻褄が合うのだ。

 しかし、順調に見えた計画的犯行の中で、彼らにとっては思いもかけないイレギュラーが舞い込んで来た。トールズ士官学院Ⅶ組A班である。

 

 商人二人の言い争いは彼らによって二回とも沈められ、計画の要となった屋台破壊事件においても、レイの機転の利いた言い回しのお陰で、彼らは市民や商人に対して”傲慢で強引な連中”以外の感情を抱かせることができなかった。この時点で計画は有体に言ってやや失敗の方に傾いていたのだ。

 

 全て判明してみれば、粗と矛盾点が生じる二流の計画(きゃくほん)、そして本当に市民に対して好印象を抱かせる気があるのかとツッコミたい三流以下の領邦軍(やくしゃ)共による寸劇以下のストーリー。

そんなつまらない事件(ぶたい)の幕を閉じる頃合いもそろそろかと、レイたちは再度気合を入れなおした。

 

 タイムリミットはあと僅か。全員で頷き合い、事件の解決に向けて最後の一手を打ちに行った。

 

 

 

 そして、現在……―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーし、じゃあ今回のレイ・クレイドル プレゼンツ ”初心者でも分かる対人戦の常識 ~VS銃を持ってる相手の場合(素人編)~”のおさらいすんぞー」

 

 

 死なない程度に適度にぶちのめした上で雁字搦めに縛り上げ、纏めて一ヶ所に放置した今回の事件の実行犯(偽管理局員)を横目に、木箱の上に座ってそう宣言するレイ。

その言葉に、他のA班全員がどうするでもなく苦笑した。

 

 場所は、『ルナリア自然公園』の最奥地。西日が鬱蒼と茂った木々に遮られて木漏れ日となって降り注ぐ中、レイたちは事件の実行犯を早々に無力化していた。

 偽管理局員たちは全員銃で武装しており、一見すると、個々の能力は高いとはいえ戦闘自体は経験が少ないリィンたちが不利かと思われた。

 しかし、犯人たちにとっては運の悪い事に、A班の中にはレイがいたのである。

遊撃士は民間からの依頼で魔獣討伐をこなすのは勿論の事、時には民間人に危険を齎す犯罪組織とも一戦を交える事もある。

 つまるところ、対人戦のプロでもあるのだ。

 

 

「よし、じゃあまずは戦闘に入るときだ。一番効率の良い方法は何だっけか? はい、エリオット」

 

「え、えっと……確か、”相手が気付いていない内に奇襲をかけて何もさせない”だったっけ?」

 

「正解。一番良い方法は一方的なリンチだ。もう少し柔らかい言い方をすれば先手を取って確実に相手の虚を突く事にある。個人的には真正面からガチで戦り合うのも勿論嫌いじゃねぇが、相手が銃を持ってる奴の場合は攻撃範囲(レンジ)という観点で相手の方に分がある。手っ取り早く無力化するに越した事はなぇからな」

 

 戦闘に入る前、レイはこのように対人戦における鉄則をメンバー全員に教えていた。

 戦闘に慣れていないメンツがメンバーの中にいる時点で、彼は武人の矜持の一切を排除して、効率性に特化した作戦を提案。騎士道一直線のラウラは流石に渋い顔を見せたが、レイの思惑の中に自分たち全員への配慮があったという事を理解した後は素直に聞き入れていた。元より彼女とて、飛び道具を扱う複数の相手に僅かな外傷もなく戦闘を終えられるかと問われれば即座に頷く事はできないのだから。

 

 しかし残念ながら、自然公園の最奥は周囲を遮るものがない広場のようになっており、気付かれずに奇襲をかけるのは難しかった。それが分かった瞬間、レイは次の鉄則を教えた。

 

 

「じゃあ次。相手が銃器に慣れていない連中であった場合、初手の前衛の攻撃はどうするべきか? はい、ラウラ」

 

「ふむ、”相手が照準を合わせて引き金を引く前に肉薄し、剣士の間合いで攻撃し続ける”だったな」

 

「正解。極論になるし、扱う人間の技量にもよるんだが、銃は近距離に詰められたら本来の真価は発揮できない。戦い慣れてる奴はそのまま鈍器として近接武器に昇華させるが、こいつらみたいなド素人にとって、火力を発揮できなくなった銃はただの頑丈な棒と何も変わらない。一気に攻め込むのが得策だ」

 

 その言葉に従って、リィンとラウラは戦闘開始と同時に四人の相手の内の二人に肉薄し、速攻で撃破。そしてその勢いのまま、残りの二人に対しても剣士の間合いを保ったまま戦闘に持ち込む事ができたのだ。

レイは万が一しくじった場合に備えて二人に対して防御術を展開していたが、万事首尾よくいったため、安堵していた。

 

 

「それじゃあその際の遠距離要員の行動として正しいのは? はい、アリサ」

 

「”前衛の援護。主に相手の武器の破壊や行動力の阻害に重点を置く”だったわね。……改めて考えるとえげつないわ」

 

「正解。てか、えげつないって言うな。相手の武器を使用不可能にするのは複数の敵を相手にする対人戦の時には常識だし、行動阻害だって何も間違っちゃいねぇ。集団戦の鉄則は”いかに味方の被害を少なくして敵を無力化するか”にある。味方に一騎当千級の人間が何人もいれば話は別だが、今回は違う。と言うか、そんな状況なんざ滅多にない」

 

「……逆にそんな状況ってあるのかしら?」

 

「大陸は広い。戦闘能力メーターが軽く常人値振り切ってる戦闘狂共が集う集団もあんのさ」

 

 どこか遠い目をしながらそう言うレイを見て、アリサは口を噤んだ。何故だか、彼の抱えるトラウマの一端を踏み抜いてしまったような気がしたからだ。

 

 

「それじゃあ最後だ。銃を持っている敵を相手にした時、最も重要な心構えとは? はい、リィン」

 

「―――”相手が武器を損失し、完全に無力化するまで絶対に油断するな”だろ?」

 

「正解だ。銃ってのは恐ろしい。引き金を引く事に躊躇いがなくなれば一般人でも容易く人を殺してしまう。油断した瞬間に倒したと思った相手から鼬の最後っ屁の銃撃を食らう事も充分考えられる。だからこそ、最後まで気を抜くな。死にたくなきゃ、な」

 

 やや翳のある笑みと共にそう締めくくると、レイは木箱から飛び降りて、気絶させた上で縛り上げた偽局員の元へと近づいていく。

 この男たちに対して、彼自身は別段何も思う所はない。彼らは、言わば雇われただけのチンピラ。気に掛けるだけの価値もない存在だ。

だからこそ、これ以上言葉をかけるつもりもなかったし、これ以上痛めつける気など更になかった。

後はケルディックの人たちに任せて自分たちの役目は終わりだ。―――そう、思っていた時だった。

 

 

―――――――♬―――――――――♪――――――――……………………

 

 

 微かに耳に届いたのは、涼やかな、しかしどこか濁りを含んだ音色だった。

 木々の騒めきに遮られたためか、その音を聞き留めたのはレイと、音楽に造詣のあるエリオットだけだった。

 

「………?」

 

「? どうしたんだ、エリオット」

 

「うん、今何だか笛の音色が聞こえたような気が……」

 

 瞬間、レイは自身の直感の琴線に何かが触れたのを感じた。

 ”何かが来る”という、原始的であり、だからこそ戦う中で最も大切な読み。それを感じ取った瞬間から、レイは長刀の柄に手をかけた。

 

「れ、レイ?」

 

「お前ら全員構えろ。―――来るぞ」

 

 

 警告の直後に周囲に響き渡ったのは、魔獣の咆哮。空気を震わすほどのそれは、道中で出会った魔獣とは格が違う存在であることを否が応でも知らしめた。

 咆哮の後、鳴り響くは地響き。何も知らない人間ならば地震と間違いかねないほどの勢いで以て、”何か”が近づいてくるのを感じた。

 

 

 

 ―――ヴォオオオオオオオォォォォッ!!

 

 

 そして”それ”は、進行方向の木々を力づくで薙ぎ倒して姿を現した。

 外見は大型の狒々(ひひ)。体全体を覆う極彩色の剛毛と、両肩口から背中にかけてはしる(たてがみ)。その中でも特徴的なのは、側頭部から生えている四本の角と、大樹の幹ほどの太さを持つ両腕だ。

 レイ以外のメンバーも、直感で理解した。この魔獣は、この公園の筆頭的存在なのだと。

 

 俗にグルノージャと呼ばれるその魔獣は、自らの縄張りを荒らしたレイたちと偽局員たちに視線を向けると、敵意の籠った唸りを上げる。

 そして、自らの傍らに転がってきた砕いた大木の一部を右腕で掴み取ると、尋常ではない膂力(りょりょく)で以て、それをこちらに目がけて投げつけて来た。

 

「う、うわあああああっ!!」

 

「キャアアッ!!」

 

 エリオットとアリサが悲鳴を上げる。一部とはいえ、元は大木。直撃をすれば、最悪大怪我では済まない。

 だが、その軌道上に、レイが滑り込むように割って入った。

 

 

「―――【剛の型・瞬閃】」

 

 

抜刀術。刹那の時間しか姿を現さない純白の刀身は、大木の一部を事もなげに縦に(・・)切り裂いた。

裂かれた二つのそれは本来レイたちを直撃するはずだった軌道を大きく反れ、あらぬところへと着弾する。

 

 

―――グルルルル………

 

 視線が敵意から殺意へと変わる。それを感じ取ったレイは、背後に向かって檄を飛ばした。

 

 

「ボサっとしてんな!! 武器を構えて立ち向かえ!! こんなエテ公一匹に負ける程、お前らは弱くねぇだろうがよ!!」

 

「……っ!! あぁ、そうだ!!」

 

 最初に応えたのはリィンだった。敗北と言う言葉に忌避感を持つようになった彼は、レイの言葉に呼応する。

 それに他のメンバーも続く。ラウラは剣を抜き、アリサは矢を番え、エリオットは魔導杖を構える。リィンやラウラほどではないが、アリサとエリオットもつい数週間前までは戦いの素人だったとは思えないほどの一丁前の闘気を出していた。

 

「ふふっ、確かに負けるつもりなど毛頭ないな」

 

「何か最近レイのテンションに上手く乗せられてる気がしないでもないけれど……ま、同感ね」

 

「そ、それにこんな所で死にたくないしね」

 

 各々が臨戦態勢に入ったところを見計らって、レイがリィンの横に移動する。ラウラも含めて、前衛三人が横一直線に並んだ形だ。

 そこで、グルノージャはのそりと立ち上がると、咆哮を挙げながらその両腕で自身の胸を叩き、爆発的な音を生み出した。所謂、ドラミングである。

まるで戦車砲の連射が起こったかのような音が響いた後、森がざわざわと震えはじめる。レイはそれを感じた後、リィンに小声で声を掛けた。

 

「おい、リィン」

 

「何だ?」

 

「あのデカブツはお前らに任せる。基本的な戦術はスケイリーダイナと戦った時と同じだが……ま、指揮一切はお前に任せるよ」

 

「あぁ、分かった。レイは? どうするんだ?」

 

「露払いにでも洒落込むさ」

 

 その言葉にリィンは僅かに首を傾げたが、その意味はすぐに理解した。同じくそれを感じ取ったラウラが、危機感を露わに告げた。

 

「この気配……五、いや、六はいるようだな」

 

「……あぁ、どうやらすっかり囲まれたみたいだ」

 

 周囲の木々の間から姿を見せたのは、同じ狒々型の魔獣、ゴーディオッサーの群れだった。

このルナリア自然公園では、彼らは総じてグルノージャの配下。ボスの召集に応じて、馳せ参じたのだろう。

 流石にこの数を同時に相手にしながらグルノージャを相手取れるほどの練度はリィンたちにはない。

 だからこその、”露払い”である。

 

「そんじゃ、いっちょやるとすっかぁ」

 

「……レイ、そなた、あの数を一人で相手にするつもりか?」

 

「ちょ……っ、流石に厳しいんじゃないの!?」

 

 アリサの言葉もどこ吹く風と言わんばかりに準備運動を始めるレイ。その間にも、ゴーディオッサーの群れはリィンたちを囲むように徐々にその円の直径を縮めて来ていた。

 リィンはその状況で一瞬だけ目を伏せると、レイに声をかける。

 

 

 

「任せてもいいか?」

 

「オーライ。この程度、逆境の内にも入らねぇさ」

 

 

 軽く拳をぶつけ合う。それ以上の言葉は必要ない。

 スッ、とレイが右腕を軽く掲げる。そして、作戦開始の呪文を紡いだ。

 

 

 

「【巡れ巡れ 夢幻の回廊 闇は我に 光は我に 有象無象よ 虚ろに惑え】―――」

 

 

 幻想的な(しろがね)の光が一瞬だけ世界を覆い尽くす。

 リィンたちが反射的に閉じた双眸を再び開いたとき、周囲に展開していたゴーディオッサーたちは、数歩前へ出たレイのみ(・・・・)にその敵意を注いでいた。

まるで、リィンたちが視界から外れた(・・・・・・・・・・・・・)かのように。

 

「【幻呪(げんじゅ)虚狂(うつろぐるい)】まぁ、幻術の一種だ。今アイツらの視界には、俺しか映っていない(・・・・・・・・・)

 

 陽動にはうってつけだろ? と振り返ってレイが言うと、リィンは苦笑した。

 

「レイ」

 

「ん?」

 

「実習が終わったら教えてくれ。その”術”が、一体どんなものなのか」

 

 その言葉に、ラウラ、アリサ、エリオットも頷く。

元より秘匿にするつもりなど毛頭なかったのだが、成程、確かにここいらで詳しく話すべきだったかもしれない。

とは言え、そんなに期待されるほど大仰なものではないのだが。

 

「ま、構わねぇぜ。それじゃ、しっかりやれよ」

 

「あぁ。任せてくれ」

 

 状況に見合わない激励の言葉を掛け合うと、それぞれが向かうべき場所へと視線を向ける。

リィンは眼前の敵の前に、そしてレイは雑魚を引きつけるために戦闘区域から離れた場所へと。

 

 互いに地面を蹴って移動を始めた瞬間、戦闘の第二幕の火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 「逆境の内にも入らない」―――レイが言い放ったその言葉は、決して嘘でも虚栄でもない。

 標的(ターゲット)真っ当な(・・・・)生命体が六匹。それも、リィンたちにまで影響を及ぼさないように意図的に制御を掛けた”術”にまんまと嵌まる程度の魔法抵抗力(レジスト)しか有していない、それ程脅威度も高くない魔獣。

 旧校舎地下で先日出会ったイグルートガルムを悠々と凌ぐ程の”《暗黒時代》製の自立型生命体”を幾度も相手取ったレイにとっては、控えめに言っても脅威とは成り得ない。元が真っ当な生命体でないために異常事態等を引き起こす”術”は総じて効きが悪く、結局は物理攻撃でゴリ押しするしかなかったパターンを数多く経験してきたせいか、このように好き勝手ができる(・・・・・・・・)相手と他人の目を気にすることなく戦えると言うのは、本当に久しぶりのように感じていた。

 とは言え、完全に個人の感情のみを優先して露払いを引き受けたわけではない。

 この戦いが、このケルディック実習におけるA班の最終課題となる事は間違いない。

 リィンは昨日に比べれば格段に技のキレが増している事が道中でも見て取れたし、ケルディック街道やこの自然公園に出没する魔獣との交戦で、戦い慣れていないアリサやエリオットも随分と戦闘のコツを掴んできている。根が真面目で優秀であるためか、あの二人は実技においても呑み込みは早い。ラウラは言わずもがな、実習全体を通して頭一つ飛び抜けた技量を如何なく発揮している。

 レイがした事と言えば、戦術面での知識的な補佐や戦闘中におけるやや細かい指示だけ。メンバー全体を纏め上げていたのはリィンであったし、事実、実質的なリーダーとして彼は初戦にしては充分なほどの力量を見せていた。

 ならば、あの程度の大型魔獣ならば苦戦する事はないだろう。自分一人が抜けたところで、あのメンバーは上手く立ち回る事ができるとレイは踏んでいたし、実際精神的に立ち直りを見せたリィンを中心に的確に戦いを進めていけば万が一は起きないだろうと思っていた。

不安要素……というよりかは二つの悪性腫瘍を抱えたB班ならばいざ知らず、あの面子であるならば戦術リンクの発動と維持も問題はない。

 だからこそレイは、何の憂いも残すことなく露払いに回る事ができたのだ。

 

 

「……よし、こんなトコでいいか」

 

 レイが足を止めたのは、自然公園の最奥から距離にして500アージュ程離れた場所。最奥程ではないが周囲に木々がなく、そこそこ開けたスペースが出来上がっている。恐らくは、一般客用の休憩スペースか何かなのだろう。戦闘に巻き込んで木々を大量伐採などしようものなら後で何を言われるか分かったものではない。だからこそ、開けた場所を選んだのだ。

 標的の足音が、段々と近づいてくる。歩法術である”瞬刻”を使って戦域離脱を図っても良かったのだが、それではゴーディオッサーが自分を早々に見失ってしまい、散開してしまう恐れが多分にあった。だから速度をわざと落として逃げていたのだが、それでも随分と差が開いていたようだ。

 

 

「ま、見失わなかっただけ上等、ってか」

 

 やがて追いついた六匹を前に、レイは不敵な笑みを見せる。十二の獣眼から浴びせられる敵意の視線も何のその。更に挑発をする言葉を、彼は容赦なく放っていく。

 

「よぉ、ザコのエテ公共。はっきり言ってお前らじゃ役者不足なんだわ」

 

 無論、彼らは人間の言葉など解さない。だが、その言葉に侮蔑が入り混じっている事を本能的に察したのか、一体がそのまま殴りかかって来る。

 

「学院に入ってから2週間と少し経つが、どうにも本気で戦えねぇ。ま、平和なのもそれで良いんだけどよ」

 

 殴りかかった右腕が、気付いた時には肘の辺りから滑らかな断面を残して綺麗に切断されていた。そして鍔鳴りの音が鳴ると同時に、その一体の視線が縦に裂ける。

 

「それでもフラストレーションは溜まる一方だ。俺だってたまには息抜きがしたい。他人の目を気にすることなく、思うがままに剣を振るってみたくなる」

 

 ズズゥン……という重い音を立てて、絶命した一体が地に倒れ伏す。それを見た残りの五体は仇を討つために一斉に攻撃を仕掛けようとして―――止まった。

 

 

「あー、クソ。これじゃあの戦闘狂共にとやかく言えねぇじゃねぇか。―――まぁ、それはともかくとして、だ」

 

 

自分たちよりも圧倒的に体格で劣る一人の人間。しかしその人間の全身から、視覚化するほどの”ナニカ”が湧き出ていた。

反射的に、一歩下がる。彼らは漸く感じ取った。”コレ”は、自分たちが手を出すべき獲物ではなかったという事を。

 

 

「久しぶりに存分に暴れられる舞台が整ったんだ。お前ら頼むから―――数秒程度で殺さ(こわ)れてくれるなよ?」

 

 

 我慢できずに溢れ出てしまった覇気。それはレイにしてみればごく僅かなものでしかなかったのだが、この程度の魔獣にとってはそれも恐怖の対象になったらしい。

更に口角を吊り上げ、棚引く覇気を纏いながら、レイは再び駆けた。

 世界が、コンマ数秒単位で変化していく。直前までは何もなかった虚空に赤い飛沫が飛び散り、白銀の(ひらめき)が通った後に剪断された体毛が無慈悲に舞う。

しかし魔獣たちは、己の体液が噴出している様を見てもなお、自分が斬られた(・・・・・・・)事は理解していなかった。それを感じ取ったのは、世界が暗転して、最初の一体同様、無残な姿を地面に投げ出した後だった。

 

「……やっべ、また不完全燃焼だわ」

 

 はぁ、とやりきれない感情を噴出させる。今回も、半端に暴れてしまったせいで闘争心に火が付いたまま燻ってしまった。

せめてこの倍は数がいれば……と嘆くものの、いないものはしょうがない。手当たり次第に当たり散らすほど馬鹿ではないと自覚しているため、さっさとリィンたちを合流しようと足に力を入れた時、ふと先程の違和感を思い出した。

 

 

「(さっきの笛の音はエリオットも聞いていた……って事は俺の幻聴じゃねぇな。そんで音色が鳴り終わったと同時にグルノージャ(アイツ)が現れた)」

 

 木々の葉が触れ合う事で稀に音楽のような音色を奏でる事はあるのだが、レイが聞いたのは明らかに人工的に生み出された音色であった。立ち入り禁止であるこの区域でその音色が聞こえる事自体がまずおかしいし、その音色とグルノージャの出現が無関係であると割り切る事はできない。

 

「(辺りに人の気配はなし、か。ただの偶然か、それとも”逃げ”を知ってるヤツか……どちらにせよ、ちっと探ってみるか)」

 

 再びあの音色が鳴るようならば、かなり厄介な事態に陥る事も有り得る。

 

 それを憂慮したレイは、実りのなさそうな偵察に向かうために、その場を後にした。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 その頃リィンたちは、グルノージャを相手に戦闘を続け、優勢を保っていた。

 リィンとラウラの対角線上での両面攻撃、アリサの弓での牽制とアーツでの援護。エリオットが随時補助アーツで支援し続け、戦況は限りなく勝利に近づいている。

そうでなくとも前衛の二人は多少なりとも剣の腕には自信がある身の上であり、魔獣との戦闘経験もある。巨大な腕を振り下ろして行われる攻撃も確実に見切って回避しており、今のところダメージらしいダメージは負っていない。

 だが、相手は仮にもこの広大な自然公園のヌシである。

無論、このままで終わるはずがなかった。

 

 

―――ヴォオオオオオオオォォォォッ!!

 

 

 耳を劈く咆哮を放つ。それを境にグルノージャは、より一層破壊力のある攻撃を繰り出すようになった。

 手負いの獣。山岳地帯の近くで育ったリィンは、その恐ろしさを良く知っている。中途半端傷つけられ、怒りを露わにした魔獣は、できるだけ早く倒すに越したことはない。

 

「くっ……!!」

 

 先程までとは段違いの威力で振り下ろされる剛腕の一撃を躱したラウラだったが、その顔には僅かな焦りが見える。周囲を見渡すと、アリサとエリオットも同じような表情を浮かべていた。

 

 大前提として、大型魔獣と人間とでは生命力・膂力その他諸々で大きな差がある。それを覆せると思う程、リィンは愚かではなかった。

ならば、どうするか。

 

 生命力で敵わなければ、それを上回る攻撃力で。

 膂力で敵わなければ、それを翻弄できるだけの俊敏さと技で。

 

 こちらが有利とする手札は変わらない。だが、咆哮一つで先程までは疑いようのなかった優勢に綻びが出始めている。

 

 ならば、この戦いはこれ以上長引かせてはならない。

恐らくレイがいても、そう提案するだろうと思ったリィンは、自分の愛刀を一瞥した。

 

 

「(……”アレ”なら、一撃で仕留める事ができるか?)」

 

 

 それは、嘗てユン老師に稽古を付けて貰っていた時に自分で生み出した剣技。

 しかし、修行を打ち切られてからは使う事はなかったため、ブランクは長い。一撃必殺の威力が出せるか否かという以前に、発動が可能かどうかも分からなかった。

 

「(……いや、今の俺ならできる!! 迷いを払った今なら!!)」

 

 以前のリィンならば、迷った末に断念していたかもしれない。だが、自分の剣に恥じる事がなくなった今ならば、振るう事ができると確信していた。

今はいないクラスメイトに改めて心の中で礼を述べ、リィンは顔を上げる。

 

 

「皆!! 10秒だけ時間を稼いでくれ!!」

 

 

 アリサたちはその言葉に一瞬だけ目を丸くしたが、それ以上の言葉は不要だった。

 戦術リンクで各々を繋いでいる今であれば、リィンがこれから”起死回生の一撃を放つ”という事も理解できたからだ。

 

「「「了解!!」」」

 

 言うが早いか、三人は一斉攻撃を始める。リィンが指定した10秒。それだけの時間を稼ぐために。

 

 

「アルゼイド流―――『鉄砕刃(てっさいじん)』‼」

 

「燃え尽きなさい―――『フランベルジュ』‼」

 

「行くよっ―――『アクアブリード』‼」

 

 

 ラウラの放った衝撃波が、アリサの放った炎を纏った矢が、エリオットの放った水撃のアーツが、それぞれ同時に被弾する。

 グルノージャがその連撃に耐えるように再び咆哮を挙げようとしたところで、体勢を立て直したラウラの大剣の一撃が間髪を入れずに入る。

これには流石に体勢を保つことができず、グラリと大きく崩れた。

 

 

「今よっ!!」

 

 アリサが叫ぶ。その言葉にリィンは、ただ首肯を返す。

指定の10秒が経過したところで、彼は閉じていた眼を力強く開いた。

 

 

「―――焔よ、わが剣に集え」

 

 

 詠唱ではなく、自己暗示の言霊。

その声を切っ掛けに、リィンの体内に眠る、彼自身の魔力が”焔”へと変換され、刀身へと宿る。

血払いするように一振り。火の粉を巻き上げて燃え盛るそれをただ維持しながら、リィンはグルノージャの懐へと飛び込んだ。

 

「はああああああ―――――ッ!!」

 

 (ざん)ッ!! という言葉が具現化するほどに力強く振り下ろされた太刀は、過たずグルノージャの巨躯を捕らえ、体毛を燃やすと共に決して小さくはない斬傷を刻み付けた。

 そのダメージは大きく、グオオオオォォォッ……という鳴き声と同時に両足から崩れ落ちる。しかし、ヌシの矜持がそうさせるのか、未だ地に伏してはいない。小さくはない傷を負いながらも尚抗おうとするその姿は、威風すら醸し出していた。

 

 

「……ちょ、ちょっとタフ過ぎない!?」

 

「あれだけの攻撃を受けて尚倒れぬか。魔獣相手ではあるが、見事だな」

 

 

 しかしリィンは、既に刀身を敵に向けてはいない。グルノージャはそんなリィンの姿を一瞥すると、徐に踵を返した。

 

「えっ?」

 

 エリオットの疑問の声も尤もだった。立ち向かうでもなく、遁走するでもなく、ただ悠々と森の中へと帰っていくその姿。まるでリィンたちが追撃しない事を分かっているかのような行動に、一同は緊張の糸を漸く緩め始めた。

 どうせ追う気力もないだろうと侮られたのか、それともリィンたちを自然公園のヌシとして実力を認めたのかは分からないが、とにかく、勝利をもぎ取ったのには違いない。

 

 

「~~~はあぁぁぁ~っ」

 

「つ、疲れたぁぁっ」

 

 勝利を確信した瞬間、アリサとエリオットがその場に崩れ落ちる。

リィンとラウラも剣を鞘に収めた後に膝立ちになり、そこで初めて弱みを見せた。

 

「ふぅ……危なかったな」

 

「全くだ。私もまだまだ井の中の蛙であったと思い知らされたぞ」

 

 あそこで戦いが続いていたのなら、どちらが勝っていたのかは分からない。そういう意味では、限りなく敗北に近い勝利であったとも言えるだろう。

その事実を、四人はしっかりと身に染みて受け止めていた。

 

「レイは、大丈夫かな……?」

 

 エリオットがポツリと漏らしたその言葉に、しかし三人は笑みを見せる。

 

「心配ないだろう。きっと、俺たちより上手くやってるさ」

 

「うむ。何故だか負けている情景が頭に浮かばぬな」

 

「普通に『お疲れさん』とか余裕の表情で帰ってきそうね。いや、多分そうでしょうけど」

 

 それぞれが笑い、一変して和やかなムードが漂う。そうして数分が経ち、全員がゆっくりではあるが立ち上がった。

後は、レイが無事に帰って来るのを待つだけ。その前に盗難品の確認などをしておこうと歩き始めた瞬間、彼らの耳に再び笛の音が聞こえた。

 しかし、先程のそれとは音色が違う。何より、吹いた張本人が既に彼らの視界に入っていた。

 

 

「居たぞ!!」

 

「逃がすな、取り押さえろ!!」

 

 

 最奥に駆けつけたのは、領邦軍一個小隊七名。小銃で武装した彼らは、迷う動きすら見せずにリィンたちを取り囲んだ(・・・・・・・・・・・)

 

「……何故、我らを取り囲むのだ?」

 

「黙れ!!」

 

「学生だからと言って、容赦はせんぞ!!」

 

 ラウラの当然とも言える疑問にも答える気はさらさらないらしく、けんもほろろに怒鳴り散らす兵たち。

すると、朝方に大市に乱入してきた隊長格の男が、リィンたちの前に堂々と立ち塞がった。

 

 

 領邦軍と管理局員に扮した盗賊が密約関係(グル)である事。それは、既に分かっていた事だった。

 だが、いや、だからこそ、領邦軍はこれ以上派手な動きはしてこないものだと、リィンたちは高を括っていた。これ以上動こうものならば、彼らの暗躍も表沙汰になってしまう可能性がある。

そんな愚は侵さないだろうと、そう思っていたのだ。

 

 しかし、思っていた以上に(・・・・・・・・)愚かであった事に、流石に開いた口も塞がらず、呆れ果ててしまったほどである。

 

 犯人はそこで気絶している連中だと伝えてはみるものの、男はまともに取り合おうとはしない。

そしてその後に続けた言葉に、リィンたちの憤慨は頂点に達しかけた。

 

 

「彼らがやったという証拠はなかろう。可能性で言うならば―――君たちも有り得るのではないかね?(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 クロイツェン州の領内にて、領邦軍の権限は確かに高いものである。彼らが白いものを黒と言い張れば、高い確率でそれが罷り通ってしまうくらいには。

 とは言え、そのような暴挙が許されるはずもない。どうにかしてこの場を切り抜けようと思考を巡らせていると、男がある事に気が付いた。

 

「む? ……大市で私に突っかかってきたあの眼帯の少年はどこにいった?」

 

「……生憎と、今はいませんよ」

 

「別行動をしていてな。―――もしかしたら、そなたらの暴挙を見て町に通報しに行ったのかもしれぬぞ?」

 

「なっ……!?」

 

 そこで男は、初めて表情を曇らせた。

事実を隠蔽するためにここまで独断で事を進めて来たのは良かったが、これが大市元締めらの耳に入るようならば再び混乱を招く事になる。そうすれば、公爵家が何を言ってくるか、分かったものではなかった。

それを防ぐため、男は部下に対して必死の形相で命令を下した。

 

「えぇい、探せ!! 必ず探し出して一刻も早くここに連れて―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――その必要はねぇぜ? 隊長サン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこからか聞こえた声の後、暴風と共に、リィンたちは円状の銀閃を見た。

 その軌跡は取り囲んでいた兵たちの小銃を瞬く間に破壊し、風圧で数メートル先へと体を吹き飛ばした。

 

 

「うわああっ!!」

 

「ぐっ……何だっ、これは!!」

 

 

 一同が、風が収まり目を開ける。

 男の眼前で静かに納刀を終えたその少年は、怒るでもなく、呆れるでもなく、ただ嘲笑を浮かべていた。

 

 

「八洲天刃流【剛の型・薙円(なぎまどか)】―――ご照覧、ありがとうございましたっと」

 

 

 鞘入りの長刀をまるでバトンのように器用に手元で数回転させると、振り返り、リィンたちを見やった。

 

「お疲れさん。上手くあの魔獣は退けたみたいだな。いやー、心配は無用だったか?」

 

「……ハハ、本当にアリサの言う通りの感じで帰って来てくれたな」

 

「まさか当たるとは思わなかったけどね……」

 

 レイが兵士たちを一瞬で無力化した事については最早誰もツッコまない。彼らの神経も程よく麻痺してきていた。

 しかし勿論、力で一時的に兵力を捻じ伏せた程度で事態が好転するはずもなかった。

 

 

「き、貴様!! 何をしたか分かっているのか!?」

 

「んぁ? あーはいはい、モチロンですよ。銃を突きつけられてる状況でオハナシとかフェアじゃないんでね。とりあえず軽く一掃してみた。後悔はしてない」

 

「栄えある我ら領邦軍に手を挙げたのだぞ!! この事が公爵家に伝われば貴様は―――」

 

「あー、うっさいうっさい。この程度でゴチャゴチャぬかすような三下はお呼びじゃねーんだっつーの」

 

 男の恫喝も馬の耳に念仏といった様子で、心の底から面倒くさそうな表情を見せたレイは、右手でしっしっ、と払うような仕草を見せる。

そして、兵たちが漸くのそのそと立ち上がり始めたのを見計らって、どこか気の抜けたような口調で続けた。

 

「生憎とそっちの対策は打ってあんだよ。とりあえずこういう最悪の状態を想定してはいたんだが……いや、ビックリだわ。特に迷う素振りもなくこんなアホな行動を取れるアンタらの神経を疑うね」

 

「な、何っ!? 我々の何が―――」

 

「アタマ捻れっつてんだよ、アホ。俺たちは、”何の罪もない士官学院生”なんだぜ?」

 

 帝国における、『トールズ士官学院』の名は大きい。そこに所属する学生を冤罪で拘束したとあっては、たとえ絶大な権力を持つ公爵家と言えど、多少の非難は免れない。

 ましてやⅦ組は、学院長及び機関運営に関わる人物たちの肝いりの集団である。それらの人物を全て相手取るのは、さしもの大貴族と言えども難しいだろう。

 虎の威を借る狐と言われてしまえばそれまでだが、未熟な身の上で士官学院と言う庇護下にある以上、借り受けるのは当然の権利である。ましてや、善行を働いた結果として不遇な処置を取られそうになっている今であるならば、尚更だ。

 

「アンタらは紛いなりにも軍人。なるほど、確かに公爵家(うえ)からの命令は絶対なんだろうさ。だがそれは、軍全体の品位を貶める理由にはならねぇよなぁ?」

 

 もしここに領邦軍が介入してきた際の正しい処置を考察するのだとすれば、リィンたちに見向きもせず、即座に盗賊たちを連行すべきであったのだ。彼らが不用意に口を割る前に手元に拘束してしまえば、後は如何様にも処置はできる。そうなれば、レイも最後の一手を使わずに済んだのだ。

 しかし現実は予想を遥かに上回って愚かであった。彼らが拘束しようとしたのはリィンたち。計画を潰されたという目先の憤懣に駆られた末の蛮行に他ならない。それがどんな結果を齎すか、よく理解もしていないくせに。

 

「ぐっ……」

 

「だから、今ここで選べ」

 

 眼差しを真剣なそれへと変えたレイは、柄頭を男に突きつけて問う。これが最後の選択肢だ。せいぜい間違えないように気を付けろと、暗にそう言及しているかのような威圧をかける。

 

 

「誇りと品位を重んじて潔く手を引くか、それとも下らない妄執に囚われたままに蛮行を続けるか。あぁ、勿論、後者を選んだ場合は俺がとことんまで相手になるぜ? 泣いて逃げ出す無様を晒したくなかったら、前者を選ぶことをお勧めするね。それならば、俺もアンタらに最底辺の敬意を示す事ができる」

 

 

 男はその愚弄するかのような言葉に歯軋りをする。その憤怒は最早臨界点を突破し、冷静な判断は望めなくなっていた。

 その単純な感情に身を任せ、腕を高く振り上げる。

 

「弁えろ、平民風情が!! 我らをとことんまで愚弄した罪、その身に刻ませてくれるわ!!」

 

 その激昂に、レイは再び嘲笑し、柄に手を掛ける。

しかし、その直後―――

 

 

 

 

「そこまでです」

 

 

 

 緊迫した状況に相応しくない、涼やかな声が一帯に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ただ一つの理由

もう今年も終わり……くだらなく哀愁に浸りながら11月最後の投稿を致します。

お待たせしました。そしてごめんなさい。これにてケルディック編は終了となります。

思えば序章の時から性懲りもなく続けてしまった”終わる終わる詐欺”。今後はこんなことがないように、前書きや後書きで不用意な発言はしません!!

今回? ちゃ、ちゃんと終わっておりますってば。えぇ、はい。


 PM5:00―――ケルディック大市内にて。

 

 

「そんじゃ、ジャガイモ五箱とニンジン三箱、タマネギ三箱にネギとタマゴを二箱ずつ。それと岩塩10キロお願いしまーす」

 

「まいど!! いや~、箱単位で買ってくれるお客さんがいてくれると助かるわ。それに兄ちゃん、えらい値引き上手やな」

 

「食べ盛りの学生相手にメシ作ってるんで、このくらいは基本技能っすよ。あ、領収書下さい」

 

「おおきに。で? 搬送はどうするつもりや。数日後でええんなら貨物列車に乗せて届たるで」

 

「大丈夫っす。駅員と話をつけて貨物スペースに乗せてもらうことになりましたんで。あ、お金これで」

 

「ひぃふぅみぃ…………ちょうどやな。兄ちゃん、またケルディックに寄る時はライモン食材店をよろしゅうな」

 

「うぃーっす♪」

 

 

 目的の一つである大市での食材の買い付けを終えた後、レイは客も疎らになり始めた市の中で何をするでもなくうろついていた。

この二日間、結局まともに見て回る事ができなかった市をぐるりと一周してみると、実に様々な種類の店舗が出店していることが分かった。ぬいぐるみ屋にハチミツ専門店、薬品店に陶器を扱う店舗、加工した食材を調理して売り出している店もあり、見ているだけでも飽きが来ない。

 一通り見て回った後に、市の奥に設けられた休憩スペースに腰を下ろす。流しの音楽家が奏でる心地よい楽器の音色に耳を傾けながら、レイは数時間前の出来事を回想した。

 

 

 

 

 《鉄道憲兵隊(Train Military Police)》―――通称”TMP”と呼ばれるその組織は、《鉄血宰相》ギリアス・オズボーンの肝煎りで設立された、正規軍の精鋭部隊である。

 彼らの任務は帝国全土の治安維持。国土全域に張り巡らされた鉄道網を”足”とした高い機動力を以て各地に展開する彼らは、領地の治安維持という相似した役割を担う領邦軍に、蛇蝎の如く嫌われているという背景を持つ。

 しかし、それは裏を返せば領邦軍と正面から渡り合えるという事実を現している事でもある。

『革新派』の象徴とも言えるこの部隊を統率するのは、24という若さの女性士官。

 その女性とレイは、過去に一度だけ戦場で背中を預けた事がある、戦友同士でもあった。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

「ナイスタイミング、クレア中尉―――いや、今は大尉なんだっけか」

 

「えぇ、お久しぶりです、レイ君。直接会うのは一年ぶりくらいですかね」

 

 

 自然公園の最奥にて、一触即発の空気の中に割り込んで来た玲瓏(れいろう)な声に、レイは驚く事なく反応した。

 鮮やかな薄水色の髪をサイドテールに纏め、灰色の軍服に身を包んだ若い女性。贔屓目に見ても”美人”という概念から外れない彼女が見せた僅かな微笑みに、リィンとエリオットのコンビは少しばかり呆けていた。アリサに腕を抓られて直ぐに正気に戻ったが。

 

 クレア・リーヴェルト。帝国正規軍の中でも精鋭が揃う《鉄道憲兵隊》を統率する若き才媛。

 

 その可憐な容姿と、常人を遥かに凌ぐとされる圧倒的な処理能力を指して《氷の乙女(アイスメイデン)》の異名で呼ばれる彼女は、最新鋭の導力小銃で武装した部下数名に指示を飛ばして、領邦軍への警戒と盗賊の身柄確保を行うと、隊長格の男の方を、やや険のある目つきで見据えた。

 

「この場は今後、我々鉄道憲兵隊が取り仕切らせていただきます。領邦軍の方々はケルディックの詰所までお戻りください」

 

「……何のつもりだ?」

 

 怒気の籠った男の声が返される。

常識的に考えれば、総じてプライドの高い領邦軍の指揮官がこの類の提案に頷くとは思えない。それは、この場においても例外ではなかった。

 

「ここはアルバレア公爵の治めるクロイツェン州の一画。貴公らに邪魔立てされる謂れはない」

 

 言葉こそ体裁上取り繕ってはいるが、露骨なまでの拒絶な反応。

しかしその言葉を受けても、クレアの対応は冷静沈着を絵に描いたようなものだった。

 

「お言葉ですが、ケルディックは帝国鉄道網の拠点の一つです。そのため、我々にも捜査介入権限がある。……ご存知ですね?」

 

「ぐっ……」

 

「加えて大市の商人の方々や元締めの方から事情を伺った結果、彼ら学生が盗難事件の犯人である可能性は極めて低いと判断した末での行動であり、正当性は高いと自負しております」

 

「…………」

 

「何か異議はおありでしょうか?」

 

 沸点の低い領邦軍相手にも一切物怖じしない胆力と、反論をする間も与えない論理的推察の連撃。加えて、相手が言い返してこない状況を瞬時に見抜いて会話を一方的に打ち切る事で、相手の同意を促す話術。

 このような場に慣れていなければ駆使できないスキルである。大市の場で披露したようにレイにも一応の心得はあるが、あれは自分たちに多少の余裕がある状況だからこそできたものであり、このような一触即発の状況を話術だけで切り抜けるほどの腕前ではない。

 

「(流石、生半可な修羅場は潜ってきてねぇってか)」

 

 レイがそう感心すると、男は小さな舌打ちの後に忌々しげに口を開いた。

 

 

「……フン、特にない」

 

 その後の憲兵隊の隊員の動きは実に迅速だった。漸く目を覚ました盗賊たちを手際良く連行し、盗難品の返却処理を行うため、品物の確認を始めた。

 それを横目に、領邦軍は撤退を始める。しかし去り際に、クレアとレイを見て、一言ずつ言葉を残していった。

 

「……鉄血の狗が。今に痛い目を見ると覚悟しておけ」

 

「……………」

 

「貴様もだ、小僧。我らを侮辱した罪業、いずれ贖って貰うぞ」

 

「はっ、公爵家の狗(・・・・・)が吠えんな。とっとと帰れ」

 

 わざと挑発するように返すと、男は更に眉間の皺を深くしたが、特に何を言うでもなく去って行った。

 それを見届けると、クレアとレイは一つ溜息を吐いた。

 

 

 

「ふふっ、変わりませんね。どんな相手にも我を貫き通すあたりは、特に」

 

「昔っから不器用なところは生憎と変えられなくてな。ああいう連中には最後に一噛みしたくなる」

 

「仲間を傷つける存在には、ですか?」

 

「己の信念を貫けないくせに権力に媚び(へつら)う奴らには、だ」

 

 そんな言葉を交わしていると、憲兵隊の女性隊員の一人がクレアに近づいて、敬礼と共に報告を済ませる。

 

「大尉、犯人の連行、及び盗難品移送の準備が整いました」

 

「了解しました。品物は細心の注意を払って運び出して下さい」

 

「はっ。―――あらレイ君、お久しぶり」

 

「どーもです、ドミニク少尉。カレル離宮から帰るときにはお世話になりました」

 

 

 何の不自然さもなく憲兵隊の人たちと会話を交わすレイを見て、リィンたちは驚いたような表情のまま小声で言葉を交わす。

 

「(……何かまたレイの謎が増えたような気がするな)」

 

「(う、うーん……確かにあんな美人な人とお知り合いみたいだしね)」

 

「(しかもそれが帝国正規軍最精鋭部隊の人物だ。気になるのは仕方なかろう)」

 

「(もしかしなくても、レイって凄いモテるんじゃない?)」

 

「(というか、もしそうだったら……)」

 

 

「「「「(年上好き?)」」」」

 

 

 

「お前ら全員横一列に並べ。なぁに、ちょっと三分の一殺しにするだけさ」

 

「「「「すみませんでした」」」」

 

 

 一見にこやかな表情を浮かべてはいるものの、その背後に鬼と獄炎がはっきりと見えたため、即行で謝る四人。

クレアはそんな四人を見やると、僅かに頬が染まった状態から、いつもの余裕がある表情に戻って職務の続きを果たしにかかる。

 

 

「そちらの方々には初めまして、ですね。帝国鉄道憲兵隊所属大尉、クレア・リーヴェルトと申します。今回はお疲れ様でした。」

 

 年下であり、士官学院生に過ぎないリィンたちに向かっても畏まった所作で自己紹介を行った後、労いの言葉をかけてから運び出されている盗難品の方を一瞥し、続けた。

 

「調書を取りたいので、少しばかりお付き合いいただけますか?」

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 調書、と言ってもそれほど大仰なものではなく、事件のあらましと経緯を簡単に説明するだけで終わった。それも、早めの夕食を摂りながらであったためか、終始緊迫した雰囲気からは離れていたように思える。

その原因として、最初から緊張の”き”の字も見せずに、まるで友人と会話でもするかのようなノリで話していたレイの存在が大きかったのだろう。親しみやすい雰囲気があるとはいえ、相手は正規軍の精鋭部隊の指揮を執る軍人。もしリィンたちだけであったなら、とても食事が喉を通らなかったのは想像に難くない。

 

 その一連の作業が終わった後、A班の面々は次の列車の到着時刻まで各々自由に過ごすことになった。

そこでレイは、実習地がケルディックであると聞かされたその時から計画していた事を実行に移しにかかった。そう、新鮮な食材の買い出しである。

 別にトリスタの『ブランドン商会』の品揃えに不満があるわけではない。だが、ケルディックの大市ではその名の通り、ダイレクトな産地直送の野菜類が安く、しかも大量に手に入るのである。それを見逃すわけにはいかなかった。

 そして、青果類を扱っている『ライモン食材店』の店長、ライモンとの大量購入を交渉材料にした値引き合戦の末、手持ちの経費で納得のいく食材が買えたのである。先ほどまでの戦闘面での欲求不満は、いつの間にかレイの中から掻き消えていた。

 これで1週間は(厨房で)戦える。そう思って口元が緩んで鼻歌まで出ていたレイに、声をかけてきた人物がいた。

 

 

「ご機嫌みたいですね、レイ君」

  

「……いつから見てた?」

 

 いつの間にか傍らに立って微笑ましくこちらを見守っていたクレアにそう問うと、彼女は混じりけのない優しい笑顔で偽りなく答えた。

 

「レイ君が昔作ったと言っていた歌を鼻歌で歌い始めた所からですね」

 

「うあああぁぁぁ…………」

 

 先ほどまでの上機嫌な雰囲気から一変、頭を抱えて唸るレイ。

知己の人物に油断してた姿を晒しただけでも恥ずかしいのに、鼻歌の曲が昔子供特有のノリで仲が良かった人間と作った黒歴史モノであったという事が更に拍車をかけた。

 しかも聞かれていたのがサラとかなら物理的に黙らせる事もある程度可能なのだが、この女性が相手ではそれも不可能である。手を上げる自分が想像つかない。

 

「……活断層があったら入りたい」

 

「地形がずれる可能性があるので止めましょうね。向かいの席良いですか?」

 

「あ、はい」

 

 今ひり出せる渾身のボケもあっさりと理知的に返されたためか、レイの精神力は容赦なく削られていき、限界も近かった。

普段、リィンたちの前では絶対に見せない姿である。

 

 

 

「それにしても、奇縁ですよね」

 

「? 何がだ?」

 

「あなたが帝国の、それも士官学院に入学したことです。勝手ながら、縁遠い選択だと思っていましたから」

 

「俺だってあのままだったら普通にクロスベルで遊撃士やってたさ。でもあの変た……い皇子のせいでな」

 

「何で今言い直そうとしたのに諦めたんです?」

 

 事実だから、と言いながら続けた。

 

「別に後悔はしてない。帝国に良い思い出はないけどさ、学生生活ってのも悪くないって思うようになってきた」

 

「トールズはどうですか? 私も卒業してからは一度も学院には寄っていないので、少し気になります」

 

「いや、俺6年前の事なんて知らんもん。ただ……まぁ、良いところではある、と思う。貴族生徒の中で話が通じる奴は少ねぇけど、自主性は尊重してくれるしな」

 

 どこかで鴉の鳴く音が聞こえてくる。未だ僅かに寒さが残る夕暮れの風を感じながら、思う。

今頃トールズでは、授業を終えた学生たちが部活に汗を流しているのだろうかと。役割柄、部活に入らずにそんな彼らを横目に下校することが多いのだが、たまに時間が空いた時などは料理部や、個人的な興味などで技術棟に顔を出していたりする。

だから、分かるのだ。学生が学院生活を送るという、当たり前で、だからこそ幸せな時間の意味が。

 

「《子供たち》のお前なら知ってるはずだ。俺がどんな人生を、どれだけその”幸せ”から縁遠い人生を送ってきたのかを」

 

「…………」

 

「お前と初めて会った6年前、一緒に戦った2年前。身を置く場所は違っても、俺の在り方は変わってなかった。今は……どうだろうな?」

 

 自虐気味な笑みを浮かべてそう言うレイに、クレアは僅かに逡巡して、そして答えた。

 

「……そう問いかけている間は、あなたは変わらないでしょう。その自責の呪縛からは、逃れられません」

 

「……はっ。いいね、はっきり言ってくれた方が分かりやすくていい。―――そうか、このままじゃ変われない、か」

 

 椅子を揺らして天井を仰ぎ見る。サラとはまた違う観点から、自分の”弱さ”を指摘し、窘めてくれる存在。

自分が捻くれた性格をしている事は分かっている。指摘されたからと言って直ぐに生き方を変えられるほど、器用な性格ではないという事も。

リィンやアリサに偉そうな事を言っておきながら、その本質は自分の生き方を定められない弱者。如何に剣の腕が立っていようが、結局はリィンと同じく”迷っている”者だ。

 彼と違う点といえば、レイは己の”剣の道”に対しては心を偽っていないという事。

 自分が剣を手に取り、技を振るう理由は、いつだって同じ。それはそこだけは揺らいではならないと常に言い聞かしていた結果であり、自分の今までの生き方が導いた結果であった。

 

 自分と浅く関わった人達は言う。「年齢の割に大人び過ぎている」「達観していて、大人顔負けの精神を持っている」と。

 そんなわけがない、とその度にレイは心の中で嗤った。

どれだけ過酷な日々を過ごしていようと、自分はただの十代の子供(ガキ)でしかない。本当の意味での達観など、できるはずがないのである。

 

 だからこそ、心のどこかでは欲している。

 自分よりも長く人生を生き、自分がまだ見ていない視線からの慧眼で以て支え、時に戒めてくれる声を。

 

 お前はまだ未熟なのだと、改めて理解させてくれる存在を欲する。

ある意味でそれは、年相応の人間の我儘でもあった。

 

 

「いいさ、上等だ」

 

 だからこそレイは、その我儘を糧にする。

できるならば、足踏みなどはしたくない。前に進めるのならば、一歩ずつでも進んでいく方が、自分の性に合っている。

 

「ふふっ、レイ君なら心配はないでしょう。―――先ほど話を聞いた限りでは、《天剣》の絶技は衰えていないようですしね」

 

「いやー、ムリムリ。格段に最盛期よりかは遅くなってるさ。今のままだとヨシュア―――俺の親友に技が見切られる可能性がある。ちとマズいな」

 

「……ヨシュア・ブライト。あの(・・)カシウス・ブライトさんの養子、でしたね」

 

「流石に2年前に世話んなった人間の事は調べてるか」

 

 嘗ての自分の(あざな)を出された事に僅かに顔を顰めながらも、不思議と不満は湧いて来なかった。

レイは傍らに立てた長刀の柄をさらりと撫でる。3週間前に旧校舎地下でフィーはああ言ったものの、遊撃士稼業を休業してから早数か月が経ち、以前よりかは確実に実力は衰えただろう。

平和ボケ、と言い換えてもいいかもしれないが。

 

「……やっぱ俺、修羅の人間かもしれん。戦ってないと不安になってくる」

 

「仕方のない事でしょう。あなたがその技を身に着けるために費やした労苦を鑑みれば、衰えを恐れるのは普通です。……も、もし不安でたまらないのでしたら、私がお相手いたしましょうか?」

 

「う……い、いや、止めておく。お前とガチで戦ったら他の隊員に迷惑かけるし、何より……また《鉄血》のオッサンに目をつけられる」

 

 一度は信頼して背中を預けた事もある彼女の言葉に若干魅力的なものを感じたのだが、頷く事はなかった。

ここで一瞬でも悩む時間があった事に自分の末期さを再確認したレイは、更に落ち込む。

 その姿を見たクレアは、何故か慈愛を含んだ優しい表情を見せ、落ち込むレイの頭を、そっと撫でた。

 

「……本当に、変わりませんね」

 

「だから言ってんだろうが、不器用だって。てか、頭撫でんな。恥ずい」

 

 そういう意味ではないんですけどね、とクレアは心の中で呟く。

手入れも何もしていないはずなのに滑らかなレイの髪の感触を若干の嫉妬交じりに堪能しながら、回顧する。

 この小柄な少年の、死地に赴いた時の頼り甲斐のある背中。そして自分では決して届かない境地に身を置く姿。歳は7つも離れているはずなのに、戦っている時の彼は、どこか遠く感じられた。

 しかし、今目の前にいるのは歳相応の表情を見せるただの学生だ。そう思うと、初めて出会った6年前にも感じた保護欲がそそられてしまう。

 

「変わってねぇって言ったら、お前の方も大概だろうが」

 

「? 私も、ですか?」

 

「今回の件で利用しちまった俺が言うのも何だけどよ。何でそこまで俺に良くしてくれるんだよ」

 

「―――そんなの、当たり前じゃないですか」

 

 銀交じりの黒髪から手を放し、その手をレイの右手の甲に重ねる。

久しく感じてなかった女性特有の温もりを感じて僅かに動揺するレイを余所に、クレアは続ける。

 

「二度も助けてくれたんです。二度も命を救ってもらったんです。恩義とか、それ以外とかを感じるのは当たり前じゃないですか」

 

「…………」

 

「今回だってそうです。レイ君が知らせてくれなかったら、ケルディックにおける領邦軍の振る舞いは必ず悪化していたでしょう。利用されたなんて、思っていません」

 

 ふと、自分が目の前の女性士官宛てに飛ばした二体の式神を思い出す。

一体目に込めたのは忠告のメッセージ。二体目に込めたのは、出動要請のメッセージ。その出動も、場合によっては無駄骨になる可能性すらあったのだ。これが、利用していたという以外の何だと言うのか。

 

 

「私は帝国軍人で、そして宰相閣下の手駒の一人でもあります。この一身は国のために捧げるという覚悟も持っています。でも―――誰かを信じて行動してみたいと、そう思ってはいけませんか?」

 

 

 真摯な眼差しでそう言い切ったクレアの言葉に、レイは白旗を挙げた。

やはり”揺れない”。彼女の意思は、清々しいくらいに真っ直ぐだ。

 

「物好きだなぁ。俺に入れ込んでもロクな事ねぇぞ?」

 

「障害が多いのは覚悟していますよ。あなたが、色々なしがらみを抱えているのも分かっていますし」

 

「……そこまで分かってて何で―――」

 

「まぁ、そこは女性の秘密の一つという事です。―――そうですよね? サラさん」

 

 

 そんなクレアの言葉に促されるように休憩スペースに入って来たのは、その通りの人物だった。

 僅かに不機嫌そうな雰囲気を醸し出したⅦ組の担当教官は、溜息を一つ吐いて「そうね」と同意した。

 

「ま、あなたに言われるのも癪な気がしなくもないけれど。《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》のお一人さん」

 

「……やはり、私が憎いですか? あなたの居場所を奪った組織の一人である、私が」

 

「……前はそう思ってたんだけどね。今はそうでもないわ。そもそもあの時動いてたのは情報局の人間が中心だったしね。それに、レイ(この子)が信頼してる人間を、アタシが嫌うわけにはいかないじゃない」

 

 レイは自分が引き合いに出された事で肩を竦め、席を立つと再び大市の見学へと戻って行った。

休憩スペースの近くのハチミツ専門店で足を止めて商品を吟味している彼の姿を見ながら、二人の女性は向かい合う。

 

「でもまぁ、今回は助かったわ。アイツの要請に応えてくれて、どうもありがとう」

 

「いえ。憲兵隊大尉としての判断でも今回は出動するべき案件でした。……レイ君を信頼していたという点では、確かに私情は含まれていたかもしれませんけどね」

 

「ま、アイツの洞察力はかなりのものだしね。だから、アタシも他の子たちの事をアイツに任せられたんだけど」

 

 互いにレイ・クレイドルという少年を信頼する者同士。そうなった経緯こそ異なるが、思っている事は変わらない。

一瞬だけ、お互いの心の内を見透かすような鋭い視線になったものの、すぐにその空気は霧散した。

 

「……今ここでいがみあっても仕方ないわね。アタシもあなたも、どうせアイツの事で考えてることは一緒みたいだし?」

 

「そう、ですね。でも、彼の心は少しずつ動き始めているみたいですよ」

 

 その視線の先にいたのは、いつの間にか合流していたA班のメンバーと笑顔で会話をしながら大市の中を歩いていく姿。

本来、ああであるべき姿を見たサラは、どこか安堵したような表情を見せた。

 

 やはり、間違ってはいなかったのかもしれない。

 学生としては異常(イレギュラー)もいいところのスペックを誇るが、その心はまだ成熟しきってはいない。

 その心情をすべて理解しようなどと、烏滸がましい事は考えていない。彼を理解し尽す事ができるのは彼だけなのだし、彼の求めている”答え”は、きっと自分たちが掬い上げて得られるものではないのだから。

 もどかしくない、と言ってしまえば嘘になる。だが、彼を信頼しているからこそ、今は見守るだけでいようと、そう律しているのだ。

 

 

「あーあ、先は長そうだわー」

 

「ふふっ。級友と共に悩めるのは学生の特権です。羨ましくもありますね」

 

「……言っとくけど、あなたにこの役割を譲るつもりは毛頭ないわよ?」

 

「分かっています。それは、私も同じ思いですから」

 

「あらあら、《氷の乙女(アイスメイデン)》にしては随分お熱いこと。―――ま、張り合いがあっていいけどね」

 

 やや夜の影が落ち始めて来た夕暮れの下で女性二人が微かな火花を散らし、片や学生たちの方は友情を深め合って残りの滞在時間を謳歌していた。

  

 こうして初めてのA班の”特別実習”は、メンバー全員が何かしらを得ることができるという、大成功の下で終わりを告げたのであった。

 

 

 

 




どーしましょ。次の実習編に入るまでに閑話を入れたいですねぇ。前回も書いた”日常譚”的なものを。

あ、そうだ。フィーに御馳走作ってあげなくちゃいけない約束をレイ君がしていたような……まぁ、考えておきます。はい。



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第2章
傾げる信頼


投稿が遅れて申し訳ありません。

12月に入ってどうにも忙しくなってしまいまして……本当に、師走とはよく言ったモンです。

閑話のつもりで書きたかったのですが、説明の部分が多くなってしまいました。
いやー、ままならないものですね。




気が付くと、目の前に広がっていたのは白と黒で構成された空白の世界。

 

 生命の息吹は全く感じられず、ただその二色だけで彩られた永遠に広がる白い世界の砂漠の上に自分は立っていた。

 

 着ていたのは、いつもと変わらない学院の赤い制服。黒白(モノクロ)の世界で鮮やかなその色は、ある意味で世界の異端だった。

 

 

『似合わないね、その制服』

 

 

 声をかけて来たのは、黒の世界にぽつりと佇んだ一人の少年。

 その顔こそ靄がかかっているかのように確認することはできないが、彼の衣装はその世界に順応するかのように真っ黒だった。

風のない世界のはずなのに、少年の着込んでいる漆黒のコートの裾がふわりと揺れる。靄のかかった顔の口の部分の口角が吊り上がった。

 

『あぁ、本当に、全く以て似合わない。そんなものを着て、つまらない生活を送る事に何の意味があるんだい?』

 

「……つまらなくはねぇよ。少なくとも、退屈だとは思っちゃいない」

 

『そうかい。なら訂正しよう。そんな君らしくない(・・・・・・)生活を送る事に、何の意味があるんだい?』

 

 ピタリと、あてもなく歩き続けるその足を止める。そんな自分を嘲笑うかのように、少しずつ黒の世界(ソレ)が侵食してくる。

 

『満たされない衝動に身を焦がされて、未熟なヒヨっこ達の後始末をさせられて、あるがままの自分を曝け出す事すらできない。君にとってここは、さぞ生き辛い場所だと思うけどね』

 

「…………」

 

『どんな場所でも、どんな環境でも、お節介を焼くのが君の性分だ。いつだって君は、そうやって自己満足に浸ってきた』

 

 

『そして、今度は彼らがその標的と言うわけか』

 

 声が、人影が、二つに増えていた。

 塗りつぶされていく世界。いつの間にか、自分の周囲以外の世界は、例外なく真っ黒に染まっていた。

 

 

『武の道は多少齧っていても、世界を知らない未熟者たち。武の道も世界も知らない素人たち。君からすれば面倒の見甲斐があるというものだね』 

 

『本当に、お人好しにも程があるよ。―――自分の事も見通せない三流のくせにね』

 

『要らぬお世話を抱え込み、独善的に行動する。まだ分かっていないのかい? 人一人を掬い上げる事が、どれ程難しいのかって事を』

 

『君は自分のためだけに剣を振るっているのがお似合いだよ。所詮修羅は永遠に一人ぼっち。己を保つために戦い続けるしかないんだからさ』

 

 

 迫りくるのは悪意の奔流。自分の意識すらも絶望という名の色で侵しつくそうと、容赦なく嘲笑を浴びせかける。

 その全てが、即座に否定しきれない己の弱さの具現化。それを四方八方から突き付けられるその地獄に、普通の人間ならば耐えられるはずがない。

 

 見せつけられたくない現実に思わず目を背けるか。

 それとも、声を荒げて心にもない反論を喚き散らすか。

 

 しかしその悪意を一身に浴びた本人は―――笑っていた。

 

 

「あぁ、そうだ。否定はしねぇよ。今までまともに他の人間の人生を掬い上げて来なかった俺みたいな莫迦が今やろうとしてる事は、ただの自己満足に過ぎない」

 

 そう言い切って右手を掲げる。その手の内に収まるように虚空から現れたのは、自らの愛刀。

 

「その自己満足があいつらを害するのなら、俺は潔く手を引いてやる。俺を邪魔だと思うのなら、二度とこの国には足を踏み入れない。―――さてお前ら、今あいつらは、そう(・・)思ってるか?」

 

『『『『………………』』』』

 

 白刃を振り抜く。取り囲んでいた三体の影が両断され、正面に立っていた一体だけが残る。

 そして振り抜きざまにその剣先を、真正面から突き付けた。

 

「最初はアホ皇子に誘われただけの学生生活だったが……最近ちっと個人的に興味が出て来た。特科クラスⅦ組、異質な寄せ集めがどこへと向かうのか、俺は確かめたい」

 

『…………』

 

「俺は生き方を変えない。お人好しも一人ぼっちも上等だ。これ以上、俺の心を(かどわか)すな」

 

『……せっかく茨の道を抜け出したのに、次に選ぶのは出口の見えない鉄条網の迷路か。本当に、君は不器用だ』

 

「生温い人生は俺の肌に合わねぇさ。……ま、忠告はありがたく受け取っておくぜ」

 

 そう答えると、影は霧散し、世界は再び白へと戻る。

 

 そして意識は、現実世界へと連れ戻された。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 ―――キィン、ギィン―――キィン!!

 

 

 早朝の東トリスタ街道の一角で、剣戟の音が響き渡る。

 周辺を小高い丘と街路樹に囲まれたこの場所ならば誰にも見咎められることはないと選んだ場所は、実際人目を気にすることなく訓練に打ち込むことができていた。

 対峙しているのはⅦ組の赤い上着を着ていない状態のリィンとラウラ、そしてレイだった。

抜身の刀と大剣を構えて息を整える二人。対してレイの方は、いつも通りの一見隙だらけに見える構えを崩さないままに、軽くステップを踏んでいた。

 

 現在行っているのは、数日前にリィンとラウラから申し出を受けた、早朝訓練。

朝食の支度を全面的に手伝うという条件付きで受け入れたそれは、すでに習慣のようなものになっており、人通りがほぼ皆無に近いこの東トリスタ街道の一角で毎日1時間ほど、三人で汗を流している。

 

 訓練、と言っても、レイは特に二人に何かを教えるという事はない。

というのも、彼らが扱う剣術は共に大陸の中でも名が知れた有名なものであり、おいそれと他人がアドバイスをしていいようなものではない。

だからこそ、レイはただスパーリングの要領で彼らの繰り出す剣を時にいなし、時に正面から受け止め、時に軽い反撃をするという最低限の動きだけをしている。

 

 

「あと30分ってトコか。オラオラ、前衛二人がへばってんじゃねぇぞ」

 

 そう言うが早いか、レイは地を蹴って二人との距離をゼロにする。

しかし抜刀はせず、そのままリィンの足を払って体制を崩してから鞘尻で突いて芝生の上に叩き付ける。

そして流れるような動作で鞘から刃を抜き放つと、振り向きざまにラウラの左腕の近くに刀身を寄せて、ピタリと止めた。

 

「ぐっ……!」

 

「む……」

 

 その一連の流れは数秒も満たないうちに完成され、二人に幾度目か分からない敗北を突き付ける。

 戦意が失われた事を確認してから、レイは刀身を鞘に収め直し、リィンを芝の上に押さえつけていた鞘をどかした。

 

「集中力が切れてたな。万全の状態なら、少なくともリィン、お前は俺の動きが予測できたはずだ」

 

「そ、そんなことは……」

 

 ない、とは言い切れない。既に数日間、この早朝訓練の時だけではあるが、このレイの動きは何度も見てきた。

いや、見せてくれていた、という方が正しいのかもしれないが。

 

 

 八洲天刃流歩法術―――【瞬刻】。

 

 リィンの使う八葉一刀流弐の型・『疾風』を遥かに凌ぐスピードを誇るそれを、未だにリィンは見切るどころか追う事すらできずにいた。

ただし、推測することは出来たはずなのだ。この数日間、彼はいつも同じタイミングでこの技を使い、二人を沈めていたのだから。

 

「ま、俺のコイツは1年かけて師匠に仕込まれたモンだし、簡単に見切られたら怒られるんだけどな」

 

 そう言いながら、倒れているリィンに手を差し伸べるレイ。リィンはそれを掴んで、苦笑した。

 

「はは……凄いんだな、レイの師匠って」

 

「うむ。その実力に至るまで、さぞや厳しい修練を重ねたのだろう。一度お会いしてみたいものだ」

 

「あぁ、うん。確かにラウラと性格は合うかもしんないけどやめとけ。ガチで師匠に習うんだとしたらとりあえず死ぬ覚悟しなきゃならんから」

 

 あっさりと告げられた言葉に、流石の二人も軽く引く。当の本人はと言えば、虚ろな目であらぬ方向を見上げていた。

 

「き、厳しい人なんだな」

 

「いや、人格的にはすげぇまともな人だし、俺の事もよく気遣ってくれたんだけどな。それ以前に《八洲天刃流(コイツ)》は生半可なやり方じゃ習得できねぇから」

 

 少し翳のある表情を見せたのも束の間、レイは漸く息が整い始めた二人に向かって、『ARCUS(アークス)』を掲げた。

 

「【傷つきし武士(もののふ)に癒しの一時を】―――【癒呪(いじゅ)爽蒼(そうそう)】」

 

 数日前にリィンに使った術を使って、二人の疲労を可能な限り取り除く。即効性が高いわけではないが、登校する時間までには万全の状態に戻すことができるだろう。

 自分の体を包み込む蒼い光を眺めながら、リィンが感心したかのように呟く。

 

「本当に、不思議な術だよな」

 

「確かに。アーツの回復術とはまた違った感じがするな。元が”呪殺”のために生み出されたものだとは思えぬ」

 

 既にこの術の正体を聞いたためか、特に特別な反応も見せない二人。今まで散々この摩訶不思議な術に助けられていたため、今更拒否感を覚える事もなかったのだが。

 ルナリア自然公園での約束の通りにレイが術の正体を明かしたのは、鉄道便でケルデックを去った直後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「”呪術”。それが俺の扱う術の名前だよ」

 

 

 暗くなった外の景色を列車の窓から眺めながら、レイは簡潔にそう答えた。

取り出したのは、レイにのみ渡された特注品の『ARCUS(アークス)』。既に外見を自己流にカスタマイズして銀色のカラーリングに変えたそれを見て、一同が真剣な顔つきになる。

 

「原型は東方で生み出されたものでな。呪殺・予知・天文学・雨乞い・怨霊調伏・御霊使役などなどの幅広い分野に精通した術だったらしい。今じゃ万能に使いこなせる奴なんざそうそういないだろうし、勿論俺も呪殺なんざ出来やしない」

 

 そう言ってレイは、内ポケットから数枚の紙を取り出す。

見た事もない文字が綴られたそれに、四人の視線が集まった。

 

「本来はこういう呪符に”呪力”を込めて発動させる術なんだが……俺はまぁ、自己流に術を改造したりしてたから符なしで発動できる術もそこそこ持ってる。だから多分こんな改造『ARCUS(アークス)』を作れたんだろうな」

 

「……そうは言っても、それって簡単な事じゃないでしょう?」

 

 術の自己流の改造、という言葉に、アリサが反応する。

 改良に次ぐ改良を重ねられ、汎用性に富んだ導力魔法(オーバルアーツ)ですら新しいクオーツを開発するのには年月をかけなければならない。改良にしても、かなりの労苦が伴うのは必然だろう。

 

 だからこそ指摘されたその言葉を、レイは正面から受け止めた。

 

「ま、簡単じゃなかったさ。元々が儀式の色合いが強い術だ。戦闘用に改造するのは、ちっとばかし骨が折れたのも事実だ」

 

 だが、と、少々重い声色へと変わり、続ける。

 

「あの時の俺は色々と切羽詰ってたからなぁ。少しでも力を得るために、多少の無茶は顧みなかった」

 

「……レイにも、そんな時期があったんだな」

 

 まさに現在に至るまでそんな状態に陥っているリィンがそう頷く。

 幾分か重くなってしまった雰囲気を和らげるために、レイは呪符に向かって一言二言呟くと、無造作に空中に放り投げる。

放り投げられたそれは空中でその形を変え、サイズは小さいものの、孔雀を模したものへと変わり、列車の中をぐるぐると飛行し始めた。

 

「わぁ……」

 

「これは見事だな」

 

 一流の手品もかくやというその芸当に思わず声を漏らすエリオットとラウラ。そして声にはしていなかったものの、リィンとアリサもそれに見入っていた。

 

「呪符そのものに仮初の命を吹き込む術。”式神”なんぞと呼ばれてるモンだが、これはまぁ、戦闘能力は皆無だから斥候か情報伝達の時しか使えん。本来は御霊とかを術者の(しもべ)にして使役する術だからな」

 

「れ、霊って……要するにオバケってこと?」

 

「それは、レイも抱えてるのか?」

 

「あぁ。とは言っても、俺が抱えてるのは一体だけ。それも霊体モンじゃない。生憎と、使役系の術の才能はイマイチだったみたいでな」

 

「―――よく言うわよ、まったく」

 

 ここでようやく口を挟んで来たのは、行きと同じようにレイの肩を借りて眠っていたサラだった。彼女は至近距離からレイの事をジト目で睨みつける。

 

「あんな規格外(・・・)を連れてなーにが”才能がない”よ。というかあのコ、今どこで何やってんの?」

 

「冬眠してる。春になったら起きるとかぬかしてたけど、そろそろ叩き起こした方がいいかもな」

 

 嘆息するその姿を見て再び新たな疑問が沸き上がったが、あえてリィンはそれには触れなかった。それよりも聞きたいことがまだあったからだ。

 

 

「その呪術を使うのに必要な呪力というエネルギー、それはアーツを使用する際に消費する魔力とは違う。そう言う事なのか?」

 

「その解釈で構わない。根本から異なる、って言い換えてもいいかもしれんな。元より呪術師の家系の人間にしか宿らない特異過ぎる力だし、異端と言っても差し支えねぇだろうさ」

 

「俺は異端だなんて思わないけど……じゃあ、レイがアーツを全く使えない原因も、そこにあるのか?」

 

 一つ、黙して頷く。

 

「呪力ってのは魔力と相性が悪いらしくてな。クオーツに込められた魔力を起動しようとするだけで軽い拒否反応を起こしやがる。ま、それだけなら鍛錬次第でアーツを使えるようになるから、あくまで原因の一端でしかなんだけどな」

 

 現に呪術を扱う人間でもアーツを使いこなす存在がいるということは聞き及んでいたし、だからこそレイははっきりとそう言い放った。それは決して、根本的な原因ではないのだと。

しかし、その”根本的な原因”を話す気は、今のレイにはなかった。

 そう考えていた一拍の無言の時間。それをリィンは自分の言葉が原因であると勘違いし、謝罪の言葉を口にした。

 

「いや、悪かった。あまり個人の事情に首を突っ込むことじゃないな」

 

「気にするんじゃねぇよ。話すって約束を了承したのは俺だしな。それより、お前らの方こそ何も思わないのか?」

 

「? 何がだ?」

 

「今こそ改造しまくってただの戦闘用の術に落ち着いてるがな。さっきも言ったが元は呪殺にも使われた外法の一端だ。それを使ってる俺を、お前らはどう思うって聞いたんだよ」

 

 あくまでただの確認と言わんばかりにそう聞くレイ。

しかし、彼の本音を、彼の根本を知るサラには分かっていた。彼が今、僅かな”恐れ”を感じたままに口を開いていたという事を。

そんな思いは勿論知らず、リィンたちは一様に顔を見合わせ、同時に頷いてから一斉に答えた。

 

 

 

「「「「別に、どうとも」」」」

 

 綺麗にハモったその声に、レイは僅かに目を丸くする。呆然とする彼をよそに、少しばかり呆れたような口調でリィンが、そして他の面々が続けた。

 

「レイがどういった術を使っているのかが分かった。だからといって、俺たちがどうこう言う事はないさ」

 

「うんうん。流石にちょっとビックリしちゃったけど、でもレイは今まで僕たちをこの術で散々助けてくれたしね」

 

「この際、源流がどうであろうと関係はなかろう。要はそれを扱う者自身の問題だ。そなたは、我らの事を害するつもりはないのだろう?」

 

「というか、今まで散々度肝を抜かされてきたわけだしね。ぶっちゃけあなたの印象が変わる事なんてないわよ」

 

 各々が思い思いの言葉で擁護をしてくる。その光景は、彼が望んでいた事であり、しかしながら未だ不安を拭い去ることはできなかった。

 ”印象が変わる事なんてない”。それはアリサの言葉であったが、それに他の三人も同意していた。

全く以て真っ直ぐなクラスメイトだと思った。本来社会というものは、自らとは違う”異質な”存在を軽々しく受け入れようとはしない。群れ(コミュニティ)から弾かれるなんてことは珍しくないし、最悪レイもそう思われる事を覚悟していた。

だが、彼らはあっさりとそんな自分を受け入れた。器が大きいのか、それとも何も考えていないのか。以前の自分ならその二択の中で答えを探っていたのだろうが、今ならば即答できる。答えは前者だ。

 見ればリィンは安心したような柔らかい表情でこちらを見ており、逆にアリサは勝ち誇ったかのような強気な笑みを見せている。

何も考えていないわけがない。

 彼らは、レイが思っていたよりも、心根がしっかりしていたのだから。

 

 だからこそ、だった。

 

 呪術師の家系の末裔、なんてことは彼の抱える過去のほんの一端に過ぎない。調べられて知られたところでどうともない、ただの出生の事実である。

 もし彼らが自分の過去の全てを知った時、同じように即答して受け入れてくれるのだろうか。

内心でレイは、それが不安で、堪らなかった。

 ぎゅっ、と、その心情を察したかのようにサラがリィンたちからは見えない位置でレイの手を握った。

ただそれだけの事で、僅かに震えていた手が冷静さを取り戻す。そして、いつもの笑顔を浮かべることができた。

 

「……ったく、お人好し共めが」

 

「「「「レイ(あなた)(そなた)に言われたくない」」」」

 

 

 それは、僅かな時間の中で交わされた他愛のないやり取り。

 

 しかしそのやり取りは、確かにレイの心の中に精神的な”ゆとり”を生み出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

「へぇ。そんな事があったんですか」

 

 大鍋の中でコトコトと煮込まれたクリームシチューをゆっくりとかき混ぜながら、レイの口からその話を聞いたエマがそう反応を返す。

当の本人は本日のメインディッシュの一つであるほうれん草とベーコンのキッシュを焼いているオーブンの中の様子を見守りながら、ため息交じりに頷いた。

 

「ホントにまぁ、できた奴らだよ。正直、猜疑心の一つでも向けられるモンだと思ってたからな」

 

「ふふっ、それだけレイさんが信頼されてるって事ですよ。まだ1ヶ月足らずですけれど、私たちはレイさんの事を見てきましたから」

 

「いやいや、ただ猫被ってるだけかもしんねぇだろ?」

 

「もしそうなのだとしたら、フィーちゃんがあんな自然な表情を見せるはずありませんから」

 

 鋭い指摘に、レイは反論ができずに口を閉ざした。

 

 確かに、言動を偽ってきたつもりは毛頭ない。とは言え、それら一連の行動を義務感に駆られて行っていたかと言えば、それも違うと断言できる。

 ただ単純に、複雑な思惑があったわけでもなく、ただやりたいからやっていただけなのだ。料理にしても、喧嘩の仲介役にしても。

そんな自分にとっての自然な姿が信頼に繋がっているのだとすれば、それはまぁ、勿論嬉しくはある。

 だが、同時にその信頼がふとした拍子に消えてしまうのではないかという懸念も、やはり残っているのだ。

 

 信頼を勝ち取るというものは、それ程単純な事ではない。それは、遊撃士として活動し始めた当初に嫌というほど味わってきた事だ。

 特に、準遊撃士として活動し始めて1年程経った後に配属されたクロスベル支部は、実働する遊撃士全員が一人前を意味するB級以上の正遊撃士で構成されているという事実からも分かる通り、最精鋭クラスの支部でもある。そんな中で年齢的な問題であったとは言え、未だ半人前である準遊撃士が活動するのは並大抵の事ではなかった。

 依頼の解決のために努力をするのは当然の事。依頼者が見るのはそこではなく、結果だ。

新人の遊撃士が依頼人の、ひいては一般市民の信頼を勝ち取るためには、ただ我武者羅に結果を叩き出し続けるしかなかった。それは決して、ひと月やふた月で手に入れられるものではない。

 それは、何も遊撃士の活動に限った事ではない。特にレイは遊撃士になる前(・・・)からそれを痛感していたし、築き上げた信頼は、第三者の、または本人の誤った選択一つで容易く崩れ落ちてしまうという事も身に染みている。古今東西、信頼というのは、そういう脆い物でもあるのだ。

 

 だから恐れる。瓦解する事を恐れる。

 ただ自分がやりたいことをしただけで築き上げてしまった信頼が、ひどく危ういものに見えてしまう。

築き上げた過程が軽く見えてしまったからこそ、ふとした拍子に消え去ってしまうのではないかという、人間らしい恐怖である。

 

 故にレイは言う。

他人をもっと警戒しろ。少しは疑う事も覚えろ、と。

その人間に対する信頼が失われた時に、その信じた自分自身も壊れてしまう事がある。心の底まで心酔していたのなら、特にだ。

 

 

「……委員長も、そう思ってんのか?」

 

「えぇ。いつもフィーちゃんから聞いていますから。レイさんに助けてもらった。レイさんとサラ先生にお世話にならなかったら、ここにいなかった。って」

 

「それはあくまでもあいつの視点だろ? ……いや、それも分かってるよな、委員長なら」

 

「はい。過程はどうであれフィーちゃんが言っている事は本当でしょうし、だとしたら私がレイさんを判断する理由としては充分でしょう?」

 

「随分と、仲良くなったみたいだな」

 

「あはは、実習の時によくお話ししましたから。えっと、お二人があんな感じだったので特に、ですね。ちょっと寂しかったもので」

 

「僥倖だ。これからもちゃんとあいつを見てやってくれ」

 

 自家製のドレッシングをかけたサラダをボウルの中で掻き混ぜながら、レイは満足そうに笑う。

パイと具の焼けるいい匂いが立ち込め始めた頃にオーブンの中からキッシュを取り出し、同時にエマが良い具合に煮込んだシチューの火を止める。

元々祖母と二人暮らしの実家でも料理を嗜んでいたらしく、その手際は良い。そのため、エマが調理補佐に入るときの食事は必然的にクオリティの高いものが出来上がる傾向があった。

そして一通りの夕食の準備を終えた後、パン、と一つ手を叩いてエマに告げた。

 

「さて、あと数分でメシの時間だ。一回部屋に戻ってていいぞ、委員長。俺は最後にサラダ作らなきゃならんから」

 

「そうですか? それじゃあ、お言葉に甘えさせて貰いますね」

 

 エマは纏っていた白いエプロンを取り外すと、厨房から急ぐ様子もなく出ていく。

その背中を視線で追いながら、レイはポケットから、夕方郵便受けに届いたばかりの、便箋の入った一枚の白い封筒を取り出した。

 

 封蝋には、『支える籠手』の紋章が堂々と押されているが、その脇にはおそらく女性隊員が思い思いに貼り付けたとみられる色とりどりのシールがあった。やたらハートマークのシールが多かったことに多少イラッと感じはしたが、そこはツッコまないでおく。

こんな紛らわしいものをサラに見られでもしたら絡まれてからかわれるのは容易に想像できる。できれば夕食後に部屋に戻ってから改めて確認したかったのだが、どうにも待ちきれず、つい取り出してしまっていた。

 ひっくり返して表を見てみると、遊び心満載の裏面とは裏腹に、達筆なペン字でこう書かれていた。

 

 

 

『エレボニア帝国トールズ士官学校Ⅶ組所属  レイ・クレイドル様へ

 

 

 

 

 

                          遊撃士協会 クロスベル支部一同』

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 七耀歴1204年 1月。

 

 遡る事約3ヶ月前、遊撃士協会クロスベル支部の二階で、二人の人物が木製のテーブルを挟んで座っていた。

 片や精鋭ぞろいのクロスベル支部を支え、過つ事無く運営する名物敏腕受付、ミシェル。

ガタイの良い男らしい体つきとは裏腹に女性らしい言動で初対面の人間を惑わす彼は、手元に残ったコーヒー入りのマグカップを僅かに揺らしながら、再度口を開く。

 

「ねぇアリオス。仕事回してるアタシが言うのも何なんだけど、もう少しペースを落とした方がいいんじゃない? 1ヶ月に100件……流石に仕事し過ぎよ」

 

「無理はしていない。それについては、レイの奴からも釘を刺されたからな」

 

 苦笑と共に答えたのは、頬に一筋の傷跡を持った黒髪長身の男性。

 市民の間では”クロスベルの真の守護神”などとも呼ばれる支部最強にして最高の遊撃士。

かの《八葉一刀流》『弐の型』奥義皆伝という偉業を成し遂げ、《風の剣聖》の異名で呼ばれる男。名は、アリオス・マクレイン。

 普段はやや仏頂面な表情でいる事もある彼であるが、今は先月この支部を旅立っていったとある一人の少年を思い出してやや柔和な笑みを浮かべていた。

 

「あら、先を越されてたのね」

 

「あぁ。”あなたが一番大切にしているのはシズクちゃんのはずだ。なら、彼女の事を一番に考えてあげてくれ”とな。その時は俺も酒が入っていたせいか、つい頷いてしまった」

 

「あらあら、それじゃあ反故にするわけにはいかないわね」

 

 からかうような口調ではあったが、そう言われて悪い気はしない。愛娘の事を憂いて自分の行動を窘め、顧みらせてくれた彼の言葉にも、今なら素面のままに頷く事ができそうだった。

 すると今度は、ミシェルの方が思い出すかのような声色で以てしみじみと呟く。

 

「早いわねぇ。あの子が去ってもうひと月、か」

 

「先週、本部の方で正式に休職届が受理されたと聞いた。……その事については、俺たちが口を挟むことではないだろう。アイツはまだ若い。一所に縛られず、多様な価値観を養うのは必要な事だ」

 

「そうは言ってもねぇ。あの子が居るのと居ないのとじゃ、何というか……皆の仕事の進み具合が違うのよ。あのままいけば20を超える前にA級遊撃士になる事も夢じゃなかったのに」

 

「進み具合が違う、か。そういえば、アイツが出ていった後2日間くらいはエオリアが使い物にならなくなっていたな」

 

「えぇ。忘年会の時に撮ったレイの罰ゲーム女装写真(メイド服Ver.)を握りしめながら沈んでたわね。リンが無理矢理引っ張って行ってなんとか復活したけれど」

 

「……まだ残っていたのか、あの写真は。確かレイが力づくで必死に回収してなかったか?」

 

「それを上回る必死さで隠してたらしいわよ。……ま、かく言うアタシも一枚確保してあるんだけど♪」

 

 満面の笑みで言うミシェルを見て、アリオスは同情の溜息を漏らした。

そんな彼も愛娘に件の写真が欲しいと強請られた事があったのだが、同じ男としてどうしても同情の念が勝ってしまい、結局娘の願いを断念せざるを得なかったという過去があった。

しかし、撮られた当の本人が危うく得物まで持ち出して回収しかねなかったブツが未だ二枚(もしくはそれ以上)も存命していた事を知れば遠い帝国の地で発狂しかねない。とりあえず気付くまで黙っておこうと、多少の罪悪感を確かに感じながら、アリオスはその事実を胸の内に秘めた。

 

 

「真面目な話、本当に惜しいと思ってるのよ。あのまま試験を受けて正遊撃士になれば、あなたと並んでクロスベル支部の双璧になるのも、遠くない事だと思ってたから」

 

「……いや、若い今だからこそ、アイツには同年代の仲間が必要なのだろう。クロスベル支部(ここ)で年上に囲まれて仕事をこなしていたら、アイツはいつまで経っても”答え”は見つけられなかっただろうからな。寧ろ、アイツの事を考えれば僥倖だったろう」

 

「あらら、流石あの子の事をよく見てただけあるわね。ちゃんと心配してるんじゃない」

 

「五月蠅い。……アイツが抜けた穴は、そろそろ埋まる頃合いだろう?」

 

「そうね。そろそろ―――あら、どうやら来たみたいよ」

 

 一階の方から、自分たちを呼ぶ声が聞こえる。ミシェルが二階に来るように促すと、二人分の足音が階段を伝って徐々に近づいてきた。

 ミシェルは思う。もしレイがここに留まる選択をした未来があったとして、今からここに来る少年少女が同僚になったのだとしたら、彼は果たしてその”答え”を見つけられたのだろうかと。

 

「お邪魔しまーす♪ あっ、アリオスさん、お久しぶりです!!」

 

「良かった。戻っていたんですね」

 

 橙色の髪を二つに括った活発な雰囲気な少女と、黒髪の少し落ち着いた雰囲気を纏う青年。

 若いながらも、将来有望な遊撃士である。できれば彼と引き合わせてあげたかったが、今となってはそれは望めない。

 

「ようこそ、クロスベル支部へ。歓迎するわ二人とも」

 

 だから今は、彼らと共に楽しく仕事をこなしていこう。

 いつか彼に近況の報告をする時に、自分たちの、そして彼らの活躍ぶりを知らせてあげるために。

 

 1月の寒空の下。遊撃士協会クロスベル支部は、新たな一歩を踏み出そうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




最近、電車などでの移動中に『零の軌跡 Evolution』を再プレイしています。
こうして改めてみるとロイド君のスキルの高さが分かりますね。あの4人は、本当にいいコンビだと思います。

さて、滅法寒くなって参りましたが、皆様風邪などをひかないようにお気を付け下さいませ。
……私ですか? 今のところは大丈夫です。ハイ。


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芽吹いた羨望

閑話その2です。

ただそれだけのお話。


5月22日 PM8:00。 第三学生寮207号室。

 

 夕食を終え、入浴も済ませたレイは、寝間着として使っている黒いシャツを着てベッドに横たわっていた。

日課である刀研ぎも終え、授業の復習も終えてしまい暇を持て余していた彼は、ベッドの上で仰向けになりながら一冊の雑誌をパラパラとめくっていた。

 

 雑誌の名は、『クロスベルタイムズ』。

クロスベル市湾岸区に拠点を構える『クロスベル通信社』が月刊で発行しているそれは、民間の間での他愛のない噂話から政治・経済面の報道まで幅広い分野の記事を扱う大衆雑誌である。

 本来なら自治州内だけで発行されているそれだが、国外から取り寄せる利用者も少なくない。

配送料はかかるものの、レイはまさにその配送サービスを利用して雑誌を取り寄せていた。

 月ごとに情勢が目まぐるしく変わっていくクロスベルの情報をむざむざ見逃すほど平和ボケはしていないと実感しているし、そして何より読んでいて飽きない。

 

「クロスベルの創立70周年記念祭か。そういや今年だったっけ」

 

 パラパラとページをめくっていき、今月中にクロスベルで起きた出来事を頭の中に入れていく。

その途中で、ピタリとページをめくる手が止まった。

 

「(お、今月も載ってるな。ははっ、グレイスが目をかけてるだけあるぜ)」

 

 そのページに載っていたのは、今年の1月号から話題に上がり始めた、とある警察組織の情報。

 一部では”遊撃士の真似事”などと揶揄されてはいるが、ある程度実績を積んだらしい今では、少なからずの市民からの関心を集めている異色の集まり。

 その名は……。

 

 

 

『《特務支援課》ですか。なにやらあの警察は面白い部署を立ち上げたようですな』

 

 

 やや中性的気味な女性の声でそう言ったのは、いつの間にかレイの頭上に現れ、ぐるぐると空中を旋回していた、全長15リジュくらいの小さなキツネのぬいぐるみ。

 

 否、勿論ただのぬいぐるみではない。可愛らしくデフォルメされているが、その体は淡い金色の光に包まれており、本来なら自動稼働はしないはずの首をちょこんと傾けている。

 見る人間が見れば、それこそ幽霊が出たと騒ぎ立てるかもしれない光景が目の前に広がっていたが、それをレイは雑誌をずらしてジト目で睨み付ける。

 

 

「……ようやく起きてきたと思ったら俺の神聖な読書タイムに割り込んで来てんじゃねぇっての。てか埃だらけの体で俺の頭上を飛ぶな。埃が舞うわ」

 

『おや、これは失礼しました。何分(なにぶん)数か月ぶりの浮世ですから、つい奔放に振る舞ってみたくなってしまったのです』

 

「お前はいつでも奔放だろうが。少しは自重しろや、シオン」

 

『ふふふっ、善処は致しましょう。(あるじ)

 

 パタン、と勢いよく雑誌を閉じて、上半身だけを起き上がらせる。ぬいぐるみは、そんなレイの膝の上にふわりと着地した。

ボディを軽くはたくと、それだけで予想通りに大量の埃が舞った。

 

「しっかしお前、4月中には目ぇ覚ますとか言っときながらもう5月の末だぞ? 寝惚けるのも大概にしとけ」

 

『おや、もしや主は私が傍らにいなくて寂しかったのですか? それならそうと早く申していただければ夢現のままではありますが跳ね起きましたのに』

 

「使い物にならない式神とか誰得だっての。……ちゃんと力は蓄えたんだろうな?」

 

 小首が一つ頷く。

 そして膝の上から軽く跳躍した直後、ポン、という軽い音と共にぬいぐるみが白い煙に包まれる。

文字通り煙たがるようにレイが手で煙を払うと、その中から一人の女性が姿を現した。

 

 セミロングに伸ばされた金糸のように美しい金髪に、翡翠色の瞳。身長はレイのそれよりも高く、外見からは20代前半の少々大人びた雰囲気を漂わせているが、何も知らない初対面の人間はまずその美しさに目を奪われるだろう。それこそ、世の女性の大半が羨むほどの美貌を、彼女は有していた。

 纏っている衣装は、カルバード共和国の東方人街などでよく見られる、ゆったりとした裾の長い着物。少なくともエレボニアでは珍しいその衣服と相俟ってか、どこかミステリアスさも醸し出している。

 しかしレイは、そんな美女の姿を見飽きているとでも言わんばかりにジト目のまま眺め続けていた。

 

 

「これこの通り、体調は万全でございまする。少々睡魔に攫われた時間は長くなりましたが、お陰様でこのシオン、以降も主をお支えできます」

 

「……今のところはまだお前の力を借りるまでもねぇんだがな。どうにもキナ臭い匂いが漂って来てやがる。今のうちに体を慣らしておけよ」

 

「承知しました。―――では少々、力も解放致しましょう」

 

 シオンと呼ばれ、自らもそう名乗った女性が静かに目を瞑ると、僅かな光量の金色の光が彼女の全身を包み込む。

 そしてその光が収まる頃、その頭頂部と下腰のあたりから、それぞれ獣の耳と尻尾(・・・・・・)のようなものが生えていた。それは、ぬいぐるみに擬態していた時と同じ動物のそれであり、感情と連動するように忙しなく動いている。

 

「どうですか? どうですか主。久方ぶりの私の姿は。昔のように耳を撫でたり尻尾モフモフとかされても私は一向に構いませんよ? いえ、寧ろどんと来い、でございます」

 

「自重しろっつてんだろうが。まだ寝惚けてるんなら覚ましてやるぞ? とりあえず中世あたりに流行ったっていう水責めのごうも……躾でも試してみるか?」

 

「わたくしめが悪うございました。平にご容赦の程を宜しくお願い奉ります」

 

 深々と鮮やかな手並みで土下座を敢行したシオンの頭を小突く。

そうして頭を上げたシオンも、小突いたレイも、互いに口元には笑みを覗かせていた。

 

 

「遅ればせながら主、トールズへの御入学、おめでとう御座います。不肖このシオン、貴方様が抱える唯一の式神として、以降再び手足となる事をここにお誓い申し上げます」

 

「遅いぞ馬鹿者、と言いたい所だが、まぁ不問としよう。いずれ機会があれば俺のクラスメイトやサラにも挨拶してもらうが、今はまだいい」

 

「? 何故(なにゆえ)でございますか? 私も主の御学友やサラ殿に一言挨拶を申し上げたいのですが」

 

 大人びた話し方とは裏腹に可愛らしく小首を傾げるシオン。それは尤もな事だと分かってはいたが、今は些かタイミングが悪い。

 

「今はなぁ、身内に2つも(・・・)問題を抱えちまってるんだ。これ以上あいつらを混乱させるわけにはいかん。ただでさえ呪術は一般人にとっては聞いた事すらないような代物である上に更に”式神”ともなれば無用な混乱は免れない」

 

「……成程、どうやら主は学生という身分に落ち着いても尚厄介事を引き寄せてしまうようですな。御学友の悩みを抱え込むのも宜しいですが、あまり脳乱されるのも些か問題かと」

 

 的確に主を窘めるような言葉を掛けた後に、シオンは優しげに笑む。

 

「私の事はどうかお気になさらず。お気の済むまで心を砕いて下さいませ。―――私も寝起きすぐの重労働は御勘弁したいと思っておりますので」

 

「はいアウトー。漸く本音が出たなこの駄狐め。そんなに労働が嫌なら正座でもさせてやろうか? とりあえず3日間くらいぶっ通しで」

 

「斥候でも諜報でもなんなりとお申し付けくださいませ」

 

 式神と言えど、人間体である以上その体の構成は一般の人間と変わりない。3日間ぶっ続けの正座という苦行の域を通り越した提案に、シオンは再び鮮やかな土下座を見せた。

 

「ったく、今は休んでて良いよ。外に出るんだったらせめてぬいぐるみの姿でな。勿論ちゃんと透明化(ステルス)の術は掛けておけよ?」

 

 真昼間とは言えど、空中をフワフワと漂うぬいぐるみなど異様以外の何物でもない。見られればそれだけでジ・エンドになる事は間違いなかった。

シオンもそれは充分に理解しているらしく、「勿論です」と言って頷いた。

 

 そんな話をしていると、シオンの耳が何かを聞き取ったように直立する。そして視線を、入口の方へと向けた。

 

「おや……どうやらこちらに向かってくる殿方が一人いらっしゃる様子ですな」

 

「っと、そういや明日は自由行動日か。リィンの奴だな」

 

「おや、噂をすれば御学友ですか。主の正妻として御挨拶できないのは悲しゅうございます。シクシク」

 

「狐の毛皮って高く売れるんだよなぁ」

 

「それでは主!! 御要望がございましたらいつでもお呼び出し下さいませッ!!」

 

 

 再び煙に包まれてぬいぐるみの姿に戻ったシオンを見て舌打ちを一つかます。

 式神としては優秀ではあるのだが、如何せん今のように遊び心が暴走するときもある。そしてそれに対して頭を悩ませるのも、またいつものことであった。

久しぶりに目の前で演じられた奇行に軽く蟀谷(こめかみ)を抑えていると、いつもの通りの控え目なノックが響く。

 

 目下の問題は、この殺風景な部屋に似つかわしくない、床に無造作に転がったぬいぐるみについてどう説明しようかというものだった。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 生来の気性か、それとも義務感からか。

 

 いずれにしても、今日もリィン・シュバルツァーは朝食を摂った後、すぐに生徒会からの依頼をこなすために寮の外へと駈け出して行った。

 同時に、ラクロス部の朝練があるという料理補佐兼片づけ当番のアリサも特例で解放し、レイは全員分の食器を片づけた後、寮の中に誰も残っていないことを確認して外に出ると、入口の鍵を閉めた。

 

「(……なんか最近、料理当番だけじゃなくて管理人的な仕事も兼任しているような)」

 

 手の中に握られた真鍮製の鍵がその証拠だった。この鍵自体は1ヶ月ほど前にサラから「アンタが持ってなさい。アタシが持ってるとホラ、酔った拍子にどっかに落としちゃいそうだから」と言われて預かったものである。

一体A級遊撃士とは何なのだろうか、と真剣に考え込んでしまったのも覚えている。少なくともクロスベル支部唯一のA級遊撃士である人物はそんなヘマは天地がひっくり返っても犯さないだろう。

サラとて、酔っ払っていなければその風格を幾らでも漂わす事はできるのだが……どうにもその色合いを出すことが稀なため、生徒の中でも”大丈夫か? この人”と思う人間は少なくなかったりする。

まぁ、実際本当にダメ人間である面も結構多いのだが。

 

「(正式な管理人が欲しいよなぁ。あの生活スキルゼロのダメ人間よりもっとマシな人が)」

 

 今度本気で学園長に申し出てみようかなどと思いながら、レイは適当に街をぶらつき始めた。

 自由行動日の日は文字通り授業の一切が休みとなるのだが、部活動に至ってはその限りではない。そのため、学生の多くは学院に集まっていることが多い。

故に休みの日と言えど、昼食を作る必要はない。

 幸いにして天候は晴天そのもの。街中に並ぶ店舗に一通り顔を出しながら、どこにいこうかと思案する。

 

 よく顔を出している技術棟―――駄目だ。先日あの場所にてクロウ相手にブレード勝負を行い、先輩のプライドも何もかもズタボロにしかねない勢いで完封したばかりである。今顔を出したらリベンジだとか言って長時間拘束されるのは目に見えている。他の二人の先輩も、きっと面白がって止めてくれないだろう。正直言って面倒くさいので、行かない。

 

 部長と親交がある料理部―――駄目だ。今日は恐らくあの肉ダル―――ゲフンゲフン、マルガリータが来ているに違いない。何かの拍子に新作の味見でも迫られようものならその日一日の味覚がおかしなことになる事は既に体験済み。少々惜しいが、仕方ない。

 

 園芸部―――自分が顔を出して何ができるのだという話である。

 

 以上、平日の間によく巡回しているルートは全て候補から外された。

 因みに昨日の夜のうちにリィンから旧校舎の調査を手伝ってくれないか、という要請を受けはしたのだが、結局やんわりと断った。

 

 前回の自由行動日の際はそもそも呼ばれもしなかった事に対して少しやるせなさを感じていたが、今回は少し考え方が違っていた。

リィンが旧校舎探索のメンバーに選んだのは、ラウラ、アリサ、エリオットの三人。以前の実習の時と同じ顔触れである事を昨日の内に聞いていた。

 それならば良い機会だ、と思ったのだ。連日の早朝訓練を経て、リィンとラウラの反応速度や技のキレは格段に上がってきている。その成果を試すには持って来いの場所だろう。

 その旨をリィンに伝えると、ハッとした顔になって了承してくれた。もし本当にどうにもならない状況に陥った場合は連絡するようにと伝えてはおいたが、その件に関してポケットの中の『ARCUS(アークス)』が着信音を奏でる事はないだろう。

 

 つまるところ、完全にヒマになった。

 

 左腕にはめたラインフォルト社製の腕時計をちらりと一瞥する。

時刻は午前11時。昼食をどこかで摂るにしても少しばかり早い時間帯である。

 どうしたもんかと悩み、とりあえず行けば何かがありそうな学院の方向へと足を伸ばそうとした時だった。

 

 

―――うえええぇぇぇぇん―――……

 

 

 風に乗って聞こえて来た、子供の泣き声。

 急いでいるときであったならば流石に気にかけていられなかったかもしれないが、今の自分は幸か不幸か余裕がある。自然と、足は鳴き声の聞こえた方へと向かっていった。

 

「(学院方向……教会の方からか?)」

 

 常人よりも優れている聴力を僅かに研ぎ澄ませて方角を確認する。それが教会の方から聞こえてくるものだと分かった瞬間、一度足を止めた。

 教会は、休日の日に”日曜学校”という年少の子供たちを対象にした学校のようなものを行っている。本日も例に漏れずにその日であり、確か昼過ぎから開校となるはずであった。

 となれば、早めに来てしまった子供の内の誰かが何らかの理由で泣き出してしまったのだろう。であるならば、自分が行く理由もないだろうと思ってしまった。

トリスタの教会に務めている聖職者である二人、教区長パウルとシスター・オルネラは色々と擦れたレイから見ても真っ当な人格者であり、少なくとも教会近くで泣いている子供を放っておくことはない。だからこそ自分が行くのは不要だと考えもしたが、所詮は暇な身の上である。せめて何が起きてるのかを見届けようと、教会の玄関を覗き込んだ。

 

 

「うぅ……ひっく……パパぁ、ママぁ……」

 

「だ、大丈夫ですよ。泣かないでください。お父さんとお母さんはちゃんと迎えに来てくれますから、ね?」

 

 玄関の前にいたのは二人。

一人は泣きじゃくってる幼い少年。泣き声の間に僅かに聞こえる言葉を聞き取るに、どうやら迷子になったらしい。それも、両親から離れてしまう形で、だ。

 そしてそれを必死で慰めようとしているのは、黒のシスター服を着込んだ少女。頭巾(ウィンプル)の隙間からは、ショートカットにされた金髪が覗いている。

その少女に、レイは見覚えがあった。

 

「ロジーヌじゃねぇか。何してんだ?」

 

「あ……レイさん。おはようございます」

 

「もう昼近くだけどな」

 

 自分のことで手いっぱいだろうに、律儀に挨拶を返してくれる少女を見やる。

 同じ士官学院の1年生同士。そして暇つぶしにトリスタの街を散歩することが多いレイは、割と高い頻度で彼女を見かけることが多い。

ロジーヌは特定の部活に属しているわけではないものの、教会の見習いシスターとして日々奉仕活動に精を出している。彼女を見ていると寮に帰って家事全般をこなしているだけの自分が怠け者に見えてしまうから不思議だった。

 

「迷子、だよな。ここいらじゃ見かけない子だが」

 

「えぇ。どうやらご家族で観光にいらっしゃったみたいなんです」

 

 トリスタはそれほど大きい街ではない。必然的に、街在住の子供の数もそれほど多くはなく、レイもこの2ヶ月でその全員と顔を合わせていた。

泣きじゃくっている少女は、その全員と照らし合わせてみても一致しない。つまり、この街の子供ではないことは分かっていた。

補足してくれたお蔭で、その詳細も知ることができたが。

 

「成程。それで両親とはぐれちまった、と」

 

「えぇ。公園のところで泣いているこの子を見つけて、とりあえずここまで連れてきたんですけど……」

 

 泣き止んでくれない。それはある意味当たり前のことであった。

何も知らない、通りすがる人も誰一人見覚えがない土地で両親とはぐれて一人ぼっちになってしまったのだ。その心細さたるや、尋常なものではなかっただろう。

それも、まだ日曜学校にも通えないような小さい子であるのなら、尚更である。

 レイはそれを察し、一つ息を吐くとともに少年と目を合わせるようにしゃがみこんだ。

 

「よう、少年。大丈夫、怖くねーぞー。このお姉ちゃんは優しいからなー。ホラ、泣き止め泣き止め」

 

「うぅ……グスン……」

 

「ホラ、男の子だろ? 大丈夫だ大丈夫だ。とりあえず名前だけでもお兄さんとお姉さんに教えてくれるか?」

 

 頭を撫で、自分が出せる最大限に優しい声色でひとまず安心させることを第一に声をかけ続ける。

子供は、大人以上に他人の感情に敏感だ。ましてやこんな小さい子供なら、直感的に相手の精神状態を見抜いてくる。もちろん、理解などはしていないが。

そのため、声をかける側が動揺などをしていては駄目だ。”自分は何でもできる。だから安心しろ”という事を、言動で知らしめなけれなならない。

 大切なのは、余裕をもって接すること。

すると、そんなレイの心を理解したのか、少年の啜り泣く声が段々と小さくなっていく。

 

「ひっく……ぼく、クレス……」

 

「クレスか。よーし、良く言えたな。偉いぞ」

 

 少年、クレスを軽く抱き寄せ、背中をポンポンと軽く叩く。その行動で、嗚咽の声は完全に聞こえなくなった。

 

「れ、レイさん、凄いです。こんなにすぐに……」

 

「こういう子供を相手にするのは日常茶飯事だったからな」

 

 トリスタよりも更に観光地として有名なクロスベル市は、昨今の急激な都市開発の煽りを受けて街全体のつくりが少々複雑になっている。

それこそ中央広場や行政区、港湾区などは整備が行き届いており、それほど危険度は高くないのだが、歓楽街や東通り地区などは入り組んだ裏路地が多く存在する。開発から取り残された旧市街地区などは最早論外だ。

そんな中で観光客の子供が迷子になったという話は後を絶たない。

しかしクロスベル警察は基本的に市民からの要望にはあまり積極的に対応しないことが多い。それは、観光客に対しても同義であり、その中でも”迷子の捜索”などと言った優先順位が限りなく低い案件には必ずと言っていいほど手を出すことはない。

 そこで頼られるのが遊撃士協会だ。

市内の隅から隅まで知り尽くしたプロフェッショナル集団にかかれば、迷子の捜索など基本的に1時間も経たないうちに終わらせることができる。そのときに重要になってくるのがこの対応方法だと言うわけだ。

 子供の不安を煽ることなく、可能な限り安心させてから素性を聞き出す。遊撃士として活動していく内に自然と身についたスキルの一つでもあった。

 

「そんじゃクレス、パパとママと一緒に来てたんだよな?」

 

「……(コクン)」

 

「そっか。まぁ、安心しろ。クレスのパパとママはちゃんと見つけてやるから。だからもう泣くなよ? な」

 

「……うん。ぼく、もうなかない」

 

「よしよし。いい男になるぜ、お前は」

 

 ひとまず笑顔を取り戻したところで、レイは立ち上がってロジーヌへと視線を向ける。

 

「それで、どーするよ。このまま教会のほうで捜索するってんなら、俺は別にかまわねぇけど?」

 

「えっと、その、探して差し上げたいのはやまやまなのですけれど……」

 

「あー、日曜学校の準備があるのか。そりゃしゃーねーわな」

 

 リアルな迷える子羊を助けることも勿論重要だが、それで本来の役割を疎かにすることはできない。

ロジーヌの躊躇いは至極真っ当なものだし、責めることなど誰もできない。

しかしそうなると、クレスの両親の捜索は授業が終わってから、という事になる。それまでに両親が教会に駆け込んでくることもありえるが、今のクレスの精神状態を考えると一刻の猶予もない。

両親からはぐれてしまった悲しみを、安心感で上書きしているだけだ。時間をかければ、必ず決壊してしまう。

 

 となれば、レイが取る行動は一つだけだった。

 

 

「そんじゃ、この子の親は俺が探すとするわ。神父さんにもそう伝えておいてくれ」

 

「えっ? い、いいんですか? 何かご予定とかあったんじゃ……」

 

「生憎今日は一日中暇人間だ。ボーッと歩き回ってるよりも遥かに有意義だからな」

 

 それに、とレイは視線を下にずらす。

そこには、小さな手でレイのズボンの裾を握りしめているクレスの姿があった。

 

「なんか、俺がやらないといけない雰囲気だし」

 

「……ふふっ、そうみたいですね。それでは、宜しくお願いします」

 

 深々とお辞儀をするロジーヌの激励を受け、レイはクレスの手を引いたまま、今の時点では何の情報もない捜索活動を始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 有り体に言えば見くびっていた。

 

 前述の通り、トリスタという町はそれほど大きな街ではない。

事前情報なしでも、街中をうろつき回っていればすぐに鉢合わせするだろうと高を括っていたのだが、その狙いは完全に裏切られてしまう。

 手掛かりのないまま1時間ほどが過ぎ、昼時になってクレスの腹が小さな音を立てたのを聞いたレイは、一旦捜索を切り上げて昼食タイムへと突入した。

 

 

「これおいしー♪」

 

「そっか。あんま急いで食うなよ? 食べ物は逃げねーんだから」

 

「うん!!」

 

 

 喫茶・宿泊所『キルシェ』。

 

 部活動が終わる午後になると地元の人たちに交じってトールズの学生も多く来店するこの店のカウンターで二人は並んで座り、クレスは笑顔でオムライスを頬張っている。

因みにレイは昼食はあまり多くは摂らないようにしているため、BLTサンドとコーヒーのセットで既に済ませていた。

 とりあえず両親からはぐれた悲しみは今のところは薄れているようで、年相応の笑みを浮かべている。クレスの頭を軽く撫でていると、カウンターの向こうに立っていた男性から声がかかる。

 

 

「迷子、なぁ。リィンの方も大概だとは思うが、お前さんも歩けば歩くだけ厄介ごとを背負い込む性質(タチ)か?」

 

「いや、そんなつもりはないんだが……」

 

 からかうような声色で話しかけて来たのは、この店のマスターである青年、フレッド。

まだ若いのだが、料理の腕やコーヒーや紅茶の審美眼は確かなものであり、老若男女が集うこの店を上手く切り盛りしている好青年だ。

かく言うレイも既にこの店の常連であり、カウンター席に座った時はこうして他愛のない会話をする事も多い。

 

「しっかし、ミョーに懐いてるじゃんか。こうして見てると、活発な弟を世話してる兄貴みたいだぜ」

 

「最近俺を兄貴扱いする風潮が広まってるんだが、一体どういう事なんだろうな?」

 

「いろいろと面倒見が良いからじゃね? まぁ確かにお前さんの身長じゃ外見だけじゃそう思われな―――ちょっと待て、ストップ。その投擲体勢に入ってるスプーンをどうするつもりだ?」

 

「俺の力量を以てすれば、スプーンで喉を貫通させることなど造作も無き事……」

 

「物騒過ぎんだろ!! てかマジ!? わ、悪かったっての」

 

 一応コンプレックスには思っている身長の事でからかわれ、瞬間的に頭に血が昇ったレイは、その謝罪を聞いてスプーンを再びコーヒーの中へと戻した。

 

 

「……真面目な話、ただ歩いてるだけじゃ捕まらなかったんだよなぁ。はてさて、どこにいるのやら、っと」

 

「ミヒュトのオッサンはどうだ? 何か知ってるかも知れねぇぜ?」

 

「臨時休業でそもそも店開いてなかった。聞いたら少し前に店閉めて帝都に行ったんだとさ」

 

 商売気の欠片もない行動だが、あの万年仏頂面の店主ならば、悲しいかな理解できてしまう行動ではあった。

 そんな感じで今度はどこを攻めようかと悩んでいると、隣でスプーンを置く音が聞こえる。

 

「ごちそーさまでしたっ!!」

 

「おー、偉いぞクレス。ちゃんと食後の挨拶も言えるんだな」

 

「お粗末様、ってか。そんで? どうするんだよ」

 

 少しばかり逡巡する。

 このまま闇雲に探し回れば、見つかる事は見つかるかもしれないが時間がかかるような気がしてならない。だから、クレスにはある事を聞かなければならなかった。

 迷子だと気づくまで、どこを歩き回っていたか、である。

 

「……なぁ、クレス」

 

「んー?」

 

「パパやママとはぐれるまでどこを歩いていたか、教えてくれないか?」

 

 これは、一種の賭けであった。

再びクレスがはぐれたと分かってしまった状況を思い出し、泣きじゃくってしまったら振りだしに戻ってしまう。

だから、慎重に見極める必要があったのだ。

この子が話してくれるようなタイミングを、見極める必要が。

 

「う、うん」

 

「ん。ありがとな」

 

 クレスは一瞬躊躇ったような表情は見せたものの、小さく頷いた。

 

「……ぼく、お花やさんとか本やさんとか見てたの。お外にも行こっかな、って思ったんだけど、パパとママからお外は危ないからいっちゃダメ、っていわれてたから……」

 

「”お外”―――街道方面か」

 

「いろんなところを走ってたら、いつのまにかパパもママもいなくなってて……それで……それで……」

 

 段々と声が小さくなって来た事を感じ取り、レイはもう一度クレスを軽く抱きしめた。

不安になるな、という方が無理だろう。むしろここまでよく我慢してると褒めてあげたいくらいであった。

 だが、自分がそれを言うわけにはいかない。

 それを言うのは、彼の両親でなければいけないのだから。

 

「ん、ありがとな。それだけ分かれば充分だ」

 

 子供とは、好奇心が旺盛なものである。

 もし両親がクレスの姿を見かけた街の誰かから”街道の方に走っていった”という証言を聞いたのだとしたら、きっと好奇心に負けて街道に出てしまったのではないかと思うだろう。

 だとすれば、少々急がなくてはならないかもしれない。

ここいらの街道は比較的整備が行き届いているとはいえ、魔獣が出没しないとも限らない。特にこの時期、晩春などは魔獣の動きも活発になるころだ。

一般人に魔獣の相手はできない。最悪の事態は、何としても回避しなければならなかった。

 

「よし、それじゃあ―――」

 

 自分は街道に出るから、ここで大人しく待っていてくれと、そうクレスに伝えようとしていた瞬間だった。

 

 

 バン!! と、キルシェの扉がやや乱暴に開け放たれる。そこから狼狽した様子で店内に入って来たのは、旅行用の上品そうな服を纏った、一人の女性だった。

 

 

「あ、あのっ、ウチの子供を見ませんでしたか!? そ、それと、助けて下さいっ!!」

 

 焦燥感が頂点に達しているのか、焦った表情で早口のままそう言う女性。

その声色からは、危機的な状況が見て取れた。

すると、隣に座っていたクレスがぱあっと表情を輝かせる。

 

「あっ、ママっ!!」

 

「く、クレス!? あぁっ、良かった。無事だったのね!!」

 

 母親を見つけて、駆け寄るクレス。女性は、そんな彼を全力で抱きしめた。

 母親が見つかり、子供は無事に親元へと戻る事が叶った。本来ならば、これで一件落着なはずである。

 しかし、レイは聞き逃していなかった。女性が紛れもなく”助けて下さい”と言っていたことを。

 

 

「……クレス君のお母さんですか? 自分はトールズ士官学院1年のレイ・クレイドルと言います。無事に親御さんが見つかって安心しました」

 

「あ、あなたが息子を助けて下さったんですね? 本当に、ありがとうございました。もう、心配で心配で……」

 

「いえ、自分は教会のシスターから要請を受けただけですから。―――それよりも、のっぴきならない事態になっているのでは?」

 

 改めて現実に突き飛ばすような事を確認するように問うと、女性は蒼白した表情のまま、息子との感動的な対面もできずに目尻に涙を溜める。

 

「は、はい。あの、この子が街道方面に向かったという事を聞いて、主人と一緒に街道に探しに行ったんです。そこで探し回っていたら……突然魔獣が現れて」

 

 嫌な予感が、的中する。

それでも平静は装ったまま、女性の言葉を聞き続けた。

 

「そこで主人が、私だけを逃がしてくれて……どうかお願いします!! 主人を、助けてあげて下さい!!」

 

 一難去ってまた一難。その言葉を、如実に表している状況と言っても過言ではないだろう。

 いずれにしても、レイにその必死の懇願を断るという選択肢はない。乗り掛かった舟、という事もあるが、ここまで来て間に合わなかったとなれば、元遊撃士の面汚しである。

 

「……ご主人がいるのは、東の街道ですか? 西の街道ですか?」

 

「に、西の街道です!!」

 

 それを聞いたレイは一つだけ頷くと、キルシェを飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西トリスタ街道。

 帝都へと続く一本道でもあるこの街道でも、勿論魔獣は出没する。整備は施されているために街道の石畳の上こそ寄り付きにくいが、一歩道から外れて草木の生い茂る場所に入れば、そこはもう魔獣の領域(テリトリー)。油断は禁物となる。

 

 そんな中を、レイは全速力で駆けていた。

父親の姿を探しながらの踏破のため、【瞬刻】こそ使えないが、今出せる最大限の速さで以て芝生の上を駆け抜けていく。

 

 そんな彼の左手に、愛用の刀は、ない。

 

 元々戦闘になるなど全く想定しない一日を過ごすつもりであったため、武装の類は寮の自室に置いてきてしまった。何とかしようと思えば何とかできてしまうのだが、その一瞬さえも今は惜しい。

一切無手のハンデ。剣士として、これほど不利な事はないだろう。

だがレイは、ここいらに生息する魔獣相手ならば、それでも立ち回れる自信はあった。

 

「―――見つけた」

 

 研ぎ澄ました聴覚が、獣の唸りを捕らえる。それと同時に、人間の足音と僅かな呻き。それも聞き取れた。

 木々の間を通り抜け、狭いが僅かに開けた場所に出る。

そこには、唸りをあげる三体の狼型魔獣と、それに追い詰められたように大きな岩に背を寄りかからせた男性の姿があった。

男性の服のところどころには破れたような跡が残っていたが、幸い大きなケガはないようだった。しかし、長らく逃げ続けた疲労からか、目の生気は失われつつあった。

 

「あぁ……女神(エイドス)よ、どうか私を妻と息子の元に戻してください……」

 

 弱弱しいそんな祈りを聞いた瞬間に、レイは利き足である右足に力を入れた。

そこに込めるのは、呪力ではなく、”気”。

とある格闘術にて必要となる、別種の体内エネルギーであった。

 

「(鈍っててくれるなよ……ッ)」

 

 左足で地面を蹴り上げ、加速力を最大にする。

そして、黄金色の”気”を纏った右足を、全力で振り上げた。

 

 

「泰斗流――――『風神脚(ふうじんきゃく)』‼」

 

 

 クロスベル支部の同僚である女性遊撃士、リンが使用していた東方武術《泰斗流》。

その神髄は無手における徒手空拳。己の体全てを一つの武器と化し、振るう武術。

 練りこむのは魔力でも、呪力でもなく、”気力”。己の内から生まれるそれを発剄として具現化させ、破壊力を生み出すのである。

腕っぷし如何よりも使用者の精神力が実力に大きく反映されるという、正に東方武術の中心的な存在と言っても過言ではない流派である。

 

 その技の一つである、『風神脚』。足に纏った黄金色の気力は、振り抜かれると共に気弾となって放たれ、狼型魔獣”スラッシュウルフ”の一頭を直撃。数アージュ先へと吹っ飛ばした。

 

「うっし!!」

 

 技が成功した歓喜もそこそこに、レイはひるんだスラッシュウルフの包囲を力づくで破り、男性をかばうような形で前に立ち塞がった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 視線は魔獣に向けたままそう問いかける。男性は肩で息をしながらも、気丈に口を開いた。

 

「あ、あなたは……?」

 

「トールズ士官学院の者です。奥さんからの要請を受けて助けに参りました」

 

「し、士官学院の学生さんですか。た、助かった……」

 

 援護が来た事で気が抜けたのか、男性がずるずると崩れ落ちる。

 その様子を見て、レイは意識を男性から魔獣の方へと移した。

 

 一体は奇襲で以て戦闘不能にしたが、残り三体は未だに健在。

 加えてこちら側には保護対象がおり、規模は小さいが防衛戦である。

刀はなく、呪術は使えるが如何せん場所が少々手狭だ。自分一人だけの戦闘ならばまだしも、後ろにいるのは満身創痍の一般人。巻き込む可能性は、ゼロとは言い難い。

 故にレイは―――少しばかり濃い殺気(・・・・・・・・・)を前方のみに飛ばした。

 

「「「!! グ、グルル……」」」

 

 すると、今にも飛び掛かってきそうだった三体のスラッシュウルフが、どこか怯えたような唸りを挙げて一歩下がる。

 魔獣も含めた野生動物は、基本的に殺気の類には敏感だ。そしてその殺気が自分たちが放つそれよりも濃いものであると分かった途端に、抵抗の意識を薄める。

群れで行動する魔獣は、特にその傾向が強い。なまじ集団行動ができるだけの知性を有しているため、判断力が高いのだ。

 そして今、レイが三体に向かって放っている殺気は、間違いなく”捕食者”のそれだった。

 

「……とっとと消え失せな、ワン公共。そっから一歩でも踏み込んだら―――消し飛ばすぞ?」

 

 数の理、などは関係ない。その殺気に完全に呑み込まれた時点で、スラッシュウルフたちの行動は決まっていた。

 

 怯えたままに踵を返し、一目散に戦域を離脱する。勝利への執念や、逃走への忌避感を持ち合わせていない獣を相手にするときは、こういう時が楽だ。

無論、追撃などするつもりはない。レイは構えを解いた後、男性に肩を貸す。

 

 

「さ、帰りましょう。奥さんも息子さんも、首を長くして待っているはずです」

 

「本当に……ありがとうございました」

 

 二人の間には体格差が幾分かあったが、レイは自分にかかる男性の体重などものともしないような表情のまま、トリスタへの帰路についたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 結局、レイが解放されたのは空もすでに夕暮れになろうかという時間帯であった。

 

 あの後キルシェで親子の感動の再会を果たした後、一応大怪我がないかどうか、男性を学院の保健室まで運び込んだ。

幸いにして養護教諭のベアトリクス先生は腕の当たりの僅かな擦過傷以外に傷はないと判断し、応急処置を行った後にレイが”癒呪・爽蒼”を施したことで男性の体力も最低限回復し、そのまま校門の近くで別れることになったのである。

 

 

「本当に、何とお礼を申し上げてよいのやら……」

 

「重ね重ね、ありがとうございます。再び妻と息子に会えたのもあなたのお蔭ですから」

 

 たかがいち士官学院生に対して丁寧すぎる謝辞であるとは思ったものの、この人たちにとって、”家族”というものがそうまでさせるほどに大切なものであるのだろうということは今までのやり取りを見ていて分かった。

 その様子に少しばかり羨望の念が混じっている事を理解しながら、それでもレイは謙遜の姿勢を崩さなかった。

 

「いえ、自分は流れで行動していただけですから。それに、末席であるとはいえ士官学院生です。戦闘はもう義務みたいなものですから」

 

「それでも、お礼を言わせてください。―――ほら、クレスもちゃんとお礼を言いなさい」

 

「うん。パパとママをたすけてくれて、ありがとー」

 

「ははっ、もうあまり心配をかけるなよ? 元気なのは良いことだけどな」

 

 それに、と、レイはクレスの耳元に口を寄せて、小さく呟く。

 

 

「―――お前には幸せになる権利があるんだ。パパとママを、あまり悲しませないようにな」

 

「?」

 

「ちょっと難しかったか。ま、今度トリスタに来る時があったら、今度は俺が案内してやるよ」

 

「うん!! ありがとー、おにーちゃん!!」

 

 

 そんなやり取りも終わり、両親は最後までレイに頭を下げながら、クレスを真ん中に仲良く手をつないで学院を去って行った。

しきりに振り向いて笑顔を見せるクレスに見えなくなるまで手を振り続け―――やがてその手を下ろした。

 

 

「……”おにーちゃん”か。最後にそう呼ばれたのは何年前だっけな」

 

 確かめるように、最後に言われたその言葉を反芻する。

西日を見るために僅かに上にあげたその表情には、どこか哀愁の念が漂っていた。

それと同時に、懐古の念もある。幼子の純粋無垢なその一言が、無意識にレイの心を抉った。

 最後にあんな言葉を呟いたのも、半ば無意識のようなものだった。

幸せになってくれという純粋な願いと共に、その権利すらもない人間がいるのだと、悪辣に意味を含ませる。

 そんな自分が、とてつもなく嫌になった。

 

 

 

 

 

 

 

「―――あれ?」

 

 

 

 

 不意に、背後から声がかけられる。そこにいたのは、リィンを先頭とした旧校舎探索メンバーだった。

 

「レイも学院に来てたのか。用が終わっていたら、一緒に帰らないか?」

 

「あぁ、そうさせてもらうぜ」

 

 自然と、その輪の中に入る。帰路の途中で旧校舎の様子などを聞きながら、第三学生寮へと戻っていった。

 

 その途中に感じた西日は、何故かいつもより眩しく感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




……なんか予想よりも長くなってしまいました。


一応申し上げておきますと、レイ君の使う”泰斗流”はそこまで練度の高いものではございません。純粋な完成度ならばリンやアンゼリカの方が上です。


さて、閑話はここでお終いです。

次回から実技テストを経て、バリアハート編へと参ります。


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紫天交叉

 よくよく考えてみれば初めての本格的な対人戦。


 

 戦火の中で、声が聞こえた。

 

「私はもう、誰も殺したくはない」―――と。

 

 外道の亡骸を踏みにじり、聞くに堪えない慟哭に顔を顰めながら相対したその声はどこまでもまっすぐで。

 

 

 だからこそ、最初は気に食わなかった。

 

 

 覚悟をするにせよ、しないにせよ、自らの手で、自らの意志で人を殺したその瞬間から、ヒトは”鬼”へと変化する。

 

 一度踏み越え、踏み入れてしまった世界から、”本当の意味で”抜け出すことは容易ではない。

 少なくとも、瞳に涙を浮かべ、震えた手で武器を握る。その程度の覚悟で抜け出せるものではない。

 

 故に、躊躇いもなく刃を抜いた。

 

 立ち上がるのならば涙を枯らせ。逃げたいのならば前を見ろ。

 

 

 紫色(しいろ)の閃光と、鈍色の剣鋩。

 

 

 交わした火花の鮮やかな色は、今この時にも褪せてはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 ある意味、予想していた事であった。

 

 前回の実習を経て、関係の修復どころかさらに溝を深めてしまったユーシスとマキアス。

 その二人が同じチームになって行われた実技テストが、散々なものになるであろうことは。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

「…………ぐっ」

 

 

 ユーシス、マキアス、それにエリオット、フィー、エマ。

 前回と同じく戦術殻を用いて行われた実技テストは、結果だけ見れば何とか倒すことはできた。

 ただしそれは、フィーの圧倒的な攪乱能力と、エマとエリオットの正確なアーツ攻撃で達せられたようなものであり、ユーシス、マキアスの両名は有体に言って役立たずだった。

お世辞にも、試験として合格であったとは言い難い。

 その一番の原因は、前回のテストと同じく、”戦術リンク”が繋げないことにある。

リンクを繋いだ人間同士の意識の中にまで潜り込むそれは、必然的に互いの心情や思考などを受け入れることが必要となる。

それが叶わない状況にある場合、リンクはいとも容易く途切れてしまい、戦線の崩壊を招く。ある意味、死活問題なのだ。

 

「あーらら、こりゃヒデェ」

 

 それを分かっていながらレイがそう呟いてしまったのには理由がある。

 前回のテストを行った際はリンクの継続時間を15秒ほど維持して、そして途切れてしまった。その程度なら、まだ”未熟だから”という理由だけで片付けることができたかもしれない。

 しかし今回は、あろうことかリンクを”繋いだ瞬間に”途切れてしまった。

それだけでも二人の対人的な軋轢が見て取れてしまい、そう呟かざるを得なかったのだ。

 前回の実習であの二人に同行したガイウスの方を見てみると、彼はレイと顔を合わせた後に、ただ黙して頷いた。

 

 つまりは、そういう事なのだ。

 

 現在この二人には、最新鋭の戦術オーブメントを本当の意味で活用することはできない。

誇張表現でもなんでもなく、頭の痛い問題であった。

 

 

 因みにこれより前で行ったリィン、アリサ、ラウラ、ガイウス、レイのチームでのテストは恙無く、何の問題もなく終了している。

先日の旧校舎探索の成果が出ているのか、リィンとラウラにガイウスを組み合わせた前衛三人組の連携も見事であり、前回と同じく”お手本”のような戦いぶりを見せていた。

 

 

「うーん、分かっていたけど、これは酷過ぎるわねぇ」

 

 サラもレイと同じような感想を口に出し、「特にそこの男子二人はしっかり反省しなさい」と窘める。

納得がいかない様子の二人であったが、流石に戦技教官に盾突くほどに頭に血は登っていない。最後に互いに鋭い眼光を交し合いながら、元の位置へと戻っていった。

 

 しかし、その冷戦状態は直後に脆くも崩れ去ることになる。

 

 原因は、前回と同じように配られた、特別実習の班分けの旨が書かれた用紙であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 【5月 特別実習】

 

 

 

 

 A班:リィン、エマ、マキアス、フィー、ユーシス、レイ

 (実習地:公都バリアハート)

 

 

 

 

 B班:ラウラ、アリサ、エリオット、ガイウス

 (実習地:旧都セントアーク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何でやねん、ツッコみたいのはやまやまであった。

 それと同時に、何となく納得できてしまう班分けなのがまた苛立たしい。

 

 6:4と、数だけを見れば明らかに不備がある班分けだが、メンバーの内訳を見るとその疑問も氷解する。

 旧都セントアークに向かう4人は、いずれも協調性があり、その内の3人は前回の実習で寝食や問題解決を共にしたメンツだ。例外はガイウスだが、彼に限って他のメンバーと軋轢を起こすということはないだろう。それは断言できる。

加えて戦力バランスも整っており、そんじょそこらの魔獣相手に後れを取るようなものでもない。ラウラを筆頭に正しい戦い方をすれば、心配はいらないだろう。

 

 だが、問題は自分も含めた6人の方だ。

 つい数分前まで現実逃避をしてしまいたくなるほどの問題点を見せつけられたのもさる事ながら、その場所が悪い。

 公都バリアハート。クロイツェン州を治めるアルバレア公爵家のお膝元であり、ユーシスの実家がある場所だ。

帝国の中でも有数の、貴族の権力が最大限に振るわれる街。実際平民暮らしをしているメンツにとって近寄りがたい場所であるし、なにより―――

 

 

「じ、冗談じゃない!!」

 

 

 この少年が、認めるはずがない。

 

 彼の立場から鑑みれば、凡そ最悪のシチュエーションと言えるだろう。蛇蝎の如く忌み嫌う貴族の一大拠点。加えて同行者の一人に反りが合わないどころか相性が最悪な貴族生徒。

これ以上悪い条件はあるまい。

 

 

「茶番だな。こんな班分けは認めない。再検討をしてもらおうか」

 

 加えて、ユーシスの方も不服の感情を隠すことなく露わにする。

 

 例えるならば二人は、異なる磁石の同じ極同士。

どちらかが譲歩しない限り、歩み寄る事は決してできない犬猿の仲である。その事は、Ⅶ組一同、そしてサラもよく理解していた。

 

 

 だからこそ(・・・・・)の、この班分けなのだが。

 

 

 言うなれば現在二人は、自分の前に立ち塞がる目も合わせたくない壁に対して完全に背を向けてしまっている状態だ。

このまま放置し、視点を変える機会を奪ったままに放置することは控え目に言っても良くはない。

それ以外の思惑も色々と絡んでいるのだろうが、その機会を与える状況を作り出したのだろう。

 しかし、今まで積もりに積もった鬱憤が爆発してしまっている二人に、その思惑が理解できるはずもない。

 

 だから、少しばかり沈静化させることにした。

 

 

「はぁ……ちっと落ち着けや、二人とも」

 

 わざと呆れたという感情を全面に出して、レイは口を挟んだ。

すると予想通りに、二人の鋭い視線は自分の方へと向けられる。

 

「……何?」

 

「君は口を挟まないでくれ。これは僕たちの―――」

 

 

 

「『僕たちの問題だから、部外者は黙っていてくれ』ってか? ナメんな、アホ。今、俺たちは、どこに所属してんだよ(・・・・・・・・・・)?」

 

 

 

 組織行動の重要さ、というものをレイは知っている。

 彼の場合は比較的自由度の高い遊撃士という立場でのものだったが、それでも決められていた規律や下される命令というものは勿論存在していた。

その中には、理不尽だと思うものも少なからず紛れ込んでおり、しかし大きな組織の歯車の一つとして活動している以上、それらにも応え続けなければならない。

 ましてやそれが、軍人を養成する学校であればなおさらだ。

 

「お前らがどんなつもりでこの学院に入って来たのかは知らねぇけどよ、紛いなりにもここは軍人の養育機関だぜ? そこに属してる以上、個人の感情よりも優先しなきゃならねぇモノがあるだろうが」

 

「そ、それは……」

 

「再検討? できるわけねぇだろ。学院に入ってまだ2ヶ月足らずの俺たちヒヨっこがそんな意見を通せるはずがない。意見を通すだけの力がねぇからな」

 

 そう言って鞘入りの愛刀を正面に掲げるレイ。

それが何を意味するのかを察した二人は、口を噤んだ。

 

「武力、政治力、経済力、統率力、財力―――秀でている力が何であれ、意思を、我が儘を貫き通すのに必要なのはそれだ。お前ら二人は、”軍”属の組織を相手取ってなお”否”と言えるだけの力を持ってるのか?

持っていないのならひとまず鎮まれ。頭を冷やして、頭を働かせろ」

 

 言い終えると、嘆息を一つ残して元の位置へと戻る。

 もしこの言葉を入学直後に聞いていたのなら、ユーシスもマキアスも反発しただろう。”自分一人だけ分かったような事を言うな”と。

だが、どんな形であれ2ヶ月の時を共に過ごしてきた今ならば分かる。その言葉が咄嗟の判断で出た口八丁のものではなく、彼自身の持論であるという事を。

 

「―――詭弁だ。それでも俺は貫かせてもらう。この班分けには反対だと」

 

 しかし、認めるのと聞き入れるのはまた話が別だ。

理解はしている。それが正論だという事も分かっている。

だがそれを受け入れて、自らの意思を捻じ曲げる事ができない。

その点で言えばマキアスも同じであり、良く言えば芯の通った信念を貫き通す正直者。悪く言えば自分の考えこそが正しいと思い込み始めている頑固者だ。

 

 それが危うい考えの発露であることをレイは分かっていたが、ユーシスのその言葉には「そうかい」と一言を返すのみで終わった。

 

 その理由はただ一つ。

 何のための戦技教官で、何のための担任教諭なのかという事だ。

 

 

「……まぁ、私だって士官学院の教官とはいえ軍人でも何でもないし? 命令してるつもりでも何でもなかったから一応、君たちの言い分は聞いてあげてもいいかなって思ってたんだけど―――ちょーっと気が変わったわ」

 

 ニッコリと、まるで菩薩のように微笑むサラ。

しかしその瞬間にリィンとラウラの体は強張り、フィーの手が自然に銃双剣を収納した後ろ腰に回されかける。

武人としての鍛錬と、戦場で培われた危機察知能力。直感とも呼べるべきそれが、その笑顔の裏の脅威を察したのだ。

 

「”意志を貫くのに必要な力”。アタシは”力が全て”なんて面と向かって叩き付けるほど完全実力主義を気取ってるわけじゃないけれど、そこの生意気な子狼の言う事にも一理あるわ。

アタシは君たちの担任教官として、その現実を教える義務がある。それでも異議があるって言うのなら―――それを貫けるだけの力を見せてみなさい」

 

 表情は変わらずに笑顔。しかし最後の言葉に圧し掛かったのは、紛れもない強者の重圧感。

 

 今度は他のメンバーにも充分理解できた。威圧という方法で以て心臓を鷲掴みにされそうになる感覚。今までそれらとは無縁であった少年少女たちにとっては、比喩でも何でもなく心臓に悪い。

 しかしフィーは一瞬で慣れて平常心を取り戻し、レイに至っては小さな欠伸をする始末。

つまり、分かっているのだ。

 これはまだ、彼女にとって序の口の闘気であるという事を。

 

 

「(ねぇ、レイ)」

 

「(何だ? フィーよ)」

 

「(サラ、あれ教育的指導するついでに自分も楽しんじゃおうとか思ってるよね?)」

 

「(そうだな。威圧してるように見せかけてちゃっかり挑発もしてる。あざとい。流石サラあざとい)」

 

 

 二人の間でその場の雰囲気に似合わない小声の会話が交わされていると、マキアスとユーシスがそれぞれ武器を構えてサラの前に立っており―――何故かそこにはリィンも混じっていた。

 

 

「「……生贄か」」

 

「皆言わないようにしてたんだから、二人でハモるのはやめなさい!!」

 

 思わず口に出してしまったその言葉をアリサが諌めるものの、実際のところ何のフォローにもなっていない事にリィンは密かに肩を落とした。

 しかし実際、そう捉えられてもおかしくはない。目の前で武器を構えたこの女性は、明らかにレイと同じ雰囲気を持っていたのだから。

 

 その髪色と同じ、赤紫色(ワインレッド)に塗装が統一された大型の導力銃と剣。それらを右と左の片手で軽々と持っている姿からも、その力量は分かる。

それは、決して今の自分如きが立ち塞がってはいけない大きすぎる存在。

その感触はまさしく、あの日、あの夜に、レイと戦った時に感じたものそのものだった。

 だがリィンは、そこで踏みとどまった。

 敗北を恐れて引き下がるなと、そう自分に言い聞かせて刀を抜く。

 

「フフ、良い目をしてるじゃない。レイに何か吹き込まれたのかしら?」

 

「はは……それもありますけど、一度肌で感じてみたかったというのもあります。―――サラ教官の強さを」

 

「―――上等」

 

 紫色の闘気が、彼女の周りを包み込む。

その迫力に気圧されながらも、その視線はただ、目の前の強者のみに注がれていた。

 

 

「さて―――始めましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後にこの時の戦いの様子を見ていたⅦ組メンバーは口を揃えて言った。

 

 

 

 

 

 ”あれは完全な蹂躙劇(一人リンチ)だった”―――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラウンドの一角で、倒れる人影が合計三つ。

 

 その内二人は立ち上がる事すら困難な体を自らの得物を支えにしてなんとか無様な姿を晒すまいとしており、一人は荒い息を吐いて膝をつきながらも、顔は上げ、自らを完膚なきまでに叩きのめした人物の顔を見据えていた。

 

 

「……ユーシスとマキアスの二人はまぁ予想通りだったけど、リィンは結構保ったわね。アンタのやってた”早朝訓練”とやらの成果かしら?」

 

「俺は別にリィンを鍛えたつもりなんかねぇぞ? もしそう感じたのなら、そりゃリィン自身の成長の現れだろうよ」

 

 

 実際、リィンがユーシスとマキアスよりも長くサラの猛攻に耐えきった要因は、(ひとえ)にレイの瞬間移動にも似た瞬足を見て来たからである。

 無論、サラは手加減を施して三人の相手をしていたのだが、リィンは最初の数分間だけだが、攻撃に食らいつき、何とか凌いでいたのである。

その様子を見て一段階ギアを上げたサラによって、攻撃の物量に押されて潰されたが、レイから見てもそれは良い戦果であったと思えた。

何せ相手は、元遊撃士協会帝都支部が誇るA級遊撃士。自国間だけでなく、大陸全土にその名と異名が知れ渡る一流の遊撃士だ。

伊達に帝国最大の士官学院の戦技教官を拝命しているわけではない。帝国有数の武人を相手に、よくあそこまで食らいついたものだという賞賛も込めて、レイはリィンの事をそう評価したのだ。

 

「ははは、そう言ってもらえると少し気が楽になるな。……ユーシス、立てるか?」

 

「……フン、気遣いは無用だ」

 

「マキアス、良ければ手を貸そう」

 

「あ、あぁ。すまない」

 

 ユーシスは意固地になって無理矢理に立ち上がり、マキアスはガイウスの手を借りてそれぞれ列へと戻って行った。

サラはそんな彼らを見届けると、再びレイへと視線を向ける。

 

「あー、スッキリしたわ♪ 教師になってからどうも体を動かす機会に恵まれなくってねー」

 

「仮にも教師としてその発言はどうなんだよ。別にスッキリもしてねぇくせに」

 

「あらら、バレた?」

 

「顔にデカデカと書いてあるぜ? 消化不良だ、ってな」

 

 食後の軽い運動にはなり得ただろうが、彼女を満足させるには程遠いだろう。

それはレイも良く分かっている。分かってしまっている(・・・・・・・・・・)

 

 だからこそ、少しばかり血が滾ってしまっている。お互いさまに(・・・・・・)

 

 

 

「しっかしまぁ、アンタも言うようになったわよねぇ。お節介なのは昔からだけど、今は随分と顕著なんじゃないの?」

 

「別に深く考えてるわけじゃない。俺の言いたいことは、どっかの力の権化さんが実際に見せてくれたしな」

 

「あら、アタシに丸投げする気? ちょっとはアンタ自身が証明して見せてもいいんじゃない?」

 

 カシャン―――と、サラが左腕に構えたままの導力銃から微かな音が聞こえた。

銃のリロードが終了した駆動音だが、その音にフィーが反応する。

 試験はもう終わったはずだ。そうならば、わざわざこの場でリロードを行う必要なんかない。

その一見無意味とも取れる行動をサラが取った理由。―――少し考えれば分かる事だった。

 

 

「……レイと戦う気? サラ」

 

 故に、気づいたフィーが代弁する。

 その問いに対してサラは、特に隠す事もなく頷いた。

 

「言いだしっぺがこのまま何もしないのはナシでしょ? ユーシスやマキアスはちゃんと戦う事でひとまず意地は見せたわけだし。……で? どーすんの?」

 

「はっ、良く言うぜ。リィンと戦ってちっとばかしスイッチ入っちまったから俺を捌け口にしようってのが本音だろうが」

 

 サラの言い分に反論しながらも、レイは右手に長刀を握った。

 

 

 断る理由? そんなものはありはしない。

 

 所詮は仕合。―――”コロシアイ”ではないのだから。

 

 

 気が付けば、前に出ていた。

 

 

 一歩、また一歩とグラウンドの土を踏みしめ、数アージュ離れた場所でサラの正面へと立つ。

 挑発に乗ったのだと、ひとまずはそう言う理由を建前に相対する。

 

 本音は、勿論違うのだが。

 

 

「さて、補習授業のお手本といきましょうか」

 

 あくまでも授業の一環であると、同じく建前を上塗りして武器を構えるサラ。

”理由”を得た二人は、互いに闘気をぶつけ合う。

 サラは紫。レイは鋼色。闘気の奔流が空間を支配し、二人以外の存在を完全にシャットダウンする。

 

「これは……凄まじいな」

 

 思わずラウラの口から、そんな言葉が漏れる。

他のメンバーも程度の差こそあれ、二人の気迫に呑み込まれていた。

 

「……皆、離れた方がいい。ここにいると絶対に巻き込まれるから」

 

 そんな中でフィーがいつもの通りの抑揚のない声でそう告げる。

凡そ緊張感というものが感じられない言い方ではあったが、”巻き込まれる”という言葉には全員が同意し、フィーを先導として距離を取った。

 

 少しばかり、無言の時間が流れる。

 

 互いに語らず、ただ視線を交わすのみ。

手の内を探るといった観察力を高めているわけではない。ただそこにあるのは、戦意の高め合いだ。

 

 

「―――トールズ士官学院Ⅶ組所属、準遊撃士 レイ・クレイドル」

 

「―――トールズ士官学院戦技教官 サラ・バレスタイン」

 

 厳かに、それでいて獰猛に。

 抑え込んでいた戦意を、名乗りと共に爆発させる。

 

 

「「推して参る!!」」

 

 

 そうして互いに、地を蹴った。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 ―――初撃を防がれた。

 

 

 レイにとってそれは、実に数か月ぶりの感覚であった。

 駆け出しと共に発動させた”瞬刻”。極限まで高めた脚力に加え、足に纏った呪力を瞬間的に解放してブースターとする事で瞬間移動にも似た超常的な加速を可能とする《八洲天刃流》の歩法術。

 達人級と呼ばれる、ゼムリア大陸の中でも有数の実力者でなければ初見でこの歩法を完全に見切る事は控え目に言っても尚困難であると言えるだろう。

かつて”速さ”で競い合った親友ですら「初見殺しってこういう事を言うんだね」とそれはそれは見事な苦笑をしていたのを今でも覚えている。

 故に、彼の初撃を防ぐ事のできる人間は限られている。

一つ目のパターンは、前述通り相手が武術の神髄である”理”に到達した達人である場合。彼らは戦いを己の”目”のみに頼らない場合が多く、鍛え、研ぎ澄まされた超人的な感覚が、ヒトの限界を超えた脚力を捕らえてしまう。

そしてもう一つは、この動きを何度も見、そして感覚的に慣れてしまった場合である。武人としての直感と経験が、その動きに本能的に反応してしまうのだ。

 この場合サラは、その後者のパターンであると言えよう。

 

 八洲天刃流【剛の型・瞬閃】。

 

 流派の中では最も基本(・・・・)とされるその剣術は、口頭で説明するとなると至って単純なものである。

 【瞬刻】で以て対象の懐にまで入り込み、その加速に乗った状態のまま刀の鯉口を切り、抜刀。両断するというものだ。

 

 前回の実習、そしてオリエンテーリングでは投擲された大木から魔獣まで幅広い対象を両断して来たこの技だが、今回は甲高い金属音を掻き鳴らすだけに終わった。

 

 理由は簡単。技のタイミングに合わせて、サラが右手に握った剣を振るったからだ。

レイはサラの横を通り抜け、そこで【瞬刻】を解除。再び刀身を鞘へと戻しながら、久方ぶりに技を弾いた当事者を見やる。

 

「……流石にもうこの程度の攻撃は防がれるか」

 

「アタシが何度その技を見て来たと思ってんの。ナメんじゃないわよ、っと!!」

 

 導力銃から放たれる、紫電の弾丸の三連発。それを横に移動する事で回避し、大きく半円を描くように走り抜けると、直角に曲がるようにして再び”瞬刻”で距離を詰めにかかる。

 

「―――フッ!!」

 

 裂帛の一息と共に抜刀。本来であれば長刀の振り回しが困難であるはずの近距離戦にて、レイは抜身の刀身を右手に、そして鞘を左手に(・・・・・)握って流れるような連撃を繰り返す。

その猛攻はまさに、間合いと破壊力を兼ね備えた二刀流。刃を収めることにしか使われないはずの鞘をも利用して生み出される動きは、一朝一夕で培ったものではない。並以下の実力の者ならば、この攻撃を防ぎきる事は叶わないだろう。

 だがサラは、その動きに付いて行っていた。

弾き、躱し、そして合間合間に牽制とでも言わんばかりに導力銃の銃口から弾丸が放たれる。

レイもそれを弾き、或いは躱し、自らが有利だと踏んだ距離を空ける事はない。

 攻撃の応酬が交わされる度に響く衝撃音。数分ほどそれが続いた後に、はたと膠着状態に陥った。鍔迫り合いである。

 本来の、本当の、互いの命がかかった戦闘であるならばこんな事は両名共に絶対にしない。

交差された刀身と鞘。同じく交差された導力銃と剣。その隙間を縫って交わされる視線は、どちらも実に楽しそうな(・・・・・)感情を湛えていた。

 死合いであれば、間違っても笑顔など交わしはしない。

 鍔迫り合いをしている暇があるのなら、攻撃を掻い潜って相手の喉元を掻き切ってやった方が遥かに効率が良い。そうでなくとも、武器の耐久度の低下を招くその行為は、実戦で行うには非効率的すぎる。

 しかし、今は違う。

 これは手合せ。相手を潰す事を念頭に置くのではなく、自分の現在の実力と、相手の力量を見極めるための戦いだ。非効率的で、何が悪い。

 

 やがて二人は、押し返すようにして互いの体を弾き、再び余裕のある間合いが生まれた。

 だが、間髪を入れる事はなく、レイは体を捻り、独楽(コマ)のように回転させながら刀身を地面と平行に滑らせる。

 

 八洲天刃流【剛の型・薙円】。

 

 ルナリア自然公園にて、多数の領邦軍を戦闘続行不可能に陥れた、範囲攻撃に属する剣術。

従来の刀よりも刀身が長い分、その攻撃範囲の直径は広がり、更に遠心力によって増幅した攻撃の威力は限定的ではあるがカマイタチを生み出す。それによって、刀身の長さ以上の範囲攻撃が可能となっている技だ。

 この攻撃を、迎撃ではなく回避するには二つの方法が存在する。

一つはただ単純に技に発動よりも先に攻撃範囲外へと退避する事。しかし【瞬刻】が使えるレイにとって多少の間合いなどあってないようなものである。追撃の可能性も考慮すると高い脚力が必要となる。

そしてもう一つは、この技の特性を理解している者にしか取れない回避行動だ。

 回避先は―――空中。

 

 

「はあっ!!」

 

 跳躍の後にかかる重力。

サラはそれすらも利用し、刀を振り抜いた状態のレイに対して情け容赦のない攻撃を頭上から叩き込む。

剣に纏うは紫電。破壊力は相乗効果で小規模な天災にも匹敵するそれを、レイは防御する素振りも見せずにただ佇んだまま迎え入れようとする。

 

 

「あ、危ないっ!!」

 

「避けろっ!! レイ!!」

 

 その姿は他のメンバーにとってはさぞかし肝を冷やす光景に見えた事だろう。声を出さなかったメンツも、目を見開いていたのは同じことだった。

 ただ二人、フィーとリィンを除いては。

 

「(あれは―――)」

 

 特にリィンは、先日そんな状況を体験したばかりである。

こちらが攻撃を叩き込もうとしていたのにも拘らず、防御どころか、回避行動も取ろうとせず、ただ無防備に佇むだけ。

仕掛けた本人ではなく、第三者として見ている今ならば、その雰囲気が変わっているのが分かる。

 異様に―――”静か”なのだ。

 先ほどまで見せていた獰猛な覇気は鳴りを潜め、一変して冷気にも似た静かな闘気を湛える。

 時間にして数秒の短い間で、レイは自らの戦闘スタイルを全く真逆なものへと変貌させたのだ。

 

 そしてやってくる、攻撃が直撃するまでの刹那の瞬間。

 

 雷を纏った赤紫の牙が、その小柄な体躯を飲み込まんと空気を震わせ唸りをあげる。

 ここより先の未来を知らない者は、大抵が反射的に目を伏せる。攻撃が直撃して糸の切れた人形のように吹き飛ぶであろうその姿を、たったの一瞬であるとは言え視界に収めたくはないからだ。

 

 しかし、実際に体感した者は知っている。

 彼が動くのは、ここからだ。

 

 

「【静の型―――」

 

 

 呟くように放ったその言葉は、直後に暴力的な轟音によって掻き消される。

舞い上がる土と砂埃。行き場を失った紫電が周囲へと放電され、予想に違わぬ威力の余波をまざまざと表した。

これが直撃でもしようものならば、大怪我はまず免れない。先ほどの三人がかりの戦闘ですら、この光景を見てしまえばどれほど手心を加えられていたかという事が嫌でも理解できてしまう。

観戦する面々が感じた事は二つ。一つはサラに対する畏怖の念。そしてもう一つは―――他でもない、レイの安否だ。

 しかし、それを口に出すよりも早く、その疑念の結果が示される。

 

 

「―――・輪廻】」

 

 

 舞い上がった砂埃をその身の後ろに棚引かせ、体を半身に捻った状態のままサラのすぐ背後の空中へと回避したレイが、眼帯に覆われていない右目を鋭く輝かせ、そのまま先ほどよりもコンパクトな動きで体を回転させる。

そして、右手に握った黒塗りの鞘を容赦なく、サラの背中を目掛けて叩き落とした。

 

「ッ―――!!」

 

 しかしその攻撃も、間一髪間に合ったサラの突き出した剣によって防がれる。

空中で攻撃を受け止められたレイは、その反動を生かしたままに縦に数回転してそのまま地面へと着地した。

 

(いつ)つ……ちょっと、今の本気だったでしょ?」

 

「お前こそ、本気で俺の脳天カチ割りに来てたろうがよ。おあいこだ、ボケ」

 

 後ろ腰の部分をさすりながら立ち上げるサラと、右頬の一部に走った少量の流血を伴った裂傷を手の甲で拭うレイ。

 

 その動きの一部始終を、今度こそリィンは瞬きの一つもせずに見続ける事に成功した。

 あの夜、自分の放った『疾風』を事もなげに回避し、視界を欺いて一瞬で背後を取られたそのカラクリが、曖昧ではあるが理解できたのだ。

 

 自身が攻撃を受ける直前―――それこそ刃が自らの薄皮一枚に迫ろうという文字通りの刹那の一瞬まで一切の動きを見せず、同時に行動距離の小さい【瞬刻】を相手の周囲を最短の距離で半円を描くように発動させ、コンマ数秒の僅かな時間で以て相手の背後を取る。

 実際に体感したからこそ理解できた剣技の一部である体捌き。しかし同時に、それを成功させる困難さも理解できてしまった。

 ”瞬刻”のカラクリについては既にレイの口から聞いていたリィン。鍛え上げた脚力に噴出させる呪力を推進力にして生み出される歩法術。なるほど、それは確かに脅威となるだろう。

だがレイは、今まで直線的な(・・・・)動きの【瞬刻】しか見せて来ず、リィンとラウラも理解した気になっていた。その直線的な動きでのみ、発動できるものなのだと。

 しかし今見せたのは、紛れもなく曲線的な(・・・・)動き。その姿を捉える事は叶わなかったが、舞い上がり、棚引いた砂埃が幸いにもレイが辿った軌跡を浮き彫りにしていた。

 

 それが何を指すかと言えば、極限まで精密に定めた動きの”制御”だ。

 

 瞬間移動にも似た速さの動きを、半円状の曲線を描くように制御し、最低限の動きで人間の死角を奪う。

 あの夜の自分が簡単に背後を取られてしまったのも頷ける。と言うより、理解できてしまった今でさえ簡単に取られてしまうだろう。

 改めて痛感してしまう。自分と彼との現在の差を。

恐らく、”才能”などと言ったたった一言で片づけてはならない修行を繰り返してきたのだろう。

慢心はなく、油断もない。同い年でありながら言葉通りの”力”を有言実行で示して見せたその姿に、リィンは思わず笑みを溢した。

 あれが、自分の目標だ。あの境地に至ることはできないかもしれないが、せめて近づきたいとは思う。

その努力をしていれば、或いは自分の■■■も抑え込むことができるかもしれない。―――そんな感情を胸に、リィンは視線を二人へと戻した。

 

 

「ははっ。だがまぁ、久しぶりにマトモに戦えたぜ。色々とスッキリした」

 

「そりゃ私も同感よ。教師の仕事は嫌いじゃないけど生徒相手に思いっきり戦えないしねぇ。その点、アンタなら殺しても死なないしオールオッケーってわけよ」

 

「オイコラ、死闘がお望みなら買ってやんぞ」

 

 互いに少しばかり乱れた息を整えながら、笑みを浮かべ合う。

その直後、本校舎の方から授業終了のチャイムが鳴り響いた。

 

「ここまでか。ま、楽しかったぜ」

 

「もうちょっと教師として敬いなさいよ」

 

 闘気を収め、そして武器も収める二人。

 様子を見ていたⅦ組の面々は、それを見て揃って息を吐いた。とんでもないものを見たと、暗にそう言っているように。

ユーシスとマキアスの二人も黙りこくっていた。口だけではなく、実際自分たちが手も足も出なかったサラと互角に戦っている姿を見た今となっては、彼の言葉に反論することもできない。

 その時だけ、その二人の心情が一致した。それが皮肉なものだったと苦笑しながら口に出すことができたのは、もう少し後の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 結果的にグラウンドに決して小さくはない穴をあけてしまい、轟音を聞きつけたハインリッヒ教頭から「やりすぎだ」という説教を受ける事となってしまった手合せから数時間後。

夜の帳は既に下り、窓の外では梟がホウホウと鳴いている。

 風呂上りはあまり自室から出る事を好まないレイであったが、今は、まだ微かに肌寒さが残る寮の廊下を歩いていた。

 

 理由は一つ。サラに呼び出されたのだ。

 説教から解放された後、教室に戻る前にわざわざ耳元で囁かれた。

 

 曰く、「話があるから夜にアタシの部屋に来なさい」との事。

 

 ただの話ならば一階の共有スペースで事足りる。なのにわざわざ部屋に呼び出すという事は、機密性の高い話をするつもりだろうか。はたまたただの気まぐれか。

どちらにせよ、行かなければ報復と称して後日酒に酔った状態のサラに関節技を極められかねない。面倒事は限りなく事前に処理するのが信条の彼からしてみれば、ここで赴かないわけにはいかなかった。

 

 第三学生寮に、教職員用の特別な部屋などない。サラの部屋は女子部屋の階層となっている三階の一角にある。

 扉の前に立ち、とりあえずの礼儀としてのノックをする。中からやたら陽気な声が返ってきた段階で、レイの不機嫌度メーターは上昇を始めた。

 

「おっそいじゃないのよ~。待ちくたびれたわ」

 

「時間指定しなかったお前が悪い。何瓶開けたんだ?」

 

「ん~、二瓶ってトコかしらね。それよりホラ、アンタも一杯やりなさいよ」

 

「だから俺は今学生だっつってんだろうが」

 

「バレなきゃ良いのよ、バレなきゃ。どーせアタシ以外誰も見てないんだし」

 

 本格的に倫理観というものを叩き込んだ方が良いのだろうかと本気で考えていると、いつの間にかレイの手には酒の入ったグラスが握らされていた。

カラン、という氷が転がる音に懐かしさを覚え、その流れでつい口を付けてしまう。グラスの中身を空にするのに、そう時間はかからなかった。

 

「ホラ、突っ立てないで座んなさいよ。ホラホラ」

 

 ベッドの上に腰かけていたサラは、自分の横をポンポンと叩く。

意味が分かってやっているのか、それとも酒の入った勢いで無自覚でやっているのか。

どちらにせよ、酔ったサラの意向に逆らうと、タチの悪い絡みを見せてきて非常に厄介であることは分かっていた。

溜め息を一つ吐き、指定した場所に腰を下ろす。

 

「いやー、今日は疲れたわねー。アンタが上手い事ノッてくれたからアタシもちょっと全力で行きかけたじゃない」

 

「アホぬかせ。『雷神功』も使ってないお前が本気なはずねぇだろうが。……ま、俺もちょっとマジになりかけたけどな」

 

「その割には【鬨輝(ときかがり)】すら使ってこなかったじゃない。最初ナメられてんのかと思ったわよ」

 

「あれ以上にグラウンドの被害がデカくなったら色々と面倒だったろうが。特にお前が」

 

 不機嫌そうに口を尖らせるレイを見て、サラはその左手を伸ばして頭を撫でる。酔っている人間とは思えないその優しい手つきが、レイの表情を更に曇らせた。

 

「アタシの心配なんかしてんじゃないわよ。ただでさえアンタは色々抱えてるんだから。こちとら教師よ? 怒られるのは慣れてるわ」

 

「―――随分と入れ込んでるみたいだな。この職業に」

 

 この女性が教師になるなどと、それこそ青天の霹靂という諺が似つかわしいと、最初は思っていた。

だが、実際に見てみると驚くほど溶け込んでいるのが分かる。それを嬉しいと思う反面、どこかもの悲しさを感じていた。

 

「最初に会ったときは思いもしなかったな。あれだけ本気で殺し合ったってのに、今やこうして教師と生徒として隣に座って酒を飲んでるなんざ」

 

「……そうね」

 

 先ほどまで陽気で余裕があったサラの声が、尻すぼみで小さくなる。下手な事を言ってしまったかと横を向こうとしたとき―――不意にサラに抱きしめられた。

 温かい人の温もり。普段の言動とは裏腹に女性らしい体つき越しに聞こえてくる心臓の鼓動は、とても速く刻まれていた。

 

「……今でも不安になったりするわ。何かのきっかけで、無差別に人を狩っていたあの頃に戻ってしまうんじゃないか、って。―――でもそれは、アンタだってそうでしょう?」

 

「…………」

 

「今日やったのはただの手合せ。でも、どうしようもなく気分が高揚してしまった。戦って、戦って、戦い続けたあの日の記憶が、今でも時々アタシを蝕む。踏み越えてしまったから、だから容易には戻れない。結局、アンタが言ってた通りだったわね」

 

「戦闘狂じゃねぇだけマシだろうが。本当にヤバいのは、戦う日々を否定する事もなく受け入れてたどうしようもない馬鹿野郎だ。揺れて、足掻いて、這ってでも抗ったお前は、俺から見りゃただの人間だよ」

 

 暗に、自分は”異常”だと。

 異性の感情を揺さぶるような、悲しげな笑みを浮かべた彼の顔を、サラは至近距離から覗き込んだ。

互いの酒気の混ざった息が交わる距離で、それでも彼女は彼を正面から見続ける。そして想う。

 

「アンタは……報われる資格があんのよっ……!!」

 

 ただの一片の悪意もなく、ただの一片の他意もなく。

 それでもこの少年は、他人を掬って救いつづけようとして、その度に自分の心を蔑ろにしてしまう。

それがサラにとっては、たまらなく嫌だった。

 

「―――それを決めるのは俺だ。お前じゃあ、ない」

 

 突き放すようにそう返したが、その声色は震えている。

やがてレイは優しくサラの肩を押して距離をあけると、「ごちそうさん」という言葉を残してグラスを置き、立ち上がった。

 

 最悪だ。―――他ならぬ自分自身にそんな評価を叩き付け、何故か来る前よりも一層冷え込んでしまったような廊下を歩きながら自室へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




サラvsレイ。書いてしまったことに後悔はありません。

レイ君のことを面倒くさい人間だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、どうか勘弁してやってください。


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ほつれた愛情

大変長らくお待たせいたしました。

1月2月中は色々と忙しいです。実家の手伝いしなくてはならず、別のところで書かせていただいている小説は〆切近いし、ついでに冬アニメの観賞……それは違うだろ? ハイ。仰る通りです。

今回もオリキャラ出します。とは言っても今回限りになるかもしれませんが。
バリアハート編は早く終わらせたいですねー。


あ、それともう一つ。



遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。
今年も見捨てずご贔屓にしていただけたらとてもとても嬉しいです。
感想もバンバン下さいませ。


「いいか、リィン。恐らくこれが最後のチャンスだ」

 

 5月29日。二度目の特別実習の開始日。

A班の面々で集まってトリスタ駅に向かう前、少し早めに寮の一階でリィンと顔を合わせたレイは、徐にそう言い放った。

主語もない、一見すれば何について話しているかすらも分からない強引な話の振り方ではあったが、色々と”そのこと”について相談に乗ってもらったリィンは、難しい顔になって一つ頷く。

 

「ユーシスとマキアス、そしてお前とマキアスの確執。それをこれ以上先延ばしにはできない。この実習中に解決できなければ、軋轢を完全に埋めるのは難しくなる」

 

 リィンとマキアスの確執。その原因となったのは、ケルディックから帰る際の列車の中の出来事だった。

 レイが自分が扱う術についての説明を終え、和やかなムードになった後、リィンも自身の事を告げたのだ。

 自分が、実は貴族の身分であること。北部ノルティア州の辺境、アイゼンガルド連峰の麓にある温泉郷『ユミル』。その地域を治める<シュバツツアー男爵家>の息子であるという事を明かしたのである。

しかし、こう言っては何だが、レイが明かした手品もビックリなパフォーマンスなどの後ではどうにもその告白はインパクトに欠け、その場では「何で最初からそう言わなかったし」というレイの言葉に皆が賛同し、特に気にすることもなく過ぎていった。

 だが、問題が起きたのはここからだった。

 列車内で打ち明けあった事を、まさかA班の面々の中だけで秘匿とするわけにはいかない。当然その内容は、B班の面々が寮に帰って来た時に報告をした。

 レイの術の事に関してはエマなどが多少驚いた表情を見せたものの、概ね問題なく受け止められた。しかしその流れでリィンが自らの身分を打ち明けると、やはりと言うかなんというか、マキアスは過剰反応した。

 ただしそれは、リィンが貴族であったという事に関してではなく、その身分を偽っていたという事に関してだ。

 

『あの時点で僕が信用ならなかった事は分かるが、自分の出自を偽らなければならないほどだったのか?』

 

 打ち明けた時、マキアスは正面切ってリィンにそう言い放ち、さっさと行ってしまった。

 オリエンテーリングのあの日、別行動をしていたレイは知らなかった事だが、リィンたちと合流したマキアスは不躾だと分かっていながらも開口一番で身分を問うた。

エリオットは平民。ガイウスはそもそも故郷のノルドには身分制度は存在しないとして平民扱い。そしてリィンは―――

 

『……少なくとも、高貴な血は流れていない。そういう意味では、皆と同じと言えるかな』

 

 思えばそれは、彼なりに真実をぼやかしながら言った最善手の言葉だったのだろう。

だがその曖昧な言葉が、ここに至って面倒事を増やしてしまった。過程はどうであれ、軋轢が生じてしまったのならば、埋めるための努力はしなくてはならない。

レイはキリキリと僅かに胃が軋む感じを無視しながら、現実問題としてリィンにそれを突きつけたのである。

 

「ユーシスとマキアスは……まぁ、相性的な悪さもあるんだろうが同族嫌悪的なノリもあるんだろうさ。だがお前とマキアスは単純に引っ込みがつかなくなってるだけだ。アリサとの関係がギクシャクしていた時と同じだよ」

 

「そう、なのか?」

 

「あぁ。お互いにツラ合わせて謝っちまえばそれで済む話だ。だから今回の実習はある意味最高の舞台だ。否が応でもツラ合わせて行動しなきゃならないんだからな」

 

 そう言うとレイは、笑みを浮かべてリィンの右肩を軽く叩いた。

 

「俺もできる限りフォローはするが、中心点にいるのはお前だ。頑張れよ、Ⅶ組の”重心”君」

 

「ぶっ―――サラ教官から聞いたのか?」

 

「まーな。いいんじゃね? 揺らぐも留まるも己と周り次第。不動の”中心”よりもよっぽど学生らしい」

 

「……」

 

 先にトイレ行ってくる、と言って行ってしまったレイを見ながら、リィンは複雑な感情に囚われた。

 ”重心”―――支え、支えられる常動の存在。

自分がそうであっても違和感がないという意味のその言葉は勿論嬉しくはあったが、同時にこうも思った。

 

 

 

「(俺が”重心”だったとしたら―――お前は一体”何”になるんだ? レイ)」

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 ≪翡翠の都≫バリアハート。

 帝国東部クロイツェン州の州都であり、『四大名門』の一角である<アルバレア公爵家>が直々に治める人口30万人程の都市。

貴族色が強い場所であるというイメージが強く根付いているが、領内の鉱山から産出される七耀石や、丘陵地帯で飼育されているミンクから取れる毛皮。それらを加工して生まれる質の良い宝石や毛皮製品などが特産品として名が知られており、大陸横断鉄道を通じて近隣諸国にも輸出しているほどの代物である。

そしてもう一つ有名なのは、それらの特産品を作り上げる”職人街”だ。

バリアハートの南部に存在するその場所は、帝国内でも優秀な職人たちがその腕を振るうために列挙しており、目の肥えた貴族や富豪をしてなお満足させるだけの商品を提供している。

昨今の増税政策により以前よりかは活気が落ちているものの、バリアハートというブランドを支えるため、職人たちは汗を流し続けているのである。

 だがそれは、やはりバリアハートの側面でしかない。

 主面となるのはやはり、貴族を中心とした、一見煌びやかに見える一般に知れ渡る街の在り方にあるだろう。

 

 バリアハートという都市は、良くも悪くも貴族によって発展してきた。

貴族が求めるがゆえに閑静でありながらも豪奢な住宅街が出来上がり、空港や高級店などが立ち並ぶ中央広場が出来上がった。

そして同じ理由で、貴族を満足させるだけの品物を作り上げるだけの腕を持った職人が集まる職人街が形成されたのである。

 それらを可能としたのが、平民からの徴税だ。

治めている側が、治められている側から治安の安定や繁栄と見返りにそれを為すだけの金銭を要求するのは当然の事であり、単純に言ってしまえばそれが貴族社会を貴族社会たらしめてきた根本的な上下関係であるといえる。そして世が世ならば、この統治体制に不満が出るはずもなかった。

 ―――平民が国家運営の中心となるという政治体制を掲げた、『革新派』が進出してくるまでは。

 

 現在の貴族の大半は先祖より与えられた地位に胡坐をかき、民を導き、土地を治めるという当然の義務さえも放棄した愚昧な者どもであると、言外にそう言う彼らの主張により、今までただ一方的に搾取される側であった国民がそれに同調。

無論、帝国の貴族の中にも賢主と呼ばれる人物は存在する。だがそれよりも、偏見と権力を笠に着て横暴に振る舞う貴族が現在では目立っているのもまた事実。そうした経緯が、マキアス程ではなくとも貴族社会に不満を持つ人々を生み出す原因ともなっている。

因果応報、栄枯盛衰。今までこのエレボニア帝国を支えてきた貴族社会が揺らぎを見せてきているこの時期に敢えてバリアハートへ実地演習に行かせるというその思惑。この時点で理解できる者は少ないだろう。

 そしてその思惑を理解している一人であるレイ・クレイドルは今―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お腹減った、レイ。私もう一歩も動けない」

 

「団抜けてからお前の燃費相当悪くなったんじゃねぇの? 成長期だってんなら仕方ねぇけど今は我慢しろ」

 

「あら~レイさん、これ見てくださいな。綺麗なお花ですね~」

 

「あの、ニーナさん。俺たちが今探してんの花じゃなくて宝石なんで。てかその花めっちゃ毒々しい色してんですけど。毒草ってのが一目で分かるんですけど」

 

「あ、これエーデル部長が育ててる花だ。中毒性が強いんだって」

 

「どーでもいい事に食いついてくんな園芸部!! てかあの部長さん、純粋そうな顔して校舎内でなんてモン育ててくれちゃってんの!?」

 

「お得意様がいるんだって。オカルト研究部に」

 

「ベリルか!! よりにもよってアイツに!? 何か召喚する触媒にすんじゃねぇだろうな!?」

 

「あら~、あっちのお花も綺麗ね~」

 

「だから勝手な行動しないで!! ここら辺普通に魔獣とかいるんですから!! ってかフィー!! いつの間にか俺に背中にぶら下がってんじゃねぇ、降りろ!!」

 

「ダルい、疲れた、メンド臭い」

 

「? レイさん、この大きなカマキリさんは何でしょうか? 何だかカマを振り上げて―――」

 

「頼むから少しは俺の言う事を聞けぇ――――――!!」

 

 

 

 リィンたちの与り知らないところで苦労(つうじょううんてん)をしていた。

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

「前みたいに依頼を手分けしようぜ。リィン」

 

 バリアハート中央広場の一等地に建てられた一流ホテル『エスメラルダ』の一室にて、レイがそう提案した。

 六人の手の中にそれぞれあるのはつい先程とある人物から出迎えついでに渡された実習内容。そこには、三つの依頼が記されていた。

宝石店店員からの依頼、貴族街の住民からの依頼、そして東方面に広がるオーロックス峡谷道の手配魔獣の討伐。

一つずつ全員で対処していくのも正しいやり方ではあるが、六人という数の理を生かさない手はない。流石に手配魔獣の討伐は戦術リンクの確認も兼ねて全員で挑む必要があるが、前半の二つの依頼については二手に分けてこなしたほうが効率的だろう。

 

「まぁ、それもそうだな。皆はどう思う?」

 

「私は賛成です。三人ずつで分かれれば早く終わるでしょうし。フィーちゃんはどうですか?」

 

「どっちでもいいよ」

 

「つまり賛成ってことだな」

 

 エマとフィーの賛同が得られた後に四人が残りの二人に目を向けると、少し気まずそうにしながらも二人は頷いた。

 

「うぐ……ま、まぁ早く終わるに越した事はないだろう。僕もそれでいい」

 

「フン、俺もそれで構わん」

 

 全員がレイの提案に納得したところで、話は班決めへと移る。二つの班をそれぞれ纏め上げるリーダーは早々にリィンとレイに決定した。

Ⅶ組クラス委員のエマが立候補しなかった理由は、ただ単純に二人の方が圧倒的に実戦経験があり、何より有事の際にも冷静に対応できる判断力があるからという事だった。

前者は元より、後者はエマにも備わっているのではないかと思ったが、確かに魔獣との戦闘になれば不慣れなエマでは少々心許ないのもまた事実。

そして―――。

 

「私はこっち」

 

 リーダーが決まった後すぐにレイの上着の裾を掴んでそう言ったフィーの言葉に誰も異を唱える事はできず、早々と一人目の所属が決まった。

その後、さも当たり前であるかのように二チームに分かれて入ろうとするユーシスとマキアスの肩を掴んで、とても良い笑顔でレイが一言。

 

「お前らが班分かれちゃ、ダメだろ?」

 

 可能な限りこの実習中は二人の別行動を禁ずるというのがリィンとレイ、そしてエマと取り決めた事柄だった。

本来であればここでリィンの班かレイの班か、二人をどちらに属させるかを話し合うつもりだったのだが、フィーが早々にレイ班に入ってしまったことで半強制的にリィン班に押し付けるような形になってしまった。

残りはエマだが、流石に問題児二人を押し付けたままⅦ組の良心の一人をこちらに引き込めるほど、レイの神経は図太くはなかった。

 

「委員長はリィンたちに付いてやってくれ。こっちは俺とフィーで何とかする」

 

「えっ? で、でもそちらは二人だけになってしまいますけれど……」

 

「いくら協調性が高くてもリィンだけにあいつらの世話を押し付けられねぇよ」

 

 最後は周りに聞かれないように小声で告げると、エマは困ったような顔で苦笑しながらも小さく頷いた。どうやら、理解してくれたらしい。

 そうでなくとも、レイとフィーのコンビならば大抵の問題は解決できる。身も蓋もない言い方をすれば、心配されるだけ無駄なのだ。

 

「そんじゃ、班も決まったことだし始めるとすっか。俺はこっちの貴族街の方の依頼を貰ってくぜ」

 

「いいのか? お前たちが貴族街に赴けばいらない厄介事に巻き込まれるかもしれないぞ」

 

 その声色に僅かに介意の色を滲ませて、ユーシスが口を挟む。しかしレイは、それに「分かってる」と返した。

 

「プライドの高いお偉方との接し方なんて慣れてるさ。それに、この街で実習をやる時点で厄介事には必ず巻き込まれるだろうよ。なに、早いか遅いか、それだけの違いだ」

 

「……フン、まぁそうだろうな。もし何かあればユーシス・アルバレアの名を出せ。しつこい貴族はそれで引き下がるだろう」

 

「おぉ、サンキュー。男のツンデレとか誰得だけど」

 

「ん。ありがと、ツンデレ」

 

「貴様らバリアハートから出禁処分を下すぞ」

 

 ユーシスからのちょっと洒落にならないレベルの殺気を悠々と受け流し、レイは未だに服を掴むフィーを連れて部屋を出る。

そのままホテルの外に出たところで、少し気になった事をフィーに聞いた。

 

「何で真っ先に俺に引っ付いてきたんだよ。そんなに寂しかったのか? ん?」

 

 意地悪そうな笑みを浮かべてそう言ってみると、フィーは一回だけビクンと体を震わせて顔を俯かせた。

少し前まで戦場にいたとは思えない陶器のように白い肌が僅かに紅潮して、その後、本当に少しだけ、首肯した。

 

「……レイのいじわる」

 

「はは、わりぃわりぃ。そんじゃ行こうぜ(この状況、西風の連中に見られたら殺されるな)」

 

 託された保護者役として頷かれたのが嬉しくもあり、せめてこの本音の十分の一でも他のメンバーに向けられればなぁと思いながら、依頼主のいる貴族街に向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バリアハートの西側に存在する貴族街は、その名の通り貴族が在住するエリアであり、治安維持を担当する領邦軍の詰所も存在する。

本来であれば余所者が入り込むような場所ではないのだが、トールズ士官学院の制服は上品にデザインされているため、訝しげな視線は送られても見咎められる事はない。

そしてこの二人は、訝しげな視線程度で足を止めるほど柔な精神はしていなかった。

 

「えーっと、ここが依頼主の家か」

 

「やっぱり大きいね。あっちに見えるユーシスの実家程じゃないケド」

 

 視線を向ける先にあるのは、長い坂を上った先にある巨大な門。

門前には二名の領邦軍の軍人が待機しており、門の向こう側には中世の城と大きさは勝るとも劣らないような巨大な屋敷が鎮座していた。

 アルバレア公爵邸。西部ラマール州を治めるカイエン公爵と勢力を二分する一族の邸宅。その権威と誇りを具現化したようなその屋敷を、しかし二人は特に感慨に浸ることもなく眺めていた。

特定の住居とは無縁の人生を送ってきたフィーと、そもそも住居と言うものにあまり拘りを見せないレイ。確かに凄いものだとは思うが、憧れなどは一切抱かない。特に感覚が庶民じみてるレイなどは……

 

「ないな、うん。メッチャ掃除大変そうだわ」

 

 と、完全に管理人目線で屋敷を見てしまっていた。 

しかしあまり長い時間眺めていると領邦軍から余計な因縁をつけられかねないので、十数秒ほど眺めた後に視線を正面に戻した。

 

 二人がやってきたのは、貴族街の一角に屋敷を構える<ハンコック男爵>邸。

外観からでも瀟洒な感じは伝わってくるが、過度に華美な門構えをしていないところはどことなく好感が持てた。

とは言っても、何となくクロスベル市の高級住宅街を思い出して懐かしくなった程度だが。

 と、その時たまたま目の前の庭を通りがかった執事風の男性に向かって、レイは特に迷うこともなく声をかけた。

 

「あの、すみません」

 

「おや、いらっしゃいませ。何か御用でしょうか?」

 

「トールズ士官学院特科クラスⅦ組の者です。実習任務に際して、こちらのお宅から依頼が出されておりましたのでお伺いしました」

 

「おぉ、これは申し訳ございません。ただいま門をお開け致しますので、お入りになって下さいませ」

 

 レイの偽りの含まない澄んだ声色と、着ている制服で即断したのか、老執事は迷う事無く門の鍵を開け、二人を招き入れた。

邸内に入った後は流れるように応接間に案内され、淹れたての紅茶を一杯ずつ出された後、「ただいまお呼び致します」とだけ告げられて待たされることになった。

 

「丁寧に対応してくれたね」

 

「使用人が仮にも客に対して高圧的に接しちゃダメだろ。ま、この家はそれを差し引いても悪い場所じゃねーと思うけどな」

 

「? 何で分かるの」

 

「何となく」

 

 貴族としての誇りを持ちながらも大前提である人としての生き方も忘れない生活。フィーに答えた通りそれが分かったのは勘でしかないのだが、この家の主人は何よりも大切であるそれをおざなりにしていないような感じがしたのである。

 そんなことを思っていると、控えめなノックの音が聞こえ、恐らく依頼を出した本人であろう人物が応接間に入ってきた。

 

「あらあら、お待たせしてごめんなさいね~。すっかり寝過ごしてしまって」

 

 入ってくるなり間延びした声で謝罪の言葉を口にしたのは、若々しい外見をした女性だった。

 解けば腰あたりまであるであろうパールグレイのそれをシニヨンに纏め上げた髪に、翡翠色の瞳。浮かべたその柔らかい笑みに裏表などは一切感じられず、素でその表情を出していることが分かる。

 ここまで自分の素顔を曝け出す人も珍しいと思いながら、レイとフィーは立ち上がった。

 

「初めまして。レイ・クレイドルといいます。こっちはフィー・クラウゼルです」

 

「……(ペコリ)」

 

「まぁまぁ。ご丁寧にどうも。本当なら私が皆さんのところまで行きたかったのだけど、赴くから待っていてくれと言われてしまいましてね?」

 

「はは、お気になさらず。それで、ええと……」

 

「あら、ごめんなさい。私の方の自己紹介がまだでしたね」

 

 そう言うと女性はレイたちに着席を促し、自身もまた向かいのソファーに腰かけてコホンと一つ咳払いをしてから再び口を開いた。

 

 

 

 

「改めまして。ニーナ・マクダエルと申します。この度はあなた方に、一つ探してほしい物がありまして、依頼を出させてもらいました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 依頼自体は単純なものであり、「バリアハート市周辺の岩盤から採取される宝石の原石を持って来て欲しい」というものだった。

宝石の名は”シェルフロイ”。原石のままでも綺麗な藍色の輝きを放つ代物だが、希少価値はそれほど高くはなく、少し根気よく探せば大抵見つかるものであるという。

勿論街道に出る必要があり、ともすれば魔獣との戦闘もあり得るが、二人にとってはさしたる問題ではない。問題があるとすれば、ニーナが提案したもう一つの”お願い”だった。

 

「あの、もし余裕があればで良いのですが、私も同行させていただけませんか?」

 

 その追加注文についお互いの顔を見合わせてしまった二人だったが、ニーナは特に悪びれる様子もなく、独特のペースを崩さないままに詳細を告げた。

 

「実は、離れ離れで暮らしている娘がいるんです。私はこうして帝国にいるので碌に会うこともできなくて……せめて贈り物を自分の手で探すくらいは、母親としてしてあげたいのです」

 

「私から補足をさせていただきますと、シェルフロイに込められた宝石言葉は”家族の愛”でございまして、ニーナ様がお選びになった理由でございます」

 

 ”離れ離れになった家族”―――その言葉に、フィーがピクリと反応した。

それについては、レイも無反応を貫くわけにはいかなかった。フィーの事情を知っているという事もその一端ではあったが、”家族”という言葉に反応するだけの理由が、レイ自身にもあったからだ。

 それに、個人的にこの人物に対して聞きたいこともある。依頼を受ける理由としては、それだけで充分だった。

 

「事情は分かりました。今回担当するのは自分と彼女の二人だけですが、実戦経験はそれなりに(・・・・・)ありますので護衛くらいは務まります」

 

「……(コクン)できる限り頑張る」

 

 平然と実力を隠したレイとやる気を見せたフィーを見て、ニーナが再び大輪の花のような笑顔を見せる。その様子は、少なくとも一児の母には到底見えなかった。

 

 

「(フィー、俺にはあの人が何歳だか分かんねぇんだけど)」

 

「(同感。ぶっちゃけ20代でも通用する。ああいうのを魔女って言うのかな?)」

 

「(バカヤロウ。魔女ってのはもっとヤバいモンだ)」

 

 満面の笑みを浮かべてお礼の言葉を述べる目の前の女性の実年齢が正直気になって仕方がなかったものの、レイたちは宝石を探すために採取場所であるという南クロイツェン街道にニーナを伴って出発したのである。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 後悔はしていないが、とてつもなく疲れている。

 現在のレイの心境を表すならば、それが一番正しい表現だろう。

 

 屋敷での若干しんみりしたやり取りはどこへやら。街道に出た途端に子供のような好奇心旺盛っぷりを発揮したニーナへの注意に追われ、また昼が近くなりエネルギー切れも近くなったフィーを鼓舞したりなど、レイの気苦労さはこの時点で既に少々頭痛が表れてもおかしくはないレベルにまで達していた。

 

 それにしても、とレイは思う。

 ニーナというこの女性は、少々性格がアンバランスだ。

普段(といっても会ってからまだ数時間も経っておらず、普段がどうであるかなど知る余地もないが)は今のように天真爛漫で推測できる年齢より一回り以上若く見える人だが、家族の事を話す際は物憂げな表情を浮かべ、年相応の落ち着いた話し方をする。それでも童顔であることは変わりないが、雰囲気はまさしく大切なものを抱えたそれだ。

 自分やフィーには間違っても醸し出す事ができない大人の表情。真に愛するものを抱えてしまったが故に浮かべられるそれを、レイは幾度も見てきた。

これだから女性は侮れない。男よりも自然に、そして違和感を抱かせることなく半ば本能のようなもので自在に己を切り替える事が出来てしまう。女性の扱いに慣れた百戦錬磨の男ならばその機微も見抜けることができたのだろうが、生憎とレイはその域には達していない。

 とはいえ、彼女の身元については大体想像がついている。しかしそれをわざわざ暴く必要などないと思っていた。

 

「あっ……」

 

 バリアハート駅から東側に向かって走る鉄道を見て、呆けたような表情を見せるニーナを見るまでは。

 

 何かを探るようなその視線に気づいたのか、はたまたただの偶然か、ニーナはふとレイの方を振り返ると、再び物悲しそうな笑みを浮かべた。

 

「ふふっ、やっぱりダメなんですよね。(あっち)に向かう鉄道を見てしまうと、どうにも」

 

「……クロスベル、ですか」

 

 呟いたように発せられたその言葉に、ニーナは義理堅く首肯を返す。

 

「レイさんは、クロスベルにいた経歴が?」

 

「支部で遊撃士をしていました。2、いや、3年ほど世話になりましたね」

 

「まぁ、そうなんですか。―――それなら、私のこの苗字(ファミリーネーム)についてもご存知ですよね?」

 

 知らない人間などはいないだろう。仮にもクロスベルに滞在した経験があれば、その名は一度は耳にするはずである。

 ヘンリー・マクダエル市長。クロスベル自治州を治める双璧の一人であり、自治州内の政治家にしては珍しい、帝国派・共和国派のどちらにも属さない人物であり、その清廉潔白な政治運営で市民からの人気は高い。

 現在は自治州内で起こった大規模事件の余波で失脚した元州議会議長に代わってその任を全うしており、齢70を数えようかという今でもなお現役で活躍し続ける、名実ともにクロスベルの顔役ともいえる人物である。

 そしてその苗字を冠する。それが何を意味しているか、分からないほど鈍重な頭の回転はしていない。

 

「……マクダエル市長、いえ、今は議長閣下ですか。とは遊撃士時代に数度お会いしたことがあります。護衛任務のようなものでしてね。その際に先輩の遊撃士と共に酒の席に同伴した事があったんです。

その時にポツリと、ご家族の事を漏らした事がありました」

 

「…………」

 

「一介の末席遊撃士風情が聞いてはいけないものでしたがね。……婿入りして清廉潔白な議員を目指していた旦那の方を守れなかった。そして同時に、その人を深く愛して支えていた娘さんにも辛い思いをさせてしまったのだと、傍目から見てもとても悔いておられましたよ」

 

 レイの言葉にニーナは必要以上に悲しむ顔を見せる事もなく、ただ、苦笑する。

 

「ふふっ、お父様も相変わらずお酒の席では口が軽くなってしまうようで。あ、でも未成年のレイさんをそんな場所に連れて行ったのはいけませんね。いつか手紙で文句を言いませんと」

 

「安心してください。ソフトドリンクしか飲んでませんので」

 

 本当は場のノリに抗えなくて水割りのウイスキーを何杯か飲んでいたのだが、今の状況でそれを言えば更にややこしくなりかねないので止めておいた。

 

 

「……帝国に身を寄せていらしたんですね」

 

「えぇ。ハンコック男爵家とは親戚筋にあたる仲でして、離婚した私を快く引き取って下さいました。今は、子供たちの家庭教師をしていますね」

 

 夫の自治州議会での失脚。それに端を発した離婚であることは容易に想像ができた。

恐らくこの女性は、今でも夫の事が嫌いではない。むしろ好いているのだろう。しかし愛する夫が失脚した後にクロスベルという土地に絶望して去り、置いてけぼりにされるという重圧に耐えきれなかった。

 心が弱い、などと罵る資格はレイにはないし、あったとしても彼女を責める事はなかっただろう。

愛せば愛するほど、人は人との別れに過敏に反応し、その別れから目を背けたくなる。そうして数年が経った頃に後悔するのだ。”自分はなぜ、あそこで別の選択をできなかったのだ”と。

 今のニーナが、まさにその状態であった。

 

「それでも後悔はしているのです。夫に付いていかなかった事も、娘をお父様に託して一人帝国の地に逃げてしまった事も」

 

「…………」

 

「クロスベル方面に向かう列車を見てしまうと、考えてしまうのです。あれに乗れば、元の場所に帰る事ができる。でも帰った先で、残してしまった娘に愛想をつかされてしまうのではないか、と」

 

 それならば、多少のあのはしゃぎようにも納得ができる。

自らの心を掻き乱す列車の姿を見たくなくて、ここに来てから駅の周辺や街道には出た事がなかったから。だからなのだろう。

とはいえ、好奇心が旺盛なのは生来からの性分のようだが。

 

 気が付けば、先程まで動けないと言って駄々をこねていたフィーがすくりと立ち上がり、近くの岸壁の方へと歩いて行った。

彼女自身、置いて行かれた境遇の娘さんに対して、何か思うところがあったのだろう。

 

「でもニーナさんは、そんな娘さんを愛してる。そうでしょう?」

 

「え、えぇ。それは、勿論」

 

「今まで手紙でも通信でも、やり取りした事は?」

 

「手紙は、1ヶ月に一度は必ず。導力通信でも。最近はとんとご無沙汰ですが」

 

「いや、なら大丈夫でしょ」

 

 思わず敬語が抜けてしまったレイ。思っていたよりも頻繁にコミュニケーションを取っていた事に驚いたが、それで確信する事ができた。

 

「嫌ってなんかいないでしょ。愛想をつかされるなんてこともありません。本当に嫌いなら、やり取りなんかはしないでしょうし」

 

「そ、そうでしょうか。でも娘から返ってくる内容が”お母様、ぼんやりしていませんか?”とか”寝過ごしてしまうのは構わないですけれど、そちらのご主人様に迷惑をかけないようにして下さいね。あ、あと野菜もちゃんと食べて下さいね”とか窘めてくるようなものばかりで」

 

「いや、多分それ事実でしょ。てかシリアスになってた時間を返してください。何かめっちゃムダな時間を過ごしたような気がします」

 

 寧ろ母親の心配をこれでもかという程してくれているできた娘さんだ。これではどちらが保護者だか分からない。

恐らくいつか顔を合わせる時が来たら面白い光景に出くわす事ができるだろう。

 

 

「―――でもまぁ、ニーナさんが娘さんを愛してるんなら、それでいいんじゃないですか? 子供にとって、親に愛されること以上に幸せな事なんてないでしょうし」

 

 だから、そう素直な見解を述べてみると、漸くニーナの顔から悲しみの色が消えた。

目尻から僅かな涙を流しながらも、その顔には、晴れ晴れとした表情が浮かぶ。

 その時、先行していたフィーから、呼びかけるような声が聞こえた。

 

「レイー」

 

「おう、どうした?」

 

「ん。実物見てないから分からないけど、それっぽいものなら見つけた」

 

 はい、と気の抜けた声と一緒に差し出された小さな手のひらには、恐らく強引に採掘したと思われる土くれ付きの藍色の塊が乗せられていた。

原石というだけあってゴツゴツしていたが、ニーナはそれを見て目を輝かせる。

 

「こ、これですっ!! 見つけてくれてありがとうございます~♪ フィーちゃ~ん♪」

 

「……苦しい」

 

 歓喜のままに思いっきり抱きしめられてそう言うフィーだったが、その表情はどこか安心したようなものを含んでいた。

久しくそんな表情を見ていなかった保護者役のレイからすればとりあえずカメラに収めておきたい決定的瞬間だったが、生憎と今は持ち合わせがない。

 そんなことを考えていると、僅かに緩んでいたフィーの雰囲気が、一変して鋭い物へと変わった。それと同時に、レイも背負った刀袋に手をかける。

 

「? ど、どうしたの?」

 

「下がってて。危ないから」

 

「やれやれ。空気読めってんだよ」

 

 ニーナを後ろに、双銃剣と長刀を構えたⅦ組最強コンビが闘気を身に纏う。

宝石の輝きに惹かれてきたのか、それともただの偶然か、三人の道を塞ぐかのように現れたのは、三つ首を持った自立活動型植物系魔獣”ヴィナスマントラ”。

人の体躯を悠々と超すその大きさにニーナは息を呑んだが、二人は緊張の素振りなど露程に見せず、ただ自然体で武器を構えた。

 

「さーて、いい感じの雰囲気で終わろうとしてた空気を砕いてくれたお前さんには―――」

 

「痛い目を見てもらわないと、だね」

 

 口火を切る僅かな金属音と、リロードの装填音。

意気揚々と姿を現したそれを撃退したのは、それから数十秒後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 貴族街の一角にあるベンチの上。

依頼を遂行した二人は、ひとまずそこで休息をとっていた。

 

「あー、何だか知らんが疲れたな」

 

「ん。というかお腹減った。もうリアルに動けないっぽい」

 

 その気だるげな言葉に、さっきも言ってただろ、と茶化すように返す。

 

 

 

 色々と世話になってしまったハンコック家の執事によると、あの原石は近日中に研磨され、ブローチ状に加工して贈り物として完成するらしい。

レイたちはその完成品を見る事は叶わないが、無事に贈り物として日の目を見るのなら、依頼を果たした甲斐もある。

 それに―――

 

 

『もし心の整理がついたら……もう一度、娘と会ってみます』

 

 

 決心したような顔でそう言ってくれたニーナの姿が見れただけでも、レイとしてはこっ恥ずかしい言葉を吐いただけの価値はあった。

子が元気で生きており、それを見守る母親もまた元気で生きている。

そんな二人が出会う事無く生涯を終えてしまうというのは、あまりにも勿体ない事で、悲しい事だった。

 少なくとも、もう二度と会えないレイに言わせればそれは、見過ごせることではない。

 

「……レイ」

 

「ん?」

 

「お腹すいた」

 

「それ以外言えんのか。お前は」

 

 気を使ったのか、それとも本音か。

どちらにせよリィンたちとの合流時間が迫っていることを確認したレイは、フィーの手を軽く引いて、貴族街を後にする。

 手を引かれた状態のフィーは、レイの見えない角度で、先程と同じような安心した笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




エリィルート? そんなんあるわけないでしょ。


『零の軌跡』やってる時にエリィのお母様が帝国の親類のところに身を寄せているなんて話があったのを思い出してつっこんで見ました。

なんだかんだ言っていつか再開しそう。この親子。



あと今回やっぱフィーちゃんヒロインっぽいですね。
いや、前回の実習の時にお預け食らわせちゃったお詫びにというか、大前提としてバリアハート編って年上お姉さんキャラ出てこないし……。

どーしよ。いや、マジで。


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怒りの起点

えー、言い訳はしません。ただ謝らせてください。

一か月以上更新しなくてすみませんでしたッ‼






 事件が起こったのは、バリアハート実習1日目の、午後の事だった。

場所はバリアハートの東側、オーロックス峡谷道の一角。入り組んだ地形から入る事ができる小高い丘の上。

バリアハートの防衛線に近いという事もあって普段であれば一般人は近寄らない場所ではあるが、見晴らしは良く、無事に討伐依頼を遂行する事ができたら景色を眺めながら休憩に洒落込むつもりであった。

 しかし今、そんな考えも、雰囲気も、全てが霧散してしまっている。

 

「………………」

 

 その渦中にいるのが、僅かに顔を伏せているために表情が見えずに黙り込み、右腕一本のみで大型魔獣フェイトスピナーの振り上げた、巨大な鋏のような形状をした腕を抑え込んでいるレイだった。

魔獣よりも明らかに矮躯な彼が完全に動きを抑え込んでいる事に関してはもはや驚く事でもないのだが、現在この場が冷え込んでいるのは、黙り込んでしまっているからだ。

そして彼が抑えつけている間に、フィーが跳躍してフェイトスピナーの背中に乗り、脊髄に銃弾を撃ち込んで絶命させる。元々戦闘不能寸前まで追い込んでいたため、とどめを刺すこと自体は難しくはなかったのだが、レイは息絶えたそれを片手で引きずって少し歩いた先にある谷場まで移動すると、無造作にそれを奈落の底に放り投げた。

その感情が籠っていないような動作に、フィー以外の面々が身体を恐怖に震わせる。

 

「……あれ、ちょっとマズいかな」

 

 ポツリと呟いたフィーに、尻餅をついたままのリィンが問う。

 

「ま、マズいって、何がだ?」

 

「ん。レイが黙ったまま戦いの処理(・・)を始めた時は怒ってる時。その中でも今は、マジギレ寸前、かな?」

 

 マジギレ寸前―――それが何を意味するのか、リィンたちにはまだ分からない。出会ってから早2ヶ月程が経つが、彼が本気で怒ったところを、今まで見た事がないからだ。

そんな彼が激怒しかかっている理由。それは偏に、先程の戦闘の内容にあった。

 

 

 必須の討伐依頼を執り行ったのは、別行動を取っていたレイとフィーが昼食時に中央広場でリィンたちと合流して、昼食を摂った後だった。

ユーシスが幼少の頃から贔屓にしているというレストラン『ソルシエラ』で美味な食事に舌鼓を打ちながら、先程の依頼について愚痴るような口調のマキアスの報告に耳を傾ける。

やれ偉そうな貴族が横取りをしただの、やれ正体不明の男が意味不明な事を言って去って行っただのという報告に、食べる事に夢中で話など最初から聞く気が無いフィーを放ってレイが黙って聞いていた。

どうやら面倒臭い事に巻き込まれてしまったようだが、”特科クラスⅦ組のためになる”依頼はどちらかと言われたら、恐らくリィンたちが担当した方に軍配が挙がる事だろう。

 良くも悪くも、今回でリィンたちは貴族社会の業の深さを知ったと言ってもいい。長い歴史の中でこの帝国の地に根付いた貴族制度は、時に傲慢の温床にもなる。それを間近で見れただけでも、今回の実習に意味があったのだと思える事ができた。

 

 そうして昼食を終えた後、全員で手配魔獣の居座っているオーロックス峡谷へと向かった。6人というそこそこの大所帯で峡谷道を進んでいるためか、魔獣除けの街灯から少し離れたところに生息していた魔獣の駆逐も難なく済んだのだが、流石に大型魔獣まではその流れで行くわけにはいかない。

 前回とは異なり、リーダー役は元より、指揮などの一切をリィンの采配に任せたレイは、戦術リンクのリベンジをしたいというユーシスとマキアスの行動を許可したリィンに従い、後ろに下がって周辺に寄って来た小型魔獣の牽制と掃討にあたった。

 しかし、役目の合間に横目で見る限りでも、戦闘は順調には進んでいなかった。二人の間の戦術リンクは実技テストの時と同じように開戦直後に断ち切れ、乱れた陣形をリィンが指示を出してフォロー。フィーが攪乱を行い、エマのアーツ攻撃の貢献も大きく、手配魔獣を沈めることには成功した。

 だが、それで終わり良ければ総て良しという流れになるはずもなく、リンクが切れた責任の所在を巡って口論を始めてしまった二人。

 

「一度は協力すると言っておきながら腹の底では平民を見下す……結局貴族とはそういうものなのだろう⁉」

 

「阿呆が。その視野の狭さが原因であると何故気付かん‼」

 

 とうとう胸倉を掴み合って雌雄を決しにかかった二人。殴り合う事で互いに認め合うという、まさしく青春らしいイベントが繰り広げられるのならばレイも介入するつもりはさらさらなかったのだが、この二人がやったところで禍根を残しまくる泥仕合になる事は目に見えていた。

やれやれとため息交じりに近づいたところで、未だ魔獣に息がある事を察する。それはリィンも感づいたようで、一気に跳び上がり、喧嘩に夢中で気付かない二人を庇おうとして前に出たリィン―――の前にレイが立つ。

 

「―――シッ‼」

 

 技を繰り出すまでもなく、刀の一振りでフェイトスピナーの左腕を斬り飛ばし、そして右腕を素手で受け止め、甲殻を握り潰さんばかりの握力で封じ込めたレイは、ようやく自分たちが襲われそうになったという事に気付いた二人に今までにない程の睨みを向け、そうして黙り込んだのだ。

 

 

 

 フェイトスピナーを処理して戻って来たレイは、地に突き刺したままだった長刀を引き抜いて鞘に納めると、無言でリィンに手を差し伸べて、立ち上がらせた。

 

「あ、ありがとな。助けるつもりが、逆に助けられたよ」

 

「……自己犠牲も程々にしろよ? お前が怪我をしたら、全体が立ち行かなくなるんだからな」

 

 窘めるような言葉だったが、その声の大きさはいつもよりも小さい。

明らかにいつもとは雰囲気が違うその声にリィンは躊躇いながらも首肯で返すと、レイは僅かに微笑んで一行に背を向けた。

 

「お、おい? どうしたんだ、レイ」

 

「俺がいたら話せるものも話せなくなるだろう。勝手な行動を取って悪いが、先に街に帰らせてもらうぞ」

 

 集団行動を基本とするこの状況でレイが取ろうとしている行動は本来間違っているものであり、リィンはリーダーである以上それを制するべきだったのだが、その意図を汲み取ったリィンは、それを止めはしなかった。

 

「……あぁ。後はまぁ、任せてくれ」

 

「おいおい、そこは怒る所だぜ? ―――フィー、委員長、リィンをフォローしてやってくれや」

 

「めんどい……」

 

「あ、あはは……できるだけ頑張ってみますね」

 

 そう答える二人に感謝の印として軽く手を掲げると、レイはそのまま、一人で丘を下って姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

「レイは、本当に滅多な事じゃ怒らない。私も本気で怒られた事は一度もないし、見られるのは、ぶっちゃけレア」

 

 普段は物静かなフィーが、オーロックス砦へと向かう道中で、唐突にそんな事を語りだす。

四人は思わず足を止めたが、フィーはそのまま歩いて行ってしまったので、仕方なく歩調を整えながら聞いていく。

 

「私が学園に来る前にいた所は、血の気の多い人が多かったから、喧嘩なんて日常茶飯事。前にレイが成り行きでウチにいた時に何度か仲裁役に選ばれたことがあったけど、その時は別に怒らなかった」

 

 自分達より2歳年下の少女が過去を回顧して話すという状況が妙にシュールではあったが、つらつらと立て板に水の要領で話すフィーに口を挟む事などできない。

 

「でも一回だけ、レイは本気で怒って、当事者の二人を殴り飛ばした」

 

「え……?」

 

 思わずリィンが声をあげてしまう。

自分も一度、似たような事をやられはしたが、あの時のレイは闘気を放ってはいたものの、怒気は一切出していなかった。そんな彼が、怒りに身を任せて敵ではない人間を殴り飛ばすという事に、若干の違和感を覚えたのだ。

 

「レイは一度自分が仲間だと思った人には優しい。リィンは知ってるよね?」

 

「あ、あぁ。うん」

 

 それはリィンだけでなく、Ⅶ組の全員が知っている事だ。

前回ケルディック実習に同行したメンバーは勿論の事、日常生活を共にしているだけのメンバーですら、彼の優しさは理解している。

 

 

「だからレイは、仲間同士のいざこざに巻き込まれて仲間が怪我するのを許さない」

 

 

 故に、フィーのその言葉に再び全員が黙り込んだ。

それはまさしく、先程のユーシスとマキアスのやり取りと同じだったから。

 

「その時も同じだった。喧嘩してた二人が戦闘中に言い争って、それを止めようとした仲間が攻撃を受けて怪我。傷は浅かったけど、それを聞いてレイは、本気で怒った」

 

「…………」

 

「私が言いたかったのは、ただそれだけ」

 

 終始一貫して無表情ではあったが、初めて聞いたその長い言葉は全て、レイを擁護するためのものだ。

彼が怒った理由、それを慣れないながらに長々しく語ったのは、偏に彼を誤解してほしくないというフィーの揺るがない信頼の表れであり、それを真っ先に察したエマは、喋り疲れて小さく息を吐いた彼女を軽く抱きしめた。

 

 フィーは知っている。対人・対魔獣の如何に関わらず、チーム内に不和、禍根、軋轢を抱え込んだまま戦闘に移れば、些細な事であっけなく瓦解してしまうという事を。

激情に駆られて自滅するチームというのは悲惨だ。たとえ被害を出さなかったとしても、その不浄な感情は病原菌のように他の人間にも感染し、やがて全体を覆うようになってしまう。

 ”仲間”を慕い、好意的に接するレイにとってそれは到底許容できるものではない。

当人同士で喧嘩をしているだけならまだしも、それが他の仲間をを直接的に害するようになれば、それはもはや仲間内の行動ではない。運が悪ければ癇癪を起した当人同士によって、取り返しのつかない事態に陥る事すらある。

現に先程だって、レイが前に立って処理する事が無ければ、二人を庇って間に入ったリィンが大怪我をしていた可能性だってあった。最悪、命を落とすような事があった時、後でそれを死ぬほど悔いたところで遅い。自分たちが何をしでかしたのか、どれだけ周囲を垣間見ていなかったのか。それを理解させようとしたが故のレイの行動だったのだ。

尤も、リィンは既に察していたようだったが。

 

「……迂闊だったよ。どうにかする事はできたはずなのに、それができなかったのは、リーダーである俺のミスだ」

 

 分かっていたはずなのだ。毎度繰り広げられる学院でのいざこざ。そして前回の実習でのB班に付けられた評価E。それが、対処しなければこのような事になり兼ねなかったという事を。

 しかしそんなリィンの慚愧の呟きに、マキアスが反応し、ユーシスも続いた。

 

「……いや、君のせいじゃない。思えば、浅慮な行動をしたものだと反省しているよ」

 

「……フン、この男と反りが合わないのは事実だが、まぁ、感情的になり過ぎたな」

 

 根は善良である彼らが、フィーの言葉を聞いて何も思わなかったはずがない。

語らず、聞かず、ただ態度だけで無言の怒りを示した仲間を僅かでも恐れた自分達を叱咤すると共に、先程の行動を反省する。

ケルディックで同じようにレイに発破を掛けられたリィンはその言動の裏をすぐに読み解いたようだが、もしここにリィンと彼を良く知るフィーがいなければ、直前までのいたたまれない雰囲気はもうしばらく継続していただろう。

 

「まぁ、レイには後で謝ろう。その前に俺たちは、できる事をするだけだ」

 

 その空気を切り替えるように言ったリィンの一言に全員が頷き、再びその足は見学を行うために向かっていた砦の方へと向いた。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 やってしまったと、心の中で何度も自虐の溜息を吐きながら、レイはバリアハート市内に通じる門を潜った。

 

 リィンに忠告をし、二人の喧嘩の仲裁を彼に任せた身でありながらどうにも出しゃばった真似をしたものだと思う。

本来であれば手を出さずに成り行きを最後まで見守るつもりではあったのだが、目の前で仲間が傷つけられそうになっているのを見て静観できるほど、彼は性根から腐ってはない。

仕方なく流れでああいった態度を取ってしまったが、これは立派にチーム内の和を乱す行動だ。無言の警告を突きつけた張本人がそんなことをしてしまっては、笑おうにも笑えない。

 

「後で謝んねぇとなー」

 

 自然と足が向いてしまった南側の職人街を適当にぶらつきながらそう呟くと、突然近くから拍手が送られた。

 

 

「これは重畳。若く猛る蕾を見るのも良いが、誇ったが故に憂う花もまた、風情があって良い。そうは思わないかね?」

 

「……男を花に例える時点でお前の悪趣味さが相変わらずだって理解できたよ。何だそのエセ貴族臭漂う格好は。無条件でイラッと来るぞ」

 

「そういう君も相変わらずではないか。雛の群れに鷹が紛れ込んでいる事には驚いたが、随分と学生として様になっている」

 

「俺としてはお前が素顔晒して往来を堂々と歩いてることが驚きだよ。遊撃士……はこの国にあんまりいねぇけど、憲兵が知ったらぶっ飛んでくるぞ」

 

「おや、君自身が私を捕らえようとする意志はないと?」

 

「お前をガチで捕まえようとするならそれなりの準備が必要だしな。今日はダルいし、パスだパス」

 

 クセのある紫髪に白を基調とした紳士的な服装。そして甘美に酔う声を聞いて、洒落者の貴族だと見る人物は、案外少なくないのかもしれない。

その正体が、世間を騒がす大怪盗だという事も知らずに。

 レイは一つ舌打ちを漏らすと、男を無造作に睨み付ける。

 

「何をしに来たんだ、ブルブラン。事と次第によっちゃ南クロイツェン街道辺りに引きずり出してボコすぞ」

 

「おぉ怖い。捕らえるのではなく倒すならば躊躇いはない、という事か」

 

「どうせ捕まって牢屋にブチ込まれても2秒で脱獄するだろうが。つーか聞いたぞ。クロスベルの記念祭でまたやらかしたらしいなお前。今度はどこで何を盗んだ」

 

「何、戯れで役場の彫像を拝借しただけさ。あぁ、安心してくれたまえ。像は丁重に議長閣下の自宅に返還させてもらったよ」

 

「はた迷惑も甚だしいな、オイ。お前ホント一回数年くらい七耀教会の本部でありがたーい説法聞かされて来いよ。運が良ければその捻じ曲がりすぎて一周回ってマトモに見える性格もマシになると思うぜ」

 

「それは聞けない相談だな。私の美学は教会の教えとは相容れない」

 

 完全に敵対している声で話しているが、この会話に不自然さはない。

殺し合う宿敵と邂逅したというよりかは、なるべくなら会いたくなかった相性の悪い人物とばったり会ってしまった、という表現の方が正しいだろう。

 実際、その通りなのだから。

 

「……今日は何も盗んでないみたいだな。お前の事だからアルバレア公爵邸にでも犯行状送り付けて宝石の一つでも拝借済みかと思ったが」

 

「私を見境のない貪婪(どんらん)な盗人と同列に見てもらっては困るな。それに、あの家には少々奇縁があってね。面倒を起こすのは避けたいのだよ」

 

「いや俺はお前の脳に見境なんて単語がインプットされてた事に驚いてるよ」

 

 茶化すような仕草をしながらも、レイは警戒自体は解いていない。

この洒脱な態度に心を許して隙を見せようものならば、即座に罠の一つや二つは仕込んでくる事だろう。

 だが警戒しすぎてつれない言葉を返すというのはこの男の思う壺になる。ストレスを溜めずに、なおかつ警戒心を崩さないようにするためには、レイのように適当に話を合わせるのがこの男―――ブルブランとの付き合い方の正解例なのだ。

 

「……ま、迷惑を掛けないならそれに越した事はないが、目的は盗難ではなく”下見”か?」

 

「ほぅ?」

 

 昼食時にマキアスが話していた貴族を装った変な男。それは目の前の男である事は既に明らかだ。

そして彼が≪怪盗B≫ではなく、≪ブルブラン男爵≫という名を騙って街中をうろついている時は、決まって”現場の”下見か、”気になった人物の”下見かの二種類しかない。

 更に言ってしまえば、怪盗として来たという事でなければ、目的は必然的に後者となりえる。それだけならばレイも細かい事は言及せずに放置を決め込む事ができたのだが、その標的が仲間であるというのなら釘を刺す事なく放置するわけにはいかなかった。

 

「そうであるのなら……君はどうするのかね?」

 

「様子見を決め込むつもりならとりあえず放置。あいつらにここで手を出すつもりなら……」

 

 刀袋から柄のみを出してそこに手を掛けながらレイは、殺気の籠った目でブルブランを睨み付ける。

 

「今ここで殺してやる。首を刎ねられるか、心臓を串刺しにされるか、それとも腰から上下に割って欲しいか、好きな死に方を選ばせてやるよ」

 

「フフフ。いや、止めておこう。翡翠の都を鮮血で穢すのは美に対する侮辱だ。それに君と本気で相対するのは、私としても避けたいところでね」

 

 その殺気を、ブルブランは悠々と受け流す。その態度と言葉にひとまず嘘はないと感じたレイは、長刀を袋の中に戻した。

 

「まぁ、咲く前の蕾は摘み取らない主義のお前だ。そこは信じておいてやる。それに、もし今のあいつらが戦ったとしてもお前には勝てないだろうからな」

 

「相変わらず君の慧眼は容赦がない。随分と辛辣な評価ではないか」

 

「妥当な判断と言え。俺は、過大評価も過小評価もするつもりは毛頭ない」

 

 ユーシスとマキアスは勿論の事、リィンもこのレベルを相手にするにはまだまだ力不足である事は否めない。卓越したアーツ技術を持つエマも、本職に近いブルブランを相手取るのは厳しいだろう。

 唯一の希望はフィーだが、彼女の本領は遮蔽物の多いフィールドで発揮される。更にリィンたちを気にかけながらでは互角の勝負に持ち込むことは難しい。今のままでは各々の長所を発揮する事無く全滅するのがオチだろう。例えブルブランが戦闘を得意とする人物でなかったとしても、現時点での力量差は如何ともし難い。

 

「用が済んだのならさっさと行け。後、あいつらに絡むのも程々にしておけよ」

 

「フフ、承知した。ではお言葉に甘えて失礼させてもらおう。また会えることを願っているよ、≪天剣≫殿」

 

「できればもう二度と会いたくねぇよ、≪怪盗紳士≫」

 

 レイがふいと目を逸らすと、一陣の風が吹くと共にブルブランの姿は跡形もなく消えていた。

その相変わらずの演出に一つ舌打ちを漏らすと、ふと空を仰ぎ見る。いつの間にやら、そこは橙色に染まっていた。

 

「……帰るか」

 

 ホテルに戻ったらとりあえず全員に一言謝ろうと、後ろ髪を掻きながらそう思い、レイはそのまま職人街を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あー、女っ気皆無ですねー。年上女性率はもっと皆無ですねー。

因みにこの作品ではフィーちゃんの戦闘能力は原作のそれよりも高いです。
何故かって? あんな敏捷特化のバケモノが近くにいたらそりゃ影響されるでしょ。




あ、それと遅ればせながらタグ更新しました。


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分かりあう事の意味

遅れていた分、早めに投稿させていただきました。


最近アニメのファルコム学園fcを見ていてオープニングの時につい「Go Fight!!」と言ってしまいそうな衝動に駆られています。なんなんでしょうね、アレ。




 

 

 

 マキアス・レーグニッツという青年は、良くも悪くも正直だ。

 自分の言動、感情に偽りを持つことはほとんどないし、またそれを隠そうとしない。裏表のない誠実な人間であると、良く言えばそうなるのだろうが、欠点は生来の生真面目な性格と相俟って融通が利き辛くなっているということだ。

そのせいで、人間関係に自ら罅を入れてしまうような愚行を行ってしまう事は間々あることであり、それは自身でも認識し、悪癖であるという自覚は持っていた。

ただそれでも、彼の貴族に対する憎悪の目が消え失せる事はない。幼少のみぎりに彼の家族を襲った災難は、彼に偏見という名の楔を強く打ち込んだ。

貴族はこの帝国を堕落させる害悪。貴族制度は体の良い腐敗の温床であると共に平民からただ一方的に搾取するだけのものでしかない。そんな考えは、実の父が『革新派』の重役を担っているという状況も相俟って歳を経るごとに強くなっていった。

 

 ただしそれでも、心のどこかでは理解していたのだ。

十人十色という言葉があるように、貴族もまた、悪性を形にしたような腐った者達ばかりではないという事を。

統治者として領民の声に耳を傾け、誇りと手腕を以てして善政を敷く。その数は少なくはあったが、確かにそのような人物達が存在するという事を。

例えば南部レグラムの領主、ヴィクター・S・アルゼイド子爵。例えば北部ユミルの領主、テオ・シュバルツァー男爵。彼らのような存在までマキアスは悪印象を持つ事はなかったし、逆に尊敬すらしていたのだ。この情勢下で、それでもなお己の定めた善政を敷き続けるというその気概を。

 

 だが、そうは思っていても幼い頃にトラウマと共に刻み付けられた固定概念がそうそう消えるわけもない。貴族は絶対悪であるという考えと、もっと個人として彼らを評価すべきだという考えが、彼の中で葛藤として鬩ぎ合っていた。

考える事を止めてはならない。思考の放棄は人間としての停滞だ。その事を改めて強く思うきっかけを作ってくれたのは、トールズ士官学院に入学した後、その日の夜に言われたその言葉。

 

 

『悩む事を忘れんなよ? 決めつけちまったら、そこでお前の価値観は固定されちまうからさ』

 

 

 マキアスの長所を挙げるとしたら、その人物の人柄を他人の評価で決めたりするとこが少ないという事だろう。一歩間違えばこれは自分の思い込みで判断してしまうという欠点も孕んでおり、貴族への評価は大抵この欠点の方が強く働いてしまっているのだが、逆に言えばそれは、自分の価値観さえ覆せればその人物に対する見方も変えられるという事だ。歴史という名の柵に囚われて物事を判断するしか能のなくなった人物に比べれば、彼は遥かに良い青年であった。

 そのお蔭で貴族であるはずのラウラとは特に軋轢もなく過ごす事ができていたのだが、唯一例外というものが存在した。

 

 ユーシス・アルバレア。貴族の中の貴族、『四大名門』の一角であるアルバレア公爵家の次男。

 彼とは、そもそも初対面の時から致命的なまでに反りが合わなかった。理解するとかしないとかそういう問題ですらなく、気付けば反目と罵倒を繰り返す。その原因が何であるのか、それを考えようにもその高慢ちきな表情を思い出す度に腹立たしくなり、結局理解する事を止めてしまう。

 

 そんな状況が積み重なって、遂にこの実習で仲間に直接的な迷惑をかけてしまった。取り返しのつかない被害が出るのを抑えてくれたのはマキアスにその言葉を投げかけ、今まで学院や寮で何度も掴み合いの喧嘩になりそうになった時に仲裁して取り成してくれた青年、レイ・クレイドル。そんな彼が本気で怒りかけていたというフィーの言葉に、マキアスは深く反省した。

 鑑みてみれば極めて浅薄な行動であり、視野が狭いというユーシスの言葉もあながち間違いではなかったのだろう。オーロックス砦に立ち寄った後、謎の飛行物体を追いかけてバリアハートへと戻り、結局収穫も無しにホテルへと戻った後、先に部屋に帰っていたレイに、二人は謝罪した。

マジギレ寸前だったという彼に言葉だけの謝罪が通じるかどうかは分からなかったが、彼自身も少し思う所があったようで、その謝罪を聞き入れた後に逆に謝罪を返して来た。

 

 それからは少し、思い悩むようになった。

 自分の癇癪にクラスメイトを巻き込むのは勿論本意ではない。できる事ならばこのギスギスとした空気も変えたくはあるが、そのためには自分かユーシス、どちらかが歩み寄らなければならない。

その構図が予想できない。笑顔で握手を交わす図など、想像するだけで吐き気を催す程だ。

 そんな事を悶々と悩みながら眠れずにベッドで蹲っていると、同じく眠れていなかったらしいユーシスが、リィンに漏らしていた話を聞いてしまった。

 

 それは、今まで彼が陰ながらに受けて来た嘲笑、侮蔑の感情。凡そ大貴族らしからない乱高下の激しい人生を生きて来た彼の声は、どこかいつもより弱弱しく感じた。

 

 同情を感じたつもりはない。だが、親しい肉親を亡くし、それによって人生が大きく変わってしまったという点においては、どこか自分と通じるところがあった。

 所謂、同族嫌悪というものである。自分がトラウマになっている部分が相手と似通っており、そのため相手を映し鏡の中のような存在に感じてしまい、それが気に入らなくて仕方がない。

そんなものではない。断じて自分とあの男は似ていないと(かぶり)を振って否定していると、ふと壁にかかっていた豪奢な時計が目に入った。

 時刻はいつの間にか午前3時を指しており、先程までは聞こえていた隣の小さな話し声も、今では静かな寝息に変わってしまっている。

こんな頭に靄がかかった状態では寝ようにも寝れないと判断したマキアスは、静かにベッドから出ると、部屋を出て一階のロビーへと足を運んだ。

流石は貴族御用達の一流ホテルであり、こんな夜中であっても職務を忠実に果たしていた受付の従業員に心を落ち着かせるためのコーヒーを一杯注文すると、談話スペースのソファーにゆっくりと腰かけた。

 

「僕は、どうしたいんだろうな……」

 

 近くに誰もいないため、思わず呟いてしまった答えの分からない疑問。

しかし唯一の誤算だったのは、その直後にコツンと何か固いもので頭を小突かれた事だった。

振り向いたその先に居たのは、グラス一杯の水とカップに入ったコーヒーをそれぞれ片手に持って佇んでいた、見覚えのありすぎる人物。

 

「人生相談なら聞くだけ聞いてやるぜ?」

 

 薄く笑って、彼はただ一言、そう言ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 レイがその時間に目を覚ましたのは、リィンの時と違い、まったくの偶然だった。

 

 上手く寝付けなかった同室の三人とは違い、フィー同様寝つきの良いレイは、ベッドに入って枕に顔を埋めた一分後には既に眠っていた。

 従ってユーシスとリィンの身の上話も、マキアスの密かな葛藤にも勿論気付くことなどなく、ただ精神的に疲れた体をしっかりと休めるために爆睡していたのだ。

目が覚めたのは癖のようなものだろう。室内で聞こえた物音にはいちいち反応する事はないが、部屋の出入り口や窓が開いた音には敏感であり、たとえどんなに音を消していようとも気配で起きてしまう。

緊急事態ならば目が覚めた瞬間に意識も完全覚醒するのだが、特に何も起こらないという事が分かると、半ばボーッとした頭のまま部屋中を見渡し、そこでマキアスが部屋を出て行ったことが分かった。

 トイレならば部屋内にあり、その他大抵の事は部屋の中で済ませられる。それでもわざわざ部屋を出て行ったという事実が気になったレイは同じくそっと一階に降り、受付の従業員に水を一杯持ってきてもらうように頼み、マキアスのコーヒーと共に彼の背後に立った。

 

 人生相談、などと大仰な言葉を出したものの、マキアスの向かいに座って聞いたのは、つい耳に入ってしまったユーシスの生い立ちと、それを聞いて揺れ動きかけている彼自身の心についての相談だった。

 

 ユーシスは元々現アルバレア公爵、ヘルムート・アルバレアの正妻の子ではなく妾の子。それも庶子の出であったという事で、本来であれば表に出ることなく一生を母親の下で暮らす運命を背負っていた。

 しかし8年前、母親が亡くなって公爵がユーシスを引き取ったのを機に生活は一変する。

豪奢な生活に強大な権力。それらを擁する家の名を受け継いだと同時に、庶子であるという事実が彼を苦しめ続けた。

異母兄弟である兄こそ彼を可愛がってくれたが、実父である公爵は特にユーシスを気に掛ける事もなく、彼を”アルバレア家の次男”という駒として扱って来た。

 現在のユーシスのあの憮然とした態度は、恐らくそうした家庭環境から生まれたものなのだろう。

厳密に言えば純粋な貴族ではないが、それでもなお貴族として振る舞わなければならない。状況だけを見ればリィンも同じではあるのだが、背負ってしまった家名の大きさが違う。『四大名門』アルバレア公爵家という強大過ぎる存在に形だけでも相応しい人間になろうと努力を重ねた末の姿が、今のユーシスなのだ。

 

 その恐らく血が滲むほどに行った努力すら否定するほど、マキアスは人でなしではない。

 今彼の心を苛ませているのはただの矮小なプライドだ。今までこれだけ罵り合っておいて認める事などできないという、他人から見れば小さくとも当人たちからすれば重大な問題。

だが既にユーシスの心はリィンが僅かに溶かした。ならばこちらの牙城を崩すのは自分の役目。

そう思ったレイは、コーヒーが飲み干されたカップと自分のグラスを並べて置いた。

 

 

「例えばの話をしようか」

 

「?」

 

「ここにカップとグラスが一つずつある。これらをそれぞれ一つの国だと仮定しよう。

この二国はとても仲が悪い。最悪といっても過言ではなく、一触即発、いつ戦争になってもおかしくはない。

そしてマキアス、お前はカップ国の軍人。参謀職だ」

 

 いきなり始まったロールプレイにマキアスは思わず首を傾げる。だが目の前でカップとグラスを動かすレイの視線と口調は真剣であり、それが遊びではない事を理解すると黙って説明を聞き続けた。

 

「若手ながらも優秀だったお前は、大局的な作戦指揮の一角を担わされる。

国民感情は既にグラス国への悪意で一色と言っていい。そしてお前も、その例に漏れず憎悪にも似た感情を敵国に抱いていた」

 

 カップをグラスに軽くぶつける。チィン、と鳴った甲高い音が、宣戦布告の合図のようにも聞こえた。

 

「さてここで問題だ。大局的な指揮を任されたお前が、この状態でまず真っ先に打つべき手は何だと思う?」

 

「むっ……」

 

 マキアスは黙り込む。

 彼はお世辞にも戦争の指揮官というものには向いていない。自分自身もそれは分かっていたし、将来は父と同じ政治家への道を進みたいと思っていたため、今のこの門外漢な問題に即答はできなかった。

数分ほど顎に手を置いて考えた後、マキアスはカップの取っ手に手を掛けた。

 

「……前線の兵士への綿密な作戦通達だろう。初手でヘマをするわけにはいかないからな」

 

「なるほど。チェスが得意なお前らしい考えだ。―――だがハズレだ」

 

 レイは容赦なく不合格の烙印を押すと、自分のグラスを握る。

そしてそれを動かし、カップの真横に置く。

 

「もし俺がグラス国でお前と同じ地位にあったとする。国民感情も大抵同じだ。

そんな中で俺が打つ最初の一手は、まず敵国の事を理解する事だ。間諜を放つでも何でもいい。敵国の情報を可能な限り集め、整理し、理解する」

 

「それは、自分の感情を押し殺してでも、か?」

 

 訝しげな声でそう問われ、レイはニヤリと笑う。

 

「あくまで最初はそうだな。腹の中で煮えたぎる憎悪を抑え込み、心の奥底で呪詛を万通り並び立ててでも、俺はそれをする。いや、しなくてはならない」

 

「…………」

 

「相手の国の戦力・戦法は元より、経済の流れ、国民感情、ありとあらゆる情報を清濁併せて全て一度呑み込んで理解する。表に出ているだけの激情に駆られて相手のすべてを否定し、分かろうともせずに戦争吹っかけようとする国は大抵戦う前に負けてるのさ。何はともあれ、まずはそこから始めなくちゃならん」

 

「ぁ……」

 

「勘の良いお前なら気付いてるはずだろう? 俺が何を言いたいか」

 

 それは恐らく、マキアスが目指そうとした政治家にも言える事だろう。

政敵に対して嫌悪の感情を抱き続けるのは簡単だ。だがその感情が視野を狭くすれば、間違いなく知らぬままに足元を掬われるだろう。

例えどんなに嫌っていたとしても、まずはその人物を知ろうとする努力をしなければならない。心に中にしこりのように残り続けるプライドも何もかなぐり捨ててそれに努めなければ、ただでさえ未熟な自分たちが一人前になれるはずもない。

 

「前にも言ったことがあったと思うけど、人をどう見て、どう判断するかは人それぞれだ。お前が全てを理解して、それでもいがみ合う事を選択したのなら俺は何も言わないさ。

ただできる事なら、全てを理解した上で、分かりあって欲しいとは思う。それができるのは、とても貴重な事だからな」

 

 回顧するように、あるいは自分にも言い聞かせるようにそう語るレイの表情はどこか寂寥感を含んでおり、それが気にかかったマキアスは、それを聞いた。

 

 

「……何で僕をそんなに気に掛けてくれるんだ? 自分で言う事でもないと思うが、君には今まで迷惑をかけっぱなしだっただろう。教室でも寮でも、僕と奴の喧嘩の仲裁を買って出てくれたのはいつだって君だった。それ自体はとても助かっていたが、そこまでして、どうして……」

 

「まぁ一応仲間だし。それに……昔の俺もそんな感じでお前の考えにそっくりだったからな」

 

「む、昔の君に、か?」

 

「あぁ。昔は今より比べものにならないくらいに荒れててな。どう足掻いても許せない憎悪の対象ってのがあった。それこそ血涙流してもおかしくないようなレベルの、な。それをどうぶっ倒すかばかり考えてた時に、俺の剣の師匠が言ったのさ」

 

 握っていたグラスを再びテーブルの上に置き、その表面を指で弾く。

悪戯をした子供を窘めるようなその行動が、レイの心情を如実に表していた。

 

「怒るのは良い。狂いかけるのも構わない。だが理解しろ。お前がそこまで憎んでいる連中がどんな罪を犯し、どれほど世界を侮辱しているか。それを知り、呑み込んでから行動に移せ。―――あぁ、本当に脳天にハンマー振り下ろされたくらいの衝撃が走ったな。そんな事、考える事すらしなかったからよ」

 

 そしてそれは、程度の差こそあれ今マキアスが置かれている状況と酷似していた。

しかし今の彼にそれを考えている余裕はない。流れとはいえ聞いてしまったレイの壮絶そうな過去話を、一体このまま流してしまっていいのかどうか、そればかりが頭の中を駆け巡っていた。

 だがレイは、そんな事など全く気にしていないという風な口調で続ける。

 

「凝り固まりすぎた観念ってのは、時に人をどうしようもない所まで引きずり落とす。それが行き着くところまで行っちまった末にあるのが悲劇の殺し合いなんだろうさ。

自分と違う価値観を持つ者の存在を、自分とは相容れない思いを持つ存在を許せなくて、憎悪が殺意に変わった瞬間に、人は容易く人を殺す。それはもう簡単だ。本能に任せてナイフを握り、あるいは銃の引き金に指を掛ける。倫理の一線を越えるってのは、案外難しい事じゃないんだぜ」

 

 敵愾心が行き着く最悪の袋小路。その状況を想像して眉を顰めるマキアスであったが、自分がそうなる可能性があるという事を自覚すると深く項垂れた。

 そして、そんな事を言っている彼もまた、”倫理という壁を乗り越えた”一人なのだろう。

それを責める気は毛頭なかったし、それを責める事ができる権利もマキアスにはない。

何せついさっき理解したばかりなのだ。人にはそれぞれ辿って来た自分だけの人生があり、それを頭ごなしに否定する事がどれほどの愚行であるかという事を。

 気にならない、と言えば嘘になるが、少なくともレイが今ここで自分の身の上話の全てを語るつもりがないのは分かる。

 ならば自分が今考えるべきは、今までの自分の態度を鑑みて、反省する事だ。

二度と彼に、要らぬ迷惑をかけないように。

 

「……なんだ、案外立ち直りが早いじゃんか」

 

「今まで数えきれないほど醜態を晒してしまったからね。だから、まぁ、どうにかしたいと思うのは人として当然の事だ」

 

「真面目だねぇ。普通そういうモンはじっくりと考える奴なんだが……ま、優等生のお前らしいよ」

 

「む、それは僕を馬鹿にしているのか?」

 

「逆だ。でもまぁ、ちゃんと寝ておけよ? 明日も実習だ。リベンジがしたいんなら体調は万全に整えておかなきゃ辛いぜ?」

 

 レイの正論にマキアスも失笑し、従業員に一言礼を言ってから二人で部屋に戻る。

 

 

 

 それから数時間後。起床した全員でロビーに集まって打ち合わせをしている時に、マキアスは多少喧嘩腰ではあったが、いつもよりかなり敵愾心を抑え込んだ声色でユーシスに話しかけた。

 

「おい、ユーシス・アルバレア」

 

「何だ、マキアス・レーグニッツ」

 

 エマはまた喧嘩が始まるのかとオロオロしていたが、他の三人はその雰囲気の違いを感じ取り、静観する。

 

「戦術リンクの継続、今日こそものにしてみせるぞ」

 

「当然だ。このままでは腹の虫が収まらん。……しかし、どういう風の吹き回しだ?」

 

「なに、少し思う所があってね。このまま徒に反目しあって迷惑をかけ続けるのは良い事ではない。それは、君も思っている事だろう?」

 

「む……」

 

「だから少々遺憾ではあるが、少しは君を分かろうとしただけだ。昨晩の事も含めてな」

 

「盗み聞きとは感心せんな。……だが一理ある。協力してやろう、レーグニッツ」

 

 決して良好な関係とまでは言えないが、とりあえず差し出した手を握り返す程度の仲にくらいまでは修復した事についてひとまず安堵したレイだったが、そう思っているとリィンから軽く肩を叩かれた。

 

「ありがとう、レイ。結局助けてもらったな」

 

「何の事だ? 生憎昨夜の俺は爆睡しててね。お前らの間に何が起こったのか皆目見当つかん」

 

 わざと白々しく言うレイに、リィンはそれでも軽く頭を下げると、二人の方へと歩いて行った。

 これで漸くまともな実習が執り行えると、全員がそう思っていたのだが、その直後、先日顔を合わせたアルバレア公爵家の執事アルノーがユーシスの下へと歩み寄り、今朝方公爵より賜ったという言葉を彼に伝えた。

 曰く、午前の内に一度公爵家に顔を出すようにとの言葉にユーシスは目を細めて訝しんだが、父親として自分を呼んだのならば応えない理由はないと言い、それに従った。

つまりはユーシス抜きで実習をこなす事になるという事であり、当初予定していた戦術リンクの構築・維持という目標の達成がお預けになってしまったという事実に一同は僅かに落胆の息を漏らしたが、家庭事象に首を突っ込むほど野暮ではない。アルバレア家所有の豪華な車に乗って実家に一度帰る彼を、全員が見送った。

 

 その後、陣形や役割分担の変更などをロビーで話していた時、ホテル『エスメラルダ』総支配人である老年の男性リシリューが五人に対して飲み物を運んできた際、流れるような動作でレイに話しかけた。

 

「レイ・クレイドル様、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

 

 その言葉に軽く首を傾げたが、リィンたちにも促され、少し離れた受付のところまで歩いていく。

そこでリシリュー総支配人から渡されたのは、見ただけで高級であると分かる封筒に入れられた、一通の手紙だった。

裏の封蝋を見てみると、そこには送り先の家名を表す紋章が刻まれている。それがどうにも見覚えがあるもので、思わず小さく失笑してしまった。

 

「この手紙の送り先、個人名を教えてもらう事は?」

 

「それは……申し訳ありませんが内密に、との事でございます」

 

 予想通りの反応が返って来たため、レイはペーパーナイフを借りて綺麗に開封を終えると、手紙の文面に目を通す。

達筆に書かれた文章をものの十数秒で読み終えると、再びそれを封筒の中に仕舞い、口角を僅かに吊り上げた。

 

「これを渡して来た人物は、他に何か言っていましたか?」

 

「できるだけ早く、と仰っていました。御本人に確認もできず、誠に申し訳ありません」

 

「いえいえ。招待状にしては少し乱暴ではありますが―――嫌いじゃないです。こういうのは」

 

 レイはそう言うと一礼をして、四人のところへと戻る。

 

「? どうしたんだ、レイ」

 

「悪いな。とある人物から招待状が送りつけられちまった。待たせると色々と面倒そうだから、今からそこに行かなきゃならん」

 

 二日連続で単独行動をしてしまう事を謝ると、リィンは少し呆けていたが、理由があるなら仕方がないと承諾してくれた。

フィーはレイの制服の裾を掴んで僅かに頬を膨らませていたが、軽く頭を撫でるとしぶしぶながらも解放してくれた。

 

「すまんな。とりあえず、空の女神(エイドス)の加護を祈っておくぜ」

 

 そう言い残し、一足先に愛刀を携えてホテルを出る。

 

 

 

 それが、Ⅶ組メンバーとの乖離の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ユーシスサイドはリィン君に任せて、レイ君にはマキアスの方に回ってもらいました。

彼も根っから悪い子ではないんですよ。ただちょーっと頭が固すぎるだけで。
そこを改善してあげればアラ不思議。悪友みたいな感じになれるんですね。ツンデレとツンデレの化学反応です。男同士なのが残念ですが。


さて、次回から少しレイ君だけ独自に動くことになります。
良ければ次もご拝読下さいませ。


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対峙

今回はオリキャラが出てきます。
とあるゲームのキャラをモデルにしているのですが……分かった人すごいな、コレ。




 

 

 帝国内で最も空港設備が整っている都市はどこか? という疑問が挙げられれば、有識者の人間ならば違わず「黒銀の鋼都ルーレ」と答えるだろう。

鉄鋼産業、軍需産業が群を抜いて活発なかの都市は帝国のみならずゼムリア大陸の中でも有数の巨大空港の所有地である。

 だが、他の四大州都も決して劣ってはいない。絶景の海を臨む海都オルディス、かつては一時期帝都の名を背負っていた白亜の旧都セントアーク。それらにも観光に訪れる人々が主に利用する広大な空港が設けられており、それは翡翠の都バリアハートとて例外ではなかった。

 

 

 バリアハート中央広場より南東。駅前通りを南に進んだところに、バリアハート国際空港はある。

普段は閉じているバリケードの奥。警備員の許可を取り、レイは飛空艇の発着場に立っていた。

 通常時であれば観光客や飛空艇を見に来た見物人などで昼夜問わず賑わっているはずのその場所には、しかし今は人っ子一人という表現すら似合ってしまうほどに誰もいない。

客どころか整備員すらもいない空港というものに、大抵の人間ならば不気味さを覚えるだろう。

 

 だが生憎とレイは、その程度の事で臆する神経は持っていない。

 そもそも手紙で呼び出された場所がここであり、その手紙の真偽が明らかにされている以上、自分がここにいる事に何ら引け目を感じる事はない。

その考えを持ち、懐に手紙を、左肩に刀袋入りの愛刀を引っ下げて、発着場を歩く。

すると直ぐに、ただ一隻だけ定着していたその翡翠色の艦が目に飛び込んでくる。

 ラインフォルト社製特注飛空艇≪アールヴァク≫。全長36アージュという大きさを誇るそれを、レイは以前見た事があった。といってもそれは製造途中の時であったので、まさかそれが大貴族に買い上げられているとは思いもしなかったが。

 

「あー、懐かしいな」

 

 一時期遊撃士でありながら個人的な依頼を受けてラインフォルト社会長、イリーナ・ラインフォルトの要人警護をしていた時の事を思い出し、回顧に浸るレイだったが、その感慨は数秒ほどで振り切った。

その艦橋部分に刻まれていたのは、二頭の天馬に支えられた剣を象った楯。金と翡翠色に彩色されたそれが、その船の所有者を表している。

今現在、それを知ってなお軽薄な笑みを浮かべる余裕は、流石のレイにもなかった。

 そのまま艦の右翼に回って歩き、搭乗口の目の前に来た所で、出迎えを受ける。

 

「お待ちしておりました、レイ・クレイドル様。アルバレア公爵家執事、ウィスパー・スチュアートと申します」

 

 深々と頭を下げたのは、隙のない燕尾服を着込んだ二十代と思われる執事。右目に片眼鏡(モノクル)を掛け、艶やかな黒髪をきっちりと分けているその姿は、几帳面な性格を表しているようで、同時に公爵家の執事という矜持を表していた。

その両手は後ろ手に回され、一分の隙も無く歓待の意を示して見せたその姿にレイは心の中で称賛を送り、しかしその出迎えに気圧される事もなく、あくまで自然体に”客人”を装う。

 

「出迎え感謝します。お呼びに与って参ったのですが……この艦内で?」

 

「はい。我が主は既に艦内の貴賓室にてお待ちです。どうぞ、こちらへ」

 

 そう言って左手を差出し、搭乗口から艦内に入るよう勧める。

その指示に何ら疑うことなく従い、レイは社交辞令の薄い笑みを浮かべたまま頭を下げるウィスパーの横を通過し―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 直後、二つの銀閃が交わり、甲高い音と共に火花を散らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……―――」

 

「悪くない。公爵家の執事ってのは武術の方も一級品か」

 

 重なっているのは二本の刃。

 コンマ数秒の早業で引き抜いたレイの長刀と、背中に隠していたそれを右腕の瞬発力のみで放ったウィスパーの護拳付きのサーベル。

 瞬間的なその出来事にまるで何もなかったかのように対応できたのは、偏にレイの直感が鋭かったからだ。振りぬいた今ですら殺気を感じさせない恐ろしい程に無謬なその剣に所見で対応できる者など、そうはいない。

 攻撃を弾いて多少の距離を取ったレイは、相手の出方を窺いながら声を掛ける。

 

「手荒い歓迎だな。これが公爵家流の不穏分子の排除の仕方か?」

 

「…………」

 

 氷の如く冷え切った双眸を向けるウィスパーは口元を真一文字に閉じたまま言葉を発しない。

片手でサーベルを構えるその姿は全く無理のない自然体。一切の揺らぎなく鋼の重さに逆らいながらまるでそうしている事が当然とでも言わんばかりに直立する姿は、優雅さと共に形容しがたい強者の気配を醸し出していた。

後ろ手に隠していたサーベルの気配を真横に接近させるまで一切感知させなかった隠形は元より、体捌きや剣速、そして何より相手を攻撃する瞬間にすら殺気の欠片も見せない精神力。

それら全てをレイは瞬間的に把握して選別し、ウィスパーの実力を推し量る。

 

「(準達人級に足を踏み入れた人間か。余計に手加減してどうにかできる相手じゃないな)」

 

 負けるつもりなどは毛頭ないが、こうも清澄な気配を当てられてはそう判断せざるを得ない。

そう思い至った次の瞬間、ウィスパーが第二撃を打ち込んでくる。

 

 脚部の動きに派手さや無駄はない。まるで機械のように洗練され尽くされた最小限の動きで以て踏み込み、距離を詰めてくる。

振るわれる剣の軌跡は全て人体の急所を的確に狙っており、一撃でもまともに食らえば致命傷になるだろう。顔色一つ変えない鉄面皮のまま容赦なく繰り出される嵐のような連撃を、しかしレイはそれ以上の反応速度で以て躱し、弾く。

 その攻撃に荒々しさはなく、一撃一撃も決して重いわけではない。

だがその速さと正確さには瞠目せざるを得ない。膂力にモノを言わせて制圧しにかかるパワータイプの敵よりも、遥かに相手にしにくいタイプの敵だ。

頼みにしているのは恐らく手数の多さ。反撃を許さない程の連撃で以て敵の動きを封殺し、防ぎ続けて疲労が溜まって隙を見せた瞬間に仕留められる。全く以て、厄介な相手であると言わざるを得なかった。

 

 伽藍とした静寂の空港内に相応しくない、鋼と鋼が軋み合う音が鳴り続ける。

 レイが反撃に移ったのは、突然の戦闘開始から数分が経った頃だった。

 

 繰り出された刺突の一撃を見切り、左手に握った鞘で下から掬い上げるように武器を打つ。

重力に逆らって攻撃を食らったウィスパーは、それでもなおサーベルから手を離さず、自分に生まれた致命的な隙を埋めるために冷静に地を蹴り、距離を取る。

 普通であればそれは英断だ。詰めた間合いに拘らず、不利と見るや迷わず距離取るという行動は、半端な人間に取れるものではない。

 ただしレイを相手にする時はその判断は愚策だ。多少の距離など、彼にはあってないような物なのだから。

 

「そら、懐ががら空きだぜ」

 

 逡巡の迷いもなく【瞬刻】を発動させて刹那の内に空いた距離を詰める。

それは迎撃を行うにも相応しい間合いであったが、既にレイは鞘に戻した長刀の柄に手を掛け、身体を半身にして右足をやや前方に伸ばしている。

 ウィスパーの表情に初めて驚愕の色が混じるが、迎撃を行う暇など与えるはずもない。この領域はもはやレイの支配域。回避が間に合わないと悟り、防御に回るウィスパーを見ながら、鞘の鯉口から白刃を覗かせて最高速度で以て抜刀する。

 

「―――ッ‼」

 

 サーベルの刃に衝撃が走る。

しかしそれは一度ではない。一度の抜刀で放たれた無数の斬撃が過たず刀身を捕らえ、強度には一切の問題がなかったはずの刃が、衝撃の暴風に耐えられずに根元から粉々に砕け散る。

 

 八洲天刃流【剛の型・散華(さんげ)】。

 

 襲ったのは数十の斬撃。目で追えない程の極限まで高められた剣速で生み出されたそれは、サーベルの刃のみを修復不可能なほどに砕いた。

 その攻撃が自分の身に向けられていたらどうなっていたか、などとは考えるまでもなく、ウィスパーは無残な姿に変わり果てた自らの剣を数秒ほど凝視した後、柄と鍔だけとなったそれを地面に落とし、元の直立不動の姿勢へと戻る。

 

 

「……お見事です。そして大変申し訳ありませんでした。命であるとはいえお客人にこのような無礼な振る舞いをしてしまった事、深くお詫び申し上げます」

 

 無理矢理言葉を絞り出した、といった雰囲気を全く感じさせないその深謝にレイも闘気を解き、得物を再び刀袋に収めた。

 普通の人間ならばここで彼に文句の一つでも浴びせるのだろうが、生憎とレイはその気がない。というよりも、そもそも彼に対して忌避するような感情は最初から抱いていなかった。

むしろここまでの逸材を育て上げたアルバレア家に対して素直に称賛を送りたくなったほどである。

 

「いや、別にいい。変に搦め手で仕掛けられるよりよっぽど分かりやすかったしな」

 

 事ここに至って外面で接するのも無駄であると思い、普段の態度で応対する。

 

 

「それで? ”テスト”は合格って事でいいのか?」

 

「左様でございます。我が主からは”第一撃を凌げれば”との仰せでございましたので」

 

「ほー。じゃあその後の戦闘は?」

 

「真に勝手であるとは重々承知しておりましたが、一介の剣士として、貴方様に挑みたいと思った末の行動でございました」

 

 思いがけないウィスパーの人間味のある行動に一瞬呆けた後に笑みを溢す。ここまで実直な性格の人間も昨今では珍しいためか、どこか自分が穢れているかのように思えてしまう。

 そんな僅かで下らない劣等感を感じながら、なおも謝罪をしようとする彼を制し、先導を任せて艦内へと入った。

 

 艦内で作業をする従業員が客人である自分に対して一糸乱れぬ礼を見せる姿に苦笑しながらも、豪奢でありながら実用性が高い事を窺わせる内部を歩いていく。

そうして辿り着いたのは艦橋の最上階近くに設けられていた貴賓室。ウィスパーが重厚な雰囲気を漂わせる扉を開け、それに促されるように室内に入ると、空気が一変する。

 

 緊張感はあるが、張り詰められてはいない。静謐を保った空間ではあるが、冷徹さを感じさせず、どこか余裕があるように感じられるのは、この艦の主である人物の人柄を反映しているようだった。

 

「急に呼び出してしまって申し訳ない。それに、君に黙って力量を推し量ろうとしたことについてもまずは謝らせてもらうよ」

 

「いや、別に迷惑を掛けられたとは思ってませんよ。それでも謝罪されるなら、そうですねぇ……朝食を用意してもらえると助かります。適度に運動して空腹なので」

 

「なるほど、それは失礼をした。すぐにモーニングセットを持って来させよう。それまで席にかけて紅茶でもいかがかな?」

 

「いただきます。”本題”の方は朝食後でも?」

 

「構わないよ。元々無理を言ったのはこちらの方だしね」

 

 内心で冷や汗をかく。専門家に比べれば些か以上に口が上手いわけでもない自分が、果たしてどこまでボロを出さずに食いついていけるのかと。

目の前の男性には全く隙がない。それでいて他愛のない会話にも付き合う余裕がある分、剣で語り合うよりも厄介だ。

自分の目の前に差し出された紅茶を軽く啜りながら、レイは腹を括る。そうでもしなければ渡り合えないだろう。

 

 アルバレア公爵家長子にして次期当主。そしてユーシスの義兄でもある当代きっての敏腕家―――ルーファス・アルバレア。

 

 今この時だけに限って言えば、レイは”トールズ士官学院特科クラスⅦ組の一人”ではいられない。

その立場が致命的な油断を引き出してしまう事は、とうに理解していた事なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 ―――以下、帝国軍情報局本部に記録された音声記録。

 

 

 

 1204.5.29 PM5:00―――

 

 

『もしもーし、こちら≪白兎(ホワイトラビット)≫ー。定期報告しまーす』

 

『あー、マイクテスマイクテス。あ、これもう繋がってんの? よーしオッケーオッケー。―――よう≪白兎(ホワイトラビット)≫。元気でやってるかー?』

 

『あれー? どうしたのレ―――じゃなかった≪かかし男(スケアクロウ)≫。”あっち”に行ってたんじゃなかったっけ?』

 

『ひと段落ついたし戻って来たのよ。ま、すぐにとんぼ返りだけどな』

 

『へー。それで? 今はボクの報告を受けてくれるの?』

 

『おう、任せとけ。それじゃヨロシク』

 

『はーい。えーとね、”砦”の防衛戦力に目立った変更はナシ。ボクが見に行った時に18(アハツェン)が何台か納入されたみたいだけど……ま、この程度の事はオジサンに言うまでもないか』

 

『そうだなぁ。他には?』

 

『んー、アルバレア公は相変わらず焦り始めてるみたいだねー。さっきも言ったけど目立った戦力の増強はない。でも、”連絡”のやり取りは頻繁になってるみたい』

 

『あのヒゲ親父神経質そうなツラしてるもんな』

 

『あー、えっと、それでね?』

 

『どうした? どうせ最後の最後で失敗したんだろ? 目撃者も出したと見た』

 

『あはは。やっぱ≪かかし男(スケアクロウ)≫は誤魔化せないかー。これでも言い訳の練習とかしたんだけどなー』

 

『ま、大丈夫だろ。帝国時報社あたりに”謎の飛行物体、オーロックス砦上空を飛行‼”なーんてスッパ抜かれなきゃどうにだってできる』

 

『ゴメンなさい。……あー、でも、面白い人達は見かけたかなー』

 

『?』

 

『赤い制服を着た5人。あれってこの前言ってたシカンガクインの人達でしょ?』

 

『あー、そういやそうだったな。ウン。一つ聞いていいか?』

 

『ナニナニ?』

 

『その中に銀混じりの黒髪で長い刀持ってる奴いなかったか?』

 

『うーん、どうだろ。見かけたの一瞬だしなー。でもいなかった気がする』

 

『おー、そりゃ運が良かったな。アイツがいたらお前、事によっちゃ”墜とされてた”かもしれんぜ』

 

『え? で、でもボクちゃんと空飛んでたよ?』

 

『アイツがちょいと本気になったら対空戦も器用にこなすからなぁ。ま、見かけたところで手は出さなかっただろうけどな。”オーロックス砦に侵入した未確認飛行物体”って情報だけで大まかなあたりはつけるだろうし』

 

『誰、誰?』

 

『話したことあったろ? ≪十人目≫だよ』

 

『あー、うん。思い出した思い出した。確かクレアが好きな―――』

 

『ヘイちょっと待て≪白兎(ホワイトラビット)≫。何かの拍子にこの音声記録(ログ)見られた日にゃ俺もお前も仲良くハチの巣にされちまうからその先はノーな』

 

『あ、そうだったそうだった。んー、でもそうだったら会いたかったなぁ。≪かかし男(スケアクロウ)≫もそう思うでしょ?』

 

『ま、ちっと長い事顔合わせてねぇしなぁ。まー、近い内に会えそうな気がしないでもないけどな』

 

『≪かかし男(スケアクロウ)≫の勘は良く当たるもんねー。―――あ、っと、そろそろ通信も終わりかなー。また会おうねー』

 

『おー。お前もしっかりやれよー≪白兎(ホワイトラビット)≫ー』

 

 

 

 1204.5.29 PM5:20―――

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 国家に関わらず、政界で活躍する一流の政治家という存在は大小を問わず”汚れ仕事”を行った事がある、という経歴を持つ者が大抵だ。

 それは決して、自ら手を下したものでなくとも良い。直接市民に損害を与えた事のない政治家であっても、政敵を蹴落とすくらいの事は陰で日常的に行われているものだ。

 

 国家という巨大な存在を正確に運営させていくために、ただお人好しなだけの政治家など害悪にしかならない。

表面上ではにこやかに握手を交わしていても、テーブルの下では互いを足蹴にしている。鷹揚に挨拶を交わした後にその相手の悪口が最低十通りは即座に出てこなくてはならない。―――これらはただの極論だが、政治の世界とはそういうものなのだ。

 異色の経歴を辿って来たレイは、そのような”裏側”の事情にある程度精通していた。

 とはいえ、全てのお偉い様方が信用ならないなどという厭世家でもない。実際善政を敷く事に努めている人物など数多くいるし、彼自身後ろ暗い経歴を非難するつもりもない。

だが、知ってしまっているからこそ、そのような人物達と初対面で会った時、どれほど好意的な態度で接して来たのだとしても無条件で信頼はしない。

 政界という名の伏魔殿で権謀術数の限りを尽くして生き残って来た策士。そういう人物ほど、一般人に対する外面は良いものだ。

 

 例えるなら今レイの前に優雅に座っている人物も、その一人だろう。

 

 

 ルーファス・アルバレアと初めて顔を合わせたのは昨日バリアハートに到着し、列車を降りた直後だった。

 弟の士官学院生活を心配し、労い、そして身分に関わらず弟が世話になっている事について礼を述べるその紳士ぶりは、初手から好印象を与えた。

恐らくそれは狙ってやった事なのではなくて彼の素の対応なのだろう。それは貴族嫌いなマキアスですら渋面を和らげる程のもので、ホテルに向かうまでのリムジンの車内で他愛のない談笑に嫌な顔一つせずに応じたルーファスへの印象は、概ね良い感情で埋め尽くされていただろう。

自らの地位と家柄をひけらかす事なく、以前世話になったというリィンの父親やマキアスの父親を称賛する姿は、なるほど確かに素晴らしい人格者に見えた事だろう。

 レイとて、それに要らぬケチを付けるつもりなど毛頭なかったし、彼はその人格自体に猫を被っているわけではないと判断したため、その時はただいち学院生として尊敬の心を持って接する事ができた。

 しかし、リィンたちと違って完全に信頼していたわけではない。

 

 情報の上では聞いたことがあった。

帝国貴族の社交界にて、≪放蕩王子≫オリヴァルト・ライゼ・アルノールと人気・話題性を二分する稀代の切れ者が存在すると。それだけでもレイが警戒するには充分な情報だった。

社交界と言えば煌びやかなパーティーを思い浮かべる者が多いが、その実情は有力貴族たちの腹の探り合いの場だ。目立ちすぎる者は釘を打たれ、弱小貴族はどうにかして爵位が上の貴族たちに取り入ろうと暗躍をする。そんな場所で話題を自分一か所に集めるというのは、相当根回しが上手い辣腕な人物であるという事と同義だ。

 

 その人柄は受け入れよう。その実力にも掛け値なしの称賛を送ろう。

だがそれでも、真意が分からない内はレイの中にある心の壁は隔たったままだ。

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

「ああ、それは確か東方風の食前の礼儀だったかな? とても礼儀正しくて良い事だ」

 

「寮ではいつも全員に徹底させてますよ。料理人としてせめて食材には感謝して欲しいですし」

 

「ふむ、そういえばユーシスからの手紙にも書いてあったな。まさか食事事情まで任せてしまうとは、つくづく感謝の言葉もない」

 

「いえいえ、気にしないで下さい。新料理の実験台にもなってもらってますし。それにしてもこのオニオンスープ美味いですね。後でレシピ貰えません?」

 

「それでは後でシェフに用意させよう。紅茶ももう一杯いかがかな」

 

「そんじゃお言葉に甘えて」

 

 傍から見ればさぞや和やかな光景に映る事だろう。実際レイは充分に寛いでいたし、ルーファスも客人として彼を扱っている。そこに偽りは一片たりともなかった。

 ただし、偽りがないという事と腹の内で何も抱えていないというのは類義語にはならない。もしここで完全に心を許し、油断しきっていたら急な話題の転換についていけなくなる。

 

 

「そういえば君は、オリヴァルト殿下と個人的な交流があると聞いているよ。学院への推薦入学書類を、直々に手渡していただいたとか」

 

「えぇ、まぁ。あの時が一応”初対面”ではありましたけどね。流石、トールズの理事の一人ともなれば、その程度の事はご存知でしたか」

 

「フフ、流石は遊撃士。その程度の情報は既に習得済みか」

 

 互いに手札のカードを一枚ずつ切る。ただの小手調べではあるが、希少性という観点から言えばルーファスの開示した情報の方が幾分か高い。

あのやり取りはカレル離宮で内密に行ったものだ。理事長本人が一介の生徒候補を皇帝家の避暑地へと招いて直接入学願書を手渡す。これが他国であればそうそう大きな事にはならないだろうが、ここはエレボニア。身分制度が明確になっている国だ。もしその情報が皇帝家、もしくはオリヴァルト本人を疎ましく思う者の耳に入りでもしたら付け入る隙を与える事になる。

 そんな情報をいとも容易く耳にしているというのは、やはり『四大名門』の一角を担う家の長子であるというのが深く関わってきているのだろう。

 二十代半ばの若さにして領地経営、及び他家との友好関係の構築など、非凡な才を発揮しているだけはある。最初にそれを言われてしまった事で、レイは学院に入った経緯を偽れなくなってしまった。

 

「しかしいかにトールズが長い歴史を誇っているとはいえ、君ほどの異色の青年を入学させたことはあるまい。やはり、時代も移り変わっているという事かな」

 

「あはは、自分程度が”異色”扱いされたら先輩方に失礼でしょうよ。ルーファス卿もトールズの卒業生の一人でしょう? だったら自分はその時点で敵いませんよ」

 

「いやいや、謙遜は無用さ。名高き≪天剣≫がクラスメイトであれば、ユーシスもさぞ良い形で影響を受けるだろう。兄から見ればやや固い所が抜けないのが玉に瑕だが、君たちがいてくれた事で孤立するなどという事は防げたようだ。改めて、お礼を言わせてもらうよ」

 

 さてどうしたものかと、改めて思案する。

 どう足掻いても自分が主導権を握れる状況ではない。こちらが知っているのは、当たり障りのない表面上の情報だけ。なまじユーシスとマキアスの軋轢をどうやって修復していくかという事だけを考えていたために、目の前の人物に対してまで対策が回らなかったのが痛い。その気になればもう少し良いカードを揃える事もできたのだが、それは自分の怠慢が招いた自業自得だと納得するしかなかった。

 このまま話を続けたところでこちらはボロを出すばかり。そもそもこの時点で真綿が首に纏わりついている状態だ。舌戦でこのレベルの人物に競り勝つには、まだまだ経験が足らなさすぎる。

 故にレイは、前口上を自分から早々に切り上げて急かすような口調で言った。

 

 

「……単刀直入に聞きます、ルーファス卿。この場に”自分だけ”を呼び出した理由を教えてください」

 

 

 本当ならばあちらからこの話題を出してくれるまで粘るつもりでいたのだが、これ以上会話を引き延ばしたところで、こちらが得るものは現時点では何もないのだから。

なので、一直線に本題へと切り込んだ。

 

「はは。勿論それについては話すつもりだったよ。ただ、その歳でここまで”探ってくる”人物も珍しくてね。つい、話が脱線してしまった」

 

「あらら、バレてましたか」

 

「これでも一応、『四大名門』の責務を背負っている立場でね。互いの腹の内を探る場には慣れているつもりだ。しかしまぁ、これ以上痛くもない腹を探られるやり取りも無用だろう?」

 

「……ま、そうしときましょうか」

 

 恐らく互いに白々しい事を言っているのは百も承知。

しかしレイとしても醜い粗探しをこの場で本気でするつもりなど毛頭なかったので、ひとまず同意をして話を進める。

 

 

「まぁこちらも端的に言わせてもらえば、君に聞きたいことがあったからだよ。レイ・クレイドル君」

 

「何でしょう」

 

 そこで初めてルーファスは、笑みを一切消した真剣な眼差しを向けて来た。

 

「君は、何故トールズに入学しようと思ったのかな?」

 

 まるで面接官のような言葉ではあったが、そこで答えるような表面上だけの薄っぺらい返答を期待しているのではないという事は即座に理解できた。

だがそれでもレイは、その眼差しを真正面から見据えて、堂々と答える。

 

「見聞を広める……というのが一応の理由なんですが、それに加えてもう一つあります」

 

「ほう?」

 

ご存知かとは思いますが(・・・・・・・・・・・)自分は少し特殊な育ち方をしましてね。同年代の友人ってのが今まで数えるほどしかいなかったんですよ」

 

 その友人たちとも平和的な出会いはして来なかったんですがね、と自嘲気味に言ってから、更に続ける。

 

「寂しい、なんて思った事はなかったんですが、昔剣の師匠から”若い内は何でも挑戦してみろ”と言われたのを思い出しまして。それに元職場の先輩たちも背を押してくれましてね。殿下の好意に甘える事にしたんですよ」

 

「…………」

 

 言っていて嘘くさい理由であるとは理解していた。なまじ彼の経歴を知っているのならば尚更だろう。

 しかしルーファスは、数秒ほど熟考した後、元通りの笑みを浮かべた。

 

「そうか。いや、素晴らしい事だ。今まで踏み出さなかった未知の領域に足を踏み入れる決断をするというのは中々できる事ではない。良い師に巡り合えた事もさることながら、どうやら君は、私が思っていたよりも豪胆な性格のようだね」

 

「……いやいや、買い被りすぎでしょうよ。所詮()は、どこからも逃げ続けた半端者に過ぎないんですから」

 

 こうして会話をしていると思い出すのはカレル離宮でのオリヴァルトとの会話だ。

ごく自然に自分の冷静さという名の鍍金(メッキ)が剥がされていく感覚。二度も味わえば流石に多少我慢度を上げる事もできるが、これ以上は、あまり好ましくはない。

 カップに残った紅茶を一息に飲み干して感覚を切り替えると、ソファーに背を預ける。

 

「分かっているでしょう、ルーファス卿。自分はそんな高邁な人間じゃあない。過去をほとんど明かしていないとは言え、今でもⅦ組のメンバーに嫌悪感を持たれていないのが不思議なくらいです。本来なら自分みたいな異端を社会は排除しようとする。それが同年代の築くコミュニティーであれば、尚更に」

 

「であるならば、それは君自身の人柄が成せる事だろう。あまり自分を卑下するのは良くない。それは、君を信じてくれている子たちへの侮辱ともなる事もある」

 

「…………」

 

「なるほど、私を信用しきれないのは正しい事だ。それだけで君が世界の”闇”に慣れている事が分かる。だが私とて、教育者の末席を担う者としての矜持は持ち合わせているつもりだ。母校に通い、切磋琢磨する若者たちを駒のように俯瞰する冷徹さを持っていると誤解されるのは、些か心外でもあるのだよ」

 

 嘘を吐け、と一蹴する事はできない熱が、そこにはあった。

言動全てを信じるか信じられないかはまた別ものであったとしても、今の言葉に含まれた気概は本物だ。それを正面から否定できるほど、レイは他人に対して疑心暗鬼でいるわけではない。

 だが同時に、厄介さの度合いで言えば更にランクは跳ね上がる。言動全てが偽善の塊のような人間ならばまだ幾らでもやりようはあるのだが、その中に偽りのない”善人”の部分を持っている人間のその部分だけを探り当てるのは容易ではない。特にルーファスのように、対話能力に長けている人物が相手なら、尚更だ。

 

「だから、少なくともこの場では私を信用してくれないだろうか。勿論君を害するつもりなど欠片も有りはしないし、実習中のあの子たちに何かをするつもりもない。……まぁ、あくまで私は(・・)だが」

 

「……あー、そういう事か」

 

 最後の一言で、レイは何故ルーファスがアルバレア公爵邸ではなくこの飛空艇に自分を呼んだのかが理解できてしまった。

それを遠回しに伝えるあたり、意地が悪いのか親切なのか、良く分からないが。

 

 

 思えば不自然ではあった。

 昨日バリアハートに到着した時にレイたち一行は高級リムジンに乗って邸宅へと帰るアルバレア公爵と顔を合わせていた。ただし、車の窓越しであり、その態度は息子であるはずのユーシスにすら冷淡とも取れる淡白な接し方だったのだ。

まるで、ユーシスという存在自体がそもそも視界の中に入っていないかのような態度だったその人物が、今朝になって面と向かって顔を合わせようと彼を邸宅に呼び戻すという行為は辻褄が合わない。

 

 しかし、その本意が、ユーシスを他のメンバーから引き離すため(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)だったとしたら?

このバリアハートにおいて”アルバレア家の威光”を使って大抵の貴族を尻込みさせ、兵士すらも狼狽させるユーシスの隔離。その事実の先を示す次の一手は―――

 

「自分たちの行動の制限……もしくは拘束ってところですかねー」

 

「恐らくは、ね。やはり君は聡明だ。私とて早まった真似はしないようにと諫言はさせてもらったのだが……どうにも父上は少々短絡的になってしまう衒いがある。何せ今、この街には”彼”がいるのだから」

 

 その”彼”が誰を指し示しているのか、ここまで来てしまえば間違えようはない。

 

「マキアス・レーグニッツ。『貴族派』の不倶戴天の敵、『革新派』の重要幹部カール・レーグニッツ帝都知事の嫡子」

 

 例えるならば、獅子の檻の中に放り込まれた肉塊だ。人質としての効力を発揮するのに、現時点でこれ以上相応しい者もいない。

 だが、先見の目を持つ者ならばここで彼を拘束し、人質として利用するリスクの高さに気付くはずだ。

何せ現時点で帝国情勢はそれほど逼迫していない。水面下では冷戦のような状態が続いているが、帝国市民の多くは火種がある事すら知らずに日々を生きている者が多い。

そんな中で誠実な政治体制で支持を集めている帝都知事の息子を人質に取ったという情報が帝国内に発せられれば、非難の目が『貴族派』に向けられることは必至。恐らく十全に体制が整っていないこの状況下で一方的に悪者に仕立て上げられるのは彼らにとって害にしかならないはずである。

 ハイリスク・ハイリターンの具現化。そのリターンですらも高い確率でマイナスに働いてしまう。全く以て分の悪すぎる賭けだ。

自分の首を締め上げる結論しか待っていないというのに目先の利益に囚われて浅はかな行動を起こすのならば……現アルバレア公爵には天秤の秤を見極めるだけの才が備わっていないという事になる。

 

「チッ……シオン、いるか?」

 

「ここに」

 

 しかしその最悪の事態が起きる可能性が極めて高い今、レイとしては傍観に徹するわけにもいかない。

自らが従えるただ一柱の式神を呼ぶと、金色の粒子と共に、人型状態のシオンが傍らに現れた。

 

「マキアスの行方を追跡。直接害されるような事があればなるべく穏便に対処しろ。細かい行動はお前に任せる」

 

「私の姿は極力見られない方が宜しいので?」

 

「あいつの事だ、いきなりお前が現れたら盛大に驚いて予想外の事態を引き起こしかねない。あいつの前に出るのなら、そこのところ配慮しろ」

 

「承知致しました」

 

 以前のような軽口は一切きかず、あるべき姿の主従のまま手早く命令の発信と受諾を終え、シオンはレイとルーファスに一礼をすると、再び消えていった。

 

 

「……フム、あれが”式神”という存在か。実際にこの目で見るのは初めてだった。噂程度には聞いていたのだけどね」

 

「普段の態度はアレな部分が多いですが、優秀なヤツです。まぁ、最悪の上の最悪の事態は防げるでしょう」

 

「それは頼もしい限りだ。実のところ君たちの担当教官―――≪紫電(エクレール)≫殿にも来ていただこうかと思ったのだが、必要はなかったかな?」

 

「いえ、そちらにはそちらの考えがあるでしょうから、自分は口を挟みません。その代わり、自分も自分で動かせてもらいますけど」

 

 傍らに立てかけていた刀袋に包まれた柄の部分を軽く指で弾く。

黙っている気など毛頭ないという意思表示に、ルーファスは再度苦笑した。

 

「もし彼に何らかの危害が加わったとして、君の仲間はそれを傍観するかな?」

 

「それはないでしょう。えぇ、誓ってもいいです。あいつらは、リィン・シュバルツァーは仲間の危機を人任せにして背を向けられるような器用すぎる人間じゃありませんから」

 

 勿論自分も、と付け加えようとしたが、それは口から出てこなかった。

 

 ウィスパーに貰った二杯目の紅茶に口を付けながら、レイは再び先程までのルーファスとにやり取りに思考を戻す。

そこで思い出した。最後に一つだけ、聞いておきたいことがあったのだと。

 

「ルーファス卿、先程自分に士官学院に入学した理由を問われましたよね?」

 

「あぁ、それが何か?」

 

「いえ、少し引っかかった事がありまして」

 

 考えてみれば、いくらトールズの理事の一人であるとはいえ、今の段階でそれを聞くのは少しおかしい事だ。

世話を焼いている弟の近くにいるクラスメイトの確認などがしたかったのかもしれないが、あの真剣な眼差しと声色にはそれ以外の緊迫した感情が含まれているように思えたのだ。

 

 

「一つだけ聞かせてください。()がトールズに、いや、帝国にやってきて貴方に不都合な点があったのですか?(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 返ってくる言葉はない。ルーファスはその言葉を何度も反芻するように受け止めた後、「ただ、気になっただけさ」とだけ言い、以降は会話も途絶えた。

 そして数分後、シオンから念話を介して情報が送られてきた。

 

 考えていた事態に、発展してしまったという事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




話し合いの場面というのを書いたのは初めてだったので、大げさだったり中身が軽かったところもあったと思います。そこは、以後も精進していきたいです。

レイ君の対話の席でのスキルはそこそこではありますが、ルーファスクラスの人には上手を取られるというレベルです。というかあの人たちが特別高いだけなのか……?

ルーファスさんにはⅡのユミルで3回連続Sクラフト食らって全滅した苦い思い出があります。まさかあそこまで強いとは思わんかった……。


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奪還任務の狼煙

どうも。最近「GOD EATER2 RAGE BURST」にドハマリして神狩りまくってる十三です。

今回の話は何がやりたかったかと申しますと、原作ゲームでは前々回のマキアスとユーシスが敵の前で喧嘩を始めるシーンで活躍するはずだったメガネ委員長ことエマさんの活躍の場をレイ君がごっそり奪い取って行った事ですっかり影が薄くなってしまったエマさんに対する懺悔の意味合いが大きいです。

女っ気がただでさえ少ないんだからぶち込んだだけとも言いますが。


 

 ―――マキアス・レーグニッツがバリアハート領邦軍によって身柄を拘束された。

 

 その知らせを聞いた時、レイはリィンたちよりも早く動いていた。

偵察に長けた偵察用の低級式を1ダース程生み出して状況把握に向かわせる。行き先は勿論、マキアスが連行されたと思われる領邦軍の詰所だ。

とは言っても、マキアスの居場所自体はシオンを付けているので把握はできている。一切日が差さない、地下5階の鉄格子の奥。哀れな愚行の犠牲となってしまった事には同情せざるを得ないが、恐らくこの一件でマキアスも身に染みて理解できただろう。自分が、拘束に値する価値を望むと望まないとに関わらず持ち合わせてしまっている人間だという事を。

 勿論、最重要人物は彼の父親でありマキアス自身ではない。だが、人質とするのにこれ以上価値があり、なおかつ今の時点で身柄拘束が容易な人物もそうはいない。

 

 しかし、少々予想外だったのはレイも同じだった。

今マキアスを”敵対している帝都知事の息子だから”という曖昧過ぎる理由で拘束するには敵に回す可能性が高い組織が多すぎる。

 まず士官学院所属という事で学院からの非難は容易に想像できる。ケルディックの一件でもそうだったのだが、些かクロイツェン州の要人はトールズという場所を無意識に下に見ている節があるようにしか思えない。

あの場所には、家柄的にも経歴的にも中央政府に顔が利く教師が多すぎる。そこから政府に情報がリークされれば、事態は一瞬で発覚してしまう。

 まぁそんな過程を経らなくとも、政府は遠くない内にこの事態を知る事になるだろう。政治の頂点、宰相の直轄に、それを可能とする組織があるのだから。

 

 ≪帝国軍情報局≫。カルバード共和国に存在する≪ロックスミス機関≫と肩を並べる最精鋭の諜報部隊。

彼らにかかれば隠蔽をする気もないような今回の一件の全貌を掴むのにかかる時間はそう長くはないだろう。それをあの狡猾な鉄血宰相が知れば、どのような手練手管を用いて非難を露わにするか、分かったものではない。

 恐らく、ルーファスが懸念していたのもそこだろう。人権に関わる悪い情報や噂を払拭するという作業は、並大抵の労力ではできない。

 

「貧乏くじを引いて、厄介事を背負い込んだ、か。上がアホだと下が苦労するのはどこの組織も同じかよ」

 

 そうぼやきながら空港を後にしたレイが向かったのは、貴族街の裏道の一角にあった排気口の前。

偵察式の一体が見つけたこの場所は、若干狭くはあるが人の目に確実に触れることなく詰所内に潜り込む事ができるルートだ。

もう一つ、駅前通りの下層部に地下水路へと続くルートもあったのだが、そちらは先日街でたまたま見かけた苦労性な誰かさん(・・・・・・・・・・・・・・・・)がリィンたちに情報を漏らす事だろう。

あちらには魔獣の姿もあったが、あの三人にかかれば苦労するほどのものでもない。マキアス本人の身柄の奪還は、彼らに任せて良いだろう。

 

 だとしたら、レイが担当するべきはいつもの通り裏方だ。

 任務のカテゴリーを明確に分けるのだとしたら、今回のこれは救出作戦である。

少人数の精鋭で敵の懐に潜り込み、可能な限り迅速な行動で以て対象の安全を確保。そして再び迅速に離脱する。派手な戦闘は御法度という点で、かなり難易度は高い。

 そしてこの手の作戦で重要なのは、撤退時に最後尾を任せる殿の存在だ。

後顧の憂いなく、ただひたすらに撤退に専念できるように工作に従事する存在というものがどうしても必須になる。そして今回、その任を請け負うのは隠密行動にもそこそこ経験があるレイの役目。

 平たく言えば、マキアスが没収されたとみられるショットガンとARCUS(アークス)の奪還。及び牢周辺の警邏に当たる兵士を一切傷つける事無く無力化する事だ。

労力がかかる上に、打撃の一つも許されないため、長刀を使う事は許されない。後先を考えない任務なら荒っぽい真似事もできるのだが、今のレイは士官学院所属である。下手な行動は、そのまま学院の悪名にもなってしまいかねない。

 本来ならば追加報酬を貰ってもおかしくない程の難易度だが、今回動くのは仲間のためだ。多少面倒臭くとも、完璧に遂行するのが筋というものだろう。

 

「さて、と。そんじゃ仕事と行くか」

 

 パキパキと数回拳を鳴らしてから、レイはその小柄な体躯を排気口の中に躊躇いもなく滑り込ませた。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 エマ・ミルスティンは、内心で少しばかり焦りを見せていた。

 

 

 その原因は主に二つ。自分が世話になっている人物と、自分が世話をしている人物だ。

 前者の人物は言うに及ばず。その経歴の多くは謎に包まれているが、恐らくこの大陸の裏側を少なからず覗き込んでいると思われる青年だ。

自分の”正体”にも薄々感づいているのではないかと僅かに警戒はしているのだが、本人にそれを口にする気配がない。本当に知らないのか、それとも知っている上で放って置かれているのかは分からないため、未だに疑念は捨て去る事はできないが、学生寮や学院で共に過ごしている内にその人柄については信頼を寄せるようになっていた。細かな心配りもできるその姿は、見た目の若干の幼さと相反して苦労性のお兄さんのようにも見える。

 だが、時折垣間見せる物憂げな表情。それが気にはなっていた。

それは、心に他人には悟らせない程の闇を抱えている人間が浮かべるそれ。それを彼女が理解できてしまったのは、幼い頃姉として慕っていた女性が同じ表情を時々浮かべていたからだろう。

自分の使い魔に『あの子を信頼するのもいいけど、警戒を完全に解くのは止めておきなさい』と言われたのがそれに起因しているのだと分かった時は少しばかり複雑な気分にはなったが、それに対して反論できなかった時点で同罪ではある。

 そもそも”自分達”は易々と他者に心を許してはいけない存在だ。であるならば彼女の考えも間違っていない。

しかし、良くも悪くも彼女は正直で、心優しすぎた。共に学び、共に過ごす仲間に対して冷徹になる事などできるはずもなく、加えて言うのなら食事などその他もろもろで世話になっている彼に懐疑の視線を向けるなど、礼儀知らずであると思ってしまう。

 

 情愛の念を向ける、という意味であれば、後者の少女の方が意味合いは強いだろう。

 

 初めはクラス委員長となり、席が隣同士であった事や何より同性であったという事で授業中の監視を頼まれていただけだった。

だが、想像をはるかに超えて手のかかる少女であったという事が、彼女の内に眠っていた世話焼きの本性に火をつけた。

初めは学院にいる時だけの世話係代行だったのだが、今では私生活の方でも色々と面倒を見ていたりする。就寝起床などはその最たるものだが、勉強を教えたり話し相手になったりと、一見して自由気ままな猫のような彼女と、この2ヶ月の間で随分と関わり合いを持ち、彼女の事を、多少なりとも理解したように感じていた。

 

 実戦戦闘能力という観点から見れば、間違いなく特科クラスⅦ組のツートップとなる二人。

 

 こと戦闘となった時、二人に抱いている印象は一変する。

 

 素人目から見ても充分に鍛え上げられていると分かる敏捷性で一対多の状況でも敵の攻撃を掻い潜って引っ掻き回すその姿は、猫というより狼に近い。

そこに普段の自失的な姿はどこにもなく、研ぎ澄まされた鋭敏な感覚で以て慣れた手つきで獲物を狩り伏せる。

特殊な武装である双銃剣を手足の延長のように巧みに操って一陣の風のように駆け抜けるその小柄な背中を羨ましいと思った事は幾度かあった。

 

 しかしもう一人に至っては、そんな羨望の眼差しすら向けられない程の地力を隠し持っている。

恐らく、今まで見て来た戦いの中でも、彼が全力の一端を見せたのは先日の実技テストの時に行ったサラ教官との一戦だけ。それも互いに全力ではないと言い合っていた限り、まだまだその底は計り知れないと見て間違いはない。

その実力の程は精鋭が集うという遊撃士協会クロスベル支部に在籍していたという経歴からも分かるのだが、如何せん実際に見るのとでは話が違う。

 そんな彼が指揮権をリィンに譲り渡し、魔獣討伐の際にもサポートに回る機会を多くしている本当の理由は分からない。しかしその結果、実戦を通して全員の練度が上がっているという事を考慮に入れると、単に面倒臭がっているという理由ではないのは確かである。

 だが逆に言えばそれは、自分も含めた全員が彼を最後の頼みにしているという事だ。

マキアスとユーシスの間が拗れに拗れて一触即発になった時にそれを止め、挙句限定的な仲直りの一役をこなしてみせた。前回の実習であの二人の行動に苦労させられた身としては彼と、そして仲直りのもう片方の役を買ってくれたらしいリィンには何度も心の中で感謝の意を送っていた。

 しかし同時にエマの胸中にあったのはクラス委員長として何もできなかった事に対する罪悪感だった。

 本来ならば今回の件も、クラスを纏め上げる立場である自分が何とかするべきだったのだが、結局のところ何もできていない。戦闘においてもアーツの扱いには一家言を持ってはいたのだが、真っ先に斬りこんで行くフィーと自分の後ろを守りながら前衛のフォローも完璧にこなすレイに比べてみれば活躍など微々たるものである。

 功績を求める気などはさらさらないのだが、エマ・ミルスティンという少女の性格上、世話になりっぱなしという事態は好ましいものではない。

どうしたものかと内心悶々と考えていた時に、その事件は起こってしまった。

 

 それは、手配魔獣としてリストアップされていた北クロイツェン街道の大型魔獣ヴィナスマントラの討伐を恙なく終え、バリアハートに一時戻った時だった。

街に入った瞬間にやってきたのは、クロイツェン領邦軍の兵士たち。彼らはリィンたち一行の身元を問うと、あろうことかマキアスに”先日のオーロックス砦侵入罪の手配がかかっている”と告げ、更に彼個人にそれとは別に複数の容疑がかかっていると、憮然とした態度で言い放ったのだ。

しかし、オーロックス砦に侵入者が入ったという一報が入った時に彼がいた事は確かだが、その時は勿論別行動をしていたレイを除いたA班全員がその場にいたのである。加えて言えば侵入者であるとされる”銀色の浮遊物体”が遥か彼方に去った時、砦から追跡部隊としてやってきた兵士たちに一行は事件の概要を聞いているのである。アリバイなど、そこいらに幾つも転がっていた。

 それを見越してエマは一緒に行動していた”ユーシス・アルバレア”の名前まで出した。だが、信じられない事に兵士たちはその名前ですら鼻で笑って返したのだ。

 ここまで来てしまうともはや一介の士官学院生でしかない自分たちに追及の余地などない。領邦軍にこちらの話を聞くつもりなど欠片もなく、容疑が向こう側で固まってしまっている以上、バリアハート市内における彼らの捜査権は絶対だ。

 横目で見た時にフィーが後ろ腰に引っかけた双銃剣に手を伸ばそうと左右の五指をピクリと動かしたが、それは彼女が小さく溜め息をつくと同時に再び止まった。

それは正しい判断だった。実力的には決して劣るという事はないだろうが、場所が悪い。ここで抵抗をしたところで事態は更に悪くなるだけであり、それはどう考えても得策ではない。

 ギリッ、とリィンが奥歯を噛みしめる音が聞こえると共に、エマもまた、やるせない気持ちで一杯だった。

もしここにユーシス本人がいたのなら、領邦軍たちもここまで横暴な手段には出なかっただろうし、そうでなくともレイがいれば彼らを阻止する事はできずとも情報をもっと引き出す事ができたかもしれない。

しかしそれは叶わない事。二人に対して責任を擦り付けるような事を一瞬であるとはいえ考えてしまった事を首を軽く振るって払い、マキアスが連行されていく姿を納得がいかない表情で眺めながらも、エマの思考は回転を始めていた。

 

 伊達に、今年度主席入学の座を背負っているわけではない。

 彼女の思考能力の本領は推理力などで発揮されるものではないが、それでも培った知識とそれを応用する頭脳は本物だ。

 まず気にかかったのは、マキアスの拘束時にユーシス、レイという状況を好転させる事ができる可能性が高い人物が揃っていなかった事だ。レイが今朝呼び出された理由などは不明だが、ユーシスの方は間違いなく怪しい。いや、ここまでくればもう誰であろうと分かるだろう。

 

「多分、昨日の内……いえ、私たちがバリアハートに来た時から仕組まれていたのでしょうね」

 

 連行された後、陳情をしようと詰所を訪れたものの門前払いを食らい、中央広場の一角で三人で顔を合わせていた時に、エマは断定したような口調で言った。

そしてその言葉に、リィンとフィーは揃って頷く。

 やり方が多少どころか強引そのものではあったが、この街はアルバレア公爵家にとって絶対的なホームグラウンド。彼らの意に背く者などいるはずもなく、強引なやり方であっても誰もが見て見ぬふりをするだけだ。そういう意味では、確かに大貴族らしい動きであったと言えるだろう。

 

「ユーシスは……多分実家の方で身動きが取れなくなってるんだろう。フィー、レイと連絡は取れるか?」

 

 リィンがそう言うと、ARCUS(アークス)を耳元に寄せていたフィーがふるふると小さく首を横に振った。

 

「ダメ。通じない。通じないところに居るのか、自分で通信遮断してるのかは分からないけど」

 

「そう、か」

 

 そこで会話を切った後、三人は場所を移動した。

今後の事を話し合うために人の目が多い所ではなく腰を据えられる場所に行こうとしたのだが、宿泊しているホテルは元より、昨日昼食を摂ったレストランにすら事情聴取と称して領邦軍の兵士が巡回しており、その後も色々と歩き回った結果、職人街にある宿酒場『アルエット』に腰を落ち着けた。

 

 

「……さて、二人とも。これからどうするかだけど」

 

 改めて言葉に出してみたが、三人の心は一致している。

 学院に要請を出すという選択肢もあるが、事態は一刻を争いかねない。マキアスが拘束された理由は十中八九対立する『革新派』の重役であるレーグニッツ帝都知事の息子を手元に縛り付けておきたいからだろう。人質、という価値観で彼を見るのならば痛めつける事はしないだろうが、最悪拷問でもされて脅迫されかねない。

その可能性がある以上、この状況を傍観する事などできるはずがない。これも特別実習の延長線上なのではないかと奮い立たせ、更に思う。

 

「それに……ちょうど良いのかもしれないな」

 

「?」

 

「いや、今回の実習はユーシスとレイに助けれられてばっかりだったしさ。特にレイには前回の実習でも世話になりっぱなしで……リーダーとして、不甲斐無いとは思ってたんだ」

 

 だから、と、リィンは言葉を続ける。

 

「俺たちだけでマキアスを助けたい。フィーは勿論、委員長も色々世話になってると思うから、その恩返しという意味も含めて。……どうだ?」

 

 再び、二人が頷く。

 気持ちは全員が既に一致していた。弱気になっている暇などなく、そうと決まったのならばすぐにでも作戦を立案しなくてはならない。

 

「侵入経路はどうする? 真正面からは、流石に愚策だと思うけど」

 

 最初に考えるべき問題にして、根本的な壁。フィーが改めて挙げたそれを解決する糸口を最初に切り出したのは、エマだった。

 

「そう、ですね。正面からに限らず、地上から忍び込むのは難しいんじゃないかと思います。何せアルバレア公爵家のお膝元にある場所ですから、昼夜問わず厳戒態勢が敷かれているんじゃないかと」

 

「確かに、そうだな。夜中に忍び込む案も却下だ。俺たちみたいな素人が付け焼刃で行動したとしても、絶対に失敗するだろうし」

 

 そもそも、この作戦の最重要項目は”敵に見つからない事”にある。可能な限り人の目を避けて詰所の内部に侵入するのだとしたら、不特定多数の目に触れる可能性があるルートは選ぶべきではない。

 どうしたものかと考えていると、エマがある事に気付いた。

 

「フィーちゃん」

 

「何? 委員長」

 

「マキアスさんが収容されていると思われる場所は、どの辺りだと思いますか?」

 

 普通ならば見た目年端もいかない少女にする質問ではないが、エマには確証があった。フィーならば、この質問に対して「分からない」以外の言葉を返してくれるという事を。

そしてその見解は見事に当たり、フィーは小首を傾げて少し考える仕草を見せる事約1分。小さく口を開いた。

 

「……普通ならもし脱出されたとしてもどこに逃げたらいいのか分からない所に閉じ込める。心理的に追い詰めるつもりなら窓が無くて薄暗く、それでいて空気が籠っている場所」

 

「それって……」

 

 その条件に当てはまる場所はすぐに推測する事ができる。

 

「地下、ですね」

 

「ん。できるだけ早く助けてあげた方がいいかも」

 

 日の光が一切差さない場所に長時間閉じ込められるというのは、思いのほかヒトの精神を容易く壊してしまう。牢の中で椅子に縛り付けて目隠しをさせ、水すら飲ませず永遠に天井から滴り落ちる水滴の音を聞かせ続けるという拷問が存在するくらいである。特殊な耐久訓練を受けていないマキアスが精神的に正常でいられる時間は、あまり残されていないと見ても良くなってしまった。

 

「でもそうだとしたら、どうやって侵入する? 難易度は更に上がったような気がするんだが……」

 

「いえ、そうでもないかもしれませんよ。リィンさん」

 

 リィンの危惧するような発言に、しかしエマはあくまでも柔らかげにそう言った。

 

「先日学院の図書館で読んだのですが、バリアハートは中世の道路、地下設備が今でもなお色濃く残っている都市です。近代化に伴って駅前などの場所は新たに整備がされたみたいですが……街の地下に存在する広大な地下水路は恐らく当時のままで残っているのではないかと」

 

「なるほど。それがもしかしたら詰所の地下まで伸びてるかもしれないって事か」

 

「あくまでも仮説でしかありませんけどね」

 

「いや、充分すぎる情報だよ。流石委員長だ」

 

「うん。グッジョブ、委員長」

 

 それは恐らく、彼女以外ではユーシスしか知らなかったであろう情報だ。それをエマが知っていたのは、Ⅶ組委員長として少しでも知識面で役に立とうと、実習地の事を丹念に調べ、そこから推論を立てた結果に他ならない。

それに対して二人から惜しみのない称賛を受けて、頬が僅かに紅潮したが、すぐに表情を引き締めなおす。

 今は非常事態。気を緩める暇などないのだから。

 

 

「だとしたら後は、どうやって地下に入るかの問題だな。それが分からない分にはどうしようも……」

 

「あるよ」

 

 今度はフィーは事もなげに答えた。目を丸くする二人をよそに、いつもの無表情を崩さないままに言う。

 

「駅前通りの東側。そこに下に降りる階段があったの覚えてる?」

 

「あ、あぁ。一応」

 

「昨日レイと一緒にいた時にちょっと見てみた。そしたら鍵のついた扉が見えたから……多分そこが入口だと思う」

 

「ふ、フィーちゃん、よくそんな所まで見てますね」

 

「初めて行った場所でのできる限りの地形の把握は基本だよ」

 

 その言葉にエマは唖然としていたが、リィンは納得しているかのように深く頷いていた。

 ともあれ、充分な情報を掴んだ三人に、もう行動を躊躇う理由はない。注文していた飲み物を各々飲み干すと、代金を置いて足早にその場を去る。

 

 最後に残った懸念事項はその”鍵”とやらだが、それを何とかするのは”自分”の役目だと、エマは心の中で言い聞かせる。

使わなければいけないだろうその”力”をどう誤魔化すのかはまだ考えていなかったが、今の彼女に躊躇はない。

覚悟を決めた異色の少女は、確かな足取りで二人の後を追って店を出た。

 

 

 

 

 

 その様子を見ていた宿酒場のマスター、ジオラモは、見慣れない服装の若者たちの活気に溢れる行動を見て、何かを懐古するような優しい笑みを浮かべた。

 

「いやぁ、やっぱり若者が元気ある姿を見るのは良いねぇ。君もそう思うだろ?」

 

「ハハ、確かにそうですけど、俺もまだ27っすからねぇ。ああいう奴らに負けないくらい精力的に動きたいモンですよ」

 

「全くだ。という事はアレだな。ちょっと物騒な事を話し合ってたって事も聞かなかった事にするべきだろうなぁ。あの若さに免じて」

 

 三割ほど苦笑を滲ませた笑いを漏らすジオラモを見て、カウンターに座っていた金髪の男性は内心で安堵の息を漏らした。

マスターとは旧知の間柄で互いの事情にも一応精通しているため、懇願のような説得はしたくなかったのだが、そこは流石に宿酒場のマスター。情報を外部に漏らす気はさらさらないらしい。

 

「そうしてやってくれ。あいつらになにかあったら、俺も目覚めが悪い」

 

 男はそう言ってコーヒーカップを傾け、エスプレッソを一口含む。

 

「(しっかし、あいつからはレイがいない状態のあいつらはまだまだヒヨッコだなんて聞いてたが……)」

 

 先程の会話を聞く限り、とてもただの素人には見えない。白熱しすぎて周囲の警戒が薄いという欠点はあったが、互いの長所、為すべき事を理解し、至らないところを補い合う事で作戦成功への可能性を導き出す。

 それは、基本的にチームプレイを旨とする遊撃士(ブレイサー)に必須の技能だ。それを理解し、行動に移していた所を見るに、良い具合で彼らも影響を受けているらしい。

 

「(やれやれ、レグラムから出張ってきて何もせずにお役御免かよ。……ま、それもいいか)」

 

 白いコートを着込んだ男はそのまま立ち上がると、懐の財布からコーヒー一杯分の料金をカウンターに置いた。

 

「ごっそさん。あぁ、また何か困ったことがあったら連絡くれよ? マスター」

 

「分かった。遠路はるばる、ご苦労だったな」

 

「違いない。これからまた列車に長い時間揺られなきゃならんしな」

 

 言葉の上でこそそれは愚痴のようだったが、男の口元には、満足そうな笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

「ゲホッゲホッ。あー、クソ、汚すぎるっつーの。見てくれ気にするんなら排気口の中もちっとは掃除しろや」

 

 そう悪態をつきながら、レイは排気口の金具を外して室内への侵入に成功した。

その顔や服には煤汚れがついており、すくっと立ち上がると手早くそれらを叩き落としていく。

 レイが這い出てきたのは、領邦軍詰所地下の一室。武器庫前にある部屋であり、当然見張りの兵士はいたものの、今は壁に寄りかかって深い寝息を立てている。

勿論、職務怠慢などではない。その理由はレイの右手に握られた専用ARCUS(アークス)が全てを物語っていた。

 

 【幻呪(げんじゅ)茫幽(ぼうゆう)】。対象の精神に直接作用させる【幻呪】の術式の一種であり、認識阻害を誘発する【虚狂】とは異なり、これは純粋に催眠効果を誘発する効果のある術である。

 とはいえ、対象にそこそこ高いアーツ適性が存在し、なおかつ抵抗(レジスト)する意志が存在した場合には効力が格段に落ちるという欠点も存在するのだが、今回対象にした兵士はこの術を弾くだけの技量は無かったらしく、見事に夢の中に旅立っていた。

 しばらくは起きないだろうが、見張りの交代時間などがやってきて見つかると面倒臭い事になるため、さっさと目的を済ませるために武器庫に繋がる扉の前に立った。

 目的は、マキアスから没収したであろう彼の装備一式を取り戻す事。しかし流石にそこへ繋がる扉の鍵は厳重であり、昔ながらの錠前タイプの鍵ではなく、ダイヤル式の電子ロックだった。

 

「あらら、これじゃピッキングできねぇなぁ」

 

 手元に用意してあった針金をポイっと投げ捨て、ダイヤルに手を添える。

適当に回して開くようなタイプのものではない。それどころか初期配置が狂ったせいで更に開けられなくなるという悪循環を生む恐れもある。

いっその事壊してしまえば良いのだが、後々器物破損の容疑を吹っかけられるのも面倒臭い。迷った末にレイは、深く嘆息した。

 

「(仕方ない……使うか(・・・))」

 

 そう思うが早いか、左目を覆っていた黒の眼帯に親指を掛ける。そして一気に、布を額の方まで押し上げた。

 

 左目の場所にあったのは、右目と同じ薄紫色の瞳ではなく、かといって視力を失って視点が虚ろになっている瞳でもなかった。

 正にそれは、宝石という表現が一番当てはまる翡翠色の物体。眼球と呼ぶにはあまりにも非現実的な輝きを放っているそれは、実際義眼と呼べる代物ですらない。

怪しげな光沢に包まれた眼窩に押し込まれたようなそれの中心には、幾何学的な紋様が小さく刻まれている。

 右目を閉じ、左目のそれだけでダイヤルを凝視する。僅かに顔を顰めたが、その後に小さく呟いた。

 

「”起動(アウェイクン)”」

 

 それと同時に、薄い翡翠色に包まれた世界に、ありとあらゆる”情報”が浮かび上がる。その場所にある”モノ”の数だけ自動的に浮かび上がる膨大な量のそれの中からレイはダイヤルの開錠方法の情報だけを抜き出して見る。

 

「右に2、左に4、右に6からのもう一度左に2、そんで……」

 

 久しぶりに解放した情報で溢れかえる世界の中で、レイは数滴の汗を額から流しながらも開錠方法に従ってダイヤルを回していく。

そして数十秒ほど作業を続けた後に、カチッという音と共に無事に鍵が開き、重厚な作りの扉を開けた後に複数枚の札を懐から取り出して武器庫内にばら撒いた。

 

「探索よろしくー。……あー、頭痛ぇ」

 

 どこか気が抜けたレイの声に反応するように札は形を変えて小型の鼠の形を取り、武器庫の中に散らばっていく。

命じたのは”マキアスの装備の捜索”と”発見した際の合図”。二工程以下の命令を与える際に創り出す、いわゆる”三等級式神”は使用する呪力も少なく、また詠唱も必要ない。

低コストで生み出したそれらだが、命令がシンプルな分、それを違えるような事はない。現にそれらは僅か数十秒で目的のものを見つけ出し、念話でレイへと場所を伝えた。

 適当に放り込んだのか、入り口近くに放置されていたショットガンとARCUS(アークス)は”左目”で覗いた情報によって本物である事を確認してからレイの小脇に抱えられる。

そしてそのまま再び眼帯を被せる余裕もなく、未だ昏睡状態の兵士の前を横切って周囲を警戒しながら部屋の外へと飛び出した。

 

「(えっと、シオンの反応は……こっちか)」

 

 進行方向と反対側から聞こえて来た自分とは別の靴音を聞いて時間がない事を悟ったレイは、過度気味の情報処理によって持続する頭痛に顔を顰め続けながら、薄暗い地下の廊下をただひたすら目的地に向かって足音を殺して走り始める。

 

「(上手くやってるかなぁ、あいつら)」

 

 そんな状況下でも仲間を心配する余地があるという事が、彼の無自覚なお人好しさを如実に表していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




えー、レイ君の影響がちょっと強く出てしまって原作ゲームよりも良く喋る&勘が鋭いフィーちゃんと、インテリ属性を生かしたエマさん。ついでに行動に一切迷いがないリィン君。
彼らが本領発揮したせいで出番が一居なくなった苦労人白コート金髪遊撃士さん。
……うん。ドンマイ‼
次に登場するとしたらレグラム編だろうけど、まぁ、強く生きて欲しいと思う。


レイ君の"左目"については次回以降に。


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向上の果てに

ホワイトデー? 何それ美味しいの?
特にこの時期に特別な用事はない。言っていてなんだか悲しくなる十三です。


今回長いです。
主人公の影がちょっと薄くなっている事は触れてあげないで下さい。


 

 

 今現在、マキアス・レーグニッツの頭の中は軽く渋滞事故を起こしかけていた。

 場所はバリアハートにあるクロイツェン領邦軍詰所の地下牢。薄暗いこの場所に閉じ込められているのは幸か不幸か自分だけであり、迂闊にも捕まってしまった自分の愚かさを嘆いていたのだが、その一人反省会も長くは続かなかった。

いや、続けられなかった、と言うべきだろうか。

 

 

「ささ、どうぞマキアス殿。次の一手をお願いします」

 

「あ、あぁ、申し訳ない。少しボーッとしてました」

 

 マキアスは思う。

 なぜ自分は今、牢屋の床で胡坐をかいて見慣れない長身の女性とチェス盤を囲んでいるのだろうかと。

 

「(待て待て、待つんだ僕‼ 冷静になって考えろ。何なんだこの状況は‼)」

 

 心の中で叫びながら、しかし右手は騎士(ナイト)の駒を持って盤上を滑らせている。

チェスの作戦を立てている余裕など本来残っていないはずなのだが、そこは長年培った経験がフォローし、半ば直感のみでゲームを進めている。普段なら絶対にやらないようなプレイスタイルではあるが、事ここに至っては仕方がないだろう。そうして打っていても一切負ける気配を見せない辺り、彼の才能も本物ではあるのだろうが。

 

 そもそも、始まりは何だっただろうか。

 そう考えたところで良く分からない。気分的に最底辺まで落ち込んでいた時に、突然何の脈絡もなくこの目の前の女性が虚空から出現したと思ったら、マキアスが驚愕の声を上げる前に深々と優雅な礼をしてみせたのだ。

 

『お初にお目にかかります、マキアス・レーグニッツ殿。私はレイ・クレイドルが抱える唯一の一等級式神、シオンと申します。仰りたいことは色々と有りますでしょうが、まずは心を落ち着ける意味合いでも、一局お付き合いいただけませんか?』

 

 そんな、こちらに一切言葉を挟む余地も与えないような怒涛の速さでそう言い切った後、指を一回鳴らしただけでどこからともなく新品同然のチェス盤と駒一式を出現させて駒を並べ始め、その流れに乗せられている内に今に至る、という訳である。

 面を食らったのは確かなのだが、何分驚くタイミングを完全に逃したために、一周回って今では若干冷静になりつつある。

そしてどうやら、自分から勝負を持ちかけたものの、それほどチェスに精通していない人間(?)特有の駒の運びをしている目の前の女性に対して、漸く疑問を口にする事ができた。

 

「えっと、シオンさん?」

 

「おや、さん付けで呼んでいただかなくとも結構ですよ? 我が主の御学友、それも同じ寮舎で寝食を共にする方々ともなれば私としても最大限の礼を尽くすお相手です。従者程度の存在と思っていただいても構いませぬ」

 

「え? いや、それはちょっと……やはりこのままで話させてもらいます」

 

「ふふ、実直な方ですな。さて、聞きたい事がお有りでしたらできる限りお答えいたしますよ」

 

 シオンの操る僧侶(ビショップ)がマキアスの兵士(ルーク)を撃破する。それを手元に手繰り寄せようとして気付いたかのようにその手を止め、盤外の脇に追いやった。

 

「では遠慮なく。式、というのはレイから既に聞いていましたが……”一等級”というのは?」

 

「主の使役する式の性能度の区分のようなものですな。主に一等級から三等級まで存在いたしますが、区分の基準は主に与えられる命令工程の多さで分けております」

 

「それが多い程、上級の式になる、と?」

 

「左様です。二工程以下の命令を受諾し、実行できるのが”三等級”。三工程以上の命令を受諾し、実行できるのが”二等級”。そして複雑な工程を実行でき、かつ個体として確たる意志を持って臨機応変に対応できるのが”一等級”です。二等級までの式は詠唱の有無はありますが術者自らが創り出す事ができますが、一等級は元々知性生命体として存在していたものを契約の下に式として従属させている例が殆どであると聞き及んでおります。そして先程もお話しした通り、私は主が従えている”唯一の”一等級式神なのですよ」

 

 何やら得意げな表情を浮かべるシオンを見て、マキアスも釣られて笑ってしまう。もっと細かく言えば、その高揚しているであろう感情と連動して動いている金色の尾と頭上の耳が面白かったからなのだが。

 

「信頼されているんですね」

 

「主とはもう10年程の付き合いになりますからなぁ。主には今まで同年代の御友人というものにあまり縁がなかったので、皆様には私も感謝しているのです」

 

「? そうなんですか?」

 

「えぇ、まぁ。職場の異色度が高かったと申しますか……まぁそれはいずれ主の方からお話しいただけるかと」

 

 異色度の高い職場、という言葉に興味が惹かれたが、追及はしない事にした。そもそもそれは、こんな場所で自分一人だけが聞いて良い事ではないのだろう。

そう納得したマキアスは、駒を指で掴みながら、もう一つの質問を投げかけた。

 

「ではもう一つ。何故僕の所に?」

 

「主からの命です。マキアス殿の身辺を危ぶんだ主が私を呼び出しまして、領邦軍の連中が直接的に害する手段に出た場合は穏便に(・・・)事を済ませるように、と」

 

 薄く笑うその姿はその容貌と相俟って妖艶にも見えるのだが、今に限ってはその笑みが空恐ろしく感じてしまう。

運よく尋問などの非人道的な事はされなかったものの、もしされそうになっていた場合はどのような”処置”が取られていたのか。考えただけで身震いがする。

 

「そ、そうですか。……しかし結局、また助けられてしまったんですね」

 

「おや、不満ですかな?」

 

「いえ、むしろありがたい事だと思っています。……同時に悔しくもあるんです。彼のお陰で漸く自分の凝り固まった価値観を見直す事ができたのに、また気を遣わせてしまったみたいで」

 

「……なるほど」

 

 誠実な若者だと、シオンは素直にそう思った。

普通ならばこれくらいの歳の若者は他人の行為に対してどこまでも甘えて、そしてどこまでも堕落できる。甘える事自体は決して悪い事ではないのだが、それを当たり前と思ってしまえばそれまでだ。己の力で障害を越える事を忘れ、人間として役立たずになってしまう。

 向上心が高いというのは、前に進む意思を持つための条件だ。それを持っているからこそ、進んで彼らに関わろうと思ったのだろう。

 尤も、生来の不器用さが仇になって世話を焼く人間の側に伝わっていない事が多いのが難点なのだが。

 

「まぁ、主の名代として言わせていただきますと、あまり気にせずとも宜しいかと。元より主の世話焼き具合は今に始まった事でもございませぬし、ただ飴を貰い続けているというわけでもありますまい。そこはフィー殿を見ていただければ分かるかと」

 

「え? いや、彼女を見ても何も分からないんですが……レイに絶大な信頼を寄せているということ以外」

 

「あ、あぁ……まぁ、そうでしょうなぁ。あれでも数年前まではあそこまで見境がなかったわけでもないのですが……申し訳ありません。前言は忘れていただけると助かります」

 

 その時に浮かべていた表情で存外この人(?)も苦労人なのかもしれないと思ったマキアスは、心の中でそっと合掌した。

それと同時に、既に射程圏内に収めていたシオンの(キング)を、手元の女王(クイーン)を使って仕留める。

シオンはマキアスのその無謬な一手に一つ頷くと、徐に音もなく立ち上がった。

 

「先達から与えられる気遣いは素直に呑み込み、そして糧とするのが一番宜しい事です。もしマキアス殿や他の方々が主の世話焼きを申し訳ないと仰られるのでしたら、主を見返せるくらいに成長すれば宜しいのです。もう手助けは必要ないのだと、真正面からそう言えるようになれば、主は貴方方に憂いなく背をお預けになられるでしょう」

 

「成長……」

 

「無論、それは一朝一夕で成せる事でもありませぬ。主とて、今の”強さ”を手に入れるのに長い年月と文字通り血反吐を吐くような修練を積んで来られました。ですが、”強さ”とは決して”武力”ではなく、単純なものではないが故に修めるのは容易ではございません。己の強みを見出し、それを引き上げる。それこそが、貴方方の前に在る道なのではないですか?」

 

 行動に迷いがないフィーは、恐らくそれが分かっているのだろう。自分なりに試行錯誤と失敗を繰り返しながら前に進もうとしているリィンもまた、何かを掴みかけている。

 対して自分には、何もなかった。今の今まで負けてなるものかという虚栄心のみで学院の中では研鑽を積んできた。その先に何があるのかと問われれば、自己満足しか存在しない。

改めて鑑みれば、何とも意味のない理由で学院生活を送っていたものだと思う。学力的には損をしていないが、充実度という観点から見れば、この2ヶ月間は無意味であったと言わざるを得ない。

 

 ―――自分は一体何を望んでいて。

 

 ―――自分は一体どんな”力”を得られるのか?

 

 

 それは、成人にも満たない若者が考えるには難しい問いだ。

目を伏せ、顎に手を当てて熟考を始めたマキアスを見て、しかしシオンはそれを言った事を後悔していなかった。

 

『―――どうにもキナ臭い匂いが漂ってきてやがる』

 

 以前レイから言われたその言葉は、シオンの心にも引っかかっていた。

元より主の考えを疑わないのが式神の役目ではあるものの、その贔屓目を差し引いてでも、今この国に薄く漂い始めている奇々怪々とした雰囲気を感じ取ってはいた。

それはまだ怪異と呼ぶには小さすぎるものではあるが、どこかで渦巻く怨嗟や欲望が土地の霊脈に影響を与えるという事は間々ある事ではある。

 だからこそ、懸念はしているのだ。

 

 いざ”何か”が起こった時、己の力で立ち上がる足が無くてはならない。何かを掴む手が無くてはならない。

 そういう意味では特科クラスⅦ組(彼ら)は確かに特異だ。異質を受け入れる器を誰もが有し、十名全員が意識レベルで一つに繋がれる可能性を秘めた、言ってしまえば運命共同体のような存在だ。

未だその関係を繋ぐ糸は細く、そして弱い物であり、何らかの拍子に途切れてしまうかもしれない。だが、いずれはそれも決して断ち切る事のできない鋼で紡がれた糸と成り得るだろう。何故か、そう思えてしまう。

 

 ならば、今の内に悩めるだけ悩んでおいた方がいい。ただ自分の事だけに悩める時間は、人生の中でも貴重なのだから。

 無論それは、自分の主にも言える事なのだが(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「(ふふふ、私も年を食ったものですなぁ)」

 

 まさか自分が悩める若人に助言を差し伸べる日が来るなどとは思ってもみなかった事に内心で苦笑しながらも、意外と悪くないと思う。

 それでも彼女が最優先に想うのは主であるレイ。それは不変の事実であり、実際彼がもし彼らを足手纏いだとして切り捨てるのならば彼女も粛々とそれに従っていただろう。

 それが可能性として有り得ないという事もまた、分かっているのだが。

 

「うーん……」

 

「ふふ、悩むのはとても良い事ではありますが……そろそろお時間が来たようですな」

 

「え?」

 

 マキアスが気の抜けた声を出すと共に、地下内に衝撃と小さな爆発音が響き渡った。

上階に居る兵士には気付かれないレベルではあるが、明らかにその音は普通ではない。

 

「な、何だ⁉」

 

「恐らくフィー殿でしょう。携帯用の爆弾で鉄扉を強引にこじ開けたのでしょうな」

 

「え? 爆薬⁉ ちょ、ちょっと待ってください。理解が追い付かない……」

 

「おやおや、まだ精神が若干乱れておりますね。―――おぉ、そうです。東方由来の精神統一法があるのですが、宜しければ試してみませんか?」」

 

 そう言ってシオンは、とても楽しそうな表情でウインクを一つ決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

「≪猟兵団(イエーガー)≫。私はそこにいた時に戦い方の全部を教わった。双銃剣(ガンソード)の扱い方も、爆薬の使用方法も」

 

 淡々と、それこそ詩の朗読をするかのような声色で、フィーは自らの前歴を明かす。

 きっかけは領邦軍詰所内に突入するために邪魔な鉄扉を彼女が手持ちの高性能爆薬で鮮やかな爆破技術を見せてこじ開けた時だった。

リィンから見ればレイという身体能力、戦闘能力が常人のそれを遥かに上回る例外を見慣れてしまっているために彼女に対しての違和感はここに至るまでそれ程特別に感じる事はなかったのだが、流石に爆薬という、女子が携える物としては異色すぎるそれの威力を目の当たりにして、聞かざるを得なかったのだ。

 君は何者なんだ、と。

無論、それは彼女を排斥する意味合いで言った事ではない。

というよりも、様々な不確定要素がこの2ヶ月で起こりすぎたために彼らの中での物の見方が徐々に狂い始めて来ているため、今更出自云々でそうそう驚く事もないだろうとは思っていた。

しかしフィーが「まぁ、別にいっか」という軽い言葉と共に明かした前歴は、そんな彼らを数秒黙らせるインパクトがあったのだ。

 

 

 ≪猟兵団≫―――それはゼムリア大陸内に存在する数多の傭兵の中でも特に優れた存在である≪猟兵≫が集って構成される組織の称号である。

その活動内容は多岐に渡り、依頼人が提示したミラの金額次第で如何なる仕事であろうとも請け負う。

 しかし大陸中で彼らの存在が恐れられているのは、その”如何なる仕事”の内訳にある。金額に見合う仕事であれば、要人の暗殺や爆破工作などは勿論、非武装の民間人の虐殺などといった非人道的な所業であろうとも淡々とこなすため、民間人保護を掲げる遊撃士協会や、人道的な統治を理想とする七耀教会とはしばしば対立するという構図が出来上がっている。

 

「信じられん……≪死神≫と同じ意味だぞ」

 

 驚愕の声色でそう言ったのは実家を抜け出し、地下水路で無事にリィンたちと合流したユーシスだった。

思わず口から零れてしまった呟きのようなものだったが、フィーはそれに一つ頷いた。

 

「そう。≪戦争屋≫に≪死神≫。それらの業を背負って生きていくのが猟兵の定め。……私は団長にそう教わった」

 

「…………」

 

「私自身、民間人の虐殺なんてやった事はなかったけど、ヒトが理不尽に死んでいく光景はいくらでも見て来た。団の皆には良くしてもらってたけど……それでも5年前にレイと会ってなかったら、私の心は多分そのままゆっくり壊れていたと思う。学院に来る事も、多分なかっただろうし」

 

 ポツリ、ポツリと、段々言葉を選ぶように言葉尻が小さくなっていくフィーを見て、一同が居た堪れない気持ちになっていく。

その中でも自分の発言がきっかけとなってしまったユーシスは流石に罪悪感を覚えたのか、言葉を返した。

 

「いや……そうだな。出自に囚われる愚は犯すまい」

 

「そ、そうですよ。どんな過去があったとしても、フィーちゃんはフィーちゃんです。だから、そんな落ち込まないで下さい。ね?」

 

 そう言いながらエマが近寄ると、フィーは再び小さく頷いてから、エマの体に身を預ける。

まるで甘えているようなその光景にリィンの口元が少し緩んだが、仲間とはいえ年下の少女に辛そうな思いをさせてしまったけじめは取らなくてはならなかった。

 

「フィー、教えてくれてありがとう。……それとゴメン。なんだか、無理矢理聞き出すような真似をしてしまって」

 

「ん、別に気にしてない。それと、早く行った方がいいかも」

 

 フィーが指さす先にあるのは、詰所地下の地下牢へと通じる一本道。

それを見た四人は、顔を見合わせて頷き、各々の武装を構えて突入する。

そして道の中程まで辿り着いた時、リィンと並んで先行していたフィーが突然止まり、右手を地面と水平に伸ばして三人を制した。

 

「どうしたんだ? フィー」

 

「敵か?」

 

 眉を顰めながらそう問うユーシスに対して、フィーは無言のまま首を横に振った。

 

「大丈夫。近づいてくる気配はするけれど、懐かしい感じがしたから」

 

「? 懐かしい、ですか?」

 

 疑問が残ったまま先に進むと、鉄格子がズラリと並ぶエリアに出た。

その中の一つ。唯一灯りが灯されていたそこに、マキアスはいた。

 

「マキアス‼ 大丈夫……か?……」

 

 駆け寄ったリィンの声の最後の部分が弱弱しい疑問形になったのには理由がある。

と言うのも、生真面目なマキアスの事である。きっと不当拘束に対して不満を募らせているだろうし、牢に入れられるなどという屈辱的な事をされてしまった事で心細さもあっただろう。だからすぐに安心させてやろうと覗き込んだそこにあったのは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうされたのですマキアス殿‼ また心が乱れておりますよ」

 

「痛っ‼ ちょ、シオンさん、これ修行って言うか拷問の類じゃ……痛っ‼」

 

「無駄口は叩かない事が最低条件です。ホラ、座禅も乱れてきておりますよ」

 

「いや、この座り方正直足への負担が半端じゃない―――痛っ‼ 今肩じゃなくて首の根元叩きませんでした⁉」

 

「おや、そうでしたか。何分叩く方に回るのは初めての事でして……でもまぁ、何とかなるでしょう」

 

「その”何とかなるさ”理論は確かにレイが言いそうですねぇ‼」

 

 

 地面に直接座って目を伏せながら微動だにしない(口元は除く)マキアスと、長い木の棒を手に持って彼の肩をバシバシと叩く東洋風の服を着た金髪美女という、一言で言ってカオスな空間だった。

 三人が凍り付いたように動きを止める中、フィーは鉄格子の前まで歩いていき、コンコンと軽く叩いた。

 

「シオン、私だよ。助けに来たからマキアスを解放してあげて」

 

「ん? おや、フィー殿。お久しゅうございます。私の見立てでは後数十分はかかるものかと思いましたが……いやはや、主の仰る通り、ご立派になられました」

 

「……私だけの力じゃないよ。それより早く。感づかれちゃうから」

 

「それもそうですな。では少々お下がりくださいませ」

 

 手に持っていた木の棒を手品のように一瞬で手元から消すと、シオンは鉄格子の鍵の部分に手を当てた。

瞬間、彼女の手から金色の炎が発せられ、触れていた金属の部分を一瞬で溶解させて、まるで柔らかい粘土のように握りつぶした。

鍵の部分をあっけなく失った鉄格子の扉は構造に従ってキィ、という音を立てて開き、すんなりと解放が成功する。

 

「マキアス殿、お先にどうぞ」

 

「あ、はい。イテテ……」

 

 足をさすりながら立ち上がって牢から出るマキアス。すると、エマがさりげなく距離を取った。

 

「え?」

 

 その行動にマキアスの動きが止まる。すると、あろう事かユーシスが自ら近づいてきて、彼の肩に手を置いた。

 

「マキアス・レーグニッツ」

 

「な、何だ?」

 

「すまなかった。……我が父が起こした愚行とは言え、まさか貴様をそこまで追い詰めてしまうとは……ッ‼」

 

「待ちたまえ‼ 話は見えないが君たちは盛大に誤解をしている‼」

 

「え? マキアス今シオンに叩かれて喜んでたんじゃないの?」

 

「フィー‼ 君はさも”え? 違うの?”みたいな声色で言うな‼ ホラ、エマ君がまた一歩下がったじゃないか‼」

 

「クソッ‼ 父め、このような非道が許されるはずがない‼ レーグニッツ、尋問を強要した兵士の特徴を教えろ‼」

 

「さては分かってて言っているな君達‼ り、リィン‼ そろそろ助け舟を出してくれ‼ 東方の作法に詳しい君なら分かっているはずだろう⁉」

 

「あ、す、スマン。本当に”そんな事”をしていたんだと思って―――いや、何でもない。何でもないから殺意の籠った目で睨み付けるのは止めてくれ。説明するから」

 

 

 ―――閑話休題(かくかくしかじか)

 

 

「……つまりはその、東方に伝わる精神修行のひとつである”座禅”とやらをしていたという事か」

 

「あぁ。俺もユン老師に修行の一環としてやらされていた事がある。確かに、まぁ、傍から見れば拷問のように見えなくもないんだ、これが」

 

「膝の上に重い石でも乗っけたら完全にそうだよね」

 

 漸く誤解が解けたマキアスは膝に手を置いて荒い息を吐いていた。自らが異常性癖に目覚めてしまったのだと誤解され、社会的に抹殺されかねない立場に立っていたのだから無理もない事ではあるが。

 

「それでその……そちらの方がレイさんの式神のシオンさん、なんですね?」

 

「はい。お初にお目にかかります、リィン殿、ユーシス殿、エマ殿。シオンと申します。以後良しなに」

 

 礼儀正しく一礼するシオンに倣って、エマも深々と頭を下げる。

リィンはと言えば、危うく戦闘不能になりかけたマキアスに手を差し伸べていた。

 

「だ、大丈夫か? マキアス」

 

「あ、あぁ。何とかね。……危うく少し心を閉ざしてしまいそうにはなったが」

 

「それについては……ゴメン。俺も少し悪ノリが過ぎた」

 

「フン。……だがまぁ、尋問の類はされていなかっただけまだマシだったな」

 

 会話に割り込んでくるユーシスに、しかしマキアスは以前のように喧嘩腰ではなく、ごく自然に話しかけた。

 

「あぁ。それについては幸運だった。そういう君も、よく監視の目を逃れて公爵邸から脱出できたものだな」

 

「俺とて今回の父上のやり方には納得がいっていなかった。一矢報いようとする気概くらいはある」

 

 それが結果的に貴様を助ける事に繋がったのだと、あくまでそう言うユーシスを見て、リィンは苦笑した。

 

 

「ふふ、一先ずこれで合流はできましたな。では役目も終えた事ですし、私はこれにて失礼いたします」

 

「あ……行ってしまうんですか?」

 

 戦力としては恐らく充分すぎるほどの実力を持つであろうシオンの離脱に、エマが名残惜しいような声を掛ける。

しかしシオンは、それに魅力的な微笑で返した。

 

「ここから先は貴方方の進むべき道です。老獪な狐の助けなど無用でしょう」

 

「そんな事はないですが……でもシオンさん、マキアスを守っててくれて、ありがとうございました」

 

「礼を言われるほどでもありませぬ。では皆様方、次は後日、寮にてお会い致しましょう」

 

 そう言い残すと、シオンの体が金色の光に包まれ、その眩しさに全員が思わず目を瞑った直後には、もうそこには誰も立っていなかった。

最後まで不思議な形でいなくなった事に、リィンたちは失笑した。

 

「はは。何だか、面白そうな人だったな」

 

「他人を振り回す術に長けていそうという意味では、確かに奴の影響を強く受けていそうではあるがな」

 

 的確に言い当てたユーシスの言葉に「あぁ……」と一同が納得したように深く頷いた。

 しかしそんな平和的な空気も、長くは続かなかった。

 

 

『―――おい、何か話し声が聞こえないか?』

 

『まさか。地下牢には一人しか入れてないだろうが』

 

 巡回を担当していたのだと思われる二人の兵士の声が聞こえて来て、全員の体が強張った。

思えば敵の本拠地内で随分と大きな声を出していたな、と今更ながらに後悔していると、兵士が曲がり角を曲がって四人を視界の中に捕らえた。

 

「なっ―――⁉」

 

「お、お前たち、どうやっ―――」

 

 

 

「「遅い‼」」

 

 

 

 兵士二人が大声を挙げる前に動いたのは、フィーとリィンの二人。

フィーは兵士の背後に回り込んで銃剣の銃把(じゅうは)で側頭部に衝撃を与えて気絶させ、リィンは太刀の柄尻の部分でもう一人の鳩尾に強い一撃を与えて同じく気絶させた。

その鮮やかな手際に、取り残された三人が呆然としてしまう。

 

「……え? い、今何が起こったんだ?」

 

「り、猟兵上がりのフィーが対人戦に慣れているのは今更驚かんが……」

 

「リィンさんも容赦なかったですよね……」

 

 各々が戦々恐々としていると、ひと仕事を終えた二人が武装を解除しないまま戻ってきて、そのまま来た道を戻り始めた。

 

「行こう、皆。多分まだ追手が来る」

 

「今なら引き離せる。地上に出れれば少しは動きやすくなるだろうから」

 

 その声にハッとなり、二人の背を追いかけて走り始める。

前衛二人が先行し、その次にエマ。武装を持たないマキアスと並走してユーシスが続く。

そうして走っている時に、エマがリィンに問いかけた。

 

「でもリィンさん、どうしてあんなに慣れていたんですか? フィーちゃんはともかくとして……」

 

「あぁ、レイに習ったんだよ。対人戦は可能ならば先手必勝。気絶させるのが狙いなら、一撃で沈めろって」

 

 さらっとそう言い放つ姿に僅かに畏怖感を覚えたが、考えてみれば自分たちが通っているのは士官学校であり、対人戦を学ぶというのは別に異常な事ではない。

 

「……そういえば、早朝訓練がどうとか言っていたな」

 

「あぁ。ラウラも一緒にな。……未だにレイやサラ教官には全く勝てる気が起きてこないけど」

 

「それなら大丈夫。私でもレイに一撃入れられるかは運の勝負になってくるし」

 

 手の中で器用に銃剣を回転させながらのフィーの言葉に、リィンが改まった事を聞く。

 

「フィーはレイの”全力”を見た事があるのか?」

 

「……どうだろ。でも”本気”は見た事ある。その時は……うん、サラよりも強かった」

 

「そ、そうなのか……」

 

「それに対して特に驚かない辺り俺たちの常識も緩やかにあいつに浸食されているのかもしれんな……」

 

 そこまで言って、ふとユーシスが思いついたかのように言った。

 

「そう言えばそのレイはどうした? こういう時は先陣を切らずとも着いてこない事はないと思ったが」

 

「あ、あぁ。色々あってね。実は―――」

 

「‼ ―――皆、ちょっとマズいかも」

 

 事のあらましを説明しようとした時、高い気配察知応力で何かを捕らえたフィーが一同に警戒を促す。

すると、後方から疾走するような足音が聞こえて来た。それも二本足で走る人間のものではなく、本能のままに四本足で疾駆する獣のそれ。

 

「「「「ヴォオオオオオオオッ!!」」」」

 

「っ‼ 数は四か‼」

 

「速いし、統率も取れてる。多分軍用獣だね」

 

「ど、どうしましょう」

 

「クッ‼ 追いつかれるぞ‼」

 

 ユーシスの言葉通り、五人が先程通った広い空間に出た時に、それらは高い跳躍力でリィンたちの頭上を大きく跳び越えて逃げ道を塞いだ。

それと同時に慣れた動きで残りも五人を囲むように円形状に展開する。

 

「随分と、統率がとれているな。これが軍用獣か」

 

「戦闘力が高くて、命令にも忠実なイヌ科の軍用魔獣は汎用性が高い。実際、猟兵団でも良く使われてるし」

 

「元は魔獣……なんですね」

 

 大柄な体躯に獣用の鉄装甲(アーマー)を装着させた三体の軍用獣。名をカザックドーベンというそれは、繁殖能力、戦闘能力という面から見ても優秀な個体であり、実際戦闘要員として利用している組織は少なくない。指定された標的に対して唸りをあげて威嚇をするという行動を見ても、優秀である事が分かる。

 そこそこ良く鍛えられている動きを見てフィーが視線を鋭くした直後、唸りをあげ、口元から涎を滴らせた四体の内の一体が飛びかかって来た。

 

「っ‼ 避けろっ‼ でも離れるなよ‼」

 

 速度と体重が乗った鋭い爪の攻撃をまともに食らえば一撃で戦闘不能になる事は自明の理。

リィンの声に反応した面々は間一髪でそれを回避する事に成功したが、今自分たちが置かれている状況の悪さに歯噛みする。

 完全に囲まれた状況から戦闘が始まった事は元より、武装がないマキアスを庇いながら戦わなくてはならない。加えてエマは接近戦闘が不得手であり、彼女がアーツを駆動させている際は常時一人以上は護衛についていなければならず、戦力の分断は必至だった。

しかし、冷静に今の自分たちの実力を推し量った時に戦力を分断して尚勝機を見出せるかと問われれば、答えはNOと言わざるを得ない。

 どうすればいいのかと僅かな時間で戦法を模索するリィンの前に、スッとフィーが音もなく立った。

 

「フィー?」

 

「……とりあえず数を減らす。皆、私が動いた瞬間に伏せて」

 

「え?―――」

 

 言うが早いか、フィーは腰に括り付けていたポーチから”それ”を取り出すと、銃剣の銃身に押し当てて衝撃を与え、頭上に放り投げた。

 

「(あ、あれは確か―――)」

 

 ”それ”を前に見たのは一番最初の実技テストの時。地上で戦うレイを援護するために使われた武器。

攻撃力はないが、生物にとって重要な一器官である視力を奪う武器―――閃光弾(フラッシュグレネード)

 

「‼ ―――皆、目を閉じて伏せろっ‼」

 

 最大限に張り上げたリィンの声にフィーを除いた全員が従った。

直後、膨大な光が空間の中に広がる。その中でただ一人目を瞑って立っていたフィーが、ゆっくりと瞳を開けると、全力で地下水路の地面を蹴った。

 

「―――行くよ」

 

 コンマ数秒後に最高速度に到達し、その体が僅かに揺れた。

方々に散らばった四体全てを仕留めるのは無理だと素早く判断を下し、前方で比較的近づいていた二体を標的にして駆け抜ける。

レイの【瞬刻】にも劣らないような極限のスピードの中で、両手に構えた双銃剣の刃を煌めかせる。

視覚を一時的に潰されたカザックドーベンの体を無慈悲に切り裂くその姿はまさに鎌鼬の所業であり、二体が苦悶の鳴き声を挙げる前にその間に降り立ったフィーは、それぞれの体の中心点に弾が通るような角度で銃口を構え、揃えた両足を起点として独楽のように回転を始めた。

 

「『シルフィード―――ダンス』‼」

 

 回転しながら引き金を引き続けると、装填されていた弾丸が轟音と共に容赦なくカザックドーベンの体に叩き込まれる。

そうして最後まで打ち尽くした後に回転を緩めて止まり、ショートヘアーの銀色の髪がふわりと揺れた後、両壁には銃撃の衝撃で叩きつけられ、微動だにしなくなった二体の姿が残されていた。

 

「(これが―――フィーの強さか)」

 

 僅かに目を開いて動きの一部始終を見ていたリィンは、その洗練された動きに驚きを隠せなかった。

その練度、身体能力、どれをとっても今の自分達を上回っている。それは恐らく、猟兵として数多の戦場を駆け抜けた彼女だからこそ身についたものなのだろうが、生憎とその差を嘆くほどの余裕はまだない。

 戦闘はまだ終わっていない。残りは二体となったが、それでも自分たちがハンデを抱えているという事に変わりはなく、それを再度理解したリィンは次の瞬間には動いていた。

自分の出せる最大の瞬発力を以て一体との距離を詰める。既に振りぬける位置に構えていた太刀の一閃を、迷う事無く叩き込む。

 

「弐の型―――『疾風』っ‼」

 

 駆け抜けざまに繰り出した一撃はカザックドーベンを怯ませるには充分すぎる一撃であり、それに続いたのは、魔導杖を自らの眼前に構えたエマだった。

 

「白き刃よ―――『イセリアルエッジ』‼」

 

 空間に現出した、魔力で編まれた四本の白刃。エマが杖を振り下ろすと共にそれらは怯んだその胴体に追撃を与えた。そして―――

 

「『スカッドリッパー』」

 

 一直線に突き抜けたフィーの最後の一撃が喉元に直撃し、それがとどめとなって沈んだ。

 三人の足元には、完全な状態で繋がれた戦術リンクの光。ほぼ完璧な状態の連携を生み出したそれのお陰で、戦況を覆す事に成功する。

 

「残り一体か‼」

 

 視線を最後の個体の方に向けると、直線的ではなく、曲線的な動きをしながら走り回っていた。

相手をしていたのはユーシスだったが、知能と身体能力の高さを余す事無く使ったその動きに翻弄されていた。

 

「チッ‼ ―――『エアリアル』‼」

 

 その動きを捕らえようと放ったアーツ攻撃はカザックドーベンの鬣を僅かに掠るだけに終わる。

そしてその攻撃で更に戦闘意欲が煽られたのか、一度止まると、咆哮を挙げてから大きく跳躍した。

凶爪が狙うのは―――唯一無防備だったマキアスだった。

 

「う、うわああっ‼」

 

「レーグニッツ‼」

 

 何とか動こうとするが、如何せん距離がある。その距離を、空中を移動するカザックドーベンよりも速く移動する事は不可能だった。

 目を細めたフィーは、攻撃を受け止めるのではなく、マキアスを突き飛ばす事だけを念頭に入れて動こうと足に力を入れたが、直後に感じ慣れた気配を感じ、行動を中断した。

 闖入者が割り込んできたのは、そのすぐ後。

 

 

 

「よっ、と」

 

 

 

 フィーのそれよりも気の抜けた声と共にカザックドーベンの横腹に叩き込まれたのは、何の変哲もないただの蹴り。

しかし全く警戒していなかった状態でのその一撃は着地点をずらすには充分な威力であった。

 

「グルルルルル……‼」

 

 それでも魔獣の身体能力は無様に転げ落ちる事を許さず、最低限着地には成功した。

その様子を見て、同じく着地に成功した青年、レイは称賛するような口笛を吹いた。

 

「おー、そこそこ個体値が高いせいか中々やるな、お前。猟兵団のモン程じゃないが、よく育ってやがる」

 

 右手に鞘入りの長刀、左手に奪ってきたものを抱えていたレイは、普段なら眼帯に隠されているはずの左目を怪しく輝かせながら不敵に言う。

その翡翠色の瞳は今、目の前の軍用魔獣の能力値(スペック)を余す所なく解析し尽くし、丸裸にしていた。

 

「レイ‼」

 

「よー、リィン。しばらく別行動してて悪かったな。代わりと言っちゃなんだが……ほれマキアス、土産物だ」

 

「え? こ、これは僕の……」

 

 右腕の中に抱えていたマキアスのショットガンとARCUS(アークス)を本人に手渡してから、右手をブレザーの内ポケットに突っ込むと、そこから新しい眼帯を取り出して再び左目を覆うように装着した。

 

「ふー。やっとスッキリした。ブランクのある事はするモンじゃねーな」

 

 そう独り言を呟くと、流れるような動きでARCUS(アークス)を取り出し、駆動を始める。

 

「【古の術鎖よ、忌者を封じよ】―――【怨呪・縛】」

 

 オリエンテーリングの際にイグルートガルムを縛り上げたそれが再び現界し、相手に動く余裕すら与えずに白黒(モノクロ)の鎖は過たず対象を捕縛した。

 しかし縛り上げられた後も鎖を食い千切らんばかりの勢いで暴れるカザックドーベンを見ながら、それでも余裕の表情でレイは視線を五人に向けた。

 

「いやー、参った参った。武器庫でマキアスの装備パクって合流しようとしたんだけどよ、この詰所無駄に広いわメッチャ通路入り組んでるわで迷いかけたわ。”左目”のせいで頭痛てーし、何かもう、色々と最悪だチクショー」

 

「相変わらず綺麗な目だよね。見てると魂吸われそう」

 

「生憎と”ヒトには不干渉”なんでな。―――だがまぁ、良くやったよフィー。良くリィンたちを守ってくれた」

 

 近づいて来たフィーの頭を軽く撫でると、やはり俯いてしまった。

しかしそこは流石元猟兵少女。呆けていたのは一瞬で、すぐに警戒態勢に移行した。その中で、太刀を右手に握ったままのリィンが、捕縛されたカザックドーベンから目を離さないように移動しながら、レイの近くまで近づいてきた。

 

「まぁ色々と聞きたいことはあるんだが……今はアイツをどうにかするのが先決だな」

 

「お、いいね、分かって来たなお前も。戦意喪失してない相手の前で長々と語り合うなんて馬鹿のする事だからな。―――と言いつつ、俺は手出しはしないつもりだが」

 

「?」

 

「折角マキアスにも武器が戻ったんだ。”リベンジ”、させてやろうじゃないか」

 

 薄く笑みを浮かべたままレイが二人の方を見ると、引き締めた表情のまま両者共に頷いた。

マキアスは既に銃の調整とハンドグリップを動かしての銃弾の装填を終え、ユーシスも臨戦態勢を解いていない。

 マキアスが実戦経験に乏しいのは今更だとしても、ユーシスとて得手であるわけではない。彼が兄ルーファスから学んだ宮廷剣術の真価はあくまで対人戦であり、魔物相手に真価を発揮させるには経験が必要となる。

つまり実力的には少々不安が残るのだが、戦術リンクが正常に繋がれば多少の実力不足は補える。加えて相手にするのは鎖相手に暴れに暴れて少なからず疲労が溜まっている魔物。勝機は充分にあると踏んでいた。

 

「意気込みは充分みたいだし、ま、何とかなるだろう。あの術もあんまり耐久があるわけでもないしそろそろ食い千切るぞ、アイツ。そんじゃ―――行って来い」

 

「あ、あぁ」

 

「行くぞ。遅れるなよ、レーグニッツ」

 

「こ、こちらの台詞だ」

 

 そんなやり取りをして前に出た直後、ついにその獰猛な大口が自身を拘束していた鎖を食い千切り、憤怒の感情を惜しみなく二人にぶつける。

しかし飛びかかってくるよりも早く、マキアスがショットガンを構え、照準をつけて一発目の銃弾を放った。

 

「グオッ⁉」

 

 回避しようと動いたカザックドーベンだったが、点ではなく面を狙う構造となっている散弾(バックショット)の中に仕込まれた幾つもの小型弾に被弾する。

食らったのは足。グラリと体制を崩したその時には、左側から大きく迂回したユーシスが懐近くに潜り込んでいた。

 

「食らえ―――『クイックスラスト』‼」

 

 刺突の形に構えた騎士剣から繰り出される無数の刺突。数秒ほどその連撃が続いたのち、横薙ぎの一撃を叩き込んだ。

 

「グルゥ―――グアアアアアアッ‼」

 

 しかし、まだ沈みはしない。手負いとなって本能を剥き出しにした咆哮を放つ。

だがユーシスはそれに怯まず、寧ろ微笑を浮かべて―――その場で体勢を低くした。

 

「『ブレイクショット』‼」

 

 その頭上を通ったのは、制圧力のある散弾ではなく、一撃の威力のみを追求した大口径一粒弾(スラッグショット)。それはカザックドーベンの体に被弾すると同時に爆音を撒き散らし、その威力に負けて壁際まで追い詰められた。

 意識レベルで繋がっていたからこそできた芸当。ここに二人は、遂に戦術リンクを完成させたのだ。

 

「ハッ‼」

 

 とどめを刺したのはユーシスの一撃。首元を捕らえたその攻撃は、動きを完全に封じる事に成功した。

ズズン……という重々しい音を立てて決着が着く。その数秒後、どこか呆けたような表情のマキアスが徐に口を開いた。

 

「か、勝った……のか? 成功、したのか?」

 

「フン、貴様の目は飾り物か? ……戦術リンクの構築は成功だ」

 

 足元には、しっかりと戦術リンクのラインが引かれ、そして繋がっている。

 

「そ、そうか。遂にやったのか……」

 

「阿呆。まだ及第点に辿り着いただけに過ぎん。先程の三人のそれと比べれば、まだまだ脆弱もいいところだろう」

 

 一見厳しいように見えるユーシスの言葉だが、そこには彼なりの向上心の高さが表れている。

もっと強く、もっと精密に。彼が求める結果と照らし合わせると、今回のそれではまだ足りないのだ。

それでも”及第点”と言うあたり、一応マキアスを気遣ってはいるのだろうが。

 

「き、君に言われずとも分かっている。僕とて、この程度で満足するつもりはない」

 

「ほう。その言葉、忘れるなよ? もし再び戦術リンクの構築に齟齬が生じるようならば、その時は貴様の責だと覚悟しておけ」

 

「……本当に口が減らないな、君は」

 

 だが、これはこれで良いコンビになるだろう。

互いの心の内を隠さずに、常に本音で言いたいことを言い合う間柄。たとえそれが喧嘩腰だったとしても、その関係は一生で幾らも出会えるものではない。

 

 一件落着だと、ここでそう片づけられればどれほど楽な事だろう。

面倒臭い事をしなくても済む。この良い雰囲気に水を差す事もない。ここで終われるのならば終わって欲しいというのがレイの偽りない本音だった。

 

「(でも、そうはいかんよなぁ)」

 

 足音が聞こえる。見事に揃ってはいるが、一個小隊くらいはいるだろう。

ケルディックの時と同じような状況だ。厄介事など無ければ無いに越した事はないのだが、避けられない厄介事というのはある。

 

「(ま、理事様の到着までの時間稼ぎは俺がさせてもらおうかな)」

 

 頑張った五人を労うという意味でも、ここは自分が矢面に立つべきだろう。

 レイは一つ嘆息して、メンド臭いと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 シオンさんの言っていた”式神”の説明について、まとめを入れておきます。

■三等級式神

 二工程以下の命令を受諾・実行できる式神。
個体としての意志はなく、創造の際の詠唱も必要ない。

例)「武器庫でマキアスの装備を探しに行かせた式神」:「装備を探し出し」「レイに知らせる」という二工程の命令の受諾・実行。

■二等級式神

 三工程以上の命令を受諾・実行できる式神。
個体としての意志はなく、創造の際に詠唱が必要。

例)「ケルディックでクレア大尉に伝言を届けた式神」:「レイの言葉を記憶し」「領邦軍に気付かれないように飛びながら」「クレア大尉まで伝言を届ける」という三工程以上の命令を受諾・実行。

■一等級式神

 三工程以上の命令を受諾・実行できる式神。
個体としての意志が存在し、臨機応変な対応が可能。創造ではなく、合意の上での隷属契約が必要。

例)シオン




です。あくまでも自分が考えた設定ですので、粗があると思われたらご連絡下さい。


シオンさんは某頭の中ご主人様一色の色ボケキャスターのような一面もありますが、基本的には某スキマ妖怪補佐の苦労人さんのような感じでしょうか。勿論、違う所はありますが。


 リィン・マキアス強化フラグ。頑張ってね。











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先の見えない霧の中

 どうも。『ソードアート・オンライン ―ロスト・ソング―』の発売を心待ちにしている十三です。

今回気合入れたのは前半部分です。後半は……まぁ、読んでいただけるとありがたい、かな?




 

 

「―――ってなわけで、無事にマキアス連れ戻して事なきを得ました、っと。以上、報告終わり」

 

「予想通りヤバい事になってたわねぇ。てかウチの子を不当拘束するとかあのちょび髭ジジイ、シメてやろうかしら」

 

「そう思いたい気持ちは分からんでもないが、流石にシャレにならんから止めとけ」

 

 第三学生寮306号室。至る所に酒瓶が転がっているサラの自室に、土産物であるバリアハート名物の白ワインを片手に持ったレイが訪れて今回の実習の顛末を説明していた。

 一応そこそこ高級物だったそれを風情の欠片もなくグビグビと飲んでいくその姿に、やっぱり土産物の選択を間違ったか、などと思いながら、レイは同じワインが入ったグラスを少し傾けて続けた。

 

「ま、今は『貴族派』の動き云々で愚痴を言っても始まらんだろ。それより今回、ユーシスとマキアスが一応仲直りをして戦術リンクの構築に成功した。担当教官としては喜んでもいいんじゃねーの?」

 

「それもそうね。アンタの話じゃその地下水路での戦闘も結構いい具合に結果を残したみたいじゃない」

 

「あぁ、連携は及第点だ。案外良いコンビになると思うぜ、アイツら」

 

「ふーん、ま、アンタがそう言うんならそうなんでしょ。それにしてもその後領邦軍に因縁とか付けられなかったワケ? あのプライドの高い連中が自分たちの縄張りで好き勝手やられて黙ってる事はないでしょうに」

 

「あー、それは大丈夫だった。どこぞの義理堅い理事様がくれた切り札のお陰でな」

 

 

 

 

 

 実際、軍用魔獣との戦いの後に後を追って来た領邦軍の怒りは凄まじいものだった。

二方面からの同時不法侵入に加えて、武器庫の無許可開錠、脱獄の手引きなど、レイ達からしてみれば冤罪も甚だしかったのだが、それらを理由に怒号を連ねる小隊長は直ぐにでも実力行使に移るつもりではあったのだろうが、レイが懐から取り出した一枚の通達状が、その憤怒を一気に沈下させた。

 それは、ルーファス・アルバレアが直々に(したた)め、≪アークヴァル≫から出ていく時に執事のウィスパーがレイに持たせた物であり、内容は「トールズ士官学院特科クラスⅦ組A班以下六名に対する武力拘束及びそれに準ずる行為の禁止」であった。

本人直筆の署名とアルバレア家の家紋が入ったそれの真偽を疑う不敬を、公爵家のお膝元で活動する領邦軍が犯せるはずもなく、戸惑っていた彼らに追い打ちをかけたのが、ルーファス本人の登場だった。

 

「ふむ、レイ君も間に合っていたようだし、私が顔を出すまでもなかったかな?」

 

 白々しい声色と共にさり気なく爆弾を投下するその胆力は一周回って見習いたいと思ったが、話はそれだけでは終わらない。

既にアルバレア公爵には話をつけている事を司令官の男に伝え、マキアスの逮捕令状の一切を抹消する事を命令したのだ。捜査権の消去という命令に一瞬言いよどんだ司令官の男だったが、次の瞬間、ルーファスの柔和な目つきが一転した。

 

 

「これ以上私に、余計な恥をかかせるつもりか?」

 

 

 それは間違いなく、”強者”のみが出す事ができる声の重圧。

決して声を荒げるでもない。ただその声色は、形容し難い威圧感を放っていた。真に人の上に立つ者のみに備わる威厳を、彼はその場で放って見せたのだ。

 無論、その言葉に逆らえるはずもなく、兵士たちはその場から逃げるように撤収した。

 

 こうして幕を閉じた、実習先での一連の事件。

その後、ルーファスがトールズの常任理事であるという事を聞いて一同が驚愕したり、レイを呼び出した経緯について多少(・・)真実をぼやかして説明したりなどと少々騒がしくはあったものの、一夜明けた翌日には何の問題もなく駅から堂々とトリスタへと帰る事ができたのである。

 その帰りの際、見送りに来てくれたルーファスから直々に要望していたレシピを受け取ってレイが上機嫌だったのは余談である。

 

 

 

 

「ま、アタシが出るような事にならなくて良かったわ。一応連絡は来てたんだけどね。アンタとあの理事様がいれば大丈夫かなーって思ったわけよ」

 

「仕事しろよ教官」

 

「いやぁ、あのバカから念のためって連絡貰った時完璧に二日酔いでね。前の日にトマス教官に潰されてなきゃちゃんと聞いてられたんだけど」

 

「おっしゃコラ表出ろ役立たず。なぁに、本気(ガチ)で模擬戦でもすれば二日酔いなんて忘れられるぜ」

 

「それやるとその前にアタシ二日酔いの元凶リバースするからやめましょ、ね?」

 

 それまでほろ酔いで薄ら赤かった顔を一気に青くして懇願する姿に溜飲も下がり、再び椅子に掛け直しながら、そう言えば、と話題を変えた。

 

「やっぱあれトヴァルだったんだな。職人街の辺りを挙動不審にフラフラしてたから思わず後ろから脊髄目掛けてドロップキックかまそうと思っちまった」

 

「万が一があるかと思ってアタシがレグラムから呼んどいたのよ。ま、必要なかったみたいだけど」

 

「ナチュラルにパシられてたトヴァルに合掌、っと。あー、そういやもう一人珍しい奴と会ったわ」

 

「誰よ。ついに氷の乙女さんがストーカーになって自分からアウェーに乗り込んできましたってオチじゃないでしょうね」

 

「お前どんだけクレアの事警戒してんだよ」

 

 そうじゃなくて、と、グラスの中のワインを一口に煽ってから一段低い声で、しかし口角を僅かに吊り上げて言った。

 

 

「≪怪盗紳士≫が帝国に居る」

 

「…………」

 

 レイは言った。≪怪盗B≫ではなく、≪怪盗紳士≫が帝国に居るのだと。

 サラとて元は協会が表向き最高ランクと位置付けたA級遊撃士の一角を担っていた若き才媛。その事実がどれ程の異常事態を示しているかというのは直ぐに理解できる。

片手に携えていたワインを静かにテーブルの上に置き、つい先ほどまで酔いの影響で緩み切っていた表情が一転、その肩書に恥じない凛然としたそれへと変わった。

 

「目的は、何?」

 

「これがどうにも。クソ真面目に聞いたところで気が向いてなきゃ答えるわけねーし。こっちの出方を窺うためにガセネタ掴まされるくらいならこっちから踏み込んでやろうと思ってカマかけてみたんだが詳しい事は分からん。……ま、碌でもない事しようとしてるのは確かだがな」

 

「でしょうね。全く。―――アンタのトコの人間で動向とか掴めないの?」

 

「アイツらはもう俺の下とかじゃねぇんだぞ。それに、あからさまに”奴ら”の動向を探るのはタブーだ。今のところはどうにもならん」

 

「……そ。まぁ、神経質になりすぎるのもアイツらの思う壺よね」

 

 そういう事だ、と結論を出して一息を吐く。

 実際、彼らの動向を深く探ろうとすると危険だという事はレイが身に染みて分かっていたし、それが分かっていながら敢えて危険な橋を渡らせるつもりもなかった。

ただでさえ、ブルブランの行方を捜すというのは難しい事なのである。≪道化師≫程ではないのだが、人を嘲笑うかのように陰に日向に跳梁を続ける彼を意図的に捕まえようとするのは至難の業だ。

普段であったら、例え正式に依頼されたとしても面倒臭くて断るだろう。

 このまま放置、という選択が危険である事も分かっている。ただ、よしんば彼一人をふん捕まえたところで状況が好転するわけでもないだろう。

危機感は常に頭の片隅に置いておくべきではあるだろうが、必要以上に警戒して神経をすり減らすのは得策ではない。

 

「あー、メンドくせ。やっぱあの時胸倉掴んでフルボッコにしとけば良かったかなぁ。ストレス解消的な意味合いで」

 

「アンタたまに思考が脳筋になるわよね。語って解決とかは無理なわけ?」

 

「あいつらの中に話通じる奴がホントいねぇんだもん。マトモな話し合いとか無理無理」

 

 呆れたような表情をするレイだったが、嫌悪感を抱いているそれではない。

それを見て、サラは少し複雑な気持ちに駆られた。

 

「(引きずる……ってのとは違うんでしょうねぇ。コイツの場合)」

 

 レイ・クレイドルという少年の生き方を知っている。

武人としての強さは言うまでもなく、その他の事においても万事器用に成し遂げられるだけの手腕がある。人はそれを羨ましいと思う事だろう。

 しかし自分や、彼の半生を知っている人間はそうは思わない。

彼が今まで眼前に見て来た犠牲と絶望。命を奪い、血に染まった両手を眺めて生まれた悲壮感。それら全ての感情と死に物狂いで鍛えぬいた努力が生んだ結晶。その真髄を知るという事は即ち、彼の抱える闇の部分を否が応でも覗き見るという事になる。

実際自分も、垣間見た人間だ。

 だからこそ分かる。

今まで彼が心の底で求め、しかし一度たりとて叶わなかった”それ”が。

 

「(まったく、自分がイヤんなってくるわ)」

 

 本人は気付いていないのかもしれないが、レイに救われたという人間は多い。

そして救われた異性の中には彼を本気で慕う者も多い。かく言う自分もその一人だ。

 自分よりも小柄な体躯でありながら、その瞳に、その体に宿る覚悟と実力は本物だ。

彼は決して、他人に根拠のない慰めを言う事はない。自分の限界を知り、無理だと思った事には躊躇いもなくその事実を突きつける。今でこそ言い方を緩和させる事を覚えたが、初めて出会った頃はにべもなく厳しい言葉を投げかけられたものだった。

ただ、それを非情だとは思わない。寧ろ己の甘さを隠す事無く言い当てられた事で新しい道を見つけ出す事ができたのだという事を踏まえれば、感謝しているほどなのだ。

 惚れた理由としては、多分そこなのだろう。

自分を真正面から見てくれた。自分に可能性を示してくれた。―――その相手が八歳も年下だった事については多少罪悪感を感じもしたが、自分が知っている限りのライバルも多少の差こそあれ似たり寄ったりであるのだから、そこは早々に割り切った。

 負けたくない、取られたくないという気持ちは勿論ある。だが、だからこそ、サラは自分の性格が嫌になる時があるのだ。

 自分がガサツな女であるという事は重々承知であり、それを変えようと密かに努力をした時もある。

しかし結局はアルコールの誘惑に負け、気付けば部屋の中は空瓶だらけ。結果的に想い人に世話されるという情けないオチをいつも迎えている。

しかも厄介な事に、この日常が結構楽しかったりするのだ。飲み交わしている間は何もかも忘れてただ楽しみ、そしてレイが帰った後に自己嫌悪に浸るという悪循環の繰り返し。本当に、酒に力というのは怖いものである。

 

「―――って、あら?」

 

 そこまで思考の堂々巡りをして帰って来たと思ったら、目の前にはグラスを膝の上に置いて、座ったまま舟を漕いでいるレイの姿があった。良く見てみると、仄かに頬が赤くなっている。

 今回サラが飲んだのは自前で購入した安ワイン一本とお土産の白ワインが半分。そしてもう半分は、余さずレイの胃の中へと消えていた。

普段から飲み慣れているサラはこの程度では酔い潰れないが、未だ未成年であり、普段は飲酒などしないレイにとってはこの量は少し過剰過ぎたのだろう。ラベルを見る限りでもアルコール度数はそこそこ高く、上品な名酒であるのは確かだが、飲み慣れていない人間が何杯も仰ぐものではない。

 

「……しょうがない。持って行ってあげましょうか」

 

 特段酒に強いわけでもないレイではあるが、どういうわけか二日酔いの症状は一切発症した事がないという。サラからすれば実に羨ましい体質であるが、つい調子にのって飲ませ過ぎた時の彼のこの体質はありがたい。翌日学院で酔いが残ったまま登校しようものなら担当教官+元凶の自分の首が飛ぶかもしれないのだ。

 

「……あら」

 

 そんな事を考えながら俯いたまま寝息を立てるレイの顔を指で押し上げると、普段の不敵な笑みを湛えていたり仏頂面だったりするその表情とは正反対の、中性的で可愛らしい寝顔がそこにあった。

加えてそこに僅かな赤ら顔というコンボ。自分の心臓の鼓動が一瞬跳ね上がったのを自覚したサラは、衝動的にその顔に唇を近づけた。

 

「ん……」

 

 しかし、唇を押し付けたのは彼の額。

寝ている合間に、という罪悪感が彼女を押し留めたという理由も勿論あるが、意外と受け身な一面が備わっていたという事が起因していたのだろう。

 奪うよりも、奪われたい。

だが、そう思っていたはずの当人は、今自分自身が行った衝動的な行為を目の当たりにして酔いとはまた違う理由で顔を赤く染め上げてしまう。

 

「……バカみたい」

 

 その声は、消え入りそうなほどにか細く、そして熱を孕んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 この左目に≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫という名が付いてからどれだけの時間が経ったのだろうかと回顧したところで、特に良い思い出が蘇るわけでもない。

 故に全ての真実を語るわけにもいかず、かと言って嘘まみれの情報を話すわけにもいかない。それは、自分を知ろうとしてくれている仲間に対しての侮辱だ。

 

 

「この”眼”が齎す能力は一言で言うと圧倒的な情報収集能力だ。無機物・有機物を問わず、全ての情報はこの眼の視界に入った瞬間に丸裸にされる」

 

 ズキリ、と頭に継続的に走る痛みを堪えながら、全員が揃った第三学生寮食堂で再び翡翠色の瞳を晒したレイは、努めて機械的にそう説明した。

驚くような雰囲気が広がる中、既にその事を知っていたサラとフィーは表情を変えなかった。ありがたい事だと思っていると、皆を代表したかのようにリィンが疑問を投げかけてくる。

 

「その、”全ての情報”というのはどれくらいまでのものを指すんだ?」

 

「文字通り全部だよ、全部。無機物なら、視界に入った対象の生み出された日付からそれを構成する元素分子、未知の文字があったらその現代語訳、パズルのようなものだったらその正解までの過程まで、余す所なく全部だ」

 

 例えばこうしている間にもレイの目には様々な情報が飛び交い、それを正確に処理すべく脳がフル回転している。寮の壁や柱の製造年数から、台所に置いてある食品の消費期限、電灯の残り耐久日数まで、本人からすれば必要のない情報までもが纏めて示されているのだ。

 

「それを全部俺の脳味噌の中だけで処理するからな。これを解放してる時は過剰処理状態で頭が痛くて仕方ねぇ。……だからもう眼帯してもいいか?」

 

「あ、あぁ。ゴメン、無理をさせたな」

 

 リィンの返事を聞く前に、レイは眼帯を再び付け直した。

視界が暗闇で覆われた事で”眼”の能力は限定的な封印が掛けられ、それに伴って頭痛も収まる。直後に軽い倦怠感に襲われるものの、彼にしてみればもう慣れた事だった。

 

「……一瞬便利そうな眼だと思っちゃったけど、話を聞く限り結構辛そうよね」

 

「そうだな。見たところ今も少々無理をしているように見えるぞ」

 

「何で分かんの? お前ら」

 

 表面上はできる限り平静を装っていたのにも拘らず見事に多少無理をしていた事を見抜かれてしまい、僅かに動揺する。

するとリィンが、苦笑しながらその疑問に答えた。

 

「何で、と言われてもな。いつもみたいな余裕のある表情じゃないし、サラ教官とフィーが凄い心配そうな目で見てるし」

 

「…………」

 

「…………」

 

 二人の方へと視線を向けると、同じタイミングで顔を逸らされる。

その気遣いはありがたいのだが、折角心配をかけまいとしていたのに一瞬でバレてしまった居た堪れなさがレイの胸中で渦巻いていた。

 

「どうしよう、リィン」

 

「?」

 

「シリアスな雰囲気が一瞬で生暖かいものに変わって俺はどうしたらいいのか分からない」

 

「うん、ゴメン。多分俺の発言が引き金だろうから一応謝っておくな」

 

「お前も良い具合に張り詰めなくなって来たよな。いや、良い事なんだけどさ」

 

「レイと一緒にいると気の抜き方が分かるようになって来たんだ。今なら良い鍛錬が出来そうな気がするな」

 

「あ、うん。向上心も上がって来たようで何より―――ちょっと待てお前ら。その生暖かい視線は何だ」

 

 視線を移すと、そこにいたのは各々笑みを浮かべる仲間たち。

少し前までは決して見れない光景だったのでその点に関しては歓迎すべきなのだが、如何せん自分に向かってそれが向けられているというのはどうにも面映(おもは)ゆい。

それを不快だと思わない程度には馴染めているのだと、逆に安堵もしたのだが。

 

 

「コホン。……あぁ、それと、一つ言い忘れた。この”眼”だが、唯一情報が開示されない存在がある―――”人間”だ」

 

 話を仕切り直すために再び真面目な声色で話し始めると、元来真面目な性格であるⅦ組の面々は真剣な表情へ戻った。

 

「知的生命体でも他の生物なら情報を拾えるんだが、それでも”人間”―――正確には(レイ・クレイドル)が”人間”と定義した存在に関しては一切情報が拾えない。

だから安心しろ。お前らの心を覗くとか、そんな規格外の芸当はできねぇから」

 

「それは……何か理由があったりするのか?」

 

 マキアスが問いかけてくるが、レイは無言のまま僅かに首を傾けた。

 

「……正確な理由は不明なんだが、まぁ、俺はそれでラッキーだったと思うけどな」

 

「それは……はい。私はなんとなく分かる気がします」

 

「? どういう事だ? 委員長」

 

 人の心が読める。その行為がどのような結果を齎すのかという事を理解しているかのようにエマが頷き、ガイウスに向かって一言だけ漏らした。

 

「だって、知らなくていい事まで知ってしまいそうじゃないですか」

 

 つまりは、そういう事なのだ。

人間の心は複雑怪奇だからこそ、十人十色の人間の心の全てが見通せてしまったら、それこそ遠くない内に発狂してしまうだろう。

心が壊れ、衰弱し、何もかもを壊したくなってしまう。人間を見守っていた存在ですらそうだったのだから、だたの人間である自分がそうならないはずがない。

 

「ま、そういう事だ。元々貰いたくて貰った”眼”でもないしな。神様の真似事なんざ正直俺には荷が重すぎる。だから、この制約は逆に俺にとってはラッキーだったって事だ」

 

 Ⅶ組の面々は、各々大なり小なり秘め事を抱えている者が多い。だからこそ、他人の”傷”に気付くのが早いし、またそれを冷やかすような下種な性格を持つ者が一人もいない。

だから、今のレイの過去を示唆するような言葉にも、誰も踏み込んでは来なかった。

故に、そんな彼らに一つだけ偽りの話を告げただけで、レイの心には小さな棘が刺さったような痛みが走った。

 清濁が入り混じった世界を生き抜いてきた人間に対しては、間違ってもこんな感情は抱かない。身を守るため、または対話を有利な方向へ導くために嘘も詭弁も使うだけ使う。そうして本音と偽りを使い分けるのが、今までレイが生きてきた世界の常識だった。

 しかし今はどうだ。未熟であるが故に純粋な仲間に囲まれて、一つ嘘を吐く事すらも僅かな罪悪感を感じてしまう。

 

 本当は全て分かっている(・・・・・・)

この”眼”がどうして生まれたのか。どうして”人間”だけは見通す事ができないのか。

それらは全て、この≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫が自分の左目に埋め込まれた瞬間に理解していた。できる事なら知りたくもなかったその真実は一度レイ・クレイドルという人格を文字通り崩壊させかけたが、幸運にも今に至るまでどうにか無事に生き抜いている。

 

 それを話せるようになるまで、後どれくらいかかるのだろうか。

 

 この時点でレイは、自身の全てを彼らに打ち明ける事に、何の疑問も抱かなかった。幸か不幸か、本人はその事に気付いてはいなかったが。

 

 

「はいはい、それじゃあこの話はこれでおしまい。皆お腹空いたでしょ。というかアタシが空いてる」

 

「おーし、腹減ってる奴は手ぇ挙げろ。因みに今日の晩メシは公爵家専属三ツ星料理人直筆のレシピを俺が再現したものな」

 

 レイがその情報を告げると、全員が一斉に手を挙げた。気難しいユーシスですらそれに倣っている所を見るに、随分と馴染んで来たものだと一人感心した。

 そして自分も、その例に漏れずこの雰囲気に馴染んでしまっている。

このままずっとこんな日々が続けばいいと、そう思ってしまう程に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第3章
剣士ではなく、料理人として


 



 ノートPCの調子が悪くなり、インターネットに全く繋がらなくなってから焦りまくっておりましたがなんとか復旧できました。お待たせして申し訳ありません。


 レイが料理という分野に対してかなり熱を入れている理由は何かと問われると、彼は迷う事無くこう答える。―――”生きるために必要だからだ”と。

 

 ”食欲”という感性が心理学の分野で三大欲求の一つに数えられている事からも分かるように、人間が人間である以上、”食べる”という行為は絶対に必要になる。

しかしそれだけでは、食べて必要分の栄養を摂取できれば人間の欲求は満たされている、という事になってしまう。勿論、ゆっくりと卓を囲って食事をする余裕がない場面があるという事もあり、レイ自身そんな切羽詰まった場面に身を投じた事など幾らでもあった。

 だが同時に、料理人が丹精を込めて作った料理を食べて人々が笑顔になる事もまた知っている。美味な食事を終えて幸福度を満たした人間というのは、時に思わぬ真価を発揮する。……というのは流石に言い過ぎかもしれないが、ともかく、嘗て幼少の頃に母親の料理を食べて顔を綻ばせていた時の記憶が、彼を今でも厨房に立たせる原動力となっている。

 美味い料理を食べられるのは幸せだ。

同時に、渾身の料理を作り上げて食した人物に美味いと言って貰えるのもまた、幸せを感じる一つの方法だ。

 

 だから、やった。

 

 日が昇ろうが暮れようが戦闘と兵站補給と酒盛りに明け暮れるある意味社会不適合者の尖兵達を籠絡した。

酒のツマミ程度から始め、そこらで適当に拾って来た大きめの鍋と山岳での作戦行動中についでで集めて来た山菜や野生動物の肉などをベースに補給物資の香辛料を加え、レーション至上主義の万年戦闘者共に美味いと思わせる食事を提供した。

そんな事を続けていた末に、何故だか一部の人間に崇められたりもしたが、そこは無慈悲に蹴りで対応していた。

食材の現地調達、及び限られた資材の中で料理する術と、銃声や硝煙の臭いが飛び交う状況で料理し続ける胆力はそこで身に着けた。

 

 またある時は、過剰労働がレッドゾーンに突入していた修羅の職場で、常時空腹に飢えたこれまた修羅の仲間を相手に、仕事の合間の限られた時間で料理を作ったりもした。

近代都市ならではの多種多様な食文化や食材に触れ、その調理法を学べた事も、レイにとっては僥倖だった。またある時は仕事と称して手が足りていなかったレストランや食堂の厨房で腕を振るい、大衆に好まれる料理、上流階級に好まれる料理の違いも発見した。

 

 

 そこで一つ分かった事がある。

 質の良い食材というものは、必ずしも高価な食材とはイコールにならないという事だ。

どんな食材であれ、それを生かすも殺すも料理人の腕次第。そこにプロとしてのプライドの全てを懸けて来た人たちを何人か間近で見て来たから分かる。

 しかし、そうは言っても出来得る限り質の良い食材で料理をしたいというのは少しでも料理を齧っている者としては常に考える事だ。

 だからレイも、そこには少し拘る。

店頭に並ぶ食材の新鮮さを見極める審美眼は勿論、時には自分自身で食材を調達する事もある。

 

 そして今日も、釣竿を片手にザリーガの上位種であるブリザリーガを目当てにトリスタの一角にある釣り場で悠々と釣り糸を垂らしていたのだが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうしてこうなったし」

 

 

 

 

 

 

 気付けば西トリスタ街道の川の浅瀬で全身ずぶ濡れになりながら、右腕には白い制服を着た同級生を抱え、左手には釣竿。そして目の前の砂利の上には、栄養状態が良かったのか、巨大に成長した魚、ゴルドサモーナが未だ元気よくビチビチと跳ね回っていた。

 思わず呟いてしまったその一言がこの状況のカオスさを良く表しており、同級生を降ろし、暴れているサモーナをとりあえず踏みつけて動きを封じてから、どうしてこうなったのかと、状況整理を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 きっかけは、朝食が終わった後、食堂に集まっていた全員に夕食の献立の希望を聞いていた時に、徐に口を開いたフィーの言葉だった。

 

「じゃあ、久しぶりにレイの中華料理食べたい」

 

 その聞き慣れない料理の名前に、全員が食いついたのは言うまでもない。

唯一リィンは名前くらいは聞いた事があったようだが、実際に食べた経験はなかったようで、唯一調理方法を知るレイが、全員揃っての登校がてら説明する事から始まった。

 

 大陸東部カルバード共和国、その中でも東方系の移民が数多く居を構える東方人街においては比較的ポピュラーであるこの料理も、生粋の帝国人であるならば接する機会は極めて少ない。

フィーは猟兵として、サラは遊撃士時代に各地を回っている時にその味に触れる機会があったのだが如何せんエレボニアとカルバードは敵国同士の間柄だ。

必然、互いの文化に触れる回数は減るし、特に貴族ともなれば敵国の伝統料理を口にしようと考える者は少ないだろう。まぁ、この場に集まっている貴族はあまりそういう事に頓着しない人物ばかりではあるが。

 リィンは剣の師であるユン・カーファイが東方系の人物であったという事もあるし、ラウラは帝国でも有名な武門の名家。伝統よりも拘るべき事があったために、道楽に耽る余裕などなかった。元々は庶子の出であるユーシスも、舌は肥えているが食に対してのジャンルには特に拘りは見せていない。あれでいて、普通に庶民が食べるような料理でも何でもないように平らげるのだ。

 

 話を戻すと、そんなカルバードの伝統料理の中でも”中華”というジャンルは特に大衆的な料理でもある。

無論、上流階級の人間が食するような味の質も、見た目の質も豪勢な物も存在するのだが、中華の基本コンセプトは早く、安く、美味いという三つである。

 レイが遊撃士としてクロスベルに在中していた際に贔屓にしていた店である宿酒場『龍老飯店』で出されていた料理はその三原則を忠実に守った物が多かった。

専用の鍋に具材を投入し、それを油と高火力で一気に炒めあげる。シンプルさの中にやはり料理人の技量がダイレクトに反映される奥深い料理に魅せられ、店の人手が足りない際に遊撃士の仕事とは別に無給で厨房に入れてもらい、一流の料理人の腕前を横目で見ながら盗み取って技術を習得しようと躍起になった日々も、今では良い思い出である。

 調理にかかる時間こそ他ジャンルの料理に比べて短いものの、それは決して安っぽいという事とイコールではない。むしろ短い時間の中でどれだけの持ち得る技術を詰め込んで如何に高いクオリティの料理に仕上げていくかという時間との一対一の勝負。センスや効率の良さも勿論必要だが、培った経験と技量が誤魔化せないというのが中華料理の真髄だ。

 

 ……などと長々しく講釈を垂れたところで全員が頭の上に疑問符を浮かべる未来は目に見えていたため、本当に簡潔な説明だけをしてその場は終えた。

 

 

 

「(材料は何とかなりそうだし、調味料もある。何とかなるか?)」

 

 スラスラと、作るメニューにそれを作る材料、調理器具を手元のノートにメモしていく。

その手つきに澱みはなく、まるで一流の小説家が物語を書き上げていくかのような滑らかさなのだが、それを行っていたのは授業中だった。本来ならば、肝心の授業内容が疎かになって教師の言葉など右から左へと通り抜けていくはずなのだが……。

 

「えー、では七耀歴1190年。現在の大陸の導力機構の根幹となったある出来事がありました。分かる人はいますか~?」

 

 教壇に立っているのは帝国史を担当している、ビン底眼鏡を掛けた男性、トマス・ライサンダー教諭。

士官学院の教師としては些かノリが軽いという特徴があるが、栄えあるトールズの教師陣の一員というだけあって知識力は高く、指導方法も的確であったりする。

そんな彼は相変わらずの人を食ったような声でそう言った後教室を見渡し、指名をした。

 

「そうですね~。ではレイ君、分かりますか?」

 

 指名され、ピタリとノートの上で踊っていたペンの動きが止まる。隣に座っていたエマは心配そうな視線を向けて来たが、レイは何事もなかったかのように落ち着いた声色で答えた。

 

「……ZFC―――ツァイス中央工房とエプスタイン財団が共同で導力ネットワーク構想を発表した年ですね」

 

「おぉ、正解です。良く知っていましたね」

 

「導力ネットワーク関連の事は友人が詳しかったもので。知識は色々と叩き込まれました」

 

「なるほどなるほど。ではその出来事の具体的な内容について見てみましょう。まずは―――」

 

 と、話の内容がシフトした時を見計らってレイは再び視線をノートに落とした。

 そんな事を続けて数時間、空模様が黄昏て、授業はサラが担当するLHRを残すのみとなった。

 

「えー、と。特に何も話す事はないんだけどねー。ないんだけど……ホラ、そこのちっこいの」

 

「ちっこい言うな‼ んで、何だよ」

 

「アンタねぇ。言い出しっぺのアタシたちが言うのもなんだけどちゃんと聞きなさいよ」

 

「問題ない、脳を二分割してちゃんと聞いてた」

 

「いや、そういう問題じゃな―――」

 

「あ、そうだ。ちょっとお前ら、ちゅうもーく」

 

 サラが投げて来たチョークを右手の人差し指と中指で器用にキャッチしながらレイはクラス全員に向かって言った。

 

「悪い、思った以上に材料と時間が要るから今日の夕飯に出すのは無理そうだわ。明日は学院の授業も半ドンだし、明日でもいいか?」

 

「あぁ、全然構わない。というか、無茶を言ってるのはこっちだからな」

 

「うむ。何か我らにも手伝える事があったら遠慮なく言ってくれ」

 

 ラウラの言葉に、レイは苦笑した。

 

「はは。ありがとな。食材は何とか自力で確保できそうなんだが、エビはどうすっかなぁ」

 

 ポリポリとペンの尻で頭を掻きながらそう独り言のように呟くと、サラが手を叩いて注目を戻した。

 

「はいはい、楽しみにしてるのは分かるけど落ち着きなさい。まったくもう」

 

「サラ、それは涎垂らしながら言う事じゃないと思う」

 

「だまらっしゃい。アンタこそ涎垂らしてるじゃないのよ」

 

「餃子、エビチリ、小籠包、八宝菜……」

 

「そのビールが止まらなくなるようなメニューの羅列は止めなさい」

 

「レイ、チンジャオロースは?」

 

「あるぞー。むしろないと思ったか」

 

「……何故だかは分からないが、名前の響きだけで美味しそうだという事は分かる」

 

「同感だな」

 

 結局その日はグダグダのまま、LHRは終了となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、授業が午前中で終わった後、メモ用紙片手に亜音速にも匹敵(比喩)する速さで教室を飛び出したレイは、すぐさまトリスタの街に降り立った。

向かった先は、既にお得意様認定されているブランドン商店。その扉を開けると、見知った顔の同級生が既に店内にいた。

 

「俺より先に来てるとは……やるな、ベッキー」

 

「当たり前や。お得意先との取引やっちゅうのに客より遅く来る商人なんかおらんやろ」

 

 平民生徒である事を表す緑色の制服に、ボブカットの金髪、そして強い訛り口調。若干16にして既に商人としての気概が溢れているこの少女、ベッキーこそが、レイの取引相手。

尤も、彼が取引をしているのは彼女の父親とであり、ベッキーはその仲介役であるのだが。

 

「首尾はどうよ?」

 

「オトンの顔の広さをナメたらアカン。伊達に大市で長く店やってへんのや。クロスベルから食材仕入れるくらい朝飯前や」

 

 そう言ってベッキーが道を譲ると、商店のカウンターの上にレイが注文した食材が一つの誤りもなく並んでいた。

肉や野菜。不足分の調味料などが所狭しと並んでいる状況に、内心でガッツポーズをする。

 と言うのも、実はベッキーの父親というのは、レイが以前ケルデック実習の際に世話になった食材店の店長であるライモン氏であったのである。

その事を知った時は流石に少々驚いたが、食材確保のパイプが出来るというのはレイにとっても良い事であったので、以降食材購入の際には色々と世話になっていたりする。

彼女自身、将来は父と同じく商人の世界で生きる事を考えているため、実際に取引が経験できるこのやり取りには、彼女にもメリットがあった。

 

「しっかしけったいな食材を所望したもんやなぁ。いや、お客の買い物事情にケチつけるわけじゃないんやけど」

 

「郷に入っては郷に従えという諺もある。なるべくなら本場の食材を使った方がいい」

 

 そう言いながら、ベッキーに今回のお取り寄せの金額をその場で支払う。少し高くついた分はレイのポケットマネーで支払ったため、学生寮の食費を圧迫するような事もない。

 

「ふんふん……ちょうどやな、おおきに‼ これからもライモン商店をよろしゅうな‼」

 

「おう、贔屓にさせてもらうぜ」

 

 山のように積まれた食材を数個に分けた特大の袋に詰めて両腕に引っかける。

総重量は推して知るべしであり、どう考えても小柄なレイが一人で持てる量ではなかったのだが、それらを持ったまま、唖然とするベッキーに声を掛ける余裕まで見せて店を後にした。

 幸いにして店から寮まではそれ程距離が離れているわけではなく、一旦それらを厨房に置くために戻る。

 

「おや主、買い出しお疲れ様です」

 

 そこに近寄って来たのはぬいぐるみ憑依状態のシオン。

普段別に用がないときは昔からのお気に入りであるそのぬいぐるみに憑依して寮の中を漂っている事が多く、ふわふわと浮かんでいる姿は可愛らしくはあるのだが、夜に見ると意外と不気味だったりすることもある。

現に夜中、トイレに行こうとしていたエリオットが真っ暗闇の中で両目を赤く光らせたそれの姿を見て思わず悲鳴を上げてしまったという被害があったくらいだ。

 

「丁度いい。これ全部冷蔵庫の中に詰めといてくれ。またこれから出るから」

 

「? はぁ、お安い御用でございますが……」

 

 そう応えると、シオンはぬいぐるみから人型へと姿を変える。彼女がちらりと一瞥したのは、ケルデック実習から帰った後に新調した巨大な業務用冷蔵庫。日増しに暖かくなって来た今では生命線となりつつあるそれになら、今回買って来た食材も入りきるだろう。

 

「まだ調達するものがお有りで?」

 

「あぁ、うん。海鮮物はあまり仕入れられなくてな。流石にアワビとかは無理だったが、アレならまぁ、釣れば何とかなるだろ」

 

 そう言い、レイは厨房の横に立てかけていた愛用の釣竿を手に持った。

 

「楽しそうな顔をしておりますね」

 

「? そうか?」

 

「えぇ。 カグヤ様がご覧になったらさぞお喜びになられるかと」

 

 シオンのその言葉に、レイは乾いた笑みを見せる。

 

「確かに、師匠が見たら笑うかもしれないな。……その後怒られるかもしれんが」

 

「かもしれませんな。―――では、ご武運をお祈りしております」

 

「武運を祈られても困る。別に戦いに行くわけじゃない」

 

 そう言いながらもシオンに軽く手を挙げて感謝の意を示したレイは寮を飛び出す。

 トリスタ市内で釣りが出来る場所、というのは限られており、市内の中心部である駅前広場と、教会や士官学院がある区画とを分ける川でのみ行う事ができる。

東西トリスタ街道を繋ぎ、生活用水としても利用されるだけあって、透明度も水中の栄養分も豊富であり、釣り場としては中々に高評価な場所であったりする。

レイがそこへと足を運ぶと、いつものポイントには既に釣り糸を垂らした先客がいた。

 

「よぉケネス。調子はどうよ」

 

「ん? あぁ、レイ君か。まぁ、そこそこってところかな。本当はもう少し曇ってる方が食いつきはいいんだけど、今日みたいな良い天気にケチをつけたらバチが当たりそうだしね」

 

「全くだ。良い釣り日和だぜ」

 

 先客として居たのは伝統ある貴族生徒の白い制服の上着の袖を何の躊躇いもなく肘の辺りまで捲り上げた笑顔の似合う好青年。レイと同じ一年生にして『釣皇倶楽部』という部活の部長を務めているケネス・レイクロード。

 実家は男爵家という爵位を持つ貴族でありながらそれを鼻に掛けるどころか気にしているような素振りすらない。貴族の誇りも何もかも頭の片隅に押し寄せて悠々自適に釣り糸を垂らすという、ある意味変わった性格の持ち主である。

 だが、その釣りの腕前は確かであり、セミプロとしては申し分ない実力を持っている。本人からすれば”ただの趣味”なのだろうが、釣りをするだけの部活の看板を引っ下げるだけの力はあるのだ。

 

「今日も食材を釣るのかい? お目当ては?」

 

「ザリーガ……いや、ブリザリーガ辺りを引っかけたいところだな。今の時期ならまだいるだろ」

 

「そうだねぇ。もう少し熱くなるとアイゼンガルド連峰の方に引っこんじゃうけど、まだいると思うよ」

 

 そんな話をしている間にも、レイは手際よく釣り糸の準備や餌の装着などを済ませ、竿を振って水面を揺らす。

後はひたすら根気の勝負だ。時折釣り糸を揺らして誘う事もするが、警戒心の高い魚はそれすらも嫌う。なので、じっと待つだけの時間が数分ほど続いた。

 

「そう言えばこの前、リィン君が大きな魚影を引っかけてね。その時は糸を切られて逃がしてしまったみたいなんだけど、いやぁ、あれは大きかったなぁ」

 

「ほー。種類は?」

 

「食いついた瞬間にすごく暴れてね。水飛沫が凄かったから確認はできなかったな」

 

「そいつは残念だったな。糸から食い破るとか相当な大物だろうに」

 

「だねぇ」

 

 基本的に釣りは趣味ではなく食材確保のためにやっているレイではあるが、大物の確認情報などが耳に入るとどうにも気分が高揚してしまう。

こればっかりは少しでも釣りの世界に足を踏み入れてしまった人間の矜持と言うか(さが)というか、とにかくそのまま聞き流せるものではない。あわよくば自分が釣ってやろうと、そう思うのは仕方のない事だ。

 

「―――お、っと、かかったかかった」

 

 そんな事を思っている間に、ケネスの釣り糸が軽くしなった。反応からして大物ではないのだろうが、彼にとっては釣り上げる事にこそ意味がある。その後、大体はリリースしてしまうのだが。

リールを巻きながら徐々に糸を巻き上げていき、ものの十数秒で水面に獲物の姿が浮かび上がった。

 

「あ、これはブリザリーガだね。釣り上げたらレイ君にあげるよ」

 

「お、マジか。恩に着るぜ」

 

 声につられて水面を覗き込んでみると、確かにかかっていたのは宝石のような水色の甲殻を持った獲物。

慣れた手つきでケネスはそれを水中から引き上げる。その姿は太陽光を反射して、どこか神々しく見えた。

 そんな感じで、ケネスは勿論の事レイもそちらの方に視線を向けていたからだろう。

 

 釣り上げられたそれを餌と認識して猛スピードで迫ってくる巨大な魚影の接近に、二人揃って気付かなかった。

 

 

 

 ザパァッッ、という水面から勢いよく跳び上がる音。同時に立つ水飛沫。

 かつてリィンの釣竿の糸を食い千切ったというそれは、今度は大口を開けて釣り糸の先に引っかかったブリザリーガを一呑みにした。

 

「え? う、うわあああああああああっ⁉」

 

 水飛沫の合間から見えたのは、全長は3アージュに迫ろうかという巨大な姿。全身の鱗は金色に覆われており、それだけで種類の判別は辛うじてできた。

 

「ゴルドサモーナ⁉ いや、それにしてもデカ過ぎんだろ‼」

 

 レイも数回釣り上げた事があるその魚は、希少性こそ高いものの本来ならどんなに大きくても全長1メートルに届かないはずのものである。

しかし目の前に現れたそれは規格外と呼ぶに相応しい体躯だった。

 そんな規格外の力に予想外の状況で引っ張られたケネスは踏ん張る力も碌に出せず、大きく体勢を崩した。

 

「危ねぇっ‼」

 

 レイは自分の釣竿を放り投げるとケネスの左腕を掴んだが、水辺ギリギリという足場の悪さに加えて予想以上の相手の推進力に負け、二人揃って水中に引きずり込まれてしまった。

 

「プハッ‼ おいケネス‼ 早く釣竿を離せ‼ このままだと溺れるぞ‼」

 

「だ、駄目なんだ‼ さっき引きずり込まれた時に糸が指に絡まって……っ‼」

 

 水中で足が踏ん張れずに為す術なく流されているこの状況では、細かい作業を行う事はできない。巻き上げられた飛沫が視界を遮り、加えて川の流れと相俟って猛スピードで水中を引きずられているという状況下で冷静な判断力も失われてしまっている。

 だが、このままではいずれ水に阻まれて窒息してしまうだろう。レイは意識を失いかけているケネスを右腕に抱えて、左手で器用に腰に括り付けたポーチから投擲用のナイフを二本取り出した。

 

「(手元が何とかできないなら、大本を何とかするしかねぇか)」

 

 視界は悪く、揺れているため狙いすら定まらない。しかしそれで獲物を仕留めそこなう程、レイの技術もまだ鈍ってはいなかった。

 

「(ここだ‼)」

 

 一瞬体が浮き上がった時と水飛沫が晴れた瞬間を狙って手首の力だけでナイフを投擲する。それは一直線に対象に向かって飛んでいき、左側のエラの近くに刺さった。

 一見、あまり意味のない攻撃のようにも見えたが、その数十秒後、ゴルドサモーナの動きが目に見えて鈍くなり、引きずる力も格段に弱くなった。

 と言うのも、レイが放ったナイフの先に塗布されていたのは特殊な薬剤でなければ剥離させる事ができない即効性の麻痺毒であり、生命活動にこそ害は及ぼさないものの動きを止める事を目的とした対人・対魔獣武器。

それを以てしても”動きを弱める”程度にしかできないという事に改めてこの魚の規格外さを思い知らされたが、力の弱まった隙を狙ってレイは浅瀬側の水底に足を付けると、鍛え上げた脚力を使って踏ん張った。

 

「く……うおおおおおおおおっ‼」

 

 全身に力を込めてケネスの腕ごと釣竿を引っ張り上げる。

地に足がついており、力を踏ん張れる状況というアドバンテージがこちらに発生した以上、力勝負で負けるわけにはいかない。数分の格闘の末、どうにかゴルドサモーナを脇の砂利道に引っ張り上げる事に成功した。

 

「よしっ、と」

 

 そうして絡まっていたケネスの指の糸を解き、同級生と釣竿を抱えながらずぶ濡れになった制服の重みに耐えて陸へと上がる。

そうしてふと状況を鑑みた時に出た言葉が、「……どうしてこうなったし」という一言だったのだ。

 

 

 

 陸に揚げられて数分。エラ呼吸のはずのゴルドサモーナは未だビチビチと元気よく跳ねており、それを見ながら目を覚ましたケネスは苦笑した。

 

「あはは……まさか川釣りで魚に引き摺られるとはねぇ。良い経験が出来たというべきなのかな?」

 

「あれ魚なのか? 魔獣の類だと言われても納得できるぞ」

 

 濡れに濡れた制服を絞りながらそう言葉を交わしていると、一際強く跳ねたゴルドサモーナが再び川の中へと戻って行った。

 悔しいと思う気持ちはある。毒で弱らせた上での釣果などノーカウントだ。沸々と込み上げてくるリベンジへの思いに、レイは口角を釣り上げた。

 

「次かかった時は必ず釣り上げてフルコースの食材にしてやる」

 

「あはは、それはいいね。あ、それと、助けてくれてありがとう。君がいなかったらどうなってた事やら」

 

「気にすんなや。リィン(ツレ)が世話になってるみたいだしな」

 

 しかし、と改めて思う。

目当てにしていたブリザリーガは憎き巨大ゴルドサモーナの胃袋に消え、釣果はゼロ。時間的にもそろそろ寮に戻って仕込みを開始しなければならない。

エビチリ、天ぷら、あんかけにおこげ。それらのメニューを諦めなければならないのは心苦しいが、これ以上先延ばしにするわけにもいかない。

 溜息と共に乾かした制服を着て立ち上がると、土手の上の街道の方からエンジンを吹かす音が聞こえて来た。

 

 

「おーい、レイ。お前こんなとこで何してんだよ、探しちまっただろーが」

 

「あれ? どーしたんすか、バンダナ先輩」

 

 木の柵から身を乗り出してレイを呼んでいたのは、バンダナ先輩ことクロウ。その隣にはライダースーツを身に纏った長身の女性が腕を組んで佇んでいた。

 

「やぁレイ君。水浴びにはあと一か月ほど早いんじゃないかい?」

 

「アンゼリカ先輩も」

 

 怜悧な印象を与えるクロウの同級生にして悪友でもあるアンゼリカ・ログナーに対しても声を掛けると、クロウは目に見えて落胆したような仕草を見せた。

 

「お前なぁ、いつになったら俺を名前で呼ぶんだよ。バンダナバンダナって、俺の本体がこっちみたいな言い方すんなや」

 

「呼んで欲しかったらブレードで俺に勝ってから言って下さいっていつも言ってんでしょーが。―――それで、俺を探してるみたいでしたけど」

 

「あぁ、うん。とりあえずここで話すのもなんだ。一度トリスタに戻ろうじゃないか」

 

 アンゼリカにそう促され、一度街道に上がってから随分と離れてしまったトリスタへの帰路につく。

 街に戻った後、ケネスとはそこで別れ、レイは先輩二人と共に喫茶『キルシェ』のテラス席へと座った。

 

「さて、本題に入ろうか。クロウ、アレを」

 

「ほいきた」

 

 コーヒーを一杯飲み、落ち着いたところで、クロウが脇に置いてあったそれをテーブルの上に置いた。

とはいえ、それは別に特別なものではなく、白を基調とした色合いの大きめのサイズのクーラーボックスだった。蓋の隙間からはドライアイスの白い煙が僅かながら漏れており、中に冷蔵品が入っている事が窺える。

 

「これは?」

 

「まぁまぁ、とりあえず開けてみろや」

 

 クロウに言われて蓋のロックを外して開けてみると、そこには綺麗に並べられた冷蔵エビが大量に入っていた。

数にして三十は優にあるだろうか。更に一匹一匹が大きく、見る限り質も良い。

まさにそれは、今レイが求めている食材そのものだった。

 

「こ、これってどうして……」

 

「ハハ、んなもん当たり前だろ。後輩の考えてる事なんてお見とお―――」

 

「実はリィン君から相談を受けてね。食材の確保に心当たりがないかと。そこで可愛い後輩のために一肌脱いだという訳さ」

 

「―――ってオイコラ、ゼリカ‼ せめて最後まで言わせろ‼ 中途半端に終わるのが一番辛いだろうが‼」

 

 ギャーギャーと文句を言うクロウを横目に、レイは傷めないようにしながらボックスに手を添える。

 

 エビの確保はどうしようかと、そう思わず漏らしてしまったのは昨日のLHRの時だけだったはずだ。

最後まで自分だけでどうにかしようと思っていたのにも拘らず、最後の最後で助けられてしまった事に形容しがたい嬉しさが込み上げてくる。

助けた事を伝えず、あくまで手助けのみに徹しようとする心意気。心配りでリィンに先手を打たれていたという事実に、思わず口元が綻んだ。

 

「……ありがとう、ございます。どこで仕入れて来てくれたんですか?」

 

「なに、クロウのちょっとしたツテを頼ってね。帝都まで行って来たんだ。丁度完成したばかりの導力バイクの乗り心地も再確認しておきたかったから、私が足を提供したのさ」

 

 ポンポン、と愛おしそうにアンゼリカが撫でているのは、今はまだ世間には普及していない導力式の二輪自動車。排気量などのスペックこそ四輪自動車に劣るものの、機動力や整備の簡潔さなどの利点があり、現段階では正式生産が決定していないが、能力的には申し分ない代物である。

 クロウと初めて会った時からちょくちょく技術棟に顔を出していたレイは勿論これの存在については知っており、車体のペイントなどについて先輩たちに交じって意見を交わした事もあった。

 

「サイドカーも付いて二人乗りっすか」

 

「あぁ。本当はトワを乗せて華のあるツーリングと洒落込みたかったんだがね。如何せん予定が合わず妥協をしたんだ」

 

「何で俺がワガママ言ったみたいになってんだよ。……ま、美味いメシ作るんだろ。気になってたんだよ、お前の作るメシがどんなもんか」

 

 だから、と、クロウがクーラーボックスに手を添えて付け加えた。

 

「コイツの代金はいらねぇから、俺たちもお前のメシにありつかせてくれ。それが譲る条件って事でどうだ?」

 

「お安い御用です。何だったらトワ会長とジョルジュ先輩もどうっすか? この際多少増えても変わらないですから」

 

「それはありがたいね。好意に甘えさせてもらうとしよう」

 

 そう言えば以前、クロウと初めて会った時に彼が言っていた事を思い出す。

 機会があったら食わせてくれと、口約束ではあるが確かに言葉を交わした覚えがある。ならば恩を返すという意味合いでも、最上級の料理で以てもてなさなくてはならない。

 

「期待してるぜ、料理長(シェフ)

 

 クロウのその言葉に、レイは黙って不敵な笑みを返したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 厨房から蠱惑的な香りが漏れ出てくる。

 塩と胡椒を絶妙なタイミングで合わせ、油を敷いた鍋で調理をし、酸味のある餡を同時進行で作り上げる。

肉の焼ける匂い、魚の揚がる音、野菜から醸し出される濃厚な香りが、徐々に料理が完成へと近づいている事を伝えてくれていた。

 

 厨房兼食堂から扉一枚隔てた談話室に集まる食べ盛りの学生たちは、その香りに当てられて涎が出そうになるのをグッと堪えていた。

叶うのならばすぐさま扉を開けて食欲をそそってやまないこの匂いを直接嗅ぎたい衝動に駆られるが、それをしてしまえば今まさしく厨房と言う名の戦場で戦っているレイの邪魔をする事になる。それだけはできなかった。

 

 

「うぅ……クロウ君、私もうだめだよぉ。お昼ごはんも忙しくてあんまり食べられなかったからもう限界ぃ……」

 

「言うなトワ‼ 俺だってもうヤベェんだ。さっきから腹が鳴りっぱなしなんだよ……っ‼」

 

「ふ、ふふふ、お腹が空いてたまらないトワもまた一段と可愛くてステキだが―――今は私もあまり余裕がないな」

 

「ははは……ボクの場合はお腹が減るのはいつもの事だけど、今日は一段と魅力的な食事になりそうだねぇ」

 

 二年生勢は固まって互いに声を掛けながら凌いでいる。そんな中でも余裕を見せるあたり流石に士官学院で一年間を過ごした猛者たちと言うべきだが、後輩にあたる一年生勢は―――

 

 

「マズいマズいマズい。皆、意識をしっかり持て‼ 持っていかれるなよ‼」

 

「り、リィン、僕もう限界……何でもいいから口に入れる物……」

 

「気をしっかり持ちたまえ‼ ここで食べたら負けだぞ‼」

 

「………………」

 

「リィン、ユーシスがマズいぞ。さっきから俯いたままピクリともしない」

 

「あ、悪魔ぁ……ダイエットしようとした矢先にこれとか何の拷問よぉ……」

 

「アリサは充分痩せているではないか。私は今夜は思う存分食べるつもりだぞ。淑女の嗜み? そんなものは知らんな」

 

「委員長……も、私、ダメ。……ちょっと、落ちる、ね」

 

「寝ちゃだめですフィーちゃん‼ 私だってもう………………ハッ、今少し意識飛んでました‼」

 

 各々自制心を保つのに精一杯であった。

更に唯一の教師に至っては―――

 

 

「ビールビールビールビール、餃子、八宝菜、エビチリ、麻婆豆腐、チンジャオロース、炒飯、あんかけにおこげに油淋鶏……回鍋肉に小籠包……じゅるり」

 

 何というか、既に堕落しきっていた。

 

 そんなカオスな状況の中、全員の限界を見極めたかのように隔てていた扉が勢いよく開いた。

その先に居たのは、愛用のエプロンを油で汚したレイの姿。右手にはお玉を装備した彼は、全員を一瞥してからニヤリと笑った。

 

「待たせたな者共。宴の開演だ、好きな席に付きやがれ」

 

 その言葉に全員が過剰反応し、その五秒後にはまるで瞬間移動したかのごとく食堂の席に揃って着席していた。

彼らの目の前にあるのは山と積まれた中華料理の数々。その全てが白い湯気を立ち昇らせ、多種多様入り混じった芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。

 

「料理の解説は無粋だからしない。後は各々の舌でどんなものかを感じ取りな。追加注文は幾らでも受け付ける。―――さぁ、全員揃って」

 

「「「「「「「「「「「「「「いただきますっ‼」」」」」」」」」」」」」」

 

 Ⅶ組の面々から第三学生寮式の食事作法を教わっていた二年生も含めて声を揃えてそう言うと、堰が切れたかのように各々が料理を食らい始めた。

 完全に暴食の様相を呈しているクロウとサラ、そこまではいかずとも年頃の男子らしく旺盛に食べていくリィン、エリオット、ガイウス、マキアス。貴族らしく節度を持ちながらもやはり食べるスピードはいつもの1.5倍くらいになっているユーシス、泣きながらもあれもこれもと料理に手を伸ばすアリサ、ラウラはアンゼリカと共に味の濃いものを中心に大皿を空にして行き、フィーはまるで手品師の如く小皿に分けた料理を消すように食べ、エマはそんなフィーの口元を拭いながらも、魚系の料理を口に含んでいく。トワはがっつくのを恥ずかしそうな仕草を見せながらも食欲には抗えずにパクパクと食べてその度に幸せそうな表情を浮かべ、ジョルジュは言うまでもなく満喫をしている様子だった。

 

 そんな賑やかな様子を横目で見ながらレイはひたすら中華鍋を振り、油に食材を通し、出来上がったものを次々と大皿に移していく。

それを器用に運んでいくのは人型状態のシオンだ。雰囲気も重要ですという本人たっての希望でいつもの着物ではなく、その妖艶な肢体を惜しげもなく浮かび上がらせるチャイナドレスを着て、ノリノリの様子で給仕をしている。

 いつもならその艶姿に目を奪われるであろう男子陣も今は流石に食欲が優先なようで、運ばれてきた新しい料理に瞬時に食いつき、瞬く間にその山を切り崩していく。

 

「ふふふ、若者は元気があって宜しいですなぁ。旺盛な食欲、暴飲暴食もまたこの時だけの特権です」

 

「全くだ。肉にたかるハイエナかと見間違うぞ」

 

「主は参加せずとも宜しいので?」

 

「馬鹿を言え。料理を放り出す料理人がどこにいる」

 

 そう言いながらレイは再び己の戦場と向き合った。

 

 

 

 

 状況が落ち着き始めたのは、宴が始まってから一時間が経とうとした頃。

 開始直後はあれだけ力強く食欲を満たしていた面々も今はそれぞれ落ち着き、食後用にと出した緑茶を啜って思い思いに寛いでいた。

皆一様に満足げな表情を浮かべるその様子。それを見れただけでも頑張った甲斐はあったなと、そう思いながらレイはレンゲで掬った炒飯を自分の口へと入れた。

 

「……ねぇ、レイ」

 

「ん?」

 

 そんな彼の横に座ったのは、シオンがデザートとして密かに作っていた胡麻団子を口に入れながら、いつもより緩んだ表情をしたフィーだった。

 

「ありがと。前食べた時より美味しくなってて、凄く楽しかった」

 

「そう言って貰えれば御の字だ。チャンホイさん―――俺の中華料理の師匠には及ばないけどな」

 

「そんな事はない。少なくとも、俺たちに言わせればな」

 

 反対方向の横の席に掛けたのは、同じくデザートとして出された杏仁豆腐の入った皿を持ったリィン。

 

「俺からもお礼を言わせてくれ。まさかこんな美味いものが学生寮で食べられるとは思わなかった。いつか絶対に、お返しをさせてもらうよ」

 

「別にかまわねぇよ。俺も作ってて楽しかったしな」

 

「まーまー、良いから素直に聞いとけって。いや、マジで、それだけの価値はあったっつーか、金取れるレベルだったぜ」

 

 そして背後からレイの髪の毛をわしゃわしゃと手で乱してくるクロウ。

三人からの屈託のない感謝の念を聞いて、レイは少しばかり安堵した。

 視線を移せば、その言葉に同意するかのように全員が頷いていた。嬉しい事は勿論なのだが、どうにもその視線が面映ゆく感じてしまい、ふと天井を見上げた。

 

「(……たまには悪くねーな、こういうのも)」

 

 気の迷いであったとしてもそう思ってしまう程に、その時間はレイにとって心地の良いものであった。

良い料理を作り、それを喜んで食べてもらう。そして礼を言ってもらうという、考えてみれば当たり前の事。

 

 そんな当たり前の事すらも今まで考える余裕がなかったのかと自虐的な笑みを浮かべ、レイは再び自作の料理を口に運んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 


 メインストーリーより日常譚の方が文字数が多くなる法則に則って今回も14000文字以上となりました。まぁ、長くなるのは別にいいんですけどね。

さて、次回もメインに少し食い込む日常譚ですかねー。
”あの人”をそろそろ出さなきゃならん。あー、忙しい忙しい。


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完全で瀟洒な従者 前篇

タイトルからネタに走ったけど、この人の場合はこの二つ名でも違和感ないと個人的には思ったりします。

というか咲夜さんと三つか四つくらいしか離れてないんだよなぁ、この人。


 

 その日は、朝から雨が降っていた。

 

 時期も関係しているのだろう。六月から七月にかけて、帝国では雨季が訪れる。突発的に雨が降る事もあるので、外出する際には傘が手放せなくなる季節となるのだ。

全体的に考えればその雨は農耕地帯に恵みをもたらし、水不足を杞憂のものとしてくれるなどメリットは多い。しかし大自然のサイクルなど考える余裕がないちっぽけな一人の人間としては、籠ったような熱気に加えて鬱陶しく降り続けるこの時期の雨を諸手を挙げて歓迎する事などできない。

 

 重大な問題がある。

 洗濯物がなかなか乾かないのだ。

 

 

「マジで死ねや、湿気」

 

「気持ちは分かるが落ち着け」

 

 せっかく洗濯をした服もベッドシーツも、最近では生乾きが多い。それは女子の洗濯物でも同じ事が言えるのだが、そんな事は関係なくレイのイライラ度は着実に上がっており、それをリィンが宥めるという状況が出来上がっていた。

 冷蔵庫と同時に新配備した洗濯機は脱水までしてくれる優れものではあるが、如何せん乾燥の方は自力でなんとかしなくてはならない。

料理とは違って洗濯や掃除などはクラスの全員で交代で担当しているが、やはりというかなんというか、一番手際が良いのはやはりレイだった。

 

「しっかしアレなんだな。どうしてそんなに手際が良いんだ?」

 

「遊撃士ってのは自分でできる事は極力自分でやるからな。支部の掃除なんかも配属されている遊撃士の義務みたいなもんだし、自然と慣れてくるもんなんだ」

 

 実際その通りなのである。

 遊撃士にとって、活動拠点となる支部は個々人の実家も同然であり、任務の合間、時間が空いた時の暇な時間などにメンバー自らが掃除を行う事は特に珍しくない。

とは言え年がら年中激務に晒されていたクロスベル支部ではその暇な時間そのものが中々取れない状態が普通だったのだが、それでも一年の節目などには全員が揃って大掃除をしていたりした。

その際に毎回何かしらのハプニングが起こったりしたのだが、それはまた別の話である。

 

「見習わなくちゃいけないな」

 

「いや、俺から見ればお前らも結構手際がいいけどな。こんだけ個性バラバラな人間が集まれば一人くらいはズボラな奴が出て来るもんなんだが」

 

 身分も出身も経歴も何もかもがバラバラなⅦ組の面々ではあるが、不思議な事に全員がある程度の生活能力を持っている。

例外として料理は経験がある人間とない人間とで必然的に技量の差が生じてはいるが、その他の洗濯や掃除などに当番制で割り当てられたメンバーは恙なくその役目を果たしてくれている。

そもそもが真面目で何事も率先してやろうとするリィンやガイウス、エマなどは勿論の事、道場の掃除などで一家言を持っているラウラや、激務の父親に代わって実家の家事を執り行っていたマキアスなどのレベルも高く、元々は生活能力ゼロだったフィーですらも、レイの教育の賜物もあって最低限のスキルは身に着けている。

 

「というかユーシスの黙々と仕事こなす感じがあまりにもシュールで俺笑いかけたんだけど悪くないよな?」

 

「あぁ大丈夫、アレには俺も思わず吹き出しそうになった」

 

 一番驚いたのは、メンバーの中で一番家事に縁遠そうな感じだったユーシスが思いのほか”できる”事だった。

壁だろうが床だろうがどこだろうが黙々と掃除をこなし、洗濯物の処理を済ませ、あまつさえ調理補佐ですら器用にこなす男であり、正直オールマイティさで言うならばレイを除けばⅦ組で一番だったりする。

 

「……あれもノブレス・オブリージュってやつなのかな」

 

「ヤメロ、今一瞬腹筋が崩壊しかけた」

 

 すでに手は震え、笑い声が漏れている。もし今ここで本人を呼んだ時に「何の用だ。俺は今ノブレストイレ掃除の時間だ、邪魔をするな」などと言われようものなら恐らく笑い死にできるだろう。

叶わぬ夢ではありそうだが。

 

 

「いや、マジメな話、流石に家事全体の統括者が欲しい所なんだよなぁ」

 

「……それは俺たちが学院に行ってる昼間に寮に居てくれる人、という事か?」

 

「ご明察。ウチに居る大人って言えばあのアルコール中毒者しかいねーしな。しかも教師だし」

 

 実際問題として、正式な管理人がいないというのは問題がある。

貴族生徒が住まう第一学生寮は勿論の事、平民生徒の宿舎である第二学生寮も学院から派遣された正式な管理人が常駐しているのである。

第三学生寮は特例の上で使用許可が下りている場所であるとはいえ、流石にこの管理体制では問題があるのではないかと、レイは前々から常々思ってはいた。そもそも一介の学生であるはずの自分が寮の鍵と食費を握っている事自体がおかしい。何度も直談判はしようとしたが、その度に寮の家事業務に忙殺されてすっかり忘れてしまっていた。

 ……実はそんな重要事項を生徒であるレイが考えている事自体が間違っており、本来なら担任であるサラ・バレスタイン(アルコールジャンキー)が解決しなければならないものだという考えには至っていない。

 

 と、そこまで考えていた所で、レイが洗濯物を干す手をピタリと止めた。

 

「? どうしたんだ?」

 

「いや……今俺は何故か何かしらのフラグを立てたような気がした」

 

「不吉なこと言うなよ。レイの予感は良く当たるんだから」

 

「いや、多分そんな悪いもんじゃない気がするんだが……学院に行ったら委員長に占ってもらうか」

 

「真相究明の仕方がマジだな」

 

 どうにも胸騒ぎがする中で朝の作業を終え、同じく女子の方の洗濯物の処理を担当していたアリサとラウラと共に傘を広げて学院へと向かった。

 

 

 雨の日のトリスタは、晴れている日とはまた違った一面を見せる。いつもなら開店準備などで賑やかなこの時間帯も、雨の日はどことなく静かであり、シトシトと降り続ける雨が木々の葉や石畳を打つ音が楽器の音色のように響き渡るのだ。

 そんな中を歩くレイ達は、しかしいつもと変わらない。いつも通り他愛のない談笑や本日の授業の確認などを教え合いながら学院の門を潜る。

 

「しかしアレだな。こう雨の日が続くと体が動かせなくて困る」

 

「あ、それ分かるかも。私もラクロス部の活動ができなくて困ってるのよねー」

 

「ふむ、私はギムナジウムで部活をしているから障害はないのだが……しかしやはりレイとの稽古が出来ぬというのは痛手だな」

 

「お前ら鍛える事に関して貪欲過ぎんだろ」

 

 レイ、リィン、ラウラの三人で行っている朝練というのは今でも続いており、最近では話を聞いて新たに志願して来たガイウスも含めて四人で行ったりしている。そこにたまに気分で早起きをしてしまったというフィーが加わったりすると乱戦時の稽古が出来たりして非常に有意義なのだが、流石に雨天時には行う事はできず、ここ数日間は稽古をしていない状況だ。

 

「あなたたち凄いわね。一応実技指導の時にサラ教官やレイにこってり絞られてるのにその上早朝にもなんて」

 

「「それはそれ、これはこれ」」

 

「心配いらん。前衛組は大なり小なり地元で鍛練積んでる強化人間だから。疲れとか三十分もあれば全快するから」

 

「何その非常識。私なんてようやく筋肉痛が出なくなったレベルなのに」

 

「ウェルカム、ようこそ戦士としての入り口(非常識の一歩目)へ。アレに慣れて来たんならもう一歩踏み込んだカリキュラムでも多分大丈夫じゃね?」

 

「何だか地雷を踏んだ気がするわ。それも一際大きい奴を」

 

 身に迫る危機を察したアリサだったが、気付いた時には時既に遅し。レイの右目には怪しい光が灯っていた。

 

「心配すんな。レイ・クレイドル プレゼンツ ”中級者用対人戦の基礎 ~VS戦闘に慣れた手練れの集団 デッド・オア・アライブ問わず 編~” の準備は整ってる」

 

「タイトルからして不吉すぎるわよ‼」

 

「何言ってんだ。そんな事言ったら ”準達人級対人戦の鉄則 ~VS実力で数段勝る敵 賢く戦えさもなくば死ね 編~” の方がもっとエグいぞ」

 

「どうしようかラウラ。少し興味が湧いた俺はもう活人剣の使い手として終わってる気がする」

 

「案ずるなリィン。ネーミングはともかく、その講座を受けてみたいと思ってしまった私も同罪だ」

 

Ⅶ組(ウチ)が段々凄い場所になって来た気がするわね……人間性っていう意味で」

 

 ついに眼の光がだんだん薄れてきたアリサを連れながら教室に入る。

 

 実力、つまり実戦においてリィンたちが慣れて来たという事は否定できない。

レイとフィーという、死線を幾度も掻い潜って来た二人の戦いを目の前で何度も見てきたせいだろうか。”負けていられない””頼ってばかりでは情けない”と奮起した向上心のある面々が各々努力して自らの長所を伸ばし、短所を克服しようと精を出している。これで強くならないわけがない。

 とはいえ、経験が不足しているという意味ではまだまだ学生の域を出ない段階ではあるが、むしろレイはその方が良いと考えていた。

過剰な背伸びは、焦燥と増長を生み、思わぬ惨事を招きかねない。

身の丈に合った、と言えば誤解を生みかねないが、強さを得るためには段階を踏むことが大切だ。それを弁えずにただひたすらに強くなろうと欲すると、いずれその欲に憑りつかれてしまいかねない。

 実際、そうなりかけたレイからすれば、それは他人事ではないのだ。

 

 それに、今の時期は実技よりも優先すべきことがある。

 その事実を改めて突き付けられたのは、半ドンの授業の最後のLHRの時だった。

 

 

 

 

 

「は~い、じゃあ聞いてると思うけど明日っから中間試験だからね~」

 

 呑気そうな担任教官(サラ)の声がⅦ組の教室に響く。その告知に生徒である面々が浮かべた表情は様々だ。

 軍事学を学ぶ士官学院であったとしても、一般教育も受けている限り、座学の試験は免れない。それが中間試験ともなれば、入学してからこれまでに教わった内容全てを出題範囲にして厳正な学力の査定をするという事に他ならない。

良くも悪くも誤魔化しのきかないこの行事に、勿論貴族生徒と平民生徒の間で優劣など存在しない。明暗を分けるのはどれだけ知識を蓄えたかという、ただそれだけなのだから。

 

「あらどうしたのよレイ。いつものアンタなら「メンド臭い」とか言うところでしょうに」

 

「地味に当たってるから何も言い返せないな。―――まぁ確かに普通ならそう言ってるところだが、成績が発表されるなら話は別だ」

 

 トールズの中間・期末試験は、クラス平均・個別成績共に学年別で全て張り出される。

貴族生徒、平民生徒問わず施行されるこれは、身分の違いを超えて切磋琢磨できるようにという学院側の意向だが、順位が決まると聞いて根本的に負けず嫌いな人間が手を抜くというのはありえない。

無論レイも、その中の一人だった。

 

「普段偉そうな事ぬかしてる本人が学業で振るわないとか最悪だからな。俺のプライドにかけて学年10位以内には必ず入ってやる」

 

「おー、強気ね。結構結構。……で、フィー、アンタはどうなの?」

 

「ん」

 

 元来戦闘以外で頭を使う事を苦手としているフィーだったが、この時は自信ありげに頷いた。

 

「学年50位以内に入ったら何でも一回だけ言う事聞いてくれるってレイが言ったから、今の私は超本気」

 

「レイ、アンタ結構追い詰められてたわね」

 

「意欲を出すためとはいえ、軽率な事言ったって自覚はあるからそれ以上言うな」

 

 実際、家庭教師の真似事をしていたレイはフィーの試験勉強にかなり苦戦を強いられていた。

元の頭の出来は悪くないはずなのだが、そも本人が勉強自体に意欲がなかったため、覚えられるものも覚えられない。

そこは初代家庭教師をしていたエマも一番苦労をしていた所で、どうすればよいのかと、フィーが一番付き合いの長いレイに相談を持ち掛けたのである。

 

 試験対策など、突き詰めてしまえばただひたすら知識を詰め込む作業の繰り返しではあるのだが、単純な作業であるが故にそこに”やる気”がなければ持続はしない。

もし試験範囲の中に”火薬の正しい調合の仕方”やら”対人地雷の正しい設置の仕方”などと言った問題があったとしたらフィーは一目見ただけで覚えただろう。それはかつて彼女が猟兵団に居た頃に体に覚え込ませた生きるための知識。頭で考える前に体が覚えているから忘れるわけがない。

 ただ、数学やら古典やら美術史やらといった、”別に覚えなくとも生きていける知識”については驚くほどに無頓着だ。トールズの入学試験の際にはレイが昼夜問わず付きっ切りで教えてどうにか合格ラインまで持って行ったが、ああいった”無理矢理覚え込ませる”やり方はできる事ならばしたくない。

 出来るのならば自主的に。勉強が楽しいと思えなくとも、学ぶ事に何かしらの意義を見出してほしいと思っていた。例え、きっかけが何であろうとも、だ。

 

 だからレイは、妹分のために身を切った。

 

 

「中間試験で50位以内になったら、一回だけ俺が何でも言う事聞いてやる。あ、勿論肉体的・社会的に俺が死なない程度のものな」

 

 

 それがレイの出した提案。正直効き目があるかどうかなど分からなかったが、直後にフィーは猫のようにピクリと体を跳ね上がらせ、右手で力強く鉛筆を握り、左手で教科書を手繰り始めた。

 以降、エマとレイの二人三脚で試験勉強を見ていたのだが、本気(になっただろうと思われる)のフィーの知識の吸収力は凄まじく、今まで遅れに遅れていた勉強を取り戻すかのごとく真剣な眼差しを持続させていた。

教師役の二人も、教える事で効率よく復習ができたという一石二鳥の状況が今まで続き、そして今日の試験前日に至るのである。

 

「ねぇ、実際フィーの今の学力ってどれくらいなの?」

 

 右隣の席に座るエリオットが小声でそう聞いてくる。恐らく誰もが気になっているであろう事だろうが、レイは同じく小声で返した。

 

「凄く頑張ってはいる。いるんだが、勉強を始めた当初のレベルが低すぎてトップランカーは勿論狙えない。……でも、相当なポカやらかさない限りは50位以内は確実だ」

 

「す、凄いね。僕も下手したら抜かれちゃうかも……」

 

「気は抜かねぇ方がいいぞ。色々ブーストかかってる今のアイツはどんなどんでん返しをやらかすか俺でも予想できん」

 

 人知れず冷や汗を流していると、授業終了のチャイムが鳴った。

 

「はい、じゃあ今日はここまで。寮に帰るか残って試験勉強するかは皆の自由。一応担任教官として、いい成績が残せるように祈ってるわ」

 

「その完全他人事思考に若干イラッと来た俺は悪くないと思う」

 

「同意」

 

 最後にレイとフィーのキツい一言が入ったところで区切りとなり、LHRが終わる。

そしてサラが教室から出て行ったあと、Ⅶ組のメンバーはリィンの席を中心に円を作るようにして集まった。

 

 

「んで、これからどうする?」

 

「俺としては少し残って勉強したいところだな。皆は?」

 

 リィンが問いかけると、全員が頷いた。

 

「僕も残るよ。少し数学が心配で……マキアス、ちょっと教えてくれないかな?」

 

「あぁ、構わない。良い復習にもなるしな」

 

「俺は少し帝国史が不安だな……」

 

「ならば俺が付き合おう。代わりと言っては何だが、軍事史の設問に付き合ってくれ」

 

 エリオットとマキアス、ガイウスとユーシスというコンビ二組が出来上がり、女子たちもグループを作り始めていた。

 

「さてフィーちゃん、ラストスパートをかけましょう。後は……美術史と古典ですね」

 

「正直覚えても将来何の役にも立たないと思う」

 

「そ、それを言われると学生の私たちじゃ何も言えないわね。でも美術史をやるなら私も混ぜて貰えないかしら」

 

「勿論です。レイさんもフィーちゃんのお勉強に付き合って下さいね」

 

「ま、乗り掛かった舟だからな。―――そうだ、リィン。お前もこっちに来い」

 

「え、ちょ、何で」

 

「女子3、男子1という羨ましそうに見えて疎外感MAXの状況を放っておくつもりか? 道連れに決まってんだろうが」

 

「そこはオブラードに包んだ方がいいんじゃないかと思うんだが違うか?」

 

「メンド臭い」

 

 そうしてレイが同志を巻き込んだところで、エマは視線をラウラに向けていた。

 

「ラウラさんも、一緒にお勉強しませんか?」

 

「む……あ、あぁ」

 

 普段竹を割ったような性格である彼女にしては珍しく言いよどみ、ほんの一瞬だけフィーの方を一瞥し、そして僅かに苦笑した。

 

「そう、だな。邪魔でなければ混ぜてもらおうか。音楽史に少々不安が残るのでな」

 

 しかし誘いを断るという事もなく、乗って来た。エマとアリサは今の一瞬に起きた微かな違和感を感じ取る事はできなかったが、当事者のフィーとそうした刹那の行動に気を配るレイ、そしてそんな彼の影響で他人の心情に機敏になって来たリィンは気付いた。

 

 理由は、まぁ何となく分かる。しかし特に空気が悪くなることも無ければ、リィンとアリサ、マキアスとユーシスの時のように目に見える軋轢があるわけでもない。

少なくとも、今の時点では明確な問題に発展していないし、前者の問題に比べれば良い意味で矮小だ。自分たちが入り込むべき時期ではない。

 

「(難しいよなぁ……)」

 

 二人の間に僅かに張った緊張感の根本は凡そ年頃の少女らしくはないものなのだが、それでもタイミングは計らなければならない。

一難去ればまた一難がやってくるこの状況に内心でため息をつきながら、レイは自分が取り組もうとしていた政治経済のテキストをカバンの中から引っ張り出した。

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 結論から言うと、リィンには勉強開始後一時間で逃げられた。

レイがトイレに立った瞬間に「他の皆の様子も見てくる」と言ってまんまと立ち去ったらしい。その強かさは、以前のリィンには備わっていなかったものだ。

だが、レイは別に怒ってはいなかった。むしろ良く逃げたもんだとほくそ笑んだし、もし彼自身がリィンに誘われる形でこの女子グループの中に引きずり込まれたのだとしたら同じような手口で逃亡するだろう。

 

 故にレイはリィンを追うことなく、そのまま水泳部に所属しているラウラの許可を取って勉強場所にしていたギムナジウムの二階でフィーの勉強を見ながら政治経済のテキストをパラパラと捲っていく。

帝国における法律、経済市場などを学ぶ政治経済はある意味帝国史以上にレイにとっては鬼門だった。加えて担当教官であるハインリッヒ教頭の試験問題は時々予想外の事を聞かれてウザったいと、先達であるクロウから聞いていたため、特に勉強には力を入れている。

 とはいえ、試験前日にあたふたして丸暗記をしようとするほど切羽詰まってはいない。既に覚えるべきところは覚え、後は最終確認だけである。

 

 そうして驚くほどに平和な時間が数時間ほど過ぎた後、突然館内に放送が流れた。

 

『えー、コホン。一年Ⅶ組のレイ・クレイドル君、一年Ⅶ組のレイ・クレイドル君。至急、本館学長室まで来るように』

 

 放送の声はハインリッヒ教頭のものであり、心なしかいつもより余裕のない声色であった。

まさか無自覚のうちに何かやらかしていたか? と思い、思い返してみる。

 ……やってない、とは言い切れない。技術棟でのバイクの塗装作業の時に誤って異臭騒ぎに発展しそうになったり、実技演習の時に少し気合が入りすぎてグラウンドに窪みを形成したりと、まぁ色々やらかしてはいる。

 だが、それらの行動はその直後にきちんとお叱りを受け、お咎めなしとなったはずだ。普段は多少嫌味ったらしい教頭ではあるが、自分が口にした事を反故にするような性格でもないだろう。

 

 しかし、それをいくら考えたところで仕方ない。どうせ直接赴けば分かることなのだから。

 

「ちょっと行ってくるわ」

 

「いってら」

 

 フィーのその短い返しと、他の三人の許可も取ってギムナジウムを出る。

雨はまだ降り止んではおらず、それほど距離が離れていない本館へ向かうにしても傘を差さなければいけない事に面倒臭さを覚えながらも、本館の西口から建物内に入る。

 そのまま廊下を歩いて職員室の前を通り過ぎ、他の部屋の扉よりも豪奢な作りになっている扉の前に立つ。

仮にも学長に会うのにだらしない恰好のままでいられるほどレイは物臭ではない。僅かに緩めていたネクタイを締め直していると、ふと鼻腔を擽る香りに気付いた。

それは決してキツい物ではない。淑女の身嗜み程度につけられるであろう香水の匂いである事は瞬時に理解できたが、同時にその香りの種類に既視感を覚えた。

 

「(フローラルローズ……まさか)」

 

 その花の香りの香水を愛用している人物の事を知っている。

とはいえ、こうして学生の身になったからにはビジネス以外の機会に会う事など早々無いだろうなと、そう思っていた。

 ノックを行い、返事を待つ。

すると中から「入りたまえ」という学院長の低い声が聞こえ、扉を開けた。

 

「失礼します。特科クラスⅦ組レイ・クレイドル、参りました」

 

「おぉ、中間試験前日のこの時に呼びつけてすまぬな」

 

 2アージュ以上の巨躯を誇るヴァンダイク学院長は、椅子から立ち上がってレイを迎える。

平時であっても感じる強者の雰囲気に、レイは神経を休ませないまま姿勢を正した。

 

「いえ、そんな事は」

 

「ふむ、君の学業の優秀さは他の教官からも聞いておるよ。加えて学生寮の食事番も務めていると聞いてな。大したものだ」

 

「強制されていることではありません。楽しくやらせていただいてますよ」

 

 本音八割でそう言うと、ヴァンダイクは深く頷いた。

 

「それは重畳。だが簡単な事ではあるまい。その自力には目を見張るが、以降学業に支障が出るとも限らぬだろう?」

 

「それは……」

 

「それについて、バレスタイン教官から以前から相談を受けておってな」

 

 その事実に、流石のレイも表情を崩した。

無論、相談をするくらいなら少しは寮で酔い潰れたりするな、と言いたい所ではあるが、教師として、そして恐らく自分(レイ)のために動いてくれていたのだと考えると嬉しくないわけはない。

 

「ワシとて学生には充実した環境で勉学に勤しんで欲しいと思うておる。それを君たちがケルデックとパルムで実習をしていた時に開いた理事会で議題に挙げて見たところ、協力を申し出てくれた人物がおってな」

 

「学長、お話のオチが読めてしまったのと、先程から気になっていた事を申し上げても宜しいでしょうか」

 

 軽く手を挙げ、そう発言する。本当に話のオチが読めてしまった事に加え、漸く探し当てる事が出来た(・・・・・・・・・・)気配の事が気になってこれ以上話に集中できないと思い、無礼であると承知しながらも会話を切った。

 しかしヴァンダイクはその非礼を責めようとはせず、寧ろ感嘆するような声を漏らす。

 

「ほぅ、この短時間に”探し当てる”とはのう。ワシとて数秒は感じ取る事が出来んかったが」

 

「お言葉ですが学院長、”彼女”の本気の隠形を数秒で見破るのは自分とて不可能です。かつて≪轟雷≫と呼ばれ恐れられた御腕は衰えておられないようで」

 

「フフフ、若気の至りの話はまたの機会としよう。―――出て来なされ」

 

 その声と共に、絨毯を進むブーツの音が軽やかに鳴った。

まるで影から出でたかのように、その女性はレイの視界に入る。

姿自体を消していたわけではない。己の気配を極限まで薄め、人間の認識そのものから己を外していたのだ。扉の前で嗅いだ香水の匂いが無ければ、レイとてもう少し”発見”するのに時間を要した事だろう。

 

 まず目に付くのは、纏ったその衣装。

過度な華やかさはなく、しかし客人をもてなすために必要な上品さがそこにはある。下地は落ち着いた紫色を基調とし、一点の汚れも染みもない白いエプロンドレスは清潔感を印象付ける。

淑やかさと上品さを併せ持ったその服を着るには普通の女性では気落ちしてしまうだろう。しかし彼女が着ている姿は、それだけで独特の美貌を醸し出す。

 緩くカールさせた薄紫色のボブカットの髪に柔和な翡翠色の瞳。蠱惑的な色香すらも漂わせるその姿に、しかしレイは苦笑で出迎えた。

 

「うふふ、流石はレイ様ですわ。決して悟られまいと拙劣な腕ながら頑張らせていただきましたのに」

 

「マジで心臓に悪いからヤメロ。お前が本気で隠れたら気ぃ張ってても見つけるのが大変なんだぞ」

 

「お褒め頂き恐縮ですわ」

 

「四割くらいは皮肉だからな」

 

「話には聞いておったが本当に仲が良いのう」

 

 どこまでも冷静に、どこまでも瀟洒に。

柔和な笑みと共にあらゆる仕事を完璧にこなす従者(メイド)

 

 

 それが彼女、現ラインフォルト家専属使用人 シャロン・クルーガーという人物である。

 

 

「改めまして、お久しゅうございますレイ様。以前クロスベルでのイリーナ会長の護衛以来ですので……半年ほどお会いしておりませんでしたね」

 

「もうそんなに経ったのか。……近頃色々ありすぎて時の流れが早く感じるぜ」

 

 まるで年寄りのようなセリフを吐きながら、再びレイはヴァンダイクへと向き直った。

 

「学院長、それでは彼女が第三学生寮の管理人に?」

 

「うむ。彼女はイリーナ氏の秘書も務めている故、時にはルーレに戻らねばならないが、君の負担は減るじゃろう」

 

 その言葉にレイは肯定した。

彼女の有能さは、恐らくラインフォルト家の嫡女であるアリサ以上に知っている。管理人という役割一つを取ってみても、彼女はその手際の良さを如何なく発揮するだろう。

レイとしても、少しばかり自由な時間が増えるというのは有意義な事であったし、何より勝手知ったる彼女にならば、家事を任せられると思ったのだ。

とはいえ、任せっきりにするつもりなど毛頭ないのだが。

 

「分かりました。―――それじゃあシャロン、こいつを渡しておく。寮の鍵だ」

 

「承りましたわ。このシャロン、三か月に渡ってレイ様が守って来られた寮の管理人の役を、謹んで拝命いたします」

 

 ニコリと、ヴァンダイクからは見えない角度でレイに向けられたその笑顔は、どこか嬉しそうな感情が垣間見えたように見えたのだった。




閃の軌跡で私が一番好きな人物は、即答できますこの人です。

まぁタイトルでネタに走ってまで書く内容なのでタイトル詐欺にならないように後篇も書かせていただきます。


あ、ついでに一つ。

この作品のシャロンさんは結構強いですよ。


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完全で瀟洒な従者 後篇 ※

PCの調子が本気でヤバい今日この頃。

私はイースを始めました(アドルくんがメッチャ好青年‼ 誰だコイツは‼)


「簡潔に聞きます。どうしてシャロンをこっちに寄越したんですか?」

 

 草木も枯れる丑三つ時……とまでは言わないものの、宵も深くなった時間帯の第三学生寮管理人室。

元々は物置として利用されていたそこは、今は新しい管理人であるシャロンの部屋として生まれ変わり、十全とは言えないが設備も整っていた。

その一つが通話機器だ。元よりラインフォルトグループから仮出向のような位置づけでトリスタに赴いているシャロンには、元来の業務であるイリーナ・ラインフォルトの補佐という仕事がある。

寮の管理と並行して滞りなくその業務も執り行うため、遠く離れたルーレとの連絡手段は必須だ。

 そして普段はシャロンが専用で使っているその電話を、今はレイが本人の許可を取って使っている。

相手はシャロンをここに寄越した張本人。今まで何度か顔を合わせ、見知っている人物だ。

 

『その疑問に答える必要はあるのかしら?』

 

「他の皆はぶっちゃけどうでも良いと思ってるでしょう。アリサだって案外すんなりと受け入れました。でも生徒を代表して俺だけは意図を知っておきたいんです」

 

『建前は省いてくれて結構よ。どうせ分かっているでしょうに』

 

「…………」

 

 その声色は、氷で作られた刃を彷彿とさせる。

 現ラインフォルトグループ、ルーレに本社を構える『RF社』の会長を務める才媛にしてアリサの実母。

加えてトールズ士官学院における三名の常任理事の一人、イリーナ・ラインフォルト。

 

 数多の商売敵との契約争奪や国外の軍需産業との差別化、巨大なグループの統括者として幾度も修羅場を潜り抜けて来た彼女は、声色だけで虚偽の全てを見抜く。

 どうせすぐにバレるだろうと思っていた”建前”をものの数秒で見抜かれたことに関しては何も言う事はない。騙しきれるなど毛頭思っていないし、更に言うならばそれが分かっていて尚聞いているのだ。

 

『まぁ、あなたの事だからそれでも聞くのでしょう? 時間がないから簡潔に説明するけど宜しくて?』

 

「……ありがとうございます」

 

 礼は述べたが、返事は帰ってこない。

分単位、否、秒単位で一日を生きている彼女にとって、無駄な行動こそが何よりの敵だ。つまりは、そう捉えられたのだろう。

それに対して、レイは特に不満を漏らすという事もない。本来であるならば、今は一介の学生であるだけのレイからの個人的な電話に応える事自体有り得ない事なのだ。そこから判断しても、過去のやり取りの末に信頼されているという事が分かる。

 

 

『理由は二つ。一つはあなたも想像がついているように単純にビジネスよ。レイ・クレイドル(あなた)というパイプを介して≪マーナガルム≫との繋がりを構築する。戦火の臭いが濃くなってきたこの情勢下での”正義の猟兵”との繋がりは持っておくに越したことはないでしょう』

 

 ゼムリア大陸の戦場において活躍する組織というのは、大別して二つに分かれる。

一つは国家・または国家に属する貴族や大富豪が抱える軍隊。これは言うまでもなく専業軍人と呼ばれる類のもので、絶対数では一番多い。

二つ目は傭兵、または猟兵団と呼ばれる個別組織。武力を前面に出して自らを売り込むというその性質からか名の売れている組織は比例して練度も高い。

 

 一概にどちらが強いとは言い切れない。それこそ軍事国家であるエレボニアの正規軍、その中でも精鋭と謳われる部隊であれば並の猟兵を蹴散らす力を有しているし、規律という鋼の意思のもとに統率された彼らを本当の意味で突き破るのは困難と言わざるを得ないだろう。

 

 だが一部の、所謂超人じみた人材を多数有する猟兵団を相手取った時には必勝を約束することはできない。

数こそ正規軍には遠く及ばないが、常に屍山血河の地獄絵図を体現する戦場を渡り歩く彼らは、有体に言えば”慣れている”。常に神経を張りつめるという事に、敵の裏をかくという事に、そしてなにより、人を殺す事に慣れている。

 しかし、基本的には猟兵というのは忌み嫌われる存在だ。武装した敵兵士を殺す事は勿論の事、彼らは必要とあらば無辜の民間人であっても躊躇いなく殺める。略奪や放火の類も嫌悪感なく行う。

だからこそ七耀教会や遊撃士協会は猟兵という存在を忌避し、対立している。国によっては、猟兵を雇う事それ自体を犯罪として法律に記している国もあるくらいだ。

 

 そんな中で、唯一とっても良いほどに、あまりそれらの嫌悪の感情を向けられていない猟兵団がある。

 

 

 猟兵団≪マーナガルム≫。設立年代こそ約5年前と最近ではあるが、その打ち立てた戦功は大きい。

構成人数も一般的な中堅猟兵団とさほど変わらない規模ながら、西ゼムリア大陸を中心に数々の戦場を渡り歩いてきた一団。物量という側面から見れば最上級の猟兵団には劣るものの、構成員の質という面から鑑みれば、≪赤い星座≫とも渡り合えるのではないかとも言われており、その評判だけでも優秀であることが垣間見える。

 しかし彼らの名が売れている本当の理由は、イリーナが言った”正義の猟兵”という異名にある。

 

 彼ら≪マーナガルム≫が手にかけるのは武器を持った敵兵士のみ。民間人の虐殺・略奪・放火の類は設立以来一切行っておらず、それに準じた契約も一切行っていない。

あくまでも”戦闘者”として、殺すべき者のみを慈悲なく潰す。引き金を引く対象は自分たちと同じ戦場に立つ人間であり、無関係な一般人は仕事における埒外。故に殺さない。

 その信条を掲げ、それを現在まで貫き通しているからこそ、その異名がついたのである。

尤も、同業者からは”半端者””臆病者”と蔑みの視線を送られることもよくあり、教会や協会の関係者からも”狂人の皮をかぶった偽善者”と評価を下されることも少なくない。

だがそれらの評価を全く意に介さず信条を貫き続ける彼らを信頼する組織もまた、一定以上に存在する。

 

 しかしレイは、僅かな自虐の意も含んだ微笑を浮かべた。

 

「何を言っているのやら。人を殺して、手を血に染めた時点で正義もクソもありゃしないでしょうよ」

 

『否定はしないわ。それならその要因となる武器を売り捌く私とて正義とは程遠い。私もあなたも同罪なのだから、せめてそう嘯くくらいは自由ではなくて?』

 

「ま、それもそうですね。それと、言っておきますけどそういう話は直接奴らの団長にどうぞ。今現時点で大陸のどこで何してるかも分からない俺をパイプにしたところで効果は薄いと思いますよ」

 

『あら、そう? てっきりあなたが一声かければ集まるものだとばかり思っていたのだけれど』

 

「ジョークを言える程度には余裕があるみたいですね、イリーナ会長」

 

 深い関わりがある、という事実をいまさら否定はしない。そんな事は彼女の護衛を何度も務めていた時に根掘り葉掘り聞かれてしまった事だ。

だがそれでも、まるで()の猟兵団が今でも自分の私兵であるかように言わないでほしい。今の自分はあくまでも学生で、戦場とは今のところ縁がない身である。

最近そういった風評被害が激しいなと心の中で苦笑をして、続きを促した。

 

「それで? 二つ目の理由は?」

 

『そちらも単純よ。腕の良い専属の護衛を引きずり込んできなさい(・・・・・・・・・・・)とあの子に命じただけ』

 

「組織バックに外堀埋めにかかるイリーナ会長マジ容赦ないっすわ」

 

 それにしても言い方というものがあるだろうと思うのだが、なるほど確かに単純明快であるがゆえに分かりやすい。

もっとも、引きずりこまれる本人に言うべきことではないだろうとは思うが。

 

「今更俺にハニートラップなんか効かないって知ってるでしょうが」

 

『あの子があなたに抱いているのは偽りではなく本当の愛。私はその背中を押して尚且つ利用した。互いに不利益は蒙らない、交渉としては上出来な部類よ』

 

「物はいいようだと一瞬感心したんですけどそこに被害者の考えを念頭に入れてないあたりやっぱ鬼畜だなぁって思いました」

 

 彼女と浅い付き合いしかしていない人物は言うだろう。”鉄の女が、今更どの口で愛を口遊むのかと”と。

 しかしそれは誤解だ。イリーナ・ラインフォルトはその鉄面皮の下に人並みの情愛を隠している。それが向けられるのは実の娘であり、今は亡き自らの夫であり、会長の座を奪い取った父であり、そして専属メイドとして長く傍に侍らせているシャロンである。

だがそれを、イリーナは決して表に出そうとはしない。どこまでも合理的に、どこまでも冷徹に、実力主義という名の具現化を体現するために抱え抑えて生きている。

 故に、鬼畜であっても外道ではない。

レイが信頼を寄せるのに、それ以外の条件など必要ない。

 

「応えられるかは不明瞭ですよ」

 

『構わないわ。こちらとしても後者はついでのようなものだから』

 

 どうだか、と、内心で呟く。

 

「まぁ、努力はしましょう」

 

『えぇ』

 

 その言葉通り、確約などは何もない。

 だが慕ってくれる異性を無碍にするほど屑でもない。しかしどうしたものかと悩みながら、夜の静寂を破らないようにそっと受話器を置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 試験終了のチャイムが鳴ると共に、全員の体から緊張感が抜け落ちた。

中間試験の日程は都合三日。その期間に合わせて研ぎ澄ました緊張感をできる限り張り詰めていたため、他のクラスの生徒に「お前ら何? 戦場にでも行くの?」と恐れられた事は記憶に新しい。

 一般的に中間試験、それも一年時のものといえば、慣れてきた学院生活の中で過度な弛みを許さないようにという思惑と、真面目な生徒に試験というものの重要さを知らしめる、所謂”お試し”であるという側面もある。それを知ってなお侮って本気を出さず、結果期末試験で雪辱を晴らすという残念な事になる生徒も間々いたりと、ある意味で悲喜交々な行事ではあるのだが、Ⅶ組の面々は違う。

 

 全員が全力で挑んだ。燃え尽きるほどに。

お試しの行事? 期末試験がある? そんな事はどうだっていい。点数別の順位でより高みへと至りたいという願望はもちろんあるが、彼らの背中を容赦なく突き飛ばしたのはフィーの存在だ。

 

 仲間に負けることが恥だとは思わない。恐らく悔しさは感じるだろうが、切磋琢磨できる存在がいるということはとても僥倖な事だ。

だがそれと、実際に負ける事とは話が別だ。フィーの成績は入学当初の時点で恐らく一年の中でも底辺に近かった。それが今回猛烈な追い上げを見せてきたのだと分かれば、前を走っていた面々とて悠長にペースを保ってなどいられない。

背水の陣、という諺とは少しばかり意味が違うが、やってる事は同じだろう。むしろ背後から猛スピードで迫ってくるという時点で難易度は更に跳ね上がっている。

油断をし、侮れば呑まれる。Ⅶ組は一様に奮起した。

その結果―――

 

 

「……終わった」

 

「どっちの意味で?」

 

「ポジティブな方」

 

「同感」

 

 精神的にグロッキーになっていた。レイとフィーという、常人の精神力メーターを振り切る二人を除けば、だが。

 

「起きろお前ら。まだLHRが―――あー、いや、もういいか、メンド臭ぇ」

 

「寝たい」

 

 しかしそんな二人も、それぞれの本心を口にする。

特にフィーの方は、今まで戦場でしか発揮してこなかった集中力を三日間に渡って維持してきたのだ。精神力は高いが、肉体の方はそうもいかない。

レイの方は単純に、心根の問題だが。

 

「はーい、お疲れ様ー……ってもうグロッキー?」

 

「やり切りました。悔いはありません」

 

「もしかしたら入学試験より本気で挑んだかもしれないな」

 

 教室に入って来たサラの声にテンションがワンランクダウンした声で応える面々。

 

 切っ掛けはどうであれ、集団の中での個々人の高め合いというのは効果的だ。それも常に寮で寝食を共にしている面々ならば尚更であり、今回は図らずもそれを証明した形になる。

代償として倦怠感は覚えるが、それと引き換えに好成績が残せるのならば安いものだろう。少なくともレイはそう思っていた。

 

「はいはい、ダルいのは分かるし私だって同じだからLHRはとっとと済ませるわよ。まず明日は―――」

 

 そう言って説明を始めるサラもどこかやる気がない。恐らくこれから行われるであろうテストの採点という名の苦行に憂鬱しての事だろうが、正直関係ない。

数日くらいは酒を断って真面目に過ごしてくれれば、レイとしても酔っぱらいの相手をしなくて万々歳なのだが、そうも行かないだろう。

 ともかくやる気のない担任教官とやる気が抜けた生徒のどうしようもないグダグダな時間は、宣言通り五分程度でお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 普通の学生ならば、テスト明けの時間というのは各々羽を伸ばすために使う事が多い。それは士官学院であるトールズでも例外ではなく、学院を出てく学生の中には気晴らしに部活動へと赴いたり、気分を入れ替えるためにカフェに行ったりと思い思いに過ごす光景が目に入るのだが、ことⅦ組においては例外であり、全員が寮への帰宅を選んだ。

テスト前では滅多にない、十人全員での帰宅の道中で、思わず安堵の声が漏れる。

 

「ん~、やっと終わったね」

 

 背伸びをしながらのエリオットの言葉に全員が同意した。

 

「ホントに疲れたわね。肩が凝るなんて初めての経験だったわ」

 

「学生たる者本分は勉学だということは理解していたつもりだったが、まさかここまで真剣に取り組むことになろうとはな」

 

「まぁ、その分いい経験はできただろう。僕も今回は満点の自信があるが……エマ君はどうだった」

 

「ふふっ、私も少し自信がありますよ」

 

「ガイウス、古典の読解は解けたのか?」

 

「あぁ、ユーシスのおかげで問題はないはずだ」

 

「寝たい」

 

「レイ、さっきからフィーが”寝たい”としか言ってないんだが大丈夫なのか?」

 

「委員長、寮に帰ったらコイツすぐにベッドに放り込んでやって。気合いで動いてる状態だわ」

 

 他愛のない会話をしながら駅前広場を通り過ぎ、寮への一本道に入る。

そして一同のその視線の先には、寮の玄関前で淀みない動きで掃除をしている新管理人、シャロンの姿があった。

 

「あら皆様、お帰りなさいませ。昼食の支度はすでにできておりますが……どうやらフィー様はお部屋にお運びしたほうが良さそうですわね」

 

「頼む。多分夕食時まで起きねーと思うけど」

 

 レイがフィーの手を引いて預けると、シャロンは柔和な笑みのままに彼女を抱きかかえる。

その行為に安心したのか、フィーはそのまま瞳を閉じて寝息を立ててしまった。

 

「うふふ、何とも可愛らしいお姿ですこと」

 

「限界まで集中力を酷使してたからな。俺らはともかく、コイツには少しキツかったんだろう」

 

「ではフィー様をお部屋までお運びして参りますので、皆様方は食堂の方でお待ちくださいませ。―――お嬢様、昼食はお嬢様のお好きなカルボナーラをご用意しておりますわ」

 

「あ、ありがとうシャロン」

 

 では、という一言と、恭しい一礼をしてから、シャロンは寮の中へと入っていった。

 

 

「……シャロンさんが来てからもう三日になるのか。何というか……直ぐに馴染んじゃったな」

 

「まぁシャロンはどこに行ってもあんな感じだから。まず間違いなく母様の差し金なんだろうけど……何でかしらね、怒る気が起きないわ」

 

「大方、怒るほどのものでもないと理解したのだろう? レイ(コイツ)とサラ教官に振り回されていれば、その程度のこと些事にしかならん」

 

「それね」

 

 ”考えるだけ無駄”という、凡そ十代の女子らしくもない境地に至ってしまった事にアリサは軽い自虐感を覚えたが、正直な話ユーシスの指摘通りなのだ。

トールズに入学した当初はそれこそ、ファミリーネームを隠すほどに実家への反抗心があったアリサだったが、ケルデッィクでの一件を乗り越え、実技演習で扱かれ、更に日に日に色々な意味で逞しくなっていくクラスメイトに流されるようになってから、彼女自身の胆力も随分と鍛えられた。

 実家との、更に限定して言えば母親との確執は未だ残っている。だが、それをただ引きずって悶々と過ごす選択を、今の彼女がとるはずもない。

 結果、シャロンの事は早々に受け入れた。

早くに父を失い、一人っ子だったアリサにとって、シャロンは姉、つまり家族のようなものだった。

仕事に忙殺される母親の代わりにアリサに教養を身に着けさせたのは祖父とシャロン。アリサが9歳の頃からラインフォルト家に仕えるようになった彼女の事を心の底から信頼するのは当たり前のことだろう。

故に、彼女に不満などあろうはずもない。

メイドとして最上級の腕前を持っているであろう彼女が来たことで家事の一切を取り仕切っていたレイの負担が減るという利点があるのも勿論の事、アリサ個人も彼女に聞きたいことはあった。

 

 やけに似ているのだ。

頼んでもいないのに世話を焼くところ、家事を妥協なく行うところ、こちらの心を見透かすような言動をするところ―――無論異なる点など挙げてしまえばキリがないのだが、以前ケルディック実習の際に思わずレイに溢した言葉を、今になって再確認した。

 レイ・クレイドルと、シャロン・クルーガー。

 初対面ではないという事は分かっている。仮にも母親であるイリーナの護衛を何度かしていたというのならその過程で彼女と顔を合わせないというのは逆におかしい。

だがそれを差し引いても、あの二人の距離はやけに近い気がするのだ。

 そんな事を気にするのは、別にアリサがレイに懸想をしているというわけではない。要はミステリアスな姉のプライベートが気になる妹の感情であり、それ以上ではない。

しかしそれでも、一度気になってしまえば忘却するのは不可能なのだ。

 

「ど、どうしたんだアリサ。一人百面相みたいになってるぞ」

 

「へ? あ、いや、何でもないの。そう、何でも―――」

 

 と、そこで妙案を思いついた。

声をかけてきたのは、Ⅶ組の生徒の中で一番レイに近しいであろうリィン。彼もおそらく、二人の関係は少なからず気になっているはずだ。

 

「……ねぇ、リィン」

 

「? 何だ?」

 

「ちょっと、付き合ってくれない?」

 

 だからアリサは、罪悪感など欠片も抱かずに、お人好しな仲間を巻き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 ラインフォルト家の専属メイドというのは、実はシャロン以外には存在しない。

 というのも、そもそも貴族ではなく、巨大会社の経営者の一族という身分であるこの家系は特段大きな屋敷を居住地として構えているわけではない。自宅はルーレにある本社ビルの高層階であり、使用人を何人も侍らせるほどのスペースではないというのがまず一つ。

そしてもう一つは、産業スパイを警戒しての事だ。

導力車や大型の機械などを製造すると同時に軍の兵器を製造して売り捌いているRF社は、他の会社に比べて潜入してくるスパイの数が多い。

だが辣腕であるイリーナはそれすらも逆手にとって未だ大きな損害を出さずに経営を続けているのだからその手腕の高さは推して知るべしなのだが、それでもわざわざプライベートにまで警戒心を張りたくはない。

 その点、シャロンは実に重要な存在であったと言える。

 出自が明確であるために疑う必要はなく、メイドとしての技量もさることながら秘書としての腕前も申し分ない。

イリーナとしては良き仕事のパートナー。アリサからすれば良き姉にして憧れの存在。

未だ齢は20を少ししか過ぎていないというのに、あらゆる仕事を完璧に、かつ優雅にこなしてみせる。

一家全員が”シャロンがいれば大丈夫”と思うように至ったのは、そう最近の事ではない。

 

 

 

「鍛練お疲れ様でございます、ラウラ様。タオルをお持ち致しましたので宜しければお使いくださいませ」

 

「あぁ、申し訳ない」

 

 

「エリオット様、バイオリンの弦が少々緩んでいたようでしたので矯正をさせていただきました。後でご確認ください」

 

「え? あ、ありがとうございます」

 

 

「ガイウス様、先日群青の絵の具のチューブを切らしておられたそうなのでご用意致しました」

 

「そういえば……いや、感謝します」

 

 

 試験の呪縛から解き放たれて、寮で趣味や日課に勤しむⅦ組一同。

そんな中でのシャロンのサポートは恐ろしいまでに的確で、優秀の枠を突き抜けてその上を行っていた。

 どこからともなく、それこそ雲が空を漂っているかのような自然な在り様でありながら、いつの間にか望みを叶えるためにそこにいる。

決して出過ぎた真似はせず、あくまでも軽く背中を支え、影の如く付き従える。そこには僅かな粗もなく、あらゆる仕事をただ無謬にこなしていく。

 

 凄くなったものだと、レイは自室の机の上でペンを回しながら感動していた。

 

 

「いやはや、シャロン殿の仕事ぶりはいつ見ても美しいものです。超一流とは、ああいう事を言うのでしょうな」

 

「ま、そうだろうな。あれならどんな大貴族の家からも引く手数多だろうよ」

 

 机の脇にちょこんとぬいぐるみの状態のまま座ったシオンが、主の気持ちを代弁する。

それに対してそっけない反応を返したレイだったが、それも予想していたと言わんばかりに続けた。

 

「嬉しいのでしたらお伝えになられてはいかがですか? 主とて、思うところがないわけでもありますまい」

 

「深読みするなよ。そこまで久しぶりに顔を合わせたわけでもねぇんだから」

 

 また何とも分かりやすいと、シオンが心の中で嘆息していると、自室の扉が控えめにノックされた。いつもの癖で気配を探ってみたが、リィンではない。

 

 

『シャロンでございます。レイ様、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?』

 

 噂をすれば本人が来たというこの状況に一瞬だけ焦ったが、すぐに平常を取り戻す。

 

「あぁ、大丈夫だ。入って来いよ」

 

『失礼致します』

 

 そう言って、いつもの服装いつもの雰囲気のシャロンが入ってくる。ドアノブを捻る音、開けた際の扉の軋む音などを一切出さずに入ってくるあたり、やはり一流だと、そう思った。

 

「……思えばこうして面と向かって時間がある中で話すのは結構久しぶりかもしれないな」

 

「ふふ、左様でございますわね。シオン様もお変わりないようで嬉しゅうございます」

 

「シャロン殿もな。色褪せぬその手腕も健在でなによりだ」

 

「光栄でございます」

 

 軽い挨拶を交わしたところで、シオンがぬいぐるみのままふわりと浮いた。そのまま浮遊すると、窓に手をかけて開け放つ。

 

「さて、今少し談笑したい気持ちはありますが、どうやら私はお邪魔の様子。屋根の上で日向ぼっこでもして参りましょう」

 

「変なところで気が回るよな、お前」

 

「式としては当然の事。ではシャロン殿、また後程」

 

「えぇ。また後程」

 

 そんな言葉を残して開いた窓から外へと出ていくと、再び窓が閉まる。

風の音も聞こえなくなり、僅かな間静寂が訪れた。

 

 

 

「……シャロン」

 

「はい」

 

 長く言葉を交わす必要はない。レイの言葉に答えると、シャロンはスッと、頭の上に乗せたホワイトブリムを取った。

その後にシャロンが見せた笑み。それはメイドとしての彼女のそれではなく、ただ一人のシャロン・クルーガーという妙齢の女性のものだった。

 

 

「うふふ、やはりレイさんと話すときはこちらの方が良いですね」

 

 丁寧な物腰は変わっていない。相手を立てる謙虚さも変わっていない。

しかしそれでも、普段の彼女の言動を見ている人間からすれば、それは大きな変化だという事が分かる。

僅かばかりに砕けた口調と態度。それは彼女がラインフォルト家に仕えるようになってから、基本的にレイにしか見せていない一面だ。

 

「アリサが今のお前を見たら、驚くどころの騒ぎじゃないだろうな」

 

「私としてはお嬢様のその様子も見てみたいですけれど、それでも控えておきましょう」

 

「? 何でだ」

 

「この私は―――あなたにだけ見せる私ですから」

 

 蠱惑的に微笑むその姿に、心臓の鼓動がわずかに跳ね上がったのは言うまでもない。

 男というのは独占欲の強い生き物だ。特に異性に関しては、その特性が顕著になることが間々ある。そしてそれは、恋愛感情というものに縁が薄いレイであっても例外ではない。

 ”あなたにだけ見せる私”―――その言葉に平静を崩されたのがその証拠だ。

 

「……お前は本当に相変わらずだな。確かに付き合い自体は長いが、そこまで俺に固執しなくてもいいだろうに」

 

「そう言うレイさんも相変わらずですね。他の女性にも、そう言って来たのでしょう?」

 

 言葉に詰まる。確かにその通りだ。反論のしようもない。

 察しの良さ、とりわけ人の心を汲み取る力にシャロンは長けている。それはメイドとして奉仕する生活の中で鍛え上げられたのだろうが、昔の彼女(・・・・)も人並み以上の洞察力を持ち合わせていた。そしてそれは、レイにも言える。

 

 そうでもないと生き残れない世界に居たのだ。

今こうして平和に話し込んでいる時間ですら、かつての時では考えられない。そんな世界に。

 

「妬けてしまいます」

 

 キシ……という僅かな軋みの音を伴って、シャロンが部屋のベッドの上に腰掛ける。

 

「あなたに命と心を救われたのが私だけではないというのは、嬉しくもあり、寂しくもあるんですよ」

 

「我武者羅にやってた結果だ。自分が救ったなんていう自覚すらなかった」

 

「それでも、あなたを慕う方は多いのですから」

 

 ふわりと、シャロンの髪が小さく揺れる。シオンが閉めていったはずの窓は、しかし僅かに開いており、梅雨の最中の晴れ間に吹く暖かい風が入り込んできた。

 

「勿論、私もその一人です。このシャロン・クルーガーは、今でもあなたをお慕い申しています」

 

「ぁ……―――」

 

 その言葉に、男として何か言葉を返さなければならないと思って口を開いたが、立ち上がったシャロンの白魚のような指が、レイの口元を抑えて塞いだ。

 

「お返事は要りません。今のあなたがそういう想いに応えられないという事は分かっていますから」

 

 どこか達観したようにそう言ったシャロンだったが、生憎とレイには分かっていた。

変わらず浮かべている微笑み。その笑みの中に、どこか哀愁にも似た感情が混ざりこんでいた事を。

 

「…………」

 

 どこまでも酷い人間だという自覚はある。男として、惨めで悪辣だということも。

そも女性にこんな表情をさせてしまう時点で落第点だ。この状況で気の利いた言葉の一つでも囁ければどれ程良いだろうかと思う。だがそれができる人間、きっとそれは自分ではないのだろう。

 再確認する。自分の心の中に打ち込まれたままの楔。それがどれほど大きな物なのかという事を。

シャロンだけに限った話ではない。彼女らの想いを無下にし続けてまで歩いているこの道は、確かに茨道だ。歩く度に足も腕も顔も、それこそ全身を傷つけていく。

 だがその起源が幼い頃に体験した地獄にある限り、歩みを止めない。止めるわけにはいかない。

自分だけが幸せになるわけにはいかない。それだけは絶対に、あってはならない事なのだから。

 

 

「俺は馬鹿だぞ」

 

「知っています」

 

「俺は屑だぞ」

 

「それがどうかしましたか?」

 

「慕ったところで何も良いことはないかもしれない」

 

「そんな事は承知の上で慕っているに決まっているじゃないですか」

 

 強い女性だ。本当に、自分とは釣り合わない。

サラも、クレアも、何故ここまで強く在れるのか。

 単に重ねた年月がそうさせたのではないという事は分かっている。自分は、自分の中で決定的に壊れているナニカを直さなければそうは思えないのだから。

 

 

「……ありがとう」

 

 だから、今言えるそれだけを、レイは偽らず口にした。

シャロンはそれに言葉を返すでもなく、頷くでもなく、ただレイを抱きしめる事で答えとする。

時間にして一分もなかったが、自虐の念で傷ついた心を癒すのには、充分な時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と」

 

「はい」

 

 レイがシャロンから離れ、ゆっくりとイスから立ち上がる。それを合図に、シャロンは再びホワイトブリムを頭に乗せ、両脇のリボンを結ぶ。

かくして彼女はメイドへと戻り、それを確認してからレイは―――扉の鍵を開けて勢いよく開け放った。

 

「がふっ‼」

 

「り、リィン⁉」

 

 扉のすぐ近くで聞き耳を立てていたのは、先程仄暗いことを企んでいたアリサと、それに巻き込まれたリィン。

しかし位置的な問題で急に開け放たれた扉の直撃を側頭部に食らったのはリィンだけだった。

 

「さぁて、盗聴の真似事をしくさってくれたお前らにはどういう仕置きをしてやろうか。なぁシャロン」

 

「うふふ。お嬢様、淑女たる者出歯亀のような真似をなさってはいけませんわ。では少々こちらに」

 

「ちょ、ちょっと待ってシャロン、いつになく笑顔が怖いんだけど‼ ご、ごめんなさい‼ 謝るから許してー‼」

 

 あくまでも暴力的ではなく、しかし確実な手法でアリサを連行していくシャロン。

その様子を見ていたリィンは、その無駄のなさに顔を青くしていた。

 

「さて、残ったのはお前だが……」

 

「すみませんでした」

 

 アリサの末路を見て恐ろしくなったリィンは言い訳をするという過程をすっ飛ばして土下座をしていた。

その一分の隙もない完璧な土下座に思わず吹き出しそうになってしまったが、ギリギリで平静を保つ。

 

「分かってるから顔上げろ。どーせアリサに巻き込まれてたんだろ?」

 

「い、いやまぁ、それはそうなんだが」

 

「それに、内密な話を外に漏らすなんてヘマをするはずがないだろうが」

 

 二人が聞き耳を立てていたのは、シャロンが部屋に入ってきてからすぐの事だ。その気配は完全にバレバレだったし、だからこそシャロンも扉から離れたベッドのそばで話を始めたのである。

一枚も二枚もこちらの方が上手。隠密の技量で、自分たちを上回れるはずがない。

 

「俺とシャロンの関係が気になるんなら本人に聞け。案外普通に話してくれるかもしれんぞ」

 

「レイは話してくれないのか」

 

「男はそういうの話すのは苦手なんだよ」

 

 照れ隠しも交えてそう言ったレイの姿は、何故だかリィンにはとても”男らしく”映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 私は小説の中で報われない恋心を見るのがあまり好きではありません。それが自分の書いている小説であるならば尚更です。

 つまり何が言いたいかって言うと、バッドエンドとかないので。幸せにしてあげたいので‼


あ、それと、シャロンさんへの愛が深すぎて気づいたらイラストを描いていました。
コレジャナイ感がそこはかとなく漂っていますが、大目に見ていただけるととてもとてもありがたいです。


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歪んだ誇りと揺らがぬ根幹

最近light作品にハマっている十三です。

シルヴァリオ・ヴェンデッタの詠唱に打ち震えてます。
作品に影響しないといいなぁ。 ……え? もう手遅れ? あ、はい。スミマセン。



あと、Fate/stay nightの15話見て泣きました。
イリヤルート、ホントに実装されないかなぁ。


 

~中間試験 順位発表~

 

 ≪個人成績≫

 

1 エマ・ミルスティン     Ⅰ―Ⅶ 995pt

2 マキアス・レーグニッツ   Ⅰ―Ⅶ 990pt

3 ユーシス・アルバレア    Ⅰ―Ⅶ 986pt

4 レイ・クレイドル      Ⅰ―Ⅶ 980pt

6 リィン・シュバルツァー   Ⅰ―Ⅶ 966pt

7 アリサ・ラインフォルト   Ⅰ―Ⅶ 942pt

8 ラウラ・S・アルゼイド    Ⅰ―Ⅶ 913pt

・ 

12 ガイウス・ウォーゼル   Ⅰ―Ⅶ 864pt

16 エリオット・クレイグ   Ⅰ―Ⅶ 820pt

・ 

24 フィー・クラウゼル    Ⅰ―Ⅶ 710pt  

 

 

 ≪クラス別成績≫

 

1 Ⅰ―Ⅶ 917pt

2 Ⅰ―Ⅰ 820pt

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Ⅰ―Ⅶ(ウチ)だけバケモンみたいな成績取ってた件について」

 

「それな」

 

 

 職員室前に張り出された成績表を見て遠い目をする一同。

決して悪いようにはならないだろうとは思っていたものの、蓋を開けてみればこれである。エマとマキアスは全教科満点まで数点という極地に至り、TOP10の内、Ⅶ組メンバーが7割を占めるという異常事態が発生した。

 更に言えばクラス平均点が9割を超えるという前代未聞の結果。当事者であるⅦ組の面々すらも唖然としているのだが、それを囲んで外側から見ている他クラスの生徒も驚愕の表情一色に染まっている。結果を見るのが嫌でそそくさと前を立ち去ろうとした生徒でさえ、二度見どころか三度見する勢いだ。

 

 レイ本人も、満足が行く結果を捥ぎ取れたと言える。他の面々も実力以上の結果を叩き出せたといえるだろう。

だがしかし、本気で挑んだ自分の試験結果よりも気になる事があった。

 

「今回ばかりは素直に褒める。スゲーわお前のポテンシャル」

 

「ブイ」

 

 僅かに口元に笑みを浮かべてレイに向かってVサインを送ってくるのは、今回の試験において驚異的な成長を見せたフィー。

目標である50位以内どころか30位以内にも入ったその実力は一時的なものであるとはいえ本物であり、約束云々を抜きにしても諸手を挙げて褒める事ができるだけの結果は残したのだ。

そうやってレイがフィーの頭を撫でていると、他の面々もようやっと現実に帰り始めて来た。

 

 

「む……またエマ君に届かなかったが……だがまぁケアレスミスをしてしまった僕の責任だ。期末考査では抜かしてみせるぞ」

 

「はい。私も努力しますね」

 

「改めて見るととんでもないわね、あなたたち二人」

 

「普通に900点台後半の点数取ってるユーシスとレイも凄いよね」

 

 今回の中間試験における上位成績者四名。その座学分野での優秀さを如何なく発揮したエマとマキアス、それには一歩及ばずとも公爵家の子息という肩書に恥じない成績を残したユーシスに、元々記憶力と応用能力に長けていたレイがそこに名を連ねる事となった。

 

「そんじゃ今日はメシは豪勢に行くか」

 

「でも外に食べに行くより寮でシャロンさんに作ってもらった方が良いよな」

 

「そこにレイさんも加わって合作になるとより豪華な食事になりますよね」

 

「異論はない」

 

「女子のカロリー事情という名の倫理観を完全に破壊しにくる勢いだものね」

 

「しかし私は入学してこのかた体重が増えた覚えはないのだが……アリサたちは違うのか?」

 

 ラウラの素朴な疑問に、アリサとエマが反論できずに黙った。

 年頃の”男子”にとってはカロリー計算など無用なものだ。やろうと思えば一日で3~4キロ落とすことも可能だし、そもそも旺盛な食欲に抗う事はできない。

だが”女子”にとってそれは天敵だ。異性の目と同性の目に板挟みにされて常に自分の体形を気にする事が多い。そんな彼女らにとってたとえどのような料理でも絶品に仕上げるレイの料理は幸福の象徴であると同時に自制心を試される試練でもあった。しかしシャロンが来てさらに料理のクオリティが上がると、その難易度は更に上がってしまった。

 にも拘らず、ラウラの言う通り入学以来体重が増えてしまったという経験はアリサにもエマにもない。むしろ腰回りは以前よりもスリムになった程だ。

 その原因は部活だったり極限まで集中力を費やしたテスト勉強だったりと色々あるが、一番大きいのは週に四度行われる実技演習だろう。

特に、トールズに入学するまでは本格的に武術を学んでいなかった面々にとって、あれは地獄と称する以外に表現の仕方がなかった。今でこそ結構慣れてきたものの、当時は翌日筋肉痛どころの騒ぎではなく、リアルにペンすらも満足に持てなかった程だった。

 そんな特訓を続けていて太るはずなどない。一日にため込んだカロリーを全て放出したのではないかと錯覚するレベルであるために、Ⅶ組女子は今のところ肥満とは無縁の生活を送れていた。

 

「皆、そろそろ一限が始まるぞ」

 

 各々がワイワイガヤガヤと話しているところにガイウスの冷静な一言が降りかかる。

それに呼応するように他クラスの生徒も蜘蛛の子を散らすように自分たちのクラスへと帰っていく。無論、それはⅦ組のメンバーも同じだった。

 

 

 

 

「チッ……寄せ集めごときが」

 

「あんなやつらに帝国貴族の誇りを奪われるとはな……」

 

 

 そんな中でも、レイの聴力は背後から聞こえる自分たちに対する侮蔑の言葉をしっかりと聞き取っていた。

振り向く必要などない。誰が言ったのかなど分かっている。ここで言葉を返すこと自体無駄な事だし、幼稚な舌戦に興味などない。

だからこそ、レイは敢えて聞こえないふりをした。

 

「……さて、と。今日の一限は政治経済か。ハインリッヒ教頭に嫌味を言われないか心配だ」

 

「お前も段々毒舌に躊躇いがなくなってきたよな」

 

 そして恐らく自分と同じ思考に辿り着いたのであろう級友と共に、レイは二階へと続く階段を登り始めた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、めでたい‼ めでたいわね~‼ 宣言通りハインリッヒ教頭の鼻を明かしてやったわ‼ ヴィクトリー‼」

 

「ウザい、端的に言ってウザい、何はともあれウザい」

 

「あらあらサラ様、少しお酒が入りすぎなのではありませんか?」

 

「ここまで上戸な方も珍しいですがね」

 

「酒癖が悪いとは聞いてたけどここまでとは凄いよな」

 

 

 夜の第三学生寮、その食堂でテーブルを囲むのは五人。

ビールジョッキ片手に生徒の戦果を誇り笑い、ついでに同僚の悔しげな顔をつまみに酒を飲むサラ。その姿に呆れ果ててツッコむ気すらも消失し、絡まれませんようにと心の中で念じながらつまみのメンマをポリポリ齧るレイ。一人だけ席には座らず、飲酒組の世話を焼きながらさらに苦言を呈するシャロン。サラとは対照的に穏やかな手つきで猪口を傾けて酒を楽しむシオン(人型Ver.)。そして廊下を歩いていたら酔ったサラにいきなり首根っこをふん掴まれて酒席に強制ログインと相成ったリィン。この五人だ。

内二人が望んでもいないのに席に座らされているという時点でこの場のカオスさが良く分かるだろう。

 

「いやしかし、実際Ⅶ組の方々の戦果は素晴らしいですな。私は学業とはとんと無縁な身ではありますが、それでも夜が更けた後も勉学に励む姿を見ていました故、感慨深い」

 

「えぇ、本当に。特にフィー様は頑張っておいででしたわ。余程レイ様とのお約束が気になっておられたのでしょう」

 

「そうなんだよなぁ……一体何をさせられる事やら」

 

 勿論、レイに件の約束を破棄する気など毛頭ない。どんな理由であれフィーが努力したのは事実であり、そして見事結果を証明してみせた。加えて予想の斜め上であったという事から、大抵の希望に応える覚悟はできているのだが……やはり少々不安があったりもする。

 

「大丈夫なんじゃないか? フィーに限ってレイを困らせるような要望は言わないだろう」

 

「フム、リィン殿の言う事は正しいと思いますよ主。今までフィー殿は主に迷惑をかけたことはあれど、困惑されるほどの我儘を言ったことはなかったと記憶しておりますが?」

 

「……まぁ、そうなんだけどさ」

 

 それも分かっている。だからこそ、変な遠慮をするのではないかとレイは心配になっていた。

 フィー・クラウゼルは甘え方というものを知らない。今でこそレイと過ごした期間があったせいか随分と緩和されてはいるが、彼女の根本に巣食うのは”戦士である”という概念だ。

戦場では甘えなど見せられない。それどころか隙すらも見せられない。前時代、人々が剣と槍で戦っていた時代とは違う。少しでも警戒を怠れば遠距離から脳幹を撃ち抜かれるかもしれないし、地雷を踏んで木端微塵になる事だってある。

そんな世界で生きていたフィーは、レイが出会った当初、とても空虚な存在だった。

団員たちから愛され、期待され、≪西風の妖精(シルフィード)≫の異名で呼ばれるほどの実力をつけた彼女は、それに反比例するかのように空っぽの生活を続けていた。

 年端もいかない少女が、そんな当たり前のことすらもできない環境にいるという事実に、レイのお節介な魂が反応してしまったのだ。

だからこそ、遠慮なんてしてほしくないと思う。妹分の我儘を聞くことなんか慣れてるし、その程度で揺らぐほど弱くもないのだから。

 

 

「考えすぎよ、アンタ」

 

 ふと、サラの声がその思考を遮った。

酔った人間の声ではない。ビールジョッキの縁を指でなぞりながら、サラは微笑を浮かべて言う。

 

「今更あの子がアンタに遠慮なんてするはずないでしょーに。今頃委員長とかに相談して計画を練ってる最中よ」

 

「何それ怖い」

 

「妹の言う事を聞くのが兄の務めだぞ」

 

「黙っとけシスコン」

 

「お前に言われたくないよシスコン」

 

「よし表出ろ、喧嘩だ」

 

「望むところだ」

 

 アイコンタクトを交わして二人同時に席を立ち、そのまま自然な流れで食堂からオサラバしようと画策した二人だったが……リィンはサラに、レイはシオンに、それぞれ腕を掴まれて阻まれてしまった。

 

「行かせないわよ。もう少し付き合っていきなさい」

 

「主も一献どうですかな? シャロン殿が土産にと持ってきてくれた酒ですが、これが中々美味なのです」

 

「すみません離してください。というか本当に妹への手紙書かなきゃいけないので」

 

「酒は貰うが離せよシオン。お前俺の式だろうが」

 

「それとこれとは話が別ですな。シャロン殿、主の分の猪口も出して下され」

 

「畏まりました」

 

 結局未成年を巻き込んだロクデナシ共の飲み会は、壁時計の針が真上で重なる時間帯まで延々と続いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 中間試験結果の張り出しから一週間後、レイ達はいつもの通り全員揃ってグラウンドに集合していた。

 特別実習に赴く前の実技試験。入学当初は戸惑いの表情で集まっていた面々も、今ではすっかり慣れたようで、自然体で開始を待っている。

各々が得物を手に数分ほど佇んでいると、側頭部を抑えてしかめっ面をした状態のサラが現れた。しかしその状況にも慣れたもので、「(あ、また二日酔いなのかこの担当教官)」と呆れる程度の反応しか示さない。

 

「イタタ……調子乗ってトマス教官と飲み比べなんかするんじゃなかったわ。そんじゃ、実技試験始めるわよー」

 

「今更ながらに思うんだが、士官学院の教官が二日酔いのまま学院に来るというのはどうなんだ?」

 

「ホントに今更だろ。無視だ、無視」

 

「そこのちっこいの、後でギムナジウム裏に来なさい」

 

「ちっこい言うな、埋めるぞアル中」

 

「どーでもいいけど始めない?」

 

 レイとサラの会話にフィーが割って入る形で途切れる。その言葉に二人を除いた全員が深く深く頷いた様子を見て、流石に矛先を引っ込めた。

サラは仕切り直すようにコホンと咳払いしてから全員を見渡した。

 

「うんうん、皆結構立派な表情するようになったじゃないの」

 

「そりゃ、まぁ」

 

「強くならなかったら死んでましたからね。肉体的に」

 

「不本意だが、強くなれたという意味では教官とそこの鬼剣士には感謝せねばならないな」

 

 口々に言う彼らの目は、一様にどこか遠くを見つめている。

それは彼らが口に出すのも憚られる体験をしていたという証拠であり、その結果として今ここに立っている。

 教わっていたのは実践的な戦闘方法。型だけを突き詰め、習得するだけで満足するような武術など、実戦を経験してきた面々から言わせると何の役にも立ちはしない。

より効果的に、より戦闘に特化させる。飾りだけの動きなどは全て省き、例え実力が上の者と相対しても最悪複数人で拮抗できるようになるという領域まで到達できるように鍛え上げた。

本職の戦闘屋から見ればまだまだ粗だらけの実力だろうが、個人差はあれどⅦ組の生徒は総じて才能がある。教える側としても力が入ってしまったというのが、彼らが擬似的なトラウマを刻んでしまった理由でもあった。

 

 

「はいはい、じゃあ今回もチーム分けするわよー。まずは……」

 

 

 

 

 

 

 

「―――おや、面白そうな事をしているじゃないか」

 

 

 

 

 

 サラの声に割り込むように、高慢な声が割り込んできた。

聞こえてきたのはグラウンドの入り口。その場所を見上げ、一様に眉を顰める。

 颯爽と階段を下りてくる四人の生徒が身に纏っているのは白の制服。つまり貴族生徒。そしてその先頭を歩くのは、今代の入学生の中でも注目を集めていた人物だった。

 

 パトリック・ハイアームズ。『四大名門』が一つ、ハイアームズ侯爵家の三男。

家柄という事実のみに観点を置くのならばその強大さはユーシスに並ぶ。そして、ユーシスとはまた別の意味で彼は貴族らしかった。

 後ろに続く三人は彼の取り巻き。いずれも帝国貴族の嫡子であり、『四大名門』の権力に阿る者達だ。

彼らはグラウンドに降り立つと、授業中に乱入したとは思えないほどの堂々とした振る舞いでⅦ組生徒の前に立った。

 

「あら、どうしたの君達。Ⅰ組の教練は明日だったはずだけど?」

 

「いえ、ちょうどトマス教官が体調不良のため自習になりましてね。折角なのでクラス間の”交流”をしに来ました」

 

 交流、という部分を強調して言ったパトリックだったが、それよりも気になった部分が一つ。

 

 

「あー、昨日はトマス教官と相討ちだったのか」

 

「いや、でも今日授業担当してる時点でサラの勝ちなんじゃね?」

 

「……どっちにしても業務に支障をきたしてる時点で社会人としてはアウトな気もするけど」

 

 ヒソヒソと全く関係ない話題で話し始めるメンバーに対して蟀谷を震わせるが、最大限の譲歩で無視して続ける。

 

 

「最近目覚ましい活躍をしてるⅦ組の諸君と手合わせをお願いしたくてね」

 

 

 そう言ってパトリックは腰に下げていたレイピアをスラリと引き抜いた。その無駄のない所作から、素人ではないという事が充分に窺える。それに続くように、取り巻きの生徒も一斉に抜刀した。

表面上丁寧な言葉で繕ってはいるものの、要は彼は喧嘩を売りに来たのだ。中間試験で点数上位を独占し、あまつさえクラス内平均で自分たちを大きく上回ったⅦ組が気に入らない。……そんな思考が見え見えであり、レイは内心で苦笑した。

 

「……なるほど、ケン―――模擬戦という事か」

 

「段々戦闘脳に毒されてきたね、リィン」

 

「最初に何と言いかけたのかは聞かないことにしておいてやる」

 

「俺が言うのもなんだけどさ、もうちょっと緊張感持とうぜお前ら」

 

 しかし、とレイは思う。

リィンたちの戦闘技術の向上は目覚ましいものがある。恐らく近いうちに、今までのような機械傀儡相手では物足りなくなってしまうだろう。

負けられない対人戦というものを経験しておくのは悪くない。

 

「どうすんだよ、教官」

 

「逆に、アンタはどうするの?」

 

「いいんじゃねぇの? 売られた喧嘩はきっちり返すに越した事はない」

 

 だろ? と、リィンの肩を軽く拳で叩く。それにリィンは笑みを返した。

そして、真剣な表情に戻ってパトリックに向き合う。

 

「その勝負受けよう。こちらから三名を選出すればいいんだな?」

 

「あぁ」

 

「なら……」

 

 リィンの脳内での選択肢から、まずレイとフィーが除外される。

この二人がいればまず勝利は確定するのだろうが、それでは模擬戦の意味がない。自分たちの成長度合いをきっちりと示すためには、彼ら抜きで勝利を掴まなくてはならない。

それを踏まえてリィンは、先日旧校舎探索をしたメンバーを呼んだ。

 

「アリサ、委員長、ガイウス。頼めるか?」

 

「えぇ」

 

「頑張らせていただきますね」

 

「あぁ。手を貸そう」

 

 三人ともが二つ返事で了解し、前に出てきたが、そこでパトリックから声がかかった。

 

「待ちたまえ」

 

「?」

 

「これは僕達の決闘だ。か弱い婦女子を巻き込むのは騎士道に反すると思わないのか?」

 

 この時の彼の発言は、”帝国貴族”としては間違っておらず、むしろ正当なものだっただろう。

女性を矢面に立たせず、男のみが剣を交わし、勝敗を決する。なるほど、それは確かに正論ではある。貴族であり、騎士であるならば、その考え方は高潔と称されるだろう。

 

 だが、実践的な戦い方の薫陶を受けてきたⅦ組の面々にとっては、この場においてその考え方は甘いと言わざるを得ない。

 

「君たちにしてみれば決闘だろうが、俺たちから見ればこれは”戦い”だ」

 

「それがどうした」

 

「実戦では、男性だろうが女性だろうが、等しく戦うことになる。この士官学院に身を置いている生徒ならば、尚更だ」

 

 無論、女性を守ろうとするその考え方には同意するし、そう在りたいとも思う。

だが過去二回の特別実習や特訓などの経緯を経て、分かったことがある。―――戦闘は時間と場所を選んではくれない。戦う力を有し、自分の意志でその場所に身を置いたのならば、その覚悟を逆撫でするほうが非礼に当たるのだと。

 幼いながらに戦場で生きてきたフィーがいる。子爵家の娘として剣を携えてきたラウラがいる。アリサは愚痴を言いながらも負けるまいと矢を番え、エマは少しでも皆の力になりたいと魔導杖を振るう。そんな彼女たちを除け者にする事など、リィンにはできなかった。

 

「パトリック、君が気にすることはない。君の抱える誇りに傷がつくことはない。俺たちは勝つためにここに立ったんだから」

 

「上等じゃない。私たちに一太刀くらい浴びせてみなさいよ。こっちは鬼みたいな特訓潜り抜けてきてるんだから」

 

「くっ……」

 

 その気迫に気圧された。

大貴族の矜持、というものがパトリックにはある。故にここで寄せ集めでしかないⅦ組を叩き潰して大きな顔をできなくしてやろうという魂胆だったのだが、怯ませるどころか怯ませられてしまった。

ケチを付けるタイミングは失われた。むしろここまで真正面から闘気を叩きつけられて臆したのならば、それこそハイアームズ家の家名に傷がつくだろう。

 

「いいだろう……無様な姿を晒す覚悟はあるみたいだな。”真の”帝国貴族の気風というものを存分に味あわせてくれる」

 

「悪いけどウチの教官とクラスメイトはスパルタでね。負ける気は毛頭ない」

 

 すらりと鞘から刀身を抜き放つ。良い具合に臨戦態勢が整ったところで、不意にレイが口を開いた。

 

 

「良い啖呵を切ったじゃないか。なら有言実行はちゃんとしろよ? ―――あぁ、もし負けたら特訓メニューを三倍に増やすから」

 

「「「「絶対に負けません‼ サー‼」」」」

 

 死刑宣告も同然の発破をかけられた四人はそれぞれ武器を構える。

それを見届けてから、レイは静かにユーシスの隣へと移動した。

 

「で? 実際アイツらの強さってどうなん?」

 

「俺に聞くのか? てっきり貴様は既に把握していると思っていたんだがな」

 

「情報ソースはより正確な所からのほうが良い」

 

 その言葉にユーシスは視線を逸らし、僅かに考えてから再び口を開いた。

 

「パトリック・ハイアームズ……奴は言動こそ見たとおり小物だが、剣の腕前はそこそこのものだ。取り巻きどもも宮廷剣術の英才教育を受けた者が多い」

 

 決して相手を過小評価せず、冷静に分析する。口調や性格こそ高邁なユーシスではあるが、他人を見る目はかなりの物だ。

よしんば平民としての人生も経験しているため、そこに堅苦しい先入観が入ることもない。

そして彼らが”油断はしてはいけない相手”である事を明言した上で、ユーシスは「だが……」と続ける。

 

「所詮はそれだけだ(・・・・・)。武器はレイピアで統一され、アーツの種類も知れている。貴様風に言うならば、優位はこちらにある」

 

 核心をついたその発言は、レイを満足げに微笑ませるには充分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実際のところ、個々人の練度の高さや武器の特性なども鑑みた場合、今回リィンが選抜したメンバーは非常にバランスがとれており、あらゆる状況に対応できる面子だった。

 

 アリサが放った矢が、取り巻きの一人の髪を掠める。それに動揺して精神が乱れたことで、詠唱中のアーツが不発に終わった。

前衛組はそれを見逃さない。動いたのは、十字槍を構えなおしたガイウス。

 

「―――ハッ‼」

 

 放たれたのは、風の魔力を宿した高速の一突き。その一撃は、過たず青年の意識を刈り取った。

ノルドに伝わる槍術の一つ、”ゲイルスティング”。突出した破壊力があるわけではないが、その分技の反動は少ない。対人戦においては隙の大きい大技よりもこのような状況に即した機動性の高い技こそが大切だとレイから教わっていたガイウスは、それに従った戦法を取った。

 

「―――ARCUS(アークス)駆動」

 

 それに続くようにエマが魔導杖を構えて詠唱を始める。そしてほんの数秒後に、その駆動は終わった。

 

「”クロノドライブ”‼」

 

 発動させたのは、効果圏内に存在する味方の敏捷性を上げるアーツ。今回エマはこのように、補助系アーツを使ってのサポートに専念していた。

アーツというものは当然ながら、上位の術になればなるほど効果が上がるのと比例して詠唱の長さも長くなっていく。エマはとりわけ高速の詠唱を得意としているが、それでも数瞬も気を抜く事ができない戦場においてはそれは致命的だ。

故に彼女は、対人戦においては前衛の補助を主な役割としている。本来回復などのサポートはエリオットの方が得手としているのだが、練度という点においてはエマの方が高い。

 

 そしてエマがアーツの対象に設定したのは、既に取り巻きを二人倒していたリィンだった。

 

「八葉一刀流・肆の型―――」

 

 アーツの恩恵を受けて、更にその足は加速する。太刀の柄へと手を伸ばし、靴底が地を蹴り上げると同時に鈍色の閃光を抜き放った。

 

「”紅葉切り”ッ‼」

 

「ぐっ‼ ……うぁっ……」

 

 峰打ちとはいえ、すれ違いざまに叩き付けられた剣閃はパトリックに敗北を叩き付けた。

 弱かったわけではない。数合剣を交わしただけで分かった。彼もその剣術を修めるために、努力をしていたのだということを。

それに敬意を表して、リィンは全力の一撃を叩き込んだ。元より油断していい相手ではないということは分かっていたし、例え向こうがこちらを侮って慢心していたのだとしても自分たちがやることなど変わらなかった。

 最適な瞬間に、最適な技を、最高の威力で放つ。突き詰めれば”達人”と呼ばれる人物はそれをデフォルトで、本能レベルで己の身に刻み込ませた者達だとレイは言っていた。

ならば、それに近づこうとしたくなるのは当然だ。今の自分はまだまだ未熟だと理解はしているが、至るために前に進むのが、リィンにとってのやるべき事だ。

 

 

「っ……‼」

 

「そこまで‼ 勝者Ⅶ組‼」

 

 パトリックが膝をついた事で、サラがそう宣言する。Ⅶ組の残りのメンバーからは小さな歓声が起き、パトリックらと共に決闘の見学に来たⅠ組の女子生徒二人は、その圧倒的なまでの結果に唖然としていた。

 もう一度言うが、決してパトリックらが弱かったわけではない。彼らⅠ組とⅦ組の差は実戦経験があったかなかったか、ただそれだけの話だ。

一度魔物に囲まれれば分かる。一度同じ人間から銃口を向けられれば分かる。一度強大な存在と相対せば分かる。

本当の戦いとは断じて小奇麗なものではない。生きるために懸命になって、死に物狂いで死力を尽くして、そしてやっと乗り越えられる事の方が多いのだ。

ましてや自分たちは総じて”未熟者”。情けなかろうが惨めであろうが、強くなるために貪欲になった方が勝者となるのは必然だ。

 

 リィンはふぅ、と一息吐くと、太刀の刀身を鞘に収め、そして柔らかい笑みを浮かべる。

 

「いい勝負だった。機会があればまた戦おう。立てるか?」

 

 それは勝者から敗者に送る憐憫ではない。力を尽くして戦った相手に対する賛美だ。

リィンは自分なりに礼を通そうとパトリックに手を差し伸べたが、ギリッ、という歯軋りの音が聞こえると共に、その差し伸べた手は強く弾かれた。

 

 

 

「触るな‼ ユミルの浮浪児ごときが‼」

 

 

 その口から出たのは、紛れもない侮蔑の言葉。しかしユーシス、そしてレイは何となく予想していた、と言わんばかりに嘆息した。

 先ほども述べたが、パトリック・ハイアームズはとても”貴族らしい”。それは身分に裏付けされた矜持と意識が備わっているという事に他ならないのだが、無論悪い面もある。

平民や、それに準ずる者たちを見下し、過小評価を下す。なまじ周囲に自分を(おもね)る者しか付き従えっていなかったが故に、その意識は彼の中で確固たるものとなってしまっていた。

 だからこそ、この結果が許せない。

高貴な自分が、見下すはずの人間に見下されている。それだけでパトリックの憤懣は既に限界を突破していた。

 

 しかし己の出生を罵倒されたリィン本人は特に憤慨することもなく、手を乱暴にふり払われたことに驚きはしたものの心の中は至って冷静だった。

 その話は既に解決したことだ。自分が何者なのかという疑問こそまだしこりとして残ってはいるが、浮浪児であったという事に関してはショックを受けることもない。出生を蔑まれ、揶揄されるという経験はもはや通った道だ。

 だがパトリックがそれを知っているはずもない。だからこそ、リィンのその冷めたような反応は、彼の自尊心に更に火をつけた。

 

「中間考査の首位だと? 貴様ら寄せ集めの匹夫どもが思い上がるな‼ 成り上がりの武器商人に蛮族、果ては猟兵上がりに遊撃士の偽善者まで……お前たちがつけあがる場など、この帝国には無いと知れ‼」

 

 価値観の固執。今のパトリックの状態を表すのならばそれが最も適当だっただろう。本来ならそれらの罵倒を、彼が口にできる資格などどこにもないというのに。

 未だ貴族としての義務を果たしておらず、そのくせ貴族の権利を振りかざす。それを醜いと分かっているからこそユーシスは決して相手が平民であろうが何であろうが出生を否定するような罵倒はしないし、恐らくこれからもすることはないだろう。

16、7歳の嫡子ではない貴族というのは大抵そういうものだ。所詮、親に強請って買って貰った高価な玩具を見せびらかして悦に入っている子供に過ぎない。それをさも自分の存在そのものが高貴であると思い上って暴走している。

 だがそれを分かっていても、個人としての感情はまた別だ。フィーは自分が猟兵として世間に褒められた出自ではないことを重々理解しているし、レイに至っては自分を”偽善者”だと常に窘め続けて遊撃士をしていたのだから思うことなど特に何もないのだが、他の面々は違う。

 人は生まれを選べない。故にそれを罵倒される権利など誰にも存在しない。その共通の思いから生まれた黒い感情がふつふつと漂い始め、空気が一気に醜悪になる。

 

「パ、パトリックさん……」

 

「さ、流石にそれは……」

 

「うるさいっ‼ お前ら僕に指図をするのか⁉」

 

 取り巻きの諫言にも聞く耳を持たないその態度に怒りが爆発しかかったところで、徐にレイが前へ出た。

その表情は不気味なほどに穏やかだ。薄い笑みすらも浮かべている。

だがリィンは彼が纏う雰囲気に少しばかり戦き、道をあけた。

 

「よー、ハイアームズ家の坊ちゃん」

 

「何だ‼ 平民の偽善者如きが話しかけるな、汚らわしい‼」

 

「まぁ落ち着けっての。それよりお前確か勝負始まる前に言ってたよな。真の帝国貴族の気風を見せる、とか何とか」

 

「……それがどうしたと言うんだ」

 

「いや、そんじゃあ今それ見せてもらおうと思ってさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――とりあえず一発殴らせろカス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 局地的な旋風が起きた。

 

 

「う、わああぁぁぁっ⁉」

 

 現象としては何てことはない。微笑を浮かべたままのレイがその言葉を紡ぎ終わると同時に、左足を前に突き出して右腕を後ろへと引き、目にも止まらぬスピードで拳を顔面めがけて放っただけ。

しかしその拳はパトリックの顔面には着弾せず、ヒットするまであと数センチというところで寸止めされた。しかし巻き起こった暴風は拳圧だけで再びパトリックを地面へと沈めた。

 だがレイは仰向けに倒れたパトリックの胸倉を掴んで強制的に起き上がらせる。

その行動に取り巻きたちも動こうとするが、レイから放たれている異常なまでの気を感じ取り、その場に縫いとめられた。

 

「おいおい、何予想外だったみたいな顔してんだよ。一発殴られることぐらい責任感の強い貴族の子女サマなら分かんだろうが」

 

「こ、こんな事をしていいと思ってるのか⁉ 僕は―――」

 

「だから、そこから間違ってんだって言ってんだよ」

 

 そこで笑みを潜ませ、右目に強い意志の光を灯らせる。

そこに自信が貶されたことに対する怒りなど微塵もなく、ましてや感情の赴くままに動いている様子すらもなかった。今まで自分が向けられたことのない感情を叩き付けられ、僅かばかり冷静さを取り戻したパトリックは自然と口を噤んだ。

 

「生憎と俺は貴族が集うような場所に長居をした経験ってのがなくてな、正直お前らの誇りとか、血筋とか心底どうでもいいんだわ。だから同じ人間として言わせてもらうと、お前の言動には覚悟がこれっぽっちも備わってない」

 

「…………」

 

「生まれ育った環境が温過ぎたんだろう。大貴族の屋敷で大事に育てられたからこそ―――お前は人間ってものが分かっちゃいない」

 

 目から伝わる覇気が、言葉から伝わる重圧が、パトリックに反論を許さない。

しかしその意味は、未だ理解できていなかった。自分が先ほど撒き散らした罵倒よりも、何十倍も優しい言葉だというのに。

 

「千差万別。こんな言葉があるように、人間に統一性なんぞない。俺とお前の間に決定的な価値観の差異があるように、お前が今罵倒した俺の仲間も皆、お前とは違う。違う価値観を持って今まで生きてきた」

 

 考え方が、人格が、生き方が、何もかもが違うからこそ、人間は人間同士で喧嘩もするし、それが戦争にも発達する。

当初のユーシスとマキアスの対立がそうであったように、ケルデックでの領邦軍と鉄道憲兵隊がそうであったように、相反するからこそいがみ合う事がある。

そしてそれは誰にも否定できないし、否定してはいけない。例えどれほど高貴な身分であろうとも、所詮はその輪の中にいる当事者なのだ。

 

「自分と違う人間を真正面から罵倒するその気概は認めてやろう。なら後は覚悟を持てよ。お前の眼前にいる人間に、お前が陰で悪評を流した人間に、ブン殴られて怒鳴られる可能性を視野に入れろ。その覚悟すらもできずに安全圏から諦観するような人間に、誰かを馬鹿にする権利なんかない」

 

「ッ……‼」

 

 そこまで言い切ると、レイはパトリックの胸倉を離した。

 

「そんな人間がいる中で語られるのが貴族の気風とやらなら、この国は本当に末期だな。少なくとも俺の知ってる大貴族の子息は、喧嘩した相手と真正面から胸倉掴み合う気概は持ってたぞ」

 

 視線をその当事者へと軽く向けると、「知るか」と言わんばかりに目を伏せられた。

 

「……ならば貴様は持っているのか? その覚悟とやらを」

 

「無論だ。気に食わねぇなら殴りかかれ。殺したいなら殺して見せろ。はいそうですかと殴られる趣味もねぇから抵抗はするが、誰かに恨まれるなんて日常茶飯事なんだよ。修羅場潜り続けてきた人間ナメんな」

 

「くっ―――」

 

 なら―――と言いかけたところで、本館の方から授業終了のチャイムが鳴った。

 鳴り止むまでの時間は僅かに数十秒だが、場を仕切りなおす切っ掛けとしては充分だった。

 

 

「はいはいそこまで。論議としては中々良い題材ではあったけど白熱し過ぎよ。とりあえずレイ、その闘気引っ込めなさい。素人には結構キツいんだから」

 

「あ、やべ、引っ込めるの忘れてた。悪い悪い」

 

 今までの真剣な雰囲気すらも解いて、取り巻きや見学をしていた女子の貴族生徒に謝るレイ。そんないつもの彼に戻った事で、Ⅶ組の面々もほっと安堵の息を吐いた。

 言いたい事を全て代弁してくれたお陰か、暴言を吐かれた面子も既に溜飲は下がっており、特に憤りの感情を再燃させることはなかった。

 

「それと君たちも必要以上に他クラスの生徒を煽らないようにね。そっちの子たちもだけど、自習中に教室を出ないように」

 

 明日の教練は反省会をするから、自分たちなりに反省点を見つけておくこと。―――そう言って締めたサラに口答えをする気概ももはや残っておらず、パトリックは「……失礼します」と一言だけ残し、首元を整えて取り巻き諸共去って行った。

 グラウンドを出ていくその後ろ姿を見送ってから、レイは逆にネクタイを緩めた。

 

 

「やべ、一気にダルくなった。早退していい?」

 

「アタシは別にどうでもいいけど、昼休憩の次はナイトハルト教官の軍事史でしょ?」

 

「うげ、そうだった。あの人の授業はサボれんな」

 

 そのやり取りに苦笑が混じる。そのタイミングでサラは、過去二回生徒に見せた茶封筒を取り出した。

 

「はいはい、色々思うところはあるでしょうけど、今回も恒例の特別実習班分けするわよー」

 

「あぁ……もうそんな時期か」

 

「なんだかこの頃時間が早く過ぎるようになってきた気がするわ……」

 

 期待と不満と不安が入り混じる声が入り乱れる中、レイはふと、先ほどの自分の行動を思い出してみた。

 

 動いた理由は、Ⅶ組の中で渦巻いていた不満や憤慨を自分一人で代弁するためであり、それ以上でも以下でもなかった。別にパトリックの意識を変えてやろうとかそういう事は一切念頭に入れておらず、嘗めきった行動はいずれ自分の身を滅ぼすと警告しただけに過ぎない。

 

 だがしかし―――本当に理由はそれだけか?

 

 

 実際のところはやはり怒っていたのではないだろうか? 遊撃士を、今まで自分が知り合った面々を偽善者と一括りにされた事に。

 そしてなにより―――自分が仲間だと思っている人物たちを貶された事に。

 

 

「(……いや、考え過ぎかな)」

 

 偉そうな言葉で語った理由など、自己犠牲のそれで充分だ。理由を言い訳にするつもりなど、毛頭ない。

 

 そう思い至って、レイは自分のところまで回ってきた紙を表に返して内容に目を通し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  




「我は人、彼も人。故に平等、基本だろう」 by 甘粕正彦


 とまぁ、こんなコンセプトで書きましたかねぇ。今回は。
……実際改めて考えてみると中々真理だとは思うんですけど、これ実行できる人って凄いと思います。


 あと、ウチのⅦ組の学力レベルが原作を大きく逸脱した件について。

 人間死ぬ気になればとりあえず何とかなる。これも真理。以上‼


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凄愴の敗戦






「チェスでさえ先攻と後攻がある。対等な勝負なんてありえない」 
by クルト・アーヴィング(戦場のヴァルキュリア3)







「ん」

 

「ん?」

 

「”ん?”じゃありませんわ‼ このわたくしが、”わざわざ”昼食を作ってきてあげたのですわよ‼ 何か言うことは―――」

 

「この卵焼きコゲすぎじゃね?」

 

「第一声がそれですの⁉ ちょっとルナ‼ あなたからも何か言ってやって下さいまし‼」

 

「どれどれ……うわー、デュバリィ、ちょっとこれはないですわー。せめて人に食べさせるならもうちょっとマトモな形になってから出すべきだと私は思います」

 

「そもそも料理初心者が手ぇ出すなら卵焼きよりスクランブルエッグとか、そこらへんだろ。いやまぁ食べるけどさ」

 

「揃いも揃ってわたくしをディスり過ぎじゃありません⁉ い、いいですわよ。そんな無理して食べなくとも……」

 

「精一杯努力して作ったんだろ? だったら食うよ。お前に悪いし」

 

「う……ま、まぁ、そこまで言うのなら」

 

「まぁ晒し者にはするけどな。おーい、アイネス、エンネア。こっち来いよ、面白いモンがあるぜ」

 

「何かしら? ……あぁ、成程ね」

 

「何だこれは? 魔獣用の毒物トラップか何かか?」

 

「オニ‼ 悪魔‼ やっぱりあなたに情けなど掛けるべきではありませんでしたわッ‼」

 

「悔しかったらいつか俺の舌を唸らせてみろ。できるものならなぁ‼」

 

「きぃぃ―――っ‼ いいですわ‼ いつかあなたをギャフンと言わせてみせますから覚えていなさい‼」

 

 

 

「相変わらず言動の小物臭がハンパないですねー」

 

「戦ったら普通に強いんだけどなぁ。ルナ、あいつが変に捻じ曲がったりしないようにちゃんと見てやっててくれないか?」

 

「分かってますよ。あれでも一応同期ですから」

 

「サンキューな。……それはそうとコレお前も食べろ。案外イケ……なくもないような気がしないでもない」

 

「……やっぱり罰ゲームじゃないですか、コレ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めると、そこには満天の綺羅星が散りばめられた夜空があった。

 

 季節はもはや夏に差し掛かろうというのに、やけに肌寒い。しかし今の自分の状況を改めて理解すると、納得はできる。

軽く身じろぎをすると、頭の下の柔らかいモノの感触が如実に伝わってくる。幸福感というよりかは安心感を覚えたのと同時に、自らの式神である女性が顔を覗き込んできた。

 

「おや、お目覚めですか? 主」

 

「……おっかしいな。確か俺寝た時は大岩に寄りかかって寝てたと思うんだが、何でお前の膝の上にいんの?」

 

「何を仰いますか。何の邪魔もなく主を可愛がり―――ゲフンゲフン、我が命を預けた大切な主を岩場になど寝かせられません。えぇ、そうですとも」

 

「……どうでもいいけど前屈みになるな。胸が邪魔でお前の顔が見えん」

 

 異性どころか同性をも魅惑するその胸部を邪険にするその姿は、他人に見られれば非難の嵐は免れないだろう。だが生憎と、今ここには彼ら以外に人はいない。

 否、人どころか生物の一体すらも見当たらない。標高がそれほど低くない山の山道から見渡してみても、それらしきものを探り当てる事はできなかった。

レイはシオンの膝の上からどいてむくりと上体を起き上がらせる。直後、クラリと平衡感覚が乱れて体勢を崩すも、右手を地面につけて支えとすることで再び倒れこむ事を防いだ。

 

「無様だな。一撃掠っただけでこの有様だ。やっぱり衰えてやがる」

 

「……あまりご自身を責められませぬよう。既にリィン殿たちの下へ式を向かわせました。せめて今宵は体力の回復に専念したほうが宜しいかと」

 

「分かってる。ありがとな、シオン」

 

 そう言いながらレイは、自分の左腕に巻かれた包帯を見やった。昼間に負ったその傷は外傷こそ既に塞がっているが、体内に入り込んだ”モノ”まではまだ駆逐できていない。

シオンの諫言通り、まずは体力を取り戻すことが先決だと理解して、再び地面に横たわった。

 すぐ近くには山が見える。山岳地帯の中間部であるここは、凡そ開放感とは無縁だった。

一体どれほど先にリィンたちが赴いた場所があるのだろうか。そんな詮無き事を思ってしまうあたり、随分と弱気になってしまっているらしい。

 

 

「随分と懐かしい夢を見た」

 

「ほう」

 

「”アイツ”が来たから思い出したんだろうな。あのアホは未だに料理なんぞ作れないだろうが、それでも、うん、思い出せて良かったとは思ってる」

 

 回顧するのは、何年も前の出来事。完全な闇の世界に身を窶していた頃の、一時の平和なやり取り。

あの時はまさか、学生となって級友と共に時間を過ごすなどという自分の未来像など想像していなかっただろう。

毎度イジり倒してきた戦友の顔を思い出して苦笑すると、レイはゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

「あー、それ私も覚えてますよ。筆頭が初めて料理した日の事でしょう? 笑おうにも笑えませんでしたからねー、あの時は」

 

 

 

 

 

 途端、背後から声を掛けられたが、レイに警戒の色はなかった。

振り向いた先に立っていたのは、白銀の軽装鎧を纏った一人の女性。傍らに一角を有した白金の馬を侍らせたその人物は、柔和な笑みを浮かべて二人に近づいてくる。

 

「よぉルナ。警護しててくれたのか?」

 

「はい。レイ君に何かあったら私の責任問題ですから。いやぶっちゃけ、本気で副長に八つ裂きにされかねないんですよね……」

 

 労苦の加減が一目で分かる悲哀の表情を浮かべて恐らくキリキリと痛んでいるのであろう胃の辺りを鎧越しにさするルナを見て、レイが同情の視線を向ける。

 

「あー、その、あれだ、ドンマイ」

 

「同情するならこの役目変わって欲しいんですよねぇ……ホント、ストレスで髪が抜けたらどうしてくれるんでしょうか副長は」

 

「ルナフィリア殿、目、目からハイライトが消えておりますよ」

 

「精神ぶっ壊れ一歩手前だな、コイツ」

 

 奔放な上司を持つ社畜もかくやという程の精神状態を見せつけられながら、この異質な三人組は北方の山岳地帯にて夜を明かす。

 

 そのきっかけとなった出来事が起こったのは、今より数時間前の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  【6月 特別実習】

 

 

 

 

 

  A班:リィン、アリサ、エマ、ガイウス、レイ

  (実習地:ノルド高原)

 

 

 

 

 

  B班:ユーシス、マキアス、フィー、ラウラ、エリオット

  (実習地:ブリオニア島)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ俺とリィンは別行動にしてもいいんじゃねってのは建前で遺跡島行きたいんだけどどうにかならない?」

 

「おいちょっと待て建前バラすの早過ぎないか? 流石に少し傷つくぞ」

 

「だからアタシにはどうにもなんないって言ってんでしょうが。それよりアンタら相変わらず仲良いわね。さっき文芸部の部長がアンタたちを見て鼻血噴出しながら印刷所に行ったわよ」

 

「「悪い(すみません)ちょっと急用を思い出した(ました)‼」

 

 

 

 ―――と、そんなやり取りがあってから数日後。

 レイたちノルド行き一行は、駅の中で軽くいがみ合っているユーシスとマキアス、視線をあまり合わさずに黙り込んでいるフィーとラウラ、その板挟みにあって憂鬱とした表情を浮かべているエリオットらB班を横目にまずは帝都行きの列車に乗り込んだ。

 

 ノルド高原は、帝国北東部に位置する、帝国国境を越えた先にある大高原地帯。つまりは外国である。

辺境の地の、そのまた辺境であるといっても差支えのないそこは、当然辿り着くまでにも相応の時間を有することになる。

ルートとしてはまずトリスタから帝都へ赴き、そこからルーレ行きの急行便に乗り換える。そこまでは普通の旅路だが、問題はここから先。

 帝国の北東国境線、ゼンダー門までは通常列車が行き来しておらず、ルーレ市から先は軍の貨物列車に便乗させて貰う事となっていた。

到着までの所要時間は約10時間。大凡半日以上も列車に揺られるという経験をすることになる一行は、ガイウス以外、道の旅路に少々緊張していた。

 

 

「はぁ……空気が重い」

 

「弱音を吐くな、阿呆。あの二人とて常識は弁えている。最悪の事態にはならないだろう」

 

「そうだといいんだけどねぇ……」

 

 帝都までは同行したB班の面々の内、男子三人組が帝都ヘイムダル駅の構内で愚痴を漏らした。

その対象となっているのは、ラウラとフィーの二人の存在だ。互いを露骨に避けているわけでもなく、一言二言の会話は普通に成立するのだが、どうにもその後が重い。

と言っても、フィーは普段からそこまで話題を振るようなタイプではないし、ラウラとてそこまで無駄口が多いわけでもない。一見すると普通の光景に見えるのだが、張り詰めた空気の形容し難い重圧感が班内の雰囲気を真綿で締めるようにキリキリと下げていく。今はまだ耐えられるレベルだが、これから数日昼夜問わず背中を預ける身としてはどうにも不安感が拭いきれない。

 

「……心情は察するよ」

 

「まぁ、何かあってもお前ら二人(ユーシスとマキアス)程深刻な事態にはならねぇだろうさ。変に気負い過ぎないで、いつも通りやって来い」

 

「……当事者なのに少し安心してしまった自分が嫌になってくるよ」

 

 マキアスが嘆息すると、エリオットが半ば強引に話題を変えようと、ガイウスに向き直った。

 

「で、でもガイウスの故郷かぁ。帰ってきたらお土産話、期待しとくね」

 

「あぁ。任せておいてくれ」

 

 鷹揚と頷くその姿に少しばかり安心した面々は、最後に再び互いを鼓舞する言葉を交わしあった後、それぞれの目的地へと向かう列車のホームへと向かうために別れる事となった。

 

 ルーレへ向かうA班が北方への急行便に飛び乗ったのはそれから数十分後。

目的地到着まで約2時間。その間に朝食を摂っていなかった5人は、今朝方寮を出る際にシャロンが持たせてくれたサンドイッチと水筒に入ったホットレモンティーに舌鼓を打ちながら、他愛のない会話を交わす。

 

「しかし、本当にシャロンさんの料理は美味いな」

 

「そうですね。サンドイッチ一つにもおいしくするための工夫が幾つも感じられます」

 

「前から気になっていたんだが、シャロンさんとレイはどちらの方が料理上手なんだ?」

 

 ガイウスの口から出た何気ない疑問に、リィン、エマ、アリサは”そういえば……”という表情を浮かべてレイに視線を集めた。

その当の本人は一口サイズに残ったサンドイッチを口に放り込んで咀嚼した後に、一瞬考え込むような素振りを見せてから首を僅かに傾けた。

 

「考えたこともなかったな。そもそも俺やシャロンは別に専門店で料理作ってるわけじゃないからそういうライバル心的なものには疎いんだよ。大事なのは如何に限られた時間で最高に近い料理を作って食う側に”美味い”と言わせられるかどうかだからな。逆を言うとぶっちゃけそれしか考えてねぇから他人との腕前の差異に興味ない。アイツは俺が作れない料理を作れるし、俺はアイツが作れない料理を作れる。明確に差があるとすればそこしかない」

 

「へぇー。シャロンに作れない料理なんてあったんだ」

 

 少しばかりズレた所に反応したアリサ。

しかしそれもそのはず。シャロンの料理の腕前を9歳の時から知っている彼女にとって、そちらの方が興味を持てる。

 

「中華料理以上に特別な技法が必要だったりするからな。モノは俺の……というか俺の先祖が暮らしてたカルバードぶち抜いて更に東に行ったところにある場所の伝統料理だ」

 

「すごい興味がありますね」

 

「材料がないから完璧な再現が難しい。昔は時々作ってたんだがなぁ」

 

「? 昔?」

 

「あぁ、いや、コッチの話」

 

 そこでレイは、ここでその話は終わり、とでも言いたげにレモンティーを一啜りした。

それを察したリィンは、食後の時のために持参した飴を口に入れてから、アリサへと視線を移した。

 

「そう言えばルーレはアリサの故郷だったよな。一時的に寄るだけとはいえ、一応帰郷ってコトになるのか」

 

「あー、うん、そうなるわね」

 

 帰郷とはいえ、半ば家出も同然で飛び出してきた身の上だったため、あまり気乗りはしない。歯切れが悪くなったのもそのためだった。

とはいえ今から考えてみれば当時の自分の行動も全て母親の手の平だったという感覚が拭えなくなって来たため、忌避感はそれ程でもないのだが。

 思えば反抗期にしても青過ぎたなとは思う。相手は身内の贔屓目なしでも、帝国産業の一翼を担う傑物だ。そんな人物の目を、世間も碌に知らないような小娘が出し抜けるわけがないというのに。

 

「……まぁ、故郷に帰り辛いって理由があるのは、何となく分かる。俺にもそういう思いがあったりするからさ。それで、アリサが居辛いって言うなら早めにルーレは出立しよう。三人も、それでいいか?」

 

「あぁ、異論はない」

 

「そうですね」

 

「構わねぇけど、メシ買って行こうぜ。餓死するぞ」

 

 ある意味自分の我が儘に二つ返事で了承してくれた仲間たちを見て、くすりと笑う。

 いつだってそうだ。Ⅶ組という場所は他人の心の傷口を余程の事がない限り探ってはこない。それはアリサにとってはありがたかったし、恐らく他の面々にとってもそうだろう。

そんな中でも、リィンとレイの二人には様々な場所で助けられた。

母親と、そしてシャロンと面識のあるレイには既に最初から身元は割れており、特に抵抗もなく自分に接して来た。オリエンテーション以来、ギクシャクしていたリィンとの仲を回復させようと色々してくれた恩人でもあり、その点に関しては深く感謝している。まぁ、それとスパルタ特訓の恨みはまた別問題なのだが。

 だが、リィンに感じている感謝の念は、また別物だ。

出会いはそれこそ最悪だった。不可抗力とはいえ不埒な事をされた挙句に強烈な張り手をお見舞いし、以降はどうにも煮え切らない関係がずるずると続いてしまったものだった。

切っ掛けがあれば謝ろうとも思っていたのだが、その切っ掛けが掴めない。レイのさり気ないフォローも見て見ぬ振りしてスルーした結果、結局特別実習の日までその関係が維持されてしまったのだ。

 お人好し、という言葉が二人には似合う。しかしその内容が二人の間では異なると、アリサは思っていた。

 

 レイのお人好し具合は、言ってしまえばシャロンから滲み出ているそれと同じ種類のものであり、具体的に言えば庇護欲の一部だ。見過ごせないから、しょうがないからと自分を納得させて世話を焼く。それがありがたいというのもまた事実だが、どうにも彼は自分達と同じ立場にはいない(・・・・・・・・・・・・・)ように思えて仕方ない。

一体それが何を示しているのか、はたまた自分の勘違いなのかは定かではないし、それを聞き出そうとも思わない。それは恩人に対する、アリサのせめてもの礼儀だ。

 一方リィンのお人好し具合はレイとは違い、自分たちと同じ目線からのそれだ。困っているから、助けを求められているからと、理屈云々より先に行動し始める類のもの。親切心と言い換えてもいいかもしれない。

それに安堵感を覚えた。勝手ながら、彼は自分とどこか近しいのだと、そう思えるようになったのだ。

 

 しかし、アリサが現段階で自覚しているのはここまでである。

彼女が色々とリィンに対して頭の中で人物評価を更新している間、手持無沙汰になったレイは彼女の横顔をそれとなく観察していた。そこで分かったことはただ一つ。

 

「(おーおー、随分と楽しそうな顔しちゃってまぁ)」

 

 嬉しさが内面から滲み出たかのような笑みが隠しきれていないアリサを見て、レイは内心で苦笑した。

 さてどうしたものかと考える。今まで散々人の女性関係やらを嗅ぎまわってくれた本人が自分の感情に気づいていない。これをどう弄ってくれようか。

ひとまず実習が終わって寮に帰ったらシャロンと悪巧みの相談をしよう。そう考えてレイは、背もたれに寄りかかったまま静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

「それで? アリサの方はどうなの、シャロン」

 

「はい会長。ご心配されなくとも大丈夫ですわ」

 

 

 RF社本社ビル。その中でも代表取締役の執務室が設けられている23階にて、特別役員用の高速エレベーターで階下へと下っている最中に、イリーナ・ラインフォルトは徐にそう問いかけた。

傍らにいるのは彼女の秘書でもあるシャロン。現在はトリスタに出向しているはずの彼女は、腕によりをかけて作った昼食弁当をA班の面々に届けるという目的と、ただ単に先回りされて驚き慌てふためくアリサの顔が見たいという目的のためだけに帝都から定期飛行船に乗り込み、ルーレへと先回りしていた。

 そんな経緯の疲れなど全く見せず、いつも通りの笑みを浮かべて、彼女はそう答える。

 

「ご存じの通り学業成績も優秀であらせられますし、何より良いご学友の方々にも恵まれております」

 

「そう」

 

 イリーナは簡潔に、その一言だけで了承の解答とした。

 世間一般の目から見れば冷血ともとれるだろうし、実際そうとも呼ばれている。だが本当に冷血であるのならば、分単位で激務に追われる彼女が、娘の事を気にかけるはずなどない。

前会長にクーデターを仕掛けてまで奪い取ったこの役職。それを蔑ろにすることなど出来るはずもなく、ともすれば対比的に娘に接する時間は短くなってしまう。

母親として褒められた行動ではない事は分かっているし、容認してもらおうとも思わない。だがそれでも、娘が選んだ道でどのように成長しているかどうかが気になる程度には、まだ”親”を止めているつもりではなかった。

 シャロンをトリスタに送り込んだ理由の一つはそれだ。定期連絡と称して、アリサの様子を報告させている。それができたのも、イリーナがトールズにてとある役職を拝命しているからである。

 

 トールズ士官学院常任理事―――ルーファス・アルバレアと同じくその役職に就いている三人のうちの一人に名を連ねており、学業成績などは黙っていてもイリーナの手元に通達される。

だが当然の事ながら、私生活までは知る事ができない。だからこその判断だった。

 

 

「それで、あなたの方はどうなの?」

 

「…………」

 

 その言葉に一瞬反応できずにシャロンが黙り込む。その珍しい行動にイリーナが僅かばかり驚いていると、すぐに答えは帰って来た。

 

「気持ちはちゃんとお伝えしましたわ。振り向いていただけるかはまだ……」

 

「そう」

 

 結婚し、子供を産んだ経歴を持つイリーナにとっても、悲恋は好ましいものではない。表向きの理由としては思慕の念が募りすぎて業務に支障が出ては困るといったものだったが、そうさせるように仕向けたのは紛れもないイリーナ自身だ。”優秀な青年を籠絡して専任秘書兼ボディーガードとして引きずり込め”という、尤もらしい理由はつけたが。

 

「まぁ、せいぜい頑張りなさい」

 

 突き放したような言い方だが、これでも彼女にとっては立派な鼓舞の言葉だ。その意味を理解したシャロンは、ただ一言を返すだけ。

 

 1階に辿り着き、到着を知らせるベルが鳴る。向かう先は取引先ではなく、ルーレ駅だ。久しぶりの対面、二人はどんな言葉を交わすのだろうか。

出来るなら剣呑な雰囲気にはならないでほしい。シャロンは心の中で、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノルド高原という場所は帝国領ではないという外国地帯ながら、実は帝国史において非常に重要な場所である。

その出来事として挙げられるのが、250年前の≪獅子戦役≫の英雄としてその名を今に語り継いでいる皇帝・ドライケルスの挙兵。ノルドの民らと共にこの地で挙兵した際の味方は僅か十数人。それが数万人に膨れ上がって戦役を終結させるに至ったのである。

そのため、帝国軍人のノルドへの関心は高い。一介の遊牧民が注目されている要因でもある。

 

 主産業は牧畜と軍馬の生産。といいつつも集落の中で自給自足の生活をしている彼らにとって輸出産業は副業のようなものであり、必要最低限しか外部とのコンタクトは取っていない。

しかしノルド産の軍馬は速力、持久力共に優秀。エレボニアの紋章である≪黄金の軍馬≫のモチーフとされる程であり、多くの愛好家に好まれている。

 

 ルーレを出発した貨物列車が向かうのは更に北東。帝国最大の山岳地帯である≪アイゼンガルド連峰≫を抜けたその向こうに目的地は存在し、つい先ほどから列車は長いトンネルを何度も通過していた。

 

 

 

 

「う……しくじった。ワンペアだ」

 

「私は、えっと、ツーペアですね」

 

「この役は確か……俺はフラッシュだな」

 

「ふふふ、私はフォーカードよ‼ さぁレイ、手札を見せなさい‼」

 

「ストレートフラッシュ」

 

「だからなんでいっつもいっつも良い役出してくるのよ‼ イカサマしてるんじゃないでしょうね‼」

 

「馬鹿か、金も賭けてない勝負にイカサマ使う程素人じゃねーよ」

 

「流石クロスベル仕込み」

 

「あそこってカジノ街あったんでしたっけ?」

 

「ふむ、見事な先見の目だな」

 

 

 

 そんな中で五人はトランプを使ってのポーカーに興じていた。その中でアリサだけは先刻溜まった鬱憤を晴らすかのように一際テンションが高い。

 レイは全員の手札を集めてもう一度山札をシャッフルしながら一つ溜息をつく。

 

「アリサ、今のお前アレだ、酒宿場で酔っぱらって絡んでくるヤツみたいだぞ」

 

「……言われてみれば酔っぱらったサラ教官の癇癪に似てるような気がするな」

 

「ちょっとそこの男子二人、今から矢の的にしてあげるからそこ動かないように」

 

「あ、アリサさん駄目です‼ 軍の貨物列車の中で武器なんか取り出したら大変な事になりますよ‼」

 

「委員長、引き止める理由はそれではないと思うが……」

 

 

 荒れている理由は分かっている。だからこそ雰囲気が暗くならないようにと協力しているのだし、これで彼女の気が紛れるのならば安いものだ。

 アリサが母親を”嫌っていない”のは分かっている。本当に嫌っているのならば、そもそも言葉を交わそうともしないだろう。

とはいえ多感な年頃の女子が一見突き放されたような言葉を掛けられて憤らないはずがない。唯一イリーナの性格を知っているレイはそこで「あぁ、やらかしたな」と思ったほどである。

 

 どれだけ背伸びをしようが、所詮自分たちはまだ16、7の子供だ。親がいるのならちゃんと見て欲しいと思うのは当然だし、それがなければ不快に思うのも当然だろう。

それが理解できるからこそ、彼女の鬱憤を晴らすために付き合っているのである。まぁ、それと接待勝負が出来るかどうかというのはまた別の問題なのだが。

 

 

「お? 何だか盛り上がってんなぁ」

 

 そんな時に声を掛けて来たのは、貨物列車の乗組員である一人の男性だった。

どうやら入学前のガイウスとは面識があったらしく、足を止めて世間話を振ってくれた。

 

「しっかし、あの時のお前さんがまさか士官学院の入学生だったとはなぁ。その制服、中々カッコイイじゃないか」

 

「そうか……ありがとう」

 

「ガイウスは背が高いから士官学院でも目立つのよね。上級生含めてもかなりの身長じゃないかしら」

 

「そうだよな。レイはどう思う?」

 

「タコ殴りにされたいのか貴様。俺だって好きでチビなわけじゃねぇんだぞ」

 

 男にとって身長というのは一種のステータスだ。それがなければ異性として魅力的に映らないこともあるし、年相応に見られない事も少なくない。

それを考えればガイウスは男性としてはⅦ組の中で最も魅力的な体を持っているとも言える。リィンがノルドの民は皆ガイウスみたいに高身長なのかと聞くと、本人は首を横に振った。

 

「いや、俺より背が高いのは俺の父くらいだな。弟はこれから伸びるとは思うが……」

 

「ノルドの民マジ羨ましい」

 

「ちょ、レイ、悪かった。悪かったから胸倉掴み上げるのはカンベンしてくれ‼」

 

「ははっ、仲良さそうで何よりだぜ。それじゃ、実習とやら頑張れよ」

 

「えぇ、ありがとうございます」

 

 苦しむリィンを解放し、乗組員が歩いて行った方を見やる。ああして他人に警戒心を抱かせない器の大きさが、ガイウスの真骨頂であるともいえる。それは素直に、身体的特徴以外に羨ましいと思えた。

 

「さて、ゲームを再開しようか」

 

「次こそは絶対負けないわよ、レイ‼」

 

「敗北フラグいただきました」

 

「しかしレイの運の良さは羨ましいな。いや、勝負の運び具合が上手いのか」

 

「こればかりは経験でしょうからねぇ」

 

 そうして再びポーカーを再開しようとしたところで、ガラッと音がして車両の扉が開いた。

扉を開けて入って来たのは黒に近い紺色のローブで全身を覆った人物。その顔も目深に被られたフードのせいで確認する事が出来ず、そのせいで見た目の不気味さがより際立っていた。

どう見てもここの乗組員ではない。とはいえそれ以外で乗車している民間人は自分達だけのはず。それを先程の乗組員も不審に思ったのか、その人物に声を掛けた。

 

「あ、おいアンタ、乗車の券は持ってるのか? ないならここにいちゃ―――」

 

 その瞬間、レイの人並み外れた視力が、フードの裾から僅かに刃が覗くのを確認した。

それと同時に愛刀を構えて席を蹴る。正面からではなく、横から回り込むように、席の背もたれを足場にしてたったの二歩で攻撃圏内に辿り着いた。

 

「―――フッ‼」

 

 殺傷能力こそないものの、攻撃の威力は間違いなく伝わる柄尻の刺突を容赦なく叩き込む。食らったその人物は連結部分の扉を抜けて隣の車両へと弾き飛ばされた。

 

「え? な、何が……」

 

「下がってください‼ リィン、護衛をしながら別車両に退避させろ‼」

 

「わ、分かった‼」

 

 その言葉、正確にはレイが動き出した瞬間に既に太刀を持っていたリィンがそれに応じて乗組員の前に立ち、一歩遅れて駆けつけたガイウスの協力も得て別車両へと退避させた。

その間数十秒。その間レイは一瞬たりとも後ろを振り向かず、ただローブの人物が吹っ飛んでいった先を睨み付けていた。

その理由は、手応えが軽かった事にある。確かに攻撃はヒットこそしたものの、あの状態で威力はほとんど受け流された。

それが出来る技量を持つ者が沈んでいるはずがない。そう睨んでいると、その視線の先でゆらりと黒い影が起き上がった。

 

「―――ッ‼」

 

 それと同時に、レイは柄を斜めに旋回させて自分に向かってきたそれを弾き飛ばす。キィン、という甲高い音と共に本来の軌道を外れて車両の壁に突き刺さったのは、刀身に幾つものギザギザの突起が生えたナイフだった。

その武器の凶悪性、そして一寸の狂いもなく自分の蟀谷を狙ってきたその腕前から脅威度を再確認したレイは叫ぶ。

 

「ガイウス‼ 委員長とアリサを守りながら退避しろ‼ リィンは殿(しんがり)だ‼」

 

「え、ちょ、レイ―――」

 

「了解‼ ガイウス、先行してくれ‼」

 

「あぁ‼」

 

 せめて理由を問おうとするアリサの声に重なるようにリィンが応え、ガイウスは女子二人を背に隠しながら、十字槍の穂先を侵入者に向け、じりじりと後退する。

それにリィンも続き、全員が連結部分を抜けたところで扉が閉められた。

 

「(あぁ―――それでいい)」

 

 閉まる音で無事に退避したことを確認したレイはスラリと刀身を引き抜き、剣先が相手を向き、視線と平行になる刺突の構えを取る。

 

 リィンとガイウスが一切の躊躇いもなく撤退したのは英断だ。元より朝練参加組には教えていた事だったとはいえ、実際に危機的状況に陥った時に実践できるというのは彼らの呑み込みが早いという事と同義だ。教えた側としても鼻が高い。

だから、今度は自分がそれに応えなくてはならない。

 

「八洲天刃流【剛の型―――」

 

 繰り出すのは刺突。【瞬刻】で加速した最速の状態から右手の瞬発力を利用して放つ技。

周囲の大気をも巻き込むこの技は、この狭い室内で回避する術はない。故にレイは、車体を大幅に破損させない程度に威力を調節して、それを放った。

 

 

「―――塞月(とさえづき)】」

 

 

 さぁ始めようかと、そう内心で宣戦布告を叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リィン‼ 何であそこで退いたの⁉ 私たちがいればレイだって―――」

 

「それじゃ駄目なんだッ‼」

 

 

 戦闘が勃発した車両から二区画離れた車両で、リィンが絞り上げたような声をあげ、壁を叩いた。

その声色の必死さたるや、問い詰めようとしたアリサを問答無用で黙らせ、車内のガラス窓を震わせるほど。扉を背後に仁王立ちをする姿は、ここから先へは行かせないと屹立する門番にも似ていた。

 否、実際そうなのだろう。リィンは今、この先の区画へ、友が戦っているそこへは、誰一人とて行かせる気はなかった。

 

「今俺たちがあそこへ行っても、足手纏いになるだけだ。あのローブの侵入者は、多分俺たちより強い」

 

「でも……」

 

「アリサだって、本当は分かってるんだろ?」

 

 核心を突かれて、再びアリサが口を閉じる。

無論、分かってはいた。戦場(フィールド)は足場と射線がこれでもかという程に限定された狭い車両内。そこに射撃型の自分がいたところで、徒に誤射(フレンドリ・ファイア)を誘発するだけだ。

エマのアーツならば補佐くらいは務まるのだろうが、典型的な後衛であるが故に彼女は一度接近戦に持ち込まれたら弱い。それを前衛が補佐しようにも、狭い室内という場所が、長物を使う彼らの行動を妨げる。

そしてレイは、危機に陥ったメンバーを見捨てず助けようとするだろう。それが原因となって致命傷でも追えば、自分たちはあのローブの侵入者に対抗する手立てを失ってしまう。

 あぁ、分かっている。今自分たちが戦場(あの場所)で出来る事など何一つないのだという事は。

それを一番身に染みて分かっているのは他ならぬリィンだ。自分たちがまだ弱いから、まだ力がないから、彼と肩を並べて戦う事ができない。

その事実を知りながら……いや、知っているからこそ即座に退いたのだ。例えそれが自分にとってどれ程屈辱であったとしても、彼我の実力差が戦場に赴くことを許してくれない。

 

 気がつけば、リィンは歯を食いしばって双眸から僅かに涙を滴らせている。壁に叩きつけられた拳は震え、ただ単純に、自分の弱さを慚悔していた。

 

 

「……俺とリィン、ラウラはレイに付き合って貰って朝練をしていてな。その時に、よく言われていた」

 

 徐にガイウスが口を開く。そんな彼が槍を握る手も僅かに震えていた。

 

「”何の柵もない内ならば、逃げる事は罪じゃない。逃げて次に勝てるなら、それは勝利と変わらない”―――それを思い出せたから、俺はすぐに退く事が出来た」

 

「あぁ、俺もだよ。俺たちはまだ、戦場(あの場所)に立てるほど強くない。―――なら」

 

 そこで顔をあげたリィンの顔には既に涙の跡はなく、堂々と前を見据えていた。

 

「レイが託してくれた背中を守る。もし何かあった時に、機関室を守れるのは俺たちだけなんだから」

 

 その視線の先にあるのは、貨物列車の心臓部ともいえる機関室。

幸いこの便では火薬類は運搬していないと聞いていたため、最優先で守る場所はそこだった。

既に騒動は先程の乗組員によって機関部へ伝わっている。だがそれでもなお走行が続いているという事は、走り続けるリスクよりも緊急停止した際のリスクの方が高いと判断したからだろう。

 侵入者の目的は未だ不明だが、もしこの列車を狙ったテロであったとしたら、止めた場合に外部を伝って直接機関部に乗り込まれる恐れがある。

それをさせないための最終防衛ライン。考えたくもないし考えられないが、もしレイが敗れた時、ここを守れるのは自分達しかいない。

 

「俺は信じる。それしかできない」

 

 今までに感じた事のない歯痒さを感じながら、四人は剣戟の音が微かに聞こえる方に意識を集中させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 分が悪いと、そう感じたのは戦闘開始直後からだった。

 元より長刀を振るうには狭すぎる場所。横薙ぎの一閃ですら障害物に阻まれる可能性があるこちらに対して、相手の武装はナイフとダガー。

小回りが利く上に、投擲も可能。戦場における優位性を鑑みた場合、どちらが全力を振るえるかなど、考えるまでもない。

 だが、それはただの言い訳に過ぎない。

戦場での殺し合いはチェス盤でのそれのように対等(イーブン)の状態で始まる事などありえない。例え奇襲を受けようが罠に嵌められようが、そこから起死回生の一手が打てなければ生き残れないのがその場所だ。

自分にとっての不利な状況は常に理解しながらも、悲観論は全て頭の中から抹消する。ローブの裾から放たれるナイフを弾きながら、一瞬の隙を狙って肉薄しようとするが、こちらが攻撃を加えようとする時に限って、武装を二振りのダガーへと変更する。

先程、威力を抑えたとはいえ、破壊力一点突破の【塞月】を防いだ武装もそれだ。

相当な業物だという事も理解できるが、危惧すべきはその膂力と破壊力をいなす事が出来る技術力。平地で戦えればここまで苦戦はしないのだろうが、この人物は武器の特性と己の戦法(スタイル)を理解し尽した上で最大限の力を振るっている。

 

「(厄介―――だなっ‼)」

 

 再び【塞月】を放てる程の隙は見せてくれない。技巧特化の暗殺者(アサシン)じみた戦い方を得意とする人間は知り合いに二人ほど存在するが、慣れているとはいってもやはり厄介な事に変わりはない。

 既に弾いたナイフの数は30を数えるだろう。ローブの下にあとどれだけの武器を隠し持っているのかは知らないが、一瞬たりとも気を抜けない状況なのは変わりない。

未だ一撃たりとも攻撃を食らっていないが、こちらが攻め込めず、あちらも必殺を為し得るだけの手を持ち合わせていないという意味では千日手だ。

 更に言えば、目の前の人間が男か女か、それすらも分からない。見た限りの体型は華奢で女のように見えるが、それだけで決めつけるのは早計だ。それでも何合も刃を交わせば凡そ予想はつくのだが、思わず首を傾げたくなるほどに分からない。

 

「(ローブ自体に認識阻害系の魔術か呪術でもかかってんのか? だとしたらフード剥ぐしか見分ける術はない、か)」

 

 レイが扱う呪術の中には付加系の術をキャンセルさせるものもあるのだが、まさかこの状況下で詠唱を行うわけにもいかない。

 

 直接的にも間接的にも攻めあぐねていた時、列車がトンネルを抜けて山道沿いの線路を走り始めた。

今まで闇が支配していた窓の外から、一転して燦々とした陽の光が差し込んでくる。すると、それを合図にしていたかのように侵入者が別の行動を取った。

 いきなり横に飛び退いたかと思うと、先程ナイフが被弾して割れた窓ガラスから外へと身を乗り出したのだ。一瞬逃走かと思いはしたが、侵入者はまるで曲芸師のような軽やかな動きで身をくねらせると、そのまま車両の屋根へと飛び移った。

 

「チッ‼」

 

 無論、放置するわけにもいかない。疾走する列車の窓際を伝って屋根に飛び移る事が出来るだけの身体能力を有しているのならば、そこを渡って機関室へと行くこともできるだろう。

 レイは躊躇うことなく窓からその小さい体を乗り出させると、昔取った杵柄のやり方で同じく屋根の上へと立った。

 

 侵入者は、特に動くことも無く悠然と立ったままそこにいた。吹き付ける山間からの風もまるで気にしていないと言わんばかりに、両手に漆黒のダガーを構えたそれは、律儀にレイの戦闘準備を待っていた。

 

「(列車自体が目的じゃない? だったらコイツの標的は―――)」

 

 推測がそろそろ結果に辿り着こうとしたその時、進行方向を背にしていたレイにとっては予想外の事態が起きた。

差し掛かったのは緩やかなカーブ。普段地に足を付けて歩いていれば気にならないそれも、時速100キロ以上のスピードで走行する乗り物の上に立っていれば、その影響は甚大だ。

 

「しまっ――――――⁉」

 

 強靭な下半身を持っているレイですらもその大幅な揺れには耐えきる事が出来ず、ほんの僅か、足の位置がずれた。

しかしどれだけ僅かであったとしても、この状況下での体勢のズレは致命的となる。勿論それを相手が見逃すはずもなく、コンマ数秒のその瞬間にダガーを逆手に持ち替えて一気に肉薄して来た。

 だが、レイの驚異的な反射神経がその直撃を許さない。右からの攻撃を長刀の刃で防いで弾き、時間差で迫って来た左からの斬撃を返す刀で防ごうとした時に、その黒刃がほんの少しだけ、レイの左腕の制服を裂いて腕を浅く傷つけた。

 勿論そんな傷を気にかけている余裕などなく、反撃をしようと刀を振るったが、相手は目的は達成したと言わんばかりに軽やかな動きで距離を取った。

 

 

 ―――瞬間、形容し難い極度の痺れと嘔吐感がレイを襲った。

 

 

「ッ‼ ―――ガハ……ッ⁉」

 

 両足に力が込められず、屋根の上に両膝をつくと同時に激しく喀血する。喉奥からとめどなく溢れ出てくる真紅の液体は列車の屋根を汚し、レイはその不浄の水たまりに頭から倒れ込むのを渾身の気力を振り絞って何とか防いだ。

 

 毒だ。それも自分以外に(・・・・・)使用すれば即死レベルの麻痺毒と神経毒の混合毒。加えて即効性と来た。

随分とえげつないものをダガーの刃ごときに仕込んでくれたものだと思うのと同時に、幸か不幸か、これで得心が言った。

 

「(コイツの狙いは……俺かッ‼)」

 

 生来の劇物に対する抵抗力が功を奏してまだ意識を保っていられるが、本来ならこの時点で既に息絶えていてもおかしくない。否、確実に事切れているだろう。

そんな凶悪な毒を自分に埋め込んだのは、自分ならばこの程度では死なないと理解していたから。つまり、レイの生まれも、体質も、知り尽くされている。

 

「(ドジ……踏んだな……)」

 

 戦闘で昂った影響で早く流れる血流の流れに乗って、毒が容赦なく全身に回り始める。それでも死にはしないだろうが、次第に苦しくなっていく呼吸に対して歯軋りをしながら、自らの甘さを悔いた。

 昔ならば、列車の安全よりも短刀系の武器に付与された毒の方を危惧していただろう。ただ己のみを案じ、敵を排除するために全力を出していたに違いない。

だが今はどうだ。仲間の身を案じ赤の他人の安全を考慮に入れて動いた結果、このザマである。しかしレイは、己の行動に全く後悔はなかった。

 

「チッ……カッコ悪いなぁ……」

 

 右脇から衝撃が飛んでくる。横から蹴られたのだと理解したのはその直後。

慣性の法則から放り出された身は、線路すらも飛び越えて山間部の崖下へと落下していった。

そのまま重力に身を任せて落ちれば待っているのは死だろう。いかに超人的な身体能力を持っているとはいえ、数百メートルの高さから落下して無事でいられるはずがない。

 レイは震える手で何とか制服の内ポケットから式用の紙を取り出すと、自分の真下にそれを落とす。すると紙は人一人を乗せられるほどの大きさの鳥の形に変化し、レイを背中に乗せると手近な平らになっている場所に主人を運んだ。

 

「ぅ…………」

 

 式の背中から転がるようにして降りると、僅かに草の生えた岩肌に倒れ込む。意識を失う前にシオンを呼び出そうと符に力を込めようとするが、その腕を黒いブーツの靴底が踏みつけた。

 

「うわ……マジ、かよ……」

 

 見上げてみるとそこにいたのは直前まで相対していた敵。どうやって追いついてきたのか、どうして俺を狙うのか、問いたいとこは無数にあったが、自分に向けられたダガーの刃先がその疑問を抑え込んだ。

死を覚悟するのはいつぶりだろうかと皮肉交じりに思い、虚ろな目を閉じようとしたその時、突然暴風と共に煌めいた雷光の一閃が敵を吹き飛ばした。

 

「………………‼」

 

 流石に予想外だったのか、声にならない声をあげて、岩壁に叩きつけられる。

その見覚えのある光に再び瞼が開く。そして攻撃が来た方向に首を動かすと、そこに一人の女性が立っていた。

 

 

 

「狼藉はそこまでですよ、≪X≫。そこから先はあなたの任務ではないはずです」

 

 

 目に入ったのは白銀に輝く軽装鎧と、機械じみたヘアバンドの両脇から伸びた二対四枚の純白の羽。

透き通った長いプラチナブロンドの髪は後頭部で一括りにされて風に揺れ、翡翠色の瞳は殺気の籠った視線を対象にぶつけている。

 そしてその左手に携えているのは、鎧と同色の一振りの長槍。青白い光を纏った穂先は、一撃を放った後も変わらず敵の姿を捉え続けている。

 

「退いてください。これ以上続けるというのなら……この≪雷閃≫のルナフィリア、全力を持ってあなたを排除しにかかります」

 

「……………………」

 

 その警告が効いたのか、はたまた元よりそうするつもりだったのかは定かではないが、≪X≫と呼ばれたその人物は、その直後、岩場の影に溶け込むようにしてその姿を消した。

 気配が完璧に外に消えたのを確認してからその女性―――ルナフィリアは槍の穂先を下げると、先程までの凛とした態度とは打って変わって、最上級に焦った表情でレイに詰め寄った。

 

 

「あー‼ ホントにガチで死にかけてるじゃないですかぁ‼ ちょっとしっかりして下さいレイ君‼ 君がいなくなったらあのアル中パワハラ上司の面倒を一生私が見なくちゃいけなくなるんですからぁ‼ ちょっとシオンさん⁉ いるんでしょ⁉ 早く出てきて助けてあげてください‼」

 

「―――っぷはぁっ、や、やっと出てこれました。主からの呪力の供給がないと正直符からの直接召喚は厳しい―――ってそんな事を言っている場合ではありませんでしたな‼ お久しゅうございますルナフィリア殿。早速ですが手伝っていただけますか?」

 

「はい勿論‼ ああもう、やっぱ私不幸すぎますよぉー‼」

 

「おまえ、ら……うるせぇ、よ……」

 

 レイの力の入っていない声は、しかし知己の二人に届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




突きつけられた現実。


友として隣で戦うことすら許されない自らの弱さを悔いる。
強くなりたいと、ただそれだけを希う。






Ⅶ組強化フラグですかね。特にリィン君。







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波乱の予兆

毎週ダンまちとVividと銀魂とFate/stay nightの放送を楽しみにしている十三です。

stay nightに至っては放送後のGrand Orderの新サーヴァントCMも楽しみにしてます。アサシンって……誰だ、アレ。






 

 

『……そう、了解したわ。君たちはそのまま実習を続けなさい』

 

「え……で、でも……」

 

『シオンから式神が来たという事はレイは無事って事よ。大丈夫。アイツのしぶとさはアタシが良く知ってるから』

 

 

 午後四時。ゼンダー門に到着したリィンたちは、拠点の総責任者であるゼクス・ヴァンダール中将への挨拶を終えた後、特例として基地の通信機器を使って士官学院へと連絡を飛ばしていた。

 レイ・クレイドルの失踪及び安否不明。目的地に辿り着いた時に屋根の上の血だまりを見た一行は戦慄を禁じ得なかった。

それがレイのものだったのか、はたまたあの侵入者のものだったのかはその時点では分からなかったが、こびりついて黒ずんだ血の中にレイの銀色交じりの黒髪が落ちていたのを発見した後は、否が応にも認めざるを得なかった。

レイは敗北し、線路の途中で落とされたのだろう。現在軍関係者が行方を捜しているらしいが、山岳地帯のどこかに落ちたのなら、探しようがない。

 

 何よりもリィンは、レイが敗けたというその事実に打ちひしがれていた。

無事であることがシオンから飛ばされてきた式神のお蔭で把握できたとはいえ、受け入れるには少々荷が重すぎる。

それでも班のリーダーとして気丈に振る舞わなくてはならず、現在も通信機越しにサラへの報告と以降の行動について指示を受けているが、どこか心ここにあらずだった。

 それが見破れないほど、サラは人の心に疎くはない。

 

『……いい? リィン。レイは遊撃士としても一流よ。年齢制限があって未だに準遊撃士クラスだけど、実力だけを鑑みれば現役のA級遊撃士とそれ程大差はない。伊達にクロスベルで≪風の剣聖≫と並ぶとまで言われてたわけじゃないわ』

 

「あ……」

 

『ついでに言えばこの程度の修羅場はアイツにとっては慣れっこよ。死にかける事なんて珍しくもないし、そんな柔な奴じゃない事はアンタ達だって知ってるでしょ?』

 

「あ、あはは。まぁ、そうですね」

 

 そう言われてしまえば反論のしようもない。確かに彼ならば崖下に落ちたところで二日後くらいに何事もなかったかのように帰って来て「マジウザかった」の一言で済まそうとするだろう。

未だ3ヶ月程度の付き合いであるリィンですらそう思えてしまうのだ。付き合いの長いらしいサラからすれば、それ程心配に思う事でもないのだろう。

 

「―――分かりました。レイの帰りを待ちながら、実習を続けます。ここで立ち止まっていたら、それこそあいつに怒られそうですし」

 

『良く分かってるじゃない。それじゃ、何かあったらまた電話しなさい。ホントは駄目なんだけど、まぁ緊急事態だししょうがないわ』

 

 その声に力強さを感じつつ、しかしやはり心の中に癒えない傷を負った感覚を引きずりながら、リィンは受話器を置いた。

そのまま担当の通信兵に一言礼を言ってから通信室を出て、他のメンバーを待たせているゼンダー門の司令官室へと赴く。そこには不安な顔をしてこちらを見るエマとアリサ、いつものように泰然自若としていながらもどこか気落ちしているガイウスがいた。

 

「リィン、サラ教官はなんて?」

 

「―――レイの事は心配ないから実習を続けろ、だってさ」

 

 リィンのその報告に、三人が驚愕の表情を浮かべる。しかしリィンは、何かを言われる前に自分の言葉を挟んだ。

 

「皆の言いたい事は分かる。俺だってレイの事は心配だし、何も引きずってない訳じゃない」

 

「だったら―――」

 

「でも、ここでずっと立ち止まってるのが俺達の正しい選択なのか?」

 

 ただ一人、気丈に振る舞い仲間の進む道を指し示す。

それはレイが得意とする事であり、正直リィンは、その役が自分に担えるかどうか不安だった。

それでも、やるしか選択肢はない。力がないなら力がないなりに、奮闘しなければ前には進めない。

何より生きているのが分かっている。無事であるのが分かっている。それはとても幸運な事で、ここまでのお膳立てをされておいてただ立ち尽くす事に拘るほど腑抜けてなどいない。

 心構えは散々叩き込まれてきた。それは実践できなければ、脳の片隅で燻っているのと同じ事だ。

 

「レイは必ず追いついてくる。ならあいつがいない間、何事もなかったように実習をこなすのが俺たちが出来る唯一の恩返しだ。後退とか、停滞とか、そんなものはあいつは求めちゃいない」

 

「……それには俺も同意見だ」

 

 表情を元に戻したガイウスが、リィンの言葉に同意した。

 

「あの襲撃者の目的が何だったのか、はっきりした事は分からない。だが俺たちがレイに助けられた事は紛れもない事実だ。なら相応の功績で以て礼としなければならないだろう」

 

 あのひねくれ者の事である。正面から礼を言ったところで「んなモンはいいから」と言って笑い飛ばすに違いない。

なら何をすればいいのか。何をすべきなのか。そんなものは決まっている。ただ前へと進むのだ。

 

 

「……はぁ。何よ、二人して分かった顔しちゃって」

 

「ふふっ、でも確かに、私たちはここで止まってちゃいけませんよね」

 

 苦笑する女子二人。しかし彼女たちも、二人のやり取りで気付かされた。この場所でただ腐っているのは、何ともⅦ組(自分たち)らしくない。

 

 

「ふむ、中々良い絆で結ばれているようだな」

 

 そんな彼らの選択を見届けて渋い声でそう言ったのは、このゼンダー門の司令官であり、ガイウスの恩人。

帝国二大流派の一つ、≪ヴァンダール流≫の師範にして≪隻眼≫の異名を持つ帝国軍人、ゼクス・ヴァンダール中将その人だった。

 初老でありながら武人としての気迫を衰えず持ち合わせているその人物は、しかし今はリィンたちに謝罪の意を示していた。

 

「重ね重ね謝罪をしよう。貨物列車とは言え、軍の車両に侵入者を入れたのみならず、君達の級友に甚大な被害を与えてしまった。ゼンダー門の責任者として、至らなかった結果だ」

 

「顔を上げてください、中将閣下」

 

 たかだが士官学院生風情に現役の将校が頭を下げるという状況に申し訳なさを覚えたというのも勿論あるが、それ以外に謝罪をしなくても良いと促す理由はあった。

 

「あいつは―――レイ・クレイドルは自分の信念に基づいて行動しています。彼が剣を抜いたのなら、そこから先は彼の領分。勝とうが敗けようがそれは意思で動いた行動の結果で、自分以外に責はない―――そう言ってました」

 

 彼にとっての戦場とは元よりそういうものだった。

刀の鯉口を切らずとも、相手の闘気に応えた瞬間から、庇護も同情も受け付けない唯一無二の場所と成り果てる。そこで生きようが死のうがその責任を負うのは彼一人であり、他の誰にもその権利を譲りはしない。

稽古をつけてもらっている時に彼がふと漏らしたその言葉は、一言一句たりとも忘却することなく、リィンの脳に刻み込まれている。

 

「―――そうか。流石は≪天剣≫。ならばこれ以上の謝罪は彼への侮辱にもなりかねんな」

 

「天、剣?」

 

 しかし、そんなリィンの引き締まった表情は、ゼクスの口から放たれた聞き慣れない単語によって呆気にとられたそれへと変わった。

 

「知る人ぞ知る、彼の異名だ。士官学院から資料を貰った際には一瞬訝しんだものだが、その意思を聞くに相違あるまい」

 

 また一つ、自分の知らないレイという友人を構成するピースが見つかった事に僅かに嬉しさを醸し出すが、流石に今はそれを深く聞くわけにはいかない。

時刻は既に夕方。あまり遅くならないうちに此処を出立しなければ、日没までにガイウスの実家であるノルドの集落に辿り着けないだろう。

 

「……では中将。俺達はそろそろ集落に向かいます」

 

「おお、そうか。門の外に馬を用意している。それに乗っていくといい」

 

 気持ちは切り替えなくてはならない。だが、まだきっぱりと割り切る事が内心ではできていない自分に若干嫌気が差しながらリィンはガイウスの後を追って司令室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

「サラ様?」

 

「………………」

 

「サラ様ー?」

 

「………………」

 

「お砂糖とお塩、間違えておりますよ?」

 

「ガフッ⁉ ゲホッ、ゲホッ‼ あ、アンタねぇ、もっと早く言いなさいよ‼」

 

「心ここに在らずで遠くを見ていらっしゃったサラ様に非があると思いますが?」

 

「うっ……」

 

 

 砂糖と間違えて塩をスプーンで投入してしまった紅茶を苦々しい目で見つめながら、サラは深いため息を一つ吐いた。

 

 先程―――具体的にはリィンから報告を受け取った直後からこんな調子だった。≪紫電(エクレール)≫と呼ばれ、凛々しく名声を轟かせていた姿はそこには一切なく、痴呆を拗らせた老人のように、どれだけ声をかけてもボーッとしている。

 その理由は分かっている。シャロンとて気が休まっているわけではないが、個人的な感情云々以前に彼女はメイドである。故にいつも通り、楚々とした態度で管理人としての業務をこなしていた。

 …………内心では彼女とて冷静を保っているわけではないのだが。

 

 

 レイの敗北、そして行方不明。

明らかに尋常ではない量の血を撒き散らして消えたという状況証拠だけで鑑みれば、生存確率はほぼ絶望的と考えるのが普通だ。

 だがたとえ式によって彼の生存が判明しなくとも、サラもシャロンも、生還する可能性をずっと信じていただろう。

理屈は分からない。ただ彼が”そういうもの”だという事を知っているから、どんな状況に陥っても最終的には生き残って戻ってくる事を知っているから、信じる事が出来るのである。

 

 そして同時に、こうも思う。

 

 自分たちが惚れた男が、この程度で死ぬはずがない―――と。

 

 

「いや実際、深手を負って谷に落とされた程度で死ぬような柔な人生送ってないのよねー、アイツ」

 

「それを(わたくし)やサラ様が言う、というのも奇縁だと思いますわ。レイ様に出会うまでは、ヒトであって人でない、ただの幽鬼であった(わたくし)達が」

 

「……ナチュラルに黒歴史掘り起こさないでくれるかしら?」

 

 しかしその通りだな、とも思う。

幽鬼とは良く言ったものだ。確かに”あの頃”の自分は目的もなくただ戦う鬼だった。「故郷のため」と、その言葉すらも言い訳にして、一夜にして全てが奪われたあの事件から目を背けるようにして戦場に生きていた。

 シャロンにしてもそうだ。サラに負けず劣らず、或いはそれ以上に重い宿命を背負って生きた事のある彼女からしても、その柵を壊して手を伸ばしてくれたレイの存在は今でも変わらず異性としての情愛を注ぐただ一人の人間だ。

 

「ご心配なさらずとも宜しいかと。レイ様ならきっと、いつも通りの笑顔でお土産片手に戻られますわ」

 

「……ま、そうよね。あー、何だか色々考えて損した気分だわ」

 

「うふふ。(わたくし)としてはサラ様の貴重なお顔が見れて大変満足しておりますわ」

 

「アンタはまた……相変わらず性格悪いわね。2年前にドンパチやった時よりかはマトモだけど」

 

「あらあらサラ様、そのような昔の事を引き合いに出されても、シャロンは忘れてしまいましたわ」

 

 白々しい反応を返すシャロンに、サラは再び溜息を吐き、どこからともなくワイン瓶を取り出した。

 

「付き合いなさい。アンタだってどうせイケる口でしょ? というか拒否権ないから」

 

「うふふ、承知いたしましたわ」

 

 共に恋焦がれてしまった男の話を肴に、妙齢の女性二人は物寂しい寮での酒宴を開くこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「んで? 実際何人で来てるわけよ?」

 

「ハハハ、ナニヲイッテルンデスカ、レイクン。ワタシヒトリニキマッテルジャナデスカ」

 

「会ったのがお前ひとりならまぁ納得できたかもしれんが、もう俺バリアハートでブルブランに会ってるからね。その言い訳通用せんから」

 

「チッ、何やってくれてんですかねあの変態は」

 

「それには同意するがルナ、お前今凄い顔してるぞ」

 

 

 山岳地帯の一角で焚火をしながら二人は話す。

とはいえレイは上着を枕に寝転がったまま。ルナフィリアは自らの愛馬である一角白馬、アルスヴィズの鬣を優しく撫でながらの会話だ。

ルナフィリアは臨戦態勢を解いても尚身に纏う白銀の鎧を脱ぐ事無く過ごしている。それはレイに対して警戒心を抱いているというわけではなく、彼女の拘り、意思だった。

 

 

「お前とブルブラン、後……考えたくねぇけど師匠も来てんだろ? そんだけ集まって何もしないなんて言う程甘い組織じゃねーって事は知ってんだよ」

 

 炎の揺らぎに紛れて見えないが、何とも言えない表情をしている事は分かる。

以前何となく感じたキナ臭さが図らずも当たってしまっていた事に苦笑しかかるが、場合によっては笑えないのだ。

 

「前にリベールでドンパチやらかして至宝パクったのは俺だって知ってる。……まぁ俺にとっちゃ与り知らないところでレーヴェが死んで悔しかったってのと、クソ教授死んだザマァって方が大事だったんだが、あれはまぁ、お前らにとっちゃ成功だったんだろうさ。―――そんでもって今回は帝国(コッチ)ってか?」

 

「…………」

 

「言っとくが別に責めてるわけじゃないんだぞ? アリアンロード卿の命なら仕方ねぇだろうし、寧ろあの人が来てくれるんならちっとはマシになるんだろうが、それも望み薄だな。師匠が来たって事はそういう事なんだろ?」

 

「あはは……相変わらずレイ君は鋭いですねー。というか、アリアンロード様を”マスター”って呼ぶのやっぱり止めたんですか?」

 

「クビになった俺がそう呼んだら鉄機隊(お前ら)に申し訳ねぇだろうが」

 

 嘗ての戦友達の顔を思い出しながら、レイは星空へと手を伸ばす。

我ながら女々しいと思いながらも、様々な人間の顔を思い出してしまう。過去に縋って追攀(ついはん)し続ける事が止められないのは、単に自分が弱いだけなのだろう。

 そんな思いを抱きながら悩むレイの姿を見て、ルナフィリアはくすりと笑った。

 

「まだ言ってるんですか? それ。鉄機隊の中でレイ君を恨んでる人なんていませんよ? あ、でも筆頭は「勝ち逃げされましたわっ‼」とか言ってめっちゃ悔しがってましたけど」

 

「「お前に負ける気とか毛頭ない」って伝えておいてくれ。俺を驚かせたきゃせめてカンパネルラにポーカー勝負で勝ってからだな」

 

「あー、それは厳しいですね。筆頭じゃ永遠にスタート地点にすら立てない気がしますけど……まぁ近い内に(・・・・)ちゃんと伝えておきますよ」

 

 その言葉に一瞬目を細めたレイだったが、深くは聞かずにやり過ごした。

きっとそれが彼女の口から出せる最大限の情報で、優しい彼女なりの忠告でもあったのだろう。

 だがルナフィリアは、優しくとも甘くはない。

 武人としての強者が集う『鉄機隊』の中でも一握りの達人級の騎士、≪戦乙女(ヴァルキュリア)≫の内の一人。普段こそこのようにやけに軽口を叩いてくるが、その実力と戦いに対する気概は本物だ。

だからこそレイは、そんな彼女に対して核心を突く推測を話す。

 

 

「それで? 俺は師匠を怒らせずに済んだのか?」

 

 

 その言葉を、第三者の人間が聞いたら首を傾げるだろう。

 しかし唐突に放たれたその言葉は、ルナフィリアを数瞬ポカンと呆けさせた後、首肯という判断を貰うに至った。

 

「いつから気付いてました?」

 

「お前に助けられた時から。よくよく考えてみりゃ、師匠そんなに俺に対して過保護じゃねーもん。敵に負けて死にかけたら「負けたお前が悪い」って突き放すだろうし。そう考えればわざわざお前を寄越してまで俺を助ける意味が分からなかった」

 

 自分にこの八洲天刃流()を仕込んでくれた師は、レイにとって掛け替えのない恩人であると同時に、トラウマの対象でもある。

修業時代に死にかけた回数など数知れず。その豪放磊落にして傍若無人な性格に振り回されて貧乏くじを引かされた思い出など無数にある。理不尽という言葉の意味を10歳にも満たない年頃に理解してしまったのは果たして幸運だったのか不幸だったのか。

 弟子として重宝してもらっていたのは確かだと思うが、それでも師は、勝負の中での弟子の生死には一切関わって来なかった。

 

 敗北とは、己の弱さの写し鏡。

どれ程自分に不利な状況であっても、どれ程自分が重荷を抱えていたのだとしても、負けたのならそれは己の弱さが招いた因果応報に他ならない。

 その結果死ぬ事になったとしても、それは享受しなくてはならない結果だ。―――そう言っていた本人が理由もなくあの場面で部下に助けさせる事など有り得ない事だった。

 

 そこまで思い至った時、仰向けになっていた自分の視線のすぐ上の空間を何かが横切った。

焚火の炎を通過の際の風圧で消し去ったそれは、彼女の愛槍。それが今、先程≪X≫とやらに向けて放ったものと遜色ない闘気を纏ったまま突き出されている。

ちらりとその表情を窺うと、ルナフィリアは口元に僅かな好戦的な微笑を湛えていた。

 

「副長からはですね、レイ君が助けられた時に少しでも弱音やら腑抜けた言葉を吐いたら心臓でも首でもどこでもいいからとりあえず一突きして来いって言われてたんですよ」

 

「何それ怖い―――けどまぁ、師匠はそのくらいが通常運転だよなぁ」

 

 当たり前の事だが、衰弱してる今のレイに、達人級の実力を持つ彼女の攻撃を躱しきる事など出来ない。

一日の間に死の淵に立たされた回数が二回。しかしレイから見ればそれは決して多い回数ではなかった。

 

「でも負けたのは事実なんだよなぁ。あー、ヤベェ、師匠に殺される」

 

「一難去ってまた一難。今の私が言えた義理じゃないですけどレイ君も一貫して苦労人街道驀進してますよね」

 

「本当にお前が言うなよ現在進行形苦労人筆頭。……でもアレだな、≪X≫とやらには取り敢えずお礼参りしないと腹の虫が収まらん」

 

「あー…………」

 

 槍の穂先を引っこめたルナフィリアは、どうにも複雑な感情を押し殺したかのような声を出して頬を掻いた。

 

「あの、聞かないんですか? アレの事について」

 

「どーせ師匠辺りに口止めされてんだろ? そうでなくてもお前が仲間を裏切ってまで俺に情報寄越すとは思えねぇし」

 

「本当に良く分かってますねー。まぁ私としてはレイ君と戦えるっていう特典がついてくるなら魅力的なんですけど……先約がいるんじゃ仕方ないですね」

 

「そう言うこった。―――ふぁ」

 

 話の区切りがついたところでレイが欠伸を漏らす。するともう一度焚火を着け直したルナフィリアはその様子を見て優しく微笑むと、レイの隣に座り込んだ。

 

「解毒はもう終わりましたし、後はレイ君の異常レベルの自然治癒能力に任せていれば起きる頃には大分良くなってると思いますよ」

 

「サンクス。お前はどうするんだ? 護衛ならもう一回シオン呼び出して任せるけど?」

 

「乗り掛かった舟ですし、明日までは一緒にいますよ。そ・れ・に、レイ君の寝顔写真撮って隊の皆に高く売りつけるっていう第二目標ありますし」

 

「…………………………まぁ、女装とかしてない写真なら好きにしろよ」

 

 以前クロスベル支部にいた頃の忘年会での黒歴史を思い出して憂鬱になりかけたレイだったが、ただの寝顔程度なら別に減るものではない。

相当法外な値段で売り捌かれるのだろうが、それは自分には関係ない事だ。

 

「じゃ、よろしく頼む……わ……」

 

 その言葉を最後に、数秒も経たない内に規則正しい寝息を立て始める。

その胆力に一つ息を吐きながら、ルナフィリアは左手に握った槍をそっと地面に置いた。

 

 

 

 

「―――あーあ、この子は全くもう、少しは懐疑心とか抱かないんですかねー」

 

 レイと戦いたいという言葉は本物だ。レイが”あの場所”にいた時から、彼から一度も掴み取る事が出来なかった勝利を掴んでみたいと思う事に嘘はない。

 確かにルナフィリアも、他の鉄機隊の面々と同じく勝利は真正面から挑んで得たいと思う生粋の騎士である。それを知っているとは言え、流石に敵同士になるであろう人間のすぐ横で無防備に寝息を立てるというのは如何なものなのか。

 とはいえ、レイが警戒心に疎い性格ではないという事は知っている。もしこの状況で気の置けない関係ではない人間が横にいたのだとしたら、彼は意地でも眠らず警戒を続けていただろう。

 

「それだけ信頼されてるって事なら悪い気はしないでもないですけど……マズいですね、こんな状況がもしバレたら深淵様とかにめっちゃ問い詰められそうな気はしますし」

 

 意外と執念深い魔女の顔を思い浮かべて激しく首を横に振る。今ここでリスクを考えても仕方ない。

レイが超絶寝つきがいいのは分かっているし、一度寝れば彼の無意識の警戒網に引っかからない限り朝まで起きない事も知っている。ならば今の内にと、ポーチの中に入れていたカメラを構える。

 

「相変わらず寝てるときは普通に可愛いんですよねー。これはまたアイネスさんやエンネアさん辺りに高く売れそうです。……あ、筆頭の分も用意しとかないと」

 

 そんな邪な考えを抱きながら、無駄に高い技術力で作られたカメラでレイの写真を数十枚に渡って撮り続けたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




色んな伏線張ったけど別に後悔してない。回収できる見通しはありますので。


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透明な渇望





「強さにかける男の人の想いは狂気だ。女の身では到底理解できない域で、彼らは強いという称号を全身全霊求めている。弱い自分を殺したいほど恥じ、憎んでいる」
                                by 世良水希(相州戦神館學園 八命陣)











 

 

 AM5:00―――

 

 

 遊牧民族の朝は早い。考え事をしていたせいでいつもより眠りが浅かったリィンは、もはや日課となった朝の鍛練を行うため、ノルドの集落でガイウスを除いたⅦ組勢に用意されたゲル式の家から外へ出る。すると、民族衣装に着替えたガイウスが、集落の馬の世話を行っていた。

 

「おはよう、リィン」

 

「あぁ、おはよう。随分と早起きなんだな」

 

「集落にいた時はいつもこれくらいに起きて馬や羊の世話をしていた。早朝の高原の空気を吸うと、帰ってきたと実感できるんでな」

 

 それを聞いたリィンは、一度深く深呼吸をする。

鼻腔から気道を伝って肺に送り込まれたのは、青々とした植物の香りと、冷えた高原特有の風。故郷のユミルとはまた一味違った空気を吸い込んだリィンは、どことなく気分が晴れやかになったような気がした。

 

「確かに、いい風だ。こんな広々とした場所で育ったんなら、ガイウスの器量の大きさも頷けるな」

 

「実際は穏やかではない事も日常茶飯事で起こるがな。家畜の脱走程度ならまだしも、狩りに出かけた男衆が大型魔獣に襲われて怪我をする事もある」

 

 それは決して、都会で住んでいる者には分からない危険だ。

自由であるが故に、危険が身近にある。何にも束縛されないということは、何にも庇護されないという事だ。

だからこそ、ノルドの民は強い。生き抜くために強くなるという人間の本質を生まれながらに理解しているからこそ、頑健な肉体と精神を養う事ができる。その在り方は、素直に羨ましいと思えた。

 

「責任感が強くなるわけだ」

 

「そう言ってもらえると悪い気はしないな。―――ところでリィンは、朝の鍛練に起きたのか?」

 

「あぁ。バリアハートの時は流石に無理だったが、ここなら体を動かすことはできそうだったからな」

 

「なら俺も付き合おう。数分待っててくれ。馬の世話を終わらせてしまう」

 

「別に急がなくてもいいさ。……それにしても」

 

 リィンは、徐にガイウスが世話をしていた馬のほうに視線を向けた。

艶やかな栗毛に引き締まった四肢。胴体にも無駄な肉が一切ついておらず、顔立ちも精悍としている。故郷で少なからず馬の世話を体験していたリィンの目から見ても、頑強な名馬であるという事が一目で分かった。

 

「噂に違わず、ノルドの馬は名馬揃いみたいだな。ユーシスがいたら多分テンション上がってただろうに」

 

「遊牧民族には馬は必要不可欠で、家族のようなものだ。特にコイツは俺が子供の頃から世話をしていた馬でな。愛着もある」

 

 ガイウスが鬣を撫でる度に気持ち良さそうに鼻を鳴らすその姿に、言う通りの信頼関係が垣間見えた。

思わずリィンもその体に触れようとしたが、触れる直前でその手が止まった。

 

「…………」

 

 決して馬に限ったことではないが、動物というものは人間の感情の機微を同族以上に感じ取る。それが古くから人間に接し、人間と共に生きてきた動物ならば尚更だ。

狩りを趣味としていた父の影響を受けて、リィンも何度か馬の鞍に跨った事がある。その都度、修行の事などで不安を抱えたまま乗りかかると、決まって馬が不機嫌になったものだった。

 そして今の自分もまさにそれだ。自分に対する劣等感と不安感、そういった思いが心の中に燻ぶっている。そんな手でこんな育ちのいい馬に触れることに罪悪感を感じたリィンは、そのまま手を引っ込めた。その動作は限りなく自然に行ったと思っていたのだが、洞察力の高いガイウスを騙せるはずもない。

 

「……では行こうか。集落の外れに、ちょうどいい場所がある」

 

「よ、よろしく」

 

 しかしガイウスは、その事には触れなかった。

 リィンほどではないが、ガイウスとて同じ悩みを抱いている。馬を不安にさせるという愚行こそ犯さないものの、級友の背中を前にして何もできなかったという後悔は、一晩が経った今でも抱き続けている。

だからこそ言えない。同じ内容で悩んでいるのに、無責任に慰めの言葉など掛けるべきではないと、そう己自身が窘めるのだ。

 

 彼にとっても、レイ・クレイドルという存在はとても重要だった。

身長差こそ同年齢とは思えない程にあるが、その胆力と人間としての器の大きさは間違いなくガイウスを凌駕する。

そして、生まれてから父に教えを乞うて鍛えてきたノルドの槍術の全力で挑んでも穂先が掠りもしないその強さ。

 手合わせをしたのはガイウスが初めて朝練に参加した時。まず実力を見たいという事で対峙した。しかしその結果はその通り散々なもの。レイに刀を抜かせる事すら叶わず、見事に地面に沈められた。

僅かな悔しさと洗練された強さに対する羨望を抱いていた時に、レイはガイウスを見下すでもなくしゃがみこんで手を伸ばして言った。

 

『やっぱお前ポテンシャル高けーわ。初速も早いし体力も膂力もある。後は直線的すぎる槍捌きと戦い方さえ覚えればマジで強くなれるぜ。それこそ、ドライケルス大帝の挙兵の時に付いていった伝説のノルドの戦士並に、な』

 

 その言葉に少なからず心が躍ったのは仕方がない事だろう。

 時は七耀歴949年、異郷ノルドの地で手勢許なく挙兵したドライケルス・ライゼ・アルノール。そんな彼を朋友と呼び、共に戦場へと赴く事を選んだノルドの一騎当千の若武者達、総勢15名。

彼らの存在は集落でも伝説として語り継がれ、ガイウスもその逸話を綴った書物には何度も目を通してきた。

 故に、信じられなかった。自分がこれから先の努力次第でそんな彼らと並べる実力を手にする事が出来るかもしれない。たとえそれが今の時点ではただの可能性の話であったのだとしても、ガイウスはその言葉に笑みを見せた。俺を鍛えてくれと、レイに対してそう願ったのはその後すぐの事だった。

 レイの指導は的確かつ実践的なものだ。彼自身は槍使いではないが、知り合いに強い槍使いがいると言っていた彼の言が嘘ではないという事はすぐに分かった。

槍の間合いを、竿状武器の弱点を、対人戦・対魔獣戦における槍使いの戦い方を、全て熟知していた。それを彼自身が実践することはなかったが、アドバイスは無謬なもので、ガイウスは今まで自分が生きていた世界がいかに限定的なものであるかという事を否応無しに思い知らされたほどである。

 

 だが、否、だからこそ、リィンと同じくレイに薫陶を受けた者として、あの場面で退かねばならなかったことについては忸怩たる思いがあった。

 状況が不利であったことは分かっている。あの場において、自分はリィン以上に適していなかったと言えるだろう。

しかしそうだからと言って、仕方がなかったと納得してしまえるほど、ガイウスは達観していない。本音を言えば悔しさが胸中を渦巻いていた。

 それでも、実習地として訪れたのは自分の故郷であるノルドの地だ。悲観している状態を見せるわけにもいかず、平静を装って帰郷を果たしたのだが……やはりというか何と言うか、両親、特に父の目は誤魔化せず、事件のあらましから自分が抱いた感情まで曝け出す事となってしまった。

集落最強の武人であり、同時に自分に槍術を教えてくれた師でもある父親は全てを言い終わったガイウスを叱る事もなく、かと言って慰める事もなく、ただ一言「―――そうか」と言った後に目を伏せ、そして一拍置いた後に続けた。

 

 

「それを知れただけでも、お前を士官学院に入れた意味があったという事だ。―――誤解はするなよ? 私はお前の友人のその行動に敬意を評している。それと同時に、その場で潔く退いたお前たちの判断も間違っていない」

 

 大事なのは己の無力さを恥じた事だと、父・ラカンは力強く言った。

己の弱さを真正面から受け止め、それを悔い、起点として強くなっていく。本来武人というのはそういうものだ。―――普段口数がそれほど多くない父の滔々としたその言葉に思わず母・ファトマの方を一瞥すると、ただくすりと微笑していた。

 自分はまだ弱い。それこそ目標としている伝説のノルド戦士達の足元にすら及んでいないだろう。

しかしそれを悲観していても何も始まらない。前を向かねば目標には永遠に届かず、その手伝いをしてやると稽古をつけてくれている友人にも申し訳が立たない。

反省はしよう。慚愧の念も受け止めよう。だが俯くことはもうしない。

そんな気持ちの整理がついたからこそ、ガイウスは一夜が明けた今、気持ちのつかえはある程度解消されていた。

 だが、目の前の友人はそうも行っていないようだ。

 それも当たり前だろう。Ⅶ組の中で一番長く、そして深くレイの薫陶を受けているのが他ならぬリィンなのだ。何も出来なかったという慚悔の気持ちは、自分よりも数段深いに違いない。

だからこそ、自分が慰めるのはお門違いだ。―――幸いにも今回の実習の班の中には、そんな彼を叱り飛ばせる仲間がいる。そちらは任せようと整理をつけ、ガイウスは槍を取った。

 

「さて、始めるとしようか」

 

 一陣の風が吹き抜ける中、ガイウスは颯爽とそう言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 PM4:00―――

 

 

 

「やっとアイゼンガルド連峰を抜けたか……」

 

「噂に違わぬ峻厳な山脈でしたねー。まぁこの子なら楽勝でしたけど」

 

 ゴツゴツとした岩肌の麓付近をルナフィリアの愛馬、アルスヴィスに乗って闊歩していく二人。

手綱を握っているのは勿論ルナフィリアであり、レイは彼女の腰に手を回す形で掴まっている。当初は恥ずかしいからと断ったのだが、疾駆するのは平地ではなく山脈だ。振り落とされる可能性が高いと言いくるめられて、こういう形をとることになった。

 

「さて、と。ここからノルド集落までどれくらいだろうかな」

 

「そうですね……北北東の方向に3000~4000セルジュってトコでしょうか。正直まだまだ先は長いです」

 

 山を下りきると、そこに広がっていたのは無限に広がる高原世界。青々とした草が風に揺れ、若干橙色に染まりかけた西日が大地に降り注いでいる。

 

「うへ、気が遠くなるな。ならアルスヴィスは休ませた方がいいんじゃないか?」

 

「問題ありませんよ。今のこの子なら一日で10000セルジュくらいなら休まずに踏破できますから。むしろ今の山越えで体が温まったでしょうし」

 

「マジか。俺がいなくなってから5年経ってるか経ってないかなのに成長しすぎだろ、コイツ」

 

 レイが最後にアルスヴィスの姿を見たときはまだ仔馬であり、それだけの距離を踏破する事はおろか人を乗せて走ることすら叶わなかった程の大きさだったのだ。

普通ならばそれほどのポテンシャルを持っている事そのものが珍しいのだが、アルスヴィスはその頭部についている鋭利な角が指し示す通り、ただの馬ではない。特別な環境でのみ生まれる、≪霊獣≫と呼ばれる類の存在だ。

 

「まぁ流石に常に全力疾走というわけにも行きませんし、到着は夜になってしまいますけどね。やっぱり線路に戻って貨物列車に無断便乗させてもらった方が早いっちゃ早いです」

 

「このままでいいよ。コイツの背に乗るのも久しぶりだし、一日くらいサボった所で実習には支障は出ないだろうしな」

 

「後半だけ聞くとただのダメ学生ですね」

 

 ルナフィリアは苦笑して、再び手綱を引く。それから待ってましたと言わんばかりにアルスヴィスが駆け出したのと同時に、レイに言葉をかけた。

 

「そういえばレイ君、体調はもう大丈夫ですか?」

 

「心配ない。お前とシオンが頑張ってくれたお陰でもう大丈夫だ。ありがとう」

 

 実のところレイは昼まで熟睡していてルナフィリアを盛大に呆れさせたのだが、長く休息を取った分、体内の毒素は完全に駆逐され、起きた時には全快していた。

ほんの僅かな怠さは残っているが、それは体を回復に費やした副作用のようなものだ。あと数時間もあればそれも消え失せるだろう。

叶うなら手慣らしの意味も含めて魔獣と戦いたいのだが、手応えのある存在でなければ意味がない。ただの狼型魔獣程度では、レイどころかアルスヴィスに蹴飛ばされて終わってしまうだろう。

 

「相変わらず反則じみた自然治癒力ですよねー。羨ま………………すみません、今不謹慎なことを言いかけました」

 

「気にすんなや。多少の無茶しても死なないし、便利だぞ」

 

「……人外レベルの怖さはレイ君と副長とマスターで身に染みて理解してるのでノーサンキューで」

 

「だよなぁ」

 

 そんな呑気な言葉を返すレイを、ルナフィリアはちらりと見やった。

 適切な処置をすれば瀕死の重傷であっても僅かな時間で回復する驚異的な自然回復力。そして、既知の薬物・毒物に対する絶対的な抵抗力。

前者は後付け、後者は生まれ持った体質であるという事は知っている。そして前者に対して必要以上に言及する事は、レイの過去における琴線に触れかねないという事も。

 失敗した、と思いはしたが、当の本人は笑い飛ばした。その反応を見るだけでも、彼が成長しているという事実を垣間見る事ができる。

 

 その様子に思わず口元を緩めた直後、ルナフィリアが張っていた警戒心の網の中に何かが飛び込んできた。

思わず手綱を操ってアルスヴィスを止まらせる。するとレイも同じ違和感を感じ取ったのか、背中から降りて静かに長刀を構える。

 

 異変が起きたのはその直後。突如数アージュ前の空間がぐにゃりと歪曲した。

まるで渦巻きのように空間そのものが捻じ曲がる異様な光景。普通の人間なら驚愕するところだが、生憎とその場に居合わせた二人はこの程度の現象ならば見慣れている。

 それは兆候だ。普段であれば”この世に在らざるモノ”が、何らかの原因に引っ張られるようにこの世界に顕現する。半径20アージュはあろうかというその巨大な歪曲の中から這い出てきたのは、青白く発光する、冷ややかな氷に覆われた四肢を持つ獣だった。

しかし、ただの魔獣ではない。精錬された物質に覆われた巨躯は、そこいらの魔獣とは比べ物にならないほどの”神秘”を内包している。体の全てをこの世界に顕現させた”ソレ”は、産声を上げるが如く咆哮する。その余波だけで、周囲の草が薙ぎ払われて宙に舞った。

 

「≪アンスルト≫―――まさかここに顕現するとは思いませんでしたね」

 

「おっかしいな。確かに腕慣らしはしたいって思ったけど≪幻獣≫クラスを引っ張って来いとまでは言ってねぇぞ。―――ま、別にいいけど」

 

 何が原因で自分たちの目の前に現れたのかはこの際関係ない。リィンたちがもし目の前にすれば絶対的な強敵として立ちはだかるだろうが……レイには僅かに訛った体の動きを矯正するためのカモでしかない。

手応えのある相手―――奇しくもそれが現れた事にレイは口角を釣り上げて白刃を覗かせた。

 

「自重―――はしませんよね。えぇ、その顔見れば分かります」

 

「久しぶりにちょいと手応えのあるヤツと戦えるからな。手出し無用だぜ?」

 

「はいはい。お好きなようにどうぞ」

 

 闘気が満ちる。四肢の隅々、それこそ髪の毛の一本に至るまで、体が戦闘用に変化していく。

愛刀を片手に足を動かす。ただ目の前の標的を滅するために。せいぜい保てよ、楽しませろと、闘気で狂気を上塗りして、レイは駆け出した。

 Ⅶ組の中ではフィー以外に見せたことのない、≪天剣≫として戦う時のレイの表情。

それを久方ぶりに目の当たりにしたルナフィリアは、体の内から来るゾクリとした感情に、僅かに身を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 PM8:00―――

 

 

 

 

 ガイウスの実家で夕食を食べたリィンは、一人外に出て地面に腰掛けながら上空に浮かぶ星辰を眺めていた。

 

 馬の風土病予防のために使う薬草の調達、高原の北東にある帝国軍の監視塔への配達やゼンダー門から発布された魔獣退治、果ては名所の撮影に行ったきり戻らなくなったカメラマンの保護など、一日で今まで以上の依頼をこなしたためか、僅かに疲れが出ている。

その疲れを癒すために本来ならば今日の夕食は豪勢なものになるはずだったのだが、レイがまだ到着していない時に自分たちだけ良い思いをするわけにはいかないと、ガイウスがそう申し出てくれた。そんな彼の、いや、彼らの意を汲んで、ガイウスの母親であるファトマは通常通りの家庭料理をリィンたちに振る舞ってくれた。

 しかしそれも充分に美味しく、一日中我武者羅に馬に乗って駆け回り、腹を空かせていた一同はついつい限界を超えて食べてしまったのである。

 

「レイがいたら目を輝かせてただろうな」

 

 ポツリと呟いてしまった言葉だが、易々と想像が出来てしまう。

それと同時に、やはり彼はまだ自分たちの所にはいないのだと、そう再確認してしまった。

 

 前回のバリアハート実習でも、一時別々に行動をしていた時はある。

しかしその時は別段彼が窮地に追い込まれているわけではないと何となく分かっていたし、彼がいない分自分たちが頑張らなければならないと奮起したものだった。彼の事を良く知っているフィーが一緒にいたというのも、心配なく実習を続行できた一因であると言えるだろう。

 だが今はどうだ? 

 生きているという事は分かっている。色々と桁外れのレイの事だ。きっと実習中にピンピンした状態で自分たちと合流するだろうという事も何となく予想がつく。

しかしそれでも、焦燥感がこびり付いて離れない。今までのレイやサラ教官から受けた指導のお蔭で実習の依頼は滞りなく達成できたのだが、依頼を遂行している最中にも、内から湧き上がってくる形容し難い感情を掻き消そうと躍起になっていた感じは否めない。

 

 レイは同性の友人だ。少なくとも自分はそう思っているし、そう思う事に疑いなどない。

 

 だが自分は、あまりにもレイの事を知らなさ過ぎる。彼が持っているであろう顔の一面しか、リィンたちは見る事が出来ていないし、また見る事を許されていない。

 サラやシャロンはそれを知っている。しかしリィンたちがその事について聞くと、一様に口を閉ざしてしまうのだ。

理不尽だとは思わない。それを彼から聞き出す役目を担っているのは、他ならない自分たちだ。

 

 でも―――と、更に深く考えようとした時に、軽い足音が背後から聞こえた。

 

 

「皆に黙って外に出たと思ったら……やっぱり思いつめてるような感じね」

 

「アリサ」

 

 金糸のような髪を揺らして近づいてきたのは、どこか吹っ切れたような表情をしているクラスメイト。

 アリサはそのままリィンの隣に移動すると、そのままちょこんと座った。

 

「あー、お腹一杯。……ホント、私たちの周りって料理上手い人が多いわよねー。まぁ、幸せな事だと思うけど」

 

「ははっ、そうだな。でもそういうアリサだって最近シャロンさんによく料理教わってるじゃないか」

 

「あ、あれはいいのよ。せっかく学生の身の上なんだから新しい事に挑戦しようと思っただけ。それだけだから」

 

 僅かに顔を赤らめて動揺したアリサは、その直後にコホン、と一つ咳ばらいをした。

 

 

「……私も大概妙な事で悩み続けてるけど、あなたも相当よね、リィン」

 

「いや、俺はそこまでは……」

 

「嘘。ずっと悩んでるでしょ。襲撃された、あの時から」

 

 図星は突かれたが、別に驚きはしない。その程度の意識の共有は出来ているつもりだったし、アリサとて、程度の差こそあれ同じような感情は抱いているはずだったから。

しかし、次にアリサの口から出てきた言葉は、予想外のものだった。

 

「―――それだけじゃないわね。リィン、あなた、レイの素性の事について考えているんじゃない?」

 

「え? な、何で……」

 

「分かるわよそれくらい。あなた程じゃなくても、Ⅶ組の全員が気になってる。それこそフィーとかは少しは知ってるんでしょうけど、レイの事だから全部は話してないんでしょうね」

 

「……アリサは、凄いな。いつも良く人を見てる。羨ましいよ」

 

「ヒントはあったでしょうに」

 

 昨日、ゼクス中将が言っていた言葉。

レイが≪天剣≫という異名で呼ばれているという事。一体どれ程昔からなのか、どういう経緯でその異名が広まったのか。情けない事ではあるが、リィン達はその真相の欠片も掴んではいない。

 

「そうでなくても、ね。別にこれは悪口でも何でもないんだけど」

 

「?」

 

「レイって、ふとした時に私たちとは違う”どこか”に立ってる気がしない?」

 

 それはリィンも常々思っていた事だ。

達観、諦観。それらとはまた少しばかり違うが、形容し難い雰囲気が時折彼に纏わり付いている時がある。

圧倒的なその強さは元より、自分たちとは決定的に違う”ナニカ”を見て育ったかのような違和感。いつもⅦ組を賑やかしてくれてはいるが、ふとした瞬間に霧の如く消えてなくなってしまいそうな不安感が、どこかにある。

 

 

「あぁ……だからか」

 

「え?」

 

「いや、俺が昨日から焦ってた理由が、何となく分かった気がするんだ」

 

 両手を地面につけて体を支え、夜空を見ながらリィンは、自分の心の中につかえていた靄をポツリポツリと語りだした。

 

「あいつには―――レイにはいつも助けられてた。それこそ剣の稽古から人間関係まで、さ。あいつは本当に色んな事ができて、でもそれに見返りを求める事なんかなくて……正直羨ましかった」

 

「…………」

 

「俺はあいつに少しでも追いついて少しでも恩返しをしようと思って、鍛えてた。そのお陰で最近は随分強くなったような気がしてさ。あいつの隣に立つことは無理でも、同じ場所に居ることくらいは出来るようになったんじゃないかって―――そう己惚れてた」

 

 結果は、昨日の通りだった。

自分は何を勘違いしていたのか。同じ戦場に立つどころか、役立たずでしかない。居ても邪魔であり、居ない方が彼のためになる。

なまじ彼の薫陶を受けて半端な考え方が出来なくなっていたからこそ、その変えようのない事実は幽愁となってリィンの心を蝕んでいたのである。

 

「……じゃあリィンは、どうしたいの?」

 

「強くなりたい」

 

 だからこそ、逡巡する事もなくそう応えられる。疑問などない。躊躇う事などない。

その願いはケルディックでのあの時に抱いたものと同じではあるが、曖昧な羨望で思ったあの時とは違う。

強さをその目でしっかりと焼き付けた。己の弱さをしっかりとその身に刻み付けた。未だ届かぬ領域を、Ⅶ組の皆と共に目指したい。

 

「俺一人だけじゃない。皆と一緒に強くなって、堂々とレイと肩を並べたい。”俺たちもいるから心配するな”って、胸を張って言えるようになりたいんだ」

 

 ただ真っ直ぐ、いっそ愚直と言えるまでに純粋な力への渇望。しかしそれは己のためではなく、それ故に捻じ曲がった方向へは向いていない。

まるで年端もいかない子供が一点の曇りもない夢を語っているようでもあるが、リィン自身、それが一筋縄ではいかないという事を知っている。

それでも、その未来を望むのだ。置いて行かれる寂寥感も、何もできない無力感も、二度と味わいたくないから。

 

「…………」

 

 そしてその精悍な横顔を見て、思わずアリサの視線が止まる。

 何が原因だったのかは分からない。元々自由行動日の時などにたまたま会って一緒に時間を過ごしていたり、シャロンの事を嗅ぎまわる時に助手兼道連れとして同伴させたりと、何だかんだで絡んでいる時間は多かったりする。ただしそれはあくまでクラスメイトの範疇であり、それ以上どうなろうとも思っていなかった。

 ただそれにしては我ながら親しくなるのは早かったような気はしないでもない。何となく波長が合うというか、初対面のような気がしない(・・・・・・・・・・・・)などといった違和感が後押しして、オリエンテーリング後に仲直りした後は自分でも驚くほどに関係が詰まった程だ。

その理由はなんだのかと改めて考え、そして今、彼の澱みのない願いと横顔を見て、その一つが分かった。

 

「はぁ、まったく。そんな事聞かされたら羨ましくなっちゃうじゃない」

 

「え?」

 

「羨ましいって言ったの。あなたみたいに真っ直ぐな人って、今まであんまり会った事ないから」

 

 帝国屈指の大企業、ラインフォルトグループの嫡女。生まれにその肩書きがあったために、アリサ自身、幼いころは同年代の子供たちと同じ場所にはいられなかった。

身分的には平民ながら、実家の財力と権力は紛う事なく”普通”のそれとはかけ離れており、遠慮がちに接してこられるのが日常茶飯事。

さりとて貴族という訳でもなく、爵位も持っていない癖に生意気だと、そう罵倒されることも少なからずあった。軍事の一翼を担い、小型の銃から破壊兵器まで製造する家の異色度に巻き込まれて”死の商人一族”と揶揄された回数はもはや数えきれない。

 周りには親の言葉に左右され、また親の威を借る幼稚な子供と、ラインフォルトの次代を担うであろうアリサを見定めようとする大人がほとんどだった。そんな状況下で生きていたからこそ、アリサは無意識ではあるが、人を見定める癖がつくようになった。

一体この人は何を考えているんだろう? どんな考えでここにいるんだろう? そんな意識を、精度こそ高くはないものの、他者に向けるようになったのだ。

 変な方向に捻じ曲がったという事は自覚している。だが、今ここに至ってはその捻じ曲がった癖も役に立ったと言えるだろう。

 

 青臭いとも言える理想を語ったリィンの姿は、アリサにはとても眩しく見えた。

自分の癖を見抜き、何事にも誠実であろうとするレイも一側面では魅力的なのだろうが、アリサがこの瞬間、”叶えてみたい”と思ったのは、リィンが語った理想の方だ。

 

 

「ねぇリィン。あなたの言う”みんな”の中には、私も入ってるのよね」

 

「勿論。というかアリサにはいてくれなきゃ困る」

 

「へ?」

 

「アリサには色々振り回されて来たけどさ、正直結構楽しかったんだよ。まぁレイにちょっかいかけて俺だけとばっちり食らうパターンは今後は御免被りたいけど……」

 

 ハハ、と力ない苦笑をしてから、それでも、と続けた。

 

「いつも俺たちをしっかり見ていてくれてる。それでしっかりと言いたいことを言ってくれる。俺にとってはそれが嬉しくて、ついつい頼りたくなるんだ」

 

「リィン……」

 

「アリサには一緒に居て欲しい。俺にはアリサが必要なんだよ」

 

「え……えぇっ⁉」

 

 

 ここでほんの一瞬ではあるが、リィンとアリサの間に、認識の齟齬が生じた。

リィンは特に深い意味はなく、”仲間として”一緒に居て欲しい、”仲間として”必要だと、そう言っただけに過ぎない。純朴な彼が衒いもなく言ってくる時点で分かる人間には分かるだろう。

だがアリサは、言われた直後に違う意味での解釈をしてしまった。即ち、”仲間として”の所が”気になる異性として”に変換されていたのである。

とはいえ、ここでアリサを責める事など間違ってもできないだろう。戦犯は全て、そちらの解釈にミスリードするような言い方をしたリィンにある。

勿論数秒後にはそれが誤解だろうという事はきちんと理解できたが、一度頬に灯った熱は簡単には冷めない。いっそ一発頭を引っぱたいてやろうかとも思ったが、更に性質(タチ)の悪い事に本人は、自分が限りなく誤解を招きかねない言葉を使ったということにすら気付いていないようだった。

 

「(何となく分かってはいたけど……相当な朴念仁ね)」

 

 せめてもの抵抗でキッ、と睨み付けてはみたものの、気付かれてすらいない。大物なのかただ疎いだけなのか、限りなく後者に軍配が上がるだろうが、次の瞬間にはアリサもくすりと笑っていた。

 

「(私にここまで言ったんだから、ちゃんと有言実行しなさいよ? 出来る限り、支えてあげるから)」

 

 さてそう決めたのなら、まず先にすべきことは何だろうか?

それも決まっている。まず自分を知ってもらうところから始めるべきだろう。

 

「それじゃあリィン、次は私の話に付き合って貰うわよ」

 

「ん。聞かせてもらうよ」

 

 高原に吹くそよ風に乗せるようにして、アリサは自分の生きて来た日々を語り始める。

大好きで優しかった父と母。色々と自分に教えてくれた祖父。その日常が父の死で壊れた後も、彼女は必死に孤独と戦い、生きて来た。

その道程に後悔はない。ただ仕事一辺倒となり娘の事を顧みなくなってしまった母に面と向かって言ってやりたい。私はこんなに立派になった、と。

 

 滔々と語られたその話が終わったのは、様子を見に来てくれたガイウスとエマが、二人の仲を茶化すような発言をして、アリサの顔が真っ赤に染まった時だった。




ヴェンデッタの人気投票、やっぱり総統閣下が一位だった。おめでとーございます。
まぁ予想はついてたけどさ。
あの人のパラメーター表に”意志力”って項目追加した方がいいんじゃないかって思うのはおかしいですかね?

私? 私はシスター・オブ・シスターさんに一票入れましたけど何か問題でも?



どうでもいいけれど、総統閣下のガンマ・レイとFateガウェインのガラティーンってどっちの方が強いんだろ? いや、単純な威力って意味で。


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歓迎のない密約






「どんな結果になるとしても、それを後で知るだけなのはもう嫌なの。
私は傍観者じゃなくて、当事者でいたい」

                        by 櫻井螢(Dies irae)











 七耀歴1203年 12月28日―――

 

 

 

 遊撃士協会クロスベル支部二階。本来であれば支部の構成員たちの休憩所となっているそこには、夜更けも近い時間帯という事もあり人気がない。

そんな中、仄かに灯った明かりを頼りにして大きめのバッグに私物を詰め込んでいく人影が一つ。

 

「えーと、あれもオッケー、それもオッケー。……あ、エオリアから写真徴収するの忘れた」

 

 はぁ、と溜息を吐きながら自分の黒歴史が最後まで人の手に残ってしまった事を後悔する。酔った勢いで女装させられたとはいえ、今から考えればとんでもない事をしたものだと思う。

異国の地で女装して学校の演劇に出演したらしい親友に比べればまだ精神的ダメージは軽度だが、流石にメイド服はいただけない。親友の方はあれで普通に変装したら何だかんだで役になりきるからいいとしても、自分の場合はそうではない。あれがもし広まって市民の間で生暖かい視線を向けられるようになったならば、何かの拍子に首を吊ってしまうかもしれない。

 顔立ちはモデルと見間違うレベルの美人なのに性格が残念な同僚の顔を思い浮かべ、まぁ多分大丈夫かと曖昧な結論を出していると、一階から誰かが上って来たのか、階段の軋む音が聞こえた。

 

「まだ身支度を整えていたのか、レイ。明日も早いんだろうに」

 

「前日にやった方が忘れ物しないんですよ。アリオスさんこそ、今夜はシズクちゃんのトコに泊まるんじゃなかったでしたっけ?」

 

「あれは明日だ。今日泊まったらお前を見送る事もできないだろう?」

 

「そりゃありがたいです」

 

 身長が160リジュにも届かないレイにとって、見上げる形になる人物。その姿を見間違えるはずもない。

クロスベルの真の守護神と謳われる八葉一刀流免許皆伝の剣士。二つ名は≪風の剣聖≫。

しかしその一方で盲目の愛娘をこよなく愛する子煩悩な父親でもある。どちらにしても、不器用で真面目一直線なのには変わりはないが。

 

「しかし、聖夜祭が終わってすぐに出て行く事もないだろう。年くらい跨いでも罰は当たるまい」

 

「これ以上フィー(あいつ)を一人ぼっちにさせるわけにも行きませんからねー。というかアリオスさん、相変わらずお父さんみたいですね」

 

「む、お前にお義父さんと呼ばれる筋合いはないぞ‼」

 

「言ってねーっすよ‼ 字、字が違うから‼ つーか過剰反応し過ぎっす。俺年下は守備範囲外だって何度言えば……」

 

「何だと? シズクに魅力が無いとでも言いたいのか‼」

 

「メンドくさっ‼ うわメンドくさっ‼ もう一度言うけどメンドくさっ‼」

 

 ひとしきり大声を交わした後、時間帯が夜更けだという事を思い出し、再び声のトーンを下げる二人。

仕切り直すように、アリオスは一つ咳払いをして、近くの椅子に腰かける。

 

 

「……お前がいなくなると、このクロスベル支部も静かになるな。良くも悪くもお前は賑やかし担当だった」

 

「エオリアとリンがいれば大丈夫でしょ。あいつら酒入るとおめでたくなるし」

 

「……否定はできんな。酒に弱いと言えばヴェンツェルも中々だが」

 

「泣き上戸は普通にウザいだけなのでパスで」

 

 去年の忘年会、新年会、そして今年の聖夜祭の事を思い出しながら、懐かしさ半分、呆れ半分で苦笑する。

確かに日々を過ごしていて色々な意味で飽きない、楽しい場所ではあった。また戻ってくる可能性は高いが、それも数年後の事だろう。別れが惜しくないわけがない。

 

「アリオスさんと手合わせできる特典を失うのは辛いですね。体が鈍りそうだ」

 

「俺としても同じ事だ。剣の力量で競い合えるお前がいなくなるというのは辛いな」

 

 剣士としての実力は互いに知り尽くしている。

片や≪風の剣聖≫、片や≪天剣≫。レイは公にその二つ名を謳われているわけではないが、”理”に至った剣士に勝るとも劣らない力があるという事実がある。

 それほどまでの実力者だからこそ、分かってしまう事もある。

 

 

「……ホントはこのまま居たかったって気持ちがない事もないんですけどねー。見張り役(・・・・)って意味でも」

 

「…………」

 

 何となしに呟いたとも見えるその言葉に、アリオスは口を噤んだ。

しかしレイは視線を合わさず、手を動かしながら背後から漂う緊張感を感じ取る。

 

「……やはり感づいていたのか」

 

「分かってたのはアリオスさんの感情の”揺れ”くらいですよ。俺だって一端の剣士ですし、手合せで剣を交える時に色々伝わってくるんです」

 

 それは”後悔”、あるいは”慚愧”。またある時は”決意”であったり、”贖罪”であった時もある。

アリオス・マクレインという大陸でも有数の剣士が抱える複雑な感情とその中で一本、決して揺らぐことのない覚悟。それらが戒めとなって彼という存在を縛り付けている。

 難儀なものだと、そう他人事に思う。レイはそれ以上踏み込もうとは思わなかったし、例え踏み込んだところで自分にどうにかできる問題ではない。

 

「だから別にアリオスさんに何を言うわけでもないですし、他の人間に吹聴もしないですよ」

 

「面倒見の良いお前の事だ。何かしら言ってくると思ったのだがな」

 

「俺が何か言って、それで考えがコロッと変わるほど軟弱な精神じゃないでしょうに」

 

 それに、と、荷物を詰める手を一旦止めて続ける。

 

「”後悔”と”無力感”から生まれた感情が、所詮赤の他人でしかない俺にどうにかできるわけないでしょ。止めるんなら正面ブッパくらいしかないでしょうけど、多分俺じゃ届かないでしょうし」

 

「お前らしい考え方だ」

 

「褒め言葉と受け取っておきます。―――まぁ、他の人間に話そうにも、事と次第によっちゃ魔女の呪い(・・・・・)に抵触する可能性だってありますし」

 

 怖いんですよ、と言いながら右の首筋を手でなぞる。

その時点で、アリオスは二階全域に広げていた重圧感を解いていた。将来有望な若者の門出を祝う前日にこのような行為に及んだ事それ自体が彼という真面目一辺倒の人間にとっては許されざる事であり、心の中で謝罪を送った。

 

 

「あー、でも、これだけは言わせてもらっていいですか?」

 

「……何だ?」

 

 アリオスが返答を返すと、レイは荷物を脇に寄せて振り返る。

その表情は、戦闘に赴く前のような威圧感を漂わせており、思わず眉を顰めてしまう。

だが当の本人はそれも気にしていない様子で、忠告を放った。

 

「アリオスさんが何をしたいのかなんて分かりませんし、追及もしませんけど―――あなたにとって大切な人(シズクちゃん)を泣かせたらその時点でアウトですからね」

 

「ッ‼」

 

 核心を突くようなその言葉に思わず手が左腰に佩いた刀に伸びかける。

しかしそれよりも早く、レイの右手がアリオスの刀の柄頭を抑え込んでいた。

 

「自分の大切なもの犠牲にしてまで貫く覚悟は必要だと思いますけどね。その先にある幸福って大抵ロクなモンじゃないですよ」

 

「…………」

 

「まぁ、ただのお節介です。聞くも聞かないもアリオスさん次第って事で一つ」

 

 力を抜いてレイの右手が離れると、その表情はいつもの食えないような笑顔に戻っていた。その表情に毒気が抜かれたのか、アリオスの全身からも力が抜ける。

 見た目の対比的には実の父と息子と言われてもおかしくない差があるというのに、稀にこの少年はこちらの精神年齢を上回ってくる。

それはある意味当然であるかもしれない。彼が過去に負った傷は、自分のそれと比べても烏滸(おこ)がましいほどに深い。それこそ、一歩運命が捩れれば『計画』の一翼を担っていてもおかしくは無いほどに。

だがもし彼にこの話を持ちかけたところで、考えるまでもないと言わんばかりに一蹴されるだろう。ただ一言、「下らない」という言葉を添えて。

 

 それは素直に羨ましいと思える。自分が歩む未来を自分だけで、人間として踏み外さずに生きていけるだけの強さがある。時に悩み、時に躓き、罪の意識に苛まれながらも、後退する事無く足を前へと動かす力。

叶うならば彼のような人物が望ましい。どれほどの絶望に立たされようとも、ふと気付けば己の前に確固たる意志を携えて「倒して見せる」と言い放つ人物。

そんな人間ならば、きっと――――――

 

 

「アリオスさんアリオスさん、こんなところで上の空にならないでください」

 

 熟考の世界から戻ってくると、荷物を纏め終わったレイがバッグを手にこちらを見ていた。

一体どれほど物思いに耽っていたのだろうかと考えたが、彼の用事が終わった以上、もうこの場所に留まる意味はない。

 ゆっくりと椅子から立ち上がると、それを合図にしたかのようにレイが何かを差し出してきた。

それが符であることは今まで何度も仕事を共にしていたので分かっている。しかし今差し出されたのは、普段彼が使う物とは違い、どこか装飾の色合いが強いものだった。

 

「これは、何だ?」

 

「破呪の念を込めた符です。お守り程度にはなるでしょ。不幸を祓ってくれるかもしれませんし」

 

「効き目が不確定とは、またお前らしい」

 

「古来からお守りなんてそんなもんですよ。邪魔だったら捨ててもいいですし」

 

「いや、貰っておこう。返しと言ってはなんだが、明日までにお前への餞別を見繕っておく」

 

「……最後まで真面目ですねー」

 

 どこまでも真面目、気骨稜々を体現したかのようなその言葉に苦笑しながら、レイは階段を下っていく。

こうして互いに平穏な感情を湛えたままに並ぶことが最後になるのではないかと、半ばそう確信しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 本当に驚いてしまった時、人は言葉を出せなくなるという。

愕然、という表現で表せば良いのだろうか。ともかく人というのは視覚情報が脳内処理を超えた場面に出くわすと、言葉が出なくなるどころか行動の一切が止まる。

そして数秒、長くて数分後、漸くその現実を脳が処理して理解を終えたとき、初めて声を出す事が出来るのだ。

 それに照らし合わせるとリィンは今、情報の脳内処理の最中で活動停止中であると言えるだろう。手足はガイウスの家の入口を開けた所で止まり、その双眸は瞬きを忘れている。

その見つめる先にいたのは―――

 

 

 

「あ、上手いですねこのお粥。塩加減が絶妙だし、香草が良いアクセントになってる」

 

「ふふ、そうでしょう? リリ、シーダ、お皿を持ってきて頂戴」

 

「「はーい」」

 

「すまんトーマ、そこの胡椒取ってくれ」

 

「はい。これでいいですか?」

 

 

 明らかに余所者の服装なのに、既に馴染みきっている様子でファトマと共に台所に立って朝食の準備をしている人物。

 いや、大丈夫だ、分かっている。夢でもなければ幻覚を見ているわけでもない。

しかしどういう事だろうか? 彼が台所に立って料理をしている姿などそれこそ日常的に見ていたはずなのに、ことこの場所でその姿が見れるとは思わなかった。

 そもそも何故? ―――と更に深みに至って考えようとしてた時、リィンの後ろから更に二人が家に入ってきた。

 

「申し訳ないルナフィリアさん。馬の世話まで手伝ってもらって」

 

「気にしないでください、いつもやってることですから。それにしても良い()達ばっかりですねー。何頭か貰って行きたいくらいですよ」

 

 入ってきたのはガイウスと、見慣れない金髪の女性。

誰だろうか、と思い始めた瞬間、今度は家の中から声がかかった。

 

「おー、ガイウス、ルナフィリア。メシできたぞー。あ、おいリィン。暇ならアリサと委員長起こしてきてくれ」

 

「あ、あぁ。分かった」

 

 それは、寮で何度も交わされたやり取り。だからだろうか、疑問を感じる前にまず自然と体が動いていた。

家から出て、自分たちが寝泊まりしている場所へと向かう。しかしその途中でふと立ち止まった。

 冷たい風に当たって頭が冷えたからだろうか。困惑気味の脳が徐々にその機能を取り戻し、先程の状況を冷静に判断する。

そしてそれが恙なく終了した瞬間、リィンは反射的に呟いていた。

 

 

 

 

「……あぁ、やっぱりか」

 

 

 

 やはり人を驚かす手腕において、あの友人には敵わない。

昨夜はいつか追いついてみせると息巻いて見せたものの、改めてそれが長い長い道のりであることを否が応にも理解してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体いつ集落(ここ)に到着したのよ」

 

「数時間前。夜明け直後くらいだったか」

 

 火鉢を囲ってA班全員揃って朝食を摂っている中、ジト目を向けるアリサの嫌味たっぷりの疑問を難なく返してみせるレイ。

未だに驚きの感情が拭えない三人をよそに、レイは皿の中のお粥を木製のスプーンで掬って食べながら説明を続ける。

 

「毒攻撃食らった上に山岳地帯に叩き落されて一瞬死んだかと思ったけどまぁ何とかなって、そっから山脈と高原越えてここまで来た。途中そこそこ強い魔物と闘ったり飛行物撃ち落としゲームやったりしてたから思ってたより遅くなったけどな」

 

「すまん、何言ってるのか半分くらい理解できない」

 

「サラッと死にかけてしまった事を流すあたりとてもレイさんらしいなとは思いますけど」

 

 まぁそこは特に追及はしない。常日頃サラから”死んでも死なないヤツ”と言われ過ぎているせいか、死にかけからの蘇生の話を聞いたところで「あぁ……やりそう」くらいにしか思えない。

中々価値観がおかしくなって来ていることに関しては自覚があるので心配はない。

 リィンが理解できないと言ったのは、山脈越えと高原越えを一日と少しで行い、特に疲労している様子も見えないことについてだ。

故郷がアイゼンガルド連峰の麓であるから分かる。帝国最大の山岳地帯の名は伊達ではなく、その峻厳さは一流の登山家であっても登頂には死を覚悟する程のものだ。その踏破を僅か数時間、それも軽装備でなどありえない。

 しかしレイは、自分の真横を親指で指してから、さも当然だと言わんばかりに言い放った。

 

「コイツの馬の力を借りた。良いヤツだぞ、崖下りだろうが谷ジャンプだろうが難なくこなすからな」

 

「いやもうそれ馬とは言えないんじゃ……というか聞き忘れてたけどこの人は?」

 

 リィンのその一言でガイウスを除いた三人の目が三杯目のお粥をかっ食らっていた人物へと向く。

自分に集まる視線を感じ、ルナフィリアは口に入っていた分を咀嚼し、飲み込んでから自己紹介を行った。

 

「初めまして、私はルナフィリアと言います。ルナ、と呼んで下さい。レイ君の元職場の同僚ですね」

 

「正確には前の前の職場の、だがな。ちと時代遅れな格好してるが、苦労人属性付与の良い奴だよ」

 

 そう言ってレイは、ルナフィリアの肩装甲をコン、と叩いた。

 確かにリィンたちから見れば、その恰好は時代錯誤と取れてもおかしくはないものだった。纏うのは中世の騎士が身に着けていたような鎧。現代の戦争においてそれらの装甲は迅速な作戦行動の邪魔にしかならず、今ではほとんどお目にかかる事はできないだろう。

 だがそれを、笑う事など出来なかった。

理由は分からないが、このルナフィリアという女性は伊達や酔狂でこの恰好をしているわけではないという事が見ただけで伝わって来たからだ。

更に言えば、先程からその華奢な体躯に見合わず食事を豪快に摂っている彼女だが、その所作の一つ一つに全く隙がない。例え今、この瞬間に武装集団の襲撃があったとしても即座に対応できるであろう体の置き方。そしてそれを一般人に気付かせない余裕。

 間違いなく”強者”であると、リィンはそう判断した。そしてそれはガイウスも同じであったようで、目を合わせると頷かれる。

 しかし今は、そんな事を探る時ではない。このA班の班長として、彼女に言わなければいけない事があった。

 

「……ルナフィリアさん」

 

「? はい。どうしました?」

 

「レイを―――俺達の仲間を助けてくれて、ありがとうございました」

 

 そう言って座りながら深く頭を下げる。すると一拍遅れて、アリサ、エマ、ガイウスも同じように頭を下げた。

 

「あなたから見れば、俺達はまだまだレイの隣に立てる程強くありません。現に今回も、俺達が弱いばかりに彼一人に任せてしまって―――結果、死の危険に晒してしまった」

 

「………………」

 

 その言葉にレイは口を開きかけたものの、ルナフィリアが流し目を送っているのに気付いて、閉ざした。

 

「昨日までは正直、弱い自分に後悔する事しか出来てませんでしたけど、それはもう止めました。元同僚のルナフィリアさんの目から見ても恥ずべき所が無いように、精進していきたいと思います」

 

 それは覚悟の宣誓だった。

或いはそれはレイに向ける予定のものだったのかもしれないが、同じ場所にいるのだから同じ事だ。自分の意思を、偽りなく伝えられればそれでいい。

 そしてその言葉を聞いたルナフィリアは、徐に優しげな微笑を見せた。

 

「……なんだ、実はちょっとだけ心配してたんですけど、杞憂でしたね」

 

「何が言いたいんだ、ルナ」

 

「別に何でもありませんよ。それより良い子達じゃないですか。個人的には強くなってくれるのが楽しみです」

 

 それを言い終わった瞬間、本当に一瞬、獰猛な笑みに変わっていた事をレイは見逃していなかった。他の人間は気付いていなかったようだが、その一瞬だけ、彼女は紛れもなく戦士の顔を覗かせていたのだ。

しかしすぐに柔らかい笑みに戻り、それに、と言った後、目尻から一筋の涙を滴らせた。

 

「いやぁ、何と言いますかねー……こう、真正面から感謝された事なんてここ数年なかったものですから……うっ、涙が……」

 

「レイ、説明よろしく」

 

「上司がやたら人使い荒いんだよ。……俺も通った道だがな」

 

 そう言ってレイが遠い目をした所を見て、リィン達はこれ以上の追及を止めた。

何となく体が反応したのだ。これ以上聞いても後悔しか残らないぞ、と。

 すると数秒後、とにかく、と言ってレイが話を元に戻した。

 

「俺としてはそこまで責任感じなくてもいいと思ったんだが、まぁお前らがそう思ってくれたのはありがたいよ」

 

 偽りのない感情と意思を告げてくれたのなら、こちらも嘘偽りなく返事をする。それが誠意というものだ。

正直に言えば、レイは嬉しかった。切っ掛けはどうであれ、彼らがここまで明確に”強くなりたい”と覚悟を決めてくれたのだ。仮にも教導の手伝いをしている身であるために、気分が高揚していたのは仕方がない事でもあった。

 だから、不用心にも油断して僅かに口を滑らせてしまった。

 

 

「実際、あんまり時間がないかもしれねぇしなぁ(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 疼いた。

 

 

 

 ドクン、と、まるで大きく跳ねた心臓の鼓動の如く、熱が一点に集中する。

 痛みはない。”その程度のものではない”と判断された。しかし右首筋の”ソレ”が起動してしまったという事実、それこそがレイの双眸を見開かせるには充分だった。

素早く、検温をするかのような体勢で首筋を右手で隠す。ただしそれでは、仄かに灯った真紅の光を隠す程度にしかならない。流れ出してしまった”魔力”の残滓は、止める事も出来ずに漂う事になった。

 

 リィン達にそれを感じ取る事はできない。見慣れない力だ、違和感すら抱かない事だろう。

 

 

 だが、運が悪かった。

 

 一番”ソレ”の存在を知られてはいけない人物が、真正面に座っていた。

眼鏡の奥の瞳が、驚愕の色に染まっている。それはそうだ、当たり前だ。お前にとってこの力は身近なものであるはずなのだから。

 

 呪うぞ畜生、と呪いをかけた相手に対して呪詛の言葉を贈る。無論届きはしないだろうが、そうでも言ってやらないと気が済まなかった。

 

 

「(ブルブランの事を話した時は大丈夫だったのに……相変わらず起動条件(トリガー)が分かり辛いんだよッ‼)」

 

 解呪の呪力を右手に込めて、”ソレ”を抑え込む。

発動が浅かったためかそれで抑え込む事ができ、首筋を不自然に抑えていた時間は僅か十数秒で済んだ。

 

 

「? どうしたの、レイ」

 

「いや、何でもない。野宿した時に変な体勢で寝ちまってな。ちと寝違えたかもしれん」

 

 アリサの言葉にも何食わぬ顔でそう返したが、約一名だけはその言い訳が通用しそうもない。

しくじったな、と内心で後悔していると、隣でルナフィリアが皿を置いた。

 

「ご馳走様でした。この一飯の恩はいつか必ずお返し致します」

 

 深々とした礼と共にそう言うと、ガイウスは少し呆気にとられながらもゆっくり首を横に振った。

 

「いや、気にしないで下さい。レイを救ってもらった礼のようなものです」

 

「あれは私の仕事のようなものでしたから。それとこれとは話が別です。私の信条ですので、どうか覚えていただけると幸いです」

 

「諦めろガイウス。こいつ、こういう所は義理堅いからな。好意は受け取っておいて損はないと思うぜ」

 

 これ幸いとばかりに言葉を挟むと、ガイウスは逡巡したものの、頷いた。

 

 

 

 その後、一行は再びアルスヴィスに跨って集落を去るルナフィリアを見送った。

帰り際にちゃっかりと土産物一式を購入していた彼女に対して呆れるように首を振っていたアルスヴィスだったが、数千セルジュを数時間前まで駆けていたとは思えない脚力で以て再び高原を走って行った。

 

「……行っちゃったな」

 

「別にいいさ。それより復帰ついでにとっとと依頼もらいに行こうぜ」

 

 そう言って集落の長老が住む家に向かおうとした時、その長老とガイウスの父、ラカンが僅かに焦ったような表情を浮かべたままレイ達の下に駆け寄って来た。

 

「父さん、どうしたんですか?」

 

「イヴン長老も……」

 

 普段父親のそんな様子を見ないガイウスは驚きの表情も混ぜて、リィン達も何か緊急の事態があったのかと緊張感を抱く。

そしてその予感は、図らずも的中してしまった。

 

「うむ、君達には言うかどうかは迷ったが……やはり伝えておかねばならんと思ってな」

 

「つい先ほど、ゼンダー門から連絡があっての」

 

 

 それは、帝国監視塔の直ぐ近くで正体不明の爆発事故(・・・・・・・・・・・・・・)が起きたというものだった。

それも爆発が起きたのは空中(・・)。その不可解さを案じた帝国軍は、一応警戒をしておいた方が良いと、ノルドの集落に連絡を入れて来たのだ。

 

「それは……」

 

「奇妙ね。空中で爆発事故なんて……」

 

「だが、気にかける必要はない。元より有事の時の対処は慣れている。君たちは気にせず依頼を―――どうしたのだ?」

 

 リィンとアリサは、何かに気付いたかのように訝しげな視線をレイに向けていた。

彼方の方向を向いていたレイは、その視線に気づいて首を傾げた。

 

「どうしたよ」

 

「なぁレイ。さっきは何だかんだでスルーしたんだが」

 

「そういえばあなた言ってたわよね。”飛行物撃ち落としゲームをしてた”とか何とか」

 

 普通ならばそんな言葉は他愛のない冗談だと片づけるだろう。

だが、事この人物に至っては話が別だ。どこでどんな事件に首を突っ込んでいても不思議ではない。それも踏まえて聞いて見たところ、どうにも意味ありげな微笑を浮かべた。

それを肯定と受け取った他の面々は、しかし怒りを見せる事もなく嘆息一つだけで済ませる。理由は何かあるのだろうし、基本的に思慮深い彼が軍にわざわざ喧嘩を売るような真似はしないだろう。

 

「まぁ、とりあえず話聞きに行こうぜ。俺がやった事に関してはその時に話すよ」

 

「……分かったよ。それじゃあ皆、とりあえずゼンダー門に行ってゼクス中将に話を聞きに行こう」

 

「了解。どうせここで話してても無駄だしね」

 

 はぁ、と深い溜息を再び吐いて、どこかトボトボとした足取りで馬の方へと歩いていく一同。

 そしてエマも少し遅れてアリサの後ろをついて行こうとしたところで、背後からレイに肩を叩かれる。

反射的に振り返ると、目前にレイの顔があった。普段はじっくりと見る事のない彼の紫色の右目に僅かばかり見惚れていると、先程浮かべた微笑のまま、耳元で囁いた。

 

 

「詳しい話は実習の後で、な。今はコッチに集中するとしようぜ」

 

「っ‼ …………は、はい」

 

 交わされたのは二人だけの密約。

しかしそこに、男女の仲といったような甘さは、微塵も存在しなかった。

 

 

 

 

 

 



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収束への手掛かり

 

どうも。夏の暑さの前兆が垣間見え始めて早くもウンザリしかかっている十三です。



Grand/Orderの新ランサーがクールビューティーで最高だと思いました。
多分弟子が今回大変な事になったけどそこはスルーで。





 AM02:54―――

 

 

 

 

 夜の帳は既に降り、月光に照らされた高原では、虫の音と風の音しか聞こえなくなっていた。

その中を駆ける白馬、アルスヴィスは、むしろ日の光が無くなって心地よいと言わんばかりに軽快に草原を走っていた。

そしてその背に乗る二人も、その例に漏れず大自然特有の解放感に身を委ねながら、鞍の上で寛いでいた。

 

「あー、やっぱ初夏は夜の方が気持ちいいな。しかも風があるとか最高すぎる」

 

「そうですねー。慰安旅行とか行くならやっぱりこういうところの方が良いですよね」

 

 街灯など勿論ない草原を、緩いカーブを描くように手綱を調整する。

半日ほどの時間をほぼ移動に費やしていた二人は、曜日が変わって数時間経った頃に漸くノルドの集落の近くまでやって来ていた。

随分と長い旅路になったと思ったが、よくよく思い返してみると街道をひたすら徒歩で移動させられていた遊撃士の頃も同じような事はやっていた。ただその時と違うのは、寄り道をして個人経営の店に入り、甘いものを食べるといった余裕がなかったということ。やはり心の余裕は重要だなと、思わぬところで再確認してしまった。

 

「さて、と。あと少しだ。頼むぜ、アルスヴィス」

 

 ポンポンとその背を軽く叩くと、それに呼応したかのように一鳴きする。

 しかし直後、それを掻き消すかのような轟音と地響きが、夜の高原の静寂を破った。

 

 

「ちょ、何だ⁉」

 

「……音は北東の方向からですね。ちょっと高台に登ってみましょうか」

 

 冷静な、というよりも冷めたような声色でそう言うルナフィリアの背中を見たレイだったが、その事について追及する事はしなかった。

分かりやすい。いや、分かりやすくさせているのだろう。これでは”自分は予めこうなる事を知っていました”と、そう告げているようなものだと言うのに。

 

 数分と経たずに、目的の高台に到着する。そこから見えるのは、国境付近に展開する、カルバード共和国の基地。

夜間ということもあってサーチライトが点灯しているその場所は今、一部が紅蓮の炎に包まれていた。

 

「うわ、マジか」

 

 その規模は決して小さくない。基地にはひっきりなしに警報の音が鳴り響き、消火に努めようとしきりに放水が続いている。

調理場から出た火事、にしては火の勢いが強い。軍事基地であるという事を考慮すれば弾薬庫の爆発などが原因の一つに挙げられるだろうが、そう考えると逆に火災の規模が小さく見える。

何より見える限り炎の中心は車両などが通行するであろう人工的な道路。本来ならば炎が自然発生する場所ではない。

 まるで、外部から襲撃を受けたかのような、そんな有様だった。

 

 少なからず呆気にとられていたレイだったが、張り詰めた緊張感で鋭敏化されていた聴力が、どこか近くで機械が作動する重々しい音を拾った。

 ありえない。軍事基地の中でならともかく、中立地帯であるこの場所で人工的な音が聞こえるというのは状況的に鑑みてもおかしいという事はすぐに理解できた。

 

「ルナ、西北西に進路変更して走らせてくれ」

 

「―――分かりました」

 

 正直このお願いを彼女が聞いてくれるかどうかは不明瞭だったが、ルナフィリアは僅かに置いた間の後に手綱を引いた。

先ほどまでの”流していた”時とは違い、アルスヴィスは主人の要望に応えて霊獣としての真価を発揮する。高台を迂回して下るルートを僅か数秒で駆け抜けると、レイの耳朶に再び高原地帯に似つかわしくない音が響いてきた。

 それは、砲撃の発射音。思わず空へと目を向けると、そこには大きく湾曲した曲射弾道を描いて飛ぶ物体の姿があった。

慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫を介さずとも分かる。特徴的なその形状は、高射性と破壊力に秀でた迫撃砲に他ならない。経歴の中で鍛え上げられた動体視力と状況判断能力は、その弾頭が一体どこに着弾するのかという事を即座に見抜き、ギリ、と歯軋りする。

 

「……貸し一つだ。跳んでくれ、出来るだけ高く」

 

「ノルドのお土産代で勘弁してあげます」

 

 ルナフィリアの裂帛の声が響くと同時に、アルスヴィスはその蹄と強靭な四肢で以て空中へと飛翔した。

とはいえ翼で飛んでいるわけではないため正確には跳躍なのだが、その高さは地上十数メートルにも達した。まず普通の馬には不可能な芸当である。

 レイはその滞空時間の間に鞍の上に立ち、長刀を腰だめに構えた。場所は狭いが仕方ない。アレを撃ち落せるだけのスピードが出るならば、威力など二の次だと自分に言い聞かせる。

 

 

 

「―――【剛の型・常夜祓(とこよばらい)】」

 

 

 

 居合いの一刀から放たれる紫色の斬閃。八洲天刃流唯一の遠距離型攻撃であるそれは、神速の抜刀速度と比例して、音速に迫る速さで対象へと近づき、そして交叉する。

夜空に広がる爆炎。静謐な空を彩るには些か以上に風情に欠ける光景だったが、見事に目的は達成した。

 滞空時間を終え、再び地上に足をつけるアルスヴィス。その振動に少し足が揺れたものの、前から伸びた装甲越しの手が、レイの腰を支えた。

 

「まったく、相変わらず曲芸じみた事を易々とやってのけますね。そういう所、副長に似てきましたよ」

 

「師匠なら身一つで今と同じ事をやってのける。俺そこまで器用じゃねーよ」

 

「どうだか」

 

 呆れたような笑みを見せるルナフィリアだったが、レイはその結果に喜ぶ事もなく、すぐに視線を背後へと向ける。

 

「大元の場所は割れたな。一応行ってみるか」

 

「下手人はいると思います?」

 

「いないだろうな。そこいらの素人の犯行じゃねぇ。失敗したならとっととずらかってるだろうさ」

 

 少なくとも、自分ならばそうするだろう。

だがこのまま素通りする、というのも違う。せめて武装のヒントくらいは欲しい。

 共和国の軍事基地、そして帝国の監視塔。行われようとしたのは両拠点の同時攻撃。それがなんの悶着も起こさずに収縮するわけがない。

帝国軍事基地への被害を未然に防いだのは、単に自分が今世話になっている国に対しての義理だ。防がなければ多少の死傷者は出ていただろうが、そこは軍人、死ぬ覚悟が出来ている人間が不慮の事故で死んだとしても、特段深く悼みはしない。

 だとしても、国際情勢的に性質(タチ)の悪い仕掛けを仕込んでくれた莫迦に対して良い気分はしない。憤る、というまでには至っていないが、存外気に入り始めていたこの高原地帯を無用に騒がせてくれた事に対して何も思わないほど冷淡ではない。

 

「そんじゃ、行こうか」

 

「その積極的に面倒事に首突っ込んでいこうとする所も、やっぱり副長に似てきましたよ」

 

 最後の言葉は聞こえなかったフリをして、レイは再び鞍に座ってルナフィリアに移動を促した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなワケでノリで迫撃砲撃ち落とした。後悔はしてない」

 

「フーン、ソウダッタノカー」

 

「リィンさん、現実逃避は止めましょ? ね?」

 

 場所は帝国軍ゼンダー門直轄の監視塔。昨夜何者かによる襲撃未遂の標的になったこの場所は、しかしレイが被弾を未然に防いだために被害は出ていなかった。

しかし弾の破片は風に乗って飛来して来ており、現在はそれの実況検分が行われている。

 そんな中でリィン達一行は、ゼクス中将の許可を貰ってその現場を訪れていた。理由は勿論、国際問題になりかねない不貞を働いた犯人の手掛かりを見つけるためだ。

 本来それは帝国軍の仕事であり、ゼクス中将もこれ以上巻き込むわけにはいかないとリィンの申し出を断ろうとしたのだが、友人の故郷が戦火に塗れかねないこの状況でのうのうとしていられるほど殊勝な性格はしていない。

それにはレイも賛成だったため、一つ助け舟を出した。

 

 レイが介入していなければ、帝国・共和国両国の最前線基地に被害が齎されていたこの事件。

共和国側はこの事件を”帝国側の仕掛けた陰謀”であると非難し、不可侵領域を超えるか超えないかのギリギリの場所に現在飛空艇部隊を配置しており、控えめに言ってもかなり緊迫感がある状況である。

無論帝国軍は自軍も被害を受ける可能性が充分にあったと反論はしたものの、ここで砲撃の被害が未然に防がれたのが仇となった。

結果として物的損害も含めて一切の被害が出なかった帝国軍と、少なくない人的・物的被害が出た共和国軍。その結果だけを見れば、帝国側が自らも被害を受けかねなかったと狂言を述べて陰謀を実行したと思われるだろう。そして実際、共和国側はそう主張して来た。

 だが、監視塔が被害を受けていようが受けていまいが、現在のこの結果は変わらなかっただろう。冷戦状態のこの状態で基地が攻撃されたとあらば、まず矛先を向けるのは目と鼻の先にある敵国だ。それを考えれば、被害をゼロに抑えたという結果が功績となって残る。それを踏まえて、レイはゼクス中将から感謝の言葉を貰っていた。

 

 しかし、今現在両陣営が一触即発である事に変わりはない。一歩間違えればノルドの地は戦場となり、それを発端として二大国の戦争が始まりかねない。

故に帝国軍は、事件の真相究明よりも機甲部隊の展開、及び臨戦態勢への移行に人員を割かざるを得ない。だからこそ、申し出たのである。

 

「中将閣下、3―――いえ、2時間の猶予をいただけませんか? それまでに調査を満足のいく形で終わらせて見せましょう」

 

「ほぅ。その根拠は?」

 

「こちらには土地勘のあるガイウスがいますし、何より犯人は頭を隠して尻を隠していない(・・・・・・・・・・・・・)

 

 ニヤリと不敵に笑うその姿は、時折彼が見せる”どう追いつめてやろうか”という加虐心が表に出ている時のそれだ。実技授業の際に何度もそれを見ている四人は、一斉に体を震わせた。

 

 そうして中将を説得し、一同は今監視塔に来ている。許可を得て飛んできた破片を見てみるも、爆風で破壊された上に風で煽られたため、それだけで弾頭の種類を判別するのは不可能だった。

 

「……レイ」

 

「ん?」

 

「あれだけの大言を吐いといて何だけど、流石に今回は時間が足らなさすぎる」

 

 監視塔の端から共和国の国境付近を眺めると、数艇の飛空艇が領空侵犯にならない場所で哨戒を続けているのが確認できる。

ゼンダー門を守護しているのは、帝国軍でも屈指の機動力と統率力を有する第三機甲師団。しかし共和国軍の飛空艇部隊も、機動力という点では勝るとも劣らない。その戦の火蓋が切られることは、何としても避けたいところだった。

 その状況を汲んで、レイは顎に手を当てた。

 

「……まぁ確かに、今回は前回や前々回とはヤバさのレベルが違う。一歩間違えれば国がヤバい。それに……俺にも責任の一端があるしな」

 

 その言葉に対してリィン達はすぐさま否定しようとしたが、それを遮るようにレイがとある一点を指さした。

それに導かれるようにして四人はそちらの方を見るも、そこに見えるのはやはり高原と山のみ。しかし指さした張本人は、四人が方角を確認したのを見て腕を下ろし、監視塔の前に待機させていた移動用の馬の方へと歩いて行ってしまう。

 いつもとは違う、皆を引っ張るような行動にリィンが不思議に思っていると、全員が馬に乗った後、レイが口を開いた。

 

犯人(ホシ)が隠しきれてなかったケツの所まで案内する。俺が提示できるモノはそこまでだから、推理はその後だ」

 

「れ、レイ?」

 

「本当はウロチョロしてる”本職”に任せるのが手っ取り早いんだが……どうにかしたいんだろ? なら今の内は黙って着いて来い」

 

 そう言って手綱を引き、先行するレイを追いながら、リィンは思わず首を傾げた。

 

 どうにもおかしい。普段の彼ならば、このような一刻を争う状態であったとしても判断を自分たちに任せ、裏方に徹しようと一歩引いた場所に立つだろう。今のように、先頭に立って引っ張ろうとするのは珍しい。

それを疎ましく思う事はないし、寧ろ喜ばしく思える。誰かを率いて先頭に立つ彼の姿は中々様になっており、その姿だけで、本来彼はこちらの役に徹するべきだという事がひしひしと伝わって来た。

 だがそれでも、レイは班員やクラスを率いる役をこちらに任せている。何度か理由を聞いて、その度に「メンド臭いから」という彼らしい言葉が返ってくるが、それが本心でない事くらいは分かる。

 

 初めてリーダーとして班員を纏めたのはケルディック実習の時。最初だったためにレイには元遊撃士としての立場から幾つかアドバイスを貰い、実戦における常識も学んだ。

あの時に彼の一喝を受けて剣士としてどこか吹っ切る事ができ、以来実習の際の要として振る舞う事に違和感がなくなってきた事も覚えている。その経験があったからこそ、バリアハート実習の時にレイが不在の中、堂々と動こうと思えたのだ。

 彼のその行動が全て”経験を積ませる事”に集約するのだとしたら、感謝の言葉もない。だがそこに、彼が彼らしく動く(・・・・・・・・)要素があったのだろうか。

そこを密かにずっと思い悩んでいたのだが、今それが漸く解消され、同時に違和感を覚えるに至った。

 

 何となく、どこか焦っているようにも見える。

しかしそれは追い立てられているというような悲観的なものではなく、目当てのモノが目前に存在し、それに向かって走っているというような焦り。それを何となくではあるが理解できたのは、リィンも同じように焦っている時があるからだ。

 レイ・クレイドルという目標に向かって走っている。その目標が同じような理由で焦っているような姿を見るというのはどうにもおかしくて、心の中で少し笑ってしまった。

 

 そんな事を考えている間に、目的地に着いたらしいレイの駆る馬が止まる。

そこは、監視塔の影になっている場所にある切り立った崖。高さはそれ程でもないが、普通の人間が登れる場所ではない。

 

「ちょっと待ってろ」

 

 しかしレイがこの程度で窮するとは思えず、実際にその通りだった。

彼はそう言って崖の僅かな突起に足を掛け、跳躍。僅か二歩ほどで頂上まで辿り着いてしまう。それを何とも言えない表情で見つめていると、数十秒後、上から折り畳み式の梯子が降ろされた。

促されるままに上りきる。試すような微笑を浮かべたレイが「早いな」と誉め、それにリィンが「当然」と返す。この程度で息が乱れるような柔な鍛え方はしていない。

 

「梯子はレイが用意したのか?」

 

「いや、犯人が残していったものだ。こういうのを回収しないあたりが甘い」

 

 手厳しい言葉だが、リィンも思わず「確かに」と思ってしまったため、反論の余地はない。

そうして少しばかり歩いていくと、不意にアリサが目を見開いて声をあげた。

 

「こ、これって……‼」

 

 一同の視界に入ったのは、草むらの上に二門配置された鈍色の武器。発射口は上を向いたまま、寂しく放置されてしまっている。

 

「ラインフォルト社製の1.2リジュ口径導力迫撃砲……何でこんな場所に」

 

「型番は分かるか?」

 

「えっと、ちょっと待って。―――うん、確かウチのラインナップの中にあったわ。ここ数年以内に製造された比較的新しいモノよ」

 

 見事だ、と言うのと同時にレイが眼帯を僅かに上に押し上げた。翡翠の瞳越しに、アリサが口にしたのと全く同じ情報が浮かび上がっている。

 単純な破壊力と炸薬投射量ならば榴弾をも上回り、シンプルな操用性で砲兵でなくとも扱える。加えて単純な構造故に速射性にも優れるそれは持ち運びにも対して労苦を必要とせず、闇に紛れて破壊工作を遠方から行うには持って来いの代物である。

それが二門、同時に使用しての攻撃ともなれば、軍事拠点を完全に倒壊させる事はできずとも、少なくないダメージを与える事はできる。

 

「俺が昨夜―――いや、時間的には今日か。ともかく、砲弾を撃ち落とした直後にここに来たら、もう実行犯は消えていた。残ってたのはコイツだけさ」

 

「犯人はそれ程切迫していた、という事か? 確かに放った攻撃が途中で撃ち落とされれば非常事態だと思うのは普通だが……」

 

「……いえ、それだけではないかもしれません」

 

 静かな声で、エマがガイウスの推論に意見を加える。

 

「共和国軍が使用する武器は大半が『ヴェルヌ社』製です。もし両基地を攻撃した兵器が『ラインフォルト社』製であるという事が共和国側に知られれば……」

 

「そうか、帝国軍側がもしこの武器を見つけたとしても共和国側に報告は出来ない。だから放置したのか」

 

 自国の武器が犯行の証拠だという事を示したところで帝国側の偽装工作だという疑念を深める事にしか繋がらない。

それでも、調査の進展という意味では重要な物的証拠ではある。

 

「どうします? リィンさん」

 

「……とりあえず一旦ゼンダー門に報告しに戻ろう。この時点じゃ犯人の場所までは分からないからな」

 

「―――ま、妥当だな」

 

 レイも賛同したが、その声は僅かに落胆していた。

 リィンの判断は懸命だ。犯人が未だにノルドの周辺に潜伏している可能性はどちらかと言えば低いだろうし、もしそうだとしてもこの広大な土地の中から見つけ出すのは至難の技だと言えるだろう。

それに、今回の最優先事項は共和国軍との戦闘を回避することにある。それを達成できる可能性を持つ情報を手に入れた今、一度整理するための時間を置くのは当然の事だ。

 しかし今回に限って言えば、レイは少しばかり冷静さを欠いていた。

といっても目的を見失って暴走するほど向こう見ずではないし、自分でもいつも以上に感情が些か昂っているという事を理解している。

 

「あ―――レイ、ちょっと待ってくれないか」

 

 そんな時、リィンに徐に呼び止められた。

何かと思って振り向くと、どこか心配そうな面持ちで、真正面からレイを見据えていた。

 

「何だ?」

 

「いや、まぁ、何だかレイが焦っているように見えたからさ」

 

 戸惑いがちに言われたその言葉に、思わず心の中で瞠目してしまう。

気付かれる程に自分があからさまな行動を取っていたのかと思わず反省してしまったが、リィンの口からそうではない、と告げられる。

 

「何となく、そんな気がしたんだ。俺の指揮とかが間違ってたんなら謝るけど……」

 

「あー、いや、違う。そういうんじゃねぇんだよなぁ」

 

 言うべきか、言わざるべきかと一瞬悩んだものの、黙っていた所でどうにかなるわけでもなしと判断し、素直に心情を吐露することにした。

 

「今回の事件、実行犯じゃなくても犯人の中にあのローブ野郎がいる気がするんだ」

 

「「「「‼」」」」

 

 正確には”いる気がする”ではなく”ほぼ間違いなく関わっているだろう”という限りなく断定に近い推測。

 あの人物の目的が”自分をリィン達と引き剥がす”事だとしたら、その目論見にまんまと嵌ったという事になる。ルナフィリアに助けられなければ、実習期間中にリィン達と合流できる可能性は格段に低くなっていたであろう事は想像するに容易だ。

 そしてこれはリィン達には言えない事だが、あの人物はまず間違いなく今回発動されるであろう『計画』の歯車の一つである。そこはルナフィリアとの会話で充分に理解していた。

とはいえ、アレが首謀者という訳でもないだろう。あの人物に列車での仕事を言い渡した人物は一番の不確定要素となり得る自分を排除すればあとはどうにでもなると高を括っていたのだろうが、それは大きな間違いだ。

 自分なりの見解で言わせてもらえば、甘い。甘すぎる。

リィン達がその程度の存在であるはずがない。自分がいなくても真相に辿り着くだけの機転は既に有しているし、何よりしぶとさは一級だ。そう言う意味では、今回自分が手出しをする理由など本来ならないかもしれない。

 だが、それとこれとは話が別だ。

 修行の期間がそうさせたのか、師である人物の性格が影響を及ぼしたのかは分からないが、レイは”敗北”という言葉に対して非常に敏感だ。

どんな状況であれ”負けた”という事は、それは新たな己の弱さが発露したという事に他ならない。故にレイはそれを許さない。己の剣が鈍ったなどと、断じて嘲笑されるわけにはいかないのだから。

 自分に敗北を与えた相手には、必ず勝利の形で閉幕させなければならない。そうでなければ、自分の強さを保てなくなる。

 

「リベンジってヤツだ。危うく死にかけたからな。等価で半殺しにしてやる」

 

「いやそれ等価って言わな…………いやゴメン、何でもない」

 

「あ、ついに言及を諦めたわね」

 

 一瞬口を噤んだリィンだったが、その後すぐに真剣な表情に戻った。

 

「それじゃあ、レイはそのリベンジを果たしたいんだな?」

 

「あぁ。負けたままは俺の流儀に反する。―――とは言ったものの、このままじゃ見つかるかどうかも……」

 

「なら、俺達もそれに協力するよ」

 

 それが当然だと、当たり前のように言い放ったリィン。

彼は気恥ずかしげに眼を少しそらして頬を掻いたものの、決心したように再び口を開いた。

 

「なんかさ、初めてじゃないか。レイがそうやって自分のやりたい事を俺達に言ってくれるのって」

 

「あ、そう言えばそうかもしれないわね」

 

「そうか? …………あぁ、いや、そうかもしれないな」

 

 思い返してみればそうだったなと納得する。

とはいえ、言わなかったのは遠慮をしていたとかそういう類のものではなく、やりたいと思った事が全て自分の力だけで解決出来てしまっていただけであり、特に深い意味はない。

 だがそうであったとしても、リィン達にとってはとても珍しい事であったらしい。

 

「流石に私怨とか、そういう事じゃ動けない状況だけどさ。ゼクス中将に報告した後も、まだ探索を続ける事はできる。それに、あのローブの人物が犯行に関わっていたなら、俺達としても見過ごせることじゃないからな」

 

「そうだな。不穏な風はまだ吹き続けている。これを晴らす事が出来るのなら、俺も出来る限り協力しよう」

 

 リィンとガイウスの言葉に、女子二人も追従するように頷いた。

思わず、一瞬呆然としてしまった。そんなレイを嘲笑うかのように、腰に佩いた愛刀がカチャリと音を立てる。

 

「危険―――だって事はもう分かってるよな」

 

「当然。危険だからってビビってたら、今までのレイの特訓は乗り越えられなかったさ」

 

 返し方も慣れて来たものだ、と感心したが、その屈託のない感情が、レイの罪悪感を刺激する。

 

 彼らは善人だ。ここにいるA班のメンバーだけでなく、同じ寮で寝食を共にするⅦ組の全員が、それぞれ癖はあるものの、心根では他人を思いやり、他人と共に歩んでいこうという前向きな気概を持つ健全な若者たち。

 若者、という括りではレイもその一員だろう。だが、その経歴は健全とは言い難い。

フィーもレイのいる領域に近くはあるが、彼女は”真っ当な”戦場に身を置いていた少女だ。まず立場からして兄代わりの少年とは違う。

 言うなれば、意識が乖離している。年齢にあるまじき過酷な経験を積まざるを得なかった彼は、表には決して出さないが、同年代の少年少女とは時折価値観の齟齬が生じる時があるのだ。

そしてそれを認識する度に、実感する。自分は、彼らとは違うのだと。

無論、高みから睥睨して優越感に浸っているわけではない。どれ程一緒の場所で暮らして、どれ程学生として振る舞おうとしても、自分の背負った過去が、その生き方がただの学生としての生活を許してはくれない。

 故に、罪悪感がある。

レイは、リィン達の与り知らないところでまた再びこの大陸に跋扈する闇の世界に足を踏み入れた。それを彼らに言うのは憚られるし、何より伝える事ができない(・・・・・・・・・)

それは騙しているも同然だ。己の素性を偽って犯罪を働く詐欺師とどこが違うのだろうか。そんな自分に何の見返りもなく協力してくれる彼らが、レイには眩しく見えて仕方ない。

 

「サンクス。助かるよ」

 

「あぁ」

 

 だからせめて、その恩は彼らを鍛え上げる事で返そうと決意し、レイは好意に甘える事にした。

 

 

 

 

 しかし、根本的な情報不足という点は解消されていない。

今回は明らかに出遅れた形になっているうえに、ケルディックの時のように目撃者をあてにする事も出来ない。例えどこかに潜伏しているのだとしても、山の影や洞窟など、候補は幾らでもあって絞り切れるものではない。

 遊撃士時代にこのような局面に遭遇した場合はやはり地元の人間に協力を仰いで捜索に乗り出すのだが、流石に戦争が勃発するかもしれないこの緊張感の中で無理強いをする事はできない。

いっそ適当に式神を放って人海戦術を行うという最終手段まで使うべきかと悩んでいる時、空を見上げていたリィンが何かに気付いたように声をあげた。

 

「ん? あれは……」

 

 その視線の先。具体的には小高い丘となっているその先端に、人影があった。

水色の髪の毛をショートヘアーにカットした小柄な少女。そしてその後ろには、学院の実技試験で使用していた戦闘用傀儡を一回り大きくしたような銀色の物体が浮遊している。

 

「あれは、確かバリアハートにもいた……」

 

 同じく、行動を共にしていたエマも驚いたような声をあげる。

二人がその少女と物体を見かけたのは、バリアハート実習、その一日目にオーロックス砦からバリアハート市内への帰路につこうとしていた時の事だ。

侵入者としてクロイツェン領邦軍に追われていたそれは、奇怪にも空を浮いて移動して、ついには軍の追跡を振り切った。別行動をしていたレイはその様子を実際に見る事は出来なかったのだが、その後、ホテルでの情報交換の際に話だけは聞いている。

 だが、実際に見てみて漸く合点がいった。

そして同時に、情報源としての光明が見えてきた事に、思わず口角を釣り上げてしまう。

 

 と、そんな事を考えていると、少女はその物体の腕にひょいと飛び乗り、空中に向かって移動を開始してしまう。

逃がすものか、とレイは動こうとするが、流石に人が乗っているものを容赦なく撃ち落とす事は出来ない。そこで思考を巡らせることコンマ数秒、徐にガイウスの方を振り返った。

 

「ガイウス、頼まれてくれ」

 

「何だ?」

 

「アレの方に向かって”風”を頼む。できるだけデカイやつを」

 

 その無茶苦茶な注文に首を捻りそうになったガイウスだったが、一刻の猶予もないと訴えてくるレイの視線に後押しされ、頷いた。

 

「了解だ。―――行くぞ」

 

 了承の声と共に、ガイウスは槍を構える。それを頭上で数回回転させると、溢れ出た風の魔力が渦を巻いて槍に纏わり付く。

それを確認したレイは、両足に力を込めて跳躍した。そのポイントは、ガイウスの位置とその物体の位置とがちょうど一直線になる場所。

 

「『タービュランス』‼」

 

 放たれたのは竜巻。自然の猛威の模倣となったそれは、一直線にレイへと向かっていく。

普通ならば直撃して吹き飛ばされるのがオチだ。しかし、笑みを浮かべたレイが、そんな失態をするはずもない。

 足が竜巻の膨大な風力に触れた瞬間、それを足場として呪力の噴出を行う。

本来ならそれは確固とした足場がある場所で行う【瞬刻】の手順だが、それをあえて不完全な状況でやってみせる。呪力と竜巻の二重の推進力が合わさり、亜音速とまでは行かなくとも本来人間が外気に触れた生身の状態で体感してはならないスピードへと踏み込んだ。

しかしレイにとってそれは、今まで何度か経験した事のある境地。意識を刈り取ろうとかかってくる重圧に真正面から耐えてみせ、目標に辿り着く前に詠唱を行う。

 

「―――【光の這縄よ我が手繰りに従え】」

 

 【怨呪・縛】とは異なり、生み出されたのは黄金色の半透明の糸。人の指程の太さがあるそれが、片手の指の数、都合五本生まれ、強くしなる。

そして右手を勢いのままに振るった。

 

「【怨呪・絡管(からくだ)】」

 

 ”縛り付ける”のではなく、”絡め取る”事に秀でたその光の糸は、狙いを外さずに銀色の物体の右腕に絡みついた。

 

 

『#Sh$kp?』

 

「ふぇ? え、ちょ―――」

 

 漸くレイの接近に気付いた少女が声をあげるも、時すでに遅し。絡みつけた糸を手繰って、レイが至近距離まで接近していた。

 

「よぉ情報局の。俺の事は多分あのバカ―――レクターあたりから聞いてんだろ?」

 

「あ、銀色の交じった黒い髪に長い刀……≪十人目≫の人だね。クレアが好きな人‼」

 

「……それクレアに直接聞かれたら俺もお前も怒られるから聞かなかった事にしといてやるよ」

 

 その反応を見て、やはりこの少女が普通ではない事を思い知る。

外見の年の頃は十を少し過ぎたあたりだろうが、見かけによらず胆力がある。

驚いたのはレイが接近して来たと分かったその瞬間だけ。その直後に問われた言葉に、この少女は冷静に答えて見せた。

 アタリだと、そう判断をつけたレイはひとまず浮遊を止めるように言ってから、再び口を開いた。

 

「この銀色のがどこの≪工房≫作だとかそういう野暮な事は聞かねぇからさ、ちと情報交換と行かないか?」

 

「んー? どういう事?」

 

 小首を傾げるこの仕草が、果たしてこちらを試しているのか、それとも本当にやっているのかは定かではない。

しかしそれは、今この場ではあまり関係のない事だ。少々切羽詰まり気味なこの状況では、情報開示の出し惜しみはしない。

 

「共和国、帝国両基地を襲撃した集団……お前らならもうアタリはつけてるんだろ? 情報をくれれば七面倒な制圧作戦の手助けをしてやろう」

 

「……へー。お兄さん、やっぱりレクターに聞いてた通りおもしろいヒトだねー」

 

 そういう事をいってくるあたり、と無垢な笑みを浮かべる。

 

「シカンガクインの他のヒトたちもいるんでしょ?」

 

「あぁ」

 

「ならみんなの所で話そうよ。ボクもガーちゃんも、気に入っちゃった♪」

 

 そう言って少女は銀色の物体に語り掛けると、徐々に高度が下がっていく。その下には、追いついて待っていたリィン達の姿があった。

 

「そういえばボク、お兄さんの名前知らない」

 

「なんだ、あのバカ伝えてなかったのか。―――レイ・クレイドルだ。よろしくな」

 

 いつもの癖で自己紹介のついでに右手を差し出すと、少女は快くそれを握り返してきた。

 

「ボクはミリアム・オライオン。よろしくね、お兄さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ガーちゃんの言葉ってアレ何語なんだろうと書いてみて初めて思いました。

ルーン文字かと思ったら違うし……テキトーなのかな?


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再戦と再起

 




「つらいことを知ってる人間の方が、それだけ人にやさしくできる。
 それは弱さとは違う」

                        by 加持リョウジ(新世紀 エヴァンゲリオン)










 ―――そこは月光も、木々が風にざわめく音も聞こえない場所。

 

 流れてくる風は通気口を経由して入ってくる人工的なもので、室温も、湿度も、何もかもが管理された鋼の箱庭。

少年はそこがあまり好きではなかった。あとひと月も経たない内にここに入る機会は永遠に失われる事が分かっていてもなお、哀愁の念は漂わない。

 研究員は少年の姿を見ただけで道をあける。悪い意味で有名になったものだと自虐の笑みを浮かべながら、ただひたすらに無味無臭な廊下を歩いていた。

 

 つまらない、という印象が強い場所だ。

造り出している物と言えば、潜入・工作任務に使用する反重力浮遊機能と高性能AIを搭載した次世代の戦術殻。そして、その手繰り手となる人工生命体。

 はっきり言ってしまえば胸糞が悪い。意思無き戦術殻などいくら量産しようが知った事ではなかったし、それがどれ程の戦果を挙げるかなど、冗談抜きに微塵も興味はなかった。

だが、巨大な試験管の中、薄緑色の液体に包まれて未だ目を覚まさない矮躯の少女たちを見ると自然と眉を顰めてしまう。それを外道だと声高に叫ぶ権利など間違っても有りはしないのだが、それでも反射的に抱いてしまう嫌悪感は拭えない。

 彼女らの運命は、使い潰される意外に存在しない。

”用途”に応じて”調整”が為され、秘匿の契約が為された場所に飛ばされて……そこであっけなく一生を終える。

それだけを鑑みれば人間も同じようなものだ。闇に生きた人間が、あっさりと路傍の石のごとく誰にも看取られずに死んでいくのと何が違う。

 だから同情をした―――というわけでもない。単に少年充てに情操の教育依頼が来ただけであって、当時暇だった身の本人が生返事で了承の返事を出してしまったのがきっかけだった。

当時はそれこそ「バカなことをした」と若干後悔していたものであったが、実際に”彼女”と接してみて多少楽しくなったのもまた事実だ。時折少年が面倒を見ているゴスロリ服の少女も着いてきて時間を過ごしたこともあった。

 しかし、それももう終わりだ。

 

 

 とある部屋の入口。入室用のカードをかざして自動でドアが開く。

 殺風景な部屋だった。開業直後の病院の病室でももう少しは華があるだろうと思わせる白の世界。

家具らしい家具と言えば、一人用のベッドと小さいテーブルのみ。それも例の漏れず白色で統一されている。

 

 

「……来たのですか」

 

 

 そんな世界に、色が一つ。

 小柄な体躯の少年の、更に胸元あたりまでしかない身長。腰あたりまで伸ばされた銀髪は、美しくはあったがやはりどこか人工的なものを感じさせる。

一見感情の籠っていなさそうな黄緑色の瞳で少年をじっと見つめる。その視線を受けて、思わず苦笑してしまった。

 

「何だよ、来て悪いのかよ」

 

「あなたは近日中に『結社』を去ると聞き及んでいます。情操教育役も別の方に委任されました。故に、わざわざ特別措置を用いて私に会う意味などないと思われますが?」

 

もう一人(・・・・)の妹分に会いに来て何が悪い。いや、帰れってんなら帰るけどさ、そうならわざわざ作ってきたこのアップルパイは持って帰って―――」

 

「いえやはりそこまでの許可を経て来ていただいた方をそのまま返してしまうのは礼儀に反します。故に私はあなたの入室を許可し、あなたは私をもてなす用意を―――」

 

「どうでもいいけど口元の涎拭こうぜ」

 

 赴くたびに自作の菓子の差し入れをしていたらいつの間にか餌付けのような形で懐かれてしまった事にどこか不安感を感じたものの、これに目が向いている間はこの鉄面皮の少女は”人間らしい”表情を見せる。だからこそ、それを咎めようとも思わなかった。

 

 ワンホールのアップルパイと、紙製の皿、フォークを取り出して切り分けていく。六等分されたそれを少女の目の前に置くと、まるで餌を前にした兎のようにそれに口をつけた。勿論、フォークを使って。

 

「(モフモフ)」

 

 頬を僅かに膨らませて丁寧に咀嚼し、十数秒後に飲み込む。その眼には、先ほどとは違い少しばかり光が宿っていた。

 

「……おいしいです」

 

「そいつは良かった。そこそこの傑作でな、お前に食わせてどういう反応をするか見てみたかった」

 

「……≪殲滅天使≫でも良かったのではないですか?」

 

「アイツは今パテル・マテルの調整で爺さんのトコに行ってるよ」

 

 だからお前にターゲットを変えた、と笑いながら言う。

実の所、最初からこの少女に持っていくために作ったのだが、それを直接言うのは憚られた。

恋心からくる羞恥とか、そういうものではない。ただこれが、彼女に渡す事のできる最後の(はなむけ)だという、ただそれだけの話だ。

 

「お前も変わったよなぁ、アル。俺が初めてここに来た時のお前なんか「感情? なんですかソレ?」って言わんばかりだったし」

 

「……私が”その”名前で呼ばれるのはもう少し先のことです。今はまだ、ただの≪Oz74≫ですから」

 

「機体番号とか男としては燃えるんだけどさ、お前をそう呼ぶのはやっぱ抵抗あるんだわ」

 

 そう言って、右目を覆っている眼帯を上に押し上げる。うんざりするほどの情報が一斉に流れ込む中で、少女に関しての情報は、一切開示されていない。それを確認して、再び笑う。

 

「俺の眼はお前を”人間”として認識してる。だからいいだろ、別に」

 

「―――本当に、屁理屈が上手い人ですね」

 

 再度一口、パイを口へと運ぶ。一拍の静寂が訪れた後に、今度は少女のほうから口を開いた。

 

「もしかしたら」

 

「ん?」

 

「あなたが『結社』を出て大陸を流離うようになった時、もしかしたらあなたは私の”姉”や”妹”に会う事になるかもしれません」

 

「まぁ、可能性はゼロじゃないだろうな」

 

「それが”共闘”であるならばともかく―――”敵対”であった時、あなたはどうするのですか?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、思わず驚いてしまった。

少女の手元は未だにフォークを手繰っているが、その動きには迷いが垣間見える。その様子を見て、少女の頭の上に掌を乗せた。

 

「…………」

 

「要らん事抱え込んでるんじゃねーよ。そりゃ敵対すりゃ戦わなきゃならねぇし、そうしなくちゃならん。黙ってタコ殴りにされるのは性にあわねぇからな」

 

 でも、と続け、わしゃわしゃと頭を撫でる。

 

「生死に関しては、まぁ一考してやる。最悪それで『結社』から放逐されても爺さんのトコに行けば雇ってはくれるだろうし」

 

「あなたにしては甘いですね。あと髪を乱すのはやめてください」

 

「やなこった。―――ま、俺の行動理由なんて一つだよ。それは変わらねぇ」

 

「?」

 

「意味が知りたきゃいつか俺の前に立ち塞がってみな。それまで下らねぇ事で死ぬんじゃねぇぞ」

 

「……善処しましょう」

 

 その言葉を聞き、少年もフォークを刺してパイの味を堪能する。

 

 

 この時の約束が現実のものとなったのは、しばらく後の事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しばかり話してみて理解した事だが、ミリアム・オライオンという少女には決定的に諜報部隊の人間としての適性が欠けているようにしか見えない。

それはレイが今まで出会って来た”その方面”の人物たちとあまりにも態度が乖離していたという事もあるが、少なからずその分野の適性を持っている身からしてみれば思わず首を傾げたくなってしまう。

 

 明るい性格なのは構わない。元より一流と称される諜報員は己を裏の人間だと気付かせない技術を持っており、現に腐れ縁の諜報員は腹立たしいまでにのらりくらりと世間を渡る術に長けていたりする。

最初は彼女―――ミリアムもその類かと思っていた。笑顔という仮面を被り、人懐っこい性格を演じて情報を掠め取る。その外見でそれが出来るのならば大したものだと称賛するつもりだったのだが……蓋を開けてみればどうもその性格が”素”なのだという事が分かってきてしまった。

 

 

「ボクとガーちゃんの任務は今回両軍の基地を攻撃した襲撃者の情報収集と拠点の探索。それについてはもう大体終わったんだけどねー。まったく、人使いが荒くて困っちゃうよー。気持ちよく眠ってたら3時くらいに急に起こされてさー」

 

「聞いた俺が言うのもなんだがその辺でやめとけ。そのうち俺達は聞いちゃいけない情報まで不可抗力で聞いちまいそうだ」

 

「というか今の時点でそこはかとなくグレーゾーンに入ってるんじゃないかと俺は思ってる」

 

「どうしようかしらエマ、私そろそろ耳塞いだ方がいい?」

 

「わ、私に聞かれても……」

 

 物理的に口を塞ぐカウントダウンが始まろうとしていたのだが、そこで漸く要らないところまで口が滑っていた事を理解し、噤む。

はぁ、と深い溜息を一つ吐いて、レイは脳内で情報の整理を始めた。

 

 

 ≪帝国軍情報局≫。その名の通りエレボニア帝国正規軍の情報・諜報機関。

現帝国政府代表のギリアス・オズボーンの肝いりで設立されたそれは、外交政策・国防政策・内政政策の遂行に必要な情報収集及び工作を担当し、公にはなっていない非合法な活動を行う部署でもある。

国内防諜担当の『第一課』、情報分析担当の『第二課』、国外防諜担当の『第三課』が存在しており、様々な成果を挙げているものの、その組織構成・任務内容は一般市民には公開されていない。

 

 その優秀さを、レイは知っている。

因縁もあるし、また恩義もある。どの国であろうとも諜報機関という存在は総じて抜け目のない人物達で構成されているが、特に性質(タチ)が悪いのが二つ。

即ち帝国の≪情報局≫、そしてカルバード共和国の≪ロックスミス機関≫である。

国力を有しているが故にその規模は大きく、この二国の息がかかった諜報員は、それこそ大陸中に広がっている事だろう。だからこそ、警戒心を抱くなという方が無理な相談だ。

 そしてこの少女が所属しているのは、恐らく国内防諜担当の『第一課』。常人ではまず得られない自由滑空という機動力、それを買われての人選なのだろうが、口の軽さは欠点だ。

 

「(”型番”は多分同じなんだろうが……ハハッ、アイツ(・・・)とは正反対の性格だな)」

 

 心の中で懐かしさを覚えて笑ってはみたものの、とりあえず目の前で「失敗しちゃったー」と言って笑っている少女に対してどう接したらいいものかと、軽く悩んではいた。

 

 

「……とりあえず、事情は分かった。俺達としても事件が収束に向かえるのなら出来る限りの力を貸す。君と、えっと―――」

 

「ん? あ、この子の名前は”アガートラム”。ガーちゃんって言うんだー」

 

『ΩgpΓff$』

 

「”戦神の銀腕(アガートラム)”か。また大層な名前だこと」

 

 若干感心の意味を込めて銀色のボディを軽く叩くと、アガートラムはレイの頭に右手を乗せて左右に動かしてきた。

その行動の意味を数秒後に理解し、顔を思いっきり顰めた。

 

「んだテメェ‼ お前まで俺を子ども扱いすんのか⁉ 上等だ、パーツ単位まで分解してやろうかァ⁉」

 

「お、落ち着けレイ‼ 気持ちは分か―――らないけどそれはダメだ‼」

 

「機械にまで子ども扱いされるとか流石だわ」

 

「あははー♪ 面白い人達ばっかりだねー」

 

 無邪気に笑うミリアムに激昂するレイ、そしてそれを宥めるリィンと、遠巻きに眺める三人というカオスな状況が沈静化したのは数分後のこと。

 流石に急いでいる状況でこれ以上の時間はかけられない。襟を正し、冷静さを取り戻したレイは、咳払いを一つしてから話を本題に戻した。

 

「……情報局が本腰を入れたってことはもう大抵の情報は仕入れたんだな」

 

「うん。キミ達が見た迫撃砲と同じものが共和国軍の近くにも置いてあってね。多分、いや、絶対に同一犯」

 

「だろうな。ツメは甘いが行動はそれなりに早い。こりゃ相手は少し厄介かもしれんな」

 

「どういう事なんだ?」

 

 問うてくるリィンに向かって、レイは右手の指を二本立てた。

 

「一つ、俺たちが見つけたものと同型の迫撃砲が二門、計四門がそいつらの手にあった。中古型とはいえ流石に購入経費は安くない。そうだろ? アリサ」

 

「えぇ、そうね。少なくとも、そこいらのチンピラが手に入れられるものじゃないわ」

 

 それだけでも、今回の犯人が潤沢な資金源を持っているという事が分かる。金の力というのは偉大だ。それを持っているのと持っていないのとでは、警戒の度合いも違ってくる。

 

「二つ、連中は細部でミスってはいるが、引き際は心得てる。これが意外と難しいんだ。目的を達成しようがしまいが、目撃者が来る前に深追いをせずに撤退するってのはな。素人じゃない」

 

 その二つを挙げてミリアムのほうを見ると、彼女は一つ頷いた。

 

「お兄さんすごいね‼ ―――うん。確かに今回動いた武装集団は猟兵崩れ、だと思う。多分高額なミラで雇われたんだねー」

 

「猟兵団……」

 

 その単語に、リィンが反応する。アリサにガイウス、エマも言葉には出さなかったが、思いは同じだった。

ミラさえ支払ってもらえば、人殺しを厭わない集団。それに嫌悪感を抱かないわけではないし、複雑な気持ちは確かにある。

だがその気持ちは、レイとフィーには向いていない。否、向いてはならない。

彼らは仲間だ。掛け替えのない、トールズ士官学院特科クラスⅦ組に所属する大切な仲間。そんな二人を貶す事などどうあっても出来ないし、そう思う自分を赦す事など出来ない。

 だからこそ、リィン達の複雑な思いは、ものの数秒で消え去った。

 

「……じゃあ君は、今から連中がいる場所に行こうとしていたんだな?」

 

「うん。でもその前にそこのお兄さんに見つかっちゃってさー。なんでボクが情報局のヒトだって分かったの?」

 

「アホ、こんな国家の一大事になり兼ねない事態を政府が見逃すか。今この時にノルドをうろつく奴がいたら誰でもそう思うだろうよ」

 

 そっかー、と納得するミリアムの姿は、前述通り諜報員らしくはなく、むしろ見た目の年相応の反応にも見える。

当初は警戒していたリィン達も、そんな彼女の姿を見ているうちに随分と緊張が解れてきたようだ。それは別に構わない。

 だが見る限り、リィンとアリサは諸手を挙げて彼女を完全に信用しているわけではないように見える。それは単に彼女の情報に未確定のものが多過ぎるというだけのものであり、決して彼女の性格そのものを否定しているわけではない。

 それはレイも同じ事だった。なまじ彼女と同じ存在と接していた時期があったからこそ、とことんまで疑い切る事が出来ない。

 

 

 

『それが”共闘”であるならばともかく―――”敵対”であった時、あなたはどうするのですか?』

 

 

 

 脳裏に懐かしい言葉が蘇る。それと同時に、理解した。

あぁ、そうか。その問いが自分の胸中でまだ残っているからこそ、自分は甘くなったのか、と。

しかしそれを、不思議と不快だとは思わなかった。

 

「―――話を戻すぞ。そいつらの制圧を、俺達も手伝う。何、心配するな。数か月前ならともかく、今のこいつらなら猟兵崩れごときに遅れは取らないだろうよ」

 

「……へー♪」

 

 その言葉は、レイなりのリィン達への称賛だった。

先日の列車の中でこそ相手が悪すぎたために撤退を促すしかなかったが、彼らの現時点での強さは本物だ。伊達に、シゴキのように鍛えているわけではない。

 更に言えば、そう言い張れるだけの理由がもう一つあった。

一口に”猟兵”と言ってもその強さの度合いは様々だ。超一流、または一流と呼ばれる猟兵団は個々の練度、連携も脅威と言える程に強固であり、流石にこれらを相手にすればリィン達は劣勢に立たされざるを得ないだろう。

無論、猟兵崩れであったとしても油断をしていい相手ではない。だが、常日頃から絶対強者に叩きのめされて来ていたⅦ組の面々に”慢心”という言葉は存在しない。

故に充分以上に戦えると、レイはそう判断したからこそ、笑みを浮かべながらそう言い放ったのである。

 

「……うん。確かに他のお兄さんやお姉さんたちも強そうだね」

 

「そいつは何よりだ。んで? 場所は?」

 

「高原の北東だよ。えーっと、確か石切り場って呼ばれてるんだっけ?」

 

「その場所なら知っている。なるほど、確かに身を隠すにはうってつけの場所だな」

 

 ガイウスが深く頷くと、「よーし、決まりー♪」という何とも場違いな明るい声を出して、ミリアムはレイの後ろに回った。

場所を知っているとは言え、案内役は必要だ。ミリアムはアガートラムに乗って行くのだろうと思われたが、せっかくだから、という事で馬での移動となった。……何故か乗ったのはレイの後ろだったが。

 

「何で俺の後ろだし」

 

「えー、いいじゃんいいじゃん。ボクお兄さんの事気に入ったし♪」

 

「俺ロリコンの気はないからノーサンキューで」

 

「話している途中で悪いが、一度集落に戻っていいか?」

 

 それは尤もな提案だった。ゼンダー門に一度連絡を入れなければならないのは勿論の事、家族が待っているガイウスは危険地帯に赴く前に一言会って声をかけておかなければならないだろう。

一同はその提案に頷き、移動を始める。

 

 頭上の蒼空には、もはやあまり時間が残されていないという事を如実に表すかのように、共和国軍の威力偵察の飛空艇が旋回していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は既に13:00を回っている。

しかし呑気に昼食を食べている時間などない。可能な限り早くという念を抱いたままに、手綱を握って馬を走らせる。

 

 

「あぁ、クソッ、こんな状況じゃなきゃ高原風景を楽しむ余裕もあったんだけどな‼」

 

「安心しろ、俺達は昨日充分堪能した‼」

 

「羨ましいなぁ、オイ‼」

 

「あははー♪ ねぇお兄さん、もっとスピード出してー‼」

 

「アンタ達少しは緊張感持ちなさいよ‼」

 

 会話こそいつものように軽口を叩き合うそれだが、油断はしていない。過度な緊張感を抱かないようにしながら、ミリアムも含めた六名は鞍の上に跨って高原を疾駆する。

 

 

 ゼンダー門との連絡はスムーズに進み、軍の出動が間に合わないという理由から作戦の一切はリィン達に委ねられ、一五〇〇(ヒトゴーマルマル)までの活動延長を許された。

少なからず、責任感が圧し掛かる。作戦を委ねられるという事は、確実に犯人を逃がさずに拿捕しなければならないという事。自分たちの意思だけで動いていたこれまでとはまた違う重圧が、レイを除く四人を襲う。

そんな時、とある人物が声をかけてきた。

 

「フム、ワシは通信機器の調整をしてARCUSの電波を受信できるようにしておこう。なに、ワシらも若者に全てを放り投げるようなマネはせんよ」

 

「お祖父様……」

 

 そう行って慣れた手つきで長老宅にあった機器を弄り始めた老年の人物。名はグエン・ラインフォルト。

アリサの実の祖父であり、前ラインフォルトグループ会長という経歴を持つ人物だが、現在はノルド高原の北にあるラクリマ湖畔に別荘を構えて隠遁をしている身の上であったりする。

現役時代に培った物弄りの腕前は未だ衰えておらず、この集落とも交流を持って自動車の整備などを行っているため、近代機器の改造などはお手の物だった。

 

「フフ、アリサよ、お前さんも大分頼もしくなったようじゃの。じゃが、若者の責を負うのは大人の義務。変に緊張せずに、生きて帰ることだけを念頭に置くんじゃぞ」

 

「……グエン老の言うとおりだ。命あっての物種、それは変わらん。行ってくるがいい。風と女神の導きを祈っている」

 

 グエン、そしてラカンの言葉を受けて、リィン達は出立した。

 

 

 

 そうして時が経つこと数十分。辿り着いたのは、人間の手が加えられていない他の場所とはまた違う、遺跡の雰囲気を醸し出す場所だった。

嘗ての時代、人々が今よりも神の存在を信じ、祭祀を執り行う頻度が高かった頃、信じる存在を偶像という形で残すために人々は石を削りだし、彫像を作った。

その名残となっているのが、この場所だ。古代の名残を残したままに放置されたそこには、巨大な遺跡が眠っており、無論誰も使用していない。

成程、確かに隠れ蓑とするには充分すぎる場所ではあった。

 

「よっ、と」

 

 道が細くなり馬で進むのは難しいと判断した一同は馬を降りる。

所々、石の隙間に空いた空洞から吹きすさぶ冷たい風が頬を撫で、それに僅かな不気味さを感じながら、前へと進む。

そして暫くすると、高さがおよそ3アージュはあろうかという表面に文様が刻まれた巨大な扉に通行を阻まれた。リィンがそれに手を添えて押してみるも、まったくビクともしない。

 

「どうしようか」

 

「とりあえずぶっ壊す一択でいいんじゃね?」

 

 レイの発言にげんなりしかかったが、確かにそれ以外に方法はなさそうである。チラリとガイウスの方を見ると、仕方がない、と言いたげに首を縦に振った。

 

「はいはーい‼ それじゃあここはガーちゃんにおっまかせー♪」

 

 元気よく前に出たのはミリアム。彼女が右手を上に掲げると、虚空からアガートラムが出現する。

それを確認してから軽くファイティングポーズを取り、そのまま握った右腕を前へと突き出した。

 

「いっ、けぇー‼」

 

 その動きと連動するように、アガートラムの頑丈そうな右腕が唸りを挙げて振るわれ、石の扉を殴りつける。

手加減のない破砕音が周囲に響き渡り、煙が舞う。数秒ほどその結果を視認することはできなかったが、風に煽られて煙が晴れると、そこにあったのは粉々に砕かれた扉と、奥に通じる通路。

その結果に満足したのか、ミリアムは「やったー♪」と言いながらジャンプしていた。

 

「(へぇ、やるじゃんか)」

 

 パワーは見る限り申し分ない。単独で諜報任務を任せられているところからも推測するに、そこそこ戦い慣れてもいるだろう。

 これなら―――そう思った瞬間、レイは殺気を感じるのとほぼ同時に愛刀を抜刀していた。

ギィン‼ という金属音が響く。見覚えのある漆黒の投擲用のナイフは、数度回転して宙を舞ってから、石畳の上に落下した。

 

「……やっぱり、か」

 

 ゆっくりと、顔を見上げていく。ちょうど太陽と重なる逆光となる位置。そこに悠々と立っていたのは、己に敗北を刻んだ人物の姿。

高みからレイ達を―――否、レイを俯瞰している。その相貌は窺い知れないが、姿を確認できたというだけで、彼にとっては僥倖だった。

 

「ッ……‼」

 

「レイ……」

 

 臨戦態勢に入りながらも、視線を移すリィン。そんな彼に、レイは薄く笑った。

 

「どうやらご丁寧にも指名が入ったみたいだ。―――あぁ、気にすんな。お前らは先に行け。バカ共の捕縛は任せたぜ」

 

「大丈夫、なのか?」

 

 思わず口に出てしまった気にかけるような言葉に、レイは「当然」と返した。

 

「同じ相手に二回負けるほど馬鹿じゃねぇよ。絶対に勝つさ」

 

「……そうか。―――いや、そうだよな。じゃあ俺達は俺達の役目を果たしに行くよ」

 

「おう。気張れよ」

 

 その言葉を残し、レイは地を蹴って跳躍する。日の光に阻まれて見えないはずの凶器の速射を一本残らず弾き返しながら高速で迫り、そのまま遺跡の内部へと諸共転がり込んだ。

遠ざかっていく剣戟の音。それを聞きながら、ミリアムはリィンの裾を引っ張った。

 

「ねぇ」

 

「ん?」

 

「お兄さん、大丈夫かな? あの人、かなり強いと思うケド」

 

 心なしか小さくなったその声に、リィンは笑みを浮かべながら答えた。

 

「大丈夫さ。アイツはもう負けない。俺達はそれを信じて―――前に歩かなきゃならない」

 

「……そうだな。行くとするか」

 

「えぇ」

 

「はい」

 

 太刀を、十字槍を、弓を、魔導杖を構える。

目標は目前にある。立ち止まったあの時とは違い、やらなければならない事が目の前にあるのだ。

 

「本当に仲が良いんだね、お兄さんたち」

 

 言葉を返さず、全員で首肯した。そしてそのまま、遺跡の内部へと突入する。

 

 必ず成し遂げてみせると、確固たる意志を胸の中で燃やしたままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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修羅の盟約







「私と一緒に、地獄の底までついてきてくれる?」
              
      by 禁書目録(とある魔術の禁書目録)











怖い、怖い、恐ろしい。

 

 以前鬼教官兼友人の剣士からは、「銃口向けられて怖いと思えるのならお前はまだマトモだよ」などと言われた。

それに照らし合わせれば、まだ自分は、否、自分たちはマトモなのだろう。殺気が籠った人間から銃口を向けられれば怯えはするし恐怖も感じる。

放たれた銃弾が胸や頭に当たればそれだけで致命傷だ。亜音速の速さで迫る銃弾を見切って避けるなどという芸当は出来るはずがない。

 

ましてや相手は”崩れ”とはいえ元猟兵。人の殺し方を知り尽くした殺人のプロフェッショナルだ。狙いを外すなどという愚は犯すまい。そういう点でも、ケルディックで戦ったチンピラ紛いの連中とは格が違う。

本格的にヤバい相手だという事は最初から理解していた。気を抜けば一瞬で死んでしまう。自分たちにとって恐怖に値する相手だと。

 

 

 …………だが、それでも、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「(レイの”特別特訓 ~ちょっと地獄垣間見てみようか 編~”を受けるよりかはマシだっ‼)」

 

 

 臆せず、立ち止まらず、気丈に立ち向かって剣を振るう。恐怖を恐怖で上塗りするという何とも奇妙なやり方ではあるが、四人の中に敵に対して萎縮する事はなかった。

退けば地獄だ。反省会の意味合いも含めて物理的に足腰立たなくなるまで扱かれる。対して前に進んで勝てば地獄は一歩遠のく。どちらに進みたいかなど、考えるまでもない。

 

「弐の型―――『疾風』‼」

 

 鋭さを増した一刀が猟兵崩れの一人が持っていた自動小銃を真っ二つに切り裂く。続けざまに太刀を反転させて、柄頭の方で喉元を強打した。

 

「ガ……ハッ…………」

 

 意識を刈り取られ、その場に崩れ落ちる。その結果に僅かばかり動揺が広がるが、相手もプロだ。裏返りながらも的確に指示を飛ばしていく。

 

「くそっ‼ 囲めッ‼ 一斉射撃でハチの巣にしてやるんだッ‼」

 

「り、了解‼」

 

 動きは速やかだ。数秒と経たずに残った四人が一か所に固まり、こちらに銃口を向けて引き金に手を掛ける。

ゾクリと、一瞬背筋が震えたが、臆さない。自分の後ろには、頼もしい仲間がいる。

 

「アリサ‼ 委員長‼ 頼む‼」

 

「オッケー‼」

 

「任せてください‼」

 

 駆動が終了したエマの魔導杖が淡く光る。土色の光がリィン達を囲み、アーツが発動された。

 

「『ラ・クレスト』‼」

 

 まるで城壁の如く魔方陣の中から突き出て来たのは膨大な量の石壁。高位の魔獣に対してはそれ程の耐久力を持たないその技も、銃弾を受け止める程度の仕事は難なく果たして見せる。

特筆すべきは銃弾の飛び交う戦場で護衛が付いているといっても怯むことなくアーツの詠唱を続ける胆力と集中力。それに続くように、今度はアリサの駆動が完了した。

 

「『ゴルトスフィア』‼」

 

 支援アーツの”ラ・クレスト”とは異なり、今度は攻撃アーツ。駆動終了と共に虚空に金色の球体が複数現れ、それらが発する波動が敵の眼前の地面を抉り取った。

一見すれば容赦のない攻撃だが、彼らにしてみればこれらの攻撃は当たり前。寧ろ普段の実技教練の際は容赦がないどころか積極的に当てに行っているのだからそれに比べれば優しくなっているとも言える。……まぁ、本気で当てに行っても何故か掠りもしないのが鬼教官共(サラとレイ)なのだが。

 

「うっ……‼」

 

「な、何だよ⁉ ただの士官候補生じゃねぇぞ、コイツら‼」

 

 僅かに広がる動揺。それを見逃すはずもない。

対人戦は精神(こころ)の戦いでもある。弱音を吐いたらその時点で負けだ。心が折れれば、戦いたくとも戦えない。他ならない己自身が拒否してしまう。そう教わった。

油断するつもりなど毛頭ないが、”弱い”。レイやサラ、フィーの足元にも及びはしない。

 

「ガイウス、ミリアム‼」

 

「了解だ」

 

「まっかせてー‼」

 

 リィンの指示と同時に飛び出した二人による絶妙な時間差の攻撃。風を纏った槍と、鋼鉄の傀儡の鉄拳。装備を破壊され、或いは吹き飛ばされ、戦線はあっけなく瓦解した。

 一応言っておくと、今回の事件の実行犯であり、石切り場遺跡の最奥に潜んでいた傭兵団≪マグベアー≫は、決して弱いという訳ではない。確実に仕事を遂行するだけの行動力と判断力は有していたし、普通の人間にとっては脅威となる存在であるのは間違いなかった。

ただ一つ不幸であったとするならば、それは相対した少年少女達が”普通”ではなかったという事。

 

 

「―――フム、些か以上に誤算だった。まさか士官候補生風情がここまでの力を有しているとはな」

 

 男達の後方で悠々と屹立しながらそう言う男性。

派手さのない服をきっちりと着込むその姿からは几帳面さが滲み出ており、眼鏡と無精髭という容貌が学者然とした印象を植え付ける。

自らを≪G≫と名乗ったその男は、限りなく劣勢に立たされている現在でも、浮かべた薄ら笑みを崩していない。

 その様子に不気味さを覚えたが、それでもリィンは気丈に前へと出た。

 

 

「生憎と、デタラメな人達に鍛えられてるんでね」

 

「クク……成程。≪天剣≫を抑え込んでおけば計画に支障はないと思っていたのだが……どうやら見込みが外れたらしい。よもや≪子供たち≫の一人まで呼び寄せてしまうとはな」

 

 そう言って視線を向けられるミリアム。しかし彼女は、それでも笑みは崩さないでいた。

 

「へー。ボクの事も知ってるんだ?」

 

「無論。貴様、≪白兎(ホワイトラビット)≫だな? 忌々しい情報局の走狗だ。知らないはずがないだろう。―――っ」

 

 膨れ上がったのは闘気と怒気。≪G≫が視線を戻すと、そこには静かな、しかし周囲に響き渡るほどの圧力をその双眸に込めたリィンがいた。

リィンだけではない。ガイウスも、アリサも、エマも、リィンほどではなかったが、それぞれ怒りを露わにしている。

 

「≪G≫とか言ったな。今の言葉を聞くに、列車の中であのローブの人物にレイを襲撃するように指図したのはアンタなのか?」

 

「……あぁ。叶うならば仕留めるようにとも言っていたが、どうやら邪魔が入ったようでな。それでもよもや監視塔への砲撃を邪魔されるとは思わなかったが」

 

「―――そうか」

 

 それだけで充分だった。形容し難い怒りを、しかし内側に封じ込めて平静を装う。

怒りに身を委ねては勝てる戦いも勝てなくなる。そう言い聞かせ、リィンは再び太刀を握りしめた。

 

「なら容赦をする必要はないな。大切な仲間が、友人が死にかけたんだ。覚悟してもらおうか」

 

「更に言えば、ノルドの地に騒乱を齎そうとした罪もある。贖ってもらうぞ」

 

 それぞれ覇気を纏いながら臨戦態勢に戻る。しかし≪G≫は、それらを受け流して懐からとある物を取り出した。

 

「フ……それは出来ない相談だ。しかしタイミングとしては上出来だ。―――≪白兎(ホワイトラビット)≫共々、この場で若い命を散らしてもらおうか」

 

 右手に収まっていたのは、古めかしい造形をした一本の横笛。それに口をつけ、慣れた様子で音色を奏でる。

本能的に震えた。その音色に魅入ったわけではなく、植え付けられた潜在的恐怖を刺激されるような不快感が全身を走り抜ける。

 そして、その音色に覚えがあるのは、リィンとアリサの二人。

 

「この音色って……」

 

「あぁ。確かルナリア自然公園でエリオットが言っていた――――――マズい‼」

 

 思い出したのは、それが聞こえたというエリオットの言葉の後に続くように訪れた顛末。

まるで誘き寄せられたように現れた巨大な狒々。リィン達が初めて挑んだ強敵の姿。それと同じような事が起こるのだとすれば―――。

 

「ッ‼ 皆、上だッ‼」

 

 異様な気配を敏感に察したガイウスが叫ぶ。それと同時に、四人全員がその場から飛び退くようにして離れた。

時間にして数秒後、直前まで固まっていたその場所を押し潰すかのようにして天井の穴から現れたのは、銀色の体毛を輝かせ、四対合計八本の脚と四つの複眼をおぞましく動かす巨大な蜘蛛。

空間を震わせるかのような咆哮を撒き散らし、その化け物は降臨した。

 

「≪悪しき精霊(ジン)≫―――ギノシャ・ザナク」

 

 呟くように、ガイウスがその名を呼ぶ。

嘗ての時代、悪霊とされて遺跡の深奥に封じ込められ、永い眠りについていたとされる存在。

眠りから覚め、空腹の感情に支配されたそれは、欲を満たすために贄を探す。目に付いたのは、尻餅をついたまま動けなくなっていた傭兵団の一人。

 

 ―――キシャアアアアアアアアアッッッ‼

 

 その(あぎと)から繰り出されたのは、体毛と同色の糸。高速で撃ち出されたそれは容赦なく男に絡みついた。

 

「く、くそっ‼ 何だ、何なんだよコレ‼ 切れねぇッ⁉」

 

 振り解こうと体を動かして足掻くものの、一向に緩む気配はない。そうして抵抗している内に、大蜘蛛は獲物を捕食せんと巨体を震わせて近づいていく。

もはや命を散らすのは秒読みだと、そう思われた直後。

 

「―――『業炎撃』ッ‼」

 

 真横から膨れ上がった魔力の業火が、銀色の剛糸を焼き千切る。縛られていた男は恐怖のあまり気絶していたが、一命は取り留めていた。

 

「ガーちゃんー‼」

 

『Ω WyJnγ』

 

 次いで、アガートラムの一撃がギノシャ・ザナクの横腹に命中する。

しかし致命傷にするには足りず、数アージュほど地面を引きずった後に体勢を立て直し、リィン達の方を睨み付けた。

 

 助けた理由、などというものは考えていなかった。気がついたら体が勝手に動いていたという、ただそれだけの話。

ともあれ、この魔獣を放置するという選択肢は論外だ。もし遺跡の外に飛び出しでもしたら、高原の平和に亀裂を入れる恐れがある。

 

「太古の魔獣か。随分と大物が釣れたものだ。では、私はこの辺りで失礼しよう」

 

 そう言葉を言い残し、≪G≫は背後に広がる崖に躊躇する事もなく飛び降りる。その際に彼の袖口から細いワイヤーロープが伸び、遺跡の天井に絡まった。

 

「あ、ちょっと、待ちなさい‼」

 

「アリサ、今はこの魔獣を倒すことが先決だ‼」

 

 まんまと逃げられた事に対して忸怩たる思いはあるが、この魔獣を前にして背を向ける行為が危険であるという事も分かっている。

だが、勝てない相手ではない。対人戦と共に散々叩き込まれて来た対魔獣戦。むしろ相手の生死を問わない分、今は魔獣戦の方が本領を発揮できると言っても過言ではなかった。

 

「確実に仕留めるぞ。というかここで負けでもしたら罰ゲームで半殺しにされかねない。それだけは嫌だ」

 

「そうだな」

 

「そうね」

 

「そうですね」

 

「あのお兄さんに普段どんな訓練受けてるのかボク気になってしょうがないよ」

 

 微妙に締まらない決意を固めながら、リィン達は最後の決戦に挑もうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小数点以下、コンマ数秒でも気を抜けば命を奪われかねない戦闘。

帝国に来てからは久しく感じていなかった激動の空気がレイの頬を、髪を、首筋を、外気に触れている部分全てを刺激する。

そこは”強者”のみが立ち入る事を許される領域。その空気に触れているだけで意識や感性は鋭敏化し、自然と嘗ての自分に立ち返って行くような気がする。

 

 相手の目から動きを読み取る事は出来ない。全身がローブに覆われているため、腕や脚の動きを予測することも難しい。

それでも一挙手一投足から滲み出る相手の”次の一手”を見切り、条件反射と言っても差し支えのないほどに研ぎ澄まされた判断力と初速で以て対応する。

 

「―――フッ‼」

 

 暗闇に白刃が煌めく。連続する火花の応酬は激戦の証拠であり、その戦いを邪魔する第三者は存在しない。

長刀の刃が、強固な鞘が、鉄板入りのブーツの靴底が、流星の如く飛んでくるナイフを迎撃していく。その様はまるで舞台の上で踊る演者だったが、その紫色の右目に誰かを楽しませる余裕は一切含まれていない。

 その姿には矜持がある。死地に身を置き、弛まぬ修練の果てに身に着けた己の技を振るって命の簒奪を行う者。自分がまさにそれであるという矜持が。

それは、覚悟の先にある境地に他ならない。己の定めた生き方を、進むと決めたその道を貫き通した者のみが醸し出す極地。

技の鋭さは絶え間なく増していき、次第に押し始める。その身にただの一太刀も与えないままに黒刃の雨の中を掻い潜り、遂に技の射程圏内に姿を捉えた。

 

 

「【剛の型・身縊大蛇(みくびりおろち)】」

 

 足に力を込めて接近、敵の首元に刃を這わせてから、巧みな【瞬刻】のコントロールで以て首筋を添うように一周する。刃の圧力と、生まれる膨大な遠心力。追撃するかのごとく発生する風の刃が、首を締め上げた後に切り捨てる。

 本来であれば耐久度の高い大型の魔獣、または自立型の人工生命体に使用する、まさしく”確実に命を刈り取る”一撃。自身が殺戮の化身であるという事を否が応にも肯定する事になる必殺の技。

 ―――しかし、目の前の相手はそれを防いだ。

 

「―――…………」

 

 白刃から己の首を守るために首元に置いていた大振りの二本のナイフは衝撃に耐えきれずに砕け散る。

その直後、繰り出してきたのは手刀の一突き。ナイフの斬撃よりは殺傷力が低いと思われるその一撃を、しかしレイは躱した。その間に、相手は飛び退いて距離を取ってしまう。

狙って来たのは心臓ではなく喉仏。喉を貫く程の威力ではなくとも、呼吸を阻害されれば人間は最大の弱点を曝け出す事になる。

 間違いなく”強者”。戦い方を知り尽くしている。

だからこそ、攻め手の中で間を置くのは危険すぎる。故に早々に追撃をしようと構えたところで、背後に飛び退いた≪X≫は遺跡の瓦礫の中、柄だけが墓標のように立っていたそれを一気に引き抜いた。

 

 それは、飾り気が一切ない無骨な大剣。身の丈以上もあるそれを紙の玩具であるかのように軽々と振り回し、レイに向かって進撃を開始する。

 

「チッ‼」

 

 レイはそれを受け止めるのではなく、去なした。大剣の横腹をなぞるように白刃が擦過し、耳を(つんざ)く音が遺跡の中に響く。

そのまま疾走して肩口を斬り落とそうと睨み付けたが、途端に大剣が反転し、それに合わせるように≪X≫の体が素早く回転した。

すると先程まで長刀が抑え込んでいた大剣の刃は一転してレイの首筋を狙うモノへと変わり、その細い首を無残に胴体と泣き別れにするために唸りを上げて迫る。

 しかしその凶刃の狼藉を易々と許すわけもない。反射的に上半身を後ろに反らして回避すると、眼前鼻先の数セルジュ上を大剣が通過する。

はらりと数本舞った自らの髪の毛を視界に入れながら、レイは左手に握っていた柄を逆手に持ち替え、低い姿勢からバネの要領で体を跳び上がらせ、≪X≫の顎下を狙って振るう。

だが不意を突いたはずのそれすらも躱し、再び上段に構え直した大剣を唐竹割りの型で容赦なく振り下ろす。

レイはその動きを眺めながら、それでも動かずに鈍色の刃が己に迫る刹那の時間を呆けたようにして待っていた。

 

「―――沈め」

 

 直後、レイの体は≪X≫の背後に移動していた。その瞳は一貫して敵の姿を捉えて離さず、納刀されて腰だめに構えられた長刀の鯉口を静かに切る。

 

 八洲天刃流【静の型・輪廻】―――

 

 渾身の攻撃を繰り出した後、最も注意力が散漫になる瞬間の死角を取る。

抜刀。左脇腹から右肩口へと逆袈裟斬りにせんと迫った刃を受け止めたのは、後ろ手に回されていた大剣の柄。

またも防がれた事に僅かに眉を顰めたが、それだけだ。抜刀の勢いを殺さないままにもう一回転し、遠心力を纏った蹴りを放った。

流石にそれは防がれずに≪X≫の右脇腹を直撃し、吹き飛ばす。地面に触れる事もなく吹き飛んだ末に、遺跡の壁に激突して瓦礫と共に重力の理に従って崩れ落ちる。

 

「…………」

 

 傍から見れば惨事だ。しかし仕留められたとは微塵も思っていない。

 目で見ずとも理解できる。アレはナイフを操っていた時よりも大剣を構えた時の方が動きにキレが出て来た。破れかぶれではない事は明白だったし、大剣を隠していたこの場所まで誘い込まれたのだという事も分かっている。

 故に、本能が危険信号を発した。

ここで、この場で確実に命を刈り取っておかなければならない。闇の世界で生きていた頃の感覚が警鐘を鳴らし続ける。形容し難い違和感が、既視感が、脳裏に過っては消えていく。

だからこそ、過去の意識を嬲るようなその雰囲気に耐えられない。抜刀した白刃を両手で支え、目線と平行になるように構える。

 

「―――【滾れ我が血潮。静寂(しじま)を司る修羅とならん】」

 

 呪術の詠唱ではなく、自己暗示の文言。

瞬間、鋼色のレイの闘気に黄金色の覇気が渦巻くように交じり、威圧感を増幅させる。一見”剛”の気力を解放したかのように見えるそれだが、膨れ上がる覇気と反比例するかのように、敵を視界に捉えるその目は澄み渡り、醸し出される戦士としての風格も、暴虐性とはかけ離れたものとなってレイ・クレイドルという至高に近づいた剣士を形作っていた。

 

 

「【静の型・鬨輝(ときかがり)】」

 

 

 ”枷”が一つ、弾け飛ぶ。理性の上に覆い被さった”自重”という名の枷が、技の発動と共に消えた。

その文言が示す通り、人の身を修羅へと堕とす自己強化の技。全身に行き渡り、溢れ出るその力は、主に手加減という軟弱な手段を取らせることを許さない。

 

 駆ける。その眼光が残照を残すほどの速さで以て肉薄し、苛烈という言葉すら生温いほどの斬撃の奔流を叩き付ける。

一分の隙もなく、体勢を立て直させる暇も与えず、瞬きをする余裕も、呼吸をする時間すらも許容しない。小柄な体が常に裂帛の気迫を漂わせ、ただ目の前の敵を圧殺せんと殺到する。

 それでいて、理性は全く失っていない。ただ体の赴くままに剣を振るう狂戦士ではなく、達人の領域に至った剣士としての実力と意思、矜持を纏ったままに戦場を走る。相対する者にとって、これ程の恐怖もないだろう。

 

 ≪X≫も大剣で以て迎撃を行うが、それが意味をなさないほどに手数が多過ぎる。次第に劣勢になり、ローブの肩口が弾け飛んで赤い飛沫を撒き散らしたのと同時に、大剣の刃が粉々に粉砕された。

 武器消失―――しかし手を緩めるレイではない。無手の相手を傷つけるのが誇りに反する、などという綺麗事を持ち込むわけもない。寧ろそれは好機。故に躊躇いなく、必殺の一刀を叩き込む。

左足を前に、右足を後方に。半身となって眼前の敵を睨み付け、右手に握った長刀を肘を曲げて引き戻す。放つのは、不可避の刺突。

 

 八洲天刃流【剛の型・塞月】―――

 

 直後、銃口から銃弾が発射される速度のそれと差異がない速さで、純白の剣鋩(けんぼう)が一直線に放たれる。

穿ったのは、胸の中心部分。心臓からは離れているが、一度肉を抉れば爆発的に広がる波動が血管の一切を千切り飛ばす。狙うまでもなく、即死だ。

 吹き飛び方は、先程の蹴りの比ではない。遺跡の中の残骸どころか、壁すらも突き破って消える。爆音とともに巨大な穴が眼前に生まれ、砂塵が舞い上がる。それだけで、大抵の人間は敵の死亡を疑うことはないだろう。

 

「―――クソッ‼」

 

 しかしレイは、舌打ち交じりにそう吐き出した。

 過たず当たった。そこに間違いはない。そもそも真正面から放たれたこの技を躱せるものなど、今まで出会った達人連中の中でも片手の指で数えられるほどしかいないはずだ。

だが、問題はその”感触”だった。刃を伝って手に、全身に伝わったこの痺れは、人間の肉体を穿った際に感じるものでは断じてない。

しかし、≪X≫は人間だ。そこも断言できる。かつて『結社』が開発していた機械兵器の中に、オリジナルの剣士の技をデータとしてインプットし、戦闘用に使用するといった趣旨のものがあったが、そんな物では断じてない。あの動きは紛れもない、達人級の武人だけが持ち得る、データでは決して再現できない代物だ。

 

「(凌がれた、か。一度ならず二度までも仕留め損ねた……あぁ、鈍ってるな)」

 

 ならば、と穿たれた大穴の中に足を一歩踏み入れるが、そこで歩みは止まった。

 感じたのは冷気。遺跡内に浸透する涼しさではなく、真冬の氷室のような肌を刺す冷気だ。それが大穴の中に充満している。

 

「…………」

 

 吐く息が白く濁る。レイは暗闇となっているその先を睨み付けた後に、進行方向から背を向けた。

諦めたわけではない。恐らくアレは、再び自分の前に姿を現し、今回のような死闘を演じる事になるのだろう。その際に、今のような絶好の場所が確保できるという確証はない。

そういう意味では、ここで追跡して息の根を確実に止めるのが正しいだろう。しかしレイは、それを見送った。

 

 進むのは止めろと、体が訴えかけてくる。追いつけば最後、遺跡が崩壊しかねないほどの激戦を展開しなければならなくなるだろうと、修羅の直感が告げていた。

 

「(……優先順位はノルドの平和を守ること。これ以上我が儘を貫き通すわけにもいかないか)」

 

 刀を鞘に収めると共に、黄金色と鋼色が混ざり合った闘気が霧散する。

リベンジが終わった以上、疾くリィン達の応援に駆けつけるべきなのだろうが、あの歩みはゆっくりとしていた。

 

「(まぁ、何とかなってるだろ)」

 

 日々鍛えている級友の実力を信じながら、レイは荒れ狂いながら進んできた道を静かに戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………ぁ」

 

 

 

 むくりと起き上ったのは、遺跡の最下層。静寂が支配し、嘗ては祭壇があったのだろうその場所は、今は無残に破壊し尽くされていた。

己が吹き飛んできたその道だけが、まるで天災に遭ったかのように抉り取られている。そしてその場所には、縁取るように氷の欠片が散逸していた。

 

「あぁ、そうか。”砕けた”のだな」

 

 ローブを剥いでみると、右半身がごっそりと抉られている。本来であれば即死級の重傷ではあるが、その断面から鮮血は一切噴き出していない。

 代わりに零れ落ちているのは、氷の欠片だ。まるで氷像が打撃で砕けた時のように、無残に欠け落ちていた。

しかしその欠落も、すぐに”戻る”。逆再生をしているかのように散逸した氷の欠片がただの一つも漏れず右半身に集まり、肩口から腕の部分を形作って行く。数秒も経たない内に本来の人の姿が戻り、≪X≫は何事もなかったかのように立ち上がった。

 

「フ、フハハッ、フハハハハハハハハハハハハハハッ‼」

 

 笑いが漏れる。凛とした女性の声で吐き出されるそれはどこか狂気性を孕んでおり、普通の人間の耳朶に入れば悪寒を感じさせるのは間違いない。

そうしてから、自身の胸の中心をなぞる。豊胸と言っても差支えのないその中心。先程必殺の刺突を受け止めたそこに埋まっていたのは、拳ほどの大きさの翠玉だ。

傷は一切ついていない。その事実は確認せずとも分かるが、彼女が確認したかったのはその余韻だ。

 

「あぁ、見事だ。実に心に響いた。軟弱者共を葬り続けている内にいつしか燻ってはいたが、再び炎が宿ったぞ。やはりお前は最高だ」

 

 フードの下で、恍惚さを含んだ笑みが漏れる。

その姿を艶めかしいと感じる者はいるだろうが、そう思った瞬間、その者は他ならぬ本人に縊り殺されるだろう。それ程までに、≪X≫は己しか感じ得ない愉悦の感情に浸っていた。

 だがそうと分かった上でなお、今の彼女に話しかける者がいた。

 

 

「―――随分と派手にやられたようだな、≪X≫」

 

「―――≪G≫か。まぁその通りだ、否定はせんよ。迷いを捨てた、実に良い太刀筋だった。こんな穴倉で決着をつけるには些か勿体無さ過ぎる」

 

「好きにするといい。どの道、君は役目を果たしたのだ。文句など言わんさ」

 

 そう言うと、≪G≫は躊躇いもなく背を向ける。≪X≫もローブを纏い直し、それに続くように歩き始めた。

その道中に、≪G≫は独り言であるかのように、一つ呟いた。

 

 

「君の心中にあるのは紛れもない狂気だ。だが、我々もそれを持っている。それが(たが)うことがあった場合、君は一体どうするつもりだ?」

 

 数秒の沈黙。その後≪X≫は、詰まる事もなく答えた。

 

「無論、袂を分かつさ。そもそも私とお前たちの”契約”など、その程度のモノであったはずだ」

 

「……違いない」

 

 

 静謐な暗闇の世界を闊歩しながら、≪X≫は実に嬉しそうに、彼の少年の姿を思い出して笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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叫び溶ける不屈の心






「我慢しなきゃいけないのが、そもそもおかしいんだよ。
痛いときは「痛い」でいいんだ」
             by 阿良々木暦(化物語)










 

「図体はデカかったけど素早さがなかった。正直、バリアハートで戦ったカザックドーベンの方が脅威だったかもしれない」

 

「オッケ、心配する必要はなかったな。じゃあ学院に帰ってから三日間は特訓はナシで」

 

「「「「っしゃ‼」」」」

 

「お兄さんたちー、戻ってきてー」

 

 

 

 

 場所はゼンダー門。リィン達が拿捕した猟兵崩れ達を駆けつけた軍の人間に引き渡してから、事の顛末を報告するためにこの場所に戻って来ていた。

時刻は既に一六〇〇(ヒトロクマルマル)を超えているが、未だに共和国軍側との交渉成立は成っていない。とは言っても、流石に国家間の外交交渉は門外漢な五人は、ミリアムも連れてゼクス中将への報告を済ませていた。

 

 

「……では、共和国軍は既に出撃体制を整えた、という事ですか?」

 

 重々しい雰囲気で、リィンがそう問いかける。それに対してゼクスは、ただ黙して頷いた。

 拿捕した武装集団について、共和国側への連絡は既に為されていた。しかしそれを信じるという事はなく、両軍の軋轢は未だ埋まる気配を見せない。

考えてみれば当たり前のことだ。共和国側は武装集団の存在を知らず、開戦間際になって秘密裏に”何処の誰かに”雇われていた実行犯の武装集団を捕えたと報告したところで、自作自演の末の苦し紛れだとしか思うまい。薄々感づいていた事ではあるが、戦端が開かれる事がほぼ確実になってしまったという状況に、歯噛みをしてしまうのは決しておかしな事ではないだろう。

 

 ―――そう。もしこの場にいたのが彼らだけだったのであれば、数時間後に必ず訪れる未来を覆す事は出来なかったろう。

大国の兵を退かせるだけの理由がない。交渉に持ち込めるだけの技術がない。相手が戦火でもって報復とするならば、こちらも国を守るために戦わなくてはならない。それは当然の事であり、しかしその結果は小競り合いでは終わらないだろう。

 

 そんな事を、許すはずがない。

 国家の一大事をまんまと見逃すほど、この国の宰相は甘い人間ではないのだ。

 

 

「―――まぁ、何とかなるさ」

 

 場違いとも取れる言葉を放ったのは、緊迫した雰囲気を緩めたままに自然体で立っていたレイだった。

能天気な態度に司令室に集まっていた軍人たちは一様に眉を顰めたが、リィンはその発言を否定しなかった。

 

「何でそう思うんだ?」

 

「知ってるからだよ、この国の統治を皇帝陛下から仰せつかった人間の事を。絶対に好きになれないオッサンだが、無能などとは断じて言えない。あれは間違いなく傑物を超越したナニカだ。そんな人間がこんな状況を黙って傍観するものかよ」

 

 そう言って笑う。そしてその言葉に、後ろに立っていたミリアムも首肯した。

 

「そうだねー。確かにオジサンが黙って見てるわけもないか」

 

「フム、そちらの少女は情報局の一員であるという事は聞いていたが……レイ・クレイドル君、君も閣下に会った事があるのかね?」

 

「えぇ、二度ほど。貴重なお話をいただいたり、手に余る贈り物(・・・・・・・)をしていただいたりと、色々とお世話になりました」

 

 不敵な笑みを浮かべるその口からは一見称賛の言葉が漏れ出ているように見えるが、実際は違う。

彼自身が認めた、”強者”に対する畏敬の念と、個人的な猜疑心、加えて牽制。それらが混じり合った末の言葉だ。

ゼクスはその事に薄々感付いてはいたが、特に何も口にする事はなかった。その男の恐ろしさを理解しているが故の措置であったのかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

「―――ま、そうだなァ。オッサンがこんなコトを見逃すはずがねぇっての」

 

 

 聞き慣れた声が背後から聞こえて来たのは、その時だった。

 

 司令室に入って来たのは、一人の赤毛の青年。

外見的な年の頃は二十代前半と言った所だが、礼服を身に纏ったその姿は、普通の人間には決して出せない有能さを醸し出していた。

 

「あー、やっと来たー。もー、遅いよレクター‼」

 

「あっはっはっ。ワリィワリィ。ちとクロスベルのゴタゴタが長引いてな。メシも食ってねぇんだわ」

 

 ミリアムに対して浮かべるのは人懐っこい笑みだ。それこそどこにでもいるような若者が浮かべるようなそれだったが、リィンはその人物が一般人であるとは到底思えなかった。

そしてその青年は、次にレイの方を向いて、同じような笑みを向ける。

 

「よー、レイも久しぶりだなぁ。ププッ、馬子にも衣装とは良く言ったモンだぜ。以外と似合ってんじゃねぇか、制服」

 

「オイコラ喧嘩ならいつでも買うぞチャラ男。つーかお前、俺がクロスベルに居た時に貸したカジノ代3万5000ミラとっとと耳揃えて返せや。どうせ稼いで来たんだろ?」

 

「おー、稼いで来たぜ。ヤク決めてラリった炭鉱員から勝ちまくってなァ。あ、でもその後スロットでスッたからプラマイゼロ。今金持ってねぇんだわ」

 

「お前ホント何しに行ったんだよ」

 

 嘆息を漏らすレイから苦笑交じりに視線を戻し、青年は職務に就いている時の表情に戻る。

対面の人間に不快感を与えず、それでいて飄々とした雰囲気を残した道化のような表情。纏う雰囲気すらも、一瞬のうちに塗り替える。

 

「フム、君は……軍服は着ていないが我らと同じ立場の人間だな」

 

「はっ。レクター・アランドール情報局特務大尉であります」

 

 その名を聞いた瞬間、佐官以上の軍人が皆、驚愕の表情を浮かべた。

 レクター・アランドール。≪帝国軍情報局≫の中でも国外防諜を担当する『第三課』に所属する若き諜報員。特筆すべきは22という若さながら≪かかし男(スケアクロウ)≫のコードネームを名乗り、数々の国外交渉を成功させてきたその手腕にある。その成功率は100パーセント。

つまるところ、現状においてオズボーン宰相が送り出す事の出来る最良の”駒”。それがここにいるのである。

 

「ほう、君もあの≪鉄血の子供たち(アイアンブリード)≫の一人、という訳か。ならば、ここは任せてしまってもよさそうだな?」

 

「はい。既に共和国側との交渉に入っております。再来月に控えた通商会議を前に無用な事態を回避したいと思うのは両国の共通意見。宰相閣下もそう申されていますので」

 

「≪鉄血宰相≫……」

 

 ギリアス・オズボーンという人物の名前を、帝国人の中で知らない者はいないだろう。

エレボニア帝国の軍事拡張を推し進め、帝国正規軍の七割を手中に収める傑物。”鉄”と”血”で以て帝国の繁栄を確固たるものに仕立て上げた立役者の意向とあれば、それに表立って異を唱える者はいまい。

 

 

「へぇ、今回は真面目に仕事するみたいだな」

 

「おいおい何言ってんだよレイ。俺は職務に関してはこの上なくマジメだぜ?」

 

「ケッ、公務中にカジノでフィーバーしてたヤツが何言ってんだか」

 

「あん時はお前だってルーレットで出しまくってたじゃねぇか。というかあの後お前クレアにチクったろ。帰った時めっさ怒られたわ」

 

「自業自得乙」

 

 なんだとテメェ、やんのかゴラァ、などと軽口を叩きあう二人を見て、蚊帳の外のリィン達は思った。

片や元準遊撃士。片や大国の辣腕諜報員。関わる事自体はあるのだろうが、この二人のやり取りを見ていると表面上の付き合いだけではないように思えてくる。それがやはり、自分達には手の届かない場所で行われているやり取りなのだろうと感じ取った瞬間、やはり寂しくは感じた。

 

「あー、そうそう。お前さん達もこのガキンチョが世話になったみたいだな。いやー、悪かった悪かった。結構振り回されたろ」

 

「え、えぇ。まぁ、少しは」

 

「ぶーぶー、ガキンチョって言わないでよー」

 

 子ども扱いされたミリアムが不満を垂れながらもレクターの下へ駆け寄っていく。

 

「まぁいいや。じゃあ皆バイバーイ♪ すっごく楽しかったから、また会えると嬉しいなっ。特にお兄さん‼」

 

「手のかかる妹分とかもう勘弁なんだが……まぁいいか」

 

 とりあえず元気にしてろよ、という面倒見の良い言葉をかけた後、ミリアムはレクターと共に司令室を去った。取り残されてポカンとしているリィン達を他所に、レイは再びゼクス中将に向き直った。

 

「―――まぁ、あんなヤツではありますが、≪子供たち≫の一人としてのレクターの優秀さは保証します。中将閣下、当面の危機的状況は回避できたと見てもよろしいかと」

 

「……そうだな。≪天剣≫殿、君にも今回は迷惑をかけてしまった。心より礼を言わせてもらう」

 

「お気になさらず。それに、その(あざな)は昔のモノです。今はただの士官候補生に過ぎませんよ」

 

 それに、と言ってから、レイはリィン達の方を振り返った。

 

「今回、武装集団を拘束した立役者は彼らです。俺は露払いをしたに過ぎません」

 

「レイ……―――いや、そんな事はない。レイがいなかったらあのローブの奴には立ち向かえなかっただろうし、これは皆で掴んだ結果だよ」

 

「そうね。というか、私たち仲間でしょう? あなた抜きでどうにかなったって思う程己惚れてないわよ」

 

 リィンとアリサの言葉を聞いて、ゼクスは軍人ではなく、好々爺のような表情を一瞬だけ浮かべた。

 

「どうやら君は、良い級友に巡り合えたようだな」

 

「えぇ、全く。俺には勿体無いくらいに良い奴らですよ」

 

 ―――本当に、勿体無い。

 心の中だけで口にしたその言葉は、伝えられることなく飲み込まれていく。それと同時にリィン達に背を向けたまま浮かべた寂しそうな表情も、伝わる事はなかった。

 

「では改めて、礼を言わせて貰おうかの。―――トールズ士官学院特科クラスⅦ組の諸君、事態の真相究明に尽力してくれて感謝する。ゼンダー門の主として、この言葉を送らせてもらおう」

 

「ありがとうございます。ゼクス・ヴァンダール中将閣下」

 

 代表してリィンが深々と頭を下げた後、一行は黄昏時となった高原をゆっくりと馬で走りながら、ノルドの集落へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「作戦は失敗、っと。まぁこうなるだろうなーとは思ってましたけどねー」

 

 

 高台の上、五人の少年少女を乗せた四頭の馬が集落に向かって走って行くのを浮かべながら、ルナフィリアはそう独り言ちた。

 

 今回の本来の任務は”ノルド高原における作戦の結末を見届ける”事。レイを助けたのは彼女の上司からの命令であり、正式な任務という訳ではなかった。

作戦が成功しようが失敗しようが、彼女は傍観者でなければいけなかった。それでも、この大高原が戦火に塗れなくて良かったと心の中で思うくらいには、この場所を気に入っていたのだ。

 

 250年前、ドライケルス・ライゼ・アルノールが≪獅子戦役≫の折に挙兵した場所。

ルナフィリアの上司、のその又上司である≪結社≫の第七使徒。≪鉄機隊≫に所属する者達が無二の忠誠を永劫誓い続ける結社最強の騎士。そんな人が盟約を交わした人物が決起した場所なのだ。思う所がないわけがない。

まぁルナフィリアの場合、ただ単純に景色や雰囲気が気に入ったという、そういう意味合いも含まれているのだが。

 

 

「まったく、超過任務させられたんですからボーナスくらい欲しい所です。生憎と私は筆頭みたいに”マスターからのお言葉がいただければ他には何も要りませんわ‼”とか言える程ストレートに育ってないんですよ」

 

 忠誠心が高い騎士とて、褒美は必要だ。幾ら主からの寵愛を受けているとは言え、貰えるものが貰えなければ弱体化してしまう。

隊の中では幾分冷めている、という自覚はある。それは間違いなく彼女が上司から受けた影響のせいなのだが、それは考えない事にした。

 はぁ、と一つ息を吐き、再び眩い西日に目を向ける。

 

「まぁ、でも一度槍を賜って忠誠を誓った騎士としてこの考えはどうなんだろうなーって思う時もあるわけなんですよ。そこのところ、どう思います?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――元『結社』執行者No.Ⅸ ≪死線≫のクルーガーさん?」

 

 

 

 

 

 シン、と空間が軋む音が鳴る。

 

 同時に、ルナフィリアの首筋、手首、足首に絡みつく鋼の糸。僅か数瞬の間に拘束された彼女は、しかしそれでも笑みを崩さない。

そしてそれを行った当の本人は、苛烈な捕縛技を披露した後にも関わらず、メイドとして動くいつもの楚々とした態度のまま、姿を現した。

 

 

「―――いつから気付いておられたのですか?」

 

「いやー、ついさっきですね。相変わらず気配完璧に消されたら間合いに入られるまで絶対気付かせないとか、チートにも程があります」

 

 というか気付いてなかったら一人語りとか寂しい事するわけないじゃないですかー、と、言いながら、右の中指を軽く動かして、愛槍を手元へと呼び寄せる。

その後、一瞬だけ裂帛の声が響いた後に数閃の軌跡が生まれ、体を拘束していた鋼糸が全て断ち切られる。西日に反射されながら断ち切られた状態で舞う糸を眺めながら、しかしシャロンの表情は驚愕には染まらない。

 

「お見事ですわ。一層武芸に磨きがかかったようで」

 

「これくらい出来ないと副長の補佐なんて務まりませんよ。それに、全盛期のあなたなら私を捕まえた瞬間に細切れの刑確定でしょう? 助けて貰った身の上で威張れるほどバカじゃないですよ、私は」

 

「うふふ、レイ様の命を救って下さった方にそのような事は致しませんわ」

 

 スカートを軽く持ち上げ、麗しい礼を一つする。その姿に戦意はないと判断したルナフィリアは、愛槍を再び背に戻した。

 

「改めてお礼申し上げますわ。レイ様の窮地に駆けつけて下さり、誠にありがとうございました」

 

「……まぁ、仕事でしたし、レイ君には色々とお世話になりましたからねー。というか、レイ君ラブなのはあの時からずーっと変わってないんですか?」

 

「えぇ、勿論ですわ。契るならばあの方以外には有り得ないと、ずっと募らせておりますから」

 

「……今のレイ君なら年齢的に見ればギリショタコンのレッテル張られないです、よね?」

 

「ご安心くださいませ。レイ様以外の殿方を想い慕う気はありませんので」

 

 職業上の莞爾な笑みの中に混ぜられた本音に、ルナフィリアは思わず苦笑した。

彼女自身、レイを同僚として慕うことはあっても異性として慕った事はない。いや、そもそも恋愛感情を抱いたことすら今までないのだから、シャロンの気持ちを本当の意味で理解するのは不可能だ。

ただそれでも、彼が多くの異性に慕われる理由は何となく分かる。目の前の女性も見事に”落とされた”一人なのだ。その想いが今のままでは叶わないと知っていても。

 

「相変わらず深い愛ですねー。レイ君も幸せ者です。…………それで? 私に礼を言いに来ただけではないんでしょう?」

 

 核心を突くのであろうその一言にも、シャロンは表情を崩さない。いやまったく見事なものだと感心していると、ゆっくりと、彼女は首肯した。

 

 

「はい。≪結社≫とは縁を切った身でこのような事をお聞きするのは僭越であると承知していますが、どうか一つだけ、教えていただけませんか?」

 

「質問によりますけど、いいですよ。まんまと捕まった捕虜への尋問的な意味で答えます」

 

「では――――――レイ様を襲った狼藉者、≪結社≫』の手の者で相違ありませんか?」

 

 

 圧が掛かった。

 

 言葉や態度の物腰は低いものの、そこには一切の虚偽を許さないと言い張っているような圧力がある。

それに押し潰されて狼狽えるほど未熟者ではないが、冷や汗が一筋、頬を伝って滴り落ちた。思わず、先程切り裂いたはずの鋼糸が再び殺意を持って巻き付いてきたと、そう錯覚するくらいには恐れを覚えた。

 

「……何故、そう思ったんですか?」

 

「単純な話です。様々な劣悪な状況が重なったとはいえ、レイ様に瀕死の一撃を与えられる方が、ただの猟兵崩れ、ただの武装集団の一員であるはずがございませんので。それが叶うとすれば星杯騎士団の≪守護騎士(ドミニオン)≫か、≪結社≫の執行者クラスの実力を持つ方に絞られます。前者は有り得ないと判断しましたので、後者に的を絞らせていただきました」

 

「成程。推理としては妥当ですね」

 

 一拍置いてから、ルナフィリアは言葉を続ける。

 

「確かに、≪結社≫の手の者に相違ありません。流石に個人名まで教える事は出来ませんけど」

 

「えぇ。(わたくし)としてもそこまで貪婪(どんらん)に迫ってルナフィリア様を困らせる気は毛頭ございません。―――≪鉄機隊≫からの派遣、というわけでもないとお見受けいたしました」

 

「私みたいな擦れた人間ならまだしも、ウチは正義感強い人が多いですから」

 

 ―――向いてないんですよ、悪の組織への加担とか。

 その一言で納得したのか、シャロンは再び深く一礼した。

 

「お答えいただき感謝いたしますわ。願わくばルナフィリア様と戦場にて邂逅しない事を、このシャロン、祈っております」

 

「それはお互い様です。―――クルーガー一族の最高傑作と言われたあなたと戦り合うのは、少しばかり荷が重いですよ」

 

「ご謙遜を」

 

 本音ですよ、と言いよどみ、一瞬だけ視線を移ろわせる。そして戻した時、そこに従者の姿は見えなかった。

面白い、とは思う。レイと対立する事になれば、彼女も共に敵に回る事だろう。元執行者と戦える機会が生まれるというのは、ルナフィリアにとっては本来なら歓迎すべき事だ。

 だが、彼女は違う。愚直に鍛え上げた武芸ではなく、闇に紛れて確実に標的(エモノ)を仕留めるために研ぎ澄まされた技を持つ稀代の暗殺者。騎士として戦うのならば、あまりにも相性が悪い相手だ。

そんな人物が、惚れた男のために”本職”に戻って敵対する。それを考えただけで背筋が寒くなった。

 

「(くわばらくわばら……変なちょっかいは出さないのが吉ですねー)」

 

 ともあれ任務は達成した。これ以上のちょっかいは御免だと、ルナフィリアも早々にその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し離れた場所では、宴会の喧騒と篝火の光が煌々と照らされ、賑やかな様相を呈している。

 

 ノルド高原の平穏が守られた事、加えてⅦ組A班の面々が功績を挙げた事を祝して行われているその宴会はまさに(たけなわ)といった賑やかさを見せており、数時間前までの緊張感が嘘であるかのように、老若男女問わず盛り上がっていた。

 

 

 そんな中、集落から少し離れた丘の上で、宴会を抜け出してきたレイと、夕方にシャロンと共に到着したばかりのサラが満月を見上げながら立っていた。

 

 

「―――成程、その≪G≫って奴と≪X≫はラクリマ湖畔の南端で仲間と落ち合って撤退した、と」

 

「えぇ……ラインフォルト社製の新型高速艇を使ってね。ち、因みにシャロンに聞いてみたけど、製造記録には残ってない型らしいわ」

 

「フン、もう既に結構深いところまで入り込まれてるみたいだな。それに、そいつらも今回ただ失敗したわけじゃないだろうよ」

 

 結果的に、武装集団を使った工作による帝国・共和国両軍の戦争は回避された。その結果だけを見れば目論見は阻止できたと言えるだろう。

だが、長い目で見ればこの結果を以てめでたしめでたし、とは行かない。≪G≫とやらの本来の目的は見えてこないが、今回の事件でその仲間も含めた組織が侮れないレベルの経済力・影響力を有しているというのが分かった。なまじ『結社』の人間が関わっている時点で、ただの愉快犯でないという事は明確だ。

恐らく今回の一件だけで手を引く、などという事は有り得ないだろう。今後もどこかで事件を巻き起こす可能性が高い。

 

「(≪結社≫が『計画』を帝国で進めようとしてるのは大体分かって来たが……表立って執行者が動いてないって事はまだ潜伏期間って事か。……チッ、外部の組織を操り人形に仕立て上げてカモフラージュするつもりか?)」

 

 そうだとしたら、厄介な事極まりない。『結社』が煽動して練られた綿密な『計画』を今の時点で看破するのは流石に厳しい上に、レイにはそれを他人にリークできない強力な”呪い”が掛かっている。

 自由に動けず、見えない鎖で雁字搦めになっている自らの状況を改めて理解し、罪悪感から少しばかり吐き気を催した。

 

 

「……まぁ、ここで俺達が考えても仕方ねぇ。ちっと伝手を頼りに情報集めたりはしてみるけどさ」

 

「え、えぇ。そうしてもらえると助かるん……だけ、ど……」

 

 そこで初めて、サラの口調が妙にしどろもどろになっている事に気付き、振り向いてみる。すると、そこには僅かに肩を震わせて俯くサラの姿があった。

 

「おい、どうしたよ。具合でも悪いのか?」

 

「――――――タの……でしょうが」

 

「?」

 

「アンタのせいでしょうがッ‼」

 

 悲痛とも思えるその叫びがレイの耳に入った瞬間、体が暖かいものに包まれる。それが抱きしめられた感触だという事を理解したのは、数秒後の事だった。

 

「お、おいサラ? 何を―――」

 

「アタシがっ、アンタが死んだかもしれないって連絡された時にどれだけ心配したと思ってんのよッ‼」

 

「っ――――――」

 

 抱きしめられている状態のためにその表情を窺い知る事は出来ないが、彼女は、恐らく涙を浮かべているのだろう。気の強い彼女が、滅多な事では晒さないその感情を、今自分は受け止めてしまっている。

『結社』の思惑も、抱いていた罪悪感も、その瞬間に霧散してしまう。

 そこで思い出す。自分があの瞬間、一瞬ではあるが死を覚悟した事を。残す人間の事も考えずに、無責任に死にかけたのだという事を。

 

 

「……あぁ。悪かった。心配かけたな」

 

「本当よ。まったく……アンタが、簡単に死にかけてんじゃないわよ」

 

「すまん」

 

「アタシを地獄から引き上げた癖に……先に死ぬとか絶対に許さないわよ」

 

「……善処する」

 

「だからッ‼――――――」

 

 煮え切らない返事に声を荒げ、レイの肩を掴むと強引に顔を引き寄せた。

レイの目に映ったのは、目尻から涙を溢しながらも意志の強い目で自分を睨み付けているサラの姿。月に照らされている彼女はいつもは決して見せない”女”の顔を見せており、不覚にも心臓の鼓動が少しばかり早くなる。

 

「アンタは死んじゃいけないのよ‼ アタシや、シャロンや、クレアの命を救ったアンタが、アタシ達の恩返しを受け取る前にいなくなるなんて―――そんなの、そんなの認められるわけないじゃない……」

 

「…………」

 

「アタシが前に言った事、忘れたの? アンタには、幸せになる権利がある。アタシ達が、アンタを幸せにしてみせる‼ 例え今は無理でも、いつかきっと‼ だから―――」

 

 

 息が、止まる。

 

 以前は額に押し付けるだけが限界だった唇を、今度は想い焦がれた男の唇に触れ合わせた。

もう絶対に逃がさない。もう絶対に自分から堕ちる事なんて許さない。自分の知らないところで、死にかける事なんて許さない。それらの想いを詰め込んで、真正面からレイにぶつけた。

 じっくりと一分間、感情の奔流を流し込むと、どちらからともなく唇を離す。月光に照らされた銀色の線がアーチを描き、二人の間に広がった。

 

 

「―――もう、いなくなったりしないでよ。死ぬんならアタシも一緒に連れていきなさい。そのくらいの覚悟は出来てるんだから」

 

 死ぬのなら自分も道連れにして行けと、躊躇いもなくそう言い放つサラの姿はどこまでも澄み渡った美しさがあり、レイは一瞬呆けたが、すぐに優しく笑った。

 

「参った。あぁ、参ったよ。クソッ、馬鹿にも程があるだろうよ、俺。自分で先走ってミスって死にかけて、挙句の果てに女を泣かせるだ? あぁもう、情けなさ過ぎて逆に笑えてくるわ」

 

 本当は分かっていたはずなのだ。自分が死ねば自分を慕ってくれている女性たちがどう思うかという事を。

だがそれを想像する事すら今の自分には罪な事だと、またもや自分勝手な言い訳で自分を縛り付けて、その果てに泣かせたのである。

いつもは毅然としているサラを、酒が入っても曝け出す事のない本音を吐露させるまでに追い詰めてしまった。それが情けなさ過ぎて、レイは頭を掻き毟った。

 

 

「……なぁ、サラ」

 

「……何よ」

 

「多分さ、俺はこれからどうしようもなく落ち込む時があると思うんだわ」

 

「そうね」

 

「みっともなく足掻いて、どうしようもなくなって沈み込んで、抜け出せなくなる時があるかもしれない」

 

「うん」

 

「その時はさ、引き上げてくれよ。俺がお前を引っ張り上げた時みたいに、助けてくれ」

 

 トン、と。

サラの肩に顔を乗せて、いつもより力のない声でそう言うレイ。

 

 気を張っている、というのは分かっている。リィン達がいる手前、弱音など吐けず、いつだって飄々としていて泰然自若とした態度で振る舞わなければいけない。

何故なら彼は”強者”だからだ。Ⅶ組(彼ら)を引っ張っていける人間だからこそ、躓いてはいけないし、弱く在ってはいけない。

 そんな虚栄を、どれだけの月日の間張って来たのだろう。士官学院に来る前、準遊撃士でありながらA級遊撃士にも匹敵すると言われていたあの時からか? 否、その前からだ。

世界の闇に潜んで復讐のために刃を研ぎ澄ませ、何度も何度も己の手を血で染め上げて来たあの時からだ。

 

 本当は泣きたい時もあったのだろう。誰かに縋って泣き崩れ、もう嫌だと声高に叫びたい時もあったに違いない。

 

 しかし世界は非情にも、枷を背負い、鎖で繋がれ、楔を打ち込まれた彼にそれを許しはしなかった。

そしてこれからも、彼は前に進まなければならない時がある。投げ出さずに踏ん捕まえて、向き合って打ち破る障害を前にする時が来る。

 

 悔しい、本当に悔しい事だが、自分一人では倒れようとするレイを支える事は出来ないだろう。それだけ彼の背負ってしまったものは重く、そして苦しいものなのだから。

 でも今だけは、自分一人で受け止めてあげたい。長く生きた年上として、そして何より彼に焦がれる女の一人として。

 

 

「……任せなさい。絶対に助けてあげるから」

 

 

 その声は直後に吹いた西風に煽られて、淀みのない星空へと溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うふふ、おめでとうございますサラ様。……今だけは、レイ様のお心をお一人で受け止めて差し上げてくださいまし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ありがとうございます。これにて第三章が終了でございます。

気がつけばもう35話目。ご贔屓にして下さっているユーザーの皆様方には頭が下がる思いです。


次回から第四章……なのですが、例によって日常譚が数話ほど。
いやー、また長くなりそうです。




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第4章
兄妹の絆


フィーちゃんデート回。


期待していた人はご堪能ください。


 

「わたしも、わたしもつれてって」

 

 

 そう言ったのはいつの事だっただろうか。うだるような暑さの夏の日だったかもしれないし、凍えるような寒さの冬の日であったかもしれない。

 嘘だ。本当は全て覚えている。あれはまだ冷たい風が吹きすさぶ初春の出来事。彼が4ヶ月という契約期間を終えて去ろうとした時に、その少女は、袖を掴み、彼にしか聞こえない声でそう言ったのだ。

 

 その時の彼女は、今よりも子猫のように小柄で、そして危うかった。

それでも少年は、優しく微笑んで少女の頭を撫でると、しゃがみこんで視線を合わせ、こう言った。

 

「また会える。きっといつか、な」

 

 それはただの口約束だ。信用に足る証文など、何もない。

それでも少女は笑った。また会える。またこの少年と一緒に過ごせるのだと、嬉しくなった。

 そのために強くなった。強い彼の隣を歩いていても恥ずかしくないように、自分を守ってくれている家族の役に立つために。

何度も何度も人の死を見て来た。幾度も幾度も戦場を駆け抜けて来た。そうしていつの間にかついた二つ名が≪西風の妖精(シルフィード)≫。快楽と憎悪と醜悪さが坩堝の如く混ざり合う場所に在るには、あまりにも澄んだ名前。

 否、或いは家族がそれを望んだのかもしれない。

この無垢な少女がいつか幸せを掴めるようにと、そう願った末の名前。今考えれば、本当に愛されていたのだと理解できる。

 

 だから、その日常が壊れた日に、彼女もまた壊れそうになった。

何で自分を置いて行ってしまうのか。何で何も言わずに姿を消してしまったのか。捨てられたのか? いらなくなってしまったのか? ―――そんな想いがそんなわけがない、と否定する自我を押しのけて心を侵していく。

 しかし再び心を閉ざしてしまいそうになったその直前に、望んだその時はやってきた。

 

 

「―――ったく、酷い顔してやがんな。ほら、起きろよ(・・・・)。行くぞ」

 

 

 わしゃわしゃと頭を撫でられ、手を引かれた瞬間に、自分の世界に色が戻った。白黒(モノクロ)に支配されていた視界が戻った直後に見たのは、特徴的な銀髪交じりの黒髪と、右目を黒の眼帯で覆った、3年前から姿の変わっていない少年の姿。

 そんな少年と元A級遊撃士の女性に手を引かれて連れられて、フィー・クラウゼルの第二の人生の幕が上がったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はずっと一緒にいて。それだけでいいから」

 

「珍しく早起きして来たかと思えば何だ」

 

 

 時刻は早朝6時。リィン達を朝練(という名のシゴキ)で鍛え上げた後に第三学生寮の玄関を開けて戻って来たレイを待っていたのは、にがトマトが六匹集まって合体してギガにがトマトに変身するくらいの珍しい確率で早朝起床をしていたフィーだった。しかもその目はいつものように眠たげに半分閉じられたそれではなく、無表情ながらも何かを期待してソワソワするような歳相応な感情が滲み出ている。

 

「何って、忘れたの? 中間試験のアレ」

 

「……あー、アレか。実習でゴタゴタし過ぎてて忘れかけてた。スマンスマン」

 

 思い出したのは、先月の中間試験の際、勉強に対して致命的なまでにモチベーションが上がらなかったフィーを元気づける起爆剤的な意味合いで交わした約束。

 即ち、”学年50位以内に入れば何でも一つ言う事を聞いてやる。あ、ただし肉体的・社会的に抹殺される恐れのあるヤツ以外な”というものであり、それを聞いたフィーは―――化けた。

普段使わない脳をフル稼働させて歴史の単語、数学の公式、軍事学の陣形、美術史の年号、政治経済のパターン、語学の知識などを徹底的に頭に叩き込み、そしてその結果、50位以内どころか30位以内、学年23位という快挙を果たしたのである。

惜しむらくは恐らく短期的な記憶力だけをフル稼働させていたので今同じ問題を解かせても目も当てられない結果になるだろうという事なのだが、それ以来エマの指導の下、以前よりかは精力的に学業に取り組むようになったために結果オーライと言えば結果オーライなのであった。

 

 勿論レイは、その約束を反故にする気はない。

一時的とはいえ限界を超える本気を見せて成績上位者に食らいつくという偉業を成し遂げたのである。となれば、兄貴分である自分が対価の願い事を守らないわけにはいかない。

故に多少無茶な願い事でも叶える覚悟は出来ていたのだが、フィーの口から出て来たのは割とあっさりとした要望だった。

 

 

「そんなんでいいのか? 服とか色々買ってやるぞ?」

 

「私が興味あると思う?」

 

「思わない」

 

 戦場生まれの戦場育ち。現在では価値観のズレは随分と解消されたのだが、まだまだ年頃の女子に比べれば欲しがるものなどが異なる部分がある。

とはいえ、異性である上に自分も歳相応らしくない価値観を持っていると自覚しているレイはその事に対して偉そうにアドバイスなど出来るはずもなく、そこいらの教育はエマやアリサに丸投げした。

 

「じゃあ、アレだ。スニーカーぐらいは見に行こう。それならお前も少しは興味あったろ?」

 

「……ん。それじゃあ朝ごはん食べてからレッツゴーで」

 

「あいあい。お供させていただきますよお姫様。―――と、その前にシャワー浴びさせろ」

 

 コクリ、と小さく頷くフィーの反応を窺ってから二階へと上がっていく二人。

 

 そんな時、一階の管理人室の中では―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっとシャロン、準備はできてるんでしょうね?」

 

「うふふ、抜かりはありませんわサラ様。この日のために取り寄せたラインフォルト社最新鋭のビデオカメラをご用意いたしました」

 

「アレ? ウチってこんなもの作ってたかしら?」

 

「それで? 撮影は誰が担当するんですか?」

 

「シャロンでいいんじゃない? お願いできる?」

 

「畏まりましたわお嬢様。このシャロン、寸分も抜かりなくお二人の一日を撮影させていただきます」

 

 

 保護者&教育人が、作戦の最終段階を練っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう言えば、とレイはトールズに入学してからの事を思い出す。

 

 

 学業への集中やリィンを初めとしたⅦ組の強化訓練、技術棟でのバカ騒ぎや学生寮での炊事当番などが重なって、フィーと二人きりで過ごした時間というのは思ったよりも少なかった。

それ以前、即ち団から抜けたフィーをサラと共に保護してから入学式までの数か月間は成り行き上ずっと一緒にいたものだったが、最近では特別実習などもあって休日もあまり共に過ごしていない。

それでも学院の昼休みなどに同じベンチで昼寝をするなど仲は良好なのだが、距離感という点においては確かに広がったとは思う。

 

 だがそれは、フィーにとっては良い兆しであるとも言える。狭い交友関係の中だけで依存をせず、友人の輪を広げて行くのは正しい事だ。

ああ見えてフィーは、他人とのコミュニケーション能力が低いわけではない。他人を気遣える優しい心の持ち主だし、そんな彼女が普通に接していれば、自分から徐々に離れていくのも仕方のない事だろうとレイは思っていた。

 可愛がっていた妹に彼氏が出来た兄、というような何とも形容し難い感情を一時は味わっていたレイであったが、それにもすぐに慣れた。このまま過去も振り切って生きてくれればとも思うのだが、流石にそれが叶うのはもう少し先のようだ。

 

 

 

「店員さん、スニーカーってある? できればストレガー社製」

 

「あ、はい。ありますよー。少々お待ちくださいね」

 

 トリスタ商店街の中にあるブティック、『ル・サージュ』。

本店は帝都に存在する店ではあるのだが、品揃えは良く、町の人のみならず学生も足繁く通う人気店。そこをレイとフィーは訪れていた。

折角の休日、トリスタを離れても良かったのだが、フィーの「ゆっくりできない。メンド臭い」という要望に応えてトリスタ市内だけで一日を過ごす事となった。

 そんなフィーは店内に入るや否や店員に迷う事無くそう言葉を掛ける。相変わらずだなと苦笑しながらも、店員が帰ってくるまで二人で待つ。

 

 フィーが普段から愛用しているのが、そのストレガー社製のスニーカーである。軍事用の服飾を販売しているという訳ではないが、センスの良いデザインと悪路を走破しても十年は保つと言われる耐久性を売りにして人気を博している。女子が興味を持つにしては些か色気に欠ける物だが、以前に比べれば大分マシになったと言える。

 

「はい、こちらの四点がストレガー社製の新作のスニーカーですね。試着の際はまたお呼び下さい」

 

 そう言って商品を持って来るや否や、あっさりと商品説明もせずに後ろに下がる店員。しかし、それは正しい判断だった。

フィーを横目で見やると、既にスニーカーを持ち上げたりして心なしか爛々とした目で新作を見定めている。こういった客に対して長々と説明を述べるのは無粋であるし、何よりウザったく感じてしまう。

レイは何度かこの店を訪れた事があるが、観光客や女子力の高い学生などが服選びをしている時は積極的に話しかけて上手く売り込んでいたりする。そしてフィーに対しては、その態度が逆効果であると判断したのだろう。

 その慧眼に敬意を評して軽く頭を下げると、清々しい営業スマイルを返してくれる。本当に、トリスタに集まる店舗は皆一様にレベルが高い。

 

「ねぇレイ」

 

「ん?」

 

「こっちの銀色のやつと、赤のやつ、どっちがいいと思う?」

 

 どうやら二つに絞ったらしいスニーカーを促されるままに見比べる。

デザインは二つとも優秀と言える。機能性を重視しながらも購買者の意欲を刺激し、かつ媚びすぎない絶妙のラインだ。問題は色。

 銀色の方はいわゆるメタリックシルバーと呼ばれるもので、フィーの髪の色などと照らし合わせれば合っているとも言える。少々色合いはキツめだが、あまりこの少女は気にしないだろう。

 対して赤色の方はキツい色合いのものではなく、どちらかと言えば臙脂色に似た落ち着いたものだった。普段制服しか着る事のない身の上だが、この色合いならば制服にも合うだろう。

 

「お前はどっちが好きなんだ?」

 

「迷った。迷って迷って決められなかったからレイに聞いてみたの」

 

 そりゃそうだ、と自分自身にツッコミを入れながら、見比べる。

フィーはスニーカーの複数個同時購入を好まない。それは金銭的な理由というよりかは「かさばるからイヤ」という如何にも戦闘員らしい考え方なのだが、未だにそれは変わっていない。

 

「俺は、そうだな。こっちの赤の方が良いと思う。これを履けば、お前も少しはお淑やかに見えるんじゃないか?」

 

「……むぅ、一言多い。―――でもまぁ、悪い気はしない、かな?」

 

 どこか言いよどんだような声でそう言うと、銀色の方を脇に寄せて赤の方の靴を手に取った。そしてそのまま試着を済ませて購入を決める。

 

「お会計、9300ミラです」

 

「えーっと……」

 

「10000ミラで。お釣り下さい」

 

 財布を取り出そうとしたフィーに先んじて、レイが紙幣をカウンターに置く。少し驚いたような表情で見上げてくるフィーに、レイは当然と言った表情のまま言った。

 

「阿呆。お前へのご褒美で一緒にいるんだ、俺に払わせろ。妹分の買い物に付き合う甲斐性くらいはあるんだよ」

 

「え……あ、う、うん」

 

 見た目通りのあどけないそれではなく、異性の心を揺さぶるような笑顔。

なるほど、サラやシャロンたちはこの表情にやられたのかと、普段は絶対に働かせない類の勘を動員してそう当たりを付ける。同時にどこか面白くない感情が芽生えながらも、まぁしょうがないかと早々に諦めた。

 

 

 

 レイがフィーの事を妹分として見ているように、フィーもレイの事は実の兄のように想っている。だがその思慕の念は文字通り兄に向けるそれであり、それ以上ではない。

自分に向けられる”妹”への好意に照れる時はあるし、素直に嬉しいとも思う。何だかんだと言いながらも、面倒を見てくれるようになってからこの方、匙を投げて放り出された事は一度もない。

 フィーは、自分が戦いの場以外では怠惰になるという自覚があった。それこそ戦場で活躍して生き残る事だけを考える人生を送って来たのだからそれはある意味しょうがないのだが、そんな自分にもレイは根気よく話しかけてくれたのを覚えている。

 

 

―――おいおい、んな味気ない保存食ばっか食ってんじゃねぇよ。ホラ、スープ作ってやったからこれ飲んで体温めろ。

 

 

―――お前よぉ、だからグレネード弾の箱の上で寝るのやめろって言ったじゃねぇか。下手したらお前体吹っ飛ぶぞ?

 

 

―――おおぅ、お前何してんの? え? 魚捌こうと思った? 銃剣で? ちょ、もう既に生臭ぇんだけど。あぁ、ホラ、ちゃんと包丁使え。

 

 

―――寝るなぁ‼ いやホントマジ寝るな‼ 今のままじゃお前トールズ落ちるぞ⁉ スタートライン時点でムリゲー臭プンプンなのにここで本気出さなきゃヤバいって……だから寝るなぁ‼

 

 

 

 思えば随分と迷惑をかけて来たように思える。それが楽しくなかったかと言われれば否と即答できるのだが、それはあくまで自分の考えに過ぎない。

しかしそれでも、フィーはレイの傍を離れなかった。家族的な意味合いを抜きにしても居心地が良かったし、何より移り気な自分が猟兵団以外で初めて”ここに居たい”と思えた場所だったから。

 けれども、段々とその依存は薄れていく事になる。元よりレイを独占するような程に執着しているわけではなかったが、気付けばふらりと、レイとは違う行動を取る自分がいたのだ。

理由は恐らく二つ。

 

 一つは、仲の良い友人が出来たという事。

その少女はレイに負けず劣らずの世話焼きで、寮で寝坊しそうになった時や苦手な勉強などをよく見てくれている。前歴柄、物騒な感情抜きで付き合える同性というのはあまりいなかったため、そんな彼女と仲良くなるのに時間はかからなかった。今でも、その関係は変わっていない。

 そしてもう一つは、レイを自分以上に慕う人達がいたという事。

 

 例えばサラ。団が解散して拾われた時はゴタゴタしていて気付かなかったが、トールズに入学してゆっくり出来るようになってから改めて理解した。レイの事を、本気で愛しているのだと。

 例えばシャロン。一見Ⅶ組の全員に献身的に尽くしているために分かり辛いのだが、隙を見つけてはレイと二人きりになろうとしている。恐らくサラと同じ想いを抱いているのだろう。

 その他にも恐らく、恋慕の念を抱いている人物はいるのだろうと思う。これも勘だ。

なまじ自分がそれ(・・)には至らなくとも親愛の感情を抱いていたから分かる。彼女達が自分よりもずっとずっと前からレイに想い焦がれていて、自分はそこに割り込んだ形になるのだと。

 だから思い返してみる事にした。恐らく自分が拙いながらに心配して距離を取ろうとしたところでレイはきっと気付くだろう。「んな事気にしてんじゃねぇよ」と笑って言いながら、こちらの決心を鈍らせてくるに違いない。そもそも、彼の優しさにどっぷりと浸かってしまった今、離れようにも離れられないだろう。

 

 でも、離れずとも甘えないようにする事は出来る。今自分がラウラとの間に生じさせてしまった溝を埋めるのにレイの助けは使わないつもりで、解決しようとしていた。

ただやはり、難しいものは難しい。そうして特別実習中に悩んでいる内に、ふとレイに甘えたくなってしまったのだ。

 

 

 

「……ごちそうさまでした」

 

「ごちそうさまでした、っと。ふぅ、やっぱここのオムライスは美味いわ。マスター、サンキュー」

 

「おう。というか今日はアレか? 兄妹でデートってか?」

 

「間違っちゃいない。これが案外楽しかったりする」

 

「ほー。それじゃあ勘定は兄貴の方に請求でいいのか?」

 

「もち」

 

 喫茶『キルシェ』にて少し遅れた昼食を済ませると、フィーは注文していたメロンソーダをストローで啜りながら、ふとレイの姿をじっと見てみる。

 

 変わっていない。性格の話ではなく、その外見が、だ。

 出会ったのは3年前。あまり発育が良い方ではないフィーですら3年もすれば身長も伸びるし、少しずつではあるが女性らしく成長もしている。

だがレイは、その変化が見えない。身長は160センチに至るか至らないかといったところで、中性的な顔立ちは黙っていればあどけなさを感じさせる。恐らく初見で彼を17歳だと見抜ける者は少ないだろう。何せ外見上は13、4歳くらいなのだから。

 その姿のまま、彼は生きている。決して栄養失調という訳でもないというのに、フィーの目から見た限りでは成長しているようには見えない。

恐らく何か理由があるのだろう。だがその”理由”を、フィーはまだ知らない。

話してくれない事を歯痒く思った事もあるが、同時に仕方ないとも思った。レイが団にふらりと現れた以前の経歴を知らない程度なのだから、話すべきではないと思われるのも当然だろう。

 

 

「……ねぇ」

 

 気付けば、口を開いていた。

 

「レイはさ、まだ話してくれないの?」

 

「…………」

 

 何を? とは返されなかった。

そういう点では誠実だ。大事な事は決してはぐらかさないし、相手が本気で問いかけてくれば、真剣にそれを受け止める。

だから、信頼されるのだろう。

 

「……知らなくても良い事だから、とは言わない。お前にだって知る権利はあるし、寧ろお前は知っておいた方が良いんじゃないかとも思ってる」

 

「でも、教えてくれない」

 

「悪いとは思ってる。言い訳はしないさ」

 

 頬を少しばかり膨らませる。

そう言われてはこれ以上は踏み込めない。フィーとてこの場で最後まで問い詰めようとしているわけではなく、レイに嫌われる可能性がある方法などそもそも取らない。

だから、ここは諦める事にした。そもそも自分には、乗り越えなくてはいけない事が目の前にある。この事ばかりに目を向けているわけにはいかない。

 

「(? ……あれ?)」

 

 そうして少しばかり安心すると、急に眠気が襲って来た。

慣れない事をした弊害だろう。睡眠時間はいつもより確実に少なかったし、いつもならば昼寝をしている時間だ。成長期の睡魔には抗いたくても抗えない。

 

「―――っと、大丈夫か? ったく、慣れない早起きなんかするからだよ。しょうがねぇ、一度寮に戻るか」

 

 そう言うとレイは、勘定を払ってからフィーを背負う。

その安心感に一気に夢への旅路を辿りそうになったが、寸での所で押し留まって声を掛けた。

 

「ん……ちょっと待って」

 

「ん?」

 

「最後でいいから、私のお願い聞いて欲しい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え? 面倒を見てやって欲しい?」

 

 

 

 

 その話を聞いたのは突然だった。

いつもの通り訓練を終えて腹を空かせた猛獣(比喩)共の欲求を満たすために大量の料理を拵えていた時、そう言われたのである。

 

「あぁ。まぁ成り行きで養子にしたとはいえ仮にも父親ぶってる俺がこう言うのも情けねぇんだけどよ。お前さんの方が適してると思ってな」

 

 簡易イスに座り、後ろ髪を掻きながらそう言うのは、身長2アージュに届こうかという巨躯の壮年の男。

僅かに髭を生やして情けなさそうに笑うその姿は娘の扱いに困る父親そのものだが、猟兵の界隈では知らぬ者などいない伝説の人物だ。

 二つ名を≪猟兵王≫。ルトガー・クラウゼルという名を聞けば、大抵の人間は震えあがる。≪赤い星座≫と双璧を張る大陸最大規模の猟兵団、≪西風の旅団≫の団長でもあるその人物は、しかし今は成り行きで世話になっているレイと視線を合わせて真剣な相談を持ち掛けているただの父親に過ぎない。

 レイはふむ、と心の中で一拍置いてから持っていた包丁を置いた。

 

「子育てとか未経験ですよ? 俺」

 

「まぁそうだろうがな。お前さんは面倒見も良いし、何より場に馴染むのが早い。まだウチに来て1週間くらいだってのに、もう古参みたいに振る舞ってんじゃねぇか」

 

「同じような連中のケツ蹴っ飛ばしてたもんで」

 

「ガハハッ‼ マジでウチに欲しい人材だが……まぁその事は今はいい」

 

「確か―――フィーでしたっけ」

 

 一つ、頷く。

 

「あぁ。こんな場所のせいだろうが、同じような年頃の人間と話す機会がなくてな。ちっとばかり心配なんだよ」

 

「まぁほっとくとゼノ辺りが変な事吹き込みかねないですからねー」

 

 味見用に掬ったスープを啜る。

 一時この猟兵団に変な因果で身を寄せてはいるものの、正式に所属しているわけではない。断ろうと思えば断る事もできた。

だがレイは、身に着けていた愛用のエプロンを取ると、手に持っていたお玉をずいっとルドガーに向かって差し出す。

 

「分かりました。それじゃ今から行ってくるので配膳とか色々お願いします」

 

「おう。―――って、オイ、ちょっと待て。あの目の前から迫ってくる砂煙は何だ」

 

「三大欲求の一つが著しく欠乏した餓鬼共です。気を付けてくださいね。油断してると鍋ごと持ってかれますから」

 

 健闘を祈ります、と言い残してダッシュする。背後で何か喚かれた気がしないでもないが心を鬼にして無視した。

 そうして団のキャンプから少し離れた場所、主に岩場などが乱立した高台の上で、その少女は一人座って夜空を眺めていた。

 

 風に靡く白いマフラーと銀髪。横顔から覗く黄緑色の瞳が、ややくすんでいるようにも見えた。

その背は、あまりにも小さい。どこか虚無感を漂わせてぼーっと空を見上げるその姿に、既視感を覚える。

そのまま歩いて行き、声を掛けないまま隣に立ってから座る。フィーはその姿を横目でチラリと一瞥はしたが、同じく声はかけてこなかった。

時間が経つこと数分。徐に、レイが口を開く。

 

「名前」

 

「…………」

 

「俺の名前、知ってるか?」

 

 てっきり無視されるかと思ったが、律儀にふるふると首を横に振った。視線は合わせないが、そんなものだろうと諦める。元より、こういう手合いの相手は慣れていた。

 

「レイ・クレイドルだ。団長からの命でな、お前と仲良くなるようにだとよ」

 

「……そう」

 

「ここで何やってたんだ? もうメシの時間なのに」

 

 再び空く、数分の間。

しかしそれを煩わしいとは思わない。夜空に煌めいている星座の形を辿りながら気長に返事を待っていると、掠れるような声が届いた。

 

「……たまにさみしくなる。たまに、パパとママがなつかしくなる。もう、いないのに」

 

「……そうか」

 

 戦争孤児、という存在は別に珍しくはない。

死ぬか生きるかという選択の全てを放り出されて放心状態のまま移ろう姿は見ていて何も思わないわけがない。そのまま野垂れ死ぬ事も珍しくはないのだ。

そういう意味では、言い方こそ悪いものの、フィーは幸運な方だと言える。拾われたのが猟兵団で、養父となった人間が伝説の猟兵という段階で既に一般とは激しく乖離しているが。

 それでも、かつて失った思い出を回顧する事はあるだろう。

もう戻ってこないと、そう知ってしまっているからこそ、それはもう思い出でしかない。嘆いたって無駄なはずなのに、思い出したって戻っては来ないのに、それでも涙を流したくなる時はある。

 

 それは痛いほど理解できた。蹂躙の炎の中、目の前で母親を失ったレイだからこそ、その感情に浸りたくなる気持ちは分かるし、同情もしたくなる。

 だが、それを口には出さない。

「分かるよ」などと言った所で、それは所詮自分の中のものでしかない。他者は他者、それぞれに痛みがあり、後悔がある。それは他人が理解し尽せるものではなく、軽々しく同情して良い物ではないのだから。

 しかしそのせいで、増々レイはこの少女を放っておけなくなった。自分もそうだが、出会った当初同じような目をした人物が、知る限り二人ほどいたからだ。

 

 一人は、故郷と愛する姉を戦火の中で亡くし、生きる意味を失いかけていた少年。

 一人は、家族に捨てられたと思い込み、心も体も凌辱され尽くされた悲運の少女。

 

 自己満足(エゴ)だと言われればそれまでだ。反論のしようもない。

レイ自身、誰かを救うなどという大層な理想を掲げるほど善人ではないし、その資格もない。だからこれは、勝手なお節介でしかないのだ。

 

 

「なぁ」

 

「?」

 

「お前さえ良ければ、話し相手にならないか?」

 

 含むところなど何もなく、提案する。するとフィーは、初めてレイの方を向いた。

 

「はなしあいて?」

 

「あぁ。友達になれとは言わねぇよ。お前が、何かを言いたい時に俺を呼べばいい。他の仲間とかに言えない事とかあるんだろ?」

 

 少し迷ったような素振りは見せたものの、フィーは小さく頷く。

 

「全部言ってみろ。何だって聞いてやる。何だったら戦い方とかも教えてやるぞ。これでも結構強いからな」

 

「……ほんと?」

 

「おう。だからよ」

 

 スッ、と右手の手の平を上に向けて差し出した。この少女にこんな悲しそうな顔はさせたくないと、ただそれだけを思って。

 

「これからよろしく頼むよ、フィー」

 

「……ん」

 

 その小さい手を、レイの手の平に重ねる。

その瞬間、気のせいだと思う程にほんの僅か、フィーの口元が緩んだような気がした。

 

「……レイは」

 

「ん?」

 

「レイは、おにいちゃんみたいだね」

 

「……マジか」

 

 そう言われたのは二度目だよと、遠くで聞こえる喧騒を聞きながら、レイは溜息をついたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 どこか遠くでカラスが鳴く声が耳に入り、目を覚ます。数度瞬きをし、ボーっとした頭で状況を確認した。

 場所は第三学生寮のレイの部屋。目を覚ましたのはベッドの上で、上半身を起き上がらせて隣を見ると未だにスヤスヤと気持ち良さそうに眠っているフィーの姿があった。

 

「(あー……そういやそうだったな)」

 

 眠っていたのは恐らく数時間程度だろう。

眠気を催したフィーを背負って帰ろうとした時に言われた最後の願い事。

 

 

 

『―――一緒に寝て』

 

 

 

 無論、疚しい意味ではない。ただ単純に添い寝をして欲しいという意味であり、それを言った後直ぐに眠ってしまったフィーを取り敢えず距離的に近かった自分の部屋へと運び、願い事の履行と自分の昼寝の両方を果たすためにベッドに横になったという所まで思い出した。

 そのせいだろうか、懐かしい夢を見てしまったという事に対して、ついつい口元が緩んでしまう。そして、フィーの頭を優しく撫でた。

 

「あの頃に比べれば、随分と表情豊かになったよなぁ」

 

 妹分の成長を再確認し、布団の中から出ようと身を起こしたが、途中でそれが止まった。

フィーの手が、無意識にシャツの裾を掴んでいる。やろうと思えば解く事は出来るが、せっかくの願い事を破棄するわけにはいかない。苦笑しながら、再びシーツの上に身を投げた。

 

「ん……んぅ……」

 

 寝息の合間に漏れる声。まだまだ子供らしさが抜けないその声に微笑ましい気持ちになっていると、その直後、フィーが少しばかり微笑んで寝言を漏らした。

 

 

「ん……おにいちゃん…………ありが、と……」

 

 

「……マジか」

 

 あの時と全く同じ言葉を口にして、驚く。

無意識の中といえどそう呼ばれた事にレイはどこか喜ばしいものを感じると、そのまま再度瞼を閉じて夢の中へと旅立って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これは予想外に良い映像が撮れましたわ♪」

 

 

 尚、寝起きであったために部屋の中でずっと気配を殺して佇んでいた撮影者には気付かず、後で死ぬほど恥ずかしい思いをする事になるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




書き切った。後悔はない(キリッ)



この作品のフィーちゃんは原作よりも精神年齢高めです。
原因? 今回隣で寝てた人に決まってるじゃないですか。



次回は技術棟での一コマを書こうと思っている今日この頃。


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喧騒への序曲


最近ダンまちのSSも書きたいなーと思い始めた今日この頃。


書くならどっちかって言うのならソード・オラトリアの方になりそう。







 

 

 

 

 

「こんにちわー。ヨルグ爺さんいるー?」

 

「おる。じゃが毎度毎度その不躾な訪問は何とかならんのか?」

 

「別に拒否るつもりもないくせに」

 

 

 ケラケラと笑いながら、銀交じりの黒髪を持つ矮躯の少年は迷宮のような造りになっている館の最奥に設置されている工房に座っていた人物に話しかけた。

 恰幅の良い体形に、口元を覆うほどに伸ばした白い髭。老体と言って差支えのない人物は、どこか御伽噺に出てくるドワーフの姿を連想させる。

ヨルグ、と呼ばれた老人は、まるで用事のついでに立ち寄ったと言わんばかりに来訪した少年を、しかし追い出そうともせず視線を作業机の上に戻す。

 

「ん? 何作ってんの?」

 

「舞台装置じゃ。アルカンシェルの新作用じゃよ」

 

「おー、贅沢なこと。≪結社≫の中でも指折りの技師に作って貰えるとは幸せだな。―――そんなに気に入ったわけ? その劇場」

 

「技師の腕前はともかく、奴らの舞台への情熱は一流じゃ。委ねられた舞台装置を余す事無く使い尽くして妥協のない作品を作り上げる。一介の技師としては腕を貸すのに吝かではない」

 

「へぇ。≪炎の舞姫≫だっけか? 爺さんがそこまで言うならいつか見に行ってみるか」

 

「おぬし、演劇なんぞに興味があったか?」

 

「別に。ただ眠たくならない劇には興味ある」

 

 適当な場所に腰かけて工具を弄りながら、少年はそう答えて背後を見る。

 数多の金具に固定され、今は活動を停止している鋼の巨人。基部が赤色に彩られたその巨大な物体は、目の前の老人が作り上げた戦略型機動兵器の旧型(プロトタイプ)。しかしその性能は第六使徒が奪い取り、改造しようとしているモノに僅か程しか劣らないだろう。

 加えて少年は、今は沈黙しているコレをただの”兵器”として見る気はなかった。これは”彼女”が愛情を注いだモノ。例え度が過ぎていたのだとしても、それは彼女の寄りかかる揺り籠に他ならない。それを、自分が否定するわけがないのだ

 

「パテル・マテルの調整はどれくらいで終わりそう?」

 

「3日、といった所じゃな。随分とパーツが摩耗しておった。一体何をやらかしたんじゃ、あのお転婆娘は」

 

「さて、な。それより、あれだ。爺さんに一つ頼みたいことがあるんだけど」

 

「何じゃ。金ならば貸さぬぞ」

 

「違う違う。ってか、分かってて言ってるだろ」

 

 スパナを手で弄び、終始笑みを絶やしていなかった少年が、一瞬にして真面目な顔になり、姿勢を正す。

その様子にヨルグが作業の手を止めると、深々と、少年は頭を下げた。

 

「…………」

 

 その姿に、ヨルグは一瞬目を見開いた。今まで彼が他人に対して本当の意味で(・・・・・・)頭を下げたのは幾度かあったと記憶しているものの、だからと言って易々とその姿を見せるほど矜持を捨てた男ではない。

 そんな彼は、先ほどまでの軽口が全て幻であったかのような口調で、ヨルグに対して希った。

 

 

「……俺が≪結社≫からいなくなった後、レンを頼む。ヨシュアはもういないし、レーヴェはこの頃リベールに行ってる事が多いから―――だから、レンがここに来たら、何も言わずに置いてやって欲しい」

 

 どこか、悲痛さをも感じさせる声。その声がどこから絞り出されているのか、その原因を知ってしまっているヨルグからすれば、それを追及することはできない。

だが、返答は決まっていた。元より、そんなことは言われずとも分かっていた事ではあったが。

 

「フン、何を言うかと思えば……当たり前じゃろう。迷い子を放り出すほど、ワシも愚かではない」

 

「……そう。うん、良かった。アイツにはまだ家族がいるからさ、いつか本当の意味で笑える日が来るだろうから……だから、それまで生きて貰わなくちゃならない」

 

 まるで自分は違うのだからと、そう言わんばかりに。

 

 だが、それを責める事はしなかった。その後悔、無念こそが彼の起源。彼が彼たりえる存在意義に他ならない。

それを慰める事はしないし、するつもりもない。それが彼の覚悟の表れなのだから。

 

 

「あー……やめだやめ。やっぱこういう雰囲気は性に合わねぇや。レンどこにいんの?」

 

「奥の部屋で寝ておる。そろそろ起こしてやってくれ」

 

「ういーっす。あ、どうせなら寝起きドッキリでも仕掛けるか。えーっと、確かここいらに空砲バズーカーが……あ、あったあった」

 

「前にもやって涙目で追いかけられたのを忘れたか?」

 

「寝る子は育つとは良く言ったモンだが昼過ぎまで寝てるアイツが悪い。どーせ夜更かしでもしたんだろうから天誅を下しに行ってくる」

 

 じゃーな、と言いながら部屋を出て行く少年の姿を、ヨルグはただ追っていた。

 

「……バカ者が」

 

 本音の上に、仮面を被る。

 弱冠13歳の少年にそうさせる事を強要させる運命を、激しく呪いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実際、二輪車って軍用車両としても使えると思うんですよねー」

 

 

 トールズ士官学院敷地内東部にひっそりと建つ小屋、『技術棟』。

元は何代か前の技術畑出身の卒業生が趣味で作り上げた秘密基地のような場所であり、代々技術部の生徒が根城としていた。そして今代、この建物の鍵を預かっているのは近年でも稀に見る優秀な学生だった。

 

 士官学院2年所属、ジョルジュ・ノーム。在学の段階で既に機械工学の権威であるルーレ工科大学からのスカウトが来ているというこの生徒は、この建物を拠点として新作の導力器(オーブメント)の開発や研究に着手しており、内部はまさに工房という体を為している。

Ⅶ組メンバーが使用しているARCUS(アークス)の調整もこの場所で行っており、その他武器の調整なども手掛けるなど活動は多岐に渡っているが、現在力を入れているのは同じ2学年のアンゼリカ・ログナーと共に共同開発をしているのは導力走行の自動二輪車、俗にバイクと呼ばれる物の開発と改良である。

 

「ふむ、軍事転用か……」

 

「防御力の高さは流石に補えませんけど、機動性なら装甲車なんかとは比べ物にならないでしょうしね。サイドカーとか付けたら将校用の乗り物としてはそこそこ重宝されると思うんですよ」

 

 フォークに刺した唐揚げを口に放り込みながら、レイは持論を伝える。それを昼食用のパンを齧りながら聞いていたジョルジュはふむ、と思考に耽る様な姿勢を見せた。

 

「仮に転用するとしたのなら……レイ君はどういった装備が必要になると思う?」

 

「そうっすねぇ……変速切替は体の別々の部位で行えるようにした方が良いかもしれません。戦場だといつ体に欠損(・・)が出るか分かりませんし、それがなくとも銃弾や砲弾が飛び交う真っ只中で故障とかしたら目も当てられないでしょうし」

 

「ふむふむ」

 

「後マフラーを弄れるようにしてチューブを手元に持って来れるようにすれば排熱を利用して極寒の場所を走らせる時に暖房代わりになったりしていいでしょうね。サイドカーの連結部分を前輪部分と後輪部分のどっちにするかどうかは、まぁ好みの問題でしょうけど」

 

 長々しく意見を語ってはいるが、本来機械工学は門外漢だ。運転免許などは年齢の関係もあって基本的に取っていないため、実際に乗ったことがないものについて当初はあれこれと意見を言うつもりはなかった。

だが、「第三者からの意見が欲しい」と頼まれてから、レイは今までなけなしに蓄えて来た導力車に対する知識などを総動員して自分なりにやってみた結果、そこそこの高評価を貰えたりしたのだ。

 無論、男としてこういうモノに興味が湧かないわけではない。寧ろ乗り回してみたいと思っているほどだが、悲しいかなレイの身長では存分に乗り回せるかどうかは怪しい所であるために、提案した事はない。

 

 

 週に二日ほど、昼食時にこの技術棟に入り浸るようになってから3ヶ月程になる。

最初はリィンに頼まれて全員のARCUS(アークス)の調整をするためにブツを抱えて赴いただけだったのだが、見慣れない開発途中だったバイクに目が行ってしまったのが運の尽きだった。興奮気味に話すジョルジュとアンゼリカにあれよあれよという間に連れ込まれ、気付けばリィンも巻き込んでちょくちょく訪れるようになってしまったのだ。

 

 

「しかしあれだね。レイ君の発想はいつも面白い。以前言っていたけれど、造詣が深いというわけでもないんだろう?」

 

「えぇ、まぁ。……知り合いに色々なものを作ってるマイスターがいるもので、影響を受けたとしたらそこからですかね」

 

「へぇー」

 

「でも今回の案はあんまりオススメしませんけど」

 

「何故だい?」

 

 本気で問うているわけではなく、こちらをどこか試すような口調で聞いてきたジョルジュに向かって、レイはニヤリとした笑みを浮かべながら答える。

 

「先輩たちが作ってるバイクはそういう血生臭い活用とは無縁でしょう? 言ってしまえば―――ロマンを求めるものだ」

 

「フフフ、良く分かっているじゃないか」

 

 レイの答えに満足したような声と共に技術棟に入ってきたのは、男装の麗人ことアンゼリカ・ログナー。

四大名門の一角である『ログナー侯爵家』の嫡女でありながら、貴族特有の傲慢さは欠片も見えない人物であり、しかし言動の節々にはやはり生まれ持った高貴さが滲み出ている変わった女子生徒でもある。

その貴公子と言ってしまっても差支えのない紳士然とした性格と竹を割ったような毅然とした言動などから、女子生徒から絶大な好意を寄せられているため、2年生の男子は肩身の狭い思いを強いられているとうのはクロウからの情報だが、実際に目の当たりにしてみるとその理由が嫌というほど理解できる。そこいらの男よりも男らしい。

 

「そう。私が求めているものはロマンだ。遮るものが何もない街道を疾走し、風を全身で浴びる爽快感‼ まるで生きているかのように鼓動する愛機のエンジン‼ 背に乗って振り落とされまいと必死に抱きついてくる可愛い女子の柔らかな肌の感触‼ それを君も分かってくれているとは……いやはや、嬉しいよ」

 

「あ、すみません。最後のはちょっと分かんないっす」

 

「ブレないねー、アンは」

 

 いつもの事ながら若干引かざるを得ないほどに語ってくるアンゼリカにレイはジト目を向け、付き合いの長いらしいジョルジュは苦笑するだけに留まった。

 彼女は男性に興味がない、というわけではないらしいが、それよりも可愛らしい女性に目がないという、これまたモテる要素に拍車をかけるような嗜好がある。似たような趣味嗜好の人物に事あるごとに女装からの撮影会を要求されてきた身としては少々トラウマものの性格を持つ人物ではあるのだが、接している内にその苦手意識も薄らいできた。

 と言うのも、ベクトルが違うのだ。

エオリアは自分が可愛いと思った対象を準ストーカー認定されるレベルまでただひたすらに愛でまくり、あわよくば着飾って更に美しさを際立たせようとするタイプ。対してアンゼリカは可愛い女子はただそこにいるだけで可愛いという持論を持ち、アプローチをかける事はあれど嫌がるような素振りを見せる女子には決して無理強いをしようとはしないらしい。まさに紳士、と言ったところだろう。

だがそれでも、最終的に求めるモノが同じだということに変わりはない。もし何かの拍子にこの二人が出会ってしまうような事があればどんな化学変化が起きるかなど想像もつかないし、何よりただ純粋に怖すぎる。

 

 幸いにしてアンゼリカはエオリアと違いレイを邪な目で見る事はないのだが、「ロマンを分かってくれる同志」認定をされてしまい、妙に気に入られている節がある。そしてそれは、リィンも同様だった。

 

 

「まぁともあれ、確かにレイ君の言う事も間違ってはいない。バイクの機動性を以てすれば戦場で活躍することも充分可能だろう。……だがね、私たちはまだ学生だ。自分たちが楽しむために時間を費やすという事をしても罰は当たらないだろう?」

 

 思わず聞いている側が赤面をしてしまいそうな程の言葉を魅力的な微笑と共に紡いだアンゼリカに、思わず頷きを返してしまう。

 

 すると、技術棟の扉が開いて、また何人かが中へと入って来た。

 

 

「うーい。お、今日も美味そうな弁当並べてんなー。どれ一つっと」

 

「く、クロウ君‼ 失礼だよっ。ゴメンね、レイ君」

 

「……何でいつもいきなり首根っこひっ捕まえられて連れてこられるんだろうか」

 

「諦めた方が良いんじゃない?」

 

 テンションが高いクロウを先頭に、その行動を窘めつつ入ってくるトワ、首のあたりを抑えて数度咳き込むリィンに、普段はここに来ることのないフィーまでぞろぞろと入ってくる。

イスが足りなくなったために女子勢とレイがそのまま座りそれぞれ他愛のない談笑をしながら弁当のおかずを摘まんでいった。

 

 因みにテーブルの上に広げられている大容量の容器に入った唐揚げ、卵焼きを筆頭とした弁当はレイの作ったものであり、昼休みに技術棟を訪れる時、不定期に作って差し入れをしていたりする。

このような惣菜の類のものを作る時もあればスイーツを作ってくるときもあり、この場所に入り浸っているメンバーにとっては実は密かな楽しみなのだ。

 

「そういえばトワ、生徒会の仕事は大丈夫なのかい?」

 

「うん。一通り終わらせたからこっちに来たんだ。あ、レイ君、卵焼き貰っていい?」

 

「どーぞどーぞ。それにしてもお前も来るとはな、フィー」

 

「おかずが食べられると聞いて」

 

「今日はたまたま俺がとっ捕まった時に近くで昼寝してたんだよ」

 

「フィー坊スゲェ勢いで跳ね起きたもんな。―――あ、テメェ、ゼリカ‼ タコ焼きは俺のモンだぞ‼」

 

「ん? あぁ、そうなのか。ホラ」

 

「? やけにアッサリ渡したな。一体何を企んで――――――辛ッ‼ ちょ、待て待て待て待てッ‼ 水、水くれぇッ‼」

 

「あ、最後まで残ってたんですか。罰ゲーム用激辛トウガラシ入りタコ焼き」

 

「何てモン混ぜてくれてんのお前⁉」

 

「アレですよ、無様に連敗記録更新中のバンダナ先輩を焚き付けようと思って用意したんですけど―――まさか自分から引っかかってくれるとは。流石先輩ハンパねぇっす(笑)」

 

「この頃俺への仕打ちが拷問レベルにまで達してねぇか⁉ なぁリィン、何とか言ってやってくれよ」

 

「直感を鍛えるためとか言って寮でやった無味無臭激苦パウダー入りのパン当てゲームよりか断然マシです」

 

「あれは酷かったよね。結局マキアスが引いてメガネ割れたけど」

 

「お前らの訳分からなさにいつの間にか口の中の辛みが引いてたわ」

 

「ん~♪ この卵焼き甘くて美味しいね~」

 

「フフッ、このハンバーグも絶品だ。見事だよ、レイ君」

 

「ありがたき幸せ」

 

「え? 何で露骨に態度違うの?」

 

「何言ってんすか。当たり前でしょそんなの」

 

「諦めてくださいクロウ先輩。慣れなきゃレイとまともに付き合う事なんて出来ませんから」

 

「もうやだこの後輩」

 

 ひとしきり語り合い、結果的にクロウだけがナーバスになった状態で放置される。

やがて昼休みも半ばを過ぎたあたりで、いつものようにレイとクロウがテーブルの対面上に座り、向き合う。もはやこの技術棟では日常的な光景だった。

 

「? リィン、あれ何やろうとしてるの?」

 

「あぁ、ブレード勝負だよ。毎回やってるんだ、あの二人」

 

 フィーの問いかけにリィンが答えていると、クロウが手慣れた手つきでカードを混ぜ始め、レイはそれをやや冷めたような目で見ていた。

 

「余裕そうだなレイよぉ。だが今日こそは勝たせてもらうぜ」

 

「上等です。今日こそ食らいついて見せてください」

 

 その布告を合図にしたかのようにカードを手元に引き、ゲームが始まる。そこで再び、フィーがリィンに問いかける。

 

「この二人って勝率どれくらいなの?」

 

「アンゼリカ先輩に聞いた話だと今まで157戦してレイの無敗。引き分け(ドロー)もなしだ」

 

「……ま、それもそっか」

 

 当たり前の事を聞いた、と言わんばかりにフィーが息を漏らす。

運要素が非常に強く絡むゲームであればともかく、相手との駆け引きが勝敗を分けるゲームを行う時、レイは途轍もない勝率を叩き出す。それをリィン達は嫌という程に理解していた。

相手の表情の機微を読み取り、戦略を予想して最短で勝利に導く手を迷う事無く打ち出す。「昔性質(タチ)と性格の悪い仲間に散々虚仮にされた影響」と本人が語るその能力は、ゲームだけに留まらず、非常時での状況判断能力に帰結する時がある。それを知っているフィーからすれば、レイの常勝不敗は特に珍しい事ではない。

 

 ブレード対戦の鉄則は、”なるべく小さい数字から順繰りに出して行く事”である。そこに”ボルト”、”ミラー”といった搦め手を組み合わせて追い詰めて行き、最終的に場に出ている自軍の数字の合計数が相手を上回っていれば勝利となる。手札は10枚。先攻か後攻かはお互い初手に山札から引いたカードの数字の大きい方になるためイカサマをしていなければ完全に運任せになる。

 最後に”ボルト”、”ミラー”のカードが手札に残っていればその時点で負けであり、また”1”のカードは相手側が直前に出した”ボルト”の効果を無効化するという副次能力がある。

手札は勝負がつくまで一切変更できないため、最初に山札から引いた時点で明暗はほぼ決まると言っても過言ではない。特に、”ボルト”、”ミラー”がない状態での勝負はかなり厳しいものになるというのが一般的な意見だ。

とはいえ、それはあくまでも客観的な物の見方に過ぎない。やりようなど、幾らでも存在する。

 

 注視すべきは相手の表情と、カードを選ぶ際の手の動き。それを見るだけで、相手が何枚逆転系のカードを有しているかが何となく分かる。

大前提として、自分と相手の数字カードの合計数に差がない時に”数字を入れ替える”能力の”ミラー”は使用しない。更に言えば、相手側が数字の大きいカードを出していない状況での”ボルト”も悪手となる。

 レイの手札にこれらの逆転系カードは存在しない。一見不利に見えなくもないが、その分戦略の幅は別方向に広がっていく。

 

 一手、二手、三手、四手とお互いに数字の小さいカードを出して行き、五手目で”6”のカードを出す。

ピクリ、とクロウの眉が動いたのを見て、レイは次の一手の思考を張り巡らせ始める。

敗北条件の一つとして、”相手の場の数字よりも、自分の場の数字の方を大きくできない場合は、たとえ手札が残っていても敗北となる”というものがある。この状況で半端な数のカードは出せない。大抵の人間は”ボルト”を持っていればそれを使用しようとするだろうし、持っていなければ”ミラー”を使用する手もある。そのどちらを使われてもいいように、最大戦力である”7”のカードではなく、あえて一つ下の”6”のカードを場に出したのだ。たとえここで相手が慎重に動いて数字カードで対抗して来たのだとしたらそれはそれで相手の決め手と成り得るカードを消費させる事に繋がるのだから、不利には働かない。

 

 躊躇なくクロウが選んだのは、”ミラー”のカードだった。

 場のカードの総数が一気に逆転する。この後に打てる手は三つ。結果的に一手前にリセットする形になる”ミラー”返し、自分が出した二手前のカードを封じることで数の有利を抑え込む”ボルト”、後はただ単純に数の大きなカードを出すだけだ。

ただし、前者の二つは今回選べないため、必然的に三番目の策を取ることになる。

自分と相手の数字の差は7。レイは大剣が描かれた最大値のカードを場に出し、総数を合わせ、仕切り直しに持ち込む。場のカードは全て撤去され、再びゼロの状態からゲームが再開される。

 通常、ゲーム後半に仕切り直しに持ち込むのは悪手であるとされている。それまで拮抗していたはずの場の数字が全てリセットされ、先攻と後攻を決める段階まで戻るからだ。つまり、再度運要素が絡む事になるからだ。

そして引いたのは、レイが”3”で、クロウが”4”。この段階でポーカーフェイスを貫き通していたレイは心の中で僅かにほほ笑んだ。

 

「(さて、と)」

 

 反撃を開始する。

先ほどクロウが躊躇う事無く”ミラー”を場に出した時点で相手の手札の中に”ボルト”はないと当たりをつけている。無論、それがブラフである可能性も充分にあるのだが、事ここに至って熟考する姿を見せる事のほうが相手に隙を与える事になりかねない。基本に従って手札の中から数字が小さい順に出していき、自分の残りのカードが二枚ずつになった所で、レイは手札にもう一枚存在していた”7”のカードを何食わぬ顔で場に出す。そこでクロウは、諦めたかのように眉を顰めた。

 

「あーくそっ、負けだ負け」

 

 ヤケクソになったように手元に残った一枚のカードを放り出す。そこには”7”の数字が書かれていた。直前の場の数字の総数はレイの方が一つ上であり、これではどう足掻いても敗北は免れない。

レイは手札に一枚残った”ボルト”封じの”1”のカードを放ると、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

「158勝目いただきました、っと」

 

「チクショー」

 

「毎度毎度ご苦労様だね、クロウ。これだけ負ければいっそ清々しいんじゃないかい?」

 

「うっせーよ、ゼリカ」

 

 目の前で繰り広げられるそんなやり取りを見ながら、レイはふと思う。

 ゲーム運びを見る限り、クロウは決して弱いわけではない。基本の戦術は心得ているし、状況に合わせて戦法を変えてくる柔軟性もある。

 だが、たまに読めなくなる(・・・・・・)時があるのだ。

 最後の最後まで”ボルト”ないしは”ミラー”を残して発動し、それを読んでいたレイに手痛いしっぺ返しを食らった時もあれば、最後まで今回のように大きい数字を残してそのまま残留して敗北というパターンもある。

本人曰く「最後に逆転劇を見せるのが醍醐味なんだよ。賭博師(ギャンブラー)ってそういうモンだろ?」らしいのだが、それにしては今回のように”ミラー”を早々に出すときもある。

 今はパターンがある程度形成されて来ているので”なんとなく”で読めてきているのだが、唐突に奇天烈な行動をとられた際には反応できなくなる時が来るかもしれない。

 深読みをしてみる。もしこれまでの対決がこちらにパターンを馴染ませるための戦いに過ぎず、機が熟したと見るや予想外の戦法で以て一勝を捥ぎ取っていく算段であったのならば―――おそらく対処できない。

 

「(賭博師(ギャンブラー)というより、道化師(ピエロ)か、それとも策士(ブレイン)か……いや、考えすぎだな)」

 

 何を熱くなっているんだ、と自分に言い聞かせ、レイは席を立つ。

そうして普段ジョルジュが使っている作業台の近くに立つと、自分用の特注ARCUS(アークス)を取り出し、開く。

そこそこ酷使しているという自覚はあるが、機能に一切の違和感はない。

 

「そう言えばレイ君、君のARCUS(アークス)だけは特注製だったよね。確かZCFからの提供だとか」

 

 徐に飛んできたジョルジュからの言葉に、レイは頷く。

 

「えぇ。お節介な人が寄越してきやがったんですよ。最初はどこの天才が作ったモンかと思ってたんですが……まぁあの技術チート一族なら作れるんでしょうねぇ」

 

 遊撃士としてクロスベル支部に所属する前に数か月程度滞在していたリベールで出会ったエプスタイン博士の三高弟の一人である老人とその娘。技術と孫(娘)に魂を売り渡したあの連中ならば大概の無茶は熱意と技術力と正体不明のナニカで貫き通すだろう。改めて考えてみると怖すぎる。

 

「しかし見事な出来だよね。これならZCFも新型戦術導力器(オーブメント)開発に一口噛んでくるんじゃないかな」

 

「……いや、今のところはそんなつもりないんじゃないですか? これだって多分依頼は受けたもののノリと熱意とプライドで作り上げたモノでしょうし」

 

 まぁ本当の意味での技術者ってそういうものかもしれないけど、と思いながら、レイはふと思い出す。

あの時は面倒くさい事を押し付けたというイメージが先行しすぎて”次会ったら殴る”という確固たる信念を持っていたものだったが、蓋を開けてみれば用意してくれた特注ARCUS(アークス)にはいろいろと助けられ、学生生活もそこそこ順調に過ごしている。だから、礼の一つくらいは言うべきなのだろうなと、心の硬さが僅かに和らいだ。

 

「(……あ、でもハリセンでぶっ叩くくらいは許容範囲内かもしれん)」

 

 クロスベル時代は暴走した連中相手によく使った品物は果たしてどこに押し込んだったかと記憶を探りながら、レイは項垂れているクロウにもう一度リベンジ戦のチャンスを与えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エレボニア帝国、首都ヘイムダル。

 

 名実ともに国内最大規模を誇るこの都市の中心には、緋色の宮殿が鎮座している。

時に政治の中心として、そして何よりアルノール皇族家が御座す場所として神聖視されている『バルフレイム宮』。その一角、皇族のみが立ち入る事を許されているバルコニーに、一人の男性が月を見上げて立っていた。

 

 肩まで伸ばした金髪は首筋の辺りで一纏めにされ、その長躯を包むのは皇族のみが纏う事を許された真紅の貴族服。

玲瓏な楽器の音色を奏でながら佇むその姿は風流人のような雰囲気を醸し出しているが、それ程無害な人物という訳ではない。

 

 

「……あら、お兄様。こんな時間にどうされましたの?」

 

 そんな彼に届いた澄み切った声に、オリヴァルト・ライゼ・アルノールは振り向いた。

夜会にて多くの貴婦人を魅了する眉目秀麗と称するに相応しいその顔には柔らかい笑みが浮かび、バルコニーへの来訪者を歓迎する。

 

「やあアルフィン。なに、今宵は良い月が出ていたから独奏に洒落込みたい気分になったのさ。そういうキミはどうしたんだい?」

 

「うふふ、お兄様と同じですわ。綺麗なお月様を部屋から見て、思わず外に出たくなってしまいましたの」

 

 口元に手を当てて、上品に笑う少女。

その姿は若干15歳ながら人々を蕩けさせる美貌を有しており、皇女としての清楚さが彼女のあどけなくも美妙な人柄を強調している。

兄と同じ蜂蜜色の髪は緩くカールして腰元まで伸びており、華奢な肢体や瑞々しい白い肌、月光に照らされて淡く輝く青い瞳、それら全てが未成熟ながらも万人に美しいと言わしめるであろう彼女の麗華な雰囲気を引き立てている。

皇位継承権を持つ実の弟共々、自国民から≪帝国の至宝≫と呼ばれ、絶大な人気を誇る帝国第一皇女、アルフィン・ライゼ・アルノールは、異母兄であるオリヴィエに対して友好的に接している。

国を愛し、国民を愛し、家族を愛する慈悲深き皇族の鑑。それは庶子であり、皇位継承権を放棄した兄に対しても変わらない。変わらず、愛している。

 

 

「あら、お兄様、その手紙は?」

 

 オリヴァルトの近くに寄って来たアルフィンは、近くに設けられていたベンチの上に置いてあった一枚の手紙に目を落とす。

するとオリヴァルトは「あぁ」と言いながら楽器を手繰る手を止め、その手紙を持ち上げた。

 

「ZCFからの嘆願書さ。以前少し変わった品を作って欲しいと頼んだ事があってね。それを扱っている当人からの感想を纏めた報告書を提出して欲しいとの事だ」

 

「あぁ―――そう言えばお兄様仰っていましたね。トールズに入学される方に特注のプレゼントを贈られるとかなんとか」

 

「中々特殊な経歴を持つ少年でね。まぁ感想は後日直接聞く(・・・・・・)として……あぁ、そうだ」

 

 そこまで言ってから、オリヴァルトは悪戯っぽい笑みをアルフィンに向けた。

 

「聞くところによるとどうやらその少年はキミのまだ見ぬ王子様と昵懇(じっこん)の間柄らしい。話を聞いてみるのもいいかもしれないよ」

 

「まぁ‼ それでしたら是非お話を伺いたいですわ♪ 最近はエリゼも恥ずかしがって中々思い出話もしてくれなくなってしまって……」

 

 見るからに上機嫌になって表情を綻ばせる妹を見て、その好奇心の旺盛さと行動力の高さは、半分しか流れていないはずの自分と同じ血が濃く流れているのだと改めて実感する。

 

 

 祭りの日は、すぐそこまで迫っている。

 

 どうやら近く再開する事になりそうな少年の姿を瞼の裏に思い浮かべながら、オリヴァルトは再び楽器を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――?」

 

「どうしたんだ? レイ」

 

「いや……何だか悪寒が……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




先日感想欄への返信で「フィーは天使。異論は認めない」と書きましたが、申し訳ありません、訂正いたします。


「フィー、トワ、アルフィンは天使。異論は認めない」


これ真理だと思う。




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信念と正道

 

 

確信した正義とは悪である

 正義が正義たり得る為には

 常に自らの正義を疑い続けなければならない

           by BLEACH 44巻 冒頭(一部抜粋)











「共和国政府との交渉は完了。ノルド高原における紛争は完全に回避されました」

 

 

 皇城『バルフレイム宮』内、帝国政府宰相執務室。

 豪奢でありながらこの部屋の主の気質を反映しているかのように荘厳な雰囲気が漂う場所に、涼やかな声が緊張感を孕んで言葉を紡ぐ。

だがその軍人然とした姿に萎縮はない。クレア・リーヴェルトにとって、この威風はもう見慣れたものであり、特段警戒すべき事でもなかった。

 

「対価として実行犯共を共和国に引き渡す事となった、か。まぁ仕方あるまい。通商会議を前にロックスミスに貸しを作ってやったと思えばいいだろう」

 

「はっ……」

 

 彼女の目の前に立っているのは、まさしく人民を率いる王の気質を有した壮年の男。

魁偉(かいい)な容貌もさる事ながら、その言葉の一つ一つが獅子が吠えるが如く心の奥底に迫ってくる。何人も抗う事を許さぬと言わんばかりの霜烈さが、その人物を称するに相応しい在り方だった。

 

 帝国政府宰相、ギリアス・オズボーン。

 腹心の部下の一人と言っても差し支えのないクレアに向き直ると、その男は僅かに笑みを浮かべた。

 

「しかし、”彼ら”の内二人は取り逃がしたまま。特にミリアムちゃんの報告にあった”ローブの人物”は危険という度合いを優に超えているのではないかと」

 

「フフ、≪天剣≫と互角に渡り合う腕前、か。あの少年も随分と特異な方向に歩んだものだ」

 

「…………」

 

 どこか少し昔を回顧するかのような声色になった自らの主を見て、クレアは心の中で歯噛みした。

 

 ≪白兎(ホワイト・ラビット)≫―――ミリアムからの報告によれば、レイは彼の地で出血多量に準ずる重傷を負っている。

何もできなかったことは仕方がない。彼の行動の逐一を把握しようと思う程傲慢ではないし、軍人である以上私情よりも命令の方が優先される。そこは割り切っていた。

 それでも、どこか振り切る事が出来ない感情があるのだ。結果的に生きていてくれたのだから安堵は出来たのだが、それでも報告を聞いた瞬間は動揺した。これではダメだ、切り替えろと、そう自分自身に何度も何度も訴えていたにも拘らず、だ。

 

「……ともあれ、遺憾ながら我々は釘を刺された状態になってしまいました」

 

「そうだろうな。このような仕込みを見せられてしまっては、我々も慎重に動かざるを得ない」

 

 猶予はあるとは言え、楔を打ち込まれた状況である事に変わりはない。

 再び”彼ら”が動くとすれば、来月に迫った帝都の『夏至祭』、そして何より再来月にクロスベルで開かれる『西ゼムリア通商会議』だろう。故、政府も常に最善の策を取らざるを得ない。

 ≪かかし男(スケアクロウ)≫―――レクター・アランドールは東に。

 ≪白兎(ホワイト・ラビット)≫―――ミリアム・オライオンは西に。

 そして要たる帝都は≪氷の乙女(アイスメイデン)≫―――クレア・リーヴェルトが守護をする。

 

「君の慧眼には毎度助けられている。今回も存分に生かしてくれたまえ」

 

「無論です、閣下」

 

 普段のクレアであれば、ここで莞爾な笑みの一つでも見せた事だろう。

しかし今は、余裕がなかった。ただ忠実に任務を無謬に遂行する駒となる。そうなる事でしか、感情の平穏を保つ方法がなかったからだ。

 

「ふむ……」

 

 それを、オズボーンは見抜いていた。

彼女の強みは類稀なる指揮統率能力と、堅実でありながら柔軟性に富んだ状況把握・判断能力。ここまで感情を封じていては、それらの強みの妨げになりかねない。

 

「……伝え忘れていた事があった。近く、オリヴァルト殿下が私用でレイ・クレイドルをバルフレイム宮に呼び出すつもりらしい」

 

 ピクリと、反応が帰ってくる。

 

「彼としても、帝都を訪れるのは久しいだろう。まして皇城の案内など、気心の知れた者でなければ無用な緊張を強いるやもしれん」

 

 その程度で恐懼するようなタマではないが、と分かってはいるものの、どこか期待を込めた眼差しを向けてくる腹心の部下を前にしてそれを告げるのは無粋だろうと言い留まる。

 

「そこで、だ。その一日、彼の警護及び案内役に君を就けるとしよう。気心が知れた仲ならレクターでも充分だが、あれは如何せん真面目に遂行はしないだろうからな」

 

「ふ、ふふ……」

 

 ゾクリとする様な笑みが漏れていた。

恐らく自重はしているのだろうが、それでもなお留まれない感情の奔流が堰を乗り越えて溢れ出ているのだろう。

 しかし次の瞬間には収まり、普段見慣れている彼女の姿に戻った。

 

「畏まりました、閣下。そのお役目、必ずや無事に務めて見せます」

 

「フフ、期待している。あぁ、できる事ならば”こちら”に引き込みたまえ。彼は私と真正面から腹の探り合いに応じるほどの胆力の持ち主だ。未だ粗さは見えるが、放ったままにしておくのは些か惜しい」

 

 その目を、クレアは知っている。

優秀な人材、磨き鍛えれば輝く原石を見つけた時の顔。”子供たち”の一人として長くこの人物と接して来たからこそ知っている。ギリアス・オズボーンと正面切って舌戦に応じようとする人物が少ないという事を。

故に欲しているのだろう。その気概、その実力。これほどの力を有していながら年齢制限という壁に阻まれて準遊撃士という枠に収まっていたのだ。幾ら前歴が前歴とは言え、あまりにも惜しい待遇である。

 

「善処いたします」

 

 高揚感を抑え込みながらそう言うと、ノックの音と共に事務官の声が届く。

そうして入室して来たのは、特注のスーツを隙なく着込んだ男性。気真面目そうな雰囲気が容姿から滲み出ているが、その表情は固いわけではなく、真剣ながらもどこかリラックスしているような様子が垣間見える。

 

 気負う様子を一切見せていないその男性の名はカール・レーグニッツ。

マキアス・レーグニッツの父親であり、帝都知事・帝都庁行政長官を務める政府の重鎮。平民出身でありながら数々の功績を打ち立てた清廉潔白な叩き上げの政治家であり、庶民派の役人として国民に親しまれる一方、ギリアス・オズボーンの盟友として『革新派』の一翼を担う重要人物でもある。

 

「失礼します、閣下。―――おや、先客でしたか」

 

「いえ、報告をしていただけですので」

 

 そう言うとクレアは、一礼をする。

 

「ご無沙汰しております、レーグニッツ閣下」

 

「あぁ。二か月ぶりくらいかな。……おや」

 

 カールはクレアの言葉にそう応えてから、何かに気付いたかのような声を出す。

 

「? 如何なさいましたか?」

 

「いや、何でもない。先月の帝都庁での記念行事の時には警備を回してくれて助かったよ」

 

「ありがとうございます。担当者にそう伝えておきますね。―――それでは閣下、私はこれで失礼いたします」

 

「あぁ。ご苦労だった」

 

 敬礼を残して、部屋から去るクレア。その姿が見えなくなった後、カールは優しげな表情を扉の方に向けていた。

 

「≪氷の乙女(アイスメイデン)≫と領邦軍の連中に恐れられているとは思えませんな。特に、今の彼女は」

 

「何か感じたものがあったかね?」

 

「えぇ。……娘が一時期浮かべていた表情と良く似ています」

 

 そう言いながらもカールはどこか複雑そうな視線を向ける。それに対してオズボーンは失笑した。

 

「案じる事はない。彼女が懸想しているのは私も良く知る少年だ。君の子息の同学年であり級友でもある」

 

「それは……奇縁ですな」

 

「全くだ。尤も、少々厄介な事情を抱えているせいで縁が実るのは遠そうではあるがな」

 

 クレアの恋愛事情を察する姿はどこか父親のような様相を呈していたが、名にし負う≪鉄血宰相≫はそれ程楽観的な人物ではない。

どこまでも苛烈に、どこまでも冷徹に、時に同朋を、時に己すらも駒として利用し尽くし結果を捥ぎ取る賢人にして狂人。それが、エレボニア帝国を西ゼムリア大陸最強の軍事国家へと発展させた男の本性である。

 

「(恐ろしい方だ)」

 

 それを理解しながら、カールは毅然とオズボーンの前に立ち、話を本題へと切り替えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――へぇ」

 

 

 未だ陽が昇りきっていない明け方。トリスタにほど近い街道の脇の開けた一角にて、感心したような声が響いた。

 

 

「俺を防御に回らせたか。成長したな」

 

「四人がかりでやっと……だけどなッ‼」

 

 レイの目の前で裂帛の気合いと共にそう叫ぶのはリィン。そして二人の間には、交差されて鎬を削っている刀があった。

 当初はリィンだけ。その後ラウラが、ガイウスが、ユーシスが加わって合計五人で行っている早朝の”朝練”。3ヶ月ほど続いているこの修練の内容は至って単純であり、”レイ一人と他四人の全員参加での乱取り”である。つまり、”四人纏めてかかってこい。心配するな、その程度で負けるほど俺は柔じゃない”という事だ。

 始めた初期はレイに刀を鞘から抜かせる事すら叶わず、無手の状態であっけなく地面に沈められていた。そこから実技教練や地獄のような”特訓”を乗り越え、漸く”剣士として”戦わせる事ができたのが1ヶ月前。

 そして今日、レイに防御の行動を取らせる事ができた。これまで悉く柳の葉のように回避され続けられて来たのだが、今回初めて鍔迫り合いにまで持ち込んだのだ。

しかし、ここに至るまで繰り出した手数は多い。

右足で抑え込まれているのはガイウスの槍。左足の靴底で防がれているのはラウラの大剣。そして左腕に握られた鞘で受け止めているのはユーシスの騎士剣。これだけの犠牲を出して漸く届かせたのだ。

 本来の戦場であれば悪手だ。レイが本気で抗うつもりなら、この状況から脱するのに数瞬も必要ない。だがそれを差し引いても、前衛組の成長に、レイは思わず口角を釣り上げた。

 

「見事だ。たった3ヶ月でここまで伸びるとはな。なら次は―――」

 

 褒めたのも束の間、闘気を僅かばかり解放して一つ上の段階に移る。

自信を封じ込めていた武器を全て弾き飛ばし、リィンの太刀を一瞬で受け流すと一回転して首筋に白刃を突きつける。

 

「この動きについて来い。今のお前らでも後衛の補助なしでここまで動ければ上等だが……この先お前らが準達人級の奴らと戦う時が来た場合、動きについて来れなきゃ死ぬだけだ」

 

 分かるだろ? と念を押され、リィンの脳裏に浮かぶのは、あのローブの人物。

勝てないと一瞬で悟ってしまったあの人物は、結局レイの力を以てしても倒しきれなかったらしい。それは即ち、”達人”の領域に至っている者、という事だ。

今の自分達では逆立ちをしても勝てない相手。それを実際目にしたリィンとガイウス、そして伝聞で聞いただけながら脅威を肌で感じ取ったユーシスとラウラは奮起した。上等だと自らを奮い立たせ、己の獲物を手に再度攻撃を叩き込む。

しかし四人の中で唯一、その攻撃に全力が籠っていない人物がいた。

 

「軽いぞ、ラウラ」

 

 本来であれば四人の中で一番重量があるはずのラウラの大剣を―――レイは両手で白刃取りする事で受け止めた。

驚愕する本人を他所に、闘気を解放する前とは比べ物にならない圧倒的な剣圧が蹂躙していく。

躱せない、受け止められない。しかしそれですらもレイの実力の一端に過ぎない。以前サラと戦った時は、これよりも更に濃密な闘気を身に纏わせて戦っていた。

 

「くっ……」

 

 結局為す術もなく全員が打ち倒され、朝練は終了となる。いつものように体力回復の呪術を施され、それぞれ反省点などを挙げ連ねながら寮に戻る、というのが通常の光景だ。

 しかし、今回は一人だけその輪の中に加わっていない。

 

「…………」

 

 ラウラだ。俯いたまま、腰に佩いた大剣をじっと見つめている。

特別実習から帰ったあたりからどうにも戦闘時の動きに精彩を欠く事が多くなり、加えて日常生活の中でもぼーっとしている時が偶にある。以前の彼女ならば、決して見せなかった姿である。

 何があったのか? とは聞かない。理由は既に分かっている。

だがそれは、当人同士の問題だ。事態がさほど切羽詰まっていない以上、マキアスの時のようにお節介にも自分から介入するつもりはない。

まぁ頑張れよと妹分にエールを送りながら、レイはまだ霧のかかっている街道を寮に向かって歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっ、ほっ」

 

 そして朝食後、レイは寮の階段を数段飛ばしで降りながら、一階へと向かっていた。

普段は寮にいる全員で揃って登校するのだが、今日はさて行こうかという時にレイがテキストを自室に忘れた事に気付き、取りに戻ったのだ。「先に行っててくれ」と取りに戻る時に告げたため、久しぶりの一人での登校となる―――となると思ったのだが。

 

「む、早かったのだな」

 

「ん? どうしたんだよ、ラウラ」

 

 一階のロビーには、何故かラウラが残っており、壁に寄りかかったまま佇んでいた。状況的に待っていてくれたのだろうが、その理由は分からない。

すると彼女は、少しばかり逡巡してから口籠るようにして語りだした。

 

「その、だな。登校する道すがらでいいのだが、少し私の悩みを聞いて欲しい」

 

「―――あぁ、なるほど」

 

 どうやらそのために残っていたらしい。レイは基本的にこの問題に関しては不干渉でいるつもりだったのだが、流石に当事者から相談を持ち掛けられては無視するわけにはいかない。

構わない、と一つ首肯してからとりあえず寮を出る。季節はすっかりと夏に移り変わり、それを証明するかのように燦々と輝く太陽の光が頭上から降り注いできた。

 

 

「そんで? 悩みってなにさ」

 

「あぁ。……いや、もう知っているのだろうが、私は今、フィーとの接し方について悩んでいるのだ」

 

 予想通り。というよりもそれに気づいていないメンバーはいない。

 

「フィー、ね。悩み始めたのはあいつが猟兵団の出身だって分かった時からだろ?」

 

「そうだ。私は幼い頃から、父の姿を見て育った。父が体現していたのは、正道を貫き通す騎士道の剣。私もまたそうで在りたいと、≪アルゼイド流≫の門下生たちに混ざって鍛練を積んでいたのだ」

 

「≪光の剣匠≫か」

 

 エレボニア帝国最強の剣士と名高い≪アルゼイド流≫筆頭伝承者にして≪光の剣匠≫の異名を持つ剣士、ヴィクター・S・アルゼイド。

かの≪八葉一刀流≫の開祖である≪剣仙≫ユン・カーファイと互角の勝負を繰り広げたその人物こそがラウラの実父であり、彼女の目標であった。

 その在り方は高潔にして清廉。領地として治めるレグラムの民から絶大な支持を得ており、傲慢な性格は微塵も垣間見えないと聞く。成程、確かに”騎士道”を歩むのにこれ程相応しい人物もいまい。

そしてそんな人物の背を眺めて目標にしてきたラウラが正道を歩む事に拘るのは理解できる。そして彼女にはその道が最も相応しいだろうとも。

 

「故に、であろうな。私は、猟兵という連中に対して良い印象は抱いていない」

 

 ”勇気” ”高潔” ”慈愛” ”公正” ”寛容” ”信念” ”希望”―――この七つこそが騎士の美徳とされ、ラウラはそれを体現しようと日々邁進している。

ならば、それと正反対の道を歩む猟兵に好意的な感情を向ける事が出来ないのは必然だ。金銭こそが全て。依頼とあらば略奪や虐殺も躊躇いなく行う非道な連中という意識が染み付いてしまっている以上、その印象を覆す事も難しい。

中には以前イリーナと話した時に名前が出て来た≪マーナガルム≫のような仁義に外れた行動は一切取らない猟兵団も存在するが、それは限りなく少ない。というより、唯一と言っても良いだろう。

 

 しかしラウラは、その後首を横に振った。

 

「だが、フィーはフィーだ。例え猟兵団の出身であろうとも、我らの仲間である事に変わりはない。彼女は以前の特別実習の時にも、幾度か窮地を救ってくれた。その恩に報いたいと思っているのだが……どうにも私の中の信念が邪魔をするのだ」

 

「割り切ろうとしているのに、できないってか?」

 

「あぁ。大切な仲間であると、私自身それを十二分に理解しているつもりなのだが……遮るのだ。そう考えると、己の器量の小ささに辟易とする」

 

「俺達の中でもお前は群を抜いて生真面目だもんなぁ」

 

 悪い事ではない。寧ろ彼女のような価値観は稀少だ。

何色にも染まらず、愚直なまでに求める道の先に突き進もうとする気概。それはまさに正義という曖昧な感情を持ち続けるために重要な心であり、間違っても邪であるとは言えない。

 だが、だからこそ迷う。

自分の進む道はこれでいいのだろうかと、ふとした時に疑問が浮かぶ。そしてレイに言わせれば、そう悩まない連中に正道を語る資格などない。

 

「時折自分自身を疑ってしまうのだ。私の進もうとしている正道は、仲間一人の過去すら許容できない物なのかと。物心がついて、剣を握るようになってからこの方、私は己の信念を疑った事はなかった。……だが所詮その程度のものでしかないのならば、いっそ―――」

 

「―――勘違いしてんじゃねぇぞ」

 

 だが、この少女は思い違いをしている。

悩むのはいい。幾らでも悩め、悩み抜け。しかし、それとこれとは話が違う。

 

「信念を貫く事と正道を語る事はイコールじゃねぇんだよ。信念ってのは自分が自分らしく在るために持ってなきゃいけないモノだ。それを捨てて生きてる奴は心をなくして生きてる廃人と同じだ」

 

「っ……」

 

「そんな信念を捨ててまで人と付き合う? 馬鹿言ってんじゃねぇ。そんなものは所詮上辺のペラッペラな付き合いに過ぎねぇよ。合わせている方は苦痛だし、合わせて貰っている方にも失礼だ」

 

「……だが私の信念は正道―――正義だ。それを貫いている限りフィーと分かりあう事は……」

 

「……本当にそうかよ?」

 

 彼女の目には既に映っているはずだ。仲間の誰よりも戦場で前に立ち、傷つけさせまいとその小柄な体を生かして縦横無尽に駆け巡るフィーの姿が。

それはまさしく―――正道の在り方ではないのか?

 

「お前が自分の正道を疑問に思う事には口を挟まねぇよ。自分は正しい事をしているのかって悩んでいないような奴は、いつの間にか正道を踏み外してるモンだ」

 

 信念を幾ら貫こうとも全ての人間が正義を名乗れるわけではない。故に別物だとレイは言う。

 己を正義だと欠片も信じずに突っ走る者は、己の駆け抜けた轍の後ろにいつの間にか悪徳が積み重なっている事を知らない。それは、己を悪だと自覚している悪党より数段性質(タチ)が悪い人間だ。

だからこそ、その疑問、その悩みは正当だと言う。信念を曲げる事はラウラ・S・アルゼイドという少女の未来を奪う事になり兼ねない。そこは悩むなと。しかし、人によって価値観が曖昧な正道は疑問に思う事に価値がある。

 

「私、は……」

 

「今すぐ答えを出せとは言わねぇよ。それでももし割り切る事ができなかったのなら―――」

 

 レイは、普段ラウラが剣を佩いている右の腰を指さして苦笑する。

 

「そん時は、手っ取り早く”力”で語ってみるのも悪くないかもしれねぇぞ」

 

「ふふっ。レイよ、それは女性に薦めるべき解決策ではないぞ?」

 

「良く言うぜ前衛組。―――つーかお前、俺に対してはどう思ってんだよ」

 

「?」

 

「前からちょくちょく言ってただろ? 俺も一時的だが、フィーが所属していた猟兵団にいた事がある。その他にも……まぁ色々やってた俺もお前にとっちゃ正道から外れた存在なんじゃねぇのか?」

 

「あぁ、そういう事か。―――うむ、改めて考えてみるとそうなのだろうが、そなたには前々から稽古をつけて貰っている上に、もう何があろうとも大抵の事では動じなくなってしまったのでな。……そう考えると随分と不義理な事をしてしまったな」

 

「あん?」

 

「そなたにとってフィーは妹御のようなものなのだろう? 兄替わりのそなたに要らぬ心配と迷惑をかけてしまったと思ってな」

 

「気にすんな。あいつにはこういった試練も必要だよ」

 

 そして恐らく、フィー自身もそれを自覚している。

だからこそ先日の外出の時にもそういった弱音は一切吐かなかったし、本人も言うつもりはなかったのだろう。これは自分が何とかしなければいけないという自覚が、彼女の心の中には芽生えている。それは、とても大切な事だ。

 

「だから、さ」

 

「何だ?」

 

「もしお前が色々と割り切ってフィーと仲直りする時が来たら、今度こそあいつの友達になってやってくれ」

 

 どこか達観したような声色で紡がれたその頼みに、ラウラは黙したまま頷いた。

言われなくともそうするつもりだと、その表情は口で言うよりも雄弁に語っていた。

 

「―――よし、この話は終わりだ。とっとと教室行こうぜ」

 

「あ、待ってくれ。もう一つだけ、聞いてもよいか?」

 

 駆け出したレイの背中から、ラウラが声を掛ける。立ち止まって振り向くと、彼女は真剣な顔に戻って一言だけ聞いてきた。

 

「何故そなたは―――そこまで強く在れるのだ?」

 

 剣士としての実力は元より、決して揺らぐ事のない生き方をしている一風変わった同級生であり、仲間。

ラウラにとってはそう見えるレイにそう疑問を投げかけてみたものの、返って来たのは自嘲気味な笑みと、次の答えだけだった。

 

 

 

「俺は弱いよ。多分、お前たちの誰よりもな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏場の士官学院の授業には、軍事水練というものがある。

 

 要はギムナジウムのプールを使用しての授業なのだが、中心となるのは人命救助。自身が溺れないのは勿論の事ながら、他人を助けるという難易度の高い技術を学ぶ場でもある。

 

 

「あ、そうそう人工呼吸とかもやるから。それじゃ早速リィンとアリサで見本ね♪」

 

「サラ教官……」

 

「まぁ、言うと思ってました。―――やりませんけどね‼」

 

 お約束なそんなやり取りも済んだ後、一度全員が50メートルのタイムを計る事となり、男女二人ずつ、2レーンを使用して泳いでいく。

早々にタイムを計り終えたレイはプールサイドを歩きながら、リィン達の下へと近づいて行った。

 

「よー。お前らタイムどうだったよ」

 

「あぁ、まぁまぁかな。それにしてもレイ、早かったな。水泳部に居ても遜色ないレベルだったぞ」

 

「ま、訓練とかじゃなく実戦で鍛えられたからな。……巨大水中型モンスターに引き摺り込まれて溺れそうになった事あったし」

 

「あー……相変わらずとんでもない過去があるねぇ」

 

「もう驚かないわ」

 

 エリオットとアリサが比較的冷静な反応を見せた後、エリオットがレイの体を見る。

 

「……レイって僕より背が低いのにやっぱり鍛えてるんだね」

 

「そりゃあな。運動量ハンパないし」

 

 パンツタイプの水着一枚のみの体は、小柄でありながら無駄なくうっすらと筋肉がついて引き締まっている。

遠目からでは分かりにくいが、実際に近くで見てみると、同性としても羨ましく思える肉体である事が分かり、その内他の二人の視線も集めてしまう。

 

「……オイ、何だよ」

 

「―――あ、ス、スマン」

 

「ご、ごめんなさい。何て言うかその……やっぱりちゃんと筋肉はついてるのね」

 

「体作りはちゃんとしないとあんなデタラメな動きの剣術は使えねぇよ」

 

 そう言うとエリオットが「そっか……ただ筋肉をつける事に拘らなくてもいいのか」と呟いていたがそれは放置し、再びプールの方に視線を向けた。

すると、徐にサラが近寄ってきて、黙ったままレイにストップウォッチを握らせる。

 

「……え? 何コレ」

 

「最後の測定付き合いなさい。ホラ」

 

 スタート位置に目を向けると、そこには並んで立っているフィーとラウラがいた。

未だ表情は固いが、その表情は真剣そのものだ。水泳部に所属しているラウラは元より、フィーも中々に泳ぎは早い。勝負の行方がただ純粋に気になったというのもあったが、この対戦カードが二人にどのような影響を与えるのか。

片や兄貴分として、片や成り行きでつまらないアドバイスをしてしまった者として、見届けたいと思ってしまう。

 

「あいよ。ゴール地点にいればいいのか?」

 

「そ。お願いね。―――あぁ、そうそう。コレ終わったらアンタとアタシとで勝負するからね。アタシが勝ったら今夜の晩酌限界まで付き合いなさい」

 

「ちょっと待てオイ。俺を潰してその後どうするつもりだ」

 

「シャロンと協力して女装させて撮影会ね」

 

「叩き割るぞテメェ」

 

 どうでもいいところで絶対に負けられない対戦カードが組まれてしまった事に怒りを見せるが、何はともあれ今は二人の対決を見守らなくてはならない。

 レイが定位置につき、サラがホイッスルを鳴らした所で、二人が同時に飛び込む。

水中でのドルフィンキックを終えた後、先に浮かび上がったのはフィーだ。次いでラウラも水面から顔を出し、互いに一歩も引かない速さで水を掻き分け、前へと進む。

体格から言えばラウラの方が有利だが、フィーの泳ぎ方は最小限の動きで最大限の距離を泳ぎ切る事に長けている。他に観戦しているメンバーが思わず見入ってしまう程のデットヒートだったが、50メートルの半ばを越えたあたりでフィーが僅かに前へ出た。

猟兵仕込みの泳ぎの腕は伊達ではない。差は大きくは開かなかったものの、さりとて縮まりもしない。そしてそのまま、フィーが先にゴール地点に手を付いた。

 

「―――プハッ。あぁ、負けたか」

 

「お疲れさん、ラウラ。いや、いい勝負だったぜ。本気のフィーの泳ぎについて来れるなんてスゲーよ」

 

 レイがそう言うと、ラウラは少し驚いた表情になり、フィーの方を向く。

 

「? どうしたの?」

 

「いや……そなたがまさか本気で挑んでくるとは思っていなかったものでな」

 

 普段のフィーの怠惰ぶりを知っていれば、そう考えるのも無理からぬ事ではある。

しかしそんなラウラに対して、フィーは顔を振って水滴を飛ばしてから無表情のまま応えた。

 

「……本気で挑んできた人には、本気で返すのが礼儀だってレイに教わった。ただそれだけ」

 

「そう、か」

 

 少しばかり口籠った後、ラウラはプールサイドに上がる。どうにも意表を突かれたのか、歩み寄れる機会をスルーした事については何も言わない事にした。

 何より、今はそれよりも考えるべき大事な事がある。

 

「さて、俺も本気で泳ぐとすっか」

 

「別に本気じゃなくてもいいんじゃない? 私、レイの女装写真買うよ? 言い値で」

 

「数秒前に自分で言った事忘れるとか鶏かお前は」

 

 そんなわけには行かねぇんだよと、レイはストップウオッチをフィーに預けてスタート位置に向かって歩く。

その途中でラウラが壁に手を付いて落ち込んでいる様子が目に入ったが声はかけなかった。それでも未熟者め、修行が足りんと激励を心の中で送り、集中力を切り替えた。

 

 

 

 

 

 

 その数分後、プールには諸手を挙げて全力でガッツポーズをするレイと本気で泣きそうなレベルで落ち込むサラの姿があったが、他のメンツがどこか冷めた目で見ていたのはお約束として粛々と処理された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 この作品でのラウラとフィーの関係は原作ほど悪くないです。

 むしろ最後のやり取りで急接近はしたのですが、やはり最後の一押しは重要。それはまた後で。




 次回‼ 対リィン用リーサルウエポン(ある意味)登場‼




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帝都の休日 前篇

では、久しぶりの謝罪をば。


前回のあとがきでとあるリィンの最終兵器少女を出すとか言いましたが、時系列確認したらこの話を先に書いた方が良いと思ったので差し入れました。

だからごめんなさい。妹様を登場させるのはもう少し待って(泣)


 

 

 

『拝啓

 

 盛夏の候、いかがお過ごしでしょうか。

 青葉若葉のみぎり、貴殿におかれましては士官学院でのご健勝の程、お喜び申し上げます。

 

 学院理事長という大役を未熟ながら務めている身でありながらそちらに頻りに顔を出す事も出来ず、貴殿の活躍をこの目で拝見出来ない事を口惜しく思うと共に、伝聞ではありますが貴殿と御学友の各地の実習地での獅子奮迅の成果を耳にする度、学院創設者の末裔として鼻が高くなります。

 

 今後もより一層の邁進を期待しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――さて、堅苦しい文体もここまでとしようか。

 

 いや、すまない。慣れない事をしてギャップを演出してみようと思ったんだけどね、途中でどうにも笑いが堪え切れなくなってしまって。

あぁ、でも君達の活躍を嬉しく思っているのは本当さ。特に君はノルドでは随分と暴れたようだね。重傷を負ったとも聞いたけれど大丈夫かい? まぁ、大丈夫だろうけどね。

 

 

 さて、今回このような手紙を送ったのは他でもない。

 

 以前君に入学祝いのような扱いで贈らせてもらった君専用の特注ARCUS(アークス)だけどね、一応アレは僕がZCFに依頼発注した事にはなっているんだが、名目としては『特殊条件下における次世代戦術オーブメントの効率的な運用』というコンセプトをでっち上げて作った物なんだ。

そうでもしないと色々許可を得るのが面倒臭くてね。まぁ先方は全部分かってて作ってくれたみたいだが。

 

 そこでなんだが、君には特注ARCUS(アークス)のテスターとしてレポートの提出をお願いしたいんだ。

 

 とは言ってもそれ程難しい事じゃあない。使用時の長点や欠点、使用者自身が思い浮かぶ改良点とかを教えて貰いたいだけなんだ。

 ホラ、君の学友の中にもラインフォルト社から魔導杖のテスターとしてレポートの提出をお願いされている子がいるだろう? それと同じようなノリでオッケーさ。

 

 それで書いて貰ったレポートなんだが、直接持って来て貰いたいと思っている。

 

 無論、バルフレイム宮に、だ。あぁ、心配はいらない。ちゃんと許可は取っているし、案内役もつけよう。

以前は半ば強引に離宮に招待してしまったからね。そのお詫びだとも思ってくれて構わないよ。ゆっくりと寛いでいくと良い。

 

 

 

 …………さて、ここまで記して自分で言うのもなんだが、君は今とても胡散臭く思っているだろうね。眉を顰めて渋面を浮かべている姿が目に浮かぶよ。

 

 誓っても良いが、決して裏があるわけではない。君を嵌めようなどとはこれっぽっちも思っていないし、他の貴族たちからやっかみの視線を向けられないように最大限配慮するつもりだよ。

 だから僕としてはこの招待を受けてくれるとありがたい。余程の理由があるのなら無理強いはしないしレポートも郵送で送ってくれて構わないが、僕としても君に渡したい物があるのでね。

 

 ついては7月18日、士官学院の自由行動日はどうだろうか?

 

 もし用事がある場合は前日までに手紙で知らせて欲しい。それじゃあ、会える日を楽しみにしているよ。

 

 

 

                          オリヴァルト・ライゼ・アルノール 』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「明日、ちっと帝都に行ってくる」

 

 

 夜も更けた午後9時、レイは自室でリィンが持ち込んできた将棋盤の盤上を睨みながら、そう言った。

それに対してリィンは、桂馬の駒を指先で持ちながら応える。

 

「へぇ、用事でもあるのか?」

 

「本当なら新しい料理の研究したり暇つぶしに技術棟に顔を出すつもりだったんだがな。呼び出しがかかったんだよ」

 

「なるほど。帝都に呼び出し、ね」

 

 パチン、という音が鳴って一手が打たれる。

勝負は今のところ五分五分と言った所だが、すぐにレイが動かした香車の駒が敵陣へと抉り込んだ。リィンは僅かに目を細め、思案を再開しながら友人との会話にも思考を割く。

 

「朝からか?」

 

「そうなるな。厄介事はなるべく早めに終わらせたい。まぁそれでも多分夕方までは戻れないと思うが」

 

「豪華な昼食をいただいて待ってるよ」

 

「お前中々良い根性してきたな」

 

 大体お前も生徒会長からの依頼をこなすんだろうが、と軽口を叩きながら、互いに駒を差し交す。

そこでリィンは、レイの脇に置いてあった紙の束をチラリと一瞥した。

しかしそれだけ。必要以上にプライベートに踏み入る事はしないと言わんばかりに、再び視線を盤上に戻した。

 

「だけどアレだな、レイにも一度旧校舎探検に付き合って欲しいんだが」

 

「あぁ、迷路みたいになってるんだったか? 面白れぇよな。まるで地精霊(ドワーフ)が作った迷宮じゃねぇか」

 

「お蔭で退屈はしないぞ? ……迷う可能性は結構あるけど」

 

「一回巨大迷宮に一週間くらい籠ってみろよ。空腹が祟って別世界が見えるぜ」

 

「心の底から遠慮するな」

 

 それはそうだろう。かくいうレイでさえその一週間、水なし塩なし何もなしの状態で出口を求めて歩き回り、本気で死にかけたのだ。今の彼らが同じ目に遭ったらミイラの仲間入りになってしまうのは想像に難くない。

 しかし、興味がないと言えば嘘になる。未知の場所に未知のギミック。何とも男心を擽られるし、入る毎に深部への扉が開くというその仕掛けも出来れば直接目にしたい。

だが流石に今回は諦めざるを得なかった。

 

「ま、あれだ。せいぜい深入りし過ぎないように気を付けるんだな。俺の経験上、そういったダンジョンじみた場所は真相に近くなればなるほど陥穽じみた悪辣な罠が仕込んであるモンだ」

 

「……参考までに聞いておくと、どんな?」

 

「無音で足元が開いて串刺しにかかる落とし穴、いきなり背後から猛スピードで迫ってくる巨大鉄球、落ちてくる天井、魔方陣から召喚される古代種の竜、水責め、火責め、大群で迫る騎士甲冑、食人植物の大量発生、即死クラスの毒矢の雨、etcetc……」

 

「ゴメン、聞かなきゃ良かったと後悔してる」

 

「遅ぇよ、っと」

 

「あっ」

 

 隙あり、と言いながら、レイの飛車が敵将を討ち取る。自分の油断が招いた結果に一つ溜息を吐いてから、リィンは駒を片付け始めた。

 

「まぁでも、警戒はしておくよ。……今更ながら自分以外の命を預かる事の重大さを感じれるようになったからさ」

 

「重畳だ。それが分かっているのと分かってないとでは感じ取れる”死”に対する恐怖感がまるで違う。忘れるなよ、その気持ち」

 

 すくりと立ち上がって纏められた紙束を机の上に放ると、そのまま自分のベッドの上に腰掛ける。すると、どこか自虐的な声色で呟く。

 

「死に対する恐怖はどんなに強くなっても絶対に忘れたらいけないモノだ。忘れた瞬間からそいつは狂戦士―――修羅に成り下がるからな」

 

「…………」

 

 まるで、そうまるで自分が”そう”なのだと言いたげなその諫言にも似た言葉。

この頃になって漸く偶に垣間見せるようになったこの表情と声色は、漏らす言葉とは裏腹にどこか拒絶の意思があるように思えてしまう。

 ”この先に踏む込めば後悔するぞ” ”だから来るな、来ないでくれ”と、そう訴えかけているかのようで、思わず口を噤んでしまう。

 

 一瞬、そう、一瞬だけだが、リィンの目にはレイの体を取り巻くように螺旋を描く荊の壁が見えた。

 

 

「……そう、だな。肝に銘じておく」

 

「おう。―――っと、そろそろだな」

 

「? 何がだ?」

 

「サラがトマス教官やナイトハルト教官と飲みに行ったの、お前も見てたろ? そろそろ帰ってくる頃合いだ。……泥酔状態で」

 

「……まだ早いんじゃないか? 9時半くらいだぞ?」

 

「ハイペースで飲むと潰れるのが早いからな、アイツは。ちょいと迎えに行ってくるわ」

 

「はは、何だかんだ言って心配してるんだな」

 

「うるせぇよ」

 

 ガシガシと後ろ髪を掻きながらベッドから飛び降り、部屋を出て行こうとするその背中について行ってリィンも退出する。

そこには先程までの雰囲気は微塵も残っておらず、いつも通りの彼がいた。口では何だかんだ言いながらも面倒見が良い、そんな彼の姿が。

 

 先は遠いのか、それとも考えているよりは近いのか。

 どうにも分からなくなったリィンは、とりあえず将棋盤を置くために、自室へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、クレア・リーヴェルトは柄にもなく緊張していた。

 

 どれ程のものかというと、食事時にスプーンを震わせ、執務中にしきりに時計を見やり、少しでも時間が空けば鏡を見て髪形などをチェックする。

生真面目な彼女の性格上、職務を疎かにするという事はないのだが、それでも常に冷静沈着とした態度を崩す事のない彼女の姿を見慣れている≪鉄道憲兵隊≫の隊員からすれば、どこか忙しなさそうにしているその行動は明らかに異常であった。

 

 

 鉄道憲兵隊の本拠地である司令所が存在するのは帝国の中心地である帝都ヘイムダル駅構内。

 日々帝国各地で起きる問題の対処、または情報収集や工作任務などに従事する隊員達は勿論常に全員が毎日司令所に集まっているわけではない。

今日この日、7月18日に司令所に詰めていたのは20人前後。そしてその全員が、朝の職務の合間の僅かな空き時間を利用して、ミーティングルームに集まっていた。その中に、隊長であるクレアの姿はない。

 

「さて皆、よく集まってくれた。この場は不肖ながらこの私、エンゲルスが仕切らせてもらおう」

 

 両肘をテーブルの上に置き、眼前で組んで緊迫感を醸し出している男性は、鉄道憲兵隊の分隊長を務め、クレアの副官の一人でもあるエンゲルス中尉。

普段は沈毅(ちんき)とした正確な指揮能力と判断力で無謬に職務をこなす仕事人といった様相を呈している彼は今、重要任務に赴く前のような真剣味を双眸に帯びさせて集まった隊員達を一瞥した。

 

「ドミニク少尉、状況はどうなっている?」

 

「はっ。依然として大尉の様子に変化はありません。……良い意味でも悪い意味でも」

 

「あれだけ動揺してる大尉、自分は見た事がないのですが……」

 

 言葉を挟んできたのは、憲兵隊に所属して二年目になる新人男性隊員。それに言葉を返したのは、ベテランの壮年の隊員だった。

 

「フッ、若いな君は。大尉は過去に数度かああいう態度を見せた事があった。理由は―――男だよ」

 

 その瞬間、事情を知らなかった隊員が一斉に立ち上がった。

 

「マジすか⁉」

 

「というか大尉、彼氏持ち⁉」

 

「神は死んだ‼」

 

「落ち着け。天地がひっくり返ってもお前と大尉が付き合うことはありえんから」

 

「いやー、それにしても……え? ホントですか? ジョークとかじゃなくて?」

 

「勿論、デマなどではない。おかしい事ではないだろう? 大尉は宰相閣下の肝煎りである程の才媛だが、妙齢の女性でもある」

 

「えぇ、まぁ、そうなんですけどねぇ……」

 

「(……別に付き合ってるわけじゃないってのは黙っておいた方が良いわね)」

 

 勝手にヒートアップしていく隊員達を他所にドミニクは心の中でそう呟きながら嘆息した。

それはエンゲルスも同じであったようで、同じタイミングで息を吐いてから、隊員達を一喝する。

 

「静粛に。各々思うところはあるだろうが、まずは落ち着け。―――さて、ここまで聞けば諸君らなら分かるだろう? 大尉があれほど落ち着きがない理由が」

 

「ま、まさか……」

 

「デート‼ デートなんですか⁉」

 

 核心を突くような言葉が飛び出してきたが、エンゲルスは首肯はしない。

 

「少し違う。実は本日、オリヴァルト殿下が私用でその彼をトールズから呼び出したようでな。大尉は宰相閣下からの直々の命で護衛を命じられたようだ」

 

「あー、成程」

 

「普通に考えれば二人きりのデートとニアリーイコールですけどね……大尉真面目だから」

 

「逢引きとして接する事はできなくても緊張して焦ってるって事ですか。―――その、何て言うか」

 

『『『『大尉メッチャ可愛い‼』』』』

 

 言葉がシンクロする。まさに異口同音という四字熟語を再現したかのような状況なのだが、生憎と部屋に集まった全員が叫んだため、それについてツッコむ者は皆無だった。

 ……もうお分かりいただけただろうが、基本ここに集まった人間はクレアのファンクラブ会員であると言っても過言ではない。普段はそれが忠誠心へと変わっているだけという話で。

 

「ヤバい、何がヤバいって色々ヤバい。大尉は俺達を悶え殺す気か⁉」

 

「流石大尉ね。私たちが予想してる斜め上を平然と乗り越えて行かれるわ」

 

「一生ついて行きます‼」

 

「あ、ヤバい、鼻血が……」

 

「あぁ空の女神(エイドス)よ、大尉という至高の存在をこの世に授けて下さった事に感謝いたします‼」

 

「お前さっき神は死んだとか言ってただろうが」

 

「それで中尉、我々が呼び出されたのはそれを伝えるため、なのでしょうか」

 

 比較的理性的な隊員の言葉に、エンゲルスは肯定したが、「それだけではない」と告げる。

 

「目下、大尉の任務はその少年―――レイ・クレイドル氏の護衛だけだが、予定ではその任務は昼頃までとなっている。そして今日、大尉は任務後は非番扱い。―――ここから何が予測される? アミッド曹長」

 

「は、はい‼ えっと……や、やっぱりデート、ですか?」

 

 手近に座っていた女性軍人が迷いながらもそう答えると、一時沈静化していたミーティングルームの熱気が再び熱暴走を起こしかねないレベルまで上昇した。

 

「キタアアアアアアァァァァッ‼」

 

「デートって事はアレ⁉ 今まで見る事が叶わなかった大尉の蕩けた表情が見れる⁉」

 

「こうしちゃいられねぇ‼ すぐに非番申請だ‼ テロリスト? 知るか、んなモン‼」

 

「おいちょっと待て。今の発言は流石にヤバい」

 

「だが気持ちは理解できるぞ同志よ‼ ……まぁ現実問題無理なんだけど、な」

 

 はぁ、という深い深い溜息が重なる。

彼らはクレアのデート云々を語る前に軍人だ。それも機動力を最大の武器にしている部隊であるため、一瞬の油断と状況判断の遅れが国の大事に繋がりかねない。その程度は当然のごとく弁えている。

 しかし、テンションがダダ下がりどころか地上に落下してクレーターを作る勢いでマイナスゾーンに突入している隊員達を奮起づけるため、エンゲルスは以前からドミニクと合同で練っていたプランを発表する。

 

 

「諸君らの気持ちは痛いほど良く分かる。だが我々は国の防人たる軍人だ。それに、そのような愚行を大尉は決して許しはしないだろう」

 

 そのぐうの音も出ない正論に隊員たちの間では、「まぁ、そうですよね」「自分達、大事なこと忘れかけてましたね」「大尉が本気で怒ったらハチの巣にされるか氷漬けにされるか……」「いや待て、むしろそれはご褒美なんじゃないか?」「お前天才だな‼」「オイ誰かコイツら二人つまみ出せ」などと声が飛び交う

その後、変態発言をした男性隊員二人が残りのメンバーにフルボッコにされ、簀巻きにされて部屋の隅に蹴飛ばされたのを確認してから、再び口を開く。

 

「そこで、だ。私は大尉から本日の予定を聞いたその日から手を打った。ドミニク少尉を本日の正午を以て非番となるように申請し、ラインフォルト社の最新型となるネクタイピン型カメラを以て少尉に大尉の姿を撮影してもらおうというプランを‼」

 

『『『『エンゲルス中尉万歳ッ‼』』』』

 

 止める者が存在しない、防音設備が完璧に備わっているこの部屋で、まるで神を崇めるかのごとく諸手を挙げる軍人達……はっきり言って異常以外の何物でもない。

 

「ドミニク少尉、大尉は元より相手の少年も恐らくは凄まじい実力者だ。気配を感じとられないように細心の注意を払って行動したまえ」

 

「サー・イエス・サー‼」

 

「それではこれより『TSG(大尉の・至高の姿を・ゲットする)作戦』を実行する‼ 各員、決して大尉に気取られぬよう行動せよ‼」

 

『『『『サー・イエス・サー‼』』』』

 

 

 こうしてクレアの与り知らないところで、彼女を慕う者達が密かに妙な作戦を発動させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリスタ駅から列車に揺られておよそ30分。以前ノルドに向かう際にも訪れた帝都ヘイムダル駅に到着する。

通勤ラッシュと重なるには少しばかり遅く、さりとて昼頃のピークと重なるには早い午前8時。レイは衣替えをして箪笥の中に仕舞っておいた赤色のブレザーをもう一度引っ張り出し、それを纏って帝都を訪れていた。

流石に皇城を訪れようという時にラフな夏服のまま行こうとするほど馬鹿ではない。暑いのは承知の上だが、最低限の礼儀として士官学院生としての正装を纏い、背には刀袋に入れた愛刀を、そして左手には黒塗りのアタッシュケースを携えている。

 

 乗客の比較的少ない列車から降り、そのままホームの方へと向かう。帝国最大の駅ゆえに出口も北口・南口・西口・東口の四つに分かれているが、レイは指定された方角の改札に向けて躊躇いなく歩き始める。

 帝都に来たのは初めてではない。今まで良い思い出も悪い思い出もひっくるめて味わって来たこの場所は、ある意味で印象深く残っている。最後に此処を訪れたのが数ヶ月前だという事を考えると、駅の様相が変化しているわけもない。

すると改札口の前に、予想していた通りの人物が待っていた。

 

「お疲れ様です、レイ君」

 

「そりゃコッチのセリフだ。朝っぱらから俺の私用に付き合わせているようなモンだろ?」

 

「宰相閣下直々の護衛命令ですから。ちゃんと任務扱いですよ」

 

 いつも通りの隙のない軍服姿。常に激務に追われているだろうに疲れなど露程も見せない笑みはどことなくシャロンと似たところがあるが、彼女の場合はそこに柵を見せない。

氷の乙女などと呼ばれてはいても冷血ではなく、妙齢の女性らしい顔も垣間見せる。それが彼女の美しさの一端を担っているといっても過言ではなかった。

 

「それでも頭が下がる事には変わりねぇさ。不真面目な俺には特にな」

 

「あなたが不真面目ならこの世のどれだけの人が不真面目の烙印を押されることやら。それよりもまぁ、こちらにどうぞ。準備は出来ていますので」

 

「よろしくお願いする」

 

 レイが素直に折れたのを確認すると、クレアは付き添ってもらった二人の隊員に向き直る。

 

「ご苦労様でした。今日一日、後は任せましたよ」

 

「はっ、お任せ下さい、大尉‼」

 

「鉄道憲兵隊の名に懸けて、必ずや‼」

 

 気合いの入った言葉と共に敬礼をする二人に対して自身もまた敬礼を残すと、レイを先導するように改札口を出る。

 

「随分と今日は張り切ってるな、憲兵隊員」

 

「えぇ。とても良い事です。我々は『革新派』の重要な戦力の一つ。その自覚があるというのは大事な事ですから」

 

「……いや、というよりかアレは…………いや、何でもない」

 

「?」

 

「慕われてるな、って思っただけだよ」

 

 

 案内されたのは、駅前に停まっていた黒塗りのリムジン。いかにも熟練、といった雰囲気を醸し出していた壮年の運転手が手際よくレイの荷物を預かり、その後ドアを開けて車の中に入るよう促された。

そんな丁寧すぎる対応はレイにとって珍しくないものであり、緊張するものではなかったが、ここ数ヶ月は士官学院生として優遇とは離れた生活を送っていたため、どこか新鮮に感じられる。

駅前を行き交う人々から物珍しそうな視線を向けられる事に関してはとりあえず無視する事にした。

 

 広い車内と運転席は防音壁で区切られており、席に座っているのはレイとクレアの二人だけ。

とはいえ彼女はレイの隣に座るでもなく、どこか遠慮がちに向かいの席に腰を下ろした。

 そうしてリムジンが動いてすぐ、沈黙を嫌ったレイが用意されていたソフトドリンクをストローで吸いながら口を開いた。

 

「そういやさっき気付いたけどさ」

 

「? 何でしょう」

 

「髪、少し切ったよな? 確かこの前ケルディックで会った時はもうちっと長かった気がする」

 

「…………」

 

 その指摘にクレアは純粋に驚いたような表情を見せてから頬を少しばかり赤らめ、サイドポニーに括った水色の髪の先を弄り回す。

 

「よ、良く分かりましたね。本当はもう少し短くしようと思ったんですけど……どうにも勇気が出なくて」

 

「いや、そのくらいがちょうど良いと思うぜ、俺は。というかサイドポニーのお前の方が見慣れてるし―――あ、いや、髪解いてロングヘアーになったお前も見たいかも」

 

「ふぇ⁉ あ、そ、そうです……か……」

 

 ぷしゅー、という擬音が出る勢いで赤面するクレアを見て、レイは少しやり過ぎたかと思いはしたものの、決して軍人らしくない表情を見せる彼女に対して落胆したわけではない。むしろ、嬉しかった。

 若々しいその外見と相俟って、今でも学院生らしい恰好をすれば通用するだろう。実際、彼女がトールズに在籍していたのは6年前の出来事なのだが、同級生として在籍していたら楽しかったのだろうなと、そう思う。

 

 そう―――有り得ないifの世界を思ってしまう。

 

 

「―――レイ君」

 

 すると、オーバーヒートから立ち直った様子のクレアが、先程までとは違う、真剣な表情を帯びてじっとレイの顔を見据えて来た。

射竦められる。どのような強者が相手であっても竦む事はないレイだったが、自分の事を一心に想う視線には弱い。

 

「先日のノルド地方での一件、聞きました。……多分私の感情はサラさんかシャロンさんが代弁してくれたでしょうから深くは言いません。―――でも」

 

 流れるような動きでクレアはレイの隣へと移動し、そのまま優しく抱きすくめた。

サラやシャロンにもされた行動ではあったが、鬱陶しさは微塵も感じない。吐息が耳朶を擽る感触には未だ慣れず、鎌首をもたげかけた欲望を抑え込むように、軽く歯を食いしばる。

 

「一言だけ、一言だけ言わせてください。―――生きて帰って来てくれて、ありがとうございました」

 

 その言葉だけを見れば、子供の生還を喜ぶ母親のようにも見えるだろう。

だが、クレアの声は心の底から慕う男に対する情愛の念を孕んでいる。桜色の形の良い唇から紡がれたその言葉は、レイの理性を崩しかけたのと同時に、再び罪悪感を抱かせてしまう。

 

「……悪かった。いや、悪い癖が発症してな。向う見ずに突っ走って死にかけたんだよ。笑い話にもなりゃしねぇ」

 

「普通なら怒る所なんでしょうけど……レイ君の事ですから仲間を守ろうとして戦ったのでしょう? 大切な事です。それは」

 

「何で、分かるんだよ」

 

「分かりますよ。―――私もそうやって助かったんですから」

 

 覚えてますか? とクレアは続ける。

 

「2年前、帝都(ここ)で猟兵団を相手に戦った時。あなたは参戦した誰よりも果敢に戦って、多くのものを救ったんですから」

 

「……ケジメだ。古巣が迷惑かけようとしてたんだから、死に物狂いで何とかしようと思うのは当たり前だろ?」

 

 首筋の熱はいつも通り。術が作動していない事を確認してから、一つ溜息を吐く。

 

「……だがまぁ、アレだ。お前がそれを感謝してくれているのは、素直に嬉しい。だから―――」

 

 その恩義が恋慕に発展したのだと、レイは当初そう考えて疑わなかった。なぜ自分にここまで良くしてくれるのだと、無神経にもケルディックではそう問いかけてしまった。

自分を好いてくれるのは嬉しい。それを鬱陶しいと思うほど下種ではないし、色々と性格的に擦れているとはいえ、中身は17歳の青少年だ。裏表なく好意を寄せてくれる女性を好ましく思わないはずがない。

 

 だが、だからこそ良心の呵責がレイの心を苛み続ける。

一度脳裏にこびりついた悪夢は未だに拭えていない。あれだけ無力で、あれだけ復讐の念に駆られた自分が、今更人並みの幸せを得ようとしていることに対する罪悪感。

 

 だらしがないにも程がある。傍から見れば二流の脚本家が書いた三流演劇の終幕(オチ)でしかない。

悲劇を演出するための使い古された登場人物の過去話。自分の境遇がまさしくそうであることは百も承知だった。

 そしてそれは―――彼女達からの好意を蔑ろにする理由には到底ならない。

 

 だからこそ、レイは日頃から彼女達に告げているのだ。俺は屑だ。俺は馬鹿だ。それでもいいのか、と。

目下、彼に好意を寄せる三人の女性。何れも異性を振り向かせるのに充分すぎる魅力を持つ人物だ。幸せになって欲しいと心から願っているし、それを成就させるためならば協力は惜しまないと、そう思っていた。

しかし何の因果か、彼女達の幸せは、レイがいなければ成就しない。彼が本当の意味で救われなければ叶わない。まさしくそれは、本末転倒と言っても過言ではなかった。

 

 いっそ、忘れてしまえればどれだけ心地よいだろうか。

過去の柵も今現在彼を縛り付ける後悔も、一切合財忘れてしまえれば彼女達と誠実に付き合う事が出来るのに。

 手前勝手に暴走した挙句に泣かせてしまって、それでもなお好きだと囁いてくれる女性達。全く以て―――勿体無い。

 

 

「―――ありがとう」

 

 

 月並みな言葉しか絞り出せない甲斐性の無さを呪いながら、レイは背もたれに寄りかかって後頭部をガラスにコン、と密着させた。

 

 不誠実な自分が、それでも彼女達の想いに応えるためには、せめて自分が出来る範囲で誠実に在らなければならない。

 きっとどうしようもない人生を送ってきてしまった自分は、どうしようもない死に方をするのだろう。それでも彼女達は自分のために泣いてくれるのだろうか。―――そんな起こるかどうかもわからない未来の話に思考を傾けながら、レイはマジックミラーになっている窓ガラスから外を見た。

 

 眼前に聳えているのは、エレボニア帝国の象徴たる、皇城バルフレイム宮。

 随分と長い一日になりそうだと、思わず心の中でそう呟かざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




…………何だか知らないけど鉄道憲兵隊がファンクラブになっていた件について。

一応フォローしときますけど彼らメッチャ優秀ですからね? そこは崩れてませんから、ね?


このままだと……4章、長くなりそうだなぁ。




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帝都の休日 中篇

遅ればせながら『血界戦線』のアニメを一気見した十三です。

いやー、クラウスさんカッコいいわ。あんな上司が欲しいわ。
ザップ、貴様は自重しろ。レオ君頑張れ。ホワイト超可愛い。W釘宮さんとか何それ天国過ぎる。

……レオ君の≪神々の義眼≫とレイの≪慧神の翠眼≫の能力が被ってるからクロス作品は無理だなー。残念だなー。





「やあ、久しぶりだね、レイ・クレイドル君。うんうん、学院の制服も良く似合っているじゃないか」

 

「ご無沙汰しております、オリヴァルト殿下。本日は皇城に足を踏み入れる事を許可していただき―――」

 

「あぁ、いいよいいよ。そんな堅苦しい言葉遣いはさ。僕は君の事を認めているんだ。対等な立場にいてくれる人物から最上級の敬語を使われるというのはどうにも歯痒い気分になる。―――そうは思わないかい?」

 

「……あぁ、そうかよ。それじゃあこの口調で喋らせてもらうぜ」

 

「構わない。むしろ歓迎するよ」

 

 

 皇城バルフレイム宮・応接間。普段であれば皇族が外国の来賓などを招き入れるために存在するこの場所に、ただの一士官学院生であるはずのレイは通されていた。

 格と品位、というものを最上級まで突き詰めたかのような内装。その華美さに俗物的な要素は一片たりとも存在せず、壁一枚を隔てているだけなのに外界から隔絶されたかのような感覚に陥ってしまう。最高位であるが故に見事、としか言いようのない場所ではあるのだが、生憎とレイにはその様子を称賛して阿るような言動は基本的に取らないタイプの人間だ。

 加えて言うのならば、「遠慮はいらない」と言われれば、相手に裏がないと判断した場合、程度にもよるが構わず遠慮をしないタイプでもある。そして目の前の皇子は、一切の遠慮なく付き合っても大丈夫だろうと判断したのである。それは勿論彼を卑下しているわけではなく、ただ気の置けない接し方で良いだろうと思っただけなのだが。

 

「遠路はるばるご苦労だったね。かけてくれ」

 

「列車片道30分が遠路なものかよ。アンタに半強制連行された時の方が遠路だったわ」

 

「違いない。あの時は迷惑をかけたね」

 

「反省の色が毛ほども見えないから今度ハリセンで引っぱたいて良い?」

 

 先日漸くクロスベル時代変態退治に散々使用した伝家の宝刀(仮)を探し当てたものの、流石に皇城までには持ち込めず、使用は断念していた。

今度会ったら絶対一発食らわせてやると決意表明をしてから案内されたソファーに座る。するとオリヴァルトは、レイの後方へと目をやった。

 

「あぁ、クレア女史も座るといい。レイ君の隣にね」

 

「え? あ、いえ……」

 

 視線の先に直立不動の状態で立っていたのは、護衛として傍についていたクレアだった。

誰も見ていなかった車の中でこそああして本音を晒したものの、目的地に到着した途端に、彼女はいつものような凛然とした軍人姿に戻り、職務としてレイに付き添っていた。

だからこそ、護衛として居る自分が席に座る事があってはならない。そのため断ろうとしたが―――

 

「なに、気にする事はない。職務に忠実であろうとするその姿勢は素晴らしいが、宰相殿の珍しい親心だ。素直に受け取っておいた方が損はないだろう?」

 

「……はい。では、失礼致します。殿下」

 

 どこか根負けしたような表情を浮かべながら、クレアはレイの隣に腰を下ろした。

しかし彼女なりに少しばかり贅沢をしようとしたのだろうか、座ってすぐ、オリヴァルトから見えないテーブルの下でレイの右手に軽く自身の左手を絡めた。レイがそれに応えるように握り返すと、反射的に、という表現が一番似つかわしいようにパッと手が離れてしまった。

びっくりするじゃありませんか‼ と目で訴えかけて来るクレアの軽く睨み付けるような視線に思わず苦笑してしまうと、オリヴァルトに向き直った。

 

「―――で、レポートだったか。随分と急な申し出だったな」

 

「まぁ先方も忘れかけていたみたいだからね。今はご息女の事で手一杯だとか」

 

「あの一族ホント頭のネジ数本くらい外れてんな、相変わらず」

 

「まぁ普段ならもう少しマトモなんだが……ご息女に親しい男性が出来てからは、ね。分かるだろう?」

 

「誰だよ、その命知らず」

 

「君も知っているんじゃないか? アガット君だよ、≪重剣≫のアガット君」

 

「うわマジか。アイツにロリコンの気があったとは…………いや、それは今はどうでもいいや」

 

 そう言ってレイは話を区切り、テーブルの上に持参した黒のアタッシュケースを置く。開けるとそこには、三束に分けられた大量のレポート用紙が詰め込まれていた。

それを見て、オリヴァルトは「ほぅ」と息を漏らす。

 

「技術職に携わってる人間の考えはこれでもそこはかとなく分かってるつもりだ。作家が読者の、音楽家が観客の反応を気にするように、技術者もテスターの意見は気にするモンだよ」

 

 それが分かっていたからこそ、レイは性能報告や改善点などのレポートの執筆を怠らなかった。

1ヶ月に一束、都合三束に分けられたレポートは、使用者の視点のみならず、客観的な視点からの情報も事細かに記されており、まさに理想の報告書であった。

それに軽く目を通したオリヴァルトは、用意された最高級の紅茶を口にしながら「これシャロンが淹れたらもっと美味くなるなぁ」と思っていたレイに向かって称賛の言葉を送る。

 

「いや、見事だ。僕も専門的な知識はからっきしだけれどね、この報告書が良く纏まっているというのは理解できる。これも遊撃士時代の賜物かな?」

 

「……まぁ任務から帰って来てすぐに爆睡しやがる脳筋の代わりに報告書書いたりした事はあったし年末年始や観光シーズンなんかは特に書類仕事が多かったからな。そこにマフィア抗争とかも絡んでくるとマジで地獄だった。クソ政治家共が必死に隠蔽しにかかるから如何に上手く捜査一課の刑事に擦り付けるかどうかがキモだったな」

 

「内容が実にリアルだね」

 

「既に一遊撃士が担当する事案じゃないですよね……」

 

 上層部が州議会議員と癒着しているという噂が広まり、民事事件に消極的な姿勢を見せるクロスベル警察に代わって市民が頼ったのはどんな依頼にも真摯に対応する遊撃士協会であり、その仕事量は他国の支部と比べてみても群を抜いている。その割に所属人数が多いわけでもないので、必然的に一人頭の仕事量は多くなってしまうのだ。

様々な国籍の人間と政治的な思惑、金銭の回り方、裏業界の浸食が進む”魔都”クロスベル。清濁併せ持つ混沌としたその都市としての在り方をレイは決して嫌ってはいなかったが、その結果仕事が鬼のように舞い込んでくる事を笑顔で受け入れられるほど出来た人間ではない。というよりそこまで器用ではない。

 

「他にも旧市街の不良(バカ)共が暴れる度に呼ばれるし……ワジの野郎、悪ノリするのもいい加減にしろっての」

 

「「?」」

 

「いや、コッチの話」

 

 そう言って再び話が戻ると、オリヴァルトはレポート用紙をアタッシュケースに戻し、傍に控えていた執事の男性にそれを手渡した。

早急にZCF宛に届けるようにという指示を出す彼を見ながら、レイは思わず出そうになった欠伸を噛み殺しながら呟くように言う。

 

「なぁ、オリヴァルト」

 

「何かな」

 

「アンタさぁ、どんな思惑で『特科クラスⅦ組』なんて場所を作ったんだ?」

 

 声色は軽いながらも核心を突く質問に、オリヴァルトの雰囲気が変わる。表情は変わっていない。変わったのは、あくまでも雰囲気だけだ。

 

「何故だと思う?」

 

「そこまでは読み切れない。だけど……特別実習の意味なら分かってるつもりだ」

 

「ほう。やはり君は面白い。いや、君なら察して当然だったかな。して、その心は?」

 

「現状の帝国の姿を見せつけるため。それを見せて尚、どう動くか。『革新派』でも『貴族派』でもない、ただの一士官候補生としての視線でどう判断して成長していくか、だろ?」

 

「何だ、もう答えに辿り着いているじゃないか」

 

 優雅な仕草で紅茶を一啜りしてから、オリヴァルトはそう言った。

 

 内訳は貴族が三名、平民が七名。その内貴族の一人は根っからの貴族の血筋を持っているわけではなく、平民勢の中にも貴族と変わりない教育を受けて来た少女、元猟兵団所属の少女、『革新派』筆頭格の人物を父に持つ少年など、実に多種多様な人材が揃っている。

その中で互いの価値観が混ざり合い、時に衝突して理解し合う。なるほど、確かに教育機関の在り方としてはこの上なく成功していると言えるだろう。

 ただ一つ、学生の身分でありながら闇の世界にどっぷりと浸かった規格外を除けば、だが。

 

「僕が望んでいるのは一つだ。『革新派』でも『貴族派』でもない、第三の勢力を作る事。―――この帝国に、新たな風を招き入れる事さ」

 

 それが、その言葉が何を表しているのか。

それを理解できないレイではない。抑え込んでいた笑いが、思わず漏れ出てしまう。

 

「ククッ。オリヴァルト、アンタアレか? ≪鉄血宰相≫と対立するつもりか?」

 

 その言葉に、隣で座っていたクレアがピクリと動いた。当然だ、彼女にとっては到底聞き流せる話題ではない。

しかしオリヴァルトは、そんな緊迫の状況でも尚、悠然とした態度を崩さない。

 

「表立って対立する気はさらさらないさ。古い体制に固執するよりかは前に進むための行動を起こす方が良いとも思ってる。……僕は仮にも皇族だからね。どちらかに傾倒するわけにはいかない」

 

「おいおい、そう言ってる時点で『貴族派』に組したくないって言ってるようなモンだぜ?」

 

 大きな駒は都合四つ。

東部クロイツェン州・アルバレア公爵家、北部ノルティア州・ログナー侯爵家、南部サザーランド州・ハイアームズ侯爵家、西部ラマール州・カイエン公爵家。そしてそれぞれが抱える領邦軍。

 権力・影響力は未だ大きい。真正面から対峙すれば、帝国は甚大な被害を被るだろう。そしてそれは、カルバード共和国に背中を見せる愚行に他ならない。かつての≪獅子戦役≫にも匹敵する内戦が勃発する事を想像するのは容易い。

 そして、中立の立場を崩さない皇族はそのどちらにも傾倒するわけにはいかない。ある意味でオリヴァルトの試みは、皇族としての立場を最大限利用したものだと言えるだろう。

 

「想像にお任せしよう。それでだね、レイ君」

 

「言いたい事は大体分かってるが聞こう」

 

「話が早くて助かる。―――僕の理想のために、手を貸してくれないかい?」

 

 曰く、どちらの勢力にも手を貸さず、中立のままでいて欲しい。

オリヴァルトが言いたいのは、つまりはそういう事だ。リィン達の成長をこのまま見守りながら第三勢力の構成員でいて欲しいという要望。

デメリットがあるわけではない。そもそも庶子の出であるとは言え皇族直々の要望だ。普通ならば断るという選択肢はない。

だが、比較的選択の自由が与えられているレイの身からしてみても、特に断る理由はなかった。何より、クラスメイトを放ってスパイ紛いの真似をするほど思い入れがないわけではない。

 そして何より―――興味を引かれた。

 

「……成程。ヤローの手を引く趣味はないが、魅力的ではある。いいぜ、乗った」

 

 自分を上手い事嵌めてくれた人物の申し出という事に関しては別段思う所は何もない。

悪意のない策謀のやり取りで負けたのは単にこちらの力が足りなかったというだけの事。ルーファス・アルバレアと双璧を誇る社交界の華型。リベールの異変に際しても身分を隠して跳梁した傑物。その本質が賢人である事を、レイは身を以て知っている。

 『革新派』のギリアス・オズボーン、『貴族派』のルーファス・アルバレア、そして『第三勢力』のオリヴァルト・ライゼ・アルノール。奇縁にも各勢力に策謀の達人が集まった。その中で中立組織に手を貸すというのは遊撃士として、そして何よりレイ・クレイドル一個人として歓迎すべき事だ。

 ―――だが。

 

「幾つか、条件がある」

 

「聞こうじゃないか」

 

「まず一つ。今は俺も独自に情報収集をしているからその情報は余さずアンタに公開しよう。……『結社』の情報に関しては俺には”枷”があるから話せないが、とにかくそれは約束する。―――だからアンタも、隠し事は止めてくれ」

 

「了解した。約束しよう」

 

「そしてもう一つ」

 

 そこでレイは、クレアの肩にポン、と手を置いた。予想外の行動にクレアが狼狽えているのを横目に、レイは真剣な眼差しでオリヴァルトを見据えた。

 

「もしアンタがポカやらかして『革新派』と武力衝突した場合……具体的には鉄道憲兵隊と対立構造になった場合、俺は一切手を貸さなくなる。理由は、分かるだろう?」

 

 クレア(俺の女)と戦う事になるのだとしたら、一切の躊躇なく縁を切らせてもらう。言外にそう言い放ったレイの目に迷いはない。それを確認したオリヴァルトは、声をあげて笑った。

 

「ハハハハッ‼ あぁ、確かにそうだね、愚問だった。―――それも承知したよ。いや、しかし、君も存外愛が深いね。素晴らしい事だ」

 

「一身上の都合っていう馬鹿馬鹿しい理由つけて応えずにいるんだ。ここいらで男見せないでどうするんだよ」

 

「違いない。女性の涙は美しくはあるが―――男の恥だからね」

 

 そう言いきってから、頬を赤らめているクレアへと再び視線を移す。

 

「というわけだ、クレア女史。僕は君たちに表立って敵対しない事をここに誓おう。事を荒立てるつもりは勿論ないし、何より君の騎士(ナイト)がご立腹だ」

 

「は、はいっ」

 

「ラインフォルト家のメイドに元A級遊撃士。ライバルは多いだろうが、彼の手は決して離さない事をお勧めするよ。僕も散々放蕩ぶりを振りまいて来たが、これ程誠実に女性に応えようとする男性というのは、稀少だからね」

 

 まぁ、言われるまでもないか、と思いながら、レイを見やる。

強くなった、と思う。剣士としての実力ではなく、心が。

以前であった時の彼は、こころのどこかにまだ虚無を抱えていた。それが今は、少しずつではあるが埋まっている。

自分を慕ってくれている女性の本音を聞いたのだろう。その上で覚悟を決めた様子が見て取れる。

かつてヨシュア・ブライトという少年がそうであったように、男は守りたいと心の底から思う想い人の存在があれば、如何様にも強くなれる。それを自覚した彼が今後これ以上に化ける事になるのかと思うと、内心冷や汗が滴り落ちる。

 本当ならば分かりたくはないのだが、≪怪盗紳士≫―――オリヴァルトにとっては宿敵(ライバル)にあたる彼が目をつける理由も分かる。レイ・クレイドルという人物の在り方はとても脆そうでいて、しかし時にとてつもなく堅牢になる。その覚悟を、その情愛を、美しいと言わず何と表せば良いのだろうか。

 

 いつになく情熱的にそんな事を思っていると、不意に応接間のドアが軽くノックされた。

 

 

『―――失礼いたします、オリヴァルト殿下。アルフィン様がお見えになりました』

 

「あぁ、来たか。入ってきたまえ」

 

 そのやり取りを耳にした瞬間、今まで突然の告白にまるで高熱を出していたかのように呆けていたクレアが、いきなり立ち上がってソファーの後ろへと移動した。

どんな時でも職務を忘れない辺りがクレアらしいと思いながら、レイもソファーから立ち上がった。『帝国の至宝』を座ったまま迎えるほど、馬鹿ではない。

 

「失礼しますわ、お兄様」

 

「やあ、アルフィン。予定よりも少し早かったね」

 

「うふふ、この日を楽しみにしておりましたもの♪」

 

 悪戯っぽく、しかしそれが決して下品に見えない気品。蜂蜜色の髪を靡かせて歩く姿は、なるほど呼び名に違わぬ可憐さを兼ね備えていた。

そんな彼女はレイの前まで歩いてくると、スカートの裾を摘まみ、上品に頭を下げた。

 

「お初にお目にかかりますわ。エレボニア帝国第一皇女、アルフィン・ライゼ・アルノールと申します」

 

「ご尊顔を拝しまして恐悦です。元準遊撃士、トールズ士官学院一年Ⅶ組所属、レイ・クレイドルと申します。此度は至らぬ身で皇城に足を踏み入れさせていただきました」

 

 普段は使わない最上級の敬語でのやり取り。その言葉に、アルフィンは一瞬だけ驚いたような表情を見せた後、クスクスと笑った。

 

「謁見の間でもないのですから、それ程畏まられなくても大丈夫ですよ? でも驚きましたわ。お兄様が気になられているという方でしたから、もっと自由奔放な方なのかとてっきり」

 

「ハリセン二発に追加オッケー?」

 

「痛くしないでね?」

 

「三発に追加で」

 

「嘘ゴメン勘弁して。君がやったらミュラーも便乗して来そうだから」

 

 苦労しているな、ミュラーさん、と心の中で同情してから、再度アルフィンと向き直る。

 ”天使の微笑み”などとも言われるその笑みに含みが一切ないというのは初見で判断した。蝶よ花よと愛でられた存在であるが故に、その感情は曇りを知らない。

それを疎ましいとは思わないし、羨ましいとも思わない。人の生き方など千差万別十人十色。彼女は彼女の人生を懸命に生きているだけなのだから。―――しかし。

 

「うふふ♪」

 

「?」

 

「あぁ、ごめんなさい。何やらレイさんから私と似たような雰囲気を感じてしまったものですから」

 

「光栄ですね。実は自分も同じような事を思っていました。皇女殿下と肩を並べるなど不敬以外の何者でもありませんが、ご容赦下さい」

 

「あら、そうなのですか。それではご一緒に」

 

「えぇ」

 

「「日々の生き甲斐は―――」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「―――身内弄り‼」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それ以外の言葉は要らず、二人は互いに握手を交わす。その背後で少しばかり動揺したような表情を見せるクレアと、爆笑を堪えているオリヴァルト。

 アルフィンは心底面白いと言ったような表情を浮かべた。それは万人を蕩けさすような威力の柔らかい笑みだったが、レイを虜にするには足りない。

 

「……友人として」

 

 途端、アルフィンは呟くように言う。

 

「友人として接していただけませんか? レイさん。あなたとは、随分とお話が弾みそうですし♪」

 

欣幸(きんこう)の至りです。至らぬこの身で宜しいのであれば。―――ところで殿下」

 

 オリヴァルトの時とは異なり、態度を崩す事を許されても尚敬虔な態度を貫いたままに、レイは僅かばかりの不遜な笑みを浮かべて問う。

 

「自分に、何か聞きたいことがお有りなのでは?」

 

 こちらから公開したヒントは何もない。であるというのに確実に自分の意図を見抜いて来たレイに対して、アルフィンは気味悪がるどころか更に喜色を強める。

好奇心に対する貪婪(どんらん)なまでの在り方。改めてこの兄妹が血の繋がっている家族であるのだと実感していると、彼女はもう一度浅く礼をした。

 

「―――確かにお聞きしたい事はありましたわ。何故お気付きになられたのですか?」

 

「何となく、です。職業柄様々な人間を見て来たもので。自分に対して何かを問おうとしている人物は分かるようになってしまったんです」

 

「まぁ。お兄様が気に入られるわけですわ。―――えぇ。本当はレイさんにリィンさんの事についてお聞きしようと思ったのですけど……」

 

「む、リィンと言うと……リィン・シュバルツァーですか?」

 

「はい。仲が良いと伺ったものでして。―――あぁ、レイさんとお友達になりたいというのは本当ですわ」

 

 ふむ、とレイは考える。

 リィンの実家であるシュバルツアー家は貴族の中での爵位は男爵位。つまり高いわけではない。

しかしながら風光明媚なユミル地方を領地としており、慰安旅行としてその場所を訪れる事があるなどして皇族とも密接な関係がある特異な家でもある。

であるならば、アルフィンがリィンの存在を知っているのは別段おかしい事ではない。更に言ってしまえば、軽い興味などで聞いているのではないという事は声色から何となく分かる。

 もし彼女がリィンの出生の事などについて憐憫の視線を向けるような意味合いで聞いて来たのだとしたら、レイは己の矜持にかけてでも答えなかっただろう。だが、アルフィンの声にはどこか憧れのような熱が孕んでいるように感じたのだ。

 

「……まぁ、語る事なら幾らでもできます。伊達に入学して3ヶ月、共に同じ釜の飯を食って死線を潜って来たわけじゃありませんから」

 

「はい。そうお聞きして今日お話を、と思ったのですけれど……やっぱり卑怯だと思ってしまいまして」

 

「卑怯?」

 

「えぇ。親友を差し置いて私だけ抜け駆けする(・・・・・・・・・)というのは卑怯な行為でしょう?」

 

 本人の(恐らく)与り知らない所で超弩級玉の輿フラグが建っていた級友を果たして応援すべきか哀れむべきかと考えながら、レイはこの穢れ無き皇女殿下への評価を上方修正した。

どうやら恋敵なのであろう親友に対して尋常な勝負を所望しているらしい。大切な所では律儀に通す所も兄と似通っていて、面白い(・・・)

 

リィン(アイツ)はイケメンの上に一本気で真面目ですからね。異性の目には魅力的に映るでしょう」

 

「うふふ。やはりあの子に聞いていた通りの方のようですね。ますますお会いしたくなりましたわ♪」

 

「女性関係については初心(うぶ)な奴ですので、手心は加えて接してやって下さい」

 

「あら、わたくしも男性関係は初心者同然ですのよ?」

 

「これは失礼を。姫様のご関係を疑ったわけではないのですが、自分と同年代の思春期を迎えた男子にとっては、姫様のお姿は些か以上に煌びやかに映ってしまいますので」

 

 それは言外にレイはアルフィンの美貌には見惚れないと言ったようなものだったが、彼女はその意味を理解したうえで「お上手ですわね」と返した。

 

「お役に立てず、申し訳ありません」

 

「いえ、元々わたくしのワガママでしたので、レイさんがお気に病む事はありませんわ。それよりも―――」

 

 そこで初めて、アルフィンはクレアの方へと視線を向けて、爛々とした双眸で彼女を見据える。

いきなり興味の対象にされたクレアは驚きを見せたものの、すぐにアルフィンにその手を握られた。

 

「あ、アルフィン様⁉」

 

「もう、ズルいですわクレアさん。そんな恋する乙女(・・・・・)の雰囲気を出されていては気になってしまってしょうがありません‼」

 

「え、えぇ⁉」

 

 何かしらのスイッチが入ったかのように輝かしいオーラすら放って水を得た魚のごとくまくし立てるアルフィンを前に、クレアはただ赤面してたじろぐ事しかできない。

そうして動揺している内にいつの間にか入室していた皇族専属の精鋭メイドたちに周囲を固められる。それはまるで、囲んで獲物を捕らえる獅子の群れのようでもあった。

 

「この後はレイさんとデートですか? デートなのですね⁉ それでしたら軍服ではなくてもっとクレアさんの魅力を引き出させるお洋服を用意しなくてはいけませんわ。ささ、早くこっちにいらして下さい。メイド一同共々、必ずやレイさんを惚れ直させるような服装を選んで見せますわ‼」

 

「で、殿下意外とお力が……れ、レイ君、助け―――」

 

 若干涙声になりながら絞り出した救援要請も空しく、クレアは雪崩に巻き込まれた登山家のような形で強制的に別室へと連行された。

それを見届けてから、手元に残っていた紅茶を飲み干して一息。

 

 

「―――やっぱアンタの妹だわ」

 

「ハハハ。いや、我が妹ながら見事な手腕だ。本人そっちのけでデートの約束を取り付けてしまうとはね」

 

「笑い事じゃねぇぞ。ったく」

 

「おや、不満かい? 僕としては羨ましい限りだが」

 

「誰も不満に思ってねぇよ。あー、でもヤバいかもしれん」

 

「普段軍服姿で理性を保った女性が私服で想い人とのデートに挑む、か。確かに世の男にとってみれば垂涎モノのシチュエーションだね。……良い雰囲気のホテルを教えてあげようか?」

 

「そこまで羽目外すつもりはねぇよ。学生の身の上だぞ」

 

「学生でなければ良いと言っているようなものだよ、それは」

 

「喧しい。―――それより、もう一つ聞き忘れた事がある」

 

 両手を膝の上で組み、冗談抜きの声色で問う。

 

「アンタが手紙の中で言ってた”渡したいモノ”ってのは何の事だよ」

 

「あぁ、それかい。まぁ大したものじゃあないんだが―――コレだよ」

 

 そう言ってオリヴァルトが懐から取り出したのは折りたたまれた一枚の紙。テーブルの上を滑って手元に辿り着いたそれを開いてみると、見慣れた配列で並んだ数字が書かれていた。

その意味を、レイは一瞬で理解する。

 

「アンタのARCUS(アークス)の通信番号か」

 

「ご明察だ。同性の番号など貰っても嬉しくはないだろうがね。有効に使ってもらえると僕としても重畳だ」

 

 相手と同じく、口角を釣り上げて笑う。

 嬉しくない? そんな馬鹿な事を思う奴などいないだろう。皇位継承権を破棄したとはいえ皇族の人間との直通通信(ホットライン)の番号だ。情報屋に持って行けば数千万ミラは下らない。

そしてそれを渡したということは、彼なりの信頼と期待が含まれているのだろう。ならばそれを受け止めて見せるのが、今の自分にできる最善手の選択に他ならない。

 

「それと、僕の事はオリビエと呼んでくれ。偽名の一つだが、友人の君にはそう呼んで欲しい」

 

「おい、俺はアンタと友人になった覚えはねぇぞ」

 

「ガーン」

 

 実に芝居がかった、道化のような行動を取るオリヴァルトを見据えて、レイは渡された紙の裏に持参したペンで数字を書き込み、同じようにテーブルの上を滑らせて渡す。

 

「俺の番号だ。知っているとは思うがな。礼としてハリセン叩きは勘弁してやるよ、オリビエ(・・・・)

 

「……成程、これは一本取られたな」

 

 ニヤリと、意地の悪い笑みを浮かべる男が二人。

レイはクレアの帰りを待つ数十分の間、目の前の男に対する手始めの手土産を何にするか、それを熟考する事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回はクレア大尉よりもアルフィン回? だったかなと思いました。

言っておきますがフラグは建っていません。ソフトSなアルフィンとドSなレイが共鳴しただけです。特に他人の恋愛絡みでこの二人がタッグを組むと凶悪としか言いようがないです。色々な意味で。

さて、次回は『帝都の休日 後篇』。
待ちに待った、レイとクレアのデート回です。



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帝都の休日 後篇

あー、長くなった。というわけで『帝都の休日』シリーズ最後の話です。

何だかもー、クレアに対する好感度が感想をいただいた皆さん方の間で鰻登りのようで―――いや、嬉しいんですけどね。


あ、今回過去回想シーンがあります。


それでは、どうぞ。


 

 

 

 十人とすれ違えば十人が振り返る美女、というのは存在する。

 

 異性のみならず、同性をも虜にする圧倒的な美貌。アルフィン・ライゼ・アルノールなどはまさにその素質を有しており、魔性の蕾は既に花開こうとしている。

だが、彼女のそれは血族から滲み出る有無を言わせぬ高貴さ、一般人が至る事の出来ない至尊じみた存在そのものが美しさの基準となっているのであって、決して誰もが求められるものではない。

 

 そういう点で言えば、昼過ぎの帝都の街を歩くこの女性は、文字通り”高嶺の花”ではあるものの、特段跪拝(きはい)を促すような人物ではない。

 

 しかし、それでも立ち行く人が皆見惚れる。すれ違った人は元より、カフェテラスで優雅なひと時を過ごしていた人物や、たまたま建物の窓から外を覗いていた人、導力トラムの窓際に立っていた人など、異性同性老若男女問わず彼女の姿を見た瞬間にこう思うのだ。―――綺麗だ、と。

 

 

 僅かにウェーブした腰元まで伸びる空色のストレートヘアー、主張し過ぎない程度に乗った化粧がどこか儚げにも見える美を一層強調しており、まずそれだけで人々の目を引く。

 女性らしいその肢体を覆うのは髪色を薄くした色合いの涼しげな印象を与えるワンピース。薄く花柄が刺繍されたそれは、風が吹いて裾が靡く度に清廉的な美しさを無意識に、無造作に周囲に振りまく。

その清楚な服装を彩るのは、両足の銀色のミュール、左手首のブレスレット、そして首から吊り下げられ、胸元に輝く七耀石(セプチウム)が埋め込まれたブローチ。

 傍から見ればその装いは深窓の令嬢以外の何者でもなく、しかし彼女が普段から持ち合わせる凛然とした雰囲気がいい塩梅でのミステリアスさを醸し出し、更に周囲を魅了する。

浅く被られた白のつば広帽子を軽く抑えて、女性は車道側の道を歩いて自らをエスコートする少年を見やる。

 

 真紅の学生服を着た少年だ。160リジュ後半に差し掛かる女性より低い身長であり、一見すると女性の隣に居るには相応しくないようにも見える。

だがその容貌は、女性とはまた違った意味で別種の空気を漏れ出させていた。

 顔立ちは幼さを残した童顔ながらも、それとは相反するように浮かぶ大人びた表情が目に留まる。毛先だけが銀色の特徴的な黒髪に覆われるようですれ違った程度では分からないが、右目を覆い尽くす黒の眼帯が、彼を見た目通りの人物だと侮るな、という危険信号を発している。

 

 街に出て来た貴族の令嬢と、それを護衛する騎士。

 

 彼らの姿を正しく認識した人々のイメージは、概ねそういったもので間違いはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女性の容貌を見て驚く―――そんな行動を取ったのは一体どれくらい前だったかと考える。

 

 レイ・クレイドルは生まれこそそれ程特殊なものではなかったが、育ち方は波乱万丈以外の何物でもなかった。その過程で、人智を超えた存在など腐るほど目にしてきたし、人がヒトである以上辿り着けないであろう領域に足を踏み入れた女性がいたのである。それを思えば、異性の行動に不覚を取られることはあれど、容姿を見ただけで数秒もの間、我すらも忘れて呆然とした表情を晒したことはあまりない。

 

 だが今―――時間にして約8秒間たっぷりと、レイは自らの前に現れた女性を前に声を失った。

 

 

「ど、どうですか? わ、私としては恥ずかしすぎて顔から火が出そうなのですが……」

 

 恥じる姿が、余計に彼女の魅力を跳ね上げる。≪結社≫に居た頃、知人が「ギャップ萌えって最高だよな」などと抜かしていた事を今になって思い出した。あの頃は外見上でも何でもなく本当に年齢的に幼かったために理解は出来なかったが、事ここに居たって漸く理解できた。

普段露出の少ない服装をしている怜悧な印象を持つ美人が最大限に着飾ると―――こうも変わるものなのかと。

 

「お、おぉ……こ、これは流石に予想外だったね」

 

 今まで社交界で数多の美女を見て来たはずのオリヴァルトですらもたじろぐという相当稀少な状況が広がっているのだが、生憎と今のレイにそれを冷やかす余裕はない。

着飾る、と言っても化粧を濃くしたわけでもなければ装飾品をジャラジャラと着けているわけでもない。髪はサイドテールを解いて梳いただけだろうし、ともすれば彼女本来の姿を最大限に輝かせるために少しばかり付け足しただけに過ぎないのだろう。

 そしてそれを為した中心人物である少女は、彼女の隣に立ったまま俯いてプルプルと震えている。

 

「……お兄様、レイさん」

 

「あ、あぁ」

 

「なん、でしょう」

 

「わたくしが言い出しっぺとなってした事とはいえ……―――とんでもない宝石の鉱脈を掘り当ててしまった気分ですわ」

 

 顔を上げるとそこには、やりきったという充足感に浸った恍惚とした表情が浮かんでいた。見れば周囲に居るメイドたちもどこか平静を失いかけているように見える。

 それ程までに、クレア・リーヴェルトは劇的にその美しさを昇華させていたのである。

 

「アルフィン殿下…………ありがとうございますッッッ‼」

 

 気付けば反射的にレイは体を腰から90度に折って深々と、それこそ一分の隙もない見事なまでの礼をしていた。

するとアルフィンはそれに対して「とんでもございません」と返す。

 

「むしろお礼を言わなければならないのはこちらの方ですわ。―――わたくし、今までにないくらいに興奮致してしまいました。これは、そう、昔幼いセドリックに女の子の服を着させて遊んでいた頃の高揚感に匹敵します‼」

 

「次期皇位継承者に女装……」

 

「考えない方が良い。今でも偶にセドリックはアルフィンの着せ替え人形になっている事があるからね。勿論今は男性用の服だが」

 

 よもや大国の次期皇帝が自分と同じ目に遭わされていたということに親近感を覚えながらも、レイは再びクレアに向き直った。

そして、思ったことを素直に、衒いの感情など混ぜずに告げる。

 

「綺麗だぜ、クレア。その、なんつーか、いや、マジで驚いた」

 

 特に考えない状態で言ったために不調法な褒め言葉になってしまったが、それでもクレアの表情を照らすには充分だった。

しかし同時に、レイはある種のプレッシャーを感じていた。今の彼女はそれこそ、大貴族の御曹司の許嫁であると言ってしまっても過言ではないほどの気品のあるオーラを放っている。これから自分はこの女性と並んで街を堂々と歩かなければならないのだと考えると、それ相応の雰囲気をこちらも纏わなくてはならない。

 釣り合わない男女―――そう思われるのは屈辱的だ。

 

「あ、ありがとうございます、レイ君。そう言ってもらえると私も―――キャッ⁉」

 

 瞬間、普段履き慣れていないミュールを履いたまま駆け寄ろうとしたクレアがバランスを崩した。即座に受け身を取ろうと右手を伸ばすものの―――その体を真正面から優しく支えられる。

 

「大丈夫か? 慣れてないんなら他の靴を履いても……」

 

「い、いえ、大丈夫です‼ もう慣れましたから、えぇ‼」

 

 自分よりも低い身長でありながら、右手を腰に回しただけで軽く支えてしまう。ケルディックの時などに何度もこの少年の体に触れる機会はあったはずなのに、今はなぜか、それが今までにないくらいに男らしく見えてしまう。

 

 そんなやり取りをしていると、オリヴァルトが近くに控えていた執事に対してどこか懇願するような声色で何かを伝えていた。

 

「あぁ、すまない。コーヒーを持ってきてくれ。うん、紅茶じゃなくてコーヒー。勿論ブラックで。濃度は五倍。後ミュラー君を呼んで来てくれ。今は何故か、殴られて意識飛ばしたほうが良いんじゃないかと思えてきた」

 

「姫様、姫様ァ‼ あぁ、こんなにもお鼻から血を流されて……ッ。大至急ハンカチを持ってきなさい‼」

 

「メイド長、メイド長。メイド長も鼻血凄いです。滝みたいになってますよ」

 

「そういうあなたも結構出てるわよ。……あ、私もか」

 

 鼻血を垂らしながらもとても良い笑顔のままふらりと倒れたアルフィンを介抱しようとする、これまた血塗れのメイド達。一瞬にして応接間は地獄絵図(ある意味)に変貌してしまった。

 もはや苦笑していいのかも分からない状況が展開されたが、レイはそのままクレアの手を引いて応接間を後にした。先導をしてくれているメイドの後を追いながら、隣の女性に向かって呟くように言う。

 

「今日一日、夕方まで俺はお前のモノだ。どこへなりとも連れまわしてくれ、お嬢様(フロイライン)

 

「っ~~。わ、分かりました。エスコートはお願いしますね、レイ君」

 

「御意に」

 

 いつも通りの意地の悪い―――しかし澄み切った笑顔を浮かべたレイは、迷うことなくそう応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 クレア・リーヴェルトは、今現在間違いなく24年間の人生の中で一番大きい幸福感を味わっている。

そう自覚しているからこそ、笑みを抑え込むことができなかったし、足取りもこれ以上ないくらいに軽い。今なら軽い緊張感も相まって良い指揮を執る事ができそうだと思い立った瞬間、クレアは口元を軽く抑えた。

 今は任務を終えて非番の身。メリハリをしっかりとつけるというのを日頃から心がけている上に、今自分の横でエスコートしてくれているのは、自分が恋焦がれている少年なのだ。仕事の話で遮るのは、無粋以外の何物でもないだろう。

 

 女性の扱いには慣れていないと、彼は会う度にそう言う。百戦錬磨の色事師や社交界の華型達に比べれば自分などそこいらの一般人とそう変わらない、と。

だがクレアからしてみれば、それは違うと断言できる。どこの世界に女性の扱いに不慣れでありながら三人、もしくはそれ以上の異性から熱烈に求愛されて理性を保っていられる男がいるのだろうか。

どこまでも真摯に、どこまでも誠実に、女性と付き合うという事の意味を理解し、それでいて自分はまだそれに相応しくないという。馬鹿だ阿呆だと罵られる事すらも予想の範囲内だと割り切って、それでもなお愛したいと囁く女性たちに対して、出来る限り紳士であろうとする。

 それが、そんな事が出来るのが、17歳の少年なのだ。自分より7つも年下ながら、この世界に跋扈する闇の深くまで入り浸って、それでもなお光の世界に戻って来た勇者。

それを本人が聞けばしかめっ面を作るだろう。勇者、英雄、彼はとかく自分がそう呼ばれることを嫌う人種だ。

表立って自分を卑下する事はないが、稀にぽろりと、自分が信頼を置く人物の前で漏らす事がある。どれだけ自分が脆弱な存在かという事を。

 

 

「(でも、私は彼の弱さに辟易するなんて事はありえない)」

 

 

 訪れたのは、帝都最大規模の百貨店『プラザ・ビフロスト』。高級雑貨、喫茶コーナーにブックストアなど、様々な店舗を内包するこの建物は、休日だという事もあって実に大勢の客が来店している。

しかしそんな客らも、クレアの姿を一目見るや否や道を譲る。若い男性は見惚れるような視線を、若い女性は羨望の眼差しを、老紳士や老婦人などはエスコートされる彼女を見て微笑ましい笑みを向けてくれている。まるで貴族の令嬢のようだ。

主に貴族を相手取って『革新派』の尖兵としての役割を担っている自分がその気分を味わう事に少々皮肉じみた感情を抱いてしまったのは確かだが、クレアとて妙齢の女性である。このようなシチュエーションを夢見なかったわけではない。

 だからこそ、今自分を微笑んだままエスコートしてくれている少年が、愛おしくてたまらない。

 

「少し、休むか」

 

 たっぷりと二時間ほど店内の様々な商品を見回った後、レイは頃合を見計らったようにそう言った。

 買ったものは特にない。そもそも物的欲求が薄いクレアにとって衝動買いは性に合わないし、物を買って行動が制限される方が今は惜しい。

いわゆるウインドウショッピングというやつだったが、普段はあまり気に留めないような商品を見れただけでも彼女にとっては新鮮で、満足だった。唯一心に引っかかったことと言えば澄んだ藍色のブローチが綺麗に見えて一瞬目を奪われたくらいだが、それも時が経つにつれて忘れてしまう。

 

 人がいない、窓際の席に座って外の様子を茫としたまま見ていると、数分ほど席を外していたレイが帰って来て、クレアの対面の席に腰掛けた。

 

「ふぅ、帝都の人入りは相変わらず激しいな。参っちまう」

 

「嫌いですか? こういう雰囲気は」

 

「いや、悪くない。騒がしさの中にも気品がある。こういった街は居て損をするモンじゃねぇさ」

 

 そう言って、アイスコーヒーの入ったグラスをストローで掻き回す。踊っていた氷が、カランと風情な音を鳴らす。

そう言えば、と、クレアは店内を見渡してから、思い出した事を小さい声で紡いだ。

 

「レイ君と初めて会った場所もこの百貨店で……夏でしたね」

 

「―――そうだったな。尤も、内装は一新されてるし、平和的に出会ったわけでもなかったが」

 

「ふふ、そうでしたね。あそこでレイ君と出会わなかったら、私は今ここで幸せな気分を味わっていなかったでしょうし」

 

 現状の幸福を噛みしめながら、クレアは6年前の出来事を懐古する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、クレアがまだトールズ士官学院に通う士官候補生だった頃。

 

 うだるような暑さが東部を支配していた時期、彼女は自由行動日を利用して外出届を申請し、一人で帝都を訪れていた。

特に何かがあったわけではない。たまたま所属していたクラブが活動休日となっており、手持無沙汰になっていただけの事。ただそれだけがここを訪れた理由かというと、実はそうではない。

 

 少しばかり、気疲れしていたのだ。

 

 今でこそそれ程露骨ではないのだが、クレアが在籍していた頃のトールズは貴族生徒と平民生徒の溝がかなり深かった。生徒会長を務めるのは爵位の高い貴族生徒であり、それ以外の委員会の上層部も貴族生徒で固められていた。

 そのような状況下でも、クレアは努力を積み上げる事を決して忘れない。既にこの頃から才能を開花させていた、無謬に回答を導き出す頭脳、そしてそれに追従した戦闘能力。それらを以てして彼女は平民生徒という立場で常に最上位の成績を叩き出してきた。相手がどれ程影響力の高い貴族の嫡子であったとしても関係ない。自分はただ、自分の為すべきことをするだけだと、そう信じてひたすら結果を求めて来た。

 しかし、それを貴族生徒が快く思うはずもない。

元より出生のプライドが先走る連中がほとんどであり、平民だというただそれだけで見下し、蔑む。それが下卑た行為だと気付くどころか正しい在り方だと勘違いし、増長する。そんな彼らからの妬み嫉みを、クレアは受けていた。

 あからさまな虐めなどを受けた記憶はあまりないが、陰口を叩かれることは日常茶飯事。平民のクセに粋がっている。身の程を知れという言葉を突きつけられる。被害報告をしようかと考えた事もあったが、何せ生徒のトップに立つのがその貴族だ。それを考えると馬鹿らしくなってしまい、寮の一室で溜息を吐く回数も自然に増えていた。

 

 幸いだったのは、クレア・リーヴェルトという少女がその程度の精神攻撃を苦にしない精神力を持ち合わせていたという事だ。

それら一切を相手にせず、ただひたすらに自分の実力だけで以て最善手を導き続ける。いつしか表情も乏しくなってしまったが、それすらも耳に入れはするものの聞き流す。

 

 

 ―――氷のようだと、誰かが言った。

 

 

 幾ら精神力が高かろうが、それでも年頃の少女には変わらない。大手企業の令嬢であるという異色の出生こそあるが、それでも人間である限り、思う所が全くないわけではない。

何故ここまで古い習慣に固執できるのだろうか。何故血筋が良いというだけで他の人間を劣等だと見下す事ができるのか。何故―――ここまで高貴である事に拘ろうとするのか。

 

 そんな事を考えていたら、自然と足が帝都へと向いていた。普段はしないような気晴らしでもして心の中の靄を晴らしてしまおうと、ただそう考えていただけに過ぎない。

そうしてクレアは、セミロングの髪を揺らしながら、百貨店の中へと足を運んだのである。

 

 その日は、少しばかりいつもとは違うイベントが催されていた。

清廉潔白な性格と庶民派な言動が市民の心を掴み、帝国政府内で当時人気が高かった政治家、カール・レーグニッツ。そんな彼が視察という名目で百貨店を訪れていたのである。

当然、その人気も相まって店内は大勢の人達で賑わっており、クレアは品物を見る気持ちなども失せてしまい、カフェテラスで一服をしてから店を去ろうと思っていた。

 しかし、ちょうど彼女がアイスミルクティーを飲み終えた頃、事件は起きた。

 

 

 店内に鳴り響く銃声、そして爆発音。

それらの轟音が客たちの声を悲鳴へと変えた瞬間、数名の武装集団が窓ガラスを割って店内に侵入して来たのである。その全員が自動小銃を装備しており、中には携行型の対戦車擲弾を装備した者もいた。

 クレアは一目見て、彼らが生半可なテロリストではないと判断した。突入する際の手際の良さと言い、室内で空調の度合いも加味して煙幕(スモーク)を使用した事と言い、明らかに素人に毛が生えた程度の人間が行える技ではない。

交戦しよう、と一瞬考えたものの、武器は勿論携帯しておらず、戦術オーブメントも自室に置いたまま。つまり、完璧に丸腰の状態だった。体術にもそれなりの心得はあったが、複数人のプロを相手にできるほどのモノではない。下手に刺激するよりもまずは従う事にして、情報を拾う事に専念した。

 

 そうして得られた情報は二つ。

 一つは彼らの要求だ。逃走する際の妨害を一切しない事。そして本命は―――カール・レーグニッツの身柄の拘束と拉致。

そこで身代金を要求しない所で、クレアはある一つの事実に至った。彼らは既に金銭を貰って雇われている身、即ち猟兵なのだという事だ。

 そしてもう一つは、人質である自分達が抵抗しようものなら射殺を厭わないという事。

なるほど、確かに猟兵らしくはあった。目的のためならば手段は選ばず、女子供であろうとも構わず惨殺する。運悪く、人質となっている客は百は下らない。身動きは、取れなかった。

 

 カール・レーグニッツの判断は早かった。

自分の身柄はどうとでもしていいが、市民に傷はつけるな、と。それは噂に違わぬ潔白さの証明であり、猟兵たちもそれを了承し、身柄の拘束に入ろうとした時―――耳を劈くような泣き声が周囲一帯に響いた。

 出所は両親と共に店を訪れていた幼い少女。その行動を責める事は出来ない。幼い子供にとって人質にされるという状況は精神的に厳しいものがあり、感情を刺激してしまうのは仕方のない事だった。

だが、猟兵の一人がそれに過敏に反応する。煩い、目障りだ、さっさと黙らせろと、殺気も纏わせてそう言い放つ。

少女の両親はそれに頷いてはいたが、子供を泣き止ませるのに逆効果だという事は素人のクレアにも分かった。

 険悪になる空気。泣き止む気配のない子供に堪忍袋の緒が切れたのか、猟兵は子供に銃口を向け、引き金に手を掛ける。それを見た両親が盾になって娘を庇おうとする刹那の瞬間、クレアは地面を蹴って走り出し、その猟兵に肉薄していた。

 

「させま―――せんッ‼」

 

 動いた理由は何だったのだろうか、今でも正しくは分からないが、きっと自分の中の燻っていた正義感がそうさせたのかもしれませんねと、彼女は後にそう語っていた。

 油断していてがら空きの鳩尾に一発。しかしそれは意識を刈り取るまでには至らず、別の仲間が即座に放った銃弾が、クレアの肩に被弾した。

 

「ぐ―――うぅぅっ‼」

 

 熱かった。

これが撃たれた感触なのかと冷静に分析する自分に若干嫌気が差した瞬間、クレアは地面に叩きつけられていた。

 終わったと、諦めの状態に入るまでは早かったのを覚えている。自分らしくもなく、衝動的に動いて失敗し、そして死ぬ。全く、らしくない状況で生を終えるのだと、薬莢が地面に落ちる金属音を聞きながら、自己採点での反省を繰り返していた。

だが不思議と、悔いはない。―――そう思って目を伏せかけた、その時だった。

 

 

 

 

 

 

「人間野球、プレイボ―――――ル‼」

 

 

 声色は高くありながら、何故かちっとも無邪気には聞こえない物騒な単語が聞こえた瞬間、クレアを押さえつけていた男に猛スピードで飛ばされて来た仲間の猟兵が弾丸となって接近し、見事に吹っ飛ばされた。

 流石に数秒は自体が把握できずに呆けていると、そんな彼女の目の前に二人の人間が降り立った。

 

「いやー、案外上手く行きますね。人をノックみたいに打つとか斬新すぎてちょっと痺れました」

 

 一人は、第二次性徴を迎えるか迎えないかといった年頃の少年だ。毛先だけが銀色になった特徴的な髪色に、何故か夏だというのにマフラーを首に巻いている。そして右手には、身長の1.5倍はあるだろうかという鞘入りの長刀を携えていた。

 

「貴様、刀は丁寧に扱えといつも言っておろうが。≪盟主≫から賜ったばかりの(ソレ)に傷をつけようものなら儂や主殿の面に泥を塗る事になるぞ?」

 

 そしてもう一人は、対照的に長身の女性だった。燃えるような真紅の髪を後頭部で一括りにしたその人物は、銜えた煙管を上下させながら、少年をジロリと睨む。

 

「いや、スンマセン、師匠。何かランチタイム邪魔されてイラッと来てたんで。……というかそういう師匠もガラスの破片がスープの中に入った時キレかかってましたよね。マジギレ5秒前でしたよね」

 

「戯けが。儂がその程度の些事で平常心を崩すと思うか。何、ちと灸を据えてやろうと思ったまでよ」

 

「世間一般ではそれをキレるって言うんですよ」

 

 緊迫した状況に似合わない軽口の叩き合いに、今度は猟兵も含めて呆然とした時間が数秒過ぎる。

その間にその少年は、くるりと体を反転させてクレアの上半身を起き上がらせると。首に巻きつけていたマフラーを躊躇う事無く千切って手際よく止血を済ませた。

幸い弾丸は抜けていたようで、未だにジリジリとした痛みはあるものの、意識を飛ばす程のものではない。

 何だ、この少年は、と思い始めた直後、彼は先ほどまでの人を食ったような笑顔から一変、大罪を懺悔するかのような悲しそうな表情を浮かべ、クレアだけに聞こえるような声で告げる。

 

「ごめん」

 

「……え?」

 

「撃たれる前に助けられなくて、ごめん。不意を突かれて初動でしくじるとか……情けなさすぎる」

 

 一体何を言っている?

助けられたのはこちらで、寧ろこちらが謝罪と礼をすべきなのだ。それなのにこの少年は、まるで自分が全て悪いかのような声色で、そう言ってきた。

 

「動けるか?」

 

「え、えぇ。何とか」

 

「なら他の人たちを頼む。一応眠らせておいたが(・・・・・・・・)、流れ弾に当たったりしたら事だからな」

 

 その言葉に驚いて振り向くと、確かに少年の言うとおりの光景が広がっていた。

百余名の人質。老若男女全てが寝息を立てて倒れている。命に別状はないということは、見ただけで分かった。

 

「何故、私は眠らせなかったの?」

 

「アンタの抵抗力(レジスト)が強かったんだ。俺の【茫幽】を苦も無く弾き返すとか……中々アーツの使いに長けてるみたいだな」

 

 そうして少年は立ち上がる。懐から数枚の紙を取り出して、それを前方へと弾いた。

 

「【其は城壁 鏑の矢と鉛の弾と玉鋼の刃を悉く弾き 久遠に至らぬ恩恵を (つわもの)共に授け給う】―――」

 

 寡聞に聞いたことのない詠唱と共に、弾かれた紙が淡い光を放ち始める。それを危険だと判断した猟兵達は、再び一斉に銃口からマズルフラッシュを放った。

 

「―――【堅呪・崩晶(くえひかり)】」

 

 しかしその弾丸が二人を蜂の巣にする前に、紙を起点として発生した薄水色の水晶の壁が鉛玉の一切を受け止めた。

その非現実的な光景に敵が狼狽えた隙を見逃さない。二人はほぼ同時に一歩を踏み出したかと思えば、次の瞬間、クレアの視界から消えた。

 

「―――え?」

 

 コンマ数秒、否、それ以下かもしれない時間の経過。思わず口から出てしまったその言葉が届く先にあったのは、為す術もなく吹き飛ぶ猟兵達の姿。そして、その中心に立つ二人。

世界が、スローモーションになって見えた。いつの間に抜刀していた少年がチン、という音を立てて納刀すると共に武器がまるで食材のように細切れにされ、手刀を繰り出した女性の攻撃は全員の急所を違えず突いていた。

 

「殺しはせぬよ。元より我らも旅客に過ぎん。それに、うぬらには雇い主を吐いて貰わねばならんのでな」

 

「三流猟兵如きが吠えるなよ。せっかく嫌なことスパッと忘れて楽しもうとしてたのに……この落とし前どうやってつけてくれるんだ? あぁ?」

 

 圧倒的な強者が、そこにはいた。

自分があれほど怖いと思っていた連中を脅威どころか歯牙にもかけず、数秒も要さずに悉く無力化してしまった。

 

 月並みな言葉にはなるが、疼いたのだ。

自分は恐らく、あそこまでの境地に至る事はできない。武芸に関しては中の上、行けて上の下が関の山だ。

だがそれでも、力は必要になる。障害を跳ね除け、自分が求める結果を得るためには、相応の覚悟とそれに伴う力が要る。

 ならば自分が研ぎ澄ますべきは? 膂力? 否。剣術? 否。

 長所がないと言い張るほど、彼女は自分に対して悲観的ではなく、それを自覚している。

得手と不得手。それを冷静に客観的に俯瞰するだけの能力はある。しかし今、クレアは眩しく見えていた。

 

 市民の安全を脅かし、命を躊躇いなく奪う者らを前に臆さず怯まず、命を守りながら一掃する強さ。

そう在りたい(・・・・・・)と願っていたはずだ。軍人を志して士官学院に入学した時から、ずっと。

なのに、いつからか周りを鬱陶しく思って、その目標を見失っていた。国民の笑顔を守るために、国の平和を保つために。その為に、精進していたはずだったのに。

 

 

「……あ、というか師匠。コレマズいんじゃないですか? 多分後数分もすれば遊撃士か憲兵隊が集まってきますよ。とっととトンズラした方がいいですって」

 

「む。あぁ、そうか。無念だ。帝国産の葡萄酒は粒揃いで有名なのだがな」

 

「あー、もう。それはまたの機会でいいでしょう? ここで見つかったらまたメンド臭い事になります。卿に怒られますよ。三時間くらい正座バージョンで」

 

「よし、帰るぞ弟子よ。あやつの説教は粘着質じゃからな。聞きとうないわ」

 

「いっそ清々しいくらいに裏表がないですね、師匠」

 

 そんな会話を交わして、二人は転がっている猟兵を邪魔だと言わんばかりに足蹴にしながら裏口の方へと歩いて行く。

その背に向かって、クレアは声を絞り出した。

 

「待っ……て‼」

 

 その声に、女性は振り向かずにそのまま歩いて行く。彼女は知っていたのだ。呼び止められたのは自分ではないという事を。その代わり、少年が立ち止まり、振り向いた。

あどけない容貌を残している。いや、実際そんな年齢なのだろう。肝が据わっているとか、人智の慮外に足を踏み入れていた剣術を扱うとか、そう言った思わず目を疑いたくなるような事実を除けば、その少年はどこにでもいそうな子供だった。その右目の部分を覆っている眼帯は、些か似合わないのだが。

 

「君、は? 君の名前は……?」

 

 気付けばクレアは、そう問いかけていた。

 

 誤解の無いように訂正しておくと、彼女はまだ、この時点で彼に好意を抱いていたわけではない。

ただその力に、その目に、憧憬の念を抱いていただけだ。彼のように純粋に強くなりたいと、ただそう思っていただけ。

一言で言えば、目標のようなものだった。出会ってから1時間も経っていない、助けて貰ったのは確かだが敵か味方かも完全にははっきりしていない人物にそう問いかけるという行為は、普段のクレアであれば絶対にしなかっただろう。他ならぬ彼女が錬磨していた警戒心と緊張感が、それを許さなかったに違いない。

 無視されるのを覚悟で投げかけた言葉に、しかし少年は少し小首を傾げて逡巡した後、口を再び開いた。

 

「―――レイ。俺の名前はレイだよ。苗字(ファミリーネーム)までは言えない」

 

「……レイ。レイ、ね。……ありがとう。私を、私たちを助けてくれて」

 

「八つ当たりみたいなモンだ。憎まれこそすれ、感謝される事じゃない」

 

「それ、でも……言わせて頂戴」

 

 ―――ありがとう。

 それを口にした瞬間、クレアの意識は張り詰めた糸がプツンと切れたかのように失われた。

目を閉じる直前に目にしていたのは、どこか悲しそうな目をしていた、少年の顔。

 

 何故かそれだけが、ずっと脳裏に焼き付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラン―――と、再びグラスの中の氷の塊が躍った音を聞いて、二人は懐古の世界から浮上して来た。

 

 互いに互いの顔を覗き込んで、同じタイミングで笑う。

 

 

「いやまったく、あン時の俺はまだガキだったな。何せ11歳だぜ? 笑っちまうよ」

 

「何を言ってるんですか。―――格好良かったですよ。あの時のレイ君も」

 

 そう言われて悪い気はしない。しないが、今のクレアに微笑みながら言われると、若干洒落にならないのだ。

本人にしてみれば全くの無意識なのだろうが、その仕草一つ一つが異性同性問わず虜にする威力を秘めているのだ。少しは自覚して欲しいと、切に心の中で訴えかける。

 

「……あの後、お前は確か」

 

「えぇ。”複数の猟兵に立ち向かい、傷を負いながらも孤軍奮闘した勇敢な士官候補生”として祭り上げられてしまいました。まったく、あの時は罪悪感を感じるどころではなかったですよ」

 

「立ち向かったのは本当だろ? お前が庇わなかったら、少なくともあの女の子は助からなかったわけだ」

 

「それは……」

 

「なら、お前は”英雄”だったよ。少なくともあの場では間違いなく、な」

 

 含むところもなく、意地の悪さもなく、勿論嘲笑するわけでもない。そんな純度100パーセントの笑みを浮かべて、レイはそう言い放った。

 さて、もう今日だけで何度目だろうかと自問自答する間もなく、クレアはその表情に魅入って、頬を赤く染めた。

成長が遅いと本人も嘆いている姿を何だか目にした事があったが、未成熟のこの時点で笑顔一つがこれだけの破壊力を持っている。これがもし成長し、精悍な容姿となった上での言動ならば、恐らく気絶できるだろう。

無論、それは今のレイを物足りないと言っているわけではない。反射的に抱きしめてしまいたいと思う欲望を残っていた理性を総動員して抑え込む。

 

 つまるところ、同じなのだ。

 レイもクレアも、自身の魅力に関しては思考の埒外で、鈍感。故に互いに思うのだ。「もう少し自覚してくれ」と。

 

 その欲望を振り払うように、クレアは「次のお店に行きましょう」と言って席を立つ。カウンターで代金を払おうとバックに手を掛けたが、それよりも早くレイが会計を済ませてしまう。

「見栄くらい張らせてくれ」と言うレイに対して、やっぱり慣れているじゃないですか、と心中で頬を膨らませたクレアだったが、その後訪れた服飾店などでのウインドウショッピングなども心の底から楽しんだ。

レイの見ていない所でショーウインドウに飾ってあった純白のウエディングドレスを見て妄想をし、頭の中が再びオーバーヒートしかかるなどの事態もあったが、空が夕暮れに染まりかかる頃には、二人は再び皇城の中へと戻っていた。

 その一角、オリヴァルトとアルフィンの許可を貰って訪れていたサロンで、クレアは浅く、レイに頭を下げた。

 

「レイ君。その……今日は付き合って貰ってありがとうございました。お蔭で、とても楽しい一日を過ごせました」

 

「どういたしまして。俺も楽しかったよ。入学してからこの方、特別実習以外で外に出た事はなかったからな」

 

「ふふ。息抜きはどんな時にも必要ですよ。一応優等生で通っていた私も、たまの休日には街の外に出ていましたから」

 

「参考にさせてもらう。―――あぁ、でも」

 

 レイは側面がガラス張りになっているテラスの窓から視線をずらして、どこか物悲しげな笑みを浮かべる。

 

「少し、惜しいな。あぁ、本当に、ここまで無心で楽しめたのはいつぶりだよ」

 

「レイ君……」

 

「っと、悪い。愚痴るつもりはねぇんだ。ただ、やっぱり、な」

 

 今感じている幸福を、”重い”などと言うつもりは毛頭ない。

久方ぶりに心の底から楽しめた。その相手が級友ではなく自分を慕ってくれている女性の一人とのデートだという事に否が応でも自身の節操のなさを自覚させられるのだが、それでも楽しかったことに疑いはない。

 だから、最後の最後まで目の前の女性には最高の笑顔のままでいて欲しい。そう願ったレイは、制服の上着の中に入れていたあるものを取り出し、クレアに渡す。

 

「これ……あのお店の」

 

 百貨店の中でクレアが一度だけ目を止めた、藍色のブローチ。

装備品の類ではない、ただの装飾品。ただデザインが気に入ったという理由だけで目を留め、しかし先行していたレイを待たせられないという理由だけで諦めた代物。

それをレイは見逃していなかった。喫茶コーナーにクレアを待たせていた数分の間に、こっそりと購入していた物を今、彼女に渡したのだ。

 

「まぁ、その、何だ。職務中に着けるわけにはいかないだろうからよ。とっておいてくれるだけでも俺は嬉しいんだが」

 

「……勿論です。えぇ、勿論ですよ。大切にします。宝物にします。だから―――」

 

 コツ、とミュールの踵が大理石の床を叩く音と共に、レイの唇はクレアのそれと重なっていた。

それは浅い、それこそ啄むようなキスだったが、黄昏空を背景に交わされて、数秒後に離された。するとクレアは、熱を孕んだ目でレイを見やる。

 

「これはお礼です。ありがとうございました」

 

 ただそれだけを告げて、クレアはテラスの外へと出て行った。恐らく、衣装を返却しに行ったのだろう。

レイは気が抜けたかのように設けられていたイスに座り込み、ただぼうっと天井を見上げていた。それを続けてどれくらい時間が経った頃だろうか、テラスに再び人が入ってくる。

 

 

 

「や。随分と楽しんだようじゃあないか。不躾な訪問を許してくれよ」

 

「別にいいよ。ここを用意してくれた礼もある。……だけど、何だ」

 

 アレは反則だろう、と心の中で叫ぶレイを見ながら、オリヴァルトは「青春だねぇ」とどこか感慨深い言葉を漏らした。

 

「さて、現実に引き戻すようで悪いが、もう君はトリスタに帰るんだろう?」

 

「あぁ、まぁな。第三学生寮(ウチ)は別に門限は設けてないんだが……遅れたらメシ抜きになる。それは嫌だ」

 

「はは。それは死活問題だ。―――なら一つ、頼まれてくれないかい?」

 

「?」

 

 何を頼む? と怪訝ながらもオリヴァルトに向き合った。その口調からして無茶難題を押し付けようという訳ではないのだろうが、それでも警戒はしてしまう。

そんなレイに対してオリヴァルトはなおも苦笑の表情を崩さない。

 

「実はアルフィンの親友が急遽トリスタに足を運ぶ事になってね。丁度いいからレイ君、護衛をしてあげてくれないかな?」

 

「は? いや、ちょっと待て。姫様の親友って事は貴族だろ? そんなの俺に頼むよりも他に適任が―――」

 

「ところがね、これが君にも少なからず関わっている事なんだよ。―――どうぞ、入ってくるといい」

 

 オリヴァルトの入室を促す声と共に、テラスに入って来たのは一人の少女。

 

 その装いは帝都に存在する名門学校、『聖アストライア女学院』の制服。それを一分の隙もなく悠然と着こなしている。

長い黒髪と薄青色の瞳は、貞淑でありながらどこか一本芯の通った意思を感じさせる。それでいて礼に聡そうな雰囲気を醸し出しており―――レイは何となく、この少女の正体が分かってしまった。

 

「お初にお目にかかります。エリゼ・シュバルツアーと申します」

 

 似ている。否、リィンの話によれば血は一切繋がっていないはずなのだが、それでも根本的な所で似通っている。

その真面目さ、その胆力が、リィンと思いっきり重なるのだ。あぁ確かにこの二人は兄妹だ。頭の固い貴族共はそうは認めないだろうが、少なくともレイの目には、血の繋がった家族にしか見えない。

 

「この度は私の我が儘にお付き合いいただき、申し訳ございません。しかし早急に、兄に会わなくてはいけない理由が出来てしまいまして」

 

 そしてこうも思った。リィンよ、お前この妹に対して何をやらかした、と。

上手く、それこそレイですら注視していなければ気付かないほどに巧妙に隠されてはいるが、今目の前の少女は憤っている。不満が溜まり、噴火しかねないほどに。

だからこそ、オリヴァルトは自分に依頼したのか、と理解する。現時点で生徒の中で一番リィンと近しいのは自分であり、案内させる事に適任だと判断したのだろう。全く以て英断だ。

 

「こちらこそ宜しく、レイ・クレイドルだ。気にする事はない、ついでの様なものだ。案内させてもらうよ、エリゼ嬢」

 

「ありがとうございます。えっと、レイさん、とお呼びしてもよろしいですか?」

 

「ご自由にどうぞ」

 

 ともかく今は、心の中で渦巻いているこの熱気を一刻も早く冷まさなければならない。

そのため、見知らぬ人物と行動を共にする事に否はない。レイは、快くその依頼を受けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――同時刻、帝都駅構内 鉄道憲兵隊 司令所

 

 

 

 

 

「ぐ……ふぅっ」

 

「ど、どうしたんだドミニク少尉‼ 血塗れじゃないか‼」

 

「いや、これは……鼻血⁉ ま、まさか……」

 

「ほ、本日の収穫はこのメモリーの中に…………しかし、心して見るようにして下さい」

 

「「「「「「「「「「(ゴクリ……)」」」」」」」」」」

 

「隊員として、決戦に挑む覚悟で。でなければ―――死にますよ」

 

「……エンゲルス中尉、閲覧許可を」

 

「私達、覚悟はとうにできております」

 

「殉職など覚悟の上。我らはこのデータを拝見する義務があります」

 

「その通り。例えここで命を散らそうとも」

 

「「「「「我らは、大尉の姿を目に焼き付けねばなりません‼」」」」」

 

「……その覚悟、しかと受け取った。ならば―――見るぞ」

 

「「「「「サー・イエス・サー‼」」」」」

 

 

 

 

 

 その数時間後、まるで正体不明の敵に襲撃を受けたかのように大量の血の海に沈む鉄道憲兵隊の隊員が発見され、帝都駅は一時、騒然とした空気に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




……主人公に対する「爆死しろ、一片も残さず塵となれ」等の感想は感想欄にお願いします。あー、クソ。書いていて自分で砂糖吐くかと思いました。

まぁ、幸せならばそれで良し、って事で。この小説にR-18タグつけてなくて良かったなーと思いました。


あ、鉄道憲兵隊諸君はより一層結託が強まったそうです。ヨカッタネ。


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布石の一つ






「小物じゃけぇ寧ろ怖い。憎まれっ子世に憚るっちゅうてのォ。心根のくだらんモンがアホほど力持っちょる方が、ヤバさは洒落にならんと思わんか?」

                  by 壇 狩摩 (相州戦神館學園 八命陣)











 レイ・クレイドルという少年は、基本的に初対面の相手と一定の交友関係を築くのが上手い。

 

 それは彼が今まで培ってきた処世術と経験に裏打ちされた技術であり、信用・信頼はともかくとして、ものの数十分もあれば大抵の人間は彼に程度差はあれど心を許す。

それは言い換えてしまえば尋問官としても優秀な才能を持っているという事なのだが、昨今はめっきりそういった物騒な方面でその才能を使うことはなくなった。

 対象となる相手と手っ取り早く交友関係を築く方法は、趣味、もしくは共通点を合わせるという事だ。話し相手が自分と同じ嗜好性を持っているという事が分かれば、必然的に口は軽くなる。そのため、本気で情報を引き出そうと画策している時は例え表面上であったとしても全力で会話を合わせに行く。当然、心の中では面白く思っていないのだが。

 だが今は、そういった苦悩からは完全に外れて、楽しんでいた。

 

 

 

「それでですね、兄様ったら酷いんです。指に傷がついたら大変だーとか言って、一時は料理もさせてくれなかったんですよ」

 

「マジか。うわーマジか。シスコンって事は分かってたけどここまで群を抜いた超弩級シスコンだとは思わなかったわ」

 

「心配していただくのはありがたいんですけど……度が過ぎると思うんです」

 

「ま、アイツはクソ真面目だしなぁ。愛されてるって事だろう?」

 

「まぁ……それは分かっているんですけど」

 

 帝都発、トリスタ行きの列車の中で、レイは同行することになったリィンの義妹、エリゼ・シュバルツァーとすっかり打ち解けた様子で会話を交わしていた。

当初はそれこそ彼女は兄の同級生と一緒という事でどこか余所余所しい態度でレイと接していたのだが、列車に乗り込んだ後にレイが何とない様子で聞いてきた「なぁ、妹のアンタから見たリィンってどんな奴?」という言葉が効いた。

 そこから彼女の口から出てきたのは愚痴70パーセント、惚気話30パーセントという内訳のマシンガントーク。一見清楚そうに見えて実は結構苛烈な思考を持っているという事にレイは多少驚きはしたが、引くほどではなかった。何より、二面性を持った人物など、珍しくもない。

 むしろレイは積極的に聞いていた。手元にはメモ帳とペン。その状態で質問をしながら聞いているその姿は見ようによってはインタビューをする新聞記者にも見えるだろう。

まぁ尤も、腹の中で「このネタで1年は弄り倒せる」と考えているあたり同情の余地はないのだが。

 

 とは言え、だ。

 色々と愚痴を溢してはいるが、彼女がリィンを心の底から信頼しているという事は充分に伝わってくる。そして信頼しているからこそ、彼女は今、兄に対して憤っているのだろうという事も。

当の本人であるリィンが何をしたのかは知らない。だが、恐らく彼が無意識に彼女を心配させるような事を手紙にでも綴っていたのだろう。流石に詳細までは兄妹間のプライベートに抵触するため、聞く事はなかったが。

 愛されてるなぁ、と半ば呆れ交じりの苦笑をしてから、レイは手元のメモ帳をパタンと閉じた。

 

「ま、気持ちは分かるがね。アイツの事だ、どうせ昔っから律儀で一本気な性格だったんだろ? シュバルツァー男爵の教育が良かったんだろうし、出会ってたかだか数ヶ月の人間が何を偉そうにと君は思うのかもしれんが―――アイツ、モテるだろ」

 

 ピクリ、とエリゼの肩が震えた。

マズい、地雷を踏み抜いたか、と思ったが、これは言わずにはいられない。

勿論自分が何か言える立場ではない事は重々承知の上なのだが、それでも取り敢えず彼の身内には一応聞いておかなくてはならない。

 最近アリサがどうやら熱っぽい視線をリィンに送っていた事は知っていたし、それを見ていたシャロンが「奥様、お嬢様のお婿様候補がいらっしゃいます」とイリーナに報告していた事も知っている。この一族は外堀から徐々に埋めにかかるアリジゴク式の恋愛が好みなのだろうかと遠い目をしたものだったが、それは今はどうでも良い。被害者の一人としてリィンには同情せざるを得ないが。

 そこに加えてアルフィン殿下。彼女の場合は未だ好奇心の域を出ていないのだろうが、何せ立場が立場だ。本気で奪いにかかれば一瞬で掻っ攫われる事は目に見えている。まぁ、あの姫様の性格からしてそこまで強引な手段は取らないだろうが。

 そんな皇女殿下の”親友”であるという目の前の少女。恐らくリィンの事を姫様に話してしまった本人だろう。その表情を見る限り後悔などは微塵もしていないみたいだが、その行為はライバルを作った(・・・・・・・・)ようなものだ。それも、とびっきりの強敵を。心中穏やかではあるまい。

 

「(お前も一々厄介事を持ち込むのが好きだねぇ。ま、これも俺が言えた義理じゃあないんだけどさ)」

 

 常にからかってはいるものの、厄介事の数、密度、頻度で言うならばレイの方が数段上手だ。それでも敢えて自分からのアドバイスは控えておく。

これも経験だ。せいぜい悩んで答えを出して見せろと、同い年の青年に心の中で激励を送る。

 

「……兄は、その、学院で気になっている方とかはいるのでしょうか?」

 

「さあ? そればっかりはどうとも。真面目なのはいいが異性からの好意にはほとほと鈍感だからなぁ、アイツ」

 

「―――それはつまり、兄から好いている女性はいなくても、兄を好いている(・・・・・・・)女性はいる、という事ですか」

 

「さて、どうだか。思春期の人間なんざ軽いモンだよ。家柄とか、功績とか、そういうモンに目ぇつけないでただ容姿が良ければ惚れ込む奴らが大抵だ。そういう意味では、そうかもしれないが」

 

 受け流すようにそう言ったレイだったが、目の前の少女の勘の良さに思わず瞠目しそうになった。

 成程確かに、上の家族がが持ちえぬモノを下の家族が有しているとは良く言ったものだ。否、彼女の場合、単に好いている兄に近づく女性に対して過敏になっているだけのようだが。

つくづくリィン(ヤツ)は厄介な檻に放り込まれたものだな、と思ってしまう。他人に対しての観察眼が鋭いアリサに、旺盛な好奇心を実現させる為に必要な胆力と行動力を有しているアルフィン、そして、幼い頃から共に過ごして来たが故に兄の行動を、性格を知り尽くしているエリゼ。誰一人を取ってしても容易に御しきれる女性ではない。

 

「まぁそれは、君がその目で見て確かめるのが一番手っ取り早いだろ?」

 

「……えぇ、確かにそうですね。すみません、レイさん。疑い深く聞いてしまって」

 

「構わない。級友の妹の頼みなら断らないさ。どうせアイツも、君と鉢合わせれば見てて面白いレベルで狼狽えるだろうぜ」

 

「ふふ、そうですね。目に浮かびます」

 

 そう言って窓の外を眺めるエリゼに釣られてレイも外を見ると、見覚えのある景色が広がってきた。恐らく後数分でトリスタに到着するだろう。

それを理解したレイは、徐に窓を少しばかり開ける。そして空いた左手で式神(しき)用の呪符を取り出すと、小鳥の形に変形させて、窓の空いた場所から外に向かって放る。式はすぐに飛び立ち、トリスタの方角に向かって羽ばたいて行った。

 

「レイさん、今のは……?」

 

「手品の応用みたいなモンだ。行き違いにならないようにリィンを探しに行ってもらった」

 

「流石に手品の一言で騙されるほど、私は鈍くはありませんよ?」

 

 当たり前だ。それで騙せるのは相当な阿呆か、世間知らずくらいなものだろう。

しかし彼女としても、深く追求しようとしていないのは見ていて分かる。だからレイは、悪戯っぽい笑みと共に返した。

 

そういう事にしておいてくれ(・・・・・・・・・・・・・)

 

「……ふふ、分かりました。そういう事(・・・・・)にしておきます」

 

 察しの良い人物というのは無論の事話が進みやすい。

彼女の場合、それは女学院で身に着いたものなのだろう。皇女の親友で、付き人のような事をしていれば、必然と知らなくても良い事まで知ってしまうし、要らぬ妬み嫉みも吹っかけられることだろう。

それらを今まですり抜けてきた彼女が、察しが悪いはずがない。

”詳しく話すわけにはいかないからこれ以上は聞かないでくれ”という要望を直ぐに聞き取り、口を引っこめた。

 話術、交渉術の才能という点で言えば、彼女は兄を凌ぐだろう。強かさが垣間見えるが、それを不快とは思わない。

良い妹を持ったな、と思っていると、車内アナウンスが鳴る。帝都を出発しておよそ30分。多少想定外ではあったが、レイはトリスタへの帰路に着いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリスタ駅を出てすぐ、レイは式神を呼び戻す。それによるとどうやらリィン達はいつもの通り旧校舎探索を終えて帰る所らしく、エリゼには学院までの道順を教えてそこで一旦別れた。

 一旦別れたのは、第三学生寮に用があったからである。ちょうど帰って来た(・・・・・)感覚が伝わって来たため、なるべく早急に話をしなければならない。できれば、リィン達がいない今この時に。

そうして寮の玄関を開けると、まるで待ち構えていたかのように、そこにはシャロンがいた。彼女はいつも通りの深々とした礼で出迎えてくれたのだが、付き合いの長いレイには分かった。

 

「お帰りなさいませ、レイ様。うふふ、どうやら楽しんでこられたようですね(・・・・・・・・・・・・・)

 

 さてどこから情報が漏れたのだろうかとかいう疑問は、このスーパーメイドを前にした時は愚問と成り果てる。

何せ彼女はラインフォルト家の専属メイド兼会長秘書。情報収集及び整理はお手の物であり、何だったら今回だって最初から最後まで見られていたのかもしれない。少なからず浮かれていたあの状況では、完全に隠形を発動させた彼女を見つける事は不可能に近い。例え背後に立っていたとしても、だ。

 もしくは現場に居ずとも状況から導き出された推理だけでカマをかけているのかもしれないが、いずれにしても虚を突かれて数秒黙ってしまった時点で負けである。両手を軽く掲げたまま再び彼女の姿を見てみると、笑みは浮かべたままに音の一つも立てずに頭上のホワイトブリムを取った。

 

 それは、彼女が他ならぬ”ただの”シャロン・クルーガーとして接する合図であり、基本的にレイ以外に見せる事はない。

切り替えた(・・・・・)彼女が浮かべているのは前述通り変わりのない笑み。しかしそこに含まれている別の感情を、レイは読み取る事が出来た。

 怒り―――否、それは僅かな拗強(ようきょう)

一言で言ってしまえば、拗ねているのだ。

 

「罪な人です。クレアさんはさぞ幸福な時間を味わったのでしょうから、今度は私も、ね?」

 

「お、おう。了解。というか、アレだな。随分と積極的で」

 

「ふふっ、私だって好きな人がデートをしていたら……嫉妬ぐらいはするんですよ?」

 

 その証拠に、と言ってから23という歳からは考えられないほどの妖艶な雰囲気を纏ったままレイの顎筋を繊手でなぞり、ごくごく自然の流れのまま―――その唇を奪った。

至近距離から顔を覗いてみれば、双眸を閉じたその顔はほんのりと赤らんでいる。まるで、自分色に染め上げるかのような情熱的な行為は十数秒続き、離れる。

満足したような表情をしているシャロンとは対照的に、レイは自虐的な笑みを浮かべた。クレアと交わしたそれの残り香は、今完全に”上書き”された。為すがまま、されるがままの自分というのが―――堪らなく情けなくなってくる。

さらに情けないのが、自分がそれを拒まなかった、という事だが。

 

「私も負けられません。えぇ、負けられませんから、これからは少しばかり大胆に行かせて貰うかもしれません。それでも―――」

 

 それは、紛れもない本音だ。”メイド”である時の彼女は霧のように、或いは柳の枝のように茫としていて掴ませないそれを、彼女は今叩きつけようとしていた。

 

「あなたは私を、嫌いにならないでくれますか?」

 

 否と、そう答えられる男が果たしているだろうか。或いはそれすらも織り込み済みで言って来ているのかもしれないが、馬鹿でしょうがない男だという自覚があるレイは、それに無言で頷いた。

 シャロンはただ一言、「そうですか」と言ってから離れ、再び”メイド”へと立ち戻る。一分の隙もない、いつも通りの彼女がそこに立っていた。

 女性は生まれながらにして誰もが女優だ、とは上手く行ったものである。根っこが単純な男とは違い、女性は誰しも自分しか知り得ない真意を心の奥底に留めておくことができる。

シャロンはその点に関してはプロ中のプロであると言える。十重二十重に壁を用意し、自身の真意を曝け出すのは、本当に心から信頼した人物の前のみ。それすらも普段は表面に出す事はない。

故に彼女は無論の事、己の本心を曝け出すべきそのタイミングも重々承知している。サラやクレアとは違い、自らが相応に魅力的な容姿をしている事も理解しているし、それをどう使えば目の前の愛しい少年を為すがままの状態にできるかどうかも分かっている。それでも一人だけ抜け駆けをしないのは、彼女自身この状況を少なからず楽しんでいるからだろう。

 

「―――リィンに客が来てる。夕食を一緒にするかどうかまでは知らんけど、一応気を付けておいてくれ」

 

「承りましたわ。レイ様はご自室に?」

 

「あぁ。誰にも近寄らせないように(・・・・・・・・・・・・)頼む」

 

「かしこまりました」

 

 理由は聞かず、ただそれに頷いて了承する。その様子を見てからレイは階段を上がって自室へと戻り、鍵をかけた。

 瞬間、部屋の壁・天井・床の全てが不可思議模様の薄い膜に覆われる。まるでシャボン玉の中に取り込まれたかのような景色が広がる中、レイはベッドの上に腰掛ける。

すると、目の前に黄金の炎と共に彼女が現れる。レイの唯一の一等級式神シオンは、いつものような飄々とした雰囲気を沈め、恭しく頭を下げた。

 

 

「ただいま戻りました、主。少々長引いてしまい、申し訳ありません」

 

「色々頼んだのはこっちだからな。構わねぇよ。―――それで、どうだった?」

 

「はい。ヘカテ殿が入手した情報によりますと、既に”彼ら”は様々な猟兵団と契約を結んでいるそうです。中には≪北の猟兵≫や≪ニーズヘッグ≫、≪赤枝の獅子≫などの有名どころも招聘しているようです」

 

「……笑えねぇな。集めた数によっちゃ小国と戦争が出来るレベルだ」

 

 顔を顰めてそう吐く。金にモノを言わせて集めようとしている武力は、過剰と言っても過言ではない。どの猟兵団も、少しでも戦場に身を置いた経験がある者ならば聞いた事のある名前ばかりだ。

即ちそれは、捨て置く事が出来ない存在であるという事。顎に手を当てたまま黙っていると、シオンは報告を続けた。

 

「そして、≪赤い星座≫の傘下であるクリムゾン商会がクロスベルの旧ルバーチェ商会本部を買収したそうです。……時に主、自治州に於いて5月末に州議会議長のハルトマンを始め、多数の議員が逮捕された件についてはご存知ですね?」

 

「あぁ。クロスベルタイムズにも載ってたしな。それがどうかしたか?」

 

「その事件の裏に……どうやら≪教団≫の人物が関わっていたようでして」

 

 その情報を聞いた瞬間、レイは口角を釣り上げた。

しかしそれは、純粋なものではなく、どこか狂気じみたものを連想させる笑み。その意味を知っているシオンは、複雑そうな表情を浮かべた。

 

「クク、そうかそうか、あのクソ共まだ生き残りがいやがったか。ったく、相変わらずゴキブリ並にしぶとい連中だよ。あの時(・・・)きっちりきっかり潰して潰して粉微塵にしたはずなんだがなァ。どこのどいつだ?」

 

「っ……ヨアヒム・ギュンター。旧≪アルタイル・ロッジ≫にて『蒼の錠剤』の研究に着手していた人物です」

 

「あぁ、ヤクの研究者か。あそこは確かアリオスさんと警察の連中が鎮圧した筈だったか。―――それで、表沙汰に名前が出てこないって事は始末したんだろ?」

 

「はい。例のクロスベル警察特務支援課と……クロスベル支部に出向していたヨシュア殿とエステル殿が」

 

「―――そう、か」

 

 すると、滲み出ていた狂気の靄が薄まる。シオンが気付かれないように胸を撫で下ろすのと同時に、レイは背中からベッドの上に身を投げ出した。

 

「あー、駄目だ駄目だ。これから支部にも情報交換の要請しないとなぁ。あいつらにもいつか礼をしないと……と、その前に」

 

「はい」

 

≪赤い星座≫(あのヤロウ共)クロスベルに入る気だな。まぁ遊撃士の情報網を使えばこれくらいの事は想定済みだろうが、あいつらが関わって荒事が絡まないはずがねぇんだよな。流石に帝国(コッチ)にまで手を伸ばす、なんて器用なマネはしないだろうが」

 

「私もそう思います。しかしそれよりも目下は……」

 

「分かってる。―――ところで、ヘカテは身内の事に関しては言ってなかったのか?」

 

「…………」

 

 シオンは数秒ほど黙り込んだ後、おずおずと言った風に首を縦に振った。

 

「お考えの通り、です。”彼ら”から≪マーナガルム≫も契約を持ち掛けられたそうです。ヘカテ殿は門前払いをしたようですが」

 

「まぁ、当然だろう。金を払えばどうとでもなると思ってる馬鹿共と繋がれば虐殺紛いの事もさせられるだろうよ。それが分からないほどアイツも馬鹿じゃない。伊達に長い事団長やってねぇだろうし」

 

「はい。……それで、ヘカテ殿から主に伝言がございます」

 

「うん?」

 

「『コッチも少しばかりドタバタしてるが、私達は私達の道を貫かせてもらう。だから、大将は気にせずに学生生活を楽しんでくれ』―――との事です。心配しておられましたよ、ヘカテ殿は勿論、≪マーナガルム≫の方々は皆、主が気を揉んでいらっしゃる事を心配なさっていました」

 

「……ったく、今の”大将”はお前だろうによ。だけどまぁ―――もう引けねぇんだよなぁ」

 

「では、オリヴァルト殿下との交渉はもう?」

 

「あぁ、手を貸すと決めた。最初はそりゃ帝国のゴタゴタなんざどうでもいいと思ってたんだがな。どうにも居心地良く思えて来やがった。何より―――」

 

 脇に置いていた刀袋から愛刀を取り出して握り締める。片手でクルリと一回転させてから、力強く鞘尻を床に叩きつけた。

その姿は座した状態ながら、戦場へ赴く前の軍人を連想させ、シオンは思わず喉を鳴らした。

 立ち戻った(・・・・・)のだ。最盛期には程遠いが、ともあれ己の主は決意をした。自身が進む先にある隘路(あいろ)、それを排除しなくてはならない、と。

 

「―――こんな俺を慕って愛してくれる女達が守りたいと切に願っている国を、俺が切り捨てられるわけがねぇだろうが」

 

 それが俺なりの恩返しだ、とでも言いたげに、レイ・クレイドルは静かな声色でそう告げる。

いつだってそうなのだ。この人物は、義務感などには囚われない。贖罪と言う体裁で動くことは間々あるが、それとて例外ではない。

 彼は、彼自身の意思でしか動かない(・・・・・・・・・・・・・)

オリヴァルトと同盟を結んだから? そうしなければならなくなったから? 否、断じて否だ。自分がそうしたいと腹を括ったからこそ、シオンを情報収集のために飛ばし、自身も警戒網を常に張っていた。

 

 

「とは言え、先手は完全に取られてる。相手の手札は綺麗に揃っているのに、こっちはワンペアが精々だ。仕込みは少なく見積もって十年単位ってトコか?」

 

「打つ手は既に封じられている、と?」

 

「まさか。千年単位で妄執燃やしてやがるどこぞの錬金術師共よりかはマシだ。可愛いモンだろうよ」

 

 だが、それでいても個人であるレイが対処しようとする案件にしては些か以上に手に余る。

『結社』が絡んでいるのなら尚更だ。常人がその頂に君臨する存在の裏を掻く事は絶対に不可能。加えて厄介な呪いに蝕まれている以上、こちらから情報を流す事も出来ない。

 故に、張り巡らせなければならないのだ。出来うる限りの人脈と情報網を使って、最悪の事態は回避させなければならない。

”まだ”個人的な恨みがあるわけではないが、土壇場で後悔させる準備をするのである。お前たちは回してはいけない人間を敵に回した。精々後悔しろと、そう真正面から突きつける準備。

 

「いよいよキナ臭さが充満して来やがった。お前を本格的に動かす。いいな? シオン」

 

「御意に。この身は既に主の従僕なれば。如何な任務も承りましょう」

 

 膝をつき、首を垂れるその姿は、まさしく王と従者のそれであった。

 そしてレイがパチンと一回指を鳴らすと、不可思議模様の結界は容易く解除される。外界との接続を遮断していたそれが消え去ると共に、扉が控えめに叩かれる。

機を待って行われたと思えるそれにベッドから立ち上がり、扉を開ける。そこには、シャロンが立っていた。

 

「どうした?」

 

「ただ今、アリサお嬢様からARCUS(アークス)通信で要請が。エリゼ・シュバルツアー様が行方不明になってしまったとの事で、レイ様にもご協力を、と」

 

「何やったんだあの馬鹿(リィン)……」

 

 呆れたようにそう言うと、レイは自室の窓を開け、取り出した十枚程の呪符を放り投げる。小鳥型に変化した式神は、エリゼの姿を探すべく飛び立って行く。

直接的な接触があればより正確に対象者の居場所を探れるが、対峙して声を聞き、人となりを理解しただけでも充分と言える。程なくして見つかるだろう。

 しかし、その瞬間胸中に嫌な予感が引っ掛かる。故にレイは刀を携えたままに、走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 あまり進みませんでしたねー。申し訳ありません。

 

 そういえばこの前感想欄で「レイ君のモデルは鋼の錬金術師のエドですか?」と言われたのですが、成程確かに似ているかもしれません。たぶん声もそんな感じです。



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鬼祓い






「あまり強い言葉を遣うなよ。―――弱く見えるぞ」

              by 藍染惣右介(BLEACH)











 

 

 

 

 エリゼ・シュバルツァーが久方ぶりに兄に対してキツイ言葉を投げかけて走り出した理由というのは、それ程複雑なものではない。

 

 ただ、許せなかっただけなのだ。未だ自分の在り方を迷って己を卑下するような兄に対してと、そして何より、その原因の一つである自分自身が。

生まれた瞬間から男爵家の令嬢として強く美しく在れと育てられて来たエリゼ。領民に慕われ、己の芯を曲げずに貫き通す両親を尊敬していたし、自分もそうで在りたいと望んでいた。そしてその尊敬の念は、血が一切繋がらない2歳年上の兄に対しても変わらず注がれている。

 エリゼが3歳の時に父が拾って来た浮浪児。普通の貴族の家であればまず間違いなく引き取ろうなどしない子供を、シュバルツアー夫妻は我が子として慈愛を以て育てた。

そしてリィンも、幼いながらそれは分かっていたのだ。元が聡明であったためか、いつか育ててくれた両親に恩返しをしようと、真っ直ぐに、真面目に育った。そんな彼を、エリゼはずっと傍で見て来たのである。

 兄を想うその心が、兄弟愛から飛躍したのは一体いつの事だっただろうか、と言っても曖昧な答えしか返す事が出来ない。言葉の上では「兄様」と兄として慕ってはいても、心の中では常に恋慕の念で埋まっていた。

 だが、鈍感な彼がそれを気付くはずもない。よしんば気付いたとしても、真面目な彼はこう言うだろう。「お前は俺と違ってシュバルツァー男爵家の正当な令嬢だ。婿の成り手は幾らでもいるだろう」と。

 それは間違っていない。否、寧ろ正しい言葉だ。実際リィンという身元も分からない子供を拾って養子にした事でテオ・シュバルツァーは血統を最重要視する貴族達の反感を買い、疎まれた。それが嫌で社交界から身を引いた父の背中を見たリィンは、そういった事に敏感だ。

妹に辛い目に遭って欲しくないから、だから俺はエリゼと距離を置いた方が良い。あぁ、成程、心配している感情はありがたいほど良く伝わってくる。そんな実直な性格だからこそ今まで慕い続けて来たのだろうし、きっとそんな性格は一生変わらない事だろう。それは一転の曇りもない美徳だ。

 

 しかし―――エリゼに言わせてみればそれはある意味ありがたくも余計なお世話だったのだ。

 

 居てもたっても居られず、わざわざトールズまで出向こうと行動した理由となったリィンからの手紙。

そこには、彼が卒業後、家を離れるという旨が綴られていた。軍か、はたまた別の場所で働くかどうかはともかくとして、自分は男爵家を継ぐつもりはない、と。

 その胸中は読んだ時点で理解できていた。同時に、また兄の悪い癖が発症した、とも。

自らを卑下し、妹に、家族に対して引け目を感じる。自分は所詮浮浪児なのだから、いつまでも甘え続ける事は出来ない―――と。

 

 気付けば、兄を罵倒して走り出していた。

違う、違うと、何度も自分を責めながら、エリゼは校内を走る。自分を押し殺し続ける兄に憤怒して、本当の想いを伝えられない素直になれない自分が嫌いで、そうしていつもいつもそっけない態度のままに兄を苦笑いさせてしまう。

 反芻される苦い心が嫌になって溜息を吐いたころ、一人の貴族生徒に声を掛けられた。

『四大名門』の一つ、ハイアームズ家の三男、パトリック・ハイアームズ。彼としては異なる制服を着た人物が校内を歩いていたのを見て声を掛けただけだったのだが、少し会話を交わした後、エリゼの中には僅かな疎外感と不快感だけが残った。

彼女にとってみれば、兄の出自に否定的な口を挟む人間は仲良く話を交わす対象ではない。引き留める声を無視して更に走ると、いつの間にか目の前には、巨大な建物が現れていた。

振り返ってみれば、自分が辿って来た道があり、随分と遠くまで来てしまったのだと思いながら、ついつい、建物の玄関を開けてしまった。

 鍵がかかっているだろうと思いきや、意外とすんなりと開いてしまう。その不気味さをも醸し出す様子に、普通の温室育ちの令嬢ならば後ずさりして中に入るのを躊躇うかそのまま逃げるだろうが、生憎とエリゼは山麓の雪国育ちだ。兄や父に連れられて山道や洞窟などについて行った彼女からすれば、これしきの不気味さなど既に体験済みであり、畏怖するに値しない。

 しかしそれでも、中に入った瞬間は流石に僅かに眉を顰めた。

 何かが、違う(・・)。エリゼが知るような”建物の中”という閉鎖的な概念が、ここではどうした事か薄い。

形容し難いが、敢えて言葉にするならば、鏡合わせの世界、だろうか。合わせ方次第でどのようにも形を変え、無限の世界が広がっていく。

無論、踏み込んだ一階の時点ではその印象は薄い。精々勘の鋭い人物がこの場所を”異様”だと判断するような、その程度のものだ。

 引き返そう、と、そう考えた時に、視界の端に何かが見えた。

 

 黒猫だ。尻尾には大きな青色のリボン、首には鈴がついた首輪を付けたその猫は、触れずとも見るだけで分かるような高尚な雰囲気を感じさせた。

それはエリゼの方を暫くじっと見てから、ついて来なさいと言わんばかりに更に奥へと進んでいく。エリゼは、それに魅了させるかのように、後を追って奥へと進んでしまった。

 

 

 その十数分後、リィンと居合わせたクロウ、エリゼの行方を追っていたパトリックの三人が同じような道筋を辿って奥へ。

 

 アリサからの要請を受けたレイが居場所を特定してオリエンテーリング以来初めて旧校舎の内部に入ったのは、それから更に十数分後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……へぇ」

 

 どこか感嘆するような言葉を漏らして、レイは眼帯を被せ直した。

 目の前に広がっているのは、オリエンテーリングの時には存在しなかったはずの大広間。その中心には、大掛かりな迷宮機械(ギミック)が鎮座していた。

形からして昇降機だという事には当たりをつけていたし、その使い方も何となく分かる。ただし、その精緻さに好奇心を刺激されたレイは、≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫を発動させて覗き込んでいた。

 そして得られた結果は―――何もなし。

 そう、”何もなし”だ。古今東西ありとあらゆる情報を看破するはずのその瞳が、何も情報を映さなかった(・・・・・・・・・・・)

動作不良という可能性が皆無である以上、それが指し示す事実はただ一つ。

 

「(≪大崩落≫以前。古代ゼムリア文明のブツか)」

 

 まぁ、それもそうか、と。看破をした割には彼の反応は薄かった。

大前提の話として、レイはその時代に作られた遺跡に何度か足を踏み入れた事がある。即ち有史以前、≪七の至宝(セプト・テリオン)≫と共に地上の民が理想を追求するために技術を、思考を磨いていた古代ゼムリア文明と呼ばれる時代に生きた、神の御業に近づいた存在によって創られた超常物質(モノ)

 それらに、今を生きる人間の常識は通用しない。有史以来、人類が1200年以上の歳月を費やして高めてきた技術力ですら、当時の足元にも及んでいないのが実状だ。

 レイは武人であり、学徒の端くれなどではない。故に、否、だからこそ、そういうモノに一定の興味はある。言ってしまえばオーバーテクノロジーの集大成、ロマンの塊だ。自らの肩書云々の前に、一人の男としてどうにも気分が高揚してしまう。

例えるなら幼少期に自分だけの秘密基地を作ってそれを大人の目から逸らすために稚拙な工夫を、足りない頭を捻って考え出していた頃のそれに似ている。とかくこういう点で男というのは融通の利かない生き物だ。どんなに済ました人物であろうとも、”未知”という存在に対して興味を示さずにはいられない。

 そしてこれは、神々が実際に人々を見守っていた時代の産物。だからなのだ(・・・・・・)。この眼がそれの情報を看破するには、今のままでは接続が弱い(・・・・・)

 

「……まぁ、今はそれどころじゃない、か」

 

 興味は尽きないが、流石に今勘繰りしている余裕はない。

昇降機の中、操作盤を覗き込むと、案外単純な構造をしていた。これならば、それ程考古学に精通していない者でも動かす事は可能だろう。

解放されているのは地下4階層まで。居るとしたら恐らくそこだろう。操作すると、ガコンという音と共に降り始めた。

 そこそこのスピードのまま階下へと降りていく昇降機。そしてその最中、レイの耳に金属が軋み合う音、そして―――少しばかり懐かしく、そしてあまり歓迎できない類の妖気(・・)が漂って来た。

 

「(……まさか)」

 

 その嫌な予感は、地下4階層に昇降機が到着したと同時に的中してしまった。

 下がって様子を見ていたのは、リィンに着いて来ていたクロウとパトリック。レイは彼らを押しのけるようにして、眉を顰めながら前へ出た。

 

 

『ヴオオオオオオオァァアアアッ‼』

 

 そこに居たのは、”暴風”だった。体中から禍々しいまでの覇気を吹き出し、狂った蒸気機関車もかくやという程に疾走する存在。

剣風は一薙ぎで鋭利な刃と化し、床と壁を蹴って縦横無尽に疾駆する颶風。相対している3アージュはあろうかという首から上のない無貌の騎士鎧は、その手に携えた大剣を振るうも全く届いていない。

 それ程までにその剣士は……否、リィンは、今狂気じみた強者となって剣を振るっていた。

その髪は黒から銀色になり、瞳が紫から真紅に変貌していようとも、見間違えるはずがない。レイは超人的な動体視力でその動きを追っていると、夏服の薄手のカッターシャツに覆われている彼の胸の中心部を凝視した。

 そこから噴出しているオーラが一際濃い。成程、あそこからかと当たりをつけて、クロウの方へと視線を向けた。

 

「……どーにも、厄介な事になってるみたいっすね。経緯を教えて貰えます?」

 

「―――あぁ。ホラ、そこに寝てるリィンの妹がどうやってかこの旧校舎の中に入っててな。んで、俺達がここに到着した時はお嬢ちゃんはあのデカブツの前で気絶してたってわけだ」

 

 ふと、パトリックの方を見ると、その横にはエリゼが寝かされている。一目見た限りでは、傷などはついていないようだ。

対してパトリックの方はレイの姿を見て僅かばかり怯えたような表情を見せた。そこでレイは思い出す。あぁ、そうか。そう言えば先月少しばかり派手にやらかしたか、とその原因を回想するが、今はそんな事はどうでもいい。懸念すべきはリィンの事であり、そうなった(・・・・・)原因を探る事だ。

 

「……そんで、リィンはああなった(・・・・・)と」

 

「あぁ。どうにも冷静さがぶっ飛んでるみたいだったぜ。まぁ、目の前で身内が死んだかもしれないって思ったんだ。その反応は分からなくもないが」

 

「…………」

 

 目の前では、遂に決着がついた。

 ピシリ、という亀裂が生まれる音が響いたかと思えば、分厚い鎧が割れて瓦解した。見た目に反してどうにも脆いようで、腹部と右足の部分が壊れただけで重力に押し潰されてあっけなく倒れ伏してしまう。

 拍子抜けだ、とは思った。見るに魔法生物の類である事は一目瞭然だったが、耐久力はお世辞にも高いとは言えない。レイが昔相手にした、体の骨が砕けても頭部さえ残っていれば再生して襲い掛かって来た骸骨戦士(スケルトン)に比べれば全く以て稚拙としか言いようがない。

 

『ウ……ァァアアアァァ』

 

 さて、目標は撃破。壊すべきモノは壊した。

暴れに暴れて憂さ晴らしは存分にした筈なのだが、しかしどうにも目の前の級友はまだ足らない(・・・・)らしい。

 

「(―――まぁ、まだ”混じり者”として自覚してない領域なら……セーブなんて無理か)」

 

 自分の記憶の中にある人物を比べてしまうのは、流石にリィンが可哀想だろう。

 あちらは”魔人”。そしてこちらは―――”鬼”と言った所か。

既に自我はなく、本能の赴くままに覇気を垂れ流して暴走している。今は興奮状態から僅かに冷めているようだが、それもいつまで保つかは分からない。

以前のリィンならばそのまま力尽きて倒れてしまう所だっただろうが、なまじ鍛練と教練で鍛え抜いた所為で肉体と精神のポテンシャルはそこそこにまで伸びている。それがまさかこんな所で仇となるとは、流石にレイも予想外だった。

 ならば、取れる手段などただ一つ。

 

 

「【古の術鎖よ 忌者を封じよ】―――【怨呪・縛】」

 

 情け容赦は一切なく、リィンの体を縛った。

他者から見れば暴虐と取られても仕方のない行動ではあるが、ことⅦ組に限ってはその理屈は罷りならない。呪術に絡め取られて逆さ磔の刑やそこら辺に放置など、教練中にはよくある事だ。

尤も、ここまで本気で”動かせないように”縛り付けたのは流石に初めてだったが。

 大型の軍用魔獣ですらも縛り付ける術ではあるが、しかしすぐにギシギシと嫌な音を立て始める。単純な膂力でも大幅な上方修正がかかっているという事をすぐさま看破すると、背後の二人に言葉を投げかけた。

 

「パトリック、エリゼ嬢連れて出来るだけ後ろに下がれ。先輩、攻撃対象が変わると面倒なんで手出しは無用でお願いします」

 

「ッ……わ、分かった」

 

「りょーかい。Ⅶ組連中から”鬼剣士”なんぞと言われてるその実力、ゆっくり観戦させてもらうぜ」

 

 時間にして、およそ数秒。だがその数秒だけで、オーラが纏わりついた両腕が、術で編まれた鎖を引き千切った。

 あからさまに正気ではない、血に飢えた獣のような真紅の瞳がレイの姿を捉える。それに対応して彼自身も、口角を少しばかり釣り上げた。

 

「さぁ、決闘(きょういく)の時間だ。ンなナリになったんだ。少しはまともに動いてくれよ、リィン」

 

 スラリと刀を引き抜き、純白の光が建物内を照らしたと同時に、動と静の力は衝突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おーおー、こりゃスゲェ」

 

 そこには一切の誇張もなく、皮肉もなく、ただ純粋に眼前の激戦を讃える声が自然と口から漏れ出てしまう。

 繰り広げられているのは、同じ剣士同士ながらそのタイプは対照的という極めて玄人向けの戦いだ。互いに命を懸けた戦いとは無縁な者では、恐らく台風の発生源がもう一つ生まれた程度にしか認識できまい。事実、後方に退避したパトリックは終始呆然とした様子で戦いの様子を眺めている。

 荒れ狂うように剣を振るうのは依然としてリィンの方だ。それは変わらない。獰猛な獅子の如く、全身から身震いするほどのオーラを噴出させ、圧殺させるかのような勢いで連撃を叩き込む。

 しかし、それを受けているレイの方はと言えば、涼やかな表情を保ったままだ。見極めてやるからもっと荒れ狂えと、そう挑発しているかのように迫りくる剛撃を去なし、躱し、時には真正面から受け止める。

 既に交わした剣戟の数は数分で五十にも達しようというのに、変わりなくレイには攻撃が掠りもしていない。ここまで彼は、完全に受けの姿勢を維持していた。自分から攻める事はなく、迎撃すらしない。戦士の視線を否が応にも集めてしまう白刃は、未だその剣鋩を牙には変えていない。

体格差では如実に差があるというのに、Ⅶ組の面々を鍛え続けてきた矮躯の天才は余裕の表情を崩さない。鋼と鋼がぶつかり合い、耳を劈く轟音が響く剣舞の劇場(コンサートホール)の中で、いずれ主役となるであろう人物の採点を続けていた。

 

 その超人の戯れを眺めながら、クロウ・アームブラストは二丁の導力銃を握る手に、思わず力が籠っていたのを感じた。

年齢も立場も関係なく、”彼”というただの一存在、齢19の士官学院生は、冷静に俯瞰するでもなく、ただ見つめている。

 達人同士のぶつかり合いに比べれば、粗い。理由は言わずもがなリィンの方にあるのだが、レイとて本気の3割の力も出していまい。その様子はまるで、首輪を食いちぎろうとする猛獣を躾けるサーカスの調教師だ。手に持っているのが、鞭ではなく長刀であるというだけ。

 

「こりゃ……決まりだな」

 

 誰にも聞こえないような声色でそう呟いたクロウの言葉に肯定するかのように、数合を交わしたレイが徐に口を開く。

 

 

 

「―――駄目だな。あぁ、駄目だ。弱すぎて話にならない。いつものお前の方がある意味数段増しで手応えがあるぞ」

 

 落胆する声色に、暴走したリィンは知った事かと再び地を蹴って肉薄する。しかしそれを読み切っていたレイは、初めて迎撃の一手として剣を振るった。

交叉するように重なった二振りの刀。普通ならば充分な助走と遠心力を味方に付けたリィンの方が抑え込みにかかる形になるのだろうが、そんな常識は目の前の達人には通用しない。

 

「そら」

 

 聞こえたのは軽い声だったが、力点をいとも容易くズラされ、押し返された刹那の時間に襲ってきた一撃に、リィンは枯れ木のごとく吹き飛ばされ、壁に背中から衝突した。

 

『グ……ウぁああっ……』

 

「理性の一切を吹っ飛ばして敵の喉元に食らいつく事のみを残した狂戦士(バーサーカー)。膂力はそこそこだし敏捷力も悪くない……が、だからこそ拍子抜けだよ馬鹿野郎。まさかその程度で(・・・・・・・・)、俺を倒せるとでも思ったのか?」

 

 下されたのは、及第点には程遠いという判定。

過小評価ではなく、ただの事実。今のお前は弱い。達人級の人間にとってその性質は体の良い的でしかない。鍛練用のカカシよりはマシだという、その程度の存在だ。

 

 そも、人間の最大の武器は”理性”である。根本的に身体能力で劣る獣に対抗しうるために、人類は武器を、罠を、策謀を以てして繁栄を遂げてきた。武術も無論それに付随する。

 狂気に塗れているだけならまだ良い。それこそが使い手が原動力とする渇望である場合が確かに存在し、実際にそうした達人をレイは何人も見てきた。

だが、怒りに完全に飲まれ、人の身でありながら畜生の領域まで堕ちた際、それでもなお武術の真価を発揮できる者はそれこそ一握りでしかない。積み上げ体に刻んだ鍛練が本能レベルにまで昇華し、いかなる状況であろうとも無窮の武を体現できる。それこそまさしく”達人”と呼べる者達だ。

 

「嘗めるなよ。醜悪な己を制御できないのなら、せめて抗える程度には強くなってみせろ。そのための御膳立てはしておいてやっている筈だぞ」

 

 徐々に理性を取り戻しにかかっているリィンに近付き、胸倉を掴みあげながらそう吐き捨てる。

聞こえているのは分かっている。思考を取り戻し始めているのも分かっている。―――だからこそ言わなければならない。

 レイも理解していた。これこそが、リィンが内包する”闇”に他ならない、と。

感情の暴走が引き金となって無意識に呼び出される破壊の本性。記憶は薄れ、理性はなく、敵味方の判別すらも怪しい。成程、確かにそれは脅威だろう。それが己の内に巣食っているのだとすれば尚更だ。

 前後不覚になった自分が、仲間を傷つけてしまう事を恐れている。今の自分では制御不可能な力を、彼は忌み嫌っている。

 

 だが―――それがなんだ(・・・・・・)

 

 

「温いんだよ馬鹿。生憎とその程度の覇気を出す人間なんざ俺は呆れるほどに見て来たぜ? 漸く殻破ったばっかの雛鳥が大空で乱気流に呑まれて翼捥がれる想像してんじゃねぇよ。

だから―――」

 

 そう。だから。

 

 

「お前が暴走しても俺が幾らでも捻じ伏せてやる。お前はただ正面向いてろ。強くなりたいっていう渇望握りしめたまま、アイツらと一緒に走り抜けて見せろよ」

 

 後顧の憂いなど考えるな。今はまだ面倒見ていてやるからと、そう言って級友の額を指で弾く。

 

 それが傲慢である事は分かっているし、余計なお節介である事はもっと分かっている。鬱陶しく思われる事すら覚悟の上で、それでも彼は手を伸ばすのだ。

 どうしようもなく―――彼らの輝きに目を奪われた者として。

 

 

『あ……ぐ……レ……イ……』

 

「あー、はいはい。少し待ってろ。今楽にしてやっから」

 

 意識は随分と表層に出て来たようだが、どうにも戦いが白熱しすぎて戦闘意欲に火を点けてしまった所為かリィンは上手く戻れていない。

髪色も瞳の色も本来のそれと混じってしまっている。悪影響が出ないとも限らず、そも原因の一端を担ってしまった身として、このまま放置とは流石に行かない。

 

 普通の人間ならば打つ手が分からず躊躇う事が正常だろうが、幸か不幸かレイは正当な呪術師の血筋を引いている。

扱う術の中には天文学的な意味合いではない陰陽術、つまり悪鬼を対象にした封印術も含まれ、有体に言えばそのテの専門家だ。

 

「【籠に住まう凶将の欠片 歳刑(さいきょう)歳殺(さいせつ)に隷属する諱鬼(いみおに)は滅門の彼方より出で給う】」

 

 懐から取り出した呪符に、刀の切っ先で傷つけて血が滴る指先を押し付けて赤い陣を描いていく。

第三者からすれば摩訶不思議な紋様を、詠唱をしながら描き終えると、戦いの余波で服が破けて見えていた黒いオーラの噴出口に叩き付ける。

 

「【されど我 災厄を退ける戒人(いましめびと) 夜叉の加護をこの身に宿して 荒御魂(あらみたま)の暴虐を鎮め給う】」

 

 描かれた血の紋様が、再び解けて無数の糸となり、禍々しい気を抑え込む。

苦しげな声を上げるリィンに対して我慢しろと心の中で声をかけ、レイは幾つかの印を結び、仕上げにかかった。

 

「【故に悪鬼よ逢魔時(おうまがとき)にて邂逅せん 此処に血脈の契りは成り 我は其を封じる獄番と成る】」

 

 少なくとも、感情の励起程度で姿を現さないように、その体の奥底に封じてしまう。完全に消滅させないのには幾つか理由があったが、その内の一つにはレイ自身の要望も混じっていた事は否定しない。

 ”コレ”はリィンの根幹であり、彼自身が真正面から向き合うべきモノ。そしていつか支配下に治めた際には、彼にとって唯一無二の力となるだろう。

願わくば≪焔の魔人≫とも戦り合える段階まで昇華して欲しいと思いながら、レイは両の手の平を眼前で合わせた。

 

 

「【天道封呪―――南門朱雀(なんもんすざく)(みつかけぼし)

 

 

 本来であればそれは、”闇”と”炎”の属性を持つ悪鬼を封じる呪術であり、その程度をレイはわざと弱めた。

欠片程度のものとはいえ、リィンの中に巣食う力はかなりのものだ。それこそ、呪術師の一族に伝わっている中でも最上位に近い封印術を施しても抵抗の意識を残しているほどに。

 だがそれでも、一時的な封印を仕掛ける事くらいわけはない。禍々しいオーラは一切消え失せ、外見もいつものリィンに戻ったが、当の本人は気絶していた。

 

「ったく、元がそこそこ強くなったから思いの外梃子摺(てこず)ったな。世話の焼ける」

 

「ハハ、いいじゃねぇの。いやー、熱かったぜ、お前らの一対一(タイマン)

 

 気絶したリィンを担ぎながら、レイはそう言って来たクロウに対して浅く礼を返した。

 

「先輩もすみませんでした。巻き込んじまったみたいで」

 

「良いって事よ。それよりとっとと地上に戻ろうぜ。また厄介なヤツが出てこないとも限らない」

 

「確かに、そうっすね」

 

 当たり前と言えば当たり前の提案に頷く。そこでレイは、さっきまで特に気を止める事もなかった部屋の巨大な赤い扉に目をやった。

 

「…………」

 

 触れなくても分かる。この扉は、今はどんな手段を使おうとも誰も招き入れる事はないだろう。

知識から派生する事実としてではなく、経験から来る勘だ。左目を使わずとも異様であるという事は分かるのだが、その詳しい所までは知らない。

否、これも昇降機と同様に太古の昔に作られた”遺作”であるのならば、恐らく誰に問おうとも分からないだろう。

 

「―――?」

 

 と、そこでレイは自分を睥睨するかのような視線に勘付き、反射的に部屋の上層部分を見る。

しかしそこには物言わぬ石が積み上げられている光景のみが広がっており、視線を投げかけるような存在などどこにもいなかった。

 感覚が鈍ったか? という疑問がまず挙がったが、戦闘後で冷却が済んでいない今の状況で警戒心が薄れているはずもない。

未だ釈然としない感覚が残りながらも、レイは昇降機の方で自分を呼ぶクロウの声に応えて、ひとまず退散する事にした。

 

 目を背けた後、群青色のリボンをつけた黒の尻尾が視線の外でゆらゆらと揺れていた事には終ぞ気付かないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果として、エリゼ・シュバルツァーはその日一日は寮に泊まって行く事となった。

 

 あの騒動の後、校内に残っていた保健医のベアトリクス先生の元でエリゼは体調に異常なしと判断されたが、それでも気疲れしている面は否めず、気を利かせたサラの言葉によって一拍する事になったのである。

そして、エリゼが目を覚ますのとほぼ同じ頃合いにリィンも目を覚まし、落ち着いた状態で二人で話し合い、どうにか兄妹喧嘩は鳴りを潜めたらしい。

 

 シャロンも抜け目なく一人増えた分の夕食だけではなく、空き部屋の掃除からベッドメイキングまでを恙なく終わらせており、その手際の良さはエリゼが思わず苦笑いをするほどだった。

因みにⅦ組の他のメンツは一切驚く素振りを見せなかった。シャロンの有能さを散々見せつけられ、既に”そういうもの”だと諦観してしまっている。それでも無論、感謝の言葉は忘れないのだが。

 

 

「いやー、今日は長い一日だった。流石の俺でも結構疲れたぜ」

 

「ハハ。そうだったのか」

 

 そんな中、レイはリィンに連れられて夕涼みの名目で寮の外に出ていた。寮の中では今も賑やかな夕食が続いており、特に女子勢がエリゼを囲って華やかながら姦しい談笑を続けている。

 そして、リィンはレイのその言葉に苦笑交じりに返した後、律儀に深々と頭を下げた。

 

「ありがとう。そしてゴメン。また迷惑をかけた」

 

「礼儀としては一応受け取っておく。でも貸しだとは思ってねぇからな」

 

「あぁ、レイならそう言うと思った」

 

 分かっていても、この真面目な好青年は頭を下げずにはいられなかったのだろう。そしてそこが彼の代え難い長点である以上、咎めるわけにも行かない。

それを受けて、レイはまるで世間話をするように、僅かに深い所まで足を踏み入れた。

 

「んで? いつからなんだ?」

 

「……自覚したのは11年前だったかな。エリゼと一緒に雪山を歩いていた時に魔獣に襲われて、守ろうと思って奮起した時に、なった(・・・)

 

 それが始まりだったと、リィンは滔々と語る。それからの記憶は綺麗に飛んでおり、気がつけば目の前には解体されて血溜まりに沈む魔獣が転がっており、右手には血塗られた鉈が握られていたという。

 それから彼は、自らの内に潜む獣の励起が怖くなった。得体の知れぬそれを、僅か6歳の子供が恐ろしいと思わないはずがない。

 

「レイは、”コレ”の正体を知ってるのか?」

 

 胸の中心を手で押さえて、どこか懇願するかのように問うてくるリィン。それに対してレイは、一切隠す事なく、正直に答えた。

 

「詳しい事は知らん。昔の知り合いに、同じような能力を持つヤツがいたって事しか分からなくてな」

 

 だけど、と間髪入れずに続ける。

 

「それはお前が面と向き合って付き合わなくちゃいけないモンだ。今は俺が封印を施しちゃいるが……それでも一時的措置に過ぎん。感情の揺れ幅で出てくる事はないだろうが、お前が本気でヤバいと感じた時は、封印抉じ開けて出てくるぞ」

 

「……いや、充分過ぎるよ。確かに、いつまでも忌み嫌っていられないしな」

 

 それは”逃げ”なのだと、そうリィンは直視した。

いつまでも脅えたまま悶々と過ごすわけにはいかないし、何より代え難い友にも出会う事が出来た。

 この力と真正面からぶつかり合っても尚、弱いと吐き捨ててくれる人物がいる。前だけを見て向上しろと、力強く言ってくれた少年がいる。

なら、そこからは考えるまでもない。受けた恩は結果という目で見える形で返さなくてはならない。後々、ああ言っておいて良かったと、この友人に思わせるようにならなければならない。

 そう決意を固めていると、寮の方から声が掛かった。

 

「リィーン、レイー。何してるのよ、早く戻って来なさーい‼」

 

「シャロンさんがデザート持って来てくれたよー」

 

 見ればアリサとエリオットが窓を開けて呼んでいる。それに薄く笑ってから戻ろうとレイに声を掛けたが、彼は「いや」と返してくる。

 

「もう少しクールダウンしたい。俺の分のデザート取ったらぶっ殺すって言っといて」

 

「ははは。了解。あんまり遅くなるなよ」

 

「分かってるよ」

 

 そう言って、リィンは寮の方へと戻って行った。

 それを眺めてから、レイはただ足の赴くまま、夜のトリスタの街を歩いて行く。

春時に比べれば確かに気温は高くなっているが、それでもまだ熱帯夜には遠い。まだどこか涼しさを残す町並みを見まわしながら、レイは街の中心の公園に足を踏み入れる。手頃な場所のベンチに座ると、木々の間を抜けて来た風が、僅かにその髪を揺らした。

 周囲には、誰もいない。いっそ不自然なほどの静寂に包まれるが、レイはこれ幸いと体の力を抜く。

刀は持たず、両足はブラブラと宙に投げ出したまま。加えて深く座って寄りかかっている所為で、すぐには行動できない。

 

 だから、出て来い(・・・・)。思考速度も鈍くしたままに、見えない相手に聞こえないはずの念を送った。

 

 

「……言われなくてもそうするわよ。全く、こんな御膳立てまでしてくれちゃって」

 

「そーしなきゃ出てこなかっただろうが。ってか何だ、ご主人様放っぽっといて大丈夫なのかよ」

 

「あの子はまだ未熟だから、お目付け役の私が出張るのがスジってものでしょう?」

 

 ヒタヒタと、小さい足音を鳴らしてレイの眼前に現れたのは、一匹の黒猫だった。

暗闇の中でも月光を反射して艶を見せる黒毛に、高貴さを感じさせる黄緑色の釣り目。銀色の鈴がついた首輪と尻尾に巻かれた群青色のリボンは飼い猫である事を見る者に分からせるが、彼女(・・)の正体はそんな下賤なものではない。

 

「魔女の使い魔、か。哺乳類は初めて見たな。それにしても違和感なく喋るモンだ」

 

「アンタの従えてるレベルの違う天狐と一緒にしないでもらえるとありがたいわね。規格外にも程があるでしょうに」

 

「俺の自慢だよ。……さて、前置きはこの辺りでいいだろう?」

 

 何を聞きに来た。と無言で問うその右目に黒猫―――セリーヌは僅かに柳眉を逆立て、しかし冷静に問いかけた。

 

「聞きたい事は一つよ」

 

「へぇ」

 

「アンタは一体、何をしにこの帝国にやって来たの? 元・遊撃士協会クロスベル支部所属準遊撃士―――いえ、こちらの肩書で呼んだ方が良いかしら」

 

 サァッ、と再び風が吹く。しかしそれは、彼女の言葉を遮る程の強さではなかった。

 

 

 

 

 

「元・結社≪身食らう蛇≫ 執行者No.Ⅺ ≪天剣≫レイ・クレイドル」

 

 

 

 

 頭上には、未だ美しい望月が座している。

 それを見上げてほぅと一息を吐きながら、レイは自嘲の中に寂寥感を加えた笑みを、そっと浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




原作よりもリィンを暴れさせてみました。
でもそれでも、レイの境地には程遠い。お前は弱いのだと言い放つシーンが書きたかったもので。

さて、やはり遠慮も何もなく物事の根幹に突っ込んでくるキャラは彼女しかいないでしょう。セリーヌさん。

敢えて言おう。良くやった、と。


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天狐の試練

いやー、ホント。ノリって怖いですね。

実は今回とあるテキスト型アドベンチャーゲーム(Vita版)のBGMの一つである『空ヲ亡ボス百ノ鬼』という曲を聞きながら書いておりましたら悪ノリしました。


一応言っておきます。


今回最終回じゃないですよ‼





 

 

 

 

 七月某日、天候は快晴。

 不快にならない程度の暑さの下、学院生は勉学と鍛錬に勤しむ。時に真剣に、時に友人と談笑しながら、切磋琢磨して互いを高めあっていく。それが、学生としてのあるべき姿だ。

 そしてそれは、規律に縛られた士官学院生であっても例外ではない。……はずだった。

 

 

 

「ぅ……ぐ……」

 

「痛い……メチャクチャ痛いわ……」

 

「……やっぱ強すぎ」

 

 広大なグラウンドに転がっているのは死屍累々の生徒達。普通に倒れている者もいれば、クレーターの中に埋まっている者もいる。九名の内、意識が残っているのは五名。

 リィンはアリサに肩を貸しながら立ち上がり、フィーは糸で引っ張られた傀儡のように再び臨戦態勢に入る。ラウラは大剣を構え直し、ガイウスは静かな闘気を漲らせている。

前衛が四人に後衛が一人。魔導師タイプのエマとエリオットは揃って目を回してリタイアしているため、根性で生き残ったアリサだけが頼みの綱という状態だった。

既に凄惨な様相を呈しているグラウンド。攻撃の余波で幾つかのクレーターが形成され、焦げ臭い臭いが充満している。五人が揃って睨みつける先は未だ砂煙に覆われているが、その先に打倒すべき目標がいる。即ち、今回の実技試験の相手役だ。

 倒れている仲間は本来ならば今すぐにでも助けるべきなのだろうが、生憎とそれが罷り通るほど生易しい相手ではない。警戒心を限界まで張り巡らしていると、漸く砂煙が晴れてきた。

 

 

 

善哉(よきかな)善哉(よきかな)‼ やはり若人は成長が早い。それも流石は主の見込まれた方々ですな。正直、ここまで食い下がられるとは思いもよりませんでした」

 

 

 煙の先に鎮座していたのは、豪奢な着物を身に纏った金髪の美女。普通の人間には着いていない狐耳と金色の二本の尾は、ゆらゆらと風に揺れている。

 

 レイ・クレイドルが従える唯一の一等級式神、シオン。彼女は少し崩した状態の座禅を組んだまま、重力を完全に無視したように宙に浮いていた。

といっても遥か頭上というわけではなく、目線はガイウスとほぼ同じくらいだろうか。そして彼女は、試験が始まっておよそ二十分。その場所から僅かも動いていない(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「くっ……」

 

 悔しげな声を絞り出したリィンがガイウスと視線を交わして駆け出そうとするが、そんな余裕は与えないと言わんばかりに、彼女の周囲で形成された五つの火球が飛来する。

速いが、決して躱せないほどではない。リィンの合図で各自が散開して回避し、一撃を与えるために肉薄しようとするが、不規則に動く二本の尾が金色の光を放つと共に、リィンとガイウスの進行上に爆発的なエネルギーが着弾する。それを直感で理解した二人は、ギリギリのところで飛び退いて回避した。

 

「フムフム、勘が鋭くなって参りましたな。尤も、察しの速さはまだ遅い。実戦であれば戦闘不能になったお仲間を助ける余裕もなければなりませぬ。ならば畢竟、このような事態に陥っている事こそが既に悪手と言わざるを得ません」

 

 そんな彼らに、シオンは交戦相手として迷う事無く辛辣な評価を下す。しかしそれは、中途半端に甘い評価を下されるより確実にリィン達の糧となった。

 そもそも、一撃で人を戦闘不能に陥れる力を持った先程の攻撃でさえ、シオンにとっては自己防衛の攻撃(・・・・・・・)に過ぎない。現に彼女は今も両手は膝の上で印相を組んだままであり、詠唱の一つも口にしていない。その状態でレイを除いたⅦ組全員を相手取り、未だそよ風の中に居るような態度を崩していない。

 

 甘く見ていたわけではなかった。あのレイが一切の信を置く式神の枠に収まらない筈の存在。あのサラを以てして「規格外」と言わしめる彼女がまさか斥候や諜報本面に能力を特化させているわけがない。

 だがそれを差し引いても、強い。レイやサラとは異なり、近づく事すら許されない(・・・・・・・・・・・)

 

「さて、この程度で手詰まりな筈はありますまい。疾く私に一撃を入れねば、試験は永遠に終わりませぬぞ?」

 

 再び彼女の周囲を取り囲むように、九つの火球が生まれる。

 恐らく今まで最高難易度の試験を前に、リィンは挽回の手立てを思考しはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

「あーい、んじゃ今回も今回で実技試験を始めるわよー。……あー、頭痛い」

 

「あ、もしもしシャロン? あぁ、うん。サラの奴がまた二日酔いで試験受けさせようとしてっからさ、一週間禁酒でよろ」

 

「アンタアタシを殺す気⁉」

 

「サラ教官、顔が本気だな」

 

「自業自得だ。そのまま酒断ちでもした方が身のためじゃないか?」

 

「ゆ、ユーシスも言うね」

 

 

 エリゼの一件があってから二日後、Ⅶ組の面々とサラは、もはや定番となって慣れてしまったやり取りを交わしながら、グラウンドに集まった。

最初の頃に比べれば各々余裕というものが生まれて来たが、それでも緊張感は切れていない。伊達に地獄の実技教練を潜り抜けているわけではなく、どんな状況でも一定の緊張感は持って行動するようになっていた。

 

 一週間では下手をするとサラの健康に害を及ぼすと考えたレイは禁酒の期間を三日間に縮めて迫ってくるサラを押し戻した。これで学生寮内での飲酒はシャロンが見逃さないようになったが、後はトマス教官辺りにも根回しをして飲み会に誘わないように言い含めておく。余裕があればナイトハルト教官にお目付け役になってもらう事も視野に入れていると、サラがトボトボとした足取りで元の位置に戻った。

 

「あー、もう、オニ‼ アクマ‼」

 

「試験前日に二日酔いになるまで飲む社会不適合者に言われたくねぇよ」

 

「いや、あの、二人ともその辺で。なんか変な空気が漂って来たので」

 

 クラス委員長(エマ)に諭されてそれもそうだなと矛を収める二人。仕切り直してサラは、全員を見渡して一つ息をついた。

 

 

「はいはい。今日の試験だけど……まぁぶっちゃけアンタ達フルボ―――扱かれた所為でそこそこ強くなって来たし、正直戦術殻程度じゃ強さ計れなくなって来たのよね」

 

「今絶対フルボッコって言おうとしていたな」

 

「まぁ、本当の事だし反論できないんだけどね……」

 

「そんな訳でコンビ組んでもらって総当たり戦でやろうかと思ったんだけどね。それより良い案があるって、そこの小さいのが言ってきたの」

 

「お前ホントいつか海に沈めるぞアル中」

 

 自身の矮躯を指摘されてキレかかるレイはいつもの事だったが、彼を除いたメンバーはその瞬間、体を強張らせた。

何せ今まで危うく冥土の川を渡りかねない程の特訓メニューを考案して来た彼が、遂に実技試験にまで進出して来たのである。これが恐怖でなくて何と言うのだろうか。

 するとレイはそんな彼らの心の声を重々承知していたのか、いつものような意地の悪い笑みを浮かべる事もなくヒラヒラと手を振った。

 

「あー、別に無茶な事させるつもりはねーよ。ただどうにも最近俺が危惧してることがあってだな」

 

「? どういう事?」

 

「慣れだよ、慣れ。お前ら何だかんだで俺の扱きに着いて来れるようになったし、実力だって上がってる。正直そこいらの大型魔獣相手にしても慢心しなきゃまず負ける事はねぇだろうさ」

 

 思わず頬が緩みかける何人かを見て、「だけどな」とやや強い口調になって続ける。

 

「怖いのはここからだ。訓練を積む際に古今東西問題になるのは慣れでな。どんな厳しい修行でも数ヶ月もすれば当たり前になってくる。お前らで言えば教練の時の相手はいつも俺かサラだからな。それはちとマズい。何がマズいか分かるか? リィン」

 

 いきなり話を振られたリィンは、しかし狼狽える事なく数秒考え、答えを導き出す。

 

「レイもサラ教官も、近接主体のタイプだから―――魔導士タイプの相手との経験が不足してる、って事か?」

 

「ご明察。まぁ俺の呪術は基本的に防御とか捕縛とか、ついでに封印とかそっちの方に偏ってるし、サラのアーツは手加減って言葉度外視のモンばっかだから無理。いっそ委員長とエリオット組ませてアーツ弾幕地獄パーティーさせようかとも思ったけど万が一があったらヤバいのでこれも却下」

 

「回復主体のエリオットはともかく、エマ君の攻撃アーツは洒落にならないぞ……‼」

 

「味方としては頼もしい事この上ないが、敵に回るとなると恐ろしいな」

 

 それに関しては、レイも充分に認めていた。

広範囲回復のみならず水属性と空属性のアーツの練度も上がって来たエリオットはパーティーには必須の存在であり、そしてエマは火属性と幻属性を中心として全属性の攻撃アーツを器用に使いこなす天才肌。その身に宿す魔力の絶対値が多い事もあって、魔導士としての素質は限りなく高い。

 だがこの二人、まだ手加減をしつつ尚且つ全力に近い攻撃を放つ、という次元にはまだ至っていない。精緻な魔力のコントロールと出力調整がモノを言うこれは、充分経験を積まないと可能にはならないのだ。

 

「だから、プロを呼んだ。なに、心配するな。俺の呪術の修行にも付き合ってくれた事があるし、実力は折り紙付きだ」

 

「え、それってまさか―――」

 

 アリサが頭の中に浮かんだ人物(?)の名前を言おうとしたところで、刹那、時が停止した。

 瞬間的にグラウンドに張られる広域結界。レイの扱う【幻呪・虚狂】と同じ認識阻害の能力が付与されたそれは、”範囲内の出来事に部外者が関心を持たない”というシンプルながらも高度な術式で組まれており、それを維持する呪力を提供しているのはレイだが、展開した本人は、いつの間にかリィン達の前に座禅を組んだまま浮遊していた。

 

「さて皆様、朝方ぶりですな。不肖このシオン、此度の実技試験の相手役として召喚されました。このような姿勢で申し訳ない」

 

「い、いえ。お疲れ様です、シオンさん」

 

「ふむ、シオン殿が相手役か。これは我らも腹を括らねばならんな」

 

 長い金髪を風に靡かせながら莞爾に微笑むその姿は幾ばくかの月日が経った今ですら生徒達を魅了しているが、流石にこの状況で見惚れるほど愚かではない。

一番最初に武器を構えたのはフィー。未だ相手は臨戦態勢にも入っていないというのに、彼女の頬には一筋の汗が伝っていた。

その理由は、リィンにもすぐに理解できた。普段とは違い、彼女の全身から膨大な量の呪力が放出されている。それこそ、油断をしていればすぐに呑まれてしまうだろう。

 それを全員が理解し、臨戦態勢に入るまで数秒。その様子を見てシオンは鷹揚に頷いた。

 

「宜しい。各々方戦気は上々、僅かな狼狽もなし。ふふ、僅かな月日でどなたも戦士らしい顔つきになられた」

 

 シオンが現在腰骨の辺りから現出させている金色の尾の数は、二本。挑戦的に笑う姿は、成程確かに主人に似通っていた。

 気付けば、レイとサラは少し離れた後方に移動していた。

恥ずかしい姿は見せられない。そう決意していると、その二本の尾が、徐に茫と光を放った。

 

「―――ッ‼ 皆避けてっ」

 

 フィーの珍しい大声に全員が瞬時に反応、対応した。

聞こえたのは、地を抉る音が二つ。まるで戦車砲が叩き込まれたかのような轟音の後、全員が言葉を失っていた。

 今対応できたのは、恐らくシオンの攻撃を予測していたフィーの言葉があったからだ。もし何の前準備もなかった状態だったのなら、為す術もなく数人は巻き込まれていただろう。

予備動作と言えば、尻尾が僅かに光ったのみ。シオン自身は全く動いておらず。恐らく動くつもりすらない。

 

「ほう、重畳重畳。この程度は避けて貰わねばなりませんな。

皆様方の勝利条件は私に一撃を入れる事。無論全員参加です。さて―――魔導士ではないこの身ですが、精々期待に応えられるよう尽力いたしましょう」

 

 ゴオッ、という音と共に現れたのは、半径が2アージュ程もある巨大な火球。それが三つ。

 思わず唾を嚥下した。確かにこれはマンネリを吹き飛ばす催しにしては充分過ぎる。全員で挑むことが、僅かのアドバンテージになるとも思えない。

だが、開戦早々悲観的な感情に囚われていては勝てる戦いも勝てなくなってしまう。そう強く思い、リィンは太刀を握り直した。

 

「教導は久方振りでして、加減は致しますが手緩く行くつもりは毛頭御座いません。覚悟は宜しいですかな?」

 

「……はい。宜しくお願いします」

 

 そうして、死力を尽くす試験が幕を開ける。

 しかしリィン達は、自分たちが抱いていた覚悟。それが甘かったという事を、数分後に骨の髄まで味わされる事となるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶっちゃけ、一撃当てられる可能性はどんだけあると思ってんのよ、アンタは」

 

「さぁな。でも”二尾”の状態のアイツなら今のリィン達でも攻撃を目で追う事はできる。つーか、勝ち目がない戦いを試験にするわけねーだろうによ」

 

 腰に佩いた刀の柄頭をトントンと指で叩きながら、レイはサラと共に戦いの趨勢を見守る。

 

 まず最初に脱落したのはエリオットとマキアス。これはただ単純に身体能力の問題だった。決して避けられなくはない速度で迫って来るとはいえ、その分攻撃範囲と威力は高い。火球と衝撃波の両方に気を付けながら相手の隙を突くというのは集中力とそれを可能にする身体能力が必要だ。それに当てはめると、二人は集中力という点では及第点だったが、後者が足りなかった。

 そして順繰りにエマ、ユーシスと脱落していった。エマは言わずもがな二人と同じ理由であり、ユーシスは唯一残った後衛要員のアリサを庇って攻撃を食らった。

その判断は間違っていない。ユーシスは近接とアーツの両方をこなすオールラウンダーだが、完全に支援に徹するとなると不得手だ。彼はおそらくアリサが巻き込まれそうになった瞬間に、この戦いにおいて自分とアリサのどちらが残れば勝率が上がるかというのを客観的に思考して、体を動かしたのだ。戦術眼という点では充分及第点にあたる。

 

 今回、レイに課せられた役目は採点役だ。この厳しい戦闘の中で各々がどう動き、それが点数に繋がるかどうかを判断する。

それはある意味、彼らの教導の一役を担っている彼への試験のようなものだ。単純な戦闘能力が桁外れな以上連携の度合いなどで判断すべきところなのだろうが、それすらも問題ないと来れば後は教導者としての責任感で判断するしかない。

 

「今のところ、アンタから見てどうなのよ」

 

「エリオットとマキアスはあと一歩ってところか。戦略上で貴重な後衛が早々に潰れたら戦闘は苦戦する。その分委員長はよく保った方だ。ユーシスは言わずもがなだろ。自己犠牲なんて青臭いモンじゃなくて、アイツは戦況をコンマ数秒で冷静に俯瞰して、判断した。脱落したのは惜しかったな」

 

 故に滔々と、レイは評価を連ねていく。

”朝練”参加者の中で、唯一中距離戦もこなせるのがユーシスであり、他の面々とは違う視点で戦況を見る事ができる。彼を失った今、一歩引いた場所から把握できるのはアリサしかいないが、そんな彼女もそろそろ体力切れだろう。覚束ない足取りで躱せるほど、シオンの攻撃は甘くない。

 

 そもシオンは本来後衛も前衛もこなせる極めたオールラウンダーだ。今こそ完全に固定砲台としてリィン達を迎え撃っているが、彼女が一度自身の能力で作り出した業炎の剣を手に取って参戦すれば恐らく数分と保つまい。

 さてどう動く、と思っていると、ラウラとガイウスが一瞬だけ視線を合わせて左右にそれぞれ動き、半円を描くようにしてシオンへと走る。

無論、そのままでは衝撃波の餌食となることは容易に想像できたが、二人はそれも折り込み済みだった。

二尾の反応が二人へと向く。その隙を狙って、ラインを繋いでいるリィンとフィーが飛び出した。

 

 本来、戦術的な観点から言えば、フィーとラインを繋いでより高い実力が発揮できるのはラウラだ。ラウラの一撃の重さはⅦ組の中でもレイを除けば一番であり、それでいて動きは鈍くない。高い敏捷力で戦場を駆け抜けるフィーと組ませれば、最高に近くなる。

 だが、今の彼女らにそれは叶わない。ユーシスとマキアスの時のようにリンクが断絶する、という事はないものの、不安定な接続だという事は誰が見ても理解できた。

そんな状態ならば繋がない方がいい、というのは些か暴論だろうとも思うが、他ならぬ彼女たちがそう判断してしまったので、レイは何も言えなかった。

 

「シオンの二尾の動きを封じにかかったか。ま、確かにリィンとフィーなら火球を潜り抜けて辿り着けるだろう。……でも悪手だ。こればかりはどうしようもない」

 

 レイがそう呟いた瞬間、シオンの呪力が更に跳ね上がった。思わず目を見開く面々を眺めるシオンの表情は穏やかなままだったが、そこに微かな戦う者としての笑みが混じった。

 

喜ばせた(・・・・)な。さて、そうさせたあいつらを褒めるべきか、堪え性のないバカ式神を怒るべきか」

 

「どっちもでいいんじゃないの? でも相変わらずとんでもないわね。尻尾が一本増えるだけでここまで違うなんて」

 

 そう。目の前で楽しそうに笑っているシオンの尾は、いつの間にか三本に増えていた。

先程と比べても桁違いの迫力と呪力に一瞬呑まれたリィン達だったが、歯を食いしばってすぐに動き出した。

が、それをシオンが逃がす筈もない。

 

 

「見事、見事也‼ 私の尾の絡繰りを見破った慧眼にまずは賛辞を送らせていただきます。故にご教授致しましょう。本物の物量戦とは、こういう事(・・・・・)を表すのです」

 

 

 生まれたのは火球ではなく光柱。樹齢千年は超えるような大木ほどの大きさを誇るそれが計六本。加えて三本に増えた尾からより一層強力になった衝撃波の余波がラウラとガイウスを捕えた。

 

「ぬ、ぐっ……‼」

 

「こ、これ程とはッ……‼」

 

 目立つ負傷はないものの、真正面から膨大な呪力を食らった二人が回復するには時間がかかる。

そして三本目の尾の矛先がリィン達に向いた瞬間、アリサが叫んだ。

 

「―――『クレセントミラー』ッ‼」

 

 発動した魔法攻撃を無力化するアーツは、衝撃波を真正面から受け切った。

しかしやはり受け切るだけで精一杯であり、魔力を使い切ったらしいアリサはそこで意識を失う。

 だが、リィンとフィーは動けなかった。

今展開している光柱は、このグラウンドを丸ごと焼け野原にできる威力を持っていると、感覚的に察したからだ。

 もし今後、このような規格外の広域的な破壊力を持つ存在と相対してしまった時、どうするべきなのか、どう勝利を捥ぎ取れば良いのだろうか。

気付けばリィンの頭の中からは試験の合否などはすっかり抜け落ちており、ただその対処法だけが頭の中を反芻する。

 レイやサラとはまた別種の”圧倒的な力”。策も身体能力も何もかも真正面から叩き壊す見間違う事のない力の権化というものを目の当たりにして、リィンは未だ自分が井の中の蛙である事を悟った。

 

 敗北は必至だ。勝てるわけがないと本能が理解している。

 確かに「規格外」だ。自分達から見れば充分に人智を超えている。それでもまだ、真の実力には程遠いのだろう。無駄な足掻きなどやめて終わってしまえばいいと、自分の中の何かが囁く。

堕落を唆す悪魔の如く、楽になった方が良いと。所詮これは試験に過ぎず、命を落とすわけでもない。結果は残念な事になるが、それでもどちらにせよ負けるのだから別にいいだろう? と。

 

 

 

 

 ―――が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふざ……けろッ‼」

 

 

 勝てないから諦める? 抵抗もせずに膝をつく?

 嘗めるな。絶望的な状況などほぼ毎日味わっている。絶対的な力量差を嫌という程突きつけられ、お前の強さはまだ甘い、精進を怠るなと厳しい言葉を常に叩きつけられている。

 負けるのが分かっているから立ち向かうな、などという考えが自分の中に存在していたら、遥か昔に扱きという名の鍛練から脱落していた事だろう。

 むしろ、ありがたく思っていた。覆せない圧倒的な力量差、それを埋めるために鍛練を重ねるという目標が常に存在する。目指すべき存在が、すぐ傍に居てくれている。

慢心とは無縁だ。そんな思考はすぐに矯正される。向上心を刺激され続け、いつか横に並んでやると決意したのだから、不可能ごときに足を止めてはいられない。

 

 気付けば、気絶していたはずの仲間がゆっくりと立ち上がって来た。立っているだけで精一杯だが、それで充分。斬り込むのは、自分達だ。

 

「行くぞ―――フィー‼」

 

Ja(ヤー)‼」

 

 目指すのは一太刀のみ。太陽の如き光を放つ光柱は恐ろしいが、それでも食らいつかないわけにはいかない。

 そうして覚悟を決めて駆け出そうと足に力を込めたところで――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでッ‼ 試験終了だ‼」

 

 

 

 

 突然、試験監督であるレイから終了の声が飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前ね、悪ノリし過ぎ。いや、分かるよ。思ってたより活きの良い奴が相手となったら確かにテンション上がる。そこは同意できる。

―――でもな、さっきのお前試験相手じゃなかったから。魔王だったから。いや、魔王じゃなくてもラスボスだったからな。つーか”三尾”のお前があんな光柱(モン)落としたら結界吹っ飛んでついでにグラウンドも吹っ飛んでたからな? その責任は誰が取ると思ってんだ? ん?」

 

「いや、あの……も、申し訳ございませんでした。はい。猛省しておりますのでホント、ホント酒断ちだけはご勘弁の程を……ッ‼」

 

「分かるわシオン‼ そうよね、禁酒なんて厳罰過ぎるわよね‼」

 

「おぉ、サラ殿‼ 分かって下さいますか」

 

「おい意気投合するんじゃねぇよ。んで正座崩せって誰が言った。寮に帰ったら朝までそのままな」

 

「あ、ハイ」

 

 

 体中ボロボロながらもようやっとⅦ組の面々が回復すると、そこには深々と土下座するシオンと説教を続けるレイという、ある意味始まる前よりカオスな状態が広がっていた。

もはやツッコむ気も起きずに整列すると、レイは全員に視線を向け、親指を突き立てた。

 

「ご苦労さん。とりあえず全員合格な。最後のガッツは良かったぜ」

 

「あ、あぁ。でも勝利条件は……」

 

「アレはまぁ、追加条件みたいなモンだ。元よりそれを言ったのはシオン(コイツ)であって、俺は何も言ってなかった筈だぜ」

 

「あ……」

 

 そう言えばそうだったと、全員が思い出したところで、レイは更に続けた。

 

「俺が見てたのは、絶望的な状況に陥った場合にお前らがどう動くか、だ。個人技に頼ろうとせず、仲間と連携する道を模索し続ける。特に司令塔は、最後まで絶対に諦めない胆力が要求される」

 

 故に、リィンがあの場で尚も足掻く事を諦めずに立ち向かった時点で試験は終わっていた。本来ならそのまま続行しても良かったのだが、少しばかりはしゃぎ過ぎていた(・・・・・・・・・)シオンがやらかす前に止めたのだ。

 

「だから、合格だ。まぁ課題点は幾つかあったが、それは今後の糧としよう。それに、お前らも身に沁みて分かっただろ? 完全魔導士型の敵の恐ろしさが」

 

「「「「「「「「「いや、あれは参考にならないと思う(ます)」」」」」」」」」

 

 そこだけは皆の心が一致した。本気になれば学院ごと吹き飛ばすのも訳なさそうな存在などそうそう居ていいはずがない。

だがレイは、どこか懐かしい事を思い出したような苦笑を浮かべる。

 

「いや、この世は理不尽で溢れ返ってる。居るんだよ。小規模の都市なら単身で落としそうなヤツがな」

 

「何それ怖い」

 

「レイが言うと冗談に聞こえないっていうか、多分冗談じゃないんだろうな」

 

 先はまだまだ長く険しいという事を改めて自覚した各々に、いつも通り実習先を記した紙が手渡された。

その行き先に皆が目を丸くする中、大体想像がついていたレイは特に驚く事もなく目を通した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【7月 特別実習】

 

 

 

 

 

 

 A班:リィン、ラウラ、フィー、マキアス、エリオット

 (実習地:帝都ヘイムダル)

 

 

 

 B班:レイ、アリサ、ガイウス、エマ、ユーシス

 (実習地:帝都ヘイムダル)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、どっちも帝都なんですね」

 

「あそこクソ広いからな。多分ドライケルス広場で区切って東西に分ける気だろ」

 

「僕とマキアスにとってはホームグラウンドだね」

 

「まぁそれは確かにそうだが……だとしたら何故僕とエリオットを同じ班にしたんだ?」

 

「そこはホラ、バランスってヤツよ。勿論戦闘面での」

 

 時期はちょうど帝都で行われる一大イベントである『夏至祭』と重なる。

学院側としてもそこで重ねたのは決して偶然ではないのだろう。その裏に隠れた思惑を、レイは何となく察していた。

 

 

「(……後でクレアに連絡してみるか)」

 

 利用されるのは構わないが、掌で万事動かされるのは性に合わない。

 そんな事を思いながら、恐らく今回も平穏のままでは済まないであろう特別実習に不安感が襲い掛かり、一つ深い溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 シオンさんマジ魔王回。そしてリィン達マジ勇者パーティー回。

 はい、反省してます。駄目だね。プレイしてるゲームに引っ張られ過ぎた。とある百鬼さんちの空亡さんに絶望感与えられて……思わず泣きそうになっちゃったんです。ハイ。

 さて、そんじゃ次回から特別実習・帝都編に入ります。
ま、平穏に終わるはずねーですな。オリキャラは今のところは考えていませんが、懐かしいキャラを二人ほど出演を考えております。


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過去の胎動

 実習編 第一話です。まぁ繋ぎみたいなものですわ。


 長く長くなりそうなお話の序章です。平穏に終わるわけないっしょ。Ⅶ組全員帝都を駆け巡って貰うぞ。日頃の成果を存分に発揮するがよい。―――ってな感じで。


 それじゃ、始めます。




 

 

 

 

 

 エレボニア帝国には、『夏至祭』と呼ばれる行事が存在する。

 

 これは6月に帝国各地で行われる祭りのことであり、その起源は七耀教会ではなく古代の精霊信仰だとも言われているが、多くの国民はそれを知らない。

ともあれ各地で特色がある祭事が行われる6月は、帝国内が最も観光客で賑わう時期と言われており、経済的な潤いが見込めるとあってか、各地の貴族達も盛大に祭りを執り行うのが慣習でもある。

 

 だがその中で、帝都ヘイムダルの夏至祭だけは6月ではなく、7月に開かれる。

その理由はかの≪獅子戦役≫の時代まで遡り、ドライケルス・ライゼ・アルノールが≪偽帝≫に占領されていた帝都を奪還して戦役を終結させた時期が7月であったため、その祝賀の意味も含めて遅らせた、というのが現在まで伝わっている”ひと月遅れの夏至祭”の真相でもある。

 

 

「ま、夏至祭には皇帝ユーゲント・ライゼ・アルノールⅢ世を始めとして皇族のお目見えもあるしね。他の都市との差別化を図るって意味合いもあると思うケド」

 

 とは、遊撃士協会クロスベル支部受付のミシェルの言葉だが、成程そう考えたほうが何かと分かりやすい事もある。

皇族の姿を一目見ようと集まる国民や観光客、各国の記者団などが大勢押しかけるであろう盛大な催し。それは確かに盛り上がるだろうし、その熱気は各国でも大きく報道されるだろう。

 

 だが、レイは生憎と今まで”祭り”という催しを心底楽しんだことはない。否、出来なかったと言うべきか。

 遊撃士時代は言わずもがな、準備期間だろうが開催期間だろうが祭りの後だろうが構いもせずに舞い込んでくる依頼の雨霰に毎年毎年翻弄され続け、稀に要人の警護なども担当したりしていた。

それ以前(・・・・)は語るまでもないだろう。フラリと仕事をサボってどこぞの国の祭りに赴いたことなどはあったが、一人では心の底からは楽しめないのが祭りというものだ。

 

 故に、皇族以下来賓も招いての盛大な祭事と聞いてレイがまず想像してしまうのは警備の強固さだ。

無粋な考えであることは本人とて百も承知だが、熱気が最高潮の群集のど真ん中で爆破テロなど起きようものならば、その後に引き起こされるパニックの悲惨さは容易に想像できる。なまじ≪魔都≫クロスベルでイベント中の任務に当たっていた際に冗談でもなく本当に爆発物処理の真似事をした事がある身の上としては警戒心を抱かずにはいられないのだ。

 そして更に最悪の展開は、その騒ぎに乗じて皇族の拉致や暗殺紛いの事件が起こった時である。各国に報道されている分その影響力は大きく、下手をすればカルバード共和国あたりがこれ幸いと意地の悪い行動を起こす可能性は充分に考えられる。

 

 不特定多数の人間が狂奔にも似た熱気に当てられて、普段は鼠一匹逃がさないはずの警備網に予想外の穴を開けにかかる。

実行犯側としてはこれ程分かりやすい”付け入る隙”もないだろう。なまじ警備は予想外の動きをする群集のほうに目をやってしまいがちだ。名のある貴族ともなれば専門の警備隊を所有しているだろうし、皇族には言わずもがな近衛隊が存在する。

 だが、掻い潜れる隙が全くないかと問われれば、答えはノーだ。かつては人材不足故に諜報員紛いの事をやった経験もあるレイなら分かる。相打ち覚悟で挑むのならば、拉致は難易度が高くともそれ以外は案外どうにでもなる。

 

 エリオットとマキアスによるヘイムダルの解説を余所にそんな事を邪推していると、直ぐに帝都駅に到着してしまう。

「帝都に着いたら案内役がいるから」とのサラの言葉に大体のメンバーがそわそわしていたが、正直ネタバレをされたも同然のレイにとっては取り立てて騒ぐようなことでも上に、ぶっちゃけどんな顔で会えばいいのか迷ってもいた。

 最高潮の状態で別れたのが僅か五日前。流石にあたふたする姿は見せられないと分かってはいるのだが、それでも若干、気まずいものは気まずいのだ。特に喧嘩別れをしたわけでもないくせに。

 

 

「―――イ、レイー。おーい、どうした?」

 

「ん? あぁ。悪い、ボーッとしてた」

 

 隣に立っていたリィンに声を掛けられて漸く意識を覚醒させると、いつの間にか場所は帝都駅のホームに移っていた。

流石に周囲への注意が散漫になるレベルの緊張感の低下は普段の生活から避けているのだが、それでも無意識のまま動くのが好ましいというわけではない。

 例えば今のように―――いつの間にか”案内役”として来ていた当の本人にクスクスと笑われている事もあるのだから。

 

「寝不足ですか? レイ君」

 

「考え事だよ。もうどうでも良くなったがな」

 

「そうですか」

 

 交わされる会話はクレアと初対面のメンバーは僅かばかり驚き、しかし茶化さない程度の自然なものではあった。

そこには五日前の初々しい感じは鳴りを潜め、軍人として立っているクレアがいる。それは勿論当たり前の事で、疑問に思う事もない。

 

 そしてそんな彼女の隣に立っていたのは、『帝国時報』の顔役であり、このエレボニア帝国の政治界の重鎮。それでありながら庶民派で一児の父という側面も持つマキアスの父親、カール・レーグニッツ。

 一見柔和そうな表情をしているが、ギリアス・オズボーンの盟友として功を重ね、叩き上げの身でありながら帝都庁の長官、そしてヘイムダル知事にまで昇進したという経歴を持つ人物だ。相当の修羅場を潜り抜けているという事は容易に想像できるし、確固たる信念も見て取れる。

 だが、レイの反応はいつもの通りだ。

例え仲間の家族であろうとも、初対面ならば信用まではすれど、信頼までには至らない。心の片隅に、猜疑心を潜ませておく。

 

「君がレイ・クレイドル君か。クレア大尉の話や、息子からの手紙で知っているよ。バリアハートの一件では、息子を助けてくれてありがとう」

 

「いえ、こちらこそ。それに、バリアハートの件では自分より積極的に動いていた仲間がいましたし、お気になさらないでください」

 

 その感謝自体は本物なのだろうという事はそのやり取りだけで理解できた。結局のところ身内を心配する心持ちはルーファスもカールも同じであり、その一点だけに関しては曇りが一切ない。兄馬鹿と親馬鹿という言葉が頭を過ったが、間違ってはいないだろう。

 

「あぁ、そうだ。一つお聞きしてもよろしいですか?」

 

「なんだい?」

 

「帝都で行われる夏至祭と、この特別実習を重ねるように理事会で案を提出なさったのは……閣下ですか?」

 

 流石は歴戦の政治家というべきだろうか。カールは驚いた表情こそ見せたものの、それはほんの一瞬。直ぐに穏やかな表情に戻り、「場所を移そうか。立ち話でする話題でもない」と言ってクレアに案内を促す。

レイはその後を追い、リィン達も一拍遅れてそれに続いた。

 

 

 

 

 カール・レーグニッツがトールズ士官学院の常任理事であるという事を指摘できたのは、ただ単純に独自の情報収集の副次効果のようなものであり、威張れるようなものでもないのだが、例えその情報がなくともちょっとした推論を展開するだけでその結果に帰結させる事は出来る。

 一人目の常任理事である、ルーファス・アルバレア。彼は言うまでもなく『貴族派』に組する人物であり、加えてアルバレア公爵家の次期当主でもある。発言力は高いだろう。更にトールズの卒業生でもあり、そういう意味でも理事を務める資格は充分に有していると言えるだろう。

 そして二人目の常任理事である、イリーナ・ラインフォルト。彼女自身はどちらの派閥にも属しておらず、ある意味で中立の立場をとっていると言えなくもない。国営ではなく民間企業である故に、国の意向、貴族の意向に流される事はない。本人の性格も鑑みれば尚更だ。

 さてここで大事になるのは三つの席があるという士官学院常任理事の中でのバランスだ。貴族生徒と平民生徒の両方を受け入れ、貴賤なく教育を施している機関である以上、学院の方針を決める際の重要な立ち位置となるこの三つの座は、常に均衡を保っていなくてはならない。偏見を排する事を前提としているため、自ずとそういう風になる。

 

 では、それを踏まえればどうなるのか。

 無論、『革新派』の人材を引っ張ってくる可能性が限りなく高い。それも公爵家の賢人と対等に渡り合える地位と実力を持った人間。そこまでの条件を出せば畢竟、候補者は絞られてくる。

とは言え流石に宰相を引っ張り出してくるのはリスクも高いし、何より手を煩わせることにもなり兼ねない。故に、宰相の右腕であり、叩き上げの身で昇進を果たしたカール・レーグニッツに的が絞られるのはそこまで難しい話ではない。

 

 

「ふむ、流石は元遊撃士と言った所か。情報収集能力に推理力、加えて弁も立ちそうだ。君は案外政治家も向いているのかもしれないね」

 

「そんな事はないでしょう。交渉事や弁論などは大した事ありませんし、これでも結構勘に頼りきってるトコもありますしね」

 

「そうなのかい。私にはそうは見えないが…………と、済まない。話が脱線してしまったね」

 

 策謀と弁舌、それらを駆使して戦う政治家の世界が、自分に馴染むとは到底思えない。そんな事を考えているうちに全員の元に実習内容の入った封筒が渡り、そして各班の班長であるリィンとレイにはそれぞれ形の違う真鍮製の鍵が手渡された。その持ち手の方の先にはタグが取り付けられており、そこにはその鍵を使う建物の住所がそれぞれ書かれている。

 A班の方には『アルト通り 4-32-21』。B班の方には『ヴェスタ通り 5-27-126』。

 そしてその住所の両方にレイは見覚えがあり、誰にも気づかれない一瞬だけ、表情に翳を落とした。

 

「と、父さん、これってもしかして」

 

「あぁ、君達が実習中に宿泊する建物の鍵だ。まずはオリエンテーリングの一環としてその住所の建物を探してみてくれたまえ」

 

 特別実習の期間は当日も含めた三日間。その内、最終日が夏至祭の初日と重なる日程となっている。

両班はレイの思惑通り、帝都の東西に分かれて依頼をこなす事になっており、帝都を貫く大通りである『ヴァンクール大通り』を基点にして分けられるという事だった。

 

 つまるところ、帝国最大級のイベントの初日まで、後二日。そんな状況で帝都知事である彼が悠長に談笑できるはずもなく、所々マイペースな一面も見せながらミーティングの場所となった鉄道憲兵隊の詰所を去って行った。

 そんな父親の相変わらずだという奔放さに溜息を吐くマキアスを横目に、レイは誰よりも先に立ち上がった。

 

「さ、とっとと行こうぜ。確かに帝都はだだっ広いからよ、慣らす意味でも早く行動した方が良いだろう?」

 

「……まぁ、確かにそうだな。すみません、クレア大尉。そういうわけで」

 

「えぇ、分かりました。それでは、駅の出口まで案内させていただきますね」

 

 そう言って先導するクレアにメンバーがぞろぞろと着いて行く。レイはその最後尾を歩こうとしたところで、傍に来ていたフィーにカッターシャツの裾を掴まれる。

 

「? どうしたよ、フィー」

 

「……焦ってる、というよりはただ急いでるだけかな? レイ、早くその場所に行きたいって思ってる?」

 

 その心情を看破したのは恐らくクレアもだったのだろうが、それを問う事ができたのは傍に居たフィーの特権だった。

このメンバーで動くときにレイが自分から何かをしようと全員に提案することは実はあまりない事であり、勘が鋭いメンバーならばそこでまず違和感に気付く。ついさっきであれば、リィンはその違和感を理解していたのだろう。

 

「―――ま、そうかもな。俺だって昔を懐かしみたい気持ちになる事はある」

 

 それに、と一拍を置くと、フィーがレイの顔を見上げながら小首を傾げた。

 

「出発前にサラが変なこと言ってやがったしな。さっきからなーんか嫌な予感が体中を駆け巡ってるような気がする」

 

「変な事?」

 

「あぁ。『アタシの知り合いも今帝都に居るはずだから、会ったらよろしくねー』だとさ。正直アイツのプライベートの知り合いとか怖い」

 

「どんまい」

 

 どこか面白そうな声色でそう言ったフィーだったが、一瞬だけ俯いた後、何かを決意したような表情で再びレイの顔を見上げた。

 

 

「私、決めた。もう逃げない」

 

 その言葉が何を表しているか、と問うのは無粋だろう。

だからレイは、無言のままにフィーの頭を数回撫でた。この妹分が無事に試練を乗り越えられるようにと、そういった願掛けの意味合いも込めて。

 

「頑張れよ」

 

「……うん」

 

 それ以上の言葉は要らず、気付けば随分と離れてしまった皆に追いつくために少しばかり急いで駅の外に出ると、律儀に全員が待っていてくれた。

 

「遅いぞ。リーダーのお前が遅れてどうする」

 

 仏頂面のユーシスが尤もな事を言うと、レイは確かにそうだ、と苦笑した。

 

「面目ない。クレアもご苦労さん、助かったよ」

 

「いえ、お礼を言われるほどではありません。それでは皆さん、頑張って下さいね」

 

 ニコリと柔らかい笑みを浮かべるクレアに対してⅦ組のメンバーが揃って「本当に軍人なのか?」という疑問を頭に浮かべる中、レイの横を通り過ぎる時に、耳打ちをするように呟いた。

 

「あのブローチ、部屋に飾ってあるんです。ずっと、大切にさせて貰いますからね」

 

 その一瞬だけ、彼女は先日のような女性の色香を備えた声でレイの心を揺さぶった。思わず振り返ると、クレアは唇に人差し指を添える仕草を見せ、そのまま駅の中へと戻って行った。

 軍人に見えない、というのは確かにその通りだろう。昨今のエレボニア正規軍は実力主義であるために女性将校の存在は決して珍しくなく、その中には見目麗しい女性もいるのだが、クレアはその中でも筆頭格と言える。

加えて基本的に柔らかい物腰と口調。それを見ればそう思うのも無理はない。だが彼女の軍人としての真価は、一般人の目には映らない場所で光り輝く場面が多いのだ。

 そしてその一面は今、現在進行形で続いているに違いない。レイは心の中で密かにクレアの心労を労うと、B班のメンバーを連れて、帝都の16街区をそれぞれ繋ぐ導力トラムに乗り込んで西地区へと赴く事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レイって、クレア大尉とも親しいのね」

 

 

 導力トラムに乗って窓から帝都の街並みを眺めていると、徐に前の席に座っていたアリサがそう言った。

 今までの他愛のない談笑から一変、オブラードに包むことなく真正面から斬り込んできたその言葉にガイウス、ユーシス、エマの三人は呆気にとられたが、レイは特に狼狽える事もなく「まぁな」と答えた。

するとアリサは僅かに怪訝さを含んだ目をレイに向けたものの、数秒で溜息と共に視線を外す。

 

「……ま、あなたの事だから私たちの与り知らないような世界(ところ)で色んな人と関わっているんでしょうけど」

 

「おい待てや。俺を色情魔か何かのように言うのはやめろ」

 

「フン、お前はそんなナリと口の悪さだが、異性の目は引くだろうよ。かく言う兄上が社交界の場ではそう言った視線を向けられていたようだからな」

 

「まぁ確かに、好かれそうではあると俺も思う」

 

「何故だ。褒められているのか貶されてるのか分からん。つーかそんなナリとはどういう意味だゴラァ」

 

「あはは……」

 

 幸いにもトラムにはレイ達以外の乗客はおらず、その会話に聞き耳を立てる人物はいなかったが、せめてもの礼儀として大声ではしゃぐような事はしない。

故にレイもそこまで声を荒げる事はなく、一つ息を吐いてから再び口を開く。

 

 

「まぁ、一言で説明できないのも事実だがな。最初に会った時はぶっちゃけお互いが何者かも分かってなかったし……二度目に会った時は色々とゆっくり話せる状況でもなかった」

 

 不意に窓の外に視線を移すと、アパートメントハウスなどが軒を連ねる帝都南西部第5街区の街並みが通り過ぎていく。

”当時”は比較的場所が近かったこの場所も避難する市民達でごった返していたなと、そう思い出してしまう。二年前とは流石に細部は違って詳細に思い出す事は出来ないが、それでもあの日の惨劇は、昨日の事のように脳裏に焼き付いている。

 

 そんな事を考えていると、トラムが停留所に到着して停車する。そこはタイミング良くレイ達が目的としていた場所であり、会話を切り上げて下車をした。

しかし、はぐらかされてしまったか、と少しばかり残念そうな顔をするアリサの心情を見抜いていたのかどうかは分からないが、レイは歩道に降りると同時に踵を返して続きの言葉を言い放った。

 

「詳しく聞きたきゃこの実習中に教えてやるよ。この場所に寝泊まりするんなら、ちょうどいい」

 

 そう言いながら、手に持った鍵を弄ぶ。

 

「レイは、その場所が何なのか知ってるのね」

 

「まぁな。建物自体にそれ程思い入れがあるわけじゃないんだが……あの場所で起こった事は忘れねぇっての」

 

 次第に言葉に翳が落ち始めた所で、それ以上を聞こうとしていた四人が押し黙る。

 ここから先は彼が今まで自分からは明かしてこなかった領域の過去だ。そう察して警戒する。しかし当の本人は、あくまで表面だけは飄々としたスタイルを崩さずに、迷いのない足取りで建物のある場所へと歩いて行く。土地勘が皆無と言っても良い程の面々はありがたく思っていたが、それよりも振り払いきれない疑念が僅かな靄となって心に張り付いてしまう。

 そんな仲間の心を少しでも晴らすように、レイは努めて明るい口調で続けた。

 

「今から行く場所はかつて帝国にあった二ヶ所の遊撃士協会支部の一つ。二年前の”とある事件”で一回全壊して建て直されたいわくつきの場所だ」

 

 それでも、やはりどこか違和感を拭いきれない。

アリサ達の目には、彼の手元で弄ばれて軽く宙を舞うその鍵が、その心中を代弁するかのように、どこか寂しげに光ったように感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――えぇ、ご協力感謝します。お陰様で、太刀打ちできるだけの戦力を揃える事が出来ました」

 

 

 

 場所は、帝都駅鉄道憲兵隊詰所内の将校用の執務室。

クレア・リーヴェルトはその部屋の椅子に腰かけ、通信を介して連絡を取っていた。

 

 

「―――そうでしょうね。えぇ、私自身もこの判断が杞憂であればと思っています」

 

「ですが、これまでの状況がそれを許してはくれないでしょう。個々人で強力な”武”を擁する相手ならば、情けない限りではありますが普遍的な強さを数と連携で補う軍では限界があります」

 

「故にお願いをしました。……えぇ、閣下には許可を得ましたよ。渋る事なく、”それが君の判断ならばそうするがいい”と仰っていました」

 

「……申し訳ありません。少々意地が悪かったのは認めます。この埋め合わせは必ず致しますので、後日は段取り通りお願い致します」

 

 それでは、と言って通信を切る。

ふぅ、と一息を吐き、椅子の背もたれに寄りかかる。それでも表情は緩やかになる事はなく、眼前の執務机の上に広げられたモノを見やった。

 

 それは、帝都全域を記した白地図。大きさだけでも相当なものになるそれだが、そこには赤や青、緑に黄色、その他諸々の色のついたペンで事細かく情報や蜘蛛の巣のように繋げられた線が描かれていた。

言ってしまえばそれは夏至祭の際の警備の数や配置、また緊急の際の動きを記した重要機密ではあるのだが、あまりにも密度が濃く書き込まれているため、他人がこれを覗き込んでも全てを理解しきる事は不可能だろう。

 しかし作成者のクレアは、その全てを頭の中に叩き込み、余す所なく記憶している。膨大な情報の整理、そして瞬間的な記憶、それに基づいた判断力は彼女の得意分野であり、帝国軍の中でも指折りの実力を有している。

 そんな彼女は今回、過剰とも言える戦力を夏至祭のために集めていた。

 

 例年通りの様子で実行されるのならば、彼女もここまで過敏にならずに済んだだろう。だが今年は、大きな不安要素が帝国政府に対して牙を剥こうとしている。

 具体的な人数は不明。帝国軍情報局の目を掻い潜って潜伏しているという時点で、その戦力が侮れないという事は理解できてしまっている。

そんな彼らが、夏至祭というお誂え向きな行事を素通りするだろうか? クレアの脳は、瞬時に否と答える。

 

 職務に忠実となった彼女は、徹底して合理主義となる。帝国軍が誇る気概、そしてプライド。時にはそれすらも不要と断じて、ただ最良の結果を引き当てるために行動する。

 戦闘とは情報戦だ。戦争がそうであるように戦う前から勝利を(・・・・・・・・)確定させていなければならない(・・・・・・・・・・・・・・)

故に彼女は、一発大当て狙いのギャンブルのように不確定要素を抱えたままに負けてはならない勝負に出たりはしない。例えどれだけ非常識だと罵られようとも、自らが抱えるモノはすべて使う。それが例え、一国の軍に属する者として本来あってはならない、”外部協力者の支援”という要請であったとしても。

 

 現実はチェスとは違う。何もかもがルールという枠に押し込められて動いているわけではなく、常に不確定要素が存在し、その中でどう動くのかを決めなくてはならない。

”策士策に溺れる”―――それはクレアが最も忌避する言葉だ。智将として慢心し、己の策が絶対だと過信する事以上に愚かな事は存在しない。

 だからこそ、打てる手は最大限を超えて打つ。今の段階では自身が思い描く結果になり得るだろうが、それでも油断はしない。そう決意して通信機に手を伸ばしかけて―――しかし、そこで手を止めた。

 

 

「(まだ実習一日目。―――今日は止めておきましょうか)」

 

 そう合理的ではない判断(・・・・・・・・・)を自然に下し、クレアは、はっと気付く。

 どうやら自分の中で不死鳥の炎のように燃えているこの恋慕の感情は、判断力を書き換えてしまっている。それをよくない事だと思っては見たものの、それでもやはりそれ以上手は伸びない。

 これは仕方がない。仕方がないのだと、無理矢理自身を納得させ、クレアは再び息を吐いた。

 

 不意にカタリと、執務机の引き出しを開ける。そこには、五日前に想い人から贈ってもらった生涯の宝物が入っていた。

 本人の前では部屋に飾ったままだと言ったが、それは嘘だ。任務中こそ持ち歩かないが、それ以外の時間は肌身離さず持ち歩いている。

 

「責任、取ってもらいますからね」

 

 自らが誓ったはずの氷の掟をも溶かしにかかっている少年を思い浮かべ、微笑と共にそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




原作以上にハチャメチャにする気満々です。

理由? 今のⅦ組の戦力だとそこいらの魔獣や猟兵崩れごときじゃ相手にならんです。だからです。


 次回、サラが怪しすぎる繋がりで召喚したキャラが登場です。
と言ってもオリキャラじゃないですけど。


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邂逅







「伽藍洞だという事はいくらでも詰め込めると言う事だろう。この幸せ者め、これ以上の未来が一体どこにあるというんだ」

          by 蒼崎燈子(空の境界 伽藍の堂)










 

 

 

 

 

 

「ぶっちゃけさ、帝都支部ってどんなトコだったん?」

 

 

 とある日、遊撃士協会クロスベル支部の二階で、レイは次の任務を共にする同僚の遊撃士、ヴェンツェルにそう問いかけた。

短く切り揃えられた金髪に彫りの深い顔。遊撃士という職業に誇りと熱意を持っているが故に自他共に厳しく、初対面の人間から見れば強面である事も含めて誤解を招く事が多いが、実際は謹厳実直であるが故に僅かに不器用な男である事が分かってくる。

 

「む……そうだな。どんな所と言われても、正直一言では説明できないが」

 

 1年前、遊撃士協会は帝都で勃発した”とある事件”を皮切りに帝国政府から圧力を掛けられ、エレボニア国内からの撤退に踏み切った。それでもレグラムなどの中央の意向が完全には及ばず、領主が許可を出している地域などは今も活動を続けているが、事の発端となった帝都支部は二ヶ所とも取り潰された。

 ヴェンツェルは元帝都支部所属の遊撃士であり、そういった経緯で協会本部のあるレマン自治州に戻る所だったのだが、その実力に目を付けたミシェルが引き抜いたのである。

 そんな彼は、付き合いの期間は短いながらも死線を共にした少年の疑問に憤慨する事もなく、真面目に答えようとしていた。

 

「お前は知っているとは思うが、元より遊撃士は各国の正規軍や治安維持組織などには目の敵にされていることが多い。彼らにしてみれば無許可で目の前をうろつかれているようなものだからな」

 

「あー、確かにリベールでもそんな感じだったな。俺が基本的にいたのは田舎だったから邪険に扱われることはなかったけどさ、王都なんかじゃ結構衝突もあったかも」

 

「それはこのクロスベルでも同じだがな。―――と、話が逸れたか。ともあれ、軍事国家という体裁を掲げるエレボニア帝国政府からの視線は歓迎しているものではなかった。だが俺達は広大なエレボニアの中の帝都に拠点を構える支部の構成員だという自覚と誇りを持っていた。居心地は良かったよ。少なくとも俺はな」

 

 だからこそ離れたくなかったと、そういった思いが言外に滲み出ている事をレイは感じ取った。

生真面目なこの男が悔やんでいないわけがない。無論、精鋭揃いと謳われるクロスベル支部に引き抜かれた事については光栄に思っていたようだし、着任して一週間足らずでこの”魔都”にすっかりと馴染んでしまった辺り、居心地は悪くないとは思っているようだ。

 しかしそれとこれとは話が別。思い入れがある場所が取り潰されて、何も思わないわけがない。

 

「というよりお前はバレスタインと知り合いだったんだろう? ならそっちに聞けば良かったろうに」

 

「アイツ今士官学院で教官やってるからさ、無闇に行ける場所じゃないだろ?」

 

「確かにそうだ」

 

 慣れない事をやり始めて四苦八苦しているであろう所に訪ねてはいけないという思いもあったのだが、それは流石に口には出せない。

 

 キィ、と椅子を傾けてゆらゆらと揺れる。

 人にはそれぞれ、守りたい場所がある。ヴェンツェルはそれが帝都支部であって、それが叶わなかった今、心の中にはまだ後悔が残っているのだろう。

なら、レイはどうだ。そういった後悔が、今も胸中に燻っているのか? ―――そう問われたら即答できる。

 無論だ。寧ろ後悔がなければ此処にはいない。一番失いたくなかった場所が目の前で業火に包まれた惨状を見ていたからこそ、この場所に立っている。

 

「残照、か」

 

「上手い事を言う。つまりはそういう場所だったのだろうな」

 

 そんなヴェンツェルの声を聞きながら、レイはマグカップの中に残っていたコーヒーを一啜りする。

 それが先程口に含んだ時よりも苦く感じたのは、気のせいだと自らに言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大前提の話として、レイ・クレイドルは勘が鋭い。

幼い頃に研ぎ澄まされたためか、半ば野生じみているそれは、”自分が多分これから酷い目に遭う”という状況の時に限って働く。

戦闘中は極度の集中力を発揮しているために”直感”という体で発動しているそれは、今までの人生の中で何度もレイの命を救って来た。

 

「…………」

 

 そして今まさに、その勘が発動している。”この先に進めば面倒臭い事になるぞ”と、頭の中で警鐘が鳴っているのだ。

その勘が外れているとは思えない。なまじサラの話を聞いた後、鍵を渡された段階で何かを仕掛ける(・・・・)ならばここだろうという当たりはつけていた。だから尚更だ。

 

 とはいえ、目的の建物の玄関前で開けるか開けまいかの葛藤に悩まされて佇む姿というのは思ったよりもシュールであり、鍵を差し入れた瞬間に瞬間凍結したように止まってしまったレイに、他の四人が首を傾げた。

 

「どうしたのよ、レイ。入らないの?」

 

「具合が悪い……というわけではないだろうな」

 

「建付けでも悪かったんでしょうか」

 

「何を躊躇っているのかは知らんが、お前がやらんのなら俺が開けるぞ」

 

 たっぷり数十秒ほど止まっていたところで見かねたユーシスが開けようと右腕をを伸ばしたが、レイはその腕を掴み、混じり気なしの真剣な表情のまま首をゆっくり横に振った。

その有無を言わせぬ雰囲気にユーシスが眉を顰めながらも一応下がる。その後、意を決したように差し込んだままだった鍵を回した。

 ガチャリ、という音と共に解除され、ドアノブに手を掛けてゆっくりと扉を押す。

まるで幽霊屋敷にでも入るかのような慎重さに四人は訝しみながらもレイに後に続いた。

 

 遊撃士の支部、というだけあって内部は外観を見るよりも広く、玄関の先にあったのは受付があったのだろうカウンターと、何も書類が貼られておらず、放置されたままになっている数枚のボード。

設けられているソファーは時が経って劣化している様を微塵も感じさせず、まるで建物そのものがタイムスリップしたような印象を受ける。

 そんな旧ギルドの設備を見て好奇心が芽生えたアリサやエマがまず離れ、ガイウスとユーシスはソファーに腰掛けた。そうやって各々が建物内の空気に慣れようとしている中、レイだけは玄関から少し進んだところで立ち止まり、何かを探っていた。

 

 入ったその瞬間から、人の気配は感じられた。しかしそれはごく薄いもので、フィーがいれば同じように警戒心を抱いていただろうが、今のアリサ達では察する事は出来ないだろう。尤も、シャロンの隠形に比べれば児戯にも等しいが、敢えて僅かに気配を漏らしているような、そんな印象が感じられた。

 そしてレイが肩に引っ下げた刀袋から得物を取り出そうと手を掛けた瞬間、ソレ(・・)は飛来した。

 

「チィッ‼」

 

 愛刀ではなく、ブーツの靴底で弾いたのは、頑強な素材で作られた鞭(・・・・・・・・・・・)の先にある刃。蹴り上げた勢いで小回りに回転し、その体勢のまま抜刀して斬り付けにかかる。

しかし鞭はまるで意志が備わっているかのようにしなやかな動きで斬線を躱し、再びしなると、レイの右腕に絡みついた。

 

「れ、レイ⁉」

 

 この間僅か数秒。一瞬の攻防の末に仲間の四肢の一つが捕えられたと見るや、その状況如何に関わらず即座に武器を構えようとする気概をレイは評価したが、それでも四人の方に視線を向けて「手を出すな」と言い放つ。

 右腕を絡め取った鞭はまるで万力の如く締め上げ、ギチギチという音を鳴らしているが、生憎とその程度では悲鳴を上げさせる事は出来ない。レイは鞭が伸びている二階部分に視線を向けると、口角を釣り上げた。

 

「あぁ、成程。随分ヤバい修羅場潜ってドS一直線の鞭捌きにも磨きはかかったみたいだが……」

 

 そう言って無事な左手で鞭の先を掴むと、単純な腕力で縦に振るって僅かに緩ませ、勢いをつけて体を半回転させ、一気に引っ張った。

 

 

「この程度で俺が釣れるかよ」

 

「―――まぁ、無理だろうとは思ってたわよ」

 

 ”釣り返された”と言うにはあまりにも呑気そうな声。投げ出された空中で手元を巧みに動かしてレイの右腕を開放すると、その人物は一階の床の上に着地した。

 最後に見覚えのある長さではなく、短く切られた銀髪に、姉御肌という言葉を象徴するかのような余裕のある笑み。その姿を見た瞬間、レイの中で関係図が完成した。

 

「よぉ。直接会うのは3年ぶりくらいかよ、シェラザード」

 

「まぁ確かにそんなモノね。というかレイ、あなたビックリするくらい変わってないわね。一体いつアンチエイジングの極意を掴んだのよ」

 

「やかましい。―――つーかアレマジだったのか。”遊撃士協会 女子限定飲んだくれ同盟”なんてのがあるってのは」

 

「ホントもホントよ。サラとはよく飲み明かして酒場をメチャクチャに荒らしまわったわねー」

 

「自重しろよ」

 

 そう軽口を交わしながらも、レイは刀を再び鞘に収める。その様子を見て、目の前の女性が敵ではないのだと理解したアリサ達は、続くようにそれぞれ武器を収めた。

シェラザードはそんな四人の様子を一瞥してからレイの方を見て、笑った。

 

「へぇ、あなたが士官学院に入ったって話はオリビエ経由で聞いてたけれど、案外上手くやれてるみたいじゃない。安心したわ」

 

「うっせ。お前もホント変わらねぇよなぁ」

 

 親しげに会話を交わす二人についていけず、蚊帳の外の状態になっていたメンバーの内、代表してアリサが声をかける。

 

「えっと、レイ? この人は……」

 

「あー、そうだな。まずは自己紹介と行くか」

 

「そうね。いきなりビックリさせちゃったお詫びもあることだし」

 

 そう言って女性はソファーの方に移動し、悠然と腰かけた。

テーブルを囲むようにして配置された四つのソファーにそれぞれバラけて座ると、緊張した面持ちを浮かべる。そんな中でもユーシスは傍らに得物の騎士剣を立てかけており、未だ警戒は微塵も解いていない様子を隠すつもりもなくぶつけている。

 しかし女性はそんな視線もそよ風のように受け流し、どこか妖艶な笑みを浮かべてから口を開いた。

 

 

 

「さて、と。まずはいきなり驚かせちゃってごめんなさいね。あなた達に危害を加えるつもりはなかったんだけど、この子の腕が鈍ってないかどうか確認がしたかったのよ」

 

「は、はぁ……」

 

「お前に心配されるほど落ちぶれてねーっての」

 

 そう言った謝罪の言葉が耳に入った時点で、ユーシスも多少警戒心を和らげた。少なくとも徒に危害を加える人間でないと分かれば、現状何も知らない自分達がどうこう思う資格はない。それが、四人の共通見解として定まったからだ。

 

「それと、自己紹介ね。遊撃士協会所属、シェラザード・ハーヴェイよ。活動拠点はリベール王国の王都や、ロレント地方を中心にしているわ」

 

 それに続き、四人もそれぞれ自己紹介を交わす。その途中、表面上では平静を装ってはいたものの、彼女の装いに目が向かざるを得なかった。

 何しろ、大前提として露出度が高い。そういった衣装は寮内で過ごしている人型状態のシオンのせいで慣れてはいるが、それでも遊撃士という職業の人間がそういった服を纏っているという事に疑問を感じざるを得ず、どこか民族衣装を感じさせるその雰囲気は、本人の洒落じみた感じと相俟って、踊り子を連想させた。

 

「レイさんは遊撃士の時にシェラザードさんと関わりがあったという事ですね。……あれ? でもレイさんが所属していたのはクロスベル支部だったはずじゃ」

 

「俺が遊撃士の資格を取ったのは4年前でな。クロスベル支部に移ったのは3年前だ。最初の1年間は知り合いの伝手頼ってリベールで仕事してたんだよ」

 

「あたしはその時にこの子とコンビ組んで仕事をしていたってワケ。思い返せば猫探しから魔獣退治まで手広くやってたわねー」

 

 ふと、アリサは今まで聞いたレイの経歴を思い出してみる。

 士官学院に入学する前まではクロスベルで遊撃士として活動しており、そしてそれ以前はリベールで遊撃士をしていたと言う。しかしそれでも4年前、レイが13歳の時までしか遡る事が出来ない。

改めて、その人生の煩雑さが見て取れる。なまじ自身の中での4年間などそれこそ語れる事など少ないために、拍車を掛けてそう思ってしまう。

 

「しかし、リベールを拠点としている貴女が何故帝国に?」

 

 そんな事を考えていると、ガイウスが根本的な質問を投げかける。するとシェラザードは、一瞬だけどう答えたものかと迷うような素振りを見せたものの、隠す事なく答えた。

 

「きっかけはあなた達の担任のサラから帝都に招待したいって手紙を貰ってね。宿泊場所も提供してあげるから、その代わりあなた達のサポートをしてあげてって頼まれたのよ」

 

「つっても何もする事なんざねぇだろ? 目当ては結局帝国産の酒だろうに」

 

「勿論♪ 折角外国に来たんだから酒場巡りしなきゃ大損よ」

 

 その本音を聞いた瞬間、「あぁ、確かに教官の知り合いだ」と納得してしまった。よくよく見てみれば性格も似ているように見える。

洒洒落落とした性格や、酒好きなところ、それでいて確かな実力を持っていて、何より―――底が見えない。

 先程のレイとの攻防を見ていれば分かる。本気ではなかったために完璧に推し量る事はできないが、レイがカテゴリー分けするところの”準達人級”以上の使い手である事は明白。気配に敏感であるガイウスですら反応が遅れたのだから、疑いの余地はない。

 

「まぁ、ホントはあたし一人で来るつもりだったんだけど、手紙にはもう一人くらい連れてきてもオッケーって書いてあったから、ちょうど近くに居た同僚引っ張って来たのよね。さっき”女の子に頼まれたので猫探しして来ます”って連絡来てまだ帰って来てないんだけど」

 

 そこでレイはピクリと反応して、シェラザードをジロリと睨み付けた。

 

「シェラザード」

 

「ん?」

 

どっちだ?(・・・・・)

 

 アリサ達からしてみれば内容の分からない問いかけだったが、シェラザードはそれだけで理解したようで、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「自分の目で確認なさい。それよりホラ、実習の依頼とやらがあるんじゃなかったの?」

 

「……そう言えばそうだったな。半ば本気で忘れかけていた」

 

 溜息交じりにそう言ったユーシスが依頼内容の入った封筒を開封し、用紙を取り出す。

そうしている間にも、レイはシェラザードに忠告混じりの言葉を掛けていた。

 

「いいか。絶対昼間は酒飲むんじゃねぇぞ。暴れて憲兵にとっ捕まっても他人のフリすっからな」

 

「ちょ、あたしだってそこまで見境ないわけじゃないわよ。お酒は夜まで我慢するわ。―――サラと朝までハシゴする予定だしね♪」

 

「……クレアに頼んで要注意人物表(ブラックリスト)を発行してもらうか」

 

 あからさまに肩を落として落ち込むレイを慰めるように、ガイウスがその背を軽く叩く。

 

「その、なんだ。シェラザードさんはサラ教官のような人なのか?」

 

「むしろ酒癖の悪さで言ったらアイツより数段増しで悪い。絡み上戸の一点特化だ。近くに居たら巻き添え食らって記憶飛ばすまで飲まされるからな」

 

「そ、それは凄いわね……」

 

「しかも酔っぱらった状態でも頭は切れるモンだから色々と―――あ、悪い、これ以上は思い出したくねぇや」

 

「レイさん⁉ 顔が真っ青になってますよ⁉ い、今すぐティアラルをかけますので‼」

 

「えぇい貴様ら‼ とっとと依頼内容の確認に移れ‼ そこの馬鹿は頭でも殴って正気に戻させろ‼」

 

 怒鳴るユーシスに全員がハッとなり、意気消沈してしまっているレイを見やる。

 結果として、カウンターに置いてあった花瓶で頭部を強打したところ、正気に戻ったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝都ヘイムダル西部第12街区。

 

 ヴァンクール大通りの喧騒から離れたこの場所は、平民層の中でも所得が少ない部類に入る人々が暮らす住宅街となっている。

赤煉瓦で築かれた華やかな建物が軒を連ねる都市中心部とは異なり、この場所は築数十年は当たり前の老朽化したアパートメントが、まるで迷路のように入り組む路地の両脇に所狭しと並んでいる。

 だがそんな場所でも、人の営みは普段通りに築かれていた。決して華やかとは言い難い暮らしを送っているというのに、人々の目から光が消えているような様子は見られない。

 

 レイにとっては、そんな光景は見慣れたものだった。

某国のスラムを見た事がある。戦場から少し離れた荒野の地で母国を追われた者たちが集う難民キャンプを訪れた事もあったし、人間の死体が路傍で転がっているのが当たり前の場所など、この世界には溢れ返っている。

 そんな地獄の一端と比べれば、クロスベル市の旧市街も、帝都のこの場所も、揃って天国のようなものだ。ヒトが人として生きられる場所がどれほど幸せな地であるかということを、彼はその身をもって知ってしまっている。

 

 傍から見れば平穏と色彩に彩られた帝都にもこういう場所があるのだと、そういった価値観を生み出すためにわざわざ依頼を発注したのだろうが、それで驚愕するのは経験の足りない者達だけだ。少なくとも、レイは一切驚かないし、何も思わない。表の反面は裏であるのだと、そういった摂理を知ってしまっているのだから。

 

 

 

 そしてこの12街区で出された依頼は、多く軒を連ねるアパートメントの空き部屋の調査だった。

 普段政府の目があまり行き届いていないが故に人口調査などが後回しにされやすいここでは、役所の人間が知らぬ間に届け出を出さないまま住人が忽然と消えているという事例がそこそこ存在しているという。それを教えてくれたのは依頼先の帝都市役所の担当者だったが、説明をしている間に5回以上ため息を吐いていたところを見るに、相当苦労はしているらしい。

理由は夜逃げ、駆け落ち、ただ単純な手続き忘れなど挙げればそれこそキリがないが、今回は探偵の真似事を依頼されているわけではない。

 

 頼まれたのは三件。その内の二件は聞いていた通り空き部屋であり、それをチェックする事で達成された。

その部屋の住民が何故消えたのかという素朴な疑問。それは本来依頼の範疇には入っていなかったのだが、気合が入っていた四人は近所の住民などに聞き込みをしてその理由をできる限り細かくメモに書き込んでいた。

 結果、会社が倒産したことによる夜逃げが一件、そして単純な手続き忘れが一件という事が判明した。

 

 

「物臭な人もいるものねぇ」

 

「世の中にはゴロゴロいるぜ? 自分が転居した理由を知られたくない奴なんてな」

 

「クロスベルにいた頃も、こういった依頼は良くこなしていたのか?」

 

 ガイウスの問いかけに、レイは苦笑しながら頷いた。

 

「本来はクロスベル警察の管轄なんだがな。地域課の人間はとにかく毎日忙しくて市内を走り回ってやがるから遊撃士(コッチ)におハチが回って来る事は結構あった」

 

「帝国に暮らしてる私たちから見たら、クロスベルは裕福な都市だという印象がありますが……やはりどの時代にも、急速成長した都市にはそれに見合った”対価”が発生するんですね」

 

 そのエマの見解は尤もだった。

 高度経済成長の絶頂に至り、巨大組織≪IBC(クロスベル国際銀行)≫を擁するクロスベルは確かに時代の最先端を突き進む近未来都市に見えるだろう。だが忘れてはならないのは、栄光の裏に存在する影だ。

 都市の発展に取り残された地区と人。零細でありながら日々を暮す慎ましやかな人もいれば、生活に窮して犯罪行為に手を染める者もいる。何せレイがいた頃は一歩裏路地に入ればマフィアが闊歩する世界があった程だ。性善説で罷り通る場所ではない。

 

 そして程度は違うが、このヘイムダルも同じような宿命を抱えている。

 そういった者達を”穢れ”と判断して邪険に扱うのは筋違いだ。大都市としての器量を見せるのならば、そういった者達もまとめて抱え込むくらいの包容力がなくてはならない。

その点でヘイムダルは、まぁ及第点にあるとは言えるだろう。今まで見た限りでは、の話だが。

 

「良く見ておけよ、ユーシス。お前がルーファス卿に追いつきたいって思ってんなら、こういった空気も丸ごと飲み干せるくらいの覚悟がいるからな」

 

「言われなくとも分かっている。そこまで世間知らずで通ってはいない」

 

 とは言いつつも、時折ユーシスは痛ましい物を見たかのような視線を投げかける。

 この特別実習における目的の一つがまさしくそれであるように、文献等で目を通した知識と現実では大きく乖離することが珍しくない。自分の目で見る、という事がどれほど大切な事か、過去三回の実習をこなしてきたⅦ組の面々は充分に理解していた。

 

 

 そんなやり取りをしながら、一同は最後の調査場所へと足を踏み入れた。

 

 そこは、12街区の中でも端に位置するアパートメント。三階建ての老朽化が進んだそれは、一切人が住んでいる気配が感じられない。ここまでくれば空家調査も何もないだろうと全員が思ったが、それでも依頼達成のために、一階部分に存在するその部屋のドアを開けた。

 

「……やっぱ誰もいない、っと」

 

 電燈は灯されておらず、しかし家具などの荷物は一切残されていない。

あまり埃っぽさを感じさせないあたり、住民が去ったのはそう昔の事でもないのだろう。ともあれ、住民の気配が一切感じられない以上、聞き込みなどができるはずもなく、早々に戻ろうと踵を返したとき、レイが足元に違和感を感じて立ち止まった。

 

「? どうしたの、レイ」

 

「何かありました?」

 

 声をかけてきた女子二人の声に応えず、二度、三度と強く床を踏んだ。ギシ、ギシとそれに呼応して音が鳴るが、その不自然さにガイウスも気付く。

 

「……妙だ」

 

「何がだ」

 

「音が大きく反響している。下に大きな空洞があって、尚且つ空気が通っている証拠だ」

 

 その見解が正解だと言う代わりに、レイは床に敷き詰められた木板を順繰りに踏みつける。そして部屋の端に到着した時、足元の板を思いっきり引き剥がした。

 

「あ……」

 

 思わずエマが声を漏らす。

そこにあったのは、まだ真新しい梯子がかけられた穴。その中からは淡い光が漏れてきており、耳を澄ませば流れる水音も聞こえてくる。

 

「逃亡用の地下通路か?」

 

「ま、そう見るのが妥当だろうな。一体何やらかしたんだか。―――それに、水音が聞こえるって事は、繋がってるのは帝都の地下水路か」

 

 広大な帝都の地下を網の目状に走るインフラ設備の一つ。バリアハートのそれとは異なり定期的に政府が点検を行っているその場所はあらゆる場所から入れるようにはなっているが、まさかこんな場所に出入り口があるとは流石に予想していなかった。

 

 するとレイは、ふむ、と一瞬考えた後、梯子の強度を確かめ始めた。

 

「おい待て。まさか降りるつもりか?」

 

「単純に気になるからな。それに、もう一つの依頼は確か地下水路絡みだったろ?」

 

 依頼内容を確かめた際に指定されていたのは二つ。

一つは空き部屋の調査であり、もう一つは地下水路に棲み着いてしまったという魔獣の討伐依頼だった。

 確かに時間の短縮という意味合いでは今ここで地下水道に降りてしまった方が正解だろう。そう半ば無理矢理納得して、四人もレイに続いて梯子を伝って地下に降りた。

 

「ここの住民は地下水路を利用して逃げたのか?」

 

「借金取りに追われてたか、はたまた別の理由か……ま、どっちにしろマトモな理由じゃないわな。―――ん?」

 

 薄暗い通路を歩こうとした時、足元に何か銀色に光るものを見つけた。

拾ってみたところ、何かの機器の一部分であることが辛うじて分かる程度のガラクタのような物。手の平に収まる程度のそれを”右目”で解析しようとも思ったが、明るい所に出た時で構わないかと思い、それを腰のポーチの中に放り込む。

 

「どうしたんですか?」

 

「いや、何でもない。それより先に進むぞ。あぁ、心配すんな。もし迷っても俺がどうにかするから」

 

「水路の壁ブチ壊して進むってのはナシよ」

 

「マジか」

 

「……もはやツッコむ気すら起きんな」

 

 足元に気を付けながら数メートル間隔で設置されている照明を頼りに先に進んでいく。時折壁に貼られているプレート盤と、ギルド支部で手に入れた地下水路の地図を照らし合わせながら順調に歩いていくと、汚水処理を担っているのであろう機器がある大部屋へと辿り着き―――同時に討伐対象とも鉢合わせた。

 

 排水を背にして陣取っていたのは、単眼と触手を持った軟体魔獣のグラスドローメが四体と、その数倍の巨躯を誇るビッグドローメが一体。体を震わせて威嚇をしてくる相手を前に、しかしメンバーは僅かも恐れを抱いていない。

 

「ザコは俺が始末する。デカいのはガイウスとユーシスが前衛で、アリサは後衛のサポートに回れ。委員長、地属性のドデカいアーツを一発かましてやれ」

 

 レイの指示に、それぞれが頷く。

 先に動いたのはガイウス。十字槍を巧みに操って軟体の部分に絡め取られないようにしながら、苛烈な連撃でビッグドローメの体に斬撃を刻んでいく。

次いで取り巻きを掃討するためにレイが動き、その数秒後に、アーツの駆動を終えたユーシスが何故かARCUS(アークス)を騎士剣の腹の上に重ねた。

 

「『エアストライク』」

 

 本来それは、風属性の単発魔法。威力はそれほどでもないが、速攻性が高いアーツなのだが、ユーシスは溢れ出るその風の魔力の奔流を、自らの剣身に纏わせた(・・・・・・・)

 

「フッ―――‼」

 

 そして裂帛の気合いと共にビッグドローメに接近して剣を振るうと、荒れ狂う風の魔力が鎌鼬の如く威力を倍増させて抉った。

 

 これはレイも予想外の事ではあったのだが、アーツを使用するにあたって”威力の制御”という分野に突出した才能を見せたのは、エリオットでもアリサでもなく、ユーシスだった。

 レイとの特訓の最中にそれを自覚した彼は、前者二人に比べれば劣るアーツの技量を補うために、突飛な発想を提案し、それを見事実現して見せた。

 即ち―――アーツの魔力を武器に纏わせる属性付与魔法(エンチャント)

 しかし、実現させるためには針の穴を通すような精密な魔力の調整とアーツの制御が必須であり、少しでも加減を間違えれば、至近距離で自らの放ったアーツを受ける事になってしまう。

それでもユーシスは努力の末にそれを完成させた。とはいえ今はまだ低級アーツでしか実現は出来ていないのだが、前衛後衛一体型の魔法剣士としての素養を充分に備えた彼であれば、対人戦・対魔物戦のどちらに於いても戦況を有利に進める事が出来る。

 

「『フランベルジュ』‼」

 

 そしてその技術を、今はアリサが取得しようとしている。今はまだ自らの魔力を属性に変換させて放つのが精一杯だが、彼女もまた才能の塊である事に変わりはない。

 地獄のような訓練の中で己の才能を開花させ、それを技術へと昇華させる。仲間の内でそれを隠さない事でその技が他のメンバーにも受け継がれ、戦略の幅が無限に広がっていく。Ⅶ組最大の強みというのは、誰もが柔軟な価値観を持っているお蔭で、際限なく成長できる可能性を持っているという事だ。そしてその可能性同士が連結しあう事で、全体的な強さは二乗三乗にも膨れ上がる。

 幸運にも彼らには”戦術リンク”という強みがあり、それを有効に活用することで、弛む事無く精進ができる。

 

「―――っ。エマの詠唱、後三秒‼ ユーシス、ガイウス、退避して‼」

 

 エマとリンクが繋がっていたアリサがそう叫ぶと、ビッグドローメの動きを釘付けにしていた二人が全力で左右に退避する。グラスドローメを掃討し終えたレイも、【瞬刻】で後方に下がった。

 

「―――『ユグドラシエル』‼」

 

 淑やかな声と共に放たれたのは、地属性の上級攻撃アーツ。顕現した岩石の雪崩が、振動と共にその巨体を飲み込んでいく。

 こと攻撃アーツを扱わせれば、Ⅶ組でエマの右に出る者はいない。潤沢な魔力を注ぎ込んで放たれる全力のそれは、レイですらも真正面からガードなしで食らうとヤバいと本能的に思ってしまうレベルだ。

 そして数秒後、舞い上がった煙の向こう側に、既にビッグドローメは存在していなかった。

 

「え、えっと……やり過ぎてしまいましたか?」

 

「いんや、大丈夫だろ。機械が壊れたわけでもなし。相変わらず景気の良い威力だな、オイ」

 

「フン。その分前衛は気を使うがな」

 

「だが、頼もしい事この上ない。助かった、委員長」

 

 功を焦らず、まず敵を倒して生き残る事を念頭に置き、その後互いを讃え合う。

チームとしてはお手本と言っても差し支えないだろう。そうしてレイはアリサがしようとしているハイタッチに混ざるために刀を鞘に収めようとして―――その手を止めた。

 

「…………」

 

 無言の時間が数秒過ぎた後、再び半ばまで収めた長刀の刃を引き抜いた。

その際に響くシュラン、という玲瓏な音。その音を聞いた四人は、勝ち戦の後の余韻もそこそこに、再び臨戦態勢に立ち戻った。

 

 空気が悪い。先程までは漂っていなかったはずの鼻を突くような刺激臭が大部屋の中に充満しようとしている。

 その時、ベチャリという不快な音を立てて、天井部分から何かが落ちてきた。

 

「コイツは……‼」

 

 姿形はレイが相手をしていたグラスドローメと変わらない。だが、先程のそれは僅かに濁った翡翠色の体色であったのに対して、ユーシスの目の前に落ちてきたそれは、それに紫色を混じらせたかのような毒々しい色をしていた。

そんな個体が計六体。アリサ達四人を囲むように天井から落ちてきた。少し離れていたレイはその包囲網からは外れていたが、それでも生憎、彼らに向けるより先に視線を向けた先があった。

 排水の溜まり場から這い上がってきたもう一体のビッグドローメ。グラスドローメのそれよりも更に毒々しい、紫と黒の大理石(マーブル)模様を浮かび上がらせているその個体は、レイの姿を確認するや、体を大きく震わせ、ボコリと頭部にあたる部分を膨らませた。

 

「……【其は城壁 鏑の矢と鉛の弾と玉鋼の刃を悉く弾き 久遠に至らぬ恩恵を 兵共に授け給う】」

 

 その行動が何を意味しているのかいち早く察したレイは、しかし自分の背後の射線上にいる仲間を差し置いて回避は出来なかったため、防御系の呪術の詠唱を紡いだ。

 

「【堅呪・崩晶(くえひかり)】」

 

 水晶の壁が顕現した直後、ビッグドローメの口部から体色と同じ色の液体が噴出された。それは壁に阻まれて一切レイの体にも、その背後にも届く事はなかったが、飛び散った飛沫が地面や壁に付着した瞬間、黒い煙と共に触れた部分が溶解していた。その攻撃を見て、レイは誰にも聞こえないような声量で呟く。

 

「……”変異種”か」

 

 大自然や文明と密接に関わっている魔物の中で、稀に環境の変化を進化の過程に組み込んで遺伝子を強化する個体が発生する。

学術的には”変異種”と銘打たれて学者の研究サンプルとして高い価値を示すそれだが、生憎とレイは生け捕りなどという甘い結果に落ち着かせるつもりはなかった。

 

「アリサは回復、委員長は攻撃系から補助系のアーツに変更‼ ユーシスとガイウスは二人を守りつつ戦え‼」

 

 背後からの声を聞く前に、レイは地面を蹴って飛来してきた長い触手の一撃を避ける。そのすれ違いざまに数本の触手を切り捨てたが、数秒もせずに高速で再生してしまった。

 しかし、それも予想済み。レイの視線は、本来のビッグドローメにはない体内のとある場所に注がれていた。

 中心部分に鎮座する、赤黒い”核”。オリジナルの個体には存在しない再生能力を生み出しているのであろうそれを一撃で壊すために、立ち止まって刺突の構えに移る。貫くのは一点。威力は最小限に抑え、周囲への被害はゼロに。

 

 そんな事を高速で思考していた時、背後に繋がっている通路から、一陣の風がレイの真横を通り過ぎた。

 

「―――あ?」

 

 そのコンマ数秒後に走ったのは、二条の銀閃(・・・・・)。それは過たず”変異種”の体を横と縦に切り裂き、次いで巨体を削いでいくかのような斬撃が次々と生まれていく。

レイが右足を一歩前へ踏み込ませた時には、既に再生が追い付かない速度で切り刻まれ、核の部分を露出させた”変異種”の無様な姿が眼前にあった。

 

「―――後、よろしくね」

 

「良いとこ取りも偶には味わってみるモンだな」

 

 自分の真横に下がってきたその人物の声にそう反応して、レイは分裂再生を図っているそれに対して容赦のない一撃を叩き込んだ。

 【剛の型・塞月】。―――苛烈な進撃と共に放たれた超速の刺突は、レイの頭部ほどの大きさのある核の中心点を捕らえ、粉微塵に破壊した。

 

「ふぅ」

 

 刀身を払って鞘に収めると、まず囲まれていた四人の方を見る。どうやらアリサを司令塔に恙無く殲滅を終わらせていたようで、心の中で安堵の息を漏らし、そして次いで闖入して来た人物の方へと視線を向けた。

 

「またイケメンになったな、お前」

 

 レイと同じくらいの長さの、濡れるような艶やかな黒髪。身長は以前に会った時よりも確実に伸びており、成長期を満喫したのだという事が窺える。中肉中背よりは細身で、その中性的で整った容姿は微笑むだけで通りすがりの異性を振り向かせる事ができるだろう。

 しかし、ただの優男ではない。その両手に握られているのは、使い込まれた双剣。レイの動きにも匹敵するかのような高い敏捷性を以て魔物を斬り刻んだ張本人は、その言葉に肩を竦ませた。

 

「どうなんだろ、自分じゃ良く分からないケド。……あ、もう出て来ていいよ」

 

 青年がそう声を掛けると、懐から一匹の子猫が顔を出し、暢気そうにニャーと一つ鳴いた。

 

「そういや、猫探ししてたんだっけか」

 

「うん。開いていたマンホールから地下水路に入っちゃってね。ようやく捕まえて出口を探してた時に、君たちを見つけたんだ」

 

「ナイスタイミング」

 

 互いに薄い笑みを見せ、差し出した拳をトンとぶつける。

数年ぶりに会った事に内心喜色を膨らませながら、それでも表面には出さずにただ短く、再開の言葉を交わした。

 

 

 

 

「久しぶりだな。ヨシュア(親友)

 

「うん。久しぶり。レイ(親友)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 はい、じゃあ初めに言っときますね。


 シェラ姉さんヒロインじゃないんで。そこは間違えないようにお願いします。


 おやおや、どうやらオリビエさんが悪寒を感じて体調を崩しかけているようです。
頑張れ。とりあえず今だけは応援してやるから。


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親友と新友





「もしやり直しを求めるのならば、それは過去ではなく今からだろう。やり残したことがあるのならば。それは過去に戻ってやり直すのではなく、この瞬間から、成し得なかった願いを、築いていかなければならないのだ」

            by セイバー(Fate/stay night)















 

 

 

 片や”正義”、片や”死神”。

 

 本人達の意図せぬままにそんな役割に押し込められた二人は、片方が先に組織を抜けるまで、友好関係を築いていた。

 当初はとある事情(・・・・・)で心を一切開く事がなかった少年に対して、元来お人よしの性格が強かった彼は、めげずに話しかけた。

 

 レイ・クレイドル、当時8歳。

未だ己の中に確固たる復讐心を燃え上がらせ、その復讐のためにひたすら牙を研ぎ澄ませていた時。その超人的な剣の才と血の滲むような地獄の修練を潜り抜け、ようやく剣士としてそこそこの実力を手にし始めていた彼は、かつての自分と同じ、瞳にどうしようもない虚無感を映して屍のように生きていたその少年を放っておく事が出来なかったのだ。

 

 或いは、ただ単純に”友達”と呼べる存在が欲しかったのかもしれない。

 

 そこからは試行錯誤した。無視された回数は数知れず。反応が返ってこないのは当たり前の中で何度も何度も諦めずにトライを繰り返し、そして―――苛立った(・・・・)少年から怒りをぶつけられた。

 それは今になって考えてみれば分かる事なのだが、偉業と言っても差支えがなかった。何せ「トラウマを封印するため」などという尤もらしい理由で以て≪使徒≫第三柱の手により感情を閉ざしていた状態の彼の心を、ただ話しかけ続けただけで揺らがせてしまったのだ。

 そしてそこからは、完全にレイのペースだった。

 現在のように口が悪くなく、ただ純粋な気持ちで他者と接する事が出来ていた頃の彼の事だ。無意識のうちに少年の子供らしい一面を抉じ開ける事に成功し、一年が経つ頃にはすっかり仲良くなっていた。

 

 無論、彼らがいた場所はただの託児所などではない。年端のいかぬ子供であろうが何であろうが、戦力であるならば”駒”として手を血で穢す。

レイは≪鉄機隊≫の予備戦力として、少年は別の戦力としてそれぞれ死線を潜り抜ける中で強かさを身に着けるようになり、その後同時期に≪執行者≫となった後は、幾つかの作戦を共にした。

 共に戦い、互いに高め合う切磋琢磨の間柄。少年が漸く”駒”ではなく”人間”としての生き方を考え始めた頃、しかし運命の歯車は凶方へと狂い始める。

 

 少年に課せられた”とある遊撃士”の暗殺命令。それに失敗した事が契機となり、今までに積み上げた時間も友情も何もかもを嘲笑うかのように、二人は袂を分かつ事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――そんな過去を回想しながら、レイはふと目を開けた。

 

 旧ギルド支部。B班とリベール派遣組が宿泊場所としている所の天井が見える。ソファーに横になっていたら、いつの間にか眠っていたようで、僅かに呆けたままの脳味噌を覚醒させ、上半身を起き上がらせた。

 

「あ、レイさん。起きたんですね」

 

 すると、正面のソファーに座って魔導杖の手入れをしていたエマが声を掛けてくる。それに頷いて返してから壁に掛かっていた時計を見ると、時刻は既に八時を回っていた。窓の外を見ると、空は既に闇に染まりかかっている。

 あの地下水道での一件の後、依頼の報告や猫の飼い主に会ったりして用意された依頼を全て終えた後、レイ達は早々に報告書をまとめ、午後六時ごろに早めの夕食を摂った。

「美味しいお店を見つけておいた」というシェラザードの言葉にホイホイ着いて言って大丈夫かと一瞬警戒したが、蓋を開けてみれば雰囲気の良いレストランであったために全力で安堵したのは記憶に新しい。その際に彼女が飲んでいた赤ワインは見なかった事にしたが。

 その後、旧ギルド支部に帰って来た後にちょっと気を抜いてソファーに横になったら……いつの間にか寝ていたのである。

 

 

 

「他の皆はどうしてる?」

 

「ついさっきまでシェラザードさんとヨシュアさんから他国の遊撃士の活動について聞いていましたよ。ふふ、とても興味深いお話でした」

 

「あー、そう。大丈夫だった? シェラザードのヤツ酒瓶片手に話したりとかしてなかった?」

 

「そう言えば……「少し口の滑りを良くしましょうか」と言って樽酒抱えて来た時にヨシュアさんが全力で阻止して没収してましたね」

 

「ヨシュアGJ」

 

 親友に心からの賛美を送っていると、エマは魔導杖を拭く手を止めて、やや真剣な声色と表情で、レイの顔を覗き込んだ。

 

「……そう言えばレイさん、忘れていませんよね?」

 

「何が?」

 

「ノルド高原で交わした、約束です」

 

 あの時レイの体からいきなり漏れ出た、エマが良く知る人物の魔力。

それについていつ詰問しようかと気を窺っていた時に先手を打たれ、結局先延ばしにされていた疑問。

無論、その判断を責めているわけではない。寧ろあのまま中途半端な心持ちであの後の戦いに挑むわけにはいかなかったのだから、そういう意味であの時のレイの選択は正しかったと言えるだろう。

 だがそれは、そのまま無かった事にして流していいという事ではない。

 

「……ハハ、流石委員長。記憶力高い。―――いや、身内(・・)が関わってんだから忘れるわけねぇか」

 

 実は結構ガチで忘れかけていた、という体を装っていたレイだったが、直球でそう聞かれてしまっては誤魔化す事などできない。

 そも彼女には、それを聞く権利がある。それを知っているからこそ、レイは徐に第二ボタンを外し、シャツの襟を緩めてそれを見せた。

 

「……それが―――」

 

 右の首筋に浮かぶ、真紅の魔導紋。そこから漏れ出す魔力は元より、魔導紋の紋様は、間違えようもなく彼女の良く知る人物が使用するモノだった。

 驚愕するエマを他所に、レイは自虐気味に笑う。さてどこまで話せるのかと、久方振りに”限界”ギリギリまで粘る事も辞さない覚悟を決めながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何も」

 

 

 

 

 セリーヌが唯一、と言った質問に、レイは変わらぬトーンでそう答えた。

 それは、≪アークヴァル≫の艦内でルーファスに対して答えたそれと変わらない。

 

 そう、理由など、最初はありはしなかった。

 オリヴァルトから推薦状を貰い、フィーの入学試験の勉強を手伝っていたらいつの間にか帝国の士官学院に入学していた。そこに意味などあるわけもないし、言うまでもない。

 ”学校生活を送りたい”という理由だけならばわざわざ帝国の士官学院などに入学せずとも良かった。……が、レイ・クレイドルという少年の特異性がそれを許さない。

 剣を握るのと縁遠い平和の中に身を置いて平気なのか? ―――否。彼は本能的に恒久的な平穏の中を忌避する人間だ。なまじ一つの武術を修め、その真髄を理解した者であるならば、それを許容しろという方が無理な相談である。

 

 だが、それとこれとは話は別。

 幾つかの”恩情”を与えられたとはいえ、≪身喰らう蛇≫とは既に絶縁状態。セリーヌの危惧は尤もな話ではあるが、今更あの組織のために動こうとは毛ほども思っていない。

それが例え、嘗ての戦友からの申し出であったとしても、だ。

 

 

「委員長の事心配すんのもいいけどよ、そんな弱くないぜ? それは使い魔のお前が一番良く知ってんだろうがよ」

 

「……まぁ確かに、この頃のエマは強くなった―――というより図太くなった? とは思ってるけど」

 

「俺対全員の極限状態の中で上級アーツの詠唱を顔色一つ変えずに出来るようになったからな。アイツ、潜在的なメンタルの強さ半端ないぞ」

 

「ちょ、エマを魔改造しないでちょうだい‼」

 

「馬鹿言うな。あの魔女を将来的に追い越すレベルの天才だぞ。鍛えてみたいと思いたくなるだろうが」

 

 刺激を与えると開花するタイプの天才性を特に何も考えずに告げたレイだったが、セリーヌはそれよりも引っ掛かる事があったようで、更に目を細めた。

 

「”あの魔女”ね。……やっぱり知っているの?」

 

「当然だろうが」

 

 そう言ってレイは、名前を出したことで浮かび上がった首筋の魔導紋を見せる。それが何であるかを理解したセリーヌは、信じられないと言わんばかりに瞠目した。

 

 

「ヘ、≪魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)≫⁉ 禁忌指定の霊獣クラスに使う秘術じゃない‼」

 

 

 それは本来、ただの人間に使用するには余りにも過剰すぎる魔女の秘術。魔力と共に紋を刻み込み、指定した誓約で魂まで縛り付ける大魔術であり、本来であれば百人規模の魔女が数日かけて発動させるモノ。

常人に使用すれば楔となる魔力が体内で増幅し続け、数日も立たずに中枢神経までが侵され、廃人同然となった後に死に至るであろうそれは、数年間ずっとレイの中に息づいて”首輪”として作用している。

 

「俺が抜ける時に”盟約”に従ってあの女が刻んだんだ。コイツの所為で俺は『≪身食らう蛇≫が関わる情報の一切を外部に漏らす事が出来ない』。まぁ、≪怪盗紳士≫(あのバカ)みたいに無駄に有名になってる奴は対象外だけどな」

 

「……あの女はそれを一人で行使したのね。それをヒトの身で食らって普通に生きてるアンタもアンタよ。ホントは神獣の化身か何かだったりしないの?」

 

「失敬だな、俺は紛う事なき人類だ。ただちょっとヤバい術式組んでたから抵抗出来てるだけでよ。ホントだったら今頃俺の体ミンチだぜ」

 

 ケラケラと笑う少年だが、その声色にはどこか悲観的な色が混じっていた。

しかし、ヒトの感情の機微に疎いセリーヌは、それに気づかずに話を進めてしまう。

 

「……確か≪魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)≫の誓約を反故した時の対価は」

 

「誓約を刻んだ際に対象に注ぎ込んだ魔力の魔力爆散(マジック・バースト)。俺の場合は稀代の魔女が三日掛けて丹念に注ぎ込みやがった質も量もバカみたいなヤツの更に増幅術式掛かった爆発だからな。小国くらいなら一瞬で灰になるレベルだ」

 

「な、何よソレ‼ 思いっきりヤバいじゃない‼」

 

「まぁ、何段階か”警告”があるからうっかり爆発ってのはないがな。厄介なのは俺が自殺しても発動するって事だから、もうどーにもならん。自力解除も諦めたし、本人に解除させるか、もしくは殺すかしないと無理だわな」

 

 そう言って首筋を叩くと、紋様がスゥ、と消えていく。

その様子にセリーヌが安堵しながらも、それでも警戒心は緩めない。

 

「……とりあえず、アンタの身がヤバいって事と、あの女が裏で糸引いてたって事は分かったわ」

 

「オーケー。それが分かってくれただけで俺としちゃ満足だ。お前らはお前らの役割を最優先に考えた方がいいだろうしな」

 

「やっぱり、”私達”の事も知ってるのね」

 

「当然。昔あの腹黒ドS魔女が酒に酔った勢いでペラペラ話してたぜ?」

 

「なぁにやってんのよあの女ぁ‼」

 

 怒りを露わにして毛を逆立てるセリーヌを見て同情する感情が芽生えていたが、生憎と嘘偽りなく本当の話なので苦笑するしかない。因みに意外と酒に弱い事は伝えない事にした。

 しかし、とそこで思考を切り替える。このご時世、ラジオでなくとも雑誌などをパラパラとめくれば彼女らが驚き過ぎて逆に冷静になれるんじゃないかという情報は簡単に手に入る。レイですら帝都発行の情報誌を見ていて芸能欄に差し掛かった時に「偽名くらい使え、このアホ」と心の中で罵り交じりに逆に大爆笑してしまったくらいだが、どうやら彼女らはまだ魔女の術中(・・・・・)に嵌った状態らしい。

 だがそれを指摘すればもれなく誓約(ゲッシュ)が発動してレイの口を封じにかかるだろう。そういう意味では、先程はああ言ったものの≪結社≫の協力者であると取られても言い訳はできない。

 また一つ自身を縛り付ける贖罪の鎖が増えた事を確信したところでベンチから立ち上がり、寮の方に向かって歩き出した。

 

「んなワケで俺は別に能動的に悪事に加担するつもりはこれっぽっちもねぇからよ。詮索するのは別に構わねぇからお前らもお前らの役目をちゃんと果たせや」

 

「あ、ちょ、待ちなさいってば‼ 言っとくけれどアンタへの警戒はこれからもさせて貰うわよ」

 

 至極当たり前のその言葉に、レイは振り向かないまま、ヒラヒラと手を振って言った。

 

「おーおー、やってくれやってくれ。俺みたいに仮面被って物事に当たるタイプはそういうヤツがいねぇと張り合いがなくて仕方ない。はてさて委員長は―――どうだろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そうですか。やっぱり姉さんの……」

 

 ≪魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)≫の説明を聞き終えたエマは、少しの間放心状態になり、そしていきなりレイに向かって深々と頭を下げた。

 

「え? 何? どうしたの?」

 

「すみませんでした、レイさん‼ 姉さんの……姉さんのせいで今までそんな……っ」

 

 今にも涙を流しそうな声を挙げるエマに対して、今度はレイが呆然とする番だった。幸い他のメンツには聞こえていなかったみたいだが、その突飛な行動を間近で見たせいで僅かに残っていた眠気も一瞬で吹き飛んでしまう。

 

「おいちょっと待て。なんで俺は今委員長にガチで謝られてるんだ」

 

「……時折、レイさんがどこか悲しそうな顔をしていたのを知っています」

 

 ポツリと、自身の至らなさを懺悔するかのような声色で、エマが続ける。

 

「その一端を姉さんの術が担っていたのだとしたら、妹である私が罪悪感を抱くな、というのは無理な話です」

 

「いや、別に委員長が気にする事じゃ―――」

 

「私はっ‼」

 

 強い言葉でレイの言葉を遮り、手元の杖を強く握りしめる。まるで悔しくて仕方ないと、そう叫びたいかのように。

 

「……私にとっては、Ⅶ組の皆さんは初めて出来た”友人”だったんです。リィンさんも、フィーちゃんも、皆私を受け入れてくれました。勿論、レイさんもです」

 

「…………」

 

「特にレイさんには色々な事を教わりました。強くなる方法を、魔導士として皆さんのお役に立てる方法をサラ教官と一緒に教えてくれました。辛いですけれど、それでも私は嬉しかったんです。こんな私でも、こんな”嘘吐き”な私でも、ちゃんと戦える場所があるんだ、って」

 

「…………」

 

「なのに、私はレイさんが苦悩を背負っているなんて微塵も感じていませんでした。それも身内が関わっていたのに知らない顔をしていた自分が……情けなく見えてしまったんです」

 

 それは仕方がないだろう、と言いかけたものの、呑み込んだ。

姉が仕掛けた問題を、妹が謝罪する道理はどこにもない。その関係が反対であるならば話は別だが、少なくともエマが今ここでレイに頭を下げる道理はどこにも存在しないのだ。

 

 だからこそレイは、俯いてしまったエマに向かって痛みを感じない程度のデコピンを放った。

 

「キャ……っ」

 

「うぃ、そこまでな。委員長の落ち込む姿とか、見ててこっちの罪悪感半端ないから見たくねーのよ」

 

 それは誤魔化しているように見えて、実は本心であったりする。勿論自分の事に関して変に悲しんで欲しくないという理由もあるのだが、裏表なしで落ち込む少女の姿を見て何とも思わないほど薄情者ではない。

 

「自分を責めるのはお門違いだぜ、委員長。これを押し付けられた理由の半分は俺にあるんだし、自業自得だ。―――勿論このまま一生過ごすわけに行かねーから、いつかあのドS魔女にオトシマエつけてもらうがな」

 

 これは自分の行動が招いた結果であり、だから謝る必要はない。レイはそう告げてから、いつもの不敵な笑みを浮かべる。

 

「俺が抱きかかえた厄介事は、俺だけのモノだ。自分で清算しなきゃならんモンだし、それにお前らを巻き込むわけにはいかん」

 

 それは彼の中に残ったなけなしの矜持であり―――同時に悪癖でもあった。

 ”自分の事は自分でケリをつける”。責任感が強い素晴らしい言葉ではあるが、状況次第によってはそれは傲慢とも取られてしまう。

だが彼は、その傲慢をも貫けるだけの”力”がある。

 いつぞや彼は言った。意見を貫き通すだけの力を持っていないのなら吠える資格などありはしない、と。

 レイ・クレイドルは持っている。一切合財、己が背負い込んだ業を打ち砕く力を。そして同時に、エマは気付いてしまった。その業を共に背負うだけの力(・・・・・・・・・・・・・)が、自分達にはまだ備わってないのだと。

 

 悔しいと、そう思ったのと同時に、不謹慎ではあるが僅かに嬉しいとも思ってしまった。

 今この瞬間、この大人びて最強の人物にも、自分達と同じ”弱点”があったのだと理解した。それを盾に強請るつもりなど毛頭なく、責めるつもりはもっとない。ただ感覚的に遠く離れていたように感じられた自分達と彼の距離が、少しではあるが縮まったように感じられたというだけ。

 

 彼の素性、彼の過去。問いたい事は幾らでも存在する。欲を言えばエマが探し続けている姉の行方、それも聞きたいと言葉が喉に引っかかっているが、それを寸でのところで飲み込んだ。

 彼の過去を問うのは、自分ではない。特科クラスⅦ組にはエマ・ミルスティンよりも遥かに彼の素性が気になっている人物が確かに存在するのだから。

 

 その青年の顔を頭の中に思い浮かべていると、半開きになっていた窓から一羽の鳥が入って来た。

 と言っても、それは生物としての鳥ではなく、レイが使役する簡易型の式神。それは室内で元の一枚の呪符の状態に立ち戻り、そのままレイの額にピタリと張り付いた。

以前聞いたところ、その状態で数秒術者と接続する事で、式神からの情報を抜き出すのだという。

 数秒後、額に張り付いた呪符を剥がしたレイは、薄く笑っていた。

 

「? レイさん?」

 

「あぁ、悪い悪い。まぁ兎も角だ。要らん責任感じるなって事だよ。ありがたくはあるけどな」

 

 よっ、という掛け声と共に、レイはソファーから降り、ブーツを履き直してから玄関の方へと向かった。

 

「どこかに行くんですか?」

 

「ちょっと涼みにな。一時間以内には戻ってくるから心配しないでくれ」

 

「ふふっ、心配は無用なんでしょう?」

 

「違いない。言うようになったじゃないか、委員長」

 

 そう言伝を残し、レイは一人で玄関を開けて夜の帝都へと出かけていった。

そんな彼の背中を見ながら、エマはふと思ってしまう。

 

 彼は、本当に心の芯まで強靭な人物なのか?

 

 もしかしたら本当は―――自身の弱い部分をひた隠しにしている、自分達と変わらない歳相応の少年なのではないか?

 

「考え過ぎ、ですかね」

 

 思わず口に出てしまったその誰何の言葉に、答える人物は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 任務でも、自身の戦闘能力を向上させる訓練でもなく、ただ純粋に自分の想いをぶつけるために戦うという経験は、思い返してみれば初めての事だ。

 

 そんな事を頭の片隅に置きながら、フィーは石畳を蹴って速度を加速させる。

 

 

「ぬっ―――はぁっ‼」

 

 充分に速度が乗った双銃剣の連撃。しかしラウラは、鍛えられた巧みな大剣捌きで、それを受け止める。

振るう剣の大きさに比例した重い一撃。しかしそれは高い敏捷力を武器とするフィーとの戦いにおいては、相性が悪い筈だ。―――そう、筈だった(・・・・)

 

「―――っ‼」

 

 長らく寝食を共にし、教練の際も連携を重視するレイとサラの指導によって互いの戦闘時の動きを見ていたせいか、ラウラの攻撃は悉くフィーの先を突いてくる。

こうなった場合、フィーにとっては戦いにくい事この上ない。ラウラの振るう大剣を真正面から受け止めるだけの膂力を有しているわけではないため、必然的に躱すか去なすかの二択を迫られる事となる。

 

 ―――否、果たしてそれだけか? 動きを熟知しているという、ただそれだけの事でこうまで追いつかれるものなのだろうか。

 

「考え事をしている暇は与えん―――ぞッ‼」

 

 違う。彼女は、ラウラはとてつもない早さで成長している。アルゼイド流という下地が既に完成されている所為か、彼女の成長度はⅦ組の中でもリィンと並んで早いとレイは言っていた。

 それにしても、こうまでかとフィーは驚愕する。幾ら半分三途の川に片足突っ込みかねない地獄のような修練を潜り抜けているとはいえ、ここまで互角に戦り合えるものかと、戦慄した。

 

 きっかけは単純。互いに悶々と悩みを抱え続けるよりはいっそ決闘してしまおうという、あぁ完全にレイのどうにかなるさ、いやどうにかする理論が染みついているなと嘆息しかかる程の提案がラウラから出され、しかしフィーもそれを受諾した。それだけの話だ。

 舞台として選んだのは、既に夜の帳も降り、人も疎らとなった帝国市民の憩いの場所、『マーテル公園』。そこで二人は、リィンとマキアスの二名を立会人として、互いに今までの鬱憤を払うが如く戦闘を続けていた。

 

 フィーとて理解はしていた。ラウラの意固地な部分は彼女の美徳なのだと。

一般的に考えれば、猟兵の存在など到底受け入れられるものではない。殺人を正当化し、それでミラを稼いでいるような連中の事を、どうして正道と見る事が出来ようか。

 だがラウラは、それを踏まえた上でフィーとの関係をどうにか最悪なレベルまでは拗らせないようにと努力していた。フィーはフィーで、それ以上ではない。同じ学び舎で、同じ寮で寝食と勉学を共にしてきた仲間であり、元猟兵だろうが何だろうが関係はないと、そう声高に叫びたかったのだろう。

 しかし、それを打ち明けるのには些か時間が経ちすぎてしまった。そのためにどちらからも話を切り出す事も出来ず、今の今までズルズルとにっちもさっちも行かない関係が続いてしまった。

お互いに分かっている。自分は口が上手い人間ではない。何か説得するような事を言おうものにも、生来の不器用さが祟って誤解を生んでしまうような人間だと言う事を。

 

 だから―――戦う事にした。

 刃と刃が弾かれる瞬間、攻撃を躱し躱され、一手、また一手と手数を重ねる毎に、両者の間に生まれてしまった軋轢は剣戟の音と共に埋まっていく。

 阿呆な話だと、笑いたくなる。片や15歳、片や17歳。言葉を交わすよりも剣を交える方が余程心を近づけられるという、このどうしようもない事実に。

 

 ただ、楽しかった。

 彼女の渾名は≪西風の妖精(シルフィード)≫。戦場をただ駆け巡り、文字通り西風のように通り過ぎていく。その後ろに、刈り取った命の残骸を置き去りにして。

故に、感情をぶつけて戦う相手は、これまで存在しなかった。レイとは兄妹のような間柄であるためか、どうにもそのようなやり取りはしたことがない。そも彼は口が上手いのだから、優しい言葉と頭を撫でるというコンボで大抵の問題は解決できてしまっていた。これでは兄妹喧嘩など起きようはずがない。

 だがラウラは違う。

 共に過ごし、そして今力をぶつけあっている内に漸く理解できた。彼女こそが自分の実力を如何なく発揮するために必要なパートナーであり、同時に鎬を削れるライバルなのだと。

 

「まだ、疲れてないよね?」

 

「無論。甘く見ないで貰おうか」

 

 いや、ホントそろそろ止めておいた方が良い、と言いたい立会人の男子二人の視線も無視して、両者は再びぶつかり合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……成程、得心いったよ」

 

 同時刻、二人の戦闘場所から少し離れた高台の場所で、名目上”夜涼み”に来ていたレイとヨシュアの二人が、その様子を垣間見ていた。

あのように盛大に剣戟の音を響かせていれば直ぐにでも憲兵が駆けつけるだろうが、そこはレイが気を利かせ、【虚狂】の結界を彼らの周囲に展開させている。余程の事がない限り、気付かれる事はないだろう。

 

「君の訓練って昔っから容赦ゼロだったからね。地獄行きの片道切符をずっと握らされてる彼らには同情せざるを得ないけど……確かに、伸びしろは凄いと思う」

 

「だろ? どいつもこいつも才能の塊だ。ちっと追い込んでやったら3ヶ月ちょいで驚くほど伸びやがった。全員でリンク繋げばお前を上回るかもな」

 

「はは……いや、流石に得意な戦場で易々と上回られる程腕は落ちてないよ」

 

 クスリと笑いながら、視線は戦いの場から移さない。親友が鍛えているという学生がどれ程のものかという純粋な興味に抗えずに彼の”夜涼み”に同行した身ではあったが、中々どうして良い意味で予想を裏切ってくれた。

 

「楽しんでるみたいじゃないか」

 

「……まぁそうだな。退屈はしてねぇよ。それはお前の方も、みたいだが」

 

「ハハ、まぁ遊撃士の仕事は気を抜いていられないしね。それに―――」

 

「レンの奴が色々ワガママ言ってんじゃねぇのか?」

 

 何気なく、と言った風に口から出たその言葉に、ヨシュアは少し驚いた表情を浮かべ、隣に立っている親友に言葉を返す。

 

「……やっぱり、気付いてたんだね」

 

「この間ミシェルと連絡を取った時に、な。アイツと一緒に≪教団≫の残党をブッ叩いてくれたんだろ? なんつーか、ありがとな」

 

「お礼なら僕達じゃなくて、特務支援課の人達に言った方が良いよ。僕達は援軍みたいなものだったから」

 

「知ってるよ。でも―――」

 

 そこで一度だけ口を噤み、柔らかい笑みを口元に浮かべた。

 

「アイツが―――レンが、誰かを守りたいって思えるようになったのが俺としては嬉しかった」

 

「……あの子も、レイに会いたがってたよ」

 

 実の兄みたいなものだったじゃないか、と。極めて真剣な顔で、ヨシュアは親友にそう告げる。

 実際、権利という意味合いで見るのならば、彼女はレイの元に身を寄せるべきなのだ。彼女を地獄から救い上げたのは紛れもなく彼であり、ヨシュアはその手伝いをしていたに過ぎない。

 しかしレイは、ヨシュアが何となく予想していた答えを、一言一句違わずに答えた。

 

「あいつに必要なのは”家族”だよ。俺じゃあどう足掻いてもその夢を見させる事は出来ない」

 

「顔を見るくらいはいいじゃないか。―――いや正直言うとね、たまに寝言で君の事を呟いてるみたいで、エステルの嫉妬ゲージが着実に溜まってるんだよ」

 

「知らんがな」

 

 軽いノリで言ってはみたが、それは本音でレイに会いたいと思っているという事に他ならない。

実の兄のように慕っていた程だ。あの年頃の女の子が、会いたくないと思わないはずがない。

 

「エステル・ブライトとお前はアイツを本当の”家族”として受け入れようとしてるんだろ? そんでもってアイツはその差し伸べられた手を掴んだんだ。ならそこが居るべき場所(・・・・・・)だよ」

 

 その言葉は、兄から妹に手向けるものというよりは、親から子に捧ぐそれに酷似していた。

 いつだってそうだ、とヨシュアは思う。自分がカシウス・ブライトの暗殺に失敗して≪結社≫から追われる身になった時も、結果的に助けてくれたのは彼だった。

年下だというのに、眩しいほどの意志と頑固さを備えて死に体となっていた自分を叱り飛ばし、光の当たる場所に強引に突き飛ばしたあの時と、何も変わっていない。

 

 横着者だ。状況に対応する柔軟さは持ち合わせているはずなのに、変なところで頑固さを発揮する。

 彼とて会いたくないとは微塵も思っていないはずだ。それなのに、今はお前たちがアイツを守る番だと言い張るその姿は、気難しい父親にしか見えない。思わず吹き出してしまいそうにもなった。

 

「(こりゃ、いつか強引にでも会わせないとダメだなぁ)」

 

 帰ったら留守番をしている恋人と早速計画を練ろうと思っていると、先程まで散っていた火花が、いつの間にか見えなくなっていた。

 

「あ、終わったのかな?」

 

「みたいだな。よし、んじゃ帰るぞ」

 

「え? 顔を出さないの?」

 

「こっから先はあいつらの話だよ。盗み聞きなんて無粋だろ」

 

「はいはい」

 

 それでも、気落ちした人間を無条件で振り回して心を抉じ開けてしまう所は変わらないで欲しいと、ヨシュアは彼の親友として強く願うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 気付いた時には、戦場にいた。

 

 

 

 両親の顔を知ってはいるが、既に思い出せない。それが娘としてどれだけ親不孝であるかを充分に分かっていた上で、生ける屍だった彼女は、戦場の跡地でとある人物に拾われた。

 

 ルトガー・クラウゼル。≪赤い星座≫と並び、西ゼムリア大陸で双璧を誇る猟兵団、≪西風の旅団≫の団長。

≪猟兵王≫の異名で呼ばれ、戦場では鬼神もかくやという活躍を見せる人物だと後に団員に聞いたのだが、フィーを拾ってくれたその人物は、どこにでもいるような飄々とした壮年の男性にしか見えなかった。

 行くところがないなら来るか? と、そう言ってくれたルトガーに着いて行った先にあったのは、巨大な”家族”だった。

彼らはフィーを連れて帰ったルトガーに真剣な表情で詰め寄り、「団長、マズいですって。オフの時に幼女誘拐とかシャレにならねぇっすよ」「そういうお前は何でちょっと嬉しそうなんや」「あら、結構可愛いじゃない。団長GJ」などと口々に言っていたが、思っていたよりもすんなりと、フィーはその”家族”の中に入ることができた。

 団の一員として雑務などをこなしていく内に団員からは愛されるようになり、特にルトガーはフィーに<クラウゼル>の姓を与えて娘のように育てていた。

 

 そんな彼女が実戦を経験したのは、10歳の頃。

 

 戦場を駆け巡らせることを最後まで渋っていたルトガーを、彼女の意を汲んだ団員達が説得した結果であり、そこでフィーは―――”地獄”を見た。

 死体自体を見るのは初めてではない。戦争孤児として戦闘跡地をふらふらと歩いていた時も、事切れた死体を見る機会は何度もあった。中には悲惨な死に方をした兵士や民間人もいたが、自分が生きる事で精一杯だったフィーはそれらを悼む暇などなかった。

 これだけ壊れていれば(・・・・・・)、戦場に立っても何も思わないだろう。―――そう浅薄にも思ってしまったのは、ある意味仕方のない事でもあった。

 その考えがどうしようもなく的外れであったと認識したのは、すぐ後のこと。

 

 人間の頭を銃弾で撃ち抜く感覚、人間の心臓に剣を突き立てる感覚。死にたくないと懇願した兵士が一切の慈悲なく撃ち殺され、体の一部が欠損した兵士が苦痛にのたまいながら絶命する。

 幼いフィーですら、本能的に理解したのだ。この世に地獄というものが存在するのなら―――それは間違いなく戦場(コレ)を表すのだろうと。

 

 

 

 

 

「それでも私は戦った。戦って戦って―――気付けば≪西風の妖精(シルフィード)≫なんて呼ばれるようになってた」

 

 乱れた息を吐きながら、フィーは石畳の上に座り込み、悲哀の感情を織り交ぜながらそう言う。

背中越しでは、ラウラがそれを聞いていた。

 

 皮肉だ。人殺ししか能のない自分を≪妖精≫などと呼ぶ。

流してきた血の量は膨大で、刈り取った命の数など覚えていない。銃で、剣で、時には罠で。教えてもらったありとあらゆる手段を使ってヒトを殺してきたというのに、それでもまだそこには一条の美しさがあるという。

 いっそ宿敵の猟兵団にいるという、≪血染め(ブラッティ)≫の異名で呼ばれる少女が羨ましくなったほどだ。

 

 そしてそんな異名で呼ばれるようになった頃、フィーは疲れてしまった。

 団員達は皆仲間。それは分かっている。だがそれ以前に彼らは一流の猟兵だ。戦う事に躊躇はなく、ヒトの命を奪うことに逡巡はない。そんな彼らと共にいたいと思ったからこそ戦果を積み重ねてきたのだが、11歳の少女にはそれは余りにも重荷だった。

 次第に以前のように口数が減り、あまり話さないようになっていった。

 

 

「そんな時、レイが団に来たの」

 

 事の成り行きはあまり知らないのだが、ある時カルバード共和国の東方人街の近くにキャンプを張っていたら、街の酒場から戻ってきた団員が今と変わらない背丈のレイを小脇に抱えて上機嫌に戻ってきた。

「掘り出しモノやでー」と言いながらルトガーに引き渡されたその少年は、拉致してきた団員―――ゼノの背中に強烈な回し蹴りを叩き込んで吹っ飛ばした後、その経緯を説明していた。

その内容は聞こえなかったが、話が終わった後、ルトガーは同情するように彼を労った後、この団で暮らしてみないかと提案した。そしてレイは、少しばかり考えたのち、それを承諾した。

 後から聞いてみたところ、「そろそろ資金が尽きてどうしたモンかと悩んでたからちょうど良かった」と言っていたため、流石のフィーでも呆れたほどだ。

 

「といっても4ヶ月間だけの契約で、前線には出なかった。食糧調達とか武器整備とか、そういうのをやってたかな」

 

「まぁ……レイならそういうのもそつなくこなしそうだけど」

 

「ん。実際凄かったよ? 料理は皆も体感してるクオリティで、元々手先も器用だからブレードライフルみたいな武器も一回構造聞いただけで完璧にクリーニングしてたし」

 

 当初は幾ら団の連隊長の推薦とは言え素性の分からないレイの存在を訝しんだ者も確かに存在したが、口は悪くとも求められた期待には応えるその誠実さと、味気ない軍用食を涎が滴り落ちるクオリティにまで昇華させてくれた救世主に対して、次第にそういった視線は消えていった。

 その動じない人柄も影響したのだろう。僅か一週間で、レイは団に完全に馴染んでしまっていた。

 

 そしてそんな彼は―――冷え切ってしまっていたフィーの心すらも、あっという間に溶かしてしまったのだ。

 

 

「色々構ってくれたし、色々な事を教えてくれた。だから―――レイが団からいなくなった時は悲しかったな」

 

 だが、世界というのは際限なく残酷だ。

 兄のように慕っていた人物がいなくなった3年後、今度は”家族”そのものも失ってしまった。

 

 ≪赤い星座≫団長、≪闘神≫バルデル・オルランド。

 ルトガー・クラウゼルが生涯の宿敵と定め、長きに渡り鎬を削って来たその人物との、一騎打ち。

その結果、互いに相討ちとなり―――命を落とした。

 

「団長がいなくなった団は、活動できなくなって、皆もどこかに行ってしまった」

 

 ただ一人、フィーだけを残して。

 

 人知れず泣いた。何故、どうして連れて行ってくれなかったのと、尤もな疑問が頭の中を反芻した。どうしようもない喪失感が胸の内を駆け巡り、呆然とした心持ちのままに近隣の森の中で、静かに腰を下ろした時の事は、今でも鮮明に思い出せる。

 あの時の自分は、拾われる前と同じだった。目的を失い、ただ無為に彷徨うだけの、生ける屍。亡霊とそう大した差がない自分が、堪らなく惨めに思えたものだった。

もしあのままだったなら、人知れず息絶えていたかもしれない。―――そう、あのままであったなら。

 

 

 

 

『―――ったく、酷い顔してやがんな。ほら、起きろよ(・・・・)。行くぞ』

 

 

 

 手を引いてくれたのは、”家族”を失ってしまった自分が、会いたいと切に願った少年。

 同輩であるA級遊撃士と共に一人ぼっちになってしまったフィーを迎えに来た彼の手の温もりは、恐らくこの先も、ずっと忘れる事はないだろう。

 

 

「……それで、フィーは士官学院に来たのか」

 

「ん。レイに試験勉強手伝って貰って―――ギリで入学した」

 

「それはなんとまぁ、当時の彼の苦悩が目に浮かぶようだな」

 

 マキアスの言葉に、リィンとラウラが無言で頷いた。

 するとフィーはそのまま立ち上がって、腰を下ろしたままだったラウラに、そっと手を伸ばす。

 

「私は、猟兵だった頃の生き方を後悔してない」

 

 強い意志の籠ったその言葉を、ラウラは真正面から受け止めた。

 

「たくさん戦って、たくさん人を殺した。私には生き方がそれしかなかったけど、それでも他の生き方を探そうと思えば探せた。―――だけど”家族”やレイと出会えたこの生き方を、私は絶対に後悔しない」

 

 人殺しの罪は永遠に消せない。恐らく贖罪など不可能だろう。

ただそれでも、フィーは人生を一度たりとも後悔した事はなかった。そんな彼女に、何かを言える資格がある人物がいるとすれば、それは彼女の兄(レイ)以外にいないのだろう。

 だからラウラは、自らの器量の狭さを受け止めて、その小さい手を握った。

 

「あぁ、それでこそフィーだ。重ね重ね、今まで至らぬ態度を見せてしまったことを謝罪しよう。本当に、すまなかった」

 

「大丈夫、気にしてない。―――だから」

 

 刹那、少しばかり恥ずかしげな表情を浮かべたフィーだったが、意を決したように口を開く。

 

 

「―――私と、友達になって」

 

「―――あぁ」

 

 

 不器用な少女が、本音を吐露できる友人。いつか欲しいと夢見て、ついぞ今まで叶わなかったそれが、今ここで叶った。

 

「……ふぅ、これで一件落着、かな」

 

「そうだな。全く、人騒がせな二人だよ」

 

 呆れるような、しかし安堵した表情を見せる男子二人を他所に、手を離した彼女たちは笑みを浮かべながら、それらしくコンと軽く拳を合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




……あれ? おっかしいな。最後なんで告白シーンみたいになったんだろ?

ともあれ、フィーとラウラの仲直りは終了です。
いやー、これでⅦ組の全員が強固な絆で結ばれて―――いや、まだいますね。一人、断片的にしか過去が分からない子が。


それではまた次回で。―――皇子、そろそろ逃走の準備した方が良いよ。


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譲れないと願う意思


『がっこうぐらし!』の1話を観て、残り3分の時点で「えええええええぇぇぇっ⁉⁉」となった十三です。その後もう一度最初から見てみれば完全にホラーでした。
……OPでニトロプラスという文字が出てる時点で気付くべきだったなァ。

夏アニメは良作が多いですね。『Charlotte -シャーロット-』や『戦姫絶唱シンフォギアGX』『GATE』とかとか。

……だからお願い、早く『ゴッドイーター』始まってー(>_<)


 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ~♡ やっぱ垢抜けた都市はお酒も美味しいわねー♪ これならまだまだイケるわ」

 

「相変わらずペース早いわねぇ、シェラ。もうちょっと落ち着いて飲みなさいよ」

 

「最近仕事が忙しくて中々飲めてなかったのよ。だいじょーぶ、ちゃんとペースは考えてるし、酔う場所くらいは考えてるわよ」

 

「どうだか。ここ一応アタシのお気に入りの店だからね、暴れるようなら気絶させて連れてくわよ」

 

「おー、怖い怖い。心配しなくてもそんな事しないわよ」

 

 

 帝都東区画第3街区。ヴァンクール通りに面したこの街区の一角に、『カレイド』という名のバーはある。

 バーと言っても主に中流階級の客層を目当てとしており、店内の雰囲気も畏まったものではない。サラはこの店の常連であり、顔馴染の老年のマスターに頼んで、三時間ほど貸切にしてもらったのである。

全てはこの異常な酔っ払いを迎えるための措置だが、それでも帝都の一角で遊撃士の恥を晒すわけにはいかない。サラは酔ってしまえばそこで潰れて終わりだが、シェラザードは酔ってからが本領だ。その面倒臭さたるや、レイ曰く「思わずカッとなって刺したくなるレベル」であり、事実サラも何度も巻き込まれた。

 人はパニックに陥った時、自分よりもパニックになっている人物を見ると冷静になれるというが、それは酒の席でも通用するらしい。つまり、自分よりもタチの悪い酔い方をする人物と飲んでいると、普段は乗せられてペース配分が崩壊するサラでも中々本格的に酔う事が出来ない。

 

 シェラザードの方は先程からウイスキーをオン・ザ・ロックやらストレートやらハイボールやらで飲みまくっているが、この程度は彼女にとって序の口だ。未だ酔ってすらいない。

 それに対してサラの方はアルコール度数の少ないカクテルをペースを保って飲んでいる。普段はしない飲み方をしているためか、どうにもぎこちなさがあった。

 

 

「それにしても帝国ってホント久しぶりに来たけど、思ったよりギクシャクしてないモンね」

 

「ま、ここは皇帝陛下と宰相閣下のお膝元だからね。ちょっと地方に行けばそれこそメンド臭い事なんて幾らでも転がってるわよ。今エレボニア東部にある協会なんてレグラム支部だけだから、手なんて回らないわ」

 

「≪鉄血宰相≫の政策とはいえ、これじゃあたし達の立つ瀬がないわね。サラ、あんただってまだ蟠り抱えてんでしょ?」

 

 図星を突かれるその言葉にカクテルを傾ける手が一瞬ピタリと止まる。その様子を見てシェラザードは肩を竦めたが、サラは澄まし顔を崩さなかった。

 

「……ま、≪鉄血宰相≫そのものは唾吐きたくなるくらいに大ッ嫌いだけど、政府そのものにケチつける気は毛頭ないわよ。アタシだってそこまで盲目じゃないわ」

 

「そりゃそーよねー。あたしだって帝国軍とは色々因縁あるけど、昔は昔、今は今。ロレントの時計台吹っ飛ばしてくれたのも、小賢しい偽装工作でヨシュアの故郷潰してくれたのも、それは全部過去であって、今じゃあない」

 

 怒っている(・・・・・)のだと、そう理解するのに時間はいらない。

ただ同時に、蟠りが既に存在しない事も分かる。自分よりもスッパリと割り切っている年下の現役遊撃士を見て、しかしサラは自分の怒りを曲げようとはしなかった。

 

 

「―――ふむ、どうやらどちらも浅からぬ因縁がおありのようですな」

 

 そんな事を考えていると、突然サラの隣の席に絶世の美女―――シオンが現れた。

彼女の突然の登場の仕方には顔馴染である二人は既に慣れたもので、「遅いわよ」という言葉すら投げかける。

 

「あらお久しぶり、シオン。相変わらずお酒好きのようで何よりだわ。アイナが言ってたわよ「今度は負けない(・・・・)」って」

 

「おや、それは楽しみですな。―――マスター、バーボンのハーフロックを貰えますかな?」

 

「畏まりました」

 

 突然人が目の前に現れたというのに動じるような素振りは全く見せず、シオンのオーダーに微笑んで対応する余裕を見せるマスターの大らかさに苦笑する二人を他所に、シオンは同性ですら魅了しかねない美貌でクスリと微笑んだ。

 長い金髪は毛先の辺りで纏められており、無論の事耳と尻尾はしまっている。そして服装も、バーという場所に合わせたものに変えていた。

言うなれば”着飾った令嬢”と言った所だろうが、その艶めかしい雰囲気と起伏に富んだ体つきではとてもそうには見えない。高貴そうな印象と相まって、高級娼婦(クルティザーヌ)のように見えた。

 

「アンタ、その服どうしたのよ」

 

「現代風の衣装が欲しいと主に強請ってみましたら、「俺にはよく分からん」と仰られて好きなものを買うようにと命じられましたので―――とりあえず服飾店の店員に勧められるがままに買ってみました」

 

「うーわー。あたしもそこそこ体には自信あったんだけど、やっぱりシオン見ると自信なくすわね。てか、幾らしたの、その服」

 

「主に領収書をお渡ししましたら「……あー、うん。そうだな、俺が金額上限指定しなかったのが悪かったんだよな。うわー、マジか。女物の服が高いって事は分かってたけどここまでかー」と頭をお抱えになられるレベルです」

 

「アンタ、一応学生身分のレイに対して容赦ないわね」

 

 そんな言葉を交わしているうちに、シオンの前に要望通りのバーボンがグラスに注がれて置かれた。それに口をつけて僅かに傾けるだけで、形容し難い艶めかしさが垣間見える。

それを見て、流石のシェラザードもペースを落とす。すると、バーの玄関の扉が開き、今回の主賓が顔を出した。

 

 

「あ、私が最後ですか。お待たせして申し訳ありません」

 

「寧ろ夏至祭二日前の今日にアンタが仕事から抜けられる事が驚きだわ」

 

「ふふ、ご心配なく。一応これも任務扱いなので」

 

 仕立ての良さそうな私服を着てやって来たクレアは、初対面であるシェラザードに向かって一つ頭を下げた。

 

「初めまして、シェラザード・ハーヴェイさん。≪鉄道憲兵隊≫所属憲兵大尉、クレア・リーヴェルトと申します」

 

「ん、サラからの手紙で知ってるわ。中々やり手の将校さんみたいじゃない」

 

「恐縮です。―――此度は色々なしがらみ(・・・・)が残る中、招聘に応じて下さり、ありがとうございました」

 

 しがらみ、という言葉が何を表しているのか、それを知らない程無知ではない。

 

 12年前、≪ハーメルの悲劇≫という虐殺事件を発端にして口火が切られた、≪百日戦役≫と呼ばれるエレボニア帝国とリベール王国との戦争。当初は王国領内に侵攻した機甲師団が猛威を振るい、戦局を有利に進めたが、レイストン要塞にてアルバート・ラッセル博士が開発した最新鋭の”警備飛空艇”がリベールの不利な形勢を一変させ、空軍の戦力に押し切られたエレボニア軍が降伏。翌年、七耀教会の仲介によって講和条約が締結された一連の流れ。

 その蟠りは今でも両国の中に残っており、帝国人を毛嫌いするリベール国民もいないわけではない。

 尤も、その時クレアは未だ士官学院にすら入学していない年頃であり、一連の事件には一切関わっていない。とはいえ、もとを正せば帝国軍が種を蒔いた事件(・・・・・・・・・・・)に他ならず、それを責められれば彼女なりに受け止めるつもりだった。

 しかしシェラザードは、一つ息を吐いただけで済ませた。

 

「元々あたしは旅芸人の一座にいて、色んな所を旅していたから、正直リベールという国そのものに生粋の王国民程愛着があるわけじゃないわ。―――でも、あの戦役であたしの知り合いの人が何人も犠牲になった。

正直あなたに言うのはお門違いだって事は分かってるけど、それだけは言わせて貰うわ。それでチャラとしましょう」

 

「……ありがとうございます」

 

 ともあれ、酒の席でしみったれた話を長々と続けるのはシェラザードの趣味ではない。重くなってしまった雰囲気をわざとぶち壊すために、ニヤリと口角を釣り上げた。

 

「さて、それじゃあサラを経由してまであたし達を呼んだ理由でも聞きましょうか。―――勿論、それなりの”対価”は貰うけど、ネ♪」

 

「えぇ、存じています。そのためにコレを用意させていただきました」

 

 そう言ってクレアが手提げの袋から取り出したのは高級そうな木箱。

その中身を取り出してカウンターの上に置くと、サラとシェラザードが先程までの余裕そうな表情を引っこめて、目を見開いて瞠目した。

 

「しゃ、『シャルル・コンティ』⁉ それも1178年モノ⁉ 伝説の大当たり年じゃない‼」

 

「ちょっとクレア、アンタどこでこんなモン手に入れたのよ‼ オークションで数百万ミラがつく超レアモノでしょ、コレ‼」

 

「いえ、どうという事は。ちょっと実家のワインセラーから拝借して来ただけです。父は泣き崩れていましたが……まぁ”商談”に必要だという理由で押し切らせていただきました」

 

 ニコリと笑みを浮かべるクレアに今度は二人が戦慄し、一人意味の分かっていないシオンだけが小首を傾げた。

 

「ふむ、察するにとても良い葡萄酒なのですな?」

 

「そんなレベルじゃないわよ‼ リベールの『グラン・シャリネ』、オレド自治州の『シャトー・リュミエ』と並ぶ西ゼムリア大陸三大ワインの一つ‼ バリアハート産の最高級品よ‼」

 

「しかも1178年モノは特に品質が良くってね。国内国外問わず富裕層が買い占めちゃったからもう表の市場には絶対出回ってないわよ」

 

「ほぅ、それはそれは」

 

 感嘆したような声を漏らしたシオンの隣に座ったクレアは、マスターに四つのグラスを要求してから、改めてシェラザードの方に視線を向けた。

 

「如何ですか? 対価としては用意できる最上級のものを持って来たつもりですが」

 

「ふ、ふふふ。まさかここまで優秀だとは思わなかったわ。いいわよ、引き受けるわ。―――その前に、あなたも今夜はちゃんと付き合いなさい」

 

「えぇ、勿論」

 

「そう言えば、クレア殿はお酒の方は飲めるのですかな?」

 

 シオンのその疑問に、クレアは微笑んだまま悠然と頷いた。

 

「一応は。―――これでも結構イケる口なんですよ?」

 

「ほほぅ。それはあたし達への宣戦布告と見なしていいわね、サラ」

 

「へ? いや、アタシは別に楽しく飲めればそれで……」

 

「ふむ、それでは一番最後まで潰れずにいた方が次に主を好きに誘えるという権利を―――」

 

「やったろうじゃないの‼ クレア、アンタには絶対負けないわ‼」

 

「受けて立ちましょう。久しぶりに燃えて来ました」

 

「シオン、あなたはパスしなさいよ。あたしも降りるけど」

 

「おや、これは手厳しい」

 

 こうして貸切のバーで美女が四人集まって姦しく話しながら、帝都の夜は更けていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 6年前まで、マキアス・レーグニッツには姉がいた。

 

 母を早くに亡くし、父子家庭で育って来たマキアスにとって、多忙な身である父に代わって身の回りの世話をしてくれていた姉は母親のような存在であった。

彼女は正確にはカール・レーグニッツの姪、つまりマキアスの従姉にあたる人物であり、共に住んでいたわけではなかったが、それでも血縁である事に変わりはなく、幼い頃のマキアスは彼女にとても懐いていたのである。

 

 そんな彼女が若くして亡くなってしまった理由は、事故でも事件でもなく―――自殺だった。

 

 

「”彼”は帝都庁に務める父さんの部下にあたる人でね。伯爵家の跡取りという正真正銘のサラブレットだったんだが……貴族にありがちな傲慢さとかは欠片もなくて、僕も会った事はあったけど、誠実な人だった」

 

 その人物は上司にあたるカールに紹介される形で彼女と会い、次第に二人は身分を超えた愛を育んでいった。

彼女に懐いていた当時のマキアスにとってあまり面白くない事ではあったようだが、それでもお似合いの二人だと感じて、祝福はしていたのだという。

 そして彼女と彼はカールが仲人に立つ形で婚約を交わし、彼女は幸せな日々を送る事が出来る筈だった。

 

 それが、終わりの始まりである事など露程も思わずに。

 

 

「彼の実家―――伯爵家がその婚約を露骨に潰しにかかったんだ。どうやら、公爵家の娘との縁談が持ち上がっていたらしくてね」

 

 相手は『四大名門』の一角、<カイエン公爵家>の者であり、それは血統を重視する伯爵家、否、貴族に於いて何を差し置いても成立させたい縁談だったことだろう。

 そしてそれを成すために―――マキアスの姉は邪魔な存在だった。

 

 繰り返されたのは陰湿な嫌がらせ。時には殺害予告などの犯罪じみた脅迫すらも受けていたという。

しかも性質(タチ)が悪い事にそれらの手紙や犯行予告などの差出人が巧妙に隠されており、物的証拠となるものではなかったのだ。

 生来、温厚な性格であったという彼女は、愛した男を困らせたくなかったのか、はたまた叔父であるカールの立場を慮ったのか、その行為の一切を誰にも相談することなく、全てを自身の心の内に溜め込んだのである。

 

 そして結果は、前述の通りとなった。

 伯爵家の人間にとっては最良の、しかしマキアス達にとっては最悪の結末に。

 

 

「彼には多分、愛する人を最後まで守りきるだけの強さがなかったんだろう。あぁ、今になって思えばそうだったんだろうな」

 

 その言葉の通り、彼は愛する女性を守りきる事が出来なかった。

 実家からの圧力に屈し、それでも愛妾として彼女を迎え入れようと提案はしたのだが、それでも彼女はそれを受け入れられなかった。

 それは、当然と言ってしまえば当然だ。

 彼女もマキアスらと同じ平民の出。貴族の世界では妾の存在など当たり前なのだろうが、彼女は一途に男の事を想い続けたのだ。

 ただ純粋に、彼にとって最愛の人物で在り続けたい―――と。

 

「…………」

 

「…………」

 

 旧市街、オスト地区の一角。そこにあるマキアスの実家にて当の本人からその話を聞いた四人は、一様に黙ってしまった。

特に、ラウラとフィーはその話に聞き入っていた。

 自分達が女心というモノを理解していないという事は重々承知の二人だが、それでも感じ入る所はあった。

 同情と言ってしまえばそれまでなのだが、好きな人物と、家族とずっと共に居たいという感情は理解できる。

 そしてリィン達も思う。この話は、婚約者の男を悪者に仕立て上げて終わってしまう話ではないのだと。

 その事は、マキアスも分かっていた。だが当時はそうは思わなかったことだろう。最愛の家族を殺した”敵”を求めずにはいられず、追い求めた先にあったのが―――貴族への憎悪だったという、それだけの話。

 

 しかし憎悪を燻らせ、復讐の刃を研ぎ澄ますためにありとあらゆる知識を吸収して次第に歳を重ね、物の道理を理解する歳になる頃には、もう分かってしまっていた。

 

 貴族の全てを”敵”と定めるのは早計。利権を貪り、平民を代替可能なモノとしか思わない悪の権化のような貴族も存在すれば、領主として善政を敷き、民を想い、民と共に日々を生きる貴族も存在する。

所詮は貴族も同じ”個人”であり、それら全てを否定するというのは、余りにも傲慢な事なのだと。

 

 そしてトールズに入学してからも、その事実を教えられて来た。

 高慢でいけ好かないが、それでも平民である自分と真正面からぶつかり合う気概を持つ男がいて、自分が貴族嫌いだとわかっていながら身分を明かした友人、その他様々な事情を抱えた仲間達と時間を共にする内に、今まで自分が如何に狭い世界で生きて来たのかという事を否が応にも理解させられた。

 そして、バリアハートで言われたあの言葉。

 

 

 

『できる事なら、全てを理解した上で、分かりあって欲しいとは思う。それができるのは、とても貴重な事だからな』

 

 

 

 まるで自分を戒めるかのような意味合いでもあったかのようなその言葉は、まさしくマキアスに辿ってほしい道を表していた。

 その言葉に密かに感動していたという事は未だ誰にも明かしておらず、それを悟られまいと、マキアスは一拍を置いて話題を変えた。

 

 

「……それに、姉さんが死んだ数ヶ月後、僕は父さんまで失いかけたんだ」

 

「……え?」

 

「それはどういう事だ? マキアス」

 

 リィンとラウラの疑問に答える前に、マキアスはエリオットに視線を向けた。

 

「エリオット、君は6年前に帝都で起きた事件を覚えていないか?」

 

「え? ろ、6年前だよね。―――あ、思い出した‼ 確か『プラザ・ビフロスト』でテロ事件があったっていう……」

 

「あぁ。正体不明の武装集団があのデパートを占拠してね。人質の命と引き換えに、父さんの身柄の拘束と拉致を要求して来たんだ」

 

 その言葉に、今度はフィーがピクリと反応した。

 

「……それ、団長に聞いた事ある。報酬とリスクの天秤が釣り合わない仕事引き受けて潰された頭の悪い新興の猟兵団がいた、って。確か名前は……何だったっけ?」

 

「覚えてないんかい」

 

「ん。覚えておく価値もないと思ってたし。それにその猟兵団、その事件起こしたそのすぐ後にまるっと潰された(・・・・)らしいし」

 

「そ、そうなのか?」

 

 コクンと、一つ頷く。

 

「どこがやったのかは分からないけど、普通じゃなかったんだって。普通の軍人じゃできないような、構成員全員首を斬られた(・・・・・・・・・・・・)状態で殲滅されてたみたいだから」 

 

 平坦な口調で紡がれる事実に四人の背中が薄ら寒くなるが、フィーは至って無表情のまま、昼食用に買ったホットドックを口に含んだ。

 

 ”とある”士官候補生が解決したとされているその事件に、本当の立役者がいたという真実を知る者は、誰もいない。

ただ”ムカついた”という理由だけで襲撃した猟兵をタコ殴りにし、その後「腹の虫がおさまらない」と怒った師に付き合わされて、その足、その格好のまま(・・・・・・・・・・・)それぞれの得物を手に一つの猟兵団を叩き潰したという真実も、無論、伝わってなどいないのだ。

 

「―――コホン。ともかく、そこで僕は家族を全員失いかけたんだ。だから……もう誰も失いたくないと思った」

 

「……ん。それは分かる」

 

 同じように”家族”を失ってしまったフィーが一つ頷き、リィン達も同じ思いを抱いた。

 それぞれ、失いたくない家族がある。それを守りたい。守るために強くなりたいという想いは、一緒のはずだ。

 

「これからも精進が必要、ってところか」

 

「まぁ、そうなるな。いや、辛気臭い話になってしまって済まなかった。昼食の最中だったのにな」

 

「そんな事ないよ。僕たちが聞きたいって言ったんだし」

 

「それにマキアス、そなたの中でも一区切りがついたのではないか?」

 

 ラウラのその言葉に、マキアスは少し驚いたような表情を見せてから、首肯する。

 

「あぁ。そうかもしれない。この話が出来るほどの友人は今までいなかったからな。……僕は、君たちに出会えて本当に良かったと思っている」

 

「恥ずかしい事を言うなよ、マキアス」

 

「リィンがいつも言ってるのよりかは恥ずかしくないと思うけど」

 

「え?」

 

「あはは、そうだよねぇ。リィンってたまに聞いてるコッチが恥ずかしくなるような事言ったりするから」

 

「うぐっ」

 

「……思うんだが、エリオットはたまに笑顔で他人の弱点を抉ってくる事があるな」

 

「え? そうかな」

 

「自覚のないSは一番怖いってレイが言ってた」

 

 マキアスの過去の話から一転、気を利かせたリィン達によって昼食後の談笑と洒落込んでいると、ポケットにしまっていたリィンのARCUS(アークス)が着信音を鳴らした。

 

「? こんな所で着信が……」

 

「まぁ、ありえない事じゃないよね」

 

 疑問が残りながらも通話機能をオンにして耳に当ててから、通話に応じた。

 

「はい。トールズ士官学院一年Ⅶ組、リィン・シュバルツァーです」

 

『やぁ、お疲れ様。カール・レーグニッツだ。昼時に申し訳ないね』

 

「知事閣下⁉ どうして……」

 

『いや、済まない。実は君たちA班に追加の依頼を頼みたくてね。代表として君に連絡させて貰ったんだ』

 

「は、はぁ。追加の依頼、ですか。自分達としては大丈夫ですが」

 

『ありがとう。早速で悪いんだが、『ガルニエ地区』の宝飾店に行って貰えないか?』

 

 ガルニエ地区? とリィンが聞き返すと、その疑問にマキアスが応える。

 

「ホテルや帝都歌劇場などがある高級商業エリアだな。僕達もあまり馴染のある場所ではないが……」

 

「そうだねぇ。あそこは観光客とかが多いから」

 

 成程、と頷き、会話を中断してしまったことを詫び、その続きを聞く。

 

「それで、その宝飾店がどうかしたんですか?」

 

『あぁ。私も先程連絡を貰ったばかりで詳しい事は分からないんだが……』

 

 

 後に、この話を聞いたレイは同情するような視線を向けて、リィン達に言った。

 

 

『どうやら、窃盗事件が起こったらしい』

 

 

 クソメンド臭ぇ事件に巻き込まれたな。ご愁傷様―――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーと、地下水道の設備の修復に失くした指輪の捜索、それで今帝都中央図書館の棚整理が終わったから……ひとまず依頼は終わりね」

 

「結構早く片付いたな。まだ昼をちょっと過ぎた頃合いだぞ」

 

 左手首につけた腕時計を確認しながら、レイは依頼の書かれた紙を持ったアリサに対してそう言う。それに対してアリサも「そうね」と返した。

 

「正直、今までの特別実習が結構ハードだったから、安心できないのが怖いわ」

 

「考え過ぎだろう……と言えないな。ノルドの一件は確かに異常事態だったからアレは別だろうが」

 

「危うくカルバードとの戦争が始まる所だったと聞いたぞ。何をしていたんだお前たちは」

 

「あはは……そう言えばあの時は大変でしたねぇ」

 

 そんな話をしながら歩いているのは、帝都の北地区にある『ドライケルス広場』。広場中央に≪獅子心皇帝≫こと、ドライケルス・ライゼ・アルノールの石像が聳えるその場所まで来てから、レイ達B班一行は近くにあったベンチに腰掛けた。

 

「しっかしアレだな。腹減った。エネルギー切れは近いぜー」

 

「何言ってるのよ。一週間くらい断食しても大丈夫そうな体してるくせに」

 

「バカヤロウ。んな事出来るわけねえだろうが。確かに師匠と修行してた時は一ヶ月断食に近い環境で鍛練とかフザケてんじゃねーのって時あったが、アレはダメだな。もう二度とやりたくねぇよ」

 

「あ、あんまり想像したくないですね……」

 

「やはり人外の領域に足を踏み入れてるな、お前は」

 

「アホ。俺ごときが人外ならこの西ゼムリア大陸だけでも”魔王”クラスは結構いるぞ。特にドデカい猟兵団の首領(トップ)とか≪剣聖≫クラスになると完全に人外魔境だからな。覚えとけ」

 

「それって、レイが良く言ってる”達人級”っていう人達の事よね?」

 

 燦々と降り注ぐ日差しを右腕で抑えながら投げかけられたアリサからの問いに、レイは首を縦に振った。

 

「そういうバケモノレベルの武人ってのは大体雰囲気でヤバいってのは分かるモンなんだが、そういう奴らは強者のオーラを普段は潜ませている事も多い。ある意味、能ある鷹は爪を隠すってヤツだ。それが察知できるようになればお前らも晴れて普通の人間とは何かが違う世界(コッチ)の仲間入りだぜ? 嬉しかろう」

 

「できれば分かりたくないわねー。そんな世界」

 

 心底御免だとばかりに眉を顰めるアリサを他所に、エマが広場の一角を指さした。

 

「あ、あそこに屋台がありますよ。ホットドックの屋台みたいですけど」

 

「ほう、ちょうどいいな。どれ程のモンかこの俺様が吟味して進ぜよう」

 

「何様のつもりよ、アンタ」

 

「ユーシスはどうする?」

 

「場所をとっておく。適当なものを買って来てくれ」

 

 そう言って深く座ったままのユーシスに「分かった」とガイウスが声を掛け、四人は屋台の下へと歩いて行った。

 

 

「……ふぅ」

 

 士官学院に来るまでは集団行動など数えるほどしか経験してこなかったユーシスにとって、彼らと共に行動する事は騒がしいと思う事はあっても、今では煩わしいとは思わなくなった。

 随分と感化されたものだと、幼少の頃に一度兄と共に訪れただけの皇城・バルフレイム宮へと目をやると、その付近に二人の若い私服の女性が小走りでやってきた。

 

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいな‼ そんなに急ぐ必要がありまして⁉」

 

「いやー、だって仕方ないじゃないですかひっと……じゃなかった、デュバリィ。明日にはどーせ忙しくなってこんな見事な光景みられなくなっちゃうんですから。うーん、やっぱり赤レンガ造りの城とか風情がありますねー。導力カメラ忘れたのが悔しくて仕方ないです」

 

「はぁっ、完全に旅行気分ですわね……。いいですこと、ルナ。わたくし達はあくまで仕事で来たのであって―――」

 

「あ、あっちのクレープ屋さんの商品美味しそうですねー。私ラムレーズンが良いんですけどデュバリィはどうします?」

 

「わたくしはチョコバナナで―――じゃありませんわ‼ ちょ、人の話を聞きなさい‼ あぁ、もうっ、待ちなさいと言ってますでしょうがあああぁっ‼」

 

 そんな会話を交わしながら広場の外れの方へ走っていく金髪と栗毛の女性二人。観光客のようにも見えたが、会話から察するに仕事で帝都を訪れたらしい。

人は見かけによらないと思いながら、しかし所詮は赤の他人。ユーシスの頭の中から、その二人の事はすぐに消えてしまった。

 

 

 ―――もし、ユーシスが先程レイが言った通り、”オーラを隠している武人の潜在能力を見抜く”事が出来ていたのなら、この時点で瞠目していただろう。

 B班の中で唯一ノルド高原の実習に参加していなかった彼は、幸か不幸か今見た光景が異常であるという事を理解する事は出来ず、その時点で忘れてしまったのだ。

 

 

「おーい、ユーシス。場所取りご苦労さん。ホレ、お前の分」

 

「あぁ、金は後で渡す」

 

 レイ達が戻って来た時、女性二人組は既に広場から移動してしまい、いなかった。

 そのままベンチに座ってレイ曰く「中々だ。良い腕してんな、あの店主」と認めたホットドックを食べていると、レイのARCUS(アークス)が鳴った。

 

「んー?」

 

 開いて通信番号を確認すると、レイはついでに買った果汁100%のオレンジジュースを啜りながら通信に出る。

 

「はいはい、こちらレイね。何か用?」

 

『用がなけりゃ電話しないわよ。……う、頭イタイ』

 

「……いつもなら怒ってる所だが、どうせシェラザードと飲んでたんだろ? 敬意を表して不問とする」

 

『いや、それもあるんだけど……まさかあんなに飲めるとは思わなかったわ(・・・・・・・・・・・・・・・・)。ギリで勝ったけど』

 

「?」

 

『こっちの話。それよりも、B班の全員に伝えといて。今日の午後5時、『サンクト地区』の『聖アストライア女学院』に行ってちょうだい。知事閣下にはもう話は通してあるから』

 

「は? ―――いや、まぁ行くけどよ。何させるつもりだよ」

 

『ま、それは行ってからのお楽しみね。それじゃ、遅れるんじゃないわよ』

 

 そうして、通信が切れる。僅かに訝しげな表情を浮かべながらも、レイはARCUS(アークス)をしまって再びジュースを啜った。

 

「今の、サラ教官からの通信ですか?」

 

「どうやら予定が追加されたみたいだが……」

 

 窺ってくる四人を他所に、レイはあまり関心がない様子で「あぁ」と答えた。

 

 

「女学院へ観光に行けだとよ。メンド臭い事になりそうだぜ」

 

 半ば予言めいた的中率を誇るその言葉に、一同は苦笑するか、眉を顰めるかしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





この前以前読んでた『ノーゲーム・ノーライフ』をもう一度読み直して熱くなれました。

白ちゃんカワイイ‼ いづなちゃんカワイイ‼ だがジブリールが一番お気に入りです。
アニメでは素晴らしい声をどうもありがとうございました。

榎宮さんの作品は読んでいてテンションが上がりますね。
6巻読んでて泣きましたが。


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洒脱な至宝

更新が遅れてすみません。

ただ今私は大学のテスト期間のまっただ中を彷徨っておりまして、テスト勉強とレポート執筆に追われております。
一段落つくまでは更新速度が少し遅れそうです。


 

 

 

「トールズ士官学院Ⅶ組の皆様、『聖アストライア女学院』にようこそおいで下さいました。不肖ながらこの(わたくし)がご案内させていただきます」

 

 

 空が黄昏模様に染まる時間、校門の前にてⅦ組メンバー10名を迎えたのは、女学院に在籍しているエリゼだった。

 彼女が出迎えた時点でこれから会うのであろう人物の事を大体予想出来ていたレイであったが、何せ他のメンバーはその予想など露程も立ててはいまい。出来る事ならば最上級に驚くリアクションを見たかったため、敢えて何も言わず黙ったままエリゼの後に続いて学院の敷地内へと入っていく。

 

 『聖アストライア女学院』は、帝都北西部『サンクト地区』に存在する名門女学院であり、貴族の子女が多数通っている。

その歴史はトールズとは並ばずとも古く、設立から100年以上の年月を過ぎた今、帝国の二大名門校の一つと謳われている。

 校章の”白毛の一角獣(ユニコーン)”と信仰心を表す”十字架”が指す通り、貞淑・清貧を校訓として掲げており、軍人を輩出するトールズとは違って貴族の伝統的な礼儀作法、及び淑女としての在り方を学ぶ場所である。

 それ故に武術教練の授業はカリキュラムに含まれておらず、その時点でラウラはこの学院を進学の候補からは除外したという。

まぁそれでなくとも、彼女のような竹を割った凛然とした性格の女生徒が入学すれば周囲の生徒からどう想われるかなど……考えてみるまでもないのだが。

 

 ともかく、そういった教育理念を掲げている上に全寮制であるため、学院外での生徒の行動は厳粛な制限が伴う。そのために大半の生徒は入学以来外部との関わりが薄くなっており、客人を見かければそれが噂となって女子特有のネットワークを通してすぐに学院中に知れ渡る。

 加えて、同世代の男子がいるともなれば尚更であり―――。

 

 

 

「あ、あの金髪の方はもしかして公爵家のユーシス様⁉」

「気品のあるお姿ですわねぇ」

 

「あの背が高い方は異国の方かしら……?」

「野性味溢れる雰囲気が素敵ですわ♪」

 

「緑色の髪の方はどなたかに似ていらっしゃるような……」

「きっと秀才な方なのでしょうね。見るだけで分かってしまいます」

 

「赤毛の方は中性的でお肌も綺麗ですわね」

「羨ましいです。……まさか殿方にこう思ってしまうとは」

 

「先頭に居らっしゃる黒髪の方は平民の方なのかしら?」

「わ、分かりませんけど凛々しいお顔をされていますね……」

 

 

 このように、完全に見世物の類のような視線を向けられていた。

 常日頃からそういった視線に慣れているユーシスは憮然とした態度を崩しておらず、平常心を保つことに慣れているガイウスもそれ程狼狽えてはいなかったが、マキアス、エリオット、リィンの三人はたった数十アージュを歩いただけで精神的に疲労していた。

 

「こ、これはキツいな……」

 

「そ、そうだね。別に悪く言われてるわけじゃないのに……」

 

「何だかこう、無意識のプレッシャーが半端ないよな」

 

 昔の彼らならば胃がキリキリする程度にはなっていただろうが、今は単に居心地が悪い程度の感覚に留まっている。プレッシャーなど、毎日飽きるほど浴びせられている彼らがこの程度でどうにかなるはずがない。

 

「お前らもうちょっとシャキッとしろシャキッと。平常心を忘れ―――」

 

 

「ところで、あの眼帯をつけている方も凛々しいお顔をされていると思いません? ―――えぇ、あの小さい方」

 

「ミステリアスな雰囲気が素敵だと思いますわ♪ ―――小さくて可愛らしくもありますし」

 

「あのお髪も艶やかで素敵ですわね。―――小さいお姿に良く似合っておられます」

 

 

「…………」

 

「……おーい、大丈夫かー?」

 

「大丈夫? 何ガダヨ」

 

「あ、うん、大丈夫じゃないな。色々と」

 

「ハハハ、何ヲ言ッテルンダ」

 

「うん、とりあえず目だけ笑ってないその表情を止めような? 俺達でも怖いから」

 

 もし今のセリフをサラにでも言われようものならば恐らくその時点でリアルファイト待ったなしだったのだろうが、流石に外部、それも男性に対しての免疫が極度に少ない女学生の前で怒号を挙げない程度の理性は残っていたようで、数秒すれば目に光が戻る。

 

「……スマン。何か変なモードに入ってた」

 

「……平常心でいられないのはお互いさまって事だな」

 

 互いに顔を見合わせて深いため息を吐き、再びエリゼの後ろに続いて校内を歩く。

 遊撃士になってからもそれ以前も大陸の様々な場所を見回ってきたレイだったが、流石に全寮制の女学院に潜入した事はない。初対面の女性から奇異と好奇心に満ちた視線を向けられるのは何もこれが初めてではないが、その視線に悪意や含みが一切感じられないというのはむず痒い。

一言で言って自分たちのような男子が”殺菌”の施された女子の花園に足を踏み入れるというのは場違いも甚だしいのだが、踵を返して帰ろうものなら招待者の面子を潰すことになる。いや、”彼女”ならば特段気にしないのかもしれないが、大きな借りを作ることにはなるだろう。

 

 そんなことを思いながら歩いていると、エリゼがとある建物の前で立ち止まる。

 ドーム状の屋根で包まれた赤レンガ造りのその建物は、校舎内の他の建物とは違い、窓が大きめに作られている。そこが学院の所有する屋内薔薇園であることをエリゼが説明した後、Ⅶ組の面々を招いた招待者がこの中にいるということを告げられた。

 その時点で大半の者は理解する。招待者は様々な身分の人間が入り混じったⅦ組の面々を学院に許可をもらって呼べるだけの身分のある人間で、大っぴらに名前を呼べる人物ではないということを。

 

「―――姫様、皆様をお連れしました」

 

「あぁ、どうぞ。入っていただいて」

 

 建物の中から聞こえてきたその声を聞いたことがある者、無い者を問わず、硬直する。特にユーシス、ラウラ、リィンの貴族身分であるメンバーは一様に瞠目していた。他の面々も、少なからず動揺している。

 そしてそんな彼らを他所に、レイが誰よりも早く一歩を踏み出して建物内に足を踏み入れた。

 

 茫とした、しかし優しげな導力灯の光が溢れる道を堂々と歩く。脇には色とりどりの薔薇が花壇を彩っていたものの、今この状況でそちらに目を向ける余裕がある者はいない。

恐る恐る、といった具合にレイの後に続いて薔薇園に入ってきたリィン達は、恐らく予想通りであっただろう”招待者”の姿を見て再び動揺を目の中に滲ませた。

 従者であるエリゼを除いて、その高邁な雰囲気に呑まれていないのはただ一人。先頭を進んだ少年だけ。

 

 建物の中央、広間の前で可憐に佇んでいたその少女は、その美貌の上に微笑みを乗せて優雅に一礼をした。

 

 

「ようこそ、トールズ士官学院Ⅶ組の皆様。わたくし、アルフィン・ライゼ・アルノールと申します。―――レイさんはこの間ぶりですね。その節はとても良いものを見させていただき、感謝のしようもございませんわ♪」

 

「……ご期待に副えたようで何よりです。まぁ、本人は中々恥ずか―――いえ、良い経験が出来たようですが」

 

「ふふ、それは何よりです。そういえばメイドの一人にその時写真を撮らせたのですけど……焼き増し致します?」

 

「後生ですのでどうかお願いします」

 

「まぁ、わたくしもその時の写真は写真立てに入れて自室に飾ってあるのですけど」

 

「お互い、目の保養になりましたね」

 

「えぇ、それはもう♪」

 

 軽妙に交わされる二人の会話にポカンとした雰囲気がレイの背後で流れる。それを察したエリゼが軽く咳払いをすると、アルフィンが招き入れる形で広間の大テーブルへと案内された。

そこに移動するときに、背後から焦った様子のリィンに声をかけられた。

 

「れ、レイ」

 

「ん?」

 

「皇女殿下といつお知り合いに……もしかしてこの前の自由行動日に帝都に行った時か?」

 

「まぁな。色々あって意気投合してこうなった。それがどうした?」

 

「……いや、何でもない。レイのすることに驚くのはもう止めようと誓ってたはずだったんだが……本当にコッチの予想の90度直上を行くよな」

 

「褒め言葉として受け取っておくぜ」

 

 いつも通りの飄々とした態度でリィンのため息交じりの言葉を受け流すと、レイは必要以上に畏まらない姿勢のままに案内された席に移動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルフィン・ライゼ・アルノールがリィン・シュバルツァーという男に興味を示したのはそう難しい経緯を経ての事ではなかった。

 

 彼女は紛れもない皇族の直系。ユーゲント・ライゼ・アルノールの実娘であり、帝国の身分制度の頂点に位置している。

加え、彼女の皇位継承権は第二位。弟のセドリックが現時点で皇帝に即位する事が決まっている以上、彼女はいずれ然るべき爵位を持つ貴族の元に嫁ぐ事になるのだろう。腹違いの兄の影響もあって、今でこそ努めて明るく振る舞えるようになったし、実際気の置けない友人が出来た事で学生生活を謳歌していた。

 だがそれでも、彼女は皇族の女性らしく、聡明だった。

 一人の女として自由に恋愛が出来ない事などは分かりきっていたし、皇女としての務めを果たさなくてはならない時が、いずれきっとやってくるのだと、自身の未来を客観的に悟ってしまっている。

 だからこそ、一縷の希望には賭けて見たくなったのだろう。付き人という体で一緒に居る親友の少女が事あるごとに漏らす彼女の兄の存在というものが、いつの間にかアルフィンの中で大きな存在になっていた事は仕方がない事だと言える。

 そして無論、知っていた。彼がシュバルツァー男爵が山中で拾って養子にした、貴族の血を一切引いていない人物であるという事を。

名のある貴族達がそれを非難して嘲笑している姿は幾度か見て来たが、彼女にとってそんな事は関係なかった(・・・・・・・・・・・)

 

 御伽噺を呼んだ平民の少女が王女に憧れるように、彼女もまた、どこか達観した人生観の中で皇族としてではない、ただの一人の少女として抱える恋心というものに憧れていた。

 それは、現実的には不可能な(・・・・・・・・・)憧憬だ。だからこそ求め、そして夢が覚めるその瞬間まで追いかけたいと思ってしまう。

 

 最初は、ただそうだった。”身分違いの恋”という、戯れ程度の想いだけで興味を抱いていたの過ぎず、身も蓋もない事を言えば兄を好いている妹の赤面する姿を見て可愛らしいと思っていたに過ぎない。思わせぶりな言葉を言ってみて、それを聞いて拗ねる親友の姿というのは、彼女にとって癒しであったのだから。

 

 だが、どれだけ悟ったような風をしていてもアルフィンはまだ15年しか生きていない。それは、恋愛感情を冷めた目で見るには早過ぎた。

 つまるところ、ハマってしまった(・・・・・・・・)のだ。親友が熱の孕んだ声で語るその兄の事を、もっと知りたいと、いつしか思うようになってしまった。

 謹厳実直で、身を挺して大切なものを守ろうとする気概もある。それでいて凛々しい顔つきをしているとあらば異性にモテない方がおかしいだろう。その特異な人生の経歴がなければ、尚更だ。

 

 だからこそ、兄が呼んだ客であり、件の青年と仲が良いという人物と話ができる機会が生まれたというのは彼女にとって僥倖だったのだが、思わぬ形で同好の士となってしまったその少年、レイ・クレイドルに彼の事について聞く事はなかった。

 その理由は、あの時あの場所で告げた通り。親友に対してフェアじゃないと思ってしまったからだ。

 アルフィンが一言、「あなたの兄が欲しい」と言えば、エリゼは彼女の仰せのままにすることだろう。聡い彼女は、そういった権利の上下を弁えている。

 だが、それは愚作以上の何物でもない。彼女自身の尊厳に癒えない傷が刻み込まれるし、何より親友との交友が断絶してしまう。アルフィンにとって、それはある意味一番恐ろしい事でもあった。

 

 本来ならば妹と義理の兄という背徳ギリギリのシチュエーションを間近で見てからかい、祝福するだけの傍観者でいたかったはずなのに、いつしか、当事者で居たいと思ってしまったのだ。

 

 

「よろしければ、”リィン兄様”とお呼びしても良いですか?」

 

 気付けばそんな事を言っており、それを聞いたリィンは妹ともどもこれ以上ないくらいに狼狽えていた。

その様子を見て得も言われぬ高揚感がアルフィンの中に生まれると同時に、隣の席から声が掛かる。

 

「コホン。アルフィン殿下、そのようなお戯れは……ブフッ、リィンの精神衛生上よろしくないので……グフッ、手心を加えて下さると……ブハッ」

 

「何かメッチャ嬉しそうなんだが⁉」

 

「リィンの狼狽えてる姿が面白すぎてメシウマ」

 

「最後のはよく分からないけどとにかくバカにされたことは分かった」

 

「あぁっ、エリゼの困り顔もとても素晴らしいですわ♪ ささっ、もう一度その表情になってちょうだい。大丈夫、今度はちゃんとシャッターチャンスを逃さないから」

 

「っ~~~‼ もう知りません‼」

 

 厳かな雰囲気であったはずのお茶会は一瞬にして気の抜けたようなそれに代わり、先程までガチガチに固まっていた面々もそれを見て多少肩の力が抜ける。

 

「いいじゃん。”お兄様”呼びくらい受け入れろよ。お前アレだぞ? 殿下にそう呼ばれてる奴ってあと一人しかいねぇんだぞ? 光栄だろ」

 

「本音は?」

 

「んなモン、面白そうだから以外に理由があると思ってんのか?」

 

「これはアレか? 俺はキレてもいいんだよな?」

 

「いいじゃありませんのエリゼ。わたくしもあなたも同い年。でしたら”お兄様”とお呼びしても違和感はありませんわ」

 

「本音は何ですか、姫様」

 

「顔を赤らめて困るエリゼが可愛すぎてわたくしの明日を生きる原動力になりますから♪」

 

「機能停止していただいた方が私の精神的にとても助かるという事を今改めて実感しました」

 

 

 そんなやり取りを見て、部外者の8人は「あぁ……」と理解した。

 あの二人(アルフィンとレイ)は根本的な部分が似通っている。即ち”身内を弄り倒す事”という点に於いて、これ程”混ぜるな危険”というキーワードが似合う二人もそうはいまい。

 ≪帝国の至宝≫と謳われる彼女の意外な一面を垣間見る事が出来たが、不思議と軽蔑するような気持ちは毛ほども湧いてこない。

それも皇族特有の高貴なオーラがそうさせるのかと思っていると、ひとしきり相手をからかい尽くしたアルフィンが再び全員へと視線を向けた。

 

「(さて……)」

 

 気を取り直してアルフィンが見たのは、他の女性陣の反応だ。

先程兄と呼ぶのを許可してくれるかどうかというやり取りをした時に、異なる反応をした人物が一人だけいた。

 

「(アリサさん、でしたっけ)」

 

 大企業ラインフォルトグループの会長令嬢。名門貴族に比する教育を受けてきた彼女は、ある意味では貴族令嬢であるラウラよりも貴族子女らしい。

Ⅶ組においてレイとリィンに次ぐ統率能力を有する彼女は、アルフィンがリィンに興味を示した瞬間、僅かに顔色を変えた。そして、アルフィンはそれを見逃さなかった。

 同じ女性のラウラ、エマ、フィーの3名は皇女殿下の行動そのものに驚いていたのに対して、彼女だけはその言葉の中身そのものに対して驚いていた。それが何を意味するかなど、少し頭を捻れば年頃の少女ならば誰でも分かるだろう。特にアルフィンは、そういった(・・・・・)感情を察する事に対しては敏感だ。

 自分を数に入れて四角関係。数に入れなくとも三角関係。皇族である限り渦中には居られないであろうと思っていた関係が、今目の前にある。それだけで、アルフィンが上機嫌になるには充分だった。

 

 

「あ、それが嫌ならエリゼの事を”エリゼ姉様”と呼んで―――」

 

「姫様―――い・い・か・げ・ん・に・し・て・く・だ・さ・い・ね・?」

 

 しかしその暴走じみた高揚感も、エリゼのその絶対零度の一言で冷えた。

その有無を言わせぬ威力たるや、絶好調でリィンを弄り倒していたレイですら動きを止めたほどであり、その場にいた全員がシュバルツァー家の家庭内ヒエラルキーを否応なしに理解してしまったほどだが、アルフィンは少し拗ねた表情を見せるだけで、狼狽える様子は微塵もなかった。

 

「……なぁリィン」

 

「……何だ?」

 

「悪い。お前の妹の事、ちょっと見くびってたわ」

 

「無理もない。あれは徹夜で飲んで帰ってきた父さんを玄関前で叱る母さんと同じレベルの圧力だからな」

 

「お前の家が女傑家系だって事は良く分かったよ」

 

 つくづく”女性は怖い”のだという事を骨の髄まで染み込まされた男性陣をよそに、アルフィンは一つ咳払いをしてから改めて姿勢を正した。

 

 

「―――まぁ、それはともかく。本日皆様をお呼びしたのは他でもありません。ある方との会談の場を用意したかったのです」

 

 本題に入ったのだと、そう理解した全員が表情を真剣なものへと変える。多少奔放な一面があるとはいえ、それはあくまでも”一面”に過ぎない。

生まれながらにして君臨者の一族に生まれた者だけが有する事のできるカリスマ性に気圧された者が数名。そうならなかった者であっても、アルフィンの次の言葉に耳を傾けていた。

 しかし次に聞こえたのはアルフィンの口から出た言葉ではなく、耳朶を優しく撫でるリュートの音と、成人を迎えた男性の声だった。

 

「フッ、諸君。待たせたようだね」

 

 瞬間、レイの眉が顰められ、椅子が僅かに引かれたのをリィンは見逃さなかった。

 

 薔薇園へと入ってきたその人物は飄々とした表情を浮かべたままにリュートを構えてテーブルへと近づき、そしてアルフィンの後ろに立つ。

「誰?」と声に出したフィーと何も喋らないレイを除いて”多分どこかで見たことがあるけど誰だろうか?”という視線を向ける一同をよそに、男は気障な仕草を見せてから口を開いた。

 

「ある時は漂泊の天才演奏家、またある時は美を求めて彷徨う愛の狩人。剣林弾雨、修羅場も何のその。その名もオリビエ・レンハ―――」

 

「そいやっ」

 

「げふぅ」

 

 長ったらしい上に嘘っぽい自己紹介を遮るように、いつの間にか男の間合いに入っていたレイが軽い声と共に男の腹部に拳を入れていた。

先程までの余裕はどこへやら、情けなく床をゴロゴロと転げまわる男を、レイはゴミを見るような目で見下した。

 

「長い上に偽名を語るな変態」

 

「ちょ、ちょっと待ってレイ君‼ 流石の僕もいきなり腹パンが来るのは想定外だった‼」

 

「あぁ安心しろ。当ててねぇから。拳圧で殴っただけだから」

 

「あ、それでこの威力なんだ。君のツッコミはミュラー君の数倍ハードだよ」

 

「後3秒以内に立たなかったら二撃目いくぞ。はい、いーち……そいやっ」

 

「危なっ⁉ ちょ、3秒じゃなかったのかい⁉」

 

「あ? そりゃお前、アレだよ。ガンマンが10歩下がって撃ち合うって時に馬鹿正直に10歩なんて下がんないだろ? アレと同じだよ」

 

「暴論‼ ―――いや、しかし何だろうね。そんなゴミを見るような目で見下されてそう言われると……ゾクゾクして来ないかい?」

 

「死ね、変態が。土葬と鳥葬と火葬と水葬とそこらへんに放置のどれがいい? 選ばせてやる」

 

「ごめんなさいすみませんちょっと調子に乗りました許してください」

 

 ある意味、というよりアルフィンと出会った時よりも遥かに衝撃的な絵面がそこにはあった。

その男の正体を知っているユーシスとラウラは遠い目をしていたが、レイを諌めようとはしない。皇族への不敬だとか、理由付けは幾らでもできるのだが、事ここに至って常識的に行動する事が馬鹿らしくなってきた上に、妹君であるアルフィンがそもそも”もっとやれ”的な視線を向けているのであれば、関わるだけ無駄だろう。

 帝国国民ですらない平民が皇族の一人を地に這いつくばらせているどころか追撃で足蹴を加えているという、見る人間が見れば王位転覆の一部始終にも見えるその光景を目の前にしても「レイ(あいつ)だからしょうがない」と思えるだけの胆力は、すでに全員が身に着けていた。

 

「いやー、失敬失敬。どうも悪ノリが過ぎたようだね」

 

「うふふ、お兄様ったら。分かっていてなされたのでしょう?」

 

「なに、ちょっとした友とのスキンシップのつもりだったんだけどね。まさか初手から容赦なく来るとは思わなかった」

 

 パンパンと服についた汚れを払ってから、男性―――オリヴァルトはⅦ組の他の面々に視線を向けた。

 

 

「初めまして、ではない子達もいるようだが、改めて自己紹介しよう。オリヴァルト・ライゼ・アルノール。≪放蕩皇子≫などと呼ばれてるしがない皇族の一人さ。そして―――トールズ士官学院のお飾りの理事長でもあったりする」

 

 その自己紹介、主に後半部分にリィン達が言葉を失いかけていると、レイがポケットの中に入っているARCUS(アークス)のバイブレーション振動を感知した。

周囲を見たところ、どうやら着信が掛かってきたのが自分だけなのだと理解したレイは、アルフィンに一言断りを入れて薔薇園を退出し、通信ボタンを押す。

 

「あいよ」

 

『あら、ちゃんと出たのね。シカトされるかと思ったけど』

 

「そこまで薄情じゃねぇつもりだぞ。んで? 何の用だよ、シェラザード」

 

『クレアが集まって欲しい、だって。例の件(・・・)の作戦を詰めるわよ』

 

 その言葉に、レイは薄く笑った。

 

「了解。でも俺今アホ皇子に呼ばれてる最中なんだけど」

 

『アイツも一枚噛んでるに決まってんでしょ? アルフィン殿下も承諾済みだし……あ、そうだ。それじゃアイツに伝えておいてくれない?』

 

「何を?」

 

『「この件が終わったら死ぬまでお酒に付き合って貰うから♡」って』

 

「……マジで天に召させるなよ? いや、まぁ伝えるけど」

 

『オッケー。それじゃ、よろしくね』

 

「あいあい」

 

 本来であればそこで通話は終了するはずなのだが、レイは会話を区切りながらもボタンを押さなかった。

すると、シェラザードから「どうしたのよ」と訝しんだ声が飛んでくる。それに対してレイは、努めて洒脱な声で応えた。

 

 

「いやな、俺今仮にも学生なわけよ。それなのに色々とさぁ、自分勝手な事してんなぁって思って」

 

『……思う所があるんなら参加しなくても大丈夫よ。あんたがいなくても、コッチは何とかできるから』

 

 言葉だけを見るならば突き放しているように見えなくもないが、その声色が本気でこちらを心配している事は充分に読み取れた。

だからこそ、その譲歩に甘えるわけにはいかない。

 

「ん。大丈夫だ。断りを入れ次第すぐに行く」

 

『そう。待ってるわ』

 

 それを最後に、レイは今度こそ通話終了のボタンを押した。それと同時に、顔を右手で軽く覆って、ふぅと軽くため息を吐く。

 らしくないことを言ったと、そう思っている。元より自分を駒として策謀に組み込むようにクレアに薦めたのは他ならぬ自分自身だというのに、これでは怖気づいているのと何も変わりはしない。

 それを否定し、いつも通りの平然とした様子の”仮面”を被ってから、レイは薔薇園の中へと戻った。

 

「やぁレイ君。急用かい?」

 

 まるで世間話をするかのようにそう言ってくるオリヴァルトに、今度は苛立ちの感情も湧かず、苦笑したままに一つ頷いた。

 

「申し訳ありません、アルフィン殿下。急用で呼ばれてしまいましたので、自分だけここで失礼致します」

 

「あら、それは残念ですわ。食にお詳しいというレイさんを是非今夜の晩餐に招待したかったのですけれど」

 

「ご期待に副えず申し訳ありません。感想は後程リィン達から聞く事とします」

 

 そう言ってリィンの方へ顔を向けると、彼は一つ溜息を吐いたものの、黙して頷いた。

 

 

「あぁ、そうだ、オリビエ」

 

「何だい?」

 

「シェラザードから伝言だ。祭りが終わったら限界飲みに付き合ってもらう、だとよ」

 

「アルフィン、どうやら僕の命は夏至祭の終了とともに尽きてしまうらしい。今から遺書を認めるから、僕が死んだらこれを父上に渡してくれ」

 

「お酒を飲まれてお亡くなりになられるのでしたら皇族と完全に関係を断ち切ってからの方が宜しいかと♪」

 

 にべもなく毒を吐いたアルフィンに涙声で懇願するオリヴァルトを横目に見て、レイは深く一礼してから、その場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




前書きでテスト勉強で死にそうだと書いたクセにそれでもアニメは観たくなるダメ人間。それが私です。

がっこうぐらしと乱歩でMPがガリガリ削られた傷心状態に陥った後にダンデライオン、WORKING、のんのんびよりのコンボで回復させる一週間。


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万斛の願い






「ふざけるなよ お前が今言わなきゃなんねぇのは”ごめんなさい”じゃないだろ?
 ”助けてくれ”だろ?」

              by 上条当麻(とある魔術の禁書目録)









 

 

 たった一人。その一人がいるだけで戦況が一変してしまう程の実力を持った人物。

嘗ての中世の時代に於いては、そういった人物が戦場を彩っていた。剣を、槍を、或いは弓を、その時代に於いて随一と謳われるまでに鍛え上げた英雄達が戦場の華となる。

 しかし、銃や大砲が主武器となって来ると同時に、そういった者達は戦場の表舞台から姿を消していく。勝敗を決めるのは兵の練度と情報、そしてそこから立案される綿密な作戦。最強の英雄よりも優秀な指揮官が必須となった現代に於いて、確かにクレアは”強者”の部類にある人間であった。

 

 

「どうかご協力を、宜しくお願いします」

 

 場所は元遊撃士ギルド帝都西区支部。その応接間にて、クレアが頭を下げた人物は4名。

 リベール王国のギルド支部から招聘された正遊撃士、シェラザード・ハーヴェイとヨシュア・ブライト。元・帝都ギルド支部所属のA級遊撃士で、現士官学院戦技教導官のサラ・バレスタイン。

そして、元・≪結社≫執行者にして元・遊撃士、そして現士官学院学生であるレイ・クレイドル。

 いずれも単身勢力という点で見るのならば、クレアよりも余程強い者達だ。それでも、彼らはクレアを嘲弄したりはしない。

 その理由は様々だ。一度同じ席で酒を飲み交わしたよしみ、同じ男に惚れたライバル、親友が信頼している人物、等々あるのだが、それでも彼らが共通してクレアに抱いた感情はただ一つ。

 敵に回すとこの上なく厄介だ(・・・・・・・・・・・・・)という―――戦う者としての本能が告げたその危機感が、彼女の第一声を否定させた。

 

「頭を上げなさいよ。あたし達はもう覚悟決まってんだから。そうでしょ? ヨシュア」

 

「えぇ。それに、親友の想い人の頼みを断れるわけないじゃないですか」

 

「アタシにとっては他人事じゃあないしね。……またこの帝都で好き勝手させるわけにはいかないわ」

 

 次々と言葉を返す3人をよそに、レイはソファーに座ったまま、頬杖をついて目を瞑っていた。

はて、と首を傾げるヨシュアとシェラザードを横目に、サラがレイの頬を引っ張った。

 

「いだだだだだだ」

 

「ちょっと、アンタ今半分寝てたでしょ。寝てたわよね?」

 

「いやいや、寝てない。寝てないって。いや、ホントマジで」

 

「あ、懐かしいね。エステルが遊撃士資格を取るための勉強してる時に寝ててシェラさんに叩き起こされた時、同じ言い訳してた」

 

「えぇ、そうね。確か一言一句同じこと言ってたわ」

 

「馬鹿な。俺は寝てて起こされても言い訳なんかしないぞ。”スイマセン、眠かったんです”ってちゃんと言うぞ」

 

「アンタ6秒前の自分のセリフちょっと思い出してみなさい」

 

 先程まで緊迫していた状態と打って変わって軽妙になる空気に、クレアは思わず表情を綻ばせてしまう。

そしてそれを見て、レイもまた笑った。

 

 

「ん。笑ったな(・・・・)

 

「あ……」

 

「辛気臭いのは本番、全てが起こった後でいい(・・・・・・・・・・・)。それまで、いや、事が起こってからも余裕の表情は崩すなよ? 指揮官ってのはそういうモンだ。俺も昔、クセのある猟兵共の長をやってた事があるから分かるんだよ」

 

「……あぁ、そういえば≪執行者≫時代に強化猟兵の中隊預けられてたよね」

 

「それが今やあんたと一緒に≪結社≫抜けて”正義の猟兵”とかやってんだから世の中分かんないわよねー」

 

「ちょっと、話ズレてるわよ」

 

 ともかく、と、レイはソファーから立ち上がると、クレアの肩を軽く叩いた。

 

 

「俺の言葉なんて要らねぇだろうよ。存分に”俺”を、”俺達”を使ってみせろ」

 

「……任せてください。このクレア・リーヴェルトの名に懸けて、今度こそ必ず帝都を守ってみせます」

 

 力強い言葉に、四人ともが頷く。そして改めて、作戦会議の体裁を整える。

 クレアは口元に笑みを残したまま、しかし眼光鋭く応接間のテーブルに帝都の地図を広げた。

 

「それでは―――本題に入りましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

「士官学院に新たな風を吹き込む事、ですか」

 

 

 それこそがトールズ士官学院の理事長として自分が為すべき事だと、そうオリヴァルトは言った。

 彼が経験してきた事は、正直分からない。2年前の≪リベールの異変≫の後、高速飛空艇≪アルセイユ≫に乗って帝国へと帰還した彼が、一体どういった世界を垣間見て来たのか。それをこの場で聞く事が出来ないのは重々承知だったが、それでも気になってしまう。

 

「殿下は、その、ヨシュアさんやシェラザードさんとは……」

 

「戦友、というのが一番正しいだろうね。彼らと出会ったのは全くの偶然だったが……それでもあのリベールという地を彼らと共に駆け巡った日々を、私は生涯忘れる事はないだろう」

 

 そしてその激動の日々が、帰国後の彼の使命感に火をつけた。

 ”偏見的な目を持たず、自らが見、そして聞いたものを事実として受け止め、それを成長の糧とする”。貴族制という慣習に縛られたエレボニアだからこそ、未来を切り拓く若者達にそういった慧眼を養ってほしいという彼の切実な願いこそが、”特科クラス Ⅶ組”という異色の場所を設立させるに至った。

 

 そのオリヴァルトの目論見は、確かに成功したと言えるだろう。Ⅶ組の面々はこれまで、特別実習を中心に様々な”壁”に立ち塞がり、それを乗り越えて来た。それは、このⅦ組という場所でなければ得られなかった経験だ。

 

「西ゼムリア大陸は、今や恒久的な平和が続く地とは言い難い。北の地、ノーザンブリア大公国で起きた≪ノーザンブリア事変≫を切っ掛けに、大陸の激動の時代は幕を開けた。君達もこれから生きて行く中でその猛威、理不尽さを突きつけられる事があるかもしれない。そんな”壁”と相対した時に乗り越えられる力を、君達には有して欲しかったんだ」

 

 尤も、と、一度話を区切ってから、オリヴァルトは肩を竦めた。

 

「私はⅦ組の発足を提案して、設立させただけに過ぎない。運営は既に私の手元からは離れてしまっているから、君達に説教じみた言葉を掛ける権利などはないんだけどね」

 

「……いえ、とんでもありません」

 

 リィンがそう言うと、他の面々も頷く。

 

「殿下がⅦ組と言う場所を設けて下さらなかったら、自分達はこうして仲間としてぶつかりあったり、助けあったりする事もなかったでしょう。自分にとってそれは掛け替えのない事ですし、それに……」

 

「”道”を示してくれた友とも出会えました。自分達に”慢心”という言葉を毛程も抱かせてくれなかった、非常に頼りになる友に」

 

 自分の言葉を引き継いだラウラを見ながら、思えば皆変わったなと、リィンは改めて思う。

 当初、Ⅶ組メンバーの中でアリサ、エリオット、マキアス、エマの四名は、本格的な”戦い”を知らない素人だった。加えて言うならば、リィンやラウラ、ユーシス、ガイウスも戦闘の経験こそそこそこあったものの、それも”戦闘”の本質からはズレていたのだ。あの二人―――レイとフィーを見てそう思った。

 対人・対魔獣を問わない戦闘のプロフェッショナル。一切の慈悲と容赦無く戦う時の彼らは極限まで無駄を削った洗練された動きで、勝利を掴み取るただそれだけのために鍛え抜いた技を振るう。

それを見た瞬間に、否応無く自分達が井の中の蛙である事を思い知らされた。技を究めた優越感など欠片も持つ事無く、自分がどう勝ち、どう生き残るかという、生物としての極致を常に垣間見た振る舞いは、自分の中の”ナニカ”を恐れて流派の修行を打ち切られたリィンにとって、余りにも違いすぎる生き方だった。

 

 故に、劣等感を何度感じたか分からない。外見とは裏腹にいつも飄々と、しかし自分達の遥か前を後ろを振り返る事もなくマイペースに歩いて行く存在―――そう思っていた。

 しかし、実際は違った。無関心どころの騒ぎではなく、彼は鬼もかくやと言う程の苛烈さでリィン達を鍛え上げて行った。劣等感を抱いたとしても、それを自覚する暇が無いほどに自尊心も意地も何もかもを踏みにじって磨り潰して混ぜて再構築する勢いでこちらの心を木端微塵にへし折ってから、決して見捨てる事などなく鍛え上げてくれた。

 そしてやはり、そこに容赦などなかった。「鍛えてくれ」と、そう言ったのは確かにこちら側だったが、彼はサラと組んで情け容赦なく扱いて来た。

今でこそその地獄の教練に着いて来れるようになったが、初期の頃など失神者が出るのが当たり前で、特に入念に扱かれた”前衛組”の数人は危うく仮死状態になる一歩手前まで追い込まれた事すらある。

 その甲斐もあって漸く強さを実感できる様になって来たと思ったら、褒め言葉もそこそこに嬉々として”ギア”を上げて次の段階へとシフトさせていく。驕ろうにも驕る暇すら与えてくれないのだから、強くなるしか他はない。

 

 ”壁”の問題にしたってそうだ。試練に対して立ち止まるというのは、つまるところ後退しているのと同じ事。そこでウジウジと悩んでいたら、これまた容赦なく背後から背を蹴り飛ばされる。

 何してる、後ろがつっかえてんだよバカ。と、憎たらしく思えるほどの笑みを浮かべてそんな刺々しい言葉と共に彼らを前へ、前へと進めていく。

 本来であれば遥か前を歩いているはずの彼が、後ろから迫ってくる未練やら後悔やらを一切合財全部断ち切るためにわざと殿(しんがり)の場所に陣取って鼓舞し、そして必要とあらば前に出て、今ではまだ届かない”目標”として立ち塞がる。

 

 だからこそリィン達は、どこまでも強く在ろうと願い続ける事が出来る。

 

 

「……殿下は、レイとはどこで知り合いに?」

 

「初めて顔と顔を合わせたのは去年の10月が初めてだったかな? その時にトールズへの推薦状を手渡したのさ」

 

 エレボニア随一の士官学院であるトールズへの推薦入学というのは、並大抵な事では取る事が出来ない。

なにせ『四大名門』の嫡子ですらも一般入試を通過しなければ入学を許されない程である。そもそも推薦入試願書は規定で学院理事長のみが発行できる希少な物であり、その制度が適応されるのも数年に一度という頻度である。

 だが、他生徒との軋轢を生まないために公式的には一般入学と同じ扱いになっており、試験も受けて入学するのだが、その代わり、入学金・授業料・設備維持費の一切が免除される事となる。

授業料の免除だけならば特待生で入学したエマが同じ恩恵を授かっているが、それよりも上の待遇で入学していたという事実には、特に驚かなかった。

 

 どこか達観したかのようなⅦ組の面々の表情を見て、オリヴァルトは苦笑を漏らす。

 

「どうやら、君達もレイ君に充分扱かれて来たようだね。価値観が随分と変わったと見える」

 

「え、えぇ……まぁ。何と言いますか、その……彼と一緒に居ると一々驚く事が億劫になってしまいまして」

 

「レイは常識外れがデフォだから、驚くと思う壺。数ヶ月一緒に過ごせば価値観なんか変わって当然」

 

「何だか国外旅行みたいな扱いね……」

 

「それが良い事なのか悪い事なのか分からないが」

 

「胆力を鍛えるという点ではもってこいだと思うが」

 

「ガイウスのポジティブシンキングは変わってないね」

 

 緊張も何もなくモグモグとデザートのケーキをひたすら食べているフィー以外の八人が意気消沈しかかっているのを、アルフィンの上品な笑いが掻き消す。

 

「うふふ。皆様は本当に仲がよろしいのですね」

 

「は、はぁ。確かにそうなんですけど……」

 

「時々僕達とレイの関係って反乱した奴隷とそれを容赦なく鎮圧する武神って感じになるよね……」

 

「ほぼ毎日ボロ雑巾みたいになってるとその内悟りを開きそうで怖い」

 

 皇族の前だという事も忘れてどんよりとしたオーラを発する一同だったが、その分今ここにいない彼の事を考えてしまう。

 また自分達と離れて”何か”をしようとしている彼を、先程リィンは不承不承ながらも頷いて送り出してしまった。無論、止めた所で止まるはずもなく、上手い事言いくるめて行っていたのだろうが、それでもやはり気になってしまう。

 元遊撃士として、自分達には及びもつかないような修羅場を潜って来たのであろう彼にしか頼めない事もあるだろう。それは実力よりも積み重ねた実績と経験がものを言う世界であり、その世界に足を踏み入れられない事が、悔しくて仕方ない。

 無意識にテーブルの下で拳を握りしめてしまったリィンのやるせない感情を、しかしこの人物は見逃さなかった。

本来であればこの時点で伝えたい事も伝え、お開きになる会合だったのだが、気付けばこんな声が室内を再び張りつめさせた。

 

 

「ふむ、ところで君達は、レイ君の事をどれだけ知っているんだい?」

 

 それは、ある意味で禁句と言っても過言ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 コト、という軽い音と共に、テーブルの上にとある物が置かれる。

 掌に収まる程の、しかし特徴的な形状をしたその機械部品は、紛れもなくレイが実習一日目に暗闇の中で拾ったそれだった。

それを覗き込み、クレアが白手袋を填めた手で掴んだ。

 

「これが、その……」

 

「あぁ。西部12街区のアパートの地下で拾ったブツで、間違いなくラインフォルト社製の短機銃の(・・・・・・・・・・・・・・)部品だ(・・・)

 

 右目の眼帯を右手の人差し指で軽く叩きながら紡がれたその情報は、レイの”眼”を知っている者からすればデタラメだと嘲笑する事は出来ない。

故に真偽を問うよりも、まず先に詳細を聞く方がいち早く真相に辿り着けるという事を、ここに集まった全員は分かっていた。

 

「型番は?」

 

「1203年製造のラインフォルト社製『RT-840 短機関銃』。同型に『RT-830』という姉妹銃がある―――という事になっている(・・・・・・・・・)

 

「……成程ね」

 

 意図に気付いたヨシュアが、目を瞑ったまま小さく頷いた。

 

「ラインフォルト社の製造過程には載っていないはずの銃、という事か」

 

「あぁ。今朝方シャロンに問い合わせてみたが、カタログには一切載ってないブツだった。研究開発という体で製造して”欠陥が見つかったから廃棄”という理由でカタログに載せなかったんじゃないかって言ってたな」

 

「厄介な相手ねぇ。それって帝国最大の軍需産業の中にも入り込まれてるって事でしょ?」

 

 シェラザードの言葉に、サラとレイが僅かに表情を硬くする。

 振り返るのはノルド高原の一件。レイは直接見ていないが、サラは同じようにラインフォルト社の”表側”が関与していない状態で製造された小型飛空艇を目撃している。それを利用していたのが他ならぬノルド高原で帝国軍と共和国軍を衝突させようと画策していたテロリストであったのだから、表情を強張らせるなという方が無理だろう。

 

「……これを発見した時の詳細をお願いできますか?」

 

「アパートの空家の調査を依頼されて動いてた時、やけに綺麗に片付いてた部屋がリストにあってな。気になって調べてみたら……床下に帝都地下水道に通じる穴があった」

 

「それは……」

 

 当初は夜逃げの類かと思っていたのだが、こうなってくると俄然話は変わってくる。

 ”何者かが”、”製造過程不明の短機関銃を所有したまま”、”地下水道を伝ってどこかへ行った”。それを怪しいと思わない者は、今この場所には存在しない。

 

「部屋に埃は積もってなかったし、その部品も湿気が多いあの場所で錆びてなかった。あの部屋の人間が抜けだしたのはここ数日の事だろうよ」

 

「何が狙いか、なんて考えるまでもないわね」

 

 そう。口に出すまでもない。よりにもよって”動き出した”のがこの時期であるという事からも、彼ら(・・)の狙いは明白と言える。

 

「成程。確かに複数人が潜伏している可能性は高そうですね」

 

「高そう、じゃなくてそうだろうさ。お前だってほぼ確信してんだろ? ヨシュア」

 

「……まぁね。何かをやらかすつもりなら複数人で攪乱した方が成功率は高いし。―――それが要人の拉致、或いは暗殺だったら尚更」

 

 嘗て”そういった”技術を仕込まれていたヨシュアの言葉に、一同が口を噤む。

 帝都内での協力者の潜伏。それはある程度想定されていた事ではあるが、実際にそうだとするならば厄介な事ではあった。目に見えて害悪だと分かる敵を相手にするよりも、数百倍タチが悪い。

 

「随分と懐に潜り込まれてる状態ね」

 

「結構前から入念に土台を築いてたみたいだな。現時点じゃ、相手の方が数枚上手だ」

 

「ですが―――上手だと分かっているのなら(・・・・・・・・・・・・・)、やりようは幾らでもあります(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 冷静に情報を分析して悲観的になりかけていた雰囲気を、しかしクレアが塗り替える。

呼吸を整え、軍帽を被り直し、臙脂色の瞳は涼やかに勝利のみを見据えていた。

 

「策を弄する者の端くれとして言わせていただきますと、一番怖い敵は”自分より実力が上か下か、それすらも分からない敵”です。ですが、相手が私よりも丹念に時間と手間をかけて策を作り上げたと言うのであれば、私はただその先を行けばいい(・・・・・・・・・)だけの話です」

 

 鉄道憲兵隊の司令官に就任して以来、老獪な大貴族や領邦軍を相手に立ち回って来た強かさを発揮する。

一手上回るのなら二手、三手上回るのなら四手先を打てば良い。そしてそれが出来るだけの実力が、クレアにはある。

 

「そこいらの木端テロリストじゃねぇぞ?」

 

「それは既にノルドの件で承知しています。ですから、こちらもそれなりの策は用意させていただきました」

 

 涼やかな微笑と共に出たその言葉を聞いて、四人の背中に冷たい汗が一筋垂れる。

その時、レイの隣に座っていたシェラザードが、コソコソと耳打ちをしてきた。

 

「……分かってたけどクレアもあれで結構Sッ気あるわね」

 

「多分お前と違うベクトルのな。てかお前も少しは自重しろよ。どーせ今でも魔獣調教とかやってんだろ?」

 

「この前ロレントに迷い込んできた魔獣の群れを鞭の一閃だけで追い払った時は笑ったなぁ」

 

「ちょっとヨシュア、言わないでって言ったでしょ。あの後アイナにも爆笑されたんだから」

 

「なにそのカオス。俺も見たかった」

 

 ともあれ、と。

ヨシュアも混ざった時点で、話は少し真面目な方へと移り変わる。

 

「活発系のサラにクール系のクレア、それに昨日聞いた話だともう一人メイドさんがいるんでしょ? 選り取り見取りで羨ましいわねー」

 

「昔からモテてたからね。レイは」

 

「昔はアレ、モテてたっていうより弄ばれてたって感じだったがな」

 

 そもそも今もモテているとは思っていない。サラ達との関係は「モテている」などと軽い言葉で片付けたくはないものだし、やたら写真が売り捌かれるのは、あれもからかわれている状態である事に変わりはない。そう思っていた。

 

「んな事言ってヨシュア、お前だってマダムキラーだろうが。その甘いマスクで何人のマダムを虜にして来たんだ? あぁ?」

 

「何でやたらケンカ腰……」

 

「まぁヨシュアがモテてエステルがヤキモチ焼くのはもう定番だしどうでもいいとして……ま、安心したわ」

 

「?」

 

「だってあたしとコンビ組んでた時、今以上にしっかりと”仮面”被ってたじゃない」

 

 今はそれが少しではあるが緩和しているのだとレイの肩を軽く叩きながら言うと、ヨシュアも一つ頷いた。

 そんな事はない、と反論する事は出来なかった。確かに他人と本音で接する事も増えて来たし、少なくとも三人に対してはありのままの自分で接しようという努力はしている。

ただ、だからと言ってリベールで過ごした一年間が偽りだったかと言えばそれも否である。王国で出会った人達との関係は決して浅いものではなかったし、レイとて好んで己の本音を隠していたわけではなかったのだから。

 しかし、遊撃士という”正義の味方”の職業を生業とするにあたって、過去の自分ははっきり言って邪魔だった。ただそれだけに過ぎない。

 

 

「ま、あたしと酒飲みで付き合えるようなのが二人もいるんだから大丈夫か。後一人のメイドさんは知らないけど」

 

「お前の中の大丈夫な人間の選別基準がおかしい。後、シャロンはあの二人以上に強いぞ」

 

「ホント⁉ そりゃ良い事聞いたわ‼」

 

「食いつくトコそこ⁉」

 

「コラ。アンタ達、今一応作戦会議中よ。クレアも何か言ってや―――」

 

「すみませんシェラザードさん。リベール時代のレイ君について詳しく」

 

「ちょっと待ちなさい策士の端くれ」

 

 唯一真面目な態度のままだったサラがその後数分説教を行い、再び落ち着きを取り戻すと、クレアがテーブルの上に一枚の封筒を置いた。

 それは一般人が使うような枯草色のそれではなく、”部外秘”という判が押された澱みのない黒色の封筒。

それに目を落としたレイは、クレアの顔を見やり、彼女が首肯するのを確認してから封を解いて中身を確認した。

 シェラザード、ヨシュア、サラも同じように目を通し、そして全てを読み終えた後、何を言えるでもなく脱力した。

 

「はぁ、これは……何と言ったらいいのか」

 

「クレア、アンタ本気でこの作戦を実行するの? 下手したらアンタの首が飛ぶどころの話じゃないわよ」

 

 本気で心配するサラの言葉も尤もであり、封筒の中に入っていた書類に記されていたのは、今回の夏至祭においての”非常時”に対応する細かな作戦概要だった。

 事前に「皇族が一枚噛んでいる」という事を知らされていたサラとシェラザードさえ驚きを隠せない内容のそれは、失敗すれば確かにクレアが罷免される程度の罰では済まないものであった。

 

「えぇ。本気です。皇族の方々のお許しは既にいただいておりますし、閣下も賛同して下さいました。―――それに、”タイミング”を計るのはそう難しい事ではありません。そうでしょう、シオンさん」

 

「―――左様ですな」

 

 その言葉に促されるように顕界したシオンは当然だと言わんばかりにそう言い、そして付け加える。

 

「寧ろ本題はその後ではありませぬか? 敵の戦力を鑑みる限り、総員で抑え込まねばなりますまい。姫殿下らの”追い役”に割く人数は―――」

 

「いや、適役はいるさ」

 

 式神の尤もな懸念を、レイが遮る。その意図を数秒もせずに読み取ったシオンは、一つ溜息を吐いた。

 

「……主、リィン殿達を使うおつもりか?」

 

「”使う”という表現は適切じゃねぇぞ、シオン。あいつらはもう弱くない(・・・・)。まぁ、全部が終わった後に俺があいつらに一発殴られれば済む話だ」

 

 悪癖で自虐的な笑みを浮かべたレイに対して、シェラザードとサラの二人が左右から頭を叩いた。

スパン、という小気味の良い音が響き。一瞬グラリと体勢を崩したレイに、追い打ちを放つかのように口を開く。

 

「あんたね、また下らない事考えてたでしょ。望んでもない悪役面して責任引き受けようなんて5年早いわ」

 

「せめて成人してからそういう事は言いなさい。アンタみたいな小生意気な子供の責任取るために、大人(アタシ)達は居るんだから」

 

 ポンと背中を叩くのはヨシュア。

 

「まぁ、そうだね。一応年上として責任の肩代わりくらいはさせてくれると嬉しいかな。僕は生憎と君より強くないけどさ、それでも借りを返さないままってのは僕の信条に反するから」

 

 そして最後に、クレアが一つ頷く。

 

「責任を感じるのは私の責務です。謗られるも恨まれるも私の役目です。”昔”のあなたはそう(・・)せざるを得なかったのでしょうが、今は違います。あなたはあなたの赴くまま、自分が在るがままに動いて下さい。それをきっと、リィンさん達も望んでいます」

 

 自分一人が悪者になるのを許さない。例え自分が許しても、この三人が、そして仲間達が許してくれない。

 なら仕方ないなと、レイは自分でも充分卑怯だと思っている理由で自分を納得させる。そうしてソファーの背に立てかけていた長刀を静かにテーブルの上に置いた。

そしてそれに続くような形で、サラが導力銃とブレードを、シェラザードが鞭を、そしてヨシュアが二振りのナイフを同じようにテーブルの上に置く。その後、代表する形でレイがクレアを見据えて口を開いた。

 

「やるんなら万事抜かりなく。誰一人死者を出さず、誰一人とて不幸にさせない。そのために俺達は死力を尽くす。クレア、お前に命を預ける」

 

 レイ達は分かっていた。

ここにいる四人がチームを組めば、木端でないとはいえテロリスト如きには後れを取らないだろう。わざわざリィン達まで巻き込むまでもない。だが、それだけでは終わらないのだろうという(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)事を(・・)、本能で理解してしまっている。

 特にレイにとっては他人事ではない。動くのがノルドで出会った連中であるならば、十中八九いるだろう。自分と互角に戦り合った、フードの人物が。

 幾らリィン達が強くなったとはいえ、それとこれとは話が違う。”本当の全力”ではなかったとはいえ、レイと真正面から剣戟を交わして互角に戦った人間である。数の優位性や連携の強みが生かせるという、だたそれだけでは太刀打ちが難しいタイプの敵だ。

 言うなれば、どんな理不尽な状況下に陥っても潜在的に内包している達人としての気質が戦局を打開してしまう無意識化の英雄気質、とでも言えば正しいのだろうが、生憎と悪事に加担している時点で”英雄”などという肩書は名乗る事は出来ない。少なくとも、レイがそうであるのだから。

 加え、恐らくお目付け役として数人(・・)いるだろうそれを相手にしながら、突発的な出来事に臨機応変に対応出来なければならない。そしてそれは、遊撃士の得意分野であった。

 

 本来であるならば、テロリストが行動を起こす前に対処を済ませ、動きを全て封殺させていなければならない。それが出来ていない時点である意味防衛線としては失敗しているし、そこの所はクレアも自覚があった。

 だからこそ彼女は、その後の作戦を迅速に考えた。敗北者なりに出来る限り勝利に近い状況を掴みとるために、軍属という枠組みを超えて、精鋭の遊撃士に協力を依頼したのである。

 それは、矜持と自負を持つ帝国正規軍に所属する者にとっては御法度にも近い。ギルドの支部が置かれた当初から他国とは異なり反目を繰り返してきた両者の溝は深く、この作戦が成功しようとも、クレアは少なからず詰問されるだろう。

 だがそんな事よりも、彼女は確実に皇族、そして市民の安全を守る方を優先した。規律を侵して査問されようとも、今この瞬間を守り切れるような、そんな軍人で在りたい。それこそが彼女の願いであるために。

 

 だから、クレアは腰のガンホルスターから愛用している大型の導力銃を引き抜き、やはりテーブルの上に乗せた。

 

 

「―――任せてください。必ずや、その期待に応えて見せましょう」

 

 そう言いきった彼女の瞳はどこまでも澄んでおり、四人はそれに対して強気な笑みを見せた。

 恥と外聞を投げ捨てた者達の戦いが、決して温いものではないという事を見せつけてやろうと、そう誓いを立てて。

 

 

 

 

 

 

 

 




 この一日はまだ続きます。だってアリサとリィンの夜の帝都デート回まだ書いてないもの。これ書かないとシャロンさんに鋼糸で細切れにされちゃうもの。


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淡き恋心






「お前が明日死ぬのなら、僕の命は明日まででいい―――
お前が今日を生きてくれるなら、僕もまた、今日を生きていこう」

「お前様が明後日死ぬのなら、儂は明々後日まで生きて―――
誰かに、お前様の話をしよう。我があるじ様の話を誇らしく、語ってきかせよう」

 by 阿良々木暦&忍野忍(化物語シリーズ)














 

 

 

 

 

 

 思っていたよりも憤りの感情は湧いてこなかった。それは彼らが非情だからではなく、全員が分かっていた事だから。その事実を改めて突き付けられたに過ぎないから。

 だからと言って、何も思わなかったのかと言えば、それも違う。日が既に落ちた帝都の街並みを眺めながら乗っている導力トラムの中で、Ⅶ組の面々は口に出すことなく煩悶していた。

 

 

『ふむ、ところで君達は、レイ君の事をどれだけ知っているんだい?』

 

 

 オリヴァルトから突き付けられたその言葉は、まさしく彼らが今まで目を背けてきた問題だった。

 断片的に集めた情報を組み合わせると、約5年前までの彼の過去は明らかになる。即ち、”何らかの理由で”、”どこからか”来たレイがフィーの所属していた≪西風の旅団≫の猟兵達と行動を共にし、そして4ヶ月後に団を去り、その後伝手を辿ってリベール王国で遊撃士資格を獲得。1年間リベールで過ごした後にクロスベル支部に転属し、そしてその場所で本人曰く「初めて過労死って言葉の意味が理解できたわ。アレはヤベーわ」という重労働の日々を過ごす事3年。その後、フィーを拾ってトールズに入学して来た。―――そこまでは分かっている。

 

 そう。結局そこまで(・・・・)なのだ。レイ・クレイドルという男の在り方の真意は、恐らくそれ以前にある。

 しかしその領域に、誰も踏み込んではいなかった。唯一掠るように触れたのはエマだが、それは彼の過去を語る材料としてはあまりにも程度が低く、打ち明けるわけにはいかなかった。

 

 仲間が傷つく姿は見たくない。無理矢理は良くない。話せる時が来るまで待とう。―――そう言い訳(・・・)をして、ずっとずっと逃げてきた。

 本音は、違う。彼らとて分かっているのだ。今までⅦ組のメンバーがそれぞれ明かして来た自らの過去。それは誰しも心の中に蟠りを持つのが当然なほどに真剣に悩むべきものであり、中にはそれを乗り越えた者もいる。過去よりも現在。現在よりも未来。前を見据えないなんて馬鹿らしいと、頑健な心を持って乗り越えてきた過去があった。

 しかし、恐らくレイが抱え込んだ過去は、その中のどれよりも重く、暗く、衝撃的なものなのだろう。今までの自分達が養って来たはずの価値観の一切合財がひっくり返ってしまうような、そんな過去が埋没している。

 

 だからこそ、怖かったのだ。

 今過ごしている日々―――それこそ教練という名の虐殺モドキの扱きは若干カンベンと思ったことは無きにしも非ずだが、共に学び、共に笑って共にひとつ屋根の下で賑やかに暮らす日々。毎日味わえる美味な料理に舌鼓を打ち、それぞれの趣味に感嘆の息を漏らし、テスト前には脳を酷使して一丸となって乗り越えてきた思い出。それは間違いなく彼らの青春の一ページであり、何物にも替え難い大切な思い出だ。

 

 それが、壊れてしまうかもしれない。

 音を立てて瓦解し、二度と積み上げることが出来なくなってしまうかもしれない。埋めることが不可能なほどの軋轢が隔たり、いつの日かふと居なくなってしまうかもしれない。

 無論、それが考えすぎだという事は分かっている。彼は責任感の強い人物だ。何も告げずに居なくなってしまう未来なんて見えてこないし、自分たちとの間に軋轢を感じさせる事もないだろう。―――少なくとも、平面上は(・・・・)

 

 それを一番懸念しているのはアリサだ。他人の感情の機微、そして仮面を被った道化師を見破る手腕が、本職のレイを除いて一番長けている彼女には分かる。この状況をどうにかできるのは、他ならぬ自分達自身なのだと。自分達の方から、彼の過去を受け止めてあげなければならないのだと。

 しかし―――

 

「(厄介なのは本題はそこじゃないって所なのよね……)」

 

 そう。本題はそこではない(・・・・・・)

 考えても見てほしい。今まで非常識に非常識を上乗せしてその上に理不尽と混沌という名の苦々しいナニカを散々頭の上からこれでもかと言う程にぶっかけられて来たというのに、今更他人の過去を聞いたところで畏れて同情しようとも、決して距離を取る事はないだろう。恐らく幾許かの冷却期間が必要にはなるだろうが、最終的には「まぁ、レイだししょうがないか」という理屈も何もあったものじゃない場所に帰結するに違いない。

 ただそれでも、彼の方から距離を取ってしまったらその限りではない。人生の密度が桁違いの相手だ。そうなってしまった後にこちらがどれ程声をかけようとも、恐らく聞き入れてはくれないだろう。悲しそうな微笑を浮かべながら、また一人だけの場所に戻ってしまうに違いない。

 

 しかし唯一、そういった小細工抜きで彼の心の壁を抉れる存在がいる。それは自分ではなく、長く行動を共にしていたフィーでもなく……

 

 

「―――アリサ」

 

 そんな事を考えていると、隣に立っていたユーシスが不意に声を掛けてきた。彼はアリサの顔を見ているわけではなく、ただ窓の外を見据えたままに、再び口を開いた。

 

「明日は恐らく忙しくなる。今の内に奴を呼び出しておけ」

 

 その言葉だけで、彼も同じ事を懸念していたのだと、そう確信した。故にアリサは、言葉を返さずに軽い首肯のみで答えとする。

 やがて西地区を走るトラムが停留場に到着する。そこでアリサは、B班のメンバーに向けて一つ断りを入れた。

 

「ゴメン、皆。ちょっと用事を思い出したから先に帰ってて頂戴」

 

 本来なら単独行動は慎むべきなのだが、普段こういった事を言わないアリサの提案に、ガイウスとエマは訝しむ様な態度も見せず、了承してくれた。

そうしてトラムから降りたアリサは、ARCUS(アークス)を操作しながら夜の帝都を歩いていく。

 

「―――あ、もしもし? うん、私。アリサよ。突然だけどちょっと聞いて貰って良い?」

 

 その光景は傍から見たら好いた男を誘う時の女のそれだという事を、彼女はその時点では認識していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 港湾区特有の強い風が頬を撫でる感覚は、それ程好ましいものではない。少なくとも”彼女”は、頭上に浮かぶ煌びやかな満月を見上げながら、そう思っていた。

 

 既に夜の帳は落ち、港湾区に務めている作業員たちも皆残らず帰路についている。そんな静謐が支配する区画の端。高さが5アージュはあろうかというコンテナの陰で座り込みながら、≪X≫はただ何をするでもなく茫と空を眺めていた。

 

 作戦が明日に迫ったこの時期に外をうろつくのは控えろと、そう命を受けてはいたのだが、生憎と彼女は命令を聞く義理はなく(・・・・・・・・・・)、またよしんば聞き入れざるを得なくなったとしても、やはり黙って従うような性格ではない。

 それに彼女であれば、よしんば見咎められようとも何事もなく切り抜けられるだけの手腕がある。そうした諸々も考慮に含めて、彼女は今、此処にいた。

 

 

「望月の下で顔を綻ばせるでもなく、憂うでもなく、無辜の乙女の如く呆ける殺戮者。成程、これはこれで趣のある光景だ。そうは思わないかね?」

 

「思わんよ。そも私は呆けているわけではない。心を鎮めているに過ぎないのだからな」

 

 夜の静寂(しじま)を破った主は、「ほう?」と声を出して問いを続ける。

 

「成程。今はただ、偏執を拗らせた戦士に過ぎないと。これは失礼した。君のそういった表情を見るのが、あまりにも久方振りだったものでね」

 

「……相も変わらず良く回る舌だ。いっそ彫像にしてお前自身が盗まれる側の美術品になってみるか? ブルブラン」

 

 声に僅かな殺気を含ませると、男―――ブルブランは溶け込んだ闇の中からその姿を現す。それに応じて、≪X≫も深く被っていたフードを取った。

 その下に隠れていたのは、一瞬作り物かと見間違うほどに娃鬟(あいかん)とした容貌の美女だった。高価な陶磁器であるかのような一片の曇りもない白い肌に、右目を覆い隠す長い銀髪。そんな神聖さをも感じさせる容姿の中で、唯一その双眸だけが、血に染まったかのように煌々と紅く輝いていた。

 一つ微笑みかけるだけで大抵の男は籠絡出来てしまいそうな程の窈窕(ようちょう)な顔は、しかし今は不機嫌そうに柳眉が逆立っていた。

 

「フッ、済まないがそれは遠慮させて貰おうか。君の憤懣を一手に引き受けられるほど、私は甲斐性はないのでね」

 

「ならば徒に煽惑するその悪癖をどうにかしたらどうだ。……それに、私は今昂っている。あと一歩でも近づいてみろ。氷像に仕立て上げてやる」

 

 その言葉と共に、≪X≫の体から濃縮された冷気が漏れ出す。直ぐに彼女の足元は氷によって覆われ、ピキピキという音を立てて、その範囲は徐々に拡大していった。

それを見たブルブランは、芝居がかった動きで肩を竦め、軽く両腕を掲げた。

 

「怒りは御尤もだ。しかしその苛烈な力を賜るには、私では些か役者不足だ。そうだろう?」

 

「…………」

 

「なに、私とて君と事を構えるつもりなどはない。≪深淵≫殿からの命を受け、メッセンジャーの役割を賜っただけの事だ」

 

 あくまでも洒脱な雰囲気で声をかけてくるその姿に、≪Ⅹ≫の戦意も失せる。それと同時に、拡がりを見せていた氷の絨毯も細かく砕けて宙に舞った。蒸し暑い帝都の夜の中に、針を刺すような冷気が漂った。

 

「女狐は何と言っていた」

 

「≪氷の乙女(アイスメイデン)≫が≪銀閃≫と≪漆黒の牙≫をリベールから招聘したそうだ。……あぁ、今の彼はそうは呼ばれていないのだった。失敬」

 

「些事だな。貴様を使って知らせるまでもない」

 

「ふむ、しかし≪戦線≫にとっては予定外であったろうに。クレア女史は中々に頭の切れる策士だ。目的のために手段を選ばない、その強固な意志。実に美しいと思わないかね?」

 

≪戦線≫(奴ら)がどうなろうと知った事ではない。願いを果たすも、無様に路傍で朽ち果てるも好きにしろ。私は私の望みが叶えられればそれでいい」

 

 仲間意識など微塵も抱いていないと、≪Ⅹ≫は躊躇う事すらなくそう言い切った。その理念にもその意志にも欠片ほどの興味もない。彼らがどう生き、どう死ぬかすら慮外であり、彼女はただ、己の目的を果たすことのみを念頭に置いて行動している。単なるビジネスの関係よりももっと浅い繋がりでしかない。

 ≪Ⅹ≫は徐に自分の右手の掌に目を落とし、それを握った。

 

「私はレイ・クレイドルを殺すために此処にいる。以前も以後も、その誓いに変わりはない」

 

「相も変わらず君の偏執は単一的で見事だな。まぁ、”美”という概念的な単一を求めている私が口を挟めるわけもなし」

 

 そこでブルブランは、視線をふいと横に向けた。

 そこに在ったのは、真紅の巨城。この国の象徴ともいえる建築物を見上げ、世紀の怪盗は口角を釣り上げる。

 

「とはいえ、刹那的な人生は時に優美さに欠ける事もある。君も少しくらいは享楽に身を委ねても女神(エイドス)は罰を与えないと思うがね」

 

 瞬間、ブルブランの首が、飛んだ。

その先にあったのは、今までのそれよりも更に深くなった憤怒の表情を浮かべる≪Ⅹ≫。造作もなく作り上げた氷の剣を罅が入るほどに握り締めながら、憎悪の籠った言葉を口にする。

 

「……私の前でその名を囀るなと言った筈だ。貴様がそれを忘れていたなどとは言わせんぞ」

 

『―――フフフ、これは失敬。何、ちょっとした戯れだ。余裕を持って戯言に付き合うのが、淑女の嗜みというものだよ』

 

 ザァッ、という音が鳴り、首を落とされたはずのブルブランの体が白い花弁となって舞い散る。その光景を特に驚く目で見る様子もなく、≪X≫は再びコンテナに寄りかかり、飄々とした声に淡々とした答えを返す。

 

「……下らん。そういった作法は≪鉄機隊≫の小娘共に説いてみたらどうだ」

 

『己が淑女でないと? 異な事を言うな、君は。少なくとも令顔を持つ君が淑女でないのだとしたら、此の世に淑女などそうはいまい』

 

「お前らしくもない誤答だな、ブルブラン。至って狂気の私が淑やかな女だと? ≪幻惑の鈴≫がそうであったように、否、それ以上に、私をそう呼称するのは愚図の戯言に他ならんよ」

 

 心底下らないとでも言いたげに吐き捨てる。その言葉には一片の虚偽もなく、一握りの斟酌も在りはしない。

言ってみればその言動こそが、彼女という狂った価値観を持つヒトを表す材料であるとも言えた。

 

「ともあれ、私の答えなどそれで変わらん。明日の作戦がどう転ぼうと関係はない。無論、≪深淵≫の思惑もな。私は好きに動かせてもらう。そも、私達はそういう存在だろう?(・・・・・・・・・・・・・)

 

 結局、彼女はそれを強調して告げたかっただけであり、姿を消したブルブランも、それについて了承した。

 

『了解した。≪深淵≫殿にはそう伝えておこう。以後折檻の類で呼ばれるかもしれないが、構わないのかね?』

 

「淫蕩の女狐如きが私を諌めると? 面白い冗談だ。私を折檻したくば≪鋼≫辺りを連れてこい」

 

 嘲笑するように笑ってから、≪X≫は再びフードを深く被り直す。

 

「貴様も帝都での用は済んだのだろう。ならば疾く去れ。明日の”祭り”に無粋な横槍を入れようものならば……今度は牽制ではなく、本当に貴様のそっ首を刎ねるぞ」

 

『おぉ、怖い怖い。敦樸(とんぼく)な女性は魅力的だが、時に異性を辟易とさせてしまう事もある。君も意中の存在がいるのなら、態度を閲してみるのも如何かな?』

 

「要らぬ世話だ」

 

 コンテナと重機の間を縫うようにして吹く風が、その後の声を掻き消す。

そして十数秒して唸り声にも似た風が吹きやんだ後、そこには人が居たのだという痕跡すら、どこにも残ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*――― 

 

 

 

 

 

 

 

「このヘタレ」

 

「呼び出されたと思ったらいきなりディスられて訳が分からないんだが」

 

 

 

 マーテル公園の一角にある東屋。つい十数分前に目の前に座っている少女に呼び出されたリィンは、思わず溜め息を吐いてしまう。

数ヶ月前ならば何故自分はいきなり罵倒されたのだろうかと真面目に悩んだのかもしれないが、お互い気心が知れてしまった今であれば分かる。自分は今、ノリで罵倒されたのだろうという事を。

 

「全く、つまらないわね。真面目なだけが取り柄のリィンはどこに行ったのかしら」

 

「ちょっと待て、激しく納得いかない。というかアリサ、そんなキャラだったか?」

 

「シェラザードさんから教わったのよ。『女王様の帝王学』ってのを」

 

「解釈の仕方によってはとんでもないものを教わったみたいだけど……いや、ゴメン。これ以上の追及は怖いからしたくない」

 

 蟀谷を抑えて項垂れるリィンの姿を見て、アリサはクスクスと笑う。

 この二人の軽妙なやり取りというのは、実はそれ程珍しいものではない。それこそ数ヶ月前までは少しばかり神経質になってしまっている女子と、それに振り回させる男子という間柄だったのだが、ノルドでの一件以来、非常識(レイ)の言動に影響されたことも相俟って、こういったやり取りが度々交わされて来た。

 尤も、彼女がそういった態度で接する事の本当の意味を、リィンは理解できていないのだが。

 

 

「それで? いきなり罵倒してきた理由と呼び出した理由を教えて貰えるんだろ?」

 

「本当に知らないの? ……本当に?」

 

 半眼で睨んでくるアリサの視線にリィンは苦笑してから彼女の隣に座る。東屋の外に広がる満天の星空を眺めながら、観念したかのように口を開いた。

 

「何であの時、オリヴァルト殿下の言葉に答えを返さなかったのか、だろ?」

 

 レイの何を知っているのか。それに言葉を返さずに口を噤んだままであった理由はただ一つ。何も知らなかったから(・・・・・・・・・・)に他ならない。

 彼の強さを知っている。彼の経歴を知っている。だがそれだけで(・・・・・・・)、何も知らない。清濁が坩堝のように混ざり合う世界で生きて来た彼の存在はある意味枠の外の存在であり、その過去を、その起源を、今までは聞いてこなかった。

 それは間違った選択肢ではないと、今でも明確に口にする事が出来る。それは、そうするべきだと思い至った当の本人としての狷介(けんかい)の意志として、心の中に強く根付いている。

 しかし、間違っていないからといって正しい在り方であるのだとは思っていない。リィンの今の心境は、つまるところそこに帰結していた。

 

「難しいよなぁ」

 

 リィンにとってレイは目標だ。だが同時に掛け替えのない仲間同士で在りたいと思っている。

 出来る事ならばその内側に抱え込む”何か”を知りたいと思うし、それを知った上で共に学生として日々を過ごしたい。切にそう願っているからこそ、その現状と自分の意志が矛盾している事に悩んでいる。

 

 そして、そうなっている(・・・・・・・)事が分かっていたからこそ、アリサはリィンを呼び出したのだ。

 

「……ふぅ。ゴメンなさい。やっぱりさっきの撤回するわ」

 

「え?」

 

「やっぱり、真面目に考え過ぎよ。リィンは」

 

 笑みを浮かべながらのその言葉に、しかし嫌な気持ちは湧いてこない。寧ろ面を食らったような表情を、リィンは浮かべた。

 

「もっと捻くれた生き方も覚えないと、これから先苦労するわよ? ホラ、ただでさえⅦ組(ウチ)にはSっぽい方向に性根が捻くれてる仲間がいるんだし」

 

「あぁ、それ言われると反論しようがないんだが……だけど、な。何て言うか……」

 

「?」

 

「馬鹿正直で在りたいって思ってる俺もいるんだって話」

 

 一度仲間であると思った相手を詮索して疑う心を持ちたくはない。一度信じたのならば、そのまま信じていたいという願望。

それは、リーダーとして必要な要素だ。そうでなくとも、疑心暗鬼に苛まれるよりかは、余程好意的な生き方だろう。

 しかし、だからこそ危うい部分もある。リィンとて駆け引きの仕方を知らないわけではないのだが、その根底にあるのは軽度の性善説だ。例え本人に自覚がなくとも、彼は余程の事がない限り、人をとことんまで疑いきる事が出来ない。そして、それが仲間に向いたのだとしたら、尚更だ。

 

 だがアリサは、それを否定しない。

 

「いいんじゃない? 私は、リィンはそのままで良いと思うわよ?」

 

「え?」

 

「前にも言ったでしょう? 羨ましいって。自分で言ってて何だけど、やっぱり似合わないわね。強かなリィンって」

 

「何だろう、褒められてるのか貶されてるのか本気で分からん」

 

「褒めてるわよ。これ以上なく、ね」

 

 寧ろ、とアリサは思う。

 レイが凄い人物なのは身を以て体験している。少しばかり癪に思う時もあるが、本音と建前を使い分けて腹を探る手腕に関しても、自分の遥か上を行く。だからこそ、畏敬を感じる事はあっても憧憬を抱く事はない。

 言い換えてしまえば、それは一種の同族嫌悪なのかもしれない。無論、嫌悪の感情など持ち合わせていないのだが、しっくり来ないのは本当だろう。

 人は必ず、自分が持ち得ないモノに対して憧れ、羨望し、惹かれる。だからこそアリサは、あのノルドでの夜に自覚したその感情のまま、この青年に入れ込んでいる。

 

 支えてあげたいと願う。真っ直ぐに進むこの青年の隣で、彼が見落とした悪意を拾い上げて睨みを利かせるのが自分の役目。捻くれているのは自分だけでいいし、この役目は誰にも渡す気はない。

 

「(……って、ちょっと待ちなさい私‼ そ、それって……)」

 

 言うまでもなく、独占欲だ。それと同時に、おかしいとも思う。

普段ならばこういった想いは胸の内の奥底に秘められている筈なのに、何故今はこんなにも表層で焦げ付くように現れてしまっているのか。

 幸いにも夜であるために紅潮してしまった頬を見咎められる事はまずないが、そうであったとしても長く無言の状態が続けば流石のリィンでも怪しむだろう。普段は使わない脳細胞を総動員して原因を洗い出してみると、案外すんなりそれは見つかった。

 

「(あ、そっか。お茶会の時に……)」

 

 不敬であると自覚しているが、アルフィンがリィンに対して隠そうともせずに好意を示していた事に対して、らしくもなく嫉妬していたのだ。

加えてアリサよりもずっと昔からリィンの隣に居たエリゼに対しても、そういった感情を抱いていなかったとは言い切れない。自分がそんなにも分かりやすい性格であったのかと思うと辟易するが、同時にほっとする。自分にもまだ、そうした”女子”として在るべき感情が残っていたのだという当たり前の事に。

 

「? おいアリサ、大丈夫か? いきなり黙り込んで」

 

「ふへぁるぁっ⁉」

 

「え⁉ おい、本当にどうしたんだ⁉ 今なんか出ちゃいけない声が出てたぞ‼」

 

 いきなり自分の顔を覗き込んできたその行為自体に驚いて、とても言語とは思わない声を出してしまう。そしてそんな醜態を晒したことに対して形容し難い羞恥心が込みあがり、わたわたと意味のない身振り手振りを繰り返しながらリィンと距離を取るために後ずさる。

しかし余程慌てていたのか、後ずさるために後ろ手に回されていた手がベンチの端に触れてしまい、そのまま滑って体勢を大きく崩してしまう。

 

「ふぇ?」

 

 声こそ気が抜けていたが、アリサは沸騰しかけた頭で状況を判断する。

このまま重力に身を任せて倒れ込めば側頭部を石畳の上に強打してしまう。散々扱かれた教練の影響でこの僅かな時間でも受け身は取る事は可能だろうが、手首を捻る事くらいは覚悟しなければならないかもしれない。―――そう思っていると、不意に反対側の左手を、大きい手が掴んだ。

 

「よっ、と」

 

 そしてやはりこちらも気の抜けたような声のまま倒れ込みそうになったアリサを引き上げる。

リィンが咄嗟に手を伸ばしたのは条件反射だ。目の前に怪我をしそうな仲間がいるから助ける、などと大それたものではないが、困っている人に手を伸ばすという行為が自然に出来てしまう人柄の青年であるために、その行動自体に大して問題はなかった。

 しかし、問題はその後だった。視野が少なからず制限される暗がりであったためか、リィンがアリサを引き上げるために込めた力が少々過剰になってしまい―――結果的にアリサの体がすっぽりリィンの腕の中に収まる形になってしまった。

 

「(えっ、ちょ……)」

 

 アリサが状況を理解するのに要した時間は数秒。思った以上に力を込めてしまったためか、リィン本人も後ろに倒れてしまい、今アリサはベンチの上に仰向けに倒れるリィンの胸の中に顔を埋めてしまっていた。

 感じたのは、鍛練を積み重ねた結果逞しくなった異性の胸板の意外な厚さと、お世辞にも涼しいとは言えない夏の夜の下を急いで来たためにかいてしまった汗の臭い。

 分かっていはいた。リィンは恐らくガイウスを除けばⅦ組の中で最も男らしい体つきをしているのだろうという事は。

しかし、入学式後のオリエンテーリング以来、過度なスキンシップとは縁がなかったため、それを確かめられずにいた。それが今、ひょんな形で味わってしまったという背徳感、加える事、意識している異性の逞しい体と体臭を感じてしまったという喜びで一瞬意識が遠のきかけて―――しかし自分達に注がれる邪な視線を感じ取って、すぐさまリィンの体の上から跳ね起きた。

 

「今の……まさか……」

 

 倍増してしまった羞恥心で更に顔に熱が籠るのを感じながら、アリサは胸の前で両腕を交差させた状態のまま立ち上がる。周囲を見回してみるも、先程感じた視線は、もう感じられない。

 

「だ、大丈夫か、アリサ? 滅茶苦茶顔が赤い―――熱ッ⁉」

 

 そんな彼女の行動を怪訝に思ったリィンがアリサの額に手をやったが、翳した掌からジュゥゥッという音が聞こえ、それと共に人体から発されてはならないレベルの熱さを感じ取って反射的に手を離してしまう。

 

「ちょ、アリサ。風邪……ってわけじゃないのは分かったけど、ちょっと大丈夫じゃないだろ? なんかもう、水が沸騰しそうな熱気が来てるんだけど……熱ッ‼」

 

「う、ううう煩いわねッ‼ 誰のせいでこんな事になってると思ってンのよッ‼」

 

「俺⁉ え? 俺の所為⁉ 何も悪い事してないだろ俺‼」

 

「うっさい‼ リィンなんて爆死しちゃえばいいのよ‼」

 

「何でだぁぁぁぁぁッ‼」

 

 その後数分、不毛なやり取りを繰り返した挙句に、両者ともとりあえず落ち着こうという結論に達し、リィンは何故か本気のチョップが入った脳天を擦り、アリサは近くの水飲み場で頭から水を被って冷却処理をする事となった。その時に聞こえたジュゥゥゥッという焼け石に水を掛けたような音と、立ち上った白い煙については関知しない事にした。

 

 一方、アリサは漸く冷えた頭を回転させて、思い出していた。

 一度異性を意識したら、後は転がり落ちていくだけだと、書店で立ち読みした何らかの雑誌に書いてあった事を覚えている。そして自分が今、まさにその状態なのだという事を。

 

 認めよう。自分(アリサ・ラインフォルト)はリィンが好きだ。

 

 最初はどこまでもお人好しで馬鹿正直な青年だと呆れていた。オリエンテーリングの一件についてもあんなに大事にしなくても済んだんじゃないかと今になって思うが、根がとことんまで真面目な彼は深く深く考え込んでしまっていた。そしてケルディックでの実習が終わる頃には、それが彼の美点なのだと気付いた。

 どこまでも純粋に仲間の事を想い、しかしだからこそ深く悩んでしまう事がある。結果的に、そんな彼の姿を見ていられなくて色々と無茶に付き合わせて発散させようとした彼女もまた、お人好しという事なのだろう。

 現在もまた然り。自分が悩んでいる以上に、この青年は悩んでいる事だろう。大事な仲間であり、友であり、そして目標でもある少年の尊厳と、自分達の願望とを秤に乗せてどちらに傾かせるべきかを真剣に悩んでいる。

 それはきっと、彼にしか答えを見つけ出す事が出来ないモノなのだ。だからアリサは、彼の隣でその経緯を見届けようと決めた。

最初は純粋な好奇心。そうであったはずなのに、アリサはリィン・シュバルツァーという青年に対して憧憬を抱き、それはいつの間にか淡い恋心に昇華していた。

 それを否定してしまう程、彼女は馬鹿ではない。自覚するきっかけが他の女性への嫉妬であったのだとしても、この想いは自分だけのものであり、誰にも譲るつもりはない。

 例え好敵手(ライバル)が皇女と義妹であろうとも、諦めるつもりなど毛頭ない。

 

「……フフ。上等じゃない」

 

 恋愛。それは17年間の人生で自分が一切手を出してこなかった分野だ。毛程も興味を示さなかった為に、これが初恋ですらある。初恋は実らないと、そういった噂が実しやかに語られているのも知っている。

 だから何だと言うのか。自身が存外執念深いのは自覚している。選ばれなかったら選ばれなかったでスッパリ未練を断ち切るだけの覚悟は持ち合わせているが、最初から負ける算段で物事に挑むのはアリサ・ラインフォルトの性に合わない。

 

 長い金髪に絡みついた水滴を振るい落とすと、東屋へと戻る。リィンは少々涙目で先程ノリで食らわせてしまったチョップの被弾地点を擦っていたが、アリサの姿を確認すると、嫌な顔一つ見せずに迎えてくれた。

 

「冷めた?」

 

「えぇ、一応。……ゴメンなさい。ちょっと暴走してたわ」

 

「大丈夫だよ」

 

 そう言って笑みを見せるリィンの姿に、心臓の鼓動が再び早鐘を刻む。

つい一日前ならばこれ程過剰な反応は示さなかったと思う一方、自分が完全に目の前の青年に惚れこんでしまった事を否応なしに理解してしまった。

 

「ねぇ、リィン」

 

「ん?」

 

「ノルドに行った時に、私の事が必要だって言ってくれたじゃない? あれって、今でも変わらない?」

 

 その問いかけに、リィンは小首を傾げ、間髪を入れずに「当然だろ?」と返す。

 

「変わらないよ、今でも。多分、これからも」

 

 その言葉が何を意味しているのか分かっているのかと小一時間問い詰めたい気持ちが湧いてきたが、それよりも嬉しさが勝ってしまった。

惚れた方が負け、という言葉の意味を実感してしまった事に、再び顔が熱を取り戻しかける。

 

「そう」

 

 だから、そうとしか返せなかった。これ以上の言葉は、無粋だと思ってしまったから。

 

 彼は恐らく、これから色々な壁を覚悟を持って乗り越えなければならないのだろう。実際、今目の前にある壁は彼が自力だけで乗り越えるには厳しいモノだ。

 だからこそ、自分が手伝ってあげたい。彼の選択を、彼の覚悟を、他の誰が認めずとも自分だけは認めてあげたい。

 

 それが恋で、愛なのだ。

 

 この日、動乱が待ち構えた翌日が迫るこの日、アリサは固く固く、そう決意したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




日程的にデートとか無理だった。ゴメンなさい。僕にはここまでが限界です。

いつかリィンのアリサの日常回も書きたいなと思う今日この頃。


さて、次回から漸く話が動きます。




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友のカタチ





「いつも正しい道を選べはしない以上、誰にだって辛い過去や悲しい思い出はある。でも、取り返しようの無い過ちも、数え切れないほどの後悔も、その全てが僕らの生きた証なんだ!」
      by ジューダス(テイルズオブデスティニー2)












 

 

「テロリスト?」

 

「そう。テロリスト」

 

 

 7月26日早朝。帝都の街が正午から開催される≪夏至祭≫に向けて慌ただしくなりつつある中、サラとレイの提案で、Ⅶ組のメンバー全員が『アルト通り』にある旧ギルド東街区支部の一階に集まっていた。

 そこで聞かされたのは、最終日の実習内容を変更するという旨と、現在帝都に凶悪なテロリストが潜入している可能性が極めて高いという、軍の重要機密に抵触するであろう話であった。―――そんな話をよりにもよって朝食後のコーヒーを飲んでいる時に話されたという事には、既に誰もツッコミは入れない。気にしたら話が進まないからだ。

 

「名前不明、規模不明、ついでに言えば狙いも不明。≪情報局≫が駆けずり回ってその程度しか情報が分からないって時点でそこそこマジな連中だ。ノルドでドンパチやらかそうとした奴らだから、まぁまぁ肝も据わってやがるだろうな」

 

「ついでに言えば、既に何手か先手を取られてる状態ね。悔しいけど、相当綿密に計画を組んできてると見てるわ」

 

 そう言う二人の緊張感は皆無のようにも見えるが、声がいつもより僅かに低い。それは、いつものようにギャグで笑い飛ばす余裕がないという事だ。

それを理解し、リィンは真剣な表情で唾を飲んだ。

 

「不思議な笛で魔獣を操る学者風の男に、ナイフ使いのローブの人物」

 

「確か、≪G≫と≪X≫って言ってたわよね」

 

 図らずしも、Ⅶ組とは因縁がある相手だ。故に、恐怖という感情よりもまず先に、リベンジという言葉が脳裏を過る。

それが、あまりにも士官学院生らしくない(・・・・・・・・・・)というのは誰よりも彼ら自身が良く分かっている。普通であれば以前完璧に”してやられた”相手に対して、こういった感情を真っ先に思い浮かべる事など出来ないだろう。相手が殺人すらも躊躇わないテロリスト集団であれば尚更だ。

 だが悲しいかな、彼らは揃いも揃って負けず嫌いだ。それも、ただの負けず嫌いではない。

 「嵌められたら二倍にして嵌め返す。受けた屈辱は十倍返し」を信条としている少年に魔改造レベルの扱きを受け、若干思考が戦闘方面に偏り始めている面々であるために、その思考に疑問を差し挟む事もない。

それは慢心の裏返しではなく、彼らの純粋な向上心に寄るものだ。レイは常々リィン達に「恐怖を感じる心を忘れるな」と忠告しているが、それは決して”恐怖に感情を支配されろ(・・・・・・・・・・・)”と言っているわけではない。困難に対して臆せずに立ち向かう勇気は、彼らに必要不可欠なモノである。

 

「帝都の≪夏至祭≫は他の地方のそれと比べて盛り上がるのは初日くらいのものよ。皇族のお目見えもあるから、それを目当てに観光客が押し寄せてくる。

つまり、テロリストが大々的に動こうとするにはうってつけの日ってわけ」

 

 サラの言葉に、去年まで≪夏至祭≫を堪能していたのであろうエリオットとマキアスが目を見開く。同時に、成程、確かにと納得しているようでもあった。

 

「ふむ、そんなに人が集まるのか?」

 

「あぁ。確か去年は観光客だけで9万人が訪れたと父さんが言っていた。勿論、外国からの観光客も含むだろうが」

 

 帝都の事情に疎いガイウスが尤もな疑問を提示すると、マキアスがサラリと答える。その数に、正確な人数を把握していなかった面々は思わず失笑した。

 

「ちょっとした都市の人口並ですね……」

 

「リベール王国の≪生誕祭≫も同じように数万人が訪れると聞くがな」

 

「でも、それだけ人数がいれば、テロリストにとっては楽だね」

 

 脱線しかけた話題を修正するために、フィーがわざわざ空気を読まずに雰囲気を引き締め直す。

 

「テロリストが「私はテロリストです」って分かるような格好でうろついてるわけじゃないし。人が多ければ多い程、混乱に乗じて何でもできる(・・・・・・)

 

「ふむ、木を隠すには森の中。人を隠すには人の中、という事か」

 

 言い得て妙な例えをしたラウラに、フィーは小さく首肯した。

 

「シェラザードさんやヨシュアさんをリベールからお呼びしたのは、これを危惧して、という事ですか?」

 

「ま、そういう事ね。話を持って来たのは≪鉄道憲兵隊≫の隊長さんだけど」

 

「……遊撃士協会界隈には疎いから知らないが、あの二人の実力はどれ程のものなのだ」

 

 ユーシスのその言葉には、二人の力を訝しむような感じは含まれておらず、ただ純粋に気になって聞いただけという感じが伝わって来た。不意打ちとはいえ、レイを一時拘束して見せたシェラザードと、危険な魔獣をいとも容易く細切れにしてみせたヨシュアの腕を怪しむ程蒙昧ではない。

 それに対してまずレイが遊撃士協会における基本となる事項について説明を始めた。

 

 

「国家に登録されてる遊撃士は全員、協会規約に基づいたランクに分けられる。見習いの括りに入る”準遊撃士”と、プロとして認められた”正遊撃士”の二つに階級が別れちゃいるが、条件さえクリアすれば常時ランクアップは可能だ」

 

 と、そこまで聞いたところで、リィンが瞠目したような様子を見せ、レイに問いかけた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。レイは休職する前までは”準遊撃士”……つまり見習いだったって事なのか?」

 

 その言葉に、他の仲間も一様に困惑したような表情を見せた。

 直接戦闘に際しての実力は言わずもがな。更に言えばケルデック、バリアハート、ノルドで見せたように、高い洞察力と判断力、そして対人コミュニケーション能力に裏打ちされた交渉術にも長けている。これだけ高い能力を持つ彼が”見習い”止まりであるという事が、どうしても信じられなかった。

 すると今度は、溜息を漏らしながらサラがその疑問に答えた。

 

「遊撃士協会には年齢制限があるのよ。準遊撃士の資格を獲得出来るのは16歳以上。でもレイはある人の推薦で例外として13歳の時にその資格をぶんどったのよ。ま、協会としても旨みのある人材は離したくなかったんでしょうけど」

 

「まぁ、クロスベル支部とか帝都支部とかに行った時に良く言われはしたな。「お前何で準遊撃士止まりなん?」って。でもアレだ、ただでさえ規約シカトして資格取ったモンだからレマン本部の方が色々と煩くてよー。これ以上ネチネチ言われるのヤだから正遊撃士になるのは16歳になってから、って決めてたんだが……」

 

 そこでレイは、隣に座ってたフィーの頭をポンポンと叩いた。

 

「クロスベル支部がブラック企業も真っ青なレベルでクソ忙しかったのと、コイツの件で色々あって有耶無耶のまま休職届叩きつけて学院に来たってわけだ」

 

「それほどでも」

 

「褒めてねぇんだけど」

 

 つまりは、実力不足やら態度やらが祟って昇格していたわけではなく、単純に年齢制限の網に引っ掛かっていたというだけの話。

遊撃士協会自体かなり大きい規模の団体である事はリィンも知っていたし、だからこそ例外を何度も認められるものではないという事も理解できる。レイ自身も功名を自分で吹聴するようなタイプの人間ではないし、過度に目立つことを避けたかったのだろう。その思いは、何となく理解できた。

 

「話を戻すぞ。んで、プロとして認められた正遊撃士にもランクがある。下はG級、そんで公式上でのトップはA級だ。A級遊撃士は大陸全土でも20人程度しかいない」

 

「へぇー。……ん? ちょっと待って。確かサラ教官って……」

 

「A級遊撃士。公式上では一番上のランクだな」

 

『『『嘘だッ‼』』』

 

「何も全員ハモらなくても良いじゃないの‼」

 

「日頃の行いだよ。ザマァ」

 

「アンタがリベールで晒した醜態(※アイナと酒飲んで潰された後のアレやコレや)バラすわよ」

 

「貴様ァ‼ 何故それを知っている‼」

 

 以降数分間、もはや日常茶飯事になった二人の喧嘩を眺めながら、リィン達はコーヒーを飲みながら慣れた様子でそれを見届け、きっかり三分後、怒声はピタリと収まった。

 

「俺この作戦が終わったらロレント行くわ。ちょっとアイナと(ナシ)つけにいく」

 

「これ以上ないくらい立派な死亡フラグね」

 

「バカめ。口走った側が死亡フラグだって分かってればそうならねぇんだよ」

 

 それで、と。

話し始めてから十数分。漸く本題へと入った。

 

「シェラザードとヨシュアは共にBランク。サラ程じゃあないが、文句なしで一流の部類に入る。こと戦闘面だけに限って言えばヨシュアの方は本気の俺に一撃を(・・・・・・・・)入れられる(・・・・・)。これ程頼りになる援軍もそうはいねぇだろうよ」

 

 遊撃士の中でも公式最高ランクのAランクともなれば、個人戦闘力は勿論の事、迅速な任務遂行能力に情報収集能力、加えて長期的な局面を見据える観察眼と推察能力が中心に問われる。

 そしてその上、非公式でしかないものの、Sランクと呼ばれる称号を持つ遊撃士がこのゼムリア大陸に4名存在する。彼ら程にもなれば、恐らく今回のようなテロリストの仕掛けにも先んじる事が可能だっただろう。

 

 ふと、レイが思い出すのはその4名の内の一人。嘗てリベール王国軍に所属して≪百日戦役≫の反攻作戦の火蓋を切り落とし、リベールを勝利へと導いた救国の英雄。現在こそ再びギルドを離れて王国軍を主導しているが、その卓越した慧眼は、テロリストの仕込みなど容易く暴いて見せるだろうと勝手に想像してしまう。

 そして彼は、レイにとっても恩人だ。7年前にレイがヨシュアの身柄を彼に託す事が出来たのも、偏にその飾らない人柄に信頼を預ける事が出来たからであり、≪結社≫脱退後、暗い過去を持つレイが遊撃士協会に入会出来たのも、彼の口添えがあったからである。

 

「(……ま、とは言っても)」

 

 頼るわけには行かないし、頼るつもりも毛頭ない。

そもそも彼が戦役後に軍を辞めて遊撃士になった時に最優先したのは守るべき最愛の娘を近くで守るためだ。それを彼は「逃げ」だと称したが、偽善に塗れて善行を積もうとする輩よりは余程誠実な理由だろう。今こそ、その一人娘も一流の遊撃士として成長したものの、祖国を守ろうとする意志は未だに残っている。だからこそ、再び軍部に帰還したのだ。

 実に真っ直ぐで、理想的な生き方だ。自分もそうであったのならどれ程良かったかと切に願えるほどに。

 

 

「ま、そんなワケだ。クレアの策だとこの帝都で一人の死者も出させない。不確定要素の相手は俺達がする」

 

「……了解。そこから先はプロの仕事って事だな」

 

「随分と察しが良くなったな。だが、お前らには一番の大役(・・・・・)を担ってもらう」

 

 正直、テロリストへの対策と言えど自分達が出来るのは警備くらいしかないと思っていたリィン達は、レイのその言葉に一瞬呆然とする。

その様子を見て、レイは薄く笑った。

 

「本当はな、この作戦お前らへの通達ゼロで、俺達だけで何とかしようと思ってたんだ。後で絶対お前らに怒られる事覚悟で」

 

「それは―――」

 

「そうだ。それは、お前らを信頼していない事と同義だった」

 

 偶に見せる、達観した表情。リィン達がまだ知らない、彼の辿って来た人生が語る含蓄にすら富んだ言葉が、彼らの胸の奥にスゥッと入っていく。

 

「俺は昔っから不器用だ。悪癖なんざ腐る程抱えてる。知り合いの剣士にも良く言われてたよ、「お前は色々なモノを抱え過ぎだ。気楽に生きる生き方を覚えた方が良い」ってな。まぁ、そう言ってるそいつ自身が色々なモン抱えてたから説得力皆無だったんだが……それでも昨日、改めて言われてみて分かった」

 

 一転、レイの瞳の色が人生経験に富んだ先達としてのそれではなく、自分達と同じ学生としてのそれへと変わる。

その事を理解して、リィン達の間に安堵の雰囲気が漂った。

 

「事ここに至ってまで俺は自分で何とかしようと思ってた。お前らに普段からチームワークやら仲間の大切さやら説いてた俺が一番そういう事に疎かったんだ。笑い話にもなりゃしねぇよ。バカみたいに肩肘張ってバカみたいに突っ走って、危うくまた(・・)道を思いっきり踏み外すトコだった。お前に悪役は似合わないって、昔は結構言われてたんだがなー」

 

「……ふん、下らん」

 

 長々としたレイの言葉を言い訳だとしてピシャリと断ったのは、ユーシスだった。

 普段から、彼の立場はこういうモノだ。メンバーの誰もが道を見失って話の終着点が見えなくなってしまった時、わざと厳しい言葉で以て締める。これ以上の話は時間の無駄だ、早々に終わらせるぞ、と。態度こそ傍から見れば冷徹そうに見えるが、実のところ非常に仲間想いの人間だ。渋面の下にある心は、いつでも静かな炎を燃やしている。

 

「つまるところ、お前も俺達と同じく未熟者であったという事だ。それを自覚し、乗り越えた。それだけの事だろうに」

 

 そう、臆面もなく言い切った。どれだけ強かろうと、どれだけ成熟しているように見えようと、所詮は自分達と同じで未だ成長の度合いを残す人間でしかないのだと。

 その言葉に今度はレイが目を大きく開けて数回呆然とするように瞬きをしていると、今度はリィンが口を開けた。

 

「レイが俺達を信頼してくれて嬉しい。それと、今までそう(・・)してくれなかった理由も分かるんだ。信じて、頼って貰うには、俺達は未熟すぎたから」

 

「…………」

 

「でも、今は違う。まだ未熟だって事は俺達が一番良く知ってる。まだ弱いって事は俺達が一番良く知ってる。それでも、強くなれたって事は、俺達が一番良く知ってる」

 

 だから、と。リィンは屈託ない微笑を浮かべて、レイの前に自分の握り拳を差し出した。

 

「頼りにさせて貰うし、頼りにしてくれ。昔は色々な人と共に戦って来たんだろうけど、今レイと一緒に戦えるのは、間違いなく俺達だけの特権なんだから」

 

 どこまでも真っ直ぐで衒いも陰りも一切ないその言葉に、レイは思わず涙が一筋零れそうになるのを堪えて、いつもの不敵な笑みのまま、リィンの差し出した拳に自分の拳を打ち付けた。

 

「生意気だ」

 

「知ってる。知ってて言った」

 

「お前らも、それでいいのか?」

 

 そう呼びかけると、全員が「何を今更」とでも言いたげに頷いた。

 

「覚悟なんかとうの昔に出来てるわ。テロリストだろうと何だろうと掛かって来なさいよ」

 

「あはは、本当は少し怖いけど。……でも帝都と皇族の方々を守るためだもんね」

 

「悪党を裁断するためならば、この剣に翳りはない。どのような場所にも行くぞ」

 

「父さんが慈しんでいる街だ。息子の僕がその意志を受け継がないでどうする」

 

「アルバレアの名に懸けて、ここで退くなどという選択肢は有り得ん。お前が何と言おうとも、噛ませてもらうぞ」

 

「わ、私でお役に立てるのでしたら、全力でやらせていただきます‼」

 

「レイがそう言うのなら、私は私の役目を果たすだけ。頑張る」

 

「恩返しのようなものだろう。今は良い風が吹いている。どんな時でも失敗を恐れずに、だろう?」

 

 

 心がどこか捻くれた人間が二人揃って扱いて、まぁよくもここまで素直に成長したものだと思う。

 本当に、良い目(・・・)をするようになった。実力が未熟だとか、手際が拙いだとか、そういった欠点を補って余りある目だ。言葉だけではない、ホンモノの覚悟が伝わってくる。

 それを理解したレイは、満を持して本題へと移った。クレア主導の”悪巧み”を、絶対に成功させるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と慕われてるみたいじゃない。良い生徒を持ったわね、サラ」

 

「あら、シェラザード」

 

 レイの自虐が始まった辺りから人知れず場所を映して建物の二階に移っていたサラは、突然隣から掛けられた声に、しかし驚く事もなく反応した。

しかし先程までは建物の中にすらいなかった筈で、玄関から入って来た様子もない。さてどこから入って来たのかという疑問を言葉にする前に、シェラザードは後ろの開いたままの窓を親指で指さした。

 

「横着しなさんな」

 

「まぁ良いじゃないの。玄関から入って、あの子達の雰囲気を壊すわけにも行かないでしょ?」

 

 そう言って眺める眼下では、作戦会議が続いている。レイにとってそういった事は少し前まで日常茶飯事であったため、重要な作戦を長々とせず、かつ簡略して伝え続けている。それを聞いているメンバーの中で、首を傾げている者は誰もいない。慣れたものだと感心していた。

 

「青春してるわねー。……ま、切った張ったが日常の青春も何だかなとは思うケド」

 

「あの子達がそれを享受してるんだから、アタシからは何も言う事はないわ。強くなる事を望んでいるのなら、その渇望に応えてあげるのがアタシ達の義務ってモンよ」

 

「あらら。フフッ、≪紫電≫のバレスタインも真面目になったモノねー。なんだ、ちゃんと教師してるんじゃない」

 

「ま、予想以上に逞しくなっちゃったけどね」

 

 本当に、逞しくなったと思う。

 以前の彼らなら、テロリストの拿捕作戦への協力を請われた時点で多少の動揺は広がっていただろう。どれ程強くなったのだとしても、所詮は成人もしていない子供だ。抑え込めない恐怖感は必ず存在する。

 だが今はどうだ。それぞれ多少なりとも緊張感や恐怖感は抱えているのだろうが、それを作り上げた覚悟で上塗りして平常を保っている。それは、歴戦の戦士や遊撃士が持ち得る感情制御の一端であり、普通であればただの学生が修得できるものではない。しかしたった数ヶ月の間に鍛え上げられた心身と紡がれた太い絆が、それを可能にしてしまった。

 

「……もしかしたら、どこか嫉妬してるのかもしれないわね」

 

「?」

 

「アタシが助けてあげるって息巻いておいて、やっぱりアイツの心を救い上げてあげられるのはあの子達なんじゃないか、って」

 

 彼らと共に居る時、たまにレイはとても嬉しそうな顔をする。本人は気付いていないのだろうが、あれでも充分学生生活を満喫しているのだ。

それもその筈。あれ程大勢の仲間達と同じ目線で共に学び、共に過ごすという経験自体が彼にはなかったのだから、そこに憧憬の感情があったとしても不思議ではない。

 もしかしたら、自分達がいなくとも彼は正しい心を取り戻せるのではないかと、そう邪推し始めた瞬間、シェラザードに軽く頭を叩かれた。

 

「……なによ」

 

「あのねぇ、なにバカな事言ってるのよ。レイが何を求めてるか、他ならないあんたが知らないわけないでしょ?」

 

 ……無論、それを知らないわけがない。

 彼が徹底して求めているのは情愛だ。物心がつき始めた幼い時分に唯一の肉親を失った彼は、なまじ麒麟児と呼ばれ精神が早熟であったために、その後の地獄のような日々を耐えきってしまった。

同じように地獄に晒された幼い子供たちは皆、阿鼻叫喚の実験(・・)の責苦の中で命を失った。一人ぼっちの中で、彼はただ、生きるために足掻いて来た。

 だからこそ、彼は本能で自分を愛してくれる人間を探している。壊れてしまった心の奥底で、いつも助けてくれと喚き叫んでいる。

 

「あの子に人並みの幸せを与える事は彼らだってできる。でも、本当の意味で救えるのは、あんた達しかいない」

 

「…………」

 

「いい加減に腹括りなさいな。それに、レイの甲斐性の広さはあんただって知ってるでしょう? ちゃんと繋ぎ止めておかないと、どこかで何かの拍子にまたライバル作ってくるわよ。というかもう面倒臭いからとっとと既成事実でも何でも作って絡め取った方が良いんじゃない?」

 

「ブッ‼ な、ななな、何言ってんのよアンタは‼ 分かった、からかってるのね? からかってるんでしょ⁉」

 

「何言ってんのよ、そんなわけないじゃ……ブフッ」

 

「ちょっと表に出なさい」

 

 割と本気の形相で睨んでくるサラを宥めてから、シェラザードは右手に持ったままだった得物の鞭を腰に引っ掛ける。その動作を見て、サラは元A級遊撃士としての表情に戻った。

 

 

「順調なの?」

 

「今のところは、ね。残りの”掃討”と”仕込み”はヨシュアがやってくれてるわ。あの子、ああいうの得意だし」

 

「……元≪結社≫の執行者で、今は若手遊撃士のホープ、ね。リベール支部は安泰そうで良かったわ」

 

「そりゃあ、ねぇ。ひょっとしたらあんたの最年少A級遊撃士昇格のタイトルも破られるかもしれないわよ」

 

「別に拘ってるわけじゃないから、破りたきゃいつでも破ってくれて構わないわよ。カシウスさんが王国軍に戻った今、リベールにこの人在り、って知らしめる必要もあるでしょうし」

 

「帝国には、肩入れしないのね」

 

「アタシはただ、あの宰相が気に食わないだけよ」

 

 けんもほろろに、といった具合にバッサリと切り捨てるサラの様子に、シェラザードは肩を竦めた。

 

「でも、その宰相の懐刀の憲兵大尉サンの事は、随分と気にしてるようじゃない」

 

「……帝国ギルドの取り潰しに≪鉄道憲兵隊≫は関わっていなかった。それだけよ」

 

「元とはいえA級遊撃士が、分かりやすい嘘吐くモンじゃないわよ」

 

 その指摘に、サラは言葉を詰まらせた。そんな事は重々承知の上だが、幾ら友人の前とはいえその気持ちを素直に口に出すのは憚られたのだ。

 

「全く、初恋にヤキモキする十代の少女(おとめ)じゃないんだし、もっとシャキッとしたらどう? あのエステルでさえ決める時はちゃんと覚悟決めてたわよ?」

 

「わ、分かってるわよ。分かってるけど……」

 

「クレアに勝って次のデート権獲得したんだから、コレ終わったらちゃんと向き合いなさい。いいわね?」

 

 傍から聞いていればどちらが年上だか分からないような会話だったが、現在進行形で恋をしていない自分が偉そうに言えた話ではない事はシェラザード自身が一番良く分かっていた。

 

「(はぁ。どこかに良いオトコはいないかしらねー。お酒に付き合ってくれて、話してて飽きないようなそんな上玉)」

 

 自分が堪能してこなかった青春を謳歌している若者たちを見ながら、シェラザードは一人そう思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

『私はね、魔法使いだよ』

 

『私がその子の心を治してあげよう』

 

『ただし、代償は支払って貰うよ』

 

 

 

 

 

 

 今から考えると、これ程胡散臭い誘い文句もありはしないだろう。普通の人間ならば、耳を傾けようともしないはずだ。

 だが、彼の兄代わりであった青年は、その言葉に頷かざるを得なかった。最愛の女性を失くし、そして自閉してしまった実の弟のような少年をも失いかけるという極限状態の中で、その誘いに乗ってしまったのは、決して責められる事ではない。例えその”代償”として少年が人殺しの道を、青年が修羅の道を歩む事になってしまったのだとしても。

 

 感情を失っていた時の事は、あまり思い出せない。

 ”心を治す”などと大層な詐欺もあったものだ。実際のところ、過去のトラウマを靄で上書きして思い出せなくしただけであり、緊急医療措置と何も変わりない。

 しかしそれこそが、”魔法使い”の思惑だった。感情と共に表情も失い、ただ無謬に人を殺すための技術を教え込まれ、手を血で汚す日々。壊れきった心ではそれを異常だと思う事すらなく、呪われた日々はそのまま続いてしまうかと思っていた。

 ―――あの日が訪れるまでは。

 

 

 

「あ、君がこの前新しく入って来た人? 初めまして初めまして。突然だけどさ、トランプやらない? いやー、僕とシャロンとルナの三人で大富豪やってデュバリィハメ殺ししようとしたんだけどさ、やっぱり人数は多い方がいいじゃん? 楽しいじゃん? だから僕としては是非とも君に仲間になって欲しいなーと思ったんだけど、どうかな?」

 

 小柄な自分よりも、更に小柄な銀混じりの黒髪の少年。一見年下にしか見えず、実際一つ年下だったその少年は、邪気が一切ない笑顔で自分を遊びに誘って来た。

 しかし当然無視してしまう。その時は、煩わしいとすら思わなかった。自分の傍らで小鳥の雛が囀っているだけだと、相手にすらしなかった。

 だが彼は、気落ちするどころか嬉々として自分を遊びに誘い続けた。

 

「あ、ヨシュア。ポーカーしようよポーカー。ヨシュア強そうだよね。というか強いよね、絶対」

 

「おー、ここで会ったが百年目‼ ……ってのはちょっと違うかな、うん。それよりオセロやろうよ、オセロ。……あれ? もしかしてリバーシって呼び方してた?」

 

「よー。いいトコに通りがかったね。ちょうど今クッキー焼いてみたんだけどさ、一緒にお茶しようよ」

 

 挙げればキリがない。しかし、思い出す事が億劫だったはずの思い出の中で、彼の言葉は今でも鮮明に思い出せる。今とはそもそも口調が違うし、性格も違う。一人称すら違うのに、それでもお人好しでお節介なところは全く変わっていなかった。

 だが当時の自分からすれば、それを段々と聞いていられなくなり―――

 

 

「うるさいよ。僕に付き纏わないでくれ」

 

 

 遂に、鬱陶しいと思うようになった(・・・・・・・・・・・・・)

感情を抑圧し、殺人人形として在るはずだったその心に、感情が再び芽生えたのだ。その一声はお世辞にも好意的なモノではなかったが、逆に少年は笑った。

 

「なんだ、怒れるんじゃないか。今まで反応ゼロだったからてっきり機械人形(オートマタ)に話しかけてるのかと思って焦ってたんだけどさ。うん、ちゃんと返してくれて(・・・・・・・・・・)嬉しいよ」

 

 後に、こう思ったものだった。

 

 あぁ、本当の意味で”変わっている”というのは、こういう人の事を言うのだろうな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――フッ‼」

 

 

 淡い灯りに照らされた地下水道の中を、黒い影が疾駆する。旋風と残像を残して放たれた二つの銀閃は、この近辺に跋扈していた魔獣である”グレートワッシャー”を見事な手際で絶命させる。

 『絶影』と呼ばれるその技は、敏捷力の高さを売りにして戦うヨシュアにとって、ある意味合致した技であった。

 

「ふぅ。一先ずこれで終わりかな」

 

 一つ息を吐き、得物の双剣を後ろ腰に取り付けた鞘の中に収める。そうして彼は、地図を開きながら目的地へと急いだ。

 

 

 ヨシュア・ブライトという名前に、既に何の違和感も抱かなくなっていた。

 しかしそれでも、元の名字である<アストレイ>を忘れた事は決してない。それは他ならない親友の少年が元の名前(・・・・)を決して忘れていないように、自分が一歩を踏み出してしまった出来事を、過去の事だと忘却しないための誓い。

 こうして暗がりを駆けていると、その誓いを刻んだ日を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 それは7年前、とある遊撃士の暗殺任務に失敗した翌日の事だった。

 標的として指示されたのは、リベール王国支部のギルドに所属する遊撃士。類稀なる戦闘能力に加え、高い戦術眼と判断力を併せ持ったその男にヨシュアは単身挑み、そしてあっけなく返り討ちにされた。

 決して、ヨシュアが弱かったわけではない。その男が兄代わりである青年と同じ、武術の”理”に到達した正真正銘の達人であった事を深く知らずに任務を遂行しようとした事そのものが、言ってしまえば敗因であった。

 いつもであれば死角である背後から双剣を一閃し、首を刎ねる事で終わっていたはずの任務は、しかし男が超人的な反応で繰り出して来た棒術の前にあっけなく防がれ、そしてあしらわれてしまった。

 お世辞にもヨシュアの戦闘方法は長期戦を考慮したものではなく、一撃で仕留められなかった時点で任務は失敗。すぐさまヨシュアはその場から離脱をした。

その際、追手が掛からなかった事を訝しげに思いながらも、ヨシュアは逃げ込んだ樹海の中で失敗の報告をする。

 しかし、返って来たのは、彼にとっても予想外の返答であった。

 

 『重要任務失敗ニツキ、機密保持ノ為、≪身食らう蛇≫盟主ノ名ニ於イテ 執行者No.ⅩⅢ ≪漆黒の牙≫ヨシュア・アストレイ ヲ排除スルモノトスル』

 

 つまるところそれは、見捨てられた上に命を狙われる側に変わってしまったという事だ。

しかし、不思議と怒りは湧いてこなかったのを覚えている。真っ先に思い至ったのは、この一年くらいの間に親しくなってしまった変わり者の人達と、もう会えなくなってしまうという喪失感だった。

 その感情を抱いたのは、討伐隊として差し向けられた部隊の名前を聞いてしまった時からだ。

 

 ≪強化猟兵 第307中隊≫。≪結社≫の中でも最精鋭と言われる部隊であり、その練度はかの≪使徒≫第七柱直轄の≪鉄機隊≫に次ぐとされ、時と場合によれば武闘派の≪執行者≫すらも相手取れる連中。

そして何よりヨシュアが抵抗を諦めた理由が、その強化猟兵中隊を率いる人間の存在だった。

 

 執行者No.Ⅺ ≪天剣≫レイ・クレイドル。―――他ならぬ、ヨシュアの親友だった。

 

 壊れて元通りになるはずのなかったヨシュアの心の欠片を拾い集め、うんうん唸りながら元の形に繋ぎ合わせようとしてくれた、無二の親友。

 そんな彼の部隊に息の根を止められるのならばそんな最期も良いかもしれないと思って、豪雨の中蹲っていた時、彼は一人で現れた。

 初めて出会ったその時よりは伸びた身長と、その左手に携える純白の長刀。”外の理”で鍛え上げられたそれは、彼が≪執行者≫たる所以。そんな彼はヨシュアの姿を見るや否や、口角を釣り上げてあの時とは違う、どこか粗暴さを含んだ笑みを見せた。

 

「雨ン中で黒猫が蹲ってるかと思ったら、何だ、親友(ヨシュア)じゃねぇか」

 

 3年前とは違う、荒くなった口調で、しかし親意を込めて声を掛けてくる。

 しかしその右手は、寸分の狂いもなく長刀の柄に添えられていた。

 

「そら、立てよ」

 

 雨の中、飛沫が顔にかかる事も構わずに、ただ一言、そう告げる。それに対してヨシュアが黙っていると、一瞬だけ純白の剣閃が閃き、直後に高い鍔鳴りの音が響くと共に、ヨシュアが背を預けていた背後の大木がまるで丸めただけの紙であるかのように容易く斬られてしまった。

 

「立てって、言ってるだろうが。ただ喧嘩しようってだけだろ。俺とお前、どっちが死んでもお構いなしの大喧嘩を」

 

「…………」

 

 ”討伐”という言葉を敢えて使わない所がレイらしいと思いながら、ヨシュアは双剣を抜いた。

 豪雨、闇夜、そして鬱蒼と木々が生い茂った樹海。時と場所は、完全にヨシュアに味方をしている。

 しかしそれでも、レイは口元に浮かべた笑みを解かない。

 

「勝っても負けても、どっちにせよお別れだ。お前を殺す男の名をしっかりと刻み付けておけ。俺も、お前の名は忘れない」

 

 はたと、そこで思った。

 自分の名前。あの日以来、自分を表す記号でしかなかったそれを、彼は決して忘れないと言う。

思い返せ。その名を。その名を誇っていた、最愛の家族の顔を。そして―――

 

()ろうぜ、ヨシュア・アストレイ」

 

 自分を救ってくれた、親友の事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(……お、あった)」

 

 声を忍ばせて辿り着いたのは、『ドライケルス広場』下にある、噴水管理機器の部屋。

 魔獣掃討と同じく、ヨシュアに課されたのはこの機器の調整。しかし手動であるその一昔前の装置の前には、二人の男が立っていた。

 

「……おい、後どれくらいだ?」

 

一六〇〇(ヒトロクマルマル)だろう。まだ先は長いぞ」

 

 黒の戦闘服に身を包み、軽機関銃を携えた男達。ヨシュアは物陰から様子を窺いながら、自身の纏う気配を一呼吸ごとに薄くして行く。

 

「しかし、遂にか。遂に≪C≫達がやってくれるのか」

 

「あぁ。我々の悲願に一歩近づく時が遂に来た。前線に出れないのは残念だが、こうした役目も重大だ。気を抜くなよ」

 

「分かってる。でも大丈夫だろう。今更ここに来る人間なんざいるわけが―――」

 

 瞬間、トン、という軽い音と共に男の首筋に衝撃が走り、骨の軋む感覚が意識を暗闇へと誘った。

 

「え? ―――」

 

 もう一人の男がそれを認識できたのは、声が不自然に途切れ、その体がグラリと倒れ落ちようとする光景を視界に収めた時だった。

しかしその時には既に、漆黒の影はその男の懐に潜り込み、拳を叩き込んでいた。

 

「グハ……ッ……」

 

 銃を構える暇も、声を出す暇も与えない。確実を期すためについつい昔の技まで使ってしまった事に若干嫌悪感が滲み出てしまったが、殺してはいない。

 床に倒れた男たちを横目に、ヨシュアは第一の役目を終わらせるために制御装置へと歩く。

 

「それじゃ、上は任せたよ。レイ」

 

 不敵に笑う親友に、作戦のバトンを繋ぐために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




シンフォギアのキャラソンのせいで私の財布がヤバい件について。
一番好きなのはマリア嬢の『烈槍・ガングニール』ですかね。


あ、それと。
活動報告の方に今まで出してきたレイ君の剣技と呪術の一覧を載せておきました。
ついでにルナフィリアとウィスパーのイメージイラストも。


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帝都騒乱 壱 ※





「諸君、夜が来た

 無敵の敗残兵諸君 最古参の新兵諸君

 万願成就の夜が来た

 戦争の夜にようこそ‼」
          by 少佐(HELLSING)








 

 

 

 

 

 

 

 帝都の≪夏至祭≫では、昼を過ぎた後、皇族が帝都各地の行事を視察するために専用のリムジンに乗って『バルフレイム宮』を出発する。

 

 皇位継承権第一位のセドリック皇太子は帝都北西の『ヘイムダル大聖堂』に。

 

 皇位継承権第二位のアルフィン皇女殿下は帝都北東の『マーテル公園』に。

 

 そして嫡子であるオリヴァルト殿下は帝都南西の『帝都競馬場』に。

 

 

 

 さて、この日この場所、どこかを必ずテロリストが襲撃するとして(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、防衛に回る側としてはどこを重点的に守護するべきか。

 無論、全ての場所に皇族直轄の近衛兵が配備され、厳重な警備が置かれているのだが、恐らくそれでもまだ足りない。決して近衛兵の練度の高さを疑うわけではないが、それに頼り切っていては予想外の事態に対処できない。打てる手は最大限打っておいてから臨機応変に対応するというのがクレアの基本的なスタイルだ。

 

 それを踏まえてⅦ組を始めとした予備戦力はどこに配置すればいいのか。それを昨夜、集まった時に意見を集めてみたところ、まず挙がった意見が一つ。

 

「競馬場は放置で良いよな」

 

「そうね。あのバカなら自力で何とかするでしょうし」

 

「それにミュラーさんもいるだろうしね」

 

 結論として、「テロリストに素直にやられてやる程に軟な人間じゃない。というかよしんば捕まってもミュラーさんが何とかする。多分」という事で丸く収まり、また要らぬ苦労を背負い込む事になった第七機甲師団の若き青年将校に心の中で合掌を送ってから思考を再開する。

 

 単純な人物の重要度合で判断するのならば、警護を優先すべきはセドリック皇太子だろう。未だ社交界にも出席していない年齢ながら、皇位継承権は第一位。未来のエレボニア帝国の象徴として君臨する人物なのである。テロリストの目的が”帝国に害を為す事”であろうという所で推測が止まっている今、襲撃者の側になって考えればまず間違いなくこの人物を狙うだろう。

 

 ……という事は誰だって分かる(・・・・・・・)

 

 

 

「……狙うならアルフィン殿下のいる『マーテル公園』かな。お前らはどう思う?」

 

「まぁ、そうだろうね。≪帝国の至宝≫なんて呼ばれている方だし、そんな人が拉致された日には、帝国民はその動向に注目せざるを得なくなる」

 

「未だ名乗りを上げていないテロリストが旗揚げをするにはちょうどいいデモンストレーションになる、って事ね。サラ、あんたはどう思う?」

 

「…………」

 

 しかし、サラは口元に手を添えたまま、どうにも納得がいかない、という雰囲気で思考に耽ったまま言葉を発しない。

 そしてその気持ちを代弁するかのように、クレアが口を開いた。

 

「えぇ。確かに皆さんの仰られている展開が妥当でしょう。私でもそうするでしょうし。故に―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 ≪G≫こと、ミヒャエル・ギデオンは、思い描いていた筋書とは違う展開になってしまった事に内心渋面を浮かべながらも、状況は全て我が掌の内と言わんばかりに、『マーテル公園』のクリスタルガーデンの中で堂々と立っていた。

 

「御機嫌よう、知事閣下。招待されぬ身での訪問、どうか許していただきたい」

 

 クリスタルガーデンの中で催されていたのは、皇族が主催となっている園遊会。訪れたのは名立たる貴族の面々と、アルフィン・ライゼ・アルノール皇女殿下。そして、付き人であるシュバルツァー男爵家の息女、エリゼ・シュバルツァー。

 粛々と、しかし静かな華やかさの中始まったその催しであったが、会が始まって1時間と経たない内に、ガーデン内の石畳の一部が地下から爆破されて、そこから数名の武装集団が乱入して来た事によって静寂は簡単に破られる事となった。

武装集団の闖入の際、皇女殿下を守ろうとしたレーグニッツ知事閣下は左肩を打たれて負傷。アルフィンとエリゼは腕を頑丈なロープで拘束されて、武装集団の内の二人にそれぞれ銃口を向けられていた。

 

 ―――そこまでは、ギリギリ予想通りになった。なってくれた。

 

 ギデオンの予想外であった事態は二つ。

 一つは、テロ行為開始の狼煙代わりに仕込んでおいた『ドライケルス広場』の大噴水が暴走する仕掛けが解除されていた事。この影響で一般市民の混乱を招く事が叶わなくなり、≪帝都憲兵隊(H・M・P)≫や≪鉄道憲兵隊≫の戦力を割く事が出来なくなってしまった。

 そしてもう一つは、”笛”の音で飼い慣らしておいた地下道の魔獣達が、軒並み殲滅されていたという事であった。当初の目的ではこの魔獣達を地上に放ち、クリスタルガーデンの外で警備をしている近衛兵達を釘付けにするというものだったのだが、危うくそれすらも失敗するところだったのだ。

幸い、魔獣の異常に関しては行動を起こす数時間前に地下に潜伏していた同志から連絡があったために、”とある筋”から手に入れていたモノを投入する事で攪乱する事には成功していた。

 

『くっ‼ 何だコイツらは‼』

 

『機械⁉ う、うわぁぁッ‼』

 

『ええぃ、怯むな‼ 近衛兵の名に懸けて園遊会には一歩も近寄らせぬぞ‼』

 

 ガーデンの外で近衛兵達を相手しているのは、全身が深緑色に塗装された自律型の戦術戦闘機械(オートマタ)。”ファランクスJ9”という名がついているそれは、本来広域殲滅型の兵器であり、牽制のために使用するにはあまりに火力過多な代物だ。事実、今回の作戦では本来使用しないはずのモノであったのだが、背に腹は代えられず、投入する事となった。

 

 そして今、ギデオンの両脇に控えているのは、襲撃に備えて行動を共にしていたために殲滅の対象にならなかった”グレートワッシャー”が二体。高位の魔獣ではないにしても、そこいらの武術の腕前のない者なら束になっても敵わない。事実、唸りを挙げて眼光を鋭くしているその姿に、ガーデン内にいる貴族達はすっかり震えてしまっている。

 

 

「ッ‼ 殿下は関係ないだろう‼ 二人を解放したまえ‼」

 

 肩に奔る痛みと熱を堪えながら、カール・レーグニッツはそう叫ぶ。しかしギデオンは、その言葉に色好い返事を返すつもりなど毛頭ない。

 彼女らは謂わば生贄だ。本当に命まで取るつもりは毛頭ないが、”命を狙われた”という事実さえ残ればそれでいい。それさえ叶えば、帝国政府に、ひいては”あの男”に対する致命的な楔となる。

 無慈悲にそう告げた後、ギデオンはもう話す必要はないと言わんばかりに背を向ける。正直なところ、不確定要素が起こり過ぎてこれ以上作戦を長引かせるのは得策ではなかった。拘束している二人を連行するように指示を出そうとして―――しかし、背後からの声に思わず足を止めてしまう。

 

「―――待て」

 

 恫喝するような声色でもなく、気高さ故に出たような声。振り向くとそこには、頬に一筋汗を浮かべながらも、レイピアを構えて気丈に立つ金髪の青年がいた。

 

「殿下とシュバルツァー嬢は返してもらう。そのお二人は、お前達のような下賤な人間が触れて良い方々ではない」

 

 その振る舞いは一見堂々としているように見えるが、言葉の端々などからは恐怖の感情を抑え込んでいる事が理解できた。

普通ならば、この程度の安い挑発に乗る程ギデオンは愚かではない。だがその時は何故か、憐憫じみた笑みを返してしまった。

 その姿には見覚えがあった。直接顔を合わせた事はないが、その名は聞き及んでいる。

 『四大名門』が一角、<ハイアームズ家>の三男にして、トールズ士官学院所属、パトリック・ハイアームズ。確かにハイアームズ家の子息ともなればこの園遊会に出席していても何らおかしくはなかったが、しかしこの場所、この状況で牙を剥いてくるとは思っていなかった。

 

「断る。としたら、どうする? パトリック・ハイアームズ殿」

 

「ッ……決まっている」

 

 レイピアの切っ先を突きつけて示すのは、交戦の意志。しかし、やはりその切っ先は僅かに震えている。

仕方のない事だろう。まともに戦えるのは自分一人であるのに対し、相手は数名の武装集団に中型魔獣が二体。余程腕に覚えがある人間でなければ必勝は限りなく遠い。この状況下で恐怖を感じずに何を感じろと言うのか。

 

「愚策だ。このままでは君が無駄死にしてこの場に死体を晒すだけ。得られるものなど何もない。それが分からない程、愚鈍でもないと見受けたが?」

 

「……フン。お前達は帝国貴族というモノが分かっていない」

 

 しかし、体が震えながらも、声に不安が混じりながらも、それでもギデオンを見据える青色の瞳にはある種の覚悟のようなものが現れていた。

 

「この国の主たる皇族の方が攫われようとしている時に、御家を仰ぐ僕達が何もせずに見ていたとあれば、そんなものは忠義じゃあない。ましてや僕は『四大名門』のハイアームズ家、その家名を背負う一人だ。嘗めないでもらおうか」

 

 ギデオンは、知らない。

 嘗てこの青年が、貴族の”誇り”を履き違えていたという事を。

高貴な家に生まれた者は生まれながらにして高貴であり、それは有象無象の平民とは一線を画するモノ。その一線を己の歪んだ価値観の身で引いて―――その在り方を、一人の少年に粉微塵に打ち砕かれた。

 それはパトリックにとって屈辱でしかなかったのだが、それでも知らず知らずの内に、彼は<ハイアームズ>という家名に固執するだけでなく、己自身を見つめ直す時間が増えていたのだ。

 元より、根幹から悪人であるわけでは決してない。言ってしまえば、生まれたその瞬間からの環境が彼をそうさせてしまったとも言えるのだから、ある意味被害者であるとも言える。

 それらの意地を一度全て曲げて考えてみると、あの実技試験に乱入した際、リィン・シュバルツァーには酷い暴言を吐いたものだと、そう思い至ったのだ。そして、あそこで自分の胸ぐらを掴んでまで喝を入れた少年、レイ・クレイドルの言い分も、何となく理解できてしまった。

 

 パトリックは、今でも貴族の血は尊いと思っている。その考えは恐らく、生涯変わる事はないだろう。

 だが、その高貴な血を示す”誇り”とは、決して尊大な態度で平民を見下す事で得られるものではない。それは、あの時の彼の言葉が物語っていた。

 

 

『自分と違う人間を真正面から罵倒するその気概は認めてやろう。なら後は覚悟を持てよ。お前の眼前にいる人間に、お前が陰で悪評を流した人間に、ブン殴られて怒鳴られる可能性を視野に入れろ。その覚悟すらもできずに安全圏から諦観するような人間に、誰かを馬鹿にする権利なんかない』

 

 

 ただ高みから見下し、憫笑を向けるだけの人間に、誇りを持つ資格などない。

 ならば、と。パトリックは理解する。ハイアームズという家名を背負う資格を持つには、自分は色々と弱過ぎた。自分を殴る価値すら無しと判断したあの少年を、どうにかして見返してやりたかった。加え、家名に一切臆することなく自分を真正面から打ち負かしたリィンに、今度は己自身の強さというものを証明してやりたかった。

 故に、彼はいまここで立ち向かったのだ。

以前の彼であれば、ここで臆したまま何もできなかった事だろう。自分が立ち向かった所でどうにもならないと言い訳して、一歩も進まなかったに違いない。

 勇気と蛮勇は違うという事を、聡い彼は良く分かっている。それでも、ここで動かない程度ならば、そもそもその誓いを守る権利すら得られない。

 

 彼は今、立ち向かっている。

 それこそ、”殴るならば殴られる覚悟をしなくてはならない”場所に、自分の意志で立っている。

 例え感情の半分が恐怖に支配されようと、如何に絶望的な状況であろうと、彼は今、”答え”を見つけるための一歩を踏み出した。

 

 

 

「……済まないが、忠道の精神に付き合っている暇はないのでね。その高邁な考え方は見事、と言えなくもないが、今の私達には不要なものだ」

 

 しかし、ギデオンにその覚悟は伝わらない。片手を軽く上げ、それを合図に武装集団たちの軽機関銃の銃口が一斉に向く。加え、二匹の魔獣も唸り声を上げて近寄って来た。

 時間を食ったと、所詮その程度にしか考えていなかった。否、状況だけ見ればそうだろう。自分が手を振り下ろせば、数秒後に前途有望な青年貴族の死体がそこに転がるだけなのだから。

 

 だが、その一瞬。兵士達の注意がパトリックに移ったその一瞬(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)こそが、反撃の狼煙だった。

 

 

 

「フム、主に聞いていたのとはまた違う。いやはや、一皮剥けた若者の覚悟とは、斯くも美しいものですか」

 

「見事也。その気概、その風格。今や貴方は、(とうと)(やから)の末席になられた」

 

 その威厳が漂う言葉は、さてどこから聞こえて来たのか。

 ガーデン内に居た誰もが疑問に思ったその瞬間、アルフィンとエリゼの近くに居た兵士二人が、腹部に強い衝撃を受けて昏倒した。

 

「な……⁉」

 

 放たれたのは掌底。両の手首が塞がれていようとも放てるそれを容赦なく兵士にぶつけたのは、拘束されていた二人だった。

如何にも虫一匹たりとも殺せないような小柄で心優しい二人であり、少なくともこの場に集まった者達は、彼女らに同じような印象を抱いていただろうし―――事実、それは間違っていない。

 今ここにいるアルフィン・ライゼ・アルノール、エリゼ・シュバルツァーの二人が、本人であれ(・・・・・)ばの話だが(・・・・・)

 

「お騒がせをして申し訳ない、参加者の方々」

 

「それとご安心を。本物のアルフィン皇女殿下とエリゼ嬢のお二方は、『バルフレイム宮』にてお待ちいただいております故」

 

 その言葉と同時に手首から流れ出た黄金の炎が拘束していた縄を焼き切り、そして全身を覆う。その数秒後、現れたのはアルフィンとエリゼという擬態を解いた、オリジナルの体よりも二割ほど小さくなった体躯の、二人のシオンであった。

 二人は同じ動きでひょいとその場から跳躍し、ギデオンを左右から見据える位置に降り立つ。

 

「ッ‼ ≪天剣≫の式か、貴様‼」

 

「ご明察。我は主に隷属する唯一の式」

 

「此度は反撃の一翼を担ったまで。さぁ、どうなされる。まもなく形勢は覆りまするぞ」

 

 この策を仕込んだのは、勿論クレアだ。『バルフレイム宮』からリムジンに乗って出発したアルフィンとエリゼに擬態して、そのまま園遊会に出席したという、ただそれだけの事。

 それを可能にしたのは、シオンが擁する『尾分け』と呼ばれる術だ。膨大な呪力と神力を有する尾の一房を離して、それを基盤に擬態する対象となる人物の体の一部を媒介とする事で、一時的にではあるがオリジナルと全く同じ容姿・口調・雰囲気で過ごす事が出来る。今回はクレアの要請で、二人の髪の毛を拝借して擬態し、囮役をこなしたという事だ。

 

 ギデオンにとって、形勢は一気に不利となる。

 人質とする筈であった皇女殿下と御付の少女は最初からガーデン内におらず、戦闘不能者も出してしまった。彼の脳内には、もはや撤退の二文字しか浮かんでいない。

 

「(≪氷の乙女(アイスメイデン)≫ッ……‼)」

 

 現在、≪鉄血の子供たち(アイアンブリード)≫の中で帝都に居るのは彼女だけだ。噴水の稼働不良、地下魔獣の掃討、そして今回の囮作戦。完全に先手を取られている中でここまで巧妙な手を打つことが可能なのは、恐らく彼女以外にはいない。

 忌々しい、憎々しいと歯軋りをしていると、封鎖されていたクリスタルガーデンの入り口が、荒々しい音を立てて強引に抉じ開けられた。

 

 

「八葉一刀流―――弐の型『疾風』‼」

 

「八洲天刃流―――【剛の型・瞬閃】」

 

 それと同時、地を蹴った二人の人影が、尚も怯まず威嚇を続けていたグレートワッシャーを、不意打ちにも近い斬撃が襲った。

固い筈の鱗を難なく切り裂き、一瞬の内に首が落とされる。その後、後方から放たれた炎属性のアーツが、その骸を跡形もなく焼き切った。

 その先陣となった二人は、薄い笑みを浮かべて、果敢にテロリストに立ち向かおうとした同じ学校の同輩を見やる。

 

「ありがとう、パトリック。君が引き留めてくれたから、このガーデンの中で奴らを抑えられた」

 

「何だ、良い表情するようになったじゃねぇか。良いね、覚悟掴んだってツラしてるぜ」

 

「ぁ……」

 

 瞬間、全身の力が抜けて、パトリックは膝をついた。

安堵と悔しさ。助かったという気持ちと、助けられてしまったという気持ちが複雑に混ざり合う。振り絞って見せた覚悟が手放しで評価されたとあらば、尚更だ。

 

「遅い、ぞ」

 

「スマンな」

 

「休んでいてくれ。ここから先は、俺達の戦いだ」

 

 そういう二人の後ろに控えているのは、特科クラスⅦ組のメンバーたち。あの実技試験の時よりも更に強者の雰囲気を纏うようになった彼らの背は、パトリックとは比べるべくもない。

それがどうにも悔しくて、涙をこらえながらもその提案を享受せざるを得なかった。いつか必ず見返して見せると、改めてそんな意志を固めて、立ち上がるとそのまま後ろに下がった。

 

 

「……特科クラスⅦ組。ケルディックやノルドでの件に飽き足らず、ここでも我らの邪魔立てをするか」

 

「テロ行為をしようとしている奴を見逃せる性分じゃないんでね」

 

「うわ、確かに話に聞いてた通り有能な策士ヅラしてるわ。こういう奴の立てた策を横合いからブン殴るの俺大好きなんだけどそれは置いといて。なぁ、とっととフルボッコにされて尋問室送りになってくれよ。二日前に従者に財布の中身ブリザードにされてイラッと来てるからさ、ちょっと手加減できるかどうか分かんねぇけど」

 

「「あれ? 主、ひょっとして怒ってます?」」

 

『『『ゴメン、ちょっと黙ろうか』』』

 

 いつものノリで漫才の雰囲気に突入しかかった所を、他のメンバーが全員で止める。最初に良い感じの台詞を言ったリィンなどは、頭を抑えてしまっていた。

 一見すれば緊張感がないと思われるかもしれないが、今の彼らにそれは通用しない。既にこのやり取りの最中にARCUS(アークス)のリンクは完全に接続されており、考えうる限り最強の布陣が完成していた。

 

「……フッ」

 

 しかし、それでもギデオンは笑みを浮かべる。

決して力の上下が分かっていないという事ではない。だからこそ、レイを含めた全員が表情を引き締めた。その直後―――

 

 

 

 

「―――『死氷ノ薔薇十字(ニヴル・ローゼンクロイツ)』」

 

 

 全身の毛が逆立つような殺気を全員が感じ、反射的にその場から飛び退いた。

 その数瞬後、ガーデンの天井を破って現れた、膨大な冷気を纏った巨大な氷の十字剣。それは床に刺さると同時に周囲に高さ4アージュはあろうかという氷柱を出現させ、レイ達とギデオンの間を完全に分断した。

 

「‼」

 

「な、何だこれは‼」

 

 無言で警戒心を最高レベルにまで引き上げるフィーと、狼狽するマキアス。しかし、それはメンバーの誰もが思った感情に他ならない。

ただ一人、レイだけを除いては。

 

 トンッ―――という音と共に、十字剣の柄頭の部分に一人の人物が降り立つ。その姿は、もはや見間違えようもない。

 

「≪X≫……」

 

「あれが……」

 

 全身を覆い隠す黒に近い紺色のローブ。一見幽鬼のようにも見えてしまう格好だが、その実力は、レイに匹敵する。

しかし、以前襲撃して来た時とは違い、それ以上の攻撃の意志は見せてこなかった。

 

「済まない、≪X≫」

 

 ギデオンがそう声を掛けるが、言葉を返す事はなく、首を動かすだけに留まった。

それが撤退を催促する仕草であるとリィン達が理解した時には、既に冷気の靄に隠れて、彼らの姿はクリスタルガーデン内から蜃気楼のように消え失せてしまった。

 

「……フン」

 

 無論、それを見逃す程甘い訳ではない。鼻でそう笑うと、仲間の制止を聞かずに氷の十字剣へと近づいて行き―――踏み込みと同時に高速で抜刀した。

 八洲天刃流【剛の型・散華】。繰り出された幾十もの斬撃が甲高い音と共に傷を刻み、そして最後の一撃が剣の中心を捉えた瞬間、硝子細工が割れるような音が辺り一帯に響き渡り、瓦解する。

 己が生み出したそれが容易く破壊されてしまったというのに、やはり≪X≫は無言を貫く。破壊される寸前に跳躍して床に降り立ったものの、やはり攻撃を仕掛けるような素振りは見せてこない。

 

「―――行け。シオンも同行しろ」

 

 その様子を見て、レイは目線を逸らさないままにリィン達にそう告げる。

 開けた道は≪X≫のすぐ背後。攻撃を仕掛けられないかどうか、少しばかり躊躇したものの、レイの言葉を信じて全員が走った。

 目的は”キツネ狩り”。逃がさず殺さず生かして捕える。今の彼らの実力ならば、それも叶うと判断した故の指示だった。

 そして予想通り、≪X≫はリィン達がガーデンの奥に開いた地下への穴に飛び込むまで指一本たりとも動かす事なく、レイは緊張感を張りつめさせながらも、刀身は既に鞘の中に収め、視線だけで相手を地面に縫い付けていた。

 

「知事閣下、大丈夫ですか?」

 

「あぁ、問題はないよ」

 

 先程、ここに駆け付けた際にマキアスに同じ事を答えていたために、その二度目の返事で本当に問題はないのだという事を再認識する。出血の量は少ない訳ではないが、見た限り掠っただけのようなので、命に別条はないだろう。

 実際、彼も作戦の全容を知っている一人だ。だからこそ、作戦の趨勢を握る彼らに迷惑を掛けまいと、気丈に笑みも見せる。

 

「パトリック」

 

「……何だ」

 

「ここに居る人たちの避難を頼む。外の決着もそろそろ着くだろうし、それまで戦えるお前が守ってくれ」

 

「き、君はどうするんだ」

 

「俺? 俺はまぁ、勿論―――」

 

 その答えを言い終わる前に、レイは【瞬刻】で≪X≫に肉薄し、遠心力をつけた蹴りを左の肩口に叩き込む。

分かりやすい攻撃だったために左手でガードされはしたものの、その体はガーデンの窓を突き破って公園へと弾き飛ばされる。

そんな、普通に生きている人間からすれば有り得ないような光景を見て呆然とする人達を差し置いて、レイはいつも通りの不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「ちょっとOHANASHI(物理)して来る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦に、狂いはない筈だった。

 『マーテル公園』に向かったアルフィン皇女殿下を拉致するために襲撃し、帝都に巡回中の憲兵隊の戦力を大幅にそちらに集中させた所で、別働隊のメンバーが同じく地下水道を経由して北西の『ヘイムダル大聖堂』を襲撃。アルフィン殿下とセドリック皇太子の身柄を確保した後に帝都地下道の最深部である地下墓所(カタコンベ)にて合流して脱出。大本の筋書きはそうであった筈なのだ。

 

 それを遂行するにあたって最も懸念材料となったのは、元≪執行者≫の経歴を持ち、≪風の剣聖≫の後釜とまで謳われた≪天剣≫レイ・クレイドルの存在。

 幸いにも彼らの陣営には≪X≫という、実力的に彼と拮抗する存在がいるために対抗する事は可能だったが、彼女がいなければ彼の実力に真正面から張り合う事は出来なかっただろう。例えどれ程雑兵を投入したところで、”武闘派”の≪執行者≫として腕を鳴らした彼を止められるとは思えない。

 

 だからこそ、彼の視線を『マーテル公園』に釘付けに出来た。色々と予定外の事態は起きたようだったが、それが叶った時点で作戦は成功したと言っても良い。故に、『ヘイムダル大聖堂』に向かった面々は、早急にセドリック皇太子の拉致という目的を終わらせて撤退する―――それが可能だった筈だった。

 

 

 

「あら、もう終わりなの? 帝都に直接急襲掛けてくるからもうちょっと骨のある連中かと思ってたんだケド」

 

「大外れの貧乏くじ引いたわね、テロリストさん。恨むならアテが外れた自分達を恨んで頂戴な」

 

 

 大聖堂への襲撃。壁面を爆破して内部に潜入するところまでは順調に行った。

 しかし、嫌な雰囲気がしたのはその直後だ。セドリック皇太子が聖堂の壇上に上がって厳かなミサが大々的に行われている筈の内部には人が一人たりともおらず、業を煮やしたメンバーが大聖堂の正面玄関から外に出た瞬間、鞭と導力銃の急襲を食らったのだ。

 別働隊を率いていたのは、≪S≫と呼ばれている女性の幹部。そんな彼女は、聖堂の外で待ち構えていた面子を見て、作戦が完全に読まれていた事を思い知った。

 

「(まさか≪銀閃≫に≪紫電(エクレール)≫まで待ち構えていたなんて……これはどう考えても不利ね)」

 

 加え、彼らが潜入した大聖堂を囲むように包囲していたのは、≪氷の乙女(アイスメイデン)≫率いる≪鉄道憲兵隊≫の精鋭部隊。彼女自身は事が起こる十数分前にセドリック皇太子を特別車両で『バルフレイム宮』に送り届けていたために不在だったが、それでも状況が限りなく劣勢である事に変わりはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『故に―――そう簡単に思い至る策を、ここまで用意周到に仕掛けてくるテロリストが本気で仕掛けてくるとは思えません』

 

 

 そう言いきったクレアの思惑は、まさに的中したのである。

 彼女は相対する相手を、決して過小評価せず、また過大評価もしない。収集した情報と事前に打っておいた策を元に常に最善の一手を導き出して的確な指示を放つ。その先見の目と理論上における膨大な演算処理能力の実力から導力演算器(カペル)の頭脳を持つ人物と称されているが、本人はそれを謙遜しながらも、そう在れるようにと日々研鑽を積み重ねている。そんな彼女からすれば、この程度の策を読み切るなど造作もない事であっただろう。

 尤も本人は、長い時間をかけて帝都でテロリストの仲間を潜伏させてしまった事について悔いている部分もあるのだが。

 

「さて、抵抗する気がないのなら大人しく投降した方が身のためだと思うわよ?」

 

「『マーテル公園』で動いてるアンタ達のお仲間も、そろそろ一杯食わされてる頃合いだろうし」

 

 鉄道憲兵隊の面々が建物を包囲しているだけで内部に突撃しないのは、追い詰められたテロリストが自爆テロを引き起こすのを警戒しての事である。

二次災害を食い止めるのと同時に、ゼムリア文化遺産にも登録されている荘厳な大聖堂が破壊されようものならば、帝都市民の感情も負の方向に歪みかねない。

 だからこそ、一縷の望みにかけて投降を促してみたのだが、その結果は芳しくなく、けんもほろろに断られてしまう。

 

「お生憎様、ここで素直に頷く程度の覚悟で帝都で事を起こしたわけじゃあないわ」

 

「……ま、そうでしょうね。何と言うか、アンタ達からは執念じみたモノを感じるわ。一体、何が目的なのかしら?」

 

「私達の目的なんて、皆同じよ。そして、そのためだけに動いてる。ともすれば≪紫電(エクレール)≫さん、あなただって同調できるかもしれないわよ?」

 

「…………」

 

 何となく、分かってしまった。

彼らが何を目的として、何を為そうとしているのかが。

 ≪S≫は不敵な、しかし自虐の意も含んだような表情を浮かべて、堂々と宣言する。

 

「≪鉄血宰相≫の首を取る。―――ただそのためだけに私達は集まって、行動してる。ホラ、あなただって思い当たる所はあるでしょう? 嘗て所属していたギルドを≪鉄血宰相≫に潰された、あなたなら」

 

 エレボニア帝国宰相、ギリアス・オズボーンへの怨嗟の念。サラの中にそれがないと言ったら嘘になる。

 否、寧ろ彼女も目の前の女性同様に彼を恨んでいると言っても過言ではない。二年前の事件を契機にして、自分の家とも呼べる場所を慈悲なく潰された事に対する恨みは、多分一生抱えていく事になるだろう。

それが例え帝国の国益になる事だったのだとしても、被害者の側からすればそんな大層なご高説など聞きたくもないし聞く価値もない。もしその考えが悪化していたら、宰相のみならず帝国政府そのものを恨み、最悪の場合直情的になり過ぎて道を踏み外してしまう事もあったかもしれなかった。そんな未来が、絶対になかったとは言い切れない。

 だが―――

 

「……ま、否定はしないわ。あの髭親父が気に食わないってのは事実よ。それは認めてあげる。

でも、ただそれだけで(・・・・・・・)、守ってきたはずの帝国国民を危険に晒すくらいなら、アタシはそれを抱えたまま生きて行く。そしていつか、抱えた恨みよりも大きい幸せを手にした時に帝都庁に向かってバカヤロー‼ って叫んでやるわ。アタシはそれだけでいい」

 

 サラが惚れた男は、きっと復讐心に駆られる事を許容しないだろう。もし踏み外したのだとしても、胸ぐら掴んで殴り飛ばしてでも真っ当な道に戻してくるに違いない。

それを考えてしまった時に、サラの心の中の優先順位が変わってしまった。悲しみしか生まない復讐心を抱えるよりも、悲しみすらも塗りつぶしてしまえるような幸福を追い求めた方が良い。

 

「だから、アンタ達とは相容れないわ」

 

「……そう。一個人としては羨ましくもあるけれど、残念。時間が来てしまったわ(・・・・・・・・・・)

 

 そこで彼女が見せたのは、自分の不甲斐無さを呪うような笑み。しかしそれを浮かべながらも、≪S≫が右手を掲げた瞬間、北の方角から飛来した”何か”が、大聖堂の巨大なステンドグラスを貫いて内部に着弾した。

 

「なっ……⁉」

 

 直後巻き起こる暴風。割れた窓ガラスが目くらましになって、さしもの憲兵隊の精鋭も両目を腕でガードして視線を遮ってしまう。

 その隙をついて、動けるメンバー達は、≪S≫も含めて皆一斉に後方へと跳んだ。

 

「クッ‼ 待ちなさ……」

 

 慌ててサラが後を追おうと大聖堂の扉に向かって駆け出したが、その直後、戦場と遊撃士稼業で鍛えられた彼女の直感が、その先に進むのを躊躇わせて急停止する。

 すると一拍を置いて、サラが駆け抜ける筈だった場所を、横薙ぎに風を伴った斬撃が空間を剪断するような勢いで横切った。もしそのまま進んでいたのだとしたら、恐らく胴体が泣き別れになっていただろう。

 それを察して柳眉を逆立てるサラと、その後ろに控えるシェラザード。そしてその数秒後、未だ薄く煙が掛かった大聖堂の内部から、二人の人影が現れた。

 

 

「まったく、折角の不意打ちだったのに外してるんじゃないですよ、まったく。それでも”筆頭”ですか、アナタは」

 

「う、煩いですわね‼ そういうアナタだってその槍投げた時「あ、ミスった」って呟いたのわたくし聞いてましたよ‼ ちょっと第一投だからって気合い入り過ぎたんじゃありませんの?」

 

「アー、アー、キコエナーイ、キーコーエーマーセーン」

 

「ホンット、面倒臭いですわね、アナタは‼」

 

 半壊した教会から出て来たとは思えないその軽口の叩き合いに、思わず警戒心をより強めてしまうが、その判断は間違っていなかった。

 

「白銀の、騎士甲冑……」

 

 それは嘗て、≪結社≫の情報を漏らせないレイに変わってシャロンが伝えてくれた、とある部隊の戦士が身に纏うモノ。頭部に巻いた鉄製のバンダナの両脇にあるのは、純白の羽が二対四枚。

 神話の中で戦場を飛び回り、勇猛な戦士の魂を集める事を生業としていた戦神の眷属。個々が一騎当千の実力を兼ね備えたというそれらの名は”戦乙女(ヴァルキュリア)”。

 

「≪鉄機隊≫―――」

 

「おや、私達の事をご存知でしたか。……って、アレ? あなた、もしかして……」

 

 その内の一人、鮮やかな金髪を後頭部で一括りにした槍使いの女性が、サラの顔を見るなり怪訝そうな表情を一瞬浮かべ、何かを考えるような仕草を見せる事数秒、頭上に豆電球が点灯したかのような表情を見せた。

 

「あー、そうだ。そうでした。思い出しました。スミマセン筆頭、あの人私が相手していいですかね? いや、ダメって言っても戦いますけど」

 

「あなたはホント、時々殺意を覚えるレベルでフリーダムですわね。―――まぁいいですわよ。どうせ何言っても聞かないのでしょうし」

 

「感謝感激雨嵐です。―――さて」

 

 手元に握っていた槍を半回転。それだけで砂埃は吹き飛ばされ、大聖堂の内部が露わになる。

しかし今のサラには、その内部の床がまるで爆撃を受けたかのように抉れて見事な穴が開いてしまっている事や、恐らくそれを逃走ルートにしてテロリストが逃亡したのだろうという事よりもまず、目の前の女性の事が気になっていた。

 状況だけを鑑みれば、サラが今すべきことは彼女らを相手する事ではなく、テロリストを追跡する事だ。

しかし、助太刀のような形で現れた彼女らを無視してそれが出来るほど甘くはないだろう。現に今、自分は疑う余地もなく標的にされているのだから。

 

「……ゴメン、シェラ。どうやらアタシをご指名みたい」

 

「でしょうね。ねぇあなた、派手になりそうなら場所を移してくれないかしら? ここだと色々と厄介だし」

 

「えぇ。そこは勿論考えていますよ。派手に暴れて大聖堂全壊させて後で修繕費費用請求とか来たらマズいですし」

 

 ケラケラと笑うその表情が一体どこまで本物なのか、今のサラには読めない。それでも、動いたのは同時だった。

地を蹴り、その数秒後には大聖堂の敷地内にある『マグダライア自然公園』の木々の向こうへと消えていく。その様子を見て、シェラザードは一つ息を吐いた。

 

「……それで? あなたもあたしを足止めしにかかるの?」

 

「まぁ、そうなりますわね。ですが、わたくしが”足止めするように”と仰せつかったのは貴女ともう一人の方だけでして。他の方が何をしようと一切関与致しませんわ」

 

 その澄んだ言葉は、風に乗って周囲を包囲していた鉄道憲兵隊の隊員達にも伝わる。その後の行動は素早く、指揮を執っていたエンゲルス中尉は速やかに隊員達を纏めて大聖堂の中心部に開いた大穴から地下へと降りて行った。

 その行動が終了するまで数分、それをきっかり待ってから、シェラザードは僅かに口角を釣り上げた。

 

「律儀じゃない」

 

「追う必要のない者らを背後から斬り付ける趣味はありませんわ」

 

 そう言って、亜麻色の髪を左右の首筋で纏めた女性は、右手に携えた剣の切っ先を、真っ直ぐシェラザードに向けた。

 

「≪銀閃≫のシェラザード。貴女では、わたくしには勝てませんわ」

 

 それは誇張ではなく、自らの剣の腕に絶対の自信があるが故の宣告。そしてそれは、シェラザード自身も分かっていた。

 仮にもリベールで修羅場を潜っていたから分かる。目の前の女性が達人級の使い手であり、それを自分一人で相手するとなれば、持って数分が精々だろう。流石にあの≪剣帝≫程ではないだろうが、それでも脅威である事は変わらない。

 

「わたくしは、貴女を殺せという命は受けておりませんわ。故に貴女が彼らの追跡をしないと言うのであれば、この剣を下ろして差し上げましょう」

 

 だから、それは当然の言い草だった。

 力が数段勝っている者が、劣っている者に対して「何もしないなら見逃してやる」と、遠回しにそう言ったのである。

 彼女からすれば、それは彼女なりの”誇り”の表れだったのだ。≪鉄機隊≫筆頭隊士、≪神速≫のデュバリィとしての、最大限の譲歩。しかし皮肉にも、それが彼女の唯一の武人としての”隙”だった。

 

 

 

「-――それじゃあ、僕があなたの相手をします」

 

 

 霧の如く茫洋とした声が聞こえると同時に繰り出された双撃を、デュバリィは左手に携えた盾で受け止める。

その超人的な反応速度に、しかし襲撃者は驚く事もなく、まるで初めからそこに居たかのような自然体で、彼女の目の前に立った。

 

「お久し振りですね、デュバリィさん」

 

「ッ……本当に帝国を訪れていたのですね、≪漆黒の牙≫」

 

「今は、ただのヨシュア・ブライトですよ」

 

 苦笑と共にヨシュアは、嘗ての異名を嗤う。勝手知ったる、という程交流があるわけではなかったが、レイの経由で何度か顔を合わせた事はあった。

騎士と暗殺者という、相反する戦闘方法を根底に持つ二人。しかしだからこそ、対決には相応しいとも言えた。

 

「僕が加わっても、不足がありますか?」

 

「……いいでしょう。少しばかり、お相手してあげますわ」

 

 そう言ってデュバリィは剣を頭上に掲げる。途端、彼女の背後の空間が圧縮されたように捻じ曲がり、そこから三機の大型戦闘機械(オートマタ)が姿を現した。

蒼と赤に彩られ、両肩に盾を、大柄な成人男性の腰回り程の太さの頑強そうな四肢を軋ませるそれは、≪鉄機隊≫隊士が所有する重装甲拠点防衛用戦闘兵器。名は、ヴァンガードF3≪スレイプニル≫。

 

「あらら、これは随分と骨が折れそうね」

 

「シェラさん、あの人は強いです。本気で掛かりましょう」

 

「了解。リベールの遊撃士の底力、見せてやろうじゃないの」

 

 

 

 

 

 ―――斯くして、帝都の一角を舞台とした本格的な戦闘は、遅まきながら火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




はい、ios版のFate/Grand Orderは配信されないわ、今週ものんのんびより終わっちまったわでテンションが若干低めな十三でーす。こんな時は『星天ギャラクシィクロス』でも聞いて回復したい。

何だか今回書いてて思った事なんですが、ルナフィリアちゃんのキャラが何故かCharlotteの友利ちゃんに似て来た気がする。イメージCVがあやねるでしか再生されない。ホント、どうしたもんか。

あ、それと、今まで描くかどうかガチで悩んで、先日勢いで描き上げたシオンさんのイメージイラスト貼っときます。



【挿絵表示】





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帝都騒乱 弐







「命を賭けることと命を軽く扱うことは似てるようで全然違うぞ。
生死の境で生きてる奴は 死んでもいいなんて絶対思わない」
       by キルア・ゾルディック(HUNTER×HUNTER)











 

 

 

 

 槍を始めとして、長柄武器の弱点と言うのは決まっている。

 攻撃範囲の拡大というメリットと差し替えに、武器の扱いに遠心力が掛かる分、どうしてもリーチの短い武器と比べれば攻撃の手数は落ちるものだし、加えて懐に潜り込まれるレベルの長接近戦には弱い。

 ……と、そういった理屈が通用するのは準達人級の武人まで(・・・・・・・・・)である。その枠を乗り越えて”達人”と呼ばれる存在にまで昇華した武人は、己の手繰る得物のデメリットを、他ならぬ己自身の武の技量によって補う事で極限まで隙を削り取っていく。

 故に、達人級の実力を持つ者同士が正面からぶつかった場合、勝敗を決するのは武器の優劣ではなく、純粋な実力の優劣なのだ。

 

 

 そういう意味では、現在サラは目の前の女性と対等に渡り合っていると言える。

 交わした攻撃は十合かそこらと言った所だが、その一撃一撃が様子見ではなく、己の魂を注いで叩き込んだモノ。激突する際に発せられる膨大な熱量が、余波となって周囲の大地を抉っていた。

 

「フッ―――‼」

 

 そんな相手に対して膠着状態を作るというのは、徒に緊張状態を長引かせるだけであり、サラはそういった戦い方を好まない。

 ましてや、実力が自分よりも上な相手(・・・・・・・・・・・・)に対して様子見に徹するような能天気な頭脳は持ち合わせていないのだ。

 踏み込みと同時に、常人から見れば動きがブレる程の速さで放たれたブレードの一閃。しかしそれは、的確に一歩下がって横薙ぎに振るわれた槍の刃によって受け止められる。

しかしそこまでは予想済み。ギチギチという軋む音を鳴らしながら、サラは左手に構えた導力銃の銃口を相手の蟀谷に向けて、そして躊躇いなく引き金を引いた。

距離はおよそ1メートル。本来であれば銃口から射出された導力銃の弾が対象に被弾するまでに要する時間はコンマ数秒にも満たない刹那の時間だ。回避行動を取れるような状況ではない。

 だが、彼女はそれをした。自分の頭部が標的となった事を瞬時に理解し、腰から上の上半身を背後に仰け反らせる事で着弾する直前に見事避けて見せる。加え、ブレードと競り合っていた槍の穂先をそこで離し、仰け反る勢いで体勢を屈めて、回転の威力も上乗せした一閃を放って来た。

 それは、容易くサラの両足を慈悲なく切断する程の威力を持った斬撃だったが、レイの放つ【薙円】への耐性がついていた彼女は、その場で跳躍して躱す。服の一部は持って行かれたが、体には傷一つついていない。

 しかし、跳躍の間に数歩下がられて完全に槍の間合いに入ってしまった事を認識したサラは、一旦飛び退いて距離を取った。

 

 強い、と素直にそう思う。

 今のところ派手な攻撃方法は一切見せていないが、とにかく隙というモノが全くない。つい数十分前までは軽口を叩くなど、飄々とした一面を見せた彼女だったが、ひとたび移動を終えて穂先をこちらに向けたその瞬間から笑みの一切は消え失せ、口も真一文字に閉じられたまま動かない。

 身に纏う騎士鎧と同色の槍。身の丈を優に超える長さを誇るそれを、彼女はまるで己の手足も同然かのように手繰ってこちらの攻撃の一切を弾いてくる。まるでこちらの攻撃を読んでいるかのように、槍が生み出す攻撃の合間の僅かなインターバルをも推測して仕掛けているかのようだと、そう推測してしまう程にその技量は鮮やかだった。

 

 サラとて、元A級遊撃士の名を辱めない力は有している。嘗ては「帝国遊撃士協会に≪紫電≫在り」とすら言わしめた実力者だ。その腕の程は、今まで繰り広げた剣戟の中で掠り傷一つ追っていない様相からも分かるだろう。

 しかし、攻めあぐねている事もまた事実だ。今のところ実力的には拮抗出来ているが、見間違えようもなく達人級に相応しい槍術の腕前を持つこの人物が、よもやこの程度で手詰まっているなどと思う程、楽観的な思考はしていない。

 それでも悲観的過ぎる考えは抱かずに、さてどうしたものかと考えていると、突然前方から漂って来ていた殺気が、消えた。

 

「ん、んー。やっぱり時が経つと戦い方も変わってくるものですねー」

 

 小馬鹿にしたような声色ではなかったが、少なくとも尋常な殺し合いの中で発せられるような声ではない。

サラは思わず眉を顰めながらも、策を捻り出すついでに耳を傾けた。

 

「その言い分だと、前にアンタとアタシが会ってるみたいな言い方じゃない。生憎、アタシの方は覚えがないんだけど?」

 

「ま、それはそうでしょう。あの時、私は貴女の戦いを遠目で見ていただけですし―――と、そうだ。名乗り、というか自己紹介がまだでしたね」

 

 あくまでも自分のペースで物事を運びにかかり、それに自分も乗ってしまっている事に辟易とするも、その流れに乗ってしまった時点で同罪だと諦めた。

 

 

「≪鉄機隊≫副長補佐近衛筆頭隊士、ルナフィリアと言います。≪雷閃≫とか呼ばれてますね」

 

「……随分と長い役名だけど、近衛、ね」

 

「ま、正直ウチの人に近衛騎士なんか必要ないですし、マスターに至っては超常的な強さをお持ちですから、普通の隊士と同じと思っていただけて構いませんよ? 一応これでも隊の中ではナンバー3ですし」

 

「それじゃあ、”戦乙女(ヴァルキュリア)”なんて呼ばれてる隊の幹部騎士って事ね」

 

「おやおや良くご存じで。情報源は―――やっぱり≪死線≫さんですか。レイ君はコッチの情報に関して縛りプレイ強要されてる真っ最中ですし」

 

 その言葉を聞いた瞬間、サラは過敏なまでに反応した。

 

「アンタ、知ってるの? レイを蝕んでるアレを」

 

「≪魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)≫の名前は知らなかったんですか? そんな筈はありませんよね? 詳細を聞こうとしてもムダですよ。アレ、術を掛けた本人でも完全解除が出来るかどうか怪しいってシロモノらしいですから」

 

 尤も、と、ルナフィリアはそこで曇りがかったような苦笑を見せる。

 

「あの時は流石の私もあの方を恨んだものですよ。幾ら盟約に従った結果とは言え、彼を繋いだ鎖はあまりに太く、彼が身に抱いた罪科の念を跳ね上げさせた。……それでも私は一応騎士ですからね。マスターが黙認していた事に対して、何も言えなかったんですよ」

 

 一瞬、本当に一瞬だけだが、サラはその感情が理解できたような気がした。

騎士道、などというモノとは正反対の性格だと自覚はしているし、敬う程の絶対的な上司がいたわけでもない。ただそれでも、親しい者が苦しんでいる姿を見て、それでも黙しているしかなかった悔しさというのは、痛いほどに分かってしまう。

 

「……そう。その”あの方”ってのが、レイにあんな術を仕込んだ奴なのね」

 

「まぁ、そうですね。ここまでペラペラ喋っておいて何ですが、これ以上はお話しませんよ? 私にだって、組織の一員っていう自覚は一応あるんですから」

 

「軽薄なのか律儀なのか、良く分からないわね、キャラが」

 

「良く言われます」

 

 そこで一度会話に区切りをつけ、ルナフィリアは再び槍を構え直す。後頭部で括った鮮やかな金髪が風に靡き、そして再び垂れる時には、既に”武人”の顔に戻っていた。

 

「それと、疑問にちゃんと答えてはいませんでしたね」

 

 白銀の穂先に、青白い光が灯る。空気が弾ける様な音と共に、やがてその場所に帯電した。

ここから先こそが本気だと、まるでそう言い聞かせるように。

 

「戦いの興が乗ったら、口を滑らせるかもしれません。知りたくはないですか? 私が貴女をどこで見かけたのか」

 

「……正直それよりも知りたい事が出来ちゃったけどね。でも、ま。知らず知らずの内に覗き見されてたってのはあんまり気持ちの良いモンじゃないわ」

 

 同時、サラの纏う闘気に、彼女の異名と同じ紫電が発生する。

『雷神功』という名がつけられたその技は、一時的に身体能力を飛躍的に高めるのみならず、五感の感応力も高める、魔力と氣力を混合させたものであり、サラの切り札の内の一枚である。

 

「だから、ちょっと強引に聞き出すわよ」

 

「無論。私はそれを望んでいるのだから」

 

 二人以外の人間が誰も存在しない広大な公園の中で、紫電と青電が激突する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 サラとルナフィリアの戦いが力と力の奔流の衝突ならば。

 彼らの交戦は、まさに技と技との鬩ぎ合い。炯々とした熱量は存在しないが、それは決して交わされる斬撃の応酬が緩慢な物だという事ではない。

寧ろ、先のそれよりも熾烈に、鋼と鋼とが軋み合う。嘗て≪結社≫最高峰の暗殺者として名を馳せた頃の、否、それ以上の武技を以てして、可憐な戦乙女を仕留めにかかる。

 

「フッ―――」

 

 だが、その死刃を食らう事を、他ならぬ彼女自身が許さない。この身は騎士。尊厳にして麗逸な、己が崇拝する偉大な(マスター)より授かった、敗北という無様な様相を晒す事を許されない存在であるが故に。

 迫り来る双刃は、確かに脅威だ。≪白面≫に玩弄されていたとはいえ、積み上げた戦闘経験そのものは本物であり、≪福音計画≫を経て、かの≪剣帝≫にすら刃を届かせたのだ。侮るなど、出来る筈がない。

 

 ヨシュア・ブライトの戦い方は、正道とは程遠い。真正面から戦うより、奇襲を以てこそその実力は充分に発揮できる。双剣の乱舞は変幻自在に空中を舞い、騎士の剣を嘲笑うかのように首筋を掻きに来る。

その剣を、デュバリィは否定しない。戦場を経験した剣とは元よりそういうモノだ。刀身を血に濡らしたその時から、ある意味正道とは遠くなる。まともでは、いられなくなる。

 しかし―――。

 

「嘗めるんじゃ―――ありませんわッ‼」

 

 敗北するわけにはいかない。勝利の誉れを手にするのは、自分一人で良いのだと、自らに言い聞かせて剣を振るう。

 

 対してヨシュアの方も、彼女の剣の技量に少なからず瞠目していた。

 彼女が強い。それは当たり前だ。普段の言動がアレな所為で小物のように見られてしまうが、伊達に≪鉄機隊≫の筆頭隊士を務めているわけではない。まともに正面から挑んだところで、勝利を掴み取るのは難しいだろう。

 デュバリィの強みは、盾と騎士剣を併用した、攻防一体の堅実さにある。その特性上、馬鹿正直な戦法で勝利するには、ただ純粋に彼女の技量を上回るしかない。

 しかし、≪鉄機隊≫の幹部隊士、”戦乙女(ヴァルキュリア)”ともなれば、一人一人が≪執行者≫に勝るとも劣らない達人級の武人達。≪使徒≫第七柱、≪鋼の聖女≫より直々に薫陶を賜った彼女らを相手に暗殺者としての技量しか磨いてこなかった自分が上回れると思う程に耄碌はしていない。

 

「(なら……)」

 

 僅かに距離を取り、腰のポーチから取り出したのは、クロスベル支部に赴いていた際、そこで知り合った男性に餞別として分けて貰った特殊な投擲弾。

口でピンを抜き、デュバリィの足元に転がしたそれは、直後、膨大な光を撒き散らした。

 

「ッ‼―――」

 

 正式名称、T-82型閃光手榴弾。俗称で『クラッシュボム』と呼ばれるそれは、対人・対魔獣問わず、視覚器官に強力なダメージを負わす武器であり、その光を、一瞬であるとはいえ目にしてしまったデュバリィは、強く目を閉じて頭を振るう。

 しかしヨシュアは、その機に乗じて懐に飛び込む事はしなかった。例えそれを実行に移したとしても、難なく迎撃されてしまうだろう。たかが視覚を潰された程度では、達人級の武人の技を封じる事は出来ない。

だから、デュバリィの視界が封じられていたコンマ数秒の間に、ヨシュアは自らの気配を限りなく薄くし、崩れた大聖堂の瓦礫の影に隠れた。

 

ENIGMA(エニグマ)―――駆動」

 

 詠唱に有した時間は数秒。駆動時間を短縮するクオーツを限界まで搭載したエニグマが、鈍い光を放つ。

 

「『ホロウスフィア』」

 

 選択したのは、幻属性のアーツ。自身の体をステルス状態にして完全に身を隠す事によって、攻撃対象から外すという魔法である。

しかし、本来この魔法を使用しても隠蔽可能なのはその姿だけであり、視覚を頼りにしない魔獣や、前述通り五感全てを支配下に置く達人などには通じない場合が多い。だが、それをヨシュアのような隠遁のプロが行使すれば話は違う。

 姿は完全に隠れ、体臭を消す方法や音を立てずに移動する方法なども充分過ぎるほどに心得ている。その上気配を遮断する手段に長けているともなれば、如何な武人と言えど見つけ出すのは容易ではない。実際、デュバリィはヨシュアの姿を完全に見失ったようで、周囲を見渡していた。

 チャンスは一度きり。二度同じような手を使わせてくれるとは思えない。だからこそヨシュアは、己の存在を可能な限り希薄にしたまま背後から肉薄し、鎧に覆われていない部分を攻撃して戦闘不能に追い込もうとした。その動きに迷いなどは一切なく、先程まで届かなかった刃が、2リジュ、1リジュと確実に迫る。

 ―――しかし。

 

「なっ⁉」

 

 その刹那の瞬間、左手に構えていた盾が、半ば無意識であるような動きで背中に回され、必殺の一撃を受け止めた。

流石に動揺を隠せなかったヨシュアの眼前に逆に迫って来たのは、騎士剣の切っ先。突き出されたそれを寸前のところで頭部を横に動かして回避したものの、頬に一筋紅い線が走った。

 その後も絶え間のない連撃がヨシュアを襲ったものの、卓越した動体視力と身体能力で、全てを紙一重で躱していく。確かに早い。普通の人間であれば目で追うどころか剣閃を視界で捉える事すらできないだろう。

 ただそれでも―――親友(レイ)の本気の剣速には、まだ及ばない。突き出された剣に双剣の攻撃を合わせて鎬を削っている間に、盾を足場にして勢いをつけて後方へ跳んだ。

 

「ふぅー……今のは、行けたと思ったんですけど」

 

「……悔しいですが認めて差し上げますわ、ヨシュア・ブライト。白状しますと、見えていたわけではありませんわよ。あなたの隠形は完璧に近かったですわ」

 

 それでも寸でのところで盾を突き出せたのは、数多の死線を潜り抜けた者にしか得られない戦場での第六感、直感がそうさせたのだろう。

 理屈ではない、感情云々でもない。ただ己の身に危険が迫っている事を、他ならぬ自分自身の本能が告げるのである。故に守れ、故に躱せと、思考が追いつく前に体が反応する、人間の本能的な動き。平和な人生を享受している者では、決して得られない武人の一つの到着点。

 

「幸福のぬるま湯に浸かって衰えていたかと思いましたが、そうではなかったようですわね。その双刃に、傀儡同然のあの頃には宿っていなかった覚悟を感じますわ」

 

「―――そうですね。今の僕には帰るべき場所があって、待っている女性(ひと)がいる」

 

 今この場所に立って、らしくない意地を張っているのは散々迷惑をかけっぱなしだった親友に対しての一種の恩返しなのだが、それでも命を散らすつもりなど毛頭ない。恋人が待つあの場所(リベール)へ、絶対に笑顔で帰らなければならないのだから。

 

「貴女が命を賜って此処に居るのと同じように、僕にもまた、退けない理由がある。それだけの事ですよ」

 

「……成程。マスターより賜った御命と同列に語られるのは少々癪ではありますけれど―――まぁ、それは深入りする事情ではありませんわね」

 

 ならばこれ以上の会話は無用、と言わんばかりに、再び殺気を纏う二人。次の一撃でどちらかの命が果てるのではないかと、そう思わせるほどの研ぎ澄まされた気迫が漂う。

 

 

「あ」

 

「へ?」

 

 しかしその直後、二人の頭上に急に影が差す。日が雲に隠れたというレベルの物ではなく、巨大な物体が今まさに落下しているかのようなその気配をいち早く察したのは、ヨシュアの方だった。

 

「ちょ―――」

 

 逃げるんですの⁉ という言葉すらも言わせて貰えず、コンマ数秒後に二人が立っていた位置に散々甚振られてボロボロになった”スレイプニル”が轟音と共に落下し、爆発炎上する。

反射的に飛び退いたヨシュアですらも思わず「うわぁ……」と気の毒そうな声を出してしまう程には、実にタイミングの良い大惨事ではあった。

 そして後ろを振り向いてみると、鞭を構えてとても良い笑顔をして汗を拭う女性が一人、同じように煙を吐いて見事に沈んでいる”スレイプニル”二機を背景に悠然と佇んでいた。

 

「ふぅー♪ 最初は反応なくてつまらなかったけど、流っ石≪結社≫の高性能機械兵器(オートマタ)ね。途中から足掻き始めてついテンション上がっちゃったわ♪」

 

「いや、あの、シェラさん? こっちの様子見てました? なんか凄いまともに戦ってたのに予想外過ぎる乱入入って僕はもういっぱいいっぱいなんですけど、どこからツッコんだらいいんです?」

 

「だって最初っから見てて分かったけどあの子シリアスが似合わないタイプの子でしょ? 数十分マジメにやってたら耐えきれずに自分から醜態晒してボケそうじゃない」

 

「え? 何でそこまで分かるんです?」

 

 初見であるはずの彼女にまで見破られてしまう程に分かりやすい性格だったのかと辟易としていると、前方で燃え盛るスレイプニルが、爆散する。

 

「……よくも、よくもわたくしの戦いをコケにしてくれましたわね‼ ≪銀閃≫‼」

 

 炎の中から、しかし煤汚れ一つ付けずに生還したデュバリィは敵意を隠そうともせずにシェラザードを睨み付ける。しかし、当の本人はそれを鼻で笑い飛ばして受け流した。

 

「あら、動かなくなった鉄屑を持ち主に返してあげただけじゃない。そ・れ・に―――」

 

 とても良い表情で軽く舌なめずりするシェラザードの様子を見て、ヨシュアは気付く。

 そうだ、何故気付かなかったのか。基本的にSな彼女にとって、デュバリィは―――基本強気で、しかし劣勢に立たされるとこちらが引くくらいに狼狽した挙句に癇癪を起こして逆ギレして、そしてもうどうしようもなくなった時には見てる側が可哀想になるくらいに打ち捨てられた子犬のようになってしまうという、文句のつけようがない格好の標的なのだ(・・・・・・・・)

 

「ひ……ッ⁉」

 

 その捕食者のような視線を受けて、デュバリィは一瞬全身の毛が逆立ったかのような脅えた表情を見せる。本来の実力的には彼女の方が上の筈なのにも関わらず、今では完全に蛇に睨まれた蛙という言葉が似合う構図が出来上がってしまっていた。

 

「あなた、結構躾甲斐がありそうだもの♪」

 

「ち、ちちちち近寄るんじゃありませんわ‼」

 

 先程までとは打って変わって動揺しきった声でそう叫び、再び剣を頭上に掲げると、新たに四体の”スレイプニル”が姿を現す。その機体は先程までの物よりも二倍は大きく、その両手には巨大な機動剣を携えていた。

 

「あら、さっきよりもゴツイのが出て来たわね」

 

「あれは……見た事がないですね。僕が抜けた後に製造された物だと思います」

 

 ギュルン、という駆動音と共に一体の足が踏み込まれ、剣が振り下ろされる。巨大な質量が伴ったそれは、回避行動を取った後の二人が居た場所の地面を大きく抉った。

速さは申し分なく、破壊力は言わずもがな。それが四体。眉を顰める二人に対して、デュバリィは勝ち誇ったような表情を浮かべて騎士剣を前へと突き出した。

 

「”スレイプニル・シュタルク”‼ さぁ、あの狼藉者共を始末してしまいなさい‼」

 

 その命を受け、突撃を開始する四機。まずは堅実に一体ずつ始末して行こうと武器を握る二人の眼前で、―――しかし”スレイプニル・シュタルク”四機は、蜘蛛の巣に囚われた蝶の如く、全身の動きを止めてしまった。

 

「「「―――え?」」」

 

 剣を突き出したままのデュバリィと、いざ勝負と足を動かそうとしたヨシュアとシェラザードが、ほぼ同時に気の抜けた声を発してしまう。その間にも、”スレイプニル・シュタルク”は機体の異常を感知して動こうとするも、ギチギチという耳障りな音が響くのみで、一向に前にも後ろにも進もうとはしない。

 その時、西日になりかけていた太陽が、一際明るく輝いた。その影響で、四機を拘束していたそれが露わになる。

 

 糸だ。先程の通り、蜘蛛の巣の如く張り巡らされた鋼の糸が、容赦なく縛り上げている。その硬度は相当なモノであり、これ程までに大型な戦闘機械(オートマタ)が膂力に物を言わせて足掻いても、一向に千切れる気配はない。寧ろ藻掻けば藻掻く程によりキツく縛り上げられているようにも見えた。

 やがて、機体の耐久力が限界に達したのか、一体の腕が捥げる。剣は刀身の半ばから切断され、脚部が千切れて宙吊りになる機体まで現れた。

 

「な、な、なな……」

 

 口元をひくつかせて驚愕の表情を示すデュバリィの背後に、その状況を作り出した張本人が音もなく立つ。

 

「あら、淑女がそのようなはしたないお顔をされるものではありませんわ、デュバリィ様」

 

「‼」

 

 すぐ背後(・・・・)から聞こえたその穏やかな声に、しかしデュバリィは過剰に反応して振り向きざまに剣を一閃した。

 しかし、背後に人の姿はなく、剣も虚しく空を斬る。その異常さに更に鳥肌が立つ感触を覚えながら、しかし僅かに流された(・・・・)気配に反応してその方角を見上げた。

 

 木々の間に張り巡らされた鋼糸の上。遠目では視認が難しい程に極細であるために、まるで空中に見えない床があるかのような場所で優雅に立ち、スカートの裾を摘み上げて恭しく礼をする女性。

その身に纏うは僅かな色褪せもシミもない、完璧な状態で仕立て上げられたメイド服。その格好にこそ覚えはなかったが、ヨシュアとデュバリィは、その人物に見覚えがあった。

 否、見覚えがあるというレベルではない。ヨシュアにとっては暗殺術を修めた先達とも言える存在で、デュバリィにとっては”天敵”とも呼べる存在。

 

「しゃ、シャロンさん……?」

 

「うげっ……し、≪死線≫ですの⁉」

 

「はい。お二方ともお久しゅうございます。ヨシュア様、デュバリィ様。そして、お初にお目にかかります、シェラザード様。(わたくし)、ラインフォルト家に仕えるシャロン・クルーガーと申します」

 

 一点のはしたなさもない動作で地面に降り立ち、悠然とした仕草でそう答えるシャロン。それに対して、シェラザードは「あぁ」と返した。

 

「あなたがサラとクレアが言ってたメイドさん? 随分とお酒に強いって話じゃない」

 

「うふふ、下戸の方より少々マシな程度ですわ」

 

「謙遜は良くないわよ? ……それにしても鋼糸とはね。癖のある武器を使うじゃない」

 

「昔取った杵柄でございます。では―――」

 

 長いスカートを靡かせて華麗に一回転をすると、先程の数倍の数の鋼糸が解き放たれ、機体に絡みついて牙を剥いた。

 

「街観にそぐわない無粋なお客様には、ご退場いただきますわ」

 

 瞬間、機体がものの見事に細切れに剪断される。数百本に届こうかという量の鋼糸を一斉に手繰り、その一つ一つが凶器となっていとも簡単に大型の戦闘兵器を沈黙せしめた。

彼女にとって、表面積が広い相手と相対する時はそれそのものが強力なアドバンテージになる。糸の一本でもその身に絡みつけば、後は如何様にも料理出来てしまうのだから。

 

 しかし、ヨシュアやデュバリィからすれば、目の前の光景は何ら異常ではなかった。だからこそ、デュバリィは歯噛みをしてしまう。

 

「貴女が……貴女が帝都(ココ)に居るという情報は聞いていませんでしたわよ‼」

 

「えぇ、本来であれば(わたくし)はクレア様の立案された策に参加するつもりはございませんでした。しかしながら、ラインフォルト家のメイドとして(・・・・・・・・・・・・・・)どうしても昨夜の内に帝都を訪れなければならない所要がございまして、そのついでに、此処に立ち寄らせていただきました」

 

 そう言うシャロンの顔が、何故か潤いに満ちているような気がするのは、どうなのだろうとヨシュアは思う。

しかし彼女はあくまでも自然体に、悪気など一切なかったのだと、親が子を諭すような口調でデュバリィの癇癪を含んだ疑問に答えていく。

 

「当初はお嬢様方の方へ赴こうとも思ったのですが……どうやら余計なお節介になりそうでしたので、此方に御助力に参った次第ですわ」

 

「ほ、本当に余計なお節介ですわよ‼ わ、わたくしがどれだけ貴女の事を―――」

 

「”苦手としていらっしゃるか”。えぇ、無論、存じておりますわ。(わたくし)の技は卑しい刺客の使うそれでしかありませんが、それ故に、恐れなさっている」

 

 ヨシュアの戦法は確かに暗殺者としての側面が残っているが、それでも双剣という武器を使う以上、どうしても相手と肉薄して戦う事を余儀なくされる。そういう意味では、慣れれば間合いも取りやすい。

しかし、シャロンは違う。空間さえ確保できれば、戦場を縦横無尽に闊歩し、多種多彩な絶技で以て変幻自在に攻撃を仕掛けてくる。なまじ鋼糸という、極めるのに才覚と血の滲むような鍛練を必要とする風変わりな武器であるために、真っ当な騎士としての戦法を得意とするデュバリィ達にとっては天敵とも言える相手であった。

 彼女が≪死線≫の名を捨てて7年になるが、それでも先程の腕前を見る限り、技が錆びているとは言えない。加え、この場は既に彼女の手足とも言うべき鋼糸が、既に張り巡らさせた場所でもある。此処で我武者羅にかかったところで、自ら蟻地獄に嵌りに行くような愚を犯すだけだ。

 それを悟った時、彼女の中に浮かんだ策は、ただ一つだけだった。

 

「……いいでしょう。この勝負は預けましたわ。ヨシュア・ブライト、≪銀閃≫、それに≪死線≫。このわたくしをコケにした借りは、何れ必ず返していただきますわよ」

 

 そう言い放つと、デュバリィは足元に≪結社≫の紋章が浮かんだ転移陣を構築し、光の奔流と共に消えて行った。

 

 宣言には一切の狼狽の色はなく、それは間違いなく、≪鉄機隊≫筆頭としての純粋な矜持から絞り出されたモノ。

騎士の再戦の誓いというものは、決して破って良いものではない。何時になるかは分からないが、果たされる事になるだろう。

 実際のところ、ヨシュアもシェラザードの思いがけない乱入がなければ、どうなっていたかは分からなかった。元≪執行者≫二人と、腕利きの遊撃士が集まって漸く撃退に成功した相手。

 

「(これじゃあ、レイに追いつこうなんて夢のまた夢、かな)」

 

 そんなデュバリィよりも更に上の、武や力の真髄を究めた”武闘派”と呼ばれる≪執行者≫達の一員として名を馳せていた親友の姿を脳裏に浮かばれながら、ヨシュアは一人、力なく苦笑した。

 





何だか長くなりそうだったのでタイトルを変更しました。戦闘シーンって文字数食うんですよねー。

艦これの劇場版が決定した今日この頃。あまり期待しすぎてるとデカいしっぺ返しを食らいそうだと思っているのは私だけでしょうか。



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帝都騒乱 参






 「負けを認めて死にたがるな、死んで初めて負けを認めろ
  負けてそれでも死にそこねたら、そいつはてめえがツイてただけのことだ」
      by 更木剣八(BLEACH)









 

 

 

 

 

 

 誰も知らない歴史がある。とある古文書に綴られた真実が、エレボニア帝国には存在した。

 

 時は七耀歴371年。帝都ヘイムダルが開かれて200年が経とうとしていた時、”災厄”が突然都を襲った。

 

 漆黒の瘴気を撒き散らす魔竜、”ゾロ=アグルーガ”。地の底より出現したソレが吐き出した瘴気は瞬く間に帝都を覆い尽くし、生ける屍となった民達は都を徘徊する闇となり、魔竜の眷属らが跋扈するようになる。荘厳な都はそれ程の時も経ずに”死都”となり、皇帝は生き残った民や臣下らと共に白亜の都市、南部のセントアークに遷都したのである。

 

 ―――時が流れて100年後。

 

 7代後の皇帝、ヘクトルⅠ世が死都と成り果てたヘイムダルの奪還を決意し、精強な騎士団と共に進撃を開始するが、強力な闇の眷属たちに阻まれて苦戦を強いられてしまう。

 しかしそこで、彼は”とある存在”と邂逅した。

 

 嘗て、それこそ気が遠くなるほどに遡った時代。地に降り立ち、千日もの間相争ったと謳われる二柱の”創世の巨神”。相討ちとなった二神が残した爪痕の中に存在した、”巨イナルチカラ”と呼ばれる遺物の一つ。

 帝都の地下に眠っていたそれこそは、巨いなる緋色の騎士・≪テスタ=ロッサ≫。緋の巨騎士はヘクトルを主とし、地を震わすほどの圧倒的な力と、無数の宝具を携えて、魔竜の喉元にまで迫った。

 そして死闘の後、遂に悲願である魔竜を討伐せしめたのである。その身に、千年の時が経とうとも決して癒えない怨呪という名の毒を残して―――

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 古代遺物(アーティファクト)とは即ち、唯一神である空の女神(エイドス)が地上に遺した秘蹟。

 それが引き起こす”奇跡”とも呼べる現象は、発達した科学文明程度では解明する事は叶わず、七耀教会では”早すぎた女神からの贈り物”と称して、専門の組織が積極的に回収をしている。

 

 そして今、ギデオンが有している”魔物を意のままに操る”という≪降魔の笛≫も、例に漏れず古代遺物(アーティファクト)の一つであった。

 嘗て、闇の眷属の力を利用してとある王国に反旗を翻そうとした召喚師(サモナー)の男が有していたとされているそれは、ありとあらゆる魔物を支配下に置いて操る事が可能であったが、国家転覆は失敗に終わり、男は処刑された。しかし、国内に邪悪な音色を撒き散らしたその笛だけは、どこにも見当たらなかったという。

 

 その呪われた古代遺物(アーティファクト)が今、帝都地下通路の最奥に存在する地下墓所(カタコンベ)で、災厄の化身を召喚していた。

 千年近く前にヘイムダルを恐怖と死の世界に貶めた、伝説の魔竜”ゾロ=アグルーガ”の死骸。肉体は朽ち、強靭な鱗も剛爪も、空を舞うための両翼すらもない。しかし、それでもその穢れた魂に宿る負の怨念は、眼前に立つ全ての生物に嫌悪感を感じさせてしまう程に強力だった。

 

「ク、ククク‼ これが伝説の魔竜か‼」

 

 その絶対的な威圧感に、ギデオンは堪らず高笑いをする。たとえ骨だけになろうとも、その豪壮さは健在だ。巨躯を揺らして矮小な人間に迫る様は、その肉体が存在した頃の暴虐さを彷彿とさせる。

叶うのならばこのまま足止めを押し付けて逃走を図る所なのだが、流石の≪降魔の笛≫といえども、これだけの存在を無条件で従えられない。使用者が100アージュも離れれば、制動は困難となり、こちらに襲い掛かってくる可能性もある。

まぁ元より、流石の連中も死骸であるとはいえ伝説の魔竜には勝てないだろうと、高を括っていたため、逃げる必要もないと油断していたのだが。

 

 

 しかし蓋を開けてみれば、実に効率よく、堅実に、それでいて躊躇もなく、彼らは魔竜に立ち向かっていった。

触れるだけで肉体が汚染される瘴気は、二人のシオンが術で以て封じ込めていた。黄金の光が瘴気を浄化している間に、先頭に立つリィンが全員を鼓舞する。

 

「恐れるな‼ 立ち止まるな‼ たかが魔獣の死骸程度に臆する俺達じゃないだろ‼」

 

 今まで散々鍛え上げられて来た。各々が得意分野を磨き、苦手な分野を補う努力を怠ってこなかった。士官学院生とは思えない程の修羅場を潜り抜けて来た。

そんな自分達が、この程度の(・・・・・)相手に負けるはずなどないのだと、声を張り上げて後ろに続く仲間達を奮い立たせる。

 

「この程度の窮地も抜け出せないようなら、それが俺達の限界だ‼ それでいい筈がない‼」

 

「当然」

 

 隣に立ったのはアリサだ。紅耀石(カーネリア)の様な双眸を爛々と輝かせ、右手には弓を、左手では器用に番える矢を回している。

 

「負けられるわけないじゃないの。特科クラスⅦ組の本領、見せてあげようじゃない」

 

 その強気な言葉に、リィンも頷く。他のメンバーも、それに続いた。

 ズシンと、地面を巨体が踏みつける。咆哮はないが、首をもたげて顎を大きく開く。明確な威嚇行動であったが、それを機にリィンは抜刀した。

 

「”フォーメーションC”‼ 各自、リンクを繋いで連携しろ‼」

 

「「「「「「「「了解ッ‼」」」」」」」」

 

 掛け声と共に、まずリィンとフィーが駆け出した。リィンが右方の、フィーが左方の側面に回り込み、それぞれ後ろ脚に一撃ずつを食らわせる。

しかし、ゾロ=アグルーガはそれに見向きもしなかった。決して浅くもない一撃だったが、そんなものは意にも介さないと言わんばかりに前方を睨み付けている。

 

「フィー‼」

 

Ja(ヤー)

 

 リィンの合図と同時に、フィーがポーチからフラッシュグレネードを取り出し、左目の近くに投擲する。その直後、膨大な光が眼前で爆発するが、結果は同じ。反応が薄いどころか、皆無。その時点でリィンは一つの仮説を立てた。

 

「(痛覚と視覚はないのか? まぁ死骸だし、分からなくもないが……)」

 

 加え、フラッシュグレネードが爆発する際の爆音にも反応しなかった事を考えると、聴覚もないと考えるのが妥当だろう。

 なら、どうやってコイツは自分達を認識しているのか? と考えている間に、リィンはアイコンタクトで、前衛にいるラウラとガイウスに指示を送った。

 ”フォーメーションC”は、言ってみれば初見の強大な敵と相対する際に組む偵察用の陣形の事で、先陣を切るのは敏捷力に長けたリィンとフィー。リィンからの指示を受けた二人は、左右に分かれて斬り込んでいく。その際、中衛以降のメンバーは、それぞれ散開しながら牽制を続けていた。

 次々と浴びせられる様子見の攻撃にも全く反応せず、四肢を動かして前進をするのみの反応しか見せなかったゾロ=アグルーガであったが、しかしその膠着状態も、エマのアーツ詠唱が始まった段階で動きを見せた。

 

「―――――――――――」

 

 音の出ない咆哮。同時に、口から漆黒のブレスを吐き出した。

それが一直線に狙ったのは、エマ。

 

「え――――」

 

「ッ‼ 避けろッ‼」

 

 詠唱中で動けなかったエマを、中衛にいたユーシスが力づくで動かし、ブレスの射程圏外に押し出す。直後、その横ギリギリのところを、ブレスが通過した。

明らかに有毒な黒い煙を上げるそれを睨み付けながら、ユーシスは忌々しげに舌打ちをした。

 

「ブレスは毒だ‼ それと―――」

 

 確定ではない。まだ推測の域は出ないが、情報の出し惜しみをして取り返しのつかない事態になれば、それこそ目も当てられない。

だからこそ、ユーシスは一瞬躊躇いはしたが、その情報を口にした。

 

魔竜(ソレ)は魔力に反応する‼ 後衛は必ず中衛と行動しろ‼ リィン‼」

 

「了解だ‼ ガイウス、一旦下がってエリオットに付いてくれ‼ ユーシスはそのまま委員長のサポートに‼」

 

「「了解‼」」

 

 Ⅶ組に於いてレイ抜きでの戦闘を行う場合、リーダー兼司令塔としてリィンが居るのだが、彼が前衛である以上、一人だけで戦闘の局面を完全に把握するのは難しい。

故に、中衛のユーシス、後衛のアリサと、素早い情報分析と状況把握に長けた二人も臨機の判断を下す事が出来る。本来であれば情報が交錯して各々の間に躊躇いが生じてしまうものだが、彼らには戦術リンクという手段と、何より教練中に何百回と同じ行動をした経験がある。この程度の連携など、わけもなかった。

 

「ゆ、ユーシスさん、ありがとうございます」

 

「礼はいい。それよりも、詠唱の長い高位アーツの使用は出来るだけ控えろ。補助アーツは発動までどれくらいだ?」

 

「平均3秒ほどです」

 

「捕捉されたら詠唱を中断して回避しろ。お前が倒れれば俺達は一番の火力を失う事になる」

 

 各々が、為すべき事がある。それを全員が嫌という程に理解しているため、エマは神妙な面持ちで一つ頷いた。

 それを見やると、ユーシスはすぐさまアーツの駆動に入る。時間にして数秒だが、励起した魔力に反応してユーシスの方へと視線を向けるゾロ=アグルーガの側頭部を、炎の魔力を纏った火矢が三連続で叩き込まれる。

 

「ホラ、よそ見してるんじゃないわよ、っと」

 

 単一の小さい標的を狙う場合はともかく、比較的的の大きい標的を狙う場合、アリサは三本までなら同時に矢を放てるようになっていた。

不敵な笑みを浮かべながら次の矢を番えると、ユーシスの詠唱も終わる。

 

「『ファイアボルト』」

 

 アーツを剣に纏わせて、矢が当たった場所とは対面となる側頭部に跳躍して斬撃を叩き込む。瞬間、グラリと体勢が崩れたのを見逃さず、リィンとフィーがそれぞれ横腹に攻撃を叩き込んだ。

 

「『業炎撃』ッ‼」

 

「『スカッドリッパー』」

 

 体を構成する骨の一部が砕け、少しばかり怯むような姿を見せたが、それでも死骸とはいえ元は帝都を恐惶させた魔竜。それで斃れる程に柔ではなく、両翼の骨格を拡げて勢いをつけると、前足に当たる二脚を地面から離して若干ではあるが浮き上がった。

 その一連の行動に、リィンは直感的に”重攻撃が来る”と悟った。

 

「全員、防御態勢‼ 離れろッ‼」

 

 その指示の直後、ゾロ=アグルーガは前の両足を、全体重を乗せて地面に叩きつけた。

地下墓所(カタコンベ)全体が揺れたのではないかと錯覚するほどに大きい振動が全員を遅い、その動きが一瞬だけ止まる。その一瞬の間を突くように、巨大な翼の骨格が、立ち止まったアリサやユーシスらを薙ぎ払った。

 

「キャ……ッ‼」

 

「ッ……‼」

 

 しかし、衝撃を受けても倒れる事はしない。いつぞや受けたシオンの衝撃波の一撃に比べれば蚊に刺されたも同然だと、そう自分に言い聞かせて踏ん張る。

 

「皆っ‼」

 

 そんな中、リィンの指示と同時に詠唱を始めていたエリオットが、アーツを広域に展開する。翡翠色の光が拡がり、森の息吹のような香りが通り抜けると共に、傷を受けた仲間たちが癒えていく。

 『ホーリーブレス』と名がつくそれは、回復系のアーツの使用に高い適性を持つエリオットが得意とする魔法の一つ。その恩恵を受けた二人は、視線を向けるだけでエリオットに礼を述べ、再び戦闘へと戻る。

 

 

 戦いは、一進一退の様相を呈し始めていた。

隙のない連携で絶え間なく攻撃を叩き込んでいるものの、多少体勢を崩す程度にしかよろめかない。魔力の励起に反応するため、頼みとしているエマの高位アーツによる一撃必殺は望めない。

 だが、その程度は予想の範疇でもあった。元よりレイやサラを相手に模擬戦をしている時はまともなアーツなど撃たせてはくれない。詠唱が始まったその瞬間に護衛も何もかも理不尽に叩きのめして術者を真っ先に潰しに来る。だからこそ、大切なのはタイミングであると、リィンは理解していた。

 敵の隙を縫うようにして、予想だにしないタイミングで最大の一撃を叩き込む。その合図を出すのが、他ならないリーダーである自分の役目。責任は重大だが、その程度のプレッシャーは幾度も味わって来た。

 

 敵は決して敏捷に長けているわけではない。こちらの攻撃に対する反応は薄いし、繰り出す攻撃も事前に見切っていれば食らう事はないだろう。少なくとも、今は、だが。

 戦闘が長引いて集中力が薄れてくると、人間は当たり前の事すらも満足に出来なくなる。そうなる前に、決着をつけなければならない。

 だから、リィンは満を持して本格的に攻めに転じた。

 

「”フォーメーションA”に変更‼ リンクを繋ぎ直せ(・・・・・・・・)‼」

 

 その声に呼応するように、全員の意識の中でカチリと、歯車が入れ替わったような音がした。

”フォーメーションA”は、全力攻撃の陣形。型に嵌った攻撃の決まりなどはなく、各々がリンク(・・・)レベルが一番高い(・・・・・・・・)相手とリンクを繋ぎ直し、攻勢に転じる合図。

 

 真っ先に動いたのは、ガイウスだった。先陣としての役目は、他の仲間の準備が整うまで、敵の動きを止める事。無論、それで倒せれば言う事はないのだが、それが通じる程甘い相手ではあるまい。

 

「フッ―――‼」

 

 ゾロ=アグルーガの正面から迫り、横薙ぎに振るわれる腕を跳躍して躱してから、頭上で構えた十字槍を構える。そして、その穂先を地面へと向けた。

 

「『サベージファング』‼」

 

 前足を狙って放たれる槍の流星。着弾と共に衝撃が骨を通して伝わり、その体勢が右にずれた。しかし尚も戦闘意欲は失わず、先が剣の如く尖った翼を、足元で動く人間に向けて串刺しにすべく動かす。

 その時にガイウスと骨の翼の間に割って入ったのは、本来であれば中衛に居る筈のマキアス。手に取ったARCUS(アークス)を琥珀色に輝かせ、アーツを発動させた。

 

「ッ、『アダマスシールド』‼」

 

 顕現したのは、琥珀色の大盾。それが翼の一撃を受け止め、完全に衝撃を殺して見せる。

 

 エマは攻撃アーツ、エリオットは回復アーツの扱いに長け、ユーシスがアーツの制御に長けている中、マキアスが最も適性を示したのは、防御系統のアーツ。

頭角を現してきたのはバリアハートの実習が終わってからの事であり、サラに教導を頼んでいたのだが、それは彼にとってレイとの模擬戦とは別の地獄であった。

 防御アーツを発動させるという事は、即ち敵の攻撃の射程圏内に居る事が多いという事であり、状況によっては誰よりも前に出て肉薄したゼロ距離の状態で相手の攻撃を受けきらなければならない。それを成すには適切な魔力の扱いと、何より胆力が必要だった。

 それを見につけるためという名目でサラにボコボコにされる姿を見て、教導当初は他の仲間達がやけに優しくしてくれたのだが、それを思い出すと複雑な感情で今でも涙を流してしまいそうになるほどだ。

 しかし、マキアスにとってこの系統のアーツに適性があった事は、素直に嬉しい事であった。

 一度大切な家族を護る事が出来なかった彼であるからこそ、この長所を伸ばす事に何の意義もなく、今でも鍛練を続けている。

 

 そんなマキアスが現在リンクを繋いでいるのは、本人にとっては甚だ不本意である相手。そしてそんな人物が今、マキアスの肩を足場代わりにして跳躍し、ゾロ=アグルーガの頭部に飛び乗った。

 

「『フロストエッジ』」

 

 ヤギのように捻じ曲がった角を握りつぶさんばかりの握力で掴み、頸椎に当たるであろう場所の骨に剣を突き刺してそう呟く。

騎士剣に宿るのは冷気。突き刺さった場所からピシピシという音が鳴り響き、その場所を凍結させていく。そして、ゾロ=アグルーガが頭部を激しく振り始めたのを見計らって、更に深く剣を突き刺した。

 

「『プレシャスソード』‼」

 

 そして、剣に込められた冷気もそれに比例するように高まっていき、形成された氷の杭が、ゾロ=アグルーガの頸椎を破壊した。

首が落とされた事で大量の骨の欠片が飛散するが、三人はその雨を浴びる前に退避した。

 

「っ~~~‼ 君は毎度毎度何故僕を盾にするかのような行動を取るんだ‼」

 

「お前がそこに居るからだ、レーグニッツ。ちょうど踏み台にするにちょうど良い位置に突っ立っていたからな」

 

 いつもの通りに舌戦を繰り広げる二人を苦笑して見ながら、ガイウスは再び敵の方へと目をやった。

 首から上を失ったとはいえ、未だ斃れるような気配はない。しかしそれはある程度分かっていた事だ。

 だからこそ、次の攻撃を叩き込むために、全身の骨を鳴動させる敵の前にリンクを繋いだ二人の少女が立った。

 

「まだ斃れぬか。その意気や良し」

 

「でも所詮死骸。そろそろ本気で()らせて貰うね」

 

 先行するのはフィー。足が地から離れた瞬間にその身は風となり、残像を残しながら縦横無尽に斬り裂いて行く。

そして、続けざまの銃弾の雨霰が降り注いだ直後に、その巨躯を大剣の連撃が襲う。

 大剣に纏うは光。<アルゼイド>に伝わる奥義の一であり、若くしてそれを修めた麒麟児の才覚と努力の結晶が、眩い光へと姿を変えて鮮烈に敵を両断する。

 

「『奥義・洸刃乱舞』ッ‼」

 

 細腕から繰り出されたものとは思えない轟音と斬撃の軌跡が、その視界を染め上げる。

 研ぎ澄まされた技と剛撃のコンビネーションは、前脚と胸の部分の骨を無慈悲に破壊する。その攻撃に反撃をしようと両翼を動かしたものの、衝撃で脆くなっていたそれらは、リィンの斬撃とアリサの射撃によって翼の付け根から破壊されてしまった。

 

 初めて、ズズンという重量感のある音を響かせてゾロ=アグルーガが地に崩れる。

 しかし、まだだ。相手が命を散らすその瞬間まで決して油断をするなという友人の言葉を全員が理解し、集中力を切らさない。

 

 その直後、準備が整った。

 

「行くよっ‼」

 

 アーツの詠唱を終えたエリオットが、エマに向かって魔導杖を振るう。

 発動させたのは、空属性の支援高位アーツ『フォルトゥナ』。対象の魔力の底上げと対魔力の向上を促すアーツであり、それをエマに掛けた事で、アーツ詠唱中の彼女の魔力が更に跳ね上がる。

 

「下がって、下さいっ‼」

 

 その声が届く前に、リンクを通じて発動のタイミングを見計らっていた全員が、一斉に後方に退避する。大気を震わすほどに込められた魔力が、ゾロ=アグルーガの頭上に巨大な黄金色の魔法陣を展開する。

 

「『アルテアカノン』‼」

 

 放ったのは、空属性最強の攻撃アーツ。魔法陣から落とされたのは、膨大な質量を伴った光の奔流が織りなす幾つもの槍。まるで天罰であるかのように下されたそれらが、ゾロ=アグルーガの骨に容赦なく突き刺さり、直後に大爆発を起こす。

それが続く事数十秒。圧倒的な魔力の蹂躙が終了し、辺りが途端に静寂に包まれた。

 

 

「……いつ見ても思うんだが、やっぱり委員長だけは怒らせちゃいけないと思うんだ」

 

「「「「「「「同意」」」」」」」

 

「み、皆さん⁉」

 

 骨の一欠片のみならず、存在の一切に至るまで魔力の奔流に呑み込んで消してしまったエマの次元違いのアーツの威力に、いつものように全員が呆然したような声を漏らした。それをそれぞれの部屋の端に分かれて浄化の結界を張っていたシオンも、同意したように頷く。

 

「いやはや、まったく恐ろしい才覚の持ち主ですなぁ、エマ殿。今のは”一尾”程度の私では対応できませぬ」

 

「いずれ、まっとうなヒトの身で辿り着く最高位の領域まで行くやもしれませぬな」

 

 賛辞を贈られ、和やかなムードが漂ったのは、それでも一瞬だけだった。

この捕り物の最終目標は魔竜の死骸ではなく、テロリストの拿捕だ。幸いにして、召喚した魔竜の存在が彼らをこの場所に縫い付けてくれたお陰で、逃げられはしなかったが。

 

 

「ば、馬鹿な‼ 死骸とはいえ≪古代七竜≫の一角だぞ⁉」

 

「その名前が何を表しているのかは知らないが、生憎だな。俺達はまだ、誰一人として立ち止まるわけには行かないんだ」

 

 リィンは、そう答えると共に驚愕の表情に染まるギデオンに肉薄し、抜刀した太刀を一閃。その斬線はギデオンの体は一切傷つけず、その手に握られていた笛のみを一刀両断した。

 

「さて、投降してもらうぞ。できれば、抵抗しないでくれるとありがたい」

 

「……断る、と言ったら?」

 

「『犯罪者が付け上がる時は多少ぶん殴ってでも身の程を知らせた方が手っ取り早い』ってのが友人の信条みたいでね。まぁ、別に俺は好んで人を痛めつける趣味はないんだが……」

 

 そう言い淀んだ瞬間、しかしリィンの体から僅かな殺気が漏れ出た。

 

「もし、シオンさんが囮になっていなかったら、お前たちは皇女殿下とエリゼを人質に取っていたんだろ? そのなりふり構わなさ加減から見て、こうして追い詰められれば傷つける事も厭わなかったんじゃないのか?」

 

「……ク、ククク。中々の慧眼だ。それも≪天剣≫仕込みかな?」

 

「まぁ、彼がいなかったら思いつかなかったと言えば、そうなのかもしれないな」

 

 崖っぷちにまで追い詰められた人間は、何をするか分からない。それは戦場を経験しているレイやフィーから何度か聞いていた事であり、リィン自身、それをよく理解していた。

自身も追い詰められた際に”獣”を解放してしまったから、だからこそ、その言葉は驚くほどすんなりと理解できてしまったのである。

 だから、こちらが激情に身を任せて行動してはいけない。心の中で深呼吸を数回して気を落ち着かせていると、途端に、自分達に向けられた鋭い殺気を感じ取った。

 

「戦闘準備‼」

 

 そう叫ぶよりも早く、気に敏感なフィー、ラウラ、ガイウスは既に武器を構え、声に反応して他の面々も臨戦態勢に入る。

リィン自身もギデオンに刀の切っ先を向けていたその場所から飛び退いて離れる。すると、その場所を薙ぐようにして大型経口のものと思われる弾丸の掃射が撃ち込まれた。

 距離を取って様子を見ながらも、いつでも接近戦が可能であるように全身の筋肉に気を集中させていると、ギデオンを囲むようにして二人の人物が現れる。

 

「同志≪S≫、同志≪V≫……‼」

 

「まだ生きてたわね、同志≪G≫。後、残念だけど私の方も完全に読まれてたわ。結局力を借りて撤退せざるを得なかった」

 

「フン、鉄血のヤロウの懐刀を相手にするから少しは覚悟してたが……まさかここまで無様にしてやられるたァな」

 

 山吹色の髪に、右手に剣を持った長身の女性と、顔に大きな十字傷をつけた大柄な男。その丸太のように太い腕には、大の大人が二人がかりでも持ち上げられるかどうか分からないような、巨大なガトリングガンが握られていた。

 

「こ奴ら……」

 

「テロリストの仲間、か」

 

 ギデオンを護るようにして立ちはだかったその二人を、そう見るのは当然の事だった。

 リィンはその二人を観察する。その身のこなしや、発せられている鋭い殺気は、確かに戦い慣れている者のそれだ。それが二人もいるとなれば、迂闊にこちらから攻撃は仕掛けられない。

 ……もしレイがここにいたならば、「芋蔓式キタコレ。全員纏めてひっ捕らえるけど文句ねぇよなァ? というか言わせねぇけど」などと言って嬉々として三人纏めて相手をしてしまうだろうが、生憎とリィン達はそこまで人外の領域に足を踏み入れたわけではない。慎重になるのは、最適解だった。

 

「≪氷の乙女(アイスメイデン)≫と≪紫電(エクレール)≫がいたのは知ってたけど、まさかリベールの遊撃士まで絡んでくるとは思わなかったわねぇ」

 

「つーか≪G≫の旦那よ、このガキ共、士官候補生って話じゃなかったか?」

 

 ≪V≫と呼ばれていた大柄な男が、怪訝な視線をリィン達に向けながら、ギデオンに問うた。

それに対して「……あぁ」という答えが返ってくると、≪V≫は軽く鼻で笑う。

 

「オイオイ、近頃の軍人のタマゴってのはここまで”出来上がってる”モンなのかよ? どいつもコイツも戦う人間の覚悟がどっしり座ってる奴らばっかりだ。一体どんな環境で育てばこんな奴らが生まれて来るんだ?」

 

「教練の度に半分死ぬような思いして、絶対的な目標が常に傍に居る。―――それだけで充分だ」

 

「……お前ら本当に学生か?」

 

 ≪V≫のその尤もな問いかけに、リィン達は目を丸くして、「済まない、ちょっとタイム」と告げてから円陣を組んだ。

 

「学生、だよな? 俺達学生でいいんだよな?」

 

「学院に通ってるって観点から言えば間違いなくそうだけど……」

 

「ちゃんと勉強もしてるしね」

 

「いやしかし境遇的に言えばどうなんだ?」

 

「ほぼ毎日死にかけるとか多分正規軍でもないと思う」

 

「……ひょっとして僕達は一般の学生とはかなりかけ離れた位置にいるんじゃあないか?」

 

「何を今更。傍から見れば立派にかけ離れているだろうさ」

 

「で、でも別にⅦ組だけ孤立しているわけじゃないですよね? ね?」

 

「いや、しかし教練から帰って来た時などは他のクラスの生徒が我らの事を信じられないモノを見たような表情になっているのだが」

 

 あーだこーだと議論を続ける事数分。結局の結論は―――

 

「……学生だよ。まだ、ね」

 

「お、おう」

 

 半分瞳の光が消えているリィンの姿に僅かに気圧されたような声を出す≪V≫。

 反対にリィンは、この場での自分達の勝率はどれ程のものかと考える。レイとサラを同時に相手にするよりは遥かに高いだろうが、とはいえ必勝であるとは言えない。

 それらを天秤にかけて、そしてリィンは闘気を纏った。倒せない相手ではないのなら、むざむざと退くわけにはいかない。

 しかし、そんな決意を持ったリィンの前に、二人のシオンが降り立って、臨戦態勢の彼らを手で制した。

 

「シオン、さん?」

 

「……隠形は見事ですが、シャロン殿程ではありませんな。姿を見せてもよろしいのでは?」

 

 広間の奥。灯の光が届かない闇の中を睨んでそう言うシオン。その応えは、すぐに返って来た。

 

『フフ、やはり誤魔化しきれなかったか。流石は神獣、我々とは格が違う』

 

 闇の中から姿を現したのは、漆黒の衣装に身を包んだ人物。僅かも肌を晒す事のないその服と頭部を覆う同色のヘルムが、異様さを嵩上げしている。

その声は、男性のものか女性のものかも分からない機械音。ボイスチェンジャーを介して話しているようなそれであるために、性別は判別できない。体の構造からして男性であるようにも思えるが、それも定かではなかった。

 

「同志≪C≫‼ ……君まで来たのか」

 

『同志≪G≫、君の手腕を疑っていたわけではないんだがな。如何せん今回は相手が悪かった』

 

 ≪C≫と呼ばれたその人物は、悠然とした歩幅でギデオンの下へと歩いて行く。しかし、その身のこなしを見て、リィンは全身が強張ったのを感じた。

 強い。≪X≫の時ほどではないが、それでも今の自分達では敵わないと思ってしまう程の力量の差を感じてしまった。未だ武器も分からないような状態であるのに、頬を嫌な汗が一筋伝う。

 

『彼らもそうだ。トールズ士官学院特科クラスⅦ組諸君、よもや魂の宿らぬ身であるとはいえ、魔竜を斃してしまうとは少々予想外だった』

 

「…………」

 

『それでいて、彼我の実力差を見分けられる目も持っている。それがなければ一手手合わせ願おうとも思ったが、どうやら必要はないらしい』

 

 その言葉に、僅かに焦燥感のようなものが湧き上がったが、事実として呑み込む。ここでこの人物を相手にするのは、賢い選択ではない。

 

「お前は……お前達は、一体何なんだ」

 

 だから、と。一番問いかけたいそれを聞いた。

テロリストである事は分かっている。だが、それ以上は知らない。何を目的にしているのかも。

 すると≪C≫は、ここまでは予想の範囲内だったとでも言わんばかりに、その名を宣言した。

 

 

『≪帝国解放戦線≫と名乗らせて貰おう。我らの目的はただ一つ、暴虐なる独裁者に鉄槌を下す事だけだ』

 

 

 ここに、リィンを始めとしたⅦ組の面々は、自分達が戦う事になるであろう組織の名を記憶の中に刻み込む事になったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
おっかしいな、リィン達の戦い書いてるだけで終わっちまった。

原作だと結構アッサリ倒されてるゾロ=アグルーガですが、あんなんでも昔帝都でヒャッハーしてた竜ですからね。ちょっとタフにさせてみました。
モンハンで言う所のミラボレアスくらいは強かったんじゃないかな? 生きていた頃は。

それでは次回、満を持して主人公の戦いでーす。


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帝都騒乱 肆





「私は戦いを否定しない。しかし、強い者が弱い者を一方的に殺すことは、断じて許さない‼ 撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ‼」
       by ルルーシュ・ランペルージ(コードギアス 反逆のルルーシュ)








 

 

 

 

 

 

 

 ―――『バルフレイム宮』皇族居尖塔。

決して常人が立ち入ってはならない聖域の一つでありながら、それ故に誰の視界にも入らず、死角となっている帝都一の高所。

登れば帝都の景色が一望できるのみならず、近郊の街や東西南北に延びる鉄道路線すらも視界に収める事が出来る。そんな場所の屋根の上に、二人の人物が居た。

 

 その内の一人は、屋根の上で胡坐を掻きながら煙管を口元に加えて紫煙を燻らせている長身の女性。燃え盛る炎のような真紅の髪は後頭部で一括りにされており、凛々しく美人と形容するに何の不満も抱かせない顔の右目辺りに縦に走る傷跡が、彼女をただの麗人ではない事を象徴していた。

 加え、目に付くのはその格好だ。袖を通さずに羽織られた赤い”羽織”に、黒色の”小袖”、下半身を覆うのはスカートではなく、羽織と同色の”袴”。腰回りを締める”帯”だけが、白色で逆に映えている。

その纏う服装は東方風のそれだが、どこぞの式神が纏っているそれとは違い、彼女のはより動きやすさを重視したモノとなっている。腰に佩いた緋造りの長刀の柄頭をトントンと叩きながら、呼吸と同時に紫煙を吐く。

 

 

「なんじゃ、情けないのォ。≪深淵≫が肩入れする者らであると聞いたからどのような者らかと期待していたのじゃが……揃いも揃って策が読み切られた程度で退きおってからに。あの学生の小童共らの方が、伸びしろがあって面白そうじゃ」

 

 若い見た目からはどうにも不相応に思える古風な口調でそう言うと、口角を釣り上げて顎を撫でる。それを、隣で立っていた男は欠伸混じりに聞いていた。

 

「つってもよぉ、≪爍刃(しゃくじん)≫。アンタなら策が読まれた所で強行突破待ったなしだろうが」

 

 毛先だけが赤色に染まった特徴的な蒼色の髪を持った男は、気怠げな声と共にそう言う。眠たげそうにもう一つ欠伸を漏らしてから、女性と同じ方向へと視線を移した。

 

「無論。策が読まれて狼狽えるのは三流よ。一流の強者というモノは、己の失態すらも跳ね除けてみせる」

 

「メンド臭ぇ。なら俺は三流以下だろうが。策なんぞ考えずに後先考えずに突っ走って出たとこ勝負だ」

 

「武人であればつまるところ、そういう生き物よ。頼みにするのは己の力量と僅かな天運。それ以外に在る筈もなし」

 

 じゃが、と女性は続けた。

 

「ぬしはどうじゃ、マクバーン。これだけの闘気に当てられて、滾っておるのではないか?」

 

「……いんや、不十分だな。≪紫電(エクレール)≫の相手はルナフィリアに取られて、レイの相手も≪冥氷(めいひょう)≫に取られた。他のガキ共も、まぁそこそこ見れる程度だが、俺が相手をするにはまだ早いな」

 

「≪漆黒の牙≫はぬしの眼鏡には適わぬか」

 

「≪死線≫とセットで相手してもいいんだがなァ。それでもやっぱり、俺を熱くさせてくれんのはアイツしかいねぇんだわ」

 

 クイ、と首を動かした先にあるのは、『マーテル公園』に隣接する雑木林の一角。そこからは、この夏という季節を鑑みれば場違いなほどに冷えた空気が漂って来ている。

 

「最初にエルギュラの野郎が逝って、その次にレイが出て行き、そんでレーヴェがこの前逝った。退屈でしょうがねぇ」

 

「その割に、ぬしは儂にはちょっかいを掛けて来んのォ」

 

「アンタと戦り合ったらどっちかが死ぬまで終わんないだろうが」

 

 ともあれ、と。マクバーンと呼ばれた男は口元に薄ら笑いを浮かべた。

 

「今回は様子見だ。アンタが断腸の思いで破門にした愛弟子の戦いを見るだけで腹を満たしてやるよ」

 

「……ぬし、良く舌が回るようになったのう」

 

 さてな、と言う男の表情に、やはり悪びれた様子などは一切なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、この場では所詮余談でしかないのだが、もし戦闘中のレイが今も尖塔の屋根の上で煙管を吹かす女性の存在を感知したのだとしたら、恐らく少なからず狼狽はするだろう。”居るかもしれない”という可能性は考慮していたのだろうが、出来れば絶対に出会いたくない人物だったのだから。

 

 結社≪身喰らう蛇≫に所属する第七使徒直轄の≪鉄機隊≫。実のところ、その筆頭隊士を務めているデュバリィは最強と言うわけではない。

 それは、当の本人すらも認めている。基本的に自分の実力に対して卑下の言葉を漏らさない彼女を以てしても、「敵わない」と言わしめる存在が居る。

 レイが≪結社≫を去った時を契機に≪鉄機隊≫の筆頭職を若い世代に受け継がせる意味合いで彼女に譲ったものの、それでも純粋な武人としての実力ならば、主であり、永遠の盟友でもある≪鋼の聖女≫にも比肩するとすら謳われるほどなのだ。

 

 異名は≪爍刃≫。爍熱に燃え盛る炎の如くに苛烈でありながら、その刃は無謬にして鮮烈。ただ一人、その絶技を受け継がせた少年に「超えるべき壁」と言わしめた、至高に近しい領域に至った武人。

 

 ≪鉄機隊≫副長、並びに≪八洲天刃流≫奥義皆伝継承者。―――そして、≪天剣≫レイ・クレイドルの無二の剣師。

 

 ≪爍刃≫カグヤは、今も見定めるような視線で、袂を分かちざるを得なかった唯一無二の弟子の趨勢を、じっくりと眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もしこの世に、人がヒトの手によって直接的に引き起こされる本当の意味での”人災”が存在するのだとしたら。

 

 まさしく、この数時間前まで平穏極まりなかった雑木林の中で繰り広げられている激闘は、それに値するものだと誰もが思うだろう。

 

 

 無残に斬り倒された大木があれば、通り過ぎただけで余波を食らって凍り付いた草花がある。

二人の闘気と殺気に当てられて、活発的に求愛行動に勤しんでいた蝉も、優雅に空を舞っていた小鳥も、考えうる限りの知的生命体が、その場所から逃げ出していた。

今の彼らに、他所を気にかける余裕などは存在しない。視界に映るのは、ただ己が斃すべき存在だけであり、それ以外は蚊帳の外だ。

 

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。どれくらいの攻防を繰り広げたのだろうか。

 

 遂にレイの振るった白刃の一閃が≪X≫の肩口を捉える。その結果として、ノルドの遺跡内で戦ったあの時のように、鮮やかな鮮血が迸る筈だった。

しかし、その結果は異なる。待ったのは鮮血ではなく、氷の欠片。職人の手によって造り上げられた精巧な氷人形が砕けた時のような、そんな感触しか得られなかった事に、しかしレイは驚愕しない。

 ノルドの遺跡で感じた違和感と、先程ガーデンの中で受けた攻撃。情報としてはそれだけで充分だ。彼女の正体について結論が出ている今、容赦など一切ない。

否、寧ろ本気で殺すつもりで、彼は今愛刀を振るっている。ただの一片の呵責もなく、ただの一瞬も躊躇いはしない。元より戦場に於いてそれらの逡巡を行わないのがレイの信条ではあったが、今この場においてはそれが今まで以上に研ぎ澄まされている。

 

「『死氷ノ奏剣(ニヴル・シュヴェリウト)』」

 

 ≪X≫がそう唱えると同時に、虚空に円を描くように氷造の剣が都合十振り顕現する。それらは全て剣鋩をレイに向けており、≪X≫がその手を真横に伸ばすと同時に、それらは僅かな時間差を保って放たれた。

 それは、陽の光に晒されて溶け出してしまうような脆弱なモノではない。膨大な魔力を凝縮して造られたソレは、さしものレイと言えども容易く両断できるものではない。

 

「―――嘗めるなよ」

 

 だが、それは易々と直撃を食らってやるという意味ではない。11年間、弛まず鍛え上げられた動体視力と瞬時の判断力、そしてその動きを可能にする身体能力を惜しげもなく叩き込み、刹那と言っても差し支えのない間隔で飛来する物量の暴力を、まるで重力を無視したかのような動きで躱していく。

 しかし、最後の一振り。悪辣にもレイが空中に身を投げた瞬間、その眉間を狙って投擲されたそれは、さしもの彼の驚異的な身体能力を以てしても避けられるものではなかった。

 それでも、極限まで戦闘に特化した彼の脳は、すぐさま次の判断を下す。白刃を抜刀し、技へと繋げた。

 

 ―――八洲天刃流【静の型・桜威(さくらおどし)】。

 迫り来る相手の攻撃と水平になるように刃を差し出し、それが重なる瞬間に僅かに刃を上に跳ね上げる事で攻撃を”逸らす”技である。

 無論、言葉で言うほど生易しい技ではない。【輪廻】と同様、技を繰り出すタイミングを僅かでも逃せば、無防備な体に攻撃が叩き込まれる。典型的な攻撃特化の宿命を突きつけられるこの剣術の継承者として剣を振るっている限り、この刹那の瞬間に交わされる”生”と”死”のやり取りは無視できないモノなのだ。

 

 果たして、今回もレイはそのやり取りに打ち勝ち、氷剣を自らの眉間を狙う軌道から逸らす。軌道を狂わされたソレは、しかし方向を反転させる事もなく、そのまま衝撃波を生み出しながら、数本の木々を巻き込んで突き進んでいった。クレアの計らいによって公園一帯には人払いの措置が為されている為に人的被害はないのだが、よしんばそうでなかったとしても、今のレイに自分の行動のその後を気にかける余裕などない。

 

 そしてそのまま、レイは地に足をつけると直線的に最大威力の【瞬刻】を発動させ―――≪X≫のフードを右手で確かに掴んだ。

同時に、左手で眼帯を持ち上げ、≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫を介してそのローブの詳細を見破る。レイが以前予想していた通り、それには高度な魔法・呪術に対する術式抵抗(レジスト)が仕込まれており、加え使用者の正体に対する隠蔽術式が発動されていた。これでは使用者が自らフードを脱ぐか、さもなくば―――使用者の正体を外部から見破らない限り、解除は出来ないだろう。

 それを理解した後のレイの行動は、やはり迅速だった。その正体を破る言葉を、口を開いて乱暴に紡ぐ。

 

 

「―――『結社≪身喰らう蛇(ウロボロス)≫執行者No.Ⅳ ≪冥氷≫ザナレイア』‼ テメェ性懲りもなくまた俺を殺しに来やがったか‼」

 

「―――無論だろう、私の宿敵(愛しの君)。言ったはずだろう? お前を殺す事、それこそが私の悲願に他ならないと」

 

 術式が解除されたローブのフードが、巻き起こった暴風に煽られて脱げ、その下の美貌を露わにする。

 レイにとっては見慣れた銀髪灼眼の容貌。口を閉じ、静謐を保ったままに窓際の椅子にでも腰掛けていれば絶世の深窓の令嬢として異性同性の垣根を超えて視線と情愛を集めるだろうに、その表情は狂気の笑みに塗り潰されていた。

 

「狂雌が。一体いつになったら俺の前から消えるんだ」

 

「それを成したければ、お前自身が私の喉元に剣を突き立ててみせろ。まぁ、ノルドの際は少々油断したが、今の私は”神の残滓”として充溢している。その刀も今のまま(・・・・)では、私には届かないぞ」

 

 ≪X≫―――ザナレイアは挑発するようにそう笑ってから、数歩下がって自ら纏っていたローブを脱いだ。

 その下に隠れていたのは、健全な男性ならば誰もが見惚れてしまいそうな、艶めかしい女体だった。張りのある豊かな胸の双丘は元より、高い位置にあるくびれた腰から続くなだらかな臀部まで、否応なく情欲を掻き立ててしまいそうな身体。そんな、理想とも言える肢体を包むのは、極限まで生地を薄くした戦闘衣(バトルクロス)

 レイは、嫌という程知ってしまっている。

 この女の姿を見て、僅かでも脳内を情欲に支配される程度の人間では、決して勝つ事は出来ない。

 

「”外理”の劇毒でお前が這う姿を見れたのは、私にとって至福だったよ。……だが駄目だな。やはりお前を本当の意味で殺すには、真正面から討ち果たさなくては、私の燻った感情は消えそうにない」

 

 熱を孕んだ声でそう呟き、ザナレイアは虚空に手を伸ばした。

本来であれば、そうしたところで彼女の右手が掴むものなど何もない。しかし、彼女が伸ばした先にある空間が、まるで脆い硝子に衝撃を与えたかの如く、砕け散ったのだ(・・・・・・・)

 その先に見えるのは、幾何学文様と言語では形容できない斑模様が支配する空間。そこに手を差し込んだザナレイアは、目的のモノを違えず掴み取って引きずり出した。

 

 現れたのは、その髪色と同じく、銀色に染め上げられた一振りの剣。

精緻な細工が所々に施されたソレは、流麗な美しさを示しながらも、しかしただの華美な展示品の枠に収まらない。どれ程の常人離れした匠が拵えたのかと、武具の界隈に浸透している者らであれば、そう問いかけた事だろう。

 果たして、それはこの世に存在する技術で鍛えられたモノではない。≪結社≫の執行者に対して≪盟主(グランドマスター)≫が下賜する、”外の理”で鍛え上げられた絶剣。

 しかし今、その美麗な剣には、怨敵を封じ込めるが如く、漆黒の鎖が柄の先から剣身の先に至るまで巻き付けられている。

だが、その鎖も震えていた。まるで早く解き放てと、剣自体がそう急かしているかのように。

 

 

「チッ‼―――」

 

 その豪奢ながらも禍々しい程に激戦の臭いを撒き散らす剣を視界に収めて、レイは思わず舌打ちをした。

 ≪執行者≫がソレを抜いたという事は、遊び心も掛値も無しで、与えられた任を執行するという意思表示に他ならない。少なくとも、”武人”と呼ばれる執行者はそうだった。

 故にレイも、抜刀して握った長刀の柄に力を込める。そして、呪術の詠唱ではなく、この長刀そのものを封じていた誓約を限定的に解除する文言を口にした。

 

「【賢英なる我が刃よ 雄弁なる我が刃よ 万理の戒めよりいざ放たれん 其は白亜の異界にも轟く破邪の霊刀也】‼」

 

 文言を唱えた後、レイの手の中にあったのは、その刀身のみならず、柄頭の先に至るまで眩い程の純白に彩られた神々しい光を放つ刀であった。

 それこそが、≪天剣≫レイ・クレイドルが執行者と成ったその時に下賜された武器の本質であり、真の姿。

 

 

 本名称、≪穢土祓靈刀(えどはらえのたまつるぎ)布都天津凬(ふつあまつのかぜ)

 

 其は不毀にして壮麗。刀そのものが”意志”を有し(・・・・・・・・・・・・・)、魔力を始めとしてソレが”不浄”と断じた存在を、物質・概念問わず”浄化”させる能力が付与された、唯一無二の霊刀。

 大型でもない魔獣程度ならば本領を示したこの刀にまず近づこうともせず、刀身に触れた瞬間に消滅してしまう。その力は開帳状態でない時でもある程度は発揮され、刀身にへばり付いた”鮮血”は血払いする必要もなく消え失せ、どれだけ粗雑に扱おうとも決して切れ味が”鈍る”事も、刀身が”毀れる”事もない。まさに、剣士として理想の刀であり、事実レイは、自らの身を蝕む二つの呪い(・・・・・)の内の一つを、この刀の力で以て押さえつけて貰っている状態なのだ。生涯手にし続ける愛刀として、これ以上素晴らしいモノはあるまい。

 

 しかし、だからこそ、レイはこの刀に寄りかかるだけの己を許容できなかった。

 自らの”意志”で魔を滅する? 矮小な魔を寄せ付けない? あぁ、それは確かに最高だろう。自ら手を出さずとも、脅威を感じた相手の方から寄って来ないのならば、これ程楽なものはあるまい。

 だが、それは剣士としてはあるまじき事だった。元より彼は己の前に立ち塞がる障害は、搦手を弄する事もなく己の力で問答無用で真正面から乗り越えるか、あるいは障害そのものを破壊してしまうかの二択を選ぶ人間であった。決して、武器の性能に寄りかかって楽をしながら口笛混じりに踏破するような人間ではない。逆にもしそうであったとしたら、≪布都天津凬≫はレイを主として認めなかっただろう。

 だからこそレイは、刀の力を封じる手段に出たのだ。外法の存在を相手にする際に、確かにこの能力は驚異的だ。それを敢えて誓約で縛る事で、レイは己の向上を進める事を選択したのである。

 

 

「フフフッ、その忌々しい輝きも今となっては懐かしく思えてしまうな。あぁ、分かるぞ。私を滅したくてソレも疼いている」

 

「ちと長い事窮屈な思いをさせちまったからな。此処でお前を斬れるならその不快感も帳消しにしてくれるそうだ。だから―――」

 

 死んでくれと、そう言うが早いかレイは駆けた。同時にザナレイアも背後へと飛び退き、眼前に造り上げた氷の剣を先程と同じように投擲する。

 それを、レイは紙細工も同然かのように真正面から叩き斬った。飛び散る欠片も一顧だにせず、更に踏み込んで間合いに入り、首・心臓・右肺をなぞるかのような鋭角の斬撃を生み出す。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・八千潜(やちかづき)】。

 人間の急所の内の三点を同時に薙ぐ必殺の攻撃であるが、ザナレイアは寸前で身を翻し、致命傷は避けた。

 しかしそれでも、右の肩口は抉られ、今度こそ紅い飛沫をあげた。

 

通った(・・・)な」

 

 彼女自身が気を抜いていない限り、通常攻撃で彼女を傷つける事は叶わない。それは、今の攻撃の余波で露わになったその胸元、深い谷間の間に在る、翡翠色の宝玉が原因であった。

 まるで、柔肌を押しのけて寄生するように座しているそれは、事実その通りにザナレイアの身体をヒトならざる”ナニカ”に変えてしまっている。この宝玉が異色の魔力を充填している限り、彼女の身体はそれそのものが魔氷と成り果てる。それこそが、≪冥氷≫の名を戴く所以の一つだ。

 

 だが今の≪布都天津凬≫は、主であるレイの殺気に反応し、ザナレイアという存在そのものを”不浄”と判断して、魔氷を斬り裂く刃と成っている。この時点で、戦況は確実にレイが有利な方向へと傾いていた。

 しかしそれは、ザナレイアが反撃の手段を何も講じていなかった場合に限られる。そしてその可能性を、レイは微塵も信じてはいなかった。

 

 ピシリ、という音と共に、銀の剣を縛り付けていた黒鎖に罅が入り、直後粉砕される。

そして、間を与えまいと追撃する白刃と重なって、遂に鍔競り合った。

 だがそれも一瞬。激しく火花を散らしている銀の刃が、何の前触れもなく”分かれた”のである。

 

「ッ‼」

 

 予想の範囲内であったとはいえ、それでも奇天烈な武器の取り回しには慎重にならざるを得ない。

それでも、今まで幾度も見て来たザナレイアの剣筋は、ある程度予想は出来る。ただしそれは、向こうからしても同じ事なのだが。

 まるで牙を剥いた大蛇の如く、刃同士の連結が解かれた銀刃がレイの命を刈り取るために不可解な曲線を描いて首元に巻きつかんとする。

しかしその陥穽じみた攻撃を、レイは身を屈める事で躱す。それでも剣鋩の部分の刃が左の肩口を浅く斬り裂いたが、この際それは意識の外に置く。続けざまに放った居合の一閃で蛇腹の如くうねった剣身を浮かすと、一気に横腹を狙いにかかったが、ザナレイアはすぐさま剣身を連結させて元の長さに戻してから、その一閃を受け止めた。

 

 錯綜する殺気、裂帛の剣閃が幾度も交差し、互いに致命傷を負わせない。

 なまじザナレイアが操る武器は、長刀よりも遥かに癖の強い武器であった。一般的に”法剣”と呼称されるその武器は、七耀協会の中でも≪封聖省≫と称される実働部隊の構成員が扱うモノだ。しかしその癖の強さ故に、完全に使いこなせる達人は一握りであると言われている。

 彼女は、それを扱うのだ。指揮棒(タクト)の如く振り回し、演奏に合わせて縦横無尽に踊る人間のように、連結を解いて七つに分かれた刃を既存の常識など知らないと言わんばかりに四方八方から襲来させる。

 

 ≪洸法剣(こうほうけん)・ゼルフィーナ≫―――それが、彼女が賜った剣の銘だ。

 今ここに、理の外より飛来した二振りの剣が激突する。

破邪の力を付与された刀がザナレイアの息の根を止めるべく振るわれ、戦場を舞う銀剣が死神の如くレイの首を狙って宙を走る。

 

 

「そのそっ首刎ねて魔女の足元に送り返してやるよザナレイアァッ‼」

 

「その憎悪も、その殺意も‼ あぁ、紛れもなく私が手ずから殺すに相応しい男だ‼ 愉しもうじゃないか、レイ‼」

 

 常人の域をとうに超え、達人の領域に足を踏み入れた者同士の激闘は、此処に至って更に加熱する様相を呈し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……6年前、カルバード共和国西部 アバロアン市郊外」

 

 

 剣戟の音が凪いだ、その瞬間とも言える合間に、ルナフィリアは叫ぶでもなく、呟く程度にそれらの単語を羅列した。

それは、普通の人間が聞いたところで何の意味も持たない情報だ。よしんばその都市の名前を聞き及んだ者がいたとしても、それでは彼女の真意には辿り着けない。彼の都市は今、リベール王国との交易の中間地点として、商業が栄えているさして特別でもない土地なのだから。

 

「……まさか、アンタ」

 

 しかし、ことサラ・バレスタインという女性にとっては、それは他人事ではない。その時期、その場所で起きた事は、彼女の人生の転機であり、同時に忌むべき人間の醜悪さを見せつけられた最悪の時であったのだから。

 

「市内から北北西方向に凡そ400セルジュくらい……でしたっけ? まぁそこのトコロはあんまり覚えてないんですが、そこにありましたよね? ”アレ”は」

 

 それが何を指し示しているかなど、わざわざご丁寧に問われずとも分かっている。

 もしも此の世に純粋な悪があるのだとしたら、それは間違いなく”奴ら”であったのだろうと、サラは確証を持って言える。

 そしてその時ほど、猟兵という職種を恨んだ事はなかった。故郷(ノーザンブリア)で待つ仲間達のためにひたすらに外貨を稼ぎ続けなくてはならない日常にほぼ諦観した感情を抱いていたとはいえ、「”あんな連中”にも雇われなければいけないのか?」と、幾度自問自答したのかも分からない。

 場所そのものの警護。それがサラ達に依頼された任務であった。

 しかしそれであったとしても、日々”研究材料”として体を弄られる子供達の阿鼻叫喚の苦しみ喘ぐ声や、見るも悍ましいバケモノが”用済み”となった矮躯の死体を貪り食う地獄絵図は、今も鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。

 

「≪D∴G教団≫『アバロアン・ロッジ』―――もうお判りでしょう? 6年前の教団一斉摘発の際に、”上”の方々が一芝居打って我々≪結社≫が完膚なきまで、塵も残さず殲滅してあげた屑共の巣窟ですよ」

 

 その言葉こそ軽妙さを継続させていたが、声に含まれた侮蔑の色までは隠し通せていない。

 空の女神(エイドス)を否定し、悪魔を信望する狂信者にして、過去数十年間で最も醜悪な犯罪を犯し続けた歴史に名を刻む大罪集団。それこそが、≪D∴G教団≫という組織であった。

大陸各地に”ロッジ”と呼ばれる拠点を有し、拉致して来た年端もいかない子供達に”儀式”と称して非人道的な実験を繰り返した彼らは、遡る事6年前、七耀協会、遊撃士協会、各国の軍隊・警察組織らが迎合して行われた一斉摘発によって壊滅した。

 しかしその作戦の最中、秘密裏に≪結社≫すらも殲滅作戦に参加していたのは、公然の事実ではない。

 

 そして運悪く、≪結社≫が標的に定めた『アバロアン・ロッジ』に雇われていたのが―――当時ノーザンブリア自治州政府直轄の猟兵団≪北の猟兵≫の一員として活動していたサラ・バレスタインだったのだ。

 

「いやー、ホントに運が悪かったですよねぇ。だってあの場所に攻め込んだウチのメンバーって、≪天剣≫、≪殲滅天使≫、≪狂血≫、≪剣帝≫の執行者四人に、私を含めた≪鉄機隊≫と≪強化猟兵 第307中隊≫。……自分で挙げておいて何ですけど、オーバーキルにも程があると思うんですよ。イヤ、ホント。本気出したら一国獲れるレベルの戦力ですしね。私だったら即退散ですよ。地位とか名誉とかかなぐり捨ててでも逃げるヤバさですし」

 

 作戦自体は、ものの数十分(・・・・・・)で決着がついた。

精強とされる≪北の猟兵≫の部隊でも、相手にした戦力が悪過ぎた。研究員諸共一人残さず塵殺され、今まで犠牲になって来た子供達の積念を晴らすかのように、死体を積み重ねたのだ。

 そんな中、ロッジの最下層で一人生き残ったサラは、死に場所を求めて彷徨い続け、遂に一人の人物と邂逅した。

 

 当時11歳。大鎌を構えたゴスロリ服の少女と共に現れた彼は、そこいらに跋扈していた研究員(ゴミ)らと同じように縊り殺そうとしていた少女を無言で制して、ただ一言だけ言った。

「アレは俺が相手をする」―――と。

 

 ……それから先は、サラ自身も良く覚えていなかった。

 どれくらい交戦していたのかも、どんな言葉を交わしていたのかも、ただひたすらに、死を求めて彷徨うだけだった獣の記憶には朧げにしか残されていなかった。

気が付けば石畳の上に倒されていて、気を失った後に目覚めたのは、エレボニア帝国軍が使用していた救護テントの中だったのだ。

 それでもただ一つ、満身創痍になりながらも、交戦の中で一縷の正気がサラの中で蘇った時に彼が言ってくれた言葉だけは覚えている。

 

 

『―――せっかく美人なのにしかめっ面してんじゃねぇよ。人殺しがしたくなくて悩んでんなら、いっそ転職でもしたらどうだ? その力、”人狩り”のためだけに使うには勿体ないと思うぜ?』

 

 

 何を馬鹿なと、その時はそう思っていたのだろう。今ですら、失笑を漏らしてしまいそうな言葉だ。

 だが結果的に、サラはその言葉に救われた。出来る事ならば、故郷の子供達に恥ずかしくない姿を見せたいと、そう願った彼女の想いは、その後の彼の手回しによって成就したのだから。

 

 尤も、今でも彼は「何もしていない」の一点張りで、サラの礼は受け取っていない。

しかし、当時サラの手当てを行ってくれた医師―――既に退役していたものの、軍からの要請を受けて客員軍医として現場を訪れていたベアトリクス先生によれば、関連施設の見回りをしている最中に自分を抱えた少年が現れ、その治療を要求してから、どこかへ消えてしまったのだと言う。

 

 もし―――と考える事がある。

 もし、あの時レイと邂逅する事がなかったら、サラは人知れず生涯を終えていただろう。よしんば生き延びたとしても、苦痛の果てに無残に死んでいった子供達を助けてあげられなかった良心の呵責に苛まれて、自らの喉を掻っ切って死んでいたかもしれない。

 

 運命、などと安い言葉で片付ける程、サラは短絡的な人間ではない。

 だがそれでも、そこに何らかの”熱”を感じてしまうのは、彼女がまた一人の女性であるという、はっきりとした証拠でもあった。

 

「……「運が悪かった」なんて言わないわよ。あれは、間違いなくアタシの分岐点だった。ヒトの尊厳も何もかも失って畜生のまま死んでいった未来と、地獄の底から乱暴に引き摺り上げて光を見せてくれた未来。アタシは後者を選べた。他ならない、アイツのお蔭で」

 

「…………」

 

「だから今度は、アタシの番なのよ。真面目過ぎて、幾つもの罪科に苛まれ続けてるアイツを、牢獄ブチ破って手ぇ引いてあげるのが―――」

 

「―――それって、使命感ですか?」

 

 殺気が、鋭くなった。

まるでこの問いの答えよう如何によっては問答無用で殺すと言わんばかりにぶつけて来るそれを受けて、しかしサラは努めて平然とした様子で、否と言い切った。

 

「最初は、まぁそうだったかも知れないわね。結局のところ自己満足だったし、深くは考えてなかった。

 でも、気付いたのよね。使命感云々はただの言い訳で、アタシは―――レイ(アイツ)が好きだから助けてあげたいって思ったのよ。悪い?」

 

 人はそれを不可解だと罵るかもしれない。感情論だと呆れるかもしれない。

 ただそれでも、サラ・バレスタインの中にあるその感情だけは、偽れない本物だ。

故に、それを口にする事に躊躇いはない。好きだから、異性として慕っているから、慕っている相手に幸せになって欲しいから。それ以外に、何の理由があるのだろうか。

 すると、ルナフィリアは呆然としたように目を数回瞬かせ、そして再び柔和な笑みを浮かべた。

 

「感慨深いですねぇ、良いですねぇ。ハッ、もしや弟に彼女が出来たって知らされた姉の感情ってもしかしてこんな感じなんですかね? どうなんですかね?」

 

「知らないわよ、そんなん。それより、言いたい事はそれだけかしら? それなら―――」

 

「まぁまぁ焦らずに焦らずに」

 

 再び臨戦態勢を取ろうとしたサラを、しかしルナフィリアは笑顔のままに制した。

 ―――直後、真下の地面、その更に奥深くと思われる場所から、轟音と共に直下型の地震もかくやと言うほどの振動が響いた。

 

「ッ‼ ―――アンタ達‼」

 

「残念ですけどねー。タイムリミットみたいです。私としてはもう少し貴女と戦っていたかったんですけど」

 

「……それもどこまで本気なのかしらね?」

 

「本気ですよ? 少なくとも、今の言葉は」

 

 サラを見据える双眸は、確かに虚偽を言っている風には見えなかった。そしてその状態のまま、続ける。

 

「6年前、私が見たのは荒れ狂い、自我など望むべくもない貴女の姿でした。それを見て私は一応レイ君に言ったんですよ。ここで一思いに殺した方が、彼女にとっても幸せなんじゃないですか? って。

 そしたら彼、なんて言ったと思います?」

 

 続く言葉など、簡単に予想できてしまう。恐らくレイは、少し困った表情を浮かべながら、そう言ったのだろう。

 

「『希望を求めてた。光を求めてた。未来を僅かでも見据えていたら、ここで散らすには勿体なさすぎる命だろう?』―――まったく、お人好しにも程があるってモンですが、事実貴女はこうして生きて、今度は自分の願いを成就させるために戦ってる。それはとても素晴らしい事だと思うんですよ、えぇ」

 

 でも、と。ルナフィリアは言葉を区切る。

地面と垂直に立てられた槍の石突から転移用の魔法陣が伸び、それが効力を発揮するまでの間に、彼女は真剣なまなざしで言った。

 

「彼の、レイ・クレイドルの抱える罪科は、決して生易しいモノではないのです。少なくとも、私程度の相手に梃子摺っているようでは(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)貴女の願望は成就出来ないと知りなさい」

 

「―――フン、分かってるわよ。そんな事」

 

「結構。―――フフッ、それではまたいずれ。その時は衒いも容赦も出し惜しみもなく、貴女の輝いている覚悟を見せてくださいね。≪紫電(エクレール)≫」

 

 そう言い残すと、ルナフィリアの身体は魔法陣の消失と共に消えて行った。

 まんまと逃げられた事に、しかしサラは不思議と悔しさと呼べる念は抱かなかった。寧ろ、溜まっていた鬱憤を晴らす事が出来たという事に於いて、あの戦乙女には礼の一つでも言いたい気分ですらあったのだ。

 だがそれも、この場を丸く収められればの話。

今の彼女は士官学院の戦技教導官であり、優先すべきは生徒の命。故にサラは、地下に潜っていたはずのリィン達と合流する為に、再び走り出した。

 

 武人としての勘が、強く告げて来る。

 戦舞台は既に佳境。残っているのは―――主役だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 サーヴァント出せよォ‼ 概念武装はもういいよ‼ 虚数属性とかカレイドスコープとかリミテッド/ゼロオーバーとか、なんかもう、良いのが揃っちゃってんの‼
 だからサーヴァント、ってか戦力が欲しい‼ ジャンヌちゃんとかが欲しいんだよ‼

 ……コホン、失礼。取り乱しました。

 いや、ホント。GOのガチャでのサーヴァントの出難さったらないですよ。10連ガチャ回して一体も出なかった時とか軽く殺意覚えましたわ。
 ……まぁ、オルレアンの戦場でアサシンのステンノ姉さまが出たのは正直嬉しかったですけど。

 あと、バーサーカーの使いどころが難しい。油断してると何か死んでたりする。



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帝都騒乱 伍






   「憧れは、理解から最も遠い感情だよ」
        by 藍染惣右介(BLEACH)










 

 

 

 

 

 幸か不幸か。

 或いは望むと望むまいと。

 

 トールズ士官学院特科クラスⅦ組の面々は、それぞれ”強者”と呼べる存在が身近にいた。

それは決して、単純な腕っぷしの力というだけでなく、”心”が強かった。積み上げた経験、人生そのものが紡ぐそれぞれの”強さ”。それを目に焼き付けていた。

 

 アリサは鉄の意志を以てして大企業をその才腕で纏め上げる女傑である母、イリーナ・ラインフォルトを。

 エリオットは屈強な肉体と揺るがぬ大木の如き信念を以て帝国機甲師団最強の部隊を纏め上げる父、オーラフ・クレイグを。

 ラウラは帝国最高峰の剣士と名高く、自らの目標でもある父、≪光の剣匠≫ヴィクター・S・アルゼイドを。

 マキアスは英傑の宰相の傍らで広大な帝国の政務を執り行う父、カール・レーグニッツを。

 ユーシスは権謀術数が渦巻く貴族の世界で若輩ながら頭角を現す兄、ルーファス・アルバレアを。

 エマは自分よりも遥かに”魔女”として大成していた、憧れでもあった姉、ヴィータ・クロチルダを。

 フィーは自分を拾って、育ててくれた精強な猟兵団を率いていた義父、ルトガー・クラウゼルを。

 ガイウスは戦士として頑強であるのみならず、誇り高きノルドの民の道標でもある父、ラカン・ウォーゼルを。

 

 そしてリィンは、剣の師でもある大陸有数の剣士である≪剣仙≫ユン・カーファイと、何より、広い心と器で自分を育ててくれた父、テオ・シュバルツァーを。

 

 

 彼らの記憶の中にあるのは、そんな鮮烈な”強者”達の姿だ。尊敬し、時に畏怖し、恐れる事も時々ある。

しかしそれでも、憧憬の念は変わらない。好意的であるにしろ、そうでないにしろ、彼らの辿って来た軌跡を僅かも知らないほど子供ではない。

 だから、こう思うのに抵抗がなかったのだ。

 ”きっとこの人たちの強さは、積み上げた年月が齎したモノなのだろう”―――と。

 

 それは、正しい考え方だ。未だ世の中の端くれ程度しか見ていない子供が、何を以てして彼らに追いつこうとするのか。

 自分達はこれからの人生で経験した清濁入り混じった事実を見て、考え、行動する事でその背に追いつくか、或いは別の道を胸を張って歩く事になるのだろうと、そう思っていた。

 

 ならば―――今現在、自分達の目の前に在る光景は一体何なのだろうかと、そう自問してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その感覚にいち早く気づいたのは、やはりシオンであった。

 

 ≪帝国解放戦線≫と名乗ったテロリスト達は、しかしその場でリィン達と矛を交わす事もなく、そのまま身を翻して去っていった。

彼らが追撃できぬよう、地下墓所(カタコンベ)に仕掛けた大量の爆薬を起動させるという、悪辣な罠を最後に発動させて。

 だが、地下からの脱出そのものはそれ程難しい事ではなかった。崩れ落ちる天井や壁から降り注ぐ瓦礫は、シオンが加護の結界を張って防いでくれ、逃走の途中で合流したクレアが、最短距離の逃走ルートを確保して先導してくれたため、リィン達は無事に再び日の目を見る事が出来たのだ。

 

 しかしその最中、帰路の安全が確保された時に、不意にシオンの狐耳がピンと、天を衝くように立ったのだ。

それに次いで、二人共が足を止める。それを不思議に思ったリィン達も同様に足を止めると、シオンが恐る恐るといった様子で口を開く。

 

「……これは、少々拙いかもしれませんな」

 

「えぇ、主は随分と奮って(・・・)おられる。このままでは、或いは……」

 

 その言葉の詳細までは分からなかったが、それでもレイの身に何かがあったという事は全員が理解した。それについてリィンが問おうとすると、シオンは「取り敢えず、まずは地上に赴きましょう」と言って走り出したのだ。

 そうして出たのは、『マーテル公園』内にある東屋の近く。リィン達A班にとって、そこは実習初日に訪れた見覚えのある場所であった。

 しかし、そうして地上に出た瞬間、リィンは公園内一体に漂う”異常性”に気が付いた。

 

 大気が、啼いている。

 空間が軋み、圧され、ヒステリーのような啼き声を挙げているのが分かる。その異常度に気圧されてなのか、周囲に生き物の気配はない。

 

「何だ……コレは」

 

「っ……」

 

 同じような感想を漏らすラウラの傍らで、フィーが眉を顰めて目を細めた。

何かを知っているようなその横顔に、リィンは事情を問おうとするも、それに先んじてクレアが口を開いた。

 

「……成程。確かにコレは、レイ君の闘気、ですね」

 

 その言葉に、フィーを除いた面々が思わず息を呑んだ。

 広大な公園を覆うかのように支配する強大な闘気。戦場から離れているであろうに、肌に触れる針のような鋭さは、武人である前にヒトとしての本能を直接刺激してくる。

自分達以外の存在をとことんまで拒絶しているような、冷え切ったそれを骨の髄まで痛感していると、突如、公園に隣接していた雑木林の一角が割れた(・・・)

 

「は―――はぁっ⁉」

 

 素っ頓狂な声を挙げてしまったのはマキアスだ。しかし彼のその言動を嗤える者は一人もいない。

 土地そのものが割れたというわけではない。僅かばかり高台になっている東屋からは、その光景が一望できる雑木林。舗装された道が一筋走っているそこは、散歩コースとして利用される事もあるのだが……たった今、その林を構成する木々が十数本ほど、根こそぎ倒れたのだ。それを見て瞠目せずにはいられないだろう。

 

「……もしもの時のために人払いを施しておいて正解でしたね」

 

 そう、呟くように言うクレアの首筋に、一筋の小さな汗が流れる。が、それを目に止める者は一人もいなかった。

 

「クレア大尉、俺達は―――」

 

「少し、待ちましょう。既に他の皆さんには連絡をしておいたので、程なく到着するかと」

 

 それは、闘気に臆した末の言葉ではない。むしろ、駆けつけようとする彼らを慮っての言葉だった。

クレアとて、出来ればすぐにでもレイの下へと駆けつけたい。その心は彼らと同じであったが、自分の性格の中に刻み込まれた理性が、冷静さを取り戻させる。

 今、彼らと共に現場に急行した際、万が一があった場合に自分一人では守り切る事が出来ない。恥も外聞もなく、自分の実力を鑑みた末にクレアはそう判断し、だからこそ応援が来るまで待てと、そう言ったのである。

 

 すると彼女の言葉通り、程なくして作戦に参加していた全員が集まった。

 『ヘイムダル大聖堂』に赴いていたヨシュアにシェラザード。そしてサラ。本来であれば此処に立役者の一人である慇懃なメイドも居る筈なのだが、彼女は役目を終えると共に、ヨシュア達にすら悟られる事なく、霞のように姿を消していた。その事にシェラザードは少なからず驚いていたのだが、ヨシュアにしてみれば別段驚くほどの事でもない。≪結社≫に居た頃、暗殺者としては自分よりも数段上に存在する、所謂”本物”であったのだから。

 

「―――皆さん、お疲れ様でした。戦闘に参加していない身で労うのは心苦しいのですが……」

 

「あー、もー、そういうのはナシだって言ったでしょうに。今回のMVPは間違いなくアナタなんだから、胸張ってなさいって。ね?」

 

「えぇ。……尤も、まだ全ては終わってはいないみたいですけど」

 

 そう言ってヨシュアとシェラザードが雑木林の方へと視線を向ける一方、サラはⅦ組の面々と向き合っていた。

 

「アンタ達もお疲れ様。首尾は上々だったみたいね」

 

「え、えぇ」

 

「ですが、テロリスト達の逃亡は許してしまいました」

 

 リィン達に課せられたのは、相対したテロリストの拿捕であったために、結果的に見れば任務は失敗に終わってしまった。

しかしリィンのその言葉に、サラは首を横に振る。

 

「何事も引き際を見極めるのは重要よ。特にアンタ達はまだ学生なんだから、生き残る事を第一に考えなさい。生きていれば、またチャンスは与えられるんだから」

 

「そう、ですね」

 

「だが、失敗に終わったのもまた事実だ。これを糧にしなければならないな」

 

 ガイウスの芯に迫った言葉に、消沈しかけていた面々が一斉に頷いた。

その様子を見て本当に逞しくなったと思いながらも、サラは次の行動について言及する。

 

「さて、と。それじゃあアンタ達も状況は把握しているみたいだし、アタシも細かい事をウダウダ言うのも面倒臭いから直球で聞くけど……行くの?」

 

 その言葉が何を表しているか、知らない者はいない。それについてもリィン達は逡巡する事すらなく頷いた。

 それは、決して勢いに駆られての行動ではない。彼らは全員、一人の例外もなく、この鮮烈な闘気の正体を、レイがここまで明確な”敵意”を向ける≪X≫の正体をその双眸に焼き付けるために、危険地帯に自ら飛び込む事を厭わなかった。

 そしてその覚悟を、担当教官であるサラも感じ取って、無言で許可を出す。

 

 すると、ヨシュアが真剣な表情のままに彼らの方へと向かって一歩を踏み出した。

 

「僕達も行きます。万が一の事があった場合、防ぎ手になる事くらいはできますから。……それにこう(・・)なったレイは平時より周囲に無頓着になりますし、何より―――僕達に意識を向けさせるわけには行きませんから」

 

 ヨシュアのその言葉に一抹の疑問を感じたリィンは、最後の部分に対しての理由を問う。

すると彼は、そう聞かれると思っていたと言わんばかりに、言葉を詰まらせる事もなく流暢に返答した。

 

「リィン君達は彼の、レイの剣術を見た事があるよね?」

 

「はい、何度も」

 

「うん。それなら分かると思うけれど、彼の修めた剣術、≪八洲天刃流≫は大前提として攻撃特化の剣術(・・・・・・・)なんだ。その他にも超人的な反射神経を使った回避技とか、長刀を使って敵の攻撃を逸らす技とかもあるんだけど、それも次の攻撃に繋げるだけの布石でしかない。他人を守るという事を度外視(・・・・・・・・・・・・・)してるから、どう頑張ってみても自分の背後に複数の護衛対象を抱えたままになると技が鈍る。

 それでも”技が鈍る”だけだから大抵の状況には対応して見せるんだけど、それでも、達人級の武人を相手にしている時、それは致命的だ」

 

 一瞬でも意識を他所にやってしまえば、その直後に瀕死の重傷を負う事は珍しくない。目の瞬きすらも以ての外な状況に於いて、確かに守るべき存在は邪魔でしかならない。

 攻撃特化の剣術―――それは疑う事なく理解できた。”剛の型”と”静の型”にて構成された、出自不明の剣術、≪八洲天刃流≫。それの詳細について、レイはまだ語っていない。

まるでその目で見、その身で受ける事で理解して見せろと言わんばかりに、その強壮さをこれまでまざまざと見せつけて来たそれは、しかし未だにその真髄を見せてはいない。彼の性格からして陰鬱な理由で秘匿しているわけではないのだろうが、考えてみれば剣術の真髄などそうそう見せて良いモノである筈がない。

 

「……レイが今相手にしているのが、その”達人級”の存在であると?」

 

「隠そうともせずこれだけ強大な闘気を振り撒かれたら、ね。だから、君達もそれ以上の(・・・・・)覚悟をしておいたほうがいい。君達の大事な仲間が、それこそ比喩でも何でもなく本気で(・・・)戦っている場所に行くんだ」

 

 これから赴こうとしている先は、正真正銘、常識の枠外に存在する者らが相対する場所。それでも行くのかと問うヨシュアに、リィンは代表して肯定の意を示した。

 

「レイは、俺達の仲間です。友人です。例えどれだけ”力”を持っていようとも、その認識は曇らない。そんな彼の背を、俺は追おうとしているんですから」

 

 一点の曇りもない、澄み切った瞳と共に紡がれた言葉には、さしものヨシュアも笑みを漏らさずにはいられなかった。

 恐らく今、思考の全てを剣に委ねているであろう親友に向かって、彼は一人想う。君は、また良い友人に出会えたね―――と。

 

「それじゃ、行くわよ。全員、気は確かに保っておきなさい。闘気に当てられて気絶でもしようものなら、それだけ邪魔になるわよ」

 

 厳しくも、しかし事実のみを連ねたサラの言葉に応と返す。強張った面持ちの者達も引き連れて、一行は雑木林の中へと移動する。

 

 そこでリィン達は、改めて思い知る事となった。

 達人同士が邂逅し、力をぶつけ合うという行為の、本当の意味を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生木という物は、人が思っている以上に耐久力のある物質だ。

 それもその筈、虫や鳥にでも内部を侵されていない限りその密度は高く、それでいて鬱蒼と草木が茂った場所に生えていれば、湿気が更にその強度を強めていく。それが大木となれば、一刀のもとに両断するというのは限りなく難しい行為となる。―――筈であった。

 

 その光景は、木々の伐採と言うにはあまりにも杜撰に過ぎたモノであった。斜めに斬られた物もあれば、狙いを無視して抉り取られた地面がある。

 静寂に包まれながらも、どこか神秘的な雰囲気を保っていた市民の憩いの場所は、しかし今、暴風に煽られたかの如く悲惨な状態を露わにしていた。

 

 リィンは呆然としながらも、根元近くから両断された大木の木目にそっと触れてみる。

それは、驚くほどに滑らかな断面だった。熟練の大工が丁寧に(かんな)掛けを施したかのような手触りが伝わってきて、思わず冷や汗を垂らしてしまう。

 恐らくこれは、レイの愛刀が一刀のもとに斬って捨てた跡なのだろう。それも、最初からコレを斬る事を念頭に入れていたのではなく、戦いの余波の中で本人も無意識の内に起こした行動の結果であろう事が何となく理解できてしまった。

 コレと同じ事が自分にできるかと自問するが、答えは問うまでもなく否だ。刃を入れる力だけではなく、切れ味を保ったままに一瞬で斬り終えなければならない。その技量がどれだけ高度な事か、理解できないわけがない。

 

 周囲を見渡せば、惨状が痛い程に(つまび)らかになる。斬撃が擦過した跡のみならず、至る所で草木や地面が氷漬けになっていた。それにも触れようと手を伸ばしたが、不意にさらにその手を掴まれた。

 

「―――え?」

 

「止めておきなさい。嫌な魔力が充溢してるわ。この暑さの中でも溶けてないのがその証拠よ」

 

 現在の帝都は、初夏の西日の煽りも受けて、気温が30度近くにまで跳ね上がっている。それなのに周囲に散逸している氷は、水滴を垂らして溶け出す気配など一向に見せていない。

 確かにその異様な光景は、警戒心を抱かせるに充分だった。

 

「す、すみません」

 

 迂闊な行動をしてしまった事に謝ると、サラは特にそれ以上咎める事もなく先導していった。

 言いようのない不安感が、リィンの心の中を侵していく。それは彼だけでなく、全員が同じ心境だった。

 後悔はしていないし、自分の意志で此処に足を運んだはずだ。なのにそれでも、体の震えが止まらない。感じてはならない筈のそれが、体の中を這いずり回っているような感覚だった。

 

 そして暫く進むと、聴覚が漸く目的の音を聞き入れた。

 剣戟の音だ。決して絶えず、決して緩まず、苛烈な音を響かせている。リィン達にとっては馴染み深くなってしまった筈の音だが、何故か今回のコレは、違う音のように感じられてしまった。

その違和感を感じ取ったその瞬間、彼の中に確かに芽生え始めていた正しき”武人”としての感覚が、それ(・・)を感じ取ってしまった。

 

 殺気だ。外に膨れ上がっていた闘気とは違い、この雑木の先にある場所から、とてつもない密度の殺気が濁流のように押し寄せて来る。

 瞬間的に心臓を握りつぶされたかのような圧力を感じたリィンは、その場に(くずお)れてしまう。同様に、ラウラとガイウスも苦々しい表情を浮かべて膝をつき、フィーは歯を食いしばって何とか耐えていた。その他の面々も、半ば人事不省になりかけながらも、寸でのところで意識を取り戻した。日常的にレイやサラが発する闘気に体が慣れていなかったら、情けなく気絶していただろう。そう思ってしまう程に、その殺気は凶悪だった。

 それでも恐らく、此方に向けられたものではないのだ。垂れ流されたそれですらも、人の意識を刈り取る破壊力を秘めている。心身が脆い人間がこの余波を食らえば、たちまち心臓発作を引き起こして死に至るかもしれない。

 しかしそれこそが、達人が醸し出す戦の気であった。眩む目元を何とか振り払って大木の陰から広場となっていた場所を視界に収めると、そこには彼の、否、彼らの理解の範疇外の戦場が拡がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 煌々と穢れ無き白光を放ちながら振るわれたその刀が対象を袈裟斬りにする前に、蛇腹の銀剣がその刀身を絡めとって軌道を僅かにずらす。

その隙を掻い潜って飛来した切っ先がレイの心臓を穿とうと迫り来るものの、眉一つ動かさずに寸前で身を翻して体を回転させながら相手の死角へと滑り込む。間髪を入れず、胴を横薙ぎにせんと振るわれた一閃は、しかし元の剣身に戻ったそれによって受け止められてしまう。

 その一連の流れを、リィン達は目に止める事が出来なかった。あまりにも高速で行われる剛撃の応酬は、今の彼らの実力では到底推し量れるものではなかった。ただ幻影のように遅れて見える残像だけが、互角に渡り合っている状況を示していた。

 純白の刀身と銀色の剣身とが鬩ぎ合う度に、込められた呪力と氣が、或いは魔力と氣とが爆発的な衝撃となって放出される。迸るそれらは、まるで癇癪を起こしているかのように大気に振動を伝え、豪風となって周囲に吹き荒れた。

 光が、熱が、凄まじい勢いで荒れ狂う。この世に生を受け17年、ただの一度も見た事がなかった超常的な光景に、リィンは畏怖の念を抱くと同時に―――心臓の鼓動が跳ね上がる感覚を得た。

 

 あれは、あの姿こそが、≪天剣≫と称されていたレイの本来の姿なのだ。

愛刀を携え、修めた剣術を惜しみなく振るい、殺気と闘気を入り混じらせながら、何を鑑みる事もなく目の前の敵をただ斃すためだけに走っている。

 その刀身を見る度に美しいなと思っていたその長刀は、今や柄の先に至るまで神々しい光を放っている。それがどのような経緯を経てそうなったのかという疑問は確かにあるが、真に見るべきはそれを手繰る担い手である彼自身に他ならない。

 以前、実技試験の際にサラと刃を交えた、あの時とも異なる。

今の彼は、本気で一片の躊躇もなく相手を殺そうとしているのだろう。そも剣とは、剣術とはそういうものだ。命を奪う武器がそこにあって、命を奪う術がそこにあるというだけの話。どう取り繕ったところで、その大前提は変わらない。

 

 戦場を覗き始めてから数分が経ったが、その間に彼らが交わした剣戟の数はゆうに二百は下るまい。

既に幾度かの鍔迫り合いが行われたその瞬間に、リィンはレイと互角の剣戦を繰り広げている相手の姿を見た。

 見目麗しい女性だ。肉感的な体つきも、妖精の如き容貌も、身体を構成する全てがヒトの視線を強制的に集めてしまう程に、美しい。

事実、一瞬だけではあるが魅入ってしまったリィンではあるが、その女性の口元に浮かぶ表情を見た瞬間、意識が現実に戻された。

 何かが―――そう、何かが決定的に”歪んで”いる、淫靡でありながら邪悪な笑み。憫笑の類ではなく、嘲弄の類でもない。ただ、通常のヒトが持つ倫理からは外れてしまったかのような、どこか壊れたその表情は、レイが繰り出す怒涛の剣撃を目撃した時以上に、リィンの中に”恐怖”を打ち込んだ。

 

 

「―――っは‼ 見事‼ 見事だよレイ‼ やはりお前は最高だ‼ やはり手放すべきではなかった‼ あの時去って行ったお前を、私はあの時殺しておくべきだった‼」

 

 その声色に、怨嗟の念などはただの一欠けらたりとも含まれていなかった。その声は玲瓏でありながら、吐き出される言葉は、ただ純粋にレイ・クレイドルという少年を殺したいという狂おしいまでに破綻した動機に染まっていた。

 それにレイは答えない。眉間に皺を寄せながら、まるで話す価値などないとでも言わんばかりに、その唇は真一文字に閉じられて開く気配はなかった。

 

「あの時≪鋼≫と≪爍刃≫が止めていなかったら―――あぁ、私はお前の背から迸る鮮血を見れたのだろうな。息絶えて行くお前の姿を、腕の中に抱いたまま、じっくりと眺めていられたに違いない‼」

 

 

 まるで無邪気だった幼い頃の自分を回顧するかの如く、恍惚とした表情でそう叫ぶ。その言葉を聞いて、リィンの傍らで眺めていたアリサが、半ば反射的に小さく呟いた。

 

「何よ、それ」

 

 あぁ、まさにその通りだった。

 人が人を殺したいと切望するには、本人が自覚していようがいまいが、それに準ずる理由があるはずだ。例え己の悦楽を満たすためだけだったとしても、そこには明確な理由がある。

 だが、目の前の女の言葉には、それが見えなかった。執拗なまでにレイ・クレイドルを殺そうとする理由が、彼らには理解できなかったのだ。

 だから、呆然とするしかない。(レイ)が一体何と戦っているのかと、その疑問を反芻させながら、再び動き出した戦況を見据える事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一方、Ⅶ組の面々から少し離れた場所で同じように状況を眺めていたヨシュアは、しかし彼らとは違い、事の重大さに気が付いて歯噛みをしていた。

 よりにもよって―――よりにもよってアレ(・・)と相対することになろうとは。運命に玩弄されているとしか思えないその状況に、思わず言葉を漏らしてしまう。

 

「≪X≫―――Xanaleir(ザナレイア)、か」

 

「……あの女性について、心当たりが?」

 

 案の定、シェラザードと共に近くに伏せていたクレアが、ヨシュアの呟きに反応する。

自分の迂闊な行動を心の中で責めたヨシュアであったが、彼の近くにいたいと願う女性ならば知る権利はあるだろうと思い至った。幸いにして彼女は、≪鉄血宰相≫の肝煎りである≪鉄血の子供たち(アイアン・ブリード)≫の一人。ならば、大陸の裏側の情勢にも最低限通じているだろう。

 

「クレアさんは、≪結社≫についての知識は?」

 

「……最低限は。レイ君が”呪い”によって束縛されている以上、情報局の同僚が掴んでいる以上の事は分かりませんが」

 

 ゼムリア大陸各地で暗躍をする秘密結社。≪盟主(グランドマスター)≫と呼ばれる存在を頂に掲げ、幹部である≪使徒(アンギス)≫と、その命を受け実働する≪執行者(レギオン)≫を根幹として活動しているという、その程度の知識しかない。

 それは決してクレアが不勉強であると言うわけではなく、単に彼女の権限ではここまでの情報を仕入れるので手一杯であったというだけの話。そもそも、その手の情報収集は情報局の任務であり、彼女は言ってみれば門外漢に近かった。

 それでも、職務以上の情報を出来る限り仕入れようとする彼女の意欲は素晴らしいものなのだが。

 

 そしてその事を理解していたのか、ヨシュアは一つ黙して頷いた。そして、恐る恐るといった風な様子で口を開く。

 

「あの女性は≪執行者≫です。執行者No.Ⅳ≪冥氷≫のザナレイア。―――組織の中でも桁違いの強さを誇る”武闘派”の≪執行者≫の一人」

 

 Ⅳ、という数字は、≪執行者≫内での実力のランクを示すものではない。

ただそれでも、”武闘派”と銘打たれた存在は、その個々人が武術の頂である”理”に届くか、それに近しい強さを誇る。一国の軍隊と相対しても決して劣らない、ヒトの臨界を極めし者達。

彼らと真正面から戦おうとするならば、それこそ七耀教会が抱える≪星杯騎士団(グラールリッター)≫、その首魁たる≪守護騎士(ドミニオン)≫の中でも更に戦闘に特化した人物や、≪剣聖≫を始めとした武の真髄を極めた者達でなければ難しいとされる程だ。

 

「≪劫炎≫、≪剣帝≫、≪狂血≫、≪神弓≫、≪痩せ狼≫、《死拳》、そして≪天剣≫。はっきり言ってどこか人間やめてるような強さの人達の一人で―――レイの天敵(・・・・・)でもあるんです」

 

 戦闘の相性、という意味ではない。ただ純粋に人間関係としての相性という意味合いである。

 ヨシュアとて、全てを知っているわけではない。しかし、≪結社≫に居た頃幾度となく本気で殺し合っていた二人を見た事がある。それだけで、どちらかが死ななければならない因縁があの二人の間に存在するのだと理解できてしまった。

 

「≪冥氷≫、ザナレイア―――」

 

「ともあれ、テロリストに偽装して帝国に潜り込んでいるとは思いませんでした。もしあの人とこれから相対する時があっても、絶対に正面から戦っては駄目です」

 

 語気を強めてそう言うヨシュアに対して、クレアは深く頷いた。

彼我の実力差を見極められないほど愚鈍ではない。アレに対して自分が単独で挑み、そして勝利する未来など、どう考えても浮かんでこなかった。

 

「歴戦の≪執行者≫、ですか。しかし、このまま戦い続けては……」

 

「どちらかが斃れるまで続くでしょうね。元々、あの二人が刃を交わし合うというのは、そういう事ですから」

 

 止めなければならない、と思う。

 この際、雑木林の被害云々は関係ない。それは時間と金銭をかければ元通りにする事は容易いからだ。―――だが、レイ・クレイドルを失う事は、どれだけの富と名誉を積んでも決して埋める事が出来ない損害となる。帝国としても、そして何より、クレア本人としても。

 レイが敗けるという大前提で話を進めているわけではない。彼が勝つ可能性は充分にあるだろう。

だがそれは、必勝ではない。それが確約されない限り極力戦場に赴かない主義のクレアにとっては、この状況は拙いと判断したのである。

 しかし、どう弁を立てた所で、あの戦いを止められるかと問われれば、即座に首を横に振らざるを得ない。

今こうして思考を巡らせている間にも、二人の剣戟はより苛烈なモノへと変わっていっている。間違っても、常人が立ち入って良い領域ではない。

 

 と、空中に身を翻していたザナレイアの視線が、一瞬だけⅦ組の面々が潜んでいる方向に向けられたような気がした。

確かめるにはその仕草は一瞬であったし、そのコンマ数秒後には二人の間に鮮やかな火花が散っていた。しかしそれでも、意識を削り取られるような不安感が、クレアの中を駆けずり回っていた。

 

 

「―――しかしレイ、何故”学生”などという凡俗な存在に身を堕とした?」

 

 その感情を確かめる前に、ザナレイアは口を開く。

鍔迫り合いをしている最中の声にしては、やけに響いて聞こえた。まるで、彼以外の存在に聞かせようとしている風に。

 

「遊撃士に肩入れするのは、まぁ万歩譲って理解しよう。アレも所詮は修羅場に身を置く職種だからな。

 だが、微温湯に浸かって生易しい闘争に満足する身分は、お前にとって相応しくないだろう」

 

「…………」

 

 依然として、レイは口を開かない。しかし眉の間に刻まれた皺が一層深くなるのを見て、ザナレイアは更に笑みを深くした。

 

「まさか、友情などという曖昧なモノを真剣に求めていたのか? 滑稽だな。

 お前ほどの武人が、何故己を弱くする渇望を追い求める? その剣に乗せた想いの初心は、間違いなく憎悪だった筈だろう。絶望に俯く事を良しとせず、慙愧(ざんき)の念に駆られたままに修めたソレは、間違っても戦の何たるかも弁えない素人を護るために在るモノではあるまい?」

 

「ッ―――‼」

 

 力任せに押し切る。しかし遂に、貝のように閉ざされていたその口が抉じ開けられた。

 

(えん)(ゆかり)もないだろう。それとも、刻まれた”偽善の精神”とやらが働いたか?

 だとするならば思い違いも甚だしいな。お前の行動は、愛情や友情とは最も遠いモノだよ。お前がⅦ組とやらの連中に向けているのは、大空に憧れて嘴を突き出す雛を見下す猛禽のそれと同じだ」

 

「違う‼」

 

 力強い否定と共に、振るわれた刀の切っ先がザナレイアの右頬を浅く裂いた。

垂れ落ちる一筋の血。しかしザナレイアはそれを官能的に舐め取ると、声を荒げるレイの姿に隠し切れない高揚感を見せていた。

 

「何も理解してないテメェがペラペラと語ってんじゃねぇ‼ アイツらは強いんだよ、捻じ曲がった俺やテメェなんかよりもずっとな‼ 恐怖を乗り越えて、実力差を乗り越えて、いつだって俺の予想の斜め上を行くアイツラを、テメェ如きが謗っていい筈がねぇんだよ‼」

 

 激昂するも、技は一切鈍らない。まるで感情と技は別物だと言わんばかりに、熾烈にザナレイアを押し続ける。

 

「フン、つまりは見る程度には才があると? お前が目を掛けるに値する力があると?」

 

「あぁ。少なくともテメェと殺し合ってた頃より数億倍満たされてるよ。だから俺としては此処でテメェが俺の人生の中からフェードアウトしてくれれば言う事ナシなんだわ」

 

「成程。なら―――」

 

 そして、遂にその視線が見間違える事もなくリィン達の潜む場所を捉え、ザナレイアは加虐に悦を見出す者が浮かべる表情を見せた。

 

 

その才、此処で摘み取ってみるのも一興か(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 理解した。言葉の意味を脳が汲み取るよりも先に、身体が動く。

 一方的な攻めの姿勢を解き、【瞬刻】で下がる。それを待っていたかのように、ザナレイアはその右手を地面に押し付けた。

 

「『死氷ノ杭原(ニヴル・シュメルツヘイツ)』」

 

 地面を抉って生まれたのは、生命を逃さず串刺しにせんとする氷杭の奔流。それが凄まじい速度で迫るも、レイに回避の選択はない。

 背後には、仲間がいる。彼らに攻撃を届かせまいと、乾坤一擲の力を込めて抜刀する。

 

「【剛の型・常夜祓】ッ‼」

 

 刀身から生み出された巨大な紫色の斬線が、迫り来る物量と殺意の暴力を根こそぎ刈り取る。

 その圧倒的なまでの実力を前にしながら、しかしリィンの顔は強張ったままだった。

 

 幾度も彼を相手に模擬戦をしていたから、分かってしまう。本来であれば、レイはあそこで回避を選択していただろう。敵は屈んで手を地につけている状態なのだから、真正面から迎撃するより、超速で回り込んで攻撃を食らわす方が遥かにらしい(・・・)戦い方なのだ。

 なのにそれをしなかったのは、他でもない、自分達を守るためだったから。―――それを理解してどうしようもない罪悪感に駆られた。

 覚悟はしたはずだ。傷つく事も厭わなかったはずだ。

 それでも、今自分達は完全に戦いの波に呑まれ、攻撃対象になった瞬間さえ、反応が遅れてしまった。

 サラは迎撃の態勢を整えていたが、彼女一人で生徒9人を全て守り切る事は可能だったのか? それすらも分からず、危機を自覚した時には、既にレイが守勢に回ってしまっていた。

 そして次の瞬間、ヨシュアが言っていた言葉の通りに、

 

 地面から新たに突き出た氷杭が、レイの肩口に深く突き刺さった。

 

 

「ッ―――レイッ‼」

 

 反射的に飛び出そうとしてしまった時、横から繰り出された蹴りが、リィンを押し留めた。

それをしたのはサラだ。言葉での静止が叶わないと判断した彼女は、直接的な行動で彼を鎮めるしかなかったのだ。

 本当なら、サラも今すぐに加勢したいと思っていたが、それをすれば更に重荷を背負わせてしまう事となる。それだけは、なんとしても避けたかった。

 

 それに、まだ斃れたわけではない。突き刺さった氷杭の太さは刀身程度。その程度の痛みで意識を飛ばしてしまう程軟な鍛え方はしておらず、攻撃を受けた次の瞬間には、刀の一振りで杭を両断していた。

 

「痛って。油断したな」

 

 足元に蹴躓いてしまった程度だと言わんばかりの声色で自らの失態を嗤うと、躊躇いなく自らの血を吸った氷杭を肩口から引き抜いた。

 

「……本当なら心臓に突き刺さる筈だったんだが。瞬時に動いてズラしたか」

 

「ギリギリだぞ、マジで。まぁ、お蔭でちっと頭も冷えたし、―――本気で()りに行かせて貰うぜ」

 

 それは吐き捨てたかのような言葉だったが、カチャリと鍔元を鳴らした後に膨れ上がった闘気に、今度は全員が気圧された。

 足を動かし、鯉口に手を掛け、白刃を覗かせる。ザナレイアはその一連を、躱す事なく見続けた。まるで、最高の演舞に魅入ったオペラの観客の如く、殺気を研いだ少年の軌跡を眺めている。

 桁違いの殺意が飛んでくると、そう分かっていながらも彼女はその場を動かない。だってそれこそが―――彼女が戦いに興じた目的(・・・・・・・・・・・)なのだから。

 

 

「八洲天刃流―――奥義」

 

 

 間合いに入る。防御も回避も考えていないのだろう。彼の思考は今、目の前の害悪を叩き斬る事で埋め尽くされている。

 意識を、肉体そのものを”剣”へと変えて、必殺の一撃を見舞う。我は剣也、斬れぬモノ無しと、渾身の斬撃が今、ザナレイアに届いた。

 

 

「【剛天・天羽々斬(あめのはばきり)】」

 

 

 奥義の一、それこそは、抜刀と同時に始まる圧殺の剣舞。

 対象を囲むは百の斬線。氣が練り込まれたソレは、空中に停滞して触れる万物を微塵に斬り飛ばす。

 しかしそれは舞の前奏に過ぎない。目にも映らぬ速さで斬撃を放った後、気付けば既に納刀された長刀の柄に手が添えられている。この間はまさに刹那。辛うじて反応する事が出来ても、防御には移れない。

ましてや、その気がないとならば尚更だ。

 

 白光が散った。

 斬撃の檻の中に閉じ込めた獲物を見舞うのは、竜の剛爪の如く圧を伴う斬光。その数は先の倍数にも匹敵する。

 風も、音すらも遅らせて叩き込まれたソレは、塵すらも残さず獲物を滅殺する―――筈だった。

 

 

「…………」

 

 華やかに散ったのは骨と肉と鮮血ではなく、氷だ。幾百もの斬撃に晒されて、砕け散る。

 

「寸前で”同調”を強めたのか。相も変わらず、バケモノになる事に忌避感はないんだな」

 

 真銘を解放した≪天津凬≫ですら捉えられなかったという事実を、しかしレイは冷静に受け止めた。

力を込めた事で、左の肩口からは鮮血が溢れ出たが、それすらも考慮の外。痛みも何もかも、今のレイにはどうでもいい事だった。

 

『無論だ。私もお前も(・・・・・)傲慢で自儘な神の”残滓”を宿す者。寧ろ忌避するお前の方が、私にしてみれば理解できんな』

 

 風に流れて耳朶に届いた声に、不意に眼帯で覆った左目が痛みを伴って疼いた。

 ”それ”を受け入れた者と忌避する者とでは、そもそも解釈が違う。何よりも”ヒトで在りたい”と願うレイにとって、この左目に埋まった極上の聖遺物は、存在自体が忌々しいモノであった。

 

「気は済んだかよ、狂雌」

 

『フム、そうだな。本来であれば執拗にお前の心臓を狙うのだが……フフッ、今はお前の渾身の一刀を身に受けて気分が良い。これ以上は無粋だろうし、何より”睨み”を利かせている御仁がいる。痛み分けとしよう』

 

 だが、と、此処に肉体のない声が、更に熱の孕んだ声で告げた。

 

『覚えておけ。お前はどう足掻いたところで、平穏な幸福を享受できる人種ではない。私と同じく、闘争の中で自己を見出し、勝利の(いさお)こそが極上の悦となる。その表情が苦痛に歪み、悩み抗う様を、私は楽しみにしているぞ』

 

 そう言い残し、一陣の風と共に気配が消えた。

 溜息と共に刀を収めると、そこで漸く、肩口に広がる熱を持った痛みが彼の意識に届く。

あぁそうか、そうだったなと、攻撃を食らった事実そのものが頭の中から忘却されていた事に辟易としていると、自分の方に駆け寄ってくる足音と声が聞こえた。

 

 何だってこんな所まで来ちまったかなぁと、呆れも含んだ声にならない想いを溢すと、そこでレイは初めて、仲間達の眼前で膝を地につけて沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






これにて、『帝都騒乱』シリーズは終わりです。お疲れ様でした。


あ、でもまだ一話だけ帝都に居ますよ。レイ君が宰相さんとメンチ切らなきゃいけないんで。

というかこの頃ギャグ成分が薄い。シリアスになり過ぎた。
ギャグ成分を補給しようにもデュバリィちゃんいねーし、よくよく思い返してみればオリビエが命の危機に瀕してたけど……まぁ、どうでもいいよね‼



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奮闘の余熱

 

 

 

 

 

「主‼ 何故私をお呼び下さらなかったのですか‼ 主の一声を頂ければ、このシオン、あの氷女めを容易く葬って見せましたものを‼」

 

「馬鹿じゃねぇの、お前。ザナレイアを相手にしたらお前絶対に”酔う”だろうが。”四尾”になったらどれくらいの被害が出るか分かるだろうがよ」

 

 心底主を心配して諫言したシオンの言葉に、しかしレイはいつも通りの憮然とした口調で返す。

 別にシオンの好意を無下にしているわけではない。確かに彼女の”本体”を召喚していれば、レイは傷を負わなくとも済んだかもしれないのだから。

 

 だが、それではいけない。

 ≪冥氷≫のザナレイアは、レイが手ずから殺さなくてはいけない相手で、その役は誰にも譲るつもりはない。そうでなければ示しがつかない(・・・・・・・)し、何よりアレは、レイが抱える数多の”贖罪”の内の一端を担っているのだから。

 ただそれと同じくらいに、レイはシオンが出張って来た際の被害状況の拡大を懸念していたのだが。

 

「俺も今回結構はしゃいだ(・・・・・)けどよ、お前が”四尾”で本気出したら絨毯爆撃レベルじゃ済まないぞ。今回は極力一般市民にテロが起こった事を隠匿する必要があったからな」

 

 以前実技試験の際に見せた”三尾”ですら、少しばかり本気を出せば学院の校舎を数回焼く事くらい造作もないのだ。それ以上の状態で更に”興が乗っている”ともなれば、何をしでかすか分かったものではない。

 そも、彼女の”力”は破壊力、持続性、制御力共に優れているが、隠匿が難しいのが玉に瑕だ。金色に輝く炎など、目立ってしまってしょうがない。

 

「ツァイスに居た時に『神威の炎で火力発電で来たら凄くね⁉』とかいうラッセル爺のバカみたいな提案にホイホイ乗って、ミスって大火災未遂起こした事を忘れたとは言わせねぇぞ。当事者のお前らがエスケープした所為で、俺が工房長に土下座するハメになったんだからな」

 

「う……そ、その折については幾度も謝罪をしたではありませぬか」

 

 遊撃士の新人時代に起きてしまった不幸(?)な事故を思い返すレイ。

 事件が起きた僅か数分後にラッセル工房に駆け付けたZCF(ツァイス中央工房)のマードック工房長に、レイは逃げ出した張本人二人に代わって玄関先で土下座をして何度も謝罪の意を示したのだ。

基本的に人が良い工房長は「君の所為ではないのだろう?」と言ってくれたのだが、駆け出しの身で悪評判が広まる事は防ぎたかったし、何より義理堅い性格のレイはその後一ヶ月ほど、中央工房関連の依頼を無償で引き受けたのであった。

 因みに余談ではあるが、火災未遂の片棒を担いだシオンにはその後、一ヶ月禁酒&エルモ温泉での無償勤労奉仕をレイから命じられた。

 本人は「温泉での勤労は喜んでさせていただきますが、どうか禁酒だけはご勘弁をおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼」と慟哭していたが、その時ばかりは一切の慈悲を掛けなかったのを覚えている。

 まぁその時期、エルモでは『和服の似合う謎の金髪美女が働いている』と話題になって温泉の来客数が増えたという利点もあったりしたのだが。

 

 そこでふと隣に立つシオンを見てみると、頭の上にある耳がしゅんとしなってしまっていた。

その様子を見て、レイはバツが悪そうに右手で後ろ髪を掻くと、指を曲げて少し屈むように合図をしてから、シオンの頭を撫でた。

 

「―――ま、その心意気だけ貰っておくさ。それと、今回はご苦労だったな、シオン。”尾分け”の囮からリィン達のフォローまで、良くやってくれたよ」

 

 本当なら、最初にこうするべきだったのだ。

 シオンはレイの式神ではあるが、決して奴隷ではない。あくまで相互に良好な関係が築けている間、という条件で契約を結んでいるため、どちらかと言えば雇用主と部下という例えが正しい。

正直なところ、話はそんな単純なモノでは済まないのだが、それでも労を労うのは当然の事であり、それを怠って初めに叱責をしてしまった自分の迂闊さに反省をしながらそう言うと、シオンは俯いたままプルプルと震え出した。

 普通なら、そこで彼女が涙を流しているものと考えるだろう。至らなさを恥じたものか、はたまた主に労いの言葉を貰った歓喜から来たものかはさておき、そう考えるのが普通だ。

 しかし、レイは目の前の存在と契約を結んではや10年近くにもなる。その震えが意味するところを立ちどころに悟って、無言で右手を手刀の形に変えた。

 するとシオンは、その瞳を一層輝かせ、勢いよくレイを抱きしめた。

 

「あ、主が‼ 普段は私に冷淡な態度を取られる主が、遂にデレられた‼ 嗚呼、このシオン、感無量の至り‼ 何となれば、褒美で主の温もりを―――(イダ)っ⁉」

 

 不穏な言葉を発する前に、形作られた手刀が、シオンの脳天に炸裂する。体術も修めているレイの、氣も練り込んだ一撃は、ヒトならざる身のシオンを以てしてそんな声を出させてしまうほどには強烈だった。

 

「調子乗んなや色情狐。”そういう事”はあれっきり(・・・・・)だと何度も言った筈だろうが」

 

「うぅ、私とて6年近くも経てば人肌寂しく感じる時もありまする」

 

「神獣だろうが、お前」

 

「固い者や老骨らと違い、私はまだ比較的若うございます。それに、妖狐にとって若い男の精は極上の甘露であります故」

 

 金色の尾を揺らしてそう言うシオンの姿は、異性にとってさぞや魅力的に映る事だろう。しかしそれを、レイは全く意に介さなかった。

 

「ビッチめ」

 

「何を仰せられますか。今の私は身も心も主のモノでございます。(しとね)を共に出来るのも主一人の特権です」

 

「よく昼間からそんなエロい単語を連発できんな、お前」

 

 レイとて、このような美しい存在が傍に居る事に何の感慨も抱かないわけではない。それでもその誘惑の数々を悉く跳ね除ける事が出来るのは、偏に彼が持つ鉄壁の理性が弾いているからに他ならない。

 加え、愛すると決めた女性を三人も抱えた現状で手を出すのは明らかに不貞行為だ。そも三人も女を抱えている時点で不貞も何もあったものではないのだが、過去、やむにやまれぬ事情で目の前の神獣に食われた(・・・・)経験がある身としては、それは冗談でも何でもないのである。

 今後も気を付けなければならないなと、そう思っていると、ふと、裸になった自分の上半身の左肩口に巻かれた真新しい包帯が目に入った。

 

 現在二人が居るのは、憲兵隊が所有する医療関連施設の一角。そこでレイは、ザナレイアから受けた傷を二日間に渡って治療していた。

 民間の医療機関に委託されなかったのは、テロ未遂による負傷を出来るだけ公の目から逸らしておきたかったという事と、彼の受けた傷があまりにも特殊過ぎた(・・・・・)という事に起因する。

 何せ『ティア』や『ティアラル』といった回復系のアーツは悉くその効力を発揮しなかったのだ。特殊な魔力によって構成された氷杭によって貫かれた事で、傷口が通常のアーツによる治療を受け付けず、担当した主治医が匙を投げかけたほどだ。

 幸いにも、この攻撃を過去数え切れないほど食らって来た上に、解呪のスペシャリストである呪術師でもあるレイが”毒”とも呼べるこの魔力を取り除いたことで治療は滞りなく終わり、二日後の今は完全に治癒していた。

 本来ならこの包帯も必要ないのだが、「傷口が開いたら事ですから」というクレアの逆らう事の出来ない語気で言われた言葉に従って、律儀に巻いてもらっている。

 

「クレア殿やサラ殿が深く心配して下さって。まったく、主は罪深いお方ですなぁ」

 

「され過ぎて夏至祭行けなかったけどな。コンチクショウ」

 

 当初、≪夏至祭≫の初日までであったⅦ組の特別実習は、しかし実際にテロ未遂事件が起きた事で警備が一層強化され、Ⅶ組の面々もそれに駆り出される事となった。

とはいえ、そのシフトは憲兵隊のそれよりかはかなり緩く、≪夏至祭≫を楽しむ時間は充分にあったという。

その情報を持って来たのはフィーであったが、他の面々も度々医療施設を訪れて、その度に土産の食べ物や話題などを持って来てくれた。あんな事があった後だというのに、すぐに意識を切り替えて行ける辺り、逞しくなったなぁと実感する。

 しかし、医療施設からの外出を許可されていなかったレイは、退屈どころの話ではない二日間を送る事になってしまった。余りにも暇すぎたために施設の厨房に潜り込んで久々の菓子作りに没頭していたところ、それを発見した≪鉄道憲兵隊≫と≪帝都憲兵隊≫の隊員が試食用にそれを貰い、その美味さが口コミで広がってファンが増えてしまったのだが、それもレイにとってはあまりテンションを上げる出来事には為り得なかった。

 

 そんな事を回顧していると、病室のドアがノックされ、しかしその返答も聞かない間に来客―――サラが入って来た。

 

「ホラ、迎えに来てあげたわよレイ。ありがたく思いなさい」

 

「お前さぁ、ノックって言葉の意味知ってんの?」

 

 せめて常識の範囲内で生きている人間が相手ならば、レイは今学院指定の半袖シャツを着た状態で出迎える事が出来たのだが、今回、ノックから引き戸が開くまでのタイムラグはほぼゼロであったと言ってもいい。呆れ顔でそう言うレイに対し、サラは悪戯っぽい笑みを浮かべて返す。

 

「いいじゃない、別に。それとも、いかがわしい本でも読んでたの? ん?」

 

 ニヤニヤとした表情でからかうサラに、レイは鼻で笑って返す。

 

「ハッ、エロ本程度で興奮するほどガキじゃねぇよ。それとも何だ? そういう本に出てくる女の格好をお前がしてくれるのか?」

 

「えっ……」

 

 レイにしてみれば、それはいつも通りのカウンターパンチであり、勿論本気で言っているわけではない。

 こうでも言えば「な、何言ってんのよ‼」といった具合の反応が返ってきて結果的にレイの勝利で終わる筈なのだが……今回は違った。

 

「あっ……えっ……」

 

 まるで突然の告白を受けた乙女の如く、サラは頬を真紅に染め上げて、狼狽えるような声を出しながら数歩後ろに下がった。

 女性を嬲るような発言をしたレイを咎める事もなく、琥珀色の瞳は不自然なほどに揺れている。その仕草に、思わずレイも息を呑んでしまった。

 

 レイは知らない。

サラが≪夏至祭≫初日の日、シェラザードに過激な事(・・・・)を言い含められていた事を。

そして、ルナフィリアとの対決の折に―――乗せられていたとはいえ、自分の想いを声高に叫んでいた事を。

 故にサラは、今は想い人(レイ)の言動に敏感になっていた。だからせめていつものようにからかう事で平常心を保とうと思っていたところに、繰り出されたカウンター。狼狽えてしまうのも、無理のない事であった。

 

 サラが動揺のあまり声を失う姿はレアであり、もう少し見ていたいという欲求にも駆られそうになったが、流石に自分の言動でそうなってしまった人間に対して追い打ちをかけるような趣味は持ち合わせていない。

 レイは一つ浅い溜息を吐くと、黙ってシャツに袖を通し、腰を据えていたベッドの上から勢いをつけて立ち上がる。左肩を何回か回してみたが、既に僅かの痛みもなかった。

 

「……そら、行くぞ」

 

 呆然としたままのサラの肩を軽く小突いて意識を現実に引き戻す。その後、正気に戻ってレイの後を追う後ろ姿を見ながら、シオンは一人、薄く笑った。

 

「さてさて、存外御三方の中で最初に契りを交わすのは―――サラ殿やも知れませぬな」

 

 心底面白そうにそう言ってから、その体を黄金色の粒子に変えて、シオンはその場から消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、レイにはさも≪夏至祭≫を満喫しているように解釈されてしまったリィン達Ⅶ組のメンバーであったが、実のところ彼らは無垢な心で祭りを楽しんではいなかった。

 否、実際は帝都の警備を一任されていたクレアから羽目を外しても構わないという旨を伝えられてはいたのだが、彼らはそれを善しとしなかった。再度のテロリストの襲来の可能性が限りなく低い状況での警備任務という、見ようによっては煩瑣(はんさ)な仕事ではあったが、それを気を緩めることなく祭典の終了までやり切ったのだ。

 その集中力と連携の高さ、加え元遊撃士二人の薫陶を受けて培った行動力と注視すべき場所の特定など、そういった手並みの良さは、たまたま居合わせた精鋭揃いの憲兵隊を唸らせたほどである。

 

 クレアが見るに、彼らは既に一士官学院生という枠には収まっていない。レイという破格の存在を抜きにしても尚、総勢9名、二個小隊の”部隊”として数えるのに何の躊躇いもない程だった。

 統制の取れたテロリストに対し臆さず挑む胆力、それに伴う個々の実力と、その長所を最大限に発揮できる場を整える観察眼。全員の纏め役、総司令塔としてリーダーの役割を担っているのはリィンだが、二手三手に仲間の数を分けた時に彼に代わって的確な指示を出す人物が複数いるのも評価できる。

 広い視野と冷静な判断力、加えて攻め際と引き際を見極める客観的な思考が必要となる指揮官というポジションは、実は誰にでも出来るモノではない。そこには少なからず生まれ持った才覚が必要になり、そう言った意味では確かに、Ⅶ組は才に秀でた者達が集まっていると言える。

 未だ粗さは箇所に見える時があるが、彼らは入学してまだ4ヶ月程度。その短期間で築き上げた実力という観点から見るのであれば、驚異的だと思わざるを得ない。

 

 そんな彼らが、羽目を外せる機会を断ってまで警備に応じたのかと言えば、理由は簡単である。

 

 二日前、確かに彼らはテロリストを撃退した。地底の底より()び出された魔竜を下し、拿捕まであと一歩の所まで追い詰めた。

 だが、結局取り逃がしてしまった。リィンはあの場で深追いをせずに撤退の指示を出した事については、今でも後悔はしていない。功を得る事は確かに大事だが、それで大事な仲間の命が失われてしまっては元も子もない。彼はそうした、指揮官として当たり前であり、そうで在るが故に咄嗟では示し辛い判断を、ほぼ無意識でやり遂げたのだ。それをクレアは評価したし、サラもそれについては惜しみなく褒め言葉を口にした。

 

 しかし彼らは、それで満足はしなかった。

 否、満足しなかったという言い方には語弊がある。必要以上に自分達の功績を卑下しない方が良いと教わっていた彼らは、自分達の行った行動が無為なものであったとは思っていなかったし、そう思う心もなかった。

 心に引っ掛かっていたのは、やはり仲間であり、欠かす事の出来ない人物であるレイの事だ。

 

 彼の戦いに、魅せられてしまっていた。今の自分達が見上げるどころか、雲霞に紛れて見る事すら叶わない領域。その場所に足を踏み入れた者達が戦う姿に、茫洋と魅入ってしまったのだ。

 そして結果としてそれが、彼が傷を負う理由となってしまった。

 

 許せなかった。例え他の誰もが仕方がないと擁護してくれたのだとしても、それを無かった事にしてしまう事は出来ない。何せ、同じ過ちを二度繰り返してしまったのだから。

 ノルドに向かう列車の中で、リィンと、あの場に居合わせた面々は屈辱を味わった。仲間が戦っている場所に背を向けて退避せねばならない無力感。自分達の存在が足手纏いであると悟ってしまったが故に感じた誤魔化しようもない強い敗北感。もうあのような惨めな思いは二度とするまいと、そう心に誓った筈なのだ。

 だがどうだ。結局今回も結果的に彼の足手纏いになってしまった。

 彼の戦いを見届けたい。例えどれだけヒトの域を逸脱した戦いを目にしようとも、その剣と在り方に恐れは抱かないと決意して向かった筈なのに、まさか畏怖すらも通り越して時を忘れる程に魅惑されてしまうとは思いもよらなかった。

 しかし、それは言い訳にはならない。どう取り繕った所で、彼が傷を負ったという事実には変わりない。それも、そのままであれば既存の治療が限りなく難しいという重傷を。

幸いレイ自身が解呪の心得があった為に大事には至らなかったが、もしそうでなかったとしたら、治癒不可能の傷を抱えたままこれからの人生を生きて行く羽目になっていたのかもしれない。そう考えると、背筋が凍るような感覚を覚えてしまう。

 

 ≪X≫―――聞くにザナレイアという名を有するあの人物と渡り合おうなどとは思っていない。自分達が総員で相手になった所で、あの圧倒的な氷の攻撃の前には手も足も出ないだろう。業腹だが、それは認めなくてはならない。

 ただそれでも、戦場に於いて足手纏いにならない方法は幾らでもあったはずなのだ。それを自覚したのは激闘が終わった後、レイがリィン達の前で初めて膝を屈する姿を見せた瞬間だった。

 ヨシュアが言っていた言葉を、しかし彼らは本当の意味では理解していなかったのかもしれない。戦闘に於いて常に毅然と、確実に勝利を攫って行くレイの姿を見過ぎていたが故に、どこか妄信していたのかもしれない。”彼は強い。どうあっても敗北はないだろう”と。―――実際は、自分達と同じ年代の少年であるという事など、完全に忘却してしまったかのように。

 

 それを理解し、良心を苛ませて俯きかけたが、この4ヶ月間で教え込まれて来た教訓が、彼らを立ち止まらせなかった。

 反省はいつでも出来る。悔やむ事もいつだって出来る。だが、それを思い続けて立ち止まっている時間は無駄だ。時の浪費は金の浪費と等価であるという諺にもあるように、未熟者である自分達に、俯いたまま悔やみ続ける時間などない。

 だから、警備任務を請け負ったのだ。せめて自分達が乗り掛かった舟が終着点に辿り着くまではきちんと見届けるのが筋だろうと、そう提案したリィンに、他のメンバーも一様に頷いた。

 結果として≪帝国解放戦線≫による再度のテロ活動は無かったものの、祭典の熱気に紛れて活動していたスリや通り魔を幾人かひっ捕らえた事で、Ⅶ組の株は上がる事になったのだが、特に名誉などを求めていたわけではない彼らは、依頼の追加報酬のみを受け取るだけでその感謝の意に応えたのであった。

 

 ただ、レイの見舞いに出向いた時はその限りではなかった。

 警備のシフトの合間に出店などに赴き、医療施設からの外出を許されていなかった彼に土産を持って行くときは、彼らも一介の学生に立ち戻って接していたのである。

それは決して虚偽ではなく本心であったため、レイもリィン達の本心までは見抜けなかった。努めて明るく、まるで祭りを満喫していたかのように振る舞って、あまつさえ警戒心の高いレイにそれを信じさせたのだから、そう言う意味では彼らも確実に成長していると言えた。

 

 

 そして今、三日間に渡る≪夏至祭≫も終了し、撤収の作業が続いている中、リィン達はオリヴァルトの計らいで『バルフレイム宮』に招待されていた。

 華美にして荘厳、帝国国民の畏敬と敬愛を示す象徴でもある真紅の皇城の内部に招待された面々は、流石に緊張こそしていたものの、必要以上に委縮はしていなかった。唯一『四大名門』の出であるユーシスはこの場所を訪れた事があり、元々過度な反応はしていなかったのだが、他のメンバーも外見的には変わらない風を装っていた。

 

 彼らが通されたのは、皇城の中の第二迎賓口。本来であれば城に立ち入る身分ではない人間が多数いる事をそれとなく先導したオリヴァルトに漏らしたが、それを彼は笑い飛ばした。

 

「そんな事は関係ないさ。今回の一件では、君達に随分と助けられてしまったからね。これはもう、士官学院に足を向けてなられないかな?」

 

「えぇ、えぇ。お兄様の言う通りですわ。もしシオン様に身代わりになって頂かなかったらどうなっていたかと思うと……」

 

 感謝の言葉を衒いもなく口にするオリヴァルトに追従するようにアルフィンがそう言うと、畏れ多く在りながらも、達成感のようなものが込み上げて来るものを感じた。

 しかし、それを分かち合う筈のもう一人は、まだこの場に来ていない。

 

「あの、オリヴァルト殿下。レイは……」

 

「あぁ、もう少しで此方に来る筈さ。その前に、君達にお礼と、謝罪をしておこうと思ってね」

 

「え?」

 

 謝罪、と聞いて、リィン達は思い当たる節などがとんと見当たらなかった。故に少しばかり焦った表情を見せると、オリヴァルトは真剣な表情に戻り、目を伏せる。

 

「済まなかった。君達の決意を確かめる狙いがあったとはいえ、晩餐会のような場で言うべき事ではなかったと反省しているよ」

 

 晩餐会という言葉で、リィン達はオリヴァルトが何を謝罪しているのかは分かった。

 実習の二日目、女学院の一室にて問われた、レイとの絆。彼の何を知り、何を思っているかという問いに、遂に彼らは答える事が出来なかった。レイと短くない時を過ごしていたフィーでさえ、”どこまで知っているか?”と問われれば、口を閉ざすしかなかった。

 

「―――いえ、殿下が謝られる事はありません。あの時自分達が沈黙してしまったのは、偏に彼と真正面から向き合って来なかった自分達の脆弱性を悔やんだだけでした」

 

 ”仲間”だ”友人”だと、そう言っておきながら、それまで彼を彼たらしめる要因については一度たりとも踏み込んだ事はなかった。それが自然な日常となってしまった所に投げかけられたのが、オリヴァルトのあの言葉であり、それによって大事な事を思い返させてくれたのだ。

 だから、感謝こそすれ不快に思う事などあろうはずもない。

 それを素直に告げると、オリヴァルトは再びその口元に柔和な笑みを浮かべ、「そうか。ありがとう」と告げた。

 

 その後、アルフィンやエリゼなどからも礼の言葉を幾度も掛けられる事数十分。漸く皇城の美麗な設えの雰囲気に馴染んできた時に、待っていた人物が案内役のメイドと共に現れた。

 

「あ、レイ。待って――――た、ぞ?」

 

 待ち人の方を振り向いたリィンが、最後言葉の歯切れを悪くしたのには理由がある。その理由は、レイの表情を見たⅦ組全員が理解していた。

 傍から見れば、至って普通の表情だ。極度の喜怒哀楽のどれにも当てはまらず、さりとて皇城の空気に呑まれたわけでもない、平時の表情。

実際、オリヴァルトやアルフィンはその表情を異常に思う事無く、普通に彼を迎え入れていた。しかし、遠目からでは分からない、ごくごく僅かな変化ではあるが、眉根が少しばかり寄っている。

 それは、不機嫌な時のレイの表情だった。とはいえ、本当にヤバいレベルで不機嫌な時は全身から「あんまり近寄るな」オーラを排出するため、程度としては低いレベルの不機嫌なのだろう。その感情を皇城の中にまで持ち込むあたり、流石だなとは思うが。

 

「ど、どうしたのレイ。ちょっと不機嫌みたいだけど」

 

 問うかどうか迷った末に、エリオットがそう言うと、レイは深い溜息と共に右手で顔を覆い隠してその内容を告げる。

 

「……外れた」

 

「え?」

 

「三連単、外した。クソッ、メフィストの奴、最後の最後で走行妨害とか有り得んだろ……プライスが三番手に差し込んでくるのも予想なんかできねぇっての」

 

 心底悔しそうに言うその内容を、しかしその場に集まった大半の人間は理解できなかった。

唯一その経緯を完全に察したオリヴァルトは心中を察するといった雰囲気で苦笑を漏らす。

 頭の上に疑問符を浮かべる少年少女が多数いる中、しかし説明する気は全くゼロで落ち込んでいるレイを見かねたのか、光の粒子と共に現界したシオンが、溜息混じりに説明を始めた。

 

「あー、皆様、それ程深刻に捉えなくても宜しいですよ? 主はただ、先程見た新聞で、先日懸賞葉書で応募した≪夏至賞≫三日目最終レースの結果が揮わなくて落ち込んでいるだけですので」

 

「競馬かよ」

 

「通常運転し過ぎでしょ」

 

「バカヤロウ‼ メフィストオーラの奴が順当に一着になってグランマリーナ、オールドファイツの順でゴールすりゃ三連単ヒットして万馬券だったんだぞ‼ チクショウ、芝25セルジュじゃなかったら勝てたのに……ッ‼」

 

 絞り出したかのようなその声に、オリヴァルトがレイに近寄り、ポンとその肩に手を置いた。

 

「気持ちは分かるよ、レイ君。昔から≪夏至賞≫は運命の悪戯とも呼べるほどに大番狂わせが連発するベテラン殺しの大会でね。僕も慣れるまでは結構痛い目にあったものサ」

 

「……因みに、お前はどうだったんだよ」

 

「最終レース、三連複で当てたよ?」

 

「この裏切者がァ‼」

 

 目の前で皇族と一般人が喧嘩を繰り広げるという、見る人間が見れば卒倒しかねない光景にも、リィン達はもう驚く事はなかった。

 その内、遅れて来たサラも合流し、これ以上の喧嘩は不毛だと理解したレイもリィンに宥められて一先ず感情を鎮静化させた。それでも、近衛兵が踏み込んで来るか来ないかギリギリの瀬戸際で喧嘩を展開するその絶妙な匙加減にはオリヴァルトの舌を巻かせたのだが。

 

「レイさんにも、今回は本当にお世話になってしまいましたわ。お怪我をなさったと聞きましたけれど……」

 

「いえ、掠り傷のようなものです。もう完治しましたので、ご心配なく」

 

「……アルフィンにはちゃんと敬意を払うんだね。ヒドい、僕とは遊びだったのかい⁉」

 

「普段の行いを鑑みてからモノを言え。あとキモい、ただキモい、どうあってもキモい。大事な事だから三回言った」

 

「……何というか、アレだな。レイが殿下に向ける罵倒っていつにも増してストレートに思えるんだが」

 

「団に居た時のレイのSっぽさって大体あんな感じだったよ」

 

 ヒソヒソと小声で話すマキアスに、フィーは特に珍しいものを見たといった感じでもない態度でそう返す。

 とはいえ、今のレイは、いつもの通りの”学生”としてのレイに立ち返っている。二日前に見せた、触れただけで全てを斬り裂いてしまいそうな闘気も殺気も、今は見る影もない。

一体どちらが彼の自然体なのだろうかとリィンが考えていると、迎賓口に新たに靴音が響いた。

 

 

「皆さん‼ ―――あぁ、良かった。何とか間に合いました」

 

 奥の貴賓室へと続く場所から現れたのは、王族の証である真紅の貴族服を身に纏った少年。

 小柄ではあるが、それでもレイよりかは僅かに高い身長。容貌は同年代の少年に比べれば幼く、しかしそれも艶やかな金髪と生来生まれ持つ高貴な雰囲気の中に紛れればどこか倒錯的な美貌を感じさせる。

 皇城を去っていなかったⅦ組の面々を見つけ、心底安堵したような齢相応の表情を見せたその人物こそ―――帝国第二皇子にして皇位第一継承権を持つ未来の皇帝、セドリック・ライゼ・アルノールに他ならなかった。

 

「初めまして皆さん。今回は姉が危険な目に晒されるのを未然に防いで下さり、本当にありがとうございました。心よりお礼を―――」

 

 初対面の年上の相手を目の前にして臆する様子は微塵もなく、笑顔を浮かべたままに斟酌なく礼を言いかけて、しかしレイの姿を視界に捉えた瞬間、目を見開いて驚愕したような表情を見せた。

 そのまま硬直する事数秒。再度疑問符を浮かべる一同を他所に、セドリックは徐にレイに近づいた。

 

「あ、あの、レイ・クレイドルさんですよね? アルフィンとオリヴァルト兄様からお話は伺ってます」

 

「えぇ、お初にお目にかかります、セドリック皇太子殿下。お会いできて光栄の極みです」

 

「あ、ありがとうございます。それで、その―――」

 

 処世術の一つである柔らかい言動を見せるレイに対して、しかしセドリックは(ども)りながらも、羞恥を必死に隠しているような焦りを見せて、続けた。

 

「多分、ですけれど……僕と同じ悩み(・・・・)を抱えている人ではないかと、そう思ってしまったんですが」

 

「―――あぁ、成程」

 

 それだけで、言わんとしている事は理解できてしまった。レイはオリヴァルトとアルフィンに許可を取り、セドリックと共に迎賓口の片隅へと移動していく。無論、話を聞かれないための配慮だ。

 

 

「……皇太子殿下、一つ質問をしても宜しいですか?」

 

「あ、はい。何でも聞いて下さい」

 

「それでは―――主な加害者はどなたでしたか?」

 

「大体、というか全て姉のアルフィンでした。もう何と言うか……クローゼットの中をとっかえひっかえといった感じで。手伝っていたメイドたちも何だか鼻息が荒かったような気がしましたし……」

 

「……ご愁傷様です」

 

「じゃあ、僕からも良いですか?」

 

「えぇ、何なりと」

 

「被害って……どれくらいまで拡がりました?」

 

「自分の場合、酒で泥酔させられてその後に、というパターンが多かったので。撮られた写真の総数は数知れず、出来るだけ”回収”はしたのですが……今でも身近な所に現物が存在しているものかと」

 

「……僕の方が断然マシですね」

 

「服の方の内容は?」

 

「え、えっと……女性用の貴族服とか、どこから調達したのかゴスロリ調のモノとかを……」

 

「自分は……メイド服巫女服学生服ドレスナース服シスター服等々。えぇ、罰ゲームという建前で主張も拘りもなく色々着させられましたよ」

 

「あ、あわわ……」

 

 身内だけで恥が完結していた自分とは”痛み”の度合いが違いすぎる事にセドリックは戦慄し、しかしその後すぐに真剣な眼差しのレイに見据えられてその感情を飲み込んだ。

 

「セドリック殿下。自分が以前アルフィン殿下とお話しした限りでは、どうやら殿下はもうこの”呪縛”からは解放されていると聞き及びました。貴方はもう、仄暗い過去を振り返らずとも良いのです。殿下はいずれこのエレボニアを背負って立つ御方、帝国男子よ斯く在るべきと、それを御身で以て知らしめるように強くなられる事を、不肖の身で自分は祈っております」

 

「そ、そんな……で、でもあなたは……ッ」

 

「自分は少々特殊な体質(・・・・・)を抱えていますので、以後も茨の道を進むのは覚悟の上です。晒し者になる趣味などは毛頭在りませんので、抵抗は致しますよ。

 セドリック殿下、どうか、自分と同じ轍を踏まれませぬよう」

 

 その語らいだけを見れば、忠臣が自らの在り方を迷う若き主に諫言をしている姿に見えなくもない。実際のところ内容は国の情勢を左右するような話題では天地がひっくり返ってもないのだが、それでも彼らにとってそれは人生の汚点を払拭するために必要な語らいであった。

 一点の曇りもなく、虚偽もなく、己の覚悟を言い切ったレイに対して、セドリックは感動してしまったのか涙目を浮かべる。そして、レイの手を強く握った。

 

「レイさん。よ、良ければ僕の友人になって下さいませんか? 同じような悩みを抱えている人に、僕はこれまで出会って来ませんでした。これだけ自分の心情を吐露できたのも初めてなんです。ですから―――」

 

「それはなりません、殿下。いずれ最も高貴な身分となる貴方が、自分のようなどこの馬の骨とも知れない人間と友となってしまっては、後々足元を掬う輩が現れるでしょう」

 

「そ、そんな事は関係ありません。同じ苦痛を味わい、それを共有できる人に出会えたんです。例え僕が皇族の一員であろうとも、友人を選ぶ権利はあります‼」

 

 だから、と。セドリックは意を決したような表情を見せて、言い切った。

 

 

「友達に、なって下さい。お願いしますっ」

 

「…………」

 

 レイとしては此処で、お互いの愚痴が言い合えればそれで良かった。それは本当だった。

 しかし、まさか弱みを共有しているというだけでここまで強く迫られるとは思わず、内心では密かに困惑すると共に、気弱そうな外見とは裏腹に自分の意志をしっかりと見せたセドリックに称賛も送っていた。

 レイが最初の申し出をやんわりと断った理由については、これも実は口から出まかせではなく、本心であったりする。

既にオリヴァルトとアルフィンの間で友人関係を承諾したレイではあったが、しかし皇位継承者のセドリックと、という話になれば別だ。もし公になれば狡猾な輩が何を言ってくるかという可能性も考慮しなくてはならない。

 損益のみを考えるのならば次期皇帝とのパイプが出来上がるというのは悪い話ではない。だが、その結果もし彼が帝位を追われるという事態になれば、それは取り返しのつかない事だ。

そこまで考えなくてもいいのでは、と思う人間は多いかもしれないが、大国の帝政や王政というのはそういうものだ。上に立つ者は、足元を掬われる可能性を1%でも多く取り除いておかなけばいけない。

 

 セドリックとて、そこは理解しているのだろう。だがそれでも、彼は己の友を己で決める事を選択した。

皇位継承者という自分を覆う殻のみに引き寄せられて近づいてくる阿諛追従の輩といるよりもきっと自分にとって良い事になる、そう本能的に察したのだ。事実、セドリックはそう思っていたし、そう思われているのならば、こちらから否定する理由などどこにもない。

 

「―――分かりました。敬語は取れないと思いますけど、それでも良ければ、是非」

 

「あ、ありがとうございますっ」

 

 差し出された手を握ると、セドリックは満面の笑みを見せた。

その笑顔は比喩抜きで輝いて見え、噂で聞くところの、貴族の婦女子達を虜にしているという話は、成程確かに事実らしいと図らずも実感する事が出来てしまった。

 

 さて、始めこそ話のネタにする勢いで二人だけにしてもらった筈なのだが、蓋を開ければ時期皇位継承者と友人になってしまっていた。それを戻った際にリィン達に告げると、もはや呆れすぎて追及する気も失せたのか、「あぁ、そう」と言わんばかりの表情で返されてしまった。流石に少しいたたまれなくなったのは事実だが、話を切り出して来た当の本人が姉と兄に大満足の笑みを浮かべて報告をしている姿を見たら何も言えなくなってしまった。

 

「本当に主は、訳の分からない経緯を経て御友人を作るのがお得意ですな」

 

「うっさい。今回ばかりは想定外だったわ」

 

「因みに私も、リベール時代にキリカ殿に付き合わされて潰された主を着替えさせて撮った写真を今も何枚か保持しているのですが」

 

「お前に捨てろ云々言ってもどうせ無駄だろうから、外部に漏らさない限り好きにしろ」

 

「ありがたき幸せ。一生貴方様の膝下に下りまする」

 

「お前の忠誠心は実は紙っぺら同然の強度なんじゃねぇかなぁって今思ったわ」

 

 そんな感じで予定外の事態は起こったものの、取り敢えず実習任務は終了となった。

当初より随分と時間が掛かったなと、そう思い返しながら皇城を後にしようと思い踵を返そうとして、そこで―――

 

 

 

「フム、何やら賑やかな様子。私のような無骨者が入る意味はありませんかな?」

 

 

 圧に、縫い止められた。

 

 声の主は、先程セドリックが通って来た通路と同じ場所から姿を現し、その言葉とは裏腹にゆっくりとその歩を進めた。

 元軍人であるが故の、威圧するかのような体躯。加えその身で周辺諸国より畏怖の念を抱かれる絶対的強者の圧力。常人であればこの男に睨まれれば皆等しく蛇に威嚇された蛙と成り果てるだろう。

 

 弟と話に興じていたオリヴァルトの雰囲気が、怜悧なものに変わる。Ⅶ組の面々に指示を出そうとしていたサラの表情が、憤懣を交えたそれへと変わる。

 そして何より、苦笑を漏らしていたレイの表情が、一瞬にして無味無臭のそれへと変貌を遂げた。

 

 その三人にとって仇敵であり、怨敵であり、便宜上味方であるものの油断を決して許されない人物であるその男は、まるでそれらの感情をまるで意に介していないかのような足取りで、レイ達の前に立った。

 

「初めてお目に掛かるな、トールズ士官学院特科クラスⅦ組の諸君。此度の騒動に際して力を貸してくれた事、まずは礼を言っておこう」

 

 憮然と、それでいて毅然と、そして実力に裏打ちされた不遜さとが、その言葉には凝縮されていた。

 雰囲気に呑まれまいと、顔を強張らせる一同を若者の邁進とでも言うような視線を投げかけて逸らした後、その獅子の如き双眸は、その二人を捉えた。

 

「君達には、名乗りの言葉など要らないかな? 遊撃士、それに≪天剣≫」

 

「えぇ、そうですね宰相殿。此方は色々とお世話になったものですから」

 

 怒りを抑え込み、皮肉交じりの口調で返すサラ。そこにはほぼ形骸化していたとは言え、敬語を使うだけの意識はあったが、もう一人は違った。

 

「その名前で呼ぶなっつたろうが、オズボーン。クロスベルで会った時と何も変わってねぇな、その面構えも、何もかも」

 

 普段ならばどれ程気に食わない相手であろうとも立場が上の人間や敬意を払うべきと思った相手には形だけでも敬語を使うレイが、普段と何も変わらない口調で、先程のオリヴァルトに向けたそれとは比較にならないほどの嫌悪感を含ませてそう言った。

 しかしそう言われた本人は、怒気を露わにすることなく、寧ろ忍び笑いを漏らす。

 

 

 エレボニア帝国宰相、ギリアス・オズボーン。

 

 嫌ってはいない、だが気に食わない―――レイがそう公言して憚らない稀代の傑物は、自分の圧を意に介さない少年との邂逅を待ちわびていたかのように、その言葉に呼応した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




FGOのドラマCDを聴きました。

「先輩」と呼んでくるCV種田さんのマシュがストブラの雪菜ちゃんと被ってカワイイ。
兄貴マジイケメン。オルガマリーさんもカワイイ。


……なんて現実逃避してたらがっこうぐらしのOPとEDが脳裏にフラッシュバックして来た。
あれトラウマもんだよ……


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閑話 休息の戦士たち ※

タイトルの通りです。取り敢えず書きたかったモノを書かせていただきました。

天運尽きた皇子は出ては来ませんが……まぁ、冥福を祈ってやってくださいな。





 祭典が終了し、飾り物なども撤去された事で常時の雰囲気を取り戻した帝都。

 しかし、市民達の熱気は未だ冷めきっておらず、酒場などでは大人達が今でも今年の祭りの熱狂ぶりを語らい合い、酔いに身を任せながら夜を満喫している。

 彼らの口から、しかし『マーテル公園』で起きた騒動や『ヘイムダル大聖堂』で戦闘を行う者達の話題は出てこない。精々”そちらの方が騒がしかった”という、噂の域を出ない話が、どこからか出ては、しかし泡沫のように消えて行く。

 

 クレア・リーヴェルトや、≪帝国軍情報局≫の面々が奔走して当たった情報統制は、果たして成功して、テロ未遂事件という触れ書きすらも市井には出回らなかった。

見る人間が見れば、それは政府の狡猾で陰湿な事件の揉み消しに過ぎないと非難するだろう。そしてその非難を、クレアは真正面から受け止める気持ちでいた。

 実際、テロリストに行動を起こさせるまでを許してしまった時点で、自らを弾劾する言葉も粛々と受け止める覚悟は出来ていたのだ。

 しかしそれを、帝国政府は許しはしなかった。特にその首魁たるギリアス・オズボーンは、クレアの行動の一切を非する事無く、事態の収拾に奔走するように求めた。

 彼女は人としてそれを全うし、そして漸く、今になって人心地が着いたのだ。

 

 しかし、だからと言って宿舎に戻り、泥のように眠りこけるわけにはいかない。元より数日の徹夜の作業程度はお手の物である彼女にしてみれば、それこそたった十数分の間目を閉じて意識を睡魔に従わせるだけで溜まった疲労はある程度消化できる。

 そうして体調を常に一定に整えておきながら、クレアは今宵、最後に赴かなければならない場所へと足を運んだのだ。

 

 

「…………」

 

 元遊撃士協会・帝都西街区支部の建物。この日の朝まで特科クラスⅦ組B班の5名が使用していたこの建物は、しかし夕方頃にに彼らがトリスタへと帰った後は喧騒とは無縁の場所となっていた。

 だが、一人も利用者がいないというわけではない。明日(みょうにち)に出立する予定となっている遊撃士協会・リベール支部より招聘した二人が、未だこの建物を宿泊所として利用しているのだ。

 

 その内の一人、ヨシュア・ブライトは今、一階に設けられたソファーに腰を据えながら、クレアが持って来た資料に目を通していた。

 内容は、≪帝国解放戦線≫に関する記述。事件が起きてから二日しか経っていないというのに、その内容は可能な限り憶測を排して事実を突き詰めた、報告書としては充分に成立しているものだった。

 それは即ち、≪帝国軍情報局≫の精鋭ぶりを示すものでもあった。未だリベールに於いて仮想敵国であるエレボニアの諜報機関の実力を示す資料を、本来ならば易々と渡す事はないのだが、それを目の前で同じようにソファーに腰掛けているクレアに皮肉でも何でもなく、ただ純粋に疑問として問いかけると、彼女はこう返して来た。

 

「元より今回、御二方をわざわざリベールの地から招聘したのは、私の独断であり、その分多大なご迷惑をおかけしました。その対価と思っていただければ充分です。それと―――」

 

 そこでクレアは、一拍を置いてから続けた。

 

「2年前、帝都で起きたテロ事件の際、ヨシュアさんの御義父上(ちちうえ)であるカシウス・ブライト氏には過剰なほどの力をお貸しいただきました。≪百日戦役≫の軋轢も埋まらない時期でありましたので、個人的に(・・・・)感謝の念をお送りしたかったのです」

 

 成程、とヨシュアは頷いた。

 2年前に起きた≪帝国遊撃士ギルド連続襲撃事件≫。被害に遭った帝都支部からの要請を受けてカシウスがルーアンから出立したのは、ヨシュアにとっても記憶に新しい事だ。

実際あれは、ワイスマンの暗示によってリベール王国軍情報部が起こしたクーデターと綿密に絡んでいた事が明らかになっていたので、事件の全貌はカシウスからは聞いていない。元より、自分の仕事についての内容は子供には明かさない人なのだから、それも当然なのだが。

 

 そんな父親の功績をこの場で明かして資料を渡したという事で、ヨシュアは素直にこれを読み進める気になった。

 まぁどうであれ、ヨシュア達もこの事件に関わってしまった以上、こうして情報を開示するのが筋だと言うのが本音なのだろうが、それでも好感は持てる。世の中には、プライドが邪魔をしてそんな筋も通せない人間が多いのだから。

 

「……そう言えば、シェラザードさんはどうなされたのですか?」

 

 本当に行方が分からない、といった口調で聞いて来たクレアに、ヨシュアはただ苦笑を返すしかできなかった。

 クレアが訪ねて来る数時間前に妙に上機嫌な様子で出て行った同職の先輩に関しては、あまり言及はしたくなかった。

何せ、”仕事終わり”なのである。仕事中であろうともその酒豪っぷりを隠す事がないシェラザードだが、一つの仕事がひと段落した後は、抑制していた(・・・・・・)酒欲とも呼べる欲求が爆発する。

その反動は凄まじく、朝方までノンストップで飲む事は当たり前。一切潰れる気配を見せないどころか、席を同じくして飲んでいる人間が潰れようとも無理矢理叩き起こして飲ませ続ける暴君へと変貌する。故に、彼女とまともに飲み続けていられるのは、バケモノ並みのアルコール分解能力を備えた者のみであり、その時点でかなり的は絞られる。

 加えて言うならば―――今回の被害者(・・・)は、バーサク状態の彼女とサシで飲み続けていられるほどの猛者ではない。

世間一般では強い部類に入るのだろうが、それでもシェラザードを満足させるにはまだ足りない。今のヨシュアに出来るのは、彼の冥福を祈る事だけだった。

 

「飲みに行ってしまいましたよ。……今日はどうやら連れがいるようで」

 

「はぁ」

 

 さてどうしたものかと、関係はないのに悩んでしまう。

 もし明日の『帝国時報』に、”オリヴァルト皇太子、急性アルコール中毒で救急搬送”などという見出しが出てこようものならば、最悪お尋ね者になりかねない。

そうならないようにセーブする程度の良心がシェラザードに残されていればいいが、祭りの余熱に当てられて”ついうっかり”というパターンが有り得る。これが何より怖い。

 そんな懸念をしていて資料の内容もあまり頭の中に入ってこないという悶々とした時間が流れて行っていた時、不意に建物の玄関のノッカーが鳴らされた。

 

「……?」

 

 おかしいと、最初に思った。

 元よりこの場所は帝都庁の管理の下に入っており、言ってみれば所有物件だ。既にギルドではない事は帝都に住む人間ならば知っているだろうし、そういった看板を掲げていない以上、帝都の外から来た人間がそれを察しているという可能性も薄い。

 最初はクレアが出ようとしたが、ヨシュアがそれをやんわりと断った。玄関口で軍服姿の女性が出迎えれば要らぬ警戒心を抱かせるかもしれないし、何より、もし招かねざる客が居た場合、閉所での戦闘に慣れたヨシュアが出迎えるのが状況的にも一番好ましかった。

 後ろ越しの鞘に得物がある事を確認してから、足音を忍ばせて扉に近づき、耳を寄せた。

 

『んー、留守ってわけじゃないよなぁ。ヤベ、まさか本当に行き違いになったか?』

 

 聞こえて来たのは、恐らく二十代後半の男性のものと推測できる声。その呟きの内容は如何にも怪しいもので、本来であれば扉越しにその正体を問う所なのだろうが、相手にとっては幸か不幸か、ヨシュアはその声に聞き覚えがあった。

だから、逡巡する事もなく扉を開けて、門前に居た人物と面を突き合わせる事になった。

 

「アレク……さん? アレクさんですか?」

 

「あれ? もしかしてヨシュア君か? いやー、久しぶりだな。立派になってまぁ」

 

 扉の前に居たのは、まるで南国の別荘地を訪ねた人間のような服装の長身の男性だった。深緑色の長髪は、しかし首元の辺りで括られている。端正な顔立ちの、洒脱な雰囲気を纏ったその感じは、ヨシュアが最後に出会った時と全く変わっていない。年齢的に鑑みれば三十代の前半くらいである筈なのだが、年齢的な衰えなど一切感じさせないという風な態度に、ヨシュアも思わず安堵の笑みを溢してしまう。

 すると、そんな彼の広い背中から、ひょっこりと一人の少女が顔を覗かせた。

 此方は、十代前半くらいの背の低い少女だった。薄紫色のロングヘアーをそのまま背に流しているその人物は、しかし此方を警戒しているのか、無感情な表情を向けている。夏場であるのに首元まで隠すようなトータルネックの服を着ているその姿と相俟って、どこか浮世離れをしたような感じを抱かせた。

 アレクと呼んだ男に関しては面識のあったヨシュアであったが、その少女とは初対面であった。どうしたものかと反応に窮していると、アレクはバツが悪そうに頬を掻きながら、女性の弁護を始めた。

 

「あー、コイツについては気にしないでやってくれ。君がいなくなってから(・・・・・・・・)大将が拾って来た奴でな。変わりモンだが悪い奴じゃあないんだ」

 

「はぁ」

 

「それで聞きたい事があるんだけどよ、大将はもう帰っちまったのかい?」

 

 ”大将”と呼んでいる人物が誰かというのは、ヨシュアは良く知っている。だから、すんなりと答える事が出来た。

 

「レイなら、夕方にトリスタの方に戻ったみたいですよ。行き違いですね」

 

「うわー、やっぱりか。こんなんならコイツに付き合わされてレストランに寄るんじゃなか―――(イデ)ッ‼」

 

 会話の途中で、傍に居た少女が心外だとでも訴えるかのようにアレクの足を踏んづけた。それでも、無表情ではあったが。

 

「あはは、ご苦労様でした。折角ですし、寄って行かれますか? お茶くらいなら出せますよ」

 

「お、マジで? それじゃあお言葉に甘えさせて貰おうかな。―――あぁ、でも先客の相手は(・・・・・・)いいのかい?(・・・・・・)

 

 さりげなく、建物の中に自分とは別の人物が居る事を示唆して来た事に対して、ヨシュアは相変わらずだなと心の中で称賛した。

ちらりとソファーに座っていたクレアに目配せをすると、彼女も頷く。許可をもらい、二人を扉の内側へと招く。

 

 それ程躊躇った様子もなしに足を踏み入れたアレクは、しかし軍服姿のクレアを見ても驚く様子などは微塵も見せなかった。

 そして同時に、クレアも二人の姿を見て驚く事はなかった。初対面である筈なのに、まるで昔から知己であったかのようなそんな矛盾感。果たしてその曖昧な表現は当たっていた。

 国家の中枢情報にまで手を伸ばす事を許されているクレアは、彼らの事をよく知っている。本来であれば敵対するはずの間柄であるのだが、しかしそんな張りつめた空気は此処にはない。アレク達にしてみても、敬愛する”大将”の想い人の一人であるという彼女に、嫌悪感を抱く事などはなかった。

 

 故に二人は、それ程間を開ける事もなく、ごくごく普通に自己紹介を交わした。

 

 

「初めまして。エレボニア帝国≪鉄道憲兵隊≫所属大尉、クレア・リーヴェルトです。かの≪蒼刃(ブラウ・スパーダ)≫殿と≪魔弾姫(デア・フライシュッツェ)≫殿に、このような場所でお会いできるとは思いませんでした」

 

「いやいや此方こそ、音に聞こえる名参謀の≪氷の乙女(アイスメイデン)≫さんにお会いできるとはね。こりゃ良い土産話が出来た。―――おっと失礼、話が逸れた」

 

 このような空気の中でも飄々とした態度を崩さないままに、アレクは隣に立っていた少女の頭に手を乗せ、続けた。

 

 

 

「猟兵団≪マーナガルム≫二番隊副隊長のアレクサンドロスだ。んで、コッチはリーリエ。本名じゃあないが、まぁ、こう呼ばれてる期間が長いからな。勘弁してくれるとありがたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 その猟兵団は、大陸に存在する数多の猟兵団の中でも、特に異質の経歴と活動を行う者達で形成されていた。

 

 公の情報ではないのだが、彼らの前身となるのは≪強化猟兵 第307中隊≫。≪結社≫の手足とも呼べるごくごく普通の”駒”でしかなかった彼らは、しかし、≪天剣≫の名を奉ずる事となったレイ・クレイドルの傘下の部隊として活動し始めた頃からその頭角を現し始める。

 強壮にして、されど無法者らに非ず。闇の秘密結社に籍を置きながら、彼らは無用の非道を善しとしなかったレイの傘下に入った事で、その実力を如何なく発揮した。

その実力はかの≪鉄機隊≫に比肩しうるとすら謳われ、数々の作戦に於いて彼らは、主であるレイと共に望まれるがままの結果を得て来た。

 

 そんな彼らは、レイがとある事情で≪結社≫を半ば追われるように脱退した際に、同様に≪結社≫と縁を切って独立を果たした。

 無論、何の交渉もなしにそのような事が罷り通るわけもない。それが果たせたのも、偏にレイが脱退の際に”上”に対して根回しと直接的な懇願を行ってくれていたお蔭であった。

 

 絶大な信頼と、忠節。家族であり、強固な絆で結ばれた屈強な部隊でもあった彼らは、晴れて自由の身となった後もレイと共に在りたいと願った。”モノ”であっただけの自分達を在るべき姿へと立ち返らせてくれた”大将”と共に過ごしたいと願ったが、彼は微笑んだままに首を横に振ったのだ。

 

 

『自由になったお前らを、俺が繋ぎ止めておく事はできない。だけど、いつかまたお前達と出会えた時は、家族みたいに騒ぎたい。だけど、俺が窮地に陥ってどうしようもない時、浅ましくもお前達を頼るかもしれない。―――そんな我儘を許してくれるなら、まずは最初の我儘を聞いて欲しい』

 

 

 どれだけ大人ぶろうとしても、所詮は12歳の少年に過ぎない。共に居た期間はたったの2年だったが、それでもその程度の事を理解するには充分な期間であった。

 彼は思っていたのだろう。このまま彼らと共に過ごせば、確かに満たされた時を送れる。それは間違いない。

 だが、それでは駄目なのだと。贖罪という名の悔恨に憑りつかれた彼は、目の前にある筈の幸福にさえ、手を伸ばすのを躊躇った。躊躇ってしまった。

 彼らもまた、レイが自分達と共に居る事で良心の呵責に苛まれるのならばと、その選択を受け入れた。彼を慕う……というよりかはもはや心酔の域に近い程の感情を抱いていた者達などは最後まで良い顔はしなかったが、それでも彼のためならばと、泣く泣く送り出したのだ。

 

 自由にしろ。自分達の好きな道を歩んでくれ。―――最後の命はそれであったが、実のところ狩人としての生き方しか知らなかった彼らは、必然的にただの一人も欠ける事無く、そのまま猟兵として活動する事となった。レイと出会う前ならばいざ知らず、前述の通りに”家族”となっていた彼らがその絆を捨てる事など有り得ない事だったし、加えて言うのならば再びレイと再会した際、その力となれるための牙を研いでおくという選択肢こそが最適解だと全員が理解していた。

 

 団の名は、≪マーナガルム≫。月を飲み込む巨狼を表すその名が大陸に轟くようになったのは、それから一年も経たない内だった。

 

 

 

 

 彼らを傘下に収めていた頃のレイが最も嫌った、”戦火に巻き込まれる謂れのない無辜の人間たちを害する行為”を一切禁ずる事。

 ミラ次第でどのような汚れ役をも受け入れるのが常識の猟兵の界隈でのその掟は、周囲からしてみれば唾棄すべきモノであった。綺麗事をぬかす腰抜け集団と、当初こそ揶揄し嘲笑する者達は多かったが、実際に≪マーナガルム≫と交戦した連中は、その掟を定めた理由を、図らずも理解してしまった。

 構成人数百余名の、規模としては中程度の猟兵団でありながら、彼らは兎に角強かった。実行部隊の団員全てが一騎当千の猛者共であり、一度戦場に現れれば、武装し、死を覚悟した者達を徹底的に狩りつくす。一切の慈悲なく容赦なく、敵意と武器を向ける全てを眼前から抹消する。

 

 つまるところ、それは彼らのある種の”覚悟”であったのだ。我らは戦場で修羅と成り果てる者達なれば、その力を庇護すべき者達に向けるなど言語道断。どれだけの誹謗、中傷を受けようとも、その心意気だけは変わらないと。

 逆を言えば、一般人を害する行為以外ならば、彼らはどんな悪辣な手法も使った。とある国の軍隊を相手にした時は、数十倍の戦力差の敵兵をより効率よく殺戮するために、爆薬を使用して人為的に地盤沈下を起こして生き埋めにし、或いは毒蟲の巣窟に叩き落とした事もある。

 どれだけ真摯に命乞いをしようとも、彼らは一切靡く事はなかった。オーダーを遂行し、ミラを得る。ただし、絶対に平和に暮らす人間がいる場所に、血の臭いを纏ったまま踏み入る事はなかった。

 

 そうして八面六臂の戦果を挙げて行く内に、いつしか侮蔑の視線と声はあまり向けられないようになっていた。

 大規模な猟兵団は彼らの事を”猟兵である事の覚悟を有した精鋭共”と評するようになり、それを見極める事が叶わずに噛みついて来た者達は、一人残らず滅殺された。

 そして”一般人を決して害さない猟兵団”という噂はいつしか大陸の至る所で囁かれるようになり、≪七耀教会≫も≪遊撃士協会≫も、無辜の民に危害を加えない彼らの事を危険視する事が出来ず、その行動を黙認しているのが現状である。いつしか権力者たちの間では、”正義の猟兵”などと謳われるようにもなった。

 

 そんな彼らが念願かなってレイとの再会を果たしたのは3年前。遊撃士協会クロスベル支部へと所属を移した彼と、たまたま市内を観光中だった時にばったりと出くわしたのだ。

 以後、レイはシオンを連絡係として幾度か連絡を取るようになったのだが、未だに頼られた事はない。有体に言えば、それが僅かばかり不安だった。

 だが最近になって、レイがシオンを介して頻繁に連絡を寄越すようになった。自分達の動きを逐一確認するようなその行動に、彼らは過敏に反応した。もしや、帝国で何かが起きようとしているのではないか、と。

 

 果たして、その予感は的中した。

 『革新派』と『貴族派』の二つの勢力が互いに火花を散らし始めている―――という情報は既に前々から入手していたのだが、『貴族派』に属する大貴族達が、こぞって大陸各地の著名な猟兵団に契約を持ち掛けていたのである。

 それを更に調べていた矢先、≪マーナガルム≫にも契約の話が持ち掛けられた。

相手は『四大名門』が一角、その中でも最大の権力を有する<カイエン公爵家>。彼らは法外な金額で雇い入れる事を約束して来たのだが、≪マーナガルム≫団長、ヘカティルナはその申し出をばっさりと断った。その有様はほぼ門前払いも同様といった感じであり、しかし団員の誰一人としてその決定に意を挟む事はなかった。

 元より、一国の内戦、もしくはそれに発展しそうな情勢には出来る限り手を出さないというのが、彼らの定めた掟の一つだった。加え、エレボニアの貴族の大半はその権威にのみ縋り付き、義務を怠っているという情報が数え切れないほどある。よしんば彼らの側についたとき、見せしめなどと銘打って無辜の民を殺害するよう強要してくるやもしれない。そうなれば、厄介だ。

 それに―――実はこれが最も大切な事ではあるのだが、≪マーナガルム≫の面々が最も恐れているのは、レイと対立する事に他ならない。

 その禁を犯してしまう可能性が存在する限り、≪マーナガルム≫は如何な契約も結びはしない。表面上こそただの赤の他人同士ではあるが、それでも≪天剣≫レイ・クレイドルに向ける忠節は、5年の時を経た今でさえ僅かも色褪せていないのだから。

 

 だからこそ、帝都に不穏分子が侵入している恐れがあり、かつレイが学院の実習でそこを訪れる算段になっているという事をシオンから聞いた際に、ヘカティルナは見届け人を寄越した。

それこそが、アレクサンドロスとリーリエの二人。

 

 ≪マーナガルム≫の斬り込み部隊である二番隊。その副隊長と、名にし負う大陸最高峰の狙撃手(スナイパー)の二人こそが、レイの戦闘を最後まで見届けたのだ。

 

 

 

 

 

 

「本来なら二番隊(ウチ)の隊長が来る筈だったんですがね。アレが来ちまうと大将に加勢しちまいそうで、俺に一任させて貰ったんですよ」

 

 苦笑気味にそう言うアレクの声に、しかしクレアは親近感を覚えた。

それは、苦労人のみが醸し出せる笑みだ。どうやら彼も、日々心労を積み重ねるタイプの人間であったらしい。

 

「あなたは、どうだったのですか? レイ君が戦闘をしていた時に疼いたりは……」

 

「いんや、無かったなァ。あ、別に大将の事をどうでもいいって思ってるわけじゃないぜ? 俺は一応古参組の人間だけど、それでも大将には色々と世話になったしな。

 ただ大将なら≪冥氷≫のお嬢にも負けないだろうなと思ってたからな。一応、これでも信頼してるんだぜ?」

 

 いつの間にやら敬語で接する事を止めていたが、それを不満に思うクレアではなかった。元より此方の方が年下なのだから、その方が自然だ。

 

「あなたも、≪冥氷≫のザナレイアの事についてはご存知なのですね」

 

「そりゃあ、な。あぁ、でも情報を求めても何にも出ないぞ。精々がヨシュア君が知ってる程度のモノだ。

≪結社≫に居た頃の大将とお嬢のイザコザはもう名物みたいなモンだったからなぁ。始まる度にウチんトコの大将ラブの連中が殺気立っちまってな。生きた心地がしなかったぜ、全く」

 

 さも子供同士の喧嘩を見守る親のような言葉であったが、その戦闘が文字通り死力を尽くしたものであったのであろう事は、先の戦闘を見て十二分に理解できた。

 その空恐ろしさを再確認すると共に、クレアの脳内では既に彼女に対する対抗策を講ずるべく策を練り始めていた。

ザナレイアがレイに対して異常なほどの偏執を向けているのは理解できたが、だからと言ってそれだけを念頭に置いて行動していると考えるのは浅薄だ。レイがいない時に襲撃を受ければ一切対抗できないという醜態を晒すわけには行かず、だからこそ思考を巡らすしかない。

 その様子を見て、アレクはどこかからかうような笑みを見せた。

 

「おーおー、良いねぇ。大将はああ見えて戦闘そのものにはその場のノリと勢いで挑むような人間だからよぉ。アンタみたいな恋人がいるってのは俺らとしても安心できるわけだわ」

 

「あ……そ、その、ありがとうございます。ですが、私以外にも……」

 

「あぁ、≪紫電≫と≪死線≫だろ? シオン姐さんからいつも聞いてるよ。大将も随分積極的になったモンだ」

 

 はぁ、と力のない息を漏らしていると、いつの間にかクレアの横に座っていたリーリエが、無言のままクレアに手に持っていた洋菓子を差し出して来た。

同じものを無表情のままにモグモグと咀嚼しながら渡してくるその姿はどこか小動物のようにも見え、女性の保護欲を誘ってくる。

 そして軍人という見た目とは裏腹に、女性らしく人並みに可愛いものを愛でる事にあまり抵抗はないクレアはそれを警戒することなく受け取り、口にする。仄かなバターの香りが香るマドレーヌは甘すぎる物が苦手なクレアにとっても好みな味であれ、つい、リーリエの頭を優しく撫でてしまう。

 初対面でその行動は失礼だろうかと、数回薄紫色の艶やかな頭髪を撫でてから気付いたが、当の本人は嫌がった様子も見せず、ただ黙々と菓子を摘まんでいた。

 

「ほー、リーリエに気に入られたな。大したもんだ」

 

「あの、アレクさん。彼女はもしかして……」

 

 ヨシュアが小声でそう耳打ちすると、アレクは薄い笑みを残したままに一つ頷いた。恐らく、クレアも何となく察しはついているのだろう。

 するとリーリエが菓子を食べる手を止めたかと思うと、服の内ポケットから徐にメモ帳とペンを取り出して、白紙の部分にサラサラと文字を連ねていく。やがて手を止めると、見開かれたページをクレアの方へと向ける。

 

『美味しかった? それ、私のお気に入り』

 

 それは、思わず見惚れてしまう程に綺麗な字で書かれていた。まるでその文字そのものが彼女の繊細さを表しているかのような感じに、クレアは「えぇ」と一言だけ返して再び頭を撫でる。

 彼女は、リーリエは望んで無言を貫いているわけではない。無言を貫かざるを得なかった経緯をクレアとヨシュアの二人は知らないし、安易に知って良い事ではないという事も分かっている。

 情報の上では、何度かその活躍を聞いた事がある。猟兵団≪マーナガルム≫に所属する、大陸全土でも指折りの精度を誇る若き狙撃手。特注に改造を施された対物狙撃銃(アンチマテリアル・スナイパーライフル)を手に、常識の枠内に留まらない超々遠距離狙撃を可能とする彼女についた異名こそ、≪魔弾姫(デア・フライシュッツェ)≫。その性質故に、帝国軍参謀本部の中では危険人物(ブラックリスト)にすら載っているほどの人物である―――筈だった。

 

 しかし、面と向かって会ってみれば、声を出す事すらも叶わない(・・・・・・・・・・・・)儚げな印象の小柄な少女だ。

無論、一度戦場へと降り立ち、狙撃銃のスコープを覗けば彼女は冷酷な狩人へと変貌を遂げるのだろう。標的を殺すという意思を引き金に掛けた人差し指に乗せて、躊躇う事無くそれを引くのだろう。その術に長けていなければ、己の意志一つ、指先の動き一つで確実に命を刈り取る狙撃手という役を、絶望の感情が坩堝の如く渦巻く戦場で続ける事は叶うまい。

 その二面性を、しかしクレアは軽蔑などしない。自分とて同じだ。指揮官として冷酷な判断を下す覚悟など常にできているし、護国の為に血溜まりの道を歩く事すらも運命であると達観している。そんな自分が、戦場に生きるこの少女の事をどうして責める事が出来ようか。

 

 やがてリーリエは頭を撫で続けられることが流石に気恥ずかしくなったのか、立ち上がって再びアレクの隣へと身を移した。

少しばかり残念そうな表情を浮かべるクレアを他所に、ヨシュアは話題を移した。

 

 

「それで、アレクさんはこれからどうするんですか? 僕ともう一人は、明日にはリベールに戻ってしまいますけど」

 

「いんや、大将の戦いを見届けられただけで収穫だわな。本来なら俺達もとっとと戻って団長に報告せにゃならんのだが……今回はコイツを外に出す事も言い含められてるからな。まぁ、後数日くらいは帝都に留まるさ」

 

 そう言ってリーリエの肩を優しく叩くアレク。しかし話の中心となっていたその少女は、その瞳を半分ほど閉じて数回舟を漕いでいた。

既に時刻は、午前0時を回ろうとしていた。年齢的に、起きているのは辛いのだろう。特に気を張りつめる必要もないこの場に於いては、なおの事それが顕著だった。

 

「おっとっと、もうコイツも限界か」

 

「あはは、そうみたいですね。―――っと、ちょっと失礼します」

 

 ポケットの中に入れておいた、バイブレーションモードに設定しておいたENIGMA(エニグマ)が振動する感触を感じ取って、ヨシュアがソファーから立つと着信に出る。

 

「はい。どうしたんですかシェラさん。

 ―――え? もう潰れた? 痙攣してるけど心配ない? ちょ、手加減してあげてって言ったじゃないですか‼ リベールでやるならまだしもここは皇族のお膝元なんですよ、分かってます⁉ 

 ―――いや、絶対分かってないでしょ。何ですかその悪びれる気ゼロの謝罪。いっそ清々しいですけど、今はそんな事はどうでもいいんですよ。ホント。

 ―――はぁ。もういいです。酔ってるシェラさん相手にマトモな会話が成立すると思ってた僕が間違ってました。それで? どこにいるんですか?

 ―――あぁ、この前行ってたっていうバーですか。いいですか? 絶対外出ないで下さいよ。憲兵に捕まったら僕は全力で他人のフリしてそのまま帰りますからね。

 ―――は? まだ飲み足りない? 良さげな相手を連れてこい? 何ですかその難易度MAXの依頼は。知り合いなんかほとんどいない帝都でそんな人見つかるわけが……」

 

 と、そこまで通話を続けた所で、ふとヨシュアが視線を移した。

 そこにいたのは、数日前にシェラザードと飲み比べで渡り合ったと言うクレアの姿。しかし、連日の情報統制と市民誘導をこなした彼女の体力は、今でこそ何でもないかのように振る舞ってはいるが、ほぼ限界に近いだろう。そんなコンディションで痛飲に付き合うなど、自殺行為も同等だ。頼むわけには行かない。

 すると、もう一人の大人が目に入った。ヨシュアは、その人物に問いかける。

 

「……アレクさん、お酒って強いですか?」

 

「俺か? まぁ、それなりにな。ウチの団長とか相当な大酒飲みだし、その他にも結構酒豪が揃ってるから、そいつらと飲み交わせる程度には強いつもりだぜ?」

 

「あー、それじゃあ今からちょっと援軍に行ってもらう事って出来ますか? いや、僕の同僚が今絶好調になってて、その人潰してここまで持って来て欲しいんです」

 

「そりゃあ、まぁ構わないけどよ。その間コイツを一人きりにするわけにも行かんだろうさ。戦場じゃあちょっとした物音で跳ね起きるけどよ、一旦こうした街中に来ちまうと一度寝たら起きねぇんだよ」

 

 横を見ると、既にアレクの肩を枕にしてすぅすぅと小さい寝息を立てているリーリエの姿があった。

 シェラザードの現在位置をヨシュアは分かっているが、あの場所は入り組んだ路地を少しばかり進まなければならない。レイ達が来る数日前から帝都に到着していたヨシュアにはその路地の癖が分かっているが、それでも初めて行く人間に詳細に伝えるのは難しい。必然的に、ヨシュアも道案内の為に同行する必要が出てくる。

 とはいえ、アレク達が泊まっているというホテルには少しばかり距離があり、そこからバーへと行くとなると時間が掛かる。あまり時間をかけると、業を煮やしたシェラザードが店を後にしかねない。

 

 どうしたものかと悩んでいると、徐にクレアが軽く右手を掲げた。

 

「あの、でしたら私がここに残りましょうか? 元々ここでの用事が済んだらそのまま詰所に戻ろうと思ってましたし、明け方までなら大丈夫ですよ」

 

「いや、でもクレアさん結構疲れているんじゃ……」

 

「でしたら、私も少しここで休ませてもらいます。何かあったらすぐに目を覚ませますし」

 

 そう言うと、クレアはよく眠っているリーリエの体を優しく持ち上げる。

それを見たアレクは、安心したような微笑を見せて軽く手を振った。

 

「あぁ、そんじゃ任せるよ。迷惑をかけるな」

 

「いえ。何でしたら、貸しと思っていただければ」

 

「お、結構強かだなぁ、アンタ。まぁ、それくらいじゃなきゃ大将の傍には侍れないか」

 

 そう言葉を残し、アレクはヨシュアと肩を組んでそのまま玄関を開けて建物から出て行った。去り際にヨシュアが申し訳なさそうな視線を向けて来たが、それも心配要らないという視線で相殺して送り出す。

 

 

「……ふぅ」

 

 扉が閉まった後にそう息を吐いたクレアは、しかしアレクとの約束を反故にする事もなくリーリエを二階の部屋に運んだ。

 そこには、昨夜までレイ達特別実習B班が使用していたベッドが並んでおり、その内の一つに彼女を寝かせる。ベッドカバーを被せると、クレアは椅子を一つ持って来てベッドの脇に座った。

 

 安らかに眠る少女は、どことなくクレアが学生時代の例の事件の際に凶弾から救った幼子に似ていた。

無論、髪色も顔立ちも良く見れば異なる点は幾つもあるのだが、それでも特別な思いを感じずにはいられない。

 

「こういう子達を……守らなければいけないんですよね」

 

 リーリエという戦場で生きるこの少女は、そんな庇護を求めてはいないだろう。

だが、こういった年代の子供達を守りたいと思った事が、自分が軍人になろうと思った原点であったのは確かだ。それを、否が応にも思い起こさせる。

その頬を撫で、髪の毛を梳いているだけでも、それを強く思う。今回、テロの規模を可能な限り小さくした事で、こういった命を守る事が出来たのだろうかとクレアは自問自答し、それを続けている間にいつのまにか彼女も深い眠りの中へと旅立って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




猟兵団≪マーナガルム≫。漸くその概要を説明できました。
その為に少し強引に話を進めてしまいましたが、ご了承くださいませ。

因みにコイツら、≪赤い星座≫や≪西風の旅団≫ともヒャッハーした事があります。




それと、以下に執行者No.Ⅳ ≪冥氷≫ザナレイアのイラストを添付しておきます。



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第5章
弱きゆえの確執


 

 『閃の軌跡』のコミカライズを購入して読んだのですが……まー、絵が綺麗で面白かったです。
 サラやクレア大尉も上手く描かれていて、とても魅力的でした。






 

 

 

 

 レイ・クレイドルとギリアス・オズボーンが邂逅したのは、今より1年と少し前。

当時、リベール王国とクロスベル自治州を電撃訪問していたオズボーンは、クロスベルを訪問した際に、何故か滞在中の自身の警護を遊撃士協会に依頼したのである。

 それは、常識的に見て不可解な話であった。

 電撃訪問とは言え、帝国から連れて来た自前の警護の軍人は存在したし、加え、現地での人員を求めるならば、公の治安維持組織であるクロスベル警察に頼るのが筋というモノだ。

しかしオズボーンはそれを選択せずに、敢えて遊撃士協会・クロスベル支部の方へと直接話を通したのである。

 無論、軋轢は生まれた。メンツを潰されたクロスベル警察は遊撃士協会と帝国政府の癒着を疑い、しかしクロスベル支部側はこれを完全否定。

 

 元より、国賓級の人間の警護についてはクロスベル警察に一任しており、その契約をギルド側が破った事は過去に一度もなく、加えて正直に言えば、≪鉄血宰相≫の電撃訪問に浮足立った市民や観光客からの依頼が山のように押し寄せていた当時は、厄介事はクロスベル警察の捜査一課に押し付けておきたかったというのが本音だ。

 クロスベル支部名物・”人間って限界超えて仕事すると逆に苦痛じゃないよね”を実行していた面々にとって、そのいちゃもんは鬱陶しい事この上なかったし、その警護に関しても受諾したくはなかったのだが、クロスベル自治州の盟主国の一つである大国の宰相直々の依頼とあらば、受けないわけには行かなかった。

 

 そうして駆り出されたのが、音に聞こえた≪風の剣聖≫アリオス・マクレインと、そのパートナーとしてレイ・クレイドル。

 支部の責任者―――ミシェルにとって、稼ぎ頭であるこの二人を警護任務で縛り付けてしまうのは避けたかったのだが、ギルドの顔を立てる意味合いでもアリオスを外す事は出来なかったし、何より、レイに至っては帝国政府側からの逆指名が入っていたのである。

 それを無視できるはずもなく、数日間の間支部は地獄を超えた様相を呈してしまったのだが、それはまた別の話。

 

 

「多忙な所を済まないな。協会に迷惑を掛けるつもりなどは毛頭なかったのだが、近頃は不逞の輩が市内をうろついていると聞く。手間を掛けてでも、市内の様子に通じている君達の力を借りたいと思った次第だ」

 

「光栄です、宰相閣下」

 

 言葉とは裏腹に謝罪する気は微塵もない声色の声にも、しかしアリオスは慇懃に礼を返す。

本来であれば此処でレイも、いつものように粛々と処世術を以て礼を尽くす筈だった。仕事の邪魔をしてくれたとはいえ、それでも相手は悪名高き≪鉄血宰相≫。

帝都支部の取り潰しの件などで良い印象などはないのだが、それでも敵に回す必要などどこにもない。故に営業スマイルで接しようとしたのだが、次の言葉でそれもご破算となった。

 

「そして、お初にお目に掛かるな、≪天剣≫。≪執行者(レギオン)≫時代の武勇は私も聞き及んでいたが、まさかギルドに籍を置いていたとはな」

 

 表情が固まった。表面上で浮かべただけの笑みは、瞬く間に剥がれ落ちて不機嫌そうな顔を晒してしまう。

隣に立っていたアリオスも同様に眉を顰めたが、しかしオズボーンがそれを咎める事はなかった。

 

「何、そう警戒しなくても良い。その経歴を咎める権利などを私が持っている筈もなかろう。今のは私なりの挨拶のようなものだ」

 

「……随分とご趣味の良い挨拶で」

 

「仮面も必要ないぞ、≪天剣≫。狐の衣を被った君と話しても、私が得るものなど何もあるまい」

 

「……あぁ、そうかい」

 

 遂に何も隠す事がなくなったレイを、しかしアリオスは止めない。流石に刀の柄に手を掛けようものならば諌めはするだろうが、流石にそこまで沸点は低くない。

加え、その行為が何を引き起こすかという結末を鑑みれば、尚の事。

 

「条理の外の臭いがする。アンタ、一体何者だ?」

 

「ほう、私を世に非ざるモノと謗るか? だが、バケモノと罵倒するには私は些か普通過ぎる(・・・・・)。断行した政策は全て、ヒトの理を侵さないモノばかり。これを普通と言わずに何とする」

 

 戯言を、と問い詰めたかったのだが、今それを言っても栓がない。どうせ話し合いなど平行線を辿るだろう。

 だが、目の前に居る”ソレ”が常人と同じ感覚を持った人間などという事は断じて有り得ない。それは、レイの前身を駆け巡る解ける事のない警戒心と悪寒が告げていた。

 武の世界に於いて強者と立ち会った時のそれとは全く別物の感覚。策謀を得手とする者と相対した時に感じる怖気のような感覚は、いつになっても慣れる事はない。遥かリベールの地で果てたという、レイにとっても因縁の敵であった≪使徒≫の一人を彷彿とさせる、否、それ以上の圧力に、顔を顰めざるにはいられない。

 

 この時点で既にレイは、ギリアス・オズボーンという存在を信用しないと心に決めていた。

 折り合いを見つけて理解し合おうなどという、そんな平和主義的な方法を模索できるほど、残念ながら彼は博愛主義者ではなかったし、何よりアレは隙を見せてはならない相手だと、そう本能が告げていた。

 レイは、自分が腹の探り合いという場に於いては未だ未熟者の枠を出ないという事を理解している。幾ら剣の腕が立とうとも、それはテーブルについて互いの真意を探り合う場に於いては何の意味も示さない。

 傍から見れば、そう自覚している時点でそうした(すべ)に於いてもそこそこの実力を有していると判断されるかもしれないが、事此処に至っては”そこそこ”程度の実力で渡り合えるほど甘い相手ではない。

ならばその時点でレイが出来る事と言えば、どのような状況下に於いても決して油断をしないという事だけ。この男を理解しようとするだけ時間の無駄だという事は分かり切っていたし、何よりそちらに思考を割いている内にどこから足元を掬われるか分からない。

 だからこそ、傍観に徹するしかなかった自分というのが、今回は堪らなく惨めに思えてしまった。

 

 

 

 

 しかしながら、その抜け目のない慎重さが、かえってオズボーンの興味を煽る結果となってしまう。

 

 かの≪爍刃≫から薫陶を受けた、”理”の体現者にも匹敵する剣士。≪結社≫より放逐された彼がカシウス・ブライトの伝手で遊撃士協会の門戸を叩き、その後13歳という年齢ながら例外的に遊撃士の資格を取得し、僅か2ヶ月で準遊撃士1級のライセンスを得た麒麟児。戦闘・採取・紛失物・人物捜索・交渉・回収・配達・警護など、あらゆる依頼を選り好みなくオールマイティに、完璧かつ迅速に執り行うという優秀さは、リベールより遠く離れたエレボニアにまで噂が届く程であった。

 そんな彼が、リベール支部を離れてクロスベル支部へと移籍したのは、帝国政府にとっては実は僥倖であった。

 リベールの地で遊撃士稼業を続け、16歳になれば彼は間違いなくそのまま正遊撃士の資格を手に入れる。そうすれば、数年と経たずにA級遊撃士にまで登り詰める可能性というのは決して低くはない。

 カシウス・ブライトがギルドを離れ、リベール王国軍に籍を戻した今では、リベール支部にA級以上の遊撃士は存在しない。だが彼が居る事でギルドと軍部がそれまで以上に昵懇の間柄になれば、リベールの国防力は更に跳ね上がる。軍事力ではエレボニアに到底及ばない王国ながら、≪百日戦役≫の反攻作戦で地の利を生かされて敗北を喫したのは事実。現在も仮想敵国として視野に入れている以上、戦力増強は帝国政府にとっては歓迎すべきモノではない。

 

 だがそれは、クロスベルに於いても同じ事だ。

 自治州が擁する警備隊は自治州法に基づき強壮な軍備を許されておらず、帝国軍の機甲師団が攻め入れば恐らく数日で陥落する程の脆弱さではある。

 しかし、ギルド支部の中でもトップクラスの精鋭が集うとされるクロスベル支部の中に、A級遊撃士の≪風の剣聖≫と、数年もすればそれに比肩する実績を得るであろう≪天剣≫が轡を並べているという状況も、やはり芳しいものとは言い難い。

 

 叶うならば手元に引き入れたいと、そうオズボーンが思ったのは当然の帰結と言える。ただの蛮勇の剣士であれば始末する事も一考したが、こうして対面した事で、その気も失せていた。

 胆力は及第点。加えて、力量の差を知って足元を掬われない事のみに徹したその判断力も買った。故に、始末するより手元に引き入れた方が遥かに利用価値はあると判断したのである。

 とはいえ、勧誘したところで首を縦に振るわけもないという事は、その警戒心を見て理解した。

まるで己の巣に侵入したならず者を睨み付ける鷹のようだ。此方の力量が高いのは理解しているが、それがどれ程のモノなのかまでは推し量れずに踏み込めないといった雰囲気に、オズボーンは一つの策を思いつく。

 

 

 

「≪天剣≫」

 

「……何だよ」

 

 そうして互いに踏み込ませず、踏み込まない水面下の攻防が終わる訪問最終日。オズボーンはレイを呼び出し、とある話を持ち掛けた。

 

「君の実力を、私は十二分に理解しているつもりだ。武芸のみならず、腹の読み合いの才もある。……遊撃士にしておくには惜しい程のな」

 

「何が言いたい」

 

 胡乱げに、しかし、その言葉の意味がある程度分かってしまっているが故に滲み出る不快感。それを敢えて無視して、続ける。

 

「私の下に来たまえ。その才覚、燻らせて散らすには余りに惜しい」

 

 オズボーンが自ら選出した、直轄の精鋭。名を≪鉄血の子供たち(アイアン・ブリード)≫と言うそれに属するのは現在4名(・・)

 そして、彼ならば5人目として選出するのに何の不備もありはしない。実力は申し分なく、あらゆる状況下に於いて安定した結果を生み出せるだけの行動力と決断力も備わっている。出来ればもう少し各国政府に有能さが知られる前に青田買いをしたかったのだが、こうなってしまっては是非もない。

 しかしレイは、返答を待つ時間すらも要さずに返答を返した。

 

「断る。あぁ、断るとも。アンタだってここで俺が首を縦に振るなんて思ってなかっただろうに」

 

「ふむ、それは私に対しての怨嗟か? 帝国ギルドを壊滅に追いやった私への」

 

「おいおい、嘗めて貰っちゃ困るぜ鉄血宰相。俺だってメリットくらいは心得てるさ。―――だが、それも踏まえて尚、断ると言ったんだよ」

 

 ここで≪鉄血宰相≫の軍門に下れば、確かに信じられないほどの経験値を稼ぐ事は可能だろう。

よしんば”駒”でしかないのだとしても、課せられた任務をこなして行く内に、不得手の分野も補う事が出来ると、今の時点で半ば確証している。

 だが、だとしても、この男の真下で行動する事を、他ならなぬ自分自身が許しはしないだろう。この男の命で動き、そのまま時を過ごすうちに、”何か”決定的な過ちを犯すのではないかという危惧が、レイの中で渦巻いていた。

 そして、それら二つを天秤にかけた時、秤は後者に傾いた。今までの人生の中で研ぎ澄まして来た第六感じみた自分の勘を、レイは信じたのである。

 

「―――そうか。残念だ。君が来れば≪氷の乙女(アイスメイデン)≫はさぞや喜ぶだろうに」

 

「クレアの話を持ち出すなよ、卑怯者。言っておくが、アイツをダシにしたところで俺の選択は変わらない。アイツも、多分それを望んでいない」

 

「気丈だな。だが、そうでなくては意味がない。その意志の強さは確かに見て取れた。ここは大人しく退くとしよう」

 

 そう言うと、オズボーンの声音に含まれていた覇気が消え失せる。やけにあっさりと退いたことに一抹の不安を覚え、更に警戒心を研ぎ澄ませたが、オズボーンの方は、本当にこの話はこれで終わりだと、レイから死線すら逸らせてしまった。

それを見て、レイもせめてもの意趣返しに鼻を鳴らして緊張感を薄めた。

 

「あぁ、だが、此処で君と会えたのも何かの縁だ。私から、後日ささやかな贈り物を送らせて貰おう」

 

 要らないと、そう言いたいのは山々だったのだが、そう言ったところでこの男はその”贈り物”とやらを送りつけて来るだろう。恐らく、まともなものではあるまい。

会えた縁を記念して贈り物をする程、この男が洒脱な性格をしているとも思えない。その意図が何なのか、それを考えたかったのだが、その思考を、貴賓室をノックする音が遮った。

 

 

『閣下、お迎えに上がりました』

 

「ご苦労。入って来てくれたまえ」

 

 その声の持ち主がこの男を迎えに来るという事は、半ば予想していた。

否、予想していたからこそ、顔を向けられない。足掻きで粋がってはみたものの、結局この数日間、この男の先を見据える事は終ぞ出来なかった。

そんな無様な姿を、見られたくはなかったのだ。

 

「あっ……い、いえ。何でもありません。閣下、≪鋼鉄の伯爵(グラーフ・アイゼン)≫は既に到着しておりますので、移動をお願いします」

 

「あぁ、すぐに行こう。―――だが、少々準備に時間が掛かる。少しこの場所で待機してくれたまえ」

 

「……かしこまりました」

 

 それは、普通に見ればオズボーンの気を配った行動だったのだが、それすらも裏があるのではないかと邪推してしまう程に、やはり今のレイには余裕がなかった。

 ただそれでも、欠片程度に残った男の意地が、彼女に情けない表情を見させない。

 

「レイ君、閣下の護衛、お疲れ様でした。政府を代表してお礼申し上げます」

 

「んにゃ、張り付いてたのはほとんどアリオスさんだよ。俺は随分楽させて貰ったさ」

 

 これも嘘だ。護衛任務はそれ程単純なものではない。

幸いにしてマフィア連中は鳴りを潜めていたものの、それでも万が一の事を常に考えて行動するのが要人護衛という任務。一瞬たりとて気を抜いてはいなかったし、更に言えば帝国宰相という肩書を持つ人物を守るという責任感が、休ませてなどくれなかった。

 クレアはそうした思いも何となく察してしまったようで、敢えて何も追及して来なかった。

 

「レイ君は、閣下とお会いするのはこれが初めてでしたっけ」

 

「あぁ、まぁな。……なぁおい、クレア」

 

「何ですか?」

 

 そこでレイは、頬に伝った一筋の汗を乱暴に拭ってから、精一杯の気丈な笑みを見せて、呟くように言った。

 

 

「お前の主は……とんでもない男だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 余談ではあるが、その1ヶ月後。

 

 日々の忙しさに忙殺され、割と本気でオズボーンの言っていた”贈り物”の件を忘れかけていた頃、≪マーナガルム≫との連絡役として赴いていたシオンが、衝撃的な音声記録を持ち帰って来ていた。

 

 

 

『―――あー、あー、マイクテスマイクテス。あ、これもう大丈夫です? オッケー?

 どうもです大将、二番隊のライアスっす。今回報告させて貰うんですけど……いやー、マジ地獄でしたわ。

 いや、何がって、1週間くらい前に匿名でドデカイ荷物が届きましてね? 見てみたらこれがまぁ列車砲級の兵器でして。勿論こんなフザけた武装なんて誰も発注してなかったし、団長や副団長も訝しんでたんですけど、運悪くフィリス姐さんの琴線に触れちまって解析作業とかしてたんですよ。

 道具とかが必要だから取り敢えず≪フェンリスヴォルフ≫に乗っけちまってやってたら……数日後に突然≪メルカバ≫に乗ってやって来た≪紅耀石(カーネリア)≫が高笑いしながら俺達を追いかけまわして来まして。

 まぁ捕まったらアウトだわなってのは全員分かってたんで、そこから先は数日間ドックレースっすわ。いやー、ガチで死にかけましたよ。あのチートヘビースモーカー、マジで俺達滅殺する気満々でしたわ。……ちょ、思い出してたら鳥肌立って来ちまいました。

 それで、ですね。何とか振り切った後に狙われた原因調べてみたんですけど、やっぱその砲がとんでもないシロモノでしてね。古代ゼムリア文明の時に神格持ちの存在をガチで殺すような感じのエモノでして……まぁ言っちまえば超一級の古代遺物(アーティファクト)です。ヤバさは、確かに≪守護騎士(ドミニオン)≫共が血眼になって探すレベルでした。詳細はまとめてシオン姐さんに預けたんでそっちを見て下さい。

 そんでそのブツなんですけど、≪紅耀石(カーネリア)≫にバレた時点で教会にはもうモロバレ同然だろうって事で、取り敢えずまだ装備はしてます。何をしようにも取り敢えず教会と話つけなきゃいけないんですけど、今の俺らが行ったら蜂の巣不可避なんで、どうにか大将にお願いできないかって言ってた次第です。流石に教会全部敵に回したら全滅は免れませんから。

 スミマセン大将、またご迷惑お掛けする事になってしまいまして―――』

 

 

 そこまで聞いたところでレイは音声記録を切り、シオンが引き攣った表情を見せる程の不自然極まりない笑顔で報告書を受け取る。

 そこに書かれていたのは、あまりにもオーバースペック過ぎる”贈り物”の性能。書類の作成で徹夜続きだった事も相俟って素手で引き裂いてやりたい心境に駆られたが、それを何とか自制した。

 確かにそれは、一猟兵団が所有するにはあまりに過剰すぎる装備だった。機関部に古代遺物(アーティファクト)が使用されていることも相俟って、単純な攻撃力ならば『ガレリア要塞』に配備されている二門の列車砲を凌駕するだろう。そんなものを無許可で装備させていれば、確かに教会の沽券に関わる。

 

 それの送り主は明確だった。まさか自分ではなくあちらの方に送り付けるとは思っていなかったが、考えてみればそれもあの男の策略の内であったのかもしれない。

 ≪結社≫時代の関係で今でも繋がりがあるという事を知られていたという事については、まぁ驚くような事でもない。大国の情報網の広さは充分に理解しているつもりだったし、それくらいは遊撃士協会であっても本気で調査すれば知る事は出来るだろう。

 それ以上に戦慄したのは、これ程の規模の古代遺物(アーティファクト)を所有し、かつそれを1ヶ月程度の準備期間で外部の組織に送り付けるという行為は、絶対的な集権がなければ出来ない行為だ。

エレボニア程の規模の国家ともなれば七耀教会と密約を交わして古代遺物(アーティファクト)を隠し持つ程度の事は可能だろうが、事もあろうにオズボーンは、この”超常的大量破壊兵器”とも言える”ソレ”を一猟兵団に送り付けた。それも恐らく、教会には一切話を通さないままに。

 嫌がらせの類かとも思ったが、すぐに違うのだと(かぶり)を振った。

 オズボーンは、己の力をレイに見せつけてみせたのだ。国が秘匿し、外部に晒す事すら本来ならば議会の承認などが必要であろうそれを、恐らく単身でやってみせたのだろう。そうでなければ、これほど早く送り付ける事など出来はしまい。

 そこで漸く、レイは護衛をしていたあの時の自分の心境が筒抜けであったのだという事を理解した。なまじ相手の明確な力が確認されていない以上、どう踏み込んで良いか分からないというあの時の心情を、オズボーンはこういった形で示してみせたのだ。

 故に、その脅威は痛い程に深く感じ取れた。やはりアレ(・・)は、心を許して良い人物ではない。

 

 しかしそれよりもまずは、七耀教会に話を通す準備をしなくてはならなかった。

ギルドに迷惑はかけられないため、レイ・クレイドル個人として伝手を頼らなければならず、幸いにして交流があった≪守護騎士(ドミニオン)≫の一人にやっとの事で連絡をつけ、数週間にわたる交渉の末に何とか話を押し通せた彼の功績を知る者は少ない。

 元より≪マーナガルム≫が一般人への直接的・間接的被害を与えていない事や、大量殺戮及び大規模な自然破壊が考慮される状況下での”ソレ”の使用を禁ずるなどの誓約を押し付けられはしたが、それで逃亡生活のような真似を≪マーナガルム≫(彼ら)が送らなくて良くなるのならば、些事でしかない。

 結果的に教会に”借り”を作る事になってしまったが、今のレイは幸いにもやましい事は何もしていない身だ。どんな難題を吹っかけられるかは分からないが、≪天剣≫の異名と共に配下となり、責任の一切は自分が取ると宣言したあの時から、自分のする事など変わらない。元より自分が蒔いた種なのだから、自分で始末をつけるのは当然の事。

 そう分かってはいるのだが、それでも不満感は募るばかり。これより先、レイはこう公言する事を憚らなくなった。

 

 ―――ギリアス・オズボーン。あの男は傑物だ。故に嫌いにはなれない。……だが気に食わない。

 

 それが精一杯の抵抗であった事は、あの時も今も、変わっていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夏季休暇?」

 

 

 

 八月上旬、朝方から熱気が差し込むようになった頃の寮の食堂で、リィンがそう聞き返す。

 半袖の夏服に違和感が消え、一般の人であれば夏バテなどを発症し始めて食欲が減衰する頃合いなのだが、Ⅶ組の面々は例え朝食であろうともそんな事は関係がないと言わんばかりにガッツリと食べる。

食べなければ、昼食を前にしてエネルギーが尽きる事などザラだ。加え毎食美味な料理を用意するレイとシャロンの誘惑には抗えず、今も五個目となるパンを口に放り込みながら、リィンは小さく首を傾げた。

 

「そ。一応ウチは士官学院だけど、それでも短い夏季休暇はあるのよ。5日程度だけどね」

 

「へぇー、そうなんですか」

 

「とは言っても……」

 

 本来ならば休暇を利用して帰省するのが学生としての正しい過ごし方なのだろうが、それに思考が行き着いた途端、全員が微妙な表情を浮かべた。

 アリサは元々家出同然のような形でルーレを出たために帰る気はなく、マキアスとエリオットは先日実家に帰ったばかりだ。それはガイウスとユーシスも同じであり、エマはそもそも帰る気はなく、フィーに至っては帰る場所すらない。

 ラウラとリィンは顔を見せても良いのだろうが、Ⅶ組のほとんどが寮を動くつもりがない段階ではそれも躊躇われる。親孝行という点から見れば帰るべきなのだろうが……などと悩んでいると、ふと目の前に座っているレイの姿が目に入った。

 その目はどこか遠くを見つめていた。右目に光は宿っておらず、どこか放心状態とも言えるその姿は、しかし彼が時折浮かべる姿でもある。

そういう時は決まって、軽い過去のトラウマに浸っている時なのだが。

 

「レイ」

 

「……ん? あぁ、悪い。聞いてなかったわ」

 

「いや、別にいいんだが……夏に何があったんだ?」

 

 直球でそう問いかけてみると、レイはパンにマーマレードを塗って頬張りながら、はぁ、と深い溜息を吐いた。

 

「夏休み……夏休みなぁ。クロスベル支部時代はそんなモンなかったよなぁ……」

 

「はいストーップ‼ これちょっとマズい話だわ‼」

 

「レイ泣かないで‼ 僕のミニトマトあげるから‼」

 

「エリオット、どさくさに紛れて嫌いなものを押し付けようとするな」

 

 苦笑した表情のままに涙を流し始めたその言動にアリサがストップをかけ、一時期食卓は騒然となりかけるも、慣れたもので数分で鎮火する。

 すると、冷静さを取り戻したレイが話を続けた。

 

「この時期は魔獣の行動も活発化するからよ、街道の魔獣退治とか毎日やってたわ。行く時は複数枚依頼書抱えて他の依頼の目的地に行きがてら叩きのめすとか普通だったぞ」

 

「一体一日何件仕事をこなしていたんだ?」

 

 ガイウスの尤もな質問に、レイは少しばかり思案するような表情を浮かべてから、指を折って数えて行く。

 

「平均9~10ってトコか。魔獣退治以外にも、ワンダーランドなんて場所が出来てから観光客が跳ね上がってよー。迷子捜索や紛失物の捜索、酔った人間の仲裁とか、熱中症でぶっ倒れた人間の救助とかエトセエトセ」

 

「周囲が休んでいるから逆に休めないんだな」

 

「それな。熱気に当てられて調子乗った不良やマフィア共をノしたり色々とやったけど……あぁ、マジで休みとか皆無だったわ。今あそこ大丈夫か? 

 あぁ、戻りてぇ。戻って多分山みたいに溜まってる依頼書消化してぇ」

 

「マズい、これは末期だ」

 

「ワーカーホリックってこういう事を言うんだろうなぁ」

 

 こうはなりたくないなぁ、という感想を全員が抱いたところで、話を持ち掛けたサラが咳払いをして再び注目を集める。

 

「それでその間なんだけど、この前帝都からこんな物が届いたのよね」

 

 差し出して来たのは一通の手紙。上の部分は既にナイフで開封されているが、リィンが持って裏を見ると、特殊な封蝋が目に入った。

 それは、皇族家が代々使っているという紋章。差出人を見ると、レイが「あぁ、アイツ生きてたのか」と呟いた。

 

「オリヴァルト殿下から、ですか?」

 

「そ。この前の事件解決のお礼って事で、オルディスにある皇族専用のプライベートビーチにご招待したいって」

 

 

 『四大名門』が一角、<カイエン公爵家>が収める帝国西部ラマール州の中心都市、海都オルディス。

 ≪紺碧の海都≫とも呼ばれるその都市は、帝都ヘイムダルに次いで二番目に人口が多い場所であり、その名の通り海に面している。

故にこの時期は涼を求めてその場所を訪れる観光客が多く、落ち着いて休暇を過ごすには不適切な場所にも思えるが、皇族のプライベートビーチならば俄然話は変わってくる。

 実際、その話を聞いた何人かは、目をキラキラと輝かせていた。

 

「プライベートビーチ⁉ 最高じゃない‼」

 

「まさかそんなところを利用できるなんて思わなかったなぁ」

 

 誰かがそうしたテンションになると、その陽気は伝播する。そうした話が出てくると、もはやラウラとリィンも帰省の話を持ち出すわけにも行かず、乗っかる事となった。

マキアスとユーシスもそれに便乗する形で参加する事となり、無表情ながら興味があるという目をしていたフィーに沿う形でエマも頷き、ガイウスも乗る。

 

「海かぁ。前に行ったのはいつ以来だったか……あー、懐かしい」

 

「んじゃ、アンタも参加ってことで良いわよね?」

 

「ん。まぁな。シャロンはどうするんだ?」

 

「ご一緒させていただきますわ。会長には許可を取ってありますので」

 

 そうした流れで全員参加が決まると、次に騒がしくなるのは女子勢である。まさか競泳水着でプライベートビーチに挑もうなどという愚をアリサとシャロンの主従コンビが許すはずもなく、面倒臭いと欠伸をするフィーや、そういう状況に疎いラウラなどが疑問を挟む中、それら全てを捩じ伏せて水着を買いに行く算段を取り付けるその手際に、男子勢が若干引いていたが、それもまた夏のひと時としては正しい在り方だろう。

 

 そんな中で、未だにレイはクロスベル支部の仲間に対して罪悪感は捨てきれていなかった。

 8月末に行われる、≪西ゼムリア通商会議≫。クロスベルで除幕式が執り行われる『オルキスタワー』のお披露目と共に開催されるそれの影響のせいで、例年よりも多忙である事は想像に難くない。

 しかし、今のレイは学生だ。誰に相談したところで、「気にするな」という返事が返ってくるのは分かっていたのだが、それでも心配はする。

 

「(……まぁ、ここはお言葉に甘えて普通に”夏休み”とやらを楽しむのが正解か)」

 

 自分の中でそう折り合いをつけて、レイはふと、自分も水着を持っていない事に気が付いた。

男は女性ほど水着に気を使わないものだが、それでも競泳水着では気合いを入れる女子勢に対して失礼というものだろう。

 

「リィン、俺達もテキトーに水着買いに行こうぜ」

 

「まぁ、そうだな。エリオット、ユーシス、マキアス、ガイウスも、それでいいか?」

 

 リィンの呼びかけに男子勢も頷く。

 

 窓の外で蝉の鳴き声が響く中、Ⅶ組は初めて、本格的な休日を過ごそうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 FGOで清姫ちゃん出た。出ちゃった。
ヤンデレの影響でもう女性キャラでないのかなーって落ち込んでたら、フレンドガチャで普通に義経ちゃん出て良かった良かった。

 ……しかしホント☆3以上の三騎士出ねーな。





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サマー・バケーション Ⅰ

 
 

 もうFGOの10連ガチャは信じないと心に決めた十三です。
 申し訳ありませんAUO、僕は貴方を引けそうにないです。


 さて、そんな事はそこら辺に放っておいて、夏休みの始まりでーす。リアルじゃもう終わりなのにね。
……アレ? 何だろう、涙が出て来たヨ。





 

 

 

 

 

 

 青い空、白い砂浜、青い海。

 

 一般的に真夏の海に赴いた際に使われる表現だが、”遊び”または”休暇”という概念でしか海に行った事のない面々にしてみれば、その表現は首を傾げるものであった。

 例えばフィーは、団に属していた際に幾度か海に行った経験はあるが、いずれも敵陣営への奇襲を仕掛けるための上陸作戦であり、夜間に赴いていた事がほとんどであった。

 レイの場合は、海とは即ち凶悪な水棲魔獣と死闘を繰り広げる場所であったり、サバイバルを行うには適した場所だという認識が占める割合が多く、ある意味フィー以上に殺伐としている。

 

 だからこそ、任務でも合宿でもなく、ただ純粋に休暇として赴く海は初めての経験であったし、それを少なからず楽しみにはしていた。

 

 

「いやー、晴れて良かったねぇ」

 

 エリオットの言葉はまさしくその通りであり、空には雲一つない青空と、燦々と輝く太陽が鎮座している。

 特訓の最中などは疎ましく思う事もあるその日差しも、今回に限っては大歓迎。それは青春の思い出を飾る一ページに、華やかな彩りを添えてくれるだろう。

 

 トリスタから帝都を経由して、西部行きの列車に揺られる事数時間。一行は無事に海都オルディスの地に降り立ち、まずは街の規模に目を見開かせる。

 『四大名門』の筆頭格として名高いカイエン公爵家が治めているこの地は、瀟洒であり、かつ華美な街であるという印象を与えた。≪翡翠の公都≫バリアハートともまた違う、貴族の街でありながら、その感覚を超えて来訪者を魅せるような、本当の意味で垢抜けたような場所であるという感覚が強い。

 2泊3日という贅沢な夏休みを過ごすために必要な荷物を抱えながらⅦ組の生徒10名と、サラとシャロンとがオルディス駅の正面出口から出ると、そこで一人の人物が出迎えた。

 

「初めまして、トールズ士官学院御一行様。(わたくし)、アルバレア公爵家に仕える執事、ウィスパー・スチュアートと申します。この三日間、皆様方のお世話を皇家の方に変わって務めさせていただきます。何卒、宜しくお願い致します」

 

 片眼鏡(モノクル)を掛け、一分の隙もなく燕尾服を着込んだ男性が、恭しく頭を下げる。

その姿に瞠目したのは、ユーシスだった。

 

「ウィスパー⁉ 兄上の専属執事であるお前が、どうして此処に居る?」

 

 その言葉を始めから理解していたのは、ユーシスを覗けばレイ一人であった。かの人物とは一度であっていたのみならず、剣も交えた事すらある。

僅かな隙も見せず、執事として在るべき姿を若くして体現しているようなその佇まいは、確かにあの時の人物と同一だ。

 しかし、ユーシスの疑問には内心で同意する。

 皇族専用のプライベートビーチに宿泊するという時に、ルーファス・アルバレアの専属執事である彼が出迎える理由がまず分からない。

同じ『四大名門』、公爵家という肩書を背負っているものの、カイエン家とアルバレア家の関係はお世辞にも良好ではないという情報は、風の噂で聞いている。実際それはアルバレア家の現当主であるヘルムート・アルバレアが一方的にカイエン公爵を疎ましく思っているというのが真相らしいが、そうである限り、家の上級使用人を当主がわざわざ敵の懐に派遣などはしないだろう。

 であるならば、彼を此処にやった人物など、容易に想像がつく。

 

「はい。どうやらこの度Ⅶ組の皆様方が此方に来られる事をオリヴァルト皇太子殿下がルーファス様に仰られたそうでして。そこでルーファス様が皇家の使用人の方に変わって私を派遣なされたのです」

 

「……兄上の事だ、見知った人間が一人くらい居た方が気兼ねがなくて済むだろうとでも思ったんだろう」

 

「左様で御座います」

 

 釈明もする事無く粛々と肯定するウィスパーに、ユーシスはそれ以上詰問はしなかった。

彼とて、休暇中に雰囲気を悪くしてしまうような展開は好まなかったし、ウィスパーの優秀さについても理解していた。能力的に問題がないのであれば、ここで話し合いをする必要もない。

 

「分かった。頼むぞ、ウィスパー」

 

「御意。さぁ皆様、お荷物をお持ち致します」

 

 そうして役目を果たす彼の後ろにあるのは、ラインフォルト社製の防弾リムジン。それを見たアリサが、シャロンに近づいて小声で言葉を交わす。

 

「ねぇシャロン、あの型番って直下の対戦車地雷爆発直撃しても全然大丈夫ってコンセプトで開発班が半分悪ノリして造ったモノじゃなかったっけ? 頑丈過ぎて何かもうアレだって事で買い手がつかなかったって聞いてるけど……カイエン公爵家に卸されてたのね」

 

「左様ですが……良くご存知ですわね、お嬢様」

 

「……不覚にもコンセプトにテンション上がっちゃったのよ。血のなせる感情かしら」

 

 そりゃそうだろうよ、とレイが思っている間にも、ウィスパーは全員の手荷物を手際よく積んでいく。

そして数分後には全員を乗せたリムジンが出発し、目的地のプライベートビーチに向かう。

 高級車に乗り慣れている者と、そうでない者の反応が真っ二つに分かれた車内の様子を見ながら、レイはどこか落ち着かない様子のシャロンに視線を向けた。

 

「やっぱり、”お客様”として扱われる事に慣れてないって感じだな」

 

「いえ、そんな事は……」

 

 シャロンはやんわりと否定したが、普段の彼女を知っている者からすれば、いつもの彼女の冷静さが、今は少しばかり鳴りを潜めている事に気が付くだろう。実際、他の面々も気付いてはいたのだが、敢えて口にはしなかっただけなのだ。

 纏っているのはいつものメイド服だ。真夏の太陽に晒されようと、汗によるシミの一つたりとて作らずに着込まれているそれは、客人を最高の形で出迎え、もてなす者の正装。

だが今回は、自分がもてなされる側へと変わっている。違和感を感じるのも無理からぬ事だろう。

 

 シャロン・クルーガーという女性がラインフォルト家の使用人として働き始めてから、7年近くになる。

 しかし、それ以前から彼女がメイドという職業について理解があったかと言われれば、実はそうではない。≪結社≫に籍を置いていた頃、≪執行者≫として活動していた頃の彼女の本質は”暗殺者(アサシン)”。

 それも、かの≪(イン)≫と同じように、世代を重ねて殺人の技を継承し、昇華して来た一族の最後の末裔。まさにそれに特化したサラブレットであった彼女がメイドの技能を有するに至ったのは、ラインフォルト家に仕える事になる1年前までに遡る。

 斡旋をしたのはレイだった。当時、≪結社≫の≪侍従隊(ヴェヒタランテ)≫の隊長を務めていた女性に、メイドとしての最高峰の技術を1年間に渡ってみっちりと仕込まれたシャロンは、その在り方を完全にマスターして組織を去った。

 以降、メイドとしての師であるその人物の教えを忠実に守るように完璧なメイドたらんと過ごして来た彼女にとって、こういった経験は久しく感じ得なかったものであり、有体に言えば慣れていない。

 ―――だからこそ、イリーナは彼女が休暇に同行する事を許したのかもしれないが。

 

「ま、無責任に”慣れろ”なんて言わねぇよ。自分がいて、他人がいればお前はもう”メイド”なんだからな。ただまぁ、折角の休暇だ。お前自身も楽しむ事を忘れない方が良いと思うぜ。なぁ、アリサ」

 

「そうね。シャロンが寛いでる姿なんて正直想像つかないけど、いつも頑張ってくれてるし、今回ぐらいは少し肩の力を抜いてもバチは当たらないんじゃない?」

 

 いつもよりも陽気な声色を滲ませながらアリサがそう言うと、他の面々も頷く。

 第三学生寮で、料理のみはレイと業務を分担しているが、その他の家事に至っては彼女に一任されているのが現状だ。

無論、手の空いた時は手伝いと言う名目でシャロンの負担を出来るだけ減らそうと努力はしているし、彼女がRF社の会長秘書としての仕事を執り行うために数日間寮を空ける際は、以前のように持ち回りで家事を担当している。

 しかし、それでもシャロンがⅦ組の面々の学生生活をより彩ってくれているという感謝の念は変わらない。アリサの言葉は、言い換えればⅦ組全員の声を代表して言ってくれたようなものだった。

 

「―――皆様の御好意、ありがたく頂戴しますわ。お言葉に甘えて、少しばかり力を抜いて過ごさせていただきます」

 

 その心情を理解して、シャロンも素直にそう言う。

しかしその後、一瞬だけ向けられたその視線に、レイは反射的に身を竦ませてしまった。

 睨まれたというわけではないし、寧ろ向けられたのはいつも通りの笑みの類ではあったのだが……それは”メイド”の彼女が見せるそれではなかった。

 それは時折、メイドの証としてのホワイトブリムを取った、シャロン・クルーガーという一人の女性が見せる表情の中でも、更に深い(・・)モノ。

 熱を孕んだ流し目を向けられて嬉しくない男はいないだろうが、その反面、蛇に睨まれた蛙のような感覚も味わってしまって反応に困っていると、その視線を感じ取っていたもう一人が、誰にも見られないような位置でレイの腕をつねる。

 

「(デレデレしてんじゃないわよ)」

 

 小声でそう言ってくるサラに、しかしレイは下手に言い訳はしなかった。

伝わる鈍い痛みにも、僅かに眉を寄せるだけで無言を貫く。ここで何か反応を示せば、それこそシャロンの思う壺だ。

 

 そんな中、リムジンが走り続ける事数十分。

 既にオルディスの中心部からは場所を外れ、建物の数よりも緑が多くなっている。それでも周囲の街道が整備されている辺り、『四大名門』筆頭格の家系が治める土地は他のそれとは確かに違う。

 民から税を搾取するのが大貴族の役目であるのなら、民の暮らしを一定に保つのもまた大貴族の責務である。特にオルディスは港湾地として栄え、周辺諸国との貿易も盛んである以上、国外の人間も頻繁に訪れる。見栄を張るのは普通の事だし、それは義務でもあった。

 そして、そんな林道を抜けると、窓の外に唐突に違う色が差し込んで来る。

 燦々とした陽の光によって煌めく一面のオーシャンブルー。芸術的なその美しさに、最初に言葉を漏らしたのはガイウスだった。

 

「これが……海か」

 

 本当の意味で一度も海を目にした事がないからこその感嘆の声は、しかしだからこそ殊更に感情を含んでいた。

 

「……こんな時間帯に海を見るのって初めてかも」

 

 その絶景に、普段は表情の抑揚をあまり示さないフィーも、黄緑色の双眸をどこか輝かせて窓に張り付いている。それに連れられるように、全員が窓の外に目を向けていた。

 

「間もなく到着致します」

 

 リムジンのハンドルを握るウィスパーが感動の切れ目に上手く入り込むようにそう言うと、その数分後には目的地に辿り着いていた。

 

 

 海都オルディスの郊外にある皇族専用の別荘、『煌琳館(こうりんかん)』。

 淡い赤色に外壁が塗装されたその建物は、古き骨董品(アンティーク)のような雰囲気を醸し出しながらも、しかし古臭いという感じは一切ない。

 レイが僅かに視線を向けた限りでは壁に風化した跡や汚れがこびり付いているという事もなかった。海に程近く、潮風の影響を受けているであろうにも関わらず、このクオリティを維持しているというだけで、管理の徹底ぶりを察する事が出来る。

 

「こりゃあまた……皇族の別荘に相応しい場所だな」

 

「ホッ、ホッ。お若い方に褒めて頂けるとは光栄ですな」

 

 レイの呟きに言葉を返したのは、建物の入り口で彼らを迎え入れた一人の老人だった。

 齢を重ねた証拠である白髪は、しかし丁寧に整えられており、それは髭も同様。使用人の服に身を包んだその人物は、しかし朗らかな笑みを見せて、初対面のⅦ組の面々に好々爺という印象を与えた。

 すると、ウィスパーが全員の手荷物を積んだカートを引きながら、老人の紹介を行う。

 

「こちら、この『煌琳館』の管理を担われているアルフドさんです。私と同じで、今回皆様方のお世話を買って出て頂きました」

 

「取り柄のない(じい)ではありますが、皆様が良い休暇をお過ごしできるようにお世話致しますので、何卒、宜しくお願い致します」

 

 いえ、こちらこそ。と、挨拶を返したところで、アルフドに促されて館内へと入っていく。

 豪奢ながら下品ではない、本当の豪勢さを表現したかのようなその空気に圧倒されかけたのも束の間、それぞれ個室で用意された部屋に荷物を持って入り、ひと段落をした後に再び一階の広間に集まった。

 

 会話の内容となったのはこれからの予定の話。

 リゾートを満喫するのは3日間のみであるが、それでも予定を事前に決めるような事はしなかった。計画性のない休暇もまた一興だと最初に提案したのはレイだったが、それに全員が乗った形になっている。

 

「さて、現在時刻は一〇二五(ヒトマルニゴ)。これからどうするかだけど……うん、聞くまでもないか」

 

 意味のない事を聞いたなぁと自嘲しながら、リィンは腰に手を添えて苦笑いする。

絶好のロケーションに、絶好の天気。何をするかなどとうに決まっている。予定を立てるまでもない。

 

「よっしゃ行こうぜ今すぐ行こうぜ。実は俺、これでもテンション上がってんだわ」

 

「列車の中でやったカードゲームの勝率がいつにも増してエラい事になってたから大体分かってるわよ」

 

「だがまぁ、時間は有限だ。コイツの言っている事にも一理ある」

 

 兎にも角にも、そこに向かわねばならない事には変わりない。義務感のようなものではないのだが、半ばそうだと言っても差支えはなかった。

 雨模様だったのならまだしも、快晴の日に館に閉じこもっていたのでは、罰が当たってもおかしくはないだろう。

 

「よし、じゃあ着替えを持って5分後に玄関集合で。ウィスパーさん、昼食は向こうで取りたいんですけど、軽く摘まめる様なものって用意していただけますか?」

 

「畏まりました。ご用意させていただきます」

 

 手際良くテキパキと指示を出していくリィンを横目に見ながら、レイは口笛混じりに自室へと戻る。

 レイが購入したのは、一般的なパンツタイプの水着だ。女性とは違い、男はあまり水着の違いには頓着しない。だから極端を言えば学院で使っている競泳水着でも別に構わなかったのだが、そこはアリサの言っていた「折角だから」「勿体ない」という言葉に賛同する事にした。

 

「何やら楽しそうですな、主」

 

 そんなレイの感情に引かれてやって来たとでも言わんばかりに、シオンがひょっこりと虚空から顔を覗かせる。

 今の彼女の服装はいつもの和服の重ね着ではなく、薄手の白のブラウスにパンツスタイルというラフな格好だ。先日の事件解決の褒美に何が欲しいと聞いたところ、夏服が欲しいと答えたシオンのリクエストに応えて購入した物であり、存外気に入っているらしく、この所は常にこの服装でうろついている。

 

「ま、折角の休みだしな。いつまでも仕事の事引き摺ってたら楽しめるモンも楽しめないだろ? オンオフの切り替えってヤツだよ」

 

「成程」

 

 その返しにシオンはそれだけ言って頷いたが、内心では苦笑していた。

 そういう意味では無いのですがね。と独り言ちながら、それでも敢えて言うまいと心の中で思うだけに留めておく。

 以前の、それこそ≪結社≫に居た頃のレイならば、こうして皆と楽しい時間を共有するというだけで少なからずの罪悪感を覚えていた事だろう。彼の武人としての起源が憎悪と悔恨、そして贖罪であったのだから、そう思ってしまうのはある意味致し方ない事ではあるのだが、周囲の、それこそレイの身を案じる人物は、その生き方を必ずとも善しとは言わなかった。

 張った糸の上に陶磁器を置いているようなものだ。いつか必ず落ちて壊れてしまうと案じていたのだが、忠告された自愛を、彼は本当の意味では理解していなかった。

 

 だが今は、無意識なのだろうがそれに沿って行動しているように、シオンには見えた。

 同年代の少年少女たちと苦しみ、笑い、時に喧嘩に巻き込まれる。それでもリィン達はレイとまだ距離があるように思っているのだろうが、昔のレイの姿を見る機会がもしあったのならば、その違いにきっと目を剥くだろう。

 どうか、どうかこのままで居て欲しいと切に願いたかったのだが、同時にそうもいかないだろうという事も分かっていた。シオンにできるのは、せめてこのひと時の”学生らしい”レイの在り方を邪魔しないようにするだけだ。

 

「楽しそうになさるのも無理はありますまい。何せ、サラ殿とシャロン殿の水着姿を拝められるのですからな」

 

「煽ってんのが声でバレバレだぞ、お前。……ま、確かにそれは楽しみだけどな」

 

「おや、否定なされない。主の年頃の青少年はもっとこう、慌てるものですぞ。リィン殿などは恐らく典型的な反応を見せてくれるのでしょうが」

 

「キャラじゃねぇんだよ。分かってんだろ、そんな事ぐらい」

 

 そういったやり取りをしている内に、水着やタオルなどの一式を手提げの袋に詰め終わる。指定の時間に遅れないようにと部屋を出ようとした時に、ふと気づいた事を口に出していた。

 

「なぁシオン、お前も海に来るんだよな?」

 

「? はい、そうですが……ご都合が悪かったですか?」

 

「いや、そんな事はねぇけど……お前の尻尾って、もしかして海水に浸ったらヤバい系?」

 

 そこでシオンが、自身の腰骨の辺りから生えている一本の金色の尻尾を見て、その後力なく頷いてからそれを引っこめた。

 あれ程大きな尻尾であれば、水は吸うし、砂も盛大に絡んでしまうだろう。レイはそれに思い至って声を掛けてみたのだが、どうやら図星であったようである。

 そうして、気付かないフリの心遣い(・・・・・・・・・・・)をしてくれた従者への礼も済ませてから、改めてドアノブを握って外へと出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海に於いては、大抵男性の方が先に着替え終わり、砂浜で女性を待つのが役目であると誰かに聞いた事はあったが、レイやⅦ組の他の面々はたった今それを体験していた。

 

 流石は皇室専用の場所なだけあって、更衣専用の建物まであった事には素直に驚いていたのだが、6人の男子が水着に着替え終わるまでに要した時間がたった数分であったのに対し、女子勢は既に十数分は建物の中に籠ってしまって出てこない。

 しかし、それを「遅い」と言ってしまうのは流石に場違いだという事は全員が何となく理解していたし、していたからこそ口には出さなかった。

 

 

「おーいユーシス、パラソル持ってきてくんね?」

 

「何本だ?」

 

「取り敢えず二本でいいや」

 

「ガイウス、ちょっとシート敷くのを手伝ってくれないか?」

 

「了解だ。そっちを持てば良いのか?」

 

「ビーチチェアは此処に、っと。ふう、もうちょっとした休憩所みたいだな」

 

「マキアスって凄いキチンとしてるよね。イスの位置とかミリ単位で合わせてたし」

 

 

 しかし、そうは言っても手持無沙汰である事に変わりなかった6人は、集まった後に全員でやるつもりだったビーチの設営を協力して行っていた。

 本来であればこれもウィスパーが手伝う事になっていたのだが、こうした事も旅行の楽しみの内だと、此方に任せて貰っていた。実際、男子勢を中心に設営を行うつもりだったので、人数的な不足はあれど手間取るという事はない。

 普段から鍛えていたチームワークと、筋力や体力の向上などのトレーンングの成果を存分に発揮して行った結果、それも僅か十数分で終わらせてしまう。そうして人心地着いた頃、漸く建物の方から女性陣がやって来た。

 

「ゴメン、思ったよりも時間かかって―――ってアレ? もう設営終わらせちゃった?」

 

「ご、ごめんなさい。あ、で、でもワザと遅れたわけではないんです、はい。本当に遅くなっちゃって……」

 

「委員長がこれまでにないくらい盛大にキョドってる」

 

 そうした言葉を掛けながら歩いてくる彼女らの姿を、レイも含めた面々はただ無言で眺めるしかなかった。

 彼女らが身に着けているのは、色取り取りで形も違う水着。学院指定のそれとは根本的に違うテイストのそれらは、彼女たちの魅力を存分に引き出していた。

 

 

「ど、どう? リィン? どこか変な所とかないかしら」

 

「あ……えっと、その……」

 

 僅かに舌足らずになりながらもリィンにそう話しかけるアリサは、ホルターネックの薄紅色のビキニに、腰にパレオを巻いた姿。

育ちの良さが醸し出すお嬢様然とした雰囲気と、快活としたいつもの姿と相俟って、相乗効果で魅力的に見える。潮風に棚引く金髪が、その生来の美しさを引き上げていた。

 

「に、似合うと思う。アリサにピッタリだよ」

 

「ほ、ホント?」

 

 それを眼前で見たリィンは、アリサ以上にしどろもどろになりながらも、何とか感想を述べた。

それは紛れもない本音であり、それを聞き分けたアリサが屈託ない笑みを見せた。

 

 

 

「やれやれ、あの二人は相変わらずだな」

 

 その甘ったるい様子を横目に見ながら、ラウラは羽織っていたパーカーを脱いで近くのチェアに引っ掛ける。

 彼女が纏っていたのは、露出の少ない青色のセパレートタイプの水着。当初からあまり他の水着に対して然程興味を示していなかったラウラだったが、やはりと言うべきか、彼女はこういったタイプの水着が一番似合うという事を全員が思い知らされた。

 恐らく彼女は海で泳ぐことを念頭に置いてこの水着を選んだのだろうが、地を駆けて獲物を追う誇り高い獣のようにしなやかに伸びたその肢体と、凛とした表情を晒す事に何の躊躇いもない彼女を映えさせるには、確かに的確なチョイスだろう。

 そんな彼女の隣を通り抜け、特に急ぐでもなく、さりとて他の場所にも向かおうともせずにレイの前に立ったのは、フィーだ。

 

「委員長が選んでくれた。……どう?」

 

 そう言ってきたフィーが着ていたのは淡いピンク色のワンピースタイプの水着であり、所々にはフリルもあしらわれている。

確かに普段の調子のフィーが選ぶようなものではなかったが、レイは心の中でエマのセンスに脱帽していた。もしレイが選ぶ事になっていたら、間違ってもピンク色の水着を勧める勇気はなかっただろう。

 

「おう、似合ってるぞ。……しっかしアレだな。お前にピンク色の服関係が似合うとは思わなかった。委員長ハンパねーわ」

 

「試着した時に急に女の店員さんが抱き着いて来たからこれに決めた」

 

「まぁ気持ちは分からなくもない」

 

 それがもし男の店員だったのなら、レイやⅦ組のメンバーに加え、各地に散らばっている筈の≪西風の旅団≫のメンバーが総動員でその店員を潰しにかかるだろう。冗談でも何でもなく、本気で。

 ともかく、妹分に似合う水着を選んでくれた事を感謝しようとエマの姿を探すものの、当事者の姿が見当たらない。

 すると、先程盛大に動揺した姿を見せていたエマは、大きめのタオルを体に巻いたまま、パラソルの陰に隠れていた。

 

「フィー」

 

「ん?」

 

「委員長引っ張り出してきて」

 

Ja(ヤー)

 

 フリルを翻してレイの命令を受諾したフィーはパラソルの方へと駆けて行き、ものの十数秒で手を引いて連れて来た。

 

「……アリサかシャロンにとんでもない水着選ばされたのか?」

 

「い、いえ。そういうわけではないんですけど……こういうものを着た事がなかったので恥ずかしいと言いますか……」

 

「委員長、それ私も同じ」

 

 まさしく同じ境遇のフィーにタオルの裾を引っ張られ、巻かれていたタオルがハラリと落ちる。

 

 

 エマが身に着けていたのは、薄紫色のオーソドックスなタイプの三角ビキニ。

水着としてはそれ程激しく露出度が高い訳ではないのだが、一見学生とは思えないほどに成熟した魅惑的な体のエマがそれを身に纏うと、俄然話が変わってくる。

眼鏡姿に三つ編みという生真面目さを印象付ける面立ちとは正反対の体つきは、もしここがプライベートビーチではなかったら連続ナンパを食らう事は必至だろうと難なく想像できてしまう。

 

「……気にした事なかったんだけど、分かった事がある」

 

「言ってみろ」

 

「これが……敗北感って言うのかな?」

 

 自分の胸の辺りをペタペタと触りながら僅かに低い声色で言ったフィーは、確認するまでもなく落ち込んでいた。

それもその筈だ。アレを前にして敗北感を抱かない同世代の女子の方が稀有だろう。それでも一応気にするなという旨の言葉は掛けたのだが、フィーはトボトボと歩いて行ってしまい、エマはそれを追いかけて行った。

 

「さて……と」

 

 一気に賑やかになったビーチを眺めながら、レイは砂浜の上に敷かれたシートの上に腰を据えた。

 レイの恋愛対象は基本的に年上の女性であり、言ってしまえばあの三人だ。

とはいえ、一人の男として普段一緒に居る仲間の女子勢の水着姿を拝めた事は眼福であったし、それだけでも海に来た甲斐はあったと思っている。

 そんな事を思っていると、不意に後ろから頭の上にタオルが被せられた。

 

「なーに達観した爺みたいな感じで座ってんのよ。一応17歳でしょうに、アンタ」

 

「うふふ、仕方ありませんわ。レイ様とて思春期の男子で在られますもの。物思いに耽る事くらいありますわ」

 

 振り向いた先にいたのは、まさにその愛を向けた相手。いつもとは違うその姿に、思わず目が奪われてしまう。

 

 

 サラが選んだのは、ビキニとワンピースが合わさった、所謂モノキニと呼ばれる種類の水着。

背中部分が大胆にカットされたそのデザインは、強気な彼女の性格と相俟って挑発的にも見える。赤紫色(ワインレッド)の髪の下に映える煌びやかな黄色のそれが、健康的でありながら彼女の女性らしい部分を最大限まで強調していた。

 なまじ体型を誤魔化す事のできないタイプの水着であるために、豊かな胸からくびれた腰、更にその下に至るまでのモデルのような美しい肢体が直接視界に飛び込んで来る。

 

 そしてその隣で上品な笑みを浮かべているシャロンは、今回ばかりは素直にホワイトブリム以外のメイド服を脱いで水着に身を包んでいた。

 主従で合わせたのか、それとも合わせられたのかは定かではないが、シャロンのそれはアリサと同じ種類の水着だった。しかし、色合いは違う。

ビキニの色は若紫。そして腰に巻いたパレオは同色を基調に所々緑色の刺繍が施されたもので、アリサのそれと比べれば幾分か落ち着いた物になっている。が、だからこそシャロンの持つ淑やかさや、そこに隠れる煽情的な色気などが外に現れているようにも思えていた。

 

「――――――」

 

 まさしく、帝都でクレアの私服を前にした時と同じように、レイは言葉を失った。

 何てことはない。普段見ている想い人が水着を纏っているだけ―――そう、ただそれだけであった筈なのに、その心臓の鼓動は早くなる一方だ。

 

「……似合ってる。綺麗だよ、二人とも」

 

 陳腐な言葉である事は重々承知していたし、しかしだからこそ、そうでしか表現する事は叶わなかった。

 普段の口の悪さすらも鳴りを潜めて口から紡がれたその言葉は、しかしレイの心配とは裏腹に一直線に二人の心を抉った。

 

「ぅ……ま、まぁそうよね。そうでしょうとも」

 

「うふふ、お褒め頂き光栄ですわ」

 

 一瞬で赤く染まった顔を見られたくないがためにそっぽを向きながらそう言ったサラは分かりやすく、一見余裕を見せているシャロンすらも、隠し切れない喜びが微かに両頬に現れている。

 本来ならば、「似合ってるぞ」という簡潔な一言で済ませるつもりだったのが、無意識に口に出ていた「綺麗だ」という一言。それは先程のリィンのそれと同じく、正直に思ったからこそ自分の意志とは関係なく出てきてしまった言葉に他ならない。

 

 

 ともあれ、どうにも気恥ずかしい空気が漂ってしまったその中に、突然最後の闖入者が現れた。

 

「―――おや、どうやら私が最後のようですな」

 

 金色の耳と尻尾を隠したその姿は、正統派の人間離れした長身の金髪美女。帝都のバーで着た時のような服を着ればさぞや映えるであろうその体は今―――奇抜な布で包まれていた。

 色は黒。そこまではいい。夏の日差しの中で着るには少しばかり抵抗がある色合いだが、そもそもが神獣である彼女が今更自然の暑さを気にするものではないし、どの色の水着を選択しようが、それは個人の自由だ。

 

 だが、その布の面積が余りにも少なすぎた。

 俗に言う所のマイクロビキニ。―――布面積は猫の額程度しかなく、”泳ぐ”という行動を完全に埒外に置いたそのデザインは、ただ異性を誘惑する事だけに特化している。

 それを、スタイルの優位性だけならばエマやサラを優に超えるシオンが着ればどうなるか。

 

「ッ、リィン‼ エリオットとレーグニッツが大量の鼻血を噴出して倒れた‼ 早く延命措置を施せ‼」

 

「なっ‼ め、衛生兵ッ―――(メディィィーーーク)‼」

 

「…………」

 

「あぁっ、フィーちゃんの顔が真っ白に‼」

 

 登場しただけで地獄絵図。白い砂浜の一部が血の海に早変わりしたり、魂を抜き取られたかのような少女の体を揺さぶる姿など、ある意味平穏とは対極の空気が一瞬にして出来上がってしまった。

 

「……シオン」

 

「はい、何でしょうか。主」

 

「30秒以内に今すぐそれを着替えるか、狐の丸焼きにされるかどっちか選べ」

 

 そんな二択を突きつけると、シオンは黙ったままに顔を蒼白に染めてそのまま再び実体化を解いた。

 先程感謝したのは間違いだったかと思った反面、気まずい空気を一瞬にして打ち砕いてしまった事に感謝すべきなのかと悩む。

 

 やはりレイ・クレイドルは、どんな時であっても頭痛とは無縁でいられない。

 そんな事を、否が応にも改めて理解させられてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 水着の描写って……難しいんだなぁ。
 なまじ漫画みたいに表現できないモンだからほぼ事前知識カラの頭捻って全力で行くしかなかったっす。つまりこれが限界。

 ……マシュとジャンヌちゃんの水着姿を拝みたい(錯乱)。






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サマー・バケーション Ⅱ



秋雨前線を殲滅したい。台風を撲滅したい。
そんな事を昨今本気で思い始めている人間、十三です。

英雄王の御慈悲に五体投地する事数日。手に入れたエミヤを全力で育成しております。
リリィは駄目だし、ステンノ姉様も三騎士を相手取る時はどうにも火力不足が否めなかったので、ガチで感謝しております。





 

 

 

 

 

 

 噂、または他人伝手でⅦ組の”教練”の話を聞いた者達がほぼ間違いなく誤解している事が一つある。

 

 「Ⅶ組は毎日休みなく実戦的な戦闘訓練を行い、今や帝国正規軍の一個中隊にも匹敵する実力がある」という噂は、もはやトールズの学生の間では最も有名なネタだ。生徒たちの間ではまことしやかに語られているし、それが極力本人たちの耳に入らないように広まっているために、その全貌を確認しているメンバーは少ない。

 実際、実力という面で見ればそう違わないのだ。戦術リンクも併用した彼らのチームワークと個々の実力は、元A級遊撃士と元≪執行者≫が半ば本気で鍛えたせいで、今の段階で正規軍の精鋭部隊とも状況次第では渡り合えるほどだ。

正面からの戦闘方法のみならず、罠や奇襲などのトリッキーじみた戦い方も仕込み始めている。本職の猟兵団などが使うような悪辣じみた戦法はラウラなどが少なからず拒否反応を起こすために教えていないが、戦闘の場に於いて有効であると判断した技術などは出来るだけ教え込むつもりであったし、彼らもまた、それを受け入れる事に抵抗はなくなっていた。

 

 しかし、「毎日休みなく」という部分だけが、まさしく”誤解”の部分だった。

 そもそも士官学院のカリキュラムに於いて、クラス全体での”実技教練”は週三回二限ずつの6時間のみ。Ⅶ組では、この時間を利用して連携の確認や模擬戦などを行う。

その他、放課後などに部活の予定がないメンバーなどが自主的に鍛練を行う事は恒例の日常になっているし、近接武器を扱う”前衛組”が行う朝練などは、確かに毎日行われている。

 だが、決して休みがない訳ではない。

大前提で決めた取り決めとして、夕食後は軽いランニングなどの軽運動以外のトレーニングなどはせずに体を休める事が決められている。更に毎週土曜・日曜日は午後の鍛練を禁じており、決して休みなく戦闘訓練をしているわけではない。

 基本的に人間は、身体を酷使すればその分だけ実力が伴うという単純な構造をしているわけではない。超回復の理論がそうであるように、鍛練と同時に充分な肉体の休息も必要になる。

戦術オーブメントの加護を受けて身体能力の向上などが起きている身であっても、それは変わらない。

 肉体的な疲労そのものは、ある程度レイの呪術である【癒呪・爽蒼】で緩和されているものの、それでも休息や睡眠などで得られる自然回復は馬鹿には出来ない。そういった事もちゃんと考慮に入れて鍛えているのである。その分、苛め抜く時はとことんまで苛め抜くのだが。

 

 つまり、鍛練と休息の時間は完全に分けてある。その休息の時間に彼らは勉学や体育系ではない趣味などに打ち込む事で、精神的にも充実した学院生活を送っているのだ。

 

 

 

 

 故に今回の休暇では、レイやサラは鍛練のノルマを課す事は一切なかった。

それは各々の自主性に任せる、という事ではなく、言ってしまえば「せっかくの機会だから思いっきり羽を伸ばせ」という意味だった。休める時にしっかり休んでおくというのもまた大切な事である。

 だが……

 

 

 

「くっ……‼ もう一本だユーシス‼ 今度こそ僕が勝つぞ‼」

 

「フン、幾らでも受けて立とう。ただし、何度やろうとも結果は同じだがな」

 

 片道500アージュ、往復1000アージュの距離を何度も往復して泳ぎ、その度に勝敗を競い合う二人。

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「………………ハァッ‼」

 

「本当に割った⁉」

 

「フム、少し中心点からはズレたな」

 

「スイカ割りってこんなガチなものじゃなかったと思うんだけど」

 

 視覚どころか耳栓で聴覚を塞ぎ、スタート前にシオンに触覚、嗅覚阻害の術を重ね掛けする事で”心眼”で以て真剣で一刀両断するという、根本的に何かが間違ったスイカ割りを意気揚々と行うラウラと、それを遠巻きに見つめる数人。

 

 

 

「委員長、もうちょっと右固めて」

 

「あの、フィーちゃん。この砂城のモデルってもしかして……」

 

「リベール王国のレイストン要塞。ちなみに侵入経路の候補はここと、ここと、ここ」

 

「そんな物騒な作戦概要なんて聞きたくないです‼ え? というよりどこからこんな国家機密レベルの情報を……」

 

「猟兵団時代に、ちょちょっと聞いた」

 

「私、フィーちゃんがたまに分からなくなる時があります」

 

 海岸の白浜を集めてとてつもなく精巧なリベール最堅牢の要塞を淀みない手際で制作していくフィーと、その助手をさせられているエマ。

猟兵特有の仮想戦略概要を聞かされている彼女は、どこか遠い目をしていた。

 

 

 

「―――っと、どうだった? ガイウス」

 

「ふむ、まだ上体が安定していないように見えるな。傍から見てもすぐに戦闘態勢には入れないだろう」

 

「そうなんだよなぁ」

 

 衝撃を吸収してくれるという特性を利用して歩法術の訓練をしているリィンと、それをサポートするガイウス。遊びという概念を完全に頭の中から消去してしまっている真面目コンビは、自由時間開始数時間にして既に初志を忘れていた。

 

 

 

 そしてそんなクラスメイトのカオスな行動をビーチチェアに腰掛けながら眺めていたレイは、目を伏せてふぅと一息を吐いてから一言。

 

 

「……指導方針間違ったかなぁ」

 

「その呟き、アタシの方にもダイレクトで来るからやめてくれる?」

 

 応えたのは、隣のビーチチェアに座ってトロピカルジュースをストローで啜っていたサラ。担当教官としては色々と思う所があるようで、満喫しているような外見とは裏腹に、その表情は明るくない。

 

「特にヤバいのって前衛組の連中じゃない。モロにアタシとアンタの影響を受けてるわよ」

 

「いや、ラウラのアレは多分実家に起源がある。フィーのアレは西風の連中に文句飛ばしてくれ。原因の9割はアイツらだ」

 

「そんで、1割はアンタなのね」

 

「否定はしない」

 

 なんだかんだ言って彼らも海を満喫しているのだろうが、世間一般の学生が過ごすような海での遊び方とはあまりにも乖離し過ぎている。もしここにトールズの級友たちが居ればドン引きされるのは確定なレベルで。

 意識改造を徹底させた覚えはないんだがなぁ、と思っていると、屋敷の方から現れたウィスパーがサンドイッチの入ったバケットを持ってやって来た。

 

「何か、ゴメンな」

 

「? いかがされましたか、レイ様」

 

「いやね、他の連中と同じでユーシスもどうやらウチの空気に良い具合に染まっちまったみたいで」

 

 視線を向けると、そこにいたのは本日7回目の往復を終えて全勝し、マキアスからの再度の挑戦の要請を挑発気味に受けているユーシスの姿だった。

 その様子は、入学当初の彼を見ている者からすれば考えられない姿だろう。『四大名門』の家系に連なる者であり、孤高の青年。その印象が強かった彼が、今は仲間達と普通に話す事に抵抗を感じなくなっている。

 しかしウィスパーは、そんなユーシスの行動を見て、薄く優しく微笑んだ。

 

「皆様はもうご存知かと思いますが、ユーシス様は御頭首様が市井の方であった後妻の方と設けられたお子様でありました。アルバレア家に引き取られて以後のユーシス様を(わたくし)は見て参りましたが、純潔の貴族の方々からは陰で疎まれ、ご聡明であったユーシス様はその事にも気づいておられました」

 

 帝国の貴族制度は根深い。流石に優生学的な手段に出てまで子を成そうという連中はいないが、それでも”貴族”という貴い血を穢れなく残すために、貴族同士の婚礼しか認めないという家は未だに多く残っている。

 それが『四大名門』ともなれば尚更だろう。平民との間に出来た子であるユーシスを、純血主義の貴族連中が陰で嗤っていたというのは、想像に難くない。

 

「ですがルーファス様は、ユーシス様の出自を決して疎ましくは思われませんでした。

まるで義理ではなく本当の兄弟であられるかのように接しなされ、勉学、剣術など、色々な事を手ずからお教えになられました。……ですが、それでも同年代の御友人をお作りになる事は、終ぞ叶わなかったのです」

 

 腐れ縁、悪友。どちらにせよ、友人である事に変わりはない。例え表面上は反発し合っていても、内心お互いの事を認めているのは確かだ。

そうでなくては、戦術リンクでの同調率があれほど高いわけがない。

 

「しかし、トールズに御入学なされてから、ユーシス様は変わられました。互いに認められ、切磋琢磨する御学友をお作りになられた事は、ルーファス様も、そしてこのウィスパーも、大変喜ばしい事と思っております。

アルバレア家にいらっしゃった頃も、あれ程充実なされているお顔を拝見する事は、終ぞ叶いませんでしたので」

 

 今、彼を”アルバレア家の次男”として見ている人間は、少なくともⅦ組の中には一人もいない。

 ユーシス・アルバレアは中衛戦闘の要であり、Ⅶ組屈指の常識人の一人だ。レイとしても、居なくては困る仲間の一人である事に疑いはない。

 そんな事を考えていると、ウィスパーがレイに向かって深々と頭を下げて来た。

 

「このウィスパー、Ⅶ組の方々には深い感謝をしております。ですので、どうかこれからも、御学友としてユーシス様をお支えして頂きたいと思っております」

 

 その願いには、言葉で返すまでもなかった。無言で親指を突き立てると、ウィスパーは再度頭を下げてから、そのまま館の方へと戻って行く。

それを横目で追っていると、からかうような口調でサラが話しかけて来た。

 

「責任重大ね」

 

「他人事みたいに言うなや」

 

 友人、仲間。自分達の関係を表す言葉など、それこそ幾らでも存在する。そしてそれを継続させる事など、言うまでもない。それが出来る筈だと、心の底から信じている。

 

「(……あれ?)」

 

 そう思ってから、一つ疑問が浮かび上がった。

 いつからだったのかははっきりしない。ただⅦ組を、彼らを囲む枠組みの中に、”自分”を入れる事に躊躇いがなくなったのは、一体いつからだったのだろうか。

 最初はただ見守るつもりだった。彼らの枠からは一歩遠のいた位置から学生と言う立場を満喫しようと、そう思っていたに過ぎなかったのに。

 彼らと共に歩んでみたいと―――無意識にそう思い、その思いに応えるために行動していた。今こうして、漸く自覚できたのは、ある意味奇跡だったのかもしれない。

 

「―――レイ? どうしたんだ? 考え事か?」

 

「まぁ、レイは俺達の中でも一番忙しい身だからな」

 

「だか、辛い事があればいつでも言ってくれると助かる。そなたにはいつも助けられているからな」

 

「レイ、ちょっとラウラが叩き割ったスイカの処理手伝ってくれない? 量があり過ぎるのよ」

 

「あれ全部食べるとお腹壊しそうだねぇ……スイカ料理とかってないのかな、レイ」

 

「先程ウィスパーと話をしていたみたいだな。……何を話していたのかは聞かないでおこう」

 

「大方、このいけ好かない男の事に関してだろう。器が小さいな、君は」

 

「マキアスさん、煽らないでくださいっ。……というか、何であれだけ泳いでお二人とも息切れ一つしてないんですか?」

 

「大丈夫? レイ」

 

 そんな彼の挙動を不自然に感じたのか、或いは昼食時であるからか、拠点の方に戻って来たⅦ組の面々が話しかけて来る。

それに対してレイは薄く笑ってから、ビーチチェアから跳ね起きる。

 

「大丈夫、なんもねーよ。それよりとっととメシにしよーぜ」

 

 当然、何もなかったかのように振る舞うレイの姿を見ながら、サラは被っていたストローハットを目深に被り直した。

 

 

「……馬鹿ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えばお嬢様、日焼け止めかサンオイルはお塗りになられましたか?」

 

「あ」

 

 

 昼食後、シャロン特製の自家製レモネードを味わいながらクールダウンしている所に、シャロンからの何気ない指摘が入る。

それに過敏に反応したのはアリサだけだ。

 

「あー……忘れてたわ。今からでも大丈夫かしらね」

 

「此処にコールアリアン社製の最高品質のサンオイルをご用意しておりますので、大丈夫ですわ」

 

「それじゃあラウラ、エマ、フィーも一緒に……」

 

「む? 私は此処に来る前にシャロン殿に塗って貰ったぞ?」

 

「私もです」

 

「私も」

 

「え?」

 

 この時点で嫌な予感がしたアリサはシャロンをジト目で睨み付けるも、当の本人はわざとらしい挙動でヨヨヨと嘘泣きまで始める。

 

「申し訳ありませんわお嬢様。このシャロン、事もあろうに最もお慕いすべきお嬢様の白肌を気に掛けず他の方ばかりに御奉仕してしまい―――」

 

「しらばっくれてるんじゃないわよ‼ 何なのその嘘泣き‼ 素人が見てもそうだって分かるわよ‼」

 

「お、落ち着けアリサ。クールダウンだクールダウン」

 

 危うく暴れ出しそうになるアリサをリィンが必死に引き留める姿はもはやⅦ組の風物詩になりつつある。本当に仲が良いなぁと全員が思いながらも、レイは次の展開をほぼ予測していた。

 すると、その予測をなぞるかのように、嘘泣きを一瞬でやめたシャロンがポンと手を叩いた。

 

「そうですわ、折角ですのでリィン様にお塗りして貰うというのは如何でしょう?」

 

「「はぁっ⁉」」

 

「「「「「「「「(やっぱりそう来たか……)」」」」」」」」

 

 想像通りの展開に他の面々が同情をするような溜息を漏らしながらも、敢えて異を唱えるような事はしなかった。

 

「ちょ、ちょっと何でよ‼ あなたが塗れば済む事じゃない‼」

 

「申し訳ありませんお嬢様。実は(わたくし)、サンオイルに触れると手がかぶれてしまう体質でございまして」

 

「数十秒前の自分の言葉と矛盾してるって事に気付いてないのかしらねぇ⁉」

 

「それはそうとしてリィン様」

 

「無視⁉」

 

 本当に自分の主を煽って弄るのが上手いなぁ、などと半ば感心していたリィンの手に、シャロンがサンオイルを渡す。

 

「これも良い経験になるかと。帝国男子たる者、淑女にサンオイルもまともにお塗り出来ないようでは、沽券に関わりますわ」

 

「あの、多分関わらないと思います」

 

「いえいえ、それに―――」

 

 そこでシャロンは声の音量を下げ、リィンにしか届かないような声で囁いた。

 

「堪能したいと思いませんか? お嬢様の黄金比とも言える肢体の感触を」

 

「ッ‼ な、何を―――」

 

「御入学の際のオリエンテーリングの時、不慮の事故(・・・・・)でお嬢様と密着なされてしまった事は存じていますわ。

でしたらご存知でしょう? お嬢様のお体の柔らかさを」

 

 それはまさしく悪魔の囁きも同然だったが、リィンは理性を総動員してそれを耐え凌ぐ。

 アリサは彼を朴念仁だと称したものの、実際のところそこまで重症なものではない。17年間、同世代の異性からの好意と言えば妹から注がれる家族愛しか経験していなかった青少年からすれば、恋愛感情というモノは余りにも曖昧で不定形だ。それに対して察しを良くしろ、と言う方が難題である。

 ただそれでも、”何も思っていない”と思われるほどに致命的なまでに察しが悪い訳ではない。自分がほぼ無意識に発する言葉に対しては無頓着な所があるが、それを差し引いても、アリサ・ラインフォルトという少女の事をどこか気にしている事は自覚していた。

 だが、だからこそ彼女を邪な目で見たくはなかったし、なまじそうした煩悩に流されて乙女の柔肌に触れるなどという暴挙は、彼の中では許されざることであった。

 

 そんな彼の葛藤を見抜いたのか、シャロンはニコリと微笑みながら続けて言葉を紡いだ。

 

「申し訳ありません。少々下世話なお話しをしてしまいましたわ。―――ですが、リィン様もご存知ではないですか? アリサお嬢様が、貴方様を憎からずお想いな事を」

 

「う……」

 

「勿論、無理にとは申しませんわ。ですが、お嬢様の想いは出来るだけ汲んで差し上げて下さいませ。リィン様ならそれを成し遂げるお力があると、このシャロンは確信致しております」

 

 その言葉で覚悟を決めたリィンは迷いを断ち切った目をしながらアリサの下へと駆け寄っていく。

 

「アリサ」

 

「ふぇ⁉ な、何?」

 

「君さえ良ければ、俺にやらせてくれないか?」

 

「え、ちょ……う、うぅぅ……わ、分かったわよ‼ やってもらおうじゃない‼」

 

 傍から見ていると何をしようとしているのか分からない状況に全員が「(何だアレ……)」と思っている中、精神の耐えられる限界ギリギリまで追い込んでから一筋の逃げ道を指し示してそこにうまく誘導するその手練手管に、レイは舌を巻いていた。身内弄りが得意な自分でさえ、あぁも見事に誘導は出来ないだろうと、改めてラインフォルト家のメイドのスキルの高さを垣間見ていた。

 ふと周りを見渡してみると、集まっていたはずの面々は既に各々午後の部の海の遊びに興じていた。

 その行動の速さの理由の中には恐らく、アリサとリィンを二人きりにしてあげようという彼らなりの無言の優しさがあったのだろう。本当に仲間想いのメンバーだと感心しながら、しかしレイは動かなかった。

 

「(皇女と義妹を押しのけて一歩リードか……これは見ないわけにはいかないよな‼)」

 

 持ち前、というよりもほぼ習慣のようになってしまった出歯亀根性が作動して再びビーチチェアに腰を据えたのだが、そこに役目を果たしたばかりのシャロンが寄り添って来た。

 

「……何だよ」

 

「言わなくては察していただけませんか?」

 

 ゲレンデの雪景色の中では女性の美しさは三倍になるとは良く言うが、それならばビーチで水着姿の女性はどうなのだろうか?

それも、モデルをしていても何ら不思議ではないスタイル抜群の美女が相手ともなれば相乗効果は二乗三乗どころの話ではない。

 普段はメイド服の中に包まれたその肢体が、水着という薄布一枚に覆われただけというギャップは、否応無しに容赦なく理性を串刺しにして来る。しかしそれに見惚れていると、横からグッと腕が掴まれた。

 

「……アンタだけに良い思いはさせないわよ」

 

「ふふ、そんな事は思っておりませんわ。では、サラ様もご一緒に」

 

 そう言ってシャロンが取り出したのは、先程リィンに手渡したそれと同じサンオイル。

 その時点でレイは人生最大級の煩悩との決戦に備えると共に、これはリィンとアリサの恋路に余計な茶々を入れようとした罰なのかと、自らを叱責し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 異性との接触に乏しかった事を除いても、リィンが生まれ育ったユミルという場所は深い山岳地帯で、秋から冬にかけては雪に覆われてしまうような、そんな土地だった。

それ故に、サンオイルなどというアイテムを使用した事などなく、更にそれを同世代の異性の肌に塗るという行為は、ある意味試練といっても差支えがない。

 加え、表面も根も、時に周囲が呆れてしまう程に真面目なリィンは、特にその思いが顕著だった。

 

 

「ほ、ほら。早く塗ってよ」

 

 何せ目の前には、シートの上にうつ伏せになって顔を仄かに赤らめながらそう催促してくるアリサの姿。

 塗る時に邪魔になるからと、リィンにも自分にも言い聞かせるように何度も呟いて、薄紅色のビキニの紐を緩める。その様子を見て思わず喉を鳴らしてしまったリィンの事は、恐らく誰も責められないだろう。

 金糸のような艶やかな髪の下に広がる、白い背中。元よりスタイルの良さは充分に理解していたのだが、実際に間近で見ると一際その良さを実感する。

 しかし、それにいつまでも見惚れているわけにもいかない。サンオイルのキャップを外して、掌の上に中身を少量垂らす。

 

「そ、それじゃあやるぞ」

 

「い、一々言わなくていいわよっ‼」

 

 急くような言葉に従って掌を背中の上に置く。

するとその滑らかな感触に驚いていたのも束の間、急にアリサが「ひゃあっ‼」という小さな叫び声と共に身を震わせた。

 

「な、何だ⁉ なんか間違ったか⁉」

 

「ま、間違ってるって言うか、サンオイルは最初手の中で人肌に温めて頂戴。意外と冷たくてビックリするのよ」

 

 そういうものなのかと、指摘されたリィンはそれを実践してアリサの背中一面にサンオイルを広げていく。

 細いうなじから鎖骨を通り、背中へと手を伸ばす。男のそれとは明らかに違う、柔らかなその感触を掌の上に感じて、リィンは心臓の鼓動が早くなるのを止める事は出来なかった。

 更に言えば、時折アリサが漏らす「あっ」やら「ふぁっ」やらの妙に艶めかしい声。それが真っ当な思春期の男子の情欲を掻き立てずにはいられない。全身の血流がいつもの数倍速く巡るような感覚を自覚してしまい、リィンは思わず目を硬く瞑ってしまう。

 

「(考えちゃ駄目だ、考えちゃ駄目だ、考えちゃ駄目だッ―――)」

 

 心頭滅却どころか思考滅却しかねない勢いで無我の領域に足を踏み入れようとするリィン。そうでもしなくては、目の前の瑞々しい背中と喘ぐような声から離れられなくなってしまいそうだった。

 出来る事ならばこのまま背中に置いている両手を離して両耳を塞ぎ、一目散この場から逃げたい気持ちで一杯だったのだが、上半身だけとはいえ自らの裸体を触れさせる程に信頼してくれているアリサの想いに応えないわけには行かない―――と、真面目一直線からくる使命感に身を侵されて、そのまま作業を続けた。

 

「ぁっ……ふ、ふん。中々手際が良いじゃない」

 

「…………」

 

「リィン?」

 

 可能な限り思考能力を排除して”作業”に没頭する今のリィンには、もはやアリサの言葉に反応して応えるだけの余裕すら持ち合わせていなかった。

 体を蝕む欲に掻き立てられながらも一心不乱に務めを果たそうとするその姿には感服すら覚えるだろうが、皮肉にもその使命感が、彼の運命を決定づけてしまった。

 

「(え……?)」

 

 行為自体は無意識であったのだろう。元よりあまり考えないようにして行動していたリィンは、背中と腰、そしてその下(・・・)の境界線も、正しくは認識できずにいた。

 そのため、サンオイルに覆われたその手は、腰部を越えて、臀部に強く手を添えてしまう。その柔らかさに、リィンは正気に戻るが、既に後の祭りだった。

 

「ひゃあっ‼ ちょ、ちょっとリィン‼ どこ触って―――」

 

 以前自分を抱き留めてくれた男らしい手が敏感な場所に触れた事で、アリサは反射的に跳ね起きて体をリィンの方へと向けて抗議をしようとしたところで―――気付いてしまった。

 上半身を覆い隠していた水着は、当然の事ながらまだ紐が外れたままであり、実際シートの上に残ってしまっている。その状態で振り向けばどうなるか(・・・・・)

 

「あ……ぁ……」

 

 慌てて自分の左腕で覆い隠すも、時すでに遅し。上半身だけとはいえ、アリサの生まれたままの姿を見てしまったリィンは、脳内を完全にオーバーヒートさせて硬直してしまっていた。

 だが、その程度で許せるほど、乙女の怒りは安くはない。ましてやそれがアリサであれば、尚更だ。

 

「こんの―――変態ィィィィッ‼」

 

 叫び声と共に放たれたのは、強烈な正拳。普段は矢を番えるために使っているその力に、更に”乙女の怒り”というスキル分を上乗せした力で放たれたソレは、過たずリィンの顔の中心点を捉えて吹き飛ばした。

 砂浜の上をまるで風に煽られた藁屑のように飛んで行き、海面に接してからは水切りの要領で幾度か跳ねながら、高い水しぶきを上げて着水・制止した。

 その直線上にいたユーシスとマキアスは直前で殺気を感じ取って回避したため無事だったが、普通では考えられない勢いで級友が吹っ飛んで行くという光景に、互いに罵り合う口すらも噤んで唖然としていた。

 

 数秒後、冷静さを取り戻したアリサは、すぐに水着を身に纏って顔を赤らめたままに駆け寄る。余裕で数十アージュもの距離を吹き飛ばされたリィンはユーシスとマキアスの尽力により速やかにサルベージされていた。

 オリエンテーションの時とは違い、すぐに開口一番謝罪の言葉を口にした辺り彼女も素直になったと言えるのだろうが、周囲でその様子を見守っていた面々は、まずアリサの限界を超えた力の強さに戦々恐々とし、その後、リィンの女難の相はもう呪いのレベルといっても差し支えないなと、同情するより他はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仲間が逆に面白おかしくなる威力で吹き飛ばされた挙句に海に突き落とされた状況の一部始終を横目で見ていたレイは、しかし彼もまた、試練に立ち向かっていた。

 眼前にあるのは、うつ伏せになったサラの体だ。モノキニという、ビキニとワンピースの特徴を併せ持った形の関係で、ビキニのように上部分だけを外すという事は出来ない。

そのため今彼女は、うなじから足のつま先まで健康的な肢体をパラソルの陰の下に晒している。

 その背中に丹念にサンオイルを塗りながら、レイは気を紛らわすために口を開いた。

 

「つか、お前なら普通に日焼けしても大丈夫なんじゃね? そういうの、気にしないと思ってた」

 

「な、何よ。アタシだって一応、肌の調子とかには気を使ってんのよ」

 

 人目も憚らず大酒かっ食らう奴が何を言うか、と思いはしたものの、流石にそれを口に出すのは留まった。

 思考と手の動作は可能な限り切り離して作業をしているのだが、それでもやはり気にはなってしまう。

 あれだけの大酒飲みである癖に、その体に無駄な脂肪は一切ついていない、引き締まった体躯。それでいて胸部は大きく、母性を感じさせる要素も備わっているのだから、身体的にはパーフェクトに近いものを持っているのだ。

 そう考えると、改めて惜しくなる。普段の性格さえ改めれば、もっと異性の視線を集める事が出来るというのに―――

 

「……いや、ヤだな」

 

「?」

 

「コッチの話」

 

 それが嫉妬であるという事はすぐに理解できた。我ながら意外と器が小さいなと思いながらも、それでも考え直す事はしない。

 好意を抱いた相手が美人であるというのは嬉しい事だ。それは否定しない。だがそれと、道行く男を誘蛾灯の如く引き寄せる可能性があるのとでは、また別問題だ。

 以前ならば、こんな自分を好きにならずとも、と思っていた時の方が多かったというのに、今では自分のもので居て欲しいという欲求が強くなってきている。

 それは強欲なのだろうが、逆を言えばそれは、レイの感性が少しづつ真人間に近づいているという事である。愛してくれるのなら、此方も負けないほどに愛そうと、そう思えるだけの器量は身に着けていた。

 

「なぁ、サラ」

 

「んー?」

 

「好きだよ」

 

 ほぼ無意識のように言ったその当然の告白に、サラはアリサ以上に過敏に反応した。

 しかしそこは大人の反応速度。下に敷いてあった自分の水着を胸元まで手繰り寄せてから、後ずさる。

 

「な、なななななななな、何言ってんのよアンタは‼」

 

「なにって……一応改めて言っておこうかなって思っただけ」

 

「……何で今なのよ」

 

「そんな気分になったから、かな。偶にあるんだよ、こういう時が」

 

 ちょっとしたきっかけで、好きだという感情が溢れ出てしまう時。恋愛に対して百戦錬磨の人物ならばそれを上手くコントロールするのだろうが、生憎とレイは素人に毛が生えた程度の経験しかない。

 だから、そうした感情を抱いたときは素直に想いを告げておこうと、そう思い至ったのは最近の事だ。

 いつかそうした言葉すらも告げられなくなるかもしれない―――そういう懸念が胸の中にあったのも、確かなのだが。

 

「……どんな所がよ」

 

「?」

 

「だから‼ どんな所が、その、好きなのかって聞いてんの‼」

 

 サラからしてみれば、不意打ちの仕返しに少し困らせてやろうという、悪戯っぽい魂胆があっただけに過ぎなかったのだが、レイはその問いに間髪入れずに答えた。

 

「教師として、絶対に生徒を見捨てない責任感の強さ。正義感の強さと、後は面倒見が良い所。後、からかうと面白いし、変な所で純粋だし」

 

 話が不穏な方向に進み始めた事で僅かばかり不機嫌そうな表情を覗かせたが、それでも最後の言葉は、笑みを見せながら言う。

 

 

「それに、こんな俺を信じて、好きになってくれたから」

 

 

 からかう意図も、ましてや冗談でもなく言い放たれたその言葉が耳朶に届くと、サラはその状態のまま大きめのタオルで身を包んでそのまま逃走してしまった。

 普通のビーチならばその背を死に物狂いで追いかけるのだが、ここは自分達以外は誰もいないプライベートビーチ。急いで追う必要はない。

 それでも普段のレイならば普通に追いかけるのだが、今は、遅れてやって来た羞恥心に苛まれて、それどころではなかった。

 

「あー、クソ、最悪だ。黒歴史確定じゃねぇかよぉ……」

 

「いえいえ、とんでもございません。あのような情熱的な告白は、世の女性の夢ですわ。気落ちなされる事はありません」

 

「俺が恥ずかしいんだよ。俺が」

 

 いつの間にか会話に割り込んでいたシャロンにも動揺することなく、レイは眉を顰めながらも、赤らんだ頬を必死に隠そうとしていた。

 その様子が、見た目と相俟って逆に保護欲を掻き立ててしまい、しかしシャロンはそれでも声色を変えずに続けて来る。

 

「それでもレイ様は、思い付きで今の告白をなされたわけではないのでしょう?」

 

「……俺だってそこまで馬鹿じゃねぇよ。そう思ってるのは本当だし、思ってた事を口にしただけだ。……ま、混乱させたのは悪いと思ってるけどよ」

 

「お優しいのですね」

 

「三人とも愛したいなんて、そんな馬鹿げた事をしようとしてるんだ。これくらいは最低限出来なくちゃ、申し訳が立たん」

 

 なら、と。シャロンはホワイトブリムを取ってレイに近付き、その右腕を絡め取った。

 軽く押し付けられる柔らかい感触が一瞬で脳髄まで届き、しかし表情は出来る限り平静を装ったまま。

 

「私にもその愛を分けて下さいな。今でなくてもいいので、いつかサラ様に向けたものよりも情熱的に、愛を囁いて下さい」

 

 その艶めかしい声色とは裏腹に、絶対に逃がさないと言わんばかりの熱が、そこにはあった。

 メイドとしてではなく、ただの一人の女性としてのシャロンは、奥ゆかしさと多少の強引さという相反する行動を一度に取れる、ある意味一番男性の求める女性像を理解している存在だ。

 しかしその実、恋した男は目の前の少年一人だけ。しかし付き合いの長さで言えば、三人の中では一番長かった。

 

「……お前ってホント、反則級にこっちの弱点突いてきたりするよなぁ」

 

「褒め言葉として受け取っておきますね」

 

「褒めてんだよ。―――さて」

 

 レイは足回りについた砂を軽く払ってから、屈伸をして走る準備を整える。

 

「サラを追うぞ。あのままだとアイツ、迷いかねん」

 

「―――えぇ、そうですわね。ですが行き違いになられても困りますし、(わたくし)は此処で待っておりますわ」

 

「……あぁ、助かる」

 

 メイドの姿に戻り、微笑と共にそう言ったシャロンの提案に沿って、レイはサラが駆けて行った方向に走り出す。

 それを見送ってから、シャロンは頭上に乗せたホワイトブリムに手を添えながら、一つだけ呟いた。

 

 

「本当に―――罪深いお人」

 

 

 弱い潮風でも掻き消えてしまう程に、その言葉は小さく、そしてか細かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




や・ら・か・し・た。

逆に言えば此処でやらかさなければリィンのアイデンティティーなんかないよね‼(錯乱)


後、ノートPCを修理に出す事になるかもしれないので、更新が少し遅れるかもしれません。
先にお詫び申し上げます。




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サマー・バケーション Ⅲ

 
まず最初に、約一ヶ月ほど更新が滞ってしまった事を平に謝罪いたします。すみませんでした。

1月あたりにも少々更新が遅れた事がありましたが、事情としては似通ったようなものなのです。他作品の〆切が迫っていたり、個人的な用事が重なった上に風邪をひくという数え役満一歩手前のような事になってしまい、ご迷惑をおかけしました。

なにぶん少し間が空いてしまったもので、文章力が落ちたのでは? と思う方もいらっしゃるでしょうが、次回以降はカンを取り戻していきます。

今回はバケーション成分は薄めです。ご了承ください。






耳に届くのは緩やかな潮騒の音。朝日が昇り始めたばかりの早朝の海岸近くに、リィンは立っていた。

 

 何かがあったわけではない。休暇中は鍛練の事は忘れても構わないとレイから聞いていたのだが、それでも4ヶ月に渡って続いた習慣は、そう易々と忘れる事はできない。

あと1時間もすれば、いつも一緒に朝練を行う前衛組の面々も、習慣で目を覚ますだろう。そんな中でリィンが先駆けて起きてしまったのは、単に昨夜、早く寝付いてしまったというだけの事。

 

「(ホント、昨日俺は何をしたんだろうなぁ……)」

 

 半ば不可抗力とは言え、アリサの裸を見てしまい、彼女直々に容赦のない制裁を食らったリィン。

その制裁が余りにも容赦なさ過ぎたせいか、海まで吹っ飛ばされてユーシスとマキアスによって引き上げられたが、その前後の記憶がポッカリと抜け落ちていたのだ。

 目覚めたリィンが見たのは、心の底から同情するような視線を向ける仲間達と、申し訳なさそうな表情を浮かべて「ごめんなさい」と謝って来たアリサ。そして、親指を突き立てて「GJリィン。お前なら絶対やらかしてくれると思った」とサムズアップして来たレイだった。最後の言動に不覚にもイラッと来てしまったリィンを責められる者はいないだろう。

 

 

 ともあれ、思い出せないものは仕方ない。だが、昨夜の夕食時、アリサは気まずそうな顔をしてリィンとあまり視線を合わせようとしなかった。

そしてそれをそのまま放置するというのは、リィンの性格上無理な話だった。

 オリエンテーリングの時ほどではないが、このまま事を放置すればアリサとの関係が変な風にねじくれたまま続いてしまう。それは、到底好むところではなかった。

 

 ―――それが、”アリサに嫌われたくない”と思っている事と同義である事であると本質的に理解する事無く、それでもリィンは夕食の後にアリサに謝った。

 

 

「ごめん。俺はアリサに何をしてしまったのか覚えてない。でも、君にとって許せない事をしてしまったんだと思う。だから謝らせてくれ」

 

 

 その謝罪を受けたアリサは、顔を赤らめながらもその言葉を受け入れた。

 アリサとて、謹厳実直を地で行くリィンが本気で謝ろうとしてくれている事などは充分に理解していたし、何より相手は想い人だ。

裸を見られてしまった羞恥心など、彼の誠意の籠もった真摯な謝罪で簡単に打ち消してしまえる。

 

 結果、互いにひたすら謝り倒した後にどちらかともなく笑い出してしまい、仲直りは完了した。

 しかしアリサは昼に起きた事については何故か頑として語ろうとせず、リィンは夜寝付く際にも煩悶とした気持ちが拭えなかったのだが、原因不明の疲労のせいでぐっすりと眠ってしまい、今に至るのである。

 

 

 

「(思い出せない……というか思い出したら駄目な気がするなぁ)」

 

 そう思い至ると、リィンは息を吐き出して意識を切り替えた。ほぼ毎日のように理不尽な環境と普通の学生としての日常としての生活を送ってきたせいか、意識の切り替えの早さは既に堂に入ったものだった。

 立っているのは砂浜の上。それも、昨日のように裸足のままではなく、いつも使用している靴を履いた状態。服装も、スペアの学生服を身に纏っている。

腰に佩いた太刀の重さを実感しながら、リィンは自らの足元に意識を落とす。規則正しい呼吸を繰り返し、目を伏せる事十数秒。

 

「―――ふっ‼」

 

 靴底が砂浜を蹴る。それと同時に衝撃の余波を受けて砂が高く舞い上がると共に、その場所からリィンの姿は消えていた。

 

「ッ‼―――」

 

 しかし、数メートル先でリィンの体は前方に掛かる推進力に耐え切れず、つんのめってそのまま砂浜にダイブしてしまう。

幸いにして受け身は取れていたので顔面から飛び込むという事はなかったのだが、仰向けに転がって白んだ空を仰ぎながら、悔しさが滲んだ息が漏れる。

 

 リィンが行おうとしているのは、レイが修めている【八洲天刃流】の基本歩法術、【瞬刻】。

相手の意識の虚を突いて移動する武術の奥義の一つである”縮地”とは異なり、この歩法術は実際に神速の如き速さで動くことを使用者に求める技である。

その仕組みについては、以前レイに聞いた事があった。

 内部で自己強化を行う”氣”と、補助的な要素で外部から身体能力強化を行う魔力を体内で練り合わせ、そうして生じたエネルギーを足元に集中させる。

それを背後に向かって放出する事で爆発的な推進力を得、限定的にではあるが瞬間移動にも似た速さで移動する事が出来る―――というのが大元の理論であるらしい。

 

 尤も、レイはこれを師から直接聞いたわけではなく、天才的な技術を全て”なんとなく”で行使していた師の教え方に一抹どころではない不安を抱いたレイが、以前”とある人物”にこの歩法術を指南する際に編み出した理論であるらしい。

本来、剣術とそれに連なる技術は門外不出であるのが常なのだが、レイは「別にできる人間は放っておいてもできるから隠す必要はない」とあっけらかんと答えていた。

 

 ともあれ、リィンはこの歩法術を体得しようと数ヶ月前から試行錯誤を繰り返しているのだが、結果は御覧の通りであり、未だ体得には程遠い。

”氣”の力自体は八葉の修行の際に使い方を教えて貰っていた為、行使はそれ程難しくなかったのだが、これを魔力と練り合わせるというプロセスが思いの外困難だった。

その為、魔力内包量が群を抜いているエマとアーツの扱いに一番長けているユーシスに協力してもらって試行錯誤をする事約1ヶ月。漸くその段階には至る事ができた。だが、推進力の発動に成功した事に浮かれていたリィンに、すぐさま一番大きな問題が立ち塞がった。

 それは、制止だった。

 しかしながらそれは、少し頭を捻れば誰でも思いつくような問題点ではあった。

 

 瞬間移動にも匹敵する速度で移動する体を、どうやって制止させるのか。

レイは恐らく強靭な足腰と、前方にエネルギーを逆噴射することで制止しているのだろうが、そうした手順を踏んでいる事すら一見しては分からないほどに洗練されている。そこは、経験の歴然たる差だろう。

 特に【静の型・輪廻】を行う際の【瞬刻】での円形移動など、今のリィンには望むべくもなかった。

 目指す先はまだまだ遠いと実感し、悔しさ混じりに立ち上がると、いつの間にやら一人の人物が同じ砂浜に立っていて、慇懃に礼をした。

 

「おはようございます、リィン様。タオルをお持ちしました」

 

「あ、えっと、ありがとうございます。ウィスパーさん」

 

 片眼鏡(モノクル)を掛けた物腰柔らかな美形の執事は、そう言ってリィンに真新しいタオルと、コップに入った水を手渡す。

リィンはその好意に素直に甘えて水を飲み干してから、言葉を掛ける。

 

「いつから見てたんです?」

 

「リィン様が屋敷をお一人で出られる姿を拝見しまして、勝手かとは存じますがこうして着いて来た次第です。つまり、最初から拝見させていただきました」

 

 日の出すぐの海岸で頭から思いっきりダイブするという、何とも恥ずかしい姿を見られてしまった事に一つ溜息を漏らすが、ウィスパーはそれを笑うような事はせず、寧ろ感心したかのような言葉を返した。

 

「不躾である事は重々承知しておりますが、このウィスパー、感心致しました。失礼ながら、リィン様とレイ様が初めてお会いになられたのはトールズの入学式の時で?」

 

「えぇ、まぁ」

 

(わたくし)も一度、レイ様の歩法の妙技は体験しております故、武を嗜む末席としてあれがどれ程高度な技術であるか程度は把握しております。

それをリィン様は数ヶ月の、それも拝見する限りほぼ独学で発動まで成功なさるとは……感服いたしました」

 

 実際、それは凄い事ではあったのだ。

 魔力と氣という、相反するエネルギーを体内で循環させ、それを体の一部分に集中させて解き放つという行為は、実のところとても難易度が高い。

それは普通であれば数年がかりか、もしくは適性がない人間は一生かかっても修得できない技であり、それをたった数ヶ月で修得したリィンは、間違いなく天才の一人であると言える。

 ただそれも、実戦で使えるレベルまで昇華させなければ意味はない。制御ができないようでは、いざという時の逃走用としても不完全な技である。こんな不出来な状態でレイに経過を見せるのは沽券に関わる事でもあった。

 

「ありがとうございます。……でも今のままじゃ到底実戦では使えなくてですね。褒めていただくのはとても嬉しいんですけれど、自分の中では全然納得がいってないんですよ」

 

 リィンは、自身が完璧主義者であるとは一度たりとて思った事はなかったし、実際そうではないのだろう。

だからこそ、納得がいかないと思ったその感覚は、恐らく誰に見せても同意を得られると考えていた。特に同じ前衛組の面々に見せれば、今のこの技がどれだけ欠陥だらけかという事を容赦なく言ってくるに違いない。

 その事実を衒いながら伝えると、ウィスパーは数秒ほど何かを思案した後、リィンに提案をして来た。

 

「実戦で使える段階まで引き上げる、ですか。であれば実際に人と対峙して確かめてみるのが一番よろしいかと存じますが」

 

「これは俺の我儘ですしね。まぁちっぽけなモンですけど、一応Ⅶ組の総指揮とかやらせて貰ってる身の、矜持みたいなモノなんですよ」

 

 もしこの言葉がレイあたりの耳に入れば「んなちっぽけな矜持なんぞ用水路に捨てろ。プライドも何もかもかなぐり捨てて強くなんのがホンモノの強者だよ」などと説教されるのは目に見えているため、本人に言った事は一度だってない。

 リィン自身も、ガキ臭い意地を張っているというのは理解している。

だが、各々が自分なりの長所を伸ばして対抗しようと躍起になっている中で、自分一人だけが泣き言を言って諦めるわけにも行かない。

そうした、ある意味思春期の男子特有の意地を、ウィスパーは否定せず、間髪入れずに妙案を出して来た。

 

「では、僭越ながら(わたくし)がお相手を致しましょうか? レイ様には到底及ばない程度ではありますが、案山子相手に剣を振るよりかはマシかと」

 

 その提案は、リィンにとっては非常に魅力的であったし、実質その通りでもあった。

今まで意地を張って来たものの、確かに実践で使えなくては意味がない。自主練だけを重ねても、それは結果的に自己満足にしかならないのだから。

 

「じゃあ……よろしくお願いします」

 

 少なくとも、この人物が自分よりも強いのだという事を本能的に理解していたリィンは、数秒と掛からずに頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 結果的に、リィンは実戦の中でも【瞬刻】の制御をする事はできなかった。

 それはある意味当たり前の事であり、それについて特段悲観しているというわけではないものの、改めて自分の矮小さを理解してしまった今となっては、手放しで気にしないというわけにはいかなかった。

 

 ウィスパー・スチュワートという人物が執事としてだけではなく、武人としても強者であるという事は既に分かっていた。

しかし、実際に相対してみて実感したのは、”隙のない強者”という存在の手強さだった。

 

 彼が手にしていたのは、護手がついたサーベル。それ自体は特に珍しいものではないのだが、半身になって剣を構え、刺突と薙ぎ払いをタイムラグなく、それでいてこちらを上手く動かせないように絶妙なタイミングで繰り出してくるその手腕には、リィンも本来の目的を忘れて感服してしまった。

 剣士として必要な筋力、敏捷力、そして持久力という全てが高水準で上に、剣閃をコントロールする技巧力、そして駆け引きの上手さは、参考にすべきところがあり過ぎて動揺すらさせたほどだった。

 ただの”剣士”という括りで称するのならば、まさしく彼のような人物が頂点なのだろう。

そして、そういった”頂点”まで登り詰め、それでもまだ足りないと空に手を伸ばし、自分だけの世界に辿り着いてしまった。それこそが”達人”と呼ばれる存在なのだろう。

 ≪剣聖≫カシウス・ブライト、≪風の剣聖≫アリオス・マクレイン、≪光の剣匠≫ヴィクター・S・アルゼイド―――そして≪天剣≫レイ・クレイドル。

 奇しくもウィスパーという、”正しい”剣士と出会い、手合わせをした事で、リィンはその高みの偉大さに改めて気付かされた。

 

 しかし、と思う。

 反撃らしい反撃もできず、だが剣の鍛練としては充分過ぎる程の時間が過ぎた後、ウィスパーが呟くように言った言葉が、リィンの胸の奥に疑問となって胸の奥に残っていた。

 

 

『リィン様の伸びしろは素晴らしいと思います。ですのでどうか、(わたくし)のようなつまらない剣士(・・・・・・・)になられませぬよう。

及ばぬ先達として、せめてそれだけは言わせてくださいませ』

 

 

 伸びしろを褒めてくれたのは素直に嬉しいし、それを否定する気持ちもないのだが、”つまらない剣士”というフレーズにだけは疑問符を浮かべざるを得なかった。

 あれ程の無謬の腕前を持つ剣士の、一体どこがつまらないというのか。そんな事を悶々と考えて考えながら浜辺での遊びに参加したら、手痛いしっぺ返しを食らう事になった。

 

「イテテ……」

 

「大丈夫? ボーッとしてるからよ」

 

 そう心配してアリサが差し出してくれた氷嚢を受け取り、額に当てる。

出血をするような怪我には至らなかったが、それでも額は赤く染まってしまっており、傍から見ても痛々しく感じられる。

その原因となったのは―――

 

「良し‼ 行けっ、フィー‼」

 

「タイフーン―――スパイク」

 

「ごばぁっ⁉」

 

「あぁっ⁉ マキアス――――――‼」

 

「呆けているからだ、馬鹿が。ガイウス、とっとと運んで行け」

 

「了解した」

 

 目の前で繰り広げられている、見るも無惨―――否、苛烈なビーチバレーである。

 女子対男子というチーム分けで昼過ぎから行われたこのゲームは、しかし体格差をものともしないフィーとラウラという最強コンビに圧倒され、開幕から女子勢に優勢なゲーム運びが行われていた。

そんな中、エースアタッカーであったリィンが早々に被弾し、その介抱の為にアリサが抜けてからは、一方的な虐殺へと変貌し、そして今、また一人犠牲者が出てしまった。

 フィーの精度が高いスパイクに脳天を撃ち抜かれたマキアスがガイウスに抱えられて離脱する様子を眺めながら、リィンは苦笑した。

 

「元気だなー、あの二人。凄いイキイキしてる」

 

「いつの間にかあの二人で圧倒してるしね。―――でも」

 

 チラリと、アリサが視線を横に逸らす。

 

「こんな時に真っ先に煽って来そうなのが、あんな感じだしねぇ」

 

 その視線の先に居たのは、ビーチチェアに腰掛けて何をするでもなく呆けているレイだった。

 確かに、普段ならば劣勢の男子勢にからかい混じりの野次を飛ばしたり、フィーをさらに焚きつけたりくらいはするのだろうが、今に限っては普段漲っている生気すらも希薄になり、ただただボーッと空を見上げていた。

 様子が変だったのは朝からだった。普段とは明らかにテンションが違うレイに対してⅦ組の面々が色々と声を掛けたものの、「大丈夫だ」の一点張りでうまく躱してしまう。

それでも朝食や昼食は問題なく食べていたので、体調面では問題ないのだろうと当たりをつけた後は、あまり深く干渉しないでいた。

 彼とて人間だ。何となく気分が乗らない日もあるだろうし、そういう時は放っておけば自然と気力も回復してきていつもの彼に戻るだろうと、そう思っていた。

 しかし、一向に気分が回復するような兆しは見せない。それを心配に思っていると、レイの手に何かが握られているのが見て取れた。

 

「(―――ん? あれって……)」

 

 そこにあったのは、金属製のペンダント。

それは、リィンがレイと初めて出会った時に拾った物であり、以後レイの部屋を何度か訪れた時、いつも家具の上に大事そうに飾られていた物だった。

 今までも外出する時はポケットなどに入れて持ち歩いていたようだが、こうして皆の目が届く場所に晒しているのは、初めての事だった。

 

「―――あ、すみませんサラ教官」

 

「ん? 何、どうしたのリィン」

 

「その……レイって今日どうしたんですか?」

 

 ちょうど通りかかったサラにそう聞いてみると、苦々しいような表情を浮かべてから、レイの方を見る。

呆けたままの表情のレイを、彼女自身も気にかけているらしい。

 だがサラは、ゆっくりと首を横に振った。

 

「あの子のプライベートになるから詳しい事は言えないわ。でもこれだけは言っておくけど、今日は(・・・)レイにとって特別な日(・・・・・・・・・・)なのよ。ああしてるのは、それが原因」

 

「特別な、日?」

 

 リィンは更に問いを投げようとするが、サラはそのまま歩いて行ってしまった。

まるでこれ以上は本人から聞けと、そう言っているかのように。

 

「……どうするの? リィン」

 

「どうするって言ってもなぁ―――って、あれ?」

 

 答えに言い淀んでいると、不意に頭の上に雫が触れる感触を感じ取った。

 そのまま視線を上に向けてみると、いつの間にか太陽を遮って空を雲が占領し、それが雨を降らせていた。

幸い土砂降りというようなものでもなく、恐らくは通り雨のような類だろうが、それでも無視できるほどではない。

先程までビーチバレーをしていた面々も、次々とパラソルの中へと避難してくる。

 

「と、っと。まさかいきなり雨が降るなんて思わなかったなぁ」

 

「まぁ、長くは続かないだろう。夏にはよくある事だ」

 

「そうですね。30分か、長くても1時間程度でやむと思います」

 

 幸い、ウィスパーらが用意してくれたパラソルは大きく、全員を入れるのには充分な広さだった。

そうして全員がパラソルの中に集まったところで、レイが緩やかに背を起こして立ち上がる。その様子を見て、ほぼ条件反射のようにリィンの口から言葉が漏れて来た。

 

「レイ、本当に大丈夫か? 具合が悪い訳じゃなさそうってのは、もう分かったが……」

 

「ん。まぁ大丈夫だ。ただまぁ、今日一日は調子は戻らねぇかもなぁ」

 

 ややぶっきらぼう気味にそう言う彼の違和感を、そこにいる全員が理解していた。

 一挙手一投足に至るまで、彼の行動には独自の”色”がある。決して派手ではないものの、それをそもそも求めないと言わんばかりの澄んだ鈍色。

それは彼の闘気の色でもあり、それこそが、リィンが目指した在り方でもあった。

 だが、今はどうだ。

称するなら無色透明。覇気も闘気もなく、ともすれば抜け殻にも等しいような有様だ。

 無論、その程度で失望を抱くような薄情な人間ではない。それは、ここにいる全員が同じであり、誰もそれを咎める事はない。

 

 否、その言動には見覚えがあったのだ。

 リィンであれば、ユン・カーファイ老師に剣の修行を打ち切られた時だろうか。呆けてしまい、何をしようにも気力が伴わない状態。

彼にも、そんな状態になる時があるのかと思っていると、レイが手に握っていたペンダントを取りこぼし、シートの上に落とす。その衝撃で、中身が開く。

 

 そこにあったのは、一枚の写真だった。背の小さな少年と、雰囲気の似た女性が並んで立つそれは、今までレイが心を許した人間にしか見せてこなかった物だった。

何となく、視線がそれに吸い寄せられてしまうと、レイは苦笑しつつ、ペンダントをリィンに手渡す。

 

「ガキの頃の俺と、母う……お袋の写真だ。今はこれ一枚しか残ってないんでな」

 

 レイの母親である女性は、写真越しではあるがその美しさが見て取れた。

深窓の令嬢と言えば少しばかり言い過ぎだろうが、品のありそうな佇まいで、優しげな笑みを浮かべている黒髪の女性には、全員が一瞬魅入ってしまった。

そしてその隣には、幼い頃のレイの姿。今のように毛先だけが銀色になっておらず、母親と同じ僅かの曇りもない艶やかな黒髪の、利発そうな少年だった。

 

「なぁ、レイ」

 

 聞かせてくれないかと、そう聞く前に、レイはパラソルの下からしとしとと降る雨粒と雲を見上げて口を開いた。

 

「お袋が死んだ日なんだよ。お袋だけじゃない。俺が大切にしてた、一切合財何もかもが、たった数時間で全部持って行かれちまった日。―――あの日も、雨が降ってたなぁ」

 

 

 夏の通り雨の下で語られたのは、若き身で達人の領域まで至った少年の”起源”。

 

 他ならない”レイ・クレイドル”という人物が背負った贖罪の原点だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






次回はシリアスです。
”レイ・クレイドル”が形作られた始まり、とでも言いましょうか。
とにかく、重要な話になる予定です。タイトルも一回だけ変わります。


次回―――『Rebirth day』。



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Rebirth day




「誕生日ってのはさ、生まれてきたことを祝福し、生んでくれたことに感謝し、今日まで生きてこられたことを確認する―――そんな日なんじゃないか?」
    by 衛宮士郎(プリズマイリヤ2wei!)


「生まれてきたこと、今日まで生きてこられたこと、イリヤに会えたこと、みんなに会えたこと、士郎さんに会えたこと、その全てに―――感謝します。……ありがとう」
    by 美遊・エーデルフェルト(プリズマイリヤ2wei!)








 

 

 

 

 

 

 

 ―――その少年は、所謂”普通の子供”とは、その出自からして異なっていた。

 

 とはいえ、”高貴な生まれ”かどうかと問われれば、疑問符がつく。彼が生まれたのは都会から遠く離れた辺鄙な村。貴族や富豪などといった人間の生まれとは程遠い。

 ただそれでも、その遺伝子と血に刻まれた紛う事なき濃縮された才覚は、確かに少年の中に受け継がれていたのだ。

 

 

 母型の一族の経歴は、ざっと遡っただけでも千年単位の歴史を持つ名家である。

 古来からこの世ならざる”魔”に立ち向かい、時に祓い、時に封じて来た封魔術師の名門、<天城(アマギ)家>。ゼムリア大陸より遥か東に位置する島国を起源とするその一族の凋落が始まったのは、僅か百年ほど前の時だった。

 天城(アマギ)の術師が得手として来たのは、大掛かりな儀式呪術による殲滅戦。しかし、魔法という個人の魔力のみで才能と研鑽の如何によってはそれにも匹敵する技術が流入して以降は、古来から受け継がれて来たその術も無用とする風潮が起こり始め、結果的に天城(アマギ)一族は没落し、祖国を追われる事となった。

 

 一門の人間は散り散りになり、ある者は北方へ、ある者は南方へ、またある者は更に東へと落ち延びる。

元より長い歴史の中で多くの分家が存在するようになった一族である。一枚岩とは言い難く、当主の発言力も地に落ちたとなっては、従う者などいる筈もない。

 その中で、本家に残った数十人の者達は、西のゼムリア大陸に渡る事となった。

 一族を没落させた原因となった”魔法”。その起源の地ともなれば、頭の固い(おきな)達は蛇蝎の如く大陸そのものを嫌ったが、結果としてその怨嗟が、皮肉にも一族の血を濃くする事に繋がったのだ。

 

 この頃に新しく建国されたカルバード共和国は、東方よりの移民を数多く受け入れていたが、彼らはそれに迎合しようとはしなかった。

 その腹の中に渦巻いていたのは、千年という月日を経て溜まりに溜まった妄執という名の偏執癖。没落という憂き目にあってもなお、優生学的な手段に訴えてまでより才覚のある者を生み出し、そしていつの日か一族を貶めた者達に復讐という名の鉄槌を下し、再び祖国に凱旋する時が来るものと―――本気で思っていたのだ。

 

 

 そして、それを良しとしなかったのが少年の母、サクヤ・アマギだった。

 元々祖国の地を知らず、ゼムリア大陸の中で生を受けた彼女は、そもそも一族の悲願などには毛程も興味は抱かなかった。生まれ落ちたその時から一族の者達に天城(アマギ)が誇る封魔術、≪天道流(てんどうりゅう)≫の指南を受け、しかし彼女自身がそれを行使できるほどの呪力を身に宿していないと分かった瞬間から、彼女は”次代の天城(アマギ)の子を産み落とす胎盤”以外の価値を抱かれず、そのまま時が過ぎて行った。

 

 そんな彼女が、一族の放浪先で出会った一人の武芸者と恋に落ち、駆け落ちをした時は、残された者達が憤死もかくやという形相を見せたのは言うまでもない。

 しかし、サクヤには如何なる未練も存在しなかった。一族がかつて誇った栄華も、衰退した後の怨嗟も、彼女にとっては人間の醜い感情を凝縮した価値無きモノでしかなかった。

 一族の束縛という檻の中から自らの足で逃げ出した、その思い切りの良さと古きに執着しない性格は、確かに彼の母親であると、知っている者ならば口を揃えて言った事だろう。

 

 

 そうして月日が流れ、夫婦となった二人の間に子供が生まれる事となった。

 果たして、”子供を産み落とす胎盤としてはそれなりに優秀だろう”という一族の翁達が告げた下種な評価は、確かに当たってしまっていた。

サクヤは生まれ落ちた我が子の体に触れた瞬間に、その体に存在する才覚を感じ取ってしまった。皮肉な事に、一族の呪縛より逃れた先で身籠った子供が、これ程までに濃密な呪力を身に蓄えて生まれるなど思いもしなかった。

 が、それ程までに強大な力を宿して生まれて来た子供を見てもなお、父母共に注ぐ愛情には一片の曇りもなかった。

 この子には呪術や暴力のしがらみに囚われない、自由な人生を謳歌して欲しい。自分の半生が成し遂げる事ができなかった生き方を存分に楽しんでほしいと、そう心の底から願っていたのである。

 

 ”妄執の家系とは無縁の、新しい生き方をして欲しい”、”誰かの道標となる、そんな大人になって欲しい”―――夫婦が望んだのは、”零”と”光”という、在り方だった。

 それを踏まえて、その子供につけられた名は、『レイ』。

 

 レイ・アマギという少年は、此の世に祝福を受けて生まれた―――筈だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カルバード共和国東部辺境、クァルナ村。

 幼少の頃のレイは、そこで満たされた人生を送っていた。

 

 とはいえ、村が金銭的、物的に富んでいたわけではない。牧畜や農業に励み、数十人の村人が肩を寄せ合って平和に生きている、そんなどこでもあるような質素な生活であったが、何の不満も抱かなかった。

 

 

「よぅレイ。お前またジークのトコの牛に追いかけられたんだってな‼ 不幸だよなぁ」

 

「ま、どうせまた度胸試しとか言ってミレイ達と一緒に石でも投げたんだろ? 自業自得だよ」

 

「うるさいなぁ。逃げきれたんだからいいじゃないか」

 

 舗装もされていない道路を歩けば、もうほとんど親戚のような大人たちが親しげに声を掛けて来る。

 村での生活はとりわけ刺激的なわけではない。人口が少ないために必然的に同年代の子供の数も少なかったが、その分仲良くつるんで、時に大人たちの手伝いをし、時に暇つぶしに悪戯を仕掛け、時に近くの林の中に入って秘密基地の中で時間を潰したりしていた。

 

 そしてその日も、怒り狂って迫り来る牛との鬼ごっこという中々ハードな遊びを終えて帰路に着いていた。

夕日を眺めながら凸凹とした道を歩き、漸く家へと戻る。さして小さくも、かといって大きくもない家の玄関を開けると、そこにはいつも通り変わらない、母の姿があった。

 

「あら、レイ。お帰りなさい」

 

 サクヤ・アマギ。レイの母親であり、この村では薬師として働いている女性だった。

 しかし、出迎えてくれるのは母親のみ。父親は、そもそもこの家にはいない。否、此の世にすら存在していなかった。

 物心つく前に実の父親が事故で死んだのだと、その事実を聞かされたのはそう昔の事ではない。

無論、子供心ながらに動揺はしたものだが、そもそも会った事もない父親だ。サクヤの話によれば一流の武芸者で、格好良くて素敵な男性だったと、惚気交じりに聞かされた。

親の片方がいないという実感は、当初は湧かなかった。しかし、他の同世代の子供達が父母の待っている家へと帰る姿を見て行く内に、何となく理解はできた。胸の内に仄かに宿る寂寥感も含めて、会いたいと思う事もしばしばあったが、それが叶わないという事もまた、理解できてしまっていた。

 

 昔から聡い子だと、レイはそう言われて育って来た。

 所謂”何もしなくてもできる”というようなタイプの天才ではなく、”呑み込みが以上に速い”というタイプの秀才だった。

母親が生業としている薬師の調合の過程も、見ている内に覚えてしまっていたり、大人達の手伝いをしている時も、数日も同じ作業をしていれば本業さながらの手際で仕事を進める事もできた。

 そんな才覚を持っていた彼が、しかし童心を失わずに”ただの子供”として過ごす事ができていたのは、他でもない、母親であるサクヤのお蔭であった。

 

「ロレーヌさんから聞いたわよ? 今日も悪戯して来たのね?」

 

「う……ま、まぁそうだけど、ちゃんと謝って来たよ」

 

 普段から優しげな表情を崩さないサクヤは、実際怒ったところで怖くはないのだが、その諭すような口調で問い詰められると何故か素直に自白してしまう。

 夕食用の皿を並べていた母の作業を手伝いながら、一日の事を話す。それがレイの日常だった。

 

 いずれは自分も、母親の薬師という職業を継いでこの村と共に生きて行くのだと、そう信じて疑わなかった。

安穏とした暮らしと温かい人たちに囲まれながら生を全うするものだとばかり考える事が出来ていたのも、彼の精神が早熟であったゆえだろう。普通ならば、5歳になったばかりの子供が、ここまで明確に自分の将来を客観視できるものではない。

 だが、それを決定するにあたって、サクヤはいつも(かぶり)を振っていた。

 将来を決めるのはまだ早い。じっくりと考えて、それでもあなたが職を継ぎたいというのなら歓迎するわと、常々そう言っていたのだ。

 

 その言葉が意味するところまでは理解が及ばず、夕食後の皿の片づけを手伝っていると、ふと、家の一角に置かれた写真立てが目に入る。

そこにあったのは、妊婦であった頃のサクヤと、その隣に立ってサクヤの肩に手を乗せた長身の男性の写真。二人共が満面の笑みを浮かべており、幸せそうなのが写真越しにも伝わってくる。

 その男性こそが、レイの父親であるのだという事は、今まで何度も母から惚気話と共に言い聞かされて来た。

しかし、ふと湧き上がって来た疑問を、レイはサクヤに聞いてしまう。

 

「ねぇ、母上」

 

「? どうしたの?」

 

「父上が強かったっていうのは聞いたけれど、どれくらい強かったの?」

 

 幾ら精神が早熟だからと言って、それでも実際は5歳の少年に他ならない。

”強さ”という言葉には歳相応に興味があったし、そして母のみならず、村人やたまに村を訪れる日曜学校の神父や商人に至るまで称賛する亡き父の武勇というものにも、少なからずの興味を抱いていた。

 するとサクヤは、少しばかり考える仕草をしてから、「そうねぇ……」と呟く。

 

「本当に、強かったわ。私は武術に関しては素人だから上手く言葉には出来ないけれど、それでも、あの人が本当に強かったことはしっかり覚えてるの。私を連れだして、護ってくれて、そんな人だから、好きになっちゃったのね」

 

 普段であれば、そこからとめどない惚気へと移るのがいつものパターンではあったのだが、何故かその時に限っては話が脱線する事はなかった。

まるで息子に人生の選択を言い聞かせるように、優しい声色はそのままに、厳かな口調で告げる。

 

「でもね、あの人の強さはそれよりも、”護る”っていう意思の強さだったと思うの。いつも、あなたに言っているみたいな、ね」

 

「『大切だと思う人、失くしたくないと思う人を護るために戦う。弱くても、諦めなければ願いは叶うから』―――だっけ? 何度も聞かせてくれたよね」

 

「えぇ」

 

 父が護りたかったのは、目の前の母。しかし、護るはずの父は、もういない。

 だから、母は自分が護らなくてはならないと、子供ながらに誓っていた。いつか母が手放しで褒める父のように強くなって護るのだと、歳相応にそう思っていたのだ。

 だがそれを、本人の眼前で宣言するのは躊躇われた。芽生え始めたばかりの男の矜持というものだった。それを知られたところで、恐らく彼を笑う者はいまい。同性ならば、誰しも同調する事だろう。

 

 ―――よしんばそれを口にしたところで、結局それは子供が抱く程度のモノでしかないのだが。

 

「ねぇ、母上」

 

「なぁに?」

 

 その先を言おうとしたのだが、やはり喉からつっかえて出てこない。

気恥ずかしさが勝ってしまい、結局言えなかった彼の様子を、しかしサクヤは優しい目で眺めていた。

 

 

「レイにもいつか出来ると良いわね。本当に、絶対にどんな事があっても護りたいって想う人が」

 

 

 それは、母が息子に贈る最上級の願いであった。

 そんな、優し気に微笑む母親の姿に憧れ、その愛情にしばらくは浸っていたいと考えるのは無理からぬ事だった。

 窓より差し込む夕日の光が、そんな感情に染まっていたレイの意識をふっと戻す。歳相応に母親に甘えるのは特に珍しくもない事だが、それでもどこか親離れしたいとも思う複雑な年頃だ。

 でもせめて、せめて自分が強くなれるまでは、と。子供らしい言い訳を免罪符にして、母の願いを、心の中で反芻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 曇天の空の下、降りやまない雨が剥き出しの土を穿つ音は、今は無惨にも掻き消えてしまっている。

 

 地獄の景観をこの世に顕現させるというのなら、きっと今の村の惨状こそがそれなのだろう。生きとし生ける生命を、一つ残らず根絶やしにせんと、異形の魔獣が徘徊する。

 家屋には入念に火が放たれ、生きたままに炙られて死んだ人間の方が、まだヒトとして幸せな終わり方をするという矛盾。

 漆黒の煙を吸い込み、朦朧とした意識を手放して息絶えた者と、慟哭と希う声をあらん限りに叫びながら、魔獣に蹂躙され、思わず耳を塞ぎたくなる音を響かせながら食い散らかされる者―――どちらが幸せかなど、本来であれば決して問うてはならない選択だった。

 

 昨日まで共に悪戯を仕掛け、野山を駆け回って遊び、将来の夢について朗らかに言い合っていた同年代の子供達も、日々の仕事に精を出していた男達も、家を守り、子と夫を待っていた女達も。

 老若男女、村に住まう全ての者達が、虐殺の憂き目に遭っている。顔見知りであった者達が、物言わぬ骸に成り果て、或いは魔獣の餌として爪で、牙で嬲られ続けている。

 

 

 ―――何で?

 

 ―――どうして?

 

 

 そんな、取り留めのない疑問だけがレイの頭の中を駆け巡る。

 

 

 全ては、夜明け前から始まった惨劇。しとしとと降り注ぐ雨の下、理不尽な虐殺は音もなく開始された。

 村に攻撃を仕掛けたのは、漆黒のローブに身を包んだ不気味な一団と、それらに率いられた異形の魔獣達。

性別も年齢も区別する事無く、まるで狂気に駆り立てられた暴徒の如く、村人達に襲い掛かったのだ。

 

 泣き叫ぶ声と、家屋が燃える音、そして魔獣の咢から聞こえる咀嚼音。

 それら全てが、悪夢なのだと意識を手放そうとするレイを、現実に繋ぎとめて離さなかった。

 

 

 

 

 

「ごめんね、レイ。私の―――ううん。私達の愛しい子。本当は、あなたにこの”術”を授ける気はなかったんだけど……」

 

 

 レイの額に指を当て、長い呪文を紡ぎ始めた母の声は、どこか別のモノのように感じられた。

昨日までは陽だまりのような声を掛けてくれたのに、今は切羽詰まった声色で、自分に”何か”を託そうとしている。

それは、サクヤ・アマギという女性が今わの際に遺す形見のようなモノだと、それを本能的に理解してしまった時は感情の爆発を抑える事ができなかった。

 

 しかし、それを声に出す前に、淡い光が視界を包む。それと同時に、”知識”が頭の中に流れ込んできた。

それの意味までは理解できない。頭の中に靄がかかってしまったような感覚を覚えると、サクヤはレイをしっかりと抱きしめてから、額に軽くキスをした。

 

 

「これから先、あなたは厳しい人生を生きる事になるわ。だから、”それ”を私の形見代わりに持って行って頂戴」

 

「なに…………を―――」

 

「ごめんね。本当にごめんなさい。―――あなたには”こんな世界”とは無縁でいて欲しいって願ってたのに、本当に運命っていうのは残酷ね」

 

 母の言っている事が、理解できない。

 何で謝るんだ。どうして泣きそうな顔で、枯らした声で僕に最期の言葉(・・・・・)を掛けるんだと、様々な疑問が浮かんでは消えて行く。

 恐らく、問うたところで答えてはくれないだろうと言う事は分かってしまっていた。そうでなくては、この優しい母が真摯な声でまくし立てるように伝えてくるわけがない。

 

「母上、僕は……」

 

「うん。レイ、あなたは強くて、賢い子よ。愛しくて自慢の子供。

だから、あなたならきっと大切な人を護る事ができるわ。だって、私とあの人の子供なんだもの」

 

 違う。護りたい人は目の前にいるのだ。

いなくなってしまった父の代わりに護らなければならないと、そう想っていた母親(ヒト)は、しかしその直後レイを突き放した。

 

「え?―――」

 

 家の中現れたのは、壁を突き破ってきた化け物の腕。

 大木もかくやと言わんばかりに太い腕はそのままサクヤを掴み、そのまま万力の如き力で締め上げる。

 苦しむ声を押し殺す母の姿を見てレイは一瞬竦んだものの、それでも勇敢に立ち向かう。

 しかし、飛んで来た木材の欠片を片手に突進しようとして、化け物のもう一本の腕が家屋を薙ぎ払った衝撃であえなく吹き飛ばされてしまう。

何度か地面を跳ねて再びサクヤの方に視線を向けると、彼女は苦痛に顔を歪めながらも、しかし気丈に声は挙げていない。

身の丈は優に7アージュに届こうかという巨大な異形の化け物は、剥き出しになった歯の隙間から穢れた吐息を吐き出して大口を開ける。

 だが、そんな様子を見ても、サクヤは口の端から血を垂らし、一筋の涙を流しながらも―――息子に対して薄い笑みを向ける。

 

 手を伸ばす―――届かない。

 声を出す―――止まらない。

 

 そうしてレイが無力に打ちひしがれている間に、化け物は何の呵責もなくサクヤを放る。

その先にあるのは、凶悪な未来が待っている化け物の口腔。そこに至る直前、サクヤは確かに遺言を呟いた。

 その言葉は降りしきる雨音にも、魔獣の咆哮にも掻き消される事なく、レイの耳朶に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――さようなら。私は、あなたの母親で幸せだった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グシャリ、という音が響き、頬に飛び散った鮮血が塗りたくられる。

 

 その血が、昨日まで自分に優しい笑みを向け、情愛を持って育ててくれていた母のモノであるという現実を、その場で理解する事はできなかった。

 涙すらも流せない。雨が無慈悲に飛び散った血を洗い流している間、レイはただ茫然と母親であったモノをじっと見つめていた。

 

 

 

「―――いたぞ。アレが目標だな」

 

「こちら捜索隊。”被験者”候補を確認した。これより連行する」

 

 呆然自失となっていたレイには、背後から聞こえるそんな声も聞こえはしなかった。

 最終的に、至近距離から殴打の一撃を受けて意識を手放す瞬間まで、レイ・アマギという少年は、目の前で起きた惨劇の全てがどこか夢現のように感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――《D∴G教団》という組織がある。

 

 

 七耀歴1198年、遊撃士カシウス・ブライト総指揮の下、各国の軍隊、治安維持組織、遊撃士らが団結し、西ゼムリア大陸に存在した各地の”ロッジ”を襲撃した制圧作戦で事実上壊滅状態に陥るまで、かの組織は史上最悪の犯罪組織として恐れられていた。

 

 表向きは、七耀教会の教義と真っ向から対立する悪魔崇拝組織の一つであり、複数あるカルト教団の一つとしてしか認識されていなかったのだが、その組織が大陸各地で子供を拉致し、悪魔崇拝の贄としているという噂が立ち上ってからは、教会陣営も腰を上げて調査に乗り出した。

 その結果分かったのは、彼らの”悪魔信仰”はただの体の良い理由でしかなく、彼らの目的は『空の女神(エイドス)』の否定という、それだけに特化していたのだ。

 

 女神という存在は、七耀教会が権勢を誇るために用意した体の良い虚像でしかなく、教義を広め、衆愚を率いる者達を忌々しい異端と断じ、終ぞそれを理解する事がなかった者達が長い長い探求の果てに”真の神”と崇める存在を見つけ出し、それを現在まで崇拝し続けていた―――というのが、彼らの間に伝わって来た教団の歴史であった。

 よもやその教団そのものが、とある錬金術師の一族(・・・・・・・・・・)が創り出した人造人間(ホムンクルス)を匿う隠れ蓑として作り出され、利用され続けていた傀儡でしかなかったのだとは理解していなかっただろう。

 

 

 

 ともあれ、制圧作戦が行われるまでは、彼らは各地で年端もいかない子供達を拉致してきては、≪D≫へと力を供給するためのエネルギー源として利用するために、様々な外道行為に手を染めていた。

 

 約500年前の成立時から進められていた、服用者の精神感応力を引き上げ、≪D≫へと叡智を供給する薬物≪グノーシス≫。

 その投与実験を行い、幾度も改良を重ねる中でどれ程の幼い子供の命が失われたかなど、想像に難くない。

しかしそれすらも教団の人間にしてみれば”野望の成就の為の必要な犠牲”でしかなく、寧ろその犠牲は月日を重ねる毎に着実に増えて行った。

 真なる神である≪D≫の復活という待望を成就させる為ならば、如何なる犠牲も厭わない、ヒトの理を完全に逸脱した組織。

 

 

 

 

 

 

 ―――掻い摘んで言えば、クァルナ村を殲滅し、レイを拉致した組織は、そういう人間が集う場所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗く、湿気を多分に含んだ(おぞ)ましい空気が頬を撫でる。

 

 もはやその不快さにも慣れたものだったが、それでもやはり納得はしない。

この場所に連行されてどれだけの月日が経ったのかすらも今では忘れかけてしまっているが、ここが限りなく地獄に近しい場所であるという事は、骨の髄まで理解させられていた。

 

 一日が始まり、朝になれば見知らぬ大人達が自分と、自分以外の子供達を牢の外に出し、”実験”が始まる。

 頭部を中心に全身に電極が張り付けられ、ありとあらゆる調査が行われる。その際に研究員たちの会話に耳を傾けてみると、自分達が何をされているのかという事について、凡その理解を得る事ができた。

 

 

 ≪グノーシス≫という薬剤を投与するにあたっての適合実験。つまるところはそんな”処置”をされているのだ。

 大半は無作為に拉致して来た子供たちの中から、その薬剤の投与と、その後に起こる拒否反応に耐えうるだけの適格を有する者のふるい分け。それに選ばれなければ容赦なく”廃棄処分”である。

実際レイは、その烙印を押された子供たちが別室へと連行され、そして二度と戻ってこなかった現場に出くわした事がある。

 

 よしんば薬剤の投与と副作用に打ち勝つ事ができたとしても、その先にも絶望が待っている。

 精神感応力が増幅された事で、未だ未成熟である幼少期の人間の脳が、多種多様な”変貌”を遂げるのがこの薬剤の効能の一つとも言える。

 五感の強化、動物的な本能が呼び起こされるという事例は珍しくなく、時には脳内演算機能が著しい進化を遂げたり、魔力の流れを広範囲で知覚できるようになったりという例もあったらしいのだが、流石にそこまではレイは知らなかった。

 そんな、研究員たちの野望の慰み者になっている子供達を横目に見ながら、今日もレイは苛立ちの声をぶつけられる。

 

 

「クソッ、まただ‼ どうして≪グノーシス≫が神経に影響を及ぼさない‼」

 

「神経だけじゃあないぞ。薬剤が体内に侵入した瞬間からすさまじい勢いで分解が始まってる……チッ、噂には聞いていたがここまでとはな」

 

「”呪術師”の正当な一族の末裔か……厄介だな。より高濃度の≪グノーシス≫を投与したところで変わらんだろう」

 

 人間としての名で呼ばれず、被験体としての番号でしか呼ばれないというような、ヒト以下の扱いを受けるこの場所では、子供達からの疑問に耳を傾ける者はいない。故に、自らの頭で考え、答えに到達しなければならなかった。

 そもそもが早熟であったレイの精神と頭脳は、被験体として体を弄られ、正体不明の薬剤を注入された事で奇しくもその成長度合いに拍車を掛けていた。

 

 自身が”呪術師”の一族の末裔である事。そして、正当な末裔に備わっている高水準の対魔力と外部からの薬剤に対する抵抗力が自分にも受け継がれている事。

 そして何より―――この大人達が”レイ・アマギという稀有な被験体(サンプル)を得たいが為にクァルナ村を襲撃した”という事実を、知ってしまった。

 

 それを知った瞬間、良くも悪くもレイの心は砕かれた。

 自分という存在が居なければ、少なくともあの村が襲われ、住民が命を落とす事はなかった。ヒトの尊厳を最底辺にまで貶めるような虐殺の憂き目に遭う事もなく、穏やかな日々を過ごせる筈だったのだ。

 そうしてレイは、自分という存在そのものを忌避するようになるのと同時に、己の無力感に再び苛まれる事となった。

 

 自分が弱くなければ、強ければあんな事にはならなかった筈だ。少なくとも、母の命一つくらいは救い上げる事ができたはず。

 しかしそれも後の祭りである。研究者たちの声を聞く限り、自分は≪グノーシス≫とやらの効能を受け付けない”不適格者”。ならばいっそ、今まで見送って来た子供達と同じように殺してくれと、半ば希うようにそう思っていた。

 だが事態は、レイにとって望まぬ方向へと転がり続けて行く。

 

 

「……待て、これ程の耐性と耐久力があるのなら、”アレ”を受け入れられるのではないか?」

 

「なっ……正気か⁉ ”アレ”は残滓とはいえ≪D≫の神格が宿った聖遺物だぞ‼ ただの呪術師ごときが受け入れられるわけ……」

 

「だが、我らの悲願の到達地点の一つである事には変わりあるまい」

 

 白熱し始めた議論の内容も、レイにはどうでも良かった。

 元より、現実を受け入れて理解したところで、結局は逃れられない地獄の渦中にいる事は変わらない。

どうしようもない無力感に苛まれていたレイにとって、これからの自分の運命がどうなろうかなど、どうでもいい事だった。

 

 実験が終わると、再び薄暗い収容所に押し込められる。

 食事は一応出されるが、生きて行く上で必要最低限の栄養を摂取する程度の物でしかない。母が作ってくれていた料理などとは、比べるにも値しない物だった。

それも、ある意味では当然だ。所詮使い捨ての実験材料でしかない自分達を庇護したところで、彼らの益になる事は何もない。

 干乾びかけている固いパンと薄いスープを腹に収めて以降は、石が剥き出しの壁に寄りかかって何をするでもなくじっとしているのが、レイの日常だった。

 

 連行された当時は、この広さだけはある収容所に多くの子供達が押し込められていた。

 ありとあらゆる負の感情が渦巻き、そして果てる場所。しかし随分と騒がしかったその子らも一人また一人と減って行き、今ではただ一人のすすり泣きが聞こえるのみだ。

 

 レイとは対角線上の部屋の隅で泣いていたのは、自分と同じ年頃の少女だった。

同じ時期に連行されて来たその少女は、この場所に居る時はいつも泣いていた。それを煩わしいと思う程レイの心は冷めきっておらず、さりとてわざわざ声を掛ける程余裕があったわけではないので放置を決め込んでいたのだが、新しい実験が身に施される日が近い今となっては、彼の心中に少しばかりの変化が現れていた。

 

「……君は、いつも泣いてるね」

 

「……え?」

 

 声を掛けられたその少女も、狼狽えたような瞳でレイを見上げた。

それもそうだろう。今まで全く反応を示さなかった同年代の男子が今日に限って話しかけて来たとあっては、警戒するのも当然だ。

それが理解できたからこそ、レイは少女とすこし距離を置いた場所に腰を下ろし、何の意味もない、ただの会話を続ける。

 どこから来たの? などという事も聞かない。聞けば彼女の心を更に傷つけてしまうだけだろう。既に壊れてしまっているような、自分のような人間になら何も問題はないのだろうが。

 

「……あなたは、どうして泣かないの?」

 

 すると、少女の口からそんな言葉が漏れて来た。

 泣かない理由、否、泣けない理由など、そんなものは分かり切っている。

だからこそレイは、きっぱりと切り捨てるように一言で表した。

 

「僕には、そんな資格ないから」

 

 大勢の人の命が喪われた中で生き残ってしまった命。それならばまだ救いようがある。

だが、自分というちっぽけな命の為に他の命が潰されたとあっては、罪悪感を覚えるなという方が無理な話だ。

 喪われた命を悼んで涙を流す事も、自分の無力さに打ちひしがられて涙を流す事も、今のレイにはできない。

 それを行う、資格すらないのだから。

 

「ねぇ、君は生きたいと思う?」

 

 その問いかけに、少女は頷く。

 きっと、その想いは真摯なのだろう。もしくは、待ってくれている親がいるのかもしれない。

 

 そんな純真な想いさえ、今のレイには痛ましく見えてしまう。

 その感覚がまた、彼の良心を深く深く穿っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから何日かが過ぎた日、レイは拘束具が設けられたベッドの上に横たわっていた。

 いつもとは違うその準備に、ついに来るべき時が来たのかとレイは悟る。

自分を囲む研究員の数も段違いに多い。そして数時間が経過した頃、周囲の研究員とは違う、色鮮やかな服装をした壮年の男が、レイの顔を覗き込んだ。

 

「被験体No.0001272君、聞こえているかね」

 

 相変わらずの番号読みではあるが、嫌悪感などとうにどこかに捨てられている。一つ頷くと、その男は満足そうな笑みを見せた。

 

「そうか。それは重畳。

 さて、君は今から我らの悲願の立役者となるのだ。愚かしい女神を崇める者共に、≪D≫こそが真の神である事を知らしめる瞬間‼

喜びたまえ。君は今、歴史の分岐点に立っているのだから」

 

 その思想も、その野望も、全く以て興味がなかった。

 確実なのは”そこ”に至るためだけに、数多の子供達の命が犠牲になったという事。

”神”などという存在そのものが朧げなモノに捧げるためだけに、家畜を屠殺するかの如く命を浪費して来たという事。

 そう達観していたレイの眼前に、彼らの”悲願”とやらを成すソレが突き出される。

 

「我らが崇め奉る≪D≫の残滓。ヒトの身でこれを受け入れられるというのは大変名誉な事だ。久遠の時の果てに、やっと我らは君という特異点に出会えたのだ。

これも全て、≪D≫の思し召しだろう」

 

 ソレは、不可思議な文様が刻まれた翡翠色の宝石だった。

 否、それがただ美しいだけの宝石ではない事は何故か理解できてしまう。濃密に渦巻く魔力と霊力(マナ)と、そして何より澱んだ”神力”。

 決して、ヒトが受け入れて良いモノではない。だが、そんな配慮をこの狂気に満ちた者達が受け入れる筈もなく、施術は速やかに執行された。

 

 

 

「あ…………あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”―――――――――――――――ッ‼‼‼」

 

 

 麻酔は効かない。故に痛覚は遮断されず、左の眼球が抉り取られる際の激痛も、出血の感覚も、残らず鋭敏となった脳を介して全身へと運ばれる。

 絶叫を挙げるしかなかった。暴れようにも四肢は完全に固定されており、もがく事しかできないという状況。

 しかしその直接的な激痛は、この施術の真の目的の前座でしかなかったのだ。

 

 空洞となった眼窩に新たに入り込んできたのは、翡翠色の遺物。

 凡そ眼球の代替としては相応しくないソレは、しかしレイの体の一部と同化した瞬間に、”左目の一部”としての機能を十全に発揮する。

 ―――しかしながらそれは、レイにとっては幸福な事ではなかった。

 

 

「ぐ―――ぐあああああああああああああああああ―――――ッ‼ あ”……がぐぁぁああああッ‼ がふぁああああああああああッ‼‼‼」

 

 

 流れ込んできたのは、直接的な痛覚ではなく、膨大過ぎる”情報”。

 左目の視界に映った森羅万象のみならず、身に覚えがない”記憶”まで、レイ・アマギという少年の脳の隅々まで侵し抜いて行く。

 それはまるで、小さな水たまりに洪水の泥水を流し込んだようなものだった。常人ならば、1秒と経たずに廃人となる事はまず確定だ。”コレ”は、只人が受けて良い恩恵の範疇をとうに超えてしまっている。

 

 それでもレイが意識を、自我を保っていられたのは、本当に数奇な運命としか言いようがない。

まさしく”適格者”として破格の適合率を有していたのか、或いは不憫なこの子供に聖遺物が慈悲を掛けようとしたのかは定かではない。

 ―――だが、結果として彼は生き残った。生き残ってしまった(・・・・・・・・・)

 

 

「(あぁ……)」

 

 時間にして凡そ数時間にも及んだ拒絶反応の山場を越えて、レイは己の虚しさを噛み締める。

 狂喜乱舞する研究員たちの喧騒など一切耳には届かず、未だ翡翠の色を通して示される情報の奔流が脳を締め付け続けているが、それすらも眼中にない。

 彼らは知らないだろう。捨て駒のように扱い、見事成果を出したと思われるその少年が、聖遺物に内包されていた思念に接続し、誰よりも早く≪D≫の真相に到達したなどという事を。

 

「(下らない……)」

 

 そう。所詮はただの下らない物語(・・・・・・・・・)だ。

 ヒトを理解しようとして、しかしその醜悪さを識り、それに耐えきれなくなった哀れな神様の(・・・・・・)物語(・・)

 

「(自分の為した事の責任を、よりにもよって(ヒト)になすりつけたのか?)」

 

 しかし、そんな事は知った事ではない。

七耀歴以前の歴史にも、ヒトを理解しようとしたが故に心が壊れた哀れな神の末路にも、全く以て興味がない。

 ただ赦せなかったのが、その神が遺した遺物の為に、数多の人間の命が犠牲になった事だ。

 消滅した≪D≫を再びこの地上に呼び起こさんと、その為だけに殺戮の限りを尽くした外道の集まり。

 皮肉としか言いようがない。ヒトを愛し、絆された神が、後世に残したのは許しがたい愚挙を振るう狂人共の集まりだったのだから。

 だから、レイは吐き捨てる。失望と、憎悪の念を込めて。

 

 

 

 

「本当に……大ッ嫌いだよ」

 

 

 

 

幸いにもその言葉は、歓喜に打ち震える研究者たちの耳に入る事は、なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 牢に戻る。左目に荒々しく巻き付けられた布は、取り敢えずの応急用の処置だという事だった。

 

 当然足元は覚束ない。痛覚がやや麻痺してしまったのか、直接的な痛みこそ先程よりかは柔らいだが、それでも歩く度に脳天に抜けるような痛みが響く。

 朦朧とした意識の中で、それでもレイは死ぬ事を許されていなかった。気絶してしまおうにも、意識は紙一重のところで現実の方に留め置かれている。これも聖遺物の”加護”のお蔭なのだとしたら、何ともありがた迷惑な話である。

 

「ぁ…………」

 

 膝から崩れ落ちる。全身から力が抜け、そのまま冷たく固い石床の上へと倒れ込んだ。

 ふと、視界に入った自らの髪の毛に触れてみる。ヒトの身に余る力を体内に受け入れたせいなのか、その毛先だけが鮮やかな銀色に染まり切っていた。

 今となっては、それすらも不愉快だ。母から受け継いだ黒髪が汚されているようにも思えて、しかし引き抜くだけの力も残っていない。

 やりきれない思いを抱いていると、髪から逸らした視線の先に、いつもの少女の姿があった。部屋の隅に寄りかかり、動かないでいる。

 

「ぁ……れ……?」

 

 だが、どうにもおかしい。

いつもならば聞こえるすすり泣きは聞こえず、それどころか息遣いすらも感じない。

 這うようにして少女の下へと近づき、どうしたのかとその小さい体を揺する。それは、決して乱暴な手つきではなかった。

 その筈なのに、揺すられた少女の体は何の抵抗も示す事なく、緩やかに石床の上に倒れた。

受け身を取る事もなく、ドサッという音だけが、何もない部屋の中に虚しく響く。レイの手は、思考を巡らせる前に彼女の長く伸びた前髪をどかしてその顔を見る。

 

 眠っている。それだけに見えた。

 だが、その口元からも鼻からも、呼吸の息遣いは一切感じない。―――それが何を意味するかくらいは、レイにも充分分かっていた。

 

 

「――――――ぅ」

 

 

 最後の一人。自分が唯一声を掛けたこの少女も、逝ってしまった。

 何があったかなど、想像するまでもない。外道共が施した”処置”が、彼女の肉体の限界を超えた。それだけだったのだ。

 

 

「うぁあああ……あああっ」

 

 

 この世の理不尽さを、改めてレイは呪った。

 何故この少女が死んだ? 生きたいと切に願っていたこの少女が無慈悲に命を散らしたというのに、何故生きていても仕方ないと諦めていた自分が生き残ってしまっている?

 

 

「うああああああ――――――ッ‼ ああああああ――――――ッ‼‼」

 

 

 それ以前に、”また救えなかった”という自責の念こそが、レイの心をズタズタに引き裂いた。

 無力に無念を重ね、また手を伸ばせば届く位置に在った命を、見送る事しかできなかった。

 情けないと、そう思う事すら烏滸がましい。世界というのはとことんまで弱者をいたぶり続ける。”弱い”という、ただその概念こそが罪であるかのように。

 

 悲哀を込めて、レイは吼える。

 力がなければ、強くなければ、こうして何も護れない。積まれていくのは後悔と自責の念のみ。

 

 

「強く……なりたいッ」

 

 

 故に、その意志が口から出る。

 何も失わないように、失わないで済むように。ただそれだけの想いを込めて、レイはその決意を紡いだ。

 しかしそれは、変わらない部屋の中で消え、虚しく絶えるだけだった。―――そう、なる筈だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほぅ、中々どうして見上げた根性じゃ。神も仏も信じられぬとあらば、この儂が願いを聞き届けてやろうぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 音もなく、壁に斬線が走る。

 弾かれた礫が宙を舞ったかと思うと、目の前の壁が轟音と共に倒壊する。

一声に埃が舞い上がり、レイは思わず一瞬目を瞑ってから、しかし再度見開く。

 

 そこに立っていたのは、赤装束に身を包んだ赤髪の女性。銜えた煙管から紫煙を燻らせながら、しかし虎のように鋭い眼光は、レイだけを見据えている。

 その視線に、確かに脅えはした。しかし、決して目を離してはいけないと本能的に感じ取ったレイは、真正面からその視線を受け止める。

 すると、女性はフッと不敵に笑い、一歩、また一歩とレイに歩み寄った。

 

「しかしまぁ、まだ(とお)にも満たない稚児ではないか。その矮躯で、よく生き残ったのう」

 

「あ……えっと……」

 

「あぁ、安心せい。ぬしに危害を加えるつもりは毛頭ない。視線を上げるのも辛かろう?」

 

 そう言ってレイの頭を乱暴に撫でると、女性は背後に向かってハンドサインを送る。

 すると、数名の白銀の甲冑を纏った騎士たちが、部屋の中へと突入してくる。

全員がヘルムを深く被っていたために正しく認識は出来なかったが、その全員が女性だという事は何となく理解できた。

 

「一人一匹残さず殺せい。容赦も要らぬ、慈悲も要らぬ。散々年端もいかぬ子らを嬲った罪科を償わせよ。

 そして、骨の髄まで刻み込ませるが良い。彼奴らは結社が第七使徒、≪鋼の聖女≫の怒りを買った愚者共であると」

 

「「「「「はっ‼」」」」」

 

「≪鉄機隊≫筆頭(・・)、≪爍刃≫のカグヤが命ずる。ぬしらの矜持と使命、そして主への忠誠を存分に示すが良い‼」

 

 

 その声は、どこまでも真っ直ぐだった。

 紛れもなく、力を持つ者のみが出せる強者のオーラ。それを読み取る事ができた時点で、確かにレイは武人としての才能の一端を既に開花させていた。

 掛け声と共に、白銀の騎士たちが一斉に駆けて行く。その背を羨望が入り混じった目で追ってから、再び女性の方へ向き直った。

 

「あ、あのっ‼」

 

「む?」

 

「あの、どうして助けに来て、くれたんですか?」

 

 声を発する度に軋む脳の音を無視しながら、それでもレイは問いかける。

 何故今、こうして助けに来てくれたのか。もはや救援など来ないものと、完全に諦めていたというのに。

 

 すると女性―――カグヤは、左腰に佩いた長刀をカチャリと揺らしてから、答える。

 

「我が主殿が、ぬしの父君と懇意にしておってな。あの無双の武人が好敵手と認めた男の忘れ形見とあらば、清廉の道を歩まんとするアレがぬしを見捨てる筈があるまいよ」

 

 とは言え、と、声色に僅かな謝罪の念を込めて、続けた。

 

「遅れた事は言い訳せぬ。彼奴らの動きを熟知しておれば、或いはもう幾らかの子らの命は救えたであろうに」

 

 そう言って彼女は、息絶えた少女の姿を見る。

 その瞳には、悔恨の感情が宿っていた。力を持ってしても救えなかった命。

 ならば―――弱いままで救えるモノなど、この世のどこにもありはしないのではないか。そう思ったレイは、半ば無意識にカグヤの袴を掴んでいた。

 

「お願い……しますッ。僕を、鍛えて下さい‼ 僕に、誰かを護れるだけの力を下さい‼」

 

 それは懇願だったが、同時に不退転の覚悟でもあった。

 きっと自分は、これから自らの手を不浄で塗り潰していくのだろう。その覚悟に見合った対価を払い続け、それと引き換えに武の道を研ぎ澄まして行く事になる。

 道程は、決して甘いものではあるまい。それでも、何かを護る事ができず、再び大事な存在の屍を前に立ち尽くす事だけは御免だった。

 

 そんな擦り切れそうな程の覚悟を感じ取ったのだろう。

サクヤは自らに縋りつく少年を数秒凝視してから、一つ息を吐いた。

 

「名は?」

 

「……え?」

 

「ぬしの名じゃ。それを知らぬ程度の間柄で、鍛えるも何もあるまいて」

 

 そう言われてから、自分の名を口に出そうとして、一瞬躊躇う。

 そして数秒後、再び口を開いた。

 

「レイ。僕の名前はレイ。―――苗字はたった今捨てた」

 

 正当な呪術師。その末裔という呪縛。

 それら全てを、レイは一刀の下に切り捨てた。母との繋がりは、託してくれたモノがある。これ以上執着する意味もない。

 弱い自分からの脱却。虐げられるだけの弱者をやめ、強者としての道を征く。

 

 

 

 それこそが、レイという少年の二度目の生の始まりの時。

 

 

 全てを喪い、その罪科を一身に背負いながらも強く在ろうと決意した少年の、旅立ちの瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






これが、主人公の”原点”。
レイ・クレイドルという少年が≪天剣≫へと至る道の最初の一歩です。


如何でしたでしょうか。


次回から、また話を戻す事と致します。




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サマー・バケーション Ⅳ ※

 
 やっと文化祭は終わりましたが、今度は自動車教習所の卒検が迫って来た十三です。
 今回は、前書きですこし真面目な話をさせていただきます。


 このところ、感想欄にてオリキャラの設定を投稿して下さる機会が増え、作者と致しましても大変ありがたく、加えて嬉しく思っております。
なにぶん発想力が乏しい身ですので、キャラの提案をして下さる事は作品の幅が広がる事に比例します。そう言った意味でもこの場を借りて感謝を申し上げます。

 ……しかしながら、前述の通り発想力が乏しい身の上でありまして、いただいたキャラの全てを採用するのは難しいのです。魅力的なキャラを全て使いたいという渇望はあるのですが、如何せん感情に思考が追いつかないため、提供していただいたのにも関わらず未登場になってしまう人が出てくるかもしれません。ご了承いただければ幸いです。

 そして、作品の流れの関係上、少しキャラ設定を弄って登場させる事もあるかもしれません。その際は提供して下さった方に事前に報告をしますので、読んでいただければ幸いです。





 ―――さて、前書きはこの辺りで本編に入りましょう。
 今回で『サマー・バケーション』シリーズは終わりです。


















 

 

 

 同情は無用である事は、誰もが理解していた。

 

 彼の口から語られた壮絶な人生の一端は、決して憐れんで良いモノではない。

 否、憐れむという行為を思い浮かべることすらできないような、そんな内容だった。

 

 眼前で母親を喪ったのみならず、外道が集う組織に連行されて左目を抉り出された挙句に古代遺物(アーティファクト)たる宝珠を埋め込まれ、そして―――地獄の中で一時気を許した少女すらも、助ける事ができなかった。

 己の弱さを呪い、彼は力を求めた。もう何も喪いたくないという、ただ純粋で歪なユメだけを心の奥底に誓って。

 

 

 

『お前の剣は、”剣の道”はどこにある? ―――答えろ‼ リィン・シュバルツァー‼』

 

 リィンは、嘗てそう激昂された事を思い出す。

 確かにあの時の自分は、中途半端だった。確固たる強壮な意志を持って達人の域まで上り詰めた彼からすれば、さぞや腑抜けに見えたのだろう。

 

 

 

 

『ただできる事なら、全てを理解した上で分かり合って欲しいとは思う。それができるのは、とても貴重な事だからな』

 

 マキアスは、嘗てそう諭された事を思い出す。

 当然の事だ。彼にはもう、全てを曝け出せる肉親が一人も存在しない。最も親の愛情を欲している頃に全てを喪った彼からすれば、”他人と張り合う事ができる”という状況そのものが既に羨ましいものだったのだろう。

 

 

 

 

『俺は弱いよ。多分、お前たちの誰よりもな』

 

 ラウラは、嘗て自嘲気味な笑みと共にそう告げられた事を思い出す。

 誰も守れなかった事を罪科として背負い、二度とそれを背負わないように生きてきた彼からすれば、信念を掲げて真っ直ぐ進むことができるⅦ組の面々が眩しくて仕方なかったに違いない。

その眩しさに眩み、彼にそんな負い目を背負わせ続けていた事を改めて自覚してしまう。

 

 

 

 

 

 彼の、レイ・クレイドルの過去は、誰もが気になっていた事ではあった。

 彼が心を許していない、とまでは思わなかったが、打ち明けてくれない水臭さをもどかしく思うことはあった。仲間なんだからという理由でその全てを受け止めようと、そんな覚悟は全員が持っていた筈だった。

 

 しかし、蓋を開けてみれば誰もが黙り込んでしまった。

 彼が背負いこんでしまっていたモノのあまりの重さ、そして現在に至るまで続いている、その身、その剣に宿った万事不当の絶対的な覚悟。

 

 そうか、敵わないはずだと、リィンはそう思ってしまう。

 彼に敗北は許されない。ノルドの一件でさえ、レイにとっては許しがたい結果だったのだろう。

 擦り切れてしまいそうな程の意志と、断ち切れてしまいそうな程の覚悟を身に纏い、いつだって彼は鮮烈な強さをその身で表して来た。その強さに追いつこうとしても、到底無理なのだろう。

 それは意志の違いだ。彼と自分達では抱えているモノが違う。強さを志した年季が違う。

 掛け値も虚偽もなく、本当に全てを喪った絶望の淵から、彼は這い上がって来た。涙と血を流し、辛酸をこれでもかという程に舐めさせられた過去の”原点”の全てを糧として。

 

 正直なところ、レイ・クレイドルの名刀・名剣にも酷似した鋭すぎる裂帛の闘気に恐れを抱く感情が全くない訳ではなかった。

 なまじ彼の事を何も知らなかったが故に、その執念のような強さはどこから湧いて来たのだろうかと、そう邪推してしまうのは当然の事だった。

 しかしそれが、強固な想いに裏打ちされた故のモノであるならば、その疑念も氷解する。

 その想いは、決して踏みにじって良いモノではない。それは他ならない彼だけが胸の内に秘める事が出来る感情。本来ならば、他人に秘匿しても責められる謂れはない。

 

 それを、傷心の気の移ろいもあっただろうとはいえリィン達に打ち明けたのは、偏に彼らの事を信頼していたからである。

幾ら感傷に浸っているとはいえ、己の起源とも言える過去を気を許す事もできない他人に話すほど愚鈍ではない。入学してから4ヶ月という月日は確かにレイとリィン達の間に確固たる絆を作っていたのだ。

 

 ならば、同情や憐憫で彼の過去を悼むのは間違いである。そんな事をすれば漸く実感できたレイとの繋がりを、自分達から断ち切るという愚かな選択をしてしまう。

 それに―――彼を活気づけるのならば、自分達よりも適任がいる事も、充分理解していた。

 故にⅦ組の面々は、”学生”として、せめて気の置けない一時を過ごせる時だけは仲間として決して彼を否定しないと心に誓った。

 

 今まで自分達を見守って、時には目標として導いてくれた彼が悪人になり切れない事などは、とうの昔に分かってしまっていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、フィー、ちょ、ま、それ俺が狙ってた肉‼」

 

「串焼き根こそぎ持っていかれたぁ‼」

 

「焼き網上は戦場。油断すれば全部持っていかれる……って猟兵時代に教わってた」

 

「だからってここまで徹底的にやる事はないだろう⁉」

 

「フィーちゃん、ちゃんと野菜も食べましょうね」

 

「ノーサンキュー」

 

 

 雨も止み、雲一つない空に満天の綺羅星が浮かぶ夜の下の砂浜で、Ⅶ組の面々とサラとシャロンはバーベキューを楽しんでいた。

 本来であれば一日目に行う筈であったのだが、リィンの一件もあって翌日に延ばされたこの行事は、ある意味でいつも通りのⅦ組の様相を呈していた。

 

「あれ? 海鮮系もうなくなっちゃった?」

 

「おや、そのようですな。少々お待ちくださいませ。すぐに屋敷から取って参ります」

 

「いや、それには及ばない。アルフドさん」

 

 焼いたエビを口に入れたままのアリサが振り向くと、そこにいたのは様々な海鮮物を詰め込んだ網を持つガイウスの姿。

 

「少し獲って来た。これで少しは保つだろう?」

 

「おいこら、適応力高すぎだろノルドの民。というかどうやって獲った」

 

「槍で一刺しだ。意外と簡単だったぞ」

 

「お前将来漁師になったらどうだ。いやマジで」

 

 失笑しながらそう冷やかしたのは、他でもない、すっかりと元に調子を取り戻して肉に齧りついていたレイであった。

フィーの猛攻を掻い潜ってちゃっかりと自分の食料を確保していた彼は、やせ我慢でも何でもなく、いつも通りの飄々とした態度を見せるようになった。

あまり食べられなかった朝食と昼食の分も取り返すと言わんばかりに、夕食にありつくその姿は、いつもの彼と変わらない。それを見て、他の仲間達も笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

 

 レイが過去の話を語り終えた頃には、既に雨雲は通り過ぎ、少し前と同じように燦々と日光が照りつけていた。

 当然、余りにも深く、そして重い過去を語り聞かされた面々は一様に黙り込み、エリオットやエマなどはすすり泣いていた。

 しかし当の本人はと言えば、語り尽くして気が晴れたとでも言わんばかりに昨日までの調子を取り戻し、以降は決して落ち込むような素振りも兆候も見せなかった。

その心情を察したリィン達は、ひとまず彼の調子が戻った事を喜び、心の中に決して消え去る事の出来ない悲壮感を抱えながらも、レイも巻き込んでデス・ビーチバレーに熱中していた。

 そして今に至るまで、レイは≪教団≫とやらの拠点から逃れた以後の事を一切語っていない。

 これ以上は語る事もないと思ったのか、はたまた”語る事ができないのか”までは読めなかったものの、流石にそれ以上の言葉を求めようとはしなかった。

 

 その過去は、間違いなく彼の”起源”だった。

 そして彼の性格からして、見知らぬ他人程度の人間にそれを話すとも思えない。

 つまり、それを話しても良いと思えるだけの信頼が彼の中にはあったという事だ。それを喜ぶだけでも充分である。

 

 

 

「―――なぁ、レイ」

 

 ただそれでも、黙したままに何も伝えないというのは、リィン・シュバルツァーの性格上困難だった。

 宴もたけなわ。フィーの略奪を阻止せんと動く仲間たちを見ながら、リィンは少し離れた位置にいたレイに話しかけた。

 

「おう。お前はあの争奪戦に参加しなくていいのかよ」

 

「はは、俺はもう結構食べたからな。レイこそ、サラ教官を止めなくていいのか?」

 

「酔っ払いの相手は趣味じゃねぇんだ。シャロンに任せるよ」

 

 苦笑しながら向けた視線の先には、ジョッキで何杯ものビールを呷って完全に出来上がっているサラと、その相手をするシャロンの姿があった。

 酔っぱらって何かをまくし立てるサラを、シャロンが上手く制御しているように見える。

 君子危うきに近寄らずという諺に従うように悠々と面倒事を避けるそのスタンスは、やはりいつもと変わらなかった。

 

「……もう、大丈夫なんだな」

 

「ま、元々そんなに神経質になるような事じゃねぇんだが……何故だか今年だけはどうにも、な。命日だってのに遊んでたせいもあるだろうが」

 

「う……そ、それはゴメン」

 

「お前らのせいじゃねぇだろ。というより……」

 

 そこでレイは言葉を区切り、彼にしては珍しく、少しばかり照れるような素振りを見せた。

 

「同年代の友人(ダチ)連れて海に行くなんて経験なかったからな。傷心に思うだけ余裕があったと思ってくれ」

 

「あ……」

 

 そこで、リィンはふと思った。

 思えば―――レイの口から”友達”と言ってくれたのは、これが初めてではないのかと。

 仲間だと言われた事はあったが、同年代の友人として見てくれていた事。それが素直に嬉しかった。

 いつだって彼は、自分達とは違うどこかに立っていると―――そう感じてしまった事が多々あったために、一際そう感じられたのだろう。

 だからこそ、続けてこう言える事にも躊躇いはなかった。

 

「……友人なら、遠慮なんか必要ないさ。レイが何を抱えているか、どんな人生を送って来たかという事の、恐らくは半分も俺達は知らない。知らない事だらけだ。

 でもさ、レイが俺達の事を友人で、仲間だと思ってくれるなら、思い至った時にいつでも打ち明けてみてくれ。俺達は何があろうと、レイを軽蔑したり、不快に思う事はないだろうから」

 

「…………」

 

「前に、アリサには「もっと疑う事を覚えた方が良い」って言ったみたいだが、俺達の間じゃもう通用しないだろ?

俺だけじゃない。アリサも、エリオットも、ラウラも、マキアスも、ユーシスも、委員長も、フィーも、ガイウスも―――皆が心配して、何とか力になれないかって考えてる。

今までずっと世話になって来たんだ。恩返しをしたいって思うのは、別に変な事じゃないだろ?」

 

 

 その真っ直ぐさ、純粋さに、レイは幾度となく罪悪感を感じていた。

 始まりがどれだけ不幸であったとはいえ、血塗られた道を選んだのは、紛れもない自分の意思だ。女々しい贖罪の為に偽善を為す道に進んだのも、後悔はしていない。

 ただそうして真っ当とは言い難い半生を歩んできたからこそ、ただ純粋に、為すべき事を成して、悩みながら歩んできた彼らが、余りにも眩しく見えてしまったのだ。

 

 翳りの塊のような自分が、この光を曇らせてはならない―――そういった強迫観念が、レイにⅦ組の面々を”友”と呼ばせることを躊躇わせていた。

 だが、気付けばレイは”仲間”として、そして何より気の置けない”友”として、無意識の内に彼らと接していた。トールズに来るまで、本当の意味で”友”として接していたのはヨシュア一人だけだったというのに、思えば随分とその数を増やしていたものだった。

 

「……は、はははっ」

 

 きっかけは何だったのだろうかと、そう考えるのは野暮というものだろう。

 とかくその中でも、こうして衒いもなく本音をぶつけて来る友と出会えた事は幸運な事だ。

 

「リィン、お前さ、そういうクサい台詞は好きな女の前でしか言わない方が良いぜ。聞いてるこっちが恥ずかしくなって来る」

 

「う……や、やっぱりそういうモノか?」

 

「いんや、やっぱお前はそのままの方が良いわ。誑しの才能はピカイチだよ」

 

 半ばからかうようにそう言うと、そのままレイは右の拳を突き出した。

 

「約束する。いつかお前らに、俺の半生を余さず話してやる。

―――でも今は事情があって無理なんだ。話さないんじゃなくて、話せない(・・・・)。そのしがらみがなくなったら、その時は全部話すさ。

……まぁ、今日みたいにみっともない姿を見せるかもしれねぇから」

 

 その時は、お前らが俺を引っ張り上げてくれ―――そう言った彼の拳に、リィンもまた拳を重ねる。

 そうして二人の少年が青春の一ページらしいやり取りをしているのを、サラは微笑ましく、しかしどこか複雑な表情で見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう……」

 

 

 夜も更け、外では虫と梟の鳴き声、それと無人の海の音しか聞こえなくなった頃。

 ロビーで行っていたⅦ組ボードゲーム大会を悠々と勝ち抜いたレイは、自室に戻ってベッドに腰掛けた。

先程までとある人物と通話をしていた特注ARCUS(アークス)を枕の上に放り投げ、仰向けのままシーツの上に転がる。

 ふと壁時計を見て見ると、時刻は既に午前0時を回ってしまっていた。昼過ぎにはもうトリスタに戻る事を考えると、今の内に寝てしまった方が良いかもしれない。

欠伸を噛み締めながらそんな事を思っていると、自室のドアが荒々しくノックされた。

 

『コラァー、レイ‼ いるんでしょ? いるわよね⁉ 開けなさいよー‼』

 

 果てしなく面倒臭い奴が来た、と一瞬で眉間に皺が寄ったが、ここで対応せずにいると隣や向かいの部屋の仲間に騒音を撒き散らす事になる。

 何より、一度面と向かって好きだと言った女性の来訪だ。完全に酔っぱらっていて面倒臭い事この上ないのは変わらないが、このまま放置を決め込む程、レイは狭量ではなかった。

 

「あー、はいはい。開けるから騒ぐなよ酔っ払い。いつも以上に悪酔いしてんなお前」

 

「あによー、別にいいじゃない。折角のバカンスなんだしー」

 

「お前の場合年がら年中飲んでんじゃねぇかよ」

 

 溜息を吐きながらも、完全に出来上がった状態のサラを自室に入れる。

幸いというか不思議というか、サラはどれだけ酔っても悪酔いはするものの嘔吐はしない。潰れたらシャロンでも呼んで回収してもらおうと、サラをとりあえずソファーに座らせた。

 

「バーベキューの時にも飲みまくってたよな、お前。どんくらいいった?」

 

「覚えてないわよー、そんな事。大体シャロンは何なのよ、アタシと同じペースで飲んでほろ酔いの雰囲気出さないってどーゆーこと⁉」

 

「あいつは≪結社≫時代にメイドの師匠から相当厳しく叩きこまれてたからな。メイドは主人とかから酒を勧められて酔ったらダメなんだと」

 

「……メイドって何なのよ」

 

「リンデさんの考えてる事は俺も最後まで理解できなかったからな」

 

 ともあれ、と、レイは話をそのまま進める。

 

「ま、それはいいとして―――どうしたんだよ、一体」

 

「え?」

 

「お前が酔っぱらうのは、まぁいつもの事だけどよ。今までなら俺の方を呼び出してたじゃねぇか。なんで今回は俺の方に―――」

 

「―――それじゃあ、駄目なのよ」

 

 それまでとは違う、ぱっきりとした言葉での返答に、思わず口を噤んでしまう。

 出先での最後の夜でハメを外し過ぎて酔い過ぎたのかと最初は思ったのだが、どうやらそれも違うらしいと、それも理解できてしまった。

 

 どうやら自分は、また彼女の癇癪を呼び起こす何かをしてしまったらしい―――とも。

 

 

「アタシが呼んだんじゃ駄目なの。それだとアタシはいつでも逃げられるから。

 ねぇレイ。アンタならその意味くらい分かるでしょ?」

 

「……昨日突然告白した腹いせって訳でもねぇよな。それ以外ってなると流石に分からな―――」

 

 と、そこまで口にしたところではたと気付く。

 レイの主観から見れば、それが彼女の感情を爆発させる起因になる可能性は少ない。

だが、もしやと思い、思い至ったその”理由”を素直に口に出してみる。

 

「まさかお前、俺とリィン達が”友達(ダチ)”になったから自分はもう必要ないんじゃないか……なんて考えてんじゃねーだろうな?」

 

「…………」

 

 サラはそのまま拗ねたような表情で目線を逸らす。

それに対してレイは、しかし呆れるような態度を見せる事もなく一つ息を吐いた。

 当然の事。そもそも呆れるなどという自分勝手な態度を見せる程、レイは自分という男としての駄目さ加減を弁えていない訳ではない。

 間違いなく、彼女(サラ)にそう思わせてしまったのも自分の責任であり、頼らなかった事が結果として誤解を招いてしまったと言うのならば、どうにかしなければとは思っていた。

 

 逆にサラはと言えば、それが自分の勘違いであるという事を大体理解していた。

 何があったところで自分がレイを愛しているという事には変わらないし、それは勿論今だって同じ事。

 しかし、日に日に絆を深めて行くレイとⅦ組のメンバーとの様子を目の当たりにして、何故か心の中に焦燥感が湧き上がってしまったのだ。

 それは、帝都に実習に行った際に感じていたソレと全く同じモノ。あの時はシェラザードにからかわれるように「考え過ぎ」と言われたものの、それでもやはり酒が入っていつもより判断力が鈍った頭では、必要以上に不安感が増大されてしまう。

 酷い事を思っているという事は充分分かっている。何せ、可愛い教え子たちに嫉妬しているも同然なのだから。

 だがそれでも、レイの心の拠り所が自分、自分達ではなく、どこか他の場所に行ってしまうという事に恐れを感じてしまうのは、それは自分が弱いからに他ならない。

 

 自分に魅力がないのではないかと―――そう思ってしまう自分がいる。

 自分に頼られるだけの包容力がないのではないかと―――そう思ってしまう自分がいる。

 自分を好きでいてくれるだけの理由がないのではないかと―――そう思ってしまう自分がいる。

 

 実際のところ、それらは全て杞憂の思い込みなのだが、それでも悪い焦燥感というものは一度芽生えてしまえば際限なく育ってしまうものなのだ。

 自分自身に対する猜疑感。それがもし、元A級遊撃士、現士官学院戦技教導官としてのサラ・バレスタインに突きつけられたならば、彼女は決してそれに蝕まれる事はなかっただろう。

 だが、一人の女性としてのサラ・バレスタインならば話は別だ。こうしてどうしようもなく不安になってしまった時は、半ば自棄になるように酒を呷り、その勢いで不平不満を漏らす。……それがどれだけ面倒臭い女を体現しているかという事実は、嫌という程分かってしまっているのだが。

 

 

 

「ありえねーよ」

 

 最初に口を開いたのはレイだ。靴を脱いでベッドの上で胡坐を掻きながらはっきりとそう言い放つ。

 

「お前が必要なくなるなんて事はありえない。……いや、そもそも必要か必要じゃないかなんて、そういった尺度でも見てないんだよ、俺は。

 俺はお前が好きで、まぁ、お前も俺が好きだって言うんなら、それだけで充分だ。その感情以外に何もいらない。お前が何と言おうと、俺に何があろうと、変わらない。それだけはハッキリ言っておくぞ」

 

 いつも以上に真剣な眼差しを向けるレイに、サラは一瞬たじろいだが、それに負けるわけには行かないと立ち上がる。

 その言葉は嬉しい。素直に嬉しい。こういった言葉を一切包み隠す事なく、僅かの気恥ずかしさもなく、ただ真剣に誠実に言う事ができる所にも惚れたのだから。

 

 だが、それとこれとは話が別なのだ。

 女という生き物はやはりこれも融通が利かない所で―――言葉だけでは納得できない場面があったりする。

 

「なら、証明してみなさいよ」

 

 そう言い終わる時には、既にサラはレイの体の上に覆い被さっていた。

 胡坐を掻いていたレイの体は今はベッドの上に仰向けに押し倒されており、その両手を握りしめるような状態で、サラがレイの顔を覗き込んでいる。

 彼が驚いたような表情を見せたのは、ほんの数瞬だけだ。しかし抵抗するでもなく、サラの為すがままにされている。

 

「分かってるのよ。アタシは面倒臭い女だわ。アンタが本気でそう言ってくれてるのは知ってるし、それは嬉しい。惚れ直したわ。

 ―――でも、それだけじゃ信じきれない。アンタがアタシを愛してくれるって言うんなら、それを証明して頂戴」

 

 サラは手の拘束を解くと、自らの上半身を起こしてベッドの上に膝立ちになる。そしてそのまま、徐に服を脱ぎ始めた。

 酔っていたというのに、その手際は一切迷いがなく、上着を脱ぐのに要した時間は数十秒もかかっていない。普段はアップに纏めている赤紫色(ワインレッド)の髪も解かれ、パサリという軽い音と共に呆気なく背に流された。

 露わになるのは、サバサバとしているいつもの彼女からは想像もできないほどに煽情的な赤色の下着。決して露出度が高い訳ではないのにも関わらず、普段とは異なる髪型で、いつもより頬を上気させて、アルコールの力で後押しされて静かに積極的になったサラがそういった姿を晒しているというだけで、レイをドギマギさせるには充分過ぎた。

 

「お前、何しようとしてるのかは分かってんだよな?」

 

「……当然じゃない。それが分かんないほど初心(ウブ)じゃないわよ、アタシ」

 

「マジか」

 

「マジよ。女にここまでさせたんだから、後はどうにかするのが男の甲斐性ってモンじゃないの?」

 

 そう言われては、レイとて否と言えるはずもない。ここでそれでも頑なに首を振ってしまえば、それこそサラの意思を無視する事になってしまう。

 据え膳食わぬは男の恥。そういった諺があるように、レイも一度右目を閉じてから覚悟を決めようとした時、異変を感じ取った。

 

「……ん? あれ?」

 

 ふとサラの表情を再度見てみると、その双眸の瞼はユラユラとせわしなく上下運動を繰り返している。

それを見つめること数秒、まるで糸の切れた傀儡人形のように、突然サラの体が倒れこんできた。

 レイはその下敷きになるような位置にいたのだが、ベッドが最高級でフカフカだったのと、そもそも人一人の体重程度なら重いとすら思わないレベルまで鍛えているため、無様な声を漏らさずに済む。

 それでも、下着越しに感じるサラの柔肉の感触は内心狼狽えさせるには充分だったのだが、直後に耳元で聞こえてきた静かな寝息の音を聞いて正気に戻った。

 

「ったく、今度は俺がお預けくらった状態じゃねぇかよ」

 

 酔いが極限まで回ってしまい、ここぞという時に眠気が精神を凌駕してしまった愛しい女性の頭を撫でる。艶やかな赤紫色(ワインレッド)の髪を梳くようにして撫でながら、起こさないように注意してベッドの上から立ち上がる。

そのままサラの上に布団を掛けてから、レイは深々と一つ息を吐き、扉に向かって声をかけた。

 

「―――いるんだろ? 入って来ていいぞ」

 

 傍から見れば誰に向けたものでもないその言葉に、しかし反応して入室してくる人物が一人。

 シャロンはいつも通りに恭しく一礼をしてから、ベッドの上で眠ってしまっているサラを見て「あらあら」と言葉を漏らした。

 

お決めになる(・・・・・・)と仰られていたので傍観に徹するつもりだったのですが……サラ様は何も?」

 

「いや、ヤバかった。あそこで意識が途切れてなきゃ俺の理性なんか跡形もなく吹っ飛んでたさ。情けねぇ」

 

「何を仰いますか。(わたくし)やサラ様、クレア様を大事に想って下さるからこそ、レイ様は理性の鎧を纏っておられるのでしょう? 情けない、などとは露程も思いませんわ」

 

「こんな時に童貞じゃない事を感謝するとは思わなかったぜ。……っと、こんな事は言うモンじゃねぇか」

 

(わたくし)は操をレイ様に捧げられれば充分でございます。そういう意味でも、今宵はサラ様にお譲りしようと思っていたのですが……」

 

 苦笑気味に微笑み、シャロンはサラの傍に近寄った。

 

「どうやら、操を捧げるのは少し先になりそうですわ。

 ―――お隣の空き部屋をベッドメイキングしておきましたので、今宵はそちらでお休みくださいませ」

 

「……すまん、恩に着る」

 

「メイドとして当然の務めですわ。―――あ、お一つだけお聞きしてもよろしいですか?」

 

「え? なん――――――っ」

 

 振り向いてシャロンの声に答えようとすると、その眼前には、太腿の部分までロングスカートをたくし上げたシャロンの姿があった。

 決して下着までは見えず、しかしガーターベルトのベルト部分がその白肌を這っている様子はくっきりと見えている。それでいて、はしたなさを感じさせてしまうような俗物的な雰囲気はあまりなかった。

 そんな、普段であれば絶対に見せないような姿を見せるシャロンは、僅かに悪戯っぽい笑みを向けて片目を閉じてみせる。

 

「レイ様は、どんな下着がお好みですか?」

 

「……勘弁してくれ」

 

 構築しなおした理性を再び瓦解しにかかるその手腕に脱帽しながらも、レイは力なくそう答えることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎる、と良く言うものの、少なくともⅦ組の面々にとってこの3日間というものは充実した内容であった。

 学業も訓練も全て頭の中から忘却してただ自由に過ごせる時間が、まさか士官学院に入学してから取れるとは思わなかったというのもあるが、実のところ彼にとっては何のしがらみも制限もなく思いっきり体を動かしたり一人の時間を楽しむ事そのものがリフレッシュになっていた。そういう辺りはまだ普通の学生らしい価値観を持っていた為、密かにレイは安堵の息を漏らしていたのだが、それはまた別の話である。

 

「…………」

 

 そんな清々しい気持ちで洋館に別れを告げようとしている時にも、やはりというか何と言うか、サラはレイの方を決して向こうとはしなかった。

 当たり前と言えば当たり前の事である。幾ら酔っていたとは言え、あれだけの事をしでかそうとしていて覚えていないわけがない。何と言葉を掛ければいいかすら分からないだろうし、逆にレイの方も、ここで気安く声を掛ける事が逆効果である事は分かっていた為、そのまま気が付かないふりを装っている。

 そんな二人の間に入って互いが視線を合わさないようにフォローをしているシャロンは、やはり流石と言うしかなかった。

 

「―――それでは皆様、荷物の収納も終わりましたので、お乗りくださいませ。昼過ぎに帝都行きの列車が発射するまで、不肖この(わたくし)がオルディス市内の案内役を務めさせていただきます」

 

「ねぇユーシス、ウィスパーさんって万能過ぎない?」

 

「流石は『四大名門』専属の執事殿だ。クラウスも若い頃は名門の貴族から引く手数多だったと父上から聞いた事があるな」

 

「……何だか皆さんを見ていると執事さんとかメイドさんとかって国家試験とか受からないと就けない職業のように思えてしまうので不思議ですよね」

 

 そんな空気を雰囲気で感じ取って敢えて何も言わない仲間達の空気の読める行動に感謝をしながらレイも車の中に乗り込む。

すると、扉が閉まる前に、初日から変わらず優しい笑みを湛えた洋館管理人のアルフドが最後に言葉を掛けて来た。

 

「いかがでしたかな、士官学院の皆様方。良い夏のひと時を過ごされたのでしたら、私といたしましても嬉しい事なのですが」

 

「えぇ。充分楽しめました。本当にありがとうございました」

 

 代表してリィンがそう礼を言うと、アルフドも一層嬉しそうな笑みを向ける。

 やがて扉が閉まり、車が走り始める。何故だか触れてはならないような雰囲気を放つ一角には出来るだけ触れないように気を付けながら、リィンは向かいの席にふと目を向ける。

 向かいの席には、エマが座っていた。いつもであれば隣に座るフィーの世話に余念がない彼女なのだが、今は洋館の方に視線を向けながらどこか所在なさげな表情を浮かべていた。

 

「委員長?」

 

「…………」

 

「おーい、委員長?」

 

「あ、はい。何でしょうか?」

 

 深い思考の渦の中からいきなり現実に引き戻されたような言動を見せるエマに、その様子を見ていたリィンと、その隣にいたアリサは揃って僅かに首を傾げた。

 

「どうしたのエマ。考え事?」

 

「えっと、そう、ですね。ちょっと違和感と言うか何と言うか……」

 

「違和感?」

 

「えぇ。―――でも、多分私の勘違いですね。何が違和感かも分からない(・・・・・・・・・・・・)程度の事ですし、忘れて下さい」

 

 エマがそう言いながら苦笑したのを区切りに、その後は話が続く事がなかった。

まるでついさっき自分が口にした言葉を忘れてしまったかのような、そう思えてしまう程に手早く意識を切り替えて、窓から外の景色を眺めるフィーの世話を焼き始める。

 その様子を横目で見ていたレイが、目を伏せて肩を竦める。シャロンと視線を合わせると、彼女もいつになく真剣な面持ちで小さく一つ頷いた。

 

「(……ま、後はアイツに任せるか)」

 

 そう独りごちる少年らを乗せた車は、防砂林の並木を越え、ものの十数分も経たない内に『煌琳館』の全容は隠れて見えなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、黒塗りの車に乗って館を去った一同を見送ったアルフドは、館に戻るために踵を返す。

 彼らが去った今、この場に居るのは自分一人。そう思っていたのだが、その玄関前には、人が一人立っていた。アルフドは、驚くような素振りも見せずにその人物に話しかける。

 

「おや、どうなさいましたかシオン様。皆様方は今しがた行ってしまわれましたが……」

 

「あぁいえ、ご心配なくアルフド殿。私にとって、主がいる場所が私の場所。向かおうと思えばものの1秒もかからずに主の下に戻れます故」

 

 そう言って薄い笑みを浮かべるのは、水着姿ではなく、加えブラウスとパンツスタイルでもなく、いつも通りの和服の重ね着をした姿のシオン。重ねて纏った衣に吹きかかる潮風も、夏の暑さも、彼女にとっては不快には成り得ない。

 

「ほぅ。では、忘れものでも致しましたかな?」

 

「いえ、ただ我が主―――レイ・クレイドルから貴方に伝言を預かっておりました為、こうして参じた次第です」

 

 そう告げてから、シオンは自らの金色の尾の一房を分離させる。

 帝都の騒乱の折に使用した『尾分け』の術。そうして分離させた尾は変化を行い、煙の中からレイの姿が現れる。

一分の差異もない、完璧な姿のレイの姿の”ソレ”は、そのままシオンが預かった伝言を紡いでいく。

 

 

『さて、何から言ったモンかと一応悩んだんだがな、取り敢えずメシは美味かった。そこだけは感謝するよ。休日にしては、まぁ上々な時を過ごす事ができた。学生としちゃ満足だわな。

 ―――ま、でもそれとこれとは(・・・・・・・)話が別だ。このままスルーして帰るとお前、「もしかしてバレなかった?」とか言って調子乗るから釘だけは刺しておくぜ』

 

 どこまでも不敵で、尊大な物言いをするその姿に、しかしアルフドは怒りを露わにしない。

それどころか、浮かべていた笑みを更に深くした。

 

『本当は直接言ってやっても良かったんだが……委員長に免じて(・・・・・・・)黙っておく事にした。アッチは、未だにヴィータの認識阻害の呪いが解けてねぇみたいだからな。お前の存在が先に明るみに出るわけには行かねぇだろ。寛大な俺の処置に感謝しろよ、変態』

 

「―――やれやれ。何だ、最初から全部お見通しだったんじゃないか」

 

 アルフドの口から出て来たのは、先程までの老人特有の皺がれた声ではなく、若々しい男性の声だった。

 その声と共に、立ち姿が巻き上がった煙に包まれる。およそ数秒後、収まったそこに立っていたのは、老人などではない、一人の美麗な青年だった。

 

 白金色(プラチナ)の髪に、眉目秀麗な好青年。身を包むのは純白の貴族服と同色のコート。

 凡そ、夏空の下で晒すような格好ではなかったが、その青年は汗の一つも見せる事なく、ただただ涼し気な微笑を湛えている。

 

「ん、流石は僕の認めた同士だ。見破られていた―――というよりは多分最初から分かっていたね、アレは。だって僕には一切話しかけてこなかったもの。シカトって意外と辛いね。

 でもおっかしいなぁ。一応変身魔法と幻術には一家言あるつもりなんだけど。カンパネルラ師匠からグーサイン貰えるレベルには達してたんだよ?」

 

「……姿形と雰囲気までは誤魔化せても、漏れ出る魔力の”質”までは誤魔化せません。その証拠に、最後の方はエマ殿も”違和感”レベルでは感じ取られていたようですが?」

 

「あ、それはヤバかったね、うん。折角無理言って潜り込んだのにバレたらお仕置きじゃ済まないよ。―――ま、それも良いけどね‼」

 

 お仕置き、という単語に目を輝かせて息を荒くする青年の姿にシオンは眉を顰め、しゅるりと生やした尾の一房で青年の左頬を殴りつける。

 そのまま数メートルほど吹っ飛んで行ったのだが、まるで懲りていないどころかシオンの下まで全速力で駆け寄ると、ほぼ直角になるまで深々と腰を折り、爽やかな声色で「ありがとうございましたッ‼」と礼を述べる。

 その姿を更にゴミを見るような目で見下して見せたのだが、生粋のドMにとってそれは褒美にしかならない。無駄な事だと再度理解した後は、溜息を一つ漏らして変化したレイに先を促した。

 

『―――まぁ、今お前をどうにかする気は俺にはねぇさ。つーかどうにかしてもお前を喜ばせるだけだしな。このクソドMが、一回死んで性癖作り直して来い』

 

「やっぱレイって最高だよね。生粋のドSとか中々見られるモンじゃないよ」

 

「……私としては生粋のド変態を二人も相手にしている主が不憫でなりませんなぁ」

 

『おいド変態、ちゃんと話を聞きやがれ。どうせ興奮してんだろ、鎮まれクソが。

 ―――真面目な話、策謀と手回しなら俺よりテメェの方が数段上だ。伊達にカンパネルラの名代で≪執行者補佐(レギオンマネージャー)≫やってるワケじゃねぇだろうしな。

だから、今は見逃してやる。正直、俺はザナレイアの野郎を殺せればそれでいい。テメェの策が俺達を、トールズを巻き込むようなら帝国をウロチョロしてるブルブラン(クソ野郎)共々磔刑に処すからそこは覚悟しとけ』

 

「君が言うと冗談に聞こえない……というかマジなんだろうなァ」

 

「主はご自身の周りを意味もなくウロチョロされるのが事のほかお嫌いですから」

 

 肩を竦める青年を他所に、レイの伝言は続く。

 

『ま、そういうこった。テメェが何をやらかすか、ってのは何となく分かってるつもりだから、俺は口は出さねぇよ。

関係ない人間にまで手ェ出そうってんなら子飼いの連中共々一人残らず首吹っ飛ばすから”忠告”だけはしておけ。―――そんじゃ、次はもうツラも合わせない事を無理だと分かってても祈っておくぜ』

 

 そこで伝言は終わり、術も解けてシオンの中へと戻る。

 元≪執行者≫が脅しも含めて言い放った”忠告”を受けて、しかし青年はそれでも動じた様子は一切見せない。

 その様子を見て、シオンはやや呆れるように息を吐いた。

 

「―――帝国で巡らせた策は、今のところ”予想通り”と言ったところですか? 貴方方にとっては、あの≪帝国解放戦線≫とやらも使い勝手の良い手駒の一つ。貴方方が資金を、技術を、人材を提供して漸く≪鉄血≫の首に手が届くかどうか、といったところでしょう?」

 

「いやいや、僕は彼らの事を見下してなんかいないさ。到達地点、目標は同じだ(・・・)

 ただ、彼らとは確かに取る手段が違う。ギリアス・オズボーンが人智を超える程に手強い事なんて百も承知の上だ。それこそ―――僕が十余年の月日を掛けて”仕込み”をしたんだから」

 

「…………」

 

 人間と言う生き物は恐ろしいものだ。移り気な妖魔や神々らとは違い、己の目標、仇討の為ならば、寿命の続く限り執念を燃やす事ができる。

 或いは数年、或いは十余年、時には世代を超えて妄執を受け継がせる。それは、シオンも充分に理解していた。

 故に、その可能性に惹かれるのだ。定命の定めに縛られた脆弱な種族が、その命の続く限り情熱を燃やし続ける様というのは、見ていて決して飽きるものではない。

 

「そろそろクロスベルでも”動く”頃合いだ。揺り籠から目覚めた零の至宝が覚醒する手筈が整いつつある。もう止められないよ。

例え貴女が動いてもね。聖獣さん」

 

「……主の式となる事を決めた時点でその役目はほぼ放棄したも同然ですがね。そも、至宝の下には神狼が侍っています故、私が出る幕などありますまい」

 

「だろう、ね。あぁ、言っておくけど僕はあちらの事に関しては何も知らない。僕が知っている事があるとすれば、それはもうレイが知っているような事ばかりだ。だから、何も知らない」

 

 それは暗に、レイの推測が正しいものである事を示唆していた。その確定情報そのものが口止め料……否、彼の性格からしてこれは本当に友誼のよしみのようなものなのだろう。

 

「僕としても、できる限りレイとは敵対関係でいたくはないんだ。貴女も分かるだろ? 彼は、敵に回すととんでもなく厄介な人物だよ。一対一(サシ)で戦おうものなら、ちょっと魔術を齧った程度の僕なんて一瞬で胴体泣き別れさ」

 

「何を仰います≪錬金術師(アルケミスト)≫。稀代の魔女から薫陶を受けた貴方が、そう易々と屍を晒すとは思えませぬな」

 

 半ばからかうようにシオンがそう言うと、青年は「だーかーらー」と僅かにしかめっ面になってそう返した。

 

「その名前、あんまり好きじゃないんだよねぇ。いや、ホント。クロイス家のお嬢さんとかに睨まれるし……ま、我々の業界ではご褒美ですけどね‼」

 

「ブレませんなぁ」

 

「こんな性格だから嘘塗れに見られるけど、あいにくこの性格だけはガチだからねぇ」

 

 魔女って基本ドSが多いんだよ、と、聞いてもいない事をとても良い笑顔で言い放つ。

 これ以上このとりとめのない話を続けるのも意味がないため、シオンは話題を切り替えた。

 

「……貴方が今回、館の管理人と偽って此処に来たのは、Ⅶ組の方々を視察するためですか?」

 

「あぁ、うん。そうだし、そうでもないとも言える。と言っても戦力とかそういうのは全く見てないよ? あくまで僕が見ていたのは人間関係。

 後は……まぁ、個人的な用事かな」

 

「やはり、『煌琳館』は皇族の管轄ではなかったのですね」

 

「ユミルの『鳳翼館』とかを始めとして、各地の皇族の別荘地は皆その土地の貴族が管理してるのさ。

あ、因みに本当の管理人にはバカンスに行って貰ってるよ。三泊四日で」

 

「抜かりはない、と。―――個人的な用事と言うのは、やはり」

 

「あまりそこは聞かないでくれるかなぁ。僕としても恥ずかしい事をしてるって自覚はあるからね」

 

 その言葉を聞けた時点で、シオンとしてはもうこの場所に留まる理由もなくなった。

 彼は、本当に今回何もしていない(・・・・・・・)。≪執行者補佐(レギオンマネージャー)≫や使徒第二柱の補佐官としての役割もそこそこに、彼はただ、観察して、見守っていただけなのだ。

 それ以外の行動を見せようものなら、即座にレイが動いていただろう。元同僚という事で同じく勘付いていたシャロンも、動くことに躊躇いはなかったに違いない。

 

「左様ですか。―――では私はこの辺りで。

 貴方の企みはまだまだこれからのようですが、できれば主の逆鱗に触れない事を祈っておりますよ」

 

「勿論。言った筈だよ。僕は、僕が直接関わっている場所では彼に敵対する理由も根拠もない。

もしよしんば彼の逆鱗に触れる事があったのなら……それは僕の落ち度じゃなく、彼自身が”変わった”という証明だね。嬉しくもあり、悲しくもあるけれど」

 

「本当に、まるで友人のような言葉を掛けるのですな。

 まぁ、私が出張るような事ではありますまい。それではさようなら。ルシード・ビルフェルト卿」

 

 そんな別れの言葉を残して、シオンは金色の粒子を残して実体化を解いた。こうなってしまっては、追跡魔術もそこそこ齧っている青年―――ルシードであっても捕捉は限りなく困難だ。

 それをするつもりも、最初からないのだが。

 

「特科クラスⅦ組、か。カイエン公は所詮学生だと侮るだろうけど、これは中々曲者揃いだな。そうは思わないかい? ケット・シー」

 

『うむ、未熟だが、未熟なりに精進をしている。ああいった手合いの若者は、伸びしろが不明瞭な分厄介極まりないぞ』

 

 ルシードの独り言のような言葉に応えたのは、いつの間にか彼の足元に侍っていた白毛の雄猫。どこか気品も感じられるそれは、流暢な人語で以て解答とした。

 魔術師、否、魔法使いとしての相棒でもある使い魔(ファミリア)。エマ・ミルスティンの相棒であるセリーヌがそうであるように、この白猫、ケット・シーもまた、ルシード・ビルフェルトという人間の相棒に他ならない。

 

『それに、ふむ。エマ嬢は随分と成長したようだ。里に居た頃は、同族と言えど魔力探知が出来る程の実力は備えていなかった筈なのだが』

 

「ヴィータが色々とちょっかい出した結果かな? まぁ、僕としたら僥倖だ。充分な才覚を持っていた彼女が、あのまま姉の陰に隠れているのを見ているのは忍びなかったからね」

 

『……本当に、それだけの理由か?』

 

 相棒の、相棒であるが故の図星を突く問いに、ルシードは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに悪戯っぽく人差し指で口元を抑えた。

 

「どうだかね。僕でも、今はまだ分からないんだ」

 

 奏者であり、道化でもある青年は、そう言って静かに嗤うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





つい先日書き上げたレイの剣の師匠、カグヤさんのイラスト。
何だか誰かに似てるなー。誰だろうなーと思いながらボーッとアニメを見ていましたら気付きました。

あ、ヘヴィー・オブジェクトのフローレイティアさんに似てるんだコレ。

というわけでイラストを添付します。


【挿絵表示】







あと、『東京ザナドゥ』終わらせました。
……ED近くは卑怯だろ、アレ。思わず泣きそうになりましたわ。



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Welcome to the hell

こんばんは。ただ今Fate/GOでキャス狐ちゃんを出すために課金するか否かをガチで迷っている十三です。


では前書きですこし告知をさせていただきます。

感想欄で少し申し上げたのですが、今後、キャラのアイデア、設定などをご応募して下さる際は、自分宛てにメッセージを送って下さるか、もしくは以後設置する活動報告欄でお知らせいただけると幸いです。
アンケートっぽくなってしまいまして、運営様からそろそろ通知が来るのではないかと心配して下さった方がいらっしゃいまして、こうして連絡させていただいた所存です。

アイデア自体はとてもありがたく、参考にさせていただいております‼
特に≪マーナガルム≫キャラ関係で何かアイデアがございましたらお知らせいただけると大変ありがたいです。ホント、ここは穴が多くてですね。



では皆様方、”Welcome to the hell”―――”地獄へようこそ”をお楽しみいただければと思います。





 

 

 

 

 

 

 

 

「やっほー、Ⅶ組のみんなー‼ ひっさしぶりー♪ 

あ、おにーさんも久しぶりー♪ 会いに来たよー♪」

 

「おう、バカンス終わったばっかだってのに頭痛のタネぶっこんでくんのやめーや」

 

「凄い。全身から「ヤベェ、厄介事が来た」ってオーラが噴出してる」

 

「……実際それに近いからフォローはできんな」

 

 

 8月18日、レイ達がバカンスを終え、トリスタに帰って来た数日後。

 通常授業が再開する中、朝のHRに遅れて来たサラの「今日は転入生を紹介するわよー」という言葉と共に元気よく教室に入って来た少女に、レイは呆れるよりも先に机に突っ伏して抗議の意を示していた。

 

 フィーよりも小さな体躯に、水色のショートカットヘアー。癖の強い髪の上には、黒い帽子を乗っけている。

 来ている服こそ違っていたが、その容貌を見間違える筈もない。ただしそれは、ノルド高原の実習に行っていた者に限るという条件が付くのだが。

 

「あ、初めてのヒトもいるから一応自己紹介するね。

 ボクはミリアム。ミリアム・オライオン。そしてこっちが―――」

 

 パッと、勢いよく左手を掲げると、彼女の左後方の空間が歪み、一体の人形兵装が姿を現した。

 

「”アガートラム”。ガーちゃんって呼んであげてねー」

 

「Γ・ΘηβγΝ」

 

「……何故だ? 普通ならここで驚いてしかるべしなんだろうが、全く驚けない」

 

「驚き慣れちゃったんじゃない? 主にレイ方面で」

 

「「「あ、それだ」」」

 

「相変わらずみたいだねー、お兄さんやお姉さんたち」

 

「改めて思うけどⅦ組(ウチ)って小さい子の教育に大変よろしくないと思うな」

 

「なにを今更」

 

 自覚もない内に徐々に人間離れして来ているという事に改めて意気消沈しかかるが、今はそれについて悩んでいる時間ではない。

 彼女が―――≪帝国軍情報局≫に所属している人間がトールズ士官学院の、それもⅦ組に編入して来たという事実をただの偶然だと思う程、彼らは甘く育てられてきていない。

 

「(オズボーン宰相の差し金か……)」

 

 内心でそう推測したリィンだったが、その思惑の深い所までは読み切れない。

 逆にレイはと言えば、机に突っ伏した状態で僅かに口角を釣り上げていた。

 

 国内防諜担当の『第一課』に所属する人間を編入という形でⅦ組に潜り込ませた意図。あの≪鉄血宰相≫に至って、それがただの気紛れであろう筈がない。

 監視と諜報。勿論それが全てではないだろうが、そう言った意味合いでミリアムという人材を寄越したのであろう事は既に分かっている。

 

「(とはいえ、それだけ分かってりゃ警戒するだけ無意味(・・・・・・・・・)だわなぁ)」

 

 何をしでかすか分からない輩には、必要以上の警戒心を持って接するのがレイのやり方だ。

元より性善説などという言葉を信じていないからこそ、人と接する時はまず疑ってかかる。足元を掬われないように、かと言って疑心暗鬼になり過ぎないように。その絶妙なラインを見極めるのは、意外と技術を要する。

 このクラスの中でそれができるのは、レイを除けば、幼い頃から大人の世界の醜悪さと、本音と建前の違いを身を以て理解して来たアリサとユーシス。

 が、今回はそこまで気合いを入れて警戒はしなくても良いだろうと結論付けていた。それは決してミリアムの諜報員としての力量を侮っているわけではなく、状況に基づいた分析。関わらなくても良い所に気を張って疲弊するのは、時間と体力と精神力の無駄だろう。

 それよりも―――

 

「ねぇねぇ。ボク、お兄さんの後ろの席がいいなー」

 

「おいやめろバカ。お前絶対授業に飽きて来たら前の席の奴の首筋をペンで刺しに来るタイプの奴だろ。というかお前背が小さいんだから前の席にしとけ」

 

「えー? ぶーぶー、お兄さんだって小さいクセにー。ねー、ガーちゃん」

 

「Ε・ΨΛΣερГβτχθ」

 

「おう木偶人形、テメェ今「そうだよね。人の事言えないよね」つったろ‼ ブッ壊すぞ‼」

 

「ちょっと待て‼ ホント待て‼ 幾つかツッコミどころはあるけど一番気になった事を聞くぞ。お前あの言葉分かるのか⁉」

 

「んなモン、フィーリングに決まってんだろうが。間違っちゃいない筈だがなぁ」

 

「凄いねお兄さん、当たってるよ」

 

「……もしかしてレイさんって外国に行っても自国語で押し通すタイプの人ですか?」

 

 そんなやり取りを数分程繰り返し、結局ミリアムは前列の席に座る事となった。ついでにアガートラムの室内召喚禁止令も発布され、彼女は多少不承不承といった具合で、指定された席に座る。

 心労を感じずにはいられない一同ではあったが、ともあれこれで不意打ち気味のイベントも終わったものだと安堵していたのだが、出入り口の扉がまだ開いたままである事が気になった。

 

「……サラ教官? 扉が開いたままなのですが」

 

「うん、もう一人いるのよ。もーいいわよ。入って来なさい」

 

「ういーっす」

 

 サラの声に応えたのは、リィンやレイにとっては聞き慣れた声だった。

 その後に入って来たのは、額にバンダナを巻いた、平民生徒の制服を纏った長身の男子学生。

 

「あれ?」

 

「2年の……アームブラスト先輩?」

 

 エマが呟くようにして言うと同時に、いつものような人懐っこい表情を浮かべたお調子者は、教壇の近くまで歩いて来てから自己紹介を行う。

 

「えー、クロウ・アームブラストです。今日から皆さんと同じⅦ組に参加させていただきまっす。―――ってなワケで、よろしく頼むわ♪」

 

 そんなマイペースな自己紹介に呆気にとられる一同の中で、真っ先に口を開いたのはジト目のフィー。

 

「……留年」

 

「へいタイム。違う、違うっての。まだ(・・)留年したわけじゃねぇから」

 

「―――あ、なるほど」

 

 その解答で、何故クロウが此処に来たのか分かってしまったレイは、右手でペン回しを手慰みながら、そこまで興味がないとでも言いたげに模範解答を叩きだす。

 

「要は、1年の時の単位が幾つか足りなくてこのままだと留年必至だからⅦ組(ここ)に来た、と。他のクラスだとカリキュラムの妨げになるけど、基本少人数で回してるⅦ組ならそこまで弊害にはならんからなぁ」

 

「ん、正解。このバカ、去年の単位幾つか落としててね。泣きついて来たってワケよ」

 

「それ控えめに言ってもかなりマズい状況じゃないですか」

 

「自業自得の典型例だな」

 

「……反面教師」

 

「もしもーし。一応俺先輩なんだが……」

 

 その控えめな反論に、一同は同時に顔を見合わせると、一つ頷く。

 

「クロウ先輩」

 

「生憎、このⅦ組は実力主義です」

 

「それに、クラスメイトになるのなら」

 

「先輩も後輩も関係ない」

 

「努力をしなければ地獄を見る」

 

「努力をしても結果が出ないと地獄を見る」

 

「留年なんてしたら、怒られるなんてものじゃないです」

 

「真面目にやるのが吉」

 

「それが嫌なら、今からでも多分他のクラスに行った方が良いです。ハイ」

 

「ま、死に物狂いで着いて来れば1ヶ月で慣れるわなぁ」

 

 

「お前らホント何なんだよぉ‼」

 

「あはは。クレアが言ってた「頑張って下さいねミリアムちゃん。……いえ、これ本当に」ってのはコレかぁ」

 

 

 断末魔の叫びと、興味深そうな声が重なり、特科クラスⅦ組は新たな仲間を二人受け入れた。

 二人の内、断末魔の叫びをあげたクロウは後に語る。「いや、あの時はマジで怖かった。……ホントな? ホントだかんな」―――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 とはいえ、新しく仲間を受け入れたその日からⅦ組の”洗礼”を受けさせるほど、レイは非情ではない。

 一日しっかりと授業を受け、放課後はそれぞれ属しているクラブの方へと足を運ぶ仲間達を見送りながら、帰宅部のレイは夕日を眺めながら帰路に着く。

 

「~~♪ ~~~♪ ~~~♪」

 

 口笛を吹きながら校門前の坂を下っていると、突然背後から服の裾をクイッと掴まれた。

 振り向いてみると、頭一つ分下の所に変わらずの笑顔を浮かべた少女が立っていた。

 

「おにーさん、帰るの?」

 

「ミリアムか。まぁな。今日は俺が夕食を作らなきゃならんから……そうだ。お前、好きな食べ物とかあるか?」

 

「え? 作ってくれるの⁉」

 

「編入祝いだ。出来る範囲なら、まぁ何でも作ってやるよ」

 

 運が悪い事に、シャロンは今ラインフォルト社の方に業務の関係上戻ってしまっているため、夕食当番は一時的にレイに戻っている。

二人の指導の下、調理技術を学んでいる所為か、他のメンバーもそこそこ料理ができるようになっていたのだが、それでも料理の技術というものは一朝一夕でどうにかできるようなものではない。得手不得手が生まれてしまうのは仕方のない事だった。

 そんなレイは帰路に着いているこの時も夕飯の献立を決めかねていたため、気付けばミリアムにそんな事を提案していた。

 

「えっとね、えっとね。オムライスでしょ、スパゲッティでしょ、あとビーフシチューにハンバーグ―――」

 

「ストップだ。スマン、俺の言い方が悪かった。主菜と副菜だけ決めろ。そのリクエストの全てに応えたら金がかかり過ぎる」

 

「えー? じゃ、じゃあちょっと待って。考えるから」

 

「んじゃ、座ってゆっくり考えろや」

 

 そう言ってレイは、商店街の中心にある公園のベンチに腰掛け、ミリアムに隣の席を促した。

 うむむと言いながら悩むミリアムを横目にボーッと夕焼けの空を眺めていると、不意に「ねぇ」という言葉が掛けられる。

 

「今更なんだけどさ、どうしてお兄さん……いや、お兄さんたちってすんなりボクを受け入れてくれたの?」

 

 先程までの歳相応の声色とは違う、どこか大人びたようなその言葉に、レイは一瞬だけだが、どう返していいか迷った。

 人を疑う事を覚えろと、そう言った彼自身がなんの軋轢もなく彼女を受け入れたのは、偏に「疑う事そのものが無駄だ」と判断したからに他ならないのだが、本音の底まで突き詰めると、理由はそれだけではなかったりする。

 ”彼女”とは全てが対照的だ。同じ場所で生まれた”個体”である筈なのに、まるで光と影、白と黒といったように正反対の性格を持つ。

双子の姉妹であっても性格が対照的だという話は珍しくもないが、こと”彼女ら”に至っては、普通の生まれ方をして来たわけではない。

 胎児であった頃に浮かんでいたのは、緑色の溶液で満たされた鉄の子宮。産まれた後も完全な管理下の下で”教育”を受けて、そして”出荷”される。

非人道的な行為のオンパレードであった”あの場所”で生まれ育った存在だというのなら、僅かであっても同情を感じてしまう部分がある。それが一方的な感情の押し付け合いだと、理解している上での考えではあったが。

 

 だからレイは、ミリアムの頭の上にポンと手を置く事で答えとした。

 

「いいんだよ、ンな事お前が考えなくても。生憎、ウチの人間はなんだかんだでお人好しの集まりだからな。お前を≪情報局≫の人間だと知った上で、それでもクラスメイトとして受け入れるくらいの器のデカさは持ってるんだよ」

 

「……それって」

 

「あぁ、本当ならあんまり褒められた事じゃねぇだろうよ。諜報部の人間を頭ごなしに信用する事がどんだけヤバいかってのは俺は良く知ってるつもりだ。

 でもよ、別に俺達は参謀本部にチクられるような後ろ暗い事はやってねぇワケだ。だったら必要以上に警戒する事以上に馬鹿らしい事もねぇわ。―――それに、お前だって学校に通うのは初めてなんだろ?」

 

 そう問いかけると、ミリアムは小さく頷いた。

 

「ならまぁ、お前に楽しい学校生活を送って貰いたいっていう俺達の親切心だとでも思っておけ。お前が”上”から命じられた仕事には目を瞑るし、直接実害が来ない限りはスルーしてやるからよ、好きなように過ごせばいいさ」

 

 ベンチの背に体を預けながらそう言い切るレイの姿を見て、ミリアムは先程までの笑顔を取り戻した。

 

「あはは。やっぱりクレアが言った通りだ♪」

 

「……なんて言ってたんだよ」

 

「「レイ君はミリアムちゃんにとってお兄さんみたいな存在になるかもしれませんね」だって。うん、確かにそうかも」

 

 勘弁してくれ、と言いかけたものの、それを面と向かって拒否する事は躊躇われた。

 ”彼女ら”は便宜上は姉妹という括りで製造されるが、顔を合わせる事はない。言うなれば、天涯孤独の身の上のようなものなのだ。

 聞く限り、レクターやクレアなどには可愛がられているようだが、それでもどこか思う所があるのかもしれない。妹分のような存在は今まで二人ほどいたが、それが三人になったところで何も変わりはすまい。

 

「好きにしろ。甘やかしはしないけどな」

 

「うん、そうさせてもらう♪ あ、じゃあさじゃあさ。ちょっと聞いてもいい?」

 

「何だ?」

 

「さっきお兄さんが口笛で歌ってた歌。あれってなんて曲なの? 結構綺麗なメロディでボク気に入っちゃった」

 

 はて、と思い返してみて、確かに口笛を吹いていた事を思い出す。

 元々、無意識で吹いているようなものだ。行動そのものを忘れかけていたが、チョイスしていた曲の名前はしっかりと覚えている。

 

「あれは、俺の親友が好きな曲でな。元々帝国の伝統的な曲の一つなんだが、あいつはこれをハーモニカで良く吹いてた」

 

「へー」

 

「曲名はな、『星の在り処』ってんだ」

 

 思わず哀愁が漂うような、夕焼け空の下にいるとつい口遊みたくなる曲の名前を口にするレイの表情には、どこか誇らしげな笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 時間は経って、月の光が窓から差し込んでくる頃。

 レイは自室にて、一人集中力を要する作業に没頭していた。

 

「…………」

 

 無言のままに愛刀の刃を砥石の上に滑らせ、シュッシュッという小気味の良い擦過の音が響く。

 普段、剣士としては”動”の一面を見せる事が多い彼だが、毎日欠かさず行っているこの作業の時だけは、決まって心の中を完全に空にしている。

 何も考えず、何も感じない。ただ白刃を研ぎ澄ます事だけに全神経を集中させ、しかしその行為にすらも特段思考を割いているわけでもない。

 いわば、記憶細胞の一つ一つにまで刻まれた慣習だ。恐らく目を瞑っていても、レイは己の手を斬るようなヘマはしないだろう。

 

 ≪穢土祓靈刀(えどはらえのたまつるぎ)布都天津凬(ふつあまつのかぜ)≫。この世界軸とは異なる”外の理”にて鍛えられた超越兵装の一つ。

 ≪八洲天刃流≫を修めた後からのレイの愛刀として彼を支え続けた無二の相棒とも言える存在は、決して刃毀れする事のない長刀。

 刀そのものが意志を有して”穢れ”を払う能力。故にこの刀は劣化する事無く、手に渡ったその時から変わらない煌びやかさを今も映し出している。

 

 そのため、本来ならば刀研ぎなど必要としない。例えどんなに乱暴に扱おうが、折れる事も毀れる事もないのだから。

 だが、それでもレイは毎日欠かす事なく愛刀を磨き続けている。それは義務感などという薄っぺらい感情から行っているものではない。

 

 ―――剣士とは、剣と共に在るべき者。

 不毀の剣を有したという、ただそれだけの事で(・・・・・・・・・)剣への感謝を忘れ、剣技のみを追い求めるようになった時。それが、剣士としての崩壊であり、死である―――レイは、師よりそう教わっていた。

 ほぼ全てに於いてフィーリングで、感覚のみを頼りに時に理不尽な逆境を以て剣技を叩き込まれた身ではあったが、それでも、その言葉だけは色褪せる事無く脳の中に残っている。

 特に、この刀は比喩でも何でもなく”意志”を持つ。一度拗ねる(・・・)と色々と面倒臭いという事は今まで身を以て知ってきた。

よく「銃は女と同じ。常日頃から手入れ(相手)しないといじけてしまう」という言葉は聞くのだが、この刀を手にした時は、よもや本当に声が聞こえる(・・・・・・・・・)事になるだろうとは微塵も思っていなかったのだから。

 

「―――っと」

 

 刀身を浮かせ、研ぎを終える。

 仕上がりを確かめる事はできない。常に最上級の状態を保っているため、どんな一流の職人が手掛けたところで結果など変わらない。

 だが刀曰く(・・・)、ただの道具ではなく、かけがえのない相棒として扱ってくれるその思いやりの行動こそが原動力になるらしい。初対面の人間が聞けばまず間違いなく首を傾げるであろう事ではあるが、それでもレイは丹念に相棒を磨き上げるのだ。

 その作業を終わらせた時、不意に部屋のドアがノックされた。

 

「クロウか? 入っていいぞー」

 

「ん? あ、あぁ」

 

 納刀しながらそう応えると、僅かに困惑したような声色のクロウが入室してくる。

そんな彼の姿を横目で見ながら、レイはゆっくりと立ち上がった。

 

「何で俺だって分かった?」

 

「足音で大体分かる。年季入ってる建物だから、音は良く響くからな。身長、体重、足の運び。それだけで判別はつくモンだ」

 

「はー。そりゃスゲェ。達人級の武人ってのはそこまでスゲェのな」

 

「師匠だったら五感塞がれてても余裕で察知するけどな。あの人人間やめてるから」

 

「……お前の基礎を作った人間だって想像するとうすら寒くなるわなぁ」

 

「そう言わないでやってくれ。悪い人じゃない。……悪い人じゃあないんだ」

 

「なんで二回言ったし」

 

 そうしないとたまに師への感謝を忘れそうになる、という事は言わないでおいた。

 

「んで、どうして俺の部屋に? ここを訪ねて来る好き者なんてリィンとサラにフィーくらいしかいねぇぞ」

 

「ま、細かい事はいいじゃねぇか。折角向かいの部屋になったんだからよ。挨拶みたいなモンだよ」

 

 カラカラと笑うクロウを前に、レイはご苦労さんと言わんばかりに肩を竦めた。

 敬語や呼称について変わっているのは、クロウからの「先輩とか後輩とか抜きにしようぜ」という提案に沿ったからであり、レイだけでなく、大半のⅦ組のメンバーはすでに順応していた。

例外と言えば根本がバカが付くほどに生真面目なマキアスと、普段から丁寧な言葉遣いをしているエマくらいのものだろうか。

 

「あ、そうそう。メシ美味かったぜ‼ あれ全部お前が作ったんだろ?」

 

「今日は委員長とエリオットが手伝ってくれたがな。まぁ一応大部分は俺だが」

 

「はー、いいねぇ、羨ましいねぇ。俺もツマミ程度は作れるがよ、これからはいつもあんな美味いメシを食えるって考えるとそれだけでテンション上がるわ」

 

「あぁ、いつもならシャロンがいるからこれよりグレードは高いぞ」

 

「マジでか。最強じゃねぇか。いやー、太りそうで怖いぜ」

 

 その言葉に、レイがピクリと反応した。それと同時に、ユラリと不穏なオーラを身に纏う。

そのただならぬ雰囲気を察したのか、クロウの表情が固まった。

 

「太りそう? 太りそう、か。ふっ、なるほどなぁ」

 

「え? ちょ、ま、俺今なんか地雷踏み抜いた?」

 

「いんや。ただまぁ……地獄の見せ甲斐があるなと思っただけだ」

 

「なぁちょっとホントやめようぜ⁉ その話題になるとなんだか俺の中の本能がざわめき出すんだよ‼ 絶対関わるなって危険信号全開なんだよ‼」

 

「じゃあちっと話題変えるとするか。クロウ、お前夕食の時にウチの女子勢を見てどう思った?」

 

「は?」

 

 そう問われ、クロウは脳内で数時間前の事を思い出す。

 おかしな事は特にない。が、少し変に思った事は確かにあった。

 

 普通、この年頃の女子というものは、まぁ個人差は勿論あるが、体系をベストに整えようとしてあまり食事を摂らない事が珍しくない。

クロウが第二学生寮に居た頃も、そう言った理由で食べ過ぎないように気を使っている女子は何人もいた。

 だがⅦ組の女子勢は、まるで成長期の男子もかくやという程の量の食事を普通に平らげていたのだ。食べ方そのものには女子特有の品性が感じられるものの、とにかく量の多さとスピードが速い。まるで何かに追い立てられているような、そんな雰囲気すら感じさせた。

 

「アイツら、ああいう感じで入学から4ヶ月くらい変わってねぇのよ。それでも本人たち曰く、太るどころかむしろ痩せたらしいぜ」

 

「……待て、それってまさか」

 

「―――単純な話、食わないと死ぬんだよ。カロリー不足で」

 

「だからやめろっつってんだろぉ‼」

 

 肩を掴み、必死の形相で揺さぶって来るクロウを、しかしレイは憐みの表情で対応する。

 

「諦めろ。Ⅶ組に来た時点で戦列の中に既に組み込まれてんだ。途中参加だろうが何だろうが一切合財関係ない。特別実習にも同行するってんなら、本当の意味であいつらと轡を並べて戦えなきゃ意味がないからな」

 

 その心配は杞憂であるだろうとは思っていた。

 ミリアムは末席とはいえ≪鉄血の子供たち(アイアンブリード)≫の一人。戦闘訓練くらいは積んでいるだろうし、クロウとて、Ⅶ組の原型を作るために一年前は特別実習と同じような事をしていたのだと聞いている。つまり、実力の”基礎”的な部分は問題がない筈だと踏んでいた。

 しかしだからと言って、これからやる事を変えるわけでもない。

 

「明日は実技教練の日だ。安心しろ、例え気絶してぶっ倒れてもどうせ授業が終わったら放課後なんだ。ひきずって寮に連れ帰ってやるからよ」

 

「怖い怖い怖い‼ 一体何させる気だよ‼」

 

 心底怯えた表情で叫ぶクロウに対し、レイは再び笑みを見せる。

 ただしそれは、向けられた人間が安らぎを覚えるようなものでは決してなかったのだが。

 

「地獄を見てもらうんだよ。アイツらも全員が通った道だ。―――まさか後輩に格好つかねぇ姿を晒すような人間じゃないよな。なぁ、クロウ・アームブラストよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トールズ士官学院のカリキュラムに照らし合わせると、特科クラスⅦ組の実技教練の日程は月・火・木の三曜日。

その中でも木曜日は5、6限目。つまり一日の終わりの授業となる。夏の時期真っ盛りである事も幸いしてそれほど暗くならず、黄昏時の中で授業が行われる事となる。

 

「ん、全員揃ってるわね」

 

 いつもと同じ、サラの号令で授業が始まる。

 いつもと同じ緊張感、いつもと同じ”運動”へと望む雰囲気。ここ数ヶ月で、ここ数週間で確実に定例化したその空気は、本当にいつもと変わらない。

 違う事があるのだとすれば、グラウンドに並ぶ面々の中に、新参の顔が二つほど並んでいるという事だけだ。

 

「じゃ、いつも通り始めましょうか。準備運動ね。取り敢えず各自、いつも通り適当(・・)に走って来なさい」

 

 パンパンという手を鳴らす音と共に、そんな指令を下す。

 適当に、という何とも適当な指示ではあったが、Ⅶ組の面々はそれに従って走り出す。―――各々の得物を持ちながら。

 

 

「あー、良かった。出だしは普通で安心したぜ。てっきり後ろから追尾式の拷問器具でも置かれてデスパレードに参加させられるかと思った」

 

「……取り敢えず俺達が他のクラスの人からどう思われてるのかは分かったよ」

 

 二丁拳銃を持ちながらリィンと並走するクロウは、そんな事を独りごちる。それに対してリィンは、左手に太刀を持ちながら苦笑すらできずに応えた。

 

「そういや、これってどれくらい走ればいいんだ? サラ教官は適当に、って言ってたけどよ」

 

「決められてない。10分経ったらサラ教官から合図があるけど、それまでどれくらい走るかは本当に一人一人に任されてる。体の具合が悪い時なんかは、全く走らないって選択肢もアリだよ」

 

「へぇ、そいつはまた」

 

 普通の学校でそんな事をしようものなら、その寛容さにかこつけてサボる者も出てくるだろうが、他ならないⅦ組でそんな事を考える馬鹿者など一人もいない。

 意識の高さも勿論あるが、サボった事がバレようものならば―――どのような制裁が下るかという事を理解してしまっているからだ。

 

「随分と自主性に富んだ方針みたいだな」

 

「サラ教官曰く、もうⅦ組(ウチ)は学院のカリキュラムから逸脱しかけてるらしい。だから、型に嵌めるより自主性に任せた方が良いんだとさ」

 

 それを踏まえて考えると、確かにこのランニング一つをしてみても生徒の力量を図っているとも言えた。

 自身の体調を見極め、自身の体力の底を見極め、諸々を把握した上でペースを完全に管理して走る。距離が指定されていないのは自主性を重んじるというよりかは、”自分の限界くらいは自分で管理しろ”というありがたい言葉の具現であるとも言えた。

 逆に言えば、その程度もできずに息も絶え絶えになるようならばこの先の教練に参加する資格はないという事でもあるのだが。

 得物を持ったままに走るのは、それも実戦での状況を想定しているという事だ。もはや、ただの準備運動とは言い難い。

 そしてこの授業方法を提唱した一人は、今も絶好調に長刀片手にグラウンドを爆走している。

 

「……なぁ、アイツいつもどんくらいで走ってんだよ」

 

「いつもは30秒くらいでグラウンド一周。それでも本人にしてみれば全然本気じゃあないからな」

 

 引くような様子を見せるクロウとは違い、リィンはと言えばその驚異的な記録に特に感慨深いものは湧いていない。

 これはあくまで準備体操の一環に過ぎない。体をほぐし、温めるのが目的の運動で張り合う事ほど馬鹿らしい事はない。この後に、その機会は幾らでもあるのだから。

 

 そして10分が過ぎ、再び全員が集合する。その後はまた10分程かけて入念にストレッチを行い、身体の状態を万全に近づける。

 実戦に於いては、こうした”準備運動”は同じく実戦の中でしか行う事ができない。如何なる状況でも全力を出せる状態に仕上げておくというのがプロの鉄則というものだが、今の段階では、まだこうした準備段階が授業の中に組み込まれている。

 そうした時間が過ぎ、戦う準備が整った面々に向かって、サラは今回の授業内容を説明する。

 

「はいはい。いつもならここから無差別級乱取りやら紅白戦とかするんだけどね。今日は別よ。

 クロウ、ミリアム。ちょっと前に来て頂戴」

 

「へいへい」

 

「りょーかい」

 

 調子を崩すことなく声に応える二人。しかしその表情には、僅かばかりの緊張があった。

 

「もう知ってるでしょうけど、特科クラスⅦ組全体の戦闘方式ってのは他のクラスとは比べ物にならない程異質よ。

 前衛組、中衛組、後衛組に分かれての、チームワークを最重要視した戦闘。加えて、複数の命令系統も限定的ながら確立させてるわ。あのナイトハルト教官をして、状況判断の早さと応用力は正規軍の精鋭部隊に匹敵すると言わせたほどだから」

 

 連携の力こそが、Ⅶ組全体の強み。そこに個々の成長が加わる為、その強さの底は未だに不明瞭で、それ故に恐ろしい。

 彼らが”強くなりたい”という気概を抱き続けている限り、どこまでも強くなれる。

 

「そして、アンタ達二人がⅦ組に編入して来たという事は、その中に自動的に組み込まれるという事を意味してるわ。年齢も主義も身分も一切関係ない。強くなり続けるこの子達に一度でも弾かれたら、もう二度と追いつく事はできないわ。それは覚悟しておきなさい」

 

 まるで特殊部隊の訓練だ、と思ってしまうのは仕方のない事だ。少なくとも、士官学院とはいえ学生の身分で要求される事ではない。

 ここで理解の齟齬がないように言っておくと、サラを始めとした教職員一同は、決して強くなる事を強制しているわけではない。他ならない彼らが貪欲に強くなる事を求めなくなったのだとしたら、それを必死に押し留めるような事もしない。元より、学生のカリキュラムからは大きく逸脱した教育なのだから。

 だが、幸か不幸か、Ⅶ組に集まった少年少女は、皆一同にとことんまで負けず嫌いだった。自身が感じた不甲斐無さ、力不足を、”学生だからしょうがない”と、そう達観して考える事ができなかった意地っ張りの集まりだった。

 だからこそ、ここまで強くなれた。武器を持った事すら初めての人間がいた寄せ集めのクラスが、僅か4ヶ月程度で現役の軍人からも称賛を受ける程の精鋭へと変貌を遂げたのだ。元はといえば「強くなりたい」という曖昧な要望にサラとレイが応えただけだというのに、気付けばここまで強くなっていたのだ。

 

 故に、サラもレイも、彼らの成長を阻害するような要員は歓迎したくない。

 彼らの向上心に迎合する事ができなければ、端的に言って足を引っ張る原因にしかならない。だからこそ、それを見極めるのと同時に、その身の内に秘める”可能性”を引きずり出す。

 

「まぁ、覚悟は今からしてもらうさ。そのための番外授業だ」

 

 そう言いながらレイは前へ出ると、右手に握っていた愛刀をサラに預ける。そして、左手に持っていた袋の中からとある物を取り出した。

 それは、銀色に光る手甲(ガントレット)。物々しいそれを慣れた手つきで両手に装着すると、二人に向き直って不敵な表情を浮かべた。

 

「んじゃ、これからお前ら二人の”適性”と”限界”を調べるから付き合え。俺の武装は知っての通り長刀だが、ぶっちゃけそれだと何だかよく分からん内に終わっちまうから肉弾戦(コレ)で行かせてもらうぜ」

 

 ガァン‼ という手甲と手甲をぶつける音が響くのと同時に、闘気を感じ取った二人が頬に一筋汗を流しながら戦闘態勢に入る。

クロウは二丁拳銃を構えながらジリジリと後退して間合いを獲得し、ミリアムはアガートラムを呼び出して構える。それぞれがベストな状態で戦える位置に着いた事を確認してから、僅かに左足を後ろに移動させた。

 

「っ‼ ガーちゃん‼」

 

 その動きが何を意味するのか、それを理解する前に感覚的な恐怖を感じ取ったミリアムがいち早く指示を繰り出す。すると僅か数コンマ秒のインターバル後に、アガートラムの白腕が高速でレイの方へと繰り出された。

 危機察知能力、そしてそれに付随する判断能力は及第点。頭で考えるよりもまず行動するという事も、必要になる事がままある。それに関しては、ひとまず合格であると言えた。

 尤も―――それとレイに攻撃が通る事とは、また別の話なのだが。

 

「ほぉ、中々重い良い一撃だ。アタッカーとしては充分だな」

 

「―――お兄さん、どうやってやってるの? それ」

 

 アガートラムの一撃は、レイの右手一本で完全に受け止められ、威力を殺されていた。

傍から見れば無機質な腕と拳が当たっているだけに見えるが、衝突の衝撃で周囲の土が舞い上がり、土埃となって散布されている。2アージュを優に超す高さのアガートラムの攻撃を、身長160リジュに届かないレイが然程苦労もしていない様子で受け止めるなど、普通であれば有り得ない光景だ。

 だがレイは、何てことはないと言わんばかりの口調でミリアムの疑問に答えた。

 

「別に。ただ呪力と氣で瞬発的に筋力を上げてるだけだ。『フォルテ』や『ラ・フォルテ』みたいな身体強化魔法(エンチャント)と原理は変わらねぇよ」

 

 とはいえ、魔法は原理的に詠唱を必要とするのに対し、レイのそれは本質的な身体強化のそれである。故に詠唱は要らない。

【瞬刻】を自由自在に扱うレイにとって、この程度の事は朝飯前の技術だった。

 

「―――破ッ‼」

 

 そして直後、一瞬だけ引かれた右の拳から、光り輝くオーラと共に爆砕にも似た拳撃が打ち出される。

 それを腕で受けたアガートラムは、ミリアム共々10アージュ程の距離を交代する。凡そ人の体から放たれたとは思えない衝撃にミリアムは思わず目を丸くしたが、すぐに意識を引き戻した。

 

 泰斗流、月華掌(げっかしょう)。クロスベルに居た頃の同僚が使っていた技を、見よう見まねで再現する。が、見稽古程度の練度であっても、レイという達人級の領域に足を踏み入れた者ならば、恐るべき必殺の攻撃となって目標を襲う。

 だが、その動きに見覚えのあったクロウは、すぐさま反撃を開始する。

 

「っらぁっ‼」

 

 攻撃を”点”で受けないために、走り回りながらの銃撃。マキアスが有しているような大型の導力銃であれば褒められた動きではないが、彼が得物としているのは小回りの利く二丁導力銃。単一目標を”点”で狙うのではなく、より広く、粗くとも”面”で攻撃する作戦。

 だがその銃弾の全てを、レイは身を低くし、常人離れした敏捷力で以て躱す。【瞬刻】こそ使わなかったが、鍛え抜かれた脚力で数アージュの間合いを瞬時に詰め、弾幕の返礼をするためにまずは一発撃ちこもうと、左足を前に突き出して主軸とし、拳を構える。

 しかしクロウは、その状況下で僅かに笑みを見せ、後ろに跳びながら再び滞空中に銃を構えた。

 

「もういっちょ食らっとけ‼」

 

 銃口から吐き出されたのは、凍結属性が付与された導力弾。『フリーズバレット』と銘打たれたそれは、過たずレイが居た地点を捉えた。

 

「ミリアム‼ 追撃よろしくなぁ‼」

 

「はいはーい‼」

 

 そしてその隙を逃さず、再び間合いに踏み込んだアガートラムが、今度はその巨腕を大上段から振り下ろした。

 轟音。屹立した氷の小山を破砕する音と、グラウンドを抉る音の二重奏。これで倒せたなどとは露程も思えないが、それでも攻撃を当てる事くらいはできただろうと―――二人共が、そう思っていた。

 

 

 

 

「あ、マズい」

 

 

 

 

 だからこそ、一瞬だけシンと鎮まり返ったグラウンドに響いた、誰かが発したその言葉が耳の中に反響した。

 直後、まるで相反する極同士の磁石がいきなり鉢合わせてしまったかのように、振り下ろしたアガートラムの腕が上空に跳ねた。

 

「ガーちゃん、戻ってきてッ‼」

 

 直後、膨れ上がった闘気を察したミリアムが、アガートラムを呼び戻す。

結果としてその判断は正しく、その呼び戻したコンマ数秒後、アガートラムが立っていた地点が、鎌鼬の風で削り取られたかのように斬り付けられた(・・・・・・・)

 

「おいおい……アイツ刀は使ってねぇんじゃなかったのかよ」

 

 絞り出したかのようなその声に、当の本人は答えない。砂煙が晴れたその場所で、手首を鳴らしながら、斬撃にも似た攻撃を繰り出した右足(・・)の爪先でトントンと地面を叩く。

 かくして、一瞬の隙を突いたはずの連撃は、しかしレイ・クレイドルという化け物に対してただの掠り傷、ただの余波すらも通す事ができなかった。その現実に、もはや引き攣った表情を浮かべる事しかできない。

 

 

「―――合格だ。見事な連撃だったぜ。クロウ、ミリアム」

 

 慰めなどでは決してなく、心の底からそう称賛するレイ。

 クロウ・アームブラスト―――中距離から遊撃としては持ってこいの機動力と武器の汎用性で攪乱と牽制をこなし、状況に応じたフィールドを作り上げる事ができ、尚且つ攻撃の決め手となる人間への決定打の譲渡もできる適応能力。フィーと同じく、開幕から多勢の敵を翻弄し、有利な戦局に持っていく中衛型の人間だ。

 ミリアム・オライオン―――典型的な近接特化系戦士(ストライク・フォーサー)。非常に高い防御力を兼ね備える次世代型高機能戦術殻であるアガートラムは、巨躯に比例して高い攻撃力も兼ね備える。前衛として、これ以上頼もしい存在もそういない。加えて、その動きを制御するミリアムの存在も大きい。細かな戦術などは恐らく心得ていないのだろうが、その見た目と反比例して突発的な異常事態や戦況の変化などを本能的に察する術に長けている。基本的には攻めに傾く戦闘を得手としているようだが、この分ならば奇襲などにも充分適応できるだろう。敵の矢面に立つ前衛組の素質は充分だ。

 

 だからこそ、レイは掛け値ない称賛と共に、及第点をつけた。戦列に加わるに相応しい力を持っていると、そう判断したのである。

 

「個々の練度、即席の連携の具合、どちらも現時点では申し分ない動きだ。歓迎するよ」

 

「そいつはどうも、っと。そこまで真剣に褒められるってのはやっぱ嬉しいモンだよなぁ」

 

「うんうん。ボクもガーちゃんも頑張った甲斐があったよ」

 

「Σ・ΝΦΘΜζ」

 

「おー、元気だな。―――んじゃ、第二ラウンドと行くか」

 

 唐突なその言葉に、思わずクロウが「は?」という言葉を漏らしてしまう。

それもその筈。彼らはこの模擬戦が、”二人の実力を測る為”のものであるとばかり思っていた。しかし、レイは始める前に確かに言っていたのだ。お前ら二人の”適性”と”限界”を調べるから付き合え、と。

 

「”適性”はもう充分分かった。後は、お前ら二人の現時点での”限界”を引きずり出す。足腰立たなくなるまで、気絶寸前まで追い込むからな」

 

「ちょ、ちょっと待て‼ そりゃいくらなんでも―――」

 

 やり過ぎだと、そう言葉にする前に、レイの右目からハイライトが消える。ただならない雰囲気に、二人共が押し黙った。

 

「なぁお前ら、燃え盛る山火事の中心を突っ走って、身体のどこにも煤すらつけずに突破しろって言われた事あるか?」

 

「……はぁ?」

 

「冬眠明けの巨大熊の目の前に裸装備で突き落とされて仕留めて来いって言われた事あるか? 大陸五指に入る滝を脚力だけで登れって言われた事あるか? 海底100アージュの深さにある沈没船の中からお宝取ってこいって言われた事あるか?」

 

 羅列されていく無茶苦茶な命令を、しかしレイは感情の籠っていない瞳と声で滔々と挙げ連ねて行く。背中にうすら寒さを覚えて、反射的に一歩身を引いてしまう程に、その雰囲気は異常だった。

 

「まだまだあるんだけどよぉ、これ一応ノンフィクションなんだわ。俺が修行時代に師匠に言われた事まんまだぜ? こんなクソみたいな修行内容が、俺ン時では日常茶飯事だったんだわ。

 あぁ、勿論同じ事やれなんて絶対言わねぇよ。こと教導に関しては俺は師匠の事を反面教師にするってずっとずっと思ってたからな。理不尽極まれる内容を提示する気はサラサラない。―――が、それでもテメェの限界くらいは知っておいた方が、後々絶対に有利になる。無謀な策を取らないためにも、自分の限界を超えるためにも、な」

 

「…………」

 

「冒険してみろ。自分の底を知る機会なんて、実はそうそうあるモンじゃねぇ。生憎と俺は、相手をとことんまで追い込む事に関してはプロに近いんでな。最後まで諦めずに立ってりゃあ、限界の底まで案内してやるよ」

 

 その言葉に、まずはミリアムが口角を上げた。

 自分が知らない未知の世界。自分という存在が強くなるための道。それに憧れた。―――つまりは彼女も、根本では負けず嫌いなのだ。

 

「……あー、クソッ」

 

 その様子を見てクロウも後ろ髪をガシガシと掻いて前に出た。

 

「付き合ってやるよ鬼畜後輩。もうホント、色々と諦めたわ」

 

「ボク達を強くしてくれるんでしょ? だったらボクは、お兄さんを信じてみるよ‼」

 

 覚悟を決めた二人を前にして、レイは再び表情に色を戻す。

 

「オーライ。んじゃ、まずは第二ラウンドの変更点を説明すんぞ。まずはアレだ。俺に一撃でも攻撃を通したら即終了。それができりゃ、まぁ刀に持ち帰るのもアリかもしれんなぁ。

 あぁそれと、クロウがどうやら泰斗流に見覚えがあるみたいだから、こっから先は色々と織り交ぜて行くぞ。安心しろ。俺の知り合いに泰斗流とか東方の拳術とかごちゃまぜにして自分だけのトンデモ拳術編み出した人外達人がいるから、その人が使ってた技を見よう見まねで繰り出すだけだ。当てはしないからよ」

 

 だが二人は、先程聞こえた声の真意までは流石に読み取る事はできなかった。

 「あ、マズい」―――これは、反撃が来るという事を示唆した言葉ではなく、彼らがレイに気に入られた(・・・・・・・・・)事を暗喩した言葉だったのだ。

 確実に地獄を見るんだろうな、という言葉とイコール関係で結ばれるそれは、暗に二人のこれからを如実に表していたとも言える。

 

「そんじゃ、ギリギリまで粘って生き残ってくれや。―――ちゃんとアフターケアはするからよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後。

 トールズ士官学校の校門前。そこには、目を回したミリアムをおぶさり、気絶したクロウの首根っこを掴んで引き摺りながら帰宅するレイの姿があったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ミリアムちゃん、クロウ、参戦‼

ということで、ウチの世界観のⅦ組に入るための入隊式? 的な感じです。
原作ではすんなり行きましたが、残念、ウチにはレイ君がいるんだ。

ウチの世界でのミリアムちゃんは、原作よりも少し精神年齢が高いかもしれません。
なるべく子供っぽさを出しながらも、調整していくつもりです。




……ところで、そろそろゴッドイーター・リザレクションが発売されますね。
すっごい楽しみなんですよ。個人的に。一応無印の頃からやってたので。
あーあ、アニメの時みたいに捕食形態でメッチャ伸びたりしないかなぁとかなんとか思っております。ハイ。




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夏空の悲壮感







「頼むよ神様、こんな人生だったんだ。せめて一度くらい、幸せな夢を見させてよ……」
      by 佐倉杏子(魔法少女まどか☆マギカ)














 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その人物が居る空間は、否が応にも荘厳になる。

 

 高邁にして鮮烈。武の心得を介している者であれば、誰であれその姿には畏敬の念を抱く事だろう。

 白金の鎧を身に纏い、その右手に携えるは巨大な馬上槍(ランス)。衒いも掛け値もなく、武人の頂点に君臨する絶対の”最強”。

 

 

「―――さて」

 

 その一言が夜の丘陵に響いただけで、その背後に仕える美麗な戦乙女たちは膝をつけて(こうべ)を垂れる。

 彼女らが意志と武器に込めるのは、他ならない主への敬意と忠道。その姿はまさに、女神(フレイヤ)の膝下に伏せる戦乙女(ヴァルキュリア)

 ただ一つ違うのは、仕える主が”最強”であるというだけ。

 

「デュバリィ、ルナフィリア。帝都での任務、ご苦労様でした。お蔭でこちらは恙なく準備を終えられそうです」

 

「も、勿体無いお言葉です‼」

 

「マスターのお役に立てたのでしたら、至上の喜びでございます」

 

 それぞれ人柄を表したかのような言葉を返す二人を眺めてから、その最高級の蒼耀石(サフィール)の輝きもかくやという程の双眸を、ただ一人膝をつかずにいた爍髪の女性に向ける。

 

「貴女もご苦労様でした、カグヤ。あの子は息災のようでしたか?」

 

「学び舎で良い学友に巡り合えたのでしょうな。歳相応の笑顔も見せていましたぞ。昔からあれは非情な世界しか知らなかった故、良い経験になっているでしょう」

 

「それは重畳。……ですが、時の流れはどこまでも残酷なもの。戦火はいずれ、再びあの子を巻き込むでしょう」

 

「―――僭越ながらマスター。発言を宜しいでしょうか?」

 

 会話に割って入ったのはルナフィリアだ。隣にいるデュバリィは急いでそれを窘めようとするが、それよりも先に言葉を向けられた主が「構いませんよ」と許可を出す。

 

「はい。恐れながら、彼は目の前で巻き起こる戦火の惨状から、決して目を背けたりはしないでしょう。一度は≪執行者≫として名を連ねていた身であるならば、今も燻る火種を見逃している筈もありません。

 ―――彼は、レイ・クレイドルはそういう男です。マスターも、それは既にご存知かと」

 

 諫言と言うには些かぶしつけな言葉ではあったが、女性はそれを咎める事無く、寧ろ嫋やかに微笑んで見せた。

 

「そうですね。あの子は目の前で無辜の民が害されているのを見過ごせる子ではありません。外面非情に振る舞っていても、その心は間違いなく優しき者のそれなのですから」

 

「師としてはそれがあやつの致命にならねばと思っておりますがな」

 

「善心をからかうものではありませんよ、カグヤ。その心を持ち続けていられれば、エルギュラ殿もソフィーヤも浮かばれましょう」

 

 そこまで言ってから、口を閉じたところで、雰囲気は更に張り詰めた。

 ザァッという一際強い風が、丘陵を駆け抜ける。視線を前方に戻すと、彼方に見えるのはクロスベル。その地での『計画』を成し遂げるために、行わなければならない事はまだ残っている。

 しかし、それも一時は取り止めだ。月末に控えた会議は≪使徒≫第七柱の管轄外。ここで一旦、彼女はこの地を離れる事になる。

 

「―――デュバリィ、アイネス、エンネア。私に着いて帝国まで共するように。カグヤとルナフィリアはクロスベルにて会議の結末を見届けなさい」

 

「「「「「仰せのままに。我が主(マイマスター)」」」」」

 

 一同が声を揃えてそう返した後、カグヤだけが肩を竦め、僅かばかりおどけたような声色で問いかけた。

 

「しかし意外ですな。主が御自ら帝国に赴くなど。一体どちらまで?」

 

 若い隊員たちが聞き辛かったであろう事を代弁するその姿に内心笑みを浮かべながらも、あくまで厳格な声でそれに答える。

 

「哀愁の念に駆られたわけではありませんが、帰郷するのも一興かと思いましてね。

それに、霊脈の流れが不穏になっている今、あそこは此の世ならざるモノが闊歩しているかもしれません」

 

 歴史の上から名を消した時、配下の騎士に預けた領土。その湖上に浮かぶ城こそが、かつて彼女が若き獅子へと助力する際に空け、そして終ぞ戻る事のなかった場所でもある。

 この時期は朝方に包み込む霧が美しかったと、そう瞼の裏にその風景を思い出し、鎧に包まれた足先を翻す。

 「その武芸、もはや人に非ず」と謳われ、幾度の戦場にして不敗。常勝の騎士にして、その高潔な生き方は嘗て轡を並べた若き獅子にも影響を与える事となった。

 

 結社《身喰らう蛇》使徒第七柱―――《鋼の聖女》アリアンロード。

 

 此度その足が向かうのは戦場に非ず。霧に包まれた静かな、湖畔の町であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん? んん……」

 

「んー? どうしたのレイ」

 

「いや、何か悪寒が……ってミリアム、そこyの代入ミスってんぞ」

 

「ふぇ? あ、ホントだ」

 

「レイ。これでいい?」

 

「どれどれっと。ん、これ違うぞフィー。エレボニアで四州都全部が鉄道路線で結ばれたのは1175年だ。10年違う」

 

「む。やっぱり暗記はキライ」

 

「おら、もうちっと頑張れ。もう少ししたらシャロンがアイスココア持って来るからな」

 

「「頑張る」」

 

 第三学生寮、3階の談笑スペース。そこでレイはミリアムとフィーを相手に勉強を教えていた。

 本来であればそれはエマの担当である筈なのだが、彼女は今入浴中だ。その間、暇をしていたレイに白羽の矢が立ったというわけである。

 そういうレイ自身も実は数分前に入浴を終えたばかりであり、湿気を含んだ髪を掻きながら、二人のテキストに向かい合って根気よく教えていた。

 

 しかし、そんな時レイが感じた寒気は、単に湯冷めしたからというわけではない。今まで何度か味わって来た、自分の与り知らない所で嫌な動きがあった時のそれ。所謂、虫の知らせに近いものだった。

 とはいえ、その悪寒の原因を突き止めようとは思わない。その程度ならば、今対処しようがしまいが結局結果は同じだからだ。

 

「そう言えば、レイって結構頭良いんだよねー。意外かなー」

 

 鉛筆の持ち手の方の先を口に銜えながら、ミリアムがそう言う。

 因みに、彼女はレイの事を「お兄さん」というのは止めていた。というよりも、止めさせられていた。

所構わずそう言ってくる場面を見られると、他の学生の中で勘違いする人間が出てきて、一々その釈明に駆られる事が面倒臭くなったレイによって呼称を封印されたのである。

当初はぶーぶーと文句を言っていたのだが、流石に3日も経つと違和感がなくなり、名前で呼ぶことが定着した。

 

 そんな彼女からの「頭が特別良いようには見えない」という悪意ゼロの正直な疑問に、レイは頬杖を突きながら答える。

 

「ま、勉強は出来ておくに越したことはねぇからな。好きか嫌いかはともかくとして、それなりに知識を得ていて損する事はない」

 

「む、意外と真面目な答えが返って来ちゃったよ」

 

「一応これでも成績優秀者だからな。むしろお前の方が意外だよミリアム。自習勉強に逃げずに参加するタイプだとは思わなかった」

 

「えっと、ね。最初はちょっとそう思ったんだけど……委員長の笑顔が何だか怖くって」

 

「あー……」

 

 まぁ分からなくもない、という風に同意する。

 実際、Ⅶ組の中で本気で怒った時にある意味一番怖いのではないかとされているのがエマだ。普段本気で怒らない(というよりも本気で怒ったところは見た事がない)上に、あの穏やかで丁寧な性格である。

もし彼女を怒らせたときは炎属性のアーツでヴェリーウェルダンに焼かれる末路を辿るだろうという男子一同の見解は勿論本人には漏れていないが、それでも底知れない怖さのようなものは感じ取れてしまうのだ。

 まだ笑顔で怒っている時はマシな部類だろう。実際それを何度も目の当たりにしているフィーが未だ無事なのだから。

 

「まぁでも、委員長は教えるのが上手いぞ。マキアスはあれで教師というよりかは研究者気質寄りだし。―――あぁでも、ユーシスは意外と様になるんじゃないか?」

 

「えー? だってユーシスすぐ怒るじゃん。今日だってガミガミガミガミ言われたもん」

 

「あれはお前が校内で色々とやらかしたからだろうが」

 

 好奇心が旺盛なミリアムが放課後の学院内で、騒ぎとは言えないまでも色々と賑やかしていたのは多くの人間の知る所だった。

 ある時はグラウンドで馬術部のポーラの馬に相乗りしてグラウンド中を走り回り、ある時は技術棟でアンゼリカに可愛がられ、ある時はギムナジウムで二階からのプール高飛び込みに挑んだりと、3日前に体力の全てを使い果たして気絶したとは思えない快活さを見せていた。

 

「俺が用事でギムナジウムに行った時にプールの方から「部長ぉ‼ 空から女の子がぁ‼」とかいう声が聞こえた時は流石にどうしたのかと思ったわ」

 

「あはは♪ でも面白かったよ?」

 

「んで、その対価におもっくそ叱られたと」

 

「そーだよー。あんなにガチで怒る事ないじゃーん」

 

 頬を膨らませて怒るミリアムを見てからフィーと視線を合わせると、彼女の方は目を伏せてからポンポンとミリアムの肩を叩く。

 

「……私も入学した頃はよく色んな所で昼寝場所を探してたから、ユーシスによく怒られた。「勝手にウロチョロするんじゃない」って」

 

「あ、フィーもそうだったんだ」

 

「ん。―――でもユーシスもただ怒ってるわけじゃない。ちゃんと心配してくれてるし。

ただ怒ってる顔がデフォだからそう思えないだけで」

 

 仏頂面でいる事が普通の彼は、ただそれだけで他人に誤解を与える事も多いのだが、本質的には面倒見が良い青年である。

 大貴族の子弟でありながら蔑まれる視線を向けられるような半生を送って来たその生き方がそのキツめの容貌を作り出してしまったのだが、その分彼は本当の意味での貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)を心得ている。

 というよりも、生来の性格のようなものだろう。もしくは、8歳まで彼を育てた母親の教育の賜物なのかもしれないが、ユーシスは年下の子供への面倒見が良い。

 レイも時々、学院から学生寮への帰路の途中にある教会の前で、日曜学校に通う近隣の子供に囲まれて嫌嫌そうな顔をしながらもちゃんと対応しているユーシスを見かけた事があった。

 

「まぁそれに、あいつが怒るって事は、言い換えてみれば相手が怒るに値する人間だって事だ。本当に自分にとって関係ないって思ったり、関わる事によって不利益を被りそうな相手に対しては、あいつは基本的に無視を決め込むからな」

 

 そしてそれも、数か月間同じ寮で寝食を共にする内に分かった事だった。

 ユーシスは、恐らく本人すらも無意識の内に対人関係を限定する癖がある。決してコミュニケーション能力が乏しいというわけではなく、その輪が狭い訳でもないのだが、嫌っていたり、関わる事に意味を見いだせない相手に対しては可能な限り距離を取ろうとする。

 それは父親が相手の時もそうであったり、身近な話で言えば学生会館の3階にある貴族生徒専用のサロンを利用しようとしないのもその癖の結果だ。家名と親の自慢、加えて爵位が上の貴族生徒への阿諛追従という名の交流に意味を見いだせないユーシスは、その場所を一度も訪れた事はない。

 

 逆に言えば、ミリアムに対しては関わる価値、怒る価値があると踏んだのだろう。

 彼女の所属、狙いに一番警戒心を抱いていたのは他でもない彼であったが、2日前の文字通り全力を尽くした戦いの内容に何か思う所があったのか、今ではそれ程固い接し方をしないようになっていた。

 

「むー、分かりにくい」

 

「そう言ってやるな。あれで結構頼りになる奴だ」

 

 口を曲げて唸るミリアムに、レイが苦笑しながら言う。

 実際、流れる血がそうさせるのか、本質的に他人を纏め上げるのが上手い。だからこそレイも、彼に中衛型の指揮官を任せているのだから。

 

「あら皆様、一片付けができたようですね」

 

 と、そんな話をしていると、階下から4つのグラスに注がれたアイスココアをトレイの上に乗せたシャロンが現れ、そう声を掛けて来る。

 ミリアムたちは渡されたアイスココアをストローを使って笑顔のまま飲み、レイも氷が躍るグラスの様子を眺めながら口を付けた。

 風呂上がりに加えてエアコンが配備されてない寮内では、こうした一時の贅沢が掛け替えのないものであったりする。体の芯まで冷たさが染み渡ったところで、レイが話題を変えた。

 

「そういや、明日は自由行動日か。お前らはどうするんだ?」

 

「んー、午前中はまた色んな所を回ってみるよ。午後からはリィンに旧校舎って所の探索に誘われたから、そっちに行く」

 

「あ、それ私も誘われた」

 

 自由行動日に恒例となった旧校舎の探索。

 本来それは生徒会長のトワを通して学校側から齎される以来の一環であるのだが、これについては既に自主的なものへと変わっていた。

 

「ミリアムにフィー。って事は、後は中衛にクロウと後衛組から二人か。アリサと……後は委員長かエリオットのどっちかだな」

 

「ま、そんなとこだろうね」

 

「レイはー? レイは行かないの?」

 

 ミリアムが尤もな疑問を投げかけたところで、レイも少し考えるような仕草を見せた。

 探索そのものはリィン達の練度を上げる役にも立っているのと、今まで運悪く用事が重なっていたために参加できなかったのだが、ふと思ってみれば幾つか個人的に調べたい事もあった。

 

「ん……そうだな。良い機会だし俺も少し見に行ってみるか」

 

「いーんじゃない? リィンなら反対なんてしないよー」

 

「レイと一緒に旧校舎に行くのってオリエンテーション以来だね。そう言えば」

 

 そう言えばそうかと、囁かな雑談を数分間続けていると、風呂から出て来たエマがしっとりと濡れた髪を梳かしながら3階に上がって来た。

 レイはシャロンが持って来たアイスココアの残りの一つをエマに渡すと、再びミリアムとフィーに向き直る。

 

「んじゃ、お喋りはここまでだ。こっからは委員長とのタッグで教えて行くぞ」

 

「基礎的な所の復習だけですから、そんなに辛くないと思いますよ」

 

「「いや、もう雰囲気が怖い」」

 

 背筋に一筋冷や汗が流れる二人を他所に、教師役の二人は意外とノリノリな様子でその後数時間にわたってみっちりと学習内容を二人に叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へー、これが旧校舎かー」

 

 翌日、リィン達に連れられて旧校舎を訪れたミリアムは、静寂な雰囲気が漂うその場所を間近で見て、キラキラと目を輝かせた。

 それに続くようにして、リィン、レイ、クロウ、フィー、アリサ、エマというメンバーが舗装もされていない下り坂を下って辿り着く。

 

 結果として、旧校舎探索に付き合いたいというレイの要望は、リィンに二つ返事で了承された。

戦力的な意味合いでの増強という事も勿論あるが、様々な場所を見回って来たレイの見解から摩訶不思議な旧校舎の謎について意見が欲しいと言われ、逆にプレッシャーを掛けられたほどだった。

 

 そうして組まれた編成のままで、まずはリィンが預かっていた旧校舎の鍵で入り口を開け、中へと入って行く。そしてオリエンテーリングの時に集まった1階部分の小ホールを抜けると、そこには中心部分に機械仕掛けの昇降装置が鎮座した石造りの部屋があった。

 

「前にリィンを止めるために来た時はあんま見てなかったが……改めてみると随分と変わったモンだよなぁ」

 

「旧校舎の怪、か。確かに学院七不思議の一つにされちゃあいるが、まさかここまで本格的なヤツだったとはな」

 

 ゆっくりと周囲を見回すレイとクロウにペースを合わせるように、全員が昇降機のスペースへと入って行く。するとリィンが慣れた手つきで昇降機のボタンを操作していった。

 

「ほー、慣れたモンだな」

 

「まぁ、何度も来てるからこれくらいは、ね」

 

 以前レイが左目を使ってまで調べようとして、しかし失敗したそれは、ただの機械仕掛けの昇降機ではない。

 類似するものを挙げるとすれば、何度か潜った古代遺跡に設置されていた罠解除用のギミックだろうか。ともあれ、ヒトの手によって作られたかどうかも分からないという意味では酷似している。

 何せ、導力を利用して運動をする昇降機が発明されたのも僅か数十年前の話なのだ。それよりも遥かに古い歴史を持つこの場所で問題なく稼働しているコレが常識的な技術を用いて作られたモノではない事は一目瞭然である。

 

 そんな事を思いながら降下していくと、辿り着いたのは地下5階。

 此処で本来ならば、開いている扉を抜けて未知のフィールドが広がる地下迷宮に繰り出すのだが、しかし地下5階の扉は固く閉ざされていた。

 

「? 変だな。いつもなら自動的に開くんだけど……」

 

「そうよね。―――それに、何だか変な靄みたいなのが漏れ出てるし」

 

 アリサの指摘通り、地下迷宮に通じている筈の扉からは、紅色の靄のようなモノが漏れ出ていた。

 発生の原因も、そもそもの靄の正体も不明瞭の為、近寄れず距離を取っていると、不意にレイが足を踏み出して近寄った。

 

「お、おい、レイ‼」

 

「お前らそこで待ってろ。気は進まねぇが仕方ねぇ。ちっとばかし本気で”暴き”にかかるぞ」

 

 そう言うとレイは、左目の眼帯を乱暴気味に額の上まで押し上げる。解放と同時に頭痛を伴う翡翠色の義眼は相も変わらずこの旧校舎の一切の情報を映し出そうとはしなかったが、それは既に承知の上。

 正体不明の扉を睨み付けながらパチンと指を鳴らすと、その傍らに音もなく式神であるシオンが現界する。

 

「一時的に”接続”を強めるぞ。神力を流せ」

 

「畏まりました。……しかし、宜しいのですか?」

 

「一瞬だ、反動もねぇだろ。まぁ、気が進むか進まねぇかって言ったらクソ進まねぇんだけどさ。

 ―――それでも、こうでもしないと”覗け”ねぇんだ。ならやるしかないだろ」

 

 そうした短い会話を終わらせると、シオンは軽く頭を下げ、金色の尾の数を三本に増やす。

 そこから漏れ出した黄金色の炎をレイの体に纏わせると、≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫がその輝きを一層強くした。

 思わず、レイは顔を顰める。傍から見れば異常がないように見えるかもしれないが、現在彼の身には、引き臼で磨り潰されるかのような断続的な激痛が頭の中だけではなく全身を駆け巡っていた。

 ヒト以外の万物を見通す古代遺物(アーティファクト)慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫。その起源ともなった神を嫌うレイが抑え込んでいた本来の力の一端を解放すると共に、聴覚ではなく、その魂が幻聴にも似た声を捉えた。

 

 

『―――何用カ、虚ロナル神ノ残滓ヲ受ケ継グ定命ノ者ヨ』

 

 ズン、と擬音が漏れそうな程に体全体に圧が掛かる。

それでも、少し離れた場所で事を見守っている仲間には異常を悟られまいと、決して立派とは言えない体躯を支え、不敵な笑みを浮かべ続ける。

 

『―――ココヨリ先ニ進ム事、相ナラヌ。神意ヲ否定セシ者ハ、我ラニトッテ弑逆ノ使徒モ同然ナリ』

 

 好きで手にしたわけではない。手放せるというのならば未練も確執もなくどこにでも放り投げてみせるだろう。

 だが、”ソレ”らにとってそんな個人の事情など知った事ではないらしい。ともすれば神の力の一端を否定せずに受け入れているザナレイアならば、或いはこの扉を潜る事ができたのかもしれないと思うと、流石にやるせない感情が浮かんで来た。

 

『―――サレド、ソナタラノ絆ニ相違ハナシ。現時点ニ於イテハ(・・・・・・・・)認メラレヌガ、見事ソノ葛藤ニ打チ勝ッテ見セヨ』

 

 要するに、”ソレ”は神の意志を否定するレイが気に入らない。故に、”ソレ”に繋がる扉は開かない。

 だが、彼らⅦ組としての絆は認めている。だが、それも現時点では完全なものとは言い難い。―――当然だ。未だ全てを晒け出していない人物もいるのだから。

 それはエマであったり、ミリアムであったりと少なからずいるが、そのなかでもレイはその最たるモノだ。あの日、あの砂浜で打ち明けた彼の過去など、その一端に過ぎない。

 

 成程、確かに葛藤はある。そもあの地獄から助け出された時以降の彼が過ごした日々は、日常などとは程遠い。歳相応の顔と修羅の顔を使い分け、血の臭いが染みついた体を異常と思わない人間だったのだから。

 それを打ち明けるか否か。それを見抜かれたのであれば、レイとしても反論の余地はない。逆に言えば、それを決意しない限りは”ソレ”の最低限の許可も得られないという事なのだ。

 

 ―――そうして、圧迫感から解放された。同時に、声も一切聞こえなくなる。

 自身の神力を送っていたシオンは、今の段階ではこれ以上は危険だと判断し、強引にレイとの回路(パス)を断ち切った。その反動で一時的に現界が保てなくなり金色の粒子を残して消えて行った。

 

「っ、レイっ‼」

 

 その瞬間、僅かに上体を揺らしたレイの下にリィン達が駆けつける。そんな彼らに、心配は無用と言わんばかりに平静を装ったレイは落ち着いた手つきで再び眼帯を嵌め直した。

 

「……大丈夫だ。久しぶりにちっと無茶したけどな」

 

「おいおい、大丈夫には見えねぇぞ?」

 

「クロウ、こういう時のレイには何言っても無駄だよ」

 

 流石に長い付き合いのフィーにはやせ我慢だという事はバレており、そうでなくともリィン達も何となく察してはいるようだった。

 そんな彼らに一つだけ笑みを向けてから、レイは一人、再び昇降機の方へと向かって歩いて行く。

 

「? レイ、どうしたんだ?」

 

「いんや、此処にある”何か”はどうも俺の事が気に食わないらしい。俺がお前らといる限りは、その扉も開かねぇだろうよ」

 

「ちょっと、何よそれ」

 

 アリサが少しばかりムッとしたような表情を浮かべてそう言う。その他、程度の差こそあれどリィンやエマ、フィー達も同じ感情を抱いているようだった。

 その言葉が本当ならば、この迷宮はレイだけを露骨に弾いている。彼らにとって、それが心地よいものである筈がない。

 だがレイは、振り向かないままに右手だけをヒラヒラと振った。

 

「俺が旧校舎から出ても扉が開かなかったら、まぁその時は呼びに来てくれ。無事に開いたらそのまま探索を続けろよ? 変に気を遣わなくてもいいんだからな」

 

 ただそう言い残して、レイは昇降機を操作して1階へと戻る。それから僅かも躊躇う事無く扉を開けて旧校舎を出ると、その場で数分程待つ。

本当に少ない可能性。それこそレイが居なくなっても扉が開かず、原因不明という事で自分の事を呼びに来る事を心のどこかで期待しての事だったが、それも無駄足に終わる。

 それは決してリィン達が薄情だという事ではない。恐らく彼は扉が開いた後、レイを呼び戻さずに前に進む事が一番レイに対して誠実な対応だと判断したのだろう。実際、それは間違っていない。

 寧ろだからこそ、レイはその事実に引きずられる事のないままに悠々と学院内を歩き回っていた。

 時刻は午後2時。寮に戻ってシャロンの家事手伝いをしようにも中途半端な時間帯であり、他のメンバーもそれぞれ部活に精を出している為に、完全に暇になっている状態だ。

 気付けば、その足は屋上に向かっていた。

扉を開けて、地上で感じるそれとはまた違う風を感じた後に屋上に設けてあったベンチに腰掛けて、刀袋に入った愛刀をベンチの傍らに立てかけてから深い息をつく。

 

 何の気なしに左目の眼帯を手でなぞってみたが、既に痛みはほとんどなくなっていた。

 一時とはいえ、人理の外に値する力を解放した為に、旧校舎を離れる時くらいまでは鈍痛が絶え間なく続いていたのだが、本当に解放していたのが一瞬であった為に、自身に対する”揺り戻し”は最小限に留められた。

 これが数時間単位で解放状態になれば、左目が徐々に体そのものを侵食していき、果てはザナレイアのようにヒトとは違う存在になってしまう。それを、レイは殊更に嫌っていた。

 

 そも、≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫という名は、≪結社≫時代に名付けられた俗称でしかない。

 ≪結社≫に属していた頃、その人の身に余り過ぎる強大な力がレイ自身の成長の阻害になると感じた師が、伝手を使って”外の理”の技術を使用して幾重もの封印を掛けたのが、今のこの左目である。

 それ以前の、それこそ≪教団≫に保管されていた頃のこの古代遺物(アーティファクト)の名は―――≪虚神の黎界(ヴァナヘイム)≫。

 ヒト以外の対象の”過去”を情報として認識する能力を下地に、≪虚ろなる神(デミウルゴス)≫本来の”力”の一端を担うという破格の能力を有するこの古代遺物(アーティファクト)は、その対価として所持者にとある”呪い”を付与させるモノだった。

 

 それが、”未来化の停滞”。過去を見通す基盤の力と対になるそれは、その名の通り所持者の肉体の未来化を停滞させてしまう。

 故に、レイの肉体年齢の進み方は非常に遅い。成長期である十代の中盤にあってほぼ皆無と言っていいほどの成長のなさを実感させてしまうのは、他でもなく、それが原因だった。

 結果的に、早熟した精神と子供のまま成長が極端に遅い肉体とが乖離してしまう事も昔は多かった。今でこそその”対価”は、レイが≪執行者≫となったあかつきに≪盟主≫より賜った愛刀に”穢れ”であると判断されて僅かずつながらも”浄化”されている為、肉体年齢の停滞は以前のそれよりはマシにはなった。

 ただそれでも、この古代遺物(アーティファクト)が齎しているのはメリットよりもデメリットの方が格段に大きい。大本の話として、もしこんなモノが此の世に存在していなかったら―――母親は、村の人間は殺されずに済んだのかもしれないのだから。

 もし、メリットを挙げるのだとしたら、それはシオンと出会えた事だろうか。

 準”至宝”レベルの奇跡を体現させる二つの古代遺物(アーティファクト)を監視する役目を持って目の前に現れた”聖獣”がいなければ、レイは何もかもに挫折して、ここまで辿り着く事すらもできなかっただろう。

 そう言う意味では、普段ふざけた態度を取る事もある彼女に対して、掛け値なしの信頼をしているとも言えた。

 

 

「あー……やっぱ嫌いだわ」

 

 こんなモノをこの世に遺して自壊した神が嫌い。

 得たくもない力を手にして、そうして今、仲間と共に歩もうとした道すらも拒絶されてしまい、それを理由にして現実から目を背けようとする自分も嫌い。

 そんな堂々巡りの負の感情に囚われようとしていた矢先に、不意に屋上の扉が開いた。

 

 

「ふー、疲れた疲れた……っと、おやレイ君じゃないですか。奇遇ですね~」

 

「あれ? トマス教官。どうしたんです、こんなところに」

 

「いやぁ、溜まっていた仕事が漸く一区切りつきましてねぇ。遅めの昼食がてら休憩しに来たんですよ」

 

「そいつぁお疲れ様です」

 

 ビン底眼鏡をかけたトールズ士官学院帝国史教師のトマス・ライサンダーは、いつも通りの如何にも無害そうな笑顔のままにレイの下へと駆け寄ってきて、少し離れたベンチの横に腰掛ける。そしてそのまま、購買で買って来たと思われるパンを取り出すと待ちに待ったと言わんばかりにそれを食べ始めた。

 自他共に認める重度の歴史オタクであり、彼と個人的に対話をしている人間の姿は見た事がない。

とはいえ、得てして専門家とはそういうものであり、迂闊に話しかければどういう事になるかくらいはレイも知っていた。

 

「そう言えば、レイ君は何故ここに? 私は雰囲気が好きで良く屋上に来るんですが、君の姿を見かけた事はなかったもので」

 

 とはいえ、話しかけられてそれを無視するほど人でなしではない。レイは苦笑してから肩を竦めた。

 

「本当は予定があったんですけどね。キャンセルせざるを得なくなって、こうしてここで暇を潰してたんですよ」

 

「おや、そうでしたか。……そう言えば先程旧校舎に入って行く姿を見かけましたが、もしかしてその関係で?」

 

「まぁ、そうですね。やっぱトマス教官も気になります?」

 

「それはもう‼ 一応考古学も齧ってますからね~。ああいうミステリーが詰まった存在には興味を持ってしまうものなんですよ。研究者の性のようなものですかねぇ」

 

「あっはっは。なるほどなるほど」

 

 言葉を交わしながらもトマスは食事を続けて行き、パンの最後の一口を飲み込んで、包み紙を傍らに設置してあったゴミ箱に投げ入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――瞬間、レイの腕が残像を残して動いたかと思うと、刀袋に入っていたはずの白刃が煌めき、トマスの首筋に吸い付くようにピタリと当てられていた。

 

 

 

 レイが動いてからその結果に辿り着くまで、実にコンマ数秒もかかっていない。そんな神業を目の前にして、ましてや自身にそれが向けられているというのに―――トマスは人の好さそうな笑顔を一切崩していなかった。

 その様子を見て、レイは忌々し気に眉を顰めてから、一つ舌打ちをする。

 

 

「覗き見とは良い趣味じゃねぇか≪匣使い≫。その言い分を見るに、テメェあの建物の中に何があるか知ってやがるな?」

 

「―――さて、どうでしょう。好奇心が駆り立てられるのは本当の事ですがね。

 ですが、流石は≪天剣≫。やはり私の正体にも気付いていましたか」

 

「ぬかせ。俺が昔どれだけ”お前ら”と喧嘩したと思ってる。≪紅耀石(カーネリア)≫が追手を差し向けなくなっても、まぁ封聖省の暇人共は凝りもせずに俺をつけ回してたからな。

 ……ま、流石に今回は違うんだろうが」

 

「えぇ。私は君が来る前からトールズに居ますからね。目的はお察しの通り、あの建物ですよ」

 

 トマスが視線を向ける先にあるのは、色褪せた屋根と鐘がついた旧校舎の建物。それに倣ってレイもそちらの方向を向いてから、刀を引いた。

 

「おや、いいんですか?」

 

「別に。どうせお前もここで何かやらかそうなんて考えてないだろ? 実力行使であの建物をどうにかしようとするんなら、お前より適任の奴らは幾らでもいそうだからな」

 

「はは、そうですね。私はこの通り武闘派とは言い難いですから。それこそバルクホルンさん辺りの方が適任かもしれませんね」

 

「あの爺さんいつまで現役続けるつもりなんだか。

 とはいえ、俺からしちゃあお前みたいな人間の方が相手にし辛いんだがね」

 

「おや、それはそれは。元武闘派≪執行者≫に言われるとは光栄ですよ。いえ、本当に」

 

 最初に取り決めた距離から近づかず、離れもせず、言葉を交わし続ける二人。

 

 

 片や、元≪結社≫の実働部隊である≪執行者≫。その中でも若くして達人の域に至った天才。

 片や、七耀教会の秘匿組織である封聖省の実働部隊≪星杯騎士団(グラールリッター)≫。その中でも統率者として名を連ねる≪守護騎士(ドミニオン)≫のNo.2。

 

 表向きは大きな問題を抱えていない士官学校で鉢合わせるには、余りにも物騒な顔ではあった。

 

 

「……一つ聞かせろ」

 

「何でしょう」

 

「お前は本当に”見定める”だけなんだな? もし封聖省の人間としてリィン達を力ずくでどうにかしようと企んでんなら―――物言わぬ肉塊になる覚悟くらいはしてもらわなきゃならん」

 

 レイにとって、大事なのはその一点のみだった。

 普遍的な正義の代弁者である七耀教会の人間とはいえ、≪星杯騎士団(グラールリッター)≫に所属する者達は、その目的を果たすためならば時に非人道的な行動すらも許容してみせる。

 その矛先が彼らに向くというのであれば、レイとしても容赦をする気など欠片もなかった。

 しかしトマスは、笑みを顰めて真剣な表情を作ると、ゆっくりと首を横に振った。

 

「誓ってどうもしません。私の目的はとある古代遺物(アーティファクト)の回収と情報集めです。そこに、彼らが敵として立ちはだかる事は万が一にもないでしょうし、あの旧校舎に眠る存在にも、直接的な関係はありません」

 

「旧校舎に眠る、ね。何だよ、男心をくすぐる言い方をしてくるじゃねぇか」

 

「それについては全面的に同意しましょう。私も仕事とは関係なく、こうした謎めいた存在を探るのは好きなクチでしてね」

 

「普段の歴史オタクぶりは結構素の性格だってことか」

 

 笑い声を漏らす両者。お互い”敵”として認識してない以上は、これ以上の敵対心を抱く理由もない。

 

「そんじゃ、あなたがどうもしない場合は俺も不干渉を貫くとしますよ。トマス教官」

 

「そうしてもらえればありがたいですねぇ、レイ君。……もしバレたら総長からキツいオシオキが来るので勘弁なんです」

 

「そりゃヤバいっすわ。―――あぁそうだ。教官の従騎士の方にも宜しく言っておいてくださいな」

 

「おや、そちらの方も気付かれていましたか」

 

「徹底的に隠しているとはいえ、やっぱり”裏”の臭いってのは消せないモンですから」

 

 同業者は誤魔化せないモンですよ、と、茶化すように言った言葉を聞いてから、トマスはベンチを立った。

 

「ではでは、私はこれで。休み明けの授業の支度をしなくてはならないので」

 

「了解です。あぁ、後、あんまりサラ―――教官を酔い潰さないで下さいよ? 介抱するのが大変なので」

 

「おや残念。サラ教官やナイトハルト教官と一緒に飲むのは楽しいんですがねぇ」

 

 そう言いながら悠々と屋上を去るその背を見送ってから、レイも愛刀を再び刀袋に収めた。

 一人でじっくりと考えようとしていたのに余計な邪魔が入ったものだと思いながらも、不思議と先程までの暗重とした気分はどこかに吹き飛ばされてしまっており、うだうだと考え込むには気晴らしが過ぎたと実感する。

 恐らく、リィン達が旧校舎の探索を終わらせるまでにはまだ時間が掛かるだろう。なら技術棟にでも行って暇つぶしをするかとベンチを立った瞬間、ポケットの中に入れていたARCUS(アークス)が振動した。

 

「? ―――はいはい。レイですけど」

 

 ARCUS(アークス)の着信番号を知っている者は、現時点ではかなり限られている。

だからこそ、電話を掛けてきた相手も自分の知り合いであるはずだと、そうした考えが浅はかであったという事を知る事になる。

 

 

 

『―――ふむ、君から警戒心のない声を向けられるのはこれが初めてではないかね、≪天剣≫。まぁ、ある意味では仕方のない事なのかもしれんが』

 

「―――オイオイ、何でテメェが俺のARCUS(アークス)の番号を知ってんだよ。教えた記憶はこれっぽっちもない筈なんだがな」

 

 通話口の向こうから聞こえてくるのは、レイが公然と嫌悪感を抱く人物と称して憚らない人物。

 よくよく考えてみれば、あれでも帝国の宰相である。直轄の部下である帝都都知事がⅦ組の設立に深く関わっている以上、この男がそれに通じていないはずがない。

 

『それについては語るまでもなかろう。それよりも、だ。君に折り入って依頼があるのだが』

 

「うわぁ、ヤな予感しかしねぇわ。丁重にお断りしまーす」

 

『―――その報酬が、必ずや君が求めるモノであったとしても、か?』

 

 重厚な声が、レイの声を封殺する。

 その報酬とやらの詳しい内容を今の段階では察せない以上、迂闊に声を出す事すらままならない。

 そもそも、準備ができていない段階でこの男と言葉を交わすこと自体が、今のレイにとっては後手に回らざるを得ない要因となっている。

 その不利な状況を充分に理解しているのか、ギリアス・オズボーンは獣王すらも跪かせそうな程の威厳の籠った声で続きを語る。

 

『何、今すぐに答えを出せとは言わん。とはいえ、急を要するのも確かなのでな。一両日中に折り返して電話を寄越してくれればいい』

 

「へぇ、一国の宰相サマが個人的な電話を拾う暇があんのか」

 

『フッ、煩わしいテロ組織の撲滅に割く時間すらあるのだ。その程度は朝飯前と言っておこうか』

 

 本音を言えば、感情に任せて罵倒の一つでも投げて回線を断絶させたい気分に駆られているのだが、それは悪手であると分かっている理性がそれをさせない。

 取って食られるわけではないという甘い考えで乗ればあっという間に呑み込まれる。とはいえ、最初から挑もうとしなければ何か得難いモノを得る事ができなくなってしまう。―――その境目を見極めるのが、今のレイの課題であるとも言えた。

 

「ま、聞くだけ聞いてやるよ。宰相サマ」

 

 雲一つない夏空の下で、しかし晴れ晴れしい気分が一切消え失せた声で、レイはそう答えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






この間何の気なしにもらった聖晶石で一回だけガチャを引いてみたらなんとキャス狐が出ちゃった十三です。自宅で全力でガッツポーズして肘を全力で壁にぶつけました。数秒間声が出なかったです。


前日買ったGOD EATERリザレクションを進めているのですが、やっぱり画質が良いと何となく新鮮な気分になります。
後単純に、今となってはツンツンしてたソーマとアリサの反応が懐かしすぎる。凄いレアなモノを見た気がします。




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離れ、東へ






「人の成すことに絶対などあるものか。そんなものがあるのならば、私はそれを狂信するだろう」
    by カリアン・ロス(鋼殻のレギオス)











 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「単刀直入に言おう、《天剣》。君にはオリヴァルト殿下や私と共に、今月末クロスベルで開かれる『西ゼムリア通商会議』に出席してもらいたい」

 

 バルフレイム宮城内、帝国宰相執務室。

 先日の電話の提案を妥協を重ねた上に了承したレイは、その3日後の今日、首魁の懐たるその場所に通されていた。

 皇城を訪れたのはこれで三度目。とはいえ、過去二回訪れた時とは違い、レイの表情には一片の柔らかさもない。オズボーンからの直接のその言葉に、首元にきっちりと締められていたネクタイを軽く緩める仕草を見せてから息を吐き出した。

 

「理由は? まさか俺に書記官の真似事をしろってワケでもねぇだろうに」

 

 険を含んだ声でそう言うと、オズボーンは口角を僅かに釣り上げた。

 そんな、自身の主と恋い慕う少年との一触即発なやり取りを、案内役であったクレアは扉の近くで複雑な感情のまま見守っている。

 

「あぁ、そうだ。君には帝国側の護衛として参加してもらう。遊撃士時代の八面六臂ぶりは伝え聞いているのでな。人物護衛の経験もあるだろう?」

 

「まぁな。突出して得意ってわけでもねぇが、達人級が敵として出張らなきゃ遂行できる。―――が、それでも腑に落ちねぇ」

 

 執務室のソファーに腰かけたまま、右目の視線だけはオズボーンを睨み付けて離さない。差し出された紅茶にも口をつけることなく、レイは感じていた違和感を憚る事無く口にした。

 

「継承権が喪失しているとはいえ、名の知られた皇族の一人と帝国宰相が仮にも出席するんだ。護衛の人材くらい幾らでも優秀なのを引っ張ってこられるだろ。

 ミュラー少佐の第七機甲師団に、アンタの子飼いの兵隊でもいい。慣れてるという理由だけじゃ、俺を選出するには弱すぎるぞ」

 

「確かに、それだけならばわざわざ士官学生である君を選ぶ必要もない。―――だが今回は、トールズの今代生徒会長であるトワ・ハーシェル君も代理書記官として出席する予定でな。彼女も、縁もゆかりもない兵士に護衛されるより、顔見知りの人間に守られるほうが精神的に心休まるだろう」

 

 レイの反論を、事もなげに返すオズボーン。

 確かに、そういう観点から鑑みればレイを選出する事も頷ける。一瞬だけ、もしや彼女を代理書記官にとして連れて行く事すら、自分を引きずり出す布石なのかと思いもしたが、普段から垣間見ている彼女の学生の領域を逸脱した有能さを踏まえれば、なるほど確かに国際会議の場に出席してもそれ程おかしい事ではない。

 だが、それでもレイの中には未だ消えない違和感が渦巻いていた。

 

「……本当に、それだけなのか?(・・・・・・・・・・・・)

 

「…………」

 

「答えろよ、ギリアス・オズボーン。まさかその程度の理由で(・・・・・・・・)俺を連れ出すのか? 学院のカリキュラムを無視してまで」

 

 レイは充分に知っている。この男が、目的のためならばいかなる手段も犠牲も問わない剛の者であるという事を。

 宰相就任の折、周辺の小国をあらゆる手で以て懐柔し、経済特区として併合。甘い蜜をある程度吸わせることで帝国の利益に還元した事もあれば、それに従おうとしない者達を文字通り力ずくで排除した事もある。

 その傲然とした姿勢を非難する気など毛頭ないが、その皺寄せが自分や、親しい者に影響を及ぼすというのならば話は別だ。

 

「アンタが今更いち学院生の精神状態まで気に掛けるとでも? そもそもトワ会長はその程度で疲れるほど軟な人じゃねぇ。その程度。分かってないとは言わせねぇぞ」

 

 今でこそ何の問題もなく機能しているために錯覚しがちだが、元々貴族生徒と平民生徒の軋轢が激しいトールズにおいて平民生徒が生徒会長を務めるというのは非常に珍しい事案なのだ。

 現に学年主席の優秀さを誇りながら貴族生徒の薄っぺらい矜持とやらに妨害されて生徒会にすら入る事が叶わなかったクレアという例がある。そんな前代未聞の事を成し遂げた彼女が、何の修羅場も潜り抜けていないと思うほど、レイはおめでたい考えは持っていない。

 彼女なら、たとえ帝国の外交官として単身他国に派遣されようとも精神的に追い詰められるような事はないだろう。それを、この用意周到なこの男が理解していないとは思えなかった。

 

 するとオズボーンは忍び笑いを漏らした後に、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「成程。どうやら私はまだ君の事を見縊っていたようだ。これならば前置きなど捨てて”本題”に入るべきだったか」

 

「重ねて言うけど、嫌な予感しかしねぇんだよなぁ」

 

「何、それ程難しい依頼でもない。―――申し訳ないが大尉、外に出ていてくれ」

 

「……はい。畏まりました」

 

 

 クレアは退室を求められた事に多少の疎外感を感じながらも、粛々と従って執務室を出る。そうして、漏れ出る声が聞こえない位置まで移動した。

 

「閣下は……レイ君に何をさせようとしているんでしょうか」

 

 思わず、そんな疑問が口から漏れ出てしまう。それに気づいて慌てて口を塞いだが、それでもその疑問は消えはしない。

 本来であれば、宰相の護衛は直属の部隊である鉄道憲兵隊が行うべきなのだが、帝国国内でない以上、それも不可能だ。それでも有事の際は非常事態宣言と同等の特例で駆け付ける事はできるのだが、これまでも宰相の外遊に鉄道憲兵隊が随伴した事はない。

 それが結果的に今、クレアの不安の種となっているのだから、世の中というものはままならない。

 

 誰一人として通る事のない廊下に一人佇みながら、クレアはふと軍服のポケットに手を伸ばしてそれを取り出した。

 手の内に握られているのは、レイからプレゼントされた藍色のブローチ。普段装飾品の類は持ち歩かない主義のクレアだったが、それでもこの品だけは別だった。

 当然といえば当然だ。恋した男から贈られた初めてのプレゼントとあれば、肌身離したくなくなるのは軍人である前に女としての心情のようなものだろう。無論、私情と仕事を分けるだけの分別はあるが。

 

「(でも……レイ君が閣下と分かり合える日は、多分来ないでしょうね)」

 

 それは、傍観に徹して客観的に見ても分かる。

あの二人が真に分かり合って理解し合うのは不可能だし、ましてや裏表ない笑顔で握手をする未来など想像もできない。クレアの頭脳を以てしても、それだけは把握しきれなかった。

 だからこそ、複雑な心境が拭えないのだ。愛した男と、忠を誓った主人。いざとなった時、一体どちらについて行く事になるのだろうか、と。

 

 

『いいから俺について来い。お前を絶対幸せにしてやる。それ以外の未来をお前に背負わせるつもりなんか、俺にはないぞ』

 

 

 ふと、クレアの心の中でレイがそう言った。

 それは勿論想像でしかないが、あの少年ならば、恐らくそれに近い事を言ってくれるだろう。もしそう言われた時、果たして自分は笑顔で頷く事ができるのだろうか?

 そんな事を悶々と考える事数十分。二人の内のどちらかが部屋から出てくる雰囲気を感じ取って、クレアは姿勢を正した。

 そうして、やや乱暴気味に扉を開け放って出て来たのは、レイの方だった。

 

「レイ……君?」

 

 静かに声を掛けてみたものの、彼の様子は先程までともまた違っていた。

 まるで、己の後悔を噛み締めるような……それでいてやるせない怒りを湛えているようなその表情に、思わず声を掛ける事を一瞬だけ躊躇ってしまう。

 それでもレイはクレアの姿を視界に収めると、どこか自嘲気味な苦笑を向けた。

 

「あぁ、悪いなクレア。用事は終わったからとっとと帰ろうぜ」

 

 その諦めたような声色を聞いて、クレアは理解してしまった。恐らくここで会話の内容を聞いたところで、彼は答えてはくれないだろうと。

 しかし、それを分かっていてもなお―――ここで問わないのは彼の気持ちを蔑ろにしているのと同じ事だ。

 

「レイ君。閣下と、何を話されていたんですか?」

 

 その背を引き留めるようにそう問うと、レイは振り向かないままに声に自虐の心を滲ませて言う。

 

「ただの”仕事”の話だ。クソ面倒臭い事押し付けられたがな。それに見合う報酬は提示されたよ」

 

「そう、ですか……」

 

 そう言う事しかできなかった。

 ≪鉄血の子供たち(アイアンブリード)≫を遠ざけてまで告げた依頼が、よもやまともなものである筈もない。報酬とやらが何であるかは皆目見当がつかないし、教えてはもらえないのだろうが、それでも心配する事しかできない自分を、クレアは情けなく思ってしまった。

 しかしそんな思いを知ってか知らずか、レイは足を止めて優し気な表情のまま振り向いた。

 

「おいおい、そう気落ちするんじゃねぇよ。会議の護衛ついでにちっとこなしてくるだけなんだからよ。

 ……そうだ、クレア。俺が前に買ったブローチって今持ってたりするか? なかったらいいんだけど」

 

「あ、い、いえ。持ってますよ。はい」

 

 自然な流れでポケットからブローチを取り出してレイに手渡したところで、クレアははたと自分の行動に気が付いた。

 プレゼントを肌身離さず持っている事を図らずも知られてしまい、レイに愛が重いなどと思われていないだろうかと危惧するクレアであったが、当の本人がそんな事を思う筈もなく、ブローチを手の中に収めて二言三言呟いた。

 魔力ではなく、呪力がブローチの宝石部分に吸い込まれていく様子を眺めていると、レイがクレアの手の中にそれを返す。

 

「これでよし、っと。クレア、出来れば俺がクロスベルから帰ってくるまでそれ持っておいてくれないか? ポケットの中でもどこでもいいから」

 

「え? あ、はい。喜んで‼」

 

 期せずしてブローチを持ち歩く事をお願いされた事に喜びながらも、クレアは新しく浮かんだ疑問をそれとなく聞いてみた。

 

「ですがレイ君。何故このような事を? 何かブローチに込めていたみたいですけれど」

 

「あぁ、うん。まぁお守りみたいなモンだよ。杞憂ならそれで構わないんだけどな」

 

「?」

 

「ま、そんなに気にするな。それより、今日も悪かったな。突然押しかけて」

 

「いえ、大丈夫です。いつものように任務扱いですし」

 

 そんな他愛もない事を話しながら長い廊下を歩いて大ホールに辿り着いたところで、突然と言うほどでもないが、声を掛けられた。

 

 

「や、レイ君。久しぶりだね」

 

「……今はお前のアホ面を見ても加虐感が湧かねぇんだ、悪いなオリビエ」

 

 いつもの通りの貴族服を着てレイの前に現れたオリヴァルトは、やはりいつも通りの軽妙な口調で、しかし変態性は封じたままに近付いてくる。

 それを察したレイは、少しばかり真剣な面持ちになってオリヴァルトの差し出した握手に応じた。

 

「バカンスは楽しんでくれたかい?」

 

「あぁ、サンキューな。ゆっくりできたよ。

 ……ちゃっかり変なネズミが入り込んでいたようだが」

 

「それについては申し訳ない。こちらも予想外の事態だったよ。

 ―――っと、済まないねクレア大尉。ちょっと彼を借り受けても構わないかな?」

 

「いえ、勿体無いお言葉です。レイ君、私は下で待っていますね」

 

「おーう」

 

 そう言ってクレアはオリヴァルトに対して再度深い一礼をすると、そのまま階下の方へと歩いて行く。

それを目で追ってから、オリヴァルトは薄く笑った。

 

「お熱いようで何よりだよ」

 

「茶化すなよ」

 

「これは失礼。

 さて、あまりレディを待たせるものではないし、とりあえず簡潔に話を済ませようか」

 

 そうした心配りを見ると、彼が社交界の花型と呼ばれるだけの理由も理解できる。尤も、こういった洒脱な雰囲気を纏う姿も、変態性を前面に出した姿も、どこまでも人を食ったように搦手を得手とする策士の姿も、その全てが彼の側面であり、本性であるのだと気付くには、普通なら長い時間が掛かるのだろうが。

 

「まずは感謝するよ。通商会議の護衛を引き受けてくれた件については、此方の我儘に沿わせる形になってしまったからね」

 

「耳が早い事だ。ま、せいぜい軍関係者のお荷物にならないように振る舞うさ」

 

「いやいや、そんな事はないと思うけどね。ミュラー君なんかは喜びそうだ」

 

 果たして彼はオズボーンが先程自分に依頼して来た事の顛末に関しては知っているのだろうかと思ったが、流石にそれはないだろうと思い至る。

 本来ならば交わした契約の通りそれについても包み隠さず言わなければならない筈なのだが、オズボーンの提案して来た条件の中には、依頼内容の秘匿も含まれていた。

 レイ・クレイドルという少年を”契約”で縛ってでも動かす―――それだけの価値のある”報酬”を用意されたのだ。流石に何度も使える手ではないのだろうが、改めてギリアス・オズボーンという男の周到さを思い知らされる。

 だからこそ、レイは罪滅ぼしの意味合いも込めて一つの情報を開示した。

 

「トールズに≪守護騎士(ドミニオン)≫が潜伏している。それも第二位、≪匣使い≫だ」

 

「―――ほぅ」

 

 オリヴァルトは、本当に初耳だと言わんばかりの声色で相槌を打つ。それだけでも、トマス・ライサンダーという人物がどれだけあの場所に溶け込んでいたかが理解できてしまう。

 レイとて、旧校舎へ向かう最中に勘付いた視線に気づかなければ、それを察する事はなかったのだろうから。

 

「狙いは旧校舎に眠る”何か”―――とは違う。今のところ生徒教職員に危害を加える雰囲気はなし。―――だから放置だ」

 

「おや珍しい。君なら徹底的に調べ上げると思ったんだが」

 

「封聖省の下っ端が動いてたんならそれもやったんだがなぁ。≪守護騎士(ドミニオン)≫の、それも副長が駆り出されてる事案の邪魔をして枢機卿クラスから敵認定されたら―――≪闇喰らい(デックアールヴ)≫の奴が引っ張り出されるかもしれん。アイツと戦り合うのは、流石にキツい」

 

 封聖省所属、≪守護騎士(ドミニオン)≫第十位の位を得る黒ずくめの女性の存在を思い浮かべると、レイは深い溜息を吐いた。

 

「聞いた事があるね。かの≪紅耀石(カーネリア)≫、≪吼天獅子≫と並ぶ≪守護騎士(ドミニオン)≫の中でも達人級の実力者の一人」

 

「≪紅耀石(カーネリア)≫だけは別格中の別格だけどな。あの人マジで殺しても死ななそ―――って、それはいいんだ。とにかくガチで≪闇喰らい(デックアールヴ)≫、レシア・イルグンに目ェつけられるのは勘弁なんだよなぁ」

 

「……それ程までに強いのかい?」

 

「広々とした場所で、真昼間で戦り合うってんならまぁ普通に勝ち目はあるんだが……アイツは徹底した暗殺特化の達人だ。夜道で襲われたらガチの達人でも勝率は2割ってトコか」

 

 こと、”暗殺”という一点に限定すればヨシュアやシャロンを凌駕する実力者。総長であるアイン・セルナートの命を受けて動く≪守護騎士(ドミニオン)≫の中に在って、彼女だけは唯一その命令権から逸脱して枢機卿以上の命令のみを遂行する―――七耀教会異端討伐の、掛け値なしの切り札(ジョーカー)

 そんな存在と喧嘩をしてまで必至こいて集める情報であるとは、今は(・・)言い難い。だからこそ、今は無視を決め込む事にしたのだ。

 

「異存は?」

 

「ないね。君ですら勝率2割の存在を敵に回すほど僕も馬鹿じゃないよ。それについては僕も黙殺するとしよう」

 

 互いに落としどころを見つけた事で、レイは軽く片手を掲げた。

 

「んじゃ、こんなトコで帰らせてもらうわ。実技試験サボった上に遅く帰るとかシャレにならんし」

 

「既に代替試験は済ませたんだろう?」

 

「あぁ。ナイトハルト教官と30分打ち合った。流石は誉れも高い第四機甲師団のエース、近接戦も準達人級と来たモンだ」

 

 無骨な剣を持ち、歴戦の戦士の気迫と一撃一撃が重く、それでいて俊敏であった人物との戦いを脳裏に思い出して好戦的な笑みを浮かべる。

 戦いに華美を求めない。ただ護国の為、国民の防人として強さを磨いた男との戦いは、レイにとっても充分満足できるものだった。

 

「それじゃあな、オリビエ。次に会うのはクロスベルだ」

 

「そうだね。それじゃあ、次は”魔都”で会おう」

 

 皮肉も交えた会話を終えて、レイは笑みを浮かべたままにその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【8月 特別実習】

 

 

 

A班:リィン、アリサ、ラウラ、エマ、ガイウス

(実習地:レグラム)

 

 

B班:マキアス、ユーシス、フィー、ミリアム、クロウ、エリオット

(実習地:ジュライ特区)

 

※2日間の実習期間の後、指定の場所で合流する事。

※尚、レイ・クレイドルについては諸事象により不参加とする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい。つーわけで俺はちょっとクロスベルに行ってきます。レグラム行きたかったんだけどなぁ。残念だなぁ」

 

「笑顔がドSバージョンのそれだから明らかに何か企んでたね」

 

「イジり甲斐のある人が居ると見た」

 

「オチが読めるとか俺達も駄目になったモンだよなぁ」

 

 

 第三学生寮1階の談話スペースでそう言ったレイの言葉を、訝しむ者は誰もいなかった。

 8月末に行われる、クロスベルでの『西ゼムリア通商会議』。それにトールズの生徒会長であるトワ・ハーシェルが参加するとリィンが聞いたのもつい数日前の事。

 そしてその護衛としてレイがついて行くという事に疑問を呈する者はいない。特別実習に彼が居ないというだけで不安を感じる程、彼らはもう脆弱ではないのだから。

 

「クロスベルのお土産ヨロシクー♪」

 

「ま、あなたもちゃんと頑張って来なさいよ」

 

「はは。責任重大って意味なら、俺達よりも大変そうだよな」

 

 そう激励してくれる仲間達に手を振ってそのまま自室へと戻るレイ。

 またすぐに使用する事になるであろうブレザーをハンガーに掛けた後、ベッドに座り込んだ。

そしてその傍らに、シオンが現れる。

 

「どうやら随分ご憔悴のようですね、主」

 

「オズボーンと会っただけでクッソ疲れる。これじゃあやっぱり策謀家としては二流の域を出ないよなぁ」

 

「御冗談を。……あんな報酬(・・・・・)を突きつけられれば、主ならば承諾なされる以外の筋書きはあるますまい」

 

 責めなどせず、ただそれが当たり前であるかのように口にする式神に、主であるレイは失笑した。

 

「あぁ、そうだよ。お前の言う通りだわ」

 

「勿体なきお言葉」

 

「それじゃあ仕事ついでに、お前に伝令を頼みたい」

 

 真剣な表情に戻ってそう言う主の命令に、シオンはただ傅いて是とした。

 

「≪マーナガルム≫団長兼一番隊隊長ヘカティルナに伝えろ。―――頼む、力を貸してくれ、と」

 

「御意に。主様」

 

 仲間を頼り、友を頼り、そして愛する者に対して無茶はしないと”約束”を交わしたレイにとって、今でも自分を慕ってくれる者達を頼る事は、決して難しい事ではない。

 杞憂で終わらない事は分かっている。自分が帝国を離れる(・・・・・・・・・)事が、今の状況下でどういう意味を示すのかという事も。それが齎すであろう試練も。

 だからこそレイは、信じた友に独りごちるように言葉を投げた。

 

 

「頑張れよリィン。なぁに、今のお前なら絶対出来るさ。―――俺がいなくてもな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――8月27日。

 

 

 『西ゼムリア通商会議』が3日後に迫った日、レイは実習に向かうリィン達に1日先んじて、トリスタ駅から大陸横断鉄道に飛び乗った。

 見送りに来てくれたⅦ組の仲間達にいつも通りの飄々とした表情を向けながら、列車が動き出した後、そっと眼帯に手を触れた。

 

 ―――左目が疼く。

 

 ―――まるで今から向かう先に、”何か”があるとでも言わんばかりに。

 

 期待と不安が入り混じった感情を抱きながら、列車は一路東へと向かう。

 その先にあるのは凡そ8ヶ月ぶりとなる都市。思い出の大半を占めるのは遊撃士としての仕事漬けの記憶だが、思い返せばそれ以外にも色々あったものだと思う。

 

 

 ”魔都”クロスベルは、以前と変わらず、レイ・クレイドルという少年を受け入れるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







はい、それじゃあ次回からクロスベル編でーす。
つまりアレです。会議本番までレイ君がはっちゃける回です。



話題は変わりますが、先日友人と話していてこんな事を思いつきました。

英雄伝説が書けるなら―――ザナドゥのSSも一話くらい書けんじゃね? と。


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思い出の辿り道   -in クロスベルー



「―――なぁ、またゲームしようぜ……今度こそ、勝ってみせるから、さ……」
     by リク・ドーラ(ノーゲーム・ノーライフ)








 

 

 

 

 エレボニア帝国とカルバード共和国という二大国に挟まれた国、クロスベル自治州。

 国家としての独立権を有しておらず、七耀歴1134年の設立以来幾度も滅亡の危機に陥れられて来たこの場所は、現在、ゼムリア大陸有数の貿易都市として栄えていた。

 その要因の最たるものが、1194年に総資産額が大陸一となった大銀行、『クロスベル国際銀行(IBC)』の存在だった。

 近代的なビルが次々と聳え立ち、商業は潤い、人々は豊かな暮らしを享受する。人としての理想の生き方に憧れを抱く者は少なくない。

 

 だが、それは表面上だけのモノだ。

 急激な経済の発展の裏には、いつの日も闇の存在が付き纏う。

 自治州の議会は『帝国派』と『共和国派』に分断された結果、賄賂や不正が横行するなど腐敗が見られ、裏通りに居を構えるマフィアが街の実権の多くを牛耳るという現実。

 普遍的な正義を掲げた者達が虐げられ、私腹を肥やし、保身に奔走する者達が庇護されるという矛盾した現実が罷り通るその混沌さを揶揄する者も多い。

 

 ―――称して、”魔都”クロスベル。

 

 その清濁併せ持つ都市の在り様を、人々は捉えたいように捉える。

 欲望に塗れた薄汚い街。一見平穏な日常すら色褪せて見えてしまうと、嫌う者もいる。

 かと思えば、その混濁した有様を受け入れる者達もいる。それでこそ人間らしい生き方ができる。静謐という名の檻に囚われる事を良しとしない人々は、今日もこの都市で不満と笑顔を振りまきながら慌ただしく生きる。

 

 

 ……簡潔に言うならば。

 レイ・クレイドルという少年は、どうしようもなく―――後者の人間だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーおー、全く変わってねぇでやんの。ま、たった8ヶ月でどうにかなるはずもねぇか」

 

 大陸横断鉄道に揺られること5時間。帝国東部のガレリア要塞を潜り抜けた後に広がる自然風景をただ眺めながら時間を潰して、漸く懐かしい場所に足を踏み入れた。

 帝国の駅よりも近代化が進められた、古い風情が残らない場所。列車の開閉音が鳴ると共にホームへと飛び出し、改札口が混まない内に素早く通り抜けてしまう。

 一般的な旅行客としてではなく、あくまでも国際会議の護衛要因の一人としてクロスベルを訪れたレイは、事前に送られていた書類を提出することで入国審査も滞りなくすり抜けた。土地勘のあるレイが護衛という身分でありながら一足早くクロスベル入りした理由は、現地での円滑な護衛任務が取り計らわれるように根回しを行うためだ。

 尤も、それはただの表向きの指令ではあるのだが。

 

「(んー、いや、少しは変わったか? クソ議員共とルバーチェが共倒れした影響でちっとは空気の通りがよくなってるかもな)」

 

 それも、あくまで平面上だけの話である。

 歴史の変遷と共にこのクロスベルに染みついた業は、その程度では拭えない。人の悪意は完全に払拭する事などできず、今もどこかで残った火種が燻り続けているのだろう。

 ただレイは、そんなクロスベルが嫌いではなかった。人の善性のみならず、悪性までもが分かりやすく具現化する場所。言い方を変えれば、それは誰が味方で誰が敵かということが分かりやすいという事でもある。

 

 そんな都市の駅前を通り過ぎ、中央広場に出る。

 クロスベル市のシンボルである『クロスベルの鐘』は今も変わらず中央に鎮座し、観光客の注目を集めていた。

 そんな中でいつもと違う光景を見つけようとするならば、まず目が行くのは車道を交通する警察車両の数と、町の所々に配備されたクロスベル警察の人員だろう。

 『西ゼムリア通商会議』の開催が近くなったせいか、警備の目も厳重になっている。

当然といえば当然だ。各国の首脳、王族が一堂に会する場所でテロなどが起き、VIPが誘拐、または暗殺などされようものなら国際問題どころの騒ぎではない。自国の中だけの問題であった『夏至祭』の時よりも、その任務の重大性は必然的に高くなる。

 とは言え、自治州法により武器の使用制限が厳重に掛かっているクロスベルの公安機関がテロリストと真っ向から渡り合えるのかと問われれば、即答はできない。

 防諜・防テロに特化した『捜査一課』ならば話は別だが、その他の警察官は荒事に慣れているとは言い難いからだ。せいぜい酔っ払いか、不良グループの仲裁に駆り出される程度である。

普段であれば汎用的に任務をこなす彼らのほうが頼もしくはあるのだが、事この状況では過信は禁物だろう。

 

 ともあれ、今レイが為すべきは市長への挨拶だ。ヘンリー・マクダエルが市長の座を退いた以上、そちらに先に顔を見せるわけにもいかない。

 中央広場から行政区域を抜け、ほぼ全ての機能がオルキスタワーの方へと移されたのであろう市民館を横目に見ながら、湾岸区へと足を踏み入れる。

 中央広場の屋台で購入したハンバーガーを咀嚼しながら見慣れた湾岸区の舗装された道路の上を歩いていると、その中で見慣れない建物が目に入った。

 赤レンガ造りのその建物は、しかし帝都でよく見るような造りではない。窓の装飾や瓦屋根などは、昔レイが良く見た街並みに酷似している。

 そして掲げられた看板を見上げてみると、そこには『黒月貿易公司』と筆文字で描かれていた。

 

「(よくもまぁここまで堂々と……責任者が誰かは後でミシェルにでも聞いてみるか)」

 

 はぁ、という溜め息交じりにその場を離れる。

 今レイは自身から発せられる氣を限りなく希薄にして目立たないようにしているが、『黒月(ヘイユエ)』の人員ともなれば氣力の扱いに長けた者もいるだろう。下手に捕捉されて騒ぎになるのは御免だった。

 そのまま坂道を上がって行くと、やがて開けた場所に到着する。

 全貌を視界に収めようとするならば首をほぼ直上に近い位置にまで上げなければならないほどに高い建物。それこそは、『IBC』の本社ビルに他ならなかった。

 警備員の横を通り抜け、入り口の自動ドアを開いた時点で氣の放出を元通りに戻す。見慣れない赤制服を着込んだ少年の存在に集まる視線を感じながら、レイはそれこそ堂々と受付の前まで歩いていく。

 

「ようこそいらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でございましょうか?」

 

 対応してくれた係員の礼儀正しさに相変わらずだと懐かしい気持ちになりながら、レイは肩掛けのバッグの中から一枚の書類を取り出し、それを差し出した。

 差し出された書類の文字に目を通していた受付嬢は、素早く読み進めると同時に表情を強張らせる。

 

「も、申し訳ございません。少々お待ちくださいませ」

 

 やがて、焦ったような口調でそう言うと、部屋の奥へと去っていく。

 アポイントメントはしっかりと抜かりなくしておいたので、予想外の事態ということもないだろう。その証拠に、数分経ってすぐに別の受付嬢が窓口にやってくる。

 

「申し訳ございませんでしたレイ・クレイドル様。情報が行き届いておらず、不徳の致すところです」

 

「あぁ、いや。こちらこそいきなり押しかけてすみません。色々と見て回る前に一言、と思っただけなので」

 

 そう言ってレイは、クロスベルに居た頃に何度も世話になった受付嬢、ランフィに向かって軽く会釈をした。

 

「ところでランフィさん、今市長はいらっしゃいますか?」

 

「はい。先ほどご確認を致しまして、16階総裁執務室までお越しいただくようにと」

 

「了解です。ICカードを貰えますか?」

 

「えぇ。こちらをどうぞ」

 

 ランフィから高速エレベーターを動かす来賓用のICカードを譲り受けると、再度礼を言ってから受付横のエレベーターホールへと移動し、慣れた手つきでエレベーターを作動させる。

 思えば帝国に行ってからこういったものは見なかったなと回想しながら上階へと上がっていく微かな揺れに身を任せていると、やがてチンという音と共に制止した。

 高級そうな材質の床を躊躇う事無く歩くと、やがて目の前に豪奢な扉が現れる。レイは肩から掛けていたバッグを下ろすと、数回正しくノックをする。

 

『あぁ、どうぞ。入ってくれたまえ』

 

 明朗ながらも威厳の籠もるその声に、レイは一言「失礼します」とだけ返して真鍮製のドアノブを捻った。

 

「やぁ、久しぶりだねレイ君。昨年のオズボーン宰相訪問の時に顔を合わせて以来かな?」

 

「えぇ、そうですね。ご無沙汰しています、ディーター総裁。……いえ、今は市長と呼んだ方がいいですかね?」

 

「ハッハッハッ。いやいや、この執務室にいる限りは私もただの銀行屋にすぎない。市長の自分とはまた別だよ」

 

 堀の深い顔立ちの上に鷹揚な笑みを見せてレイを持て成したのは、IBCの総裁であり、またヘンリー・マクダエルの後釜としてクロスベル市長に就任していたディーター・クロイス。

 総裁職だけに専念していた頃と変わらない赤色の洒脱なスーツを着込んだ彼は、諸手を挙げてレイを迎え入れた。

 

「相変わらずですね。いや、少し痩せました?」

 

「まぁ、そうかもしれないね。市長という職務は想像していた以上に激務だ。ご老体でこれ程の職務をこなしていたヘンリー議長には本当に頭の下がる思いだよ」

 

「後で、そちらの方にも顔を出したいと思ってます」

 

「それがいい。ヘンリー議長は君の事がお気に入りだったからな」

 

 そんな他愛のない話を交わした後に、レイは勧められるままに執務室のソファーに腰掛ける。対面に座ったディーターは、程なく窓の外に目を向けた。

 

「落成式も3日後に迫った。この日を一日千秋の想いで待ち焦がれていたよ」

 

「『オルキスタワー』、ですか。こうして見ると壮観ですね」

 

 視線の先には、薄青色の幕で覆われた巨大な建物が堂々と屹立していた。

 全40階、全高約240アージュという、現存する中ではゼムリア大陸最大の建築物。3日後の『西ゼムリア通商会議』の開催に合わせて落成式を迎えるオルキスタワーは、まさしくクロスベルという地を象徴する建物であると言えた。

 

「通商会議は、私にとっても重要な意味を持つ。クロスベルで遊撃士をしていた君ならば痛感していた事だろうが、今のクロスベルは一枚岩とは言い難い。

 これでは、帝国と共和国に良いようにされてしまうだけだ」

 

 互いにクロスベルの盟主国を主張するエレボニア帝国とカルバード共和国。以前ノルド実習に赴いた時に両国の一触即発ぶりは改めて感じ取ったが、その犬猿の仲ともいうべき間柄の理由の一端は、このクロスベルにある。

 今や西ゼムリア大陸でも有数の貿易国になったクロスベルは、経済的な観点からみれば旨味のある(・・・・・)場所だ。併設する形となる両大国にとって、併合の後に経済特区に追いやる事ができれば、自国の国益は計り知れない。

 それに加え、世界最大の金融組織である『IBC』を自国の手の内に収める事ができれば、敵対関係にあたる国に対してこれ以上ないアドバンテージとも成り得る。経済制裁を行使する決定打を、みすみす相手国に譲り渡すわけもないだろう。

 今でこそクロスベルはそこそこ自由に経済を回しているが、帝国か共和国の属国になろうものなら、資本主義社会として築き上げてきたものの大半を明け渡す事になる。総裁として、それを許容するわけには行かないだろう。

 

 ―――だがそれは、一介の護衛でしかないレイが推測するには、あまりにも出過ぎた(・・・・)真似ではあった。

 

「総裁、今の自分はクロスベル支部所属の遊撃士ではなく、トールズ士官学院Ⅶ組所属の学生です。

 ―――まぁ、面倒臭い事に巻き込まれるのは御免なので聞かなかった事にしますが」

 

 恐らくディータ―が今漏らした言葉は、通商会議で要点となるべき事だったのだろう。それを聞いてしまった事を皮肉気に笑いながら、都合よく脳内から抹消する。

 元より、ここでの会話をオズボーンに報告する気など毛頭ない。言ったところで、あの偉丈夫は欠片も驚きはしないだろうが。

 

 すると、突然執務机の上に設けてあった固定電話が着信音を鳴らした。それが仕事の電話だという事をいち早く察したレイは、先程座ったばかりのソファーから立ちあがる。

 

「では、自分はこれで。明日も顔合わせがあるでしょうし、宜しくお願いします」

 

「あぁ。茶の一杯も出せずに済まないね。警備の件についても、宜しくお願いするよ」

 

 そう言葉を交わしてから、レイは総裁執務室を出る。大銀行の総裁と市長という二足の草鞋がどれだけ忙しいものであるかという事を何となく分かっていたからこそ、敢えてすんなり引いて見せたのだ。

 さて、これから議長の下へ向かうかと、そう意識を切り替えて16階のホールを歩いていたレイの前に、エレベーターから出て来た一人の女性が立ち塞がった。

 

「あら、レイさんじゃありませんの。お久し振りですわね」

 

 そう挨拶を交わしてくる女性の名と顔を、忘れるわけがない。勿論悪い意味で、だが。

 ブラウンの双眸に、巻き髪のブロンドヘアー。レディーススーツを着込んだその姿は一見辣腕のキャリアウーマンのように見え、実際彼女はそうであった。

 家系が醸し出すものか、自然体ですら滲み出るカリスマ性を完全に無視して、レイは作った笑顔で挨拶を返す。

 

「えぇ、久し振りですねマリアベル嬢。そちらもお変わりないようで」

 

「……貴方に畏まった態度で返事をされると背筋が寒くなりますわね。どうせこの階には(わたくし)と仕事に忙殺されてるお父様しかいないのですから、その薄っぺらい笑顔を取っても宜しくってよ」

 

「ソッチこそそんなねちっこい話し方じゃなくてもっとストレートに言えよ。「会いたくなかったけどまぁ挨拶くらいはして差し上げますわ」ってな」

 

「お互い、腹の内を隠す必要もなさそうですわね」

 

 はっきりと言ってしまうのなら、レイは目の前の女性、マリアベル・クロイスが嫌いだった。

 否、正確に言えば彼女の一族そのものが嫌いなのだが。

 

「俺がコッチに来る事を許可したって事は、今回はどう転んでも構わねぇって事なんだろ?」

 

「あら、その様子だと大まかな動きは掴んでいるようですわね」

 

「どこぞの魔女のせいでロクに情報の共有も出来てねぇがな」

 

 1200年という長きに渡り妄執を継いで来た一族の末裔。その中でも特に悲願の成就に躍起になっているであろう女性を睨み付けて、しかしそれだけで終わらせる。

 改めて敵意を持った状態で相対してみれば分かるが、魔術師(メイガス)―――”異能者”としての純度と練度は恐らく超一級だ。それこそ、≪蒼の深淵≫に匹敵するだろう。

 ここでまともに戦り合ったところで、殺しきれるとは思えない。今いる場所が敵の城の中という事を考慮しなくても、決着を着けるには状況が悪過ぎる。

 そんな敵意を感じ取ったのか、先にマリアベルがふっと息を吐いた。

 

「ご安心なさいな。流石の(わたくし)でも力を振るう時と場所は心得ていますわ。この通商会議中は一切動きませんから、レイさんは職務に忠実になった方がよろしいですわよ」

 

「……クロスベルで≪至宝≫の降臨をするつもりか?」

 

 核心を突いたその言葉に、しかしマリアベルは言い澱む様子もなく「えぇ」と簡潔に肯定して見せた。

 そのあっけらかんとした様子に眉を顰めるが、彼女はその視線をそよ風か何かのように受け流した。

 

「聞いたところで、答えたところで、貴方は”誰にも話せない”のでしょう? 事の顛末を知っておきながら誰にも告げる事の出来ない現状―――さぞや悔しいのでしょうねぇ」

 

 嗤うマリアベルに対して、レイは内心で舌打ちをした。

 マリアベル・クロイスは加虐嗜好者(サディスト)だ。”魔女”と呼ばれる人間は大なり小なり歪な性癖を持っているが、彼女のそれは相当に性質が悪い。

 レイも煽る事や虐める事は得意な部類に入るが、それは気心の知れた身内だけ―――それも人間関係に軋轢を生まない程度に抑えている。生来の遺伝子に組み込まれている本職と比べれば可愛いものだろう。

 ともあれ、嘲け笑うようなマリアベルの表情を見てから、しかしレイは激昂するでもなく薄く微笑んで見せた。

 

「なぁマリアベル、この街って凄いと思わねぇか?」

 

「?」

 

「昔っから帝国と共和国に板挟みにされてプレッシャーを掛けられまくって、両国の諜報戦に巻き込まれて命を失った市民もいる。ちょっと裏通りに入ればマフィアが蔓延って、気を抜けば路傍で死に絶えるようなトラップがわんさかだ。

 だが、それでも生きて来た。この都市の人間は意地汚く、一生懸命に生きて来た。生きて戦う事に掛けちゃあ、クロスベル市民は強いぜ。紛れもなくな」

 

 だから、と。今度はこちらが挑発するように、傲岸不遜な表情を浮かべた。

 

「お前らがこのクロスベルで何をしようと―――賭けてもいい、この街の人間が勝つぜ。

 強い意志を持った英雄が現れるか、それとも一人一人が団結するかは分からねぇけどよ。最後は必ず平和を取り戻して終わる。そうなるよ」

 

「……何故、そう思うのです?」

 

「分からいでか。3年間この街を駆けずり回って仕事してたんだぜ? この街に根付く人間の強さは、これでも結構知ってるつもりだ」

 

 必死に生きようと足掻く人間がいる。ゴミ溜めのような場所に放逐されようとも目の光を喪わない人間がいる。日々を生きるが故に、日常をこよなく愛する人間がいる。

 そんな彼らであれば、例え”運命”などという悲劇に翻弄されようとも生き抜くだろうと、レイはそう確信していた。

 

「夢想ですわね」

 

「お前もすぐに分かるさ」

 

「貴方も感じているのでしょう? 特にその左眼、随分と疼いているのでは?」

 

 マリアベルの言う通り、それは感じていた。列車がクロスベルに近付く度に、左眼が呼応するかのように疼いていた。

 その理由は―――言わずとも分かってしまう。

 

「貴方がこの街に残ってくれていれば、『計画』の一部に組み込んで差し上げましたものを」

 

「丁重にお断りさせてもらうぜ。何かの生贄になって果てるなんて格好悪い死に方は御免なんだ」

 

 そう言ってレイは、マリアベルの横を通り過ぎてエレベーターのボタンを押した。程なくして、先程と同じような軽妙な音を鳴らして扉が開く。

 

「それじゃあな、妄想狂いの大馬鹿女。精々派手に失敗して見せろ」

 

「ではごきげんよう、復讐鬼の成りそこない。精々醜く足掻いて見せなさいな」

 

 そんな罵倒を最後に交わし、決して交わらない二人は視線を外した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遊撃士協会という組織は民間からの寄付で活動資金を賄っているという見解を持つ人物が少なくないが、それは違う。

 主な出資者となっているのは、レマン自治州に本拠地を構えるエプスタイン財団であり、七耀歴1150年頃の設立から約50年の月日が経った現在では、ゼムリア大陸の各地に支部を持つ巨大組織にまで成長した。

 『支える籠手』を紋章に掲げて地域の平和と民間人の保護を目的に活動する彼らは―――しかし今でも”何でも屋”であるという印象が強い。

 実際、平和的な多くの国の支部では市民国民の雑用の手伝いなどを行っている場所も多く、偽善者と揶揄する者達が一定数存在するのも事実なのだ。

 

 だがそんな酷評を下す者達も―――この支部の有様を見れば思わず閉口してしまう。

 協会としての在り様の酷さではなく、その激務の内容に。

 

 元より、クロスベルは政治基盤が強固ではなく、国際的な問題を常に抱えている。政界の上層部と警察組織の上層部が癒着しているという事実が存在していた以上、クロスベル市民が警察ではなく遊撃士協会を頼るようになったという経緯に不自然さを抱える者はいまい。

 故に、遊撃士協会クロスベル支部の下には、日々市民からのありとあらゆる依頼が舞い込んで来る。それこそ基本的な探し物から採取以来、配達に事件調査、護衛依頼に物資回収、そして魔獣退治。

 普通であれば、各国の支部と仕事内容は変わらない。だが、例としてリベール王国の協会支部が4つ存在するのに対して、クロスベルでは支部一つ規模でその以来の大部分をカバーしきらなければならない。

 必然、一日で一人が担当する案件が2、3件は当たり前。朝の内に数件の依頼内容が掛かれた依頼書を小脇に抱えてクロスベル各所を走り回るというのが日常茶飯事であり、基本的に彼らに休日という概念は存在しない。

 それでいて、支部に所属する遊撃士の数はそれほど多いというわけでもないのだから、その忙しさに拍車を掛けている。

 レマン本部から数年に一度のスパンで新人を派遣してくるのだが、生半可な覚悟と胆力、頑健さでなければこの支部で日々激務をこなすのは不可能だ。事実、現在在籍している元派遣組の中で生き残っているのが3人だけだというのだから、その実状は推して知るべしだろう。

 

 そんなこの場所は、クロスベル自治州がイベント期間に差し掛かると同時に仕事量が通常の数倍に跳ね上がる。

 増えた依頼内容の最たるものは観光客からの依頼だ。やれ連れが迷子になっただの、やれ大事なものを落としだの、何故かイベントの実行委員や主催者を素通りして依頼が舞い込んでくる辺り信頼されている証なのだろうが、それをこなして過労死一歩手前になりかける遊撃士たちにしてみればたまったものではない。

 必然的にこの支部で1年以上辞めずに活動し続けられる者は、心の底から遊撃士協会の掲げる理念に誇りを持っている者か、貪欲どころか病的なまでに栄誉を欲している者かのどちらかしかいない。

 そして現在クロスベル支部に属している者達は、前者の者達であった。

 

 伊達や酔狂でこの支部の遊撃士を務めあげられる者は存在しない。―――そんな噂、というか事実が広まった末に、クロスベル支部は全支部の中でも屈指の実力者が集まる最精鋭の場所になってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よぉ元気してるか強制的仕事中毒者(ワーカーホリック)共ォ‼ つーか全員生きてるよね、死んでないよな? 例年通りだとこの期間クソ忙しいだろうから過労で一人や二人逝ってるかと一瞬思ったけどそんなワケねぇよなぁ。そんな軟な人間だったらとっくに棺桶にぶち込まれてるだろうし。

 そんなお前らをクレープ片手に傍観するために帰って来たぞー。羨ましいか? 羨ましいよなぁ。なんせ今は護衛の下見という名の名目で物見遊山してんだからよぉ‼」

 

『『『労働力帰って来たァ‼』』』

 

 疲労で精神的にカツカツになっていたのだろうスコットとヴェンツェルの二人を軽くいなして躱し、次いでリンの拳を受け止めてから合気の要領で投げ飛ばす。そして目と息遣いが完全にヤバくなっていたエオリアが投擲して来た注射器を指で挟んで止め、投げ返したそれが首筋に着弾すると、そのまま顔から床に崩れ落ちた。

 

「あら3秒。ま、こんなトコロでしょうかね」

 

「冷静にタイムを計るより止める努力をしないのか、ミシェル」

 

 その一連の流れをカウンターの向こうで眺めていたミシェルが冷静にタイムを告げると共に、溜息交じりでアリオスが窘める。

 しかしその苦労性が染みついた顔は、すぐに片手に特盛のクレープを持って来訪と同時に全力で煽って来た少年へと向けられた。

 

「お前も、顔を出して早々に煽るのは止めないか」

 

「お約束ってやつですよアリオスさん。実際問題こんなブラック職場、ガス抜きしないとマジで死人出るじゃないですか」

 

「あら、でも今は予想よりは忙しくないわよ?」

 

「んじゃあここ3日間の合計依頼完遂数は?」

 

「ざっと100件かしらね」

 

「ホント、狂ってるよなぁ」

 

 1日30件以上の計算。その中には近場で一気に遂行できる案件もあったのだろうが、いずれにせよ並の人間なら文句なしに倒れるレベルである。

 その異常な仕事量に辟易しつつもクレープの最後の一口を放り込むと、不意に背後から強く抱きしめられた。

 

「はぁ~。これ、これよ~♪ レイ君成分が補充されるわ~♪」

 

「ちなみに聞くがエオリア。テメェあの注射器に何仕込んだ」

 

「即効性の麻痺毒をちょちょいとね。念のため血清持ってて良かったわ」

 

「お前ホントやる事なす事躊躇いが皆無になって来たな」

 

 わしゃわしゃと摩擦で火が出るのではないかと思うくらいにレイの頭を撫で続けるのは、Bランク遊撃士≪銀薔薇≫のエオリア。

 元レミフェリア公国支部に勤めていた遊撃士であり、高い医療技術に加え、サポート系のアーツと投擲攻撃に秀でた掛け値なく優秀な人物。……なのだが、可愛いものには目がなく、それに対しての抱きつき癖もある為に、見た目が中性的で小ぢんまりとしているレイはこのようによく撫でられていた。

 レイが居た3年間で薬剤調合の才覚を発揮して麻痺毒を始めとした劇薬の部類に入る毒を開発し、それを魔獣のみならず身内に対してのネタで使用しようともする、どことなく危ない性格の持ち主でもある。

 簡潔に言えば、外見は充分麗人然とした雰囲気の美人であるのに、中身が残念過ぎる女性なのだ。

 

「ふぅ、あぁスッキリした。ともかくお帰り、レイ」

 

「おう復帰早いなリン。ちょっと肩の関節外してみたんだが」

 

「この程度1秒で治せなきゃこの支部の遊撃士なんてやってられないだろう?」

 

 爽やかな笑顔でとんでもない―――しかしこの支部にとっては当たり前の事を口にしたのは、エオリアとコンビを組む事の多い遊撃士リン。

 Bランク遊撃士で二つ名は≪拳闘士(グラディエーター)≫。カルバード共和国の出身であり、≪泰斗流≫を修める武人でもある。その実力は準達人級であり、個人の強さであればアリオスとレイに続く。

 その在り様は非常に分かりやすい。ENIGMA(エニグマ)のスロットの全てに自己強化のクオーツがセットされており、それも時・空・幻の上位三属性は眼中にないと言った有様だ。ただ頑強さと攻撃力をとことんまで追求した愚直な拳士であり、しかし幻術や精神支配の搦手の類は気合いで何とかするというある意味前衛として完成されている類の遊撃士である。

 ショートカットの濃紺の髪に吊り上がった瞳。そしてその戦闘スタイルから察せられるように基本的に好戦的な性格であり、1年前まではレイもよく模擬戦の相手をしていた。

 

「あー、イツツ。でも挨拶の投げ飛ばしにしちゃあちょっとばかり優しかったな。これも留学効果なのかねぇ」

 

「まぁ、いきなり殴りかかった俺達にも責はあるがな。ともあれ、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

 

 そして最後に立ち上がったのは、クロスベル支部遊撃士の中では最も古参であるスコットと、元帝国支部遊撃士であったヴェンツェル。

 こちらも共にBランク遊撃士であり、それぞれ≪奏弾≫と≪鋼撃≫の異名を持つ。改造ライフルと大剣を得物とする二人は、前者の二人ほど特化した分野はないものの、まさに”仕事人”といった実力の高さでクロスベル支部を支える屋台骨でもある。

 

「ん、ただいま」

 

「しかし、まさか皇子と宰相の護衛としてレイが来るなんてね。宿泊場所は―――あぁ、迎賓館があるか」

 

「俺としては別にここの二階でもいいんだけどな。流石にそこは見栄の問題だよ」

 

「挨拶周りはもう済ませたのか?」

 

「市長にはな。ヘンリー議長は生憎留守にしてて会えなかったよ」

 

 8ヶ月間留守にしていたとはいえ、それでもやはり雰囲気は変わっていない事を再確認したレイは、再び受付嬢のミシェルへと視線を戻した。

 

「警備には遊撃士協会も参加するのか?」

 

「まぁ一応ね。とはいえ、流石にオルキスタワーの警備は捜査一課が中心になって担当するわ。私達は、言ってみれば後詰みたいなものよ。アリオスだけは別だけど」

 

 クロスベルのみならず、周辺諸国にて多大な功績を挙げており、尚且つ遊撃士という中立的な立場を買われたアリオスは、通商会議の場にて2名招聘されたオブサーバーの内の一人として参加する事となっている。

それは、会議参加者の資料に目を通していたレイにとっては既に既知の情報ではあったが、それでもやはり苦笑を漏らさずにはいられない。

 

「アリオスさんがいるんじゃ、俺が来た意味とかないっすわ」

 

「俺はあくまでオブサーバーの立ち位置だからな。それに、有事の際に参加者全員を守り切る事はかなり困難だ。正直な話だが、お前が来てくれてホッとしている」

 

「なーにを言うのやら。天下の≪風の剣聖≫が弱音なんて似合わないっすよ」

 

 レマン本部からのS級遊撃士昇格の話を頑なに断り続けている風纏いし≪剣聖≫、アリオス・マクレイン。

 ≪八葉一刀流≫の弐の型奥義皆伝者であり、20代の若さで”理”の域に至った達人級の武人である。

 ≪結社≫の≪執行者≫として数多くの達人級の武人達と張り合って来たレイだが、その中でもアリオスは真っ当な(・・・・)タイプの一人であると言える。

 唯一欠点を挙げるのだとしたら、超が付くほどに真面目過ぎるが故に全てを内側に抱え込む事ぐらいだろうか。他人に迷惑を掛けるまいと、常に毅然とした態度を崩さないのがこの人物の性格をよく表していた。

 ―――尤も、その性格はそのままレイ自身にも言える事ではあったのだが。

 

「というか、全員揃ってるなんて珍しいな。昼過ぎだってのに」

 

「そうねぇ。別に狙ってたワケじゃないのよ? そもそもレイが帰って来る時間を指定してくれていたらアタシの方でやりくりしてたのに」

 

「おう、私情と仕事をゴチャ混ぜにすんなや」

 

 そんな修羅の支部を統括しているのが、受付嬢のミシェルである。

 根本的な問題として彼女(?)がオネェであるため”嬢”という言葉を付けるべきか否かという事は初対面の人間ならば誰しもが思う事なのだが、3日も顔を合わせれば馴染んでしまうのだからある意味凄い。

 がっしりとした体躯に似合わない女性口調も、もはやクロスベルの名物の一つとなっている。加えて鬼のように依頼が舞い込んで来るクロスベル支部の仕事の受付、分配から後処理までを一手に引き受けているという事だけで、その有能さは誰しもが理解できるだろう。

 レマン本部からは度々勧誘が来ているらしいのだが、その全てを断って今も彼女は支部のカウンターに立ち続けている。

 

「あら、でも少し残念だったわね。この前入った新人ちゃんがちょうど今仕事で離れてるのよ」

 

「へー。新人って事は俺が離れた後にクロスベルで遊撃士資格を取ったって事か。根性あるな」

 

「正遊撃士資格を取るまではまだ経験が足りないけどね。呑み込みも早くて実力もある、期待の新人なのよ」

 

「そうそう。それにと~っても可愛いのよその子‼ ……最近私が近寄ると脅えちゃうんだけど」

 

「スマン名も顔を知らない新人‼ 俺が残ってりゃコイツの毒牙に掛からずに済んだろうに‼ ってかいい加減離れろや‼」

 

 そろそろ本当に撫でられ続けている髪の毛が発火しそうだと危惧したレイが背後に肘打ちを放ったのだが、エオリアはそれをひらりと躱して「あらら」と残念そうな声を挙げた。

 

「もうちょっと愛でたかったのにねぇ。しょうがない、帰ってきたらシャルちゃんでカワイイコ成分を補給しましょう」

 

「おいリン、コイツその内国際指名手配になるぞ」

 

「大丈夫、一線を越えないギリギリのラインを見極めるのがエオリアは得意だ。―――一回裏通り近くで幼児を可愛がってて通報されかけた時は焦ったがな」

 

「もう駄目だ。どうにもならん」

 

 出来るのならその新人にも挨拶をしておきたかったのだが、ミシェル曰く仕事先がアルモリカ村であるらしく、帰還が遅れるのは目に見えていた。

 それまで支部でダラダラと過ごすのは流石に罪悪感があるため、レイは再び歩き回りを続けるとミシェルに告げた。

 

「そう。それじゃあ明日また時間ができたらいらっしゃい」

 

「うーい。それじゃあお仕事頑張ってなー」

 

 『人間って限界超えて仕事すると逆に苦痛じゃないよね』というそこいらのブラック企業も真っ青の標語が暗黙の了解となっているこの場所で遊撃士を志したその意志の強さに感激しつつ、可能ならばそのまま潰れずに務め上げて欲しいという要望を未だ知らない新人に向けてから、入り口の扉を開けた。

 

 

 腕時計を確認すると、時刻は午後3時頃を指し示していた。

 夜にはまた別の用事が入っているのだが、それまでは基本暇である。どうしたものかと思いながら中央広場を歩いていると、まだ微妙に小腹が空いていた事を思い出す。

 店に腰を落ち着けて食事をした経験が薄かったクロスベル時代の名残で思わず屋台の商品で昼食を摂ろうと思っていたのだが、やはりそれでは物足りない。それでもガッツリと食事を摂る規定量は超えているため、どうしたものかと少しばかり悩んでから、西通りの方向へ足を進めた。

 目的地は西通りに店を構えるベーカリーカフェ『モルジュ』。値段もお手頃価格ながらクオリティの高いパンを提供している場所であり、クロスベル西部の仕事の帰りには度々寄っていた思い出もある。

そんな場所に足を進めていると、中央広場から西通りに差し掛かる辺りの道路で、一台の自動車がレイの側方を通り過ぎた。

 

 全体が銀色の塗料で覆われた、普通に見れば何の変哲もない車だ。

 しかしレイは、その形状に見覚えがあった。まだリベールで遊撃士の活動をしていた頃、中央工房の一室で研究開発が行われていた自動車。それの設計図と同じような形をしていたのだ。

 しかし流石に名前までは思い出せず、まぁいいかと視線を逸らしたところで―――突如その車が車線内でタイヤを急激に回転させて転回した。

 

「……は?」

 

 転回禁止の表示もないために違法ではないが、それでも危険な運転方法であった事には変わりない。少なくとも、大通りでもない車道で方向転換の手順も踏まずに行うには難易度が高すぎる芸当だ。素人が出来るような事ではない。

 そんな感じで思わず足を止めてしまうと、その車はスピードを保ったままに走り出し、そのままレイの横に到着したかと思うとピタリと止まる。

 何の理由もなしに自分の真横に止まったとは思えなかったレイは、自然体を保ったままに左肩に引っ掛けた刀袋の紐にそっと手を伸ばす。しかしそんな警戒を払拭するかのように、車の前部座席の窓が開いた。

 

「もー‼ いきなり危険な指示出さないで下さいよランディ先輩‼ 交通課の人に見られたら危険運転で罰則モノなんですからね‼」

 

「まぁまぁ気にすんな気にすんなそれよりホラ、面白い奴が釣れたぞ」

 

「一体何なんで―――あ」

 

 運転席と助手席にいたのは、クロスベル時代に顔を合わせた事のある二人。

 しかしその両者とも、着ていたのは軍服ではなく、自由な装いの私服だった。

 

「おうランディ。それにノエルも。久し振りだな」

 

「おっす留学生。帰省―――ってワケでもなさそうだなぁ、その格好じゃ」

 

 赤毛の青年ランディは、少し前と変わらない飄々とした笑顔のままにそう言って、久方振りに会う少年に対して軽く手を掲げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 

 はい。オケアノスを速攻で終わらせた型月大好き人間十三です。姉御の潔さと、何より生き方そのものに惚れました。

 ……しっかしダメ男が点在してるなぁ、今回。
 片や浮気性のダメ男。片や草も生えないレベルのクズ男。―――英雄って何なんだろ。



 というわけで、ロンドンはよ。




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起源との出会い   -in クロスベルー





  風は止んだし、合図も鳴った。

さあ―そろそろ本気で走りはじめなくちゃ
   
by 臙条巴(空の境界 矛盾螺旋)









 

 

 

 

「あぁ、それじゃあ君が。ランディやアリオスさんから話は聞いているよ」

 

 

 場所は中央広場下。以前はクロスベル通信社のオフィスが入っていたその建物は、現在クロスベル警察のとある部署の拠点となっていた。

 

 クロスベル警察『特務支援課』。『クロスベルタイムズ』などにも度々載せられている、昨今注目されている部署である。

 その役割はより市民の生活に密着し、その要望に応えるというもので、1月に活動が始まった当初は「遊撃士の真似事」と揶揄する声も多かったのだが、時を経ると共にそのひた向きで真面目な活動が認められるようになり、今では遊撃士協会と並んでクロスベル市民に頼られる存在となっている。

 ミシェルが”それ程忙しくない”などと言った理由は彼らの存在も大きいのだろう。―――それでも職務過多である事に変わりはないのだが。

 

 そしてその建物の1階に設けられた談笑スペースで、栗毛の青年、ロイド・バニングスは客人であるレイを快く歓迎した。

 顔を合わせて早々に「年も近いし、敬語は要らないよ」と言った彼は、以前から興味があったと言わんばかりに親しげに話しかけて来た。

 

「アリオスさんやミシェルさんが君の事を良く褒めていてさ。俺達と入れ替わりに帝国の士官学院に留学したって聞いたから、ずっと気になっていたんだ」

 

「こっちこそだ。一応毎月クロスベルタイムズは取り寄せてたからな。『特務支援課』には興味があった」

 

「ふふ。グレイスさんのお陰よね」

 

 そう言って淑やかに笑うのは、ロイドの隣に座った銀髪の女性、エリィ・マクダエル。

 苗字からも分かるようにヘンリー・マクダエルの孫であり、去年までは各国の高名な学校に留学していたという才媛である。

 名前を聞いて早々にヘンリーに世話になった事を伝えると、紅茶を乗せたトレイを抱えたままに会話に混じって来た。

 

「とは言え、お前が通商会議の護衛とはねぇ。偉くなったモンだわ」

 

「俺もお前が支援課に出向するとは思わなかったよ。あと、去年の9月に貸したカジノ代12000ミラとっとと返せ」

 

「うぉ、マジか。覚えてやがったのかよ」

 

「ランディ先輩、未成年にお金借りるとか何考えてるんですか……」

 

 元はクロスベル警備隊の隊員としてベルガード門とタングラム門に配属されていた二人、ランディ・オルランドとノエル・シーカーとは、遊撃士時代に何度か依頼を受けて手合わせをしたり、宿酒場『龍老飯店』で調理手伝いの依頼を受けた時などに客として接するなど、何度か顔を合わせていた間柄だった。

特にランディなどは、毎日忙殺されていたレイを気遣って、自分の休暇時などに依頼を出して連れ出し、カジノやバーなどで息抜きをさせてくれた恩がある。―――その弊害として何度か金を貸してもいるのだが。

 そんな二人が揃って特務支援課に出向になっている事実にどこか作為的なものを邪推しながら『モルジュ』で購入したホットドックを齧る。

 焼きたてのパンに挟まった皮の部分がパリッと、しかし中がジューシーになるまでしっかりと焼かれたソーセージとケチャップ、そしてピリッとしたマスタードの黄金比を堪能しながら、レイはジト目をもう一人の支援課メンバーに向ける。

 

「……んで? なんでお前までいるんだよ、ワジ。『テスタメンツ』の方はどうした」

 

「あぁ、そっちは今アッバスに任せているんだ。―――ふふ、でもこういう立場で君に会えるとは思わなかったな」

 

「やっぱり、遊撃士だと旧市街の騒動とかも担当していたのか?」

 

 ロイドのその素朴な疑問に、レイは首肯した。

 

 東通りに隣接する、高度経済成長の煽りを受けて都市開発から取り残された区画である旧市街は、主に貧困層の住民が暮らしている場所でもある。

市政からも見離され、一種の治外法権が成り立っている為、治安はお世辞にも良いとは言い難い。違法物の密売なども行われる事がある。

 そんな旧市街を根城にしている二つの不良グループ。『サーベルバイパー』と『テスタメンツ』の内、後者のヘッドを務めているのが、このワジ・ヘミスフィアという人物だった。

 

 クロスベル警察が基本的に介入したがらない旧市街での騒動の案件を受けていたのは、やはり遊撃士協会。

 不良グループ二者の抗争が起こった際に、過熱し過ぎないように見張っていたのがレイだったのである。

 

「彼は僕達の抗争の被害が酷くならない内は放っておいてくれてね。そういう意味ではとてもありがたかったかな。

 ……でも、野次馬連中ならともかく関係ない人が巻き込まれそうになると話は別でね。当事者をいつも軽く捻って制圧してたよ。勿論素手で」

 

「その姿が普通に想像できるわな」

 

「でも、どうして過熱し過ぎてから介入していたの?」

 

 ノエルのその疑問に、レイはホットドックの最後の一口を飲み込んでから答える。

 

「別に抗争自体にストップ掛けるのは依頼にはなかったし、わざわざ喧嘩の延長線上如きにいちいち出張るのもお節介が過ぎるからな。他人の事情に首突っ込む程野暮じゃねーのよ」

 

 だが、その”事情”に他人を巻き込む事は許さない。

 レイが唯一譲れないその信条に触れた時のみ介入していた為、制止役としての存在はそれ程疎ましくは思われなかったのだ。

 

「そりゃ抗争自体良くねぇ事ではあるけどよ。喧嘩でしか分かり合えない人間も居るんだわ。そんな人間に普遍的正義を押し付けようとする程分からず屋じゃないつもりだしな」

 

「うーん。色々考えてるんだね」

 

 感心したような声を出すノエルに被せるように、ロイドが語りかけて来る。

 

「普遍的正義を押し付けるつもりはない、か。それは”遊撃士”としての君の在り方なのかな?」

 

「いんや、”俺自身の在り方”だ。他人に言って褒められるような半生送って来たとは思ってないんでね。そんな俺が”正しい正義”なんぞを掲げること自体ちゃんちゃら可笑しい」

 

 ”正義”という概念は、結局のところは主観的なモノでしかない。以前ラウラに言った時のように、”自分なりの正義”を見つける事こそが最も正しい事なのだと、レイは今でもそれを疑っていない。

 そんな身勝手な価値観を聞かされて、警察官としてはさぞや面白くないだろうと思っていたのだが、予想に反してロイドは嫌そうな表情すらせずに深く頷いた。

 

「あぁ。多分それが一番正しいんだと思う。固定観念に囚われない”正義”の定義。―――俺もまだまだだな」

 

「自己中心的な考え方だ。参考にしない方が良いぜ」

 

 そもそも、今まで多数の苦難を乗り越えて来たのであろう彼らに対して、自分が偉そうに説教する権利など最初からない。

 そう思った時、彼らに対して言わなければならない事を思い出した。

 

「そうだ。休業中とはいえ遊撃士として―――そして何より個人として特務支援課に言いたい事があったんだ」

 

「……どうしたんだ? 改まって」

 

 文句の一つでも言われるのかと真剣な表情になったロイドに対して、深々と、それこそテーブルに額が接する程に頭を下げた。

 その意が分からずに軽く狼狽するロイドとエリィを他所に、レイは当時は言う事ができなかった感謝の言葉を告げる。

 

「ありがとう。……教団の拠点を発見して鎮圧に貢献してくれたのがお前達だってミシェルから聞いたよ。ヨシュアには縁があってもう礼は言ったんだが、こうして感謝の言葉を述べられる機会があって良かった」

 

「あ、いや。あれは俺達だけじゃなくて色々な人たちの協力があって漸く解決できたものだから。支援課だけの手柄じゃないよ」

 

「あン時はマジでヤバかったよなぁ。最後らへんなんか特に」

 

 3ヶ月前、特務支援課一同と遊撃士のエステル・ブライト、ヨシュア・ブライトがクロスベル東部辺境にあった古代遺跡『太陽の砦』に潜入し、クロスベル自治州各地に《蒼の錠剤》と称される薬物を放出した犯人である《D∴G教団》幹部司祭、ヨアヒム・ギュンターを打倒したことで公となった《教団事件》。

 この事件には政治家派閥の中でも『帝国派』の筆頭だった前州議会議長ハルトマンを始めとして少なくない数の州議会議員が関わっており、大スキャンダルとなってクロスベルを上から下へと揺るがす大事件となった。

 しかしレイにとっては元より叩けば幾らでも埃の塊が飛び出してくる腐敗議員の汚職発覚問題などはどうでもよく、ただ偏に、これ以上の《教団》の犠牲者が出なかったこと、そしてそれを未然に防いでくれた彼らに対して純粋に感謝の念を述べたかったのだ。

 

「個人的な因縁があったんだ。……具体的な事は聞いてくれないほうが助かるんだが、ともかくそういう意味でも、な」

 

「……そう、か」

 

 少なくとも幹部司祭クラスと相対したのならば《教団》の犯してきた悪行の数々は耳にしているだろうと踏まえてそう言ってみると、予想以上に一同が閉口してしまったため、半ば慌てて話題を切り替えた。

 

「まぁ、そういうわけだから俺個人としては支援課に大きな借りができたってわけだ。俺が手を貸せるような事があったら言ってくれ。できれば俺がクロスベルにいる期間内に」

 

「そこでサラッと期間限定にしてくる辺り君らしいよね」

 

「受けた借りは即返し、ってか。あ、んじゃあ俺の借金―――」

 

「寝言は寝て言えクソ赤毛。コンクリ詰めにしてマインツ山道の崖から叩き落とすぞ」

 

「俺そこまで罵倒されるような事したか⁉」

 

 変えた話題に予想通りワジとランディが介入して、建物内に溜まりかけていた負の空気が一蹴される。その代償としてランディの借金はやはりチャラにならない方向で決定したが、それも些細な事であった。

 

「俺がいる間に返さなかったら、お前が秘蔵してるエロ本全部焼却処分にすっからな」

 

「まさかの追撃⁉ ちょ、お前‼ 絶版モノのお宝まで焼却処分とか鬼か‼」

 

「もしくはちょちょいと部屋ごと燃やす」

 

「お前仮にも警察官の目の前でよく放火予告できるな‼」

 

 というテンポの良い漫才を繰り広げること約3分。一同の表情に笑顔が戻った時、ロイドが壁にかかっていた時計をチラリと見た。

 

「あ、っと。もうこんな時間か」

 

「あら、そうね。迎えに行かないと」

 

 ロイドとエリィの、傍から見れば長年連れ添った夫婦に見えなくもないそのやり取りに首を傾げると、ノエルが親切にも補足を入れてきた。

 

「日曜学校に行っている子のお出迎え。いつもこの時間に行ってるの」

 

「へー。おいランディ、いつ子供なんて作ったんだ」

 

「お前は俺を弄らないと死ぬ病気にでも罹ってんのか⁉ ……ちげぇよ。ま、色々あってな。一人、この支援課で預かってんだ」

 

「ほー。詳しくは聞かない方がいいっぽいから聞かんけどな」

 

「そうしてやってくれ」

 

 そこまでやり取りを交わして、ふと思い立つ。

 

「ん? 日曜学校ってことはクロスベル大聖堂まで行くのか?」

 

「そう。車でね」

 

「あ、じゃあ俺も乗っけて行ってくれ。あそこにも色々と話を通さないといけない人がいるんでな。

そういえばエラルダ大司教ってまだハゲたまんま?」

 

「注目どころがおかしくないかな⁉」

 

 本当にこの軍人コンビは弄ると面白いなぁなどと思いながらも、結局便乗する形で大聖堂まで送って貰う事となる。

 支援課拠点のビルの2階部分の出入り口の先にあるガレージに停めてあるその車を再度眺めて、漸く記憶の片隅から情報を引っ張り出すことに成功した。

 

「あぁ、確かコイツ『XD-78』型だったっけ。やっと思い出したわ」

 

「⁉ レイ君知ってるの⁉」

 

 先程の落ち着いた態度はどこへやら。車の話題になった途端に鼻息荒く迫ってきたノエルに対してひとまず落ち着くように促してから詳細を説明した。

 

「昔リベールに居た頃にXD型の設計図担当と仲良くなってな。その時にチラッと見せて貰ったんだ」

 

「凄いパイプ持ってるね⁉」

 

「でも驚いたなぁ。その設計担当の奴、「酔った勢いで技術部の連中と悪ノリで考えたらなんかオッケー貰った」とか言ってたんだが、まさかマジで日の目を見るとは」

 

「え、えぇぇぇぇ…………?」

 

 基本的にノリと勢いと研究に対する情熱で動くZCFの人間にとっては特に珍しくもない動機なのだが、勿論そんな事情など知る筈もないノエルは目に見えて肩を落としながら運転席に座ってエンジンをかけた。

 

「うぅ……ZCFが心血を注いで完成させた子だと思ってたのに……」

 

「いや、心血は注いでると思うぞ。工房長からGOサインかかったらガチで徹夜に徹夜を重ねて作り上げる技術バカの巣窟だからな」

 

「中央工房って意外と愉快な人が集まってるんだな」

 

「私のイメージが……が、ガガガ……」

 

「おーい、ちゃんと前見てる? アクセル踏んでる? このままじゃエンストするぞー?」

 

 運転士の情緒が僅かに不安定になってしまった事を除いて全員が乗り込んだ車は、出だしこそフラついていたが、すぐに調子を取り戻し、一路クロスベル大聖堂へと駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 鈍色の塗装の車がガレージから出て行く様子を、”彼”は支援課ビルの屋上から俯瞰して眺めていた。

 この時間帯に”彼女”を迎えに行く事自体は、それ程珍しい事ではない。異なる事があるのだとすれば、そのメンバーの中に”翠眼”の保持者が居た事だろうか。

 

『フム……あれが≪虚神の黎界(ヴァナヘイム)≫の守護者か。―――若いな』

 

「おや、聖遺物(レリック)の守護者に年齢など関係ないでありんしょう? それはぬしも分かっているのではないでありんすか、ツァイト」

 

 そんな蕩かすような声に、神狼ツァイトは振り向く。

 屋上のその上、貯水槽の上に腰を下ろしていたのは、いつも通り重ねて羽織った着物を着崩したシオン。

 しかし普段は翡翠色に染まっている双眸は今は煌々と紅く輝き、口調も異なっている。丁寧でありながらも高邁さを含むようなそれは、彼女が今式神としてではなく、本来の役目である≪聖獣≫として彼と相対している事を示していた。

 

九尾(キュウビ)、貴様の放蕩ぶりは私も存じていたが、よもや式にまで堕ちようとはな。それほどあの少年が気に入ったか』

 

「そうでありんすね。守れなかったモノを護る為に人生を捧げ、鎖に塗れた幼子……最初は戯れのつもりだったのでありんすけど、”その先”を見てみたいと渇望するようになってしまいんした」

 

『だが、それは御神の御意思に背く理由にはなるまい』

 

「細かい男でありんすねぇ。行く末を見届けるという役目はきちんとこなしているのでありんすから、少しは羽目を外しても良いではないでありんすか。実際、レグナートは眠りこけていたのでありんすし」

 

 かつて、幼き日のレイと出会ったばかりの時のように、呵々と呵責なく笑うシオン。

 人間の感情に配慮するような慇懃さはそこにはなく、ただ超常の存在として人の世を俯瞰する≪神狐≫としての彼女が、そこにはあった。

 

「≪虚神の黎界(ヴァナヘイム)≫は停滞、≪虚神の死界(ニヴルヘイム)≫は相も変わらず暴走状態……≪幻の至宝≫が遺したモノが時を同じくしてヒトの運命を狂わせるというのは……偶然ではないのでありんしょうねぇ」

 

『運命―――否、因果律を司るのが≪幻の至宝≫の真髄だ。覚醒(めざめ)に合わせて眷属とも言える聖遺物(レリック)二種を”揃える”くらいは造作もなかろう。……まぁ、”彼女”は無意識だろうが』

 

「”揺り籠”に囚われていても世界への影響力は健在とは……クロイスの錬金術師も厄介なモノを作ったものでありんすねぇ」

 

『千年と数十の代を重ねてもなお”至宝の再現”という妄執を受け継いだ一族だ。このような時に定命の存在の執念深さを感じるのも皮肉ではあろうがな』

 

 そして今、それが邂逅しようとしている。

 決して交わってはならない運命が交差しようとしているその事実に対して忠告をしなかったという事実が―――どうしようもなく、自分がレイ・クレイドルの式神である前に至宝の見守り手である≪聖獣≫である事を実感させられる。

 レイに対する忠義は本物だ。それに嘘偽りはない。当初は確かに≪虚神の黎界(ヴァナヘイム)≫を左目に宿した守護者としてしか見ていなかったが、それでも只の幼子だった彼が―――その時は≪聖獣≫としての力の大半を封じていたとはいえ―――真正面から彼女を打倒して式神という存在へと封じ込めたのである。

 それまで人間、特に男に関しては玩具よりも少し役に立つ存在くらいにしか思っていなかった彼女にとって、それは青天の霹靂とも言える出来事だった。

全身を炎に焼かれ、苦悶の声を漏らしながら―――それでも膝をつけず、敗北の眼光を向けず、吹き飛ばしても押し潰しても、決して逃げず諦めずに立ち向かった少年に敗北を喫し、そして惚れ込んだのだ。

 その魂は、かつて復讐の念に駆られていた者のそれとは思えない程に一点の曇りもなく澄んでおり、ただ一人の剣士として、ただ一人の達人として、彼女をただの”超えるべき壁”として挑んだ、ただそれだけの事だった。

劣情に駆られたわけでも、神格に目が眩んだわけでもない。彼はどこまでも自分に正直で、そしてどこまでも貪欲なだけだったのだから。

 

「……主」

 

 ほんの一瞬だけ式神としての顔に戻ったシオンの事を、ツァイトは敢えて責める事はなかった。

 なにせ、度合いは違えどヒトが試練を乗り越える力を見届けたいと思ったのは、彼も同じだったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車が市街を抜け、マインツ山道に差し掛かろうとした時点で、既にレイの体は不調を訴えかけていた。

 左眼を基点にして断続的に来る激痛はもはや慣れたものだったが、体内の膨大な呪力が神経を介して威勢よく励起してしまっており、軽い暴走状態に陥ってしまっている。人間の肉体には過剰すぎる負荷がかかり、軽い発熱状態も並症していた。

 本来ならば過呼吸状態になり、体中が痙攣して意識を失ってもおかしくないような状態になってもなお―――しかしレイは車の後部座席で体調不良を支援課の誰にも悟らせずに座り込んでいた。

 時間にすれば、ガレージを出発して5分も経っていないだろう。車は目的地のクロスベル大聖堂下まで辿り着き、一同が降りる。

 常時大槌で殴られているような頭痛を無視し、微かにボヤける視界も、踏ん張りを解けば震えかねない両手両足の制御を完璧に行い、さも健常者であるかのように振る舞いながら大聖堂へと続く階段を上る。

 

「(覚悟はしてたが……流石にちっと辛いか?)」

 

 症状だけ見れば重度の片頭痛に加えて肺炎を拗らせたような不調が襲っているのだが、それらは全て≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫が呼応して過剰反応している結果である。

 それでも今の段階(・・・・)であるならばこれ程までに強い症状は出ない筈なのだが、その理由はこれが”初対面”であるからなのだろう。

 

 レイは一旦ロイド達と別れて、大聖堂の側壁の方へと歩いて行く。そこで石壁に背を預けて荒い息を数回吐くと、僅かではあるが余裕を取り戻した。

 全身から嫌な汗が流れ出し、未だ気を抜くとそのまま座り込んでしまいそうになるのを何とか堪えながら大聖堂の入り口の方へと視線を向けると、そこには一人の修道女がレイに視線を合わせて立っていた。

 

「随分と辛そうなご様子ですね」

 

「今の俺を見てそう思わないんだったら逆に心配だわ。……不良神父はいねぇのかよ」

 

「エラルダ大司教は、≪星杯騎士団≫(私達)の事を快く思っていませんから」

 

「はっ、そりゃそうだ。そうだった。まぁ、アイツが居たら話がややこしくなってただろうから、残ってたのがお前で良かったかもな、リース」

 

 互いに敵意は向けないままに会話を交わしていると、声を掛けられた修道女―――リース・アルジェントは薄く微笑んだ。

 ≪守護騎士(ドミニオン)≫第五位、≪千の護手≫ケビン・グラハムの従騎士として封聖省に所属する彼女が、現在修道女としてこのクロスベル大聖堂に居る理由などは、少し考えれば分かる事だった。

 

「枢機卿のお偉方は、ワジ一人じゃ心配になったってか?」

 

「規模は巨大でしょうし、それに≪結社≫が関わっている可能性がある以上、上も慎重にならざるを得ないでしょう」

 

「その御慈悲を、ちっとは帝国方面にも回して欲しいよなぁ。ウチに来てるのはどうにも積極的には関わる気ゼロの昼行燈だし」

 

「……報告しますよ」

 

「待って、ゴメン。それだけは勘弁。その報告がまかり間違って≪紅耀石(カーネリア)≫の方まで上がろうモンなら今度こそ滅殺されかねんから」

 

 軽口を叩ける程度には回復したのを見計らって、レイは寄りかかっていた壁から離れる。そのままもう一言くらい告げてから向かおうとして、しかしすれ違った所でリースに呼び止められた。

 

「行くんですか? それ以上辛くなるのは(・・・・・・・・・・)目に見えているのに?(・・・・・・・・・・)

 

「……従騎士クラスの人間が、俺のコレの事を知ってるのか?」

 

「姉が手記に遺していたんです。閲覧できたのは身内の特権でしたし、箝口するようにと命令を受けていましたが」

 

「ルフィナ・アルジェント―――《千の腕》か。レーヴェが褒めてただけあって、噂通りの辣腕だったようだな」

 

 武人としての腕前もさることながら、卓越した問題解決能力を備えていたと言われる、元《星杯騎士団(グラールリッター)》正騎士の女性。その実力は遊撃士協会もスカウトに乗り出したと言われるほどであり、当然の事ながらレイも話くらいは聞いていた。

 

「なら、これ以上は踏み込まないほうがいい。知ってるんだろ? 左眼(コイツ)古代遺物(アーティファクト)より位階が上の聖遺物(レリック)だ。下手に踏み込んだら異端討伐の対象にもなりかねないぞ」

 

「えぇ、それは分かっています。元より、この場以外で口にするつもりもなかったですし」

 

 そう言ってから、リースは一つ浅いため息をついた。

 

「まぁ、大きなお世話でしたかね。忘れてください」

 

「いや、心遣いには感謝しておくぜ。その代わりと言っちゃなんだが……」

 

 レイはそう言ってバッグの中を漁り、そこから紙袋に包まれた細長い形状のものをリースに手渡した。

 

「さっき中央広場で買って食い損ねてたチュロスだ。やるよ」

 

「ありがとうございます。言動はアレですがやはり良い人ですね」

 

「チュロス一本で善人判定されるのは困るよなぁ」

 

 《結社》に居た頃に餌付けをしていたアルティナの存在をふと思い出してから、レイは歩みを進めた。

 

 

 大聖堂の扉を開け、その右側の扉へと近づく。その部屋は日曜学校の時に教室として使われている場所であり、実際そこからロイド達が談笑している声が聞こえた。

 この奥に”居る”のは間違いない。彼の贖罪の起源が、かつて憎悪を向けた対象が。

 

「……ッ‼」

 

 それら全ての雑念を振り払って、古めかしい木の扉を開ける。

 部屋の中にいたのは支援課のメンバーと、教師役を務めているシスター・マーブル。そして教壇の上に立って朗らかに笑っている女の子が一人。

 

「んー? お兄さんだぁれ?」

 

「あぁ、キーア。このお兄さんはね、元遊撃士なんだ。ミシェルさんが居る所にいたんだよ」

 

「へぇー、そうなんだぁー」

 

 無垢で無邪気な、一片の曇りもない声が耳朶に届くと同時に三半規管が揺らされる。

 否、それは所詮レイの思い込みだ。自分に視線を向ける黄緑色の髪の少女は、何も知らないだろうし、知らされていない。

 その清純な笑顔に向けて罵倒をするなど、レイには出来ない。元より彼女は500年前に創られた”人形”に過ぎず、憎悪を向けるのは最初からお門違いなのだから。

 

 それでも、《慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)》は励起を止めない。”戻るべき存在”を目の前にして奮い立っているそれが齎している不調を全て気合で抑え込み、出来うる限りの優しい笑みで、その少女の視線に応えた。

 

「初めまして、かな。レイ・クレイドルって言うんだ。お嬢ちゃんの名前は?」

 

「んー、キーアって言うの。よろしくねー、レイー♪」

 

 

 せめて彼女があの神の容貌(カタチ)そのものを象っていたのなら―――もう少し悪態を吐く事もできたのだろうか。

 

 レイは、そんな不毛な論議を脳内で進めながら、キーアの笑顔に心を痛めつけられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼間は絶え間なく人と車が行き交う中央広場も、日が落ちれば途端に活気が薄れてしまう。

 乱立する街灯が照らし出す広場には、ベンチに腰掛けて愛を囁く数組のカップルしか存在していない。周囲の店舗は既に営業時間を終了させ、煌びやかな店灯も消えている今、人気がなくなるのも当たり前だ。

 昼間は交通整理に精を出していたクロスベル警察の職員も、役目を終えて撤退している。静寂に包まれた空を見上げ、少しばかり視線をずらすと、この時間帯でもまだビルの灯りが消えていないIBCの本部が視界に入った。

 仕事熱心だなぁ、などと思いながら広場端のベンチに背を深く預けて沈み込むと、自然に瞼が降りてしまう。しかし、約束の時間までそれ程余裕がない事を思い出すと、レイは再び右目を開く。

 

 クロイス家が生み出した≪幻の至宝≫を再現するための人造人間(ホムンクルス)の少女、『Key of A』―――キーアと出会った影響で起こってしまった体の不調は、数時間程ゆっくりと回復に努めた事で今ではほぼ完治していた。

 左眼が暴走する事自体は久し振りであり、それに体が過剰反応したために危うく醜態を晒しかねないレベルまで体調を崩してしまったが、冷静になって鑑みてみれば一昔前まではこうした状況に陥るのが日常的であった。

 それはまだ左眼を≪虚神の黎界(ヴァナヘイム)≫と称していた頃、自分一人の力では制御もままならなかった頃は、僅かなきっかけで暴走させてしまっては生死の境を彷徨った事もある。それに比べれば、この程度はなんてことはない。

 そして、同時に分かった事がある。

 

 レイが恨んでいたのは、人類に絶望して、災禍を撒き散らす二つの宝玉を現世に遺して消滅した≪幻の至宝≫―――≪虚ろなる神(デミウルゴス)≫であり、その再現をするために、その為だけに創り出された少女ではないという事を。

 彼女は、今の時点では何も知らない。……否、もしかしたら本能的な部分では気付いている所もあるのだろうが、大聖堂で様子を見た限りでは、彼女は歳相応の性格の少女であり、それ以上でも以下でもなかった。

 いずれは必ず己に秘められた力と責務を否が応にも知る事になるだろうが、その末に彼女がどういった選択をするのか、或いは周りの人間がどういった選択を促すのか―――それに興味がないと言えば嘘になるが、生憎と今は、それよりも懸念すべき事項がある。それは、自分が介入すべき事案ではない。

 

 神が英雄を呑み込むか。

 或いは、英雄が神を諭し、口説き落とすのか。

 

 そんな展開は、神話や伝承の時代から使い古された、ありふれた設定(・・・・・・・)に過ぎないのだから。

 

 

 

「よ、旦那。待たせたな」

 

 気が付けば、レイの目の前に一人の男が立っていた。

 身長は2アージュに届こうかという長身。頑健な体躯を着慣れていないように見受けられるダークスーツで包み、サングラスを掛けているその姿は、傍から見ても一般人(カタギ)には見えないだろう。

 そしてその男の背後には、カップル達の視線を遮るように黒塗りの防弾リムジンが停められていた。

 

「おー、待ったぞ。熱帯夜の夜の下に待たせるとか鬼かお前ら。……いや、鬼だったな」

 

「ハハハ、アンタも相変わらずそうだな。まぁ俺らも変わっちゃいないが」

 

 恐らくは特注品なのであろうダークスーツの胸ポケットの部分には、赤黒い蠍の紋章が縫い付けられている。

 それはそうだ、変わらないだろうよと、レイが苦笑交じりにそう返すと、男はリムジンの後部座席のドアを開けて彼を迎え入れた。

その誘いに完全に乗る形で乗り込むと、男はそのまま運転座席へと身を沈めた。

 

「ラインフォルト社製の防弾リムジンか。共和国のブラックマーケットにでも出回ってたのか?」

 

「いやぁ、これは正規の手順で手に入れたモンだよ。ちっと値は張ったみたいだが」

 

「儲けてるよなぁ、≪赤い星座≫は。お前も恩恵には預かってるんじゃないのか? レグルス」

 

「お生憎様、俺は派手な遊びには興味がなくてな」

 

 大陸最強の猟兵団、その部隊長の一人を務める青年は、しかし威圧感は醸し出すことなくカラカラと笑う。

 この誘い、呼び出しに応じる事こそが、レイが一足早くクロスベルに赴いた理由でもあった。遊撃士協会に出向いた事も、大聖堂に向かった事も、そして市長と対面した事さえも、あくまでついでの用事に過ぎない。

 だからこそレイは、運転席で巧みにハンドルを取る青年―――レグルス・ラインベルグの背に向けて言葉を投げた。

 

「幹部勢は誰も死んでないみたいだな」

 

「ガレスやザックスのアニキ連中もピンピンしてるよ。ま、俺が死んでないってトコから推測して貰いたいがね」

 

「ホント、お前らってしぶといよなぁ。一兵卒に至るまで気合い入り過ぎだろう」

 

「ちょ、待て。しぶとさで言ったら旦那んトコの奴らの方がよっぽど上だろうが。戦場で鉢合ったら全員が眉を顰めるんだぜ? あー、ヤバいのに会った。って」

 

「年中ヒャッハーしてる戦闘民族に異常とか言われたくねぇだろうなぁ、アイツらも」

 

「俺らから見りゃそちらさんもれっきとした戦闘民族なんだがねぇ」

 

 会う場所が場所ならばそれぞれ得物を抜いて殺し合いを始めるような間柄だというのに、そんな他愛のない話が続く。

 一流の猟兵というのは、実のところそういうものなのだ。賊のような無法者ではなく、仕事と私事を使い分ける。特にこの男は、そういった感情制御の類が上手い。

 

 リムジンは躊躇う事無く堂々と行政区を通過して、そのまま歓楽街へと辿り着く。

 この場所は深夜こそ活動時間といっても差支えがなく、他の区画では見られないネオンの輝きが辺り一面に広がる。その光景を眺めながら呆けていると、そのまま車は進路を高級歓楽街の方へと向けた。

 年齢上の関係で表立ってこの場所を訪れた事はないが、マフィア同士の違法密売の裏を取るために潜入したことはあった。……その後、捜査一課の刑事に3時間ほどこっぴどく叱られたのも、今となってはいい思い出である。

 そして車は、とある高級クラブの前で静かに停まった。

 

「ようこそおいで下さいました、レイ・クレイドル様。本日『ノイエ・ブラン』は貸切となっておりますので、奥のVIP席にご案内いたします」

 

 そこは、猟兵団《赤い星座》が資金源として運営している店の一つ。

 運営、装備、作戦行動の資金源として『クリムゾン商会』というダミー会社を持つ《赤い星座》は、帝都ヘイムダルに『ノイエ・ブラン』という高級クラブを経営し、高い利益を挙げている。

 それが今年、クロスベル市に進出したという噂は既に聞いていたし、高級歓楽街の、それも一等地に店を構えるという大胆さについても、特に言及すべき事はなかった。

 

 レグルスとは入口のロビーで別れ、レイだけは支配人の初老の男性に案内されて奥へと進んでいく。

 如何にも成金や政治家らが好みそうな俗っぽい高級さを追求した店内の装飾に、内心失笑する。品格を備えた贅の何たるかをこの数ヶ月で少なからず見てきたレイにとっては、それらが虚栄を示すだけのものにしか見えなかった。

 無論、それをいちいち言及するほど空気が読めないわけではない。客が一人もいない店内を進んでいくと、やがてBOX席にも似たVIPルームが見えてくる。

 そしてそこには、三人の”狂戦士”の血族が腰を据えていた。

 

「お連れいたしました、シグムント様」

 

「ご苦労。下がれ」

 

「はっ」

 

 その言葉一つ取っても、常人には抗いきれない迫力が備わっている。事実、レイは礼を正して去る支配人の首筋に一筋の汗が流れているのをしっかりと視認していた。

 VIP席の上座、そこに堂々と座しているのは、《赤い星座》副団長にして現団長代行―――《赤い戦鬼(オーガ・ロッソ)》シグムント・オルランド。

 現在猟兵の界隈で最強の座の一翼を担っている隻眼の偉丈夫は、ただそこに存在するというだけでただならぬ雰囲気を放つ。

 歴史をたどれば《暗黒時代》の戦士団にもなる古い歴史を持つ《赤い星座》。その初代団長である《ベルセルク》オルランドの血を最も濃く受け継いでいるのは彼と、そして彼の兄であり、先代団長の《闘神》バルデル・オルランドである事には間違いないだろうと、そう理屈も何もなく、本能でそう思わせる生粋の戦鬼。

 

「やっほー、レイおっひさー♪」

 

「口に物入れたまま喋るのはやめなよ、シャーリィ。まぁでも、確かに久しぶりだよね」

 

 そしてその横に座るのは、シグムントの実の子供である二人。

 《血塗れ(ブラッディ)》シャーリィ・オルランドと、《剣獣》イグナ・オルランド。―――共に赤髪翠眼を宿した二人は、敵意も闘気も籠っていない目でレイを見やった。

 ガラスの容器に山のように盛り付けられたパフェを結構なペースで口の中に収めて行くシャーリィと、喋る時くらいは食べるの止めようよと兄として窘めるイグナ。この様子だけを見れば、普通の兄妹と思えるかもしれない。

 だが違う。一見無害そうに見えるこの二人も、硝煙と血煙の中で生まれ、銃声と慟哭を子守歌にして育ち、十にも満たない年から銃を構えて戦場に身を委ねた修羅である事に変わりない。

 生粋の武人で、生粋の人殺し。ミラの為に人を殺し、正義ではなく成果を求める鬼の子供達。

 

「まぁ、とりあえず何か頼みなよ、レイ。お酒―――は年齢的に無理とか言いそうだからソフトドリンクか」

 

「ここのオレンジジュースおいしいよー」

 

「ん、じゃあそれで。後、腹減ったから何か頼んでいいか?」

 

「構わん。好きなのを注文しろ」

 

「うーい。ゴチになりやーす」

 

 とはいえ、その程度の威圧感で身を竦めるほど小心者ではない。周囲を達人級の武人や超級の異能者に囲まれて過ごした日々に比べれば、温いものである。

 本来ならば初見の店、それも『人生で出来るならもう関わりたくないなぁランキング』上位入賞の組織が運営する店で出される物は警戒するのだが、仮にもここは政治家や富裕層が利用する高級クラブ。店の威信にかけてそういった品は出さないだろうし、目の前の男がその程度で自分を殺せるなどと浅薄な考えを持ち合わせているとは思えない。……そもそも毒を盛ったところで生半可な物では効き始める事すらないのだが。

 

「さて、呼び出した用件については理解しているか?」

 

「アンタら≪赤い星座≫が1億ミラで帝国政府―――いや、ギリアス・オズボーンに雇われて通商会議の時に現れるであろうテロリストを皆殺しにするんだろ? その打ち合わせじゃないのか?」

 

 視線はメニュー表の文字を追いながら、口から出る言葉は余りにも物騒なそれ。

 しかし、その口調に不快感や、躊躇いといった雰囲気は一切含まれていなかった。

 

 そもそも、レイは殺人に対して強い忌避感を覚えるような類の人間ではない。

 無論、好んで通り魔殺人や関係のない人間を斬り殺す趣味はないし、今までもした事はないが、ただ”仕事”として他者の命を奪う場合、彼は躊躇う事無く刃を振り下ろす事ができる。

 それが武装集団であるならば尚更だ。殺さない方が有利な立場を獲得できる状況ならば生け捕りにする事も充分可能だが、一度殺意を自分に向けた相手に対して慈悲の心を授けてわざわざ逃がすほど甘くはない。その相手が、親交が深い相手ならまた別なのだが。

 つまるところ、≪赤い星座≫がオズボーンに雇われてテロリストを皆殺しにする仕事を請け負っていようがいまいが、レイにとってはどうでも良かった。

 ―――自分は、自分の仕事をするだけなのだから(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「帝国政府の方から話は行ってるんだろ? 獲物を横取りする形になるのは、まぁ申し訳なく思うけどよ。大半はアンタらの仕事だ。今更木っ端テロリストの相手で打ち合わせなんてする必要ないんじゃないか?」

 

「まぁそうだな。だが、俺がお前を呼び出したのはその事じゃあない。―――”仕事”の後の話だ」

 

 そこで初めてシグムントは、人食い虎が狙いを定めたかのような、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「ギリアス・オズボーンは傑物だ。今回の一件はそれこそ通商会議の日程が組まれた時から進められていた話だが……”その後”の話は数年前から仮契約を結んでいたモノだ。流石に兄貴が死ぬところまでは予想していなかっただろうがな」

 

「国外どころか、国内にも腐るほど敵を抱えてる奴だ。いずれ爆発する事くらいは予想の内だろうよ」

 

 或いはその”爆発”すらもあの男の手の内なのかもしれない。―――そう考えると、改めて背筋にうすら寒いものが這い渡る。

 

「そのせいで俺達は通商会議の後に二重契約を結ぶ形になった。クロスベル方面は俺やシャーリィが担当し、”そちら”にはイグナとレグルスをくれてやる。三個中隊もあれば充分だろう」

 

「……随分と太っ腹だな」

 

「金と名声が手に入る。それ以外に猟兵(俺達)が動く理由などないだろう」

 

 それは暗に《マーナガルム》を貶しているのかと邪推したが、そういった意図は恐らく薄いだろう。

 戦場の鬼ではあるが、シグムント・オルランドは無法者というわけではない。強者には敬意を称し、そして押し潰す。ある意味分かりやすい剛毅な性格だ。

 「軟弱者」と嗤うよりかは、「それもまた良し」と笑う人間だ。戦場に生きる者として、脅威を感じとる手腕には長けているはずなのだから。

 

「ぶー。いいなー、イグナ兄。そっちの方が暴れられそうじゃん」

 

「まぁまぁ。オレよりもシャーリィの方が大変そうじゃないか。あ、別に依頼に不満があるわけじゃないから、そこのところを宜しくね」

 

 不満を漏らすシャーリィを苦笑交じりに宥めるイグナの姿は、一見すればどこにでもいるような優男にしか見えない。

 シグムントが威圧という名の凶暴性、シャーリィが無邪気という名の凶暴性を垣間見せる中で、彼だけは平時から内に秘めた凶暴性を表に出すことはない。

 戦闘時以外は徹底して”普通の人間”で在り続ける。それがイグナ・オルランドという青年の在り方だ。

 

 だが無論それは―――彼が<オルランド>の血族らしくないという事とは、イコールにはならない。

 

 

 

 視線は未だメニュー表に行き、一見無防備に見えるレイを一瞥してから、シグムントは一瞬だけ視線をイグナに向ける。

 父親の促すような視線を受けた彼は、今までニコニコと微笑んでいた表情を切り替えた(・・・・・)

 腰かけていた大きなソファーの後ろに手を伸ばし、”それ”を掴み取る。そして、重量が生み出す風を置き去りにする速さでレイの脳天へと振り下ろした。

 

「……ッチ。ちっとは我慢できねぇのかよハイエナめ」

 

 だが、それを食らってやるほどに病的じみたお人好しではない。躱す事も考えたが、それではVIP席が半壊する事は目に見えていた。いかにも金をかけている備品を吹き飛ばしてしまうのは、見るに忍びない。

 だからこそ、レイも神速の速さで刀袋から白刃を抜き、その一撃を受け止めた。店内に轟音と衝撃波が散らばったが、その程度は勘弁してくれと内心で合掌する。

 受け止めたのはイグナの身の丈程もある大剣。《布都天津凬》とは違い、剣そのものの鈍色が濃く残った武骨な戦闘剣は、その容貌通り、”切り裂く”よりも”叩き斬る”事に特化している。

 銘はない。そもそも敵を殺すことだけを念頭に入れたモノに名前など与える必要はないというのが、イグナの考え方である。その点においては、派手さも重視するシャーリィとは折り合いがあっていない。

 そんな彼は、今まで幾多の命を奪ってきた愛剣の一撃が軽々と防がれたことに対して口角を釣り上げた。

 

「やっぱり駄目かぁ。士官学院に入って腑抜けたかなって思ったけど、やっぱり変わらないね、君は」

 

「違ぇよ。そもそもお前ら三人と会う時に気ぃ抜くほど馬鹿じゃねぇって話だ。……それよりも妹止めろよ。目ぇキラッキラしてるぞ。今すぐにでも《テスタ=ロッサ》で斬りかかってくる勢いだぞ」

 

「あははー。バレた?」

 

「もうヤダこの修羅一家」

 

 恐らくはランディ……ランドルフ・オルランドも身内がクロスベルに居る事くらいはとうに気づいている頃合いだろう。

 通商会議までには、嗅ぎつけて出会う事になるのだろうが、それが彼の運命の分岐点になることは間違いない。

 戦死したバルデル・オルランドの唯一の息子としての―――《闘神の息子》としての過去を、彼はまだ清算していないのだから。

 

「ククク、衰えていないようだな。そうでなくては困る。お前も俺達と同じ、”戦う事が存在意義”の人間だからな」

 

「……まぁ、否定はしねぇよ」

 

 その言葉に正面から否と答えるという事は、今僅かに昂っている精神を否定する事になる。

 達人級の領域に足を踏み入れるまでの過程で、そしてその後に経験した戦いの軌跡は、レイにとって到底否定できるものではない。

 そういう意味では、自分もこの鬼の一族と同じなのだと考えると、気落ちせずにはいられない。

 

「本音はこのままバトりたいんだけどさ、オレも流石にそこまで節操なしじゃないし、今日のところはこれで引くよ」

 

 戦闘狂としての表情を抑えて大剣をソファーの裏に戻すイグナを見てから、レイも刀を鞘に納めた。

 無言の時間が数十秒流れ、やがて場の空気が切り替わる。

 

「レイー、悩んでるんならパフェオススメだよ、パフェ。チョコ系のもの頼んでシャーリィに分けてくれたらなおグッド‼」

 

「それくらい自分で追加しろや。あ、すみませーん、とりあえずメニューのこのページの上から下まで全部」

 

「奢りだと思って弾けるねぇ。あ、じゃあオレもメニュー追加で」

 

「ウイスキーのボトルをもう一本持って来い。レイ、お前も一口くらいは付き合え」

 

「猟兵基準の”一口”がアテにならない事は経験済みだからパスで」

 

 先ほどまで一触即発状態だった状況から僅か数十秒で意識を切り替えた四人の精神力に内心で恐怖感を抱きながら、支配人はまだ終わらない宴の世話を執り行う事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 今回の提供オリキャラ:

 ■レグルス・ラインベルグ(提供者:kanetoshi様)
 ■イグナ・オルランド(提供者:綱久 様)

 ―――ありがとうございました‼




 ……FGOで爪と羽と宝玉と双晶と心臓が足らん。イベはよ‼




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仮初の思惑  -in クロスベルー




「なら…あなたが私を一生守ってよ‼ 何も知らないくせに‼ 何も出来ないくせにっ…‼勝手なこと言わないで…」
「コレは私の、私だけの戦いなのよ‼ たとえ負けて…死んでも…誰にも‼ 私を責める権利なんかない…‼」
「それとも…あなたが一緒に背負ってくれるの? この…このっ…ひ、人殺しの手を…あなたが握ってくれるの⁉」
   by シノン(ソードアートオンライン ファントムバレッド)








 

 

 

 

 

 ―――この世界を訪れるのは何時ぶりだろうかと、ふとそう思う。

 

 夢の中とは少し違う場所。此処は、レイ・クレイドルの精神の深奥部分。

 彼が歩んできた半生、その生き方と抱え込んだモノを表しているその場所は、本来彼以外が訪れる事は叶わない場所だ。

 しかし今まで、本人以外でこの場所に足を踏み入れた者が数人いる。そのいずれもが”ヒト”の枠から外れた超人的な存在である為に、もはや”数人”とカウントして良いものかどうかも不透明なのだが。

 

 

 天も地も、視界に入る全てが純粋な”白”でしかない世界。

 本来それは、間違いなくレイの在り方そのものを表すはずだった。どのような縛りも存在しない無限の可能性を示し、どこまでも、どんな所にも繋がっていくはずだったのだ。

 

 しかしその世界には、今は”在るべきでない”モノが存在してしまっている。

 世界を食い破るようにして生えている、無数の黒茨。触れるもの全てを引き裂き、斬り刻み、殺しつくしてしまうのではないかと思わせる程に醜悪で禍々しいモノ。

 それが、ジャングルの木々のように鬱蒼と世界を覆っている。精神世界の中央に近づけば近づくほどにその密度は増し、白の世界を塗り潰している。

 

 そこから感じるのは、明確な拒絶の意思。

 自己の起源とも言える存在が鎮座する場所に行かせまいと、それらは万物を阻み続ける。

 それが、例え本人であったとしても、だ。

 

 

 

「…………」

 

 相変わらず気が利かない場所だと思いながら、レイは茨の森の前で立ったままため息を吐いた。

 これが夢であることは理解しているし、此処が自分の心象風景である事も当然理解している。

 以前、いつだったか同じような場所に立って同じような夢を見た事があったなと、思い出す。自分がしている事がただの馴れ合いで、お節介にすぎないのだと、”昔の自分”に嘲弄された事があった。

 だが、それとは違う。此処にはレイを愚弄する者も嘲弄する者もいない代わりに、もっと明確なモノが彼の前進を否定する。

 

 世界を蝕む黒茨の正体は、レイ・クレイドルが抱いてきた”後悔”の具現化(・・・・・・・・)

 二度と自分の目の前で理不尽な生き方を、死に方を強要される人間を生み出させないという幼き時の誓いに反して、現世に溢れる闇の深さを目の当たりにしてしまった時に、彼が心に抱いた後悔。

 ”自分がもっと強ければ””自分がもう少し早く動いていれば”―――そんな、傍から見れば傲慢とも取られかねない想いが積もり積もった結果である。

 

 冷静に、客観的に見てみれば、その後悔は大半が筋違いだ。

 泣き叫び、嬲られて死んでいく者達の全ての声に応える事など、それこそ神でもない限り不可能である。他者の死に対して責任を感じる義務も権利も”他者”にはない。

 それはレイにも分かっていた。今の彼は勿論の事、恐らく剣を握ったばかりであった頃の自分であっても、それが筋違いであるという事は理解していたのだろう。

 だが、それでも忘れる事はできなかった。

 武者修行と称して師に連れてこられた戦場で感じた無慈悲の蹂躙。剣と銃と砲撃の暴力に晒されて花の露よりも儚く散っていくヒトの命。敗北の憂き目に遭い、凌辱と強奪の脅威に晒される姿は思わず目を背けたくなるものであったが、それでも師は、カグヤは冷酷に告げた。

 

『よう見ておけ。これが、ぬしが足を踏み入れようとしている世界の、ほんの一端の悲劇じゃ。強き者が蹂躙し、弱き者が辱められる。ヒトの醜さ、弱さは何時(いつ)であろうと何処(どこ)であろうと変わらぬ。

 レイよ、闘争の本質をよく覚えておけ。強大な力が引き起こす有様を、その眼窩の奥に刻み込め。ぬしが幾ら強くなろうとも、こうした悲劇は覆らぬ。

 ぬしが味わった絶望は、この世界ではよくある事(・・・・・)よ。弱肉強食、その摂理に従ってこの世は動く故な。これでも今はマシになった方じゃ』

 

 その、どうしようもない事実を告げた後に、しかしカグヤは声色を変えないままに続けたのだ。

 

『故に忘れるな。ぬしは決して”正義の代行者”にはなれぬ。悲劇を目の当たりにして悲嘆に暮れるのは良いじゃろう。怨嗟の慟哭に胸を痛めるのも良いじゃろう。

 だが、それを決して”後悔”と捉えるでないぞ。前に歩む事を阻害する楔にする事だけは相ならぬ。それは必ず、ぬしの可能性の芽を摘むことになるからのぅ』

 

 結果として、レイは師のその言葉を守る事はできなかった。

 外道の所業で命を奪われた者の亡骸を前にすれば人知れず涙を流して”後悔”した。

 憔悴の限界まで至り、もはや死ぬ事が救いでしかない者の首に刀を突き立てた時は拳を握りしめ、歯ぎしりをしながら”後悔”した。

 漸く小さい命を救う事ができても、その命を再び戦場に駆り出す事しかできなかった自身に”後悔”した。

 心根が優しすぎる(・・・・・)彼は、それら全てを「他人事」と捉える事が出来なかった。そうした”後悔”を重ねる度に、この精神世界を侵食する黒茨が一本ずつ増えていった。

 気付いてみれば、世界を塗り潰さんとするほどに増殖していた。それは決して消えるような気配を見せず、ただただ馬鹿の一つ覚えのように増えていくだけ。

 それに対して二度目の溜息を吐くと、不意にレイの隣に”彼女”が現れた。

 

「ふぅん、此処にキミが来るのは珍しいね。何かあったのかい?」

 

「……機嫌が悪いのは分かったから、分かってる事を聞くなや」

 

 まるで幽霊であるかのように突然虚空から現れたその少女は、苦虫を噛み潰したかのようなレイの表情を見てクスクスと笑う。

 常に地面から浮いている為に目線こそレイと合っているが、身長そのものはフィーよりも低い。外見年齢も10代前半程ながら、存在そのものから醸し出される神秘の雰囲気がその感覚を曖昧にしていた。

 足首まである白髪と虹色の瞳。丈の短い白の着物に身の丈の倍程もあるマフラーを身に纏っている。

 浮かべている無邪気そうな微笑も、彼女が浮かべればどこか含むような雰囲気を感じさせた。

 

「ん、謝りはしないよ? 何せ未覚醒とはいえ”零の至宝”に自ら近づいたのはキミなんだからね。その影響で活発的になった≪虚神の黎界(ヴァナヘイム)≫の”呪い”をボクが必至で抑え込む羽目になったんだ。……正直に言うと少し辛かったよ?」

 

 ふわりと髪を揺らしながら、彼女は一切悪びれた様子もなくそう言う。

 実際、レイは彼女に対して怒りの感情は全く見せていない。そも、彼女が存在していなければレイは未だに”未来化の停滞”の呪いを一身に受けていたのだから。

 

「わーってるよ。お前に負担を掛ける事も分かってた。……でも、そうしないと絶対後悔してたよ、俺は」

 

「まぁ、それも知っていたよ。一応キミとも長い付き合いだしね。とはいえ、自ら寿命を縮めるような真似は慎んだ方がいいんじゃないのかい? ボクでも”呪い”を抑え込むには限度があるんだ」

 

「反省はしてるって。だから機嫌くらいは直してくれよ―――≪天津凬≫」

 

 傍から見れば不機嫌そうには見えない微笑を変わらず浮かべながら、愛刀の意識体は言葉を返さない。

 ”外の理”を以て≪結社≫の≪十三工房≫の一つで筆頭鍛冶師≪鐵鍛王(トバルカイン)≫によって鍛え上げられた兵装の一振りである、霊刀≪布都天津凬≫。

 ≪執行者≫と一部の≪使徒≫クラスに≪盟主≫から賜与される至高の武器の中でも、この霊刀は唯一”自我”を有している兵装である。

 『浄化』の能力を内包したこの刀は、刀そのものの”自我”がその能力を発動させるか否かを決める。ある意味で一番使用者を選ぶ兵装なのだ。

 そしてその少女こそが、≪布都天津凬≫の意識体であり、本体でもある。普段日課である刀研ぎをしている際に”対話”する事はままあるのだが、こうして姿を見る機会は久しくなかった。

 それでも彼が相棒の姿を見間違える事など有り得ないのだが。

 

「……ふぅ。まぁ、キミに無茶をするなと言っても栓無き事か。ボクは今まで通りキミの刀として従事するよ」

 

「見るからに不満が溜まってそうだぞ、お前」

 

「キミが抱える”呪い”を『浄化』すると決めたのはボクの意思だ。不満を感じるのはお門違いだよ。それでも神格級の”呪い”は弱体化させるだけで精一杯だけれどね。

だから、魔女殿の呪いの方は引き続きキミの方で何とかしてもらいたい」

 

「安心しろ、元よりそのつもりだ」

 

「それは重畳。―――おっと、そろそろ覚める頃合いかな?」

 

 気付けば、世界の輪郭が曖昧になっていた。それがこの場所から去る予兆である事は知っていた為、大人しく黒茨に背を向ける。

 すると、≪天津風≫が独り言を呟くかのように口を開く。

 

「試練の時は近いよ、レイ。遠からずキミは、再び戦渦に巻き込まれるだろうね」

 

「…………」

 

「まぁボクには関係ないか。キミの愛刀として、今まで通り見守っていてあげるから―――」

 

 せいぜい、”後悔”のない選択をするんだよ、と。小さい唇がそう紡いだ直後に、レイの視界は真っ白に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 キーコキーコとゼンマイが回る音が廊下に響く。明かりも最低限しか用意されていないそこは、傍から見れば幽霊屋敷のそれにも見えるだろう。

 そんな場所を機械仕掛けの音を出しながら進むのはレイの膝元くらいまでしかない人形だ。誰に動かしてもらっているわけでもなく、ただ導力を駆動力として動いているそれは、この屋敷の案内役としてレイが知っている頃から稼働している。

 正直なところ、この案内役の人形がなくとも目的の場所まで間違えずに行く事はできるのだが、それでも屋敷の流儀には従うのが客人としての役目だと割り切って黙ってついて行く。

 網の目状に広がる廊下を何度も何度も曲がり、思わず欠伸が出てしまう程の距離を歩いた末に、屋敷の最奥へと辿り着く。

 

 先導する人形に次いで自動開閉式の扉のロックを解除すると、その先は黒と灰色が大半を占める部屋がある。

 その部屋の隅、作業場の一角にただ一人鎮座する老人こそがこの屋敷の主であり、この工房の責任者。勝手知ったる足取りで床を踏み歩いて行き、声を掛ける。

 

「やっほー、ヨルグ爺さん。久し振り」

 

「ふん、たった8ヶ月を久し振りとは呼ばんわい。生憎、今帰ってきても面白いモノなどありゃせんぞ」

 

「別に目的があって来たわけじゃねーよ? ただ、レンもリベールに行っちまって爺さん寂しがってるんじゃねーかなって思って」

 

「余計なお世話じゃい」

 

「否定はしないのな。……ま、爺さんにとって孫娘みたいなもんだもんなぁ、レンは」

 

 レイのその言葉は間違っていない。実際、ヨルグ・ローゼンベルクにとって、レンという少女は孫娘も同然だった。

 《結社》の《十三工房》の中でも直接的な結びつきが一番薄いこの《ローゼンベルク工房》は、結社に所属していた時期からちょくちょくサボる為の隠れ蓑として訪れていた場所でもある。

 加え、レンが所有するパテル=マテルの修理改善がこの場所でしかできないという事もあり、レイにとっては第二の家と言っても過言ではない場所だった。

 

「フン、儂からすればおぬしも手のかかる孫のようなものじゃ。連絡もなしに突然顔を出しおってからに」

 

「いやだって此処って郵便物とか基本的に届かないじゃん。メンド臭いんだよね」

 

「ならば式でも寄越せばよかろう。根本的に面倒を嫌うその性根は学生になっても変わっておらんようじゃの」

 

「陛下とマクバーン譲りだからどうにもならんねぇ」

 

 わざとらしく肩を竦めるレイに向かって、ヨルグは深いため息を吐いた。

 

「仮にも《執行者》のNo.ⅠとNo.Ⅲが揃って問題児とはの」

 

「問題児しか集まんないから《執行者》なんだよ。爺さんだってよーく知ってるだろ? なんせ、俺とレンが入り浸ってたんだから」

 

 性格的な面で一癖も二癖もある代わりに、《結社》の実働要因として申し分ない実力を兼ね備える集団。それこそが《執行者》と称される者達である。

 それを鑑みてみれば、レイ・クレイドルとレン・ヘイワースの二人はその中でもまともな部類に入るだろう。度を超えた戦闘狂というわけでなく、他者を嬲る事を心の底から悦ぶ性格でもない。

 多少面倒臭がり屋で、多少我儘である事くらい、本来であれば充分許容できる範囲内なのだ。

 だが、《結社》から身を引き、”表”の世界に身を委ねるというのなら話は別だ。

 

「学院では上手くやっておるのじゃろうな?」

 

「おー。これでも一応成績優秀者だぜ? ……それに、面白い奴らと出会えたからな」

 

 そう言ったレイの表情は、ヨルグが思わず瞠目してしまう程に爽やかに晴れていた。

 以前、数年前に≪結社≫を去る際にレンを宜しく頼むと懇願して来た時の彼とは雲泥の差。能面に張り付けた笑みのようなそれではなく、心の底から嬉しそうな感情が籠ったものだった。

 

「……どうやら、留学は間違っておらなかったようじゃな」

 

「へ?」

 

「≪漆黒の牙≫の小僧以外に、友と呼べる存在が出来たのだろう? レンもそうじゃが、おぬしらは自ずと世間を狭める悪癖がある。世間を達観してみるには若すぎるわい」

 

 ヨルグは大陸でも有数の人形技師として有名だが、それと同じくらい、気難しい性格の老人という事で名が知れている。

 職人気質と称するのが一番合っているだろう。他者に対して深い興味を抱く事なく、厭世家として技術を磨き、それを提供して来たのである。それは、恐らく≪結社≫に関わろうと関わるまいと変わらなかっただろう。

 だが、それでも人間そのものを疎ましく思っているわけではない。自己の技術の邁進を邪魔するような存在を徹底的に避けて来ただけで、狂気的な思想などは一切持ち合わせていなかった。

 だからだろう。レイやレンという、傍から見れば毎日遊んで笑みを見せるような子供達が血生臭い世界を日常としている事に、やり場のない怒りを覚えたのだ。

 

 誰しもが当たり前に持つはずの幸福感を、彼らは深い絶望で上塗りされてしまった。そのせいでどこか壊れてしまった人格を抱き続けながら、一生を生きて行かなくてはならない。

そんな不幸を背負わされた子らに憐憫の目を向けるのはむしろ失礼であるという事をヨルグは長い経験則から知っているが、それでも何も思わないわけではなかった。

 身も心も凌辱された少女の傷を少しでも癒すため、”兄”として振る舞い、世話を焼き、愛情を注いでいた少年。―――それが”偽物”である事を知りながら、誰よりも彼女の味方であろうとした。

 だが、そんな自分が≪結社≫を去る事になり、レンの事を頼むと言って来た彼の心情は、筆舌にし難いものであっただろう。仮初の幸福を与えておいて、彼女が最も望んでいた”家族”というカタチを与えられずに去らなければならなかったという悔しさが、ずっと渦巻いていたに違いない。

 

 誰よりも普通に生きたかった少年が、しかし誰よりも後悔と贖罪を背負って生きねばならなかったその有様は、控えめに言っても惨たらしいものであったとヨルグは思う。

 何も知らない人間が見れば歳相応の笑顔にも見えたであろうそれも、彼が自身の精神を正常に保つために張り付けた薄っぺらいものでしかなかった。心配を掛けまい、干渉をさせまいとした末のその在り様に、黙っていられるほど人でなしではなかったというだけの事なのだ。

 

 だが、そんな問題児も漸く本当の笑顔を見せるようになった。

 この老骨の身に至るまで独り身であったヨルグは、レンと―――そして何よりレイを本当の孫のように想っていた。

 そんな少年が一歩を踏み出せたとあっては、嬉しく思わないはずがない。

 

 

「ははっ、お陰様でな。……尤も、本当の意味での”友人”にはまだ遠いんだが」

 

「≪魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)≫か。第二柱殿も中々悪辣な術を掛けたものじゃの」

 

「シオンに協力してもらってもまだ二割も解呪できてねぇんだよなぁ。ホント、アイツ呪いとかの類の術を行使させたら天才どころの騒ぎじゃねぇっての。性格歪み過ぎだろ」

 

 ≪結社≫にまつわる情報を、その情報を知り得ていない存在に伝える事ができない呪い。

 正確には禁則の約条と、それを破った際の魔力爆散(マジック・バースト)という死の罰で以て対象を縛り続ける魔女の眷属(ヘクセン・ブリード)に伝わる隷属術式を指す魔法であり、近代以前は奴隷に対して主に行使されていたモノだ。

 それを長き魔女の歴史の中でも屈指の才覚を持った女性が必要以上に(・・・・・)力を入れ過ぎて行使した結果、呪術に一家言あるレイと神獣であるシオンが二人がかりで頭を捻ってもなお、解呪が非常に難しい代物と成り果ててしまっている。呪術師の血を色濃く受け継ぐレイの非常に高い対魔力がなければ、今頃は体内に埋まった膨大な量の魔力に精神まで蹂躙され尽くされて廃人となっていたことだろう。

 

 ともあれ、これが体に刻まれている以上は、レイはⅦ組の友人達に全てを話す事が叶わない。

それは彼らに対する不義理であり、そして裏切りでもある。如何な理由があれど、”知っていて話さない”事に変わりはないのだから。

 

「まぁ、これについてはコッチで何とかするさ。―――それより爺さん、この工房にも来たんじゃないか?」

 

「……何の話だ?」

 

「言い渋らなくてもいいじゃんよ。……来たんだろ? ≪結社≫の人間が」

 

 その言葉が出た瞬間、ヨルグの顔が見るからに不機嫌に歪む。その反応を見ただけで、レイは誰が訪問して来たかという事に大体の当たりをつけられた。

 

「あー……その反応だと博士辺り? また厄介な……」

 

「カンパネルラもおったわい。恐らく、それだけではないと思うがの」

 

「師匠とルナが帝国に来るっぽいから、こっちにはアリアンロード鄕が顔を出す可能性がある。―――あの人が無益な争いを許容するとは到底思えないけど、敵として立ちはだかったら武闘派の≪守護騎士(ドミニオン)≫を揃えない限り傷一つ付けられないぞ」

 

「おぬしでも不可能か?」

 

「あー、ムリムリ。せいぜい数十分程度の足止めが精一杯だよ。死ぬ気でかかってあの人の兜を砕ければ御の字かね。ましてや膝をつかせられるのは達人級の中でもほんの一握りだ」

 

「相も変わらずのようじゃの、≪鋼の聖女≫殿は」

 

「当たり前だよ。―――あの人はずっと”最強”なんだ。俺達武人が目指す頂点で在り続ける女性(ひと)。そうじゃなきゃいけない」

 

 250年もの月日を経て常勝不敗。未だ”敗北”を識らない絶対強者。

 騎士の頂点であり、武人の粋を極め、その果てにすら至った最強の人類。―――それこそが≪使徒≫第七柱、≪鋼の聖女≫アリアンロードであると、少なくともレイはそう信じて疑っていない。

 彼女と一度でも刃を交えた事のある人間ならば否が応にも理解する。この武人と渡り合い、尚且つ勝利するには、常人の域に居るままでは到底成し得ない所業であるのだと。

 

「クロスベル方面は試練の連続だな。ま、帝国方面も人の事は言えないけど」

 

「それでも見捨てはしないのじゃろう?」

 

「とーぜん。乗り掛かった舟を見捨てる程馬鹿じゃないし。……それに、守らなきゃいけない奴らもいる」

 

 拳を握ってそう言うレイの顔には、混じり気のない覚悟が宿っていた。

 それを確認し、ヨルグは視線を作業場へと戻した。

 

「おぬしはおぬしの戦いをせい。クロスベルは、おぬしに守られるほど脆弱な土地ではないわ」

 

「そうさせて貰うよ、爺さん。……あぁ、そうだ。一つ頼み事を聞いて貰っていい?」

 

「なんじゃい、改まって」

 

「もしクロスベルで騒動が起きて、誰かが爺さんの力を借りたいって本気で頼み込んできた時には、力を貸してやって欲しいんだ。

レンも俺もこの街は気に入ってるし、爺さんが入れ込んでる劇場だってある。≪結社≫の玩具箱にするには、ちっと勿体無いと思わないか?」

 

「……考えておこう」

 

 その言葉を聞いた後は、レイも作業の邪魔になるだろうと判断してそのまま部屋を去った。最後に、「帰る前にまた来る」という言葉だけを残して。

 ≪アルカンシェル≫に提供する舞台装置を弄りながら、ヨルグはふと思い出して作業台の引き出しの一つを開ける。そこには、一枚の封筒が入っていた。

 

「まぁ、渡すのは後日でいいじゃろ」

 

 そうして再び引き出しの中に仕舞われた封筒。そこには差出人の名前がくっきりと書かれていた。

 

 

 ―――『親愛なるお兄様へ  レンより』―――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロスベル訪問2日目。

 梅雨前線という言葉が掠りもしないほどに良く晴れた空の下、レイは個人的に楽しむだけでなく、護衛職の一人としての職務も全うしていた。

 この日の10時頃からは、前日も訪れたIBC本社ビルの応接室で、ディーター・クロイス市長を含め、午前一番の便で到着した帝国政府の武官数名を交えてのオルキスタワーのセキュリティチェックが行われていた。

宰相に腕を買われて護衛の列に加わったとはいえ、所詮はいち士官学院生に過ぎないレイは、身の程を弁えて末席に当たる部分で立っていたのだが、その判断は結果的に当たりだった。

 武官にもプライドというものがある。立つ瀬というものがある。

自分達よりも先んじて護衛職としてクロスベルに入ったレイの事を、当初は気に入らないという雰囲気をひしひしと感じたのだが、あくまでも末席の一人であるという姿勢を貫いた結果、そういった視線は次第に薄れていった。

 煩わしかったのは確かだが、プライドのみで動く領邦軍と比べればまだ好感は持てる。

 

 それらの仕事を終えて溜息交じりに本社ビルのロビーから外へと出ると、今まさにビルに入ろうとする人物と鉢合わせになった。

 

 

「……誰かと思えばお前か、クレイドル」

 

 炎天下の下であるというのに隙なく着詰められた紫紺のスーツ。その上からでも分かる頑健な肉体と、それでいて頭脳派でもある事を印象付ける容貌。

 重々しい口調も、眉を顰めた不機嫌そうな表情も、それは彼の平時の姿に過ぎない。それでも、レイを視界に入れて眉の間の皺が更に寄った事は否定できない。

 だがレイは、そんな人物を前にして物怖じる事無く苦笑した。

 

「っと、お久しぶりっすダドリーさん。相変わらず血管切れそうな表情してますけど高血圧とか大丈夫ですか?」

 

「貴様も相変わらず人の神経を逆撫でする事に掛けては天才的だな」

 

「いやぁ、それ程でも」

 

「今の言葉のどこに褒めている要素があると思った‼」

 

 言ってしまえば絶望的なまでにレイとの相性が宜しくないこの男性こそ、クロスベル警察『捜査一課』主任捜査官、アレックス・ダドリー。

 政治と経済の両面で混沌とした様相を呈するクロスベルでの対テロ、防諜の現場指揮権を一手に担う、頭脳・体力の両面で優秀な人物であり、クロスベルが綱渡りの状態であっても表向き平和を保っている現状を作り上げている立役者の一人だ。

 そしてその性質上、遊撃士協会とは犬猿の仲であり、実際休職前にはレイも何度かこの人物と衝突をしていた事があった。

 要人警護やマフィアへの対処、他国のスパイを発見した際の受け渡し。果てはジオフロントの管理からイベント時の警備の縄張り争いまで、挙げてしまえばキリがない。

 だが、立場抜きで評価を下すなら、レイはダドリーという捜査官の事を高く評価しているのも確かである。

 警察官であっても汚職が当たり前となっている現状で、それでも普遍的な”正義”を貫き続ける人物で、心の底からクロスベルの安寧を願い、職務に矜持と責任を持っている。

そんな真っ直ぐな人物を憎めるはずなどなく、実際クロスベル支部の人間も、彼個人に対して悪く言う事はない。喧嘩腰に来た時はこちらも喧嘩腰で応えるというのが暗黙の了解になっている為、今まで腹を割って話し合った事など一度たりとてないのだが。

 

「冗談っすよ、冗談。ダドリーさんはこれから市長と話し合いですか?」

 

「……あぁ。全く、帝国からの護衛のリストに貴様の名前が載っているのを見た時は頭痛がしたぞ」

 

「大丈夫っすよ、迷惑は掛けませんって。今の俺は借りてきた猫も同然ですし」

 

「あぁ、確かに予想もつかない事態を引き起こすという観点からすれば貴様は猫のようなものだな。何度一課を引っ掻き回したと思っている‼」

 

 公になれば政治的に厄介な事件を解決した後に後始末を捜査一課に押し付けたりと、クロスベル支部の中でもレイが捜査一課に掛けた迷惑は群を抜いている。

 だが、迷惑を掛けた分スパイやテロリストの確保の功績を全てクロスベル警察に丸投げしたりと、読めない行動を取る事で有名だった。

 レイからすれば面倒臭い後始末をする事をただ避け続けていただけなのだが、警察上層部からも「厄介者」「時限爆弾」と揶揄されている事もまた事実である。

 

「まぁまぁ、今回は安心しといてください。流石に客員みたいな感じで護衛の末席に立たせて貰ってる立場で無茶な事はしませんよー。……多分、恐らく、メイビー」

 

「貴様がそんな物分かりの良い性格だったら私達も苦労は……おい待て、最後の不吉な言葉の羅列は何だ」

 

「深く考え過ぎると胃に穴が開きますよー。もう遅いかもだけど」

 

「……一周周って一課にスカウトしたいくらいだな。尋問員としてさぞや有能な人間になるだろうよ」

 

 そんな彼からしてみれば、真面目一直線のダドリーは弄る人員としては最上級の逸材であるとも言える。

 勿論職務を忠実にこなしている時は話しかける事もないのだが、街でバッタリと会った時などはこうしてからかうのが半ば習慣のようなものになってしまっている。

 

 そこまで話してから、そろそろ頃合いかとレイが話を切り上げる。

 この時間が楽しいのは確かだが、刑事の職務を過度に邪魔するわけにはいかない。そのまますれ違って別れようとして、その直前に小さな、しかし真剣さを孕んだ声でダドリーに”本題”を伝える。

 

「……真面目な話、通商会議の警備は腕利きを揃えた方が良いですよ。帝国ではテロリストが暗躍し始めたし、共和国方面も不穏な種火がチラついてる様なので」

 

「承知している。此方もそれを考慮に入れて万全の警備態勢を敷くつもりだ」

 

「国際会議の場だ。念には念を入れておいてし過ぎる事もないでしょう。……どーにも嫌な予感しかしないんですよね」

 

「……貴様の口車に乗るつもりはないが、その勘にだけは同感だ。杞憂で済めばそれに越した事はないんだがな」

 

「恐らく―――無理でしょうね」

 

 そしてそれは、薄々ダドリーも勘付いている事だろう。

 エレボニアとカルバードで抵抗組織が動き始めている中、その両国の最重要人物が揃って参加する国際会議。加え、リベール王国の王女にレミフェリア公国の大公まで出席するというビッグイベントである。

 その場でテロを引き起こして大惨事にでもなれば、両国の政権は荒れに荒れるだろう。当然デメリットも大きいが、メリットも大きい。

 

「私は、私が出来る限りの事をするだけだ。それは変わらん」

 

「同感っす。今度は警察署に呼び出し食らうような類の迷惑は掛けませんよ」

 

「そうあって欲しいものだ。貴様にまで気を配っている暇などないからな」

 

 そう言い切ると、ダドリーは鼻を鳴らして本社ビルの中へと消えて行った。

 レイはその背を見送ると、途端に自分の腹が小さな音を立てた事に気付く。腕時計を覗いてみると、時刻は午後1時に迫ろうとしていた。

 

「(さて、と。メシだメシ。とりあえず『龍老飯店』にでも行くかね)」

 

 遊撃士時代に恐らく一番高い頻度で通っていた料理屋を目的地と定め、湾岸区へと繋がる坂をひたすら下って行く。

 そのまま南へと歩いて行く事十数分、懐かしい東通りの空気を感じながら『龍老飯店』へと繋がる道を歩いていると、その道中で何やら言い合っている男女の姿を発見した。

 

「ヒック、だからよぉ、ちょっと俺達と遊ぼうぜって言ってるだけじゃねぇかよぉ」

 

「いいんじゃんよぉ、別に。減るモンじゃねぇし」

 

「寝言は寝て言うアル‼ お前らについて行ったらロクな事にならないネ。特にリーシャは連れて行かせるわけには行かないアル‼」

 

「さ、サンサン。私は大丈夫だから、ね。そんな刺激しない方が……」

 

「お~、良い度胸じゃねぇか姉ちゃんよぉ。いいねぇ、ソッチの方が燃えるってモンだ」

 

 二人の女性を囲むようにしているのは、揃いの服装をした四人の男。

 その内女性の方は、レイの知り合いでもあったが、男の方は見た事のない顔ばかりであった。とはいえ、彼らが属するグループは知っているのだが。

 

「(『サーベルバイパー』の連中には間違いねぇだろうが……新人か。それも酔ってやがるな)」

 

 何度も彼らの抗争の立ち会いを務めたレイだからこそ分かるが、『サーベルバイパー』と『テスタメンツ』の両グループのメンバーは、基本的に旧市街地以外の場所で騒動を引き起こすのは稀だ。

 その理由としては彼らのリーダーが荒くれ者達を纏め上げ、抑え込んでいられるカリスマ性があったからなのだが、無論、それ以外の理由もある。ほぼ治外法権状態になっている旧市街地から一歩でも出て騒動を起こせば、途端にクロスベル警察か遊撃士が飛んでくるからだ。

 特に、東地区での騒動は御法度になっている。少しでも騒ぎになれば鬼よりも怖いクロスベル支部所属の遊撃士が飛んできて一分と経たずに制圧されるからだ。

 それを弁えていないという事と、レイが顔を覚えていないメンバーという観点を合わせれば、そう言った結論が導き出せる。

 加え、絡んだ相手が悪過ぎた。『龍老飯店』の看板娘であるサンサンと、今や≪アルカンシェル≫で注目を浴びる≪月姫≫リーシャ・マオ。彼女らが被害を被ったと知られれば、今まで以上にキツい制裁が下される事は目に見えている。

 面倒臭いと思いながらも、レイは階段を下って騒ぎの渦中へと入って行く。サンサンはともかく、リーシャの方は万が一にも彼らに後れを取る事はないのだろうが、それでも見ない事にして立ち去るという選択肢はなかった。

 

「あー、はいはい。昼間っからサカってんじゃねぇよ不良諸君。そら、早く旧市街の方へ戻れ。じゃないと鬼より怖い遊撃士が飛んでくるぞー」

 

「あァ? 何オマエ。今俺達はこの娘達と遊ぼうとしてんの。分かる?」

 

「ギャハハ‼ ナイト気取りかよ、こんなガキが‼」

 

「チビの癖に粋がってんじゃねぇぞ、あぁん?」

 

 まぁ予想通りと言えば完全に予想通りの反応を返され、辟易とした溜息を吐く。

 チビと言われた事に関しては内心で「ぶっ殺したろかコイツら」という怒りが湧き上がったが、それは抑え込んだ。

元々遊撃士として活動していた時もその言葉は相変わらず禁句であり、抗争の立ち会いの際も興奮のあまりそうなじって来た不良を顔面タコ殴りにした事で旧市街でも禁句に指定されていたほどだった。

 これが見知ったメンバーだったらどんなに酔っていてもレイに対してこの言葉は吐かなかっただろうし、そもそも彼が止めに来た時点で退散していたのは確実だ。

 だからこそレイは、1年ほど前まで良く使っていた手で不良たちを黙らせる方向にシフトした。

 

「―――聞こえなかったか?(・・・・・・・・・) とっとと失せろっつったんだよ(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「「「「ッ⁉」」」」

 

 放出した僅かな殺気。それこそ、リィン達と模擬戦をする際にデフォルトで出している程度のモノだったが、それでも一介の不良程度が浴びるには些か過剰な気迫であった。

 不良としての矮小なプライドをすり抜け、生物としての本能に脅しをかける。四人はまるで蛇に睨まれた蛙のような表情を晒してから、全員が酔っていた事も忘れたように顔面を蒼白させて一目散に旧市街の方へと逃げて行った。

 

「ったく、根性ねぇなぁ。この程度でビビってんじゃねぇっての」

 

 少しばかり力を手に入れただけの不良にそれを求めるのは酷な事だと分かっていながらも、レイは再び深い溜息を吐く。

 そんな彼の肩をポンと叩いて、行きつけの店の看板娘ははにかんだ笑顔を見せた。

 

「やっほー、レイ‼ 久し振りアルネ‼ 相変わらずカッコ良かったヨ‼」

 

「久し振りだな、サンサン。お前の方も相変わらず元気そうで何よりだ」

 

「そりゃもう、ネ。ホラ、リーシャもお礼言った方がイイヨ」

 

「あ、はい。そうですね」

 

 そうサンサンに促されたリーシャは、レイに向かって軽く頭を下げた。

 

「お久し振りですレイさん。ありがとうございました」

 

「いいってーの。それより有名になったモンだよなぁ。≪銀の月姫≫さん」

 

「ありゃ? 二人って知り合いアルか?」

 

 サンサンのその問いかけに、レイは「ま、関係上な」と返す。

 とはいえ、”リーシャ・マオ”としての彼女との付き合いはそう長い訳でも、ましてや深い訳でもない。≪アルカンシェル≫関係の依頼をこなしていく間に時々会って喋る事があったというだけで、それ以上でも以下でもなかった。

 ましてや、レイがクロスベルに居た頃は、彼女はまだ舞台の上で日の目を見るような存在ではなく、≪炎の舞姫≫イリア・プラティエの指導を受けながら黙々と演技の練習を積んでいただけだったのだから、それ以上の関係などある筈もないのだが。

 そんな事をしみじみと思っていると、再びレイの腹が小さく鳴る。それを恥ずかしがる様子も見せずに、ハハ、と苦笑した。

 

「そういや、腹減ってたんだった。『龍老飯店』のメシが俺を待ってるぜー」

 

「あぁ、じゃあ一緒に行くアル。助けてもらったお礼に一品タダにしてあげるヨ」

 

「よっしゃ。―――あ、リーシャはどうするんだ? お前も昼飯食いに来たんじゃないの?」

 

「あぁ、いえ。私はちょっと人と待ち合わせしてて……もう少ししたら来るかと―――」

 

 リーシャがそこまで言いかけたところで、レイは見知った気配が近づいてくるのを察知した。

 人通りが少ない路地とはいえ、それでもちらほらと通行人の姿は見える。本来なら、ここで特定の人物の揺蕩う気配を察する事は難しい。

 だが、それでも分かった。気配を敢えて隠していない(・・・・・・・・・・・・)からだろうが、それでもこの雰囲気を忘れられるはずがない。

 

 

「よォ。知った気配が流れて来るかと思えば、やっぱお前だったか、レイ」

 

 やや口調こそ乱暴ながらも、そこに敵意の類は一切感じられず、むしろ好意すら感じる明朗闊達な声。それが自身の背後から聞こえる。

 声の主を視認したリーシャが表情を綻ばせる様子を見てから後ろを振り向くと、予想した通りの人物がそこにはいた。

 

「……コッチの方は流石に久し振りどころの騒ぎじゃねーなぁ」

 

「まぁそうだな。とはいえ、俺はこうして義弟(おとうと)の無事な姿を見れて嬉しく思うぜ」

 

「そういうソッチはいつの間にか彼女なんか作ってたんだよ、義兄(あにき)

 

 レイが良く知っている女性の、それよりは濃い紫色の癖の強い髪。

 ≪結社≫を抜けてからはとんと音沙汰がなかったその人物が今、カラカラと笑ってレイの前に立っていた。

 本当に、暗殺者(・・・)らしくないなと嘆息混じりに思いながら、それでもその姿を見ると安心してしまう。

 

 かつて義兄弟の契りを交わした男―――アスラ・クルーガーは、最後に会った時と変わらない表情のまま、義弟との再会を果たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





今回の提供オリキャラ:

 ■アスラ・クルーガー(提供者:漫才C-様)

  ―――ありがとうございました‼


 後一話くらい書いたらリィン君達の話も書きますね。


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拳狼剣鬼  -in クロスベルー






「決めたからこそ、果てなく征くのだ。それ以上の理由など、我らにとっては必要ない」
     by クリストファー・ヴァルゼライド(シルヴァリオ・ヴェンデッタ)








 

 

 

 

 アスラ・クルーガーとレイ・クレイドルの付き合いは、実はそれ程長いというわけではない。

 レイが血の滲むような努力の末に1年と少しで≪八洲天刃流≫の奥義伝承課程にまで至った頃、その少年は≪結社≫に迎え入れられた。

 初対面の印象は、別段特別であったわけでもない。容貌こそ不良のようなそれであったが、その明朗闊達な性格は秘密結社である≪身喰らう蛇≫の中に在って異質であるかのように輝いていた。

 些事は気にせず、基本的に大雑把な性格でありながら、それでも武人としての実力は本物だった。その強さの本質が師であるカグヤと同じ”感覚を主とするタイプの天賦”である事を理解してからは嫉妬する事もあったが、それでもそれ程時間が経たない頃には共に行動する事もそこそこ多くなっていた。―――彼の義姉と共に。

 

 

 

「……アスラ、どうして≪結社≫に来たのですか? 貴方はクルーガー家の後継者なのですから、こんな場所に出入りしている暇なんてない筈ですよ」

 

「細かい事言うなって姉貴。姉貴が敗けた相手がどんなモンかと見に来たら、えっと、≪執行者候補≫? ってのにされちまっただけだよ。他意はないし別に後悔もしてないけど」

 

「≪執行者≫って何らかの”闇”を抱えてないとなれないって聞くけど、アスラってそういうのなさそうだよね。自由に生きてそう」

 

「バッカ、レイ。俺だって人並みに苦労してんだぜ? 若造とはいえ、一応<クルーガー>の人間だしな」

 

「……コリュウお爺様に仕込まれた武術だから暗殺拳というよりかは殺人拳ですけれどね。というよりも、お父様は何も仰らなかったのですか?」

 

「いんや、姉貴のお察しの通りギャアギャア五月蠅かったぜ? ちょっとOHANASHIしたら快く送り出してくれたけど」

 

「そのOHANASHIとやらが肉体言語であるに一票」

 

「頭が痛いです……」

 

 

 ―――というようなやり取りが日常になる程度には親しかった彼らであり、時が経って彼らが正式に≪執行者≫となってからもそれは変わらなかった。

 

 No.Ⅸ ≪死線≫シャロン・クルーガー

 No.Ⅺ ≪天剣≫レイ・クレイドル

 No.Ⅻ ≪死拳≫アスラ・クルーガー

 

 司るは『隠者』、『正義』、そして『吊るされた男』。≪結社≫の実働部隊、その最高戦力として名を連ねた後も、彼らは”仲間”の様な形で繋がっていた。

 しかしそれと比例するかのように、レイとアスラは互いの実力を確かめ合うかのように幾度も拳と剣を交わし、切磋琢磨する日々が続いたのである。

 アスラにとってレイは、限りなく”暗殺者”としての適性を持っていた義姉を倒した少年であり、それでいて己と拮抗した実力を持つ武人。そんな彼らが親しくなるまでにかかった時間というのは、そう長くはなかった。

 とはいえ、当時の―――それこそ今以上に形容しがたい罪悪感に塗れ、復讐の念が消えていなかったレイにとっては”友人”ではなく、あくまでも”仲間”という認識だっただろう。

その時期に彼が友と定めたのはただ一人、自分と同じ絶望の底に叩き落され、理不尽な運命を背負わされようとしていたヨシュアだけだったのだから。

 だがそれでも、行動を共にする機会がそこそこあったアスラに、レイは決して少なくない影響を受けていた。

 例えばある日、≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫の”呪い”の影響で背丈が一向に伸びず、≪鉄機隊≫の面々を始めとする女性達から「どうにも男扱いされない」という相談をレイが持ちかけた際、アスラは特に深く考えることもなくこうアドバイスをしていた。

 

『じゃあアレだ。言葉遣いから変えてみようぜ。ホラお前、普段から一人称”僕”で如何にも年下です、みたいな喋り方してるじゃねぇか。多分そのせいだと思うんだわ。

 だからよ、試しに俺の喋り方マネしてみ? ……そうそう、一人称”俺”で悪ぶったみたいに話すんだよ。それでとりあえずナメられなくはなると思うぜ』

 

 つまるところ、レイが中性的な外見に似合わない話し方をするようになった原因がアスラであったというだけの話なのだが、この一件が当時少なからず≪結社≫の空気を揺らがした事も否めない。

 何せ、≪鉄機隊≫の女性隊員一同が「私達の至宝(?)に何を吹き込んだァ‼」とアスラをフルボッコにする事態に発展し、レイ本人もヨシュアに「もう僕の知ってるレイは消えてしまったんだね……」と言われ、少なからずダメージを受ける事態が引き起こされていた。

 

 そういった馬鹿馬鹿しい(本人達にとってはいたって大真面目だったが)事でつるんだこともあれば、任務中に背中を預けて戦った事もある。いつしかレイにとってアスラは、かけがえのない”戦”友になっていた。

 だが、アスラの方はと言えば少し違った。

レイ・クレイドルという少年が抱える深すぎる闇と、まるで彼を不幸の連鎖から逃すまいと神が画策しているかのように巻き起こる惨事。それらを目の当たりにしてレイが人知れず涙を漏らす姿を見て、それでもなお何も思わないほど、アスラは薄情な人間ではなかった。

 「暗殺者ではない道を選ぶべきだ」と言うレイの助言に従ってシャロンが≪結社≫を去った後、≪使徒≫の一人が独断で画策した事件に巻き込まれ、再び絶望の底に沈みかけていたレイを力づくで掬い上げたアスラは、レイの胸倉を掴みながら記憶そのものに刻み込むように力強く伝えた。

 

 

『レイ、俺はな、お前の苦しみも、嘆きも理解する事はできねぇ。お前が抱える闇は、俺には晴らせねぇんだよ。情けねぇことにな』

 

『だがな、お前がこのまま腐っていくのを黙って見てられるほどクズでもねぇんだよ。他人と極力繋がりを持ちたくねぇお前が、誰の手も取ることなく沈んでくザマをただ眺めてたら、俺は姉貴に申し訳が立たねぇ‼』

 

『―――だから、俺がお前の家族になってやる。偽物でも何でもかまわねぇさ。俺が”兄貴”として、お前がどうしようもなくなった時に助けてやる。いつかお前が、本当に頼れる奴らを見つけるまで、俺が代わりになってやる』

 

『だからよ、そんな無様に泣くなや、義弟(おとうと)よ』

 

 

 その時の事をレイは今でも鮮明に覚えている。

 情けなく泣いた事も、震える声で「ありがとう」と言った事も全て。あの時に”助けられた”のは確かであり、その感謝を一分一秒たりとも忘れた事はなかった。

 レイ・クレイドルにとって、アスラ・クルーガーは間違いなく、かけがえのない”恩人”の一人なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロスベル市内から東に約200セルジュ。そこに『古戦場』と呼ばれている場所がある。

 かつて近世以前、中世の群雄割拠の時代、未だこの地が”クロスベル”と呼ばれていなかった頃、当時から貿易港として、そして国と国との中継地点として重要視されていたこの地を領土とするために血で血を洗う戦争が繰り広げられていた。

 その中でも激戦地となったのが、この『古戦場』である。嘗てはなだらかな丘陵地帯であったこの場所は、大軍が戦列を並べて大規模な衝突を何度も繰り返した事で有名だ。

 剣が、矢が、槍が、それこそ突撃をする兵たちの鬨の声と共に放たれ、突き出され、鎧を砕き、貫いて大地を鮮血に染め上げる。現代よりも遥かに”英雄”と呼ばれる存在が戦場で華々しく武功を打ち立てていた時代。その時代に撒き散らされ、そして染み込んでいった無念、怨念の類が今もこの地に縛り付けられているという言い伝えが、今でも残っているくらいだ。

 事実、この場所にはアンデットと呼ばれる類の魔獣が徘徊している。その中には半物質系の魔獣も存在し、物理攻撃を無効化するという、言ってしまえばほぼ”霊魂”とも呼べるモノがうろついていたりするのだ。

 それらが俗に言う”幽霊”であるという確証はどこにもないのだが、危険性は確かに高く、普段は立ち入り禁止区画に指定されている。

 しかし、その先にある『太陽の砦』で行われていた違法研究が特務支援課や遊撃士の活躍によって撲滅されてからは危険度も多少は低下し、今では土地の所有者に許可を貰えば出入りができるようになっていた。

 

「おー、初めて来たけどいいトコだなぁココは。死んでも尚戦いたいって亡者共の怨念が渦巻いてやがるぜ」

 

「兄貴ってやっぱ一言一言がバトルジャンキーだよなぁ」

 

 碌に整備もされていない、雑草が伸びきった道を歩きながら、二人がそんな言葉を漏らす。

 此処に至るまでの東クロスベル街道を歩いている時は燦々と降り注ぐ陽光を浴びながら進んでいたのに対し、この『古戦場』に足を踏み入れてからはその日の光は薄い霧に阻まれてあまり届いていなかった。

 地形学的な観点から鑑みれば、この地域は決して常に霧が発生するような土地ではない。にも拘らずこのような気象が広がっているのは、偏に七耀脈の影響を多分に受けているのが原因だろうというのが専門家の見地だった。

 だが、実際に足を踏み入れれば分かる。決して清いとは言い難い濁った霊力(マナ)が大気中に渦巻き、霊感のない人間でも感覚でソレ(・・)の存在を感知できるほどに、此処は”霊地”としての適性が高い。

 そんな場所にレイがアスラと共に足を踏み入れたのは理由があった。

 

「でもホントにいいのかよ兄貴。彼女放ってコッチに来るなんて」

 

「あぁ、大丈夫大丈夫。リーシャは午後の演技指導があるみてぇだし、それに「折角会えたんですから弟さんとの時間を大切にしてください‼」って言われちまったしな。アイツ、あれで結構頑固なんだよ」

 

「ふーん」

 

 数年ぶりに会った義兄が、今をときめく≪銀の月姫≫と相思相愛の恋人同士になっていたという事にも相当驚かせてもらったのだが、その驚きの内訳は”この二人が恋人同士になった”という事実ではなく、”あのバトルジャンキーに恋愛というカテゴリーが備わっていたのか”という事が大半を占めていた。

 ≪結社≫に居た頃は暇を見つけてはレイやレーヴェ、ヴァルターといった”武闘派”≪執行者≫との手合わせに赴いて強くなる事に対してただひたすらに貪欲であった彼が、まさか”恋心”などというものを持ち合わせているとは露程も思っていなかったのだ。

 

「……何か失礼な事考えてねぇか?」

 

「気のせいじゃね?」

 

「ほー。……そういや風の噂で聞いたんだが、お前今三股してるってマジ?」

 

「その情報ソースを今すぐ教えてくれ。塵も残さず滅殺してくる」

 

 確かに三人の女性に同時に好意を抱いているという事は疑いようもない事実であるし、当人そのものが認めているのだから覆えようもないのだが、それでも”三股”と呼ばれるのは我慢がならなかった。

 否、傍から見れば確かにそう見えなくもないのだろうが、それでもレイは彼女らを手慰み感覚で愛した事など一度もなかったのだから。

 そんな気迫をぶつけると、アスラは耐え切れないと言った風に失笑を漏らした。

 

「いや、悪ィ悪ィ。わーってるって。お前が中途半端な恋愛なんざしねぇってのは良く分かってるつもりだぜ。つか、そんな器用でもねぇだろ?」

 

「……まぁ、確かに器用ではないよ」

 

「だろ? 女を泣かせてまで愛を貫くなんてのは一流の色事師かスパイにしかできねぇ芸当だ。俺らみてぇなド素人は愚直に愛を捧げるしかねぇんだよ」

 

「…………」

 

 まさかバトルジャンキーの義兄に”愛”について語られる日が来るとは思わず、青天の霹靂という諺が脳裏を過ったが、無視した。

 レイは、二人の馴れ初めなどは敢えて聞かない事にした。普通に考えれば元≪結社≫の≪執行者≫であった人間と、劇団のアーティストが恋仲になる可能性というのは極めて少ない。

 無論、そういった線で関係が築かれる事もあるのだろうが、それでもやはり二人の出会いは恐らく”裏”の顔であったのだろうと考えるのが自然だ。

 

 片や≪暗黒時代≫からの歴史を持つ、暗殺者を輩出する一族の秘技を受け継いだ当代きっての拳闘士。

 片やカルバード共和国東方人街にて、”不死”と呼ばれ恐れられる伝説の凶手、≪(イン)≫の名を受け継いだ暗殺者。

 

 恋路の形は人それぞれなれど、ここまで異色のカップルというのもそう例を見ないだろう。

 というよりも、一度馴れ初めを聞こうものなら数時間に渡って滔々と語られそうだという予測が容易に立てられたため、聞かなかったという事もあるのだが。

 

 

「―――さて、ここいらでいいんじゃねぇか?」

 

「ん、そうだな。ちょうどいい具合に開けてるし」

 

 『古戦場』に入って少し歩いた辺りで、二人が立ち止まる。周囲に建物らしき建物もなく、多少暴れても問題がない場所。

 そこで二人は数アージュの距離を取って、レイは袋から愛刀を抜き、アスラは拳をポキポキと鳴らす。二人の間に広がる闘気が一層濃くなった影響で、もはや周囲の魔獣達もその一体に立ち寄ろうとはしなかった。

 ≪結社≫時代から幾度となく続いて来た二人の手合わせ。―――それを今回申し込んだのは、レイの方だった。

 もはやほぼ避けられなくなった帝国での≪結社≫の暗躍と、それに追随するであろう動乱。

流石に細かい所まで読み切る事はできないが、今まで出会った≪結社≫の関係者の性格を鑑みるに、このままひと騒動もなく終わるとは考えられない。そうでなくとも、レイには長く続いたザナレイアとの因縁に終止符を打つという使命が存在する。

 となれば、”達人級”の武人との戦闘は不可避だ。レイ自身も含めて彼らは”中途半端な数を集めて重火器で応戦しようとも深手を負わせることはほぼ不可能”という狂った者達であるため、必然的に個々の実力での対処が求められる。

 そして、達人同士の鎬の削り合いというのは、実のところその腕前だけが勝敗を分けるのではない。自らが鍛え上げた実力を信じ貫く精神力や、戦闘を行う場所、気候、時間等、考慮しなければならない点は幾つもあるが、その中に”如何に闘争の空気に慣れているか”というものがある。

即ち、達人同士が拮抗した実力の中で生と死の紙一重の攻防を繰り広げ、その中でしか生まれない殺伐とした空気に慣れておくのが重要なのだ。

 それを怠った結果が、ノルドでの敗北であり、レイにとってはあってはならない無様な戦いだった。

あの場で生き永らえたのはほぼ運任せのようなものであり、一歩間違えれば死んでいただろう。無論、それを猛省しないレイではない。

 

「無理聞いて貰って申し訳ないな」

 

「何言ってんだ。義弟(おとうと)の頼みを聞くのは兄貴の義務だろ? ……それに、俺も久しぶりに”慣れて”おきたい頃合いだったしな」

 

 そう言って、アスラは上着の袖を捲り、両腕の肌を露わにする。

 その衣服の下に隠れていたのは、幾年の歳月を経て鍛え抜かれ、筋肉という鎧に覆われた拳闘士特有の腕だった。そこに手甲も何も填めず、そのまま臨戦態勢へと移行する。

 それに同調して、レイも白刃を抜く。その右目には、先程まで談笑をしていたとは思えない、怜悧な光が宿っていた。

 

 合図はなし。ただ一陣の風が吹き抜けた瞬間、両者は地面を蹴っていた。

 疾駆と同時に、アスラは左手を拳に変えてそれを突き出して来た。至ってシンプルな攻撃方法ながら、その速さは常人が視認できる程の物ではない。

 しかしレイは、それを半身になって躱し、そのまま小さく回転して袈裟斬りにするように刃を振るう。だが、アスラはその一閃を身を屈める事で避け、レイの機動力を削ぐために足払いを掛けようとする。

 無論、そんな手に引っ掛かるようなレイではない。フォン、と風を切る音と共に放たれた蹴りを見切って跳躍し、上段からの唐竹割りを叩き込む。

 が、その白刃が振り下ろされる時には、既にアスラの体はその場から数歩引いていた。レイはそれを視認し、手首を返す事で刃が地面を直撃するのを防ぎ、直後、砲弾の如き威力で飛んで来た拳を首をひねって躱した。

 再度の肉薄。その期を逃すほど馬鹿ではない。肩口に一撃を入れようと振り抜かれた刃は―――しかし”ガキィン‼”という、本来であれば防具の類を一切付けていない拳闘士との戦いでは聞こえてくるはずのない固い音が響いた。

 

「ッ‼」

 

 白刃の一撃を受け止めたのは、あろうことかアスラの腕(・・・・・)だった。普通ならば斬り落とされる未来しかないその腕は、しかし薄皮の一枚たりとも刃の侵入を許さず、血は一滴も滴っていない。

 とはいえ、レイにとってそれは予想できた事(・・・・・・)だ。寧ろここで刃が腕を斬り裂いてしまうようならば、義兄の腕の衰えに対して嘆息を漏らさねばならなかったのだから。

 

「……流石だな兄貴。『硬功(インゴン)』の密度はより一層増したんじゃないのか?」

 

「それを言うならお前もだろうがよ、レイ。邪気の入ってねぇ良い剣だ。膂力と技巧は≪結社≫に居た頃より上がったな」

 

 口角を釣り上げて、互いの上達ぶりを批評する。数秒の間に交わされたその猛撃の応酬だったが、互いに気心の知れた間柄だ。数合も攻撃を交わせばその現状は理解できる。

 アスラがレイの攻撃を完璧に凌いだタネは、解こうとすれば簡単だ。

東方武術、その中でも肉体そのものを武器へと変える類の武術に於いて基礎ともなる『気功』の応用。特殊な呼吸法にて体内を巡る氣を集約し、肉体を鋼をも超える硬度へと作り変える。それこそが『硬功(インゴン)』、または『硬気功(こうきこう)』と呼ばれる技の正体だ。

 だが、これは誰しもが修得できる技ではない。元より散逸している氣を一ヶ所に集約するという事自体そこそこ難易度が高い芸当である上に、それをコンマ数秒の間に即座に練り上げ、加えてそれを高速で迫る刃を完全に封殺する硬度にまで引き上げるなどという行為は、それこそ達人の域に足を踏み入れた者しか成し得ない。

氣の集約、という技自体は、レイも【瞬刻】を発動させる際に行っているし、実際氣力を付与して身体能力を底上げする事も出来るのだが、生身で達人級の人間が放つ刃の一撃を封殺するレベルまで持っていく事は不可能だ。

一歩間違えれば、防御に回った部位が叩き斬られる。そんなリスクを冒すくらいならレイは回避を選択するし、実際それは正しい判断であると言える。

 しかし目の前の男は、アスラ・クルーガーはその選択をしないのだ。

鍛え上げた己の実力を毛程も疑っていない。よしんばその絶技を貫いて四肢を斬り落とされたのならば、それは己の鍛練不足が招いた結末だと笑って言う事が出来る程に、絶対の自信を有している。

そしてそれは傲慢とは違う。大仰にそう言う事が許されるほどに、彼はただ単純に”強い”のだから。

 

「(ったく、アスラといいヴァルターといい、肉体強化の限界まで至った奴の相手は骨が折れるなぁ‼)」

 

 実際、全身を凶器と化して戦うタイプの達人は、総じて外部からの攻撃に専ら強い傾向がある。それこそ、氣力を全て防御方面に特化させれば、戦車砲の一撃すらも耐える事が出来てしまう程に人外じみた実力を誇るのだ。

 特にアスラは、小賢しい戦法などは一切取ってこない。搦手やアーツの類は全くと言っていいほどに使わず、特にアーツに至っては使おうとする素振りすら見せた事がない。

 だが、猪突猛進の脳筋かと言えば、それも違う。

 そもそも彼の戦闘方法(スタイル)は、その絶対的な達人としての実力に裏付けされたものだ。生半可な罠などの搦手は、彼に掠り傷の一つたりとも付ける事はできない。毒の霧に囲まれれば体内の気功を操って一気に解毒処理を済ませ、底なし沼に誘導されれば震脚で以て泥そのものを吹き飛ばし、電磁ネットなどは涼しい顔でズタズタに素手で破いてくる。

 言うに”理不尽が服を着て歩いているようなもの”と揶揄されるように、彼に対して凡その常識は通用しない。搦手の類を使わないのも、”そういった戦法を取る事に意味を見出せない”というだけであって、思考そのものが単純化されているわけではない。

 刃が、矢が、銃弾が、その悉くが一片のダメージも与えられずに弾かれ、搦手の類は真正面から突破される。―――そんな存在が”敵”として立ち塞がって進撃を始めただけで、大抵の者はまず諦める。

 対抗する意思も、逆転の一手を探し出す努力も忘れて、ただ茫然と眺める事しかできない。まさにその異名の通り、死を告げる拳が命を乱暴に奪い取って行くその瞬間まで、彼らはアスラを畏怖し、そして逝くのだ。

 

 だが、一見打つ手なしと思われるその堅牢な防御力に対しても、対抗する手段は存在する。

 

「―――シッ‼」

 

 抜刀と同時に繰り出される無数の斬線。

 八洲天刃流【剛の型・散華】。しかしそれに先んじて、アスラは両腕を眼前で交差して防ぐ。相も変わらず鋼の塊を斬り付けている感触が腕に届くが、それも思惑の内。

 現在、アスラの『硬功』の強度を直接刃を当てて確かめた回数は24。それだけあれば、次手を講ずる準備は充分整っていた。

 呪力と氣力を練り上げ、膂力を底上げし、尚且つ研ぎ澄ませる。瞬撃のやり取りの中で間合いを確保すると、満を持してレイは長刀の鯉口を切った。

 繰り出すはヒトの急所をなぞる剣技。首・心臓・右肺と、只の一撃でも食らえば致命傷は免れない死の軌跡。

 八洲天刃流【剛の型・八千潜】。必殺に近いその連撃は、しかしそれでも数瞬早くアスラの方が反応する。再び今度は全身に広がった『硬功』に阻まれるかと思われた刀身は―――しかし今度はアスラの腕に赤い線を刻み付けた。

 

「っ、っと」

 

 鉄壁の護りを貫かれた、という事に関しては実は特には驚いていない。元より単純な理屈で構成される鋼の肉体という防御力は、より単純な理屈でのみ上回ってくるのが常であるからだ。

 即ち、この堅牢さに対する”慣れ”である。レイに限らずとも、同じ達人級の武人が相手ならば、ただ”硬い”肉体を前にしただけでは脳裏に敗北を過らせない。

強固な盾があるのならば―――それを上回る力と鋭さを以てそれを貫くまでの事。

 まさに、人外の領域に足を踏み入れた者達にしかできない”超理論”であった。

 

 久しく見ていなかったのであろう己の体内に流れる血を視認した瞬間、更にアスラの浮かべていた笑みは深くなる。

 達人同士の立ち会いというのは、此処からが本番だ。これまでのやり取りは、ただ相手の内に眠る癖や弱点を炙り出すための様子見に過ぎない。

 闘気の質が一段階上に跳ね上がる。ここから先は、レイが笑みを伏せる領域。殺しはしないが、殺すつもりでかからなければ一瞬で呑まれてしまう。

気迫に呑まれれば、そこで終わりだ。前述の通り、達人通しの競り合いは胆力を中心とした精神力が最終的にモノを言う事が多い。相手の気迫に屈せず、只己の精神を極限まで研ぎ澄ませる。

 

「―――【滾れ我が血潮。静寂を司る修羅とならん】‼」

 

「さぁ、本番と行こうぜ好敵手‼」

 

 八洲天刃流【静の型・鬨輝】。

 気功法の奥義の一、『麒麟功』。

 

 人型の修羅と化した両者は、互いに身体能力を極限に近くなるまで高め上げ、再び地を蹴る。

 しかしそれは、先程までの光景よりもより高度なものへと変化している。僅か1秒の間に交わされる攻撃は優に二十以上は下らない。常人が踏み込んではならない戦闘は、余波となって大気を震わせていた。

 だがレイは知っている。ただの牽制の一撃であったとしても、アスラの拳をその身に受けた瞬間に、決着はついてしまうという事を。

 拳が腕の細い産毛を擦過するだけで小指の辺りが一瞬麻痺をする。突き上げの一撃を刀身で防ぐだけで、得物を通して雷に打たれたかのような衝撃が身を伝う。

 繰り出される拳の一撃一撃が、文字通り一撃必殺。これをまともに食らえば、外皮、筋肉、骨格、内臓に至るまで潰され、掻き乱され、挽肉へと変えられてしまうだろう。そうなれば、少なくとも戦闘中での回復は見込めない。

 これこそが、彼の修めた殺人拳、その一端(・・)である。極限まで練り上げられた功夫(クンフー)は、単身で一個大隊に匹敵する脅威を見せる。

その域に、僅か21という若さで至った彼は、掛け値なしの天才だろう。こと”暗殺”という観点で見ればシャロンの方が適性が高いだろうが、純粋な実力だけを鑑みるならばその差は歴然だ。

 逆に言えば、この程度の実力を有していなければ”武闘派”の≪執行者≫は名乗れない。≪劫炎≫が、≪剣帝≫が、≪狂血≫が、≪冥氷≫が、≪神弓≫が、≪痩せ狼≫が、そして≪天剣≫が嘗て座した場所の条件だ。

 

 同時にアスラも、義弟の剣の鋭さに内心驚愕していた。

 恐らく、殺意の純粋さだけで考慮すれば≪結社≫時代の彼の方が優れていただろう。復讐という名の熱を滾らせ、その憎悪が剣の腕を達人の域にまで至らせた。

 己に才覚がある、と自覚しているアスラを以てしても、その成長の早さは目を見張るものがある。

 大海にも比する桶に絶え間なく水を注いでいるようなものだ。時が経てば経つほど、生と死の狭間に身を置けば置くほど、レイ・クレイドルという男の剣は限界なく冴えわたる。それこそ、いつかは絶対の最強―――≪鋼の聖女≫の域にまで辿り着くのではないかと、本気で思ってしまう程に。

 数多の命を奪って来た拳の連打が、悉く捌かれ、躱され、ただの一撃も肌を掠らない。白兵戦に於いては致命的とも言える隻眼状態であるというのに、刹那の感覚で放たれる攻撃を完全に見切っている(・・・・・・・・・)

 その戦闘中の観察眼、洞察力は、≪執行者≫の中でも最高峰と謳われただけはある。それが更に研ぎ澄まされて、今自分の前に立っているのだ。

 最高だ、と内心で思う。義姉が心の底から惚れているだけはある。これ程の力を有して尚、その”力”に呑まれているような気配は毛程も見せない。

 それは間違いなく、意志の力だ。屈せず、貶められず、しかし己の”後悔”に縛られた彼だからこそ、慢心とも油断とも無縁なのだ。―――それを羨ましいと思うのは、流石に躊躇われるが。

 

 絶剣の突きが頬の近くを通過し、絶拳の圧力が本能的な恐怖を呼び起こさんとする。

 達人同士の立ち会いは、此処に至って更にその苛烈さを押し上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特務支援課の面々がその立ち会いを見る事ができたのは、偶然としか言いようがなかった。

 午前の内に支援課ビルの端末に警察本部から届いていた市民からの依頼。その中の一つに、「『古戦場』周辺に棲息する薬草の採取」というものがあった。

午前中に市内で処理できる依頼と書類仕事を片付け、支援課ビルでキーアと共に昼食を摂ってから、今や足として欠かせなくなったXD-78に全員が乗り込んで『古戦場』の付近まで走らせて路肩に停車する。

 依頼の難易度としてはそれ程難しいものではない。目当ての薬草もそう珍しいものではないという事は事前の調べで分かっていたし、この5人が集まっている現状ならば、魔獣を蹴散らす事も難しい事ではなかったからだ。

 しかし、『古戦場』へと足を踏み入れ、いつも通りの霧がかった道を歩いて行く中で、ロイドがその違和感に気付いた。

 

「? おかしいな。魔獣の気配が全然ない」

 

 『古戦場』に跋扈する魍魎の類の魔獣。幾度か討伐依頼でそれらを相手にした事があるから分かるのだが、今日に限ってはそれらの気配が全く感じられない。

 否、それどころか生命の気配そのものが希薄になっている。まるで大地震の前兆に野生生物が一斉に逃げ出したかのように、この場所にはいつも以上の気味の悪い静寂が漂っていた。

 

「言われてみれば確かにそうね……もうちょっと先に進んでみましょうか」

 

 エリィのその言葉に頷いて足を進めようとしたロイドだったが、それをランディが無言で制した。

 

「ランディ?」

 

「……ヤバい気配が漂って来てやがる。まだ薄いが……コイツはもしかして」

 

「先輩、どうしたんですか?」

 

 普段は飄々とした雰囲気を崩さないランディが低い声色で、更に頬に一筋汗を垂らしている様子を見てノエルが声を掛けたが、ランディはその口調のままにロイドに告げた。

 

「ちっと確かめたい事がある。ロイド、この先の開けた場所を遠目から確認できる場所に行くぞ」

 

「―――了解。”何か”あるんだな?」

 

 ランディの言葉を信用して言葉を返すロイドに対して、再び無言で首肯する。

 そのまま5人が向かったのは中世の時代に建てられ、そして打ち壊された砦の陰にある高台。足音すら出来る限り殺してそこに辿り着くや否や、ランディはオレンジ色のコートのポケットから、捜査用の小型双眼鏡を取り出して少し離れた場所に広がる更地の様子を覗いた。

 

「っ―――あぁ、やっぱか。暴れてんなぁ、アイツ」

 

「何か事件でも起きてるのか?」

 

「あー、いやいや。違う違う。事件とかじゃねぇと思うんだが……そうだな、お前も見ておけ、ロイド」

 

 苦々しい顔をしながらも双眼鏡を手渡すランディ。そしてそのレンズを介して、数十メートル先の場所を見る。

 そこに広がっていたのは、紛う事なき”人災”だった。辛うじて”居る”という事が分かる人影が二つ。その二つの影が交差する度に、地面が抉れ、雑草が吹き飛び、盛大に土煙が上がる。

そんな、一瞬目を疑ってしまうような光景が数分続き、そこで漸く人影の動きが止まり―――ロイドは息を呑んだ。

 白の半袖カッターシャツにズボン、そしてロングブーツ。毛先だけが銀色になった黒髪と、その左眼を覆う黒の眼帯。長刀を右手に構え、腰に括りつけた鞘に手を添えるその人物は、紛れもなく昨日知り合った少年だった。

 

「あれは―――レイ、なのか?」

 

 同じように捜査用の双眼鏡を介してその場を見ていた三人が言葉を発さないままに見入っている中、ロイドが独り言のようにそう呟く。それに対してランディは「あぁ」と返した。

 

「伊達に”≪風の剣聖≫の後釜”なんぞと呼ばれてねぇよ、アイツは。多分単純な強さだけならアリオス・マクレインにも勝るとも劣らねぇだろうさ」

 

「っ。話には聞いていたけど、本当だったのか」

 

 出自は1年ほど前からだが、クロスベル市民の間で広まっている言葉がある。

 ”クロスベルに最強の二剣在り”。どれ程強大な魔獣が出没しようとも、手首を捻るが如く打ち斃す遊撃士協会クロスベル支部の二強。それこそがアリオス・マクレインとレイ・クレイドルの二人であった。

 その話を、ロイドはクロスベルで特務支援課の一員として働くにあたって何度も聞いて来た。そして、その内の一人が去ってしまって悲しいという声も。

 だが、実際に目の当たりにするとその異様さが良く分かる。

 レンズ越しだというのに伝わってくる覇気。鈍色と黄金色が混ざり合った闘気は、絶対的な”格の差”を斟酌無しに叩きつけて来る。その向かいに立っている男も、只者ではない事は直ぐに理解できた。

 

「掛け値なしの”達人級”だ。アイツならあの≪(イン)≫が相手でも引けを取らない……いや、勝つだろうな、アイツなら」

 

「……そんなに強いのね」

 

 嘗て『星見の塔』にて特務支援課の前に立ち塞がり、ウルスラ病院が襲撃された際には一時期共闘した”伝説の凶手”。

 人並み外れた身体能力と不可思議な術を操り、幾度もロイド達を翻弄して来た”彼”ですらも、レイの前では敗北を喫するだろうとランディは言い切ったのだ。

 

 一時の静寂を打ち破り、再び両者が交差する。

目では追いきれない、神速の剛撃と斬撃の応酬。それを見て、思わずと言った風にノエルが声を出した。

 

「アレ、止めなくていいんですかね?」

 

「やめとけやめとけ。間に割って入ったら地獄見るぞ。というより、これ以上近づいたら気付かれるなこりゃ」

 

「いやでもあれって完全に殺し合いじゃあ……」

 

「―――いや」

 

 尚も食い下がるノエルの言葉に応えたのは、今まで口を挟んでこなかったワジ。

 

「闘気や覇気はこれでもかってくらいに出されてるけど、殺気は薄い。恐らく”手合わせ”の類だろうね」

 

「え……普通にクレーターとか作ってるけど……」

 

「達人級同士が戦ってる時に周囲に被害が出るとか普通だからなぁ」

 

 寧ろその被害を考慮してこうして人気のない場所を選んでいる時点で最大限に配慮していると言えるだろう。

しかも、その内の一人は自身の都合で他人に迷惑を掛ける事を殊更に嫌うレイだ。人的被害や物的被害が出ない限り、警察として動くつもりはなかった。

 すると、ランディが再び真面目な口調になってロイドに声を掛ける。

 

「なぁロイド」

 

「うん?」

 

「さっきも言ったが、良く見ておけよ? 達人同士の闘いなんて、そうそう見られるモンじゃない。……アリオス・マクレインを越えたいんなら、まずはあのレベルに追いつかなきゃいけないんだからな」

 

 半端な覚悟、半端な実力で足を踏み入れれば途端に呑まれ、命を落とす世界。

 客観的な視点で見ても、ロイド達はその域には達していない。あれだけ鮮烈に、苛烈に動く”個人”を相手にすれば、恐らく手も足も出ないだろう。―――そう、今のままでは(・・・・・・)

 そこまで思い至った時、ロイドははたと気が付いた。

 

「なぁ、皆」

 

「どうしたの? ロイド」

 

 エリィがロイドの横顔を見ながらそう問いかけて、そして僅かにその横顔に見入ってしまった。

 普段温厚な彼が見せたのは、いつもとは違う、僅かに好戦的な笑み。

 

「達人に直接戦い方を教授してもらえるとしたら、乗る?」

 

 その時、全員の脳裏に過ったのは、昨日レイが言った言葉。

 帝国に帰る時までに限り、”手を貸す”と。彼は確かにそう言っていたのだ。

 折角のチャンスを無駄にするほど、彼らは蒙昧ではない。緊張した面持ちになりながらも、同じタイミングで一つ頷いた。―――それが、地獄への片道切符だという事も知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

「あー、疲れた疲れた。腹減ったわー」

 

「やっぱ思いっきり動くとスッキリするなぁ。『ヴァンセット』に行って夕飯にしようかな」

 

 結局、数時間続いた”手合わせ”が終了したのは、空が黄昏に染まる頃合いだった。

 決着はつかず、互いに致命打も与えられないままに、アスラの腹の音が鳴ったのを機にお開きになったのである。

 目に見えた傷はといえば、アスラの腕に走った刀傷だけだったが、それも氣力で自己治癒能力を活性化させた影響で既に跡形もなくなっている。

 そうして両者共が目的を果たし、充実した面持ちのままに市内へと帰って来て、夕飯の予定を立てて行く。

 

「あぁ、悪ィ。メシはリーシャと食いに行く事になってんだ。スマンな」

 

「あ、そ。お熱いねぇ、まったく」

 

「久し振りに会ったんだから、これくらいはな」

 

 義兄弟はそんな会話を交わしてから、それぞれ向かいたい場所へと踵を返す。

 しかし、背中合わせになったところで、同時に足を止めた。

 

「なぁ、レイ」

 

「ん?」

 

「姉貴の事、幸せにしてやってくれや。もう本家に戻る気はサラサラねぇだろうからさ。責任もって貰ってやってくれ」

 

「何を今更。惚れた女を捨てる程クズじゃあないよ、俺は」

 

 アスラが照れ混じりに言いたい事を告げた後、今度はレイの方から口を開く。

 

「なぁ、兄貴」

 

「ん?」

 

「もしクロスベルが戦火に晒されて、それでも諦めずに、投げ出さずに戦おうとしてる奴を見かけたらさ、助けてやってくれよ。お願いだ」

 

 それは今、レイがアスラに望む唯一の事だった。

 自分はクロスベル(ここ)には居られない。絶対に守ると決めた恋人達が、仲間が帝国に居る。なら、留まって為すべき事を成さねばならない。

 そんな自分の代わりを務めてくれる強者が残っていて欲しかった。クロスベルという地が暴力に蹂躙され尽くされないように、それを食い止められるだけの存在が。

 アスラは数秒だけ黙ったが、すぐに笑みを浮かべ、懐から取り出した煙草に火をつけて応える。

 

「さっきも言ったろ? 弟の頼みを聞き届けるのが兄貴の義務だ」

 

「……ありがとう」

 

「礼なんて要らねぇよ。―――それに、恋人が一番笑顔で輝ける劇場があるんだ。ブッ壊そうってんなら、それこそ神サマが相手でも逆らってやるさ」

 

「らしい、な。兄貴」

 

 そうとだけ言葉を交わし、再び足を進める。

 どこか清々しい、そんな感情を心の内に抱えながら、レイは黄昏空を見上げる。

 

「(そう言えば……リィン達はもうレグラムに行ったんだよなぁ)」

 

 最強の武人、アリアンロードの”原点”。そこに赴いてみたいという気持ちは勿論あったが、それを今更駄々捏ねたところで始まらないだろう。

 

「(ま、土産話に期待するとするか)」

 

 この時、レイはまだ知らなかった。

 

 リィン達が彼の地で経験した事は、決して”土産話”程度に収まる程に安穏なものではなかったという事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




Q:達人ってナニ?
A:だから常識の通じない人外だって。

今回は「一対一で」「余計な邪魔は入らず」「小細工抜きで」戦った場合の達人同士の戦闘を書いてみました。……はい、ゴメンナサイ。調子乗りましたね。

マジカル☆八極拳を使いだしたアスラ君。
ノイトラの煽りに対して更木剣八が言った「やっと慣れて来たぜ。テメェの硬さによ」超理論を展開したレイ君。
でもね、これくらい”達人”なら普通なんですよ。あくまで”この世界では”ですが。
因みにアリアンロードさんならアスラ君の硬気功を一瞬でブチ抜いて来ます。あの人は色々とおかしい人です。

では、次回から”レグラム編”を書いていきます。
リィン達には掛け値なしの絶望を味わっていただきましょうか。







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湖畔の序宴  -in レグラム-





「軟弱な男に用はないぜ。代わりの女を用意してやるからそいつの尻でも追いかけてろ」
   by 安心院なじみ(めだかボックス)







 

 

 

 

 

「そらよ、≪紫電(エクレール)≫。アンタがお望みのモンだ」

 

「持ってるんならさっさと出しなさいよ。昼行燈の穀潰し」

 

「おおう、良い感じにレイの悪影響が出てやがるぜ」

 

 

 8月28日、早朝。

 五度目となる”特別実習”に向かったⅦ組の面々を送り出した後、トリスタ駅の一角で二人の人物が顔を合わせていた。

 一人は士官学院戦技教導官であるサラ・バレスタイン。昨夜も痛飲していたにも拘らず、今朝は二日酔いをしている様子は毛程も見せていない。

普段は見せないほどに顰めっ面を浮かべており、それだけでも現在彼女が不機嫌である事が理解できてしまう。

 そしてその視線を真正面から受けて尚、飄々とした表情を崩さない男、レクター・アランドール。

帝国二等書記官としての正装を身に纏った彼は、サラに対してある情報が綴られた黒色のファイルを手渡した。

 

「現時点で判明してる≪帝国解放戦線≫のメンバーのリストだ。幹部連中も調べられるだけ調べてある」

 

「……相変わらず大した情報収集能力ね、『第一課』は」

 

「ま、一応国家機関だしなぁ。それでメシ食って税金から給料貰ってんだから」

 

 カラカラと笑うレクターの姿を、しかしサラは見ない。

 嘗てその≪帝国軍情報局≫の手腕によって帝国ギルドを潰された事実がある以上、彼らの手際の良さを手放しで誉めるわけにもいかないのだ。

 

「……?」

 

 そうして資料に目を通していく中で、不可解なページが目に留まる。

 そのページには、それまでのような可能な限り憶測を省いた内容の文が並んでいるわけでもなく、寧ろその逆、黒いエナメル紙が貼ってあり、その上には”UNKNOWN”と白文字で書かれている。

 

「このページは何よ」

 

「あぁ、それな。推測の域が出ないもんだから載せるかどうかは迷ったんだが……クレアの勘ってのは馬鹿にならねぇから、一応な」

 

「概要は?」

 

「≪戦線≫の連中が隠しているかもしれない(・・・・・・・・・・・)メンバーの事さ。それも一兵卒クラスじゃなくて”切り札(ジョーカー)”だ」

 

「……一概に”ない”とは言い切れないわね。機甲師団や≪帝都憲兵隊≫も出し抜いた連中だもの」

 

「おう、そうでなくともまさか≪結社≫の≪執行者≫、それも悪名高い”武闘派”が一枚噛んでるとは思わなかったが……っと、スマン」

 

 その”武闘派”に、嘗てサラの想い人が名を連ねていたという事実に、珍しくレクターが本音で謝罪を挟み込む。

 しかしサラは、特にその言葉自体には気を止めていなかった。レイ自身が”≪結社≫に所属していた事”そのものを悔いていない以上、サラが気に留める権利もない。

 

「でもまぁ、いるかいないか分からない存在を気にかけて足元を掬われるのも馬鹿らしいわね」

 

「まぁな。ただでさえしてやられてる(・・・・・・・)状態だ。沽券に関わるしな」

 

「だから、アンタの雇い主がレイをクロスベルにやったんでしょう?」

 

 サラが鋭く本題に斬り込むと、レクターは一瞬だけ呆けたような表情を浮かべ、それからくつくつと笑い声を漏らす。

 

「≪紫電(エクレール)≫、アンタやっぱり≪情報局≫(ウチ)に再就職しねぇか? 給料は今の三倍は出せるし、何だったらレイとセットでウェルカムだぜ?」

 

「お生憎様、今の職場はそこそこ気に入ってるのよ。そうでなくてもあのクソオヤジの下に就くなんてゴメンだわ」

 

「あっはっはー、クッソ嫌われてんなぁオッサン」

 

 ひとしきり笑ってから、レクターは「あぁ、そうそう」と伝え忘れかけていた事を話す。

 

「クレアがアンタに伝言だとよ。「彼らの今回の本命はクロスベルでしょうが、それに連動して仕掛けてくる可能性があります」だと」

 

「……フン、そこまで言うんだったらもう決定事項みたいなモノじゃない。

分かってるわよ。アタシだってガレリア要塞には同行するもの」

 

「お互いメンド臭い場所にお勤めに行かなきゃならんよなぁ」

 

 苦笑しながら言うその姿は、やはり全面的に信頼するには胡散臭すぎる。

 だからこそサラは、自身の胸の内までこの男に明かそうとは毛程も思いはしなかった。

 そうして話題が切られ、レクターが踵を返す。

 しかし、改札の扉を開けてホームへと入った時、再び足を止めた。

 

「あぁ、そうそう。これは単に俺のお節介なんだけどなァ」

 

 軽妙な口調とは裏腹に、その言葉には重々しい何かが込められているように感じて、サラは無視できずに耳を傾けた。

 

「まぁ、なんだ。レイ(アイツ)がもし荒んじまった時に慰めてやれるのはアンタらだけだろうからさ、頑張ってくれや」

 

「……アタシから今度はあの子を奪おうってんなら、今度こそ≪情報局≫諸共≪鉄血宰相≫を血祭りにあげるわよ?」

 

 静かな、しかし重厚な殺気を視線と共に向けたサラだったが、その言葉自体は脅しでも何でもない。

 例え社会的地位が失墜し、命が無くなる事があろうとも、彼女はもしもの事があれば帝国政府に刃を向けるだろう。協会支部を奪われた時よりも一層濃くて巨大な憎悪を作り出して。

 それだけは、レクターとしても避けたいところだった。

 

「ま、そいつは心配要らねぇだろ。アイツはそう簡単にくたばるようなタマじゃねぇさ」

 

 捨て台詞を吐いて去って行くレクターの背を見てから、サラも駅の外へと出る。

 

「……今日も暑いわね」

 

 燦々と照り付ける陽光と、切羽詰まったような蝉の鳴き声。

 それらの喧騒が、サラにはどうにも不穏な足音に聞こえて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ≪湖畔の街≫レグラム。その名の通り、帝国南東部に存在するエベル湖の湖畔に存在する街である。

 東部クロイツェン州に属するそこは、およそ200年来<アルゼイド子爵家>が治めている土地であり、州の僻地にあるという事や、その独立独歩の気風から公爵家の威光がそれ程強く影響していない。

 その気風の一因は現アルゼイド家当主、ヴィクター・S・アルゼイドの性格が強く表れているのだと、娘であるラウラは嘆息混じりに語った。

 

「どうも父は自由闊達過ぎる衒いがあってな。武者修行と称して度々領地を空けるのだ」

 

 バリアハートへと繋がる旅客列車の車内にて、青々しい麦が広がる田園風景を眺めながら、ラウラの説明が続く。

 レグラムへと向かう道程としては、トールズからバリアハート行きの旅客列車に乗り、そこからエベル支線というローカル線に乗り換える必要がある。

このエベル支線、30分に一本という頻度で通行する四大州の州都を繋ぐ列車とは違い、2時間に一本の頻度でしか通行しないため、乗り換えには多少気を遣う必要がある。

それでも、このまま何事もなく進む事が出来れば、昼頃にはレグラムに到着する計算ではあった。

 

「『四大名門』の威風に完全に靡かない領地、か。不躾な事を聞いてしまったか?」

 

「いや、気にするなガイウス。元よりこの程度の腹の探り合いは貴族の世界ではそう珍しくないという。それに、父の名は帝国ではそこそこ有名だからな。根回しもあるのだろう」

 

「≪光の剣匠≫か。そう言えば、レイが一度手合わせを願いたいと言ってたな」

 

 ≪光の剣匠≫―――その異名こそ、ラウラの父であるヴィクターを指し示すものであり、名にし負う”帝国最高の剣士”の称号でもある。

 帝国二大剣術が一つ、≪アルゼイド流≫の師範であり、かの≪剣聖≫にも匹敵すると謳われるその実力は、少しでも剣術を、否、武術を齧った者ならば聞き及んだ事がある程に高名だ。

 

「そう言えば、ケルディックに行った時もそんな話をしたわね」

 

「あぁ。あの時はすげなく断ったと思ったが、リィンにはそんな事を言っていたのか?」

 

「この前将棋を指している時にポロっと漏らしてたよ。……「俺の師匠と同じくらい強いかもな」とも」

 

 実際、”達人級”と呼ばれる最高峰の武人の中でも、”理”に至った者というのはまた別次元の強さを誇る。

 口伝ですら伝授される事はなく、その在り方は各々異なると言われる武の真髄。≪八葉一刀流≫に於いては、その域に至った者だけが免許皆伝の称号を与えられるという事などを鑑みれば、その修得の難度が良く分かるだろう。

 

 

「……話を戻そう。確かに四大州を統括して治めているのは『四大名門』の家々だが、あくまでもそれぞれの領地を管理するのはその土地の領主だ。その慣習が根付いている以上、ややこしい事になっているのも事実なのだがな」

 

 土地を治める領主というのは、世襲制で一族が代々引き継いでいくのが基本となる。群雄割拠の戦乱時代ならばいざ知らず、その土地に深く根付いた領主一族はそれぞれ独自の税収に関する納税法を敷いているところも少なくないため、年間の税収に差が出てややこしくなるのが通例となっていた。

 その古い慣習を全て廃止し、中央官庁による一括支配を行おうとしているのが現在の『革新派』の動きの一つであった。

しかし、長らく続いた慣習を廃止するという動きに対して異を唱える声が出ないはずもなく、とかく歴史の古い貴族であればある程、その方策を蛇蝎の如く嫌っている。

 税収というのは、軍事以上に国の政策を脅かす案件の一つである。いかな巨大国家であっても、否、巨大国家であればある程、民からの税収が滞れば致命的な損失となる。

その点、エレボニア帝国は実はまだマシな部類であり、様々な他民族を受け入れているカルバード共和国では、更にこの問題が顕著になっている。

 

 税収に関して他者が介入する余裕がないという事は、即ち領地ごとに排他的になる傾向が強いという事でもある。

 クロイツェン州だけを取ってみても、ケルディックのような膨大な金銭が動く街ぐるみでの市場は名目上市長が元締めとなって治めているが、税を納付する先は直接『四大名門』の一家であるアルバレア公爵家へと向かう。

 個々の領主の利益が”古い慣習”という言葉を免罪符にして黙認されているという現状は、控え目に言っても合理的とは言い難かった。

 

 とはいえ、この慣習が絶対な悪というわけではない。

 現在のクロイツェン州のように、公爵家の名の下に増税が行われている状況でも、領主が民の負担を考えて独自に税収を変える事で”ある程度”ならば誤魔化せる事も出来る。―――実際、レグラムがそうなのだ。

 

「非合理的でも融通が利く現状と、徹底的に合理的を突き詰めた『革新派』の方策……どちらが正しいかと言うと、やはり悩ましい問題ではありますよね」

 

 エマのその言葉に、貴族の子弟であるラウラとリィンは頷いた。

 実際全てが中央官庁の直轄化で税収の割合が一定化されたとなれば、天候異常や相場変動などで税の割合が低くなった際などに融通が利かないのだ。そうなれば最悪、領内で餓死をする民すら出てくる可能性もある。

無論、それを防ぐために対策を打つのが中央の仕事であるのだし、そうでなくとも傲慢な領主の下では生き辛い生活を送っている国民も居るという。

 その為、一概にどちらの政策が善で悪であるのかというのは言えない状況だ。―――最終的には良心に委ねられるというのが、何とも皮肉な話ではあるのだが。

 

「……複雑な話だな。ノルドでは一定の税収というものがそもそも存在しない。自給自足の生活が基本だからな」

 

「そう言えばそうね。交易品のやり取りはしていたけど、牧畜が主流だし、何より集落全部が家族みたいな印象だったもの」

 

「あぁ。だからこそ、こういった状況にはお目に掛かれない。失礼な言い方になるかもしれないが、勉強になる」

 

 改めて考えてみると、やはり『革新派』と『貴族派』の対立というのは根本からして根深いものであるというのが理解できてしまう。

 それこそ、和解という手段が一見すれば不可能であろうと真っ先に思ってしまう程に。

 

 

「まぁ、暗い話はここまでにしよう。折角風光明媚なレグラムまで行くんだ。ラウラ、有名な所とか教えてくれ」

 

「うむ、そうだな。例えば―――」

 

 雰囲気が陰鬱なものになりかけたタイミングでリィンが話題を転換し、ラウラがそれに乗った。

 いずれにせよ、自分達が頭を捻って考えたところで解決策がすぐに出るはずもない。そう割り切って、ポジティブな方へと話が移り、そのまま一同は湖の街へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――へぶしっ‼」

 

「ちょ、汚ねぇなライアス‼ つーか唾飛んだぞ」

 

「あ、すんませんアレクさん」

 

 

 場所は帝国南部辺境。嘗ては『ハーメル村』と呼ばれていた戦場跡地の近郊の山岳部に浮かぶ一隻の大型強襲飛空艇の艦内にて、そんなやり取りが木霊する。

 突然盛大にくしゃみを撒き散らしたのは、首元辺りまで金髪を伸ばした青年。黙って佇んでさえいれば数多の異性の目を釘付けにできる事は間違いない美貌を有しているが、ティッシュで鼻をかんでいる姿を晒しているというだけで魅力は半減している。

 

「風邪……じゃねぇよなぁ、お前の場合。基本馬鹿だし。馬鹿は風邪ひかねぇって言うし」

 

「あれ? 俺アレクさんに嫌われるような事しましたっけ? してないっすよね?」

 

 そんな彼のテーブルの正面に座って銃の弾倉(マガジン)のチェックをしていた深緑色の髪を持つ男性、アレクサンドロスは、手に飛来したライアスの唾をタオルで拭いながら、「そりゃあなぁ」と呟いた。

 

「今回の作戦、大将直々の”頼み事”で浮かれんのも基本分かるけどよ、お前昨日調子乗って秘蔵してあったウイスキーのボトル開けたろ? あれな、隊長のお気に入りだったんだわ」

 

「う、げ……」

 

「今朝俺が監督不行き届きだって隊長にクッソ叱られたわ。なまじ一番テンションMAXなのが隊長だからよ、いやー、堪えたぜ」

 

「マジすみませんでした」

 

 テーブルに額を擦り付けながら全身で謝罪の意を表す。自分の方に説教が来なかったのは機嫌が良かったからなのだろうかと考えながら、鼻をすすった。

 まるで一兵卒のようなやり取りをしているこの二人だが、これでも猟兵団≪マーナガルム≫が誇る幹部勢である。

 作戦開始時、真っ先に行動を開始する強襲揚陸部隊『二番隊(ツヴァイト)』の副隊長と副隊長補佐。一騎当千の猛者が集う≪マーナガルム≫の中に在って、その中でも特に強い存在でもある。

 

 身に纏っているのは、真紅と黒を基調とした≪マーナガルム≫の戦闘服。剣林弾雨を掻い潜る猟兵の装備にしては些か以上に薄い装甲ではあったが、見た目以上に防弾性と衝撃耐性に優れている代物である。

 そして左胸に掲げられているのは、巨狼が月に咢を噛ませたシンボルマーク。この名の下に、彼らは5年前から数多の戦場を渡り歩いた。

 無辜の民には不干渉を、そして、戦場では容赦のない蹂躙を。

 『正義の猟兵』などと呼ばれる事もあるが、彼らにとってはそれは苦笑ものの呼び名だ。

 戦場で人を殺す(・・・・・・・)―――彼らが業としているのはつまるところそれだが、その矛先を関わりのない民衆に向けないというだけで”正義”と呼ばれるのは些か外れているとも言える。

 彼らはただの一人とて、戦場で人間を殺戮する事が英雄の所業だとは思っていない。殺しの腕を振るうのが、市井の中ではなく戦場だというただそれだけの話だ。

 輝かしい凱旋にも、煌びやかな英雄譚にも毛程も興味はない。ただこうする事でしか(・・・・・・・・・・)生きていけないから、今も神殺しの狼を駆って戦場を駆け巡っているに過ぎない。

 

「……一応言っとくけどな、今回の作戦は隊長と俺、後はリーリエとアウロラが担当する手筈だ。お前は後詰だからな」

 

「へいへい。俺がガチの達人級との戦いにも入っていけないって事も充分分かってますって。姫さんは……ま、大丈夫か」

 

「それにしては、どこか上の空みたいじゃないか」

 

 アレクがそれを指摘すると、ライアスは一瞬驚いたような表情を浮かべてから、苦笑した。

 

「マジっすか。とんと心当たりがないんですけどね」

 

「……ま、お前がそう思うならいいさ。それより―――」

 

 と、アレクが話を続けようとしたところで、艦内に放送が響き渡った。

 

『招集連絡です。『二番隊(ツヴァイト)』『三番隊(ドリット)』の隊長格の構成員は、至急≪フェンリスヴォルフ≫司令室までお集まりください。繰り返します―――』

 

 機械音声で加工されたその連絡を聞くと、一つ息を吐きながらアレクが席を立つ。それにライアスも倣う。

 司令室への招集という事は、即ち≪マーナガルム≫の団長直々の招集という事と同義である。従わなければ、後でどのような懲罰が待っているかなど、考えたくもない。

 

「話は後だ。行くぞ」

 

Jawohl(ヤ・ヴォール)。とっとと行きましょうや」

 

 金髪を揺らしてライアスが踵を返し、そのまま上官を先導するように歩きはじめる。

 自分が何故突然くしゃみをしたのかという事はすっかり忘れて歩く青年の背を見ながら、アレクは前途多難そうな部下の姿に、再び息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日がまだ高いうちに薄い霧に包まれるというのは、実はレグラムではよくある事らしく、この街の事を知り尽くしているラウラは素知らぬ顔で先導していた。

 アルゼイド子爵がやはり不在であった以上、嫡子であるラウラが一行を持て成さねばならない。アルゼイド家の家令であり、≪アルゼイド流≫の師範代も務める老執事、クラウスと共に高台の上にある屋敷へと案内した後、Ⅶ組一同は実習の課題を配布してくれるという遊撃士協会・レグラム支部へと向かっていた。

 その道中。

 

「あれは……」

 

 リィンが目を止めたのは、エベル湖の畔に佇む像だった。

 槍を携えた女性の騎士を崇めるかのように、その両脇にそれぞれ大剣と戦斧を掲げた騎士が傅いている。

かなり歴史が古いもののようで、ところどころ風化している部分があったが、それでも目を引き付けて離さない荘厳さが内包されているように思えた。

 

「あぁ、あれは≪槍の聖女≫の像だな」

 

「へぇ……あれが」

 

「≪獅子戦役≫でドライケルス大帝と轡を並べて戦った英雄ですね」

 

 このレグラム後に拠を構え、無双の武芸と慈悲深い思慮を以てして戦役へと身を投じた≪槍の聖女≫リアンヌ・サンドロット。

一騎当千と謳われた≪鉄騎隊≫を率い、ノルドの武者らと共に戦場を駆けた話は、英雄譚としてあまりにも有名だ。

 

「じゃあ、この右側に傅いてる騎士が、ラウラのご先祖様?」

 

「そうだな。騎士の誉れとしてよく聖女を支えていたという。そして此方が―――」

 

 そしてラウラが左側に傅く騎士に視線をやった瞬間、僅かばかり琥珀色の双眸の中の感情が揺れた。

 位置的にその様子を見とめる事ができたのはアリサとエマだけだったが、或いは、それで良かったのかもしれない。数秒後には、何もなかったように説明を続けた。

 

「我が先祖と同じく、≪鉄騎隊≫の副隊長を務めていた方だ。家名は<スワンチカ>という」

 

「へぇ……」

 

「以前は我が家とも交流があったのだが、残念ながら没落されてしまってな。それ以降、会っていない」

 

 声色に、僅かに悔しさのようなものが滲んでいた。

 その正体を、敢えて探るような真似はせず、リィンが像を見上げながら口を開く。

 

「名にし負う天下無双の騎士団か。憧れないと言ったら嘘になるよなぁ」

 

「……実はだな、彼ら以外にも、このレグラムで聖女に手を貸した者がいるらしい」

 

「それは、初耳ですね」

 

「何でも、食客として迎え入れていた方だそうだ。聖女に勝るとも劣らない武芸の才を持ち、その絶技を以て≪偽帝≫の軍を幾度も退けたらしい。

一説には東方から旅して来た武者だったという話なのだが、ほとんどの文献に残っていない。だから、フィクションの類だと認識されることも少なくなくてな」

 

「誇張表現という事か? だが、今のラウラの口ぶりからすると実在していた人物のように思えるが」

 

「あぁ。『朱髪紅眼、東方民族の戦化粧を身に纏い、腰に佩いた長き剣で以て、敵兵をもの皆斬攪せし女武者。≪槍の聖女≫に並び立ち、これぞ戦場(いくさば)の両華なり』とな。我が家が所蔵している書物には、そう書かれている」

 

「男としては肩身が狭いな。そりゃ」

 

 ラウラがこうした男顔負けの気概の持ち主になったのは、そうした逸話が要因なのだろうかと考えながら、リィン達は街の中心地から少し南に下ったところへと足を向ける。

 

 そこにあったのは、帝国ではもはや片手で数えられるほどにしか存在していない遊撃士協会の支部。子爵家の庇護を受けて活動している此処は、しかしレグラムの住民にとってはなくてはならない場所だった。

 どこの国でも国民にとっては強い味方である遊撃士だが、その実権力者にとっては目の上の瘤であるという事は少なくない。

 遊撃士の理念は、ミラにも権力にも靡かず、ただ市民の安全を第一に考えて動く事。その為、正規の治安維持組織や権力者の私兵、正規軍などとは折り合いが悪い場合が多々ある。

 まさに、痛い腹を探られたくない(・・・・・・・・・・・)連中にとっては、小賢しい事この上ないのだ。

 その為、付け入る隙、つまるところ大義名分さえ揃ってしまえば、国家権力で以て潰されてしまう事案というのは実は少なくない。

 そして帝都支部は、まさにその事例の一つであると言えた。

 

「おう、来たか。待ってたぜ」

 

 帝国では物珍しい遊撃士の紋章に目を奪われていると、支部の扉を開けて一人の男性が声を掛けて来た。

 

「トヴァル殿、お久し振りです」

 

「ラウラお嬢さんもお変わりないようで何よりだ。―――いや、失礼。どうやら一回りも二回りも成長なされたようだ。サラとレイが居るんじゃ、疑問にも思わんけどな」

 

 金色の短髪に、白いコートを纏った男性。年の頃は20代の後半くらいだろうか。言動の端々から洒脱な雰囲気が感じられたが、それでも素人とは言い難い様子を漂わせている。

 リィンは一瞬、どこかで見かけたような人物だと思いはしたが、少なくとも面と向かって話した事はないなと感じ、挨拶をした。

 

「初めまして、トールズ士官学院特科クラスⅦ組の者です。―――サラ教官やレイを知っているという事は、貴方も?」

 

「あぁ。遊撃士協会所属のトヴァル・ランドナーだ。サラとは帝都支部に居た時の同僚で、レイにはちっと昔に世話になってな。

ま、立ち話も何だ。入ってくれ」

 

 トヴァルに促されて支部内に入ると、思ったよりも広々とした室内に目が行く。

 かと言って豪奢なつくりをしているというわけではなく、カウンターや応接のソファーやテーブルなど、最低限の設備がある以外はそれ程荷がごった返しているというわけでもない。

 

「殺風景な場所で悪いな。それ程大量の依頼が舞い込んで来る事もない所だから、ついついもてなしの準備がおざなりになっちまうんだ」

 

「あぁ、いえ。お構いなく」

 

「スマンな。アイツ―――レイが居たクロスベル支部みたいに顕著だと、別の意味でもてなす余力なんざないんだろうが」

 

「……度々そこの支部の状況についてレイが遠い目をしながら語ってたんですけれど、そんなに忙しい場所なんですか?」

 

 リィンのその疑問に、トヴァルはただ頷いて肯定した。

 

「あぁ。一度所用であの支部に赴いた事があったんだがな。ありゃオーバーワークも甚だしいぜ。一人のメンバーが5、6枚の依頼書握り締めて慌ただしく出入りする様なんざ、帝都支部でも≪夏至祭≫クラスの祭りの時しかお目に掛かれんよ。泣く子も黙る精鋭揃いのクロスベル支部っていやぁ、俺らの界隈じゃどんなモグリだって知ってるさ」

 

「そ、そこまでなんですか」

 

「なんせ、年齢制限に引っ掛かって未だに”準遊撃士”止まりのレイを除けば、受付以外の構成員が全員Bランク以上、二つ名持ちの猛者共が集まってる場所だ。生半可な体力と精神力じゃ、あの場所で活動し続けるのは至難だって言われてるしなぁ」

 

「過剰労働、ダメ、絶対」

 

「サラ教官に付き合わされて書類整理とかしてる所をたまに見かけますけれど……物凄いスピードでしたものね」

 

「あぁ、その場面なら俺も見かけたぞ。”愚痴るな。口を動かすなら手を動かせ。1カロリーたりとも無駄にするな。コンマ1秒でも早く仕上げるのが目標だと心得ろ”と言っていたような気がするな」

 

「修羅が極まってるな」

 

 そもそも未成年に課すような仕事ではないとか、過労死一歩手前に追い込まれているんじゃないかとか言いたい事は山ほどあったのだが、それよりも気になる事が一つだけ。

 

「じゃあトヴァルさんは、その時にレイと知り合いに?」

 

「いんや。その時はアイツ、クロスベル郊外に出没したとか言ってた魔獣の群れの掃討に行ってたらしくてな。ちょうど行き違いになっちまって会わなかったんだ。

 アイツと会ったのは2年前の、帝国ギルドの襲撃事件があった時だったな」

 

「帝国ギルドの……襲撃事件?」

 

 鸚鵡返しのように言葉を返すと、トヴァルは意外そうな顔をしてリィン達の顔を見渡した。

 

「何だ、アイツそれについては話してなかったのか? 帝都にも実習に行ったって聞いたから、もう話してるもんだと思ったんだが」

 

「……そう言えば、それについて言おうとしてたフシはあったわね。テロリストの襲撃やなんやらで有耶無耶になっちゃったけれど」

 

 アリサが回想する事は、前回の実習の際にB班に振り分けられたメンバー、即ち、彼女の他にはガイウスとエマが分かる事だった。

 対して、リィンとラウラは本当に知らない。2年前に帝都において原因不明の火災(・・・・・・・)が起こり、その不祥事を問われて遊撃士協会帝都支部は廃止となった―――という概要しか知らないのだ。

 

「ま、アイツが話してねぇんじゃ俺がここでペラペラ言って良い事じゃないわな。とにかくあの時、クロスベル支部から《風の剣聖》の名代で用事を済ませに来てたレイのお陰で被害は最小限に抑え込むことができた。……それこそ、原因不明の火災という箝口令が(・・・・・・・・・・・・・・)罷り通るレベル(・・・・・・・)にはな(・・・)

 

「あ……」

 

「他にも名高い《剣聖》殿の助力や、《鉄道憲兵隊》の加勢もあったがね。話すとホント長くなるんだわ。お前さん方も、有限な時間は有効に使いたいだろう?」

 

 決してその情報が無駄だとは思っていないのだが、確かにリィン達には実習依頼をこなさなければならないという任務がある。聞き入ってしまうのが正しいとは言えなかった。

 

「と、いうわけで……コイツが本日分の依頼書だ。受け取ってくれ」

 

 それでも心のどこかで惜しいという気持ちを抱えながらも、リィンは実習依頼の内容が記述された紙の入った封筒を受け取る。

 時刻は既に昼過ぎ。急がなければなという僅かな焦りを心の内に秘めながら、一同はいつものように内容を確認しにかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……疲れたな」

 

「本当に、ねぇ」

 

「クラウスさん、お強かったですね……」

 

「ご老体とお見受けしたが、技のキレは凄まじかった。《アルゼイド流》の師範代というのは、凄まじいものだな」

 

「昔は私も数えきれないくらい返り討ちにされたものだ。―――恐らく今回も幾分か加減されたのだろうが、それでも届かせることができて僥倖というべきだろうな」

 

 

 時間は流れて夕刻。リィン達はそれぞれ肩や首を回しながら、最後の依頼の場所である『練武場』から出てきた。

 この場所は《アルゼイド流》の総本山であり、この場所から何人もの著名な剣士が輩出されている。

現在こそこの場所で常時鍛錬に勤しんでいるのは数人の門下生に過ぎないが、帝国各地には、此処で汗を流して修行に励み、そして散らばった門下生が数多く存在する。

 

 リィン達がこの場所を訪れたのは、日が僅かに傾こうとした頃合いの時間だった。

 依頼として提示されていたのは、エベル街道にある街道灯の交換と、その付近に出没した魔獣の討伐。そして、練武場にいる門下生との手合せだった。

 街道灯の交換と手配魔獣の討伐はそれほど滞る事もなく終了し、しかしエベル地方の地理を少しでも把握するために色々と時間の許す限り寄り道をした結果、夕刻頃までかかってしまったのである。

 だが、門下生との手合せ自体も、実はそう時間を取られるものではなかった。

確かに油断のならない相手ではあったが、それでもレイとサラに魔改造と呼んでしまっても差支えのないレベルの鍛錬を課せられてきたリィン達と本気で鎬を削るには些か力不足であった感じは否めない。しかし、それを笠に着て慢心する事などなく、持ち得る限りの連携と個々の技量で相手をした。

 それが終了した後、Ⅶ組の面々の不完全燃焼さを鋭く見抜いたのは、今回の依頼の発布者であり、《アルゼイド流》の師範代も務めるアルゼイド家の家令、クラウスだった。

 

「手慰み程度にしかならないでしょうが、不肖この(わたくし)がお相手いたしましょう」

 

 慇懃にそう言って練武場のフィールドに上がったクラウスは、その肩書に恥じない強さで以てリィン達を驚かせた。

 長い時間をかけて磨かれ、洗練された剣技。凡そ戦技の中で無駄と呼べる動作を可能な限り排除したその動きに、当初翻弄されるがままでしかなかった。

 しかし、レイとサラという存在と幾度も戦ってきた彼らにとって、その技量は決して越えられるものではなかった。

 そういう意味では、ラウラの言葉は正しいのだろう。例え数に利があったとはいえ、ここまで容易く逆転を許し、敗北するような人物が帝国二大剣術の一つの師範代など名乗れるはずがない。

 終始試され、そして及第点を貰った。―――それだけで、まずは良しとしてもいいだろう。

 

「さて、屋敷に戻る前にトヴァル殿に報告をせねばな」

 

「最初の頃は依頼が終わった後に報告書書くのも億劫だったのに……」

 

「随分と逞しくなったものだよなぁ。我ながら」

 

 以前であれば、強敵と相対した後はそのままベッドに潜り込んで泥のように眠りたい渇望に駆られていたのだが、今ではまだ、報告を済ませて反省会をする程度の体力的余裕はある。

 それが今まで培ってきた成果だと褒め称えられても、素直に受け取りづらいのは何故であろうか。

 それに苦笑しながらギルドまでの道筋を歩いていると―――不意にリィンの全身に鳥肌が立った。

 

「ッ―――‼」

 

 反射的に、周囲を見渡す。しかしそこには一日の作業を終えて上機嫌になっているレグラムの民しかいない。

 勘違いかと一瞬思ったが、すぐにそんな事はないと(かぶり)を振った。間違いなく、武人としてのリィンの本能が、異常な存在(・・・・・)を知覚したのだ。それこそ、生存本能が叩き起こされるほどに。

 

「リィン、今のは……」

 

「何と、強烈な……」

 

 リィンの他に知覚できたのは、”前衛組”として他の仲間よりも長くレイと刃を交わしているガイウスとラウラ。両者共が額に冷や汗を浮かべ、仕舞い込んでいるそれぞれの得物に手が伸びようとしていた。

 

「ど、どうしたの? 三人とも」

 

「魔獣の気配でもありましたか?」

 

 感知しえなかったアリサとエマは怪訝な表情を浮かべたが、一先ずリィン達も警戒を解いた。

 まるで最初に感じたように勘違いなのではないかと、そう疑ってしまうほどに”異常”を感じたのは一瞬だった。

 加え、同時にレイの顔が浮かんだということは、魔獣の類の気配を鋭敏に感じ取ったわけではない。もっと埒外の―――それこそ超人的な存在が、己を自分たちに感知させたような、そんな気すらしていた。

 

「……いや、何でもない。それより、早くギルドに行こう」

 

「……分かったわ」

 

 アリサは、そう言ったリィンの手が僅かながら震えていた事を見て取っていたが、他ならない彼自身が「言わない」という選択肢をとった事を優先して、同意する。

 そうして一行は、先ほどよりも早足に、どこか逃げるようにして、ギルドの拠点まで歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――一先ず、良しとしましょうか」

 

 

 

 

 その一行の様子を遥か先から眺めていた白金の女騎士は、ただ一言そう言って、薄い笑みを見せたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 おう、さっさと本能寺ポイント寄越せや。というか茶器をくれ。心臓と歯車に変えるのに忙しいんだよぉぉ‼ ―――という精神状態の十三でございます。

 舞台は移ってレグラムに。クロスベルの修羅っぷりを横目にのんびり行くかと思いきや、勿論そんなことはありません。だって面白くないもの。
 それは半分冗談で半分本気。ちょっと彼らには今まで以上の地獄を見てもらいましょう。ある意味。

 ご覧くださっている方々は、どうかA班の彼らに合掌を。


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夢幻の古城  -in レグラムー ※




「努力を自分自身で誇るのは、愚か者です。
しかし、他人が努力を称えるのは、悪いことではありません」
  by 吉井玲(バカとテストと召喚獣)









 

 

 

 

 

「え? ”達人級”と”準達人級”の武人の違いが知りたいって……何でまた」

 

 以前リィンは、レイにそうした疑問を投げかけた事があった。

 きっかけが何だったのかは覚えていないが、寮の談話スペースで、向かい合いながらシャロン特製の菓子を摘まみながら、何の気なしで問いかけてみたのだ。

 元となったのは、レイがよく強さを測る際に口に出している単語だ。”準達人級”や、”達人級”という言葉。未熟な身であるリィン達からすればその差異がいまいち理解できずにいたのだが、レイは口に含んだ菓子を嚥下し、ジュースを飲み干してからそれに答えた。

 

「つってもなぁ。これは昔俺が居た所での慣習みたいなモンだったんだが……まぁ、今じゃ結構使ってる奴もいるし、知ってて損はないか」

 

 曰く、それは武人の”等級”を示すものであるという。

 

 大きく分けて四段階。”平級”、”上級”、”準達人級”、”達人級”。

 

 ”平級”―――即ち、武を志し、その道を歩み始めたばかりの武人を指す言葉。実力のみならず、その心が一般人とそう変わらない人間はそう称される。

 

 ”上級”―――本格的に武人の志を持ち、鍛練に励む者を括って指す言葉。この等級の上位ともなれば、対人・対魔獣戦のどちらでもこなせる柔軟な判断力と実力を身に着け、武術の界隈から見れば”一人前”の域に在るとされている。 一般的に、凡夫の才を持つ者は、生涯を賭けて辿り着けるのはこの領域までである。

 

 ”準達人級”―――この等級の上位に存在する武人は、”上級”以下の武人とは一線を画する存在となる。

 己が扱う得物を最低限まで絞り込み、それを扱う武芸をとことんまで極める事で到達できる等級であり、上位の武人ともなれば”武器の優劣性”があまり関係がなくなるという、通常の理屈からは外れかかった世界を見せる事がままある。

 例えば、剣と槍で戦っている者がいるとする。これが”上級”以下の者同士の決闘であれば、間合いが長い槍を扱うものの方が基本的に有利に戦闘を行う事が出来るが、この等級に足を踏み入れた者は違う。

勝敗がつくのは、個々の練度の差。槍使いの方が上手ならば間合いを利用して剣撃の範囲外から仕留める事が出来るし、剣士の方が上手ならば、槍の死角である超近接戦に持ち込んで仕留める事が出来る。

 要は、武器の良し悪しで決着が付くほど単純な世界ではなくなるのである。無論、その上で武装を考慮するのは大事な事だが、この等級の最上位まで登り詰めた者は、暗器使いなどの例外を除けば同一カテゴリーの武器の扱いを極めた者であり、ともすれば彼らこそが”達人”と呼ばれてもおかしくはないのだ。

 だが、それは違う。”常識”の枠内に収まっている内は、この等級より先には決して先には進めないのだ。

 

 ”達人級”―――一言で言い表すのならば”非常識の巣窟”。とはいえ、中位以上の存在でなければ、そこまで論理外の戦闘は行わない。……あくまで”そこまで”だが。

 ”準達人級”との差異を挙げるとしたら、それは武人としての限界点を一度超えているという事だろう。武芸を修め、常人が辿り着ける頂点まで辿り着き―――それでもなお高みを目指し、道なき道を行く求道者。ただ貪欲に強さを求め、ひたすら技と心を研磨し、果ての見えない”武”の深奥へと至る資格を持った者達である。

 例えその武芸の原点が師から授けられたものであったとしても、それを己の武の礎として呑み込み、昇華し、”作り変える”。

 故に常識に囚われない。普通の武人ならばまず目を疑うような芸当も、さも当たり前であるかのようにやってのける。不条理が条理(・・・・・・)となる境界線というのにも、それなりに理由というものは存在するのである。

 そして、そんな条理の外にはみ出した者同士が本気で戦えば、その光景はまさに伝承で語られる領域のそれと変わらない。

勝敗を分けるのは己の武技を信じ貫く心と、磨き鍛えた武錬。―――言葉にすれば然程変わりはしないが、それが如何に超人的な領域で行われているかどうかなど、一度その目で見れば否応無しに理解できてしまう。

 つまり―――

 

 

「戦う時に常識が通じるか否か―――結局はそこなんだよな」

 

 前述の通り、その一言に集約する。

 確かに目の前の少年は非常識な強さを持つ。それがそう(・・)なのだと解釈すれば、確かに納得できなくもない。そうリィンは思う。

 だから、その流れで質問を重ねた。「もし”達人級”の武人と戦う事があればどうすればいいのか」と。

 

「そうさなぁ。状況とかその他面倒臭い事は一切抜きで考えるなら、まずは心を強く持て。「あ、コレ負けたわ」なんて一瞬でも思った時点で本当に負ける。

後はまぁ、技量の問題だよ。決着が着くまでひたすら(・・・・・・・・・・・)打ち合う覚悟(・・・・・・)を忘れるな。焦った時点で死ぬからよ」

 

 それは、今まで何度もそうした死闘を繰り広げて来たのであろう彼が語る、あまりにも真に迫った言葉だった。

 決着が着くまで打ち合う―――それは当たり前の事だと、単純に一瞬思ってしまうのだが、そうした常識が通じない(・・・・・・・・・・・)のだろう。

 世間話の一環で聞いている筈なのに、背筋にうすら寒いものが走って止まらない。根本的に違う世界であるという事を、無理矢理理解させられる。

 そう、委縮しているリィンに対して、レイは更に口を開く。

 その場では蛇足でしかなく、永遠に関わる事のない世界であると高を括っていたのだが、それでも内容だけはよく覚えている。

 

 その言葉が何を意味するか、それを半分も理解する事もないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宵闇の中に、一つ佇む蔭がある。

 エベル湖の対岸、畔から距離にして十数セルジュといった所に聳え立っているそれこそは、このレグラムに残る伝説の象徴。

 

 ≪ローエングリン城≫―――嘗て<サンドロット伯爵家>が拠としていた巨城であり、≪槍の聖女≫の英雄譚は、あの場所から始まったと言っても過言ではない。

 まさに、”聖域”と呼ぶにも相応しい場所。本来であれば相応しい静謐で清澄な霊力(マナ)が噴き出す土地である筈なのだが、そんな無菌にも似た場所だからこそ、僅かな”澱み”が殊更目立つ。

 

「…………」

 

 末席であるにしろ、≪魔女の眷属(ヘクセン・ブリード)≫の一員として霊力(マナ)の察知能力にも長けているエマは、外していた眼鏡を、そっと掛け直す。

 ”何かがおかしい”と、理屈ではなく本能が訴えている。太古の昔から”魔”を統べる術を識る者の末裔としてこの世に生を受けた宿命か、その違和感を知覚する力は、眠気に誘われようとしていた彼女を無理に揺すり起こし、子爵邸のラウンジまで連れて来た。

 霊力(マナ)の歪み自体は、別段特別な事象ではない。それこそ気象や大気のうねり一つをとってみても変わる原因になり得るし、七耀脈の変動などがあれば、もろに影響を受けてしまう。

 そして、そうした異常が発見された場所は、例外なく”澱んだモノ”が出没する。一番分かりやすい形として魔獣の出没なのだが、それとは次元が違う”何か”が起こってしまう場合すらある。

 何せアレは、250年以上前に建てられた城だ。科学技術が日進月歩で進み、神秘が薄れつつある現代と違い、霊力(マナ)の濃度が濃かった中世の時代の産物。現代であれば鼻で笑われても仕方がない呪的・霊的な地脈加工を施した上に、溜まりに溜まって噴き出す悪性の霊力を他方に逸らすという妙な技が施されているのだと、そこまで理解できた。

 だが必然、2世紀以上も経てば霊脈の流れは変動する。≪槍の聖女≫が謎の失踪(・・・・)を遂げ、<サンドロット伯爵家>が存在し得なくなった後も”かの英雄たる聖女が座した城”として後を託されたアルゼイド家が聖域も同然に守り通してはきたのだろうが、それでも打ち棄てられた古城には変わらない。半人前の魔女であるエマの目から見ても、あの場所は完全に”危うい”と感じられる程には澱みを拡大させている。

 

「ふぅ」

 

 息を吐く。

 例えそうだとしても、積極的に関わるわけにはいかないというのも、また魔女の宿命だ。

 隠遁を常とし、時代の歪みを見守り、導くだけの存在。それが終われば―――その所業は霧の中へと消え去ってしまう。

 その生き方が普通だと思っていた。魔女の血筋に生まれ、力を授けられたからには、俗世に染まって生きていく事など出来ないのだと。

 だからこそ、その枠に収まらず、里を抜けだした者達の生き方に、憧れたのかもしれない。

 そう―――姉と共に道化のような笑みを遺して消えていった、あの青年のような。

 

「……また面倒なこと考えてる顔ね、エマ」

 

 星空の明かりをすり抜けるようにして近づいて来た黒い影に、しかしエマは別段驚いた反応は見せなかった。

 

「悩むのは別に構わないし、アンタくらいの年頃の女ならそうあってしかるべしなんでしょうけれど、答えが出せないんだったら、やめておきなさい」

 

「別にいいでしょう? まだそれくらいの余裕はあるの。―――それより、気付かれてしまうわよ?」

 

「大丈夫よ。≪光の剣匠≫はいないし、≪天剣≫もいないなら充分に誤魔化せるわ」

 

「もう……」

 

 何に対しても委縮しようとしない口ぶりの使い魔、セリーヌに対して、主であるエマは困ったような表情を浮かべる。

 

 夕刻に報告をするためギルドを訪れた際、トヴァルがラウラに渡したのは、アルゼイド家当主であるヴィクターからの手紙だった。

 深い内容までは聞かなかったが、この特別実習の機会に際して領地に戻る事が叶わなかったという事に対しての謝罪と激励の言葉が綴られていたらしい。久方ぶりの帰郷だというのに父に会う事ができなかったラウラは「まぁ、父上が戻られぬのはいつもの事だ。私は気にしていない」と気丈な言葉をリィン達に伝えていたが、その横顔が、どことなく悲しそうだったのは覚えている。

 そんな彼女の心を晴らそうと、夕食時は家令のクラウスも交えて和やかなムードで懇談した。和気藹々とした雰囲気のまま時間が過ぎ、一通りの反省会も終わったところで、床につく事になったのだ。

 

 語弊があるように思われるが、エマ・ミルスティンは間違いなくこの学院生活を楽しんでいる。

 魔女の宿命も、使命も時には忘れ、同世代の少年少女達との青春の逢瀬を楽しんでいる。共に笑い、共に屈辱に歯を食いしばり、共に歩んできたこの5ヶ月は、彼女にとって決して茶番の一言で片づけて良いものではない。

 それでもやはり、彼女には”使命”があるのだ。

 

「でも、今代の”乗り手”はよく分からないわねぇ。一度暴走しかけたのをレイ・クレイドルが仮にも”封じた”お陰で、前に進む事を躊躇っているようには見えないけれど」

 

「……やっぱり、見てたのね」

 

「当然でしょ? 抜けてから日が経ってるとはいえ、元≪結社≫の≪執行者≫よ。警戒して損はないわ」

 

 寧ろアンタの方が馴染み過ぎなのよ、となじってくるセリーヌの言葉に、エマは少しだけ眉を顰めた。

 

「レイさんが今でも≪結社≫と秘密裏に通じていると思ってるの?」

 

「もしもの話よ。≪魔女の誓約≫(あんなモノ)で縛られてる以上、何があっても不思議じゃないわ。―――それに、少し調べてみたけれど、あの男、術者としても相当な手練れよ」

 

「…………」

 

「東方の封魔術師一族<アマギ>の直系のみが受け継いだ≪天道流≫。今現在リィン・シュバルツァーの中に潜むモノを封じてるのは、その術の中でも秘奥に属する封魔術よ。

それこそ、神性を有する化生の類を封じ込める、本来なら大人数の術者が大掛かりな儀式と共に執り行って初めて発動できるようなモノを、たった一人で完成させてみせてる。―――正直、知った時は信じられなかったわよ」

 

 一般常識(それでも”裏”の常識ではあるが)に照らし合わせてみれば、その領域に至るまでには考えるのも億劫なほどの時間と縁を犠牲にしなければならない。

 否、恐らく凡庸な術者であれば、一生を掛けたとしても辿り着く事はできないだろう。それを彼は、さも当然であるかのように使いこなす。

 以前のエマであれば、それが気になって仕方がなかったことだろう。何故そこまで才能に溢れているのかと、果てには嫉妬の念すら向けたかもしれない。

 だが、彼の過去の一端を聞いた今ならば、その理由が分かる。

 ―――当たり前(・・・・)だったからだ。名を棄てた以上、それが亡き母から受け継いだ唯一の存在であったからこそ、彼はそれを修める事に何の疑問も抱きはしなかった。

 母を苦しめたその血筋を呪いはしたが、それでも利用できるものは利用するスタンスを取ったその貪欲さは、ある意味では彼らしいとも言える。術者に於いて高みまで至り、そして剣士としても達人の域まで登り詰めたその強さは、きっと自分のような半人前が推し量れるようなものではないのだろうと、そうエマは思っていた。

 

「……ま、アンタの事でしょうから、その程度の事で縁を切ろうとはしないでしょうけれど」

 

「え?」

 

「仲間、ってやつなんでしょ? 正直アタシには良く分からないけど、まぁ今の内はアンタの好きにしたらいいわ」

 

「セリーヌ……ふふっ、ありがとう」

 

「フン、お礼を言われるような事じゃないわよ」

 

 照れ隠しの表れであるかのようなそんな言葉を吐きながら、セリーヌはその視線を城の方へと向けた。

 

「それと、気付いてるんでしょうけど、あの城ちょっとヤバいわよ」

 

「えぇ……」

 

 嫌な予感しかしない、というのが正直なところだ。このまま何事もなく過ぎ去ってくれればいいのにと心の底から願っているのだが、そう単純に事が運ばないのではないかという予感が、彼女の心の中を這いずり回る。

 厄介事に巻き込まれる、というのはリィンやレイの特権かとばかり思っていたが、例に漏れず自分にもそう言った要素があるのかと、思わず失笑してしまう。

 

「? 何笑ってるのよ」

 

「ちょっと、ね」

 

 ちょっとしたところで、彼らとの繋がりを理解すると、不謹慎ながらも嬉しくなってしまう。

 そう安堵したような感情を抱いた所為か、睡魔が再び誘いをかけて来るようになったため、エマはそのままバルコニーを去った。

 

 それでもやはり、面倒事は起こらないでほしいと、そう願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、その願いはあっさりと破却されてしまった。

 

 

 

「キャ―――ッ‼ イヤアァァァァァァ―――ッ‼」

 

「あ、アリサ‼ ちょ、やめ、アガガガガガガガ……」

 

「締まってる‼ 首締まってますよアリサさん‼」

 

「落ち着けアリサ。あれは怨念的な何かが剣に憑りついて動いているだけだ、気にする事はない」

 

「ラウラ、その説明は逆効果だろう」

 

 涙目で半狂乱になり、リィンに抱きつきながら首も絞めているアリサと、口から泡を吹いて気絶しかかっているリィン。そしてそれを宥めながら湧出する亡霊系の魔物を倒していく他三人という、どうにも訳の分からない状態が広がるのは、古びた古城の一角。

 薄暗い室内や、剥がれかけた塗装、不気味な絵画などが人の恐怖心を否応無しに煽り立てる中、その上亡霊じみた魔物が出没するとなれば、”そういうモノ”に耐性がない人間や弱い人間などは過剰反応するだろう。

 そしてまさに、このメンバーの中ではアリサがそれだった。

 

「あっ、ご、ごめんリィン‼ 大丈夫⁉」

 

「ごほっ……そ、走馬燈的なものが見えた……レイに限界超えてシゴかれた時以来かなぁ……」

 

「そなた、この前の慰安旅行の際にも見えていたのではないか?」

 

「ラウラさん、その話は蒸し返さないって言ったじゃないですか」

 

「……というより委員長はその状況でどうやってアーツを詠唱しているんだ?」

 

 当の二人以外は、視線をアリサとリィンに度々向けながらも、湧き出て来た魔物を容赦なく叩いている。

 そんな中でエマが会話に割り込みながらも魔導杖を振るい、アーツを起動させているのは、所謂アーツの『多重詠唱』という上級技を使用する際に行う『思考分割』という妙技なのだが、それをよもや霊に脅える仲間に声を掛けながら使う事になろうとは思いもよらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 遡る事数時間前。

 

 

 

 

 レグラムでの特別実習の2日目を迎えた一行は、今日も今日とて課題に精力的に取り組んでいた。

 昼前までにトヴァルから手渡された依頼内容―――教会のシスターからの慰霊の供え物を作るための材料調達と手配魔獣の討伐を済ませたリィン達。その帰り道、エベル街道を歩きながら、軽く体を動かしていた。 

 いつもと違う事があったと言えば、依頼にあった手配魔獣がイメージにあったそれとは違い、機械仕掛け(・・・・・)であったという事くらいだろうか。

 深緑色のボディに、左右に銃を有し、ミサイルまでも飛ばして来た摩訶不思議な存在。……とはいえ、その程度に後れを取る程リィン達は柔ではない。

 そもそも、ミリアムが連れているアガートラム以上に不思議な存在というのも、そうそういないだろう。その点、先程倒したそれはちゃんと二足歩行で地に足を付けていただけまだ条理にかなっていると―――そう無理矢理に納得させて討伐に挑んだのだ。

 緩い追尾機能が付いたミサイルも、このところ本当に容赦というものがなくなって来たシオンの常識度外視の火球攻撃に比べれば玩具も同然である。後衛組のサポートも要らず、戦闘開始直後にラウラとガイウスが両側面から、そしてリィンが正面から斬撃を加えた事であっさりと機能停止し、爆散してしまった。

 手応えこそなかったが、懸念すべきはそこではなく、こんな自立兵器のような存在がどうしてエベル街道に居たか、という事である。

 というよりも、そもそもその存在自体が謎だ。色々と度肝を抜かれ過ぎてやや感覚が麻痺しているⅦ組の面々は然程違和感を抱かなかったが、軍がこのような兵器を開発したという話は誰もが寡聞にして耳にした事がない。その時点で、リィン達がその正体に辿り着く事は現時点では不可能だと言ってもいい。

 それは当の本人達も自覚していたようで、取り敢えずその兵器が自爆する前に取り除いておいたパーツの一つをトヴァルに見せて意見を聞こうとレグラムの街の門を潜ったところで、一行は街が妙にザワついている事に気が付いた。

 

「ん? 何だ?」

 

「騒がしいな。船着き場の方からか?」

 

 流石に気になり、高台の石橋の上からエベル湖に接した船着き場の方へと視線を向けると、そこには白色を基調とした塗装の豪奢な一隻の(ふね)が停泊していた。そしてその周囲には、領邦軍の軍服を着こんだ軍人が数人散開している。

 そんな状況を目の当たりにして、先に口を開いたのはアリサだった。

 

「あの艇……ラインフォルト社製の水上飛空艇ね。確か名前は……≪シェルア=ノート≫だったかしら。結構最新式の筈よ」

 

「それにあの軍服は確か……西部ラマール州の領邦軍ですね」

 

 アリサの説明をエマが引き継いだことで、更に疑問が湧き上がる。

 レグラムが属しているのは東部クロイツェン州。ラマール州は言ってみれば帝国の反対側に当たる。

 それも、領邦軍が警備に当たっているとあれば生半可な人物が訪れているわけではないのだろう。そんな人物がわざわざバリアハートではなくレグラムを訪問しているであろうという事実。意味するところは分からなくはない。

 

「アルゼイド子爵を訪ねて来たのか?」

 

「……とはいえ、父上は不在中だ。お客人には失礼な真似を―――っ」

 

 ラウラが自家の不始末を悔やむ言葉を言い切ろうとしたところで、その目が見開かれる。その視線は、今まさに艇に乗り込もうとしていた人物に注がれていた。

 首元まで伸びた山吹色の髪に、孔雀を象ったかのような豪奢な首飾り。洒脱でありながら気品を存分に撒き散らしているその服装と容貌に、ラウラは見覚えがあった。

 

「カイエン、公爵? 『四大名門』の筆頭格が何故父上を……」

 

「カイエン公爵……そういえば以前授業で耳にしたな」

 

 ガイウスの言葉に、エマが小さく頷く。

 

「えぇ、ラマール州を治める大貴族ですね。帝国国内における影響力は、同じ公爵位のアルバレア家よりも強いと言われています」

 

 それが意味するところは、皇家を除けばエレボニアで最も権力を有する一族、その長であるということ。

 歴史的に見ても多く皇帝の妃を輩出し、外戚として一時は皇家を凌ぐ力を有していたともされる、そんな大貴族中の大貴族が子爵家、それも別の領地の人間などに何の用かと首を傾げていると、公爵の後ろに付き添う二人の人物に自然と視線が吸い寄せられた。

 枯葉色の髪を短く後ろで束ねた細身の男と、同じ服装を纏ったドレッドヘアーの巨漢の男。その位置取りや足の運びからして公爵の護衛のようにも見えるが、絢爛な軍服を着ているラマール州の領邦軍と比べると、機動力を重視したようなその服装は一層違和感を感じさせた。

 すると、不意にその二人が足を止め―――あろう事か振り向いてリィン達に視線を合わせた。

 

「ッ‼」

 

 直線距離で70アージュはあろうかという距離。それも石橋の上という遮蔽物がある場所からの視線を感じ取ったにしか見えない行動を取った二人に対して一同は慄き、それに拍車をかけるようにして細身の男の方は手まで振って見せた。

 傍から見れば異常なその行動に思わず数歩下がってしまう。幸いにも他の領邦軍達に発見される事はなかったが、これ程に離れた場所からの視線と気配を察知した二人の実力の高さを感じ取る。

 そしてそのまま呆けている内に、《シェルア=ノート》は水上から浮かび上がり、そのまま西の方角へと飛び去ってしまった。

 

「……予定されていた訪問、って訳じゃなさそうだったな」

 

「あぁ。カイエン公爵が訪ねられるとあれば、父上も戻って来られただろうからな。とにかく、ギルドに寄る前に一度屋敷に向かいたいのだが、構わないか?」

 

「まぁ、こんな事があった後じゃあ仕方ないでしょ」

 

 アリサの言葉にエマとガイウスも賛同する。

 屋敷にはクラウスが残っていたため、まさか門前払いをしたという最悪の状況は避けられただろうが、それでも領主の嫡子としては、事の経緯を知る義務がある。

 必然的に早足になり、屋敷へと続く長い石階段を登っていく。そうして数分で屋敷の門前まで辿り着き、そのままの勢いで玄関を開け放った。

 

「クラウス、いるか?」

 

 平時よりも僅かに焦った声。その声に対し、玄関ホールへと繋がる階段を下りていた老執事は恭しく答えた。

 

「おや、お嬢様。お帰りなさいませ」

 

「あぁ、クラウス。今しがたカイエン公爵がお帰りになられたようだが、何か知っ―――」

 

 だがラウラは、その問い詰めるような言葉を最後まで発音することは叶わなかった。

 その原因は、クラウスの背後で同じく階段を下りていた男性の存在。カイエン公爵と同じくアルゼイド邸を訪れ、今まさに帰路につこうとしていたのだろうその男は、ラウラの姿を視界に収めるのと同時に「おぉ」と僅かに驚いたような声を漏らした。

 

「これは御息女殿、こうして顔を合わせるのは久方ぶりですかな。私の事を覚えておいでですか?」

 

「……えぇ、無論。以前お会いしたのは数年前でしたか。お久しぶりです、カーティス卿」

 

「此方こそ。……しかし奇縁というのもあったものだ。トールズに入学したという貴女と、よもやこのような形で再会が叶うとは」

 

 表面だけを見れば異性を魅了するであろう微笑を浮かべて挨拶を交わす男。

 腰元まであろうかという黒髪は首元あたりで束ねられ、190リジュに届こうかという長身を包むのは黒を基調とした仕立ての良い服。

 その外見、その雰囲気だけで、その男性もまた貴族であるという事を、リィン達は悟る。とはいえ、ラウラの方はそれ程歓迎した様子で対応していないのが些か気になっていた。

 何となく、そう、何となくではあるが、その男性からはユーシスの兄、ルーファス・アルバレアと同じような雰囲気を感じると思っていると、他愛のない貴族同士の挨拶を交わしていた男性の視線が、リィン達の方へと向けられる。

 

「おや、その制服は……あぁ成程、彼らが同輩という訳か」

 

「はい。同じ学び舎で学び、切磋琢磨する級友達です」

 

「ほぅ、そうかそうか」

 

 すると男性はリィン達の前まで移動し、ラウラに向けていた微笑を浮かべたままに自己紹介をする。

 

「お初にお目にかかる。東部クロイツェン州<クラウン伯爵家>現当主、カーティス・クラウンという者だ。

御息女と出会えた事も僥倖だったが、よもやトールズの後進の若人とも出会えるとは思ってもみなかった。どうやら、今日の私は殊更に運が良いようだ」

 

「は、初めましてカーティス卿。トールズ士官学院特科クラスⅦ組所属のリィン・シュバルツァーです」

 

 此方を見定めるような視線は彼らの知る”貴族らしい貴族”を彷彿とさせたが、しかしその声色は此方側を見下したようなそれではない。

 ただ単純に、実力の如何を見定めるような、そんな視線だった。―――それが愉快であるとは到底言えなかったが。

 その証拠に、リィンの後ろに立っているアリサが、面と向かっていなくとも分かるレベルの不機嫌オーラをビンビンに放ってきている。

恐らく、表情そのものは淑女の仮面を被って笑顔なのだろうが、そのプレッシャーを背中で一身に受けている身としては、たまったものではなかった。

 

「おや、これは失敬。あまり若い雛鳥に不躾な視線を送るものではないな。―――しかしこの程度の無礼に耐えられなければ、この界隈では生きてはゆけぬよ。

そうだろう? ラインフォルト家の御子女」

 

「っ―――」

 

「表立って理解し得る挑発に乗らぬのは当然の事。故、我らのような清いも濁りも味わってきた者らは、このような不遜な態度で望むのが常なのだよ」

 

 だからこそ、それを見切られ、あまつさえ窘めるような言葉をかけられてしまっては、返す言葉もありはしない。

 顔を合わせて数分。そう、たったの数分ではあったが、このカーティスという男性が権力を笠に着て傲慢に振る舞うような貴族らとは一線を画する存在であるという事を否が応にも理解させられてしまった。

 

「……コホン。カーティス卿、面白がる(・・・・)のもそれまでにしていただきたい」

 

「これは異な事を。私は少しでも後進の助けになるようにと助言を加えたに過ぎんよ、御息女殿。

彼らも貴女も、何れはこの帝国を担う若人だ。先達として、らしい(・・・)行いをしたまでの事」

 

「こと年齢的な若さでいえば、卿もそれ程変わらぬでしょう。30にも満たないではありませんか」

 

「”若々しい”と称するには些か時が経ちすぎた自覚があったのだが、貴女に若いと言われるのに悪い気はしませんな」

 

 会話の内容こそ軽妙な掛け合いだが、ラウラの方は一貫して淡々とした態度を崩していない。

 カーティスの方が少なからず喜色を示しているのに対しての対照的な言動が、彼に対するラウラの印象を如実に表していた。

 

「それよりも、当家に対して如何なご用件でしょうか。カイエン公と共にご訪問されたのでしたら、御用向きを伺いたいのですが」

 

 普段の比較的感情が豊かな彼女から出る、”貴族の嫡子”としての言葉とやり取りに、リィン達はただ息を呑んでそれを見届けるしかない。

 しかしそんな淡々とした態度を向けられてもなお、カーティスの雰囲気は変わらない。怒るわけでもなく、呆れるわけでもなく、ただゆらりとした態度で薄い笑みを浮かべたままだ。

 

「ふふ―――いやいや、御息女殿の手を煩わせるまでもない。カイエン公の思惑はともかく、私はただ子爵殿にお会いできればと思って着いてきただけに過ぎぬのだから」

 

「ならば、カイエン公と御一緒にお戻りになられるはずでしょう。わざわざ御身だけ残られる事はなかったのでは?」

 

「修業時代に世話になった師範代殿に一言二言もなしに去ってしまうのは不敬というものだ。

心配なさらずとも、私はこの後バリアハートに寄る用がある故、最初から公爵と共に帰る思惑はなかったのだよ」

 

「……然様ですか」

 

 傍から見ていても暖簾に腕押しといった有様のやり取りに、先に折れたのはラウラの方だった。

もう勝手にしてくれと言わんばかりの表情を見せた彼女に小さく礼をしてから、クラウスの先導に従って玄関へと向かう。

 

「―――あぁ、そうだ。御息女殿」

 

 しかし扉を開けられ、後は外に出るのみとなった直前に、再びカーティスは口を開いた。

 それを無視するわけにもいかず、ラウラがしぶしぶといった様子で振り向く。

 

「そろそろ躾のなっていない従者が憤慨を募らせている頃合い故、これで失礼させていただくが……先の話はよく検討していただきたい」

 

「……それについては、既にお答えを返したはずなのですが」

 

「まぁそう言わず。貴女にとっても、決して悪くない話の筈ですからな」

 

 それだけを言い残して、カーティスは屋敷から去った。

 それから数十秒は無言の時間が流れ、漸く呆けていた状態から解放されたリィンが、ラウラに声をかける。

 

「えっと……知り合い、なんだよな?」

 

 その曖昧な問いかけに、しかしラウラは「あぁ」と頷く。

 

「カーティス卿は《アルゼイド流》の門下の一人でな。嘗ては練武場にも足しげく通っておられた事がある。その縁で、父上とはそこそこ懇意にしていた」

 

「……にしても、どうにも胡散臭い匂いがしたわね」

 

 Ⅶ組の中ではユーシスと並んでそういった事に敏感なアリサが、今度は不満を隠そうともせずに言い放った。

 

「表面上は笑顔を張り付けてたけど、裏の顔があることを隠そうともしてないタイプだわ。……ああいう人間は厄介なのよ。裏の奥の、その奥まで見透かさないと、本性が見えてこないから」

 

「確かに……一癖も二癖もありそうなタイプの方でしたね」

 

「とはいえ、悪意の類は感じられなかったな」

 

 その指摘に、一つ息を吐いたラウラが首肯する。その表情には、どことなく疲労の色が表れていた。

 

「昔からああいう方なんだ。ゆらりゆらりとしていて、どうにも本音が掴み切れない。先の話も、一体どこまでが本音なのやら」

 

「……あぁ、何となく分かったけれど、その”先の話”ってのはもしや……」

 

「そう、縁談の話だ」

 

 その言葉に女性陣は過敏に反応したが、実のところ貴族の世界ではこういった話は日常茶飯事に飛び交っている。

 10代の内に婚約相手が決まるなどよくある事。極端な話になれば、産まれた時から許嫁が決まっている、などという話も耳にすることがある。

 血統を重視する昔ながらの貴族の家の人間が恋愛結婚をするというケースは極めて希少であり、こうした家と家同士の繋がりを深めるために交わされる縁談話は珍しいものではない。

 

「まぁ、受ける気などは今はないのが正直なところだ。妻として誰かの傍に侍るよりも、剣技を極める事の方が、私にとっては最優先なのでな」

 

「そんな事情がなくても、私だったらあんな結婚相手なんか御免よ」

 

 天邪鬼で、皮肉屋―――アリサがカーティス・クラウンという男に抱いた印象とは、凡そそのようなものだろう。

 何も知らない一般人からすれば、確かに外面は良く見える。しかし、慇懃に振る舞っているのは表だけだ。それなりの付き合いがあるラウラでさえ、未だ彼の本性を見た事がない。

 実のところ、ラウラはそこまであの男を嫌っているわけではない。相性が良いとはまかり間違っても言えないが、それでも頭ごなしに嫌うような存在でもないのだ。

 

「確かにカーティス卿は誤解されやすい性格であるし、アリサの見解も間違っていない。―――だがあの方は、昨今の廃頽的な貴族達の中に在っては珍しく、筋は通す方だ。狂言めいた言葉遣いで此方を惑わす事は多々あるし、万人に好かれるような性格をされているわけでもない。

それでも、無闇矢鱈、欲望の限りを尽くして権力に溺れる輩よりかは幾分以上にマシだと、私はそう思っている」

 

 まぁ、性格が極悪なわけではないのと(それと)求婚を受けるか否か(これと)は話が別だがな、とキッパリとそう言って見せたラウラの表情は、先程の沈鬱したようなそれとは違って、晴れ晴れとしていた。

 

「まぁ、何か悩んでたら話くらいは聞くから、これからも溜め込むんじゃないわよ?」

 

「そうですね。不安の一端を取り除くくらいは出来ると思います」

 

「……あぁ、頼りにさせて貰う」

 

 数度のやり取りで不安げなラウラの表情を晴らしてしまった彼女らの絆の深さに驚きながらも、リィンは隣にいたガイウスに声を掛けた。

 

「なぁ、ガイウス」

 

「何だ?」

 

「女子は、女性ってのは本当に強いな」

 

「そうだな。ああいう光景を見ていると、心の底からそう思う」

 

 今まで何度も実感して来た状況であったが、それでも改めてそう思う気持ちを止める事はできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いぞ木偶の坊が。一体全体何処で油を売っていた」

 

 レグラムの街の中心部からは少しばかり外れた場所に停めてあった黒塗りの高級リムジン。

 クラウン伯爵家が所有するそれにカーティスが乗り込んだ瞬間にそんな罵倒を浴びせて来たのは、事もあろうに白いメイド服に身を包んだ一人の少女だった。

 凡そ主に向かっての口の利き方では到底なかったが、それを咎める事もなく―――というよりも既に諦めた形で何も言わず、カーティスは座席に腰を下ろした。

 

「油を売っていたとは随分な物言いだな、スフィータ。生まれてこの方25年、商人の生き方を志した事などない筈だが?」

 

「皮肉も弁えんのか、この戯け者めが」

 

「子爵殿を恐れて車に残った臆病獣が良く吼える。今の貴様は獅子に媚びを売る兎のような有様だぞ?」

 

 抱えの運転手が座っている運転席とは少し離れた場所で、互いに罵り合う主と従者。本来であれば目を疑うような光景だが、ことクラウン家に至ってはそう珍しくもない。

 腕を組み、足を交差させて我が物顔で座席に腰を沈める銀髪金眼の美少女といった風体を醸し出している従者のスフィータは、凡そ従者に必要不可欠な主への尊敬の念も奉仕の念も持ち合わせていない。

 キツく吊り上がったその双眸でカーティスを睨むと、しかし一つ鼻を鳴らして再び伏せた。

 

「はン、貴様の目は節穴か。私があの木端屋敷に赴かなかったのは貴様の雨雫ほどに残っている面子とやらを守ってやったまでの事よ。さもなくば柱の一本、調度品の一つに至るまで粉微塵に磨り潰してやったわ」

 

「クク、それこそ微塵に砕かれた矜持を守るために必死な者の姿というのは愉快よな。見ていて飽きぬ。それでこそ貴様を従えた甲斐もあるというものよ」

 

 直後、スフィータから死の幻覚が見えるレベルの殺気を向けられたカーティスではあったが、涼しい顔をしてそれを受け止める。

 嘲るような笑みを変わらず向け続ける主を前にしながらスフィータは憚る事もなく大きな舌打ちを一つかまし、そしてそのまま窓の外へと視線を向けた。

 

「―――フン、気味の悪い霧だ」

 

 気付けば窓の外、レグラムの街は白い霧に囲まれていた。

 僅か1時間ほど前までは快晴の空の下、晴れやかな風景が拡がっていたというのに、今では濃い霧が街を覆ってしまっていた。

 それが自然現象で発生した濃霧ではないという事は、スフィータも理解している。元より彼女は、こうした超常的な現象(・・・・・・・・・・)に人一倍鼻が利く存在だ。

 そんな彼女に霧の正体を問う事もなく、カーティスも街の有様を眺めながら更に口角を釣り上げた。

 

「げに美しきは魔性の城、か。さて如何する、御息女殿に魔女殿。ラインフォルトの御子女にノルドの若人、そして悩みし”乗り手”の少年よ。獅子の門の下に集いし未熟な益荒男の輝きを、存分に示して見せるといい」

 

 まるで呪いの言葉を紡いだかのようなその声を残し、リムジンは動き出す。

 

 

 

 リィン達が濃霧の原因が湖上の城にあると断じ、怪訝な顔つきをしながらもその場所に向かうのはそれから1時間程後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 今回一番悩んだのは、「アルゼイド子爵を出すか否か」でした。
実は直前まで原作通り登場させる気でいたのですが、あの超ダンディオジサマが居るとリィンの悩みとか全部見抜かれて対戦不可避なんですよね。それは、もうちょっと後で別の人にやって貰う予定だったので、ここでは我慢しました。……ホントはメッチャ登場させたかったんですけどね。気に食わない方はごめんなさい。

 次回はお化け屋敷です。……え? 違う? いや、だってあそこやたらクオリティが高いお化け家屋敷みたいなものでしょう? 月の僧院とか、星見の塔とか、そういう類のダンジョンだと思ってますんで。


今回の提供オリキャラ:

 ■カーティス・クラウン(提供者:白執事Ⅱ様)
 ■スフィータ(提供者:白執事Ⅱ様)

 ―――ありがとうございました‼



 ではついでに、シグムント・オルランドの実子にしてオリキャラ、イグナ・オルランド君のイメージイラストも置いて行きます。


【挿絵表示】


 それではまた次回にお会い致しましょう。
 



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至高の騎士  -in レグラムー





  「泣き叫べ劣等。今夜ここに神はいない」
     by ウォルフガング・シュライバー(Dies irae)









 

 

 

 

 

 

 

 嘗てその場に集ったのは、主に身命を捧げた護領を掲げる益荒男達。

 武威を振るうその者らは、一人一人が一騎当千。燦然と輝く鎧を身に纏い、命を預ける兵装を佩き、駿馬に跨って夷狄(いてき)を制する。

 忠義の心をその胸に、鬨の声と共に合戦に身を置くその姿は、まさしく英雄のそれ。吟遊詩人に語り継がれ、その武功は数百年が経った今でも人々の胸を高鳴らせ、遥かな昔に想いを馳せさせる。

 

 だがその無双の騎士団も、国の覇権を賭けた大戦に身を投じたとあれば決して無傷とはいかなかった。

 連戦を重ねる毎に、確実にその数は減って行く。昨晩までは野営の席で共に笑い、主への忠義を声高々に謳っていた調子者の騎士も、故郷に妻子を残し、その安否を気遣っていた壮年の騎士も、矢の雨と槍の参列、見聞きのしない妙な軍策を前に命を散らした。

 それでも彼らは前進を止めない。

 全ては忠義を捧げた主が為、そして、その主が力を預けるに値すると判断した若き大王の為。

 戦火に塗れ、老いも若きも、男も女も皆等しく命を落とすこの凄惨な内乱を治める事が出来るのならば―――この命など毛程も惜しくはないと、その信念を剣に乗せて、彼らは最後まで共に在った。

 戦を重ねる毎に轡を並べる者達も増えた。遥か遠きノルドの地から馳せ参じた朋友達と槍を並べたその日々は、彼らにとっても誉れだった。

 故に魔性に染まった帝都に攻め入った時でさえ、彼らの士気に濁りはなかった。

 大王が有する■■■■は、既に天下無双の剣を仕立て上げ、その勇壮を更に煌びやかなものにしている。きっとそれは、この帝国に再び平穏を齎してくれるだろう。

 ならば、その偉業に恥じない礎とならねばならない。恐怖に足を震わせるよりも、希望に向かって進まねばならない。

 だからこそ彼らは、散った時すら果敢であった。

 主が望んだ安寧の世を終ぞ見る事無く生を終える事を惜しみながらも、その死に化粧を彩られた貌は笑っていた。死兵にどれ程抵抗されようとも、彼らはただひたすら、一度たりとて鎧が軋む音を止ませる事はなかった。

 自分達が命を懸けて作り出した道を、主と若き大王が駆け抜けていく。悠然と巨兵に立ち向かった彼らに向かって、たった一言の、しかし最大級の感謝の言葉を残して。

 

 故に彼らが後悔している事があるとするならば、それは主の偉業を最後まで見届ける事が叶わなかった事。

 だからこそ、彼らはあの城に、主に身命を捧げる宣誓を行ったあの城に戻らなければならない。

 この身が朽ち、魂だけになろうとも―――貫くべき忠義は、決して色褪せはしないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「肆の型―――『紅葉切り』ッ‼」

 

 抜刀された刃が、空洞の甲冑の胴を薙ぐ。

 西洋剣とは異なり、”叩き斬る”のではなく”引き斬る”事に特化した刀という武器だが、本来であれば武器の性能だけで鋼の騎士甲冑を両断するのは難しい。

 しかし、リィンはそれをやってのける。

 鯉口を切ると同時に刀身に氣力を薄く纏わせ、渾身の力を込めて抜刀する。その一撃は斬鉄の刃と成り、あっさりと両断してのけた。

 

 それを先陣として、リィンの脇に移動した幽霊甲冑を、ラウラが剣圧だけでよろめかせる。

 ミリアムがⅦ組に編入した事で双璧となったが、剣士として最強のアタッカーは彼女だ。入学当初こそ大剣に引きずられるような動きを僅かに見せていた彼女であったが、レイとの鍛練の中でその弱点を克服し、今では機敏な動きも可能になっている。

 加えて体幹の安定や体重移動のスムーズさなども矯正した結果、全身の力を余す事無く斬撃に転換する事も出来ている。

 であれば今の彼女は、騎士甲冑を縦に一撃で両断する事くらい訳はない。二度目の地響きが古城内に響く頃には、後衛二人のアーツ詠唱が終了していた。リィン達はそれを気配だけで察し、その場から飛び退く。

 

「『イグナプロジオン』‼」

 

「『ファントムフォビア』‼」

 

 亡霊の群れに叩き込まれたのは、火属性と幻属性の高位アーツ。

 アリサの方はといえば見なくても分かる程に動揺した声色ではあったが、それでも詠唱を失敗しない辺り、流石後衛組の司令官を任されているだけの事はある。

 共に広範囲殲滅系アーツ。中型・小型に関わらず大抵の亡霊を殲滅し尽くし、それでも打ち漏らしてしまったモノは、ガイウスの槍の一閃が違わず仕留める。

 今回、A班のメンバーの中には普段中衛組を務めているメンバーが一人もいない。その為、暫定的に武器のリーチ的に余裕があるガイウスが中衛役となり、遊撃の任に徹していた。

 必然的に彼は積極的に前へ出る事が叶わないのだが、それに対して不満は一切ない。元より、模擬戦の際にはあらゆる状態を想定して前衛・中衛・後衛を立ち替わり入れ替わっていたりする事が珍しくないのだ。

 互いを信じ、己の為すべき事を成す事で絶対的なチームワークを生み出す。それが戦術リンクで繋がれている者達であれば尚更だ。そこに穴は存在しない。

 

「お疲れ、ガイウス」

 

「あぁ、一応終わったな」

 

「亡霊の類とはいえ、中々手応えがある。まるで我らを先に進ませまいとしておるかのようだな」

 

「……(ガクガクブルブル)」

 

「ああっ、アリサさんがまた真っ青に‼」

 

 彼らが居るのは、≪ローエングリン城≫の城内。広いホールに出た瞬間に亡霊じみた魔物の襲撃を受けた一同は、半狂乱になりかけていたアリサを宥めながら応戦し、今こうして殲滅を終了させていた。

 

 

 城内に入ったのはおよそ1時間前。きっかけとなったのは、突如としてレグラムの街を覆った濃霧だった。

 気象学的にも有り得ない、ごく短時間での濃霧の異常発生。湖畔の街であるこの場所が早朝や冷えた時間帯などに霧に包まれるのはよくある事だが、それでもここまで深刻な事態に陥った事はない。

 とはいえ、あくまでも気象の変動でしかない為、住民たちに霧がおさまるまで家の中にいるようにと呼び掛けている最中、その音が突然鳴り響いたのだ。

 直接心に響くかのような、荘厳な鐘の音。

 屋敷に向かう道程の途中に在る教会の鐘ではない。一定の間隔を開けて鳴り響き続けるその大元を探そうと街の中を歩き回り、最終的に視線が向いたのは、湖の先だった。

 レグラムを見守るように聳え立つ≪ローエングリン城≫。音の聞こえる方角からしても、あの場所が怪しい事は一目瞭然だった。

 明らかに異常なその事態。最初に城に向かうと言い出したのは、やはりラウラだった。

 レグラムで見過ごせない異変が起き、その原因がかの古城に在る可能性が高いとするならば、領主の嫡子として、そして何より≪鉄騎隊≫副長の末裔として、その顛末を確かめに行かなければならない、と。

 無論、一人で行かせるほどリィン達は薄情ではない。「思い立ったがすぐ行動」という遊撃士に必要な理念をレイから聞いていた一同は、すぐにクラウスにモーター式のボートを用意してもらい、濃霧の中慎重を期して古城へと向かったのである。

 

 そして数十分後、古城の門扉の前に立ったリィン達は、その荘厳さ、巨大さに圧倒されていた。

 現代とは違い、城の堅重さ、巨大さがそのまま領主の権力と支配者としての格を知らしめていた時代。夷狄の軍が攻め入って来た際には防衛拠点の要として重宝されていただけあって、その堅牢さは見事と湛える他はなかった。

 しかし、衒いのない賛美の言葉が脳内を反芻するのと同時に、濃霧の中に佇むその城は、異様な気配も存分に醸し出していた。

 この門扉の向こうに広がっているのが、果たして普通の世界(・・・・・)なのか? どこか、理の違う場所に繋がっているのではないか? ―――そう不安にさせるだけの要素が確かにあった。

 その背筋を這いずる形容し難い寒気と違和感。これではまるで―――

 

「出そうだなぁ、”何か”が」

 

 思わずそう呟いてしまったのはリィンだったが、それを責められる者はいないだろう。この異様さを感じ取ってしまえば、誰だってそう思う筈だ。

 しかしその言葉を、聞き逃せなかったメンバーが一人。

 

「…………え? ちょ、じょ、冗談はやめなさいよリィン。そんな、幽霊なんて……デルワケガナイジャナイ」

 

「え? 何で最後片言?」

 

『失礼ね。この私が動揺するとでも思っているのかしら?』

 

「直接脳内に⁉ おいアリサ、そなた魂はちゃんと肉体に収まっているのであろうな⁉」

 

「これは……マズいな」

 

「リィンさん、応急処置です‼ アリサさんを抱きしめてあげてください‼」

 

「え、えっと、こ、こうか⁉」

 

「きゃん⁉ ちょ、ちょっとリィン‼ 何いきなり抱きついてるのよ‼」

 

「今俺怒られる事してなくないか⁉」

 

 などというやり取りを数分に渡って繰り返した結果、アリサは幽霊的なモノに耐性がないという事を正直に話し、そこで一同は考え直さざるを得なくなった。

 拒否反応、というよりも魂が抜けかかるレベルでの恐怖心を抱いているというのなら、此処から先に進むのは危険だろう。何せ歴史的な観点から見ても200年以上前から存在している古城だ。本当に、何がいてもおかしくはない。

 そんな場所に連れて行くのは危険であったし、何よりリィンとしても、嫌がるアリサに強制はしたくはなかった。とはいえ、この城を調べるという目的自体は達成しなければならない。

 その選択肢に一瞬悩みはしたが、割り切ったような風を見せたアリサが、皆に着いて行くという旨を伝え、同行する事となった。

 

 とはいえ、門扉を開き、玄関ホールに足を踏み入れた時点で彼らを迎えた出るわ出るわの亡霊系魔物のオンパレード。

 最初こそ絶叫を挙げてリィンの首を絞めるなどという重傷極まりない言動を見せていたアリサであったが、連戦を続けるにつれ、どうやら見慣れてしまったのかそれ程強い拒否反応も見せなくなっていった。

 それでも、薄暗い廊下を進んでいる最中に壁をすり抜けて強襲して来た時などは気絶しかねない醜態を晒していたが、リィン達も少なからず驚いている以上、それを嗜める事はできない。

 だがどんなに驚いて、恐怖感に支配されていたとしても、地獄の特訓の中でその身に刻み付けられた弓術の腕は衰えない。アーツの詠唱も慌てはするものの確実に済ませる所などを見ても、やはり精神力は高いと言えるだろう。

 

「うぅ……ひぅ……」

 

「大丈夫だ。大丈夫だぞアリサー。目を瞑っていていいからなー」

 

「……どう見ても保護者だな」

 

「というか、アリサは幼児退行しているのではないか? アレは」

 

 しかし、やはりギリギリの所で正気を保っているという事態は変わらないらしく、戦闘が終わればそのままリィンの腕にしがみついてすすり泣いている。

 その有様はガイウスの指摘通りどう見ても娘と父親のそれであり、恋人同士の逢瀬というには些か絵面がシュール過ぎる。

 

「……随分奥まで進んだようですが、まだ”原因”には辿り着けないようですね」

 

「そもそも、何が原因かも分かっていないしな。委員長はどう思う?」

 

「え⁉ な、何で私に?」

 

 何故だか狼狽するエマに対して首を傾げながら、リィンは正論を紡ぎあげる。

 

「俺達の中で一番精神的な感応能力に優れてるのが委員長だって、この前レイとサラ教官が言ってたじゃないか。だから、こういう事にも敏感かなって思ったんだが……」

 

「あ、あぁ、えぇ。そういう事でしたら……」

 

 ほっと安堵の息を漏らしてから、エマは双眸を瞑って霊力(マナ)の流れを感知しにかかる。

 とはいえ、この城内そのものが異界のような存在だ。霊力(マナ)は乱れまくり、法則性などあったものではない。

 しかし、感度を上げて探ってみると、より大きな澱みが、階下の方から上ってきているのが分かった。

 

「―――地下、ですね。確証はありませんが、そこに”何か”がいます」

 

「元より手探りのようなものだ。そなたがそう言うのなら、従って階下に降りてみるとしよう。それで良いだろう? リィン」

 

 ラウラの言葉に頷く。

 よしんばその感覚が外れていたのだとしても、徒労に終わるという事はないだろう。目的は濃霧を生み出しているのであろうこの城の探索と、原因の排除。

 現時点で特に街に害が及んでいるわけではない以上、努めて急いているわけでもないのだから。

 

「分かった」

 

「あぁ、それじゃあ前衛は変わろう。リィンは、アリサの近くにいてやった方が良いんじゃないか?」

 

「えぇ。その方が良いかもしれませんね」

 

 濃霧の影響で薄暗くなっているとはいえ、僅かに光りの差し込む上階でこれだ。地下に行くとあれば、今以上にアリサが脅える事は目に見えている。

 アリサはその提案に言葉では応えなかったが、リィンの腕に引っ付く事で答えとした。

 その様子を苦笑しながら見守り、一行は階段を下りて階下へと向かう。

 階段を一歩進むたびに埃が舞い上がり、視界を僅かに白く染め上げられる。亡霊を相手にする時とはまた違った不便さを強いられながら、前衛となったガイウスとラウラは武器を構えたままに慎重に足を進めていく。

 それが数分くらい続いた時だろうか。ふと、リィンが独りごちるように呟いた。

 

「それにしても、変わってるよな」

 

「? 何がだ?」

 

「いや、さっきから俺達は半実体のような類の魔物を相手にしているわけだけどさ」

 

 敢えて”亡霊”という言葉を避けるリィンの気遣いに微笑ましくなりながらも、耳を傾ける。

 

「何となく、奴らのパターンが見えて来た気がするんだ。ホラ、さっきラウラも言ってただろ? まるで、俺達を先に進ませないように立ち塞がってるみたいじゃないか」

 

 加え、その行動もそれなりに連携されている。それぞれがバラバラに動いているように見えて、気付けば包囲されかかっていたという事が最初の内は何度かあった。

 その他、廊下を歩いている際にも奇襲をされたりと、まるで本城まで攻め入った敵兵と食い止めんとする精兵のような動きをする事に、疑問を抱かざるを得なかったのだ。

 とはいえ、常日頃から限界近くまでシゴかれている一同にしてみれば、まだ温い(・・)レベルだ。本気で潰すつもりならば、ホールなどの広い場所にノコノコと出てきたところに範囲殲滅系のアーツを容赦なくぶちかますくらいの事はしてもらわねばならない。それか、逃げ場がない狭い通路に誘い込んで物量戦を仕掛けて来るか、床を無理矢理に陥没させて階下に落としてしまうか―――いずれにせよ、この程度はやって貰わなければやられてやる気にはなれない。

 

「委員長の言う通り、”何か”を守っているのかもしれないな」

 

「……もしそれが嘗てこの城の防人として生きていた騎士の魂なのだとしたら、天晴だな。死して尚尽くす忠義。見事という他はない」

 

「うぅ……私からしたらはた迷惑よぉ……」

 

 談笑混じりにそんな会話を交わしながら階段を下りて階下の床に足を踏み入れる。

 ―――その瞬間、リィン達の周囲を煙幕もかくやという密度の霧が覆った。

 

「きゃあっ‼」

 

「あ、アリサ⁉ 手を離すな‼」

 

「何だ、これはッ⁉」

 

 自然発生の霧、などと考える程おめでたくはない。

 何故なら互いの顔すら、身体の位置すら認識できなくなるほどに濃い霧に包まれた直後、リィンがアリサと、ラウラがエマと繋いでいた戦術リンクが強制的に切られたのだ(・・・・・・・・・・)

 それがどれ程の異常事態であるかは、5ヶ月に渡ってARCUS(アークス)を使用して来た彼らが一番良く分かっている。

戦術リンクが強制的に切られる事態の原因としては大きく二つ。嘗てのユーシスとマキアスのように、互いの心が致命的な所で通っていない場合。そしてもう一つは、繋いでいる相手が意識を失うレベルの状態に陥った場合だ。

 

「っ、アリサッ‼」

 

 手を伸ばすが、何も掴めない。先程まで密着すらしていたはずの少女の姿すら視認できず、伸ばした手は虚しく虚空を薙ぐだけ。

 

「委員長‼ ラウラ‼ ガイウス‼ 聞こえていたら返事をしてくれッ‼」

 

 一縷の望みに掛けて他の仲間の名も呼ぶが、反応はない。

 どうするべきかと悩む事数分―――途端に霧が散らされ、視界が急に戻る。

 経緯こそ理解できていないがこれでどうにかなるかと、そう思っていたリィンの眼前には、信じられないものが拡がっていた。

 

「ど……どういう事だ、コレは……」

 

 眼前に広がっていたのは、豪奢な証明に天井が彩られた大廊下。真紅の絨毯の感触は一見すれば本物であり、先程までのカビ臭さも、誇りの疎ましさも一切が消えている。

 壁はひび割れておらず、装飾の類はまるで新品であるかのように磨き上げられ、僅かの瑕疵もないその光景は―――まるで”在りし日の≪ローエングリン城≫”を再現しているかのようだった。

 有り得ない、幻術か? と周囲を見渡してみるも、そこに仲間達の姿はない。ついでに言えば、背後は先程の霧が凝縮でもされたかのような白い壁に阻まれており、後退すらできない状況だ。

 そして十数アージュ先には、厳かな燭台の灯に彩られた大扉がある。

 ゴクリと、喉を唾が嚥下した。状況を完全に呑み込めたわけではないが、どうやらこの状況に嵌めた元凶には、これより先に進まなければ会えないらしい。

 ならば、足を進めない道理はない。こんな所で竦み、立ち止まる程臆病者ではなかったし、この紛れもない異常事態に対して傍観に徹していられる程日和見主義でもないのだから。

 だが―――そう、だが。

 僅かに、リィンの”ヒトとしての本能”が警告音を鳴らしている。あの大扉の向こうは危険だと、そう呵責もなく告げている。

 

「分かってるさ」

 

 しかしそれでも、リィンは愛刀の太刀を片手に進む。それしか選択肢がないのだからしょうがないと、そういう尤もらしい建前を掲げながら、大扉に手を添え、一気に開けてみせた。

 その行為がどれ程―――蛮勇であるかという事も知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、ラウラも仲間と強制的に離され、摩訶不思議な空間の一角に立っていた。

 地下に居たはずの彼女が、霧が晴れたと同時に見たのは、花壇に植えられ、咲き誇った色とりどりの花の数々と、恐らくは魔力の類で動いているのであろう噴水。

 見るに、そこは庭園だった。恐らくは腕利きの庭師が丹念に拵えたのであろう垣根が整列し、花壇と石畳によって構築された空間。

 しかし、その風景を完璧にするはずの青空はどこにも存在しない。空には大理石模様の幾何学な紋様が拡がり、しかしそれだけでこの場所が現実とは違う場所であるという事を否が応にも理解させた。

 

 ラウラが立っていたのは、そんな御伽噺の世界に存在するかのような煌びやかな庭園の、円状に広がった広場の近く。

 空の異様さを除けば別段眉を顰めるような場所ではないだろうと思われるが、そもそもな話としてこのような状況下に放り込まれたこと自体が異常だ。警戒心を解く事など出来る筈もなく、大剣を腰だめに構えたままに周囲を見渡す。

 

 此処は何処だ? という思考が脳を支配する。

 皆は無事なのか? という懸念が心を震わせる。

 

 そも、城を調べたいと言い出したのはラウラだった。ここで原因不明の事態に巻き込まれ、誰か一人でも失う事があれば、他の仲間に顔向けができない。

否、それ以上に自分を許す事ができないだろうと、そうした揺らぎが彼女の感覚を鈍らせていく。

 

 しかしそれでも―――この数ヶ月で嫌という程体に刻み込まされた殺気に対する感覚が、琴線に触れたそれに対して反応する。

 

「ッ―――⁉」

 

 否、反応したよりも先に、視覚情報がラウラの命を救ったと言っても過言ではない。

 噴水が巻き上げる水。その先に僅かに揺らいで見えた白銀の騎士甲冑の姿を捉えた瞬間、彼女は瞬時に身を屈ませていた。

 するとその刹那、直前まで自身の首があったその場所を、風を伴った斬線が通過する。噴水越しに放たれたそれは、ラウラの反応が後数瞬でも遅ければ、確実に頭部を胴体と泣き別れにしていただろう。

 その事実を感じ取った瞬間、屈んだ状態のまま両足に力を入れて背後へと跳ぶ。花を無闇に散らす事には多少の罪悪感を覚えたが、今はそれどころではない。

 

「……今のを躱しましたか。フン、それなりにやるものですわね」

 

 そんな女性の声が庭園内に響くと同時に、やおら両断された噴水が跡形もなく消え去った。まるで夢から覚めたかのように、最初からそこには何もなかったかのように。

 

「まぁ、仮にもアルゼイドの末裔を名乗るのでしたら、その程度は弁えて頂かないと困りますわ。でなければ、相対する価値すらありませんもの」

 

 代わりにラウラの眼前に現れたのは、中世の騎士甲冑の如き防具を身に纏った女性の騎士。

 亜麻色の髪を左右の首筋で纏め、両の脇に純白の羽をつけた額当てを取り付けたその人物は、左手に盾を、右手に大振りの騎士剣を携えている。それだけで、警戒心を更に張り詰めさせるには充分だった。

 

「そなた―――何者だ?」

 

「名を聞くのならまず自分から―――と言いたいところですが、まぁ勘弁して差し上げますわ。

 結社第七柱が麾下、≪鉄機隊≫筆頭、≪神速≫のデュバリィ。さぁ、貴女も名乗りなさいな」

 

 ≪鉄機隊≫―――言葉の響きこそ同じだが、何かが致命的に異なるようなその組織の名に一瞬呆けはしたものの、大剣を正眼に構え直して、ラウラも名乗り返す。

 

「アルゼイド子爵家7代目当主ヴィクター・S・アルゼイドが嫡子、ラウラ・S・アルゼイド」

 

「結構。術式に歪みはないようですわね。あの被虐変態(ドM)も少しは役に立ちましたか」

 

「……どういう事だ。この異常事態は、そなたらが仕組んだのであろう?」

 

 その問い詰めに、デュバリィは悪びれる事無く首肯した。

 まるで、それが正しい事をした人間の行動であるかのように。

 

「えぇ、そうですわ。貴女の相手をするのはこのわたくしという事になりますわね」

 

「他の……私の朋友(ともがら)達を何処へやった?」

 

「別の場所に飛ばされているでしょう。他の隊員が相手をしている筈ですが―――さて」

 

 話は終いだと、言外にそう告げるように、デュバリィの闘気が一層濃くなる。その密度を視認して、ラウラはその実力を推し量った。

 甘く見積もってもサラと同等かそれ以上―――否、剣士としての闘気の鋭さは、レイのそれにも似通っている。

 

「(”達人級”―――そうか、これが……)」

 

 訓練ではない状況で真正面から立ち会う、その”剛”の色の濃さ。

 父が至り、しかし自分が至るには遥かに遠い場所に足を踏み入れた、武人の限界を一度乗り越えた臨界者。

 その圧力、その鋭さに、相対しているだけだというのに、身体がバラバラになってしまいそうな感覚に陥る。

 しかし、それに怖じる事無くラウラも構える。その気概を見てから、デュバリィは再度口を開いた。

 

「我がマスターの命により、これより貴女の”格”を見定めますわ。―――余りにも見るに堪えない場合、そのそっ首を容赦なく落としますので、覚悟はしておいて下さいな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体躯の優劣は、此方の方に軍配が上がる。

 だと言うのに眼前の騎士は、巨躯の狼もかくやと言うほどの膂力で以て、ガイウスの体を軽々と弾き飛ばした。

 その一撃を、辛うじて槍でガードしたものの、腕に伝わる衝撃は熊にでも殴られたようであり、飛ばされた空中で体を捻って上手く着地をした後も、その状況が俄かには信じがたかった。

 

「ほう、受け止めたか。良いぞ、そうでなくては益荒男の資格も有りはしない。其方(そなた)と相対した事、間違ってはいなかったようだな」

 

 場所は、豪華な装飾品で箇所が彩られたホール。

 彼もまた、霧が晴れた後に雰囲気が一変したこの場所に飛ばされ、そして眼前に佇んでいたこの女騎士に挨拶代わりと言わんばかりの一撃を食らって吹き飛んだのだ。

 白銀の鎧に身を包み、鮮やかな赤色の髪を後頭部で一つに括った妙齢の美女。

 しかし手弱女(たおやめ)と称するには高い身長と、鎧越しでも分かるしなやかに鍛えられた肉体。そして好戦的な笑みが、その人物の性格の一端を如実に表していた。

 そしてその右手に携えるのは戦槍斧(ハルバード)。紛れもなく、大柄なガイウスを事もなげに吹き飛ばして見せた武器である。

 本人の膂力を込めて放たれるその破壊力は、一撃を受けただけで身に沁みて理解できた。僅かに痺れが残るその手で槍を再度構えながら、ガイウスは問うた。

 

「……俺の名はガイウス・ウォーゼル。ノルドの民だ。そちらの名も聞かせてはくれないか?」

 

 その格好からして、こういった名乗りには応じてくれるものだろうと淡い期待を寄せてそう言ってみたのだが、その予想通り、赤髪の騎士は笑みを浮かべたままに返してくる。

 

「これは失敬した。名乗りも挙げずに斬りかかった無礼を許せよ、若き戦士。

 我が名は≪剛毅≫のアイネス。≪鉄機隊≫が”戦乙女(ヴァルキュリア)”の一人だ」

 

 思考を巡らす余裕もない。今のガイウスは眼前の騎士の挙動に神経を集中させるのに手一杯で、聞き及んだ名前を脳内に収める以外の事を思案する事はできなかった。

 足の運びの一つ、呼吸の一つに至るまで、どれかが乱れればこの均衡は崩れる。それを知ってか知らずか、アイネスは更に口を開いた。

 

「しかし、そうか。ノルドの民の<ウォーゼル>の末裔とは……これは数奇な若者と出会ったものだ」

 

「? どういう意味かは分からないが、あなたが俺の前に立ち塞がる理由を教えてくれ」

 

「理由、か。一つ覚えておくと言い、ガイウス・ウォーゼル。騎士が己の信ずる武器を手に立ち塞がった時、それが意味するのは闘争だ。そこに話し合いでの解決は存在しない」

 

 そうだろうなと、ガイウスも薄々気付いていた事を再度理解する。

 一撃を受けただけで分かるが、この騎士の攻撃に”惑い”の類は一切存在しない。己の在り方に従い、その戦を作り上げるのみ。

 何より、鈍色に輝く戦槍斧(ハルバード)と、炯々と輝く琥珀色の瞳がそれを雄弁に語っている。交わすのは力、交わすのは技。そこにそれ以外の要素は存在しない。

 

 とはいえ、この人物と拮抗した実力で戦えるかと問われれば、それには否と答えるしかないだろう。

 技巧・膂力・覇気。恐らく全てに於いてガイウスを遥かに凌駕しているだろうし、全身から溢れ出ている武人としての圧倒的な闘気の奔流は、油断すれば此方の足を地面に縫い付けんばかりに襲ってくる。

 現時点ですら、呑まれないようにするのが精一杯だ。これが本格的に”攻め”に転じたらどうなるだろうと考えただけでも、頬に冷や汗が一つ流れてしまう。

 

「しかし、マスターの命とはいえ其方を友らと引き離してしまった負い目もある。この場を設けた理由くらいは教えてやろう」

 

「…………」

 

「まぁ、限りなく実戦に近い仕合のようなものだ。あの小僧との一戦以来、どうにも久方ぶりの試みだ。故に―――」

 

 閃光が弾け飛ぶ。距離を詰められて放たれた一撃を辛うじて受け止める事ができたのは、偏にレイとの戦闘訓練を積んできたお蔭でもあった。

 恐らくは小手調べの攻撃ですら、ガイウスの反応速度を上回る。表情を引き締め直したガイウスに対し、アイネスは戦槍斧(ハルバード)を巧みに操りながら続けた。

 

「死ぬなよ。見込みの在りそうな若者の亡骸を見るのは、私としても悲しいからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「≪鉄機隊≫が”戦乙女(ヴァルキュリア)の一人、≪魔弓≫のエンネア。

 少しの間、宜しくお願いするわね」

 

 そんな言葉と共に放たれるのは、挨拶代わりの矢が数本。

 恐らくは当てる気もないのであろうそれを回避しながら、アリサとエマは前方を睨み付ける。

 彼女らが飛ばされたのは、四方を高い本棚と本の山に囲まれた、一際大きい書斎だった。現代でこれ程の規模を誇るのは図書館と呼べる場所でしかないが、蔵書の数が貴族の家の格を表す時代であった中世の城―――とりわけ伯爵家ともなれば、これくらいは揃えられるのかもしれない。

 だが、今はそんな考察はどうでもいい。アリサにとって目下重要なのは、目の前の騎士の存在だ。

 一見重々しそうな騎士甲冑を纏っているにも拘らず、その動きは至って軽妙だ。薄紫色の長い髪がふわりと揺れる度に、その流れに乗って携えた弓から矢が飛んでくるのではないかと、そう錯覚してしまうほどには。

 

「弓と、魔導杖によるアーツ……成程ね、幾らあの子でも門外漢の技術については教えられなかったか」

 

「あの子? 誰の事よ」

 

「決まってるじゃない。今貴女達の所にいる、達人級の長刀使いよ」

 

 そしてこのエンネアという女性がレイの事を知っているような口調で話して来たという事も、アリサにとってはある意味予想の範疇ではあった。

 彼女の纏う鎧―――それは以前、ノルドで出会ったルナフィリアという女性が着装していたそれと瓜二つであったからだ。彼女がレイと知り合いであった以上、眼前の騎士も違わずそうであったとしても、特におかしくは感じられない。

 アリサは右手の手首のスナップだけで矢を取り出していつでも番えられるようにしていると、今度はエマが質問を被せて来た。

 

「私からも一つ……この空間は、幻術のような単純なものではありませんね? この床も、そこの本も、天井の照明も、信じがたい事ですが確かに存在している(・・・・・・・・・)。これでは、まるで……」

 

「”空間そのものの位相の書き換え”。流石に特定空間を過去の引き戻す何て言う外理の技は不可能だけれど、霊脈が励起しているこの現状と、何よりマスターと深い縁がある此処だからこそ、それが可能になったのね」

 

「マス、ター?」

 

 それについては答える気はないという風に、再び矢が飛来する。それを避ける。

 避けられる―――が、問題なのはそこではない。

 

「(矢を番えてから放つまでの動作が見えない⁉ どれだけ早いのよ⁉)」

 

 半分死闘とも言える模擬戦の中でアリサが独自に鍛練を積み、入学時とは比べ物にならないほどに矢を放つまでの時間が短縮された現在であっても、矢に指を引っ掛けて放つまでの時間は1~2秒を有する。

 銃とは違い、弓を引き絞る強さによって威力が異なる弓という武器を扱う特性上、どうしてもタイムラグというものは存在するし、アリサ自身もそれは仕方のない事だと割り切っていた所がままあった。

 だが、目の前の弓士は違う。視線は逸らさず、瞬きすらしていないというのに、気付けば矢は放たれ終わっている。それを避けられているのは、”矢が飛来する”という事実に込められた殺気を先読みしているの過ぎない。それでも間一髪といった有様だ。

 有り得ない、と常識では考えるだろう。左手に弓を携えているのならば、右手は確実に矢を持っている筈なのだ。それが一切見えないというのは、原理上から見てもおかしい。

 だが―――そんな不条理を条理に変え、体現する存在。

 それこそが”達人級”と呼ばれる武人達であると、そうレイから聞き及んでいたから、意識を辛うじて現実に繋ぎ止める事が出来ている。

 此方は二人だから数の面では有利―――などという甘い考えが通用しない事は充分理解できる。ARCUS(アークス)の戦術リンクをエマを繋ぎ直してから改めて意識を前方にやった。

 

「正直、純粋な若い子達を嬲る趣味はないのだけれど……」

 

 と、そう言ってからエンネアは後方へ跳んだ。

 否、”飛んだ”と称する方が正しいかもしれない。足を床から離した彼女は、まるでその身に羽衣でも纏っているかのような動きで宙へと身を投げだし、そして、書架の上へと降り立った。

 

「高所から失礼するわね。どれだけ弓の技量を極めても、高所を取る事による優勢は不動の条理よ。それは覚えておきなさいな」

 

 そして、エンネアの視線はエマの方へと向く。

 

「貴女もよ、未熟な魔導士さん。一方的に矢の雨を降らされたくなかったら―――私を此処から引きずり下ろしてみせなさい」

 

 それは、本当の意味での宣戦布告。互いに遠距離からの攻撃を得手とする者同士なれど、その差は歴然。

 全てに於いて劣っているのは理解できる。レイやサラとの戦いによって培われた戦術眼は、どうしようもない程に彼女らの不利をその双眸に映し出している。

 だが―――それが何だと言うのだ。

 

「ただ諦めて負けるのは―――性に合わないのよね」

 

 圧倒的な実力の者を前にして、戦う前から膝をつき、敗北を認める。場合によっては、それが英断となる時も確かにあるだろう。アリサとて、そのくらいは弁えている。

 しかし、今この場で早々に白旗を挙げるなど下策だ。僅かでも死ぬ可能性がある以上、ただ伏して待つというのは彼女の気性に合いはしない。

 離れ離れになってしまった恋心を抱く青年の下へ、必ずエマと共に帰る。その決意を胸に、アリサは弓を引き絞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言葉が出なかった、というのが最初の印象だろう。

 大扉を開けて、その先に在ったのは荘厳で静謐な空気が流れる神殿。否、祭儀場だろうか。

 その最奥に掲げられている像と、ステンドグラスに描かれた姿には見覚えがある。七耀教会がその信仰を捧げる”空の女神”―――エイドスに他ならない。

 

 その祭壇に至るまでに伸びる通路。幅は以前見た帝都の大通りにも匹敵するだろうかという広さのそこの中央に、その存在はリィンに背を向けて佇んでいた。

 白金色の、美麗な鎧姿。背を向けている状態だというのに、そこから溢れ出るオーラはリィンの心臓を握り潰さんばかりに強大で、圧倒的だ。常日頃から鍛えられていなければ、今の時点で無様にも気絶していただろう。

 条件反射で太刀の鯉口を切る。しかしそれすらも予想の範疇だと言わんばかりに、背を向けている鎧から言の葉が紡がれた。

 

「ようこそ。待っていましたよ」

 

 清廉に澄んだその声は、鎧を纏っている者が女性であると判断するには過ぎるものだったが、それよりもリィンが困惑したのは、その声色だった。

 ただの一片の澱みもない。衒いも懊悩も、煩悶も、凡そ人である限り抱え続けなければならない筈の混じり気というものが一切存在しないのだ。

 例えるなら、不純物の一切含んでいない水だろうか。全てを見通し、光すらもすり抜けさせる存在でありながら―――そこには一切の他者が共存する事ができない。

 それを人は崇めはするだろう。げに美しき存在だ、敬虔を向けるに値すると、そう思わせるだけの威光がある。

 だが、決してそれを理解しきる事はない。全てを清廉に溶かしてしまうからこそ、そこには光以外の存在が在ってはならないのだから。

 

 声と共に振り向くと、しかしその貌は兜によって隠されていた。

 その両手に武器は携えず、強者の余裕の表れかとリィンは思ったが、すぐにそれは違うのだと思い至る。

 今の時点では、本当に矛を交えるつもりはないのだ。それでも意識せずに溢れ出てしまうそのオーラだけで、相対する者に否応無く警戒心を抱かせる。

 

「まずは非礼を詫びましょう、リィン・シュバルツァー。此度この場を設けたのは、決して戯れでも本来の目的の韜晦(とうかい)でもありません。貴方も武人の末席であるならば、それは理解してもらえると、そう信じていますが」

 

「……えぇ、それは。正直まだ戸惑ってはいますが、それでも、貴女が伊達や酔狂でこの場を用意したのではないという事くらいは分かりますよ」

 

 そして、こうして言葉を交わすだけが目的ではないという事も、無論。

 それを視線だけで伝えると、白金の騎士はそれを理解したかのように頷いた。

 

「成程、意気は良しですか。そうでなくば、武威を示すような事もなかったでしょうが」

 

 瞬間、騎士の周囲の空間が不自然に歪んだ。渦を巻いて軋むその空間の中から、一振りの武器を取り出す。

 それは、身の丈を大きく超える馬上槍(ランス)だった。長さ、重厚さ諸共、到底女性が扱えるような代物ではないのだが、騎士はそれを片手に携えると、その手で以て軽く虚空を薙いだ。

 

「ッ‼ ―――く……ぁッ‼」

 

 ただそれだけ、攻撃ですらない。

 しかし鎌鼬の如く巻き上がった風と、放たれた闘気に思わず窒息してしまいそうになる。本気で、全力で意識を保っていなければ、或いは永遠に覚めない眠りにつく可能性すらあるだろう。

 その圧倒的と称する事すら烏滸がましい存在を前にして不意に脳裏を過ったのは、いつか強さの”格”を問うた時に、最後にレイが言った言葉だった。

 

 

『あぁ、後な。これは覚えておく事もないかもしれないんだが……一応”達人級”の上ってのも存在するんだわ』

 

 

 右手で柄を握る太刀が、棒きれのように見えてしまう。まるで蟻が竜に挑むかのような、歴然と言う以前の戦力差を叩きつけられる。

 

 

『比喩とかそういうの抜きにして、完全にヒトをやめてる。ヒトの域に留まってる限り、絶対勝てない常勝不敗の神域の武人』

 

 

 その言葉がその通りだと、人間としての本能が告げている。まともに戦っても、一太刀どころか剣風で髪の一房すら揺らせないであろう、絶対最強の武人。

 

 

『故に称して”絶人級”ってな。ひたすらに高みを目指した達人ですら、互角の勝負に持ってくのが限界の、本当の意味での”規格外”さ』

 

 

 ヒトである限り絶対に勝てない(・・・・・・・・・・・・・・)―――武の道の果ての果て。誰もが目指すその最果てに辿り着いた、唯一の存在。

 至高、究極、最強―――それらの文字ですら、この騎士の前では陳腐に成り果てる。

 それでも、退くわけにはいかない。背を見せ果てるという最期を晒すくらいなら、正々堂々と相対するのが、せめてもの礼儀というものだろう。

 

 

「≪鋼の聖女≫アリアンロード―――参ります」

 

 その声を以て、未知の戦闘の幕開けとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 ラスト推奨BGM:『天神の雷霆』(シルヴァリオ・ヴェンデッタ)


 肝試しかと思った? 残念、絶望です。
 勝てるわけない勝負四戦。特に最後はムリゲー過ぎて笑いすら出てくる。

 因みに今回のデュバリィちゃんはマスター直々の命にテンション上がり過ぎて、慢心とかそこらへんがスッポリ抜けてます。つまり超強いです。一応彼女も達人級なんで。

 さて、今回で75話と相成ったわけですが、ここで今まで出て来たオリキャラの一覧を作ろうと思います。活動報告に乗せると思うので、見て下さると幸いです。





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敗残の到達者  -in レグラム- ※



「立ちたまえよ少年。勇者ならば無理を通せ。常識を超えてみろ。無から振り絞れるものがその人間の真価だ」
   by エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ(dies irae)









 

 

 

 

 

 

 

 

 ”達人級”と”達人級”との戦いとは、言ってしまえば武人の限界を一度超えた者同士が更に独自に鍛え上げた理の鬩ぎ合いである。

 それぞれが差異はあれど武を不条理の域まで押し上げた者達であり、それを正面から打ち破る剛の者もいれば、あらゆる手を駆使して瑕疵を見出し、それを突く技巧派もいる。つまるところ、勝利の形は千差万別だ。

 基本的には”準達人級”以下のように、「ただ此方の方が力が強かったから」「ただ此方の方が速かったから」「ただ此方の方が頑健だったから」などという単純な要素のみで勝敗は決まらない。その道理を押し通す事が出来るのは、”達人級”の中でも更に上位の者だけだ。

 故に、余程慢心し、実力の数割も見せていないような稀少な状況でなければ、”準達人級”以下の武人が”達人級”以上の存在に勝てる確率は少ないと言っても差支えがない。無論、達人側の方に最初から勝つ意志がない状況を除けば、だが。

 それは、相対してみて初めて分かる。五感だけではなく、魂が理解する。

 武技という名の峻厳な山を一度踏破し、尚も先を目指して道なき道を進む求道者達。決して誰もが至れるわけではない”達人級”という等級を有する者達の強さ。

 理屈ではない。恐らく文字に起こす事も、言葉として紡ぐ事も叶わない。

 それは、闘争の刹那に見出す残照の如き光。疎い者は終ぞ理解する事が叶わない、戦士の理。

 

 それを踏まえて評価するのならば。

 確かに特科クラスⅦ組の面々は―――優秀であると言えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どういう理屈なのか―――或いは格上との戦いに於いて最も重要となるそれをガイウスが理解したのは、≪鉄機隊≫が一人、アイネスとの戦闘で数分が経とうとした頃だった。

 傍から見れば、彼我の実力差を客観的な目で見られる立場からしてみれば当然なのだが、ガイウスは一度も攻勢に出れていない。

 理由としては簡単だ。未熟な自分が半端に攻勢に転じた所で容易く隙を突かれて反撃される。それで終わってしまうという事を分かっていたから。

 得物の長さにそれ程差異はない。あるのは歴然とした実力の差だけ。

 鼠が虎に歯向かっているようなものだ。いずれ潰されるか食われるか、その末路が見えているのだとしても、それでも諸手を挙げて降参などという選択肢は有り得ないし、そうしたところでこの女騎士がそれを受け入れるとも思えない。

 

「ほう、察した(・・・)ようだな。はは、やはり勘が良い」

 

 口を開いたアイネスは、そう言ってガイウスの察しの良さを湛えた。武芸の達人から称賛を貰うのは正直嬉しくはあったのだが、今の彼に表情を綻ばせる余裕などありはしない。

 

 ガイウス・ウォーゼルが持つ長所は三つ。

 

 一つ目は、大柄で頑健な体躯を持つが故の体力、戦闘継続能力の高さ。

故に彼は前衛は勿論の事、遊撃を任せられる中衛に於いてもその有能さを発揮する。攻戦守戦のどちらでも手堅い戦いを得意とする、まさにⅦ組の主柱だ。

 

 二つ目は、本人の鷹揚な性格に起因する連携力の高さ。

達観による性質であるレイとは違い、彼は根本の性格がなだらかであり、言うなればどのような性格の他人であれ、相当尖り切っていない限りは受け入れてしまう。つまり、人間としての器が大きいのだ。

その為、彼は例え初対面の人間とでも高度な連携を可能とする。入学当初、現在よりも遥かに仲が悪かったユーシスとマキアスの両名を連れて行った最初の特別実習でD判定という最低の評価を貰いながらも大きな怪我もなく戻ってこれたのには、その活躍が大きく関係していた。

 

 そして三つ目が、観察眼の精度の高さである。

 とはいえ、アリサやユーシスが持っているような、”人間の悪意を見抜く”観察眼ではない。ともすればそれよりも精度が高い、”物事の根幹・本質を見抜く”眼である。

 これをガイウスが有するに至った理由は、偏に生まれ育った環境だろう。

広大で肥沃な平原の中で、厳格ながらも尊敬が出来る父と、包容力のある母、そして弟や妹達に囲まれ、日々を大自然の中で閉ざす事無く過ごして来たその来歴こそが、彼の中に森羅万象に対する深い物の見方を植え付ける事となったのである。

 だからこそ彼は、帝国と共和国がノルドの地を獲得せんと水面下で争い合う現状を知り、その本質を見極める為にはるばる帝国の士官学院まで足を伸ばしたのである。

 そしてその観察力の高さは、そのまま彼の強さにも反映される。

 相手の強さを見抜き、その強さが何に起因するのかを見定める眼力。それは強者になるためには必須のスキルだった。

 

 そして今、ガイウスが見抜いたのは、アイネスという武人が誇る、圧倒的な膂力と敏捷力の正体だ。

 積み重ねた鍛練の末に得た力なのだろうと、そう結論付けてしまうのは簡単だ。だが、まるで巨大熊にでも殴りつけられたかのような衝撃が、振るわれる戦槍斧(ハルバード)の一撃一撃に籠っているのである。

 それを今まで何とか凌げているのはガイウスが紙一重での回避に成功しているからなのだが、アイネスが彼が反応できる程度にまで手加減している事が大きいだろう。しかしそのお陰で、ガイウスはその正体を知る事ができた。

 

「氣を全身に纏って……鎧のようにしているのか」

 

「明察だな。まぁ特に珍しくもない芸当だ。この程度(・・・・・)ならば”達人級”の上位に位置する者ならば誰でもやってのける」

 

 それは、氣力の収束と拡散。

 一見相反するようなその業も、”達人級”の手に掛かればそれ程造作もない。ましてや白兵戦を得意とする者であれば尚更だ。

 誤解されがちだが、どれほど技や思考が条理を逸脱していたのだとしても、それでもそれを振るうのは一人の”人間”である事には変わらない。稀にそれすらも”やめて”いるモノが存在するが、少なくともアイネスはヒトだ。そこは変わらない。

 

 そしてヒトには限界がある。剣技、槍技、弓技、拳技、それらの技は限界を超える事が出来るだろう。しかし、元祖ヒトという器に与えられたスペックを凌駕する事だけは叶わない。それを凌駕してしまえば肉体は壊れ、破滅する。よしんばそれに耐えられる者がいるとするならば、それはもはやヒトの領域からは逸脱した存在と言っても過言ではないだろう。

 だからこそ、一流やそれ以上の武人は、そこに手を加える。

 氣力、魔力、或いは呪力や霊力による肉体強化。本来ヒトが為し得られない所業を成すために彼らはそれらの扱いを重んじて来た。

 武器を通してではなく、肉体そのものを唯一無二の兵装へと仕立て上げる達人らは、更にそれが顕著だ。そしてそれには一歩及ばずとも、アイネスという武人は氣の扱いというものに長けていた。

 

 頭の先から爪先まで、その全てを体内で練り上げた膨大な氣で以てコーティングし、まるで鎧のように全身を覆っている。当人はそれを「珍しくもない」と称したが、それは正真正銘、彼女が達人の領域へと至る為に生み出した技の一つであった。

 称して『剄鎧(けいがい)』と名付けられたそれは、単純な身体能力の向上や兵装の強化に留まらず、相手の纏う氣と同調する事により短時間の先読みをも可能とするという、まさに白兵戦に於いて効果的なアドバンテージを誇るのだ。

そして、もしそれを容赦なく振るう事があれば、恐らくガイウスは最初の一撃で沈んでいたことだろう。未だ氣の扱いが未熟な彼では、受け止めただけでも両腕の筋肉から毛細血管に至るまでズタズタに引き裂かれていたに違いない。

 そのような、確実に殺す一手を打たなかったのは、偏に彼女が仕える主である≪結社≫使徒第七柱≪鋼の聖女≫から下された命が彼らの抹殺ではなかったからだ。

 

 『いずれ戦火に巻き込まれるであろう有望な戦士達。彼らに己らの”格”を示し、そして”格”を見定めよ』―――それこそが下された命であるが故に、彼女はそれを忠実に守っていた。

 だが、その思惑を抜きにしても、アイネスは自らが相対する事になったノルドの若武者に対して、内心感慨深いものを感じていた。

 

「(氣の扱いも武器の扱いも体捌きもまだまだ未熟。……だが、光るものがあるな)」

 

 嘗て、≪鉄機隊≫の筆頭―――今は副長となっている”絶人級”の武人、カグヤに問うた事がある。遥かな昔、共に轡を並べたというノルドの戦士らはどれ程の強さであったのかと。

 すると、彼女は懐古の笑みを浮かべながら言った。ノルドの戦士15名、いずれもが”達人級””準達人級”の等級に足を踏み入れた猛者共。そしてあの時代、あの戦場には、そうした者共が少なからず跋扈していた、と。

 現代よりもより純粋に、より執念深く”英雄”と呼ばれる存在が切望されていた時代。帝国史上最大規模の内戦である≪獅子戦役≫を制した大英雄ドライケルス・ライゼ・アルノールと共に歩む事を誓い、そして最後まで共に在ったノルドの戦士達。その在り方はアイネスも尊敬していたし、いつかはそんな彼らの遺志を継いだ者達と矛を交わしてみたいと願っていた。

 そして今、何の因果か目の前にいるのは、嘗て獅子皇と共に戦場を駆けた<ウォーゼル>の一族の末裔。実力的に鑑みれば雛鳥もいいところだが、その血に刻まれた戦士としての才覚は確かにある。

 

「(まったく、師の真似事などあ奴(・・)の時限りだと思っていたが……中々どうして得難い(えにし)だ)」

 

 嘗て戦槍斧(ハルバード)の扱いを、戦い方を教授した少年の事を脳裏に思い浮かべながら、アイネスは薄く笑った。

 口下手であるが故、行儀良く伝授とは行かないだろう。無精者の武人らしく、剣戟の中で理解させるより他はない。

 それが叶う程度の技量はあると判断した。容易く死ぬような事はないだろうと実感した。ならば後は―――この男の側から汲み取らせるしかない。

 

「さて、続けるぞ若武者よ。まさか、この程度で音を上げたなどとは言わないだろう?」

 

「……当たり前だ。この程度ならば、日々の鍛練で慣れている」

 

 そう漏らして初めて攻勢に出たガイウスを見て、アイネスは再び口元を引き締めた。

 この時を以て、彼女は手加減の段階を一段引き下げる。

 さぁ着いて来てみせろと―――そう獰猛な願いを込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 常識など要らない。そんなものは邪魔だと、そう思う事ができたのは偏に彼女の負けず嫌いな性格が齎した結果に他ならないのだが、それを差し引いても尚、アリサはエンネアの強さの”要”というものに未だ納得がいっていなかった。

 高所を抑えられてからの一方的な攻め。そこまでは予想内だった。元より”達人級”相手に優勢に立てると思う程に楽観的な性格はしていないし、そもそもこんな状況には慣れてしまっている(・・・・・・・・・)

息を吐くために立ち止まった瞬間に火球に狙い撃ちにされるあの恐怖。油断をすればあっという間に戦闘不能になる日々の模擬戦の記憶を反芻しながら、アリサとエマは降り注ぐ矢の雨から辛うじて逃れ切っていた。

 しかしそれは、あくまで”避けさせて貰っている”だけに過ぎないという事も当然理解していた。巨大な書架の上に陣取って狙撃をしてくる紫髪の女騎士が本気で此方を殺そうと思えば、恐らく赤子の手を捻るよりも簡単な筈だ。厳しい鍛練を積んでいるとはいえ、二人は武人として生きて来たわけではない、それこそ入学当初は素人に毛が生えた程度の存在だったのだから。

 

 ≪魔弓≫―――成程、確かにその異名に違わない絶技だ。

 こちらの放った矢が、(・・・・・・・・・・)全て空中で撃ち落とされる(・・・・・・・・・・・・)など、数ヶ月前の彼女ならば目を疑って足を止めてしまった事だろう。現に戦闘が開始してから、アリサとエマはエンネアを一歩も動かせていないのだから。

 否、これは果たして”戦闘”と呼べるモノなのだろうか?

 高所から攻撃する事を卑怯とは言わないし、思いもしない。現に模擬戦の際にアリサ達は、どうにかしてレイやシオンに一撃を入れようと日々策を練り、時には反則スレスレの策まで使ってありとあらゆる手を模索しているのだ。それに比べれば、この程度など寧ろ生易しい。

 遠距離攻撃を得手とする者にとって高所のアドバンテージなど常識だ。言われるまでもない。

その利点を奪われてしまったのは間違いなく此方側が隙を見せたからで、今更喚いたところでどうにかなるわけでもないのだから。

 

 

「あら、どうしたのかしら? 諦めたわけでもないでしょうに。お嬢さん方?」

 

 その声色に嫌味はない。ただ純粋に、もっと気合を入れて立ち向かって見せろと、そう言っているに過ぎないのだろう。

 とはいえ、攻めあぐねる以前の問題だ。放った矢は悉く空中で弾き飛ばされ、それでいて線対称の場所にいるエマにアーツの詠唱をさせまいと此方にも牽制の矢の雨を降らせている。

 攻める御膳立てすら整えさせてくれない。相も変わらず思わず惚れ惚れしてしまう程の手際で以て、アリサ達を呵責なく攻め続けている。

 矢筒から矢を取り出し、射るまでの時間を短縮する”早撃ち”も、同時に複数の矢を放つ”同時撃ち”も、鍛練を積めばそれこそ難度こそそこそこなれど、凡人でも習得は可能だ。それですらもアリサとエンネアでは技量に天と地ほどの差があるが。

 刹那の速さで放っているのではないかと錯覚してしまう程の早撃ち。レイやサラに教えて貰った氣力とやらで弓士に必要な視力と動体視力を底上げしているが、それでも見えない。

 更に凄いのは、一矢が放たれた後に、その矢尻の直後を追うように(・・・・・・・・・・・・・)次の矢が迫っている(・・・・・・・・・)事だ。

 ”同時に”放たれたのではない事がその絶技を示す証拠だ。コンマ数秒以下の差で以て放たれる時間差の矢の雨。一矢を躱しても、直後に目の前に迫っている矢を続けざまに躱す事は中々に困難だ。シオンとの模擬戦で慣れていなかったら、ものの数秒で的にされた案山子のような有様になっていた事だろう。

 

「(あぁ、もう‼ 考えるのも馬鹿らしいわね‼)」

 

 実力の差など最初から分かっていた筈なのに、しかしこうして改めて現実を生死の瀬戸際で見せつけられると憤慨してしまう。

 その妙技が妬ましくなったのではない。恐らくは一生辿り着けないであろうその領域を仰いで羨ましがるのは分不相応だと理解している。

 

 自身に武人としての才覚はないと(・・・・・・・・・・・・・・・)―――その残酷でありながら確かな事実は、しかしアリサの心を苛む事はなかった。

 元より当たり前の事だ。リィンやラウラ、ガイウス、そしてフィー達のような技量は持っていない。自分にできる事はと言えば、精々が齧った程度の弓矢で敵を翻弄し、アーツを使いながら前衛組にとって有利な状況を作り出して、それを指揮するだけ。どだい、一人ではまともに戦闘をする事すらままならない。

 それを情けないと思った事は―――ないと言ったら嘘になる。無力感を感じた事があるし、「もっと上手く戦えるようになりたい」「自分の出来る限りで仲間を守りたい」という渇望があったからこそ、日々鍛錬に勤しんでいたのだから。

 

 ―――否、それだけではない。それだけである筈がない。

 怖かった、というのもあるだろう。愛しい人に置いて行かれるのが、どうしようもなく怖かったのだ。

 才覚がないから、という理由を免罪符にして鍛練を怠れば、自分が恋をした剣士は、きっと先へと行ってしまうだろう。

 達人の背を追いかけて、その領域に足を踏み入れんと、ひたすらに前へと進むだろう。それこそ、すぐにアリサの視界から消えてしまう程に。

 

 それは嫌だ。それは認められない。横に並び立つ事ができずとも、せめて背を守れる程度の女にはなりたい。

 

 ただ傅き、ただ守られるような手弱女(たおやめ)の淑女―――女としてのその生き方を否定はしない。

 だが、アリサ・ラインフォルトとしての生き方を模索するのならば、そんな生き方は断じて否だ。ただ佇んでいれば結果がやってくるなど、そんな甘い考えで恋した男の傍に居ようなどと、厚顔無恥にも程がある。

 そういう意味では、確かに彼女はイリーナ・ラインフォルトの娘だった。決して手放したくないものがあるのなら、意地と執念と結果で以て手に入れてみせろと、まるで今の彼女を後押しするかのように。

 

「(えぇ、そうよね。私はこんな所で沈んでいなんかいられない。立ち止まってなんていられない。この程度の逆境、切り抜けられないでどうするってのよ‼)」

 

 消沈しかけた心が、奮起する。

 強大な相手と相対しての黒星? そんなのはいつもの事だ(・・・・・・・・・・・)。毎度毎度、サラに、レイに、シオンに、立ち向かう事そのものが間違っているんじゃないかと思わせる程に土を付けられ、沈められている。それでも負け癖が付いていないのは、特別実習で赴いた際に、その成長度合いが実感できるからだろう。

 彼らにとって、敗北とは恥ではない。負ける事が出来たなら、それは自分達が至らなかった何よりの証拠。負けた理由を考察し、考えうる限りの対抗策を練って、その策を以て挑んでまた負ける。その繰り返しだ。

 故に彼らは、月並みな言い方だが”負ける程に強くなる”。ならば今が、それを示す時だろう。

 立ち上がらなければ、今まで負けてきた意味がないのだから。

 

「(エマ? 聞こえる? 反応できる?)」

 

「(アリサさん? えぇ、何とか、ハイ)」

 

 戦術リンクの同調率を一時的に引き上げて、言葉を介さない会話を行う。

 本来戦術リンクという代物は繋いだ相手の意識内に浅く潜り込み、次手の戦術、行動を先読みするだけのものでしかない。

 が、一定以上の高水準でリンクレベルが高い相手同士であれば、一時的に意図的に同調率を引き上げる事により、短時間ではあるが念話じみた会話が可能となるのだ。

 

「(動く(・・)わよ。私が全力で時間を稼ぐから、エマは全力でやって頂戴(・・・・・・・・))」

 

「(え……で、でもまだ”アレ”はあんまり成功率が高くないので……)」

 

「(万全を期して戦えるほど甘い相手じゃないわよ。それでも手加減されて見定められてる状態―――なら、全力で戦うのが礼儀ってモノじゃない?)」

 

 少ない成功率に賭けて博打と洒落込むのもまたアリサの趣味ではなかったが、今の時点でそんな悠長な事は言っていられない。

 まず為すべきは、高所に陣取る騎士を同じ場所に引きずり下ろす事。その行為ですらも、今の彼女らでは全力で掛からねば果たせそうにない。

 出し惜しみは一切なし。その為にアリサは矢を一本引き抜き、降り注ぐ鏃の一つが頬を擦過する感触も全て気にせずに短い詠唱を紡ぐ。

 

「『ファイアボルト』」

 

 自分が最も得手とする炎属性のアーツ。それを鏃に纏わせて、可能な限り最小限の動きで、可能な限り早い動きで番える。

 

「あら……へぇ」

 

 一瞬エンネアの口から感心するような声が漏れた気がしたが、そんな事にすら構ってはいられない。

 女の意地を嘗めるなと言わんばかりに、引き絞った弓から矢が放たれる。

 それが逆転の一手となるかどうかは、アリサ自身にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガイウス・ウォーゼルの槍技には、凡そ澱みや遊びといった類の動きが存在しない。

 それは、彼の育ちを鑑みれば分かる事だ。大自然の中で日々魔獣や野生動物などを相手にしていれば、自然と慢心や油断とは無縁になる。

 何せそれらは本能で動くモノ。自力の力で劣る人間が全力で掛からねば、その牙で、その角で命を落とす事もそう珍しくはないのが、草原という場所だった。

 故に彼の槍はまっすぐだ。自然と共に生き、自然を相手に振るっていたからこそ、そこには一片の曇りもない。

 

 だがそれは、人間を相手にする際は些か弱点となる場合もある。

 戦いとは即ち、先の手の読み合いだ。如何に相手の意表を突けるか、如何に相手の想定を上回る事が出来るか。―――それが特に、”準達人級”以上の武人との戦いでは必要になって来る。

 それを踏まえれば、ガイウスの槍技はある種分かりやすかった。

 遊びがなく、全てが全力かそれに比するものである以上、一撃を凌げば次はこう、という予測が八割方立てられ、読まれてしまう。

 

 それは、一度レイにも指摘された事だった。曇りも歪みもない槍技が仇となる日が来るというのは武人としては忸怩たるものがあって然るべしなのだが、しかしガイウスはその言葉を抵抗なく受け入れた。

 だが、その上で言ったのだ。「これは俺の生き方そのものだ。変える事は、難しい」と。

 その言葉に含まれた意志の強さに、レイはそれ以上の言葉を続けはしなかった。

 呆れたわけではない。失望したわけではない。寧ろ彼の意志の強さに、笑みを浮かべたほどだった。謙虚であり、大きい器を有していながらも己の生き方を決して曲げようとしないその頑固さは、確かに武人の高みに登る際には重要な要素の一つでもあるのだから。

 故にレイは言った。技が読めてしまうなら、存分に読ませてやれ。お前の槍が、相手の反応より早く貫けば、何の問題もないだろ? ―――と。

 それが凄まじく難しい事である事は、容易に想像がつく。ただ早く、ただ力強く。読み合いで不利ならば、地力で勝ってしまえば良い。聞く人間が聞けば、暴言とも取られかねないだろう。

 しかしガイウスは、それを是とした。それを成す事がどれだけ難しい事であったとしても、辿り着く場所が見えているのならそこに向かって歩む事が出来る。

 

 

 だからこそ今、その埋めがたい”地力の差”というものを肌で嫌という程感じながら、それでもガイウスの胸中は決して曇ってはいなかった。

 

「(これが”達人級”……武の真髄に近付いた求道者か)」

 

 ガイウスが全力で繰り出す連撃の槍技を、しかしアイネスは一度も躱そうとはしない。その悉くを戦槍斧(ハルバード)で受け止めていた。

 その意志を、覚悟を、余さず見せてみろとでも言わんばかりの覇気に、ガイウスも応える。

 しかしやはりまだ足りない。意志に追いつくだけの技量が、覚悟に見合う実力が、圧倒的に違いすぎる。

 或いはそれを見破ったからこそ、アイネスは再び口を開いたのかもしれなかった。

 

「氣の扱いが未だ拙いな。あの男が、レイがそれについて何も教えなかったわけでもあるまい?」

 

 その言葉に、ガイウスは僅かの驚きを見せながら、しかし表情には出さなかった。

 ある意味、分かっていた事だ。目の前の人物が纏っている白銀の鎧が、嘗てノルドで出会ったルナフィリアという女性が纏っていたものと同じであったという事から、このアイネスという女性がレイの事を知っていても、特段おかしい事ではない。

 

「貴女は、レイの事を知っているのか?」

 

「あぁ。アレが小さかった頃は、私も幾度も鍛練の相手をしたものだ。今では最早、アレの方が強いだろうがな」

 

「≪結社≫、そして≪鉄機隊≫か」

 

「昔から、面倒見は良かったよ。それが本人の意思か、贖罪であるかは知らんがね。そんな奴が目を掛けているのが其方達だ。中途半端な教え方はしていないだろうと考えたが―――違うか?」

 

 そこで漸く、理解が及んだ。

 ここでガイウスが無様な姿を晒せば、貶められるのは自分ではない。彼に格上との戦い方を、より高度な戦い方を指南したレイなのだ。

 それだけはあってはならない。彼にとっては異国、帝国の地で出会った仲間(とも)が侮られるなど、許す事はできない。

 故に今、彼が言っていた事を、可能な限り冷静に脳内で反芻する。

 

 

『氣力ってのは、各々知らず知らずの内に使ってる。ホラ、お前らが使う武技(クラフト)だって、元を正せば氣力を纏って使ってるモンだ。―――委員長みたいなヤツは魔力やら霊力やらが元だがな』

 

『だが、それを自己の意志で収束し、操り、扱うとなるとちっと骨が折れる作業になる。コツを掴めばある程度は出来るようになるが、そこまでが難しいんだわ』

 

『武器に纏わせる、肉体の一部を強化させる。……それは基礎の基礎だ。馬鹿にしちゃあならねぇが、それだけじゃあ”準達人級”以上の奴らとは戦えない』

 

『要は”体全体を武器に変える”んだ一部じゃなく、体内を循環する氣力に意識を集中させろ。丹田の下に力を込めて、集めた氣力を体の全てに行き渡らせるんだ』

 

『あん? 分かり辛い? あー、まぁ、そうだろうなぁ。何せこういうのは個々人の感覚の問題だ。他人がどうこう言って理解できるモンじゃないんだわ』

 

『何せ俺は”教師”ってのに向いてねぇみたいだからなぁ。まぁ俺が師匠に教わった時は「溜めて、伸ばせ」とかいう説明も何もあったもんじゃない感じだったから、それよっかはマシだと思うがね』

 

『まぁ、とにかく。己を一個の宇宙みたいに考えろ(・・・・・・・・・・・・・)。何色に染めるもお前らの自由だが、染めるからには中途半端はナシだ。全て、余さず染め上げてみせろ』

 

『大丈夫だ。―――お前らならできる。俺はそう信じてる』

 

 

 己を一個の宇宙に見立て、染め上げる。

 より強靭に在れ、より俊敏に在れと、そうした願望を抱きながら、ガイウスはアイネスを見据える。

 今までは理解する事ができなかった。氣力を全身に巡らせて脆い人体でしかない己を書き換えるという行為そのものに、忌避感があったと言い換えてもいいだろう。

 しかし、ふと鑑みて見ればそれ程難しい事ではなかった。

 それは嘗て、ノルドの大地で大地に腰を下ろし、精神を統一していた時と同じ感覚。何に脅えるでも、何に囚われるでもない。

 ただ受け入れて―――それで己を染め上げてしまえば良い。

 

「―――フッ‼」

 

 そうして放った一撃は、しかしやはり戦槍斧(ハルバード)に受け止められる。

 だがその速さ、威力は、先程までとは比べものにならない程に向上しており、それに他ならぬガイウス自身が驚愕を隠せない。

 そんな、次の段階に進んだ若武者を眺め、アイネスがニッと笑みを見せた。

 

「どうやら、至ったようだな。口下手な身で口惜しいが、ともあれ称賛を受け取れ。”上級”の奥地―――武人の天嶮の麓によくぞ参った」

 

 氣の操作の習得―――それこそが、遥か先の長い”武芸”の牙峰の踏破の第一歩に他ならない。

 故に彼女は称賛を送る。多くの凡才の武人が迷い、遂には生涯抜け出す事の叶わない鬱蒼とした樹海を抜け、その麓に立った若武者の姿を、その瞬間をその目で見る事ができた。

 唯一無二の主に仕える高潔な騎士である前に、ただ一人の武人として、それは祝福せねばならない。

 例えこの先、どのような過酷で凄絶な試練が彼を待ち受けていようとも、この初心だけは永劫忘れてはいけないモノなのだから。

 

 しかし、だからこそ―――。

 

「故に、先達としての助言だ。―――”上”を知れ、ガイウス・ウォーゼル」

 

「ッ‼」

 

 全身から噴き出る覇気が、桁違いの圧力を見せると同時に、ガイウスは後ろに跳んだ。

 しかし、ここで攻めの手を止めるわけには行かない。防御、回避、それらの行為は悉く無駄になると、そう本能が執拗に訴えかけて来るからだ。

 

「風よ―――俺に力を貸してくれッ‼」

 

 力任せの上空への跳躍。その身に溜め込んだ氣力を一気に解放して、颶風を纏った槍の穂先をアイネスへと向けてから、まるで獲物に狙いを定めた大鷹の如く特攻した。

 まさに一撃必殺。そして諸刃の剣。本当の意味での全力の一撃であるが故に、これより先の攻めの一切を犠牲にする。

 斯くしてその一撃は、確かにアイネスに当たった。手応えはあった。戦槍斧(ハルバード)の刃に当たった硬い感触ではなく―――。

 

 

 

「あぁ、良いぞ。いずれ大空の覇者となる鷹の雛が、憧憬と覚悟を以て羽搏(はばた)き始めたその瞬間―――それを決して忘れるな」

 

 

 『剄鎧』の靄に突き入れたまま、僅かも砕く事ができずに停止した槍の穂先を見た瞬間、ガイウスは再び理解した。

 その”道”の険しさを。それを踏破して見せた、”達人級”という存在の偉大さを。

 

「『地雷撃』」

 

 放たれたのは、ただ一撃。

 戦斧に込められた膨大な氣は、それそのものが雷の魔力も帯びて叩きつけられる。

 それを受けたガイウスは、まるで馬に蹴飛ばされた小石の如く、吹き飛ばされてホールの壁へと容赦なく叩きつけられた。

 

「―――、―――」

 

 言葉を発する事もできず、その意識が閉ざされる。

 圧倒的な実力差を幾度も見せつけられながら、それでも悲観する事無く立ち向かい、遂には『剄鎧』の耐久値をほんの僅かであれ削ってみせた(・・・・・・)若武者に対して、アイネスは晴れ晴れしい表情を浮かべた。

 

「見事也。その真っ直ぐな生き方、(ゆめ)失うなよ」

 

 もしこの青年が自分の麾下にいたのなら、どれ程熱を挙げられた事だろう。

 そんな叶いもしない事を想いながら、アイネスは戦槍斧(ハルバード)を背に戻し、気絶したガイウスを肩に背負ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嘗てはユーシスの専売特許であった『付加魔法(エンチャント)』。それをアリサももの(・・)にできたのはつい先頃の事であったが、それでも器用さに定評のある彼女は、それを既に上手く使いこなしていた。

 得意とする”火”属性のみならず、”水””風””地”の四属性を手繰り、それぞれを矢に付属することで多種多様な攻め方を展開することができる。

 故に、戦法の手数の多さを言うのならば、アリサはⅦ組でも屈指と言っても差支えがない。

 

「『フランベルジュ』‼」

 

 火を纏った三本の矢。それに”風”の属性を付与させることによって攻撃力を底上げし、尚且つ放たれた後の軌道を微妙に調整する。

 小出し気味ではあるものの、それでも常に魔力を消費するこの戦い方は、エマ、エリオットと並んで魔力総量が高いアリサに許されたものであるとも言える。

 

 しかしそれも、鋭い風切りの音と共に放たれた相手の矢によって撃ち落されてしまう。”風”を付与させた事で速度が上がった矢も、”達人級”に先んじることは叶わない。

 だが、そんな事は承知の上だった。元よりこの程度で手傷を負わせられるなどとは思っていない。

 それでも絶え間なく矢を番えて放ち続けるのは、エマが行っている詠唱を妨害させないためだ。当てる事は叶わなくとも、それでも注意と対応をこちらに引き付ける事くらいはできる。

 実際、先ほどからエンネアはアリサの方だけに矢を放っている。―――それが此方の思惑を推測した上で行っている可能性が多分にある以上、遊ばれている事に良い気はしないのだが、それでも”乗ってくれる”というのなら乗ってもらう。

 

 矢の同時撃ちは三本、それが現在のアリサの限界で、それを行った際の同一目標への的中率は6割少々。

 矢筒から矢を取り出し、番え、放つまで1秒と少し。単射での目標への的中率は、大きさにもよるが平均して8割。―――無論これは、”狙った場所へと的中したか否か”の数字である。

 その結果だけを見るに、アリサは弓士としての素質は確かに有している。数ヶ月前までは自衛程度の腕しか持っていなかった事からも比べると、とてつもない成長速度だ。

 だがその過程も、結果が伴わなければ意味がない。まさに今、先達の相手に多分に手加減された上で時間稼ぎしか出来ていない事を歯痒く思ってはいるが、それは現実なのだと冷静に受け止めてその任に従事する。

 

 この時間稼ぎの先の策で重要となるのは偏にエマのアーツの発動如何に依るのだが、彼女が今、如何に難しい術式を組んでいるのかは戦術リンクを通してアリサの中にも伝わってくる。

 膨大な魔力量を動員しての術式構築、及びその精緻な魔力操作。幾ら魔導杖の演算補助があるとはいえ、一人で行うのは至難の業だ。同じような事をやれと言われても、きっと途中で発動拒否(ファンブル)を起こしてしまうだろう。

 だからこそアリサは、それの成功を信じて時間稼ぎに全力を注がなければならない。

 そう思って絶え間なく矢を放ち続けていると、まるでそれが余裕の表れであるかのようにエンネアが口を開いた。

 

「ふふ、やるじゃないのお嬢さん。その根性と逆境での強さは、レイに教わったものかしら?」

 

「えぇ、そうね。あのドS、毎度毎度私たちを限界ギリギリまで追い込んでからその上で限界の枠を押し広げようとするから……端的に言って厄介だわ」

 

「あらあら、何だかんだ言ってお師様の影響は受けてるみたいね。でも……」

 

 そこで言葉が止まった後、ほんの僅か攻撃の手が止まった瞬間に、エンネアは続けた。

 

「その弓の技術、一体誰から習ったのかしら?」

 

「……別に、ウチの万能メイドからよ。昔拝見した真似事、とか何とか言ってた気がするけれど」

 

 その言葉で、抱いていた疑問は全て氷解したのか、エンエアは再び嫋やかな表情を見せた。

 

「あぁ、成程。シャロンちゃんが教えたのならしょうがないわね。あの人(・・・)の癖が見えたからもしかしてと思ったのだけれど……愛されているじゃない、貴女」

 

 それが何の意味を示しているのか、そもそも何故シャロンと旧知であるかのような言い方をするのかなど、本音で言えば聞きたいことは山ほどあった。

 だがそれは、今はいい。ここから逃れた後に、直接本人に問い質せばいい事なのだから。

 

 そう思った瞬間にアリサの胸中に飛来したのは、嫉妬だった。

 9歳の頃から共にいて、本当の姉のように思っていた彼女にも、過去がある。その過去を、アリサは知らない。

 恐らくは平坦な道を歩んで来たのではないのだろう。修羅場という名の死線を、幾つも潜ってきたのだろう。その中で、レイを想い焦がれるようになったのだろう。

 それは分かる。紛いなりながら強者と共にいて、自身もままならない恋心を自覚したことで、朧げながら理解ができてしまった。

 だからこそ、納得がいかない。

 自分の知らない姉の姿を知っている誰かというのは、やはり面白くないものではあった。

 

「そうね、愛されてるわよ。本当に。時々鬱陶しくなるくらいにはね」

 

 リンクを通じて理解する。編んだ策が、今成った。

 

「だから、それを聞き出すまでは死ねないし……それに―――」

 

 愛した男に告白もせずに斃れるなど、笑い話にもなりはしない。

 流石にそれは口走るわけには行かなかったが、それで覚悟は完全に固まった。それを察したのか、エンネアも漸く好戦的な笑みを見せた。

 次の瞬間、詠唱を終えたエマのアーツが膨大な魔力の励起と共に放たれた。

 

「『クロノブレイク』―――『クロノバースト』‼」

 

 紡ぎ上げたのは、同一属性の多重詠唱。俗に『二重詠唱(デュアル・スペル)』と呼ばれるそれは、併用させる魔法の質にもよるが、常人の枠を超える魔力と演算能力、そして魔力の制御能力がなければ成し得ない行為である。

 ”魔女”という、普通の人間より魔法適性が高い血筋に生まれたが故の技能であった。

 加え、エマが発動させたのは同一系統の”時”属性とはいえ、限定的ながら時の停滞と加速を司るアーツの同時発動というのは、傍目から見ても難易度が高い。―――筈だったが、彼女はそれを成してみせる。

 

 ”停滞”はエンネアに、”加速”はアリサに、それぞれ発動して影響を及ぼす。

 だが―――。

 

「この程度じゃあ、私は縛れないわよ?」

 

 高密度の氣力と、高い対魔力が、彼女を縛らんとした魔法を完全に無効化した。

 しかし、アーツが発動したその一瞬だけ彼女の動きが止まった。

偏にエマの有する魔力量がそれこそ刹那の瞬間だけエンネアの対魔力を貫いたというだけなのだが、たが、それも予想の範囲内だ。

 寧ろ一瞬とはいえ動きを止める事ができたのなら、僥倖だった。

 

「ありがとう、エマ‼」

 

 今こそ彼女を、俯瞰の高台から引きずり下ろす。

 加速された動きで、アリサは導力弓に充填された導力機構(オーバルエネルギー)を励起させ、魔法陣を生み出す。

 放たれる矢の威力を使用者の魔力に応じて増加させ、それに付加させた”火”の魔力も載せて放つアリサの必殺技。

 

「随分と派手だけれど―――溜めが長いわよ」

 

 しかしそれより先んじて、エンネアの弓から神速の矢が放たれる。

 矢を番えるアリサの両腕を狙って放たれたそれは、普通であれば避ける事など叶わない。着弾を許すしかない状況で―――しかし再び広大な書斎にエマの玲瓏たる声が響く。

 

「受け取って下さい‼ 『アダマスシールド』‼」

 

「っ」

 

 流石のエンネアも、これには僅かばかりの驚愕の表情を滲ませた。

 精神力・魔力共に大幅に消費する多重詠唱に加え、続けざまに彼女が見せたのは、『遅延詠唱(デイレイ・スペル)』による高位アーツの発動。

 アーツの詠唱を意図的に遅らせる事で敵の思考・判断を鈍らせてタイミングを逸らす妙技だが、それを『二重詠唱(デュアル・スペル)』と共に発動させるなど、相当脳と魔導杖の演算機構に負荷を掛ける行為だ。普通はやろうとも思わない。

 しかし彼女はやってみせた。

発動されたアーツは物理攻撃を無効化する黄金色の盾となってアリサを守り、矢を放つまでの時間稼ぎの役割を果たしてのけた。

 

「『ジャッジメントアロー』ッ‼」

 

 放たれたのは、初手三撃、そしてその後に放たれた巨大な炎の矢。

 それが違わずエンネアの立っていた場所に突き刺さり、大爆発を起こす。

 

「ッ―――流石に引き摺り下ろすくらいはできたでしょうね⁉」

 

 轟音が響き、書架が崩れ落ちる様を見ながら―――しかしアリサは、強化した視力でエンネアの影を見た。

 

 

「見事。―――してやられちゃったわね」

 

 白銀の鎧が床に着くと同時に放たれた氣力の奔流。それは地面を派手に揺らし、アリサとエマの体勢を少なからず崩した。

 

「及第点はあげるわ。まぁ、これに満足せずに腕を磨き続けてくれれば、先達()としても嬉しいのだけど」

 

 拙い、という直感が思考を支配する。避けるか、さもなくば迎撃をしなければやられると、そう頭では理解したものの、全力を注いだ攻撃の余波のせいで上手く体が動かない。

 そんな二人を目にして、しかしエンネアはこれまでになくゆっくりと弦を引き絞った。

 

「『デビルズアロー』」

 

 放たれた二矢は、それぞれ直撃はせず、アリサとエマの肩口を浅く擦過した。

 それだけ。ただそれだけである筈なのに、二人の意識は瞬時に混濁し、膝から崩れ落ちる。

 

「(あぁ……)」

 

 意識を手放す瞬間、アリサは思った。

 当初の目的は果たせたが、結局それだけだ。勝利する事は叶わなかった。

 それが無理だと、始めから理解はしていた。”達人級”の等級に至った武人相手に、自分達二人だけで挑むなど無謀過ぎる、と。

 それでもただやられてやるのは性に合わないから抗ってみたのだが……それでも彼女の胸中に飛来するのは、偽りのない無力感。

 

「(悔しい……わ、ね……)」

 

 恐らく、エマの胸中も同じだろうと思いながら、アリサは瞼を閉じて倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




 敗北者にも矜持がある。というより負け方の問題ですね。
ガイウスは掴んだ。アリサとエマも一矢報いた。上等すぎる戦果ですわ。

 因みに最後にエンネアが使った『デビルズアロー』という技は原作でも使って来た技でして、指定地点中円・即死効果付与というメンド臭い技です。これが怖かったのでパーティ全員に即死耐性付けて挑んだのも良い思い出です。

 今年も残す所2週間を切りました。ちょっと忙しくなって来るかもなので、もしかしたら更新速度が鈍くなるかもしれません。ご了承くださいませ。

 それと、『天の軌跡』に今まで登場したオリキャラの一覧を活動報告に挙げておきました。もしよろしければどうぞ。



 ※先日友人から≪結社≫時代のレイと今のレイの身体的成長度合いが分かりにくいと言われたので、イラストを並べておきます。≪天都凬≫の長さとかで身長の推移が分かる……かな?


・≪結社≫時代(前半)

 
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・現在

 
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騎士の誓いは何処へと  -in レグラムー






「完璧な者などいない。誰でも悩み、傷つき、苦しみ、そして誰かに頼りたい、助けてもらいたいと思っているのだから」
   by ハクオロ(うたわれるもの)








 

 

 

 

 

 

「わたくしは、貴女の事が嫌いですわ」

 

 何故だ、と脳裏を疑問が過る。

 

「栄えある≪鉄騎隊≫副長たるアルゼイドの名を引き継いでおきながら、一番に果たすべきコト(・・・・・・・・・・)も忘れて友誼に耽るその姿、見るに堪えない、怖気が走りますわ」

 

 呵責なく、容赦なく。

 

「勇壮? 高潔? 慈愛? 公正? 寛容? 信念? 希望? 笑わせないでくださいな。上辺だけ繕って、忘れてはならないモノを忘れてのうのうとしている今の貴女に、”騎士”を名乗る資格などありませんわ」

 

 何故責められているのか理解が及ばないのに、それが自分に向けられている事だけは嫌でも理解できてしまう。

 

「あぁ、本当はこのような事など言うつもりもなかったですし、あの男(・・・)の肩を持つつもりなど毛頭ないですが……それでもやはり、貴女の腑抜け具合を見ていると苛々しますわね」

 

 それでもやはり、分からない。この騎士は、この女性は―――

 

「そなたは一体……何を言っている‼」

 

「それに気付くのが貴女の使命でしょう? アルゼイドの娘」

 

 非常に突き放す言葉と共に、高速の斬撃がラウラを襲う。

 鋼色の斬線が鋭い軌跡を残して、ラウラを大剣ごと広大な花壇の中へと吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意味が分からないと言ってしまえばそれまでだった。

 ラウラにとって、目の前の騎士、デュバリィが放った言葉の数々は、得てして理解しがたいものだった。

 否、それだけではない。彼女が属するという≪鉄機隊≫という組織。よもやこれ程までの実力を持つ武人が、伊達や酔狂でかの≪鉄騎隊≫と音を同じくする組織に身を置いているわけではあるまい。

 ならば―――と思考を巡らせる前に、ラウラは花壇の上から身を翻して続けざまに放たれた斬撃を寸でのところで回避した。

 

 裁断された数房の髪が宙に舞う姿を見ながら、泰然と広場に立つデュバリィの姿を視界に収める。

 斬り合い……否、果たして斬り”合い”という言葉が適当かどうかは判断に困る所ではあるのだが、ともかく戦いの火蓋が切られてからこのかた、彼女は最初に両足を地に着けていたその場所から、一歩たりとも動いていなかった(・・・・・・・・・・・・・・)

 或いは、それ以前の問題だろう。体躯の差という面で鑑みればそれ程差異はないというのに、デュバリィは左手に携えた盾を一切動かさずに、右手に握った騎士剣だけを片手で振るってラウラの猛攻の一切を凌いで見せているのだ。

 それもまるで、舞って来た木の葉を払いのけるような、そも力の比べ合いにすらならないような形であしらわれているというのは、如何に実力の差を実感しているラウラであっても忸怩たるものがあった。

 

「(果たすべきコト? 忘れてはならないモノ? 私が、何かを蔑ろにしているだと……?)」

 

 言葉は抽象的過ぎて、理解が及ばない。それが輪をかけてラウラの剣を曇らせていた。

 ありもしない妄言を吐いてこちらの隙を広げているのかとも思ったが、しかしながらすぐに「それはないだろう」と断言する事ができた。

 何故なら、見据えて見える彼女の瞳が、あまりにも澄んでいたからだ。

 虚偽を語るには濁りがない。妄言を吐くには虚けさがない。彼女はただ、あるがあまにあるがままの事を語っているだけなのだろう。

 記憶を遡ってみても、ラウラ自身彼女と出会った事は一度だってない筈だ。しかし彼女は、まるでラウラすら気付いていない事を覗き込んでいるかのような口調で攻め立てて来る。

 

 故に、ラウラは思考を止めない。

 剣戟に対して無心にならねば到底抗いもできない相手であるという事を理解して―――それでもなお彼女の言う”忘れてはならないモノ”を探り当てねば、きっと何もできずに首を刎ねられてしまうだろう。

 

「(確かに私の剣は未だ未熟。……だが、”腑抜けている”などと言われるつもりは毛頭ないぞ‼)」

 

 その前言は必ずや撤回させてみせると、そう強く意志を持って、ラウラは石畳の地面を強く蹴り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 我ながら大人気ない、と、デュバリィはそう心の中で独りごちる。

 昔の事、それこそ自分をからかい弄り倒して来た忌まわしい少年が幾度も言っていたから覚えているのだが、どうにも自分は直情的になりやすい衒いがある。

 全ては気高く麗しい≪鋼の聖女≫の名を冠する最強の騎士に捧ぐ無二の忠誠から生まれるモノである事は知っているし、それを恥じるつもりなど一片たりとてないのだが、それが戦場の華たる騎士の振る舞いとしては些か慎みに足りないという事もまた知ってしまっている。

 

 だが、笑いながらそう弄り倒した末に、彼は決まってこう言って来た。否、彼だけではない。彼女の性格を知る誰もが、口を揃えて言って来た。

 『そんなお前だからこそ、何かを率いるのに相応しいのかもしれない』と。ただ純粋に、真っ直ぐに生き、真っ直ぐに意志を貫き、人を信じ、人を嫌い、喜怒哀楽という凡そヒトに必要な感情を十二分に有している彼女だからこそ、ヒトを率いるに相応しいと。

 加え彼女には、卓越した剣の才があった。≪鋼の聖女≫に見出され、鍛え上げた末に”達人級”の領域にまで至ったそれは、”武闘派”の≪執行者≫ですら一目を置くほどであり、その武技と在り方を以てして、彼女は栄えある≪鉄機隊≫の筆頭に就任したのだ。

 故に彼女は、その意志の全てを偉大なるマスターに捧げると誓った。その盟友たる緋色の武人より受け継いだ筆頭という地位を守る為、不用意な怒りは胸の内に抑え込むと、そう誓った筈なのだ。だが―――。

 

「(あぁ、全く、苛々させてくれますわね)」

 

 その内心を表に出さない程度には、彼女もまた一流の武人としての流儀があった。

 未だ未熟な才を嗤うつもりはない。嘗ては自分も無様を晒した時期があったのだから。

 力量差を知りながら斬り込んで来るその蛮勇を貶すつもりもない。寧ろ”壁”を見据えて乗り越えんとするその意気には共感すら覚える程だ。

 仲間を想うその心を侮蔑するつもりもない。自分にも同朋がいて、紛いなりにもそれを率いる身なのだから。

 

 だがそれでも、”気に入らない”事には変わりない。

 嘗て≪鋼の聖女≫の右腕として数多の戦場を駆け抜けた騎士の末裔だから、それに嫉妬しているのか? ―――それもある。

 愚直なまでに剣に魅入り、その真っ直ぐな生き方が己と重なったが故の同族嫌悪か? ―――それもある。

 しかしそれ以上に、ラウラ・S・アルゼイドという少女が、思った以上に愚直であった(・・・・・・)からだろう。

 

「(大切な人に認められたくて(・・・・・・・・・・・・)磨いた剣(・・・・)―――それは貴女も一緒でしょうに‼)」

 

 だと言うのにこの剣の、何と軽い事か。

 剣技そのものは、まぁ悪くない。叶わぬ相手にそれでも立ち向かう心意気も買おう。

 だが、剣に籠らせた思いが軽い。膂力だとか、技量だとか、そういった事だけでは表せない”重さ”が圧倒的に欠けている。

 朋友(とも)らに対する友愛? 義理人情? それらを否定する気は毛頭ないが、それだけでは足りない。

 それこそ、己が魂の内から抱いている想いを込めなければ、決して”達人級”には届かない。

 

「(どうあってもそれを思い出せないというのであれば―――いいでしょう)」

 

 アルゼイドの娘。不倶戴天の存在なれど、腑抜けたままの未熟な剣士を斬ったところで、それを勝利と呼ぶ事はできない。

 沽券に賭けても引きずり出してみせる(・・・・・・・・・・)と誓ってから、デュバリィは剣を握り直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣戟が交差する度に、まるで問答のように思考が割り込んで来る。

 傍から見ても、互角ではない戦いだ。全霊の力を持って剣を振るうラウラに対して、デュバリィは以前、最初に立っていた場所から僅かも動こうとしていない。

 まるで両足が地面に縫い付けられているかのようではあるが、その一挙手一投足は確実にラウラの攻撃を凌いでいる。一方的に攻め立てているように見えるのは、単にラウラが花壇から抜け出した後、デュバリィが攻撃らしい攻撃をしていないからである。

 

「ッ、そなた何故攻めて来ぬのだ‼」

 

「挑発の類はわたくしを一歩でも動かせてから言ってみなさいな。弱者の喚きにしか聞こえませんわよ?」

 

 木偶の剣に返しは無用。今のデュバリィは、ラウラをまともに相手にする気はなかった。

 慢心と言ってしまえばそうかもしれない。今の彼女は、ラウラの事を敵とすら認識していないのだから。

 その無気力さを、交わした剣を通じて理解してしまったラウラは、余計に躍起になって攻め立てるが、その焦燥感はデュバリィをやる気にさせるには値しない。

 

 騎士として剣術を学び、トールズに於いても良い学友に恵まれた彼女にとって、実のところ”真正面からの対戦に応じない”相手と戦うというのは初めての事であった。

 慣れぬ戦闘と、自分が今まで磨いてきた剣が戦うにも値しないと侮られているという事が、彼女の剣技を鈍らせる。

 父のヴィクター、そして執事のクラウスによって鍛え上げられ、そしてトールズの入学後はレイとサラ、そしてシオンの扱きによって大剣使いとしての弱点を悉く潰して来た筈の剣術が、まるで相手にされていないという屈辱。それが焦燥感を生む原因であり、それが更にデュバリィの心を冷めさせていた。

 

 らしくない、という事は分かっている。普段の凛然とした、或いは皆が見ている前でのラウラであったなら、恐らくこんな醜態は晒さなかっただろう。

 しかし今は、奇しくも彼女一人。それでいて剣士としての尊厳を打ち砕かれている現実に、さしものラウラも冷静さを保つ事はできなかった。

 どう攻める? どう崩す? と、気付けば戦闘の事にのみ思考が奪われ、先のデュバリィの問いについて鑑みる余裕など最早なかった。

 それを察したのか、デュバリィは小さく溜息を一つ漏らした後、先程の苛烈な口調とは違い静かな声で再度問いかけた。

 

「……義務や責務で振るう剣などただの(なまくら)ですわ。アルゼイドの娘、貴女の”剣”の起源は何処に在りますの?」

 

 唐突な問いではあったが、ラウラは一瞬だけ瞠目してから、ほぼ反射的に口を開いた。

 

「知れた事。私は≪光の剣匠≫ヴィクター・S・アルゼイドの娘だ。先祖の武功に恥じぬため、そして帝国貴族の誉れとして、アルゼイド流の剣を―――」

 

「だから、それが鈍だと言っているんですわ‼」

 

 放出された氣に吹き飛ばされて、ラウラは数アージュ後ずさる。デュバリィは八つ当たりでもするかのように虚空に剣を一閃させてから、ラウラを睨み付けた。

 

「先祖の武功? 貴族の義務? ハッ、そんな外殻で己の矜持を覆い尽くして、高みに至りたいなど笑止千万‼ 

 答えなさいなアルゼイドの娘。貴女が剣を取った本当の理由―――己が剣の道の”原点”を‼」

 

 ただマスターのお役に立つために、才を見抜いて貰ったマスターの目に狂いはなかったと証明するために―――それがデュバリィの武人としての”原点”。己が魂を燃やす渇望。

 ”ただそうであれ”という強迫観念に駆られて振るう剣に意味などない。技術だけでは足りない。覚悟があってもまだ足りない。”そうでありたい”と思う意思がなければ、振るう剣も技も、決して重みを帯びてこない。

 

 そしてその時―――ラウラは思い出した。

 

「(私が、強くなりたいと思った理由、は……)」

 

 父の剣に憧憬を抱いたからでもあるだろう。いずれその剣を引き継ぐ筆頭伝承者となるべく、その使命を帯びたからでもあるだろう。

 しかしそれよりももっと深く、物心ついたばかりのラウラが心に抱いた渇望は……。

 

「(―――あぁ、そうか。そういう事か)」

 

 引きずり出した記憶にあったのは、とある少年との思い出。

 アルゼイド子爵家と親交のあった家の、生まれる前から許嫁と決まっていたその少年は、しかしそういった関わりは抜きにしてラウラと親交を深めていった。

 エベル湖の澄んだ色に良く映える見目麗しい金髪と赤眼。それを良く覚えている。共に武を以て清廉と成し、正しく貴族であろうとして交わした子供じみた約束も、あぁ確かに色褪せてはいない。

 

 ”彼と共に歩みたい””共に騎士の道を奉じ、立派な騎士と成りたい”―――それこそが、ラウラの”原点”であった筈なのだ。

 

 だが、彼はいなくなってしまった。

 12年前に勃発した≪百日戦役≫。エレボニア帝国とリベール王国の間で起こった戦役の、その発端ともなった”とある村”の虐殺が、その少年の家の領地の中で起こってしまった。

 詳しくは今もラウラは聞いていないが、戦役勃発の責務を問われ、当主は処刑。その家も取り潰され、少年も幽閉の日々を送っていた。

 しかしそんな折、屋敷に幽閉されていたその少年が何者かに拉致されたという一報が入った。帝国軍が警備をしていたにも拘らず、まるで疾風が通り過ぎたかのような速さで少年の姿のみが屋敷の中から消え失せていたという摩訶不思議な現象だったのだが、しかしラウラはその過程などはどうでも良かった。

 

 彼がいなくなってしまった。共に騎士として恥じない道を歩もうと子供ながらに誓った彼が、本当にいなくなってしまった。―――その事実は、まだ幼いラウラが受け止めるには些か重すぎたと言えるだろう。

 そしてその後、精神的な負荷が掛かって寝込んでしまったラウラが回復した時、黄昏の下で約束を交わした少年の記憶の大半を、忘れてしまっていた。

 医学的な見地で言えば脳の防衛本能といったところだろう。トラウマにもなりかねなかった記憶を、本人の意思に関わらず本能が封じ込めてしまった。―――だが、それでも覚えていた事はあったのだ。

 

 ”誰か”と交わした、立派な騎士になるという約束。それは決して破ってはならないモノだと直感で判断し、彼女は剣を握った。

 そう。それだけは覚えていた筈なのに、いつしか剣を振る理由は己と家の矜持を守り、果たすためになっていた。

 それを浅ましいとは思わないし、それも本心であるのだから、正真正銘彼女を形作る側面である事に変わりはない。

 だがそれでも、一番に果たすべきコト(・・・・・・・・・・)忘れてはならないモノ(・・・・・・・・・・)を忘却していた己を叱責したい気持ちがあった。

 

「(あぁ、許せるはずもないだろう。己の意志に反していたとはいえ、そなたの事を忘れていたのだからな―――ライアス)」

 

 その目に、新たな光が宿る。その剣に、新たな重みが宿る。

 それと同時に、ラウラは駆けた。最早腑抜けてはいない剣を、デュバリィに向かって振り下ろす。

 

「アルゼイド流―――『地裂斬』ッ‼」

 

 それはやはり、”達人級”の武人からしていれば取るに足らない技であったに違いない。

 これまでのように軽く掲げた剣で防がれ―――そしてデュバリィが右足を踏み出した(・・・・・・・・)

 

「『瞬迅剣』」

 

 直後、右手に携えた斬剣の連撃がラウラを襲った。反射神経を総動員して紙一重で大剣の防御が間に合ったが、それでも派手に吹き飛ばされる。

 

「が……っ……」

 

 庭園を仕切る壁にめり込むまでに吹き飛ばされたラウラは、しかし肺の息を一気に吐き出し、むせ返しながらも闘気を失う事はなかった。

 見れば、今まで決して動こうとしなかったデュバリィが、ゆっくりと、しかし確実にラウラに向かって歩みを進めていた。

 

「まぁ、ギリギリ及第点と言ったところですわね」

 

 不承不承、という言葉が似合うかのような声色で呟くようにそう言ってから、デュバリィは更に続けた。

 

「ですが、思い上がらないでくださいまし。貴女の剣に、多少の価値が出て来たというだけの事。未だ脆弱には変わりありませんわ」

 

「そう……であろうな。それは、私が一番良く分かっている」

 

「……フン」

 

 その強がる姿が、或いは嘗ての自分と重なって見えてしまったのか、デュバリィは更に不機嫌そうな表情を見せながらも、それでもラウラに言葉を投げるのは止めなかった。

 

「……貴女の記憶にあるその男、今も生きていますわよ。運が良ければ、後々会えるかもしれませんわね」

 

「っ⁉ そなた、ライアスの事を知っておるのか⁉」

 

 藁をも掴むようなその言葉に、しかしデュバリィはこれ以上教える気はないとでも言うように剣の音を挟んだ。

 

「お喋りはここまでですわ、アルゼイドの娘。―――次に(まみ)える時は、その首がわたくしの勲となる程度の価値が出るように、精々修練を積むが宜しいですわ」

 

 ラウラの額に、籠手に包まれたデュバリィの指先が触れる。

 そこから氣を流し込まれた事で、ラウラの意識は、程なく闇に沈む事となった。

 

 

 

 

 





 
 今回は短めでした。理由としては、この後のメインディッシュを文字数に縛られずに書きたかったからです。

Q:こんなの俺(私)が知ってるデュバリィちゃんじゃない‼ ふざけんな‼
A:「アリアンロード様の勅命があって」「アリアンロード様が近くにいて」「変に茶化すキャラが近くにいない」という条件を満たした場合のみ、このキャラが出来上がります。まぁ、”筆頭モード”とでも言いましょうか。

 というわけで、コンセプトは「歳相応に悩むラウラ」と「カッコイイ筆頭」でした。
バトルシーンは短めでしたが、そこは申し訳ありません。
 年内には次の話を投稿したいなぁと思っております。

ps1:サンタオルタ可愛すぎか。それとジャンヌオルタ実装はよ。
ps2:落第騎士2期切に希望。




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泡沫、永劫の契り  ーin レグラムー





「劣っているならかき集めろ‼ 至らないなら振り絞れ‼」

「魂を研ぎ澄ませ、駆け抜けろ‼ーーー極限の一瞬を‼」
    by 黒鉄一輝(落第騎士の英雄譚)








 

 

 

 その騎士と敵対者として相対した場合、まず魂が摩耗する。

 発せられる尋常ならざる覇気と闘気は、生物の生存本能を嬲り、言外に傅けと命じて来る。

 その馬上槍(ランス)の一突きは空間すらも刺し貫き、一振りは颶風にも比する圧力を生み出す。

 

 勝利した者は無く、膝をつかせた武人は片手で数えられる程。兜を砕いた者すら至高に近しい武人のみ。

 

 至高、最強、究極。それ以外に指すべき言葉なし。何よりも完成されているが故に、陳腐なれどそれ以外の言葉は無用。

 それこそが≪鋼の聖女≫。数多の武人の頂点。羨望と憧憬を一身に背負う光なれば、その身に敗北は許されない。

 

 故の”絶人”。騎士の誉れたる騎士。

 

 だからこそ彼女は、新たに産声を挙げようとする若き武者を前に、喜びを隠す事はできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 目が霞む。呼吸が乱れる。足が震える。思考が鳴動する。

 足を一歩踏み出すだけで、肉体ですらない”何か”が擦り減るような感覚が感じられる。手に握っている筈の太刀も、(にれ)の枝もかくやと言うほどにこじんまりと見えてしまう。

 ”相対する”事、そのものが不敬であるのだと本能が叫ぶ。気を抜けば今すぐにでも膝をつき、傅いてしまいそうになる。

 それを、唇を噛み締める事で耐え、リィンはその双眸で白金の騎士を見据える。

 

 あぁ確かに、あれは圧倒的な存在だ。ともすれば蠅を振り払う程度の腕の一振りですら、四肢を裂かれてしまうのではないかと思ってしまう程に。

 その荘厳な鎧の内側から放出されているのであろう波動も、それが最早”氣”であるのか否かと一瞬見間違えてしまう程に異質だ。その波動が髪を揺らす度に、まるで心臓を素手で鷲掴みにされているような圧迫感が襲う。

 言ってしまえばリィンは、すでに剣林弾雨の中を手探りで歩んでいるようなものなのだ。

 以前見た、レイとザナレイアと呼ばれていた”達人級”同士の殺気のぶつけ合い。それを遥かに凌駕するようなモノを、身一つで受けるというのは、中々にキツい。

 まだ辿り着いてさえいないのに、その間合いに入ってすらいないのに、その槍の一撃を受けてさえいないのに、その精神は既に疲労困憊、満身創痍だった。このまま前のめりに倒れてしまえば、それはどんなに楽なのだろうかと思える程には。

 

「ふざっ……けるなっ‼」

 

 それら全ての甘言を振り払い、リィンは初めて駆けた。

 戦略を考えた上での撤退ならば良いだろう。仲間を守るために再起を図るのも悪くない考えの筈だ。

 だが、武人の端くれとして、一対一で挑まれた戦いに、何をするでもなく、一撃も交わす事無く敗れるなど、そんな事はあっていい筈がない。

 敗北の味は幾らでも知っている。強くなるための敗北の味は。

 だからこそ、何も得る事のない敗北を喫するのは御免なのだ。剣を佩く者としての矜持があるからこそ、決して気迫で敗北してはならない。

 

 

 そしてその瞬間―――リィンの胸の内で”ソレ”が蠢いた。

 

 

「―――若き戦士よ。その”力”を解放なさい」

 

 熱い。暑い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。

 自らを”鬼”へと変貌させる”ソレ”が、表へ出せと囁いてくる。

 レイによって封じられていた筈の”ソレ”が、リィンの危機に瀕して脈動を再開し、それでも抗う事を決めた彼の意志に同調して奮い立つ。

 

「その意志、その意気、見事です。故に解き放ちなさい。その力の価値、その力の在り方、余さず私が受け止めてみせましょう」

 

 その双眸が侵食されるように真紅に染まる。

 その髪が覇気に染め抜かれるように白銀に染まる。

 

「踏み込みなさい、その先へ。貴方が真に清廉な力を手に入れたいと思うのであれば―――」

 

 踏み込んだ足に獣じみた力が籠もる。太刀を握る両手に黒い靄が重なる。

 食いしばった歯は今にも食い殺さんと言わんばかりに暴力的に音を鳴らし、全身が一つの修羅と化す。

 

「その”鬼”を以てして、私に抗ってみせなさい」

 

 闘気が励起する。漆黒の氣力を噴き上げながら、リィンは間合いに踏み込んで唐竹の一刀を振り下ろした。

 しかしそれは、アリアンロードの一突きにて封殺される。それどころか、まるで発条仕掛けの人形が限界を超えて溜め放たれた時のように、祭事場の端まで吹き飛ばされた。

 だがそれは、ある意味では僥倖でもあった。

 ”鬼”の陰気に呑み込まれていたリィンが、その衝撃の影響で僅かながらも意識を取り戻す事ができたのだから。

 

 

 

「(ッ⁉ 駄目だ、呑まれるな、呑まれるなッ‼)」

 

 己の意識が表層に浮かび上がった事を自覚したリィンは、可能な限りの精神力を動員してそれを繋ぎ止める。

 以前旧校舎地下でこの力を解放してしまった際、レイと戦い、そして限定的に封じられた。

 その時の事は朧げにしか覚えていないのだが、それでも言われた事は覚えている。

 

『拍子抜けだよ馬鹿野郎。まさかその程度で(・・・・・)俺を倒せるとでも思ってたのか?』

 

 他人を傷つけてしまうからと忌み嫌い、封じ込めてきたこの力を前に、全く意にも介さないように圧倒してみせた友人の言葉。

 そう。直情的な攻撃では、掠り傷一つ負わせられない。野を駆け、本能のままに目の前の敵を斃す事だけが脳内を巡るような獣が、彼らのような存在に勝てるわけがないのだ。

 ならばそこに、思考を混ぜろ。

 狂気に塗れていても良い。そこにヒトとしての思考が残っていれば、抗える可能性を微かながらも上げられる。

 

「(こんな程度で怯むな‼ 俺はまだまだ強くならないといけないんだろうが‼)」

 

 弱者である事は百も承知。強者への道のりが遠い事もまた然り。

 だが、己に課した事、誓った事も忘れてはいない。

 惰弱していた自分に喝を入れてくれた事。幾度も自分達を守ってくれた事。それの全てに対して報いる事。

 そして、守られるばかりの弱者ではなく、何かを守れるだけの力を手に入れる事。それこそが、リィン・シュバルツァーが掲げた目標なのだから。

 

「っ―――らぁッ‼」

 

 その意志を力にして再度駆ける。

 今度は真正面からの突進ではなく、緩く曲線を描いての回り込み。底上げされた敏捷力を以てして何とか死角を突こうと、そういう作戦を思い描いたその直後には、その眼前に白金の馬上槍(ランス)の穂先が迫っていた。

 

「(速―――っ⁉)」

 

 上体を背後に反らして辛うじてその一撃を躱してみせるが、その圧力に心臓の鼓動が体感で3倍以上にも跳ね上がる。

 しかしその数瞬後、散々レイから叩き込まれて来た戦闘理論がリィンの体をほぼ無意識に動かした。

 今現在、槍は突き出された状態。つまるところ長柄武器の弱点を曝け出している状態であり、今なら懐に潜り込める。

 それを瞬時に残った理性で判断したリィンは、上半身を仰け反らせた状態から脚の力だけで横へと滑り、そのまま太刀を両手で構え直して一気に間合いを詰めにかかる。タイミングは完璧。並の武人が相手ならば、恐らくそれで決着は着いただろう。

 だから、この程度で勝てる訳はない(・・・・・・・・・・・・・・・・)―――そんな思いが心の片隅にあったからこそ、リィンは直後に起きた有り得ない動きにも対応が出来たのだろう。

 

「成程、咄嗟の状況判断は悪くありません。―――あの子の教えでしょうかね」

 

 身の丈よりも長い馬上槍(ランス)が、まるで巻き戻しの画像を見ているかのような現実離れした速さで引き戻され、再度の刺突の構えを取る。

 既に完全に攻撃の体勢に入っていたリィンにそれを回避できるだけの余裕はなく、今度こそ貫かれようとしたその刹那の瞬間、”鬼”の力の防衛本能が意志とは切り離された動きで太刀を振るった。

 交錯する刃と槍の穂先。弾き飛ばされて硬い地面に叩きつけられるも、直撃を受けるよりかは幾分もマシだった。

 

「が……っ……ぐっ……」

 

 失いかける意識を、根性だけで保つ。表層意識を失ってしまえば、後に残るのは暴れる事しかできない獣の意志。それでは意味がない。

 視界がチカチカと光る。色を保っていた筈の世界が白黒に染まりかけるのを感じながら、それでも足は止めない。戦意を抑えない。

 しかし足に力を込めるより先に、祭壇の上から足を動かしたアリアンロードが、一瞬でリィンの眼前に現れた。

 

「貴方の意志はその程度ですか? ―――違うでしょう?」

 

 一閃。否、その一突きは二桁以上の連撃となってリィンを襲う。

 その全てが体を貫く直前で止められたとはいえ、槍圧は違わずその皮膚を裂き、内臓を揺らした。

 耐え切れず口から息と共に血を吐き出し、自らから噴き出した鮮血が視界を覆う。加え強められた闘気が、彼を容赦なく地面へと叩きつけた。

 重力よりも圧倒的で、圧搾的なその力。両腕両足、もはや四肢が絶え間なく痙攣を起こすほどに、リィンの体は完全に支配下に置かれていた。

 ”鬼”の力など一顧だにするにも値しないと言外に告げているような濁流のような力の奔流に、欠片程残っていた筈のリィンの意識が消えかかる。

 

 強い。それは分かっていた事だ。

 だがこれ程までに、何かをさせてくれないまでに(・・・・・・・・・・・・・)徹底的な”力”というのを、リィンは感じた事はなかった。

 己が心底恐れていた力を解放しても尚、その身は生まれたての嬰児(えいじ)のように弄ばれる。まるで蠅が止まっているようだとでも言いたげに、神速を超える速さで以て、何もかもが潰される。

 否、それでも本気ではないのだろう。彼女にとってみれば、煩わしい羽虫を払う程度の力でしかないに違いない。

 

 ”絶人級”―――そう称されるであろう武人の力を、否が応でも理解する。

 あぁ確かに、これ程の力を持っていれば、まともなヒトである内は対等には戦えまい。強いとか、弱いとか、そうした次元をとうに逸脱してしまっている。

 文字通り、立っている次元が違うのだ。歯向かおう、抗おうとする意志を抱く事そのものが間違っているのだろうと思ってしまう程に、魂そのものが削り取られていく。

 

 故に”負けても仕方がないのだ”という誘惑の言葉が、リィンの脳裏を過る。

 恐らくはあのレイでさえ、僅かの時間を対等に戦うだけで精一杯であろう相手だ。それを未だ初伝しか与えられず、あまつさえ修行そのものを打ち切られた未熟者が、何を虚栄を張って抗おうとしているのか。

 浅ましい、見苦しいと、幾人もの己の意識が嗤っている。お前のような弱者が、何を一端の剣士を気取って雲を越えた彼方に座する武人に歯向かおうとしているのか。

 そしてその嘲笑に、リィン自身も頷きかける。

 確かにそうだ。弱者の分際でここまで戦う事が出来たのなら、それで本望だろう。だから、ここで眠ってしまってもいいんじゃないか? と。

 だがその”敗北宣言”が脳内を侵食する前に、とある声が響いた。

 

 

 『お前、”自分は未熟者だから、負けてもしょうがない”と思ってんだろ?』

 

 

 それは、嘗て腑抜けていた自分を目覚めさせてくれていた言葉。

 自分は弱いから、役立たずだから、未熟者だから。そんな戯言で自らを醜く慰めて勝利を諦めていた己を奮い立たせた言葉。

 

 

 『負けると分かってて戦意を見せる馬鹿がどこにいるよ? そう思ってる時点で、お前は剣士失格だ』

 

 

 そうだ。そう言うならば、紛れもなく今の自分は剣士失格だ。

 相手が強いから、決して勝てないから。このままだと傷つくだけだから、だから敗けよう。敗けてしまった方が楽になる。

 ふざけるな、と他ならぬ自分自身に怒りをぶちまける。

 それでは何も変わっていない。惨めな敗北主義者であった頃の自分と、一体何が異なっているというのか。

 

 

 『どんなに実力が伴っていなくとも、”覚悟”のある奴なら一刀くらいは届かせる。敗北をとことんまで忌避し、自分の振るう剣が鈍ではないと叫ぶ奴ならば、たとえ両の腕が動かなくなったとしても足掻こうと動くモンさ』

 

 

 どれ程相手が強くても、例えどれ程差が開いていたのだとしても、それでも脳裏に”敗北”の二文字を浮かばせたまま剣を握るわけにはいかない。

 この剣は、自分が振るうこの剣は―――師に授かり、何かを守るために振るうと誓い、友らと共に磨いて来たこの剣は―――決して(なまくら)などではないのだから。

 それを証明するために、立たねばならない。走らねばならない。たとえそれが無駄だとしても、意志を貫いた末に勝利へと駆けるのは、決して敗北ではない。

 

「……そうだ。俺の意志はこの程度じゃない」

 

 太刀を杖代わりにして立ち上がる。

 その様子はさぞ醜かったろう。さぞ生き恥を晒す姿に見えた事だろう。

 だが目の前の騎士は、嘲弄も、嘆息も漏らさなかった。兜に覆われて見えないが、恐らく嗤ってもいないだろう。

 ただ単純に、奈落に落とされかけて、それでもなお這い上がって来た武人を見据える目。此処に至って漸く、彼女はリィンを本当の意味で視界に収めた。

 

「誓ったんだ。皆を守る剣を振るうと。そしてそれが成った暁には―――あいつ(レイ)の背中も守ってみせると‼」

 

 轟と蠢く獣の脈動を抑え込み(・・・・)、リィンは鉄の味が染み込んだ口を開いて、そう吼える。

 震える両足で血溜まりの床を踏みしめる。震える両手で剣を構える。両目から滴り落ちる血涙も、朦朧とし始めた視界も、何もかもを無視して、”立ち向かう”。

 絶対の最強に。目指すべき頂の、その先にいる絶人の武人に。

 

「だから俺は、貴女に立ち向かう。必ずやこの一刀を、貴女に届かせると誓う‼」

 

 鈍色の剣鋩を真っ直ぐに向け、リィンは腰を落とした。

 恐らく戦えるのは、後数分もあるまい。今まで受けた傷が、氣力が、確実にリィンの体を蝕んでいる。

 それでも今立てているのは、皮肉にも今まで忌み嫌っていた”鬼”の力と、偏に彼が抱き吼えた覚悟の結果に他ならない。

 そしてその覚悟に、アリアンロードも応えた。

 

「良いでしょう。我が騎士の誇りに賭けて誓います。貴方の一刀、必ずや私が受け止めてみせます」

 

 黄金色の闘気が、更に密度を濃くして放たれる。

 しかしリィンは、最早それに脅える事無く、寧ろ負けじと闘気を放出した。

 漆黒と紅が入り混じったそれは、一見禍々しいように見えて見事に彼の不退転の意志を表していた。

 

「≪八葉一刀流≫初伝、リィン・シュバルツァー‼ 推して参る‼」

 

 そこで漸くリィンはアリアンロードに名乗りを返し、最後の一刀を振り抜くべく疾走を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嗚呼確かに似ていると、アリアンロードはそう心の中で独りごちる。

 荒々しく、粗々しくも、ただ望む覚悟と渇望を込めて放たれる闘気と言葉。これが甘美でなくて何と言うのだろうか。

 彼女とて、立つ場所が違うというだけで、ただ一人の武人。先達として幾人もの若武者を見届けて来た彼女にとって、衒いも澱みもなく疾駆する眼前の少年に対し、賛辞の言葉を送らずにはいられない。

 ただそれは、口から紡がれるものではなく、剣戟で以て送るべきだ。もはやこの刹那の一瞬に、交わす言葉などありはしない。

 

 その有様は、まるで在りし日の彼を思い起こさせる。

 

 復讐に呑まれ、その為だけに力を求めていた筈のあの少年は、いつかしか守れるものを守りたいと強さを求め、不可能などという陳腐な言葉の悉くを覆してみせた。

 それは蛮勇と呼ばれる類のモノであったかもしれない。勇壮の意味を履き違えたモノであったかもしれない。

 だがそれでも、全てを貫き通して見せる程の意志を叩きつけられた、あの時の高揚感は忘れられない。

 よくぞここまで至った。よくぞここまで磨き上げたと、その賛辞を槍の一閃と共に送り付けた記憶は、今でも鮮明に覚えている。

 

 故に今も、彼女は内心で笑っていた。

 あの子が、レイが彼を気に入った理由も分かる。嘗ての己と同じ渇望を抱いていたからこそ、それが磁石のように互いを呼び寄せたのだろう。

 例えそこに実力という名の隔たりがあったとしても、その友情に差異はなかっただろう。

 

 だからこそ、アリアンロードは応えなくてはならない。

 その意志は見事。その覚悟は見事。―――だがそれでも、貴方が見据える頂は、それ程容易ではないのだと。

 

 そうして槍を構え直したとこで、リィン・シュバルツァーは更に加速した。

 紅の瞳と銀の髪の色を残して、速度を上げる。そして、鈍色の太刀が瞬いた。

 

 

「八葉一刀流・弐の型―――『裏疾風』ッ‼」

 

 それは、自ら攻撃の範囲を狭める事でより速度と攻撃力を底上げした、八葉一刀流・弐の型『疾風』の派生型。

 ≪風の剣聖≫アリオス・マクレインが得手とするこの技を彼に伝授したのは他でもない、手合わせでこの技を幾度も見て理解すらしてしまった剣士。

 ”上級”、否、”準達人級”の武人ですらも、この速さには一歩遅れを取るだろう。

 何故なら、これは無意識の発動だろうが、その歩法には≪八洲天刃流≫の技である【瞬刻】が未完成ながらも使われていたからだ。

 相対する者の無意識領域に潜り込むだけでなく、単純な速度でも並の武人を大きく上回る。この歳にして”混ざり者”の力を借り受けているとはいえこの練度。才能を感じずにはいられない。

 

 だがそれでも―――”達人級”以上を相手にするには力不足だ。

 

 そして、アリアンロードからすれば十二分に対応できる速度。裂帛の気合いと共に放たれた横薙ぎの一閃は、彼女の突き出した槍の腹に受け止められた。

 届かない。決定的に届かなかった。―――が、それでもリィンは笑った(・・・)

 

「誓いを反故にする気は―――ないッ‼」

 

 そう叫ぶと、リィンはあろうことか太刀の柄から一瞬手を放し、左手を動かして逆手に持ち変え(・・・・・・・)()

 そのまま至近距離で刃を返したリィンは、最後の斬撃を無理な体勢から放つ。

 しかしその剣速は速く、そのまま行けば鎧の隙間、防御の薄い脇腹を斬り付ける事ができる―――という直前に、毀れた刃は急にその動きを停止させた。

 

「あ…………」

 

 刃を受け止めたのは、馬上槍(ランス)ではなく、ましてや何かを斬り裂いたわけではない。

 それは無情にも、アリアンロードが軽く掲げた右手の籠手の甲が受け止め、弱弱しい花火を散らしていた。

 

「……見事な一太刀でした、リィン・シュバルツァー」

 

 アリアンロードのその玲瓏とした声は違わずリィンの耳朶に届き、そしてそれが、彼の敗北を決定づけた。

 

「あぁ……」

 

 その手から太刀が零れ落ちる。床に落ちて重々しい音が祭儀場の中に響くと共に膝が崩れ落ちる。

 その体はアリアンロードによって受け止められはしたが、リィンは霞む意識の中で満足そうに微笑みながらも、その一言を漏らした。

 

「やっぱり……悔しい……なぁ」

 

 奇しくもその言葉は彼を想う少女が対決の最後に思ったそれと同じであり、その言葉を残し、リィンは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それと同時に、その瞳色と髪色は元のそれへと戻り、その体を覆っていた禍々しい闘気も霧散する。

 ≪結社≫に居た頃のレイが、神格を有する”聖獣”であるシオンの力を封じる際にも行使した≪天道流≫の秘奥封印術の一つ、【天道封呪―――南門朱雀(なんもんすざく)(みつかけぼし)】。

 以前の暴走の時に強度を幾段も弱めてレイがリィンに行使し、”鬼”の力を封じ込めていたそれは、彼の身の危機に際して一時的に解放状態となり、そして今意識が失われると同時に再封印の術式が起動したのである。

 放っておけば災厄を招きかねないこの力を完全に封じるような真似をせず、彼が成長するための要素の一つとして残しておく辺り、レイの生真面目さと、面倒見の良さが垣間見えていた。

 

 それを理解し、微笑を浮かべてから、アリアンロードは右手でその顔を覆っていた兜を取った。

 

「≪灰の騎士≫の≪起動者(ライザー)≫―――才ある若人がこのような宿命を帯びるのもまた、運命というものなのでしょうね」

 

 棚引く長い金髪を一顧だにせず、支えたリィンの体を、淡い光を内包した手でさすっていく。

 するとそれだけで彼の体の至る所に刻まれた傷が癒え、その顔にも生気が戻る。

 

「ですが、激動の時代の分水嶺となるのもまた、貴方がた若い益荒男達。私に向けた意志と覚悟、努々忘れる事無く貫くように。そうすれば―――」

 

 ―――貴方の望みは、きっと叶う事でしょう。

 アリアンロードはそう呟いて、文字通り聖女の如く、若き武人に微笑みかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めた時、そこは土の上だった。

 意識を失う直前まで、自分達が何をしていたのか。それを思い出して半ば条件反射気味に跳ね起きて武器を構えたが、そこに敵など全く存在しなかった。

 周囲を見渡してみれば、眼前に聳え立っていたのはローエングリン城の城門。その前に倒れ込んでいたという摩訶不思議な現象に、リィン達は一様に首を傾げた。

 戦槍斧(ハルバード)を携えた騎士と戦った。弓を携えた騎士と戦った。大剣を携えた騎士と戦った。―――皆が口々に言うその言葉に嘘偽りはなく、あの謎の霧に包まれた後に全員が体験した戦いの鮮烈さがひしひしと伝わってくるようだった。

 記憶はある。交わした武器の重さも、投げかけられた言葉の意味も、圧倒的なまでの実力差も、全て余さず覚えている。

 だというのにそれらはどこか一夜の内に体験した泡沫の夢のようで、実際にそれがあったという事実が、どうにも曖昧に思えてしまうのだ。

 

 ふと気づく。この城に入るまでは確かに周囲を覆っていた濃霧が、すっかりと消え失せている事。

 そして頭上に浮かんでいるのは立派な宵月。時間は、確かに経っていた。

 

 何気なくリィンが城門に手を掛けてみたが、開く気配は微塵もない。ついでに言えば、先程までは確かに感じていた怨霊が跋扈する嫌な気配も、全く感じなくなっていた。

 

 

「あれは……一体……」

 

 ラウラが呟いたように言った一言が、全てを物語っていた。

 しかし、あれが何であったのかなど、リィン達にとってはどうでも良かった。

 各々がその場所で感じた事、そして思った事、それは決して幻ではなく、確かに魂に刻み付けられた。

 ならば、それ以上に考慮すべき事はない。偉大なる先人に出会えたという、ただそれだけに感謝を述べて、踵を返した。

 

「まぁ、色々と聞かなきゃいけない事はできたけどね」

 

「違いない」

 

 アリサの言葉に、全員が頷いた。

 それは各々の大切な人物に関わる事で、それを聞けば後には退けず、しかし前にも進めない事。

 それを問う覚悟を決めてから、リィン達は幻影の古城を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――どうやら行ったようですわね」

 

 

 ローエングリン城、玉座の間。

 屹立した三人の戦乙女達の中で、デュバリィがそう呟いた。

 

「そうか、行ったか」

 

「ふふ、惜しい事をしたわね。私個人としてはもう少し遊びたかったのだけれど」

 

 その呟きに、アイネスとエンネアも言葉を挟む。そんな二人を、デュバリィはキッと睨み付けた。

 

「貴女達は真剣味が足りませんわよ。途中から楽しんでいたでしょう」

 

「それを言うなら其方とて、個人の感情を発露させていたではないか」

 

「む……」

 

「まぁ、いいじゃない。どうであれ、あの子達の”格”は見定められたわけだし、ね」

 

 そのいずれもが、鍛練の末に化けるであろう英雄(エインフェリア)の卵たち。

 後に訪れる動乱の時代に在って、意志を曲げず、覚悟を貫ける若者達だと、そう彼女らは判断した。叶うならば、大空を舞う翼を手にした彼らともう一度相見(あいまみ)えたいと思うほどには。

 

 そんな彼女らの評価を聞いて、玉座の間に現れた至高の騎士は満足げに頷いた。

 その姿を視界に収めて一様に傅く三人に礼は不要である旨を伝えてから、嘗て自身の席であった玉座に再び腰掛けた。

 

「どうやら、遠路レグラムに足を伸ばした甲斐はあったようですね」

 

「マスターのご思慮には感服するばかりでございます。我々としても、諦観していた価値観に再び火を灯されたような思いでございました」

 

 己が武器を握ったばかりの頃、未だ未熟であった時分には、彼らのように脇目も振らず燃え盛っていた時期があったのだと。

 いつしか”達人級”の武人として過ごすうちに希薄になりかけていた熱い思いが、図らずしも彼女らの胸にも宿ったのだ。

 傅きながらそう言う彼女らに微笑みを送ってから、アリアンロードは玉座の間に集った他の者らへと視線を向けた。

 

 それは、先程までリィン達を襲撃していた亡霊の集団だった。

 一見意志もなければ知能すらもなさそうなそれらは、しかし一分の乱れもなく整列し、戦乙女達と共に拝謁の礼を取っている。

 

「其方達にも感謝を。肉体は滅び、魂のみの存在となっても尚、この城を守り通したその忠義。其方らの主として誇りに思います」

 

 そこに在ったのは、有象無象の亡霊などではない。

 嘗て玉座に座する至高の騎士と共に戦場で轡を並べた者達。摩耗し、消滅しかかった魂の最後の力を以てして、彼女に最期の忠義を尽くしたのである。

 

「故、もう眠りなさい。其方達の勇姿は、この私が刻み付けておきましょう。―――大義でした」

 

 その言葉を聞くと共に、亡霊たちは一斉に光に包まれて消えていく。

 鎧が、剣が、髑髏が、それぞれ誇らしげにこの世を去って行く。その光景を最後まで見届けてから、アリアンロードは立ち上がり、振り向きざまに玉座に向かって槍を一閃した。

 砕ける玉座。しかしそれを見咎める者は誰一人としていなかった。

 それは、至高の騎士の覚悟。最早≪槍の聖女≫リアンヌ・サンドロットはこの場所に戻ってくる事はないという、不退転の意志の表れだ。

 

「皆、行きますよ。≪盟主≫様の御心に沿う為に、騎士の誓いを果たしに参ります」

 

「「「御意に、我が主(マイマスター)」」」

 

 そして、騎士らは宵闇に消える。

 

 白金と白銀の残照は、儚い夢の如く舞い散るように失われた。

 

 

 

 

 

 




 レグラム編最終話です。如何でしたでしょうか。

 ……えぇ、はい。今年中に投稿したいなーなんて言ってたくせに何でこんな早いのかと申しますとですね、こんな感じです。

「あー、上手く書けんなぁ」→「気分転換にニコ動でも見るか」→「お、『Dies irae』の作業用BGMかぁ。これ聴こう」→「…………」→「あ、書けちゃった」

 はい、『Dies irae "Mephistopheles"』、『Einherjar Nigredo』、『Gregorio』、『Rozen Vamp』辺りですかね。明らかにタイピングの速度が上がったのは。もう最高でした。

 次回からSide:クロスベルに戻ります。多分。


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情愛のカタチ  -in クロスベルー ※

 




 えー、皆様。新年あけましておめでとうございます。
 本当は80話という区切りで新年を迎えたかったのですが、この79話を以て2016年1本目とさせていただきます。

 紅白はあまり見てませんでしたがガキ使は見た。とりあえず三が日はゆっくりしたいですねぇ。

 では、前置きはこれくらいにして新年1本目、行きましょう。

 クロスベル編、後半です。







 くあ、と欠伸を噛み殺しながら、レイはクロスベル行政区の一角にある帝国大使館の門を潜って外に出た。

 相も変わらずにギラギラと照り付ける朝日を鬱陶しく思いながらも、近くの屋台で売っていたフルーツのスムージーを購入して、噴水近くのベンチに座ってボーっとしながらそれを啜る。

 程よく冷えたそれが喉元を嚥下する刺激で、眠気が徐々に覚めて行く。そして紙コップをゴミ箱に投げ入れる頃には、いつもの調子を取り戻していた。

 

 

 8月29日、西ゼムリア通商会議の開催が翌日に迫った日。

 昨夜に義兄のアスラと別れ、一人寂しく夕食を摂ってから寝泊まりしている大使館に戻ったレイは、書類作業を片付けるはめになった。

 先遣の護衛任務に関する報告書―――主にクロスベル警察、遊撃士協会の警備状況と、市内周辺の治安状況、加え、地下ジオフロント区画の整備具合など、最低限伝えるべき情報の全てを書き込み、帝国政府宛てに送る。

 それだけではなく、現在知り得る限りのテロリストの動き、そして≪赤い星座≫の行動状況、≪黒月(ヘイユエ)≫の動きなども別枠で纏め上げ、こちらは直接宰相宛てに届くように送り付ける。

 その程度の状況ならば既に≪帝国軍情報局≫、その中でも国外防諜を担当している『第三課』辺りが既に掴んでいる事が予想されるが、それでも与えられた職務の内ならばこなすのが彼の矜持のようなものだった。

 決してオズボーンの身を案じているわけではない。だが、”報酬”に釣られて一時とはいえ政府の傘下に入っている今は、こなすべき事はきっちりとこなさなければならない。それがケジメというものだと、レイは思っていた。

 

 そのような書類作業を淡々とこなしていると、既に朝日が昇ろうかという時間帯になっていたのである。

 その後軽く仮眠は取ったが、朝日を浴びると上手く眠れないという学生生活の癖に阻まれて、結局2時間も寝る事ができなかった。

 とはいえ、1日や2日程度寝なくても、活動自体に支障は無かったりする。不眠不休で3日間同じ標的(えもの)を狙っていた時もあったし、書類作業に追われて朝を迎えるなど、クロスベル時代にはよくあった事だ。

 

「(下手に寝たら睡眠バランス狂うしなぁ)」

 

 国際会議を翌日に控えた今、昼夜逆転の生活に体を慣らすわけにも行かず、レイはいつも通りの時間に外を出歩く事にした。

 ノルマの仕事は全て終わらせたのだから、息抜きをしてもバチは当たらないだろうという考えで暫くベンチの上でのんびりとしていると、知った面子が目の前を通りかかった。

 

 

「おー、ロイド。それにお前らも」

 

「あ、レイ」

 

「おいおいどうしたよ、徹夜明けのサラリーマンみたいな表情してるぜ、お前さん」

 

「まさにその通りだよ馬鹿野郎。こちとら徹夜明けだ」

 

 通りがかったロイド達特務支援課一向に対してそういった言葉を交わすと、徹夜という言葉に反応したノエルが心配そうな表情を浮かべた。

 

「て、徹夜って。それって……えっと、仕事でだよね」

 

「もち。あぁ、別に心配要らんって。この程度遊撃士時代は日常茶飯事だったしな」

 

「相変わらずあそこはブラック企業も真っ青だねぇ」

 

「これが平常運転だから困るんだよなぁ。―――それより、お前達は仕事か?」

 

 こんな朝早くからご苦労さん、と労うと、ロイドは苦笑しながら説明をした。

 

「あぁ、うん。確かに仕事だけど支援要請で動いてるんじゃないんだ。これから警察本部に向かって、警備任務の最終打ち合わせだよ」

 

 基本的に帝国政府側のみを警護していれば事足りるレイとは違い、クロスベル警察の面々は「通商会議を無事に終わらせる事」を念頭に置いて行動しなくてはならない。

 その為にこなさなくてはいけない仕事の量はレイの比ではないだろう。特に防諜・防テロの専門家である捜査一課の人間は目まぐるしく動いている筈だ。

 

「そうか。ま、頑張ってくれ」

 

「あぁ。レイもちゃんと、休める時に休んだ方が良いと思うぞ」

 

「ご忠告感謝しとく。それじゃあな」

 

 ロイド達を見送ってから、レイもベンチから立ち上がって歩きはじめる。

 

 気軽な感じで送り出してはみたが、彼らの警備任務が何事もなく平穏に終わる可能性は限りなく低いと見て良いだろう。

 現段階でも、帝国でギリアス・オズボーンの強硬政策に実力行使を以て反抗する≪帝国解放戦線≫が暗躍し、そして共和国方面では、東方系移民の受け入れに好意的なロックスミス大統領に反抗する反移民政策主義の一派が存在する。

 それに際して帝国政府は報奨金1億ミラで≪赤い星座≫を雇い入れ、共和国政府も≪黒月(ヘイユエ)≫と裏で取引を行っているという情報がある。

 どう転んでも不穏な臭いしかしない現状では、「厄介事を起こすな」という要求の方が難しい。

 

 踊らされている(・・・・・・・)という感覚は、確かに感じていた。

 二大国が沽券と利益を賭けて(はかりごと)を行っているというのは、現時点では推測に過ぎない。というよりも、そもそも今はいち学生の身分でしかないレイに、それを指摘する権利などは存在しない。

 

「チッ……」

 

 誰にも気づかれないように舌打ちをしながら、レイは協会支部の方へと足を進める。その途中で差し入れを購入してから、いつものように遠慮など微塵も見せずに支部の扉を開いた。

 

「うーい、生きてるかー」

 

「あらレイ、一昨日ぶりね」

 

 流石に二連続で煽りにかかるのはやめたレイだったが(因みに「生きてるかー」というのはクロスベル支部での仲間同士での合言葉である)、1階の受付部分にはいつも通りミシェル以外の人影は見えなかった。

 一見忙しくないように見えるのは、表面上だけだ。傍にあるボードを見てみれば、大量に画鋲で張り付けられた依頼書の束が重なっている。

 流石に1日で処理するような量ではないのだが、歴戦の猛者であるクロスベル支部の人間はこの量を数日で綺麗さっぱり片付けてしまう。しかし片付けた頃にはまたボードが新しい依頼書で埋まっているというエンドレスが続くのだ。

 並の人間なら数日で肉体的、もしくは精神的に壊れるし、或いはその両方も有り得る。

 故に他支部からの応援などは気軽には呼べない。”壊して”帰してしまうと、トラブルの元になるからだ。

 無論、可能な限りそうさせないようにしている辺り、仕事を回しているミシェルの辣腕さが良く分かる。レイが所属していた頃にも幾度か本部への栄転の誘いがあったのだが、本人は「興味ないわ」とバッサリ切って捨てていた。というより、ミシェルがいなくなればこの支部は1週間と保たずに潰れるに違いない。

 

「他の奴らはもう仕事?」

 

「男衆はもう行っちゃったわね。リンとエオリアと……あぁ後シャルちゃんが今2階で仮眠を取ってるわ」

 

 その中のあまり聞き覚えがない名前にレイが一瞬だけ考えるような仕草をみせてから、すぐに「あぁ」と理解を示した。

 

「シャルってーと、この前言ってた新人か。何ヶ月になるんだ?」

 

「もう4ヶ月はいるわねぇ。正確にはウチで遊撃士資格を取ったんじゃなくて、レマン本部からの派遣だったから最初は心配だったんだけど……フィリスちゃんが太鼓判を押した子だけあって優秀よ」

 

 遊撃士協会本部のあるレマン自治州の訓練場、『ル=ロックス』の管理人である女性の顔を思い浮かべながら、ミシェルは誇らしげにそう言った。

 その女性の事は、レイも知っている。リベールで遊撃士になる直前、カシウスの勧めでその訓練場に赴いて事前的な知識などを僅か2週間程度で叩き込まれた事があるからだ。その時の教師役が主に彼女であったから分かる。

 人を見る目に長けている彼女が太鼓判を押したというのなら、その実力に間違いはないのだろう。

 加え、この支部で4ヶ月もやっていける胆力があるのならば、将来的にも有望だ。

 

「ただ、ねぇ」

 

「?」

 

「今まで特に大きなトラブルらしきトラブルを抱えた事はないんだけれど、ちょっと引っ込み思案な衒いがあってねぇ。もうちょっと自信を持っても良いと思うんだけど」

 

「謙虚過ぎるところがあるって事か?」

 

「うーん、まぁ、見て貰った方が早いかもしれないわねぇ」

 

 着いてきて、というミシェルの言葉に促されるままに2階への階段を上がるレイ。自分が居た頃と変わり映えのしないその場所に少し安堵感を覚えてから、視線を隣室へと繋がるドアに向けた。

 その先にあるのは仮眠室。一応二部屋構造になっており、男女別になっているのだが、基本的に切羽詰まっているこの職場では男女間のイザコザなど皆無に等しいのでごちゃ混ぜに使用しているのが現状だ。

 その一室をノックもなしに開けるミシェル。普通ならマナー違反とも言われかねないが、一刻の事態を争う状況も有り得るこの職場では、倫理観よりも手際の良さが重要視される。

 

「リンー、起きてるかしら?」

 

「んー? あ、ミシェル……と、それにレイまで。どうしたのさ」

 

 応えたのは二段になっている簡易ベッドの上で足を軽くばたつかせながら武具カタログに目を通していたリン。

 

「シャルちゃん起きてるかしら?」

 

「あー……シャルならそこだよ。いつもの感じ」

 

「うへへ~、シャルちゃんが一人、シャルちゃんが二人~♪」

 

 そう言って指さした先に居たのは、一人の少女をがっちりとホールドして夢の世界を旅しているエオリア。

 その抱きしめられている側の少女に見覚えがない事から、彼女が件の新人である事は理解できたのだが、しかし。

 

「う~ん……ご、ごめんなさいすみません苦しいです離れて下さいお願いしますお願いしますぅぅぅぅ……」

 

 その少女は完全にうなされていた。

 身動きが取れるのは首から上と手首足首から先だけという絶望的な状況でも眠り続けていられるその胆力は評価できるが、流石に起きなければ色々な意味で危ないだろう。

 そう思ったレイはまずエオリアの意識をこちらに向ける為に耳元で甘いおはようボイス(※内容非公開)を囁く。

 そしてまんまと飛びかかって来たところで【怨呪・縛】を使って徹底的に縛り上げ、簀巻き状態にしてから窓の外に放り出して廃棄。

 その一連の”慣れた”動作を1分と掛からずに終えた頃には、既にミシェルがその少女を起こしていた。

 

「ほーら、起きなさいシャルちゃん」

 

「うう…………あ、あれ? ミシェルさん? ―――はっ、も、もしかして私、寝過ごしちゃいましたか⁉ あぁすみませんごめんなさい‼ かくなる上は東方に伝わる最高位の懺悔法、ハラキリでお詫びを‼」

 

「あーはいはい、落ち着きなさいって。別に寝過ごしてるわけじゃないから。それとハラキリはやったら死んじゃうから」

 

 その少女―――シャルは、目を覚ますなりコンマ数秒で床に飛び降りて土下座の姿勢を取り、こちらの理解が追いつかないレベルの早口でミシェルに向かって謝り倒した。

 場慣れしている―――とはやはり違うだろう。単にその絵面は、彼女の内面をこれでもかと表してるように見えた。

 

「(……ん?)」

 

 そしてそんな彼女に対して、レイは思わず薄い違和感を抱いてしまった。

 普段ならこうした類の違和感は鋭い勘を使ってその正体を手繰り寄せてみせるのだが、それをしなかったのはレイ自身、猜疑心を向けるような子ではないと当たりを付けていたからだろう。

 

「変わっているだろう? 彼女は」

 

 すると、二段ベッドの上段から逆さ吊りになる形でリンが顔を近づけて話しかけて来た。足の力だけでベッドの柵に体を固定しているとは思えない程の余裕ぶりだったが、これでも”準達人級”の遊撃士。この程度は朝飯前と言える。

 

「あんなでも、問題解決能力はアリオスさんが一目置くほどだ。戦闘能力の方もサポート役としては中々に優秀だぞ。体験者だから分かる」

 

「得物は……飛び道具か。弓って雰囲気じゃないから銃か?」

 

「流石に察しが良いな」

 

 彼女の動きは目覚めてから飛び起きるまでの僅かしか見ていないが、扱う得物が白兵戦用か飛び道具かは動く際の重心の掛け方で大体分かる。

 正直なところ得物の詳しい所の特定は半ば勘だったが、それでも当てられたところを見るに、まだ観察眼は鈍っていないかと再確認する事ができた。

 

単身活動(ソロ)でもない限り絶対に前に出ようとしない。自分の戦闘領域(テリトリー)を知り尽くしてるタイプの堅実な戦いが得意だ。

 銃の制動力はまだまだだが伸びしろがある。寧ろそれを補えるレベルの高い魔力制御が強みだな」

 

「総魔力量が高いって事か?」

 

「―――いや」

 

 そう否定してから、リンは声色を一段階低くして続けた。

 

「際立って魔力量が高いってワケじゃあない。それこそ単純な魔力量ならエオリアの方が上なくらいだ。だが、使い方が上手い(・・・・・・・)

 

 成程、とレイは納得する。

 つまるところ、ユーシスのようなタイプの人間なのだろう。魔力量だけで見れば優れている者はいるが、その制御は群を抜くタイプ。

 それは、このクロスベル支部には貴重な戦力であるとも言えた。

 ”達人級”であり、単身で軍隊も相手取れるアリオスは言わずもがな。リン、スコット、ヴェンツェルは積極的に攻めていくタイプであり、唯一のサポート要員だと思われていたエオリアも興が乗ってくると悪乗りして”実験”を開始したがる悪癖がある。気付けば全員がアタッカーになっている事はしばしばだ。

 それでもこれまで特に大きな問題も起きなかったのはそれぞれの地力の高さと、なんだかんだで良い方向に作用するチームワークがあったからだろう。

 

 つまるところ、そんな面々をサポートできるだけの技量を持つ新人というのは、実は稀少で、貴重なのだ。

 

「あぁ、なら”染める”なよ? 後方支援系の戦闘員ってのは得難いんだから、エオリアみたいにしちゃイカン」

 

「いや、エオリアに関してはお前も戦犯だと思うんだけど」

 

「性格に関しては知らん」

 

 そんなやり取りをしてから、レイはシャルへと近づいていった。

 すると彼女の方もレイの存在に気付き、どことなく緊張感が高まって表情が張り詰める。それを解すために、なるべく柔らかい笑みを浮かべて床に膝をつけたままのシャルに対して手を差し伸べた。

 

「初めまして、だ。有望な新人さん。俺はレイ・クレイドル。昨年の12月までこのクロスベル支部で働いてた遊撃士だ」

 

「あっ、はっ、はい‼ 存じ上げておりますです‼ ”クロスベルの二剣”のお話はレマン本部にも届いていました‼ お会いできて光栄でございますですのです‼」

 

「うん、とりあえず落ち着こうぜ。語尾がワケ分かんない事になってる」

 

 取り敢えずその場で深呼吸を数回させると、その臙脂色の瞳に落ち着きが戻って来る。ミディアムボブカットの空色の髪の揺れも収まった。

 

「ふぅ……ご、ごめんなさい。私、昔からアガリ性で……色んな人から”もっと自信を持った方が良い”と言われてるんですけれど……」

 

「あぁ、まぁ分からんでもないわなぁ」

 

 一般的に人見知りという性格は宜しくないとは言われているが、レイは特にそうは思わなかった。特にこういった、コミュニケーションを取ろうとアプローチをしている人物ならば尚更だ。

 勿論遊撃士という職業である以上、対人能力はなければやっていけないのだが、この支部で4ヶ月も勤めている以上、それが過剰に欠如しているとは思えない。

 言ってしまえば個性のようなものだろう。初対面でいきなり尊大な態度を取る輩などよりかはずっと良い。

 

「しっかし、俺の名前ってそんなに広まってんの? たかが準遊撃士だぜ?」

 

「あら謙遜。らしくないわね。年齢規制に引っ掛かってるだけで実質A級相当の活躍してるアナタが良く言うわ。そうでなくても二人の≪剣聖≫に認められてるってだけでも注目される理由としては充分じゃない」

 

 大小問わず、リベール、クロスベルの両支部で解決した案件の数は多く、中にはB級以上の遊撃士数名で挑まなければならない筈の危険度高ランクの魔獣をも難なく斬り伏せてしまう実力。

 金銭は求めず、名誉も求めず、そんな彼を事情を知らない者達は聖人などとも持て囃したが、彼の過去を知る遊撃士本部の人間は、≪結社≫に在籍していたその経歴を恐れて、レイに正遊撃士になるための条件の一つとして”16歳以上である事”というものを加えた。

 それについて、特にレイは思う所などなかったし、寧ろ当然、否、この程度の条件の追加でよく許してくれたものだとも思ったものだった。

 何せ協会にとっては不倶戴天の存在である筈の≪結社≫―――それも武闘派の≪執行者≫として行動していた過去を持つ自分を、幾ら≪剣聖≫カシウス・ブライトの推薦があったからと言って早々に受け入れられるはずもない。

 遊撃士としての資格を取って4年。本部でもそう言った噂が流布されているという事は、少しは認められているという事なのだろうか。

 

 そんな事を思っていると、彼女らしく控えめに、少しだけ首を横に振った。

 

「あ、い、いえ。確かに本部でその話が持ちきりだったのは確かだったんですけど……私がレイさんを知った経緯は、その、別なんです」

 

「別?」

 

「は、はい。良く姉様がお手紙でレイさんの事を話されていて……私も直接ご挨拶したかったんですけれど、クロスベル支部に出向いた時には既に留学されていたので……」

 

「ほー、姉ね。……うん? 姉?」

 

「えぇ。あ、そ、そう言えば私の自己紹介がまだでした。すみませんごめんなさい」

 

 漸く違和感の正体が氷解して来たレイを前に、シャルはペコペコと申し訳なさそうな表情のままに自らの名を名乗った。

 

 

「じゅ、準遊撃士2級、シャルテ・リーヴェルトです。いつもクレア姉様がお世話になっていますっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 エレボニア帝国でも有数の老舗楽器メーカーである『リーヴェルト社』。

 その先代社長、現会長の長女であるのがクレア・リーヴェルトであり、彼女自身がかなり裕福な家系の出身である事くらいは、勿論レイとて知っていた。

 しかし、”社長令嬢としてのクレア”の姿というものを目にした事はない。レイが今まで見て来たのは、士官学生として思い悩んでいた時の彼女と、国の防人として職務に励む軍人としての彼女の姿。

 強い意志を瞳に宿し、凛として戦う彼女の姿に惚れたせいだろうか。今まで彼女の口から実家に関しての事柄を聞こうと思った事がなかったし、それでもいいかと思っていた自分がいた。

 

 だからこそ彼女に実の妹がいた事など知らなかったし、ましてやその子が故郷を離れて遊撃士を志していた事も勿論知らなかった。

 そして今、何の因果かこうして出会い、共に見慣れた東通りを歩きながら言葉を交わしている。

 数奇な出来事というのもあるものだなと、レイは改めて実感していた。

 

 

「似てません、よね。私と姉様って。昔から良く言われてきましたし」

 

 そう言って自分を卑下するシャルテだったが、いや寧ろ外見は少し前のクレアに瓜二つだぞと、レイはお世辞抜きでそう言った。

 髪の色と瞳の色は勿論の事、その髪型は士官学校時代のクレアと同じものであったし、声の質なども似通っている。目元こそ姉の方が上がっているが、それでも微笑んだ時の表情は似ている。だからこそ、当初レイはその余りの整合性故に逆に違和感しか感じられなかったのだ。

 確かに性格こそ対照的だろうが、寧ろそこまで似通っていたら逆に怖いだろう。

 

「……ゴメンな」

 

「ふぇ?」

 

 次の仕事までまだ余裕があるという事で、眠気覚ましに東通りを歩きながら、遂にレイが罪悪感に駆られてその一言を口にした。

 何を言われたのか理解できないと言わんばかりに首を傾げるシャルテをよそに、レイは自虐気味な声色で続ける。

 

「俺はさ、お前の姉さんの事が、クレアの事が好きなんだ。それだけは誓って言えるんだよ」

 

「……はい。それは姉様の手紙にも書いてありました。恋い焦がれた殿方がいる。そしてその方も、私の事を好いてくれている、と」

 

 ですが―――と、シャルテは一瞬だけ気まずそうに言葉を詰まらせたものの、勇気を出してその続きを口にした。

 

「……その方が向けてくれる愛にも誠実さにも偽りはないけれど、それは私だけに向けられたものではない。とも、短く書かれて、いました」

 

「……本当に、仲が良いんだな」

 

 姉妹仲が良くなければ、手紙の上とはいえここまで心中を赤裸々に語る事はしないだろう。それだけ、クレアも妹であるシャルテの事を信頼しているし、愛しているという事が伝わってくる。

 だからこそ、レイは彼女に対して本当の事を伝えなければならなかった。

 

「まぁ、そうだ。そうなんだ。俺はクレアの事が好きだけど、他に二人、好きな奴がいる。

 あぁ確かに、二股三股野郎って謗られても文句なんか言えねぇし、言い返す資格もねぇ。だからシャルテ、お前には俺をボロクソ言う資格があるんだぜ?」

 

 普通の倫理観で見るならば、こんなに堂々と屑な発言をする男の言う事など好意的に見る異性はいないだろう。

 ましてやシャルテは当の本人の身内なのだ。普通なら怒るのが筋だろうし、そしてそれをレイは甘んじて受け止める気でいた。

 しかしシャルテは、一瞬キョトンとした表情を浮かべてから、「あぁ」と声を漏らす。

 

「そう、ですね。私も一応、力不足ながら姉様の幸せを心から願っていますし、そういう意味では少し、複雑ではあります。はい」

 

「だろ? だったら―――」

 

「でも」

 

 恐らく初めて、シャルテは意志の強さを感じさせるような光を瞳に浮かべてレイを真っ直ぐに見据えた。

 

「本当に、姉様は幸せそうだったんです。手紙の上だけでしたけれど、自分が好きになった人が他にも好きな人がいるって事を分かった上で、それでも好きなんだって。

 ……姉様の事ですから、多分本当に邪な感情で近寄って来た人には心を開きません。冷たく一蹴すると思いますよ」

 

「…………」

 

「後は……はい、私も、レイさんがそんな人だとは思えませんし。

 直接お会いして数時間も経ってませんけど、分かっちゃうんです、私。昔からこんな性格だったので、よく虐められたりしてましたから。

だから、人の悪意に敏感(・・・・・・・)なんです。……それ以外にも色々と敏感だったりするんですけれど」

 

 故に彼女は、目の前の少年が愛する姉の恋心を弄ぶような輩ではない事を最初から見抜いていた。

 見抜いていた―――だからこそ、レイの口からその証拠が聞きたかったのだ。嘘でも誤魔化しでもないただの本音―――クレア・リーヴェルトを愛しているか否かを。

 

 それを見極めている間だけ、彼女は目の色を変えていた。

 内心的で遠慮するようなそれから、見抜いて明かす探偵の如きそれへと。

 

「(……成程、適性はある、か)」

 

 他者の心を読み、先手を打つという事柄に関しては、どうやらこの姉妹は似たり寄ったりの適性を持っているらしい。アリオスが一目置いているというミシェルの言葉も、今なら信用できる。

 

「だから、レイさん」

 

 そんな事を考えていると、シャルテはレイに向かって深々と頭を下げて言った。

 

「姉様の事、どうかお願いします。あぁ見えて意外と寂しがり屋で辛い事とか全部自分の中に仕舞いこんじゃうので……いや、私も人の事言えないんですけれど」

 

「―――おう、了解。絶対幸せにするから、心配要らないさ」

 

 一日前にシャロンの事を頼まれ、今度はクレアの事をそれぞれ身内に頼まれる。一般的に見れば正しい事ではないのだろうが、信頼されているというのは男冥利に尽きるというものだ。

 後はそれを裏切らない事。―――それが、レイが今見せる事の出来る唯一の誠意だろう。

 

 それを改めて決意し、そろそろ支部に戻ろうかと思った時、朝に出会って以来の面々と再び顔を合わせた。

 

 

「あ、いたいた。おーい、レイ」

 

「ん? おー、ロイド。会議はもう終わったのか?」

 

「あぁ。最終確認だけだったからね。予定より早く終わったよ」

 

「あ、み、皆さん。お疲れ様ですっ」

 

「おー、シャルちゃん相変わらずカワイイねぇ。今度俺とメシでもどう?」

 

「ノエル、ミレイユさんのENIGMA(エニグマ)の番号って何だったかしら」

 

「えーと、ちょっと待ってくださいねー」

 

「おいバカやめろ」

 

 当然と言えば当然ながらシャルとも面識があるらしい特務支援課の面々を一瞥してから、レイはふと疑問に思って再びロイドに話しかける。

 

「んで、何か用か? どうやら俺を探してたみたいな感じだったが」

 

「あぁ、うん。実はそうなんだ。―――ちょっと君にお願いがあってね」

 

 そう言うとロイドは、レイに向けて軽く頭を下げる。

 意味が理解できなかったレイは小首を傾げたが、その疑問を口にする前にロイドからその”お願い”の内容が告げられた。

 

 

「頼む。俺達と一度、模擬戦をしてくれないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 1月6日は聖戦です。
 何があるのって、Fate/Grand Orderの新年ガチャですよ。カルナとアルジェナとか絶対引き当てたい。当たんなかったらマジ恨みますぜ庄司サン。

 初登場。クレアの妹、シャルテ・リーヴェルトちゃん。年齢16歳。
 身長は多分トワ会長よりほんの少し高いくらい。つまり同年代と比べて明らかにロリ体型。
 レイが抜けてホントマジ洒落になってないくらいに忙しくなっていたクロスベル支部に現れた救世主(戦力的にも精神的にも)。
 因みに以下、イメージイラスト。


【挿絵表示】


 次回、「ちょっと、地獄見ようか」の1本でお送りします(※正式タイトルではありません)。

 では新年記念としてもう一つイラストを投下していきます。
タイトルは……じゃあ「過去と現在」で。


【挿絵表示】


 それでは皆さん、今年一年もよろしくお願いいたします。


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未来への試練  ーin クロスベルー ※






「俺も含めてここにいる仲間はもう家族だ。なら皆で、お前の家族を取り戻せばいい」
   by 百夜優一郎(終わりのセラフ)









 

 

 

 

 

 クロスベル警察『特務支援課』。

 設立は今年、つまり七耀歴1204年の1月。部署を立ち上げたのは元捜査一課所属で、警察学校の職員も経験していたセルゲイ・ロウ。

 設立の目的は「市民の安全を第一に考え、要望に応える事」。―――しかしそれは遊撃士の仕事内容と被る点も多く、既に”クロスベルの二剣”の内の一人が諸事情により支部を離れていたとはいえ、市民から絶大な信頼を得ていた遊撃士と肩を並べるまでに至るというのは、そう簡単な事ではなかった。

 

 積み重ねた地道な成果。

 「人気を遊撃士から取り戻す」などという浅薄な考えではなく、ただ依頼人の悩みを解消するため、そして社会の理不尽を未解決のまま終わらせられないという正義感に則って動いていたに過ぎない。

 その過程で、幾つもの試練や死線を潜り抜けて来た。大物政治家や巨大マフィアが深く絡んでいた大事件に抗い、立ち向かい、遂には国事にも害を為さんとしていた元凶を倒す事で解決へと導いてみせた。

 

 ”遊撃士の真似事””猿真似支部”などという揶揄も聞こえなくなってきていた彼らは、それでも驕る事無く今でも精進を続けている。その姿勢を評価している者は少なくない。

 そうでなければ、堅物で知られるアレックス・ダドリーが国際会議の警備シフトの中に彼らを組み込む事もないだろう。

 

 それらの功績、そして常に最善の結果を導き出すために邁進するその姿を、ミシェル経由でレイは伝え聞いていた。

 そうでなくとも、結果を残し続ける彼らを前に”侮る”などという愚かしい選択肢を残すほど幼稚な思考をしている彼ではない。

 見知った顔が半数以上を占めている事については敢えて触れるつもりはないが、間接的に彼の恩人たちとなった彼らの実力を見てみたいと思ったからだろう。ロイドからの模擬戦の申し出に、レイは特に悩む事無く頷いた。

 

 

「場所はどうする?」

 

「そうだな……西クロスベル街道を少し行ったところに人目に付き辛い広めの場所があるから、そこにしよう」

 

 案外あっさりと決定した模擬戦の場所。そこはレイも幾度か足を運んだ場所であり、場所の形状もすぐに思い出す事ができた。

 しかし、思い立ってすぐ行動に移ろうとした矢先、それまでノエルやエリィと談笑してたシャルテがおずおずと右手を挙げて言った。

 

「あ、あのぅ……も、もしお邪魔じゃなければ私も見学して良いですか?」

 

 よりハイレベルな戦いを見る事で今後の自分の精進の糧としたい、と言って来たシャルテの申し出にも快くOKを出す。

 一応遊撃士の仕事の方はいいのかと聞いてみたが、次の依頼で行くはずの場所が西クロスベル街道の先、ベルガード門の近くであるという事で、見学が終わった後にそのまま向かえば問題ないとの事であった。

 念のため、ミシェルにも了承を得てから、中央通りを経由して西通りから西クロスベル街道へと抜ける。晴天という事もあって支援課の車ではなく徒歩で向かった一同だったが、レイが放出していた殺気に怖気づいた所為で、道中では全く魔獣に遭遇する事もなく目的の場所に辿り着いた。

 

「あー、此処も懐かしいなぁ。魔獣の大群を追い詰めて、此処でスコットやリン達と殲滅パーティーしたなぁ」

 

「言う事がいちいち物騒でしかない」

 

「というか大陸横断鉄道の線路の真横で殲滅パーティーとか苦情が殺到しそうなんですがそれは」

 

 ノエルの言う通り、此処は街道から少し外れて窪地となっている場所であり、鍵が掛けられている鉄のフェンスの向こう側には大陸横断鉄道の線路がある。

 とはいえ此処は一般人はまず立ち入らないような場所であり、線路の整備などを担当する関係者しか訪れない。その為多少暴れても大丈夫なのだが、流石に大規模な殲滅戦をするには不適当な場所だろうと危惧しての言葉だったが、レイは悪い笑みを見せてその疑問に答える。

 

「あぁ大丈夫大丈夫。火器類とか一切使わないで全部白兵戦でカタ付けたし」

 

「え? スコットさんの武器って確か導力式ライフルじゃあ……」

 

「銃口の近くに銃剣付ければ出来るだろ? つまりそういう事だよ」

 

 銃衝・銃剣術とか必須だしなぁ、とレイが呟くと同時に軽くシャルテが戦慄していたが、敢えてそれには反応しない事にした。

 

 

「それじゃあ、始めるか」

 

 そう言ってロイド達から少しばかり距離を取って、レイは愛刀を刀袋から取り出す。

鞘付きのそれを器用に数回回してから、肩に担ぐようにして構えた。

 チリリと、焦げ付くように表層に現れたその闘気を機敏に感じ取り、ロイド達も戦闘態勢に入る。

 5人がそれぞれの戦闘位置に着くのと同時に、シャルテもまた戦闘領域から離脱していた。

 それを見届けてから、レイは目の前で武器を構えた5人の姿を一瞥していく。

 

 前衛はロイドとランディの二人組。トンファーとスタンハルバードという間合いの違う二種の武器を扱う二人を同時に相手するとなると、普通なら厄介である。ロイドの技量こそ未知数だが、既知のランディの武器捌きは取り敢えずそこそこと言って過言はない。重撃のパワータイプと、恐らく技巧派のテクニックタイプ。前衛を飾るには悪くない。

 中衛はノエルとワジの二人。二丁の導力式軽小銃(サブマシンガン)を重さや反動を気にさせないレベルで扱うノエルと、高い敏捷力を武器に足技で攻めて来るワジ。特にワジの方はアーツの技量もそこそこな為、中衛としては申し分ない。二人共が戦い慣れている分、臨機応変な対応が可能だろう。

 後衛はエリィ一人。得物は恐らく競技用に作られた中口径導力式拳銃を改造して実戦用に仕立て上げたもの。形状からして単発式であるため、それ程脅威ではないように思えるが、元が競技用、もしくは狩猟用として用いられていたであろう代物であるため、使用される弾丸の威力はノエルのそれを超えると思われる。加えて漏れ出てきている魔力の質からして得意とするアーツは水と風、そして幻の三属性。典型的なサポート系だろう。

 

 以上の戦力分析を3秒以内に終わらせたレイは、スタンダードな戦法に則って、刀を抜くより前に、移動中に右腕の袖の下に忍ばせていた二振りの投擲用ナイフを手首の返しとバネだけで投げつける。

 狙ったのは唯一の後衛、エリィだ。

 

「っ‼」

 

 上半身の捻りも肩の動きすら使わずに投擲されたそれは、普通であればマトモに飛ぶ事すらないだろう。

 しかし、一瞬だけ瞬いた銀閃と共に裂帛の速さで以て放物線すら描かずに、切っ先はそれぞれエリィの構える銃の銃身と左肩をギリギリ掠めない位置を向いて飛んで行く。

無論、以前巨大ゴルドサモーナに使用したような強力な即効性麻痺毒が塗布されたものではなかったが、着弾すれば銃身のフレームを狂わせる程度の威力は備えていた。

 

「よ、っと」

 

 だがその二振りのナイフは、直線状に割り込んできたワジが放った蹴撃によって防がれる。

 特殊な加工を施したブーツの靴底に当たって打ち上げられ、そのまま高く茂った雑草の中へと消えてしまう。

 

「まぁ君なら、まずはこう来ると思っていたからね」

 

 多対一に限らず、まず潰すべきは後衛役。そんな事は戦法として常識だ。

 なまじ相手が女性だからだとか、仕合いの場でそういう事を一切考慮に入れないのがレイ・クレイドルであるという事を理解していたワジだからこそ、その行動を先読みして動く事ができたのだ。

 

 しかしそれは、レイにとっても予想内だった。

 この状況で自分の思惑を理解して、位置的に、そして性格的に躊躇いなく動く事ができたのはワジだけである。

 それを把握した直後には、既に前衛の二人が闘気を纏って攻撃を仕掛けて来た。

 

「ふッ‼」

 

「おらァッ‼」

 

 初撃はランディのスタンハルバード。そして僅かに遅れてロイドのトンファーの双撃。

 二人の攻撃の間に生じたタイムラグは、決して連携の齟齬から生まれたものではない。前述の通りそれぞれの得物の間合いの違いを巧みに利用した、見事なコンビネーションの成せる業。

 ランディの一撃は躱されるか防御されるかが”前提”となる一撃。それに相手が対応した瞬間、ロイドが繰り出した攻撃が相手の体を挟み込むようにして迫ってくるのだ。

 

「(へぇ、悪くないな)」

 

 一朝一夕では出来ない、コンマ数秒単位での連係プレー。それも各々の技量がそれなりの水準で纏まっている為、相乗的にその強力さが分かる。

 だが、それを易々と食らってやるわけには行かない。大上段からのランディの一撃を≪天津凬≫の柄頭で受け止め、左右から迫ってくるロイドの攻撃は鞘と硬化を施した拳で難なく受け止めてみせる。

 

 しかしその直後、眼帯に隠れて視覚的には死角になる左側に回り込む人影をレイは察する。

 ノエルだ。レイを射程の範囲内に収め、尚且つロイドとランディには当てないという絶妙な位置に回り込み、そこで二丁の導力式軽小銃(サブマシンガン)の銃口が火を噴く。

 とはいえ、放たれた弾丸が掃射を終える直前に、レイは軽業師のような軽妙な動きで二人の攻撃を弾いて背後へと飛び退く。

 

「っと」

 

 息を吐かせぬ繋げ技。それだけでも彼らが相応の修羅場を潜って来た事は計れたが、生憎とレイの評価表はそれだけで及第点を与えられる程甘くはない。

 飛び退いた直後に地面に足を付けると同時、愛刀の鯉口を切って目にも止まらぬ抜刀で眼前の空間を一閃する。

 一見何もない場所を斬ったように思えたその行動だったが、その白刃は違わず自身に迫っていた”それ”を真っ二つに割いていた。

 それは弾丸。ノエルが使用している小口径用のそれではなく、より破壊力のある中口径弾丸。

 それを弾頭から綺麗に真っ二つに割いて見せたのだ。弾道がそれた二つの破片が、そのまま地面へと着弾する。

 

「ッ、銃弾を斬った⁉」

 

「ビビるなよ、ノエル‼ こいつらならこれくらい(・・・・・・・・・・・)普通にやる(・・・・・)‼」

 

 ”達人級”の武人というものの不条理さを十二分に理解しているランディはそう叫び、自分が放った弾丸が普通では考えられない方法で防がれた事で一瞬硬直してしまっていたエリィもそれで正気を取り戻した。

 見えている弾丸程度は(・・・・・・・・・・)捌けなければ逆に不自然という、常人からすれば理解できない不条理。しかしそれを当たり前にするのが達人という者達で、今目の前に立っている少年も、例に漏れずその一人なのだ。

 その恐ろしさの片鱗でも味わう事ができれば御の字だろうと、ランディは密かにそう思う。

 

 戦況は振り出しに戻った。レイが今のところ攻めるような姿勢を見せていない以上、千日手に近い状況に追い込まれる可能性すらある。

 それを打開できる方法を編み出せるか否かが、戦局を打ち砕く鍵となる。ジリジリと睨み合いながら再び間合いを調整するその空気は、これ以上ない程に張り詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその後も、レイは常に受け身に回った状態でロイド達が繰り出す多種多様な攻撃を全て捌いてみせた。

 状況だけ見れば有り得ないと思うだろう。≪教団事件≫の解決など、頭角を現していた特務支援課の面々が、手も足も出す事が出来ずにあしらわれているのだから。

 ……否、正確に言えば”手も足も出している”のだが、その悉くがレイ・クレイドルの服にすら擦過しない。

 

 何故なのかと問われれば、答えること自体は簡単だ。

 攻撃の全てが見切られ、異常なまでの反応速度で以て対応されているだけ。五人が繰り出す連携攻撃を、表情一つ変えずに捌いてみせている。

 

 

「(―――凄い)」

 

 世辞も衒いもなしに、シャルテはその光景を見てそう思った。

 火力が飽和していると言っても決して過言ではない攻撃を、まるで剣舞を舞っているかのような無謬な動きで対処していくその姿。

 手を抜いているわけではないという事は分かる。彼は本気だ。恐らく全力ではないだろうが。

 そも実戦に未だそれ程慣れてはいないシャルテにはレイの動きのカラクリが良く分かっていない細腕でランディの剛撃を易々と受け止めたかと思えば、ロイドとワジの技巧的な技を身一つと刀一本で華麗に防いでみせる。手数では圧倒的な筈の弾丸の雨嵐の渦中に在って、服には解れ一つ足りとも見せていない。

 

 これが、”クロスベルの二剣”と謳われた内の一人の実力。

 レマン本部にもその名が轟いていたA級遊撃士、≪風の剣聖≫アリオス・マクレイン。そんな人物と双肩を張る準遊撃士がいるという噂を耳にした時、シャルテはそれをよくある与太話の類なのだろうと、取り立てて気には留めなかった。

 しかし同時に、火のない所に煙は立たぬとも言う。何の根拠もなしにそんな噂が流れるとも思っていなかったし、そもそも出所が本部の研修生の間でも有名な”魔境”クロスベル支部。それを知ってからはシャルテは、研修の片手間にその情報を集めてみていた。

 

 それに関しての情報は、集めれば集める程与太話臭が高まるものばかりであった。

 B級の遊撃士が複数人でも手間取るレベルの魔獣を一刀両断した。マフィアの事務所に一人で殴り込みをかけて壊滅させた。クロスベル市内に潜入して爆破テロを仕掛けようとしたテロリストを迅速に捕縛してみせた。

 白刃の一振りを手に魔獣の群れを蹂躙せしめる剣の鬼。かの≪剣聖≫カシウス・ブライトに見出された不出生の天才。

 そして―――その名が親愛なる姉が恋い焦がれる男性の名と同じである事が、偶然だとは思えなかった。

 

「(こ、これが……姉様が焦がれた人の力)」

 

 実際にその目で見てみると、その圧倒的な技量が良く分かる。

 剣を手繰るだけではない。ロイド、ランディ、ワジという三人を白兵戦で相手にしながら、ノエルの銃撃にも逐一反応して、加えてエリィがアーツを詠唱できないように投擲ナイフでの牽制も行っている。

 多対一というものに慣れている、というだけではない。後衛型ではないというのに、戦局を完全に把握している。まるで上空に第三の目があるかのように、彼はこの”戦場”を操ってみせている。

 そしてそれは、シャルテが目指している領域の話だった。

 

 自身に白兵戦の才能がないという事は、既に分かっている事であるし、今更それを否定しようとも思わない。

 無論、「才能がない」という事実を言い訳にして敗北を受け入れる程殊勝な性格でもないのだが、それでも自身の強みはまた別の所にあるのだと、それも確信を持って言える。

 後衛から戦局を見据えて、勝利への最善手を見つけ出す。自分がお世辞にも褒められるような性格をしていないという事は理解していたし、それを克服しない限りはその長所を伸ばす事も出来ないだろうと考えていた。

 しかし今、その手本とも言える存在が、目の前で戦っている。

 

 後衛に徹しているシャルテとは違い、自らも激しい白兵戦の渦中に在りながら、それでも戦場そのものを俯瞰し続ける観察眼と洞察力。

 その技量、そして胆力。いつの間にかシャルテは、レイの動きだけを逐一目で追うようになっていた。

 

「(ああした動きが出来れば、私も……)」

 

 姉と同じように強く在れるだろうかと、そうした思いを抱きながら、シャルテは再び戦況を目で追う事に集中し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このままでは埒が明かない、とロイドが思ったのは戦闘を開始してから数十分が経った頃だった。

 まるでこちらの思考が全て予知されているかのように、防がれる攻撃。昨日にその強さは遠目からでも分かっていたので初手から全力で行ったというのに、無情にもそれは彼の服を掠る事すらしなかった。

 遠慮などしていない、掛け値なしの全力。その全てが刀身で、柄で、鞘で、或いは氣で硬化された拳で受け止められる。受け止められたそれを攻撃が”当たった”と判断するならば”服に掠りもしていない”という表現は語弊なのだろうが、生憎と彼の向上心はそんなに低いものではない。

 

 自分達は確実に強くなっていると思っていたし、それは実際間違いではないだろう。

 一度は支援課の体制強化の為に各々が離れて実力の向上を図った。そうして再会してからも、決して慢心する事無く精進して来たと、そう胸を張って言える。

 だがしかし、そうした経緯を経ても目の前の少年に追いつくには余りにも遠すぎるのだと理解してしまった。

 

 強大な相手に立ち向かったのは初めての事ではない。星見の塔で戦った≪(イン)≫、月の僧院で戦った悪魔、グノーシスによって狂暴化したマフィア達や、それら全ての元凶だった魔人化したヨアヒム・ギュンターとの死闘。

 死線を超えるという意味ならば、それなりの状況を潜って来たと自負している。それらに打ち勝って来た事で、多少は強者に迫る事が出来ただろうかと、そう思っていたのだ。

 

 だが、蓋を開けてみればどうだ。

 これまで編み出して来た連携技、武技の数々が悉く通っていない。

 今にしても、ロイドが放ったトンファーの攻撃を腕を難なく掴まれて防がれたどころか、長刀を歯で咥えてランディのスタンハルバードの刃と競り合っているという状況で腕を引かれて足を払われ、投げられる。

 ナイフの牽制を逃れてエリィが放ったアーツ攻撃も、レイが呪力とやらを練り込んで淡く光った拳で殴りつける事で相殺して打ち消すという荒業をも涼しい顔でやってのけたのだ。

 凡そ白兵戦では同時に掛かったところで容易くあしらわれるだけであり、かと言ってエリィやワジに妨害系のアーツを使用してもらい弱体化を狙おうにも、恐ろしい程に高い対魔力に阻まれて効いている気配すら存在しない。

 

 故に分かる。今までレイは一度も迎撃以外で攻撃行動を行っていないが、これが積極的に”攻め”に入れば1分保つかどうかすら危うい。

 だから、攻め込ませるわけにはいかない。まるで時限爆弾の如く、時間が経つにつれて高まっていくレイの闘気の密度。それが最高潮に達する前に決めなければならないという事は、既に全員が本能じみたもので理解していた。

 

「(これ以上引き延ばすわけにはいかない……カタをつける‼)」

 

 ロイドは視線ではなく、指を不規則に動かしてそれで全員に対して合図を送る。

 それに対して頷く事もなく、まずはランディが駆けた。

 

「そうら―――よっと‼」

 

 横薙ぎに振るわれたスタンハルバードの刃は無論レイには届かなかったが、刃に纏われていた炎の魔力が振り抜かれたと同時に余波のように放出される。

 彼が『サラマンダー』と呼んでいるその技は、余波の熱風で火傷の状態異常を引き起こす十八番の技だが、レイにとっては生温い風も同義。

 しかし彼らにとって、それが通用しない事など百も承知だった。

 

「(ん? 何だ?)」

 

 熱風の余波を白人の一閃で振り払うと同時に、足元近くに投げ込まれた二つの金属筒。

 

「(ST型睡眠手榴弾(Sグレネード)―――ノエルか)」

 

 刀を振り切った瞬間という絶妙なタイミングを計って投げ込まれたそれを足で蹴り出す事も出来たが、レイはそれをせず、数瞬後に筒から噴出された白い睡眠誘発ガスに呑まれた。

 とはいえ、この程度のガスを吸い込んだところで体調に異変が起こるはずもない。”達人級”の武人なら体内に瞬時に氣を循環させて解毒を処置する事が可能だし、レイに至ってはそれをしなくとも薬物やそれに類似するモノに対する絶対的な抵抗力を発揮する呪術師の末裔の血が流れている肉体である為、こんなものは目眩ませ程度にしかならない。

 だが裏を返せば―――目眩まし程度にはなる(・・・・・・・・・・)のだ。

 

 視界が濃い靄に包まれ、一時的に不明瞭になった直後、今度はレイの眼前に”それ”が放り込まれる。

 

「(T-82型閃光手榴弾(クラッシュボム)―――‼)」

 

 投げ入れたのはランディだろう。飛んで来たのが直接的な攻撃ではなく更に直接的に視界を奪ってくるそれであった事にレイはほんのコンマ数秒だけ本当に行動が遅れ、反射的に目を閉じるその刹那の直前に至近距離で閃光が弾けた。

 普通であればそれは、失明も有り得る危険な状態だ。しかし瞬時に肉体の自然回復力を活剄で底上げした状態ならば、元通りに光を認識できるまでかかる時間は数秒。

 狼狽える事なく納刀を済ませたレイの魔力感知に引っ掛かったのは、煙の向こう側で発生した時属性のアーツの魔力の残滓。

 この状況で使用するアーツともなれば、選択は限られる。攻撃系統・妨害系統のアーツは基本的に効かない事は既に立証済みだろう。ともあれば後は、補助系統のアーツ。

 

 その応えに至った刹那、煙を突き破るようにして高速の攻撃が飛来する。

 『クロノドライブ』の効果で敏捷力が底上げされたワジが放った蹴撃。一時的とはいえ盲目になっている状態で反応するには余りにも速すぎるであろうそれに―――しかしレイは反応してみせる。

 速攻で放たれた六連撃。しかしその全てを紙一重で躱して見せ、空中で止まった一瞬を狙ってワジの顎元に長刀の柄頭をトン、と突きつける。

 

「―――本気で俺を下してみたいなら、最低でも”聖痕(スティグマ)”くらいは開いて来いや」

 

 ワジの耳以外には入らないような声量でそう呟き、レイは鯉口に曲げて添えていた親指を瞬時に伸ばして鍔ごと柄を高速で弾いた。

 

「ッ―――ガッ」

 

 弾かれた柄頭が端正な顎元に衝突すると同時に、ワジの脳が揺らされて軽い脳震盪が起こされる。

 そのまま膝から崩れ落ちるワジの様子を気配だけで感じ取りながら、しかしそれだけではレイの行動は止まらない。

 顎元に当たって引き戻された柄をそのまま左手で握り、そのまま背後を一閃した。

 

 八洲天刃流【剛の型・常夜祓】。威力を最低限近くまで落とした紫色の斬線は、しかし彼らにとっては本命であったであろうもう一人の人物を吹き飛ばした。

 

「ぐ、あぁっ‼」

 

 直前でトンファーの防御が間に合ったものの、それでも斬撃の威力に敗けて大きく後退させられたロイド。

 本来であれば、ワジの攻撃がよしんば届かなかったとしても、背後に回り込んだロイドが最速の攻撃で以て今度こそ”通す”つもりだった。

 だが、視界を封じられて尚、見えている時と同じように神速の動きと剣閃を繰り出す神業にも匹敵するその実力は流石に予想外であり、攻撃を届かせる前に防御に移行する事を余儀なくされた。

 

「(は、速過ぎ―――えっ⁉)」

 

 しかし、大きく後退してロイドが顔を上げた先には、更に信じられない光景が広がっていた。

 

「か……はっ……」

 

「う……そ……」

 

 ゆっくりと、それこそスロー再生の如く倒れるエリィとノエルの姿。その近くでは、静かに白刃を納刀するレイが堂々と屹立していた。

 状況からして、首筋を峰打ちでもされたのだろうが、それよりも瞠目せざるを得なかったのはやはりその速さだった。

 本気で攻撃に移ったら1分も保たないだろうなどとロイドは先程思ったが、その前言は撤回せざるを得ない。

 

 恐らく、10秒と保つまい。

 そう戦慄するロイドを他所に、レイは【瞬刻】を発動させてランディの懐に潜り込み、すぐさまその首筋に再び抜刀した白刃を突きつけた。

 

「おいおい、寝ぼけてんのか? 攻撃にキレがねぇ。心に迷いがある攻撃が、よもや俺に通じると思う程馬鹿じゃねぇだろうがよ、お前」

 

 厳しく突き放すように放たれた小さい言葉に、しかしランディは言い返す事ができなかった。

 

「ベルゼルガーを持ち出せとは言わねぇが、『ウォークライ』も使わないとはどういう了見だ? 本気で勝つ気あんのか?」

 

「っ……お前には関係ないだろうが」

 

「あぁ関係ねぇわな。ただ、俺が相手するからには(・・・・・・・・・・)半端はナシだ。残ってるのはお前ら二人だ。最後に策略とか抜きに全力で掛かって来いや。

 ―――おう、分かってるとは思うが、適当にかかってきたら本気で潰すからな」

 

 そう言ってから、レイはランディの胸倉を掴み上げ、そのままロイドが吹き飛ばされた方へと放り投げた。

 

俺達(達人級)に追いつきたいのなら、下手なプライドも使命感も全部纏めて脇道に放り投げろ。下らねぇ義務感で追いつかれるほど柔な道辿ってねぇんだよ」

 

 決して憤慨しているのではない。その有様が情けないと嘆いているのでもない。

 ただ彼だけは知っているのだ。遠からずこのクロスベルの地が混迷に陥る事を。天上の玩具箱として嬲られる事を。

 そんな非情な現実に打ちのめされて、膝をついて立ち上がれませんでしたでは笑い話にもなりはしない。

 立ち塞がるモノは多いだろう。だからせめて、この程度(・・・・)は根性で乗り越えて貰わないと話にならない。

 

「お前らの渇望を曝け出せ。自分が命張ってでも抗う勇壮を示してみせろ」

 

 模擬戦だとか、手合わせだとか、そういった事はもうどうだっていい。

 散々彼らの攻撃を受け続けて知れた。彼らは本気で強くなろうとしている。目指す場所まで駆けようとしている。

 生まれも育ちも立場も違う筈なのに、ただ一人の男、ロイド・バニングスという青年に感化された者達が、強く在ろうと思っている。

 それは、一度は死線を潜った者にしか見る事の出来ない姿だ。だからこそ、レイも半端はやめた。

 腑抜けた者がいるならば発破をかける。一度キツい一撃を入れてでも這い上がらせる。

 結局は、いつもⅦ組の面々を相手にしている時と変わらず、レイは本気で相対する者らに応えるのだ。

 

「それができないなら、もう立ち向かってくるな」

 

 その一言を投げかけると、立ち上がった二人から今までにない闘気が溢れ出て来た。

 

 

「悪ィ、ロイド。ちっとガチで行かなきゃならん理由が出来たわ」

 

「生憎だね。俺も同じだ」

 

 直後、ランディが天に向かって吼え上げ、ロイドが灼熱の闘気を噴出させた。

 『ウォークライ』、そして『バーニングハート』。最高にして最大の攻撃を叩き込む用意が整うと、両者が揃って地を蹴った。

辿り着くまでは一瞬だ。その間に、最大火力を注ぎ込む構えを取る。

 阿吽の呼吸が通じる者との間で成す事のできる二対一撃の技。称して『コンビクラフト』と呼ばれるそれが、掛け値なしの全力で叩き込まれようとしていた。

 

 無論、それを避けるようなレイではない。発破を掛けた以上、真正面から討ち果たすのが義務というものだろう。

 土壇場、背水でのこの状況で一瞬の迷いもなく立ち向かってくるその意気や良し。後は知るだけだ。それでも届かない、届かせないのが不条理の体現者である自分ら(達人級)なのだと。

 

 ゆっくりと、それこそ眼前に迫る覇気の奔流など気にしていないとでも言わんばかりに長刀の柄を両手で握り、正眼から最上段へと持っていく。

 そしてそれを、ただ愚直に、最速の速さで振り下ろした。

 

「八洲天刃流―――【剛の型・武雷鎚(たけみかづち)】」

 

 通常、戦闘中は全身に巡らせている氣と呪力。それを全て刀を振り抜く両腕と刀身に集約させ、ただの一撃、最強の一刀を繰り出す技。

 肉体の強化、自然回復力などの一切を破棄して行う、隙の大きいまさに防御を捨てた究極の刀撃。それが【武雷鎚】という刀技である。

 

 白刃はロイドとランディの間を縫うように振り下ろされ、しかし余波として巻き起こった氣と呪力の暴発は、一瞬とはいえ小型の竜巻を発生させるほどだった。

 無論、それに正面から巻き込まれて無事でいられる程、二人の肉体は頑強ではない。

 

「ぐぁ―――ああッ‼」

 

「くそ……おおッ‼」

 

 地面に巨大な斬痕とクレーターを刻み付けたその場所から舞い上げられるようにして、ロイドとランディが一時的に浮遊し、そして受け身を取る事も出来ずに地面に投げ出された。

 頭から落ちるのは避けられたが、背中を強打した事で意識が刈り取られる。

 しかしロイドの視界が暗転する直前、鍔鳴りの音が聞こえると共にレイの声が耳に入った。

 

「……忘れんなよ。俺ら(達人級)と戦って勝ちたいなら、己が勝利する事に疑問を持つな。何が何でも勝ってやるという意思を常に持て。

 その意志が一瞬でも揺らいだら、その場で死ぬぞ。何も護れず、無駄死にするのがお好みじゃないんなら、それをよく覚えておけ」

 

 どこか、二人の身を案じるような口調で言った後、レイはふっと微笑んだ。

 

「俺が見る限り、お前ら二人がしっかりしてりゃ、まぁ何とかなるだろうさ。―――ナイスガッツだったぜ、ロイド・バニングス捜査官」

 

 しゃがみこんで、ロイドの目の前に拳を差し出してくるレイ。それに、ロイドは弱弱しいながらも同じく拳を突き合わせる。

 

「あぁ。……ありがとう」

 

 それだけを言って意識を手放したロイドの姿を見降ろしながら、ふと周囲を見渡してみる。

 最初は良い具合に見極めるだけで終わろうとも思っていたのだが、気付けば随分と調子に乗っていたらしい。あちこちに大きな斬痕が刻まれており、何も知らない人間が見たら大規模な抗争でもあったのかと思わずにはいられない状況が拡がっていた。

 後悔はしていない。いずれ起こる騒動の中で、中心となってしまうのは恐らく彼らだ。

 退かず、呑まれず、屈さず、人智を超えた脅威に立ち向かえるだけの気概を、今回の一戦で少しでも培う事ができたのならば僥倖だ。それを思えば、この程度の被害を修復するのも、そう手間ではないと思える。

 

 その後、修復を手伝うと言ってくれたシャルテに対して「構わない」と言って任務に送り出してから、5人に【癒呪・爽蒼】を掛け、目覚めるまでの数十分間、ひたすら修復作業を行う事となった。

 二等級式神に持って来てもらったスコップを慣れた手つきで使いながら、レイはふと思った。

 

「(……結局クロスベルくんだりまで来てやってる事いつもと変わんねぇじゃん)」

 

 もしも、自分が帝国に行く事なくそのままクロスベルで正遊撃士となって活動していたら、彼らと共に戦う事になっていたのだろうか。

 ≪虚ろなる神(デミウルゴス)≫への憎悪も何もかも捨てて、ただこの街を守りたいという想いだけで彼らと共に歩めたのだろうか。

 

「(……結局、俺も人の事は言えねぇか)」

 

 つまるところはいつもと同じだ。似合わない説教じみた事をして、盛大にスベる。

 結局その悶々とした気分は、気絶していた一同の目が覚めるまで続いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 正月三が日明けてすぐにテストとか、もう学校呪っていいレベルなんじゃないかな。
 親戚の家に赴いて信じられないくらい飯食ったから正月太りしたかなーと思ったんですが、そうでもなかった。そこは嬉しいかも。

 さて、別に地獄を見たわけではなかった特務支援課一同。いずれ来るバケモノ共(※お察しください)との決戦に備えて、少しでも精神的成長が施せればなぁと思いました。
 奇しくも、レイ君がこんな事やってる時、リィン達はガチの地獄を見てました。それに比べれば温い温い(ゲス顔)。

 
 そして、この頃テスト勉強やレポート作成などの間に詰まるとイラストを描き始めるのが癖になって来た私なのですが、今回も投下していきます。
 以前感想欄でどなたかが仰られた、1月だし振り袖姿のイラストがあってもいいんじゃね? という言葉を真に受けて描いたものです。

 
【挿絵表示】


 正月、鏡の前で身だしなみをチェックするサラです。
 ……自分で描いといて何だけれど、何か違う気がするのは気のせいですかね?




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魔都への招待者  -in クロスベルー





「愚か者が相手なら、私は手段を選ばない」
   by 暁美ほむら(魔法少女まどか☆マギカ)







 

 

 

 

 

「お待ちしておりました、オリヴァルト殿下、宰相閣下。ご無事の到着、何よりです」

 

 

 8月30日午前9時。

 クロスベル駅の特別運航車両のホームに停まっていたのは車体が真紅に染め上げられた帝国政府の専用列車。

 名を≪グラーフ・アイゼン≫と呼ばれているそれがクロスベルに招いたのは、この日開催日を迎える≪西ゼムリア通商会議≫に出席するエレボニア帝国の要人。

 即ち、オリヴァルト・ライゼ・アルノール殿下とギリアス・オズボーン宰相閣下を中心とした帝国政府の歴々である。

 

「ふふ、たかだか”隣国”に赴くまでの旅路だ。危険な事などあろうはずもないさ。そうでしょう? 宰相閣下」

 

「そうですな。―――君も務めを果たしてくれたようだな≪天剣≫。報告書には全て目を通させてもらった」

 

「……ありがとうございます」

 

 そんな彼らが護衛の武官や一等書記官らと共に列車から出てくるのを最初は高位の武官達が出迎え、少し離れた場所で並んでいたレイは、前を通ったその二人に”外面用”の恭しい挨拶をする。

 しかし内心は複雑だ。オリヴァルトに対しては、まぁこういった礼を取る事にあまり抵抗はないものの、オズボーンに対して頭を下げるというのは鳥肌ものだ。尤も、本人もそれを分かっている上で恭しい礼を取らせているのだろうが。

 

 とはいえ、いくら内心で拒否反応を起こしているとはいえ、歴々の武官や文官、果ては報道陣が集まっているこの場で帝国代表の二人にいつものノリで不躾な態度を取るわけには行かない。

 それを弁えているからこそ、レイは今、護衛職の末席としての役目に徹していた。

 

「今の所、クロスベル各所に異常はありません。ご安心下さい」

 

「ふむ、そうか。では―――」

 

「いやぁ、そうか。うん、流石”私が見込んだ”だけはある。”トールズ士官学校の理事長”として、まったく鼻が高い限りだよ」

 

 レイの短い報告にオズボーンが応えようとした時、オリヴァルトがそこに割り込んだ。

 ご丁寧に、随所の言葉を強調するパフォーマンスまで行って。

 

「(バーカ。カッコ付けてんじゃねーよ)」

 

 それらの語彙を殊更に強調した理由は、”レイ・クレイドルという存在がギリアス・オズボーンの走狗ではない事”を印象付けるためだろう。

 各国の報道陣、その中には『クロスベルタイムズ』の記者も交じっているが、とりわけこのクロスベルで元遊撃士のレイの存在は有名だ。”クロスベルの二剣”と称され、市民の間で親しまれている程度には。

 そんな彼が帝国の代表であるオズボーンに必要以上に阿るような言動が誇張されてメディアに取り上げられようものなら、帝国嫌いの一部の市民から不興を買う可能性がある。「遊撃士が帝国宰相に魂を売り渡した」などとも言われようものなら厄介なのだ。

 そこでオリヴァルトは「自分が(レイ)を見出して引き抜いた」「”学生”として優秀な存在である」という事を誇張する事でそれを避けにかかったのだ。

 悪名高き≪鉄血宰相≫の走狗ではなく、エレボニア皇族のお眼鏡にかなった存在であると報道されれば、そうした不興を買う事もない。

 

 そんな気を回してくれたオリヴィエに対して僅かばかりの微笑を送ると、当人はとても腹が立つ満面の笑みでサムズアップを返して来た。

 後で張っ倒すと、そんな事を思いながらも感謝の念は残しておく。程なく二人は、案内役の人間に先導されて、護衛諸共駅の外へと出て行った。

 

 その後に続いて来たのは帝国政府の文官。つまるところ書記官だ。

 内政・外交補佐とも言えるその役職は、帝国では一等から三等まで分かれており、その順番に従って道を歩いて行く。

 文官というだけあってきっちりとした身なり、表情で固めている彼らの中に一人だけ薄い笑みを浮かべて緊張感ゼロの表情で進んでいくレクターの姿は殊更に目立っていた。

仮の役職とはいえ、二等書記官の肩書を背負っているのなら”それっぽく”振る舞った方がいいだろうと心の中で思いはしたが、どだいあのお調子者にそれを強要するのは暖簾に腕押しというものだろう。

 

「―――あっ」

 

 そして正式な役職を持った人間が通り過ぎ、メディア一同がこぞって駅の外へと出て行った中、レイに向かって声を掛けて来る人物がいた。

 

「お疲れ様ー、レイ君。早く現地入りするの、大変だったでしょう?」

 

「あぁ、いや。そうでもないっすよ。仕事してる他の時間はテキトーに街ブラついてましたしね」

 

「ううん。レイ君が頑張ってたのは分かるよ。現地の報告書は私も見たけど、すっごく細かく書かれてたもん。いくら遊撃士として知り尽くしてたからって、一度見回らなきゃああは書けないでしょ?」

 

「……ほんと、気遣い方っつーか、察しが良いですよね。トワ会長って」

 

 視線は下に。自分よりも更に幼い容姿をしていながら、未だ貴族が幅を利かせるトールズで平民ながら生徒会長を務める辣腕を誇る女生徒、トワ・ハーシェル。

 その手腕を見込まれて今回書記官補佐として通商会議の場に同席する事となった彼女は、異国の地で同じ学院の、それも見知った顔のレイを発見して嬉しいのか、心なしかいつもよりテンション高めで接して来た。

 

「どーですか? クロスベルの雰囲気は」

 

「うーん、まだ駅からも出てないから何とも言えないなぁ。……でも、随分と個性的な街だって事は分かるよ」

 

 するとトワは、駅の窓からクロスベル市内の様子を一瞥し、少しばかり複雑そうな表情を浮かべてから、声のトーンを一段階落とす。

 

「私もね、一応調べたんだ。クロスベルがどんな場所か、一通り。

 高度経済成長と引き換えに切り離された旧市街、それに政治家の腐敗やマフィアの横行。……うん、本当はね、怖かったんだ」

 

「まぁ、しょうがないっすよ。お世辞にも安全で塗り固められてるとは言い難い場所ですし」

 

 警察や遊撃士がひっきりなしに動き回る都市。自治州の面積など帝国の足元にも及ばないというのに、危険性を鑑みれば恐怖感を感じるなという方が無理な筈だろう。

 なまじ、遊撃士としてこの都市の醜悪な一面を見て来たから分かる。今はまともになって来ているが、レイがクロスベルに来た当初などは酷かった。

 一歩裏路地に入れば、そこはマフィアの温床だった。傷害や窃盗、果ては強姦などの被害すら存在した。

 生半可な正義感程度では払拭できない深い闇。それを間近で感じて来たからこそ、彼はそれでも市民の為に動き続ける遊撃士の同僚の姿に惹かれ、普遍的な正義を貫き続けるダドリーなどの刑事らの姿に感服していたのだ。

 

「でもね、実際にこうやって見てみると、やっぱり来なくちゃ分からない事もあるんだなぁって思うの」

 

 しかし、トワの声は悲嘆には暮れていない。

 

「私はこの街が、悪い所だとは思えないなぁ」

 

「……そっすか」

 

 そう言ってもらえるなら、レイ達が数々の事件の解決に奔走した日々も、ロイド達が平和の為に潜った修羅場も、決して無駄ではないと思える。

 それだけでも、ある意味救われるような心地だった。

 

 しかし、時間上の問題でそれ以上駅構内で話すわけにもいかず、用意された送迎者に乗って一行はそのまま中央広場から行政区を経て、目的地に続く坂を上がって行く。

 そうして登り切った場所に屹立していたのは、青色の巨大な幕に覆われた巨大な建物。レイが初日にIBCビルの総裁室から眺めたそれは、実際に近くで見てみるとより荘厳なものに見えた。

 この『オルキスタワー』の除幕式を以て、西ゼムリア通商会議の開幕となるという事は事前に知っていたが、成程パフォーマンスとしては充分過ぎるだろうと再認識する。

 各国の首脳クラスの人間の度肝を抜いて、あわよくば主導権(イニシアチブ)を取ろうという算段なのだろうが、その程度で心を完全に奪われるほど単純な思考の持ち主ならば、そもそもこの国際会議に列席する資格などあるまい。

 

 トワと共に送迎者を下りると、既にその首脳陣はタワー前の広場に集まっていた。

 エレボニア帝国からは、皇帝ユーゲント・ライゼ・アルノールの名代であるオリヴァルト・ライゼ・アルノール皇子と、帝国宰相ギリアス・オズボーン。

 カルバード共和国からは、共和国大統領サミュエル・ロックスミス。

 レミフェリア公国からは、若き大公アルバート・フォン・バルトロメウス。

 リベール王国からは、アリシア・フォン・アウスレーゼ女王陛下の名代であるクローディア・フォン・アウスレーゼ王太女。

 いずれも壮麗、或いは豪彊。意図的に、或いは本質的に支配者や王者の貫禄を醸し出す彼らの姿に、警備に徹しているクロスベル警察の精鋭たちも思わず喉を鳴らすほどだ。

 

 とはいえ、クロスベル支部の遊撃士ではなく、帝国政府に雇われた護衛という立場にいる今、自由な行動は慎まねばならない。今のところ空気はそれほど張り詰めてはいないが、それでも国際会議という腹の探り合いはもう始まっているのだから。

 事前の下見という任務が終わった今、レイの仕事は再び護衛職の末席に戻る。書記官が列席する場所に行くトワと別れ、ミュラー少佐と顔合わせでもするかと踵を返した。

 

「あっ、すみません」

 

 すると、後ろの方から誰かに呼ばれた。思わず立ち止まって振り返ると、そこには自分とそれほど年が離れていないであろう少女がそこにはいた。

 艶やかな紫色の髪と瞳を湛えたその少女は、ただそこに佇んでいるだけでも高貴な印象を感じさせる。レイを引き留めたその声も、まるで鈴を鳴らしたかのような清涼感に溢れていた。

 彼女が何者か、などという事は思慮に入れるまでもない。レイは、焦った表情も見せずに恭しく礼をした。

 

「あぁこれは、お初にお目にかかります、クローディア・フォン・アウスレーゼ王太女殿下」

 

「ふふ、そんなに畏まらずとも結構ですよ、レイ・クレイドルさん」

 

 時期リベール王国の王位継承権第一位。年齢こそ18歳と若いが、その佇まいにはこの雰囲気に呑まれている様子が一切感じられない。

 そんな彼女との接点は、レイの記憶にある限り皆無だったのだが、向こうが自分のことを知っているという事に僅かばかりの疑念を抱いた。

 声をかけるに足る理由がなければ、よもやこんな場所で一回の護衛に過ぎない自分を引き留める理由などないのだから。

 

「どうして私がレイさんのお名前を知っているのか、といったお顔をされてますね」

 

「不躾でしたら、申し訳ありません」

 

「いえ、当然です。―――レクター先輩とヨシュアさんから、度々お話をお伺いしてましたから」

 

 成程、と納得する。

 

 実のところ、レイがレクター・アランドールと最初に出会ったのはクロスベルではない。

 まだ遊撃士になりたての頃、リベール王国のツァイス支部を中心に活動をしていたレイが、ある時ルーアン支部からの要請で魔獣退治に赴いた事があった。

 危険度Bランクの大型魔獣がヴィスタ林道に迷い込んだ事により、周囲の魔獣が活発化。暴走が広まっているという概要の事件だったのだが、同僚の遊撃士であるカルナや行動を共にしていたシェラザードらと共に魔獣の侵攻先にあったジェニス王立学園を背に防衛線を展開した事があったのだ。

 その際、当時オズボーンの意向によりリベールでの諜報活動もかねてジェニスで学生生活を送っていたレクターと出会い、何だかんだで腐れ縁になってしまったのである。

 

 結局レイは約1年間のリベールでの遊撃士活動を行った後にクロスベル支部に引き抜かれた為、それ以降会うことはなかったのだが、風の噂でレクターが学園の生徒会長になったという話を聞いて大爆笑し、その1年後にはクロスベルで再会するという奇縁があったりするのだ。

 

「では、殿下もジェニスに?」

 

「はい。偽名を使って身分を隠して通っていました。その時に先輩とお会いして、お茶とかをご一緒する時によく聞かされました。面白い遊撃士がいた、って」

 

「面目ありません。お耳に入れるような面白い事はしていなかった筈なのですが」

 

 防衛線といえば随分と切羽詰った状況を連想させるし、実際非戦闘員が多い学生の中にはパニックになりかけた者もいたのだが、戦っていた側からすればそれほど厳しい戦いではなかった。

 ≪マーナガルム≫団員仕込みの爆破トラップやらシャロン仕込みの凶悪ワイヤートラップやらを公認状態で試していた上に、久しく体験していなかった”雑魚をただひたすらに斬り捨て続ける”という容赦も何もあったものではない暴れっぷりを存分に披露しただけである。

 ……価値観が一般的な人間からしてみれば、それは修羅の行いに他ならないのだが。

 

「ヨシュアとは……あぁ、成程」

 

「えぇ。軍部のクーデター事件の際も、≪リベールの異変≫の際も、ずっと助けていただきましたから」

 

 果たして、まんまとカンパネルラの策に乗せられて帝都ギルド支部襲撃事件の際に足止めを食らっていたのと、その後も≪結社≫の手回しにしてやられてリベールの応援に赴けなかった自分があの事件に対して何か言える権利などない。

 ≪白面≫のワイスマンの主導のもと、≪幻惑の鈴≫≪痩せ狼≫、そして≪殲滅天使≫に≪剣帝≫という名立たる≪執行者≫を相手にリベールという国家を守れたのが偏に彼らの尽力の成果であることは分かっていた。仮にも”武闘派”の≪執行者≫を2名も相手してよく大きな人的被害を出さなかったものだとあの時は思ったものだったが、メンバーの中に殺人狂がいなかったのが不幸中の幸いといえるだろう。

 

 とはいえ、そういった死線を潜った身であるならば、成程その意志の強さも理解できる。

 若くして時期女王の責を背負うというのは、並大抵の精神力では耐えられないだろう。リベール王国は技術体系的な意味合いでは二大国にも引けを取らないが、軍事力という面では一歩も二歩も劣る。

 そういった情勢の中で≪百日戦役≫という地獄を耐え、帝国の侵入を許さなかったばかりか≪不戦条約≫の締結に持ち込んだアリシア女王の後釜というのは並大抵の人間に務まるものではない。

 真っ向から相対するのはあの≪鉄血宰相≫だ。僅かでも隙を見せれば、すぐに呑み込まれてしまう。

 一瞬の油断、僅かな瑕疵も許されない外交の手腕こそが、次期女王たる彼女に最も求められるスキルだろう。或いは女王陛下も、そういった温情も仁義もない腹の探り合いの空気を学ばせる意味合いで孫娘をこの場にやったのかもしれない。

 

「お時間がありましたら、後でまたお話をお伺いしたいです」

 

「恐縮です。……おや?」

 

 そうして話に一区切りがつくと、人混みの中から一人の長身の女性が姿を現す。

 短く切られた翡翠色の髪に、青瞳。隙なく着こまれた服装は、まさしく栄えあるリベール王室親衛隊のそれだった。

 

「殿下。……此処におられましたか」

 

「ふふ、ごめんなさいユリアさん。ちょっとお話しなければいけない方がいらっしゃったものですから」

 

 男装の麗人。まさしくそう称するに相応しいその人物のことも、レイは存じていた。

 というよりも、彼女のことはクロスベルでも有名だ。異性よりも同性にモテるような人物を好む女性はどこにでもいるようで、巷では「ユリア様」などと呼ばれて大きな人気を得ていたりする。

 そんな彼女に向けても、レイは深く礼をする。

 

「初めまして。エレボニア帝国トールズ士官学院所属、レイ・クレイドルです。此度は帝国政府の護衛役を仰せつかって列席させていただきました」

 

「あぁ、これは丁寧に申し訳ない。リベール王室親衛隊大隊長、ユリア・シュバルツ准佐だ。君の事は、カシウス将軍から良く聞いているよ。あの高名な≪風の剣聖≫と比肩する実力の持ち主だそうじゃないか」

 

「若輩の身です。まだまだアリオスさんを超えてはいませんよ。……今は、ですが」

 

 剣の腕前だけを見れば後れを取っていないと、そう自負できるが、こと武人としての完成度を問われれば、未だ追いつけていないのが現状だ。それだけ、”理”に到達した武人というのは強い。

 

 ”理”という概念は、各々一人一人によって様々だ。雑念を一切捨て、明鏡止水、無の領域に立ち入った者のみが辿り着けるという”そこ”にあるのは、己という魂の”根源”。

 それを悟る事によって、武人は欲界の縛りに囚われる事無く技を振るう事が出来る。また、物事の森羅万象を見渡す目にも長けるようになり、武芸のみならずあらゆる行いに秀でるという。

 

 レイは未だ、そこに至ってはいないが、師によれば”理”に至る前までの”門”は既に開いているという。過去に幾度か、死に瀕するほどの危機に陥った際に無意識に踏み込んだ事はあると言うが、己の”根源”を正しく認識していない今の状況では、アリオスと比肩しているとは言い難いだろう。

 だが、いずれ追いつき、追い越すという渇望は常に抱いている。今回はついその本音が漏れ出た形になってしまったが、ユリアはそれを咎める事無く、男勝りな爽やかな微笑を浮かべた。

 

「そうだな。武人たるもの、己の力量を見極め、その上で高みを目指し続けなければならない。目標は仰ぎ、尊敬もする。だがいずれは下し、更なる高みに至る橋頭堡に過ぎないと言えるほどの気概がなければ成長など見込めないだろう。……フフッ、一度君とは手合わせをしてみたいな。学べることは多そうだ」

 

「こちらとしては願ったりですが、生憎と今はお互い任務に徹しなければならない身の上ですしね」

 

「違いない。私は武人だが、その前に騎士だ」

 

 そうして手合わせそのものはお流れになってしまったが、眼前の女騎士が一切の混じり気のない武人であると分かっただけでも幸いだ。

 リベールで起こった軍部のクーデター以後、カシウス・ブライトが遊撃士の職を辞して実質上の軍の最高責任者となってから大規模な建て直しが行われたという話は聞いていたが、成程確かに親衛隊の大隊長としては充分強者の部類に入るだろう。

 見た限り武の技量もさる事ながら、一本の強固な意志が揺らぐ事も罅が入る事もなく芯として通っているように見受けられる。こうした人間は、総じて強いのだ。

 

 

 

「あら、珍しい組み合わせね」

 

 そんな事を思っていると、またまた背後から声を掛けられる。

 何だこれは、同窓会か何かか? などと思いながら再び振り向いてみると、本当に良く見知った顔の女性が立っていた。

 長く伸びた黒髪と翡翠色の瞳。淑やかというよりは凛とした雰囲気を纏った佳人であり、スタイルの良いその長身の容貌と相俟って、スーパーモデルも顔負けのオーラを放っていた。

 しかしながら無論、この場所に堂々と姿を晒している時点で、彼女もただの人間ではない。

 

「あ、キリカさん。お久し振りですね」

 

「えぇ。お久し振りです姫殿下。―――失礼。今は王太女殿下でしたね」

 

 元リベール王国遊撃士協会ツァイス支部受付嬢、キリカ・ロウラン。≪リベールの異変≫などの際にもその辣腕を如何なく発揮してサポートに徹した彼女はクローディアとも面識があり、そして―――。

 

「貴方も久しぶりね。レイ」

 

「そっすね。もう受付嬢やめて共和国大統領の直轄に入ったんでしたっけ」

 

「えぇ。でもこうして貴方に会うと、ツァイスに居た頃を思い出すわ」

 

 レイがツァイス支部預かりとなったのとほぼ同時期に受付嬢として活動し始めたという過去も持つ。

 しかしながら現在の彼女の正体は、共和国大統領直轄の諜報機関≪ロックスミス機関≫の室長。彼女自身も”泰斗流”を修めた武人であり、≪飛燕紅児≫の異名で呼ばれる事もある。

 今回は流石に諜報員としてではなく、大統領の護衛としてクロスベルを訪れたのだろうが、相も変わらず油断ならない独特の雰囲気を纏っていた。

 

「ノルドの一件では迷惑をかけたようね。あちらから≪かかし男(スケアクロウ)≫が出張って来てくれたから、こちらとしても落としどころをつける事が出来たけれど」

 

「終わったことですし、別に構わないっすよ。ウチの宰相はそちらさんに貸しを作ったようですし」

 

「えぇ。……まぁいずれにせよ、こんな場所で話す事でもないのだけれどね」

 

 現在集まっているアスコミの大半は、オズボーンとロックスミスの二人がクロスベル市長のディーター・クロイス、州議会議長のヘンリー・マクダエルと話をしている様子に釘付けになっており、幸いにも此方を注視している者はいない。

 だが、第三者の耳に入れば厄介な事になるのは変わらない。そうでなくとも共和国の諜報室室長と帝国の学生が話し込んでいるという事実だけでも、話している内容を知らない者からすれば厄ネタとして拾われかねない。

 

「それでは、私たちも戻りますね」

 

「失礼する」

 

 それを察したのか、クローディアとユリアの主従は軽く頭を下げてから踵を返す。その後、キリカとも一言二言を交わしてから分かれた。

 

 時刻はそろそろ午前10時。レイも所定の位置に戻り、各国の代表者も並ぶ。

 燦々と照りつける太陽の下、情熱的な赤いスーツを着たディーターが、自身に満ち溢れた表情を浮かべたままそれらの前に立った。

 

「―――各国首脳の皆様、ようこそ遠路はるばるクロスベルへとお越し下さいました」

 

 マスコミも含めて、一同が静まり返る。タワー前広場には、ディーターの朗々とした声のみが響き渡った。

 

「この度は、西ゼムリア通商会議にご出席いただき、誠に有難うございます。

 通例ならばこの場で歓迎の意と共に開会宣言をさせて頂くところですが……その前に、この記念すべき日にことよせて皆様のお時間を頂きたいと思います」

 

 切られるシャッターの音とフラッシュの光。それらが醸し出す緊張感の中、遂に大陸最大の建造物が衆目に披露される事となった。

 外観を覆っていた幕が、機械の駆動音と共に開けていく。外壁を覆う瑕一つない硝子はまるで空の女神の祝福を受けたかのように輝き、ビルディングの上部にはクロスベルの自治州旗にも印されている鐘のシンボルマークが堂々と鎮座していた。

 高さ約240アージュ、階層は地上40階。クロスベル市の新市庁舎にして一大国際交流センター。貿易・金融都市を象徴するクロスベルの新たなランドマークである『オルキスタワー』。

 その摩天楼の代表ともいえる巨大な楼閣を目の前に、首脳陣ですら息を呑む。

 

 普段から飄々としているオリヴァルトですら度肝を抜かれたような表情を浮かべ、クローディアはかつて仲間らと共に昇った天空都市の光景を思い出す。

 ロックスミスは豪快に笑みを零し、オズボーンですらその大伽藍を前にIBCの資本力に素直な賞賛を漏らした。

 

「それでは改めまして、首脳の方々、及びこの場に列席して頂いた全ての関係者の立会いの下―――『西ゼムリア通商会議』の開催を、宣言させていただきます‼」

 

 沸き起こる盛大な拍手と、比べ物にならない程のフラッシュの奔流。

 打ちあがった花火とビルディングを見上げながら、しかしレイは感慨に耽る事もなく、それを達観した目で見ていた。

 

「(さしずめ、妄執に囚われた錬金術師が築き上げた魔塔ってところか)」

 

 平和と発展を象徴すると示された謳い文句に人知れず嘲弄するような笑みを漏らし、因縁の地に建てられた巨塔を、ただ感情の籠らない瞳で見上げることしか、今のレイにはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通商会議の開催と銘打ってはいても、何も二日間予定されている日程の全てを会議漬けにするわけではない。

 初日は文字通りの顔合わせ。昼食会に各種懇談会。そして夜には晩餐会に加えて『アルカンシェル』での観劇まで予定されている。

 通商会議の本番は二日目。つまるところ初日の夜は、穏やかに過ぎ去る筈であった。

 

 

「だから、ね。まさか見つかるとは思わなかったなぁ」

 

 クロスベル市西部の住宅街。比較的高級住宅が軒を連ねるこの区域の一角、その中でも人が棲みつかなくなって久しい洋館の屋根上で、そんな呑気な声が響く。

 やや涼し気な風が混ざるようになって来た夜風が吹き、声の主の少年の髪が棚引く。首筋辺りで短く切られた黄緑色のそれが揺れると同時に、火の粉のようなものもチリ、と舞う。

 

「平和ボケしてるのかと思ったけど、案外そうでもないらしいね? さっすが、元”武闘派”は違うねぇ~」

 

「うっせぇよ悪戯魔。相変わらず全力でおちょくりに来やがって」

 

 そんな少年の首筋に刀を突きつけているのはレイだ。とはいえ、殺気の類は放出しておらず、ただ形だけ威嚇しているに過ぎない。

 何故かと問われれば、答えは簡単。殺したところで意味はない(・・・・・・・・・・・・)からだ。

 

「まぁ、爺さんからお前が来てるって聞いてから何かしらやらかす(・・・・)とは思ってたけどよ、よりによってジオフロントでバーニングやらかしてんじゃねぇよ。俺の仕事が増えんだろうが、ああん?」

 

「あ、怒るとこそこなんだ」

 

「ジオフロントでの爆発事故とかよくある事だしな‼ 主にマフィアとかテロリストとか色々相手にしてるとどいつもこいつも馬鹿の一つ覚えみたいに爆弾パーリィ仕掛けて来るから爆弾処理の資格も取れたくらいだよ。……とはいえ、この時期にやらかしてくれると安全保障の面とかでウチのクソ宰相が大層良い笑顔浮かべるのが目に見えてんだよ。ムカつくから全力で揉み消しに掛かるけどな」

 

「君は相変わらず貧乏くじを引くのが上手いよねぇ」

 

 そう言って少年は、屈託のない笑みを浮かべてから、首元スレスレに刃があるにも関わらず振り向いてみせた。

 

「それとも、君がこういう悪戯に鼻が利くようになったのは、僕とブルブランの教育の賜物かな?」

 

「まぁ幻術関係ならお前とルシオラ姐さんに鍛えられたのは確かだがな。だがあの変態紳士は駄目だ。次に会ったら全力の腹パン決めるって誓ってるし」

 

「おぉ、怖い怖い」

 

「……とはいえ、ここでお前を斬り捨てるっていう選択肢もあるんだぜ? カンパネルラ」

 

 結社≪身食らう蛇≫の≪執行者≫。そのなかでもNo.0の称号を戴く、≪道化師≫。

 聖遺物の呪いの影響で成長が遅いレイから見ても、彼が≪結社≫に入った11年前から一切姿形が変わらないその異様さは、今でも形容し難い。

 ただ彼は、エージェントたる≪執行者≫の中でも特別だ。≪盟主≫に謁見できる権利を有し、≪使徒≫の行動に付き従う存在。行動の不明瞭さ、無軌道さで言えば、ブルブランに勝る。

 

 加え彼自身の性格と相俟って、迷惑を被る人間はまるで掌で弄ばれているように転がされる。それが、カンパネルラという存在の厄介さにも直結しているのだが。

 

 ギラリと白刃が光を反射すると、おどけたように肩を竦めてみせる。そうした行動にいちいち構っていては、彼と会話する事すら出来ない。

 

「ふふ、それは勘弁だなぁ。あ、じゃあせめて、何で僕の居場所がバレたのかだけ教えてくれないかい?」

 

「やだよ、メンド臭ぇ」

 

「まぁまぁそう言わず。いや実際、ホントに分からないんだよねぇ。付けられてた様子は感じられなかったのに」

 

「……好奇心旺盛さも時と場所を選べや」

 

 とはいえ、こうなってしまっては千日手だし、何より―――手を明かすには(・・・・・・・)良い機会だろう。

 そう考えたレイは、空いていた左手の指をパチンと一回鳴らす。

 

「……へぇ」

 

 すると闇夜の中から、うねるような”影”が現出する。

 それはさながら街中を飛び回る鴉のような有様だったが、全身を覆う漆黒の外套を纏った”それ”は、まるでレイに傅くように横に降り立つ。

 ”それ”に貌はない。敢えて言うなら”それ”には、黒一色の布の上に場違いのように白の能面が備え付けられているだけだ。

 

「それ、君の式神かい?」

 

「まさか。自立行動が出来る式神(ヤツ)はシオンしかいねぇよ。

 さぁ≪道化師≫、お前の目からコイツは、何に見える?」

 

「ふふ、よりによって僕が”答える側”に回るとはねぇ。面白いよ、やっぱり君は」

 

 どこまでも余裕そうな表情を浮かべるカンパネルラに対して、レイもまた余裕そうな表情は崩さないが、それでも内心は僅かに乱れていた。

 実際、カンパネルラの動きを察知できたのはギリギリだったし、それも一種の賭けのようなものだった。運が悪ければ、こうして対面する事もなかっただろう。

 カンパネルラが口を閉じて、思考に耽っている僅かな時間、レイはこの状況に至るまでの事をふと思い返していた。






 【通商会議】
 もしかして→ダイナミック同窓会。

 
 どうも、十三です。FGOでカルナとアルジュナ課金してまで手に入れようとしたら爆死しました。流れ弾でマルタ姐さんとランスロットさん来てしまいました。泣きたい。

 さて今回、レイがクローゼと会ったわけですが、この二人初対面です。
 レイが野暮用でジェニスにお邪魔した時は時系列的にクローゼは入学していません。そしてレクターは生徒会長だったかどうかも判明していません。なのでこんな感じになりました。

 次回はもう一度30日の昼に戻ります。ウザったらしいとは思いますが、お付き合頂けたら幸いです。



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碧の警鐘  ーin クロスベルー





「真実を求めることに何の意味がある? 目を閉じ、己を騙し、楽に生きてゆく……その方がずっと賢いじゃないか」
     by シャドウクマ(ペルソナ シリーズ)








 

 

 

 

 

「あ、レイだー。どーしたの?」

 

「……おー、キーアか。何だ、留守番か?」

 

 

 時は遡ってゼムリア会議初日の昼。レイは紙袋を片手に特務支援課のビルを訪れていた。

 本来であれば護衛任務に従事していなければならないのだが、現在は昼食会も終わって各々首脳陣は会議に向けての準備を進めている頃合いである。

 かく言う帝国側の首脳もそうであり、部屋に籠っている以上、護衛の数も最低限で済む。それでも武官達はオルキスタワーでの警備の最終チェックをしていたりするのだが、レイはそれも終わらせてしまっている。

 加えてトワからも「レイ君休んだ方がいいよー」と言われて笑顔で送り出されてしまったため、正直な話暇だった。

 

 その暇な時間を利用して数日ぶりに料理でもするかと思い至ったレイは、オルキスタワー内のまだ稼働していない食堂の厨房を借りて久し振りの趣味に精を出した。

 作ったのは時間帯の関係もありお菓子。それもクッキーのようなものではなく、調子に乗り過ぎてアップルパイを3ホールも作るという、作った本人すら軽く引くポテンシャルの高さを発揮してしまったのである。

 無論、一人で平らげるわけには行かなかったため、まず1ホール分を書類作業に従事していたトワ、そしてユリアに話を通してリベール組の主従、たまたま廊下で出会ったキリカらに差し入れた。―――その際、女性陣が揃って自信を喪失したような表情を浮かべていたのには、幸か不幸かレイは気付かなかった。

 

 そして2ホール目は遊撃士連中に差し入れするため、オルキスタワーを出てそのままギルド支部に突撃。

 差し入れの旨を告げた次の瞬間には半ホール分が一瞬でリンの胃の中に収まっていたというアクシデントはあったものの、何とか喧嘩に発展する事無く支部に居た人間全員に味わってもらう事が出来た。

 また、趣味で料理もするらしいシャルテがそのクオリティの高さに驚愕し、それをレイが作ったのだという事実に重ねて驚愕し、控えめな言葉でレシピを要求して来たのは余談である。

 

 

 国際会議の初日とあって、街全体が浮足立っている中を進む。普段より大勢の観光客などが犇めく中央広場の人混みの間を縫うようにして歩きながら、最後にレイが赴いたのは特務支援課の詰所である中古ビル。

 元は『クロスベル通信社』の本社ビルであったそこは、しかし築30年という年数程には老朽化を感じさせない建物であり、その玄関をノックする。

 本来であれば支援課メンバーの誰かが出てくるだろうなと予想していたレイだったが、「はーい」という何とも可愛らしい声と共に玄関の扉を開けたのは、よりにもよってこの少女だったのだ。

 

「(……封呪三重掛けしといて良かった)」

 

 キーアと出会ってから断続的に疼くようになってしまった≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫がいい加減煩わしくなったレイは、普段は呪力で加工した特注の眼帯のみで封じ込めているそれに対して、数時間かけて更に三重の封印呪術を施していた。

 いつもより丹念に術式を練って重ね掛けした事が結果的に良い結果を齎したのだろう。会うのが二度目という事もあるのだろうが、そこそこ近距離で顔を合わせても以前のような症状は出てこなかった。

 

「うん‼ あのねあのね、キーア一人でお留守番してるの。えらい?」

 

「ん、偉いぞー。……という事は今誰もいないのか?」

 

「うん。ロイドたちは鳥さんが持って来てくれたお手紙の場所に行っちゃって、かちょーはダドリーのところに行っちゃったから」

 

「……大丈夫なのか? それ」

 

 一般家庭ならともかく、警察官の詰所に子供が一人というのは些か不用心なのではないかと、レイは自分とキーアとのしがらみなどを完全に他所にやってそんな心配をしていた。

 しかし当の本人は、僅かも寂しそうな表情を浮かべずに首を大きく縦に振った。

 

「うん、だいじょうぶだよ。ツァイトもいるし」

 

「ツァイト?」

 

「ツァイトはね、おっきいオオカミさんなの。キーアのお友達なんだよ」

 

 ほー、と相槌を打ちながら、玄関先から談話スペースまで移動した二人。

 するとそこで、キーアの視線がレイの持って来た紙袋に注がれた。

 

「あれ? それなーに?」

 

「あぁ、俺が作ったアップルパイでな。ロイド達に持って来たんだが……」

 

「アップルパイ⁉」

 

 その単語に異様に食いついたキーアが、キラキラと純度の高い琥耀石(アンバール)のような琥珀色の瞳を輝かせて、レイの懐に飛び込んで来る。

 突然のその行動にレイは一瞬不意を突かれたが、体勢を崩さないままに可愛らしいタックルを受け止めた。

 

「っと。もしかしてアップルパイ好きなのか?」

 

「うん、大好き♪ オスカーとベネットのお店に行ったときもね、アップルパイ選ぶんだー」

 

「おう、流石に本職と比べられると怖いんだが」

 

 見せて見せてー、とせがむキーアの熱意に負けて、レイは本当なら紙袋だけ置いて帰る筈だったが、そのまま居住スペースの方にも足を踏み入れてしまう。

 確かに彼女とはある意味因縁の間柄だが、こんな無垢100%の期待された瞳で見られてそれをすげなく断った日には、罪悪感で自ら首を掻っ斬りたくなってしまうだろう。

 そして流されるままにリビングまで赴いてパイの入った箱を開けると、ただでさえ輝いていたキーアの瞳が更に一層輝きを強くした。

 

「わぁ~♪」

 

「ま、ロイド達が帰ってきたら皆で分けて食べな。何だったらもう一度オーブンで温めても―――」

 

 取り敢えず言付けだけを残して早めに退散しようかと思っていたレイだったが、良い具合に焼きあがっているアップルパイを凝視したまま視線を固定させ、口の端から僅かに涎を垂らしている姿を見てこのまま去れるほど無関心を貫き通せるわけもない。そこは、根本的に面倒見が良いレイの長所であり弱点でもあるのだが。

 

「……今食べたいのか?」

 

「……うん。でも、今食べちゃうとキーア悪い子になっちゃうもん。ロイドたちと一緒に食べたいから、ガマンする」

 

「そう、か。本当にロイドたちが好きなんだな」

 

 500年間眠っていた彼女を目覚めさせたのが彼らだとするならば、きっとキーアにとって親のような存在なのだろう。

 そして、彼らもまたキーアを娘であるかのように愛しているのが良く分かる。それもその筈だ。未だ”本当の意味では”目覚めていない彼女は、ただの少女と同じような存在なのだから。

 そんな事を思っていると、不意にキーアがレイの目の前にあった椅子を引いた。

 

「ねー、レイ。キーアとお話しようよー」

 

「何だ、暇だったのか?」

 

「図書館から借りてきたご本は全部読んじゃったから……」

 

 ふと談話スペースの方を見ると、机の上にはハードカバーの本が山のように積まれていた。しかし一瞥した限り、その内容はとても日曜学校に通っているような年頃の子供が読めるようなものではない。中には見覚えのある専門書の類も混ざっていた。

 だが敢えてその事には触れず、一先ずレイは椅子に腰かけた。するとキーアも嬉しそうな顔で対面の椅子に腰かける。

 

「えへへ~♪ キーアね、教会でレイに会った時からずっとお話してみたいと思ってたんだー」

 

「おぅふ、こりゃあ将来とんでもないタラシになる可能性がヤバいなぁ」

 

「? タラシってなぁに?」

 

「いや、何でもない。というか知らなくていい」

 

 もしこの子をアンゼリカ先輩とかに見せたら口説く前に鼻血吹いて死ぬな。などと予想しながら、キーアが意外にも慣れた手つきで淹れてくれたアイスティーを一啜りする。

 

 

「そういや、キーアはもう見たのか? オルキスタワー」

 

「あの大きい建物のこと? うん、シズクと見たよ‼ ―――でも、ちょっと変な感じがしたの」

 

「? 変な感じ?」

 

「うん。なんだかね、初めて見たのに、前にも一度見たような気がする(・・・・・・・・・・・・・・)の」

 

「ほー」

 

 アイスティーの入ったグラスの中をストローでかき混ぜながら、レイは一瞬だけ思案に耽る表情を見せ、その後キーアに疑問を投げかける。

 

「キーア、今までもそういった事はなかったか? 初めて見たり、感じたりする事の筈なのに、前にもそう感じた事があるような、そんな事を」

 

「うーん……あ、うん、あったよ。キーアね、色々とお料理とかエリィたちに教わったり、シスターにお勉強とか教わったりしてるんだけどね、ときどき前にも教わった事があるように思えちゃうんだ」

 

「…………」

 

「これって、ヘンな事なのかな?」

 

「いや、そんな事はない。既視感(デジャビュ)って言ってな。今言ってくれた事のような現象が起こる事が、時々あるんだ。だから気にしなくていいさ」

 

「へぇー、そうなんだ。えへへ、よかったー」

 

 自分がおかしくないという事を知って満面の笑みを浮かべるキーアだったが、レイはそれに複雑な表情を孕んだ微笑みを返す事しかできなかった。

 

 

 ”幻”の至宝の再現の為に生み出された人造人間(ホムンクルス)である彼女は、実のところ”自身の魂”というものを持たない。

 存在そのものが至宝の覚醒の”器”である為、本来であれば人格などというモノは皆無であっても良かった筈なのだ。それを排除しなかったのはクロイス家の思惑通りなのか、はたまた彼らの思惑からも外れた異常事態(イレギュラー)であったのかどうかまでは分からないが、実際キーアはこうしてヒトらしい日常を歩んでいる。それは良い。

 そも、彼女もある意味で神の意志の残滓に玩弄された被害者のようなものだ。幻の至宝が地上を見捨てて消滅する前に人類に対して拒絶の意志をはっきりと示しておけば、或いは妄執に囚われた錬金術師の一族が愚かな行動に移る事もなかったのかもしれないのだから。それがなければ、彼女もこんな数奇な運命を背負わされる事もなかったのかもしれないのだから。

 

 だが、現実とは残酷だ。

 今の言葉が真実であるとするならば、キーアは間違いなく覚醒に向かっている。それも、限りなくオリジナルに近しいか、或いはそれをも凌駕するレベルを目指して。

 他の者がそれを感じたのならば、それは先程も述べたように単なる既視感(デジャビュ)というだけで済ませられるだろう。だが、他ならぬ彼女が感じたそれは、紛れもない、彼女自身が基点となって流れ出しているモノである。

 

 因果律の改竄―――簡潔に言えば運命の操作。

 それは単なる並行世界との繋がりを乱すようなモノではない。恐らくは彼女自身が因果律の中心点となり、その意志にそぐわない帰結に至った場合、その運命の分水嶺となる時間軸(・・・・・・・・・・・・・・)まで因果律を逆行(・・)させる能力。

 そう仮定すれば、もしかしたら回帰させた何度目かの人生(・・・・・・・)を生きている今、以前の人生で経験した事が彼女の頭の中では残っていて、それが違和感として発現しているという可能性が高くなる。

 ただその性質上、彼女が己の意志というわけではなく、無意識化で発動させてしまう類の能力と考えるのが妥当だ。ただそれは、至宝の覚醒が成った暁には更に恐ろしい能力に化ける可能性が高い。

 

 因果律の操作とは、即ち万物の”存在”と”消滅”を司る能力である。

 キーア自身が唯一神の如く誰の意志にも左右されずに行使するならばまだ幾分か救いはあるが、よからぬ連中の傀儡として使用されるのであれば、それは見えざる地獄の具現化に他ならない。

 

 キーアを操る黒幕が気に入らない存在がいれば、それこそあらゆる並行世界からそれが存在する因果律が潰される、などという事も有り得るのだ。史実に記されているような暴君の独裁政治など赤子の駄々と思えるような根源的な恐怖政治が執り行われる可能性すらある。

 ”ヒト”が”人”らしく生きられない監獄の如き管理社会。―――そんな世界を前にしたら、レイは恐らく唾棄して罵るだろう。

 

 そこで漸く、レイはもし自分がクロスベルに残留していたらどのようにしてマリアベルが自信を勧誘してくるのかを察する事が出来た。

 両親が死んでいない世界を創り出せる。虚ろなる女神の呪いに蝕まれていない世界を創り出せる。―――そんな甘言をチラつかせるつもりだったのだろう。そうすれば後悔に塗れた己が葛藤すると信じて。

 

 

「(クソが。んな事認められる訳がねぇだろうがよ)」

 

 しかしレイは、声を大にしてそう言い切る事が出来る。

 確かに彼の後悔は最愛の母親の死を契機に生まれた。もしそんな事がなければ、或いは自分は普通の人生を歩めただろうかと、そう思った事は幾度となくある。

 だが、それらを無かった事にするという”事実”に手を伸ばすかといえば、それは否だ。

 

 奈落のそこで出会った剣の師、≪鉄機隊≫を始めとして自身を一人の人間に戻してくれた≪結社≫のメンバー。その中で背を預けられるまでに信じあった親友や仲間。己が率いて、家族のような集団になった猟兵団。

 放浪の旅の途中で出会った無表情な子猫。贖罪の為だけになった筈だった遊撃士時代にも、かけがえのない仲間が数多くいた。嘗てはただの監視役だったが、死闘の果てに忠義を誓ってくれた神獣もいた。

 そして何より―――自分が愛して、自分を愛してくれる女性たちに出会う事が出来た。

 

 異なる世界を創り上げるという事は、それらの出会いも余さず”無かった事”にされてしまうという事だ。そんな事を、認められる訳がない。

 後悔はしている。それは認めよう。だが、その後悔は誰かの手によって帳消しにされるものではなく、己の手によって取り戻さなければならないものだ。

 ましてそれを成すために年端もいかない少女の手を煩わせる事になったとするならば、それこそ後悔が積み重なるだけだ。何の解決にもなりはしない。

 

 

「―――レイ? だいじょうぶ?」

 

「?」

 

「今、怖い顔してた。だいじょうぶ?」

 

「……あぁ、心配いらないよ。ちょっと考え事してただけだ」

 

 世界とは、残酷だ。それは今まで歩んできた半生の中で死ぬほど味わってきたはずなのに、これ程無垢な少女が世界の命運を左右する責を背負わされようとしているという事に、それを再確認せずにはいられない。

 だからレイは、最後に一つだけキーアに尋ねる事にした。

 

「なぁ、キーア」

 

「ん?」

 

「ロイドたちを、信じる事はできるか? たとえばこれから先、お前が泣きそうになる事があったとしても、ロイドたちはちゃんと助けてくれるって、信じる事はできるか?」

 

 それは少しばかり難しくて、要領を得ない問いかけであっただろう。

 しかしキーアは考えるまでもないといったように笑顔のままに「うん‼」と頷いた。

 

「そっか」

 

 その即答に、レイは漸く安堵したような表情を見せて、キーアの頭を優しく撫でた。

 

「それじゃあ、それを忘れないようにな。お前が泣きそうになったら助けてくれる正義の味方がいるって事を、覚えておけよ?」

 

「正義の、味方?」

 

「あぁ。誰かが悲しくて泣いてたら、助けに来てくれるヒーローだ」

 

 その単語を口にするたびに、胸の奥を太い針で刺されるような感触を自覚せずにはいられない。

 しかし、それでも言わなくてはならなかった。彼女を守る彼らは、自分とは違う本物の正義の味方なのだから。

 

「うん、わかった」

 

「それでいい。……さて、と。それじゃあそろそろ行かなきゃな」

 

「えー」

 

「はは。仕事の休憩中でな。次に会えたら、また話そうぜ」

 

 少しばかり残念そうな様子を見せるキーアを宥めてから、レイはもう一度彼女の頭を撫で、玄関まで見送りに来てくれた事に感謝しながら支援課の詰所を後にする。

 キーアが玄関の扉を閉め、周囲に誰もいなくなったことを確認してから、柵に寄りかかって大きく息を吐いた。

 

「(あぁ……クソっ。ヤバかったな)」

 

 左目を覆う眼帯に手をかざして、構築した術式の稼働状況を把握する。

 三重に念を入れて張った筈の封印術式は、二層目までが木っ端微塵に破壊され、三層目にも罅が入り、いつ壊れてもおかしくない状況だった。

 小一時間程近くにいただけでも、≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫は予想通りの昂りようを見せてくれたようである。本来あるべき場所に還ろうと、とことんまで”呪い”の影響を励起させていた。

 とはいえ、そのリスクも覚悟で接触していたのだから、そこは自業自得と言わざるを得ない。しかし、そんなリスクを負っても彼女と話した甲斐はあった。

 

 

「(やっぱ違う(・・)な。キーア(あいつ)は俺が守るべきものじゃない)」

 

 守るべき価値がない、という事ではない。自分が横槍を入れる程に、彼らの絆は脆弱なものではないという事を再確認できた。

 それだけでも、今日此処に来た意味は充分にあったのだ。

 

「だからよぉ、なぁ。―――お前さんもちゃんとあの子を守ってやれよ」

 

『無論、言われるまでもない』

 

 レイが誰ともなしに言った言葉は、しかしビルの屋上から跳躍して来た影に返された。

 もしレイがキーアを害するような事があれば即座に乗り込む事が出来るように臨戦態勢に入っていた狼の神獣は、しかしそれが徒労に終わった事にどこか安堵しているようにも見えた。

 

「ツァイト、つったけか? まぁ神獣が直接手を貸す事はルール的な意味で禁止されてんのかもしれねぇけどさ、それでも譲歩くらいはしてやってくれや」

 

『……おぬしは何故、そこまで気に掛ける? おぬしにしてみれば、不倶戴天の敵と言っても差支え無かろうに』

 

 その意味のない問いに、レイは口角を釣り上げて答えた。

 

「俺の憎むべきモノは違う。人違いもいいところだぜ。―――それに、あれに怒りをぶつけられる程に堕ちた覚えもねぇんでな」

 

『―――そうか』

 

 ツァイトはその一言だけを漏らしてから、神獣らしい達観した声色で再度口を開いた。

 

九尾(キュウビ)がおぬしを気に入った理由が、少しばかり理解できた気もするな』

 

「そうかい。そいつは重畳だ。ともあれ……」

 

 そうしてレイは鉄製の柵に手を掛け、何でもないかのようにその上に飛び乗ると、最後に言葉を放つ。

 

 

「お前らが後悔しない道を歩めることを期待してるよ。空の女神(エイドス)にじゃなくて、お前ら自身にな」

 

 

 我ながらよくもこんな臭い台詞が吐けたなと苦笑しながら、レイは柵の上で更に跳躍して西通りに続く上層の通路、つまり支援課ビルの裏口付近に降り立った。

 キーア自身と接触している時はもとより、その守護獣として神格をモロに浴びているツァイトの傍に居ても術式の綻びが確認できたため、早々に離脱する事にしたのだ。

 とはいえ、捨て台詞のような真似をしなくても良かったんじゃないかと思うと、途端に乾いた笑みが漏れて来る。

 

「あー、止めだ止め。折角休憩に出てるってのにシリアスにしかならなくて息詰まるなぁ」

 

 誰かこの憂鬱感を真正面から打破してくれる破壊者(シリアスブレイカー)は現れないかと西通りに足を踏み入れると、そこには―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉ、まるで月の華の如く美しいお嬢さん方。この漂泊の演奏家にして愛の狩人の僕に一曲プレゼントさせてはくれないかい?」

 

「リーシャ姉、マイヤ姉‼ 変態がいる‼」

 

「落ち着いて下さいシュリ。あれは変態ではなくHENTAIというのです」

 

「変わってなくない⁉」

 

「違いますよ。ああいうのはどれだけ厳しく接してもそれはそれで恍惚を覚えるようなタイプでしょう。というわけでリーシャ、護身術で一発いっときましょうか」

 

「全部私に丸投げするのはやめてほしいかなぁ……」

 

 

 ―――紛う事なき演奏家(バカ)がいた。

 

 

 

 

 

「ダイナミックスパーキング‼」

 

「おべらはっ⁉」

 

 ある意味ではとても嬉々とした表情のままにレイは演奏家(バカ)に向けて愛刀入りの刀袋を投げつけ、そしてそれは見事に対象の後頭部にクリーンヒットした。

 無論最大限に手加減はしたが、それでも硬い鞘尻がヒットした事で悶絶している”それ”の下まで近づき、首根っこを引っ掴む。

 

「よう恩人(ドMバカ)。会えて嬉しいぜ」

 

「あれ? 気のせいかな? 凄い言葉に落差があるような気がするよ⁉」

 

「ハハハ、気のせいだろ。それよりも俺の知り合いと義兄(あにき)の恋人をナンパした罪は取り敢えず重いからそこんトコよろしく」

 

「ちょ、君の知り合いとか初耳‼ というかそのゴミ以下のものを見るような眼は止めてくれたまえレイ君‼ ―――ゾクゾクするじゃないか‼」

 

「判決、極刑。つーわけでシェラザードに連絡して一週間飲んだくれの旅に付き合って貰うぞ」

 

「それはリアルな意味で洒落にならない‼ 帝都の時だってギリギリだったのだよ⁉ 君の知り合いが来てくれなかったら本気で死んでたからね⁉」

 

「ならガチでこの罰を受けるか今すぐミュラーさんに連行されるか選べ。3秒以内な」

 

「ミュラーくーん‼ 助けてー‼ 僕が悪かったぁ‼」

 

 そこまで追い詰めた所で漸く大人しくなったオリビエを数度踏みつけてから、下手なナンパに巻き込まれていた3人に向き直って謝罪の意を込めて頭を下げた。

 

「スマン。この恩人(ゴミ)が迷惑を掛けた」

 

「あれ? さっきよりも酷くなった気がする」

 

「ちょっとお前本気で黙って」

 

「あ、ハイ」

 

 傍から見ればこの二人が士官学院の生徒と理事長という関係性であるとはどう足掻いても見えないだろう。

 三人もレイの横で正座させられている男の事に関しては意図的に視界から外す事にした。

 

「え、えっとレイさん。一昨日ぶりですね」

 

「そうだなぁ。お、マイヤも久しぶり」

 

「ふふ、えぇ。そうですねレイくん。会いに来てくれなかったから寂しかったんですよ?」

 

「嘘つけ。つーか流石の俺も公演控えて緊張度MAXのアルカンシェルを冷やかしに行く程バカじゃねーわ」

 

 リーシャの横で先程オリビエに向けていた表情とは180度変わった笑みを向けていたのは、リーシャよりも僅かに背が低い紫髪の少女。

 平時こそ良家のお嬢様のような楚々とした言動が堂に入っているその少女の名はマイヤ・クラディウス。リーシャと同じ17歳なのだが、身長や顔立ちのせいか数歳は年下に見られる事が間々あるらしい。

 

 細身なども相俟って一見運動などは苦手そうに見られる彼女だが、実はリーシャと同じくアルカンシェルに所属するアーティストであり、≪炎の舞姫≫イリナ・プラティエに見出された存在でもある。

 つまるところ、彼女も純粋な天才の一人だという事だ。

 

「な、なぁリーシャ姉、マイヤ姉。コイツとは知り合いなのか?」

 

「うん? そういやお前は見覚えがねぇな。見たところ……13、4ってトコか」

 

「お、おぅ。そう言うお前もタメくらいだろ?」

 

「喧嘩なら買うぞ貴様」

 

「シュリちゃんシュリちゃん。レイくんはこう見えて17歳です。私やリーシャと同い年です」

 

「嘘ぉ⁉」

 

 本気で驚愕の表情を浮かべるシュリに殴りかかろうとするレイをリーシャが羽交い絞めにしながら宥めていると、マイヤは面白がっているような悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「去年までレイくんはクロスベルで遊撃士をしてましてね。私が此処に来たばかりの頃行き倒れかかっていた所を助けてくれて、職探しも手伝ってくれたんですよ」

 

「へぇー」

 

「……ま、支部の前で思いっきりブッ倒れてた奴を放っておくわけにもいかなかったしな」

 

 ようやく落ち着きを取り戻したレイは、乱れてしまった服の首元辺りを直してから、改めてシュリに向き直った。

 

「レイ・クレイドルだ。さっきマイヤが言った通り去年まで遊撃士をしてて、今は帝国の士官学院に留学してる」

 

「お、オレはシュリ・アトレイド。まぁ、その、色々あってイリアさんやリーシャ姉。マイヤ姉と一緒にアーティストやってる。まだ見習いだけどな」

 

「ふふ、とはいえシュリちゃんはイリアさんのお眼鏡に叶った子なんですよ。期待の新人です♪」

 

 ほぉ、とレイが何も含むところのない感嘆の声を漏らした。

 アルカンシェルで公演されている『金の太陽、銀の月』は”太陽の姫”と”月の姫”のダブル主演で構成されていると聞いていたが、そこに第三の主演を挟む予定があるという事なのだろうか。それ程彼女には光るものがあるという事なのだろう。

 なまじ、アルカンシェルのスタッフが贔屓目なしに実力主義であるという事を知っている身からすれば、その凄さは理解できた。

 

「それじゃ、今夜の公演は期待しても良いって事だな?」

 

「えっ? 今夜って通商会議の首脳陣が観に来る特別公演だぞ?」

 

「生憎と今の俺は護衛職でな。ゆっくり座ってはいられないだろうが、じっくりと観させてもらうぞ」

 

意地の悪い笑みを浮かべると、シュリは一瞬ムッとした感じを出して、少しばかり俯いてしまう。

 

「お、オレはまだ見習いだから公演には出られねぇよ。……で、でもアレだ。絶対に近いうちに舞台に上がってみせる‼ 絶対にだ‼」

 

「はっ、良い胆力してるじゃねぇか。リーシャの演技も観させてもらうからな」

 

「はい。ご期待に沿えると良いんですけれど」

 

「あら、私への期待はナシですか?」

 

 言葉だけを見れば拗ねているようにも見えるが、声色そのものはやはり悪戯っぽさが抜けていない。

 この三人を相手にすると何故だか疲れるな、などと思いながら、レイは劇団に戻る三人を見送って、ずっと足元に転がったままだったオリビエの首根っこを掴んで立たせた。

 

 

「おう、随分と殊勝に大人しくしてたじゃねぇか」

 

「いやぁ、流石にシェラ君と一週間飲み旅行は勘弁だからね。それに、君の交流関係に余計な茶々を入れるわけにもいかないだろう?」

 

「余計な気を回し過ぎだ。アホ」

 

 パンパンと服の埃を払いながら、オリビエは三人が去った方を見ながら「しかし」と呟くように言った。

 

「”月の姫”、それに”陰の従者”が揃い踏みとは。いやはや、良い思いをさせてもらったよ」

 

「へぇ。リーシャはともかく、マイヤの事も知ってたのか」

 

 『金の太陽、銀の月』でマイヤが演じる役は主役ではなく、”陰の従者”という”月の姫”に仕える従者の役である。

 つまるところ助演なのだが、”月の姫”を排除しようとする敵勢力から彼女を守るために戦うというシーンがある為、身体能力的にも優れたアーティストでなければ務まらない。

 しかし彼女はそれを見事に演じてみせ、少なくないファンを虜にしている。その活躍故に主演に抜擢する話もあったらしいのだが、彼女は頑なに主演を輝かせる立場に甘んじている。

 それを勿体無いと思うファンもいれば、彼女は助演でこそ輝くと感じるファンもいる。まぁつまるところ、彼女もアルカンシェルの看板を背負っている名役の一人には違いないのである。

 

「しかし君も隅に置けないねぇ。顔が広いのは羨ましいよ」

 

「お前が言うかよ。……ま、仕事上知り合いが多いのは認めるがな。マイヤだってたまたまアイツが支部の前にぶっ倒れてたから世話してやっただけで、そうでなかったら関わらなかったと思うぜ」

 

 極めて自然に(・・・)そう言った筈だったのだが、オリビエ―――オリヴァルトはどこか探るような視線でレイの事を見据える。

 それは嘗て『カレル離宮』で顔を合わせた時に見せたそれと同じであり、どことなく居心地が悪くなった。

 

「……何だよ」

 

「いや、何でもないよ。僕としても君のプライベートに口を出すほど野暮じゃあないしね」

 

 大人しく引き下がった発言をしたかと思えば、「ただ」と抜け目なく追い打ちをかけて来る。

 

「嘘の類に織り交ぜる本当の話は、あまり本当の事だと思わせない方が良い。嘘と真実の落差があると、気付く人間は敏感に反応してしまうからね」

 

「……お得意の交渉術ってやつか」

 

「まぁ僕は銃とアーツの腕以外に取り立てて見るべきものは無いし、それですら”達人級”の諸兄から見ればお遊びのようなものだろうしね。せめて口ぐらいは上手くないと生きていけなかったというだけの話さ。

 ―――今でこそ社交界のネタにもならないけれど、昔はこれでも陰口は叩かれていたからね」

 

 その飄々としたお調子者な性格に惑わされそうになるが、彼は皇族家の長男でありながら妾腹の子であった為、皇位継承権は限りなく薄かった。

 幸いにも本人に皇位を継ぐ意志は無かった為後継者抗争には発展しなかったのだが、高貴な血を求める事が常識になっている貴族界に於いて、よりにもよって皇族家の長男が庶家の女の腹から生まれたという事実は色々と物議を醸したに違いない。

 恐らく彼は、そうした状況で貴族界を生き抜いていく中で弁舌の腕を磨いたのだろう。

 飄々とした優男を装って、実は本当に有能な男である事はとうに知っている。油断をしていれば、一瞬で引き込まれる程には。

 

「まぁそこまで気にする事はないと思うよ? 僕ですら君の言葉に注視しなければ気付かない程度の違和感だったし。―――寧ろ気付けたのは彼女たちの気配かな?」

 

「何?」

 

「いや僕もね、リベールに行ってた時とんでもない武人と出会ったり戦ったりしたから、何となく分かるようになってしまったのさ。

 リーシャ君と、マイヤ君。―――あの二人からは血の臭いがするよ」

 

 そこで思わず、レイは口角を釣り上げてしまう。

 

 己の意志で人を殺した者が必ず纏うモノ。それが”血の臭い”だ。

 無論、それは一種の比喩であり、正確に言えば殺人者の雰囲気である。一般人とはある意味別次元の存在にいる彼らの雰囲気を察せるのは、同じく殺人者である者か、そんな人間と長く接していた者だけだ。

 とはいえ、あの二人はその戦闘方法(スタイル)柄、隠形には長けている筈である。武人である事を隠さない自分や、戦闘狂である事を誇りにすら思っているシャーリィやイグナらとは違って、隠形を身に着けている者達は本当に溶け込むのが上手い。それこそ、同業者であっても時には見逃してしまう程に。

 だがオリヴァルトは、そんな彼女らの雰囲気を見抜いてみせた。出会ってから恐らく数十分と経っていないであろう中で。

 

「……お前はアレだな。有能な時と馬鹿な時の落差が激しすぎるな。もう断崖絶壁な勢いだな」

 

「おやおや何を言っているのかな君は。僕はいつだってパーフェクトな人間さ。特に麗しい女性に対しての嗅覚はもはや―――」

 

「前言撤回。地獄に堕ちろ」

 

「イダっ‼ 痛ッ‼ ちょ、脛を蹴り続けるのはやめてくれないかい⁉ 地味に痛い。地味に苦しいっ」

 

 やはり、どうにも読めないと思ってしまう。

 幸いにもオリヴァルトという人間が味方であったから良かったものの、敵として出会っていたら良いように転がされていたかもしれない。

 そして、この程度で敗北感を感じているようでは、あの≪鉄血宰相≫を出し抜くなど夢のまた夢だ。

 改めて自身の弱点が暴露されたようであり、ついつい強めに蹴り続けてしまう。

 

 その地味な刑は、ミュラーからの依頼を受けオリビエという演奏家を捕縛しに来た特務支援課の面々が到着するまで延々と続いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つまらない演劇というものは見ていても眠くなるだけであり、得るものなど何もない。―――そうレイは思っていたし、恐らくこれからもこの考えは変わらないだろう。

 劇とは人が演じるもの。つまりそこには、金を払ってまでそれを観に来ている観客を魅させるような”熱”がなければならない。

 演者が心の底からその役を演じ、その想いを伝えたいと思う気持ち。それでいて情緒に溢れた演じ方。それらが上手く統合して一つの作品として仕上がったのならば、それは名劇として人々の心に残るに違いない。

 

 端的に言えばアルカンシェルで公演された『金の太陽、銀の月』は、そう評するに相応しい作品だったのだ。

 

 

 

「凄かったねぇ」

 

 その感想を、トワはたった一言に凝縮してそう言った。

 たったそれだけしか感想がないというわけではなく、内から溢れ出る感想がまだ処理しきれなくてそう言うしかないといった様子だった。

 

「私、観劇って初めて見たけど、あんなにも惹き込まれるものだとは思わなかったよ」

 

「国内外に名立たるトップスターのイリア・プラティエに、他の役者も粒揃いですからね。裏方のスタッフも揃って優秀だ。―――何より、魅せようとする意志が強い」

 

 夕食会という名の懇談会の前に予定されていたアルカンシェルでの観劇の時間も終わり、送迎者でオルキスタワーへと戻っている最中にトワとレイはそんな会話をする。

 ”太陽の姫”と”月の姫”の演舞。権力者の思惑に惑わされながらも、生き別れの姉妹がそれぞれ心を通わせながらただ一人の『巫女姫』となるべく、熱い想いを胸に抱いて最後の舞に臨むシーンは、招待された観客の誰もが魅入った程だった。

 

「そうだねぇ。―――あ、でも私は個人的には”陰の従者”も好きだったなぁ」

 

「へぇ」

 

 ”太陽の姫”を擁立する権力者の一人が”月の姫”の存在を疎ましく思い、差し向けた刺客。それらから”月の姫”を守り通し、傷を負いながらも姫を『星の祭壇』へと送り出したその忠義の姿は、主役の二人に負けず劣らず観客を魅了していた。

 

「舞台装置とかも本当に凄かったけれど、やっぱりアーティストの人って凄いなぁって思ったよ。あんなに繊細で、綺麗な動きが出来るんだもん」

 

 朝の内に感じていた緊張感はどこかにやってしまったのか、心の底から嬉しそうな声を出しながらトワがつらつらと感じた事を述べていく。それを聞き終わる頃には、送迎者はオルキスタワーへと到着していた。

 

「会長は晩餐会でドレスアップとかしないんですか?」

 

「あはは、しないよー。あ、でもクローディア姫はドレスアップなさるみたい。それはちょっと見てみたいかも」

 

「へー」

 

「レイ君は警備?」

 

「そうっすね。俺は―――」

 

 と、そこまで会話が続いたところでレイが不意に振り向いた。

 飛ばしていた式神を通じて伝わって来た念話を受け取った彼は、鋭い視線を南西の方向に向けたままに数秒間足を止めた。

 

「? レイ君どうし―――」

 

「トワ会長、オズボーン宰相かオリヴァルト殿下に言伝をお願いしても良いですか?」

 

 レイは背負った刀袋を揺らしながら、トワと視線は合わせずにその内容だけを告げる。

 

「『少し”仕事”をして来ます』と、それだけ伝えておいてくれると嬉しいです」

 

「えっ……?」

 

 

 トワの返答も聞かないままに、レイは夜のクロスベルの街を駆けだした。

 陽は落ちているとはいえ、未だ市街地には通行人が数多くいる。そういった人々に見咎められないように跳躍して建物の屋根伝いに疾駆し、一直線に目的地へと向かう。

 その途中、人目のない所で地上に降り立ったレイは、地下の方からズズン……という地鳴りがするのを機敏に感じ取った。

 

「チッ、遅かったか……」

 

 意図的な爆破テロか、はたまたジオフロントの整備不良だかは今のところはまだ分からない。

 しかし事実として異変が起こってしまった以上、クロスベル警察も直ぐに動き出すだろう。未然に防ぐという目的が空振ってしまい、一つ息を吐くレイの隣に、何の前触れもなく”ソレ”は現れた。

 

 さながらそれは、幽鬼のような雰囲気を纏っていた。

 全身を、それこそ足先まで覆った漆黒の外套。それも丹念に拵えたようなものではなく、ところどころ引き裂いたような痕がある。その不気味な佇まいと併せれば、大抵の者は情けない声を挙げて一目散に逃げだすだろう。

 しかしレイは違う。得物を構える事無く、そもそも視線を合わせる事すらなく、ただ己の横に傅いた”ソレ”に報告を促した。

 

「状況は?」

 

『10分23秒前、ジオフロントB区画の一角にて、中規模な爆発が起こりました。外壁や通路の一部は被害を受けた様子ですが、今のところ人的被害は確認されておりません』

 

「目撃者はいるか?」

 

『……爆破事故直前、クロスベル警察特務支援課5名と、捜査一課主任捜査官アレックス・ダドリーが当該するB区画に潜入する様子を確認いたしました。また、エプスタイン財団に出向中であった特務支援課メンバーの一人、ティオ・プラトーの姿も確認しております』

 

「へぇ。そういやもう一人いたっけか。そいつらの生存は確認しているんだな?」

 

『生命反応は失われておらず、正規ルートからは外れた道を使って脱出に成功した模様です。被害は極めて軽微かと』

 

 無茶をする、と思いはしたが、あの連中ならばこの程度の無茶はするだろう。まさか主任捜査官までもが修羅場に居合わせるとは思っていなかったが。

 とはいえ、これでレイが介入する義務はなくなった。テロ対策のスペシャリストである捜査一課の刑事が居合わせた以上、原因究明は早期に行われるだろう。その中に潜り込む事も出来なくはないが、レイが出来る事と言えばジオフロントB地区の付近にある住宅街で騒ぎに気付いた住人たちに呪術を施して記憶を操作するくらいなものだ。

 裏方に徹した隠蔽工作など久しぶりだったが、腕が訛っていない事を祈りながら、レイは”ソレ”に再び声を掛ける。

 

「あぁ、ともあれご苦労だったな『泥眼(でいがん)』。お前の手並みを拝見したのは初めてだが、ツバキが推しただけの事はある。見事だったぞ」

 

『恐悦でございます。―――もう一つ、お耳に入れたき事があるのですが』

 

「何だ、まだあるのか」

 

 そういうと『泥眼』と呼ばれた能面は「はい」と頷く。

 

『事件直後、住宅街の一角で怪しげな人影を確認いたしました。その容貌などを検証した結果、それは―――』

 

 ザァッ、と一陣の風が吹き抜けた後、『泥眼』はその名前を紡いだ。

 

 

『―――結社≪身食らう蛇≫執行者No.0、≪道化師≫カンパネルラであると思われます』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、あぁ、うん。成程成程。思い出したよ、うん」

 

 おどけるような態度を崩さないままに、カンパネルラはカラカラと笑って見せた。

 

「君が率いていた≪第307中隊≫の時は見ない顔だったけれど噂には聞いていたよ。僕とした事が忘れてたなんてねぇ」

 

「……ヘカテはコイツの事は限りなく情報を漏らしてないって言ってたんだがな。やっぱ≪結社≫こえーわ。というかお前がこえーわ」

 

「ふふふ、古来から王にすら取り入る事が出来る平民の代表が”道化師”だからねぇ」

 

 そこでカンパネルラは、その視線を『泥眼』の方へと向ける。

 その視線を受けても、『泥眼』は身じろぎすらしない。能面の奥に隠れた表情は窺い知れず、それが輪をかけてカンパネルラの興味をそそった。

 

 

「猟兵団≪マーナガルム≫、その中でも諜報・工作を主任務とする暗部部隊≪月影(ツキカゲ)≫。

 ≪結社≫の手駒を使っても全貌が見えない組織なんてそうそうないんだけどねー。……その一員、それも姿すら分からなかった構成員に会えるなんて光栄だよ。≪鬼面衆≫さん」

 

 恭しく礼をするその姿は性格も相俟って限りなく胡散臭いが、それでも≪結社≫でも最も得体の知れない≪執行者≫である彼であっても正体を掴めていないという事実だけは辛うじて読み取れる事が出来た。

 ならば、ここで姿を晒した事が悪手であったかと言えばそれも違う。

 寧ろ逆だ。―――≪執行者≫ですら曖昧にしか正体を掴めない存在が≪マーナガルム≫、つまりはレイの傘下にいるという事を示せただけでも良い。警戒心が自分に向き、他方に向かなければそれだけで防げる被害もある。

 

 

「あはは。あぁ、良いね。面白いよ。まさか≪漆黒の牙≫以上に隠形に長けた存在がいるなんてねぇ。

 うん、笑わせてくれたお礼に僕が何をしてたか教えてあげるよ」

 

 そう言ってカンパネルラが取り出したのは、一枚の用紙だった。

 それをフワリと放り投げると、まるで空飛ぶ絨毯か何かのように宙を舞った後にレイの手元に収まった。

 

「こいつは……オルキスタワーの館内図か」

 

「ご明察♪ まぁ色々とあってね。ちょっと横流しさせてもらったよ」

 

「お前に掛かれば最先端ビルの最新鋭セキュリティシステムも形無しか。≪星辰の(アストラル)コード≫様様だな」

 

 半ばこういった事が起こる事は予想できていた為か、レイは取り立てて騒ぐ事もなく溜息を吐いた。

 ここで何やかんやと言ったところで、既に”協力者”とやらにこの見取り図のデータは送信済みなのだろう。なら、言い争う事にすら意味はない。

 

「あー、チクショウ。上手く進んだら明日俺”仕事”しなくても済むかなーなんて思ってたけどやっぱ無理っぽいなー。クソ、胃がキリキリして来やがる」

 

「いいねぇ、その表情。ウチの魔女勢辺りが見たらゾクゾクして愉悦感じるんじゃないかな? あ、写真撮っていい?」

 

「ホント碌な奴いねぇよな‼ あ、写真撮ったら刺すから。これマジな」

 

「おっと、それは勘弁かな。それじゃ、今宵はここでお別れするとしよう」

 

 それはまさしく道化師の退場に相応しく、一陣の風と光と共に、カンパネルラの姿は掻き消えて行く。

 そして徐々に遠ざかる気配を感じながら、同時に泡沫のような彼の声が耳朶に残り続けていた。

 

 

『―――次に君と会うのはどこかな? 帝国か、クロスベルか。ふふ、楽しみにしているよ』

 

 

 その言葉を鼻で嗤うと、気配も跡形もなく消え失せる。

 相も変わらず傍迷惑な存在。箱の中の玩具を思うがままに掻き乱すようなその所業に言いたい事は山ほどあれど、今はそれよりも優先してやらなければならない事がある。

 しかしレイは、それに取り掛かる前に一つ気になった事を『泥眼』に問いかけていた。

 

「なぁ」

 

 思えば不思議だった。

 

 猟兵団≪マーナガルム≫の中でも屈指の変わり種である諜報部隊≪月影≫。

 しかし曲者が多い事と比例して優秀な諜報員が存在する事でも知られるその部隊の中で突出して正体の掴めない存在こそ、≪鬼面衆≫の異名を取る”ソレ”なのである。

 隠形の技術だけを見れば、シャロンに勝るとも劣らない程の腕前を持つのにも関わらず、何故―――

 

「お前、オリビエの前で気配漏らしてただろ(・・・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 何故、彼には気付かれていたのか。

 リーシャの方だけならまだ分かる。あちらはどちらかと言えば戦闘能力に偏ったタイプの暗殺者だ。加えて本人の性格も相俟ってか隠形そのものは上級者とは言い難い。

 しかし”彼女”は違う。戦闘よりも諜報や工作に比重を置いた暗殺者であるが故に、その隠形はほぼ完璧に近い。

 如何に修羅場の気配に慣れているとはいえ、”達人級”でもないオリビエに正体を勘ぐられる程、”彼女”の腕は安くはない筈なのだ。

 

『……申し訳ございません』

 

 しかしその問いかけに、”彼女”は反論する事もなくただ謝罪の一言を口にした。

 となれば畢竟、その思惑も見えて来る。

 

 オリビエは、レイが”味方”であると断じた存在だ。そんな彼に自身の”臭い”を勘ぐらせる事により、”存在する事”そのものを彼の中に植え付ける事こそが目的だったのだろう。

 それが己の意志でした事か、はたまた上から命じられた事かは分からないが、それは正直どうでも良い事である。

 

「ま、別にいいさ。―――あぁそれと、後もう一つ」

 

『?』

 

「演技、良かったぜ」

 

 それだけを言い残して、レイは屋根の上から飛び降りた。爆発音を聞いて小規模ではあるが集まっている野次馬の記憶を軽く弄って消去するために。

 その様子を眺めながら、『泥眼』は僅かにその能面をずらす。

 

 

「……ありがとうございます」

 

 

 その奥に除く貌には、僅かながらも笑みが残っていた。

 

 

 

 

 

 

 





 どうも、十三です。
 さっそくなのですが、今回のあとがきは二段構えにしたいと思います。

・light作品(特に正田卿作品)信者の方は①→②へ。
・そんな作品知らんがな、と言う方は②へ。

 それぞれ移動をお願いいたします。





―――*―――*―――



 はい、此方にお越し下さった方は正田卿信者の方という事で宜しいですね? 

 それじゃあ、今回の話で「あれ? キーアちゃんと水銀ニートって似てね?www」と思った方。―――ちょっと体育館裏までお越し願えますか?
 そこでアホタルに燃やされるか、熊本先輩にひたすら精神攻撃されるか、練炭に首刎ねられるか、この三つの内どれかの処刑法を選んでいただきましょう。

 渇望云々はまぁ置いておくとしても、あのウザさ果汁100%のニートと同列に語られたらマリィでも怒るレベルなんじゃないかなぁと思います(笑)。

 仰りたい事は分かります。原作でもキーアは「大切な人が死ぬ結果が受け入れられない」という事でプチ永劫回帰させた前例はありますし、それだけを見れば共通点と言えるでしょう。

 しかし、アレだ。カール=クラフト、貴様は駄目だ。
 軌跡シリーズの至宝(ユーザー的な意味合いで)と同列に語ろうものなら『キーア様超燃え萌え隊』の皆様方がこぞって軍勢変性して神座狙いに行く可能性が高いです。

 というわけで、何が言いたいのかと言いますと、根本的な意味でキーアちゃんと水銀変態は違うので。それ忘れないように。テストに出ますよ。





―――*―――*―――



 えー、長々と語ってしまい、申し訳ございませんでした。
 一応此方が本来のあとがきでございます。

 今回も新キャラが出たかと思えば実はそうでもないって言うね。最後の方若干駆け足になってしまったのは私の不徳の致すところであります。

 そういやまだティオと会っていないレイ君。
 しかし同じ≪教団≫関係でしがらみがある以上、他のメンバー程には打ち解けられないんじゃないかなぁと思います。

 次回は、またⅦ組の方に戻る予定です。ガレリア要塞編すっぽかす勢いですからね。




今回の提供オリキャラ:

 ■マイヤ・クラディウス(提供者:白執事Ⅱ 様)
 ■『泥眼』(提供者:白執事Ⅱ 様)



 ―――ありがとうございました‼



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黄金軍馬の防人  ーin ガレリア要塞ー ※




「選択の時がきた。心して己に問え。悔いを残すな‼」
      by 不動GEN(創聖のアクエリオン)









 

 

 

 

「あ、リィンやっほ…………アレ?」

 

「久し振り、でもないか。……ん? どうしたんだ、ミリアム」

 

「いやいや、どうしたのかはコッチのセリフだぜ。お前らレグラムで何やって来たワケよ?」

 

 

 ―――8月30日。クロスベルにて通商会議の一日目が開催される日の早朝。

 レグラムを発ち、次に向かうガレリア要塞までの道程の途中で乗った帝都駅発クロスベル行き大陸横断鉄道の車内で、リィン達A班はユーシス率いるB班と合流を果たした。

 

 しかし、停車中の車内でリィン達を見つけて手を振ろうとしたミリアムを始めとして、ユーシス、マキアス、クロウ、エリオット、フィーの四人も、リィン達を見た瞬間に思わず固まってしまう。

 容貌が変わったわけではない。いつも通りの彼らだ。

 だが、少しでも武技を齧った者ならば―――否、そうでなくとも彼らと交流を持った者ならば誰でも分かるであろう程に、彼らは違っていた(・・・・・)

 

「あら、どうしてそう思うのよ」

 

 何となしにアリサがそう返すと、黄緑色の瞳でじっと見据えていたフィーが口を開いた。

 

「リィン達、”越えて来た”感じがする。私が戦場で初めて死にかけて、それでも何とか帰ってこれた時と同じ」

 

「……まぁ死にかけた事は事実だよな」

 

「肉体的にも精神的にも限界寸前まで追い込まれたな」

 

「まぁ、そうした事で忘れていた己を見つめ直す事が出来たのだから、感謝こそすれ恨む道理などないのだが」

 

「何だか思考が世紀末になってるけど大丈夫?」

 

「エリオットさんってたまに容赦ないですよね」

 

 そんな会話を交わしながら、リィン達も座席に座る。やがてホームに発射の合図が鳴り響き、列車は一路東へと走り出した。

 季節もそろそろ初秋に入ろうという帝国では、田畑は一面の小麦色に染まりつつあり、時にはそれを眺めながら他の乗客の迷惑にならない程度の大きさの声で互いの実習地での報告を済ませる。

 

 

「ジュライ特区ではとりたてて特筆すべき事はなかった。オズボーン宰相の下8年前に併合された経済特区だと聞いていたから警戒していたんだがな。思っていた以上に帝国の気風に馴染んでいたようだ」

 

 ユーシスが簡潔にそう説明すると、クロウが「ま、そうだわなぁ」と言葉を継ぐ。

 

「≪鉄血宰相≫に併合された自治州なんかは結構あるけどよ、そん中でもジュライは武力併合じゃなくて平和的に(・・・・)併合された場所らしいからな。経済特区としては中々賑わってたぜ?」

 

「フィッシュバーガー、おいしかった」

 

 グッ、と親指を突き立てて来るフィーの頭をエマが取り敢えず撫でていると、マキアスがリィンの方に視線を向けてきた。

 

「君たちの方は何があったんだ? 突如シオンさんが襲来して暴れられたりでもしたのか?」

 

「むしろそうだった方が良かったなぁとは思ってる」

 

 彼女ならばローエングリン城の玉座に座して高笑いをしながら魔王っぽく振る舞っていても全く違和感がないのだが、生憎とリィンたちが相手をしたのは魔王ではなく騎士なのだ。

 とはいえ、それを説明するのには少々骨が折れる。そもそもな話としてローエングリン城に異変が起こったところまではいいものの、いきなり霧に包まれたと思ったら別の空間軸に転移させられていて、そこで各々とてつもない強さの甲冑を着込んだ騎士と相対したなどと、普通に言っても伝わらないだろう。

 その為、ラウラたちA班全員の証言を併せて説明を行ったのだが、全てを話し終えるまでに小一時間もかかってしまった。

 

「《鉄機隊》に”戦乙女(ヴァルキュリア)”、《第七使徒》に《結社》か……」

 

「この時勢に鎧を着込んだ騎士と戦った、か。俄かには信じがたい話だが、お前たち全員が口を揃えるなら信じないわけにはいかないな」

 

「「…………」」

 

 聞きなれない言葉が羅列して眉を顰めるB班一同の中で、エマの膝の上にいたフィーと景色を眺めていたミリアムが黙り込む。

 その様子に気づいたリィンは、問い質すようなそれではなく、あくまで疑問を投げるような声色で二人に声をかけた。

 

「二人は、何か知っていたりするのか?」

 

「ん。……団長とかに聞いた話でしかないけれど」

 

「ボクは一応《情報局》にいるしね。といっても、レクター程詳しくはないケド」

 

 然程緊張感は持っていないような口ぶりで、ミリアムは道中で買ったらしい棒付きの飴を口の中で転がしながら続ける。

 

「大陸の色んなところで暗躍してる秘密結社。それを《結社》っていうんだって。名前は確か……そうそう、《身喰らう蛇(ウロボロス)》だったっけ」

 

「《身喰らう蛇》……」

 

「大きな国の諜報部隊じゃないといるかどうかも判明しない人達らしいけどねー。……でも、リィンたちは会ったんでしょ?」

 

 それに対して、A班の5人は首肯する。

 一戦交わしただけであったが、それでもリィン達は彼女らの”騎士”としての清廉さは否が応でも理解していた。

 であれば彼女らの名乗り、そして言葉に嘘偽りはなかったに違いない。そこだけは、確信を持って言える。

 しかしだとするならば、彼女らが自分たちが知っている人物に対して言及していた事実もまた、嘘ではないということになる。

 

「リィン」

 

 それについて煩悶としていると、不意にユーシスが声をかけてくる。その双眸にはどこか呆れたような色が混ざっていた。

 

「全て話せ。事実は余すところなくだ。……まさか俺達がその程度で(・・・・・)態度を改めるような人間に見えているわけでもないだろう」

 

 その言葉に賛同するように、全員が頷いた。クロウとミリアムは未だⅦ組の一員になって日は浅いものの、それでも仲間意識が強いのも確かである。

 すると、その言葉を直接聞いたガイウスが口を開く。

 

 

「……俺が相対したアイネスという騎士がレイの事を知っていた。旧知の間柄のような口ぶりだったな」

 

「私とエマが戦ったエンネアっていう騎士は、シャロンの事を知ってたわ。同じように、昔のことを知ってるような感じで」

 

 ―――それが一体何を意味しているのか。分からないほどリィン達は愚鈍ではない。

 流石に一瞬だけ驚き、閉口はしたが、直ぐに息を一つ吐いて冷静になる。

 

「……そう言えば、要塞にはサラ教官も着いてくるって言ってたよな」

 

「ん? あぁ。もう向こうに着いてるらしいぜ」

 

「ま、何か知ってるでしょうし、ちゃちゃっと聞くとしましょ」

 

 竹を割ったような口調でそう言うアリサの言葉に、誰も異論は挟まなかった。

 普通であれば、不安に駆られるだろう。何せ今まで同じ釜の飯を食っていた仲間が、闇の秘密結社の一員か、もしくは関わりのあった人間であったかもしれないのだ。情緒が些か不安定な年頃の人間であれば、疑心暗鬼になっていてもおかしくはない。

 だが、彼らは違う。元は数奇な理由で集められた烏合の衆に過ぎなかったが、様々な困難を共に乗り越えた今、その絆は強固であると信じている。

 故に仲間が、友がどのような過去を背負っていようとも、別段取り立てて大騒ぎをするつもりはなかった。

 敵意があったのならともかく、レイ・クレイドルという少年が仲間として過ごしてきた5ヶ月という月日の中で見せた様々な一面は決して嘘ではなかったと言い切れるし、自分達を鍛え上げたその行動がただの道楽ではないことも理解できている。

 その過去を話さないのは何かしらの理由があると見て今まで能動的に聞くような事はなかったのだが、やはりそろそろ潮時だろうと思っていた。

 全ては無理でも、腹を割って話をしてほしいと、そう強く思うようになっていた。

 

「前途多難な気配しかしないなぁ」

 

「そうねぇ」

 

 そんな思いを抱いた少年少女たちを乗せて、列車は一路、クロスベルとの関所、ガレリア要塞へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 エレボニア帝国とカルバード共和国という二大国に挟まれながらも、自治州として国の形を保っているクロスベル。

 表向きはエレボニアと友好関係を結んでいるその場所との国境に位置するのが、帝国でも屈指の堅牢さを誇る軍事施設『ガレリア要塞』である。

 

 大陸横断鉄道の線路に沿うような形で築かれたそれは、不倶戴天の間柄にあるカルバード共和国との国境地帯に存在する北西の『ゼンダー門』よりも軍事施設として完成されており、ギリアス・オズボーンが宰相に就任して以降、軍備の増強が進められている。

 要塞に併設されている広大な軍事演習場は勿論の事、殊更に目を引くのはクロスベル側の国境軍事施設『ベルガード門』に砲門が向けられるような形で収納されているランフォルト社製の導力大質量兵器『列車砲』である。

 膨大な軍事費を以て二門が設置されているそれは、稼働すれば数時間でクロスベル市内を廃墟に出来るだけの破壊力・制圧能力を持ち、仮にも盟友国に対して向けるべきモノでは本来ない。

 

 逆に言えば、その過剰なまでの防衛武装そのものが、エレボニアとクロスベルの間柄を象徴しているとも言えるのだ。

 

 

「ま、正直に言うとラインフォルト社の黒歴史よね」

 

 移動中の列車内でアリサがそう漏らしたのは、決して間違った言葉ではない。

 2年前、七耀歴1202年にエレボニア、リベール、カルバードの三ヶ国間で締結された≪不戦条約≫。といっても国際法的な拘束はないに等しく、現に≪リベールの異変≫が起こった際、帝国軍は国境師団をリベール王国の国境軍事施設『ハーケン門』の近辺まで進軍させた事があった。

 しかしながらそれ以降、所詮口約束程度でしかない条約は守られ続け、数ヶ月前にノルド高原付近で共和国と緊張状態に陥るまでは三ヶ国は表面上ではあるが平和を保って来ていたのだ。

 故に、帝国としてもカルバード、リベール方面に『列車砲』のような大規模兵器を置くわけには行かず、目をつけられたのが共和国との”緩衝地帯”であるクロスベル自治州―――自治州法により大規模な軍隊が編成できない国だったのだ。

 

 つまるところ、『列車砲』はクロスベル政府に対する”警告”なのである。

 クロスベルがもしカルバード共和国を”宗主国”と仰ぎ傘下に入った場合、『列車砲』の焔の鉄槌がクロスベル市内を焦土に変えるという、ある意味これ以上に分かりやすいものはない”警告”は、果たしてオズボーンの読み通り絶大な効力を放っていた。

 ≪不戦条約≫の枠組みにクロスベルは入っていない為、このような暴挙が罷り通る。しかしながら、同じ自治州と言えど、例えばレマン自治州などにはこのやり方は通用しない。

 なぜなら大抵の自治州は近隣に在る君主国を宗主国として傘下に入り、庇護の恩恵を受けているからである。その点、確定した宗主国を持たず、半独立地域となっているクロスベルはこういった国際的状況に弱い。

 大国の庇護を受けているわけでもなく、かといって完全に独立国として存在するには国力が弱過ぎる。クロスベルがそうした立場を現状貫いていられるのは偏に『IBC』の存在がある為なのだから。

 

 交錯する国と国との思惑と危うい国家間バランス。その一翼を担っているのがまさにこの『ガレリア要塞』なのだという事を考慮に入れるならば、その壮大な”守護者”としての在り方も妙に納得できてしまうのが現状だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、というわけで今日と明日の二日間、アンタ達には”実地見学”と”特別講義”に参加してもらうわよ」

 

 ガレリア要塞の一角のミーティングルームで、先に実習先に到着していたサラがいつもとは違う雰囲気でそう言った。

 どこが違うかと言えば、堅いのだ。いつもの実技演習の際はもっと砕けた感じで話す事の多い彼女だが、今は表情から声色、立ち方まで真剣味を帯びている。

 まぁそれも、考えてみれば当たり前の事なのだ。此処は帝国でも有数の精鋭が揃う軍事施設。かく言うリィン達も心なしか皆、緊張感に苛まれていた。

 

 ガレリア要塞では通常の”実習課題”をこなさなくていい代わりに、この二つを行うと告げられ、しかしその具体的な内容が曖昧であった為首を傾げかけると、もう一人の人物が説明を加筆する。

 

「本日一四〇〇(ヒトヨンマルマル)時、要塞脇の演習場にて、本要塞所属の第四機甲師団及び第五機甲師団による合同軍事演習が行われる。―――お前達にはそれを見学してもらうぞ」

 

 そう告げたのは、トールズ士官学院軍事学・戦術学教官にして帝国正規軍第四機甲師団所属の軍人、ナイトハルト少佐。

 若くして佐官の地位にある彼は、平時学院にいる時よりも更に研ぎ澄まされたオーラを纏って立っている。

 それこそが帝国軍人の在るべき姿と言わんばかりの厳然とした姿は、リィン達の表情を引き締めさせるには充分だった。

 

「……ん? ねぇエリオット、確か第四機甲師団って」

 

「あぁ、うん。僕の父さん―――クレイグ中将が師団長を務める部隊だよ」

 

 精鋭揃いの帝国機甲師団全十一師団の中でも特に最強と目されるのが、ゼクス・ヴァンダール中将率いる第三機甲師団と、オーラフ・クレイグ中将率いる第四機甲師団である。

 そんな部隊の合同軍事演習など、例え士官学院生であったとしてもそうそう見れるものではない。そういう意味では僥倖ではあった。

 

「お前達に軍の演習を見せる理由……まぁそれは、お前達はもう分かっているかもしれんがな」

 

「え?」

 

「―――私の方からは以上だ。食堂に昼食を用意してある。各自、腹ごしらえをして午後の演習に備えるように」

 

 ナイトハルトはそれだけを告げると、そのまま退室してしまう。

 少し呆けていたリィン達であったが、サラの合図を切っ掛けに立ち上がり、そのまま食堂へと移動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おおぅ……こ、これはクる……」

 

「さ、最近シャロンとレイの美味しいものしか食べていなかったから……」

 

「ヤッベぇわ。慣れって怖ぇわ」

 

 そして移動した先の食堂で出された食事を食べた一口目の感想がこれである。

 献立は、カビが生える寸前の硬化した黒パン、煮崩れしてボロボロになった豆のスープ(薄味)、塩辛いという味覚以外が感じられないコンビーフ、そして薄っぺらいチーズ一枚とリンゴ一切れという惨々たるものであり、しかしもしかしたら味は見た目よりマシかもしれないと儚い希望を抱いて口にした結果、見事に全員揃って撃沈の憂き目に遭った。

 正直、刑務所の人間でももう少しマシな食事を与えられているのではないかと錯覚するほどの食事を前に、もしこの場にレイがいたらどんな反応を取るだろうかと考えてみた結果……。

 

『『『(黙って席立って厨房に殴り込みに行くところまでは簡単に想像できる……)』』』

 

 軍人たるもの、質実剛健を旨とすべしという持論は分かるのだが、せめてもう少し食事は何とかならないものだろうかなどと思っていると、リィン達より一足早く、フィーが全て平らげた。

 

「ごちそうさま」

 

「やっぱり早いな。その……慣れてたのか?」

 

「ん。団に居た頃はこれよりマズい食事なんて当たり前だった。戦場で贅沢は言えないし。……レイが来てからそういうの全部覆されたけど」

 

「あ、やっぱり関わってた」

 

「因みにどう改善したんだ?」

 

「最初はレイが「美味いメシも食えずに戦えるかよ」って言って、用意されてた食材使って美味しいもの作ったところから始まった」

 

 曰く、料理人に必要な要素の基礎として、”用意されている食材で如何に美味しい料理を作れるか”というものがある。

 高級食材をふんだんに使って贅沢な料理を作り上げるのは、その基礎が理解できた料理人がするべきであり、何事も清貧から始まるもの―――というのがレイの持論だ。

 

「だから正直、この食事も大分厳しかった」

 

「行く先々で食事革命してんのかアイツ」

 

 とはいえ、帝国軍がこのような粗食を日常としているのにも理由がある。

 ”常在戦場”という言葉を座右の銘に掲げる彼らにとって、食事すらも軍事行動の一環なのだ。もし食事中に突然戦闘行動が始まり、それが長期化したりしても、常日頃から食しているものを食らう事で士気の低下が最低限に抑えられる。

 つまるところこの食事風景は、帝国軍の”在り方”を表しているものでもあった。

 

「クレイドルの言葉にも一理ある。食事とは、最も分かりやすく兵の士気に直結する要素だからな。

 だが我らは軍人、国の防人だ。有事の際、物資補給もままならない状況であっても怯まず臆さず戦うには、こういった要素も必要であるという事だ」

 

「そう、ですね」

 

 これが領邦軍であれば、間違ってもこんな食事を日常にしたりはしないだろう。

 だが国防の要たる正規軍、とりわけ国境付近に展開する機甲師団にとって、士気の低下は即ち国の存続の危機と同義だ。それを常に一定以上に保っておくための措置であると考えれば、この粗食にも納得は出来る。

 それでも限りなくマズい事には変わりはないし、精神論にも人間である限り限界というものがあるのだが。

 

「ま、美味しいマズいはともかくとして、こういう食事は一度知っておいた方が良いわよ? 精神論も、やり過ぎは逆に士気を摩耗させるけど、覚えておいて損はないわ」

 

「何事も経験、ということか」

 

 それが”軍”の価値観である以上、それを乱すわけにはいかない。”個”ではなく”群”で動く以上、常に一定以上の緊張感を保つにはこういった事も必要なのだという事を学ぶというのもまた、この実習の側面なのだろう。

 

「……でもレイなら全部分かって納得して頷いた上で調理担当者を3時間くらい説教すると思う」

 

『『『あぁ、うん』』』

 

 しかしやはり、あの趣味を大きく逸脱した料理人にとっては、このような食材を冒涜するような料理は許せないだろう。主に個人的な見解で。

 全員が一致した感想を抱きながら、それでも栄養補給という特化した観点から見ればそう悪くない料理を無理やり胃の中に押し込み、一同は食事を終えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 時は経ち、空に月が昇って暗くなった頃。

 リィンは要塞内に用意された宿泊室の簡易ベッドの上に座り、一つ息を吐いた。

 

 肉体的に疲れたというわけではない。強いて言うのなら軍事演習場に向かうまでの道程で中型装甲車の車内でひどく揺られ、下半身にダメージを負ったくらいだろう。

 そしてそれ以上に、有意義なものが見れたことに対する余韻の熱が未だに籠っていた。

 

 

 昼食休憩後、ナイトハルト教官に先導されて訪れた軍事演習場で目にしたのは、帝国正規軍の主力戦車『18(アハツェン)』を始めとしてズラリと隊列を組んだ歩兵、装甲車、軍用飛空艇。

 大凡陸戦における最高戦力の一端が隊列を組んだ様子はまさしく荘厳の一言であったが、一同が驚愕したのは、演習が始まって以後の事だった。

 

 ラインフォルト社が2年前に開発した重戦車『18(アハツェン)』は、その圧倒的な破壊力は元より、機動力も兼ね備えている。高い防御力で戦場を攪乱する装甲車の援護も受けながら、主砲から放たれた弾が自動操縦で操作されていた敵軍に見立てた旧式戦車を悉く破壊していく様は、さながら巨体の象の突進が鼠の群れを踏み潰していくような光景を連想させた。

 加え、軍用飛空艇からの高射砲撃。それはまさしく蹂躙と称するに相応しい姿であり、砲撃と着弾の轟音や舞い上がる土と旧式戦車の残骸、頬や髪を擦過する容赦のない爆風を前に、リィン達は改めて”現実”を突き付けられた。

 

 この演習は、いつか訪れるであろう”実戦”を視野に入れたもの。つまりは、この破壊の権化とも言うべき存在が建物を破壊し、人々を虐殺する日が訪れるという事だ。

 大陸最強の軍隊―――聞こえは良いが、つまりはどの国の軍隊よりも”壊す”事に慣れているという事だ。10余年前のリベールでの戦役がそうであったように、途轍もない”力”の奔流というものは、何もかもを壊し尽くしてしまう。

 しかし、それが罪にならないのが戦争の恐ろしいところだ。一度戦端が開かれてしまえば、敵国の人間をどれだけ多く殺すかに執念する。同族を護らんとする生物の本能に逆らって殺しあう。

 そして人類の発展は、皮肉ながらも戦争と共にあった。より多くの人間を、如何に効率よく殺せる方法を模索し、それを実現させる。そうして発展してきた科学が人々の安寧のために役立っているというのは、もはや皮肉を通り越して嘲弄ものかもしれない。

 

 傍から見ればそれは悪にも見えるだろう。しかし戦車に搭乗して操縦し、砲撃を放つ彼らは皆、護国の為に戦っている。その為に”力”を振るっている。

 結局のところ、”力”という概念そのものに罪は一切ないのだ。罪が生じるとすればそれは、その曖昧でありながら分かりやすい概念を宿して振るう人間そのものに他ならない。

 ”力”の使い方、そしてその意味。―――それこそ、この『実地見学』で見せたかったものなのだろう。

 

 

「しっかしアレだなぁ。もうちっとナイーブになるかと思えばお前ら、そうでもなかったよなぁ」

 

「まぁ、理不尽や不条理に対しては耐性があるからな」

 

「そうだねぇ。……レイがいなかったら、夕食も喉を通らなかったかもしれないし」

 

 純粋な”力”、そして蹂躙される事の本質ならば、既に幾度も見てきている。

 正直今回の演習の光景も、シオンが少し本気を出せば同じようなものを作り出すことができるだろう。故に彼らは驚愕はしたし思案に耽る言動は見せたが、決して悲嘆はしなかった。

 ”戦争”というものの本質。振るえば純粋にそれに応じた結果を叩き出す”力”を前にすれば、人間が謳う美学や教養などは欠片も役に立ちはしない。

 そこに必要なのは闘気と、殺意。如何に躊躇わず人を殺せるかという感覚しかない。己の所業を正義と断じ、立ち塞がる者を悪と断じる二元論。それを前提としたモノだ。

 

「あぁ、だからこそ分かった。―――コレは俺が、俺達が目指すべき”力”の到達点じゃない」

 

 故にリィンは、そう思い、口にする事に躊躇いはなかった。

 脳裏に過るのはあの騎士―――《鋼の聖女》と名乗ったあの女性の闘気。

 あの騎士が至ったのは、決してこの”力”の境地ではなかったはずだ。あの馬上槍(ランス)の一突き、闘気の余波に至るまで、単純な破壊の権化というには余りにも精錬されていた。いっそそこには武人としての矜持だけではなく、慈悲の心すら垣間見えてしまうほどに清いモノだったのだ。

 加えて言えば、レイのそれも違う。敵をより効率よく、大規模に殺すために改良を重ねられる砲弾と、強度と共に己の精神をも鍛え上げ、磨き上げる刀剣が違うように、彼が研ぎ澄ませたそれは信念の現れだ。

 単なる強さでは表せない”力”。それこそがリィン達が追い求めるものであり、辿り着くべき場所だ。

 

「(そうと決まれば、じっとはしていられないよな)」

 

 同じ部屋にいる他の男子にはトイレに行くと告げて、リィンは廊下へと出た。

 そしてそこで、向かいの女子の部屋から出て来たアリサと鉢合わせる。

 二人は一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに互いに小さく噴き出した。

 

「お互い、考えたことは一緒か」

 

「えぇ。いずれ皆にも知る権利はあるけれど……最初は私たちが聞くべきだと思うの」

 

 要塞内は自由には動き回れないようにはなっていたが、この特別宿舎の範囲内だけは自由に行動する許可を得ていた。

 その廊下を揃って歩き、とある部屋の前に立つ。

 

「―――サラ教官、宜しいですか?」

 

『んー? あら、珍しいわね。入ってもいいわよ』

 

 入室の許可を得て扉を開けると、サラは机に向かって何か報告書を認めている最中だった。

 流石に軍施設に来て酒盛りはしないかと内心で苦笑しながら、リィンが代表となって話しかける。

 

「すみません。仕事の最中でしたか」

 

「あぁ、別に急ぎじゃないしいいわよ。クロスベルでの通商会議の情報を拾ってただけだから」

 

「レイと、トワ会長も行っているんでしたか」

 

「えぇ。護衛業の傍ら、遊んでるのが目に見えるわ」

 

 そこまで他愛のない話をしたところで、今度はサラの方から「それで?」と問いを投げてきた。

 

「聞きたい事があるって目をしてるわね」

 

「……はい。漸く決心がついたので」

 

 サラに勧められた簡易式の椅子に座り、心持ち襟元を正すと、リィンとアリサは揃って覚悟を決めた目を向け、再度口を開く。

 

 

「結社《身喰らう蛇》―――その情報と、その組織にレイがどう関係しているのか、教えてくれませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 国境の向こう側、無限の闇に包まれた先に、一際大きい建物が見える。

 夜間だというのにそれは煌々と光を放ち、まるで船を導く灯台の如く、人々の目を惹きつける。

 

 しかしザナレイアにとって、その光は不快なモノでしかない。

 許可があれば、否、本来許可などなくとも彼女はあの場所に赴き、殺すべきモノを殺しに行くだろう。護衛として赴いているらしいレイは無論、己をこんな醜悪な形に変えた根源を探し出し、無残に惨殺するだろう。

 だがそれをすれば、《結社》は総出で彼女を殺しにかかる。手始めに来るのは《鋼の聖女》だろうか。絶対強者と戦えるのは嬉しいが、レイの振るう白刃以外で命を落とすのは御免被りたいというのが本音だ。

 

 故に彼女は耐える。気を抜けば周囲に存在する一切合財を殺しつくしてしまいかねないほどの憎悪をその身に宿して、黙したままに視線を下におろした。

 

 

「ど、同志《Ⅹ》。そろそろ到着いたします」

 

「……そうか」

 

 感情の籠っていない声を、高速飛空艇を操縦する《帝国解放戦線》のメンバーに返す。

 それと同時に、口元は凶悪な三日月形に歪んでいた。

 

 何が”同志”だ。笑わせる。

 ただ利用し、利用するだけの間柄である癖に、形だけとはいえよくもそう言えるなと嘲笑しかかる。

 彼らは恐れている。”協力者”から手駒として送られてきたはずのそれが、自分たちの手に余りすぎる存在と見るや、その”力”に対する視線は憧憬から畏怖へと早変わりした。

 彼女としても、戦線はレイと再び死闘を繰り広げるための隠れ蓑程度にしか思っていない。構成員が何をし、どこで果てようが感じ入ることではなく、路傍の石程度にしか思っていなかった。

 

「(あぁ残念だ。巨大要塞を背景に殺しあう事ができたのなら、さぞかし楽しかっただろうに)」

 

 クロスベルに向かってしまった少年に向かって熱のある言葉を漏らした後、ザナレイアは再び視線を窓の外に向ける。

 

「(だがまぁ、今回の作戦とやらで奴の憤怒に歪んだ表情が見れるのならば、協力してやるのも吝かではない、か)」

 

 

 歪んだ愛を内包したまま、氷の女王は進軍する。

 立ち塞がる痴れ者を残らず滅し、愛しの剣士に会う為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 今回はほぼ原作なぞりでしたかね。
 
 戦争に用いる”力”は分かりやすいもの。単純であるが故に強い。
 ただしそれは、多くの人を不幸にする。こちらが笑っている間に、あちらは泣いている。
 その本質を理解しない者に、武器を持つ資格はない。殺した者の恨み辛みを全部背負い込む覚悟がなければ、戦争なんてしてはならない。
 ―――ま、ようはこういう事ですね。

 平和な国である日本に暮らしてる我々には理解しようにも理解できないんですよね。

 説教じみたあとがき、失礼いたしました。




※前回登場したマイヤ・クラディウス/『泥眼』のイメージイラストを添付しておきます。

 
【挿絵表示】






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立ち込める黒雲  ーin ガレリア要塞ー ※





「私と共に、王冠へ至る事は許さない。おまえは此処で、ヒトとして足掻くが良い」
     by ネロス・サタナイル(PARADISE LOST)








 

 

 

 

 

「……それを聞く事が、どういう事かは当然知ってるのよね?」

 

 一瞬で研ぎ澄まされた刃のようになったサラの声色に、しかしリィンとアリサは臆する事無く頷いた。

 サラとしては、以前のリィン達ならば動きが止まる筈のレベルの闘気を一瞬だけ放出したつもりだったのだが、今の彼らには通用していない。

 レグラムでの一件は報告では聞いていたが、確かにそれが本当であれば当時彼らの感性は一時的に準達人級クラスのそれにまで跳ね上がっていたはずだ。通用しないのも無理はない。

 

「本当なら、レイに直接聞くのが筋なんだって事は分かっています。でも、何と言うか……」

 

「レイには話せない何らかの理由があるんじゃないかって、そう思ったんです」

 

「その根拠は?」

 

 リィンよりも人の感情の揺らぎを読み取る事に長けているアリサは、リィンに変わってサラの問いかけに応える。

 

「最初は確かにはぐらかしているだけだとも思ったんですけど、ノルド実習の時にあんな事になって、帝都に行った時もどこか遠くを見ているような表情を見せていたりして、その時に感覚的に分かったんです。

 話さないのではなく、話せない(・・・・)んじゃないか。と」

 

「……ふぅ、流石ね。こと読心術に限ればアンタとユーシスは抜け目ないわ。遊撃士になったら重宝されそうね」

 

「それは、肯定って事で良いんですか?」

 

 追随するようにリィンが言うと、サラは特に渋る事もなく軽く頷いた。

 

「まぁいざとなったら隠し事くらいは普通にするけれどね、アイツは。―――とはいえ、それに限ってはレイは隠す事しかできないの」

 

「……理由が、あるんですか?」

 

「迂闊に口を滑らせたら小国くらいなら一瞬で灰に帰るレベルの魔力爆散(マジック・バースト)起こすらしいわよ。他人に迷惑を掛ける事を極端に嫌うアイツが、そんなコト許容できるわけないでしょう?」

 

 その想像の斜め上の事情に、二人揃って閉口する。特に、アリサの方が驚愕の度合いは大きかった。

 ”魔力爆散(マジック・バースト)”という用語自体は一般的にも聞く事があるし、とりわけアーツを使った戦法が主となる者にとっては冗談にしても笑えない。

 通常それはアーツの詠唱に失敗し、オーブメントに注ぎ込まれた魔力が非物質的なエネルギーが暴走して爆発を起こす現象であり、高位アーツになればなる程その反動は大きくなる。

 しかしながら、小国を一つ消し飛ばすレベルともなれば既に想像の埒外だ。たかが契約の不履行程度で超大規模な爆発を起こす術式が体内に仕込まれているという事。或いはその事実一つとっても大事である。

 

「それももしかして、≪結社≫とやらが?」

 

「そう。まぁここから本題に入るわけなんだけれど―――ホラ、聞き耳なんて立ててないで入って来なさい」

 

 サラがそう声を掛けると、その数秒後に扉を開けて、廊下で様子を窺っていたらしい他のⅦ組の面々がゾロゾロと部屋に入って来る。

 普段であればリィンもアリサも気配ぐらいは察せるのだが、他の事に意識を取られ過ぎて、部屋の外にまで気をやる事は出来ていなかった。

 そんな事を思っていると、いつも通りの無表情のままにトコトコと近づいて来たフィーが、座っていたリィンとアリサの頭頂部に強めのチョップを叩き込んだ。

 

「「痛っ」」

 

「ん。これで抜け駆けして話聞こうとしたコトは許してあげる」

 

 見れば、いつもならフィーの突拍子のない行動を嗜める役割のエマも、苦笑したままであり、それが入ってきたメンバー全員の心境である事が理解できた。

 それを裏付けるように、嘆息混じり、どこか呆れたような表情でいたユーシスが口を開いた。

 

「どういう了見だ? ……とは聞かないでおいてやる。お前達二人はある意味で当事者のようなものらしいからな。だが、俺達にも聞く義務がある」

 

「何も気になっていたのは、そなたらだけではないという事だ。≪結社≫の事は元より、抱えた過去も知れずに何が”友”か」

 

 次いだラウラの言葉にも、どこか熱が籠っていた。

 彼らだけではない。他の面々も同じ想いのようで、それらを差し置いて二人だけで聞こうと思ってしまった事を恥じる。

 

「まぁ、いてもたってもいられないというのはお互い様だ。僕達は君達を責める気はないし、此処に来たのはそんな不毛な事をする為ではないからな」

 

 そんな彼らをマキアスが不器用ながらもフォローし、それぞれが部屋の各所に散らばった事で漸く話を聞く態勢が整う。

 その様子を見て、サラは優しげな表情を浮かべた。

 

「あぁホント、良い仲間を持ったもんねぇアイツ」

 

「?」

 

「何でもないわ。

 まぁ、今更隠したところでどうにかなるもんでもないし、アタシが知ってる範囲内なら答えるわよ」

 

 そう言ってサラは、机の上に置いていたマグカップの中の飲み物を一気に飲み干してから本題に入った。

 

 

「結社≪身食らう蛇≫……もうミリアム辺りから聞いてるんでしょうけれど、大陸全土で暗躍してる秘密結社よ。とはいえ、遊撃士協会本部、七耀教会総本山、大国の諜報機関ですらも、その全貌は掴み切れていないのが現状ね。

 分かっているのは、≪盟主(グランドマスター)≫と呼ばれる存在を頂に据えて、その下に構成員の統括者である≪使徒(アンギス)≫、そして実働員である≪執行者(レギオン)≫がいて、その他にも子飼いの兵を抱え込んでるって話だわ」

 

「そんな組織が……」

 

「そして、アンタ達が遭遇したのは、その”子飼い”の中でも最強と目される≪鉄機隊≫と呼ばれる部隊の、更に幹部勢の三人ね。”戦乙女(ヴァルキュリア)”なんて大層な名前で呼ばれているらしいわ」

 

 それを聞き、ラウラ、ガイウス、エマ、アリサの四人が反応する。

 彼女らはいずれもが劣らぬ”達人級”の腕前を持っていた事は、他ならぬ戦っていた彼らが一番良く分かっている。

 そして、今の自分達では到底敵わない圧倒的な武技を誇る彼女らですら、”子飼い”でしかないという事に戦慄する。言ってしまえば、彼女らよりも武人としての階梯が上の人間がいるという事なのだから。

 

「更に言えば、この前帝都でレイが戦っていたあの銀髪の女、アレは≪執行者≫の一人よ。正真正銘、混じり気なしの”達人級”。あの場では、レイ以外に対抗できる人間はいなかったでしょうね」

 

「え? 確かそいつって……」

 

「≪X≫と、そう呼ばれていた筈だな」

 

 そこまで知れれば、事の重大さは否が応にも分かってしまう。全員の言葉を代弁したのは、リィンだった。

 

「まさか、≪帝国解放戦線≫の活動に≪結社≫が関わっているんですか⁉」

 

「可能性としては大きいわね。去年起きたリベール王国での導力停止現象。その事件にも≪結社≫が深く関わっていたらしいってのは、ギルドの情報網で確認済みだし」

 

 その事件の真相は導力の一斉停止現象などという生温いものではなく、世界の根幹にも関わる大事件であったという事を知る者は更に少ない。

 実際、事件の真相についてはリベール王国軍、遊撃士協会リベール支部各所で箝口令が敷かれ、情報は可能な限り外部には漏れていないのが現状だ。

 かくいうサラも、馴染みであるロレント支部の受付嬢、アイナに「≪結社≫が関わっていた」という情報だけを聞き、それ以上に深入りはしなかった。ともすれば国家の中枢に触れかねない情報を無理矢理に引き出すというのは、遊撃士の掟に反する行為だ。それだけは、最低限守り通さなくてはならなかった。

 

「まぁ加えて言うのなら……リィン」

 

「は、はい」

 

「アンタが戦った桁違いの強さの女騎士―――なんて名乗ったの?」

 

 そう、彼女は名乗っていた。

 自らの素性を、名を、隠そうともせずに、騎士の矜持を賭けるかのように名乗ったその言葉を、リィンは一言一句違えずに伝える。

 

「≪鋼の聖女≫アリアンロード……そう名乗っていました」

 

「―――よりにもよって”絶人級”と戦うなんて、アンタ相当無茶したわね」

 

 それは、リィンが一番良く分かっていた。

 もし仮に、彼女がリィンを本気で殺しに掛かって来ていたのならば、相対して数瞬後には落命していただろう。気合いや努力でどうにかできる範囲をとうに逸脱しているというのは、その姿を視界に入れた瞬間にはもう理解できていた。

 それでもあの場は立ち向かうしかなかったのだし、立ち向かった事を後悔していない。―――そう胸を張って言える程に、あの騎士は清廉であり、泰然としていた。

 秘密結社の者だとは、そう言われたところで信じられないかもしれない。それは逆に言えば、そうした清廉な武人ですら所属するだけの理由があるという事だが。

 

 

「でもアレっすね。意外と情報持ってんじゃないっすか教官」

 

「ま、一応元A級遊撃士だから交友関係は広いしね。帝都での一件以来、結構伝手を頼らせて貰ったのよ。……≪情報局≫にだけは一切触れなかったけど」

 

「あははー。顔には出してなかったけど、クレア寂しそうだったよ?」

 

「あれは別に関係ないでしょうが」

 

 ふぅ、と一息を吐くサラを見ながら、しかしリィン達は複雑な感情を抱いていた。

 つまるところ、辻褄が合ったのだ。齢17という年齢に見合わない強さと、ふとした時に見せる暗い過去の香り。あの砂浜で話してくれた彼の過去の続きが、一体どこに直結するのかを。

 

「……レイは、やっぱり」

 

「そ。……本当はアンタが言ったみたいに本人の口から言わせるべきなんでしょうけどね。それが出来ない以上、アタシが責任持って伝えるわ。

 

 元結社≪身食らう蛇≫ ≪執行者≫No.Ⅺ ≪天剣≫レイ・クレイドル―――それがアイツの”前歴”よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何故貴様が此処にいる?」

 

「それは私が聞きたいんですけれどもね。まぁ、クロチルダ様から指令が降りたんでやがりますよ」

 

 

 状況は、控え目に言っても有効とは言い難かった。

 ザナレイアは目の前に現れた少女の姿を憚る事もなく睨み付け、しかし少女の方はと言えば、常人であれば脅えてしまうのが致し方ないそんな視線を受けても平然と肩を竦めるばかりで臆した様子は微塵も見せていなかった。

 

「失せろ。貴様のような小娘に(かかず)らっている暇は私にはない」

 

「相変わらずのスタンドプレーでやがりますねぇ。同じ≪執行者≫同士、もうちょっとこう、先輩後輩の関係とかあってもいいんじゃないかと思うんですが……」

 

「下らん。偏屈な喋り方をする小娘なんぞに興味はない」

 

 これはもう癖なんですがねぇ、とマイペースな雰囲気を崩さない少女は、しかし軽い雰囲気の口調とは裏腹に隙のない佇まいを見せていた。

 身長こそ小柄の部類に入るだろうし、纏っている枯葉色のコートは丈があっていないのかくるぶしの辺りまで裾が来てしまっている。普通であれば、彼女が≪結社≫が誇る≪執行者≫の一人であるとは思いはしないだろう。

 だが、その本性はまさしく武人のそれだ。機嫌が限りなく最悪に近い状態のザナレイアが刃を抜かないのもそのあたりに起因しており、彼女と戦う事が僅かながらも厄介だと感じているからこそ、ただ「去れ」とそう言葉を投げているのである。

 

「ま、私もマクバーン先輩達とかと一緒に待機組の筈だったんですがね。クロチルダ様とあの変た……コホン、ルシードさんはどうもザナレイア先輩が不安だからって私を寄越した感じなので、文句ならソッチに言ってくれやがりませ」

 

 腰辺りまで伸びたきめ細やかな金髪を掻き上げて、少女―――リディア・レグサーはあくまでもスルーをするスタンスを崩そうとはしない。

 再度その姿を睨み付けたザナレイアだったが、すぐに無駄な事だと悟ったのか視線を逸らす。

 

 ≪帝国解放戦線≫がガレリア要塞より比較的近い位置に拵えた、洞窟を改装した仮アジトの一室でのやり取りなのだが、この二人の醸し出す独特過ぎる雰囲気を畏れたのか、今近くには戦線のメンバーは一人もいない。

 それもその筈だ。≪結社≫の実働員、それも”武闘派”の二人の会話など盗み聞きしてバレようものならば即命に関わる事を、彼らは本能的に察している。

 戦線にとっては一時的に協力関係にある組織だが、その茫洋さは不気味さを感じさせるには充分だ。

 特に≪結社≫が手駒の一つとして戦線に寄越したザナレイアなどは、彼らと手を携えようという心持ちは元より、協力しようという心すら持っていないような言動を見せていたのだから、その感覚が肥大化するのも無理はないだろう。実際、リディアがこのアジトに赴いた際も、好意的とは言い難い視線を向けられたのだから。

 

「とにかく、ザナレイア先輩が帰れって言ったところで帰れる権限は私にはねーんですよ。まぁ、先輩の性格上一蓮托生とかは死んでも無理そうですけれど、勝手に介入させてもらいやがりますからね」

 

「手を煩わせたら殺す。それだけは肝に銘じておけ」

 

「…………」

 

 曲者が多く揃う現≪執行者≫の中でも、特に感情の起伏が極端で激情家なのがザナレイアという人物であるという事は周知の事実だ。

 実際、「虫の居所が悪い」という理由だけで子飼いの強化猟兵中隊を一人残らず惨殺したという”事実”を師から聞いた事のあるリディアには、この言葉が決して脅しではない事が分かる。

 

「まぁ何でも宜しいんですがね。テンション上がり過ぎて逸脱しすぎるのは遠慮して欲しいんですが」

 

(くど)い。私は疾く去ねと言った筈だぞ?」

 

 そして本気の殺気がぶつけられたのを期に、リディアは一つ嘆息を漏らして部屋から出て行く。

 先達の≪執行者≫の中でも飛びぬけて接し辛い人物である事は間違いないため、余計な所までは踏み込もうとはしない。用意されているという自室に至るまでの道を歩きながら、リディアはクロスベル方面に派遣される事になった面々を羨ましく思った。

 

「(上手く行けば≪天剣≫先輩と会えると思いましたが……そう上手くは行かないでやがりますねぇ)」

 

 己の剣の師が「最も≪鋼の聖女≫を超える才覚を持つ者」と絶賛していた人物を一目見たいと思って今回の話を引き受けたものの、まさか通商会議の方に赴いていたとは露程も思わず、結果的に暴れ馬の手綱を握らされただけになってしまったのだが、その役は些か彼女にとっては荷が重かった。

 

「(マクバーン先輩やアルトスク先輩とガチで戦り合えるヒトを、私が止められる訳ねーですよ)」

 

 そんな心の声を挙げながら、苦労人の責を背負わされる事になった少女はただ一人暗い廊下を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が降り、電灯の明かりも消えた宿泊室の一室で寝転びながら、しかしリィンは瞼を閉じる事が出来ずにいた。

 普段であればどれほど睡魔が襲って来なくとも、取り敢えず目を瞑る事は止めないのだが、今夜に限っては支障が出ない限り思考に耽りたい気持ちがあった。

 

 

 ≪執行者≫No.Ⅺ ≪天剣≫―――嘗てゼンダー門にてゼクス・ヴァンダール中将が口にしたその通り名が、此処でリィン達に正体を明かした。

 ”達人級”の武人達が揃う”武闘派”の≪執行者≫に若くしてなった彼の胸中がどういったものであったのか。それは今考えたところで理解できるようなものではないのだろう。

 

 出来ればもう一歩踏み込んだ事をサラに聞いてみたかったのだが、そうしようと思った直後に部屋を訪れたナイトハルト少佐によって就寝時間が来たことを告げられた。

 仮にも軍の施設に厄介になっている以上、命令には従わなくてはならない。詳しい話はまた後日とサラには言われたが、部屋を去る全員の足が重かったのもまた事実だ。

 

 とはいえ、本当に聞きたかった事が聞けたというのは、大きい成果だろう。

 アリサが聞きたかったシャロンの正体についてはお預けを食らった形になってしまったが、勘の良い彼女なら気付いている筈である。

 シャロン・クルーガーという女性もまた、一時期は≪結社≫に名を連ねた人物であったのだろう。だが、その経歴が彼女達の関係に罅を入れるとは思えない。

 主従関係というよりかは、アリサはシャロンの事を本当の姉のように思っているのだろうという事は良く知っている。アリサの性格上、やや喧嘩腰気味にシャロンに詰め寄るであろう事は目に見えているが、”家族喧嘩”としては充分許容できる範囲内である筈だ。

 ならば自分達が考えるべきなのはやはりレイの事なのだろうという考えに至った時、リィンは反射的に口を開いていた。

 

「……この部屋で起きてる人、手を挙げてくれ」

 

 反応しないならそれでも良いと思っていたが、その予想に反してリィンの他の5人全員がスッと手を挙げた。

 その光景に、思わず失笑してしまう。

 

「皆、考えてた事は同じだったみたいだな」

 

「そりゃあまぁ、ね」

 

「あんな事を聞いた直後に安眠できる程薄情な性格はしていないつもりだよ」

 

「まぁとはいえ、殊更心配していたわけでもないが」

 

「フン、あの調子者がクロスベルから帰って来た時に、改めて同席の場で聞き出せばいいだけの事だ」

 

「おーおー、青春だねぇ。熱いねぇ」

 

 つまるところ、皆心配ではあったのだ。

 真実を知ってしまう事で、今まで紡いで来た絆が解けてしまうのではないかと言う危惧。それは男子勢だけではなく、女子勢も抱いていた事だろう。

 だが、改まってサラから真実の一端を聞き、そしてその帰りに廊下を歩いている中で、彼ら全員はこう思ったのだ。

 

 ―――あぁ、その程度か(・・・・・)と。

 

 とはいえ、それは別にレイの過去を軽んじたわけではない。この言葉が意味するのは真実を知ったところで彼らがレイに抱く仲間意識は毛程も変わっていなかった事。どのような重い過去でも真摯に受け止める姿勢で構えていたのに、蓋を開けてみれば存外すんなり受け入れていた自分達自身に対して安堵の感情を漏らしたのだ。

 

「ま、俺はお前らと違ってアイツと一緒に過ごした時間ってのは比較的短いけどな。それでも、アイツが強いってのは良く分かるぜ。―――あぁ勿論、実力もだが、心もな」

 

「え……あ、いや……」

 

「あぁ、ちっと語弊があるか。アイツは弱いけれど強い(・・・・・・・)んだろうな。人生の内で何度もコケて、泣きながら、傷を作りながら、それでも何度も立ち上がって前に進む事を止めなかった。

 男として憧れねぇか? そういう生き方っての」

 

 実際、クロウが言っている事は尤もだった。

 レイは何も、順風満帆な半生を送って来たわけではない。寧ろ全てを奪われて嘆く事しかできなかった底辺から意志と根性で這い上がって来た人間だ。

 根本からして、リィン達とは精神の強固さが違う。しかしそれと同時に、その強固さは危うさも孕んでいた。

 

 以前彼が、「俺はお前達の誰よりも弱い」と自虐気味に言っていたと、そうラウラから聞いた。そしてその意味は、海に赴いた際に彼の過去の話を聞いた事で限定的にだが理解できたのだ。

 彼の半生、その根源が”後悔”の上に立っている以上、その類稀なる強さも精神の成熟具合も、それを依代にして築かれてきたものなのだろう。

 例えて言うのなら、安定性のない土台の上で形の違う陶器を真っ直ぐ積み上げたようなものだ。脆い土台が崩れてしまえば、その上に積み重なったものも連鎖的に崩れて壊れてしまう。

 

 そして何よりも、レイ自身がそれを自覚しているというのが更に危うい。徹底して己の自我を築き上げる事で、その土台が崩壊しないよう踏ん張っているようにもリィン達には見えたのだ。

 

「……どうだろうな。確かに苦難を乗り越えて強くなる姿っていうのには憧れるよ。でも、自分の大切なモノを一切合財全部失った果てに辿り着いた生き方に憧れるのは、何か違うと思う。

 レイも多分、自分の生き方に憧れて欲しいなんて露程も思ってないと思う。寧ろ「俺のようになるな」っていつも言外に言ってるような、そんな気がするんだ」

 

 だからこそ、レイはサラと共に自分達を鍛え続けているのだろう。

 どんな主義主張も意志覚悟も、吼えるだけなら誰にだってできる。だがそれを実現させる為には、最低限の”力”が必要になる。

 故に、それを叩き込まれた。どれだけ絶望の淵に立たされようとも、どれだけ逆境に立たされようとも、心だけは折れないようにそれはもう徹底的に叩きのめされて来た。

 そこに彼の、自分達に対する想いが込められているようで、だからこそ一見理不尽でしかない特訓にも耐える事が出来たのだ。

 

「……ははっ、眩しいねぇ。羨ましいぜ。ったく」

 

 すると、クロウは苦笑しながらそう言った。

 

「クロウ?」

 

「あぁ、悪い。なんつーかさ、俺みたいに不真面目に生きて来た人間にとっちゃ、そうやって真面目に真剣に生きて来た奴が羨ましく見えるんだよなぁ。……現在進行形で不真面目だから特に」

 

「確かに貴様は授業中によく寝ているな」

 

「委員長とマキアスのタッグ制裁が怖いから最近はフィーでも寝なくなったのにね」

 

「寝ていた部分の補習をキッチリやらされるから、ミリアムも授業中は静かになったな」

 

「そういう言い方をすると僕とエマ君が鬼か何かのように聞こえるからやめろ」

 

「お前ら基本俺に容赦ないね」

 

 そう言って笑った事でその会話は流れてしまったが、リィンはそのクロウの言葉が、いつもとは違ってやけに重かったように感じた。

 他の面々もそれには薄々気付いたのだろう。だから、ユーシスが切り出した話に上手く乗って行ったのだ。

 

「まぁ、ともかく」

 

 話を元に戻す。とはいえ、残された言いたい事は一つだけだった。

 

「俺はレイを信じる。信じ続ける。……それが”友達”ってやつだと思うから」

 

「うん」

 

「勿論だ」

 

「フン、何を今更」

 

「まぁ、色々な恩もある事だしな」

 

 リィンの言葉に頷いて行く面々を見ながら、クロウは声を出さずに微笑んだ。

 その微笑みが僅かばかり哀しげに揺れていた事を見咎めた者はなく、決意を新たにした少年少女らの夜は更けていったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ≪帝国解放戦線≫の面々がクロスベル方面に向かっている―――その情報は≪帝国軍情報局≫が齎したものであり、高確率で通商会議を襲撃する可能性があるとされていた。

 その情報を午後のブリーフィングの際に聞かされたリィン達は僅かばかり動揺は見せたが、ナイトハルトとサラの言葉によってその昂りも鎮まった。

 

「まぁ、通商会議には宰相閣下の護衛として第七機甲師団の精鋭が着いている。それに、これは曖昧な情報でしかないが、≪情報局≫の方でも手を打っているらしい」

 

「それにホラ、レイもいるしね。アイツ、テロリストとかマフィアの臭い嗅ぎ付けるのは天才的だから」

 

「何ですかその特化した能力」

 

「アイツだけじゃなくて、警備に加わってるらしいギルドのクロスベル支部の連中なんて皆対人戦のエキスパート揃いよ? 一昔前まではそういう連中が普通に蔓延ってたらしいしね」

 

 更にこれはリィン達が知らない事だが、護衛を務めている面々の中には”準達人級”に相当する武人が幾人か存在する。それに加えて”クロスベルの二剣”が守護してるとあらば、相当な予想外の事態が起こらない限り万が一の事態は起こらないだろう。

 

「しかし、そちらの心配はともかくとして、帝国内に問題はないのだろうか」

 

 だが、ラウラのその言葉で再び緊張感が引き戻される。

 ケルディックでの陰謀、ノルドでの騒乱、そして≪夏至祭≫での襲撃。これまで数々のテロリストの行動に翻弄されて来た身としては、国内であろうと安心できる保証はどこにもなかった。

 寧ろ、注意の目をクロスベルに向けるための大掛かりな囮であるのかもしれないと思うのも普通の事であったが、それについても軍は既に考慮に入れていたらしい。

 

「まぁ、主だった場所には≪帝都憲兵隊≫と≪鉄道憲兵隊≫、そして正規軍が出動して警戒を強めているらしい。皇帝陛下を始めとする皇族の方々の身の安全は保障されている」

 

「それと、もうすぐ憲兵大尉サンが直々にガレリア要塞まで来るらしいわよ? まったく、心配性なんだから」

 

 思えば帝都の事件の際には戦線の動きを読み切っていたあの人物が、警戒を弱めている筈もない。

 一先ず安心はしてよいのだろうと、一息を吐く事ができ、そのまま一同は作戦室を出て予定にあった『列車砲』の見学に赴くためにナイトハルトの先導で施設内を歩いていると、彼の所持していたARCUS(アークス)に一本の通信が掛かって来た。

 

 当初は冷静にそれに応じたナイトハルトだったが、通話先の相手がクロスベルにてオリヴァルト皇子の護衛役を務めている旧知の軍人、ミュラー・ヴァンダールである事を確認するとなお一層真剣な顔つきになり、数分間に及ぶ通信が終わった後は、僅かに焦燥の表情を浮かべていた。

 

「……クロスベル方面で何か?」

 

 数秒の沈黙の空気を破ってサラが問いかけると、ナイトハルトは隠す事もなく「あぁ」と言い切った。

 

「たった今、通商会議の現場となっていた超高層ビルがテロリストによって襲撃されたらしい」

 

「ッ‼」

 

 予想通りと言えば予想通りの運びとなったとはいえ、しかし楽観する程甘い事態ではなかった。

 襲撃による被害の程度をリィンが尋ねると、ナイトハルトは声色を変えずに伝え聞いた情報を伝える。

 

「襲撃に使われた飛空艇は四隻。―――だがその内二隻は、大規模な攻撃を仕掛ける前にクレイドルの行動によって撃墜されたらしい」

 

「あぁ、ついに生身で飛空艇を落としたんですか……」

 

「そこについては普通に何の疑問も抱けなくなってるから怖いな……」

 

 ノルドでは発射されて滞空中の迫撃砲を撃ち落とした戦果を持つ彼である。今更飛空艇を二隻も撃墜したという情報が齎されたところで驚けなくなっている事に呆れながらも、続く言葉にはしっかりと耳を傾ける。

 

「その後テロリストの撃退にも成功し、閣下や殿下もご無事との事だが、以前として予断を許さない状況が続いているらしい」

 

 最悪の状況は免れたというその情報に一同が安堵の息を漏らしかけたが、しかしナイトハルトは依然として眉を顰めたままであり、安心とは程遠い状況である事がひしひしと伝わって来た。

 

「……何か、それ以外にも気にかかる事があったみたいですね」

 

「あぁ。テロリストはタワービル内の導力ネットを不正に操作して隔壁をコントロールし、階下にいた警備部隊の増援を巧みに防ぎ―――そして、”機械の魔獣”とやらも兵装の一つとして操っていたらしい」

 

 その単語を聞いて思い出したのは、リィン達A班がエベル街道で手配されていたアンノウンとして特に問題もなく倒してしまった二本足で走行する機械兵器に類似したモノ。帝都の事件の際にもその姿は確認されていたようで、近衛兵の面々を随分と苦しめていたらしい。

 それに加え、導力ネットを操作してセキュリティシステムを掌握したという情報も気になった。それはサラも同じだったようで、ナイトハルトにガレリア要塞内で導力ネットで制御しているセキュリティの有無について聞いたところで―――要塞の真下、戦車の格納庫から轟音と共に地響きが鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 原因は昨夜、ガレリア要塞の戦車整備士に充てて送られた導力メールだった。

 司令部から送信されて来ていたそれは、明日に追加の演習を行うため、夕方に貨物便で送られた戦車の自律稼働ユニット―――通称”Cユニット”20個を主力戦車に取り付けろという指令だった。

 整備士たちは徹夜が確定した事を嘆きながらも朝方までにどうにか20台の『18(アハツェン)』にユニットを取り付けたのだが―――それが突然、電波指令も飛ばしていないにも関わらず暴走を始めたのだ。

 

 その動きは、既存の自律稼働ユニットが行える単調な動きとは違い、本当に兵士が搭乗しているかのような複雑な動きで以て、鎮圧にあたった装甲車などを次々と砲撃で沈めていく。

 その現場を目にしたリィン達は、皮肉にも味わってしまった。味方であれば頼もしい筈の鉄の塊である重戦車も、一度牙が此方に向けば地獄を具現させる兵器であるのだという事を。

 

「くっ……どうなっている⁉」

 

「既存の技術を超えた技術で翻弄する……アイナやシェラが言ってた事と被るわね」

 

 すると『18(アハツェン)』は十数分程砲弾の雨を撒き散らした後、そのまま演習場の方へと姿を消した。

 その意図は不明だったが、ともあれ一台存在するだけでも脅威となる重戦車を放っておくわけにもいかず追おうとしたのだが、その直前で野太い声に遮られた。

 

 

「暴走した戦車は我ら第四機甲師団が殲滅する‼ お前達は陽動の可能性もある為、この場に待機しておれ‼」

 

 帝国軍最強の呼び声が高い第四機甲師団の戦車を引き連れてそう言ったのは、エリオットの父であり第四の指揮官でもあるオーラフ・クレイグ中将。

 機動力を駆使する戦車の上に仁王立ちし、しかし僅かも体勢を崩さないその有様は、≪紅毛≫のクレイグと呼ばれ恐れられる帝国軍きっての猛将である事を否が応にも感じさせた。

 

「承知いたしました、閣下‼」

 

「気を付けてね父さん。絶対無事で帰ってきてよ‼」

 

 返答をするナイトハルトに続いてエリオットがそう声を掛けると、渋面だったその強面の貌を破顔させ、息子の激励に応じる。

 軍人として超一流でありながら、実のところ家族を溺愛する一面もあるユーモアにも長けた人物である事は先日の演習の時点で周知の事実だったが、あれだけ気合いが入っていればよもや被弾する事もないだろう。―――そう考えて一度要塞内に戻ろうとした一同だったが、その眼前に三隻の飛空艇が襲来する様子が見えた。

 

「あれは……っ‼」

 

「≪帝国解放戦線≫―――やはり此方側にも来たか‼」

 

 警戒のレベルは最高潮に達し、要塞内からも緊急事態を告げるサイレンが鳴り響いてくる。それに反応して、要塞の警備に当たっていた第五機甲師団の兵士が集まり、対空砲などの準備を手際よく済ませた。

 こうなれば如何に高性能の技術を持つ者達とはいえ、撃墜されるのは時間の問題だろう。何せ此処はガレリア要塞。帝国で最も堅牢な場所なのだ。そこに集う兵士が、易々とテロリストの跳梁を許すわけもない。

 

 しかしサラは、三隻の飛空艇の内の一隻―――突出して先行していた飛空艇のハッチから半身を乗り出していた人物の容貌を見た瞬間、顔を強張らせた。

 

「≪X≫―――ザナレイアッ‼」

 

 豪風に靡く銀髪も、不遜を具現化したような表情もなにもかも、帝都で見た時のそれと変わっていない。

 そしてザナレイアは徐に飛空艇から飛び降りた。普通であれば自殺行為に他ならないが、彼女が着地する筈の地点の地面から突如氷の柱が顕現し、その上に音も立てずに降り立った。

 要塞の出入り口を正面から見据えるその位置に陣取った彼女は、兵士らの銃口が向き、引き金を引く前に己の剣、≪洸法剣・ゼルフィーナ≫を振りかぶり、ただ一言だけ言葉を紡いだ。

 

 

「雑魚共が―――無様な死の舞踏(トーテンタンツ)を踊るがいい」

 

 

 横薙ぎの一閃と共に放たれたのは、大津波の如く進撃する氷の奔流。

 まるで龍の如き形を象ったそれは、兵士が居並んだ場所を躊躇なく直撃し、要塞の正面に美麗な華を咲かせた。

 

「なっ⁉」

 

「そん、な……」

 

 無論、直撃を食らった兵士が無事で済むはずもない。血の一滴すら流す暇もなく、完全に動きを封じられ氷牢に閉じ込められていた。

 中には要塞が揺れた振動で崩れ落ち、見るも無残に四肢が割れ崩れた兵士もいた。

 

 こんな超常的な破壊行動を起こされては、さしもの防人らも動揺せずにはいられない。防御が手薄になった隙を狙って、追随していた二隻の飛空艇が要塞の両端に設けられていた発着場に飛来し、降り立つ。

 直後に響いた銃撃の音と、相対した兵士の断末魔を聞き、リィンは奥歯を強く噛み締めた。

 

「教官、俺達も―――」

 

「そうも行かないわ。―――アイツがあそこに陣取っている限り、アタシ達は動けないのよ」

 

 視線の先には、未だに氷柱の上に屹立しているザナレイアの姿。

 その、”武人”としても最上級に近い雰囲気を感じ取り、ナイトハルトが問いかける。

 

「バレスタイン教官。奴が例の……」

 

「えぇ。≪夏至祭≫の時にもいたコードネーム≪X≫―――執行者No.Ⅳ≪冥氷≫のザナレイア。≪執行者≫の中でも”武闘派”として知られる存在らしいです」

 

 ヨシュアから聞き及んだ情報をそのまま伝えてはみたものの、帝都で見た剣戟の鋭さといい、氷を操る異能といい、此方の理解の範疇をとうに超えている。

 もしここにいるのがサラとナイトハルトの二人だけであったのなら、捕捉されたとしてもなんとか要塞内に逃げ込んで見せただろう。しかしⅦ組の面々を引き連れた状態では、背後を取られれば終わりである。

 

 そうして膠着状態が1分程続くと、不意にザナレイアが彼らの方に視線を向けた。

 反射的に武器を構えた面々だったが、当の本人はと言えば言外に興味がないとでも言いたげな視線を一瞬だけ向けると、そのまま真上に跳躍して再び飛空艇に飛び乗る。

 そして飛空艇はそのまま進路を変え、クロスベル方面とは逆方向の空へと消えて行った。

 

「奴ら、どこに行くつもりだ⁉」

 

 ユーシスの言葉にサラが思考した時間は数秒。すぐにその答えに辿り着き、焦燥した表情を浮かべると自らの生徒達に通達を投げた。

 

 

「いい? 良く聞きなさい。これからアンタ達はナイトハルト少佐と共に要塞内に潜入。テロリストの動きを封殺しなさい‼」

 

「きょ、教官は⁉」

 

「アタシは今から双龍橋方面に行く‼ あいつが次の標的にしてるのは今コッチに向かってる―――」

 

 

「―――あらら、流石元A級遊撃士。簡単にバレやがりましたか」

 

 

 不意に、轟音と爆音の中で芯の通った澄んだ声が聞こえた。

 サラがその声に振り向き、リィン達が目を凝らした先。黒煙が立ち上っていた場所から悠々と歩みを進めて来たのは、長い金髪を揺らした小柄な少女だった。

 

「ま、そのまま全員で要塞に向かってくれてもくれてなくても、私の仕事は結局変わらないんでどっちみちお仕事はしなくちゃならんのですがね」

 

 しかし、それを”要塞内に迷い込んだただの少女”であると思う人間はここにはいない。それに彼女は、その左手に一振りの剣を携えていた。

 一般人扱いなど出来ようはずもないし、何より、ローエングリン城で真正の”達人級”と相対したA班の面々は、その佇まいや動きなどを見た瞬間、その少女が只者ではない事を悟っていた。

 

「君は、誰だ?」

 

 太刀を正眼に構えたままリィンがそう問いかけると、少女は風にロングコートを棚引かせたまま、しかし礼儀正しく一礼をしてから己の名を述べる。

 

 

「お初にお目に掛かりやがります。結社≪身食らう蛇≫ ≪執行者≫No.XⅦ≪剣王≫リディア。

 ―――サラ・バレスタインとナイトハルト少佐、貴方方の足止めに参りやがりました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 ……はい。つーことでザナレイアさんの開幕ブッパで幕を開けたガレリア要塞攻防戦でーす。
 原作で「おいおいそんなにあっさりテロリストに占拠されるなよ兵士共」と思ったので動きそのものはマシにしてみたのですが……うん。相手が悪かったわ。

 近頃気付けばオリキャラのイメージイラストばっかり描いてる十三です。雪降った月曜日に道路を歩いてたら滑って転んで思いっきり腰を打ちました。それを道民の友人にLINEで話したら「滑る程度の雪でまだマシだろうが」と返されました。……冬の北海道とか何ソレ怖い。

 サラとナイトハルトの足止めに来たオリキャラ≪執行者≫。
 そしてザナレイアが向かった先にいた人物は―――?

 次回もよろしくお願いします。



 今回の提供オリキャラ:

 ■リディア・レグサー(提供者:綱久 様)


 ―――ありがとうございました‼



 追記:遅れましたが、シャロンの義弟であり、レイの義兄であるアスラ・クルーガーのイメージイラストを添付致します。

 
【挿絵表示】










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≪冥氷≫蹂躙  -in ガレリア要塞前ー ※






「おまえは死ぬ。何を置いても殺すべきだと、いま直観した」
         by 天魔・悪路(神咒神威神楽)








 

 

 

 

 

 

 8月31日 16:00―――。

 

 

 緊急時の措置により運転を見合わせる事となった大陸横断鉄道の線路を、車体が青と白に塗装された一台の特急車両が高速で駆け抜けていく。

 ≪鉄道憲兵隊≫が所有する特急列車『クルセイダー』。最高時速約280セルジュという、地上を走る導力車の中では最速の座に最も近しいラインフォルト社製のその列車は、今待機していた双龍橋の停留場所を発車し、一路最高時速でガレリア要塞へと向かっていた。

 

「なるべく速く、しかし事故は起こさないように細心の注意を払って下さい。事故を起こそうものなら元も子もありませんからね」

 

『『『イエス・マム‼』』』

 

 その先頭車両である操縦室は、通常の列車よりも広めに作っており、リベールで多く普及している定期飛行船程のスペースがある。

 そこで高速で移り変わる景色には目もくれず、ただ進む先の正面を見据えながら指示を出しているのは憲兵大尉であるクレア。本来であれば通商会議が行われる時間帯には既にガレリア要塞に到着していた頃合いだったのだが、ガレリア要塞の司令官である第五機甲師団団長、ワルター中将は最後まで≪鉄道憲兵隊≫が要塞内に逗留する事の許可を出す事を渋っていたのだ。

 

 とはいえそれは、決して彼が暗愚であったというわけではない。同じ軍属とはいえ、憲兵隊と機甲師団ではそもそもの命令系統が異なる存在だ。正規軍の華とも言える機甲師団は、司令部や参謀本部から下される命令に沿って行動するのに対して、≪鉄道憲兵隊≫は帝国政府そのものから命令が下る事が多い。

 上層部の許可が下りるまで異なる部隊を要塞内に留めて置きたくないというのは、ある意味では真っ当な考え方だ。なまじワルター中将という人物が典型的な帝国軍人気質の人物である事を考えると、易々と許可が下りない事は最初から分かっていた事だし、実際クレアもそれに対して不満を漏らすつもりもなかった。

 

 だが、今回は運が悪かったと言える。

 テリトリーの保護に固辞したばかりに、複数部隊が逗留していれば被害を多少なりとも軽減できたかもしれない状況に陥ってしまった事について、クレアは内心で僅かに歯噛みしたい気持ちがあったが、その感情は決して表には出さない。

 彼女は策士だ。策士は決して動揺を部下に悟られてはならず、常に余裕を持った態度を崩してはならない。例え自らの策から逸脱した行動を相手が取ったとしても、それすらも策の内だったのだと思わせるような態度を取る事がある意味で最も重要なのだ。

 

「(Ⅶ組の皆さん……サラさんもご無事でしょうか)」

 

 昨日の内にガレリア要塞に入ったという面々を心配しながらも、クレアはもう一つ、内心で危惧していた事があった。

 

 ガレリア要塞が《帝国解放戦線》に襲撃された事実をクレアが知ったのはついさっき―――具体的に言えば十数分前のことだ。

 クレア自身、戦線はクロスベルでの彼らの作戦が成った暁には帝国方面でも何かしらの動きがあるだろうとは踏んでいた。しかし、出没する場所を完全に断言は出来ず、帝国の要所の各地に兵を分散させなければならなかったのは少しばかり痛手であった。

 むしろ、前回の≪夏至祭≫の時は条件に恵まれ過ぎていたとも言える。敵が帝都を狙う事がほぼ断定できていた為、それに先んじて手を打っておく事はそれ程難しい事ではなかったのだ。

 だが今回は違う。カバーしなくてはならなかったのは帝国全土。その中でも皇族の住まうバルフレイム宮の警護は皇室近衛兵と帝都憲兵隊が固めている為問題はなかったが、他の場所に関しては正規軍や領邦軍らと交渉しながら≪鉄道憲兵隊≫の隊員を配置しなくてはならなかった。

 

 ここで時間を食ったのが、この交渉だ。

 正規軍の方は命令系統は違えど同じ役割を持つ同門としてすんなり話が通ったケースが少なくなかったが、領邦軍に至っては四大州都の軍のほぼ全てが門前払いもかくやと言う剣幕で逗留を拒否して来たのだ。

 唯一比較的すんなりと話が通ったのはサザーランド州だったが、それでも手間取った事には違いない。

 

 とはいえ、憲兵隊と領邦軍のイザコザなど、言ってしまえば日常茶飯事だ。帝国全土東西南北に伸びる鉄道本線の範囲内で騒動が起きた場合に即座に駆け付ける彼らと、州内の治安維持に務める領邦軍の間に亀裂があるなど周知の事実であり、クレアにしても無理な道理を押し通す手練手管は一通り心得ているつもりではあった。

 そうして無理に道理を捻じ込んで、軋轢を更に広げながらも配置が出来たのは良かったのだが、如何せん”本命”の場所に時間を取られていた間に事件が起こってしまったのである。

 

 時間が足りなかった、と言い訳するつもりは毛頭なかったが、如何せん≪夏至祭≫の時の対応に際しての関係各所への説明と、≪情報局≫と連携しての戦線メンバーの洗い出し、破壊されてしまった『マーテル公園』の雑木林の一角や、『ヘイムダル大聖堂』などの補修の手続き、果ては司令部や参謀本部に無断で他国の遊撃士を招聘して任務に当たらせた事についての釈明と始末書の山を処理していた為、行動に移るのが一歩遅れてしまった感は否めない。

 

 ましてやそのせいで軍の同朋や後輩達に危害が及んだとあっては、さしもの彼女も内心は僅かな動揺を隠しきれなかった。

 

 

「大尉、岩丘地帯に差し掛かりました‼ このまま行けば30分以内にはガレリア要塞付近に到着できるかと思われます‼」

 

「要塞守備兵からの連絡は未だありません‼」

 

 このタイミングで≪帝国解放戦線≫がガレリア要塞を狙う理由としてはただ一つ。要塞内に格納された二門の『列車砲』だろう。

 人造兵器としては最大射程を誇るであろうと言われているそれは、通商会議の会場となっているクロスベルの『オルキスタワー』を曲射弾頭で直接狙う事も理論的には可能だ。そうでなくとも市内に弾頭が一発落ちただけでもとてつもない被害が出るだろう。

 そうなれば、帝国は周囲の国家からの非難は免れない。特にカルバード共和国などはそれを好機に軍内部の穏健派を抑え込んでノルド地方から帝国の領地を切り取りにかかってくるだろう。

 

 それはクレアも危惧していた事であり、だからこそガレリア要塞が”本命”であると睨んでいたのだが、要塞内には第四・第五機甲師団を含め、精鋭の守備兵が詰めていた事もあってそう易々と『列車砲』の主導権を奪われる事はないと踏んでいたのだが―――少々読みが甘かった。

 

「(あの人物―――ザナレイアが襲撃者の中に含まれていたのだとしたら……)」

 

 現時点で恐らく戦線の最高戦力であろう彼女は、高い確率でクロスベル方面に向かうものであると思っており、その為クレアもレイのクロスベル行きに否定的な立場は取らなかった。あの場所ならば、≪天剣≫と≪風の剣聖≫の二強が揃う場所ならばどうにかなるものと信じて。

 しかし、精強な防人たちがまんまとテロリストの襲撃を許したという事から鑑みれば、あの≪執行者≫は帝国側に攻め込んできたと考えるのが妥当だろう。

 元より帝国方面に回されていたのか、はたまた守りが薄くなった帝国方面に急遽呼び寄せられたのかは知らないが、実際まんまとしてやられた(・・・・・・)のだから弁解のしようもない。

 

 と、思考が悲観的になり始めた所でクレアは頭の中を一度リセットした。

 全てを楽観的に考えるのもそれはそれで浅薄だが、全てを悲観的に考えるのも良くない。ネガティブな考え方は取り返しのつかない失敗をおびき寄せる可能性もある。まだ挽回の余地は充分にあると、そう思う事が何より重要なのだ。

 

 ―――だが、ある意味では危機的状況に陥り、神経が極限まで張り詰めていた事が逆に彼女の、否、彼女らの命を救ったとも言える。

 

 

 

「……?」

 

 まず最初に感じたのは違和感。

 『クルセイダー』の操縦室の全面は一面が強化ガラス張りになっているが、そのガラスが突然薄く曇り出したのだ。

 先程まで正面だけとはいえ外を見ていたから分かるが、岩丘地帯に入ったからといって霧が出てきたわけではない。しかしそうでなければ、湿度が限りなく低い今日の気温の中でガラスが曇るなどという事は、本来有り得ない筈だった。

 

 普通の人間ならば、そこで思考を止めるだろう。それはただの不可解な自然現象に過ぎないのだと、そう思ってしまうに違いない。

 しかしクレアは、直前までその脅威を冷静に分析していた人物の事を思い出す。

 もしガラスが曇った原因が霧の出現などではなく―――

 

 

 ―――急激な外気温の低下が (・・・・・・・・・・)原因なのだとしたら?(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

「ッ‼ ―――『クルセイダー』緊急停車‼ 今すぐにですッ‼」

 

 普段ならば聞かないクレアの大声の命令に、しかし隊員は一瞬だけ驚きはしたが、すぐに列車の緊急停止装置を作動させた。

 意図の読めない上官の指示に、しかし迅速に応じた対応力の高さも、急停車の衝撃にすぐさま備えた適応力の高さも、全て≪鉄道憲兵隊≫の面々の練度の高さを表していたが、今はその事に喜びを感じている場合ではなかった。

 

 直後、前方―――それこそ車体の先頭と目と鼻の先のレールに、巨大な質量を持った”何か”が突き刺さった。

 急停車の衝撃で慣性の法則によって前方に投げ出されそうになった面々が、直後に上下に大きく揺られる。それでも各々武装を整えようとしている辺り、彼らも瞬時に異常事態である事を判断したようだ。

 

 そして、突き刺さった衝撃で舞い上がった土埃が晴れると、その先に在ったのは―――氷で作られた十字の大剣。

 ≪夏至祭≫での襲撃の際、『マーテル公園』のクリスタルガーデンを襲ったと聞くそれと同じモノが、まるで墓標のように屹立している。

 故にクレアは悟った。

 この襲撃が何を意味するのか。そして標的は誰なのか。―――決して驕りでも自意識過剰でもなく、状況を客観的に判断して、クレアはその見解に至ったのだ。

 

 腰のガンホルスターから愛用の大型軍用導力銃を抜き、部下も連れずに一目散に一番近い扉から外へと出る。

 周囲に散逸する不快な冷気を振り払いながら進むと、件の人物はそこに佇んでいた。

 

「……貴様、クレア・リーヴェルトで間違いないな?」

 

「そういう貴女はコードネーム≪X≫―――いえ、≪冥氷≫のザナレイアで間違いありませんね」

 

 極限まで機能性を重視したような戦闘衣(バトルクロス)を身に纏い、銀髪を揺らした長身の女は口角を釣り上げて不気味な笑みを浮かべる。

 

「あぁ。とはいえ有象無象の雑魚に名前を覚えられても欠片も嬉しくはないがな。貴様とて例外ではない」

 

 雑魚、と罵られた事についてはクレアは怒りを見せない。

 分かっている事だからだ。個人戦闘力という観点で”達人級”や一流と呼べる”準達人級”の面々と比べると著しく劣っているという事は、他ならない自分が良く知っている。

 次々と列車の中から武装状態で出てこようとする部下たちを手を翳して制してから、クレアは敢えて不遜な表情を浮かべた。

 

「しかし、貴女はその”有象無象の雑魚”に用があるのでしょう? 違いますか?」

 

「……ほう? 何故そう思う」

 

「策謀の基礎は、”敵の立場からモノを見る事”……とだけ言えばお分りでしょう?」

 

 確執も遺恨も抜きにして、もし自分がテロリストのメンバーであったら、という観点から物事を見てみれば、自ずとその結論は導き出せる。

 彼らにとってクレアという存在は、帝都での行動を大きく制限してくれた恨みを買うべき対象であり、同時に非常に厄介な存在だ。その参謀役を早期に始末する事が叶えば、以降の作戦を有利に進める事が出来る。―――少し考えれば、赤子にも理解できる理屈だろう。

 

「どうやら少しは頭が回るようだな」

 

 ザナレイアはただ一言そう言って、腰に佩いた剣を引き抜く。

 紛れもない”達人級”。それに加えて広範囲に攻撃する正体不明の氷を操る術も持ち合わせている。敵に回してこれ程恐ろしい者もそうはいない。

 加えて、帝都でのレイとのやり取りを聞く限り、目的であるならば周囲への被害を顧みるような性格でもないだろう。

 

 となれば、クレアが今すべきことはただ一つだけだ。

 

 

「……エンゲルス中尉、ドミニク少尉」

 

「「はっ‼」」

 

「現時点を以て、貴方達に指揮権を限定的に委譲します。今すぐ『クルセイダー』を動かして隊員全員でバリアハート方面まで撤退して下さい」

 

 戦闘に巻き込む前に、部下を戦線から離脱させる事。

 これがテロリストの集団との相対であったのならば、憲兵隊の総力で以て迎え撃っただろう。イニシアチブを握られたからといって悲観するほど柔な人間ではない。

 だが、今回は相手が悪過ぎた。狙いはクレア一人だとしても、攻撃するような意志を見せればザナレイアは躊躇わず憲兵隊の面々にも無慈悲な攻撃を浴びせるだろう。

 こういった手合いの人物は、物量戦で抑え込むという戦法が意味をなさない。勝利を捥ぎ取る方法は、同じ練度の人間を当たらせるしかないというのは、本能的に理解していた。

 

 簡潔に言ってしまえば、勝ち目はない。少なくとも、現状の戦力と状況では。

 

 故にクレアは、部下に撤退するように命じたのだ。今ここで≪鉄道憲兵隊≫の精鋭を全滅させるのは余りにも得策ではない。

 国家に忠義を誓う軍人の一人として、被害は出来る限り最小限に食い止めるべきなのだ。

 

「っ‼ し、しかし大尉‼」

 

「撤退が完了したら直ちに帝都の司令部及び参謀本部に連絡を入れて下さい。―――後の事は任せました」

 

 覚悟を決めたかのようなその言葉に、副官二人がたじろいだ瞬間、クレアは動き出した。

 左腰に括りつけていたポケットから取り出したのは、小型の煙幕弾。それを投擲して白い靄が拡がった隙に、ザナレイアの左側から背後に回り込みながら銃の引き金を二、三回引く。

 銃の制御には自信があったクレアだったが、その攻撃には手応えが感じられない。

 躱されたという事実を冷静に分析した直後、靄の中から高速で氷の鏃が飛来して来た。

 

「ッ‼」

 

 幸い、距離を取っていたためにそれを躱す事は叶ったが、視線が一瞬だけ対象の方向からずれた。

 そして、その一瞬の挙動を見逃すほど、”達人級”の武人は甘くない。

 

「白兵戦の心得もないのに私に挑もうというのか。愚鈍だな」

 

 目を離したのはほんの僅かな時間だった筈なのに、いつの間にかザナレイアの姿はクレアの懐に潜り込んでいた。

 直後、腹部に衝撃が走る。口から肺の中の空気と血が漏れ出るのを感じながら、クレアは自身が”蹴られた”事を自覚する。

 攻撃を受けて後方に吹き飛び、線路脇の砂利道へと投げ出される。一度打撃を受けただけだというのに、全身が鈍器で殴られたような鈍痛を感じながら、それでもクレアは倒れ伏す前に足に力を入れて立ち上がる。

 

 ザナレイアの言う通り、クレアは比較的白兵戦を不得手としているが、それでも軍隊格闘の心得はあり、それなりの訓練は受けている。

 だがそれも、”達人級”の目から見れば不心得も同然なのだろう。今放たれた蹴りも、本気の一撃ではなかった筈だ。

 

 口端から鮮血を垂らしながら、しかしそれでもクレアはザナレイアの姿を今度こそ正面に捉えて発砲する。

 軍用導力銃の弾速は、亜音速には至らないが、それでも常人の目には映らない程の早さである筈で、普通に考えればそれ程は慣れていない距離で発砲されて躱すのは不可能だ。

 だが、そんな”常識”など通用しない。

 

「凡愚が。私を足止めしたいのならばもう少しまともに足掻け」

 

 射線から消えた(・・・・・・・)事を視覚で認識した瞬間、両腕から激痛が走る。

 見れば両の二の腕辺りに深々と氷の杭が刺さっており、流れる鮮血すらも凍らせてしまうような尋常ではない冷痛が全身を駆け巡る。

 銃が手元から零れ落ち、上体が崩れるまでの時間が、やけに遅く感じられた。そしてその背が砂利の上に投げ出された時、ザナレイアのブーツの靴底がクレアの右肩に刺さったままの杭を踏みつけた。

 

「く……あっ……」

 

「アレが愛した女と聞いて少しは期待してみたが……とんだ無駄足だ。その程度でアレの傍に侍ろうなど、笑い話にもなりはしない」

 

 そう言いながら、ザナレイアは杭を押し込んでいく。徐々に開いて行く傷口から次々と溢れて来る血が、砂利道を赤く染め上げて行く。

 拷問のようなその痛みに、しかしクレアは意識を飛ばしてはいなかった。滝のような汗を流しながら、それでも気丈にザナレイアの眼を正面から見据えている。

 

「……その口ぶりからすると、貴女も彼を愛しているように聞こえますが?」

 

「その通りだ。私ほどアレを愛している者もいないだろうよ」

 

 自信満々に言い放たれたその言葉だが、その声と表情には明らかに狂気が入り混じっていた。

 

「だから私はアレを自らの手で殺す。私の愛は、レイ・クレイドルという男の息の根を止めた時点で成就する。貴様には分かるまいよ」

 

「……えぇ、分かりませんね。―――分かりたくもありませんが」

 

「何?」

 

「相手を傷つける事でしか成就できない愛なんて、分かりたくもないと言ったんです‼」

 

 拒絶の言葉を吐きながら、クレアは断続的に激痛が走る左手の、軍服の裾に一本だけ隠し持っていた投擲用のナイフを放つ。

 無論ザナレイアはそれを軽く首をひねる事で躱したが、それでも彼女の銀髪の一房を掠り、それが粉雪と変わって落ちて行く。

 

「貴女の思惑も事情も分かりませんが、その愛情が決定的に間違っている事は断言できます。そんな人間が彼への愛情を説いたところで、聞く耳を持つほどお人好しではありませんよ、私は」

 

「―――ほざくな雑魚が。ならば、寵愛を受ける前に疾く死ね」

 

 そう言ってザナレイアは、銀色に染まった剣を振り上げる。

 数瞬後には死ぬだろうと、そう理解が及んだはずなのに、クレアは焦燥の色を全く見せてはいなかった。

 気がかりなど幾らでもある。部下はちゃんと逃げられただろうか。久しく顔を合わせていない妹は元気にやっているのだろうか。そして―――自身が愛した少年は、自分の死を嘆いてくれるだろうか。

 そう。この瞬間、確かにクレアは諦めてしまっていた。生きて再び大切な人々と会うという事を。

 楽に逝けるか否か。そう考えて双眸を閉じかけた瞬間、その声が耳朶に飛び込んできた。

 

「撃てェェ―――ッ‼」

 

 その号令と共にザナレイアの上半身を銃弾の一声砲火が襲った。

 しかし当の本人は右手をスッと掲げるとただ一言だけを紡ぐ。

 

「『死氷ノ城郭(ニヴル・ライヒシュロス)』」

 

 銃弾とザナレイアの前に聳え立ったのは文字通り氷の城壁ともいうべき堅牢な壁。撃ち込まれた銃弾の一切を無効化したそれは、一斉掃射の嵐が止むと同時に瓦解した。

 その先にいたのは、先程撤退しろと通達した筈の≪鉄道憲兵隊≫の面々。『クルセイダー』に搭乗していたその全員が、武器を手にそこに並んでいた。

 

「っ―――エンゲルス中尉、ドミニク少尉‼ 私は退けと言った筈です‼ 何故―――」

 

「申し訳ありません大尉。緊急停車の影響で『クルセイダー』の導力機関に異常が出たようで、撤退は叶いませんでした」

 

 言葉を挟んできたエンゲルスの言い分に、しかしクレアは否と断言する事が出来た。

 『クルセイダー』はラインフォルト社が心血を注いで造り上げた最新鋭の列車だ。整備兵によって毎日メンテナンスを欠かされた事はなく、たった一度の緊急停車程度で導力機関に異常が出るような柔な代物ではない。

 

「徒歩で撤退しようとも思いましたが、列車のすぐ背後で原因不明の落石事故があり、それも叶わず、こうして微力ながら大尉の救援に参った次第です」

 

 そう言い放ったドミニクの口元には、しかしどこか満足げな笑みが浮かんでいた。

 見ればそこにいる憲兵隊の兵士全員が、覚悟を宿した表情を浮かべていた。此処で死ぬ事に一片の悔いもないと、言外にそう言い放っているように。

 

 

「逃げてください、早く‼ でなければ―――」

 

「「私が逃がした意味がない」と? 僭越ながら大尉、それは違います」

 

「≪鉄道憲兵隊≫は、大尉なしでは機能致しません。例え私達が志半ばで果てても、大尉が生きておられる事が重要なのです」

 

 堂々とそう言い放つ彼らの言葉を、しかしザナレイアは嗤い飛ばした。

 

「下らないな。蛮勇と呼ぶにも烏滸がましい。仮にも一国の防人が、犬死にを好むとはな」

 

「違う。国の防人であるからこそ、我らは誇りを守るのだ」

 

「犬死にでもないわ。大尉はこんな場所で貴女のようなヒトに殺されて良い方ではない」

 

 それは、彼らだけの言葉ではない。後ろに控える隊員全員が、頷くまでもなく肯定の意を放っている。

 信用、信頼。それに起因する絶対の忠誠心。それを悟ったザナレイアは、杭から足を離し、何が気に入らなかったのか深く眉を顰めた。

 

 

「誇り? 忠誠? 信頼? ―――は、雑魚が一丁前に”それ”を囀るな。

 そんなモノはまやかしだ。信じ、尽くすのは己だけで良い。”絆”と呼ぶような存在は、私が女神と比肩して唾棄するモノだ」

 

 ピシリ、ピシリと。

 ≪ゼルフィーナ≫に氷の波動が乗って行く。まるでその怒気に呼応するかのように、周囲の冷気も一段と勢いを増していた。

 それと同時に、隊員たちの様子にも変化が現れていた。

 

「っ……こ、これは……っ?」

 

「か、身体が、重……?」

 

 冷気に身を窶した者達の体が、こぞって重くなっていく。

 否、正確には動きが鈍くなっている、と言った方が正しい。とはいえそれは、急激な温度変化による体調の変化などでは断じてない。

 

 

 クレアはこの時点では理解していなかったが、これこそが≪執行者≫No.Ⅳ ≪冥氷≫ザナレイアの―――≪虚神の死界(ニヴルヘイム)≫という名の聖遺物(レリック)が引き起こす真の能力。

 元々、≪虚ろなる神(デミウルゴス)≫がこの世から消滅する際に生まれ落とされたモノの片割れであるコレは、本来の至宝の能力である”因果律の操作”の前段階とでも言うべき”未来視””対象情報の開示”の能力を持つ≪虚神の黎界(ヴァナヘイム)≫とは異なり、至宝がこの世を去った原因である『人間たちの醜さへの失望』―――つまるところ至宝の”負の側面”が凝縮された聖遺物(レリック)なのである。

 

 ―――これ以上ヒトの醜さを見ていたくない。

 

 ―――これ以上ヒトの文明が発展し、欲望が加速する様を見ていたくない。

 

 ―――自分が愛そうとした人類が精神的に衰退していく一方ならば。

 

 ―――そんな文明など(・・・・・・・)止まってしまえば良いのに(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 そんな、ある意味では至宝の本性とも言うべき渇望が生み出した能力こそ、『未来化の停滞』。

 時間軸という限定的なモノに作用するのではなく、自身の力が干渉した空間に作用し、”世界の流れ”から切り離す能力である。氷の異能は、単に『停滞』または『停止』を司る象徴的な二次能力に過ぎない。

 

 故に、ザナレイアの異能によって傷つけられた場所は、”世界の流れ”から一時的に切り離された状態になる為、文明化以後に発明されたアーツや薬物でそれを治療する事は叶わない。

 レイがそれを治療する事が出来るのは、単に彼の扱う≪天道流≫という呪術が、神性存在をも封印できるように改良された技であったというだけ。本来であれば、純度の高い神性存在などでなければ手が付けられないという恐ろしい能力である。

 

 そして今、”冷気”という形で空間に干渉しているザナレイアの能力に囚われた隊員たちは、軽度ではあるが皆、『停滞』の能力の干渉を受けているのである。

 

 

「蹂躙だ。慈悲などないぞ。貴様らは私を怒らせたからな」

 

 剣を構え、虐殺を始めようとするザナレイア。

 その先に起こる悲劇を起こさせまいと、クレアは再び口を開いて挑発を行おうとしたが―――ザナレイアの身体を真横から襲った衝撃に掻き消えた。

 

「え……?」

 

 思わず、二度、三度と瞬きをしてしまう。

 目の前には、側方から飛来した”何か”に胴体を貫かれ、腰から心臓の辺りまでが見事に吹き飛んだザナレイアの姿。しかしぶちまけられる筈の血や臓物は一切飛び出さず、”何か”に貫かれた部分が氷と変化して飛散する。

 通常攻撃ではダメージを与える事はできないという事は、以前レイとの戦いを間近で見て知っていた為、特に驚く事ではない。

 問題は、何が飛んで来たのかという事だ。それについて思考を巡らせはじめると、数秒後に左方に存在する岩丘の先の小山、その場所から重々しい発砲音が響き渡る。

 

「(超遠距離狙撃⁉ 一体誰が―――)」

 

 その正体に対して疑問を脳内で口にすると、隊員達の後方から疾駆して来た漆黒の影が、残っていたザナレイアの上半身を真紅の双閃で斬り刻む。

 クレアの視界に映ったのは、軍服にも似た黒と赤の戦闘服を着込んだ一人の女性の姿。腰辺りまで伸びた艶やかな黒髪がフワリと舞い、その両手に携えられていた真紅の輝きを放つ刃を填め込んだ双軍刀が、氷の結晶の軌跡を描いていた。

 

「”絆”を唾棄する、ですか。えぇ、そうでしょうね。今の(・・)貴女なら、そう言うでしょう」

 

 女性は、その双剣と同じ赤の瞳の光を燻らせて、ザナレイアを睨み付ける。

 するとザナレイアも、再生が終わった顔を忌々し気に歪ませて、その口を開いた。

 

「貴様ッ、≪鮮血鏖女(ヴェンデッタ)≫‼ 私の前に姿を晒すとは良い度胸だな‼」

 

「貴女も、相も変わらず姦しいですね。相手をしてくれる≪執行者≫が軒並み消えてから、癇癪でも溜め込んでいたんですか?」

 

 その二人のやり取りの中で聞こえた女性の二つ名。それにクレアは聞き覚えがあった。

 猟兵団≪マーナガルム≫、その実働部隊の中でも最強の呼び名が高い『二番隊(ツヴァイト)』を率いる女傑。数多の戦場で≪鮮血鏖女(ヴェンデッタ)≫と呼ばれ恐れられる猟兵。

 名は、エリシア・クライブ。個人戦闘力では≪マーナガルム≫最強と目される人物である。

 

 

「おー。隊長盛り上がってんなぁ」

 

 そして、悠々とクレアの横まで歩いて来て体を抱え起こしてくれたその男性とは、以前顔を合わせた事があった。

 

「アレクサンドロス、さん?」

 

「おう、大尉さんお久し振り。……っと、呑気に挨拶してる場合じゃねぇわな。少し掴まっててくれや」

 

 そうして緑髪の長身の男、以前帝都でクレアと顔を合わせた≪マーナガルム≫の一員、≪蒼刃(ブラウ・スパーダ)≫アレクサンドロスはクレアを抱えたまま跳躍し、そのまま憲兵隊達の後方に移動する。

 

「た、大尉‼」

 

「ご無事ですか⁉」

 

「アンタ達、この傷は塞ぐのは無理だから、取り敢えず傷口から心臓に近い部位を縛って止血してくれ。一応それで失血死は免れる筈だ」

 

「は、はい‼」

 

 一先ず、アレクサンドロスを敵ではないと判断した様子の隊員は、手際良く指示に従って止血処理を済ませてしまう。

 周囲一帯を覆っていた冷気は、最初の狙撃の影響で消え去っており、隊員達も普段の動きを取り戻していた。

 

 最悪の事態は免れた事を確認すると、アレクサンドロスは肩に背負っていた漆黒のケースの中から何かを取り出して手の中に収めた。

 それは、刃の部分が蒼色に染め抜かれた大剣。その武装こそ、彼を≪蒼刃(ブラウ・スパーダ)≫たらしめているモノであり、見た目だけでもかなりの重量がありそうなそれを軽々しく持ち上げて肩に担いだ。

 

「隊長、こっちはOKですぜ‼」

 

「了解しました。―――さて、どうしますか? ザナレイア」

 

「…………」

 

 憲兵隊の隊員達の守護はアレクサンドロスが担当し、状況が整う。

 未だ最上級の緊迫感が漂う中、途切れそうな声でクレアがアレクサンドロスに問いかけた。

 

「何故……貴方方が此処に?」

 

 それは、別に非難の意を込めたわけではない。純粋な疑問だったのだが、アレクサンドロスはバツの悪そうな顔を見せた。

 

「あー、スマン。別に戦争起こしに来たわけじゃないんだわ。―――ただ、大将にお願いされちまったんでな」

 

「大将……レイ君、ですか?」

 

「あぁ。”帝国側で何かあった時は頼む”ってな」

 

 そしてその頼みを、≪マーナガルム≫団長、ヘカティルナは了承した。

 遣わしたのは『二番隊(ツヴァイト)』の最高戦力である隊長のエリシアと、副隊長のアレクサンドロス。

 ”達人級”であるザナレイアの知覚外から超遠距離狙撃を成功させた、『三番隊(ドリット)』所属、≪魔弾姫(デア・フライシュッツェ)≫リーリエ。そして同隊所属であり、観測者兼護衛である≪凶笑≫アウロラ。

 

 本来であれば、テロリスト風情に当たらせるにはオーバーキルもいいところの人選だが、相手が”武闘派”の≪執行者≫であればそれもやむを得ない選択だ。

 

「(また、お礼をしなければいけませんね……)」

 

 自分の身を案じてくれたのか、はたまたⅦ組に関わる全ての事柄に気を揉んでくれたのかは分からないが、それでも気を配ってくれた想い人に再び感謝の念が湧いてくる。

 それと同時に、そんな想い人の愛を受け取る前に”生”を諦めようとしてしまった自分に対して、憤慨の心が湧き上がってくる。

 

 そんな事を考えていると、クレアを戦闘の余波が出る位置から下げた二人の副官が、徐に深々と頭を下げた。

 

「申し訳ありませんでした、大尉。我々とて大尉のお考えには気付いておりましたが……それでも命令違反を犯した事については弁解は致しません」

 

「どのような処罰も甘んじて受け入れます。それは此処に集った隊員一同、一人として異論はありません」

 

 見れば、先程まで死を覚悟していた隊員たちが全員膝をついて頭を垂れていた。

 彼らは本当に、命令違反の処罰を甘んじて受け入れるつもりなのだろう。しかしクレアは、そんな彼らに対して薄く微笑んだ。

 

「中尉、少尉。私は……貴方達に限定的に指揮権を委譲すると言いました。……つまり、私の命に反しても、なんら問題はないという事です」

 

「し、しかし‼」

 

「それに……私を生かすために勇敢に立ち向かってくれた部下を処罰するなど、私にはできません。―――本当に、ありがとうございました、皆さん」

 

 その言葉を聞いた瞬間、隊員一同が一斉にクレアから顔を逸らした。

 その中からは「やっべぇ……大尉美しすぎる」「あぁ、生きててよかった……」「命果てるまで一生着いていくっす……」などの声がボソボソと挙がっていたが、幸か不幸かクレアがその声を拾う事はなかった。

 すると、その様子を見ていたアレクサンドロスがくつくつと笑みを溢した。

 

「良い部下に恵まれてんじゃねぇか大尉さん。―――本当の事言うとな、結構ギリだったんだよ。俺達が此処に辿り着くのと、リーリエの奴が狙撃ポイントを確保する前にアンタが襲われちまったからな。

 だから、アンタの部下が命張って立ち塞がってくれてなかったら、俺達は間に合わなかったかもしれなかった」

 

 その声色は直前までと違って悔しそうで、しかしだからこそ憲兵隊員への衒いのない称賛があった。

 

「猟兵風情に言われるのも癪かもしれねぇけどさ。礼を言わせてくれ。

 アンタ達が根性みせてくれたお陰で、俺らはまた大将の大切な人を失わずに済んだ」

 

「……いや、礼を言うのはこちらの方だろう。諸君らが駆けつけてくれなければ、私達は残らず命を落としていただろうからな」

 

 彼らにとってエリシアやアレクサンドロス達は、クレア・リーヴェルトを救ってくれた恩人であり、それ以上でも以下でもない。故にここでは、所属の云々で敵愾心を見せるつもりは毛頭なかった。

 

 

「―――えぇ、まったく。差し支え無ければ、私からの感謝も受け取って頂けますでしょうか」

 

 すると、アレクサンドロスの隣に黄金の炎が急に灯ったかと思うと、それはすぐに和服を重ね着した美女の姿となって顕現した。

 その突然すぎる登場に隊員たちは再び臨戦態勢に入ろうとしたが、それをクレアが手で制した。

 

「シオンさん……」

 

「帝都以来ですなクレア殿。早速ですが、傷の治療をさせてはいただけませぬか?」

 

「え、えぇ……それは願ってもありませんが……どうして私の事を?」

 

 普段からレイの傍に侍っている彼女が、どうしてこのタイミングでこの場所に来れたのか。

 その疑問に、シオンはクレアが腰に吊るしているポケットの一つを黙って指さした。

 

「そこに、主に縁の在る代物があるのでしょう? 主の呪力が籠っている依代があれば、少々特定までに時間はかかりますが、ヒトが移動するよりはるかに早く、私はその依代の下へ飛べるのです」

 

 クレアは、未だ激痛の残る左腕を何とか動かして、ポケットの中から”それ”を取り出す。

 帝都でのデートの際にレイに買ってもらい、そして彼がクロスベルに発つ前に何かを仕込んでいた藍色のブローチ。

 彼はそれを”お守り”と言って、クロスベルから自分が戻るまで肌身離さず持っていてくれとも言っていた。それが今、見慣れない文字が表面に浮き上がり、怪しい光を放っている。

 

 つぅ、と。クレアの瞳から涙が零れ落ちる。

 自分が愛した男性(ひと)が、何重にも保険を掛けて自分を護ってくれた。お前は死ぬな、絶対に死ぬなと言う叫びが聞こえて来そうで、クレアは喜びのあまりその涙を止められなかった。

 

 やがてシオンがその手に黄金色の光を宿し、氷の杭で貫かれた患部をなぞっていく。

 淡い神性を宿したその光は、”世界の流れ”から切り離された箇所の呪いを解いて、続いて施される治癒術で以て回復していく。

 断続的に続いていた激痛も弱まり、ようやく精神的に余裕を取り戻したクレアは、激しい音が鳴り響く前方を見据えた。

 

 

 

 そこでは、二人の武人が合図もなしに轟音を響かせて剣戟を交わしていた。

 剣身が分裂し、変幻自在の攻撃を繰り出すザナレイアを前に、しかしエリシアは僅かも臆する事無く双軍刀を振るう。

 剣戟の火花が散る度に、紅の軌跡が尾を引いて斬線を残す。剣士の常識を覆し、虚を突く武を振るうザナレイアの苛烈な攻撃に、一歩も退かずに食らいつくその姿は、ある種の執念のようなものを感じさせる。

 

 四方八方、あらゆる角度から必殺の刃が迫る中、髪の一房たりとも斬り飛ばさせず、斬り結ぶ音が無限に反響する。

 ”達人級”を相手に顔色一つすら変えず互角の戦いを演じる姿。それは、彼女もまた武人として同じ階梯に立っているのだという事を否が応でも理解させられた。

 

 

 それもその筈。エリシアは≪マーナガルム≫に存在する四名の”達人級”の中でも、特に攻勢に秀でている。こと”攻める”状況に立っている内は、団内でも彼女に勝る武人は存在しない。

 凛冽な表情の奥に潜んだ激情を燃料に、彼女は剣を振るう。加え、≪マーナガルム≫がまだ≪結社≫の強化猟兵であった頃からとことんまで馬が合わなかった≪執行者≫が相手となればその攻め手も一層苛烈になる。

 

「ハッ、レイの奴隷で≪軍神≫の狗が良く吼える。随分と戦場の雑魚を相手に良い気になっているようだな?」

 

「貴女こそ狂いっぷりは健在のようで。それこそ路傍で小蠅のように死んでいれば、レイ様のお手を煩わせる事もないでしょうに」

 

 剣戟の合間に互いを罵るその言葉に友愛の感情は一切ない。ただ純粋に、彼女らは互いの存在が煩わしくて仕方がないのだ。

 憎しみが殺意に昇華し、そして刃と刃が弾き合う結果へと帰結する。漆黒の髪が揺らぐたびに、新たな斬線が二桁は繰り出される。静謐とは対照的な戦場を揺れる眼で眺めながら、クレアは再び口を開いた。

 

「エリシアさんの、勝算は?」

 

「いやぁ、どうだろうなぁ。≪結社≫に居た頃も顔を合わせりゃ殺し合いの二人だったし、ぶっちゃけ互いの癖とか知り尽くしてんだよ。だから分からん」

 

「で、ですが、≪冥氷≫には単純な物理攻撃は……」

 

「あぁ、それなら心配要らねぇよ(・・・・・・・・・・・)

 

 

 意味深な言葉をアレクサンドロスが漏らした矢先、己の首筋を狙った一閃を、エリシアが左手に握った軍刀で弾く。その際に生まれた(びょう)程の間隔を、”達人級”の武人が見逃すはずもない。

 それは、常人から見れば本当に刹那の出来事だっただろう。罠か否かを見極める時間すらないその瞬間に、エリシアは軍刀を構え直して一気呵成に攻め立てていた。

 

 素人目には、その剣閃は乱雑に見えるかもしれない。しかし一見無軌道なそれは、ありとあらゆる方角からザナレイアの急所を狙う。

 ともあれ、それもクレアの言う通り通常であれば脅威にはならない。聖遺物(レリック)と深く繋がっているザナレイアの肉体は、既に原理上、通常の武装では傷一つ負わせることは出来ないのだから。

 しかしエリシアはその剣撃を繰り出す直前、呟くように口を開いた。

 

「『破壊を刻め』―――≪シュルシャガナ≫」

 

「ッ」

 

 まるで短い祝詞の如く言葉が刻まれた直後、双軍刀の紅刃が言葉を紡ぐ前よりも煌々と光を生み出す。

 その様子はまるで永劫に消えない炎を纏っているようで、そしてその刃を視界に収めたザナレイアが、更に忌々し気な視線をそれに向ける。それと同時に、ザナレイアがエリシアの剣撃を”防御”した。

 

 しかし、同時に繰り出された片方の軍刀がザナレイアの肩口付近を擦過した。

 すると、帝都でレイの≪布都天津凬≫がそうしたように、掠った場所から鮮血が迸る。その箇所は直ぐに凍結されて止血されたが、傷を負ったという事実は変わりない。

 

「あ、あれは何ですか? あの剣は……」

 

「神造兵装≪シュルシャガナ≫―――昔大将が何処かの古代遺跡で拾って来た代物らしくてねぇ。まぁ言っちまうと古代遺物(アーティファクト)の一種なんだが、限定的に神性付与の攻撃ができる。―――あ、コレオフレコな。教会辺りにツッコまれるとうるせぇし」

 

「あの刀身は主の刀と同じ、”神性殺しの刃”です。使用者への負担が激しいため一瞬しか真価が発揮できませんが―――それでもアレを傷つけるには充分でしょう」

 

 シオンのその言葉通り、≪シュルシャガナ≫は数秒だけ”神性殺し”の効果を発揮し終えると、その光が再び閉じられる。

 再び距離を取ったエリシアを追撃しようと足に力を込めたザナレイアだったが、直後、再び真横から飛来した衝撃に対して氷の城壁を盾にして防ぐ。

 その厚さは先程の数倍であったというのに、飛来した大口径弾丸はその八割ほどを貫いて力尽きた。まともに食らえば、先程のように体が粉微塵になっていただろう。

 

「……着弾と発砲音の間隔が離れすぎています。一体どれほど離れて……」

 

「優に3000アージュ以上先からの狙撃でしょうか。流石はリーリエ殿です」

 

「本気でアイツに狙われたら”達人級”でも殺られかねぇからなぁ」

 

 その狙撃距離に、クレアだけでなく憲兵隊の全員が瞠目する。

 距離3000アージュ以上先からの超々遠距離狙撃。それが可能となる銃の有無は元より、成功させる狙撃手の技術の高度さは計り知れない。

 帝都で出会った時は声が出せないというハンデを負いながらもお菓子が好きな可愛らしい少女であるという認識だったが、それでもやはり戦場では死神と化すらしい。

 まさに、≪魔弾姫(デア・フライシュッツェ)≫の異名に相応しい人外じみた技術。この広いゼムリア大陸でも、同じ芸当が出来る者が果たして何人いるのだろうか。

 

「っ―――痴れ者がァッ‼」

 

 その一撃にザナレイアの激情が再び膨れ上がり、それに呼応するように地面から生えた氷の杭が円状に拡散して周囲を崩壊させていく。

 エリシアは鍛え上げた敏捷力を以てして杭の合間を縫うように躱していったが、憲兵隊員達を守るように立ち塞がっていたアレクサンドロスは回避行動を取る事が出来ない。

 

「アレク、任せました‼」

 

「オーライ、隊長‼ さぁ、ギアを上げるぜ≪アスカロン≫‼」

 

 エリシアからの指示を受け、アレクサンドロスがその手に携えた蒼の大剣に魔力を込め始める。

 すると、剣身の根元、鍔と連結している部分に備え付けられていた回転式の弾倉のような機構が回転を始め、そこから金色の薬莢が弾き出される。

 ガシャン、という、歯車が噛みあったような音が剣の内部から響いた直後、淡く光り始めた剣を腰だめに構え、そこから一気に真横に振り薙いだ。

 

 繰り出されたのは、魔力の塊とも言うべき蒼の斬線。≪アスカロン≫と銘打たれたその剣から放たれたそれは、慈悲なく容赦なく串刺しにせんと迫っていた氷の杭を豪快に薙ぎ払ってその進軍を見事に止めてみせた。

 

「お見事です。アレク殿」

 

 それに続いたのは、クレアの治療を終えたシオン。

 ”三尾”まで封印を解除した彼女の掌から放たれた黄金の神炎は、主の心象を表すかのように荒れ狂う冥土の絶氷のみを溶かし尽くし、聖遺物(レリック)の影響力を完全に打ち消してみせる。

 

 その様子を見てザナレイアは冷静さを取り戻すと、コンマ数秒で現状を把握し尽くし、小さく舌打ちをした。

 

 正面には”達人級”が一人。そして背後には”準達人級”が一人と、零落したとはいえ天敵とも言える高い神性を持つ神狐が一匹。そして、僅かでも隙を見せようものなら精密な狙撃を行ってくる鼠が一匹。

 その、彼女を以てして不利であると言わしめざるを得ない状況を把握すると、腕をそのまま軽く掲げた。

 すると、彼女の足元に転移用の魔法陣が浮かび上がる。

 

「……いいだろう、今は潔く退いてやる。月喰みの狼、貴様らの力に免じてな」

 

「…………」

 

 エリシアは不遜なその物言いに眉を顰めたが、この場で挑発を重ねる程馬鹿ではない。

 

「≪軍神≫に伝えろ。貴様らの宣戦布告、確かに受け取ったとな」

 

「おーおー、団長もついにヤバい奴に目ぇつけられたな」

 

 そんな雰囲気の中でも飄々とした態度のアレクサンドロスを睨み付けるように一瞥してから、ザナレイアはそのまま転移陣の光に包まれて消えて行った。

 それと同時に身がひりつくような殺気が消え、そこにいた全員が緊張感を緩和させた。

 エリシアとアレクサンドロスが得物を仕舞い、シオンも神炎を鎮火させて尾の数を”一尾”に戻す。

 

 怒涛のように過ぎ去った襲撃は、一先ず一人の人的犠牲も出さずに収める事が出来たが、それでも散々痛めつけられたクレアの意識は、そこで一旦、張り詰めた糸が切れたかのように暗転した。

 その場所からおよそ数百セルジュ先、もう一つの襲撃の現場となった要塞の様子を見る事は叶わず、≪鉄道憲兵隊≫及び≪マーナガルム≫の応援は、見事に”足止め”を余儀なくされてしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 クレアさんホントスミマセンっしたあああああぁぁっ‼ m(__)m
 いやホントごめんなさい。本当はここまで嬲るつもりはなかったんですけど、ついついやりすぎてしまいました。ちょっと波旬に滅尽滅相してきてもらいます。

 後、何気に”戦闘員”としての≪マーナガルム≫初登場です。初登場から個人戦闘力では最高峰の面々が出てきてしまいました。やりすぎたかなー、と反省しております。
 
 それと、アレクサンドロス兄さんの≪アスカロン≫の機構が分かりにくいかなと思ったので捕捉しますと、この剣のモデルは『ファンタシースター・ポータブル2 ∞』のキャラ、ナギサが持っていた剣です。見た事がない方は『魔法少女リリカルなのは』に登場する”ベルカ式カートリッジシステム”デバイスを思い浮かべて下さい。あんな感じです。

 アレクサンドロス兄さんとリーリエちゃんは第4章の『閑話 休息の戦士たち』以来の登場でしたが、皆様覚えておいででしたでしょうか。



今回の提供オリキャラ:

 ■エリシア・クライブ(提供者:漫才C- 様)


 ―――ありがとうございました‼





※えー、では今回登場した≪鮮血鏖女(ヴェンデッタ)≫エリシア・クライブ、≪蒼刃(ブラウ・スパーダ)≫アレクサンドロス、≪魔弾姫(デア・フライシュッツェ)≫リーリエのイメージイラストを添付していきます。


エリシア:  
【挿絵表示】

アレクサンドロス:  
【挿絵表示】

リーリエ:  
【挿絵表示】




 次回、ガレリア要塞側に戻ります。
 地獄はまだ続くぞー‼

 


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鋼の護剣、抗いの矜持 -in ガレリア要塞ー ※





「腕一本もげようが、足一本とられようが、首つながってる限り戦わなきゃならねーのが、真剣勝負ってもんだ」
    by 土方十四郎(銀魂)








 

 

 

 

 

 

 その少女は剣を携えていた。

 

 あどけなさの残る貌とは裏腹に、その刃は一切の容赦も躊躇もなく、敵対する者を斬り捨てる。

 

 己が剣を握っているのか、はたまた剣が己を握らせているのかすら判別しない程に鍛練を積んで至った領域。それこそが”達人級”。

 

 故に、その容貌を見て侮った者、または臆した者から順に死んでいく。

 武人の世界に老いも若きもない。才覚があり、尚且つ血の滲むような修練を積んだ者だけがその天嶮を駆け上がる権利を得るのだ。

 そして彼女は、その域に至った者。他の武人とは一線を画する存在だ。

 

 結社≪身食らう蛇≫ ≪執行者≫No.XⅦ―――≪剣王≫リディア・レグサー。

 

 うら若き天賦の剣士が今、その実力を如何なく発揮していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガレリア要塞正面ゲート入り口前。

 数十分前まで改造された”Cユニット”の影響で重戦車『18(アハツェン)』が暴れ回っていたこの場所は今、人外に近しい武人の戦場になっていた。

 

「フッ‼―――」

 

「はぁッ‼」

 

 サラが薙いだブレード、ナイトハルトが振り下ろしたロングソード。その悉くが宙を斬る。

 攻撃速度が遅い訳では断じてない。彼らも”準達人級”という、武人の天嶮の中腹に至った者達だ。常人が傍から見れば、それらの一閃は残像が弧を描いているようにしか見えなかっただろう。

 

 では何故躱されたのかという理由を問われれば、答えは簡単。

 その剣撃を完全に見切って、尚且つ移動して回避できるだけの余力が彼女にはあったというだけの事。

 

 

「こんなモンじゃねーでしょう? 私のような生意気な小娘が至れる域に、貴方方が追いつけない筈がねーですからね」

 

 だから早く、恥も外聞も投げ捨てて本気で攻めて来いと、言外にリディアはそう言っていた。

 その体自体は細身で小柄な筈なのに、振るわれた剣の一撃は異様なまでに重い。それを尋常でない脚力で移動しながら放たれる一撃を躱す、或いはいなすというのは想像を絶するほどの集中力を要求される。

 僅かでも集中力が途切れれば、その時点で彼女の動きを、姿を見失う。そうなれば詰みだ。よもや”達人級”の人間が、それ程分かりやすい隙を見逃すはずもない。

 

 

 彼女の携えていた剣は、一言で表すのならば”無骨”だった。

 茶と黄金色に染め抜かれたその剣身は、相対する者に悲嘆と絶望を植え付ける。

 その様相自体が禍々しいというわけではない。寧ろ清廉さすら連想させる雰囲気を備えていたが、それと同じく武人として威圧されてしまう圧力をそれは備えていた。

 

 それもその筈。その剣は、嘗て≪執行者≫最強の一角を担っていた男が携えていた”外理”の剣。その真打とも呼べる後作兵装。

 剣の師たる男が遺した剣の欠片を埋め込んで創られたそれは使用者を選ぶ気難しい剣ではあったが、彼女は見事それを一生の愛剣とする事に成功した。

 

 その技を、その理念を、その意志を受け継いだが故に、彼女の思考に慢心はない。

 立ち向かう者を、己の道を阻む者を軽視し、嘲笑する事はない。だからこそ彼女は、今現在自分が足止めをしている二人の武人に敬意を表し、相手をしていた。

 

 

 相克する剣戟の火花。その合間に、サラが左手に握った導力銃の銃口から紫電の魔力が籠った弾丸を発射する。

 彼女が『鳴神』と呼んでいるその技は、着弾すれば高い確率で対象の自由を奪う。縦横無尽に動き回るその足を止めようと考えた末の行動だったのだろうが、リディアの両肩と鎖骨を狙って放たれた三発の弾丸は全て、神速で振り抜かれた剣の一閃によって防がれた。

 

「チッ‼」

 

 思わず舌打ちをしたサラだったが、彼女とてレイという人外に片足を突っ込んだ武人を目の前で見て来た人間である。高速で飛来する弾丸を斬り捨てるという芸当が、彼らにとってそれ程難易度が高い事ではない事くらいは分かっていた。

 だが、それで終わりではない。リディアが剣を振り抜いた瞬間を狙って、ナイトハルトが唐竹割りの一撃を叩き込む。

 

「っとと」

 

 しかし、豪風を唸らせて放たれたその一撃を、リディアは難なく剣を盾にして防いで見せる。

 気の抜けた言葉を発して防御を見事に成功させたものの、彼女の口元にはそれを貫けないナイトハルトに対しての嘲笑は一切浮かんでいない。

 

「流石でやがりますね≪剛撃≫のナイトハルト殿。一瞬手が痺れやがりましたよ」

 

「称賛は受け取っておこう。が、貴様を倒せないのでは意味がない」

 

「……貴方みたいな真面目一直線の武人が結社(ウチ)にももう少しいてくれたら、私達も幾分かラクになるんですがねぇ」

 

 要望に見合わない悲哀の混じった表情を浮かべたリディアは、強引にナイトハルトを押し返すと、背後に回って一閃を叩き込もうとしていたサラの攻撃を、逆手に持ち替えて背に回した剣で防ぐ。

 しかしサラはブレードの攻撃が防がれたその瞬間、リディアの延髄辺りに銃口を押し付けて躊躇う事無く引き金を引く。

 ドォン‼ という重々しい発砲音が響いた直後、直撃を食らった少女の体躯が風に煽られた木の葉のように吹き飛ぶ。

 間違いなく即死の箇所を打ち貫いた。―――だというのに、手元に手応えが残っていない感触に、サラは眉を顰める。

 

「『分け身』……よくもまぁ、最上級難易度の戦技(クラフト)をこんな一瞬で使って見せるものだわ」

 

「ようはコツの掴み方なんでやがりますよ。己の氣力の流れ方や存在意義を隅から隅まで理解していれば氣力で分身作る事はそれ程難しくねーです」

 

 その声は、戦車砲の攻撃を受けて大破した装甲車の上から聞こえた。それと同時に、先程サラが撃ち抜いたそれは、煙のように跡形もなく消えてしまう。

 

 『分け身』と呼ばれるその技は、”達人級”に至った武人にしか会得できない武技と言われている最上級難易度の技である。

 その名の通り己と全く同じの容姿、動きをする分身を作り出す技なのだが、それが放出する氣力で作られているというのが習得難易度を底上げしている。

 言うなれば、半物質ですらないモノで構成された複写。それを”達人級”の武人と同じ動きが出来るまでに精密に作り上げるというのは、相当な氣力操作の緻密さが要求されるのだ。

 

 トッ、と装甲車から降り立ったリディアに、二人はもう容易く攻撃を仕掛ける事はできなくなっていた。

 そういう意味では、彼女の目的であった足止めは成功したのだろう。リィン達は既に要塞内に潜入したが、サラとナイトハルトという戦力を削ぐ事が出来たのは大きい筈なのだから。

 

 

 そして見事にそれを成し遂げたリディアは、しかし二人への気を逸らさない程度に要塞の上部に視線をやり、そして眉を顰めた。

 そこに在ったのはザナレイアが咲かせた氷の華。迎撃のために集っていた守備隊の大部分を巻き込み、多くの兵士を今も氷漬けにして仮死状態にしている。

 中には衝撃で体が崩れてしまった兵士もおり、その者達はよしんば氷が解けたとしても息を吹き返す事はないだろう。

 

「……あのバーサク先輩、加減って言葉を知らねーんですかね」

 

 一国の軍人である以上、死んだ兵士らも護国の為に死ぬ覚悟は出来ていただろう。命を落とした事を可哀想などと思う事は高飛車であり、ある意味冒涜でもある。故に、リディアは彼らの死に同情はしない。

 だが、圧倒的で超常的な力を目の当たりにして、手も足も出す事が出来ず果てた彼らの無念は、恐らく遺り続けるだろう。それを思うと、真っ当な一人の武人としては冥福を祈らずにはいられない。

 

 償いなどという高尚な考えなど持ち合わせていない。今の己のすべき事は、与えられた仕事をただ全うする事。それだけなのだから。

 

 

「……一つ、聞いてもいいかしら」

 

「?」

 

「結社≪身喰らう蛇≫―――あなた達は≪帝国解放戦線≫に加担しているって事で良いのよね?」

 

 問いかけたサラの言葉に、リディアは剣の柄を持ち直してからふむ、と思案するような表情を浮かべた。

 

「答える義理はねーです。……と言いたいところなんですがね。ウチのザナレイア先輩がご迷惑をおかけしたんで、そのお詫びにお話しますよ」

 

「という事は……」

 

「というより、そちらさん普通に分かってるんじゃねーですか? ザナレイア先輩と≪天剣≫先輩、ガチで殺し合う因縁の深さだってお師匠様から聞きやがりましたよ」

 

 リディアの言う通り、帝都での一戦を見て、ヨシュアから話を聞いた後には既にその関係性には気付いていた。

 だからこそサラも、リディアの口から確信を持てる言葉を聞きたくて問いかけをしたわけではない。だが、彼女がそう答えた事で残っていた疑問は氷解した。

 

「……ま、その答えだけで充分だわ。アンタの言う”お師匠様”ってのも、大体見当ついたしね」

 

 サラのその言葉に、リディアの眉が僅かに動く。

 とはいえ、それは彼女にとって地雷でも何でもない。彼女の格好やその剣を見れば、気付く人は気付くのだから。

 

 サイズの合っていないロングコートの裾が大きくはためく。元の持ち主の性格を表しているかのようなそのコートは、彼女にとっての誓いの印でもあった。

 道は違えず、意志を曲げず、正義でも悪でもない武人としての道を歩むという、不退転の決意の証。

 

「≪剣帝≫レオンハルト。―――一度だけ見た事があったけど、まさか弟子がいたなんてね」

 

 6年前、サラがレイと初めて出会った≪D∴G教団≫の所有するロッジの一つの深層。その場所を襲撃した者達の中に、その男はいた。

 異名は≪剣帝≫。結社の≪執行者≫No.Ⅱにして、最強の一角に立っていた武人。特に言葉を交わしたわけでもなく、遠目で見ただけだったが、傍目からでも分かるその充溢した闘気は、まさしく”達人級”を名乗るに相応しい男であった事を覚えている。

 そして彼が携えていた剣が―――今リディアが携えているそれと同じ形であった事も。

 

 

「ふふ、お師匠様を知っていやがるのでしたら、一番弟子の私が奮起しないわけにもいかねーですね」

 

 愉しそうな笑みを僅かに浮かべ、リディアは再びその場から動いた。

 その先にいたナイトハルトが重撃の剣の一撃で以て迎い撃ったが、その剣身の横腹をなぞるように剣を這わせ、上手くいなして躱す。

 そして彼女は、ガレリア要塞を背にするようにして立つと、しかし要塞内部には駆け出さず、剣の柄に両手を添えた。

 

「本当は言葉通り時間稼ぎに徹するつもりでやがったんですがね。貴方方相手にただのしのぎ(・・・)の剣術で当たるのは、やっぱり一介の武人として不完全燃焼でやがるんですよ」

 

 武人の括りにも入れない弱者が相手なら、彼女が剣を振るうまでもなく潰す事が出来る。プライドが高いというわけではないが、己が心血を注いで鍛え上げ、研ぎ澄まして来た信念や技は、そんな輩に披露するべきモノではない。

 だが、目の前の二人にその概念は当てはまらない。

 両者共が文句のつけようがない武人だ。生きた年数そのものはリディアの方が幾分も足りないが、物事の本質を見抜く才であれば、彼女は天才的だった。

 故に、彼らに対して力を秘したまま相対するという事が冒涜であるという事も理解した。確かに自身が命じられたのはこの二人の足止めだが―――それが何だというのか。

 

「我が名は≪剣帝≫より受け継ぎし異名。故に我が剣は不敗にして最強‼ ―――受けてみやがれです‼ ≪剣王≫の一撃を‼」

 

 柄を両手で握り締め、リディアは剣を振りかぶる。

 嘗て師が使用していた剣技。≪剣帝≫の代名詞たるそれは、しかし弟子に受け継がれた事でその様相を僅かに異ならせていた。

 

 

 

「『鬼哭斬』ッ‼」

 

 

 

 その一撃は、大気のみならず空間そのものを唸らせ、軋ませ、破壊する。

 込められた闘気の余波が、鉄の残骸と化していた装甲車すらも吹き飛ばし、叩きつける。コンクリートで舗装されていた筈の地面ですら、スポンジに刃を入れたかのように易々と断ち切って断層を刻む。

 その名の通り鬼が()くかの如き轟音を撒き散らし、一直線に進んだ剛の斬撃は堅牢な筈の軍事施設の一部を一瞬にして廃墟へと変貌させた。

 

 しかし―――。

 

 

「この程度で……倒れてたまるかってのよぉッ‼」

 

「帝国機甲師団の意地を……甘く見ないで貰おうかッ‼」

 

 斬撃そのものは回避したものの、強烈すぎる余波を食らった二人は、それでも膝をつく事なく踏み止まる。

 まさに”達人級”の名に相応しい一撃を、今確かにその身で味わった。

 幾度となく死線を潜って来たこの二人が気付かない筈はない。自分達二人の全力を以てして、恐らくこの少女に一撃を入れられるか否かが限界だという事は。

 だが、それを分かっていても無様に倒れる姿を晒すわけにはいかない。

 

 その理由の中には無論、この場所が帝国最大の軍事基地だからというのもある。その場所で現時点で最高戦力である自分達が倒れれば、運良く難を逃れてテロリストに抵抗している兵達の士気にも影響するだろう。故に、敗北を認めるという選択肢はない。

 そしてもう一つの理由。―――或いは二人にとって、こちらの方が本音と言っても差し支えはないかもしれない。

 

 要塞内部に無事に潜入した教え子たち。今は恐らく、テロリストの妨害に拘らって奮戦しているであろう彼らに先んじて倒れるという醜態を晒すわけにはいかない。

 勿論それはただの意地だ。権利もなければ義務ですらない。ただ格好悪い所を見せるわけにはいかないという、子供じみた理由に過ぎない。

 

 だが、先達には先達の意地というものがある。自分達の作った轍を彼らが進んでいつか追いつこう、追いついてやると奮起しているのならば、まだまだ自分達は大人の意地を背負いながら歩き続けなければならない。

 斯く在れ、まさにその姿こそ誉れだと、そんな理想を抱いて僅かでも自分達を見ていてくれるならば、その理想で在りたいと躍起になるのが大人というものだ。

 

「アンタがとんでもなく強いってのは分かってんのよ。正直想定以上だったのも認めてやるわ。―――でも、それはアタシ達が倒れて良い理由にはなんないのよ」

 

「私の醜態は閣下の瑕疵ともなる。―――それに、この程度で(・・・・・)倒れたとあっては末代までの恥だ。脆弱過ぎては黄金の軍馬の防人は名乗れまい」

 

 そう言い放った両人の双眸は真っ直ぐリディアを見据えている。再び武器を構え、闘気をその身に漲らせる。

 その様は傍から見れば強がっているようにも見えたが、リディアは笑みを浮かべる事すらなく、逆に感情を押し殺した。

 

 

 典型的な貴族主義が蔓延した国。貴族らの埃も大部分は腐り落ち、生まれ持った権威に胡坐を掻いて民を虐げる者も少なくないという。

 そんな情報を耳に入れた瞬間、リディアが感じたのは失望だった。獅子の皇帝が切り開いた世の在り方も、所詮は時代の流れと共に風化していくものなのかと。

 

 だが、蓋を開けてみればどうだ。今目の前にいる二人はどうだ。

 まさしく武人。実力的に差がある事を認めた上で、それでもなお倒れず、抗い戦う意思を失う素振りすら見せない。

 勇猛か、はたまた蛮勇か。そんな事は考えるまでもない。彼らが”そう”在って立ち塞がるのならば、リディアとしても加減など一切なしで彼らを打倒しなければならない。

 それが、武人として先の位置に留まっている者の定め。全力で立ち向かう者を、全力で叩き潰すという、ただそれだけの事だ。

 

 

「……ならば此方も加減は一切しねーですよ。―――御覚悟は宜しいかッ‼」

 

 

 吐き出されたその戦声すらも、大気を振るわせるには充分だった。

 あと一歩、彼女が足を踏み込めば、そこで勝敗は決するだろう。≪剣帝≫仕込みの敏捷力は現≪執行者≫の中でも最速に近しいと謳われる彼女ならば、感じさせる足音は一歩で充分。それだけで、首を掻き斬る速度まで一瞬で持っていく。

 

 そしてその一歩を踏み出そうとしたその直前―――サラとナイトハルトの間を縫って疾駆して来た影が割って入り、リディアにその長柄の得物を振るった。

 

「ッ‼」

 

 さしものリディアも、攻撃特化の構えとなっていた状態からすぐに防御に移るには踏み込みかけた足を止めるしかなかった。

 剣の腹で受け止めた兵装は戦槍斧(ハルバード)。しかしただの無骨な形をした兵装ではない。穂先に魔石らしきモノが埋め込まれたそれは、絢爛ながらも主と共に幾多の戦場を潜り抜けて来た様相を呈しており、ただの飾り物ではない事を如実に表していた。

 

「悪いねお嬢さん(フロイライン)。空気読めてない行動だってのは百も承知なんだけどよ、大将の味方は絶対に死なせるなって団長からキツく言われてるんだわ」

 

 その得物を振るったのは、絹糸の如き金髪を棚引かせた見目麗しい青年だった。

 紅色の双眸も、長い睫毛も、服の上からでも分かるしなやかな肢体も、全てが彼の美しさを際立てている。

 軍服じみた服ではなく、しかるべき高貴な服を纏えば、それだけで社交界の華型として貴婦人達からの視線を集める事は間違いないであろうに、しかし彼の纏う闘気は、まさしく強者のそれだった。

 金持ちの道楽とは間違っても呼べない戦斧捌き、叩きつけられた闘気は清廉としていながらも、獰猛さが見え隠れしていた。

 その青年は不敵にニヤリと笑うと、裂帛の気合いと共に、不自然な体勢で防御していたとはいえ”達人級”のリディアを押し飛ばして数アージュ後ずらせた。

 

「……何者でやがりますか、貴方」

 

 仕切り直すように虚空を剣で薙いでからそう問うたリディアに対して、笑みを伏せないまま答えを返す。

 

 

「猟兵団≪マーナガルム≫ ≪二番隊(ツヴァイト)≫副長補佐、ライアス。―――ま、しがない戦争屋の一人だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――正面60アージュ先に機械人形兵器(オーバーパペット)4機確認。8秒後に接敵する」

 

「フィーとミリアムは両端の敵を。マキアスは正面の2機を牽制射撃で足止めしておいてくれ。委員長は待機」

 

「「「「了解」」」」

 

 ガレリア要塞内部。迷路のように入り組んだ鉄の建物の内部を、リィンを中心とした5名が駆けて行く。しかし、そのメンバーは先程までとは違っていた。

 前衛を務めるのはリィンとミリアム。中衛はマキアスとフィー。後衛はエマ。要塞内部に突入した際、戦闘面でバランスが悪かったメンバーを入れ替えてA班とB班を再編成したのである。

 提唱したのはリィンだったが、他の面々も二つ返事で了承した。何せ相手は、帝都での騒乱の際、完全にしてやられた連中である。ヘリが降り立った場所から、連中の狙いが二門の『列車砲』であると当たりを付けた後の行動は迅速だった。

 

 リィン達A班が向かうのは右翼『列車砲』の格納庫。しかしそこに至るまで、連中が放ったと思われる機械人形兵器が度々道を塞いで来た。

 

 

「『スカッドリッパー』」

 

「いっけーガーちゃん‼ 『バスターアーム』‼」

 

 しかし、銃器や小型のミサイルまで搭載したそれらの兵器を、まるでガラクタを薙ぎ払うかの如く片付けて行く。

 思惑通りフィーとミリアムが両端に展開していた兵器を迅速に破壊すると、マキアスが放った散弾が射撃準備に入っていた2機の足元を撃ち抜いて大きく体勢を崩す。

 

「弐の型―――『疾風』ッ‼」

 

 その一瞬の隙を逃さず、加速したリィンが残像を残して2機を順繰りに斬り付けて破壊する。

 しかしその速さは、マキアスやミリアム、フィーが今回の特別実習に赴く前に旧校舎探索や実技テストで見た動きよりも速く、かつ無駄のないものとなっていた。

 それに驚嘆しながらも、しかし今は問いかけるよりもまずやる事がある。一般的な施設とは違ってそこいらに建物の内部見取り図がある筈もなく、リィン達は数時間前にナイトハルトから教えて貰った『列車砲』格納庫への道筋を思い出しながら駆けて行く。

 

 人形兵器に捕捉され、銃口を向けられる前に叩き潰すという速攻一点特化の戦い方をしながら、漸く一同はクロスベル方面へと続く要塞の反対側へと出る事に成功した。

 

 

「……へぇ」

 

「こ、これが……」

 

 柵で囲まれたすぐ先は国境である『ガレリア峡谷』が広がっており、その先に見えるのはクロスベル自治州側の軍事施設、『ベルガード門』。

 しかしそこからも黒い煙のようなものが上がっており、ガレリア要塞と同じく襲撃を受けたのだという事が容易に想像できた。

 

 その光景に一瞬だけ目を奪われていると、リィン達のいる手前の虚空から、2機の人形兵器が突如として現れた。

 

「っ、コイツら……」

 

「今まで遭遇したものとは、雰囲気が違いますね」

 

 キリキリと歯車のような機構を回しながら空中に浮かぶそれらは、エマの言葉通り、今まで相手をした人形兵器よりも一回り以上大きいフォルムを備えていた。

 戦術機械兵器、などというものには疎いリィンだったが、そんな彼でも直感的に悟る。この兵器が分隊支援兵器並の火力を備えており、非常に危険な存在であるという事を。

 実際その人形兵器―――『ゼフィランサス』は、その直感通り、凶悪な武装を秘めた機体だった。

 

「各自、散開ッ‼」

 

 リィンがそう指示を飛ばしたのと同時に、2機の内の1機が内蔵されていた高速機動型チェーンソーを装備して突撃してくる。

 凶悪過ぎるその刃を交わしたのも束の間、隊列の一番後ろに控えていたエマが、留まっていた方の1機から魔力反応が放出されている事を感知する。

 

「リィンさん、奥の1機から魔力反応です‼ 高位アーツの詠唱を始めています‼」

 

「アーツまで使えるのか……ミリアム、間合いを確保しながらそっちの機体を頼む‼ マキアスは援護をしてやってくれ‼」

 

「うん、分かった‼」

 

「任せてくれ‼」

 

 凶悪武装を施した機体を前にしても、しかしミリアムとマキアスは躊躇う事無くそれを無力化するための攻撃を始める。

 それを横目で見てから、リィンはアーツの詠唱を続けている機体に向けて一直線に駆け出した。

 

「そこまでだ」

 

 機体の横を通り過ぎる瞬間に、鯉口を切って太刀を抜刀する。

 八葉一刀流・四の型『紅葉切り』―――精密な箇所への斬撃を得手とするこの型は、敵の体勢を大きく崩して魔法攻撃の詠唱等を止める事も可能な技である。

 果たしてその目論見は上手く行き、機体はバランスを崩し、同時にアーツの詠唱も止まる。その隙を見逃さずに、フィーが二丁の導力銃を構えて斉射した。

 

「『リミットサイクロン』」

 

 ほぼ同時に聞こえた発砲音。そして放たれた銃弾は全て過たず『ゼフィランサス』の駆動部分、または関節部分と思われる部位を撃ち抜いた。

 ギャリッ、ギシッ、という金属同士が擦れる不快な音を撒き散らしながら、しかししぶとく活動は止めないその機体に、リィンがとどめを刺す。

 

「『業炎撃』ッ‼」

 

 太刀から放たれた炎の魔力を纏った斬撃。

 リィンが普段扱える内包魔力というのはそう多いものでもないのだが、鍛練を積み重ねる事によって、その多くない魔力を凝縮する事で一時的に巨大な破壊力を生み出す事に成功していた。

 そしてその熱は接続部分が脆弱になった『ゼフィランサス』の機体を綺麗に袈裟斬りにし、文字通り一刀両断にしてみせた。

 支えを完全に失ったそれは、転落防止用の鉄柵を突き破ってガレリア峡谷の底へと落ちて行き、その途中で派手に爆発して果てた。

 

「ミリアム、マキアス。大丈夫か⁉」

 

「だい、じょうぶ、だよっ‼」

 

「こんなもの、日頃の特訓に比べれば何てことはないな‼」

 

 大型のチェーンソーを構えた事でアガートラムのそれよりも間合いが広くなった『ゼフィランサス』に対して、的確なタイミングで攻めていくミリアムと、そんな彼女を防御系の補助アーツで支援するマキアス。

 リィンが声を掛けた時には懐に潜り込んだアガートラムの重い一撃が機体の中心を捉え、数アージュ程吹き飛ばして鉄柵にめり込ませていた。

 

 そしてそれが合図になったかのように、エマの短い詠唱が終わる。

 

「やっちゃえー‼ いいんちょー‼」

 

「えぇ‼ ―――『ジャッジメントボルト』‼」

 

 濃縮された風の魔力を雷の性質に変化させて一直線に放たれたそれは、直線状の地面を焦がしながら亜音速にも匹敵する速さで『ゼフィランサス』に直撃し、爆破するまでもなく機体の四分の三程を消し飛ばしてそのまま同じように崖下へと落ちて行った。

 

 無事に戦闘を終えた一同は、しかし気を緩める事もなく周囲を確認しながら、リィンは懐からARCUS(アークス)を取り出して通話の機能を立ち上げる。

 

 

『―――リィン? どうしたの?』

 

 連絡を入れたのは左翼『列車砲』格納庫を目指すB班を率いるアリサ。通話越しの彼女の、少しばかり荒くなった息遣いを感じたリィンは、彼らの方でも何があったのかを大体察する事が出来た。

 

「いや、今外縁部で大型の人形兵器と接敵してどうにか破壊できたんだが……どうやらそっちも同じような目に遭ったみたいだな」

 

『えぇ。ちょうど倒したところ。―――にしても、これだけ高性能な機械兵器を用意できるなんて……≪結社≫ってのは本当に得体が知れないわね』

 

 それに関してはリィンも同感だった。

 高性能な重火器を収納できる点に加え、人間の兵士が持ち合わせる”死への恐怖”を一切持ち合わせていない。いざとなれば、機体を爆破させて敵陣に損害を与える事も出来る。

 もしこれらの兵器が更に高性能化して戦場を闊歩するのが日常的な時が来たのだとしたら、その時は戦場から歩兵の姿は消え失せるだろう。

 軍属の道を選ぶかどうかすらも分からない身でありながらそう危惧する程度には、その人形兵器が脅威に見えたのだ。

 

「とりあえず、無事で何よりだ。俺達もこのまま―――」

 

 と、そう言いかけたところで、リィン達がいる場所から少し離れた要塞の壁面から重々しい音が響いて来た。

 視線をそちらの方へと向けると、堅く閉ざされていた要塞上部の巨大扉が開き、その中から途轍もなく巨大な砲身が台座に据えられたまま顔を出した。

 

「あ、あれは……」

 

「『列車砲』―――思っていたよりも大きいね」

 

 フィーはあくまでも「予想よりも大きい」というニュアンスで言ったが、その他の面々はその巨大さに慄く。

 砲身の太さは通常の戦車の砲身十本分か、或いはそれ以上。ガレリア要塞からクロスベル市内までの距離約200セルジュを完全に射程圏内に収め、スペック上ではクロスベル市をおよそ120分で壊滅状態にする事が可能とすら言われている大量破壊戦略型導力兵器。

 それが今、要塞内部の格納庫から顔を出したという事実が何を表しているのか。それが分からない程愚鈍ではない。

 

「くそっ、間に合わなかったのか⁉」

 

『落ち着いてリィン。多分、発射までにはまだ少し猶予があるわ』

 

「そう、なのか?」

 

 他ならない、『列車砲』を製作したラインフォルト社の会長の娘であるアリサの緊迫感を孕んだ声に、リィンは声を潜めて聞き入った。

 

『一度、『列車砲』の操作マニュアル書類に母様に黙って目を通した事があるわ。機動から砲門のロックが解除されるまでに踏まなければいけない手順は十段階以上。その全てに帝国軍の軍事ロックがかかっているでしょうから、それで少しは保たせられる』

 

「でも、そのロックが解除されたら、もう後は発射する手順しかないわけだろう?」

 

『いえ、そうじゃないわ』

 

 アリサはキッパリとそう言い放ち、間髪入れずに続きを述べる。

 

『まかり間違っても大量破壊兵器。もし間違って誤作動して放たれようものなら、その時点で国家の危機は免れないもの。だから、一発目の砲撃は空砲になっている筈よ。

 そこから再装填の手順を踏まないといけないから、時間はそれなりにかかるでしょうね』

 

「……率直に聞いて悪いが、猶予は後どれくらいあるんだ?」

 

 リィンの核心を突いた言葉にアリサはARCUS(アークス)越しに少しばかり黙り込む。

 そして数秒後、彼女らしく曖昧ではなくハッキリした声でその問いに対する答えを告げた。

 

『約1時間。その時間内に片を付ければ私達の勝利よ』

 

「了解。ならお互い気を付けて格納庫に向かうとしよう。間に合いませんでしたじゃ、正面で戦ってくれてるサラ教官たちに顔向けできないし、何より―――」

 

『えぇ。別れたままサヨナラなんて、後味悪過ぎる展開なんてゴメンだわ』

 

 通話機越しに互いに薄く笑い、健闘を祈り合うとそのまま待っていた面々に向かい合う。

 各々緊張感は孕んでいたが、これから立ち向かう相手に対して臆している様子は微塵もない。

 それもその筈。自分達をこの場所に送り出してきた人たち、そして何よりクロスベルで戦っている友の事を思えば、自分達がここで足を止めるわけにはいかないのだから。

 

「皆、あと少しだ。絶対にテロリストの陰謀を阻止してみせるぞ‼」

 

 おおっ‼ と返って来る返事を聞き、一同は再び上階を目指して要塞の階段を駆け上がる。

 

 

 

 

 帝国最大の軍事施設を舞台にした騒乱劇は、いよいよ佳境に差し掛かろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうも。昨日運転免許証を取ったばかりの十三です。昔受けたセンター試験並みに緊張しました。最後の学科試験。

 
 そして今回、リディアが使ったクラフト『鬼哭斬』。軌跡シリーズの能力表に照らし合わせるとこんな感じです。↓

■鬼哭斬

CP:100 崩し:+60% 硬直:40 射程:- 移動:なし
範囲:直線LL 効果:気絶(90%)、DEF・ADF-50%

対策:気絶対策をしっかりして『アダマスシールド』をしっかりと張る事。
   しかし自身のHPの減少具合ではなく、基本ノリで昂って来た時に打って来る為、対   策は難しい。


 ……自分で書いておいてなんだが、何だこのブッ壊れ性能。
 しかし気絶90%ならアンゼリカ先輩の『ゼロ・インパクト』と同じっていう、やっぱあの先輩頭おかしい。

 まぁ、レーヴェの一番弟子だし、これくらいはしてもらわないとね‼(ゲス顔)


 では今回のイメージイラストは、≪マーナガルム≫所属≪二番隊(ツヴァイト)≫副長補佐、ライアス君です。

 
【挿絵表示】



 次回で要塞編は終わりたいなぁ。







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強者非ず者の真価  - in ガレリア要塞ー ※





「我らは弱者だ、いつの世も、強者であることに胡坐をかいた者共の喉を食い千切って来た、誇り高き「弱者」だ」
     by 空(ノーゲーム・ノーライフ)








 

 

 

 

 

 最初に彼らの姿を見た時は、浅薄な思惑で帝国に害を為す者達だという印象が強かった。

 

 帝国にとって象徴とも言える皇族の人間を人質に取って、国に仇なす犯罪者。実際その肩書こそは間違っていないだろうし、テロリストの名で呼ばれる以上、敵対以外の道はないのだろう。

 だが、帝都の地下で彼らのリーダーである≪C≫とやらが言い放った言葉には、重さと厚みを感じられた。

 

 たった一つの目的の為に集まった、志を同じくする者達。その繋がりをどこかに見出した瞬間、リィンは彼らに対して敵意以外の感情を抱いていた。

 

 一体何が、彼らをここまで駆り立てるのか。

 理解する事は叶わないだろうと知っていながらも、それでも疑問に思わずにはいられなかった。

 ≪鉄血宰相≫―――ギリアス・オズボーンの首を取る為だけに如何なる犠牲をも厭わないその不退転の意志は一体どこから湧いてくるのだろうかと。

 

 

 しかしそれを理解するよりもまず、為さねばならない事がある。

 

 単純な話だ。敵の事を理解する前に、仲間が、友が窮地に立たされようとしているこの状況をどうにかしなければならない。

 いかな”達人級”の武人とはいえ、国をも滅ぼす大量破壊兵器の標的にされれば防ぐ事はできないだろう。かけがえのない仲間を、友を喪う事。それだけは絶対に避けなければいけない未来だ。

 例え彼らにどのような事情があったのだとしても、それだけは許容できない悪。そして自分達以外にその最悪の未来を打ち砕く者がいないのであれば、打倒する事に躊躇いはない。

 

 

 

 

「あらあら……≪紫電(エクレール)≫と≪剛撃≫が足止めされてるからてっきりもう少し時間が掛かるものだとばかり思っていたけれど、評価を改める必要があったみたいね」

 

 赤みがかった橙色(とうしょく)の髪を靡かせながら、≪帝国解放戦線≫の幹部の一人、コードネーム≪S≫は微笑んだ。

 彼女の視線の先にいるのは、学生服を纏い、武器を携えた学生が5名。そして彼らが通って来た道には、戦線の構成員5名が気絶したまま倒れ伏していた。

 練度こそ、そこいらの傭兵団と渡り合えるくらいのものであった筈なのだが、それらを殺さずに気絶させて無力化するという手段を取りながら、未だ大して疲弊の色は見せていない。

 

「……もう一人の男、≪V≫という幹部は左翼の格納庫の方か」

 

「えぇ。そちらにもあなた達のお仲間が行ってるんでしょう? フフ、止められるかしらね」

 

「止められるさ。この程度で立ち止まったら、今まで鍛えてくれた人達に申し訳が立たないからな」

 

「…………」

 

 この程度呼ばわりされた事に不満を漏らすかと思いきや、≪S≫はリィン達に向けてどこか眩しいものを見るかのような表情を一瞬浮かべる。

 それが気になって一瞬だけ言葉を失ったが、リィンが言葉にしようと思っていた問いは、マキアスが引き継いでくれた。

 

「なら、あの≪G≫とかいう幹部はどうしたんだ? どこにいる」

 

「残念、≪G≫はクロスベル方面に行ったわ。……尤も、ついさっき命を落としたみたいだけれど」

 

 ”命を落とした”―――その六文字が何を意味するのか、分からない訳はない。

 帝都でリィン達の前に直接立ち塞がった男。その言葉が正しければ、ケルディック実習の時からⅦ組の面々にとっては因縁の相手だったその人物が、異国の地で死んだという事実。

 無論、その死に同情などはしない。言うなれば彼らの自業自得。元よりテロリストに身を窶しておいて死というものの実感が薄かったなどという事もないだろう。

 

本人から通信があってね(・・・・・・・・・・・)。クロスベルに向かったメンバーはオズボーンが雇ってた猟兵団の手に掛かって皆殺し。≪G≫を直接手に掛けたのは―――」

 

 と、そこまで言っておきながら、≪S≫は突然口を噤んだ。

 その唐突な言葉の区切りに訝しがらざるを得なかったが、直後≪S≫は左手に携えた剣を一振りする。

 刃から漏れ出た炎の魔力が、それ以上は語るつもりはないと拒絶するかのように熱波を広げた。

 

「……ま、いいでしょう。このまま話し続けて時間切れを狙ってもいいのだけれど、それじゃあフェアじゃないでしょ?」

 

「時間切れ?」

 

「―――あ、もしかしてその『列車砲』、自動操縦モードに切り替えてるの?」

 

 ミリアムのその指摘に、一同は気付く。

 左手側に座している『列車砲』。操縦席には誰も存在していない筈なのに、未だに駆動音は鳴り響いているのだ。

 

「ふふっ、正解よおチビちゃん。そうねぇ……あと30分くらいで再装填も終わるかしら」

 

「っ、そうなったら……」

 

「クロスベルは大惨事に見舞われる、という事か」

 

 制限時間有りのハンデ戦。しかし、そういった戦場に慣れているフィーは慌てる事もなく口を開いた。

 

「大丈夫、こういうのは焦ったら負け。―――私達ならできる」

 

 それは短い言葉だったが、リィン達を戦闘態勢に至らしめるには充分だった。

 それを見て、≪S≫は剣を握っていない右手を横に振る。すると、先程と同じように虚空から2機の人形兵器が出現した。

 その形状こそ先程倒した機体と同じだったが、その色は深緑ではなく真紅に塗装されている。

 

 横幅が広くない格納庫内での戦闘。そんな場所で広範囲攻撃を仕掛けて来る人形兵器2機と、一見して手練れと分かるテロリスト幹部との戦いともなれば、もう様子見などの戦力は意味をなさない。

 

 

「さぁ、≪S(スカーレット)≫から≪G(ギデオン)≫への手向けと行きましょうか」

 

「―――悪いが、それはさせない。最初から全力で行かせて貰う‼」

 

 リィンの鬨の声にも似たそれを合図にしたかのように、いつの間にかリィンの背に隠れるように死角に移動していたフィーが、最速のスピードで駆けた。

 踏み出しの一歩。ただそれだけで≪西風の妖精(シルフィード)≫と呼ばれた彼女は最高速度に達する事ができる。

 レイの【瞬刻】には一歩及ばないが、それでも一瞬前まで視認していなかった場所からの強襲に反応できる程、その人形兵器らは過度に高性能ではなかった。

 

「ッ‼」

 

 ただ一人、≪S≫―――スカーレットはその動きを直前に察知して後ろに飛び退いたが、哀れ人形兵器たちは、風の妖精の殺意に捕えられ、逃げ出す事は叶わなかった。

 繰り出される斬撃の乱舞。そして風属性の魔力を纏った銃弾の雨嵐。元より完成に近かったその技は、レイとサラ、そしてシオンとの毎度の死闘を潜り抜けて彼女なりに改良を重ねた結果、局地的に死の嵐を巻き起こすかのような凶悪なモノへと変貌していた。

 必殺戦技(Sクラフト)『シルフィードダンス』。妖精の舞踏と称するには少しばかり凶悪過ぎるその嵐が収束した後に、ミリアムが前へ出た。

 

「ガーちゃん、第二形態変化(フォームチェンジ)‼」

 

 そう声を掛けると、アガートラムは白磁の人形のようなその形態を変えていき、突き出た柄のような部分を、疾駆したままミリアムの小さい両手が掴む。

 声を掛けてから数秒で、アガートラムの姿は一振りの巨大な白鎚へと変形を終える。相当な重量がある筈のそれを、しかしミリアムは薄い笑みすら浮かべたままに最上段に構え、そのまま容赦なく振り下ろした。

 

「いっくよー‼ 『ギガント――――――ブレイク』ッ‼」

 

 叩きつける側面とは対照的になる位置から、まるで推力装置(ブースター)の如く導力エネルギーが噴出し、瞬間的に数百トリムにも匹敵する衝撃が動作不良を起こしていた2機に、トドメとして襲い掛かる。

 着撃と同時に大きく足場は揺れ、叩きつけられた場所は潰された人形兵器諸共円形状にくり抜かれて格納庫の最下層へと落ちて行った。

 

 それらの行動に、一切の躊躇いはなかった。リィンが言ったように、文字通り”全力”で、”最速”で邪魔だった人形兵器を始末する。

 ここに来て、スカーレットはまたしてもトールズ士官学院特科クラスⅦ組という面々の認識を改める事を余儀なくされた。格納庫の底から響いて来た重々しい金属音を耳にすると同時に剣を構え直すと、その直後に斬り込んで来る人物が一人。

 

「あら、あなた一人かしら?」

 

「この足場じゃあそうもなる。まぁレグラムに行く前なら兎も角、今の俺ならスカーレット、貴女の相手をしても不足はないと思うぞ」

 

 そう言ってリィンは、鍔競り合っている太刀に力を込めて、スカーレットとの一騎打ちに臨む。

 実技教練には決して手を抜かない教官と、遠距離不条理攻撃の鬼、否、狐と、鍛えるにあたって容赦という言葉が欠片も存在していない友人に叩き上げられた剣士が今、その成果を十全に発揮しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荒廃した軍事施設の一角に、黄金の影が交錯する。

 

 互いに金色の髪を棚引かせ、高速で交わる剣戟の音だけが、その場には響いていた。

 要塞内で響いていた銃撃の音も、演習場の方から伝わる砲撃の振動も、彼らにとっては聞こえていないも同然だ。

 そのような雑音に聴覚を使っている暇などない。今はただ、目の前にいる敵を下す事にのみ全感覚器官と全神経を使い続ける。二人共が違わず、そう思っていた。

 

 ”達人級”のリディアの実力を以てしても、目の前の青年を下すには全力に近しい状態で立ち向かわなければ難しいと判断したのだ。

 武人としての階梯は恐らく”準達人級”クラスだろうが、十数分刃を交わしただけだというのに、その”巧さ”に瞠目せざるを得なかった。

 戦闘方法(スタイル)は膂力を十全に生かしたパワータイプ寄り。それだけだったなら、敏捷力を生かした戦法を得意とするリディアの方が圧倒的に有利に立てる。

 だが彼は―――ライアスは戦い方の”巧さ”にかけては一級と言っても差し支えがない。

 

 

「(っ―――厄介なタイプの相手でやがりますね)」

 

 自力では勝っている。だというのにリディアが攻めあぐねている理由としては、ライアスの攻守切り替え(スイッチ)の早さにある。

 長柄武器を扱う性質上、リーチという点では優位に立てる事は間違いないのだが、リディアに対してのそれは大したアドバンテージにはならない。

 その穂先が体を掠める前に懐に潜り込んで斬り捨てればいい。単純ながらも真理を突いた理論。

 だが彼は、自身のその弱点を早々に理解した上で、リディアの攻撃に逐一的確に対応し、一切隙を見せてこない。

 しかし防御一辺倒かと思えば、少しでも間合いが開けば苛烈に攻め込んで来る。それはまさに、彼の異名に相応しい連撃であるといえた。

 

「確か、≪紅金の天砕(テラー・ザ・ブレイク)≫でやがりましたか。ご大層な名前かと思いましたが、案外そうでもなさそうでやがりますね」

 

「名前負けしてるのは承知の上さ。そもそも誰が呼び始めたのかも分からない異名だしな」

 

 苦笑すると共に、薙ぎ抜かれた戦槍斧(ハルバード)の穂先が容赦なくコンクリートの地面を抉り、土と砂を巻き上げる。

 軽く擦過した程度でもこの威力。単純な筋力だけではなく、良く練られた氣力が生み出すという点ではリディアと同じだが、如何せん、その質は”達人級”の彼女と渡りあえる程に高い。

 

 加え、彼の身体能力を上げているのは、その身に纏った氣力の鎧。

 それこそは、ローエングリン城でガイウスがその脅威を身を以て知った技、『剄鎧』に他ならない。

 

「互いに良いお師匠様に恵まれたよーですね」

 

「え? ちょ、待、アイネス師匠ってば俺の事何か言ってた?」

 

 ライアスの脳裏に浮かぶのは、アリアンロードの手によって≪結社≫に拾われて以後、彼に武人としての心構えや戦槍斧の扱いなどを叩き込んだ女性の姿。

 ≪鉄機隊≫が”戦乙女(ヴァルキュリア)”の一人、≪剛毅≫のアイネス。―――彼女こそがライアスの師でもあった。

 

 口調も態度も、まさしく武人らしい性格をしている彼女に”見込みのある弟子”として可愛がられた(・・・・・・)過去を持つライアスにとっては、自分が≪結社≫から出て行った後に師がどのような反応をしていたかというのは気になる事ではあった。

 

「あー……あ、いや、なんでもねーです」

 

「えー……団長や隊長にシバかれるより、師匠にヤキ入れられる方が何倍も怖いんだが……ま、いっか」

 

 互いに存分に暴れてしまった余波で煙が立ち込める中、今度はライアスが口を開いた。

 

「そういう君もその歳で”武闘派”の≪執行者≫とは恐れ入るね。流石レーヴェさんの弟子だ」

 

「む、貴方もお知り合いでやがりますか」

 

「ま、大将共々お世話になったよ。ホントに強い人の下で修行できるのは幸せだよなぁ。―――まぁ、だからこそ見えてこない(・・・・・・・・・・・)モノもあるんだが(・・・・・・・・)

 

「……それは、どういう意味でやがりますか?」

 

 暗に、君は大切なモノが見えていないと言われたように感じ、リディアは思わず聞き返す。

 しかしライアスは、意味ありげな表情を浮かべたままに戦槍斧(ハルバード)を構え直した。

 

「あぁ、勘違いしないでくれよ? 別に高みから説教しようってワケじゃないんだ。

 ただまぁ、紆余曲折あったとはいえ俺は一応猟兵でな。殺意に塗れた戦場でそりゃあもう色んな人間を見て来たわけさ」

 

「…………」

 

「まぁ、君も≪執行者≫の資格があったって事は何かしらこの世界の”闇”を見て来たんだろうけどさ、ホントに戦場ってのは、人間の生き汚さをよく表している場だと思うワケよ」

 

「だから何を―――」

 

 とりとめのない話に言葉を差し込もうとしたリディアだったが、その直後、ライアスは戦槍斧(ハルバード)を全力で振り下ろした。

 とはいえ、氣力の纏っていないただの振り下ろし。間合い的にもリディアに刃は届かず、一層砂埃の密度が上がっただけだった。

 目晦まし、にしては杜撰が過ぎる。たかが視界を塞がれた程度では、”達人級”の武人にとっては問題にすらならない。

 その為、剣圧で砂埃を振り払おうと剣を構えたところで、ライアスの声だけがリディアの耳朶に届いた。

 

 

『―――窮鼠猫を噛む、という諺を知っているかい?』

 

 

 瞬間、真正面から砂埃の中を突き切って、剣を上段に構えたナイトハルトが姿を現した。

 彼とて、”準達人級”の武人である。氣力のコントロールを行って、短時間ではあるが気配を周囲に同化させる事くらいは出来るのだ。

 普段のリディアであれば、それでも対応できたことは間違いないのであろうが、直前に言われたその言葉が、一瞬ではあるが判断力を鈍らせた。

 

「はぁッ‼」

 

 故に、振り下ろされた剛剣を、リディアは剣の腹で受け止める。先程のように弾き返そうとも試みたが、どうやら全ての氣力を身体強化に回しているらしく、歴然な体格差もあって僅かばかり苦戦する。加え、軸足を踏みつけられている為、蹴り技を繰り出す事も出来ない。

 

「(っ、不覚‼)」

 

 普通の剣士であれば、この状態で既に詰みだ。そしてリディアは、この状態にまで持っていかれた事に関して内心で自責の念に駆られながら、しかし動揺する事はなく再び『分け身』を使用した。

 そして、自らの分身がナイトハルトを背から斬りつけようとしたところで、その刃が真横から防がれた。

 

「っと、残念。やらせはしないんだな」

 

 槍斧の刃で絡め取って防ぎ切ったライアスは、そのままナイトハルトと背中合わせになりながら言葉を交わす。

 

「申し訳ないっすね、軍人さん。囮みたいな真似させちゃって」

 

「フン、平時ならば猟兵の肩など持たないがな。今現在は、貴様に加勢するのが最も正しいと判断したまでだ」

 

「理解ある人でホント助かりましたわ」

 

 ナイトハルトという軍人は真面目一直線の頑固者ではあるが、決して目的を履き違えるような無能な人間ではない。

 今はただ、『リディアという障害を排除する』という目的を果たす為に動いており、その為にはライアスの加勢が不可欠である事くらいは彼が乱入して来た瞬間に理解していた。

 故に、不承不承ではあるが、この場では共闘を行う事を認めたのだ。

 

「チッ―――」

 

 この状態は拙い(・・・・・・・)。そう思ったリディアは無理矢理にでも引き剥がそうと力を込め始めたが、それを察したナイトハルトは、僅かも躊躇う事無くリディアの剣身を鷲掴みにした。

 士官以上の軍人に配布されるその手袋は防刃製ではあるものの、”外の理”で創られた剣に対しては流石に効果が薄い。徐々に刃が食い込み、肌を裂いて噴き出した血が滲み出て来たが、それでも剣身を掴む力は弱まる事はなかった。

 

「窮鼠扱いされた事には思う所はあるが、確かにその通りだ。確かに私達は貴様には及ばないだろうが……だが、それで我々が易々と負け犬に成り下がるとは思うな」

 

 戦場では、一瞬の油断が文字通り命取りになる。弱者が強者に叩き伏せられるのは常だが、弱者が常に敗者に成り下がるという方程式は成り立たない。

 時には息絶えたふりをして油断を誘い、背後から心臓を突き刺される事もある。打つ手がないと分かるや、体中に巻き付けた爆弾に引火させて自爆する輩もいる。物乞いに扮して暗殺を仕掛ける者もいる。

 弱者が全て、勝利を諦めた敗者ではない。己が弱者であると分かった上で、それでもなお”勝利”を掴み取るために足掻き続ける者も確かにいるのだ。

 

 そしてリディアには―――強者に囲まれて修行に明け暮れ、己より強い者に憧憬を抱いて一途に強者になった彼女には、そうした”弱者の矜持”への理解が足りない。

 己より実力が足りない者に対しても慢心をしない姿勢こそあるが、ただひたすらに負けられない戦いに挑んで限界まで足掻いた者らの強さを知るには、まだ経験値が足りないのだ。

 

 かくいうライアスも≪結社≫に属していた頃はそうであったから良く分かる。

 レイに推薦されて≪マーナガルム≫の前身部隊、≪強化猟兵 第307中隊≫に所属を移し、戦場を駆けるようになってからはその”現実”に目を見張ったものだった。

 例え戦車砲の集中砲火に晒されても、暴虐な軍による虐殺の憂き目に遭っても、それでもなお”生きよう”とする人間の執着心や覚悟はまさに窮鼠が猫、否、虎を噛み殺す事すら可能にする。

 

 ましてや、絶対に負けられないという確固たる意志を持った者ほど恐ろしい存在はいない。精神が肉体を凌駕するという、本来有り得ない筈の現象ですら、悪意と殺意が入り乱れる戦場では珍しくないのだから。

 

 

「レーヴェさんはそれを知っていた筈だ。あの人は、弱者が蹂躙される痛みを誰よりも知っていた。そして同時に、弱者の強さを誰よりも知っていた」

 

 

 ≪剣帝≫レオンハルト―――嘗て国家の陰謀の果てに最愛の恋人を亡くし、その犠牲を何より悔い、それに意味を見出そうとした彼は、何より奪われる側の痛みを知っていた。

 そして、恐らくは弟子である彼女にもそれを伝えてはいたのだろう。だからこそ彼女は、誰が相手であろうと慢心はしない、真っ当な武人となる事が出来たのだろうから。

 

 だが、その本質を知る為には口伝だけでは不明瞭だ。

 己の身で体験しなければ、その本質は理解できない。

 

 

「まぁ、そうね。アタシも経歴が経歴だから、分かるわよ、そういうの」

 

 言葉と共に、紫電が散る。

 ライアスが稼いだ時間でナイトハルトは傷を癒し、そしてサラは、体内に残る魔力全てを最後の一撃に使う為に暴発寸前まで練り上げていた。

 

「窮余の一策ってのは、まぁ威張れたものじゃないけれど、それは強者の想像を遥かに超えて来るものよ。―――今みたいにね」

 

 肌を焼き焦がすかのような程に高まった魔力を纏いながら、サラは地を蹴った。

 それを見たナイトハルトは、氣力を限界まで高め上げて剣ごとリディアの体を押し込んでそのまま背後に飛んで離脱した。同時に、ライアスも競り合っていた『分け身』の分身を全力で押し飛ばして、置き土産に背後を一閃してリディアの動きを更に一瞬遅らす。

 それでもリディアが体勢を立て直すのに掛かった時間は刹那のようなものだったが、今はその一瞬のタイムロスが何よりも重要だった。

 

 

「『オメガ―――エクレール』ッッッ‼」

 

 強大な閃光が弾ける。ブレードが三閃し、その度に放たれた斬線が膨大な量の雷光を纏ってリディアの体を焼き切りにかかった。

 

「甘ぇんです―――よッ‼」

 

 だが、リディアの剣の一閃と共に顕現した白い颶風がそれを掻き消す。

 戦技(クラフト)・『零ストーム』。≪剣帝≫が愛用した魔力を無効化するその技は見事にサラの切り札を打ち破ってみせたが―――しかし。

 

「甘いのは、アンタよ」

 

 ボロボロになったサラが、その颶風の中心を突き切って斬り込んで来る。

 そしてそのまま、至近距離まで肉薄すると、導力銃の中に一発だけ装填された、凝縮された雷の魔力を内包した弾丸が放たれる。

 今度は『分け身』ではない、本体への直接的な攻撃。捨て身の覚悟で放たれたそれは、発砲と同時に実際に雷霆が落ちたかのような轟音と衝撃を響かせ、両者共を吹き飛ばした。

 

「かはッ……‼」

 

「ッ……‼」

 

 ”準達人級”三名による同時連携攻撃。さしものリディアも回避が間に合わず、左眼の上部分と左肩辺りの皮膚が裂け、鮮血が飛ぶ。

 対するサラは、制御不能一歩手前の膨大な魔力を抑え込んでいた結果、体中のあらゆる箇所に傷を作り、更に『零ストーム』の中を突き切って来た影響でそれが開き、既に満身創痍の有様だった。

 

 しかし、それでも立っている。少しでも押せば頽れてしまいそうな重症だというのに、それでも目から生気は失われておらず、武器も落とさずに構えたままだ。

 特攻にも似た無謀な突撃ではあったが、事実リディアはこうして傷を負った。出血の方は氣力の操作で止める事が出来たが、盛大に噴き出した額からの血は、完全に左目を覆ってしまっていた。

 

「……浅かったわね。殺れるとは思ってなかったけど……腕の一本くらいは、道連れにできるかと思ってたのに」

 

「…………どうして」

 

 リディアの口から疑問が漏れる。自戒の念や憤懣から来たものではなく、ただ単純に、武人の一人として答えを聞きたかった疑問。

 

「どうして、そこまで自滅覚悟で向かってくるんですか。大人の意地ってーのは、そこまでして貫くモノなんでやがりますか?」

 

「……そうね。アンタが思ってるよりも単純なのよ、アタシ達(大人)は。さっきは生徒の前で倒れられないとか……そんなカッコ付けた事言ったけど、ホントは、違うのかもしれないわね」

 

「え……」

 

「アイツの横に立つのに相応しい女になる為には―――アンタ達(達人級)に負けてくたばるようじゃ話にならないのよ‼」

 

 サラの脳裏を過るのは、帝都での騒乱の際に”戦乙女(ヴァルキュリア)”の一人、ルナフィリアに言われた言葉。

 『私程度の相手に梃子摺っているようでは(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)貴女の願望は成就出来ないと知りなさい』―――その重々しい事実は、確かにサラの心の奥深くに突き刺さっていた。

 

「アタシはまだ立ってる。まだ戦える。―――さぁ≪剣王≫、この首取れるモンなら取ってみせなさい‼」

 

 満身創痍の状態で吼えたその圧に、一瞬だけ気圧された。

 弱者の意地、弱者の矜持。―――あぁ確かに、自分がそれを理解するにはまだまだ経験が足りないのだろう。

 ”帝”の後継者として”王”の名を戴いたのも、所詮はただの僭称だ。こんなにも、ただ一途に「負けられない」という渇望を抱く者の強さを推し量る事が叶わなかったのだから。

 

 だが、それを返上する気は毛頭ない。

 至らないのは確かだが、要はその異名に相応しい武人に成れば良いだけの事。

 

「(此処で退いたら―――お師匠様に草葉の陰から幻滅されやがりますね)」

 

 故に、その覚悟に応えなければならない。

 そう思い、再び剣を構え直した瞬間、不意に脳内に念話が飛び込んできた。

 

 

『あーあー、聞こえる? 聞こえてる? リディアちゃん』

 

「(……聞こえてやがりますが、何の用ですか変た……ルシードさん)」

 

『あ、君を以てしても僕って変態なんだ。まぁ、気の強い美少女にそう呼ばれるとか僕らの業界ではご褒美でしかないけどね‼』

 

「(早々に死んでもらった方が公害要因が一つ減るから良いと思うんでやがりますけどね」

 

 使い魔を介して念話を飛ばして来たのは、≪結社≫の≪執行者補佐(レギオンマネージャー)≫にして≪使徒≫第二柱の補佐官を務める男、ルシード・ビルフェルト。

 つまるところ、リディアの一応の上司に当たる人物ではあるのだが、諸事情により尊敬し辛い人物でもある。

 

『おうふ、ありがとうございます‼ ―――ま、冗談はさておき、そろそろ退いて貰えないかな?』

 

「(……冗談が続いてるようでやがりますね。ここで退けと? 私に?)」

 

 基本リディアは自由奔放な者が多い≪執行者≫の中でも命令には従う従順さを持っているが、今この時に際してはそれに同意する事はできなかった。

 今向かい合っているのは、掛け値なしの本物の覚悟を持った武人だ。元々はただの足止めの任務で会った事は理解しているが、ここで退く事は即ち、「逃げる」事になってしまう。

 

『うん、まぁ君の言いたい事は分かってるつもりだし、個人的に言えば決着くらいは着けさせてあげたいと思うんだけどね? そうも行かなくなったのさ』

 

「(……このタイミングでって事は、ザナレイア先輩の方で何かありやがったんですか)」

 

『ご明察。≪マーナガルム≫の≪二番隊(ツヴァイト)≫隊長と副隊長がライアス君を回収しに来るから、君は早くそこを離れた方が良いと思ってね』

 

 その情報に、リディアは内心で舌を打った。

 幾ら彼女でも、≪鮮血鏖女(ヴェンデッタ)≫に≪蒼刃(ブラウスパーダ)≫、そして≪紅金の天砕(テラー・ザ・ブレイク)≫の三名を相手にして勝利するのは難しい。一人くらいは道連れにする事はできるだろうが、それは勝利ですらない事くらいは理解している。

 

「……しょーがねーですね」

 

 辛うじてその言葉を絞り出したのと同時に、どこからともなくルシードの使い魔(ファミリア)である猫、ケット・シーが現れ、リディアの近くに寄ると、すぐさま移動用の魔法陣を展開した。

 

「申し訳ねーです。上の方から帰って来いと言われましたんで、お別れでやがりますよ」

 

「……そう」

 

 サラとしても、ここで対決を続けた所で敗れるのがどちらかなどという事は聞かずとも分かっていた為、引き留めるどころか挑発をする事もなかった。

 そしてそのまま、不機嫌そうな顔のまま去って行くかと思いきや、リディアはサラ達に向けて律儀に一つ頭を下げた。

 

「敵同士でやがりましたが、その矜持と覚悟は尊敬に値するものでした。―――いずれまた、どこかで」

 

 そう言って光と共に消えていく少女の事を見ながら、サラは膝をついた。

 いずれ必ず、自分はあのような”達人級”の武人に自力で勝利しなければならない日が来る。あの閃光の騎士に勝つには、まだまだ力不足なのだと思い知った。

 

 先は長い。そう感じながら彼女は、薄れようとする意識を何とか保ち、ポケットの中に携帯していたテイア・オルの薬を取り出すと、口に含むより先にそれを頭から被った。

 水滴が頬を伝って患部に染み渡る感触を感じながら、しかし悔しさのあまり強く唇を噛んでいた彼女の表情を窺う者は、幸か不幸かいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八葉一刀流初伝、リィン・シュバルツァー。

 師であるユン・カーファイからその剣術の端を教わりながら、しかし師によって修行を打ち切られた身。―――つまるところ、未熟者だ。

 

 それ自身、本人も自覚をしていたし、だからこそ強くなろうという向上心をただひたすらに抱いて来た。

 自らの目指す剣の道にすら迷っていたその不甲斐無さを看破し、発破を掛けてくれた事に端を発し、沸き立つ向上心を一度も否定せず容赦なく鍛え上げてくれた友への感謝。

 そして、一緒にいて欲しいと願って、それを受け入れてくれたクラスメイトの存在。リィンが悩んでいた時はいつも相談に乗ってくれた、アリサ・ラインフォルトという少女に対する感謝。

 その他にも、仲間として過ごしながら切磋琢磨し、これまで様々な試練を共に潜り抜けて来た者達への感謝など、彼は今まで、様々な人達の恩恵を受けて強くなってきた。

 

 それこそ―――初伝の剣士の枠を大きく逸脱する程度には。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣身が蛇腹のように分かれて襲い掛かる奇異な剣。それが”法剣”と呼ばれる特殊な剣である事は既に聞いていたが、実際に自分が相対してみると、実に戦い辛い事を理解する。

 元より、分裂した剣身を自在に操る技量があるという時点でそれを扱う者の実力もある程度は察せられる。だが、通常の剣とは違う軌道を描くその剣筋に、リィンは追いついてみせていた。

 

「っ―――」

 

 戦っている場所は、『列車砲』格納庫の限定された足場。それも、先程の大規模な攻撃によりただでさえ狭い一本道の途中が破壊され、一対一で戦う事を余儀なくされていた。

 しかし、それが不利だとは思わない。2機の大型汎用人形兵器と共にこの人物の相手をする労力に比べれば、多少戦場が限定されていても一対一で戦える事の方が魅力的だ。

 

「……フフ。思っていた以上にやるじゃない」

 

「それはどうも。鬼のように鍛えられた甲斐がある」

 

 現在、エマとマキアスの頭脳派コンビは一足先に『列車砲』の操縦席に乗り込み、多少なりとも造詣があるミリアムと共に自動操縦モードの解除に尽力している。

 フィーはしようと思えば加勢できるポディションにいたが、何分足場の悪い中での無理な加勢は状況を悪くする場合もある為、解析組の護衛に甘んじていた。

 彼らがその役目を負う事が出来るのは、偏にリィンに対する信頼感の表れだ。今の彼ならば例え援護がなくとも勝てると、そう思ったからに他ならない。

 

 そしてその信頼通り、リィンは今まで鍛え磨いた剣の腕を如何なく発揮する。

 

 奇妙な軌跡を描いて襲い掛かる剣先をギリギリまで迫らせてから紙一重で回避しながら、その回転のままに納刀していた太刀を抜刀してカウンターを叩き込む。

 八葉一刀流・伍の型『残月』。―――先手ではなく、後手の剣術であるそれは、相手の攻撃を読み切る技量が問われるため、八葉一刀流の型の中でも習得が難しいとされている。

 その”入り”はほぼ完璧だったが、その太刀の一閃は手元に引き戻った法剣の刃によって防がれる。

 

「―――フッ‼」

 

 しかし、その程度は想像通りだ。今までレイやサラを相手にこの手段が一体何度失敗したかも知れない。

 攻めの手段の一つが失敗したとあらば、すぐさま次の攻撃手段に移る。失敗した理由を思考している時間など、一秒たりとも存在しない。

 神経を、思考を、体内に存在するあらゆる感覚器官を研ぎ澄ませる。己の内に眠る”力”には頼らず、ただ純粋に一介の剣士としてのリィン・シュバルツァーで勝利を掴み取らなければ意味がない。

 

「ホラ、足元がお留守よっ」

 

「っと‼」

 

 するとスカーレットは一度引き戻した剣身を再び戻し、今度はリィンの足元を掬いに来た。

 この限定された空間内で転ばせられれば、その時点で詰みだ。跳躍して躱そうかと思った直後、それが悪手だと判断する。

 少しでも足が地面から離れれば、当然の事ながら剣士にとって一番重要な踏ん張る力はゼロになる。いつもの士官学院のグラウンドのような場所であれば躱した後に防御し、吹き飛ばされるだけで済むのだが、如何せんこの場でそんな真似をすれば運が悪ければ格納庫の最下層まで落下してしまう。そうなれば、即死は免れないだろう。

 

 故にリィンは―――下段に降ろした太刀の刀身に法剣の剣身を絡ませる事でその刃が足に届く事を防いだ。

 

「っ……中々大胆な真似をするわね、ボウヤ」

 

「生憎、ウチの戦技教導官は滅茶苦茶な試練を課すのがお好みでね。大胆な真似の一つや二つは出来ないと「進歩がない」って怒られるんだよ」

 

 ギチギチと、全力で握り締める太刀の刀身から嫌な音が響く。

 鋼と鋼が永遠に擦れるようなその擦過音は耳に入れて好ましい音では決してなかったが、この音が断続的に響いている内は、スカーレットも自由に法剣の伸縮が叶わない。

 

 その状況を見てフィーが動こうとしたが、膠着状態が続く中でその立ち位置だけは好ましいとは言えず、平たく言えばスカーレットの姿がリィンの陰に隠れてしまっていた。

 通路を分断してしまった穴を乗り越えて加勢する事も考えたが、操縦席での自動制御モードの解除がもうすぐ終了するこの状況で持ち場を離れて、よしんばまだスカーレットが隠し玉を仕込んでいた場合、全てがパァになる。

 考え過ぎだという思いは勿論あったが、一歩間違えれば隣国が焦土と化すこの状況下。念には念を入れておいて間違いではない。

 

 そうした思惑で動かなかったフィーに感謝をしながら、しかしリィンは刀身から嫌な感触が伝わってくるのを感じた。

 

「(くそっ……やっぱり限界が近いか)」

 

 ローエングリン城で相当無茶をしたせいか、ガレリア要塞に入る前までには太刀の耐久度はほぼ限界に近かった。

 刃毀れをした刀身を研ぎ上げてどうにか切れ味は取り戻せたものの、素材の玉鋼の摩耗は如何ともし難く、そこに来ての今回の連戦で寿命が来てしまったのだ。

 そしてそれをいち早く察したリィンは、それでも大きく動揺する事はなく―――寧ろ自らその状況を利用しにかかった。

 

「それじゃあ、もう一つ無茶をさせてもらう」

 

「何を―――」

 

 直後、太刀の刀身に真紅の焔が灯る。

 ユーシスやアリサのように魔力制御にはそれ程長けていないリィンはアーツを武器に纏わせるという戦法を取る事は叶わないが、それでも得意とする火属性の魔力の制御は及第点には達していた。

 それこそ、制御できる限界ギリギリまで放出する事によって戦技(クラフト)の『業炎撃』や、必殺戦技(Sクラフト)の『焔ノ太刀』などの技の威力も入学当初に比べて格段に向上した。

 

 だが今回は、敢えてその魔力制御を一時的に放棄する。

 

「「常識を超えた先に進化がある」っていうのが、友人の言葉でね‼」

 

 熱波だけで火傷をしそうな程の火属性の魔力が、際限なく刀身に注ぎ込まれる。

 その魔力に耐え切れずに罅が入る愛刀に対して心の中で幾百もの懺悔をしながら、しかし確実に勝利を捥ぎ取る為に止める事はない。

 そして遂に、刀身が灼熱を持ったままに、破裂した。

 

()っ―――‼」

 

 その際に、細かく破砕した刀身は、魔力に弾かれるようにして前方へと飛んで行った。

 スカーレットは咄嗟に防御の姿勢を取ったが、それでも防ぎきれなかった灼熱の刃が肌を裂き、焼く。

 その激痛に一瞬だけ怯んだ時、勝敗は決していた。

 

 

「―――八葉一刀流、八の型『無手』」

 

 それは、八葉一刀流に伝わる、剣を喪失した際に振るう唯一の”格闘術”。

 リィンは熱波の中を掻い潜り、肉薄した後に軸足を固定し、右手を掌底の形に保ったまま、スカーレットの鳩尾目掛けてその一撃を見舞った。

 

「か―――はっ……」

 

 体をくの字に折れ曲がらせて吹き飛び、申し訳程度に設置されていた落下防止用の金網に叩きつけられるスカーレット。

 リィンにとっては、八葉の型の中でも特に馴染みの深いこの型は、嘗てユン・カーファイ老師に師事をしていた時に最も徹底的に叩き込まれた技でもある。

 最近はとんと使っていなかった技ではあったが、それでもやはり修行時代に叩き込まれた技術は体に刻み込まれて覚えており、自分でも驚くほどスムーズに一撃を入れる事が出来た。

 

「はっ、はっ……」

 

 それでもやはり、無茶をしたツケは回って来る。

 魔力の欠乏と太刀を失った精神的な痛みが、息を切らせた。

 しかし休む間もなく、ポケットにしまっていたARCUS(アークス)が振動する。リィンは力の抜けた手でそれを操作し、耳元へと持っていった。

 

『リィン⁉ 大丈夫? 生きてる⁉』

 

「……随分な言い草だな、アリサ。とりあえずまぁ、生きてるよ。状況的に一騎打ちしか出来なくて、勝ちはしたけど疲れた」

 

『はぁ……また無茶したわね。レイの魂が乗り移ったんじゃないの?』

 

「この程度の無茶じゃ、まだまだ届いたとは言えないさ。―――だけど、こうして連絡して来たって事は、『列車砲』は―――」

 

『えぇ、何とか止められたわ。……とりあえず、帰ったらシャロン経由で母様に文句言う方向で。あなたも付き合って頂戴』

 

「拒否権はないんだろう? こっちの『列車砲』は―――」

 

 そこでリィンが振り向くと、操縦席にいたマキアスが安堵した表情を浮かべながら頷いていた。分断されていた場所を飛び越えてやって来たフィーも、無言のまま親指を突き立てている。

 

「……こっちも無事だよ。後はサラ教官たちに連絡をつけなくちゃな」

 

『あ……それなんだけど』

 

 アリサは僅かばかり言いにくそうに言い澱んでから、しかし嘘を混ぜる事もなく続けた。

 

『教官たちのARCUS(アークス)に連絡がつかないのよ。何かあったと見るのが妥当でしょうね』

 

「そう、か。それじゃあ誰か向かった方が良いかな?」

 

『あぁ、それなら大丈夫よ。ラウラが行ってくれたから』

 

 その人選に、リィンも納得した。

 B班の面子ならば、ラウラかガイウスかのどちらかが残っていてくれていれば戦力的に問題はないだろう。加えて彼女ならば、道中で人形兵器の討ち漏らしに遭遇しても単身で切り抜けられる実力がある。

 

「了解。それじゃあそっちも拘束の準備を―――」

 

「ッ、リィン、伏せて‼」

 

 最後の一言で締めて通信を切ろうと思ったところで、フィーがそう言いながらリィンの頭を抑え付けた。

 直後、それまでリィンの頭部があった場所に、一発の銃弾が飛来する。

 

「なっ⁉」

 

 思わず驚愕の声を漏らすリィンとは裏腹に、フィーはその弾丸を放った人物に向けて躊躇いなく発砲した。

 

「ぐっ‼」

 

 足を撃ち抜かれて転げ落ちたのは、先程無力化させたはずの戦線の構成員の一人。

 そして、立ち上がっていたのは一人だけではなかった。

 

「っ……」

 

「同志≪S≫、早く行け‼ 必ずや同志≪V≫と合流して、あの男に鉄槌を下してくれ‼」

 

 彼らが立ち上がったのは、恐らく執念とも呼べる気力が肉体の負荷を上回ったからだろう。覚束ない足取りでありながら、しかしその声色には仲間に悲願を託す意志が込められていた。

 

「……えぇ、分かっているわ。貴方達、女神の下で会いましょう」

 

 すると、それに呼応するように気絶していた筈のスカーレットも起き上がる。

 その状況に、フィーが僅かに眉を顰めた。

 

「迂闊だった。……戦場ではこういうのが一番怖いのに」

 

 銃の銃口をテロリストとスカーレットの両方に向けながらフィーが漏らした言葉に、しかしリィンは納得してしまった。

 その意味と状況は違うが、リィン達はこうした意地を今まで何度も見せて来た。弱者の意地という、弱くも重い強固な意地を。

 

 すぐに異常を察してマキアス達が操縦席から飛び出して来たが、その瞬間に死を覚悟した決死の気迫でテロリストたちが斬りかかって来る。

 その攻撃はアガートラムの体とマキアスの防御アーツに阻まれたが、その隙をついてスカーレットが離脱する。

 それを目で追いながら、しかしリィンはその追撃を指示しなかった。……否、出来なかった、と言うべきか。

 

「あっ……‼」

 

「こ、コイツら……」

 

 異変に真っ先に気付いたのはエマとマキアス。

 死ぬ気で抵抗していたテロリストたちが、突然口から大量の血液を吹き出して次々と倒れて行ったのである。

 リィンは何とかまだ動く両足に鞭を打って割れ目を飛び越え、倒れた者達に近づく。

 

「フィー、これは……」

 

「……経口性の強力な神経毒。多分自決用に最初から口の中に含んでたんだと思う」

 

「そ、それって……」

 

「比喩でも何でもなくて、ホントに最初から死ぬつもりだったんだね」

 

 生きて捕えられれば、戦線の情報を聞き出すためにあらゆる尋問が行われるだろう。

 口を割らない、という不退転の決意を持っていたのだとしても、彼らは万が一の事まで考慮に入れて、生きて捕縛される前に自ら命を絶ったのだ。

 

「蘇生は?」

 

「もう無理。このタイプの毒は摂取してから1分以内に適切な処置をしないといけないけれど―――」

 

「ここ、救護用具とかも近くにないしね。残念だけど」

 

 その、どうにもならない事実を突きつけられて、リィンは人知れず歯噛みをした。

 確かにスカーレットとの勝負には勝ったが、それでも結果的には敗北したも同然だ。目の前で人命が失われるという事自体は覚悟はしていたが、それでも今回もまんまと逃げられてしまった事そのものが更に不甲斐無さを増長させる。

 

「(強くなりたいのは本当だし、強くなれた実感もある。……でも、結果の残せない強さに何の意味が……)」

 

 愛刀を失ってまでこぎつけようとした勝利にまたしても手が届かなかった事に心の痛みを感じていると、スカーレットと≪V≫を回収した飛空艇が空中に停滞したまま音声を投げかけて来た。

 それが勝利の宣誓のように聞こえ、悔しさを倍増させながらも、彼はただ、せめてもの矜持を示すため、立ったままその言葉に耳を傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リィンの思惑に反して、ラウラは人形兵器の残党に遭遇する事もなく、先程通った道を辿って要塞内部を進んでいた。

 それでも大剣は携えたままに、しかしスピードは落とす事無く、迷路のような廊下を記憶を頼りに進んでいく。

 その道中で全身を銃撃の標的にされて斃れていた者達を何人か見かけたが、その度に胸の内に細い棘のようなものが刺さる感触が感じられた。

 

「(同情などは寧ろ侮辱だとは分かっているが……やはり慣れぬな)」

 

 ラウラも剣を握る剣士である以上、いつかは人を斬るという事態に遭遇する可能性は多分にあり、それを本人も覚悟していた。

 しかしいざ、人の骸を前にすると、己が手に掛けたわけでもないというのに一抹の罪悪感が湧き上がってくる。

 もし自分達がもう少し早く行動していれば、もしかしたらこの人物は死なずに済んだのではないか、と。

 

「(馬鹿な……いい加減にしろ‼)」

 

 だが、それは叶わない現実。意味のない仮定だ。それと同時に傲慢の表れでもある。

 悼み、涙を流す事はあれど、それを己の責任のように全てを背負い込むのは違う。そうでなければ、ラウラは幼い頃の無力さですら、途轍もない罪悪として捉えてしまうだろう。

 それは彼が望まない。望むはずがないと思いながら走っていると、要塞の正面口が見えて来た。煙に混じって陽光が差し込むその中に、ラウラは躊躇う事無く飛び込む。

 

 

「サラ教官‼ ナイトハルト教官‼ ご無事で――――――」

 

 安否を確認する声を挙げようとしたその時、しかしラウラの声帯はそれ以上の声を発する事ができなかった。

 正面口に刻まれた惨々たる破壊の痕跡に絶句したのではない。自らの教官がボロボロになっている姿に動揺したのでもない。

 

 ただその近くに居た人物の姿を見て、全身が硬直してしまったのだ。

 

 

「ぁ――――――」

 

 今まさに屋根部分のない重厚な黒の塗装の車に乗り込んだその青年の姿。

 そんなわけはない、人違いだと訴える心の声が次第に大きくなるのを聞き、それでもなお、ローエングリン城で引きずり出された記憶に嘘を吐かせる事はできない。

 艶やかな金髪と紅い瞳。背丈も伸びてあの頃とは見違えて大人っぽくなったものの、しかしその横顔には確かに面影があった。

 

「ライ、アス…………ライアスッ‼」

 

 思わず声を荒げて呼びかけると、その青年はラウラの方を振り向き、その直後、驚愕の表情を浮かべていた。

 そしてその反応を見て、ラウラはやはり間違っていなかったのだと確信する。

 家が没落し、行方不明だと伝え聞いた時に無意識に思い出を封じ込めてしまったその姿。嘗て共に立派な騎士になろうと誓い合ったその少年は、ちゃんと生きていた。

 その事実だけでも感無量であり、自然に目元から涙が一筋垂れ落ちるのを感じると、今度はライアスの口が開く。

 

「ラウラ? ―――ラウラか⁉」

 

 その言葉に、ラウラは大きく首肯する。そして駆け寄ろうとしたその時、無情にも車のエンジンがかかった。

 

「ちょ、アレクさん⁉」

 

「悪いなライアス。俺個人としてはここで感動的なシーンを見届けてやりたい気持ちはあるんだけどよ、時間切れだ」

 

 運転席にいたアレクサンドロスの言葉通り、演習場方面から複数の大型戦車の駆動音が徐々に要塞方面に近付いてくる音が聞こえた。

 ラウラはその正体を知っている。恐らく第四機甲師団の精鋭が、無人戦車を掃討して救援に駆け付けたのだ。

 

「でもッ‼」

 

「諦めなさい、ライアス。今この場に留まり続ければ、団長やレイ様にもご迷惑が掛かる。―――それが分からない訳はないでしょう?」

 

 それでも食らいつくライアスを、今度は後部座席に座っていたエリシアが冷静に窘めた。

 彼らにとって、自分達を目撃した人物は少なければ少ない程良い。≪鉄道憲兵隊≫の面々やナイトハルトなどは加勢を恩に着て情報は漏らさないと約束してくれたが、流石に正規軍の機甲師団に口を閉じさせるのは容易い事ではない。

 ライアス自身もそれを再確認し、歯軋りの音を鳴らせた後、後部座席の上に立ってラウラを見据えた。

 

「ラウラ‼ いつか絶対、きっと全部話す‼ だから、もう少しだけ待っててくれ‼」

 

「待―――」

 

「アレク、出しなさい」

 

Jawohl(ヤ・ヴォール)‼」

 

 ラウラが引き留めようとする声も間に合わず、エリシアの言葉に声を返したアレクサンドロスがアクセルを踏み抜き、そのまま猛スピードで要塞の敷地内から離脱してしまった。

 最後に見たライアスの悔しそうな顔と、後部座席からラウラの方を見たエリシアの申し訳なさそうな表情が脳裏に焼き付いたまま、ラウラはその場で膝をついた。

 車が巻き上げた砂埃も気にならずに去って行った方向を見続けるラウラに、覚束ない足取りのサラが近づいた。

 

 

「……無事でよかったわ、ラウラ。アンタが来てくれたって事は、上の皆も無事ね?」

 

「はい……」

 

「……知り合いなの?」

 

「えぇ……」

 

 ラウラはいつもの凛然とした様子とは打って変わって、力の籠っていない声で答えた。

 

「会えた……漸く会えたのに……」

 

 半ば放心状態に陥ってしまったラウラを、サラは優しく抱きすくめる。

 その腕の中で声を漏らさずに涙を流しながら、ラウラは運命を祝福し、同時に恨みもした。

 

 嘗て満面の笑みを浮かべていたその見目麗しい貌に浮かんでいたのは、痛々しい表情。

 それを浮かべさせてしまったのが他ならない自分自身だと理解してしまい、その不甲斐無さの感情が彼女の涙を堰き止める事が出来ない原因となって、胸の内に残り続ける事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





Q:何でSクラの『オメガエクレール』を『零ストーム』が無力化してんだよ。
A:マジレスすると放った斬撃が魔力由来のモノだったから。ホントに零ストは禁忌技な。


 というわけでガレリア要塞編はこれにて終了です。

 読者の方の中には、リィン達は強くなった筈なのに原作と結果が同じでつまらん、と感じる方もいるでしょう。えぇ、それについては申し訳ありません。
 ですが、リィン達には「たとえ個人の武力がそこそこ強くなれたとしても、それが直接”勝利”には結びつかない」という事を理解してほしかったので、こういう形に帰結しました。
 試練が終われば、また次の試練が顔を出す。無間地獄ですね分かります。

 そして最後。正直この場面をやるかどうかは最後まで悩んだのですが、思い切って書きました。お蔭で文字数18000字オーバーですよ。
 アリサよりヒロインしてるな。ラウラ。


 それでは今回ご紹介するイラストは≪執行者≫No.XⅦのリディアです。

 
【挿絵表示】






 明日は節分ですね。戯れに節分用のイラストも描いてみたので、明日活動報告に載せます。良ければ覗いて行ってください。

 それでは、次回からクロスベルに戻ります。またお会いしましょう。


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災禍の摩天楼 前篇  -in クロスベルー






「所詮 この世は弱肉強食 強ければ生き 弱ければ死ぬ」
      by 志々雄真実(るろうに剣心)








 

 

 

 

 

 

 ―――8月31日 11:30 

 

 

「……成程、警戒を強める可能性が高くなったという訳か」

 

「えぇ、まぁ。支援課や捜査一課から既に聞いているかと思いますけど、タワー内部の図面が外部に流出した以上、何が起きるかなんて簡単に予想できますし」

 

 オルキスタワー34階休憩室。つい先程までは各国の関係者や報道陣などでごった返していたこの場所も、会議開始の2時間前となった今は準備のためそれぞれに割り当てられた部屋に戻り、閑散としていた。

 そんな中、最後の短い休憩時間をゆっくり過ごそうと思ってこのラウンジにやって来たレイは、同じく休憩を取っていたアリオスと鉢合わせし、情報交換を行っていた。

 

「……お前の話によると、確か≪帝国解放戦線≫はラインフォルト社製の高速飛空艇を所持しているんだったな」

 

「何機所持してるかまでは流石に分かりませんけどね。ただまぁ、乗り込んでくるとすれば空からでしょ」

 

「ベルガード門の警備システムは通用すると思うか?」

 

「……率直に言って無理でしょうね。ラインフォルト社の最新式が、そんじょそこらの対空装備に捕えられるとも思いません」

 

 自販機で購入したアイスコーヒーを喉に流し込みながら、レイは忌憚なくそう言った。

 警備隊の練度を貶しているわけではないのだが、今は完全に客観的な視点から冷静に戦力を分析して判断をしている。

 たかがテロリストと侮るのは危険だ。帝都の一件ではクレアの先読みがなければ皇族二名の命が危機に瀕する可能性もあった。仕込みを加えられていた期間も考えると、かなり用意周到に計画を組んでいる連中だと推測するのが妥当である。

 

「んで、その顔を見るに共和国方面でも面倒臭い事になってるみたいですね」

 

「あぁ。ロックスミス大統領の移民受け入れ運動に反対する反移民政策主義者がこのところ活発に活動を始めている。東方人街に被害が及んでいないのは≪黒月(ヘイユエ)≫に対しての警戒心からだろうが、無視しておくには余りにも規模が大きい」

 

「言論の自由がある程度認められてる民主主義国家の弊害ってやつですかね。ま、そういう輩が生まれる可能性をあの大統領が予想していなかったとも考え辛いですけど」

 

 カルバード共和国という国家が建設したのは約100年前と歴史は浅いが、建国当初から東方からの移民を受け入れる政府と移民受け入れに反対する勢力との小競り合いは存在していた。

 幅広い文化を形成する国家と言えば聞こえはいいが、要は国民全体が一枚岩ではないとも言える。それは帝国にも言える事なのだが。

 

「お前もそう思うか? あの大統領が只者ではないと」

 

「そりゃそうでしょ。自分の直轄下に諜報部隊を置いてあれこれ画策してる人間がただの好々爺だって聞かされて信じられるワケないです。ありゃあギリアス・オズボーンとは違うタイプのヤバい人物でしょうね」

 

 ラウンジに人影はなくとも盗聴器が設置してあった場合に配慮して、聞きようによっては称賛とも取れる言葉でそう言い表す。

 

「政治家ってのはああいう裏を読ませない感じが重要なんでしょうねぇ。腹に一物持ってなきゃやってらんないでしょ」

 

「何やら含みのある言い方だな。留学中に何かあったのか?」

 

 アリオスの察しの良い言葉に、レイは苦笑いを漏らす。

 政治家とは少し違うのだろうが、まさにそんな、”腹の内を読ませない”人物には確かに出会った。

 ルーファス・アルバレア。貴族の権威を振り翳す浅薄な者達が多い中で、”本物”と言って差し支えのない対人心理のプロ。バリアハートに赴いた際に良いように転がされてしまった苦い経験を思い出し、レイは笑うしかなかった。

 

「ああいう人間と相対すると改めて自分の無力さを思い知るんですよねー。個人戦闘力が幾ら強くても、そんなモン、テーブル跨いだ舌戦の場に於いては意味ないですし」

 

「それが理解できているのなら成長の見込みがまだまだあるという事だ。特に若いお前は、な」

 

 その言葉には、レイを激励する意味合いの他に何か別の感情が入り混じっているようにも感じたが、レイは敢えてそれを指摘しなかった。

 それでも一言感謝の言葉を述べていると、ラウンジの扉を開けてもう一人人物が入って来た。

 

 

「……およ? 熊ヒゲ先生じゃないっすか」

 

「ん……? おぉ、レイ君じゃあないか。久し振りだね。留学先でも上手くやっていけているようじゃないか」

 

「あれ? それ誰から聞いたんすか?」

 

「あぁ、先程オリヴァルト殿下と顔を合わせた際にね。殿下は君の事を絶賛しておられたよ」

 

 はっはっ、と鷹揚に笑う大柄な男性―――イアン・グリムウッドはそう言うと自販機でレイと同じアイスコーヒーを購入し、そのカップを手に持って手頃なイスに着席する。

 

「正直に言うと君がクロスベルを離れると聞いた際は少し残念だったんだが、それでも留学先で上手くやれているのならそれに越した事はない。若者の成長は、いつ見ても眩しい限りだよ」

 

「所詮俺もただのガキっすよ。上手く行かない事なんて腐る程ありますしね。現在進行形で」

 

「それでいい。悩み、試行錯誤して道を選べるのは若者の特権だ。私みたいに歳を食うと、選択肢もなくなって窮屈な道を進む事になる。今の内に、自分の可能性を拡げると良い。

 そういう意味では、このクロスベルという地は君にとっては狭かったのかもしれないな。そうだろう? アリオス君」

 

 話を振られたアリオスは一瞬だけ目を見張ったが、すぐに薄く笑った。

 

「そうですね。―――レイ、お前の表情を見ている限り、留学の選択は正しかったのだろう。あちらで存分、お前の知りたかった”答え”を探してくるといい」

 

 普段不器用なアリオスにしては珍しく、衒いのない真っ直ぐな言葉を投げて来る。

 とはいえ、アリオスもまだ30に年齢が届いたばかりである。歳を食うと表現するにはまだ些か若い事を思い出すと、思わず失笑が込み上げてしまう。

 

「了解っす。―――っと、もうこんな時間か」

 

「何か用事でもあるのかね?」

 

「えぇ、まぁ。護衛職の人間は正午までに35階の関係者控室に集まらなきゃならなくて。遅れたらお堅い武官達に睨まれる羽目になるんですよ。何せ下っ端なモノで」

 

 この言葉は、半分真実で半分嘘だった。

 集合時間と場所の云々は本当だが、下っ端である為睨まれるという事はない。

 レイが懸念しているのは普段から帝都に在駐している武官達の事で、基本的に彼らはプライドが高い。通商会議前日までレイが気を遣ってやっていたのが彼らである。

 そして今回、彼らは宰相や殿下の控室の護衛に回っている為、国際会議場の警備はミュラー率いる第七機甲師団の精鋭達で固められている。此方の方はミュラーが先に話を通しておいてくれた為、比較的関係は良好なのだ。

 

「そんじゃ、お二方も頑張って下さい」

 

 とはいえ、それでも予定を無視して良い事にはならない。

 レイは二人に向かってそう言うと、ラウンジの扉を開けて外に出る。

 

 

「…………」

 

 探ろうか(・・・・)とも考えたが、室内にいるのはあのアリオスだ。自分程度の隠形では見破られる可能性が高いと判断し、レイはそのまま廊下を歩いて行く。

 

 自分の可能性を拡げる―――その言葉に、自虐にも似た感情が芽生えてしまう。

 以前の彼ならば、そうした考えに迎合する事はなかっただろう。彼は己が背負った後悔と贖罪を果たすためだけに生き、目の前で無惨に死んでいった者達の価値を証明するためだけに剣を振るって来た。

 故に、戦う事が存在意義だった。その意志が揺らいだ事などなかった筈なのに。

 

「(随分と……影響されたなぁ)」

 

 絆される事などなかった筈の人生の中に、例外が多く紛れ込み過ぎた。

 好きな女性ができた。背を預ける事が出来る仲間ができた。親しみを向ける友ができた。その全員が為すべき事を成すために真っ直ぐに生きる姿を見て、釣られて自分も真っ直ぐに生きている事がある。

 それが辛いとは思わない。寧ろ幸せに感じる日々ではあるが、それでもやはり、剣を取る起源となったこの生き方だけは、変える事が出来ていない。

 

「(自分の不器用さが恨めしいなぁ……)」

 

 もし自分が物事に頓着せず、新しい人生を生きる事が出来る人間であったならばこんな思いはしなくて済んだのだろう。

 だがそれも叶わない。聖遺物(レリック)の呪いが己の体の成長を阻害しているのと同時に、その精神の根本的な部分までもが過去に縛られてしまっている。

 不器用・器用という問題では済まないというのが本当のところではあるのだが、それでもレイは己の未熟さを嘆く。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()であると、信じているが故に。

 それが背負えないという事実が、呪いの影響など関係なく、ただ己の器量の小ささの表れであると、そう信じている。

 

 そういう意味では、不器用であるというレイの自己評価は、あながち間違っているとも言い切れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――14:50

 

 

 西ゼムリア通商会議日程2日目。オルキスタワー35階国際会議場で行われる本会議第1部がヘンリー・マクダエル議長の開会宣言と共に始まってから1時間と50分。

 レイは国際会議場正面から見て右翼の位置にある関係者控室の中で、帝国軍第七機甲師団やリベール王室親衛隊の面々と共に待機をしていた。

 

 シンと鎮まった室内にはテーブルやソファーなどの調度品が撤去され、その代わりに真剣な顔つきをした軍人が僅かの乱れもなく整列していた。

 そして二国の精鋭軍を率いるミュラー・ヴァンダール少佐とユリア・シュバルツ准佐は、既に2時間近くが経とうとしているにも関わらず、微塵も体勢を崩す事無く、直立不動のまま会議場に続く扉の前で待機を続けている。

 

「しっかしアレだなぁ。やっぱ軍人さんってのは忍耐があるよな。俺達と違って」

 

「アタシ達は忍耐がないんじゃなくて忍耐を必要としない仕事しかしてないだけだろう」

 

「お前らその末期発言やめようぜ」

 

「うぅ……緊張しない緊張しない……緊張したらダメなんだから……」

 

 そんな室内で、限りなく小声で会話を交わしているのは壁際に寄りかかっているスコット、リン、レイ、シャルテの三人。

 このクロスベルに於いて、警備隊や捜査一課の人間よりも遥かに戦闘慣れしている遊撃士の存在はテロ対策に組み込むには不可欠である。―――そうレイが帝国政府に充てた報告書に記述していた結果、クロスベル警察上層部は渋ったものの、捜査一課主任捜査官ダドリーの推挙もあってこうして警備に列席する事になった。

 スコット、リン、シャルテの三人は事態に早急に対処できるよう控室に同席し、ヴェンツェルとエオリアの二人は階下34階の警備対策室に詰めている。レイは本来帝国軍下の命令系統にある為、機甲師団の面々と共に整列をしなければならないのだが、ミュラーの計らいによってリンらと行動を共にしている。

 

「しっかしまぁ、豪勢な面々だなぁ。こんな精鋭揃いが集まってる場所に攻撃しかけようなんて普通なら思わないわな。……普通なら」

 

「真正面からの突撃とか命に関わるでしょ。名高い王室親衛隊のエースに<ヴァンダール家>の嫡子、果てはアリオスさんやレイまで護衛に加わってるこの状況はヤバい。……普通なら」

 

「流石普段から普通じゃないやり方で案件捌いてる奴らは言う事が違うわ。……あ、俺もか」

 

「逃げちゃダメ逃げちゃダメ逃げちゃダメ……」

 

 そんな会話は、どうやら聞こえていたらしいミュラーの大きな咳払いで止まる。そうして再び静寂が戻ると、室内に取り付けられたモニターに映し出されている会議の様子が目に入る。

 通商会議は途中休憩を挟み、第1部と第2部で分けられている。予定会議所要時間は約5時間だが、会議の内容によっては延長も有り得るという。

 つまりはその5時間の間、常に気を張っていなくてはならないのが護衛部隊の役目なのである。本来であれば護衛の中でも腕利きの数人が会議場に列席するのが通例なのだろうが、今会議場にはオブザーバーとしてアリオスが列席している。戦力面ではそれで充分であり、更に”武装を施した軍隊を列席させない”という事実を作る事で、この会議上での”国家間の平和”という建前を作り上げているのだろう。

 

 そんな事を考えていると、マクダエル議長の一言と共に出席者が一斉に席を立つ。

 腕時計を見れば、時刻は15時5分を指しており、予定よりも5分遅れで会議の第1部が終了した事となる。

 とはいえ、首脳陣は休憩時間に入る前に合同記者会見に出席をしなくてはならない。疲労を感じる暇もないという事だ。

 

 

「それじゃあミュラー少佐、自分はこのまま警備対策室に報告に行きますね」

 

「あぁ、宜しく頼む。本来ならば正規軍がしなくてはならんのだが、当事国の治安維持組織と関係がある人物が行った方が通りが早いのでな」

 

「分かってますよ。それでは」

 

 レイは一礼をしてから、控室の扉を開け、記者でごった返す廊下を気配を殺したまま進んで非常階段から階下へと降りる。

 地上35階分の階段。一般人であればそれこそ登り切るのも下り切るのも相当な苦痛が伴うだろうが、レイであれば1階まで数分もあれば降りられるだろう。尤も、コンピューターセキュリティで管理された防火扉が道を塞いでいる為、時間はそれよりも遅くなるだろうが。

 

「(何でもデジタル管理すりゃ良いってモンじゃないと思うがねぇ)」

 

 そんな感想を抱きながら階下に降り、そのまま警備対策室へと向かう。

 そしてドアをノックしてから入室すると、捜査一課の刑事たちに混じって他の面々が訪問していた。

 

「ようロイド。やっぱお前達も来てたか」

 

「あぁ、無理を言って警備に加えて貰ってね。そっちは休憩か?」

 

「違う違う。経過報告だよ。会議中はまぁ、一応問題なかったって事でお願いしますダドリーさん」

 

「適当にも程がある報告だがまぁ良いだろう。今はお前に構っている暇などないのでな」

 

「いいんだ」

 

「これでいいんだ、報告って」

 

「おい惑わされんなよノエル。この方法はコイツだけが使えるヤツだからな」

 

 ランディが呆れ交じりに窘める姿を見ながら、レイは笑って言う。

 

「ま、親しき中にも礼儀ありってのは確かに大切だけどよ。今みたいにクソ忙しい最中は多少適当でも簡潔に要点を絞って伝えた方が良い事もあるんだわな」

 

「そりゃあお前アレだろ。遊撃士の理屈だろ。というかクロスベル支部の理屈だろ」

 

「馬鹿かランディ。ギルドだったら「ただいま。異常なし。寝る」で報告終了するわ」

 

「それはもう過剰労働で訴えても良いレベルだと僕は思うよ」

 

 そんな会話を交わしながら、それでも手はペンを握って手近な紙に報告すべき内容を記述していく。

 わずか数分でその作業を終わらせ、ダドリーに手渡すと、他の場所の見回りに行くというロイド達一行と共に警備対策室を出た。

 そしてそこに至って漸く「あのー……」と自分に対して声を掛けて来る人物がいた事にレイは気付いた。

 

「初めまして、ティオ・プラトーといいます。お噂はかねがね」

 

「あぁ、ご丁寧にどうも。レイ・クレイドルだ。レマンのエプスタイン財団本社に出向してたんだっけか?」

 

 レイよりも頭半分ほど背が低い薄青髪の少女、ティオは、初対面であるからか僅かに警戒するような声色のまま、レイの言葉に頷いた。

 

「えぇ。昨夜クロスベルに戻ってロイドさん達と合流しました。これからは元通り、特務支援課の一人として活動させていただきます」

 

「ってコトはこれで支援課フルメンバーって事か。成程、随分良い具合にバランス取れてる感じだな」

 

 体躯こそ小さいながらも、その体からは膨大な量の魔力が漏れ出ている事を理解したレイは、彼女こそが特務支援課の後衛役の要である事を瞬時に理解する。

 エマ程ではないが、それでもアーツの扱いに関しては余程長けているであろうという事が経験則で分かる。―――同時に、彼女―――ティオ・プラトーという少女の()()()も感じ取れてしまった。

 

「(……あぁ、()()()()()())」

 

 ”それ”が感じ取れたのは勘の良さでも探りの上手さでもない。ただ単純に、自分が体験した過去のトラウマの一つから引っ張り出した経験則でしかない。

 彼女のように”違法薬”の副作用で髪色が薄く変色し、本来あるべき感情がそぎ落とされてしまった子らを、レイもあの地獄の穴倉で幾らでも見て来た。尤も、その大半は拒絶反応に耐えられなくなり絶命した”失敗作”ではあったが、無事に生き残った者達も、人間らしさが削ぎ落とされて人形のように成り果ててしまった例も少なくない。

 

 そして彼女からは、それと同じ匂いがした。

 欠片も望んでなどいなかったのに親と引き離され、非人道的な人体実験の素材、標本とされた過去。そのままであれば親しい人に誰にも看取られる事なく逝く運命でしかなかったが、幸運にも命尽きる前に誰かに助け出され、辛うじてヒトである資格を取り戻す事が出来た強運の持ち主。

 

 否、それを強運と捉えるかどうかは本人次第だろう。救われるよりもあの地獄で死んでいた方がまだ幸せだったという者達もいた。

 そういう点で見ればレイは確かに幸運であったと言えるだろうし、ティオもこうして仲間たちに出会えたのだから、幸運と呼んでも良い人生を辿っているのだろうと、主観ではそう思ってしまう。

 勿論、本人がどう思っているかなど、レイには知る手段などないのだが。

 

「? どうかされたのですか?」

 

「あぁ、いや、何でもない。それにしても、昨日の今日でお疲れ様だな。移動の疲れもあるだろうに」

 

「問題ありません。ロイドさん達はともかく、早くキーアに会いたかったので。えぇ」

 

 本当に愛されてるなぁ、あの子は、と思いつつ、しかしそれが彼女なりの照れ隠しである事はなんとなく分かった。

 彼らの絆は本物だ。単なる義務感、契約で成り立っているそれとは比べるまでもない。

 果たして自分は、彼らのようにⅦ組の仲間達となんの壁も隔たりもなく、心の底から分かり合える日が来るのだろうかと思い、自虐的な笑みが思わず漏れてしまう。

 

「あぁ、そうだ。レイ、昨日はアップルパイの差し入れありがとう。すごく美味しかったよ」

 

「おっ、それだそれだ。いやー、お前相変わらず器用だよなぁ。警備隊時代によく『龍老飯店』でお前にデザート作って貰ってた時の事を思い出したぜ」

 

「あの時のレイ君の杏仁豆腐や胡麻団子や桃饅頭なんかは絶品だったなぁ~♪」

 

「聞いてるだけでお腹空いて来ちゃうわね……」

 

「フフ、それじゃあ皆でラウンジにでも行こうか」

 

 一様に首を縦に振る一同を見て、レイはさてどうしたものかと考える。

 本来であれば護衛職であるレイは今行われているであろう記者会見の警備にも出なくてはならない立場なのだが、一応今回の任務では上官となっているミュラーからは参加しろといった旨の通達は受けていない。

 更に腕時計を見てみれば、そろそろ記者会見も終わる時刻。ここで下手に合流でもしようものなら悪目立ちするだろう。それは、レイにとってもあまり好ましくない事だった。

 

「んじゃ、俺も一緒にお邪魔していいか?」

 

「あぁ、勿論。スケジュールは大丈夫なのか?」

 

「ドM馬……オリヴァルト殿下の方にはミュラー少佐がいるし、オズボーン宰相の方にもレクターがいるから大丈夫だろ。俺がしゃしゃり出るだけ野暮ってモンだ」

 

「最初不穏な単語が聞こえたんですけどこれってスルーするべきですかね、ランディ先輩」

 

「コイツ基本馴染んだ身内にはSだからなぁ」

 

 緩やかな雰囲気を醸し出しながらも、しかし全員、最低限の緊張感は持ちながらラウンジへと歩いて行く。

 そしてレイが数時間前に訪れたばかりの扉を開けると、複数の関係者が息抜きをしている中、とあるテーブルに二人の見知った顔を見つける。

 

 

「イアン先生、お久し振りです」

 

「トワ会長、ここに居たんすか」

 

「おぉ、ロイド君達じゃないか。君達も休憩かい?」

 

「レイ君もお疲れ様ー。あ、私なにか飲み物買ってこようか?」

 

 テーブルで向かい合いながら談笑をしていたのはイアンとトワの二人。そして今日も元気に人の役に立とうとするトワの気持ちだけを貰って、一行は全員が座れる大きいテーブルへと移った。

 

「あぁ、そうだ。お前ら初めてだっけな。こちらは俺が今通ってるトールズ士官学院の先輩だ」

 

「初めまして。トワ・ハーシェルといいます。一応生徒会長なんかをやらせてもらってるかな」

 

 ペコリ、と礼儀正しく一礼するトワの様子を見て、特務支援課の面々は一瞬驚愕の表情を浮かべたが、直後には既に取り繕っていた。

 まぁ無理もないとは思う。見た目が幼い天才をずっと見続けて来たレイでさえ、彼女が生徒会長であると知った時は一瞬だが驚きを隠せなかったのだから。

 

「えっと、トワさんは今回はどうしてクロスベルに?」

 

「あ、はい。政府の御好意に甘えて書記官補佐のような感じで同行を許してもらったんです。……あ、それと、別に敬語を使って貰わなくても大丈夫ですよ?」

 

「そう? それじゃあ、僕達もお言葉に甘えるとしようかな」

 

「……因みに私のこれはデフォルトなのでお気になさらないでください」

 

 そう素っ気なく言ったティオの反応が気に入ったのか、彼女の隣に座ったトワは慈愛の籠った笑顔を浮かべたまま頭を撫でる。

 その様子を見ながら、ロイドはレイに話しかけた。

 

「……凄い人なんだな。学生で書記官補佐として国際会議への同席を許されるなんて」

 

「まぁ、凄い人だ。各国の慣習に詳しいエリィなら分かるだろうがな、帝国は身分の違いによる軋轢ってのがデカいんだ。学院でも親の威を借る貴族生徒が調子乗ってる状況が度々あったりするんだが……そんな中であの先輩は平民でありながら生徒会長を務めてる。それも、支持率は高いと来た」

 

「それは……確かに凄いわね」

 

「加えて、その有能さが認められて帝国政府は勿論、各国の文官系の主要機関からスカウトの誘いが引っ切り無しらしい。今回帝国政府が書記官補佐として同行するように通達したのも、優秀な人材を手元に残しておくための一手だろうさ。早い話、青田刈りだよ」

 

「はー、世の中には凄ェ学生もいるモンだな」

 

「いや、実際彼女の考え方や口弁の上手さは大したものだよ」

 

 レイ達の会話に割って入って来たイアンは、トワの姿を見ながら衒いも贔屓目もなくそう言い切った。

 

「私も先程から少し話をしただけなのだが、彼女はあの若さで帝国の慣習や政治面のみならず、国際法などについても造詣が深いようだ。本人は謙遜しているが、後20―――いや、10年も経験を積めば、歴史に名を残す偉人にもなれるかもしれないね」

 

「……ただ者じゃねーとは思いましたけど、先生から見るとそこまでっすか」

 

 トワ・ハーシェルという少女は、決して万能の天才というわけではない。レイはそこまで深い付き合いという訳でもないが、そういった事は察していた。

 ただ彼女は、万事に於いて天才とはいかずとも優秀な成績を収める事が出来る典型的なオールラウンダーであり、それでいて人を魅せ、率いるという点に於いては特に優秀だった。

 彼女の独特の陽だまりのような雰囲気は計らってやっているのではなく、恐らく天然のものだ。実際、彼女が生徒会長に就任して以降、同年代の気位の高かった貴族生徒も彼女の敵意のなさに白旗を挙げ、委員会会議やクラブの予算会議などで白熱し、行き過ぎた論争に発展しても彼女の鶴の一声で場が鎮まった、などという伝説というか逸話を幾つも残していたりする。

 

 それはいわば、一般的に言うところのカリスマ的支配とは異なる。

 彼女はそもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。彼女にとって生徒会長という役職は、単に生徒がより良い学生生活を送れるようサポートする為に一番良い席であるというだけの事。

 裏も違った思惑もなく、本当にそう一途に思っているからこそ、その志に共感した者達がトワ・ハーシェルという少女を慕って集まる。―――それは、”支配”という言葉とは程遠いが、それだけでも彼女の凄さを理解するには充分な話である。

 

「彼女がもしこのクロスベルで政治家を志していたらと、そう思わずにはいられんよ」

 

「そういう言葉を聞くと、改めてウチの生徒会長の偉大さを痛感しますねぇ」

 

 見れば、エリィやノエルも同性ゆえの気安さもあったのか、既にトワと親し気に会話をしていた。

 偽りの表情や感情で覆い隠す事なくあそこまですぐ親密になれるというのも一種の才能だろう。一瞬羨ましいと思った―――その直後。

 

 

「(…………っ)」

 

 

 突如、頭の中に契約を結んだ式神―――シオンからの念話が飛び込んできた。

 流石に人目の多い所でそれを聞くわけにもいかず、席を離れてラウンジを出、非常階段近くまで移動してから再び受信する。

 

「(どうした? 異常があったか?)」

 

『(いえ、現在ベルガード門近くに異常はありません。ですが―――)』

 

「(?)」

 

『(棲息している魔獣らが妙に脅えるような動きをしております。眉唾だと嗤われても栓無き事だとは存じていますが……あまり宜しくない兆候かと)』

 

 その報告を聞いて、レイは顎に手を当てる。

 科学技術が発達するにつれて、そういった逸話や動物的な勘じみたものは軽視されるようになってきたのは当然知っているが、レイはそれを下らないものと一蹴する気はなかった。

 天変地異や戦争などの人災。凡そ動物や魔獣などにも大規模な害が及ぶような危機に直面する直前などには、大自然と言うのは人間よりも優れた直感で以てそれを察知し、行動を起こす。

 それも踏まえて、レイは真剣な面持ちのままにシオンに引き続き指示を飛ばした。

 

「(シオン、お前は西クロスベル街道の中間地点辺りに待機しておけ。ベルガード門には哨戒用の式神を放っておくだけで良い。……分かってると思うが)」

 

『(……えぇ、存じております。()()()()()()()()())』

 

 それこそが今回、レイが一番強く縛られている制約でもあった。

 

 事実、レイがクロスベル支部所属の遊撃士という肩書のままであった場合、テロリストのクロスベルでの跳梁など許しはしなかっただろう。

 例え高速艇を使用して侵入したとしても、彼には遠距離攻撃最強のシオンがいる。ベルガード門を越えたとしても、クロスベル市内に入るまでに高速艇のパーツ諸共消し炭にも出来ただろう。

 だが、今回彼は”エレボニア帝国の護衛団の一人”という肩書を背負わされている。よしんば此処で護衛の役割を放棄して迎撃に向かい、成功したとしてもそれは()()()()()()()となるのだ。

 

 それが大々的になった暁には、クロスベルは安全保障面での脆弱さを露呈される事となる。

 元よりクロスベルが自治州法により”軍隊”を保持できないのは帝国・共和国両国が制約を掛けているからなのだが、此処で安全保障面を追求されれば、二国はここぞとばかりに自治州の併合を迫ってくるだろう。

 『まともな軍隊も保持できない弱小国(お前達)を、強大な大国(私達)が守ってやる』というもはやお国柄と言っても差し支えのない脅し文句を突きつけて。

 

 それならばバレないように事を運べば問題ない―――と思いたいが、それもリスクが大きい。

 何せあのギリアス・オズボーンだ。不審な高速艇の撃墜事件などあったなら、あの手この手でそれを調べ上げ、やはり結果的に自分を担ぎ上げるだろう。

 通商会議の危機を救った、()()()()()として。

 

 

「(……まぁ、どっちにしても結果は変わらんだろうがな)」

 

 シオンとの念話を切った後、レイはこの通商会議の後にクロスベルを襲うであろう国際関係での不穏な動きを知っていながら、それを支援課の面々に伝えなかった事を思い返す。

 これでは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()と心の中で反芻しながら、レイは再びラウンジに向かう為に静かに踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モニター越しに見る会議の様子は、第1部の時とは違い、不穏な空気を齎し始めていた。

 

 レイの懸念通り、議題に上がったのはクロスベルの安全保障問題。

 数ヶ月前、二大国からしてみれば”たかが”宗教団体如きに自治州全土が混乱に陥れられた≪教団事件≫。組織の上層部の不敗具合がピークに達していた時期とも重なり、治安維持組織である警備隊の面々までもが操られ、IBC本社ビルを襲撃するという事態にまで陥ったという事を、掘り下げて来ない筈はない。

 

 オズボーンは事件当時に自治州に滞在していた帝国人の命が脅かされた事について説明責任を問い、しかしオリヴァルトは賠償が既に済んでいる今、これ以上の追及は帝国政府の恥にもつながると指摘。

 しかし、事はそう単純な問題ではない。問題なのは、”たかが”一宗教団体如きに治安維持組織が良い様に翻弄された以上、クロスベルの治安維持の質の低さが露呈してしまった事にある。

 

 だが、先の事件、操られた警備隊の面々は寧ろ被害者であり、責任を取らされる筋合いなどはなかった。

 IBC本社ビルを襲撃したのはベルガード門の警備隊員であったが、当時の警備隊長は職務を半ば放棄して上院議員への阿諛追従に走り、挙句の果てに隊員達に新作の栄養剤だと偽って≪D∴G教団≫の秘薬、『グノーシス』を服薬させたのである。

 その結果、警備隊員たちは一人残らず《教団事件》の首謀者にして元教団幹部司祭ヨアヒム・ギュンターに操られる形で暴挙に移ったのである。

 これらの経緯からも分かるように、それは隊員たちの質を問う以前の問題ではあるのだが、如何せん、”組織”としての質を問うならば、最低を通り越して地に落ちるだろう。

 

 市民の命すらも軽視して政争に明け暮れる者共に普遍的な”安全”を齎す事はできない。―――そう豪語するオズボーンの言には、確かに納得は出来る。

 ……尤も、それはただの詭弁ではあるのだろうが。

 

 

「……耳が痛い話です」

 

 レイの隣で、シャルテがそう呟いた。

 彼女は元々クロスベルの生まれではなく、この支部に配属になったのも数ヶ月前ではあるが、それでも数ヶ月程度で内情が理解できてしまう程、このクロスベルという地は”分かりやす”かったのだ。

 すると、その言葉を受けてレイの隣に設けられた椅子に座って第2部から特例でこの控室で会議を見届けていたトワが、レイとシャルテにしか聞こえない声で言葉を紡いだ。

 

「……私は自治州法に一通り目を通したけれど、帝国憲法や共和国憲章に比べて構造的欠陥があるのはどうしても否めないの。でもそれは―――」

 

 しかしそこでトワは、口を閉ざしてしまう。

 それもその筈。その次に続くのは、『70年前の自治州創立の際に、帝国と共和国から押し付けられたように定められたものだから』という言葉だ。リベール関係者はともかく、宰相の息のかかった帝国軍関係者がいる中で口にして良い言葉ではない。

 

 自国の領民が脅かされるという、尤もらしい理由を挙げて他国の領域化に土足で踏み込めるのがこの安全保障という問題だ。もし一昔前のクロスベルのように帝国派・共和国派の腐敗した議員が軒を連ねる時であったなら、自治州内に帝国軍と共和国軍が駐屯地を作るという提議もなし崩し的に認められてしまっていたかもしれない。それを考えれば、今はまだマシと言えた。

 

 

 決して耳障りの良くない議題が進行していく中、再びレイは、シオンからの念話を受信した。

 

「(どうした?)」

 

『(どうやら来たようです、主。つい先程、ベルガード門の対空警備システムが突破されました)』

 

「(数は?)」

 

『(サラ殿がノルドで目撃したというラインフォルト社製の高速飛空艇が4隻。航路はまっすぐオルキスタワーに向かっているかと。……それと)』

 

「(…………)」

 

『(《鬼面衆》殿からの報せによれば、《赤い星座》と《黒月(ヘイユエ)》両勢力が、捜査一課の追跡を振り切って拠点から姿を消したそうです。恐らく……)』

 

「(分かった。ご苦労。()()()()()()())」

 

『(主……‼)』

 

 悲痛の感情を孕んだようなシオンの声を最後までは聞かず、半ば強制的に念話を切った。そして、背に回した愛刀が入った刀袋を右手の中に手繰り寄せる。

 猶予時間は、およそ十数分。軍隊が戦闘態勢を整えるのには不足する時間だが―――レイが元≪執行者≫としての勘を取り戻すには、皮肉にも充分過ぎる時間と言えた。

 

 飛んで火に居る夏の虫。さながら猛獣の檻に投げ込まれた剥き出しの生肉。

 そんなイメージが幻視され、乾いた嗤いすらも、漏らす事はできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 こうしてみるとクロスベルってホント末期だなぁって思います。原作だとオズボーンが「あんな役立たずの警備隊など解体し、代わりに帝国軍を駐屯させる」などと言って、前作の零の軌跡の頃から警備隊の面々を見て来た私は憤慨気味だったのですが、まぁ、リアルのお国事情とか見てるとどうも、ねぇ。
 でも、外交ってやっぱり喧嘩腰じゃないと務まらないのかなぁとも思いました。
 改めてオズボーンの異常ぶりにゾクリとさせられる今日この頃。
 

 今回は説明とかが中心だったので途中で読みづらいと思った方もいたかもしれませんが、ご安心ください。次が本番です。何が起きるかは……まぁ多分ご想像の通りです。



-追記-

 ブリュンヒルデさんなんていなかったんや。そうなんだ。
 そろそろウチのキャス狐にお願いして庄司呪わせようと思う今日この頃。

-追記-

 節分の際はイラストを活動報告に載せましたが、バレンタインの時もやります。
 理由? 折角ヒロインが3人もいるんだから描かなきゃ損じゃんと思っただけです。





 


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災禍の摩天楼 中篇  -in クロスベルー






「意味もなく戦いたがる奴なんざ、そうはいない。戦わなきゃ守れねえから、戦うんだ」
    by ムウ・ラ・フラガ(機動戦士ガンダムSEED)








 

 

 

 

 

 

 

 それは嘗て。《死線》シャロン・クルーガーと《漆黒の牙》ヨシュアが《結社》から去り、《執行者》の中に一時的に暗殺を得手とする者が少なくなった時。

 ヨシュアの追討任務を(意図的に)失敗した責も負い、レイは一時期汚れ仕事を請け負っていた時期があった。

 

 主に、《結社》の脅威となるであろう組織の殲滅や最も影響力のある人物の暗殺。

 一切の慈悲も容赦もなく任務を行っていた時期。単純に人狩り(マンハンター)としての技量という意味ならば、恐らく過去にも未来にもあの時ほど優れていた時はないだろうと断言できる。

 ヒトという生き物は何処を刺せば、割れば、砕けば死ぬのか。師の下で修業をしていた際には本当の意味では学べなかったそういった技量を身に着けてしまったのも、こういった時期を体験して来たからだと言える。

 

 

 ―――猶予時間(モラトリアム)は十数分。その間にレイは瞳を閉じ、過去を追憶する。

 普段よりも更に神経を研ぎ澄ませ、任務を確実に遂行するように作り変える。己自身を一個の戦闘兵装と化して動けるように。

 その不穏な瞑想が終了したと同時に、レイは近くに居たリンとスコットに声を掛けた。

 

()()()。招かれざるお客様だ」

 

 その一言で全てを理解した二人は、それぞれ戦闘態勢を整える。シャルテは一瞬だけ動揺した様子を見せたが、それでもやはりクロスベル支部の一員。感情の揺れ動き如何に関わらず、雰囲気は既に臨戦態勢に移っていた。

 

「れ、レイ君⁉」

 

「会長は下がっていてください。ここから先は、少しばかり煩くなります」

 

 その言葉で、ミュラーとユリアも動く。会議室に雪崩れ込む彼らを横目に、しかしレイは控室に設けられた窓ガラスに剣鋩を向けた。

 

「【剛の型・塞月】」

 

 カーペットを引き裂く勢いの踏み込みと同時に、神速で放たれた刺突が窓ガラスの中心部分を抉り穿った。ごく小規模な颶風すら発生させるその勢いに乗るようにして、破られた窓ガラスの破片は真下に飛散する事無く、タワー周辺に広がる無人の人口庭園の方へと吹き飛んで行った。

 そして間髪を入れずに、レイは窓の淵に踏み込んで、そのまま命綱も無しに建物の外に身を躍らせる。しかしその直前、彼はポケットの中に仕舞いこんでいたARCUS(アークス)を握りしめながら、短い詠唱を呟いていた。

 

「【光の這縄よ 我が手繰りに従え】―――」

 

 そして身を投げだした直後、重力に従って身体が下降する中で、彼の右腕から現出した半透明の黄金色の糸がオルキスタワーの上空から襲来した飛空艇の下部ジョイント部分に絡まり、そのまま空中ブランコのように遠心力をつけたまま空中を漂う。

 

「【其は城壁 鏑の矢と鉛の弾と玉鋼の刃を悉く弾き 久遠(くおん)に至らぬ恩恵を (つわもの)共に授け給う】―――」

 

 飛空艇を中心として大きく半円を描くように滞空している間に、レイは再び呪術の詠唱を行う。

 そうして発動した呪術は【堅呪・崩晶】。指定地点に反物質とも言える水晶の壁を現出させるその術は、襲来したテロリストの飛空艇が速射砲を向けていた国際会議場の大窓を囲むように現れる。

 

『なっ⁉』

 

 直後発射された口径3.2リジュの速射砲の弾丸が突如出現した正体不明の壁に悉く弾かれるという光景に、スピーカー越しに驚愕の声が漏れる。

 それを聞きながらレイは、遠心力を利用して半円を描いた後に浮き上がる。そのまま飛空艇のハッチ横に足を掛け、氣力で強化した握力で以てそれを抉じ開けた。

 

「‼ き、きさ―――」

 

 そして恐らく、タワー内部への侵攻作戦に参加する予定だったのであろう《帝国解放戦線》の構成員達を、鳩尾への柄頭の打撃、首筋への鞘での強打などで次々と昏倒させていく。

 同時に相手にしたのは5人だったが、彼らは導力銃や大剣を構える間もなくあっさりと制圧されてしまった。

 彼らにとっての不運は、相手が悪かったという一点に尽きるだろう。構成員達は皆軽装鎧(ライトアーマー)を纏ってはいたが、レイはそうした防具の上から人体の内部に有効打を与える打撃法を嘗て義兄のアスラから学んでいた。所謂、『浸透剄』と呼ばれる武術の一種である。

 そうして速やかに戦闘を終えたレイは再び開けっ放しになったハッチの下まで近づいて外を覗き込む。

 

 戦線が用意した高速艇は4隻。その内の二隻は既にオルキスタワー最上部のヘリポートに向かったのか、既に此処にはいない。共和国ヴェルヌ社製の高速艇にしても同様のようだった。

 事が起きる前までは自身が動くことに慎重になっていたレイであったが、襲撃そのものが成功に終わってしまった今となっては戦力を出し惜しみしておく理由などない。

 

 目の前には、同じような高さで並空している同じ型の漆黒の高速艇がもう1隻。レイは一瞬だけ目を瞑って意識を集中させると、あまり使った事のない戦技(クラフト)、『分け身』を成功させてもう一人の分身を作り上げる。

 するとその分身はハッチの縁に立つとそのままその場所を蹴り、並空していたもう1隻のハッチの部分に飛び乗り、先程オリジナルの自分がやったように強引に内部へと侵入していった。

 

「さて、と」

 

 一息吐く間もなく、レイはその足で高速艇の船内を進んで行き、操縦室の硬い扉を玩具の板も同然かのように蹴り倒した。

 

「‼ 貴様何も―――」

 

 操縦席に居た構成員の内一人が侵入者であるレイの存在にいち早く気づいて抵抗しようとしたが、問答無用で薙ぎ払われた鞘の一閃によって壁に強く叩きつけられ、気絶する。

 そして、冷ややかな眼光を右目に湛えたまま、引き抜いた白刃を操縦者の首元に突きつけた。

 

「どこか被害の少ない場所に不時着させろ。勿論、選択肢にNoなんてのはないけどな」

 

 その声色には、普段の彼が絶対に見せない類の、ヒトに問答無用で恐怖を与えるようなモノが含まれていたが、操縦席に座っていた男は若干震えながらも首を横に振る。

 

「わ、我々を甘く見るな。政府の狗が‼ 《帝国解放戦線》に存在する者は、例え命を散らしても、その屍の先に《鉄血宰相》の首を取る未来があるのなら、それを決して恐れたりはしない‼」

 

「…………」

 

 それはまさに、死兵の覚悟だった。己の命が糧となって同朋が目的を果たせるのなら本望だと、本気でそう思い、疑う事のない連中。

 そういった人間を相手にする時は、相応の覚悟と意志の強さが必要となる。対話などによる解決など不可能。どちらかが滅びるまで戦い続けなくてはならない。

 

 レイは改めて戦線の構成員の覚悟の強固さを認識すると、首筋裏を殴って昏倒させ、安全ベルトを切断してから自ら操縦席へと乗り込んだ。

 

「(……そろそろあっちも制圧が終わった頃か?)」

 

 隣の高速艇の制圧を任せた分身の行動を気にしていると、同じように操縦室を制圧して操縦席に乗り込んだ分身の姿を視界に収める事に成功する。

 元々『分け身』の分身体とは精神的な共有が行われているのが常なのだが、レイは意識を集中させて分身体との同調率を上げると、そのまま左眼の眼帯を押し上げて《慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)》を発動させる。

 

 ただでさえ専門知識がなければ何が存在しているかも分からない程に計器が敷き詰められたこの場所で”眼”を解放すれば、普段よりも流れ込む情報量は格段に大きくなる。

 頭痛と共に脳内に直接流れ込んで来るそれらを、レイは瞬時に判別し、選別する事で、この高速艇を操縦する為に必要な知識だけを”理解”する。

 

 その行動に掛かった時間は僅か数秒。レイは躊躇う事無く操縦桿を握り、計器を正しく作動させていく。

 《結社》時代に飛空艇の操縦方法は一通り習い、基礎こそ理解しているが、文明の利器というものは種類こそ同じでも差異が違えば慣れるまでに少々時間を有するのが常である。

 しかしレイは、持ち前のセンスでその差異を上手く埋め直し、飛空艇の舵を無人の自然公園の方へと取った。

 そして意識を同調させた分身体も同じような行動を取り、船体を僅かに斜めにしたまま、荒々しく地面を抉って着陸に成功した。

 

「こんなものか」

 

 パンパンと制服の上着に僅かに付着した埃を払いながら、未だ目の覚めないテロリスト達を横目に、レイは船体の外に出る。

 先程の様子は、地上で警備をしていた警備隊の面々やヴェンツェルやエオリアに見られていただろう。程なくこの場にテロリストを拿捕するための人員が割かれてやってくるはずだ。

 本来ならレイは此処に残って説明をする義務があるのだが、()()()()()()()()()()()()()()。その為、『泥眼』やシャロンらに比べれば劣りはするものの、”準達人級”以上の者でなければ見つけられないレベルの隠形を発動させ、その場から去る。

 

 そして鬱蒼と茂る木々の間を駆ける間、レイは”嘗て”の自分との乖離具合に思わず失笑を漏らしてしまう。

 

「(()()()()()()()()()()か。……遊撃士稼業に慣れすぎたかねぇ)」

 

 《結社》に居た頃。とりわけ汚れ仕事に従事していた頃のレイであれば、標的は有無を言わさず斬殺していた。先程のような状況であれば、船内に乗り込んだ数秒後にはそこいら中に息絶えた者の死体と、ぶち撒けられた鮮血が悲惨な光景を作り出していただろう。操縦席の男にしたところで、要求を拒んだ瞬間に即座に首を掻き斬っていた事は容易に想像できる。

 

 では何故、彼らを生かしたまま命を刈り取らずに放置した? 何故意識を奪うだけに留め置いた?

 尤もらしい理由を挙げようとすれば幾らでも出る。彼らは《帝国軍情報局》の力を以てしても全貌が掴めない連中であり、そんな組織の構成員をただ殺してしまうよりは生かしたまま拿捕し、情報を絞り出させた方が有効に活用できるだろう。重要な情報を引き出せる可能性は、対象が多ければ多い程上がるのだから。

 加え、彼が《結社》に所属していたという事実を知らない者の方が圧倒的に多いこの場所で大量殺戮などやらかそうものならばどんな藪蛇を突くかも分からない。彼自身、殺戮という行為そのものを愉しんだ事など一度もない身の上であるが故に、多大なリスクを回避したかったと、そうも言えるかもしれない。

 

 しかし、それはただの尤もらしい言い訳だ。殺人を忌避しないと言っておきながら、それでもやはり遊撃士として行動していた日々の感覚が抜けきっていなかったらしい。

 或いは、()()()()()()()()()()()()()()()()への罪悪感を少しでも減らそうという浅ましい考えの表れなのかもしれないが。

 

「修羅になり切れない半端者、か。レーヴェ辺りに見られたら失望させるだろうな」

 

 技量はともかく、確かに精神面ではあの頃よりは弱くなったなと、そう自虐気味の笑みを漏らしながら、レイの姿は木々の間に吸い込まれるようにして消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 レイが独自に行動を再開した頃、オルキスタワー内部は混沌とした様相を呈していた。

 

 タワー内の全てのセキュリティがハッキングにより掌握され、非常階段の防護壁、エレベーター運行などに制限が課せられた状態で、オルキスタワー最上部から一直線に侵入して来た両国のテロリストが一斉に国際会議場の在る35階に雪崩れ込んだのである。

 本来であれば、最悪と言っても過言ではない状況だ。タワーの防護性能は考えうる限り弱体化がなされ、虎の子の警備隊一個中隊は階下で足止めを食らっている状態。

 無論、各国の護衛部隊もそれぞれの首脳陣を守り通すために人員を割かざるを得ず、迎撃に当たる事の出来る要因が少ないという状況に陥っていた。―――しかし。

 

 

「リベール、レミフェリアの首脳陣及び護衛諸君‼ 我々は諸君らに危害を加えるつもりはない‼ 抵抗しなければ―――」

 

「煩いよ、アンタ」

 

 会議場近くの廊下に雪崩れ込み、声を挙げようとしていた構成員の一人が、その途中で真正面から衝撃を受けて吹き飛ばされる。

 武装を使っての攻撃ではない。衝撃を与えたのはただの拳。氣力が練り込まれたそれは、一撃で身に着けていた防具を木っ端微塵に破壊して戦闘不能に陥れる。

 

「ペラペラと口上挙げる暇があるなら引き金を引いた方が余程効率的だろう? 格好つけてる暇なんてない事を、教えてあげるよ」

 

「スマンなテロリスト諸君‼ 生憎とクロスベル支部(ウチ)の女性陣は血の気が多いんだ‼ 特にコイツは戦闘狂(バトルジャンキー)の気があるしな‼」

 

「ちょ、スコットさん。私も括りに入れないで下さいよぉ……。ホラ、テロリストさん達すっごいコッチ睨んでるじゃないですかぁ‼」

 

 リン、スコット、シャルテの遊撃士組は、リンの鉄砲玉の如き一撃を皮切りに迎撃を開始する。

 銃の通用しない至近距離に詰めて拳撃を容赦なく振るうリンと、銃剣を装着した改造ライフルで乱戦にも即時に対応してみせるスコット。声色そのものは脅えているように見えるシャルテも、構成員が振り翳した剣や小銃の銃口を狙って確実な射撃を行っていく。

 そして無論、迎撃に加わったのは彼らだけではない。

 

「随分と命知らずだな」

 

「殿下に害を為す危険があるのなら、貴様らの暴挙は見逃せん‼」

 

 鍛え抜かれたヴァンダールの剣が袈裟斬りに振るわれ、凛冽な白刃の刺突が敵を穿つ。

 障害物を盾にして銃弾の雨嵐の中を駆け、エレボニアとリベールの従者二人が苛烈に舞う。数々の逆境を乗り越えて来た彼らにとって、この程度の窮地は追憶を想起させる程度のものでしかない。

 

 そして―――

 

 

「ッ、怯むな‼ 波状攻撃で押し潰―――」

 

「させん」

 

 圧倒的優勢で始まった筈の強襲がたった数人の迎撃によって崩れかかった状況を立て直すために、戦線の構成員の一人がそう叫ぼうとするも、そこに一条の剣閃が閃いた。

 その剣圧は風を纏い、掃射された銃弾すらも跳ね除けてみせる。銃による攻撃が主流となった近代にありながら、その磨き抜かれた剣技は、凡その近代兵器を退けて見せるだろう。

 純粋な武術の技量であれば、かの《剣聖》カシウス・ブライトをも凌ぐと言われる、《八葉一刀流》・弐の型奥義皆伝者。

 武芸者の誉れ、”達人級”に至った《風の剣聖》アリオス・マクレインの参戦と共に、《帝国解放戦線》・《反移民政策主義》の構成員達は思わず慄いた。

 

 彼らの標的であるオズボーン宰相とロックスミス大統領がいる国際会議場までの直線距離はたった十数アージュといったところだというのに、それが長い。長すぎる。

 全遊撃士支部の中でも最精鋭と謳われるクロスベル支部の遊撃士3名に、アルノールの守護者とアウスレーゼの守護者。更にそれらを越えたとしても控えるのは、音に聞こえる行ける伝説《風の剣聖》。

 

 傭兵団クラスの実力は有している彼らとはいえ、包囲戦を展開できない室内一方通行通路での戦闘で、しかも真正面からその面々を打倒できる力はない。

 故に彼らは迅速に、次の手段を講じる事にした。

 

「くそッ‼ ―――仕方ない、最終プランに切り替えるぞ‼」

 

 そう言って戦線の構成員の一人が持ち出したのは、俗に分隊支援火器と呼ばれる兵器。それも、対人用としてではなく、平地を蹂躙する鉄の塊を破壊すべく生み出された個人携行武器としては文字通り最大級の破壊力を持つモノであった。

 

「っ、対戦車用擲弾兵装(パンツァーファウスト)だと⁉」

 

「そんなモノまで手に入れていたのか⁉」

 

 現代でも大国の軍隊などでしかお目に掛かれないそれを持ち出したその事実にミュラーらが驚愕した直後、僅かの躊躇いもなく引き金が引かれ、先端に取り付けられた弾頭が真っ直ぐ廊下を滑空していく。

 その破壊力は、当たり所さえ良ければ重戦車『18(アハツェン)』のような重量兵装にも深刻なダメージを与える程であり、如何に”準達人級”以上の武人であったとしても、肉弾戦特化の者でない限りは致命傷は免れない。

 その弾頭を、アリオスは()()()()()()()事で無効化しようと剣を構えたが、その直後、脅えながらも芯の通った声が響いた。

 

「『アダマスガード』ッ‼」

 

 顕現したのは、黄金色の盾。それが廊下の天井から床、壁際から窓際までを余さず覆い尽くし、絶対防壁を発動させる。

 盾に着弾した弾頭が、爆砕とそれに伴う衝撃と轟音、熱波を廊下中に撒き散らす。その内『アダマスガード』は爆砕と熱波を防ぎ切ったが、衝撃の余波と轟音は通過してしまう。

 流石に表情を顰め、気力でそれに耐えきった一同だったが、その中でそのアーツを発動させた当人だけはフラリと立ちくらみのような症状を起こしていた。

 

「っと、大丈夫かいシャル」

 

「は、はい。えぇ、何とか……」

 

 手の中のENIGMA(エニグマ)を握りしめながら、咄嗟の判断で被害を最小限に留めたシャルテはヘタヘタと座り込んでしまう。

 通常、『アダマスガード』や『A-リフレックス』といった最上位アーツは詠唱の完了までに時間が掛かる。それは、如何に魔法詠唱を短縮させる時属性のクオーツを戦術オーブメントにセットしていようとも覆す事はできない道理だ。

 しかしシャルテは今、敵が対戦車兵装を構えてから発射し、着弾する直前までの僅か数秒の間で高位アーツの発動を行ってみせた。それは偏に彼女の魔力制御能力の適性の高さと、本来このアーツに使用する筈の魔力の、実に二倍以上の魔力を咄嗟の判断で注ぎ込み、ENIGMA(エニグマ)に限定的な負荷を掛ける事で無理矢理詠唱時間を短縮させたのである。

 無論彼女は、自身の内包魔力がそう多くない事を自覚しており、ENIGMA(エニグマ)にも消費魔力を抑制するクオーツをセットしてはいたのだが、それでも内包魔力の実に三分の二以上の魔力を一気に消費した事で魔力欠乏の立ちくらみを起こしてしまったのである。

 

「いや、今のはヤバかった。ありがとな、シャル」

 

「わ、私は自分が出来そうなことをしただけです……そ、それよりテロリストは……」

 

 シャルテのその言葉を待つ前に、アリオスが立ち込める煙を刀の一閃で薙ぎ払って前方を確認したが、既にテロリストたちの姿はそこにはなく、あったのは砲撃の衝撃で崩壊しかかった床や天井、そして、エレベーターホールに繋がる出入り口を封鎖している頑丈なシャッターだけだった。

 

「っ、逃げられたか」

 

「リン、あのシャッターブチ抜けないか?」

 

「あぁ、やってみるよ」

 

 スコットの提案を受けて、一瞬で硬氣功を練り終えたリンがいかにも頑丈そうなシャッターに向かって拳の一撃を放つ。

 まるで重厚な鉄の塊同士が正面衝突を起こしたような轟音が鳴り響いた後、リンが拳を突き入れたシャッターは大きくひしゃげており、続けざまに放たれた二撃目で固定されていた金具が崩壊し、エレベーターホールの端まで吹き飛んで行った。

 

「……防壁の強度を再考した方がいいんじゃないか?」

 

「お前達のような人外に片足突っ込んだ人間を参照にすれば予算を幾らかけても足りん」

 

 冷静なアリオスの言葉に、しかしダドリーは心底呆れたといった表情でそう返す。

 そして間髪入れずにエレベーターホールに雪崩れ込んだ一同は、停止している二機のエレベーターとは異なり、一機だけ稼働しているエレベーターの階数表示板に目をやった。

 

「これがテロリスト共が乗った機か」

 

「? 最上階ではなく地下を目指している? どういう事だ」

 

 エレベーターの位置を示す表示板は、1階を通り越して地下へと進んでいた。

 その行動理由が理解できず眉を顰めた一同の下に、スコットに肩を貸されたシャルテがやって来て、意識を朦朧とさせながらも口を開いた。

 

「……多分、もう飛空艇が使えない理由が、あるんだと思います。地下に移動したのは、蜘蛛の巣みたいに張り巡らされたジオフロントを使って、脱出ルートを確保するため」

 

 それともう一つ、と、シャルテは先程までの脅えた様子を消して、焦燥した様子でアリオスやダドリーに告げた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……あの人たちが使った飛空艇、危ないですっ……‼」

 

「っ、奴ら、飛空艇に高性能導力爆弾でも仕掛けたか⁉」

 

 彼らが撤退する前に言っていた”最終プラン”。それが、『オルキスタワー諸共標的を抹殺する』というプランであったのであれば筋は通る。

 もしその作戦が成功でもすれば、犠牲になるのはタワーに居る人間だけではない。大陸最大の建造物の崩落による被害は、それこそ乗数的に膨れ上がるだろう。

 

 そして、その危険性を告げるためだけに気を張っていたのであろうシャルテは、すぐに意識を失う。

 混乱した状況下で敵の行動方針を探り、即座に可能性の一つを導き出してみせた彼女の潜在的能力の大きさに感心したアリオス達だったが、今はそれを労う余裕もない。

 

「……ここから屋上の最上階まではそれ程距離もないですし、アタシが非常階段のシャッターを壊していけば辿り着く事はできます」

 

「だが、爆弾処理が出来る人間は限られている。そうなると……」

 

「―――では、その事案は私達が担当しましょうか」

 

 エレベーターホールに入って来たのは、キリカとレクターの二人組。

 こんな状況下にも拘らず落ち着き払った雰囲気を醸し出した二人は、爆弾解体への協力を申し出た。

 

 

「諜報部の人間として、そういった技術には心得があります。レクター書記官、貴方も協力して頂戴」

 

「ま、しょうがねぇわなァ。……欲を言えばもう一人助手みたいな人手が欲しいところだけどよ」

 

 レクターはおどけたような口調でそう言ったが、それはキリカの方とて同じ考えを持っていた。

 爆弾解体のスキルを持っているとはいえ、ビルごと崩壊に巻き込むような量のそれを解体するともなれば、単身で解体作業を行うよりはそれに通じた者を助手に据えて作業を行った方がスピードは上がる。

 勿論、ズブの素人ではない事が条件なのだが。

 

「そんじゃ、俺が協力しますよ」

 

 そこで名乗り出たのは、意識を失ったシャルテをユリアに預けたスコット。

 

「レイとかと一緒に過激派マフィアとかが仕掛けた爆弾撤去任務とかもやってましてね。その流れで危険物取り扱いの免許も取ってますし、助手くらいならできますよ」

 

「……それなら申し分ないわね。お願いできるかしら」

 

「了解」

 

 

 こうして役割の分担は済み、その直後合流した特務支援課の一人、ティオがタワー内のセキュリティーの主導権を奪還する間に、リン達はやや強引ながらもこの状況では一番迅速に行動できる方法で屋上へと向かった。

 その後十数分で外部協力者の助けもあってセキュリティーシステムの奪還に成功した彼らは、エレベーターを使ってテロリストの後を追う。

 伏兵の存在も否定しきれないために残ったユリアとミュラーは、力尽きたシャルテを抱えたまま、報告を行うため国際会議場へと戻ろうとした。

 

「ミュラー殿、それでは我々は殿下たちの護衛に戻りましょう」

 

「えぇ。……あぁ、その前に」

 

 ミュラーが懐からENIGMA(エニグマ)とは仕様が異なる導力器(オーブメント)を取り出すと、ユリアはそれに視線をやった。

 

「それが……新型戦術オーブメントのARCUS(アークス)ですか」

 

「えぇ、クロスベルなら電波施設が整っているので、恐らく届くでしょう」

 

 通話機能をオンにしてから耳に当て、数コール後に出た旧友に向かって、簡潔に状況を説明する。

 

 

「ナイトハルトか? ミュラーだ。実は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ジオフロントD区画。

 

 嘗てクロスベルで帝国派と共和国派の政治家が鎬を削っていた時、帝国派の議員の「来るべき導力自動車時代の到来に向けて」という需要提案を受けて工事が発注された地下自動車駐車場である。

 しかし、その素人目から見ても分かる過大工事発注の裏には、不正献金によって政治家が得た金を隠すために行われていたという理由が存在する。

 この計画は『教団事件』の煽りを受けて元自治州議会議長のハルトマンが逮捕された事で事実上凍結となり、無駄に広大なスペースのみが残されるという結果となっていた。

 

 本来、この障害物が多く、道も入り組んだこの場所の構造を全て把握している者は工事関係者の上層部くらいしか知り得ていない筈なのだが、ジオフロント全体を庭のように知り尽くすレイにとっては、例え地図がなくとも自由自在に移動する事が出来る。

 

 

 そして今、彼は最奥に近い駐車場の一角で、コンクリートの柱に背を預けながら目を瞑っていた。

 

 

「…………」

 

 人間に対する不殺。それを彼は甘い考えだとは思わない。

 実際、歯向かって来た人間に対して”殺す”という手段を取るよりも、”生かして捕える”という手段を取る方が格段に難しいのだ。だからこそ、敢えてその手段を取ろうとする者達を嘲笑する気など毛頭ない。

 だがそれも、場合によりけりだ。時と場合によっては―――確実に相手の命を刈り取らなくてはならない場面もある。

 

 そして今が、その時。

 遊撃士時代に人間に対して徹底していた筈の不殺の誓いを破るために、レイは再び意識の切り替えを行う。

 感情を混ぜず、ただ合理的に任務を遂行する。それを成すために、私情を押し殺す事を徹底する。

 

 そうして極度の緊張を強いていた影響か、柱の陰から漏れ出た気配に対して瞬時に反応して長刀を突き出す。

 そしてその直後、レイの喉元にも凶悪な刃が装着されたチェーンソーが突きつけられた。

 

 

「何の真似だ、シャーリィ」

 

「いやー、良い感じの殺気出してるなーって思ってさ♪ 作戦前じゃなかったら斬りかかってたよ」

 

 喉元に白刃を突きつけられている状態だというのに、《血塗れ(ブラッディ)》の異名を持つ少女は無邪気に笑う。

 高揚したようなその声色に、偽りはない。笑ったままに刹那の生死を駆ける彼女にとって、殺し合いとは罪ではなく、崇高なモノだ。故に、悲観的な表情など見せるはずもない。

 しかしそんな彼女を、後方から一人の男が窘める。

 

「お嬢、何やってんですか‼」

 

「えー、いいじゃんレグルス。平和ボケした場所でこんな良いカンジの殺気に巡り合えたらさぁ、取り敢えず手ぇ出してみたくなるじゃん♪」

 

「時と場合を考えて下さい……」

 

 クロスベル訪問初日にレイを『ノイエ・ブラン』に招待した時とは違う戦闘衣に着替えていたレグルスは溜息と共にシャーリィの手を下ろさせる。

 そうして重々しい鈍色の光が視界から消えると、レイもまたシャーリィに突きつけていた刀を引いた。

 

「あらら、シャーリィに先越されちゃったか」

 

「やめておけ、お前達。仕事の前だ」

 

 続いて闇の中から姿を覗かせたのは、無骨な大剣を構えた《剣獣》イグナ・オルランドと、彼らの父であるシグムント。

 そしてその背後に、赤備(あかぞなえ)の防具に身を包み、今では珍しい火薬式の大型の自動小銃を構えた者達がずらりと並ぶ。防具の旨に刻まれているのは、赤紫色の禍々しい蠍の紋様。

 彼らこそ、ゼムリア大陸でも最強の一角と名高い猟兵団《赤い星座》の(つわもの)達。陸戦ならば《結社》の強化猟兵を遥かに上回ると言われる程の練度を持つ彼らは、レイの目から見ても中々に強壮だった。

 

「躾のなっていない娘が失礼したな」

 

「そう思ってんならマトモな教育したらどうだ? せめてノリと勢いで斬りかかってくるのをやめさせろ」

 

「そいつは無理な話だ。何せ、この俺の血を継いでいるからな」

 

 その取り付く島もない言葉に、しかしレイは妙に納得してしまい溜息を漏らす。

 すると、レイの耳朶に複数の足音が聞こえて来た。

 

 《赤い星座》の面々とは違うものの、防具を纏い、銃や剣を携えた組織だった者達が鳴らす足音に反応する。

 

「……来たか」

 

「そのようだな」

 

 赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)が凶悪な笑みを浮かべるのと対照的に、レイの表情はどんどんと冷めていった。

 

 刀の柄を、握りしめる。罠に掛かってしまった哀れな敗北者たちを、せめて武人らしい形で出迎えてやるために。

 その考えそのものも傲慢の在り方だと理解していながら、レイは右目の紫色の光をゆらりと燻らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 許せテロリスト諸君。相手が悪いんだ。というかこんなバケモンしかいない場所に正面切って行く君らも悪いぞ。

 次回は……シリアス成分多めですかね。


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災禍の摩天楼 後篇  -in クロスベルー






「罪滅ぼしなんて言い訳はしないわ。私はどんな罪を背負おうと私の戦いを続けなきゃならない」
    by 暁美ほむら(魔法少女まどか☆マギカ)








 

 

 

 

 

 

「此方が提示する報酬は、《天剣》、君が抱える魔女の呪い(・・・・・)の解呪だ」

 

 バルフレイム宮内の帝国宰相執務室。腹心の部下であるクレアですらも退室させた後、オズボーンは得意の話術でレイを翻弄することもなく、ただ単刀直入にそう言ってみせたのだ。

 

「…………」

 

 それは通常の人間の精神であれば意表を突かれ、唖然とした表情を晒してしまう程に唐突であったが、レイは表も内も可能な限り平静を保ったままに、その言葉の真意と可能性を探る。

 

 ”魔女の呪い”―――《結社》を去る前に、情報漏洩を防ぐために《使徒》第二柱・ヴィータ・クロチルダがレイの右首筋を基点にして仕込んだ呪い。

 《魔女の眷属(ヘクセンブリード)》の中でも屈指の鬼才と謳われた者が、更に高度な術式と膨大な魔力を費やして仕込んだそれは、5年という月日を経てもなお、解呪には一家言ある筈のレイを以てしても、その2割も解呪が進んでいないという有様なのだ。

 無論、僅かでも解呪の手順を間違えれば国家レベルで巻き込む未曽有の人災を引き起こす危険性と常に戦いながらの作業であったので、寧ろ5年程度で2割程度も解呪が進んだという事に対して驚愕するべきなのだが、元より魔女が使う特殊な魔法術式にあまり造詣が深くなかった彼にとって、これ以上の解呪作業は限りなく難しいと言えた。とどのつまり、手詰まっているという事である。

 

 果たしてそんな、神格生物すらも隷属させてしまうような馬鹿げた規模の拘束術式を完全に解呪できる存在などいるのだろうか? よしんば居たのだとしても、そんな超常じみた存在をこの男は囲っているのだとでも言うのか?

 

 そこまで考えたところで、レイは脳内で(かぶり)を振った。この男の性格を鑑みるに、不可能と思われることを不可能な状態のまま可能であるとは言わないだろう。

 レイはギリアス・オズボーンという男の存在を好ましく思っていない。しかしだからといって、この男の行動原理、行動心理を探っていなかったかと言えば、それも違う。

 フィーに付き合って行っていたトールズ士官学院入学試験の勉強の最中、レイは七耀歴1193年―――つまり11年前に帝国宰相に就任したオズボーンが行った政策とその結果の顛末を可能な限り調べた事があった。

 その結果分かったことは、この政界の魔人とも言うべき人物は、「公言した事は決して反故にはせず、必ず実行する」のである。

 

 11年前から帝国周辺に存在していた数多の自治州の統合政策や、帝国全土への鉄道網設置政策など、時に強硬策も辞さなくてはならない政策を実行する際、反対意志を示す関係者や当事者各位を言葉で説得する事が多々あったが、回りくどく紆余曲折を経て言葉巧みに扇動し、ほぼ詐欺や謀略も同然のグレーゾーンを渡り歩きながら合意にこぎつけたケースが幾度も見られたのだ。

 ここで最もレイが警戒したのは、非常に回りくどく、言葉巧みに言い回しているとはいえ、合意内容そのものには決して虚偽が含まれていないという事にあった。

 最低限の利得権益を与えながらも、いざとなれば合意内容の拡大解釈をして武力制圧も辞さないその用意周到さ。加えて、統合した自治州の財政等が国家という枠組みを維持するのに不足するという事態を相当前から見越していたかのように行動に出るその慧眼さも、まさに大国の政治の頂点に君臨するに相応しいと認めるしかない程のモノであった。

 

 裏はある―――そう見て間違いはないだろうが、それでも開幕早々断言してみせたその報酬そのものは嘘ではないと見越す。

 

「呪いの解呪、ね。できる奴なんているのかよ。才能の使い方を完全に間違えた奴がマジ掛けしたやつだぞ? んなモン、同じ《魔女の眷属(ヘクセンブリード)》でも―――」

 

「可能だと、私はそう言ったのだ。

 何、君の言うとおり、どこにでもはみ出し者というのは存在するのでな」

 

 オズボーンのその言葉に、レイはピクリと片眉を上げた。

 

「……《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》の中に魔女を囲ったのか?」

 

「正確には《子供たち》の一員ではないがな。だが、アレが《蒼の深淵》に抱く執念はそれなりだ。期待はしてもらって構わんよ」

 

「…………」

 

 帝都での騒乱の際にその目的を表した《帝国解放戦線》。そんな時期に通商会議に向かうオズボーンを、彼らが見逃すわけはないだろう。

 加えて懸念しているのは、以前シオンから齎された”《赤い星座》のクロスベル入り”という情報。彼らがあの地を訪れた理由が長期休暇の満喫でない事が確かな以上、雇い主が誰であるのかも大体想像はつく。

 嘗てオズボーンは、宰相就任直後に起こったとある猟兵団による武力脅迫事件の際、それに先んじて別の猟兵団を雇い入れ、返り討ちにしたという前歴がある。

 それを考えれば、この通商会議に際してどのような手を打ったのかというのも想像はつくし、何より―――()()()()()()()()()()()()()()()()も予想できる。

 

 

「―――は、下らねぇ。ご大層に大金はたいて猟兵団雇い入れたんなら、そいつらに任せればいいだろうが。俺がわざわざ出向く理由があるとは思えねぇな」

 

 だが、筋が通っているのと納得できるのかどうかは別問題だ。

 殺人という行為そのものに忌避感を抱いているわけではないが、遊撃士として活動している最中はずっと”人間の不殺”の誓いを守り抜いてきた。

 数年来封じてきた行為を此処にきて再び成し遂げようとすれば……揺り戻しで何が起きるのかは容易に想像できる。

 

「ほう? 魔女の呪いの解呪には興味がないか?」

 

「まさか。興味がないとか言い張れるほど馬鹿じゃねぇさ。

 ただ、コイツは俺の問題だ。俺があのドS魔女を締め上げて呪いを解かせればいいだけの話だ。アンタの手を借りるまでもないし、本当にその魔女とやらがどうにかできるかどうかは疑わしいからな」

 

 骨折り損になるのは御免だぜ、と言いながらも、実際のところはただ目の前の男にいいように扱われるという事そのものが我慢ならないだけでもあった。

 幼稚な癇癪だと分かってはいたが、交渉術で劣っているならば劣っているなりに矜持というものがある。わざわざ虎穴に入る必要がないのであれば、提案そのものをつっぱねるという選択肢は決して間違ってはいなかった。

 

 常識的に考えれば、その話自体はレイに分があった。

 彼が指摘した通り、この話そのものはレイが求めるであろう餌で釣り上げようとしただけで、仕事そのものはレイが行わなくても良いものだ。そう思ったからこそ強気に出ることができたのだが、そこではたと気が付く。

 

 この男が―――如何なる時にも用意周到であるはずのこの男が。

 

 ―――()()()()()()()で自分に仕事を持ちかけるなど、そんな事があるのだろうか?

 

 

 

「そうか、それは残念だ」

 

 そしてオズボーンは、踵を返してヘイムダルの全貌が見渡せるガラス窓の方へと体を向けると、僅かも落胆の意が籠っていない声でそう言った。

 

 

「ならば仕方ない。テロリスト共と直接顔を合わせた君に依頼をしようと思っていたのだが、断るというなら是非もない。

 ―――些か反感は買うだろうが、クレアを伴につけて”仕事”をこなして貰うとしよう」

 

 

 その言葉を、レイが聞き逃すはずもなかった。

 オズボーンの背後から首筋に突き付けられた白刃は、抑えきれない殺意を孕んだままに輝きを保つ。

 

「……成程、テメェ最初(ハナ)からそれをカードに俺を動かす腹積もりだったか」

 

 レイ自身の声も冷え切り、その右目にも殺気が宿る。

 

 クレア・リーヴェルトは軍人だ。例え恋人の視点からは好ましくはないとはいえ、他者の命を奪う行為そのものに否を唱えるわけにもいかない。それは恐らく、彼女自身も理解しているだろう。

 だが、虐殺紛いの汚れ仕事を行わせるというこの状況を見逃せるほど、レイは達観してはいなかった。少なくとも、自分が引き受ければ回避できるこの状況においては。

 

「テメェの腹心の部下ですら、所詮は”駒”でしかねぇってか」

 

「人聞きが悪いな。私とて、()()()に抱く情はある。子の”可能性”を拡げ、示唆するのも親の役目だとは思わんかね?」

 

「…………」

 

 それ以上、レイはオズボーンに対して声を荒げることはなかった。

 ある意味では分かっていた事だ。この男が、愛も情も理解して、その上で他人の全てを駒とみなしてゲーム盤を回しているのだという事は。

 そういう意味では、クレアというカード一枚で動かす事のできるレイの存在は、使いやすい手駒という事なのだろう。その事実は確かに悔しくはあったが、もしこの場でそれでもなおレイが依頼を断ろうものならば、オズボーンは比喩でも脅しでもなく本当にクレアを”使う”だろう。

 

「……いいだろう。仕事を受けてやる。

 ただし、報酬をもう一つ増やしてもらおう」

 

「ほぅ、いいだろう。言ってみたまえ」

 

「今後一切、《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》クレア・リーヴェルトの存在を盾に俺を動かそうとするのは止めてもらおう」

 

 無論その言葉は、確約のない口約束である上に、誓約にしても曖昧なモノであった。

 しかしオズボーンは、首元に突きつけられている白刃をまるで存在しないように踵を返し、不敵な笑みを浮かべたままに口を開いた。

 

「フフ、まぁいいだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、今後彼女を話の枠に置く事はしないと誓おう」

 

「…………」

 

「信じられんかね? 私とて、蒙昧でない人間に対して同じ事をするつもりはない。

 故に、な。―――その懐のモノは必要ない」

 

 まんまと見抜かれていた事に内心で舌打ちをかましながら、レイは制服の内ポケットに潜ませていた小型の録音装置のスイッチを切る。

 言質を取るつもりで仕込んでいたものだったが、指摘された以上は意味がないだろう。

 

 しかし、愛しい恋人への影響が防げるならば、一時修羅に戻ることくらいは安いものだと、そう思ったのだ。

 ―――そう。この時はまだ、そう思っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「き、貴様……ッ‼」

 

 ジオフロントの広大な場所に反響するその声は、上階での直接襲撃に失敗した後にエレベーターを利用して地下に逃れた《帝国解放戦線》の一団、その先頭にいた人物。

 メットに隠れて外見だけでは人物の特定をすることはできなかったが、その声には聞き覚えがあった。

 

「その声は《G》……いや、ミヒャエル・ギデオンだったか。此処に来た幹部がお前で僥倖だよ。他の幹部が来たら……周りも巻き込んで少し暴れる事になってただろうからな」

 

 レイはそう言うや否や、つむじ風を残して【瞬刻】を発動させると、ギデオンの懐に潜り込み、軽装鎧に包まれた腹部に拳を突き入れた。

 

「ガ……はっ⁉」

 

 直後、ギデオンが感じたのは体内で内臓が攪拌されるかのような感覚。内臓だけではなく、その一撃だけで肋骨を何本かへし折り、構成細胞を容赦なく圧殺していく。

 俗に『寸剄』と呼ばれているその技術は、『浸透剄』と共に東方武術に伝わる技であり、練られた功夫(クンフー)より放たれる衝撃を外部ではなく内部に貫き通すそれは、練度の高い者が本気で放てば人体を取り返しのつかないレベルにまで粉砕することも可能である。

 だがレイは、それを加減して放った。元より拳術を本腰で習得していないという事もあってその道の”達人級”が放ったモノと較べれば幾分も威力が落ちるのだが、万が一にもここで殺さないために更に手心を加えるハメになったのだ。 

 それでも、数日はまともに歩けもしないであろうダメージを負ったことは想像に容易いが。

 

 

「ど、同志《G》⁉ ―――ガッ……」

 

「くそっ、よくも―――グハッ……」

 

 倒れ込んだギデオンの眼前に迫ったレイに銃口を向けたのはその後ろにいた構成員の二人だったが、銃の引き金を引く前に彼らの口から最期の呼吸が漏れ出した。

 

「あはっ♪ 遅いよぉ」

 

「つまらないなぁ。せめて一太刀くらいは躱してほしかったけれど……まぁ、高望みか」

 

 二人の胸を、二振りの武器が見事に貫く。

 駆動音を響かせて高速回転するチェーンソーが、飾りなど一切ない無骨な大剣が、僅かの躊躇いもなく正確に彼らの心臓を突き破ったのだ。

 その状態で、シャーリィとイグナの兄妹は笑う、嗤う。

 戦場で数多の命を刈り取ってきた彼らにしてみれば、人一人の命を奪うという行為は煩わしい蚊を払い殺すのとそう変わりはしない。

 絶命し、斃れ込む彼らの身体から武器を引き抜いた彼らの顔には返り血が飛んでいたが、その程度は彼らの戦化粧である。

 

 その狂気に塗れた眼光に射竦められてテロリストが数歩下がるのと同時に、意識を失ったギデオンを肩に担ぐレイを見て、シグムントは声をかける。

 

「雑魚の始末は任せろ。お前は自分の”仕事”を果たすんだな」

 

「好きにしろ。……なるべく一撃で殺してやれ」

 

「クク、善処しよう」

 

 それ以降は口を開かなかったレイは、そのままジオフロントの闇に隠れるように姿を消した。

 

 残されたのは、大陸最精鋭の猟兵団を正面から相手どるには些か以上に練度が劣る構成員たち。

 その中の一人が元の辿ってきたルートを戻ろうと踵を返した瞬間。冷酷な銃声が響く。

 頭部と首筋を撃ち抜かれ、糸の切れた傀儡人形のように斃れる音が鳴るのと同時に、無慈悲な殺戮が開始される。

 

 精神的に錯乱した兵士が、揺るがない統率のとれた兵士に勝る道理はない。少なくとも、この場では。

 殺人を本当の意味で厭わない者達が銃声と共に放つ弾丸は、過たず死神の鎌となって命を奪っていく。数えるのも不可能なほどの弾丸を撃ち込まれ、死の舞踏を踊る構成員の横では、シャーリィの武装《テスタ・ロッサ》より吹き出した火炎放射の豪炎が、断末魔の悲鳴を挙げる事すら許さずに人肉をヴェリー・ウェルダンに焼き上げる。

 興が乗ってきたイグナが命乞いに逡巡もせず大剣で叩き潰す横では、兄妹とは対照的に眉を顰めた本来”戦場に向かう者”として正しい表情を保ったままのレグルスが、両手に装備した東方由来の武装『護手双鉤』を振るい、屍山血河を築いていく。

 

 見るも無残な鏖殺の悲劇。まともな価値観と死生観を持つ人間が見れば、その行いを非道だと謗るだろう。

 一人や二人殺すのではない。両の手で数えることもできない数の人間を、まるで作業であるかのように殺していく様は、控えめに言っても異常である。

 しかし猟兵(彼ら)は、そのような謗りなど聞く耳持たない。

 『(ミラ)を用い、自分たちを雇った者が下した命令』―――ただその事実のみがあれば、彼らは一瞬の躊躇いすらもなく生者に引き金を引く。

 そこに善悪の概念は存在しない。例えば此処、この場において、《赤い星座》の面々は帝国政府からの依頼に基づいて、『《帝国解放戦線》の構成員を皆殺しにする』為に在るのだ。

 

 真紅の防護鎧を着込んだ死神の一団が文字通り”処刑”を終えるまでにかかった時間は10分程度。

 駐車場予定地に転がっていたのは、思わず目を背けたくなるほどに徹底的に”破壊”された、元がヒトであった物言わぬ肉塊。

 人の死を嘲る事を嫌うレグルスは人知れず目を伏せて黙祷を捧げていたが、殺戮の最前線に立っていたシャーリィとイグナは違う。

 

「なぁーんだ。もう終わり? つまんないのー」

 

「そう? オレはテロリスト風情にしてはもった方だと思うけどね」

 

 鬼の子として生を受け、嵐のごとき殺戮者として戦場を駆け巡ったこの兄妹にしてみれば、眼前の惨劇も”つまらない仕事の結果”でしかない。共に鮮血に塗れた大剣と《テスタ・ロッサ》を担ぎ上げ、不服顔のまま処刑現場を見渡す。

 

 

「っ―――テメェらッ‼」

 

 そんな時に踏み込んできたのは、彼ら兄妹に縁が深い男と、その仲間たち。

 男―――ランディは因縁の深い己の従兄弟達を睨み付け、その後に踏み込んできた特務支援課の面々は、一方的な虐殺の現場を目にし、怯えと悲哀の入り混じった視線を向けた。

 

「あ、やっほー。ランディ兄♪」

 

「何だ、遅かったじゃないか兄貴。道草でも食ってたのかい?」

 

 しかし兄妹は、鬼の形相で睨み付ける兄貴分に対して、まるで世間話でもするような口調で話しかける。

 

「テメェら……何してやがる‼」

 

「それはこちらの台詞だ、ランドルフ」

 

 言葉を返したのは、兄妹の父であるシグムント。獰猛な獅子を連想させるようなその双眸は今、出来の悪い息子を見て呆れる父親のような雰囲気も醸し出していた。

 

「俺達が何者か。よもやそれを忘れるほどに腑抜けたとは言わせんぞ。この程度(....)の所業など、俺達にとっては日常茶飯事だろうが」

 

「っ……」

 

「放蕩している内に感性が鈍ったか? ならば思い出せ。硝煙が漂い、血飛沫に塗れ、憎悪の念が跋扈する戦場―――それが俺達、修羅が闊歩するに相応しい場所だということを」

 

 声は重さを孕んで正義の体現者らに突きつけられる。

 

 奇しくも彼らは、此処で知ることになる。善悪の概念そのものが存在しない殺戮の世界。―――それこそが本物の”戦場”であり、その中で自分たちがいかにちっぽけで、無力な存在であるかという無情な現実を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――その男は、所謂優秀な学問の徒であった。

 

 若かりし頃は、ただ学問を修めるという行為が好きなだけの善良な青年だった。両親を幼くして事故で亡くし、孤児院で育った彼にとって、学を修めてより良い職に就く事こそが恩返しでもあったし、何より生真面目な自分の性に合っていたともいえる。

 

 そうして月日が流れ、次代の若者を育てるために教職の道を志すことを決めた時、彼は一人の女性と出会った。

 最初は母校で同じ選択授業を履修していたというだけの間柄だったのだが、彼は次第に彼女の、芯が強く心優しい性格に惹かれていき、学問だけに費やして来たために拙いにも程があった言葉で交際を申し込んだ。

 女性は慌てふためいていた彼の姿に思わず吹き出し、しかし彼女自身も彼のことを憎からず想っていたのか、その不器用な告白を受け入れた。

 

 その後は男もより精力的に物事に打ち込むようになり、そして若くして帝國学術院で教鞭を執るまでになる。

 その成果を、周囲はこぞって称賛したが、何より喜んでくれたのは交際中の彼女。そして彼はその勢いのままに―――やはり何というか不器用な体で―――彼女にプロポーズの言葉をかけ、その余りにも直情的すぎる言葉に涙を浮かべながらも、彼女はそれを承諾した。

 

 

 満たされた人生。満たされた感情。

 彼がそのまま何事もなく日々を送ることができたのならば、恐らくは幸福に満ちたまま人生を終えることができただろう。子や孫に囲まれながら、病院のベッドの上で安らかに息を引き取ることができただろう。

 だが、時代の流れというのは非情に彼を破滅という名の運命の濁流の中に放り込む。

 

 当時エレボニアで頭角を現していたのは、リベールとの《百日戦役》後に宰相の地位に就き、厳然たる改革を推し進めていた男、ギリアス・オズボーン。

 従来の依存しきった貴族政治から脱却し、身分・家柄を問わない実力主義の政治を目指していたオズボーンの政策を、当初彼は高く評価し、支持していた。

 妻ともども平民の生まれであった彼は、学生時代から権威に胡坐を掻き、親の威を借りて威張り散らすことしか能のない無能な貴族の子女を目の当たりにしていた。たかだか積み上げた家柄の年月だけでそういった奴腹をのさばらせるという事に人並みに憤慨の感情を抱いていたし、だからこそ数多の謗りや中傷をものともせず堂々と君臨するオズボーンの姿が眩しく見えたのは当然の事だったと言える。

 

 ―――だが、そういった価値観は呆気なく覆された。

 

 奇しくも彼は政治学を担当しており、准教授という地位に就いていた為もあって、移りゆく帝国の在り方をその目で見るために度々実地に赴く時があった。

 オズボーンの政策下で政治的併合がなされ、経済特区となった元自治州地域。そして、大規模な鉄道路線の敷設の為に度重なる交渉の末に土地を手放す事になってしまった地主たち。

 彼とて、この頃は既に現実を見据えていた大人だった。劇的な変革の裏では犠牲になる人物が少なからず出てきてしまうという事は理解していたし、そうした人たちに対して同情もしていたが、心のどこかでは達観していたことも覚えている。

 仕方がない。エレボニアという大国が腐敗から脱却するためには、どこかしら漏れ出てしまう者達もいる。しかしそれは必要最低限の犠牲なのだと、同情しながらも弁えていた。―――筈だった。

 

 

 ―――泣いていた。怒っていた。祖国を、代々受け継いだ土地を奪われて憔悴し、自ら死を選ぶ者達が数えきれないほどいた。

 政治的な無血併合? 聞こえはいいがそんなもの、帝国政府が経済的に脆弱な自治州に対して謀策を張り巡らし、追い込むところまで追い込んでから甘い蜜をチラつかせて政府が飛びつくように仕向けただけの話。 

 鉄道路線の敷設の影響で土地を追われた者たちの結果は、彼が思っていたそれよりも悲惨だった。そうした者たちの嘆きを、怒りを、帝国宰相たるあの人物は、一度でも省みた事はあったのだろうか。

 

 無論、改革は必要で、その上で出てくる犠牲の全てを保証しろなどと言うつもりはなかった。

 しかし、人生を掻き乱された者たちはこぞって言ったのだ。―――「あの男は、私たちから全てを奪った。それだけだ」と。

 

 

 ―――一度芽を出した疑心の芽というものは、水をやらずとも勝手に育ってしまうのが人間の心理である。

 

 彼は調べた。准教授として教鞭を執る傍ら、オズボーンが行ってきた政策の、その裏の全てを。

 学生時代から築いてきたコネも使い、探せるものは全て探した。それが、奪われた者たちの嘆きを聞いた自分の使命であると言い聞かせて。

 そんな行動を、彼の妻は諌めるようなことはなかった。あなたがそう思ったのなら、好きなようにやって、と。その後押しがあったからこそ、彼はそれに打ち込むことができたとも言えた。

 

 ……そして彼は知ってしまう。

 ギリアス・オズボーンが犯した、最初にして最大の罪を。

 

「なん……だ。これは……」

 

 目を通していたのは、とある書類のコピー。

 《百日戦役》の終結の折、リベール王国と交わされた和平交渉。かの戦役の発端が帝国南部に位置するスワンチカ伯爵家領土のハーメル村で起きた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()であったという噂くらいは元より存じていたが、その虐殺事件を引き起こしたのが、事もあろうに当時帝国内で燻っていた主戦派の一派が引き起こした、自作自演の所業であった事が記されていた。

 これが発覚した後の帝国政府は、事が公になることを恐れてリベールとの和平交渉に奔走した。それが多くの犠牲を出した《百日戦役》の顛末であったという事に対しても彼は幻滅したが、本当に閉口したのはその以降の事だった。

 

 大前提として《百日戦役》当時、オズボーンはまだ帝国正規軍の軍人であった。しかし戦役の終結と共に退役し、政治の道に足を踏み入れることになる。

 そうしてオズボーンは、瞬く間に人心を掌握した。戦役当時に主戦派の狼藉を見逃していたとして前宰相を反逆罪の罪に掛け、処刑。同時に領内での虐殺事件を諦観していた罪を問われ、スワンチカ伯爵家の当主も処刑された。

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()事により、自然災害によって消滅した事に改竄され、虐殺事件そのものを抹消したのだ。奪われた人命と、決して消えない悲劇を”なかった事”にして、更に軍拡を推し進めることになる。

 

 

 大国の政府が瑕疵をもみ消すなどという事はよくある事なのだが、しかしこの真実は、彼の怒りに火をつけた。

 それからの彼の行動には、政府への批判の色が強く出るようになった。

 教義内容にもその思想が差し込まれるようになり、教授連から厳重注意を受けたことなど一度や二度ではない。それでも彼は、正義感に引きずられるようにしてその思想を加速させていった。

 

 ―――その過程で、彼が偶然も重なって国家機密レベルの書類のコピーを閲覧してしまったという事実が政府に漏れてしまった事が、運命を決めることになってしまった。

 

 

 

 国家反逆罪―――それが彼に対して適応され、出張で帝都を離れていた隙に帝都憲兵隊が自宅に押し入り、関係者であるとして彼の妻も拘束された。

 無論彼は釈明と妻の保釈の為に帝都に戻ろうとしたが、その行動に待ったをかけたのが彼の意志に少なからず賛同していた、政府勤めの学生時代の友人だった。

 

『ギリアス・オズボーン本人がお前に目を付けた』

 

『あの男が動けば、もう無理だ。反逆罪の犯人は言葉にするのも憚られる尋問に掛けられる。”事故死”に偽造される事など当たり前だ』

 

『残念だが……お前の妻はもう―――』

 

 時を同じくして、彼は帝國学術院を罷免。帝国各地を逃亡しながら、彼は失意の中で思考の海に潜ることが多くなった。

 自分がしていた事は、本当に正しかったのか? 正義感に踊らされて首を突っ込み、変えられた事など何一つなく、挙句の果てにはたった一人愛した女性すらも巻き込んで失ってしまった。

 自業自得だと言えば、それまでなのだろう。言葉を荒げて批判を唱えるには彼はあまりにも非力すぎて、分を弁えない領域に足を踏み入れた結果、本当に守るべきものまで失ってしまったのだ。そこに何の意味があったというのか。

 せめてもの償いに自ら命を絶とうともしたが、そこで彼は否と思い留まった。

 

 最愛の人物を失ってまで提唱したギリアス・オズボーンへの批判。ここで自ら命を絶てば、それこそあの男の思う壺だろう。自分もまた、歴史の中から弾かれ、その存在はすぐに稀薄するに違いない。

 それは所謂、無駄死にだ。己の半生に、死んだ妻への贖罪と価値を見出すのであれば、残りの生涯全てを費やしてあの男に一矢報いなければならない。弱者ならば弱者なりに、燃やせる限りの執念を尽くして復讐の牙を研ぎ澄ませなくてはならない。

 

 そして彼は、幽鬼となった。同じくオズボーンに対して復讐の念を抱く者達と共に行動するようになり、水面下に潜って暗躍するようになった。

 非道に手を染めた。あれほど嫌った必要最低限の犠牲も視野に入れた。参謀役として、出来る限りの手は全て打ってきた。

 故に彼は、いつこの身が果てようとも文句などなかった。切り札の一つを失った今、囮になり役目を果たし切ることこそが、地獄に堕ちる前にすべき唯一の事だと、そう覚悟していた。

 

 そして、今彼の前には一人の少年が立っている。

 《帝国解放戦線》が活動するにあたって《氷の乙女(アイスメイデン)》ら《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》と同等―――或いはそれ以上に危険人物だと目された人物。

 嘗ては《結社》の”武闘派”《執行者》であり、その後遊撃士となった後もA級遊撃士に匹敵する実力を示していた鬼才。《結社》の手を借りて因縁の相手を用意してまで早々に潰そうとしていたその人物は、しかし五体満足のままそこにいた。

 

 その事実を《G》―――ミヒャエル・ギデオンは自分でも驚くほどに達観した感情のままに見る事ができていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 レイがオズボーンから承った”仕事”の内容は、『通商会議を襲撃した《帝国解放戦線》の統率者を捕らえ、尋問して情報を吐かせた後に始末しろ』というモノであった。

 所謂()()()()汚れ仕事だったが、帝都で戦線の周到さと意志の強さを目の当たりにし、または聞いたレイは、その命令のうちの一つを意図的に破棄した。

 

「先に聞いておくが、組織の情報を話す気はあるか」

 

「それに私が頷くとでも?」

 

「……まぁ、そうだろうな」

 

 その時点でレイは、尋問の過程を飛ばす事を決めた。

 恐らくこの男は、どれほど痛めつけられても一切口を割らないだろう。たとえ四肢を斬り落とされても彼は絶命のその瞬間まで同志を売ることはないだろうと、そう確信していた。

 それは単に、オズボーンに対しての意趣返し、というだけの事ではない。《結社》時代、そして遊撃士時代に数多の人間を見てきた彼は、ギデオンの心の中に潜む確固たる信念を見抜いたのだ。

 

 無論、”仕事”を十全にこなさなかったことに関しては後々釈明を求められるだろうが、殺人に関わる際に対象をいたぶる事を嫌うレイにとっては、実入りを期待できないのに徒に痛めつける行為は信念に悖る。これは、《結社》時代からの考えでもあった。

 すると、ギデオンは両腕両足を縛られたままに小さい笑い声を漏らす。

 

「クク、まさか君が鉄血の走狗に成り下がるとはな。その程度の信念で”正義”の体現者である遊撃士を名乗っていたとは」

 

「?……あぁ、何か勘違いしてるみたいだな」

 

 よりにもよって自分に”その言葉”を当てはめようとするとはな、と。レイは思わず失笑しかけてしまう。

 

「俺は自分の行為を”正義”に基づいてるとは毛ほども思ってねぇよ。―――お前らがそう思っているのと同じようにな」

 

「な……⁉」

 

 何を―――と口を開こうとしたところで、レイの鋭い右目の眼光に制される。

 

「思ってるのか? お前らは。ギリアス・オズボーンを斃すという目的の下でテロ行為を正当化しているお前らが?

 心底クズな連中なら話は別だろうが、少なくともお前らは()()()()()()()と分かった上でやらかしてると踏んだんだがな」

 

 その指摘に、思わずギデオンは口を噤んだ。

 ”正義”という言葉は言いようによっては利用がしやすいものだ。自分たちの行動を正当化させる為にその言葉を利用することは多々あるし、実際ギデオンもメンバーの思想統制の為に幾度もその手を使ってきた。

 しかし彼自身は、己の行動を穢れなき正義などと思ったことはない。それは亡き妻に対する贖罪で、その喪失に価値を見出すためで、当初抱いていた正義感とは些か以上に乖離し、初志とは離れてしまっている。

 それでもオズボーンを斃すという目的そのものは忘れておらず、その為ならば如何なる犠牲も省みない冷徹さを貫く覚悟はあったが、それを正しいと認識できるほどには外道には成り下がれなかった。

 

 帝国の平和を願っているはずなのに、国民を危機に晒すという矛盾。それに密かに心を悩ませた回数など指折りで足りるものでもない。

 ただ、そうであっても巨悪を殺しきるには―――こちらも”悪”になるしかなかったのだ。

 鉄と血を信条とするあの男に挑むには、純粋な善では足りない。悪を殺すために悪になる。それこそが目的を成す為の根幹と信じ、彼はそれを貫いてきたのだ。

 

「”善”と”悪”の単純な二元論でしか物事が語れねぇ奴らは、俺にしてみれば世間を知らなさすぎる。世界はそんなに甘くない。

 どちらかに100%傾いてる奴なんか気持ち悪いだけだ。そんなモノは、ヒトですらない」

 

 故にレイは、そんなヒトですらないモノを斬ることに躊躇いはない。

 それが進み、正の中に悪が混じった者、悪の中に正が混じった者を殺すようになれば、その人物もまた己の中に闇を抱えるようになる。

 そうして闇を濃くし続けた結果に出来上がったのが、レイ・クレイドルという人間だ。そして今彼は、その状態が最も顕著に表れていた意識に切り替えていた。

 即ち―――《執行者》時代の彼に。

 

「私を、殺しに来たのだろう?」

 

「あぁ」

 

 にべもなく、レイは言い放ってみせる。

 ギデオンにも、オズボーンの命を狙うだけの理由があるのだろう。そうでなくては、ここまで執念深く計画を練りはしまい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()。殺す相手に対して事情の説明を求めるのは本来ご法度だ。込み入った事情に耳を傾ければ、それだけ殺意が薄れていく。

 普段のレイならばいざ知らず、今の彼は限りなく《執行者》の時分に戻っている。

 殺す事に理由はない。殺される側の理由にも興味はない。流石に暗殺者の家系に身を置いていたシャロンやアスラ、根本的な精神から作り変えられていた頃のヨシュアなどに比べればその在り方に隙があるのは確かだが、それでも最低限の”始末屋”としての心構えくらいは心得ている。

 ―――心得ている、筈だった。

 

「恨むなら恨め。どう思おうがお前の勝手で、その恨みを俺に背負わせるのも好きにしろ。

 だがお前は殺す。これは俺の下した決定だ」

 

「大した不遜ぶりだ。私しかここにいないと知った時点で、帝国で何が起こっているか知らないわけでもあるまいに」

 

「…………」

 

 勿論それは知っていた。

 つい先ほど、以前クレアに預けた呪力を装填した宝石の反応を介して危機を察知したレイは、迷わずシオンを送り出した。

 そこから察するに、ガレリア要塞に向かったのであろうリィン達の下にも手勢の幾らかは差し向けられたのだろう。あの要塞を掌握する事ができれば、格納された『列車砲』を使ってクロスベル市ごと《鉄血宰相》を葬り去れるという腹積もりなのだろう。

 たった一人の標的を葬るために大量殺戮も厭わないその覚悟は認めなくもないが、だがやはり面白いものではない。

 

 そこでレイは、気を失っている間にギデオンのポケットの中から拝借した小型通信機器の電源を入れた。

 その型番などは見たこともない代物だったが、左眼が使えるレイにとっては使用方法など全て筒抜けである。無論、通信コードがいくら暗号化されようともそんなものは意味をなさない。

 数回のコール音の後、通話口がギデオンの口に向けられたまま通話先が反応した。

 

『《G》? 連絡して来たってことは作戦は成功したの⁉』

 

「《S》……か」

 

 ガレリア要塞に向かった同志の声に、しかしギデオンは生気の籠った声を返す事は出来なかった。

 

「……すまない。作戦は失敗した。私も……程なくして死ぬだろうな」

 

 そこで彼は、レイの顔を一瞥した。

 趣味の悪い表情を浮かべているかと思えば、僅かに眉を潜めたその表情のままギデオンと視線を合わせている。

 

『ッ……いったい誰に―――』

 

「俺だよ、テロリスト」

 

 そこでレイが、口を開いて通信に割って入った。

 

『貴方……《天剣》ね』

 

「直接顔を合わせたことはない筈だが、分かるモンか。まぁいい。

 聞いた通りだ。通商会議に乗り込んできやがったこの男を、殺す。お前たちが乗り込んだ場所の人間みたいに甘くないぞ、俺は」

 

『……わざわざそれを聞かせてくれたという事は、私たちは貴方を恨めばいいのかしら?』

 

「そうしたければそうしろ。俺も、俺の女と仲間たちに手を出したお前らを許す気は毛頭ない」

 

 レイが通信を繋いだのは、せめて最期に仲間の声を聴かせてあげたい―――などという殊勝な理由ではない。

 つまるところは、宣戦布告だ。仲間であり、友であるリィン達と敵対した事。そして何より、彼が愛した女性を害したという事そのものが逆鱗に触れたのだ。

 彼が本気で怒りを見せるのは身内のいささかいが他者に迷惑を及ぼした時―――だけの筈だった。

 

 だが、親愛と恋慕を募らせた相手が害されて怒りを見せないほど、彼は達観していない。ここに来てレイは、《執行者》としての顔ではなく、士官学院生としての顔を一瞬だけ垣間見せた。

 しかしそれも、ただ”一瞬”の話。

 

 レイは通信機を手放すと、地面に落としてそのまま踏み潰した。

 宣戦布告が果たせた以上、それ以上会話を続ける義理もない。そうした考えからの行動だったのだが、ふとレイは、己の行動の矛盾に気が付く。

 本当に宣戦布告をするためだけだったならば、ギデオンを殺した後でも良かったのだ。そうでなくとも、ギデオンに会話をさせる必要などなかった。

 何故、と思いながら無言のまま愛刀を突きつけると、ギデオンは先程までの不貞不貞しいそれとは異なる、どこか同情するような表情を見せた。

 

「―――とても、これから人殺しをする人間の目には見えないな」

 

 そう言われた自分がどういった表情を浮かべていたのかは、分からなかった。

 否、()()()()()()()()()というのが本音だったのかもしれなかったが。

 

「今まで自分が築き上げた全てが崩れ落ちる事に対する恐怖―――はは、まるで、嘗ての私のようじゃあないか」

 

「…………」

 

「私よりも遥かに殺しに慣れた君がそうした表情を浮かべるとはな。……クク、安寧というのも、時には害になるらしい」

 

「…………」

 

「いいだろう。望むなら私の恨みを全て持って行け。私の無念、贖罪、後悔……或いは私は、君に近しい存在であったのかもしれないな」

 

 そんなことを聞くつもりはなかった。殺す相手の事情など聞くつもりはなかった。

 だが剣鋩は、その心臓を貫く寸前で止まったまま動かない。―――だがその呪縛を、心を冷え切らせることで振り解いた。

 

 

「あぁ、確かに―――抱いた後悔は同じだったかもしれないな」

 

 

 ただその言葉を絞り出すように吐き出した後、白刃は過つことなく心臓の中心を突き破った。

 瞬間、刀身から流れ出した呪力の波動が肉体の生命活動を一瞬で終わらせる。人体の”核”ともいえる心臓に直接干渉した場合にしか使えない技ではあるが、これは死に至るまでに苦しませない武人としての情けともいえる技だった。

 僅かも、それこそ痛みを感じるまでもなく逝く事ができたギデオンは、苦悶ではなく満足げな表情を浮かべたまま斃れる。

 それを、()()()()()()()()()()()眺めていたレイは、その数秒後にはたと正気に戻る。―――それと同時に、形容し難い震えが全身を襲った。

 

「ぁ……」

 

 人を殺したこと、それ自体に恐怖を抱いたわけではない。その程度の覚悟がなければ、そもそも剣を取ったりもしないだろう。

 彼が恐れたのは、ギデオンを殺した瞬間、()()()()()()()()()()()()

 

「あ……ぁ……」

 

 仲間と共に学院で築いた思い出も、温かい心も、恋人への燃え上がる想いも―――全てが一瞬消えてしまった。

 それが怖かった。恐ろしかった。慣れていたはずの行為が、自分から思い出の全てを奪ってしまった事を。

 

「あ―――」

 

 右眼から滴り落ちる涙を止められない。何故だ、何故だと問答しても、いくら拭っても、それは自分の内から溢れ出てくる。

 今の今まで抑え込んでいたその弱さを守ってきた壁が、ここに来て致命的な綻びを見せた。

 

 呆けたような表情のまま、レイは膝をついてただ声を挙げずに涙を流し続ける。

 そんな彼を抱きしめてくれる恋人は今はいない。繋ぎとめてくれる存在はいない。

 

「俺は―――弱い、なぁ」

 

 唯一漏れ出たその声も、ジオフロントの闇に掻き消され帰ってくることは、なかった。

 

 

 

 

 

 

 






誰か今の、今の彼を助けてあげて下さい。

このまま気付いてあげなければ、彼は本当に壊れてしまいます。
それはもう、致命的なまでに滅茶苦茶に。

それができるのは―――想い人しかいないのです。





―――*―――*―――


 PCが派手に壊れて一週間以上、ようやく最新話を出す事が出来ました。
 今回で『英雄伝説 閃の軌跡』は90話を迎えました。皆様のご愛読、まことにありがとうございます。

 このまま連続投稿と行きたいのですが、3月から就活が本格的に始まるため、更新の頻度は落ちるかと思われます。それでもエタる事は絶対にしたくないので、待っていて頂ければ幸いです。


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不穏の微睡み





「誰かを殺していい理由など存在しない。命を奪う行為は等しく悪だ」
    by 梟(東京喰種)







 

 

 

 

 

「あー……これはまた派手に()()()ものだね。まったく」

 

 現実世界のどこでもない場所で、所有者の精神的な負荷を感じ取った少女は、そう独りごちて儚げに見える微笑を浮かべた。

 少女の眼前に在るのは、この世界の本来の主であるレイがつい先日此処を訪れた時よりも爆発的に増えた黒茨の森。彼の”後悔”の具現化であるそれが爆発的に増えるという事態はこのところはとんとなかっただけに、流石の少女―――天津凬の微笑にも僅かばかり濁りが見えた。

 

「《結社》を抜けた直後以来……いや、《狂血》を封じた時以来かなぁ。本質的なところは変わらないのは”呪い”の影響もあるのかな?」

 

 天をも衝かんばかりに聳える黒茨は、それそのものがレイ・クレイドルという少年の拒絶の表れだ。

 つまり今彼は、ヒトとして何か大事なモノが壊れてしまっている。元より感情を内に溜め込みやすいあの少年は、また何か厄介な事柄を殊更大事に抱え込んでしまったのだろうと天津凬は推測した。

 

「ふぅ、やれやれ。ボクは何でこんなヒトの感情の機微に過敏になってしまったんだか」

 

 その理由は間違いなく彼女の所有者の影響だろう。元々意志を持つ兵装として《十三工房》最高の鍛冶職人《鐵鍛王(トバルカイン)》に鍛えられた傑作である彼女であったが、それでも根本が無機物であるため当初はヒトの感情など理解できなかったし、するつもりもなかったというのが本音だ。

 しかし幸か不幸か、彼女の所有者となった少年は、余りにも波乱な日常を送りすぎた。

 自分()という存在を十全に使いこなし、魔獣や人を斬る事は勿論、時には竜種や神性存在にまで剣鋩を向けなければならない事態にまで追い込まれたこともあった。

 そうした場面に直面した時、彼は決まって苦悩を宿していた。そうした場面と、この精神世界の最奥に黒茨が増え続ける様子を目の当たりにしていく間に、彼女は思ったのだ。

 

 あぁ、彼は何て罪深い存在なのだろうか―――と。

 

 事象を事象と割り切って斬り捨てる事ができない。一度斬る対象の内心を視界に収めてしまえば、その事情を慮ざるを得ない優しい優しい少年。

 本来であれば剣を取る事すらままならない性格だろうに、一度憎悪を糧にその心を押し殺して剣を取り、剣術を修め、人を斬ってしまった以上、もう元の鞘に戻る事はできない。

 だが彼は、彼には剣を取り、力を研ぎ澄ます理由があった。

 

 それは時に己を繋ぎ止めるためであったり、時に守れる限りの人を守るためであったり、時に心地よくなった陽だまりの場所を奪わせないためであったり。

 

 とかく彼は昔から『何かを守るため』に剣を振るっていたのにも関わらず、当の本人はそれを誉れとは思っていない。

 この剣は簒奪の殺意。この技は傲慢の手練。この心は贖罪の隷属。―――それを業として生きて来た少年なのだ。

 此処に辿り着くまでに、多くのものを犠牲にしてきた。守れなかったものがあった。だからこそ彼は、今度こそは取りこぼさないようにと躍起になって、己の足元が疎かになる。

 その進む先が崖であった事も幾度となくあった。その度に彼の手を引いて正しい道を示唆してくれる存在はいたのだが、今はとてもとても危うい。

 早くその手を引いて抱きしめてやらなければ、引き返せない場所まで堕ちて行ってしまう。

 

「まぁ、ボクにその役目は無理なんだけれど」

 

 抜き身の刃が抱きしめてやるなど洒落にもならない。そもそもそんな柄ではない。

 折角愛し愛された異性と、絆を育んだ友らがいるのだ。彼らがその役を担わずしてどうするのか。

 

「……ま、あぁ見えてかなり面倒くさいご主人様だけれど、さ」

 

 故に天津凬は呟く。

 誰かに心の底から愛されることを願った少年が、今度こそ真に愛されることを。

 

 

「せめて人並みの幸せを享受できるまで、面倒を見てあげてくれ。―――傍観者のボクが言えた義理ではないんだけれど、ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

「……報告は以上になります。クレア殿は一時期重傷を負いましたが手当は間に合い、現在は帝都の総合病院に搬送されている頃合いかと」

 

 

 オルキスタワーが《帝国解放戦線》《反移民政策主義》の面々に襲撃された事件から実に40時間が経過した、9月2日午前9時。

 あの事件の後も会議は少しばかり続いたようではあったが、流石に首脳陣の身の安全を最優先され、翌日の午前中には各々の国へと帰国していった。

 しかし、”仕事”の”事後処理”を行っていたレイはオリヴァルト達とは出立を遅らせ、一日遅れでエレボニアに戻るために大使館前に荷物を用意させた状態でシオンからの報告に耳を傾けていた。

 

「そうか。念の為と思って保険を掛けておいたらドンピシャとはな。……あいつには、悪い事をした」

 

「そのような事は―――」

 

「ガレリア要塞の方は?」

 

 有無を言わせないようなレイの言葉は、いつもと同じように見えてその実は違う。

 従者として長く傅いているシオンには分かる。これは異常な事であり、問い質すのが忠臣としての役目なのだと。

 しかし彼女は、促されるままに次の報告を紡ぎ上げた。

 

「ガレリア要塞には《帝国解放戦線》幹部の《S》と《V》が向かい、『列車砲』を起動させてクロスベルを強襲する予定だったらしいのですが、リィン殿たちがそれを阻止されました。

 また、ライアス殿にも話を伺ってみたのですが、ザナレイア以外にも”武闘派”《執行者》の乱入があったそうです」

 

「”武闘派”? マクバーンかアルトスクさんかヴァルター……いや、どれも違いそうだな」

 

 その言葉に、シオンは頷く。

 

「執行者No.XⅦ《剣王》リディア―――どうやらレオンハルト殿の弟子のようであったと」

 

「レーヴェの弟子? レーヴェが? 弟子? ……俺がいなくなった後どんな心境の変化があったんだよ」

 

 少なくともレイが知るレーヴェ―――《剣帝》レオンハルトはまかり間違っても弟子などは取らない男だった。

 自ら修羅の道に堕ち、そして修羅であり続ける事を望んだ彼が、そんな未練を残すような真似をするとは到底思えず、敵が騙っていたという事も充分にあり得るのだが、しかしレイはライアスの証言を信じる事にした。

 ライアスとの付き合いも長い。修業時代は共に《鉄機隊》預かりでいつ死んでもおかしくないような鍛錬に明け暮れ、人となりは熟知している。飄々と振る舞う事が多いが、実のところ彼は人を見る目、見抜く目に長けている。それは彼の中に流れる貴族の血が開花させた才能だろう。

 

「そのリディアとかいう奴は、サラとナイトハルト教官の足止めのために用意された、という事か」

 

「はい。お二方とも負傷は致しましたが、今では完治しております。リィン殿たちの方も大きな損傷はなかったようですが……リィン殿が刀を破損してしまったようです」

 

「…………」

 

 その報告にレイは少し呆気にとられたように数回瞬きをすると、クスリと笑った。

 

「そうか。あぁ、いや、笑い事じゃねぇな。剣士にとって刀剣を失うのは死活問題だ。それも長年愛用して来たモノが失われたとあっちゃ、あいつの心労も溜まってるだろうよ」

 

 剣士とはその名の通り、剣と共に在る者だ。

 《八葉一刀流》は『無手の型』も組み込んではいるが、それもつまるところは剣ありきの武術である。

 中には無手のみを極めるという好き者もいるにはいるが、リィンの戦い方はまず剣ありきだ。加えて刀という武器はどこにでも売っているようなものではない。それこそカルバードの東方人街にでも赴けば手に入るだろうが、帝国ではまだまだマイナーな武器なのだ。

 

「まぁいい。太刀の方は俺が何とかしてやるか。俺からの成功報酬みたいなもんとして」

 

「はぁ……」

 

「だけど、そうか。アイツらちゃんとやってくれたんだな。ハハッ、5ヶ月前と比べりゃ随分強くなったよ、ホント」

 

 その言葉は、本当にⅦ組の面々を称賛していたのだろう。それは間違いない。

 だがそれと同時にその声色にどこか哀愁じみたものが含まれていた事を、シオンは聞き逃さなかった。

 

 

 

「―――もう大丈夫だな。俺がいなくても」

 

「っ―――主‼」

 

 だからこそ、漏れ出たその言葉を聞いて何も返さない事など、シオンにはできなかった。

 

(わたくし)はあの日から……貴方様に服従を誓ったあの時から、主の生き方を否定せぬと、その在り方を咎める事はせぬと自らを戒めて参りましたが……どうか一つだけ、諫言をお許しください」

 

「…………」

 

「主は、またお独りになられるおつもりですか? 貴方様をお慕いしている方々を置き去りにして? そんな事をすれば貴方様は―――今度こそ本当に、後悔の念に身も心も押し潰されてしまいます」

 

 頭を下げ、佞臣ではなく本物の忠臣として諫めるシオンの姿にレイは一瞬哀しそうに顔を歪ませ、そのまま荷物を持ち、大使館を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――それで? 貴方は声を掛けてあげないんですか?」

 

 同時刻、行政区旧市庁舎屋上。

 クロスベルに於ける行政の役割のほぼ全てがオルキスタワーに移転する事になった経緯から滅多な事では人が入らなくなったこの場所に、一組の男女がいた。

 普段纏っている白銀の鎧は「街中でこれを着たまま歩くとか正気じゃない」と言い、ラフな私服に着替えた金髪の女性、ルナフィリアは傍らに設置されていた古いベンチに腰掛けて紫煙を燻らせていた男に声を掛ける。

 

「男が自分(テメー)で決めた事に口を出すのは無粋ってな。そういうこった」

 

「……それで壊れちゃったらどうするんです? 一応お義兄さんなんでしょ、アスラさんは」

 

 不敵な笑みを湛えながらも、それでも視線だけは大使館から出て来たレイに向けたまま、アスラ・クルーガーは鼻を鳴らした。

 

「兄貴分だからこそ、だ。本来兄弟ってのはそこまで仲良く馴れ合わねーもんさ。あン時はホラ、あいつ(レイ)の周りに本当の意味で救い上げてくれる奴がいなかったから俺が助けたがな、男ってのは一人で覚悟決めなきゃならん時もあるのさ」

 

「はー。男にしかわからない世界ってやつですか。分かりませんねー、私には」

 

「根がバカだからな、男は。ガチで賢い生き方が出来る奴なんてそうそういねーよ。大抵の奴はどっかしら不器用で、強情で、こうと決めた道しか見えねぇ頑固者だ。俺しかり、アイツしかりな」

 

「ふむふむ。……ん? ちょっと待ってください。その理論で行くと《鉄機隊》の面々は大体バカになってしまいます。アスラさんはアレですか? あのフルボッコにされた”怒りの日”を再現したいんですか?」

 

「おい待てやめろ。《鉄機隊》総出でフルボッコとか流石の俺でも死にかけたんだぞ」

 

 お互いに軽口を叩き合いながら、しかし元同僚であった二人はやはり弟分の事は気になっているようではあった。

 レイの精神状態が今擦り切れている事をシオン経由で聞いたアスラと、事の顛末を見届けるために気配を殺してジオフロントに潜入していたルナフィリアは、しかしレイに直接接触しようとはしなかった。

 ルナフィリアはその行為が職務を逸脱しすぎるため。そしてアスラは義弟の成長を促すために敢えて。

 

「でもいいんですか? もし本当に戻ってこれなくなってしまったら……」

 

「心配性だなぁお前さん。ま、大丈夫だろうさ」

 

「?」

 

「あの時とは違って、今のアイツには味方になってくれる奴がいる。今更俺が出張らなくても、大丈夫さ」

 

 その横顔は、年の離れた弟の巣立ちを見守る本物の兄のようでルナフィリアも釣られて莞爾の笑みを浮かべてしまう。

 ノルドに赴いた際に出会った学友に、三人の恋人たち。彼らに任せれば或いは、レイが《結社》に来た当時から抱き続けていた後悔と贖罪の念を晴らす事が出来るかもしれない。

 まぁそれも―――()()()()()()()()()()()()()()()の話だが。

 

「ん? そういえばカグヤ卿はどうしたんだよ。お前さんと一緒に居たよな? 気配あったし」

 

「……ホント肉弾戦特化の達人さんって気配察知が異様に上手いですよね。私はともかく副長の気配なんてそうそう察知できませんよ?」

 

「まぁ俺腐っても暗殺稼業の一族の人間だしな。つってもあの人が本気で気配消したら流石に見つけらんねぇぞ? わざと漏らして試してたのかもしれねぇな」

 

 んで? どこに行ったんだよ? と改めてアスラが問うと、ルナフィリアは気まずそうにサッと目を逸らした。

 

「……シャバの空気を吸ってくるとか言って私服着て裏路地に行ったらですね、酔っぱらいのチンピラに絡まれまして……えぇ、その場でノして有り金巻き上げてカジノに行きました。多分オールでやってます」

 

「仮にも元弟子がヤバいって時にそれはどうなんだよ。つーか”絶人級”の武人がカツアゲなんてやってんじゃねーよ」

 

「副長はアレですから。食事してた時に襲撃食らってスープに窓ガラスの破片が入ったってだけで襲撃して来た猟兵団皆殺しにするような、一度売られた喧嘩は買っちゃうようなタイプですから。―――まぁ、でも」

 

 はぁぁ、と深い深い溜息を吐いた後、しかし性格的には面倒くさい上司の事を思って苦笑する。

 

「心配、してないんだと思いますよ? 何だかんだ言ってレイ君は副長の唯一の弟子ですからね。レイ君が《結社》を去る時に追撃しようとしてたザナレイアさんを本気で殺そうとしてましたし」

 

「それはただあの腐れ女が喧嘩吹っかけて来たからじゃねーのか?」

 

 とはいえ。

 長くカグヤの側近を務めていたわけではないルナフィリアの言葉は説得力があり、それをアスラは鵜呑みにする事にした。

 

「まぁともあれ、アイツの事を信じててやろうぜ。敵味方はともかく、お前さんだって腑抜けちまったアイツの姿なんて見たくねぇだろ?」

 

「……えぇ、そうですね。どうせなら万全な状態で相対してみたいと思うのが騎士の性ですから」

 

 精神は早熟。しかしそれ故に脆い衒いがあった弟分が無事に己の中の弱さに打ち克つことができるようにと心の中で祈りながら、二人は駅の方へと歩いて行くレイの背中を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……む、漸く来おったか」

 

「あれ? 爺さん?」

 

 クロスベル駅構内の待合所。大陸横断鉄道が来るまでの十数分をここで待とうと思っていたレイは、そこで思わぬ人物と顔を合わせた。

 

「どうしたんだよ。爺さんが工房から出てくるなんてガチの素人がにがトマトに攻撃当てられるくらい珍しいんじゃねぇの? ……明日は豪雪か?」

 

「……おぬしは儂を世捨ての仙人かなにかと勘違いしておるようじゃの」

 

「いや、間違ってなくね? 実際爺さん厭世家だし、佇まいとか髭とか仙人っぽいし。こんな賑やかな場所に来る事なんてねーだろうなって思ってた」

 

「フン。まぁ儂とて用がなければこのような場所になんぞ来たくはないわい。おぬしに渡すものがあったのでな」

 

 するとヨルグは作業服のポケットの一つからとあるものを取り出した。

 

「手紙?」

 

「うむ。クロスベルを離れる前に、レンから預かっておっての。おぬしに渡してくれと頼まれたわい」

 

「あ……」

 

 裏を見てみると、そこには猫の紋様が象られた封蝋が押してあった。確かにそれは彼女が好んで使っていたマークであり、懐かしさが込み上げて来た。

 本来ならここで優し気な笑みの一つでも漏らすだろうと思っていたヨルグだったが、しかしレイが浮かべていたのがどこか沈鬱としたそれであったのを見て、怪訝に思う。

 

「おぬし……」

 

「ん、ありがとな。ヨルグ爺さん。コイツはトリスタに帰ってからゆっくり読むとするわ。……アイツの事だから開けた瞬間ビックリトラップとか発動してもおかしくねぇからな」

 

 カラカラと笑うレイであったが、それに誤魔化されるようなヨルグではない。

 その笑みは昔、レンと共に彼が初めて《ローゼンベルク工房》を訪れた時の、本心を押し殺して浮かべていた乾いた笑みと酷似していた。

 

「じゃあな、爺さん。またいつか長期休暇でも取れたら遊びに来るよ」

 

 そう言ってホームに向かおうとして踵を返したレイを、ヨルグは「待て」と引き留めた。レイはその声に、振り向く事はなかったが足を止めた。

 

「おぬしの言う通り、確かに儂は厭世家だ。しかしそれは性分のようなもの。若い頃から技師としての生き方しか知らんかったからな。

 じゃがおぬしは、それとは違う。己の生き方を求めて巣から飛び立った雄鳥は、古いしがらみに囚われるような事があってはならぬ」

 

 一言でいうならば職人気質。己が心血を込めて作り上げる作品以外に興味はなく、他者と馴れ合う事はない頑固者。―――少なくともヨルグを知る数少ない”表”の人間たちは、そういった印象を抱いているだろう。

 しかし今のヨルグは、進んで独りになろうとしている孫を戒める厳しい祖父、といったような雰囲気を醸し出していた。

 

「《結社》を抜けてから……否、エレボニアに留学してからおぬしが出会った者達。それはおぬしにとっても無視できない存在の筈であろう。

 苦悩、葛藤……思い悩むのは大いに構わんが、抱え込んで自壊するのは愚者のする事だと心得ろ」

 

 厳しい声色の諭すような口調に、レイは僅かに口角を吊り上げる。

 分かっている。あぁ、そんな事は分かっている。自分がどうしようもない馬鹿で弱者だという事は骨身に沁みて理解している。

 忠臣に諫められ、祖父代わりのような人物に諭されてもなお、馬鹿げた決意が僅かなゆらぎしか見えない馬鹿さ加減が嫌になる。

 

「(愚者、か……)」

 

 あぁ確かにその通りだな、と。自嘲する。

 精神は既に背水の瀬戸際まで追い込まれているというのに、それでもそれを表面に出せない自分が嫌になるのだ。

 思考と表情が別離しているというのは、時にこうした悪癖を生み出す。一昔前はそれが当たり前だったというのに、今ではとても息苦しい。

 

 誰かに縋りたいと思っているのに、縋れない。自分の中にある下らない矜持が邪魔をする。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という、嘗て己に課した誓いが、他者に涙を見せる事を許さない。助けてくれと希う事を許さない。

 それが下らない意地だと分かっていても、その生き方を止めてしまえば、自分が本当に弱くなってしまいそうで怖い。

 

 元より血反吐を吐き、幾度も死にかけながら修業に明け暮れて武術の天嶮に登り詰めたその起源は復讐心だ。

 母を、村の人間を殺し尽くした邪悪な教団を塵一つ残さず滅殺してやると、沸騰して煮えたぎった怒りを糧に磨き上げたモノ。

 しかしそれが成し遂げられた後の彼の強さは、本質的な意味で宙に浮いていた状態だった。

 

 己が抱き続けた”後悔”を取り戻す―――もう二度と取り溢さないように守り続けたい―――そんな渇望で鍛え上げたからこそ、その想いを強く抱き続けないわけにはいかなかった。

 ()()()()。強くなければ何も守れない。己が容易く瓦解してしまえば、両手が届く範囲ですら、守り切る事が出来ない。

 

 弱い姿を見せる事が出来ないレイの本質が、ここに来てより頑固になってしまった。

 ()()()()()()()()()()()強さが揺らいだ。それはあってはならない事で、故に彼は再び仮面を纏った。

 ただ―――弱者に戻りたくないという一心で。

 

 

 愚者で結構。誹られるも罵倒されるも覚悟している。

 ただそれでも、”落とし前”はつけなくてはならない。絶対に。

 

 そんな決意と共に、クロスベルを発つ。

 暫くは戻れないだろうなという、哀しさを孕んだ思いと共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガイウスさーん。すみません、ちょっと高い所にある荷物を取っていただけませんか?」

 

「あぁ、分かった。……? エリオット? 何を探してるんだ?」

 

「うん、カビ落としの洗剤がどこかに行っちゃってさ」

 

「あぁそれでしたら、さっきユーシスさんがお風呂場に持って行きましたよ?」

 

「ホント? ありがとう委員長」

 

 

「ミリアムー。アガートラム使って屋根裏の掃除お願いできない?」

 

「えー、やだよー。ホコリとか煤まみれになっちゃうもん。アリサがハシゴ使って掃除すればいいじゃん」

 

「そう……残念ね。やってくれたら今日のおやつのケーキ、ミリアムにイチゴを多く乗せてあげようと思ったのに」

 

「ガーちゃん‼ いこー‼」

 

「γΘΖΓΒΣΨ」

 

 

「レーグニッツ、貴様人の話を聞いていなかったのか? この洗剤の薄め方は2:8だと言っていただろうが」

 

「君こそ人の話を聞いていなかったのか? この洗剤は少しばかり濃度が薄いから3:7の方が汚れが落ちやすいんだ」

 

「阿呆か貴様は。それだとタイルの劣化が激しいだろうが。効率ばかりにかまけて物品の劣化速度に気を使わないとは……次席が聞いて呆れるな」

 

「……僕は段々君が本当に大貴族の家で育ったのかと疑問に思ってくるようになった」

 

 

「うぅ、クソ。この時期のトイレ掃除とか貧乏くじ引きすぎだろ俺……おーいフィー、生きてっかー? 熱中症とかになってねーかー?」

 

「大丈夫。クロウみたいに柔じゃない。「おいどういう意味だそれ」それより、飽きた」

 

「飽きたでサボれんなら俺だってサボっとるわ。だけどな、逃げたら委員長のキッツイお仕置きが待ってんぞ。ついでに夕飯のおかずが一品減るぞ」

 

「……それはヤダ」

 

「だろ? だったらとっととそっちも女子トイレの掃除終わらせろ。もーちっと頑張れば終わるだろ。多分」

 

ya(ヤー)……」

 

 

 同日昼過ぎ。本来であれば学院で勉学に励んでいる筈のⅦ組の面々は、しかし第三学生寮にて総出で掃除に励んでいた。

 その理由はガレリア要塞での活躍を加味されて学園側から数日の休みを貰った事に起因する。その休み期間をどう使うかは個々人の自由だったわけなのだが、運悪くシャロンがラインフォルト社での仕事の関係でルーレに帰ってしまっているため、空いている時間を使って大掃除に勤しんでいたのである。

 とはいえ、普段からスーパーメイド・シャロンの手によって完璧に管理されていたこの建物はそれ程汚くはない。だが、残暑がまだまだ厳しいこの気温では1日掃除を放っておいただけでも厄介な事になるため、どうせならと総員での掃除をする事になったのである。

 因みに渋ったメンバー(※お察しください)は全てエマの笑顔(という名の逆らえないプレッシャー)の前にひれ伏した。

 

 

「はは。皆何だかんだ言ってちゃんと付き合ってくれるから助かるな」

 

「フフ、そうだな」

 

 そんな中、厨房周りを掃除していたリィンとラウラは、そういう言葉を交わしつつそれぞれの分担作業をこなしながら、しかし互いの心境の変化には何となく気が付いていた。

 

「……リィン。その、やはり落ち込んでいるのか?」

 

「え? ……あぁ、まぁ、な」

 

 ラウラが指摘するのは、ガレリア要塞から帰ってくる際にあからさまに落ち込んでいる様子だったリィンの姿。

 事情は聞いているし、同じ剣士として共感できるのだが、それでもやはり問いかけざるを得なかった。

 

「あの太刀は修業で真剣を持つことを許されたときにユン老師から貰ったものでさ。長年大切に手入れして来たから愛着があったんだ。あの場で毀してしまった事に後悔はないけどさ、それでもやっぱり精神的には割り切れないというか、何というか」

 

「あぁ、うん。それは私も分かる。私ももし剣を失う事があれば、そなたと同じことを思うだろうからな」

 

 理屈と感情は別物だ。後悔はないが、喪失感までは拭えない。

 とはいえ、リィンのそれはそれ程深刻な悩みではない。だから、リィンはラウラに問い返した。

 

「ラウラも、何か悩んでるみたいだな?」

 

「……あぁ」

 

 否定する事無く、ラウラは頷く。

 そもそも、要塞からの帰路についている時から彼女の様子はおかしかった。元より積極的に会話を切り出すような性格でもないのだが、列車の窓から呆けた表情で外を眺めたまま動かないという隙だらけの姿を見たのは、一同あれが初めてであり、悪戯心が芽生えたらしいミリアムが頬を軽く何度も押してみても反応がなかったほどだ。

 何度も呼びかけたところ漸く反応したが、その様子を心配したのか、その後はフィーがラウラの膝の上に乗ったままトリスタまで離れなかった。

 

「まぁ、あれだ。言いにくい事だったら言わなくても大丈夫だし、何だったらアリサや委員長とかに言った方が……」

 

「フフ、そなたは優しいな。だが大丈夫だ。

 ただでさえレイやシャロン殿の事で手が回らない以上、私の我儘に付き合わせるわけにもいくまい」

 

「いや、それは……」

 

「心配するな。一人で抱え込むような真似はしない。―――ほら、ここを磨いてしまえば終わりだろう?」

 

 気丈に振る舞っているように見えても、やはりどこか覇気がないラウラに対して、しかしそれ以上の追及は野暮だと判断したリィンは再びコンロ周りの清掃に戻る。―――その時。

 

 

 

「ういーっす。ただいまー。……ってアレ? 季節外れの大掃除でもやってんのか?」

 

 玄関の方から聞き覚えのある声が聞こえ、ラウラ共々作業を一度中断してロビーへと向かった。

 その他の面々も続々と別の部屋から出て来たり、1階に降りてきたりして、学生寮に帰って来た人物を迎えた。

 

「レイ‼ 無事だったのか‼」

 

「んー? 無事も無事だよ。お前、あの程度のテロでクロスベルの最終防衛ラインがどうかなると思ったら大間違いだぞ。まぁでも、流石に『列車砲』撃ち込まれたらヤバかったからそこはありがとな」

 

「う、うん。はぁー、でも良かった」

 

「とんだ災難でしたね。レイさん」

 

 笑顔で出迎えた面々に同じく笑顔のまま言葉を返していくレイだったが、しかしリィンはそこに僅かな違和感があるように感じられてしまった。

 

「(……?)」

 

 しかしその違和感の正体が分からず、首を傾げていると、同じくアリサとユーシスも怪訝な顔をしていた。

 そうしていると色々と荷物を抱えたままのレイが、一度部屋に戻ると言って階段へと足を進めた。

 

 

「あぁ、そうだ。お前らに一つ言っておかなきゃならない事があったんだ」

 

 

 よりにもよってリィンの横を通り過ぎた時にそう言ったレイの声が、リィンの耳朶には恐ろしく歪みがあるように聞こえてしまった。

 不吉、不穏。そんな雰囲気が瞬時に体を駆け巡る。そしてその予感は―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、暫く学院を休学するわ」

 

 

 

 望んでもいないのに、的中してしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 エントリーシート書き終わって後は提出を待つのみなので書き上げてみました。シリアスだけど。
 ところで『この素晴らしい世界に祝福を』のアニメ見てるとラウラとダクネスがごっちゃになるこの脳内変換を何とかしてほしい。どうも、十三です。


 以前にも書きましたが、自分、ガチのシリアスを書き続けられる精神力がないのです。それだけ言っておきます。


PS:FGOのガチャ回してみたら式セイバーじゃなくてアルトリア出た。いや、確かに☆5セイバーだし、嬉しいんだけど……なんだかなぁ‼ ←この後メチャクチャフォウ君食わせた。


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決意の相対





「悲しみなど無い? そんな言葉を、そんな悲しい顔で言ったって……誰が信じるもんか‼」
     by フェイト・テスタロッサ(魔法少女リリカルなのはA's)








 

 

 

 

 

 

「特科クラスⅦ組所属、レイ・クレイドル。帝国政府要人護衛の任を終え、クロスベルより帰国致しました」

 

 第三学生寮に帰る少し前。レイは士官学院の学院長室にてヴァンダイク学院長に帰国の報告を済ませていた。

 

「うむ。ご苦労じゃった。国際会議に学院生が護衛任務に就くなど前例がなかったが、務めを立派に果たしていたようで何よりじゃ」

 

「いえ、至らないところも多々あり、反省すべき点は多かったかと」

 

「じゃが現に、オリヴァルト皇子殿下からはお褒めの言葉をいただいておる。エレボニアの首脳のみならず、他国の首脳陣の危機をいち早く察して動いたその功績は勲章授与に値するとな」

 

「為すべき事を成しただけです。皇族にお褒めいただく程ではありませんよ」

 

 地上数百アージュの高さから飛び降りた事そのものは流石に久しぶりではあったが、任務の危険度でいえば今回のそれはとびぬけて高いという程のものではなかった。

 むしろ後顧の憂いなく攻めだけに徹していられただけ、難易度は低かったといえる。帝都での騒乱の際でもそうだったが、基本攻撃特化である《八洲天刃流》の皆伝者であるレイは、どちらかと言えば防衛戦を得手とはしないタイプである。

 その為、背後の守りが高レベルの武人で固められていた今回は、それほど難しくはなかったと言えるだろう。

 

 それに実際彼は、”為すべき事”を”成した”だけなのだから。

 

「トワ会長は、もう生徒会業務にお戻りに?」

 

「うむ。数日は休息に充てても構わんとは言っておったのじゃが……どうにも彼女の気質では難しかったらしい」

 

「本当に優秀な人ですね、あの先輩は」

 

 これだけ働いておいて、それでいて自分の限界はきちんと把握している辺りが彼女らしいともいえる。

 オルキスタワーでの一件の際も動揺していたのは一瞬ですぐに気丈さを取り戻したらしく、中々の胆力の持ち主だとミュラー少佐が言っていたのを覚えている。本当に有能な人物とは、恐らくああいう人の事を言うのだろう。

 

「テロの危機に晒されたとはいえ、君たちは本当によく頑張ってくれた。学院からも報酬を用意している。事務課で受け取ってくれたまえ」

 

「……はい」

 

 その言葉は、学院長直々の正当な依頼報酬だ。先程のリップサービスとは異なる。

 その為受け取らないのは逆に沽券に関わるため返事を返すレイだったが、その後ヴァンダイクに向けて深々と頭を下げた。

 

「学院長、至らない学生の身分でこのような事を言うのは無礼だと分かっているのですが……一つ自分の望みを聞いていただけませんでしょうか」

 

「ふむ?」

 

 最大限の礼儀を示してそう言って来たレイの姿を、ヴァンダイクは無礼だとは思わなかった。

 元より学生の望みを出来うる範囲内で叶える義務を持つのが教員である。それに加え、目の前の少年が誇大な望みを言い放つとは思えなかった為、その先を促した。

 

「言ってみたまえ」

 

「はい。元より自分は理事長……皇子殿下から推薦入試の機会を頂いて入学した身。その為そのご慈悲に泥を塗る愚行であると重々承知の上で―――どうかこれを受け取っていただきたいのです」

 

 そうしてレイが取り出したのは、一枚の白い封筒。

 そこには一寸の狂いもない美麗な文字で『休学願』と書かれていた。

 

「……どういう事かね」

 

「クロスベルでの任務中に、自分という存在が以後この学院の生徒を危機に晒す可能性があると判断いたしました。ついてはその可能性を取り払うまでの期間を、いただきたいのです」

 

「…………」

 

 そう言い切ったレイの顔は、ヴァンダイクから見てどこか焦燥感に駆られているようにも見えた。

 普通であれば、ここでその真意を問い質すのが学院の教師の務めではある。しかし彼は、ヴァンダイクが学院長に就任して以来初めての、否、恐らく以後も出てこないであろう傑物だ。

 ”達人級”の武人は、その行動一つ一つに意志を持つ。その意思を覆せる人物というものは相当限られた存在であることも理解していた。

 そしてヴァンダイクは、自分ではこの少年の意思を覆す事はできないと理解する。

 

 それは、教師としては敗北も同然だ。何せ()()()()()()()()()()()()()()()()生徒に対して、相応しい言葉を掛けてあげられないのだから。

 内心で無力感を噛み締めながら、ヴァンダイクは受け取った休学願を執務室の引き出しの中に仕舞う。

 

 せめて自分にできるのはこれくらいだと、頭を下げて去っていくレイの姿をヴァンダイクは見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 無論の事、問い詰められないわけはなかった。

 

 「休学するわ」という言葉を残した直後、いち早く唖然とした状況から立ち直ったリィンによって腕を掴まれ、その後は尋問もかくやと言う程の形相になった仲間たちに詰め寄られてその理由を聞き出された。

 しかしその場でレイが口にした理由はただ一つ。

 

 「やるべき事ができた」―――ただその一言だけだった。

 

 自室に籠ってしまったレイをどう説得して引き留めるかという話し合いを食堂でしているⅦ組の面々を横目に、学院でヴァンダイクから事の経緯を聞いたサラは一人、レイの自室の扉の前に立っていた。

 

 

「……アンタ、クロスベルで一体何があったのよ」

 

 問いかけるも、答えは返ってこない。

 根が律儀であるレイが聞いていないという可能性は最初から考慮に入れていない辺り彼への信頼が見て取れるが、それは今、この時点ではどうでも良かった。

 

「”何もなかった”なんて言うんじゃないわよ? 生憎ね、アンタの顔が見えなくても声だけで分かるし、何だったら雰囲気でも分かるのよ」

 

「…………」

 

 返答をしないレイに対し、しかしサラは苛立ちを見せない。

 レイは《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》の能力によって《結社》関係の情報の開示には大きな制限が掛けられているため、実のところ彼が口にできない事は多い。

 だが、そんな時彼は決まって口にできない理由と謝罪を述べる。意味ありげにするような素振りは見せないし、信頼に悖るような行為はしない。……尤もこれは、彼が信を置く相手に対してのみではあるが。

 

 そして今、レイは()()()()()()()()()。これは、話せない理由が呪いに縛られた所為ではない―――つまるところ、彼自身が抱える案件であるという事だ。

 

「……言っとくけれど、アタシは別に休学を引き留める気はないわ。アンタが「やるべき事」と判断したんなら、それは”やるべき事”なんでしょうし、それが学院を休んでまですべき事なら尚更よ」

 

 売られた喧嘩は必ず買うのが彼の信条だ。それも二倍三倍返しは当たり前。

 そう考えれば、今レイが矛先を向けている存在が何なのか、それも大体理解できてしまう。

 

「喧嘩、買ったんでしょ? 《帝国解放戦線》と……《結社》が仕掛けた喧嘩を」

 

 自惚れでもなんでもなく、サラは、自分を含めたクレアやシャロンも纏めて愛されているという自覚がある。そしてリィンたちの事も仲間だと強く認識しているだろう。

 仲間で友である彼らを巻き込み、そして愛する女たちを傷つけた組織を、レイが黙って看過する筈もない。

 

「アタシ達のために買ってくれたなら、それは素直に嬉しいわ。……でも、でもね、レイ」

 

 組んだ腕に力がこもるのを感じながら、サラは一拍を置いて絞り出すように言った。

 

 

「心地良くなった場所から離れてまで為すべき事を成した後―――アンタはもう一度此処に戻ってきてくれるのかしら?」

 

 

 ギシリ、と。室内から何かが軋む音がした。

 しかしそれでも、レイが扉の鍵を開けてくれない事を知ると、サラは一つ嘆息をする。こうまで頑なだと、力ずくでの説得も意味をなさないだろう。

 だがその頑なな姿勢を、疎ましいとは思えない。普段から達観しているような姿ばかりを見て来たせいだろうか、意固地になっている今の彼は、どこか年相応にも見えた。

 本来、そんな事を思えるほどほのぼのとした状況ではないのだが、これも惚れた弱みかしらねと思うのと同時、サラの口から本心が漏れ出ていた。

 

「助けて欲しいなら……助けてって言いなさいよ」

 

 そう言ってくれたらなら、何があっても助けてあげるのに、と。

 想いの残響を残して、サラは食堂に集まっているリィンたちの様子を見るために階下へと下りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あぁ、分かってるよ。分かってンだよ、俺が馬鹿だって事は」

 

 ベッドに腰掛け、壁に背を預けたまま、サラの足音が消えたのを見計らってレイはそう呟いた。

 

 自分が弱いのは重々承知。腕っぷしではなく、精神的な意味でだ。

 『強く在らねばならない』という思いを抱き続けない限り、レイ・クレイドルは強さを保てない。そう思ってしまっている。現に今、一度己の弱さを自覚しただけでこのザマだ。

 これ以上弱さを晒せば、いったいどこまで落ちてしまうのか皆目見当がつかない。もし今はまだ衰えていない剣の腕が鈍るまでに至ってしまえば、それこそ存在意義そのものが失われるのと同義だ。

 

 それらの不安が、恐怖が、レイの精神を蝕んでいく。愛する女性にすら本性を晒せない脆さに辟易し、自己嫌悪に陥りかける。

 当たり散らさないのは彼の中に残った良心の砦がそれを許さないからだ。気遣いの言葉に怒鳴り散らそうものならば、その時は間違いなく己を赦せなくなる。

 

 あの場所で戦線に喧嘩を売った事自体は僅かも後悔はしていない。

 思惑も理由も関係ない。どれだけ同情に足りる事情を抱えていたにしても、レイにとっての命の重さの天秤は間違いなくサラ達愛した女性達、そして仲間たちに傾く。

 彼らを命の危機に瀕しさせたという事そのものが、レイの琴線に触れるに足る理由である。”敵”と認識するにそれ以上の理由はない。

 

 故に倒す。《結社》が出張ってくるというのなら、それも纏めて薙ぎ払う。

 元よりザナレイアと雌雄を決するのは宿命だ。加えクレアに重傷を負わせたというのならば、一片の容赦も慈悲も向けるに値しない。

 

 それを速やかに、確実に成し遂げるためには、”学生”という身分がどうしても足枷になる。

 自由に帝国を歩き回り、先手先手を打つには行動の自由が何よりも大切だ。それは《執行者》時代に嫌と言う程学んでいる。

 遊撃士の身分でも駄目だ。既に戦線の行動はエレボニアという国を脅かす危険性を秘めている。国家の大事に際して不干渉を貫かなければならない遊撃士では、やはり行動に制限が掛かる。

 

 だから、一人で行こうと考えたのだ。

 自分の我儘に、誰かを巻き込むわけにはいかない。それが大切に思っている者達であるならば、尚更だ。

 

 

 

 そんな事を考えていると、暑さを紛らわすために僅かに開けていた窓の隙間から一枚の紙が入り込んできた。

 その真っ白な紙は、東方の遊戯”折り紙”の形の一つ、”折鶴”の形を象っていた。それは風に煽られて偶然レイの部屋に入り込んできたわけではない。必然的に、狙って入り込んできたものだ。

 その証拠に、折鶴は舞い込んで来た後もベッドの上に墜落することなく浮遊し続ける。まるで本物の鶴であるように羽の部分を羽搏かせて浮遊するその姿は、レイが使う式神の動きと似通っていた。

 ―――実際、その認識で間違ってはいない。折鶴から放たれているのは微力ながらも確かに呪力で、しかしそれはレイの呪力とは違うモノ。

 レイの部屋にそれをけしかけた人物は、式神という媒体を介して言葉を投げかけた。

 

『おや兄上、随分と物憂げな顔をしていらっしゃる。よもや僕の部下がクロスベルで何か粗相をしましたか? だとしたらマイヤには後でOSHIOKIをしなくては』

 

「アホな事言うなよツバキ。彼女はアレだぞ、かなり優秀だったぞ。お前の指導の賜物かは甚だ疑問だがな」

 

『それは心外です兄上。マイヤもあれで曲者です。つまり彼女を御している僕もまた優秀という事です』

 

「諜報員として優秀でも上司として優秀かどうかは分からないという良い例を見せつけられている感じだな」

 

 耳朶に届くのは第二次性徴を迎える前の女性特有の高い声。しかし声質には推定年齢に見合わない落ち着きぶりがあった。

 開けていた窓を閉め、防音の結界を敷き詰めると、式神の主はクスクスと笑う。

 

『まぁ月影(ウチ)に上下関係などあってないようなものですが。そんなものに拘らう暇があれば有力情報の一つや二つ仕入れるべきですし』

 

 

 猟兵団《マーナガルム》が抱える諜報部隊《月影》。団の中でも特に一癖も二癖もある能力を持つ者達を纏め上げる立場に在る少女―――ツバキはそう言ってプロの片鱗を見せる。

 レイと同じ系統の呪術を操り、三等級・二等級式神の制御・操作に際してレイよりも遥かに高い適正と腕前を持つ彼女は、若いながらも団長のヘカティルナに任命されて《月影》を率いる長となっている。

 元々実働戦闘と同じくらい情報戦や補給戦にも力を注いでいる《マーナガルム》。その中でも《月影》は、本拠としている大型強襲飛空艇《フェンリスヴォルフ》の守備部隊として構成されている《一番隊(エーアスト)》と同じく団長直属で編成されている部隊である。

 無論それは副団長麾下で編成されている実働部隊の《二番隊(ツヴァイト)》《三番隊(ドリッド)》《四番隊(フィーアト)》、後方支援部隊の《五番隊(フュンフト)》らよりも優遇されているという訳ではない。しかしその優秀さはレイも充分に知っていた。

 

「それで? 《月影》の隊長サマ直々に寄越したという事は、何か俺に情報でも持ってきたのか?」

 

『えぇ、はい。その通りです兄上。二つほどお耳に入れておきたい事が』

 

 直前まではリィン達やサラ達への不義理に悩んでいたレイだったが、その言葉を聞いた瞬間に思考を切り替える。

 時と状況によって思考を分けるのは権謀術数が渦巻く中で生きる人間にとっては必須のスキルだ。これができなければ要らぬ私情を任務に挟み込むことになる。

 

『一つはマーナガルム(ウチ)の守銭奴コンビ……失礼、《経理班》のミランダと《兵站班》のカリサから提供された情報です。

 現在カルバード共和国で上場企業の株価値下がりが起こり始め、景気の悪化が起こっているようです。東方系移民の廃絶を謳う《反移民政策主義》の一派が暗躍している証拠が幾つか出てきました。値下がりは止まるところを見せず、このままでは数ヶ月以内に未曽有の大恐慌が起きる可能性もあるかと』

 

「……あの二人が情報源ならそれに勝る証拠はないな。因みに団の金銭被害は?」

 

『ミランダが早期に株価の動きを読んでいたので、株価下降の一途を辿るルートからは既に撤退したと言っていました。それでも数百万ミラの損害は出してしまったようですが、数日で取り戻していましたよ』

 

「流石だよ」

 

 その報告は一見帝国に居るレイには関係ないようにも見えるが、実際は違う。

 カルバード程の大国になれば、一度経済危機に瀕すればその損失は莫大なものとなる。如何にロックスミス大統領が辣腕であるとはいえ、そんな状況に陥れば自国の問題収拾に掛かりきりになるだろう。

 つまり両国の緩衝地帯であり、名目上属州地域であるクロスベルに割く人員と時間が無くなるという事になる。

 

「(《結社》が手を回したという可能性も充分にある……最悪オズボーンが一枚噛んでる可能性もあるな)」

 

 《ロックスミス機関》の目を逃れて《帝国軍情報局》が工作を行うリスクはかなり高いが、それでもあの男ならやりかねない。

 何にせよ、この局面を何もせずにただ傍観するほど甘い男ではない事は確か。つまりクロスベルでの一件を以て局面は次段階にシフトしたと見るのが妥当だろう。

 

「それで? もう一つの情報は?」

 

『……はい』

 

 一瞬、優秀な彼女らしくない歯切れの悪さが目立ち、それを問い質そうとしたが、その前にツバキの声が漏れた。

 

 

『《蒐集家(コレクター)》が……《使徒》第四柱が帝国に入りました』

 

「ッ‼」

 

 その情報に、レイは思わず顔を顰めてベッドの上から立ち上がる。ツバキはそんなレイの行動を予想していたのか、落ち着くように言葉を掛けた。

 

『帝国中に散らした僕の式神の内の一つが齎した情報です。確認されたのはエレボニア北西部ウィトゲンシュタイン伯爵家領内の街、ファウステン。

 幻術等で騙くらかしている可能性も無きにしも非ずといったところですが、実際に現地に一人を派遣して調べさせたところ、どうやら間違いはないようです』

 

「……《蒼の深淵》と《蒐集家(コレクター)》か。どうしてこうも俺と因縁ありまくりの奴らばかり派遣されるんだか」

 

『考察に過ぎませんが……()()()()()なのではないですか?』

 

「…………」

 

 本人の言う通り、それはツバキの考察に過ぎない。

 しかし今のレイには、それが限りなく真実を帯びているように聞こえてしまった。

 

 実際現在の帝国の中で元《執行者》以上の位にいて、現在も《結社》に仇を成す可能性があるのはレイとシャロンくらいのものである。

 ”武闘派”の《執行者》は単身でも《結社》が手駒としている強化猟兵の複数部隊を壊滅させるだけの力を持つため、速やかにその戦力を無力化するために送り込んだという仮定も完全に間違っているわけではないだろう。

 であるならば―――

 

「一刻の猶予もない、か」

 

『?』

 

「ツバキ、この情報はヘカテには?」

 

『無論既にお伝えしています。ですがこちらから《結社》の手勢に仕掛けるわけにもいかず、現状では情報収集に留め置いていますが』

 

「ま、妥当だろうな。あいつらと真正面から喧嘩して勝機があるとすれば、それこそ《星杯騎士団(グラールリッター)》の連中くらいだろうよ。

 というかそもそも俺の意見なんて伺う必要ねぇぞ? お前らはヘカテの麾下で、それ以上じゃねぇだろうに」

 

『おや、兄上はご存じでないのですね。《マーナガルム》内で兄上は《特別顧問・相談役》になっていますから、発言力は時に団長と同格になります』

 

「なにそれ初耳だわ。それは暗に俺に「戻って来い」って言ってんのかね?」

 

『いえ、そういう意図ではないと思いますが……あぁしかし』

 

 ツバキはそこで一旦言葉を区切ると、声色がもう一段階柔らかくなった。

 

『僕個人の意見としては、兄上と共に行動できるのならとても嬉しいのですがね』

 

 まるでそれが総員の意志であるかのように言ってみせるツバキに対して、レイも苦笑を漏らす。

 が、それも一瞬だけ。すぐに目を伏せると、無表情に変わる。

 

「ツバキ、”予定”が早まるかもしれない事をヘカテに伝えておいてくれ。個人的に動く事になりそうだ」

 

『……ふぅ、了解です。それでは僕は三日徹夜後で少し眠いのでこれで失礼しますね』

 

 そう言い残すと、媒体となっていた折鶴の式神は式としての機能を停止してただの紙となり、ポトリと床に落下する。

 ふと窓の外を覗くと、既に空は闇に染まり、見事な満月が浮かび上がっていた。

 

 そのまま、何の気なしに部屋の中を見渡す。

 特に特徴があるわけでもない部屋だ。5ヶ月間も過ごしていたというのに、レイ・クレイドルという人間が生活していたという名残は残せない程度に無機質だった。

 特徴があるとすれば、家具の上に置かれたペンダントくらいだろうか。服に頓着するわけでもなく、装飾に金をかけるわけでもなし。過剰な娯楽に興味があるわけでもなく、趣味は階下の食堂で材料も調理器具も調達できるとあれば、物が少なくなるのも道理だろう。

 それでも、クロスベル支部から移る時に持ち出した物もあったりするのだが、それも必ず持ち出さなければいけないようなものではない。

 

 レイはそのままトールズの制服を脱いで遊撃士時代に着ていた服に着替えると、首からペンダントを吊り下げる。

 《布津天津凬》を仕舞い入れた刀袋を右手に握ると、今日クロスベルから持って帰って来た荷物の一つに目をやった。それはレイからのせめてもの贈り物の筈だったのだが、残念ながら直接手渡す事は叶いそうにない。

 せめて、と書置きを残す為に、レイは机の上に置かれたままの紙とペンを手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……結局、レイの方から話してもらおうにもこの状況じゃあ無理か」

 

 結局のところ、その結論にしか辿り着けなかった事に、リィンを始めとしたⅦ組の面々は歯噛みをせざるを得なかった。

 「やるべき事ができた」―――その真意を問い質そうにもレイは自室に籠ったまま出てくる気配を見せない。サラによれば、既にヴァンダイク学院長に休学願を提出した後だというのだから、その行動力は流石と言うべきだろうか。

 逆に言えば、その行動の速さが彼の焦りを表しているとも言えるだろう。これほど早く決断しなければいけない理由というものがあるという事だけは理解できた。

 

 しかし、それが何であるかという事だけはどれ程頭を捻ってみても分からない。

 6日前、クロスベルに向かうレイを見送った際にはそんな雰囲気は毛程も出していなかった事を考えると―――やはりクロスベルで()()()()()()と考えるのが妥当だろう。

 

「……何か、知っている顔だな。教官」

 

 食堂の壁に寄りかかって目を伏せているサラに向かって、ユーシスが声を掛ける。その声に、サラはゆっくりと双眸を開いた。

 

「肝心な理由は何も知らないわ。……ただ」

 

「?」

 

「アタシが6年前にアイツと会った時―――《結社》に身を寄せていた時のアイツも、あんな顔をしていたわ」

 

 空恐ろしいまでに弱い自分を覆い隠す殻。加えて言うのならば、あの時のレイは己と己の大切なモノを奪い尽くした組織のアジトの一つを塵も残さず滅殺する事に囚われていた。その様は初見では、復讐鬼にしか見えなかった。

 その憤怒も、レイが過去の弱い己を顧みないように纏った人格の一つであった。

 

 《剣帝》が比類なき剣術で人間の首を容易く斬り落とし、《殲滅天使》の鎌が恐怖に彩られ逃げ惑う研究者を縊り殺す。《狂血》は不遜な笑みを湛えたままに右手に携えた三叉の槍を投げ捨てるかのように投擲し、得物を順繰りに刈り取っていく。

 そんな《執行者》達の中でも、とりわけレイの怒りは凄まじかった。空腹な上に手負いの獣の如く、敵とみなした存在全てを慈悲なく殺し尽す姿に最初はサラも恐れしか抱けなかったが、いざサラの前に姿を現した途端に正気に戻ったように動きを止めた時のレイの表情は、今でも忘れていない。

 

 まるで、()()()()()()()()()()事を嘆くようなその表情は、敵対関係である事も何もかもを投げ捨てて抱きしめてあげたくなるほどに、脆かったのだ。

 

 

 

 ―――お兄様? どうしたの?

 

 ―――……レイ

 

 ―――どうした我が愛し仔よ。膝をつくにはまだ早いぞ?

 

 

 

 そんな彼に声を掛ける三人の《執行者》。いずれもが血に塗れた武器を手に佇む姿はそれこそ恐怖の権化のような様子だったが、図らずにもその血の匂いが、一瞬ただの少年に戻りかけたレイの意識を《執行者》としての彼に引き戻した。

 だが、その時から彼は()()()()()。誰よりも脆くて弱い事を分かっていながら、それでも虚勢の張り方だけは誰よりも上手くて、不敵な笑みで本性を塗り潰してしまう。

 

 本当は誰よりも仲間が傷つくのが怖くて。

 本当は誰よりも戦いに向いていない優しい性格で。

 本当は誰よりも非情を貫くのが嫌いな不器用な少年。

 

 そして何より彼は、一度抱え込んでしまったら離さないし―――離せない。

 抱え込み続けた後悔の起源が”無力感”であったからこそ彼はあそこまで強くなれたが、だからといってその後悔が消えるわけもない。

 

 それは終わってしまった事、失われてしまった事。

 

 だからこそレイ・クレイドルは、大切なモノが失われる事を恐れる。何よりも。

 失ってしまったモノは、未来永劫取り戻せないのだから。

 

 

 

「―――あぁ、それはつまり」

 

 リィンが級友全員の声を代弁するかのように言う。

 心なしかその口元は悔しさに歪んでいるようにも見え―――

 

 

「俺たちは、あいつの不安を何一つ取り除けないってわけか」

 

 

 そう言い終わった瞬間、全員が立ち上がった。

 誰一人躊躇う事無く、全員が納得がいかないという表情を浮かべて。

 

 そんな教え子たちを見て、サラは口を開いた。

 

「行くつもり?」

 

「えぇ」

 

「アイツは、アンタ達が来るのを望んでないかもしれないのよ?」

 

 それは敢えての厳しい口調だったが、戸惑う様子は微塵も見せない。

 

「そうかもしれません。そして、前までの俺たちならそこで踏み込まなかったでしょうね」

 

 互いに遠慮し合っていた頃は、個人が抱える心情には踏み込まなかった。

 無論のことそれはマナーの一つではあるのだが、レイに対してはそれよりも強い遠慮を抱いていた事は否めない。

 偏に怖かったのだ。彼がもし心の内を曝け出したとして、それは本当に自分達が受け止めきれるモノなのだろうか。そうした恐怖が、あと一歩を踏み込ませるのを躊躇わせていた。

 

「あいつが抱えているのは、俺たちが思いもよらない程途方もないものかもしれない。勝つとか敗けるとか、取れるか取れないかとか、そういう単純なものじゃないかもしれない。正直俺たちが出張ったところでどうにかなる悩みでもないのかもしれない。―――それでも」

 

 しかし、今のリィンは薄く笑って見せている。その先に足を踏み入れる事に、もはや何の躊躇いもないと言っているかのように。

 

 

「あいつの仲間として、そして何より友達として―――受け止めてやる覚悟はとうの昔にできてるんですよ」

 

 

 アリサが頷く。エリオットが頷く。ラウラが、マキアスが、ユーシスが、エマが、フィーが、ガイウスが、ミリアムが、クロウが、皆一様に頷いて見せる。

 全てを打ち明けた上で、それでも尚学院を去るというのなら、彼らとて引き留めはしないだろう。その覚悟を無下にはできない。

 だが今の時点では納得できるはずもない。あんな()()()()()()()笑顔で言われたところで納得して引き下がるなどと思われていたのなら、それこそ憤慨ものだ。今一度問い質す必要がある。

 

「アンタ達……」

 

 その答えに僅かに放心したようなサラの肩を、それぞれアリサとユーシスが軽く叩き、他の面々に聞こえないように耳打ちをする。

 

「(というか教官も、好きになった人をみすみす行かせちゃ駄目だと私は思います)」

 

「(あの阿呆は多少強引に言わねば分からんだろう。俺達よりも長くあいつと接していた教官がそれを知らん筈もあるまい)」

 

「(ちょ、あ、アンタ達‼ 何でそれを……)」

 

「「(あれだけ分かりやすく動いてて気付かない方がおかしい)」」

 

 そう断言されたサラは一度深く溜息を吐いてから、しかし二人の言葉に言い返す事はできなかった。

 それはぐうの音も出ない程に正論だ。レイに愛されて、自分もまたレイを愛すると決めた筈なのに、ここで彼の真意も聞かず送り出してしまったならば、それこそ彼への愛はその程度のものだったという事になってしまう。

 クレアやシャロンにも顔向けができなくなるだろう。―――否、それよりもまず自分自身に顔向けができない。

 あの地獄の中で出会い、不器用に重ねていった恋慕の情は、この程度で崩して良い程柔ではない。

 幾ら想い人が相手とはいえ、ただ首を縦に振るだけならば、そんなものは傀儡と何ら変わりはない。間違っても、真に恋人などとは言えないだろう。

 

 まさかそれを、自分よりも8つも下の教え子に諭されるとは流石に思いもしなかったが。

 

 サラは苦笑をしながら負けを認め、リィン達と共に2階へと上がっていく。その思惑の全てを聞き出し、あるがままを受け止めてやるために。

 しかしそこで目にしたのは、ギィギィという軋む音を立てて開いたままになっている、レイの自室の扉だった。

 

「あれ? 何で開いて……」

 

「ッ‼」

 

 前に訪れた時は梃子でも動く気配を見せていなかったそれが開いているという現状に、いち早く嫌な予感を察したリィンとサラは躊躇なく室内へと踏み込んだ。

 室内は、内装だけを見るならば変わったところはあまりない。家具はそのまま、勉強道具や少ない雑貨の類もそのままだ。部屋の隅には、クロスベルから持ち帰って来たらしい荷物がそのまま放置されている。

 しかしそこには、部屋の主がいなかった。よく見てみればいつも愛刀を入れていた刀袋と、家具の上に大事に置かれていたペンダントが消えている。

 そしてベッドの上には、綺麗に折りたたまれた士官学院の制服一式。その脇の窓は大開きになったまま放っておかれており、残暑の夜風を受けてはためいていた。

 

 それだけで、状況は察せた。焦燥感に駆られながらも、リィンは机の上に置かれていた一枚の書置きに目を通す。

 

「っ……」

 

 歯軋りの音が鳴る。心の揺れがあるような筆跡で書かれたその内容は、彼らにとっては侮辱にも等しかった。

 何だそれは? ()()()()()()()()()()()()()()()() と、そう思わずにはいられない。そして、間に合わなかった無力さも、一気に体の中を駆け巡った。

 

「あいつは、本当に……」

 

『えぇ、不器用ですよね、兄上は。―――尤も、振り回される側としては少々厄介に思われる事もあるようですが』

 

 リィンの呟きに応えたのは、ここにいる筈の誰のものでもない声。声質としてはフィーやミリアムに近いが、それとは違った落ち着き払った感じがあった。

 思わず全員が声がした方に振り向くと、そこには床に落ちていただけの紙工作の鶴が再び式としての機能を取り戻して浮遊している姿。それを見てもさほど驚かなかったのは、やはり呪術使いでもあったレイの影響だろう。

 

「式神……レイのか?」

 

『あぁ、いえ。違います。一応僕はこの式の術者でして。ちょいと皆様方にお伝えしたいことがあってもう一度式を動かしてみたのですよ』

 

「術者……俺たちに何の用だ?」

 

 それを聞き、ユーシスが警戒心を露わにしたままそう問いかける。

 このタイミングで声を掛けて来たという事は、つまるところ何か有益な情報を持っているという事なのだろう。それが分かっていたからこそ、今すぐにでもレイを探しに行こうとしていた面々も足を止めてその成り行きを見守っていた。

 

「何者だ」

 

『これは失礼。僕はツバキと申します。兄上……レイ・クレイドルとは昔からの付き合いでして。あぁ、勿論、男女というわけではなく上司と部下という間柄ですが』

 

「昔から……というと《結社》時代からというわけか」

 

 ガイウスの言葉に、ツバキは首肯する仕草を折鶴を介して伝える。

 

『えぇ、そうですね。僕が兄上に()()()()のもその時期です。

 まぁそれは良いとして、僕は皆様に危害を加えるつもりがないという事だけご理解ください。本当にお伝えしたいのはこの先なので』

 

 それを聞き、ユーシスは怪訝な表情は浮かべたままに警戒心を抑え込んだ。

 未だツバキという人物の正体や、レイを「兄上」と呼んでいる事など、疑問は尽きないのだが、今はそんな事を問答している場合ではない。

 それは彼女の側も同じようで、余裕のある口調のままに、しかし簡潔に情報を伝える。

 

『……兄上はまだ遠くに行っておられません。東トリスタ街道を進んでいるので、今から行けばまだ―――』

 

「なんですって⁉」

 

 普段生徒の前では見せない激情を表に出して飛び出そうとするサラを、しかしリィンが止める。

 

「リィン……‼」

 

「教官は此処に残ってて下さい。あいつを連れ帰るのは俺達がやります」

 

 リィンは、レイがクロスベルから持ち帰って来た荷物の内の一つを手に取ると、そう言い切る。それに、他の面々も続いた。

 

「レイが帰って来た時に、出迎える人がいなきゃ寂しいじゃないですか」

 

「まぁ一応、僕達からの恩返しみたいに思ってください」

 

「不甲斐ないのは我らも同じだが、少しレイには灸を据える必要もありそうだしな」

 

「余計なことを言うんじゃないぞ、ユーシス」

 

「貴様に言われたくはないな、レーグニッツ」

 

「フィーちゃん、大丈夫ですか?」

 

「ん、問題ない。私よりも委員長は自分の心配をすべき」

 

「悪くない風だ。どうにかなりそうだな」

 

「クロウー。ボク達明日筋肉痛確定じゃない?」

 

「あー、そう考えると憂鬱だわ。あいつには美味いツマミの一つでも作ってもらわにゃ割りに合わねぇなぁ」

 

 誰一人として、悲嘆する様子は見せていない。それどころか、笑みすら見せている者達もいる。

 

 

『ん。とはいえ兄上はあの通り頑固なところがありますから、ただ言葉で引き留めても無理だと思いますよ?』

 

 そしてツバキのその言葉は、忠告と言うよりかはリィン達の反応を伺うかのような声色だった。

 

「えぇ、分かってます。ですから―――」

 

 手に持った”それ”の感触を馴染ませながらリィンはそう言い、同じように笑ってみせる。その表情には、自信のようなものが表れていた。

 

 

 

「ちょっと、本音でぶつかる喧嘩をしてきますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 どうも。この前久々に息抜きに『SIREN TN』を改めてプレイしたところ、屍人ノ巣の構造が複雑すぎてコントローラー投げそうになった十三です。羽屍人と蜘蛛屍人は早々に死すべし。伊東家の食卓からの脱出の難易度は異常。

 いやぁ、履歴書を書くのがメンド臭いのなんの。雨嵐のような説明会の乱舞は慣れないとキツいですね。更新が遅れて申し訳ありません。


 さて、レイ君の精神状態がちょっとマズいレベルに陥ってるこの頃ですが、筆者の執筆速度も比例して遅くなっています。前回も言ったかもですが、やはり自分は根本的にドシリアスを描くのが苦手みたいですね。
 ……しかしそうなると何れ書く事が決定している過去篇(結社篇)のようなドシリアスが普通の作品を書くときはどうすれば良いのか……精進いたします。ハイ。

 
 今回の提供オリキャラ:

 ■ツバキ(提供者:白執事Ⅱ 様)


 ―――ありがとうございました‼



ps:今回ちらっと出した《マーナガルム》の構成。近いうちに活動報告でその詳細を明らかにしようと思います。気が向いたら覗いて行ってくださいませ。


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涙のコンフリクト





「私は臆病でいいと思うわ。怖さを知っている人はその分、死に難くなる。だからそれで良いと思う」
     by 神宮司まりも(マブラヴ オルタネイティヴ)








 

 

 

 

 

「貴様の魂は極上だが、それを輝かせる意志が足りん。意志が凡俗では貴様の根源たるモノも豚にくれてやる真珠と成り果てるだろうよ」

 

 

 はて、いきなり何を言い出すのだろうか、と思いながらも、レイは手に持った年代物のワインの瓶を傾け、その人物が掲げるグラスに赤紫色の液体を注いでいく。

 東方の言葉で言うところの酌のようなこの動作ももう慣れたもので、それを終えてから「はぁ」と返す。

 

「どうしたんです陛下。唐突に小難しい事を言うのはいつもの事ですけど、開幕で俺をディスるのはやめてください」

 

「戯け。王たる余の言葉が唐突であるのは当然だ。よもやその程度が理不尽だとは思うまいな? 我が愛し仔よ」

 

 その言葉に、レイは力なく溜息を吐く。

 この豪奢な椅子に腰かける人物。容貌こそ十代の少女とそう違いはないが、その身に充溢する王の覇気とこの世のものから逸脱したかのような美貌はまさしく、世の在り方からは”外れた”者達が集う《執行者》の中に在って、最も異質な存在と言えるだろう。

 

 《執行者》No.Ⅲ―――《狂血》のエルギュラ。

 『女帝』の位を授け給った彼女は、しかし《盟主》への忠誠心を示したところを見た事がない。

 畢竟、《使徒》の手駒となって動いたところも見たところがなく、かと思えば気紛れとしか思えない理由で槍を振るう時もある。

 大前提として《結社》の実働部隊の中でも最高峰の《執行者》と言えど、その行動の自由度は高い。形式上は上位存在である《使徒》や、果ては《盟主》の命であっても無視する事は可能であり、ともすればこのエルギュラの行動も決して造反行為には当たらなかったりする。

 

 とはいえ一部の例外を除けば、あの無軌道の権化、ザナレイアですらも《盟主》の命には一応従う素振りを見せているのに対し、彼女は全く、その気配すら見せた事はない。

 しかしそれでいて《結社》を抜けたりする様子は一切見せないのだからこれもまた分からない。

 そしてレイは《執行者》No.Ⅺを拝命する以前―――言ってしまえば師であるカグヤに拾われて《結社》に連れて来られた時から、何の因果か目の前の人物に『愛し仔』と呼ばれ、よく絡まれていた。

 

 《執行者》になってからも暇である時を見越したかのように呼び出され、こうして酒の共に付き合わされていたりする。

 レイがそれを断らない理由としては、何だかんだでこの人物と一緒にいると飽きが来ないという事であったりする。興が向けば御自ら槍を持って仕合の相手をしてくれる事もあり、個人的には嫌いになれない存在なのである。

 因みにこの人物、その容貌の見かけによらず”武闘派”の《執行者》に名を連ねる正真正銘の”達人級”であり、その槍捌きは《鉄機隊》の騎士らをも凌駕する程である。

 

 

「あぁ、はいはい。陛下の理不尽さにはもう慣れました。―――それで、俺の意志が足りないと?」

 

 この「陛下」という呼び方も、覇気を充溢させるこの人物の機嫌を損ねずに話す事も以前は苦手だったのだが、今ではすっかり砕けた話し方にも慣れてしまっていた。

 荒唐無稽な話の振り方をするのはいつもの事ではあるが、その実、この人物の言葉は常に物事の真相を突いている。

 彼女がそう言うのなら、そうなのだろうと―――そう思える程度には信頼はしていた。

 

「そうだ。貴様の意志は未だその魂を支える程に育っておらん。加え、貴様の精神の脆弱さも拍車をかけているだろうな」

 

「脆弱?」

 

「恍けた真似か? 白々しい。貴様自身も分かっているだろうに。まるで繋がりのない人間の人生と想いを背負いこみ、己を縛り付ける茨と化すその傲慢さ。嫌いではないが、それが貴様の精神の熟成を妨げているとあれば、許容できるものではない」

 

 芳醇な葡萄酒を一口啜り、不敵な笑みを浮かべたままに、エルギュラは続ける。

 

「余のような永久(とこしえ)を生きる者にとって、人間とは愉快な存在よ。苦しみ、悩み、誰しもが原罪を抱えながら生き、そして死ぬ。たかだか数百年にも満たぬ生の中で足掻く姿は滑稽だが、同時に愛おしくも思うのだよ。

 なればこそ、貴様の罪が目に余る。自己を遇する欲望はそれはそれで面白くはあるが、己を生贄にして剣を取る戦士の姿はすぐに飽いる。無論、余が嫌うタイプの戦士だ」

 

「……それが俺の事なら、もう陛下にぶっ殺されてますよね?」

 

「戯け。余が”愛し仔”と定めた貴様は別だ。王たる余の臣下として忠実であるのなら、寛容な心で抱いてやるという温情が分からぬか?」

 

「…………」

 

 貴女の臣下になったつもりはこれっぽちもねーんですがねぇ、と言いそうになったところで口を噤んだ。

 元々レイが彼女の事を「陛下」と呼んでいるのは、彼女の方から「そう呼べ」と言われたからに過ぎない。それに従う道理はなかったが、なにぶん剣の修業もまだ始めたばかりの頃であった為、その武人としての圧倒的な格差に慄いて首を縦に振ってしまったのが運の尽きではあったのだが、今更この呼び方を変えられるかと言えば否だ。別に臣従の誓いをしたわけではないが、それ以外の呼び方に不自然さを感じてしまう。

 

「戯れに予言でもしてやろう。《幻惑》の小娘程ではないが、まぁ許せ」

 

 そう言ってエルギュラが右の指を掲げると、どこからともなく一枚のカードが現出する。

 真紅の布を掛けた卓上に舞い降りたそれは、大アルカナのタロットカード。『Ⅺ』の『正義』。

 それはまさしく、レイが司る事になった概念でもある。

 

「戦場での正義は勝者の正義だ。口先だけの正義など、余は好かんし反吐が出る。

 故に”これ”は、力強き者のみが司る。いかなる者ら、稀人が相手であろうとも、公平に裁く秤の守護者。―――クク、王たる余を差し置いてこのようなモノを賜るとはな。何とも皮肉な話ではあるな」

 

 『正義』とは己の良心そのもの。タロットに描かれた天幕の向こう、即ち真実と良心の世界に赴くためには、常に己自身を見失わず、律する事が必要になる。

 ここに至ってレイは、目の前の人物が何を言わんとしているのか、それを理解する事ができた。

 

「……力に付随する意志が足りない、と」

 

「然り。貴様の剣の腕は余も認めておる。惜しむらくは生まれる時代(とき)を数百年ほど間違えた事と思えるほどにはな。

 だがそれを振るう貴様の心は罅の入った硝子のようなものだ。幻焔のありもしない熱ですら砕け散りかねんそれを眺める者は良い気はせんだろうな」

 

 キィ、という音と共に次にエルギュラが現界させたのは、その身の丈の1.5倍はあろうかという三叉の赤槍。その穂先をレイの首元に突きつけた。

 その挙動は瞬きをする早さよりも速く、まるでこの槍が今まで貫き、流させた鮮血を全て吸い込んだのかと思わせるような禍々しくも美しい刃光に射竦められたレイの姿を見て、エルギュラは更に笑みを深くした。

 

「余は人間を愛している。人間の罪深さ、欲深さ。因縁に囚われて足掻く者も、欲に囚われ反逆を起こす者らも全てだ。

 全ての者らが持ち合わせる抗い切れぬ”弱さ”は、言い換えれば進化の枠を残しているという事。悠久の時を生きれないからこそ、懸命に”生き””延びる”者らを愛でずして何とする。

 余のような、()()()()()()()にとってはそれが何より甘美に映る」

 

 故に、とエルギュラは一瞬だけ声色を強くした。

 

「余は貴様に賭けたのだ。貴様が”理”に至るほどの武人になれば、余が目を掛けた甲斐もあったというもの。

 だが己の弱さに押し潰され、逃げるような事があれば―――貴様は本当の”弱者”と成り果てるぞ」

 

 そしてそんな姿でも、恐らくエルギュラは愛するのだろう。

 その三叉の魔槍《ドラクロア》の穂先が心臓を貫き、朱に染まる視界の中で、彼女は笑ってみせるのだろうから。

 

「騎士ソフィーヤが果てた時、貴様は無力を再び噛み締めた。そして昨日、己の向上の原動力ともなっていた復讐も果たした。

 さて、貴様は如何とする? もし腑抜けの剣士と化し、むざむざ《冥氷》の小娘に殺されるのを良しとするならば、ここで今、余がその魂を刈り取ってやろう」

 

 言葉に一切の偽りなし。己の手による生の介錯すらも愛と言ってのける暴君の言葉に辟易したところは確かにあったが、反論はできなかった。

 それはレイ・クレイドルという少年にとって、実際大きな課題でもあったからだ。直接的な復讐が終わってしまった今、如何にして強くなり、そして弱さを隠し通すか。

 

「……了解っす、陛下。その槍で心臓を突かれないように、精々気張るとしますよ」

 

 だからこそ彼は、そんな曖昧な言葉でしか返す事が出来なかったのだ。

 

 

 その望みは―――結局叶う事はなかったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 ふと正気に戻れば、眼前には雲一つない宵空に座す望月が煌々と神秘的な光を放っていた。

 

 はて、自分はどれくらい呆けていたのだろうかと改めて思うが、それもハッキリしない。寄りかかっていた大樹から背中を話すと、耳朶にはヴェスティア大森林から続く川の水のせせらぎが届いた。

 もう少しこの東トリスタ街道を進めば、程なく西クロイツェン街道に出る。一先ずはケルディックを目指し、宿には泊まらず野宿を繰り返しながら《マーナガルム》の面々とコンタクトを取って行こうと考えていた。

 

 ルナリア自然公園も含まれるヴェスティア大森林を抜けた先の鋼都ルーレの東にあるカラブリア丘陵。その北東に位置するオスギリアス盆地まで移動する事ができれば、恐らく誰も追いつく事はできない。

 帝国全土に鉄道網が敷かれているとはいえ、ノルティア本線どころかアイゼンガルド支線からも遠く離れた場所にまで目を光らせている者はいないだろう。

 

 

「…………」

 

 呆けている間に思い出した人物―――正確にはヒトではないが―――の姿を脳裏に浮かべながら、自然に乾いた笑みが零れる。

 余はあの月が好きだと、いつぞやかそう言っていた。そう言っていた時の彼女は、いつもの王の覇気も何も纏わず、ただ本心からそう言っていた気がしていた事を覚えている。

 

 同時に、結局は彼女の言う通りになってしまった事に対して歯噛みをせざるを得なかった。

 

「腑抜けた剣士、か」

 

 今の自分の姿を見たら、恐らく彼女は慈愛の笑みを浮かべたままに誅しに来るだろう。……否、一瞬でも苦々しい表情を向けてくれるだろうか。

 

 そんな詮無い事を思っていると、一瞬だけザァッ、という音と共に強い一陣の風が吹く。そして、それに乗って流れて来た魔力を感じ取った直後、足元から地鳴りと共に幾つもの大樹の根がレイを串刺しにせんと突き上げて来た。

 それをレイは、回避した根を足場に上空に逃げて躱す。すると時間差でその上空に現界した魔力で構成された巨大なモノリスが、圧殺せんと猛スピードで落下して来た。

 

「――――――」

 

 とはいえ、素直に押し潰されてやるほど殊勝ではない。根の側面を蹴って真横に飛ぶと、魔力で構成されたモノ同士が衝突を起こし、膨大な余波を撒き散らす。

 それは高い耐魔力を備えている筈のレイですら顔を顰める程であり、畢竟、そのアーツを放った人物の正体も絞られた。

 

「(足場を崩す『ユグドラシエル』を放った後に、『遅延詠唱(デイレイ・スペル)』で放つ『エインシェントグリフ』……中々魔女らしくエグくなったじゃねぇの、委員長)」

 

 普通に考えれば対人に使うには余りにオーバーキル過ぎるアーツの連続発動に加え、対象者の逃げ道を封殺して確実に仕留めようとする周到さと見え隠れするほんの少しの加虐性。

 躊躇は一切見られない。そう仕込んだのは他でもない自分だが、その適性の高さに苦笑せざるを得なかった。

 

 そして、それで終わるわけもない。

 土煙の中を突っ切って現れたのは、ラウラ、ガイウス、ミリアムの三人。前衛組の三人は、それぞれレイの視界右前方、左前方、そして背後からそれぞれ同時にタイミングを合わせて一撃を与えるために踏み込んでいる。

 声は一切交わしていない。視線さえも交わしていない。ただこの三人は、「こうあるべき」という行動をそれぞれ起こした末、それが同時攻撃という結果に繋がっただけの事なのだ。

 

 流石のレイも、それぞれ視界を動かさなければ姿を捉えられない方向三か所から来る攻撃全てを視界に収める事はできない。だが、培ってきた戦闘理論と直感が、その身に一撃を与えさせることを許さない。

 強化した左腕でアガートラムの巨腕の攻撃を受け止め、右手は鞘に仕舞いこんだままの愛刀を刀袋から取り出して背後からのガイウスの攻撃を受け止める。そして右前方からのラウラの攻撃は体を捻って躱す―――それで無効化できるはずだった。

 

「っ……らぁっ‼」

 

「っ⁉」

 

 しかし、鞘で受け切った筈のガイウスの攻撃が、レイが想像していたそれよりも遥かに重くなっており、アガートラムの腕もギギ、という音を立てて予想以上に拮抗してくる。

 それによって体を捻るのが遅れたレイは、振り抜かれたラウラの大剣の攻撃に、髪の一房と上着の一部を持って行かれた。

 

「―――漸く、そなたに剣が届いたな」

 

 薄く笑みを浮かべたラウラだったが、追撃はせずに飛び退く。他の二人も同じような行動をした直後、残暑が厳しい熱帯夜に似つかわしくない肌を刺すような冷気と共に、レイの足場が凍り付く。

 戦技(クラフト)が一、『プレシャスソード』。魔力を氷に属性変換して円形状に放ち、対象の動きを止めるこの技は、ユーシスが得手とする技だ。

 しかし、これはただの範囲クラフトではない。Ⅶ組の中で魔力制御という項目に於いてはエマすらも凌ぎうるユーシスは、このクラフトの威力を更に高めるために、『アクアブリード』のアーツ特性も組み合わせて放ってみせた。

 その結果生じるのが、水属性アーツの含有による効果範囲の拡大と氷結威力の増大。レイの足は、最初に絡め取られた一瞬で膝辺りまで氷結の範囲が拡大していた。

 

 そうして機動力が封じられた直後に飛来したのは頭上から煌々とした光と共に降り注ぐ炎を纏った矢の嵐。

 こちらも凡そ容赦などという言葉とはとんと無縁な物量の暴力。その数は30を超えるだろうか。

 戦技(クラフト)の名は『メルトレイン』。言うなれば『フランベルジュ』の応用技だが、注視してみればその矢の一本一本に炎属性アーツが付与されている。直撃すれば普通ならば火達磨は免れないだろう。

 

「―――フッ‼」

 

 まず行ったのは脚部に溜めた氣力を放つ『発剄』。これにより両足を縫い付けていた氷に大きく罅が入り、先に右足が解放される。そして自由になった右足を地に張られた氷の上に叩きつけると、局地的な地震のような振動が一帯を襲う。

 俗に『震脚』と呼ばれるその技は、局地的な範囲に強い振動を与え、砕け散った硝子の如く氷を四散させた。

 両足が自由になった事で後ろに飛び退いて火矢の雨を回避したレイだったが、それを逃がすまいと追撃するかの如く、中級水属性アーツ『ハイドロカノン』が洪水のように迫りくる。

 

 が、それは自分にダメージを与える前提で放たれたものではない事は最初から理解していた。

 舗装された街道とはいえ、今立っている場所は短いながらも草が茂っている場所だ。そんな場所に火矢を落下させようものなら大火事を招く恐れもある。

 つまりは消火活動の意味合いを持つ行動だったのだろうと、そう思っていたが、上空に上がった大量の水飛沫の向こう側。最速のスピードで迫りくる人影を見たレイは、鯉口を切り、スラリと白刃を抜き放つ。

 

 月下の中で響いたのは鋼と鋼が高速でぶつかり合う音。刀を正眼に構えて振り下ろしているその人物の姿を鍔迫り合いながら真正面から覗き込んで見せる。

 

 

「やっぱり来たのか―――馬鹿野郎(リィン)

 

「来ないとでも思ったのか―――大馬鹿野郎(レイ)

 

 

 実技演習ではない。これから始まるのは、青臭く滅茶苦茶なただの喧嘩だ。

 それでもこの二人が醸し出す闘気は、これから殺し合いを行おうとしている武人同士のそれと遜色はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前の少年を倒す事ができるか? と問われれば、即座に首を横に振るだろう。

 気合は充分、気概も充分。だがそんな精神論で実力の差を覆す事ができる程、武人の世界は甘くない。

 

 生まれ落ちたその瞬間から得た才能、そして月日を重ねて積み上げた修練を以て鍛え上げた厳然たる実力は、”現実”という名の脅威を叩きつけてくる。

 倒す事はできない。そこまで”達人級”の武人は甘くない。それはリィン達が一番良く分かっている。

 

 だが、何も勝負とは相手を倒す事だけが勝利ではない。

 例えば今回のように、()()鹿()()()()()()()()()()()()()()のが彼らにとっての勝利条件ならば、満たせる可能性は充分にある。

 

 

「書置きは、しっかり残した筈だったんだがな」

 

「あんな紙切れ一枚で俺達が諦めると思っていたなら、お前は本当に大馬鹿だよ」

 

 そう言うリィンが今現在手に持ち、《布都天津凬》と鎬を削っている武器は、レイがクロスベルから持ち帰り、しかしリィンに手渡す事が叶わなかったもの。

 銘は、利剣《隼風》。それは《風の剣聖》アリオス・マクレインが携える太刀と同じ銘であり、レイがクロスベルから去る前、アリオスに懇願して譲ってもらった彼の予備の太刀の一振りだった。

 

 お前が目を掛ける弟弟子の為ならば、と快く譲ってくれたそれは、驚くほどにリィンの手に良く馴染んだ。

 それを振るう最初の相手が掛けがえのない友人だという事には流石に思うところはあったが、しかし手加減などは一切しない。

 そんな事をすれば一瞬で押し切られる。わざと敗けるような真似はしないのがレイ・クレイドルという人物だと、今まで散々学んできた。

 

「お前の事は、サラ教官から聞いた」

 

「…………」

 

「嘗てお前が《結社》という組織に属していた事も、《帝国解放戦線》の行動に《結社》が加担している事も、―――お前が俺たちに大事な事を話せない理由も、全て」

 

「…………」

 

「色々、思うところがあったのは認めるよ」

 

 それぞれが体を押し返し、僅かな距離が生まれる。普段のレイならばそうした隙は一切見逃さず鬼のような追撃をかまして来るのだが、今回に至っては剣鋩を地面に向けたまま、動く気配はなかった。

 

「まぁ、それについて今は問い詰めるつもりはないし、過去にしていた事を責めるつもりも勿論ない。そもそも俺たちがそんな事を言う権利もないしな。

 だけどな、そんな事は関係ないんだよ。俺たちが今怒ってる理由はな―――お前がまた自分から独りぼっちになろうとしている事に対してだ」

 

「―――ん。そんな事は許さない」

 

 闇夜を斬り裂き、極限まで闘気を抑え込んだ双銃剣の刃が白刃とぶつかり合って火花を散らす。

 満月の光に照らされたフィーの表情は、珍しく誰が見ても分かるほどに不機嫌だった。

 

「レイが意地っ張りなのは知ってる。本当に危険な時は自分一人で何とかしようとするところも」

 

 でも、と。普段の眠たげな様子は欠片も見せず、真剣な声色で続けた。

 

「今のレイを行かせるわけにはいかない。今のままじゃあ……あの《執行者》には()()()()()

 

 ピクリ、とレイの片眉が僅かに上がるのを見て、確信する。

 

 

 

 レイが学生寮の自室に残した置き手紙。そこにはレイに新しい太刀を譲る旨と、クロスベルで起きた経緯が書かれていた。

 『オルキスタワー』を襲撃したテロリストの戦闘飛空艇を二機撃墜したところから始まり、その後テロリストが避難と逃走経路に選んだ地下区画『ジオフロント』にて《帝国解放戦線》の幹部の一人、《G》ことミヒャエル・ギデオンを殺害。同時に無線機を使って戦線に挑発と共に喧嘩を売った事が書かれていた。

 

 リィン達はガレリア要塞で幹部《S》、スカーレットからギデオンが死亡した事は伝え聞いていたが、手を直接下したのがレイだったとは―――思わなくはなかった。

 フィーを除いて、未だリィン達には殺人に対する忌避感が残っている。敵であれ、できるならば殺さずに無力化するというのが取り敢えずの行動方針であるし、だからこそ要塞で自害した戦線のメンバーを見て無力さを噛み締めたのだ。

 だがレイは違う。彼の過去も鑑みれば、その手で幾度となく命を奪って来たのだろう。任務を遂行するために、心を殺して手を血に染めた事も数え切れないほどあるはずだ。

 

 しかしそれを、リィン達は非難するつもりは毛頭なかった。

 以前から―――というよりも普段の彼を見ていれば分かる事だが、彼は”命”というものを決して粗末に扱う事はない。

 小さいところでは料理に使った食材に対して「いただきます」と言う事を忘れない。人の命ともなればサラ曰く、レイの持論は「人の命を奪う事は、その人間が抱いていた恨みや嫉み、その後の人生も全てひっくるめて背負うのと同義」であるらしい。そんな持論は、心根が善である者にしか抱けないものだろう。

 

 きっと、ギデオンを手に掛けた事でまた一つ彼は”重荷”を背負ったのだろう。幹部の一人を殺したという事実は消えず、それを敢えて敵側に明言して伝え、更に挑発も兼ねて宣戦布告する事で、戦線の憤怒の対象を自分一人だけに集中させる。そうなれば帝国やⅦ組(自分達)に掛かる負担も少しは減るだろう、と。

 

 その心配りがありがた迷惑だとは思わない。寧ろ嬉しいとは思う。

 が、それを差し引いても尚、リィン達が内に秘めた怒りの炎は収まらない。

 

 そして今のままでは―――レイは何も成し遂げる事はできない。

 

 

「まぁぶっちゃけ言うとアレだ。()()()()()()()()()()

 

 そう挑発的に言いながら、クロウはレイに向かって容赦なく弾丸の一斉掃射を叩き込んだ。

 無論、そんなものに当たるようなレイではない。いつも通りに見える超反応を以てしてその弾丸の全てを避け、斬り込もうと足に力を入れた瞬間、左右から飛来したショットガンの弾丸と矢の同時攻撃に晒され、一瞬ではあるが足が止まった。

 その”隙”を見逃さずに、前衛組の面々が再び攻撃を敢行する。

 

 ARCUS(アークス)のリンク稼働具合は、驚異の()()()()()()。―――入学初日、あの旧校舎地下で発動させて以来幻の産物となっていたその”共鳴”が、今レイを除く11人の間で成立している。

 互いの思考、互いの動き、その全てが共有され、通常では有り得ない連携攻撃が可能になるという事は、レイも理解していた。

 

 だが、それだけなのだろうか。それだけで、()()()()()()()()()()()()()

 それとも、本当に―――

 

 

「……ッ‼」

 

 

 ―――()()()()()()()()()()()()

 

 

「なめる―――なぁッ‼」

 

 『硬氣功』で硬化させた拳で振り下ろされたラウラの大剣の剣身を掴み上げ、勢いを利用してラウラごと投げ捨てる。ガイウスの十字槍と競り合ったのは一瞬だけで、すぐに流れるような動きで懐に潜り込むと、鳩尾の部分に軽く掌底を叩き込んだ。

 

「ぐっ……‼」

 

 それでも充分なダメージを食らったガイウスは後方に下がらざるを得なかったが、レイはその時、ガイウスの体に薄いながらも闘気の膜が纏わりついているのを視認する事ができた。

 

「(ありゃあ『剄鎧』の前段階か? 何でアイツが―――)」

 

 などと思考を巡らす隙もない。足を止めれば襲い掛かってくるのはエマとエリオットのアーツ、火矢にショットガンの散弾。全員がリンクで繋がれている今の状況は、学院のグラウンドと違い多少なりとも障害物が存在する事も踏まえて、彼らの強みをより引き立たせている。

 それでも普段ならば特に労もなく制圧を完了させるのだが、今回に至っては違った。

 

 Ⅶ組の他の面々と戦う。そんな事は今まで幾らでもしてきた事だ。叩きのめした数は数知れず。

 だが今回は、勝手が違った。地形の不利、状況の不利―――そんなものは”達人級”の戦いには適用されない。その不利を覆せるだけの力を有しているのだから。

 では何故か。―――それを、薄々レイは理解していた。ただ、認めたくなかったのだ。

 

「……いつもより加減が強いようだが?」

 

「ふむ、ということはクロウが言っている事は本当だということか」

 

 吹き飛ばされはしたものの、深刻なダメージを負う事もなく立ち上がったガイウスと、投げられはしたものの無傷のまま再び剣を構えるラウラ。

 普段の演習であれば有り得ない光景だ。一度レイの攻撃範囲内に入り、攻撃を食らおうものならば、どれだけ覚悟をしていても一撃で意識を刈り取られて戦闘不能に持ち込まれる。

 その理不尽なまでの強さが、今は十全に発揮されているとは言い難かった。何故なら―――。

 

 

「なぁレイ、本当は分かってるんだろう?」

 

 太刀を構えた姿勢を崩さずに、リィンが口を開く。

 それに対してレイが焦燥感が入り混じったような闘気を叩きつけて来たが、それを歯を僅かばかり食い縛って耐えた。

 元より、あの城で身に受けた聖女の圧倒的なまでの覇気に比べれば、この程度はまだ耐えられる範囲内だ。だからこそ、リィンは言葉を続けた。

 

「お前は、俺たちと戦いたくないと思ってる。訓練とかじゃない場で、本気で俺たちを叩きのめす事を恐れてる。だから―――」

 

「――――――」

 

「だから今のお前は、()()()()

 

 吹き荒れる突風。それと共に振るわれた長刀を、リィンは寸でのギリギリのところで太刀で防ぐ事ができた。

 しかし、両腕には肘から先が吹き飛んでしまいそうな形容し難い感覚が伝わる。それでも全力を振り絞り、今自分が制御できる最大の氣力を以て鍔迫り合いへと持ち込んでみせた。

 

「……もう一度言ってみろ。誰が、弱いだって?」

 

「あぁ、何度だって言ってやる。お前が弱いんだ、レイ・クレイドル。

 ”弱い弱いⅦ組の人間”を本当の意味で傷つけるのが怖くて、無意識のうちに最大限の手加減をしている今のお前を”弱い”と言わないで何と言うんだ」

 

 更に膨れ上がった闘気を、アガートラムとラウラの左右からの攻撃が霧散させる。

 

「っ―――ガーちゃん‼ もうちょっと頑張って‼」

 

「ΓΘ・ΔΠβЖБЮ」

 

「これはッ―――流石にキツいな……っ」

 

 ラウラの剣を、アガートラムの剛腕を、己の氣力と呪力による肉体強化だけで難なく防いで見せているレイに、更にリィンは言葉を重ねた。

 

「ふざけるなッ‼ いつまで俺たちを何もできない弱者だと決めつけてるんだ‼ お前が最上級の手加減をしなきゃアッサリ潰れるような、そんな根性なしだとでも思っているのか⁉」

 

「テ、メェっ……」

 

「確かに、俺たちは今まで何度もお前に助けられてきた。感謝なんかしてもしきれないし、恩なんか返しきれない程溜まってる。

 でもだからこそ俺たちは、お前が俺たちを巻き込むまいと一人で俺たちの前から去ろうとした事が、どうしようもなく許せなかったんだよ‼」

 

 ギリッ、という音を立てて、軋み合う。

 学院に入学して以来―――否、もしかしたらシュバルツァー男爵家に拾われて以後、ただの一度もした事のなかった制御していない感情の発露というものを、リィンは今していた。

 

 

「俺たちは確かに数え切れないほど負けて来た。あぁそりゃあもう数えるのも鬱屈になるくらい、お前やサラ教官やシオンさんに叩き潰されてきたさ‼ 

 ノルドに行った時にお前が大量の血を撒き散らして俺たちの前からいなくなってしまった時や、お前が帝都でザナレイアと戦っているのを見た時、どうしようもなく無力だった‼ 言葉にできないくらい無力だった‼ だから強くなるために負け続けた‼」

 

「あぁ分かってる、お前は俺たちを守ろうとしてくれたんだろ? 死なないように鍛えてくれたんだろ? 不甲斐ない俺たちを。そのお蔭で何度も命を救われたさ。ノルドで大蜘蛛に襲われた時、帝都で伝説の魔竜の死骸と戦った時、そしてガレリア要塞で戦線の幹部と戦った時、俺たちは生きて、勝って来た‼」

 

「勿論、これからも負ける時はあるだろうさ。俺たちより強い人間なんて、この大陸には、この世界にはごまんといる。お前がそれを教えてくれた。

 だけどな、幾ら負けても何回だって這い上がってみせるさ。生きて、生きて、何度だって戦って勝ってみせる‼ 勝つまで戦い続けてやる‼ お前が喧嘩を売った相手がどれだけ強くたって、それだけでお前をみすみす一人になんてさせてやるか‼ この大馬鹿野郎‼」

 

 

 裂帛の罵声と共に放った渾身の頭突きが、レイの額を捉えた。

 無論、氣力と呪力の重ね掛けで強化された肉体にダメージなどは通らない。逆にリィンの額の皮膚が裂け、紅い血が迸る。

 だがレイは、そんな熱の籠った返り血を浴びた瞬間、覆い隠していた本音を閉じ込めていた強固な錠前が音を立てて砕け散る感覚を感じた。

 

「……黙って聞いてりゃ、コッチの気も知らずに言いたい放題言ってくれたじゃねぇか」

 

 最後まで偽りを貫き通そうとする理性の制止を完全に振り切り、偽りのない、本音をぶつける。

 

 

「”勝つまで戦い続ける”だ? テメェ、それがどれだけ難しいか分かって言ってんだろうな?

 俺が相対さなきゃならんのは、お前らが今まで戦ってきた奴らとは格が違う。その魔竜の死骸とやらも、口笛吹きながら瞬殺できるような頭おかしい奴らばかりだよ。そんな奴らとまともに相対したら……断言する、今のお前らじゃ1分も保たずに全滅だ‼」

 

「あぁそうだよコンチクショウ、認めてやる‼ 俺はお前らが斃れるところを見たくない。お前らと一緒に過ごした時間、思い出、控えめに言って最高だった‼

 所詮他人と割り切ってりゃこんな思いに苛まれずに済んだ‼ 学生生活なんざお遊びだと思ってりゃこんなに苦しまずに済んだ‼ お前らが見捨てられねぇ友達(ダチ)じゃなきゃ―――ここまでみっともない真似を晒さずに済んだ‼」

 

 

 叫び放つ声に呼応するように、右眼から一筋の涙が零れ落ちる。空いていた左手でリィンの胸倉を掴み上げ、恥も醜聞も何もかもを打ち捨てた少年が、より苛烈に―――しかしどこか懇願するような口調で声を漏らす。

 

 

「どうして、くれんだよ……っ‼ クロスベルでギデオンを殺した時、俺は《執行者》の俺に立ち戻った。殺人なんか珍しくなかった頃の俺だ、どれだけ殺しても動揺なんざしねぇと思ってた」

 

「でも駄目だったんだよ。あいつの心臓を貫いた瞬間、お前らとの思い出が殺意に覆い隠されて一瞬消えちまった。―――それが俺は、怖くて仕方なかった‼」

 

 

 暗く、そして一人きりのあの地下で抱いた己の弱さを誰かに話す気は本当はなかった。

 しかし今、レイはそれを自ら曝け出している。紫色の瞳から涙を流し続けながら、友に向かって慟哭する。

 

「……なぁ、頼むから行かせてくれよ。これ以上お前らと一緒にいたら、俺はもう戦えなくなるかもしれない。それだけは嫌なんだよ。

 だから……だから……ッ‼」

 

 そう言った直後、ギリッという歯軋りの音が聞こえると共にレイの左頬に衝撃が走った。

 殴られたのだと、そう分かったのはリィンが太刀から右手を離して、拳を振り切っていた姿を見てからだった。肉体を氣力と呪力で強化していた筈だったのに、それでも左頬に走った痛みは、幻痛でもなんでもなく実際の痛みだった。

 しかし、リィンが放ったその拳は、特に氣力などで強化していたものではない。それでも痛みを与える事ができたのは、偏に無意識にレイがその拳を()()()()()()()()()()()()からだ。

 

「だからっ、俺たちを嘗めるなって言ってるだろう‼

 忘れるのが怖い? あぁ、だったら幾らだって俺たちが思い出させてやる‼ 十回忘れたら十回、百回忘れたら百回、千回忘れたら千回でも、今みたいにぶん殴って思い出させてやる‼」

 

「……なん、でっ……何でそこまで、俺の為にしてくれるんだよッ‼」

 

 その叫びに答えたのは、リィンではなかった。

 近づいて来たアリサとユーシスが、それぞれ平手で軽くレイの頬を叩く。その表情は、怒りというよりは呆れの感情の方が強かった。

 

「何当たり前の事訊いてるのよ―――仲間で、友達だからに決まってるでしょう?」

 

「癪だが、俺たちは全員貴様の影響を受けてここまで強くなった。今更放り投げて楽をしようなどと、そんな事が許されると思うなよ?」

 

 

 次いでエリオットが、マキアスが、ガイウスが、残りの男子勢がそれぞれレイの後頭部をコンと叩いていく。

 

「苦しいならさ、僕達にも言ってよ。まぁ、戦力っていう感じじゃまだまだ頼りないかもしれないけどさ」

 

「それでも、一緒に考えることくらいはできるだろう? 敵を憎むならまず敵を知れと、そう僕に教えてくれたのは君だろうに」

 

「共に苦難を乗り越えようと思う覚悟は、もうできている。それほど悪い風は吹いていないと思うが?」

 

 

 そしてエマが、ラウラが、フィーが後頭部を優しく小突いていく。

 

「それに、危険な事を全部レイさんに押し付けて、それで良かったと思う程、私たちは薄情じゃありませんよ?」

 

「そなたの抱く”恐れ”……あぁ、確かに理解した。ならば尚の事、そなたには我らがいなくてはならんだろう?」

 

「ん。今度は、私がレイを助ける番」

 

 

 最後に苦笑を漏らしながら近づいて来たのは、ミリアムとクロウの二人。

 

「ボクもレイのごはんが食べられなくなっちゃうのはイヤだなー。ガーちゃんもレイの事気に入ってるしー」

 

「ははっ、ま、こんだけの仲間に好かれた結果としちゃ当然だわな。つってもまぁ、弱みを晒せる仲間と場所があるってのは、幸せな事だと思うぜ?」

 

 

 先程までの戦闘の影響でボロボロになりながらも、それでも思うところがある言葉を投げかけてくる仲間達。

 本気で死ぬかもしれない我が儘に、「だからどうした」とついてきてくれる彼らを果たして”弱者”と呼べるのだろうか? ―――否。

 

「お前らは……本当に馬鹿だよ……」

 

「なら馬鹿同士、これから裏表なく付き合っていこうぜ。あぁ、もうお前が何言っても驚かないから、話せる時が来たらいつでも話してくれ。どうせお前の理不尽さは、もう皆承知済みなんだから」

 

 リィンが差し出してきた右手を、同じ右手で握り返す。

 その熱が、その感覚が、先程まで自分が投げ捨てていこうとしていたモノだという事を改めて感じると、やはり涙は止められない。

 

「それに、俺たちだけじゃないだろ? サラ教官や、シャロンさんや、クレア大尉を泣かせちゃダメだ」

 

「そうね。特にシャロンを泣かせたらアレよ、母様が本気で怒るからやめなさい」

 

 そしてその言葉に、ハッとなる。

 弱さを見せたくない、弱い自分を晒したくないと、心配してくれたのにも関わらず突っぱねてしまったサラにも謝らなければならない。それこそ平伏しても、一発くらいは殴られるかもしれないが。

 

 

「……ありがとう。なぁ、リィン、皆」

 

「?」

 

「こんな感じで時々途轍もない迷惑をかける俺だけどさ、それでも―――友達でいてくれるか?」

 

『『『『勿論‼』』』』

 

 一人の例外もなく、二つ返事でそう返す。

 彼らが強くなれたのは、理由の程度こそあれど、偏にレイ・クレイドルという存在がいたからだ。その圧倒的な強さに惹かれ、しかしその強さが招く災厄に苦悩する姿を見過ごせず、根が善人で弱い彼を拒む理由など、どこにもありはしない。

 彼を入れた12人―――それこそが特科クラスⅦ組としての在るべき姿なのだから。

 

 レイはやや乱暴に涙を拭い、いつも通りの笑みを見せる。偽りのものではなく、本心からの笑顔を。

 

「本当に、ありがとな」

 

「あぁ。じゃあ、ホラ。早く寮に戻れ。サラ教官が待ってるから」

 

「分かった。……お前らは?」

 

「俺たちは、ホラ」

 

 リィンはそう言って張りつめていた緊張感をフッと解くと、そのまま膝から崩れ落ちる。他の面々も、程度の差こそあれ似たようなものだった。

 

「ちょっと本気で戦ってたからさ、暫くは動けそうにないよ」

 

「少し休んだら行くから、先に行って教官に謝ってきなさいよ」

 

 そう言って「早く行け」とジェスチャーをすると、レイは一度だけ頷いてそのままトリスタの方へと走っていく。

 その様子を見届けてから、それぞれ服が汚れる事も構わずに戦闘の余波でところどころ穴が開いてしまった芝生の上に仰向けになり、月が坐す星空を仰ぐ。

 

「……一応、目的は達成かな?」

 

「まぁ、そうだろう。全く、世話が焼ける馬鹿だ」

 

「でも、初めてレイさんと本音で語り合えた気がしましたね」

 

 違いない、と全員が思うと、エリオットが僅かに歯切れ悪く言った。

 

「で、僕達いつ戻ろうか?」

 

「まぁいいじゃねぇの。明日まで休暇貰ってるし、それに残暑があるから一夜くらい野宿しても風邪ひかねぇし」

 

「それもそうだな。今夜戻るのは無粋というものだろう」

 

「えー? 何がイケナイの?」

 

「ミリアムはまだ知らなくても良い事よ」

 

 全員があの強くて弱くて器用だけど不器用な友人の事を考えながら、夜空が白むまでどこか楽しそうな声が尽きる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僅かばかり息を切らして走るのもいつぶりだろうかと考えながらひたすらに街道を走っていると、いつの間にか第三学生寮の前に立っていた。

 

 数時間前に自分勝手に出て、もう戻らないという覚悟を決めていたにも拘らず結局は戻ってきてしまった身勝手さに辟易すると共に、自分に玄関の扉を開ける資格はあるのだろうかと思い込んでしまう。

 だが、()()()()()開けなければならない。待っていてくれている恋人に、誠心誠意謝る事が、今レイがしなくてはならない最優先の事柄だ。自責の念に囚われている暇はない。

 そう決意し、玄関の扉を開けると、そこにはやはり、思っていた通りの人物が腰に手を当てて立ったまま待っていてくれていた。

 

「えっと……」

 

「…………」

 

「……悪かった。ゴメン。だから、その……」

 

「ちょっと、目ぇ瞑りなさい」

 

「は、はい」

 

 逆らってはならない雰囲気に思わず敬語になりながら強く目を瞑ると、その数秒後、温かい感触がレイを包み込んだ。

 抱きしめられていた。そして、優しく抱きしめた人物は、涙声で耳元で囁く。

 

「心配、かけんじゃないわよ。馬鹿」

 

「……ゴメン。お前の気持ちも跳ね除けて……ホント、馬鹿だよなぁ、俺」

 

「そうよ。だから、だからこれだけは誓って頂戴」

 

「?」

 

「二度と、何も言わずにアタシの前から消えないで。どんなにアンタが壊れても、絶対、絶対アタシが助けてみせるから」

 

 その懇願には、レイは背中に手を回して彼からも抱きしめる事で答えとした。

 流し収めた筈の涙が再び目尻に溜まりかけたが、それを堪えて言い忘れていたことを告げる。

 

「あぁ、そうだ」

 

「?」

 

「言い忘れてた。―――ただいま、サラ」

 

 まだ夜は明けない。弱みを曝け出す時間はたっぷりあるのだから、せめてそれだけは、気丈なままで言っておきたかった。

 

「えぇ。―――おかえり、レイ」

 

 そう言って今まで見た事がないような笑顔を浮かべたサラに対して、レイの心臓が高鳴る。あぁもうダメだと、自覚した時にはもう遅かった。

 

 

 夜はまだ―――終わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 どうも。『シュヴァルツェスマーケン』のリィズちゃんの半生が思ったよりエグくて軽く引いた十三です。
 その後友人からLINEで「あのシリーズでもっとエグいのあるぜー」と言って来た友人の勧めに従って『マブラヴ オルタネイティヴ』で画像検索してみたら……ちょ、あれは違うだろう友よ。あれは精神的にじゃなくて物理的にエグい。
 おのれ兵士級マジ許すまじ。貴様らウチの戦闘キチ達人級と頭おかしい猟兵団送り込んでハイヴにカチコミかけんぞオラァ。


 ……と、前置きはここまでに致しまして。


 とりあえず今回の話でシリアスは収束です。この時点を以て本当の意味でリィン達とレイは”仲間”であり”友”になれたと言えるでしょう。いやぁ、長かった。
 まぁ色々と多方面に迷惑かけた感は否めないので、次回はその辺りを軽く書きたいと思います。因みに明後日から二週間は怒涛の企業個人説明会ラッシュなので更新は多分駄目です。申し訳ありません。<(_ _)>

ps:活動報告欄に猟兵団《マーナガルム》の概要を載せておきました。暇潰しに出もどうぞ。

ps2:巌窟王君は……ガチャでは引きません‼ 次のピックアップに期待‼



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第6章
新たな心の門出 ※






「親しき仲にも礼儀ありとは言うけれど、僕とお前の間には、そんなみずくさいものいらねぇよ」
   by 阿良々木暦(鬼物語)









 

 

 

 エレボニア帝国北東、ゼンダー門に繋がるアイゼンガルド支線からも離れた場所にある国境付近の辺境地帯、オスギリアス盆地。

 

 周囲数千セルジュは民家どころか人影一つたりとて見当たらない、ともすればノルド高原よりも自然の色合いを遥かに濃く残すこの地域に一角に、その(ふね)は停留していた。

 突き立って聳える天然の岩壁に隠れるようにして停まっているそれは、外装が黒と赤で統一された重々しい風貌の大型強襲艇。側面に頂くそれは、『月喰みの狼』の紋章。

 

 大きさ、性能共に、リベール王国の高速巡洋艦《アルセイユ》や七耀協会が秘密裏に保有する特戦艇《メルカバ》を上回る高性能艦。

 嘗て《結社》の《十三工房》の一つ、《ユングヴィ工房》が建造した傑作。《紅の方舟》程ではないものの、機動性を重視したコンセプトで設計された高機動大型強襲飛空艇《ウートガルザ》級艦船の二番艦。

 神への弑逆を象る狼の名を貰い受けたその艦は、”彼ら”が誇る最強兵装の一つであり、拠点でもあった。

 

 

「……それで? やはり”奴”は此処には来ないと?」

 

「えぇ。余計な手間を取らせてしまって申し訳なかったと言う旨の手紙が式で運ばれてきたのですが……ご覧になりますか?」

 

「要らん。焼却炉に放り込むか、エリシアかクロエ辺りにやっておけ」

 

 《フェンリスヴォルフ》艦内4F部分にある司令室。その室内にある執務用の椅子に腰かけて足を組みながら、仏頂面を隠そうともしない人物がいた。

 顔立ちそのものは美人であると言って差し支えがない事に異論を挟む者はいないだろう。だが、常に不機嫌であるかのような眉間に皺が寄った渋面と、豪胆に銜えられた葉巻、そして幾多の戦場を乗り越えた戦士特有の覇気が、”美しさ”から見る者の目を背けさせてしまう。右頬から首筋までに及ぶ火傷痕も、恐らくはそれに拍車をかけているのだろうが。

 髪の色は、全ての色素が抜け落ちてしまったのかと思わせる程の長い白髪。しかしそれに”老い”を連想させる要素は全くなく、羽織った黒のコートと相俟って、より鮮烈に平和の中で生きる者との溝を感じさせるような、そんな女性だった。

 

 名は、ヘカティルナ・ギーンシュタイン。

 猟兵団《マーナガルム》の団長にして、《軍神》の異名で畏怖される存在である。

 

 そんな彼女を前にして、しかし諜報部隊《月影》隊長のツバキは、僅かも気圧される気配は見せなかった。

 

「相変わらず兄上に厳しいですね、団長は。こうなる事くらいは分かっておられたのでしょう?」

 

「それとこれとは話が別だ、馬鹿め。こちらとしても帝国政府の狗に捕捉されるような愚は犯したくはないのでな。この場所に留まっているだけでもリスクはゼロとは言い切れん」

 

「それを嗅ぎ付けられないように僕が拠点(ココ)に詰めているんですから、そこは信頼してほしいところですが」

 

「阿呆。()()()()()()()()()()()

 

 短くなった葉巻を卓上の灰皿に押し付けると、ヘカティルナは仏頂面を崩さないままで言い放つ。

 

「餓鬼の迷い気に付き合っていられるか。―――応答しろ、シヴァエル、フィリス」

 

 灰皿と同じく司令室執務机の上に設けられた最新式の通信機のスイッチを押すと、団長(自ら)の直轄部隊である《一番隊(エーアスト)》の隊長、そして後方支援部隊《五番隊(フュンフト)》の中の《整備・開発班》副主任の下へと通信を繋ぐ。

 

『―――はい。団長』

 

『―――はいはい。どうしました?』

 

 反応したのは、軍人然とした硬い声と、それとは対照的などこか呑気そうな声。それについては言及する事はなく、ヘカティルナはただ用件のみを告げた。

 

「1時間後に出航する。向かう先はアイゼンガルド連峰。教会や《情報局》の連中に気取られないよう、細心の注意を払っておけ」

 

了解(ヤ・ヴォール)団長(ゲネラール)

 

『あらら、やっとレイ君と会えると思ったんですが、やっぱりダメでしたか。えぇ、了解です(ヤ・ヴォール)

 

『……フィリス副主任、君のその態度はどうにかならないのか』

 

『規律主義の《一番隊(エーアスト)》の人たちと一緒にしないで下さいよー。私たちは規律と理性と常識ブン投げ上等でやってるマニア集団ですよ?』

 

『しかしだな―――』

 

 上官と通信が接続したままだというのにそっちのけで個人的な言い合いに発展し始めたのを見切って通信を遮断する。

 見れば、クスクスとツバキが笑っていた。

 

「相変わらずですね」

 

「構わん。あれで意外と気が合う連中だ。―――ツバキ」

 

「はっ」

 

「お前はこのまま艦に残って小煩い諜報員どもを牽制し続けろ。リベールとカルバードにやった奴らとのやり取りも忘れるな」

 

「御意に。―――クロスベルに潜入しているマイヤは如何しますか?」

 

「《死拳》と《(イン)》の小娘がいる以上、引き上げさせたら怪しまれるだろう。引き続き潜らせておけ」

 

「然様ですね。では僕はこれで。団長も、余り根を詰め過ぎませぬよう」

 

「要らぬ心配だ。お前達に気を使われる程柔ではない」

 

 字面だけ見れば突き放したような言葉ではあったが、その真意を知っている側からすれば苦笑するしか他はない。しかしその笑みを悟らせまいとツバキは一礼をすると、そのまま司令室を出て行った。

 その背を見届けたヘカティルナは、執務椅子の背に体を預けて目を伏せる。

 

 レイ・クレイドル(あの男)に振り回されるという事自体は、実はそれ程珍しい事ではないし、寧ろ《結社》に属していた頃はもっと傍迷惑な事に首を突っ込んでいたと言っても過言ではない。

 それに比べればこの程度の我儘など瑣末事でもある。猟兵団として動いている中で融通の利かない依頼者(クライアント)を相手にしているよりは余程良い。

 

「……フッ、私も歳を取ったか」

 

 懐古など柄ではないと苦笑しながら、何気なく執務机の引き出しの中からとある報告書の束を取り出した。

 それは、とあるルートで入手したトール時士官学院生徒名簿のコピー。その中から『1年 特科クラスⅦ組』のページを開くと、鼻を鳴らした。

 

「(ただの餓鬼共ばかりだと思っていたが、あの阿呆の暴走を止めるとはな)」

 

 レイが一度己の中で決定した事を、相当な事がなければ覆さない頑固な一面を持つ人間である事は知っている。彼だけではなく、求道の極みに至った”達人級”の人間は皆どこかしらかそういう一面があるのだが、辿って来た半生が半生である彼は、特にそれが顕著な時がある。

 その中でも今回の暴走は輪をかけて馬鹿げたモノではあったが、それを真正面から面と向かって否定し、納得させるだけの技量と覚悟、そして培った絆がⅦ組(彼ら)にはあったという事だ。

 

「(存外、奴にはやはり陽の当たる場所での生活が合っていたという事か)」

 

 《結社》に居た頃、つまるところ日陰に身を(やつ)していた時のレイは、恐らく”戦士”という単一の概念に照らし合わせれば最盛期だったのだろう。

 深い思考を持たず、戦場に於いては己の他は全て敵。阻む者らを斬り捨てて、血雨の中をひた走る。世間一般にはそれを「狂している」と言うのだろうが、少なくとも戦場を駆ける者らはそれが普通だ。

 ただそれでは、どこまでいっても”殺戮者”以上の何者にもなれない。理性と知性を有して部隊を率い、(はかりごと)にも鼻が利くようになったとしても、やはりそれは殺戮の場で生きる獣以上の存在にはなれないのだ。

 

 それを踏まえて今のレイの状態を鑑みてみると、どうにも判断が難しい。

 実力的には衰えていない。寧ろ基本スペックだけを見れば上がっている。―――が、精神的な面に於いては未だ揺らぎが見え隠れしているのが現状だ。

 

 だがそれは決して悪い事ではない。元より17、8の若者が悩みを一切抱えずに日々を送るという方が無理な事だ。……そんな事を考える暇もない程に忙殺される日々を送っていたりという例外を除けば、だが。

 

 しかし、それ程悠長に事を見ていられないのもまた事実だ。

 《月影》の面々が各地に飛んで仕入れてくる情報、更に《経理班》《兵站班》といった比較的外との交流を持つ部隊の人間からの情報などを照らし合わせてヘカティルナが導き出した遠くない未来である。

 この西ゼムリア大陸で”何か”が起きるまでに残された猶予期間(モラトリアム)は、それ程長くはない。だからこそ、腑抜けたままの顔でノコノコとレイがやってこようものならば出会い頭にまず一発顔面に拳でも入れてやろうかとも画策していたのだが、それは徒労に終わってしまったのだ。

 

「(精々気張る事だ()()殿()。戦火の渦はすぐそこにあるかもしれんぞ)」

 

 心の中でだけそう激励を送り、ヘカティルナは新しい葉巻を銜え、火を点けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、それでリィンさん達と喧嘩をしてどうにか止めてもらった、と。……レイ君」

 

「分かっちゃいるけど、お前のジト目は良心の呵責がヤバいね。―――あぁ、うん。反省してるよ、この上なく。もうこんな馬鹿な真似はしないさ」

 

 

 帝都ヘイムダルの『サンクト地区』のほど近くにある施設、『ヘイムダル中央病院』。

 同じ敷地内に存在する帝国随一の医療大学と提携しているこの大病院は政府直轄の国営機関であり、一般市民から軍属の人間まで、幅広い層の病人が利用している事でも知られている。

 無論、勤めている医師の腕もトップクラスであり、医療を国家事業で推進しているレミフェリア公国に留学し、医学を学んできた者も少なくない。

 

 そんな広大な敷地を誇る病院の一室を訪れていたレイは、個室のベッド脇に設けられていた椅子に座って、バツの悪い表情を浮かべていた。

 その視線の先に居るのは、ベッドの上で上半身を起き上がらせている寝間着姿のままの女性。二日前に《鉄道憲兵隊》の面々によってこの病院に急搬送された身であるクレアは、しかしそれ程憔悴したような様子ではなかった。

 

 無論、二日前のあの場所でザナレイアに抉られた肩口の傷をそのまま放置していたら最悪出血死も有り得たのだが、シオンの適切な処置によって大きな問題は特になくそのまま入院という流れになったのである。

 

 

「なぁクレア、本当に傷は大丈夫なのか?」

 

「ふふっ、心配性ですね、レイ君は。シオンさんが治癒の力を施してくれたおかげで後遺症もなく大半の傷は搬送前に治っていましたし、こうして入院している理由の大半は検査入院みたいなものですから」

 

「嘘こけ。過労気味でもあったからこの機会に全快させますって主治医の人に聞いたぞ」

 

 実際、直接的な傷そのものはほぼ塞がっており、日常生活を送るレベルならばまぁ問題がない程には回復しているクレアだったが、先日まで休みがほぼなく続けられていた《夏至祭》の後始末、その後の《帝国解放戦線》に対する各正規軍部隊との打ち合わせ、基本難色しか示さない領邦軍との妥協点を見つけ出す交渉などの膨大な仕事の影響で体そのものが弱っていた事が検査の過程で判明し、結局一定期間病室のベッドの上で安静にしている事を義務付けられてしまったのである。

 

 

「……でも、良かった。もしお前に何かあったら、それこそ誰の声も聞こえなくなってたかもしれなかったからな」

 

「心配をかけてしまってすみませんでした。―――でも」

 

 クレアはベッドの上からサイドテーブルに手を伸ばすと、そこに置いていたものを手に取った。

 それは、今は込められた呪力の全てを吐き出し尽くして再び普通の物体に戻った、レイに買ってもらったブローチだった。

 

「これがあったから、私は最悪の事態を免れる事ができました。本当に、何てお礼を言ったらいいか……」

 

「礼なんか要らねえっての。むしろこの程度しか手助けができなかったんだ。申し訳ない気分だぜ」

 

「そんな事は、ないですよ」

 

 少なくとも彼が謝る事はないと、そうクレアは思う。

 元より、()()()()()()に陥った時点で、クレアは敗北していた。あの時は部下を逃がす事に必死で足掻いては見たものの、本来であれば”達人級”の武人と一対一で相対するなど愚の骨頂。自分の腕前では彼らと真正面から戦ってもまともな勝率など見込めない。

 言ってしまえば、自業自得のようなものなのだ。敵の思う壺に嵌ってしまった自分が責められこそすれど、その逆は有り得ないと思っていた。

 

「策士策に溺れる……私が一番嫌いな言葉でしたが、どうやら知らない間に慢心していたようです。あの状況で敵が最大最小戦力を以て撃破しに来るのは一体どの存在(ユニット)なのか……少し考えれば、分かる筈だったのに」

 

「……んなことねーだろ」

 

 ふぅ、と息を吐き、レイはクレアのその言葉を否定した。

 

「お前は黙ってられなかったんだろ? ガレリア要塞で散っていく同朋(なかま)達の事が、Ⅶ組とサラ達の事が、見捨てられなかったんだろ? 要塞が落とされたらヤバいとか、被害を可能な限り軽微にするとか、そういう事も諸々込みで、勝率とか理屈とか抜きで動いたんだろ?

 いいじゃねぇか、それでも。安全圏からぬくぬくと指示だけ出して満足してる軍人よりかはよっぽど好感が持てるがな」

 

「……私は参謀役です。現場で命を張る兵士に狡い汚いと蔑まれようと、ただ勝利のみを視界に入れて進み続けるのが役目です。

 本来ならば私は―――どれだけ蔑まれようとも帝都を離れるべきではなかった」

 

「でも、お前は行った。それが頭の片隅では理解できていたのにも関わらず、だ。そんなお前だから《鉄道憲兵隊》の面々はお前に着いて行くんだし―――そんなお前だから俺は惚れたんだよ」

 

 流石に最後の言葉だけはノリで流すわけにはいかなかったようで僅かに言葉を詰まらせ、視線を逸らす。

 そして、褒められた流れで愛の言葉も囁かれた事に数秒経って気付いたクレアも、熱が廻った顔を見られまいと逸らす。

 

「と、とにかく、そういう事だから気にするな。俺としては、お前が無事で良かったっていう、それだけで充分だからな」

 

「あ、は、はい。えぇ、はい。あ、ありがとうございます‼」

 

 あはは、と。無理な笑みを溢してそう返したクレアは、話題を変えるために声色も一段落とした。

 

 

 

「……でも、私の事はともかく、レイ君はどうするんですか?」

 

「?」

 

「いえ、だってヴァンダイク学院長に休学届を提出してしまったんですよね? 一度受理されてしまったら無効にする事なんて難しいでしょうし、もし成ったとしても他の先生方の覚えも悪くなってしまうのでは……」

 

「あぁ、まぁ。普通はお前が考える通りだろうな」

 

 なにせ、生徒会も理事会も通さずに強引に学院長に叩きつけたも同然のモノである。本来であればどれだけ頭を下げようとも退学処分は必至の案件である。

 無論、レイも自分の傲慢な我儘を拗らせた結果であるという事は分かっていた為、そうした処分を下されれば甘んじて受け入れるつもりでいた。あからさまな因果応報である為、当然と言えば当然である。

 

 しかしレイはそれに対して、敵わないと言った風な微妙な表情を浮かべた。

 

「まぁそれこそ俺の自業自得だからさ。カッコ悪いとかそういうの全部かなぐり捨てて土下座の一つや二つして全力で謝罪しようと思ったんだが……やっぱ敵わねぇわな、ああいう人には」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それこそ今朝、すやすやと気持ち良さげに眠ったままのサラの横顔を見てから再び士官学院の制服に袖を通し、まだ生徒が登校を始めていない早朝のトリスタの街を走り抜けてトールズへと向かったレイは、学院長室に既にヴァンダイクが来ている事を確認してから昨日と同じように入室した。

 

 そして開口一番、自分の独りよがりで唐突に休学届を提出してしまった事をまず謝罪し、その後、休学の旨を取り消しにして欲しいという事を、深々と頭を下げたまま告げたのだ。

 

 傍から見れば、これ以上自分勝手な言い分もない。勝手に暴走して、勝手に理解して、そして勝手に自分の行動を撤回しようとしているのだ。如何に生徒の行動といえども、許される事ではない。

 それはレイも充分に分かっていたが、今の彼には正直に心の底を打ち明けて頭を下げる事しかできなかった。

 

 するとヴァンダイクは、レイの言い分を口を挟む事もなく黙ったまま聞き続け、その後はレイの目を見据えたままに、こう言ったのだ。

 

 

「ふむ、なるほどのぅ。しかしすまんが、ワシには()()()()()()()()()()()()()()分からん」

 

「休学届? 撤回とな? ふぅむ、生憎じゃがワシは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう言い、ヴァンダイクは執務机の引き出しから一枚の封筒を取り出す。それは確かにレイが昨日差し出したものであったが、「休学届」「1年特科クラスⅦ組 レイ・クレイドル」と書かれていた部分だけが、墨で塗り潰されていた。

 

「昨日と言えばこのようなものがワシの机の上に置いてあったが、この通り、何が入っているのか、誰が差出人なのかも分からぬ始末じゃ。最近は郵便物を装ったテロもあると聞くからの、中身はまだ見ておらぬのだ」

 

 すると、その封筒を大きな両手の五指で以てビリビリと破き始める。

 やがて中に書いてある文字が解読不可能なほどにまで細かく破かれ終わると、紙屑と成り果てたそれはゴミ箱の中へと消えていった。

 

「―――ワシが昨日君から聞いたのはクロスベルでの護衛任務の報告のみだと記憶しておる。すまぬが、寄る年波には勝てなくての。幾つか忘れてしまった事があるかもしれん」

 

 つまりは、そういう事だった。

 ヴァンダイクは「休学届などというものは見てもおらず」尚且つ「休学する旨の事など聞いていない」という。

 すると徐に椅子から立ち上がり、頭を下げ続けているレイの肩に、その大きな手を置いた。

 

「しかし、男子三日会わざれば括目して見よと言うが、うむ。昨日よりも良い目をしておる。君の進む道にはまだまだ障害はあろうが、()()()()()学院で精進し、確かな道を見つけるが良い」

 

 昨日までの心の不安定さを看破されていた事のみならず、以降も学院に在籍する事を赦してくれた器量の広さに、場違いながらもレイは敗北感のようなものを味わっていた。

 己の身勝手で振り回してしまったのにも関わらず、それらも全て「若い故の過ち」「これから精進するように」という言葉で挽回するチャンスをくれた度量の大きさは、今までの人生で幾人もの未熟な人間を見続けていた者にしか備わらないものなのだろう。

 改めて己の未熟さを痛感し、もう一度深々と頭を下げるレイに対して、最後にヴァンダイクは言葉を掛けた。

 

「ふむ、そういえば昨日君が帰った後に《鉄道憲兵隊》から連絡が来ての。指揮官のクレア・リーヴェルト憲兵大尉が帝都の中央病院に搬送されたそうじゃ。

 オリヴァルト皇子から君が大尉と懇意にしているという話は聞いておる。―――見舞いの一つでもするのが良い男の条件じゃぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ってなワケ」

 

 心の迷いどころか異性関係まで察せられるとは思っていなかったが、あらゆる意味で叶わないと察した瞬間でもあった。

 状況を説明し終わると、クレアは面白そうにクスクスと笑っていた。

 

「流石は帝国正規軍名誉元帥のヴァンダイク学長ですね。私も学生時代はお世話になりましたが、相変わらずの御様子で何よりです」

 

「当分は敵いそうにないなと思い知らされたよ。ったく、探せば上には上がいるモンだよなぁ」

 

「向上を諦めるつもりはないのでしょう? そういうレイ君の野心的な一面も、私は……えっと、好き、ですよ?」

 

 元の体温に戻った筈の頬に再び熱が灯ってしまったのを自覚しながら、クレアは意趣返しと言わんばかりにそう言ってみせた。

 

「っ……お前も中々言うようになったじゃん」

 

「うぅ……しょうがないじゃないですか。サラさんに先を越されてしまったんですから、少しでも積極的にならないと―――あ」

 

「―――《氷の乙女(アイスメイデン)》さん? 今うっかり口走った事について詳しい説明プリーズ」

 

 一瞬で照れの混じった表情からジト目に変わったレイの視線を受けたクレアは気まずそうに言い澱んだが、本当の事を聞くまでは梃子でも動かないという雰囲気がひしひしと感じられたため、数秒考えた後、口を開いた。

 

「えっと、ですね。昨夜夜遅くにシオンさんがこっそり病室に来まして……その……レイ君とサラさんが、()()()()()で居辛いから避難して来たと言って……」

 

「アイツの尻尾って羽毛布団の代わりになったりしねぇかな? 今度削いでみるか」

 

「や、やめてあげてください‼ そりゃあ確かにシオンさん酒瓶片手に上機嫌でしたけれど、わざとじゃないと思うんです。………………多分」

 

「……とりあえず2週間くらい禁酒させるか」

 

 深い溜息と共に口を滑らせた従者への罰を決定したレイだったが、しかしそうでなくとも説明の責任はあった。

 

「シオンの言った事は事実だ。俺は昨日サラを抱いたよ」

 

「―――そうですか。やはり、少し悔しい気持ちはありますね」

 

 落ち込むような言葉とは裏腹に、その表情はどこか晴れやかでもあった。

 その理由を遠回しながらも問うてみると、クレアは莞爾な笑みを崩さないままに答えた。

 

「だって、レイ君が誰かに甘えられるようになったという事じゃないですか。私が、その……お、お相手できなかったのは少し残念ですけれど、でも、いつかはサラさんみたいに……」

 

「あぁ、約束する。……つっても、これじゃナンパ男の誘い文句と変わらねぇがな」

 

「ふふ、そんな事はないですよ。レイ君の誠意と想いはちゃんと伝わっていますし、理解しているつもりです。それに……」

 

 クレアは、レイの顔を覗き込むようにしてから続けた。

 

「私は、貴方が他にも好きな人がいるって分かっていて、それでも貴方を好きになったんですから。これでも一応人を見る目はあるつもりですし、レイ君がそんな軽い男の人じゃないって知っています。

 ですから、そんなに自分を卑下しないでください。ね?」

 

 それは、まさに最近聞き覚えがあった言葉だった。

 貴女が悪い人だとは思えない。だから()()をお願いしますと、そう任された数日前の事が、どうにも遠い昔の事のように思えてしまって可笑しくなる。

 

「? ど、どうしたんですか?」

 

「いや、別に。クロスベルで、お前の妹に言われた事を思い出した。やっぱお前ら似てるわ」

 

「あら、シャルテと会ったんですか?」

 

「あぁ。クロスベル支部で立派にやってたよ。知らなかったのか?」

 

「この頃はお互い忙しくて、あまり手紙のやりとりもできていませんでしたから。―――でも、そうですか。あの子はちゃんとやれていましたか」

 

 片や巨大な軍事帝国の二大派閥の片割れを牽制し続ける姉。片や混迷渦巻く自治州の中で依頼と理不尽に忙殺され続けている妹。その様子を間近で見た身としては、それが大げさな表現でない事は分かる。

 同時に、やはりクレアも、妹を大切に思う優しい姉という一面を持っていた事もまた理解できた。

 

「俺が見た感じ、彼女はいつかあの支部を引っ張っていく存在になれるだろうよ。俺が抜けた穴を埋める要員としたら充分過ぎる」

 

「あの子はちょっと自分に自信が持てないところはありますけれど、それを除けば優秀ですから。本当なら、あの子の様子とか詳しく聞きたいところだったんですが……」

 

 チラリと壁に掛かった時計に目をやると、時計の針はいつの間にかてっぺんで二つの針が重なろうとしていた。

 

「すみません、そろそろお昼の検診が始まる時間なんです」

 

「っと、随分長く居着いちまったみたいだな。悪い」

 

「いえいえ。レイ君と話す事ができて元気になれました」

 

 そう言って頭を下げるクレアに対して、レイはゆっくり養生するように伝えると、道中買って来た見舞い品の有名店スイーツを置いて病室を後にした。

 過労気味や病み上がりであるとはいえ元気な姿のクレアを見る事ができたのは僥倖だったが、それに釣られて長く居すぎてしまった事は傍から見れば褒められた事ではないだろう。

 だが、自分が訪れた事でああしてリラックスした表情を浮かべられたのなら、少しは自惚れてもいいのかななどと思いつつ、そのまま1階のロビーまで辿り着く。

 

 

「あら、レイ君じゃない」

 

 すると、病院を出ようとした矢先に声を掛けられて足を止める。振り向いた先には、《鉄道憲兵隊》の制服に身を包んだ女性士官がいた。

 

「ドミニク少尉。お久し振りです」

 

「えぇ、お久し振り。最後に会ったのは、君が皇城に行くために帝都に来た時だったかしら」

 

「あん時はお世話になりました」

 

「いいわよ、そんなの。…………私達も一生モノのお宝手に入れられたし」

 

「へ?」

 

「いえいえ、コッチの話。―――で、君が此処にいるってことは、大尉のお見舞いかしら?」

 

「えぇ、まぁ。もしかして学院に連絡してくれたのってドミニク少尉ですか?」

 

 そう聞くと、ドミニクは「えぇ」と一つ頷いた。

 聞けば彼女もトールズの卒業生であるらしく、在学中によく相談に乗ってもらっていたヴァンダイクに連絡をつける事はそれ程難しい事ではなかったらしい。

 

「大尉はこの頃本当にお疲れ気味だったから……それに今回の大怪我も重なっちゃったし、君にお見舞いに来てもらえれば大尉も少しは気持ちが晴れるかと思ってね」

 

「そうでしたか。―――そうだ、遅れてすみませんでしたが、クレアを守ってくれてありがとうございました」

 

「私たちは当然のことをしたまでなんだけれどね。……それでも、君の従者さんやお知り合いの猟兵団が助けに来てくれなければ全滅必至だったけど」

 

 聞けば、《マーナガルム》の面々が戦闘を行ってた事に関しては各方面から横槍が入るような事はなかったらしい。

 恐らくは《帝国軍情報局》が裏で暗躍して情報操作をしていたのだろうが、病院内の人気の少ないところに移動したとはいえ、公共の場でそれを深く訊くのは流石に躊躇われた。

 

「改めて力不足具合を痛感させられたわ。……ま、実際のところ? 私達一兵卒がどれだけ束になっても”アレ”には勝てそうにないのは事実なんだけど」

 

「それは……」

 

「あぁ、別に皮肉ってるわけでも自虐的になってるわけでもないのよ? ただ初めて”達人級”っていうものを目の前で見たんだけど、どうにも勝てるビジョンが思い浮かばないのよ。……というか、マトモな武人って感じじゃなかったわね。どっちかって言うと狂戦士(バーサーカー)寄りに思えたわ」

 

「……その判断は当たってますよ。アレは正しい意味でも、正しくない意味でも狂ってますから。まともに戦っても、絶対に勝てません」

 

「そう。それが分かれば良いわ。それさえ分かれば、やりようはあるもの」

 

 そう言ってドミニクは病院のロビーにあった自動販売機で購入したコーヒーを飲み干すと、それをゴミ箱の中に投げ入れる。カランという乾いた音が会話の打ち切りの合図だったのか、「またね」という言葉を残して去ろうとしたドミニクだったが、レイの横を通る瞬間に、問い忘れていた事を投げかけて来た。

 

「あぁ、そう言えば……大尉の様子はどうだった?」

 

「え? いや、普通に元気そうでしたけど」

 

「あら、そう」

 

 そこでドミニクは一瞬意味ありげな表情を見せてから、悪戯っぽく微笑んだ。

 

「私は昨日も来てたんだけどね、大尉、どこか放心してるような感じだったのよ。優しい表情は見せてくれていたけど、どこか影があったような、そんな感じ」

 

「…………」

 

「多分、君に負い目があったんだと思うわ。まぁ、今日君に会えて晴れたみたいだけれど。大尉もやっぱり、君の前では恋する乙女になっちゃうのね。少し妬けるわ」

 

「一応これでも全力で愛してるつもりですから」

 

「それを即答で言えるなら、君に嫉妬する権利は私にはないわね。―――大尉の事、よろしくお願い」

 

「クレアを護るのはそちらの仕事でしょうに」

 

「私たちはね、大尉を命がけで護る事はできても、癒す事はできないのよ」

 

 それだけを言い残して、ドミニクは廊下を入り口とは別方向に歩いて行った。

 最後のその言葉の意味を噛み締めながら、レイは再び、帰るべき場所へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 それから約1時間後、帝都駅から特急列車に乗ってトリスタに帰って来たレイは、その足で第三学生寮へと戻った。

 

「ただいまーっと」

 

「あ、おかえり。レイ」

 

「おー、帰って来たか」

 

 一階の談話スペースで腰かけながらレイに声を返したのはフィーとクロウの二人。フィーは得物である双銃剣を磨いており、クロウはブレードのカードの選別を行っている。

 昨夜、割と本気で喧嘩をしたばかりだというのにこうした会話ができる雰囲気が、ある意味Ⅶ組の繋がりの強さを表しているとも言えた。

 

「大尉サンの具合はどんな感じだったよ」

 

「問題なしだとよ。過労気味だったから少し入院するらしいが」

 

「おー、色男は大変だねぇ。……因みにサラ教官はまだ部屋で寝てるみたいだぜ」

 

「あっそ」

 

 わざとそっけなく言ってはみたが、少しばかり焦ってはいた。この場にいるのがクロウ一人だけならば最悪猥談に持ち込まれてもどうにかできるのだが、フィーが一緒にいるとなるとそうもいかない。

 

「おいおい、そっけないねぇ。やっぱ昨晩は教官とあーんな事やこーんなゲフゥァアッ⁉」

 

「その脳みそ攪拌して再構築すればちっとは空気読めるようになるかなぁ?」

 

「冗談‼ 冗談だっての‼ だからゴメン、その顔はやめて‼」

 

 危ない発言をしそうになったクロウの顔面を鷲掴みにしてそのままソファーにグリグリと押し付ける様子をじーっと見つめていたフィーは、いつも通りの無表情のまま小首を傾げた。

 

「どうしたの? レイ」

 

「いや、何でもない。何でもないから何も訊くな。特にそこのダメ男にはな」

 

「後輩が俺をディスる事を止めてくれない件について」

 

 はぁ、と一つ溜息を吐きながらも、こうしたいつも通りのやり取りができる日常に戻れたことが内心では嬉しかったりしていた。

 あの時そのまま皆の前から姿を消していれば、自分は決してこういう表情を浮かべる事はなかったのだろうと、そう考えるとより一層こうした日常が愛おしく思えてくるから不思議だった。

 

 

「あ、レイ」

 

「なんだ、意外と早く帰って来たのね」

 

 すると、他の面々もぞろぞろと一階に降りて来た。彼らも変わらずの表情を一様に浮かべながら、レイに向かって声を掛けてくる。

 

「おう。お前らは、体とか大丈夫か?」

 

「そなたらしくもない。あの程度、我らにとっては日常茶飯事だろうに」

 

「そうだねぇ。……改めて考えると悲しくなってくるけど」

 

「数ヶ月前だったらまず確実に筋肉痛で数日は動けなかっただろうからな……」

 

 改めて自分たちの肉体の強靭さを再確認してなんとなくテンションが下がってしまったエリオットとマキアスを見て苦笑しながら、リィンがレイに話しかける。

 

「レイ、お昼はまだか?」

 

「あぁ、そういえばそうだったな」

 

「なら、今からみんなで『キルシェ』に行くんだが、一緒来ないか?」

 

 その言葉には、無理をしている様子もなければ、余所余所しい様子もなかった。

 普通ならば着地点がどこであれ、あれだけ戦り合った人間と顔を合わせた時は多かれ少なかれどこかギクシャクするものだが、彼らにはそうした様子が毛程も感じられない。

 まるで、昨日の事など始めからなかったかのように接してくれる彼らの事が何よりも頼もしく思え、また大切に感じられた。

 

「んじゃ、ご一緒させてもらおうか。あぁ、んじゃ俺の奢りな。異論は認めん」

 

「おっ、マジか」

 

「あ、じゃあさレイ‼ ジャンボパフェとホットケーキも頼んでいい?」

 

「おう、好きなだけ頼め」

 

 そう言うと「わーい‼」という歓喜の感情のまま寮を出て行ってしまったミリアム。そしてそれを追いかけるエマ。

 レイはその様子を見てから、寮の上階を指さした。

 

「んじゃ、俺はちっと寝坊助を起こして来るわ。お前ら先に行っててくれ」

 

「あ、う、うん」

 

「で、でもサラ教官今は……ええと……」

 

 意味を理解して赤くなったのが数名。ユーシスは分かっている上でいつもの表情を崩さず、恋愛感情にはまだ疎いリィンやラウラですらバツの悪い表情を浮かべている。

 そんな彼らを一瞥して、レイは苦笑する。

 

「心配いらねぇって。ホラ、行け行け」

 

 動きがどことなくぎこちなくなった面々を送り出すと、レイは階段をゆっくりと上がっていく。

 ギシギシという微かな音が逆に落ち着く音のように聞こえるまでにはこの寮に馴染んでしまっていた事に改めて気付かされる。それなのに馬鹿な事を考えたものだと自嘲する暇もなかった。

 三階の廊下。その壁際に寄りかかっていたのは、紛れもなくサラの姿だった。

 

 

「漸く起きたか」

 

「あ、アンタねぇ。あんだけヤっておいてどうして早朝から動けんのよ……」

 

「徹夜が初めてでもねぇだろうに。だがまぁ、思ったより負担を掛けたのは謝るよ」

 

「しおらしくなってるんじゃないわよ。らしくないわね」

 

 まぁいいわ、と言いながら歩き始めたサラだったが、どうにも歩き方がぎこちない。その動きに悪戯っぽい表情を浮かべながらも、階段を下りる時は手を貸す程度には紳士ぶりを発揮していた。

 

 

 

「まぁあれだ。これからもよろしく頼むぜ、サラ」

 

「当然の事言ってんじゃないわよ。……まぁ、よろしく」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 どうも、お久し振りです。R-18を書くとかトチ狂った事やりましたが、今日も元気にポチポチと地味にFGOのガチャを回しております、十三です。
 
 ラーマ君出ました。これはアレですね、シータちゃん実装されたら意地でも引けって事ですね分かります。ラーマ君はCVにもビックリしましたが、驚くべきはそのステータス。……やっぱインド頭おかしい(褒め言葉)。
 5章をやっていたら、ウチのサーヴァントの中で単体向け宝具火力最強は式(アサシン)さんだと分かった今日この頃。そこそこのドラゴンは即死。強いドラゴンも火力で殺す。果ては畜生レベルの強さだったオルタニキの体力をゴソっと持って行くMVP。
 ところでナイチンゲール女史とエレナちゃんとメイヴ女王欲しいんですけどどうにかなりません? エジソン? いえ、貴方は別にいいです。



 ―――と、前置きが長くなってしまって申し訳ありません。
 迫りくる一次面接にプレッシャーを掛けられながら現実放棄したい気持ちがヤバいですが、何とか正気を保っていきたいと思います。

 今回初登場なのは《マーナガルム》団長のヘカティルナさんでしょうか。名前だけは以前から出ていましたが、実際に出したのは今回が初めてかと。
 そんなわけでイラストを載せていきます。ハイ。



【挿絵表示】


 
 ……これを見てバラライカ姐さんとか、エレオノーレ姐さんとか思った人、挙手してください。
 ハイ、貴方方の認識は間違ってません。大体そんな感じです。異名は《ザミエル》でも《火傷顔(フライフェイス)》でもなくて《軍神》だけど。

 他にも《一番隊(エーアスト)》の隊長とか《整備・開発班》副主任とか出てきましたが、彼らについてはまた後ほど。


 それではまた。いつか。



PS:スマホゲームの『グリムノーツ』始めました。ハマってしまった。どうしてくれる。





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愛し愛される主従






 「もう……もう……一人の夜はいやだよ……‼」
   by アルフォンス・エルリック(鋼の錬金術師)








 

 

 

 

 

 

 

 ―――思い返せば、”彼女”と出会った時、その初対面の印象はお互いに最悪だったと言っても過言ではなかった。

 

 

 片や剣の師から腕試しと称されて某国某所に巣食っていた傭兵崩れの犯罪組織を殲滅する任を承わり、その矮躯に見合わぬ長刀を抱えてそれを成した少年。

 片やその犯罪組織の頭目―――かつて傭兵として依頼を受けた際にとある組織の重要情報を持ち逃げした人物―――を暗殺するために”本家”から遣わされた暗殺者の少女。

 

 少女からしてみれば少年は自らの得物を横取りし、あまつさえ「遅かったそっちが悪いんでしょう?」などと言い放った生意気な子供。

 少年からしてみれば至極当たり前な事を言ったつもりだったのに「まるで禿鷹のような子供ですね。親の顔が見てみたいです」と、凡そ言ってはならない事を言い放ったいけ好かない女。

 

 

「暗殺者には見えないなぁ、お姉さん。わざわざ一対一の形をとるなんて、セオリーがなってないんじゃないの?」

 

「弱い子犬ほど良く吠えますね、お子様。あなた程度の子供ならば、わざわざ闇の中から奇襲を仕掛けるまでもありません」

 

 

 ”暗殺者”としての判断ミスを嘲った少年ではあったが、内心では理解していた。―――この少女が、その半生を己の技を磨く事のみに専念して来た強者だという事を。

 矮躯と驕慢を窘め、侮る風を装っていた少女ではあったが、内心では理解していた。―――弱者などとんでもない。ひとたび刃を抜けば万象を斬り捨てるような剃刀の如き強者だと。

 

 故に二人は、向かい合ったまま己の得物に手を掛けていた。

 少年は長刀の鯉口に指を掛け、少女は鋼糸を吐き出す特注の腕輪を手繰るため、手首を動かす。

 

 

「僕としては別に戦闘狂ってワケじゃあないからできれば退いて貰いたいんだけど……ダメ?」

 

「その申し出は受けかねますね。元より顔を見られた暗殺者が、目撃者を生かして帰すとでも?」

 

「先に姿を現したのはそっちなんだけどなぁ……まぁ、仕方ないか。これも修行の一環かな」

 

 

 クン、という音と共に鈍色が漏れる。シン、という風切りの音と共に幾線の銀閃が浮遊する。

 入り組んだ室内での戦闘ならば、地の利は少女にある。だが、それは少年の方も百も承知。不利な状況ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 少なくとも彼の師ならば、そんな事すらも考えずに全てを斬り裂いていくだろう。まるで己そのものが一振りの刃であるとでも言いたげに、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「―――結社《身食らう蛇》所属、《鉄機隊》予備役、レイ」

 

「…………」

 

「どっちが勝ったってまともには帰れないんだしさ、お姉さんの名前、教えてよ」

 

 

 普通に考えれば、暗殺者が自らの名を軽々しく口走るなど愚の骨頂。標的を屍に変えるのを生業とする彼女にとって、少年の提案に乗る義務などは全くなかった。

 だが、少年の右眼。澄んだ紫色の瞳は、まっすぐにこちらを捉えている。先程までは確かに含んでいた筈の怒りの念も、僅かな困惑の念も、その全てが今はない。

 自分を”暗殺者”ではなく、”戦士”として見据えている。全力を以て真正面から戦う相手だと、そう認識しているのだ。

 

「(馬鹿馬鹿しいですね)」

 

 そう思ったのは半ば反射的な事だった。

 この身は純粋な暗殺者。標的を死に追い詰める手段は寝首を掻くか騙し討ち。闇に潜み、闇から凶刃にて命を奪う者。

 

 だが、そこでふと思い至る。

 この身が純粋に凶手であるというのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「(…………)」

 

 侮っていた? 否。愚にもつかない犯罪組織であったとしても一応は傭兵崩れ。そこそこの戦闘能力は持っている筈の連中に真正面から立ち向かって僅か数分で全滅させたその腕を弱者のそれと言おうものならば沽券に関わる。

 殺すのを躊躇った? 否。殺気は今も澱みなく巡っている。暗殺者の矜持に掛けても殺す事に躊躇いなどあろう筈もない。

 

 ならば何故? ―――そう考えた時に、不意に先程眼前の少年から感じた雰囲気を思い出した。

 

 

 刃。鍛え上げられ、磨き上げられた刃。触れれば斬り裂くようなその雰囲気を―――。

 

 

「(羨ましいと……思ったんでしょうか)」

 

 所詮正々堂々とは生きられない身の上である事は重々承知している。それを恥だとは思わないし、厭うようなこともない。

 だが、ただ命のみを狙う暗術を徹底的に仕込まれてきた身の上である。その在り方は、どう足掻いても一途な武芸とは程遠い。

 

 そして人は、多かれ少なかれ求め、惹かれるものなのだ。―――己が持っていない要素に、雰囲気に。

 

「(そんなこと、ある筈が……)」

 

 僅かに眉を顰め、否定する。しかしその思考とは裏腹に、口は開いて声を紡ぎ出していた。

 

 

 

 

「……シャロン・クルーガー。覚えていただかなくても結構ですよ」

 

 鋼糸を操る紫髪の少女ただそう言って、眼光に更に殺気を孕ませる。

 

 まさかその出会いが、後々に至るまでの起点になる事になろうとは、その時は両者共に毛程も思ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と。それじゃあシャロン、色々と訊かせて貰いましょうか」

 

「えぇ、お嬢様のご随意に。このシャロン、できる限りお答えいたしますわ」

 

 

 9月上旬、ルーレのラインフォルト社本部での仕事を終えて漸く学生寮に戻って来たシャロンを待っていたのは、彼女が敬愛を注ぐお嬢様(アリサ)の玄関先での腕を組んでの仁王立ちだった。

 それだけで彼女が何を尋ねたいのかが分かったのは、8年もの間ラインフォルト家に仕えてきたシャロンにとっては当然であるとも言えた。

 

 とはいえ、ひと仕事を終えて帰って来たシャロンを気遣うだけの余裕がアリサにはなかったかと言えばそれも否であり、「話があるの」とは言ったものの、それでも一日置くくらいの配慮は見せた。

 そして翌日、学院の授業が午前中だけで終了し、全員で学生寮に帰って来たⅦ組の面々は―――いつもならばそれぞれ部活や趣味の時間に充てる時間を割いて―――軽く昼食を取った後、そのまま食堂に留まった。

 

 一応全員が訊くような形にはなっているが、あくまでも主となるのはこの主従の二人。他の面々は自重して口を出さずにいたし、それはレイも例外ではなかった。

 

 

「と言っても、まぁ私も貴女相手に遠回しに会話を進ませる気はないわ。……言っとくけれど良い意味で、だからね」

 

「えぇ、それはもう」

 

 互いに気の置けない間柄。これがもし初対面の人間に対する行為だったのならば紆余曲折に話を折り曲げ、時には誘導尋問じみた手法も取るだろうが、生憎と今のアリサはそう言った方法を取るつもりは全くない。

 彼女にとって、シャロンは姉のような存在だ。父が死に、母が仕事に忙殺されるようになってから、祖父と一緒に面倒を見て愛情を注いでくれた大切な存在でもある。

 だからこそ、遠慮は無用だし、煩わしい手で情報を訊き出そうとも思わなかった。

 

「ねぇ、シャロン。貴女は何者―――いえ、何者だったの?」

 

 鈴のように通りの良い声が、しんと静まった食堂に染み渡る。

 するとシャロンは一拍を置いた後、やはりいつものような穏やかな表情のままに口を開いた。

 

「それをお訊きになるという事は、既にサラ様からお聞きになっているのですね」

 

「えぇ。……ま、教官に訊くキッカケになったのはまた別なんだけどね」

 

 ふぅ、と一つ息を吐き、アリサはあるがままを包み隠さず話す。

 

「……レグラムに実習に行った時、異変が起きてたローエングリン城の中でエマと一緒に会ったのよ。―――結社《身食らう蛇》の《鉄機隊》の一人、《魔弓》のエンネアって人にね」

 

「まぁ」

 

 珍しく少しばかり驚いたような表情を見せたシャロンだったが、その表情以上に内心で驚いているのだと看破したのはアリサとレイの二人だけだった。

 それもその筈だ。レイとてレグラムでの事の顛末を聞いた時は「はぁ⁉」と素っ頓狂な声をみっともなく挙げてしまったのだから。

 

 シャロンがチラリとエマに控えめな視線を送ると、彼女も深く頷く。次いでレイに視線を向けると、彼は頬杖をつきながら深く深く溜息を吐いていた。

 

「まぁ別にそこはいいのよ、そこは。ちょっと一瞬死にかけたけど死ななかったし。問題は、そこであの人に言われた言葉よ」

 

 彼女は、《魔弓》のエンネアはシャロンの事を確かに知っていた。

 その後ガレリア要塞に赴き、サラからレイの過去を聞いて初めて得心がいったのだ。シャロンもまた、《結社》に属していた人間であったという事を。

 

 

「教えて頂戴、シャロン。他でもない、貴女自身の言葉で」

 

「……畏まりました。皆様も、少しばかりお時間を頂きます」

 

 そう言ってシャロンは恭しく頭を下げると、アリサだけでなく、その場に居た全員に語り掛けるように再び口を開く。

 

 

 

「ではお嬢様、一つお訊きしたいことが」

 

「何?」

 

「お嬢様は、わたくしの家名、<クルーガー>について何かご存じですか?」

 

 問われたアリサだったが、少しばかり考えた後にゆっくりと首を横に振る。

 他の面々も大半は同じような反応だったが、既に知っているサラとレイ、そしてミリアムは違った。

 

「ミリアム様はご存じのようですね」

 

「ふぇ? あ、うん。ボクも一応《情報局》の一員だしね」

 

 と言っても、ミリアム自身が調べた事ではない。トールズに潜入するにあたって、必要情報を上層部から渡されたに過ぎないのだから。

 

 

「<クルーガー>は、大陸北部の某国を拠点とする暗殺稼業を生業とする一族ですわ。興されたのは千年以上前と伺っております」

 

「千年……随分と歴史のあるお家なんですね」

 

「確かにな」

 

「”暗殺稼業”のところに反応しない辺りお前らの肝の太さが実感できるな」

 

 そこまでレイに言われて、ようやくハッとする面々。

 

「……色々短期間で《結社》とか騎士とかテロリストとか相手にしてたから……」

 

「その……すみません、シャロンさん」

 

「ふふ、いえ。皆様が頼もしくなられてシャロンは嬉しゅうございますわ」

 

 呆れたような様子もなく、言葉通りの感情を見せるシャロン。

 

 

「ともあれ、わたくしは本家当主の娘として、物心がついたころから様々な暗術を仕込まれて参りました。……まぁ、()()()()()()()()()()()()身ではありましたが」

 

「それって……」

 

「わたくし本人は、<クルーガー>の血を一切引いていないという事ですわ。お嬢様」

 

 しかし、シャロンは今に至るまで自身の本当の両親の顔も名前も知らない。物心ついた頃には先代当主の子として扱われ、千年の歴史を誇る暗殺一族の集大成、最高傑作となるべく修業を積んでいた。

 彼女にとっては、本当にそれが全てであったと言っても過言ではない。元より養子として迎え入れた先代当主はシャロンに対して「父親」として接した事は一度としてなく、ただその家名を高めるためだけに存在した”駒”に過ぎなかったのだ。

 つまりそれは、裏を返せば彼女には暗殺者としての適性が確かにあったという事である。

 

「養父の情愛を受けなかった事については特に思うところはありませんでしたわ。その代わり、先々代当主―――お祖父様はわたくしに良くして下さいましたし、義理の弟は懐いてくれましたから」

 

「あ……」

 

 そこで思わず、アリサの声が漏れてしまった。

 全く同じ、とは言わない。母は自分に対して無関心という程ではなく、そこに少なからずの愛情があった事は確かだ。しかし、寂しくなった心は、シャロンが来るまでは常に祖父が埋めてくれていた。

 

「だからシャロンは、私を気にかけてくれていたの?」

 

「お嬢様のお世話は会長から仰せつかっていたという事でもありますが……本音を申し上げますと、お嬢様のお考えになっている感情が少しばかりはあったかもしれません」

 

 親からの愛情が幼心ながらに感じられない事。シャロン本人としては家業が家業であった為、当時は寂しいと思う事はなかったが、《結社》での日々を経てそうした”人並みの感情”を得られたのは、ある意味では皮肉な事であったのかもしれない。

 

「ただ吹き抜ける一陣の刃の風、闇に生き潜む毒蛇、生者の魂を無謬に狩る死神であれと、そう常々言い含められていたわたくしは、僭越ながらそれなりの腕前を身に着けていたと愚考しておりました」

 

 齢13にして隠形術、鋼糸を操る術に関しては熟練者のそれと見劣りしない程に身に着けたシャロンは、ある日暗殺任務に向かった先でとある人物と邂逅した。

 

「レイ様とお会いしたのは、その時が最初でしたわ。当時はまだ《執行者》ではなく、その候補生でしたかと」

 

「確か俺が7歳の時だったか。……ん。そうだったな」

 

 レイの歯切れが悪いのは、《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》の発動を警戒しての事であるが、未だ右の首筋に異常はみられない。この程度ならばまだ、情報流出として判断されていないという事である。

 

 

「そんな昔に出会ってたんですね」

 

「なるほどね。それで―――」

 

 

 

「えぇ。誠にはしたなかったのですが、お会いして数分で殺い合いをしてしまいましたわ」

 

『『『いや、何で⁉』』』

 

 

 

 Ⅶ組メンバー(レイとフィーを除く)の総ツッコミが入ったが、すぐにリィンがはたと気付く。

 

「いや、皆待て。レイって大体そういうところあるんじゃないか?」

 

「あぁ、出会い頭に喧嘩売ってくる的な」

 

「基本異性だろうがなんだろうが容赦なしにぶっ倒しにかかるしな」

 

「いや、でも7歳だしそこは……」

 

「おうテメェら、喧嘩売ってるなら買ってやるから表出ろや」

 

 人を辻斬りか何かと勘違いしてるんじゃないかと言及してみたが、しかしここでフィーが小首を傾げた。

 

「でもレイ、シャロンと戦ったんでしょ?」

 

「………………あぁ」

 

 流石にその事実は否定できず、肯定してしまう。

 実際初めてシャロンと戦った時は今以上に格段に精神的に幼く、師匠の影響も相俟って若干戦闘狂気味であった感は否めなかった。なまじ想像を遥かに上回る過酷すぎる修業を終えてそれ程時間が経っていなかったという事も理由の一つではあったのだが。

 

 

「いえ、あの時はわたくしの方が戦闘の原因を作ってしまいましたので、レイ様に責はございません。―――重ね重ね、あの時は無礼を致しました」

 

「いいっていいって。というか10年も前の事をグチグチ言うのナシにしようぜ」

 

 10年。そう、10年だ。

 あれからどれだけ成長できたのかなど考えるだけ面倒くさいのだが、シャロンは随分と変わったものだと、レイは思う。

 

 出会った当初、13歳の時はまだどこか意地っ張りさが抜けていない少女だったのだが、10年も経てば女性は著しく変わるもの。根本が子供のままの男とは違うものだ。

 しかしそこまで考えて、否と思う。意地っ張りさは、今もどこか変わってはおらずそのままなのではないか、と。

 

 

「そしてその時に私はレイ様に敗れ、そのまま身を委ねるように《結社》に身を寄せました」

 

「え? ちょ、ちょっと待って‼ 何で家に帰らなかったのよ‼」

 

 思わず声を荒げたアリサに対して、レイは冷静な声色のままで口を挟んだ。

 

「”任を果たせない駒に価値はなし”―――暗殺を生業とする一族ってのは往々にしてそういう色合いが強いんだ。特に<クルーガー>みたいに歴史が長かったりするとな」

 

「そんな……」

 

「理解しろとは言わねぇよ。いや、理解しない方が良いだろうな。俺だって個人的には胸糞悪いが、生憎と()()()()()()()()()。その理屈で罷り通る世界なんだよ」

 

 所詮、依頼者などにとって暗殺者など鉄砲玉以下の捨て駒に過ぎない。標的を仕留められる事が大前提だが、生きて帰る事ができる者は実は少ない。

 任務達成と共に生きて帰る事が叶わないと判断すれば、その場で自害する者も少なくない。下手に生きて拿捕されようものならば、尋問・拷問の後に依頼者の情報が割れる可能性があるからだ。

 

 元より、養子といえどただの”作品”以上の価値を見出さなかった当主が任務に失敗したシャロンをどう扱うなど、少し頭の回転が早ければ分かる筈だった。

 

 

「そしてそれから1年後にわたくしは、《結社》の中で《執行者》に任ぜられました。執行者No.はⅨ。与えられた異名は―――《死線》」

 

 

 まさに、混じりけのない殺意の妙。

 その鋼の糸に絡め取られた存在は、悉くが死に至る。

 

 シャロンは膝の上に乗せられていた両手の、右手の人差し指だけを軽く折り曲げる。

 ただその行動だけで、テーブルの上に置かれていた空のマグカップの一つが弾かれたかのように水洗い場へと宙を飛んでいき、そして接触する直前で急減速が掛けられ、音一つ立てずに洗い場に下ろされた。

 目を凝らせば、マグカップの取っ手の部分に細い細い鋼糸が絡みついているのが視認できる。そして今の過程の全てを指一本だけで成功させたその手腕の高さと、この練度が戦闘に転化した時の脅威度を、リィン達はいつもの癖で測定してしまう。

 

 結局のところ、《結社》に身を寄せ、《執行者》となっても、シャロンが為すべき事は変わらなかった。

 諜報と、工作。同じ《執行者》の中であったとしても、No.ⅠからNo.Ⅴまでを筆頭とする”達人級”の面々に比べれば直接戦闘力が見劣りしていたのが現状であり、暗技を修めた者としての割り当てられた役割は、つまるところそういった任務しかなかったのである。

 

 だが、不思議と暗鬱とした気分にはならなかった。

 人を殺す任務そのものは変わり映えしなかったが、任を終えて戻れば、自分を《結社》にスカウトした変わり者の隻眼の少年や、自分を追って《結社》に入ってしまった義理の弟らに「お疲れさん」という言葉と共に出迎えられ、時間が開いた時などは技の研鑽に努めると共に、ひょんな事で知り合いになったスーパーメイドに料理等を教わったりなど、凡そ家に居た時では考えられない日々を送っていた。

 無論、秘密結社というだけあり理不尽な命は幾度か承っていたが、それを差し引いても、レイ達と共に過ごした時は決して悪いものではなかったと断言できる。

 

 

「じゃあ、何でシャロンさんは《結社》を去ってラインフォルト家に?」

 

「えぇ。そのきっかけとなったのも、やはりレイ様でした」

 

 恐らくはアリサを含めて一番訊きたかったことであろうそれについてさえ、真っ先に関わっていたのが今もシャロンの隣の席で肘をつきながら飲み物を飲んでいる少年であるという旨の発言を聞き、流石に一同が瞠目する。

 

「ど、どういう事よ‼ レイ‼」

 

「どうもこうも、なぁ。詳しくは呪い(コイツ)発動する(アレだ)から言えねぇけどよ。偶々俺が請け負ってた任務に向かう時に標的になってた連中が、黒塗りの高級車を囲んで襲撃しようとしてた最中にでくわしちまってな。こっちも仕事だから軽くボコって帰ろうと思ったら車から出て来たあの人に目ぇ付けられたんだよ」

 

「あの人? ……って、まさか‼」

 

「アリサ、お前娘なら分かってんだろ? あの人なぁ、あン時から人材を引き込むプロだよ」

 

 現状、シャロンを引き合いに外堀を完全に埋めに掛かっている状況からも分かるように、レイ・クレイドルはその当時から腹の探り合いと洞察力に於いてイリーナ・ラインフォルトという女傑には敵わないのだ。

 当時イリーナは夫を喪い、仕事に傾倒し始めていた頃であり、有能なボディーガードとおなざりにしがちになっていた娘、アリサの面倒を見てくれる世話役を探していた時だった。

 そんな時に取引先に向かう最中、ラインフォルト社に個人的な恨みを持っていた連中に目をつけられ、窮地に陥っていた状況をあっさりと蹴散らしたレイに白羽の矢を立てたのである。

 

 当時はまだ会長の座にはおらず、取締役の一人であったイリーナだったが、その人物観察眼と将来性を見抜く目は本物だった。戦士としての立ち振る舞いをしながらもしかるべき人間に対しての礼儀も正しく、言葉遣いも年齢に見合わない丁寧さ。加え、初対面の人間に対し警戒心を抱きながらも当たり障りのない対応をする事ができる。―――将来、しかるべき経験を積ませればさぞや有能な秘書兼ボディーガードになると、その時点で見抜いていたのだろう。

 しかし、とはいえレイは当時まだ9歳。表の世界でまともに働ける年齢ではなく、彼自身、まだ《結社》を離れるわけにはいかない身の上だった。

 

「そ、それでシャロンさんを推薦したんですか?」

 

「俺も最初は丁重に断ろうとしたんだがなぁ。どうにも本心でぶつかってくるガチな人のスカウトをスッパリ斬るのにも罪悪感があったんだよ。んで、その時は保留にして、後日シャロンと世間話してた時ポロッとその話をしちまったわけだ」

 

 レイとしても、その時は本当に世間話のネタでしかなかった。

 隠形に長け、迅速な行動ができ、尚且つ暗殺者という視点から同業者の手口や危険性を事前に潰す事ができる。加え、あらゆる事をそつなくこなす器用さが備わっているとなれば、”メイド”の立ち位置としては充分なのではないかと、興味本位以上の意味合いは本当に含んでいなかったのだ。

 

「わたくしも当初は話半分に聞いておりました。所詮この身は血塗られた下賤な体。巨大重工業メーカーに仕えて誰かをお守りするという事も、わたくしにとっては天上の雲を掴むかのようなお話だったのです」

 

「シャロン……」

 

「ですが、レイ様は仰ってくれたのです。『違う人生を歩めるなら、それでシャロンの心が満たされるなら、本気になってみるのもいいんじゃないか』と」

 

 誰か一人に仕え、誰かを護る事を信条とする職業。そういったものに、闇の中でしか生きていなかった彼女が僅かながらも興味を示したのを、レイは見逃さなかったのだ。

 唐突な出会い、唐突な誘い。困惑するのは確かだが、それもまた一期一会。当時はそれが人生の岐路などという大仰なものではないと思っていたのだが、今からしてみればまさに天啓であったとも言えるだろう。

 

 シャロンが《結社》を出てその申し出に応じる事を決めたのは、その少し後の事。レイを通じてシャロンの有能さを聞いていたイリーナはその実績などを考慮に入れて吟味した上で、同性であるという事も含めて適格であると判断。ひとまず仮採用という事で雇い入れる事を了承したのである。

 

 

「……《結社》とやらは随分入退の規則が緩いようだな」

 

「《執行者》級になりますと、脱退の制限も随分と緩くなりますわ」

 

「現役中に手に入れたデータで《結社》の不利益になるような事をすれば”武闘派”の《執行者》共が出張ってくるからな。馬鹿なことする輩はそうそういねぇよ」

 

 とはいえ、様々なしがらみがあるのもまた事実。

 《使徒》第七柱アリアンロードや《鉄機隊》の事実上庇護下にあったレイは比較的自由でいられたが、シャロンは基本的に特定の《使徒》の麾下に居る事がなかったため、彼女が抜ける場合に発生するリスクを危険視する者達は少なからずいた。同時に―――直接的な方法で排除しようとする過激派も。

 しかしそうした輩の凶刃は、結局シャロンの身に届く事はなかった。その動きを事前に察して潰したのが誰であったかなど、それは考えるまでもなく明らかな事であった。

 

 

「そうしてわたくしは、お嬢様の下へと参ったのでございます」

 

「…………」

 

「えっと、何ていうか、凄かったね」

 

「ついでにいえば、《結社》の情報についても触る事ができて上等というべきだろう。欲を言えばもう少し深く知りたかったが……まぁ、贅沢は言うまい」

 

 先程のシャロンの言葉を含めて考慮するならば、彼女が意図的に《結社》の情報を大量に漏らすような事があれば、それこそラインフォルト家が危機に染まる可能性もあったのだ。口を閉ざしていた事を責められる謂れなどどこにもない。

 

 すると、徐にアリサが立ち上がり、シャロンを見据えたまま言った。

 

「シャロン、私の部屋に来てくれる? 二人きりで話がしたいわ」

 

「畏まりました、お嬢様」

 

 できる限り感情を押し殺したようなその声に、しかしやはりシャロンは恭しく答える。

 すると、今度はリィン達に向かっても深々と頭を下げた。

 

「皆様も、此度はわたくしの愚話にお付き合いいただき、ありがとうございました」

 

「あぁ、いえ。そんな」

 

「僕たちは大丈夫ですから、アリサについてあげてください」

 

 そう返すと、シャロンはアリサが出て行ったルートをなぞるようにして食堂から退出していく。やがて足音が聞こえなくなると、全員が息を吐いた。

 

 

「なんというか……ねぇ」

 

「あの人も、凄い半生を送ってきたんだな」

 

「只者ではないというのは、薄々気付いていたのだがな」

 

 完璧で瀟洒なメイドでありながら、その過去は稀代の暗殺者。その落差こそあったものの、不思議と一同の中には猜疑感などというものは欠片もなかった。

 

「とはいえ、今まで散々俺たちがシャロンさんに世話になったのも確かだしな」

 

「んー、ボクとしてはシャロンがどんな人でも別にいいなーって思うかな」

 

「ふふっ、そうですね。ミリアムちゃんの言う通りです」

 

 彼らにとってのシャロン・クルーガーは、ラインフォルト家に仕えるメイドであり、レイに異性愛を向ける女性に過ぎない。寧ろ、それ以外はどうあってもよかった。

 彼女もまた自分たちの恩人で、いつか恩返しをしなければいけない存在。この第三学生寮で日々を過ごすにあたって、今や欠かせない人物の一人であるのだ。

 

 そして何より、彼女の過去を貶す事は即ち、レイの過去も貶すという事と同義である。

 

「あー、つーかアレだ」

 

 そんな中クロウは、悪戯っぽい笑みを浮かべながらレイへと視線を向けた。

 

「お前がシャロンさんに惚れた理由も、シャロンさんがお前に惚れた理由も、何となく分かったぜ」

 

「そうかい」

 

 その言葉がからかいから出た言葉ではないと分かっていたから、特に過剰反応をする事もない。

 惚れて惚れられた理由など、当人同士は良く分かっているし、事実なのだから否定するつもりもない。

 

 

「でもアリサ、大丈夫かな?」

 

「大丈夫だと思うよ。……多分」

 

「多分て」

 

 フィーの気の抜けた声に苦笑いを漏らすエリオットだったが、それについてはレイも「ま、大丈夫だろ」と返した。

 

「アリサに限って滅多な事は起こさねぇだろうさ。そもそもアイツ、シャロンに対して怒ってなかったし。なぁ、リィン」

 

「え? 俺? んー、いや、確かにそういう雰囲気は感じなかったな。どっちかというと……心の内を確認しに行く感じ? のように見えたな」

 

「ほぉ、やっぱよく見てんな」

 

 その言葉の意味が分からず首を傾げるリィンだったが、何となくそう言われた事が嬉しかったのか、視線は僅かに下を向いている。

 良い兆候だ、と思う。なんとなくで気になる異性を目で追う事は悪い事ではないし、寧ろ大切な事だ。

 

「まぁアレだ。随分と話も長引いたし、アイツらが降りてくる前にササッとおやつの準備でもしておくか」

 

「さんせーい‼」

 

「力になれるかどうかは分からんが、手伝おう」

 

 降りて来た時はそれぞれの表情から沈鬱さが取り除かれている事を願いながら、Ⅶ組一同はレイ主導のもと、午後の息抜きの為の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 仕えるべき主に対して、自身の出生と半生を黙っていた罪。―――シャロンはそれを甘んじて受け止めるつもりだった。

 だからだろう。表面上はいつものように余裕を崩さない表情を浮かべていても、内心はどことなく焦燥感に駆られていた。

 

 寮3階にあるアリサの部屋で、二人は向かい合う。

 

 

「……皆には聞かれたくなかったから来てもらったけど、構わなかった?」

 

「ご配慮痛み入りますわ。わたくしと致しましても、極力皆様に醜態を晒すわけにも参りませんでしたので」

 

「そう。ならいいわ。とはいえ、醜態を晒しているのは私の方なんだけどね」

 

「ご冗談を」

 

「冗談でもなんでもないわ。昔から、母様と貴女の事になると感情が制御できなくなるのが私の悪い癖だから」

 

 自虐ではなく、そこには僅かな面映(おもは)ゆい感情が込められていた。少なくとも、怒りは欠片も含まれていない。

 

 

「ねぇシャロン、もう一つだけ訊いていいかしら?」

 

「勿論ですわ」

 

「貴女が私の面倒を見てくれたのは―――義務だったからなの?」

 

 詰問というには緩い、ただの質問。ただしそれに対する答えは、決して軽く在ってはならない。

 故に、彼女にしては珍しく、答えるまでに数秒の時間を有した。いつでも従者として完璧であり続けた彼女が、だ。

 

「決して、そのような事は」

 

「…………」

 

「虚構の義務感で家にお仕えできる程、わたくしは器用な女ではございませんわ」

 

 嘘だ、とアリサは断言できた。

 彼女はそれができるだろう。本音の上に仮面を被り、どのような下賤な主であったとしてもその従者を完璧に務め上げてみせるはずだ。

 

 

「ここには―――私と貴女しかいないって言ったわよね?」

 

「―――」

 

「この状況で盗み聞きをするほど、私の大切な仲間たちは馬鹿じゃあないわ」

 

 当たり障りのない声が聞きたいわけではない。表面上だけの理由が欲しいわけではない。

 アリサはただ、シャロンの本音が聞きたいだけなのだ。

 

 すると、シャロンは珍しい表情を浮かべた。

 笑みである事には変わりないが、いつも浮かべているそれよりも、もっと穏やかで、深い優しさが滲み出ている。

 最近はとんと見せなくなった、慈母のような表情だ。

 

「本当に、お嬢様はご立派になられました」

 

「な、なによ急に」

 

「わたくしがお嬢様のお傍にお仕えした当初は、あんなにも泣き虫で寂しがり屋でいらっしゃったのに」

 

 朗らかで賑やかだった父が死に、それを機に母は父を喪った悲しみを忘れるかのように仕事に没頭し、娘の事をあまり顧みなくなった。

 そんな状況でも祖父のグエンは孫の事を案じ、世話を焼いてくれていたが、それでもやはり子供にとって親から注がれる愛というのは別格なのだ。

 

 祖父がいない時に、人知れず泣いていた時もよくあった。そんな時に現れたのが、シャロンだった。

 

 

『初めまして、アリサお嬢様。今日からお嬢様のお世話をさせていただきます、シャロンと申します』

 

 

 その優しげな声と表情は、幼い頃のアリサに引き裂かれてしまった”家族”の在りし時の姿を思い起こさせた。

 シャロンに懐くまでにそうそう時間はかからなかったし、兄弟姉妹がいなかった彼女にとってはまさに”姉”とも呼べる存在で、嬉しい時も悲しい時も、常に傍に寄り添ってくれていた。

 時が経って甘えるのが恥ずかしくなり、多少尖った態度を取るようになってからも、シャロンは彼女にとっての最高の従者であり、”姉”で在り続けたのだ。

 

 

「お嬢様をお慕いする気持ちに嘘偽りなどございません。ですが強いて申し上げるのでしたら、お仕えし始めた頃のわたくしは、お嬢様に自分と同じ道を歩んで欲しくはないと、心のどこかでそう思っていたのかもしれませんわ」

 

「それって……」

 

 愛されないが為の、孤独感。

 思いつく限りの記憶の最初から暗殺者(こう)で在れと言い含められてきたシャロンはその感情を理解できなかったが、どれだけ厳しい修練を乗り越えても、どれだけ難しい任務をやり遂げたのだとしても、心の一部分に形容し難い(あな)を感じていたのも、また確かだ。

 凡そヒトとしてなくてはならない感情は《結社》での日々を過ごすうちに理解する事ができたが、そんなヒトが味わうべきものではないそれを目の前の少女に味あわせてはならないと、そうした使命感があった。

 

 

「このシャロン、思いつく限りの情愛を捧げて来たつもりですわ。不躾ながらお嬢様、8年の間お嬢様と接してきたわたくしは、意志の籠らない人形のように見えましたか?」

 

「……そんなわけ、ないじゃない」

 

 ぎゅっと、握った手に力が籠る。その言葉を、全力で否定するために。

 

「そんなわけないじゃない。シャロンはいつだって私の味方でいてくれた。貴族の男子にいじめられた時も、仲の良かった子と喧嘩した時も、いつだってシャロンは傍にいてくれた。私にとって大切な人だった。

 ……でも、だからこそ怖かったのよ。私の知らないシャロンがいたら、いつか私の前から消えちゃうんじゃないかって。また―――一人になっちゃうんじゃないか、って」

 

「お嬢様……」

 

「だから知りたかった。シャロンの本音を。私に仕えて、本当はどこか不満だったんじゃないのかって、そう思ったら……」

 

 すると、アリサの体を温かいものが包み込んだ。一瞬その状況が理解できなくなり、柔らかい布の肌触りと後頭部に添えられた優しい手の温もりを感じた時にようやく、自分が抱きしめられている事に気付いた。

 

「ふふ、本当に、お嬢様はやはり甘えたがりでいらっしゃいますね。ご心配なさらずとも、シャロンはお嬢様の前からいなくなったりはいたしませんわ。少なくとも、お嬢様のウエディングドレスを記録に残すまでは」

 

「ちょ、言うに事欠いて何てこと言ってるのよ‼」

 

「ですから……」

 

 恥ずかしさのあまり声を荒げたアリサだったが、再びシャロンの声にくるまれるようにして静かになる。

 

 

「ご自分をお疑いにならないでくださいませ。お嬢様がわたくしを”家族”にように思って下さっているのならば、わたくしはただの従者ではないのですから」

 

「あ……」

 

 自分を疑うなという、ただそれだけの言葉で張りつめていた気持ちが一気に弛緩した。

 この従者に信頼の全てを寄せる一方で、とある猜疑心がずっとずっと頭の片隅にこびり付いていた。

 

 

 ―――もしある日、突然いなくなってしまったら?

 

 ―――自分の世話をしてくれたのも、愛情を注いでくれたのも、それらが全て《結社》からの秘密裏の命で、全て偽物だったのでは?

 

 

 しかし、それらは全て杞憂であったのだと、漸く理解した。

 自分だけが片意地を張って、自分と、そして一番に信頼するべきであった従者(かぞく)を疑ってしまった事に対する罪悪感が、アリサの胸を締め付けた。

 

 

「……ごめんなさい。疑うつもりは、なかったんだけど……」

 

「いえ、お嬢様。そのお心遣い、シャロンは嬉しゅうございますわ。これからもお嬢様のご成長を見守らさせていただきます―――殿方とのお付き合いという面でも」

 

「っ~~~‼」

 

 やはりそういう形に持ち込むのかと、アリサはやや強引にシャロンの腕の中から抜け出し、ジト目で睨みつける。

 それが今のアリサの心情を的確に見抜いたうえで紛らわす為に言ってくれた事だとしても、それでも面白くはなかった。

 

「そ、そういう話題だったらシャロンも人の事言えないじゃない。好きなんでしょ? レイの事が」

 

「えぇ、それはもう。将来を共にするならばあの方以外は考えらないと思うくらいにはお慕い申し上げておりますわ」

 

「そ、そう……」

 

 これは訊くと長くなる。そう察したアリサは、どこか呆れたような、しかしいつもの調子に戻った口調で息を一つ吐いた。

 

「まぁそれは、いつかゆっくり訊かせてもらうわね。……リィン達にも迷惑かけちゃったみたいだし、食堂に戻りましょうか」

 

「えぇ。お供致しますわ」

 

 この段階で漸く普段の二人のやり取りに戻り、部屋を出て階段を下りて階下に向かう。

 すると、一階ロビーではレイとリィンが佇んでいた。

 

「あ、二人とも。どうしたの?」

 

「いんや、俺は別に大丈夫だろうって言ったんだがな。リィンがやっぱ心配だって言ったから待ってたんだよ」

 

「そう言うレイだって何だかんだで心配してただろうに。―――でもまぁ、無事に話はついたみたいだな」

 

 少し慌てたようにはにかむリィンの顔を見て、アリサが僅かに顔を赤らめる。

 

「心配いらないわよ、まったく。……って、ちょっと。何笑ってるのよ、リィン」

 

「いや、ごめんごめん。やっぱりシャロンさんと一緒にいる時のアリサは活き活きしてていいなって思っただけだよ」

 

「ふぇっ⁉」

 

 無論の事何か打算があったわけではなく、ただ意図しないままに本音を漏らしたリィンの言葉にアリサがさらに顔を赤くし、そんな彼女の表情を見て自分が何を口走ったかを理解した当の本人も動揺してしまう。

 

「あ、い、いや、違うんだ‼ いや、いいなって思ったのは嘘じゃないけど―――」

 

「っ~~~‼ ちょっとリィン、こっち来なさい‼」

 

「ちょ、待ってくれアリサ‼ 首根っこを思いっきり掴むのはやめてくれ、苦し―――」

 

 抗議も空しくガッチリと首根っこを掴まれた状態のまま引きずられ、リィンは学生寮の外へと連行されてしまう。

 その様子を眺めて、レイとシャロンは揃って楽しそうに笑みを浮かべた。

 

「ま、アイツらはさておき……収まるべきところに収まったみたいだな」

 

「えぇ。わたくしは今後もラインフォルト家にお仕えする身。それは変わりませんわ。―――勿論、貴方様とも離れるつもりはありませんので、ご容赦くださいませ♪」

 

「了解だ。そんじゃそろそろクッキーが焼きあがる頃合いだし、俺たちも食堂に―――」

 

 そう言って食堂の方へと踵を返した瞬間に、シャロンの手がレイの肩にポンと置かれた。

 ……ただ置かれただけの筈なのに、レイには何故だかその手に力が込められているように感じられて、足を止めざるを得なかった。

 

「えっと、シャロンさん?」

 

「―――そう言えば、トリスタに戻る前に少々小耳に挟んだのですが」

 

 笑顔、の筈なのに、その背後には般若の面が見える。理由など、訊かなくとも見当はつく。

 

「サラ様やわたくし達にも黙って休学届をご提出なさったとか。それに関して少し、お話を伺ってもよろしいですか?」

 

「アッ、ハイ」

 

 図らずとも似たような感じの主従になってしまった事に関しては喜ぶべきか嘆くべきなのか。

 ともあれ今のレイの頭の中には、如何にして恋人に許してもらうかという事についてしか巡っておらず、他の事を考える余裕などありはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車輪がレールの上を滑る独特の音を立てながら、サザーランド本線はいつものように帝国の首都であるヘイムダルへと向かう。

 既にセントアークは通過し、帝都まで残る駅は片手で数えられるほど。勤め人から旅行に訪れているらしい家族連れや老夫婦まで幅広い年齢層の乗客が乗り合わせる車内を、駅員が切符の確認のために歩き回る。

 

 偽装した切符を使って不当に列車を利用するという犯罪は、それ程珍しいわけでもない。だからこそ駅員はその確認作業には注意を払っている。無論、何も問題のない乗客の機嫌を損ねるような真似は沽券に掛けても行わないが。

 

「―――はい。確認いたしました。それでは引き続きご利用ください」

 

 そんな中、比較的若い駅員が確認に快く応じてくれた老夫婦の切符を返し、次の座席へと向かう。

 何も変哲のない、いつも通りの車内の光景。しかしそれを退屈だとは思わない。寧ろこういういたって平穏な光景が見られている内は何も問題が起きていないという事だ。喜ばしい事である。

 次のお客も普通であればいいなと思いながら座席を覗くと、しかしそこには”普通”とは少し違った乗客が一人で座っていた。

 

 外見は13、4くらいの女の子。肩口辺りまで伸ばされた紫色のセミロングの髪は、ボブ気味に緩くカールを描いており、頭の上には黒いリボンが巻かれている。

 服装は所謂ゴスロリに少しばかり手を加えたようなものであり、幼いながらもその整った容姿と相俟って、高価な人形のような雰囲気を醸し出していた。

 

「♪~♪~―――あら駅員さん。何かご用かしら?」

 

 鼻歌を歌いながら窓の外を眺めてご満悦そうだったその少女は、駅員の姿に気付くとそう声を掛けた。

 声色そのものは容姿と比例して幼かったが、言葉はどこかおしゃまなそれに感じられる。

 

「あぁ、ゴメンね。えっと、お父さんかお母さんは一緒じゃないのかな?」

 

「ううん。一人だけよ。一人だけで、お兄様のところまで遊びに行くの」

 

「ほぉ、そうなのかい。偉いね」

 

「うん。今から楽しみで楽しみでしかたがないの♪」

 

 子供、それも女の子の一人旅という事に対しては少々疑問を感じない事はなかったが、列車に乗るのに年齢制限などは特にない。加え、見た限り旅の過程に不安を感じている様子もなく、見た目のわりにしっかりしている事が伝わって来た。

 

「それじゃあ申し訳ないんだけど、お嬢ちゃんの切符を見せてもらえないかな? 確認させてもらうけどいいかい?」

 

「えぇ。はい、コレ」

 

 そう言って少女が差し出したのは、紡績町パルムから帝都ヘイムダルまでと記載された切符。まさに遠路はるばるといった道のりに、少なからず驚いてしまう。

 

「パルムから帝都まで行くのかい?」

 

「ううん。リベールからトリスタまで行くのよ」

 

 それを聞いてさらに驚く。

 確かに現在、リベールからエレボニアの本線に直接繋がる線路はまだないためにどう足掻いてもパルムからの乗車になるのだが、それにしても長い道程だ。短く見積もっても一日がかり。流石にそれはすんなりと見過ごすわけにはいかなかった。

 

「うん、切符はありがとうね。……それでお嬢ちゃん、ちょっと名前を教えてもらえるかな?」

 

「あら、デートのお誘いかしら? でもいきなり女の人に名前を尋ねるのは少し失礼じゃない?」

 

「あはは、いや、そういうのではなくてね」

 

「冗談よ。確かにわたしみたいな女の子が一人で列車に乗っていたら不自然だものね」

 

 おませな言葉を織り交ぜながら、少女は素直に応じる。

 大輪の花のような笑みを湛えて。しかしながらそこには、分かる人間にしか分からない深みというものが備わっていた。

 

 

 

 

「レンはね、レンっていうの。士官学校に留学しているお兄様に会いに行くのよ」

 

 

 仔猫(キティ)が甘えるような声で、少女はただ、そう告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうも。最初の一次選考が終わって変なテンションになって執筆をぼちぼちしようかなと思ったら5時間で一本書けてたので投稿します。十三です。人間って時間的に追い詰められてたりすると行動が早くなるよね。

 今日電車の中で音楽を聞いてましたら、全曲ランダム再生でアニメ『アスラクライン』の二期OP『オルタナティヴ』が流れてきまして、それが存外歌詞とか雰囲気とかがレイ君の生き方とかにピッタリマッチしててビックリ。『D.Gray-man』OPの『激動』も中々でしたが、彼のイメージソングが私の中で決定した瞬間でした。

 さて今回はシャロンとアリサの話だったのですが、いかんせん少し駆け足だったかな? と反省する部分もありました。まぁもっと深く掘り下げるのはもう少し後でという事で。
 原作と違い、シャロンが特に抵抗もはぐらかしもなく過去を喋ったのはレイの存在が大きいのと、アリサがより人の心の機微に敏感になっているからです。はぐらかしたところでどうしようもないと腹をくくっていた部分もあるでしょう。
 勿論、シャロンの《結社》に入るまでの過去については全部私のオリジナルですので、もし『閃の軌跡Ⅲ』で詳しく出てきても無視します。スミマセン。

 それではこの辺りで。またいつか~。


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断章 仔猫と刃の出会い ※





「立って歩け 前へ進め あんたには立派な足がついてるじゃないか」
    by エドワード・エルリック(鋼の錬金術師)




―――――――――――――――

※今回は過去篇です。

※一部不快に思われるかもしれない描写があります。お気を付けください。



 

 

 

 

 

 ―――その少女と少年の邂逅は、ある意味で必然であったのかもしれない。

 

 

 

「一つ訊いていいかな、お嬢さん(レディ)。君は、()()()()()()()()()()()()

 

 少年は問う。左眼を漆黒の眼帯で覆い、毛先だけが銀色に染まった黒髪の小柄な少年が問う。

 眼前にいたのは、自分よりも遥かに年端もいかない少女。恐らくは、自分が底なしの絶望を味わった歳よりも更に若いであろう少女。肩口まで伸びた紫色の髪は美しくあったが、どこか粗雑に扱われた痕も見て取れた。

 

 それは、そうだ。たった今彼と、その他の《執行者》が制圧したこの場所は、年端もいかない子供たちに()()()()()を行う場所だったのだから。

 

 

「―――お兄さん、だぁれ? あ、もしかして次にレンと遊んでくれるの?」

 

 そう言って少女は朗らかに笑ってみせる。大輪に咲き誇る花のように、無垢でありながら、どこか淫靡さも含んだ笑みを。

 それは、控えめに言っても”異常”であった。こんな場所に居ながらそうした表情を浮かべる事ができる事もそうだが、少女に問いかけた少年は、道中に斬り捨てた者達の返り血を浴び、その右手には刀身が真紅に染まった長刀が握られ、左手は瀕死のこの施設の従業員の首根っこを掴んでいたのだから。

 

 少女は、衣服を身に着けていなかった。

 白い肌を晒したまま、しかしその体のいたるところに刻まれている十字傷。そこから滴り落ちていた血が、痛々しくその体を覆っていた。

 

 

「お人形遊び程度だったら付き合ってあげたいんだけどね。―――もう一度訊こうか」

 

 君は、ちゃんと生きているかい? ―――再び問われたその言葉を聞き、少女の顔から笑みが消えた。

 そこに残っていたのは、恐ろしい程に空虚な瞳だった。そして、その瞳を少年は良く知っている。

 

 ()()()()()()()だ。己の一切合切、何もかもを奪われて、自棄になり、自暴自棄になり、何度も何度も何度も何度も何度も死にたいと、消えてしまいたいと脳内で反芻し―――しかしそれでも生きる事を諦められなかった者の瞳だ。

 生ける屍とは僅かばかりニュアンスが違う。彼女は死んでいない。だが、生きているかと問われればそれも難しい状態ではあった。

 

 正真正銘、これ以上ない程に追い詰められ、奈落に堕ちる崖の淵に立たされている状況だ。

 嘗ての自分より幼い少女がこれほど耐え抜いたその精神力には、敬服すらできる程だ。

 

 ―――否。……果たしてこれほどの苦痛を()()()()()()()()()()()()受け止める事ができたのだろうか。

 

 

「……分からない。お兄ちゃんが何を言ってるのか、レン分からないよ」

 

「そうだね、分からないだろう。それじゃあ言い方を変えようか。―――君は生きて、この楽園(かんごく)から出たいと思うか?」

 

 酷な言い方をしているというのは充分理解している。歳の頃が4つか5つの少女を相手に投げかけてよい言葉ではない。

 だが、この少女はもはや()()()()()()。残念ながら、それが真実だ。

 同じ組織に全てを奪われた自分が、普通ではなくなってしまったのと同じように。

 

「…………ねぇ、お兄ちゃん。そんなことよりレンと遊ぼうよ。レンね、いろんな人たちを気持ちよくさせてあげたんだよ? ね?」

 

「………………」

 

 何故、どうやってとは訊かない。そんな事は、誰が見たって一目瞭然だ。

 このような幼い少女すらも嬲り、弄び、頭のてっぺんから足のつま先まで穢し尽くして、本当に罪悪感の欠片も抱かなかったというのか。

 

 すると少年は、左手で掴んでいた従業員を解放し、床に叩きつける。

 幾度か息を漏らす音が聞こえたが、そんなものは既に耳朶にすら届いていない。少年は右手に握っていた長刀を逆手に持ち帰ると、うつ伏せになっていた従業員の首をめがけて一気に剣鋩を突き刺した。

 

 口から漏れ出たのは、ヒキガエルの断末魔よりもなお醜い声。そして弾けた鮮血の一部が、少女の頬を汚した。

 

「……屑共が。お前たちなどこの世界に必要ない。魂の一欠片まで滅尽して果てなよ」

 

 命を奪う姿、奪われる姿。少女は、そういう光景も見慣れていた。

 此処を訪れる者達の中には、勢い余って見目麗しく幼い少女や少年たちを殺してしまう者もいた。或いは”実験”と称して毒々しい色をした薬物を打たれて痙攣し、そのまま動かなくなる子や、価値がないからと処分される子もいた。

 

 だが、たった今少女が見たそれは―――そうした欲望のままに行われてきた凌辱や殺害とはわけが違う。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()―――少女としてはこの少年がどんな思いで”コレ”を殺したのか理解できずにいた。

 ……否、この言い方には語弊があるだろう。本当は知っている。その汚らわしい血が頬に触れた時、心の底からどす黒い感情が込み上げて来たのは事実だ。

 

 

 殺せ、殺せ、死ね、死ね、死んじゃえ。醜く、惨たらしく、全部全部全部全部――――――いなくなってしまえばいいのに。

 

 

「……あ、はっ」

 

 気づけば、笑みが漏れていた。幼子がこの状況で浮かべる笑みは混じりけのない狂気を孕んでいたが、少年は欠片も動揺したようには見えない。

 愉しそうに、狂おし(愉し)そうに、哀し(愉し)そうに。無垢であるが故に蠱惑的に。

 だが、それと同時に鎮まっていた痛みが再来する。

 

 自傷の後である十字傷(クロス)が痛い。薄汚い大人たちに弄ばれた下腹部が痛い。そして何より、心が痛い。

 

 いっそ本当に壊れてしまった方が楽なのではないかという程の痛みを味わっていると、不意に少年がポンと優しく頭に手を添えた。

 

 

「立てるかい?」

 

 発した言葉は、たったそれだけだった。

 それだけだったのに、今まで浮かべていた笑みは消え、痛みも忘却の彼方に消える。

 

「君が生きたいと願うならば、死にたくないと思うならば、痛くても辛くても苦しくても、立ってみるといい」

 

 へたりこんで、力の入らなくなっていた両足に、微かに力が灯った。人形同然だった瞳に、微かに光が宿った。

 「君は何もしなくていいよ。良い子だからね」と、この監獄に来てから何度言われたか分からない。彼女はいつだって傀儡人形(マリオネット)。求められ、自分の意志とは関係なく悦ばせるだけの玩具だった。

 だが、この少年は言う。自分の意志で立て、と。

 

「っ…………‼」

 

 辛うじて立ち上がるまで、どれだけの時間が経ったかも分からない。1分だけだったかもしれないし、1時間かかったかもしれない。

 だが立った。十字傷から血が漏れだすのも目に止めず、足が震えながらも、立った。

 その瞬間、少女の体を少年が支えた。打算などなにもない、情欲は元より、憐憫とも違う。

 当然だ。彼に少女を憐れむ資格などない。『生きたいと願い、立った』。それだけで、この少女を称賛するに値するからだ。

 

 嘗ての自分が、()()()()()()()()()

 

「あ……」

 

 少女の口から漏れ出たのは、か細く消え入りそうな声。

 だがそれは、先程までの狂気は孕んでおらず、どこか穏やかであった。

 

「あった……かい……」

 

 その言葉を残して、少女は意識を手放す。

 出血量がそこそこという事もあるが、衰弱の状態が著しい。このまま放置しておけば、最悪の事態も有り得る。

 

 少女に自分の上着を着せて抱きかかえながらそんな事を考えていると、不意に影の中から人物が現れた。

 

 

「レイ? 制圧は済んだの?」

 

「ヨシュアか」

 

 少年―――レイと同じく小柄な体躯に纏うのは暗殺者の気配。レイが厄介だと思う程度には()()()()()()()()()彼は、両の手に握った双剣を腰の鞘に納めて近づいてくる。

 

「制圧自体は完了したよ。生きてる人間は多分いない。―――この子を除けばね」

 

「? どうしたのさ、その子は」

 

 怪訝そうに見る目は、ある意味では正しいものだった。

 今回、彼らが請け負った任務は《D∴G教団》と呼ばれる組織の拠点の一つ。―――称して《楽園》と呼ばれていた場所の制圧と殲滅だった。

 ただ一人も残す事無く殲滅しろ―――その命令の中には施設の職員は勿論、秘密裏に《楽園》を訪れ、退廃的な欲望を曝け出していた小児性愛(ペドフィリア)の変態共も標的の中だった。

 どれ程殺したかは定かではない。冷静に冷酷に考えてみれば顧客まで殺す必要はないように感じられるが、この顧客共は皆各国の政治家や著名人であったりするため、自国に戻られて暴露されても困るのである。

 

 故に、殺す。それ以上の理由など必要ないし、レイ個人として鑑みるならば()()()の一つくらいは許容の範囲内だと思っていた。

 

 

「あぁ、拾ったんだ。中々意志の強そうな子だし、ここで死なせるには忍びないと思ってね」

 

「……命令は殲滅の筈だ。それなら、その子も含まれる」

 

 冷たく言い放ったヨシュアだったが、それでもレイは姿勢は崩さない。

 

「うん、そうだね。……でも、僕にこの子を殺す事はできない。そして、君にもこの子を殺す権利はないよ、ヨシュア」

 

「……?」

 

「だってこの子は、僕たちが他人に頼る事でしか抜け出せなかった地獄を、たった一人で耐え抜いて来たんだから」

 

 そう告げると、ヨシュアははっとした顔つきになる。同時に、少女に向けていた殺気も霧散した。

 その様子を見て、レイは優しげな笑みを見せた。

 

「僕はこの子を殺さないし、殺させない。レーヴェやシャロンは……ま、まぁ小言の一つや二つは言われると思うけど説得できると思うし、それにこの子だって、ここで死んじゃったら全て終わりだ。生きていれば、本当の意味で救われる時が来るかもしれない」

 

「それは……」

 

 君の勝手だろう? と言おうとして、ヨシュアは口を噤んだ。

 レイは恐らく、それも見越して言っている。この少女の生き方に強引に介入する事に対する傲慢も、罪悪も、全て理解した上で言っている。

 それはつまりお節介だ。この少女がそれを望んでいない可能性もあるというのに、それでも彼は、自分と同じような境遇に落ちてしまった人間を見過ごせない。

 ヨシュアとしては溜息を吐かざるを得ない。何せ彼は、自分の時もそうやって要らぬお節介を焼いて来たのだから。

 

「生きていれば、ね」

 

「そう。生きていれば、だ。死んだら空の女神(エイドス)の下に召されると巷では言うけれど、それを証明できる人はいないわけだろう? だから僕は、どんなに身勝手でも醜くてもいいから生き残ると決めたんだ。……まぁ、君やこの子にその生き方を押し付ける事になってしまったのは謝るけれども」

 

「謝らなくてもいいよ。少なくとも僕には」

 

 あぁ本当に、これほどまでにお人好しだから要らぬ世話を背負い込む羽目になったり、変な人と関わらざるを得なくなるんだと、ヨシュアは内心で溜息を吐く。

 

「でも、何の素質もない子を預かるほど《結社》は甘くないよ」

 

「あぁ、うん。それは僕も分かってるさ。業腹だけれど、ちゃんとこの子には力がある。僕にもまだ全貌は掴めていないけれど、少なくとも嫌な顔をされる事はない筈さ」

 

「……そう」

 

 そこは、彼にとっても不承不承といったところなのだろう。

 裏の世界(こちら)で生きていくというのは、それ程甘い事ではない。レイもヨシュアも、秀でていたモノがあったからこそ、こうして今も《結社》の一員として生きていられているのだ。

 そうなれば必然的に、この少女にもそれを押し付ける事になる。それを彼が、諸手を挙げて歓迎するとは思えない。

 

 

「心配しなくても、責任は背負うさ。―――それなら大丈夫でしょう? 姉さん」

 

「―――犬か猫かの話ではないのですから、あなたにはもう少し思慮深い行動を取ってもらいたいところですね」

 

 そう言って溜息交じりに廊下の影から出て来たのは白銀の鎧に身を包んだ長身の美女。

 騎士装束に包まれていても分かる長い手足と腰元まで伸びる艶やかな蜂蜜色の髪。穏やかにも怜悧にも見える群青色の瞳は、建物内の導力灯の光を反射して淡く輝いていた。

 

「まぁ、あなたの事ですから考えなしという事でもないのでしょう。……よもや筆頭に感化されてこんな場所でもノリで行動しているとは思えませんし、思いたくもありませんが」

 

「嫌だなぁ姉さん。……ノリがうつった事は否めないけれど、流石にこんな状況じゃあふざけないよ。師匠だって時と場所くらい考え……てると思う。うん、多分」

 

「……やはり倫理観も私が教育した方が良かったように思えます。このままではアリアンロード様(マスター)にも顔向けができません」

 

「あの、ソフィーヤさん?」

 

 早々に話が脱線し始めた状況を変えようと、ヨシュアがその女性の名前を呼ぶ。

 

 

 結社《身喰らう蛇》使徒第七柱が麾下、《鉄機隊》副長、ソフィーヤ・クレイドル。

 《聖楯騎士(せいじゅんきし)》の異名を持つその人物は、左手に携えた血塗れの馬上槍(ランス)の他に、右手にはその異名の元となった純白の盾を有している。名実ともに「鋼の聖女の後継者」とも謳われる女性であった。

 

 そんな彼女は、レイが《結社》に引き取られた直後から、師である《鉄機隊》筆頭カグヤと共に彼の修業に付き合った事がある。主に性格的に奔放な衒いがあるカグヤに代わり、座学や日常的な常識を教えるに留まっていたが、苦労人の気質がありながら面倒見が良い彼女の性格に感化されてか、レイは彼女を「姉」と呼ぶことに躊躇いがなくなっていた。

 

 

「あぁ、すみませんヨシュアくん。話が逸れましたね。―――それで、あなたはこの少女を《結社》で引き取れと、そう言うのですね? レイ」

 

「掻い摘んで言えば」

 

「はぁ……いえ、まぁ。私とて個人的には見過ごせないですからね。あなたをどうこう言う資格は、私にもないのでしょう」

 

 ですが、とソフィーヤは続けた。

 

「責は重いですよ、レイ。一人の命を、人生を預かるというのは軽い事ではありません。中途半端に優しく接するだけしかできないのであれば……あなたはその刀でその少女の息の根を止めてあげるべきです」

 

 厳しい言葉ではあったが、それは至極当然の言葉であった。

 《鉄機隊》の中でもカグヤに次ぐ実力を持つこの”達人級”の騎士は、今まで現世に蔓延る地獄という地獄の何たるかをその目で見、理解し尽くしていた。

 その上で尚、気高く、そして美しく在ろうとしている彼女だからこそ、人を助け、守り、見届ける事の難しさを説く事ができる。

 加え、自らの教え子がその茨の道を歩もうとしているのだから、尚更だ。

 

「覚悟はしているよ」

 

「それが口先だけにならないようにしなければなりませんね。―――ヨシュアくん」

 

「? はい」

 

「ご迷惑をお掛けしますが、あなたも一緒にこの少女の行く末を見届けてあげて下さい」

 

「何故、僕が。僕には何の関係も……」

 

「そう言わずに。この子(レイ)が初めて友と呼んだあなたなら、私も安心してマスターにご報告ができるというものです」

 

 優しげに微笑んだソフィーヤに対して、流石のヨシュアも何も言う事はできなかった。

 すると、レイがヨシュアの肩にポンと手を置き、無垢な笑顔で口を開いた。

 

「ま、そういうわけでよろしくたのむよ。親友」

 

「僕は君と親友になった覚えはないよ。……とはいえ」

 

 ヨシュアは、レイの上着にくるまれ、気絶している少女の顔を覗き込む。

 

「君の言っていたこの少女の事が、本当かどうかは確かめたいと、思う」

 

「今はそれでいいさ。ソフィーヤ姉さん、レーヴェ達には僕が―――」

 

 

「それには及ばん。一部始終は聞いていた」

 

 

 結局、各々が各々の仕事を終え、施設の一箇所に集まってしまった。

 三人と同じく、鮮血を纏った武器を携えながら、《執行者》二人も姿を現す。

 《剣帝》、そして《死線》。共にヨシュアとレイの事を良く知っている二人は、ソフィーヤが言っていた言葉も考慮して特に小言を言う事もなかった。

 

「お前達がそう思い、騎士ソフィーヤが認めたのならば、俺は何も言わん。《執行者》として許容しよう。―――それで構わないか? シャロン」

 

「えぇ。尤も、レイさんが強引に事を進めようとするのは今に始まった事でもないですし」

 

「フッ、そうだな。そうと決まれば速やかに引き上げるぞ。その少女を生かしたいと思うなら、これ以上時間を掛けるわけにもいかないだろう」

 

 いつも通りのやや不器用な優しさを見せるレーヴェと、多少ジト目ではあるものの要望を聞き入れてくれたシャロンに感謝しながら、レイは頷く。

 

「感謝します。レオンハルト殿、シャロンさん。……本当にこの子は、師に似てどうにも行き当たりばったりの性格になってしまったようで」

 

「……まぁ、その性格のおかげで私が今生きているのだと思うと、頭ごなしに窘める事もできないのですが」

 

 そう言うと、シャロンはレイから少女を受け取って回復アーツで最低限の処置を終了させる。

 すると、徐にしゃがみ込み、レイと視線を合わせてくる。

 

「生きていて欲しいですか? この少女にも」

 

「うん。生きているのが絶望じゃないって。死んでしまった方が楽だったなんて、そんな事は言わせたくない」

 

「……そうですか」

 

 ただその意思だけが訊きたかったと、言外にそう言ったような表情を見せると、そのままシャロンは影の中に溶けていく。

 ヨシュアよりも更に暗殺者として完成されている彼女が本気で気配を断てば、それを瞬時に発見する事はほぼ不可能となる。たとえそれが、”達人級”の武人であったとしてもだ。

 つまり、これであの少女の、レンの安全はほぼ完全に確保された事になる。

 

 それを確認してから、残った彼らも速やかに死屍累々の施設を後にする。

 

 

 

 ―――その優しさ、慈悲の心は、後にレンという一人の少女を仮初の愛情に依存させ、悩ませることになる。

 

 善も悪も、生も死も超えたところを淡々と歩いて来た少女。

 幸も不幸も感じず、喜びも悲しみも感じて来なかった少女。

 

 嬲られ弄られ、回り続ける世界の中で淫らに堕ちて行った一人の少女。

 

 

 しかし彼女は、確かに救われた。

 

 

 

 生きていて欲しいと願ってくれた少年の心によって。

 

 

 

 正しく生きて欲しいと叫んでくれた少女の心によって。

 

 

 

 

 

 それは彼女が確かに辿った、一つの人生の軌跡だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは空が白み始めるより少し早い夜明け前。

 

 リベール王国ロレント市南部郊外。そこに居を構える純朴な佇まいの家の中から、音も立てずに一人の少女が出てくる。

 その少女は一度だけ大きく伸びをすると、ちらりと家の二階部分に視線をやってから苦笑気味に笑った。

 

 

「まったくエステルったら。レンを抱き枕かぬいぐるみかなにかと勘違いしてるんじゃないかしら」

 

 

 数ヶ月前から一緒に暮らす事になった人物の内の一人である天真爛漫な少女は、いつも事あるごとに彼女を―――レンを抱きかかえたまま眠る癖がある。

 恥ずかしいから、暑いからと断ろうとしようものなら「お願い」「お願い」という連呼から始まり、それでもすげなく断ると遂には泣き落としにかかろうとする。そして同居人であり、家族である少年にストップを掛けられるまでがワンセットだ。

 最近はその過程を見るのが楽しくて、ちょくちょく彼女の願いをすげなく断る事にしている程である。―――本当に、一緒に居て飽きが来ない。

 

 まぁ、それでも流石に寝ている間に徐々に抱きかかえる力が強くなっていくのは勘弁願いたいところではある。苦しいし、なにより暑い。

 冬ならば、まぁそれも歓迎できるのだろうが、生憎今は残暑が厳しい夏の終わりだ。朝起きたら寝間着が汗でぐっしょりになっていた事など一度や二度ではない。

 

 それでも本気で断ろうという思いが湧いてこないのだから、本当に彼女は、不思議な魅力を持っている。

 助けた人を無条件で安心させてくれる、そんな太陽のような温かさが。

 

 

 

 そんな彼女のホールドをすり抜けてこんな時間帯に家を出たのは、なにも家出をするわけではない。ただ、数日に渡って旅行に行くだけなのだ。

 とはいえ、その事情を話そうものなら「あたしもついていく‼」と言い出しかねないのが彼女だ。その説得が些か面倒くさそうなので、こうしてコッソリ家を出たのが事の真相である。

 無論、置き手紙は残してあるし、その書面で家出ではない旨を事細かに説明してあるつもりなのだが、さてさてどんな反応を示すのだろうかと、そちらの方も実は気になっていたりする。

 

「それじゃあ《パテル=マテル》、お留守番よろしくね」

 

 家の敷地内の庭に佇む巨大な機械人形にただそう告げると、ゆっくりと起動したそれは「了解」とでも言わんばかりに右腕を軽く掲げた。

 すると、同じ庭の中からレンに対して声が掛けられた

 

「《パテル=マテル》は連れて行かないんだね」

 

 薪を割るために備えられていた切り株の上に座りながら月を見上げていた少年は、止めるでもなくただ優しげにそう言った。それに対してレンは、笑みを浮かべたまま頷く。

 

「えぇ。お兄様にはレン一人だけで会いに生きたいの」

 

「そう。道中は気を付けるんだよ。君の事だから心配は無用だと思うけど」

 

「ヨシュアは、エステルのご機嫌取りお願いね♪」

 

「あぁ……それが大変そうなんだよね。とりあえず後数時間したら大騒ぎになると思うからそこからスタートなんだよなぁ」

 

 はぁ、と溜息を吐きながら、ヨシュアは苦労人の相を滲み出させる。

 恐らく朝起きた瞬間に隣で寝ていた少女がいない事に気付き、一階に降りて来て置き手紙を読んでから大騒ぎし、寝間着のまま自分の首根っこを掴んで思いっきり揺すり始めるところまでが容易に想像できて、つくづく自分の恋人の感情の豊かさを再確認してしまう。いや、まぁ。それはそれで良い事なのだけれど。

 

「まぁ、エステルの事は僕に任せて、レイによろしくね。とはいえ、僕もこの前会ったばかりだけれど」

 

「えぇ」

 

「と言っても、今のレイは学生なんだからあまり迷惑は掛けないようにね」

 

「は~い♪」

 

「(あ、ダメなパターンだな、これ)」

 

 仔猫(キティ)のハンドルネームは伊達ではない。クロスベルにて電脳の世界で翻弄し続けた彼女の好奇心の豊かさ―――否、悪戯心は例えエステルが注意したところで収まるものではないだろう。

 ヨシュアにできる事は、レイを始めとした特科クラスⅦ組の面々に対して心の中で合掌をすることくらいだった。多分徹底的に遊ばれるだろうけど、我慢してあげてくれ、と。

 

 そんな事を考えていると、不意にレンの表情が強張った。

 

 

「ねぇ、ヨシュア」

 

「うん?」

 

「お兄様は……ちゃんとレンに笑顔を向けてくれるかしら」

 

 彼女は、どういった思いでレイが《結社》を抜けていったかを知っている。

 本当はレンを置いて抜けるつもりなどなかったのに、事情がそうさせてはくれなかった。故に彼は彼女の事をレーヴェや《鉄機隊》の面々に任せ、苦渋のままに去ったのだ。レンが彼と直接顔を合わせたのは、それが最後だった。

 

 空白の時間は5年にも及ぶ。そんな彼女にレイはどのような表情を向けてくれるのか。それが本当は不安だった。

 

 

「大丈夫だよ」

 

 しかしヨシュアは、間髪を入れずにそう断言した。

 

「大丈夫。だって、あのレイだよ?」

 

「……ふふっ、そうね。それじゃあ、レンもちゃんと楽しまなくちゃ♪」

 

「そ、それはお手柔らかにしておいてあげて」

 

 そうしたやり取りを交わして、レンはブライト家の外へと足を踏み出した。

 

 

 

 ―――その数時間後、ヨシュアの予想通り近隣の魔物が思わず身震いしてしまう程の大絶叫がその家を拠点に撒き散らされた事については、もはや語るまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ドーモ。十三=デス。
 何で就活中のくせにいつもより更新早いんだよって? 嫌な事があると趣味に逃げたくなるんですよ。就活苦しい。

 と、まぁそれは脇にボッシュートしておいて、今回は過去篇を投稿させていただきました。
 それに伴って不快表現の注意を前書きでしたのですが……いや、そのですね。彼女の過去を書くにあたってこうした描写は入れなくちゃいけないなと思いました。冗談抜きで。
 リリース版だと随分修正されたようですが、PC版の彼女の過去は生々しすぎて本当に見るに堪えません。泣くレベル。
 ですので、僭越というか大きなお世話というか、こうした話を書かせていただきました。あぁ、辛かった。


 そしてオリキャラ、ソフィーヤさん。今までにも何度か出て来たかと思いますが、この苗字を見て思うところがあった方はいらっしゃったのではないでしょうか。
 残念ながらこの人のキャライラストはまだ出来ておりませんのでもう少々お待ちいただければと。エルギュラさんのも描かなきゃならんな。

 その代わりと言っては何ですが、前回書いた「ちょっと棘が生えているお年頃のシャロンさん(14歳)のイラストを載せていきます。

{IMG17113}

 服がどこかで見た事がある? ……し、仕方ないじゃないですか‼ ウォルターさん(ヤングVer.)カッコ良かったんだもん‼ あれで人間だってんだからやっぱ『HELLSING』の世界って頭おかしいよね(褒め言葉)


 ではまた。次はレンちゃんが思う存分引っ掻き回します(多分)。









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小悪魔仔猫の悪戯事情 Ⅰ  ※






「大嫌いだろうが、どうでもよかろうが、クソ生意気でかわいくなかろうが、妹は、助けてやんなくちゃならんだろうよ。そうだろう?」

     by 高坂京介(俺の妹がこんなに可愛いわけがない)







 

 

 

 

 

 その日もやはり、燦々と太陽が照り付ける快晴日だった。

 とはいえ、流石に9月の上旬を過ぎた頃になれば残暑も鳴りを潜め、直射日光が苦にはならない程度の涼し気な風がトリスタの街には吹き抜けて来ていた。

 

「C・エプスタイン博士によって導力器(オーブメント)が開発されたのが1151年、レマン自治州で《エプスタイン財団》が発足したのが1155年、リベール王国で《ツァイス技術工房》が設立されたのが1157年……」

 

「ぶつぶつと煩いぞレーグニッツ。テスト当日になってまで頭に詰め込んでおかないから貴様は万年2位なのだ」

 

「くっ、万年3位の君に言われたくないな‼ 時折レイに抜かされて4位に降格しているくせに‼」

 

「大抵の小テストは5、6人くらいまで同率1位だろうが。その程度も忘れたか?」

 

「ぬぐぐ……」

 

 そんな日の早朝、本日の日直であるマキアスと、馬術部の朝練に向かうユーシスは士官学院への登校道を歩いていた。

 たまたま同じ時間に学生寮を出る事になってしまった二人は、玄関で顔を合わせた瞬間に互いに棘のある言葉を交わし合い、それを数分ほど続けた後―――

 

 

「うるせぇんだよお前ら、とっとと行け」

 

 

 朝食の片づけをしていたエプロン姿のレイに半ばキレられながらそう言われ、やむなく口論を中断して登校を始めた二人。

 以前までならここで早々に個別行動に分かれて学院に向かうところだっただろうが、この数ヶ月、嫌でも染みついた集団行動に引っ張られ、悲しいかな歩くペースが同じになってしまった二人は、やはり性懲りもなく棘のある言葉を言い合う。

 

 しかしこれでいてARCUS(アークス)のリンク数値はリィン&アリサ、ラウラ&フィーと並んで高いというところからも、決して相性が悪いわけではないという事が見て取れる。

 反りが徹底的に合わないのは両者ともが傍目から見ても呆れるほどに頑固であるからと、それに同族嫌悪が追加されているからだ。

 

 そしてそんな実入りのない口論をいている内に、校門の前まで辿り着いてしまう。その状況を理解した二人は、同時に息を吐いた。

 

「……グラウンドでランベルト先輩が待っているのだろう? 早く行ったらどうだ」

 

「貴様こそ、早めに職員室に行かないとまたハインリッヒ教頭の小言が始まるぞ」

 

 不承不承と言わんばかりの声色ながらそう言い合って正門前で別れようとする。しかし、その直前。

 

「……む?」

 

「あれは、誰だ?」

 

 正門前から校舎へと繋がる道のちょうど真ん中あたりに、まるで絵画の中に迷い込んだかのような佇まいで立つ一人の少女。

 制服を着た学生が多く集う場所にはある意味で似つかわしくないゴシックロリータ調の服を纏ったその少女からは、セミロングに伸びた髪が風で棚引く度に淡いスミレの花の香りが漂ってくる。

 

 場違いなその光景に思わず行動する事を忘れてしまった二人だったが、少女が振り返って微笑を見せ、そのままギムナジウムの方へと走って行ってしまった事に反応して再び動き始めた。

 

「あっ、お、おい君‼ 待ちたまえ‼」

 

「チッ……」

 

 一つ舌打ちをしたユーシスだったが、言動とは裏腹にそれ程怒ってもいないし、苛立ってもいない。

 

「追うぞ、レーグニッツ」

 

「は? いや、しかし……」

 

「あの娘、見かけの割に意外と素早いぞ」

 

 その服装と外見的年齢から、どう見積もっても学院の関係者ではない事は明白である。例え教官の誰かの子供であったり、生徒の家族であったりしたところで、学院内を一人でうろついていい理由にはならない。

 普段の自由さ加減から偶に忘れそうになるが、仮にも此処は士官学院である。子供の目が届く範囲に重要書類などは流石にないだろうが、それでも一般の教育機関に比べれば危険が多いのもまた事実だ。

 

「……分かった」

 

 マキアスが頷くと、二人は少女が去って行った方に駆けだした。

 日々鍛えられている彼らの脚力は控えめに言っても高いはずなのだが、それでもグラウンドの前を通り過ぎ、ギムナジウムの前に来てもまだ少女には追いつけず、人影もなくなっていた。

 

「……ギムナジウムに入ったか?」

 

「いや、今日はフェンシング部も水泳部も朝練はなかったはずだ。施設自体、今の時間帯は施錠されている筈だ」

 

 少し厄介な事になったと、マキアスは歯噛みをした。

 というのも、校舎の裏手に差し掛かるこの場所は基本的に人の通りが少ない。加えて死角になる場所も多く、一度姿が隠れれば見つけ出すのは一苦労になる事もある。

 以前、鍛錬という名目でレイとサラがフィー一人を逃走者にして他のⅦ組メンバーが全員鬼という校舎内を含まない学院内かくれんぼを行うと言った時には、その脅威度を身を以て知った。フィー自体の隠密能力はもとより、人はその気になればどんな場所でも隠れる場所を見つける事ができるのだ。それが、こういった場所であればなおさらである。

 

「これは教官方に任せた方がいいかもしれないな。君はどうするつもりだ? ユーシス」

 

「……不本意だが貴様の言う通りだな。俺達だけで深追いするわけには行くまい。……あんな小娘に撒かれたという事実が癪だがな」

 

「君も大概素直じゃない性格をしているな」

 

 こう見えて年下に当たる存在の面倒見が良いユーシスは、プライド云々よりあの少女の心配をしているのだろう。

 この学院の中は、慣れていなければ最悪迷うような構造になっているところもあるにはある。特に敷地の外れにある旧校舎などは―――

 

「……もしかしてあの子、旧校舎方面に行ったんじゃないのか?」

 

「……可能性はあるな」

 

 旧校舎までの道は一本道だが、一度脇に逸れれば延々と木々の間を彷徨う事になる。そうなれば発見自体難しくなるだろう。

 考えうる限り、最悪の事態とも言えた。

 

「チッ」

 

「行くのか? 君は」

 

「ここで放っておいてみろ。目覚めが悪くなるのは確実だろうが」

 

 なんだかんだ心のどこかでその言葉に同意してしまっているマキアスも負けず劣らずのお人好しなのだが、それには気付かない。

 日直が登校しなくてはならない時間を完全に過ぎてしまいそうなことにマキアスは溜息を吐き眼鏡のブリッジを押し上げたが、それでも一人だけ去ろうとは思わなかった。

 

 互いに無言なままに一瞬だけ顔を合わせると。旧校舎に繋がる舗装されていない道を歩いて行く。

 鬱蒼と生い茂る木々と雑草のせいで陽の光を遮って薄暗いその道は、好んで通る物好きもそうそういない。

 

「くそっ、せめて道沿いに居てくれればいいんだが……」

 

 そうボヤきながら進んでいくと、やがて旧校舎前の開けた場所に出た。

 するとそこには、二人の不安とは裏腹に、鼻歌を歌いながら申し訳程度に設けられていたベンチに腰掛けていた少女がいた。

 

「あら、お兄さんたち」

 

「まったく、元気が良いのは良い事だが、知らない場所にホイホイと入ってくのは感心しないな」

 

「でも、お兄さんたちは追いかけてきてくれたんでしょう? レン嬉しいわ」

 

 見た目とは違い、随分と大人びたような対応をする少女の姿にマキアスは一瞬呆けたが、ユーシスはといえば僅かに眉間の皺を深くした。

 

「レン、というのが君の名前でいいのかな?」

 

「えぇ、レンはレンよ」

 

「この学院に何か用があるのかな?」

 

「えぇ。お兄様がこの学院に通っているから、レンは様子を見に来たの」

 

 少女は見た目麗しく、着ている服も一般人が着るそれとは違う。貴族生徒の誰かの妹かとあたりを付けたマキアスは、先程から黙ったままのユーシスに変わって続けた。

 

「そうなのか。だが、一人で歩き回るのは危険だ。僕たちが案内するから職員室の方に―――」

 

「待て」

 

 そこで、初めてユーシスが口を開いた。

 渋面を崩さないまま少女に近づいていく彼を見てマキアスは制止しようとしたが、ユーシスは一顧だにしようとしない。そして少女の方も、そんなユーシスの表情を見ても微笑を崩そうとはしなかった。

 

お嬢さん(フロイライン)、一つ訊きたい」

 

「あら、何かしら貴族の方」

 

「貴様―――()()()

 

 その問いに、少女の口角がさらに吊り上がる。

 

「あら、さっき言ったじゃない。レンはレンだって」

 

「ここ数ヶ月無茶をしたせいで不本意だが”鼻”が利くようになった。―――貴様、《結社》とかいう連中と同じ雰囲気がするな」

 

 見た目に惑わされずにそう言い切ったユーシスを見て、遂に少女は声を出して笑った。

 

「アハハッ。本当に、ヨシュアの言ったとおりね。どうしてレンが”違う”って分かったの?」

 

「貴族の世界でこの程度は日常茶飯事だ。見た目で惑わされるようなら容赦なく足元を掬われる」

 

 貴族の世界では、見た目で油断を誘う見目麗しい子弟を”餌”にして情報を引き出すといった後ろ暗い事も平気で行われている。美麗な異性を以て(かどわか)色仕掛け(ハニートラップ)などには警戒していても、案外己の子、孫ほども歳の離れた者に対しての警戒はどこかで薄れる傾向がある。

 

 ユーシスは年下に対する面倒見は良いが、それは警戒していないという事とイコールではない。アリサと同じく、初対面の人間に対してはまず警戒心を抱くのが彼のスタンスである。

 それは、相手が人形のような整った見た目であっても、どんなに可愛らしくあっても変わらない。()()()()()()()()()というスタンスを取る者が多い仲間内の中で自分はこう在れという意志の下動いているため、その審美眼には一切の容赦がなかった。

 

「……ユーシス。君が感じた雰囲気、それは確かなのか?」

 

「少なくとも、只者の気配ではなかった事は確かだ。―――疑うか? レーグニッツ」

 

「いや、君とアリサの観察眼の精度は信じる事にしている。癪ではあるが」

 

 そう言いながらマキアスはズボンのポケットに入れたARCUS(アークス)を握る。

 元より外見でその人物の本質を判断してはならないという事はレイやフィーで体験済みである。個人的ないがみ合いなどの感情は抜きにして、”仲間”という大枠で捉えた場合、マキアスはユーシスの観察眼を信頼していた。

 

 

「うふふ。あぁ、おもしろい。おもしろいわ♪ レンの事を初見で疑う人なんてそうはいないのに」

 

「生憎と無茶を押し通す学院生活を送ってる身だ。それはそうと貴様、学院に何の用だ。戦闘をしに来たのではあるまい」

 

「あら、何でそう思うの?」

 

「分からいでか。貴様、()()()()()()()()()()() 本気でこの学院に攻め込んで来たならば、既に惨事になっていただろうからな」

 

 出会い頭は注視していなかったが、こうして改めて警戒の色を以て見てみると、重心の取り方や体の動かし方が素人ではない。余裕のある服やフリルなどで視線が行きにくいが、恐らく近接戦においても手練れであるだろうとユーシスは見切りをつけていた。そしてそれについては、マキアスも同感だった。

 

「ふふっ、うふふっ、あはははっ‼」

 

 一見すれば無垢な笑い声が旧校舎の周辺に響くのと同時に、思わず二人は臨戦態勢を取った。

 

 明らかに普通とは言い難いその状況に警戒心を最大にするが、その時点で既に彼らは少女の術中だった。

 

「レンはね、もうちょっとお兄さんたちと遊んでいたかったんだけど―――」

 

 まるで脳内に直接響くような感覚で、幼い少女の声が耳朶に届く。

 

「お兄さんたちが思ってたよりも鋭かったから、ここでサヨナラするわね」

 

「ま、待て‼」

 

 マキアスの制止も空しく、一陣の強い風が吹いて一瞬だけ視線が逸れたその瞬間に、少女の姿は消えていた。

 

『それじゃあ―――また会いましょう?』

 

 

 最後のその声を聴いた直後、玲瓏な鈴の音が響き渡り、二人を強烈な睡眠欲が襲う。

 そのまま地面に倒れ込み、意識を失う二人。次に二人が目覚めたのは、予鈴のチャイムが鳴った時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、それで遅れた、と」

 

 

 午前の授業が終わり、昼休み。

 Ⅶ組の昼食は曜日ごとにシャロンが作った弁当か、学食で食べるかに分かれる。クラスが結成された当初は全員がバラバラに食べる事が多かったのだが、今ではこうしてクラブの用事などがなければ全員が集まって昼食を取るのが当たり前になっていた。

 そして今日は、学生会館の1階にある学生食堂の一角に全員が集まって昼のひと時を過ごしていた。

 

 そこで話題になったのは、珍しく遅刻をしたユーシスとマキアスの事。既に日直の任を果たせなかった事についてマキアスはハインリッヒ教頭とサラに謝罪を済ませ、ユーシスは朝練に顔を出せなかったことを馬術部部長のランベルトに謝っていた。

 つまり今更掘り返すような話題ではないのだが、午前の授業中、どうにも腑に落ちない表情をしていた二人を見かねたリィンが話を振ったのだ。

 

「言い訳はせん。どうとでも言え」

 

「アホ。確かに俺はSっ気があるがな、こういう状況で煽るほど馬鹿じゃねぇんだよ。そりゃあお前らが登校中にバナナの皮で滑って倒れた時に頭打って遅れた、なんて言おうものなら心置きなく大爆笑してやるがな‼」

 

「君は本当にブレないな」

 

「今日もレイは通常行動」

 

 二人が話した内容は、途中までは理解できた。

 

 校門近くで明らかに学院関係者ではない少女を見かけ、走って行ってしまったその子を迷子になる前に保護しようと旧校舎まで追いかけて行った。そこで二人は少女と()()()()会話を交わし、その後少女の姿が見えなくなって鈴の音が聞こえた直後に急激な倦怠感に苛まれ、昏倒。そのまま予鈴が鳴るまで気を失い続けていたという。

 

 しかし、ここで不自然だったのはその”少女”の外見的特徴や彼女と交わした言葉の内容などを問うても、二人は答えられなかった事だ。

 マキアス曰く、「頭に靄がかかっているよう」との事。ユーシスにしても同じであったようで、いつも以上に不機嫌な顔を隠そうともしていなかった。

 

「ふむ、その少女とやら、何者なのか……」

 

「でもよぉ、それ以前におかしくねぇか? 色々と」

 

 クロウのその言葉に、レイは少しだけ考えるそぶりを見せてから、再び口を開いた。

 

「ユーシス、ちょっといいか?」

 

「何だ」

 

 言うが早いか、レイはユーシスの額の前に掌を突きつけると、右目を閉じて気を集中させる。すると、少々妙な術の痕跡が感じ取れた。

 

「どうしたんだ?」

 

「ん……ユーシス、お前そこそこ対魔力―――魔力抵抗力は高かったよな」

 

「それなりには、な。それはそこの男も同じだと思うが」

 

 ユーシスもマキアスも、決して魔力抵抗力そのものは低いわけではない。Ⅶ組の中ではレイを除けば図抜けてそれが高いのがエマであり、その次にエリオット、そしてその他と続いて行く。

 この魔力抵抗力そのものは鍛えてどうにかなるわけではないというのが通説だ。体内の保有魔力がそうであるように、生まれ持った才能であるところが強いと言われている。

 だが、極論魔法攻撃及びそれに類似する攻撃を受け続ければ、畢竟それに対する耐性が高くなるというのもまた真実だ。教練と称して幾度もシオンの大火力に晒され続けて来たⅦ組の面々は、多かれ少なかれそれについての耐性が高くなっていたのは事実である。

 

「眠りに誘う鈴の音……確かに魔法(アーツ)の一種だと考えるのが妥当よね」

 

「でも、俺たちが知る中でそういった特徴を持ったアーツは無いはずだよな」

 

 考察を出し合うアリサとリィンに、レイは頷く。

 

「こいつらが食らったのは、魔力こそベースにはしてあるが、既存のアーツとはまた別種のものだ。人間の五感の一つを介して直接脳に影響を与える類の術だから、幾ら魔力抵抗力が高くてもこの罠に引っかかったら大なり小なり影響は受けるだろうな」

 

 言うなれば、局地的範囲に展開する幻術の一種だ。レイの使う呪術、【幻呪・茫幽(ぼうゆう)】と似たところがあるが、こちらは魔力を介して発動できる分、汎用性は高い。

 そしてレイには、その術を使う人物に心当たりがあった。―――だが。

 

「なぁマキアス、お前らが追ってたのは確かに”少女”だったんだな?」

 

「? あ、あぁ。それは間違いないと思うが……」

 

「んー……」

 

 睡眠と同時に誤認の術も併用して掛けられている可能性も無きにしも非ずなので断言はできないが、レイが知るこの術を得意とする人物は妙齢の女性だった。

 ”少女”と呼ぶ事はできないし、恐らく本人も呼ばれたくはないだろう。それにその女性(ひと)は、多分今もクロスベルの保養地ミシュラムで一介の占い師という地位に身を(やつ)している筈である。わざわざエレボニアまで来るとは思えない。

 

 ―――だが、その術を使える”少女”に心当たりがないかと問われれば、また話は違ってくる。

 否、”使える”というよりは”使えるようになっている”と言う方が語弊がないかもしれないが。

 

「レイ?」

 

「すまん、確証がない。だが俺の知り合いだったらマジでスマン」

 

「いやむしろそれだったら納得するんだが」

 

「貴様の知り合いには癖の強い人間しかいないのか」

 

 ユーシスの言葉に全力で頷きたくなるレイだったが、敢えてそこは黙っておいた。

 《結社》時代、放浪時代、遊撃士時代と、知り合いとなった人間はどこかしら癖が強いというかアクが強いというか、そんな人間ばかりであったことは否定できないのだが、他ならない自分自身もその一人だと思っている。

 そして今回の騒動の元凶も、恐らく。

 

「他にも登校していた生徒がいたであろう状況で、わざわざお前ら二人を誘い出したんだ。皆もちっと気を張っておいてくれ」

 

「分かった」

 

 リィンがそう言って頷いた事で、とりあえずその場はお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

「ふぁ」

 

 学生会館を出た後、残りの昼休みをフィーがどう過ごすのかは大体決まっている。昼寝だ。

 場所は様々。旧校舎近くのベンチの時もあれば、教室の自分の机の時もあるし、ギムナジウムの休憩室、技術棟の空き部屋、校舎屋上のベンチなどなど、お気に入りの場所はいくつも存在するが、一番のお気に入りの場所は決まっている。

 そしてフィーは今、その場所で小さなあくびを一つして横になる。

 

 フィーが所属する園芸部が保有する植物の栽培場の近くにある学院の中庭。校舎の影になり陽の光が入らず涼しいこの場所は、彼女にとって絶景の昼寝ポイントだった。

 

 ここにあるベンチで横になって、午後の授業の予鈴が鳴るまで睡魔に身を任せるのが日課のようなものだ。入学当初の頃は予鈴で起きても二度寝するという事が間々あったのだが、そうするとレイが拾いに来た際に良い笑顔と共に「お前今日おやつ抜きな」と言って来た為、今ではちゃんと授業開始までに戻る癖がついた。

 

「んん……」

 

 猟兵時代の経験が生きて基本どんな場所でも寝る事ができるフィーは、特にこういう居心地がいい場所だと1分も経たずに眠る事ができる。偶にレイも付き合って昼寝をする時があるが、その時は彼の膝を枕にして眠るため、数秒で眠る事ができる。

 

「ん……」

 

 しかし、今日はどうも寝つきが悪い。レイに警戒するように言われていたせいか、いつもならすぐにやってくる睡魔も中々襲ってこない。

 だが時間をかけていると相対的に睡眠に掛ける事ができる時間が減っていくため、意地でも眠ろうとするフィー。そのやり取りが、普段動物的な本能で危険を察知する彼女をして隙を生む結果となった。

 

 

「うふふ♪ えーいっ♪」

 

「ひゃあっ⁉」

 

 突然背後から脇と脇腹をくすぐられ、いつもなら絶対に出さないであろう声を反射的に出してしまうフィー。

 それに気づいて羞恥心を見せる前に、彼女は流れるような動作で後ろ腰から双銃剣の片方を引き抜くと悪戯を仕掛けた犯人に向けて銃口を構えた。

 

「あらあら、大きな猫ちゃんがいると思ってくすぐってみたら……小さな虎さんだったかしら?」

 

「っ……」

 

 紫色の髪を揺らした少女は、銃口と銃剣の先を向けられてもなお、悪戯っぽい笑みを崩そうとしない。

 クスクスと、まるでお気に入りの玩具を目の前にした幼児のように、屈託なく笑っている。

 

「あなたが……ユーシスとマキアスを襲った犯人?」

 

「あのお兄さんたち? レンは襲ってなんかいないわよ。おにごっこは一度鬼さんに見つかって、振り切ってからが本番でしょ?」

 

 少女はただ遊んでいるだけ。楽しんでいるだけ。

 それだけならまだ微笑ましくもあるのだが、問題はレイとサラに鍛えられ続けているⅦ組のメンバーが為す術もなく手玉に取られたという事だ。

 レイは特に気にするなというニュアンスで言っていたが、フィーにはそうは思えなかった。

 

 いくら戦う気がなかったとは言っても、旧校舎のような人の気配が普段は皆無な場所で無防備に昏倒しようものなら、どうにでもできるのが事実だ。

 拉致されても、暴行されても、殺されても文句は言えない。意識を手放すという行為がどれだけ危険な事であるかは、戦場で生きて来た彼女が一番良く知っていた。

 

「それで―――次は私?」

 

「えぇ、そうよ。だって―――アナタはレンと似た感じがするんだもの」

 

 銃身を手でそっと抑え、少女はフィーに顔を近づける。思わずもう一つの銃剣に手が伸びたが、何故かそれを抜く気にはなれなかった。

 

 

「大事に大事に飼われていた可愛い可愛い仔猫さん。でも独りぼっちになって寂しくなって……そして手を差し伸べてくれた人の優しさに救われた」

 

「…………」

 

「レンの場合はそれを二回も味わったのだけど……アナタはどうかしらね、《西風の妖精(シルフィード)》さん」

 

「……それだけ?」

 

「ううん、違うわ。一番大事なのはね―――」

 

 すると少女は、フィーの耳元に顔を寄せ、ポツリと呟くように言った。

 

 

「レンを一番最初に救ってくれた人と、アナタを救ってくれた人が同じだという事」

 

「……レイ」

 

「そう。レイ・クレイドル。レンが初めて会った時はそうは名乗っていなかったのだけれど、レンの大事なお兄様。―――そして、アナタにとっても」

 

「何で、そこまで……」

 

「お兄様が《結社》を去った後に身を寄せた猟兵団の事を、レンが調べていないと思ったのかしら?」

 

 そこで一瞬だけ目を見開くフィー。つまりは……

 

「つまり、あなたは……」

 

「えぇ、そうよ」

 

 フィーの体に軽く抱きつきながら、やはり少女は幼いながらも蠱惑的な声で囁いてくる。

 

 

「元結社《身喰らう蛇》《執行者》No.XV《殲滅天使》レン。―――尤も今はただの居候の仔猫だけれど」

 

 

 直後、フィーは強引にレンを押しのけて距離を取った。双銃剣を構えたまま、更に警戒を強めた黄緑色の瞳がレンの姿を捉える。

 

 元、と言ってはいたが、それが本当かどうかは判別がつかない。幾ら昔にレイと関わりがあったのだとしても、彼の安寧を脅かすのが目的でここに来たというのなら、流石に実力行使も辞さない構えだった。

 銃を構えて臨戦態勢に入っているフィーと、ここまで来ても尚も余裕の構えを崩さないレン。二匹の対照的な仔猫が散らす火花は、しかし唐突に遮られた。

 

 

 

 

「嫌な予感はしてたけどよ。やっぱりお前か、レン」

 

 

 いつの間にか彼女の背後に立っていたレイが、レンの首筋をひょいと掴みあげる。

 一瞬だけ呆けたような表情を見せたレンだったが、自分を掴みあげた存在の正体を知ると同時に、大輪の花のような笑顔を咲かせた。

 

「レイ‼」

 

「はいはいそうだよ、レイさんですよーっと。―――すまんな、フィー。コイツはガチでお前と一戦交えるつもりなんてなかったよ。お前と顔を合わせて、言葉を交わしたかっただけなんだろうさ」

 

 呆れ顔のままそう言うレイの体にじゃれつくように体をすり寄せるレンの姿を見て、何故かカチンと来たフィーは双銃剣をしまうとレンとは対照的な位置のレイの腕にしがみついた。

 

「離れて」

 

「うふふ、お断りよ。せっかくの久しぶりのお兄様との触れ合いですもの」

 

「むー……」

 

「ちょ、お前ら本気で腕絡みしないで。痛い痛い」

 

 慕ってくれているのは気付いているし、嬉しくも思うのだが、妹分同士の修羅場の真ん中に立っているという事がこうも胃とか腕とかその他諸々にタメージを与えてくるとは思わなかったのもまた事実。

 どうしたもんか、もう授業始まるのに。と思っていた矢先、先程まで廊下で談笑していたのに突然走り出した相方を追って来たリィンが中庭に姿を見せた。

 

「レイ、急にどうし――――――どういう状況だ?」

 

「色々と面倒臭い事態になった。とりあえず医務室行ってベアトリクス先生から胃薬を貰ってきてくれるとありがたい」

 

「お、おう」

 

 友人の「なるべく関わりたくない」という表情を見抜いたレイは、これから起こるであろうややこしい事態をどう乗り切るかという考えだけで頭がいっぱいになり、既に授業が始まる事など眼中になかった。

 

 

 

 

 

 

 

 





 ※新規タグ追加→【正妹戦争 勃発】【兄の胃が結合崩壊】【犠牲者増加中】【何教えてんですか幻惑姐さん】

 はい、どうも。最近テンションがガタ落ちした時は『テラフォーマーズ』1期OPの『AMAZING BREAK』を聴いて元気を底上げしている十三です。個人的に今期のアニメは『くまみこ』がツボった。単行本買おう。

 以前から私の友人が「レンを出せ」と度々言っていたのでこうして登場と相成ったレンちゃんですが……こんな感じでしたっけ? 如何せん彼女が”素”で絡む日常パートが原作中で少なくて不安になってます。それでも犠牲者は容赦なく増やしていくスタイル。続くよ‼

 さて、話は変わって以前の投稿時に「エルギュラとソフィーヤのイラストが描けてない」などと言った記憶がありますが、描きました‼ 載せます‼

■エルギュラ

【挿絵表示】


■ソフィーヤ

【挿絵表示】



PS:FGOで結局30連回したけどやっぱりオルタちゃん出てこなかった。……うん、まぁ分かってはいたんだけれどね……;つД`)

PS:キャラ投稿活動報告欄を新調致しました。


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小悪魔仔猫の悪戯事情 Ⅱ




※前回のあらすじ

①みんな大好き悪戯好きの仔猫襲来。
②ユーシス、マキアスコンビ犠牲に。乙。
③正妹戦争勃発(?)
④お兄様のストレスがマッハ。





 

 

 

 

 

「改めましてはじめまして。レンよ。よろしくね、お兄さんお姉さんたち♪」

 

 

 授業後、各々あった予定を一身上の都合と言う名目でキャンセルし、第三学生寮の食堂に集まったⅦ組の面々は、まるで何事もなかったかのように晴れ晴れとした顔で自己紹介をする少女を見て一様に嘆息を漏らした。

 

「あら、意外な反応。もう少し怒られるかと思ったのに」

 

「いや、何と言うか、君がレイの知り合いだという事で怒る気が失せたというか……」

 

「この件に関してはもう悟りを開きかけてるわね、私達」

 

「遠回しに俺がディスられてる件について」

 

「普段の行いを顧みたらわかると思うぜ、後輩」

 

 各々いつもと変わらない言動をする中で、しかしまだ警戒心を解いていない人物が二人。

 

 

「腑抜けすぎだろうが貴様ら。―――本人がいる前で言うのは若干気が引けるが、俺はレイ(コイツ)の知り合いだからと警戒を解くつもりは毛頭ないぞ」

 

 厳しい表情をしたままにそう言い切ったユーシスの言葉に、フィーも頷いて同調した。アリサは今回は中立の位置に甘んじるらしく、特に反応は見せていない。

 しかしそれに対して、レイがユーシスに向けて文句を言うようなことはなく、寧ろ―――

 

「おう、遠慮するなユーシス。寧ろ初見でコイツの核心に迫った事が驚きだわ。腕上げたなお前」

 

「あら酷いわお兄様。可愛い妹が疑われているのに」

 

「疑われるような悪戯を仕掛けたのはお前だろうが。因果応報ってヤツだ。反省しろ」

 

 叱責をしてみるも、やはり仔猫は朗らかに笑うばかり。しかしそれこそが彼女の本性なのだから、そこを咎めるわけにはいかなかった。

 

 

 思うがまま、自由奔放に動き、気紛れに出会った人間を惑わし、拐し、振り回してクスクスと無垢に笑う。

 まさに暇を持て余した仔猫そのものだ。退屈を嫌い、面倒を嫌い、しかし自分の望むものがその先にあるのならば、退屈も面倒も許容する。

 

 それを咎めないのは、それこそが彼女が外界に対して愛を示す、たった一つの方法だったから。外に関心を向けるために、自分が”主催者(ホスト)”でなければいけなかったから。

 

 しかし、はて、と思う。

 以前のレンは、果たして今のように”何の邪気もない”笑顔を容易く初対面の相手に見せただろうか、と。

 少なくとも、《執行者》であった頃の彼女は違った。向けるのはやはり笑顔であったとしても、心中は最大限の警戒心と嗜虐心が燻っていた。

 それは、”あなたもどうせ()()なのでしょう?”という、過去の苦いと言うにも憚られる事実に基づいて生まれた心情だ。だからこそレイは、彼女のそれを窘める事が出来ずにいたというのに。

 

「(エステル・ブライトは、どうにも頑なな人間の心を解きほぐすのが上手いらしい)」

 

 流石はカシウス・ブライトの娘だと思い至り、しかしそこで否と認識を改めた。

 ある意味では自分よりも観察眼に長けているこの少女が、偉大な親の受け売り程度の善意に心が絆されるわけがない。それ程までに彼女が負った心の傷というものは深く、根強いものだった。―――結局はレイですらも、《結社》を抜けるまでにそれを癒してあげられなかったほどに。

 

 それはきっと、心の底からの言葉だったのだろう。心の底から、レンという少女を想った言葉だったのだろう。

 レーヴェという頸木を失った空の至宝の天空城で何があったか、などと訊くつもりは毛頭ない。それはただ一人、彼女本人だけが覚えていれば良い事なのだから。

 

 

「え、えっと、フィーちゃん? 何でそんなに不機嫌なんですか?」

 

「…………」

 

「あははっ、もしかしてフィーってばヤキモチ焼いてるのかなー?」

 

「……うるさい」

 

「イタタ。ほっぺたつねらないでよー」

 

 それよりも、というのは少し語弊があるが、今現時点では過去の出来事云々よりも憂慮すべき事がある。昼頃―――つまりレンと出会ったそれ以降ずっと、フィーの機嫌が急降下を続けているのである。

 普段、フィーが感情を表に出す事はあまりない。それが今まで面識がなかった他者と関わった末の事となれば、尚更だ。

 だが現に今、フィーは表情の変化こそ薄いものの、纏っているオーラが完全にどんよりと濁ってしまっている。普段ならばエマが声を掛ければ状況がどうであれ反応の色を示すのだが、今に限ってはそれもない。

 ただひたすらに、いつの間にかレイの膝の上という特等席をちゃっかりと確保していたレンに向けて呪いでも掛けるかのような視線を向けているのだ。

 

 それだけで、レイの精神的な疲労感は着々と積み重なっていく。胃がキリキリと痛んでいるような気がするが、それは幻痛だと己に言い聞かせて事なきを得ている状態だ。

 

「……ホラ、降りろレン。俺が飲み物飲めないだろ」

 

「あら良いじゃないお兄様。せっかく久しぶりに会えたのだから、レンはもう少しスキンシップを取っていたいの」

 

「……そう言われたら反論しにくいのが辛いんだよなぁ」

 

「そうでしょう? レンはお兄様の妹だもの。甘えたところで誰も文句は言わないわ」

 

 ―――パキン、と。何かが壊れる音がした。

 嫌な予感しかせずに音のした方向を見てみると、フィーがやはり無表情のまま自分の使っていたティーカップの取っ手の部分を折っていた。

 従来のフィーの握力なら不可能な事なのだが、無意識に氣力を扱ってしまったか、それとも鬱屈とした感情が肉体限界を凌駕したか……どちらにしても恐ろしい事ではあった。

 

 そんな状況であってもレンは変わらず笑みを浮かべている事から、分かっていて煽っているのだろう。一度は二人ともに保護者面をしていた手前、それを窘める事はレイにはできない。

 腹に一物持った人間を相手にした時に向けられる妬み嫉みの悪感情は既に慣れ切ってどうとも思わないのだが、こういった自分を中心に渦巻く環境で巻き起こる宜しくない感情の渦中に立たされる状況そのものには実はあまり慣れていない。それが、自分の”妹分”たちの間で起きている事ならば尚更だ。

 

「が、ガイウス。何だか僕、背筋が寒くなって来たよ……」

 

「良くない風が吹いているな……危険だ」

 

「あのフィーがここまで個人的感情を向けるというのも珍しい気はするが……」

 

 ”龍虎相対する”という表現が東方の方にはあるらしいが、傍観者の見解からはどうにもそういった大仰なものではなく、毛を逆立てた猫同士が縄張りを奪い合っているような―――そんな姿を連想させた。尤も、それを微笑ましいかと問われれば即座に否と返せるのだが。

 

「え、ええと……」

 

 とりあえずこの一触即発な状況を何とかしなければならないという使命感を抱いてしまったリィンは空気を換えるために言葉を発しようとしたが、その前にフィーに新たなティーカップを、そしてクッキーが盛り付けられた大皿を持ってきたシャロンによってそれが為された。

 

 

「フィー様、レン様も、まずはごゆっくりお茶を堪能されて心を落ち着けられてはいかがですか? 僭越ながらお茶菓子もご用意いたしましたので」

 

「……いただきます」

 

 不承不承、といった表情ではあったが、フィーは大皿のクッキーに手を伸ばして、それを口の中に放り込む。そうしてから新しく用意されたティーカップに注がれていたシロップ入りのアイスティーを啜ると、そこに多少の落ち着きが戻った。

 

「ふふ、レンもいただくわ。―――それにしても、あなたとおしゃべりするのも久しぶりね。シャロン」

 

「えぇ。お久しゅうございます。長くお会いする事が叶いませんでしたが、レン様は格段にお美しくなられましたわ」

 

「それを言うならあなたの方だってそうじゃないの。()()()よりも今のシャロンの方がずっとずっとステキだわ」

 

「お褒めいただき嬉しゅうございますわ」

 

 予想外の客人に対しても礼の限りを以て尽くすのがメイドたる彼女の務め。それが前の職場で関わりがあった少女とあれば尚更だ。

 すると、今まで静観していたアリサが徐に口を開いた。

 

「やっぱり、貴女もこの子の事を知ってるのね。シャロン」

 

「はい。レン様はわたくしが《執行者》であった頃にお会い致しました。その後間もなくわたくしは《結社》から離れてしまったために、ご一緒していた時間は1年程度だったのですが」

 

「レンはシャロンの事好きだったわよ? ルナやレイとかと一緒に良く遊んでくれたし」

 

「勿体ないお言葉ですわ」

 

 懐かしむような感情を含んだその言葉に、レンはチョコペーストが練り込まれたクッキーを一つ食べ終えてから再び視線を向ける。

 

 

「それで、今はお兄様のお嫁さんなんでしょう?」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間にティーカップを傾ける手が止まったのはレイの方だ。今更隠す事ではないので動揺こそしないが、怪訝な目を妹分に向ける。

 

「……お前それ何処で訊いた」

 

「うふふ♪ レンは確かに《結社》を抜けたけれど、まだ”教えてくれる”人はいるもの」

 

 ”それ”が何を指し示しているか、レイは敢えて訊かない事にした。この期に及んでバレて困る事など有りはしないのだが、それでも藪を突いて蛇を出す真似は馬鹿馬鹿しい。

 

 

「―――一つ、訊いてもいいか?」

 

「おう」

 

「なぁに? お兄さん」

 

 そこでリィンは、ここまでで気になった事を自然な流れで二人に問いかけていた。

 

「二人は、その、本当の兄妹ではないんだよな?」

 

「いやまぁ、そりゃあな。色々と違うだろ。髪の色とか雰囲気とかあと性格とか」

 

「いや髪の色はともかく雰囲気と性格が似てるからそう思ったんだが……」

 

 よくよく見れば色々と違うというのに、何故だかリィンにはレイとレンが近くに居て不自然だと思えなかった。距離感と言うかなんというか、何だかんだで仲の良い兄妹に見え―――

 

 

「うふふ。確かにレンとお兄様は本当の兄妹じゃあないけれど、でもレンはそれでも構わないと思ってるわ。だって―――本当の兄妹だったらイチャイチャできないじゃない♪」

 

「グフッ(吐血)」

 

「フィーちゃんお気を確かに‼ 寮の中で発砲沙汰は流石にマズいです‼」

 

「委員長離して。アイツ殺せない」

 

「レイ様、お薬をお持ちしましたわ」

 

「お、おうサンキュ。実際問題俺に服薬の類は効かねぇんだけどね」

 

 ―――前言撤回。やはり彼女は兄をも巻き込んで引っ掻き回すのがお好きなようだ。

 自分の妹が義理とはいえ、とても淑女であった事を感謝していたリィンであったが、そう思ったところで一度ドミノ倒しのように動き始めてしまった事態は止めようもなく……

 

 

「―――ロリコン」

 

「おい今ロリコンっつったヤツ誰だ‼ 怒らないから俺の前に出てこい‼ 4分の3殺しにしてやる‼」

 

「いや、それほとんど殺してるじゃないか」

 

「でも確かに怪しまれる程度には仲が良いよね」

 

 

「黙っとけエリオット(シスコン)

 

「か、家族が大好きで何が悪いのさ‼ そんな事言ったらマキアスだってそうじゃないか‼」

 

「ちょっと待て。何故今君は僕を巻き込むのと同時にトラウマを抉って来たんだ。場合によっては訴訟も辞さないぞ」

 

「そなたら、騒ぐのもそこまでにしたらどうだ。今は客人の前で―――」

 

 

「ちょっと黙ってて(くれ)(よ)(くれたまえ)、ラウラ(ファザコン)

 

「ほう、そなたら我が剣の錆となりたいか?」

 

「ちょ、ちょっとストップストップ‼ ラウラも空気に呑まれちゃ駄目よ。こういう時は毅然として―――」

 

 

「お前もそうだろうが、アリサ(マザコン)

 

「レイ……アンタ言ってはならない事を言ったわね‼ その言葉が私にとって最も縁遠い言葉だと知っての狼藉ならその心臓射貫くわよ‼」

 

「上等だオラァ‼」

 

 

「あぁ、ダメだ。もう止められない」

 

「あはは♪ ボクたちも混ざろうか、ガーちゃん♪」

 

「ЁΣ.δζЙЛ」

 

 一触即発どころか一瞬即発の事態になりかけた直後、騒動の渦中に玲瓏とした声が一つ響いた。

 

 

「―――皆様」

 

 

 その一言だけで、双銃剣を抜いてレンに照準を合わせようとしていたフィーも、それを背後から制止していたエマも、掴みあいの喧嘩に発展しかかっていたエリオットとマキアスも、大剣を抜剣しかかっていたラウラも、矢を限界まで引き絞っていたアリサも、その場のノリで参戦しようとしていたミリアムも、そして口の端から血を垂らしたまま自制心が壊れかけていたレイも―――全員が凍り付いたように止まった。

 

 

「ご近所様方にご迷惑がかかりますので、お静かになされますように」

 

『『『イエス・マム』』』

 

 

 一斉に統率の取れた動きで直立不動になる面々を見ながら、リィンはユーシスと並び立ってアイスティーを一口啜った。

 

「やっぱりこうなったか」

 

「馬鹿共が」

 

「やっぱ怖ぇなぁシャロンさん」

 

「そうだな。というより最初に「ロリコン」って言ったのお前だろ、クロウ」

 

「記憶にございませんなぁ」

 

 傍から見れば良く分からない状況ではあったが、Ⅶ組の平時としてはそこまで異常な事ではない。その様子を見て、レンは一瞬だけ吹き出し、そして―――

 

 

「あははははっ‼ あはははっ‼ ―――おもしろいわ、お兄さんお姉さんたち♪」

 

 

 とても楽しそうに、面白そうに笑っていた。

 それは先程までのどこか達観したような笑みではなく、純粋に心の底から出て来たような、年相応の笑顔だった。

 その表情を見せ、レイはふぅと息を吐くと、眼前のアリサとアイコンタクトを交わして苦笑する。他の面々も苦笑しながらレンの様子を眺めていた。―――一人を除いて。

 

「…………」

 

「ほ、ほらフィーちゃん。仲良くしましょう。ね?」

 

 エマにそう促されて、得物を収めるフィー。しかし嫉妬心までは消えていなかったようで、トコトコとレイの下まで駆け寄ると、彼のカッターシャツの裾を控えめに握った。

 

「? どうした、フィー」

 

「レイ、ちょっと耳貸して」

 

 徐に言われたその言葉に、レイは素直に身を屈ませてフィーと目線を合わせ、耳を貸す。

 するとフィーは、どこか躊躇うような仕草を見せながら、それでもほんのりと頬を赤らめて口を開いた。

 

「……妹は”一人だけ”じゃなくてもいいはず。私よりも先にレンに出会ったのは仕方ないから、せめて―――」

 

 と、そこまで言って再び一度口を閉ざす。そして数秒の間を生んでから、決して誰にも、目の前の”兄”以外には聞こえないような小さな声で呟くように言った。

 

「……私もいるってこと忘れないで。―――おにいちゃん」

 

 フィーの口から、その呼び方をされるのは三度目だった。一度目は出会って話をした時、二度目は以前フィーの願いで一緒に昼寝をした時の寝言で。

 そして今回。あまりにもインパクトが強すぎる妹分が来た事で不安に駆られでもしたのだろうかと思いながら、レイは癖のある銀色の髪の上に手を置き、優しく撫でた。

 

「変な心配してんじゃねぇよ。らしくねぇ。忘れるなんて有り得ねぇから安心しとけ」

 

 そう声を掛けると、フィーは照れ隠しの為か俯き、その状態で控えめに頷いた。そしてそのまま再びエマの方へと走って行ってしまう。

 こうまでしたから次はレンの番か? と当の本人の方を向いてみると、彼女はこちらの様子を見たままに特に動こうとはしなかった。

 まるで―――そう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、レンは《結社》時代にも良く見せた、自らの仕掛けた悪戯に見事に誰かが引っ掛かった時の表情を浮かべていた。狙いは大成功だと、そう言わんばかりに。

 

 だが、レイは何となく察してしまっていた。

 その表情にはどこか―――悲し気な色が含まれていた事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 その後はと言えば特に何か問題が起きたわけでもなかった。夕食時になればシャロンが腕によりをかけて作った料理が並び、それを一同はいつものように盛大に食べていく。そしてそれは、レンに関しても同じだった。

 

 元々彼女はレイやヨシュアと同じく、シャロンがラインフォルト家への異動が決まった時に修業していた料理の味見役を何度もしていた事もあり、その上達ぶりに本気で舌を巻いたようで、心の底から美味しそうに夕食を堪能していた。

 

「ん~♪ エステルのオムライスも美味しくて好きだけど、シャロンはやっぱりすごいわね」

 

「お口に合いましたようで光栄ですわ。なるべくレン様のお好みに合わせて調理いたしました」

 

「確かにお前、甘い感じの味付け好きだったもんな。―――明日は食後用にケーキでも作るか」

 

「本当⁉ それじゃあレンはあまーいクリームたっぷりのショートケーキが食べたいわ♪」

 

「おう。―――悪いけどシャロン、手伝ってくれ」

 

「承りましたわ。食材の用意はお任せくださいませ」

 

 そんな風に会話を弾ませる三人の事を、一同はどこか微笑ましい目で見ていた。未だ多少の警戒心は持っているユーシスも、わざわざその空気に水を差そうとするほど野暮ではない。

 そしてフィーも、先程言いたいことを言った為か、特に嫉妬の感情を向ける事もなく、食事に専念していた。言いたい事があるとするならばショートケーキの他にチョコレートケーキも作って欲しいという事だったが、レイはフィーの方に視線を向けてからグッと親指を立てた。どうやら、言わずとも察してくれたらしい。

 

 そういった感じで夕食も無事に終わり、他のⅦ組の面々は思い思いに食堂を出ていく。ここから先は入浴時間、就寝時間まで各人の自由行動になる。体に過負荷を掛けるトレーニング以外ならば何をするにも自由な時間だ。

 

「ねぇエマ。わたし、エマとお話ししたいわ。フィーも一緒にお話ししましょう?」

 

「ふふっ、私は全然かまいませんよ。フィーちゃんはどうしますか?」

 

「……行く。話したいことがあるのは私も同じだから」

 

 そう言って食堂を出て行った三人を見送りながらレイは目の前のマグカップに注がれていたミネラルウォーターを飲み干した。

 既に後片付けも手早く終わらせていたシャロンの後姿を見てから、据え置きの時計の方に目を向ける。

 時刻は午後の7時を回った頃。如何にまだ夏の季節感が残っていると言えど、外はもう十分に暗くなっている時間帯だ。

 

 レイは徐に席を立つと、窓の方へと向かって足を進め、そしてそのまま鍵を解くと開け放った。

 室内に飛び込んでくるのは数日前と比べても格段に涼しくなった夜風と、未だ開店時間中のトリスタの個人店から聞こえてくる声。―――そして、大切な女性が最近使い始めた控えめな香水の香りだ。

 

 

「いやまぁ、お前の気持ち分からんでもないよ。前にお前とレンが会った時は、状況とか時間とかその他諸々タイミング悪すぎたしなぁ」

 

「―――アタシの方は特に根に持ってるわけじゃないわよ。昔の事だし、あの時の自分が未熟者だって分かってたしね」

 

 傍から見れば独り言のようにも聞こえるレイの言葉に声を返したのは、寮の外壁に寄りかかったまま立っていたサラだった。

 レイは自分が使っていたのとは別のマグカップにミネラルウォーターを注ぎ、それを外にいたサラに渡す。彼女は「ありがと」と言いながら一口啜り、息を吐いた。

 

「話そうと思えば話せるし、別に怒る気なんてさらさらないわよ。あの状態で善と悪を決めたなら、間違いなく”悪”の方にいたのはアタシだったから」

 

「別に俺はそうは思っちゃいねぇし、アイツもそこは分かってると思うがな」

 

「まぁそれでも、アタシがそっちに行って微妙な雰囲気にさせるのもアレだったし、気を遣ったってコトにしておいて頂戴」

 

 サラ・バレスタインとレンの間には因縁がある。―――と言っても、直接刃を交えたわけではなく、サラがレンの悲惨な過去に関わっていたわけでもない。ただそれでも、”因縁”と言ってしまえば”因縁”だ。

 その関係で、雰囲気が嫌な方向に拗れる事を忌避したサラは、普段はしないような残業をしてまで帰寮の時間を遅らせ、時間を潰していたのである。

 

「それに、気にしてないとは言うけれど、それが本当だとは限らないじゃない。あの日からもう6年も経っているけど、あの子からしたらアタシは―――」

 

 

 

「ううん。別にレンは気にしてないわよ? あの時はあなたが()()()()レンたちの敵だったというだけ。それ以上でもそれ以下でもなかったし、その程度でいつまでも悩むほどレンは暇じゃあなかったもの」

 

 

 あっけらかんと、特に何も含むことのない言葉は、レイのすぐ横から聞こえて来た。目線だけをそちらに向けてみると、窓に寄りかかって星空を見ているレンの姿がそこにあった。

 

「お前、委員長とフィーに着いて行ったんじゃないのかよ」

 

「お花を摘みに行くって言って、ちょっと抜け出してきちゃった。だってそうでしょう? 折角エレボニアまで来たのだから、お兄様のお嫁さんとはできる限り話がしたいもの」

 

 そう言ってレンは、サラに視線を向けた。そこには確かに敵愾心など皆無であり、その琥珀色の瞳に移っていたのは”興味”の二文字だけ。

 

「初めまして、ではないけれど、こうしてちゃんとお話しするのは初めてね。サラ・バレスタインさん」

 

「……えぇ、そうね《殲滅天使》。―――いえ、今は普通にレンって呼んだ方が良いのかしら?」

 

「レンとしてはもう《結社》に戻るつもりなんてないから名前で呼んでほしいわ」

 

 この二人の出会いは、そのままレイとサラの出会いとイコールになる。

 

 

 遡る事6年前。七耀教会や遊撃士協会、各国の警察組織や軍が共同で行った《D∴G教団》一斉摘発事件の騒動に紛れるようにして、《結社》も数箇所の《ロッジ》を完膚なきまでに殲滅した。

 その一つが、カルバード共和国にあった《アバロアン=ロッジ》。規模としてはそこそこ大きかった場所であったが、それでも1時間と持たずにただの一人も残さず殺し尽くされた。

 

 後に《マーナガルム》と名を変える子飼いの猟兵団《強化猟兵 第307中隊》、《結社》使徒《第七柱》が麾下、《鉄機隊》。

 加え踏み込んで来たのは超常と呼んでも差し支えのない面々。《剣帝》レオンハルト、《狂血》エルギュラ、そして《殲滅天使》レンに《天剣》レイ・クレイドル。

 本来ならここに加わる筈だった《死拳》アスラ・クルーガー、《神弓》アルトスクが他の場所の制圧に向かっていた事を差し引いても、一国の軍隊をも相手取れる彼らは、一切の情け容赦なく殺戮を開始した。

 

 特に執念を見せたのはこの教団のせいで人生を狂わされた二人だ。遺棄された幼い子供の死体に心を痛めながら、施設内に放たれた魔獣を、研究員を、ただの一つの例外もなく殺していった。

 

 

 ―――死ね。

 

 ―――砕けろ、散れ、その醜い面を晒しながら逝け。

 

 ―――お前達に生きる資格などあるものか。

 

 ―――例えお前達が信仰する異教の魔神とやらがお前達を赦そうとも。

 

 ―――俺(私)達は、決してお前達を赦しはしない。

 

 

 そこに在ったのはただの憎悪。破壊の怨念に憑りつかれた存在が二つ。

 普段なら彼らのそうした行動を戒める《剣帝》も口を挟む事はなく、《狂血》は怨讐に囚われたその姿をも愛おしそうに眺めていた。

 そして《第307中隊》も《鉄機隊》も、そんな彼らの憎悪に引きずられたのか、徹底的に屍山血河を築き上げた。

 

 そんな中、その割を食った存在がいたとすれば、それは襲撃に備えて《教団》が雇い入れた猟兵団―――《北の猟兵》だろう。

 

 高ランクの猟兵団であるはずの彼らですらも、《結社》の精鋭の前には無惨に骸を晒す他はなかった。《執行者》二人の憎悪の対象ではなかったものの、その行動を阻害しようと阻むものならば例外なく”敵”である。

 そうして殲滅の憂き目にあった彼らの最後の生き残り―――サラ・バレスタインに関して、レンが感じた思いなどは()()()()()()()()

 

 ―――殺すべき対象。死ぬべき存在。特に恨みはないけれど、わたしとお兄様の行く手を阻んだ害悪ならば、やはり生かす事に価値など見出せない。

 

 それは、半ば反射的な行動だった。価値があるとも思えない命を作業的に刈り取ろうと鎌を振り上げた瞬間、それは敬愛する兄によって制止された。

 

 

「アレは、俺が相手をする」

 

 

 そう言ったレイの瞳からは、先程までは宿っていた純粋な憎悪の感情が消えていた。

 そこに在ったのはただ一人の”武人”としての姿。殺戮という作業の一過程ではなく、信念を以て剣を交えるに値すると、そう判断した上での事だったのだろう。

 

 ―――嫉妬心がなかったと言えば、嘘になる。

 ”武闘派”の《執行者》ではない自分ですら軽く縊り殺せるような存在に、兄は”相対するに値する”と判断したのだ。自分の目からしたらそれは、取るに足らない存在だったのにも関わらず。

 

 だがそんな彼女が後に猟兵団を抜け、史上最年少でA級遊撃士に登り詰めたと風の噂で耳にした時は少しばかり関心を持ったのも事実。

 彼に感化され、新しい人生を歩む―――それは紛れもなく、彼女自身が経験した事なのだから。

 

 だから、下らない因縁など引きずっていないし、そもそも持ってすらいない。レンとしてはただ純粋に、話してみたいだけだったのだ。

 兄に惚れた女性に、兄が惚れた女性に。

 

 

「でも残念。今夜は先約が入ってしまっているの」

 

 またの機会で良いかしら? という問いに、サラはただ頷いた。

 そのやり取りを以て再び食堂から去って行った少女の姿を見ながら、サラはマグカップの中身を飲み干した。

 

「本当に気分屋ね、アンタの妹分は」

 

「違いない。だけどそれがアイツの本性で―――他者に甘えられる手段なんだ。許してやってくれ」

 

 そう言ったレイの表情は、どこか悲しそうに揺らいでいた。それに対しサラは、一つ息を吐く。

 

「そこまで狭量な器じゃないつもりよ。アタシは」

 

「そうだな。お前はそうだろうよ。―――で、だ。そんな狭量の器じゃない教官としてのお前に頼みたい事があるんだが」

 

「……嫌な予感がするわね」

 

「別に大したことじゃねぇよ。ただ明日―――」

 

 

 仔猫に追われ、追いかける日常は、まだ終わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうも皆さまお久し振りです。実に12日ぶりの投稿でしょうか。GW明けまで就活は一先ずストップという事で書き上げてみました。
 ……え? 活動報告にイラストの山を積んでおいて何が忙しかったと? し、仕方ないじゃないか‼ 描きたくなっちゃったんだもの‼

 まぁそれとは何の関係もないのですが、昨日は久しぶりの完全休日だったので前に買って一度クリアした『バイオハザード5』やってました。やっぱプラーガはキモい。害悪。
 でもやっぱりウェスカーさんカッコ良い。ボスの強さとしては怖すぎるけど。絶対あなた人間止めてない方が強いですって。これで厨二発言がなかったらなぁ。
 ……というか筆者、クリスではなくてレオン派なんですよね。いや、だってカッコいいじゃないですかレオン。


 ―――とまぁ後書きはこのくらいにして、レンちゃんの出番はまだ続きそうです。書ききれないね、コリャ。
 それではまた。


PS:FGOイベが前回の空の境界イベよりもメンド臭くなっているように感じるのは私だけでしょうか? あとケイネスさんのビジュアルに悪意があるように見える(笑)


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小悪魔仔猫の悪戯事情 Ⅲ




※前回までのあらすじ

①みんな大好き悪戯好きの仔猫襲来
②正妹戦争勃発
③お兄様の胃がヤバい
④大体みんな掌の上で踊らされる
⑤仔猫ちゃんの活躍はまだ続くんじゃよ






 

 

 

 

 

 

「えー、今日のお日柄は……あんまり良くないわねコレ。ひと雨降ると仕事終わりに一杯やりに行くのが面倒くさくなるから困るわぁ」

 

 

「雨だろうと何だろうと仕事終わったら普通に飲みに行くに一票」

 

「仕事終わりに雨が降ってたらどうしたもんかと校門近くで数分悩んだ挙句にやっぱり大人しく寮に戻ってくるに一票」

 

「そもそも今日飲みに行くつもりなんか毛頭ないに一票」

 

「そんなこと考えてる暇があったらさっさと授業進めろと3秒後にレイに怒られるに一票」

 

 

「おう、正解だリィン。とっとと授業進めろやこの不良教師。因みに今日の夕飯は豪勢に行くつもりだからとっとと帰って来い。シャロンがご機嫌な様子でアノール産の上物ワインを仕入れてたぞ」

 

「あらホント? それじゃあさっさと仕事終わらせて帰ろうかしら」

 

 

 実技教練前のこうしたやり取りも既に見慣れたものであり、今では緊張を解すための一環として行われている節すらある。しかし普段ならサラの言葉に同調するかのような従者の神獣は、今はいない。

 

 入院中のクレアに”要らん事”を吹き込んだシオンに対しては、罰としての禁酒を取りやめる代わりに所用でリベールに向かわせているため、今この場にはいない。―――そしてこれからも、彼女には国外に”お使い”に行ってもらう事が多くなるだろう。

 意志を持った式神。―――つまるところ”一等級式神”を複数体操るには、レイの保有呪力が足りないのだ。しかしそれも仕方がない事。どれ程有能な呪術師とて、神獣を従える事など原理上不可能なのだから。

 そういう意味では、三等級から一等級まで、あらゆる種類の式神を縦横無尽に操ってみせる知己の式神使い―――《マーナガルム》諜報部隊《月影》隊長、ツバキの方が余程術者としては優秀だ。

 

 

 そんなこんなで、今日も今日とて表面上は何も変わらない実技教練が始まろうとしていた。

 いつも通り、今日は何をするのかという興味半分、疑惑半分の視線がサラとレイに向けられる。シオンが留守にしている事そのものは既に周知である為、少なくとも『固定砲台攻略戦 ~いや、マジで油断してたら死ぬよ? Ver.~』はない。 これは色々な意味でⅦ組一同にトラウマを植え付けた恐怖の教練だが、別バージョンの『レイ・クレイドル プレゼンツ:格上との対人戦の常識 ~相手によっては”数の暴力”なんてしっぺよりも軽い(上級者編)~』も充分に彼らにトラウマを刻み込んでいる。練度に応じてバージョンが巧みに上がっていくのだから性質が悪い。

 

 ―――さぁ、今日は何だ?

 

 ―――夜ご飯は美味しく食べたいからなるべく内臓系に衝撃が来る教練は勘弁してほしいわね……。

 

 そんな心の声が透けて見えるようだ。

 

 

「今日は全員が教練をするわけじゃないわ。メンバーは……そうね。ミリアム、フィー、ユーシス、クロウ、マキアス、エリオット。この6人で行くわよ」

 

 そのメンバーが何を示すのか、それは全員が瞬時に理解していた。

 前回の特別実習。その実習でジュライ特区に赴いたメンバー……もう少し掻い摘んで簡潔に説明しようとするならば、()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

「お前らもガレリア要塞の一件で気付いただろう? レグラムに行ったメンバーが、自分達よりも一回り以上強くなって強くなっていた事を」

 

 リィン、ガイウス、ラウラ、エマ、アリサ。この5人がレグラムで何を体験したか、その一部始終は既に知れ渡っている。

 ローエングリン城での《鉄機隊》の面々との死闘。―――これを聞いた時、レイですら、否、レイだからこそ耳を疑った。そして思わず恨み辛み事を虚空に吐き出したくなる感覚に襲われたものだった。

 

 百歩譲って、《剛毅》アイネス、《魔弓》エンネア、《神速》デュバリィと相対した4人は良いとしよう。あの3人はあれで手加減はできる。元は弱者から這い上がった経験を今でも覚えているのだから、最悪の事態を招かない程度の力加減はお手の物の筈だ。

 しかし《鋼の聖女》アリアンロードはそうはいかない。あの人は完全に”手加減”という意味の言葉を既に忘却の彼方に放ってしまっている節がある。

 いや、語弊がないように言えば言葉自体は忘れていないだろう。だがあの人が思う”手加減”と常人が思う”手加減”はあまりにも乖離しすぎていて成立しないのだ。それはレイの師、カグヤにも言える事ではあるのだが。

 思い出すのも恐ろしい。レイが《鉄機隊予備役》として編入した際に、幾度かアリアンロードと戯れ程度の手合わせをした事があったが、()()()()()()()()()()()()()。これは、現在《鉄機隊》に所属している全ての隊員が一度は通る通過儀礼のようなものである。

 

 そんな”儀礼”を経て、見た目には浅い外傷だけで潜り抜けたというリィンの火事場根性の強さを、レイは珍しく手放しで褒めた。恐らくは相対した時点で戦意の大半は根こそぎ持って行かれただろうに、その状況でよく立ち向かえたものだ、と。

 

 

「どいつもこいつも強いよ、鉄機隊(アイツら)は。特にラウラ、ガイウス、アリサ、委員長、お前らが関わった幹部クラスの”戦乙女(ヴァルキュリア)”と呼ばれている連中は、全員が”達人級”の武人だ。《執行者》と比べても遜色がない」

 

 本来ならこういった情報は《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》の対象内なのだろうが、既にその辺りの情報は彼らは知ってしまている。故に、レイの右首筋に嫌な熱が奔る事もない。

 

「レグラムに行ったメンバーは理不尽だったとは思うが知っただろう? あれが本当の”戦闘者”だよ。例えば250年前の《獅子戦役》の時なんかは、帝国中にああいう連中が多く居た筈だ。資本主義や合理主義が蔓延る現代で、そういう奴らと出会えた事は奇跡みたいなもんだ」

 

 その言葉に、異を唱えるメンバーはいなかった。

 リィン達は、あの時、あの城で起こった出来事を生涯通じて忘れる事はないだろう。あの戦いは、あの敗北は、彼らの価値観を大いに成長させたのだから。

 そして恐らく、あちらの狙いも”それ”だったに違いない。飛び入りの家庭教師にしては、些か以上に荒っぽい手段だとは思うが。

 

「皮肉な事だがな、俺はあの夜それを確認したよ。ガイウスが発動させた技、ありゃあアイネスの得意技の『剄鎧』だな? アリサの弓術、委員長のアーツの練度も目に見えるくらい上がってたし、ラウラの剣は”俺に当たった”。リィンは言わずもがな、その目、掃いて捨てるほどいるそんじょそこらの武人がして良い目じゃなかったぜ」

 

 無論、褒めている。心の底から。

 

 だからこそ、レグラムに赴いていなかったメンバーにも、同じ場所に至って欲しいと思う。勿論、本人たちが望まない場合は強制などするつもりは毛頭ないが、先程呼ばれた6名は、いずれもが良い表情を浮かべていた。察する事など、実に容易い。

 とはいえ、実力ではなく精神力の方を引き上げるのはそう容易い事ではない。今まで出会った事もない新たな価値観、概念―――そういったモノに出会い、打ちのめされるか、打ち破らなくてはならないのだから。

 

 だから―――()()()()()

 

 

「はい、じゃあ今呼ばれた6人は前へ出なさい。その状態で少し待―――」

 

「ううん、その必要はないわ。サラ」

 

 ひょっこりと、それこそまるでじゃれつく仔猫のようにサラのすぐ真後ろ、影になっている場所から出て来たのは悪戯好きの紫髪の少女。

 こんな見通しの良い場所で、それも昼間だというのに彼女の存在にレイを除いたⅦ組全員が気付けなかった。レンはいつものようにクスクスと笑みを漏らしながら、まるで舞踏会の主役のように前に躍り出た。

 

「お兄様に頼まれるなんて珍しい事だもの。今のレンはとってもとっても気分が良いわ♪ だから―――ごめんなさい、先に謝っておくわね」

 

 すると、彼女は何もないはずの虚空に手を伸ばす。ピシリという何かに罅が入るような音がした後に、その小さい手には身の丈以上もある豪壮な鎌の柄が握られていた。

 風を切る音と共に軽く振り回される鎌。それだけで理解しうるには充分だった。―――この少女は、強い。

 

 

「手加減、できないかもしれないから」

 

 

 油断をしていたわけではなかった。ただし、一瞬だけ思考にラグができてしまったのもまた事実。

 この少女を6()()()()()()()()()()()()()という、至極まっとうな忌避感と逡巡。しかしそれこそが、この場においては死への黄泉路の第一歩だった。

 

 

「『ブラッドサークル』」

 

 

 気付けば、駆け抜けられていた。

 その速さを目で追えたのは果たしてどれくらいいただろうか。死の香りを纏った一陣の円風が、6人を巻き込むようにして吹き荒れる。

 

「う……ぐ……」

 

「そ、そんな……」

 

「ちょっと、油断しちゃったかなぁ……」

 

「おいおい……マジかよ」

 

 膝をついたのはマキアス、エリオット、ミリアム、クロウの4人。

 『ブラッドサークル』―――命の力を奪い去る技から辛うじて逃れ出でたのは、最初から油断など欠片もしていなかったユーシスとフィーの二人だけ。

 

 その二人―――とりわけユーシスは、いつも以上の渋面が崩れない。

 

「(ッ……何たるザマだ)」

 

 それは早々に膝をついた仲間たちに対してではなく、他ならない自分に対しての怒りだった。

 いつもの実技教練であれば、それぞれ違ってはいたが教練開始の合図があった。全員が覚悟と足並みを揃え、一斉に行動するのが常だった。

 だからこそ、忘れかけていた。合図で始まる実戦など、そちらの方が珍しい事を。纏め役の一人を担うユーシスは、レンが姿を現した時点で警戒を促すべきだったのだ。

 

 無様だった。これが教練でなければ仲間の半数以上を行動不能にしてしまった時点で即座に撤退を考えるべきだろう。回復と補助アーツに秀でたエリオットが動けないこの状況では、体勢を立て直すのは本当ならば難しい。

 しかし、今は違う。この程度の窮地程度を何とかできなければ、今後理不尽なまでの強敵と出会ってしまった場合、対処できなくなってしまう。

 そう。これは、予行演習だ。

 

「フィー‼」

 

 短い言葉を発するのと同時にユーシスが後ろに下がると、応じるようにフィーが前衛に躍り出た。

 交錯する鎌の刃と双銃剣の刃。火花を散らして一瞬戦況が膠着した隙に、ユーシスは回復アーツ『アセラス』の詠唱を始める。

 

「あら、させてあげないわよ?」

 

「邪魔はさせない」

 

 互いに弾いて距離を取り、フィーは二丁の中から導力弾の弾幕を撒き散らす。

 しかし、高速で放たれたはずのそれは巧みな鎌の制動によって悉くが弾き返され、再装填(リロード)を行っている僅かな隙を狙われて鎌を投擲される。

 それはさながらブーメランの如き軌道で―――しかし残像が映るほどの高速でユーシスの詠唱を阻止しにかかる。

 まさに、意識の隙を縫われたという表現が正しいだろう。そのまま何も遮るものがなければ、数秒も経たないうちにユーシスを直撃する―――筈だった。

 

「させっ、かよっ‼」

 

 突如として放たれた横合いからの銃撃。それは鎌の刃の部分に見事当たり、軌道が逸れてユーシスの頬をほんの微かに掠めただけにとどまった。

 そして、その程度では彼はARCUS(アークス)の駆動を止めはしない。

 

「あら、動けたのねバンダナのお兄さん」

 

「……ま、年の功ってやつ、さ」

 

 他の3人と同じく鎌に纏われた魔力に生命力を奪われていたクロウだったが、震え続ける手で放たれた弾丸は見事な援護となってユーシスを救った。

 直後に再び襲ったフィーの猛攻を躱しながら弧円を描いて戻ってきた鎌を手に取る頃には、既にユーシスのアーツの詠唱は終わっていた。

 

「エリオット‼」

 

「ごめん‼ 後は任せて‼」

 

 生命力が回復し、立ち上がったと同時にエリオットはアーツの詠唱を始める。それを見届けたユーシスは、フィーに加勢して二人がかりでレンの行動を阻害しに回る。

 

「―――へぇ」

 

 感心したような声と共に、レンが可愛らしく舌なめずりをする。

 実際、最初の一撃でフィー以外は全て落とせると思っていた彼女にとってみれば、これは意外な結果だ。これで恐らく戦況は振りだしに戻る。彼らの力が上方修正した通りのものならば、先程の不意打ちじみた方法は使えまい。

 

「面白いわ♪ お兄様が言っていた通り♪」

 

 そうだ。この程度で全滅してしまっては面白くない。

 折角催しは始まったばかり。未だ余興も始まっていないのだから。

 

 

「それじゃあ、お茶会を始めましょう」

 

 

 どこか蠱惑さをも滲ませた声で、レンはそう宣誓した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 レイにしてみれば、それは()()()()()()の展開だった。

 

 今回彼は、教練の一切の進行をレンに任せていた。だからこそ、初手にいきなり”初見殺し”の戦技(クラフト)を使用した事についても何も思わなかったし、生き残るのがユーシスとフィーだというところまでも容易に予想がついていた。

 あれでもレンは、《執行者》の中では”武闘派”の一員とは数えられていなかった。如何に彼女が”天才”であるとはいえ、一芸をヒトの臨界近くまで極めた”達人級”の強さには一歩劣るし、精神的な面で鑑みれば尚更だ。

 

 とはいえ、彼女は強い。それこそ、今のⅦ組の面々が生半可な覚悟で挑んでも絶対に勝てないだろうと断言できるくらいには。

 

 

「……強いな。それに、速い」

 

「うむ。あれだけの細腕に大鎌を自由自在に振るう筋力があるとも思えん。―――恐らくは氣の使い方を完全に近い形で心得ているのだろうな」

 

 ガイウスの漏らした言葉に応えたラウラの見解は当たっている。とはいえ、百点満点というわけではないのだが。

 ”完全に近い形”ではない。”完全に”心得ているのだ。しかしながら彼女がそれを十二分に活用しきるには、まだまだ経験が足りないというのが事実。それすら修めてしまえば、彼女は”達人級”の武人にも比するだろう。

 

 

 『与えられた状況に対応し、自らが望む環境を作り上げる』―――それが彼女の才能である。

 

 故にこそ彼女は、望むものであればどんな術も取り込んでみせる。ヨシュアからは隠形の術を、レーヴェからは総合的な戦闘術を、アルトスクからは観察眼と戦術眼を、ルシオラからは幻術を、ヴァルターとアスラからは氣の扱い方を、その他《鉄機隊》や《侍従隊(ヴェヒタランデ)》の面々からすらもありとあらゆる術を習い取り込み、自身のモノとしていた。

 そして、そんな中で彼女と最も長く居たレイが教えた事は―――。

 

 

「な、なぁレイ」

 

「うん?」

 

「レンの、その、あの”動き”って……」

 

「あぁ、やっぱ気付いたか」

 

 やはりと言うか何と言うか、最初に”それ”に感づいたのはリィンだった。他の面々も、リィンの言葉が後押しとなったのか、続々と気付いたような表情を浮かべていく。

 

 そう。レイ・クレイドルがレンに教えたのは、”体捌き”と”攻撃の()なし方”の二点のみ。凡そ戦う上で基礎の基礎とも言える項目だった。

 無論、不満は幾度となく言われた。剣術を教えて頂戴と駄々をこねられた回数など既に覚えてすらいない。

 レイとしても最初の妹分であった彼女に対しては多分に甘い面を見せていた事が多くあったが、しかしこの件だけは頑なに意志を曲げようとはしなかった。

 

 何故ならば、《八洲》の剣は純粋なる殺人剣。戦乱に生まれ、戦乱に磨かれ、人を活かす要素など微塵もなく、ただ人の命を無慈悲に奪うだけの剣を、彼が妹分に教えるつもりなど最初から全くなかったのだ。

 

 だが、敬愛していた兄に言われたからという事もあったのだろう。いつしか戦闘時における彼女の”巧さ”は”武闘派”の面々すらも称賛する程に磨き抜かれていた。

 それこそ、一対一という状況下で障害物がないという条件下であれば、幼いながらに実力はヨシュアを上回ると称されたほどだったのだから。

 

 

「レンへの攻撃は普通ならまず当たらない。このままやってたらジリ貧になって6人全員仕留められるだけだな」

 

「あれが、元《執行者》……」

 

 更に言うならば、ここに《パテル=マテル》が加わろうものならば事態はより悪くなる。

 本人は「可愛くない」と気に入ってはいなかったようだが、《殲滅天使》の名は伊達ではない。もし今、ユーシス達6人を『本気で殺す』意志が彼女にあったとしたら、初手の『ブラッドサークル』で全てが終わっていただろう。

 彼女の”お茶会”に招待されたという事―――それがどのような事なのか、その本質を知って生き残れた人間は少ない。

 

 

 昨夜、レイがサラに頼んだのは、学院関係者ではない人間であるレンを実技教練に参加させる許可を学院側に貰ってほしいというものだった。

 現在Ⅶ組では、先日の特別実習でレグラムに赴いたメンバーとジュライ特区に赴いたメンバーとの間に僅かながら実力の隔たりができてる。明確な実力の差という訳ではなく、単純に意識の問題だ。

 

 本気で死ぬかもしれない状況で、それでもなお活路を自力で見出して死地を潜り抜ける―――それを経験した人間は、須らく己の中の本質を掴む事ができる。

 それができるかできないか。逆境の中でこそ人の真価が問われるとはよく言うが、特に成長途中の人間はそれが如実に表れる。

 

 だからこそ、多少なりともユーシス達にもそれを体感してもらおうと思い、思いついたのがレンとの対決だったという訳である。

 

 無論、《結社》を抜けた彼女に無理強いをするつもりはさらさらなかった。昨夜レンにも話をして、戦う事に対して僅かでも躊躇いが見られたらまた別の手段を考えようと思い、駄目元で提案をしてみたところ、特に無理をしている様子は見せず、それどころか食い気味に了承して来たのだ。

 

『あら、心外ね。私がお兄様の頼みを断るわけないじゃない』

 

 彼女はまずそう言ってから、すこし遠い目をしてから「それに」と続けた。

 

『レンはまだ弱くなるわけにはいかないの。少なくとも、まだ』

 

 それが何を示しているのか、それが分かってしまうのが少しばかり複雑ではあった。

 色々と因縁はあるのだろうが、それでもクロスベル(あの場所)には見捨ててはいけないものを残してしまったのだろう。

 そしてその辺りは、もはやレイが関与できる領域ではない。彼女は恐らく自分の意志で守りたいものを守ろうと思った。そしてそれを後押ししたのは自分ではなく、彼女の”家族”たちだ。

 妹離れ、などという言葉に多少耳聡く反応してしまった感じは否めないが、ともあれレンはレンなりにまだ強さを手放すわけにはいかないという事だけは理解できた。

 

 実際、彼女の言葉通りなのだろう。

 現在、ユーシスのファインプレーでエリオットが戦線復帰し、『セラフィムリング』のアーツを発動させたおかげで全滅の憂き目は免れた。

 とはいえ、依然レンの優勢は揺らいでいない。体格の勝る6人もの士官学生が相手だというのに、彼女はそれをまるで意にも介さないかの如く動き回っている。

 

 クロウやマキアスが放つ銃弾は例え死角側から撃ったとしても見事に避けるか、鎌を回転させて弾いてしまう。ヒラヒラとした服の端にさえ、その攻撃は届いていない。

 剣での攻撃とアーツによる攻撃をバランスよく行っているユーシスも、完全に攻めあぐねているようだった。彼の場合、一撃で全滅させることも可能なレンの技にも注意を払わなければならないため、疲労の具合は他のメンバーよりも大きいだろう。

 エリオットは既に仲間への補助アーツでの支援に集中している。対魔力の高いレン相手では妨害系統のアーツはほぼ意味を為さない。

 一番苦戦しているのはミリアムだろうか。攻撃力の高さこそⅦ組の中でも上位に食い込むアガートラムを使役する彼女ではあるが、いかんせんスピードが足りない。生半可な攻撃速度でレンに向かっていっても、悠々と躱されてしまうのがオチだ。

 

 そんな中で唯一拮抗しているように見えるのがフィーである。速さだけで見るならば互角、銃撃と斬撃を巧みに切り替えて織り交ぜて攻め立てているようにも見える。

 

 が、その見解は間違いだ。速さだけならば互角だが、戦いの巧さはレンに軍配が上がる。

 それに加え、レンの強さは鎌による中距離戦の技量だけではない。

 

「うふふ。そぉれ」

 

「クッ、『クレセントミラー』ッ‼」

 

 攻撃の合間に放たれたのは火属性高位アーツ『メテオフォール』。高濃度の魔力で形成された火球が6人を目掛けて落下してくる。しかしそれを、魔力無効化のアーツを放ったマキアスによって止められた。

 すぐさま対応する事ができたのはシオンとの対戦の経験によるものだろう。彼女との戦いにおいては、サポート系アーツを得意とするエリオットとマキアスはとても重要な地位に置かれる。あの地獄の焰地獄を幾度も経験した身であれば、この程度の反射神経とアーツ発動の先読みはできる。

 しかし―――。

 

「あら、防がれちゃった。なら、これはどうかしら」

 

 さほど意外にも思っていなさそうな声色のままレンが指を弾くと、直後に直線的に魔力の暴風が駆け抜ける。

 風属性高位アーツ『ゲイルランサー』。僅かな時間差で放たれたそれを防ぐ術は流石になく、6人は回避に頼らざるを得なかった。

 それでも、全員がさしたるダメージも受けずに切り抜ける事ができたのは、鍛え上げられた反射神経の良さと躊躇いなく動く事のできる行動力の賜物だろう。

 

 しかし、問題はそこではない。レイのすぐ近くで、エマが息を呑む。

 

「高位アーツの『多重詠唱』に数秒ラグの『遅延詠唱(デイレイ・スペル)』……それに高速機動中の『思考分割』⁉」

 

「委員長もアリサも良く見ておけ。最終的に辿り着くべきはアレだ」

 

 異なるアーツの詠唱を同時に行う『多重詠唱』。詠唱と発動のタイミングをずらす『遅延詠唱(デイレイ・スペル)』。そして他の行動中にアーツの詠唱を行う『思考分割』。

 これらのスキルはそれぞれ難易度こそ高いものの、それぞれを習得するのは決して不可能な事ではない。それこそ、エマは既にこの全てのスキルを扱う事ができる。

 しかしながら、6人を相手取る高速機動戦闘中に前者の二つのスキルを併用して、ただでさえ発動までの駆動時間が長い高位アーツを事もなげに二つ連続に発動してみせた。

 それがどれほど高度な技術なのか、少なくとも此処に集まった人間の中でそれが理解できない者はいない。

 

 恐らく、保有魔力量だけで言うのならばエマの方が上だろう。

 しかしエマが二つのアーツを同時併用する『二重詠唱(デュアル・スペル)』までが限界なのに対し、レンは三つのアーツを同時併用する『三重詠唱(トリプル・スペル)』までの並列詠唱が可能な術者でもある。

 近接戦闘要員としても、後方支援要員としても、総合的にリィン達の先に居るのが、レンという存在なのだ。

 

「じゃあ、この戦いって……」

 

「いや、そうとは限らないわよ」

 

 アリサが思わず悲観的な言葉を漏らしそうになったところで、今まで傍観に徹していたサラが口を挟んだ。

 

「総合的に力で劣っているからって、それが敗因になるとは限らないわ。要は戦い方の問題よ。

 弱音を吐く前に頭を巡らせて打開策を考える。―――アンタたちもレグラムでそれをやったから生きて帰れたんでしょう?」

 

 そう言われ、一同がハッとなる。

 レグラムでは全員が絶対に一矢報いる事を念頭に入れて行動していた。だからこそ”達人級”や”絶人級”を相手にして五体満足で帰れたのだし、精神的にも成長できた。

 

 単純な精神論ではない。一人一人が逆境を潜り抜けて光明を見つけ出すという強い意志がなければ、勝利を掴み取る事などできやしないのだから。

 

「格上相手に出来レースなんて存在しない。お前らが俺やサラやシオンを相手にしてる時みたいに、自分たちの利点を最大限に生かしながら数パーセント以下ほどの勝率を手繰り寄せるのが本当の戦い方ってヤツだよ」

 

 とはいえ、本来であればそれは緊急時に陥った時に発揮される心構えだ。

 従来であれば格上を相手に勝率の低い戦闘を無駄に仕掛ける事自体が愚策と言える。勝ち目のない戦いは可能な限り避けるのが賢い戦い方といえるだろう。

 

 だがレイやサラは、基本”最悪の状況”を模した状態で実技教練を行っている。これは下手をすると負け癖がついてしまうというデメリットが存在するのだが、Ⅶ組のメンバーは揃いも揃って容赦なく叩きのめされた敗因を逐一話し合って、改善点を補うための努力を欠かさない。それだけでも、一種の才能と言えるだろう。

 

「最初から敗北を許容した戦い方はナンセンスだ。とはいえ、敗けなきゃ分からない事もある。―――勝てるようになるまで戦い続ければ、いつかは絶対()()()()()()。そうだろ? リィン」

 

「あぁ」

 

 勝つまで戦い続ける―――あの月下の大喧嘩の際にリィンは確かにそう宣言した。

 ならば、それの手助けをしてやる事こそが、今のレイに出来る唯一の恩返しであるとも言えた。

 

「その為には、今ユーシス達には勝ってもらわなきゃならんよな」

 

 極僅かな可能性を引き当てるのは運ではなく、戦い方にある。

 果たして今のユーシス達にそれだけの力量が備わっているのか。それを見極めるために、レイは再び戦いの場に視線を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 どこか既視感にも似た感情を、レンは抱いていた。

 

 

 敬愛する兄が鍛えているというこの士官学院の学生たち。その強さを多少見誤っていた事を反省し、戦力の上方修正を行った彼女にしてみれば、特段強い者達を相手にしているという感覚はなかった。

 しかしながら、手強い。個々人の力量こそは《結社》の《執行者》クラスとは比べるまでもないが、その無謬なまでの連携は、入学してからたった5ヶ月程度の学生が行うものではない。

 

 加えて言うならば、誰もかれもがしぶといのだ。攻撃を躱し、去なし、防げるものは全て防いで戦意の喪失を狙おうかとも一瞬思ったのだが、それを行うには時間が足りないと判断した。

 どれだけ鋭い技を見せても、どれだけ攻撃を防いでも、相対する6人の目からは一向に戦意が消えようとはしない。炯々と燃え続ける意志は、レンの記憶の中のとある戦いを思い起こさせた。

 

「(そう言えば、あの時も―――)」

 

 《リベル=アーク》の中枢塔(アクシスピラー)の一角で交わされた戦い。あの時レンは激しくエステルを拒絶したというのに、彼女は戦意を萎えさせるどころか逆に奮起してレンらの前に立ちふさがった。

 自分たちが敗けるとは微塵も思っておらず、ただ勝利を目指して突き進む。その激しい意志が、あの時レンを貫き、《パテル=マテル》をも退けた。

 あの敗北は、恐らく一生忘れる事はないだろう。

 

 そうだ。あの時の彼らの目に、酷似している。

 

 

「油断、タイテキ―――だよっ‼」

 

 僅かに生まれた隙をついて、ミリアムがアガートラムの一撃をお見舞いしてくる。周囲に弾幕がばら撒かれている状態での攻撃だ。躱す事は難しい。

 だが、レンは振り下ろされるアガートラムの白腕の側面を撫でるように鎌の刃を這わせ、それを去なしてみせる。

 

「あら、ごめんなさい。考え事をしていたわ」

 

 皮肉交じりにそう言ってみせたが、しかし眼前の少女が浮かべる笑みは消えていない。それに対してレンが違和感を覚えた時には、既に”仕掛け”は発動されていた。

 

「”囲め”」

 

 ユーシスの短い一言と共に、動いたのはクロウとマキアス。

 アガートラムの攻撃を去なした直後で一瞬だけ動きが止まっているレンの足元に、クロウが『フリーズバレッド』を撃ち込んで地面そのものをレンの足と一緒に凍結させる。

 それによって生み出せる硬直時間は、ユーシスの見立てでは1秒から2秒と言ったところ。逆に言えば、それだけあれば充分だった。

 

「『ラ・クレスト』‼」

 

 本来であれば地中から高密度の土壁を召喚して攻撃を防ぐ防御アーツを、今は対象を囲い込むための罠として起動させる。

 発動速度は元より、重視すべきは防御力の高さ。ここを調整できるかどうかで、今回の作戦が成功するかどうかが決まってくる。

 

 果たしてそれは一応成功したようで、一時的にではあるが、レンの動きを封じ込める事に成功した。

 

「プランを”IF(妨害)”から”AT(攻撃)”に変更。エリオット‼」

 

「任せて‼」

 

 そしてその一連の妨害工作が終了したタイミングを見計らって、エリオットが火属性補助アーツ『フォルテ』の効果を付与させる。対象は勿論―――。

 

「メガトン―――プレース‼」

 

 アーツによる膂力の向上がミリアムを通じて付与されたアガートラムが、渾身のパワーを込めた攻撃を叩き込む。

 そして叩き込まれる直前に、ドーム状に囲んだ『ラ・クレスト』の土壁に注ぎ込んでいた魔力をマキアスが解放し、強度が一気に下がったところで衝撃波が伴うレベルの攻撃が着弾する。

 

 轟音と共に、吹き荒れる暴風。

 レイを相手にしているときは同じ方法を取ったとしても、まるで何事もなかったかのように無傷のまま煙の中から出てきて絶望をお届けするだろうが、さてどれ程だとユーシスは煙の奥を目を凝らして睨んだ。

 

 

「―――もう、お洋服が破けちゃったじゃない」

 

 

 そこから出て来たのは、鎌を握っていた右腕の部分の洋服の袖が破け、全体的に僅かに汚れた様子のレンだった。外的の損傷は、それ以外一見ないように見える。

 恐らくは自信に防御用のアーツを重ね掛けして、その上で氣力を使ってアガートラムの攻撃を防いで見せたのだろうが、如何せん衝撃までは殺しきれなかったのだろう。

 

「酷いわお兄さん。お気に入りなのに、この服」

 

「そう言いつつ疲弊を見せないのは(レイ)に似ているな」

 

「あら、それはレンには褒め言葉よ♪」

 

 そう言いつつ、レンは腰だめに鎌を構え、一層笑みを強くする。

 その様子を見ながら、ユーシスは更に言葉を続けた。

 

 

「あぁ、本当に似ている。―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()な」

 

 

 直後、土煙を引き裂いて疾駆する銀色の影がレンを眼前に捉えた。その黄緑色の双眸は、獲物を視界に収めて最速での”狩り”に取り掛かる。

 

「『シルフィードダンス』」

 

 残影を残す斬線、閃光を齎す弾丸の嵐。

 フィー・クラウゼルという戦士の全てを注ぎ込んだ攻撃が、局地的な竜巻となってレンを襲う。

 そこに加減など一切なく、慢心も有りはしない。自分より強い存在だと分かっているからこそ、それに敬意を払い、しかし胸を借りずに全力で以て相対する。

 

 しかしフィーの攻撃は、幾百もの繚乱たる火花を生み散らしたものの、鮮血は一滴たりとも散らしはしなかった。

 レンの琥珀色の瞳はめまぐるしく動き回るフィーの動きを逐一目で捉え、それに対応して鎌を振るう。

 

「速い速い。凄い凄いわ♪ でも、まだまだレンには見えているわよ♪」

 

 その速さはまるで疾風の如きなれど、未だレイの領域には至っていない。レンにしてみれば、その事実だけで充分だった。

 兄よりも遅いモノを目で捉えられないワケにはいかない。そうした彼女の矜持が、今《西風の妖精(シルフィード)》の動きを以てしても彼女にかすり傷の一つも負わせられない。

 

 それがフィーにとっては悔しくて、更に速く、もっと速くと脚に力を込めて加速をしようと試みるが、その両足が悲鳴をあげる。だが―――

 

「負けない」

 

 理由はそれだけで充分だ。目の前のこの少女に劣っている部分しかないなどと、断じて思わせるわけにはいかない。

 限界を超えに掛かる意志。それを強く掲げた瞬間、一瞬だけだが、フィーは疾風から雷光になった。

 

「―――‼」

 

 突如として跳ね上がった速さに、流石のレンも対処が遅れた。雷光に至った刃が紫色の髪の一房を刈り取り、頬に微かな赤い線を刻む。

 刹那に駆け抜けたそれに、レンは無意識に鎌の柄を強く握り直した。

 

「見直したわ。銀の仔猫さん」

 

 その声色は、平時のからかうようなそれではなかった。

 目を見れば分かる。彼女の双眸は、一瞬ではあったが命を刈り取る天使のそれに代わっていた。

 それを理解した直後、限界を超えて酷使されたフィーの足は脳からの警戒信号を受けて本人の意思とは関係なく止まってしまう。即ちそれは、レンによる”お茶会”の締めの開始だった。

 

 

「『レ・ラナンデス』」

 

 

 吹き荒れたのは、先程の『ブラッドサークル』よりも尚濃い死の気配。

 彼女の必殺戦技(Sクラフト)たるこの技は、現在出し得るレンの身体能力の全てを以て繰り出される死の宣告。初手の不甲斐なさもあり最大限の警戒心を張っていた面々の意識を、今度は完全に刈り取りにかかる。

 

 まずフィー。最も接近していた彼女は、宣告とほぼ同時に地に膝が着いた。それより数瞬後、ミリアムの視界も暗転してしまう。

 マキアスとクロウはそこそこの距離を取っていたが、フィーとミリアムに異常が感じられた直後に放たれた銃弾も、今のレンにとってはそれが着弾するまでの時間が何倍にも引き伸ばされているように見える。躱された直後に間を吹き抜けた旋風は、無慈悲に宣告の履行を叩きつけた。

 そこより大きく半円を描くようにして、1秒と経たない内にエリオットの眼前にレンが現れる。元より、近接戦に持ち込まれた時点で彼の勝利は有り得ない。無論歯を食いしばった程度では防げるような代物ではなく、全く同じ末路を辿るハメになった。

 

「嘗めるな‼」

 

 そんな状況で声を荒げたのは唯一残ったユーシスだった。騎士剣の剣鋩で魔力を使って魔法陣を描くと、レンの周囲を半透明な結界が塞いでいく。

 『クリスタルセイバー』と銘打たれたその技は、剣技とアーツの両方に優れたユーシスの必殺戦技(Sクラフト)に相応しく、対象の隙を塞いで斬り伏せる技であった。

 剣に宿るは氷の魔力。しかし大抵の魔物であれば脱出はまず不可能な魔力の檻も、今のレンを押し留めるには力不足だった。

 しかし、渾身の一振りを振るう時間程度は稼げた。その剣の軌道に折り重なるようにして、鎌の刃も猛威を振るう。そしてその二つの攻撃が重なろうとしたその直前―――

 

 

 

 

 ―――キーンコーンカーンコーン

 

 

 

 

 授業終了のチャイムが、場違い気味に食い込んできた。

 その音に張りつめていた緊張感が剥がれ落ちてしまったのか、互いに振るう得物からは氷の魔力も死の魔力も搔き消えてしまい、結果は甲高い金属音を撒き散らすだけになってしまった。

 

 その後数秒は茫然とした様子のレンであったが、状況を把握するといつも通りの小悪魔な笑みに戻った。

 

「あら残念。お兄さんが残っちゃったからレンの敗けね」

 

「……馬鹿を言うな。()()()()()()()()()んだ、これを勝利と呼べるものか」

 

 レンは自身を敗北者と銘打ったが、当然それを認められるユーシスではない。5人もの仲間を犠牲にしておいてそれを勝利と図々しく掲げられるのであれば、今彼はここまで苦々しい表情を浮かべていないだろう。

 業腹ではあるが、これで証明されてしまったのだ。自分たちはまだ《執行者》級の者達と戦うには力不足であるという事。決死以上の意志を見せなければ、引き分けに持ち込む事すら危ういという事に。

 

「―――見直したわ。お兄さんたちの事。お兄様が頑張ってあげちゃうのも、分かる気がするわ」

 

「貴様らに届かなければ、俺たちは無様な姿を晒し続けるだけだ。貴様が見直す必要もない」

 

「意地悪ね。折角レンが珍しく手放しで褒めてあげたのに」

 

 敗北感は消え去らない。悔しさの念も心の奥底にへばりついて離れない。

 だが、己の至らなさは充分過ぎる程に理解できた。戦う者としても至らなければ、指揮官としても至らない。―――これでは、気に食わない仲間相手に悪態を吐く事もできやしない。

 改めて、レイやサラが相手では気付く事のなかった新たな視点からの改善点を見つける事ができた。それは紛れもなく収穫だったのだろう。だから―――。

 

 

「だが、礼は言っておく。これで俺たちはまた、高い場所へと昇っていける」

 

「ううふ、どういたしまして」

 

 

 ただその言葉だけは言っておかなければ、彼の矜持が許しはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







皆様大変お待たせいたしました。天の軌跡の最新投稿でございます。
最近Fate/GrandOrderの小説の方に熱を挙げておりましたが、漸く投稿する事ができました。就活キチィ;つД`)

レンちゃんの開幕即死技のトラウマは軌跡ユーザーの方ならば一度は経験した事があられるのではないでしょうか。あぁ、怖い怖い。

あと一回だけレンちゃんの話は続きます。―――って次100話目じゃないですか‼ 遠いところまで来たモノですなぁ。

それではまた次回‼


PS:今季アニメの『あんハピ♪』に登場するキャラの一人である江古田蓮ちゃんが、成長したフィーにしか見えて来なくて草


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小悪魔仔猫の悪戯事情 Ⅳ





※前回までのあらすじ

①みんな大好き悪戯好きの仔猫襲来
②正妹戦争勃発
③お兄様の胃がヤバい
④大体みんな掌の上で踊らされる
⑤レンの強さは軌跡シリーズユーザーのトラウマその①
⑥ユーシスさんマジ主人公

※【悲報】今回で「小悪魔仔猫シリーズ」は終わりです。





 

 

 

 

 

 

「本当に、ありがとうございました。あそこで貴方がいてくれなかったらと思うと……いえ、考えたくもありませんわ」

 

「いえいえ別に。自分は通りがかっただけですし、年頃の男の子が興味本位で歩き回ってしまうのは仕方のない事ですよ」

 

 

 それは凡そ3年前。レイが準遊撃士1級の資格を獲得して、拠点をリベールからクロスベルへと移してからそう時間が経っていなかった頃の話。

 当時のクロスベル支部は現在以上に人手が少なく、準遊撃士だろうとなんだろうと実力があるなら肩書などどうでも良いと言わんばかりの場所であり、着任初日から北へ南へ、東へ西へと東奔西走させられていたが、数ヶ月もすれば流石にその喧騒にも慣れてきてしまう。

 

 その日も変わらず古戦場付近の街道に出没したという魔獣の群れを瞬殺し、帰り道も景気よく魔獣をオーバーキルしていた時の事だった。

 年の頃は恐らく2歳か3歳といったところの幼児が、恐らくまだ覚えたばかりの危なっかしい歩き方で市内近くの灯台の草むらに咲いていた花の中で遊んでいたのを見かけたのである。

 迷子になった―――というには些か陽気な雰囲気を隠そうともしていなかったが、それでも魔獣がいるかもしれない場所に一人でいて良い歳の頃ではない。ひとまず声を掛けようかと足を止めた瞬間、灯台の影に潜んでいた中型の魔獣が、その男児に向かって襲い掛かった。

 

 が、しかし。たかだか中型の魔物が、それも単体で現れたところでレイの敵ではない。その2秒後には神速で振り抜かれた白刃によって首が断ち切られ、男児に気付かれる事すらなく絶命する。

 

「コリン‼」

 

 すると、市内の方からやって来た車の中から、随分と焦燥した様子の夫妻と思われる男性と女性が男児の下へと駆け寄ったのだ。

 成程、親子かと察するのは普通であったし、この夫妻が意図的にこの男児を放置したのではないという事もその様子を見て理解できた。きっとこの子は、好奇心の赴くままに市外に出て行ってしまったのだろう。中々将来大物になりそうな雰囲気を感じなくもなかった。

 

 ともあれ、両親が迎えに来たのならばもう心配する事はないだろうと支部に戻ろうとしたのだが、息子を助けてくれたお礼がしたいと言う夫妻の言葉を断る事ができず、あれよあれよという間に住宅街にある家でもてなしを受ける事になってしまったのである。

 

 

「改めて、息子を救っていただき、ありがとうございました。この御恩は忘れません」

 

「ご丁寧にどうもありがとうございます。とはいえ自分は駆け出し程度の遊撃士なものですから、そこまで大層な事を仰らなくてもいいですよ」

 

「あぁ、クロスベル支部の方だったのですか。随分とお若いように見えますが……いえ、感服いたしました」

 

 随分と好待遇でもてなしてくれるものだと思いながら、レイは目の前の人物をさりげなく観察していた。

 見たところ資金を持っているだけの富豪という訳でもない。言動と雰囲気から鑑みるに、恐らくは商人。それもリスクが大きめの外資系を相手にしている人物だろう。そこそこの修羅場を潜り抜けていると見ていた。

 

 しかし、と思う。

 どこか面影があるというか、誰かに似ていると一瞬で看破したのは、恐らく彼が鋭かったというだけの事ではないのだろう。

 

「えぇ。レイ・クレイドルといいます。数ヶ月前にリベールの支部からこのクロスベルに移って来たばかりで」

 

「あぁこれは。こちらも名乗りもせずに申し訳ありませんでした。私はハロルド・ヘイワース。貿易商を営んでおります。こっちは妻のソフィアです」

 

「宜しくお願い致しますわ」

 

 その時点で、レイは数秒前に自分が抱いた既視感は理解できてしまった。

 瞬間的に自分の心の中に渦巻いた複雑すぎる感情を呑み込む。他方の事情も知らない間に一方的に悪と決めつけるのは浅薄な行為だ。出来得る限りするべきではない。

 

「こちらこそ。―――しかし息子さんは元気いっぱいな子のようですね。あのくらいの歳の頃の子が街道に一人でいる姿を見て、一瞬目を疑いましたよ」

 

「えぇ……元気に育ってくれたのは私どもとしても喜ばしい事なのですが、親としては少しヒヤリとさせられる場面が結構ありましてね。恥ずかしながら子育てとは難しいものだと日々痛感している有様ですよ」

 

「大切にされているんですね。息子さんの事を」

 

 気付けば、随分と深まったところまで訊いていた。世間話に見せかけてはいるが、平時のレイであれば自分とは関係ない依頼人に対してここまで踏み込む事はあまりない。依頼に関係ない事であるならば、尚更だ。

 だが彼には訊く権利があった。訊かなければならなかった。何故貴方たちは―――娘を手放したのか、と。

 

「息子は……コリンは私たち夫妻に残された唯一の宝物なのです。今はもうこの世にいない、娘が遺してくれた大切な」

 

「……申し訳ないです。込み入った事情をお聞きしてしまって」

 

「いえ。気になさらないでください。―――貴方は不思議な人だ。私たちはあの子の事をあまり他の方に話さないようにと思ってはいるのですが、何故か貴方には口が軽くなってしまう」

 

「無理はなさらないでください。自分のような一介の遊撃士に対して、そこまでお伝えする義理もないのですから」

 

 これもある意味、本音と言えば本音ではあった。

 改めて冷静に考えてみれば、このハロルドという人物、貿易商の仕事人としての顔はどうだか知らないが、少なくとも家族に対して向ける慈愛の念は本物だろう。

 偽っているような感じは見受けられない。もし本当にこの夫妻が子供に対して誠実であり、愛を注ぎ続けていたのならば―――彼女を見捨てるなどという事は有り得ない筈だ。

 とはいえ、無理をしてまでこの場でそれを聞き出そうとは思わない。家族を失う悲しみを感じているのならば、それは他人が無理矢理に掘り返していいものではないのだから。

 

 だから、レイは差し出された紅茶を飲み干してから席を立った。

 

「……自分にも家族がいませんから、家族を失う苦しみは少しは理解できるつもりです。だからこそ貴方方は、ここで自分なんかにその子の事を話すべきではありませんよ」

 

「…………」

 

「お世話になりました。何かお困りごとがありましたら、いつでも遠慮なく支部を尋ねて下さい。自分の体が空いていれば、手助けができるかもしれませんから」

 

 レイは、敢えてそれを訊かなかった。それが彼の選択だった。

 これは、自分が精査すべき事ではない。いつの日か彼女が彼らの口から真相を聞き、その上でどう思うかというだけの事だ。兄貴分であるというだけの自分が、深入りしてよい事案ではない。

 

 ―――しかし、何となく理解はできた。

 彼らは望んで彼女を手離したわけではない。そしてああした結末になってしまった事を、心の底から後悔している。

 それだけで充分ではあった。少なくとも彼が声を荒げて外道だ何だと罵るような人物ではないのだと分かれば、責め立てる理由などどこにもない。

 

 死者を鎮魂できるのは生者の特権。……だが、その死者が必ずしも墓の下に埋まっているとは限らない。

 いつの日かこの家族が再び出会えるような日が来るのだろうかと、そう取り留めのない事を、レイは思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、美味しかった♪ お兄様の料理を食べるのも久しぶりだったけど、やっぱり美味しかったわ♪ サイコーね‼」

 

「そりゃどうも。つっても大衆料理の域を出ないモンだがな。見栄えの良い料理を作るならシャロンの方が上手いだろうが」

 

「ううん。レンはお兄様の作った料理が一番安心するもの」

 

 

 教練で大立ち回りを見せたその夜、レンは第三学生寮のレイの部屋を訪れ、窓の外から聞こえる雨の音を聞きながらベッドの上に腰掛けて、宙に浮いた足をパタパタと動かしながらレイとの会話に興じていた。

 つい先程、シャロンとレイが合同で作った豪勢な夕食を賑やかな環境の中で堪能したばかりであり、心なしかその肌もいつもよりかツヤツヤしているように見える。

 

 因みに、つい数時間前に沈められた面々も何事もなかったかのように復活して普通に夕食にありついていた。この程度で肉体に不調をきたすような柔な鍛え方はされていない。

 幸運だった事と言えば、前日まではお世辞にも良好な視線を向けているとは言い難かったフィーが、それなりにレンと話すようになったという事だ。

 まだまだ会話の端々に棘がある感じは否めないが、あのフィーが年相応の反応をしているのを見ていると、兄貴分としては中々嬉しいものがあったのもまた事実だった。

 

「あら、いけないお兄様。今フィーの事を考えていたでしょう?」

 

「鋭いな。ルシオラ姐さん辺りに男の心を覗く方法でも教わったか?」

 

「教わらなくてもそれくらいは分かるわ。だってお兄様の事だもの」

 

 あぁそうかい、と言葉を返してから、レイは解き終えた課題から視線をずらしてレンの方を見る。

 

 良い表情をするようになったと、改めてそう思わずにはいられなかった。

 レイが《結社》に居た頃からこうした悪戯っぽい笑顔は常に浮かべていたが、それはどこか、自分という存在を繋ぎ止めるためのものであるという印象が強かった。

 彼女は極論、やろうと思えば何でもできる天才だった。その才覚を褒めたたえる事は即ち、彼女がこうなってしまった起源を掘り漁る事になってしまうため、大っぴらに褒める事は少なかったが、それでも自分の前では衒いのない笑みを浮かべてくれる事については嬉しかったし、何より守ってあげようという想いが強かったのも確かだ。

 

 しかし今、彼女は自然に笑って、自然に周囲を受け入れている。《結社》時代にレイが”そう在って欲しい”と願った彼女の姿が、そこにあったのだ。

 

 敵わないなと思いつつ、レイは僅かに自虐的な笑みを浮かべた。

 それと同時に、自然と口が開いてとある言葉を掛けていた。

 

 

「レン。お前は今、幸せか?」

 

 

 それは何てことはない言葉で、それでいていやに抽象的な言葉だった。

 思えばあの時、《結社》を去る時にレンを置いて行ってしまった時から、見えない罪悪感をずっと背負い続けていたのだろう。

 自分が命を拾って、生きる事の大切さを偉そうに説いたにも関わらず、やむを得ない状況であったとはいえ、逃げるようにしてあの組織を抜け出した。彼女の事はヨルグとレーヴェに託しはしたが、それでも不安感は拭いきれなかったのだ。

 

 善も悪もない道を、彼女はただひたすらに歩いてきた。歩かざるを得なかった。

 そんな穴倉のような場所から引き上げる事が終ぞ敵わなかった自分が”兄”と呼ばれて慕われる資格などないのではないかと思った事は幾度もあった。

 しかしレンは、一瞬だけ逡巡するような素振りを見せてから、やはり屈託のない笑顔を見せて言った。

 

「―――えぇ。レンは幸せよ。《パテル=マテル》がいて、レンとヨシュアがいて、そして何よりお兄様もいてくれる。これ以上の幸せはどこにもないもの」

 

 一瞬、彼女が言い澱んだのをレイは聞き逃さなかった。

 その言葉自体は本物なのだろう。今まで共に過ごしてきたパテル=マテル(パパとママ)が、エステルとヨシュアが、そしてレイがいてくれるこの状況が、彼女にとっては最も幸せな世界なのだろうから。

 ……だが、その世界には本来いなければならない者達がいない。それは当然、彼女も分かっているはずなのだ。

 

 レイは椅子から立つと、レンの隣に腰掛ける。そうして十数秒ほど間を置いてから、レンとは視線を合わせない状態で再び口を開く。

 

 

「……()()()()()() お前」

 

 少しばかり、脅えるような感情が隣から漏れ出て来た。聡明な彼女は、その言葉が何を意味しているのかくらいは即座に分かったのだろう。

 そしてその反応を見た時点で、その問いの答えは直に聞いたようなものだった。

 

「どうやって?」

 

「……直接会ったわけじゃないわ。ロイドたちに協力してもらって、聞いたの」

 

 また礼を言わなければいけない事が増えたなと内心で僅かに苦笑をしたが、レイはそれに対して表面上は何も言わなかったし、特別な反応もしなかった。

 厳しいし、無責任な事であるという事は重々承知しているが、これは彼女の口から、彼女の方から言って貰わなくてはならない。

 

「レンは……売られたわけじゃなかったの。見捨てられたわけでもなかったの。ただ運が悪かっただけ。ただそれだけで……ただ、それだけで……」

 

 運命というのは残酷だ。たった一つの分岐点をどちらに進むのかというだけで人生というものを大きく狂わせてしまう。

 加えて言うのならばレンの場合、彼女がどうにかできる分岐点ではなかったというのがまたタチが悪い。ああまでの凄惨な過去を刻み付けられたのに、その原因が「運が悪かっただけ」などと―――そんな事が罷り通って良いはずがない。

 

 だが、それは事実なのだ。悲しい程に残酷な、背けたくなるほどの事実なのだ。

 

「レンはっ……もうあそこには戻れないの。もうあそこに、レンの居場所はないの‼ レンが悪いわけじゃない‼ 二人が悪いわけでもない‼ なのに、なんで、なんで……」

 

 そうだ。認めたくはないが、レンとあの家族が本当の意味で噛み合う事はもうないのだろう。

 価値観を同じにするにはあまりにも長い時間が流れ、そしてあまりにも違う世界に生き過ぎた。だからこそレンは、懊悩し続けていたのだろう。

 大切なのに、守りたいのに、それでも触れる事はできない宝物。手を伸ばしても決して届かない安寧が、彼女には遠く遠く感じられたに違いない。

 

「なんで―――っ」

 

 その心の内をありったけ叫ぼうとした直前、菫色の髪の上に優しい手が乗った。

 視線は未だに前を向いていた状態ではあったが、レンにはすぐに察せられた。これは、不器用な兄が慰めようとしている時の不器用な態度に他ならない。

 

 

「よく頑張ったな。レン」

 

 

 或いは彼女は、その言葉が聞きたかったばかりに、帝国まで足を伸ばしたのかもしれない。

 改めてそう思ってしまう程に、その言葉はストンとレンの心の奥底に届いた。

 

「よく頑張った。よく耐えた。だから、もう頑張りすぎなくていいぞ。泣きたい時は泣け。怒りたい時は怒れ。笑いたい時は笑え。お前はもう、それができる筈なんだからな」

 

「ぁ……」

 

 限界だった。涙腺からとめどなく溢れ出るそれを、レンは抑え込む事などできなかった。

 気付けばレイにしがみ付いて泣いていた。脇目など一切振らずに涙を流し続けていた。今までの想いのありったけをぶつけるように、彼女は”兄”に甘えていた。

 

 そんな彼女を、レイは何を言うでもなくただ撫で続けていた。出来が悪すぎる兄ではあるが、せめてこの瞬間だけくらいは一丁前の兄貴としての面でいようと、そう思っていた。

 たとえそれが妹分と離れ離れになるキッカケだったとしても、彼には後悔などない。彼女が自分で見つけて、歩き出した道だ。せめて笑顔で見送ってやるのが、兄貴分の務めというものだろう。

 

 レイ・クレイドルは、エステル・ブライトのように全てを明るく照らし続ける”太陽”のような存在にはなれない。なれるとしたらそれは、誰かが闇に迷った時に手を差し伸べられる”月”くらいのものだろう。

 そしてそれを、彼は嫌だとは思わなかった。元より日陰の身に甘んじる事すら辞さないのだから、たとえ一時であろうとも誰かを照らせる存在となれるのであれば、それは間違いなく幸せな事なのだから。

 

 

 どれくらいの時間が経っただろうか。レンの鳴き声がやむ頃には、雨の音もすっかり聞こえなくなっていた。

 

 涙を流しきったレンは、その時点で気恥ずかしくなってしまったのか、先程から俯いたまま動いていない。そこに来て漸く、レイも僅かな笑顔を浮かべられるようになっていた。

 

「……レンは、まだ負けられないの。あの二人を、あの子を絶対に守らないといけないの。だってレンは、お姉ちゃんなんだから」

 

「…………」

 

「お姉ちゃんは弟を絶対に守らなきゃいけないの。そうでしょう? お兄様」

 

「あぁ、そうだな。絶対に守らなくちゃいけないよな」

 

 身につまされる思いだ。自分は終ぞ守り通す事ができなかった事だというのに、その妹分は自分の全てをなげうってでも弟を守ろうと思っている。

 彼女ならば、できるだろう。元より今は一人ではない。その意思を後押しして、共に歩んでくれる”家族”がいるのだから。

 

「だから……レン、は……」

 

 と、そこでレンの言葉の歯切れが悪くなる。

 見てみれば、彼女の瞼が重々しく上下に動いて今すぐにでも閉じられようとしている。教練の為に動いた事は大した疲労にはなっていないだろうが、長く泣き続けた事で体力を使い果たしたのだろう。

 無理をするな、という意味合いも込めて再びレンの頭を撫でると、それで安心しきってしまったのか、そのまま眠りの世界へと旅立ってしまった。

 

 目元を赤く腫らしたまま可愛らしい寝息を立て始めた妹分をベッドに寝かせて、そのまま自室を出る。するとその近くには、案の定彼女が佇んでいた。

 

「おう、どうしたよ。フィー」

 

「……何でもない。ヒマだったから来ただけ」

 

 多少ぶっきらぼうにそう言ったフィーだったが、目的があってここに来たのは明白だ。というよりも、恐らくは聞いていたのだろう。

 レイは今回、敢えて自室に防音の結界を張っていなかった。だが、滞在最終日の夜にレンがレイの部屋を尋ねるという事の意味を察した他の面々は今も恐らく食堂か談話室の方で待機している事だろう。―――ただ一人、この少女を除いては。

 

「仲良くやれそうか? お前ら」

 

「多分それは無理。なんかこう……どうにもソリが合わないっぽいから」

 

 そこまで言ってフィーは、「でも」と言葉を続けた。

 

「仲良くはなれないケド、嫌いじゃない。……多分」

 

「いいんじゃねぇの、それで。そんくらいの方が案外上手くいくこともあるだろうさ」

 

 何も無条件で認めあう事だけが”仲良くなる”という事ではないだろう。ユーシスとマキアスがその良い例だ。

 それ以前に、あのフィーが誰かと個人的感情でいがみ合うという事がそもそも珍しい事なのだ。そういう意味でもレンとの出会いは彼女にとって良い刺激になったと言えるだろう。……巻き込まれた側としてはどうにも祝福し難いのだが。

 

「それより、レイはどうするの。どこで寝るの?」

 

「ん? あぁ。適当なブランケットでも借りて談話スペースででも寝るさ。その程度、一昔前は日常茶飯事だったしな」

 

「……それは、ダメ」

 

 そう言うとフィーは、徐にレイの背後に回り込むとその背中をグイグイと押した。

 

「お、おい?」

 

「……今日くらいは一緒に寝てあげるべき。そうじゃないと可哀想」

 

 ぶっきらぼうな言い方ではあったが、しかしその心情は充分伝わってきた。レイは苦笑じみた笑いを漏らすと、フィーの頭にポンと手を乗せて、自室へと戻った。

 

「(そういや……最後にレンと同じトコで寝たのっていつだったっけか)」

 

 いつの間にやらそれを思い出せなくなるほどに時間が経っていた事にどうとも言えない感情が込み上げてくる。

 それを悲しむべきなのか、それとも良い兆候だと喜ぶべきなのか。しかしそれを考える事も面倒くさいと割り切って、再びベッドの脇に腰掛けると、雲が晴れて星が姿を見せて来た夜空を、窓越しに何とはなく眺めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レンが帝国を去る事になったのは翌日の早くの事だった。

 始発の列車に乗れなければ当日中にリベールに変える事が叶わない為にそうせざるを得なかったのだが、見送りはⅦ組の面々が勢揃いで行った。

 

 そんな時、トリスタ駅でレイがレンに手渡したのは、帝都ヘイムダル駅からパルム駅までの特急列車のチケットと、ボース空港からロレント空港までの飛空艇のチケットだった。

 それがあれば少なくとも夕方にはロレントに到着する事ができ、半ば不意打ち気味に帝国に来たというこの悪戯仔猫の小旅行がブライト家に与えたであろう損害を少しでも補填するための贖罪の意味合いもあったのだが、レンは笑顔でそれを受け取ってくれた。

 

「それじゃあ皆、バイバイ♪ とっても楽しかったわ♪」

 

 そう言ってホームで手を振るレンに返した表情は様々だった。

 大抵のメンバーは笑顔でそれに応対したが、結局様々な面で振り回され続けたユーシスは警戒心こそかなり薄れたが、それでも苦々しい顔を隠そうとはせず、フィーはジト目を返すばかり。

 しかしそれに気を立てる事もなく、レンは列車に乗り込む最後にレイの下へと駆け寄ってきた。

 

「ねぇお兄様、ちょっと耳を貸してちょうだい」

 

「何だよ。何か前にそう言って耳の中にミミズ投げ込まれた事があったような気がするから遠慮したいんだが」

 

「大丈夫よ。それにお兄様だってレンに寝起きドッキリバズーカーとかやったじゃない。おあいこよ」

 

「へいへい」

 

 そうしたやり取りをしてレイはしゃがみこんで視線を合わせると、レンの耳打ちに耳を傾けた。

 意外にもその声色は真剣な時のそれだったが、彼女が口にした言葉そのものはそれ程驚くべきものではなかった。寧ろ観察眼に長けている彼女なら()()()()()()()()()()()事だと思っていたほどだ。

 

「了解了解。ま、こっちは気にすんな。お前はお前でしっかりやれよ?」

 

「うふふ、分かってるわ。それじゃあお兄様、今度はロレントにも遊びに来てちょうだいね?」

 

「おう。気が向いたら行くわ」

 

 という、意外にもあっさりとした言葉を交わして、レンを乗せた帝都行きの始発列車はレールを滑る音と共に西の方角へと消えて行った。

 その姿を見送ってから、レイは口元に優しい笑みを浮かべて仲間と共に駅を後にする。

 

 色々な意味で騒がしかった日常は、ひとまずここで見納めとなる。悪戯好きな仔猫が残した影響は、幸か不幸かⅦ組の面々をまた一歩成長させた。

 それについて心の中で礼を言いながら、レイは妹分の武運を密かに祈るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロレント空港は、最終便が近い時間帯になると人通りはまばらになって昼間ほどの盛況ぶりは見られなくなる。

 そうでなくても、行きと同じように年端もいかないような少女の一人旅というのはやはり目立つものがある。レンは定期船『セシリア号』で隣に座っていた老婆から離船直前に貰った飴玉を口の中でコロコロと転がしながら、美しい夕焼け空を視界に収めて思わず笑みを溢す。

 

 たった二日間ほど離れただけだというのに、妙に懐かしく感じるのは何故だろうか。この光景を見るたびに、どこか哀愁にも似た感じを思い出してしまう。

 つまるところ、もうこの場所はレンの故郷でもあるのだ。山間に沈む夕日の光も、町の方から聞こえる住民たちの声も、視線を動かせば見えるミストヴァルトの森林もマルガ鉱山の山々も、全てが当たり前の光景になりつつある。

 

 ふわりと、風に煽られて揺らぐ髪を手で押さえて、町に繋がる道を揚々と歩いて行く。何の変哲もない石畳の道だというのに、何故か弾む心を隠せないまま、レンはロレント市入り口のゲートを潜った。

 

 

「あ、おかえり。レン」

 

「あら、やっと帰って来たのね。おかえりなさい」

 

「どうだ? エレボニア観光は楽しかったか?」

 

 すると、そこで待っていたのはヨシュアとシェラザード、そして珍しく軍服ではなく私腹を着ていたカシウスの三人だった。

 ヨシュアが迎えに来てくれるのはまぁ予想の範囲内ではあったが、近頃はグランセルとの間を行ったり来たりしていたシェラザードや、軍部勤めのカシウスまで一緒に居るとは思わなかったレンは、珍しく驚いたような表情を見せた。

 

「あらシェラ。ロレントに帰って来ていたのね」

 

「えぇ。あっちの仕事が漸く片付いたからね。久しぶりにひと心地つこうと思って」

 

「ふぅん。でもまさか、おじさままで帰ってきているとは思わなかったわ」

 

「ハハハ。まぁ俺もたまには顔を見せんとなぁ。それと、レイの奴は元気そうにしてたか?」

 

「えぇ。同じ学校の人達と仲良くしていていたわ。ちょっと妬けちゃうくらい」

 

 そう言いながら、珍しい面子で町中を歩いていると、レンがキョロキョロと辺りを見回し始めた。

 

「あら、エステルはいないの? もしかして、勝手に行っちゃったこと怒ってた?」

 

「あぁ、いや。そっちは問題ないよ。……主に僕が大変な目に遭ったけど」

 

「あら」

 

「今は家で夕食の用意してるよ。実はレンと入れ替わるような感じでシオンさんがウチに来てね」

 

 ヨシュア曰く、レンがブライト家を出て行った日の夕方くらいにフラリと立ち寄るようにして家を訪ねて来たらしい。

 無論、耳も尻尾もしまった状態で普通の客人を装っていたが、それは初対面のエステルへの配慮だったのだろう。尤も、当の本人は真っ白な灰になって自室に閉じこもっていたのだが。

 仕方なくヨシュアが応対すると、シオンはレイから預かって来たという小包を差し出してきたのだという。

 

「それって何だったの?」

 

「レシピ集だってさ。レンが好きな料理の。ご丁寧に「このレシピ以上のものが作れるなら作ってみせろ。できるものならな‼」っていう煽り文付きでね」

 

 それを見たエステルが奮起して、昨日からずっと料理に精を出しているらしい。休暇を使ってロレントに帰ってきたカシウス諸共、ヨシュアは随分と味見役をさせられてきたらしい。

 

「ふぅん。それで、シオンはもう帰っちゃったの?」

 

「あぁ、うん。小包を届けてからは《パテル=マテル》と何か話してて、それが終わったら市内の方に行っちゃってね。僕も後から聞いたんだけど、アイナさんと一日中飲んでたらしいよ。『アーベント』からお酒が消えたって嘆いてた」

 

 確か何気なく聞いた話では要らんことをしてレイから禁酒を突きつけられていた筈だったのだが……恐らく欲に負けたのだろう。多分レイもそこのところは織り込み済みだったに違いない。

 あの二人が本気で飲み比べなど始めた日には、喫茶『アーベント』どころかロレント中からお酒がなくなるくらいは覚悟しなければならないのだろうが、そう考えれば良く持った方だと思う。

 

「残念だったわねぇ。あたしが帰って来たのは次の日だったから、酒盛りに参加できなかったのよ。先生は先生でお腹いっぱいだからって不参加だったみたいだし」

 

「幾ら俺でも死地に無理矢理飛び込むようなバカな事はせんさ。実際地獄絵図みたいな光景だったって後で聞いたしな」

 

 前言撤回。やはり自重という言葉は知らなかったようである。

 そしてシオンはひたすら飲みに飲んだ後、特に酔っぱらったような様子も見せずにそのままグランセルの方に用があると言って消えて行ってしまったらしい。そういう意味では、絶妙なタイミングでシェラザードとも行き違いになったと言える。

 

「残念。久しぶりにシオンの尻尾をモフモフしようと思ったのに」

 

「ははは。まぁ、そんなワケだからさ。エステルは怒ってないし、むしろレンの帰りを待ってるくらいだ。心配しなくていいよ」

 

「そうだな。久しぶりにシェラザードも囲んで”一家”団欒と行くか」

 

 その雰囲気が、妙に心地良い。(はかりごと)でも演技でもなく、ただ純粋に”家族”と過ごすという感覚。それがとても温かい。

 ロレント南の街道を進み、ブライト邸に辿り着くと、家からは良い匂いがする湯気が立ち上っていた。

 

「エステルー、ただいまー」

 

「レン⁉ 帰って来たの⁉ あ、ちょ、ちょっと待ってて‼ エプロンが絡まって……うぬぬ……きゃあっ‼」

 

 家の中からとても焦ったような声が響いて来たかと思ったら転んで床に尻餅をついたらしい音まで聞こえて来た。

 それを聞いた瞬間に笑いが抑えきれなくなり、気付けばヨシュアやシェラザード、カシウスと共に笑っていた。帰りを待ってくれていた《パテル=マテル》にも言葉を掛け、そのまま玄関の扉を開ける。

 そして涙目になったままのエステルを見てから、レンは笑顔を綻ばせて言った。

 

 

 

 

「ただいま。エステル♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 リベール王国グランセル。王都として栄えているこの街も、流石に夜も更ける頃になれば静寂さに包まれる。

 雲一つない星空の中に悠然と聳え立つ白亜の城―――グランセル城の内部でも、この時間になれば動き回る者は少ない。

 

「では、見回りもこの辺りで終わらせましょうか。サシャ、貴女はもう自室に戻りなさい。わたくしは一度詰所の方に戻りますから」

 

「かしこまりましたわ。メイド長」

 

 グランセル城に勤めるメイドたちを統括する女官長ヒルダ夫人は、共に夜の城の見回りを行っていたメイドに向かってそう言うと、そのまま階下に続く階段を下って行った。

 恭しく頭を下げたのは、サシャと呼ばれた身目麗しいメイドだ。艶やかな緑色の髪をシニヨンに纏め上げ、一分の隙もなくメイド服を着込んでいる。

 城に勤めて3年目になる彼女の動きは、傍目から見ても洗練されていた。動作の一つ一つは軽やかでありながら優雅であり、その姿は城に勤める親衛隊の男隊員の中でも密かに人気を集める程だった。

 それでいて、飾らない丁寧で温和な人柄ゆえに、同僚のメイドたちとの仲も良好であり、取り立てて問題などは起こさない、いたって優秀なメイドであった。

 

 ふぅ、と一息をつき、明かりと言えば淡い導力灯の明かり以外は窓から差し込む月の光以外ない廊下を、音を出さずに歩いて行く。

 尤も、今は城に滞在している要人などもいない為、そこまで配慮する必要もないのだが、普段からこうした癖をつけておかなければ、いざという時に困る。楚々とした所作のままに地下へと続く階段を下り、メイドたちに割り当てられた部屋の区画に到着する。

 

 普通であれば使用人に割り当てられる部屋など必要最低限のものがあれば充分なのだが、アウスレーゼ王家はそういった場所にも心を砕いてくれているらしく、凡そ生活するのに不自由のない暮らしを使用人たちにも味あわせてくれる。そう言った意味では、申し分のない職場であると言えた。

 

 とはいえ、メイドとしての職分は忘れてはいけない。明日も早い事だし、早々にベッドに横になろうと思って割り当てられた自室の扉を開け、導力灯のスイッチを入れた。

 すると、部屋の壁際に悠然とした様子で佇む一人の女性の姿が目に入った。長い金髪に、東方風の衣装の重ね着。頭には耳が、腰辺りには煌びやかな尻尾が生えている。

 本当であれば、ここで大声を出されても仕方のない状況だ。しかしサシャは特に動揺する事もなく、扉をゆっくりと音を立てずに閉めると、頭の上に乗せていたホワイトブリムを取り、机の上に放った。

 

 

「―――何か御用ですの? お狐様」

 

「いえ、なに。随分とその姿も板についておられると思いまして。―――成程、それならば()()()()()()()()()()()

 

 ククッと不躾気味に聞こえる笑い声だったが、不快な思いは抱かなかった。寧ろ彼女にとって、それは褒め言葉以外の何物でもない。

 今まで穏やかに曲線を描いていた目元は、今は僅かに吊り上がっている。そしてその薄紫色の双眸には、先程までは一切感じられなかった怜悧な意志が宿っていた。

 

「用もなくお城にまで侵入して来たわけではないのでしょう? それとも、地下のワインセラーにある高級ワインを無断拝借しに来られたのですか?」

 

「む、ワインセラーとはなんと甘美な響きでしょうか。……いえいえ。流石にそんな事をすれば主から半殺しにされてしまいますよ。えぇ」

 

「それがよろしいでしょう。―――それで、何の用なのですか?」

 

 口から出される言葉は無論の事大きいものではないが、それと同時に指向性が指定されている。如何に部屋が防音でなく、隣室との壁が薄くとも、この声はシオン以外には聞こえていない。そしてシオンの声も、目の前の女性以外には聞こえていない。

 

 

「私はただ様子を見に参っただけですよ。グランセル城勤務のメイド、サシャ殿―――いえ、猟兵団《マーナガルム》諜報部隊《月影》隊員、サヤ・シラヅキ殿」

 

 そのおちょくるような言葉にも、サシャ―――否、諜報員サヤは顔色一つ変えはしなかった。

 元より、この程度の事で感情が乱れるような事では、潜入諜報員などやっていられない。

 

 

 サヤ・シラヅキがリベールでの潜入調査を団長であるヘカティルナ、及び直属の上司である《月影》隊長ツバキより命じられたのは3年前の事。

 主な目的は彼の地で暗躍し始めるであろう《結社》の動きを見定める事であり、それと同時に王国内に建設された情報部―――特にアラン・リシャール大佐の動向を調べ上げて団にそれを報告する事であった。

 その為、王国の主要人物の情報が一手に集まるグランセル城にメイドとして潜り込み、諜報活動を行っていたのである。

 

 しかし、誤算はいくつかあった。

 まず一つは、リシャールが発足した情報部の中に、事もあろうに《剣帝》レオンハルトが紛れ込んでいるという情報が他の隊員伝手で判明した時だ。

 如何に自分の腕に自信があるとはいえ、流石に”武闘派”の中でもとみに頭が切れる男の目を欺き続けるのは困難な事だ。結果としてサヤは、レーヴェが『ロランス少尉』という肩書を名乗って動いている間は目立つ行動を起こす事ができなかった。その為、《福音計画》そのものの情報の全貌を把握するのに出遅れた感じが否めなかった。

 そしてもう一つの誤算は、軍属に復帰して王城に詰める事が多くなった元S級遊撃士カシウス・ブライトに正体が露見してしまった事だ。

 

 自慢ではないが、サヤは自身が優秀な諜報員であるという矜持を持っている。それは決して口だけのものではなく、実際に彼女は潜入任務においては隊の中でも指折りで優秀な人間なのだ。王城という、スパイを最も警戒している場所で1年以上誰にも疑われる事なく、それこそ情報部の目すらも欺き通していちメイドとしての仮の姿を貫き通してきた事からもそれは明白だ。

 

 だがあの男、カシウス・ブライトは、それこそ最初から全てが分かっていたとも言わんばかりの様子で、事もなげに場内でサヤとすれ違った瞬間に呟くように言ったのだ。「お前さん、どこの諜報員(スパイ)だ?」と。

 無論、最初はシラを切り続けたが、今までサヤが故郷に充てた手紙だと偽って暗号文を仕込んだ手紙の写しを証拠として提示された瞬間に、敗北を悟った。

 いつからバレていた? という事すらも思わなかった。特定の個人の手紙の写しを作らせた上で、更にその暗号も解いて見せるなど、常人の思考力では有り得ない。彼女はその時点で、『S級遊撃士』という規格外の肩書を持つ人間の恐ろしさを肌で感じる事になってしまった。

 

 それが明白になった瞬間、これでリベールでの任務は失敗かと諦めかかったが、そんな彼女にカシウスが投げかけた言葉は―――

 

『お前さん、《マーナガルム》の人間だろう? なぁに、俺も縁がないとは言い切れない連中でな。知ってるよ。

 結論から言うと、俺はお前さんの正体を女王陛下以外に打ち明けるつもりはない。その代わりと言っちゃあなんだが、ここは一つ共同戦線と行こうじゃないか』

 

 その時点ではよくある二重スパイの持ちかけかと思っていたが、実際には随分と違っていた。

 団長と交渉しても一向に構わない。その代わり、《月影》で仕入れた情報をカシウスを通してリベール王国軍軍令部に流し、その見返りとしてサヤのリベール・グランセル城での諜報活動を見逃すというものだった。

 その交渉条件に対して、ヘカティルナ、ツバキが出した答えは「Yes」だった。

 

 元より二人も、カシウス・ブライトに正体が暴かれる状況は視野に入れていたらしい。そしてそれに対する答えも。

 原則としてリベール王国では猟兵団を雇い、運用する事は法律で禁止されている。だが、サヤはあくまで「サシャ」という名のただのメイドであり、彼女がこれ以上のヘマを犯さない限り、その真相は表に出ないものであった。

 結果、カシウス・ブライトとリベール王国女王、アリシアⅡ世以外の人間は彼女の正体を一切知る事なく、今日まで至っている、というワケである。

 

 その境遇について、悔しくないのかと問われれば無論悔しい。だが、個人のプライドにしがみ付いて機を逃すような愚図では、到底諜報員など務まらない。

 意外だった事と言えば、カシウスも女王陛下も、特にサヤを敵視しているわけではなく、むしろよく1年以上も周囲を欺いてこれたと称賛されたほどだった。それによって僅かに溜まっていた毒気も完全に抜かれ、今では諜報活動を行う傍ら、意外とメイド業も楽しんでいたりしていた。

 

 

「その様子ですと、相変わらずお二人以外には正体が露見されていないようですな」

 

「えぇ。《月影》の諜報員として、これ以上無様な真似は晒せませんもの。どのような目でも欺いて見せますわ」

 

 実のところ、シオンがここを訪れたのは本当に現状確認の為だったりする。リベール王国の状況を訊くのは、そのついでだ。

 

「今のところ、リベールは”凪”の様子が続いているようですな」

 

「えぇ。《福音計画》の一件以来、退屈なほどに平和なものですわ。―――尤も、すぐに忙しくなりそうではありますけれど」

 

「……”例の件”は順調、という事ですかな?」

 

 シオンが問うと、サヤは一つ事もなげに頷いた。

 

「女王陛下のご裁可が降りるまでは私も派手に動けません。クロスベルのマイヤやカルバードの方はこれからが肝心でしょうね」

 

「然り。故にサヤ殿には色々と迷惑を被っていただくかも知れません」

 

「そんな事は()()()()()ですわ。あまり《月影》の諜報員をナメないでくださいませ」

 

 僅かに強気な笑みを見せると、シオンも同じような笑みを返した。

 本当に優秀な人間しか集っていないんだなと改めて理解すると同時に、彼女は彼女なりに諜報員としての自負を持ち、その面子を潰さないために動いているのだと察する事ができた。

 他の面々のようにレイに対する忠誠心などは薄いだろう。だが、仕事に対する自負心が高ければ、それを不意にするような真似もしない。ある意味、一番信用できる人間だとも言えた。

 

 

 斯くして、エレボニア、カルバード、クロスベルのみならず、リベール王国も動きを見せる事になる。

 しかし、水面下で進行しているそれが国際情勢という”盤”に大きな影響を与えるのは、まだ少し先の話であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 や・っ・た・ぜ100話‼

 感慨深いものですね。気付けば100話。こんなところまで来てしまったか。
 どうかご覧いただいている皆様は、これからも『英雄伝説 天の軌跡』をご贔屓にして下さるようお願いいたします。はい。


 さて、また性懲りもなく新キャラを出したワケなんですが……元ネタ分かります? いや、多分分かる人は分かると思うんですけど、一応別にレズでもなんでもないっていうか―――

「とりまホテルでメイクラブっしょ♪」

 ↑貴様は黙ってろぉ‼ 毎度の事ながらなぁ、ユーザーの心を揺さぶる事に命かけてますよねエイプリールフール‼ 狂しておられるわ‼
 ついに別ライターのキャラまで弄り倒しやがって‼


 ……すみません、取り乱しました。



 コホン。とりあえずこれにてレンちゃんの話は終わりです。次は……何を書こうかなぁ。


PS:FGOオルタピックアップガチャ? 狂ジャンヌ出るんだったら本気でぶん回しにかかりますが何か?


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断章 鬼面と女面の鬩ぎ合い  -in クロスベルー






「金、名誉、国家への忠誠心、あるいは人の心さえも、全ては虚構だ」

「諸君らの未来に待ち受けているのは真っ黒な孤独。その中で諸君を支えているのは、外から与えられた虚構などではありえない。諸君が任務を遂行するために唯一必要なものは、常に変化し続ける多様な状況の中でとっさに判断を下す能力―――即ち、その場その場で自分の頭で考える事だけだ」

    by 結城中佐(ジョーカー・ゲーム)







 

 

 

 

 

 

 『西ゼムリア通商会議』―――その場でディーター・クロイス市長によって提唱された『クロスベル国家独立宣言』より、少しばかりの日数が経過した。

 

 現在クロスベル自治州では、国家としてのクロスベルの独立の是非を問う住民投票の実施を待つ日々が続いていた。

 悲願である国家成立を手放しで喜ぶ市民もいれば、この選択が必ずエレボニアとカルバードという二大国を戦争意識に駆り出すという恐れの下に反対意識を提唱する市民もいる。クロスベル通信社による独自の世論調査によれば、その割合は凡そ4:6と言ったところだろうか。

 

 唐突な独立宣言が齎した影響はそれだけではない。

 クロスベル市内のみならず、国外での株価の乱高下が激しくなっている。元より小さな政策の影響すらも受けて変動指数を見せる株価だが、今回はとみにそれが激しい。

 恐らく今、安易に国内外の株に手を出そうとすれば痛い目を見るのは必至だろう。今こうしている間にも、少なからず破産の憂き目にあっている人間が必ずいる筈だ。

 特にカルバード共和国では、通商会議での発言をネタに猛烈な追い上げを見せている野党の追撃もあって、株価の急降下が止まらない状況だ。このままの時勢が続けば、近いうちに大恐慌に突入する恐れもある。そういう意味でも、ロックスミス大統領は暫くは国内の政策に掛かりっきりになるだろう。

 

 そしてクロスベル市内で最も動きが慌ただしいのは、やはり『クロスベル国際銀行(IBC)』である。

 資産額が大陸一と言えば聞こえはいいが、その分背負っている重荷もかなりのものだ。恐らくは今、国内外問わず預金や投資の電話が引っ切り無しに鳴り響いている事だろう。

 とはいえ、現在も『IBC』の総裁職はディーター・クロイスが務めている状況である。自身の発言がどのような効果を齎すのかという事について予想をしていなかったという事は有り得ない。この混乱を一時的に収めた後、政治職に専念する為、マリアベル・クロイスを総裁代行職に委任するという話が実しやかに流れている程だ。

 

 

 まぁ、それについては()()()()()()()()と言える。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ」

 

 マイヤ・クラディウスは、東通りに借りているアパートの部屋の中で、捲っていた経済情報誌を徐にテーブルの上に投げた。

 市民が貴族階級などの身分に硬く縛られていないこの場所では、実に様々なものが一市民の身の上で手に入る。存在する様々な国内外の情報誌の中には与太話の類を集めただけの品質の低いゴシップ誌のようなものも少なくないが、そういった玉石混合の中から精査して必要な情報を収集するのもまた、諜報員としては必須のスキルだった。

 

 そう。今の彼女は劇団《アルカンシェル》のアーティストではなく、猟兵団《マーナガルム》諜報部隊《月影》の隊員としての顔で過ごしている。

 マイヤの任務には、その二つの顔を使い分ける事も含まれる。手抜きは一切許されず、”アーティスト”という注目度が高い職種に就いてしまった弊害として、より一層動きに瑕疵が出ないよう警戒しなければならない。

 

 

 彼女が《月影》の諜報員としてクロスベルへの潜入調査を言い渡されたのは約2年前。時勢の移り変わりが激しいこの地での諜報活動は傍から見れば困難そうに思えたが、諜報員の観点からすればそれ程悪くはないと思えた。

 時勢の移り変わりが激しいという事は、それだけ過去に縛られない事であるとも言える。市民や政府は常に新しい技術や思想を取り込み、前へ前へと進んでいく気質が強い。その中にパーツの一つとして潜り込んでしまえば、溶け込むのは案外難しくもないのだ。

 それに何と言っても、当時のクロスベルにはこれ以上ない協力者がいた。遊撃士協会クロスベル支部に所属していた、レイ・クレイドルの存在である。

 

 シナリオは案外単純なものに仕立て上げた。彼女の出身はカルバード共和国のとある辺鄙な村で、貧しい家計を支えるために近代化の著しいクロスベルへと出稼ぎに来たが、市内へと入ったすぐ後に極度の空腹に苛まれて行き倒れになる。

 しかし幸運にも倒れたのはクロスベル支部前であり、()()()()通りかかったレイが担ぎ上げて食事を与えて話を聞くに、彼女が同郷の人間である事が発覚する。そのよしみも兼ねて仕事も斡旋する事になった―――というのが大まかな流れだった。

 

 

 《マーナガルム》団長ヘカティルナと、《月影》部隊長ツバキより仰せつかった任務内容は大きく分けて二つ。

 

 一つは『クロスベルに於ける《結社》の存在の感知と経緯の調査』。

 リベール王国に潜入していた《月影》の構成員であるサヤ・シラヅキからの報告により、リベールにて《結社》の面々が潜伏している可能性が大との事実が浮き彫りになり、その影響で近隣諸国にも魔の手が広がっているのではないかと察したツバキは、すぐさま団長に進言し、近隣諸国への諜報活動の強化を申請。その命令下にてマイヤはクロスベルに潜入する事になった。畢竟、最大の目的はこうなってくる。

 様々な利権が複雑に絡み合うこの地での情報収集は少々手間取りはしたが、逆に言えばその仕組みさえ理解してしまえば難易度はそれ程高くはない。それは、二つ目の任務内容にも深く関わっていた。

 

 二つ目の任務内容は『クロイス家の動向の監視』。

 嘗て”人造生命(ホムンクルス)”を創り上げ、その隠れ蓑として《D∴G教団》というコミュニティを作り出した錬金術師の一族。いずれ《零の至宝》を再び地上に降臨させる事を至上の目的にして1000年もの間妄執を募らせてきた彼らが、《結社》と繋がっている可能性は控えめに言っても高いと判断したのである。

 そして今代で注目すべきは、ディーター・クロイスとマリアベル・クロイスの二名。その中でマイヤは、マリアベル・クロイスの動向の方に注目すべきと判断した。

 噂によれば、クロイス家の歴史の中でも稀代の魔術師(メイガス)として名高いらしく、彼女の方がより強く《零の至宝》への妄執が強いのは想像に難くない。

 

 これらの任務をこなすために、マイヤは潜入先を選ぶことになった。

 第一志望はこの二人が実質的に牛耳っている『IBC』だったのだが、辺境の村の出身者を手放しで雇ってくれる程、セキュリティは甘くない。

 加え、万が一にも怪しまれてマリアベル・クロイスの仕掛けた罠に嵌ってしまえば、一巻の終わりである。臆病と誹られる程に慎重に慎重を重ねて計画を練るのが諜報員にとって大事な項目の一つである以上、対象の懐に潜るという選択肢は断念せざるを得なかった。

 

 そもそもこの地で潜入捜査をして情報を集めるには、『IBC』のみならず他の勢力にも情報の網を張らなければならない。そこでマイヤが目を付けたのは、市内のみならず各国の要人も足繁く通う劇団《アルカンシェル》だった。

 当初は照明や小道具係など、目立たない職種での潜入を行おうとしていたのだが、幸か不幸か、入団したマイヤを待ち受けていたのは、熱烈なスカウトだった。

 

 

『ねぇ、アナタ。舞台に立ってみない? きっと映えると思うのよね。運動神経も高そうだし。

 理由? そんなのないわよ。アタシの勘。ね、ね? 一度でいいからちょっと踊ってみてくれない?』

 

 

 イリア・プラティエ。《炎の舞姫》という異名で知られるトップスターは、マイヤの思惑も正体も知らぬまま、ただ彼女の身体能力の高さと”アーティスト”としての適性の高さに目を付けて、彼女を表舞台へと引きずり込んだのである。

 無論、最初は断ろうとした。諜報員とは原則目立ってはならず、それに照らし合わせると常時様々な視線に晒され続けるアーティストという職業は彼女にとって分が悪かったからだ。

 しかし、熱心に誘ってくるイリアの要望を無下にはできず、要らぬ軋轢を生まないために「できるだけ適当にやろう」という気の進まない思いのままに舞台に立った。

 

 だが、ここで彼女の『仕事に対するプライドの高さ』が邪魔をした。

 やるからには半端は許されない。自分に対して「そうでもなかった」「期待外れ」などというレッテルを張られるのを本能レベルで忌避したマイヤは、自然とイリアが望むままの結果を出してしまったのだ。

 

 そうしてあれよあれよという間にアーティストとして舞台に立つことになってしまったマイヤだったが、救いだったのは「彼女は主役として正面に立つよりも助演として固めた方が強みを活かせるし、映える」という判断を劇団側がしてくれたことだろうか。お蔭でイリアやリーシャに比べれば注目度はそこまででもないが、それでも諜報員としては動き辛くなってしまったのは否めなかった。

 それを部隊長であるツバキに叱責も覚悟で報告したところ、返ってきた応えは―――

 

 

『あ、うん。知ってるよ。僕もう君のグッズ持ってるしね。プロマイドも買ったよ。

 いやぁ、君のグッズの市場はコンスタントに売り上げが固定されてるから価格操作がしやすいってミランダが息巻いてたよ。稼がせて貰ってるってさ』

 

 版権も何もあったものではなかった。思わず自室の机から転げ落ちそうになった当時の彼女を責める事はできないだろう。

 あの《経理班》の守銭奴は、またもや本人の許可も取らずにあこぎな商売に熱を出しているらしい。ツバキもツバキで叱責する様子は微塵も見せずに呵々と笑うばかり。

 しかしその理由を問うと、彼女は―――

 

『だって君なら、それでもちゃんと仕事をしてくれるだろう? 一応これでも僕は自分の部下が最も優秀だと信じて疑わない傲慢な性格だからね。君ならアーティストという職業に就きながらも諜報活動をこなせるだけの実力はあると僕は確信しているし、信じている。それ以外の理由は必要かい?』

 

 寧ろ何を訊いているんだと言わんばかりの口調でそう言って来たのである。

 それは紛れもなく”信頼”だった。《鬼面衆》という異名(コードネーム)を持つ彼女の価値を証明してくれる何よりの言葉に、彼女は吹っ切れた。

 

 諜報員《鬼面衆》として暗躍する姿と、劇団《アルカンシェル》に欠かせないアーティストという姿。この二つの顔を両立させながら、彼女は2年間クロスベルでの活動に勤しんできた。

 そして今、彼女は以前から取り引きをしている協力者との情報共有も行いながら、日に日に情勢が変化していくクロスベルの地で生き抜いている。

 

 

 

 

 

 ちらりと壁に掛かっている小さな時計に目をやって、マイヤは小さく息を吐いてから自室を出た。

 東通りの一角に位置しているこのアパルトメント『アカシア荘』の部屋はお世辞にも新築の物件とは言い難いが、それでも一人暮らしの人間が住むには充分過ぎる程の利便性を兼ね備えている。少なくとも、どこぞの天然が入っている同僚が「安かったから」という理由だけで借りている旧市街のアパルトメント『ロータスハイツ』よりかは遥かに良い物件であると言えよう。

 

「ふんふ~ん♪ あら、マイヤちゃんこんにちは」

 

「こんにちはクラリスさん。お買い物ですか?」

 

「えぇ。マイヤちゃんは今日は劇団の練習はないの?」

 

 アパルトメントの1階に降りた際に声を掛けて来たのは、1階の部屋に住んでいる住民の女性だった。

 名前はクラリス・シーカー。警備隊の所属であった夫を亡くした後は女手一つで2人の娘を育ててきた人物であり、マイヤとは時間が空いた時に茶飲み話をたまにする間柄だった。

 因みに2人の娘はそれぞれ姉は警備隊、妹はクロスベル警察勤務という役職柄警戒はしていたのだが、今のところ正体がバレているという事はない。

 

「はい。公演前の休暇なんです」

 

「あら、そうなの。大変ねぇ、アーティストって」

 

「いえ、楽しんでますよ。とはいえ折角の休暇なので、散歩でもしてリフレッシュしようかなと思いまして」

 

「今日は天気が良いし、お散歩にはピッタリの日ね。気を付けてね」

 

「えぇ。クラリスさんも」

 

 ちょっとした談笑を交わしてから、マイヤは港湾区の方へと足を進めた。

 

 『オルキスタワー』の公開以来、クロスベルを訪れる観光客の数は更に跳ね上がったと言ってもいい。観光目的は色々とあるだろうが、大抵の観光客が一度は足を運ぶのが『オルキスタワー』と、エルム湖南東に存在する保有地ミシュラムにある『ミシュラム・ワンダーランド』だ。

 そして、後者の場所に行く為の遊覧船乗り場があるのが港湾区。昼間に近い時間帯ともなればこの場所は様々な国籍の人間で溢れかえている。

 

 マイヤは軒を連ねる屋台の一つに立ち寄り、目についたキンキンに冷えたトロピカルジュースを購入する。

 思わず苦笑を漏らしたくなるほどの”観光地価格”だったが、その程度で財布の中身が寂しくなるような生活は送っていない。遊覧船乗り場に列を作って並ぶ観光客たちを横目に見てストローでマンゴーの香りが漂うジュースをちびちびと飲みながら、彼女は港の近くにある灯台の近くへと足を進めた。

 

 まるで忘れ去られたように屹立している灯台は、しかしただの建造物ではない。夜間のエルム湖の貴重な光源であると共に、ジオフロントC区画へと繋がる入り口が隠されていたりもする。

 しかし今回マイヤが用があるのはジオフロントではない。灯台の近くに設けられた少し湿気り気味の木造のベンチに座って、持ってきた贔屓にしている作家の文庫本小説のページを開いて目を落とすと、その場所のすぐ近く―――しかし視線は決して交わらない位置で悠々と釣り糸を垂らしていた人物が声を掛けて来た。

 

 

 

「……こうもカンカン照りだと魚も食いついて来ねぇわなぁ。ボウズじゃねぇのが奇跡だぜ」

 

「何か釣れたんですか?」

 

「グラトンバスとトラード。竹竿しか持って来なかったからリリースしちまったがな」

 

 そう言いながら軽快に笑っているのは、サングラスに銜え煙草、それに色鮮やかな薄手のシャツという”小粋な遊び人”臭を醸し出した男―――アスラ・クルーガーだった。

 マイヤは小説の文字を目で追いながら、ふぅ、と一つ溜息を吐く。

 

 

 現状、マイヤ・クラディウスとアスラ・クルーガーの2人には、クロスベル警察捜査一課の監視の目は付いていない。

 マイヤの方はただ単純に”諜報員として”の自分の素性がバレていないだけなのだが、アスラの場合は多少事情が異なる。

 クロスベル警察の人間も、世俗で言われている程「無能」ではない。確かに一部の上役は汚職を働いている政治家やマフィアなどとも癒着していたりと噂通りの代物ではあったが、現場で動く者達―――とりわけ防諜・防テロへの対策を第一とする捜査一課の刑事らはひとまず”厄介”と言えるくらいには腕利きが集まっていた。

 

 特にアレックス・ダドリー。主席捜査官である彼は思った以上に鼻が利く。正体を隠すのが既に日常の範囲内であるマイヤはその監視網を上手く掻い潜っているが、アスラは自身に煩わしい監視が付く事を嫌がり、あろう事か自らダドリーの下に赴き、自らの来歴とクロスベル来訪の目的を話したのである。

 如何にも()()()というか、本音を言ってしまえば馬鹿なんじゃなかろうかとすら思える行動だったが、一体如何なる交渉が繰り広げられたのか、アスラは今日も警察組織に監視される事なく悠々と日々を過ごしているのだ。

 

 

 とはいえ、そんな風来坊と《アルカンシェル》のアーティストが人気のない場所で落ち合って何かを話し合っていたなどというところを誰かに見られでもしたら、”あらぬ噂”が流れる可能性がある。こういう事に関しては警察組織よりもメディアの方が鼻が利くため、念には念を入れてこうした形を取ったのだ。

 

 

「今日はリーシャと一緒じゃないんですか?」

 

「んぁ? お前知らんの? リーシャ(アイツ)なら昨日からミシュラムに行ってるぜ。支援課の連中と一緒にな」

 

「あら、誘われなかったんですか?」

 

「生憎と俺は昨日はカルバードの実家の方に帰っててな。それを言うならお前さんだってそうじゃねぇか」

 

「奇遇ですね。私も昨日は()()で手が離せなかったんですよ」

 

 恋人と、或いは親友と休暇を過ごせなかった事に関しては互いに思うところがあったのだろうが、しかし世間話はまだ少しばかり続いた。

 

「でも大丈夫ですか、目を離して。ランディさんやワジ君はともかく、ロイド君はアレ危険ですよ。無自覚に母性本能をくすぐる天才と言っても過言ではありませんね」

 

 実際マイヤが知っているだけでロイド・バニングスという青年に異性として魅力を抱いている者は複数人いる。そこに僅かに興味を持って片手間に観察してみたところ、どうにも彼は無意識に女性が望む行動ができる天才であるらしい。月並みな言葉だが、そうとしか称する事ができなかった。

 だから或いはリーシャも毒牙にかかっているかもしれないと言う意味合いでの言葉だったのだが、しかしアスラは失笑を漏らした。

 

「大丈夫だろうよ。仮にアイツの心が傾いたんだとしたら、そいつは俺にアイツを夢中にさせるだけの男の魅力がなかったってコトだろうさ。みみっちい事をどうこう言うつもりはねぇよ」

 

 紫煙を燻らせて、アスラはそんなことを堂々と言い放った。

 それは間違いなく恋人であるリーシャへの信頼だったのだろうが、同時に己に対する絶対的な自信の表れでもあったのだろう。

 もし恋人が心変わりをしようものなら、その原因は自分にあると大っぴらに言ってのけるような人間だ。―――無論、軽薄な気持ちで彼女に声を掛けようものならばその命知らずの今後は保証できないが。

 

 相も変わらずお熱いようで何より。そう思ったマイヤは、僅かに声色を沈めて”本題”に入った。

 

 

カルバード(そちら)の方は?」

 

「お前らも忍ばせてんなら分かると思うがな。経済的には結構混乱しちまってるよ。だがまぁ、そのお蔭で《ロックスミス機関》の連中と接触できた」

 

 どこか遠くで水鳥の鳴き声が耳朶に届く程度の間を置き、マイヤは本のページをまた一枚捲った。

 

「首尾は?」

 

「上々……とは言い難いかねぇ。野党の連中があーだこーだとうるせぇモンだから、一向に話が進まねぇ。もうちっと時間かかると思うぜ」

 

「そうですか。―――ご協力は感謝します」

 

「ま、気にすんな。そんで? お前さんの方はどうよ」

 

 ニヤリと口角が吊り上がる。そんな様子が手に取るように分かる声を向けられて、マイヤは再びトロピカルジュースを啜ってから控えめに口を開いた。

 

 

「《鉄機隊》幹部”戦乙女(ヴァルキュリア)”、及び《結社》第七使徒《鋼の聖女》アリアンロードのクロスベル入り。そして猟兵団《赤い星座》の雇用主の変更。―――その辺りはアスラさんも掴んでいるのでしょう?」

 

「まぁな。ルナの奴とはこの前会ったばっかだし、《赤い星座》の連中も知ってるぜ。この間そこの麺屋の屋台で《剣獣》と《血塗れ(ブラッディ)》の兄妹がうどん啜ってやがったよ」

 

「……自由奔放ですね。本当に」

 

「因みに俺もちゃっかり一緒に食ってたけどな。《剣獣》の方な、食べ歩きが趣味なんだと。思わず奢ってやるって言ったら、妹の方が食うのなんのって。危うく財布の中身を空にさせられそうな勢いだったぜ」

 

「ごめんなさいちょっと何言ってるのか分からないですね」

 

 情報を掴むために対象となっている人物に偶然を装って近づくのは諜報員として活動していく上ではままあることだが、彼の場合行動が無作為過ぎて読めない。

 恐らくその二人と食事を共にしたのも、情報を聞き出すとか釘を刺すとかの目的があったわけではなく、「ただ面白そうだからやった」だけなのだろう。

 しかしまぁ、彼ほどの実力があれば万が一にも”噛みつかれる”事はあるまい。あれであの二人はただの頭の悪い戦闘狂ではない。狂犬は狂犬でも、噛みつく相手はちゃんと見極める類いのモノだ。

 

「―――執行者No.0《道化師》カンパネルラが恐らく”見届け人”でしょう。それと、《経理部》の人間が『IBC』の金銭の流れに不自然な箇所を見つけました。数箇所の架空口座に、合計で数億ミラ以上もの大金が流れ込んでいます。

 恐らく金はそのまま《結社》の下に流れたのでしょう。第六使徒のF・ノバルティスが関わっているという情報もあります。……連中がどんな”切り札(ジョーカー)”を持っているのかまでは、まだ憶測の域が出ないのでお伝えできませんが」

 

「いんや、充分だろ。あの変態ジジイが関わってる時点でロクな事じゃねぇのは確かだが、どんなエモノを引っ張り出して来るのかくらいは想像できる」

 

「…………」

 

 曰く、集積化導力演算器マーズを搭載した半自立型大型戦術兵器。それを《ゴルディアス級》と称し、《結社》の傘下である《十三工房》の一角が今も研究を続けているという話は、《結社》時代から《マーナガルム》に所属している《整備・開発班》の面々から聞いた事があった。

 元《執行者》No.XV、《殲滅天使》レン。唯一彼女が制御に成功した戦術兵器《パテル=マテル》をオリジナルとして設計・開発が進められていた《ゴルディアス級》の最終兵器―――それがもし完成していたのだとしたら、いずれ訪れるであろう時に持ち込まれる可能性は非常に高いと言えるだろう。

 

 無論、それは仮想の話に過ぎない。あやふやな推測で動くわけにはいかない身としては何とももどかしいというのがマイヤの本音だった。

 そんな心の中を察したのか、煙を吐き出した後にアスラは吐き捨てるように言った。

 

「だが、こりゃあある意味僥倖だ。あの銀行屋がまさか巨大ロボを用意して悦に入るのはちっとばかし意外だったが、少なくともブチギレた帝国と共和国の連中を軽く返り討ちに出来る程度の戦力がなきゃ話にならん。俺らの計画も全てパァだ。

 ま、共和国の方は出来るだけ被害を軽微にして貰いてぇってのが本音だが、その分帝国軍は()()()()()()()()()()()()()

 

 ひょいと釣竿を上げて何も掛かっていない事を確認してから、アスラは僅かに眉間に皺を寄せた。

 

「……ま、その為にガキ一人に丸々負担掛けなきゃならねぇってのが情けねぇがな。あぁ、クソ。性に合わねぇな」

 

「相変わらず、暗殺稼業には向いてない性格ですね。アスラさん」

 

 クスリと、ページに目を落としたまま苦笑するマイヤ。それがどうにも居心地悪く感じられたのか、アスラは再び針先に餌を付けてエルム湖の水面に糸を垂らした。

 

「仕事で殺さにゃいけねぇって時は戸惑わねぇよ。それが俺の業だからな。だがな、殺しとは関係ねぇところでガキが重荷背負わされてるトコとか見たくねぇんだよ。いい歳した大人連中がよってたかって責任を押し付ける様子なんざ、個人的には腸煮えくり返ってるがな」

 

「なら、自由に動けばいいじゃないですか。レイ君にもそうお願いされたんでしょう?」

 

 もしクロスベルが戦火に晒されて、それでも諦めずに、投げ出さずに戦おうとしてる奴を見かけたらさ、助けてやってくれよ。お願いだ―――そう頼まれたのならば、そう動けばいい。

 確かにそうだ。マイヤと比べれば、彼は比較的縛られているモノが少ない。しかしアスラは、僅かに皮肉じみた表情を浮かべた。

 

「そりゃそうなんだがな―――いや、俺はアイツと違ってクロスベルに対する愛情とかは正直ないんだわ。だからここに住んでる奴らの為に、とか言われても正直ピンと来ねぇし、命賭ける理由としちゃあちっとばかし軽すぎる」

 

「…………」

 

「だから俺は、リーシャ(アイツ)の為に命張るんだよ。アイツが進むと決めた道をブン殴って切り開くのが俺の役目だ。その過程で救うモンがあれば残らず救う。んで最終的に全部救えればオールオッケーだ。単純な話だろ?」

 

 どこが、と思わず言い返したくなる感情を制して、マイヤはまたまた溜息を吐いた。

 それがどれだけ難しいか、恐らくこの青年にも分かっているだろう。最愛の恋人の為に命を張るというのは、まぁ分からなくもない話ではあるが、その過程で全部救っていくというのは傲慢に過ぎるというものだ。

 必ずどこかに、綻びが出る。救えなかったものが必ず出る。諜報員として潜入している以上、他者の命を盾にしてでも生き延びて正体を隠し通し、任務を全うするのが自分の役目だとマイヤは理解していたし、恐らくそれが一番正しいのだろう。

 だが、この男はいとも簡単にそれを成し遂げてみせると言ってみせたのだ。彼女の使命も何もかもを嘲笑うようにして、絶対的な自身と実力を以て。

 

 

「―――そうですか。では、この辺りでお開きにしましょう。また、機会があれば」

 

 気付けば、逃げるようにしてその場から去っていた。

 中身が空になったジュースの容器をゴミ箱の中へと放り捨てて、マイヤは燦々と降り注ぐ太陽の光に目を向けていた。

 

 己は影だ。歴史の影に潜み、情報を掠め取って生きていく卑賎の存在。

 そこに本物の情愛などあってはならない。もし命が下れば、このクロスベルで過ごした2年間の内に出来た思い出の全てを躊躇わず破却して姿を消さなければならない。

 劇団での思い出は、正直濃すぎたと言っても過言ではない。役者と裏方のスタッフが一丸となって作り上げる作品。それを演じ尽くす事に満たされるものがなかったのかと問われれば、恐らく彼女は答えに窮するだろう。

 

 熱心に舞台の良さを説いてくれた太陽のような先輩アーティストがいた。どこからか拾われてきて、いつの間にか劇団で働く事になった面倒の見甲斐がある後輩がいた。

 そして何より―――切磋琢磨して来た同期であり、親友がいた。

 

 彼女は一体どうするのだろうか。如何なる状況に置かれても”凶手”としての役目を全うするのか? はたまた、全てを投げ捨ててでも正直に生きていく道を選ぶのか?

 自分は元より、それに悩む事もなかった。なかったはずだった。諜報員《鬼面衆》として、過ごした日常をあっさりと逡巡する事すらなく破却できるものだと、そう思っていた。

 

 ならば―――今この胸に蟠っているような感情は何だ?

 ()()()()()()()と、駄々をこねているような靄がかかった感情は何だ?

 

 

 そんな答えの見つからない自問自答を繰り返していると、エルム湖を移動してきた遊覧船が港湾区の波止場に近づいてくる音が聞こえた。

 恐らくあれに乗って、リーシャが帰って来たのだろう。そう推測を立てると、マイヤの進む足の速さは自然と速くなっていた。

 

 今のこんな姿を、見せるわけにはいかない。

 

 その感情は紛れもなく、()()()()が抱いた素直な劣等感だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 どうも。何をトチ狂ったか、場面をクロスベルに引き戻した十三です。
 いや、理由はあるんです。今の状況下でこれを書かなくては、もうクロスベルがしっちゃかめっちゃかになっちゃうので。

 今回は《月影》構成員、マイヤ・クラディウスちゃんの話でしたが、次回はアスラとリーシャの過去話でも書こうかなと。今書かなきゃうやむやになりそうで怖いんです。いや、ホント。

 あれだ、きっと。この頃アニメの『ジョーカー・ゲーム』にハマって原作も買ったもんだから”情報戦”みたいなのも書きたくなっちゃったんだそうなんだ(汗)
 ……どうか見てやってくださいお願いします。


PS:『BLACK LAGOON』に遅まきながらハマった自分がいる。あの作品見てるとタバコ吸いたくなってくる。いや、私タバコ吸わないけど。
 アリオスさんも張の兄貴みたいな鉄のハートを持ってれば良かったのに。兄貴マジカッコいいっす。バラライカの姉御? あの人はホラ、次元が違うから。
 というか猟兵時代のサラって、性格まんまレヴィっぽかったんじゃないだろうか。あそこまで荒んではいなかっただろうけど(笑)

PS:FGO→おう、イベあくしろよ。


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断章 想い想われ、月恋焦がれ ※  ーin クロスベルー




「それなら、私があなたにその心を贈りましょう」

「あなたは私に光を教え、私はあなたに恋を教える。その尊さ、素晴らしさを十全に」

   by クラウディア・イェルザレム(Dies irae ~Interview with Kaziklu Bey~)








 

 

 

 

 

 

「駄目だな。話にならん。出直して来い」

 

 某国の深い森林地帯の中で、そんな声が低く響いた。

 その声を発した男は、ポケットから徐に煙草のケースを取り出し、愛用のジッポライターでその先に火を点ける。黒ずんだ血のような色の髪が木々の間を抜ける風に煽られる様を見ながら、その眼前で地に沈んだ黒装束の人物は震える足で何とか立ち上がろうとしていた。

 

「実力はまぁ、”準達人級”の入り口ってトコか。そこは認めてやるよ。まだそんなに歳も行ってねぇだろうに大した練度だ。

 だがな、お前さんには圧倒的に実戦経験が足らなすぎる。こんな小賢しい方法で達人級()を殺せると思ったら大間違いだ、馬鹿」

 

 そう言いながら、アスラ・クルーガーは足元に落ちていた札の一枚を掴んでヒラヒラと揺らした。

 

「『爆雷符』つったっけ? まぁそこそこの威力だわな。そこいらの奴らなら一撃でK.Oできるだろうよ。だけどあれだ、こんなモンで俺を殺したかったら、()()()()()()()()()()()。そうしたら本気で対処してやる」

 

 不遜にして強者。そもそも”彼ら”はそういう存在だ。

 武芸を極め、そしてその先に至った条理より外れた人間たち。彼らにしてみれば例え常人から見れば常識はずれな事であろうとも、それが”普通”と罷り通る。

 

 呪符を媒介にした至近距離での爆裂。単純ではあるが、それが『爆雷符』の効果だった。

 大抵の人間が相手ならば、確かに一撃で仕留める事ができる。だが、目の前のこの人物はそれをまるで鬱陶しい蠅を振り払うかのようにして弾いた挙句、爆風に巻き込まれても尚無傷のままに平然と煙の奥から出て来たのだ。

 

 

「俺ぁ別に敗者に鞭打つような性格でもねぇんだがな。それでも言わせてもらうとお前、てんでなってねぇ。早いうちに”先代”とまでは行かなくとも格上相手の戦闘も慣れとかねぇと《(イン)》の名前を地に貶めるぞ」

 

『ッ……‼』

 

 己に対しての辛評については、とやかく言うつもりはなかった。

 結果的に自分は負けており、その状態で勝者である彼の言葉に対して反論を返そうものならば、それはただの負け惜しみになる。それは、卑しくも”凶手”の一角として殺しを生業とする者として越えてはならない一線だった。

 だが、《(イン)》の名について、部外者であるこの男にとやかく言われる謂れはなかったし、ただ単純に癇に障った。

 

『お前に、何が分かる‼ お前が《(イン)》の何を知っていると言う⁉』

 

「いや、知ってるんだよなぁそれが。元々ウチの爺様と先代の《(イン)》が良い感じのライバル同士だったみたいでよ。話だけは昔っから聞かされてたんだわ。

 んで、俺もちょいと昔《(イン)》のオッサンと戦りあう機会があったんだが―――ありゃあ強かったわ。邪魔が入らなかったら俺負けてたかも知れんね。流石、《鋼》の姐さんに膝つかせたことがあるっていう絶技の持ち主は格が違ったわ」

 

 ケラケラと笑いながらそう言っていたが、その声色の中にはどこか悔しさのようなものが滲み出ていた。

 恐らく彼は、いずれ先代《(イン)》と再び戦り合うつもりでいたのだろう。血沸き肉躍る生死の境を彷徨う闘争を望んでいたに違いない。

 

 だからこそ、次代の《(イン)》の弱さに失望を禁じえなかった。

 同じ黒ずくめの装束と同じ得物を使っているというのに、練度も気迫もまるで違う。アスラとしては未熟な身の上の人間を蔑むつもりなど微塵もなかったのだが、それでもやはり見比べてしまうのは仕方のない事だっただろう。

 

 故にアスラは、次の言葉を出すことに躊躇いはなかった。

 

 

「んー……よし、分かった。お前さん、次からいつでも何度でも俺を殺しに来い」

 

『……は?』

 

「いやだから、命令だとか仕事だとか関係なく、いつでも俺を襲撃しに来いって事だよ。俺ぁ今回のお前さんの仕事の失敗を口外する気はサラサラねぇからさ、もしその中で俺を殺せたら、お前さんが初めて受けた依頼は結果的に”成功”に終わるって寸法だ。悪くねぇ話だろ?」

 

『……待て、お前にメリットが欠片もない。何故、そんな事を提案する』

 

 極度の戦闘狂(バトルジャンキー)なのか? と半ば本気で問うと、彼は「まぁ、否定はしないがよ」と苦笑してから短くなった煙草の火を靴の裏で揉み消した。

 

「我慢ならねぇんだよ。俺の観点から言わせて貰えば、このままだとお前さんは近いうちに死ぬぞ。裏家業ってのはそういうもんだ。

 東方には『井の中の蛙大海を知らず』って諺もある。だから俺がお前さんを井戸の中から引っ張り出して海の荒波に慣れさせてやろうって言ってんだよ」

 

『質問に答えていない。それが、お前に何のメリットがあると言う?』

 

「んなモンねぇよ。ただの俺の矜持だ。まぁ、強いて言うなら―――」

 

 ニヤリと、それこそやはり強者の余裕とも取れるような笑みを浮かべ、アスラは自らが叩きのめした”才能の塊”を見やる。

 

好敵手(ライバル)が欲しいんだよ。《結社》抜けてからこの方、本気で戦り合える奴がどうも見つからなくてな。見つからないなら自分(テメェ)で育てるのも一興ってモンだろう?」

 

『……その未熟者が、いずれ貴方を殺したとしても、ですか?』

 

「一向に構わねぇな。寧ろそこまでする気概がねぇとこっちが困るってモンだ。まぁ、これでも納得行かねぇってんなら先代のオッサンに対する義理だと思ってくれ。あの人にゃあ随分と学ばせてもらったんでね」

 

 そこまで言い切るとアスラは、はたと気付いた様子になって徐に未だまともに動けない《(イン)》の額を仮面の上から小突いた。

 

「あぁそれと、”暗殺者”になるならもっとなり切れ。ところどころお前さん”素”が出てるぞ。―――まぁ、年頃の娘にそれを強要するのも酷か」

 

『ッ……‼』

 

 自分の正体が、性別が気付かれていたという事に対して内心で狼狽した。

 伝説の凶手《(イン)》は不死の存在―――たとえ幾程の月日が流れようともその技は衰えず、その姿は老いず、闇の世界に君臨する畏れでなくてはならない。

 それを父から言い聞かされてきた為に、その名を継いでからは内功を操って体格を変え、声も男性のそれに偽装した。余程の事がなければ気付かれるはずがない―――そう思っていたが、ここで彼女は重大な事に気付いた。

 

 そも、目の前のこの男は自分以上に氣の扱いに長けている武人だ。

 それも”達人級”ともなれば、拳を一合交わすだけでも違和感に気付くだろう。恐らく相対した初期の段階で彼はそれを看破しながら、しかしそれでも戦いを続けた。

 男も女も関係ない―――まるで言外にそう言わんばかりに。

 

「関係ねぇんだよ。殺し合いの場であれば、男も女も関係ねぇ」

 

 アスラはそんな心の中の言葉を察したようにそう言った。

 

「世の中にはたとえ生きるか死ぬかの瀬戸際であってもフェミニストを貫く野郎もいるがな、俺にしてみりゃそいつは馬鹿馬鹿しいにも程がある。女を殴れない? 殺せない? あぁ、平時ならそりゃあ大切だろうよ。実際俺もそうしてるしな。

 だけどな、どっちも覚悟決めてる状況でンな事考えるのはただの侮辱だ。馬鹿げてる。たとえその後にテメェで首括りたくなるような後悔に襲われても、その状況に首突っ込んだ判断を呪って殺すべきだ。業は墓の中まで持って行く。教会連中が謳ってる天国とやらに行けなくても、俺は一向に構わねぇしな」

 

 あぁ、と彼女は理解した。

 この男には決して揺るがない”覚悟”がある。闇の世界で生きていく上で最も必要となるそれを、彼は確固たるものとして固めている。

 それは、自分自身とは大違いだった。常に心の中に細波のような揺らぎがある自分とは、何もかも違う。

 

『―――いいだろう』

 

 それならば、もし、彼を狙い続ける中でその心中を更に推し量る事ができるのならば。

 

『夜道、寝所には気を付けろ。私はこれから幾度もお前を狙う』

 

 自分は”暗殺者”として完成できると、そう信じた。

 

 その宣言は、今の自分が可能な限り醸し出せる殺気を込めた。しかしやはり、彼はそよ風に煽られた程度の感触しか持たず、良い笑顔を浮かべて音も立てずにその場から去った。

 

 

 長い、長い付き合いになる。

 そのことを《(イン)》―――リーシャ・マオは心のどこかで理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し歩こう。リーシャはミシュラム・ワンダーランドで休暇を過ごして帰ってきた自分を迎えに来てくれたアスラにそう言われ、彼女は頷いた。

 

 翌日からはまた公演に向けたハードな練習が始まるとはいえ、休養そのものはたっぷりと取らせてもらった身としては疲れは全く残っていない。それに、大好きな男性に誘われたとあっては、彼女が断る理由は何一つとしてなかった。

 リーシャは港湾区でロイドたちに別れを告げ、まず向かった先の『龍老飯店』で昼食を済ませた後、二人は東クロスベル街道を悠々と歩いていた。

 

 天気は快晴。夏もそろそろ終わりに差し掛かってきたとはいえまだまだ暑さは変わらないが、それでも外を歩く分には草々の間を這うように駆ける風が心地よく、不快には感じられなかった。

 

 

「どこに行くんですか? アスラさん」

 

「ま、ちっとな」

 

 曖昧な返事を返しながらアスラが足を進めたのは、クロスベル市内からそれほど離れていない場所に建っている、エルム湖の観測施設。とはいってもこの場所は既に封鎖も同様な環境になっており、ここを目的に立ち寄る人物などそうそういない。

 しかしアスラは勝手知ったる場所のように口笛を吹きながら施設内に入っていく。リーシャは不法侵入も同然の行為に一瞬だけ中に入る事を躊躇ったが、手招きをするアスラに着いて行き、施設内に入っていった。

 

「ここには、よく来るんですか?」

 

「あぁ。誰にも邪魔されずにボーッとしたい時なんかはな。街中はなんつーか、色々ゴチャゴチャしてて落ち着かない時がたまにある」

 

「あー……ふふっ、分かります。今では結構慣れて来たんですけどね」

 

 そう言いながら施設内の階段を上がっていき、上階に辿り着いたところで再び外に出た。

 一瞬だけ強い風が吹き抜け、咄嗟にリーシャは目を瞑ってしまったが、目を開けると眼前には予想以上の光景が広がっていた。

 

「わぁ……っ」

 

 クロスベル市より高台に位置するこの観測施設からは、市内の様子が一望できる。

 エルム湖の様子から、IBCとオルキスタワーという大陸最先端のビルディングが並んで見える光景、2年間暮らしてきたクロスベルという街を、こういった形で俯瞰するのはリーシャは初めてだった。

 

 

「こうして見ると良く分かる。大陸の最先端を極めた都市ってのが、どんだけ煌びやかなモンかってのがな」

 

「えぇ、そうですね」

 

「……逆に言えば、その煌びやかな平穏ってのがどれだけ危ういかってのもまた分かっちまう」

 

 スッ、とアスラが指を指した先。西の方向に視線を向けると、地平の彼方に小さく見える軍事施設。

 クロスベル側にあるそれとは違い、エレボニア側にあるそれは―――余りにも圧倒的で、巨大だった。

 

「……ガレリア要塞、ですね」

 

「少し前、通商会議に”邪魔”が入ったのと同時期に、あの場所も帝国側のテロリストに襲撃されたらしい。―――情報に寄れば《結社》の”武闘派”執行者二人も加勢したんだと。全く、よく生き残ったモンだぜ」

 

 現実的な問題に話を引き戻すのはアスラとて本意ではなかったが、それでも起こった事は純然たる事実である。

 クロスベルは謂わば、西ゼムリア大陸に於ける火薬庫だ。帝国か共和国か、どちらかの内戦の火の粉が漂って来ただけで大爆発を起こす恐れがある。

 そしてそれは逆も同様。クロスベル内で”放火”が起きて一つの爆発が起これば、それは連鎖的に帝国と共和国にも飛び火する。

 

 猟兵団などの戦争屋や各国の軍事参謀などは恐らく大半が気付いているだろう。

 西ゼムリア大陸は、そう遠くない内に安寧という仮初の姿を打ち破って戦火に巻き込まれる。それがどのような形であれ、今のままではクロスベルという地が一風変わった名前となって地図上に載るハメになるだろう。

 

「さて、優等生のリーシャ・マオ君に質問だ。―――タイムリミットは後どれくらいだと思う?」

 

「―――恐らく、年内には大きく動くと思います。或いは全部、終わるかもしれません」

 

「及第点だ。俺もそう思う」

 

 悩む様子もなくリーシャがそう言ったという事は、彼女も彼女でこれからのクロスベルの姿をシュミレートしていたのかもしれない。

 ”クロスベルの国家独立宣言”などという、火薬庫に自ら火を放り込む真似をすれば、必ずや二大国が動く。経済的に、そして或いは軍事的に。

 

「んじゃあ、それを踏まえてもう一つ質問と行こうか」

 

「えっ?」

 

「そういった状況の中で―――()()()()()()()()?」

 

「――――――」

 

 《黒月(ヘイユエ)》に雇われているカルバード伝説の凶手《(イン)》として動くか。

 劇団《アルカンシェル》のアーティスト、リーシャ・マオとして動くか。

 

 それは、最近リーシャが常に悩み続けていた事であった。

 本来の自分の姿は凶手―――暗殺者だ。《(イン)》として生き、そして《(イン)》として死ぬ。奪った命と魂の嘆きを全て背負って、闇の世界をただ生きる。それが彼女の本来の生き方だったはずなのだ。

 だが、”太陽”に照らし出されてしまった今、彼女は光の一面も持って生きている。それは決して消し去る事のできない色鮮やかな記憶であり、これを抱えたままでは、闇の世界は生き抜けない。

 

 もし彼女が、ただの一人で抱え込むことになっていれば、それは恐らく激しい葛藤を生んだ事だろう。

 だが、違う。彼女の隣には今、これ以上ない程に頼もしい―――恋人がいる。

 

 

「……アスラさん」

 

「ん?」

 

「もし私が、《(イン)》としての役目の何もかもを投げ出して、ずっと光の世界で生きていたいって言ったら―――どうします?」

 

 卑怯な質問だと、彼女自身分かっていた。

 自分が答えを出さねばならない葛藤を、恋人に委ねる。他力本願と誹られても文句は言えないと分かっていても尚、そう訊かざるを得なかった。

 しかし、アスラは―――。

 

 

「何言ってんだアホ。ンなもん俺もお前に着いて行くに決まってんだろうが」

 

 一瞬たりとも悩む様子など見せず、逆に呆れたような口調でそう返してきた。

 余りにもサッパリとしすぎたその答えに、逆にリーシャの方が呆けてしまったほどだ。

 

「お前がアーティスト一本で生きていきたいってんなら、あぁ俺も裏家業は引退だな。誰も殺さねぇし、そういった世界に関わらねぇ。

 つっても今までの業が消えるわけでもねぇから死んだ後は煉獄行きだろうが……まぁそれは別にどうでもいい。お前と一生生きていけるだけで、俺は充分だしな」

 

「え、ちょ、ちょっと待って‼ あ、いや、待ってください‼ アスラさんはクルーガー家の当主で……」

 

「生憎と俺はこんな性格だからな。名門のお家の当主とか死ぬほど似合わねぇんだわ。ま、当主になりたいって言ってる有能な分家の奴らは腐るほどいるし、爺様もそれは了承済みだ。

 無位無官なんざ上等だよ。どうやら俺たち姉弟は揃いも揃って愛に生きる阿呆だったらしい。俺の人生の隣にゃ、お前がいてくれるだけで良い」

 

「あ、う、うぅ……」

 

 相も変わらずの直球の告白に、堪らずリーシャの頬に熱が灯る。

 しかし、アスラの方はと言えば気恥ずかしさの欠片も見せていない。歳はたった4歳しか違わない筈なのに、どうしてこうも違うのだろうか。

 

 何故か悔しくなったリーシャは、しかし言い返せる言葉を持たず、拗ねたように視線を再び絶景の方へと向けた。

 高い場所に居るせいか、頬と髪を撫でる風も、些か涼しく感じる。山岳地帯から直接流れ込んで来るから、余計にそう思うのだろう。

 

 そういえば、あの日もこんな風が吹いていたなと、リーシャは思わず懐古に耽るような仕草を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 次からいつでも俺を殺しに来い―――そんな挑発的な言葉を受け入れてから随分と時間が経った。

 

 

 《(イン)》―――リーシャ・マオはその通り、幾度もアスラ・クルーガーという青年に対して奇襲・夜討ちを仕掛けた。

 酒場で良い感じに酔っぱらって帰っていた夜道、寝息を立てていた安宿の寝所、豪雨の日の森林地帯、果ては何の変哲もない時間帯でのすれ違いざまなど、ありとあらゆる時間帯・場所で彼の命を狙い続けた。

 

 報酬も何もない。ただ彼女が《(イン)》という名を確固たるものにするためだけの、言ってしまえばプライドの行動だ。

 

 誤解がないように言っておけば、彼女は何も殺人と言う行為そのものを愉しんでいるわけではない。寧ろ任務外の殺人は忌避しているくらいだ。

 だが同時に、結構な”負けず嫌い”でもあった。自分を徹底的に叩きのめした挙句、とどめを刺す事無く「好敵手が欲しい」という戦闘快楽的な理由だけで見逃され、放置されたのだ。卑しくもプロの末席を担うものとして、その軽薄な行動原理に忌避感を覚えたのも事実だが、それよりもまず「ここで退いたら一生負け続ける」という思いが彼女の中にあったからである。

 

 

 そして当然のことながら、アスラはそんなリーシャの多種多様な奇襲を全て難なく回避してみせた。

 

 たとえどれだけ泥酔している状況を狙っても、彼は暗器の攻撃を確かな体捌きで避けてみせた。そして、仕掛けてきたリーシャの方を向いて、()()()()()()()()微笑んだ。

 たとえどれだけ爆睡している状況を狙っても、彼は大剣の一撃を二本の指で挟みこむだけで止めてみせた。そしてでわざと大欠伸をかましてから「良い夢を見てたんだ。遮らないでくれ」と冗談交じりに言った。

 たとえどれだけ視界が悪い中を狙っても、彼は視覚などまるで最初から頼りにしていないとでも言わんばかりに対処してみせた。そして撃退した上で「はい不合格」と軽妙な口調で突きつけた。

 

 

 皮肉な事だが、アスラへの襲撃回数をこなすごとに《(イン)》としての彼女の力量は上がっていった。

 

 困難な仕事を依頼されても難なくやり遂げる。凄腕と呼ばれる用心棒を前にしても難なく打ち倒す。

 それらの仕事は常にどのような方法でアスラを驚愕させようかと考え、それを実行し、悉くが失敗している彼女にとっては”温かった”。

 

 ”達人級”の強さは嫌という程痛感して来た。或いは最初の一戦で徹底的に身に刻まれたと言っても過言ではなかったが、襲撃の回数を重ねるごとにその恐ろしさは骨身に沁みた。

 まさに”理不尽”だ。彼女の父もそうであったが、一体どのような修練を積めばあのような人外じみた身体能力を持つに至るのか見当もつかない。

 そんな人物に較べれば、不特定多数の人間が”凄腕”と評する人間の強さは大したことはない。いつの間にか彼女の中での「難しい仕事」と「簡単な仕事」の線引きは、アスラ・クルーガーという青年を基準に引かれるようになっていった。

 

 

 

「毎回毎回、ようも飽きんねお前さん」

 

 そう呆れ半分、感心半分に言いながら、アスラは安物のティーパックで淹れたアイスティーをリーシャに差し出した。

 毒や催眠薬の類は入っていない。つい数分前まで本気で命を狙われていたというのに、彼の心は全く動じている感じはなかった。

 

『当たり前だ。お前を殺すその時まで、私は諦めない。―――あ、コレ美味しい』

 

「市場で見つけた良い感じのレモンを入れたからな。後お前さん、また地が出てる」

 

『っ―――ゴホンゴホン』

 

「ったくよー。結構長い付き合いになるんだし、そろそろ顔くらい見せてくれてもいいんじゃねーの?」

 

『……お前の実力なら仮面を剥がす事くらい容易にできるだろう』

 

「そういうのは趣味じゃねーのよ。一度レイ―――あ、俺の弟分ね。そいつと協力して《鋼》の姐さんの兜を破壊した事はあったけどな。ありゃあ例外だ」

 

 呵々と笑いながら、彼もまたアイスティーを啜る。カラン、というグラスの中で踊る氷の音がやけに空しく聞こえた。

 

 

 襲撃が失敗に終わった後にこうして場違いなお茶会に突入するようになったのはいつくらいからだっただろうか。

 暗殺に失敗して、悔しさを滲ませながら早々に撤退しようとしたときにアスラが「あ、オイちょっと待て。良い感じの茶が手に入ったんだけどよ、一杯どうよ?」などと素っ頓狂な提案をして来た時は、余りの場違いさに怒鳴り散らしてしまったほどだ。

 

 馬鹿にしている。侮辱している。―――最初の方はそう思って憤懣やるかたない感情を引きずっていたのだが、その後も襲撃失敗の度に毎度毎度茶に誘われ続け―――気付けば根負けしていた。

 傍から見れば、これ程珍妙な様子もあるまい。命を狙った側と、命を狙われた側の”暗殺者”同士が向かい合って茶を飲んでいる光景など、同業者が見たら目を疑うに違いない。

 

 最初はリーシャも警戒した。飲み物に薬の類が混入されているのではないかという至極まっとうな警戒心だ。

 しかし結局一回も、彼は飲み物に薬の類を入れてはいなかった。ただ単純に他愛もない話を喋り、或いは襲撃の失敗理由などを真剣に話し始める。

 そうした事を繰り返すうちに、リーシャもそれ程思考を巡らす事もなくなった。有体に言えば「考える事そのものが阿保らしい」と思うようになったのだ。

 

 

「しかしまぁ、最初の頃に較べりゃあ随分と巧くなったよなぁ。最近じゃ半径300アージュくらいまで近づかれないと気付かなくなってきた」

 

『あの、それもう暗殺者の射程範囲じゃないんですけど……』

 

「加えて、体捌きも巧くなった。もうお前さん、”準達人級”の中でもそこそこの階梯に居ると思うぜ?」

 

 いつものように銜え煙草をゆらゆらと揺らしながら言っていたが、言葉そのものは真剣だ。軽口ではない。

 ただ純粋に、自分の成長を認めてくれている。―――そう思った瞬間、リーシャは胸の内に何かモヤモヤするものを抱えるようになった。

 

 いつからだったか、アスラはリーシャの事を「《(イン)》の後継者」として見る事を止めていた。

 彼女自身の成長を褒め、喜び、次こそは俺を殺して見せろと、そう屈託ない顔で言ってみせる彼の姿が、どうにも脳内から離れなくなる。

 

 

「結局、どれだけ強くなれるかってのは、どれだけ覚悟と目的を持ってるかによると思うんだよなぁ」

 

『…………』

 

「目的がなけりゃ強くなれん。俺ぁ爺様みてぇな強さが欲しくて毎日アホみたいに鍛錬繰り返してたなぁ。

 強くなりたいなら何処を目指して、何を目標にいつまで続ける? そこんとこハッキリしねぇと、結局中途半端で終わっちまうぜ」

 

 なぁ、お前さんは何処に行きたいんだ? ―――その言葉は、現在に至るまで耳に残り続けている。

 

 飽くなき勝利の追跡者。ただ純粋に強くなりたいと願い、その為に突っ走ってきた男性。彼は自分を阿呆だ馬鹿だと言いながら、それでも後悔している様子は微塵もない。

 自分より強いやつに殺されるんなら、それも良い。―――本気でそう考えてやまない人物なのだ。そして今、その候補に自分を置いて彼なりに育て上げようとしている。

 

 はたと、根本的な疑問に気付かされた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()() という、根本的で、しかし一番重要な疑問。

 

 それに気付いてしまった瞬間、リーシャはアスラから少しばかり距離を取るようになった。

 襲撃はやめない。命は狙い続ける。だが、その後に彼と語らい合うのはやめた。

 気の置けない関係に身を置けば置く程、彼女の心が軋み始めた。いずれは殺さなくてはならない相手。殺さなくては前に進めない相手。彼が物言わぬ屍になるところを見届けなければならないのに、だがそれを()()()()()と思ってしまっている自分がいたからだ。

 

 これで良かった。こうでなくてはならなかった。あくまで自分と彼の関係は、殺す側と殺される側でなくてはならなかった。

 余計な同情など無用。馴れ合いなど路傍に捨ててしまうのが一番だと己に言い聞かせ―――しかしその度に胸の奥が切なくなってくる。

 

 それが『特別な感情』の発露であったなどと、当時の彼女は思わなかっただろうし、思えなかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、その関係が変わったのは、リーシャが初めてアスラに敗北を喫してから実に1年が経とうとした日だった。

 

 

 

 

 その日も、残暑の熱が未だ残る季節だった。リーシャはいつも通り《(イン)》として暗殺の仕事をこなし、その帰投の途中で次の襲撃計画を頭の中に描いていた。

 仕事を行った場所と、恐らく今彼が泊まっているであろう安宿の距離は幸いにも近かった。時刻はちょうど夜も更けた丑三つ時。タイミングは悪くない。

 さて、どのような形で襲撃を仕掛けようか……などという事を頭の中で反芻していると、不意に、周囲の空気が冷え込んだような感覚がした。

 

 否、その感覚は間違っていなかったのだろう。

 

 リーシャがいたのは、つい数ヶ月前に勃発した紛争の影響で瓦礫の山と化していた地方都市の一区画。見るも無残な建物の跡地だけが墓標のように立ち並び、人の影は存在しない。そんな場所だった。

 通り抜けにはちょうど良い場所だろうと選んだ場所であったが、その月下に照らされた荒れ果てた地面、ちょうどリーシャの目の前に、いつの間にか一人の人物が佇んでいた。

 

 頭から靴先の僅か上まですっぽりと覆い尽くすローブ。色は光すらも反射しない程に黒一色であり、それだけでは何者か窺い知る事はできなかった。

 しかし、首から吊り下げられていた”それ”が、その人物の最低限の身元を証明していた。それと同時に、フードの下から除いた鮮血の如き真紅の双眸が、先程の冷気―――否、寒気の正体を表していた。

 

 黄金に輝く、星杯の紋章。

 巡回神父などでは断じてない。ならば《星杯騎士団(グラールリッター)》の正騎士? ―――否、否。この悍ましさは―――。

 

 

「失礼を。カルバード共和国を拠点に活動している凶手、《(イン)》殿とお見受けいたします。ハイ」

 

 フードの奥から聞こえて来たその言葉は、いやに機械的な声だった。

 それと同時に、この人物が女性であると確信した。月光に照らされた部分をよく見れば、真紅の双眸に、揺れる黒髪。体に纏うものの黒さに比例するように、その肌は褐色肌に焼けていた。

 

『……何者だ、貴様』

 

「所属組織はご覧いただければ分かるかと思います、ハイ。しかしながら所属部門に関しましては口外するのが憚られますのでご容赦くださいますよう。ハイ」

 

 ゆらりと、まるで幽鬼のように体を揺らす。

 まるで柳の枝のようだと、そう思ったリーシャの考えは当たらずとも遠からずといったところだった。しかし、その人物が相当の手練れだという事は一目見て理解してしまった。”死”の臭いが濃すぎるし、何より身に纏う雰囲気が常人のそれとは大きく逸脱している。

 

 ”達人級”―――そう結論付けるのは、難しい話ではなかった。

 

 

『私に一体、何の用かな?』

 

「えぇ、まぁ。”上”の方で近頃貴女の活動が活発になって来たという事が話題に取り上げられまして。ハイ。頭の固ったい枢機卿のハゲ共が「目障り」だなんだと言い始めまして。ハイ」

 

『…………』

 

「貴女が受けて来た依頼。その中に結構な汚職を働いた大司教クラスの元聖職者も混じっていまして。ハイ。……私としてはそんなクソ野郎どもが何人カラスの餌になろうが果てしなくどうでもよろしいのですが、生憎と”上”から命じられた任務に拒否権など存在しないお仕事なのです。ハイ。ですので―――」

 

 

 直後、その人物の姿が眼前数リジュの場所に現れた。

 反応できたのは、恐らくアスラとの幾度となく交わされた交戦の賜物だろう。咄嗟に盾のようにして構えた大剣の腹に、次の瞬間信じられないような衝撃が走った。数アージュ程後ずさりをせざるを得なかった後にその女性の姿を見てみると、その両手にはいつの間にか得物が握られていた。

 

 右手には刀身が漆黒に染まった、櫛状の峰を持つ短剣。俗にソードブレイカーと呼ばれる得物を。

 左手には取っ手の部分と平行になるように太く短い剣身が付いた武器。俗にカタールと呼ばれる得物を。

 

 成程、とリーシャはこの時点で理解する。

 この女性は”同業者”だ。光を好まず、闇に生きる者。絶対必殺を旨とする武人。

 

「……おや、思っていたよりも反応がお早い。ハイ。これは少しばかり本腰を入れねばならないようですね。ハイ」

 

『そうか。そう言えば貴様の名を訊いていなかったな。

 暗殺を行う者が名など素直に名乗らないだろうが、貴様が私の名を知っていて、その逆はないというのは少々不利益だ』

 

 駄目元でそう訊いてみると、女性は僅かに首を傾けて心情が読めない表情を浮かべた後、ぽつりと、呟くように言った。

 

 

「そうですね……ではレシアという名を覚えておいてください。ハイ。―――それでは、”お遊び”に付き合っていただきます。ハイ」

 

 

 そう言い終わると共に、再び月下の戦場跡地に刃同士が軋みあう音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実際、彼女―――レシアは強かった。

 

 常に神経を張り巡らせている戦闘中だというのに、一瞬でも彼女を視界から外してしまうと、途端に周囲の闇に”溶け込んで”しまう。

 そうなれば目で追って探し出すのは難しい。研ぎ澄ませた判断力と直感を以てして、その攻撃が自分の肌を捕える前に反応するしかない。

 

 以前の、1年前の自分ならば不可能だった芸当だろう。アスラの言う通り「井の中の蛙」でしかなかった自分だったら、文字通り最初の一撃で仕留められていた筈だ。

 

 だが今は、劣勢ながらも着いていけている。単純な速さで先んじる事は敵わないが、それでも反応速度では負けていない。

 凌げる―――そう思ってしまった瞬間、リーシャの腹部に衝撃が走った。

 

「か―――はッ……」

 

 一瞬油断していた隙に、上手く潜り込まれたらしい。見事な蹴りを叩き込まれ、再び紙風船のように軽く吹き飛んでしまう。

 意識を失わなかったのは鍛錬の賜物だが、それでも鳩尾に攻撃を受けた事で僅かに動きが鈍くなる。それは、戦闘に速さを求める暗殺者にとっては致命的だった。

 

 眼前。眉間を縦に割るように突き出されたカタールの刃が視界いっぱいに広がった。

 コンマ数秒以下の速さで繰り広げられる戦いの応酬。それにリーシャは一瞬だけ着いていけなくなり、躱す事はできたものの、パキンという小気味の良い音と共に被っていた面は見事に砕け、フードもすっぱりと根元から断ち切られた。

 

「ッ―――‼」

 

 フワリと、闇夜の中に藍色の髪が泳ぐ。同色の瞳が直接レシアの姿を捉え、内心で歯軋りをした。

 

 確かに、強い。

 七耀教会の中でも武闘派の特色を持つ《星杯騎士団(グラールリッター)》の中にあっても、恐らく彼女の戦い方は異質だろう。

 二振りの武器を主軸に戦ってはいるが、その強みは”手数の多さ”に非ず。彼女の攻撃は常に”一撃必殺”を狙っている。心臓を、頸動脈を、頭蓋を、凡そ人体の急所になり得る箇所を僅かも外さずに攻撃してくる。

 一体今まで、何人の人間を殺してきたのか。彼女のその精錬無比な技は、それを知らしめるには充分だった。

 

 実力・経験・戦場に於ける立ち振る舞いと隠形の練度―――全てに於いて自身を上回る”格上”との戦闘。

 だが今のリーシャには、たとえそうであっても臆さない精神的な余裕があった。

 

「……………――――――」

 

 戦闘開始前のそれ以降、僅かも言葉を発しようとしなかったレシアの表情が一瞬だけ歪んだように見えた。そして、直後巻き起こる連鎖的な大爆破。

 吹き飛ばされた際に、舞い上がった砂埃を利用して設置していた複数の『爆雷符』の時間差起動。アスラに敗北してから自己流に改造を重ねたそれは、単純な爆発の威力ではなく、如何に生命機関に致命傷を与えるかという観点を追求した改良を加えていた。

 その分、製作の費用は嵩むため、普段は乱発して使用する事はあまりない。しかし今回は、そんな悠長な事を言っている暇などなかった。

 所持していた全ての『爆雷符』で以て、僅かでもダメージを与える。設置方法はお粗末としか言い様がなかったが、それでも効果は現れるはずと―――そう思っていた。

 

 しかし彼女は、最も大切な事を失念していた。

 彼女自身が察していた筈の事実。そも”達人級”の武人に―――()()()()()()()()()()()

 

 

「な、ん―――」

 

 爆炎と煙が晴れた中で、リーシャが見たのは有り得ない光景だった。

 破壊された建物の影。幾重も重なったその中の一つから、レシアが姿を現した。文字通り―――()()()()()()()()()()

 

「……おかしな話ではありません。ハイ」

 

 この程度は何でもないと、そう言わんばかりの口調でレシアは再び感情の籠らない声を発した。

 

「”闇”は当兵(とうへい)の領域。―――とりわけ”影”は最も身近な領域です。ハイ。ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? ハイ」

 

 その理屈はおかしい、という反論は今まで幾度もアスラに対してして来た事だ。

 彼ら彼女らに”理屈”などというものはあってないようなものである。『出来るのだから可能だ』という、凡そ一般人には理解し難い難事を何事もなかったかのようにやってのけてみせる。

 

 しかしこれで、劣勢は決定的となってしまった。いや、寧ろ敗北は決定だろう。

 笑えない話だ。ただひたすらに一人の男性を見返すためだけに心血を注いできたと言っても過言ではないというのに、まさかそれとはまったく関係のない場所で、こんなに無様に死ぬことになろうとは。

 

 その時、リーシャの脳裏を過ったのは、襲撃失敗後にアスラが自分を茶に誘った時に見せた屈託のない笑顔だった。

 その後も、走馬灯のように次々と思い出す。交わした他愛のない話から、真剣に話してくれたリーシャの力量についての分析、仮面を取るか取らないかの意味のないやりとりも、今となってしまえば懐かしい。

 ズキン、と。胸中に痛みが走る。それは外傷によるものではない。内側から込み上げてくる切なさを、この時点で漸くリーシャは理解した。

 

「(アスラ()()……)」

 

 焦がれていたのだ。家のしがらみなど知らぬ存ぜぬと言わんばかりに自由に振る舞う彼の姿に、そして何より―――どんな形であれ、自分を想っていてくれていた事に。

 ごめんなさい、私は、貴方の好敵手にはなれなかった。―――迫りくる必殺の刃がやけに遅く感じられながら、リーシャはそんな言葉を心の中で漏らした。

 

 

 だからこそ、一瞬分からなかった。

 自分の命を奪う筈だった刃を止め、レシアの体に容赦のない拳撃を叩き込んだ人物の正体が。

 

 

 

「おぅ、星杯の。テメェ人の女に何手ぇ出してやがるんだ」

 

 

 赤錆のような髪を揺蕩わせて、男は低く、そう言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七耀教会『封聖省』所属実働部隊《星杯騎士団(グラールリッター)》。彼らを統率するのは、”聖痕(スティグマ)”と呼ばれる紋章を刻んだ特殊な騎士たち、《守護騎士(ドミニオン)》。

 

 《守護騎士(ドミニオン)》序列第十位、騎士団の中に在りながら唯一騎士団長アイン・セルナートの命ではなく、教会最高幹部である枢機卿以上の命により動く異色の漆黒の騎士。

 《闇喰らい(デックアールヴ)》の異名を持つその人物の名は、レシア・イルグン。

 

 ”達人級”の武人にすら、特定の条件下では恐れられる存在であると、リーシャはそう簡単に説明を受けた。

 

 

「まぁ正直、俺もできれば戦り合いたくねぇなぁ。こんな”夜”なら尚更だ」

 

 拳撃の一発で数十アージュ程レシアを吹き飛ばし、その小柄な体を廃屋の中へと叩きつけた。その仕切り直しまでの時間に、アスラはそう言い切って警戒心をさらに強める。

 

 レシア・イルグンが条理の外の体現者である”達人級”にすら恐れられている理由は、己の存在意義(レゾンドール)そのものすらも希薄にさせる精神の透化能力にある。

 彼女は、”己”という”個”の情報を限界ギリギリ―――それこそ自分自身で”己”という存在を見失ってしまいかねない程にまで薄くできる。人が入り乱れる雑多な環境の中で彼女を無意識に発見する事はまず不可能であり、狙って探り当てようにも成功率はコンマ数パーセントにも届かないだろう。探り当てる前に、此方の首が飛ぶ方が早い。

 

 そしてその真価は、夜にこそ発揮される。

 『影の中に潜り込む』という特殊な技能を持つ彼女は、風景にすらも同化できる強力な精神透化能力とも相俟って、”暗殺者”としては最上級の力を有していると言っても過言ではない。

 たとえ”達人級”であったとしても、夜間に()()()彼女と遭遇した際の勝率は―――2割、持って3割と言われている所以だ。まさに『英雄殺し』である。

 

 

「じ、じゃあ何で来たんですか‼ いえ、そもそも何でここが―――」

 

「まぁ後者の方は俺にも色々な知り合いがいるって事で勘弁してもらってだな。前者の方は―――」

 

 その時、リーシャは斜め下から見えるアスラの口元が、いつもより魅力的に笑った気がした。

 

 

「ま、らしくねぇ嫉妬ってトコかね。誰だってテメェの好きな女を好き勝手されてたらそりゃあ怒るってもんだ」

 

「っ⁉ え、えっ、ちょ……ええっ⁉」

 

 突然の告白に情けない声を出してしまったリーシャだったが、アスラはいつもの様子でそれを茶化すような事もなく、視線をレシアが吹き飛んだ先に固定しながら再び口を開く。

 

「ん? あれ? もしかして気付いてなかった? 気付かれてなかった? っかしーなぁ。最近はとんと断られてたけど茶ぁ飲んだりしてデートしてたつもりだったんだけどなぁ」

 

「ふぇ⁉ で、デート⁉ 聞いてませんよ私‼」

 

「そりゃ言ってねぇってか、言えねぇっての。俺だってアレだぞ、本命の女をデートに誘う時は緊張するんだよ。言わせんな」

 

「…………(パクパク)」

 

「まぁ詳しい事は後で話すとして、今は戦闘に集中しろ」

 

 その言葉に、危うく別世界に行きかけていた精神を寸でのところで引き戻す事に成功した。

 撒き上がった砂煙の中から、やはりダメージを受けているとは思えない様子のレシアがゆらりと歩いてくる。

 確かに今は、目の前の戦闘に集中しなければならない。聞き逃せない言葉の数々は、後でじっくり問い詰める事としよう。―――そう思い、リーシャは体格を隠すために纏っていた《(イン)》の正装を脱ぎ捨て、身軽な装束姿に着替えた。

 

 

「おや、《死拳》殿。如何なるご用向きで此方に? ハイ」

 

「さっき言ったとおりだ《闇喰らい(デックアールヴ)》。俺の女に手ぇ出すなっつってんだよ」

 

「然様ですか。ハイ。では貴方ごとひっくるめて”遊ばせて”いただいてもよろしいですか? あぁ、拒否権は勿論ありませんが。ハイ」

 

「好きにしろ。つーか元々()()()()()なんだろ?」

 

「―――えぇ。()()()()()です。ハイ」

 

 ダラリと、レシアが両腕から力を抜き、全身を脱力させる。

 瞬間、目を逸らしたつもりはないのに、正面からレシアの姿が消えた。

 

 思わず目を見開いたリーシャだったが、先程の説明を聞く限り、これが彼女の”本気”の一端なのだろう。

 通常、隠形術というものは一度対象に姿を知覚されてしまえば以降の効果というものは限りなく薄くなる。それは”暗殺者”としての常識だった。

 だがレシアは、姿を知覚されているのみならず、視線が自分一点に集まっているこの状況で尚、気配を完全に殺し尽してリーシャのみならずアスラの視界からも外れてみせた。

 

 本当の意味で透明人間になったわけではない、という事だけは理解できているが、こうなってしまっては此方が頼りにする五感の情報もほぼ全てが役に立たない。役に立つとすれば最早―――

 

 

「ッ‼ 伏せろッ‼」

 

 アスラのその叫びにほぼ同時に反応して体勢を低くすると、つい先程までリーシャの首が存在したところを、カタールの刃が容赦なく擦過した。

 一瞬だけその姿を現したレシアは、しかし次の瞬間には再び霞のように消え失せてしまう。その様子を、アスラは既に目で追ってすらいなかった。

 

「アスラさん、姿が見えてるんですか?」

 

「んなワケねーっての。目で見えないどころか匂いもしねぇし足音も一切聞こえねぇ。気配も完全に殺してやがる。クソッ、ヨシュアや姉貴でもここまではできねぇってのに……‼」

 

「じゃあ、何で今……」

 

「勘だよ」

 

 第六感(シックスセンス)。真似しようとしてできるものではない。

 ”達人級”の階梯に至るまで積み上げた修練の数と、潜り抜けて来た死地の数が、知覚不可能な死神の鎌から命を守っている。

 それを踏まえてアスラは、背中合わせで立つ少女に向けてとある提案をした。

 

「なぁ」

 

「はい」

 

「お前さん、本当の名前は何て言うんだよ」

 

「……リーシャ。リーシャ・マオです」

 

「ならリーシャ。ちと賭けに乗ってくれ」

 

 少しばかり怪訝そうな表情を浮かべたリーシャに、アスラは指向性を持たせた声で耳打ちをする。

 リーシャは体感で数秒程逡巡したが、結局首を小さく縦に振った。それしか生き残る道が残されていなかったからだ。

 

「そんじゃ行くぜ。1、2の―――」

 

「3‼」

 

 その合図と共に、互いに逆方向に走り出す。

 無論、レシアの刃はその時点でリーシャを襲うが、来ると分かっている攻撃ならば、一撃くらいは凌げる。―――アスラとの戦いで学んだ意地の悪さだった。

 

 レシアが姿を現すのは、攻撃を行う一瞬だけ。それが失敗に終われば、再び彼女は無意識の領域に溶けて消えてしまう。

 しかし、その”一瞬”だけで充分だった。レシアに確実にリーシャを狙わせ、そしてリーシャが確実に次の一撃を凌ぐ。その工程が終わる数秒の間に、踵を返したアスラの拳がレシアの体を捕えていた。

 

「――――――」

 

「おっと、ドロンするのはまだ早いぜ」

 

 攻撃を当てたところで、再び消えてしまっては意味がない。その為アスラは、右手を拳から人差し指と中指を並べて伸ばした形状に変え追撃の一撃を叩き込んだ。

 狙いは鳩尾より上にずれた場所。そこを突かれた瞬間、レシアは初めてその能面の如き無表情を一瞬だけ崩し、膝を地につけた。

 

 突いたのは人体の中で”本当の意味”で急所の箇所の一つ。俗に『経絡秘孔』と呼ばれるそれの一つを突かれ、レシアは一瞬だけ人体の限界に縛られたのだ。

 その殺人秘孔こそが、アスラがクルーガー家に於いて祖父、コリュウ・クルーガーより伝授された殺人拳の奥義であり、真髄でもあった。

 通常の人間が喰らえばまず即死は免れない必殺技。―――しかし氣力を操作する事に長けた”達人級”は、剄の流れをある程度操作する事で必殺を免れる事ができる。―――今のレシアが、まさにそうだった。

 

 しかし、別にアスラはこの時点で仕留められるなどとは露ほども思っていなかった。むしろ本命は、その次だった。

 

 

「……これは」

 

 レシアが一瞬だけ視線を伏せた瞬間に闇夜の中から飛来して、彼女の四肢を捕縛したのは、鈍色の鋼鉄の鎖。

 その一本一本に氣力が通され、破壊するのも解くのも労力を要するそれを仕掛けたのは、廃屋の屋根に立ったリーシャ。その状態で彼女は、己の得物である大剣を構えた。

 

 決めるつもりか―――そう察して”影”の中に逃げ込もうとしたレシアだったが、その足元にとある物が投げ込まれる。

 地面に落ちて甲高い音を鳴らしたそれは、起動前の閃光弾(フラッシュグレネード)。紛争跡地に近しい街であれば払い下げで売られているそれを投げ込んだ男は、ニヤリと不敵に微笑んだ。

 

 起爆。一時的に大量の光量が撒き散らされ、周囲に影が存在しない時間を作り出す。そのタイミングを計って、リーシャは廃屋の屋根を蹴った。

 鎖は確かに繋がれたまま。その位置が分かっていれば、たとえどれ程気配を殺されたとしても、”そこ”にいるのは分かる。一撃を叩き込める。

 

 

「―――我が舞は夢幻。去りゆく者への手向け」

 

 

 称して『幻月の舞』。必殺戦技(Sクラフト)に相応しく、幾重にも重ねられた斬撃が、レシアの体を捕える。

 手応えはあった。確かに斬ったと確信した。それは間違いなく己の感覚で捉えた事実であり、そこにまやかしなどある筈がない―――そう思っていた。

 

 

 

 

「……今のは、少々焦りました。ハイ」

 

 

 しかし、そんな憔悴した様子など一分も見せない声が聞こえたのは、あろうことかリーシャのすぐ背後からだった。

 そこに、レシア・イルグンは立っていた。ローブは脱ぎ捨て、首元から足の付け根までを覆う漆黒の薄手の戦闘衣(バトルクロス)に、傷一つ存在しない滑らかな褐色肌。控えめながら服を押し上げる双丘と漸く露わになった神秘的とも取れる貌が、ここに来て彼女が本当に女性であったことを如実に表していた。

 そして首元には、先程までローブの上から掛けていた筈の星杯の紋章を象ったメダルを引っ掛けていた。

 

 その様子を見て、自分が今斬ったモノが何だったのかを悟ったリーシャは、下唇を噛んだ。

 

「……『分け身』、ですか」

 

「えぇ。よもや使う事になるとは思っていなかったのですが、貴女が思っていたよりも()()方だったもので。ハイ」

 

 そう言うレシアの両手には、未だ得物が二振り携えられており―――そしてその双眸は更に妖しく輝いているように見えた。

 まだ戦闘は続く。否、もしくはこれからが本番なのだと、空元気にも似た気合を振り絞ると、そんなリーシャの前に、再びアスラが立った。

 

 

「おい、星杯の。もうそろそろ時間じゃねぇのか?」

 

「―――……」

 

 そうアスラが声を掛けると、不意に空が明るくなってきた。

 随分と、そう随分と長い事戦っていたらしい。気が付けば東の地平線の向こうから朝日が顔を出していた。

 

 するとレシアは、まるで日光を嫌う御伽噺の吸血鬼(ドラキュラ)よろしく、ふい、と陽光から視線を逸らし、二振りの得物をそのまま後ろ腰に括りつけた鞘の中へと仕舞いこんだ。

 

「……まぁ、宜しいでしょう。これで当兵の任務は終わりです。ハイ。《(イン)》―――いえ、リーシャ・マオ殿。”お遊び”に付き合っていただき、感謝いたします。ハイ」

 

 そう言って軽く頭を下げるレシアを見て、リーシャはいよいよ呆けた表情を見せた。

 

「……はい? え、えっと、貴女は、その……私を()りに来たんではないんですか?」

 

「……?」

 

 小首を傾げるレシアの姿は、その小柄な体躯と相俟って年齢が判断できない。しかし彼女は、リーシャよりも遥かに落ち着いた口調でその間違いを指摘した。

 

「何を仰っているのか判断しかねますが……当兵は一度も()()()()()()()()とは申し上げていない筈です。ハイ。私の任は、七耀教会に仇為す危険性がある貴女の力量を図れというだけのもので、それ以上でも以下でもございません。ハイ」

 

「……えっ」

 

「それに、幾度も申し上げた筈です。()()()()()()()()()()()()()()()と」

 

 暗殺を主任務とする彼女にとってみれば、ただ対象の力量を図るだけの任務など、それこそ文字通り”お遊び”でしかなかったのだろう。

 虚仮にされた、とは思わない。寧ろ”お遊び”程度の感覚であったとはいえ自分が命を拾えたことが奇跡のようなものであったし―――何より考えてみれば、彼女がもし”本気”であったのならば、最初の一撃で息の根を止める事も充分可能だっただろう。

 

 

「では、当兵はこれにて。……もう二度と相見えない事を祈っております。ハイ」

 

 

 言い残し、レシアは朝日の光に溶けるようにして消えて行った。アスラが煙草を取り出して火を点けたところを見るに、本当にこの場から立ち去ったのだろう。

 精神的にも肉体的にも疲弊したリーシャは、その場にへたへたと座り込んでしまった。

 

 すると、徐にアスラが近づいてきて、リーシャの頭を優しく数回撫でた。

 

「にしても良く頑張ったな、お前。あー、何か誇らしいわ。弟子の成長を喜ぶ師の感情ってこんな感じなのかねぇ」

 

「ちょ、ちょっと待ってください‼ そもそもアスラさん、さ、さっき私の事を、その……す、す……」

 

「あぁ、悪ぃ悪ぃ。それとこれとは話は別だわ。お前が魅力的な女で、俺が惚れたってのもホントの話だぜ?」

 

「な、何でですか‼ 何で私の気持ちも訊かないでそっちの方だけで勝手に―――」

 

「んお?」

 

「あっ……」

 

 勢い余って告白じみた真似をしてしまった事に、リーシャは頬を赤く染め、今まで感じる事のなかったタイプの羞恥心に耐え切れなくなり、そのまま近くの街の在る方へと走り去ってしまった。

 その様子を見てアスラはくくっ、と笑い、自らが()()()惚れた女性の後姿を歩きながら追いかける。

 

 

 ―――この一件を以てして、この二人の奇妙な殺し殺される関係というものは幕を閉じた。

 しかし未だに微妙な距離感を取ってしまっているこの二人が恋仲にまで発展するのは、これより少しばかり後の話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 男が女に惚れた理由というものは、あまり口外するものでもないというのがアスラの持論だ。

 

 その性格と振る舞い故に、一晩限りの関係の女性の扱いはそれなりに心得ていたアスラではあったが、それでも自らの恋人、リーシャ・マオに惚れ込んだ理由など、本人以外に誰にも口外した事はない。

 

 自らの好敵手(ライバル)が欲しかった―――という言葉自体は本当だった。実際アスラは、リーシャ以前に自分を襲撃して来た暗殺者の中からそこそこの腕前を持っていそうな輩を選び出して同じような事を言っていた。「いつか俺を殺して見せろ」と。

 しかし総じて、そういった連中は二度とアスラを襲撃する事はなかった。圧倒的なまでの力量差を畏れ、或いは諦め、彼の暗殺を再び執り行おうとはしなかった。そういった輩を責める事はなかったが、物足りなさと寂寥感を感じていた事もまた事実だ。

 

 そんな中で、リーシャ・マオという人物だけは、仕掛けた側のアスラが思わず呆れてしまう程に襲撃を繰り返してきた。

 たとえどんなに打ちのめされても、どれだけ完璧に襲撃を回避されても、彼女はありとあらゆる手段を以て、ありとあらゆる時間に決して諦めることなく襲撃を繰り返した。

 

 変わり映えのない退屈な日々の中で、その襲撃の時だけが楽しみになっていったのはそう難しい事でもなかった。

 彼もまた気付けば彼女の事をふとした時に思い浮かべるようになり、どれだけ茶に誘っても決して拝ませてくれなかった仮面の下の顔を想像しながら、充実した日々を送っていた。

 1年間というのは短いように見えて、人が恋慕の念を募らせるには充分な時間だ。

 

 決して諦めない意志の強さと、努力家な一面。それでいて義理堅く、受けた恩は忘れないし、不器用な形ではあるものの返そうとする。

 そして時々漏れる”地”の言葉の端々からは、彼女が根本はとても優しく穏やかな性格をしているという事も感じ取れた。顔は見る事はできていなかったが、正直それはどうでも良かった。

 

 有体に言えばそれで惚れた。一夜限りの関係などとは断じてなく、恋人として、伴侶として隣に居て欲しいと本気で想うくらいには。

 

 

 

 

 

 今、自分の横で未だ拗ねたように屋台で買ったトロピカルジュースを飲んでいるこの少女が恋人となってくれるまでには、随分と婉曲な道のりを辿る羽目になった。

 

 アスラは元々、自他ともに認める不器用な人間だ。互いの腹の内を探り合う場でもなければ、そもそも遠回しな言い方を好まない。

 だからこそ、レシアとの死闘を終えて街に帰って来た時に、アスラは直球で言い放った。

 

 

『お前に惚れた。本気で惚れた。俺の背を預かって、俺の隣で共に笑ってくれ。俺はお前を、一生愛すると誓う』

 

 

 ロマンも何もあったものではない、ただの愚直な告白。それを受けたリーシャはただ顔の熱を冷ます事にしか集中する事ができず、結局その場は「か、かか、考えさせてください……」としか言えなかった。

 客観的に見れば、余りにもモラルを度外視した告白だという事は分かっていた。だが、自分はこれまで幾度も幾度も、数え切れないほどにヒトの命を奪って来た外道に他ならない。

 外道ならば外道なりに、不真面目ならば不真面目なりに、不器用ならば不器用なりに、通すべき形の”筋”がある。アスラの場合はリーシャに対して、偽りも衒いも一切ない、心の底からの好意をぶつける事でしかそれを証明する術はなかった。

 

 それから幾許かの時が経って、今はこうして自分の隣で笑ってくれている。―――アスラとしては、それだけで充分だった。

 

 

 ―――だが、時代はそれを許してはくれない。ただ安穏と平和を貪ることを許してくれない時代に生まれてしまった事を恨むべきか、それともこれもまた運命だと思って粛々と受け入れるべきか。

 

 恐らく彼女は、近いうちに大きな決断を迫られる事になるだろう。

 その時に彼女がどんな道を選ぼうとも、アスラはそれを支持すると決めた。闇に生きるも光に生きるも、全ては彼女の在り方の裏と表に過ぎず、その存在そのものが変わるわけではない。

 

 ならば、充分だ。それ以上の幸福など、求めるだけ野暮というもの。

 

 

 

 

「アスラさん」

 

 不意に、ベンチの隣に座っていたリーシャが声を掛けて来た。

 気付けば、空の色は青空から黄昏に変わっていた。銜え煙草の先から伸びる紫煙と灰をずっと眺めていた筈なのにそんな変化にも気付けないとは……耄碌したかと、自虐気味に思ってから恋人の方を見た。

 

「どうしたよ」

 

「あの、その……アスラさんがいつも吸ってる煙草、私にも一本吸わせてもらえませんか?」

 

「んー? どうしてだよ。体に良いモンじゃねぇってのは分かってんだろ?」

 

「えぇ、分かってます。一本だけです。その……私もアスラさんと同じような事をしてみたいなと思って……ダメ、ですか?」

 

 そう上目遣いに言われては断れなどしない。偏に惚れた弱みという奴だろう。

 あまりハマり過ぎると「悪い遊びを教えるな」とイリアやマイヤ辺りから小言を食らうハメになるが、まぁ自制心が強い彼女ならば大丈夫だろうと、胸ポケットに入れていたパッケージの中から最後の一本だった煙草を取り出して、リーシャに渡した。

 

「あ、ありがとうございます。ええと、ライターは……」

 

「あぁ、要らねぇよ。そんなモン」

 

 そう言ってアスラは、顔を一気にリーシャの方に近づけた。それに驚いたリーシャが思わず顔を引こうとするのを後頭部に手を添えて制し、自分の銜えていた煙草の火を、リーシャの銜えていた煙草の先にあてがった。

 ジジッ……というくぐもった音と共に火が移り、新たな煙草の先から煙が浮かび上がる。

 

 しかし所詮は煙草の吸い方など何も分からない素人だ。リーシャはそれから先がどうすれば良いか分からない様子でとりあえず息を吸い込んでしまい、そして派手にむせた。

 

「コホッ、コホッ‼ あ、アスラさん。これ……あまり美味しくないです」

 

「いやだから言っただろ。体に良いモンじゃねぇって。分かったら、金輪際やめときな。お前はアーティストなんだし、体は一番に大事にすべきだろ?」

 

「はい……」

 

 アスラはリーシャから受け取ったまだ長い煙草を近くの吸い殻入れの中に放り込み、「でも」と続けた。

 

「何で俺の真似なんかしようと思ったんだよ。別に無理なんかしなくたっていいってのに」

 

「だって……私だけまだまだ子供で、アスラさんに全然追いつけてないじゃないですか」

 

 それは、涙ぐんでいるのとは少し違う、悔しさが滲み出ている声だった。

 

「私は今まで、ずっとアスラさんに助けて貰ってばかりで……私だって、アスラさんの事を助けてあげたいのに」

 

「アホ。ずーっと助けられてるっての。お前が隣にいてくれてるだけで、俺がどんなに助かってるか知らねぇだろ」

 

 アスラは今も、決して楽ではない橋を渡っている。それはクロスベルの為であり、義弟(レイ)の為であり、そして何より恋人(リーシャ)の為なのだが、そうした危ない橋を渡った後に彼女の笑顔を見るだけでどれだけ精神的に救われているか知らないのだろう。

 尤も、弱音を吐かない彼の性格を分かっていれば、「役に立てていない」と勘違いしてしまうのも無理からぬことではあるのだが。

 

 

「私は……アスラさんの好きなようにして貰いたいんです。心も……その、か、体も……」

 

 どもったようなその言葉が、果たして愛し抜いている男にどのような攻撃力を持つか分かっているのだろうかと思わずツッコみたくなってしまう。

 ……まぁ、分かってはいるのだろう。分かってやっているのなら、それは完全に据え膳状態だ。いただかないのは男としての矜持に関わる。

 

「悪ぃがな。俺はまだ紳士なんだ。お前が色々と乗り越えて成長できた暁には、そん時ゃ化けの皮剥がれて狼になれるかもしれねぇがな」

 

 だが、本気で愛した女に対しては、然るべき”筋”をきちんと通す。

 言葉だけの愛が不誠実だとは思わない。体での愛を伝えるのは―――もう少し先でも構わないだろう。

 

「しっかし、お前も意外と大胆だな。自ら男に送り狼になれとは」

 

「う、うぅ……で、できれば忘れて下さいお願いします」

 

「いーや、もう俺の脳内メモリーフォルダーに永久保存されたしな。そりゃ無理な相談ってヤツだ。

 そら、少し早いが夕飯食いに行こうぜ。いつも通り俺の奢りな」

 

「あ、た、偶には私にも払わせてください‼ 悪いですってば」

 

「残念ながら却下だ。恋人に金を出させたとあっちゃ、男としての沽券に関わるんでね」

 

「……今日こそは必ず私がレシートをレジに持って行ってみせます」

 

「おう、やってみせろ」

 

 屈託のない笑顔を互いに浮かべながら、街中を悠々と歩いて行く二人。

 しっかりと握られた互いの手は、彼らの固い関係を示唆するように、夕日に照らし出されていつまでも繋がれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 はいどうも。現在配信中のFGOイベ『鬼哭酔夢魔京 羅生門』にOP曲を付けるとしたら、アニメ『刀語』OP『拍手喝采歌合』が一番ピッタリなんじゃないかと思っている十三です。いえ、これマジに。

 
 さて今回、アスラとリーシャの馴れ初めなどを書かせていただいたわけですが……なんと驚異の23000文字超え。100話程続けてきましたがこれが歴代最長記録です。私自身ビックリですよ、もう。
 やたら長くなってしまった印象しかありませんが、読者の皆様方はどう感じられたでしょうか。ご感想など、どんどんいただければ幸いです。

 それと今回出て来たオリキャラ、レシア・イルグンさん。《守護騎士》の一人ですが、実は以前、話題にだけは出てきていたのを覚えていらっしゃるでしょうか? 
 レイ君がクロスベルに行く前の話『離れ、東へ』にて、オリビエとレイ君との会話の中に出てきました。それで、オリキャラ一覧のところにも出していました。
 イラストは特急で描いたので荒いですが、こんな感じです。
 
【挿絵表示】


 さて、次からは再び舞台はエレボニアに戻ります。クロスベル側は……まぁ頑張ってとしか言いようがないというかなんというか。いつか彼らの頑張りも書けたらなと思います。
 アスラとリーシャ、そしてマイヤ。そして―――レンの事も。




 今回の提供オリキャラ:

 ■レシア・イルグン(提供者:kanetoshi 様)


 ―――ありがとうございました‼





PS:今回のFGOイベの孔明さんの有能さは異常。あ、酒呑童子ちゃんがそろそろLv.90になりそうです。勿論、フォウはHP、ATK共にMAXです‼



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白兎の観察日和






「わたしはもう逃げない!」
「出会った人も 起こってしまったことも」
「なかったことになんて絶対しない!」
   by イリヤスフィール・フォン・アインツベルン(Fate/kareid liner プリズマ☆イリヤ2wei!)








 

 

 

 

 

 

 

 

『《帝国軍情報局》第一課より 《白兎(ホワイトラビット)》へ通達

 

 

 貴官の『トールズ士官学院潜入捜査』主任務である《帝国解放戦線》首領《C》の捜索に関しては未だ確たる成果が出ておらず、以降も捜査を続行されたし。

 また、貴族派による妨害工作も視野に入れたし。貴官の身に危害が及ぶ際には潜入任務は中止し、以降情報局の任に就くものとする。

 

 

 1204年9月9日 1400

 帝国軍《参謀本部》より通達在り。

 

 貴官に身元不明の《C》の捜索任務に当たらせると共に、新たに特科クラスⅦ組所属レイ・クレイドルの身辺調査を依頼するものとする。

 これは《参謀本部》より直々の任務である。注視されたし。

 

 貴官《白兎(ホワイトラビット)》に任務遂行方法を一任すると共に、この告知が貴官に届いた時より72時間以内に情報局宛に報告せよ。

 以降報告が遅れる場合は貴官の潜入任務を一時凍結し、情報局への帰還を言い渡す。

 

 

 尚、この通達は読了後速やかに同封した薬剤を塗布してから焼却処分されたし。

 

 

 以上』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ。遂に来ちゃったかぁ。こーいうの」

 

 

 未だ僅かに残る残暑が窓の外から生温い風を運んでくる夜。第三学生寮の自室にて、ミリアム・オライオンは心底面倒臭そうな声をあげた。

 

 ベッドの上で足をバタバタさせながら小難しい書き方をしている通達文とにらめっこをしている姿は、傍から見れば年相応の少女の姿に見えるだろう。

 しかし彼女も、元を正せばエレボニア帝国正規軍軍属の《帝国軍情報局》、その中でも国内での防諜・諜報活動等を担当する『第一課』に所属するれっきとした諜報員だ。

 宰相ギリアス・オズボーンが自ら選出した生え抜きの人材たち―――通称《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》の一員でもある彼女は、今現在はあくまでも”潜入”と言う形でトールズ士官学院の特科クラスⅦ組に所属している。

 

 とはいえ、彼女にとってその矜持は無いに等しく、主任務こそ捜索を独自に続けているが、他の面では”諜報員”としてではなく”学生”として学院生活を充分に謳歌している。

 下校途中に何気なく買ってしまった可愛らしいインテリアや、裁縫のプロであるシャロンに作って貰ったぬいぐるみなどを部屋のそこかしこに置いてある事からも、それが窺える。

 

 

 だが、それでも”上”から下ってくる任務を無視する事はできない。

 その辺りは彼女も嫌々ながら弁えている。あくまでも所属は軍であり、だからこそ命令の無視は不可能だ。たとえそれが、心の底からどうでも良いものであったとしても。

 

 

「レイの調査、ねぇ」

 

 客観的に見て、この指示はオズボーンから直々に下って来たものではあるまい。彼ならば”こんなこと”をせずとも身元調査くらい既に済ませているだろうし、その上で泳がすくらいの事はして見せるだろう。

 ならこれは、帝都の会議室で疑心暗鬼に陥っている軍高官のお偉い”おじさん”達が猜疑心から下した命令だろうと、ミリアムは予想する。

 

 帝国が誇る最強の軍事要塞、ガレリア要塞がたった一人の武人の凶行によって機能が半壊した―――その滅茶苦茶な報告はすでに上層部に上がっている。

 主犯は結社《身喰らう蛇》の実働隊《執行者》のNo.Ⅳ、《冥氷》の異名を持つ”武闘派”にして”達人級”の武人、ザナレイア。

 凡そヒトが単身で起こせる被害を容易く上回ったその事件を聞き、上層部は震えあがったのだろう。情報が外部に漏れれば、犬猿の仲であるカルバード共和国がどのような反応を示すか分かったものではないし、これまで経済併合してきた特区の人間からここぞとばかりに中央政府への不満が漏れ出てくる可能性もある。

 

 だからこそ、軍上層部はレイ・クレイドルという存在を放っておけなくなった。

 彼もまた元《執行者》であり、”武闘派”の一員として名を馳せた”達人級”の武人。《結社》を脱退してからは遊撃士となり《支える篭手》の紋章に恥じぬ働きを見せていたが、2年前の『帝国遊撃士協会支部連続襲撃事件』の際には、S級遊撃士《剣聖》カシウス・ブライトと共に目まぐるしい活躍を行い、襲撃した猟兵団を壊滅させる功績の一翼を担った。

 その後、《帝国軍情報局》の監視の目を掻い潜って”徒歩で”クロスベルまで帰還するなど、凡そ帝国軍上層部にとっては無視できない存在となっていた。事実、《情報部》の中では彼は『要監視注意人物(ブラックリスト)』に指定されていた。

 

 しかし、彼がトールズ士官学院に入学すると共にオリヴァルト・ライゼ・アルノール皇子からの要請にギリアス・オズボーン宰相が応える形で彼の『要監視注意人物(ブラックリスト)』は解除された。現時点で、彼に《情報部》からの監視の目はない。

 とはいえ、それが『帝国軍参謀本部がレイ・クレイドルに対しての警戒を緩めた』という事とイコールではない。現に今、こうして再び猜疑心が浮上して来たのだから。

 

 

「《情報局》としちゃあ、あんまりアイツ(レイ)を刺激したくねぇんだよなァ。アイツのバックにいる猟兵団は色んな意味で敵に回したくねぇし、遊撃士協会本部でも働きが評価されてるヤツを敵対視してますーなんて知られたら協会本部からも流石に睨まれるだろ? できれば穏便に付き合いたいコトなんだが、どーにもお偉いサン方はビビっちゃってな。あーヤダヤダ」

 

 とは、以前ミリアムが連絡を取った時のレクター・アランドールの談である。

 レイという存在は、一種の火薬庫だ。下手に身辺を突っつきまわせばどこから導火線に引火するか分からない。弱みを握ろうにも皇室関係者が後ろ盾に存在する以上、実行し続けるのは不可能だ。

 以上の面から鑑みて、彼に深入りするメリットとデメリットを天秤に乗せれば、圧倒的にデメリットの方に傾いてしまう。

 

 だが、《情報局》も軍属の組織である。参謀本部の麾下に存在する以上命令に逆らう事ができず、巡り巡ってミリアムに任務が舞い込んで来た、というわけだ。

 

 

「……ガーちゃん」

 

「ЁζΔ.Лβ」

 

 ミリアムはアガートラムを呼び出すと、通達文のインクのみが溶ける薬剤を塗った紙を渡す。するとアガートラムから照射された威力を抑えたレーザーがその紙を跡形もなく焼き切った。

 

「メンド臭いけど、ま、いっか。そういえばレイの事を一日中追いかけた事ってなかったし、明日はそれやろーっと♪」

 

「ΩηκΡ.ΦΣ……」

 

 そんな呑気な事を思いながら、ミリアムは再び手元にあった新作のぬいぐるみを抱き寄せて、その抱き心地の良さを存分に堪能するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とは言ったものの、レイの一日を観察するというのは、普段自由気ままに動くミリアムにとっては中々厳しいところもあった。

 まず毎朝平日6時前から始まる”朝練”。この時点で普段ねぼすけ気味のミリアムは辛かった。

 

「何だ、ミリアム。今日は早いな。―――え? 朝練に参加したい? あ、いや。別に構わねぇけどさ。……おいおい、今日か明日、雪か雹か槍でも振るんじゃねぇだろうな」

 

 というのは、朝練に参加したいという旨を言った時にレイから言われた言葉だった。心底驚いている表情は中々に見ものではあったが、その時はミリアム自身半分寝ているようなものだったので手放しに喜ぶ事はできなかった。

 

 この平日の早朝に行われている”朝練”は、要するに自主練の中でも特に自由度が高い部類に入る。現在常に参加しているのはリィン、ラウラ、ガイウス、ユーシスくらいのものであり、他の面々はたまに参加する事があるくらいだ。

 その中でもミリアムやフィーは今まで一度も参加した事がなかったためか、その日の参加者であるリィン、ラウラ、ガイウス、ユーシス、アリサはレイと同じようにまるでこの世の終わりが来たかのような驚愕の表情を浮かべていた。

 

 ”朝練”といっても、何か特別な事をするわけではない。いつもの実技教練のように、レイ一人を相手に模擬戦闘を東トリスタ街道の広い場所で行うくらいである。

 しかしそこで敢えて差異を挙げるとしたら、参加者の動きを見ながらレイが逐一アドバイスを送っているという事だろう。

 

 

「そら、リィン‼ 踏み込みが甘い‼ 足の動きでどこをどのタイミングで狙ってんのかバレバレだぞ‼」

 

「ラウラ‼ 大剣の動きに体を合わせるな。体の動きに大剣を合わせろ。まだスピードが体に追いついてないぞ‼」

 

「ガイウスはそこで止まるな‼ 懐に潜り込まれたら折角の槍のリーチが台無しだぞ‼ 中途半端な『剄鎧』で強攻撃を受け止められると思うなよ‼」

 

「自分の立ち位置をもう少し明確にしろユーシス‼ 前衛に出るならリィン達の動きを読み切れ。中衛から手を出すなら戦場全体を把握しろ‼」

 

「アリサはもうちっと手数と射速を安定させろ。アーツを使う時にも足を止めるな‼ 『思考分割』が覚えたてでも使え‼ これは模擬戦だ‼」

 

 

 仲間一人一人の動きと癖、そして課題点を読み切って指示を送るその姿は、既に教官の一人と呼んでも遜色はなかった。

 実際の授業内での実技教練ではレイはサラと共に全体的なチームワークや指示系統などを重点的にアドバイスする事が多い。その為、ある意味一人一人にアドバイスを送るこの”朝練”は機会としては貴重だ。

 そうして”朝練”に参加した面々が他のメンバーと助言をシェアする事でより緻密な連携行動が可能になる。”朝練”常連組でない面々も、自らの動きに課題が生まれたと思った時は眠気を圧して参加する―――という流れが一般的だ。

 

 因みに今回ミリアムが指摘された事は―――

 

・攻撃方法が単調になりつつある。フェイントとかも戦術に組み込んで行動しろ。

・ミリアム自身とアガートラムの立ち位置も重要。余りにも二者が離れすぎるとミリアムが狙われる可能性が大。

・もうちょっとアーツを使いこなせるようになれ

・つーか早く完全に目ぇ覚ませ‼

 

 の四点だった。一番最後の指摘は”朝練”開始後20分で成し遂げられたと言えるだろう。

 

 確かに朝一番の運動にしては中々に辛いものがあったが、その後に食べたシャロンの朝食がいつもよりも格段に美味しく感じられたのを考えれば、こういう事もたまには悪くないかな? と考えるミリアムであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 武の実力、という点では文句のつけようがないレイだが、彼は勉学の面に於いても高い成績を叩き出していたりする。

 

 トールズ士官学院で教わる数学・歴史学・古文学・物理学・化学・生物学・美術・音楽・軍術学・政治学・経済学・論理学etc―――それら全ての座学に於いて、彼は穴のない好成績を残している。

 加え、普段の破天荒じみた行動は座学の場においては完璧に鳴りを潜め、文句のつけようのない優秀な生徒として振る舞っている為か、教官勢からの受けは基本的には良い。

 

 唯一欠点を挙げるとするならば―――

 

 

「それでは、先日行った戦術論の小テストを返却する。―――レイ・クレイドル」

 

「はい」

 

「機動部隊の隊列編成の問題でケアレスミスがあった。良く注意しておけ」

 

「っと―――すみませんでした」

 

 

 たまにこうしたケアレスミスを幾つかやらかす事があるという事だ。因みにこの時の戦術学の小テストのケアレスミスに関して、授業後にリィンからミスの理由を訊かれると―――

 

 

「いやぁ、ミスったわ。こういう隊列的な問題を見ると、『どこをどう突き崩せばより効率よく壊滅させられるか』って事を真っ先に考えちまうんだよなー。いい加減この癖直した方が良いとは思ってんだがな」

 

 

 と、やはり相も変わらず物騒な事を考えていたが故のケアレスミスだったらしい。流石、元執行者(猟兵団運営者)の考えてる事は違う。

 

 彼に言わせれば、たとえ歩兵ではない屈強な機甲師団が相手であろうとも、攻めるタイミング、方法、そして場所を考慮すればそれ程撃破する難易度は高くならないらしい。昨今では機械化部隊用の地雷や榴弾などの開発も進んでいる為、地を這って進んでいる以上、攻略手段は幾らでもあるのだという。

 

 逆に飛空艇部隊の場合はどうなんだと、興味を持った一人が訊くと、それに対してもレイは逡巡する事すらなく答えた。

 空と空の戦いは機体の性能そのものではなく、乗組員の個々の練度と連携力によって決まる。例えどれ程高性能な機体を有していたのだとしても、乗組員がヘボであったらそれはただの的に過ぎない。

 加え、地上から空を狙う際にも、攻略法は存在する。最も有効的なのは飛空艇が地上で補給作業を行っている時に制圧してしまう事だが、対空武装を数学的知識から導き出したルートに設置して機を逃さずに攻撃すれば撃破は充分に可能だと言う。

 

 要は何事も『可能性を拾い上げる事』が大事だと彼は言った。理論的に可能な作戦だったとしても、それを実際に行う兵たちの士気が低く、「不可能だ」という雰囲気が蔓延してしまえばそれは実際に『不可能な作戦』に成り下がってしまう。その辺りを上手く管理するのが有能な指揮官の最たる特徴だとも言っていた。

 

 

 理論だけに非ず。実際に様々な戦場に赴き、その実態を目に焼き付けていた人物の言葉は重みが違う。

 とはいえレイも大規模の部隊編成については門外漢であったようで、それについてはこのトールズで大いに学ばせてもらっていると屈託のない笑みを浮かべていた。

 

 

「ねぇ、レイってなんでそんなに色んな勉強ができるのさー」

 

 調査目的3割、興味7割といった割合でそんな事を訊いてみると、レイは少しばかり考えるような仕草を見せてから「そうだなぁ……」と口を開いた。

 

「昔、俺の姉さん代わりだった人から数学とか言語学とか、そういった基礎的なモノは一通り教わってたんだよ。「これから先の時代は武芸一辺倒では到底生きていけません。文武両道は基本中の基本です」ってな。国際政治学とか経済学とかは遊撃士時代に自然に覚えたよ。特にクロスベルはそういう事を知るのに”教材”には困らねぇしなぁ。機械工学とかは知り合いの人形技師の工房に行ってる間に齧る程度に覚えた」

 

「ほえー。凄いねぇ」

 

「前にお前に言ったかもしれんが、知識ってのは溜め込んでおいて損はない。まぁ問題は溜め込んだそれをどういった状況でどのように引っ張り出すか、だ。それができなきゃ無意味だからな。脳味噌の中を宝の宝庫にするかゴミ捨て場にするかはソイツ次第、って事だ」

 

 《結社》時代に培ったと思われる驚異的な記憶力と学習能力。そして適応能力は間違いなく一流の領域にあるだろう。

 それでも尚、彼が”学年主席”という地位に居座らないのか。それは、少し考えれば分かる事ではある。

 

 彼は、軋轢を必要以上に広げる事を好まないのだ。表向きは『クロスベルからの留学生』という肩書きを持つ彼は、そうした自分が帝国の名誉ある士官学校で主席の座に座ろうものなら、頭の固い貴族の子弟がどう思うかなどという事を念頭に置いていない筈がない。

 とはいえ、目立たない順位に身を置くなどという事は、彼の矜持が許さない。レイの学内座学順位は今の時点で3位と4位の間を行ったり来たりしている。

 

 ―――まぁ、順位の1位から4位までを常にⅦ組の生徒が独占しているこの状況では、どうあっても妬み嫉みの視線の的にはなってしまうのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、レイは意外とⅦ組以外の生徒との交流もある。観察をしていた日に限ってみても―――

 

 

 

「おー、レイ。ちょうど良いトコにおったわ」

 

「ん? どうしたよベッキー」

 

「オトンがな。東方の良い感じの魚を仕入れたって言うんよ。えーと確か……『サバ』言うたっけな」

 

「詳しく聞かせろ」

 

「ふっふーん。話が早くて助かるわ。カルバード→クロスベル経由のブツや。卸売を何回か回ってしもうたから、ちとお高めなんやけどな。全部で2ダース。一尾300ミラ計算で7200ミラやけど、まぁレイはお得意様やからな。……6700ミラでどうや」

 

「む……ベッキー、お前んとこで『ミソ』は扱ってるか?」

 

「『ミソ』? あー、あの東方の豆を発酵させた調味料かいな。確かオトンの知り合いが少し扱ってたなぁ」

 

「それ込みで8000でどうだ?」

 

「ちいと値が張る可能性が高いからなぁ。―――8600」

 

「……8400」

 

「……ま、えぇやろ。交渉成立や」

 

「おう。毎度悪いな。新商品宣伝してもらって」

 

「水臭い事言いっこなしやで。何せ商売人は義理人情が命やさかいな‼」

 

 

 

 

 

 

「な、なぁレイ」

 

「お? どうしたカスパル」

 

「いや、その、な。ラウラから聞いたんだけど、お前って泳ぎが上手いらしいじゃん」

 

「まぁ上手い方だとは思うぞ」

 

「その……実は俺今スランプでさ。誰かにアドバイスを貰おうにもラウラは根性論が基本だし、クレイン先輩は大会に向けて忙しそうだしで頼れる人がいなくって……」

 

「あぁ、それで俺に?」

 

「前にモニカの相談にも乗ってあげたって聞いてさ。それで……ダメか?」

 

「いんや? 別にいいぞアドバイスくらい。つってもタイム上げる云々よりフォームの改正くらいしかできねぇだろうけど」

 

「いやいや、充分だよ‼ よろしくな‼」

 

 

 

 

 

 

 

「す、すまない‼ 少しばかり匿ってくれ‼」

 

「いきなりどーしたんですかヴィンセント先輩。また肉ダル……コホン。マルガリータに追われてるんですか? いや追われてるんですね見りゃ分かります」

 

「そ、そうなんだ‼ しかも今回は見るも悍ましい毒々しい雰囲気を纏った”ナニカ”を皿に乗せて……このままでは逝ってしまう‼」

 

「あー、そりゃマズいですね。―――サリファさん、居ます?」

 

「はい、ここに」

 

「⁉ サリファ⁉ いつから後ろに……」

 

「とりあえず教室の中に隠れといてください。後は俺が上手くやりますんで」

 

「‼ た、頼む‼ この恩は決して忘れない‼」

 

「忘れといても構わないっすよ。―――あー、メンド臭ぇ。また秘蔵の惚れ薬調合レシピをダシに釣らなきゃならねぇのかぁ」

 

「え? ちょ、今なんて―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「おー、調子はどうよ、ケネスー」

 

「あぁレイ君。近頃は中々の釣果だよ」

 

「お前がそう言うんならそうなんだろうな。……んで? ”アイツ”はまだ見かけねぇか?」

 

「”アイツ”って……あぁ、あの規格外サイズのゴルドサモーナの事かい?」

 

「そうそう。あの野郎とは卒業前にケリを付けたいからな。絶対に釣り上げて燻製にしてやる」

 

「あ、それ美味しそうだね。僕も誘ってよ」

 

「おう。いっそ知り合いかき集めて燻製パーティーでもするかなぁ。―――あ、やべ涎出て来た」

 

「アハハ。分かった。目撃情報があったら伝えるよ」

 

「おう、サンキュ。……あ、そうだ」

 

「?」

 

「右の竿、それ引いてんぞ」

 

「え? ―――あ、ホントだ‼ 僕とした事が……っ‼」

 

 

 

 

 

 等々。同級生上級生、平民生徒貴族生徒、男女問わずそこそこの交流を持っている。

 リィン程ではないが、彼も充分学内ではお人好し体質で通っているところがある。始めの頃は『グラウンドに大穴を一人で開けた張本人』という噂(※『噂』ではなく『真実』)のせいで他の生徒たちは遠巻きに接する事が多かったそうだが、Ⅶ組の面々に見せる面倒見の良さが徐々に広まり、今では普通の一生徒として受け入れられているとか。

 

 

「ま、馴染むのは得意技だしね。アイツは」

 

 

 Ⅶ組の担当教官であるサラは、とくに珍しくもないと言わんばかりの口調でそう言った。

 

「そもそもアイツ遊撃士だしね。周辺住民に信頼されてナンボの仕事だし、そりゃあ慣れるわよ。アイツが面倒見が良いのは事実だし」

 

「まぁそれはボクも実感してるしねー」

 

 ミリアムやフィーが寮で勉強するときは必ずエマとセットで教え、ミリアムが料理当番になった時は彼女が出来る範囲の作業を任せてくれる。

 とはいえ甘やかすばかりではなくきちんと叱る時は叱るし、しかし怒りは持続させない。そこら辺の『妹扱い』はレンやフィーで慣れっこなのだろう。

 

 

 人柄も学力も武力もある。なら昼休みもさぞ忙しくしているのだろうと思えばそんな事はなく―――

 

 

「……………………(スゥスゥ)」

 

「……………………(ムニャムニャ)」

 

 日によっても変わるが、この日は学院の中庭の部分でフィー共々呑気に昼寝と洒落込んでいた。

 建物の配置によって基本的に木陰になるこの場所は、彼らにして見れば絶好の昼寝スポットなのだろう。一見すれば全く無防備に眠りこけているように見えるが、実のところはそうではない。

 

 これも《結社》での特訓の賜物であったが、彼は睡眠状態からコンマ数秒以下で意識を覚醒させる事ができる。偏に奇襲・暗殺対策に鍛え上げたものであり、修業時代、気持ちよく眠りこけていると師のカグヤがランダムの時間帯に喉元に剣先を突き立てて()()()()()()()()。今では僅かでも闘気・殺気の類を感じ取れば一瞬で対応が可能だ。

 

 とはいえ、見ているこちらが思わず眠くなってしまう程に気持ち良く寝ている事もまた事実。実際、通りがかった生徒がこの二人の様子を見て欠伸をしながら歩いて行く光景が珍しくもないのだ。

 無論、そうなればミリアム自身も眠気が誘発されてくる。何気なくレイの横にちょこんと座ると、彼の膝を枕にして眠っているフィーの姿が目に入った。

 

 レンがトリスタを訪れてから、フィーがレイに随分と大っぴらに甘えるようになった。

 それは決して恋心からの甘えではない。あくまでフィーはレイを「兄」と認識して甘え、レイはフィーを「妹」として大事にする。その大前提こそ変わっていなかったが、それでもやはりフィーが自身の感情を隠そうとしなくなったのは大きい。

 

 

 しかし、ミリアムには根本的な意味でその感情が分からなかった。

 ”ヒト”として生まれてこなかった故に、”父”も”母”も存在しない。個体番号が隣り合った存在は”姉”や”妹”と呼べるのかもしれないが、そこにしたって特別な感情があるわけではない。

 

 レクターやクレアと出会って、それは少し変わったように思えた。自由奔放でおちゃらけた様子のレクターは”兄”と呼ぶには少々違和感を感じなくもなかったが、クレアは暇さえあればよく面倒を見てくれた。

 「もし自分に”家族”があったなら」―――そう思う事がなかったかといえば嘘になるだろう。だがあの場所は、《鉄血の子供たち(アイアンブリート)》という集まりは、決して”家族”などという安寧の象徴のような集まりではない。

 

 彼らは皆、ギリアス・オズボーンの手の内にある駒だ。優秀な駒を出来る限り失いたくないという思いはあれど、愁嘆のような感情論で後生大事に囲っているわけではないだろう。必要とあらば―――彼は彼らを使い捨てる。

 

 

 気付けば、ミリアムもレイの肩に体を預けるようにして楽な姿勢を取っていた。虫の音色も騒がしくなくなってきた今日この頃。満腹感と相俟って、すぐに眠気はやってくる。

 

「(うーん、たまにはいいなぁ。こういうのも)」

 

 何も警戒する事のない、ただ一時の安寧のみを享受する時間。それが長くは続かないと知っていながらも、ミリアムはただ、真横から伝わる人の温もりを味わいながら、ゆっくりと瞼を閉じて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 結論からして、何を書くかを決めたわけではない。

 

 身辺調査と言ったところで、専門家でもないミリアムが書ける事などそもそも限定されているし、それは《情報部》の面々も重々承知の筈だ。

 つまるところ《情報部》は、今回の件に関して全く乗り気ではない。ただし「参謀本部から降りて来た任務」という事で形だけでも実行しなければならないという意志が見え見えだ。事実それは、ミリアムも何となく分かっている。

 

 

 しかし今日一日じっくりとレイを観察してみて分かったのは、やってる事は戦闘面では基本滅茶苦茶だが、平時に於いてはこれ程頼りになる人物もそうそういないという事だ。

 目上の人間に対しては基本的に礼儀作法を以て接するし、人脈もあればコミュニケーション能力もある。学力於いても申し分がなく、戦闘面に於いては察しの通り。―――完璧超人と呼ぶには僅かに足りない面がチラホラあるのだろうが、これ程魅力的な人間もそうそういまい。

 

 これが天性のものなのか、はたまた積み上げた半生の経験がそうしているのか、はたまたその両方が組み合わさった結果なのか。

 

 

 レイ・クレイドルは「英雄」と呼ばれるのを何よりも嫌う。―――そんな事を以前クレアから聞いた事があった。

 どれ程強くても、どれ程優秀でも、「失うばかりだった自分の半生」をまやかしてしまうような称号など願い下げ。誰かを救ったからといって、()()()()()()()()()()()()。―――だから彼は「英雄」だとか「勇者」だとか、そうした煌びやかな言葉が自分を飾り立てるのを嫌うのだと。

 

 一体彼の過去に何があったのか。それはまだミリアムは訊けていない。今回の任務の内容からすればそれも訊いておくべきなのだろうが、何故かそこまでは無遠慮に立ち入るつもりはなかった。

 

 

「…………」

 

 彼女が書ける一番奥まった情報といえば、彼が自らの”弱さ”を隠す癖があったという事だ。どれだけ優秀に見えても、彼はまだ心の中に一際脆いモノを飼っている。

 それが、弱点と言えば弱点だろう。ミリアムはペンを報告書に押し当てて―――しかしそこで止まった。

 そこで止まる事数分。報告書にインクの滲みが広がったところでペンを離し、報告書を両手でクシャクシャと丸めてしまう。

 

「うーん……何だろ、”コレ”」

 

 ただ適当に任務をこなそうという思いだけだった筈なのに、レイの弱点をいざ書こうとしたとき、胸の奥がチクリと痛んだのだ。

 同時に、思い起こされたのは今までの記憶。裏がある編入だったのは明白だったのに、数日もすれば何事もなく”仲間”として受け入れて接してくれたⅦ組の顔ぶれ。過度なイタズラやサボりをすれば普通に怒られたりはしたが、それでも同じ場所で楽しく学び、遊び、戦い、笑った。

 期間にすれば、まだ2ヶ月ほどでしかない思い出だが、ふと目を閉じれば楽しく飽きない日常が思い出せる。それと同時に、あの夜の事も。

 

 何も言わずに寮を出て行ってしまったレイを全員で追いかけたあの夜。誰もが本気で、去るつもりのレイを実力行使で引き留めに掛かった。

 あの時に交わされた言葉は、何故だかミリアムの心に響いたような気がした。あれ程までに本気の言葉で言い合える仲の人物を、果たして自分は作れるのか―――と。

 

 

 彼女にとってみれば、既にⅦ組の面々は大事な”仲間”だった。しかし当の本人は、そう言った事で生まれる感情に疎い。

 何に「喜び」、何に「怒り」、何を「楽しみ」、何に「哀しむ」のか。彼女は常に明朗闊達に振る舞っているように見えながら、実のところ”感情”というものがどういうものなのかという事については理解しきっていない。謂わば、未知の領域の概念を一つ一つ体感して精査している状況なのだ。

 

 高等AIを搭載した戦術殻とリンクするために作り上げられた人造人間(ホムンクルス)。固定した”人格”を与えられながらも、凡そヒトの”感情”に疎い彼女は、しかし今、無意識に一つの”答え”を弾き出した。

 

 

「まぁ、()()()()()()()()()()()()()。幾らなんでも」

 

 報告書に書かなかった理由は、さして重要項目ではないという理由ではなく、()()()()()()()()()()()()という理由。

 凡そ潜入捜査員が報告を放棄するには下の下とも言える理由ではあったが、彼女はそれを何の抵抗もなく”良し”とした。とはいえ、報告書を挙げなければ強制送還されてしまう為、さてどうしたものかと悩み始めると、不意に自室のドアが軽くノックされた。

 

『ミリアムちゃん? 起きてますか?』

 

「んー? どうしたのー、いいんちょー」

 

 呼んでいるのはエマだ。ミリアムは新しく取り出した報告書を机の引き出しの中に仕舞いこむ。

 

『そろそろ入浴時間だから、一緒に行きませんか?』

 

「ふぇ? ……あ、もうそんな時間かー。うん、分かった」

 

 ピョンと椅子から飛び降り、ミリアムはベッドの上に置きっぱなしにしていた入浴セットを手に扉へと向かう。

 まぁ、難しい事は後で考えればいいかと、いつも通りの呑気な考えでミリアムは再びいつもの日常に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、ミリアムの部屋のちょうど真下に当たるレイの部屋では、いつも通り防音の結界を張った状態で公にはできない回線がARCUS(アークス)同士で繋がっていた。

 

 とはいえレイとしては気張ったような様子はなく、下校途中にブックストア『ケインズ書房』で購入した新作のメニュー本をペラペラと捲りながら肩と頬でARCUS(アークス)を挟む形で通話をしている。

 

 

 

『―――それで? 君としてはいいのかい?』

 

「何がだよ」

 

『ミリアム君の事さ。このまま彼女を”仲間”として迎え入れ続けるのかと思ってね』

 

 通話の相手はオリヴァルト。ARCUS(アークス)の回線電波は基本的に特殊なために傍受の類は難しいのだが、念には念を入れてランフォルト本社から周波数変換装置を極秘裏に仕入れた上でのやりとりである。

 

「いやまぁ、当たり前だろ。あいつまだまだ色々と教えてやらなきゃならん事あるし、何より俺やシャロンが作ったメシを毎回美味そうに食ってくれるからな」

 

『ふぅむ』

 

()()()()()()()()()()()()()()さ。どーせ元《結社》の人間って情報が割れてる以上、それに勝るモンなんてそうそうねぇしな」

 

 ミリアムの様子が今日一日、どこかおかしい事は既にレイは見抜いていた。具体的に言えば”朝練”に参加したいと言い出したところからだが、夕方に寮に戻ってオリヴァルトに確認を取ってみれば、案の定であった。

 とはいえ、ガレリア要塞の件があった以上、神経質な軍の高官が自分を危険視する事など既にお見通しであり、寧ろ《情報部》が他の構成員を用いずにミリアムに任務を任せた事が意外だった。

 

「しかしアイツ、やっぱ潜入諜報員が最大級に似合わねぇな」

 

『うーん、ズブの素人の僕から見てもそう思っちゃうからねぇ。まぁ、そういう面では君も安心できるのかな?』

 

「アイツはアタッカーとしての才能がある。変な隠形術なんぞを身に着けるくらいだったら、戦闘能力を向上させた方が有意義だ。非才を馬鹿にする気はないけどな、アイツには似合わねぇよ」

 

 無邪気に笑い、無邪気に行動するのが一番ミリアムらしいのだと、レイは本心からそう思っている。

 たとえ彼女がオズボーンが送り込んだ人間であっても、彼女もまたⅦ組の仲間である事に変わりはない。彼女が強くなりたい事を望むのならそうする。それだけなのだ。

 

『……なんだ、心配はなかったか』

 

「?」

 

『あぁ、何でもないよ。ところで―――()()()()()()()()()()()()()()()()()は本当に政府の方で預かって良いのかい?』

 

 それは、『革新派』の駒であるミリアムを監視し、あわよくば任務を妨害する体で送り込まれた『貴族派』が雇った諜報員。レイは今日一日、ミリアムへの言動に少しばかり気を遣ったのと同時に、そんな輩の動向を疎ましく思っていた。

 そして、ミリアムの観察の目が緩んだ()()()()()に、僅か数分で学院に潜り込んでいたそれらの輩を数分で捕縛。そのまま秘密裏にヴァンダイク学院長に引き渡したのだ。

 

「問題ない。つーか面倒事はそっちで全部管理してくれ。そりゃあマーナガルム(アイツら)に預けちまう選択肢もあったがな、ここは一つ参謀本部殿に恩を売っておいた方が後々有利だろうし」

 

『あー、まぁ。そりゃあねぇ』

 

「まぁ情報をソイツらから聞き出そうにも? 参謀本部内にいる()()()()()()()()に妨害されてにっちもさっちも行かなくなる様子がもう目に見えてるけどなぁ」

 

『……やっぱりいると思うかい?』

 

「いやいや、それお前が訊くかよ。俺よりもよっぽどそういった内部事情に詳しそうじゃんか」

 

『生憎と僕は保身とか名誉とか、そんなものは基本的にどうでもよくってねぇ』

 

 エレボニア帝国が巨大で強大な国である以上、『革新派』と『貴族派』という二大派閥に完全に分けることは不可能だ。

 あのクロスベルでさえ、自治州議会内で『帝国派』と『共和国派』が混沌入り混じる勢力闘争を繰り広げていた事を考えると、互いの派閥の重鎮の位置にシンパを潜り込ませていたのだとしてもなんら不思議ではない。内部の不協和音を「有り得ない事」と断じるのは馬鹿の所業だ。

 

「まぁともかく、厄介事はそっちで処理してくれや。俺は俺で、こう見えても忙しいんでな」

 

『ハァ。ゼクス中将とかクレイグ中将みたいな話の分かる人達なら大歓迎なんだけど。頑固一徹、柔軟な話に興味ありませんー、みたいな軍人サンとお話しするのは疲れるんだよねぇ』

 

「おいおい、専門分野で弱音を吐くなよオリヴァルト殿下?」

 

『相変わらず乗せるのが上手い事だ。―――まぁ、それじゃあ()は自分のすべき事をするから、君は君で”すべき事”を頑張りたまえ』

 

「おうよ。―――頼りにしてるぜ、オリビエ」

 

 そう言葉を交わして、レイはARCUS(アークス)の回線を切る。

 数はあまり多くない”学生”レイ・クレイドルの味方の中で、交渉事に関して彼の右に出る者は恐らくいない。自分が不得手な分野である以上、任せるしかないのは少しばかり悔しいが、それは適材適所というものだろう。

 

 しかしながら、やはり動きは活発化し始めている。

 悠長に座り込んでいられる時間も、もはやあまり残ってはいない。学生の身分で出来る事は限られているが、まぁ、せいぜい足掻き尽してやろうと笑う。

 

 何せ彼は、豪放磊落な《獅子戦役》が英雄の一人、《爍刃》カグヤの一番弟子。

 他人の掌の上で踊らされるより、自分の意志で動く事を好む人物なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 どうも。FGOの今回のイベでは茨木童子が配布されるのか否か。もしかしてこなしたミッション数でそれが決まるのかどうか。それが気になって仕方ない十三です。シナリオはもうちょっとマトモにならんかったのかと思ってます。ハイ。


 さて、今回はミリアムを中心に展開してみました。個人的にこの子が閃Ⅱのラスボス戦の後に流した涙で泣きそうになった身の上です。クロウは耐えたんだけどなぁ。
 思えばあの時、彼女は初めて「寂しい」という感情を自覚したのでしょう。そんな感動的な展開をこの作品でも迎えたいなぁと思っております。


PS:ドリフターズの最新刊読んだんですが、多門丸と菅野サンの邂逅でテンション上がったのは私だけではないはず。


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良く分かるアーツ講座 ~基礎編~





※今回は説明回ともちょっと違うと申しますか、まぁタイトルの通りです。

※本作『天の軌跡』には筆者が独自に弄くりまくったアーツ理論が展開されているので、それをとりあえずまとめてみました。

※俗に言う、「後衛組強化フラグ」です。







 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん……」

 

 第三学生寮の1階談話スペース。そこでエリオットが一人、自らの魔導杖を片手に唸っていた。

 否、正確には談話スペースのテーブルの上にARCUS(アークス)と、幾つかの計算式のようなものを羅列した紙が置かれている。シャロンがラインフォルト社に戻ってしまっている為、自分でキッチンで淹れたアイスコーヒー(シロップとミルク有)でちょくちょく一息を吐きながら、その中性的な容貌の眉を珍しく寄せている。

 

 そして、そこに通りがかったのはエリオットと同じくキッチンに飲み物を求めてやって来たエマとアリサの二人。

 

「あら? エリオットさん」

 

「珍しいわね。エリオットが一人で難しい顔してるなんて」

 

「あぁ、委員長にアリサ。丁度良かった。ちょっと意見を聞かせてくれないかな?」

 

「「?」」

 

 揃って首を傾げる二人に対して、エリオットはアイスコーヒーを二人分作って持ってくる。氷の涼し気な音が鳴るのと共に二人がソファーに腰掛けると、早速エマがテーブルの上に投げ出された紙に目をやった。

 

「あ……エリオットさんこれ、魔法(アーツ)の駆動式ですか?」

 

「うん。『思考分割』しようとすると、どうしても魔導杖やARCUS(アークス)だけに頼りきりになるわけにはいかないから、少しでも演算知識を付けようと思って」

 

 『思考分割』は普通は立ち止まって詠唱を行わなければならないアーツを移動しながら詠唱するために必要なスキルである。

 概要は名前の通り、「体を動かす」「アーツを詠唱する」という二つのコマンドを脳内で同時並行して行うというモノである。要は、右手と左手にペンを持ち、それぞれ違う文字を書く行為の発展系だ。

 それだけを聞くとそれ程難しい事ではないように思える。事実、何もないところで歩き回りながらアーツの詠唱をするというのは、慣れれば誰でも出来る行為ではあるのだ。―――そう、()()()()()()()()()()()()()()

 

「……私たちのはアレだものね。地獄のような流星群の雨霰を潜り抜けたり、鬼みたいに早い斬撃の隙間を縫いながらやらなきゃいけないし……」

 

「もう慣れとかいう次元を超えてるんだよねぇ」

 

 生死の境を常に彷徨う状況で思考を分割するというのは、それだけでも死に直結するリスクが飛躍的に高まる。特にⅦ組の面々が置かれている立場はそれが著しい。

 

 因みにアーツの発動難易度の高さというのは、「干渉範囲」と「魔力密度」の二つに大体依存する。

 特に回復アーツに特化したエリオットに求められるのは大規模な範囲での回復アーツである為、必然的に難易度は高くなる。「時」「空」「幻」の上位三属性のアーツともなれば、発動に必要な演算式が複雑になるため、更に難易度は跳ね上がる。

 

 既存の魔導杖及び戦術オーブメントは「静止している状態」での駆動を基本としている為、使用者が激しく動いている状態での駆動は自然と負荷が掛かる。その為、駆動時間を短縮するためには使用者自身もアーツの駆動式を脳内で反芻して転写するという行為が必要となる。

 とはいえ、エリオットとエマが使用している魔導杖は未だラインフォルト家のテスト用製品であり、ARCUS(アークス)もまだまだ未知の領域が残されている機器である。以降のバージョンアップ如何によってはこの悩みは杞憂になる事もあるかもしれないが、現時点では『思考分割』を行うには使用者自身も駆動式を理解している必要があるのだ。

 

 それでも、使用者が一からアーツの駆動式を練り上げて高等演算を行うよりかは負担はかなり減っている為、かなり便利ではあるのだが。

 

「委員長は『思考分割』も『多重詠唱』もできるんだもんね。凄いなぁ」

 

「ホントよね。本来ならエマから教えてもらいたいところなんだけど……」

 

「あ、あはは……ごめんなさい。私、これに関しては他の人に教えるのは苦手で……」

 

 そんな会話をしていると、ちょうど水を飲みに一階に降りて来たサラが、3人に声を掛けた。

 

「あら、珍しいメンツ―――でもないわね」

 

「あ、サラ教官」

 

「ちょうど良かった。少し教官に訊きたい事があって……」

 

「んー?」

 

 思えば今まで、アーツの鍛錬に関してはほぼ独学でやっていたようなものではあった。

 そもそもな話レイはアーツを使う事ができず、サラも得意とは言い難いと聞いた事があった。その為エマやエリオットなどアーツを中心に戦う面々は、各々試行錯誤を繰り返したり、アーツ理論にツテがある教官に座学などを個人的に請け負ってもらいながらやって来てはいたのだが―――それにも限度があると分かってしまったのだ。

 

 きっかけとなったのは先日のレンとの模擬戦だった。

 彼女はエリオットたちよりも幼い齢ながら、高速機動の近距離・中距離戦を行いながら、高位アーツの『多重詠唱』『思考分割』、任意の『遅延詠唱(デイレイ・スペル)』等の高等技術をいとも容易げにやってみせたのだ。

 後でレイに訊いた事ではあるが、彼女は高速機動中ですら『三重詠唱(トリプル・スペル)』が可能であるという。そして恐らく、”底”がそこではないという事も理解できていた。それがどれだけ凄い事かというのは、アーツを主として戦う者であれば誰だって気付く事だ。

 

「因みに、サラ教官はどこまで使えるんですか?」

 

「アタシ? んー、静止状態での『二重詠唱(デュアル・スペル)』と『思考分割』が精々かしらね。元々アタシの場合、魔力をほとんど身体強化か放出して攻撃手段に使うかだから、普段はあんまりアーツに頼る事ないのよね」

 

 サラは、劣等感など欠片も持っていないかのような口調でそう言いながら、エリオットが用意したアイスコーヒーを啜る。

 

 実際問題、どれだけアーツの『多重詠唱』ができるかで戦う者としての格が決まるわけではない。こればかりは得手不得手も関係するし、サラのように身体能力強化の為に内包魔力の大半を割いている者も少なくない。

 しかしだからと言って、伸び悩んでいる生徒を放っておくことができない程度には彼女もまた教官としての使命を抱えており、それが目を掛けているⅦ組の生徒たちならば尚更だ。

 

 彼らには意志がある。「強くなりたい」という確固たる意志が。

 それを目覚めさせたのは阿呆な恋人(レイ)なのだろうが、まぁ切っ掛けなど正直どうでもいい。大事なのは、彼らは少しばかり年長者が後押しをするだけで後は自分達だけで歩いていける才覚があるという事だ。

 

 どこまで歩めるのかどうか見てみたいと思ってしまうのは、何も自分が教職の地位についているからという訳ではないだろうと己に言い聞かせ、サラはポケットの中の自身のARCUS(アークス)を確認した。

 自分よりも余程この方面に詳しい知人に、協力を要請するために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そもそも、導力魔法(アーツ)という存在が人々に認知され、普及され始めたのは今から50年前。

 『エプスタイン財団』の創設者であるC・エプスタイン博士が古代遺物(アーティファクト)の研究過程で導力器(オーブメント)を開発したところから始まる。

 

 それまで”魔法”という存在は、それこそヒトの手の届かないところにある高位の存在―――という表現は些か誇張が過ぎるが、それでも潜在的に魔力の高い人間が何らかの切っ掛けで自然発動させてしまうモノでしかなかった。古からの”魔法”の秘術を受け継いでいた集団も確かに存在していたが、公に認知されていなかったのは言うまでもない。

 

 しかしながら導力器(オーブメント)の発明により、七耀石(セプチウム)より抽出されたエネルギーを機構として組み込み、使用者の潜在魔力と重ね合わせて”EP”と称される力を消費する事により、『導力魔法(オーバルアーツ)』―――即ち汎用性を実現した”魔法”を普及させるに至ったのである。

 

 

 現在においては戦術オーブメントを介して、アーツは各国の軍隊や治安維持組織、そして遊撃士協会などの戦闘を旨とする組織には必要不可欠なモノとなっている。

 ―――しかしながら、次代の変遷と共に試行錯誤を繰り返されていく中で、汎用性を重視したアーツは様々な特性を得るに至った。

 

 

 基本的に、アーツの発動は演算記号化された駆動式を戦術オーブメントに代理詠唱させることで完成する。その為アーツの使用者は―――特定のクオーツを使用しての駆動時間の短縮を除けば―――駆動の速さにそれ程差異が出てこない。

 更に、アーツを駆動する際はオーブメントに代理詠唱させているとはいえ、駆動式そのものを維持させるために集中力を有する。その為、静止したまま駆動させる事を余儀なくされる。

 更に更に、一つの駆動式で発動させられるアーツは原則一種類のみ。

 

 それらを不便と感じる者達が、やはり少なからず出て来たのである。

 

 

 そういった中で、僅か50年―――半世紀という歴史の中で、アーツを同時駆動・同時発動させる『多重詠唱』、移動を行いながらアーツを駆動する『思考分割』、駆動式を術者の脳内でも同時詠唱する事で駆動時間を短縮する『短縮詠唱(クイック・スペル)』や、逆に時間差で複数のアーツを駆動する『遅延詠唱(デイレイ・スペル)』などといった独自のスキルが生み出されていった。

 

 如何に効率良く、如何に強力に、如何に戦術的に、如何に多様に、如何に予想外に―――アーツを主軸に戦闘を行う者達の行き着く先は、自然とそこに集約する。

 範囲攻撃や範囲回復を行える後衛職というのは、つまるところ知性のある存在を相手にした時は真っ先に狙われる存在だ。そんな事が分かり切っているというのに棒立ちで詠唱を続けるなどというのは、「狙ってください」と言っているようなもの。それをさせない為に前衛の人間が居るのだが、常に護ってもらえる状況にあるという訳ではない。ならば最低限、彼らも身を守る工夫というものをしなければならなかった。

 

 

 しかしながら、これらのスキルを習得するために用意されている定まった教本(マニュアル)の類は未だ製作されていないのが現状だ。

 というのも、スキルの習得如何には個々の使用者の”クセ”を鑑みなくては上手くいかないという壁が存在するためである。戦術オーブメントの種類によっても変わり、その他使用者の演算処理能力や思考能力、運動神経の優劣まで考慮に入れなくてはならない為、今の時点では独学で習得するか、または個人に合わせた修練を行わなくてはならない。

 

 これが、現在練度の統一性を重視する軍隊や治安維持組織などでスキルを習得するための全体訓練が行われていない所以である。―――そして、士官学院であるトールズにおいても、それは例外ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし。という訳で、今回お前さんたちのアーツ教練を臨時で担当する事になった遊撃士協会レグラム支部所属、トヴァル・ランドナーだ。よろしくな」

 

「正直俺は体質柄詳しく教える事は不可能だから、もう全部コイツに任せる事にする。安心しろ。腕は確かだ。因みにアラサー彼女ナシだけどそこはツッコんでやるなよな‼」

 

「お前ホント人の傷口抉るの好きな‼ 自分が彼女持ちだからって優越感感じてるんじゃねーぞチクショウ‼ どうやったらそんなにモテんだよ‼」

 

「寧ろなんでモテないんだろうなぁ? やっぱアレじゃね? 無駄に爽やかお兄さんキャラ作ってるのがウザいんじゃね?」

 

「ま、マジか……いやいやいや‼ 別に作ってるわけじゃないからな⁉ これ素だからな‼」

 

「あの、ちょ、二人が仲良いってのは分かったので先進めて下さいお願いします」

 

 貴重な特別実技教練の時間を1秒たりとも無駄にしたくないという思いが強い面々を代表してリィンがそうツッコむと、コホンと一度咳払いをしてからサラが呼んだ特別臨時講師―――トヴァルは改めて一堂に向き直った。

 

「まぁ、時間も惜しいだろうし、手短に俺の得意分野を話しておこうか。俺は元々アーツ使用の方に比率を傾けた人間でな。一応()()()()()静止状態、機動状態共に『三重詠唱(トリプル・スペル)』まで可能だ。つっても、内包魔力が飛び抜けて馬鹿デカいって訳じゃねぇから、ポンポン最上級アーツを撃てるわけじゃないけどな」

 

「あ、トヴァルさんの『起源属性』は何ですか?」

 

「俺のは『風』と『空』だな。マスタークオーツは『ウイング』―――全状態異常の無効化ができるモノを愛用させて貰ってる」

 

 

 『起源属性』というのは、アーツの使用者個々が()()()()扱うのを得意とする属性の事を指す。

 例えばリィンで言えば『火』と『時』属性、エリオットで言えば『水』と『空』属性など、得手とする属性はそれぞれ異なる。無論の事、『起源属性』に当たるアーツはその人物にとって扱いやすいという利点がある。

 逆に、手練れのアーツ使いと対峙する時は、事前にこの『起源属性』を知っておくと戦局を有利に進める事ができるなど、デメリットも存在するが。

 

 

「ま、俺の場合コッチの方にもちっと細工をさせてもらってるんだがな」

 

 そうしてトヴァルが取り出したのは、リィン達が持っているものとはカラーリングが異なるARCUS(アークス)だった。

 遊撃士の証である『支える篭手』の紋章のカバーが取り付けられているそれは、遠目から見てもすぐに分かる程にカスタマイズを施されていた。

 

「俺は一応細々とした作業や機械弄りが好きでな。趣味が高じてARCUS(アークス)に高速駆動用の改造パーツを取り付けたんだ。名付けて『クイックキャリバー』ってな」

 

「因みにこれラインフォルト社未認可な。特許出したら申請通るクオリティ」

 

「すみませんちょっとその辺り詳しく」

 

「アリサの目が心なしか輝いているように見える」

 

「成程、グエン老と同じ目だ。血は争えないな」

 

「おい貴様ら、そろそろいい加減にしろよ」

 

 修正しても再び話が脱線していく現状に、ユーシスが苛立ちの声と共に忠告を差し挟む。

 その声色と表情がなまじ本当に怒る寸前のそれだったので、身の危険を感じた一同はすぐさま気を引き締めに掛かった。

 

 

「本来アーツを中心的に使う人間にも”系統”ってモンが存在するんだ。一通りのスキルは習得していても、そこから多種のアーツを同時に使う方に傾倒するか、より一つのアーツの威力を高めにかかるか、より早く駆動詠唱を行う事に腐心する―――とかな。俺の場合は駆動詠唱の速さに重点を置いたって訳だ」

 

「やはり、それにも個々の相性のようなものがあるのでしょうか?」

 

 エマがそう訊くと、トヴァルは無言のまま首肯した。

 

「一通りスキルを習得し終えた後は、あれもこれもと手を伸ばさない方が良い。器用貧乏になっちまうって事はつまり、攻め手に欠けるって事になるからな。対峙する相手よりもどれか一つでも長じてるポイントを作っておくことがとりあえずの到達点だな。……まぁ極稀に手を伸ばした先からあっという間にモノにしちまう本物の天才もいるみたいだが」

 

 その最後の言葉を聞いて、レイは思わず心の中で苦笑した。《結社》に居た頃は、その手の”本物の天才”が珍しくもなく存在していたからである。

 あのレンでさえスタイルを『アーツ多重併用型』に当てはめているというのに、一部の例外―――それこそレイに本気の呪いを掛けた魔女などはその典型例だ。《使徒》の中に名を連ねるだけあって、その出鱈目ぶりは悔しいが認める他はない。

 

 だが、そんなものはほんの一部。まさしく魔法(アーツ)に関して天賦の才を有している者にしか辿り着けない領域だ。その為、そうした者はしばしば”達人級”の武人と同一視される。

 

 

「―――さて、概要的な話はここまでだ。レイを除いたお前さん達11人はそれぞれスタイルが違うだろう。そもそもアーツを使用するのが苦手だって奴もいるかもしれん。ちょっと手を挙げてみてくれ」

 

 すると、フィーとミリアムが悪びれることなく真っ先に手を挙げ、次いでガイウスとラウラが若干申し訳なさそうに手を挙げた。

 

「おう、正直なのは良い事だ。そんじゃあ、今のところどれか一つでもいいからスキルが使えるって奴は手を挙げてくれ」

 

 次に手を挙げたのは、エマとエリオット、そしてアリサとユーシスだった。

 エマは『思考分割』『多重詠唱』『遅延詠唱(デイレイ・スペル)』『短縮詠唱(クイック・スペル)』など、既に一通りのスキルを扱える。

 エリオットは『多重詠唱』と『短縮詠唱(クイック・スペル)』。『思考分割』は現在習得中である。

 アリサとユーシスは『多重詠唱』までは会得しており、それ以外は現在習得中という流れであった。

 

 その現状に、トヴァルは思わず呆けた顔をしそうになった。

 

 そもそもこれらのスキルは、普通にやっていれば学生の時分に習得できるようなものではない。トヴァルとて、習得したのは裏業界から足を洗って遊撃士として活動し始めた頃―――とある教会の鬼騎士に稽古をつけて貰って死にそうになりながら得たものなのである。

 それを彼らは、既に幾つか習得している。実技教練を担当する二人がアーツを不得手、または使えないという事を考えると、ほぼ独学か、互いに教えあってここまで昇華したという事になる。凄まじい事だ。

 

 とはいえ、一言にスキルの習得と言っても、そこには並大抵では済まない努力がいる。

 例えば4人全員が習得している『多重詠唱』のスキルでさえ、自在に使いこなすには幾つもの段階を踏まなくてはならない。

 まずは使用するアーツの駆動術式を完全に理解し、その上で使用者自身も並列詠唱を行わなければならない。無論、戦術オーブメントや魔導杖が演算のサポートをしてくれるが、それでも原則一つの戦術オーブメントが駆動を肩代わりしてくれるアーツは一度に一種類までな為、二種類以上のアーツを同時に発動するならば少なからず使用者にも負担がかかる事になる。

 更に厄介なのは、使用者自身が詠唱する駆動術式にも一切のミスは許されないという事。詠唱に瑕疵があったり、込める魔力量が違ったりすれば、容赦なく魔力爆散(マジック・バースト)という現象が起き、発動が失敗に終わるどころか使用者自身を傷つける事になるのである。

 

 本来であれば、『二重詠唱(デュアル・スペル)』ですらこのようなリスクを冒して初めて成功するのである。これが『三重詠唱(トリプル・スペル)』、『四重詠唱(スクエア・スペル)』と増えていくと、それこそ指数関数的に難易度は跳ね上がる。

 脳の中を複雑怪奇な駆動術式が駆け巡り、少しのミスが死に直結する場合もある。更にそれを『思考分割』『短縮詠唱(クイック・スペル)』などと併用しようものならば、常人なら発狂してもおかしくない。

 

 実際、改造ARCUS(アークス)の万全の補助を以てしても、トヴァルは自分が扱えるのは『三重詠唱(トリプル・スペル)』までであると分かってしまっていた。

 個々人の内包魔力量、演算処理能力などを顧みて考えると、自ずと”底”というものは見えてしまう。しかし彼らは別だ。まだ進化できる余地は残されている。

 

 

「よし。それじゃあ段階別に合わせて実践演習に移っていくぞー。……ってアレ? サラの奴はどこにいったんだ?」

 

「あぁ、サラならこの前他の教官たちと飲みに行ったときに酔っぱらって盛大にビール溢してな。その時にダメにした持ち帰り用の書類の再提出に手間取って今職員室にカンヅメ」

 

「……酒癖の悪さは変わってないのな」

 

「あれでもまだマシな方だという地獄。―――まぁその他にもマジメな理由はあるんだがな」

 

「?」

 

「ま、それは今は良いだろ。トヴァル、お前はさっきの4人と……あとマキアスとクロウを指導してくれ。アイツらは俺じゃあちっと手に余る」

 

「おう、了解。コツと鍛錬方法を重点的に教えればいいんだろ?」

 

「頼んだ。……お前が考えてるよりも呑み込みが早いからな。呑まれないように気を付けろよ?」

 

「あいよ。―――そんじゃあエマ、エリオット、ユーシス、アリサ、マキアス、クロウは俺と一緒に来てくれ。残りはレイの方な」

 

『『『『了解』』』』

 

 

 その声と共に、メンバーが分かれる。トヴァルが連れて行った、所謂「上級者組」は彼が指導要領を教える事でさらに飛躍的に伸びるだろう。残ったのは―――

 

「……さて、問題は俺たちだな」

 

「うむ。苦手分野は克服すべきと分かってはいるのだが……」

 

「どうにも()()()()()のが本音ではあるな」

 

「ねー、レイー。どうしてもやらなきゃダメ?」

 

「正直、無理っぽい」

 

 リィン、ラウラ、ガイウス、ミリアム、フィーの5人である。

 この中で最もマトモなのはリィンだ。彼は才能そのものは完全に前衛の方に傾いてはいるが、戦う中で最低限のアーツの使用はできる。

 ラウラとガイウスにしても、己の不得手をなんとか克服しようとしている姿は見てきている為、そう遠くない内にそれなりのレベルにはなるだろうと予測していた。単一アーツの駆動と発動ならば、要求されるのは集中力と最低限の魔力の維持だ。これは経験を積めば何とでもなる。

 となると目下の問題は、大方の予想通りこの2人なのだ。

 

「そうだな。確かにお前ら2人は輪をかけて物理攻撃特化型だ。正直アーツの応用技術を学ばせるより、戦い方そのものを教え込んだ方が良いとは思ってる」

 

「それじゃあ―――」

 

「だけどな、それじゃあ()()()()1()()()()()()()()()()()()()()

 

 突拍子もない言葉ではあったが、それを言い放ったレイの声色は真剣そのものだった。それを敏感に感じ取り、ミリアムもフィーも口を噤む。

 

「大原則として、1人が持ち運べるティアの薬やセラスの薬は限られてる。それはフィー、お前も分かってるだろ?」

 

「(コクコク)」

 

「それに、今みたいにバランスの良いパーティーで動けている内はまだ良いが、もし何かがあって近接前衛組の奴ばかりでパーティーを組まざるを得ない状況になったらどうする? 「自分がやらなくても誰かがやってくれる」と安心していると、いざという時に対処できなくなるだろ。それが1人で行動してる時であったら、尚更だ」

 

「……確かに、理に適っているな」

 

「魔物によっては、物理攻撃があまり効かない類の奴もいるからな」

 

 個々人による”戦略の幅”を広げるためには、やはりどうしても「基礎の基礎」を修得するという事は必要不可欠になってくる。土台がしっかりと作り上げられていれば、それを軸に戦略を練る事も可能になるからだ。

 

「『多重詠唱』を習得しろなんて難易度の高い事は言わねぇよ。まずしっかりと、確実にアーツを発動できるようになれ。まずフィーは風属性、ミリアムは地属性の補助アーツをマスターするように心がけろ。『思考分割』を覚えるのはその後だ」

 

「まぁ、確かに前衛組の俺たちが『思考分割』を使えるようになれば新しい戦い方ができるな」

 

「ま、そういう事だ。俺はお前らと違ってアーツそのものは使えないがな、それでも『思考分割』のスキルは使える。そこを重点的に詰めて行くぞ。―――目標は次の実技試験だ。そこまでに戦略のバリエーションを増やす」

 

「……時間足りないっぽい」

 

 フィーのその呟きに、レイは思わず心を痛めた。

 本来であればこういった機会はもっと前に設けておくべきだったのだが、如何せん「チームでの戦い方」を仕込む事に重点を置き過ぎてしまったのだ。更にそこにクロウとミリアムという加入者が現れた事で、当初考えていたのより時間を食ってしまった事は事実だった。

 

「確かに、こういった機会を設ける時間が遅れちまったのは俺とサラのミスだ。すまん」

 

 とはいえ、言い訳をするつもりはなかった。恐らくサラとて、申し訳ないと思っている事自体は同じな筈だろう。

 そう言って頭を下げたレイを見て、つい言葉を漏らしてしまったフィーが僅かに動揺する。彼女にしてみればお世辞にも適正であるとは言えないアーツ訓練に対しての愚痴を漏らしてしまっただけなのだが、それがこのような結果を齎すとは思っていなかったのだ。

 

「……大丈夫。なんとか、する。でしょ? ミリアム」

 

「うん、そーだね。まぁメンドくさいのは確かだけど、ボクもガーちゃんに頼りっきりはイヤだしね」

 

 そんな彼女らの決意を聞いて、リィン達も腹を括った。

 視線を移すと、既に本格的な指導に移っている「上級者組」の面々が目に入る。いつもならば彼らに後方支援を頼っていたのだが、レイの言う通り、このままではいけない時がいずれ来るのだろう。

 ならば、不得手だからという理由で立ち止まっているわけにはいかない。

 

「それじゃあ、早速やろう。―――レイはどうするんだ?」

 

「まぁ、俺はアーツは使えねぇけど、今までバケモンみたいなアーツ使いの連中を見て来たからな。専門的じゃないアドバイスなら任せろ」

 

 レイはそう言って、先程購買で買い込んだEPチャージ薬を、手に持っていたカバンの中から覗かせる。それを見て、一同は苦笑した。

 しかし、とリィンは考える。《帝国解放戦線》の事もあり、万が一の事に備えるのは確かに大事な事だ。それは間違いない。

 

 だが彼は―――どういったつもりで1()()()()()()()()()()()()()というものを考慮に入れたのだろうか?

 

 内心首を傾げても分からないその疑問をとりあえず心の中に仕舞いこみ、リィンはポケットの中から自身のARCUS(アークス)を取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 はい、どうも。最近部屋の掃除をしていたらゲームボーイアドバンスのソフト『マリオ&ルイージRPG』を見つけてしまい、久しぶりにやってみたらドハマリしてました。やっぱり神作。

 それにしてももう夏ですね。夏アニメで一番期待しているのは『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ 3rei』でしょうか。ドライから一気にFate/っぽくなるので楽しみです。
 ついでに今執筆してる『Fate/Turn ZeroOrder』を書き終えたら、今度はドライの世界観に飛ぶのもいいんじゃないかと画策している十三です。ある意味Zeroより混沌としてるしね‼ あの世界。




 さて、今回は冒頭にも書いた通り筆者が独自に展開していたアーツ理論について「基礎的」な部分だけを抽出致しました。いずれ応用編も書く事になるかと思います。
 因みに各用語を簡潔に表すとこんな感じです。

☆『多重詠唱』:アーツを一度に複数回発動できるスキル。この「複数回」の数によって『二重詠唱(デュアル・スペル)』、『三重詠唱(トリプル・スペル)』と名称が変化する。
 数が増えれば増える程戦術オーブメントだけでは駆動詠唱が追いつかなくなるため、使用者自身が詠唱を行う事が求められる。頭の良さが必要不可欠。
 元ネタは確か『ノーゲーム・ノーライフ』。エルフのお姉さんが使ってた。

☆『思考分割』:動きながらアーツを駆動・発動するスキル。ぶっちゃけ集中力と経験が大事なため、スキルの中では習得が簡単な部類に入るのだが、それでも得手不得手は存在する。案外物理攻撃主体の人間の方が早く習得する事も。
 戦いの場で立ち止まって詠唱とか攻撃の的になるだけなので、本格的に戦う際は必須。
 元ネタは『ダンまち』に登場する冒険者アビリティの1つである「並行詠唱」。

☆『遅延詠唱(デイレイ・スペル)』『短縮詠唱(クイック・スペル)』:読んで字のごとく、アーツの詠唱を「意図的に遅らせるスキル」と、「詠唱時間を短縮するスキル」。前者の方は相手の不意を突く際に使用する。ぶっちゃけアーツ使い同士の戦いでは如何に「相手の不意を突けるか」が肝になる。
 『遅延詠唱』の元ネタは、確か『ネギま』に同じ技があった。

☆『起源属性』:その人物が生まれつき得手とするアーツ属性の事。つまりARCUSの固定スロット。この属性のアーツを使う際は消費魔力量が少なかったり威力が向上したりというメリットがある。逆に相手の『起源属性』を知っておけば戦局を有利に進められるかもしれない。
 元ネタは『Fate/』の魔術属性。そこまで縛りが強いわけではないが。

☆系統:アーツ使いはそこそこのレベルに到達すると、自分が得手とする分野を伸ばす事がほとんど。全体をまんべんなく極める事は余程のへんた……天才しかできない。まぁいるんだけど。DJやってる魔女とか。
 例としては『多重併用型』『効率詠唱型』『威力特化型』などなど。因みにレンは『多重併用型』で、トヴァルは『効率詠唱型』。

☆魔力爆散(マジック・バースト):アーツの発動失敗やら、逆に特定の条件下で魔力の暴発を起こす爆発現象の総称。まぁつまりレイ君が深淵さんに仕組まれてるヤツと同じ。
 発動失敗で起きる時は、発動させようとしていたアーツのレベルによって規模が異なる。

☆駆動術式:正確に表現しようとすると色々面倒臭くなるので、「PCのプログラミングのようなもの」と思っていただければ。戦術オーブメントはこれの詠唱をほぼ完璧に行えるが、人の頭でこれを詠唱しようとすると難しい。


 まぁ、こんな感じですね。質問等がありましたら感想欄かメッセージまでお願いいたします。

 何で今この話をやったかって? ……次の実技試験(察し)。


PS:スカサハさんは貰い受けたい。というかFGO600万ダウンロードキャンペーンがしょぼい。いつもの事だけど。
 あ、でもシャーリィちゃんが可愛い事は認めよう。


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紫雷霆への再挑戦状






「恐れよ、されど手を伸ばせ、その手に希望を掴み取らん」
    by マルタ・ルアルディ(テイルズオブシンフォニア ラタトスクの騎士)








 

 

 

 

 

 

『いいか? 今回の試験の相手は間違いなくお前達より強い。あぁ、絶対だ。それだけは確信を持って言える』

 

 

 常に思考を巡らす脳内で、友人の言葉が反芻される。

 昨夜学生寮の食堂で、皆を集めて言った言葉。その声色に、一切の弛みはなかった。

 

 

『今まで散々強い奴と戦う際の注意点とか諸々は大体叩き込んできたつもりだからな。野暮な事は言わない。―――だがまぁ、折角だからな。前にも言った事をもう一回言わせてもらう』

 

 

 改まって何を言うのかと一瞬身構えはしたが、それは至極単純な事だった。

 否、単純だからこそ難しい。それを一同は、既に理解していた。

 

 

『どんなに劣勢でも、絶対に「敗ける」とは思うな。思った時点でお前らの敗北だ。常に思え。「勝つのは自分だ」と』

 

 

 例えどれだけ絶望的でも、どれだけ背水の陣に立たされようとも。

 精神さえ負けていなければ、必ず勝機がある。―――いや、勝機を作り出す事ができる。

 

 リィンはそれを、Ⅶ組の誰よりも知っているという自負があった。―――僅かでも精神が摩耗していたら、恐らく自分はレグラムの古城で果てていただろうという実感があったからだ。

 

 

『自分が敗けるパターンを10通り思いつく暇があったら、自分がどうしたら勝利できるかを1通り捻り出せ。過程はこの際気にするな。卑怯な勝ち方が嫌だと思うのなら、そいつと一対一(サシ)で真正面から戦っても勝てる可能性を見出せるまでに強くなってみせろ』

 

 

 戦略で敵を出し抜いて勝つのは人類にしかできない勝ち方だ。

 無論、非人道的な行いを薦めているわけではない。人はその気になれば―――極々一部の絶対的な例外を除いて―――幾らだって勝機を捻り出す事ができるのだ。

 故に、真正面から力押しするだけが勝利に非ず。勝利とは、八方手を探し尽して勝ち取るもの。

 

 

『実力が足りない―――なんて誰にだって言わせねぇ。お前らは強い。強くなった。

 精神が脆い―――笑止千万だ。各々地獄を潜り抜けたお前らが、弱者なわけがあるもんか。

 だがそれを差し引いても、勝てるかどうかは知らん。だから死ぬ気で行け。死ぬ気で勝ちに行け。お前らの心の中に敗北に対する忌避感が僅かでも残ってる内は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 思わず、口の端が僅かに吊り上がってしまう。認められるのは嬉しい事だ。それが、目標と定めた友の言葉であるなら尚の事。

 しかし、余韻に浸る暇など一瞬たりともありはしない。利剣《隼風》の柄を握り締め、眼前の土煙を真正面から見据える。

 

 やはり―――出て来た。研ぎ澄まされた闘気と紫電の奔流を身に纏ったまま、越えなければいけない”壁”は、疲労の色を見せずに土煙を振り払う。

 

 

 

 

「ホント、強くなったモンだわ、アンタ達。戦技教導官として―――何よりアンタ達の担任教官として、これ以上ない喜びを味わってる真っ最中よ」

 

「メインディッシュはまだですよ、サラ教官。―――前菜(オードブル)程度で満足されちゃあ、俺たちとしても立つ瀬がない」

 

「言うようになったじゃないリィン。ならもうちょっと―――火ぃ入れても良さそうね」

 

 空気が弾けるような音と共に、第二ラウンド開始の合図(ゴング)が鳴る。

 同時にⅦ組全員が臨戦態勢を敷き、自らの担当教官を迎え撃った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タネを明かしてしまえば、今回の()()()()の内容変更は、ヴァンダイク学院長直々のものであった。

 

 

「バレスタイン教官、それにレイ君。此度の実技試験の内容をワシの方から提案したいのだが、良いかね?」

 

「それは、大丈夫ですが」

 

「流石に学院長直々に相手をする、というのは勘弁してあげて下さい。彼らも強くなったとはいえ、流石に《轟雷》のお相手は少々荷が重いかと……」

 

 現役軍人時代、その異名で称され、斬馬刀を手に敵機械化部隊を生身で相手取ったという逸話を持つ”達人級”を相手にするには、流石に階梯に隔たりがありすぎる。

 ヴァンダイクもその辺りは心得ていたのか、呵々と笑い飛ばして言葉を続けた。

 

「5度の特別実習、そして日々の実技教練等を経て、特科クラスⅦ組の練度は日増しに高くなっていると報告を受けておる。無論ワシも時折覗かせてもらっておるが、目を見張らせてもらったわい」

 

「恐縮です」

 

「老骨の目からすれば、若者の成長とは常に輝かしいものじゃが……あれほど歪みなく成長できる者らもそうはおるまい。ワシがあと20年は若ければ、迷わず正規軍に誘っておったじゃろうの」

 

 冗談めいた口調で言っているものの、実際正規軍所属のナイトハルトなどはⅦ組の実力を高く評価している。トールズが正しく「軍士官学校」であった時代ならば、彼らは各部隊に引く手数多だったことだろう。

 尤も彼らの中に、軍人の適性がある者が多いかと言われれば()()()()()()のだが。

 

「そこで、じゃ。―――バレスタイン教官」

 

「はい」

 

「此度の実技試験は、君が直々に彼らの成長を計るというのはどうかね」

 

 クッ、と。レイは思わず零れそうになった笑みを寸でのところで押さえた。

 何故ならそれは、元々レイの方からヴァンダイクに提案しようと思っていた事だったからだ。贔屓目でもなんでもなく、今のⅦ組ならばサラを相手にしても勝利の可能性を見出す事ができる―――そう判断したに過ぎない。

 そう言った意味でもレイは手早く賛成の意を示し、そしてサラも、その案に快諾した。

 

 だからこそ、サラは先日のアーツ特訓の際には顔を出さなかった。

 自業自得でダメにした書類の片づけという理由も勿論あったが、如何にして自分を出し抜く手段を見つけるのかという事を、彼女なりに楽しみにしていたのだろう。

 

 そして日時が飛んで9月22日、遂にその日はやって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラウンドに並ぶ姿はいつも通り。しかし、いつもと違う箇所が一つだけあった。

 もはや恒例行事と化していた、サラとレイの軽口の叩き合いがない。まるでⅦ組が結成した当初のような緊張感が、そこにはあった。

 

 だが、その切迫した雰囲気が何を示しているのか、分からない面々ではない。

 この実技試験の相手が誰であるかなど、そんな事は以前にレイに言われた言葉から察しはついている。

 だからこそ、違和感は感じない。既に臨戦態勢を整えて、各々の得物を片手に並んでいる。

 

 

「さて、と。今回も実技試験を始めるわけだけど……言わなくても分かってるわよね、そりゃ」

 

 サラは手短にそうとだけ言い、自らの得物である導力銃とブレードを取り出した。《ディアボロ&ペイン》―――”悪魔”と”痛み”を意味するそれらが自分達に向けられたのは、もう4ヶ月も前の事だった。

 

「ルールは簡単。アタシ1人と、レイを除いたアンタ達全員。違反行為はナシ。ガチで殺しに来なさい。

 後はアタシに「攻撃を”当てたら”」ポイント加算。その他にも「攻撃を”通したら”」「膝を突かせたら」、最終的に「ぶっ倒したら」満点合格にしてあげるわ」

 

 細かい縛りは一切ナシ。要はただ倒せばいいだけの事。

 そして、違反行為もナシ。それを聞いた瞬間―――フィーが隣に並んでいるアリサの影になって見えない場所で握っていたF(フラッシュ)グレネードを起動させ、足元に落とした。

 

 

GO(行くぞ)‼」

 

 戦闘開始の合図は無い。否、合図を出す気など、恐らくサラサラなかったのだろう。

 Fグレネードの効果が発動する一瞬前にⅦ組全員が目を閉じたが、その直前にレイは僅かに笑っているように見えたのだ。

 馬鹿正直に合図を待っていたら、その時点で紫電の餌食になって数人は戦闘不能になっていた。出鼻を挫かれない為には、「ルール違反はなし」というルールを聞いた瞬間に「こちらから仕掛ける」他はなかったのだ。

 

 まさに、「ルール無用」。実際の戦闘を想定したような実技試験に、しかし違和感は感じなかった。

 数ヶ月前の自分達ならば、絶対に突破できなかったであろう試験。実際の戦闘に分かりやすい開始の合図などない。不意打ち・奇襲の類は当たり前だ。一瞬でも気を抜けば命を落としかねない。

 だからこそ、()()()()()()()()事を躊躇ってはならない。自分たちよりも強い存在が相手であれば、尚のこと。

 

 

 そうして最初の一手を先んじることには成功したが、如何せんFグレネードの効果は一瞬だ。長く見積もって3秒持てば良い方だろう。

 だから早々に、”次の一手”を打つ必要があった。

 

 飛び出したのはガイウス。右手に十字槍を携えながら、左手にはARCUS(アークス)を握っている。

 

ARCUS(アークス)駆動―――」

 

 直線方向への疾走をしながらの『思考分割』はさして難しくない技術だ。それを限定的ながら体得したガイウスは―――しかし()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ちょ―――」

 

 視界が戻ったサラが思わず声を漏らしてしまったのも無理はない。自身からそう離れていない場所で、生徒が()()()()()()()()()()()()()のだから。

 駆動詠唱が強引に中断した際、導力器の中で巡っていた七耀石(セプチウム)魔力(EP)は、行き場を失い停滞を始める。本来はそこで導力器の使用を停止して自然冷却させるのが対処法なのだが、今ガイウスはそれとは逆に自身の内包魔力を注ぎ込んだ。

 巻き起こるのは、詠唱していた風属性中位アーツの魔力爆散(マジック・バースト)。ガイウスの『起源属性』の一つであることも相まって威力は増幅され、周囲に撒き散らされた形状の伴わない魔力の波動が、盛大に土煙を巻き起こす。

 

 その基点となったガイウス自身、恐らく無傷ではないはずだ。もはやそれは自爆特攻にも等しい行いであり、肉体を武器として扱う”達人級”の武人でもない限り、少なからずのダメージを負ってしまうのは必然。

 だが、土煙で最悪になった視界の片隅で、恐らくエリオットのものと思われる水属性の回復アーツの光が瞬いた瞬間に、彼らの策が読めた。

 

 ガイウスは、アガートラムというトンデモ兵装を除いた場合、Ⅶ組の中で最も頑強(タフ)な生徒だ。

 恵まれた長躯と、ノルドという環境が育んだそのポテンシャルは、まさに白兵戦を行う事に特化したような形に仕上がっており、戦闘継続能力も高い。しかし、それと反比例するようにアーツへの適性が低いことが欠点でもあった。

 しかし彼は今、その欠点を逆手に取ったのだ。魔力爆散(マジック・バースト)1回分の衝撃に耐える事ができれば、早々にエリオットのアーツで完全回復できる。一歩間違えれば惨事になっていた可能性もあるが、恐らく彼は自信を信じ、仲間を信じて行動したのだろう。その結果、継続的にサラの視界を塞ぐことに成功した。

 

 無論、この策をⅦ組の面々が諸手を挙げて賛成したとは思えない。リスクと、それと引き換えに手に入る結果を天秤に掛けてどちらの方がより良い結果を生むか―――それをガイウスは主張したのだろう。

 捨て駒ではなく、体を張った先駆け。些か予想外の策にサラが眉を顰めようとした矢先、土煙が僅かに弛み、再び足元に何かが投げ込まれたのが分かった。

 

 AD型音響手榴弾(Aグレネード)と、TR型催涙手榴弾(TRグレネード)。それぞれ一時的に生物の聴覚を刺激する音を発生させる兵器と、即効性の高い非殺傷の特殊ガスを噴出させて嗅覚を封じる兵器であり、どちらもフィーが団の備品の中から持ち出した私物である。

 サラの視覚のみならず、聴覚と嗅覚を躊躇いもなく封じにかかったⅦ組の面々は、手榴弾の効果が表れた瞬間、全員で戦術リンクを繋いだ。

 サラが土煙の中から視界を封じられているのと同じように、Ⅶ組の面々から見てもサラの姿を目視で捉えることは難しい。催涙弾の効果を受けないためにも、目を閉じ、口が開けられない状態で互いの位置を確認するためには戦術リンクに頼るほかはない。

 

 動いたのはラウラと、傷を完全に癒したガイウスの2人。それぞれの位置関係を把握した上で、サラの発する闘気を肌で感じ取り、得物を振るう。

 ラウラは上半身、ガイウスは下半身を狙って横薙ぎに振るわれた大剣と十字槍は、しかし固い手応えに阻まれた。

 

『『(っ……‼)』』

 

 大剣はブレードの刃が、十字槍の穂先は導力銃の銃身が僅かの誤差もなく防いでいる。

 無論、そうなるだろうと予測はしていた。視覚・嗅覚・聴覚、これらの感覚器官を塞げばどうにかなるような相手だとはそもそも思っていない。

 武器が己のどこを狙って振るわれるかは、大気のうねりを読めば分かる。そうでなくともA級遊撃士として培った戦闘経験が、条件反射気味に彼女を動かしているのかもしれない。

 

 だが、そこで攻撃の手を緩めはしない。

 銀の穂先が、青色の剣が、限定された世界の中で縦横無尽に踊る。それらの攻撃は例外なくサラの姿があるところを狙いすまして放たれ、互いに攻撃が当たる事はあり得ない。

 伊達に、幾度も幾度も”朝練”や実技教練をこなしてきたわけではない。戦術リンクで繋がっていなくても、互いの癖や攻撃のタイミングなどは既に読み切っている。

 どうしても攻撃のインターバルが生まれてしまうラウラの攻撃の隙を埋めるように、ガイウスの槍が振るわれる。互いの姿を視認する事も叶わず、息をする事もままならない状況で、甲高い音を掻き鳴らして猛攻はひたすら続いた。

 

 それが三十合を過ぎた辺りだろうか。それまではブレードと銃身で攻撃を払うばかりであったサラが、卓越したコンビネーションの攻撃に流石に手を出さざるを得なくなり、導力銃の引き金を引いた。

 土煙の中を進む一本の紫の弾線。それを合図に、Ⅶ組で唯一”狙撃”ができる少女が弓を引き絞った。

 アーツ属性も何も付加させない、ただの弓矢。矢の飛来を可能な限り悟らせない為の処置を掛けたそれを、アリサは解き放った。

 

 弾線と並行するように突き進む弓矢。ラウラとガイウスの猛攻によりその場に”縫い付けられていた”サラは、その弓矢をブレードで斬り飛ばすしかなかった。

 必然的に生まれる刹那の隙。右手に携えたブレードを振り抜いてしまっている以上、ガイウスの槍は防げてもラウラの大剣は防げない。

 

「(やってくれんじゃないのよ……ッ‼)」

 

 最初の方は教官らしく出方を伺うつもりでいたのだが、こうなってしまっては是非もない。

 もうすっかりと慣れてしまった、体内に電気が帯電するような感覚。内包魔力を”雷”に変換し、一時的に放射状に解き放つ。

 バチリ、という、大気が破裂する音が響くと共に、今まさに攻撃を叩き込もうとしていたラウラとガイウスを吹き飛ばす。

 

「っ、グッ―――‼」

 

 くぐもったような声と共に2人が盛大に吹き飛ばされたが、恐らく大したダメージは負っていない。

 その衝撃で催涙弾の煙も同時に吹き飛ばされたが、土煙は晴れていない。もはやハンデなどと甘い事は言えない。早々に場所を移動しようとしたところで、真正面から残暑とはまた違う熱が頬と髪を撫でた。

 

 

「『業炎撃・飛炎』」

 

 それは、自身の『起源属性』の一つである”火”と、太刀《隼風》に込められた”風”属性を組み合わせたその技は、容赦のない炎流となって一直線にサラを襲う。

 つまるところ、この状況に至るまで()()()()()()()()()事にサラは僅かに眉を顰めながらも、自分の生徒の成長度の高さに、次の瞬間には笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

「どうじゃ? 彼らは頑張っておるかの?」

 

 悠々とした足取りでグラウンドに姿を現したヴァンダイクがそうレイに声を掛けたのは、第一ラウンドの戦闘が終わった辺りの頃だった。その後ろには、ナイトハルトの姿もある。

 レイは礼儀として一度頭を下げてから「えぇ」と返した。

 

「今のところは懸命に食らいついています。勿論、勝手知ったる人間を相手にしているという”強み”はありますけど、正直()()()()()はこの戦闘ではあまり役に立たないでしょうから」

 

 ”準達人級”以上の武人を相手にする時、相手の使用武器や戦闘スタイル、癖などを理解しているのは「最低限事項」である。それは戦闘を有利に進める為の基礎的な要綱にしかならない。

 画一化された戦闘方法で嵌め続ける事ができる程、彼らは容易い存在ではない。そしてそれは、彼らもしっかりと分かっている筈だ。

 

「……しかし、それを差し引いても”巧い”戦い方だ。教えたのはバレスタイン教官か? それともクレイドル、お前か?」

 

「”真っ当な”戦い方はサラ教官が。自分の場合はまぁ……”生き残る”方法を」

 

 世の中に「勝利する」方法は幾つもあるが、それよりも「敗けない」方法の方が多いと、レイは個人的には思っていた。

 統一化された組織内、それこそある種の強迫観念のようなもので縛られた軍隊のような組織に属していないのならば、玉砕などという命の落とし方は愚者の考える事でしかない。まず大切なのはどのような状況に放り込まれても生き残る事。もっと言えば、()()()()()()()()()()だ。

 

「入学してからそろそろ半年近くになりますけど……死地は幾度も潜ってます。今の彼らなら、そこいらの猟兵団の部隊と鉢合わせても大丈夫でしょう」

 

「フム……レイ君、学院を卒業したらバレスタイン教官と共に戦技教導官にならんかね?」

 

 そのスカウトに、レイは思わず乾いた笑みを溢してしまう。

 

「お誘いはありがたいのですが、恐らく向いていませんよ。自分の教え方は、お世辞にもスマートとは言い難いですしね。獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすなんて言いますが、自分の場合は奈落まで蹴り飛ばして這い上がってきた人間だけを救い上げるような方針ですし」

 

 それでも、師のカグヤよりはまだ生易しい方針と言える。彼女の場合は弟子を地獄の底に突き落とすだけでは飽き足らず、そこで死んだらそこまでだったとアッサリ割り切るような方針だ。流石にそこまで非情にはなれない。レイの場合は、奈落の底まで蹴り飛ばしても一応拾いに行く程度の慈悲はあった。

 

 

 そんな言葉を交わしている間にも、戦闘は続いている。全身から紫電が漏れ出ている所から察するに、どうやらギアを上げたらしい。

 まず―――ガイウスが落ちた。今のサラに接近戦を挑むのはまず無謀だが、彼女の速さから中衛・後衛組を守り切るには誰かが体を張らなければならない。

 彼の名誉の為に言っておけば、善戦はしたのだ。ミリアムと組んで相手をし、今の状態のサラと十数合打ち合うだけの気概と実力は見せた。―――だが、アガートラムの攻撃のインターバルにミリアムが狙われた瞬間、ガイウスはミリアムを庇って紫電の斬撃を食らい、倒れた。

 ミリアムは驚いた表情を見せたが、そこから先は早かった。戦闘不能になったガイウスをアガートラムに担がせ、その流れを保たまま、ラウラと入れ替わった。

 前衛組全員が攻撃に加わらないのは、偏にこういった事態に対応するためなのだが、サラの高機動に中衛・後衛組が役目を活かしきれていない以上、前衛組が一人抜けた穴は大きい。

 

 絶え間なく降り注ぐ紫電の銃弾と斬撃は、嵐のように吹き荒れて着実にリィン達の体力を削っていく。それをエリオットが回復させ、エマが身体能力を向上させるアーツを『多重詠唱』で重ね掛けしていく。

 しかし、それでも()()()()()()()()のが現状だ。元より内包魔力をアーツではなく付加性能(エンチャント)に全て回しているサラの敏捷能力と攻撃能力は尋常ではない。『クレスト』や『ラ・クレスト』等の防御アーツなど易々と砕いてしまう。

 

 紫色の雷霆は、一度放たれたら止まらない。若干19歳の歴代最年少でA級遊撃士に選任されたその力は伊達ではない。

 だが、それでも越えて行かなければならないのだ。例え相手が”準達人級”の武人であろうとも、11人がかりというイニシアチブがある状況で「手も足も出なかった」では話にならないのだ。

 そして何より、レイは信じていた。今の彼らならば、どうにかする事ができる、と。

 

 知力を尽くし、地力を尽くし、そして何より死力を尽くして、彼らは今、4ヶ月前には手も足も出ずに惨敗した”壁”に挑んでいる。

 自然と握り拳になっていたレイの手の中に汗が滲んでくる。斬撃が交わされる音や銃口から放たれるけたたましい音が、否が応にも焦燥感を募らせてしまう。

 

 厳しいか? と。信じているのにも関わらず、そんな言葉が脳裏を過る。思わず浮かび上がってしまったその言葉を軽く頭を振るう事で霧散させ、再び右眼で戦場を見据える。

 

 

「信じて送り出した友らに「勝利を疑わぬこと」を説いたのならば、見守る側もそれを貫かねばならんぞ、レイ君」

 

 そんな心情を見透かしたかのように、ヴァンダイクは腕組みをしたままにレイにそう言葉を投げて来た。

 

「主観的にはそうは思わぬかもしれんが、彼らにとって君の言葉はこれ以上ない後押しになったことじゃろう。ならば、見守る側が不穏気な表情を浮かべていては彼らも思うがままに動けぬよ」

 

「それは……」

 

「それに―――」

 

 不意にヴァンタイクが背後の方に視線を向ける。それを追ってレイが後ろを振り向くと、校舎の方から何人もの生徒がグラウンドの方に向かってきている様子があった。

 その中にはトワやジョルジュ、アンゼリカ、その他見知った顔の生徒たちもいる。

 

「トワ会長? 何故ここに?」

 

「うーん、そのね。私たちは本当ならこの時間マカロフ教官の数学の授業だったんだけど……」

 

「窓から何やら面白い事やってんのが見えたからな。息抜きがてら見学に来たって訳さ」

 

 いつも通り覇気の籠っていない声でそう言ったマカロフの言葉に、ナイトハルトは眉を顰める。

 

「マカロフ教官、勉学は学生の本分です。それを疎かにして他のクラスの授業の見学など……」

 

「まぁまぁ、いいじゃないですかナイトハルト教官」

 

「トマス教官⁉ 貴方もですか‼」

 

 気が付けば、そこそこの数の生徒がグラウンド前に集まってⅦ組の実技試験を見学していた。―――尤もその中で、今現在サラとⅦ組の戦いが「拮抗」している事を理解できる生徒は少ないだろう。

 だが確かに、これ程のギャラリーが集まってしまった中で自分が無様な姿を見せるわけにはいかない。チラリとヴァンダイクの方を一瞥すると、彼はただ無言で首肯した。

 

「うおっ、すっげぇ……」

 

「いっつもグラウンドに破壊痕が残ってるから相当ヤバい授業してるんだろうなぁとは思ってたが……」

 

「エミリー、あれ”見える”?」

 

「んー……ゴメン、無理っぽい」

 

 そんなギャラリーたちが交わす声すらも、絶え間なく響き続ける戦闘音の前では鳥の囀りも同然だ。地力と戦術オーブメントの効果で底上げされた身体能力に加え、『クロノドライブ』『クロノバースト』で更に追加効果を加えた彼らの動きを見切る事は難しいだろう。

 その一方で動きを見切れている生徒―――例えばアンゼリカなどは、その戦況を確認して薄い笑みを湛えている。

 

 そんな中でレイは思わず「おや」と半分呆けたような声を挙げてしまった。

 

「お前も来たのか。意外だな、パトリック」

 

「……フン、ただの気紛れだ。ただ教室で待つのも性に合わなかったのでね」

 

 帝都での一件以来、何だかんだで言葉を交わしてこなかったパトリックは、しかしレイのその軽口に対して敵愾心を抱くような雰囲気は醸し出していなかった。

 むしろ彼の視線は、グラウンドの方に固定されて離れない。戦場を見つめるその青色の双眸には、もはや平民と言うだけで嘲るような色は残っていない。

 

「どうだ? あの時より強くなっただろ? アイツらは」

 

 その本意を確かめるためにわざと促すような口調でそう言うと、パトリックは少しばかり考えるような間を置いた後、降参したように口を開いた。

 

「認めよう、強い。お世辞にも美しい戦い方とは言えないが……何故だろうな、僕は目の前の光景から目を離せない」

 

 その眼に、その闘気に、言わずもがなの”不屈”の色が込められている事を彼は察していた。

 その双眸に映っているのはユーシスか、リィンか、それともⅦ組全員か。ただ愚直に、馬鹿正直に「勝利」を目指して突き進む姿から目が離せないというのは、ある意味自然な事だろう。

 それが羨望であれ、嫉妬であれ、根本的な悪感情は存在しない。恐らく彼の眼には、目の前で起こっている戦いはさぞや鮮烈に映っている事だろう。

 

 これが「戦い」だ。形式も礼儀もなく、美しさも華もないが、そこにはヒトの本能の一端が込められている。

 

「そう思うなら最後まで見てやってくれ。アイツらの”本気”を」

 

「…………」

 

 誰も彼もが、緊張感を張りつめ、歯を食いしばって戦っている。

 例え全身を痺れさす攻撃に晒されても、動き辛くなった四肢を無理矢理動かして引き下がらない。

 秒単位で戦局が変わり、一手一手が逆転の布石にも背水の陣にもなり得る。

 

 敗けるな、勝て。伏せるな、立ち上がれ。―――せめて今の自分にできるのはこれ位だと、レイは彼らに心の中で激励を送り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……頃合いか」

 

 クロウのその呟きは、戦闘音に紛れて誰の耳にも届かなかった。だが、導力銃のエネルギーの再装填を済ませると、彼は現在リンクを繋いでいたリィンに自身の策を伝える。

 

『おーい、リィン。このままじゃ埒が明かねぇ。ちっとばっか隙を作るからよ、その間に攻撃叩き込んでくれや』

 

『クロウ? 何を―――』

 

『こちとら貧弱な中衛組だからよ、適当なところで仕掛けるしかねぇんだわ。リンクはエリオットと繋ぎ直して後よろしく』

 

 そのやり取りを最後に、クロウとのリンクが途絶えた。当人はと言えば、前衛組が相手をしているサラの側面に弧を描くようにして回り込んだ。

 二丁銃から放たれる導力弾は、しかしサラの周囲に展開する紫電に阻まれて一発たりとも通らない。しかしそれでも構わず、クロウは走り続けた。

 

 無論、それを見逃すサラではない。アガートラムから繰り出される猛攻をすり抜けるように掻い潜り、狙いの読めないクロウから潰しにかかる。

 

「っ―――とぉっ⁉」

 

 しかし、放たれた斬撃を状態を後ろにそらす事でギリギリで避け、そのままサラの懐に潜り込む。

 元々近接戦闘用の武器を携帯していないクロウは、そこから何ができるかという訳でもない。為す術もなく体の中心部分に銃口を押し付けられながら、しかしそれでも額に汗を浮かべて笑う。

 

「相討ちなんて趣味じゃねぇし、ガラでもないんスけどね」

 

 クロウの右手に握られていたのは、1枚のカード。そこには、鎌を携えた死神の姿が描かれていた。

 瞬間、カードに込められた魔力が渦を巻き、禍々しい色が弾け飛ぶ。そうなる一瞬前に押し付けられていた銃口から死なない程度の威力に抑えられた導力弾が発射され、クロウを吹き飛ばした。

 

「っ⁉ ぬかったわね……」

 

 クロウの戦技(クラフト)『ワイルドカード』の効果は大まかに分けて二つある。

 一つは味方の対してのステータスアップ効果。もう一つは敵に対しての状態異常効果である。どの効果が現れるかはカードに魔力を込めて絵が浮かび上がるまでランダムという博打性の高い技ではあるが、今回はその中で、敵に対しての「即死」効果を引き当てた。

 

 勿論、その一撃だけで倒れ伏すほどサラは甘くない。対魔力もかなり高い彼女に対しては精々肉体の倦怠感を誘発して僅かに平衡感覚を乱す程度の効果しか生まなかったが、それでも言葉通り、隙はできた。

 

『さっさと撃て‼ レーグニッツ‼』

 

『言われずとも分かっているッ‼』

 

『アリサさん、お願いします‼』

 

『任せて‼』

 

 その一瞬を見逃さず、マキアスとアリサが最大の一撃を叩き込みにかかる。

 

 形態変化させた導力式散弾銃から放たれる状態異常付加弾―――必殺戦技(Sクラフト)『マキシマムショット』。

 自らの『起源属性』の一つである”火”の魔力を限界ギリギリまで注ぎ込み、鏃が触れた直線状を焼き尽くす一撃―――必殺戦技(Sクラフト)『ジャッジメントアロー』。

 

 大気を裂いて撃ち込まれた二種の必殺戦技(Sクラフト)は、僅かによろけていたサラを確実に捉えて着弾した。

 しかし、攻撃はそれだけでは終わらない。生み出された一瞬の勝機に、エマもまた、最大の魔力を練り込んだ戦技(クラフト)を叩き込む。

 

「【聳え立て、大いなる塔よ(Sehr hohe Standplatz , der große Turm)】」

 

 唱えた瞬間、サラを囲むように出現した6つの魔法陣から、魔力で構成された塔が屹立する。その登頂部分から溢れだした神秘的な色の膨大な魔力が、中心に向かって集中する。

 

「【恵みの洸よ、鉄槌と化せ。(Wir Licht der Gnade, Knäuel und Hammer.)―――六杖の裁きを今此処に(Jetzt ist hier das Urteil eines sechs Rohr)】」

 

 空中に停滞した超高濃度の魔力の塊が、第二の詠唱と共に瓦解する。

 

「『ロードアルベリオン』‼」

 

 天堕の一撃は半端な対魔力では防ぎ切る事はできない。本来ならば単一の目標に向けて撃つには些か過剰すぎる威力の必殺戦技(Sクラフト)ではあるが、エマはそれを放つことを躊躇わなかった。

 破壊力の一点に特化すれば、これは間違いなくⅦ組でも最強の戦技(クラフト)だ。しかしこの学院内に限っても、この技を完全に無力化できる存在が少なくとも2名はいる。

 

 1人は射出された高濃度魔力の光を、さして苦労もせずに真正面から()()()()()

 1人は尾の一本を()()()()()()だけで、まるで蝋燭に灯った火を掻き消すかのように無効化してみせた。

 

 そんな彼らに鍛えられれば、慢心や過度の気遣いとは無縁になる。己がまだまだ未熟であると再確認ができるからこそ、技の研鑽に努める事ができた。

 「入った」という確証そのものはあった。どれ程ダメージが入ったかは、土煙が晴れるまで分からない。

 

 ―――と、そう考えていた時、突如として雷が直接落ちたのではないかと思う程の轟音が、土煙の中心から響いた。

 同時に、全てが弾け飛んだ。爆心地のようになったグラウンドの中心にいたのは、片膝をついた状態からゆっくりと立ち上がるサラの姿。その周囲には、これまでよりもより濃密な紫電のオーラが纏わりついていた。

 

 

 

「―――流石にこれだけ食らえばちょっとは痛く感じるわね」

 

 

 未だ、倒れず。

 攻撃を当て、攻撃を通し、そして膝を突かせた。加算ポイント的には既に充分だ。ここで終わっても、成績的には何も問題はあるまい。

 しかし、退けない。サラ・バレスタインの琥珀色の瞳には今、これまでよりも尚一層濃い戦意が籠っている。

 

 『雷神功』―――ついにそれを引き出すところまで至った。それはつまり、Ⅶ組の全員を「そうして戦うに値する」と認めたのだ。

 浴びせられる闘気は、先程までの比ではない。だがそれでも、思わず口元が緩んでしまいそうになる面々が確かにいた。

 

 

「―――漸く、俺たちは”入り口”に立った」

 

 リィンが呟くようにそう言う。これまでの数々の敗戦を振り返るように、それでいてその先を見据えているように。

 

「ここは”到達点”じゃなく、俺たちの”始まり”だ。―――だから、勝つ」

 

 ギブアップは有り得ない。ここで勝つ事にこそ意味がある。

 回復アーツを乱用しているとは言え、全員が満身創痍だ。だがそれでも、全員が立ち、全員が勝機を見据えている。

 

「ユーシス」

 

「……分かった。行ってこい」

 

 指揮権をユーシスに委ね、リィンは《隼風》を腰だめに構えた。

 長期戦は悪手だ。決めるとしたら一瞬でしかない。切り札はあるが、それが成功するかどうかは、これからの行動次第である。

 

「『プレシャスソード』ッ‼」

 

 開幕、『短縮詠唱(クイック・スペル)』の水属性アーツと併用して放たれたユーシスの戦技(クラフト)が、広大な範囲を氷結させる。

 

「フッ‼」

 

 しかし、雷撃の波動がその進撃を阻んでしまう。()()()()()()()()()であり、氷結対策をするために足を止める一瞬を狙ってミリアムが動いた。

 

「ガーちゃん‼ 『ライアットビーム』‼」

 

「Юδ.ηЙΩΡ」

 

 放たれたのは高圧力の熱線。一直線ではなく、敢えて不規則に軌道を変更する事で被弾の表面積を増やす技だが、サラは巧みにその軌道を読み切って躱して見せる。

 その先で、大剣と火花を散らす。氣力で身体能力を更に底上げしているとは言え、『雷神功』を発動させたサラには及ばない。そこにガイウスとミリアムも加わったが、押しているのはサラの方だった。

 

「ホント、大したモンだわアンタ達‼ アタシも鼻が高いわよ‼」

 

「それはっ、光栄だ‼」

 

「ですがっ、ここで貴女を越えなければ、意味はない‼」

 

「うんうん‼ やっぱり勝ちたいもんね‼」

 

 その言葉を聞いて、サラは口端を吊り上げた。そこまで言うのなら耐えてみなさいと、そう言わんばかりに。

 その雰囲気を察してか、3人が一歩後退する。それを見届けたユーシスは、右手を軽く掲げて合図をした。

 

 直後、視界の全てに光が走る。放たれたのは連続して発射された雷霆の弾丸。辛うじて避けた後衛組の面々も、その余波に巻き込まれて痺れ、足が止まる。

 そして、ブレードに膨大な量の魔力が凝縮され、刀身が2倍近く伸びたその姿を見た瞬間、全員の腹は決まった。

 何としてもこの一撃を、耐えきらなければならない―――と。

 

「『オメガエクレール』ッ‼」

 

 放たれた必殺戦技(Sクラフト)を完全に回避するだけの余裕は既になかった。そのまま食らえば総倒れは間違いない威力だったが、巨大な斬撃が甚大な被害を及ぼす前に、黄金色の盾に受け止められた。

 

「っ、くっ……これは、思った以上にキツいぞ……‼」

 

 ユーシスの合図と同時にマキアスが詠唱を始めていた『アダマスシールド』の展開が間に合ったのは半分奇跡のようなものではあったが、物理攻撃を無効化するその高位アーツを以てしても、『オメガエクレール』の威力は削ぎ切れない。

 空間ごと軋んでいるのではないかと錯覚するほどに激しい轟音が響いた後、押し敗けたのは『アダマスシールド』の方だった。

 しかしその先ではすでに―――3人の前衛組の面々が迎撃の態勢を整えていた。

 

「『真・洸陣乱舞』‼」

 

「『カラミティホーク』ッ‼」

 

「せーのっ‼ 『ギガントブレイク』ー‼」

 

 三種三様の必殺戦技(Sクラフト)が、強大な雷霆を受け止める。

拮抗した状態が続く事数秒、互いに弾け飛んで相討ちとなる。それを確認したサラは追い討ちを掛けようと構えるが、紫電の残光の向こう側から、疾風が飛び込んできたのを見逃さなかった。

 

 

「八葉一刀流―――七の型」

 

 その見慣れた速さは、まさしくレイの【瞬刻】のそれ。精度はまだ荒いが、独自の鍛錬でここまで習得を可能にしたことに素直に驚いてしまい、一瞬、対処が遅れた。

 

「『無想覇斬』ッ‼」

 

 鞘より引き抜かれた鈍色の光が煌くと同時に、刃が傲然と迫りくる。

 しかしサラも、”準達人級”の武人としての矜持がある。初速こそ出遅れたものの、逆手に持ち替えたブレードでガードに成功した。

 

「正直ヒヤリとさせられたわ。いつの間に覚えたのよ、それ」

 

「何度も何度も特訓しただけです。一度成功した事はあったので、それを忘れないうちに覚えました」

 

 交差した刃からギチギチという音が発せられ、教え子と教官が対峙する。

 良い顔をするようになったと、そう心の底から思えるようになった。まさか『雷神功』を出すまでに追い込まれるとは思っていなかったのもあってか、その感情はひとしおだ。

 だが、一手足りない。リィンの得物はブレードが封じているが、サラにはまだ導力銃がある。手数の問題を考えれば、単身で勝負を掛けるべきではなかった。

 

 しかしそれに、ここまで食い下がった彼が気付いていない筈はない。それでもリィンは退く様子など微塵も見せず、全力で抑え込み続けている。

 それはまるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だと理解しているようで―――

 

 

「(ッ、まさか―――‼)」

 

 失念していた。各々が派手に動き、サラの視界を前方に固定していたからこそ、彼女は無意識に考慮から外していたのだ。

 初撃以降、()()()()()()()()()()()()()()()生徒が居た事を。

 

 

「チェック」

 

 背後から、抑揚のないそんな言葉が耳に入った。

 短くカットされた銀髪が揺れ、黄緑色の双眸は暗に「待ちくたびれた」とでも言わんばかりにリィンを睨んでいるようにも見える。

 

 『ホロウスフィア』―――エレボニアでは主流とは言えないそのアーツだけを、フィーは『思考分割』で発動できるように特訓した。

 トヴァルより概要を教えてもらい、それをより効率よく発動できるように頭を捻って考えた。元より頭脳労働は柄ではないと理解していたが、今後必ずこのアーツは自分の切り札になり得る存在だと分かっていたからこそ、彼女はそれを成し遂げる事ができたのだ。

 そして、初撃でグレネード三発を投げ込んで以降ずっとこのアーツの能力を維持し続けたフィーは、満を持して”切り札”としてサラの背後を取る事に成功したのだ。

 

「『リミットサイクロン』」

 

 双剣銃から繰り出される斬撃が、交差するように二撃。その後、銃口から連続して放たれた銃弾がサラを襲う。

 

「ッ‼」

 

 フィーの『起源属性』である風属性の魔力が込められた弾丸が至近距離から掃射されれば、たとえ『雷神功』の魔力放出能力でも全てを無力化する事はできない。

 防ぎ切れないと踏んだ弾丸を、左手に携えた導力銃《ディアボロ》の掃射で以て迎え撃つ。しかし、前後方から同時に負荷が掛かった事により、サラの体勢が僅かに崩れた。

 

 

「蒼炎よ―――我が剣に集え‼」

 

 それを見逃さず、リィンは己の内包魔力の全てを《隼風》に注ぎ込む。それは《隼風》に内包された風属性の魔力と再び反応し、真紅の炎を蒼色に染め上げた。

 『蒼焔ノ太刀』―――新しい武装を手にしたことによりリィンが会得した新たな必殺戦技(Sクラフト)は、紫色の雷霆に負けじと燃え盛る。

 

 そしてその一撃を―――今までの鍛錬と実戦で培った思いの全てを、愚直に叩きつけた。

 

「うおおおおおおぉぉっ‼」

 

「くっ―――‼」

 

 焰と雷が軋みあい、鬩ぎ合い、やがてそれは相互作用により暴発する。

 攻撃する事しか頭になかったリィンは爆風に吹き飛ばされて後方に投げ出される。それを見たアリサが即座に駆けつけて回復アーツを注ぎ込むと、リィンはよろめきながらも立ち上がり、サラが立っていた場所を見た。

 

「どう、なった?」

 

「……大丈夫」

 

 いつの間にか近くに佇んでいたフィーが、ただそう言って親指を突き立てた。

 その先、爆風が晴れたその中心地点には―――サラが笑みを浮かべたまま仰向けに倒れていた。

 

 

「……まったく、まさかここまで追い詰められるとはね。いいわ。アタシの敗けよ。よく頑張ったわね、アンタ達」

 

 呆れたような、しかし嬉しそうな声色のサラがそう宣言するのと同時に、見学していたギャラリーたちから真っ先に歓声の声が挙がる。

 アリサに肩を貸してもらってサラの傍まで歩いたリィンは、その状況に思わず失笑を漏らした。

 

「は、はは……勝ったんですね。教官に」

 

「ま、そういう事よ。一瞬でも倒れて動けなくなったら負けだもの。よっ―――と」

 

 そう声を出して、サラは自力で立ち上がる。その身には確かにダメージは存在しているようだが、動けなくなるほどではないらしい。

 それもその筈。もし彼女が最初から「Ⅶ組を容赦なく叩き潰す」事を目的に戦っていたら、こう上手くはいかなかっただろう。教官として生徒の成長を確かめる立場で戦っていたからこそ掴み取れた勝利―――そう分かっていても、嬉しいものは嬉しかった。

 

 同じくボロボロになっていた他のメンバーと言葉や拳を重ねていると、リィンの下に試験を見守っていたレイが駆け寄ってきた。

 

「おめでとう。よくやったな」

 

 皮肉も軽口もない、ただ真っ直ぐな称賛。差し出された手を、リィンは躊躇う事無く握り返した。

 

「ありがとう。レイのお陰だ」

 

「いや、違う。お前らが頑張った成果だ。入学して半年、よくもまぁここまで強くなったモンだよ」

 

「俺だって、目標がなかったら中途半端なままだったさ。……多分皆も同じだ」

 

 己の為に、仲間の為に、友の為に。その一つでも想いが欠けていれば、この結末まで辿り着く事はできなかっただろう。その場にいる誰もが、そう思わざるを得なかった。

 

 斯くして”入り口”に至った彼らは、グラウンドに雪崩れ込んできた見知った生徒たちからの称賛に応えながら、また一つ”壁”を乗り越える事に成功したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 どうも、時間が空いてしまって申し訳ありません。十三です。
 理由としましては、先週バイト先で熱中症によりぶっ倒れましてね。救急車まで呼ばれて2日ほど入院するハメになってしまっていました。いやぁ、猛暑コワイ。

 そんなこんなで少しばかり期間が空いてしまった事をお詫び申し上げます。



 さて、サラ教官との最後の実技試験。如何でしたでしょうか。
 実際この世界は”達人級”の強さが一線を画して異常なだけで、彼女も普通に強いんですよ。それを分かっていただきたかった。あと、リィン君達の頑張りもね。
 個人的なMVPはガイウスですかね。皆様はどう思われるでしょうか?

 そして、次回から待ちに待ったルーレ実習編がスタートとなります。いやぁ、カオスの予感しかしねぇなぁ(歓喜)。



PS:『テイルズオブゼスティリア ザクロス』の1話(正確には0話)見ました。―――流石ufoさんの本気。映画かと思った。作画班の方々息してますか? 大丈夫ですか?
 そして『プリズマイリヤ ドライ』。のっけからシリアス全開で楽しみですなぁ。まぁ原作持ってるんですが。
 今期のアニメも中々宜しいクオリティで満足ですわ。



PS2:遂に第六特異点『神聖円卓領域キャメロット』のPV出ましたねぇ。オジマンさんが出ると聞いて既に課金体勢スタンバってます。もう一人のエジプト勢はクレオパトラかな? 円卓の面々も気になりますし、静謐のハサンもいそうですねぇ。楽しみです。


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蒼穹を衝く真紅





「可哀そうなのは・・・仇を討てないことじゃない。本当に哀れなのは・・・復讐に囚われて自分の人生を生きられないことだ」
        by 芳村店長(東京喰種トーキョーグール)








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「~~♪ ~~~♬」

 

 黄昏色に染まる空の下、一つの鼻歌が確かな音階に乗って紡がれる。

 

「~~~♫ ~~♬」

 

 大自然の中の高台に一人座り、足を宙で揺らしながら、自らの愛槍を膝の上に置いたままに、白銀鎧に身を包んだ女性は軽快に歌を紡ぎ続ける。

 後頭部で一括りにした煌びやかな金髪は、吹き抜ける風に煽られて金糸のように舞い上がる。その双眸は伏せたままに歌い続けるその姿は、それ自体が一枚の絵画のように幻想的だった。

 

 

 まぁ何が言いたいかというと、話しかけづらい。

 どうしたものか、どのタイミングで言葉を割り込ませるべきかと必死に頭を捻っていると、ピタリと歌が途切れた。

 

 

「おや、リディアさんじゃないですか。どうしましたか?」

 

「……やっぱり気付いていやがったんですか、ルナフィリア先輩」

 

「まぁそうですねぇ。こんなに話しかけるタイミング伺われたらそりゃあ気付きますよ」

 

 その言葉を聞き、はぁ、と溜息を吐きながら、《剣王》リディア・レグサーは穏やかな微笑みを向けているルナフィリアの下に歩き始める。

 一度戦場に立てば、その膝の上に置いた槍を携えて一騎当千の猛者へと変貌するというのに、今はまるで、深窓の令嬢のように嫋やかな一面を見せている。しかしその二面性こそが、彼女の長所でもあった。

 

 《使徒》第七柱、《鋼の聖女》アリアンロードに率いられた《結社》最強の部隊、《鉄機隊》。

 その中でも幹部である”戦乙女(ヴァルキュリア)”ともなれば、全員が”達人級”の武芸者であるという超常の集団である。

 

 実際、目の前の騎士―――《鉄機隊》副長補佐兼近衛筆頭騎士の任を戴く、《雷閃》のルナフィリアにしたところで、”達人級”としての技量は自分よりも上であると、そうリディアは読んでいた。

 

 

「……綺麗な夕焼けでやがりますね」

 

「そうなんですよねぇ、えぇ、その通りです。一度ノルドでこの景色を見てから虜になっちゃいましてね。こうしてちょくちょく大自然パワーを充電しに来てるんですよ」

 

「大自然パワー、っすか」

 

「侮れませんよ、これ意外と。殺伐とした雰囲気に浸ってばっかりだと、どうにも心にゆとりがなくなっていけません。副長辺りなら刀振るってれば満足なんでしょうけど、生憎と私、そこまで戦闘狂(バトルジャンキー)じゃないんですよねぇ」

 

「自然にカグヤ様をディスっていく辺り、尊敬します」

 

「あ、今の会話忘れて下さいね。万が一にも副長の耳に入ったら、朝まで半殺し上等スパーリングタイムの幕開けなので」

 

 清々しいまでに自業自得なのではなかろうかとは思ったが、別部隊の主従関係にまで口出しをするほどリディアも野暮ではない。

 それにしても、と思う。

 

 

「そういえば、さっきの曲は何でやがりますか? 私は知らねーんですが」

 

「あぁ、アレですか。昔……といってもそこまででもないですが、私とレイ君、あとレーヴェさんと一緒に作った曲ですね」

 

「お師匠様も?」

 

 最初はそれ程興味もなく訊いたことではあったが、敬愛する師が関わった曲とあらば、それ以上の事を訊かないわけにはいかなかった。

 するとルナフィリアもそれを察したのか、苦笑を漏らして続きを話す。

 

「まぁでも、そこまで深いものでもないですよ。これは所謂”鎮魂歌(レクイエム)”ですからね」

 

鎮魂歌(レクイエム)?」

 

「死者に捧げる曲。これ作ってた時はレイ君が結構精神的に参ってましたからねぇ。ソフィーヤ様だけじゃなくて、エルギュラ様も……」

 

「?」

 

「あ、いえ。それは私が言うべきことではありませんね。とにかく、レーヴェさんもレイ君の事は気にかけていましたから、放っておけなかったんでしょう。……実際のところ、私もそうだったんですけどね」

 

 まぁつまり、と、ルナフィリアは高台の上から飛び降りて続けた。

 

「弟的な存在を放っておけなかった年上がお節介を焼いて作った曲のようなものです。ただそれだけですよ」

 

「……ルナフィリア先輩は、その、《天け……レイ先輩の事が好きだったんでやがりますか?」

 

「好き? 異性としてですか? うーん……あんまりそういった事は考えませんでしたねぇ。そもそもレイ君は鉄機隊(わたしたち)の中では良い修行相手で、マスコット的な存在でしたし……私個人でもレイ君は可愛い弟分でした」

 

 屈託のない笑顔を見せるあたり、恐らくそれは本当なのだろう。そもそも家族と呼べる存在などとうにいないリディアには、いまいちその感覚が分からなかったのも事実だが。

 

「……それじゃあ、辛くはねーんですか?」

 

「?」

 

「私達は、どうあってもレイ先輩と対立する事になるでしょうよ。そうなったら、ルナフィリア先輩は―――」

 

「相変わらず優しいですねぇ、リディアさんは」

 

 ルナフィリアはそう言ってリディアに近づくと、そのまま頭を優しく撫でた。

 何も心配はいらないと、そう言外に告げるように。

 

「リディアさんも分かってるでしょう? 元々武人(私達)ってのはそういうものです。過去がどうであれ、敵対して相対したらそれはもう斬り合い潰し合いの始まりですよ。そこに情けを掛けるようであれば―――それは一人前とは言えません。ましてや”達人級”であれば尚更です」

 

「…………」

 

「ま、ドライな考え方ですけどそんなものですよ。レーヴェさんだってそうでした。あの人はいつだって、剣を取れば鬼人に早変わりでしたよ。それが自分の役目だと割り切って、容赦はなかったですね」

 

「そりゃあ……私だって知ってます」

 

「あはは、私よりもレーヴェさんの近くに居ましたもんね。要らぬ説法でしたか」

 

 とはいえ、リディアとてその辺りの”覚悟”の問題は既に理解している。

 伊達に”達人級”の末席にはいない。一度戦意を滾らせれば、己の信条を貫いて何であろうと斬り捨てる。―――斬り合いに善悪の観念などはなく、自分が”そうでありたいから”行動する以外の何物でもないのだ。

 

 例え、その前に立ちはだかるのが家族であろうと友であろうと、必要であれば斬る。

 それが、《結社》に身を置く《執行者》としての在るべき姿。修羅であることを自ら許容した代償に他ならない。

 

 ともあれ彼女とて、師と同じように無益な殺生は好まない性格だ。

 口調で誤解されがちだが、決して破天荒な性格ではない。寧ろ輪をかけて真面目な性格であり、どこかしら癖が強い面々が多く名を連ねる《執行者》の中では良心とも言えた。

 しかし、だからこそ己の戦場の中に”理由”を求めずにはいられない。

 

 戦わねばならない理由、勝たねばならない理由、生きねばならない理由―――そうしたモノを抱えて戦う者達は総じて強い。

 それは、つい最近改めて感じた事でもあった。

 

 

「……ルナフィリア先輩は」

 

「?」

 

「どんな理由で、帝国に来たんでやがりますか?」

 

 自然に口から出たような疑問ではあったが、その回答は聞いてみたいというのが本音ではあった。

 するとルナフィリアは、「そうですねぇ……」と一拍置いてから、独り言の延長線上のような口調で告げる。

 

「まぁ一番の理由はやっぱりアリアンロード様(マスター)に仰せつかった任を完遂するためですねぇ。私はこれでも騎士ですから、主から任された事はやり遂げますよ。……例えどれ程汚れ仕事だったとしても」

 

「それは……」

 

「私にとってはそれが間違いなく主目的で、副次的な目的は……そうですねぇ、決着を着けなくちゃいけない女性(ひと)がいるから、でしょうか」

 

 その、意外と言えば意外な理由に、リディアは思わず目を丸くしてしまう。すると、それを目聡く察したルナフィリアは悪戯っぽく笑った。

 

「意外そうな顔してますねぇ」

 

「そりゃあ……ルナフィリア先輩はそんな事には拘らねーと思ってましたし」

 

 良くも悪くも、大抵の物事に長く頓着しないのがルナフィリアという女性の性格だ。

 武術や騎士道にはひとしきりの拘りを見せるが、それ以外には取り立てて熱心に執着するものはない。

 だが、今の彼女ははぐらかす為に虚偽の事を言ったわけではなかった。夕焼けを背にしている為確たることは言えないが、その翡翠色の双眸は僅かな戦意に彩られていた。

 

「確かにそうですね、これは単に私のワガママです。()()()()()()()()()()()()()、ね」

 

「あ……」

 

「何はともあれ、戦いに理由を求めるのは自然だと思いますよ? それがなかったらただの通り魔か殺人鬼ですからねぇ」

 

「それは……お師匠様にも言われた事があります」

 

「あらら、また要らぬ説法でしたか。まぁ、心の隅にでも留め置いてください。

 リディアさんは大規模な作戦に参加するのは初めてでしょう? なら、そういう事を考えていても損はない筈ですよ」

 

 戦う理由―――今のところリディアには「自分はそう在るべき人間だから」という漠然としたものでしかない。

 そして彼女は、それでも良いと思っていた。剣士が剣を握る理由など、単純な理由でしかない。その考え方だけは、師から言われても変える事はできなかった。

 

 だが、それは違うのだとあの要塞で思い知らされた。

 「大人としてのプライド」、そして「守るべきモノの為」に立ち向かって来たあの二人の姿は、正直に言えば眩しく見えた。同時に、自分が酷く空っぽな人間に見えたのも事実。

 きっとこのままでは、自分は”達人級”という武人の階梯を穢してしまう事になる。師に追いつくなど以ての外で、筋の通らない木偶の剣に落ちてしまう可能性すらあった。

 

 俗に言えば、焦っているのだろう。しかしルナフィリアは敢えて答えを明示することなく、そこで話を区切った。

 

 

「さて、と。それじゃあ本題に入りましょうか」

 

「えっ?」

 

「リディアさんだってわざわざ世間話する為だけにこんなところまで来たわけでもないでしょう? ヴィータ様かルシードさんから何か指令があったんじゃないですか?」

 

「……そうでやがりました。危うくガチで忘れるところでしたよ」

 

 するとリディアは、直立不動の姿勢を取った。

 《結社》内に於いて《執行者》の一角である彼女の地位は、《鉄機隊》隊員のルナフィリアよりも上ではあるのだが、リディア自身はルナフィリアの事は”先達”と評している為、そういった事には拘らなかった。

 

「ルシードさんからの”伝言”でやがります。ルーレでの活動に際しては我々は”待機”。―――ただし、現地に行く分には特に制限をしないとの事でやがります」

 

「…………」

 

 ”それ”が何を意味するのか、ルナフィリアは大体理解する。そしてわざわざ、リディアを使って自分に知らせてきたルシードの意図も。

 

「《使徒》様同士のパワーバランスも考慮に入れなきゃいけないのかぁ……存外あの変態さんも苦労してるんですねぇ」

 

「?」

 

「ああ、いえ、何でもありません。大手を振るわけにも行きませんし、少々息苦しいかもしれませんが……リディアさんも私と一緒に行動します?」

 

「良いんでやがりますか?」

 

「モチのロンですよ。そうと決まれば、潜入用の衣装を見繕わなければなりませんねぇ。ヴィータ様にもアドバイスを乞うとしましょうか」

 

「や、あの、私は任務中はそういうのは……そ、それにこれからカグヤ様にも同じ旨を……」

 

「あー、副長は大丈夫ですよ。基本どこにいるか補佐の私にも分かりませんし、でも居て欲しい時はどこからか現れるので問題なしです」

 

「妖怪みたいな扱いじゃねーですか。あー、もう、押さないでくださいってば‼」

 

「まぁまぁ、早く戻りましょう。ね?」

 

 そうしてリディアの背を押しながら、しかしルナフィリアの内心は決して穏やかなものではなかった。

 

 今回はザナレイアが出張って無闇矢鱈に引っ掻き回すという事もないだろう。それが分かっているだけでも精神的負担は軽いものがあるが、彼女の代わりにルーレに赴くことになった人間の方が問題だ。

 破壊欲の権化とも言えるザナレイアよりも―――或いは数倍は厄介かもしれない。ルシードが()()()あのような形で指令を伝えたのも、考えうる限りの最悪の事態を未然に抑え込もうという算段だろう。

 

「(あー、嫌ですねぇ。今から胃がキリキリして来ました……リディアさんのような部下がいてくれたら私の精神的疲労なんて即座に全回復できるんですけどねぇ……)」

 

 まぁ、それは過ぎた望みかと己に言い聞かせながら、ルナフィリアは苦労人の内面を引っ提げたままに黄昏色に染まった高原を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月某日―――

 

 

「ふぁ……」

 

 いつものように揃って登校中、大きく欠伸を漏らしながら歩くリィンの姿を見て、隣を歩いていたエリオットが珍しいものでも見たかのような反応をした。

 

「リィンが眠そうにしてるのなんて珍しいね」

 

「あぁ、昨日の夜ちょっと、な」

 

「そう言えば、クロウとレイとで学院祭の衣装の打ち合わせをしていたんだっけか」

 

 ガイウスのその言葉に、リィンは頷き、レイは一つ溜息を吐いた。

 

 

 

 

 トールズ士官学院の学院祭は、毎年10月23日、24日の2日間に跨いで執り行われる。嘗て、本当の意味での士官学院としての色が濃かったころには存在していなかった行事らしいが、今では毎年トリスタ以外の街や都市からも来訪者が訪れるなど、盛況なものであるらしい。

 そして学院祭においては、クラブなどの団体が用意するのと並行して、クラス毎の出し物も決める事になる。それを先日、HRで話し合っていたのだが……。

 

 

「お化け屋敷なんてどうかなー? レイの式神が使えるんなら人手も確保できるしね‼」

 

「アレ使いすぎるとガチの怨霊呼び寄せかねないからやめといた方がいいぜ。ワンチャン、シオンをキャストに突っ込むのもアリだけど、それだと俺らのやる事が皆無になるわ」

 

「リアルお化け屋敷とか、何それ怖い」

 

 

「むぅ……今まで特別実習で赴いた場所の特色をレポート形式で纏めるのは……いや、忘れてくれ」

 

「おー、分かってんじゃねーのラウラ。レポート展示なんて最終手段だぜ? 限りある青春を自分から灰色に塗り潰すなんてナンセンスだ」

 

「クロウはただ面倒くさいだけだろうけどな」

 

 

「いっそ僕たちで模擬戦でもやって観戦してもらう形でも取る? ……あ、でもグラウンドは馬術部とかが使ってるんだよね」

 

「……その前に今の私たちの本気の模擬戦とか見せたらドン引きされるかも」

 

「同意」

 

 

「……レイを中心に据えて複合屋台とかは?」

 

『『『『『『それだ』』』』』

 

「いや、『それだ』じゃねぇよ。過労死させる気かお前ら」

 

「過労死とか、レイから最も縁遠い言葉に聞こえるわね」

 

「お前ら、人を人外扱いするのもいい加減にしろよ?」

 

『『『『『えっ?』』』』』

 

「表出ろお前ら」

 

「でも実際、良い案だと思いますけれどね」

 

 

 など、同時刻に行われていた理事会の事など即座に忘却の彼方に追いやって喧々諤々(けんけんがくがく)の議論が執り行われていたのだが、基本自分の本音を晒す事に容赦がなくなって来たⅦ組の面々による意見の出し合いが、たがが1時間程度でまとまるわけもなく、持ち越しとなっていた。

 しかし後日、自由行動日の際にトワからアドバイスを受けたリィンの提案により、暫定的ながらも出し物が決まったわけではあるのだが……それの用意も、お世辞にも易しいとは言い辛いのが現状ではある。

 

 

「デザイン、ねぇ」

 

「だーかーらー、俺に任しといてくれっての。お前ら全員輝かしてやるからよ‼」

 

「お前に一任させたら黒歴史まっしぐらなの目に見えてるんだよなぁ」

 

「待て待て、去年のヤツだって、アレ衣装デザインしたのは俺だぜ? 時代の最先端だったろ?」

 

「トワ会長の異様な露出度の高さについてはもうメンド臭いから何も言わねぇけど……アレで通したらウチの女子陣が全力を以てお前を消し炭に変えていくだろうからな」

 

「ナチュラルに原型留めてねぇのが怖すぎるだろ……だが心配無用だ。今度はビジュアル系では攻めん‼ 正直Ⅶ組にそういった系が似合うヤツがいるとは思えないからな」

 

「おっ、そうだな。……いや、待て。実はそうでもないんじゃね?」

 

「二人とも、今はとにかくラフ画でもいいから原型を作る事に専念しよう」

 

「「あいよ」」

 

 

 などという話し合いが、リィン、レイ、クロウの3人の間でこの頃連日執り行われており、時には夜更けにも及ぶ事があった。

 本来過度な睡眠不足は体調に良くないので定時を決めて切り上げる事にはしているのだが、それでも一世一代の文化祭の事。それも学年別で出し物のクオリティの高さを決める投票が行われるとあれば、本気で挑まずにはいられないのがⅦ組の気質でもあった。

 「やるからには半端は許されない」―――例えそれが学院祭の出し物であっても、だ。

 

 

 

 

「……でも、本当に大丈夫? 何となくでリィンたちに衣装デザインをお願いしちゃったけど」

 

「大丈夫だっての、エリオット。寧ろクロウ一人に押し付けて後で阿鼻叫喚の地獄絵図になったら処理に困るしな」

 

「その地獄絵図、被写体は俺かよ。しかも被写体そのものの心配はしねぇのかよ」

 

 そんな会話を横で聞きながら目を擦るリィンの隣に、僅かに心配そうな表情を浮かべたアリサが歩いてきた。

 

「あぁもうホラ、リィン。ちょっと寝癖がついちゃってるじゃない。櫛で直してあげるからちょっと屈んでちょうだい」

 

「えっ⁉ い、いや、大丈夫だよアリサ。後で自分で直すから」

 

 その光景自体は、特に珍しくもない。アリサがリィンに気があるというのは既にⅦ組内では暗黙の了解のようなもので全員が知っている為、生来の素養もあってかアリサがリィンの身だしなみを整えようとするのは朝の内は見られる事だ。

 だが、それに対してリィンがここまで過剰反応するのは初めての事だった。その様子を見て、ススス、とフィーがレイの近くまで寄った。

 

「レイ」

 

「んー?」

 

「リィンに()()()()()()()

 

 随分と”こういった方面”にも鋭くなったなぁと妹分に対して感心したレイではあったが、その疑問については適当にはぐらかして終わった。

 アリサのように最初からバレるような言動を取っていれば別だが、それでもレイは友人の心情まで曝け出すような野暮な真似はしなかった。

 まぁそれでも、一部の察しの良いメンバーは既に気付いているようだが。

 

 とにかく、と。

 

 次の実習先は謀ったかのように”あの場所”である。先日の理事会にて特別実習の中止が取りやめになったのは良かった事だが、その分リィンとレイは腹を決めて赴かなければならなくなってしまった。

 そんな状況で、自覚しているレイ自身はともかく、未だに自分の抱いている感情の正体に気付いていないリィンを連れていけばある意味悲惨な事になりかねない。だから、ちょっとだけ”背中を押した”だけなのだ。

 

 後はまぁ頑張れと、無責任ともとれるような言葉を心の中で投げかける。先達としてレイが出来る事は、そうした事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【9月 特別実習】

 

 

 

 

 

 

 A班:リィン、アリサ、フィー、クロウ、エリオット、レイ

 (実習地:鋼都ルーレ)

 

 

 

 B班:ユーシス、ラウラ、ミリアム、ガイウス、エマ、マキアス

 (実習地:海都オルディス)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――9月25日 AM9:00

 

 

 

 特別実習に赴く際は始発の列車に乗って移動するのが定番となっていた為か、前日にサラから「明日は朝9時に士官学院のグラウンドに集合ね。遅れるんじゃないわよ」と告げられた際は全員が揃って首を傾げる事になった。

 

 北部ノルティア州州都ルーレ、西部ラマール州州都オルディス。どちらの場所もトリスタからはかなりの時間列車に揺られなければ辿りつけない場所である。

 よしんば集合時間から列車に飛び乗ったとしても、辿り着くのは共に夜になってしまうだろう。それ自体は良いとしても、わざわざ初日の日程を潰すのか、それが不可解ではあった。

 

 とは言え、学生として教官からの通達に応えるのは義務のようなものだ。その予定を告げた時のサラが素面だったこともあり、よもや酔った勢いで訳のわからない事を言ってしまった、などという事態はないだろうと踏んだのだ。

 

 そしていつも通りの準備を整えてグラウンドに赴いた面々は―――そこで驚愕した。

 

 

 

「な……っ……⁉」

 

「なんだアリャあ⁉」

 

 グラウンドの遥か上空から悠々と高度を下げてくる飛行物体。風の流れや僅かに聞こえる駆動音などから飛空艇であることは予測できたが、それ以外が予想外だった。

 船体は蒼穹という名のキャンバスに葡萄酒を垂らしたかのような鮮やかな真紅色。目視での推測でも、全長75ヤージュ程だろう。武装そのものはそれ程確認できないが、船体の形状を見る限り、重きを置いているのは機動性だろう。

 そしてその形状は―――とある飛空艇と酷似していた。

 

「これ、確か……」

 

「リベールの《白き翼》……《アルセイユ号》に似ているな」

 

 その姿が衆目に晒されたのは嘗てオリヴァルトがリベールから帰還する際の事だったが、それでも当時は帝国紙に大々的に写真付きで報じられた。

 そして今、上空で佇んでいる真紅の飛空艇は、その写真に載っていた《アルセイユ》と船体の形が瓜二つだったのだ。

 

 そんな弩級の飛空艇が、士官学院のグラウンドに着陸した。全長を考えるとかなりギリギリの着陸ではあったが、それでも無事に降り立つことができた事を鑑みるに、船内のクルーも良い人材が揃っているように見受けられる。

 

 他のⅦ組の面々が呆然とした表情を浮かべる中、レイだけが「あぁ」と言葉を漏らした。

 

 

「アルセイユ型の二番艦か。成程”帝国の象徴”としてはうってつけだ。―――そうだろ⁉ オリビエ‼」

 

「あっはっは‼ 流石レイ君、速攻バレたか。まぁ船体の形は一番艦からオマージュしたからね‼」

 

 レイの声に応えるような形で甲板から身を乗り出すようにして顔を出したのは、真紅の貴族服を身に纏ったオリヴァルト。その斜め後ろでは護衛のミュラーがいつものように眉間に皺を刻んで立っていた。

 

「しかしどうだい? 流石に君もビックリしただろう。リィン君たちの反応も良い感じだ。これは帝都市民へのお披露目も成功間違いなしだねぇ」

 

「で、殿下⁉ 何故こちらに……」

 

「いやまぁ、一応形ばかりではあるけれど僕も皇族の一員だからね。それにこの(ふね)を作ると決めた時の言い出しっぺだ。その縁で来たんだけど―――」

 

「今回、自分も皇子も端役に過ぎんのでな。主役はこの艦と―――此方の方となる」

 

 ミュラーがそう言って甲板の入り口方面を振り向く形になり、その際Ⅶ組の大半のメンバーはその「此方の方」という存在に対し首を傾げるばかりであったが―――その正体に気付いた人間が二人ほど居た。

 

 まずはレイ。野生の動物が同族同士で互いを認知するように、”達人級”の武人同士というものは否が応にも互いの”異常さ”を感知する。思わず背中の刀袋に手を伸ばしかけたほどに、その人物の武人としての雰囲気は濃く、重かった。

 そしてもう一人はラウラだ。彼女はまだ武人としてはまだ未熟な身の上だが―――それでもこれまでの人生で目標としてきた()()の雰囲気を、どうして間違える事が出来ようか。

 

 

「―――初めまして、だな。Ⅶ組の諸君」

 

 風に乗って全員の耳朶に届いたのは、威厳と慈愛が入り混じった低い声。

 

 ラウラのそれよりも僅かに濃い群青色の髪。僅かに着崩した貴族服を纏う姿に不自然さはなく、さながら身分を隠して瀟洒に振る舞う貴人と言ったところか。

 しかし実際に、その男性は皇帝陛下より子爵位の爵位を戴いた貴族。だが傲岸に振る舞うような人間ではないというのは、見た瞬間に察せられた。

 

 風で棚引くマフラー、そして艦長帽を軽く押さえつけながら涼やかに笑うその人物を視認した瞬間、レイは失笑を抑えきれなかった。

 

 あの人は”同類”だと、鍛え抜いた直感が見抜く。立ち方、振る舞い方、その他諸々に至るまで、一切の隙が見られない。その人物こそは―――。

 

 

「《光の剣匠》―――」

 

「父上⁉ どうしてこのような場所に―――い、いえ。それよりその帽子は……」

 

 当然のように漏れ出る疑問を、しかしミュラーが留める。兎にも角にも、この状況をいったん整理しない事には始まらなかった。

 

 

「紹介しよう。今後、この艦の一切の指揮を執っていただく―――ヴィクター・S・アルゼイド艦長だ」

 

「レグラムでは失礼をしたな、諸君。諸事情で色々と飛び回っていたせいで、挨拶をするのが遅れてしまった」

 

 

 堂々と、悠々と。

 支配者としてではなく、武人の強者としての貫禄と余裕。―――己がまだ持つに至らないそれを身に着けている人物との邂逅に、レイは心躍らずにはいられなかった。

 

 ともあれ、まずはゆっくりと話をする時間が必要になるだろう。

 それを理解したレイは、肩の力を抜いて、再び真紅の飛空艇を見上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 『ポケモンGO』に飽きてきた。何故かって? 触発されてもう一度始めた『オメガルビー』の厳選&飼育が止まらなくなったからです。チクショウ、6Vファイアローと6Vサザンドラが揃えば……ッ。 ―――どうも、十三です。

 
 今回は『ルーレ編』の導入部分からですねー。……散々ここまで引っ張っておいてこの程度か。もっと進めろよというお声が聞こえなくもないですが、改めてプレイ動画を見てみたらスルーしてたイベントがチラホラと……ま、まぁ気にしない方向で。
 
 人数的な関係で本来ルーレ班のマキアス君にはオルディス班に移ってもらいました。……よく考えたらマキアスってレイと一緒の班になったのバリアハートだけなんじゃ……。
 
 次回は……ルーレに着きたい(泣)



PS:
 おう、FGOの6章勢の再臨作業が進まんぞ。皆さん愚者の鎖足りてますかー⁉ 私は騎士章も足りませーん‼ おう、そこのガランドウ騎士、とっととその騎士章よこせや。それとスフィンクス、スカラベを落として疾く消えろ。
 ……これは大人しくイベントを待った方が良いのかなぁ。あまりにも効率が悪すぎて泣ける。
 


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これから在るべきその姿






「あなたの判断で行動すればいい。未来における自分の責任は現在の自分が負うべき。それがあなたの未来」
     by 長門有希(涼宮ハルヒの憂鬱)







 

 

 

 

 

 

 ―――《アルセイユ》型Ⅱ番艦 高速巡洋艦《カレイジャス》。

 

 

 エレボニア帝国皇子、オリヴァルト・ライゼ・アルノールの提唱により、《ZCF(ツァイス中央工房)》《エプスタイン財団》《RF(ラインフォルト)社》の技術提供や、様々な人物・組織の資金的及び様々な面での協力により完成したこの艦は、まさにその手間に相応しい艦であった。

 

 艦の全長75アージュ。これは同型Ⅰ番艦である《アルセイユ》の倍近い大きさであり、設計基礎こそ根本を同じくしているが、その実スペックに於いては大きく躍進を遂げていた。

 

 その機動力の心臓部とも言える20基もの高性能型エンジンは、ZCFが開発した次世代型導力設計仕様であり、それによって最高時速3000セルジュを実現させたモンスタースペック。―――その”最高速度”という面だけを見れば時速3600セルジュを記録した《アルセイユ》にこそ及ばないものの、《カレイジャス》に搭載されたそれは持久力と速度維持機能に優れ、トップスピードを長い間維持する事ができる。

 

 また、《アルセイユ》には本腰を入れて搭載されていなかった高い装甲機能と迎撃性能を有している為、”自衛能力”という面から鑑みても優秀であると言える。

 

 まさに、時代の最先端の技術を集結して作られた技術力の結晶とも言える艦なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、この(ふね)()()()()()()。―――あくまで『皇族専用の艦』という扱いさ」

 

 

 《カレイジャス》の船内。その中でも艦の操舵機能が集結した艦橋(ブリッジ)にてオリヴァルトから言われたその言葉を、しかしそのまま鵜呑みにするには疑問点が多すぎた。

 ()()()()皇帝陛下を頂点とした帝国であるエレボニアにて、確かに皇族の権力というものは大きい。しかしだからと言って、これ程までにハイスペックな機能を搭載した艦を「皇族の戯れ」という感覚で作り上げたと言ったところで、それをそのまま信じる者などそうそういないだろう。道楽気分で駆るには、些か以上に物議を醸しかねない存在だ。

 

 

「『貴族派』でも『革新派』でもない『第三の風』。それを担うためにこの艦を、この翼を作り上げたのさ」

 

 それはつまり、”囚われない”という事。妾腹で庶子の出という事で比較的行動に制限がかからず、それを利用してリベール王国にて多くのものを見て、経験してきた彼だからこそそれを思う事ができたのだ。

 人間の本当の強さ―――固定観念に囚われない事の重要さというものを。

 

「……成程、だからこそ父上が艦長の任を拝命したというわけですか」

 

「概ね、その通りだ。本来ならこの任を務める事が決定した後に一度レグラムに戻るつもりだったのだが……少々やるべき事ができてしまったのでな」

 

 すると、艦長席に堂々と座っていたヴィクターが徐に立ち上がり、艦橋に集合していたⅦ組の面々に向かい合った。

 

「改めて自己紹介をしよう。ヴィクター・S・アルゼイドだ。諸君らには、娘のラウラが士官学院で世話になってる件でも、礼を言わせて欲しい」

 

「ち、父上っ」

 

 僅かに羞恥心を刺激されたラウラがヴィクターに抗議のような声を挙げるが、それを向けられた当の本人は鷹揚に笑って受け流すばかり。

 この父にしてこの娘あり、というのが良く分かる光景でもあった。人に好かれる性格というのは、恐らくこういうことを言うのだろうと、全員がたちどころに理解する。

 

 

「こちらこそ、子爵閣下。栄えある《光の剣匠》とお会いできて光栄です」

 

 そして彼は、普段は冷静なリィンがどこか浮足立ったような様子でそう挨拶するほどに、武術の界隈では有名な人物でもある。

 

 

 《光の剣匠》―――それがヴィクターの武人としての異名。

 エレボニアで武術を齧った者ならば、誰でも耳にしたことがある程の知名度を誇り、エレボニア武術二大流派の一つである《アルゼイド流》の筆頭伝承者。

 <アルゼイド家>に代々伝わる宝剣《ガランシャール》を有し、帝国最高の腕前を誇るとされるその人物の名は、レイが《結社》に居た頃から耳にするほどだった。

 

 であるならば、リィンが多少委縮しているのも当然の事だ。剣の流派こそ違えど、ヴィクターは「正しく在る」”達人級”の武人である。武術を研鑽し、高みを志す者であれば、尊敬の念を抱かずにはいられないだろう。

 

 だからこそ―――そんな彼が『第三勢力』の象徴である《カレイジャス》の艦長に就任したという事実は、両派閥に対しての抑止力としては充分なものであると言えるだろう。

 『貴族派』『革新派』問わず剣の指南を執り行って来たヴィクターだからこそ、その影響力は大きい。

 

 聞けば、《カレイジャス》のクルーの半数はミュラーの所属する第七機甲師団からの出向員らしいが、残りの半数は民間出身者であり、身分どころか国籍すらもバラバラであるという。

 そんな自由が罷り通るのも、この艦ならではといったところだろう。

 

 

「しかし……良いのでしょうか。自分たちのようなただの士官学院生がこのような艦に乗せていただいても」

 

「構わないさ。元より君たちは僕が提唱した『特科クラスⅦ組』の生徒だからね。《カレイジャス》の処女飛行に居合わせることも不自然じゃあない。それに、この艦ならルーレやオルディスにも数時間で到着できるだろう。僕が形ばかりの理事長の権威を振るえる数少ない機会だとでも思ってくれたまえ」

 

 Ⅶ組の面々が《カレイジャス》に搭乗している理由が、まさにそれだった。

 トリスタから向かうとなれば長い間列車に揺られていなければ到着できない今回の実習場所に、《カレイジャス》の処女飛行も兼ねて送ってもらえるという好条件を見逃す手はなかったし、実際普通では体験できない光景を目の当たりにして、若干テンションが高くなっていた面々もいた。

 

 先程まで、帝都ヘイムダルの上空を円を描くように旋回し、帝都市民への”お披露目”を行っていた《カレイジャス》は、今はその翼を北東方向に翻してルーレ方面へと向かっている。

 

「殿下、今後も《カレイジャス》は運航していくのですか?」

 

「一応、そのつもりだ。不安定な情勢化にある都市の国民に少しでも安らぎを与えられればというのが本来の目的ではあるけれど……」

 

「―――《帝国解放戦線》の動きにも目を光らせて行くつもりではある。地上は《鉄道憲兵隊》が常に見張っているようだが、空を駆る我らには我らにしかできぬ事もあろう」

 

 オリヴァルトの言葉を引き継いだヴィクターのその言葉に、一同は思わず口を噤んだ。

 確かに、《帝国解放戦線》はラインフォルト社の最新鋭機を複数機有しているなど、機動力に関しては侮る事ができない。場合によっては、地上からの追跡では力不足になるだろう。

 

 その点、《カレイジャス》ならば地上の影響を受けずに追跡する事が可能である。そして、ヴィクターという武人が居るという事で、”最悪の事態”にも対応できるだろう。

 彼ならば恐らく、ザナレイアとも互角の勝負を繰り広げる事ができる。彼女に攻撃を”通す”事ができるかどうかは不明だが、相手取る事は可能だろう。

 原則的に、ああいった「理不尽の中でも更に理不尽な存在」を相手にする場合には、一つの個としての強者の存在が必須になってくる。凡そ「数の暴力」という概念が働かない相手には、そうして対処するより他はないのだ。

 

「まぁ、そういう意味でもこの艦は重要な拠点となって来る筈さ。僕も気晴らしに空の旅を満喫したいしね‼ そうだ、帝都上空で僕のソロリサイタルなんていうのを開催するのもいいんじゃないかな⁉」

 

「ミュラーさん、ちょっとコイツ甲板から逆さ吊りにしといてもらえます?」

 

「奇遇だなレイ君。ちょうどここに千切れかけで耐久度に難がある縄がある。コイツを使って刑を執行するとしよう」

 

「ごめんなさい調子乗りました。……というか、ね。君たち二人がタッグ組むとちょっと洒落にならないんだよねぇ」

 

「大丈夫だオリビエ。お前がリベールに行ってた時に行った天空都市よりかは高度は低いからな。なぁに、ちょっと即死率高めの紐なしバンジーに挑戦するだけだ」

 

「見事なまでに救いがなさ過ぎて逆に笑える不思議」

 

 真面目な話に意気消沈する面々を他所にそんな軽口を叩きあう三人を見て、緊張していた面々も思わず弛緩してしまう。

 何事も過度は禁物だ。テロリストに対して抱く警戒心は重要だが、それも抱き過ぎは逆に視野狭窄に陥る可能性を秘めている。

 

 

「まぁ今は、そなたらを実習地に送り届けるのが先決だ。先程ノルティア州の玄関口である『黒竜関』を超えた。ルーレまでは後1時間といったところだろう。それまで、自由に艦内で過ごすと良い」

 

「ありがとうございます、子爵閣下」

 

「無論、一部の区画は重要区画故に開放は出来んが、それ以外の通行を許可しよう」

 

 ヴィクター艦長の計らいによってそういった許可が出た後は、全員が思い思いの場所に散らばっていった。

 レイも最初こそ同乗していたサラやシャロンらと一緒にいたが、職業柄か、それとも単なる興味本位か、一人で艦内の探索に乗り出していた。

 

 

 

「……随分としっかりした造りだな」

 

 《カレイジャス》3Fの連絡通路の一角を歩きながら、思わずレイはそう呟いた。

 乗り合わせた乗り物の仕組みを解析する行為は遊撃士時代からというよりは《結社》時代からの癖のようなものだった。特に船や飛空艇などの、自分の行動が大幅に制限される乗り物であれば尚更だ。

 

 敵襲を受けた場合、どう動いてどう乗り切るか、或いは中心区画をどのように制圧すべきか等、ありとあらゆる状況をシュミレートして最悪の事態に備える。

 

 とはいえ、今回に限ってはそれも最低限で済みそうではある。Ⅶ組の面々に解放されたのは艦橋のある5F、前方・後方甲板に繋がる連絡通路がある3F、そして補給所がある1F船倉の三区画のみ。

 それを敢えて掻い潜って他の区画を見に行く理由もメリットも存在しない。

 

 レイはⅠ番艦の《アルセイユ》に搭乗した事こそないが、こういった最新鋭の技術を詰め込んだ艦に馴染みがないわけではない。

 例えば《結社》が所有している超弩級大型艦《紅の方舟(グロリアス)》―――レイが《結社》に在籍していた時はまだ試験飛行の域を出ていなかったが―――や、その他高性能な飛空艇を飽きるほどに見てきた。

 ”外の理”を始めとした、所謂「頭のおかしい技術」を以てして作り上げられたそれと比較しても、しかしこの《カレイジャス》は比肩できる程のスペックはあるだろうと予測できる程だった。

 

「(最高速度を出せれば《メルカバ》以上の性能、か。―――とうとう人の技術が古代遺物(アーティファクト)を上回るようになったのかね)」

 

 尤も、あちらはあちらで守護騎士の”聖痕(スティグマ)”の力を解放すればスペック以上の機能を一時的に引き出す事ができる為、一概に優劣をつける事は不可能ではあるのだが。

 それも踏まえて世知辛い世の中になったなぁとしみじみと感じ入っていると、不意に背後から声を掛けられた。

 

「やぁレイ君。この艦は君のお眼鏡にかなったかな?」

 

「確かに良い艦だけどな、そういう言い方するのはやめろ。お前が提唱して作り上げた艦だろうが。なら、お前が納得してりゃ良いだろうに」

 

「はは。まぁ確かに。だけど、それでも他人の評価というものは聞きたくなるものだよ。心血を注いだなのら尚更、ね」

 

 いつものように飄々としてはいるが、ふざけたような感じはない。

 そんな時のオリヴァルト・ライゼ・アルノールという男は、往々にして食えない真似をするのだから、思わず体を強張らせてしまう。

 

「立ち話もなんだ。4Fの貴賓室でお茶でも飲みながら話をしないかい?」

 

「いいのかよ。確かあそこは立ち入り禁止区画だろうが」

 

「艦長に許可は取ってあるさ。それに、一応僕はこの艦のオーナーだからね」

 

 多少の無茶は権利の内さ。と、おどけた様子で語る姿を見ていると、わざわざ誘いを断る事も馬鹿らしくなってしまう。

 そんなオリヴァルトに先導されるようにしてエレベーターに乗り、4F区画に足を踏み入れたレイは、クルーの好奇の視線が刺さる事に多少の辟易した感情を抱きながら一番奥の貴賓室に入室した。

 

 その後、エレボニア皇族の象徴である紅を基調とした部屋のソファーに座りながら、クルーの一人が持ってきてくれたアイスティーをチビチビと啜りながら内装を見渡してみた。

 一見典型的な貴族の一室のようにも見える部屋ではあるが、よくよく観察してみると随所にオリヴァルトの悪戯心が垣間見える。本棚に並べられた本のラインナップや、仮眠用に設けられたベッドの上にクロスベルで人気の「みっしい」のぬいぐるみが置いてあったりと、この艦が完全に私物であるのだと否が応にも理解してしまう。

 

「随分と自分色に染め上げてるな」

 

「まぁ、この部屋は僕専用みたいなものだしね。軍属ではないんだし、これくらい趣味を持ち込んでもバチは当たらないだろう?」

 

 自分で言うか、と思わず言いたくなってしまったが、実際その通りなのだから外野がとやかく言う権利はない。

 ふぅん、と適当に相槌を打ちながら聞き流していると、続けてオリヴァルトが口を開いた。

 

「とは言っても、軍艦ではない以上、過剰な攻撃機構や防御機構はご法度だ。参謀本部のお歴々や、何より宰相殿に何を言われるか分からないからねぇ。

 ―――だから心配しなくても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その最後の言葉に、反応しなかったと言えば嘘になる。

 艦内を見回りながら、一瞬それを考えたことがあった。―――もしこの艦がマーナガルム(彼ら)の敵となった場合、果たして《フェンリスヴォルフ》と食い合うだけの力が発揮できるのか、と。

 だがそれは、少なくとも今のレイが考えるようなことではなかった。

 

「余計な心配だ。アイツらは今更俺が必要になる事もないだろうし、気にかける程弱くない。……というかアイツらの現状の強さとか、俺あんまりよく知らない」

 

「おや、そうなのかい? 《特別顧問・相談役》なんていう役職に就いていると小耳に挟んだものだから、てっきりそういった事にも気をかけているものだと思ったが」

 

「おいそれ誰から聞いた? ―――いや、いい。やっぱいい。凡その見当はついたからやっぱ言わなくていい」

 

 こういった気を回すのはあの式神使いの諜報のプロ以外にあり得ないだろうと、断定して、深い溜息を吐いた。

 口が軽いのか重いのか、こういう状況だけ見ると分からなくなるのが怖いところではある。

 

 

「いやぁ、実際凄いよツバキ女史は。僕が公務を終えて皇城の自室に戻ったらソファーの上でマンガ読みながら思いっきり寛いでたからね。僕としたことが思わず自室かどうかを疑ってしまったほどだよ」

 

「皇城に不法侵入とかアイツの思考回路がちょっと理解できなくなった。というか近衛兵仕事しろ、マジで」

 

 とはいえ、ツバキは元々レイと出会う前から()()()()()を得手として諜報・暗殺業を生業としていた人物であるため、ともすれば朝飯前程度なのかもしれない。

 伊達に癖の強い猟兵団の中にあって更に輪をかけて癖の強い《月影》という部隊を纏め上げているわけではない。実際、彼女自身も”術者”としてだけではなく、超一流と言っても差し支えのない”諜報員”なのだ。

 

「いやいや、僕としても楽しい時間を過ごさせてもらったよ。ああいった経験は中々できるものじゃない」

 

「そりゃあな。お前、あと一歩間違えればサクッと暗殺されたんだからちょっとは緊張感持てよ」

 

 

「肝に銘じておこう。―――だけど、収穫があったのは確かだよ。()()()()()()()()()()も一応教えてもらったしね」

 

 

 淡々と話すオリヴァルトに対して、レイは静かにグラスを机の上に置くと、ふぅ、と一つ息を吐いた。

 

「……怒ってないのかよ。一応契約不履行みたいなモンだろうが」

 

「いいや全然? 僕だってこの艦を着工してた事とか君に黙っていただろう? 包み隠さず情報を開示するとは言っても、誰にだって離せない事の一つや二つはあるものさ」

 

 カラカラと笑うその姿に不自然さはない。

 勿論普通ならその表情をそのままの意味で解釈する事はないだろうが、ことこの場においてはその表情を信じてもいいと思っていた。

 

 オリヴァルト・ライゼ・アルノールという男は、どうにも読めないところがあるが、その実誠実な所には誠実な人間だ。

 自惚れではなく、実際レイはその誠実な面を向けられていると思っている。

 

 

「しかしまぁ、中々大胆な事をしようとしてるねぇ。……そんなに宰相殿の言いなりになるのが嫌かい?」

 

「当然。……ま、理由はそれだけじゃあないけどな」

 

 ソファーの肘掛けに手を置いて、背もたれに体を預ける。

 多少リラックスできたのと同時に、少しばかりゴチャゴチャしていた思考をクリアにする。

 

「今頃あの男は、もう”盤上”を整え終わっただろうよ。こればかりは遅れを取るのもしょうがない。アッチは何年前から仕込みを入れてたか分からんからな」

 

「宰相殿の企みは深淵だからね。もしくは、就任当時から仕組んでいたのかもしれない」

 

「今更それはどうにもならんさ。当面は思い通りに()()()()()しかない。……だから()()が図るのは、横合いから殴りつけるタイミングだ」

 

 茶請けとして用意されていたクッキーを一口齧りながら、あくまでも冷静に、レイはその考えを告げる。

 激情に駆られている訳ではない。現時点で致命的な実害を受けている訳でもない以上、偽善的な意味で憤懣を抱けと言うのがそもそも無理な話なのだ。

 

「一応言っとくと、俺は別にオズボーンが嫌いなわけじゃない。国を治めるという一点に於いて、奴は愚図ではないし、寧ろ優秀すぎる程に優秀だ」

 

「それは僕も実感している。強引な所は否めないが、エレボニアという国がここまで頑強になったのも、あの人の手によるところが大きいからね」

 

 非情な話をしてしまえば、現時点でのクロスベルの統合問題でさえ、エレボニアの地位を西ゼムリア大陸内で確立させるだけの手段に過ぎない。カルバードという不倶戴天の敵が存在している以上、それは避けられない事態でもある。

 ギリアス・オズボーンが宰相職に就任した時から続けられていた周辺小国の経済統合。―――それが自身にどのような影響を及ぼすか、それが分かっていないとは思えない。

 

「奴を過小評価するつもりは一切ない。仕込みをいくら積み上げたところで上回れるかどうかは賭けに近いし、そもそもコッチのやってることが筒抜けになってる可能性すらある」

 

「…………」

 

「動くときは最速で動く。俺だけなら到底無理な企みだが……幸いにもコッチにはマーナガルム(アイツら)と、それに()もいる。協力者には困ってない」

 

「慎重だね。まぁ、考えは分かるが」

 

「盤上の駒が叛逆するのもオツなもんだろう? 『貴族派』の駒になるつもりも、テロリスト共に協力するつもりも勿論ないが、生憎と俺にも借りが溜まってるんでな」

 

「悪い顔してるよー」

 

マーナガルム(アイツら)にトンデモ兵器押し付けたり、クレアをダシに俺に仕事押し付けたしなぁ。……とりあえず売られた喧嘩は買っていくスタイルだぞ、俺は」

 

 できるだけ本性っぽく言ってみた理由ではあったが、オリヴァルトはそれでも静かな笑みを湛えたままだった。

 

 

「ふふ、まぁ()()()()()()()()()()()()()()()()、敢えて聞かないよ。―――それじゃあ僕からも一ついいかい?」

 

「はいはいどーぞ」

 

「僕も、その企みに参加させて欲しい」

 

 予想内と言えば予想内のその言葉に、しかしレイは一瞬だけ動きを止めた。

 この男の事だ、地に足がついていないような曖昧な理由でそんな事を口走ったとは思えない。レイはそう考えて、口を開いた。

 

「……お前は『第三の風』を帝国内に呼び起こすのが目的なんだろうが。俺達みたいなのに深入りすると沽券に関わるぞ。やめておけ」

 

「むっ、君は僕を見縊っているようだね。そんな事は微塵も考えて―――」

 

「お前は”光”で、俺達は”影”だ。帝国民代表のお前は、それらしく振る舞うのが義務だろうが。憎まれ役は全部任せろ。慣れてるからな」

 

 《結社》時代だけではなく、遊撃士時代にすらやっていた事である。今更どうこうとは思わない。

 この真紅の翼を駆って帝国民の羨望と信頼を集めるのはこの男(オリヴァルト)の役割だ。レイ自身は英雄譚のような真似をするつもりは一切なかったし、”協力者”と共にギリアス・オズボーンに一泡吹かせられればそれで良い。

 直接的に殺すなどという支離滅裂な事をするつもりはない。今のエレボニアという国を維持するのにあの男が必要なのは、不本意ながら理解している。

 だがそれでも、オリヴァルトに裏方の仕事は似合わない―――そう思ったのだ。しかし……。

 

「ハハ、だから言っただろう。見縊らないでほしいと。この国の行く末も関わっている事に知らん顔だったとあれば、それこそ皇族の沽券に関わるというものだよ。

 それに、”光”の道を進むのは僕よりセドリックやアルフィンの方が相応しい。可愛い弟や妹の進む道を開くためならば、多少の苦労は数にも入らないさ。―――それが兄というものだろう?」

 

 同じく”兄貴分”の君なら分かると思うけどね、と付け加えられれば、レイとて同意しないわけにはいかなかった。

 どんな煌びやかな上っ面の建前を並べられるよりも、その理由は信じるに足りるものだった。それと同時に、オリヴァルトの覚悟も。

 

「……お互いアホな理由でとんでもない事やらかそうとしてるよなぁ」

 

「いいじゃないかアホでも。腹に一物抱えたまま何かを為そうとしてるよりかはよっぽど良い事だと思うけどね」

 

「違いない。―――こちらからも協力をお願いしていいか?」

 

「勿論。僕は僕にしかできない事をするまでだ」

 

 改めて握手を交わしながら、レイはふと思った。

 年齢や立場、考え方こそ異なるかもしれないが、根本のところでは自分たちでは似た者同士なのかもしれない、と。大切な人の為ならば苦労を苦労と思わず、飄々とした態度を崩さぬままにさも当然であるかのように振る舞い続ける。

 

 結局、この男のように振る舞い続けるにはまだまだ精進が足りないのかと思いながら、レイはアイスティーを飲み干して、貴賓室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 それからレイは、艦内をそれぞれ思い思いにうろついていたⅦ組の面々と適当に言葉を交わしながら、あてもなく歩き続けていた。

 

 空の旅にはハプニングがつきもの―――というのは個人的な偏見ではあったが、こうも平穏すぎると逆につまらないというのも本音ではあった。

 ふと、《カレイジャス》内で務めている工房区画担当らしきクルーとすれ違った際に、《結社》時代に《フェンリスヴォルフ》を”足”にして様々な場所を渡り歩いていた時は、こうはいかなかったなぁと思いに耽ってしまっていた。

 

 特に、工房区画での喧騒は今でも鮮明に思い出せる。後方支援部隊である《五番隊(フュンフト)》―――その中でも《整備・開発班》に所属する面々は、その大半が理性よりも本能を優先して日夜開発や改造に耽る変態集団だ。恐らく、今でもそれは変わっているまい。徹夜・断食をしてまで各々の専門分野を極めんと動く彼ら同士が顔を合わせれば、途端にどこからともなく取り出した図面を広げて開発談議が始まっていたほどだった。

 そんな変態達が集まれば、機械音や火花が飛び散る音が響き続けるのはいつもの事。時には爆発音も響き、ボヤ騒ぎになるのも日常茶飯事のようなものだった。

 そしてそんな日常茶飯事の騒がしさも、思えば楽しんでいたんだなぁと思っていると、いつの間にやら前方甲板に出ていた。

 

 

 先程まで何人Ⅶ組のメンバーが居たのだが、いまは閑散としている。特殊力場のお陰でで加速の影響も風の影響も受けずに高速で移り変わる景色をボンヤリと眺めていると、ふと、甲板入り口から誰かが出てくる気配を感じた。

 

「む……そなたであったか」

 

「ヴィクター卿……成程。何故だか胸騒ぎがしていたのですが、貴方であれば納得です」

 

「それは此方も同じ事」

 

 足音を立てる事もなく歩いてきたヴィクターは、艦長帽を取って小脇に抱えてからレイの横で立ち止まった。

 剣を携えてはいないが、滲み出る強者のオーラはひしひしと伝わってくる。クロスベルに居た時は、同じようなオーラを醸し出していたアリオスと共に過ごしていたのだが、それともまた違う雰囲気に僅かばかり体が強張ってしまう。

 

「ラウラからの手紙や、殿下からそなたの話は聞いていた。よもや《八洲》の剣士と再び会う事が叶うとは思っていなかったがな」

 

「という事は……以前に卿は《八洲》の使い手と?」

 

「私がまだ若い頃ではあったがな。東方風の装いをした女傑であった。名は訊けず終いではあったが、まるでかの《槍の聖女》と共に戦場を駆け抜けた猛者であるかのような者との仕合には心躍ったものであった」

 

「それは―――ハハ、どうやら師がお世話になったようでして」

 

 因みにその人、貴方の言う「《槍の聖女》と共に戦場を駆けていた猛者」本人です―――という情報は寸でのところで呑み込むことに成功した。

 話がこじれる事は請け合いであったし、その人物が今も変わらぬ姿で剣を振るっているという事も、できれば自身の目で確かめて欲しいところではある。

 

「ほぅ。奇縁というべきか。そなたがラウラの学友となったのもそうなのかもしれぬな」

 

「彼女も強くなりましたよ。一度、卿が直々に手合わせをしてみては?」

 

「うむ。我が娘ながら余程の逆境を乗り越えてきたのであろうな。その件について一言労おうとも思ったのだが、赤面して立ち去ってしまった」

 

「《光の剣匠》と呼ばれる方も、お子さんの扱いは今も試行錯誤という事ですか」

 

「そうなのであろうな」

 

 思えば、レイが出会って来た”達人級”の中には、そういった人達も珍しくはなかった。

 カシウスは顔を合わせるたびに娘がどうのこうのと酒を飲みながら自慢して来ていたし、アリオスも酒に酔えば娘に嫌われていないだろうかと愚痴を溢すような一面もあった。

 鑑みてみれば、この三人に共通しているのは”妻に先立たれている”という事だ。武人としては超一流でありながら、男手一つで娘を育てるという事に幾度も葛藤しただろうし、悩みも抱えていたのだろう。

 いずれ自分も、そういう「親としての悩み」を抱くことがあるのだろうかと思っていると、苦笑していたヴィクターがいつの間にやら表情を引き締めていた。

 

「だが、ラウラは未だ『己が強さを求める理由』を知らぬ。若い時分は私もそうだったが、しかしいずれはそれを見つけ出さねばならぬ時が来るだろう」

 

「…………」

 

「ラウラが今、何事かに悩んでいるのは見て取れた。しかし、それは己自身で決着をつけねばならぬこと。無粋な手助けは不要だという事は充分に理解できたのでな」

 

 恋煩い、などという単純なものではない。言い方がどうこうの問題ではなく、実際問題彼女が自分自身でしか決着を着けられない事なのだ。

 

 ライアス・N・スワンチカ―――《マーナガルム》の《二番隊(ツヴァイト)》副隊長補佐であり、レイとは《結社》時代からの長い付き合いでもある。

 彼の実家にあたる<スワンチカ家>が《百日戦役》後に、領土内で起こってしまった《ハーメルの悲劇》の責任問題を半ば冤罪のように押し付けられて没落した事も、没落する以前は初恋の相手がいたことも知っていたが、それがラウラの事だとは流石に察する事は出来なかった。

 

 聞けば、ガレリア要塞での事件の際にふとした偶然が重なって再開してしまったのだという。二度と会う事は叶わないと思っていた状況での再開がラウラの心を大きく揺さぶってしまったのは仕方のない事だろう。

 

「親としてどうすべきかと考えた時期も有りはしたが……どうやらラウラは良き学友達や教官殿と巡り合えたらしい。久方ぶりに顔を見て、そう確信出来た」

 

「此方こそ。いつも彼女の誠実さや真っ直ぐさには助けられていますよ。……自分だとどうしても捻くれた考え方しかできませんからね」

 

「―――そうか。私としては帝都の女学院に通って欲しいと思っていたが、どうやら要らぬ気遣いであったようだ」

 

 それはまるで、自分が父親失格であるかのような言い方ではあったが、それは間違いだとレイは思い、そして事実そう言っていた。

 既に両親共にこの世におらず、親を頼る事が叶わない身としては、その言い分を許容するわけにはいかなかったのだ。

 

 

「ラウラを支えて共に歩むのは自分たちにもできますが、ラウラを導けるのは貴方しかいないんです。《光の剣匠》ではなく、ヴィクター・S・アルゼイドとしてできる事が」

 

「父親だからこそできる事、か」

 

「自分の場合は生まれた時には既に父はいませんでしたから、偉く言える立場じゃないんですけどね。

 でも多分、ラウラもそう思っている筈ですよ。自分の目標である人には、いつまでも格好良く在って欲しいと思うものでしょう」

 

 実際レイも、何だかんだ言いながら師であるカグヤの事は尊敬し続けている。

 剣士としての強さと誇り。一見無軌道に見えて、その実芯の通った生き方を数百年間続けているのだ。並の精神力では成しえない事であるし、その在り方を続けて欲しいと心の底から思っている。

 

 武人が尊敬する人物というのはそういうものなのだ。己が畏敬の念を向けるに相応しい人物であってほしいと傲慢にも思い続け、そしていつかそれを乗り越えて自分自身が誰かから羨望の念を向けられる人物になっていく。―――それが正しい関係なのである。

 

 

「まぁラウラと手合わせする前でも後でもいいんですが―――自分も貴方と仕合ってみたいですね《光の剣匠》殿」

 

「それは此方も同じことだ。若くして”達人級”に至ったその覚悟―――《天剣》の絶技、相見える時を楽しみにしている」

 

 負けるつもりは毛頭ないが、確実に勝てるとも思えない―――そんな武人が弱音にも似た言葉を吐くこと自体は珍しくはないが、やはり”強者”で在って欲しい。

 いずれ敵対関係という訳ではなく、憎みや恨みを抱いている訳でもなく、ただ純粋に、心行くまで戦う相手として、これ程魅力的な相手もそうはいない。

 

 そんな事を思いながら再び前方の景色に視線を移すと、少しばかり遠くの位置に高層の建物が乱立している様子を見る事ができた。

 

 

 黒銀の都市、ルーレ。平穏には終わらない特別実習が、今回も幕を開けようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 はい皆さんこんにちは。この作品をご覧いただいている方々の中に昨日今日、もしくは明日にとコミケに行かれた、または行く予定の方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか?
 私ですか? 私は本日コミケ会場近くのファーストフード店に派遣されてアルバイトしていましたよ。アァ、ヒトガイッパイヒトガイッパイ……死ぬほど忙しかったですね。


 さて、前回から1週間ほど空いてしまいましたが、更新させていただきました。
 「また伏線散りばめやがったな、性懲りもなく」と思った方、まさにその通りでございます。今のうちに張っておかないと間に合わないんです勘弁してください。

 次回から漸く最後の特別実習―――つまり盛大にやらかして大丈夫なんだろ? そうなんだろ?(筆者目線)―――が始まります。気を抜くなよB班‼ 今回はお前らも弄るからな‼

 では次回……と言っても次回はまた2話ほどFate/作品の方に戻りますけどね。いつもの通り。


PS:水着イベント……溜め込んだ無料40連で玉藻とアン&メアリー来たぞオラァ‼
  まだだ。まだ終わらぬ。私の運勢はまだ尽きていない‼ イベント後半戦はモーさんやきよひーや我が王(笑)やマルタ姐さん、マリーのピックアップが待っていると信じて‼

  ……どうでもいいことですけど、もうこれ島の開拓っていうか永住準備整ってるんじゃあ……どこぞのアイドルグループ呼んでも違和感なしかよ。





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多忙交錯都市・ルーレ






「惚れた男に全てを捧ぐ。これの何が間違っているというのだ」
    by 鎖部葉風(絶園のテンペスト)








 

 

 

 

 

 

 

 

 エレボニア帝国郊外某所。

 

 鬱蒼と森が生い茂る、月光すら差し込まないその場所で、一人の人物が全身を掻き毟りながら苦悶に喘いでいた。

 

 

「あっ……ぐっ…………ぐああぁぁっ」

 

 腰まで伸びる長い銀髪も、過剰なほどに白い肌も、肉感的な体を包み込む戦闘衣(バトルクロス)も、地面をのたうち回る内に湿った土に塗れて汚れていく。

 しかしその汚れも、喘ぎと同時に体内から放出される絶対零度の冷気に()てられ、ピキピキという音を立てて霜へと変貌していった。

 

「ぬぁっ……ぐ……この……ッ‼」

 

 冷気を収束させて作り出した氷の剣を握り、あろうことかそれを自らの左腕目がけて振り下ろす。

 氷剣が突き刺さり、肌を割いて血が噴き出すが―――それが齎す痛みよりも不快な疼きが未だに止まらないのが煩わしい事この上なかった。

 

「貴様ッ……まだ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()‼」

 

 嫌悪感を露わにした声でそう罵倒するも、内から湧きあがる”ソレ”は魂の内で足掻き続ける。

 完全に塗り潰したと思っていても、気付けばその灯火は彼女の魂を侵食していく。―――貴女ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()と、長く長く、ただそう訴え続けてきた。

 

 その鬩ぎ合いは、大抵の場合は”虚神の死界”(彼女)が勝つ。しかし極稀に、ザナレイア・フラウフェーン(彼女)が一時的に意識を取り戻す事もあった。

 

 

 

「っ……はぁっ、はぁっ……」

 

 勝率が限りなく低い鬩ぎ合いで今回ザナレイア・フラウフェーン(彼女)が競り勝てたのは、偏に罪悪感が度を超えてしまったからである。

 

「行か……なきゃ……」

 

 ザナレイア・フラウフェーン(自分)が意識の表層にいられるのはそう長くはない。彼女自身それが分かっていたからこそ、心は焦燥感に駆られていた。

 随分血と悪意に染まってきた体を久方ぶりに見下ろして途轍もない寂寥感に襲われる。だが、ここでただ立ち止まっている訳にはいかなかった。

 

「謝ら……なきゃ……」

 

 いつかは”彼”とこうして完全なまでに敵対する時が来るのだと理不尽な運命に屈してはいたが、それとザナレイア・フラウフェーン(彼女)の倫理観はまた別だ。

 ”彼”の恋人を傷つけた。一歩間違えれば、”彼”をまた奈落の底に叩き落としていた―――”自分”がしでかしたその事実が、ザナレイア・フラウフェーン(彼女)をこうしてまた意識の表層に引き上げたのだ。

 

「ごめん、なさい……ごめん、なさい……」

 

 未だ精神が安定しない状態で、覚束ない足取りで歩き続ける。

 双眸の色は真紅から、元々の彼女の瞳色だった翡翠色に変わる。そしてその瞳からは、抑え込めない涙が頬を伝って落ちていった。

 

 

 生きている限り、苦しみ続ける事。大罪の意識に苛まれ続ける事。後悔を、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それが彼女の―――ザナレイア・フラウフェーンの贖罪だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 空港に降り立ってまず肌寒いと感じたのは、その都市がエレボニアの北方に位置している事にも由来するのだろう。

 

 

 《黒銀の鋼都》ルーレ―――帝国四大州であるノルティア州の州都でもあるその都市は、四大貴族が一角、<ログナー侯爵家>が治める場所でもある。

 

 人口20万人を擁するその都市は、鉄鋼と重工業によって著しい発展を遂げた巨大導力都市であり、エレボニア帝国における近代文明の発信地である。

 その文明を支えるのは都市の北方に位置する皇族の所有地『ザクセン鉄鉱山』。アイゼンガルド連邦の一端に位置するそれは、古くからエレボニアの重要補給基地としての役割を担い、現在に至るまで重要視されている。

 

 その他、学術都市としての一面も持ち合わせており、都市の西部には帝国全土は元より、外国からも留学生が多く集う教育機関『ルーレ工科大学』が拠を構えている。

 その大学が著名である理由には、かの『導力革命』の立役者であるC・エプスタイン博士の三高弟が一人、G・シュミット博士が学長を務めているほか、帝国における導力器(オーブメント)普及に於いて大きく尽力したという成果も挙げられる。

 

 

 

「贔屓目と思われるかもしれないけれど、エレボニアはルーレを失えば機甲戦力の凡そ4割を失うと言われてるわ。そのくらい、戦術的な面でも重要な都市なのよ」

 

 複雑ではあるけどね、と。アリサはA班一行をシャロンと共に先導しながら呟くように言った。

 

 古くから鉄鋼産業と戦争は切っても切り離せない因縁の間柄だ。どれほど人間の為を思って作られた製品であろうと、少しばかり視点を変えてみれば人間を大量虐殺する兵器に早変わりするなんて事は良くある話である。

 ルーレもその例に漏れず、導力革命が起こる以前からそうした産業に手を伸ばしていた。そしてその産業を今現在も常に最前線でリードし続けているのが―――。

 

 

「……おっきい」

 

「《カレイジャス》からも見えてたけど……あはは、間近で見るとちょっと怖いくらいだね」

 

 ルーレ市の中心。そこに聳え立つのは摩天楼と形容するのが最も似つかわしい超高層ビル。最先端の技術を詰め込んで建築されたようなそれは、首都であるヘイムダルですらお目に掛かれない「非常識」な建築物だった。

 RF本社ビル―――リベール王国の《ZCF(ツァイス中央工房)》、カルバード共和国の《ヴェルヌ社》、そしてレマン自治州に本社を構える《エプスタイン財団》らと肩を並べる巨大重工業メーカー《ラインフォルトグループ》の本拠地である。

 

 その異様さに初見組が唖然と見入ってる中、以前訪れた事のあるクロウが至って自然体のままのレイに声をかけてくる。

 

「何だ、お前はやっぱ見入らねぇのな、レイ」

 

「そりゃあこちとらこれよりデカいビルをクロスベルで見てきたばかりだしな。あとこれより低いけどツァイスの中央工房もそこそこデカかったしな」

 

「そうか、お前元々リベールの遊撃士協会に居たんだっけか」

 

「ツァイスはいいぞー。仕事終わりに温泉入れるし、メシは美味いし、時々発明チート一家のせいで街中パニックになったりで飽きないしな‼」

 

「最後だけ怖ぇな‼ 何が起きてんだよツァイス‼」

 

「ボヤ騒ぎはデフォ。下水管の一部が破裂したり、爆発音が鳴り響いたり、怪音が一日中鳴り響いたり、変な機械で魔物を誘き寄せたり―――まぁそんな感じだな。いつも通り過ぎて訓練されたツァイス市民は「あぁ、またあのアホ一家が何かやったか」としか思わなくなってる。アレはマジで凄かった」

 

 まぁその後、鬼の形相をした工房長が怒鳴り込むまでがワンセットなのだが、それもまた由緒正しいツァイス名物である。

 そうした事がルーレでも起きるのかとアリサに視線を向けてみると―――彼女は「何を言っているんだ」と言わんばかりにドン引いた表情を見せていた。

 

「生憎とルーレはそんな世紀末みたいな場所じゃないわよ」

 

「馬鹿め、世紀末みたいな場所ってのはクロスベルの裏路地みたいな場所を言うんだ。一歩踏み込めばマフィアかチンピラの巣だぞ。ストリートファイトなんて日常茶飯事だぞ」

 

「俺はつくづくエレボニアに生まれて良かったと思ってるよ」

 

 今度はリィンに溜め息交じりにそう言われ、レイは思わず失笑した。

 ああいう場所はああいう場所で良いところも普通にあるのだが、確かにエレボニアにはああいう「どこか非常識な場所」というのは―――今まで見てきた中には存在しない。ノルド高原は中々に面白い場所ではあったが、そういうのとはまた別物なのだ。

 

 そんな実入りはない会話を続けていると、街の中心部へと辿り着く。

 ルーレ市は「上層」と「下層」というブロックに大きく分けられており、二つの区画を行き来するには階段かエレベーターか、もしくは巨大なエスカレーターに乗らなくてはならない。

 この”エスカレーター”もレイはツァイスにいた時に良く利用していたが、やはりリィン、エリオット、フィーの三人は見慣れていなかったようで、「動く階段」というものに興味津々な模様であった。

 

 そして、エスカレーターを登り切ると正面に現れたのがRF社の本社。帝国を代表する大企業と言うだけあり、近くにある駐車場には取引に来ていると思われる企業の人間が乗ってきたらしい高級車が何台も停められていた。

 

「う……流石に気後れするね」

 

「気にすることないわよ。あれば見栄えを気にしてる場合もあるから。大口取引っていうのは顔を合わせる前から始まってる事もあるのよ」

 

 涼しい顔でそう言うアリサの様子はどことなく母親に似ていると思ったレイであったが、恐らくそれを口走ろうものならば烈火の如く怒られるだろうと口を噤むと、シャロンがその様子を見て微笑んでいた。

 心を見透かされていたことに対してバツが悪くなったレイは何となく駐車場に止まっていた車を一瞥し―――その中に見覚えのある車を見つけて思わず固まった。

 

「? どうしたんだ、レイ」

 

「あー、いや……もしかしたら俺の知り合いが商談に来てるのかも」

 

「ほー。流石顔が広いなぁ、お前。車のバイヤーとかも知り合いにいるのかよ?」

 

「クロウ……お前、俺がこんな顔して話す知り合いがそんな「温い」人間だって思うか?」

 

 そのワントーン低い言葉に、全員の顔が引き攣る。……唯一フィーだけはいつものように無表情だったが。

 とはいえ、今更この少年がどれだけヤバい存在と知り合いであろうと驚かない程度にはⅦ組の面々は鍛えられていた。しかしながら進んで藪蛇を突き出す勇気もなかったので、全員が聞かなかったことにしてRF社本社ビルの中に入っていく。

 

 

 エントランスは、その外観に相応しい豪華さであった。

 とはいえ、貴族の館などの”画一的な美”とはまた違う、言ってみれば”実用的な美”を表現しているかのような内装に、再び視線が釘付けになり、或いは様々なものに目移りしてしまう。

 

 エントランスの商談スペースで担当者と取引をしているどこかの企業の人間や、見学に来た親子などもいる。見学者や時間を持て余した関係者などが見ているのは、一区画に設けられた新作の導力自動車や導力戦車のディスプレイ。

 その広さは、『オルキスタワー』のエントランスにも引けを取らないどころか比肩するだろう。

 

「これは……凄いな」

 

「興味があるの? リィン」

 

「まぁ、一応男子だしな。こういうのには興味あるさ」

 

 その言葉に、図らずもレイとクロウが同意して頷く。最新鋭の機械仕掛けというのは、いつまで経っても男の浪漫である事には変わりない。エリオットは残念ながら困ったような表情を見せていたが。

 

「そ、そう。……何なら私が後で案内してあげるわ」

 

「あ、ありがとう。そ、そうだ。レイとクロウも―――」

 

「しゃあっ、クロウ‼ 一緒にディスプレイ見て回ろうぜ‼」

 

「おうそうだな‼ 手始めにあの戦車から行ってみっかぁ‼」

 

 嫋やかなアリサの誘いに恥ずかしくなったリィンからの言葉を、レイとクロウは抜群のコンビネーションで「聞かなかったこと」にする。

 気恥ずかしさを抱くのは良いが、そこから逃げようとするのはいただけないなと、敢えて心を鬼にして救いの手は差し伸べない。

 

 その後、逃げ場を失ったリィンがアリサの申し出を受ける様子を一同でほほえましく眺めていると、エントランスの奥の方から一人の初老の男性が焦ったような様相でこちらに向かって来た。

 

 

「アリサお嬢様‼ ……お久しぶりでございます」

 

「あ、ダルトンさん、お久しぶりです。学院側の予定で3日間程こちらに滞在する事になって……」

 

「伺っております。(わたくし)もお嬢様のお元気なお姿を見れて嬉しゅうございます」

 

 するとその男性は、レイたちの方へと視線を向けて深々と恭しく一礼をした。

 

「お初にお目にかかります、ご学友の方々。(わたくし)、このRF本社ビルの支配人を務めさせていただいております、ダルトンと申します」

 

 こちらこそ宜しくお願いします、と一同も礼をすると、ダルトンは徐にリィンとクロウとエリオット―――つまりA班のレイ以外の男子勢に失礼がない程度の視線を向けた。

 

「? どうかしましたか?」

 

「あぁ、いえ。本日皆様がいらっしゃる事はシャロンさんから伺っていたのですが……」

 

 そこで彼は一拍を置き、恐る恐ると言った様子で再び口を開く。

 

 

「その……お嬢様のボーイフレンドの方もいらっしゃるとの事でしたので―――」

 

 

「シャロンんんんー‼ あからさまに露骨な形で外堀埋めていくの止めてやれって俺言ったよなぁ⁉ 意外と辛いんだぞコレ‼」

 

「あら、申し訳ございません。しかしこれは会長の極秘のご命令でございまして……」

 

「如何にも「自分は悪くありません」的な体で言ってんなら、まずはその手の中のカメラをしまえ」

 

 ひとまずカメラを没収してからふと二人の方を見てみると、案の定アリサの方は機能停止寸前まで追い込まれており、リィンの方も顔を赤くして別の方向を向いていた。

 その様子を見てダルトンは察してくれたのかそれ以上の追及はなかったが、頭から蒸気を上げつつグッタリとしてしまったアリサにリィンが肩を貸す形で、そのまま23階の会長室まで直通で繋がる関係者用エレベーターに乗り込んだ一同。

 

 普段はそうした状況を茶化すような性格のクロウも、流石に場の空気を呼んだのか、苦笑しながらただ見守るだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

「前に学院で会った時よりもやつれたわね、アリサ」

 

「やつれたのはついさっきよ……数分で数キロは軽く痩せた気がするわ……‼」

 

 

 RF本社ビル、23階会長室。

 広い部屋の中に設けられた重厚な執務机。卓上には積み上がった書類と幾つもの電子機器が置かれており、彼女―――イリーナ・ラインフォルトは、仕事を同時進行で進めながら自らの娘に対して言葉を投げた。

 

「精神的疲労で痩せている程度ではまだまだね。なまじ貴女にとってストレスでもない事でその有様では、先が思いやられるわ」

 

「う……悔しいけれど反論できない。…………ちょ、ちょっと待って母様‼ なんで私がやつれてる理由を知って―――」

 

「跳ねっ返りで融通の利かない娘を選ぶ奇特な男性を逃がすと思って?」

 

 そう言ってイリーナは鋭い眼光をリィンに向ける。一瞬だけ気圧されたリィンであったが、普段から眼光での威嚇に慣れていた彼は、すぐさま毅然とした態度に立ち戻る。

 その様子を見て満足したのか、イリーナはすぐに視線を娘の方へと戻した。

 

「まぁいいわ。お互い時間もないでしょうし、さっさと要件を済ませてしまいましょう」

 

 差し出してきたのは一枚の封筒。いつもの通り、実習内容が書かれた用紙が入っているものだった。

 そうしている間にも、イリーナは右手でキーボードを高速タイピングしながら机の上に置かれた書類に目を通している。多忙という言葉だけでは片付けられないほどであるという事は自明の理であり、それが分かっているからこそ、おざなりな態度を取り続ける母親に対してアリサは口を噤んだ。

 

 以前の、それこそ入学したて頃のアリサであれば、その態度に対して異議も唱えていたであろう。主観的に見れば子に注ぐ愛情など微塵も感じない仕事人ぶりだ。

 だが、様々な経験をしてきたからこそ、今のアリサには分かってしまう。母が多忙を極めているのはいつもの事。先程の件も、あれも母親なりに自分の恋路を後押ししてくれた結果なのではないだろうか、と。

 ……まぁ、「後押し」というよりは「突き落とし」という表現の方が似合っているような気がしなくもないのだが。

 

 

「―――あぁ、言い忘れていたわ」

 

 アリサが複雑な気持ちに煩悶していると、徐に再びイリーナが口を開く。

 また小言の類かしら、と半目になったアリサの予想とは反して、その内容は現実的なものだった。

 

「無事に実習を終えたいのなら、鉄道憲兵隊と領邦軍には関わらないようにしなさい。侯爵家に関しても、今回は立ち入る必要もないでしょう」

 

「え……?」

 

「学生らしく、常識の範囲内で頑張りなさい。―――一応、学院の理事としての”忠告”よ」

 

 その言葉には、確かに士官学院の理事としての威厳が籠っていた。

 その忠告が一体何を示しているのか、理解できたメンバーは少なかったが、その理解していたメンバーの一人であるレイの制服の襟の部分を、イリーナは去り際に掴んだ。

 

 

「うぇ?」

 

「さてシャロン、数時間ほど彼を借りるわよ。夕方前には戻せると思うわ」

 

「畏まりました、会長」

 

「いやいやいや、畏まりましたって何が⁉ 説明、説明プリーズ‼」

 

 仕事漬けの人間、それも女性とは思えない力で引きずられていくレイが珍しく困惑した様子でそう声を挙げると、イリーナはピタリと止まる。

 

「貴方にラインフォルト(ウチ)の仕事の何たるかを覚えて貰うのよ。今から数件程度取引現場に行くから、ボディーガード兼秘書として着いて来てもらうわ」

 

「クロスベル時代のデジャヴ‼」

 

「安心なさい。今回は比較的楽な案件だから、素人の貴方でも対処できるでしょう」

 

「ちょっとガチで外堀埋めるの止めてくれます⁉ 秘書⁉ やれと言われりゃやりますけど‼」

 

 

「やるんだ」

 

「やるのか」

 

「遊撃士時代のワーカーホリックがまだ完全には抜けてないね」

 

 染みついた性質はかくも厄介なものなのかと改めて理解した一同を他所に、レイはさして抵抗もせずに首根っこを掴まれてそのままズルズルと引き摺られていった。

 

「……あれに比べれば私はまだマシな方だったかしら」

 

 もうすぐ悟りの境地に入れるのではないかと思うほどに達観した表情を垣間見せたアリサを見て、シャロンが口に手を当てて上品に笑う。

 

「レイ様の件はご安心くださいませ。社会科見学の一環という事で既に学院側に許可は取っておりますわ」

 

「かつてこれ程ハードワークな「社会科見学」はあっただろうか……いや、ない」

 

「僕だったら絶対にお引き受けしたくないなぁ」

 

「レイ、ご愁傷さま」

 

 せめて実習に影響がない程度には、と。全員が心中で女神(エイドス)に対して祈りを捧げてから、シャロンに先導されて23階のフロアを後にする。

 

 

 そして再び1階のフロアに足を踏み入れた時に、まずリィンが気付いた事は、商談スペースにいた人物が丸々入れ替わっている事だった。

 

 リィン達がこのエレベーターから23階に行ってイリーナと言葉を交わし、再びこのフロアに戻ってくるまで、恐らく20分も掛かっていなかっただろう。

 だというのに、商談をしている人物の顔が軒並み変わっているという事は、皆それ程分刻みでの行動を余儀なくされているという事だ。

 

「フリースペースで商談している人たちは比較的早く終わるわね。ウチはまぁ、自慢するわけではないけれど大企業だから、1日に訪れる他企業の人の数が膨大で、時間をかけてると捌ききれないのよ」

 

「せわしないね」

 

「その分、大口取引のお客様は上階の個室にお招きして上級役員の方々が時間をかけて対応されておりますわ。―――ちょうど、あちらのお客様のように」

 

 シャロンのその言葉に一同がエレベーターの方に視線を向けると、ちょうどタイミングよくその「じっくりとおもてなしをするお客様」が出てきた所だった。

 しかしレイ達は、役員と思しき男性の後に続くように出てきた人物を見て、思わず目を疑ってしまう。

 

 

「本日もありがとうございました。今後とも何卒宜しくお願い致します」

 

「いえいえ~。此方こそ毎度良い商品をご提示いただいて助かっております~。次回の商談も宜しくお願いしますね」

 

 役員に何度も頭を下げられているのは、黒を基調として赤のアクセントが入ったスーツを着込んではいるものの、見た目の年齢は十代の中盤にあるかどうかと見間違うばかりの幼い容姿をした栗色の髪の女性だった。

 容姿に比例した高い声と間延びした声調からはとても「お得意様」という雰囲気は感じられなかったが―――しかしレイとフィーという実例を見ている以上、見た目だけで中身まで判断するのは間違っているという事をⅦ組の面々は分かっている。

 

 その女性は終始笑顔を浮かべたままに書類を挟んだファイルを小脇に抱えて鼻歌まで歌いながら正面出口の方へと歩いていく。

 その過程で一同のすぐ横を通り過ぎた時―――リィンは直感で感じ取った。

 

「(これ……って)」

 

 ()()()()だ。―――勿論それはただの比喩表現ではあったが、その女性からただならぬ雰囲気をすれ違った一瞬だけ感じ取ったのは確かだ。

 それは、入学式直後のフィーや、追い詰められていた時のレイが醸し出していたモノと一緒……つまり、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 何者なのか、と疑問に思い、咄嗟にその女性を目で追うために振り向くと―――その女性はリィン達の方を既に振り向いていて、変わらない笑みを浮かべていた。

 

 

「ツバキさんから聞いていましたけど……フフッ、聞いた通り面白そうな人たちですねぇ」

 

 腰まで伸びる長い髪を棚引かせ、女性は悠然とリィン達の手前まで歩いてきた。その様子を見ながらリィン達は、しかし何故だかその視線に射すくめられるように動けなかった。

 すると女性は、不意に視線をシャロンの方へと動かした。

 

「お久しぶりですー、シャロンさん。お邪魔しておりますね」

 

「毎度お取引きいただき誠にありがとうございます、カリサ様。―――えぇ、お久しゅうございますわ」

 

 一見すればそれは顧客と会社関係者の挨拶のやり取りのようにも見えたが、一概にそれだけではない事は分かってしまう。

 それは先程、彼女自身が口にした人物の名からも推測する事ができた。

 

「えっと、その、「ツバキさん」って、もしかして―――」

 

「……あぁ、そう言えば一度お話ししたと言ってましたねー。えぇ、その「ツバキさん」で間違いありません。折り紙好きのブラコンさんですよ」

 

 以前、レイが寮から失踪した時に一度だけ式神越しに言葉を交わした人物の知り合い―――という事は、目の前の女性はレイの《結社》時代からの知り合いという事になる。

 思わず身構えそうになったが、彼女はそれすらも見越していたのか、行動する前に言葉を滑り込ませてきた。

 

「あぁ、自己紹介がまだでしたねぇ。これは失礼しました~」

 

 緊張感などは微塵も感じさせない口調。しかしながら、それを咎める気は全く起き上がらない。

 そしてその雰囲気こそが何よりも合っているのだと、出会ってまだ数分のリィン達にすらそう思わせる程の自然体。

 

 

「私、猟兵団《マーナガルム》 《五番隊(フュンフト)》兵站班主任を務めさせていただいています、カリサ・リアヴェールです。―――宜しくお願いしますね~。トールズ士官学院特科クラスの皆さん」

 

 

 衒いも躊躇いもせずに、彼女はただ、笑顔でそう告げたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうも。『討鬼伝2』買いました。十三です。今現在プレイしております。モノノフの血が騒ぐぜぇ‼
 やっぱり武器は薙刀が至高(※個人の感想です)。


 さて、ルーレに到着した一行ですが……どうですか、初手からこのカオス。
 本当はここまでではなかったんですが、書いている内に悪ノリしました。プロットが必要最低限しかないから、こういう事は頻繁に起こります。リア充は徹底的に弄っていくスタイル。

 この時点でルーレに居る、もしくは潜伏している、もしくは潜伏しようとしている人物を改めて挙げてみると―――うわ、コレヤバいですわ。

 そして今回の新キャラの簡易解説を以下に記述しておきます

■カリサ・リアヴェール
 元ネタは『戦場のヴァルキュリア3』に登場する兵站員兼戦車操縦士のカリサ・コンツェン。
 《マーナガルム》が誇る(?)二大守銭奴の一人にして、《五番隊(フュンフト)》兵站班主任。座右の銘は「神様はお客様じゃなくてお金様」。
 「金の恨みは恐ろしい」を体現しているお方。彼女と値切り交渉をして勝利した暁には兵站班か経理班の猛烈なスカウトが待っている。



PS:『英雄伝説』『Fate/』に次ぐ第三の小説を1話だけ投稿いたしました。もし興味があれば覗いて行ってくださいませ。


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混沌模様の企業見学 ※

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前中にイリーナ・ラインフォルトから手渡された当日の特別実習は、数時間で片付ける事ができた。

 

 既にやり方の手筈を整えるのも慣れてきた手配魔獣の討伐や、ルーレの都市部を駆け巡って行った《RFストア》のヨハン主任からのARCUS(アークス)の通信強度の調査、そして工科大学の研究員から依頼された希少金属の捜索まで、リィン達はこれまでに培った経験とフットワークの軽さを如何なく発揮し、地元民であるアリサの協力も受けて恙なく終わらせられた。

 

 その結果、自分たちの実力が確かに上がっている事を確認できた反面、少しばかり物足りなさを感じてしまったのは嬉しい悲鳴と言うべきだろうか。

 

 

 

「いやー、食った食った。居酒屋って聞いたからボリューム心配してたんだが、まさかあんな特大ステーキにお目に掛かれるとはな‼」

 

「よっぽど空腹だったんだな、クロウ」

 

「ザクセンとの往復の山道がキッツくてなぁ。そりゃ腹も減るだろ。そういうお前だって普通にスタミナステーキ平らげてたじゃねぇか」

 

「……最近カロリー計算を完全に忘れてる自分が怖いわ」

 

「……食べておかないと後が怖いし」

 

「僕も学院に入学する前までは小食だったはずなんだけどなぁ」

 

 アリサの幼馴染が店員をしているという店で少しばかり遅めの昼食を終えた五人は、特にあてもなくブラブラとルーレ市内を見て回っていた。

 特段サボっている、というわけでもない。今までの特別実習先でもそうだったが、こうして街を歩いていると困っている人を発見できる時が、ままある。そうした人を見つけるセンサーを張りながら、聳え立つ巨大な導力ジェネレーターが見下ろす街を散策していた。

 

 そうして依頼遂行中は張り詰めていた神経を解きほぐして歩いていると―――否が応にも思い出してしまう事がある。

 

 

 

「《マーナガルム》、かぁ……」

 

 エリオットが思わず小さな言葉で呟いてしまった言葉に、他のメンバーも反応する。

 それは何かを引き摺るような反応ではなく、変なことを思い出してしまったとでも言いたげな苦笑ではあったが。

 

 

 

 実習依頼に向かう前、カリサ・リアヴェールという女性が何の躊躇いもなく口にした所属組織の名前。

 彼女自身はそれ以上深く踏み込むことはなく、意味ありげな微笑を浮かべたままに本社を後にしてしまったが、残されたリィン達は無論納得がいかない様子でただ立っている事しかできなかった。

 

 猟兵団という組織自体良い印象があるとは言えない。フィーという例外こそあるが、猟兵団や傭兵団が小国などの戦役に関わると治安が際限なく悪化し、結果的に存亡の危機につながるというのは珍しくもない話だ。

 ミラで雇われ、ミラで動き、戦場で戦う者だけでなく、必要とあらば民間人であろうとも容赦なく惨殺する。……やはりその在り方を許容は出来なかった。

 

 あの女性もその一員であると考えると、それに付随するようにレイの事を考えてしまいそうになったところで―――タイミングを見計らったかのようにシャロンが言葉を差し挟んだ。

 

 

『猟兵団《マーナガルム》は、元は《結社》が抱える強化猟兵団の一団でございました。―――レイ様が《執行者》であられた頃、率いておられた方々でしたわ』

 

 その言葉を聞いて―――然程驚かなかった事自体に驚いたが、しかし思い返してみればそれを裏付ける要素はあった。

 個人の強さのみで突き歩いていれば決して得られないであろう、教導と統括の才。噂では武人の中でも《(ことわり)》に至った者は森羅万象、あらゆる状況に対し非凡な才を発揮すると言うが、レイのそれは、恐らくそういった類のものではない。

 その目で見、その体で体験し、骨の髄まで刻み付けたモノなのだろう。

 

 それでも、彼が非道をも為す猟兵を率いていたという事実に対し僅かばかり忸怩たる思いを抱いていると、今度はフィーが言葉を挟んできた。

 

『……《マーナガルム》は猟兵界隈ではちょっと変わった一団だって有名だった。戦場では一切容赦しないし、個々の練度だと《赤い星座》や《西風の旅団》にも引けを取らない強い猟兵団だって聞いたけど……民間人には絶対に手を出さなかったし、そもそもそういった依頼は一切受けたことがなかったんだって』

 

 レイが率いてたならそれも納得かな、と動揺する素振りも見せずにそう言って見せたフィーの言葉に、他のメンバーも漸く納得した表情を浮かべた。

 

 曰く、”正義の猟兵”。「殺すべき者を殺し、生かすべきものを生かす」を絶対の信念として戦場を渡り歩く彼らを、いつしかそう呼ぶようになったらしい。 

 とはいえ、彼ら自身はそう呼ばれるのを忌避している節があると、そうシャロンは言った。

 

『「猟兵はどこまで行ってもミラで人を殺す外道商売。そんな我々が正義を語るなど片腹痛い。死神が在るべきはいつだって煉獄に一番近い場所だ」―――そう《マーナガルム》の団長様は仰っておられましたわ。それでも民間人不殺の誓いを守り続けておられるのは……間違いなくレイ様が今でも信頼され続けている証に他なりません』

 

 身の置き方こそ異なっていたかもしれないが、レイ・クレイドルは昔から”そう”だったのだ。

 関係のない人間が巻き込まれるのを極端に嫌う。無意味な犠牲が出る確率をとことんまで潰していく。―――そうでなければ、身内の責任で他人に害が及ぶ時に本気で怒れるわけがない。

 

 そんな彼らだから、ラインフォルト社は真正面から武器やその他諸々の売買を行っているのだろう。どう足掻いても人殺しに使われるのが武器の本懐であるならば、非道であっても外道ではない道を歩む者達に売りたいというのが製作者としての本音なのだろうから。

 

 

 シャロンの話では、レイは既に団の運用からは退いているという話ではあったが、少なくともレイを連れ戻そうと決心したあの夜に式神を通じて声を送ってきた”ツバキ”なる人物の声を聴く限り、今でも慕われているのは確かなようだ。

 

 確かに”らしい”なと思うのと同時に、先ほどまで僅かに抱えていたやりきれない思いはどこかに消えてしまっていた。

 残ったのは、変な心配をしてしまったという少しばかりの精神的疲労だけだった。

 

 

 

「……ま、詳細はいずれ本人の口から聞こうか。いつもみたいに」

 

『『賛成』』

 

 こういった案件の扱いも充分慣れてきたなぁとしみじみしていると、いつの間にか一行はラインフォルト本社ビルの前までたどり着いていた。

 そこでふと、リィンが再び数時間前の事を思い出した。

 

 

 

 

「……そういえば、アリサ」

 

「? どうしたの?」

 

「ラインフォルト社を案内してくれるってさっき言ってくれたけど、良い機会だから頼めないか?」

 

 リィンのその言葉に、アリサは数時間前、自分が勢いに任せてそんな事も言ったなぁと内心赤面しながら思い出した。

 とはいえ、エレボニア国内のみならず、ゼムリア大陸に名を轟かす重工業メーカーの会長の一人娘として、彼らに実家の仕事の様子を見せる義務が、アリサにはあった。

 本来であればリィンと二人きりが良かったのだが、これも特別実習の一環として、全員で回らなければ意味がない。その程度の分別はついているつもりだった。

 

「……そうね。言い出したのは私だし、構わないわよ」

 

「ありがとう」

 

「っ……‼」

 

 ただし、そんな思惑とは裏腹に自分の感情を内にしまい込んでおくのが限界だという事も分かっていた。

 とりあえずリィンからは見えない位置でいやらしい意味のハンドサインを送ってきているクロウを後でしばき倒す事を決定させたアリサは、そのまま全員を連れて再びランフォルト本社に戻った。

 

 しかし、いくら会長令嬢の身の上とは言え、幾つかの手続きをしなければ本社見学は出来ない。

 ひとまずダルトン支配人に許可をもらおうと受付に足を運ぼうとした時、アリサの後ろから音もなく書類が一枚差し出された。

 

「ではお嬢様、こちらの方にサインをいただけますか?」

 

「えぇ……うん。分かってたわ」

 

 ここで驚愕の声を漏らさない程度には慣れきってしまった事に心中で溜息を吐きながら、アリサはシャロンが差し出したボードに挟まれた書類を受け取り、制服のポケットから取り出したペンでスラスラと名前を記述していく。

 

「これでいい?」

 

「ありがとうございます。それでは皆様、ご案内いたしますのでこちらにどうぞ」

 

 そう言って自然な形で前を歩き始めるシャロンと、何事もなかったかのようにその後を着いて行くアリサを見て、他のメンバーは一様にこう思ったという。

 

「やっぱりあの主従は隙が無いな」―――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラインフォルトグループという会社は、言わずもがなの超巨大重工業メーカーを最重要資本として運営している企業である。

 帝国の導力技術の大半を担っている企業であるというのは国内のみならず国外でも有名な話ではあるが、現会長のイリーナ・ラインフォルトは”そこ”で立ち止まる事を良しとしなかった。

 

 即ち、国内のライバル企業が存在しない事による向上心の低下を避けるために、同じ会社の陣営内で常に業績を競わせる体系を築き上げたのである。

 

 つまるところ、各部署で独自の企業戦略を練り上げて運営を行っている為、イリーナ自身も全体は把握しきれていないのが現状ではある。

 運営の大半は彼女の下に就いている取締役が委託される形で執り行っており、イリーナはそんな中で導力通信技術や戦術導力器などの時代の最先端を行く部署である『第四開発部』を直轄下に置いて、そこの運営を執り行っているのが現状だ。

 

 

「それじゃあ、他の部署はどうなっているんだ?」

 

「『第一製作所』『第二製作所』『第三製作所』はそれぞれさっき説明した取締役の人達が運営しているわ。それぞれ代表者である取締役の方針で貴族派・革新派・中立派に分かれてはいるけれど……ま、そんな単純なものじゃないわね」

 

 組織という存在は巨大になればなるほど一枚岩という概念から遠ざかっていく。それは誰の目から見ても明らかであり、無論アリサも知っていた。

 ラインフォルトという超巨大企業ともなれば尚の事。一つの部署内ですら大小に関わらず派閥争いが存在している現状では、部署の経営を取り仕切る取締役の経営方針も満足に行き渡っていない。

 それでも敢えて言い表せば、アリサが言った通りの内訳でそれぞれの製作所が常に業績を競い合っていた。

 

「鉄鋼や大型機械全般の生産を担当する『第一製作所』、銃器や戦車などの兵器全般の生産を担当する『第二製作所』、導力列車や導力飛行船などの製作を担当する『第三製作所』―――どれもがラインフォルトグループを構成するにあたってなくてはならない存在であり、未だに業績が右肩上がりで推移し続けている以上、取締役の方々は方針を変えられないのが現状ですわ」

 

「必然的に、部署同士のプライベートの関わりなんて存在しないに等しいわね。私だって、実態は第三と第四くらいしか知らないわけだし」

 

「……? 会長さんの直轄って事で第四と関わりがあるのはまぁ分かるけどよ。第三とも接点があんのか?」

 

「えぇ、まぁね。まぁ話せば少し長くなるんだけど―――」

 

 そんな会話をしながら本社14階フロアの廊下を歩いていると、目の前の休憩スペースの一角に設置してあったソファーの上に、一人の人物が仰向けにぶっ倒れているのが目に入ってしまった。

 

 

 それは、白の研究衣を羽織った女性だった。

 恐らく腰辺りまで伸びている手入れの行き届いていない紫色の長髪をソファーの上どころか床にまで届こうかというほどに投げ出しており、同じく重力に任せるままに垂れ下されている右手には、恐らく飲みかけと思われる缶コーヒーが握られていた。

 その顔の大半はアイマスク替わりなのか左腕に隠されており、必要最低限の化粧しか施されていない唇の奥からは「あ”~……」という覇気のない声が漏れ出ている。

 

「クソが……クソが……あのクソオヤジいつか呪われればいいのに……具体的には駅のホームで見えない何かに突き飛ばされて列車に轢かれて死ねばいい……あぁダメだ。私が手掛けた子供たちをあんなヤツの血で穢されるなんて我慢ならんわ……」

 

 思わず此方が黙りこくってしまうほどの物騒な言葉を垂れ流しているその姿に、しかしアリサは小さい溜息を漏らしながら「話をすれば……」と呟きながら近づいて行った。

 

「ヒルデさん、力尽きるのはいいですけどちゃんと仮眠室まで行ってから倒れて下さいっていつも言ってるじゃないですか」

 

「……倒れるのは良いのか」

 

 やっぱり自分の知らない世界は闇が深いなぁなどとリィンが思っていると、声を掛けられたその女性は「あ”ぁ”?」と不機嫌を隠そうともしない声色と共にゆっくりと起き上がる。

 だが、眼前で腰に手を当てて仁王立ちしていたアリサを見るなり、表情を一変させた。

 

「おー、アリサじゃないか。久し振りだな。ったく、ちょっと見ないうちに色々と女らしくなっちゃってまぁ」

 

「そういうヒルデさんは相変わらずじゃないですか。ああもう、髪とかボサボサのまんまだし……」

 

「一応さっきまではちゃんとしてたんだがな。気ぃ抜けていくとダメだ」

 

「普段からトリートメントとかサボってるからですよ、もう」

 

 細かい事を気にしない男勝りの女性、というのがリィン達の最初の印象だった。

 白衣を着ているという事は研究員なのだろうが、どちらかといえば現場で汗水流しながら働いている方が絵的には合っている―――そんな感じの人物だ。

 

「ん? そっちの子たちは……あぁ、成程」

 

「えぇ。私が今在学している士官学院のクラスメイトです」

 

 手元に残ったコーヒーを一気に呷ってゴミ箱にスローインすると、白衣の裾を軽く払ってソファーから立ち上がる。

 女性にしては長身で、身だしなみの適当さを除けば普通に美人のカテゴリーには入るだろう。その青色の双眸と相俟って誰かを想起させるような雰囲気ではあったが―――しかしその答えに至る前に女性の方から口を開いた。

 

 

「お初にお目にかかるな、トールズの諸君。私の名はヒルデガルト・ルアーナ。長いからヒルデと呼んでくれ。部下達の間ですらそう呼ばれているからな。

 所属は『第三製作所』。―――そこの開発部チーフと本社取締役を兼任させて貰ってるよ」

 

「あ、はい。自分はトールズ士官学院特科クラスⅦ組のリィン・シュバルツァーと申し―――え”⁉」

 

「と、取締役って、さっき話に出てきた運営を任されてる人?」

 

「……こう言っちゃなんだけど、見えない」

 

 客観的に見れば失礼な言葉を遠慮なくぶつけていうようにしか見えないのだが、ヒルデはそれらの言葉に対して笑みすら浮かべて見せた。

 

「そうだろう、そうだろうよ。元々私の本職は現場の研究員だ。堅っ苦しいスーツを着てお偉方と腹の探り合いなんて門外漢だからな。……とはいえ会長に任された職務を適当に投げ出すのも性に合わん。だからこうして拙いながらに統括させてもらってるのさ」

 

 男勝り―――というよりかは姉御肌と言った方が正しいだろう。

 謙遜ではなく本音ではあるのだろうが、それでも実際ラインフォルトグループの一大部門を任されているのであるならば、優秀であることに違いはない。

 

「アリサは……何だか昔からの知り合いって感じだね」

 

「そうね。ヒルデさんは昔からこんな感じで竹を割ったような性格だから、色々と教えてもらっていたりしたわ」

 

「ラインフォルトが一枚岩でない以上、この子を担ぎ上げて変なことをやらかそうという連中もいないわけではなかったからな。……まぁそういった意味では、君らみたいな学友ができたのは私としても喜ばしい事だ」

 

 ここまで話して分かったのは、この女性は決してアリサの事を特別扱いしていないという事だ。

 支配人のダルトンを始め、ここに来るまでにすれ違った本社の役員たちもアリサの姿を見るなり畏まった様子で接するような人たちばかりであり、呼び方も「アリサ様」か「アリサお嬢様」のどちらかであった。

 

 しかしながら、この人は違う。シャロンとはまた違った意味で、「会長令嬢のアリサ」ではなく、「アリサ個人」の事を案じてくれている。

 

 

「……それで? ヒルデさん今日はどうしたんですか? 荒れる事自体は珍しくないですけど、今日は別に二日酔いってわけでもなさそうですし……」

 

「あ”-……先月の通商会議の時に走らせた『鋼鉄の伯爵(アイゼン・グラーフ)』の走行最終データが揃ったから本社(ココ)に報告に来てたんだけどね。運悪くハイデルのクソオヤジと鉢合わせちゃって……」

 

 また知らない人物の名前が出てきたため、近くに控えたままのシャロンにリィンが聞いてみたところ、どうやら『第一製作所』を統括する取締役の一人とは犬猿の仲らしい。

 その人物の名はハイデル・ログナー。ノルティア州を治める四大名門の一角、ログナー侯爵家当主の弟にあたる人物である。

 

「あンのクソオヤジ、会う度にネチネチネチネチ嫌味ったらしい言葉を吐いてきやがって……ツラ構えからそもそも癇に障るのに全力のドヤ顔とか―――あぁ、思い出す度に腹が立つッ‼ あの貧相なカイゼル髭引っこ抜いて顔面血だらけにしてやれば少しは溜飲が下がるかもしれんが……」

 

「まぁ、こんな感じで本気で仲が悪かったりするのよねぇ」

 

「ゲルハルト閣下はまだいい。あの人は基本的に質実剛健で言わなければいけない事しか言ってこないからな。だが、あンのナヨナヨしたクソオヤジと縁戚関係にあるというだけでもう私のライフは瀕死寸前なんだ」

 

 再び表情を歪ませて髪を掻きながらポケットから取り出した煙草を銜えて火を点けるという、凡そ妙齢の美女がしないでろう行動をごく自然に躊躇いもなくしてみせたその姿に呆気にとられて反応が遅れてしまったが、違和感を最初に指摘したのはフィーだった。

 

「……縁戚関係?」

 

「……あ、そういえば」

 

「えっと、今思い出したんですけど、<ルアーナ>って確か……」

 

「―――あぁ、流石にシュバルツァー男爵家の人間には分かってしまうか。同じノルティア州、それも領地もさほど離れていないからな」

 

「つーことは、ヒルデさん貴族なんすか」

 

「一応は、な。とは言ってもしがない子爵家の人間だ。姉がログナー侯爵家に嫁いでな。その影響で実家は安寧ではあるんだが……まぁ出奔も同然に家を出てラインフォルト社に来た私にはあまり関係ない事だよ」

 

「あ……だから、ですか」

 

 ヒルデが統括している『第三製作所』は、内訳的には貴族派でも革新派でもなく、中立の立場に位置している。それは彼女自身が中途半端な立ち位置であるためなのかという意味合いも込めてリィンが言葉を投げると、ヒルデは苦笑しながら開けた窓の外に向かって紫煙を吐き出した。

 

「確かにそういう意味合いもある。私自身貴族派と言うにはあまりに中途半端すぎるしな。……まぁそもそもその枠組みに入りたくもないんだが」

 

「…………」

 

「私はな、派閥の(しがらみ)とかに一切興味がないんだ。昔から機械弄りが大好きでな。その特技を生かすためにココに入社した。

 実際、充実はしているよ。『鋼鉄の伯爵(グラーフ・アイゼン)』も『ルシタニア号』も、開発費限界まで使って作り上げた最高傑作だったからな」

 

 だからこそ、とヒルデは続けた。

 

「モノづくりに余計な邪念は挟まないのが私のポリシーだ。貴族派だとか革新派だとか、そんな事はどうでもいい。顧客が望むものを、ラインフォルトのメンツにかけて作り上げる。―――古い考えだと自覚はしてるがな、それでも私はそのカタチを崩せないんだよ」

 

 その考えは、技術者でも経営者でもないリィン達にもなんとなくではあるが理解できた。身内の間で派閥争いが激化している中で中立を保ち続ける、その難しさも。

 そしてそれは、混迷が広がるこの帝国内で新たな風を吹かせようとしているオリヴァルトの覚悟とも共通しているものがある。―――不躾だと分かっていながらも、リィンはそう思ってしまった。

 

 加えて、ヒルデの身の上と覚悟を聞いた上で、先程想起した「誰か」の正体を漸く探り当てる事ができた。

 

 

「あの、ヒルデさん。もしかしてアンゼリカ先輩と親しかったりしますか?」

 

「ん? あぁ、アンゼリカを知っているのか。そういえばあの子もトールズの学生だったか」

 

「えぇ。お二人が良く似ていると思いまして」

 

 普段は麗人然としているアンゼリカだが、恐らくあと数年もすればこうなるのではないかと思わせる容姿をヒルデはしている。

 アンゼリカのあの闊達とした性格が生来のものでないとするならば、ヒルデから影響を受けた部分も多いのではないかと思ったのだが、どうやらその通りであったようだった。

 

「まぁ、昔から暇な時にあの子の遊び相手になっていたというだけの事だ。機械弄りの基礎なんかも戯れ交じりに教えていたら意外とスジが良くてな」

 

「アンゼリカ先輩、今じゃ学院内でバイクを作ったりしていますよ」

 

「ほぅ、導力式の二輪車か。実用化させる気があるのなら仕様書と実践データを纏めて私の所に送ってこいと伝えてくれ」

 

 そこまで言うと、ヒルデは吸い終わった煙草の吸殻を然るべき場所に捨て、先ほど掻き散らした髪を最低限手櫛で整えてから再びリィン達に向き直った。

 

 

「ふぅ……つまらない事を訊かせてしまってすまなかったな。ストレスが溜まっていたんだ、忘れてくれ」

 

「……いいえ。身になる事を聞かせていただきました」

 

「それならいいがな。―――あぁ、君たちは社内の見学をしているんだったか。解説役として私も同行しても良かったんだが、生憎とすぐに製作所の方に戻らなければいけなくてな。この辺りで失礼させてもらうよ。

 アリサ、シャロン。後は頼んだぞ」

 

「ヒルデさんも、体には気を付けて下さいよ?」

 

「お任せくださいませ」

 

 二人の返事を聞き、ヒラヒラと手を振りながらリィン達が今まで歩いてきた方へと進んでいくヒルデ。

 しかしその際―――少し後ろに控えていたシャロンの横を通り過ぎる時に、シャロンの口から漏れた独り言のような声を、ヒルデは拾ってしまった。

 

 

「あぁ、そうでした。―――アリサお嬢様にもついに想いを寄せる殿方ができたのですよ」

 

 ピシリ、と。まるで石化の状態異常を食らってしまったかのように、ヒルデの動きが止まる。

 そのまま硬直し続ける事数十秒、やがてヒルデは恨みの感情が籠ったオーラを双眸に宿らせて、シャロンを睨み付けた。

 

「シャロン、貴様……自分が良い男を捕まえただけに飽き足らず、その上更に私に追い打ちをかけるつもりか⁉」

 

「滅相もございません。ただ、ヒルデ様がご自身を顧みられる良き機会になってくれればと思ったまでの事でございます」

 

「ッ……わ、私はまだ仕事が恋人なんだ‼ 羨ましくなんて欠片も思っていない‼ ―――アリサぁ‼」

 

「え⁉ あ、はい‼」

 

 訳が分からず返事をしてしまったアリサに対し、ヒルデは僅かに涙目になりながら矛先を向けた。

 

「恋をするのは一向に構わんが、盲目的にはなるなよ‼ 相手に尽くすだけが愛の形ではないんだ、覚えておけ‼」

 

「そんな事を大声で叫ばないでくださいっ‼ あとなんかアドバイスが変に具体的で怖いです‼ 何があったんですか‼」

 

「訊くなぁ‼」

 

 結果的に追い打ちをかけてしまった形になり、そのまま全速力でエレベーターホールへと走って行ってしまったヒルデを見送り―――そこでまたまた自分が口を滑らせてしまっていたことに気が付き、リィンの方を向いて何度目かも分からない釘差しをリィンに対して行う。

 

「ち、違うんだからね⁉ あれは、その、ヒルデさんがあれで意外に婚期逃がし気味なことを気にしててそれをシャロンがからかったから……と、とにかく―――むきゅ」

 

「わ、分かった。分かったからアリサ、こんな場所でそんな大声で言ったらヒルデさんが最悪社会的に死んじゃうから……」

 

 リィンとて照れてはいるのだが、流石に今回はそれよりも更に追い打ちをかけかねないアリサの言葉を遮る事を優先せざるを得なかった。

 だが結果を先走るあまり、自分の手で直にアリサの口を塞ぐというとんでもない行動を起こしてしまい、その結果どちらも最上級に顔を赤くすることを余儀なくされてしまった。

 

 

「(……ッチ。あれだけやってもまだ駄目なのかよ。あの二人)」

 

「(なんだか最近あの二人の近くにいると息苦しく感じるよ……)」

 

「(……なんだかイライラしてきた)」

 

「(フィーにすらそう思わせるとか流石だわ。誰か俺の代わりに思いっきり壁殴ってくれねぇかなぁ‼)」

 

「(クロウも大概限界が近いよね)」

 

 本来の会社見学という事も忘れて若人ならではの苦悩を味わっている面々を見ながら、しかしシャロンは、敢えて止めようとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 






 どうも。ロリコンでは決してない筈なのに、今回のFGOイベを進めている内になんか色々どうでもよくなって来てとりあえずイリヤをお迎えできなかったことを絶賛後悔中の十三です。アホみたいにテンションが低いです。

 それと並行して、『暁の軌跡』もプレイ中です、なんかガチャ引いたら《鉄機隊》の《魔弓》エンネアさんが当たっちゃいました。違和感すげぇ。
 序盤はアーツの威力に不満がありすぎる今日この頃ですが、まぁとりあえず頑張りたいです。

 それと更に並行して『空の軌跡 the3rd Evolution』も今更ながらプレイしています。カシウスさん自重してくださいマジで。レーヴェはもっと自重しろ‼ 範囲クラ使うんじゃねぇ‼



 ―――はい、まぁそんなわけで恒例の新キャラ紹介と参りましょうか。


今回の提供オリキャラ:

 ■ヒルデガルド・ルアーナ 
【挿絵表示】
 (提供者:白執事Ⅱ 様)


 ―――ありがとうございました‼




 そんでもってついでに、レイ君が今現在どんな格好で”仕事”をしているかの解説を以下に張り出しておきます。


【挿絵表示】




 まだまだ続くんじゃよ。



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主観的な未来





※前回までのあらすじ

①カレイジャスに乗って一路ルーレへ。
②ツァイスよりかははっちゃけてない都市であることが判明。(理由:チート一家がいない所為)
③レイとリィン、案の定ドン・イリーナによって外堀埋めが完了されていた。
④レイ、イリーナにより会長秘書の職業体験へ。(という名の半強制拉致)
⑤リィン達、《マーナガルム》金狂い二強の一人、カリサと出会う。
⑥喪女
⑦リィンとアリサの進展しそうでしない状況に壁破壊者続出。

                   以 上






 

 

 

 

 

 

 

 

「―――クロスベル市場におけるミラ相場は現在どうなっているかしら?」

 

「うい。外資系企業を中心に揺れ幅が大きいですね。クロイス市長の独立宣言を受けて《IBC》に預けられていたミラが流れていったのが原因じゃないかと。逆に農産物及び日常品を扱う市場は高騰しています」

 

「新規企業の様子は?」

 

「新規ベンチャー企業は煽りを受けて下落している所が多いっすね。そんな中でも《エルフェンティック》は同列の推移を保っています。最近は《N資金詐欺》も下火になってきたんで、ここいらで「ふるい」に掛けられる企業は絞り込めてきたんじゃないかと」

 

「買収は”待ち”ね。旨味がないわ」

 

「寧ろ提携の形を取る方が良いんじゃないかと。しかしこれからクロスベルでは今まで以上に株価の乱高下が予想されますんで……」

 

「待って翌年ね。生き残った企業と話だけは通しておきましょう」

 

「……え? それは俺が引き継ぎ書類を作る系ですか?」

 

「まさか。専門家に作らせるわ。門外漢にやらせれば時間が多く取られてしまうもの」

 

「この適材適所の姿勢……遊撃士よりもブラックじゃねぇ‼」

 

「合理化を突き詰めるのが企業の長としての役目よ。後、協会に不満があるならラインフォルト(ウチ)にいらっしゃいな」

 

「ヤッベ、ハメられた」

 

 

 ラインフォルト会長専用の黒塗りの防弾加工車の中で涼しい顔をしながら大量の書類に目を通しているイリーナと、それと対面するように社内に取り付けられた導力端末のキーボードを叩きながら報告書類をひたすら作っていたスーツ姿のレイは、互いに視線を合わせないままにそんな会話を交わし続ける。

 

 移動中にすら容赦なく仕事を入れ込んでくるその姿勢には最初は辟易したが、よくよく考えてみれば遊撃士時代にも移動中に仕事(※突発的な魔獣退治)をしていたことを鑑みれば、必要以上に神経をすり減らさないだけこちらの方が幾分かマシではあった。

 午前中からルーレ中を車で走り回って取引を行う事数件。昼食を摂る暇もなく、移動中に資料を流し読みしながら栄養補給バーを齧っていたが、その多忙さが皮肉にもクロスベル時代の理不尽な忙しさを思い起こさせてしまったのか、逆に逆境スイッチが入っていつもより早く行動できていたのは全く以て想定外だったとしか言えない。

 

 経済・経営学の基礎知識は遊撃士時代に半強制的に叩き込まれたお陰で、株価の変動や資本の仕組みなどについては特に問題はない。流石に会社の専門的知識―――つまるところ機械工学分野について問われれば答えきれる自信はなかったが、それについては既に見抜かれていたのかイリーナから問いが飛んでくることはなかった。

 

 

 とはいえ、此方の知識や対応の限界より僅かに上のラインを掠めるように突いて来るその()()()()はまさにスパルタの最たるものだ。なまじ人を見る目が確かな以上、自身が目を付けた人物の限界がどの位置かを見極めるスピードも速い。

 これが半永久的に続くとあれば、成程生半可な人間では彼女の傍周りを務め上げる事は出来ないだろう。レイが一日だけの契約とは言え今の今まで弱音の一つも吐かず、顔色一つ変えずに秘書の仕事に従事していられるのは、ある意味凄い事であった。

 

 

「―――レイ」

 

「はいはい、何でしょ?」

 

「貴方、今すぐ学院を自主退学して勤める気はないかしら?」

 

 その言葉に、冗談めいた声色は含まれていなかった。だからこそ、レイのキーボードを叩く音もピタリと止まってしまう。

 童顔でナメられないようにとイリーナの勧めで装着していた、度が入っていない片眼鏡(モノクル)取り外し、車内で初めて視線を交わす。

 

「……それはガチの勧誘ですか?」

 

「貴方が一番良く分かっていると思うけれど? 正直、貴方のような他所で鍛えられた人材をこのまま伏せさせておくのは惜しいわ。シャロンの時のようにね」

 

青田刈り(ヘッドハンティング)にしては直球過ぎますねぇ」

 

「私が無駄を嫌う事くらい知っているでしょうに」

 

 実際、イリーナ・ラインフォルトはレイ・クレイドルという存在をかなり高く買っていた。

 

 元の経歴が経歴なだけに、裏の世界の常識も良く知り得ている。帝都の温室で育った学生に一からそれを教え込む手間を考えれば、その時点で既にアドバンテージとしては大きい。

 護衛役としては充分過ぎる程の武力もさる事ながら、常識的な基本倫理観と礼を尽くせる人としての在り方。それを叩き込んだ人物については興味はないが、そういった基本的な人としてのスキルが極められていなければ、そもそも仕事に従事する事も出来ないだろう。

 そして何と言っても、常に学ぼうという姿勢を崩さない在り方が最も琴線に触れた。

 

「シャロンの事とか、一切関係なくなってますね」

 

「考えてはいるわよ。貴方が私の専属秘書として務めてくれれば、シャロンの作業効率も上がるでしょう。今まで以上にね」

 

「まだまだ上を狙いに行くその姿勢自体は嫌いじゃねーですよ」

 

 ただ、と。レイは再びキーボードを叩く作業を行いながら、声色を1トーン落とす。

 

「足元がお留守にならないように気を付けたほうが良いですよ。……つっても釈迦に説法でしょうが」

 

「…………」

 

「上を向き続けてるだけじゃあ見逃すものってのが必ずありますしね。……俺はそれで幾つ喪ったか分かりませんし」

 

「参考にはさせてもらうわ」

 

「その同情心とか皆無な感じもやりやすいですわ」

 

 苦笑しながら、しかしレイの考えは変わらなかった。

 

「それでも、変わらないっすよ。俺は学院に残りますし、将来こちらでお世話になるかどうかも分かりません」

 

「学院では学ぶことはないのだとしても?」

 

「学ぶことはありますよ。……ま、俺自身もついこの間見つけた事ですけど」

 

 学力という点から見れば、確かに今更学院で学ぶことは少ない。帝国独自の歴史や軍事学の授業などは比較的興味深く学習しているのだが、それも極端に言えば独学でなんとかなってしまうものだ。言ってしまえば、わざわざ必要以上の時間を割いて学院の中で学ばなくても良いものであるとも言える。

 

 だが入学してこの方、レイは教科書で学ぶ事以外の大切な事を幾つも学んできた。決して平凡な半生を歩んできたわけではないのに、それでも知りえなかった事を学べたのだ。

 同世代の仲間たちと、経歴を問わない付き合い。学院に来たからこそ再び出会えた愛しい人たち。―――それが無駄であったなどとは口が裂けても言えない。

 

「アイツらと一緒にいるとまだまだ色々と学べそうですし。俺の将来は俺が自分で決めます」

 

「あら、貴方がウチに来ればシャロンは喜ぶのに?」

 

「自分の意志で人生の道を選べない男って、女性から見たら魅力に欠けるんじゃないですか?」

 

 「シャロンがいるから」という理由でラインフォルト社に就職するのも確かにある意味自分の意志ではあるが、恐らく彼女はそういった理由で共に働くことになったとしても、本当の意味では喜ばないだろう。

 もう自分は、自分の人生を自分で選べる。―――当たり前の事だと言うのに、それが無性に誇らしくもあった。

 

「……そう。ならいいわ。私も無理強いをするつもりはないもの」

 

「あれだけ外堀埋めておいて良くそんなこと言えますな」

 

「手段の一つと言って欲しいわね。貴方の能力が惜しいのも本当だもの」

 

 まぁ気が変わったらいつでもいらっしゃいな。と、イリーナは変わらずの態度でそう言う。何はどうあれ、自分の力を必要としてくれるというのはありがたい事であり、その点に関しては内心で感謝の意を示していた。

 

 そんな会話を交わしていると、いつの間にやら車はルーレ市の中心部―――RF社の本社前に到着していた。

 社会科見学という名の数時間だけの限定雇用は会長室に戻って報告書を書き終えれば終わる。クロスベル支部での仕事よりかは仕事量そのものは幾分か楽ではあったが、しかし精神的に疲労した感じは否めない。

 やっぱり慣れない仕事は疲れるなと思いながら車外へと出ると、下層の辺りからもめるような声が聞こえて振り返る。すると、上層と下層を繋ぐ巨大エスカレーターは何故か止まっており、出入り口には橙色の軍服を身に着けたノルティア州領邦軍が立ち塞がっていた。

 

 

「……イリーナ会長」

 

「詮索は無用よ」

 

 問いを投げようとしたレイの声を、イリーナはその言葉だけで制した。

 

「領邦軍、それもログナー侯爵家直轄の精鋭部隊と事を荒立てるのは得策ではないわ。……貴方だと力づくで何とかできてしまうでしょうから尚更ね」

 

「戦場慣れしてない領邦軍だったら完全武装済みでもそこそこ相手にできると思いますよ? 上位の猟兵団クラスになると部隊長に”準達人級”クラスが普通に紛れてますからね」

 

 ともあれ、と。

 

「RF社の筆頭大株主がログナー侯爵家だから、事を荒立てるわけにはいかない、ですか」

 

「えぇ。―――けれども」

 

「?」

 

「そろそろ三日前にクロスベルに商談に行かせた役員が帰ってくる頃合いね。後は―――まぁ、ルーレ空港の近くで騒がれるのは流石に鬱陶しいわ」

 

 そう言われ、レイは今自分が身に着けている服を見下ろし、そして嘆息するように息を吐いた。

 結局厄介事を押し付ける気満々だったんじゃないかと呆れながらも、さてどういった口八丁で切り抜けるべきかを冷静にシュミレートしながら、RF本社の入り口とは別方向に走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 事の発端は、帝国宰相ギリアス・オズボーンの命を受け、《鉄道憲兵隊》が《帝国解放戦線》への対抗策としてルーレ市への調査・警戒活動の実施を申請した事であった。

 

 言うまでもなく、ルーレという街はエレボニア帝国の軍需産業の中核を担う都市であり、それ以外にも飛空艇や鉄道など、ありとあらゆる近代文明の発信地となっている場所である。

 テロリストの立場から鑑みれば畢竟、いつ狙われてもおかしくはない場所であり、帝都での襲撃事件の一件以来、政府側が最も警戒を強いていたと言っても過言ではない。

 

 だが、ルーレ市は北部ノルティア州、四大名門が一角、ログナー侯爵家が直轄で治める地域であり、練度の高いノルティア領邦軍が逗留している。そんな場所に不倶戴天の間柄と言ってもいい《鉄道憲兵隊》の面々が参ずれば、一触即発の状況が築かれてしまうのは想像に難くないだろう。

 

 両者、共に言い分はある。

 ノルティア領邦軍は、侯爵家の治める地を自らで守り通してきたという自負がある。余所者とも言える輩が我が物顔で入って来ようものならば、その矜持にかけても決して引こうとはしないだろう。

 対して《鉄道憲兵隊》は、宰相閣下直々の命を受けて着任したという大義名分がある。帝国全土に敷かれた巨大な鉄道網を駆使して迅速を尊ぶ自分たちの方が領邦軍よりもあらゆる意味で上手であるという自負がある以上、彼らもまた引きはしないだろう。

 

 

 ―――今回に関しては、()()()()()()()()()()()()()。騒ぎを聞きつけて駆け付けた中で、リィンは内心でそう思っていた。

 

 領邦軍の排他的な雰囲気は既に知っている。ケルディックとバリアハートの一件で嫌というほど体感した。彼らが貴族的な誇りを誇示している以上、《鉄道憲兵隊》との融和は図れるものではないだろう。

 だが、彼らが最もルーレという街を知り尽くしているのもまた事実。地の利を踏まえるのならば彼らの協力もまた欠かせないだろう。―――本当に協力する気があるのならば、だが。

 

 対して《鉄道憲兵隊》も、少しムキになっている部分があるのではないかと思ってしまう。確かに帝国全土に敷かれた鉄道網を駆使した機動力は大陸随一と言っても過言ではないだろう。その優秀さも良く知っている。

 だが、優位性を過信しすぎていると痛い目に遭うのもまた道理。本来であれば領邦軍と《鉄道憲兵隊》の両方が協力する形で行動を起こすのが一番理想的ではあるのだろう。

 

 ただまぁ、それはあくまで理想論だ。水と油、犬猿の仲とまで言われる間柄である以上、現場指揮を任されている者同士では決着は着かないだろう。

 実際、口論になった末に領邦軍が装甲車まで持ち出すという緊迫した場面にもつれ込んだが、それは闖入者二人によって収まりつつあった。

 

 

「ここで互いにいがみ合っていても仕方がない。それは其方の方も良く存じているだろう」

 

「そうですね。円滑に作戦を進めるためには、協力するのが得策でしょう」

 

 アルバレアの長兄、貴族界の貴公子ルーファス・アルバレア。片や《鉄道憲兵隊》の司令官クレア・リーヴェルト。

 落としどころを見つけ出すという点に於いて場数を踏んできたこの二人が顔を合わせた瞬間、ひとまず戦闘が開始されるという緊張感そのものは緩和した。

 

 だがそれでも、その「落としどころ」を如何にするか。その腹の探り合いは続いている。

 表面上では余裕を崩さない表情で言葉を交わしている二人ではあるが、その圧迫感に憲兵隊の兵士も領邦軍の兵士もたじろいでいる。遠巻きに見ていたリィン達にも、それは伝わった。

 

「(……戦闘で感じる気迫なんかとは、また別物だね)」

 

「(アッチはユーシスの兄貴なんだろ? 社交界やなんやらで鍛えられた手腕は伊達じゃねぇってか)」

 

「(……クレア大尉の方は現場で鍛えたって感じがするけれど)」

 

 介入、という選択肢は始めから存在していない。互いに帝国の中枢を知る者達の会話に、ただの士官学院生であるリィン達が割り込める筋合いはない。そもそもこういった状況にはとんと疎い自分たちが割り込んだところでどうなる訳でもないだろうという事くらいは分かっていた。

 しかしそれでも、自分たちよりも遥かに実績を積んだ彼ならばこの状況を第三者の視点から収める事ができたのかもしれない。―――そんな事を思っていると、どこからかトン、トンッという軽快な着地音が響いてきた。

 

「お、おい貴様‼ 何を―――」

 

 上層のエスカレーターを封鎖していた領邦軍兵士の制止の声など露ほども気に留めず、その人物は三回のステップを踏んだ後、下層フロアの中心部―――ちょうどルーファスとクレアの両名が火花を散らす場所の近くに大跳躍の後、着地した。

 

 

「―――っと。……やっぱ慣れない靴でやるもんじゃないな。ちょっと痺れた」

 

 リィン達の懊悩を他所に堂々と割り込んで見せたのは、いつもとは違う装いで、しかし雰囲気はいつものままに()()()()()()()()()()乱入したレイの姿だった。

 突然の事過ぎて呆気にとられる両軍の兵士。相対していた二人でさえも、一瞬予想外のものを見たという表情になっていた。

 

「どうも、ルーファス卿。バリアハートでお会いして以来ですね」

 

「―――あぁ、そうだね。まさかこの場に於いて私自身が意表を突かれるとは思わなかった」

 

 正気に戻ったルーファスの護衛のクロイツェン領邦軍兵士がレイに銃口を向けようとするのを手で制し、ルーファスは自分の不意を突いてみせた少年の方へと視線を移す。

 

「ふむ、その服は確かRF社の……学院を中退でもしたのかな?」

 

「まさか。特別実習に来たら社会科見学と銘打った強制的召集を食らっただけですよ。ホラ、会社バッチまで付けて、所属は数時間だけRF社に変更です。あの会長油断も隙もありません」

 

「ハハ、成程。流石は辣腕と称されるだけの事はある。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ルーファスはその時点で、何故レイがこの場所に割り込んできたのかの理由を察した。

 元々レイは、エレボニア人ですらない。『貴族派』『革新派』のいざこざに縛られない身分である。それに加えて今彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()R()F()()()()()()()()()()()()()()。両派閥にとっても敵に回すのは極力避けたい勢力の一人であり、尚且つ会長の覚えめでたい存在である以上、無下に扱うわけにはいかない一種の爆弾。―――今の自身にそういった”価値”があると分かっている上で乱入してきたレイに対し、ルーファスは一瞬言葉を詰まらせた。

 その一瞬でレイは、視線を振り向かせてクレアの方を向く。

 

()()()()()も。病み上がりなのにご苦労様です」

 

「……えぇ。私たちの職務は一分一秒たりとも待ってはくれませんからね」

 

 自分の事を敢えて「クレア大尉」と呼び、いつもの年上と接するような畏まった言葉遣いで話してきた。―――それが意味するのは、レイが今回だけは徹頭徹尾”第三者”として関わる事を選択したという事。

 胸の内にチクリとした痛みを抱えながら、しかしクレアは先ほどまでと同じように対応した。―――内心動揺していたのは、彼女の側近たちにはうっすらバレていたのだが。

 

「それで、君は何故この場に? まさか挨拶をするためだけに降りてきたわけでもないだろう?」

 

「そうですね。まぁ単刀直入に申し上げますと」

 

 レイはそのまま、街の東部にあるルーレ空港を指差し、そして次いで空港との出入り口にあたる場所を指差した。

 その場は現在、領邦軍が引っ張り出してきた装甲車によって塞がれており、他の主要施設への出入り口もまた、この騒ぎを受けて野次馬が集まり、どうにもできない状況が続いていた。

 

「通行がシャットアウトされて迷惑極まりないので早く落としどころを見定めて下さいとのお達しです。先ほどの便でRF社の役員が複数名帰ってきている筈ですし、十数分後には開発室で使う機材が輸送便で到着するスケジュールとなっています。その後も諸々到着予定のものがあるので、想定外の封鎖は早めに解除していただければと」

 

 領邦軍の面々からの無言のプレッシャーもどこ吹く風と言わんばかりにスルーし続け、それに、とレイは続ける。

 

「市民の方々が騒ぎを聞きつけて集まってきてしまっていますし、このままだと何かあった時に事件になりかねないので、続きは後にした方がいいかと思います。……あ、これ元遊撃士としてのアドバイスですが」

 

 ルーファスはこの騒ぎには直接的には関係ないとしても、それでも市民を巻き込むのは本意ではない筈だ。《鉄道憲兵隊》の方もそれは分かっている筈である。

 無論、レイにこの騒動を収める権限などありはしない。だが、第三者が介入してきたこの状況でそれでも尚騒ぎを大きくしようものならば、領邦軍も憲兵隊も市民の反感を買う羽目になってしまう。

 

「フム、そうだな。このまま封鎖を続けるのも宜しくない。―――元より私は通りがかりの身だ。クレア大尉、貴公の異名に恥じない冷静沈着な判断を期待しよう」

 

「いえ、こちらこそお手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした。―――ではノルティア領邦軍の皆様方、お話は後々、ゆっくりと致しましょう」

 

「う……うむ」

 

 そう言って、先にクレアが部下を率いてルーレ駅の方へと戻っていく。その際に一瞬だけレイの方を向いて複雑そうに微笑んだ。それに対して同じく微笑を返すことで挨拶とし、次いでルーファスもその場を離れようとする。

 しかし、レイとすれ違う瞬間、共に付けていた領邦軍兵士にも聞こえないような小声を投げてきた。

 

「―――一つ貸し、という事で構わないかな?」

 

 つまるところルーファスは、あの状態で確実にクレアを追い込む策を見出していたという事である。

 それが、レイの乱入によって有耶無耶になった。それがなければ、《鉄道憲兵隊》は職務を果たせない可能性すら存在していたという事なのだ。

 

 レイ・クレイドルに対する「一つの貸し」。それが結構な意味を持つという事を、自惚れを排しても彼自身はよく理解していた。市内を去る前にリィン達へと話しかけているルーファスを横目で見ながら、レイはふと違和感を感じ取った。

 この自然な方法で巧みに状況を自分が有利な方向へと持って行き、尚且つ厄介な相手にいつの間にか枷を嵌めていくやり方。これは貴族の手腕というよりかは、まるで―――。

 

 

「―――レイ‼」

 

 そんな事を考えていると、ルーファスとの話が終わったリィン達がレイの下に駆け寄ってくる。

 感じた違和感は拭えないまま、しかし彼は数時間ぶりではあるが仲間たちの下に戻れたことに、一抹の安堵を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 どうも。十三です。……実はルーレ編のあらすじを書き殴った紙をどこかになくしましてね。探し出すうちにこんなに遅くなっちまいましたよ。危なかった。そしてごめんなさい。

 この前自室の机の中を掃除していたら、奥の奥の方にゲームボーイアドバンスSPと「ロックマンエグゼ5 -チーム・オブ・カーネル-」が出てきたので童心に帰ってやってました。 ダークソウル? あれチートやん。プリンセス・プライドの可愛さは異常。シャドーマンのリベレートミッションの使い勝手の良さは異常。つまり神ゲー。

 さて次回―――クレア大尉のドレス姿が見たい紳士諸君は次回もよろしくお願いします。


PS:
 今季アニメの『ブレイブウィッチーズ』を見てストパン熱が再来した自分。もう小説書こうかなとも思いましたが、あの世界に足突っ込むのは勇気がいるんですよね。
 私が502の中で一番好きなキャラはロスマン先生とニパです。


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大虎の鳴動





「自分は味方だよ。信頼すべき己を敵としてしまったときこそ人は真の敗北者になってしまうのさ」
    by 安心院なじみ(めだかボックス)









 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほー、カリサの奴と会ったのか。《兵站班》の主任がわざわざ来るってことはガチの取引してたな」

 

「何と言うか……見た目はアレなのに隙のなさそうな人だったよ」

 

「当たり前だ。アイツはアレで武器商人歴20年以上の大ベテランだぞ。潜ってきた修羅場の数が違う」

 

「ん? ちょ、ちょっと待て。商人歴20年以上って……あの見た目で何歳なんだよ⁉」

 

「知らね。多分誰も知らんぞ。本人も「20歳からカウントしてません♪」って言ってたからな」

 

 

 RF社本社ビル24階。ここと最上階25階のペントハウスは2フロア分が階続きになっており、そしてそこがラインフォルト家の居住スペースになっていた。

 ルーレ下層での一連の騒動後、会長室で報告書を提出し終えて晴れて学生の身分に戻ったレイと一緒に、リィン達は改めて三日間寝泊りさせて貰う場所を訪れていた。

 

 到着した時間も時間であったため、シャロンが用意してくれていた夕食を摂ろうとしたのだが、そこで席を共にする筈だったイリーナが急用により欠席。

 流石に不貞腐れていたアリサであったが、クロウとエリオットが半ば強引にリィンを隣に座らせたことで微妙な雰囲気は何とか緩和した。フィーは「あれまるでイケニエだね」という感想を漏らしていたが、ある意味それも正解だろう。

 

 そうして夕食の席も(たけなわ)となったところで、先のような話題が挙がった。元々「真っ当ではない知り合い」が来ているという事は分かっていたレイにとって、彼女が取引に来ていたという事も別段不思議な事ではない。

 

 

「《マーナガルム》……レイが《結社》に居た頃から縁が深いって」

 

「ん、シャロンに訊いたか。まぁ確かにそうだよ。詳しくはコイツがあるから言えんがな」

 

 フォークを指の間に挟んだままに右首筋を触るレイ。それについてはリィン達もいい加減理解が及んでいるので触れようとはしない。

 説明を求めている訳でもなかったのだが、レイは苦笑をしながら話を続けた。

 

「アイツらは戦場で、戦う人間相手なら容赦はねーよ。そこんところは、まぁ猟兵の気質的な問題だ」

 

「それは……うん。分かっているつもりだ」

 

 戦場で敵を殺す。それは猟兵でなくとも正規兵でもやっている事だ。「戦場でも人を殺してはならない」などと嘯く程、リィンとて青臭くはない。

 

「だけれど武装していない民間人には手を出さない。絶対に、だ」

 

「それは、団のポリシーなの?」

 

「ポリシーってか、規則だな。他の猟兵団だと村に敵対勢力を追い込んで民間人お構いなしに包囲殲滅するって作戦を取るところも珍しくはないが―――《マーナガルム》は一切しない。()()()()()()()()()()仕事をこなせるだけの練度があるからな。西風のトコとかと違ってそれ程大規模じゃなくて小回りが利きやすいのも理由の一つだが」

 

 そう言うレイの口調は、いつもよりもどこか饒舌で、誇らしげであった。

 マーナガルム(彼ら)からすれば民間人を殺さない事(それ)は当たり前の事なのだ。月をも喰らう神狼であるからこそ、牙を剝く相手は厳選する。叩き潰すは立ち向かう敵であり、それ以外では決してない。

 

「……やっぱり色々とやってたんだね」

 

「まぁな。部隊運用が柄じゃねぇってのはそこで理解したよ。―――今更だが、こんなんメシの場で話す事じゃねぇな。悪い」

 

「それこそ今更よ。普通に皆食べながら聞いてるじゃない」

 

「シャロン、パンおかわり」

 

「かしこまりました、フィー様」

 

 話の内容自体は結構血生臭い筈だったのに、食事の手を止めないまま普通に耳を傾けている面々を見て―――随分と変わったなと思わざるを得ない。元々猟兵として生きていたフィーを除けば、だが。

 だがリィン達とて、僅かも忌避感がないというわけではないだろう。そしてそれは、正しい感情であると言える。

 

 猟兵とはそういう存在なのだ。戦場の鉄風雷火の中で、鮮血の戦化粧を常とする異色の集団。そこに親しみなど極力あってはならない。

 しかし、だからこそ彼らは「戦場の中だけの存在」でなくてはならない。悪鬼もかくやの気迫で以て振るわれる殺戮の刃は、敵兵にのみ向けられなくてはならない。

 だから、正義の味方などでは断じてない。彼らも、そしてレイ(自分)も。

 

 そして、そんな彼らが今回公にリィン達と接触をし、身分を明かしたという事。それがカリサの独断であったとは考えにくい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事―――つまりはそういうことを言外に言っていたのだろう。

 

 更に、レイが気になったことがもう一つ。

 

 

「それにしても、まったく母様は……まったくもう」

 

「お嬢様……」

 

「……分かってるわよ。私の方は、まぁまだ我慢できるけど、仮にもトールズの理事なんだから食事の約束くらい守ってもいいでしょうに」

 

 イリーナ・ラインフォルトが夕食の予定をキャンセルして《ルシタニア号》に乗船して何処かへと出張してしまったという事。

 ラインフォルトグループの現会長として多忙を極めているのは分かる。それは今日一日、数時間だけ秘書として付き従ったレイもよく理解していた。突発的な出張などそれこそよくある事であろうし、アリサの半ば諦観している態度からもそれは明らかだ。

 

 だが、秘書代理として付き従っている時に今日一日のイリーナのスケジュールをチェックする機会があったのだが、分どころか秒刻みで動く綿密なスケジュールの中にあって、しかし夕食の時間だけはきっちりと空けてあったのだ。

 それがアリサの言う通り学院の理事の一人としての義務としての事であったのか、それとも彼女なりに娘との久方ぶりの食事を密かに楽しみにしていたのかは分からない。しかしながらキャンセルの知らせを真っ先に聞いたのであろうシャロンがいつもよりも意気消沈していたところを見るに、シャロンにとっても半ば予想外の事だったのだろう。―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 何処に行ったかを察するのは、流石に無理というものだ。機密の観点からもシャロンに直接聞き出すわけにもいかず、知っている可能性があると言えば―――《月影》の面々くらいだろうか。だがこの程度の事でわざわざ連絡を取る訳にもいかない。

 

 不可解な事実が重なっていくと、どうにも悪い予感が真っ先に浮かぶのは悪癖だと分かっていても、今までその予感を頼りに生き残ってきた身としては無視する訳にもいかない。

 ひとまず頭の片隅に置いておく程度に留める事を決めた時には、既にペントハウスの最上階の窓から見える景色はすっかり闇に染まっていた。

 今日一日の報告書を(したた)め、各々自由行動を取る面々を尻目に、レイは書斎の一角に設けてあったソファーに深く座って目を瞑り、情報の整理を行う。

 

 

 現在情報によって確認できている、《結社》の幹部クラスの人間は全部で8名。

 

 《使徒》第二柱―――《蒼の深淵》ヴィータ・クロチルダ

 執行者補佐(レギオンマネージャー)―――《錬金術師(アルケミスト)》ルシード・ビルフェルト

 執行者No.Ⅳ―――《冥氷》ザナレイア

 執行者No.X―――《怪盗紳士》ブルブラン

 執行者No.XⅦ―――《剣王》リディア・レグサー

 《鉄機隊》副長―――《爍刃》カグヤ

 《鉄機隊》副長補佐・近衛筆頭騎士―――《雷閃》ルナフィリア

 

 そして、《使徒》第四柱―――《蒐集家(コレクター)》イルベルト・D・グレゴール。

 

 ただし、これはあくまでも「現時点」であり、以降どうなるかは知れない。ただでさえ宜しくない戦局に更に増援があるなどと考えたくもないが、常に最悪の事態を考えておかなくてはならない。

 彼らを招き入れるのは既に帝国内で下地を整えてある《帝国解放戦線》の仕業で、そしてその戦線を支援しているのは『貴族派』の連中だろう。

 ケルディックで見た領邦軍の目に余る行動、オーロックス砦でリィン達が見たという領邦軍の過剰なまでの軍備増強、一介のテロリストが所有するには不可思議なまでに高価なRF社の高速飛空艇を提供したのも、恐らく『貴族派』。―――レイがトールズに入学する遥か前から、それらの仕込みは済まされていたと考えるのが妥当だろう。

 

 クロスベルにも同程度の戦力が密かに集っているという情報と統合するに、リベールの件と同様、《結社》が介入するだけの意図がある事は明白。

 2年前は異次元に封印されていた空中都市《リベル=アーク》の中心部である七の至宝(セプト・テリオン)が一、「《輝く環(オーリ・オール)》の回収」が企みの主目的であった事を考えると、今回の介入も七の至宝(セプト・テリオン)を狙っている事が予想される。

 

 クロスベルは―――言うまでもなくキーアそのもの。《零の至宝(デミウルゴス)》の復活がクロイス一族の悲願である事も考慮に入れれば、立ち向かうものはそれこそクロスベルという場所そのものを敵に回す覚悟が必要だ。立ちはだかる者達も、並大抵の技量では撃破できないだろう。

 

 しかしながら、《結社》がエレボニアで何を成そうとしているのか。それが未だに不明瞭のままなのだ。エレボニアにも秘密裏に至宝の一つが眠っている可能性は高そうではあるが、今のところその存在は確認できていない。だからこそ、必要以上に警戒をしなくてはならないのである。

 

 強引にでも繋がりを見出すのならば―――怪しいのはトールズ士官学院の旧校舎と、ノルドに行った際に見かけた巨像。旧校舎の迷宮はレイの持つ《慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)》でも解析できなかった事から鑑みるに《大崩壊》以前、旧ゼムリア文明時に創られたモノだと見て相違ない。巨像の方は昔、師のカグヤから聞いた《獅子戦役》時に存在していたらしい兵装に装いが似ている。それについては恐らく、《魔女の眷属(ヘクセン・ブリード)》のエマの方が詳しいだろうが、同じ里に居た経歴を持つヴィータが《使徒》として帝国に来ている以上、これも無関係であるとは思えない。

 

 思考を巡らせばキリがない。しかし情報を口にすることができない以上、向こう側が打ってくる先手に対して少しでも有利な条件を見つけ出さねばならない。―――それが自分にできる最低限の義務であると、レイは思っていた。

 

 

 

「―――レイ? あぁ、ここにいたのか」

 

 すると、徐に声を掛けられ、レイはゆっくりと目を開けてから振り向く。

 

「どうした、リィン」

 

「クロウが文化祭の女子の方の衣装案についてレイにも意見を募りたいって言ってたんでな」

 

「露出度が高くなけりゃいいんじゃね? 常識の範囲内で多少あざとくした方が人気出そう―――ってのはアイツの事だから多分分かってんだろうけどな」

 

 文化祭でのⅦ組の出し物はステージ上での楽曲演奏。それもクラシックのような類ではなく、最近流行り始めているロックな雰囲気の歌を中心に構成することが決まっている。

 であれば、かしこまったドレスやタキシードなどは逆効果。ポップな雰囲気を醸し出しながらも、女子は可愛さと美麗さを兼ね備えた、男子は軽妙でありながら格好良さを求めた服装でなければならない。

 とは言っても、服装のデザインそのものはクロウが一人で進んで推し進めている為、レイとリィンはそれに対してアドバイスを送るのが主な役割となっている。

 最初の頃はあざとさという次元を飛び越えて犯罪的な領域まで侵入したデザインに対して容赦のない制裁(物理)を加える事もしばしばだったが、最近ではマシな方になっているため、余程の事がなければ添削を加えるつもりはなかった。

 

「でもあのバカ調子乗るとやらかすからな。後でチェックしとくか」

 

「ははは」

 

 苦笑するリィンの姿を見て、レイは「あぁ、そうだ」と書斎を離れようとするリィンを引き留めた。

 

「?」

 

「ちとお前と話したいことがあったんだった。まぁ茶でも持ってくるからそこに座って「お待たせいたしました」―――うん、知ってた」

 

 まるでタイミングを見計らっていたかのようにトレイの上に二人分のカップとティーポットを乗せて書斎に入ってきたシャロンに特段驚くこともなく、レイとリィンはそれぞれ向かい合って座る。

 そしてシャロンが去った後、淹れてくれた紅茶を互いに一口啜ってから、改めてレイが口を開く。

 

「そんで話なんだが……あぁ、別にそんな身構えなくてもいいっての。別に物騒な話をしようってわけじゃねぇからさ」

 

「あ、あぁゴメン。つい癖で」

 

「癖ってお前……まぁいいや。んじゃ単刀直入に言わせてもらうけど―――お前まだアリサに告ってねぇの?」

 

 本当に憚る事もなく投げつけられたその言葉に思わず口の中に残る紅茶を吹き出してしまいそうになったが、リィンは何とかそれを堪えた。

 それでも僅かに紅茶が逆流し、数秒ほど(むせ)た後、回復のタイミングを計ってレイが続けて言葉を投げる。

 

「クロウもエリオットも、ついでにあのフィーまで「もうそろそろ限界が近い」ってさっき訴えてきたんだぞ? 前の二人はともかく、フィーにまでそう思われてるってのは相当だかんな」

 

「うぐっ……」

 

「まぁ俺も恋愛絡みでは偉そうなこと言えたクチでもないんだがな」

 

 とは言え、リィンの思惑もまぁ分からないわけではない。

 周りからは朴念仁などと言われる事もあるが、レイから見れば世間一般的な意味合いでの「朴念仁」とは些かニュアンスが違って見える。

 他人の感情を察する術に関して言えば、そこいらの人間よりも上だろう。ただし察する際に彼は、色々と余計な事を考えてしまう癖がある。

 

 

「……分かってはいるんだ。男らしくないって事ぐらいはさ」

 

 ポツリと、息を吐き出すようにリィンは言葉を漏らした。

 

「アリサの気持ちも……気付いてはいるんだ。俺自身もアリサが……その、好きだって事も自覚してる。でも……その……」

 

「言っちまえ言っちまえ。どうせここには俺とお前しかいないんだ」

 

「……あぁ。最初は、本当に分からなかったんだ。ユミルはお世辞にも人が多いって訳じゃなかったからさ。同世代の異性なんてそうそういなかったから、女心とかがあんまり分からなくて……」

 

「? エリゼ嬢とかいたんじゃないのか?」

 

「エリゼは一応妹だったからな」

 

 成程、やっぱり”精度”の方はあまり宜しくないな―――と思いながら、レイは続くリィンの言葉にティーカップを傾けながら耳を傾ける。

 

「それに―――アリサの相手に俺なんかは相応しくないって思っていたんだ」

 

「相応しくない?」

 

「俺は戸籍上は一応男爵家の人間ではあるけれど、本来はどこの馬の骨とも知れない捨て子だ。対してアリサは帝国の中でも超巨大企業の会長令嬢。……釣り合わないって思ったんだよ」

 

 馬鹿馬鹿しいと切って捨てるのは憚られた。それは間違いなく、血筋やステータスが重要視されるエレボニアで生まれ育った人間が持つ価値観そのものであったからだ。

 国民の階級が明確化されている国において、その階級の垣根を超えての自由恋愛というものは難しいというのが通説だ。特に貴族階級が根強く残っているエレボニアでは、貴族以外のステータスを持つ家であっても、より良い血筋を残そうという傾向が強い。

 リィンは育った家庭が良かったせいか一般的な貴族が抱く傲慢さを欠片も持たずに育ったが、その分自分がみなしごであったせいで養父が貴族界で疎んじられた事も知っている。本人は気にしていないように見えて、自らの出生に対してコンプレックスを密かに抱いていたのだろう。だが―――。

 

 

「でも―――もう()()()()を考えるのはやめた」

 

 

 顔を上げたリィンの表情はとても晴れやかで―――。

 

 

「身分が釣り合うとか、釣り合わないとか、そんな事はレイを見ててどうでもよくなった。人は生まれに縛られる事無くここまで自由に、強く生きられるって良く分かったから。

 だから―――うん。俺はそんな()()()()()には縛られない。ちゃんと、想いを伝えたい」

 

 

 その声は、自信に満ち溢れていた。

 

 

「―――ハッ」

 

 レイは思わず、自分の口角が僅かに吊り上がっているのを自覚する。

 嘲笑などではない。覚悟を決めた友に対する称賛の笑みだ。

 

「腹決まってんじゃねぇか。……ま、できるだけ早く伝える事だな」

 

「それは……気持ちが変わらない内にって事か?」

 

「ん? あぁまぁ確かにそれもあるが……」

 

「?」

 

「いや、何でもない」

 

 「生きていられる間に、伝えたいことは伝えておくべき」―――という言葉を、寸でのところで呑み込む。

 嘗てはいつ死ぬかも分からない場所に身を置き、そして伝えるべきことも伝えられずに大切な人を幾度も見送ってしまったレイだからこそ言える言葉ではあったが、それはリィンに押し付けるべきモノではない。

 失くす事が前提の言葉など、彼らには必要ないものなのだから。

 

「ま、さっきも言ったが俺も褒められる恋愛はしてねぇからな。でも、一つだけ言える事はある」

 

「…………」

 

「好きな人に好きと伝えられるのは、生きている人間の特権だ。―――後悔すんなよ、ダチ公」

 

「……あぁ」

 

 力強く頷いたリィンを見て、レイは内心で安堵の溜息を吐いた。これで彼は、もう足踏みすることもないだろう、と。

 

 これで他のⅦ組の面々ももうヤキモキする事もなくなり万々歳。二人の仲を取り持つ事ができてレイ的にも万々歳。ついでに告白シーンを撮影する機会ができて神出鬼没メイド(シャロン)的にも万々歳と言ったところである。

 最低限この実習中に告白が叶えば良い方だと思い、背伸びをしていると、不意にポケットの中に入れていたレイの特注ARCUS(アークス)が着信音を響かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーレ市中心部上層、俗に空中回廊と呼ばれる一帯の南側の一角に、その店はある。

 

 店名は、ダイニングバー『F』。市内の中心部とは言ってもオーバルストアなどが乱立している場所からは少しばかり離れた位置にあり、夜間も導力灯が煌々とルーレの街を照らし続ける中、その店の周辺は落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 腕時計を確認すれば、時刻は午後の10時を回った頃合い。夜間に学生服姿の人間が街中を歩くと目立つため、可能な限り気配を消してRF本社から歩く事十数分。レイは再び一人になってこの場所を訪れていた。

 

 無論、理由もなく抜け出して此処に来たわけでもなければ、隠れて飲酒をするために来たわけでもない。入口の扉を開け、長い長い階段を下っていくと再び扉が見えたので、真鍮製のノブを回してバーの中へと入っていく。

 

 店内は、まさしく落ち着いたナイトバーといった照明の色で染まっており、耳に入ってくるのはクラシック・ジャズ調の音楽の生演奏。《結社》を抜けて大陸各地を放浪していた時代にたまに入っていたバーとは色合いが違うその雰囲気はレイにとっては少々異色ではあったが、それでも違う空気に呑まれるほど素人ではない。

 さて、自分を呼び出した人物はどこにいるのだろうかと店内を見渡そうとする前に、あちら側からレイの姿を見つけて声をかけてきた。

 

 

「こちらです、レイ君」

 

「―――よう、クレア」

 

 バーのカウンターの一角でカクテルの入ったグラスを前に淑やかに佇んでいたクレアを前にして一瞬言葉を失ったレイだったが、次の瞬間には体裁を保って言葉を返す事に成功した。

 淡い光に照らされた今のクレアは、彼女の淑やかな性格に似合う薄紫色のドレスに身を包んでおり、任務中よりも余所行き用に拵えられたメイクとも相俟って美しさに更に磨きがかかっていた。

 以前帝都で共に過ごした時の服装を太陽のような神々しさと例えるのならば、今のクレアは宵闇に映える月下美人と言ったところだろう。どちらにしても、魅力的なのは変わりなかった。

 

「すみません。急に呼んでしまって」

 

「気にすんな。俺もちょいと言わなきゃいけないことがあったしな」

 

「フフッ。カウンターでは目立ちますから、奥の席に移動しましょうか」

 

「あいよ。あ、マスター、ジンジャエール一つね」

 

 流石に実習中、それも学院の制服を着ている状態での飲酒はご法度なので、なるべくバーの雰囲気を壊さない程度のメニューを注文しておく。

 そうして席を移動し、他の客からも少しばかり離れた場所に再び腰を下ろすと、体面に座ったクレアが再び微笑んだ。

 

「真面目ですね、レイ君は」

 

「一応これでも学院では優等生で通ってるんでな。……こんな時間に学生がいるってだけでも悪目立ちしそうだ」

 

「マスターには私から話は通してありますし、気配を薄くしてる今のレイ君の事を訝しむ人もそうそういないでしょう?」

 

「夜だからか、テンション高いな」

 

 普段よりも大らかな口調のクレアとそれから数分ほど他愛もない言葉を交わし、注文していたジンジャエールがテーブルに届いたところで、レイが少しばかり申し訳なさそうな顔でグラスを回した。

 

 

「……さっきは悪かったな。ああでもしないと面倒臭い事になってたってのは言い訳なんだが」

 

「いえ、私の方こそ迷惑をかけてしまいすみませんでした。交渉事には少しばかり自信があったのですが……いけませんね。まだまだ未熟だったようです」

 

「あの人には俺も一杯食わされてるからなぁ」

 

 第三者という立場を明確にするために他人行儀のまま接しざるを得なかった数時間前の出来事を互いに謝り、ひとまずレイが伝えたい事は伝え終わる―――という訳でもない。

 

「……にしてもらしくないな、クレア。ユーシスらへんから聞く限り、元々地域治安維持は領邦軍の管轄だ。そこに土足で踏み込みに行くんだったら反発があって当然。お前も勿論それは分かっていたはず。なのに何で、あんなに強引に押し通ろうとした?」

 

 レイでなくとも、帝都での一件におけるクレアの手腕を見ていた者であれば、誰であれ疑問を抱くだろう。彼女が本来の在り方で動いていたのならば、もしくは渋々ながらも対立を煽る前に領邦軍を黙らせる事ができた可能性が充分にある。

 であれば考えられるのは―――。

 

 

「今回の件を以て、『革新派』は『貴族派』に対して明確な敵意を表明した。誰の目から見ても明らかであるように対立構造を見せつける事で、黙らせる敵を明白にしたんだな」

 

「……ご名答です。まさかあそこでルーファス卿が現れるとは思っていなかったため……結果的にレイ君にはまたご迷惑をおかけしてしまいました」

 

 重ね重ねごめんなさい、と再度謝るクレアにレイは気にするなと言葉を掛けたが、実際問題オズボーンが本格的に次の一手を打ち始めたことに対して危機感を抱かずにはいられなかった。

 

 クロスベル自治州ではディーター・クロイス市長による「クロスベル独立宣言」。カルバード共和国では《反移民政策主義》によるテロの頻発化と止まらない株価の下落。―――近隣諸国が少なからず時代の波を作り、或いは呑み込まれようとしている中でオズボーンは、盤面を動かしにかかった。

 エレボニアの平和を脅かす《帝国解放戦線》を背後から支援しているのが『貴族派』であるという事は、この一件を以てはっきりと証明された。もはや疑う余地もない。

 「ギリアス・オズボーンを斃す」という目的、利害が一致している以上、その可能性は特段勘が鋭くない者であっても示唆できるだろう。そうした状況下で、それでもなおこれまで冷戦状況を保ってきたオズボーンのここに来ての判断―――与えられている猶予は、考えているよりも短くなると判断するのが妥当だろう。

 

「その一手目としてルーレに目を付けた理由―――話してくれるのか?」

 

「えぇ。元よりそれをお話しするためにレイ君を呼んだのですから」

 

 

 ラインフォルト家の書斎で連絡を受けた時から、艶っぽい話ではない事は分かっていた。クレア・リーヴェルト個人ではなく、「《鉄道憲兵隊》大尉クレア・リーヴェルト」として話を持ち掛けてきたというのは―――つまりはそういう事だ。

 呼び出したのがレイだけというのも、彼一人だけに重荷を背負わせようという訳ではなく、より正確に機密を仲間の下に持ち帰ってくれる人物であると判断したから。……全く私情が含まれていなかったかと問われれば、首を横に振る事はできなかったが。

 

「現在、《鉄道憲兵隊》はラインフォルトグループ『第一製作所』への強硬調査を検討しています」

 

「『第一製作所』……鉄鋼業と大型機械部門だったか。仕切ってる取締役はログナー侯爵の実弟のハイデル・ログナー……成程」

 

 余りにも巨大すぎる規模であり、更に独立採算制というシステムを導入したことにより、会長のイリーナですらも全貌を把握しきれていない現状において、『貴族派』に縁のある人物が取り仕切っている部門は『革新派』にとっては警戒対象であり―――そしてその強硬捜査を領邦軍が露骨に阻んでくる。

 操作を円滑に進めるためにイリーナ本人に捜査依頼を要請しても、株主の半数以上をログナー侯爵家が掌握し、更に5年前にグエン・ラインフォルトから会長職を簒奪した際に『貴族派』の力を借りている事もあり、手が出せない状況……キナ臭いどころの話ではない。

 

「レイ君は今日、イリーナ会長の下で秘書代理として付き添っていたとか」

 

「まぁな。ただ仕事の概要を教えるだけだとばかり思ってたが……もしかしたら暗にこの事を示唆していたのかもしれないな、あの人は」

 

「イリーナ会長は、この現状を打破するために動くと思いますか?」

 

「思わないね」

 

 レイはピシャリと、それこそ一切の迷いもなくその可能性を打ち切ってみせた。

 

「あの人はガッチガチの経営者だ。『革新派』だろうと『貴族派』だろうと関係なく会社を回していく。派閥間における善悪の観念をあの人に説いても無駄だぜ。そういう感覚から逸脱してるのが「死の商人」ってヤツなんだからな」

 

 そも、軍人とは根本的に価値観が違うのだ。彼ら―――骨の髄まで商人・経営者根性が染みついた人間は特定の存在に対して忠誠を誓う事はない。

 彼らが最も信頼を寄せるのは、いつだって自分自身の商才だ。他者が定める善悪の価値なんてものは説法にすらなりはしない。

 

 

「―――んで、その強制捜査の事をわざわざ”俺達”に伝えたって事は……おいそれと興味本位や正義感で手を出すなって事だろ」

 

「…………」

 

「……言い方が悪かったか。別に責めてるわけじゃねぇよ」

 

 『革新派』でも『貴族派』でもない中立の第三勢力―――特科クラスⅦ組の設立に関わったオリヴァルトの思想がそうである以上、Ⅶ組のメンバーは須らく注視の対象だろう。

 以前、それこそケルディックで事件に巻き込まれた時のような未熟極まりない状態であったのならば、恐らく今回の件においてもクレアは何も言ってこなかっただろう。それが示す事は―――オズボーンも一瞥する程度にはⅦ組が優秀になってきたという事である。少なくとも、介入を許せば厄介だと思わせる程度には。

 

「分かってる。分かってるよ。なるべく首を突っ込まないように注意はする。―――まぁ、だけど……」

 

 そこまで言って、レイはニヤリと口角を上げた。

 

()()()()()()は買いに行く主義だからな。俺も、アイツらも」

 

「えぇ。私もそこまでは管轄しません。どうか士官学院生として、誇りある行動を」

 

 例え政府側が介入を禁じたとしても、それでも巻き込まれるだろうという予感はあった。今でこそ半ば強がりで笑っていられるが、恐らくは笑ったまま済ませられるようなものでもないだろうという事も。

 害を為すものに対して為されるがままにされる―――それは誇りある軍人を養成する士官学院生としてはあってはならぬ事。そういった建前を利用して、何かあった場合は介入する意欲を示したのだ。

 

「……ま、キナ臭いってのも分かってるし、俺らができる事なんて限られてるけどな。……まぁ、一個だけ個人的に言いたいんだが」

 

「?」

 

()()()()()()()()()()()()

 

 呪いの所為で多くを語れないレイが、その一言に込めた想いや思惑は多い。それをクレアは受け止めたのか、咀嚼するようにゆっくりと首を縦に動かした。

 精強で知られるエレボニア正規軍ですらものともしないような”武闘派”の《執行者》や、文字通り一騎当千の《鉄機隊》の戦乙女たち。そして―――常識の枠外に存在する《使徒》。

 

 そんな存在と相対した時に、下手を打てば命の保証などできない。命を懸けて日々任務に勤しんでいる本家本元の軍人に対しては余計なお世話ではあろうが、それでも言わざるを得なかった。

 どれだけ慎重に行動しても、しすぎるという事はない。だが、拙速に動かなければ取り返しのつかないところまで一瞬で追い込まれる―――油断など、一時たりとも抱いてはならないのだ。

 

「―――はい。しっかりと心に留めておきますね」

 

「ん。―――はい、んじゃこれでシリアスな話は終わり。……肝心な事言い忘れてたしな」

 

「えっ?」

 

 これじゃあリィンの事を説教できないなと心の中で自虐気味に笑いながら、レイはクレアの臙脂色の双眸を見据えて言う。

 

 

「その格好も、凄い綺麗だぞ。クレア」

 

「っ―――。は、はい。あ、ありが……とう……ございます」

 

 白い玉肌を赤く染めながら、俯きがちに、消え入りそうな声で返事を返すクレア。

 その感情の移り具合は、暖色系の照明が照らされている店内であっても充分すぎるほどに見て取れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数十分後、ダイニングバー『F』を後にして外に出たレイとクレアの二人は、正面に聳える巨大なRF本社を見上げながら息を吐いた。

 

「さーってと。アリサん家に帰ってとっとと寝るとするかぁ」

 

「ごめんなさい。こんな遅くまで付き合わせてしまって」

 

「いいっていいって。ここ最近は文化祭の衣装打ち合わせとかで遅くまで起きてることもあったからなぁ」

 

 ふぁ、と欠伸を噛み殺し、レイはRF本社の最上階を見る。

 ペントハウスの明かりはまだ点いており、恐らくはまだ他のメンバーも起きているのだろう。フィー辺りはもう寝ているだろうかと思いながら、クレアの方を振り向いた。

 

「お前の方もちゃんと睡眠は取れよ? また過労気味になるなんて事がないようにな」

 

「はい。心配しなくても退院後はちゃんと体調管理をしていますよ。―――では」

 

 そう言って軽く一礼をし、ルーレ駅の方へと歩いていくクレアを、レイは徐に「クレア」と呼び止めた。

 

 

「俺は『貴族派』に力を貸すつもりは毛頭ない。だが―――『革新派』に肩入れするつもりもない」

 

 それは、クレアにも分かっていた。

 彼が『革新派』の一員として力を貸してくれればどれだけ力強いだろうかと、儚い妄想をしたこともあった。だが、それは違う。レイ・クレイドルという少年は、この国の派閥の(しがらみ)などに囚われてはいけない存在なのだ。

 それを再認識すると思わず一瞬表情が昏くなってしまうクレアであったが、レイの言葉はまだ終わっていなかった。

 

 

「だけどな―――俺はいつだってクレア・リーヴェルトの味方だ。それだけは、絶対に忘れるなよ」

 

 

 力強く放たれたその言葉が、クレアの心にすとんと滑り落ちる。

 隠し切れない喜色と恥ずかしさが相俟ってレイの方を振り向けないままに、しかしそれでも「……はい」という言葉だけを返して、下層の方へと消えていった。

 

 

「……もっと早く言っとくべきだったかな」

 

 どうにも調子が狂うと髪を搔きながら、レイは空中回廊の上を歩き続ける。

 調子が狂う理由は明白だった。バーに来る前に色々と考えていたという事もあるが―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()調()()()()()()()()()()()()

 

「……ここか」

 

 ともすれば言葉を発した本人すら聞き取れないような掠れた小さな声でそう呟くと、レイは【瞬刻】を発動させて路地裏に入り込む。

 血管のように入り組んだパイプを足場にしながら、ビルとビルの隙間を闇に紛れたままに疾駆する。僅か数秒で気配の残滓を感じ取ったビルの屋上に辿り着いたが、既に人影は何処にもない。

 だが神経を研ぎ澄ませてみると、吹き抜けるビル風に交じって塵芥程度に揺蕩う魔力を感じ取れる。

 それ程遠くではない―――それを理解した瞬間、レイは躊躇う事もなくそのビルの屋上から飛び降り、また別のビルへと飛び移る。

 

 深追いはしないという程度の認識は弁えていたが、不確定要素が蠢くこのルーレで自分を遠巻きに監視していた存在というのがどうにも気にかかり、ただ夜の街を駆け抜ける。

 監視者がヨシュアやシャロンのような、所謂”本職”であったら早々に追跡は諦めていただろう。だが今追っている存在は、本当に微細ながら痕跡を残している。これならば―――辿れた。

 

「《布都天津凬(ふつあまつのかぜ)》ッ‼」

 

 レイがそう叫ぶと、『外の理』で鍛えられた愛刀が空間を超えて主の手元に顕現する。

 ペントハウスの寝室に置いていた《天津凬》は、周知のとおり意志を持つ刀。()()()()()()()()()()()()()()()()()()という気紛れ屋な性格ではあるが、今回はしっかりと応えてくれた愛刀を一瞥し、レイは【瞬刻】の出力を更に上げる。

 

 そして遂に監視者を視界に捉えた瞬間、レイは墜落防止用のネットに足を引っかけ、更に加速しながら―――空中で白刃を抜刀した。

 【剛の型・瞬閃】―――元より仕留める事を前提とした一撃ではなく、あくまでも足を止めるために放った牽制の一閃であったが、その一撃を防いだ相手の剣を視認して、レイは鋭く目を細めた。

 

 観念したのか、それともこれ以上の追いかけっこは無意味だと判断したのか、とあるビルの屋上で数アージュの距離を置いてレイと向かい合うように足を止めた人物の右手に携えられた剣の形状を、レイは良く知っていた。

 

「《ケルンバイター》? ……いや、違うか」

 

「……分かりやがりますか」

 

「《結社》に居た頃はレーヴェによく手合わせをしてもらった。何度も何度も交わした剣の感触を忘れるようじゃ、”達人級”失格だ」

 

 月光を背に立つ少女。長い金髪をビル風に棚引かせ、小柄な体に合わないロングコートを着込むその姿を見て、正体はすぐに理解できた。

 

 

「お前が、俺が《結社》を去った後にレーヴェが弟子に取ったっていう奴か」

 

「えぇ。―――こんな形ではありますが、貴方と顔を合わせられたのは光栄でやがりますよ。先輩」

 

 ただそれだけを言って、嘗ての先達と相対した少女はニィと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 今回改めて帝国に集まる「《結社》のみの戦力」を挙げてみましたがどうですか?
 ……難易度ノーホープ待ったなしじゃないっすかコレ。まぁ現実なんて総じて無理ゲーですしね。仕方ないね。

 おう頑張るんだよ主人公サイド。気を抜くとエレボニア全滅するぞ。ついでにまだ戦力増えるぞ。今回アホの子(笑)は戦闘ではアホしないかもしれないんだぞ。


PS:FGOのハロイベが退屈すぎるのでヴラドさん相手にドスケベ礼装狩りを延々とし続ける今日この頃。おい、早くマシュのドスケベ礼装出せよ。いつまでもユーザを待たせるなよ。クレオパトラはあんまり欲しくない。


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災禍の胎動






「『強くあれ。但し、その前に正しくあれ』」
    by 神崎アリア 武偵憲章3条 (緋弾のアリア)







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ます。

 

 季節は既に10月に差し掛かろうという頃合い。残暑の気配も既に無く、意識を覚醒させると北部ならではの肌寒さを感じ取る事ができる。

 だが、故郷のユミルに比べれば全然だなと僅かな郷愁に駆られながら、リィンはベッドから立ち上がった。

 

 時刻は朝6時。起床時間には1時間ほど早かったが、それでももう一度眠りに落ちようとは思わなかった。”朝練”の習慣に慣れてしまうと、二度寝という文化を忘れてしまいそうになる。

 

 RF本社25Fペントハウスの一室。男子部屋として利用させてもらっているそこには4台のベッドが設けてあり、エリオットとクロウはまだ心地良く眠っている。

 だが、リィンの隣のベッドはきっちりとシーツが整えられたままだ。昨夜は文化祭の衣装決めの話もしていたため就寝は少しばかり遅くなってしまったのだが、終ぞ彼は戻っては来なかった。

 

 とはいえ、身を案じるだけ野暮な事だろう。現にノルドの時がそうであったのだから、寧ろあの時に比べれば平和的なものである。

 

 

 寝ている二人を起こさないように、衣擦れの音を極力立てないようにして士官学院の真紅の制服を羽織る。

 少しばかり早く目覚めてしまったが、まぁ誰かは起きているだろうと楽観視しながら部屋の扉を開ける。ひとまず24Fに降りて大窓からルーレの朝焼けを拝もうと階段を降りていると、自分よりも早くエントランスのソファーに腰かけて、いつも通りの砂糖とミルク入りのコーヒーを啜りながら新聞を流し読みしている友人の姿があった。

 

「レイ」

 

「おはようさん、リィン。ルーレのコーヒーは上手いぞ。一杯どうだ」

 

「ルーレ産だからじゃなくて、シャロンさんが淹れてくれたから美味しいんじゃないか?」

 

「違いない」

 

 いただくよ、と言葉を残してキッチンの方に足を向けようとすると、既に目的の方から銀のトレイに一杯のコーヒーを乗せてシャロンが悠々と歩いてくるのが見えた。

 驚き、はもうなかった。流石に4ヶ月近くも同じような光景を見ていると慣れるものである。それでも、不思議だとは思い続けているのだが。

 

「おはようございます、リィン様。お砂糖なしのミルク入りでよろしゅうございましたね」

 

「あ、はい」

 

 既に味の好みまで完全に把握されている。受け取って一口啜ってみると、確かにちょうど良い具合だった。

 恭しく一礼をしてキッチンの方へと戻っていくスーパーメイド(シャロン)の後ろ姿をどうにも言えない感情で見送りながら、リィンはレイの隣のソファーへと腰かける。

 

 ルーレの朝焼けは、絶景と言っても差支えはなかった。

 ノルドの大平原で見た光景はまさしく自然の偉大さを肌で感じるに相応しいものだったが、ルーレのそれは人の築いた文明が齎す美の一つであると、直感的にそう思った。

 山の向こうから顔を出している朝日が、大小さまざまに立ち並ぶ摩天楼のビルのガラスで反射してある種神秘的な景観を作り出していた。こんな光景を見る事ができるのは、帝国内ではこのルーレ、ひいてはこの場所だけだろう。

 

 リィンは暫くの間それに見惚れ、そしてふと思い出した疑問を隣の友人に投げかけた。

 

「昨日はいつ戻ってきたんだ? 俺達もそこそこ遅くに寝たつもりだったんだが……」

 

「それじゃあそれより遅く、だな。クレアと別れた後に昔馴染みと……昔馴染みの知り合いに会ってな。意外と話が弾んで遅くなっちまった」

 

「へぇ」

 

「帰って来た時、もうビルの入り口は閉まってたからな。バレないように壁伝ってシャロンに開けてもらってた24Fの窓から直で入ってきた」

 

「俺はもうツッコまないからな」

 

 もう完全に耐性が着いてきたなと、複雑な心境でリィンはもう一度コーヒーに口をつける。

 

 まぁ帰り方云々は置いておいて、それほど遅く帰ってきたというのに眠そうな気配は微塵もない。それについて問おうと思い―――しかしそれは地雷を踏むだけだと直感してやめた。

 

「(どうせクロスベル時代のブラック扱いで慣れたとか言うんだろうなぁ……いや、絶対言うな)」

 

 早朝早々、いつものように死んだ魚の目をされても反応に困る。本人が大丈夫そうな間は、もうこの手の事には触れないようにしようと、そう心に決めていた。

 でなければ、そう。常に民間人の為に動いているという遊撃士協会が、実は身内に対しては惨いのではないのかという要らぬ警戒心を抱いてしまいそうになる。

 

「あぁ、そうだリィン」

 

 すると、新聞を読み終わったレイが徐にそう声をかけてきた。

 彼はいつものように豪快に最後の一口のコーヒーを飲み干し、ソファーの背に体を埋め、まるで一服後の依田話に付き合えと言わんばかりの姿勢で―――。

 

 

 

 

「今回の特別実習、死ぬかもしれんから覚悟しとけ」

 

 

 

 

 そう、物騒極まりない事を言い放ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 ”達人級”の武人同士が鉢合わせる―――一般人であればまずお目にかかれない光景だが、生憎と普通ではない半生を送ってきたレイにしてみれば、それは異常でも何でもない。

 

 互いに道は違えど武の最奥に足を踏み入れた者同士。そんな者達が得物を構えて戦う事になれば、必然的に周囲は大損害を被る事になる。

 今は無き時代の戦士たちの戦いを再現するかのようなその剛撃連撃の雨嵐は、局地的集中爆撃にも似た爪跡を残す。極限まで練り上げられた闘気が、殺気が、魔力が、呪力が、覇気が、攻撃に乗せられて砕き壊していく。

 

 簡潔に言えば、昨夜のルーレはそんな人災を被る可能性もあったのだ。現職と元《執行者》が相対し、更に近くには《鉄機隊》の幹部。いずれも紛う事無き”達人級”。

 相対した直後は一触即発の状態であったのも確か。何せ敵同士。躊躇う理由など有りはしなく、戦う理由などそれだけあれば充分。女性であるからなどという言い分だけで矛を収めるようであるならば、それは武人としての己を殺す事にもなる。

 

 だが、目を合わせただけで殺し合うのならば、路地裏に巣食うギャングと変わらない。戦う理由があり、殺し合う事も躊躇わないが―――それでも互いが何を欲して戦うのか、或いは戦わないのか、それを見極めるのもまた技量の内でもある。

 

 つまり、どういう事かというと―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんなんでやがりますか、もうっ‼ なんで私の記念すべき初大規模作戦参加の任務がこんなハードモードなんでやがりますかぁ‼ よりによって戦闘関係じゃなくて人間関係で胃が痛くならなきゃ―――ううっ」

 

「あぁ、分かります。分かりますよその気持ち。私もホント自重してほしい上司と連絡が着かなくてもうマスターに何と報告したら良いのやら……あの人まだクロスベルの闇カジノで荒稼ぎしてるんじゃないでしょうねぇ?」

 

「おいやめてやれよ止めろよ部下。師匠の事だから因縁つけられても店員全員ノして堂々と正面玄関から出ていくアホぶりが目に見えるんだよ。これ以上あのクロスベル支部(ブラック職場)の限界値上げるのマジでやめて。そろそろガチで過労死する奴出てくる」

 

「大丈夫ですって。あの支部どうやら新人入ったそうなんで多少の無茶は罷り通りますよぉ」

 

「だから折角入った新人をボロ雑巾みたいに酷使するのをやめてやれって言ってんだよ‼ シャルテみたいなのは稀なの‼ 大抵の新人は本部がドクターストップかけてくるんだよ‼」

 

 

 

 ―――こうして一触即発の状態からとあるビルの屋上に直に座り込んで愚痴を言い合う場に流れてしまうという可能性もあるのである。

 

 様子を見ていて割り込んできたルナフィリアが飲み物と紙コップ片手に場違いな雰囲気で懐柔し、こんなカオスな―――表面上敵対している筈の”達人級”同士が闘気など一切漏らさず交わさず、ただコップ片手に溜まっていた鬱憤を吐き出すだけの場―――状況を作り上げてしまった。

 

 

「深淵様ドSだしルシード先輩はただのド変態だし……聞きやがって下さい先輩‼ あの変態補佐官、訳分かんない事言って来たから反射的に睨み返したら「おうふ、良い、良いぞ‼ その一片の価値もないゴミ屑を見るような目、良い‼ もっと僕を蔑んだ目で見てくれ、さぁ‼」とかクズにも程があるセクハラ発言しやがったんですよ‼」

 

「基本魔女かそれに属する奴なんて何かを拗らせた系変態がほとんどだからなぁ。……あ、悪ぃ委員長。流れでディスってたわ。でも知ってんだぜ俺を含めたⅦ組男子女子一同、お前が文芸部の部長から腐ってる本借りて徐々に傾倒し始めてる事」

 

「何となく分かってましたけど、レイ君のご学友もキャラが濃いですね」

 

結社(そっち)に居た時に比べりゃまだ平和だよ」

 

 なんせオヤツの取り合いが殺し合いに発展する事なんてないしな、と封印したい思い出に記憶を馳せていると、空になった紙コップにルナフィリアが遠慮なく飲み物を注いでいく。

 

「ホラ、空になってますよレイ君。飲まないで事無きを得ようなんてお姉さん許しませんからね‼」

 

「先輩全然飲んでないじゃないですか‼ 私なんてもう10杯目でやがりますよ‼」

 

「誰一人酒なんて飲んでない状態で場酔いできてるお前らの器用さは良く分かったから絡み酒はやめろ。酔ったエオリア思い出して顔面に右ストレートブチ込みたくなるから」

 

 未成年が3人集まって、葡萄ジュースを飲み合っているだけだというのにここまで崩れるものなのかとある意味感心する。あとこの後輩、以外にも酒癖が悪い。

 言動に似合わず真面目一直線なところは師に似たか、としみじみと思っていると、突然中身入りの紙コップが顔面めがけて飛来した。それを顔をずらして避けると、投げつけた本人は場酔いしたままに絡んでくる。

 

「なぁに一人でしみじみしてやがるんですか先輩‼ 折角こんな可愛い後輩がいるんですから何かアドバイスを寄越しやがって下さい‼」

 

「おう良い度胸だ後輩。骨の髄まで叩き込んでやらぁ‼ ……と言いたいところだが」

 

 中身のジュースを飲みほした紙コップを屋上のコンクリートの上に置くと、レイは声色を変えた。

 

 

 その先の言葉は言わない。要らない。何を言いたいのかは、彼女たちも分かっている筈だ。

 3人とも、最も頼みとする得物を手元に置いていない。それが意味するのは、少なくともこの場ではこれ以上矛を交わすつもりはないという事。

 

 次なる標的は此処ルーレというのは間違いないだろう。無論、彼女たちが直に動くのではなく、あくまでも動くのは《帝国解放戦線》であるのだろうが。

 奇しくも―――否、《鉄道憲兵隊》がラインフォルト社『第一製作所』への強制調査を執り行おうという今。憲兵隊の行動を妨害する意味合いでもあるというのならば、奴らの作戦はかなり重要な意味合いを持つに違いない。

 

 エレボニアが誇る最大軍需メーカー、ラインフォルトグループの開発部の一角の支援というのがどれ程大きなものかというくらいは分かる。その妨害というのがどれくらいの規模になるのか―――という事を考える前に、レイはただ一つ、訊きたい事を2人に問うた。

 

 

()()()()() どっちが主導してこのルーレに介入してきやがった?」

 

 《使徒》の、第二柱と第四柱。黒幕に徹するのだとしても、そろそろどちらかが本格的に暗躍し始める頃合いだろう。―――それをこの2人が知らないとは思えない。

 

 本来、それは知っていたとしても阻む敵であるはずのレイに彼女らがそれを教える道理はない。答えなかったら、それはそれで良いと思っていた。

 二択だ。前者であれば、まだ良し。

 

 だが、もし後者であった場合―――。

 

 

 

「《蒐集家(コレクター)》……第四使徒、でやがります」

 

 

 

 ―――最悪、なのだ。

 

 

 その名を言葉にするのは、たとえ現役の《執行者》であっても躊躇う。

 現に出会った《使徒》の中でレイが最も「嫌っていた」のは元第三使徒、ゲオルグ・ワイスマンだったが、最も()()()()()()()のはこの第四使徒、《蒐集家(コレクター)》の異名を持つ男だ。

 

 それは、恐らくレイ一人だけではない。

 ()()と一度でも目を合わせた者であれば、誰だって思うだろう。或いは、同じ「ヒト」である事すら疑問に思うかもしれない。少なくとも、レイはそうだった。

 

 

 考え得る限り、最悪だった。

 

 あの男が介入してくるならば、ザナレイアが単騎で仕掛けてきた方がまだ凌ぎようがあると言うもの。

 対抗策を考えている時間は少ない。せめて今夜中は、丸々使って思案しなくてはならないだろう。

 

 

「私、は」

 

 すると、徐にリディアが言葉を追加してきた。先程の淡々とした言葉とは違う、どこか縋るような声色で。

 

「私は、今回の任務では《深淵》様の下で動いています。だから、《蒐集家(コレクター)》様の動きを誰に伝えようが、それは禁則事項の中に入っていやがりません。何より―――」

 

 何より、と。彼女は”達人級”にしては珍しく、無意識に感情を溢して―――。

 

「あのお方が、嫌いなんでやがります。だから、今回この情報を先輩に話したのは私の”後輩”としての元”先輩”へのせめてもの敬意であって、そして……お師匠様への私なりの償いの一つなのです」

 

 

 彼女は―――()()()()()だ。

 

 恐らくは、”達人級”と呼ばれるようになったのも、つい最近の事なのだろう。そして、予想していた以上に遥かに生真面目で、情と徳に篤い。

 凡そ、《結社》に在るには不適格な人格を持っている。客観的に見れば、そう言わざるを得ない。嘗ての《執行者》とはいえ、脱退した者にまで先達として敬意を払うなどとはある意味異常な事だ。

 そして彼女は、恐らく建前ではなく本気でその心を持っている。表の世界に在れば、さぞや高貴で正しい武人となるだろう。想像に難くない。

 

 敬意を向けられた側としては、こそばゆくはあるが悪い感じはしない。だが、それでも冷酷に批評するならば、やはり彼女は”未成熟”なのだ。

 組織に属する者であれば、一時の好き嫌いの感情で任務の選り好みは許されない。例えどれ程不本意であっても、どれ程理不尽であっても、だ。《執行者》はあらゆる自由が与えられているとはいえ、それでも情報漏洩は、褒められる部類には入らない。

 

 自分で問うておいて、更には敬意すら払われておいて望む回答が得られたというのにここまで後輩を酷評する自分に対して罪悪感や嫌悪感の類が湧き上がってきたが、それでも、そう思わざるを得なかったのだ。

 

 だって、彼女は―――。

 

 

「私は、これでも”達人級”の末席でやがります。今度先輩と相対した時は、剣を交える時であるかもしれません。私の”敵”であるのなら、問答無用で斬りやがります。……ですが」

 

 

 この、どう足掻いても”悪”に染まり切れない性格は―――。

 

 

「それでも、お師匠様が認めておられた最年少の”達人級”元《執行者》―――武人の一人として、先達として私は貴方を、《天剣》レイ・クレイドルを尊敬しています」

 

 

 ()()()()()。……否、それよりも尚、外道の道を歩むにこれ以上相応しくない人間もそうは居まい。

 

 ともすれば、レイは自分が《結社》を脱退した事をすら、一瞬悔やんだ。

 もし本当に現役の先達として彼女と出会う事ができていたならば、レーヴェの死に目に立ち会う事ができていたならば、その時は必ず、何があっても彼女を《結社》から離し、縁を切らせていただろう。

 例えどれほど恨まれようとも、蔑まれようとも、自分はそれをしていたに違いないと断言できる。

 

 レーヴェも恐らくは、この少女にいつかは日向を歩いて欲しいと思っていたに違いない。だからこそ彼は師として、己ができる限りの「正しい武人」としての在り方を叩き込んだのだろう。

 例え自分が居なくなったとしても、その在り方が《結社》の一員として従事する上で齟齬を感じた場合、彼女の意志で《結社》を去らせるために。

 だがそれは……レーヴェが今わの際にヨシュアの生き方と共に願ったであろう唯一の弟子の未来は―――。

 

 

「……おや、いつのまにやら夜も完全に更けましたね。リディアさん」

 

「? はい」

 

「先にホテルに戻っててください。私はもうちょいレイ君に対して野暮用があるもので」

 

 ルナフィリアのその言葉に、リディアは逡巡する素振りは見せたが、最終的には頷いた。

 屋上から黄金の髪を棚引かせた少女の姿が消え、気配も消えたのを確認すると、彼女は鋭い翡翠の双眸をレイに向けて―――。

 

 

「驕らないで下さいね、レイ君」

 

 ただ一言、ルナフィリアは冷たくそう言い放った。

 

「貴方は、そうしているからいつまで経っても背負っている後悔が消えないんです。既に過ぎてしまった”もしも”を考慮するなど愚の骨頂。彼女の進むべき道は彼女自身が決め、責任を持つものです。……面倒見が良いのは貴方の美徳ですけれど、過保護は時に大きなお世話になる事も学んだほうが良いですね」

 

「違―――くはない、か」

 

 ぐうの音も出ない程の正論だった。自分はまた、要らぬことを考えそうになっていたと反省する。

 そんな事は、レンと過ごしていた年月の中で分かったつもりでいたというのに、それでもまだ理解が及んでいなかった己の無知さに恥じる。するとルナフィリアは、呆れたような表情を見せた。

 

「……まぁ、私だって思っていますよ。えぇ、思っていますとも。あの子はどう足掻いたところで根本的なところでは絶対に”悪”にはなれないでしょう。レーヴェさんのご指導で武の腕は一流の域になりはしましたが、精神の部分は未だ未熟。なるべきところで非情になれないようでは、いずれ《執行者》を続けていくのも難しくなるでしょうね」

 

「でも、《執行者》に選ばれたという事は、彼女にだって相応の”闇”があるって事だろ?」

 

「そうでしょうね。……流石に私もそこまでは分かりません。レーヴェさん亡き今、それを本当の意味で知っているのは、彼女だけですから」

 

 あのように肩書きに似合わない高潔さを持つ少女であっても、《執行者》に選ばれるだけの”闇”を抱えている。

 だが、()()()()()()なのだ。世界なんて、理不尽であるのが当たり前。或いはレーヴェは、彼女のそんな”闇”をいち早く見抜いたからこそ、自らの弟子として手元に置いたのかもしれない。

 

「レーヴェさん亡き後、アリアンロード様(マスター)は彼女を《鉄機隊》で引き取ろうとしましたが……彼女は《執行者》になる事を選びました。レーヴェさんと同じ場所に身を置くことを選んだんです」

 

「…………」

 

「……分かっているとは思いますが、下手な同情は無用ですよ、レイ君。彼女は、なりたてとはいえ”達人級”の武人です。もし心に迷いがあるまま対峙したら後悔しますよ」

 

「それは分かってる。”敵”として立ちはだかるなら本気で倒すだけだ。―――サラの一件もあるしな。仮にも先輩として情けないところは見せんさ」

 

「それは重畳です。まぁ私としては? レイ君と正面から一対一(サシ)で戦うのは御免被りたいですけどね」

 

 軽口を叩くようにそう言い放ち、騎士鎧姿ではなく、私服姿のルナフィリアは長いポニーテールの髪を翻す。

 《結社》最強の《鉄機隊》のNo.3が、そう簡単に後れを取るような真似をするとは思えない。昔から変に明るく飄々とした性格ではあったが、実力は確かに”達人級”のそれだ。恐らくは―――リディアよりも強い。

 

 敵に回すと厄介なのは、レイの視点から見ても同じ事だ。直感が鋭く、それを頼みにすることが多いデュバリィとは異なり、彼女はいついかなる時も冷静沈着に、客観的に物事を見れる。

 彼女自身の言葉通り、なるべき時に非情に徹する事ができる。―――それが厄介でないはずがない。

 

 

「……ま、安心してください。()()()私たちは完全に傍観者です。私もオーバルストアで新しいカメラを買うのが主目的でしたからね。観光ですよ、観光」

 

「お前なぁ……」

 

副長()の居ぬ間になんとやら、です。あ、スパイ活動とか別にしてませんからね。面倒臭いです、そんなん」

 

「いやそこは建前でもいいから臭わせるのが普通だろ」

 

「必要以上のお仕事はしない主義です。そーでもしないとストレスで圧死しますって。そこんところ、リディアさんにも分かってもらおうと思って連れ出したんですけどねぇ」

 

 あれは筋金入りの真面目主義者ですね、と若干呆れた表情で苦笑する。そして、徐に空いたジュースの瓶と空の紙コップを手に取り、屋上の外壁に足を延ばした。

 

 

「それではもうお(いとま)しますね。―――っと、その前に」

 

「?」

 

「一応元同僚であったとしても、私は「死なないでくださいね」とか下手に気を遣う事は言いません。だからレイ君、君は元《執行者》としてではなく、「レイ・クレイドル」として立ち向かってきてください」

 

 それは、ルナフィリアなりの激励であったのかどうか。それを問うには時間が足りず、彼女は宵闇の中に溶けて行った。

 戦場以外でこうして会えたのは素直に嬉しい事だった。だが、今のレイにはその余韻に浸っている暇など残されていない。

 

 以前までのレイであったら、リィン達を巻き込まないようにできる限り脅威を隠し通して水面下で動いていただろう。「アイツらは無関係だ」と、そう脳内で反芻する事で正当性を得ていただろう。

 だが今は、()()()()()()()()()()()()()()()()()をまず念頭に置いていた。それは相手を信頼していなければできない事であったが、今の彼はそれが普通の事だと思っていた。

 

 

 そうして都会の夜は、不穏な空気を漂わせたまま、更けていったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 珍しい事を言うものだ。

 

 リィンがレイから「死ぬかもしれないから覚悟しておけ」と言われた直後、真っ先に感じたのはそんな事だった。

 

 

 「珍しい」というよりは、寧ろ初めての事であった。今までレイと幾つもの特別実習をこなしてきたが、その中で注意喚起をしてきたことは数あれど、ここまでストレートに死の危険性を告げてきたことはなかったように思える。

 

 しかしそれは、そんな危険な場所に巻き込める程度には信頼してもらえているという事の裏返しでもあった。

 恐らくは未だに彼の背を護れるほどには強くなっていないのだろうが、それでも共に戦える程には信頼してもらえている。―――それを知って場違いにも微笑を浮かべてしまいそうになり、何とか堪えた。

 

 

「―――了解。詳細を言わない……いや、()()()()って事は、()()()()()なんだろう?」

 

 

 そう言ってレイの首筋を確認するのももはやいつもの事。であれば《結社》が関わっている事は確定で、しかも相当危ない敵が相手であるという事だ。

 少なくとも、レイ一人だけでは防ぎきれないかもしれない相手。それならば得心がいく。

 

 死の可能性を告げられて怖くないはずはない。今まで地獄のような特訓を潜ってきた彼であっても、その感覚だけは麻痺していなかった。

 しかしそれならば、()()()()()()()()()()()()だ。入学から半年、自分以外の仲間も随分と生きる事に貪欲になったし、死ぬ事だけはないように鍛えられても来た。

 であれば、その覚悟に応える権利はあるはずだ。

 

 

「即答かよチクショウ。これでも一晩中考えてロクな作戦思いつかなかったから破れかぶれで訊いたんだぞ」

 

「珍しいな。でも、まぁ要はいつもと同じ事だろ? 何があっても、どんな事になっても、命だけは捨てるな、って」

 

 死ぬなと言われたならば、そう、いつものように死なないように立ち回るだけ。

 ただ今回は、その難易度が上がるかもしれないという事。否、かもしれないではなく、実際に修羅場となるのだろう。

 

 だが、怖じ気着く事はない。そもそもレイとサラの二人が今まで過剰なまでにリィン達を鍛えてきたのは、このような時を想定しての事だ。

 ならば、期待に応えるのが義務というもの。だからこそ、リィンは答えに迷う事はなかった。

 

「レイは?」

 

「え?」

 

「いや、心配する事もないかとも思ったんだが……俺達ですら死ぬかもしれないんだろ? そうしたらレイは、もっとヤバい戦いをすることになるんじゃないかと思ってさ」

 

「あぁ……まぁな。事と次第によっちゃ俺も危ないかもしれん。厄介な奴が出張ってくるかもしれないからな」

 

 少なくとも、このまま何事も起こらずにトリスタに帰る事はできないだろう。

 完全に「特別実習」の範疇を超えているだろうが、それでも降りかかる火の粉……いや、大火をむざむざと見過ごすわけにはいかない。

 

 

 続々と起床した面々が階段を降りてくる音が聞こえ、また同じような事を言わなければならないなと思いながら、レイはソファーに深く体を埋めた状態のまま、深く深く息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――”その男”は、そこにただ佇み、存在しているだけでも紛う事無き異色を放っていた。

 

 

 

 ある者は、その姿を見ただけで禍々しい不吉の気配を感じ、吐き気を催した。

 

 ある者は、その姿を見ただけで形容し難い嫌悪感を感じ、眉を顰めずにはいられない。

 

 ある者は、その姿に悍ましい程の強者の波動を感じ、全身を震わせる。

 

 ある者は、その姿に畏れを感じ、背徳的にも邪悪な雰囲気に陶酔する。

 

 

 

 

 この世の存在を、”善”と”悪”の二元論に仮定して振り分けて落とし入れるのならば、その男は誰しもが”悪”に振り分けるだろう。その中でも”極悪人”というカテゴリーに入る事に、恐らくは誰も違和感を覚えない。

 

 だがそれでも、その姿、趣には”恐怖”以外のモノが混在しているのもまた確か。陽の下であろうと煉獄の底であろうと変わらない在り方は、時折魅力すら垣間見せる事がある。

 

 

 蛇蝎の如き存在と忌み嫌うも、稀代の超人と崇敬するも、全ては己次第。

 

 だが男は、紛う事無き災厄の化身。それを見違えた瞬間、魅入られた者らも怯え果てた者らも、皆総じて”何か”を奪われる運命(さだめ)にある。

 

 

 

 

 

 

「――――――さて」

 

 

 

 此処に、黒銀の都市を視界に収めた男は、誰に聞かせるでもなく告げる。

 

 

 

 

「《天剣》―――卿は私に、此度はどのような”宝”を見せてくれるのかね?」

 

 

 

 災厄の行進が、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうも。『Fate/EXTELLA』のストーリーをクリアしたので早くポケモン買いに行きたい十三です。
 本日は凍える日の中、今年初めて室内に暖房の熱気を招き入れましたが、やっぱり良いものですね。暖房は良い文明。

 さてさて、長い番外編を挟んでからの本編カムバックではありますが、遂にルーレも二日目。原作よりも更にHARD NIGHTMAREどころではない難易度の災禍が襲ってくること請け合いですが、なんとかなる……のかなぁ? 正直主人公勢だからといって無傷で切り抜けられるとは一言も保証できないのがこの作品なので。自重はしません。

 最後に出てきた人―――これキャラの名前出す前に元ネタの方が分かっちゃった人多そう。
 因みに私のトラウマキャラです。帝の方がどちらかと言えばマシ。

 そしてリディアちゃん……どうしてこうなったのかは訊かんといてください。正直、この子を主軸に何話か書ける勢い。因みにこの子もまぁガッツリ闇抱えてますが、まぁその辺りは後々。


PS:
 ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィとかもうツッコミどころが飽和状態になってどこからツッコんだらいいか分からない定期。だがあえて一つだけ訊かせてくれ。―――クラスはなんだ⁉
 ランサーかアヴェンジャーなら私歓喜。それ以外だったら微妙。


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花に潜むは美か毒か ーin オルディスー





※前回までのあらすじ

①A班はルーレに来たけど何も起こらないなんてそうは問屋が卸さない。
②レイ君はジョブチェンジしても有能。はっきり分かんだね。
③クレア大尉のドレスアップ姿は至高。そして去り際に殺し文句を言われる。
④結社苦労人の会の飲み会(ジュース)が行われる。後輩は酒癖(?)が悪かった。
⑤ルーレでの実習はガチで命が危ないレベルと判明。
⑥新たな《使徒》襲来。絶望しかないレベル。

※今回のあらすじ

①まぁそれはそれとしてB班の様子見ましょうか。






 

 

 

 

 

 

 

 出会った瞬間、心の底から忌避感を覚えたのを思い出す。

 

 幼いながら異性同性、老いも若きも関係なく魅了するその美貌にではない。静謐な空気の中で響く玲瓏な鈴の音のような透き通った美声にでもない。生まれた時から何不自由なく生きられる、その家の高貴さを羨んだわけでもない。

 

 

 寧ろ、彼女をまるで女神の生まれ変わりであるかのように讃える周囲の人間たちこそが信じられなかった。

 彼らは、一体どのような節穴で彼女を見ていたのか。白百合のような美麗な外見だけを見て褒め称えていたというのならば、それは滑稽と言うしかあるまい。

 

 少なくとも、自分は彼女を美しいとは思わなかったし、そのような事を思ってはいけないと子供心ながらに理解していた。

 ()()は、少なくともそういった類の”モノ”だ。可憐な花に見せかけて、その実は釣られて寄って来た虫を捕らえる蟷螂(カマキリ)のようなものだ。

 

 ……否、そんな殊勝なモノではないのかもしれない。食物連鎖とか、人の理とか、そんなものから既に外れてしまった何かのような感覚。

 

 だからこそ、自分は恐れたのだと確信できる。誰もが彼女に取り巻いて媚びを諂う中、自分だけが逃げ去ったあの時の選択は、決して異常ではなかったのだ。

 

 

 ―――そして今も、その感情に変わりはない。

 

 毒花の香りに誘われるほど、自分は愚かでも、弱くもないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 帝国北西部に位置する海都オルディスは、その名の通り帝国西部の海に面した人口40万人を超える巨大海港都市である。

 海洋貿易の収益は、ゼムリア大陸に存在する小国の国家予算にも匹敵すると言われており、経済的な影響の大きさはエレボニア内でも随一と言える。また、国外の貿易商が多数支社を構えており、国際社会の観点から見ても重要な都市であった。

 

 一時期、ノーザンブリア事変が勃発した際には僅かに収益が傾いたという過去こそあれど、今日までオルディスはエレボニア第二の巨大都市として繁栄を続けていた。

 

 

 そんな土地に、特別実習として訪れたトールズ士官学院特科クラスⅦ組B班一同。

 外憂だけを気にするならば、この実習はそれほど気にかける事もなかっただろう。帝国第二の都市、そして治安の面でもしっかりとした対策が取れている場所だ。それだけならば、比較的温和な形で実習を終える事ができるのではないかと思う者もいたかもしれない。

 

 だが現在、B班を率いるユーシスのストレスは天井知らずで溜まっていた。

 

 

「おー、やっぱスゴいねぇオルディス‼ 何回か潜入した事あったけど、やっぱりこうしてみると色々と楽しそうなところがありそうでワクワクしちゃうよ♪」

 

「ミ・リ・ア・ム貴様ぁ‼ 喋るな動くな勝手に探索しようとするな‼ 貴様の存在が此処ではどれだけ危ういか分かっているだろうが‼」

 

 琥珀色の双眸を爛々と輝かせてあちらこちらに視線を動かし、また誰に許可を得るでもなくあちらこちらに行こうとする。その度に首根っこを掴んで止めるという行為にも、既にユーシスは慣れてしまっていた。

 普段の、それこそ学院にいる時ならば、ユーシスもここまで口を酸っぱくすることはなかっただろう。こうまで面倒を見てやる義理はないと踏んでいたし、何より四六時中一挙手一投足に目を掛けるのはあまりにも疲れ、また無意味な行為だと分かってしまっていたからだ。

 

 だが、この場所で彼女の勝手な行動は許されない。それこそリードから解放された仔犬のような振る舞いは、彼女だけでなくB班全員、もっと言えばトールズ士官学院という施設そのものに迷惑をかける事になる。

 

 

 最近はあまりにも馴染み過ぎて時折ふと忘れるようなこともあったのだが、彼女は、ミリアム・オライオンは『革新派』のトップ、ギリアス・オズボーンが直々に従える走狗の一人なのだ。

 そして此処オルディスは、『貴族派』の実質上の首魁であるカイエン公爵が治める地。つまりは不倶戴天の敵の懐に土足で上がり込んでいるようなものなのだ。

 

 それがどれ程の危険を孕んでいるか、そんな事は素人でも分かる。縄張り争いをしている獅子同士が同じ地に居合わせたようなもの。状況が悪ければ殺し合いにすら発展する。

 そんな時限爆弾を抱え込んでこの地に来ることがどれ程危険かなど、そんな事は実習地や生徒の割り振りを考えている学院の理事たちも承知の上の筈だ。であるならば、敢えてこの少女をこの実習地に赴かせたという事になる。

 

 どう足掻いても厄介事の臭いしかしない。―――それが本能的に理解してしまえるからこそ、ユーシスは眉間に刻まれた皺を緩める事ができなかった。

 

「委員長、コイツの行動を制限しておけ。いざとなれば攻撃アーツの一発や二発撃ちこんでも構わん」

 

「え、えーと……」

 

「ぶーぶー。ちょっとー、ユーシス酷くないー?」

 

「妥当な判断だ。本当なら縛り上げた状態で貨物扱いで運ぶ事になったとしても文句を言えん立場だぞ、此処での貴様は」

 

 そう言って眉間を抑えるユーシスを、他のメンバー―――エマ、ガイウス、ラウラ、マキアスも同情の感情を含んだ視線で見つめていた。普段はいがみ合いをしているマキアスも、この時ばかりは置かれた状況に溜息を漏らすしかできない。

 

 

 とはいえ、ミリアムを厄介者扱いするようなメンバーは、幸か不幸かいなかった。

 確かに悩みの種ではあるが、だとしても同じ特科クラスⅦ組のメンバーとして、彼女の抱えた事情くらいは慮る事はできる。

 溜め息を吐きながら、辟易としながらも、決して見捨てる事はないのが彼らの矜持というものだった。

 

「……貴様の突拍子のない行動に今更どうこう言いたくもないが、今回だけは可能な限り自粛しろ。俺達全員を巻き込んで死地に立たせるつもりでないなら、な」

 

「むぅ……」

 

「尤も―――」

 

 その後、ユーシスがミリアムと視線の高さを合わせ、他の誰にも聞こえない程度の声量で言った言葉にミリアムは一瞬驚いたような表情を見せ、そしていつもの通りの笑顔を浮かべた。

 

「しょーがないなー」

 

「ともかく、勝手な行動は控えろ。……貴様たちも気を緩めるなよ。この場所は、俺たちにとって安寧の地とは言い難い」

 

 その言葉には、一同も頷くしかなかった。ケルディックで領邦軍の癒着を身を以て知ったラウラも、バリアハートで『貴族派』のなりふり構わなさを実感したマキアスとエマも、故郷の地を蹂躙されかけたガイウスも、全員がそれが意味するところを知ってしまっている。

 

「まぁ、あちら(ルーレ)もあちらで良くない事に巻き込まれている可能性も高いが」

 

 ポツリとラウラがそう言うと、全員が「あぁ……」と声を漏らした。

 今まで、リィンとレイのコンビが共に同じ実習地へ赴いて何事もなかった時が無い事を考えると、確かにそれはあり得ない話ではなかった。

 

 オルディス程『貴族派』の力が絶対的ではないが、ルーレも四大名門の一角が治める地、そこに在れば―――一悶着は免れないだろう。

 

「どちらにせよ、今回も楽な実習ではないという事か」

 

「今まで楽だった実習の方が少なかったですけどね……」

 

 気を抜けば今までの実習のあまり思い出したくない事を思い出してしまいそうで、エマは(かぶり)を振った。

 このままでは自分の本当の使命も、いつか忙殺される毎日に揉まれてポロッと忘れてしまいそうで怖かったのもあるが。

 

 

 

 そういった前置きを踏まえてオルディスの地に足を踏み入れた6人であったが、街の様子を見回る暇すらなく、オルディス駅前に既に待機していた公爵家に仕える執事に案内され、黒塗りの導力車の送迎で一路カイエン公爵家の邸宅へと向かう事になった。

 

 手回しが良すぎると一瞬思いはしたが、よく考えてみればバリアハートに赴いた際も同じようなものではあった。

 四大名門の首魁ともなれば、この程度の事はやってのけるのだろう。そう考えると別段不自然な事には思えなかったし、何よりその申し出を断る選択肢などありはしない。

 

 オルディスの観光名所である大海原を一望できる道路を走りながら、車は着実に屋敷へと近づいていく。

 それと共に緊張感も高まってきてはいたのだが、窓から景色を見てはしゃぎ倒すミリアムを見ていると、幸か不幸か真剣に考えすぎるのも馬鹿らしくなってくるというのがユーシスの本音ではあった。

 

 寧ろ、彼が熟考しなければいけない問題は、他にもあるのだから。

 

 

「ささ、皆様方、こちらにおいで下さいませ」

 

 車から降り、執事に案内された先にあったのは、一瞥しただけでもバリアハートのアルバレア公爵邸よりも更に一回りか二回りほど規模があるカイエン公爵邸であった。

 カイエン公が貴族らしく派手な意匠、事柄を好むというのは貴族の界隈では既に周知の事実ではあったのだが、実際に目にするとユーシスですらも一瞬気圧されてしまう。それだけ、圧倒的な権力の証を見せつけられたような錯覚に陥った。

 

「ようこそオルディスにお越し下さいました。本来であれば旦那様がご挨拶させていただく事になっておりまして、皆様方にお会いになるのをとても楽しみにしておられたのですが……」

 

 曰く、カイエン公は同じ四大名門の一角であるハイアームズ侯爵と会談するためにサザーランド州の州都セントアークに赴いており、オルディスを留守にしているという。実習が終わるまで目通りが叶わないと知った一同だったが、そこに関しては特に不満はなかった。

 貴族のトップに最も近しい人物が多忙なのは当然の事だ。一介の学生である自分たちにそれを責める事は出来ず、それができる権利もない。()()()()()()()()()()()()()()という疑問こそ残りはするが、それを今考えたところでどうしようもない事だろう。

 

「ですが、それではお客様に対して申し訳が立たないとルクレシア様が仰せになられまして、これからお嬢様のお待ちになられているお部屋にご案内させていただきます」

 

「それは(かたじけな)い」

 

 ラウラが、執事の言葉にどこか喜色を混ぜた声色で返す。

 ラウラにしては珍しいその反応に他の面々は驚いたような表情を見せたが、ただ一人ユーシスだけは、心の内で苦虫を噛み潰したような反応をせざるを得なかった。

 

 その名は、彼にとっては毒薬のようなものだ。耳朶に入れるだけで身震いが止まらなくなる。

 Ⅶ組に入ってからは相当理不尽な事柄にも耐性が着き、ある程度の事には動じない胆力を身に着けたと自負していたが、しかしそれでも、やはり克服はできなかったのだとハッキリ分かる。

 

「……ユーシス? どうした?」

 

「いや、何でもない」

 

 そんなユーシスの異常を感じ取ったのか、ガイウスが声を掛けてくる。だがその気遣いに、ユーシスはそっけない返事を返す事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 そこは、外界とは様々な意味で隔離された美に塗れた場所だった。

 

 庭に咲き誇る花々の香りも、木々の騒めきも、空気の震えすら届かない。豪奢な家具と彩りで体裁は保っているが、実質は無菌室と同じようなものだ。

 華美でありながら虚構、美麗でありながら無機質。対照的なはずの価値観が、この部屋には詰まってしまっている。

 

 だがその事を、理解できる人間が果たしてどれだけいるだろうか。この異常性に悍ましさを感じる者が、果たしてどれだけいる事か。

 美意識が無いだとか、そういった真っ当な感性では真意を推し量る事はできない。これを察せられるか否かは、偏に人間観察の技量によるものだろう。

 

 如何な業物を有していても、扱う者が貧弱であればそれはただの(なまくら)と化す。―――いつしかレイはそう言っていた。

 その言葉に、ユーシスは心の底から同意する。……尤も、目の前の女に当てはまるのは、業物ではなく装飾品になるのだろうが。

 

 

「ようこそいらっしゃいました。歓迎いたしますわ、トールズ士官学院特科クラスⅦ組の皆様」

 

 彼女は、まさに美の体現者のような女性であった。

 僅かに青みがかった銀髪は最上級の絹のように滑らかに流れ、蒼耀石(サフィール)の如き双眸も、歌姫(ディーヴァ)のような透き通った声を紡ぐ唇も、それら全てが”女性”という存在を徹底的に磨き上げたかのような、そんな印象を抱かせる。

 白を基調とした貴族服に包まれた肢体は、その上からでも艶めかしいラインを描いており、異性のみならず、同性すら羨望してやまない。―――否、或いは羨望を通り越して崇める者も出てくるだろう。

 

 更にはその眼差しも、慈愛の一言に尽きる。貴族特有の傲慢さや偏屈さは欠片もない。屋敷に招待した自らよりも若い少年少女たちを慈しむかのようなそれを見れば、まるで女神の生まれ変わりだと賛美する者も出て来よう。

 

 事実、大抵の事には動揺を見せないガイウスですら居心地が悪そうにしており、エマとマキアスは完全に”呑まれて”いた。ラウラは帝国でもアルフィン皇女と並び美しいと称される彼女を前に完全に緊張しており、ミリアムは呆けるような表情を見せていた。

 つまりは、全員見事に一瞬で虜になっていた。声色と雰囲気に吞まれ、最早彼女を疑うような心など微塵も持ち合わせていないだろう。

 

 

 それがルクレシア・カイエン―――カイエン公の嫡女が持つ、絶対的な魅力であった。

 

 

「そのように硬くならずとも結構ですよ。私は公爵家令嬢ではありますが、お飾りのようなものです。勇猛な士官学院生の皆様の方が、(わたくし)には輝いて見えますもの」

 

「そのような事は……お会いできて光栄です、ルクレシア様」

 

「ラウラさんとは、2年前の領邦議会後のパーティーでお会い致しましたね。ヴィクター卿は女学院への進学を希望されていましたが……うふふ、やはり士官学院へとご入学されましたか」

 

「はい。私は無骨者ゆえ、女学院に入学しても困る者がいるでしょう」

 

「寧ろ、ラウラさんのような凛々しい方がいれば女学院の生徒は色めき立つと思いますよ?」

 

 クスクスと悪戯っぽい笑みを浮かべるその姿は、元より魅力的な彼女を更に魅力的に見せるには充分すぎるものであった。

 その後もメンバー一人一人に声を掛ける彼女の言動には、一切の不自然さがなかった。ミリアムの正体が宰相の駒である事を理解していながら茶菓子を勧める在り方は、まさしく淑女の在るべき姿と言っても過言ではないだろう。

 

 そして彼女が最後にユーシスの顔を見た時、先程まで以上に嬉しそうな笑みを一瞬見せたのを、一体何人が気付いただろうか。

 

「お久しぶりですね、ユーシスさん。お会いできたのは一度ルーファス卿とご一緒に社交界においで下さって以来ですか」

 

「……ご無沙汰しております。ルクレシア様」

 

(わたくし)としては同じ公爵家の子同士、それも歳が近しい者同士で交流を深めたいと思っておりましたのに……ユーシスさんはあの日以来全く社交界にいらっしゃらなかったものですから、少々寂しかったのですよ?」

 

「申し訳ありません。自分は……それ程頻繁に社交界に顔を出せる身ではありませんから」

 

 ただでさえ、血統主義の貴族の世界では妾腹の、それも庶子ともなれば風当たりは辛くなる。

 幼少期、ユーシスの母が死に、父に引き取られた後にルーファスと共に行った社交界の場では、その場にいたかなりの数の貴族たちが陰口を叩いていたのをユーシスは知っていた。

 望んで大貴族の父を選んだわけではないというのに、自分から貴族の世界で生きると決めたわけではないというのに。

 

 そういう事もあって、それ以降ユーシスは社交界の場に出る事はなくなった。元より正式に社交界デビューができるのは16歳になってからだと決まっているが、その歳を迎えてもユーシスはアルバレア家の人間として公の場に出る事はなかったのだ。

 だが―――ただ単に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、また事実だった。

 

 

「えっと……る、ルクレシア様はユーシスさんと仲が良いのですね」

 

「あら、様付けで呼ばれると少し悲しいです。私はラウラさんやユーシスさんや皆さんとも、もう少し親しくお話をしたいのですよ?」

 

「あ、じゃあルーちゃんって呼んでもいいー?」

 

「お、おいミリアム。流石にそれは―――」

 

「ふふふ、ルーちゃん、ルーちゃんですか……可愛らしいお名前です。是非そのように呼んでくださいませ」

 

「やったー♪」

 

 事ここに至ってまで徹頭徹尾マイペースを押し通すミリアム(コイツ)の事はもう考えないようにしようと思いながら眉間を押さえていると、紅茶を一啜りした後に再びルクレシアが口を開いた。

 

「それで、ええと……あぁ、(わたくし)とユーシスさんの事でしたね。幼少の頃、一度だけお父様に連れられて窺った社交界で初めてお会いしたのです。それほどたくさん言葉を交わしたわけではありませんが、それでも(わたくし)にとってはとても楽しい時間だったのを覚えていますわ」

 

「へー。ユーシスモテモテじゃーん」

 

 ミリアムの茶化すような言葉も、今のユーシスの耳には届かなかった。

 

 傍から見れば、今のルクレシアが言ったそれは明らかに好意のそれだった。例え社交辞令の類であったとしても、それを否定する事はできないだろう。

 彼女に見惚れ、貢ぎさえする男どもがこのような言葉を掛けられた暁には天にも昇る心地になるであろうことは想像に難くない。だがユーシスは、それに対しても僅かな笑みの一つさえ見せなかった。

 その様子を横目で見ていたマキアスは、その不自然さに同じように眉を顰めた。

 

「光栄です。自分にとってもあの時間は、とても得難いものでした」

 

 決して、「楽しかった」とは言わない。それが現時点でユーシスにできるせめてもの抵抗だ。

 

 本来であれば、貴族の女性の賛辞に気の利いた言葉を返せないというのは、帝国紳士としてはあるまじき行為。貴族としての価値観は薄いユーシスでも、その辺りは弁えている。

 更に相手は同じ公爵家の子女。自分の立場を鑑みるならば、ここで少しでも近づいておくのがアルバレア家の為になるという事も重々承知している。

 

 だが、それはできなかった。鼻腔を(くすぐ)る甘い芳香が、決して油断するなと警告を発して止まらない。

 それは、この場では異常な事なのだろう。自分以外のメンバーは全員、程度の差こそあれどルクレシアに心を許している。

 この場に限った事ではない。ルクレシア・カイエンという女性が居る場所は、総じて”そう”なるのだ。まるで一つのコロニーを形成して虜を従える女王蜂の如く。

 

 異端は排除されるものだ。例えそれを異質に思っていても、同調するのが処世術というもの。

 しかしユーシスは”これ”だけには決して屈しようとはしなかった。それは幼い頃に身に染みて理解してしまった事に対しての背伸びなのかもしれないが、それでも彼はルクレシアという女性に心を許す事はなかった。

 

 それをしてしまえば、きっと彼女の恐ろしさを理解できる者がいなくなってしまうだろうから。

 

「一度、ユーシスさんとはゆっくりお話ししてみたいです」

 

 慈しみではなく、どこか好奇心が混ざったような声色が、やけに耳にこびりついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 自分が天才の類ではないという事は、大分昔に既に知っていた。

 自分よりも遥かに優れた、まさしく貴族の在るべき姿の体現者。如何なる要素を抜き出して見ても、そんな兄に叶う所などどこにもない。

 

 かと言って、努力で勝れるかと言えばそれも否だ。もはやどうしようもない差というものを自覚した時には劣等感なども人並みに抱いたりしたものであったが、それもものの道理を弁えるような年齢になれば自然と馬鹿らしいと思えてくる。

 或いは自分がルクレシアに抱いている忌避感は、そんな劣等感の残滓から来るものではないのかと思った事も何度かあった。自分では決して届かない高嶺にいる存在だからこそ、捻くれた視線でしか見れなかったのではないかと。

 

 事実、貴族社会の中で妾腹の庶子というレッテルを張られたユーシスは、自分が捻くれた性格をしているという事を自覚していた。

 穢れた子だ何だのと罵倒を向けたいのなら直接言ってしまえばいいだろうに、アルバレア公爵家という後ろ盾がある限りそれを成せる者は少ない。せめて生き方だけでも正しい貴族であろうと努力はして来たものの、世間から見れば高慢ちきに映るらしい。少なくとも、トールズに来るまではそう感じていた。

 

 

「……馬鹿馬鹿しい事を思い出す程度には余裕ができたという事か」

 

 宿泊場所として用意されたオルディスのホテルの一角。談話室のソファーに深く腰掛けて窓の外に浮かぶ宵月を見上げながら、ユーシスは独りごちる。

 

 あの後、ルクレシアから渡された実習内容に目を通し、さっそく数件をこなした一同はいつもの通り明日に備えて早めに寝る事になった。

 だが、ユーシスはどうにも寝付けなかった。同室の男連中を起こさないようにそっと部屋から出てきたものの、眠気は一向にやってこない。

 

 思ったよりもルクレシアと再会したことが心の負担になったのかとも思ったが、それにしては思い浮かぶのは過去の醜い思い出と、士官学院に入学してからの劣等感など覚える暇すらなかった理不尽な日々。後ついでにクソガキ(ミリアム)の自由奔放過ぎる行動に対してのストレスともなれば、深く考えすぎなのかもしれないと思い至るのは普通の事だった。

 

 既に何度目かも知れない深い溜息を吐いていると、談話室に一つの足音が近づいてくるのを感じた。

 

 

「……今日はいつもより数割増しで殊勝にしていると思ったらこれ程か。君らしくもないな」

 

「そう言って貴様も起きてくるあたり、お互い暇人である事は変わらんだろうが、レーグニッツ」

 

 普段は顔を合わせた瞬間棘のある言葉を言い合う二人も、今回ばかりはその雰囲気ではないと悟っているのか、ただそう言葉を交わす。

 それから数分は言葉が続く事もなかったが、今更意地を張っていても仕方がないと諦めたユーシスがとある質問を投げた。

 

「レーグニッツ、貴様ルクレシア様を見て、接して、どう思った」

 

「……そうだな、美しく、それでいて貴族の子女らしくない人だとは思った。名前だけは聞いていたが、成程あれならば社交界の華になるのも頷ける」

 

「貴族嫌いの貴様が言うんだ。なら他の者の意見を訊くまでもないな」

 

 昨今では然程貴族嫌いの一面を見せなくなったマキアスではあるが、それでも節々にはやはり傲慢な貴族に対する不信感や忌避感が垣間見える。そんな彼でも褒め称えるという事は、恐らくはそういう事なのだ。

 

「なら、僕からも一つ訊かせて貰おう」

 

「何だ」

 

「君は何故、あの人を避けているんだ?」

 

 眉間の皺が、更に深まる。

 しかしそれはそういった事を訊いてきたマキアスに対して苛立ちが募ったわけではなく、第三者の視点から見ても自分が避けていたことが分かるほどに分かりやすい言動で対応していたのかという事に対しての苛立ちだ。

 

 だが、それを言葉にするのは難しい。主観的な視点が多分に入る上、余りにも抽象的過ぎる感想でしかないからだ。

 そんな理由で答える事を放棄していると、今度はマキアスが大きく溜息を吐いた。

 

「……そこまで頑なになるという事は、君なりに譲れない事情があるんだろう。なら、深く訊くつもりはない」

 

「随分と、物分かりが良いな」

 

「凝り固まった価値観で下手を打つのはもうこりごりなんでね」

 

 バリアハートでの実習の際にレイに言われたことを脳内で反芻しながら、マキアスはなるべく感情的にならないよう、淡々とした声色で続けた。

 

「僕も君も天才なんて人種じゃない。偉ぶって物事を語れるほど人生を生きてきたわけでもない。だからどう足掻いたって不器用な生き方になる。それは仕方のない事だと思う。

 でもそれでも僕は、Ⅶ組の仲間を裏切るような真似はしないと誓った。なにせ、こんな僕でも信じて、力を貸してくれたんだ」

 

「…………」

 

「君は確かにいけ好かない男だ。これからも数えきれないくらい僕たちはいがみ合うだろう。―――だがそれでも、同じⅦ組に席を置く者同士だという事は変わりない。

 僕が気に食わないのなら、僕以外の誰でもいい。君の今抱えているものを吐き出す事くらい、誰だって許容できる。君の価値観が僕らとズレていても、君を軽蔑するメンバーはⅦ組にはいない。そうだろう?」

 

「フン、貴様に見透かされるとはな。考えるまでもなく、俺も充分Ⅶ組の空気に毒されていたか」

 

 だがそれは、悪い気分ではなかった。

 考えてみれば、最初から『アルバレア家の次男』ではなく、ただの『ユーシス・アルバレア』として自分を見てくれた場所などどこにもなかった。生まれが貴族だからと一切特別扱いをせず、共に一丸となって無理難題に身を投じ、その度に成功もすれば失敗もする。だがそれは個々人が責任を取るのではなく、Ⅶ組全体が考えるべき課題だった。

 

 居心地が良いのは認める。そして今こうして班長として率いるのを認めてくれているメンバーに、不義理を貫くのはユーシスの矜持が許さなかった。

 僅かに納得がいかない事があるとすれば、それは反りが合わないマキアス(この男)にそれを指摘されたという事くらいだろうか。

 

「……あぁそうだな。俺は確かにルクレシア・カイエンという女を忌避している。何故かと問われれば、それこそ抽象的な言葉になってしまうがな」

 

「レイに言わせれば、人を見る目に関しては君とアリサがⅦ組の中では群を抜いているらしいからな。……僕たちが見た限りでは嫌われる要素が見つからない女性だと思ったが」

 

「恐らくアリサでもそう言うだろう。これは多分、俺にしか分からないコトだ。……尤も、レイがいたならば、もしかしたら話は別かも知れんがな」

 

 教えてやる、と。ユーシスは再び宵月を見上げて続けた。

 

「あの女が、一部の貴族たちの間でどう呼ばれているか知っているか?」

 

「?」

 

「《触れならざる花(アフロディアナ)》―――あの女との婚約の席を巡って、一時期は貴族の家同士で容赦のない潰し合いが目立ったらしい。高嶺の花と称するには、些か血生臭さが過ぎる話だ」

 

 美しさが罪になるとは良く言ったものだが、彼女の場合はそれが顕著だ。実際に血が流れるまでに発展したことがある以上、彼女自身には罪がなくとも、どこか畏怖を感じずにはいられまい。

 だが、ユーシスが感じている違和感は、そんな伝聞で伝わるようなものではない。

 

「俺が忌避感を感じたのは、あの女がそう呼ばれる前の事だ。俺が恐れた”それ”が、結果的に貴族同士の醜い婚姻戦争に発展したとなれば、俺の感覚は間違っていなかったことになる」

 

「どんな人間にも裏がある―――という簡単な事ではない、か」

 

「そうだ。そんな単純な事ではない。俺は、もっと悍ましい”何か”があの女にはあると思っている」

 

 そのような確信に欠けた主観的な考えで人を避ける事は良くないという事はユーシスも分かっている。

 だがそれでも、幼少の(みぎり)に本能的に感じた恐怖感は間違っていないと信じている。―――それが他者にも伝わるかどうかは全くの別問題だが。

 

「……確かにそれは抽象的だな。学院の授業で述べれば減点は免れないだろう」

 

「だから言っただろうが。貴様らは別に無理に理解しなくとも―――」

 

「だが、()()()()()()()()()()()()()()()。僕も含めて、次はせいぜい呑まれないように気を付けるとしよう」

 

 だというのに、アッサリとそう言って談話室を去ろうとしたマキアスに対して、流石のユーシスも焦りを見せた。

 だが、その前にマキアスが談話室の扉を開けると、扉の前で聞き耳を立てていたらしい残りのメンバーが全員、雪崩のように倒れてきた。

 

「……すまん」

 

「す、すまない。本当は私達も入ろうと思ったのだが、タイミングを逃してしまったのでな……」

 

「え、えっと……ごめんなさい」

 

 ガイウス、ラウラ、エマが申し訳なさそうな顔をしながら謝る姿にどうリアクションしたものかと悩んでいると、立ち上がったユーシスの腹部に勢いよく突進してきた小さな影。

 

「グフッ‼ み、ミリアム、貴様……」

 

「ふっふーん。一人でウジウジ悩んでるユーシスに”アイノムチ”ってやつだよー。あれ? いいんちょー、これで合ってるんだっけ? 」

 

「普段の愛の鞭が際限なく厳しすぎるので何とも言えませんね……」

 

 咄嗟のこと過ぎて防御が間に合わなかった腹部からの鈍痛に耐えながらミリアムの首根っこを掴むも、相も変わらず本人に反省の色は無し。

 だが、笑顔そのものにいつもの元気はなかった。見れば、笑みを見せながらも若干舟を漕いでいるようにも見える。

 

「ミリアムは、ユーシスを心配していたんだ」

 

 ラウラがユーシスからミリアムを引き取ると、そのまま彼女を背に担いだ。

 

「カイエン邸から帰る時から元気がないのを気にしていてな。先にマキアスに行って貰ったのだが……ミリアムも眠気を我慢して着いてきたという訳だ」

 

「…………」

 

「俺達が言いたい事はほとんどマキアスが言ってくれた。後は、まぁ、ユーシスがどう思うか、だな」

 

 ガイウスは判断をユーシスに委ねるような言葉を掛けたが、その後に「ただ……」と付け加えた。

 

「この実習中、ユーシスは俺達のリーダーだ。リーダーでなくとも、俺達の大事な仲間である事は変わりない。あまり気を遣われると困るぞ」

 

「うむ。正直ユーシスがマキアスといがみ合っていたり、ミリアムと絡んでいたりしないと私としても本調子が出ない」

 

「もう既にⅦ組名物ですもんね。休み時間の度にユーシスさんがミリアムちゃんを連行して教室まで戻ってくるのが日常みたいなところありますから」

 

「貴様ら俺の胃に穴を開けさせたいのなら率直にそう言ったらどうだ?」

 

 そうは言ったものの、ユーシスは内心で安堵していた。

 この連中ならば、たとえ自分がルクレシアを真正面から怪訝に思ったとしても離れていく事はないだろう。腐れ縁ではあるが、それでも彼にとってはこれ以上に頼もしい事はない。

 

「ねーユーシスー」

 

 すると、ラウラの背中で今にも夢の世界に旅立ちそうなミリアムが、どこか足のついていないような声色で呼んでくる。

 

「ユーシスがげんきじゃないと、ボクもつまんないよ?」

 

 その一言だけを絞り出すと、電池が切れたように小さい寝息を立て始めた。

 言ってくれると心の中で悪態をつきながらも、ユーシスはミリアムの頭をやや乱暴に撫でた。

 

「コイツにここまで言われて沈んだままでは俺の沽券に関わる。レーグニッツ、ガイウス、ラウラ、委員長、明日からはまたキッチリと依頼をこなしていくぞ」

 

 言われずともと言わんばかりにそれぞれ反応した面々を見て、ユーシスは彼らから見えない位置で密かに薄い笑みを浮かべた。

 避けて逃げてどうにもならなくなった先にこんな頼りになる馬鹿達と巡り合えたことを、改めて幸運に思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 どうも十三です。まずは1月中の投稿が滞ったってレベルではなかったことをお許しください。

 中旬までは卒論に追われ、それが終わったと思ったら反動のせいか熱を出し、それが回復したと思ったらサークルの最後の作品の〆切に追われ、それが出来上がったと思ったらバイト先のトラブルに巻き込まれて精神的に追い詰められての四重苦。
 ……いやもうね。マジでキツかったです。申し訳ありませんでした。


 そんでもって今回はオルディスに実習中のB班の方にスポットを当ててみました。やってみたい事がいくつかあったので。あ、次回も続きますよ。

 はいそう言ったわけで、今回の新キャラ、元ネタが分かった人いますかー? このキャラが登場した時のBGMは『蒼薔薇の君』というのを推奨します。
 もうね、この人の場合原作でも頭の中フラワーガーデンだったから扱いに困るというか、面倒臭いというか……あ、白執事Ⅱ様、ようやっと出せました、ありがとうございます‼

 興味がお有りの方は『相州戦神館學園 八命陣』というゲームのプレイを推奨いたします。事実上の続編の『相州戦神館學園 万仙陣』よりもこちらのほうがいいですね。

 さて、と……私は今から某light新作ゲーのド鬼畜糞眼鏡野郎をはっ倒す作業をしなくてはならないのでこれにて失礼します。ではまた次回で。


PS:
 FGOバレンタインイベ。ついにアルトリア顔で出ていない鯖が七騎の内ではキャスターだけになったというこの事実。もう訳が分からないよ。
 武蔵ちゃん? キングハサン? ハハハ、引けなかったですよ(涙)

PS:
 今期のアニメの中で自分の中での神アニメは『幼女戦記』だと思う。ぶっちゃけ幼女ではなくてオッサン達の軍議をもっと見せて欲しい。恰好良すぎる。


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無垢なる少女は戦意を纏い -in オルディスー






「死ぬにはいい日など死ぬまでない。いつだって、今日を生きるしかない」
         by 純・ゲバル(範馬刃牙)







 

 

 

 

 

 例えば戦場では、適材適所という言葉が重要になってくる。

 戦闘を行う兵士に重要なのは如何なる場所時間状況でも確実に任務を遂行するある種の万能さと、それを実行できる判断力と実行力。

 

 それらの配下を、状況に応じて的確に配置していくのが、指揮官としての役目だ。それが、大陸随一と謳われていた猟兵団の連隊長を務めていた身ともなれば尚更骨の髄まで理解している。

 

 

『オレらはカイエン公の護衛につかなアカンからな。そっちの仕事はお前に任せるわ』

 

『元より、こういった仕事はお前が適役だろう。俺達では、()()()()()()()()()()かもしれんからな』

 

 ゼノとレオニダス(同輩たち)にそう告げられたのはある意味正しい事だと今でも思っているし、不満もない。

 元より自分は野戦よりも市街地戦で活躍できる部類の武人であり、であるならば確かに適任であると言えた。

 

 ……今更、()()を手に掛ける事に罪の意識は覚えない。

 団の一員として活動していた頃は、戦闘の妨げになる存在は容赦なく潰してきた。滞在していた村を囮にして攻められた時などは躊躇なく村人を見捨てていたし、必要があれば民間人を手に掛ける事も幾度となくあった。

 故にこそ”死神”。人々に畏怖され、貶され、汚らわしく思われる存在。猟兵とは、そういったモノなのだ。

 

 だが、今回の標的(ターゲット)となる人物の写真をもう一度確認してみると、僅かに胸が軋む。

 今更そんな感情は抱かないと思っていたし、そもそも抱く事自体が罪だと思っていた。

 しかし、同じ年頃の女の子を見かける度に、思い出す事がある。自分たちが突き放さざるを得なかったあの子は、果たして元気にしているのだろうかと。

 

 

 そんな事を思うと、自然と苦笑が漏れてしまう。

 いつまでも保護者面ではいられないのは自明の理。彼女は彼女なりに新しい自分の人生を歩んで欲しいと願ったのは自分たちの筈ではなかったのかと。

 

 そう思いながら、彼女は自らの得物を手に持つ。

 死神はいつだって、己の仕事に私情を持ち込まない存在なのだと、そう心に言い聞かせて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひょっとすると色々と杞憂だったのではないかと思ってしまう程に、実習二日目の朝は平和に過ぎ去っていった。

 

 今まで地獄のような訓練や死地を潜り抜けてきた彼らにとって、郊外の魔獣退治や物の修理依頼、または物資運搬の手伝いや遺失物の捜索などは手慣れたものである。

 依頼を並行作業で同時に行うコツなどは、そういった苛酷な業務を日常茶飯事でこなしてきたレイのアドバイスのお陰で既に習得済みであり、ユーシスがきっちりとタスクマネジメントをこなした甲斐もあって、昼を迎える頃にはあらかたの依頼をこなしてしまった。

 

 暇を持て余す、というのはユーシス的にはあまり歓迎できるものではないのだが、提示された分の依頼は終わってしまったのも事実。

 そこでオルディス市内にあった、評判の良い海鮮料理を出すレストランで昼食を取りながら、メンバーにこれからの行動について意見を求めた。

 

「このままホテルに戻って一日を終えるのは流石に無駄な時間の使い方だ。それだけは避けたい」

 

「成程、そうだな。これから何度オルディスを訪れる事ができるか分からない以上、経験できることは経験しておきたい」

 

「とはいえ、オルディスは広いからな。何かをするにしても、目的が無ければ中途半端になる」

 

「目的……目的ですか」

 

「すぐには思いつかない、というのが正直なところだな」

 

 むぅ、と悩む一同をよそに、大盛りの海鮮パスタをペロリと平らげたミリアムが「はいはーい♪」と手を挙げた。

 

「ボク行きたいところがあるんだけど、一人で行ってもいいかなー?」

 

「み、ミリアムちゃんダメですよ‼ 今のミリアムちゃんは危ないってユーシスさんも―――」

 

 エマが保護者的な観点から諫めようとしたところで、ユーシスが制する。

 ニコニコと、いつもと変わらない無垢な笑みを浮かべたミリアムを正面から見据えて、ユーシスは浅く息を吐いた。

 

「貴様の事だ、どうせ口疚しく言ったところでいつの間にか消えてるのがオチだろう」

 

「え⁉ じゃあ良いの⁉」

 

()()()()()()()()()()()()()好きにしろ。貴様仮にも()()なら少しは自重して動け。いいな?」

 

「はーい♪」

 

「ユーシス、私が言うのも何だが、多分ミリアムは分かっていないぞ」

 

 ラウラが言うが早いか、ミリアムはそのまま椅子から飛び降りると、親から遊ぶ許可を貰った子供の如くそのまま店を出て行った。

 昼時という事もあり、出入りが激しいレストランの出入り口を過ぎてしまえば、すぐにミリアムの姿は見えなくなる。その様子を見ながら、ユーシスは少し考え込むような仕草を見せた。

 

 他のメンバーが少なからずミリアムの事を案じながら途端に考え込んだユーシスの次の言葉を待っていると、その輪の中に一人の人物が割り込んできた。

 

 

「おや、これはこれは。久方ぶりの面々がお揃いではないか」

 

 傍から見れば軽口と取れなくもない言葉を掛けながら、ミリアムが去って空いていた席に無遠慮に腰かける人物。

 眉目秀麗、貴族特有の高貴な雰囲気を纏っていながら、その振る舞いはどことなく妖しさと胡散臭さを醸し出す。しかしそれでありながら、言動全てに確たる意志を感じさせるその感触は、一度出会って感じれば、そうそう忘れられるものではない。

 

「―――カーティス、卿」

 

「レグラムでお会いして以来ですな、御息女殿。ガイウス殿とエマ嬢も元気そうで何より」

 

 それと、と。レグラム実習の際にはいなかった二人に視線をやって仰々しい挨拶を続ける。

 

「私はまたしても幸運だ。アルバレア公の御子息とレーグニッツ帝都知事の御子息に会う事ができるとは」

 

「えっと……」

 

「……成程、クラウン伯爵家の。お初にお目にかかる」

 

 アルバレア公爵家が支配するクロイツェン州に領地を持つ伯爵家の現当主という事で名前だけは知っていたものの、ユーシスは実際に会うのは初めてであった。

 それより前にラウラから印象のようなものを訊いてはいたが、成程確かに胡散臭さというか、道化のように振る舞っているかのような雰囲気は感じ取れる。本音を上手く隠すような話し方をしているという点では、アリサが「合わない」と若干憤慨していたのも頷ける。

 

 首筋で纏めた黒髪に、同色の貴族服。容貌は見目麗しいともなれば夜会などでは貴婦人がこぞって寄ってくるだろう。貴族社会という檻の中で大なり小なり窮屈な思いをしている女性らにとって、どこか妖しさを醸し出す言動や雰囲気は魅力的である事だろう。

 

 だが不思議と、ユーシスはそのどこか芝居がかった言葉回しがそれ程鬱屈には感じなかった。

 

「カーティス卿は、どうしてこちらに?」

 

「野暮用でオルディスまで足を運びましてな。しかし折角西部にまで来たと言うのに何もせずに蜻蛉返りというのも少々味気無さが過ぎる。―――そういった考えで、中々評判が良いこのレストランを訪れたという訳ですよ」

 

 これでも食には拘る方でね、と言いながらウェイトレスを呼び止め、手慣れた感じで注文を済ませていく。

 

「諸君らは、以前と同じく学院の課外実習とやらかな?」

 

「は、はい」

 

「ふむ、羨ましい事だ。私がトールズに在籍していた時分にはそのような自主性を重んじるカリキュラムが無かったものでな。無茶や無理が押し通せるのも若い内の特権だ。……あぁ、このような事を言っているとまた御息女殿に年齢にそぐわぬと窘められてしまうな。これは失敬」

 

 言動の一つ一つの真意は推し量れないものの、少なくとも年上だから、貴族であるからと此方を見下すような感触は、ない。

 それが分かっているからか、貴族に対してはまず最初に警戒心を抱くマキアスも、どこか読み量れないと言わんばかりの表情をしていた。

 

 中々にキレ者だという話は、(ルーファス)やラウラから訊いた事があった。

 十代の頃はアルゼイド流の道場に通いつめ、伯爵家の家督を継いだ後は辣腕な内政の腕前を如何なく発揮して見事に領地を治めているという。

 帝国という大きな枠組みで捉えた場合の政治学にも精通しており、アルバレア公爵家を通じて『貴族派』の中でも頭角を現している人物。―――相対して気が抜けるわけがない。

 

「いやしかし、実際若い学生に囲まれるというのは良いものだ。最近は老獪な者達の相手をしていたばかりであったからな」

 

「カーティス卿の辣腕の賜物でしょう。自分としては羨ましい限りです」

 

「はは、余り出しゃばると余計な重荷を背負う事にもなりかねん。生き証人が私だ。留意しておいて損はないと思うがね」

 

 するとカーティスは、レグラムで会った面々の顔をもう一度見渡して「ふむ」と唸った。

 

「しかしまぁ驚きだ。男子三日会わざれば刮目して見よとは良く言うが、ガイウス殿だけでなくエマ嬢もあの時とは雰囲気が違う。歴戦の領邦軍人でもそうそう見れない程だ」

 

「えっと、ありがとうございます」

 

「光栄だ」

 

「そしてそれに勝るとも劣らず―――御息女殿は凛々しく、そして美しくなられた。はは、月並みな言葉で申し訳ないが、惚れ直したと言うべきか」

 

 隠そうともせず好意を示してくるカーティスに対して、しかしラウラは全く動じる事もなく教官に向けるような面持ちのまま言葉を受け取っていた。

 

「我が剣筋、我が武を評価していただいた事は感謝いたします。私にとってそれは何より励みになるお言葉ですので。

 ……ですがやはり、私はカーティス卿の望みに添う事はできません」

 

 レグラムにはいなかったユーシスとマキアスも、つまりは”そういう事”なのだという事は充分に理解できた。元よりガレリア要塞から帰還した数日後に世間話のようなもので訊いてはいたが、実際に聞くと考えていたものよりも情熱的である事が分かる。

 

「……ふむ、粘着質な男は嫌われるというのはいつの時代も世の常だ。過分な言い寄りはここでは控える事としよう。貴女も、学友の前で声を荒げたくはないだろうからな」

 

 だが、それに対してラウラの方はといえば全くと言って良いほど脈が無い。

 ユーシスらにしてみれば恋路に焦がれるラウラの姿の方が想像しにくいのだが、爵位が上の相手に対してここまでハッキリとものが言えるのもまた、彼女の気質に依るところが大きいのだろう。

 或いは、もしかしたら―――。

 

「だがやはり、男としては自信を無くしてしまうのも事実だな。……それとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ―――‼」

 

 反射的にだろうか。先程まで平静を装っていたのが噓のように、ラウラは焦燥感に駆られたような表情を浮かべると、そのまま立ち上がって逃げるように店の外へと飛び出していった。

 

「あ、ラウラさん‼ すみません、私ちょっと行ってきます‼」

 

 そしてそれを追うように、エマも店を出る。残ったのは男四人になったが、そこでマキアスが一拍を置いて息を吐いてから静かに立ち上がった。

 

「……僕はミリアムを探して来よう。ああは言ったが、やはり心配だ。ガイウス、君も来てくれるか?」

 

「分かった。付き合おう」

 

 そうして二人も退席すると、残ったのはユーシスとカーティスだけになった。

 好意を寄せる者にお世辞にも褒められない言葉を吐いた後だというのに、カーティスの表情は全く曇らない。今の言動が誤ったものだという自覚はある筈なのに、だ。

 だからこそユーシスには、残った食後のコーヒーをゆっくりと飲み干す程度の余裕があった。

 

「貴君は行かなくても宜しいのか? ユーシス殿」

 

()()()()()()()()()()()このような場を作られたのでしょう、カーティス卿。……自分は色恋にはとんと疎いと自覚していますが、それでも他に取れる方法はあったのでは?」

 

「はは、私は周りが想像している程器用な人間ではないよ。だが、傷つけてしまったのは事実だ。後で誠意を見せなくてはな」

 

 嘘だ、とユーシスは断言できた。

 目の前の男は、そんな事も考慮できない程不器用な人間では断じてない。ユーシスにしてみればラウラの個人的な過去に足を踏み入れようとは思わないし、そのスワンチカ伯爵家の子息がどういう人物なのかも後で本人の口から訊ければ良い程度にしか思っていなかったが、彼は彼なりの意図があってこの状況を作り上げたのだと思える。

 

 例えば、そう。()()()()()()()()()()()()()()だとか、候補は幾らでも考えられる。

 ユーシスの観察眼からして見れば、このカーティス・クラウンという男は意味のない行為を極力しないのではないかと判断した。それと同時に、途轍もなく厄介な相手だという事も。

 

 言葉の中に虚構を織り交ぜる類の相手の、その”虚構”の部分を見抜くのはさして難しくもない。建前の美辞麗句が日常茶飯事に飛び交う貴族の世界に生きていれば、何となくで身に着く程度の事でしかない。

 だが、虚構ではない本音の中から隠された真意を見抜くというのは経験がものをいう。カーティスのように、飄々とした風体を装っている人間が相手ならば尚更だ。

 

「しかし、これは少しばかり予想外だったな」

 

「?」

 

「ルーファス卿から伺ってはいたが、諸君らの活躍は目覚ましい。特にユーシス殿、貴君のような参謀役に向く人材がこちら側(貴族側)に居た事は実に喜ばしい事だ」

 

 やはり、とユーシスは内心で苦い表情をせざるを得なかった。

 カーティスがこの時間に、このレストランを訪れたのは偶然ではなかった。そして恐らくは、ラウラと顔合わせをする事も主目的ではなかったのだろう。

 

 主目的は恐らく、『カーティス・クラウンという男が『貴族派』に存在しているという事をユーシス・アルバレア(自分)に理解させる事』にあったのだ。

 成程確かに警戒はした。カーティスという男が侮れない人物であると、きっちりと脳内に刻み込んでしまった。たとえ実習地であろうとも、『貴族派』の目は何処にでもあるという事を否応にも理解してしまった。

 

 加えて、ユーシス・アルバレアが『貴族派』の所属に足るか否かの判断もしに来たのだろう。自身の培った経験とそれに伴う実力を査定されるのは一向に構わなかったが、しかしながらこういった形で引き込まれるのは御免被りたいというのが本音であった。

 

 そしてそこまで考えると、恐らくは『貴族派』の中でも策略に長けるこの男がこのオルディスで他に何をしようとしているのか。それにも考えが及んでしまった。

 先程ルーファスから話を伺ったと言っていたが、それはつまり士官学院の理事の一人であるルーファス経由でオルディス実習のメンバーも既に割れていたという事。

 多少の妨害程度ならば凌げるだろうと高を括っていたのだが―――この男が一枚嚙んでいるのなら話は別だった。

 

「失礼、カーティス卿。所用を思い出しました」

 

 そう言って立ち上がったユーシスは、自分も含めた6人分の代金をテーブルの上に置き、外に出る為に歩を進めた。

 しかしその途中、カーティスの背後で徐に足を止めた。

 

「評価を頂けたのは自分としても誉れです。ですが自分はまだまだ未熟な学生の身。兄やカーティス卿のように冷静沈着に動く事が叶いません」

 

 ですから、と。座る位置を変えて視線を合わせたカーティスに対し、ユーシスは本人からして見れば冷静に、しかし傍から見れば激情を抑え込んだような声色で続けた。

 

「共に(くつわ)を並べて窮地を潜ってきた自分の友らに害が及ぼうものならば、相応の態度で以て示させていただきます」

 

 それは、ある意味で宣戦布告のようなものであった。頭の固い貴族連中がこれを聞けば憤慨する事間違いなしであっただろうが、カーティスは寧ろ、面白がるような笑みを浮かべた。

 恐らくは彼の兄であるルーファスがこれを聞いたとしても、微笑むだけに留まるだろう。否、それ以前に、弟の成長を喜んで言祝ぐかもしれない。

 

 人の可能性というものは、時に良薬になれば劇薬にもなる。今回の場合、放っておけば大なり小なり『貴族派』にとって痛手となるだろう。

 だが、カーティスはこのレストランでの一連のやり取りを自分の胸の内だけに秘めておく事を決めた。目先の利益、単純な感情論しか頭の中にない老害共に伝えるには、これは余りにも惜しい出来事だ。

 

「参った。これでは私も()てられてしまうな」

 

 運ばれて来た海鮮料理の(かぐわ)しい香りを堪能しながら、カーティスは独り、どこか満たされた感情を実感していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「っと、とと……流石にこの辺りは薄暗いなぁ。ガーちゃん」

 

「Σ.ΝΨΦΘξ」

 

 オルディスの外れ、湾岸地区の廃棄された倉庫区画の入り組んだ道を進んでいたのは、念の為にと持って来ておいた私服を身に纏ったミリアムとアガートラム。

 陽の光すらも利用されなくなった倉庫の壁と屋根に阻まれて薄暗いこの区画は、放置された廃材が錆びた臭いや、下水の近くを這いずり回る溝鼠の異臭がそこかしこに立ち込め、お世辞にも衛生的な所とは言い難い。

 

 その中で視覚的優位を確保するためにアガートラムに話しかけると、本体(ボディ)が僅かに発光して、薄暗い環境に目が慣れるまでの補佐をする。

 数分もすれば陽光の下と同じレベルの視界が確保され、足元の廃材や段差に躓きかける事も無くなった。そんな、お世辞にも観光名所とは程遠い場所にミリアムが訪れたのには理由があった。

 

 

 

 曰く、オルディスには網の目状に伸びる広大な地下通路が存在し、その通路の先には帝国政府の国土省庁が有する地図にも載っていない謎の場所が存在するのだという。

 それがクロスベルの地下区画(ジオフロント)のような、様々な人物の利権やら金策やらが絡まっていつの間にか造られていた人工的な物であればさしたる問題ではない。中央政府がカイエン公に直接申し立てて見逃していた分の地図作成を要請すれば良いだけだ。

 

 事実、政府は何度もオルディスに対して再三の要求を出している。しかしその度に何らかの理由を付けて要求を拒んでいるとなれば、『貴族派』の中心都市という事もあって政府が黙って見過ごすわけにもいかなくなった。

 だが、それを参謀本部経由で情報局に依頼するとなると、面倒臭い事になるのは請け合いだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、藪蛇を突いて刺激するのはできる限り避けたい事案であった。

 

 結果的に、その調査を任されたのがミリアムだった。

 情報局の人間である前に《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》の一員であるミリアムは、オズボーンに引き取られた当初からこういった任務に従事した事も幾らかあった。

 正規軍の最高機関である参謀本部すら通さないで任せられた任務。言うまでもなく極秘任務扱いであり、たとえ()()()()()で死亡したとしてもその存在はそのまま闇に葬られるだろう。

 

 

 それを思うと、ミリアムの胸の中、心に僅かに軋むような感覚があった。

 

 以前ならば、こんな感情はそもそも存在しなかった筈だ。良くしてくれているクレアやレクターと言葉も交わせずに逝くという事に関しては、惜しいと思う事はあれど悲しいと思う事はなかった。

 それもその筈。元よりマトモな”ヒト”としては設計されていなかった彼女の事だ。ヒトらしい感情論やその他諸々を期待する事自体が難しい事であり、一種の”兵器”として動いていた以上、必要以上の感情の発露は不要である筈だった。

 

 だが、本来なら潜入で入ったはずだったⅦ組での生活は、彼女の在り方を変えた。彼らと”死”という形で分かれる事になるのが、何故だか怖くなったのだ。

 

 エマやフィーと一緒に、シャロンの持ってきた飲み物やお菓子をつまみながら勉強した日々。

 昼休みにレイと一緒に温かい日差しの中で昼寝を楽しんだ日々。

 悪戯を仕掛けては鬼のような形相になったユーシスと追いかけっこをした日々。

 困難に直面した時も、死地に見えた時も、仲間と協力してボロボロになりながら乗り越えた日々。

 夜の寮の食堂で、騒がしくも笑い合いながら皆と過ごした日々。

 

 それらの思い出が、いざ死ぬかもしれないという出来事に直面した時に脳裏を過る。そして直後にこう思うのだ。―――まだ死ねない、と。

 

「……おっかしーな。ボク、こんなんじゃなかったハズなのに」

 

 今回の任務は、その地下通路に通じる入り口を見つければいいだけの話。

 以前なら、鼻歌交じりにこなしていただろう。自分の命に無頓着であった頃ならば、ミリアムは何も余計な事を考えずに仕事をこなしていた筈だ。

 だが今は、適度な緊張感がある。生還しなくてはならないという”約束”をした以上、破ってしまえばきっと物凄く怒られるに違いない。それを自分が聞く事ができないというのは何とも言えない物悲しさがある。

 

 だからミリアムは―――足元で引っ掛けた”死の業”を一瞬で理解する事ができた。

 

 

「ッ‼ ガーちゃん‼」

 

「βΡα-ΓΝΔ」

 

 アガートラムがミリアムを足元から掬い上げるようにして持ち上げ、庇うようにして白い本体(ボディ)を丸まらせる。直後、先程までミリアムが足を付けていた場所が、盛大に爆発した。

 盛大に、とは言っても、爆音自体は抑えられたものだ。人気が全くないこの場所ならば、誰かに聞かれたという事もあるまい。

 

 だが、その殺傷能力は本物だった。地面の抉れ具合を見る限り、アガートラムが防御してくれなければミリアムの肢体は情け容赦なくバラバラになっていただろう。

 確実に自分を殺しに来た殺人罠(ブービートラップ)。それも周囲に溶け込むように厭らしく設置してあったとなれば、素人の業では断じてない。

 

 そんな事を考えながら、ミリアムは自分の頭上から襲来した途轍もない殺気に反応した。

 風を切って訪れた刃の奇襲。アガートラムの防御力はⅦ組の中でも随一と言えども、視認が漸くできるか否かで繰り出された斬撃の嵐を凌ぐのは簡単な事ではなかった。

 だが、最終的には凌いでみせた。髪が数房飛んで行ったが、ミリアムの身体自体には傷はついていない。そして奇襲を仕掛けてきた張本人は、ミリアムと10アージュ程離れた位置に降り立ち、目を合わせた。

 

 

「やっぱり適材適所は大事だな。私じゃあやっぱりゼノみたいにはいかないか」

 

 薄暗い中でも映える銀髪。倉庫の隙間を縫って吹く風に棚引き、揺れるそれと対照的に薄紫色の双眸は淡く妖しく、しかし力強く輝いている。

 凛とした声とスラリと伸びた手足で、女性である事はすぐに理解できた。同時に、繰り出された斬撃の正体が両手に携えた大型の双銃剣であった事も。

 

「こんにちは、情報局のエージェントさん。私自身は貴女に何も恨みなんかはないんだけど、仕事だから潰させてもらう。……言ってる意味は分かる?」

 

「お仕事ならしょうがないよね。お姉さんは―――」

 

 ミリアムが目を向けたのは、女性の纏っていた服、その左胸で主張するエンブレム。羽ばたく蒼い鳥を象ったそれを戴く者達など、この大陸でただ一つ。

 

「《西風の旅団》……銀色の髪に薄紫色の瞳、真紅のマフラー、大型の赤と銀の双銃剣……あー、なーるほど」

 

 以前、レクターに見せて貰った情報局の危険人物リストの中に載っていたとある人物を思い出す。

 大陸屈指の猟兵団として名を馳せた《西風の旅団》。その中でも一騎当千の実力と高い統率力を有した連隊長の一人。団長の死亡後、団が解散した後はその行方を眩ませていたが、よもやこのような場所で相対するとは思っていなかった。

 

「《銀焔の妖風(ペルセフォネ)》―――だったっけ?」

 

「私としては、どう呼ぼうが呼ばれようが関係ないけれど」

 

 ただ彼女は、そうとしか呼ばれていなかった。情報局が沽券に懸けて調べ上げてみても、彼女の名は戦場での異名しか出てこなかった。

 ただ今は、それはどうでもいい事だった。問題は、最低でも”準達人級”以上の腕前を持つ《西風》の連隊長が目の前にいて、自分が標的にされているという事。

 

 すると、挨拶はここまでだと言わんばかりに再び猛攻がミリアムを襲った。

 たちまち立ち込めたのは熱気。体内魔力を炎に変換させ、ペルセフォネはありとあらゆるものを焼き尽くさんと言わんばかりに猛撃を振るう。

 凶悪なまでに無骨な刃も、銃口から繰り出される弾丸も、全てが総じて一撃必殺になり得る。当たれば必然、肉を焼き、骨をも溶かし、耐えがたいほどの激痛を寄越してくるに違いない。

 

 それは嫌だと子供ながらに反抗し、熱波の中で必死に足掻く。

 攻撃の速さだけならばレイに勝れず、恐らくはサラの方が上だろう。つまりは見切れない程ではない。だからこそ、致命傷は避けられている。

 だが視界を焼く赫灼が、いつもの動きを許さない。防戦に徹しているからこそ何とか凌げてはいるが、この状況を維持できるのは持って数分と言ったところだろうか。焦って反攻しようものならば、たちまち消し炭になる事は間違いない。

 

()っ―――‼」

 

 直後、双銃剣の刃がアガートラムの防護を貫いてミリアムの頬を擦過した。肌を焼き、肉を焼く激痛。流れ出す血すらも沸騰しそうな熱は、ミリアムに正常な判断を許さない。

 痛みにはある程度の耐性はあるが。精神的に追い込まれるのももはや慣れたもの。投げ捨てられていた廃材が自然発火しかねない状況に於いて比較的冷静な思考を保てているのは、士官学院での訓練の賜物だろう。同じ焔の攻撃ならば、シオンの情け容赦ない攻撃に比べればまだマシというものだ。

 

 その防戦一方のミリアムを見て、しかしペルセフォネは一切嗤おうとはしなかった。

 寧ろ、その精神力を評価していたほどだ。実力が上の相手から一方的に攻撃を受け続け、尚且つ環境的にも負荷を掛け続けられれば、大なり小なり焦燥感を覚えるもの。それが蓄積し続けて耐えられなくなれば、「守り続けなければならない」という思いとは裏腹に攻勢に手を出してしまうのがほとんど。

 歴戦の猟兵にしてみれば、それは絶好の”狩り時”だ。敵の首を刎ねるのに、これ以上の好機はない。

 

 だが、この少女は違う。一歩たりとも守勢を崩そうとはしていない。守りの要である戦闘人形(オートマタ)の防御が一瞬貫かれたのを目の当たりにして、激痛を体感したというのに、その琥珀色の瞳は全くと言って良いほど揺らがず、澱まず、沈まない。

 

「気丈だな。私の焔は熱いだろう?」

 

「それだけじゃボクは止まれないよ。おねーさん」

 

 小さな矮躯に戦意を乗せて、瑞々しい髪色を焔の赤に彩られながら、それでもミリアムは口元から笑みを消しはしない。

 楽しいわけではない。これでも結構カツカツなのだ。一瞬でも気を抜けば、負けるし死ぬ。

 だがここで諦めないのは、ミリアム・オライオンの矜持だ。任務達成への責任感などではない。―――思えばそんな事を感じるようになったのも、Ⅶ組に編入してからだろう。

 

 死なずに生きて、再びあの学生寮で皆と笑って過ごすのだ。自分をモノでも諜報員としてでもなく、ただの”仲間”として扱ってくれるあの場所へ。

 

 あぁそう言えばと、ミリアムは僅かばかり平常の状態を取り戻した頭で考える。目の前の女性は、何処かの誰かに似ているなと、ずっとずっと思っていた。

 或いは、負けたくないと思っているのもそれが原因かもしれない。単純だなと思わずにはいられなかった。

 

 銀髪、双銃剣。彼女(フィー)のように眠たそうな瞳はしていないが、それでも雰囲気的には似ていない事もない。もしかしたら、彼女が成長したらこんな感じになるのではないかと思わせる容姿。

 だとしたら、僅かばかり羨ましい。今現在では同じくらいの胸部の膨らみは、後々には大差をつけられるかもしれないのだ。

 

「『アルティウムバリア』」

 

「ΩνμΝ.ψξ」

 

 正面に展開される物理防御フィールド。長期間効力を及ぼすほどのものではないが、瞬間的な重撃を耐え凌ぐことくらいはできる。

 既に、流れた汗はどれだけのものか。着込んだ服から焦げ臭いにおいが漂うのも、もう嗅ぎ慣れた。

 

 

「……正直、諜報員なんて大した戦闘もできないと高を括っていたけれど、違うみたいね」

 

 凡そ、普通の戦闘員では耐えられない程度の攻め方はしていた筈だった。それでも目の前の少女は、致命傷を避けて今も立ち回っている。

 感覚が鈍ったかと己を 咤するも、それ以上にこの少女の戦闘能力が高かったのだと思い知らされる。成程これでは、ゼノとレオニダス(あの二人)なら興が乗ってやり過ぎかねない。

 

 ならばもう少し遠慮なく行こうかと思った矢先―――戦場に闖入者が現れた。

 

 最初に繰り出されたのは、鋼の刺突。十字槍の穂先は炎熱が生み出す陽炎の中であって、しかし的確にペルセフォネの身体を抉らんと迫って来た。

 それを銃剣の刃で以て弾き、一旦距離を取る。ガラリと落ちてきた廃倉庫のレンガが齎した煙が晴れた時、ミリアムを背に庇うように彼はいた。

 

「無事か? ミリアム」

 

「おっそいよー、ガイウスー。もうちょっとでやられるトコだった」

 

「すまない。予定より見つけるのに手間取った」

 

 炎熱に漆黒の髪を靡かせながら、ノルドの若武者は十字槍を構えなおす。相手にすべき者の姿、一目視界に収めただけで、ある程度の彼我の実力差は感じ取った。

 

「……良くない風が吹いているな」

 

「そうだねー。ボクたち一人だけじゃ勝てないかも」

 

 でも、と。悪戯を仕掛ける前のように、ミリアムは笑う。

 

「二人で頑張れば、怖くないっ」

 

「……そうだな。早々に諦めたら、トールズに帰った後が恐ろしい」

 

 歴戦の猟兵を相手に、しかし臆さない士官学生。

 異様ながらも、さりとて特別な光景ではない。彼らの相手は、いつだって己らより強い者達なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






※前回と今回の新キャラ

■ルクレシア・カイエン
 カイエン公爵の娘。生まれ持った美貌と嫋やかな仕草と口調で異性同性を選ばず虜にする。アルフィン皇女と並び、帝国の二大美女と称されるほど。
 ユーシスとは幼い頃に一度だけ会っているが、ユーシスは彼女の事を徹底的に忌避している。
 元ネタは『相州戦神館學園 八命陣』辰宮百合香。……そこ、ヤバい奴が来たとか言わないの‼

■ペルセフォネ
 元《西風の旅団》最年少連隊長。《銀焔の妖風(ペルセフォネ)》という異名で知られ、それがそのまま名前で呼ばれている。本名は不明。大型の双銃剣を武器に、魔力を炎熱変換して戦う。フィーに似ている。
 元ネタは『シルヴァリオ トリニティ』レイン・ペルセフォネ。フィーの大人バージョンだと思った人は多い筈。……冥府の女王衣装着てねぇのかと思った人、正直に手を挙げなさい。後で体育館裏な。
 ……今の悩みは、レインちゃん口調が安定しないんだよなという事。



 ってなわけでオルディス編第二話です。途中でぶった切るのもアレなので、このままオルディス編終了までは突っ走ります。まぁ、更新時期は恐らく安定しませんが。

 ただ今女性鯖全員からチョコを貰う為にFGOで奮闘している十三です。ヒロインXオルタ欲しいけど多分無理。節約しないとガチでヤバい。

 さて皆さん、今回出てきたカーティス・クラウン。……覚えていた人どれくらいいました?
 レグラム編で出てきてから音沙汰がなかったから忘れていた人も多かったと思います。これは偏に自分の技量不足ナリ。
 というか、ここいらで一度オリキャラ一覧をガチで作らないとヤバいレベル。もしかしたら作者自身も忘れているキャラがいる可能性微レ存。

 ではまた戦場で(幼女戦記風)。


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殲撃の進行 ーin オルディスー






「忘れないでねみんな、これから始まるのは敵との戦いじゃない。自分との戦いだ」
          by 球磨川禊(めだかボックス)







 

 

 

 

 

 

 例えば、自然界の中において、「勝てない戦いに挑んで死ぬ存在」というのは稀有だ。

 

 厳しい生存競争の中で生き抜いている野生の動物たちは、生まれ落ちた瞬間からそんな”当たり前”の常識を本能的に刻み込まれている。種族の差、個体の差。そう言ったものから生み出される”彼我の実力差”を感じ取った瞬間、そこで勝者と敗者は決まるのだ。

 

 そして、余りにも実力の大きい隔たりを感じれば、弱者は戦うことなく逃げ失せるのだ。たとえそれが自分の縄張りを賭けた戦いでも、囲った雌を賭けた戦いでも。

 負けると分かっている戦い、あからさまに自身より強い敵に、わざわざ死ぬために戦う”異常さ”は自然界には存在しない。

 

 それを引き合いに出すとするならば、確かに人間という存在は世の理から外れているだろう。

 使命感、自尊心、矜持―――他にも様々あるが、退けない理由を以て戦いに挑む人間は、時に本能の警戒、恐怖感を凌駕し、無視する。

 

 それを勇敢と取るか蛮勇と取るかは第三者の勝手だ。馬鹿馬鹿しいと揶揄されても、それでも退く事の出来ない場面というのは存在する。

 

 

 

 

 そういった意味では、ガイウス・ウォーゼルはⅦ組の中でも人一倍自然界の掟には敏感だった。

 ノルドという大自然の中で、その恩恵に日々感謝しながら共に生きてきた民族の生まれ。その大地で日常茶飯事に起こる生物の絶対原則を常に目の当たりにして来た。

 

 故にこそ彼は、彼我の実力差を直感的に知る事に長けている。戦闘においては何も絶対進軍こそが正統ではないと理解しているし、時には退く事も賢明であるのだとも分かっていた。

 

 それでも彼は、この状況は退く事ができないと一瞬で思い知るに至る。

 眼前で炎熱を纏いながら佇む女性が己より強いと感じ、一対一で戦う状況ならば防戦に徹する以外生き残る術はないのだとも。実際にミリアムはそれを理解していたから、ここまで耐え凌ぐ事ができたのだ。

 

 

 彼がミリアムを見つけ出す事ができたのは、偶然だと言っても過言ではない。捜索の範囲を拡げるためにマキアスとも別れてちょうど郊外を探索していた時、廃棄された倉庫街の方から起こった小さい爆発音を聞き分ける事ができたのは、ノルド仕込みの鋭敏な聴覚のお陰だった。

 その恩恵で仲間を一人窮地から救い出す事ができたのだから、ガイウスとしては女神の導きに感謝する他はなかった。

 

 だが、状況は口が裂けても良いとは言い難い。一人では相手取れず、二人がかりでも先を読むことは難しい。

 それでも、退けない状況だ。退いてはならない状況だ。ここで迂闊に背中を見せようものならば、最悪で二人とも、良くてどちらか一人は殺されるだろう。それは、女性から放たれている濃厚な闘気と殺気で察する事ができる。

 

「(いや、考えていても仕方がないか)」

 

 相手は本気で此方を殺しに来ている。先日学院でサラと模擬戦をした時とは訳が違うのだ。色々と思考を巡らせている間に先手を取られ、骸を晒してしまっては話にもならない。

 故に、前へ出た。

 

「フッ―――‼」

 

 薙ぎの一振りは躱される。刺突は膂力の許す限り最速で、且つ連続で繰り出すも、全てが紙一重で躱されてしまう。

 逆に、相手の攻撃は苛烈そのものだった。高速の斬撃、その隙を縫うかのように飛来する弾丸。全てを凌ぐのは至難であり、実際肌を何度か掠り、焼く。

 

 元より防戦はあまり得手としていないガイウスの事だ。全身を走り抜ける激痛に耐える事は出来ていても、攻撃そのものを全て防ぐことは叶わない。

 ペルセフォネは一切手を緩めなかった。恐らくは数年もすれば一人前の武人にもなり得る天稟の持ち主。芽を摘んでしまう事に多少の思いが無かったとは言えない。それでも躊躇いはなかった。

 

 灼光(しゃっこう)は変わらず大気を焼く。その攻め手の苛烈さを表すかのように。

 ガイウスの頬を伝う汗も、それに()てられて熱を帯びる。すると、いつの間にかミリアムが横に並び立っていた。

 

「ガイウス、戦いにくいでしょ?」

 

 その言葉には、頷かざるを得なかった。

 ガイウスの『起源属性』は”風”と”地”。その二属性を普段は攻撃と防御に振り分けて使用している。

 攻撃は鋭く疾い攻撃が望める”風”。防御は肉体の頑強さを更に底上げできる”地”。―――だが今回は、相手が炎熱の属性の使い手故に、それを増強させるような”風”属性の戦技(クラフト)が使えない。

 

 更に言えば、限定された空間内での戦闘は、槍使いにとってはあまり宜しくない。それも”準達人級”の上位者であれば気にしないのだろうが、今のガイウスにはまだ”不得手な戦場”というものはある。

 

「守りはボクが引き受けるよ。だからガイウスは―――」

 

「攻める事だけを考えろ、か。……難しいが、やるしかないな」

 

 紅に染まる空間で、再び火花の繚乱が乱れ飛ぶ。鋼と鋼が軋む音、銃弾が弾き返される音。廃棄されても尚しっかりと佇んでいた廃倉庫が、その圧力に耐えきれずに悲鳴を挙げる音が嫌でも耳朶に入ってくる。

 2人のコンビネーションは、思ったよりも噛み合っていた。攻撃のガイウス、防御のミリアム。互いにアーツを不得手とする未熟者ではあったが、その分近接戦闘においては幾度も幾度も学院で鍛えられてきた2人だ。

 

 無論、常に戦場を闊歩し、常に命のやり取りを行う死神たる歴戦の猟兵には及ぶまいが、それでも生半可な修羅場は潜っていない。

 足先指先に至るまで意識を集中させ、十字槍を己の手足の延長線上のように扱い、微かな勝機を見出す。―――それがガイウスの役目。

 攻撃に集中するガイウスに迫る高速の連撃と炎撃を防ぎきり、鉄壁の守りを以てして勝機を拡げる。―――それがミリアムの役目。

 

 だが、それが噛み合っているからといって勝ち筋を見つけられるわけではない。綴られた英雄譚のように、仲間との絆が全てを解決するような、そんな甘い世界ではない。

 どれ程強く在ろうとしても、どれだけ努力を重ねても、地力が及ばなければ敗北する。命を散らす事になる。

 なにせあのレイでさえ、ノルドで一度は死に瀕した事があったのだ。今の自分達では遠く及ばない領域に立っている彼でも、僅かな違いが絶命の危機へと陥れる。

 それが分かっているからこそ、自分たちがまだ弱い事が分かっているからこそ、彼らは仲間の力を借りる事を恥とは思わず、手を指し伸べられれば握り返す。それは、生き残るためにはとても重要な事であった。

 

 

「(予想外に粘る……ただの学生と侮るべきじゃなかったな)」

 

 それが、ペルセフォネの率直な感想だった。

 元々彼女は戦場に私情は持ち込まない。殺戮を行う事に対して狂気に嗤う事もなければ罪悪感に慟哭する事もない。銀焔などと呼ばれ鮮烈な戦い方をするのだとしても、頭の中の冷静さが揺らぐことは稀だ。

 《西風の旅団》が誇る最年少連隊長。その肩書きは伊達ではない。侮ったつもりは毛程もなかったつもりだったが、それでもどこかでは下に見ていたのだろう。所詮は未熟な、士官学院の生徒だと。

 

 だが現実は違った。これが一般的な士官学院生の強さであるのだとしたら、エレボニア帝国の軍人は確かに大陸最強だろう。

 戦闘能力だけではない。戦闘に挑む覚悟、死地に挑む矜持。それは山のような屍を積み重ねてきた歴戦の猟兵にも劣るまい。

 つぅ、と。首筋に一つの冷や汗が伝ったのは、幸運にもバレはしなかった。自分が劣勢に立っているとは思っていなく、事実このまま戦えば苦なく勝利する事ができる。目標の排除と、目撃者の排除。その二つの任を達成するのは、難しくない筈だ。

 

 しかし、その成長の速さにペルセフォネ自身が驚愕しているのもまた事実。

 当初から自分の攻撃をギリギリではあるが凌ぎ続けている標的(ターゲット)。そして、自分が動きを見せる度に槍を振るう動きが洗練化し、疾くなる。見る限り”準達人級”の入り口に立ったばかりの若武者なのだろうが、この成長の速さは目を見張るものがある。

 

 

 そういえばと、ペルセフォネは思い出す。

 ”彼”がいたのだ。フィーが新たな人生を送り始めた士官学院には。もしも彼が彼らに稽古をつけ、鍛え上げているのだとしたら、この飲み込みの速さも頷ける。

 

「(団長主催の演習(パーティー)でウチの連隊を一つ、一人でボコボコにしてたっけ。……あの時は流石に焦ったなぁ)」

 

 一見子供だからとナメてかかった団員が1時間後には全員気絶させられて地面に転がされた事件は、後に『西風壊滅未遂事件(笑)』と名を付けられ酒の席でのいいネタになっていたが、紛う事無き”達人級”の彼に見い出された人材であるのならば、成程確かに侮る事は失礼にあたる。

 

 やり過ぎるなと同僚の二人から言われはしたが、その言葉に反して闘気と魔力はその密度を上げていく。

 力をややセーブしていたとはいえ、久しくこれ程打ち合える敵はいなかった。それを別段嬉しいとは感じなかったが、それでも武人の性か、双銃剣を握る手に更に力が籠った。

 魔力の焔は、不純を排して澄んでいく。紅から(とう)、そして蒼へと。そして、最後はまさに《銀焔》の異名に相応しい色へと変貌していく。

 

 さぁ、受け切ってみせろと。口には出さず視線で告げて、ペルセフォネはただ愚直に双銃剣の刃を振り下ろした。

 戦技(クラフト)ですらない一撃。しかしそれを、彼女は最速で以て叩きつける。

 剛撃の威力ではレオニダスに叶わず、戦運びの巧妙さではゼノに叶わない。だが、”疾さ”では《西風》最速である自負があった。少なくとも、自身が技を教え込んだ少女が《西風の妖精(シルフィード)》などという異名で呼ばれる程度には。

 

「ッ‼」

 

 だがそれも、来ると分かっていれば防御くらいはできる。ミリアムは『アルティウムバリア』を張り直し、ガイウスは全力で編み出した『剄鎧』を身に纏わせる。槍の穂先に”地”の魔力を纏わせて、躱す暇も与えてくれないその攻撃を受けにかかったが、直後、筋肉と骨が悲鳴を挙げた。

 毛細血管が次々と破裂していくような感覚。その圧力だけで皮膚が避け、血が噴き出してしまいそうになる。銀色に煌めく焔は、先程までとは違ってまるで刃のような鋭さがあった。

 

 それでも、ここで押し負けては意味がない。アガートラムも危険信号を出しているが、ミリアムは生体接続信号の強化、つまるところアガートラムの性能を限界値に近いところまで引き出す代償としてダメージのフィードバックを行うという危険な技に手を出してまで耐える事に専念した。

 

 拮抗していたのは、僅かに数秒。しかしそれはガイウスとミリアムにとっては体感で数時間にも至るほどの圧力であった。

 ―――が、その終わりは予想外のものだった。

 

 

「な……にっ⁉」

 

「ほえっ?」

 

 足元の地面に罅が入り、やがてそれは三者の攻撃のぶつかり合いに堪えられなくなった。

 まるで山岳での崩落が起きたかのようにガイウスとミリアムが立っていた地面が割れ、両者は廃倉庫区画の下―――地下水路へと真っ逆さまに落ちて行った。

 

「しまっ……‼」

 

 オルディスの地下水路は流れが早い。見失う前に追い打ちをかけるために地下に飛び込もうとしたペルセフォネだったが、直後、形容し難い殺気を感じて飛び退いた。

 その直感は正しく、数瞬前まで彼女が立っていた場所に上空から飛来した紙剣(かみつるぎ)が深く突き刺さる。

 

「これは……まさか」

 

 鋼ではなく紙―――呪符で構築された剣。地面に突き刺さったそれはやがて無数の呪符に分解されて宙を舞う。

 普通の紙程度ならば即座に焼け落ちてしまいそうな環境の中、呪符の群れはまるでそれ自体が意志を持っているかのように舞い続け、やがて一ヶ所に集まると、それは人の形となった。

 

 

「―――ごきげんよう《銀焔の妖風(ペルセフォネ)》。直にお目見えはどれくらいぶりかな」

 

「ッ―――まさか貴女が出張ってくるとはな、《折姫(オリヒメ)》」

 

 炎熱の中を、しかし涼し気に歩を進めるは、和風の着物を好きなく着込んだ少女。切り揃えられた黒髪に同色の扇子を楚々と携えるその姿は、一見してただの淑やかな令嬢にも見える。

 だがその正体は二つ名(ネームド)持ちの猟兵団員。―――猟兵団《マーナガルム》団長直轄諜報部隊《月影》を統べる隊長、《折姫(オリヒメ)》のツバキ。

 

 彼女は涼やかに笑い、カラカラと上品な下駄を鳴らして歩を進める。一見ただの子供にしか見えないその矮躯も、この場所にあっては異常そのものだ。

 そんなペルセフォネの警戒と同調するように銀焔の渦がツバキを襲うが、その体躯は再び無数の呪符に分解されて欠片も攻撃が通ったようには見えない。

 

「……相も変わらず珍妙な戦い方だ」

 

「それは当然でしょうに。元より僕は諜報員。前線で泥臭く戦うのは性に合いませんゆえ」

 

 パチンと、携えた扇子が閉じられる音が響く。直後、どこからか現れた大量の呪符が地面に開いた大穴を塞いでしまう。

 二人の後を追う事は叶わなくなった。であればペルセフォネはいつまでも此処にいる必要はない。流石にこれ程の破壊音を出せば、程なく駐屯しているラマール領邦軍が駆け付けるだろう。面倒事はなるべく避けたい。

 

 それに今この場で、彼女と戦っても旨みは全くない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。千日手に持ち込まれるくらいならば、こちらから退くのが賢明だ。

 だがペルセフォネは、退く前に一つ訊いておきたい事があった。

 

「貴女が此処にいて、私の前に姿を現したという事は……《マーナガルム》は()()()()に就いたって事でいいのかしら?」

 

 その問いかけに、ツバキは閉じた扇子を口元に当てたまま、容貌に見合わぬ妖艶な表情を浮かべたまま小さく笑う。

 

「盲したのですか、《銀焔の妖風(ペルセフォネ)》。我らが”何”に忠を誓い、”何”の為に動くのか―――それは貴方方も御存じの筈」

 

「…………」

 

「今回僕は、あのお二人に命を散らしていただかない為に似合わない真似をしてまで出張って来ただけの事。逃げ回り、身を隠すしか能がない僕が貴方方のような歴戦の猛者に喧嘩を売るなどとてもとても」

 

 それは、もはや謙遜の体すら為していない言葉だった。

 実のところ、解散前の《西風の旅団》が擁していた情報でも、この少女の実力は不明瞭だった。容姿は既に割れているというのに、一度その気になればどのような強固なセキュリティも意味を為さず、軍事基地であろうが国の支配者が座する場所であろうが侵入を許してしまう。

 まるで霧か霞のよう。()姿()()()()()()()()が全て不透明な存在など、好んで相手する者は何処にもいないだろう。

 

「それでは僕はこれにて。……まぁ、個人的に西風の旅団(あなたがた)は気に入っているのであまり妨害のような真似はしたくないのですけれど……」

 

 でも、と。振り向いたツバキの目。そこには、幾度も数えきれないほど死地を掻い潜ったペルセフォネでさえ、一瞬底冷えするような圧力があった。

 単純な戦闘能力ではない、卓越したナニカの奥底を覗き込んだような感覚。()()()武人では抗えない不可思議な圧力が、その視線にはあった。

 

「『兄上』に害が及ぶような事があれば、我等《マーナガルム》総てが容赦なく滅殺しにかかる事―――努々お忘れなきよう」

 

 

 その後、ペルセフォネが平静を取り戻すまでに十数秒かかり、その時には既にツバキの姿は何処にも見当たらなかった。

 気付けば息は荒く、先程とは比べ物にならない程の冷や汗が流れ出ていた。バイタルを整えるために一つ深呼吸をすると、この区画から立ち去る為に踵を返した。

 

「単純な勝ち戦―――とは行かないか」

 

 何を馬鹿な、と言い聞かせる。

 劣勢、逆境、全ては戦場の常。全てが順調、絶対必勝の勝ち戦など数えられるくらいにしか体験してこなかった。

 

 ただそれでも、厄介な相手を敵に回す事には変わりない。それを改めて身に刻み込んで、ペルセフォネはその場から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 足元を照らすのは壁に設置された導力灯。耳に入るのは、自分たちの足音と、すぐ横の水路を流れる地下水の音。

 そんな限定された空間ではあったが、バリアハート、ヘイムダルの地下区画を経験している彼らにとって、それは大したハンデにはならない。

 

「ヘイムダル程じゃあなさそうだが……ここも恐らく途轍もなく広いだろうな」

 

「で、でも。ミリアムちゃんとガイウスさんのリンク反応がこちらにある以上、ここを通らないわけにはいきませんし……」

 

 エマの言葉に全員が頷きながらも、毎度のようにこのような場所を散策している現状に溜息を吐きそうになる。

 先頭で魔力光を出しながら正面の視界の確保を行っているユーシスも、そういう意味では同意見だった。

 

 

 彼ら4人が合流したのは、あのレストランでの一件があった数十分後。

 飛び出してしまったラウラに追いついたエマ、そしてガイウスと二手に分かれてミリアムの行方を追っていたマキアスを拾ったユーシスは、ARCUS(アークス)の通信で反応がなかったミリアムとガイウスの行方を4人で追う事にした。

 

 現状、一番危機に晒されている可能性が高いのはミリアムだが、もしかすると自分達に対しても妨害工作が仕込まれている可能性がある以上、各々がバラバラになって行動するのは危険だと判断したからだ。

 だからこそ、ガイウスの方にも連絡を取ってみたのだが、呼び掛けには終ぞ応えなかった。巻き込まれた可能性が大だと分かっていながらも、何処に向かったのかという一番大切な情報が不透明であったため、捜索は難航してしまった。

 

 ここに来てユーシスは、仲間内での密な情報のやり取りがどれ程重要であるのかという事を改めて思い知らされた。

 それを徹底して言い含めなかった自分のミスだと分かっていたし、現にそれが仲間を危機に晒している。「彼、彼女なら大丈夫だろう」などという曖昧な感覚だけで相互の生死が分かるほど、自分たちはまだ強くはないのだから。

 

 しかし、オルディス市内を探す事およそ1時間。ユーシスのARCUS(アークス)に突如連絡が飛んできた。

 

『ユーシス? だ――ょうぶ? き―――える?』

 

 恐らくは通話可能圏内ギリギリのところから連絡を飛ばしてきたのか、ミリアムの声は途切れ途切れで、喧しいノイズ音が会話を盛大に邪魔していた。

 

『僕達は―――なん―――だいじょ―ぶ。―――今、―――スの地下に―――るよ。ガイウ―――も一緒‼』

 

 繰り返し訊き出すと、ミリアムはガイウスと共に、オルディスの地下区画に逃げ込んでいるらしい。

 とはいえ、まともな地図もない迷宮のような場所をあてもなく歩き続けて遭難の可能性を高めるわけにもいかず、ARCUS(アークス)を通じて位置情報を送信してきた、という流れだった。

 

 両者とも突発的な戦闘で負傷こそしたが、既に回復アーツで支障はなくなっているとの事。それを訊いて内心安堵したユーシスだが、それと同時に焦燥感も湧き上がってきた。

 

 単純に時間がない。ミリアムを襲撃したという輩が今も彼らを追い続けているという可能性は十分にあるし、もしかしたら自分達も動きを監視され、あわよくば襲撃されるかもしれない。―――速やかな合流こそが、今のユーシス達に課せられた任務だった。

 

 

 地下道への侵入、それ自体は別に難しい事ではない。

 ミリアムは任務柄、地図に記されていない”不確定領域”に最も近しい地下道への入り口を探していた為にあのような場所まで行く羽目になったが、それを度外視すれば、極論人目のつかないところにあるマンホールからでも地下道に行く事はできるのだ。

 

 ユーシス達は、それでも慎重を期して湾岸地区のとある横道から地下道へと侵入した。無論、許可などは一切取っておらず、巡回中の領邦軍兵士などに見つかれば厄介事は避けられなかったが、今更この程度で怯えるつもりなどは毛頭ない。

 

 当然ではあるが、陽光は一切届かない暗く湿った道。管理が行き届いていない場所では暗がりを好む魔獣などの襲撃にも遭ったが、それらを難なく蹴散らしながらミリアムとガイウスのリンク反応が続いている場所に向かって、可能な限り早く進んでいた。

 

 

「……嫌な予感がする」

 

 思わず漏れ出たという感じで、ユーシスの口からそんな言葉が呟かれた。

 決して、地下道の鬱屈とした雰囲気に飲まれたわけではない。だが、彼の警戒心の琴線に触れ続けるものが、進む先にあるのではないかという勘が働いていた。

 

「嫌な予感、か」

 

「た、確かに今までの地下道以上に不気味というか……空恐ろしいものを感じますね」

 

 そのユーシスの言葉に同調するものを感じていたのか、マキアスとエマはそれぞれショットガンと魔導杖を握る手に力が籠る。これまで窮地に立たされる直前に感じていた感覚。できれば感じたくないそれであったが、事ここに至っては既に腹を括るしかない。

 

 だがその道中で、徐にユーシスは足を止めた。

 

「……どうしたんだ?」

 

「……いや、恐らくはこれから進む先に”何か”がある。俺の勘でしかないが……どうやら知らない間に俺も随分と鍛えられたらしい」

 

 大人しくは合流させてはくれないか、と愚痴を漏らすだけの余裕はあった。しかし、だからこそ今伝えなければならないと思い、ユーシスは自分の背後を振り返る。

 

「ラウラ」

 

「っ……」

 

 列の一番後ろで警戒を続けてはいたが、今まで一度も会話に入ってこなかった仲間の名を呼ぶと、当の本人は短く声を漏らした。

 

 彼女は合流した際、「すまない」「申し訳ない」と何度も謝っていた。自分があそこで激情に身を任せずにいれば、皆が万全の状態でミリアムを助けに行けただろうと。

 その言葉に対して、マキアスとエマは最大限のフォローをしていた。そんな事はない、と。

 だがユーシスは、敢えてここに至るまで何も言葉を掛けなかった。別に微塵も怒ってはいないのだが、慰めるだけがフォローではないと、そう思っていたからだ。

 

 ただそれでも、これから熾烈な戦いが待っているかもしれないという時に軋轢を残したままではいけない。それがどのような結果を生み出すのか、バリアハートで身を以て知ったユーシスは放ってはおけなかった。

 

「俺は、貴様の過去の出来事など知らん。何処でいつ、どのようにしてどんな人間とどのような関係であったのかもな」

 

「…………」

 

「そして、それに深入りするつもりもない。俺も、そして他の奴らにも、だ。それは恐らく、貴様自身が乗り越えなくてはならないものなのだろう?」

 

 それはまさしく、ユーシスが今抱え込んでいるモノと同じ重荷だった。仲間に抱え込んでしまった事に対しての思いの丈を吐露する事は出来ても、最終的には自分自身が何とかしなくてはならない類の業。

 そこに、重いも軽いも関係ない。他者がズカズカと土足で踏み込んで荒らしていいものでもなし。それは、深入りしてはならないのだ。

 

「ともあれ、貴様がどれだけ悔やんでいても、過ぎてしまった事は仕様がない。……前を見ろ、ラウラ・S・アルゼイド。ガイウスとミリアムの二人と合流できていない今、前衛組は貴様だけだ。あの戦闘馬鹿に一太刀掠らせたその腕、よもやこのまま錆びらせるつもりでもないだろう」

 

 言外に、今のままでは役立たずだと発破をかけられたラウラは、ハッとした表情になり、その直後、いつもの余裕のある立ち振る舞いに戻った。

 

「……あぁ、そうだな。すまない、自分の中では割り切ったつもりではあったんだが、どうにもまだ未熟者であったようだ」

 

「……まぁ、気にする事はないんじゃないか? 悩み事をスッパリと一瞬で割り切れるほど、今の僕たちは大人じゃない」

 

 自虐じみた苦笑をするマキアスの言葉に、他の三人も内心で苦笑した。

 自分たちはまだ”子供”だと割り切るのは馬鹿馬鹿しくはあったが、それでもたまにはそう思うのも悪くはない。

 

「腑抜けていた分の返しはしよう」

 

「フン。今更言わなくても分かっている」

 

 4人の雰囲気がまた落ち着くと所に落ち着いた後に、再び前進を開始する。

 帰り道を見失わないようにエマが魔力で文字を刻みながら先へ先へと進んでいき、とうとう導力灯も見当たらなくなった頃、彼らは”そこ”に行き着いた。

 

 

「な、なんだコレは……」

 

「地下水路の水門……にしてはあまりにも厳かに過ぎるな」

 

 跪いた二人の騎士が、剣を掲げながら向かい合う姿が刻まれた大門。まるで門の先にあるものを死守せんとばかりの威圧感が漂う見事なものであったが、その威容とは反して、大門は僅かばかり開いていた。

 その隙間から漏れる、荒ぶった空気の流れを感じながら、ユーシスとラウラで人が通れる程度にまで門を抉じ開ける。その重量感は、完全に閉まっていたら開けるのは不可能であると断言できる程だった。

 

 周囲に脇道はなく、先に進むにはこの先に行くしか他はない。ピリピリと空気が嫌な張り詰め方をしているところから察するに、恐らくタダでは進ませてくれないだろう。

 

「……ラウラ、前衛は任せる。レーグニッツ、委員長、後衛の役割は貴様らに任せたぞ」

 

 そして、ユーシスは中衛に位置取る。前衛二人が不在という事もあって後衛の護衛に一人割く事ができないのが不安材料だが、そう我侭も言っていられない。

 

 一歩、また一歩と、暗闇の中を進んでいく。悍ましい雰囲気が漂う中、呼吸の間隔を一定に保ち、出来得る限り平静を保たせていた。風の流れから察するに、これまでのような狭い道ではない。一定の広さを持った広間か、それに準ずる空間だと推測できていた。

 

 そして、ユーシスのその推測は当たっていた。突如、広間の壁際に設けられていた灯りが一斉に灯され、視界を確保するに充分な光源が満ちていく。

 だがその直後、一同が見たのは次の場所に続く入り口ではなく―――

 

 

 

「漸く姿を見せたか、愚図共が」

 

 

 傷口から大量の血を撒き散らしながら地面に倒れ伏しているミリアムとガイウス。

 

 

「前菜は飽きた。この程度では腹を満たすどころか不満鬱屈が溜まるばかり。やはり貴様ら人間どもは、揃いも揃って肉案山子も同然か」

 

 

 その躰を足蹴にして、広間の中心に佇むは、侍従者の服を身に纏った少女。

 だが、鮮血に塗れたその姿、獣のそれのように鋭く光った黄金の眼光と血を舐めずる尖った舌に、狂気を感じずにはいられない。

 否、そもそも―――。

 

 

「そら、愚図共。とっととこの死にかけ共を蘇生しろ。6人がかりで私にどこまで抗えるか……やはり狩りの獲物は活きが良くなくては話にならんからな」

 

 

 アレは本当に―――

 

     ―――人間(ヒト)なのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 
 喜べB班。君達にも絶望をくれてやろう。地獄ではないが、まぁ許せ。



 はい。ってなワケでオルディス編3話目でーす。……そろそろ飽きてきた方いません? 大丈夫ですか?
 本日誕生日ではありますが、翌日にバレンタインが控えてるとか地獄じゃねぇの?の十三です。
 
 意気揚々とデッカイ試練をくれてやる私はやっぱりSなのか? いや、まだだ。まだDグレの絶望感には至っていない筈だ。そもそもこの作品VeryHARD・NIGHTMAREで行くと決めてたからセーフの筈だ。

 さて、再登場のツバキちゃん。覚えていた方はそこそこいると信じたい。有能と変態の巣窟、《マーナガルム》諜報部隊《月影》の長にして、レイを「兄上」と慕うブラコン。以前、バルフレイム宮のオリヴァルトの私室に近衛兵全てを欺いて侵入し、お菓子食いながら寝っ転がっていたというとんでもない事をやらかした子です。思い出しました?
 何故だかこの子のCVが悠木碧で固定されてる。幼女戦記の見過ぎですねぇ。

 んでもって、最後に出てきたキャラの名前……分かった方います? 一応一度だけ以前登場したんです。ホラ、レグラム編の時に。
 それはともあれ、彼女にはちょいと働いてもらいましょう。なに、簡単なお仕事ですよ(ゲス顔)。

 ではまた戦場で。


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超獣の玩具 ーin オルディスー ※






「自分を捨てて潔く奇麗に死んでくなんてことより、小汚くても自分らしく生きてく事の方が、よっぽど上等だ」
         by 坂田銀時(銀魂)









 

 

 

 

 

「さて、どうしたものでしょうか」

 

 オルディス全域を見渡せる高丘の上、そこにただ一人佇んでいたツバキは、扇子で口元を抑えながら風に乗せるように呟く。

 だが、彼女の周囲には通信用の呪符が一枚浮遊しており、その声は自身の直接の上司―――《マーナガルム》団長、ヘカティルナに繋がっていた。

 

「オルディス地下の最深部―――《蒼の騎神》が眠っていたという地下神殿の存在はカイエン公爵にとっては第一に隠匿すべき事。第二使徒が関わっている以上、譬え偶然であろうとも近づいてしまった彼らを帰す気はないでしょう」

 

『士官学院の小僧らを迎え撃っているのは何者だ?』

 

「カーティス・クラウン伯爵が連れている従者(メイド)のようですが……”アレ”はマトモな人間とは到底言えないでしょうね」

 

 ふぅ、と。ツバキは放っておいた式神越しに見える姿に、冷静な判断を下す。

 

「どうやら色々と”枷”を嵌められているようですが、それでも”準達人級”の最上位と並ぶ程度の強さはあるでしょう。一対一で勝てるのは副団長と隊長の皆様くらいかと」

 

『その中に私を入れない辺り、やはり貴様はやり手だな』

 

 その職柄と性格柄、ツバキは真剣な場では一切世辞や気を遣うような発言はしない。たとえその相手が、直接の上司であってもだ。

 無論、その「勝利できるであろう者」の中に自分自身も入れていない。惑わし、躱し、防ぎ回す、相手が理性を持っている事を前提とした戦い方しかできない彼女にとって、”アレ”の相手はある意味で天敵のようなものだ。

 

『節介はほどほどにしておくつもりだった。事実、貴様をオルディスに潜らせたのもやり過ぎたと思っていたがな』

 

「いえ団長、今のエレボニアに安寧の地など数える程しかありません。《情報部》の目も存外遠く届くようですし、し過ぎて損をするという事は無いかと」

 

『貴様がそう言うのなら、そうなのだろうな。魑魅魍魎じみた者共が跋扈している地など、騒がしくてたまったものではない』

 

 今の言葉を、例えばペルセフォネ辺りが聞いていれば「お・ま・え・ら・が、言うな‼」と盛大に憤慨していたのは想像に難くない。実際ツバキ自身も、笑うべきか否かを一瞬本気で考えたほどだ。

 ”達人級”の武人を4名も抱え込んだ猟兵団など、それ自体が魑魅魍魎のようなものだろうに。

 

「―――それで、如何いたしましょうか」

 

『下手に隊長連中を動かすわけにもいかん。手札(カード)の情報は来るべき時まで隠し通すのが原則だ。―――ふむ、そうだな』

 

 あぁ、と。ツバキはヘカティルナの考えている事が大体読めてしまった。

 基本的には合理主義の人だ。勝てない戦はしない主義。無意味な犠牲を忌み嫌う者。精神論ではどうにもならない状況というものがこの世にはある。戦場ともなれば尚更だ。

 だが、手堅くいくばかりでは部下の練度も上がらない。我が配下なら多少の窮地くらいは生き残って貰わねばなと、ヘカティルナは時折口にしている。

 

『確か、小僧共の中には《光の剣匠》の娘がいると言っていたな』

 

 ツバキも、任務の最中は可能な限り私情を挟まない。諜報員、それも部下を持つ身であれば当然の事。

 だがそれでも今回は―――

 

『ガレリア要塞の一件から、どうにも腑抜けている馬鹿がいる。ツバキ、道案内の準備くらいはしておいてやれ』

 

 腑抜けた色男の手伝いくらいはしてやってもいいかと、小さな笑みを零すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 外見で実力は判断できない。それは、この半年で否が応にも叩き込まれた大原則だ。

 その容貌が自分より若く、幼く、たとえそれが虫の一匹も殺せないような華奢な少女であったとしても―――外見などというものはとんとアテにならないものだ。

 

 それが充分理解できていたからこそ、ユーシスは眼前に立ち塞がって狂気的な微笑を浮かべる少女の事を明確に敵だと認識し、そしてその強さを推し量っていた。だが―――。

 

 

「どうした愚図。私とて、案山子を相手に狩りをするほど暇ではないぞ」

 

 ―――()()()()()()。理由は分からないが、その底を覗く事ができない。

 

 腰元まで届くような、長く煌めく銀髪。フィーやミリアムより少しばかり高いだけの背丈。纏っているのは何故か仕立ての良い侍従(メイド)服。一見すればただの若いメイドだというのに、両手を鮮血に染めて、黄金の瞳を見開き、口元に邪悪な笑みを浮かべている異常さを、未だ頭の中で整理しきれていないのかもしれない。

 

 そしてその状況から、彼女がミリアムとガイウスを瀕死に追いやったのはほぼ確実。今はエマとマキアスが治療に専念してどうにかしているが、だからといって状況が好転しているわけではない。

 

「……貴様は、何者だ」

 

「その問いに答える義務が私に有るのか? 劣等種は劣等種らしく、とっとと地に這って無様に無力を噛み締めろ」

 

 その時点で、ユーシスは悟った。この女は、話し合いが通じる類の存在ではない、と。

 思えば、今まで相手にしてきたのはいずれも理性が存在し、人として対話が成立する者達であった。無論、魔獣などはそれに含まれないが。

 だがこの女は、言葉が通じ、一見交し合いが成立しているように見えて、その実全くこちらの言葉に耳を傾けようとはしていない。愚図、劣等種とこちらを蔑み、まるで餌か獲物のようにしか捉えていない―――そんな異常な感性が多少ではあるが読み取れた。

 

 獣のようだ、と思う。ヒトの形を取り、人語を話し、衣服を丁寧に纏ってはいても、そこには暴力の思念が隠せない。

 

 

「―――スフィータだ」

 

 獰猛ながらも、良く通る声が響いた。

 

「忌まわしい名だが、それだけ耳朶に刻み込んで―――死ね」

 

 直後、ユーシスの身体が吹き飛んだ。

 騎士剣によるガードが間に合ったのは、地獄のような鍛錬の賜物だっただろうか。しかしだからと言って、その目にも止まらぬ速さに合わせてカウンターを仕掛けられるほどではない。

 信じられないような衝撃が、両腕を襲う。蹴り飛ばされた小石の如く吹き飛ばされ、部屋の内壁に叩きつけられる。

 口から、息が漏れた。一瞬だけ意識が飛び、しかしそれを唇を嚙み切る事で強引に現実世界に留め置く。

 たった一瞬。それだけでも意識を失えば負けだ。レイから叩き込まれた方法でどうにか強引に引き戻したが、しかし間を挟まずに喉元を掴まれ、再び壁に叩きつけられる。

 

「ガ……ッ……くっ……」

 

 首を鷲掴みにされ声すらも出ない。肺に送るべき空気も遮断された中で、しかしそれでもユーシスはスフィータを睨み続ける。

 

「この中では、貴様が一番悪知恵が効きそうだ。貴様から丹念に殺すとしよう」

 

 首を鷲掴んでいるのとは別の手が、鋭い手刀の形になる。ここに及んで獲物を出さないという事は、この女は自らの四肢だけで戦うつもりなのだと理解できた。

 

「心の臓を抉り出される恐怖を知れ」

 

 狙っているのはユーシスの左胸。そこに向かって手刀の突きが放たれる前に、ラウラが割って入った。

 

「ハ―――ァッ‼」

 

 右足を踏み込み、体重移動を完璧にこなした全力の一撃。十二分に練り込んだ気力も纏ったそれは、直撃すれば”達人級”の武人でもない限り傷を負わせることは可能。

 よしんば避けられたとしても、ユーシスの救出に時間を稼げればそれで良い。そんなラウラの目論見は、しかし―――。

 

「―――何だ。虫がブンブンと煩いぞ」

 

 大剣の刃が、か細いスフィータの腕で難なく止められたことで破綻する。

 それも、さして力を入れていないような自然体。今のラウラの紛う事無き全力の一撃は、彼女の薄肌一枚すら削ぎ落すことが叶わなかった。

 

 だが、それに対して戦意を喪失するようならば、今までⅦ組の中で前衛組などやってはいられない。一瞬驚愕の表情を浮かべはしたが、格上相手の戦闘など既に慣れたもの。時間さえ稼げれば、それでよい。

 

「『アースランス』‼」

 

 その声と共に、地面から突き出た複数の槍がスフィータを突き上げる。その拍子にユーシスの喉元から手が離れ、解放された彼は咳き込みながらも行動を再開した。

 

『感謝する、ラウラ、レーグニッツ‼』

 

 リンク越しにそう一言礼を述べ、しかし手早く次の行動に移っていた。

 

「『プレシャスアラウンド』ッ‼」

 

 それは、元々のユーシスの戦技(クラフト)である『プレシャスソード』から派生した技。

 騎士剣を地面に突き立てると、それを起点として前方に放射状に氷の杭が現出していく。その効果範囲は、『プレシャスソード』のそれを優に上回る。

 

 凍てつく冷気を放ちながら進撃する氷撃。そこいらに湧く魔獣程度ならば殲滅できる程度には優秀な戦技(クラフト)なのだが、立ちはだかる銀の怪物は易々と反撃を許さない。

 

「ふん、温いな」

 

 たった一回の踏みつけ(ストンピング)。それだけで氷の進撃は食い止められ、砕かれ、極小の氷の欠片(ダイヤモンドダスト)が宙を舞う。嘲笑を浮かべたスフィータの身体には、無論の事傷の一つも刻まれていない。

 だがユーシスは、その結果を以て一つの結論を導き出すことに成功した。

 

 

『思った通りだな。―――奴は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 自分たちが絶体絶命に近い窮地に立たされるとしたら、それは格上の強者との戦いの場に他ならない。それを今までも痛感してきたし、特にレンとの模擬戦では、己の力不足を真正面から叩きつけられた。

 未熟者であるのは百も承知。だが、それは敗北にしか導けない理由にはならない。仮にも指揮権を委ねられているのであれば、少ない勝機を何としてでも見つけ出す義務がある。

 

 それを成すに必要なのは、鍛え磨いた観察眼と瞬時の状況把握能力。敵の言動、雰囲気やその他諸々から、戦術戦法を先読みし、対抗策を弾き出す。

 勝てない無理だと喚く時間があるならば、勝算を僅かでも上げる算段を弾き出す。撤退が叶わないこの現状、そしてレイというⅦ組最強戦力がいない以上、状況はほぼ最悪と言って過言はない。絶望に近しいと言い換えてもいいだろう。

 

 だがそんな中でさえ、ユーシスは「敵を探る事」を止めはしなかった。

 初見の外見データ、自らの問いに対する相手の答え、初動の敏捷性の高さ、外見に見合わぬ膂力の高さと異常なまでの攻撃力、そしてラウラの全力の攻撃ですら全く通らなかった防御力。―――そして今、局地的な攻撃・広範囲の攻撃を問わずに決して躱そうとしない行動パターンが見て取れた。

 

 恐らくそれは、彼女の気質にあるのだろう。こちらを「愚図」「劣等種」と蔑み、常に「狩る側」の視点で嘲笑いながら行動している。実力の差は、今更比べるまでもない。

 彼女にとってこちらの攻撃を避けるという事は、”絶対強者”としての沽券に関わる行動なのだろう。

 

 さりとて、それが付け入る隙になるかどうかは微妙なところ。そもそもの地力が桁違いであろうことを考えると、とても楽観視などできはしない。

 

『委員長、ガイウスとミリアムの回復までどれくらいかかる?』

 

『傷は……ほぼ塞がりました。……すみません、エリオットさんなら、もっと早く済ませられたのですけれど』

 

『自虐も卑下も後にしろ。それは今、貴様にしか出来ん役割だ。―――ラウラ、レーグニッツ‼』

 

『『分かっている』』

 

 ラウラもマキアスも理解している。この常識外れな敵を相手に、遅滞的な戦闘はほぼ効果を発揮しないだろう。

 自分たち三人が狩られ、全滅するのが早いか、それともエマがガイウスとミリアムの治癒を済ませるのが先か。まさにそれは、綱渡りの戦闘だった。

 

 最初に動いたのはラウラ。後頭部で括った群青色の髪が棚引き、その度に大剣の剣戟が繰り出される。そしてその剣戟の隙間を縫うようにして、ユーシスの剣も斬撃を生んでいく。

 急ごしらえの斬撃の張り方でしかない。恐らくレイが相手ならば、全てを紙一重で躱されて容赦なく攻撃を叩き込まれるだろう。

 

 だが今は、その斬撃の全てが当たっている。当たり前の事だ。相手はそもそも避けようともしていないのだから。

 しかし、”当たっている”事と”通じている”事は全く別の話であり―――。

 

「雑魚共が、一丁前に囀るな」

 

 刃の雨嵐の中を、まるでそよ風に巻かれているかのように佇む。全ての斬撃は確かに当たっているというのに、まるで巨大な鋼鉄の塊を刻んでいるかのように弾かれていく。

 しかもそれは、”氣”を纏っている人間を相手にしているのとは、少しばかり感触が違った。

 

 以前、レイは氣を扱う事の出来る武人がどれほど防御力にも秀でているかという事を全員に見せた事があった。

 その時はラウラに斬りかからせ、彼女も少しばかり躊躇いながら、それでも全力で大剣を振り下ろした。しかし、彼女の剣は終ぞレイの皮膚を裂く事はなかった。

 それは、ユーシスも経験したことがある。普段は不可視の氣で固められた防御力というものを、その時に嫌という程体験したのである。

 

 その時の体験の記憶と照らし合わせると、この女(スフィータ)の防御力というのは異質であった。氣力というものを、一切感じられない。

 馬鹿な、と思う。これ程の出鱈目な身体能力(スペック)を有しておいて、それが何も強化されていない肉体であるのだとしたら―――それはもう、本当に人類ではないのではないかと疑うしかなくなる。

 

 しかし、そんな事を考えている暇など無かった。

 一瞬で懐に潜り込まれたラウラが、蹴撃を食らって吹き飛ぶ。だが、その安否を確かめるために視線を動かすことすら許してはくれない。それこそ、瞬き程度の時間ですら、懐に拳撃を叩き込まれるには充分な時間なのだ。

 

 攻撃の矛先は、当然ユーシスの方へと向く。

 拳が放たれる度、蹴りが宙を切る度に、まるで空間ごと抉り取るのではないかと懸念してしまう程に凄まじい余波が襲ってくる。

 躱せるのは数回に一度が限度。防御をしようにも、その度に確実にダメージが肉体に蓄積していく。それでも耐えられているのは、偏にこれまでの鍛錬の賜物であり、彼ら自身の絶対に倒れてなるものかという矜持によるものだった。

 

 マキアスによる牽制射撃、及び防御アーツの重ね掛けも全滅の回避に一役買ってはいるが、それでも力不足だという事は彼自身が一番良く分かっている。

 だが、近接戦闘に秀でていない者がノコノコと前に出たところで、瞬時に狩られて役立たずに成り下がる。それだけは御免であった。

 

 しかし、離れている中衛であるからこそ見えてくるものというのもある。例えばマキアスは、スフィータの近接戦闘の動きそのものにいつの間にか違和感を覚えていた。

 マキアスが今まで見てきた限り、武器を使わない格闘戦というものは、己と相手の駆け引きの要素が含まれていた。

 攻めるのみならず、守り、躱し、時には相手の動きを読み切ってカウンターを繰り出す。事実、レイやサラの動きにはそれがあり、だからこそそれを強いものだと認識していた。

 

 だが、目の前の女の動きはどうだ?

 ユーシスが”決して躱そうとせず、攻撃を全て受けてきている”という事を看破したが、それを差し引いても異常性は山ほど残る。

 彼女の動きは、徹底して直線的だ。……否、この言葉では語弊がある。一方的だと、そう言うべきだろう。

 

 他者が何の攻撃を仕掛けてくるかなど微塵も考慮に入れていないような動き。よしんば予想外の攻撃をしてきたのだとしても、全てを受け切って攻撃を叩き込めばいいと思っているような、そんな戦法だ。

 

「(これは、まるで……)」

 

 理性のあるヒトの戦い方ではない。マキアスは、ショットガンの引き金を引きながら、そう思った。

 

 被る被害というのを全く考えていない。前進、ただ前進。眼前の敵をただ圧し、轢殺するまで止まらない。

 それはまるで、得物を目の前にした凶暴な猛獣のようであった。絶対的な破壊力と体力を以てして殺られるまえに殺り潰す狂戦士(バーサーカー)

 今の自分達が、それこそ一番相手にしたくないタイプの敵。地力で勝る事を許してしまえば、小細工で弄する事も出来ない。

 

 戦闘経験そのものは浅いマキアスだが、この場を生き延びるにはスフィータを物理的に攻略しなくてはならないという事は十二分に理解できていた。

 

「ぐ……ぁっ……」

 

 しかし、現実は非情だ。

 ラウラに続き、ユーシスも再度地面に叩きつけられる。どれだけの攻撃を食らったのかはもはや本人にしか知り得ないだろう。

 どれ程の激痛が全身を苛んでいるのか、そればかりは共有しようがない。しかし、彼らが必死に稼いだ時間。それが無駄と蔑まれるのは許しがたい事だった。

 

「ふん、他愛もない。この程度では脅威にもなり得んだろうに。あの男、一体何を考えている」

 

「――――――」

 

 ”あの男”とは一体誰を指しているのか。やはり一連の襲撃には黒幕がいたのかと考えを巡らしている内に、いつの間にかスフィータはマキアスの眼前に移動していた。

 直後、マキアスの腹部に鈍い痛みが走った。

 

 

「が―――ふっ」

 

 そして吐血。視線を下に向けてみると、スフィータの手刀がマキアスの腹を貫いていた。

 激痛が走る。腹部から熱い血が滴り落ちると共に、生命力が奪われていく感覚を不本意ながら実感した。急激に失われていく平常心と理性を繋ぎ止める事に、マキアスは全力を振り絞る。

 

 一方でスフィータは、メイド服諸共肌を鮮血に染めても、スフィータの表情は変わらない。変わる筈もなかった。

 

「見せしめの一人目は貴様という事にしよう。精々死の恐怖に足掻きながら死ね」

 

 底冷えするような声だった。人の命など、芥子粒以下にしか思っていないような声だった。

 事実、そうなのだろう。彼女にとっては、人を殺すのも蟻を踏み潰すのも変わりない。何かを失ったと、そう考える事すらないのだろう。

 

 死の恐怖が否応なしに襲い掛かる。今ここで瞼を落としてしまえば二度と目覚められないという確信が、マキアスの脳を支配しかける。

 だがそんな奴に―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()殺されるのは、真っ平御免だった。

 

 血流が止まりそうになり、思考が茫としていく中、マキアスはここ数ヶ月で徹底的に体に刻み込んだ反復動作で、片手でショットガンに弾を再装填する。そしてその銃口を、今も腹部に右手を突き刺したままのスフィータの眉間に押し当てた。

 

「どうやら貴様の目は節穴のようだな。今更鉛玉程度が通用すると思っているのか?」

 

「生憎と、何もできずに……ただ死ぬだけなのは……僕の、性に……合わない。……まぁ、死ぬ気も、ないが」

 

 引き金が引かれ至近距離で被弾する。普通ならば頭部そのものが吹き飛ぶ衝撃だが、鋼鉄に勝る肉体を持つスフィータならば傷すらつかない―――筈だった。

 

 

「ッ―――⁉」

 

 そこで初めて、スフィータの表情が揺らいだ。

 弾丸を食らった自身が踏ん張れず、()()()()()()()()事が、余りにも予想外だったのだ。

 更に、弾丸が叩き込まれた箇所からは一筋の血が滴っていた。口元にまで流れて来たそれを舌で舐め取ると、腕が引き抜かれて解放されたマキアスを鋭く睨み付けた。

 

「貴様ァ……()()()()()()()()‼」

 

 それに対して、マキアスは何も答えない。それに苛立ったのか、スフィータはマキアスに開いた穴をもう一つ増やそうと地を蹴る。―――が。

 

「『サベージファング』‼」

 

「『メガトンプレス』‼」

 

 遅ればせながら復帰した二人が繰り出したカウンターに阻まれ、動きが止まる。空中で受けた攻撃の為、ダメージそのものは無くとも僅かな後退を余儀なくされる。

 しかし足を付けたその場所に、地属性アーツの魔法陣が浮かび上がる。

 

 直後、激振と共に床が捲り上がり、スフィータの四方全てを囲い込む。

 その罠を設置したユーシスは、口の端から血を滴らせながら、リンクを通じて叫んだ。

 

『生きているかッ⁉ レーグニッツ‼』

 

『り、リンク越しとはいえ……大声を出すな、ユーシス・アルバレア……正直、かなりキツくは、ある。『アセラス』の重ね掛けで……出血だけは、止めているがな。……それより、エマ君』

 

『は、はいっ‼』

 

『僕の事は、今は……気に、するな。早く……()()()()‼』

 

 罠が効果を発揮し、拘束できる時間は長くて数秒といったところだろう。それを危惧してマキアスはエマの行動を優先させ、そしてエマも僅かな迷いはあったものの、鍛えられた判断力が攻撃を優先させた。

 スフィータを囲い込んだ隙間から叩き込んだのは、『短縮詠唱(クイック・スペル)』と『二重詠唱(デュアル・スペル)』を並列させた風と火属性のアーツ。二種類のアーツをそれぞれ限界まで性能を引き上げて放つにはこれが限界であり、だからこそエマは、自分に残されたほぼ全ての魔力をそこに注ぎ込んだ。

 

『エアリアル』―――『サウザンドノヴァ』

 

 逃げ場が極端に少なくなった最上級火属性アーツの効果を、『エアリアル』の豪風が更に引き上げる。

 天井にまで届く極大の火柱、周囲に広がる熱波と爆風。仲間が続けて死の危機に叩き込まれたエマの怒りが、そこには顕現していた。

 

「く……っ、無事か⁉ マキアス‼」

 

「目ぇ閉じたら死んじゃうよ‼ ホラ、起きて起きて‼」

 

 一度はマキアスと同じで瀕死になったガイウスとミリアムも、腹に風穴を開けられた状況は自分達よりも遥かに危険であると分かっていた為、必死に意識を保たせようとする。

 だがそれよりも、何より絶対死ねないと思う言葉が耳朶に届く。

 

 

「―――この程度で死ぬなよ、レーグニッツ」

 

 それは、マキアスが絶対に死に顔を晒したくない相手で。

 

「貴様、先に逝った家族をもう一度泣かせる気か?」

 

 召された先で従姉弟(いとこ)に泣かれるのはもっと御免で。

 

「看取られたくなければ―――生きろ」

 

 仲間たちを置いて、自分だけ死ぬのは、もっともっと御免だった。

 自分を見下ろす10の瞳。ユーシスの、ラウラの、ガイウスの、ミリアムの、エマの―――彼らの期待を裏切るわけには行かない。

 

 重ね掛けしている回復アーツももはや限界に近い。延命治療も先が見えてしまっている。

 踏ん張り続けて保っていた意識も流石に朦朧としてきた。空いた穴から生きる活力が漏れ出していく。

 死を実感するとはこういう事なのかと、得難い経験をした一方で、しかしそれでも踏みとどまり続ける選択を、彼はした。

 

「当たり、前だ……っ」

 

 知り得ていない事は山のようにある。成せていない事など積み上がっていく一方だ。だからこそ―――。

 

「こんなところで……死ねるか……っ」

 

 その言葉を絞り出した直後、どこからかマキアスの傷口に近いところに一つの物が投げ込まれた。

 

 それは一目、鉱石の人形のようだった。手のひらに収まる大きさのそれは、マキアスの身体に触れると共に青白い神秘的な光を解き放った。

 

「なっ―――‼」

 

 何だこれはと、そう叫ぶ暇すらなかった。どこか温かさも孕んだその光に包まれたマキアスは―――いつの間にか腹部から滲み出ていた激痛が収まっている事に気付く。

 痛みだけではない。朦朧としていた意識も、絶え間なく流れ出ていた血も、全てがまるで巻き戻ったかのように収まっている。

 

 如何に判断力を鍛えていたのだとしても、この時ばかりは全員が何が起きたのかを理解する事は出来なかった。それを理解する前に、自分たちの前方に足音が鳴った。

 

 

「やれやれ、使い捨ての物とはいえ、保管してあった古代遺物(アーティファクト)一個消失ですか。ふむふむ、これは拙いですね。後で経理班主任(ミランダさん)兵站班主任(カリサさん)に怒られにいかなくては」

 

「それ、もしかしなくても俺も巻き込まれるアレっすよね?」

 

 一人の幼い声は、以前ユーシス達が耳にしたのと同じそれ。

 そしてもう一人の若い男の声は、ラウラだけが知っているそれ。

 

「えぇ。それに戦闘苦手な僕をここまで状況に噛ませたんですから、相応の見返りは期待しても宜しいのでしょう?」

 

「うぐ……レティシア姐さんの個数限定全乗せパフェで勘弁してください」

 

「宜しい。それにアイスココアも加えて手を打ちましょう」

 

 一人は、着物の上に大きめのコートを羽織り、黒扇子を携えた少女。

 一人は、黒と真紅に彩られた軍服じみた服に袖を通した、戦槍斧(ハルバード)を携えた見目麗しい青年。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 その青年の姿を再び見て、ラウラは以前と同じように、呆けた様子で彼の名を口にした。

 

「ライ、アス……?」

 

「……勝手ながら、助太刀させてもらうぜ、ラウラ」

 

 立ち込めた煙の奥底から、濃厚な敵意と殺意が再び放たれる。

 状況は未だ、終息には至っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





Q:この時点でスフィータちゃんってどれくらい強いの?
A:『HELLSING』の大尉と同じくらい。ただし相手ナメてナメプしてるため、まだまだ。

Q:マキアスなんで助かったし
A:次回

Q:マキアスが撃った弾って何?
A:次回




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比翼戦士の英雄序譚 ーin オルディスー






「何だよ、後ろ向きな奴だな」
「視野が広いと、言っていただきたいですね」
   by ピオニー・ウパラ・マルクト九世/ジェイド・カーティス(テイルズ オブ ジ アビス)








 

 

 

 

 

 猟兵団《マーナガルム》の所属団員は、たとえ非戦闘員であっても自衛程度の戦闘能力は心得ている。

 後方支援担当の《五番隊(フュンフト)》の団員であってもそれは変わらず、寧ろ一部には戦闘員よりも強い者達もいるくらいである。猟兵という血に塗れた職業である以上、その程度は必要最低限だというのが団長であるヘカティルナの考えだった。

 

 そんな中でも、団長直轄の諜報部隊《月影》の面々は少々特殊だった。

 彼らは、全員が全員「敵を打ち倒すための」強さを得ているという訳ではない。それは、彼らの役割に起因するものだった。

 《月影》の役割は主に潜入工作。即ち誰にも正体を明かされる事なく情報を抜き取り、或いは工作を施して任務を成す。そんな彼らが真っ当な実力を行使する時というのは即ち、正体が露見し、追われる身になった時という事だ。

 

 真に優秀な諜報員であれば、個人武力などは必要ない。失敗する可能性がないのであれば、習得するスキルを諜報方面に特化さえればいいだけの話だ。

 だが、世の中はそう甘いものではない。それは、彼らを統率しているツバキも嫌という程理解している。

 どれほど上手く周囲の環境に馴染んでいても、どれほど素人と同じように振る舞っていても、見破れる人間は必ず存在する。たとえどれ程極小の可能性であったとしても、それは必ずあるのだ。

 そう、たとえば―――完璧に潜り込めた筈の自分の正体を()()()()()()()()()、あの兄のように。

 

 故にこそ、《月影》の面々はそれぞれが得手としている戦い方を有している。その中でのツバキの戦い方は、「時間稼ぎ」と「嫌がらせ」に特化していた。

 

 

 

「さて、まずは土台作りと参りましょうか」

 

 スッと軽く鉄扇を掲げると、和服の裾から無数の呪符が飛び出し、空中に漂い始める。幻想的なその光景に思わず目を奪われるⅦ組一行を視界に収める暇すらなく、倒すべき対象は土煙の中から現れた。

 

 エマの放った『サウザンドノヴァ』の火力には流石に耐えきれなかったのか、彼女が纏っていた侍従服はところどころ焼け落ちてしまっている。しかしそれは、女性のあられもない姿と称するには些か物騒に過ぎた。

 その双眸は憎悪に染まっている。仕掛けてきたのはどちらなのか、元より攻撃を全て受け続けてきたのは誰なのかと、それを鑑みるような理性があれば、そもそもこのような事態にはなっていなかっただろう。

 

 まさしく獣だ。人語を介するだけの理性があるだけの。

 理屈で動かない。本能を最も優先して動いている。彼女が今憎悪の感情で染まり切っているのに、理由を求めてはならないのだ。

 

「調子に……乗るな。雑魚共がッ‼」

 

「品のない吼え方。お里と程度が知れるというものです」

 

 スフィータの咆哮にも全く動じないツバキが鉄扇を振り下ろすと、舞っていた呪符が鎖へと変化し、一斉にスフィータへと殺到する。

 ユーシス達を圧倒した敏捷性を以てして鎖の雪崩から一度は逃れたスフィータだったが、地面にめり込んだそれが再び動き出した事に、流石の彼女も眉を顰める。

 部屋の中を縦横無尽に動き回り、追尾し続ける鎖から逃げ回っていたが、それが数分ほど続いた後、遂に左足が絡め取られる。

 

「【怨呪・蛇牢縛(じゃろうばく)】」

 

 レイ直々に教授をしてもらった、《天道流》呪術の一つ。術式を直接呪符に刻み込み、ツバキの精密な呪力のコントロール力が合わさって可能となった詠唱省略の技。左足を起点としてスフィータの全身に鎖が絡みつき、その動きを封じる。

 しかし、ただ引き摺り下ろされる彼女ではない。完全に四肢の動きを封じられた上でなお、前進から滲み出る気迫は衰えていない。鎖そのものも、今すぐに弾け飛んでしまいそうなほどに軋む音を上げていた。

 

「流石にこの程度で音を上げるほど柔ではない、か……エマ様、少しよろしいですか?」

 

「えっ⁉ あっ、はい‼」

 

 急に名を呼ばれたことで一瞬狼狽したエマだったが、すぐに冷静さを取り戻す。

 何故自分の名前を知っているかなど、問うべきことは幾つもあったが、それは今するべきことではない。現状における最適解を客観的に導き出すのが後衛組の役割であり、それをエマはよく理解していた。

 

「……援護ですか?」

 

「お話が早くて助かります。なにぶん僕は相手に嫌がらせを仕掛ける事は得意でも、味方の援護は不得手なものでして」

 

「分かりました。ミリアムちゃん、護衛をお願いしても良いですか?」

 

「オッケー‼ まかせて‼」

 

 そう言って動き出したエマを見ながら、ユーシスは止まっていた思考を再回転させる。

 和服を纏ったあの少女、姿こそ初見だが、声だけは聞いたことがある。一度レイが休学すると言い出したあの時、どこからか現れた式神から聞こえたそれと同じもの。

 であれば、最低でもこの場は敵ではないのだろう。それが分かっただけでも僥倖だった。

 そして、一度そう認識したのならば、この戦闘中に敵か味方かを警戒し続けるのは愚策だ。余計な念は振り払い、生き残る事だけに専念しなければならない。

 

 そう思っていると、瀕死の状態から復活したマキアスが再びショットガンに弾を込めて立ち上がっていた。

 

「―――行けるか? レーグニッツ」

 

「どうやら高い投資をしてもらったみたいだからな。恩には報いさせてもらう」

 

 マキアスが装填した弾丸は、先程スフィータに撃ち込んだのと同じもの。

 

 『カースバレッド』と名付けられたそれは、レイの全面協力の下開発された弾丸である。破魔の呪力が丹念に込められたそれは、魔獣などの魔の属性を持つ敵に対して大きな効果を持つ。

 呪力を分散させることはできないので使用弾は狩猟弾(バックショット)ではなく単発弾(スラッグショット)だが、一度弾丸が体内に撃ち込まれれば破魔の呪力が内側から爆散する。その威力は中型程の魔獣・魔物であれば一撃で絶命させられる程だが、なにぶん数は揃えられず、更にスフィータ相手には足止め程度の効果しか発揮されなかった。

 

 だが、それではっきりした事もある。

 『カースバレッド』が本領を発揮するのは、あくまで性質が”魔”に偏った存在に対してだけである。スフィータがもし真っ当なヒトでったのなら、その頑強さも相俟って怯ませる事すら不可能だっただろう。

 

 しかし、実際効果はあった。足止め程度とは言え、ダメージを与える事には成功したのだ。

 そこから導き出される結論は、一つだけ。

 

「あ―――えっと……確か、ツバキさんでしたっけ?」

 

「ツバキと、呼び捨てで宜しゅうございますよ。マキアス様」

 

「いや……流石にそれは……じゃあなくて、あのスフィータという相手―――」

 

「あぁやはりそうですか。あれは純粋なヒトではなく、()()()()()()()()()()()()()()でしょうね」

 

 さして考える素振りもなくそう結論付けたツバキに、マキアスは瞠目する。

 しかし、ツバキにしてみれば探るのが然程難しい事ではない。高位の存在に位置する人外の類はその気になれば人の姿を取る事ができるのは既にシオンの存在が証明しており、スフィータの動きがヒトが生まれ持って得られるそれではない事は経験則から分かる。

 

 それに関して長考していられる程余裕がある筈もなく、スフィータが【蛇牢縛】を完全に破壊する。

 まさに手負いの獣と化した彼女は技を掛けたツバキを睨み付け、一直線に疾駆し始めたが、それを戦斧槍(ハルバード)の一閃が止めた。

 

「っ―――‼ 弱体化してコレかよ……っ」

 

「去ね。貴様より先に殺すべき下郎がいるのでな」

 

「そうはいかねぇんだよなぁ……こちとら失いたくねぇモン背負って命懸けで戦うのが日常茶飯事なんでね」

 

 怒りが一度沸点を通り越して逆に冷静になったスフィータから繰り出される連撃を、ライアスは愛槍を振るって捌き続ける。

 攻撃の全てが人体の急所を抉り取らんとばかりに放たれる一撃必殺。だがそういった攻撃は、”達人級”同士の戦いの場となればそう珍しくもない。そういった修羅場を日常的に潜り抜けてきたライアスにとっては、凌ぐ程度であれば不可能ではない。

 

 相手の動きを目で見てから対応するのでは遅すぎる。一撃を弾いた瞬間には、次の攻撃が何処を目がけて飛んでくるのかを予知し、そこに斬線を合わせる。一秒間に数撃、数十撃が飛び交う中では、それが基本技能となる。

 そういう点で見れば、スフィータという相手はライアスにとっては読みやすかった。

 

 彼女の攻撃には、凡そフェイントというものが存在していなかった。全ての攻撃が真っすぐに致命傷を貫いてくる殺意の塊。並の武人ならばまずその気迫に気圧されて刃を交える前に殺されるだろうが、裏を返せばそれは、その全てに対処をすればいいという事だ。

 攻撃の速さは確かに一級品。僅かも気を抜く事はできない。集中力の糸を張り詰めた状態のまま数分間互角の状態で打ち合い続け、そしてスフィータの攻撃の手が緩んだ一瞬の隙をついて、戦斧槍(ハルバード)の刃が攻勢へと転じた。

 

「フッ‼」

 

「ッ―――‼」

 

 瞬発的に氣力を底上げし、刃に乗せる。そうして振るわれた攻撃はスフィータの肌を浅く斬り裂いた。

 微かに散った鮮血を舌で舐め取ったスフィータは、その瞬間、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「ハッ―――」

 

 その黄金色の双眸は一層輝きを増し、伸びた犬歯が一層凶暴さを増す。

 逆立った銀髪は、彼女の戦意の高さをそのまま表れているようで、先程よりも余程危険性が増したのが理解できる。

 

「少しはマシなようだな、小童。嬲り甲斐があるというものだ」

 

 直後、スフィータの鋭く伸びた爪がライアスの喉元を目がけて襲ってきた。それを直前で弾き飛ばすものの、その手応えは先程までのそれよりも遥かに重く、鋭くなっていた。

 『剄鎧』を身に纏っているとはいえ、この速さと鋭さの攻撃を食らえば防御策としては機能しないだろう。重撃を振り抜けばその刹那の隙を突かれるのは必至。必要最低限の動きで広範囲の攻撃の対処に回らざるを得なくなった。

 

 辛うじてという状態で抑え込んでいたライアスだったが、接近した状態で放たれたスフィータの咆哮に一瞬だけ三半規管を狂わされ、防御が手薄になる。

 その隙を縫われて容赦のない攻撃が飛来する。致命傷を避ける事には成功したが、肩口を裂かれて血が噴き出した。

 しかし僅かに体勢を崩したそこを逃されるわけはなく、心臓を狙って放たれる拳撃。何とか致命傷を避けねばならないと氣力を充溢させて対処しようとしていたが、攻撃が触れるその直前に横から振るわれた剛撃を食らってスフィータの上体が揺らぎ、拳撃は宙を切った。

 

「‼―――」

 

 ライアスは目を見張る。恐れるような素振りは一切見せず、ただ全力の一撃をスフィータに見舞ったのは、自分がまさに一番守ろうとしていた人だったのだから。

 ふわりと舞う青髪。真紅の制服に身を包み、しかし清楚というよりは勇ましさが滲み出るその容姿。凛々しさに満ちたその表情は、未だに戦意に満ち溢れていた。

 

「【怨呪・蛇牢縛】」

 

「『プレシャスアラウンド』ッ‼」

 

 生まれた刹那の隙に、スフィータの動きを封じ込めるための技が再び叩き込まれる。呪力の鎖と魔力の氷杭によって二度強引な突破を余儀なくされた彼女に対して、エマのアーツ援護で身体能力が上がった二人は容赦なく攻撃を叩き込んだ。

 

 大剣と戦斧槍(ハルバード)による二重奏。事前に示し合わせたわけでもないというのに、交差した二者の攻撃は噛み合ったタイミングで繰り出された。

 そこに再びマキアスが放った『カースバレッド』が眉間に撃ち込まれ、スフィータの痛々しい叫びが更に激しさを増していった。

 

「何があったかとか、何をしていたとか。そういった事は今は問わない」

 

 その最中にラウラの口から出てきた声に、ライアスは歯噛みした。

 

「今はそんな事を言い合っている場合ではないからな」

 

「ラウラ……」

 

「積み上げた月日は同じだというのに、武人としての技量は随分差が開いてしまったようだ。今の私では力不足かもしれんが……共に戦わせてくれ、ライアス」

 

「はは、勿論だ。―――まさか子供の頃に誓った夢が、こんな形で果たされるとはな」

 

 二人の口元に笑みが漏れ、連撃の叩き込みが再開される。

 家の都合で分かたれてから経った年月は、彼らにしてみれば長いものだった。だというのに、そのコンビネーションには年月を感じさせない程の精緻さがあった。

 ラウラの動きは、フィーと組んだ時のそれとは違う。互いの不得手を補うというよりは、互いの得手を高め合う為の存在といったところか。

 比翼連理という言葉が何より似合うその様子を見て、ユーシスは戦法の変更を伝える。

 

『作戦を変更する。レーグニッツは防御アーツによる補助に移り、ガイウスはその護衛に入れ。委員長とミリアムはそのまま援護を継続しろ』

 

『攻め手はあの二人に任せるのか?』

 

『あれは下手に介入すれば逆に勝機を逃す。……あれだけ奴の背中が任せろと語っているんだ、俺達は補佐に徹する』

 

 そう言い放ったユーシスだったが、高速で動き続ける二人を補佐するというのは難しい事だった。

 『カースバレッド』による二度の強制弱体化。加えてツバキの妨害によって体力も消耗させているというのに、スフィータの動きはあまり衰えているようには見えない。

 

 だが、ラウラもライアスも、再び動き始めたスフィータに対して有利に立ち回っていた。

 攻撃と防御の役割を、お互いに入れ替えながら切り結んでいるその光景は、まるで長年コンビを組んでいる相棒同士にも見える。

 一歩も引かない戦いを繰り広げる様子を見て、このまま押し込めるのではないかと思ったユーシスは、しかし直後に(かぶり)を振ってその考えを振り払った。

 

 この場での最終目標は、あくまでも眼前の敵からの逃走にある。ガイウスとミリアムを回収した今、どちらかが倒れるまでという消耗戦を行うメリットはない。

 一時の優勢だけで惑わされるのは賢い生き方ではない。勝利が必ずしも敵の打倒ではないという大前提を改めて深く念押しし、撤退のタイミングを伺う事に専念する。

 

 そこで何となくツバキの方へと視線を向けると、彼女もユーシスの表情から何かを察したのか、薄い笑みを浮かべて浅く一度頷いた。

 二人の戦い方を見るに、非情に合理化された戦い方だ。プロと呼んで差し支えない。であれば、自分以上にこの場での勝利条件については心得ているだろうと当たりを付け、ラウラに指示を飛ばす。

 

『ラウラ』

 

『分かっている。戦闘にかまけて目的を見失いはしない』

 

 とはいえ、とラウラは思う。

 二人がかりですら倒しきる光景が思い浮かばないというのは、彼女にとっても異常だった。

 そこそこ長く戦っているが、それでもスフィータの実力の底は見えない。それはまだ全力ではないと声高に叫んでいるようで、ラウラとしても早々に切り上げたいという思いには同調せざるを得なかった。

 

「ライアス」

 

「おう」

 

「一度だけでいい。盛大に吹き飛ばすとしようではないか」

 

「同感。こんなバケモン、真っ当に相手したくねーわ」

 

 そう短く言葉を交し合い、エマとマキアスによるアーツ補助を受けた二人が猛攻を再開する様子を見ながら、ツバキは内心感服していた。

 

 ライアスがスフィータとそこそこ互角に渡り合えるのは始めから分かっていた。軽口を叩いたりして軽薄に見られがちなところはあるが、あれでも元《結社》組。それも”戦乙女(ヴァルキュリア)”の一人に師事した”準達人級”の武人だ。この程度が凌げなければ、《マーナガルム》の一番槍たる《二番隊(ツヴァイト)》の副長補佐という任には就けないだろう。

 だが、ラウラ・S・アルゼイドと互いに背を預けて戦うその姿は、まさに水を得た魚であるかのようだった。普段よりも行動の全てが鋭く、また判断も素早い。幼少期からの一途さはかくも強いという事だろうか。

 

 更に言えば、他のⅦ組の面々の動きも、ツバキからすれば予想以上だった。

 これまで、幾多の修羅場と死地を潜り抜けてきた彼らを他の士官学院生と同列に並べるのは愚行だという事くらいは分かっていた。だが、実際にその目で見てみると、あまりにも異質だという事が良く分かる。

 

 仮定の指揮官の指示に即座に呼応し、迷いなく動ける行動力。それでありながら個々が状況に応じて対応を変化させる事の出来る判断力。各々の得手も不得手も全てを理解し尽くした上で適切と思われる行動を瞬時に理解し、動き得る姿は、まるで精鋭小隊のような在り方だった。

 その中でもツバキが一番評価していたのは、その仮定指揮官たるユーシスの行動だ。

 

 やや慎重すぎる衒いはあるが、それでも彼の指示は適切の一言に尽きる。堅実と言い換えても良いだろう。

 敵の戦力を即座に見極め、過小評価も過大評価もせず、自身の目に映る情報を的確に分析し、戦略を逐一組み立て直せるだけの実力がある。若い指揮官にありがちな前のめりになるような指示も今のところ見受けられず、戦局がやや有利に傾いても元々の目的を忘れず、適切な策を取り続けている。

 そういった基礎の応用のような思考を、数秒単位で戦局が変わりかねない場で持ち続けられる者が果たしてどれだけいるだろうか。ツバキ自身は最前線での指揮は執らない立場だが、たとえば《マーナガルム》の指揮官勢に見せれば、歳と戦闘経験の割には破格の実力だと褒め称えるに違いない。

 

 恐ろしいものだと、内心で苦笑しながら呪符を手に構える。

 鳶が鷹を生むというのはまさにこの事だろう。ヘルムート・アルバレアは自身の才覚には乏しくとも、息子たちの才覚には恵まれたらしい。兄のルーファス・アルバレアが大局的に戦場を見渡す参謀将校の任が合っているのならば、弟であるユーシス・アルバレアは現地指揮官といったところか。……そんな人材が『貴族派』の一員として二人とも敵に回るというのは、できれば避けたいところではある。

 

「(ただまぁ、兄上の事ですからそこのところもきっちりと教え込んでるんだと思いますけれど)」

 

 どちらに着くのが利であるのかではなく、どちらに着くのが義であるのか―――古臭い考えだと嗤われる事もあるが、現代においてもこれは存外馬鹿にならない考え方なのだ。

 ミラさえ貰えば陣営の思想など関係なく殺し合いに専念する猟兵が言えた義理ではなく、実際にツバキもそういった考えに固執する性格ではないが、彼らにしてみれば笑い飛ばせる話ではない。

 

 第三勢力として、『貴族派』と『革新派』の両勢力のどちらにも所属する事を強要されない立場。内冷戦の色が濃くなってきたこの状況では、各々の判断力が生死を左右することになる。

 だが、その判断をする前に彼らを死なせてしまっては、レイ・クレイドルという人間に助けられ、師事した者の名折れというもの。

 

「では、締めの一手目と参りましょうか」

 

 そう言ってツバキは鉄扇を開き、真横一直線をなぞるように移動させると、なぞった線から霧が噴出し、辺り一面を覆い尽くす。

 濃霧によって視界をシャットダウンされ、ラウラとライアスを見失ったスフィータは、視覚と聴覚を頼りに探ろうとするも、弱体化しているとはいえ人間よりも遥かに優れたそれを以てしても引っかからなかった。

 

「(ただの霧ではないな……妖術の類か? 小賢しい)」

 

 やはり先に仕留めておくべきだったかと思いながらも、スフィータは茫としていく感覚の中でヒトの気配を感じ取り、口角を吊り上げた。

 それが誰であろうと構わない。殺せるのならば何でも良いと、人の姿に貶められ、尚且つ弱体化された彼女の思考は、ここに来て悪い意味で単純明快なそれへと変貌していた。

 

 だからこそ彼女はその気配に向かって突き進み、その右腕を突き入れた。たとえ致命の場所でなくとも、当たれば体の一部は確実に消し飛ぶような威力。現にそれは何かを貫いたような感触があり、霧の奥から痛みに悶える声が挙がるものと確信していた。

 

「ふふ、ふふふ」

 

 しかし、聞こえてきたのは忌まわしい笑い声。その声と共に霧の一部が晴れると、眼前にいたのは余裕の笑みを浮かべたツバキだった。

 スフィータの右腕は、確かにツバキの左半身を消し飛ばしていた。しかしそこからは肉も骨も血の一滴すらも噴き出しておらず、ただただ呪符が紙吹雪のように散っているだけ。

 そしてその呪符がスフィータの右腕に張り付いて、動きを完全に封じていた。

 

「殊更に短絡的な今の貴女ならば、気配を少し漏らしただけで引っかかるとは思いました。釣り出しは成功ですね」

 

「貴様……()()?」

 

「答える義務はございませんね」

 

 ただ、と。ツバキはその双眸に翳を落として言い放つ。

 

「僕は貴女とは違って”人”ですよ。僕が人の魂を持っている限りは、ね」

 

 意味深長な言葉を残し、ツバキの全身が呪符となって解体されていく。その紙吹雪の向こう側から、各々の全力の氣力を込めた技が飛んできた。

 

「『真・洸刃乱舞』‼」

 

「『轟雷地烈斬』‼」

 

 地面が割れるほどの余波を生み出したその双撃は、咄嗟にガードしたスフィータの左腕ごと彼女を吹き飛ばし、最奥に立っていた彫像に叩きつけられる。

 その状況に至ったのを確認して、ユーシスは最後の指示を飛ばした。

 

「撤退だ‼ ミリアムとレーグニッツが先行しろ‼ 委員長はその後に続け‼ 殿(しんがり)は―――」

 

「―――それは僕とあの男が務めましょう」

 

 先達の義務のようなものですと、いつの間にか近くに現れていたツバキの提案に小さく頷く。

 この期に及んで意地を張るつもりなど毛頭ない。後々に借りを返すことになろうとも、目下最重要なのは全員が生きて戻る事だ。その為に、自分達よりも強い人間の力を借りるのは当然の事。

 そんな事を考えていると、ユーシスの目の前に以前も見た鶴の形をした折り紙が現れる。

 

「それに着いて行って下さい。安全地帯(セーフポイント)まで案内してくれます」

 

「申し訳ない」

 

「ふふ、なんの。それよりも、お見事な指揮でした、ユーシス様」

 

 世辞ではない賞賛を投げ、ツバキは前方を見据える。そこには、体力的に限界が近かったラウラを抱えて走るライアスの姿があった。

 

「ら、ライアス‼ 流石にこれは恥ずかしい‼ 私にも一応恥じらいというものはあるのだぞ‼」

 

「つっても今のお前全力で走れないだろ‼ つーかお前ホントに背ぇ伸びたな‼」

 

「なっ……それは私が重いと言いたいのか⁉」

 

「そりゃあん時と比べりゃ……痛い痛い‼ この状況で抓られると俺対処のしようがない‼」

 

「ヘタレからランクアップできて調子乗るんじゃないですよライアス。あと二秒以内にこの部屋から脱出できなければ今の貴方の醜態を写真に収めて経理班主任(ミランダさん)に売り飛ばしますよ」

 

「それ絶対後で強請(ゆす)られるヤツじゃないっすか‼ 俺の財布事情がアレ過ぎてもう泣きそうっす‼」

 

 緊迫しながらもそんな事を言うだけの余裕はあると再確認したところで、ツバキとライアスも含めた全員が退避する。

 スフィータが追ってくるような気配すら見せなかったという事に、一抹の疑問を覚えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

「……フン。忌々しいが、今回は私の敗北か」

 

 倒れてきた像を蹴り飛ばし、瓦礫の山の中からさしたるダメージも負っていないような風体で出てきたスフィータは、冷静になった頭で自らが”してやられた”事を理解し、そしてそれを受け止めた。

 

 遊び過ぎた事を戒めるだけの器量はある。少なくとも、増援が二人増えた時点で手を抜くべきではなかった。()()()()が使えない今の状況では、それ程余裕がある訳ではないというのを、いつからか失念してしまっていたらしい。人の身に堕ちる前は、少なくともこのように足元を掬われるような惨めな思いはしなかったというのに。

 

「……いや、違うか」

 

 そうだ。この身に堕ちたのはそもそもが己の怠慢から始まった事なのだ。だというのに、同じ失態を二度も繰り返した己に対して怒りが立ち込める。……無論、またアルゼイドの家の人間にしてやられたという憎悪も含まれているが。

 

「嗤いたくば嗤え。そら、貴様が愉悦を感じるような失態を、私は犯してやったぞ」

 

「残念だがねスフィータ。私は自虐している輩に追い打ちをしたりはしない主義なのだよ。己の自負心に踊らされ、有頂天で舞い上がっている阿呆を嬲るほうが好みなのでね」

 

 部屋の影。奥に続く道の向こうから姿を現したのは、スフィータにとってみればすぐさま顔面に唾を吐きたくなるような苛立ちを覚える表情を浮かべた貴族。

 だが彼は、カーティスはそうは思っていなかった。珍しく気落ちしているかのような従者を前にして、ため息を一つ吐いてみせる。

 

「《西風の旅団》の連隊長、そして貴様を仕向けたというのによもや全員生還するとは……いやはや、最近の若者は素晴らしい」

 

「気色が悪い。まるで悪魔どもに魂を売り渡した愚物共のそれだ」

 

「何を今更。貴様を従者として縛り付けている時点で悪魔どもに媚びる必要もないだろうに。しかしまぁ、少しばかり嬉しかったのは認めよう。何せここまで私の予想を覆す出来事は、ここ最近はとんと無かったものでな」

 

 くつくつと笑うその姿は、一切恐れる様子も、また苛立つ様子もない。むしろ予想外の事態となった事を喜ぶようなその姿に、スフィータは眉を顰めながら呆れるような息を漏らすばかり。

 だがしかし、突然何かを思いついたようにコロリと表情を変え、口角を歪めた。

 

「しかし貴様も策に溺れたな、カーティス。貴様が色を寄せる雌は他の雄に奪われたようだぞ」

 

「っは。そうだな、それは否定せん。―――しかし、あれほど生き生きとした御息女を見れただけでも今回は良しとしよう。漸く、舞台には役者が整ったのだからな」

 

 それは暗に、ラウラの事を諦めるつもりはないという意思表明でもあった。人間の色恋沙汰などにはとんと興味のないスフィータだったが、むしろ自分の言葉がカーティスの動揺を誘う事ができずに不満じみた表情を浮かべる。

 だがその感情を知ってか知らずか、カーティスはスフィータの左腕を見やった。最後の双撃を受け止めた彼女の左腕は、半ばから斬り落とされ、一見痛々しい断面を晒していた。

 

「貴様も随分と手痛い足掻きを受けたようだな」

 

「ハッ。この程度、半日もあれば元に戻る。この程度は痛手にもならん」

 

 だが、とスフィータは思う。

 単純な力押しという戦い方では、彼女に勝る者はそう多くないだろう。よしんば”達人級”の面々であっても、技量で以て彼女を打倒しにかかる者も多くなるであろうほどだ。

 だからこそ、搦め手の戦術はどちらかといえば不得手。しかし生半可なものであれば力押しで突破するのがスフィータのやり方だったが、今回ばかりは違った。

 

「あの札使いの小童。奴は、奴だけはよく分からん」

 

「……《マーナガルム》の諜報部隊の長、か」

 

 その点に関してだけは、カーティスも頷く事に異議はなかった。

 精鋭揃いのかの猟兵団の中でも、突出して秘匿性が高いのがその諜報部隊《月影》だ。大国の諜報機関や七耀教会、果ては《結社》であってもその全貌を図れないとあれば、その凄まじさは理解できる。

 しかし、その長である彼女―――《折姫》ツバキに関しては、それほど情報が秘匿されているわけでもない。顔は割れ、戦い方も割れている。凡そ諜報員としては機能しないようなところまで知られながら、しかし未だに彼女の情報の深奥まで至った者は存在していない。

 尻尾を見せていながら、それを掴ませる事はない。それは、間違いなく相手にしたくないタイプの敵ではある。

 

「やれやれ。世界は広い。未だ我が智が及ばないものは幾らでもあるという事か」

 

 そう言ってカーティスは、一同が去っていった方角に向き直り、恭しく一礼をする。

 

「トールズ士官学院特科クラスⅦ組諸君、そして猟兵団《マーナガルム》の方々。前哨戦は私の負けだ、潔くそれは認めよう。―――だが、次はこうは行くまい」

 

 表情こそいつもの余裕じみた笑みが張り付いていたが、その言葉には形容し難い威圧感があった。

 その言葉の真意を彼らが理解することになるのは、もう少し先の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 どうもこんにちは。先日久し振りに会った高校時代の友人と懐かしき『ドカポンDX』やったらリアルファイトに発展しかけた十三です。ワルサーエッグの押し付け合いとデビラーマンの蹂躙はマジでヤバい。

 しかしまぁ、遂に3月ですね。私は会社の配属先も決まって、リクルートスーツを着ている3年生の方々を生暖かい目で見られる程度には余裕が出てきましたが、4月からはそうも言ってられないんだろうなぁ……やめよう、この話。

 さて、ここまで5話ほど続いたオルディス編ですが、ここで一旦区切りとなります。まだ色々と回収しきれていない内容はありますが、それはまた後日。つーかそろそろルーレに戻らないと、筆者自身何をしようとしていたのか忘れる可能性微レ存。

 ……その前にFateの方書かなくちゃいかんな。あぁ、いやその前にこちらのオリキャラ一覧を作り直さないと……4月までにどこまで終わるだろうか。

 では、また戦場で。


PS:
 アラフィフおじさんキタ―――――――――‼ わんこアヴェンジャーも貰ったァァ‼ ボブミヤ?そこまで僕の幸運は続かない。


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破戒を告げる朝





※前回までのあらすじ


A班(ルーレ組)

何もなしに実習を終えられるほどこの世界の実習は甘くない(絶望感)
ルーレ実習二日目、なんかもう、色々と滅茶苦茶になる一日が幕を開けます。


B班(オルディス組)

ガチで何人か死にかけた。



※「第六章」現在までの初登場オリキャラ

・ヒルデガルド・ルアーナ
(RF社『第三製作所』研究主任兼取締役。アンゼリカ・ログナーの叔母にしてアリサの理解者。独身)

・カリサ・リアヴェール
(猟兵団《マーナガルム》《五番隊》兵站班主任。息を吸うように武器の売買を行う、本物の”死の商人”)

・イルベルト・D・グレゴール
(結社《身喰らう蛇》使徒第四柱。真正の外道)

・ルクレシア・カイエン
(四大名門〈カイエン公爵家〉の嫡女。無意識にエグい。色々と言動にR指定がかかる)

・ペルセフォネ
(猟兵団《西風の旅団》連隊長。フィーと雰囲気が似ている。多分こちらもシスコン拗らせ勢)





一片の擁護もできない真性の外道というものが、この世にはさほど珍しくもなく存在している。

 

 

 それは、一度でも裏の世界を垣間見た者であるならば、恐らくは一度は目にした事、耳にした事があるだろう。

 

 自分の欲望のためだけに他者を捨て駒の如く利用し、用が済めば塵屑同然に使い捨てる者。

 自分が犯した悪行を、さもそれが”正義”であるかのように振る舞う者。

 

 

 ―――例を挙げればそれこそキリがないが、もしレイ・クレイドルという少年がこの”真性の外道”と呼べる人物を”一人”挙げるとするならば、特定の”一人”を選ぶ事ができる。

 

 それは自身が姉のように慕っていた騎士を殺害したザナレイアではなく、親友を一時期精神崩壊に追いやった教授でもない。―――否、レイからすれば彼らもまた救いようのない外道の中の外道であり、善悪の二元論で物事を語ることを嫌う彼からして見ても”悪”と吐き捨てることができる者達ではあるのだが、それ以上に救い難い―――そもそも”救う”という概念を抱く事すら思い浮かばない者が一人、居る。

 

 

 結社《身喰らう蛇》 《使徒》第四柱。

 

 名を、イルベルト・D・グレゴールと言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

「アンタが……今回俺らの計画を補佐してくれるっつう《結社》の人間か?」

 

 

 ルーレ市街区より離れたスピナ間道の一角、四方を崖に囲まれた隠遁には絶好の場所で、《帝国解放戦線》の幹部の一人、ヴァルカンは部下数人と共に、潜伏場所でもあった洞窟の入り口で一人の男を出迎えた。

 

 ヴァルカンは、嘗てとある猟兵団を率いていたという過去を持つ男である。戦場慣れしたその観察眼と判断力は、出会った人間がどのような類の人間かと理解できる程度には高い。

 

 だが、目の前に佇むこの男は、彼の眼を以てしても―――()()()()()()()()()()()()

 

 

「まぁ、そうなるのだろうな。お初にお目にかかる《帝国解放戦線》の諸君。私の名はイルベルト・D・グレゴール。結社《身喰らう蛇》の《使徒》の一席を担う者だ」

 

 長身痩躯、だが脆弱な印象は微塵も感じさせない。”ただそこに居る”というだけで不気味さという曖昧な表現が具現化しているような感覚には、どれほど戦場を闊歩してきた者であろうと思わず眉を顰めることだろう。

 猛禽類が獲物を見つけた時のように鋭く細められた双眸とは相反して緩く吊り上がった口角もまた形容し難い恐怖感を煽る。なまじ壮年期から老年期へと差し掛かったかのような風貌と相俟って、この世の全てを手玉に取っているかのような、そんな威圧感さえ感じさせた。

 

 経験、そして直感が雄弁に語りかける。―――この男は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()男だ、と。

 

「助かるぜ、旦那。俺らはこれでも精鋭だと思っちゃいるが、頭数―――それも”異能”持ちだっつう《結社》の最高幹部が来てくれるたぁな」

 

 ひとまず表面上はそう言って歓迎の意を示したヴァルカンであったが、正直なところ、不服感を感じないかといえば噓になるのだ。

 《帝国解放戦線》が今回このルーレで引き起こそうとしているのは、ルーレ市内に搬入した囮で《鉄道憲兵隊》の注意を引き付けた上で、黒鉄都市の要とも言えるザクセン鉄鉱山を制圧するという大掛かりな作戦だった。

 

 とは言っても、機械人形兵器(オーバーパペット)という戦力を獲得している以上、戦線は自分たちの戦力だけでこの作戦を成し得る事ができるという自負はあった。

 元より彼らは、《鉄血宰相》ギリアス・オズボーンが執り行った政策によって被害を被り、その復讐の為に非人道的な行為に手を染めることを選んだ者達である。政府に打撃を与える作戦は可能な限り自分たちの手だけで遂行したいと思うのは当然のことだろう。

 

 だが、《結社》の支援なくしてはここまで来る事ができなかったというのもまた事実。

 信用できるか、できないかという私情はこの際捨て置いてでも、作戦の成功を第一に考えなくてはならない。

 

 するとイルベルトは、徐に視線を上へと向けた。

 

 

「時に、(けい)は月見を嗜む趣味があるかね?」

 

「あン?」

 

「頭天に頂く宵月を肴に茶か酒を嗜む趣味が、卿にはあるかと訊いているのだよ」

 

 突然差し込まれた関係のない言葉に、しかしヴァルカンは最低限の付き合いだと割り切って言葉を返す。

 

「そうだな……まぁ月を見ながらの酒が美味ぇってのは否定しないぜ。昔はよく、戦闘の合間に一杯やったモンだ」

 

 自分で紡いだその言葉に、嘗て自分が率いていた仲間たちの顔が過る。逆恨みだとは分かっていても足を踏み入れた復讐劇。こんな自分を彼らが見たらどう思うかと、思わず哀愁に流されそうになってしまう。

 だがイルベルトは、そんなヴァルカンの感情の変化など毛ほども興味がないと言わんばかりに視線を再びヴァルカンたちの方へとやった。

 

 

「美しきモノに目が惹かれ、それに浸りたいと思うのは文明人の嗜みだ」

 

 そこでヴァルカンは更に深く眉間の皺を刻む。

 この男は、一体何を言いたいのか、と。

 

「だが、美しきモノも枯れ地の木の如くそれだけでは……飽きも回ってくるだろう。故に至高の美には―――添えるべき華が必要だ」

 

 するとイルベルトは、何の脈絡もなく右手を掲げ、一回だけ指を鳴らす。

 その音は月夜の闇の中に溶けていくだけのものであった筈だ。少なくともそれ以上の意味はなく、ヴァルカンも部下たちも、彼に対する不信感をまた少し募らせるだけで済んだ筈だ。

 

 

 ―――唐突に、一人目が斃れた。

 

 それは、何もないはずの虚空を割いて、煩わしい発砲音と共にマズルフラッシュが炸裂した直後の事。

 他の構成員たちは、突然先ほどまで共にいたはずの同士が眉間を撃ち抜かれて物言わぬ屍になったという事実を頭で理解するまでに数秒を要した。

 

 だが、その数秒はあまりにも遅すぎた。

 最初の一発を皮切りに、連続で放たれる音と光。未だ唖然としていた構成員たちの命を根こそぎ刈り取るに充分な時間が過ぎた後、不意にイルベルトの背後の空間が()()()()

 

 虚空から現出したのは、漆黒の軽装鎧を身に着け、一様に髑髏の仮面を張り付けた異様な一団。

 その全員が、手にした銃の銃口をヴァルカンらに向け、まるで機械兵団の如く同じ射撃姿勢で動きを止めていた。

 

 まるで瞬間移動のようにいきなり虚空から現れたそのタネが、《結社》で新しく開発された個人携行型光学迷彩術式兵装であった事は、恐らくヴァルカンも理解していなかったことだろう。

 元来”表側”の技術でも戦闘用飛空艇などに取り付けるステルス兵装は開発されているが、その為に必要となる膨大なエネルギー及びコストという課題に阻まれて個人携行型に圧縮されるまでには後数十年はかかると言われていた代物であったからだ。

 

 だが、そんな事はどうでもよかった。

 見るべきは事実。この異様な髑髏仮面の一団が、今まで日陰に身を堕として戦ってきた今の仲間を呻き声をあげる暇すらもなく鏖殺したという事。

 そしてそれを指示した男は、その光景をまるで当たり前の風景の一つを見るかのような表情のまま、言葉を続けた。

 

「華と呼ぶには些か気品が欠けてはいたが―――まぁ血染花(けっせんか)としての価値は彼らにもあったという事だ。月見を彩る添え役としての及第点はやれんがね」

 

 人を殺す、という行為に罪悪感を覚えない人間は珍しくない。その行為に快楽を見出す者もまた然り。

 だが、そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()などというのは、あからさまな人格破綻者だ。そんなものは、純粋な外道でしかない。

 

 

「こ――――――のド腐れ野郎がァァ―――ッ‼」

 

 ヴァルカンにとって、背後に立っていた部下たちが自分を残して全滅するというのは二度目の経験だ。

 一度目のその時は、標的としていた筈の《鉄血宰相》の嘲笑うかのような笑みが今でも網膜に焼き付いているが、それでも、目の前のこの男よりかは幾分以上もマシである。

 

 激昂し、相手が引き金を引くよりも早くその不気味な笑みを浮かべた顔に拳を入れてやろうと距離を詰めたヴァルカンだったが―――。

 

「ガ―――ッ⁉」

 

 最後の一歩を踏み込もうとしたところでヴァルカンを襲ったのは、弾丸の雨霰ではなく、浮遊感であった。

 猟兵時代にも、そして戦線に身を移してからも鍛え続けた巨躯を持ち上げる事ができる人間など、そうはいない。少なくとも、()()()()()()であったのならば。

 

 東洋に伝わる武術の要領でヴァルカンの膂力を利用する形で”投げ”を行い、地に叩きつけた後、的確に関節を絞めて動きを完全に封じたのは―――一団とは違って黒の軽装鎧も髑髏仮面も付けていない、しかしある意味では彼らより異様な、中性的な風貌を持った線の細い子供であった。

 

 その少年はヴァルカンの動きを完全に封じつつ、軽装の何所からか取り出した細い針を巨躯の一部に突き刺す。

 すると、体の全身が麻痺したかのような感覚に一瞬にして陥り、ヴァルカンは抵抗の気力を全て奪われた。

 そして尚も新しい針を突き刺そうとする少年の行動を、しかし制止したのはイルベルトであった。

 

「殺すな、クリウス。()()にはまだ生かしておく価値はあるのでね」

 

「はっ、申し訳ございません」

 

 クリウスと呼ばれたその少年は、イルベルトの命令に唯々諾々と従い、手品と見間違う手つきで針を仕舞い込む。

  

「牙研ぎを怠った猟犬程、役に立たぬものはない」

 

 イルベルトのその”右手”がヴァルカンの顔を鷲掴み、痩身からは考えられない程の膂力で巨躯を持ち上げる。

 

「喜びたまえ。無価値な犬にも使いようはある。なに、少しばかり()()()()()()良いだけの事」

 

「ッ―――⁉」

 

「ふむ、では……」

 

 するとイルベルトは、路傍の花を手折るかのような容易さでヒトを壊す最後の一押しを行う。

 

 

「卿からは『”理性”を貰い、”狂気”を贈ろう』」

 

 

「ガッ―――ぐ―――ぁぁぁァァァァァァ――――――‼」

 

 傍目からは何事も起きていないようなその一瞬で、イルベルトは自らの”異能”で以てヴァルカンを狂獣へと貶めた。

 

「■■■■■■■■―――ッ‼ ァアアァァ―――ッ‼」

 

「月の妖光に吼える獣の姿―――夜想曲(ノクターン)にしては些か品位に欠けるが、まぁ今宵はこの程度で辛抱するとしよう」

 

 そこに慈悲など一切ない。そもそも抱いたことすらないし―――それがどういったものなのか理解しようと思ったことすらない。

 人間一人の”ヒトとしての形”を壊す事など、彼にとってみれば赤子の手を捻るよりも容易い事。道端の蟻を踏み潰してしまった事に罪悪感を覚えないように、イルベルト・D・グレゴールにとっては”これ”はそういう事であるのだ。

 

 

「序曲としては簡素だが、之を以て此度の劇の幕開けとしよう。《天剣》よ、極上の輝きを見せてくれ給え」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてお前ら、今までの特別実習も大概厄介な案件がお徳用セットで付いてきたと思うが……喜べ、今回は一層面倒なモノが付いてきそうだぞ」

 

 RF本社、24階ペントハウスの一角にある談話室。朝食を食べ終えて食後のコーヒーも飲み終わった段階で、レイは徐に席から立ち上がってそう言った。

 それを聞いたⅦ組A班の大体の面々は、深い溜息でも吐きそうな表情で諦めたように天井を仰いだ。

 

「僕らって、一ヶ月に一度の頻度で死にかけてることが多いなぁ」

 

「面倒な徳用詰め合わせなんてゴメンだぜ。返品したいが、不可ってところがタチ悪ぃよなぁ」

 

「……とか言って、皆慣れてるところあるよね」

 

「一秒一瞬単位での命のやり取りなんて、本当は慣れたくないわよ」

 

 実際、そんな事を言い合える程度には状況に慣れてきたという事でもある。だが、リィンだけはその軽口の叩き合いに口を挟まなかった。

 

 少し前に、この友人から言われた「死ぬかもしれん、覚悟しておけ」との言葉。

 レイ・クレイドルという少年の過去を全て知っているわけでもないので確実な物言いはできないが、少なくとも生半可な心情でそんな事を言う男ではないのは確かだ。

 

 だからこそ、リィンの佇まいにも僅かに硬さが混じるのは仕方のない事だった。

 しかしそんな彼の背中をポンと軽く叩いたのは、そんな友人だった。

 

「おら、そんなに固くなりすぎるなよダチ公。確かにあんな事言ったのは俺だけど、ガッチガチ過ぎると逆にいざって時にいつも通り動けなくなるぜ」

 

「レイ……」

 

「というか俺としてはさっさと今回の案件終わらせてお前にアリサに告ってもらってⅦ組内の微妙な雰囲気をとっとと晴らしてほしいと思ってたりする」

 

「そっちが本命だろ。いやまぁ俺が悪いんだけどさ」

 

 苦笑すると、先程までよりかは確実に肩の力が抜けたような実感があった。

 リラックスさせてくれた礼の一つでも言うべきかと再びレイの方へと振り向くと―――そこには僅かに眉を顰めていたレイの姿があった。

 

 それを見て、改めて理解する。詳しい事は聞いていないし、訊くこともできないが、一人で抱え込むことはしなくなった彼が、それでもなお懸念を晴らせないほどに拙い状況に成りうる可能性があるという事を。

 無論、それが杞憂であることが何よりも望ましい。戦うという行為自体には確かに慣れてはきたが、何かを傷つける、傷つけられるという事自体には慣れていなかったし、慣れたくもない。

 それは常々、レイやサラから言われ続けている事でもあったが。

 

「ま、そうそうヤベェ事にはならねぇだろ。なんてったって幸運の女神に愛された、このクロウ様が着いてんだからよ‼」

 

「この前帝都競馬で落馬のせいで三連単逃した不幸の代名詞みたいな奴がぬかしおるわ」

 

「この前ミリアムが寮の近くで新技練習してたらたまたま通りがかって巻き込まれて数アージュ吹っ飛んでたし」

 

「校舎裏のベンチに座ったらペンキ塗りたてのやつで制服ヒドイ事になってたし」

 

「逆に貧乏神に憑かれてるまであるわね」

 

「うむ、今日も今日とで後輩たちが俺への敬意ゼロでメッチャ悲しい」

 

 クロウのいつもの軽口で少しだけいつもの和やかな雰囲気が流れていると、談話室にシャロンが入ってくる。

 

「皆様、ご歓談中のところ申し訳ございません」

 

「どうしたの、シャロン。この時間ならもう仕事の補佐に入ってると思ったのに」

 

「えぇ、そうなのですが……皆様宛にお手紙のようなものが届いておりましたのでお届けに参りました」

 

「手紙?」

 

 そういってシャロンが差し出したのは、一見上品そうな封筒に入った一通の手紙。

 彼らにしてみれば第三学生寮に届くならともかく、実習中のルーレに届く手紙などにとんと覚えはなく、しかしシャロンが持ってきたという事はタチの悪い悪戯の類でもないという事だ。

 

 代表してレイが、シャロンからペーパーナイフを受け取って開封する。

 どうせたいした事は書いていないだろうと、そう高を括って頬杖を突きながら手紙を開いたレイは―――しかし数秒後にあからさまに顔色を変えて談話室から飛び出していった。

 

「レイ⁉」

 

「ちょ、どうしたのよ‼」

 

 そんなレイを追いかけていったのはエリオットとアリサの二人。残された三人は、レイが机の上に叩きつけるように置いていった手紙の文面を読もうと思い、再び開いた瞬間―――。

 

 

 ルーレの街に、轟音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

「第三製作所の稼働率は?」

 

「はい、主任。現在92%です。帝国政府から要請のあった《鉄血の伯爵(グラーフ・アイゼン)》の最高速度、及び安定性能の引き上げ、それと客船《ツェペリン》の製造も近日中に最終ラインに到達するかと」

 

「そうか。まぁ、納期自体に余裕はある。各ブロック担当者に、計画予定通りに進めるように伝えておいてくれ」

 

「了解しました」

 

 部下にそう指示を飛ばしながら、ヒルデガルド・ルアーナは主任席の背もたれに深く体を預けた。

 RF社『第三開発所』主任兼執行役員―――その肩書きが齎す仕事量というものは途轍もないものではあったが、元より技術畑という場所で生きるのが楽しかったこと、貴族という肩書きに縛られずに実力勝負ができるという事もあり、不思議と辛いと感じることはなかった。

 

 まぁそれでも、導力車や導力飛行船などの、RF社の”表の華型”とも言える事業を担っている以上、前述通り激務は避けられない。

 一日の睡眠時間が三時間を切るのが当たり前になっている状態で、ヒルデガルドは机の中から栄養ドリンクを取り出して一息で煽り、襲い掛かろうとしていた睡魔を撃退する。

 

「主任……やっぱり残務は私たちに任せてお休みになったらどうですか?」

 

「その気遣いはありがたいんだが、この前の休暇の時に寝溜めしようとしてたら手足が痙攣起こして気付いたら機械弄ってた事あったからなぁ」

 

「骨の髄までワーカーホリックじゃないですか」

 

「それに今はシャロンとお嬢が彼氏自慢してきて傷心中だから仕事に没頭させてくれ」

 

「何という悪循環」

 

「ンだとコラ」

 

 投げたファイルが部下の眉間を直撃し、制裁は終わる。

 その直後、ヒルデガルドはふと、とあることを思い出した。

 

「そう言えば、南部からの機材の搬入は今日の午前中だったな」

 

「イテテ……あ、はい。多分もうルーレ空港に飛空船経由で搬入している頃合いかと。第二セクターの何人かが荷受け確認の為に空港に向かってますよ」

 

「そうか。まぁそれなら安心―――」

 

 ヒルデガルドがそう言いかけた瞬間、窓の外から発生した爆炎と轟音。背後に設けられていた強化ガラスは数秒後に襲い掛かってきた衝撃波に耐えたものの、並々ならぬ事態が起こったという事はその時点で既に理解していた。

 窓の外を覗いてみれば、比較的距離が近い場所から黒煙が上っている。他の建物に阻まれて爆発が起きた正確な場所は特定できないが、それでも長くこのルーレに住んでいる身として、方角と距離から大体の察しはつく。

 

「ルーレ空港……か?」

 

 そう言葉に出した瞬間、事の重大さを理解したヒルデガルドは、椅子の背もたれに引っ掛けてあった白衣を右手で鷲掴むと、羽織りながら主任執務室の扉を蹴飛ばすようにして飛び出す。

 すれ違う研究員達に何事かと思われるような表情を向けられながらも、製作所を出てルーレ市街をひたすら走り続けると、彼女が予想した通りの場所に、野次馬の波ができていた。

 

 それを掻き分け、抜け出すと、ルーレ空港に通じる通路は完全に封鎖されていた。

 ノルティア領邦軍と、《鉄道憲兵隊》。先日この近くで両者が一触即発の状態になっていたというのは噂程度に耳にしていたが、事此処に至ってはいがみ合う暇もないと、一応は落としどころを着けたのだろう。

 空港入り口を封鎖している二者の内、ヒルデガルドは《鉄道憲兵隊》の女性士官に声を掛けた。

 

「すまない‼ 空港から―――空港内からRF社の人間が出てこなかっただろうか‼」

 

「えっと、申し訳ありませんが貴女は―――」

 

「……失礼。RF社『第三製作所』主任のヒルデガルド・ルアーナです。空港に荷受けに来ていたウチの社員が居た筈なので、安否確認に参りました」

 

 一瞬我を忘れて取り乱しはしたものの、冷静さを取り戻して用件を伝えると対応した憲兵隊員―――クレアは「あぁ」と自身の記憶を手繰らせた。

 

「《鉄道憲兵隊》憲兵大尉、クレア・リーヴェルトです。空港名簿の中に確かにRF社の方はいらっしゃいました」

 

「ご安心ください。爆風による怪我人は数人いますが、犠牲者が出たという報告は受けておりません。……現在、安全確保の為に空港内に居た方は隣接施設に避難していただいています」

 

 そう言われた時点で、ヒルデガルドはこの爆発事件が空港に勤めていた従業員の過失による”事故”ではなく、外部の手の者による”事件”である事を察することができていた。

 であれば、事態が収縮するまで関係者はその施設からは出られないだろう。とはいえ、部下の安全が確保されているのならば、ひとまずは安心できた。

 

 しかし、と。改めて周囲を見渡してみる。

 空港入り口の警備はこれ以上ないほどに厳重だ。恐らく空港内は爆発の原因究明の為にもっと混沌とした有様になっていることだろう。

 

 そも、四大名門の一角である〈ログナー侯爵家〉が直接治めるノルティア州の州都ルーレで爆破テロじみた事が起きただけでも大事件だ。ノルティア領邦軍からすれば自分たちの矜持に掛けてでも事件の全貌を暴きたいだろうし、帝国政府にとってみても帝国の重工業の集積地であるルーレで大規模なテロ行為など起ころうものならば事態の収拾に全力を注がねばならない。

 

 ヒルデガルドが主任を務める『第三製作所』は、それこそ戦争行為に直接関わるような代物を進んで開発しているわけではない。

 だが、この職業に身を置いている者は、少し賢ければ分かる。いざ帝国が諸外国に利が及ぶようなテロ行為に晒されたとき、国防の戦力を削ぎ落すという目的であるのならばまず真っ先に狙われるのはこのルーレなのだと。

 

 犠牲者はなし。幾人かの負傷だけで済んでいるというのは僥倖だが、問題の本命は「ルーレという街が爆破事件の標的になった」という事なのだ。

 事態がこれだけで済めばいいが―――などとヒルデガルドが思っていると、ふと領邦軍が封鎖していた一角が騒がしくなっていることに気づいた。

 

 

「何だ貴様、今ここは見ての通り封鎖中だ、とっとと去れ」

 

「…………」

 

「聞こえなかったのか? 不審人物として詰所に連行してやってもいいんだぞ⁉」

 

 何やら穏やかでない声を浴びせられているのは、フード付きのローブを羽織った一人の人物。

 フードを目深に被っているためにその表情は確認できない。領邦軍兵士の声に一切反応しない事を不気味に思っていると、その直後。

 

「きさ―――ガッ⁉」

 

「…………」

 

 何の脈絡もなくローブの裾から出てきた小剣が、兵士の一人の胸を貫いた。

 素人の手際ではない、という事は一瞬で理解できた。刀身は僅かの躊躇いも狂いもなく、兵士の心臓の中心を突き破り―――剣が引き抜かれた瞬間には大量の鮮血を撒き散らしながら兵士は絶命してその場に倒れ伏した。

 

 隣にいた兵士が事態を理解して銃を構えるまで2秒。その間にその人物は、殺した兵士に一瞥もくれずに走り出した。

 疾駆した影響でフードが脱げ、その下から現れたのは禍々しい髑髏の仮面。血塗れた剣を手に、その人物はとある一人を視界に入れたまま走り続ける。

 

 次の殺害対象が自分だと―――そう理解したクレアが導力銃を引き抜き、照準を合わせて引き金を引くまでにかかる時間は1秒といったところだろう。

 凶剣に命を貫かれるのが先か、銃弾が敵の眉間を撃ち抜くのが先か。突如訪れた命の危機に、しかし先に反応したのはクレアではなかった。

 

「―――ハァッ‼」

 

 羽織っていた白衣を棚引かせて放たれた脚撃は、敵の視覚外の真横から直撃し、優に十数アージュは吹き飛ばした。

 その威力は、素人が放ったものでも、ましてや武術を少し齧った程度の人間が放てるものではない。クレアは自分の危機を救ってくれた恩人となった―――ヒルデガルドを驚愕の色を滲ませた表情で見ていた。

 

「ルアーナ主任、貴女は……」

 

「姪が逞しく育ちすぎたと姉の嫁ぎ先から文句を言われたんですがね。ま、元とは言え帝国貴族の嗜みって事で一つ」

 

 勇ましい微笑を洩らしながらそう言ったヒルデガルドであったが、本人からしてみれば身に着けた武術は謙遜でもなんでもなくただの護身術としてのそれでしかない。

 その強さが(アンゼリカ)を惹きつけてしまったというのは彼女にとっても誤算ではあったが。

 

 しかしながら、普通であれば確実に意識を持っていかれるはずの威力の蹴撃を喰らった髑髏仮面の人物は、しかしすぐに立ち上がった。

 まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()と言わんばかりの行動に、ヒルデガルドの眉間の皺がより深く刻まれる。

 

「―――掃射‼」

 

 だが、憲兵隊も二撃目を許すほど無能ではなかった。

 副長であるエンゲルス中尉の声に合わせて、隊列を組んだ憲兵隊員たちが小銃の銃口を向け、一斉掃射する。

 

 その銃弾は雨霰となって凶悪犯を物言わぬ屍にするはずだった。事実、ハチの巣と呼ぶに相応しいほどに体中に弾痕を刻み付けられ、鮮血を迸らせたが―――しかしそれでもその足は止まらなかった。

 

「ッ‼」

 

 その事実を理解した隊員の一人が、銃の照準をその両脚に向けた。

 両脚を銃弾で抉られ、物理的に歩行不可能になる。だが、残った両腕を使って這いずるその姿に、流石の隊員たちも形容し難い恐怖感を感じてしまう。

 

「―――諸共、死ネ」

 

 そして最後に漸く聞こえた機械音声のような声で、クレアは全てを察する。

 

「っ、まさか自爆―――」

 

 対処を指示するのに遅れた自身の未熟さを責める暇もなく二度目の爆破に巻き込まれようとした、その直前。

 

 

 

「【堅呪・崩晶(くえひかり)】」

 

 

 自爆という暴挙を覆い潰すかのように展開した呪術の妖光が爆破の衝撃と爆風を完全にシャットダウンした。

 今まさに二度目の悲劇が起こりうる可能性が多分に在った事を示していたのは防ぎきれなかった爆音と、呪術の壁の内側と地面にべったりとこびり付いた、人間一人分の血液と無残に散った骨と肉と臓物だけ。

 

 その凄惨な光景を、野次馬として集まったルーレ市民が目の当たりにしてパニック状態にならなかったのは、偏に領邦軍兵士がバリゲードとしての役割を全うしていたからだろう。

 一先ずそれに安堵していたクレアが次に見たのは、市内の空中回廊から飛び降りて自分の目の前に降り立った好きな男の姿だった。

 

「無事で、良かった」

 

 組織を率いる者としては、或いはそこでも市民の安全や部下の安否を心配していなければならなかったのかもしれない。

 だが、その時クレアは自重すべきと分かっていても、恋をした少年のその一言に、思わず胸の鼓動を高鳴らせないわけにはいかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





よくよく見てみりゃルーレ編最後に投稿したの去年の11月やん、と理解し、ここまで放っておいてしまった事にジャンピング土下座したいレベルで申し訳なくなってる十三です。
仕事がね、辛いっす。

さて、ようやくルーレ編地獄の一日が幕を開けました。もう完全にいち士官学院生に任せるレベルの事案じゃなくなってきてるという話は全力で横に置いておきましょう。何せこの世界修羅道ですから。

閃Ⅲの発売も近くなって参りまして、毎週木曜に公式サイトに更新される情報を眺めながらどうやって動かしてやろうかと妄想する日々です。セドリックの体・心のフォーゼ具合にマジビビリしましたが、それはそうとアルフィンとエリゼが思った以上の美人になってて滅茶苦茶テンション上がったのは皆も同じなはず。

まぁ、そういうことで投稿ペースが亀どころの騒ぎじゃなくなってきており、本当に申し訳なく思って居るのですが、御贔屓にしてくださっている読者の皆様方には何卒ご理解いただきますよう、宜しくお願いいたします。


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強者に侍る宝







「一つの目的のために存在するものは、強くしなやかで美しいんだそうだ」

             by 高杉晋助








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――条件:タイムリミットは落日まで

 

 ―――条件:ザクセン鉄鉱山の最奥に設置した起爆装置を解除せよ

 

 ―――条件:ザクセン鉄鉱山以外での組織的探索行為は条件違反とする

 

 ―――規約:制限時間を超過した際に上記の条件を満たしていない場合、以下の場所に仕掛けた時限式高性能爆弾を起動させる

     ・ルーレ工業大学

     ・ルーレ駅構内

     ・RF社軍需工場

     ・北部導力ジェネレーター、南部導力ジェネレーター、東部導力ジェネレーター、西部導力ジェネレーター

     ・RF本社

 

 

 

 ―――追記:今パフォーマンスの前座としてルーレ空港に威力を抑えた同型の時限式高性能爆弾の披露目を行う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 虚を突いた不審人物による自爆テロは、領邦軍兵士一人の犠牲だけで収束した。

 

 とはいえ、野次馬として集まったルーレ市民の混乱状態は依然として継続している。自爆犯の凄惨な死体が衆目に晒されていない分まだマシではあったが、それでも眼前で殺人事件が起こり、それに対して平然としていられるほど強固な精神を持っているわけでもない。

 

 だが、死者が出たのは領邦軍の方である。その事実を挙げて領邦軍はこの事件の担当を主張し、それをクレアは了承した。

 事此処に至って無駄にいがみ合うのが得策ではないことは十二分に理解していたし、特定の場所の捜査任務であればともかく、治安維持という任務であれば憲兵隊よりもルーレという土地を理解している領邦軍に任せておいた方が良い。

 

 普段の言動が過激であるため誤解されがちではあるが、少なくともノルティア領邦軍とサザーランド領邦軍。この二つの領邦軍は他の二つの州領邦軍と比べれば()()()話は通しやすい傾向にはある。―――あくまでも比較的、ではあるが。

 

 

 だがクレアは、他のⅦ組の面々と共にレイにルーレ駅の《鉄道憲兵隊》詰所に案内するよう請われ、その席で信じがたい事実を叩きつけられた。

 

 今朝方レイの元に届いた手紙の内容は、筆跡が特定されない電子文字で書かれた、ルーレを舞台にした大規模な爆破テロ事件の予告状であった。

 

 

「残念だが、これは悪戯の類じゃねぇな」

 

 誰もが一瞬性質の悪い悪戯という可能性を思い浮かべる中、それをレイの重い一言が断ち切った。

 

「わざわざ俺に直接叩きつけてきやがったんだ。俺に喧嘩を売るとどうなるか……それを分かってて尚やってる奴なら、悪戯じゃねぇよ」

 

「……この上ない理詰めに聞こえるから困るな」

 

 詰所の空気は重い。

 時間制限が課せられている以上、いつまでもうだうだと詰所に籠って時間を浪費するのは悪手であると理解している。

 クレアとて焦燥感を抱いているのは同じこと。この予告状通りであるならば、それぞれの場所に仕掛けられているであろう爆弾の捜索を行っただけでも条件違反とみなされて最悪の結果を招いてしまう。

 

 予告状の内容が本物であるか偽物であるかという事は、この際関係ない。それが本物であるという可能性が高い以上、迂闊に行動するわけにはいかないのだから。

 ただでさえ、標的にされた場所はルーレという一大都市を支えるに欠けてはならない場所ばかり。それらの場所から一斉に市民や観光客などを避難させれば、外に集まっている野次馬など問題にならないレベルのパニックに陥ることだろう。

 

 できれば、ノルティア領邦軍にも情報は渡らせたくはない。情報の出筋と真偽が曖昧な異常、一本化されていない命令系統の中にそれを持ち込むのは危険だし、何より何所からか誇張された情報が流出する可能性もある。

 

 そもそも、あの自爆犯の素性が分からないというのが難点だ。

 余程殺しに長けていて、しかも慣れていた。更に鑑みるべきはあの人物が全く死を恐れていなかったという事。

 どう考えてもマトモな人間ではあるまい。あぁ言った手合いは絶対に揺るがないような使命感を抱いているような人間か、それとも―――。

 

 

「目的のためには一切の手段を、それこそ自身の命さえも問わない方―――ですね」

 

 クレアの考えを言葉にして引き継いだのは、当初からアリサの後ろに佇んでいたシャロンだった。

 その様子を見て、レイは軽くため息を吐く。

 

「やっぱりお前も分かってたか」

 

「えぇ。死体の脇に欠片で残った髑髏仮面―――徹底した”死兵”としての戦い方―――《結社》に身を寄せていた方ならば、一度は必ず耳にする悪い夢のようでございましょう?」

 

 言い方はいつも通り優美なそれで変わらなかったが、声色そのものには形容し難い感情が滲んでいるのをレイは見逃さなかった。

 そしてシャロンはクレアに向き合うと、そのまま言葉を続ける。

 

 

「結社《身喰らう蛇》の最高幹部、《使徒》の第四柱様の私兵―――(わたくし)も含め、皆様方が《死神部隊(コープスコーズ)》と呼んでいたそれが、今回の事件の主犯ですわ」

 

「また、《結社》……‼」

 

「それに《死神部隊(コープスコーズ)》とは……なんとも不気味な連中ですね」

 

 少なくとも正体が分かったことで僅かではあるが納得した周囲ではあったが、それとは対照的に、シャロンの表情は曇ったままだ。

 

「……シャロン?」

 

 振り返ってみても、自分が知る限りそんな表情は見せたことのないシャロンに対して驚愕の感情を隠し切れないアリサ。

 そんな彼女に対してフォローの手を差し出したのは、レイだった。

 

「追及してやるなよ、アリサも、他の奴も」

 

「レイ?」

 

「俺もシャロンも、《結社》を抜けた身だ。だが、それでも()()()()()()()()()()

 

 レイは自分の首筋を指しながら、苦虫を嚙み潰したように言い捨てる。

 

「俺のこの”首輪”もそうだが、他の抜けた奴らも例外なく”枷”を負ってる。……()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その遠回しな言葉を正しい意味で理解できたのは、この場ではクレアただ一人であった。

 要は《結社》を脱退した後であっても、《結社》の情報を安易に外部にリークするのは許されない行為、という事である。

 

 実際、結社《身喰らう蛇》という組織の情報が大国の諜報部の全力を以てしても曖昧でしかない以上、その情報封鎖は徹底的なものであるのだろう。

 《結社》の人員の出入りがどれだけ厳しいかは知らないが、少なくとも今の言葉通りであるならば、そのタブーを犯して生きていた者は限りなく少ないのだろう。

 

 ―――そして、そのクレアの推察はほぼ正しいものであった。

 少なくとも、”口を塞ぐ者”が誰であるかが理解できている以上、例えシャロン程の腕前の持ち主であってもこれ以上情報の開示をするわけにはいかなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――執行部隊を率いるのは《執行者》の中でも異色の強さを誇る”達人級”の戦士である。

 同じ”達人級”の《執行者》であったレイですらも、”彼”と好んで生死を賭けた死闘をしようとは思わなかった。

 

「(そうでなくても色々と恩義はあるからなぁ、アルトスクさんには)」

 

 ふとそんな事を思いながら、しかしレイは脱線しかけた話を引き戻す。

 

 

「ともあれ、時間が足りねぇ。罠を警戒して対策を打てるだけの余裕はねぇから―――」

 

「つまり、いつも通りというわけか」

 

 事前に準備することができるのは「こうすれば可能な限り危険が少なくなる」という程度の打ち合わせでしかない。

 クレアを介して正規軍を動員して貰うという手段も無くはないが、ルーレに到着してから状況を開始するとなると時間が足りない。

 

 現在の時刻はそろそろ昼に差し掛かろうというところ。時期的に考えれば、日没は午後の8時といったところだろう。

 

「ザクセン鉄鉱山……」

 

「昨日依頼で一度行ったけれど、今はかなり危ないん……だよね?」

 

「作業員の人たちの安全確認もしなくちゃいけない。どちらにしても行かないっていう選択肢はないわね」

 

 《鉄道憲兵隊》の隊員は領邦軍が要らぬことを察しないよう、またルーレ市民に噂が広まらないように留まらなければならない。

 レイはここで、自分の式神であるシオンに別の仕事を与えていたことを僅かに後悔したが、しかしどうにもならない事を一々嘆いているほど暇ではない。

 

「リィン、いいか?」

 

「勿論。……いや、ごめん。即答はしたけれど、正直ビビっているところは、ある」

 

 そんなリィンの正直な言葉を聞いて、しかしレイは心の中で少しばかり安堵した。

 恐れるのは当然のことだ。帝都での事件の時もガレリア要塞の事件の時も、多数の人の命を背負って戦っていたが、それは当たり前のことではない。

 

 その重責を何の重荷にも思わずに背負えるのならば、それはただの”異常”だろう。

 故にリィンは、まだ”あちら側(常識人)”だ。可能であれば、そうであり続けることが望ましい。

 

 すると、僅かに表情が曇ったリィンに、クレアが言葉をかけた。

 

「リィンさん。多数の人命を預かるというその重責は、私たち(大人)が負いましょう。今すぐに状況開始が可能な小部隊という意味合いでは……情けなくありますが私たちは貴方方を頼るしかありません」

 

「クレア大尉……」

 

「ならばせめて、それだけは私たちが負いましょう。……筋違いなお願いだとは分かっていますが、皆さんどうか、お願いします」

 

 そう言って深々と頭を下げたクレアを責められる者は誰一人としていなく、レイを皮切りにA班の面々は一斉に立ち上がった。

 

「惚れた女にここまでさせて動かなきゃ男失格だな」

 

「ルーレの人たちの命を預かるんだ。―――今度も絶対に上手くやってみせる」

 

「《結社》でも何でも関係ないわ。私たちの街に手を出したことを後悔させてあげる」

 

「うぅ……正直まだ少し怖いけどやるしかないよね」

 

「大丈夫、エリオット。やる事は結局いつもと同じ」

 

「ま、一応退けねぇ理由もあるしなァ」

 

 そう言って詰所から出ていく中、最後に扉の前に立ったレイは、首だけクレアの方を振り返る。

 

「……あんま自分を卑下しすぎるなよ、クレア」

 

「……え?」

 

「今回の事件は、異常(イレギュラー)異常(イレギュラー)が重なりすぎた。……そう言ってもお前には不満だろうが、一つだけ言わせてくれ」

 

 するとレイは、自分が惚れ込んだ女に慰めの言葉を掛けるでもなく、ただ真剣な顔で言い放った。

 

「お前は、今お前がすべきことをするんだ。それはもう充分分かってる筈だろう? ……俺もお前も、()()()()()()()()()()()()()()()()()はもう懲り懲りの筈だしな」

 

「あ……」

 

 扉から出ていくレイの背を見送りながら、クレアは先程まで自分が感じていた焦燥感の正体に気が付いた。

 

 

 《帝都遊撃士ギルド襲撃事件》―――2年前に帝都ヘイムダルで勃発した大事件である。

 政府による情報規制により民間人に詳細な情報は渡っていないが、当時憲兵中尉であったクレアは、《鉄血宰相》の命でその事態の収拾に当たっていた。

 

 しかし事件の渦中で奮戦していたのは、帝国政府が目の上の瘤のように忌み嫌っていた遊撃士達。自分よりも遥かに場数という名の修羅場を超えてきた精鋭たちの姿であった。

 

 リベールが誇る守護神にしてS級遊撃士、カシウス・ブライト。最年少A級遊撃士サラ・バレスタイン。カシウスの虎の子にして若手遊撃士界の”異常者”レイ・クレイドル―――。

 

 その他、帝国全土で名を馳せた名立たる遊撃士達がカシウス・ブライトという絶対者の指揮の元、襲撃を行った猟兵団を確実に追い詰めていく様は、まるで名人が行うチェスの攻め手の如くであったことを覚えている。

 だが、そんな面々が揃ってもなお犠牲を出すことを防げなかった事を考えると、今でも複雑な感情が湧き上がってくる。

 

 「自分はあの時何ができた」「《鉄血宰相》の虎の子と呼ばれて囃されて、思い上がっていたのではないか」―――そんな嫉妬にも似た感情を抑えきれなかった自分が、今でも恥ずかしくてならない。

 策士策に溺れる。そのような事にはなるまいと心にしかと刻み込んで迎え撃った先日の帝都の事件では―――事後処理こそ忙殺されたが―――悪くはない結果であったと思っていた。

 

 だが、”敵”の動きはまたしても自分の上を行っていた。機動力が売りの《鉄道憲兵隊》が完全に抑え込まれているこの状況は、先程口に出したのと同じように、クレアにとっては悔しさを滲ませるに足りすぎるものであった。

 

 

「(……いえ、今はそんな無力感と自虐に浸っている暇はありませんね)」

 

 しなければならない事は山とある。感傷に浸る暇などなく、後悔に引きずられる場合でもない。

 

「エンゲルス中尉、ドミニク少尉、いますね?」

 

『ハッ‼』

 

 詰所の外で待機していた副官の二人は、クレアの声に対応して敬礼を返した。

 

「空港の事後処理と、集まっているルーレ市民を解散させます。空港の封鎖はドミニク少尉、市民への説明はエンゲルス中尉が担当して下さい」

 

「……領邦軍への対応は如何なさいましょうか」

 

「今は余計な意地を張っている場合ではありません。領邦軍とて、捜査の手間を取られることは望んでいない筈。―――今回の事件の真相があちらに渡っていない以上、此方がボロを出さなければ最低限の安全は確保できます」

 

「最低限、ですか」

 

「えぇ、最低限です。情けない話ではありますが、上手を取られました。私たちがこの場に縫い付けられた以上、事件の根本的な解決は彼らに一任することになります。私たちは、どれ程無力感に苛まれようとも、今できることを成さなければなりません」

 

 覚悟の籠ったクレアの声に、二人は再び力強い敬礼をする。

 その双眸に宿った”強さ”を目の当たりにして、臆病者と謗ることができる者はいまい。

 

 国の為に、宰相閣下の為に。その忠義心は全く揺らぐことはない。

 だが、今の彼女の信念をここまで確固たるものにしている要因はそれだけではなかった。

 

 

 ただ一つ―――自分が愛した男の傍らで戦える、強い女で在りたいと願う心。

 

 ()()()()()()()()()、それだけは捨てられないと思うものが、それだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――フィー」

 

 ルーレ駅から飛び出した直後、レイはフィーだけを呼び止めた。

 

「……どうしたの、レイ」

 

「あー……いや、あんまり長ったらしく説明するとまた()()()()()可能性があるから、これだけは伝えておきたかった」

 

 道中だと、そんな時間はないだろうからな。―――そう言うレイの瞳には、何処か申し訳なさを含んでいるように見えて。

 ―――フィーにはそれが、たまらなく嫌だった。

 

「……レイ」

 

「あん?」

 

「レイは、まだ私が弱いと思ってるの?」

 

 声色は変わらずとも迷わずにそう言い切ったフィーに対して、レイは一瞬だけ目を細めると仕切りなおすように一つ息を吐く。

 

 

「―――今回、リィンたちの命を守る鍵になるのは、お前だ」

 

 フィーにとってみれば、他の言葉など必要なかった。

 何故、と問いかける事すら不要。彼女はその言葉に、黙って一つ頷くだけ。

 

 フィー自身、今回の一件は今までと毛色が違う悪寒を感じていた。

 それは―――そう。猟兵として血生臭い戦場を欠けていた頃に嫌という程に感じていた()()だ。

 

「頼むぞ」

 

「うん」

 

 僅かに口角を吊り上げて軽く握った拳を合わせる義兄妹(きょうだい)

 それはまさしく、レイがリィンに向ける、男同士の友情を介したそれではなく―――本当の死線を潜り抜け続けた者同士の絆であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

『……それで、空港での爆破テロがあった為予定通りに戻れなくなった、と』

 

「申し訳ありません~、エインヘル副団長。ファーレン商会との商談は部下に任せてしまいます~」

 

『……それは構いません。カリサ主任、貴女もこのごろ働きづめだ。これを機に数日は体を休めた方が良いでしょう』

 

「お気遣いありがとうございます~。お言葉に甘えてホテルでゆっくり羽を伸ばそうと思っていたのですけれど……どうやら迷惑千万なパーティーが開催されてしまった様子で~」

 

『…………』

 

「《鉄道憲兵隊》はその権限上、ルーレ市外に捜査網を伸ばすことはできませんし、ノルティア領邦軍は”契約上”事態を完全に鎮圧するために動くわけにもいかないでしょうしね~。”大元”はレイさんを始めとしたトールズの方たちが向かったようですけど~、あの《蒐集家(コレクター)》が()()()()で済ませるとは思えないんですよね~」

 

『それは、武器売りとしての勘ですか?』

 

「まぁそれもありますが、私も《結社》時代からの古参組ですよ~? 《使徒》の方々の無軌道さはこれでも結構理解しているつもりですから~」

 

『同意しましょう。オルディスに潜っているツバキ諜報隊長からも不穏な動きがあると報告が上がっています。―――団長も私も、そちらに人員を送る事に異議はありません』

 

「ですが、参謀本部の蠅に飛び回られて勘付かれるのも面白くない」

 

『しかし、ルーレ市が機能停止に追い込まれると貴女の仕事にも支障が出るでしょう。《マーナガルム》としても、大口の取引先を失うのは避けたいところです』

 

「そうですね~。RF社の会長は話の分かる方ですから、できればながーくお付き合いをしたいところです~」

 

『……では、特殊任務に長けた《三番隊(ドリッド)》の一小隊を向かわせましょう。―――我々にできるのは、今は此処までです』

 

「大元の土竜叩きは若い可能性に頑張っていただきますかね~。16、7の年頃であれば、そろそろ()()の一端を覗き見るのも良いかもしれません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 アガルタのエルバサちゃんメッチャ可愛い‼ だけどその前のピックアップとかも含めて新しくお出迎えした鯖が多すぎて育成全く追いついてねぇ‼ でもこれ嬉しい悲鳴だわ‼
 ……え?次のイベントまでに育成終わるのかって? 終わらなくても回すんだよ当然ダルォ⁉ ―――な十三です。

 
 あ、今回はあとがき少な目でお送りします。明日も仕事早いからね仕方ないね。というわけでこれから風呂入ってApocrypha観て寝ます(オイ)

 そんじゃ次回予告。漸くまともな戦闘シーン書けそうです。リィンたちにゃ、ちと覚悟決めてもらわなゃならんね。




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賽は闇へと投げられた







「正義の定義は人それぞれさ。他人を簡単に否定しちゃあいけないよ――きみにとっては悪党だったというだけさ」

         by 忍野メメ(傷物語)








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真紅の中で眠るモノがいた。

 

 何者にも知覚され得ない紅の牢獄の中で眠り続けていた”ソレ”は―――長きに渡って閉じられていたその双眸をゆっくりと開いていく。

 

 

 

「嗚呼……」

 

 

 

 その声は美しく、艶やかで、麗しい。

 

 だがその声は、(まが)り、狂い、恐ろしい。

 

 

 

「”鬼”の仔が()るな。未熟、半端、なれどその魂は―――悪くない」

 

 

 全身に纏わりつく神性封じの呪符から齎される激痛の中で、女は不敵に口角を吊り上げる。

 まるでそれは、獲物を見つけた絡新婦(じょろうぐも)のように捕食者のそれであった。

 

 

「蒐集の魔人に封じられ続けるのも飽いた。―――さぁ鬼子よ、果たして貴様は、余の喉の渇きを癒す傑物の原石足り得るか、否か」

 

 

 血が滴る。―――そう見えたのは、彼女の双眸が鮮血が滲んだかのように怪しく妖しく輝いたからだ。

 

 

「事によってはその魂、我が”愛し仔”のそれと共に愛でてやろう」

 

 

 囚われ、手足どころか指の一本たりとも動かせない身の上で、しかし女は強欲な言葉を紡ぎだす。

 まるでこれから起こる全てが、愉しくて仕方がないと、そう思わせるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 ザクセン鉄鉱山は北部ノルティエ州内に存在している鉄鉱山ではあるが、その所有権はログナー侯爵家ではないという特徴を持つ。

 

 軍事に力を注ぐエレボニアにとって欠かすことのできない鉄鉱石が大量に埋蔵されているこの鉄鉱山はアルノール皇帝家が所有権を有しており、現在に至るまで皇帝家の直轄領として不可侵の約定が与えられている。

 

 250年前―――艶福家としても知られていたヴァリウスⅤ世の逝去と共に幕が上がった皇位継承権を持つ皇子らによるエレボニア史上最大の内戦、《獅子戦役》に於いてはこぞって支配下に治めんとした軍勢によって屍の山が築かれるという惨劇があった事は余り知られていないが、それでも今日に於いてもザクセンがエレボニアの生命線である事は周知の事実である。

 

 

 

 

 ルーレ市内からザクセン山道を登り続ける事約2時間。途中で妨害などが一切入らなかったことが余計に一同の不信感を煽ったが、それでも前に進まずにはいられない。

 

 鉱山の入り口に立ったのは、Ⅶ組A班6名と、既に同行の許可をイリーナから取っていたシャロン。

 鉱山内から漏れ出てくる空気がゴウと音を立てる中、リィンは刀の鯉口に手をかける。

 

「―――行くぞ」

 

 リィンの言葉に全員が頷き、導力灯で照らし出された鉄と岩壁の内部へと身を投じる。

 空気の流れが変わり、気温も変わり、変化した環境に体が慣れるまでに要する時間は、今のリィンたちであれば数秒あれば可能だ。

 

 だがその数秒、その間は―――どれだけ気を張っていても注意が散漫になってしまう。

 

「―――シャロン‼」

 

「はい」

 

 その刹那、レイの声と共にリィンたちの前方にシャロンが一瞬で作り上げた鋼糸の壁が出現し―――直後奇襲してきた弾丸の雨を受け止める。

 

「っ―――⁉」

 

 目の前で発せられた跳弾の喧騒に驚愕の表情を浮かべるリィン達を他所に、今度はレイが一歩前へと踏み出して、シャロンが編んだ鋼糸壁の隙間を縫うようにして飛来した”それ”を抜刀の一振りで叩き斬った。

 カラン、という乾いた音を立てて落ちたそれは、鉱山の外から入ってきた陽光に照らされて、そこでようやっとリィン達に正体を晒す。

 

「何だ、これ……針?」

 

 無論、裁縫で使うそれではなく、東方では暗器として暗殺などに使われる代物。

 弾丸と同じような速さで飛んできた千本()を無造作に斬り飛ばしたレイは、奇襲が止んだ瞬間に一つ舌打ちを放った。

 

「フィー、気配はあるか?」

 

「……ダメ。もう感じない。相当練度が高い部隊」

 

「まぁ、そうだろうな」

 

 舌打ちしたレイが気配を探るも、既にかなり遠ざかってしまっている。

 入り組んだ鉱山内でこれほど迅速な行動ができるという事は、既に敵は内部構造を把握し、掌握している。土地勘のない人間が単身行動するには危険な状況である。

 

「アリサ、お前この鉱山の道は分かるか?」

 

 だからこそ、Ⅶ組の中で一番この鉱山に詳しそうなアリサにそう問いかけると、神妙な面持ちのまま一つ頷く。

 

「一応は、ね」

 

「なら、この鉱山における”最奥”の位置に心当たりは?」

 

「……候補は幾らでもあるけれど、整備された道を進んでいけば採掘道の奥には行けるわ」

 

 その解答はレイを頷かせるのに充分であり、周囲を警戒したまま次の指示を出していく。

 

「お前らはアリサを先頭に一気に内部を突き進め。アリサの護衛にリィン、エリオットの護衛にクロウ、後詰めはフィーだ」

 

「……レイとシャロンさんは、どうするんだ?」

 

 リィンの尤もな質問に、レイは鉱山入り口の中心地―――地下に向かって掘り進められた巨大な穴の中を覗き見ながら答える。

 

「地下で手招いてる律儀なド外道がいやがるんでな。……誘いに応じねぇとどうなるか分かったモンじゃねぇ」

 

「此方の道は(わたくし)共の過去へと通じる道―――お嬢様方をお招きするわけには参りませんわ」

 

 転落防止用の柵の淵に並び、顔だけで振り向いて微笑を浮かべる二人に、リィン達は何も言い返しはしなかった。

 恐らく彼らが向かおうとしている場所は、彼らだけにしか理解できない戦場。自分たちが着いて行ったところで足手纏いになるだけなのだと。

 

 それをもどかしいと思う気持ちこそあれど、今回はリィン達が任された任務の方が最優先事項だ。

 

 

「レイ、死ぬなよ」

 

「こっちの台詞だ。……いいかリィン、この場所でお前たちがどんな戦い方をして、どんな結果になったとしても、それは()()()というのを忘れるな」

 

 絶対にだ、と念を押すレイの言葉は、まるでこれから先に何が起きるかを知っているようで。

 

 

「フィー、後は頼む。……今のお前なら、守りたいものを守れるはずだ」

 

「ん。任された」

 

 

「お嬢様、ご武運を。ご一緒できなくて申し訳ございません」

 

「……シャロンも無事に帰ってきて。絶対によ」

 

 

「エリオット、今回援護の要なお前がいてくれて助かった。皆を死なせないのが、今回のお前の役目だ」

 

「っ……う、うん。頑張るよ」

 

 

 レイとシャロンがメンバーにそれぞれ声を掛けていく中、いつもと同じような声色でクロウが片手で銃を弄びながら口を開く。

 

「おいおい、俺には何もねぇのかい? 後輩」

 

「えー、何だか面倒臭ぇ」

 

「ンだよー、そんな事言うんだったら学院祭の衣装、お前のだけ露出度高めにすんぞ」

 

「俺の衣装改造して誰が得すんのかは知らねぇけどそれやったら殺すからな」

 

 本気に近い殺気を一瞬だけ洩らしたところで、しかしレイは一つだけ呆れるようにため息を吐いた。

 

 

「―――()()()()に俺が何言ってもどうしようもねぇだろうが……まぁ、そうだな」

 

 その言葉にクロウの表情がほんの僅か曇ったのを敢えて見過ごすふりをして、レイは再び口を開く。

 

「守りたいものを掌から溢したくなかったら、選択を間違わない事だな」

 

 その手の後悔は幾らでもしてきた―――その言葉は吞み込んで、レイは手すりの上から遥か地下へと延びる穴の中へと躊躇なく飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

『”協力者”の暴挙により、ルーレ分隊は壊滅。至急、応援を求む』

 

 

 

 何かに急かされたかのように書き殴られた電文。それが、最大の協力者であった《使徒》の一柱によってルーレに潜伏していた《帝国解放戦線》の構成員が全滅―――運良く最後まで見つからなかった構成員の一人が今わの際に祈るようにして送ったものであったのだと瞬時に気づけた者はいなかっただろう。

 

 だが、それは確かに緊急連絡用の電文だった。それを受け取った同士は、訝しむような表情を見せながらもルーレ郊外の拠点であった洞窟に分隊を送り込み、そこで彼らは異様な光景を目にする。

 

 誰も彼もが死んでいた。《鉄血宰相》に人生を狂わされ、残りの生涯をその復讐に捧げると誓い合った同士が、無残な屍を晒していた。

 ただ一人、分隊を指揮していた筈の幹部、ヴァルカンだけがおらず、事の真相を確かめるべく、彼らはザクセン鉄鉱山へと向かった。

 

 

 エレボニア最大規模の鉄鉱山という事もあり、ザクセン内部への侵入路は真正面以外にも存在する。

 分隊一同は山道を迂回して山の側面の非常口から内部へと侵入。ヴァルカンの現在位置は作戦行動中の構成員全員に取り付けてある発信器(ビーコン)によって既に判明しており、とある筋から入手した鉱山内部図を見ながら奥へ奥へと進んでいく。

 

 エレボニアの軍事の心臓部とも言えるこのザクセン鉄鉱山を占拠する―――当初の予定そのものは結果だけを見れば上手くいっている。

 だが、その過程に問題がありすぎるのも確かであり、その事の詳細を幹部であり、生き残っているヴァルカンに訊くのが彼らの役割であった。

 

 

「―――第六坑道、クリア」

 

「第八坑道の一部は崩落したまま放置されているようだ。第十一坑道を経由して目的地まで向かおう」

 

「了解。……しかし、妙だな」

 

 構成員の一人が呟いたその言葉は、分隊員全員が侵入当初から思っていたことでもあった。

 

 通常、こう言った陽の指さない薄暗い坑道などは多かれ少なかれ魔獣が棲息していることが多く、魔獣除けの灯を所有していない状態でうろつけば接敵する機会が多い。

 だが、鉱山内部に侵入してからそこそこ時間が経っているというのに、彼らは魔獣の姿を一度も見ておらず、またその気配すらも感じ取れなかった。

 

 嫌な予感がする―――そう感じた分隊長は増援を求めようと小型通信機に手を伸ばした―――その時。

 

 

「―――あ?」

 

 パスッ、という空気の抜けたような音と共に、視界が揺れた。

 ふらりともたついた分隊長が違和感を感じて自らの左胸に手をやると、そこには軽装甲を突き破って流れ出していた―――自分の血が。

 

 直後、坑道の暗闇の中から飛び出してきた銃口が眉間に押し付けられ、眼前で放たれた再びの銃弾がその命を容易く刈り取る。

 

「た、隊長⁉」

 

 目の前で突然斃れた指揮官に僅かに動揺した構成員だったが、すぐにその一人も背後から後頭部に突き付けられた銃口によって前のめりに斃れる。

 ある者は背後から体を絞められた状態で喉を刃物で裂かれ、ある者は喉を絞められて声も出せないままに窒息死。

 気付けば残った分隊員は一人だけになり、その一人は何に奇襲されたか分からないまま、壁際まで追いつめられる。

 

 しかしその時、坑道の淡い灯りが奇跡的に襲撃者の全貌を照らし出した。

 

 黒と赤に彩られた装甲、重装備で固められた一個小隊の部隊は、消音器(サプレッサー)付きの小銃をそれぞれ構えながら死体の確認をしていた。

 その装甲の肩口部分に刻まれていたのは、”月を喰らう大狼”のシンボルマーク。構成員はその紋様が何を示しているのか、瞬時に理解した。

 

「ま、《マーナガルム》……っ」

 

 《赤い星座》、《西風の旅団》と並び恐れられる大陸最強クラスの猟兵団。

 構成員の人数こそ前者の二つに劣るものの、その質を問うならば勝るとも劣らない。西ゼムリア大陸を中心に幾多の戦場に出没し、戦果を挙げ続ける常勝不敗の強者達。

 

 「可能な限り直接交戦は避けろ」―――幹部勢にそう言われていた事を思い出した時はもう遅かった。

 

「クリアー」

 

「周囲に敵影は確認できません。この男はどうしますか? ゲルヒルデ副隊長」

 

「殺しなさい。生かしておく意味もなし。―――あぁ、だがこれだけは戦利品として貰っていくとしましょう」

 

 そう言って分隊長の死体から通信機を剝ぎ取ったのは、一人だけ武装が異なる女性。

 重装備ではなく、寧ろ装甲という重荷を排除したその団服は、《マーナガルム》実働部隊内に於いて隊長格の幹部が纏う事を許されたモノ。

 

 実力は確実に”準達人級”以上。ただの構成員程度が抗ってどうにかなる訳もなかった。

 

 赤銅色の髪を棚引かせ、左目を眼帯で覆った長躯の女。髪色と同じ色の双眸から放たれている鋭利な眼光はまるで―――

 

「りょ、猟犬……」

 

()れ」

 

 無情な一言と共に放たれた弾丸が過たず眉間を穿つ。

 一言も苦悶の声を挙げることもなく命を奪われた男の死体を一瞥することもなく、女は通信機を操作して発信機(ビーコン)の発信源を突き止める。

 

「このまま進みますか? 副隊長」

 

「退路を確保しつつ前進です。ですが目標(ターゲット)の確保及び解除は可能な限り先行している士官学院生に任せろとの副団長の命です」

 

「例の大将が通っている学院のご学友ですか」

 

「ちぃと士官学院生にはこの任務は厳しいんじゃないっすかねぇ」

 

 部下のその言葉に肯定も否定もせず、《マーナガルム》三番隊(ドリッド)副隊長―――ゲルヒルデ・エーレンブルグは目的地である鉱山の最奥に目をやった。

 

 

「狩場は譲って差し上げましょう。―――ですが、悠長に遊んでいる余裕は無いと知りなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

「レイ様」

 

「ん?」

 

「お嬢様方と行動を共にできない事は確かに心苦しくはあります。……ですがそれ以上に、安堵してしまっておりました」

 

 シャロンの言葉を聞きながら、レイは碌に整備もされていない道を、しかし躓く事もなく歩いていく。

 常人であれば唸るような大気の震えだけで恐怖を覚えるだろうが、この二人には関係ない。レイの耳にはいつものような、しかしどこか不安を感じさせるシャロンの声が聞こえていた。

 

「ラインフォルト家のメイドではなく、暗殺者としての(わたくし)の姿―――それがお嬢様に対する侮辱であると分かっていながらも、それをお見せすることを今でも躊躇っているのですから」

 

「……本当に、大切な場所になったんだな」

 

「えぇ、それはもう」

 

 だからこそ、”本業”に立ち戻る事を恐れている。返り血を浴びた醜い自分が、再び同じ笑顔を向けて大切な人の前に戻れるのか、と。

 

「無論、《結社》に居た頃の時間が軽かったわけではございません。レイ様やヨシュア様、アスラ、レン様方と共に過ごした時間は大変楽しゅうございました」

 

 ですが、と。シャロンは一度言葉を区切った。

 

奥様(イリーナ様)は”暗殺者”ではなく、誰かに仕え、侍るメイドとしての幸せを与えて下さりました。……旦那様が亡くなり、奥様が仕事に没頭され、会長と疎遠になったアリサお嬢様に思うところがなかったかと申しますと、噓になりましょう」

 

 親の愛情に飢えた姿、シャロン自身それを求めていたかどうかは定かではないが、少なくとも親しい家族が自分の周りから離れていき、それを涙目で見る事しかできなかったアリサに対して義務的な奉仕しかできない程、シャロンは人の心を捨てたわけではなかった。

 

「ですが、お嬢様も皆様方と出会って変わられました。ご学友と共に学び、過ごし、戦い―――そして何より、心からお慕いできる殿方とお会いできたのですから」

 

 ピタリと、レイが足を止める。

 そして振り向くと、そこには頭上のホワイトブリムを取り外したシャロンの姿があった。

 

「であれば(わたし)は、もうメイド(わたし)でなくとも戦えます。―――預かっていただけますか?」

 

「無くすかもしれねぇぞ」

 

「そうなった時は、責任を取って一生貴方の傍に居させて貰います」

 

「なら、無くしちまうのも悪くねぇか」

 

 ニヒルな笑みを浮かべながらレイがホワイトブリムを受け取った瞬間、シャロンは闇に紛れるようにして忽然と姿を消した。

 言葉を交わさずとも分かる。彼女もまた、自分が為すべき”戦場”に赴いたのだ。

 

「なら、俺も向き合わなきゃな」

 

 靴音を反響させながら漏れ出ている邪悪な気配を辿る事数十分。

 辿り着いたそこは、無機質な静寂が支配している空間だった。元は資材置き場か何かとして使われていたようだが、利便性の問題からか廃棄され、荒廃した雰囲気を漂わせている。

 

 ”滅び”を表しているかのような場所の中心に、その退廃した雰囲気をより醸し出す男が一人立っていた。

 

 

 

 

「やぁ《天剣》、幾年月ぶりになるか……再び見えられて嬉しく思うよ」

 

「よぉクソ爺。次にテメェの面拝む時は死貌だと思ってたが、俺の勘も鈍ったな」

 

 長刀の鯉口付近に添えた左手の親指を動かしながら、レイは敵意を十二分に含ませた言葉を投げつける。

 普通の人間であれば耳朶に入れただけで気絶する程の殺気が練りこまれたそれを、しかし―――イルベルト・D・グレゴールは涼風のように受け止める。

 

「卿は随分と変わってしまったようだ。火に飛び込む愚かな同族を前にして何もできない、翅を捥がれた憐れな羽虫……卿はそうであった頃が一番美しかったというのに」

 

「テメェの破滅的な美的センスに俺を巻き込むな。……ま、何とかしようと足掻けてる分、火の明りに魅せられて馬鹿みたいに薪をくべ続ける思考停止爺よりもマシだと思うがな」

 

「輝ける者の魂とは総じて孤高であるものだ。好んで孤高で在り続けるモノ、精神と肉体が強靭すぎるが故に孤高に成らざるを得ないモノ。―――弱者と群れる今の卿は酷く憐れで醜いソレだ」

 

 ”弱者”―――それが何を指しているか分からない筈は無い以上、レイの胸中に不快感が込み上げるのは当然であったが、それでも彼はそれを表情に出すことはない。

 それは既に、この男を前にした時は敗北と同義だ。大丈夫、既に俺は()()()の俺ではないと、そう反芻しながら口角を吊り上げる。

 

「相変わらずテメェの審美眼は穴だらけだな。少なくとも、テメェがあいつらの事を”弱者”と謗る権利はねぇ」

 

「僅かに撫でただけで壊れる肉袋を弱者と呼ばずにどう呼ぶのかね」

 

「ほざけよ似非審判者。その程度も理解できねぇから、テメェは壊して奪う以外の()()()()()()()()()

 

 無自覚の内に語気が荒くなるレイの言葉に、しかしイルベルトは苦笑を漏らす。

 

「あぁ失敬、やはり卿は弱くなったようだ。―――以前までの卿であったならば、この程度の些事を見逃す事もなかっただろうに」

 

 不敵に笑いながら懐から取り出したのは、鉱山内の薄暗さの中でもハッキリとそれと分かる真紅の鉱石。

 否、”鉱石”と呼ぶのは些か無粋だろう。何故ならばソレは、自然界には在ってはならない程に―――禍々しく、それでいてこれ以上無いほどに美しく輝いていたのだから。

 

 そしてソレの正体に、レイは覚えがあった。……いや、そういったレベルの話ではない。

 ”アレ”は間違いなく―――()()()()()()()()()()モノなのだから。

 

 

「……それをどうするつもりだ」

 

「あぁ、安心したまえ。これは姿形を似せただけの偽物だ。価値があるとするならば―――フム、卿の眼を欺ける程度には出来が良かったというだけの事か」

 

 吐き捨てるようにそう言うと、イルベルトは何の感慨も湧かないと言わんばかりに、ソレを握力だけで粉々に砕いた。

 その様子を見て、レイも理解する。それが、本当にただの偽物であったのだと。

 

 だが、この男がわざわざ偽物のソレを見せつけてまで、自分に何を理解させようとしたのか。頭を巡らせること数瞬―――意図が理解できた瞬間、とうとうレイは語気を爆発させた。

 

「テメェ‼ あいつらに―――リィン達に何を仕込みやがった‼」

 

「何、それは私が此処で紡ぐ程の事でもあるまい。卿は既にそれを理解している。……敢えて言えば、その程度の謀も逡巡せねば察せない程、卿は愚鈍になったという事だ」

 

 思わず右手がポケットの中にあるARCUS(アークス)に伸びようとしたところで、その手は止まった。

 否、思い出したのだ。悠長な会話を好むこの男だが、それを許すほど愚鈍ではないという事を。

 

「卿があの紅檻に封じ込めたのだろうに。私はただ、そろそろ無聊を持て余しておられるであろう狂血陛下に、心ばかりの玩具を贈呈しただけんに過ぎんよ」

 

「っ―――‼」

 

 親指が動き、白刃が僅かに顔を覗かせて煌めく。

 と、そこで漸く自身の心が逸り過ぎている事にはたと気付き、長く息を吐いて精神を整えた。

 

 

「―――ただの玩具かどうか、それは結果を見てから言うんだな」

 

「―――ほぅ」

 

「俺としては巻き込む可能性は排除しておきたかったが……あまり俺のダチを嘗めてくれるなよ?」

 

 リィン・シュバルツァーが、この程度の障害に屈するものかと、レイは微笑すら湛えてそう断言した。

 何せあの伝説にして絶人の武人、《鋼》の試練に打ち克った男だ。であればその魂は、彼の”陛下”に見染められるに足るに違いない。

 

 

「俺の役目は、此処で背を見せてあいつらを救いに行く事じゃねぇ。あいつらが全てを成し遂げるまで、此処でテメェを足止めしておく事だけだ」

 

 氷の上を滑るような透明感のある音が響き、白刃の全てが解き放たれる。

 それに応じるかのように、イルベルトの右手の中にはいつの間にか一振りの剣が顕現していた。

 

 

「遊ぼうぜ、《蒐集家(コレクター)》。テメェの首を性悪魔女の足元に蹴り飛ばしてやるよ」

 

「では私は、卿の魂を鍛え直すとしよう。何、(くろがね)のそれと然程変わりはしまい」

 

 

 その言葉を皮切りに、両者の足は荒れ果てた地面の上から解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 






 へいどーも。灼熱の下でのコンテナ積み仕事とか軽く拷問だと思うんですがどうですか? 体が疲弊し過ぎてそろそろ疲れが一気に放出しそうな中でお送りしております、十三です。

 皆様「閃の軌跡Ⅲ」のサイト見てますか? 僕は見てます。Twitterでのコメントが軽く荒ぶるレベルで興奮してます。主に元・Ⅶ組メンバーで。
 クッソ楽しみだなぁ……これと「NieR:Automata」の為にPS4買ったと言っても過言ではないですからね‼ 会社の夏休み使って一気に進めたい。
 個人的にフィーの成長具合に鼻血出そう(ロリコンではありません)

 え?今回の話の振り返り? いや、前回からあんまり進んでませんしどうこう言う事もないです……強いて言うなら良い具合に地獄の前振りが整ったなぁとしか……。
 何だか解き放たれたらイカン人が解き放たれたような気がしないでもないですが……たぶん大丈夫でしょう(曖昧)


今回の提供オリキャラ:

 ■ゲルヒルデ・エーレンブルグ(提供者:白執事Ⅱ様)

 ※元ネタは最後の一言で察せる人は察せると思うので敢えて言いません。


追記:
 新・水着鯖の為に既に課金のステンバイオーケーの僕。というかサマーイベは本当に楽しいんだけど、獲得素材と使用鯖とイベ礼装の擦り合わせがクッソ面倒くさい。

 皆、丸太(iTunesカード)は持ったな‼ いくぞおおおぉぉぉぉお‼








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小さき殺人矜持






「知ってるか? 人間にはスイッチがあるんだ。人を殺せるか、否か。それを決めるだけの単純なスイッチだ。それを入れるとよぉ……誰でも、殺せるんだ。誰でも誰かを殺せるんだ」

           by ラッド・ルッソ(BACCANO!)








 

 

 

 

 

 

 ―――”自分たち”と”彼ら”を隔てる”壁”。それの最大の要因は何なのか。

 

 

 

 リィン・シュバルツァーはレイ達に稽古を付けてもらうようになってから、幾度となくそれを考え続けていた。

 

 単純な実力、才能、経験―――それらが裏付けるものも確かにあるだろう。

 しかしそれよりも、根本的な”違い”が一つあった。

 

 それは、「マトモな人間」であれば致命的な間違いがなければ超えない”一線”。

 そして、リィン達はまだ超えていない”一線”。

 

 その”一線”は、一度超えてしまえば決して元の場所には戻れない。

 現にレイやサラは、可能な限りリィン達にその”一線”を超えさせないように戦い方を教えてきた。

 

 

 しかし、その二人も心の中のどこかでは思っていたし、それは教わっていたリィンも理解できていた。

 

 

 いつか必ず、その”一線”を超えなければならない時がやってくる―――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、やっぱりお前さん方の手を煩わせるワケにゃいかねぇよ」

 

 

 ザクセン鉄鉱山の坑道の中、リィン達が最奥を目指して進んでいたその先で保護した炭鉱夫達―――その中でもベテランであったベイダーは、彼らが鉱山入り口に避難するまでA班の中から一人の護衛を着けると提案したリィンの言葉を申し訳ない表情と共に断った。

 

「お前さん方、これからそのルーレ全域に仕掛けられた爆弾の解体をしなきゃいけねぇんだろ? なら一人も欠けさせる余力はねぇはずだ」

 

 ベイダーが言った言葉は全て的を射ていた。

 レイという主戦力を除いた今のA班に、これ以上戦力を割く余裕は無い。だが、いつ敵部隊が現れるか分からないこの状況で非戦闘員である炭鉱夫達だけで移動させるわけにもいかないのもまた事実である。

 

 どうするべきかとリィンが頭を悩ませていると、不意に背後からポンと軽く頭を叩かれた。

 

「ま、あんま難しく考えすぎんなよ、後輩。つまりさっさと入り口までの護衛任務を終わらせてさっさと合流すりゃいいんだろ?」

 

「クロウ―――」

 

「お前はA班の指揮官だから勿論同行は無理。アリサは先導役、エリオットは貴重な後方支援要因で、フィーは緊急状況に対応できる即応要因だ。……消去法的に考えれば、俺が行くしかねぇわな」

 

「…………」

 

 その提案は尤もなものであって、いつものリィンであればすぐに頷いていただろう。

 だが、今回に限っては一瞬だけそれを躊躇った。

 

 まるで、クロウが任務とは関係ない”何か”に対して焦燥感を抱いているように―――そういった様子に見えてしまったからである。

 

 

「―――頼む、クロウ」

 

「おー、任された任されたっと。さーてオッチャン達、鉱山入り口まで走れっかー?」

 

「おう、無理して貰った分はキリキリやんねえとな‼ この鉱山は俺らの庭だ、間違っても迷う事はねぇよ」

 

 とはいえ、いつまでも迷っている時間は残されていない。

 クロウは手早く炭鉱夫達を纏めると、そのまま元来た道を戻っていった。

 その様子を見送りながら、リィンは手早く編成の変更を伝える。

 

「フィーはそのままエリオットの護衛に。戦闘になったらアリサが下がって前衛2、後衛2編成で」

 

『『了解』』

 

「クロウを待つために進み方は少し遅めにする。……でも最深部にはあと一時間弱で到達できるようには調整しよう」

 

「そうね。……妨害が居ない筈がないんだし」

 

 鉱山内は、お世辞にも空気の流れが良いというわけではない。

 ノルドの遺跡の中でも体験したことではあるが、こういった場所で過度な行動をとり続けると、慣れていない場合酸欠を引き起こす場合もある。

 だからこそ行動は慎重に。体が環境に完全に適応するまで気持ちは落ち着けておく。

 

「進もう」

 

「あぁ」

 

 フィーに促されて、再び足を進める。

 薄暗い坑道内を登ったり下りたりしている内に、今進んでいる位置が地上からどれくらい離れているのか、はたまた地下に潜っているのかも曖昧になる。

 それに加えて常に警戒心を緩めるわけにはいかないとなれば、精神的な疲労も無視できないだろう。

 

「(閉所での長時間行動のコツも、レイか教官に訊いておくべきだったな)」

 

 規則正しい感覚で息を吐き続けながら周囲を見渡してみても、見えるのは変わらず木組みと岩、鉄のレールと導力ランプだけ。

 幻想的な光景が続いていたノルドの遺跡とは違い、この鉱山の光景は長時間変わらないままだ。それに目が慣れてくると、よしんば唐突に異常なものが視界に飛び込んできたとして、即座に反応できるかどうかは怪しいところである。

 

 そんな心配を抱いていると、不意にフィーがリィンの横に移動してきて足を止めた。

 そしてその小さな体が先程まで以上の警戒心を放っているのを理解し、他の面々も一様に止まる。

 

 

「―――いる」

 

 吊り上がった黄緑色の双眸が見据える先。リィンも目を凝らして先を見てみると、確かに人影が一つあった。

 逃げ遅れた炭鉱夫―――などでは断じてない。毒々しい色の軽装鎧に、禍々しい髑髏面。その右手に携えているのは、刀身部分に無数の鋸状の刃が着いた、まさしく”人を殺す”為だけに存在しているような大剣。

 

「―――――――――」

 

 どう考えても友好的な”話し合い”など出来る雰囲気を醸し出していない。

 頬に一筋汗を流し、リィンが刀の鯉口を切った瞬間―――”それ”は動き出した。

 

目標(ターゲット)、補足。殲滅開始(デストロイ)

 

 感情の籠っていないような、機械的な声。恐らくは男のそれであることは辛うじて理解できたが、直後、重量感のある武器を携えているとは思えないほどの敏捷力でリィン達に向かって特攻を仕掛けてきた。

 

「ッ‼」

 

 見かけを裏切るようなそのスピードに完全に意表を突かれた形になったが、それでも散々鍛えられた反射神経は裏切らなかった。

 抜き放たれた太刀の刀身が、脳天を狙って振り下ろされた大剣と咬み付き合う。瞬発的に氣力を解放して膂力を底上げしたつもりではあったものの、腕にかかった負荷は予想を遥かに超えており、リィンは柄に左手を添えてから太刀の刀身をずらして大剣の軌道を変えた。

 

 無論、それで気を抜くリィンではない。直後に腹部を狙って放たれた蹴撃を、靴底に柄頭を当てて直撃を防ぐ。

 体格の差もあって僅かにリィンが押し返されたところに大剣の横薙ぎの一閃が放たれたが、それも直前に頭を低く下げることで回避した。

 

「弐の型、『疾風(はやて)』」

 

 背を低くしたまま放った剣技は、そのまま男の軽装鎧の隙間を縫うようにして片足を斬りつける。

 重量のある武器だけに限らず、近接武器を扱う際に重要となるのはまず下半身だ。脚部に傷を負えば、見かけ以上の敏捷性も削ぎ落すことができると踏んでの行動だった。

 

 そしてリィンの目論見通り僅かに崩れる体制。足が止まったその瞬間に、今度は両肩、そしてリィンが斬りつけた箇所とは別の脚にアリサが放った矢が突き刺さる。

 彼女が一度に(つが)える矢は三本。今のアリサは、対象が”止まっている”状態であれば、任意の場所に三本まで矢を当てることが可能なレベルにまで実力が跳ね上がっていた。

 

「『ラ・フォルテ』、『クロノバースト』‼」

 

 最初にリィンが太刀を合わせた瞬間から僅か十秒も経たない内に、『短縮詠唱(クイックスペル)』を使用した『二重詠唱(デュアルスペル)』で補助魔法を掛けるエリオット。

 各々がきっちりと仕事をした後、最後に決めるのは、フィーの役割だった。

 

「よっ、と」

 

 放り投げて放物線を描くF(フラッシュ)グレネードを、男の眼前に着た瞬間に撃ち抜いて強制的に起爆させる。

 一帯が光で埋もれた瞬間に、フィーは大剣の腹を足場にして跳躍し、その状態のまま髑髏面の横に蹴りを一撃、次いで回転しながら二撃。

 体重が軽い事で格闘戦にはあまり向かないフィーだが、『ラ・フォルテ』の力で一時的に身体能力が向上している今であれば、蹴りの二発であっても人の意識を刈り取るには充分であった。

 

 そして男は膝から崩れ落ち、俯せに倒れたところで、一同は一斉に息を吐いた。

 

「……何とかなったか」

 

「半年前の僕たちだったら、多分何もできなかったよね」

 

「ま、あんな出鱈目な二人に鍛えられたんだもの」

 

 これくらいは出来るようになってないと怒られるわ、と番えていた矢を収めながら言うアリサの言葉に安堵しながら太刀を鞘に納めるリィン。

 そして改めて全員に声を掛けようと振り向いた瞬間―――。

 

 

 

「っ―――リィン‼ 後ろ‼」

 

 その焦燥感に駆られた声が一体誰から発せられたものであったのか。―――それがフィーが発したものであると理解する前に半身だけ振り向いたそこに居たのは、まるで何もなかったかのように起き上がり、再び大剣をリィンの脳天目掛けて振り下ろそうとしていた男の姿であった。

 

「な―――っ⁉」

 

 その黒く光る刃が命を刈り取るまでに一秒とない、その余りにも短すぎる猶予時間。

 しかし、神速の剣を振るうレイの太刀筋を今までずっと見続けてきたリィンは、その刹那の猶予にも対応してみせた。

 

 覚えたてで、お世辞にもまだ完璧とは言い難い【瞬刻】を発動させて後ろに飛び退いて直撃は寸前で避けたものの、凶悪な鋸状の大剣の刃はその肩口を擦過していたらしく、制服の生地と皮膚をを軽々と裂いて鮮血が噴き出す。

 

「リィン‼」

 

「て、【ティアラル】‼」

 

 アリサの震えた声と、エリオットが回復アーツを放ったのはほぼ同時。水属性の回復系アーツが作用して傷口は瞬時に塞いだが、鋸状の得物で斬りつけられた確かな痛みが、今の状況が事実であることを明確に物語っていた。

 

「どう、なって―――」

 

 確実に()()()()実感はあった。意識を取り戻すにしても、あと数十分は先の事だと思っていたために、未だにどういう事なのか理解しきれていない。

 だが少なくとも、”何をすべきか”は理解している。痛みを可能な限り意識の片隅に追いやりながら再び太刀を抜刀したところで、フィーが地を蹴って躍り出る。

 

 彼女はその素早い動きで男の動きと攻撃を翻弄しながら、軽装鎧の隙間を狙って双銃剣の刃で容赦なく斬り裂いていく。

 そこには、対人という事に対しての迷いなどは一切見受けられず、例え顔に返り血を浴びようとも止まらない。そして、一通り斬りつけ終わった後、再びリィンの近くへと舞い戻った。

 

「―――損傷、中度。ナレド作戦遂行ニ支障ナシ」

 

 負わせた傷は、常人であれば過度な痛覚の刺激と流血で戦闘行為が困難になるほどであったが、それでも動きを止めない男に対して、フィーは双眸を細めて軽く唇を嚙む。

 

「……分かった、レイ。()()()()()()()

 

 独り言のように呟いたその言葉がどういう意味なのか。それを訊こうとする暇すらなく仕掛けてきた攻撃に対して、リィンは数撃を躱してから腰を落とし、納刀した太刀の柄に手を掛ける。

 

「【弧影斬】ッ‼」

 

 闘氣を纏って放たれた斬撃は大剣の腹で受け止められたが、それでも距離を開けさせることには成功した。

 射線が確立されたことで再びアリサの弓から放たれる矢が男を牽制している間に、リィンはフィーに向かって言葉を掛ける。

 

「フィー、あの男が倒れなかった理由、分かるのか」

 

「……まぁ、ね。戦場では結構良くいたから」

 

「戦場、か」

 

「うん。薬や施術で痛覚とか色々と閉ざしたり……()()()()()()()()()()()()()のは、そんなに難しい事じゃないから」

 

「…………」

 

「だから、リィン達は下がってて」

 

 ()()()()()()()、と。ただそれだけを言い残してフィーは―――いつもとは違う眼光を棚引かせて疾駆する。

 

 その言葉通り、彼女の攻撃は今までのそれとは一線を画していた。

 決して、今までの戦闘が手を抜いていたというわけではなく、突出して戦闘能力が上がったというわけではない。

 

 

 ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 

「――――――」

 

 フィーは知っている。”こういった手合いの敵”は、ただ気絶させるだけで事が済むようなものではない。

 ただ戦い、ただ殺し、任務を達成するまで決して止まらない殺戮傀儡。そういった倫理観の超えてはいけないモノを跨いでしまって堕ちた連中を相手にする時は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 死への恐怖で足を止めさせようとするのは無駄だ。

 流血過度で怯ませようとするのは無駄だ。

 痛みを与えて気絶させようとするのは無駄だ。

 精神的に折らせようとするのは無駄だ。

 瀕死の状態のまま生かしておこうとするのは無駄だ。

 

 油断して隙を見せ、喉元に咬みつかれるのを防ぐならば、徹底的に、完全に、一片の慈悲も容赦も手心も慢心も無く、心臓と脳が停止して生命として確実な死を迎えるまで殺し尽くさねばならない。

 

 四肢を斬り落としても、喉笛を掻き斬っても、腹の中心に巨大な風穴を開けようとも、たとえ数秒後には確実に死ぬような致命傷を負っていても―――そこに抗える猶予時間が存在しているのならば此方を殺すために全力を尽くしてくる。

 

 その恐怖は、実際に相手にしなければ分からないものだ。どういった事情であれ、”死の恐怖”という生物の絶対的なリミッターから解き放たれてしまったモノは悉く此方の”常識”を一瞬だけ覆してくる。

 

 

 だからこそフィーは、ソレを斃すその瞬間まで、”死神”であった頃の自分に立ち戻ることを躊躇しなかった。

 硝煙と血風に塗れた、あの頃の自分。素性も名前も、過去も主義主張も分からない相手を、ただ「任務だから」という理由だけで動かぬ肉塊に変えていたあの頃に。

 

 あの戦場で自分だけが取り残され、レイとサラに手を差し伸べてもらったその時から―――もしかしたらもう戦場に戻ることはないのかもしれないと、そんな事を思ったことも確かにあった。

 

 だが、そんな事は罷り通らない。もしも本当に空の女神とやらが居るのであれば、戦場で老若男女の別なく殺戮の限りを尽くした者を、決して許しはしないだろうから。

 

 尤も、フィー自身も許しを請おうなどとは思っていない。

 銃を最初に手に取ったのは自分の意志だ。戦場に立ち続けたのは自分の意志だ。”死神”と恐れられ、侮蔑されても仲間と共に居ようと思ったのは自分の意志だ。

 たとえ地獄に堕とされることになろうとも、膝をついて涙を流してまで許しを請うのは自分の生き方の否定だ。だからこそ、釈明などは一切ない。

 

 ただ、自分を必要としてくれたサラや、何より兄として慕っていたレイと共に居られればそれ以外は何も望むものはないと思っていた。―――トールズに入学する、あの時までは。

 

 

「―――ふっ」

 

 踏み込むのは一歩。その一歩で最高速度にまで辿り着く。双銃剣をX字に重ね、狙いすましたかのように敵の首筋の頸動脈を斬り落とす。

 噴き出した鮮血が銀糸のような髪に張り付いても、フィーは手を緩めない。”コレ”をこれ以上生かしておくワケにはいかないと言わんばかりの勢いで。

 

 返すように、リィンが先程斬りつけた足の傷を抉るように刃を突き立て、そのまま威力を抑えていない状態での銃弾を連続で叩きこむ。

 骨が砕け、肉が削げ、千切れるようにして片足を失えば、流石に立ち続けることは出来ない。機動力を削ぎ落した後、フィーは再び二つの銃口を急所に向けた。

 狙いは、眉間と心臓。常人が相手であれば狙いやすい腹部に銃弾を叩き込めればその時点で失血死とショック死が狙えるが、”こういった手合い”は即死させるしか方法はない。

 

 まさにオーバーキルと言わざるを得ないが、そこまでのそこまでの徹底を以てしてようやく―――そう、()()()()その男は、死んだ。

 

 僅かに痙攣していた体が完全に動かなくなり、制圧が完了する。

 だがフィーは、そこで一息を吐く暇もなく、降ろしかけた銃口を更に坑道の奥へと向ける。

 

「……1、2……3」

 

 現れたのは、先程殺した男と全く同じ姿をした奴らが3人。幸運だったのは見た限り彼らの得物が全て近接系の物であった事。

 だが、一人を完全に仕留めきるまでにこれ程時間がかかった存在をもう三人相手にしなくてはならない。―――それは決して容易な事ではない。

 

 

「……、……ない」

 

 だが、ここで退くことはできない。ここで背を見せれば、引き換えにこの中の誰かが犠牲になる。

 

 以前はレイとサラが居てくれれば他は特に(かかずら)うものなどないと、そう半ば本気で思っていたフィーであったが、戦果の中で拾われたあの時と同じく―――共に居ることが当たり前になる、そんな”仲間たち”ができてしまった。

 

「…………させ、ない」

 

 リィンが、アリサが、エリオットが、ラウラが、マキアスが、ユーシスが、エマが、ガイウスが、ミリアムが、クロウが―――その中の誰かが「もう二度と会えなくなる」かもしれないという可能性が頭の中を過る度に、フィーの心は少なからず締め付けられるように苦しくなる。

 大切な者が、自分の手の届かないところで命を散らす―――それはフィーにとって再びは経験したくない、何よりの苦痛だった。

 

 

「もう二度と、私の日向(居場所)は奪わせない……っ‼」

 

 ()()()()()。守りたいものを守るために、フィーは殺人を忌避することはない。

 この世は総じて弱肉強食。戦場で弱き者が吐き捨てる平和論など戯言にしかならない。殺される前に殺すことでしか守れないものもあるのだから。

 

 だからこそフィーは、たとえここで再び”死神”と蔑まれることになろうとも、最後まで戦い方を貫くことを決めた。

 何より、レイから頼まれたことなのだ。それを反故にすることなど、できるはずもない。

 

 だが、決して弱い敵ではない。一対一であれば脚力で翻弄しながら戦う事は可能だが、頭数で劣れば苦戦は必至。

 更に言えば、頭のネジが吹き飛んでしまっている連中だ。実際、個の犠牲など全く意に介さないと言わんばかりに強引な攻め方をしてくる三人に対して、徐々に劣勢に追い込まれていく。

 

 それでも攻撃の合間を搔い潜って銃剣の刃を一人の喉に深く突き刺し、そのまま引き金を引こうとする。

 だがそこで―――銃を握っていた右腕が万力のような握力で掴まれる。喉に深々と刃が突き刺さり、もはや絶命は時間の問題となっていた男は、しかしそれでも己の命など全く意に介さず、ただフィーを仕留めるために最後の抗いを見せた。

 

「ッ‼―――」

 

 それでもフィーは大きくは取り乱さず、もう片方の銃剣を男の額に突き刺し、零距離から銃弾を弾き出した。

 それによって二人目を始末することには成功したが、至近距離でのオーバーキルであった為、返り血が派手に飛散し、フィーの顔の左半分が鮮血に染まった。

 反射的に目を瞑って血が目に入る事だけは防げたが、その一瞬は戦場に於いては致命的となる。濃くなった殺気に勘付いて振り返った時には、既に残りの二人が挟み込むようにして得物を振り切ろうとしていた。

 

「(躱、せ―――っ、まだっ‼)」

 

 片方の攻撃はまだ直前で躱せるが、もう一方の攻撃も次いで躱せるかどうかは運次第。

 それでも、諦めて黙って殺されてしまうよりは断然良い。―――そう思って動こうとした直前、不意に自分の傍に人影が割り込んでくるのを、フィーは確認した。

 その直後に鳴り響いた鋼と鋼がかち合い、軋み合う音。自分に迫る来る攻撃を躱した後にカウンターで弾丸を急所に叩きこんだ後、割り込んできた人影に背中越しに声を掛けた。

 

「……リィン」

 

「悪いな、フィー」

 

 ただ一言だけ、そう返したリィンは、鍔迫り合いをしていた相手を氣力の放出で弾く。

 そして、一瞬だけがら空きになった胴の軽装鎧の継ぎ目を的確に狙い―――太刀の刃を突き刺した。

 

「っ―――っぁぁああああッ‼」

 

 リィン・シュバルツァーの生涯でヒトに初めて与えた”致命傷”。

 人間の肉を深々と貫き、臓器を破壊する嫌な感触に眉間の皺を深めながら、それでも突き刺した太刀を引き抜き、返す刀で袈裟斬りにして捨てる。

 闘氣を乗せた刃は軽装鎧の防御を無視して通り、一瞬でリィンの視界が深紅に染まった。

 

「致命―――否、未ダ―――」

 

 それでも僅かに残った猶予で反撃をしようとする男に対して、声にならない声を挙げそうになりながら―――それでもリィンは最後に再び心臓の位置に全力の膂力を以て太刀を突き刺した。

 踏ん張る力を失い、そのまま為すがままに斃れる男と共に前に踏み出し、坑道の岩壁に貼り付けにするような形になったところで漸く、リィンは荒い息を吐き出しながら血塗れになった愛刀を引き抜いた。

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁ……っ」

 

 ()()()()()―――言葉にするとただそれだけであるというのに、今のリィンは心の内から湧き上がる罪悪感と手足の震えを収めるために、深呼吸を何度もしなくてはならなかった。

 本当にこれで良かったのか。これ以外に方法はなかったのか、と。脳内を反芻する言葉に、しかし否を突き付けていく。

 

「……なんで」

 

「……」

 

「なんで、来たの? 殺人(コレ)に手を染めるのは私だけでいい。……私の仕事」

 

「……あまり、俺を嘗めないでくれ、フィー」

 

 ”猟兵”としての眼で見上げ、返り血で染まったフィーの頭に優しく手を乗せると、震えないように抑え込んだ声でリィンは返す。

 

「仲間に全てを押し付けて、自分だけは何もしないで見ているだけだなんて―――そんな事ができるほど、俺は臆病者じゃない」

 

 少なくとも、リィン・シュバルツァーという男の価値観はそうだった。

 何もかもを綺麗事で片付けられるほど甘い世の中では無い事ぐらいは理解している。”人を殺す”という行為が、これ程までに重圧感を伴うものであった事は些か予想以上であったが。

 

 しかしそれよりも、今まで寝食を共にし、切磋琢磨してきたかけがえのない”仲間”が、自分たちを守るために”死神”に立ち戻ってまで戦っている姿を、ただ見ている事などできなかった。

 

 

「……それに、俺も何となくは理解できていたんだ。このまま行ったらいつかは、この”一線”を超えることになるんだろう、って」

 

「…………」

 

「さっきまでは、確かに色々と迷っていたけれど……もう後悔はしない。レイも言ってたしな」

 

 これからどんな事になろうとも、お前のする事は絶対に”正しい”―――仲間を助けた事自体には一切後悔はなく、その言葉を思い出したことで、迷いも断ち切れた。

 だがそれは、殺人に対しての忌避感が消えたという事と同義ではない。自分の行為が人の命を奪うという罪悪感。肉を、内臓を、骨を、それらを斬りつける時の抵抗感は、恐らくはこれから先も忘れることはないだろう。

 そして多分、レイやサラもそれを忘れろとは絶対に言うまい。

 

 「自分の意志で人を殺す」。それがどれだけ重い事なのか。逸脱しているという事を自覚しなければ、きっとここから先、前へは進めまい。

 

「……ともあれ、俺達に今、立ち止まる時間はない。まだ、妨害も残ってるだろうし」

 

「っ、そうね。最奥はもう少し行った先よ」

 

「…………」

 

 その時、戦いに手を出せなかったアリサとエリオットの様子が消沈していたのをフィーは見逃さなかったし、恐らくはリィンも気付いていただろう。

 だがそれを口に出して指摘するのは悪手だ。フィーの雰囲気がいつも通りのそれに戻ったことで、アリサは慌ててフィーに駆け寄ると顔に飛んだ大量の返り血を急いで拭う。

 

 ふと、リィンも先程まで過剰なほどに太刀の柄を握っていた右手と、自分がその手で殺した男の死体を見比べた。

 ”怖い”という感情がふと心の中に沸き起こる。フィーにはああ言って誤魔化してはみたが、やはり多少の震えは我慢できるものではなかった。

 

 絶対にこの感情を忘れてなるものか―――リィンは改めてその思いを心に深く刻み付け、進む坑道の先を見据えたのだった。

 

 

 ―――その先に待つものが、その恐怖を容易く塗り潰すものだとは露知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 うす、どうも。つい最近『BACCANO!』の一挙放送一気見して、やっぱ成田先生って群像劇の神だわと再認識した十三です。アニメ初めて見たんですが、13話まで一気見してからの二週目1話はヤバいですね。全てのピースがカチッとハマるあの瞬間はクセになりそう。
 あ、僕が気に入ってんのはアイザック&ミリアです。何あの幸運値EXコンビ。行く先々で人を笑顔にしていって誇らしくないの?
 ま、女性キャラで一番好きなのはエニスちゃん何ですけどね‼


 んで、今回の本編は、っと。
 原作最高難易度の更に一歩先を行くのなら、このあたりで一度”殺人”の怖さをリィンに知っててもらわないとこの先困ることになるんですよね。
 そうは言っても義務感でポンポン人殺していって欲しくもないですし……そういうのは別の専門家がいますし……。でも閃Ⅲのリィンはアレ絶対そこそこの死線潜ってんだよなぁ。

 次回はアレです、殺人の一線なんか年齢一桁の頃に既に超えてる主人公ヒロインコンビの方ですかね。


 あ、最後に。何だかノリと勢いで描いた「《マーナガルム》一般兵」イラストをとりあえず挙げておきます。
 ……先んじて友人に見せたら「やっぱ《マーナガルム》って未来を先取りし過ぎじゃね?」って言われました。ま、趣味の領域だからね。仕方ないね‼

【挿絵表示】




PS:
 新・水・着・鯖・イ・ベ・は・ま・だ・か

 ―――と言いつつリヨバサ可愛いと思ってる僕氏でありました。

 注)ホームズは爆死しました。




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簒奪者の狂想曲






「何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人は、きっと…大事なものを捨てることができる人だ」

「化け物をも凌ぐ必要にせまられたのなら、人間性をも捨て去ることができる人のことだ、何も捨てることができない人には、何も変えることはできないだろう」

        by アルミン・アルレルト(進撃の巨人)








 

 

 

 

 

 

 

 今まで恐らく―――いや、ただの一度だって、”殺人”という行為を悪行として忌避してきたことはなかった。

 

 

 物心がついたころから殺すのが当たり前で、殺される覚悟を有していて、一本のナイフと自在に操る鋼の糸を携えて(殺意)を駆ける暗殺者。

 

 ヒトの心など必要なく、ヒトの倫理観など必要なく、ヒトの価値観など必要なく―――ただ任務を果たすだけの機械であれば良かった。

 そんな冷徹の楔から解放された後も、彼女は一度たりとて過去の自身の所業を悔いたことも、ましてや懺悔する事もなかった。

 

 

 シャロン・クルーガーは”暗殺者”である。

 殺人を生業とし、忌避しない者である。

 

 命じられれば如何様にもこの手を汚そう。

 例えこの身が鮮血と土埃と傷と臓腑に塗れようとも、倒すべき相手を斃そう。

 

 

 今の彼女は―――奉仕する者(メイド)ではない。

 ただ一人の―――暗殺者だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇の中は、言うまでもなく暗殺者(アサシン)の独壇場である。

 

 かの闇に特化した《守護騎士》第十位―――《闇喰らい(デックアールヴ)》レシア・イルグンに勝るとは口が裂けても言えないが、卑しくも《執行者》の一人として名を連ねた事のある身としては、たかが坑道の薄暗さ程度で作戦の成否を左右される事はない。

 

 

 特殊な加工を施された鋼糸が不規則に宙を舞うたびに、四肢のいずれかは剪断され、編みこまれた盾は暴風のように叩きつけられる弾丸を弾いていく。

 一発一発が人一人を屠るに充分な破壊力を持つ大口径の銃弾も、彼女にとっては涼風のようなものだ。

 

 腕が良いのは認めよう。だが、当たらなければ無意味。シャロンはまるで主に傅くかのような所作で膝を折ると、そのまま地面に手を付けた。

 

 

「暗技―――『針郎花(はりなえし)』」

 

 直後、彼女の前方に展開していた《死神部隊(コープスコーズ)》の一団の足元から、幾百本もの鋼糸が突き出て―――それらを容赦なく串刺しにした。

 骨を、肉を、内臓を抉り続ける狂気じみた悪音が響き続ける中、完全に動きを封じられた死霊兵達は抵抗らしい抵抗をすることもできずに、処刑の時を待つ。

 

「貴方方には思うところもありますが……退きなさい、邪魔です」

 

 妖しく揺らめいた鋼線が、彼女のその言葉の殺意を表すかのように亡霊たちの体を切り刻んでいく。

 生きているか死んでいるか―――そんな確認など不要だと言わんばかりに、人体を細切れにされ、ただの塵と成り果てた肉塊が次々と地面に落下していく。

 

 そして乾燥した坑道内には似つかわしくない鉄臭い深紅の溜まり水の上を、彼女は衣服に飛び跳ねないよう楚々とした動作で進んでいく。

 眉を顰めるでも、鼻孔にこびり付く異臭に不快感を示すでもない。ただそれが当たり前であるかのように地獄の中で彼女は佇む。

 

 今の彼女は、万全の状態で主を迎え、奉仕するメイドではない。

 血と闇の中を闊歩し、暗技という名の鎌を振り下ろして定命に幕を下ろす者。例え卑怯卑劣と謗られようとも、その磨き抜いた殺しの手管が衰えることはない。

 

 

 故にこその《死線》。彼女の指先が手繰る鋼糸が紡ぐ夜想曲(ノクターン)は、たとえ”不死”と畏怖される《死神部隊(コープスコーズ)》であっても差し止めることはできない。

 

 それを充分に理解していたからだろう。足を進めた先、採掘用の足場が幾つも組まれた猥雑とした空間で、その人物は特に驚く様子もなくシャロンを待ち受けた。

 

 

 

 

「お久しぶりです、《死線》殿。ご健壮のようで何よりですよ」

 

「……《蒐集家(コレクター)》の下に在って未だ使い潰されていないとは驚きです。貴方も相変わらずそうですね、クリウスさん」

 

 その中性的な外見は、少年か少女かを判断するには足りず、さりとて体つきも華奢なそれ。

 白金色のミディアムヘアーも、薄暗い中で輝く金色の双眸も、要素だけを見れば絶世の美少年にもなりえるだろう。

 

 だが、左右の腰に吊り下げた小太刀、両手に装着された篭手がただの美少年では無い事を如実に示唆している。

 そしてそれは事実だ。でなければ、殺意を滲ませたシャロンがこうも警戒するなどあり得ない。

 

 交わす言葉など、それだけで充分であった。

 そもそも暗殺者(アサシン)が敵を”待ち受ける”という状況そのものが特異だ。練磨した暗技を以てして獲物を一瞬決殺するのが道理である以上、この状況は互いに暗殺者としての利点を潰し合っている。

 

 そう考えれば、自分も鈍くなったと嫌でも実感する。

 ”敵”を発見すれば、言葉も交わさずに確殺する―――それが《死線》の戦い方の基本であったというのに。

 

 

 腕を一振り。展開された三桁にも上る鋼糸を、指先一つで僅かも過たずに手繰る。

 その一本一本に殺意の光を迸らせ、空間に入り乱れた鋼線は回避の猶予も与えず敵を絡め取り、斬殺する―――理想はその一撃決殺だが、この男を一撃で仕留められるなどとはシャロンも思っていなかった。

 

 金の残影が、組まれた足場の上を高速で駆け回る。シャロンが鋼糸を展開する直後に既に動き出していたクリウスは、その姿を完全には視認できない程の速さで以てシャロンの動きを攪乱する。

 

 ”達人級”の超人達の戦いは、それこそ息吐く間も瞬きの間もない刹那の瞬間に最低でも数合は交わされるものであるが、戦い方を特化させた、それこそ”準達人級”の極致に居る者達の戦いも、悠長に言葉を滑りこませられるものではない。

 

 此処にあれば、まさしくこの二人がそうである。幼い頃より”暗殺術”という一転に武技を特化させ、それを極めた者達。

 ”達人級”に至っていないのは、ただ”境界”を超えていないからだ。

 

「っ―――」

 

 引き抜かれた小太刀。目にも止まらぬ速さで接近して銀閃が迫りくるのを見抜けないシャロンではない。

 厚く編んだ鋼糸が小太刀の刃を受け止めた瞬間、間近に迫ったクリウスの黄金の瞳に―――一瞬ではあるが、自身の姿が鏡のように映りこんだ。

 

 その目は、翳っていた。翡翠色の瞳は濁り、お世辞にもそこに”美しさ”はない。

 ほんの刹那の間だけそれを恥じ、しかし次の瞬間にはいつもでは絶対に浮かべない昏い微笑を浮かべる。

 

 

 《執行者補佐》役にして《使徒》第四柱イルベルト・D・グレゴールの麾下に在る存在―――クリウス。

 実力だけを鑑みれば《執行者》であっても何らおかしくはない存在だが、一癖も二癖もある《執行者》よりも或いは癖が強いと称される《執行者補佐(レギオンマネージャー)》に身を置いているのは、ある意味で当たり前の事であった。

 

 執行者補佐(彼ら)の主任務は主に、特定の《使徒》の麾下に着いて《執行者》の行動を監視することにある。

 《執行者》には主にある程度の行動の自由権が与えられているが、直接《使徒》が出向く程の大規模作戦が起こった際には《使徒》の代弁者として表に出てくることが少なくない。

 

 その職責上、《執行者》ともある程度渡り合える実力を兼ね備えており、そして後方工作という点ではそれをも凌駕する場合が多い。

 第二使徒、ヴィータ・クロチルダの麾下に在るルシード・ビルフェルトなどがその典型例であろう。だからこそ、油断ならない人材が多いのだ。

 

 そういった意味での危険性で見るならば、《執行者》No.Ⅴ《神弓》アルトスクが率いる”懲罰部隊”《処刑殲隊(カンプグルッペ)》、リンデンバウム侍従長率いる《侍従隊(ヴェヒタランデ)》と同等かそれ以上か―――ともあれ気が置けるような存在では断じてない。

 

 特に、悪逆非道と謳われる《蒐集者(コレクター)》に心酔し、その命を遂行するためだけに存在しているこの男は―――一片も迷うことなくシャロン・クルーガーの敵だ。

 《執行者》時代であればいざ知らず、《結社》を脱退した今、レイ・クレイドルとラインフォルト家の敵は、そのまま彼女が敵意を向けるに相応しいのだから。

 

 

 フワリと舞い上がったスカートの下、右足のホルスターに止めたそれを引き抜くと、ただ殺意のみを込めた一撃を首筋に見舞う。

 禍々しい刃の形をした大型ナイフ。逆手に構えて使うには取り回しに難がありそうなそれを、しかしシャロンはまるで自らの腕の延長線上であるかのようにそれを振るう。

 

 だがその斬撃は、クリウスの頬を僅かに撫でただけに終わった。薄暗い中でも映える赤い線が一本刻まれただけで、この男が怯むはずもなし。

 

 一瞬の間に編んでおいた鋼糸を虚空に投げると、それはまるで意思を持っているかのように蠢き、クリウスへと襲い掛かる。

 

 暗技(マーダークラフト)蛇牢蜘蛛(じゃろうぐも)』―――その鋼線に絡め取られれば、瞬時の内に肉体のいずれかは削ぎ落される。

 だが、《執行者》に比する戦闘能力を持つクリウスはそれを回避する。物理的に人一人が潜る抜けられる隙間があれば一流のサーカスの演者もかくやという程の身体能力を以てして潜り、それが成せない場合は二本の小太刀で押しのけて罷り通る。

 

 極めた技と技の、派手さはない凌ぎ合い。しかしそこに充満する殺意の念は、それこそ”達人級”同士の戦いと何ら変わりない。

 

 

「―――必ず」

 

 一度は固く閉じられ、再び愛しい人達の前に戻るまでは開かないとばかり思っていた口が自然に開く。

 

「貴方は必ず、此処で殺します。もう二度とあの人(レイさん)を苦しませてなるものですか……っ」

 

 それは、シャロンの本心が絞り出した言葉ではあったが、それに対してクリウスは一瞬だけ眉を潜ませた後、軽く落胆したような溜息を吐いた。

 直後、旋風を残して斬りかかってきたクリウスの行動に、感情が昂っていたシャロンは一瞬だけ反応が遅れ―――その肩口に刀傷を負う。

 

「失望した。どうやら貴女は俺が思っていたよりも―――弱くなっていたようだ」

 

 シャロンの想いも何もかも、その全てが一切合切考慮するまでもなく下らないと言わんばかりに、クリウスは冷ややかな眼光をシャロンに叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 結社《身喰らう蛇》の最高幹部《使徒(アンギス)》―――”達人級”に至る事ができる武人と同じように、彼らはそれぞれ先天性の特異な才を操る者達である。

 

 それは、大陸中に広まる”限りなく科学化された魔法技術(テクノ・マギ)”とは違い、常識的な法則では説明がつかない現象とも言える。何の後ろ盾もなく人の世に在っては、恐らくは畏怖され迫害を受ける未来が待つその才を、知る者たちは”異能”と呼んだ。

 

 

 その種類は多々あれど、その中でも《使徒》第四柱―――《蒐集家(コレクター)》イルベルト・D・グレゴールがその身に宿した”異能”は、()()()が持つには些か悪辣に過ぎるモノであった。

 

 

「相も変わらず、卿の(つるぎ)は酷く真っ直ぐだな」

 

 称賛ではない。そこには明らかに嘲るようなそれがあり、だがレイとの剣の凌ぎ合いにそのような言葉を紡げる程度には彼もまた強かった。

 

「己の剣、在り様を歪と謗りながら、その実道は外れぬと来た。

 ハハ、滑稽ではないかね。《盟主》が卿にNo.Ⅺ(正義)を下賜した判断は、皮肉にも正しかったというわけだ」

 

 煽るような言葉に対して、しかしレイは口を真一文字に閉じたまま愛刀を握る手先にのみ意識を集中させる。

 認めがたい事ではあるが、イルベルトの”剣士”としての実力は一流だ。なまじ鍛錬など碌に行っていないように見えるというのに、此方が振るう剣をまるで柳葉の如く去なしてしまう。

 

 その右手に携えられた剣はお飾りの物ではない。実際レイは本気でイルベルトを殺しにかかる剣筋で以て攻めているが、何か得体の知れないモノに吸われているかのように、剣閃は悉く防がれてしまう。

 

 ―――実のところ、その理由の一角をレイは理解している。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()その立ち回りが、剣筋の幾許かを限定させてしまっているのだと。

 

「(中々……思うようには行かねぇモンだな‼)」

 

 剣筋のパターン化は、”達人級”同士の戦いでは絶対にあってはならない事だ。それを僅かでも読まれれば、一瞬で自分の首が飛びかねない。

 

 

「卿からはあの時……そう、”自愛”を貰ったのだったかな。その果てに義姉を喪った卿の、奈落に至った歪んだ顔は如何なる甘露よりも美味であったと覚えているよ」

 

 不意に、それこそ自分の意志とは別の所から込み上げる怒りがレイの脚を前に踏み出させようとして、しかしそれに気付いた理性が踏みとどまらせる。

 それこそ、昔の自分であれば感情の暴走を抑えきれなかっただろう。ともかくこの目の前の外道を殺したくて堪らないと思い、全てを投げていたに違いない。

 

「やはり卿は、()()()()()()()()()()()()黒鐵(くろがね)だ。満たされた何もかもで温湯に浸かった屑鉄など、何の価値も有りはしない」

 

 捻じ曲がった価値観だ、と断言できる。

 ともすれば元々同じ《執行者》であったブルブランも、言葉だけでは同じような美的意識を持ってはいたが、深く見ればその二つには差異がある。

 

 ブルブランは美しいものが美しくないものに堕ちる、その過程の一瞬をこそ”美しい”と感じ―――しかしイルベルトは、満たされているものが悉く奈落の絶望に浸るという、その事柄そのものを”美しい”と感じる。

 

 どちらにせよ許容できる美的感覚ではなく、その影響で大事な人を亡くした身としては、声を荒げたくなるというのが本音ではある。

 貴様のそれが、価値の狂った蒐集癖が、どれ程の数の人間を不幸のどん底に叩き落としてきたのか、と。

 

 邪言を撒き散らすその口を閉じたままにしてやろうと、僅かの慈悲も容赦もなく、ただ人体の急所に連撃を斬り挟む。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・八千潜(やちかづき)】。

 例えその剣閃を見切る事ができたとしても、体の何所からかは鮮血が噴き出すのは確実。

 だがイルベルトは、鋭角の斬撃をまるで見慣れた小動物のじゃれつきであるかのように、己の剣を閃上に滑らせるだけで無効化してみせる。

 

 そう、イルベルトの武力の真髄とは”速さ”ではない。

 寧ろ動き自体は緩慢なそれだ。常に余裕を孕んだ動きはしかし、まるで未来を見据えているかのように先の手を取り続けてくる。

 

 相手が相手でなければ、それこそ学ぶこともあるような戦い方であったが、レイの心の底に絶え間なく燃え上がる憎悪の念がそれを許さない。

 

 

「……嘗めるなよド外道。テメェ好みの傀儡に成り下がるのが”美しさ”だ? お断りだな、何の益にもならない生き方だ」

 

「あぁ、その通りだとも。他者の益など鑑みたところで肴の代わりにも成りはしない。であれば、己の悦を求めるのもまた、然るべき結果だと思わんかね」

 

「他人の我儘(エゴ)に付き合うにも限度があるんでな」

 

 つらつらと、一度口を開いてしまえば、目の前の男に対する皮肉と憎悪が止まらない。

 己を律し、己を制する事。それは簡単な事に見えて、誰にでもできる事ではない。

 激情に駆られて向う見ずに力を振りかざした末路など、既に見飽きた。そんな馬鹿をやるのはもう、あと一度きりだけでいい。

 

 そんな事を思っていると、不意にイルベルトの口角が怪しく尖った。

 

「一時の気の迷いは真白(ましら)の者のみに許された特権だ。卿の心に濁りを混ぜたのは、果たして誰であるのかな?」

 

「…………」

 

「《聖楯騎士》、《爍刃》、はたまた《剣帝》か《狂血》か……(いや)、卿が心の底から求め欲した、想い人達か」

 

 瞬間、イルベルトの頬をなぞるようにして線が生み出され、僅かな量の紅が宙を舞った。

 

 

「―――悪いな、ちっとばかし吐き気が止まらなくて、考えるよりも先に手が出た」

 

 その声は、《結社》時代のレイを知る者であれば、ひどく懐かしいと口を揃えて言うようなそれであった。

 その言葉の全てに、怒りを通り越した無感情が乗っている。静かに、しかし重く、構えた白刃もそれに倣うようにして輝きが強くなる。

 

(うろ)の言葉に乗せられるほど、アイツらの魂は安くねぇ」

 

「結構。であればこそ《氷の乙女(アイスメイデン)》を狙った甲斐もあるというものだ。―――《死線》に《紫電(エクレール)》も死の架に張り付けたのならば、卿は元の輝きを取り戻すのだろうかね?」

 

 ―――その後の動きを、後にレイは浅薄であったと自らを責めた。

 

 練達した”達人級”の武人は、如何なる状況であろうとも客観的な思考を脳内に留め置き、それに倣う行動を取る事ができる。

 ”為すべき事”を主観的な思考に左右されずに探り続けることができる。現状における最善手を紛う事無く練り上げることができるのが《理》に至った武人というものであった。

 

 だからこそレイは、未だ自身を”未熟者”と評価するに躊躇わない。

 一歩。愛する者を侮辱されて堪忍袋の緒が切れて踏み出したその一歩こそが、イルベルトが狙った姦計であったのだと瞬時に理解できたものの、その一瞬の思考の澱みを見逃すほど、この男も緩慢ではなかった。

 

 

「卿は今一度、己の起源を思い出すべきだ。自らを狂刃と定義した、朽ち果てた己の姿を」

 

「ッ―――」

 

 その”左手”が、レイの頭を鷲掴む。

 普段であればその手ごと躊躇なく斬り落とすが、今回に限ってはそれが叶わない。

 

 

 それこそが、第四使徒《蒐集家(コレクター)》イルベルト・D・グレゴールが擁する”左の異能”。

 《簒奪と贈呈》―――そう名付けられたそれは、その”左手”が触れた者の心に巣食うモノを値踏みし、”表層に在るモノを深層に堕とす(簒奪する)” か ”深層に在るモノを表層に押し上げる(贈呈する)”事ができる。

 

 それはある意味、元第三使徒―――《白面》のワイスマンが有していた”記憶”を操作する能力よりも遥かに、ヒトというものの精神を完膚なきまでに壊し尽くす事のできる”異能”である。

 更に厄介であるのは、その”左手”が対象に触れてしまった瞬間に”異能”が発動するため、対象者は能力の効果が継続している間は大元であるイルベルトに対して直接的な危害を加えることが叶わないのだ。

 

 

「彷徨う卿には『”慙愧(ざんき)”を贈ろう』。―――尤も、既に飽いているかもしれないが……まぁ、大目に見てはくれないかね」

 

「……ハッ、そうだな。そんなものは既に感じ飽きた」

 

 しかしこんな状況で、それでもレイは冷ややかに笑ってみせた。

 まるでこれから齎される状態に、何の危機感も抱いていないと言わんばかりに。

 

「選択を誤ったな《蒐集家(コレクター)》。試練を課すには少しばかり微温(ぬるま)湯に過ぎるぞ」

 

「さて、それならば僥倖だ。卿に対して薪をくべるだけの価値があったというだけの事。―――心の深奥への旅路、ゆるりと下っていくと良い」

 

 今すぐにでも耳朶から追い出したいほどに不吉な声を聞きながら、レイは愛刀を地面に突き立て、膝をついた状態のまま意識を喪失する。

 絶対に、何が何でも這い上がってみせるという決意を、自分自身と仲間たち、そして愛した者たちに誓いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

「随分とギスギスした雰囲気になりましたねぇ」

 

「仕方ねー事だと思いますけどね」

 

 

 とかく、人々の心理というものは空恐ろしいものであり、真実の情報が完全に遮断された状態であったとしても、尾鰭がついた”噂”が蔓延すると集団心理によって雰囲気というものは変化する。

 今回の場合、ルーレ市全域に被害が及ぶような規模の爆弾が設置されたという情報そのものは漏れてはいないものの、それ以前のルーレ空港前の騒動を見た者達は、今この時ルーレが普通ではないという危機感を少なからず覚えた筈だ。

 

 負の感情の伝播は、人々が理屈で思っている以上に速い。

 今二人が腰かけてティータイムと洒落込んでいるカフェの中でさえ、客同士が噂の交換会をしているのだから。

 

 

「ルナフィリア先輩」

 

「? はい」

 

「本当にこれは、”必要な事”なんでしょうかね?」

 

 カラカラと、氷の入ったアイスティーをストローでかき混ぜるリディアは、窓からルーレ市の姿を見ながら呟くようにそう言った。

 

「ただ一つの策を練り上げるために、これ程多くの人たちの命を犠牲に……私には第四使徒様のお考えが分からねーですよ」

 

「ま、そうでしょうね。私にもさーっぱり分かりませんし」

 

 というかですね、と。ルナフィリアは先程食べ終えてしまったパフェのスプーンの先をピッとリディアに向けて言う。

 

「あの人の行動基準、というか美的センスを完全に理解してる人なんて、それこそブルブランさんか《教授》くらいのものですからね。

 ……分かろうとしちゃいけませんよリディアさん。アレを理解できてしまったら、貴女は人として何か大事なものを欠落してしまいますからね」

 

「…………」

 

「あの人からあるモノを奪われた時のレイ君は……そりゃあ酷いものでした。結果的に目の前で最も慕っていた人を喪い、半分武人として再起不能になりかけましたから。……アスラさんが半ば強引に”引き上げて”くれたので、何とか事無きは得ましたけどね」

 

 あの時喪ったのは、ルナフィリアにとっても大切な人の一人でもあった。

 嘗ての直属の上司、《聖楯騎士》と称され、当時《鉄機隊》の筆頭であった《爍刃》カグヤに次ぐ実力者であった精錬にして潔白な、在るべき騎士の姿を体現した女性。

 

 当時の喪失感は彼女自身もよく覚えている。だが、自分よりも遥かに絶望の淵に叩き落とされた弟分を見て、自力で這い上がる事が出来たのだ。

 彼を這い上がらせる役目は、残念ながら彼の兄貴分……義兄弟に取られてはしまったが。

 

「何かを得る、というのは簡単な事ではないんです。リディアさん、幾ら貴女のような”本物の天才肌”であったとしても、ね。

 勝ち続けるだけの生涯に意味はなく、敗北と喪失感を覚えて初めて武人は昇華できる。……酷い事を言うようですが、貴女がレーヴェさんを喪ったことで、”達人級”に上り詰められたように、ね」

 

「でも、それとこの街の人達の事はまるで別じゃねーですか」

 

 リディアは僅かに震えた、しかし強い心持ちのまま言葉を紡いでいく。

 

「私だって、師匠に拾われる前はボロ雑巾みてーな生き方してたから分かります。この世の中は綺麗事だけじゃねーって。全部が何かの犠牲の上に成り立ってて、誰もが笑っていられる世界なんて、そんなん何処にもありゃしねぇんです。

 ……でも、自分で戦えねー無力な人達を笑いながら巻き添えにしてる世界ってのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その一見矛盾した言い回しを、しかしルナフィリアは理解する。

 ”何かの犠牲の上に成り立ったもの”をただ一概に「間違いだ」と謗るのは、それはただの理想論でしかない。誰かが笑って幸福を甘受しているその時に、きっと何処かでは不幸を押し付けられて泣いている人がいるのが世の摂理というものなのだから。

 

 だがそれを、臆面もなく、一切の罪悪感もなく「正しい」と言い張れるのも、恐らくは何かが間違っている。

 ルナフィリアにしてみれば、酷く昔に置いてけぼりにしてしまった考え方だ。《身喰らう蛇》という、どうあっても”悪”に在る組織に身を委ねているのであれば、一々そんな感傷的な感情を持っていては身が持たないだろうから。

 

 ”自分が知らない誰か”を本当の意味で気に掛けられるのは、それは救世主か神くらいしか居まい。

 ()()()()()()気に掛けて身を滅ぼすくらいであれば、気に掛けない方がよっぽど利口な生き方だ。

 

 ”騎士”とは、護るべき者を選ぶ者だ。自分が護りたいものなど、それこそ考えるまでもないのだが。

 

 

「……リディアさんは、そのままで居た方が、きっとずっと”強く”なれますよ」

 

 本当に、《結社》には似合わない人材だなと思いつつ、それでもルナフィリアはそう鼓舞してみせる。

 これがデュバリィ辺りであれば、不器用な剣幕で「何を甘い事を」などと言っただろうが、少なくともルナフィリアは、武人として、人として正しく在ろうとするこの少女の心を遮る気にはならなかった。

 

 

「とはいえ、今回は本当に私たちの出る幕はないですからねぇ」

 

「えっ、と」

 

「あぁ、ルシードさんに言われたこともありますが、それとは別に一つだけ」

 

 そう言うとルナフィリアは、含むものなど何もない、ただの純粋な笑顔を浮かべた。

 

 

 

「貴女が尊敬した先輩は、貴女が尊敬するだけの力と気概を持った男性だという事です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









 どうも。月末が来るたび、「プレミアムフライデーなんぞ都市伝説だ」と友人と言い合うのが日常になってきた十三です。

 閃Ⅲの発売日まで一ヶ月を切った今日この頃、皆様どのような思いを馳せていらっしゃるでしょうか。
 僕としてはクッソ楽しみで仕方なくて発売日とその翌日に夏季休暇を申請しちゃいました☆……月末なのにね。

 正直マクバーン&アリアンロードとかもはや地獄しか見えない対戦カードは視界の外にブン投げまして、新しい主人公たちがどのように試練に立ち向かい、乗り越えていくのか。それが一番の楽しみでしょうか。……試練の度合いによっては、僕が魔改造して譲り受けましょう(愉悦)。


 さて、暗雲が立ち込めてきたというかそもそも最初から暗雲しかなかったというか。ともあれキナ臭いどころの話ではなくなってきたルーレ編後半。
 言うてこっから先も嫌な予感しかしないので、これ以上のカオスを望まない方はブラウザバックを推奨いたします。……え? 言うのが遅すぎる? 是非もないよネ。

 それでは、また。



PS:
 半ばヤケクソでプリヤガチャ引いたら最初の10連でイリヤが来ちゃって数十分ガチで目を疑いました。



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残照 Ⅰ ※




 不幸を知ることは 怖ろしくはない

 怖ろしいのは 過ぎ去った幸福が戻らぬと知ること

     by BLEACH 46巻 冒頭








 

 

 

 

 

「最初に、誤解がないように言っておきますね」

 

 

 

 ―――その女性(ひと)は。

 

 

 

「貴方に知識を授けるのは、決して憐憫からではありません。()()()()()を抱けるほど私は貴方の事を知りませんし、そもそも貴方もそんな思いを抱いて欲しくはないでしょう?」

 

 

 

 ―――最初に出会ったその瞬間から全てを理解していた。

 

 

 

「貴方は()()()()()()()()()です。ですから、私は貴方ができる限り強い子でいられる為に必要なモノを授けるだけ。腕っぷしだけが強くなったところで、この世界は生き残ってはいけませんからね」

 

 

 

 ”強さ”とは何であるのか。”弱さ”とは何を指すものか。

 余りにも若輩に過ぎた自分は、戦う力よりも重要なものがあると聞いた瞬間に少しばかり不機嫌になったことを覚えている。

 

 理不尽に全てを奪われた後だ。目に見える”力”こそを求めるのは仕方のない事であると今でも思う事はあるが、しかしそれだけを求めていたならば、決して強くはなれなかっただろう。

 

 その言う通り、世界はそれだけで生き残れるほど甘くはないのだから。

 

 

 

「あぁ、因みに筆頭(カグヤ様)には向いていないと分かっていたので、不肖ではありますが私が立候補したのです。……あの方に情操教育まで任せていたら、貴方が手の付けられない不良になる事は分かり切っていましたからね、えぇ」

 

「仮にも当人が()る前でそれを言うか。ぬしも随分と肝が据わったものよの」

 

「貴女様という理不尽が形を得て闊歩してる方の補佐を仰せつかって、もう何年目だとお思いですか?」

 

「幾星霜かも忘れたのぅ。貴様が若い頃の”あやつ”に似ているせいか、もう数百年来の付き合いのようにも思える」

 

 

 何故だか当時の自分にも、剣の師とその女性(ひと)が軽口を交わし合う様子が、とても自然なもののように見えていたのを覚えている。

 そのやり取りに思わず口元が緩みそうになったが、しかし次の瞬間にはその感情も冷めてしまう。

 

 当時の自分は、そういう子供だった。

 考えうる限り最悪の淵から生き残った(生き残ってしまった)命。―――最愛の母が繋ぎ、ただ一人残った自分と同じ境遇だった女の子も救えず、生き延びてしまった”責任”を取ろうともがいていた頃の自分。

 

 そこに、喜びや楽しさを感じることは許されないと、そう思っていた。

 

 

 

「……そういえばちゃんとした自己紹介がまだでしたね」

 

 

 

 ―――だからこそ。

 

 

 

「《蛇の使徒(アンギス)》第七柱麾下、《鉄機隊》副長。ソフィーヤ・クレイドルと言います。

 ―――貴方の名前も、今一度教えていただけますか?」

 

「―――レイ。苗字は……もう棄てた」

 

 

 

 或いはこの女性(ひと)との出会いこそが、《天剣》としての己の原点であったのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に彼の姿を見たとき、感じたのはその右目に宿る虚無感―――そして弱者(きょうしゃ)のみが湛える事のできる淡い光だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――レイという少年が正式に「《鉄機隊》預かり」となったのは、ちょうど一年前の事。

 

 平凡な農村の育ち故に、日曜学校の初等教育程度しか受けていなかった彼に知識を授けてやれと、そう直接の上司に言われたのも同じ頃。

 

 幸いにも、他に同じような教育を施そうとしていた子らが何人かいた為に、断りはしなかった。

 上司(カグヤ)の気ままな性格など、何も今に始まった事ではない。だが、生き死にが賭かった子を真剣な面持ちで連れ帰ってきた時に、結局はそうなるのだろうなという気は何となくしていたのだ。

 

 

 その少年は、レイと名乗った。そして同時に、「苗字は棄てた」とも。

 

 尤もソフィーヤとて、長く《鉄機隊》の”戦乙女(ヴァルキュリア)”の一角として様々なものを見てきた年長者である。実際の年齢こそ30を少し超えた程度であるものの、それでも積んできた経験は他の隊員よりも多い。

 だからこそソフィーヤは、目の前の少年が何を渇望しているのか理解できたし―――()()()()()()()()()()()がどれ程苦難に満ちたものであるかも理解できた。

 

 ならば、学無き身のままで放り出すわけにもいかない。

 本来であれば、上司が連れてきたとはいえ、見知らぬ少年にそこまで肩入れする義理はソフィーヤにはない。自分が思いのほか世話好きだという自覚は確かにあったが、それは身内に関して向けられるものだ。不特定多数の”他人”に向けられるほど、彼女は器用ではなかったのだから。

 

 しかし、文字の書き取りから算学、科学や物理学、魔法式、経済学、歴史学、果ては社交の作法まで、彼女が教え得るほぼ全てを彼に叩き込んだのは、偏に彼が”天才”と称しても遜色ないほどに呑み込みが早かったからだろう。

 教え甲斐のある生徒を持つというのは、真似事であるとはいえ教師冥利に尽きるというもの。加えて少年は、日を追うごとに最初はくすんでしまっていた人間性をハッキリと見せるようになっていた。

 

 

 武の才は、あの《爍刃》カグヤが酒の席で人目も憚らず褒めるほどのもので、文の才も人並み以上にある。

 流石は自分たちの主であり、部の頂点に立つ《鋼の聖女》の兜を壊すほどの実力を持った武芸者の男と、世に出ることは終ぞなかったものの、封魔の呪術師一族きっての術式構築の才媛と謳われた女との間に産まれた子であると感心したものであるが、所詮”才”は”種”でしかない。

 咲かせるも枯らせるも自身次第であり、その程度の事でソフィーヤはレイの全てを判断しなかった。

 

 ……成程、確かにレイという少年はソフィーヤが今まで見てきた中で最も悪い運命の波に攫われた子であろう。

 親の愛を一身に受けるべき時分に目の前で母が死に、そのまま邪教の拠点で”実験台”にされ続けた……それだけではない。もはや呪いとも言うべき聖遺物(アーティファクト)に見染められたが故に、この先の人生も波乱に満ちたものになると決まっているだけで、同情に値するには充分だ。

 

 だが、レイは強い子であった。己の全てを奪われたというのに、泣きじゃくり続けるでもなく、塞ぎ込み続けるでもなく、前を見据えて歩くことに何の疑いも躊躇いもなかった。

 その強さには真っ直ぐでありすぎるが故の”危うさ”も多分に含んではいたが、少なくともソフィーヤはその在り方を好ましく思った。自分がもしあの子と同じ時分にそのような目に遭っていたら、果たして同じような歩み方をすることが出来たのだろうかと―――そんな考えを抱きながら。

 

 

 しかし、レイは”天才”ではあっても”異常者”ではなかった。

 

 彼女が鮮明に覚えているのは、カグヤによる武稽古とソフィーヤによる座学が終わった後。―――彼は一人、誰にも見せず、声も漏らさずに泣いていた事だ。

 

 ”自分はそうせねばならない”―――”何をしたいか”ではなく、そういった思考で動く人間の末路など総じて決まっている。

 ましてや十にも満たない齢の子であれば、尚の事。よしんば彼が、そんな事すらも考えられない程に壊れていたならばこんなことに苦しまずにも済んだのだろうが、そんな者を果たして”ヒト”と言えるのか。

 そも、そう成り果てていたのだとしたら、わざわざカグヤが拾ってきたりはすまい。人形のような生き方を強いられる事を察していれば、きっとどれ程縋られても一刀の下に命を切り捨てていただろう。

 

 生きている事―――それが即ち”救い”とはならないのだから。

 

 

 ”悪”に染まるのは不可能だと理解した。

 恐らくは彼が、このまま《結社》に居続けることは不可能だろうと。

 

 しかしソフィーヤは、それでも良しであると思っていた。

 この不幸の檻に囚われた少年が、いつか己の意志で戦えるのであれば、それを見るのもまた一興と。

 

 

 

 ―――さて、私がそれを見届けることが出来るのかと。

 

 ふと思い至ったその可能性を、その時ソフィーヤは重く見なかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 何かの想いが、()()()()

 

 

 

 

 はた、と。レイが己の存在を知覚した時、同時に何者かの想いが流れ込んできた。

 

 ……それが分からない程愚鈍ではない。ただ一言、しかし言葉には出さずに「ありがとう」と言う(想う)

 

 

 

 

 

 

 立ち上がった時、足元が触れたのは無機質だった。

 白一色の、精錬でありながら物悲しさも感じさせる世界。そこはレイにとっては、ある意味では慣れ親しんだ場所でもあった。

 そしてその視線の先には、白を突き破って幾百幾千と生え連なる漆黒の茨。―――レイが抱える”贖罪”そのものが形を成したそれは、いつ見ても気分が良いものではない。

 

 だが、それもまた現実なのだ。

 時折自分の意志とは無関係に堕ちるこの深層意識の世界ではあるが、今回は強制的に堕とされた。

 

 本来、己の深層心理などに堕とされれば、並の精神力の人間であれば発狂するだろう。

 そこは、どれだけ体裁を取り繕おうとも否が応にも己の”本性”を見せつけられる此処は、どれだけ胸の内に、心の奥底に仕舞い込んだ醜さであろうとも向き合う事を余儀なくされる。

 

 しかし同時に、武人にとっては高みに至るためには必ず一度は訪れねばならない場所でもある。

 どんな人間であろうとも必ず一つは持ち合わせている”弱さ”、そして”醜さ”。知性を有するが故に真っ先に目を背けたくなるそれと向き合い、そして発狂せずに受け止める事。―――それこそが”達人級”の武人へと至るために乗り越えねばならない試練の一つなのだから。

 

 

「(なるべく早く”上がら”ねぇとな。だが……)」

 

 眉間に皺を寄せたレイが靴のつま先で軽く白の地面を小突くと、傍らに突如世界と同じ色をした者が現れた。

 

 少女か少年か。それらの性別の境を気にさせない程の不可思議な雰囲気と、その身に何かに囚われているような鎖を纏わせた”それ”は、地に着く程の長い白髪を棚引かせて、しかしいつもより数段気怠げな表情をしていた。

 

「また厄介な御仁に嵌められたものだね、ご主人」

 

 いつもは”傍観者”として薄い笑みを絶やさない彼女―――天津凬(あまつかぜ)は、しかし今は僅かに薄めになって主人であるレイを責めるような口調で言う。

 

「ボクとしては”外の理”に繋がれたあの御仁とはなるべく関わりたくないんだけれどね。ボクを鍛えてくれたあの人と同じように、あの御仁の放つ瘴気は些か毒に過ぎる」

 

「安心しろ、関わりたくないのは俺も同じだ。だがまぁ―――俺のミスが招いた事態とは言え、いつかは解決しなきゃならん事だったからな」

 

「随分と、学友と恋人の事が心配と見えるね」

 

「心配……ね。まぁやっぱり、それもあるんだろうなぁ」

 

 イルベルトの前では気丈に振る舞ってみせたが、それでもやはり思うところがないわけではない。

 シャロンの相手は彼女と同等かそれ以上の腕を持つ暗殺者。そしてリィン達の方には―――恐らく陛下(エルギュラ)が何らかのちょっかいを出すのだろう。

 

 レイを除けば、彼女が今興味を示しそうなのは間違いなくリィンである。彼が内に飼う”ソレ”が、彼女の好奇心を大いに擽るだろう。

 それは恐らく、リィンにとって碌でもない事になるのは確かだろうが、それでも一度気に入った者に対する執着心はまさしく強欲な支配者のそれだ。

 見捨てる事はない……と思いたい。

 

 だが、それよりも今はまずは自分の事だ。

 自分が招き寄せた事態をどうにかできない奴が、他者の心配などしたところでお門違いである。

 

 

「天津凬」

 

「うん」

 

「斬り開くぞ。いつも通りだ」

 

「あぁ、うん。いつも通りだ」

 

 そんな簡潔な言葉を交わし、天津凬は一瞬で、己の姿をいつもの純白の長刀のそれへと変化させる。

 否、どちらが本質の姿かと問われれば、恐らくは長刀(こちら)の方が本質なのだが。

 

 柄を握り、鯉口を切り、すらりと引き抜くのは白の刃。

 何の言葉を交わさなくとも、これから斬らねばならない存在は共有している。

 だが無論、気は進まない。すると天津凬は、レイの脳内に直接語り掛けた。

 

『そんな気概で、ボクを扱わないでくれ』

 

 珍しく りつけるようなその声に、思わずレイは「良く見てるな」と溢す。

 

『当たり前だ。()()()()()()()()()()()()()()()』 

 

 その言葉に深く頷き、そのまま一歩を踏み出すと―――世界が一瞬にして一変した。

 

 

 白と黒のモノクロの世界から、見るも禍々しく毒々しく醜悪な世界へ。

 まるで化け物の胃袋の中かと見違う程に生々しい不快さが視界を穢し、嗅覚に異常を来たしかねない腐臭が鼻を刺激する。

 

 地獄のようだと、その様相を見た者は誰だってそう例えるだろう。しかしそれを、否定する権利は誰一人として持ちえない。

 何故ならそこは紛れもなくただの地獄―――七耀教会の概念に当て嵌めれば”煉獄”であったのだから。

 

「……もう二度と、生きてる内はこんなクソッタレな場所に来ないと思ってたんだがな」

 

 レイがこの光景を覚えているのは単純な話であり、一度この煉獄に堕とされた事があったからだ。

 そして―――そこで喪った存在こそが、曰くレイにとっての慙愧(ざんき)の起源。

 

 だが、彼が歩みを進める事はない。

 それがどうしたとでも言わんばかりに、躊躇も逡巡もなく奥へと進んでいく。

 

退()け」

 

 道中、レイに向かって襲い掛かって来た醜悪な化け物たちは、一瞥もされずに斬り捨てられる。

 どんな形、どんな攻撃をしてきたかも覚えていない。そもそも見てすらいないのだから。

 

 そんな連中の血など、天津凬に吸わせることすら忌々しい。高速で血払いを済ませながら―――嘗てはそれら一体一体を相手にする事すら梃子摺っていたのだなと思い返し、そして失笑した。

 

「あぁ、そうか。そういう事か」

 

 だから、レイは理解した。

 慙愧の起源であるのならば、その全ての始まりは母の死であった筈だ。或いはあの冷え切った牢の中で看取る事しかできなかった名も知らぬ少女の死であった筈だ。

 

 だがその時は、()()()()()()()()()()のだ。

 武術も何も身に着けていない、ただの矮小であるだけの子供がそれらの事態をどうこうしようとして、どうこう出来るほど甘い筈がない。

 

 しかし、この煉獄で巻き起こった惨劇は間違いなく自分の甘さと武人としての無力さが引き起こしたもので、だからこそレイの心の中に深く根付いたのだ。

 あれだけ血が滲むような努力を重ねて、《執行者》に選抜されて―――それでも守れないものがあったのだと、現実の非情さを叩きつけられた。

 どういった言い訳のしようもなく、それはただの非力から生まれた瑕疵であった。

 

 

「だから、まぁ」

 

 そう呟いて、レイはピタリと足を止めた。

 

「俺にできる償いなら出来る限り何でもしよう。―――本来の貴女なら、多分そんな事を求めないで「幸せになりなさい、それだけでいい」なんて言いそうなものだけどね」

 

 まるで闘技場(コロッセウム)であるかのように開けた場所に佇んでいた”それ”に、場違いである事は分かっていて尚、レイは語り掛けるように言った。

 

「だから俺は今、貴女が振るう武の全てを受け止めよう。出来る限りの全力で以て、貴女の全てを封じよう。―――あぁでも、現実(あちら)に残してきたものがあるから、此処で死んであげるわけには行かないけれど」

 

 口元に浮かんだ微笑は、しかし拭いきれない哀しさも孕んでいた。

 知らず知らずの内に言葉そのものも嘗てのそれのように戻りながら、しかし纏う覇気だけはあの時よりも遥かに練達している。

 

 

「さ、()ろうか。―――姉さん」

 

 存命の頃は、結局一度足りとて勝利することが叶わなかった”達人級”の武人。清廉な武人の在るべき姿。

 身に纏う白銀の鎧はそのままに、携える馬上槍(ランス)も異名の元となった大楯も変わらず―――しかしそこに嘗て見た優しさは、ない。

 

 レイは〈クレイドル〉の名を譲ってくれた義姉を前にして愛刀を構えながら。

 少しだけ―――眼尻を拭う仕草を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






■ソフィーヤ・クレイドル

 
【挿絵表示】





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残照 Ⅱ






「虚刀流、七代目当主‼ 鑢七花‼ 参るっ‼」

()()()()()()()()() 鑢七実‼ 来ませい‼」

         by 鑢七花、鑢七実(刀語)




※推奨BGM『美シキ歌』(『NieR:Automata』)









 

 

 

 

 

 

 

 

 結社《身喰らう蛇(ウロボロス)》第七使徒、《鋼の聖女》アリアンロード。

 

 ゼムリア大陸全土、否、全人類最強と言っても差し支えない伝説の”絶人級”の武人。

 その強さは最早人に非ずとまで称された彼女が、《結社》にて率いた部隊こそが《鉄機隊》。

 かの《獅子戦役》の折に率いた一騎当千の《鉄騎隊》に肖るようにして組織されたそれは、250年前からの唯一の戦友である《爍刃》カグヤを筆頭として長い間《結社》最強を謳ってきた。

 

 

 《侍従長》リンデンバウムを筆頭とし、主に《盟主》の傍回りを固める鉄壁の守護者―――《侍従隊(ヴェヒタランデ)》。

 

 執行者No.Ⅴ《神弓》アルトスクが率いる、《結社》に仇為す”裏切者”を確実に抹殺する白の懲罰部隊―――《処刑殲隊(カンプグルッペ)》。

 

 執行者No.Ⅺ《天剣》レイが揃え上げた、後に大陸最強クラスの猟兵団と相成った《月喰らいの神狼》を掲げる強化猟兵団―――《独立遊撃強化猟兵中隊《第307中隊》》。

 

 

 それらの魑魅魍魎の集まりであるかのような怖ろしいまでの強さを持つ部隊の中ですら、彼女たちは”最強”と謳われていたのだ。

 そんな《鉄機隊》の歴史の中でも、特に黄金期と呼ばれていた時期。―――今現在、”戦乙女(ヴァルキュリア)”として名を馳せている《神速》デュバリィ、《雷閃》ルナフィリアなどがまだ候補生であった頃。

 

 主と同じ”絶人級”の武者を筆頭に頂き、そして―――ある一人の騎士を副長に据えていた時分、《鉄機隊》はまさしく最強であった。

 

 

 その騎士は、過去に類を見ない程に《鋼の聖女》に才覚を見出され、武にも文にも突出した実力を開かせた才媛。

 慈悲深く、正義を誇り、無用な殺生は決して好まず、しかしこの世の厳しさと不条理を酸いも甘いも噛み分けていた。―――かの《剣帝》レオンハルトと同じく、僅か20代という若さで武人の道の深淵のその先、《理》に至った実力者。

 

 そんな彼女が《鋼の聖女》より直々に承った二つ名は―――《聖楯騎士(せいじゅんきし)》。

 その騎士としての生き方は後進の騎士達に多大な影響を与え、そしてまた、その死は一癖も二癖もある《結社》に属する者達を大勢嘆かせた。

 

 

 その者の名は、ソフィーヤ・クレイドルと言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「若気の至れる卿からは『”自愛”を貰おう』。―――何、驕った卿から再び全てを奪うのも、また一興というものだ」

 

 

 

 

 力に驕る―――という感覚を、レイは抱いたことがなかった。

 何せ、武術の師として仰いだのがあの色々な意味で常識外れの女傑だ。少しでも力に溺れようものならば、そんなものは()()()()だと言わんばかりに徹底的に締め上げられるだろうから。

 

 だから、もし”驕っていた”事があったのだとしたら、それは”力”ではなく”生き方”にだろう。

 武人として少しはまともになったのであれば、今度こそは何かを守れる生き方が出来るという―――人生とはそんなに甘くないのだが。

 

 

 故にこそ、イルベルトには()()を奪われた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……自分の命を勘定に入れられない者に、何かを守る資格などないというのに。

 

 愚かに過ぎる。

 殺すのも、斃すのも、容易い事だ。―――”護る”事に比べれば。

 

 

 

『―――そうだ。お前のその驕りが、”何かを救おう”などという曖昧な想いが……あの人を殺したんだ』

 

 

 全く以て忌々しい、憎いと、殺意の言葉が脳裏を過る。

 それを煩いと謗る権利は、レイにはなかった。なぜならそれは、本当の事なのだから。

 

 

『故にこその、その罪だ。一生を掛けて償い―――しかしそれでも償いきれない程の』

 

「そうだろうな」

 

 言われずとも、この慙愧は墓場の棺桶の中まで持っていくと決めている。

 

「だからこそ、奴の奸計に踊らされたまま此処で死ぬわけには行かねぇ。……折角生かされた命だからな」

 

『なら、尚の事此処で姉さんに殺されれば良い。生かされた命なら、奪われるのもまた道理の筈』

 

「そんな親不孝―――いや、姉不孝な事できるかよ」

 

 先程涙を拭った眼尻は、もう既に乾いていた。

 眼前で闘気を振り撒いているのは、確かに義姉であり―――しかし当の本人とは異なる存在だ。

 

 これは、慙愧の起源を現した、泡沫の夢。

 醒めて覚ませば、(うつつ)に溶ける無常でしかないのだから。

 

 だからこそ、剣鋩を向けるに迷う時間は、ただの一瞬だけで済んだ。

 普段は自然体こそが《八洲天刃流》の正式な”構え”であるが、今回ばかりはその長い刀身を地面に向け、腰だめに構えるような形をとる。

 

 そして、まるでただの気まぐれであるかのような動きで、ソフィーヤは漸く振り向いた。

 長いそれを後ろで優雅に結び上げた蜂蜜色の髪、悍ましい色が蠢く煉獄の中に在って、まるで宝石のように煌めく群青色の双眸。

 

 普通の感性ならば、それを美しいと言えない筈は無いだろう。だがその顔には、嘗てレイが良く見ていた柔らかな笑みはない。

 そこにあったのは「無」であった。何も考えず、何も感じず―――まるでそんなモノであるように。

 

 だがしかし、だからといって容易く突破できるような存在ではない事もまた分かる。

 ”達人級”―――それも《理》に至った武人だ。”絶人級”という、ヒトである限りは決して辿り着けないような未知の領域に足を踏み入れている出鱈目な者達を除けば、武芸の頂点の一角に座する者なのだから。

 

 

「《八洲天刃流》レイ・クレイドル―――推して参る」

 

 最初の名乗りだけは、正々堂々と。

 例えそれが義姉の耳朶に届いていなくとも、この女性と手合わせをする際の始まりは、いつもこうであったのだから。

 

 それと同時に、ソフィーヤが携えた馬上槍(ランス)の穂先が降り、右足を半歩前に出して静かに構えた。

 右に大盾、左に馬上槍(ランス)。そしてその構え方に至るまで―――あの時のまま。

 

「【滾れ我が血潮。静寂(しじま)を司る修羅とならん】」

 

 自己暗示の文言を口にして、レイは初手から【静の型・鬨輝(ときかがり)】を発動させる。

 闘気に黄金色が混じり、一息を吐くごとに全身を巡る血の流れも早くなる。此処に至って様子見などは不要であり、初手から全力を出して行かねば一瞬でペースを持って行かれかねない。

 

 次いでレイは、丹田に氣を込めて、溜まった闘気を口から一気に放出する。

 

呵阿(カア)ッッッッ‼

 

 【静の型・死叫哭(しきょうこく)】。ヒトの恐怖感を本能レベルで呼び覚まし、動きに躊躇いを齎す技であったが、それがソフィーヤに影響を与えたようには―――見えなかった。

 やはり無理か、とやや自虐気味に笑う。そうだ、この人はこの程度でどうにかなる武人ではないのだから。

 

 踏み込みは、一歩。

 【瞬刻】を発動させればその一歩でソフィーヤを斬撃の圏内まで収めることが出来る。

 

 初撃から遠慮など一切ない。再度鞘に仕舞い込んでいた白刃を引き抜いて、正面から神速の連撃を叩き込む。

 

 【剛の型・散華】。優に三桁に上る斬撃が縦横無尽に空間を埋め尽くす中―――しかしソフィーヤは、その光景に眉一つたりとも動かさない。

 右手に携えた大盾を、前に。僅かの間断もなく繰り出された、一撃一撃が必殺に成り得るそれらを残らず弾き返していく。

 

 ”盾”を扱う際の、基礎技能である。―――彼女はその”基礎”を”達人技”にまで昇華させただけ。

 ソフィーヤ・クレイドルの戦い方は昔から何一つ変わっていない。右の盾で攻撃の全てを受け止めてから、左の馬上槍(ランス)の一突きで終わらせる。”達人級”には珍しい、”後の先”を取る戦い方だ。

 

 しかしその戦法に、”達人級”らしい不条理さが無いと判断した者から、彼女の”不条理さ”に溺れていく。

 「防御優先の”達人級”」―――それがどれだけ怖ろしいものかを初見で理解できるのは、同じ階梯に立った者だけだ。或いは……彼女の伝説を知っている者だけ。

 

 

 『《鋼の聖女》に膝を付かせた事のある武人』―――それは大陸全土を見渡してみても片手の指で数えられる程にしか存在しない。

 そんな中ソフィーヤは、その偉業を成し遂げた武人の一人であった。本気の殺し合いではない、という条件こそ付いていたが。

 

 その防御は基礎の延長線上ながら、頂点に至った者の超常的な攻撃すらも凌ぐ堅牢の最たるモノ。

 その盾は神速の剣ですら容易く防ぐ。《鋼》より賜った槍の武技は、あらゆるものを貫き徹す。

 

 聖楯《エイジス》―――ソフィーヤ・クレイドルという武人が携える事によって何物も通さぬ盾となった聖遺物(アーティファクト)の一角。

 その武装と武技を以てして―――しかしそれでも彼女は死に至ったのだ。

 

 

 レイは思う。

 

 もしあの時、”自愛”を奪われた自分が、それでも自分を律し続ける強さを持っていれば。

 自分の命と引き換えにソフィーヤがイルベルトに聖楯を奪われる事もなく、煉獄に引きずり堕とされる事もなく―――イルベルトと手を組んだザナレイアに殺されることも無かった。

 

 強い女性(ひと)だった。弱い剣士など見捨ててても何も文句を言わなかったのに、それでも彼女は最期まで自分(レイ)を守って、守り切って死んだ。

 

 

 いずれは真っ当なヒトの身のままに”絶人級”に至れる可能性があった武人を目の前で散らせてしまった罪悪感……も勿論あったが、何より自分が姉と呼んで慕っていた女性(ひと)が自分の所為で死んだ事。―――それこそが、レイが抱えた慙愧の起源。

 

 もしも義姉が煉獄で自分への呪詛を吐き続けているというのなら、その全てを受け止めよう。もしも自分が没した後に煉獄に堕ち、そこで彼女に永劫殺され続ける未来が待っているのなら、それも受け入れよう。

 何故ならそれだけの事をしでかしたのだ。因果があるのならば応報が待っているのはこの世の摂理である。

 

 だが今は、今だけは。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()、例え卑劣横暴と謗られようとも―――絶対に死ぬわけには行かない。

 

 死神に魂を渡すのは、それからだ。死者の業が渦巻くこの世界に身を置き続けるのは()()早い。

 

 

 

 

「―――らァッ‼」

 

 【剛の型・塞月(とさえづき)】。一点突破の威力では《八洲天刃流》最強を誇る剣技だが、それを正面で受け止めてなお、ソフィーヤが負ったのは構えの位置が僅かに後ろに押されたというだけ。

 

 決して筋肉に塗れた躰では無かった。寧ろ細身と言っても差し支えがなかった肢体の何処にそんな力が有るのかと改めて疑問に思ってしまう。

 だがそれも当然の事だ。今は”戦乙女(ヴァルキュリア)”の一人である《剛毅》アイネスに受け継がれた《剄鎧》という武技。それを編み出した人物こそがソフィーヤであり、つまり彼女は氣の扱いには一層秀でた武人だったのだから。

 

 直後、放たれた馬上槍(ランス)の刺突を、レイは()()()()()退()()()躱した。

 間合いを詰めて戦う剣士としてはここで自ら間合いを開けるのは愚策なのだが、彼女を相手にする時に中途半端な躱し方はそれこそ愚策になる。

 

 その理由は、《鋼》譲りの攻撃の余波。重量級の武器を空間すら抉り取りかねない速さで以て刺突する際、その余波は左右に拡がっていく。

 生半可な武人が放ったものであればわざわざ躱すまでもないそれだが、ソフィーヤが生み出すそれは、”余波”という言い方こそすれど、それだけで氣で強化した人体をズタズタにする程度はしてみせる。

 

 実際、完全に躱した筈のレイの頬と肩口の皮膚が時間差で裂かれ、生暖かい血が滲む。これだけの完璧な回避をしてもなお、その攻撃を躱しきる事は出来ないのだ。

 

 

 こちらの攻撃は牽制の一撃に至るまで完全に受け潰され、逆にあちらの攻撃は回避、防御共に困難を極める。―――そうした戦いを続ければ、どれだけ強靭な精神力を持っている武人であっても、いつかは必ずどこかのタイミングで()()

 そうなれば、刈り取るのは容易い。つまるところ彼女が最も得手としている戦いは一対一。―――その長期戦だ。

 

 それをレイは良く理解している。し過ぎていると言っても過言ではない程に。

 基本的に短期戦を想定する《八洲》の剣と、ソフィーヤの戦い方は相性が悪い。生前に数多くこなした仕合の全てが受け潰されて負けたものであったのだから。

 

 その二の舞になるわけには行かない。弱いままの自分の姿を、この(ひと)に見られるわけには行かない。

 

 

 まずは一撃。それが《イージス》の表面に吸われて防御されるのは想定内。

 そして次いで放たれる刺突。槍の穂先に直撃する事だけを避け、最低限の回避で真横へと回り込む。

 だかそれだけでは、余波を躱す事はできない。だが今は、回避するつもりは最初からなかった。

 

「【静の型―――風鳴(かざなり)】ッ‼」

 

 それは剣撃ではなく、()()を生み出す剣技。

 ”達人級”にまで至った剣士が放てば弾丸ですら弾く程の強烈な剣圧を生み出す事が出来るが、それを以てしてもソフィーヤが放つ余波を防ぎ切れるかどうかは賭けのようなものであった。

 

 最適な刹那のタイミングを見極め、最も剣圧が厚くなるように調整して技を放つ。―――そこまでの配慮を一瞬で行っても尚、余波の一部は【風鳴】を貫いて再びレイの体を裂く。

 裂かれた制服の隙間から血が噴き出す度に激痛が走る。が、それがほぼ気にならない程度には、レイもこの剣戟に入り込んでいた。

 

 或いはこんな状況でも尚、嬉しかったのかもしれない。

 武人として嘗ては高嶺であった人物にこの刃を届かせることが出来るかもしれない。己の慙愧の起源を見せつけられるこの場に於いてそれは不純な想いであったのだろうが、ただそれでも、一人の武人として、”達人級”として、もう二度と会う事が叶わない筈の人と再び会えたのだから。

 

「【剛の型・八千潜(やちかづき)】」

 

 そして、肉を斬らせて骨を断つ覚悟で放った刃は大気を切り裂きながら、鎧の継ぎ目になっていた部分を的確に貫いた。

 その影響でソフィーヤの頬に自らの血が僅かに張り付き―――何故だかその瞬間、光が宿っていなかったその群青色の双眸に、一条の魂が戻ったような感覚が届く。

 

 

「―――『ディザーズ・ロザリオ』」

 

 その玲瓏とした声を聞くのもとんと久方振りであったが、それに乗せた言葉がどれだけ危険なものか。それが理解できていたからこそ、【瞬刻】を使って飛び退こうとして―――。

 

 

 

 横っ腹を、抉り貫かれたかのような衝撃が襲う。

 

 

 

 

「ガ……ッ⁉」

 

 ()()()()()()()()

 まるで蹴り飛ばされた小石のように何の抵抗もできずに吹き飛ばされ、煉獄に生え連なっていた岩に当たったことで改めて体に重力が戻る。

 

 空気が、漏れる。

 大量出血の所為で意識が朦朧としながらも右の脇腹に手を当てると、案の定、肋骨の部分までが抉り取られていた。

 

 早急に氣を操って出血を最低限に留め、零れ落ちそうになる内臓を縫い止めておく。―――こうなってしまっては、もはや先程までのように速さで掻き回しながら戦い続ける事は出来ない。

 

 幸い、ここは深層心理の奥の奥だ。こちらでこの体が死に至らなければ、現実世界の肉体に影響はない。

 ならばすべき事はただ一つ。―――死に至る前に倒せばいい。

 

「(……ま、安易にそれが出来りゃ苦労しねぇけどなぁ)」

 

 喉に溜まった不快な血を吐き出しながら、レイはシャツの裾で口元を拭い、再び刀の柄を握り締める。

 そうして僅かに震える足に渇を入れながら立ち上がり、前を見据えると……。

 

 

「――――――」

 

「……ぁ」

 

 ソフィーヤの双眸から一筋ずつ―――恐らくは彼女自身意図していないであろう涙が垂れていた。

 その様相は茫然としているように見えて、思わずレイは口を開く。

 

「姉、さ―――」

 

「『ディザーズ、ロザリオ』っ‼」

 

 対処は、一瞬だけ遅れた。

 しかしそれでも辛うじて自分の身に槍の穂先が届くまでに技が間に合ったのは、ソフィーヤの初動がその時だけ分かりやすかったからだろうか。

 

 【静の型・桜威(さくろおどし)】―――まるで彗星の落下のような威力を以て繰り出される馬上槍(ランス)の連撃を、レイは辛うじてその剣技で逸らす事に成功する。

 

 ここだ、とレイは確信する。

 今だけだ。ソフィーヤ・クレイドルという鉄壁の牙城を突き崩すタイミングは、今この時を置いて他にはない。

 

 

()()アアアアアアアアアァァァァァァッ‼

 

 吼える。己の中に残った全ての氣を燃やし尽くして、ただの一瞬に全てを賭ける。

 

 

 それこそが、八洲天刃流【静の型・修羅軍(しゅらいくさ)】。

 どれだけの時間、燃やし続けていられるかは分からない。ただ一つ分かるのは、次に振るう一刀に全てを乗せ、それで勝利を掴み取らねば……その時点でレイの敗北は決定する。

 まさに諸刃の剣だ。八洲の剣士がこの技を使う時は即ち、自らの敗北の可能性が濃厚であると悟った時に他ならない。

 

 だからこそ、それだからこそ、レイはこの場面でこの技を使用することに躊躇いはなかった。

 

 こうまでして、ここまでして―――それでも手が届くかどうか分からない領域に立っていた義姉。その強さを、骨の髄まで再認できるのだから。

 

「罷り―――通る‼」

 

 下段に長刀を構え、そして残った闘気を惜しみなく注ぎ込む。

 すると、純白の刀身が氣力を吸ってその長さが際限なく伸びる。伸びた分の刀身は鋼のそれではなく、触れただけであらゆる物を斬り裂き断つという―――ただそれだけの概念が付与された圧縮された氣力である。

 

 

 

「奥義―――【閃天・十束剣(とつかのつるぎ)】」

 

 

 ただ、横に薙ぐ。

 それだけだというのに、刀身に触れた煉獄のモノの一切が紙細工のように儚く切れ―――空間さえも真一文字に裂けていく。

 

 

 

 斬れろ、斬れろ、斬れろ斬れろ斬れろ斬れろ―――届け、届け、届け届け届け届け届け届け届け届け――――――

 

 

 

 文字通り死力を振り絞ったその表情を見て、果たしてソフィーヤが何を思ったのかは誰も知らない。

 ただそれでも、自らに迫りくる星々の輝きよりも尚美しく、そして力強い純白の刀身を見やって―――まるで愛おしいものを見るように微笑んだ。

 

 

 

「『聖技・ヘヴンズクロス』‼」

 

 

 

 だからこそ、だろうか。

 彼女も、彼女が放てる最強の技を以てそれを迎え撃った。

 

 白と金が交叉して、まるでこの世界を構成している全てが捻じ切れてしまいそうな圧力が生まれる。

 

 盾ではなく、槍で以て迎え撃つ―――それは、後の先を掲げているソフィーヤが普段取るべき行動ではなかった。

 これが他の相手であったのならば、例え”斬る”という概念そのものが付与された刃が迫ろうとも、それでも彼女は自らの聖楯で以て受け止めにかかっただろう。そして、もし今それをされていれば、レイは間違いなく負けていた。

 

 恐らくソフィーヤ自身も、それを十二分に理解していた。今のレイでは、自分の防御を貫ける奥義を二度放つのは不可能。だからこそ、この奥義を凌いでしまえば”勝つ”のは容易い、と。

 

 だが、彼女はそれをしなかった。何故か。

 

 

 

「……弟の全力も受け止められずに、何が武人ですか。何が―――姉ですか」

 

 

 その口から紡ぎだされた言葉は、極限の技の凌ぎ合いの音に完全に搔き消され―――レイの耳には届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






レイ・クレイドル 戦技詳細(原作ゲーム上における性能)

■静の型・風鳴
CP:25
硬直:20
移動:なし
範囲:円LL(自己中心)
効果:DEF+40%(3ターン)、封技(100%、5ターン)

■静の型・修羅軍
CP:50
硬直:40
移動:なし
範囲:自己
効果:STR/SPD/DEF/ADF/MOV+200%(1ターン)、「全状態異常・能力低下」無効
2ターン後に「気絶」(10ターン)※
  ※このクラフトは「気絶」が解消できるまで重ね掛け不可能。また、この「気絶」は「グラールロケット」等で防ぐ事はできない。

■Sクラフト■閃天・十束剣
CP:100~
硬直:50
移動:なし
範囲:全体
効果:即死(100%)※
  ※この「即死」は「グラールロケット」等で防ぐ事はできない。



■ソフィーヤ・クレイドル 戦技詳細(原作ゲーム上における性能)

■セント・エイジス
※この戦技(クラフト)はパッシブスキルである。
※《ブレイク》状態でない限り、被ダメージ-99%。

■ディザーズ・ロザリオ
CP:50
硬直:40
移動:あり
範囲:直線LLL(地点指定)
効果:気絶(100%)、DEF-75%

■Sクラフト■ヘヴンズクロス
CP:100~
硬直:50
移動:あり
範囲:全体
効果:-




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残照 Ⅲ





「人はいつか死ぬし、死はそれだけで悲しい。けれど、残るものは痛みだけの筈がない。死は悲しく、同時に、輝かしいまでの思い出を残していく」

      by 衛宮士郎(Fate/staynight)








 

 

 

 

 

 

 

 

 

『要は”あれ”は、天才よりも尚転じた”何か”―――《剣帝》がそうであったのと同じように、この世に生まれ落ちたその瞬間から”武”の境地に至る事を宿命付けられた、呪いに似たそれを押し付けられた存在であろうよ』

 

 アリアンロードや儂と同じようにな、と。そう師が言っていたのを、レイは鮮明に覚えていた。

 

 

 

『最近はとんと見なくなったがの。それこそ儂やアリアンロード……リアンヌがドライケルスと共に戦場を闊歩していた時世などは、そういった手合いがそこいらに珍しくもなく居おった』

 

『ノルドの戦士共がそうであったように、世は幾許かの時を境にそうした者らを生み出すのが常じゃ。―――”英雄”などと後世の者共に語り継がれる存在を欲している時に、な』

 

 与太話、などと嗤う事は決してない。

 師は他愛のない、または笑えない冗談や戯れを口にすることは良くあったが、こと”武”の世界の事に関しては偽りを口に出さない人であったからだ。

 

 250年にも及んで世を見渡してきた者の言葉だ。それだけの年月を武に費やし、遂には”絶人”の領域に至った者の言葉だ。

 そんな人物が―――ソフィーヤ・クレイドルという武人をそう評していた。

 

『アイネス、エンネア、デュバリィ、ルナフィリア……アリアンロード(あやつ)が拾った中で早々に”達人”に至れそうなのはその程度か』

 

『だがそんな騎士らの中でもあ奴は別格よ。リアンヌに似て生真面目が過ぎるのが玉に瑕じゃが、あれはともすれば何時か……儂らと同じ領域に足を踏み入れるかもしれんのぅ』

 

 ”絶人級”―――真っ当な”ヒト”である限りは決して到達し得ないと謳われる武の深奥。

 広い世界を見渡しても、その神域に至ったものは片手の指で数えられる程度だと師は言っていた。そんな魔境と称するのも尚生易しいモノに成る可能性が義姉にはあると聞き―――レイは複雑な感情が胸中で織り交ざっていたのを思い出す。

 

 自分が尊敬する義姉がそこまでの武の才を持っていたのだという誇らしさと憧憬。

 人に非ず―――そんなモノに成っては欲しくないという、義弟としての人間らしい願い。

 

 

 だがそんな願いは、とてもささやかに儚く―――壊れたのだ。

 

 

 

 

 

『なんで……レイ、なんであなたが……』

 

 ()()()()()()()()()()()―――後に続くその言葉を発する前にはっとした表情になり、取り繕おうと弁解の言葉を口にする前に、レイと同じくソフィーヤを姉のように慕っていた幼き時分のルナフィリアは泣き崩れた。

 

 他の《鉄機隊》の面々がレイを責める事は、表でも裏でも無かった。

 ソフィーヤを喪った喪失感は全員が抱いてはいたが、それでも彼女らはその全てが一流の武人である。騎士が戦いの果てに散ったのであればそれは致し方ない事であり、それも何かを守って逝くのは本望だ。

 

 レイという少年は、加害者ではなく寧ろ被害者だ。彼女ら全員がソフィーヤを殺した元凶であるイルベルト・D・グレゴール、そして直接手を下したザナレイアに対して殺意を孕んだ敵意を向ける事になりはしたが、レイを糾弾するという事はなかった。

 

 だが、当の本人にとってそれが幸せであったかどうかは定かではない。

 自分は憎まれ、蔑まれ、殺されても仕方のない事をしでかしたのだという自覚がなまじ強かったからこそ、その罪悪感が彼の心の奥底に根深く、醜悪なまでに刻み込まれてしまった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()―――間違いなく、レイという少年の強さを求めた起源はそれだ。

 

 

 そうして”達人級”にまで至り、時に何かに真正面から立ち向かい、時に逃げ、時に焦がれ、時に絆されながら。その先で今、レイが握った長刀の刃がソフィーヤに届いていた。

 

「…………」

 

 八洲天刃流奥義【閃天・十束剣(とつかのつるぎ)】。その奥義が《鉄機隊》の騎士が纏う鎧ごとソフィーヤの心臓を抉っていた。

 とはいえ、貫かれたソフィーヤに苦しむ様子は一切ない。目を伏せ、しかし安らかな表情で、膝を付いたままレイをその両腕で包み込んでいた。

 

「……ふふ、男子三日会わざれば刮目して見よとは言いますが……暫く見ない間に随分と強くなったものですね」

 

「…………」

 

「言葉遣いは、些か乱暴になってしまったようですが……ですが良き道を歩んでいるという事は、貴方のその剣を見れば、否が応にも分かりましたよ」

 

「……姉さん、ぼ……俺は……」

 

 つぅ、と、思いがけずに眼尻から滴ったそれを、ソフィーヤは人差し指で優しく拭う。

 

「こんなところで泣くのはやめなさい。……貴方は男の子なのだから」

 

「っ……何で……此処は俺の深層心理が歪められた場所で……姉さんは……”本物”じゃない筈なのに……」

 

「えぇ……ですが今、この近くにはエルギュラ様がいらっしゃいますから……()()()()()()()()()()()()たるあの方がいらっしゃることで、私の存在もこうして浮かび上がったのでしょうね」

 

 有難い事です、と。あらん限りの感謝の念を込めた言葉を漏らし、ソフィーヤは自らを貫いた白い刀身の峰をそっと撫でる。

 

「……十三工房《紅鑪(あかたたら)の館》主人、《鐵鍛王(トバルカイン)》卿が鍛えた唯一無二の白刀……良い輝きを放つようになりましたが、それでもまだ、貴方はこの刀の真価の全てを発揮できてはいませんね」

 

「はは……相変わらず厳しいな、姉さんは」

 

「当然です。私は貴方の姉なのですから……弟の力になる事であれば、言葉にするのは当然の事」

 

 その瞼がゆっくりと開かれ、レイはその美しい群青色の双眸を真正面から覗き込む。

 生きていた頃と、全く変わらない温かさがそこにはあった。

 

「どうやら貴方はまだ……他人を信じる事は出来るようになっても、()()()()()()()()は出来ていないようですね」

 

「……ごもっとも」

 

「しかしまぁ、嘗ての貴方を知っている身からすれば、それだけでも充分色良い事のように思えてしまうのは仕方ありませんね」

 

 まるでこの時だけ、嘗ての《鉄機隊》予備役であった頃であるかのように色々な事を語り掛けてくる。

 しかし、彼女はいつも以上に饒舌に語り掛けてくる。―――その理由が分からないわけがない。

 

「心のどこかでずっと孤独感を味わっていた貴方と同じ目線で、共に歩んでくれている方々……貴方の姉として一度ご挨拶に伺いたいところですけれど―――どうやら叶いそうにはありません」

 

 死者が生者に関わるのはこの世の摂理に反している。

 死者は決して蘇る事はない。生者が歩む道の前に立ち塞がってはならない。その存在が遺したモノが生者の生き方に影響を与える事はあれど、直接手を下すのは何よりの禁忌だ。

 

 そしてこの清廉を絵に描いたような女性が、その禁忌を犯し続ける事など有り得ない。

 

「……あぁ、そうでした。貴方にもう一度会えたら、言わなければならないとずっと思っていたことがありましたね」

 

「っ……」

 

 何を言われるのだろうかと、覚悟はしていた筈なのに僅かに体が震える。

 そうして”弱さ”を見せたレイに対して、ソフィーヤはしかし彼の耳元に顔を寄せて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生きていてくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頬に降りたのは、ただの親愛を示す軽いキス。

 だがレイにとってそれは、自分の中の贖罪の茨の一つを掻き消すのに充分な一言だった。

 

 とめどなく溢れ出そうになる涙を何とか堰き止める。

 弱い自分を晒すのを恐れたわけではない。ただ、この人の最期の瞳に映る自分は毅然としていなければならないという、そんなちっぽけな男としての矜持だ。

 

「今の私が、貴方に遺せるのは()()()()()()()

 

「……え?」

 

「いつか貴方が己の全てを投げ捨ててでも果たさなければならない死闘を行うときに、貴方を守ってくれるでしょう。……アリアンロード様(マスター)盟主様(グランドマスター)の思惑からは外れる事になるやもしれませんが……あの方々も、死者の戯れくらいは許して下さるでしょう」

 

「姉さん、姉さんは一体何を……」

 

()()()()()。私が知っていたのは、私自身の死期がそれほど遠くなかったという事だけですよ」

 

「…………」

 

「あぁ―――ですが……」

 

 その双眸に再び凛々しくも力強い光を宿し、馬上槍(ランス)を握る手にも力を込める。

 

「最初から最後まで……それこそ死後の今ですら《蒐集家(コレクター)》殿の掌で踊らされたままというのは流石に癪に障りますし、何より……」

 

 刀身が胸から引き抜かれ、自由になったソフィーヤは最期の最期に己の身に残った全ての氣力を得物へと注ぎ込む。

 最後の足掻き、と称するにはその姿は余りにも凄絶に過ぎた。ともすればその一瞬に限れば、彼女が敬った《鋼の聖女》にすら届きかねない程に。

 

 

 

「何よりも、私の弟を未だに嬲り続けるその所業―――万死に値しますね」

 

 

 

 その、一撃。

 

 その一撃、ただの馬上槍(ランス)の一突き―――それは、空間を抉り裂いた

 

 

 醜悪な煉獄の世界が壊れ、再び真白の世界に戻っていく。

 深層心理の中とは言え、世界を壊す一撃。それを放ったソフィーヤは、崩壊していく煉獄の世界の中で自身も消滅しかかっていた。

 

「……姉さん」

 

「はい」

 

「―――ありがとう」

 

 もう、二度と会えない。それは誰よりも理解していて、しかしだからこそ別れを惜しむことはなかった。

 ただ一言の、感謝の言葉を向けるだけ。それだけで充分だった。

 

 

「さようなら、レイ。貴方の生きるこれからの道に、幸が多くありますように」

 

 

 その言葉を遺して、ソフィーヤ・クレイドルは崩れ散った煉獄の世界の中に消えていった。

 いつか、自分が”人”としてその生を終えた時には……その時には胸を張って悔いのない生き方をしたのだと、そう伝えることが出来る生き方をしようと決意して。

 

『相も変わらず、強い姉御だったね。彼女は』

 

 右手に携えていた長刀が再び姿を変え、天津凬は開口一番にそう評した。

 

『彼女の言う通りだ。いずれ―――必ず《冥氷》を”殺す”のだったら、”僕”の性能を完全に引き出さなければならない。……”浄化”と”不毀”程度で斃せるほど生易しくはないよ、あの御仁は』

 

「分かってるさ」

 

『ならいいや』

 

 コツ、と靴底が世界を踏むたびに、意識が表層に浮上していくのが分かる。

 随分と長く”潜らされていた”ように感じる。またもやあの外道にいいように踊らされていたと考えると腸が煮えたぎるような感覚が再燃してくるが、せめてこの世界から抜け出すまでは、義姉の最期の言葉に浸っていたいと思う。

 

「幸せな人生、か」

 

 その言葉が自然と口から洩れ、思わず口角が上がる。

 以前の自分であったならば、その言葉を素直に受け止める事は出来なかっただろう。自分が救えなかった命、奪った命、自分が押し付けた不幸の分、幸せに生きてはならないのだと、半ば本気でそう思っていたのだから。

 

 だが今は、少し違う。

 自分のしたかった事の清算が全て終わった暁には、それこそ”幸”というのを目指すのも良いな、と。

 

「でも、まだもう少し……頑張らなくちゃいけないんだ」

 

 この身にはまだ、”為すべき事”が残っている。それを果たせない内は、それこそ本当の意味で()()()()()()()()()()

 自分自身が完全に”ヒト”に立ち戻るまでは―――まだ。

 

「なぁ天津凬(あいぼう)。シオンと共に、まだ宜しく頼むよ」

 

『承知している。元より僕も彼女(シオン)も君の生涯に付き添うものだ。……人の道のその最期に、君が”答え”を見つけられるまで』

 

 その言葉を最後に視界が白く染まっていく。

 

 

 

 

 

 ―――再び目を開けた時、最初に感じたのは何故だか久しぶりのように思えた坑道の空気だった。

 

 地面に突き立てた長刀に身を委ねて片膝を立てるだけに留めて倒れなかったのは、せめてものイルベルトに対しての意地ではあったが、立ち上がった瞬間に足に僅かな違和感を感じた時、いっそ倒れておいた方が良かったかと苦笑した。

 

 邪悪な気配は、既にない。

 元よりレイへの嫌がらせと、足止めが混在していたのだろう。見事にその両方の思惑で弄ばれた身としては”肉体”が無事であったことは素直に喜べない。

 

「”沈んで”たのは……一時間くらいか」

 

 腕時計で現在時刻を確認すると、今度こそリィン達への援護に回ろうと、靴の爪先を地面に当てて履き直す。

 しかし、とそこで思い至る。

 果たして―――シャロンは無事なのか、と。

 

「(……いや、アイツは強い。そう簡単に遅れは取らないし、引き際は弁えている筈だ)」

 

 それは、心の底から彼女を信じているからこそ出てくる思いであった。

 しかし、レイは此処で再び思い知らされることになる。―――己が信じる人の姿と、当事者の想いは少なからず乖離しているという事を。

 

 

 

 ―――シン、と。

 

 空気が一瞬で静まり返った。まるで世界そのものが、この一瞬だけは静寂であるべきだと告げているように。

 視線が、自然と動く。そこに居たのは、明らかに顔から生気が抜け落ちているシャロンを抱えた―――宿敵。

 

「ザナ、レイ―――」

 

 その名を口に出そうとした直前、レイは確かに違和感を感じ取った。

 或いはその違和感は、死した義姉と再会を果たし、真意の言葉を掛けて貰っていなければ気付かなかったかもしれない。

 最愛の姉を直接殺したのは、間違いなく彼女なのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()などという、支離滅裂にもほどがある暴論を振りかざして。

 

 殺さなければならない女。―――レイ・クレイドルが殺さなければならない存在。

 しかし今、自身の右手が握った長刀の柄には、過剰な力は入っていなかった。

 

「違う。お前―――”フラウフェーン”か」

 

「……えぇ。お久し振りです」

 

 いつもは凶悪に吊り上がっているその双眸が、穏やかに、しかし哀しげに下がっている。

 その身体に宿っている、”達人級”の武人としての覇気はそのままに、胸に埋まった《虚神の死界(ニヴルヘイム)》による邪悪な気配だけが抜け落ちている。

 

 それもその筈。今の彼女は、《虚神の死界(ニヴルヘイム)》に魅入られ人生を狂わされる前の彼女。

 

 

 ()()耀()()()()()()()()()() ()()()()()()()()()()―――《氷爛聖妃》ザナレイア・フラウフェーン。

 今の《紅耀石(カーネリア)》ではなく、前総長の時分に最強の末席に座していた一人。……何よりも正者と空の女神(エイドス)を慕い、崇めた聖人こそが彼女の(まこと)であるのだと、そうアリアンロードが言っていたのを今でも覚えている。

 

 そして、やはりこうも言っていた。

 彼女もまた、神の捧げた運命に翻弄され、狂わされた存在の一つなのだ、と。

 

 

「っ―――‼」

 

 だがそれよりも、今のレイにとっては彼女の小脇の中で瀕死になっているシャロンの方が大事だ。

 そしてそれをザナレイア(フラウフェーン)も分かっていたのか、闘気すら欠片も出していない状態でゆっくりと近づくと、シャロンの体をそっとレイの近くに横たえた。

 

「シャロン‼ おい、生きているか⁉」

 

「――――――――――――ぁ、レ、イ……さ……」

 

「あまり、体を動かさない方が宜しいでしょう。毒が回ってしまう」

 

「毒、だと? 何の毒だ⁉」

 

 母が薬の調合師であった事、そして呪術師の血を受け継いだ体質上、レイは薬物や毒物の類には特に詳しい。

 何の毒が入り込んだのかが分かれば早急に対処のしようもある。そう考えた末の問いではあったが、ザナレイア(フラウフェーン)は僅かに躊躇った後に小さく首を横に振った。

 

 

「人世の薬で、どうにかなる代物ではありません。この方の躰を蝕んでいるのは、以前”(ザナレイア)”が貴方を殺しかけてしまったそれと、同じものなのですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 まず初めに感じたのは、痺れだった。

 

 それが数秒で全身に回り、手足の自由が利かなくなってナイフを落とし、鋼糸は弛む。

 そして次に、内臓と血管を滅茶苦茶に掻き回されるような激痛と不快感が現れ、小さく嫋やかなその口から、多量の紅鮮が零れ落ちる。

 

 

「カ――――――」

 

 声さえも碌に出せない。数秒で既に肺にまで回ったのか、満足に空気を取り込むことも、吐き出すこともままならない。

 視界が震え、酷く靄がかかる。心臓の動きが極端に遅くなっているのを自分自身でも理解でき、膝はいつの間にか堅い地面の上にあった。

 

 原因は分かっている。既に何度目かも分からない閃撃の応酬の果てに、シャロンの肩口を僅かに擦過した棒苦無(ぼうくない)に何らかの毒が付与されていたのだろう。

 暗殺者、暗器使いともなれば得物に毒を染み込ませて掠り傷を致命傷とするのは珍しい事ではない。だがこれは、シャロンが知識として知っているどんな毒よりも規格外のモノだった。

 

 

「……やはり、弱くなってしまいましたね。貴女は」

 

 今にも意識を手放してしまいそうなシャロンの近くに来ながら、クリウスは吐き捨てるようにそう言った。

 

「《執行者》随一の暗殺者であった頃より―――いいえ、《月光木馬團》の《死線》であった時の貴女であれば、棒苦無の一本であっても決して通しはしなかったでしょう。……クルーガーの翁に絆され、《天剣》殿に入れ込むようになってから、その技は確実に()()()

 

「…………」

 

「時の流れとは斯くも残酷なものですか……もはや”暗殺者”として生きなくなった貴女に()()()()()()()、僕の方が愚かだったという事でしょう」

 

 何の躊躇も感慨もなく、クリウスは短刀の切っ先をシャロンの首にあてがうと、そのまま骨ごと貫くために振り下ろした。

 

 ―――その切っ先が貫いたのが陶磁器のように白い肌ではなく、血に塗れた地面であったことに、ほんの僅か驚きながら。

 

 

「……貴女は」

 

 無論、ザナレイアがレイに使ったそれよりも何十倍も薄めたモノであったとはいえ、《外の理》によって精製された毒に侵された者がクリウスの刃から逃れられるわけがない。

 クリウスは短刀を地面から引き抜きながら、彼の知覚外から恐るべき速さでシャロンを救い、抱えて圏外まで退避したその人物に目を向ける。

 

「何故、と問うのも時間の無駄ですか。《天剣》殿に執着する全ての異性に殺気を振り撒く貴女が彼女を助ける理由など―――一つしかない」

 

「…………」

 

「貴女がその身に《虚神の死界(ニヴルヘイム)》を宿してから既に長い永い月日が経つのでしょうに、未だに”そちら”の人格が生きているのは……少々意外でした」

 

「……まだ、全てを忘れるわけには行きませんから。私が手に掛けた全ての悪行、それを余すところなく抱えて煉獄の底に堕ちるためには、まだ」

 

「……怖い(ヒト)だ。これだから聖人は厄介で―――鬱陶しい」

 

 表情には出さずとも、心底恨めしそうな声色でそう言いながら、しかしクリウスはザナレイア(フラウフェーン)と刃を交わす事はなく、坑道の闇に紛れるようにして姿を消した。

 それを見届けてから、ザナレイア(フラウフェーン)は自身の頬に垂れる苦痛の冷や汗を無視してシャロンの安否を確認する。

 

「……良かった。まだ、生きていますね」

 

「ぁ…………ザナレイ、ア……様……?」

 

「口を開かない方が良いです。貴女の命は今、比喩でも誇張でもなく風前の灯火。……私は貴女を、生きたまま彼の下に連れて行かねばならないのですから」

 

「…………ぁぁ……フラ、ウ、フェー……ン様、でした、か……」

 

 申し訳ありません、と。絞り出すようにそう言ってから、シャロンの意識は途絶えた。

 その様子を見て、ザナレイア(フラウフェーン)は一層哀しそうな顔をした。

 

「感謝など……そんなものは……そんな言葉を掛けていただく程、私は良い者ではないというのに」

 

 己の躰の支配権が徐々にまた《虚神の死界(ニヴルヘイム)》に戻りつつあるのを自覚したまま、ザナレイア(フラウフェーン)はシャロンを小脇に抱えたまま跳んだ。

 

 今自分ができる贖罪はこの程度だと、隠し切れない罪悪感が、彼女の心臓を容赦なく締め上げ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

「……今の状態の彼女を助ける方法が、一つだけ」

 

 ザナレイア(フラウフェーン)が漏らすように言ったその言葉に、レイは目を細めた。

 彼女の言う、たった一つの方法をレイは知っている。……それは今となっては、恐らくレイくらいにしか施せない荒療治だ。

 

 失敗すれば死が待っており、成功したところで―――施した相手に一生残る楔を打ち込むことになる。

 

 

「俺は……シャロンを死なせたくない。でも……」

 

「…………」

 

「やろうとしてる事は陛下が太古の昔に”眷属”を増やしていたそれと同じだ。《真祖の吸血鬼(エルダーヴァンパイア)》と同じようにシャロンを苦しめ続けるのも、受け入れられない」

 

「……私が言えた義理ではないのは分かっておりますが」

 

 ザナレイア(フラウフェーン)はおずおずといった仕草で口を開け、目を歪めたままに言う。

 

「生きていて欲しいと願っているのでしたら、それに勝る想いなどありましょうか」

 

 自分(フラウフェーン)ではない自分(ザナレイア)の所業であるとはいえ、レイ・クレイドルという少年の大切な存在を奪い続けておいて何を今更と、自分で自分を罵倒する。

 しかしそれでも、嘗ては生ある事の素晴らしさを説い続けた身。七耀教会の一人であるフラウフェーン卿として過ごした感覚が、罪悪感をすり抜けてその言葉を押し出させた。

 

「……そうだな」

 

 レイ自身、他ならないザナレイア(宿敵)に言われて行動するのは腑に落ちないことが分かっていても、今の彼女は嘗ての自分と同じく、望まざる内に神の描いたクソッタレな運命に巻き込まれた被害者だ。

 その言葉に素直に頷けなければ、また大切な人を喪う事になる。

 

「罵倒とかそういうのがあれば、後でいくらでも承ってやる。だから、シャロン―――死ぬな」

 

 必死の形相になりながら、レイは自らの手を長刀の刃で薄く傷つけて血を生み出す。そしてその血を、僅かに開いたままになっていたシャロンの唇の隙間に落としていく。

 ポタ、ポタと、数滴を喉の奥に流し込んだ後、血の気がすっかり引いてしまった頬を血の付いた両手で包み込んで幾つかの呪言を唱える。

 

 

 

 

 

 【善き者よ、美しき者よ  生と血肉の轡を並べて委ね給え】

 

 

 【其は禍い者なれど、夜に非ず  其は清き者なれど、陽に非ず】

 

 

 【其方が惑う者に焦がれるならば  其方にこの血を授け給う】

 

 

 【参れ、参れ、参れ  此の身に帯びた宿業の一切、共に在らんと捧ぐが故に】―――

 

 

 

 

 

 それは呪術師―――天城(あまぎ)の一族が生まれた子に齎す呪い。

 その命が尽き果てるまで宿業に縛り付けられることを運命づけられた呪い。この呪言の完成を以てして、血と呪力を分け与えられた存在は、()()()()

 

 もう二度と、魔法を扱えぬ躰に。もう二度と、毒に苛まれることのない躰に。

 

 この毒に一度苛まれ、抵抗を付けたレイの血が作り変えたシャロンの躰ならば、致命傷は免れる。外的要因がなければ、もう死ぬことはないだろう。

 ただしそれと引き換えに、彼女が失ったものも少なからず、在る。

 

 そうまでして彼女に生きていて欲しいと願ったのは、ただの自己満足、欺瞞だったのだろうか。

 その問いの反芻は、意識を失っていたシャロンの瞼が僅かに動くまで続けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうも。閃Ⅲをプレイし始めてから今まで音沙汰がなかった十三です。まことに申し訳ありませんでした。

 先日友人に『英雄伝説 天の軌跡』の難易度を言葉にするならどんなのがいいかと訊いたところ、
「『NIGHTMARE(悪夢)』よりもっと酷いんだから、『INFIERNO(地獄)』で良いんじゃね?」
と言われたので、もうそれで行きます。難易度インフェルノ、さぁ、かっ飛ばしていきますよォ‼

 ……割と辛い。閃ⅢのED見るのマジで辛い。制作の方々もよってたかってリィンを虐め過ぎじゃないっすかねぇ?(現在進行形で試練与えてる奴の言)
 
 次回、リィン達がヤベェ。ご期待ください。


PS:
剣豪七番勝負プレイしてたら色々と戦闘描写的な意味でイメージが浮かんで来てヤバかった件。やっぱ王道ストーリーって良いよねぇ。
え?パクリ? 今更型月ファンがパクリ程度で動じると思っているのか。カニファン見ろカニファン。







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血狂イの洗礼






『でも、死に怯えて生きていくなんて空しいと思わない?どうせみんないつか死ぬのに今だけみないふりしたところで意味なんかあるのかしら?それとも自分は死なないから関係ないとでも思ってるのかしらね?あなたはどっち?』

              by ホワイト(血界戦線)








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――結果的に言えば、ザクセン鉄鉱山の奥地に”それ”はあった。

 

 導力式の遠隔自動操作の起爆装置。単純な話で、それを解除すればルーレ市中に仕掛けられた高性能爆弾は機能を停止する。

 高性能である割に、解除そのものはそれ程難解なものではない。構造そのものを大凡で理解しているアリサが居れば、数分とかからずに成し遂げる事は出来るだろう。

 

 だが―――問題はそれ以前にあった。”それ以前”が、あまりにも遠い。

 

 

 

 

 

 

「ぐ……ハッ‼」

 

 腹部を殴打されたリィンが、土壁に叩きつけられて吐血する。

 内臓に強いダメージを負ったことで一度は意識を持って行かれそうになったが、寸前で氣力を練り直し、壁に足を掛けると再び突貫した。

 

「四の型―――『紅葉切り』ッ‼」

 

 抜刀と同時に幾線も刻む斬線。レイの【散華】程ではないが、対象が一体程であれば、ただそれだけで無効化するのに足りる。

 だが、今回の相手はそれでは()()()()()()()()()()

 

 

「■■■■■■■―――ッ‼」

 

 筋肉という鎧に包まれ、鍛え抜かれた巨躯が攻撃を押し止める。鋼で構成されているわけでもない以上、多少の傷は負うが、それを全く意に介していないように”それ”は相も変わらず荒れ狂う。

 

「っ―――堅い」

 

「なん、っなのよ‼ 本当にヒトなんでしょうねアレ‼」

 

「で、でもあれって、《帝国解放戦線》の……」

 

 エリオットがそれを言い切る前に、”それ”が右手に構えた巨大なガトリング砲が火を噴く。

 掠っただけでも肉が吹き飛びそうな重口径の弾丸が毎分数百発の単位で弾き出されるが、それは咄嗟にアリサが展開した『アダマスシールド』によって防ぎ切る。

 

 本来であれば、分隊支援レベルの重火器だ。例えダメージがなくとも、弾幕を張り続けるだけで近づけさせないように牽制することは容易。更に―――。

 

「ア”ア”あ”あ”■■■■■ッ”‼」

 

「う―――クッ‼ な、何よこの馬鹿力‼」

 

 闘気すら織り交ぜていない、素の状態での巨拳の一撃が、絶対的な物理防御アーツである『アダマスシールド』を震わす。

 厳密に言えばこのアーツは、適性が高い術者が扱ってようやっと「絶対的な盾」へと変貌するため、”火”と”空”を起源属性とするアリサでは満足に扱いきる事は出来ないのだが、それでも今までの教練の中で大抵の攻撃(レイやシオンの攻撃は除く)は防ぐことは出来るようにはなっていた。

 だからこそ、ただの拳撃が盾を”震わせた”事に対して多少の信じられなさを含みながら、しかしそれでも思考は停止させない。

 

 

「フィー‼ これって―――」

 

「っ、いや、違う。これはさっきの《死神部隊(コープスコーズ)》とは違う」

 

 ”それ”は確かに、エリオットの指摘した通り《帝国解放戦線》で《V》というコードネームを持つ男……()()()()

 帝都の地下墓所で見た時と、身体そのものは変化していない。だが、その双眸はこれ以上無いほどに充血し切っており、開いた口から出てくるのは凡そヒトが発すべきモノではない凶悪な咆哮と呻き声。

 そして、常人のそれとは思えない程に規格外の身体能力。

 

「ぶっちゃけ身体能力強化に長けた”達人級”ならこれくらいは十分可能だけど……でも”これ”は違う」

 

 極限の修練と才覚の果てに至った超人のそれではない。大陸最強クラスの猟兵団の一員として化け物じみた人間を幾度も見てきたフィーは、早々にそれを看破していた。

 

「あれは……無理矢理()()()()()()()()って感じかな。正直、長く動いてはいられないと思う」

 

 曰く、人間は元々脳の制御機能の所為で本来の2割程度の力しか発揮できないという。

 リィン達は知らない事だが、イルベルトの謀略によって”理性”を沈められ、”狂気”が押し上げられた今のヴァルカンは、その脳の制御機能(リミッター)が全く機能していない状態にあった。

 

 即ち、狂戦士(バーサーカー)。《死神部隊(コープスコーズ)》と同じく”死”の概念そのものが考慮になく、肉体の限界すらも知らずにただ暴れ、壊し、そして自身もその代償に壊れていく、獣より悪辣な”ナニか”でしかない。

 

 ―――例外として、”達人級”の武人たちの中には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事を珍しくもなくやってのける者達が存在しているのだが。

 

 

「……あっちが壊れるのが先か、俺たちが潰されるのが先か、か」

 

「どうする? 防戦に徹すれば前者の方法で勝てるけど?」

 

「……いや」

 

 例えそれで勝てるのだとしても、どれ程の時間を持ちこたえればあちらが限界を迎えるのかは分からない。起爆装置の解除作業にアリサがどれだけ梃子摺るかが明確には分かっていない以上、徒に時間を掛け過ぎるのは悪手である。

 

「攻勢のまま目標を制圧する。各自、リンクを維持したまま叩き込むぞ‼」

 

『『了解‼』』

 

 半端な小細工を真正面から食い破ってくる相手―――教練を除けば今までに相手にした事が無い敵ではあるが、自分以外に前衛組がこの場に居ない事にリィンは僅かに歯噛みする。

 自身の剣技も、フィーの撹乱も、アリサの翻弄と攻撃アーツも、エリオットによる補助も、果たしてそれが効いているのか分からない不安と焦燥感。

 時間制限がある中での戦いは珍しくはない。だがそんな中で、「勝てるかどうかも分からない相手」と戦うというのは、否が応でも精神力を削られていく。ましてや、自分が指揮権を持っていて、ルーレという大都市の命運を握っているのだとすれば、猶更だ。

 

「(でも……レイとシャロンさんは、これよりも遥かに厳しい戦いをしているんだ……‼)」

 

 であるならば、自分たちが此処でおめおめと退く訳には行かない。

 

 

 

「―――フッ‼」

 

 『業炎撃』。焔を纏わせた太刀の一閃が動き始めたヴァルカンの足を止める。

 その隙に襲ったフィーの銃撃とアリサの矢は、大半が弾かれ、肉体に届いた分もお世辞にも効いているとは言い難い。

 

 幸いにも此処は閉所ではないが、爆弾の起爆装置がある以上、起源属性を”火”とするリィンとアリサの必殺戦技(Sクラフト)は使えない。

 一度でも捕えられれば即死も有り得る以上、素の防御力が脆弱なフィーが肉薄する必殺戦技(Sクラフト)も使用が限られる。―――力づくでの突破は難しい。

 

「…………」

 

 一瞬だけ、B班としてオルディスに向かったラウラ、ガイウス、ミリアムの前衛組三人の顔を思い浮かべる。

 

 例えばラウラが居てくれれば、《アルゼイド流》という攻勢に長けた使い手と合わせて突き崩す策は考えられただろう。

 例えばガイウスが居てくれれば、彼が猛攻を凌いでくれている間に後方支援も併せて突破の方法は幾らでもあったはず。

 例えばミリアムが居てくれれば、その堅牢な防御力と併せて倒しきる算段を見つけられただろう。

 

 しかし、それは意味のない考えだ。現実としてこの場に彼らが居ない以上、仕方がない。

 何より、今こうして死線を共にしている仲間たちに失礼だ。

 

 

「『クロノバースト』―――『セイントフォース』‼」

 

 『二重詠唱(デュアルスキル)』による支援魔法(デバフ)の重ね掛け。それを合図としてリィンは再び地を蹴った。

 放たれるガトリング砲の弾幕を、大きく迂回することで回避しながら接近する。レイクラスの武人になればこの弾幕の雨の中を得物一つ、身一つで真正面から駆け抜けられるのだろうが、生憎と彼はまだ亜音速で迫る弾丸を斬り落とすなどと言った芸当は出来ない。

 

 一気に距離を詰めるのは再装填(リロード)の瞬間。何度も見てタイミングだけは掴んでいた為、弾が切れた一瞬の隙を縫って迫る。

 闘気を一息で練り上げ、それを太刀の上に高密度で乗せる。鋭く―――ただ鋭く。限界まで刀という得物の真価を発揮させる形へと。

 

 

 ―――肉を貫く音がした。

 

 太刀の刃はヴァルカンの肩口を貫き、そのまま縦に斬り伏せる。

 肉体の限界を凌駕しているせいか、巨躯に似合わず動きは速い。入学直後の、それこそ未熟極まる自分であったら対処すらできなかっただろうと鑑みながら―――しかし。

 

 ()()()()()、と思ってしまう。

 自分たちを鍛え上げてくれている二人に比べれば、まだまだ遅い。

 

「(これで―――)」

 

 漸く掴んだチャンスを逃すまいと、リィンは一瞬だけ動きの止まったヴァルカンの太い首に、太刀の刃を這わせた。

 渾身の力を以て振り抜けば、()()()事は可能だろう。そう考え、柄を握る力を強め―――

 

 

 

 

 

「(―――待て)」

 

 

 ―――そこで、止まった。

 

 

「(待て、俺は……俺は()()()()()()()()())」

 

 

 自分たちの前に立ちはだかっているから、自分たちが死に物狂いで戦っているからという、それだけの理由で―――目の前の存在を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは先程、人生で初めて人の命を奪った以前であれば絶対に思い浮かばなかったことだ。少なくとも、まだこちらに逆転の眼が残されている今の内は。

 死を己の手で与えるか否かの境界線。それを乗り越えた事による、死を与える恐怖感、罪悪感の稀釈―――先程の今でそんなものは抱かないものだと思っていたにも拘らず、それをしようとした。

 

 ―――武術を修めるにあたって、真に他者を傷つけないなど有り得ない。

 それこそ”達人級”と呼ばれる者達は、修めた武技を以てして少なからずの人を殺めてきた者達ばかりであろう。世界はそんなに甘くはなく、ならば武術の世界はそれ以上に甘くない筈だ。

 

 だが、甘くはなくとも情はあるはずだ。正しい者であろうとするならば、殺人以上に踏み越えてはならない境界線があるはずだ。

 それを侵そうとしたリィンはその思考の反芻の為に刹那の時間動きが止まり、そしてその刹那が致命となる。

 

 

「―――――――――」

 

 言葉すら出す事が叶わなかった。

 先程喰らった一撃は間一髪のところで体を捻って辛うじて直撃は避けたが、今度は躱す暇もなく、横腹を裏拳で殴打された。

 

 ミシリと骨が軋み、粉砕される感覚。肉が引き裂かれる感覚。内臓がひしゃげる感覚。―――それらの感覚を一気に処理することを脳が拒否したのか、直後に感じたのは瞬間的な激痛だった。

 

『『『リィン‼』』』

 

 為す術なく吹き飛ばされる彼の姿を見て、他の三人の視線がほんの数瞬だけそちらの方に向いた。

 その視線の移動が致命的だと察し、フィーがヴァルカンの方へと視線を戻した時は既に遅し。

 彼女が双銃剣の引き金に指を掛けるより早く、振り回された鋼鉄の塊であるガトリング砲の砲身がフィーの矮躯を吹き飛ばす。

 

「っ―――‼」

 

 事態を打開すべく広範囲高位回復アーツ『ホーリーブレス』の()()()()()()の詠唱に入るエリオット。

 その判断は一切間違っていなかった。回復補助役の彼の役割は、決してこの場で当たるかどうかも分からない攻撃アーツを相手に叩き込む事ではない。

 徹頭徹尾補佐に専念し、絶望の状況を覆す光明を生み出す事。今や回復アーツの使い手としては、ひとかどのものである。

 

 だがそれでも、詠唱に掛ける時間は存在する。

 同一アーツの三連重ね掛け―――属性の違うアーツのそれよりも演算処理自体は軽くなるが、その分同時並行処理技術が求められる。それが三つ分ともなれば今のエリオットの技術で掛かる時間は20秒から40秒と言ったところ。

 並の術者がそれを成そうとすれば最低でも三分はかかると言えば、彼の今までの努力の程が伺えるだろう。エマのそれは生来の気質がそうさせているところが多いが、エリオット・クレイグという少年がここまでアーツ技術に才覚を現したのは、本人の性格に起因する。

 

 優しいからこそ、誰かを癒す術に長けるのだ。

 音楽をこよなく愛する彼だからこそ、誰かを救う事を一切躊躇わない。仲間を助けるためであれば尚の事。

 自分が齎す癒しが遍く全てに届けば良いと、心の底からそう思っているから。

 

 しかし、だからこそ彼は誰かに守られることが大前提だ。

 誰かを守る対価として、絶対的な回復補助役として在るために、彼は守られていなくてはならない。それが、死線の中に於いて何よりも重要な事。

 

 故に彼は、この状態で自分自身に戦う力が皆無であることに罪悪感を感じ、そして何より―――アリサ・ラインフォルトという少女に守られていなければならない自身を責めた。

 

「ごめん……っ、アリサっ‼」

 

「何言ってるのよエリオット。今の私の役割は、詠唱が終わるまで貴方を守り切る事。どっちも自分のやる事をやってるだけなんだから」

 

「でも……‼」

 

「此処で貴方に倒れられたら、私たちは勝てないんだから」

 

 目の前に、拳を振り上げた巨躯が迫る。

 あの巨大な拳が振り下ろされるまでに再び『アダマスシールド』を張り直すのは不可能だろう。既に魔力供給が終わって消滅しかかっている前のそれでは、止められて2秒が関の山。

 歯噛みをするアリサの遠方で、絶え間なく続く激痛の中で、それでも意地で目を見開いている青年が居た。

 

 

 

「(……やめろ)」

 

 その言葉すら出てこない。肺から漏れ出た空気だけが、空しく宙を舞い続けるのみ。

 

「(やめろ)」

 

 ただそれでも、力が入る。体の中を搔き乱され、内臓が口から溢れてしまいそうな感覚に陥っていても、なお。

 

 

「(その子(アリサ)に手を出すな―――ッ‼)」

 

 世界は甘くはない。―――だが、それでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――ほう、貴様。やはり”鬼”の仔であったか』

 

 

 ―――奇跡に近い、()()()()はある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 気が付いた時、()()()()()()()()()

 

 

 それだけではなく、深紅に染まっている。

 まるで先程までの出来事そのものを世界ごと切り取って、標本の培養液に漬けているかのよう。

 

 流石に理解が及ばなくてあらゆる場所に視線を向けてみると、その先に、自分と同じように動くことが出来る存在が一つ。

 

 

 

『呆けた眼をするな、小童。この程度は児戯である。《緋》の小娘に出来て余に叶わぬ道理もなし』

 

 そこに立っていたのは、”ヒト”ではなかった。

 否、一目見た限り体の構造そのものはヒトのそれだ。だがリィンは、それでも”彼女”をヒトではないと認識した。

 

 有体に言って、美しすぎた。

 身体の至る所にどこかで見たような呪符が張られ、一見首から上しかマトモに動かせないように見える。そんな超一級の犯罪者のような拘束をされていながら、それでもその身から漏れだすオーラは条理の外であった。

 

 

『”王”を前に伏するのは礼儀だが、這いつくばるのは無礼であるぞ。―――疾く、立て』

 

 その”声”は、リィンを激痛から解放した。

 それだけでなく、まるで先程までの死闘がなかったかのように体の傷の全てが癒えている。

 そのままゆっくりと立ち上がると、一層その異様さを、否が応にも双眸に焼き付ける事になる。

 

「あな、たは……一体……それにこれは……」

 

『フッ、王に名を問う無礼は赦してやろう。だが小童、貴様の名を先に告げよ』

 

「……リィン。リィン・シュバルツァー、です」

 

 王者の威風―――例えるならそれが最適解だろう。

 余りにも横柄な言葉であるというのに、それに腹を立てる気は一切ない。否、そもそも怒りを覚える事すらできない。

 

 それが”当然”であり、”摂理”であるのだと、言外にそう伝えられているように。気を抜けば傅いてしまいそうな程に絶対的な存在。

 それに呆けていると、不意にその女性はリィンの近くに体を近づけ、スンと一度鼻を嗅がせた。

 

『ふむ……”鬼”はともあれ《大地》よりかは《焔》の系譜か。しかし《灰》と……僅かに《黒》の残滓も残っているとは―――面妖だな』

 

 その意味は理解できなかったが、自分の存在そのものの言葉であることは分かった。

 意味を問おうと口を開く前に、再び女性が口を開いた。

 

『よもや神秘の薄れたこの時代にこれ程の数奇な人間が存在するとは……これだから人類は面白い』

 

「…………」

 

『クク、良いモノを見せてもらった礼だ。余の名をその頭脳に刻み付けよ』

 

 長い金の髪を靡かせて、女性は妖しく―――しかしこれ以上なく美しく笑う。

 まるでこの世に起こる事全てが、面白可笑しくて仕方がないと言わんばかりに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『余の名はエルギュラ・デ・デルフェゴルド・ルル・ブラグザバス―――嘗ての神代は煉獄の支配者であった三柱の一角よ』

 

 

『我が愛し仔の(ともがら)よ、貴様の在り様と意思、余が余さず見届けよう。貴様に抗う力を与えてやる』

 

 

『全てを救おうなどと傲慢を口にするならば、その蛮勇を余に見せてみよ。寵愛を授けるに値するのだと、その矮小な生き様を以て示すがよい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 どうも。閃の軌跡Ⅲ二週目をやる前にまず「ウルトラサン・ムーン」やらなきゃならない十三です。二週目はちゃんとVMのカード集めもやらなきゃならんなぁ。

 今回ちと短かったのは、区切りが何となくよかったのと、今日投稿しないと投稿日が三日ズレるからです。まぁ別に僕の小説なんぞ三、四日ズレたところでどーにもなりゃしませんが。

 次回、陛下が要らん事をやらかします。あの人(?)基本的に引っ掻き回すの好きだからね。仕方ないね。



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真祖の美学





「真面目に生きていない奴のことを、オレは絶対認めねぇ」

      by 天魔・宿儺(神咒神威神楽)








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――最初に感じ取れたのは、”覇気”であった。

 

 

 普段の彼であれば、絶対に噴き出させることのない超常の雰囲気を纏った”それ”。

 ”それ”を全身に纏わせたまま、リィン・シュバルツァーという存在は()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「■■■■■■―――⁉」

 

 体格差は優に二倍近くはあるであろう巨漢を殴り飛ばすなどという事は、今のリィンの技量では叶わない。

 だがそれでも現実的に岩壁に激突したヴァルカンの姿がある。そしてアリサの目の前には―――髪の色が銀に流され、双眸が深紅に染まったリィンの姿がある。

 

 

「―――アリサ」

 

 それは、絞り出したような声だった。まるで人に声を掛けるという、ただそれだけの理性すらも吹き飛びかねないような衝動を必死に抑え込んでいるかのような声で。

 

「下がっていてくれ」

 

 そんな有様で、彼は一言、アリサの身を案じる声を残した。

 しかしその声の余韻は、リィンが太刀を抜刀する音で掻き消される。

 

 同時に、エリオットの詠唱が終了し、広域に回復魔法が展開される。

 鉄の塊の直撃を受けて動けなくなっていたフィーが立ち上がり、リィンに加勢しようと双銃剣の引き金に再び手を掛けたが、彼女はその本能的な直感力で引き金を引くことを躊躇った。

 

 「加勢してはならない」―――その感覚を味わうのは初めてではない。

 《西風》に属していた頃は度々感じていたそれだ。世の中には、第三者が介入してはならない戦いというものが確かに存在する。

 卑怯卑劣、そういった感情からくるものではなく、他者が踏み込んだ瞬間に練り上げられた状況、勝利の在り方が一変してしまう禁域。

 

 だからこそ、フィーは臨戦態勢を継続するだけに務めた。

 もしもの時は仕留められるように。そして()()()()()()()()

 

「(……ま、アリサの方はそんな簡単に割り切れないだろうけど)」

 

 リィンのあの変貌は、以前レイの口から聞いていた。

 彼の内に眠る何かが活性化した状態。―――封印術に長けたレイが秘術クラスの封印を施したという事で一応は安心していたのだが、再びこうして”現れた”という事は、何かがあったのだろう。

 

 ―――そこでふと、フィーの鍛えられた動体視力がリィンの首元に何か付いている事を捉えた。

 

「(? なんだろ、アレ。刺突痕とかじゃない。……まさか)」

 

 ()()()? ―――何となくそう察した直後、リィンが動いた。

 

 

「■■■■■■■――――ァッ‼」

 

()ッ―――()アアァッ‼」

 

 相も変わらずヴァルカンの方は巨躯からは想像もつかない程の敏捷性を以て迫ってくる。だがリィンの方の速さは、その数段上を行っていた。

 一度の瞬きの間に、複数の斬線が交差する。氣と魔力を練り上げたものを足裏に溜めて放出し、レイのそれには到底及ばないものの、【瞬刻】の真似事にしては上出来とも言えるそれでまずは厄介な武装を微塵に砕く。

 

 《八葉一刀流》弐の型―――『裏疾風』。

 この武技を得手とする《風の剣聖》アリオス・マクレインであれば、その一斬で勝負はついていただろう。

 

 だがリィンはその攻撃でヴァルカンが携えていたガトリング砲を最優先で破壊した。

 つまりは、厄介な得物を先に始末するだけの理性が、まだ残っているという事だった。

 

「(っ……落ち着け。落ち着け、俺。吞まれるな、呑まれるな……っ)」

 

 実際のところ、リィンの意識は綱渡りも同然の危うさで辛うじて残っている状態であった。

 一瞬でも気を抜けば、正気は奈落の奥底に落ちて、或いは戻ってこられなくなるだろう。あの旧校舎の地下でそうなった時はレイが引き上げてくれたが、今回もそうなるとは限らない。

 

 せめて呼吸だけでも整えようとするが、今は戦闘中だ。ギリギリ意識を保ったまま戦闘を終えられるか、それとも途中で正気を失って再び狂獣のように暴れまわるようになってしまうのか。

 ……後者の無様を、二度晒すわけには行かない。そう思える程度には、リィンは己のこの状態の危険性を理解していた。

 

 

 

 

『―――存外足掻くのだな、小童』

 

 脳内に、再びその声が響いた。

 

『貴様の体内には今、牙を介して余の血を一滴巡らせた。……侮るなよ? 《真祖の吸血鬼(エルダーヴァンパイア)》の血だ。一滴であれど、常人であればそのまま内側から弾け飛んで無様な骸を晒すであろうよ』

 

「そんな―――ものを……っ」

 

『安堵せよ、《眷属》にはしておらぬ。嘗ての余であればいざ知らず、この身で今更現世(うつしよ)に未練など無い』

 

 ()()()()()()()()

 何となく分かっていた事ではあるが、このエルギュラという女性はヒト一人の事を特段何とも思っていない。……その割に此方を試すような事をしてくるのは何故だろうか。

 

 

『異な事を。余は人間を愛しているぞ』

 

 心を読まれたのか、エルギュラはリィンのその思考を嘲るように言葉を割り込ませる。

 

『余がどれ程の永い間、ヒトの世を諦観して来たと思っている。神どもが創り上げた世界など総てが陳腐に輝くのみのつまらんモノであったが、ヒトが築いたそれは酷く猥雑で、混沌で、然れども余を無聊させぬ熱があった』

 

「…………」

 

『無論、その栄枯は授けられたモノではあるまい。屍産血河の果てに築かれた、()()()()()()()()それであるからこそ、人間の”可能性”は余を魅了して止まぬ』

 

 故に、と。エルギュラはリィンの耳元で囁くように、甘く……然れども血の気の全てを凍り付かせるような声色で破滅を望む悪魔のような呟きを謳う。

 

 

 

 

『余は人間の総てを愛している。命を定められた矮小な者らが絶望を前に、呆けるも良し、膝付くも良し、自ら死を選ぶも良し。―――だが余が最も好むのは、”拒む者”である』

 

 

『我が愛し仔もそうであった。神の遺物に玩弄され、幾度も幾度も絶望に浸ったが……あの者はそれでも運命に弄ばれ続ける道を拒み続けた』

 

 

『時の世とは酷なものよな。抗う事で始めて真価を発揮する者をいとも容易く、非情なまでに生み出す。―――尤も、余の見立てでは貴様もその”異常者”だがな』

 

 

 

 ―――”誰”の事を言っているのか。

 

 それが一瞬で理解できてしまったからこそ、リィンは胸の内の怒りを抑えることに必死だった。

 体の奥底から”作り変えられる”ような気持ち悪さを堪えながら、振り払うように腕を振る。

 

「黙、れ‼」

 

『…………』

 

「アンタの価値観に興味なんかない‼ アンタが何を好んでいるのかも‼ ……俺の事をどう評価してもどうでもいいが―――でも俺の友人を侮辱するのは止めろ‼」

 

 レイ・クレイドルという少年が、抗う事で真価を発揮する者であるなどと、彼は認められなかった。

 いや、仮にこの妖女が言っている通りであるのだとしても、それが個人の幸せに直結するとは限らない。真価などは所詮他者が定める客観的な評価に過ぎないのだから。

 

 だからこそ、リィンは友人として、その評価を認めるわけには行かなかったのだ。

 自分が知っている彼の過去はただの一端にしか過ぎないが、その全てを彼が望んで享受していたとは到底思えなかったから。

 

 

 ―――直後、圧が増した。

 片膝が地面に押し付けられる。自身にかかる重力が何倍にも増したかのように思え―――しかしそれは虚構だ。

 

 王威。絶対者の威圧感が増しただけ。何の修羅場も経験していない者がそれに晒されれば、たちどころに心停止を起こして生死の境を彷徨うであろう程の圧力。

 事実、リィンも一瞬だけ意識が飛びかけたが、しかし双眸に光を宿したまま何とか堪え、睨み返した。

 

 どう足搔いたところで、この妖女と自分(人間)との価値観は食い違う。レイは他者同士の相互理解が大事であると口を酸っぱくして言っていたが、そもそも足を付けている境界が異なる存在と対話を成立させる程に今の自分は強くはない。

 ならばせめて、折れない心だけは見せつけなくてはならない。何が何でも屈服されない心の強さを見せつけなければならない。

 それが譬え、彼女を悦ばせる事になろうとも。

 

『―――は、佳い。実に佳いな』

 

「っ……」

 

『己が身が危機に瀕している時に友の侮辱に憤慨するか。王たる余に命ずるとは不敬甚だしいが、貴様の胆力に免じて赦そう』

 

 言葉とは裏腹に、エルギュラの顔は嗜虐的な笑みに彩られていた。

 

 言うなればリィンは、この時点で確実にエルギュラの眼鏡に叶っていた。こうなってしまっては彼女は、気に入った者の一挙手一投足総てを愉しみ、悦ぶ。―――その心が折れて枯れ果ててしまうまで。

 レイ・クレイドルという少年の、一度は砕け散りながらもより堅牢に、そしてそれ故に脆く鍛え上げられた鋼の心も狂おしいほど好みであった。

 だがリィン・シュバルツァー―――この青年の、これまでに積み上げてきた全てを壊し崩しかねない地と奈落の瀬戸際で留まる薄氷の如き心も、それで良し。

 出来得る限りの情で以て愛で狂わせたその先に、一体何が”残る”のか。つまるところ、エルギュラが興味を抱いたのは”それ”であっただけという話。

 

 

「あ”……ガッ、ぐ、ぅぅ……」

 

 魂が燃え上がるような鼓動を、リィンは感じた。

 生半可な熱ではない。ともすれば己そのものを焼き尽くしてしまいそうなほどに鮮烈で、しかし凶悪な”焔”。

 

 もはや太刀の柄を握る手が、どれ程の力を込めているか分からない。刀身が啼き震えても尚、それでは足りぬと言わんばかりに熱く、熱く、”灰”となって散ってしまう程に。

 

 

『熾火に水を差すは無粋ぞ。堪えるな、小童。己が延髄まで灼き尽くせ』

 

 リィンの顎に手を添え、艶やかな人外は蕩けるような声色で誘う。

 

『貴様は力を欲するのだろう? 惚れた娘子を護る為の力が―――その背に憧憬を見た剣士の隣に立つ為の力が』

 

 心を覗き、魂を識り、リィン・シュバルツァーが最も求める言葉を口にする。甘く、甘く、侵して溶かす毒のように。

 

『ならば余の血にその身を委ねよ。無様に、されど雄々しく踊り狂ってしまえ。―――”英雄”の楔に囚われし憐れな者よ、喜べ。貴様の願いは此処を以て成就する』

 

 ”力”。鍛え抜けば”達人級”に比する程の強さを手に入れられるそれに惑わされ、太古の昔から一体何人の武人が手を出し、そして破滅して行ったことだろう。

 果たしてこの小童は如何ほどの者であるかと思いながら惑わし、そして返って来たのは……

 

 

 

「ふ、ざける―――なッ‼」

 

 一閃。容赦なく斬り捨てるように放たれたそれは、しかし当たり前のように虚空を擦過する。

 

「”そんなモノ”に手を出すほど、俺は落ちぶれちゃいない……‼ 俺が求めるのは、与えられる強さじゃなく、自分で磨き上げて作り出すものだ‼」

 

『青いな、小童。その理想にどれだけの武人が焦がれ、しかし成し得ずに散り果てたと思っている』

 

「……辿り着けなかったのならば、そこが俺の終着点だ。たとえアイツの隣に並び立つことが叶わなくても、武人の端くれとして誰にも恥じない”力”を手に入れてみせる‼ それで何かを守り通すのが……俺の剣士としての意地だ。それだけは何があっても崩させはしない‼」

 

 

 

 ―――何者にもなれない未熟者であるならば

 

 ―――せめて誰にも恥じない生き方ができるような人間になるべき

 

 

 それが、リィン・シュバルツァーが掲げた矜持の一つ。

 例え護りたいと思うモノ全てを守り通し、友の隣に並び立てる程の強大な力をここで得られたのだとしても、それはリィン自身が求めていたそれではない。

 レイ・クレイドルの強さは、紆余曲折あったとはいえ彼自身が死に物狂いの鍛錬の果てに得たモノであろう。ならば、自分もその果てに武の奥地を極めるようにならねばならない。

 

 武人とはそういうものだろう。己自身で研磨した技と心以外は、きっと何の価値もない。

 

 

『―――ク』

 

 嗤った。

 否、嘲弄ではなかった。エルギュラは心の底からその青臭く、しかし清廉な矜持を湛えていた。

 それでこそ逆境を覆す力を持った”人間”だと、それでこそ何にでも成ることが出来る”人間”だと。

 

 エルギュラは、怠惰なモノを嫌悪する。

 逆境を前に、何の抗いもせずに服従する愚者を嫌悪する。抗いの果てに頽れた弱者を愛おしむ心はあれど、初めから諦観を以て冷め切った者は、彼女にとって何より”つまらないモノ”だ。

 

 だからこそ、気に入った。

 

 だからこそ―――その決意が折れた時、それでも彼はまだ己に刃向かうのか。それが愉しみで仕方がない。

 

 

『クハハッ、ハハハハハハッ‼』

 

 その笑い声が、リィンに流れる血を更に活性化させる。

 

 壊せ、滅ぼせ、全てを一切合切塵となるまで徹底的に鏖殺せよ。

 憎しみに身を委ね、力の在るがままに振る舞うが良い。その果てにヒトならざる修羅へと堕ちてしまったのだとしても―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――超常者()は、貴様を愛してやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ―――ガ、うっ…………あ、あ”あ”ア”ア”ぁあ”ガッ―――‼」

 

 人間をヒト足らしめるのは、理性が本能を繋ぐたった一本の綱だけだ。

 それを千切る程度、数万という永劫にも等しい時を生きてきたエルギュラにとっては児戯よりもなお容易い事。決してリィンの精神力が軟であったなどと言う事ではない。

 

 寧ろその予想以上の強靭さにエルギュラの方が僅かに驚愕したほどだ。

 先程の言葉が伊達でも酔狂でも虚勢でもなく、ただの本心であったのだと認めざるを得ない程度には。

 

 

『だがそんなものは、理性が吹き飛んだ(本能)の前では何の役にも立ちはしない』

 

 人間はいつだってエルギュラ(彼女)を飽きさせない。

 騎士の清廉さも、民の純朴さも、男女の睦事も―――弱者の愚かしさも、外道の悪辣さも、暗君の暴虐さも。

 

 ならば、この青年はどうだ。

 武人として未成熟なれど、高みを目指す気概は充分。それは、如何なる挫折を以てしてもなお不動のものか、否か。

 

 

 滅気を纏った斬撃が容赦なく叩き込まれる。

 その速さはもはや、狂化されたとはいえヴァルカンでは追いつけない程。その斬線に耐え切れずに、巨体が地に叩きつけられる。

 剣鋩は、しっかりとその首に添えられていた。さながら今より執行を行う断罪者の如く、一瞬の迷いなくその命を絶つために。

 

 だがその眼前に、小さい影が割り込んでくる。

 

 

「……それ以上は、ダメ」

 

 銃口は真っ直ぐ、リィンの額に向けられていた。

 フィーは小さく、しかし濁らせずにハッキリと否定の言葉を漏らすと、黄緑色の眼光を細めてリィンを正面から見据える。

 

()()()()()()()()()()()。そこから先は私たちと同じ―――死の臭いを永遠に撒き散らす”人でなし”の世界」

 

 リィンを”此方側”には来させないように。そう頼まれたのもあるが、フィー自身、リィンという青年がその世界に足を踏み入れるのを拒否したかったというものもある。

 彼が目指した活人剣は、”此方側”で使うものではない。血と憎悪と欲望に塗れた裏側の世界は、真実彼には似つかわしくないのだから。

 

 だが、フィーが全霊で引き留めようとしたのにも関わらず、リィンはその滅気を抑えようとはしなかった。

 否、抑えられなかった。もはやエルギュラという弩級の超常存在が齎した血の一滴に全てを支配されてしまっている。彼自身の意志で何かが出来るわけもなし。

 

 その詳細まではフィーは知らなかったが、もはやここまで異様な雰囲気になってしまっては、言葉で理解させるのも殺気で抑え込むのも無理だと分かっていた。

 故に此処に至ってはもはや力でねじ伏せるしかない。それが可能かどうかは、やってみなければ分からないが。

 

 フィーが苦渋の決断を下し、リィンがフィーにすら刃を向けようとしたその瞬間―――リィンの背に、誰かが抱き着いた。

 

 

 

「……帰ってきなさいよ」

 

 懇願するような、弱弱しい声色ではなかった。

 何が何でも引き戻してやろうという、強い声だった。

 

「こんなところでワケ分からない何かに()()()()()()()()()、さっさといつもの貴方に戻ってきなさいって言ってんのよ‼ リィン・シュバルツァーぁっ‼」

 

 首根っこを掴み、自分の至らなさ加減に涙目になりながら、それでもアリサはリィンにそんなストレートな言葉を吐き捨てる。

 自分が、彼と同じくらい強ければ―――そんな仕方のない渇望に目が眩みそうになりながら、彼女は惚れた男を正気に引き戻すために自分の命を差し出す覚悟で言葉を紡いだ。

 

 異形のオーラを纏った想い人に対する恐怖感は、ない。

 その程度で恐怖感を抱けるほど軟な鍛え方はされてこなかったし、何より()()()()()()()()()の想い人を見捨てて腰が引ける程、抱いた恋心は温くない。

 

 ある意味でその好意にかける強靭な精神力は、彼女の母親、イリーナ・ラインフォルトに酷似していたとも言える。―――皮肉な事に。

 

 

 そしてその言葉は、何故だか粉々に千切れた筈の理性の綱を手繰り寄せて、リィンの瞳に再び微かな光を宿らせる。

 

「ァ”ア”……ア、リサ……」

 

「大丈夫、私は此処にいる。何処にも行かない。貴方は、独りぼっちじゃないんだから」

 

「ッ―――」

 

 柄を握る手が緩む。戦意も、殺気も、滅気も、全てが急速冷凍されていくかのように冷え込んでいく。

 その豹変を見てエルギュラは、しかし憤慨するような事はなく、寧ろ興味深いものを見たかのような表情に変わった。

 

 

『……フン、あの小娘、《大地》の眷属の末裔か。ならば《焔》の臭いが濃いこの小僧を鎮めるのは、ある意味当然の帰結よな』

 

 ”面白い”と。エルギュラは素直にそう思った。

 神々の黄昏などもはや遥か昔の事。世界そのものを一度破滅させた()()()()の”揺り戻し”が、現代でこうも顕著に現れる。

 ならばこれより先の歴史は、己の無聊を慰めるに足るやもしれぬと、そう口角を吊り上げた瞬間だった。

 

 

 ―――エルギュラの胸を、背後から一振りの長刀が貫いた。

 

 

 

 

「陛下」

 

 

 嗚呼、その声を聞くのもいつ振りかと、真祖たる吸血鬼は妖しく破顔する。

 

 

「少し戯れが過ぎるでしょうが。―――俺の友人を弄るようなら、今度は本気で、俺の全てを賭けて滅殺しますよ」

 

『ハッ……吼えるようになったではないか我が愛し仔よ。貴様に余が殺せるとでも?』

 

「お望みならば。覚悟なんぞは最初(ハナ)っから、貴女を封じた時から出来てますよ」

 

 下腹から燻るような低い声でそう嘯く愛し仔に対し、エルギュラは更に口角を吊り上げる。

 久しく感じていなかったその殺気。自身を封じたあの死闘の時からなんら色褪せていない剣の鬼としての怖気が走るほどの才能。

 

 

 そんな極まった武人のみが発する闘気を湛えて、愛する女性を担いだまま―――レイ・クレイドルはそこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 ……リィンが《焔》の系譜だったとして? アリサが《大地》の眷属の末裔なら? 二人の子供って……いや、よそう。ここら辺の考察は多分別の人がやってる。

 というわけでエルギュラ陛下はっちゃけ話でしたぁ。ぶっちゃけ迷惑千万にも程がある。これで人間大好きなんだから猶更タチが悪い。おいスタッフゥ‼ 誰だよこんなキチガイ連れ込んだのは‼(※僕です)

 エルギュラ陛下って一体何歳なんだぁ、という質問があったような気がしたのでお答えしますと、軽く数万年くらい生きてる軌跡シリーズ屈指の超常存在。神が普通に居た頃から地獄に根付いてたからね。仕方ないね。

 そしてリィン君は地獄の試練に耐え抜いた。耐え抜いてしまった……ッ。
 安心しろ。お前さんの精神力は既に結構なモノだ。だがウチのⅢは原作より酷くなると思うからその点油断しないようになぁ‼


 ……とまぁ、そんな感じでお送りしました。

 うん、悪ノリだね‼






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伝説の残滓





「素敵だ。やはり人間は―――素晴らしい」

           by アーカード(HELLSING)








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全盛期のエルギュラ・デ・デルフェゴルド・ルル・ブラグザバス―――誰もが覚えていられないような月日を《血殲狂皇(サタナエル)》という魔名で過ごした彼女の怠惰を打ち破ったのは、その時代にあっても”怪物”と称されるに相応しい実力を備えた4()()だった。

 

 

 

 《獅子戦役》の英雄の一角。一度の”死”を以て人外へと昇華した世界最強の武人―――アリアンロード。

 

 《槍の聖女》の盟友にして、東方より渡りし《八洲天刃流》唯一の正統継承者―――カグヤ・イスルギ。

 

 《焔》の眷属を束ねし大賢者、伝説の『十三重詠唱(トライド・カゴン・スペル)』の使い手たる大魔法使い(アークウィッチ)―――ローゼリア・ミルスティン。

 

 女神を讃える七耀が擁する歴代最強の《守護騎士》。絶対なる”悪の敵”―――アインヴェル・フォン・ニーベルグン。

 

 

 

 いずれも劣らぬ”最強”の担い手。ヒトの辿り着く武芸の最果てに至り―――そしてその先の絶技を見出した者達。

 

 無聊を憂いたエルギュラが()()()()()()()人界に試練を与えようと浮上して来るという人類にとっての危機に、組織の垣根を越えて死闘を尽くした英雄たち。

 

 三日三晩では足らず、気の遠くなるような時間の総てを死闘に費やし、幾度も死を覚悟しながら、それでも彼らは成し遂げた。―――万年を生きる《真祖の吸血鬼(エルダーヴァンパイア)》の討伐を。

 

 

 

 ”魔神”としての彼女の機能は、その時点で大半が失われた。

 

 だが彼女は、それを嘆くことも憤慨する事も無かった。寧ろ、己を討ち倒した勇者達に向けて称賛の言葉を漏らしたほどだ。

 

 彼女は正真正銘の”王”であった。人間が住まう治世で国を治めた事は無かったが、それでも弱肉強食の理が罷り通る煉獄の支配者の一角として存在していた、真の”王”であった。

 

 故にこそ、自身が”敗者”に成り下がった事に何の猜疑も抱かなかった。己が絶対強者として在ったという自負はあれど、自身が敗れたという事実を、何の憚りもなく受け入れた。

 

 

 

「余は敗北を受け入れぬ愚者に非ず。しかし余は変わらず”王”である。敗戦の王として、貴様らの為すがままにすると良い」

 

 

 後の彼女の処遇については、大いに喧々諤々の論議が交わされた。

 

 滅ぼせ、と教会の者らは口々に叫んだ。しかしどれ程の術を以てしても、この《真祖の吸血鬼(エルダーヴァンパイア)》を滅する事は叶わなかった。

 そして何より、教会最高戦力である《星杯騎士団》総長の全力を以てしても殺しきれないそれを持て余すのは至極当然の事。

 そうして教会勢力が手をこまねいている間に、彼女の身柄を―――《結社》が搔っ攫っていったのである。

 

 

 

 

()()()()()()()。よもや人界でその名を貴様の口から聞くことになろうとはな。―――否、この場この時貴様は《盟主(グランドマスター)》……そうであったな」

 

『……えぇ、確かに。今の私は、貴女が思う私ではありません。それでも私は貴女を歓迎致しましょう、エルギュラ』

 

「余を客将として持て成すか。良いだろう、奪還劇の端役にでも使うが良い」

 

『いえ、貴女の好きに動いていただいて結構ですよ。《始祖たる一(オールド・ワン)》の一柱を端役として扱う程私も傲慢ではありません。―――そも、私が作ろうとしている枠組みは、”あらゆる自由”が認められるそれですから』

 

「ほう?」

 

『《執行者》―――本来は最高幹部の《使徒》七柱の命を司る者達となるでしょうが、貴女が司るのは手駒ではありません』

 

「……《道化師》、それに《神弓》だったか。クク、余を討ち倒したあの者どもには及ばないだろうが、優秀な駒共を抱えている。この状況で貴様は余をどう”使う”と?」

 

『それは、いずれ。貴女には《執行者》のNo.Ⅲ―――《女帝》の名を冠していただきます』

 

 

 

 ”表”は『愛』を司り、”裏”は『不満』を司る。

 

 人類の総てを愛すると謳いながら、その実彼女は常に飢えている。―――己の本気を以てしてもなお毀れない者との邂逅を望んでいる。

 

 

 そして彼女は、いずれ出会う事になる。

 

 世界の総てに呪われたかのような運命に溺れ、しかしそれでも意地と生気を沈ませなかった”強い者”に。

 

 

 その果てに己の存在が封じられることになろうとも、それでも彼女は、その邂逅を心の底から歓迎したのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

「俺は貴女に感謝しています」

 

 

 長刀の柄を握る手の力を少しも緩めないまま、それでもレイはそう言った。

 

 

「今の俺を形作ったのはソフィーヤ姉さんと師匠と―――そして陛下、貴女でしたから」

 

 その言葉に嘘は一切ない。

 彼女の価値観が常人と異なるというのは既に慣れた事だ。一歩間違えば死人が出る傍迷惑加減も。

 

 それでもレイは、《執行者》時代に彼女なりの思惑で自分を鍛え上げてくれたエルギュラに感謝していた。

 だからこそ、《結社》を抜ける前に彼女を封印した事もまた、彼にとっての”後悔”の一つに成り得てしまったのだが。

 

『礼も感謝も要らぬと、余は言ったはずであろう。貴様を愛したのも、貴様を嬲ったのも、貴様に封じられたのも―――全ては余が愉しむ為。

 愛し仔よ、貴様も雄として少しは長じたかと思ったが、以前その傲慢さは変わっていないか』

 

「…………」

 

『言った筈だ。己が関わった全てに生まれた犠牲を一身に背負おうとするなど、それはヒトの身に過ぎた行いよ。だからこそ貴様は、あの《蒐集家(コレクター)》の小僧に目を付けられるのだ』

 

「分かっています。そんな事は」

 

 それでも、と。レイは今まで一度たりとも変えた事のなかった信条を改めて口にする。

 

「他者の痛みを知らぬ人間にはなるなと、そう姉さんは伝えてくれた。貴様には()()()()()()()()と、そう師匠が言っていた。そして―――()()()()()()()()()()と、そう言ったのは貴女です、陛下」

 

『……あぁ』

 

「恐らく俺には、一生かけても払いきれない後悔が残るでしょう。それは棺桶の中、墓の下にまで……いや、煉獄の底の底に堕とされても、それでも馬鹿の一つ覚えみたいに覚えているんでしょうよ」

 

 ”人を殺す”というのは、つまりはそういう事だ。

 奪ったその者の命の残り全てを背負うという事。それに慣れて重みを感じ無くなれば、それは確かに楽なのだろう。何にも囚われず、自由に生きられるのだろう。

 

 不器用に不器用を重ねた馬鹿げた生き方だと嗤う者もいるだろう。謗る者もいるだろう。だがそれでも、レイ・クレイドルはその生き方を選んだのだ。

 自らの行いを正義だと断じて、光に眩んで醜い影を忘れる生き方が英雄のそれならば―――そんな生き方は死んでも御免だから。

 

 

「ですので、陛下。また少し、眠りに落ちて頂きたい」

 

 長刀の剣鋩の先、新たにエルギュラの体に縫い付けられた最高純度の呪力を込めた符が怪しく光る。

 

 

「【籠に住まう凶将の欠片 歳刑(さいきょう)歳殺(さいせつ)に隷属する諱鬼(おに)は滅門の彼方より出で給う】」

 

「【荼毘(だび)に伏し、蟇目(ひきめ)に祓われしその魔情 瑞風の(せせら)も斯く在りて、此処に鎮魂の礎とならん】」

 

「【三途の庇護を与えよう 水輪の慈悲を授けよう 逆鱗の咢に触れるその刻まで鎮守の社で眠り給え】」

 

「【故に悪鬼よ 逢魔刻(おうまがとき)にて邂逅せん 此処に血脈の契りは成り 我は其を封じる獄番となる】」

 

 

 それは、《天道流》呪術の奥義の中でも”封印”に特化した【南門朱雀・軫】とは異なり、神格の”鎮静”に特化させた奥義。一度封じた存在を”封じ続ける”為の術式。

 

 

「【天道封呪―――東門青龍(とうもんせいりゅう)(なかこぼし)】」

 

 

 最後に見たエルギュラの表情は、それでも相変わらず笑っていた。

 

 青白い光がエルギュラの全身を包んでいき、巻き付き、圧縮し―――そして最後には、紅く輝く一握りの宝石だけが残された。

 それを手の中に収め、レイは一つ深い溜息を漏らす。

 

 

 何せエルギュラの神格は()()()()()()()()()()()()なのだ。

 女神によって生み出された特定種族のオリジナル個体―――《始祖たる一(オールド・ワン)》の一角。シオンの神格制御ですら体内に宿った膨大な量の呪力の七割近くを費やしている状態で、その残りの呪力でこのような規格外中の規格外を封印しきれる筈がない。

 

 今のエルギュラは過大評価でもなんでもなく「レイ・クレイドルに封印されてやっている」状態だ。彼女が本気で自由になりたいと願えば、それだけでこの程度の封印は容易く砕け散るだろう。

 相も変わらず面倒事しか呼び込まない”人”だなと再確認しつつ、レイは改めて周囲を見渡した。

 

 

「レ、レイ‼ 良かった……無事だったんだ」

 

「で、でも……シャロン⁉ シャロン‼ どうして……‼」

 

「落ち着けアリサ。”処置”は施したから取り敢えず()()()()()()大丈夫だ。―――エリオット、ひとまずティアラルを重ね掛けしてやってくれ」

 

「う、うん‼」

 

 極めて平静であるかのように、レイは場を収束させるための指示を伝える。するとそこで、武器を収めたフィーが近づいてくる。

 

「レイ……」

 

「よくやってくれた、フィー。正直お前が居てくれなかったら少なくとも一人は犠牲になってた」

 

「ぁ……」

 

「礼はトリスタに帰ってからしよう。今は、もう少しリィンとアリサを見ててやってくれ」

 

 その言葉に、フィーはただ一つ頷いた。

 戦場経験者のフィーであれば、この状況でも気は抜かないだろう。まだ、大目標は達成されていないのだから。

 

 

「っ……ぁ……」

 

 髪の色が白から黒へ、瞳の色が赤から紫へと戻ったリィンが、苦しそうに呻きながら目を開ける。

 

「ぁ……レ、イ……俺は……」

 

「無理するな、リィン。お前はたまに、俺の予想を超えるレベルで踏ん張りが強い時があるな」

 

 もしリィンがエルギュラの”悪戯”に抗いきれずに暴走状態に陥った場合は、再度【南門朱雀・軫】の封じ直しをしなくてはならなかったが、魔力を基とする普通の人間ベースの存在に呪力による封印術の慣行は本来であれば何度も行うべきものではない。

 

 しかしレイのそんな不安を他所に、リィンは見事エルギュラの誘いに打ち克って見せた。

 それは決して、誰にも成し得る事ではない。確固たる”己”を有している者でなければ、人の心を揺さぶる事に長けるエルギュラの誘惑を抗う事など出来ないのだから。

 

「誇れ、リィン。此処にいる全員は、仲間は、お前が護ったんだ。お前の強さが護り抜いたものだ。……生憎と悪い夢にしてやることはできないが、リィン・シュバルツァーの武人としての気概は見事だった」

 

 心身共に疲弊しているリィンに【癒呪・蒼爽】を掛けながら、レイは肩を軽く叩いてそう言葉を掛ける。

 その言葉に満足したのか、リィンはやり遂げたように薄く笑ってから再び目を閉じた。

 そんなリィンをシャロンと一緒にアリサたちに預けると、坑道の最奥に、仰々しく佇む機械を視界に捉える。

 

「あれが起爆装置か……アリサ、お前確か携帯型解体ツール持ってたよな。それ貸してくれ」

 

「え、で、でもあんな簡素な道具で解体作業なんて……あ」

 

「ま、お察しの通りだ。癪だが俺には右眼(コイツ)があるからな」

 

 それに加え、レイ自身クロスベル支部勤務時に手先の器用なスコットと共に幾度も爆弾処理を行ったことがある。構造と簡単な工具さえあれば解体する事自体は容易い。

 

「だ、大丈夫……なのよ、ね?」

 

「解体処理に必要なスキルとクソ度胸くらいは持ち合わせてるさ。……それに、今回の黒幕殿の本当の狙いはルーレの爆破じゃねぇだろうからな」

 

 イルベルトの狙いはレイ・クレイドルとの接触と、エルギュラを限定的に解放する事で齎される影響の確認と言ったところだろう。あの偏執狂が唯々諾々と《盟主》の命に従い続ける事など有り得ないのだから。

 《帝国解放戦線》という組織も、あの男にとっては被検体に過ぎない。あの男に興味を持たれなかった者の末路など、総じて決まっているのだから。

 

 レイは眼帯を押し上げて、クロスベル以来となる《慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)》の解放を行う。

 訪れる頭痛を知覚の外に押し出して、アリサから借りた解体ツールを両手に慣れた手つきで機器を弄っていく。長刀を操る時と遜色ないレベルの集中力を手先に集め、澱みなく作業を継続する。

 そこに、ルーレ市民の命を背負っているプレッシャーは垣間見えない。レイにとってはその程度、さして特別でもない。

 他者の命を背負う事によって生じる責任感で手足を震えさせる段階など、彼はとうの昔に踏み越えてしまっているのだから。

 

 

 

 

 

「――――――■■■ァ」

 

 油断をしていた、わけではなかった。

 

 ただ、気を留める程度のものでも無かっただけという事。

 

 

「■■■■■■ガァァァアアアア‼」

 

「レイ――――――‼」

 

 今の状態のヴァルカンに、「もう立ち上がれるはずがない」という既存の常識は通用しない。それはフィーが一番よく理解していた筈だ。

 それでも目を離してしまったのは「レイならば大丈夫だろう」という先入観。今の彼は、一歩間違えればルーレを危機に陥れかねない装置の解除に掛かり切りで、迎撃など出来ないだろう。

 

 ……否、もしかしたら普通に成し遂げてしまうのかもしれないが、それでもこの状況で「もしも」に頼り切るのは悪手というものだ。

 

「『サイファーエッジ』ッ―――‼」

 

 だからこそフィーは駆けた。

 己の最高速度で、瞬間的に腱が軋むほどの負荷を乗せて。

 その連撃で以てヴァルカンの両脚を叩き斬る算段だった。それが出来なくとも、二度と立ち上がることが出来なくなるほどの傷を刻めるはずだった。

 

 だが、現実は非情だ。確かに交叉した斬撃はヴァルカンの大木の幹のように太い両脚に深い斬線を刻んだが、己の重量などもはや気にも留めないと言わんばかりの、人間戦車の如き前進は止められない。

 

 レイはと言えば、自分が狙われている事は既に気付いているだろうに、しかしそれでも解体処理の手を止めようとはしない。それどころか、ヴァルカンを一瞥すらしていない。

 

 ならば自分が止めなければならない。事件の重要参考人として可能な限り生け捕りが求められている事は理解しているが―――事此処に至っては殺してでもレイを救わなければならない。そう思って再び双銃剣を構え直した直後―――。

 

 

 

 

「不敬者―――貴様が手を伸ばせる方ではないと知れ」

 

 

 

 ―――紅の一閃が巨躯を吹き飛ばした。

 

 鳴り響いたのは爆発にも似た()()()。舞い上がった土煙が風に靡いて晴れた時、そこには軍服にも似た黒と赤に彩られた服を纏った一人の長身の女性が居た。

 

 その姿を視界に収めたフィーはハッとした表情を浮かべ、しかしすぐに”猟兵”の表情に立ち戻る。

 

 

「《マーナガルム》の……《赫の猟犬(ロートシアス)》‼」

 

「久しいですね《西風の妖精(シルフィード)》。その速さには磨きがかかったようですが―――手数の多さだけでは打倒できない状況がある事も知りなさい」

 

 レイと同じように眼帯で覆われた片目。その片割れの深紅の瞳は、その異名が示す通りの強い眼光でフィーを射すくめている。

 その威圧感は、フィーのみならず距離を置いていたアリサたちも縛り付けていた。その全身から立ち上る”死”の臭い―――先程までのフィーを優に凌ぐそれは、自分たちとは全く異なる世界に生きる人間であるという事を否が応にも告げていた。

 

 

「……守銭奴の片割れ(カリサ)が来てたから多分誰か送り込んでくるだろうなとは思ってたけど、お前だったのか、ゲルヒルデ」

 

 パチン、と何かを切ったような音を出してからゆっくりと立ち上がったレイは、その口元に苦笑を浮かべて振り向いた。

 

「その感じだと他にも何人か……副隊長のお前が直々に連れてるんだから《三番隊(ドリッド)》の特戦隊か」

 

「えぇ、お久し振りです特別顧問。……貴方様もお変わりないようで」

 

「もう俺を”特別顧問”とか”相談役”とか呼ぶ事については疲れるからツッコまない事にしたわ」

 

 ツールの一つを片手で弄びながら眼帯を元の位置に直したレイは、そのまま何事もなかったかのようにアリサにそれを返す。

 

「ほい、サンキュ」

 

「え? へっ? ちょ、もう終わったの?」

 

「予想以上に構造が単純だったからな。あのクソ野郎、本当にルーレ騒動はモノのついでだったみたいだな」

 

 とは言え、ここでもしイルベルトがルーレ爆破にも本腰を入れていたならば、解体処理に数時間を要していた可能性もあった。

 そういった意味でもリィン達がレイの到着を待たずに前に進み続けたのは正解だったと言えるだろう。

 

 ともあれ、これでひとまず生まれ故郷の危機が去ったという事にアリサは安堵から腰を抜かしかけ―――しかし家族(シャロン)愛する人(リィン)の現状を鑑みれば腑抜けたままではいられなかった。

 

「……シャロンとリィンの事については帰ってからじっくりと説明する。……もう大丈夫だな?」

 

 そんなアリサの心の内を見透かしたかのような言葉に、勿論、と返す。

 見ればレイの左眼の光がほんの―――本当にほんの僅かだが揺れているように見えた。今の彼の平静はひょっとするとどこかしらの我慢から来ているのではないかと思った瞬間、アリサの心から迷いはすっかりと無くなっていた。

 

 

「……さて、特別顧問。この大男は如何なさいましょう。―――命じ下さればすぐにでも殺しますが」

 

 ゲルヒルデが自身の得物―――二振りの”パイルブレイカー”から殺意を滲ませながら口にした言葉に、レイは再び小さく溜息を吐く。

 

「それが浅薄だってのはお前自身分かってる筈だろうに。……生かしたまま《鉄道憲兵隊》に引き渡すとするさ。ノルティア領邦軍に渡したら何処に隠されるか分かったモンじゃないからな」

 

「御意。……しかし《蒐集家(コレクター)》に弄られたとはいえ、それなりの潜在能力(ポテンシャル)を持つようですね、この大男は。……私にお預け下されば《二番隊(ツヴァイト)》辺りでモノに出来る程度には鍛え上げてみせますが」

 

「ぶっちゃけ面白そうだなとは思ったがパスな。―――待て」

 

 今度こそ動かなくなったヴァルカンを回収しようと足を動かしたゲルヒルデをレイが制止し、しかしそれよりも一瞬早く、ゲルヒルデは足を止めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ゲルヒルデとヴァルカンの間の空間。その空間を裂き抉るように斬線が貫いた。

 

 

 

 ゲルヒルデが一歩だけ左足を後ろに下げた、それだけの時間で、長刀の鯉口に手を掛けたレイがその横に並んでいた。

 そして隣に、フィーも並ぶ。……ただし、少し離れた隣に、であった。

 

 

「……正直、もう色々あって疲れてるんだ。先輩を労うつもりがあるのなら、ここは大人しく退いてくれねぇか? ―――後輩」

 

「安心してもいいでやがりますよ。私は貴方と進んで戦いに来たわけじゃねーので。―――先輩」

 

 見覚えのある枯葉色のコート―――小柄な彼女の体躯には些か以上に大き過ぎるそれを羽織った少女。

 その右手にはやはり見覚えのある剣の二振り目を携え、腰まで届く金髪を揺らして二人は再び相対する。

 

「今回の件には介入しないって言ってた筈だが……やっぱあのドS魔女もあのクソ野郎の暴挙は見過ごせなかったってトコロか」

 

「えぇ。そのせいで私の胃がキリキリ鳴り始めているので、此方としても早く終わらせてーんです。……私の要望は分かってやがりますよね?」

 

「戦線のリーダー殿に代わってそこの大男を回収、だろ?」

 

 その時点でレイは、鯉口に掛けていた親指を外した。それに伴い、ゲルヒルデとフィーも迸らせていた殺気を少しばかり抑え込む。

 

「……まぁいいぜ、持って行きな。精々ルーレ土産の邪魔にならないよう気を付けるんだな」

 

「……いーんですか? 貴方達にとって、この男を生かしたまま回収するのは任務の内では?」

 

「俺らにとってはルーレ市に仕掛けられた高性能導力爆弾無効化が主目的でね。それを阻止できた時点でその男の身柄確保はさして大きな問題じゃあない。というよりも、だ」

 

「…………」

 

「ルナも居るんだろう? 此方側にも少なからず損害が出たこの状況で、無理に”達人級”を二人相手にはしたくないんでな」

 

 その言葉をひとまず信じた少女―――リディアは指をスナップさせてヴァルカンを覆うように転移陣を起動させる。

 その瞳に宿る隠し切れない猜疑と慙愧の色を見たレイは、紙糸で括った数枚の符をリディアの胸元辺りに投げつける。

 

「? これは何でやがりましょう」

 

「それをあの大男の額に張り付けて暴れださないように拘置しておけ。一日ごとに符を新しいのに変えるのを忘れるな。……そうすりゃ深層意識の奥底に封印されたソイツの”理性”を引き上げられるだろ」

 

「それは―――」

 

「何から何まであのクソ野郎の思い通りってのが気に食わねぇ。……一応言っておくが別に罠でも何でもねぇからな。こちとら、()()()()()()()()()()()は慣れてんだよ」

 

 ニヒルな笑みを浮かべながらそう言うレイの言葉は、当時の事を知らないリディアから見ても何処か哀しそうに見えて、少なくともその様子は、リディアの猜疑心を薄めるには充分だった。

 

「……やっぱり優しいんでやがりますね。先輩は」

 

「本当にただ優しいだけなら、今でも俺は《結社》に居たままだったよ」

 

 そこで言葉は区切られた。

 何かの思いを孕んだかのような視線を一瞬だけ交わした後、リディアは自らも転移陣で飛び、レイは柄を握る握力を緩めた。

 

 

 再び坑道内に反響する空気の音が耳朶に届くまでの静寂に包まれたその時を以て―――短くも長かったルーレを襲った人災は解決を迎えたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





Q:エルギュラ陛下が《結社》に入ったのはいつ頃?
A:多分《執行者》制度が出来上がったのは結構最近の事だと思うんですが、《結社》自体は前々から存在していたのではないかという想像から―――まぁ大体50年位前じゃね?

Q:リィンって今どんな状況?
A:以前旧校舎地下でレイが掛けた【南門朱雀・軫】が陛下の戯れで完全破壊したので結構ヤベー状況。早急に魔女の対処を求めたい。

Q:ローゼリアの『十三重詠唱(トライド・カゴン・スペル)』って何?
A:全盛期の大魔女は一度に十三の魔法詠唱が出来たという頭おかしいチート。

Q:アインヴェル・フォン・ニーベルグンってのはいつの総長?
A:現在からみて先代。ザナレイアが《守護騎士》だったのはこの英雄の世代。……今総統閣下って思った人挙手しなさい。






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収束、それは平穏に非ず






「好きな奴がお前のことを好きになってくれるとは限らないのと同様――嫌いな奴がお前のことを嫌いになってくれるとは限らないんだよ」

「そして嫌われてくれるとさえ限らないんだ」


     by 貝木泥舟(化物語シリーズ)








 

 

 

 

 

 

 

「えぇ。先程ルーレ市内8ヶ所に設置されていた高性能導力爆弾の除去は完了致しました。本来であれば《鉄道憲兵隊》の管轄外であったエリアもあったのですが、ヒルデガルト主任のご協力もあり、恙無く遂行することが出来ました。本当に、ありがとうございます」

 

「お礼を言わなければならないのは此方の方よ、クレア大尉。比喩でも何でもなく、ルーレが火の海に包まれる危機だったのだから」

 

 

 陽が地平線の奥に溶けていったすぐ後の事。

 RF本社ビル23F会長室にて、今回の事件に関わった一部の人間が集まってイリーナ・ラインフォルトへの報告を行っていた。

 

「それに、申し訳ありませんでしたわね、カリサ主任。貴女にまで動いていただいたようで」

 

「いえいえ~。私としてもルーレが滅茶苦茶になってしまっては取引に差し支えますしね~」

 

 何故かいつの間にか再びこの場所に舞い戻っていた《マーナガルム》五番隊(フュンフト)《兵站班》主任、カリサ・リアヴェールは、そう言っていつもの気の抜けた表情を浮かべる。

 実際問題、彼女にとってルーレという都市、及びRF社という存在を揺るがされるのはデメリットしかなく、その為に動いたというのは嘘ではない。

 

 だが、彼女は”商人”だ。骨の髄まで、心の一片に至るまで紛う事のない”商人”だ。故に、《三番隊(ドリッド)》の一小隊を動かしたという今回の一件をただの厚意(ロハ)で済ますつまりはない。

 それは、イリーナもよく理解しているだろう。深く潜り込んだ商戦の中で、無料(タダ)程怖いものは何処にもないのだから。

 

 

 

「……ヒルデガルト、製作所周辺の被害はどうなっているかしら?」

 

「爆弾騒ぎがあった所為で日中は操業を停止せざるを得ませんでしたからね。納期の遅れについての連絡は既に関係各所に済ませてあります。……何処からか噂を嗅ぎ付けたマスコミは適当に追い払っておきました」

 

「被害額はどの程度になりそうかしら?」

 

第三製作所(ウチ)はそれ程でも。詳細な報告は明日お渡しします」

 

「結構。手早く済ませなさい」

 

 『第四製作所』は元よりイリーナの直轄組織の体を成しているとはいえ、その他の製作所の状況はどうしても取締役の報告を待つ形になる。

 とは言え、『第三製作所』を任されている主任兼取締役であるヒルデガルト・ルアーナは基本的にイリーナの方針に沿う形で動く。強制ではなく、自らの意志という形で。

 

 しかし、とヒルデガルトは思う。

 今回の事件に際して、『第四製作所』『第二製作所』は『第三製作所』と同じく日中は急遽操業停止に追い込まれ、被害を被った。―――それは当然の事だ。突発的に起こった爆破未遂テロを予見しろなどという荒業をこなせる者はそういない。

 

 だが『第一製作所』―――”貴族派”の特徴が色濃いこの製作所は、今日は()()()()()()()()()()()()のである。

 まるで今日何が起こるのかを、()()()()()()()()()()()()()()

 

「(あの髭親父……あらかじめこうなる事を自前で予測できるほど有能ではない。だとしたら、今回の一件に”貴族派”が関与してるのは疑いようのない事実だな)」

 

 本来、その関与を否定で通したいのであれば、他の製作所と同じく突発的な操業停止に追い込まれなくてはならない。

 だが今回、『第一製作所』は尻尾を見せた。恐らくはハイデル・ログナーが、自ら統率する『第一製作所』への金銭的被害を軽減するために生み出した致命的な隙だった。

 無論あの男はあの手この手で関与を否定するだろう。だが傍らに立っているこの女性―――《氷の乙女(アイスメイデン)》クレア・リーヴェルトがそれを許すだろうか。

 

「(まぁ、あの髭親父にはちょうどいい修羅場だろう。どう切り抜けるのか見物だな)」

 

 無能ではないが、有能というわけでもない。他者を出し抜く才能こそ大したものだと評価できるが、経営者としては凡才だ。

 凡才であるだけならばヒルデガルトがここまで毛嫌いする事は無かったのだが、貴族であるという矜持に驕って、才覚に見合わない高みを簒奪しようというその姿が一層醜く腹が立つ。

 だからこそヒルデガルトは、今回の一件に関しては政府側に肩入れするのもやむなしであると、そう思っていた。

 

 

 

「……クレア大尉、貴女に今回の事件に於けるRF社に関する捜査は一任しましょう。()()()()()()()調()()も含めて、お願いしてもいいのかしら?」

 

「……えぇ、お任せください。ご期待に添えるよう全力を尽くさせていただきます」

 

 そしてクレアがルーレに来た当初の目的は、「『第一製作所』への強制調査」。”貴族派”との繋がりが深く、これまでのテロ事件に於いて《帝国解放戦線》の構成員が使用していた密売武器への関与を明らかにする為のそれであったが、こうして社の代表からのゴーサインが出たからには、彼女としても遠慮するつもりは一切ない。

 

 しかし、『第一製作所』が担当しているのは鉄鋼、大型機械全般。それが及ぶ範囲は膨大なものである。

 それらの製造工程の中から不可解な物の流れを弾き出すのは並大抵の事ではない。処理すべき情報が膨大過ぎるが故に、恐らく憲兵隊の総力を以てしても全てを調べ尽くすのには少なくとも三ヶ月は必要だろう。

 

「(でも、そんな時間はない)」

 

 残された時間は、少ない。

 《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》の一人としてではなく、ただのクレア・リーヴェルトという軍人の私見からでも、今のエレボニアはとても危うい。

 砂上の楼閣、という言葉が最も似合うだろう。長きに渡ってカルバード共和国と睨み合い、今はクロスベル自治州が独立国を宣言し、そして国の内部には不穏分子が数えるのも億劫なほど存在している。

 

 火薬庫に繋がる導火線に火種が近づいている状況で悠長にしていられるほど暢気な性分ではない。ましてや国を護る防人たる立場であれば尚の事だ。

 だからこそ、時間が有限であることがもどかしくて堪らない。自分が睡眠と休息を必要とする人間である事すら偶に億劫になる程に。

 

「(また少し無茶を強いる事になってしまいますけれど……あぁ、でもそれだと……)」

 

 また、レイに怒られてしまう。

 自分を大切にできない人間に、国は守れないと叱られてしまうかもしれない。

 

 それでも、やらなければならないのだ。

 それが、クレア・リーヴェルトが選んだ道。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のならば、見合った対価を差し出すのは当然だ。

 

 

 そんな、各々の思惑が交差し合う中、RF社代表への報告会は幕を閉じたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

「すまなかった」

 

 場所は変わって上階の24F。ラインフォルト家の宅階ともなっている此処の談話スペースで、ソファーに座ったクロウが開口一番そう言って謝罪した。

 

「まさかそんなヤベェ奴が居たとはな……いやマジで、加勢できなくて悪かった」

 

「そんな、気にしないでよ。クロウはクロウの仕事をしただけじゃないか」

 

「エリオットの言う通りだ。クロウが気に病む事じゃない」

 

「ん」

 

 リィン達としても、途中で鉱夫たちを逃がすために別行動を取ったクロウを責めるつもりなど毛頭なかった。元より、誰かがやらねばならなかったことだ。それを否定するつもりはない。

 

「シャロンさんは……どうなんだ?」

 

「失血がそこそこあったから、少なくとも後一週間くらいは安静だな」

 

 そう告げるレイの表情は、お世辞にも平静を保っているとは言い難い。シャロンの方の様子を告げている時は猶更であった。

 リィンとて、目覚めたのはつい先ほどの事だ。未だに体には倦怠感が残ってはいるものの、この報告会の席に出席できる程度には回復できている。……が、シャロンはそうもいかない。

 

「……ねぇ、シャロンさんに何があったの?」

 

 エリオットはようやくその問いを口にすることが出来たが、レイは口を閉ざしたまま答えない。……否、答えられない。

 そうなれば、彼らにはもうレイを追及する事はできない。既に半年近い付き合いである。この一件が彼に掛けられた”呪い”に抵触する事であるならば、それは仕方のない事だから。

 

 

 

 

「よろしければその疑問、私がお答えしましょうか~?」

 

「うわっ⁉」

 

「うおっ⁉」

 

 唐突に挟み込まれたその声に、エリオットが本気で焦ったような声を出し、その声に驚いてクロウもソファーの上から滑り落ちそうになる。

 そんな良いリアクションを見て、乱入してきた声の主は一層口角を吊り上げた。

 

「いやぁ、新鮮な反応ですねぇ。ウチじゃあどうもこういった不意打ちは驚いてくれなくて」

 

「それはそうでしょう。この程度の隠形に騙されるほど軟な鍛え方はしていません」

 

 両者とも外向きのスーツを着込んだ二人は、それでもただならない雰囲気を若干ではあるが醸し出し続けている。

 彼らとて、正真正銘の一般人(カタギ)を相手にする時は一切の殺気を抑えるだけの技術はある。それは一流の猟兵の流儀のようなものだ。

 

 それをあまり気にしていないという事は、少なくともこの二人がⅦ組の面々に対して多少は対等に扱う心意気があるという証明でもあった。

 

「何だ、お前ら。イリーナ会長との話が終わったら帰ると思ってたんだが」

 

「この後近くに宿を取ってありますのでご安心を。会長に許可を頂き、この機会を設けていただきました」

 

「というかレイさん、クール過ぎませんか~? 久し振りに会えたのに~」

 

「前にクロスベルに来た時に堂々とインサイダー持ち掛けてきたお前に対して油断するつもりなど毛頭ない」

 

「アレは普通に冗談だったんですけどねぇ。詐欺でしか稼げないのはただのド三流ですよぉ」

 

 流れるようにレイの隣に座ったカリサへ、リィン、エリオット、クロウの視線が集まる。しかしそんな好奇の視線などものともしないかのように、彼女はニヤニヤと笑っている。

 それとは対照的に仏頂面のままのゲルヒルデにはフィーが未だ警戒する猫のような視線を向けていた。

 

「……カリサの事はお前らもう知ってるだろうから、もう一人の紹介をしておこうか。

 ゲルヒルデ・エーレンブルグ。猟兵団《マーナガルム》の実行部隊の一つ、《三番隊(ドリッド)》の副隊長だ」

 

「一応見知りおきなさい。私は、カリサ主任やツバキ隊長のように貴方方を特別扱いするつもりはありませんので、その点は留意を」

 

 蛇に睨まれた蛙、というのはまさにこういった状況を指すのだろう。クロウはまだしも、エリオットは完全に圧されている。

 ……それでも視線を外さない辺り、彼も少しは修羅場に慣れてきたという事だろう。現にリィンは、その一睨みで倦怠感など忘れてすぐさま臨戦態勢に移行しかけたくらいだ。

 

 

「まぁ、私たちの事よりも、です。シャロンさんの事でしたね~」

 

「は、はい」

 

「……それ、私にも聞かせてください」

 

 すると、25Fのペントハウス部分から降りてきたアリサが声を挟んできた。

 その表情はやはり少しばかり憔悴しているように見え、それだけでもレイたちの心を痛めるのは充分だったが、彼らが目を見張ったのはその後ろにいた人物。

 

 

「シャロン、お前、まだ動いたらダメだろうが」

 

「ふふふ、心配していただきありがとうございます、レイ様。ですが、もう大分良くはなりましたので」

 

「だからってお前……血ィ失ってんだから……あぁ、もう」

 

 アリサの後ろに続くように覚束ない足取りで現れたシャロンの下に駆け寄ったレイは、彼女に自分の肩を貸す。

 いつものキッチリとしたメイド服ではなく、ゆったりとした部屋着の上にストールを羽織ったその恰好は、声色も相俟ってどこか弱弱しさを感じさせた。

 

「……ごめんなさい、レイ。一応ちゃんと休んでてって言ったんだけど」

 

「おいおい、お前までそんな顔すんなっての。分かってるから。……悪ぃけど、なんか温かい飲み物でも用意してやってくれ」

 

「えぇ、分かってるわ」

 

「あぁ……本当に申し訳ございません、お嬢様」

 

「……こんな時までメイド根性出してるんじゃないわよ。たまには私にも貴女を労わせなさい」

 

 そう言ってアリサはキッチンへと走り、レイはシャロンをそのままソファーに腰かけさせた。

 ありがとうございますと、そう呟くように言った姿はまるで病弱な深窓の令嬢を思わせる。―――不謹慎にも美しいと、そう思ってしまう程には。

 

「皆様にも、ご迷惑をお掛け致しました。皆様が奮闘なされる中、(わたくし)だけがこのような有様で倒れてしまい……」

 

「そんな……顔を上げてください、シャロンさん」

 

「迷惑なんて、全然思ってないから」

 

 彼らの言葉は、まさしく本心なのだろう。シャロンが戦った相手が、彼女が不覚を取る程に強い相手であったならば、そんな存在を相手取ってくれた事に感謝こそすれど謗る事など有り得ない。

 だが、シャロンからすればそれで済まされる事ではない。彼女にとって死戦での敗北は蔑まれるべき事なのだから。

 

 メイドとしての全てを棄て、”何もない”暗殺者へと立ち戻って戦っても尚―――勝ち得なかった自分に”価値”などあるのか。

 

 

 

「アホな事考えてんじゃねぇぞ」

 

 コン、と。肩叩きよりもなお弱い力でシャロンの頭をレイが小突く。

 

「お前がここ(ラインフォルト)に来てから積み上げた人生は、たった一度の敗北で全部崩れるようなモンじゃないだろうが。……この程度で、お前の価値は絶対変わらねぇよ」

 

「…………」

 

 普段のシャロンであれば、こういった弱音は例え抱いていたとしてもメイドとして仕えている者達の前では絶対に漏らさなかっただろう。

 死に瀕して一時的に弱気になったのかと言うと、それも違う。これでも彼女は元《結社》の《執行者》。その名の通り幾度も死線を潜り抜けてきた強者だ。

 

 だが彼女は、それでも些か「仕える者」としての側面が強くなった。

 完全無欠なメイドとして、致命的な一つのミスを許容できず、妥協しなくなった。

 

 そして何より今回は―――心の底から女性として慕う少年と、メイドとして仕え慕う少女の()()()()()()()()()()()という事実が、彼女の心の一部を解れさせた。

 

 まぁだからと言って、他ならないこの男(レイ)がそれを放っておくわけがない。

 

 

「安心しろ。お前が仕えてるお嬢様もその仲間も、ちっとばっか厄介なだけの相手に一方的にしてやられ続けるレベルはとっくの昔に卒業してる。……お前が一回くらいミスったところでリカバリーは充分利くんだ」

 

 

 もう、守られるだけの存在ではない。

 必要としていないわけでは決してない。ただ、一度程度の失敗を笑って吹き飛ばせるだけの成長は既にしている。

 

 特にアリサにとっては、それが出来るだけの力を付ける事が、目標の一つだったのだから。

 

「あ……」

 

 レイにそう言われた直後、シャロンの頬を伝ったただ一筋の涙を見ることが出来たのは、顔を合わせていたレイだけだ。

 ある意味とても稀少な、少しばかり呆けたような表情を一瞬だけ浮かべた後、シャロンの翡翠色の瞳に再び凛々しさの中に蠱惑さを孕んだ色が戻る。

 

「……(わたくし)としたことが、まだまだ未熟でしたわ。皆様はとうに、こんなにもお強くなられていましたのに」

 

「シャロンさんたちに比べれば、まだまだ全然だけどね」

 

「そこら辺目指そうとすると、マジで”武人”としての覚悟が必要になるからなァ」

 

 エリオットとクロウのそんな言葉に、それまで珍しく静観していたカリサがクスクスと笑った。

 

「うーん、やっぱり時間と場所というのは人を変えますねぇ。あぁ、勿論良い意味で、です。……《結社》に居た頃より、よっぽど生き生きしてるじゃないですかぁ」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――という言葉を飲み込む程度の善意はカリサにも、そしてゲルヒルデにもあった。

 

 嘗ての彼女、〈クルーガー〉としての姓を持たず、ただ純粋な人殺し人形《告死戦域》と呼ばれていた頃のシャロンの”暗殺者”の姿に僅かでも魅せられていた者であれば尚の事。

 冷静に、客観的に、ただの事実として言うならば、今の彼女に以前のような”強さ”はない。”暗殺者”としての高みを目指すのであれば、些か彼女は俗世に染まり過ぎたと言えよう。

 

 闇に生き、闇に死するのが暗殺者の本懐なれば、一度大輪に照らされた者が再び闇に染まる事は出来ないのだから。

 それは、シャロンも分かっているのだろう。カリサとゲルヒルデが空気を読んで敢えて言わなかったことを噛み締めるように、一つ頷いた。

 

 

 やがて、アリサが人数分の紅茶を淹れて、トレイに乗せて持ってくる。

 それに全員が一口ずつ口を付けたところで、カリサは話の軌道を戻した。

 

「う~ん、それでどうしましょうか。折角シャロンさんご本人がいる事ですし……あぁでも一応”古巣”絡みですし、私からお話しするのが筋というものですかね~」

 

「……やっぱりこれも《結社》絡みで?」

 

「そうですねぇ。実際この情報普通なら数百万ミラ以上からのモノなんですけど……まぁ皆さんレイさんのご学友ですし? 今回は先行投資(ロハ)でご提供しましょう」

 

「初めからタダで話す気ならわざわざ遠回しにプレッシャー掛けるの止めろよお前」

 

「学生の内に”商人”のえげつな~い本性の一端くらいは見た方が良いと思いますけどねぇ。商品を扱う人間は善意で動いてるわけじゃないですし~」

 

「また本題からズレかかってると知りなさい、カリサ主任」

 

 尤もな指摘を受けたカリサであったが、すぐさま彼女はスーツのポケットの中から手の内に収まる程度の小さな小瓶を取り出した。

 その中には、無色透明―――本当にそこに存在しているのかどうかすら怪しい程に澄んだ色の液体が少量収められていた。

 

「これは、『毒』です。レイさんをノルド近くで死に至らしめかけたそれよりは数百倍薄いですが、今回シャロンさんを命の危機に陥れたそれと同じモノ」

 

「っ……‼」

 

「……おいカリサ、お前これ何処で手に入れた」

 

「ふふふ、何を言ってるんですかぁ、レイさん。―――私とミランダ主任の手の広さは、貴方もよーくご存知の筈では?」

 

 合法・非合法を問わず、資金があればあらゆる品を調達するのが《兵站班》主任である彼女の仕事だ。

 そしてこの、非合法もかくやという品を入手した経緯には、間違いなく《経理班》主任であるミランダ・レイヴェルも噛んでいる。

 

「《医療班》のレイフェン主任が抗体を作るのに苦労していた程の代物でして、体内に侵入した瞬間に激痛と麻痺と吐血……その他諸々の症状を引き起こす即効性の非常に高い毒です」

 

「そんな、ものが……」

 

 シャロンの体を蝕んだのかと、アリサは顔を青くしたが、隣に座っていた当の本人がアリサの手の上に自分の掌を乗せる。

 こうして生きているから問題は無いと、そう理解させる行動に、気持ちも僅かに落ち着いていく。

 

「俺ン時は”原液”をブチ込まれたんだな。……稀釈したブツが闇ルートとはいえ流れてるって事は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()になったって事か」

 

「流れている、と言っても本当にごく少量ですけどねぇ。解毒薬が存在していない以上盛られれば毒死は確定ですから、そんな危険な代物は”裏”の人間であっても滅多には使わないものです。……まぁそんな無茶苦茶な毒を制せるのがレイさんなんですけど」

 

「……それが前にレイが話してくれた……その、レイの”呪術師”としての血……って事?」

 

 タブーに関わるかもしれない事の為おずおずといった様子で口にしたアリサだったが、当の本人はまったく気にしていないような様子でその言葉を継いだ。

 

 

「他の術師(トコ)はどうだか知らねぇけど、とりわけ〈アマギ〉の一族の毒物・薬物耐性は高い。門外不出の術を口伝で教えるようなところは、暗殺でもされれば永久に術が継承できなくなるからな」

 

「……その中でも、毒による暗殺に対抗できるように進化していった、ってトコか」

 

「血を濃くすればする程、その特徴は顕著になっていく。極少量でも一度体内に入った毒物に対する絶対的な耐性を獲得する、超回復体質……〈アマギ〉の一族はその体質に一切の濁りを入れない為に、万物への変化を伴う魔力を受け入れる事を良しとせずに―――末裔の血を()()()()()()()()()()退()()()()()()()()()

 

 そして、そういった一族体質は女性の方から100%遺伝する。

 だからこそ〈アマギ〉一族は、一族の中だけで近親交配を続けていた。より《天道流》を扱うに相応しい”完成系”を求めて、何十年も、何百年も。

 

「まぁそんなプライドが際限なく高い連中だったから、外の血を取り込もうなんて全く思ってなかった。ただそれでも……究極の術者を作り出すために外の人間を”使って”いた事はあったのさ」

 

「っ……それって……」

 

「察しが良いじゃねぇかリィン。……〈アマギ〉の正統継承者の血を与え、術式を組み込むことで体の良い”生贄”を作り出す―――そんなクソ下らねぇ術の知識も受け継いでたんだよ、俺は」

 

 果たして”ヒト”の身でどれだけの術式の負荷に耐えられるのか、どの程度までの毒であれば即死せずに超回復が発動するのか―――そういった実験じみた研究を行うためだけに作り出された生贄。

 〈アマギ〉の中では”卑隷”と呼ばれ、ただ使い潰されるためだけに生み出される存在達。愛も情も一切受けず、ヒトとしてすら扱われず、ただモノとして終わりを迎える存在を作り出す術式。

 

 

「―――お嬢様」

 

 暫くの沈黙の後、口を開きかけたアリサを、直前でシャロンが制する。

 だがアリサは、無言で訴えかけるようなシャロンの瞳を見て、はぁ、と一つ溜息を吐く。

 

「何よ、シャロン。もしかして私がレイを責めると思った? 私が訊きたいのはそんな事じゃないわ」

 

「正直お前には、殴られるくらいは覚悟してたんだがな」

 

「バカなこと言わないで頂戴。……レイ、貴方の言葉通りならシャロンは貴方の血と術式で貴方と同じような体に”変わった”。なら、それに伴ってシャロンに生じたデメリットを教えて頂戴」

 

 彼女自身が言っている通り、その声色にも表情にも、レイに対して憤怒しているという様子はない。

 彼女はただ、自分の「家族」に起きた変化を可能な限り詳細に訊こうとしているだけだ。納得しかねている部分は確かにあるが、死ぬか生きるかの分水嶺に立たされたそんな状況で、「シャロンを生かす」という手段の中で最大の成功率がある手段を取ったレイの事を責める気持ちには、そうしてもなれなかった。

 

 

「……三つある。

 一つは俺と同じように”魔力”が使えなくなった事。薬物・毒物に対しての高度な抵抗力を手にした代わりに、体内が俺と同じカタチに”書き換わった”。今のシャロンは、身体の中に呪力が定着し始めてる頃合いだろう。

 二つ目は、”呪力”のデメリットと向き合わなければならなくなった事だ」

 

 《天道流》の呪術が「他者を呪う」のではなく「神性存在の封印」に長じた術であるとはいえ、その大元となる”呪力”はやはり「呪い」の為に使われるためにある存在だ。

 レイはその力を魔力や氣力と同じように身体能力向上や戦闘用に練り上げて使えるように()()()()()が、外から呪力を与えられたシャロンはそう上手くはいかない。正しい形で呪力を体に定着させなければ、呪いの効力が牙を剝くことになる。

 

 幸いだったのは、シャロン・クルーガーという女性が元々呪力との適性が高い事だった。

 レイからしても呪力を定着させるのに最低でも一週間は覚悟していたのだが、この様子では二日もあれば無事に定着するだろう。

 

 無論、無事に定着した後も呪力の扱いは一歩間違えれば同じように「自分を呪う」危険性を孕んだモノであり、その辺りの指導もレイは責任を持つつもりである。

 

 

「そんで三つ目は……あー……いや、コレは俺が伝手を使って何とかすれば済む話なんだが」

 

「?」

 

「一度は俺を除いて()()()()〈アマギ〉の血がもう一度生み出されたってなると、《教会》と《結社》が面倒臭い動きをする可能性がある」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 

 その問題に言葉を挟んだのはリィンだった。

 果たしてそれに深く突っ込んで良いのかどうか、その思案を巡らせながら、それでも意を決して訊く。

 

()()()()? レイを除いて、今は一人も……残っていないのか?」

 

「……その通りです、リィン・シュバルツァー。〈アマギ〉一族は特別顧問(レイ・クレイドル)を残して、一人残らず”狩り取られ”ました」

 

 リィンの言葉に答えたのはレイでもカリサでもなく、立ったまま腕を組んで聞いていたゲルヒルデだった。

 

「詳細は《結社》の守秘義務に抵触するために言えませんが、〈アマギ〉一族は七耀教会と《身喰らう蛇》、その両者にとって看過できない”禁忌”を侵したため、《執行者》となっていた特別顧問を除き根絶やしにされました。……老いも若きも、男も女も、”卑隷”へと貶められた者達も、一切の貴賤なく、ただの一人も残すことなく」

 

「まぁ人数自体は結構居たみたいなんですが……《結社》最強の人狩り集団が動員されてましたからねぇ」

 

 文字通りの根絶やし。《結社》を脱退した時のレイが暫く《守護騎士(ドミニオン)》に追われる生活を続けていたのも、そういった事情が含まれていた。

 

「……その作戦の渦中には俺も居た。専ら俺が”処理”してたのはヒトじゃねぇ”ナニカ”に変貌しちまってた老害共だったがな」

 

「…………」

 

「まぁ、そういった経緯がある呪われた一族だ。そんな殲滅劇をやっちまった所為で古巣や教会共がちょっかいを掛けてくる可能性があるが……さっきも言った通り伝手はある。シャロンに害が及ぶようなことは俺が許さねぇ」

 

 外から呪力を差し込まれて”作り変えられた”場合、純血の〈アマギ〉とは違って、呪術師の遺伝子を後世に残す事は無い。

 その事情を加味すれば、強引にシャロンへの敵意を消滅させることは充分に可能だ。……少しばかり手回しに色を付ける事は必要になるだろうが。

 

 

「……シャロンは」

 

「……はい」

 

「シャロンは、”こう”なった事に納得してる?」

 

 アリサの問いに、シャロンは一度の頷きを以て答えた。

 

「勿論ですわ、お嬢様。……魔力を扱えなくなったことでご迷惑をお掛けしてしまう事はございます。ですがそれは、(わたくし)の力不足が招いてしまった事。如何なる処罰もお受けする所存ですわ」

 

「嘗めないで頂戴。……私もお母様も、その程度で貴女を見限る程冷めてはいないわ」

 

 それに、とアリサは続ける。

 

「私にとっては、貴女が生きてくれていたことが何より嬉しかった。……ありがとう、レイ」

 

「……約束しよう。シャロンを”こう”してしまった責任は、俺が生涯をかけて償う」

 

 レイは真摯に、冗談など欠片も含まない声色でそう宣言した。

 改めてそう言わずとも彼の気持ちなど初めから分かっていたアリサだったが、それを聞いて安堵する気持ちは隠せなかった。

 

 彼女にとっては、幼少期からずっと共に居てくれた家族だ。血の繋がりなど無くとも、そこには確かに姉妹のような繋がりがあった。

 例えシャロン自身がそれを望まなくとも、アリサは家族の幸せを願っていた。いつの日か彼女も、メイドとしてではない自分を晒け出せるような異性と幸せになって欲しいと。

 

 よもやその異性がクラスメイトとなり、かなり滅茶苦茶な存在であったことに乾いた笑みが出そうになったこともあったが、彼と接する時のシャロンの心の底から幸せそうな笑みは忘れられなかった。

 現に今も、メイドとしての役割を忘れて頬を僅かに赤らめているシャロンの姿に、思わずアリサの方までニヤけてしまいそうになる始末だ。

 

 ―――なら、今度は自分の番だろう。

 

 姉替わりの女性が命を懸けてまで想い人への想いを貫く選択をしたのだ。ならば、自分もそろそろ覚悟を決めなくてはならない。

 

 

 そんな雰囲気を知ってか知らずか、会話の流れを断ち切るようにカリサが一つ手を打った。

 

「さて、気付けばかなりお邪魔してしまってましたし、私たちはこの辺りでお暇させていただきますねぇ。あ、アリサさん、お茶ご馳走様でしたー」

 

「あ……ありがとうございました、カリサ、さん。色々と手伝っていただいたり、話してくれて」

 

「いえいえ~、気にしなくて結構ですよぉ」

 

 複雑な思いを色々と抱えながらリィンが代表して礼を言うと、カリサは思っていた通りの言葉を返し、しかし極めて自然な動きでリィンの近くまで寄ると耳の近くで囁いた。

 

 

 

「皆さんとは長いお付き合いになりそうですからねぇ。―――もし何かありましたら、私たちの存在を思い出してください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

『……そう。クレア大尉経由で一応聞いてはいたけれど、ルーレも大変だったのね』

 

「危うく犠牲が出る一歩手前まで行った。……《結社》の連中、そろそろマジで本腰を入れてくる頃合いだ」

 

 ARCUS(アークス)越しに聞こえるサラの声はどこか悔しさを滲ませたそれであったが、既に解決した事に茶々を入れても仕方がない。

 だが、帝国を取り巻く危険度は下がるどころか急上昇を続けている。エレボニアでの活動を任されているのが第二使徒(ヴィータ・クロチルダ)第四使徒(イルベルト・D・グレゴール)の二人であると再確認できた以上、本格的に”仕事”を始めるのはそう遠くない未来だろう。

 

「悪いが、リィンとシャロンの容体がまだ完全には安定してない以上、あと一日はルーレに滞在したい。学院への報告を頼めるか?」

 

『分かってるわよ。……オルディス組の方も厄介な連中と戦闘したらしいから、そこら辺はどうにでも融通は利くわ』

 

「サンキュー。……あぁ、それと、できれば委員長の方へ連絡してくれ。『魔女の一人として、リィンの封印を一任したい』ってな」

 

『……それも了解。全く、たった半年で頼もしく育ったモンだわ、アタシの生徒たちは』

 

「同感だ。相手側の戦力が戦力だからアレだが、遊撃士として見たら全員相当優秀な部類だぜ、ありゃあ」

 

 そう言ってお互いに笑いながら、レイはARCUS(アークス)の電源を切った。

 

 RFビルの屋上。今日の騒ぎでヘリポート部分は事実上閉鎖状態になっており誰も居らず、吹き抜ける風の音だけが耳朶に響く。

 ルーレ市内に於いて、この建物より高いのは鋼都ルーレを支える四基の導力ジェネレーターくらいのものである。都市を囲むように設置され、その威容を誇示するように輝くそれを、レイは何の感慨もなく見つめていた。

 

 未だ何処か生温いさが残る風も、不思議と不快ではない。自販機で購入した缶コーヒーを喉奥に流し込んでいると、背後から足音が聞こえてきた。

 

 

「……此処にいたのかよ、探したぜレイ」

 

「何だ、てっきり俺が屋上に行ったことくらいは知ってたと思ったんだがな、クロウ」

 

 セットが崩れかけている銀髪を揺らして、クロウ・アームブラストはそこにいた。

 よう、と片手を挙げ、同じように缶コーヒーを片手にいつも通りの気安さで話しかけてくるその姿に、レイは苦笑した。

 

「皆は?」

 

「リィンはアリサに連れられて部屋に戻った。シャロンさんたちもそれぞれ部屋に戻ったぜ」

 

 今日は流石に疲れただろうしな、とクロウは後ろ髪を掻く。

 その様子を見ながらレイはコーヒーを全て飲み干し、近くに設けられていたゴミ箱にスローイングする。

 カラン、という乾いた音と共に、レイの左眼もクロウに倣うように笑った。

 

 しかしクロウは、その”意味”までは読み取れなかった。

 

「お前の方もお疲れさんだったな。ルーレ滞在中に学祭の予定も詰めようと思ったのにこの有様だ」

 

「いやぁ、さっきも言ったけどよ、俺は何も出来なかったからな。お前らにゃ本当に迷惑をかけたと思ってるよ」

 

「ん? あぁ、鉱夫達を避難させた事か。いや、悪ぃ悪ぃ、俺が言ってんのそっちじゃなくて―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「折角綿密に組んでたザクセン鉄鉱山襲撃の計画が、自然災害みてぇなクソ《使徒》の所為で仲間諸共塵みたいに消し飛んじまった事に対してだよ。―――同情するぜ、《C》殿?」

 

 

 

 

 

 

 

 その笑みは”慈悲”でも”寛容”でもなく。

 

 

 どうしようもなく、”不敵”で”挑発的”な、敵対者としてのそれであった事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 終わったと思った? 残念もう少し続くんじゃよ。
 12月が師走と呼ばれる所以を実感している十三です。こんばんは。

Q:つまり今のシャロンさんってどういう感じ?
A:「魔力消失(デメリット)」+「呪力獲得」+「毒、薬物超耐性&超回復付与」+「呪力暴走可能性付与(デメリット)」+「《教会》や《結社》の怖い人達(直喩)に追いかけまわされる可能性付与(デメリット)。しかしレイの手回しによって多分大丈夫」
 ってな感じ。

Q:「殺人戦技(マーダークラフト)」とは?
A:「殺人」という一点に尖らせた戦技(クラフト)の総称。エゲツないのしか揃ってない。

Q:クロウは一体何をしていたんだ。
A:いやだってこんな観察力準チートクラスの連中が集まってる中で原作みたいな茶番やっても誰も信じてくれないじゃん……どうしようもねぇじゃん……。



 閃Ⅳの情報公開ですなぁ。来年の秋まで何があっても死ねんぞコレハ。
 ……サイトトップのリィンの姿に絶望しか感じねぇけど大丈夫かなコレ。というかこれ、完全にその……リィン君が囚われのヒロインみたいになってんだけど。

 というか閃Ⅳ終わってもまだ《水》《風》《時》の至宝が放置されてるから……まだまだ続きますね万歳‼



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鋼都に落ちる熱情






「時間がすべて解決するというのは嘘だ。 すべてを忘却の彼方に追いやってどうでもいいものにして台無しにして、問題そのものを風化させるだけだ」

       by 比企谷八幡(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。)









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古来より、「人を疑う」という行為は度が過ぎれば身を滅ぼす良薬だ。

 

 人が良い、というのは確かに美徳だ。他者を信じることが出来なければ、人は本当の意味では生きていけないのだから。

 

 だがこの世界は、信じるだけで救われる程優しい世界ではない。

 正直者が馬鹿を見るという言葉は正しい。世の中はいつだって、人を騙し、欺き、蹴落とす事で益を得る者達が少なくない数蔓延っているのだから。

 

 

 

 故にこそ、”懐疑”というのは処世術の一つにもなる。

 

 それについて言うのならば、レイ・クレイドルという少年が辿った半生の大半はその処世術に彩られていたと言っても過言ではない。

 

 誰を疑い、誰を信じ、何を嘘とし、何を真実とするのか。

 懐疑も、虚構も、騙欺も、毛嫌いする事は無かった。何故ならそれらは人間が持つ宿業の切れ端であり、それらをすべて否定し、排除しようとすれば―――自分がどうにも()()()()()()()()のような何かになってしまいそうで怖かったというのもある。

 

 人の良い側面、光の部分だけを見て生きて行けるような生き方が出来なかったからだろう。

 

 初対面の人間を見れば、まず真っ先に疑う。それが自分にとっての、仲間にとっての敵対者に成り得る存在か否か。

 だが、それを表面に出すのはまだ二流だ。人を疑うのに手慣れた者は、表面的には笑顔で好意的に接し、そして腹の奥底で睨みながら疑い尽くすのだ。

 

 レイから見れば、アリサもユーシスもあと少しと言ったところ。

 この汚れ役とも言える役目を遂行できる人物には、どうしても先天の才と、そして生まれ育った環境が大きくものをいう。

 彼らは、幸か不幸かこの役目を負うに足りる経験をして来た。―――本来はこのような経験は不要であるに越した事は無い。それでも秀でた事を一つ持つという事は、世の中をうまく生き抜く要素の一つとしてはとても貴重なものだ。

 

 だが、どうしても経験の絶対量が乏しい。人を骨の髄まで疑い尽くす事が出来ていない。

 だからこそ、だろう。彼らは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ―――それは本来正しい事だ。真に信じるべき者まで疑ってしまったら、いつか何も信じられなくなる。何も信じられなくなれば、待っているのは孤独だ。

 信じるべきものを信じれないのは”人でなし”の所業である。いつかその域に足を踏み入れなければならないのだとしても、今はまだ学生の範疇から抜け出さない方が良いと思っていた。

 

 その方が幸せだ。例え表面上であっても自分を慕ってくれた者、同じ釜の飯を食った者を「裏切者」として吊るし上げる行為は胸がすくものではないのだから。

 

 

 

 だからこそ、レイは進んでその汚れ役を引き受ける。

 

 顔は笑ったまま、心は笑わず。

 良心を凍てつかせ、常識を忘却の彼方に追いやって。

 

 

 害と成り得るものを、排除するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

「……いつから気付いてたんだ?」

 

「最初から違和感だけは持ってたさ」

 

 

 声が低くなったクロウの問いに、レイはあっけらかんとした様子で即答した。

 

「腐っても士官学院生だって事を考慮しても、お前の一挙手一投足には隠し切れない()()()()()があった。……そういうのが欠片でもあるととことんまで疑い尽くすからな、俺は」

 

「……流石は元《結社》の《執行者》ってトコか」

 

「《執行者》の中でもそういうの得意なのと苦手なのいるけどな。疑うスタート地点はまだ良いとして、探り入れるのを面倒臭がって直接手段で聞き出そうとする脳筋がいるからタチ悪ぃんだあそこ」

 

「待て、さてはお前割と平常運転だな?」

 

 何を今更、とレイは自虐気味に笑った。

 

「俺にとって他人を疑うのも信じるのも平常運転の延長線上だよ。そこら辺特別扱いすると疑う時に不自然でバレるからな」

 

「ハッ、成程。そんじゃあ俺は今までずっとお前の疑いの中に居たってわけだ」

 

「んー……まぁそういう事になるわけだが、正直お前の戦い方を見るまでは片手間の疑いだったんだよなぁ」

 

「………………」

 

 そも、中・遠距離戦を得手とする者の動き方と、近距離戦を得手とする者の動き方は絶対的に異なるものだ。

 『トールズ士官学院特科クラスⅦ組 クロウ・アームブラスト』としての彼の戦い方は二丁銃を使った中・遠距離戦。だがレイは、最初に彼の動きを見た時に隠し切れない「近距離戦の癖」を既に見破っていた。

 それだけならばまだ良い。様々な得物を扱い、それに応じた動きを会得している者は少なくない。そういった経験が生き残る要素にもなり得るからだ。

 

 しかし、彼の動きから垣間見えた近距離戦の癖は、少なくとも”準達人級”に至った者のそれであった。

 それだけの階梯に至った者が獲物を変えて戦うという事態はそこそこ珍しくはある。カシウス・ブライトのように一身上の都合で得物を変える武人もいなくはないが、クロウの場合は近距離武器と中・遠距離武器の両方を併用して扱っているかのような曖昧さがあった。

 

 強さの中に”虚ろ”がある。それ自体は珍しいものではないが、クロウ・アームブラストのそれは些か特異なもののように感じられたのだ。

 

「お前が帝都の特別実習の後にⅦ組に編入してきたのは、《C》とお前の関係性を薄くする為だろ? 同時にミリアムが入ってきたせいでそこら辺の印象が妙にアイツ(ミリアム)の方に吸われたからな」

 

「……最初からそこまで分かってたんなら、何で俺らの関係が細い時に言わなかったんだ?」

 

「しばらく泳がせておこうと思ったんだが、正直予想外の事態が起き過ぎて俺は自分の事を処理するのに手一杯だったからな。……お前らの方だってそうだろ?」

 

「まぁ、確かに《結社》の奴らが割と好き勝手やった所はある、な」

 

 特に《執行者》No.Ⅳのザナレイアと《使徒》第四柱のイルベルトの存在は《帝国解放戦線》にとっても厄介この上ない存在であった。

 前者は協力を望むような精神状態ではなく、後者はもはや何かの鎖に繋いでおくという事自体がほぼ不可能な存在だ。

 

 クロスベルのオルキスタワー襲撃の際は最初から犠牲覚悟の作戦であったが、今回のザクセン鉄鉱山占領の作戦では完全に予想外の展開になってしまい、クロウとしても静観を余儀なくされた。

 更に今のこの状況。控えめに言って最悪と言わざるを得ない。

 

 

 クロウが見る限り、レイ・クレイドルという少年は例え仲間として在った者であろうとも、己の敵として見なした以上は一切容赦をしない、躊躇なく殺すまで出来る人間だ。

 マトモに戦えば、クロウに勝機はない。どう足掻いても付け焼刃に少し価値が着いた程度の実力である自身が、地獄の中でひたすらに練磨を重ねた本物の”達人級”に叶う道理など無いのだから。

 

 

 そんな事を思った直後、レイの顔のすぐ真横、彼の髪の一部を抉り取るように()()()()()()が通り抜けた。

 ルーレの闇夜を貫いた一条の弾線。しかしレイはそれに背を向けたまま一切回避しようとはせず、髪の一部が千切られ風に舞う様子を確認してからも慌てたような様子も、臨戦態勢に入ることも無かった。

 

 その異常な胆力を目の当たりにし、クロウは流石に目を見開く。

 

「お前、心臓に毛でも生えてるのかよ」

 

()()()()()()()()()まで躱すつもりはねぇよ。……だが腕の良い狙撃手(スナイパー)を抱えてるみたいだな。殺意が感じられなかったし、何より此処にいる俺を狙うんなら少なくとも4000アージュ以上は離れてる導力ジェネレーターのどれかから狙うしかねぇんだが」

 

「……それでも普通の人間なら冷静にはなれねぇよ。やっぱイカレてんぜ、お前」

 

「”達人級”まで至った武人なんて、全員何処かしら頭イカレてるさ。矯正したいなら、二射目で俺の頭をブチ抜くしかないんだが?」

 

「お前が二射目を許すタマかよ。……何で殺す気がないって分かった?」

 

「お前らにとって、その方が都合が良いからだ」

 

 驕りも自惚れもなく、レイは自身にそれだけの危険性がある事を理解していた。

 

 実際、彼が死ぬことで出る影響は大きい。それだけの影響力を各方面に持つだけの実績と魅力が確かにあるのだ。

 実質彼の配下のようなものである猟兵団《マーナガルム》や、彼を慕う者達が計画を壊滅させる勢いで怒り狂うだろう。そうでなくとも、「自分が殺せなかった」というその事実が、既に狂ってしまっているあのザナレイアをどこまで狂い堕とさせるか分かったものではない。

 

 生かしておくのも危険だが、現時点では殺してしまう方が危険度が高い存在。

 そもそも、先程の超々々遠距離狙撃であったとしても彼を殺す事は出来なかっただろう。何食わぬ顔で顔を傾けて躱していたに違いない。

 

 《結社》という人外の巣窟で純粋培養された特級の”達人級”。《騎神》の力を借りたとしても一対一(タイマン)では勝ち切れる自信はない。

 そんな人間をわざわざエレボニアに、トールズに招聘したのは皇族の一人であるオリヴァルト・ライゼ・アルノール。彼がこういった状況すらも見越してレイという少年をクロスベルから呼び寄せたのだとすれば、その判断は残念ながら正しかったという事になる。

 

 神が生み出した”聖獣”を式神として従え、神格が零落していたとはいえ《始祖たる一(オールド・ワン)》の一角を再び限定封印せしめた、稀代の神性封印呪術の使い手。

 形在るもの、形無きモノ全てを”斬り伏せる”為に生み出された《八洲天刃流》の()()の正統継承者にして、伝説の剣士《爍刃》唯一の弟子。

 

 溢れんばかりの才覚をその身に宿しながら、ドス黒い運命の濁流の中という最も過酷な中でその種を芽吹かせ、魂さえも擦り切れるような練磨を以てして鍛え抜かれた武人。

 出来る事ならば、一番敵に回したくは無かった。そしてその強さが未だ発展途上の最中であることを考えれば、自然と背筋に怖気が走る。

 

 どうするべきか、この場に於いてどう決着を着けるのが正解か―――流石に焦燥感に駆られながら思考を巡らせていると、不意に近づいていたレイがクロウの肩を軽く叩いた。

 

 

「ま、そんな重く考えるなよ。少なくとも俺もお前も、この場ではお互いをどうする事も出来ない立場にあるんだからさ」

 

「……意外だな。てっきりお前は俺をどうこうすると思ってたが」

 

「生憎こっちはあのクソドS魔女に首輪つながれる身でな。それに、お前らが貴族連中や《結社》と組んでる以上、お前一人をお縄にしたところで大局はどうせ変わらん」

 

 ヴィータ・クロチルダという稀代の天才魔女が熱を上げている以上、クロウ・アームブラストをこの場で排除するという選択は得策ではない。……恐らくこの話し合いも、グリアノスを通じて何処からか覗き見しているだろう。何かあった場合はすぐさま対応できるように。

 

 慎重すぎる衒いがあるのは承知の上で、それでもなおレイはこの場では”何もしない”選択を選んだ。

 だがそれでも、釘を刺さずにはいられない。

 

「ただまぁ、アレだ。お前らがオズボーンをどうしようかは別に心底どうでもいいんだが……それを成すという事がどういう影響を与えるかはちゃんと理解してるんだろうな?」

 

「…………」

 

「オズボーンを討てば、燻ってる貴族連中も含めて必ず内戦が勃発する。領邦軍と正規軍の戦いだけで済めばそれが理想だが、戦争はそんな小綺麗なモンじゃねぇ。……何の罪もない、ただ日々を一生懸命生きているだけに過ぎない人々を戦火に巻き込み、少なくない犠牲を必ず出す」

 

 革命には犠牲が付き物であると人は言う。だが、そんな必要最小悪(コラテラルダメージ)を許容できるのは一部の者達だけだ。

 戦争の狂気は、容易く人を狂わせる。平時に見れば魔が差したと思われる行為が平然と繰り返される。―――死んだ方がマシだと思えるような苦痛が、珍しくもなく跋扈する。

 

 レイは犠牲を否定はしない。犠牲無くして成り立つ改革などこの世に存在しないのだから。

 しかし、生み出した犠牲を忘れて謳歌する新しい世界に意味など有りはしないだろう。直接的であろうと間接的であろうと、己が関わって犠牲となった人々の無念や怨念、それら全てを背負って死後煉獄の最下層に堕とされる憂き目を鷹揚と受け入れられる器の持ち主でなければ―――きっと何も得られないだろうから。

 

 

「―――当たり前だ」

 

 だがクロウは、間を空けることなく即答した。

 

「オズボーンを討とうが討てまいが、俺はロクな死に方はしねぇだろうし、死んだ後もロクな事にならねぇって分かってるさ。…そういうクズな事をしてるって自覚もある」

 

「――――――」

 

「女神サマとやらがどんなに慈悲深くても、国を一つメチャクチャにするような奴を赦す事はねぇだろうよ」

 

「何だ、結局俺もお前も、死んだらどうせ煉獄行きのクズ野郎同士じゃねぇかよ」

 

 クツクツと、嘲るような笑みが互いの口元に浮かぶ。

 

 極論、レイもクロウも似た者同士なのだ。

 憎しみを内側に抱えたまま、表では何事も無いように振る舞い続ける。犠牲の全てを割り切ることが出来ず、背負い、潰れ―――それでもなお責任感だけで立ち上がってひたすら歩き続ける贖罪の化け物。

 

「もし立場が違っていれば……ただのダチ同士で居られたのかもな」

 

「そうかもな。……何にせよ、もう既に遅い話だが」

 

「分かってんじゃねぇか。……帝国の未来云々以前に、お前の直接的な指示ではなかったとしても、俺の恋人を二度も死にかけさせた罪は―――いずれ必ず清算させるぞ」

 

 レイの左眼が一瞬、ほんの一瞬だけ殺意に彩られ、しかしその直後には再びお道化たようなそれに戻る。

 

 ならば、と。クロウにも怒りを示す権利があった。《帝国解放戦線》の幹部の一人、ギデオンを殺したのは目の前にいる少年なのだから。

 だが、流石にそれは的外れな怒りだと理解できている。あの場では、どうあれ彼は殺されていた。レイが手に掛けなければ、恐らく《赤い星座》の手によって醜く蜂の巣になって果てていただろう。

 元より、どんなに無様な死を晒そうが覚悟の上。そこに行けば、最低限人間としての尊厳を保ったまま殺してくれた彼を責める事は出来ない。

 

「お前は―――」

 

「?」

 

「……いや、何でもねぇ。―――あぁ、そうだ、一つ言い忘れてたことがあったんだ」

 

 そう言うとクロウは、茶化す様子もなくレイに向かって頭を下げた。

 

 

「ヴァルカンを助けてくれた事、感謝する。……まさか助けてくれるとは思ってもみなかったからな」

 

「あぁ、気にするな。アレはあのクソ野郎に対する俺のせめてもの意趣返しってヤツだ。……それにあの大男も、元猟兵団の団長やってたレベルの奴なら理性を取り戻しておいた方が後々面倒にならずに済むと思ったからな」

 

 嘗てギリアス・オズボーンへの襲撃任務に加担し、しかし逆に殲滅の憂き目にあった猟兵団《アルンガルム》の団長―――それがヴァルカンの前歴である事には既に気付いていた。

 

 ”猟兵”という存在は、決して無法者とイコールではない。自らが掲げる団のシンボルに誇りを抱き、厳格な規則に則って戦場を駆ける統制された殺人集団だ。

 だからこそ、そういった場所に身を置いていた人間から理性を奪ったまま、狂気だけを軸に暴れさせればその方が被害は甚大になる。そうした事情も加味してのあの処置ではあったのだが。

 

「しかし、お前も律儀だな。あの大男を助けた義理を果たす為に―――最後の最後まで隠しておく筈だった()()()()()をここで俺に見せたんだからよ」

 

「……何だ、気付いてたのかよ」

 

「さてはお前俺の事バカだと思ってるな? 4000アージュ以上の超々々遠距離狙撃が出来る奴なんざ、俺でも一人しか知らねぇよ」

 

 サラから聞いていた、《帝国解放戦線》のメンバーの中で未だ存在が確認されていない最後の一人。切り札(ジョーカー)

 《マーナガルム》の中でも最強の狙撃の腕を持つ《魔弾姫(デア・フライシュッツェ)》リーリエにも匹敵する狙撃の名手ともなれば―――成程確かに最後まで隠し通しておくに相応しいカードだろう。

 

 本来であれば、仲間を助けた義理であっても明かしてはならない存在。それを破ったという事は、事態は既にどうしようもないところまで進んでいるという事だ。

 

 加えてその情報がヴィータの呪いの範囲内である事も承知済みでのネタばらしという訳だ。今現在、《結社》の動きと《帝国解放戦線》の動きが密接に関わっている以上、《結社》の計画にも影響を与えかねない《帝国解放戦線》最後の切り札の情報に対してヴィータが対策していないわけがない。

 

 

「―――ま、いいさ。お前の義理も考えもひとまず受け取っておく。今日の所はひとまずこれでお開きにしようや。……つーか正直眠い」

 

「やっぱお前平常運転だったろ。……普通はこんな話しといて眠くなんてならねぇっての」

 

「ん、じゃあお前は一人で徹夜で学園祭の予定詰めといてくれ。―――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 真っ当な”学生”として生きられる、最後の催し。

 様々なものを犠牲に、笑みを仮面にあらゆるものを欺いてきたクロウであったが、改めてそう言われると満更でもない自分が確かに居た。

 

 トールズ士官学院学生という身分は、ただの偽りであった筈だった。大望を成す為だけに存在するただの虚影でしかない筈であった。

 それは恐らく、今でも変わっていない。時期が来れば全てを棄てる。そこで出会った人との思い出も、経歴も、その全ては塵に還してしまうだけのモノだ。

 

 ただそれでも―――それでもこの一時だけ、万が一億が一許されるのであれば、”こういう事をしていた”という微かな記憶だけは持ち歩いていたいと思うだけの感情はあった。

 それが傲慢だという事は理解している。いずれ全てを裏切る人間が、僅かでも「幸せであった」と感じてしまっていた事自体が赦されない事。

 

 だから、それはただの我儘だ。

 ”学生”としての最後の責務として、最高の思い出を作り上げる。例え儚いものになったとしても。

 

 とことんまで楽しませ、とことんまで輝かせるのが―――”先輩”として自分が残せる最後のモノであると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 コツコツと、コンクリートで固められた地面を不規則に叩く音が響く。

 その足音の主は顔を僅かに赤らめて、身に纏っていたレディーススーツを着崩してやや千鳥足で歩いていく。その背後には、対照的に一分の隙もなくスーツを着込んだままの人物が付いていた。

 

「ふぅ~、いやぁ~ついつい飲み過ぎちゃいましたねぇ~。なぁんでゲルヒルデさんはそんな素面なんですかぁ~?」

 

「この程度で酔う程の生易しい鍛え方はしておりませんので。それよりも相変わらず、貴方は酔うと更に面倒な喋り方になりますね主任」

 

「いいじゃないですかぁ~。折角”鋼都”には良いお酒がいっぱいあるんですからぁ~。仕事と仕事の合間くらい酔っぱらわなきゃやってられないですよぉ~」

 

「……貴女とミランダ主任が同時に酔うと、割と深刻に経済的な地獄を見る事になるので自重してくださいと申し上げた筈ですが?」

 

 そうでしたっけぇ? といつも以上に舌足らずな言葉を吐きながら、カリサ・リアヴェールは上機嫌なまま日付が変わろうとしているルーレの街を歩いていく。

 

 歓楽都市ラクウェルと並んで”不眠都市”としての特色が濃いルーレだが、深夜帯の中心街から少し離れた場所は流石に人通りが少なくなる。

 RF社から去った二人はその足で気分直しに近くのバーへと繰り出し、日頃の忙しさを紛らわせるように飲み明かしたのだが、酔い方は顕著に変わっていた。

 

 いつもの陽気さが更に輪をかけたカリサと、幾らアルコールを入れようとも酔った気配を醸し出さないゲルヒルデ。

 特に今回は久方振りにレイに会えたという事もあってグラスも進み、気付けばバーのマスターが若干引くレベルでボトルを空にしたこの二人は、事此処に至って漸くホテルへの道のりを進んでいた。

 

 

「いやぁ~、でもレイさんも幸せそうでしたねぇ~。漸く心が落ち着ける場所が出来たようでお姉さん大満足です~」

 

「……心が落ち着ける場所が常に安寧であるとは限りません。ましてやこの時世では、穏やかな場所ほど危うい」

 

「ゲルヒルデさんは相変わらず辛辣ですねぇ~。そんなにあのクラスメイトの方々が頼りなさそうに見えましたかぁ~?」

 

「その逆です。ある程度力が有るからこそ、目を付けられ危機に陥る事もある」

 

 特科クラスⅦ組の面々の実力を、ゲルヒルデは《マーナガルム》の実行部隊隊長格という立場からある程度は評価していた。

 だが、評価していたが故に、その危うさもまた理解していた。

 

「ある程度鍛えられ、死線を乗り越えてきた者達は、逆境に陥る状況に慣れてしまうものです。「あの時も乗り越えられたのだから、きっと今回も大丈夫だろう」と。

 ……ですがそれは愚かな思考です。人間は、そんなに都合よく生き残れるものではないのですから」

 

 それが当たり前のように罷り通るのは、レイのような死線が日常的に存在していた修羅の国の住人だけだ。死と隣り合わせであるのが日常であれば、それを乗り越える事もまた日常となる。

 だが、それまで生死の駆け引きとは無縁のようなものであった者達が危機を乗り越える状況に放り込まれて数ヶ月。なまじ実力を身に着けて”どうにかできる”程度の存在となれた―――その時が一番死神の鎌が首元に迫る時なのだ。

 

 ゲルヒルデ・エーレンブルグは《三番隊(ドリッド)》副隊長という立場でありながら、《マーナガルム》に於ける教導役の責任者でもある。だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()が問答無用で煉獄に叩き落とされる瞬間を幾度も見てきた。

 今でこそ《マーナガルム》に於ける死亡率はかなり低い水準で纏まってきたが、当初はかなりの新兵を散らせてしまった過去がある。だからこその言葉であった。

 

 

「特別顧問と《紫電(エクレール)》が綿密に鍛え上げているとはいえ、それでも一瞬の油断で人は容易く死ぬものです。……心を留め置く場所だからこそ、それが失われてしまった時、あの方はまた元のように御自分を責め立てる日々に戻ってしまうのではないでしょうか」

 

「ん~~~~~……もしかしなくてもぉ~、ゲルヒルデさん結構酔ってますねぇ~?」

 

「……主任、私はこれでも真面目な話を」

 

「レイさんだってぇ~、その程度は充分分かっていると思いますよぉ? 自分が一番失いたくない場所だって分かっているからぁ、その一瞬の油断も慢心も抱かないように厳しく彼らを鍛えてるんじゃないですか~?}

 

 僅かに雲が出ている夜空を眺めながら、カリサはいつもより尚饒舌に言葉を紡いでいく。

 

「世界はいつだって残酷で理不尽で、いつ死ぬかなんて誰にも分からないんですかぁ~、だから好きなように生きるのが一番良いんですよ~。私もミランダさんもそうしてますでしょ~?」

 

「いや、貴女方は割と本気で自重して下さると副団長の胃痛も少しは収まるのですが」

 

「あっはっは~  ――――――まぁ、()()()()()彼らも謳歌しておいて損はないですよぉ。青春というお金では買えない思い出をね」

 

 

 ―――まるで酔いが一瞬で冷めたかのように、カリサは足を止めてその両目を妖しく光らせた。

 その雰囲気は、いつもの究極の守銭奴でありながらプロの兵站長としての彼女のそれであり、物の流れ方から天下の時勢を読み取るに長けた聡明な女史としてのそれでもあった。

 

「……やはりそろそろ火種は着火しますか」

 

「まぁ少なくとも二ヶ月以内といったところでしょうかねぇ。クロスベルの状況がアレでは帝国宰相サンは必ず手を出すでしょうしぃ、一気に火薬庫に火をつけるならその時が一番効果的ですよぉ」

 

「経済のプロから見て、クロスベルのディーター大統領の手腕はどう思われるのですか?」

 

 ゲルヒルデのその問いに、カリサは一瞬考える様子を見せ、やや得意げな様子で答える。

 

「ミラベルさんはディーター大統領が市長に就任した時にはすでにクロスベル関連の株を回収し始めてましたしぃ、『IBC』預金も徐々に退かせてましたからねぇ。私もそれに便乗して色々と手を打たせてもらいましたぁ。……結局のところ、古今東西民間企業のトップが国の要職に就いたらロクな事にならないのがお約束っていうものですよ~」

 

「……成程、東方の諺で言うところの「餅は餅屋」というヤツですか」

 

「その通りです~。……だからこそ、経済に関わるものとしてディーター大統領の資産凍結発言は悪手にしか思えないんですよねぇ。あんな事をすればエレボニアとカルバードが黙っていない事は目に見えていますでしょうに」

 

「もしくは、その侵略行為を弾き返せる何かを用意しているという事でしょうか」

 

「まぁそうなんでしょうねぇ。これからは本当に休める日があるのかどうか……おや? あそこにいるのはもしかして……」

 

 カリサが数回瞬きをして見据えた先。そこには先程彼女らが訪れた所とは違う隠れ家的なバーがあり、そこから二人の女性が覚束ない足取りで出てくる。

 

 

 

「う~い……さぁリディアさーん、二軒目行きますよ二軒目ぇ‼ まぁだまぁだ……飲み足りないですよぉ‼」

 

「あの、ちょ、ルナフィリア先輩メッチャ重いでやがります。今日はもうやめて大人しく帰りましょ、ね? というか私、もうかなり眠いんですが?」

 

「え~? なぁに言ってるんですか、この程度で泣き言言ってたら《鉄機隊》の飲み会の時に生き残れませんよぉ? ほ~ら、次ぃ次ぃ‼」

 

「割とメチャクチャ面倒臭いでやがりますねこの先輩‼ レイせんぱーい‼ せんぱーい‼ 助けてくださーい‼」

 

 

 ―――今の立場的にはどう足掻いても敵対関係にある組織の二人を見て、カリサはそれでも……ニヤリと笑った。

 

「いや~、こんなところで奇遇ですねぇ~  こんなところでお会いできたのも何かの縁ですし~? 私が奢っちゃいますからこのまま一緒に二軒目に参りましょうか~?」

 

「あれぇ? カリサさぁん? ゲルヒルデさんもお久し振りですねぇ  よぉし、それじゃあ今日は朝までとことん行きましょう~ 」

 

「ちょ、どなたでやがりますか‼ これ以上この人を調子に乗らせないで……うっ、酒臭っ‼」

 

「諦めを知りなさい、《剣王》。こうなれば貴女を腹を括って……あぁ、そういえば貴女はまだ未成年でしたか。なら付き合うだけ付き合いなさい」

 

「もうやだぁ‼ 帰る‼ ……あっ、ちょ、コート引っ張んないでくださいルナフィリア先輩‼」

 

 

 そんなカオスなやり取りが響きながら―――動乱に塗れたルーレの一日は漸く終わりを迎えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 








 はいメリークリスマス(もう終わるけど)‼ 今年も特に特別な事なんて何もなかった僕が通りますよ‼ ……いや、泣いてないし。

 さて、もう今年一年ももうすぐ終わりなわけですが……今年中にもう一本投稿できるんですかねコレ。まぁ、やれるだけやってみると致しましょう。うん。

 来年一発目のお楽しみと言えば、まぁFGO福袋ガチャなんですが、26日にはモンハンワールドも発売されますし、2018年も良い年になればいいですね。

 ……個人的には秋発売の閃の軌跡Ⅳが待ち遠しくて堪らないんですが。





Q:ソフィーヤさんの強さって実際どんなもんなの?
A:レーヴェと互角なので、本来レイ君は勝利できる可能性はかなり低いです。何せこのお方、防御に特化させればアリアンロード様の攻撃を一日くらいなら耐えられるというアホみたいな技量の持ち主なので。

Q:これって主人公の俺TUEEEモノとは違うの?
A:この世界、主人公より強い存在なんぞ探せばいくらでもいるし、実際今投稿してる中でのレイ君のタイマン戦闘の勝率って実はあんまり良くないからそういった作品ではありません。
 というかそんな世界にさせねぇ。

Q:レイ君は聖獣を殺せるんですか?
A:今は殺せない。……”今は”ね(ゲスい笑み)。





 というわけでまたボチボチR-18みたいなの書かなきゃいけない感じになって来たのかなぁ……ホラ、レイ×シャロンとか、リィン×アリサとか。まぁ僕のR-18って割とレベル低いので多分誰も待ってないんだよなぁ。

 というかそろそろルーレから脱出したい。この都市に長く居過ぎたねマジで。

 それでは皆様また次回‼


 


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幕間ノ章
新たなる”最初の一歩”







 明けましておめでとうございます。
 ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。宜しければ今年2018年も拙作をご贔屓いただければこれに勝る幸せはございません。

 というわけで最終章の前の幕間一本目と参りましょう。








 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、リィンもシャロンもその翌日には当面の危機を脱した。

 

 

 元よりリィンの方は「《祖たる一(オールド・ワン)》の《真祖の吸血鬼(エルダーヴァンパイア)》に憑かれたまま」という、根本的なド災厄ネタが残ってはいるものの、表面的な問題は未知の力を無理矢理引き出されたことによる疲弊だけであった。

 

 対してシャロンは「呪力の体への定着」「大量失血による体力の著しい低下」という二つの問題を抱えていた。

 その内、失血による問題はノルティア州最高峰の医療機関であるルーレ医科大学附属病院での輸血によって大方解決した。―――無論、イリーナが最初から手を回した上での処置であった為、シャロンの身に起きた一切の”摩訶不思議な出来事”については病院上層部の中で完全に封殺した上での結果であったが。

 

 そして呪力の体への定着についても―――これは専門家であるレイがほぼ一日中つきっきりで面倒を見ていたからという事もあるが、驚くほど順調に成功した。

 その理由について、レイはトリスタに帰る列車の中で仲間たちに対してこう説明した。

 

 

『一昨日も言ったと思うが、呪術ってのはあくまでも”呪い”がベースだ。……適性がある人間の特徴としては「”負”の側面が強く、もしくは尖って残っている」のと「執着心が強い」って事が挙げられるんだが……そう睨むな、アリサ。これは別にシャロンを悪く言ってるわけじゃなくて、そういう適性がある人間はこの世の中に必ず一定数は居るという事だ』

 

 俺みたいにな、と付け加えて、レイは苦笑した。

 

 そういった適性の問題は既にシャロンは知っており、今回自分自身が上手く適応した件についても特に何かを嘆くことも無く、寧ろ「愛の力ですわ♪」と嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 

 だが、本来はここからである。呪力の「定着」は恙無く完了したとしても、それの「扱い方」は別問題。そこを間違えれば暴走状態となった呪力に身体を蝕まれ、取り返しのつかない事態にもなりかねないのだ。

 とはいえ、レイがルーレに滞在し続けて呪力の「扱い方」を教授する事は彼の”学生”という身分が許さない。というよりそもそもシャロン自身がそれを望まないだろう。

 

 正直、シャロンの呪力への適性はレイが思っていた以上に高かった為に、彼女自身が独学で研鑽を積むのも可能ではある、と思っていた。

 それでも「万が一」を考えてしまうのはレイ・クレイドルという人間の慎重深さでもあり―――愛した女に対しての当然の思いでもあった。

 

 

 だから、彼はある”人物”にシャロンの事を託した。

 

 

 自身が()()《天道流》の呪術の一部を継承させた存在に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

「……何でだろうね。凄い見慣れた光景の筈なのに、僕今涙が出そうになって来た」

 

「何だかんだで、一ヶ月はルーレに居たような気がするよな。それくらい濃かった」

 

「うん、すっごい「帰って来た」って感じする」

 

「食堂のメシが恋しい」

 

「本当、エラい目に遭ったわね……」

 

「学院長への報告は明日で良いって言われたし、今日はもうとっとと学生寮に戻るか」

 

『『『さんせーい』』』

 

 

 凡そ学生が醸し出してはならない疲れ切った表情を浮かべながら第三学生寮までの道を歩いていく一同。そんな姿をたまたま公園近くで見ていた授業終わりの知り合いの平民生徒たちが視界に止めて声を掛けようとするも―――全身から迸る「あと一日はゆっくりしたい」オーラに気圧されて引き下がった。

 

「あ”-……ヤベェ、ルーレ滞在中に少しでも詰めるつもりだった学院祭予定全然終わってねぇ……」

 

「衣装の発注自体は終わってんだろ? そこら辺は俺関与してねぇから知らんけど」

 

「あぁ、大丈夫、終わってる。後は頃合いを見て帝都の服飾店に取りに行けばいいだけだな」

 

「後は……アレか。歌う曲の選定とか練習とかか。そこは音楽の鬼、エリオット先輩が何とかしてくれるだろ。多分、きっと」

 

「幾ら忙しくてもそこを疎かにしたら音楽家の端くれとして落第モノだからね。何を犠牲にしても詰めていくよ」

 

「コイツ割とナチュラルSだと思ってたら音楽に関してはプロ顔負けのガチ勢だからホント人間って分かんねぇよな」

 

「……学院祭で奏でる曲がデスマーチになったりしたら嫌ね」

 

 割とシャレにならないレベルで疲れているのを会話で再認識したところで、漸く戻って来た第三学生寮(第二の実家)の正面玄関の扉を開ける。半年間で随分と慣れ親しんでしまった木と石の匂いと多少の薄暗さで、鋼都での騒動の疲れを少しでも癒せる―――筈だった。

 

 

 

「イヤもうホント勘弁してください何ですかこの値段法外過ぎるでしょういやでも命を救ってもらった対価としては安いのかどうなのか……考えろマキアス・レーグニッツ、考えるのをやめたら負けだ」

 

「いえ、考えても結果は変わらないと思いますよマキアス様。ウチの守銭奴の片割れ(ミランダ)は一度定めた値段を覆す事は滅多にありません。値切る時は相手が泣いて許しを請うて割と本気で死にたくなるまで値切り倒しますが」

 

「しかし放っておいても七耀教会が強引に回収する程の物であったのなら適正価格だろう。良かったなレーグニッツ、これで晴れて貴様は負債者だ」

 

「ユーシス今すっごい良い笑顔してるね‼」

 

 

「なぁ、悪かったってラウラ。アレは別にお前自体が重かったって言ってるわけじゃなくってだな。お前もちゃんと成長してたんだなって思っただけで……普通にまだ怒ってるよねお前」

 

「怒っている? 私が何に対して怒っているというのだライアス。私は至って平静だぞ?」

 

「委員長、俺の目が曇っていないのであればラウラのアレはかなり怒っているな」

 

「まぁ確かにある意味怒ってはいますね」

 

 

 二組に分かれてカオスと呼ぶにふさわしい雰囲気を玄関先で作り出しているB班+αを見て数秒考え込んだレイは、徐に背負った刀袋から愛刀を取り出して抜刀すると、柄頭をマキアスの脇腹に、刀身の峰をライアスの頭の上に振り下ろした。

 

「おぶっ⁉」

 

「あべしばッ⁉」

 

「帰って早々変なモン見せるな」

 

 納刀をしながら冷え冷えとした声色でそう言い放つレイに対して、ライアスが強打された後頭部を抱えながら異議を申し立ててくる。

 

「酷いっすよ大将‼ 今割とマジで俺の男としての株が生きるか死ぬかの瀬戸際なんスから‼」

 

「俺が見る限りその株既に大暴落してる気がするがな。まぁ惚れてた女に嫌われたくねぇって必死に弁解する気持ちは充分分かるが、今のお前結構空回ってるぞ。あと多分ラウラはこれ意地になってるだけだ」

 

「でっ、デタラメを言うな、レイ‼ 私は今この男を軽く千回くらい殴りたいと思ってるだけだ‼」

 

「デレ隠しにしては軽く致命傷な言葉が飛び出してきた」

 

「これは意地になってるな。間違いねぇ」

 

「オイ誰かこの様子を録画してヴィクター卿に送りつけろ。結構面白い事になるぞ間違いない」

 

「血の雨が降りそう」

 

「皆さん大将に鍛えられてるとはいえ弄り倒し芸(そこ)まで踏襲する必要ないんじゃないっすかねぇ⁉」

 

 土下座スタイルのまま詰られ続けるライアスを尻目に、レイは視線をマキアスに向ける。

 

 

 B班の方もそれなりに修羅場であったという事をレイは帰路途中にツバキの式神経由で聞いており、マキアスが一度致命傷の傷を負っていた事も知っている。―――それを救うために、《マーナガルム》が独自に保有する低級聖遺物(アーティファクト)の一つを消費したことも。

 

 聖遺物(アーティファクト)というものは須らく七耀教会の《封聖省》の管轄下に置くことが一応の義務となっているが、世界中に点在するそれらの中で教会が保有しているのは恐らく二割にも満たないだろうと言われている。

 多くは未だ発掘すらされておらず、また発掘されている中でも強大な力を持つ組織や裏社会に出回って行方知らずになっているものも少なくない。

 《マーナガルム》もその例に漏れず、調査以来の過程で手に入れたものや、契約の副産物として寄越されてきたものを含めて複数の聖遺物(アーティファクト)を所有している。

 

 『早すぎた女神からの贈り物』などと称されているように、現代科学では解明できないような超常能力を有するそれらは、無論一度闇市場(ブラックマーケット)に出回れば数千万ミラからの値が付くのは当然であり、相当な資産家かつ物好きでもなければ個人が購入するのは不可能である。

 

「マキアス、因みに幾ら請求されたんだ?」

 

「……5600万ミラだ。だけど正直、命を救ってもらった対価としては適正価格なんじゃないかと思って来たよ」

 

「僭越ながら補足いたしますと、ウチの《経理班》主任様は妥協に妥協を重ね、兄上の関係者という事で既得利益を完全度外視した上で、更に分割払いOK、利子無し無期限貸付という、もうこれ以上妥協しようがないところまで下げてこの金額を提示してきました。……本来なら数億ミラは搾り取れる案件だったと相当悔しがっていた様子でした」

 

「それを聞くと相当自分の心を抉り続けたんだな、ミランダの奴。……因みに俺がその金額を肩代わりするってのは?」

 

「『ここまで私に譲歩させたんだから絶対に本人からブン取ってやるんだから☆』って言ってました」

 

「これは結構精神にキテるな」

 

 とはいえ、学生の身の上であるマキアスにそんな膨大な金額が支払えるはずもない。

 彼の父親はヘイムダル知事としてその身の上にあった給料を貰ってはいるが、それでも数千万ミラもの大金をポケットマネーから一括で支払うのは難しい。それに何より―――。

 

「……いや、これは僕の至らなさが招いた問題だ。そちらの主任が言っている事も一理ある。命を救ってくれたのだから、その対価を一生掛けてでも支払うのは当然の事だよ」

 

 マキアスは、半ば諦めたような声色でそう言った。

 

 実際、自他共に守銭奴と呼ばれ、呼ぶ事に違和感と忌避感を覚えないカリサ・リアヴェールとミランダ・レイヴェルの二人はしかし、余程自分が「気に入らない」と断じた者以外への金銭のやり取りに過大も過少も含みはしない。

 それは彼女ら自身の「商人の矜持」でもある。扱うモノの相場を知らずに、或いは知った上で常識外れの儲けを許容するという事は、即ち自分自身を”三流”と認めているようなもの。

 彼女らは贔屓目を抜きにしても”一流”である。そのような不安定な手段に頼らずとも可能な限り手を広げてモノを獲得した上で確実に利益を叩き出して《マーナガルム》に益を齎す天才である。

 

 だからこそ、天才に譲歩させたのならばその譲歩には報いなければならないのも事実。

 特にミランダ・レイヴェルという女性は提示した金額を支払おうとせずに煙に巻こうとする人間に容赦しない。ありとあらゆる手を使ってでも、煉獄の果てまで取り立てるプロフェッショナルだ。

 

「……ツバキ女史、一つ提案がある」

 

 しかしそれでも、今回の責の全てをマキアスに押し付ける事を良しとしなかった男が此処にいた。

 

「この男を瀕死に追いやった原因は俺にもある。偏に俺の指揮が至らなかったのも事実だからな。―――支払いの肩代わりが許容できないというのなら、俺がそちらの主任に話を付けよう」

 

「……それは構いませんが、宜しいのですか? ウチの経理主任は先程も申し上げた通り金銭絡みで妥協をするのは非常に稀です。兄上の関係者と言えど、彼女の矜持という牙城を崩すのは容易い事ではありませんよ?」

 

「承知の上だ。それに元より俺も公爵家の人間の端くれ。一度でも責任を持った者として、その任を果たせずに背を向けるなどあってはならない事だ」

 

 貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)、持つ者が果たすべき役割。

 ユーシス自体、アルバレアという家そのものに良い思い出があるわけではないが、尊敬する兄のような人物に少しでも近づきたいという思いはある。

 

 それは決して憐憫ではない。持つ者の持たざる者への慈悲という訳ではなく―――この場合は単に仲間が抱える負担を少しでも奪ってしまおうという、彼なりの不器用な優しさなのだが。

 

「……すまない、()()()()

 

「勘違いをするな()()()()。全てを肩代わりするわけではない。……貴様の言った通り、死者蘇生の対価としては妥当だ」

 

 いつも通りの不愛想な表情でそう言い切ったユーシスを見て、レイは少し嬉しそうに息を吐いた。

 そして少し考えた後、他の誰にも聞こえないようにしてツバキに耳打ちした。

 

「―――俺が《結社》に居た時に稼いだ金、今でも《マーナガルム》名義で預けてあるよな? 利息含めて幾らになった?」

 

「それはミランダさんに管理を一任しているので詳しくは知りませんが、恐らく数億は下らないでしょう」

 

「……言っといてなんだが、律儀に取っておいてたんだな。いざとなったら団の運営資金にしてくれって言っておいた筈なんだが」

 

「ご冗談を。恩ある兄上の資金に手を付ける程僕らも耄碌はしていません。……()()()()()()()()。ミランダ主任には少しばかり手心を加えていただくように僕から申しておきましょう」

 

「悪いな、恩に着る」

 

「何を仰いますか。マキアス様とユーシス様が仰られた通り、命と引き換えにすれば何物も大抵は軽いものですよ」

 

 そう言って穏やかに笑うツバキの姿は何も変わっていなかった。

 

 本当に、何も―――変わってなどいなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 不思議な事に人間は、気の合う者達と一緒に騒ぐと多少の疲労は搔き消えてしまうらしい。

 

 先程まで一刻も早く自室のベッドの上に沈みたいと願っていた筈のリィン達も、まぁ少しだけならと食堂で各々の班が味わった状況の酷さ具合についての愚痴りあい大会に紛れていた。

 巻き込まれていた当初は笑い話になどなろうはずもない程に実際問題死にかけたのだが、こうして愚痴り合える程度には呑み込めたのならば問題はないだろう。

 

 途中まではレイもその輪の中に居たのだが、「トイレに行く」と言い残して席を立ち、そのまま音を立てないようにして第三学生寮からも出ていく。

 出はしたものの、特に何処に行くという訳ではない。ただ人気のないところに、静かなところを目指してトリスタの街を歩いていく。

 路地から路地へ。この半年間で知った地元民も知らないような道を気配を消しながら進んで行き―――結局東トリスタ街道近くの広っ原で足を止めた。

 

「……流石にこう何度も不自然に抜け出してたら、アイツらも不自然には思うだろうな。それでも詮索はしてこない辺りありがたいが」

 

 随分と長い間一緒に居た所為か、或いは一度派手に大喧嘩をした所為か、こうやって仲間に何も告げずに何かをするという事に対して多少の罪悪感も湧くようになった。

 

 だがそれでも、レイは止まるつもりは無かった。

 否、止まれないのだ。少しでも足を止めれば、少しでも躊躇えば、今まで仕込んだこともこれから為すべき事も全てが水泡に帰してしまう。

 

 

「ま、その方が大将らしくていいんじゃないっすか? 信じてくれる仲間がいるってのはそれだけで良いモンだと思うっすよ」

 

「……まぁライアスの言う事にも一理あるでしょう。だからこそ我々が、あの方々では担えない裏側の暗躍を担当するのです」

 

 足音が二つ。振り返るとそこにはいつも通りの団員服を着込んだライアスと、和服に梵字が刻まれたストラを引っ提げたツバキが居た。

 そこに、先程までの緩んだような雰囲気はなく、目立つ服装をしているというのにここに至るまでに人に目を止められた形跡もない。

 

 ツバキは元より、ライアスも《マーナガルム》の強襲部隊である《二番隊(ツヴァイト)》の副隊長補佐、つまりは隊長格に匹敵する実力の持ち主である”準達人級”の武人である。一度”猟兵”としての顔を覗かせれば、この程度は児戯にも等しい。

 

 すると二人は徐にレイの前で片膝を付き、頭を垂れた。

 

 

「先程は正式なご挨拶もできずに失礼致しました。式越しには何度も会話させていただきましたが、ご健壮のようで何よりです、兄上」

 

「まさか大将がラウラの奴と知り合いになるとは露ほどにも思わなかったっすけど……まぁこれも縁ってヤツっすかね」

 

「堅苦しい挨拶なんかいらねぇよ。何度も言ってるけど、もう俺はお前らを率いてるわけじゃねぇんだからな。―――それよりライアス、良いのか? ラウラと話す事は積もり積もってるだろうが」

 

「はは……まぁ確かに話したい事は有り過ぎて逆に困るくらいっすけどね。―――でもそんな簡単なモンじゃないんスよ。アイツと会えなかった時間は余りにも長すぎて……その間に俺らが歩んだ道は余りにも(たが)い過ぎた」

 

「…………」

 

 ライアス・N・スワンチカは帝国貴族〈スワンチカ伯爵家〉に生を受けた青年だ。

 嘗ては先祖が《鉄騎隊》の副隊長の片割れとしてリアンヌ・サンドロットの麾下で《獅子戦役》を戦い抜いた名門であり、サンドロットの「S」をアルゼイド家に譲り、伯爵領から去っても尚、盟友であるアルゼイド家とは親交を持っていた。

 

 ―――近代史上稀に見る虐殺劇が起きたあの日までは。

 

 

 《ハーメルの悲劇》。紡績都市パルム近郊に存在していたハーメル村が一夜にして滅亡したその事件は、表向きには突発的な自然災害によるものだとして処理されたが、その実は帝国内でもトップクラスの秘匿事項として扱われるエレボニアの封殺すべき”汚点”であった。

 

 隣国リベールへの侵攻に先駆け、功を焦った貴族派将校たちが猟兵崩れの山賊紛いの者共を雇い、略奪・凌辱の限りを尽くした後に村人のほぼ全てを虐殺。貴族派将校らはこれを「リベール王国によるエレボニア国民の虐殺」とし、リベール侵略の口実とした。

 しかしその後、リベール王国軍きっての天才軍人カシウス・ブライトによって帝国軍は半壊。その後エレボニア皇帝より勅命を受けたギリアス・オズボーンによって帝国軍はリベール領内から撤退。その後停戦交渉を行い―――《ハーメルの悲劇》を引き起こした貴族派将校らは残らず極秘の軍事裁判に掛けられ、その多くが極刑となった。

 

 当時、パルム周辺を領地としていた先代スワンチカ伯爵家当主、エルバート・N・スワンチカは、武を修め、義を重んじ、清貧を善とするあるべき帝国貴族の在り方を体現したような人物であり、無論の事ハーメルでの虐殺を容認するような人物ではなく―――実際この悲劇の何もかもを、彼は知らされないまま実行に移されてしまったのだ。

 

 貴族派将校からすれば、軍に在籍しているもののただの穀潰しであるかのように自分たちを避難していたスワンチカ伯爵を陥れる策謀としての意味合いもあり、運悪く当主としての職務の為領地を離れていたスワンチカ伯爵がその非道の行いを知ったのは全てが終わってしまった後であった。

 

 彼は虐殺に加担などしていない―――彼の人柄を知る者らは口々にそう言ったが、口封じに奔走していた帝国政府にとっては「領地の監督不行き届き」というだけでも重罪を押し付けるには充分であり、そして事を隠蔽したい大貴族の手によって伯爵の嫡氏であったライアスも幽閉されてしまった。

 

 その後、スワンチカ伯爵は処刑。ライアスも誰にも知られない、誰の目にも触れられない場所でその若い命を散らすところであったが、その寸前でアリアンロードがその命を救ったのだ。

 

 

 

『戦時にて犠牲を生まぬは不可能ですが、己が虚栄心の為に無辜の民を辱め、(みなごろし)にした挙句―――我が同胞(はらから)の末裔を言われなき罪で処断しようなど言語道断』

 

 

 

 そうして彼はレイと同じように一時期は《鉄機隊》預かりの身となり、先祖と同じ長柄の得物を操る武人に教えを請い、その才がヘカティルナの目にも留まり―――そうして”猟兵”ライアス・N・スワンチカは誕生したのである。

 

 

 

 

「ラウラも分かってはいるんだろうさ」

 

 適当な慰め心からではなく、ただ一つの事実としてレイはそう言う。

 

「アイツもフィーと……元《西風》の構成員と出会った時はギクシャクしてたモンさ。でも、アイツなりに色々と乗り越えて今は随一の友人と来てる」

 

「…………」

 

「猟兵には猟兵の流儀があり、その生き方は決して卑怯卑劣と一蹴できるものではない。……特に《マーナガルム》は何の関係もない人様に迷惑を掛けないように散々仕込んだ場所だからな」

 

 だからこそ、正義を善しとするラウラも己の歪さを理解できた。

 正しいのは確かに善い事だ。だが、その正しさが必ずしも世界の全てを包むわけではない。それは文字通りの”独善”でしかないのだから。

 

「お前らに必要なのは確かに”話し合う時間”さ。凍り付いちまった花に無理に触れようとすれば砕け散っちまうだろ? 時間を掛けて解凍してやれば、また元通りの(いろ)を取り戻してくれる」

 

関係(いろ)、か。―――はは、大将、暫く合わない内に随分洒落た事を言うようになったんスね」

 

「生憎と俺もお前みたいに色とか恋とか愛とか知っちまった身なんでな。まぁ客観的に見てもお前らの関係は今でもそう悪くは見えないんだが……」

 

「? 兄上、何か気にかかる事でも?」

 

 それまでライアスとラウラの話には一切割り込んでこなかったツバキが、レイの一瞬の言葉の澱みに何かを察したのか言葉を挟んでくる。

 それに対してレイは、うまく言葉にしにくそうな様子を見せながら、絞り出すようにして話し始めた。

 

 

「いや、何となくなんだが……今更ながらこの国(エレボニア)はどうにもおかしい事が起こるような気がしてな」

 

「おかしな事、ですか?」

 

「あぁ。アリアンロード卿や師匠が戦い抜いた《獅子戦役》なんかは、まぁ当時の時代常識に当て嵌めるとどうにでも解釈できるとして……流石に《百日戦役》に至るまでの一連の流れは異常だ」

 

 中世の時代とは違い、近現代の戦争に於いては情報の伝達速度が異様なまでに進化している。《百日戦役》当時はまだロクにネットワーク技術が発達していなかったとはいえ、それでも近代技術を応用した情報伝達システムは存在していた。―――同時に、一度生まれた情報が容易に拡散してしまう危険性も。

 

「《ハーメルの悲劇》の真実は、今ですらも帝国政府にとってはタブー中のタブーだ。これが帝国内のみならず近隣諸国に広まれば、間違いなく国際世論はエレボニアという国を団結して潰しに来ることは目に見えてる。……そんな危険性を孕んだ愚行を実行に移すほどに当時の貴族将校がバカだったのかと思うと、な」

 

「……戦争における功績の欲の前では、人は容易く過ちを犯します。敵国を攻める口実に自国民を虐殺、というのは確かに度し難い愚行ではありますが、背水の陣となった人間の狂気は常人が想像する以上に易々と倫理という壁を乗り越えてしまうものです」

 

「……あぁそうだ、それは否定しない。俺も《結社》に居た頃はその程度の地獄はよく見ていた。だが、例えリベールとの戦争で勝ったところで負けたところで、明るみに出れば確実に自分たちがトカゲの尻尾切の様に闇に葬られるのが()()()()()()尚、これ程までのリスクを負う覚悟があったのかは微妙だ。開戦の口実なんぞ、探せば他に幾らだって出てくるだろうに」

 

「それは、まぁ」

 

「ライアスの親父さんを嵌めるという思惑があったにしても、だ。近代戦争に於いて「自国民の虐殺」という事実がどれ程ヤバい意味を持つのか知らねぇワケじゃねぇだろう。リベール女王は聡明だったから事実の隠匿と引き換えに終戦に応じたが……もし差し違える覚悟でこの事実が暴露された時のデメリットと天秤に掛けたら、やっぱり納得は行かねぇのさ」

 

「……兄上、全ての人間が聡明なわけではありません。()()()()()がこの世で最も犠牲を生み出す存在であるように、そうしたメリット、デメリットの容易な比較すら出来ない無能が一国の軍隊を担っている例もあります故」

 

 ツバキはあくまで冷静に戦争の狂気を客観的に論じてくるが、それでも腑に落ちない部分は、ある。

 

 何も《百日戦役》に至る一連の狂気だけではない。帝都での特別実習の際にギデオンが聖遺物(アーティファクト)の力を使って地下墓所(カタコンベ)で呼び出したという悪竜《ゾロ=アグルーガ》。

 嘗ての七耀歴以前に猛威を誇っていたという《古代七竜》の一角。―――話を聞く限り実習の際に復活したのはただ悪竜の()()を纏った、魂も何もないハリボテであったのだろうが、そんなハリボテですら、本来であれば呼び出せるようなものではない。

 

 何せ《古代七竜》とはそれぞれが何かしらの神性を帯びていた、それこそ聖獣クラスの規格外だ。一柱一柱が全ての力を解放したシオンと同等の力を持っていると言ってもいい。

 神代の時分から煉獄で神にも近しい力を有していたエルギュラでさえ、その《古代七竜》の一柱を属従させるだけで精一杯であったのだ。

 

 恐らく、ギデオンが有していた聖遺物(アーティファクト)《降魔の笛》は低級の部類に入る物だろう。まかり間違っても、ガワだけのハリボテであったとしても高位の神性存在を呼び出し、あまつさえ限定的であったとしても制御できるほどの力が有ったとは思えない。

 

 まぁ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その限りではないのだが。

 

 

「……ツバキ姐さん、俺は大将の言ってる事は正しいと思います」

 

「ふむ、根拠は?」

 

「エレボニアは一応俺の故郷っすからね。猟兵として色々な場所を見て回ったからこそ、故郷の異常さってのは何となく理解できるモンです。……特にアルテリア周辺に比べて、エレボニアの霊脈の澱み具合は酷いモンっすよ」

 

「……まぁ確かに、エレボニアは西ゼムリア大陸の中でもかなりの”歪み”を抱える国ではあります。今はまだ亀裂が入っている程度で済んではいますが……この後の動き次第では取り返しのつかない事態を招きかねないでしょうね」

 

 そこで漸く本題に入れたと言わんばかりに、ツバキは持っていた扇子をパチンと鳴らした。

 

 

「《月影》の総力を以てして、現在エレボニア帝国の『貴族派』に直接的・間接的問わず手を貸している者らの調査を一通り終えました。

 猟兵団は《西風の旅団》《北の猟兵》《ニーズヘッグ》《赤枝の獅子》らを中心に大中問わず十数の数が。……そして結社《身喰らう蛇》は相当の戦力を投入予定だそうです」

 

「……今まで遭遇はしてたから何となく分かってはいるがな。具体的な事も分かってるのか?」

 

「えぇ。《使徒》は《蒼の深淵(ヴィータ・クロチルダ)》と《蒐集家(イルベルト・D・グレゴール)》の二柱。《執行者》は《劫炎(マクバーン)》、《冥氷(ザナレイア)》、《怪盗紳士(ブルブラン)》、《剣王(リディア・レグサー)》の四名。そして《鉄機隊》より《神速(デュバリィ)》《雷閃(ルナフィリア)》《剛毅(アイネス)》《魔弓(エンネア)》―――そして《爍刃(カグヤ)》の五名。《執行者補佐》より《錬金術師(ルシード・ビルフェスト)》と《殺咫烏(クリウス)》の二名」

 

「何だかもう、聞いてるだけで嫌になって来たな」

 

「言わないでくださいよ大将……俺も今割と頭痛がヤベェんスから」

 

 ”準達人級”、”達人級”、果ては”絶人級”まで選り取り見取り。本気で力を発揮すれば国家転覆程度は余裕でこなせる過剰戦力。

 しかしそこまで告げてなお、ツバキの報告は終わらない。

 

「そしてこれは……まだ確定ではないので兄上にお伝えするかどうか悩んだのですが……」

 

「……お前が歯切れを悪くして報告するってことはとびきりの厄ネタだな。いいぜ、来いよ」

 

「では遠慮なく。―――《侍従隊(ヴェヒタランテ)》より一角、《天翼》のフリージアが投入されるという情報がございます」

 

「っ⁉ はぁ⁉」

 

 大抵の報告には動じまいと、そう心に言い聞かせていたレイであったが、その名前を聞いて流石に声を挙げた。

 

「《盟主》は正気か⁉ ただでさえ化物の見本市みてぇな戦力を投入してるってのに、事此処に至って《天翼(フリージア)》だと⁉ 破壊狂(デモリッションモンガー)のアイツを投入して好き勝手やらせたら、それこそ本気で帝国全土が焦土と化すぞ‼」

 

「っ、えぇ、仰る通りです兄上。元より《侍従隊(ヴェヒタランテ)》を”戦力”として数える事自体今までの《結社》では有り得ない筈でした。《盟主》の傍回りを固める”絶対の盾”、それが表に出るという事は―――」

 

 

「―――まぁその通り。《結社》もこの作戦にはちょいと本気で挑んでるのサ」

 

 

 背後から聞こえたその声に、ライアスだけが過剰に反応した。

 手の内に掴まれた戦槍斧(ハルバード)の刃が首筋に迫っても、声を掛けた張本人はヘラヘラと緊張感のない笑みを浮かべていた。

 

「おーっとっと。気を付けてくれよー。美人にやられれりゃご褒美だけど、野郎にやられても嬉しくないんでねぇ」

 

「何だ、来たのかドM。てっきりラクウェルの裏売春宿辺りでハードSMプレイにでも興じてるのかと思ったぜ」

 

「あ、うん。それはもうやった。でも生粋の天然モノには敵わないねぇ、やっぱり」

 

「姐さん姐さん、俺今割とドン引きしたんスけど」

 

「ドMは放置しててもプレイと捉えるからかなりやり辛いんですよねぇ……」

 

 色素の抜けた髪を揺らし、仕立ての良い貴族服を靡かせながら自分の性癖を包み隠そうともしない青年―――ルシード・ビルフェストは、一見すればふざけているように見える表情のままレイに近寄った。

 

「や、直接この姿のまま会うのは本当に久しぶりだねぇ、友よ。もっとも? オルディスでのバカンスの時は最初っから気付いてたみたいだけど」

 

「カンパネルラお墨付きのテメェの変身魔法と幻術はホント厄介だからとっとと排除しておきたいんだけどなぁ……で? 何の用だよ変態。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あー、うん。そこのところは本当に感謝してるよ。《蒐集家(コレクター)》様がメチャクチャやってくれたせいで危うく《氷の乙女(アイスメイデン)》嬢に特定されるところだった。―――それだけは何としても避けなきゃならない事態だったからねぇ」

 

 そもそも、と。ルシードは溜息を吐きながら呆れたように言う。

 

「僕と同じ《執行者補佐(レギオンマネージャー)》のクリウス君が完全に《蒐集家(コレクター)》様のシンパだからねぇ。そのせいで今回の作戦の根回しとかその他諸々の雑用がぜーんぶ僕に回ってくるんだ。全く、忙しいったらありゃしない。その所為でヴィータ様に豚を見るような目で足蹴にされる時間が少なくなってしまうのが割と致命傷で困るんだよ‼」

 

「お前少しはシリアスな雰囲気を保つ努力をしようとは思わねぇのか‼ もう一度言うぞ、テメェの性癖云々の話は俺はま・っ・た・く興味ねぇの‼ 地面歩いてるアリの行方を追ってた方がまだ有意義なの‼ つまりお前は虫ケラ以下なんだよ‼ あ、こんな事言ったら虫ケラに失礼だよなぁ‼ 必死で生きてる命と自ら命を縮める生粋のバカ野郎なんぞ天秤にかけるまでもねぇからなぁ‼」

 

「…………ふぅ」

 

「え? なに、お前今ちょっと興奮したの? クッソ気持ち悪いんだけど」

 

「というかさっき俺に「野郎にそんなことされても嬉しくない」とか言っておいて大将のそれには反応するとか業が深すぎるっすね」

 

「まぁ兄上は確かに女装したらエオリア様がリットル単位で鼻血噴き出しかけた事があるので”そちら”も守備範囲内の方なら……」

 

 話がズレかけたところで、今度は手加減をあまりしていない長刀の柄の一閃でルシードの頭部を殴ってリセットする。

 凡そ人体から出てはならない鈍い音が響いたものの、喰らった当人は笑みを漏らす余裕を残していたので、鳩尾に膝蹴りを追加してから話を戻す。

 

 

「……まぁ結社(お前ら)からして見れば? 《蒼の起動者(ライザー)》であるクロウを喪う訳には行かねぇだろうし、そもそも《帝国解放戦線》という組織に気を取らせる事で《情報局》を撹乱してるところもあるだろうしな。……ただ見逃してやるのは今回だけだ。今度俺の前で奴らが下手打つ時があったら徹底的に潰すからな」

 

「うぉぉ……割といい所入った…………あぁ、うん。それは別に構わないとも。どうせもう少しすれば状況(ステージ)は次の段階に移行する。君達は晴れて敵同士となり、君は君の思惑を果たす事が出来るんだから」

 

「…………」

 

「だけども僕と君は、最終的に至る目的は同じだ。それを果たす為に僕は《使徒》様すら欺いて、君は大切な仲間を欺いているんだ。違うかい?」

 

「……ま、違わねぇな。バケモンに等しい野郎の思惑に手ェ出そうとしてんだ。コッチが差し出す対価がタダって訳にも行くまいよ」

 

 物語の中の英雄ならば、きっと何の犠牲も無しに望むがままの結果を得ることが出来るのだろう。自分と関わった全ての者達を幸せにする未来を紡ぐことが出来るのだろう。

 だがそれは、自分には無理だと悟っていた。元より護りたいと思うものが自分のエゴである以上、何かを差し出すのは当然の事だ。

 

 マキアスが命の対価に金銭を差し出す事を許容したように―――自分もまた、そうしなくてはならないのだから。

 

「”外”の根回しの方は……その分だと大丈夫そうかな?」

 

「何のためにここ一ヶ月近く俺がシオンを手放してると思ってる。……お前の言ってることが本当なら、もうお前とこうして話すことも無いだろうけどな」

 

「はは、違いないね。何せ僕は―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その笑みには、虚があった。乾きがあった。

 偽の笑顔という名の仮面を被って、心の奥では笑っていない。覚悟を決め、狂気に塗れても生きていくことを決めた人間は、誰だって同じような顔をするものだ。

 

「―――エマは」

 

「っ……」

 

「エマの事はどうするつもりだお前。まさかこのまま顔を合わせないまま消えるつもりじゃねぇだろうな」

 

「……仕方ないさ。彼女は彼女で真っ当な魔女としての生き方を歩んでいる。《焔》の眷属の末裔として在るべき姿でいてくれている。―――ヴィータ様はともかく、魔を手繰るものとして全てを投げ捨てた僕は、彼女の記憶の中に在り続けるものじゃあない」

 

「それは―――」

 

「それじゃあね、友よ。……お互い、望む結果を得る運命を手繰るとしようじゃないか」

 

 そう言い残し、ルシードは足元に転移の魔方陣を展開させてその場を去った。

 相変わらずも相変わらずだったなと、レイは一つ息を吐いてからルシードが立っていた場所をもう一度見やる。

 

「……姦しい方でしたね、相変わらず」

 

「あれで《執行者補佐》としては随一の実力者って言うんですからねぇ。ホント人間は言動だけじゃ分からないモンっすわ」

 

「本心を欺くのに笑顔で居られる奴に本物の馬鹿はいねぇよ。―――それよりツバキ、ライアス」

 

「「―――はっ」」

 

 レイの言葉に再び背を伸ばした二人であったが、彼はそんな二人に対して正面から向き合うと、深々と頭を下げた。

 

「改めて頼む。もう一度……もう一度だけでいいから俺に力を貸してくれ」

 

 レイにとって《マーナガルム》という組織は、どんなに口では手放したように言っていても、やはりかけがえのないものなのだ。

 だからこそ、こうして頭を上げる事を一切厭わない。そもそもレイは彼らを名目上率いた事はあっても、都合の良い部下のように扱った事は無いのだから。

 

 

「―――どうかお顔をお上げください、兄上」

 

 しかしそんなレイに対して、ツバキは穏やかな笑みを浮かべて諭すように声を掛けた。

 

「兄上がそう仰らずとも、僕らは元より貴方の味方です。……士官学院、特科クラスⅦ組、そして恋慕って下さる女性の方々は、それは確かに兄上の心の支えでありましょう」

 

「…………」

 

「僕たちは、貴方の”心の支え”になる事は出来ません。ですが、”力の支え”になる事は出来ます」

 

「大将はそういうのあんまり好まないっての分かってますけど……そんくらい俺らにも背負わせて下せぇや」

 

「ライアスの言う通りです。僕たちは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()戦っているのですから」

 

 その言葉に、一切の嘘も過言も有りはしない。

 忠誠というよりは、誓いのようなものだ。形はどうあれ”戦う”事しかできないのだから、それで恩を返す事に何の異議も無い。

 右胸に掲げたエンブレムに手を当てて、二人は再び傅いた。

 

 

「我ら《月喰らいの神狼》の紋を掲げし戦士、嘗ての貴方の恩に報いるため、今こそ全ての力をお貸ししましょう」

 

命令(オーダー)を、レイ・クレイドル特別顧問相談役。団長ヘカティルナ・ギーンシュタインの命を拝し、今この時を以て貴方の命令(オーダー)は団長と同等の権利を有する事となりました」

 

「神狼の爪牙一本、血の一滴に至るまで如何様にもお使いください。それが我らの使命でありますが故」

 

 有無を言わせぬ服従の言葉に、しかしレイはすぐに言葉を返す事は出来なかった。

 呑み込むまでにかかった時間は数分。漸く再び口を開いた時、レイの覚悟は既に決まっていた。

 

「なら命令(オーダー)を与える。誇り高き神狼よ、その牙を、その力を俺に貸せ」

 

「「御意に」」

 

「手始めに、ツバキ。……いや、お前なら俺の言いたいことくらいは分かってるか」

 

「……フフ、当たり前ですとも。兄上の仰りたい事など既に理解しておりますとも」

 

 そう言うとツバキは、扇子を開いて口元を隠したまま含むように言葉を紡いだ。

 

 

 

 

「シャロン・クルーガー女史に《天道流》の技を伝授する使命、確かに拝領いたしました。―――五日ほどお時間を頂ければ、僕が知る技の全てをあの方に伝授してご覧に入れましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 
 どうも、十三です。最終章前に互いの戦力を再確認して見ましたが、いやぁ、これは酷いな‼
 改めて見ても《結社》側の殺意が高すぎますねコレ。反省は少しするけど後悔はしてないけどな‼

 ……え?《天翼》の元ネタは何かって?

 《天翼―――種》、破壊癖……天……撃……焦土……cv田村ゆかり……うっ、頭が。

 
 さてそれでは皆々様方も僕も、今年一年頑張って参りましょう。あ、26日になったらモンハンワールドやらなきゃ(使命感)。


PS:
 葛飾北斎引き当てました。気風の良い性格は勿論、耳が蕩けそうなボイスも最高ですね‼ これでバーサーカーを一方的にボコせるよ、やったね‼






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水底の魔女





「薔薇は咲く場所を得てこそ薔薇色になるというもの」

           by 折木奉太郎(氷菓)








 

 

 

 

 

 

 

 

 第三学生寮にいつも通りの日常が戻って来たのは、それから二日後の事であった。

 

 「隊長が怒るから長居は出来ない」と言っていたライアスは、しかしラウラとは腰を落ち着けて話し合ったようで、去る時には随分と晴れやかな顔になっていた。その反面、どこか物悲しい表情を浮かべていたラウラの事は暫く、Ⅶ組女子が定期的に開催しているパジャマパーティーの良いネタになったそうだが。

 

 ツバキはと言えば、レイの命を受けたその夜の内にルーレに向かって”跳んだ”。

 幾重もの電子ロックというセキュリティで固められたRF社だが、近衛兵が全力で警備をしているバルフレイム宮にすら鼻歌交じりで潜入できる技量を持った諜報員である。医者より絶対安静を言い渡されて養生しているシャロンとコンタクトを取るのは赤子の手を捻るより簡単だろう。

 

 そうしてⅦ組に所属する人間すべてに何らかの影響を強く植え付けた一連の事件は、余波も含めて漸く鎮静した。

 未だにエルギュラの精神体はリィンの中に入ったまま出てくる気配を見せないのは重要事項だが、昔から本当に暇なときは本当に何のアクションも起こさない人であったことを今更ながらに思い出し、一先ず暫くは様子を見る事となった。

 

 

 それでも、日常は廻っていく。

 

 学院に赴いて座学を受け、食事を摂り、時には友人たちと他愛のない話をしながら、黄昏時の道を歩いて学生寮まで戻る。

 それは本来あるべき学生の姿だ。そうでなくてはならない学生の姿だ。しかし恐らくは、この生活ももう長くは続かない事だろう。

 

 安寧を厭う程人間を止めているわけではない。無聊を邪と断じる程壊れているわけでもない。

 ただどうしようもなく、終わると分かっている日常を過ごすのが虚しいと思ってしまうだけだ。ベッドに入って寝て、起きた時には壊れてしまうかもしれない日常に身を投じている事に罪悪感を覚えてしまうのだ。

 

 レイ・クレイドルの自虐心というものは、一朝一夕で剥がれ落ちるものではない。

 せめて何でもない日常に在る内はただの学生で在るようにと努めてはいるものの、もはや事態は引き返す事が不可能なまでに進行してしまっている。

 

 ツバキからの情報によると、既にカルバード共和国の第一、第二空挺師団がクロスベルへの侵攻準備を初めており、リベール王国は自国の防衛の為にレイストン要塞及びヴォルフ砦での王国軍の再編成を行っている。

 だとすればこのような状況で帝国正規軍が黙っている筈もない。現に、ガレリア要塞での事件以降再編成を終えた第五機甲師団が着々と侵攻の準備を終わらせているという。

 

 このまま行けば最悪、クロスベルの地を舞台にした帝国軍と共和国軍の正面衝突が起こりかねない。そうなればクロスベルの独立などあっという間に水泡に帰す。属州地として、永遠に鎖に繋がれ続けるだろう。

 だが、そう易々と事が運ぶはずがない事も当然分かっている。

 

 何せ今、クロスベルはクロイス家の影響が伸びに伸び、更に《使徒》第六柱にして《十三工房》の統括者であるF・ノバルティスが介入しているところを見るに、致命的なカウンターを見舞う準備は既に終わっていると見て差支えはない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。近頃になってやけにヒリつくようになった右眼を眼帯の上から軽く押さえながら、第三学生寮の扉を開けた。

 

 

 

 

ふぁ()フェイふぁ(レイだ)おふぁふぇふぃー(おっかえりぃー)

 

「ミリアムお前、まーた夕飯前に間食入れやがって……ま、お前は見た目に反して結構な大食いだから別にいいけどさ」

 

「んっ。そーゆーことー♪ ねぇねぇ、今日の夜ご飯なにー?」

 

「照り焼きチキン。お前確か好きだったろ」

 

「えっへへー、やったー♪」

 

 クッキーを咥えながらレイを出迎えたミリアムを見て、しかし一つ疑問が思い浮かび、購入した夕飯の材料を改めながら訊く。

 

「そういやお前、今日料理部の部活がある日じゃなかったか?」

 

「あー、うん。マルガリータが媚薬入りクッキー作ろうとしたら変な化学反応起きて変な煙出たから今日は途中でお開きになった」

 

「相変わらず雑なミラクルを起こすな、料理部は。しかしマルガリータの奴、その内人智を超えたモノを作り出しそうで個人的に興味がある」

 

「じゃあ食べる?」

 

「謹んで徹底的に遠慮させてもらう。……つーかお前が今食ってるものってもしかして……」

 

「ううん、コレは今日ボクが作ったやつ。途中でユーシスに食べさせたら問題なかったみたいだから多分食べられるよ」

 

「真っ先にユーシスに食わせる辺りお前ら結構仲良いよな。……ただ単に人体実験に使われた可能性もあるが」

 

 味が気になり、件のクッキーを一つ貰って口に入れてみる。

 少しばかり警戒していたのは事実だが、その後に口の中に広がったのは素朴ながらも普通に美味しいシンプルなバタークッキーの味だった。確かに材料の分量や焼き具合など、まだ多少粗が残るところは感じ取れたが、下手にアレンジが加えられていない分、万人受けする味となっている。

 

「……驚いた、お前普通にこういうのも作れるようになったんだな」

 

「むー、それユーシスにも言われた。ボクってそんなメチャクチャな感じあるのかなー?」

 

「いやだって、お前飽き性だから変にアレンジ加えようとしてその度に委員長に止められてたじゃねぇか。……だけどまぁ、うん。テキトーにやってるように見えてちゃんと基礎は身についてたんだな」

 

 柄にもなくそう感慨深くなっていると、口に入れていたクッキーが、少ししょっぱく感じられた。

 塩の分量が多くなっていたわけではない。ただ単に、ここに来たばかりの頃は一般の常識すらもどこかズレていた彼女の成長を感じられたことが嬉しくあり、同時に少し申し訳なくもあったからだ。

 

 彼女は―――過程はどうあれ「戦うため」に創り出された存在だ。Ozシリーズとしては異例の最初から”感情を有して”いながら、しかし()()()()()()()()()()()()()()()()()個体。

 だがそれでも戦うために生まれ、戦うために在る存在であったならば―――いっそ戦うこと以外の何もかもを知らなかった方が都合が良かったのかもしれない。

 

 まぁ恐らくは彼女の高い知的好奇心の関係上それは不可能だったとは思うが、こうして”普通の人間”としての生き方を知ってしまった事が後々彼女を苦しめる事に成り得るかもしれない。―――そんな事を考えるのは無粋なのだと分かっていても、そう思わずにはいられないのだ。

 

 

「……なぁ、ミリアム」

 

「んー?」

 

「お前、今楽しんでるか?」

 

 随分と曖昧な言葉を投げてしまったと思っていると、しかしミリアムは特に悩むことも無く答えた。

 

「あったり前じゃん‼ Ⅶ組のみんなや、士官学院の皆、サラやシオンやシャロンとかとワイワイやってる”今”が、ボクはすっごい好き、大好き‼」

 

「……そっか。なら、まぁいいか」

 

 ミリアム・オライオンは自分の感情を裏切る事は出来ない。言葉を偽ることが出来ない。彼女が紡ぐ言葉は、全て本心からのものでしかない。

 本当に、凡そ知る限り全く諜報員向きではない性格をしている。だからこそ、この場所に違和感もなく溶け込むことが出来たのだろうが。

 

「変な事を訊いたな、忘れてくれ。お詫びに食後に買っておいたアイスをやろう」

 

「ホント⁉ やったー‼」

 

 相も変わらずの歳相応の嬉しそうな反応を見せながら自室に戻ろうと階段に足を掛けた彼女はしかし、「あ、そうだ」と何かを急に思い出したかのように再びレイの方を向いた。

 

「レイさー、今度の月曜日って空いてる?」

 

「月曜? あぁ、まぁ多分何もないだろうけど……普通に授業あるだろ」

 

「んー、多分そこは関係ないと思うんだ。だってオジサン直々の呼び出しだもん。授業くらいはどうにでもなっちゃうと思うよ」

 

「……待て、”オジサン”って事はもしかして……」

 

「うん、そう」

 

 言葉にすることを躊躇うでもなく、変に引き延ばすことも無く、ミリアムは当たり前のことを当たり前に告げるかのような変わらない口調で続けた。

 

 

帝国宰相ギリアス・オズボーン(オジサン)からの呼び出し。通商会議の時のお礼がしたい、だってさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 レイの予想通り、帝都庁を含めた首都ヘイムダルの国家機関は現在、繁忙の極みに立たされ続けていた。

 

 エレボニア帝国の国家予算は帝都銀行で管理をしているものの、その他民間企業の財源は『IBC(クロスベル国際銀行)』が管理していることが多い。そして先日の『IBC』本社ビル爆破事件、及び帝国顧客の資産凍結騒ぎの煽りを受けて、各省庁の役人が休む間もなく帝都中を動き回っている。

 

 クロスベルでは既に、国家独立を問う住民投票が行われ、驚異の90%以上の投票率の内、凡そ七割の賛成票を以てこれが可決された。

 更にディータ・クロイスの大統領就任演説では、オブラートに包む事すらなく帝国と共和国を弾劾。クロスベル自治州創設以降、州内で起こり続けていた原因不明の事故は全てこの二国間の過剰な諜報戦の結果であったと言い放つ始末であり、より単純に軍事力を組み上げるためか、これまでクロスベルの準軍事組織として在った『クロスベル警備隊』は正式な軍事組織である『クロスベル国防軍』に再編成された。

 

 そしてその国防軍の長官には―――《風の剣聖》アリオス・マクレインが就任。

 先日ミシェルから飛んできた電話によれば、どうやらアリオスは自身が遊撃士として抱えていた仕事を全て片付け、その後の対応策すらもキッチリと残した後、遊撃士協会に突然辞表を提出して去ったらしい。

 ―――その事を話していた際に、妙にミシェルの声が焦っていなかったところを見るに、彼もまたアリオスの不可解さは理解していたのだろう。

 

 アリオス・マクレインは《理》に至った武人だ。カシウス・ブライトと同様、軍の指揮に関しても非凡な才能を発揮する事だろう。それはクロスベルにとっては歓迎すべきことになる。……少なくとも今の内は。

 

 

「んで? クロスベル支部が誇る精鋭殿達の反応は?」

 

『皆一様に「納得できない」って言ってるわ。絶対に、何があっても、どんな手段を使っても、首根っこ引っ捕まえて戻して見せるって。こんなのはアリオスらしくないって』

 

「本音は?」

 

『仕事が3割増しになって過労死するから絶対に戻ってきてもらうって』

 

「だと思ったよコンチクショウ」

 

 ミシェルの話によれば、最近のクロスベル支部では以前よりも一人に圧し掛かる負担は減ってきているらしい。

 シャルテが遊撃士本部からの推薦を得て正遊撃士に昇格し、指揮能力、指導能力、マネジメント能力に長じるようになってから仕事の処理速度が格段に上昇。新人のナハト・ヴァイス、クロエ・バーネット両名も”使える”ようになってくれたからこそ、アリオスという絶対の存在が抜けてしまってもクロスベル支部は存在していられる、と。

 

 それ自体は不幸中の幸いと言えるだろう。絶対の一の存在に頼り切った組織など上手く行かない。どこだってそういうものだ。

 だが状況自体は凡そ最悪の部類だ。最近はレイの左眼―――《慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)》が”共鳴”するように疼いている事からも、クロイス家が長年の悲願である『《虚ろなる神(デミウルゴス)》の復活』を成し遂げようとしている事が分かる。

 

 恐らくキーアというホムンクルスを媒体にした復活で蘇るのは神本体(オリジナル)ではあるまい。だがそれでも、例え偽物であったのだとしても、《零の至宝》の力は絶大だ。―――《結社》の目的はそのお零れに預かる事。偽神の力を前にすれば、科学力で武装した軍隊など紙細工も同様だろう。クロスベルは、絶対的な力を背に堂々と独立を大陸中に誇示し続けるだろう。

 

 ―――まぁ、そんな虎の威を借る狐のような()()()()()()を、あの支援課のメンバーが許せるとは思えないが。

 

 

 ……クロスベルの件は、最終的に《結社》の思惑通りに事が運ぶだろう。

 オリジナルの《七の至宝(セプト=テリオン)》の一つである《輝く環(オーリ・オール)》を回収した《結社》が、果たして偽物の《零の至宝》に興味を示すかどうかは疑問だが、しかしこの一連の流れはまず間違いなくエレボニアにも影響を及ぼすだろう。

 

 それは決して、絶対に、人類にとって良いものではあるまい。

 

 

 

 

 

 

「―――イ、レイー? もう着くよー」

 

 目を伏せながらそんな考えを巡らせていると、隣に腰かけていたミリアムがそう声を掛けてくる。

 

 防弾のミラーガラスに包まれた黒塗りの高級車。ラインフォルト社の最新モデルであるというそれに、レイ達はヘイムダル駅を出た直後に乗り込んだ。

 そしてその流れを組んだ張本人は今、レイの向かいの席で足を組みながらニヤニヤとした笑みを浮かべている。

 

「いやぁ、お前ら仲良いねぇ。こうしてみるとマジで兄妹みてぇだよ」

 

「お前のニヤケ面は相変わらず無条件でイラつくな、レクター。何だお前天才か」

 

「学生時代はこれでも人気あったんだけどなァ、主に女生徒中心に」

 

「そんでお前がサボる度に副会長サンに制裁喰らってたんだろ? 俺知ってんだぞ」

 

「うげっ、それどこ情報だよ」

 

 珍しく一本取られたといった表情を見せながら、それでもレクター・アランドールは余裕の表情を崩そうとはしない。

 

「つーかお前、今クロスベルに出張中じゃなかったのかよ」

 

「まぁ報告もあるしたまーにコッチ戻ってくるぜ。……つかアレだ、この頃妙にクロスベルで監視の視線的なのを感じるんだけど、アレお前さんのトコの諜報員?」

 

「そこで共和国の可能性より月影(コッチ)を疑いに来る辺り確定させてんだろうが」

 

 とはいえ、と思う。

 

 《月影》が抱える諜報員の中でも《鬼面衆(マイヤ・クラディウス)》は特に隠形の技術に長けた存在である。本来ならばレクターの勘が異様に鋭いとはいえ、()()()()()()()()などという二流のような失敗を侵す素人ではない。

 

 そこでふと思い出す。ディータ・クロイスの大統領就任が決定する少し前、『IBC』本社ビル爆破事件とほぼ時を同じくして、猟兵団《赤い星座》が劇団『アルカンシェル』を襲撃していたという情報を。

 その襲撃事件の影響で《炎の舞姫》イリア・プラティエがアーティスト生命にも関わる重傷を負い、現在もウルスラ総合病院で入院中であるという。そして、リーシャ・マオも失踪中であると。

 

「…………」

 

 しかし、リーシャの方はと言えば特に心配していなかった。クロスベルには義兄であるアスラが居る。リーシャを愛してやまない漢の中の漢が居る。彼ならば、彼女の中の《(イン)》の宿業ごと解放してみせるだろう。

 問題はマイヤの方だ。彼女はアレで、中々に『アルカンシェル』という場所に固執していたように見える。

 その場所が失われかけた事で諜報員としての仕事にも影響が出ようものならば……流石にツバキも対処を考えざるを得ないだろう。何かに囚われた諜報員ほど、危ういものはないのだから。

 

 ……とはいえ、彼女もプロだ。自分が失敗を侵している事は理解しているだろうし、それに対するケリの付け方も理解しているだろう。

 これもまた、自分が心配する事ではないと、そうレイは結論付けた。

 

 

「にしてもお前、ホント分かりやすいよなァ。幾ら知り合いとはいえ、普通迎えに来てやった人間の顔見て露骨に嫌そうな顔するかね。何だ、そんなにクレアの方が良かったか?」

 

「当たり前だろうが」

 

「即答する辺りお前らホント熱いな‼ ……と、もう着いたか」

 

 そんな話をしている内に、車はバルフレイム宮内に辿り着く。

 レクターに先導され、帝国宰相執務室に向かって歩く道中ももう慣れたもの。思い返せば何度も来ているという事もあって、煌びやかな内装の廊下を歩くことにもはや違和感はなくなっていた。

 そうして案内された部屋の前で、帝国政府文官がノックをする。

 

「―――閣下、失礼致します。レクター・アランドール特務大尉とミリアム・オライオン特務少尉、そして”お客様”がお見えになっております」

 

『―――入りたまえ』

 

 重々しい扉が開くと、そこにはやはり何も変わらぬ傲岸不遜な表情を浮かべた偉丈夫、ギリアス・オズボーンが居た。

 激務に晒されている真っ最中であろうに、そこに疲労感などは一切ない。まるでそう在る事が当たり前であるかのように、圧倒的な存在感を撒き散らしながら佇んでいた。

 

 そしてその脇―――部屋の執務机に無遠慮に腰かけるようにもう一人の姿。

 

 身長こそレイと同じくらいの小柄な女性だが、年齢まで同じであるようには見えない。時代錯誤であるかのように思える色合いの服装は開幕前の劇団員のようなそれであったが、それを違和感なく着こなすだけの不思議な雰囲気が彼女にはあった。

 やや桃色がかった赤髪はクセが強いのかところどころが跳ねており、まるで気品のある猫を思わせる。―――まぁそれは、ただの外見的な雰囲気でしかないのだが。

 

「まずは、礼を述べさせてもらおうか。ルーレでの一件ではご苦労だったな《天剣》。ザクセン鉄鉱山をテロリスト共から奪還した功績を、陛下は高く評価しておられる。近々特科クラスⅦ組諸君を皇城に招くことになりそうだな」

 

「そりゃどうも。皇帝陛下直々にお言葉を貰えるとあっちゃあ、そりゃ名誉な事に変わりないが……しかしアンタも意外と義理堅いな、オズボーン。てっきり約束なんか反故にして無かったことにすると思ってたぜ」

 

「一度交わした約束を()()()()()()()()()反故にするのは私の沽券に関わるのでな」

 

「そうかい。確かにこんな情勢下、今程度で収まってる時に履行しておかねぇと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 言葉に覇気を乗せながら皮肉じみたやり取りをするが、眼前の怪物は全く動じる事すらない。

 当たり前だ。この程度で怖じるようならば、今の時点でこの場には立っているまい。

 

 

「……で、クロスベルでの通商会議の報酬は確か、俺の”呪い”を解呪してくれる事、だったな? ―――もう一度訊くぞ。それは可能なのか?」

 

 レイは、自身のこの問いが意味のないものだと分かっていて尚、それでも言葉にせざるを得なかった。

 そも、履行できる見込みがなかったらこの場に呼ぶことも無かっただろう。レイ自身あまり期待はしていなかったからこそ、今まで此方側から報酬について言及する事は無かったのだから。

 

 しかしその問いに答えたのはオズボーンではなく、執務机に腰かけていた女性の方だった。

 

「できるわよー♡ 可能も可能。アタシの力を以てすれば、あんないけ好かない高慢ちきな魔女が仕掛けた拘束術式の解除なんてお茶の子さいさいよ♪」

 

「チェンジで」

 

 一気に胡散臭い目に変わったレイのその一言に、女性は執務机の上からコケ落ち、そしてレクターとミリアムは背後で吹き出した。

 

「ちょ、ちょちょちょ、何言ってんのよこのお子様‼ 歓楽街の風俗みたいなノリでそんなん要求するんじゃないわよ‼」

 

「いやぁ、悪い。何だか致命的なところでヘタを打つ雰囲気満々だったモンで。ここで断っといた方が無難かなと思って」

 

「アンタ、アタシの名前すら知らない癖によくそんな事断言できるわね⁉」

 

「勘だよ勘。俺の直感が告げてんだよ。正直生粋の魔女ってどっかしらサドってるところあるから基本信用しない事にしてんだよ。あ、ウチの委員長は信頼してるぞ。最近変な影響受けて「乙女の嗜み」とかのたまって腐り始めてるからそこは一切信用してないけどな‼」

 

「いや別にそんな事訊いてないわよ‼」

 

 胸ぐらを掴んでレイをシェイクし始める女性と、背後で笑い転げている二人というカオスな状況が一瞬で展開される。

 流石にこれ以上騒ぐと外で待機している武官が突入しかねないなと危惧したレイは、少し力を入れて女性を引き離した。

 

「……雰囲気と魔力の質から察するに”在野”の方じゃねぇな。アンタ、”里”の方の魔女だろ」

 

「アラ、本当に鋭いのね。レクターから聞いてはいたけれど、流石は”達人級”ってところかしら」

 

 幾分か冷静さを取り戻したのか、その魔女は控えめな胸を張って仕切り直すかのように自己紹介を始めた。

 

 

「アタシはアンナロッテ・シュベーゲリン。本来はアンタの言う通り《魔女の一族(ヘクセンブリード)》の一員なんだけど、故あって今は『革新派』の方に手を貸しているというわけ」

 

「……成程、本当に《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》の一人じゃないようだな」

 

 ”在野”の方であればともかく、生粋の”里”の魔女を引き抜くその手腕は素直に感服するが、そもそも表に出る事が稀な純粋な魔女を引き込んでおいて、その上でこの男が《鉄血の子供たち(ヘクセンブリード)》として手元に縛り付けておかないという事実も、恐らくは何かを示しているのだろう。

 

 だが、客観的に感じただけでもこの魔女がただの凡人でないということくらいは理解できる。

 エマは姉と比べて自分は凡才だと言っていたが、それはそもそも比べる相手を間違っている。ヴィータ・クロチルダという存在は、数世紀に一度現れるか否かと思う程の絶対的な才覚を有して生まれた魔女だ。普通であればエマも、普通に”天才”と呼べるほどの力を有した存在である。

 

 それを基準にするならば、目の前の魔女―――アンナロッテも非凡な魔女ではあるのだろう。

 一見して魔力の総量は多い方だろうし、恐らくはそれを活用しきるだけの技術も持っている。”里”で練磨していれば、普通に一流の魔女として名を馳せるであろう程には。―――しかし。

 

「……俺は確かにあのクソドS魔女が嫌いだが、それでも実力は認めてる。アイツの魔術の腕は一流を通り越して超一流の部類だ。そんな奴が本気も本気で捻じ込んだ”呪い”は……そうそう解呪できるモンじゃねぇだろ」

 

 封印・封呪には一家言あるレイですら、聖獣の力を借りてなお二割程度しか解呪できていないのだ。

 それはレイの解呪の分野が”心”や”魂”に根付いたそれの方に特化しており、”肉体”そのものに捻じ込まれた呪いは少しばかり苦手分野だという事情を含めても異様なものである。

 非常に悔しくはあるものの、()()()()()()()の腕前では、レイの首筋に捻じ込まれた《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》は解くことは叶わない。

 

「だから、出来るって言ってるのよ」

 

 だがアンナロッテは、当然と言わんばかりにそう断言してみせる。

 

「アタシの『起源属性』は”水”と”時”。割と解呪には適した属性だから、そっち方面には尖らせてるわ。―――それに、あの高慢ちき女が掛けた呪い程度解呪できないと、何だか癪じゃない?」

 

 成程、とレイは思った。

 そして()()()()()()、呪いの解呪を任せてみようという気にもなった。らしくもなく随分と表立って警戒をしていたが、それはこの呪いの爆発力の高さを思えば大抵の人が納得する。

 出来れば仕掛けた本人に解呪させたいと思っていたのだが、こういう事情であれば仕方がない。割とこの呪いの誓約に縛り続けられるのが本気で煩わしくなっていたところだったのだから。

 

「……了解した。色々警戒して悪かったな、アンナロッテ嬢。解呪の方、宜しく頼むわ」

 

「別にいーわよ。そりゃこんなガッチガチの危険な神性封印術掛けられれば警戒もするでしょうしね。あと、アタシの事はアンナって呼んで頂戴。アンナちゃんでも良いわよ♡」

 

「あ、ヤベ。一瞬信用しかけたけどマジでこのノリが辛い。クロスベルのド変態遊撃士を思い出して無条件で殴りたくなる」

 

「お前俺らを笑い死にさせたいのならそう言え。腹筋が辛い」

 

「あー、笑った笑った。オジサンが同じ部屋に居るのにこんなに笑ったのって初めてだよボク」

 

 漸く笑い転げて過呼吸になりかけていたレクターとミリアムが復帰したところで、話は纏めに入る。

 

 

「それで? 俺はこの魔女の力を一時だけ借り受けるって事で良いのか?」

 

「そうだ。私としても小国を破滅せしめるような規模の呪いを所持している者を国に置いておきたくは無いからな。これを以て報酬とさせてもらう」

 

「……ま、一応感謝はしておくよ。アンナ、その解呪にはどれくらい掛かるモンなんだ?」

 

 少なくとも数週間、掛かって数ヶ月は覚悟していたレイは、しかしアンナロッテの次の言葉に唖然とする。

 

「数分で大丈夫よ。”種”を植え付けるだけだしね」

 

「……は?」

 

「一度解呪の魔力を術式ごと埋め込んで、それを起点として解呪していくの。薬と同じようなものね。本来なら一瞬でできるんだけど、規模が規模だし、もし失敗した時の影響力が大きすぎるから念には念を入れてこの方法を提案するわ。不満?」

 

「……いや、それでいい。というかその方がいい。完全に解呪するまでに掛かる期間はどれくらいだ?」

 

「一応前々からアンタの呪い―――《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》については聞いてたからね。里じゃ秘奥術式の扱いだから解析するまで時間かかったけど……まぁ何とかしたわ。それに伴う解除術式の構築もね」

 

「アンタ、魔女の中でもどちらかと言えば研究者気質―――”理論派”の方か」

 

 どちらかといえばアレで魔女としては”感覚派”のエマとは気質が異なるなと考えながら、それでも、と思う。

 

 魔女の里でも秘奥とされている術の解析を個人で行い、その解呪術式の構築まで行えるというのはただの努力の賜物ではないだろう。彼女の言葉通り、そちら方面には特化しているというのは良く分かる。

 

「だから、植え付けてから数ヶ月ってトコかしら。アンタ、呪術師の一族の末裔なんでしょ? 本来呪力と魔力は互いを打ち消す相反する力だけど、ヴィータ(あの女)の魔力がいい感じに楔になってるから逆にそれを利用してやるわ」

 

「……ネタ臭いと思ってたが、中々ヤベェなアンタ。普通それは理論として分かってはいても実際に使えるレベルにするまでに数十年は掛かるぞ」

 

 ただ純粋にそう賛辞すると、アンナロッテは少し得意気そうな笑みを浮かべて自身の魔導杖を取り出した。

 

「……ま、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それより、早速始めるわよ、目ぇ閉じてて頂戴」

 

「あいよ、了解」

 

 そう言って素直に目を閉じたレイの首筋に、アンナロッテは魔導杖の先を当て、そうして自身の魔力を励起させる。

 

 

「【水よ癒せ、刻よ毟れ(Heile es mit Wasser, quietschend) 緑木の慈悲は天呪を赦し、(Die Gnade des Baumes vergibt den Fluch des Himmels) 水底の王は軛を厭う(Der Unterwasserkönig ist angewidert)】」

 

「【さあ巡り給え鮮烈の明星(Komm und komm und lebhafter heller Stern) 黒薔薇の棘は八光をも砕き、(Schwarze Rose Dorn bricht auch acht Lichter) 冥府の泥は陽の魂をも犯すものなれど、(Der Schlamm vom Unteren fickt die Seele der Sonne) その淡き光は万物の条理を咎めるものに非ず(Dieses Licht ist nichts für alles verantwortlich zu machen)】」

 

「【今此処に水底の魔女が断ち謳う(Hier schneiden und singen die Hexen der Unterwasserwelt) 彼の者に邪呪を祓う聖光を、(Das Licht, das das Böse für sich ausrottet)不尽に抗う鉄槌を(Hammer hämmert unangemessen) 冥牢の煉柵も、(Eisenzaun der Dunkelheit,)高潔なる者を穢すに能わず(Ich kann die Edlen nicht leugnen)】―――」

 

 詠唱が滔々と続き、その一言一言が首筋を通して《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》という魔法に浸透していく。僅かな違和感が全身を駆け巡るが、特に邪な気はしない。

 そしてきっちり十分後、淡い光が収まって魔導杖が首筋から離れた。

 

 

「……はい、これで術式の植え付けは終わったわ。後はアンタが下手に弄ったりしなかったら効果は出てくると思うから、少し気楽に待ちなさい」

 

「何だか予防接種みたいな言い方されると緊張感薄れるな……でもまぁ、ありがとう。いつかこの恩は返す」

 

「はぁ……ま、アンタみたいな”達人級”の武人とコネ作っとくのも悪くないか」

 

 どうにもあっけらかんとした反応を返したアンナロッテは、そのまま特に何も言う事は無くそのまま執務室から去っていった。

 その様子を見ていたミリアムは、少しばかり意外そうな表情をしたまま首を傾げた。

 

「あれ? どーしたんだろアンナ。いつもなら最後にからかいの一つくらい入れてくのに」

 

「――――――」

 

「さて、これを以てして《天剣》、君への借りは返したという事になる。……これからも学生として励むが良い。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……どの目線で言ってんだか。やっぱアンタのバケモン具合は苦手だよ、俺」

 

 吐き捨てるようにそう言って、レイは執務室から退室する。その後ろに、ミリアムも続いていた。

 そのまま再び車に乗り込むまで二人の間に会話は無かったが、ヘイムダル駅に向かって走り始めた直後、徐にミリアムが口を開いた。

 

「アンナってちょっと変わってるんだよね」

 

「?」

 

「レイもちょっとは感じたんじゃない? フツーにしてる時はフツーに良い人なんだけど……たまーにすっごい余所余所しくなったり、不機嫌になったりする時があるんだよ」

 

 人間であれば誰しもそういう一面はある。だが、ミリアムが今言っているのは()()()()()ではない。

 その不安定さは、先程レイも感じた。《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》への処置が終わった直後から、どうにも違和感が感じられた。

 

「……魔女ってのはそれぞれ何かしらの業を抱えてるモンだ。触れちゃならねぇ”地雷”ってのは誰しも存在するモンだけど、特に”才覚”に拘る傾向がある魔女はその分厄介なんだよ」

 

「ふーん……」

 

「アレも……あのドS魔女とはまた別種の厄介さを感じたな。割と根が深そうだから、流石にあの場で指摘はしなかったが」

 

 アンナロッテ・シュベーゲリン。―――いずれ、もしかしたら厄介な存在になるかもしれない魔女。

 だがそれでも、例えオズボーンの命を受けての事であったとしても、何も話せなくなった魔女の呪いを解呪してくれた存在だ。あの場で「恩を返す」と言ったあの言葉は、決して嘘ではない。

 

 受けた恩は必ず返す。あの破天荒な師ですらも徹底していたその考えを、レイも貫くことに何の異議も無かった。

 

「……また面倒事を抱えた気がするな。全く……」

 

 ミリアムにすら聞こえない程の小声でそう漏らしながら、レイはミリアムと共に一路、再びトリスタへと戻って行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうも、十三です。明日から仕事初めなんですがテンションは全く上がりません。むしろ上がる人なんているんですかね?

 正月三が日中に二本くらいは投稿したいと思っていたのですが、ギリギリで間に合って良かったです。できるもんですね。

 皆様、正月三が日はいかがお過ごしでしたでしょうか。僕は食って寝て特番見て駅伝見てゲームやって小説書いてFGOガチャぶん回したくらいしかしてませんでしたー。


 あ、因みに今回使った詠唱のドイツ語訳はグーグル翻訳先生に手伝っていただいたので多分メチャクチャですがご了承ください。当方英訳すらロクにできない人間なので。



今回の提供オリキャラ:

 ■アンナロッテ・シュベーゲリン(提供者:白執事Ⅱ様)
 
【挿絵表示】


 ―――ありがとうございました‼



PS:
 FGO二部が始まる前に現勢力を出来る限り上限まで育て上げないと……ロストベルトは相手の勢力的にも色々とヤバい気がしてならない。



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幾星霜に紡ぐ愛






「本当に好きなら、何があっても目をそらすな。 相手の何を知っても、何を見ても、目をそむけるな。 抱きしめた腕を絶対に放しちゃだめだ。 それが愛すると決めた者の責任だ」

                by 矢霧誠二(デュラララ‼)










 

 

 

 

 

 

 

 

「―――という訳で、リィンの後の処置はお前ら専門家(魔女)に任せた。割と今の時点で超弩級の厄ネタ抱えてるけど上手くやってくれると助かる」

 

「アンタ本当はバカなんじゃないの⁉」

 

「お、落ち着いてセリーヌ」

 

 

 

 ルーレから帰還して数日が経った夜。レイは第三学生寮の自室にエマとセリーヌを呼び、防音用の結界を張った上でその話を切り出していた。

 

 ……しかし案の定、ザクセンで起こった事実を余すところなく、語れる範囲で語った所、エマより先にセリーヌが激昂したのだが。

 

 

「ホント、何してくれてんのよアンタ‼ アタシとエマだって凄く気を張りながら様子を見てたって言うのに‼」

 

「しょうがねぇだろ、陛下がどんな行動するのかを完全把握すんのはほぼ不可能なんだよ。何ならキャリーオーバー中の宝クジ一等前後賞全部当てろって言われた方がまだ楽だわ」

 

「例えが何だかアレですけど……かなりレイさんが苦労してたんだなって事は良く分かりました」

 

 色々と自分のキャパオーバーの情報を抱えたエマは、しかし半ば無理矢理それを吞み込んで、冷静さを保つ。

 この半年間で随分と「信じ難い事実」を突き付けられるのに慣れてきた事に溜息を吐きそうになるも、それをグッと堪えた。

 

 

「……ルーレでレイさんの封印術を破ってリィンさんに憑いたのが……その、レイさんの知り合いなんですよね?」

 

「知り合いというより元上司のような感じというか何と言うか……あ、そうか。陛下はもう《結社》関係ないから、深く踏み込まない限りは《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》の対象外か」

 

「元《結社》……アンタの元上司みたいなものって事は、最高幹部の《使徒》だったの?」

 

「いんや、陛下は《執行者》のNo.Ⅲだった。一時期、何だか無理矢理あの人の無茶に付き合わされてた時期もあったからな」

 

「……その方のお名前は?」

 

「エルギュラ・デ・デルフェゴルド・ルル・ブラグザバス―――俺は単に”陛下”と呼ばされてたが、真名は確かそうだったはずだ」

 

「「‼」」

 

 その名を聞いた瞬間、エマとセリーヌの表情が一変した。

 恐怖というよりは畏怖。興味というよりは忌避感。その様子を見たレイは、しかし逆に納得した様子で言葉を続けた。

 

「―――やっぱり聞いたことくらいはあるか。この名を」

 

「……えぇ。おばあちゃん―――《魔女の一族(ヘクセンブリード)》の長から少し」

 

「で、でも、そいつは私たちが生まれるより遥か以前に長たちが斃したって聞いたわよ‼」

 

「あの人をこの世から消滅させるのは不可能だ。今までも、これからも」

 

 或いはこの世界を創世した女神か、その分け御霊である《七の至宝(セプト=テリオン)》であればそれも可能だろうが、少なくともヒトである以上、もしくは()()()()()()()()()では彼女を消滅させ切ることは出来ないだろう。

 

 一つの種族の原点として生み出された《祖たる一(オールドワン)》とはそういうものだ。聖獣と同じく女神の手により直接創造された存在であるからこそ、この世の始まりに立ち合い、そしてこの世の終わりを見届ける存在。

 

「……それで、今はそのバケモノが何の因果かリィン・シュバルツァーに取り憑いてるってワケね」

 

「俺が駆け付けた時はリィンの魂のかなり深いところまで浸食されてたからな。引き剝がすより、そのまま鎮静化させた方が被害が少ないと判断した」

 

 既にレイが以前に施していた【南門朱雀・軫】はエルギュラの介入によって砕け散り、そのエルギュラの魂にしたところで【東門青龍・心】によって鎮静化させているに過ぎない。

 実際、今のリィンは不安定な状態だ。それならばもう一度レイがリィンの”鬼の力”を封じれば良いとセリーヌが言ったが、その提案にレイは首を横に振った。

 

「元々【天道封呪】は神性存在を封じるために生み出されたものだからな。本来はお前らんトコの《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》と同じように、人間相手に使っていいモノじゃないんだ。……実際、陛下の件が無くてもいつかは解いて、お前らに任せるつもりだったし」

 

「…………」

 

「出来ない事はねぇだろう? ()()。正直俺の体内呪力の9割はシオンの隷属と陛下の再封印で持ってかれてるんだ。お前に頼るのが、現時点では最適解だと思ってる」

 

「レイさんに評価されるのは嬉しいです。……でも、最盛期の”長”が一人ではとても敵わなかったという程の存在ごと封印するというのは、私には荷が重すぎます」

 

「誰もそこまでしろとは言ってねぇよ。そんなのはヴィータの奴でも不可能だろうさ」

 

「……体良くエマに問題を押し付けようとしてるわけじゃないわよね?」

 

「元々この件に関しての管轄は魔女(お前ら)だろうが。……ま、陛下の件に関しては俺にも責任はあるから、出来る限りのサポートはさせてもらう。心配しなくても、魔女の使命の領域まで足を踏み込むつもりはねぇよ」

 

「寧ろ、アンタがアタシ達の”使命”のどこまで知ってるのか本当に気になるんだけどね」

 

「さぁてね。ま、今はそこはどうでもいいのさ」

 

 はぐらかすようにそう言って、レイは数枚の符を制服の内ポケットから取り出してエマに渡した。

 

「これは?」

 

「リィンの力を封じ込める為に一番効率がいい術式。呪力は籠めてないから、お前の魔力を注ぎ込めばそのまま封印術として機能するはずだ」

 

 元より、こういった術式構築もレイの得意分野の一つでもある。腕前こそ、彼の母親であるサクヤには遠く及ばないだろうが、それでも慣れ親しんだ術式の再構築くらいはこうしてこなしてみせる。

 それを受け取ったエマは、しかし少しばかり複雑な表情になったまま俯いてしまった。

 

 

「……レイさんは本当に凄いですね」

 

「ん?」

 

「武人としての腕前だけじゃなくて、術者としての実力も私とは比べ物にならない程で……私なんて、何もできないのに」

 

 それは醜い嫉妬なのだとエマ自身も理解していた。

 彼は聞いた限りでも想像を絶する半生を過ごしてきた。常に生と死の狭間を歩きながら、その中で研磨された実力であるのならば、それは到底今の自分が追いつけるようなそれではない。

 

 エマ・ミルスティンの半生は、姉であるヴィータ・クロチルダへの羨望で成り立っていたと言っても過言ではない。

 ”長”をして数百年に一度の逸材と言わしめた姉に対する劣等感、と言い換えてもいいかもしれない。彼女と比べてどうしても魔女としての才能が劣っているというコンプレックスを抱えながら、それでも追いつこうと努力してきた。

 

 しかし、魔女として何かを成し得たかと問われれば口を噤まずにはいられない。

 すべき事を、自身の正体を晒す事を躊躇ったが故に目の前の少年に任せきりであったこと。せめてⅦ組の一員として皆を護ろうとしたが……それも中途半端だ。

 

 世界は、思っていた以上に広かった。ただ単に魔法を使う手段に長けているだけでは生き残れはしないと理解した。

 だからこそ、戦う世界を今まで生き抜いてきた人物に対する尊敬の念は本物だ。その世界に生きるには、自分がまだ未熟であるとも。

 

 しかしレイは、そのエマの弱音を否定した。

 

 

「何もできない? 馬鹿な事言ってんじゃねぇよ。お前はもうⅦ組の要だ。断言してもいいが、お前が一人抜けるだけでⅦ組の戦列は軽く崩壊するぞ」

 

 そも今の特科クラスⅦ組―――勿論レイを抜いたメンバー―――の戦列は、全員が揃っている事を前提にして組まれていることが多い。

 特別実習で人数が分かれてしまう際にも、戦力が可能な限り二分されるように組んでいるという旨はサラから聞いているし、足りない戦力で如何にして戦うかを考え編み出すのも戦略の内ではある。

 

 だがそれでも、今のⅦ組のメンバーは単身で”準達人級”レベルの存在と相対する実力を持つ者がいない。だからこそ、一人でも欠ければ強者に抗うことが出来ない。

 その中で、後衛組の攻撃をほぼ一任されているエマの火力は無くてはならないものだ。エリオットと同様、前衛・中衛組が多少の痛みを伴っても守り抜く程には。

 

 それに、戦闘を抜きにしても彼女の存在はⅦ組の中では大きい。

 その温厚で真面目な人柄は委員長としてクラスを纏めるに相応しいし、知識の引き出し方を心得ているその勤勉さはあらゆる状況でメンバーを救ってきた。

 

「俺もまぁ、人の事は言えねぇけどさ。あんま自虐的にならねぇ方が良いと思うぜ。お前の優秀さや優しさを、少なくともⅦ組(俺ら)はかけがえのないものだと思ってるんだし……それに、お前には一番の理解者である使い魔(相棒)もいるじゃねぇか」

 

「あ……」

 

「俺も痛いほど経験があるし……というかつい最近同じようなミスやらかしたけど、自分を信じてくれてる奴らの前で過剰に自虐的になり過ぎると、そいつらの価値まで貶めちまう。―――弱音を吐く事も時には大切だけどな」

 

 苦笑を漏らしながらそう言って椅子の上で足を揺らすレイに、釣られてエマも笑みが漏れた。

 

「ふふ、そうですね。ごめんなさい、セリーヌ」

 

「あ、アタシは別にどうでも良いわよ。……それより、この符の術式の効果は本当なんでしょうね?」

 

「俺ぁレンみたいに根っからの”理論派”じゃねぇけどさ、昔親友(ダチ)の催眠解くために足りねぇ脳みそ振り絞って術式開発した事あったから、その時の経験も踏まえてどうにかしてる。―――心配なら一枚”長”殿のトコに送って鑑定してもらえ」

 

「いえ、それには及びません。……レイさんが()()を助ける為に、中途半端な事をするとは思いませんから」

 

 エマのその実直な言葉に、レイは先程とは違い、強気な笑みを溢した。

 

「分かってんじゃねぇかよ。後は宜しく頼むぜ、()()()

 

「えぇ、分かりました。……()()()()()()()()、あまり不安にさせるわけには行きませんからね」

 

「おう、そこも良く分かってんじゃねぇか委員長。出歯亀は余り褒められたモンじゃねぇが、せめていい感じに成功するように祈るとしようや」

 

「そうですね」

 

 リィン・シュバルツァーの現状を知っている二人は、何かを企むようにしてそう言い合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リィン・シュバルツァーは悩んでいた。

 

 基本真面目一直線な彼は平時の時でも何かしら悩んでいることが多いが、今回は特に深く悩んでいた。

 

 

 ルーレから帰って来て一週間。A班もB班も、一先ずお互い死に掛けた際の愚痴りを語り終えて、苦い思い出も呑み込み終えた様は帰還兵を思わせたが、リィンはそんな中でも一つだけやらねばならぬ事をずっと先送りにしていた。

 

 それは、今まで数度死線を潜り抜けてきたリィンでも経験しなかったことで、しかも一世一代の事となれば悩むし緊張もする。だからこそ()()()()()に慣れているであろう友人に相談をしようと思い至って……そして2時間が経った。

 

 

「……………………」

 

 相談をしようと思い至って自室を出るまで30分。部屋を出たはいいが「本当にこんな事を相談して良いものか」と思い悩み1階の談話スペースで悩む事1時間。やっとの事で決心がついて、しかし友人の部屋の近くで立ち止まって30分。

 合計2時間の無駄な時間を過ごしたリィンは、しかしそれを顧みる余裕すらなく、控え気味に友人の部屋の扉をノックした。

 

「レ、レイ。その……今、ちょっといいか?」

 

『おう、リィンか。部屋ん前でずっと何やってんかと思ったぜ。入って来な』

 

「……やっぱりバレてたか」

 

 薄々勘付いてはいたが、やはり気付かれていた事に少しだけ緊張が緩み、そのままドアノブを捻って友人の部屋に入る。

 部屋の中では、主が自身の愛刀の刀身をなぞりながら鞘に収めている最中だった。床には彼が愛用している砥ぎ石がそのまま置かれており、それを見たリィンは申し訳なさそうに声を掛ける。

 

「悪い。砥ぎの最中だったか」

 

「気にすんな。ちょうど終わった所だ。―――それで? お前は漸くアリサに告る決意が出来たのか? いや、そこが未だに微妙だから俺に相談に来たのか? そこんところを10秒以内に答えろ」

 

「当たり前かのように心を読んでくるのはやめてくれないか?」

 

 しかしレイの声にはからかうような感情は込められておらず、一応相談には乗ってくれるスタンスである事を確認すると、やはり気恥ずかしさはあったが素直に話す事にした。

 

「……まぁお前のお察しの通りだよ。ルーレから帰ってきてから告げられずにいたけど、そろそろアリサに告白しようと思って」

 

「1週間か。長かったな。お前が行かずとも、アリサの方から告るかと思ったんだが」

 

 とはいえ、とレイは思う。

 アリサの方もアリサの方でどうしたらいいかをエマやサラに相談しているという旨を本人たちから聞いている。

 どうにも揃いも揃って肝心なところで不器用なカップルだと思う。「好きです。付き合ってください」の言葉さえ出れば無条件でOKが出るだろうに。

 

 ……ただ、まぁ。その最後の段階を飛び越えるのが一番勇気が居るのだろう。死線に身を置くのとはまた別種の勇気が。

 

「まぁ分からなくもない。告白してもし、万が一でも億が一でも兆が一でもフラれでもしたらどうしようとか考えてるんだろお前。同じクラスにいる以上、そうなっても否が応でも顔を合わせる事になるからな」

 

「う……」

 

「本音を言うと、ルーレから帰って来てから此の方、クロウが学院祭の準備と並行してお前とアリサが恋人同士になった記念パーティーの予定ガッチリ組んでるし、俺も俺で昨日から特製ミートパイの生地寝かせてるから、とっととどっちかが告って欲しいんだわ」

 

「割とガッチリ外堀が埋まってた……」

 

「―――そんなに悩んでんならアリサの告白を待っとけばいいじゃねぇか。昨今、男が告白しなきゃ意気地なしって事もねぇだろうに」

 

 レイは割と本音でそう言ったのだが、リィンはその言葉を聞いた直後に「いや」と返してきた。

 

 

「告白は俺の方からしたい。確かにお前の言う通り待つのもアリかもしれないけど、何て言うか……この機会は一度きりだから、ちゃんと俺の方から、好きだってことを伝えたいんだ」

 

 それは、ルーレで一度はちゃんと決意した事。本来であればトリスタに帰ってすぐにでもアリサに自分の本心を告げるはずだった。―――それが出来なかったのは、偏にリィン自身がザクセン鉄鉱山で武人として”一線”を超えてしまったからだ。

 

 「人を殺す」という感覚を覚えてしまった。命の脈動が途絶える感覚が、手の中に染み付いてしまった。その後、極限状態であったとはいえ、人を殺す事を一瞬躊躇わなかった。

 後悔はしていない。そうしなければ生き残れなかったのだから。―――しかしそれでも、ふとした瞬間に震えているこの手で、果たして彼女を抱きしめることが出来るのだろうか。

 

 面倒臭く、煮え切らない男だという自覚はある。考えすぎだという自覚も。

 だが、それを忘れて愛を告げたところで、果たして自分は後悔しないだろうかと考えると、やはりどうしても踏み止まってしまうのだ。

 そしてその思いを、レイは既に汲み取っていた。

 

 

 一度は「もう問題ない」と判断はしたが、思っていたよりも重傷だった。

 本当に生真面目を具現化したような男だなと再確認する。一度壁を目の当りにしたら、考えて悩んで悩み抜いて、その先に自分の力で正解を導き出そうとする。

 他者を頼っているように見えて、その実自分の心の内に全てを抱え込む。。―――そんな彼の事を放っておけないのは、レイ自身も同じだからだ。

 

「……人を殺したばかりの人間が愛を告白したところで心の底から受け入れられる筈は無い、ってか?」

 

「っ……」

 

 その言葉が図星だったのか、リィンは俯いたまま押し黙った。

 神妙な面持ちのまま「人を愛する資格など無い」などと言ったも同然の友人に対し、レイは堪らず下を向いたままのその頭に平手を叩き込む。

 

「バカめ。お前のその理屈が罷り通るなら、お前より悩まず、お前より躊躇いなく人殺しをして来た俺は一体どうなる?」

 

「い、いや、俺は別にそういうつもりは―――」

 

「それに何より度し難いのは―――お前、アリサ・ラインフォルトという女をナメ過ぎだぞ」

 

 レイは、アリサという仲間の事を底の底まで理解はしていない。それでも、リィンにこんな事で悩ませる程度の女ではなかったはずだ。

 

「お前が愛した女は、お前が惹かれて守ろうとした女は、お前が仲間としても信じている女は、()()()()で愛想を尽かすような奴じゃねぇだろ」

 

「…………」

 

 我ながらクサい台詞を言っているという自覚はあった。

 だが、リィンのアリサに対する想いは本物だ。決して一時の気の迷いとか、遊びでの想いだとか、そういうのでは断じてない。

 レイ自身、恋愛の経験などあの三人に出会うまで無かったのだから、的確なアドバイスを送る事など難しい。しかしそれでも、そういった言葉を掛けずにはいられなかった。

 

「お前はちぃと難しく考えすぎなんだよ。人を殺した罪悪感とか懺悔とかは、この一瞬だけでもいいから頭の片隅に追いやっておけ。好きな奴に好きだと伝える時に、雑念があっちゃならねぇよ」

 

「それは、レイ自身の体験談か?」

 

「言うね、お前。……ま、実際その通りだ。俺はまぁ色々と邪念が多い方だと自覚しちゃいるが……サラとシャロンとクレア(あいつら)()()伝える時だけは、それ以外何も考えちゃいないさ」

 

 そう言うレイの表情はいつものそれよりも幾らか晴れやかで、何も含むところなど無い事を理解させられた。

 そして即答してくれたその答えに何かの折り目が付いたのか、それまで座っていた椅子から立ち上がった。

 

「ありがとう、レイ。一応、気持ちは決まったよ」

 

「俺ぁ何にもしてないけどな。ま、あんまり深く考えずに伝えたい事だけ伝えりゃ良いんじゃねぇか?」

 

「あぁ。……上手く行った暁には美味い夕飯を期待してるよ」

 

「お前それ若干死亡フラグに該当するからやめろ」

 

 そんな軽口を言い合った後、リィンはレイの部屋から退室する。

 

 深く深呼吸を一つ。時刻はまだ午後の8時を回った辺り。ならば、今夜中に想いを告げる方が良いだろう。

 しかし、まずは心を落ち着けなくては話にならない。呼吸を整えながら階段を下りていき、1階の食堂へと足を進める。

 水の一杯でも飲んでから告白の言葉を考えよう―――そんなリィンの思惑は、容易く砕かれることになる。

 

 

「あっ―――」

 

「えっ―――?」

 

 食堂の扉を開けた時、目の前にアリサがいた。

 風呂上がりで少し冷えたのか、ゆったりとした服の上から軽く上着を羽織っている。ふわりと豊かな金髪が揺れ、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐると、リィンの頭の中は更に混乱した。

 

 完全に不意を突かれた状態となるのだろうか。心が乱れたリィンは、しかし感情だけが先走って一先ず食堂に入ろうと一歩踏み出したところで、扉の縁に躓いた。

 

「うわっ⁉」

 

「ちょ、ちょっと⁉」

 

 前のめりになってバランスを崩したリィンを、アリサは咄嗟に抱き留める。

 ほのかに体温が高く、良い匂いがするアリサに抱き留められたリィンの心臓の鼓動は際限なく早くなり、逆に抱き留めたアリサも、入学してから一層鍛え抜かれたリィンの肢体に触れて顔が茹で上がったように赤くなっていた。

 

「ご、ごめんアリサ‼」

 

「だ、大丈夫‼ 大丈夫、だから……」

 

 僅かに視線を逸らしながらも、しかし食堂から出て行こうとはしないアリサ。そんな彼女の様子を見て、リィンは頭の中で組み立てていた言葉を全て投げ捨て、ただ思ったままの事を告げる為に口を開く。

 

「「え、えっと―――」」

 

 そして、言葉が被る。互いに何かを伝えようと口を開いたタイミングまで一寸も違わず一緒で、その想いもまた一緒だ。

 間は、恐らく十数秒ほど空いただろうか。舌先に言葉が乗る度に、しかし寸前で呑み込んでしまうという行為を数回ほど繰り返す。

 

 蛇口から僅かに垂れた水滴がシンクを叩く音しか聞こえない静寂の中、掻き出すようにして声を響かせたのは―――リィンだった。

 

「アリサ」

 

「は、はい」

 

 その真剣な面持ちを前に、アリサは自分の内側から何とも言えない衝動が湧き上がるのを感じた。

 その言葉に縛られることを屈辱とは思わない。その言葉に絡め取られるのを拒絶できない。……したいとも思わない。

 

 熱い吐息が漏れてしまいそうになる。その眼に射竦められるだけで、脳が蕩けてしまいそうになる。

 この時、この瞬間だけは何も考えなくて良いのだと、彼女の心に何かが告げた。ただあるがままに、その全てを受け止めなさいと。

 

 

 

「好きだ」

 

 

 

 だから、その求愛を受け取る事に、何の違和感も無かった。

 為すがまま、あるがままの答えを返すために、徐々に唇が開いていく。

 

 

 

「私も」

 

 

 

 眼尻から涙が溢れている事すら気付かない程に、心が歓びを享受していた。

 一つ心残りがあるとすれば、その求愛を伝える側になりたかったというだけの事。だが、受け止める側になった事に何の不満も有りはしなかった。

 

 嗚呼、なんて幸せなのだろうと、そう思う事に一切の疑問も無かったのだから。

 

 十の贈り物をされるより、百の言葉を掛けられるより、その一言が今までの不安の全てを彼方に追いやってくれた。

 私はこの人を愛して良いのだと、何にも勝る多幸感が全身を支配する。

 

 

 そして今度は、リィンがアリサの体を包み込んだ。

 まるで繊細な陶器に触れるかのように優しく、しかしその指先は微かに震えている。―――それは、彼が抱えていた不安を如実に表すものだった。

 

「……本当は、少し怖かったんだ」

 

「……え?」

 

「人を殺したこの手で、君を抱きしめるのが怖かった。もし拒まれたらどうしようって……みっともなくそればっかり考えていたよ」

 

 そう告げるリィンの体を、今度は咄嗟にではなく、情愛を以て抱き締めた。

 心に残るその不安を取り除くために。私は拒絶などしないのだと、その身で以て知って貰うために。

 

「私は……リィン、貴方の全部を知っているわけじゃないわ。でも、貴方がどういう人かは知ってる。真っ直ぐで、優しくて―――でも、必死に何かを抱え込もうとしてる不器用な人」

 

「…………」

 

「大丈夫。私は絶対に貴方を見捨てないから。貴方の傍に居続けるから。どんな事があっても、貴方を愛し続けられるから」

 

 それは、彼女なりの情愛だった。

 父と幼い頃に死に別れ、多忙な母とはすれ違い、しかしそれでも愛情を注いでくれる人達がいてくれたからこそ、彼女はこうして、今度は自分から誰かを愛することが出来たのだから。

 

 

 ふと、目が合った。

 熱の籠った視線が交わり、その距離が段々と近づいていく。

 

 どちらが何かを口にしたわけではない。ただ無言のまま、二人の顔は近づいていき―――そしてゼロになる。

 

 唇が重なっていた時間はそれほど長くはない。ただの啄むような優しいキスだったが、それでも二人は満足だった。

 不意に、お互いの顔が綻ぶ。安堵からか、幸福感に彩られた小さい笑い声が耳朶に染み込んでいく。

 

 

「俺は、君を絶対に守れるように強くなる。約束だ」

 

「なら私は、そんな貴方の背中を守る。貴方が前を向いて歩き続けられるように」

 

 

 その契りは、更に二人の心を振るわせた。

 守り、守られ、互いに支え合ったその先に何か別の光が見えるのならば、その道を進むことに間違いなどあるはずがない。

 

 ならば、その誓いを真のものにしようと、リィンはアリサの顎にそっと触れた。

 もう一度、もう一度唇を重ね合いたい。この女性が自分のものであるのだと、魂の底まで刻み付けたい。

 

 そんなリィンの情欲を、アリサはやはり拒まなかった。

 天にも昇る心地、愛に堕ちていく心地。それらの感情を理解しながら、再び微かに呻くような声が零れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

「……で? どうするのよ」

 

「何が」

 

 1階に繋がる階段の踊り場で、手すりに寄り掛かったレイは対面で佇むサラの言葉にわざととぼけてみせた。

 

「何が、じゃないわよ。ちゃんと収まるべきところに収まったのはアタシとしても嬉しいけど、このままおっぱじめたら流石にマズいんじゃない?」

 

「お前流石にそこはオブラードに包めよ。……ま、大丈夫だろ。アイツらは俺らと違ってちゃんと節度を知ってるわけだし?」

 

 悪戯っぽい表情でそう言うレイに対し、サラは少し顔を赤らめながら同意した。

 

「……否定はできないわね。悔しい事に」

 

「そういう事。まぁこれ以上の野暮は止そうぜ。……あ、明日食堂のムービーカメラ回収しねぇと」

 

「アンタ2秒前に自分が言ってた言葉覚えてる?」

 

 何の悪びれもなく、何の躊躇もなく、レイは前もってシャロンから預かっていた超小型ムービーメーカー(それ)の存在を口にする。

 

「アンタもしかして誘導したの?」

 

「人聞きの悪い事を言うな。俺はたださっきの雰囲気から今日中に絶対告るなって思って、式神にカメラ括りつけてリィンに着いて行かせただけだぞ」

 

「……誰が依頼したかは考えなくても分かるわね」

 

「いずれアイツらの結婚式か、もしくはいつか酒の席で集まる事になった時に流してやろうって意見で一致したからな」

 

「ホント、良い性格してるわねアンタ達は……‼」

 

 クツクツと意地汚く笑うレイであったが、しかしその笑いの合間に見せた表情は―――安堵感に包まれているように見えた。

 

「人への想いってのは伝えられる時に伝えとかねぇとダメだよなぁ。―――いつ死ぬか分かんねぇ時世に放り込まれる可能性があるんなら、特に」

 

「…………」

 

「ダチとして俺がアイツにしてやれるのはこれくらいさ」

 

 そう言い切る恋人の姿を見て、サラは一つ、深い溜息を吐かざるを得なかった。

 

「やっぱりアンタ、損な生き方をしてるわ」

 

「そうだろ? ……ま、それで友人の幸せそうな姿を見られんなら、それも悪くねぇさ」

 

 少なくともこれに関しては後悔も何もない。

 その先にある運命が拙いものであるのだとしても、それを手繰り寄せられるか否かはもう本人たちの問題だ。

 

 そしてその先の道を見てみたいという願いが、傲慢だとは思わなかった。

 それは正しく―――生きる一人の人間として在るべき姿であるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 どうも。1月3日に初めて「君の名は。」を見て割と感動してた十三です。色々と賛否両論あるけど、僕は好きでしたあの映画。

 さて、今回ようやくリィンに告白させたわけですけど……これから彼が辿る修羅道を思うと歓迎して良いものかどうか割と真剣に悩みますねコレ。
 でもまぁ、諦めなければいつかきっと夢は叶うって某アホ大尉も某航海者さんも言ってるから大丈夫だよ多分‼……言ってる人間が不安しかねぇけど。

 それじゃあね、次回は少しクロスベルの現状をお見せしましょうか。なぁに心配しないでください。いつも通り……いや、いつもよりほんのちょっぴり地獄になってるだけですから。あんまり変わってないから(大嘘)‼


PS:そんじゃ皆様、今から僕は邪ンヌを当てる為に運命力とにらめっこしてきます。




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死狂和音 前篇 ―in クロスベル




「俺はこの世でただ一人の――君のための英雄になろう」

    by アシュレイ・ホライゾン(シルヴァリオ・トリニティ)








 

 

 

 

 

 

 

 

 クロスベルには、通称”裏通り”と呼ばれる場所がある。

 

 歓楽街にも出店できないような違法性の高い商品を取り扱う店や隠れ家のようなバー、果てはマフィアの拠点などの文字通り”裏”の世界に繋がる存在が根城にしている此処は、しかし財政界との闇のパイプが構築されている所為で治安維持組織が強制捜査に踏み込むことが出来ない、所謂治外法権が適用される場所である。

 

 道端には大っぴらに死体こそ転がっていないものの、みすぼらしい風貌の浮浪者やゴロツキが珍しくもなくうろつくこの薄暗い一角では、少しばかり様子がおかしい者が居たところで誰も目を止めはしない。

 何せ、一昔前はマフィア同士の抗争が起こる事すら日常茶飯事だったのだ。汚い金と弾丸と麻薬が横行する程に狂った場所であれば、人は異常になれるというもの。

 

 ―――しかしそんな裏通りの住人ですら、今現在鈍い足取りで移動するその男の事を、奇異と恐れが入り混じった目で見ていた。 

 

 

 

 

「っ……クソ、痛ぇ……重い……動かねぇ……」

 

 左半身を引きずり、全身が血塗れ。外貌は完全に瀕死の死に体であるというのに、その眼光はまるで獅子のそれであった。

 その鋭い眼光が、粗暴な連中を一切近寄らせない。僅かでもこれ以上彼の体を害するような事をすれば瞬殺される―――それを本能で理解していたからだ。

 

 濃い紫色の髪が、いつもよりもくすんでいるように見える。並大抵の武人では傷一つすらつけられない鋼の肉体に刻まれた裂傷と突傷の数々は、彼を知る人物が見れば驚愕に目を見張る事だろう。

 それでも、そんな躰であっても―――アスラ・クルーガーは決して膝を付こうとはしなかった。

 

「ッ……アルトスクの旦那も大人気ねぇなぁ……彼女持ちの後輩にこの仕打ちかよ」

 

 口から出てきたその言葉は、どちらかというと憎まれ口に近かった。

 

 

 結社《身喰らう蛇》、《執行者》No.Ⅴ―――《神弓》アルトスク。

 ”達人級”の武人や異能者が珍しくもなく名を連ねる魔境のような《執行者》の中に於いて、それでも”最強”の称号を冠するに相応しい武人。

 

 その絶技はもはや”絶人”の域に達しかねない程。そんな彼が《結社》の粛清部隊を率いているからこそ、例え脱退した者であっても組織の情報を積極的に漏出させようとは考えない。

 何せ彼は”人狩り”のプロフェッショナルだ。《結社》の黎明期から《盟主》に忠義を尽くし続け、《執行者》となるまでは決して表には出て来ようともせずにただひたすらに汚れ役に徹し続けていた。

 

 その鋼の忠義を、アスラ自身は好ましく思っていた。

 例え卑怯卑劣と蔑まれようとも、それでも自ら汚れ役に徹し続けるその意思は並大抵のものではない。だからこそ彼は《神弓》の異名で呼ばれ、そして畏怖されているのだ。

 

 故に、一部の過激な戦闘狂(バトルジャンキー)を除けば、新旧問わず《執行者》の面々がアルトスクを評価する際に必ず最後に付け加える言葉がある。

 

 『彼とは絶対に殺し合いたくはない』―――その言葉が、武人の格の全てを物語っていると言えるだろう。

 

 

 

 アスラが不幸だったことと言えば、そんな人外に近しい武人に()()()()()命を狙われ続けた事だろう。

 

 実家の本家への定期的な顔出し、及び《ロックスミス機関》に在籍する旧友との情報交換をこなす為に一時帰国を余儀なくされていたアスラは、しかしその帰路の途中で襲撃された。

 だが、並の襲撃であったのなら”達人級”の武人であるアスラが梃子摺る理由は無い。適当にあしらうか、襲撃者を全滅させて済んでいただろう。

 それが出来なかったのは、ただ偏に「相手が悪かった」からだった。

 

 

 アルトスクの任務は、「アスラ・クルーガーを可能な限り足止めし続ける事」であった。

 彼は今回、クロスベルとエレボニアを舞台に繰り広げられる『幻焔計画』の参戦者として名を連ねてはいない。ただ、カンパネルラの案により、《使徒》第六位F・ノバルティス経由の要請を受け、計画の初動の弊害になりかねないアスラをカルバード共和国領内に足止めしていたに過ぎなかった。

 

 ―――本来であれば一ヶ月近くの足止めを予定していたにも関わらず、アスラが異常なまでの突破力を見せて、僅か一週間程度でクロスベル領内に強引に入られたのは、アルトスクにとっても予想外の事ではあっただろうが。

 

 

 無論、アスラとて無傷での突破とはいかなかった。

 氣で強化された鋼の肉体の防御力を、アルトスクの矢はいとも簡単に貫いていた。剄破の氣が練り込まれた非物質の鏃が躰を抉る度に肉と内臓と骨が軋みを上げ、石化と猛毒の魔力が内部から侵していく。

 

 更に《盟主》から賜った聖弓《ケルクアトール》から放たれた矢は、その全てが過つ事なく人体の急所を狙っていた。

 いつ、どこから、音も気配もなく必殺の攻撃が迫ってくるか分からない恐怖。一秒一瞬たりとも気を抜けず、緊張の糸が僅かでも緩めば、その瞬間に脳天を矢が貫くという状況で、しかしアスラは生き残り、そしてクロスベルへと舞い戻ってみせた。

 

 内臓の幾つかは潰れ、骨は砕け、左半身は石化し、体中を巡る猛毒のせいで思考は上手く回らない。

 無論、血は足りず、氣力による肉体回復は既に限界を超えている。……外目だけに限らず、実情を覗いても死に体であるのは明らかであった。

 それでも、クロスベルが置かれている現実を知っている今、倒れ伏すわけには行かなかった。

 

 

 

 

 『アルカンシェル』、及び『IBC』への襲撃事件、その後のディーター・クロイスによる大統領就任演説。更に『クロスベル国防軍』の設立と、アリオス・マクレインの国防軍長官就任。

 

 ”魔都”クロスベルは、確実に崩壊への道を辿っている。一人の男の理想に酔った想いを引き金に、妄執に取り憑かれた一族の悲願を種火に、《結社》の掌で踊らされる形で、確実に。

 

 だが彼にとって、クロスベルという国家そのものがどういう道を辿るかという事に、()()()()()()()()()()

 混沌としていて、真実と虚偽の境目が曖昧で、誰もが挫け、しかし誰もが夢を見る事が出来る街。人間というものがあるがまま生きられるこのクロスベルという場所を気に入っていたのは確かだ。

 それでも、アスラは聖人ではない。名も顔も知らない人間の為に命を賭して戦えるかと問われたら迷うことなく否と答えるだろう。

 

 しかし、彼には守らなければならない唯一があった。

 ()()が心の底から居心地が良いと思っていた場所が失われ、恩人とも呼べる人物が生死を彷徨う重傷を負ったとあれば―――きっと鷹揚にはしていられまい。

 

 自身で立ち直ってくれるのならば、それに越した事は無い。

 誰かの手を借りて立ち直ってくれるのならば、それでも一向に構わない。

 

 だが、今も一人で、どこかで泣く事もできずにいるのならば―――それを見過ごすことは出来ない。

 

 

 彼女は―――リーシャ・マオは優しい女性だ。”暗殺者”という肩書きを背負うには、あまりにも優しすぎる女性だ。

 そんな彼女だからこそアスラは惚れ込んだのだし、たとえ彼女がどうであろうとも想う事には変わらない。

 誰にも何にも告げられずにただ一人で苦しんでいるのならば……その心の扉をこじ開けるのは自分でなくてはならないという自負はあった。

 

 向かうべき場所は、聖ウルスラ医科大学。イリア・プラティエが搬送された場所がそこであるならば、彼女がそこに居る可能性もある。

 だが、このような凄絶な状態で人通りが多い場所を歩くわけにもいかない。裏通りを西通り側に抜けたアスラは、そのまま外壁沿いに南クロスベル街道に出ようと音を立てないように階段を下りていく。

 しかしその道中、アスラはとある建物から出てきた一行と鉢合わせた。

 

「ん? あ、おい、あれって……」

 

「あ、アスラ⁉ ど、どうしたんだ、そのケガは⁉」

 

「―――あ”?」

 

 ぼやける視界を何とか明瞭に保ちながら再び前を見据えると、そこには必死の形相でこちらに駆け寄ってくる人達の姿。

 その特務支援課の面々を目の当たりにして、アスラは少し気が楽になったような錯覚に陥った。

 

「よう、お前ら……お前らは無事だったみてぇだな」

 

「いや明らかにお前が無事じゃねぇんだが⁉」

 

「え、エリィさん回復です‼ 回復アーツです‼」

 

「ちょ、ちょっと動かないでくださいねアスラさん」

 

 ビルの外壁に寄り掛かった状態になったアスラに対して、エリィがENIGMA(エニグマ)を起動させて高位回復アーツを掛ける。

 しかし、それで塞がったのは表面に付いた傷だけだ。石化と猛毒は『レキュリア』を以てしても癒す事は出来ず、内臓と骨にはダメージが残ってしまっている。

 

 その事態を異常だと理解した一行は、偶然にも支援課ビルを訪れていた本業―――ロイドの義姉であるセシルに軽い診察を要請した。

 

「……何があったのかは分からないけれど、看護師として言うのなら今すぐウルスラ医科大学(ウチ)に入院する事をオススメします。アスラさん、今の貴方は、医師ではない私の目から見ても絶対安静である事が分かりますから」

 

「……まァ、そうだろうなぁ。ンな事は俺が一番良く分かってる。正直こんな状況じゃなきゃ少なくとも一週間は回復に努めるところだ」

 

 何せ弓使いとしては《鉄機隊》のエンネアを凌駕する男である。その戦技(クラフト)の影響が、並の回復アーツでどうにかできる訳も無し。

 回復する方法としては、セシルの言う通り安静にして体の自己回復能力を高め、そこに活剄を流し込むことで打ち消すしか方法は無い。医科大学の意志の腕を疑うわけではないが、現代医学でどうこう出来るレベルではないのだ。

 

「……そうだ、セシルさん。医科大学の方に、リーシャはいねぇか? アイツが居るんだったら、一言声を掛けておかなきゃならないんでな」

 

 やや強引に話を切り替えると、セシルを含め、支援課のメンバーは全員気まずそうに顔を逸らした。

 正直な話、その時点で事情は察したアスラだったが、代表して口を開いたロイドの言葉を聞ける程度の余裕はあった。

 

「リーシャは……『アルカンシェル』での事件以降、行方知れずらしい。シュリもすごい心配していたよ」

 

「そうか……イリア・プラティエの状態は?」

 

「一命は取り留めたけれど……予断を許さない状況だと聞いたよ。セイランド先生は……例え意識を取り戻しても、もうアーティストとして活躍するのは難しいだろうって」

 

「……そうか」

 

 イリアとアスラの関係は、端的に言えば悪縁となるのだろう。

 リーシャを愛しているアスラと、リーシャを可愛がっているイリア。アスラの外見や言動が無頼漢じみているのも相俟って、二人は顔を合わせれば取り敢えず憎まれ口を叩き合うというのが日常的な光景となってしまっていた。

 

 だがアスラは、イリアのアーティストとしてのプロ根性や実力は高く評価していたし、リーシャを表の世界で輝かせるキッカケを与えてくれた人物として感謝はしていた。

 イリアの方もアスラが掃いて捨てるほどいるようなただの不良ではなく、筋の通った男である事を認めていた。

 

 劇団『アルカンシェル』の公演は何度か観た事があるが、あれは劇団に所属する誰が欠けても再現できないものだ。ましてや顔役であるイリアが抜けるとなると、どのような影響が出るかなど、関係者であれば考えたくもないだろう。

 するとそこで、ランディが徐に頭を下げてきた。

 

「すまねぇ。『アルカンシェル』を襲撃したのは……俺の身内だ。その所為でイリアの姐さんは意識不明になって……お前さんの恋人にも心に傷を負わせちまった」

 

「やったのは《血塗れ(ブラッディ)》の方かよ……あぁ、頭下げんなランディ。お前は何も悪くねぇだろうに」

 

 とはいえ、とアスラは思う。

 『IBC』を襲撃したのが《赤い星座》の主目的であったとするならば、シャーリィ・オルランドが『アルカンシェル』を襲撃した理由は何だろうか。

 

 ……恐らく大局に関わるような理由ではないだろう。彼女の目的は『アルカンシェル』そのものでもイリア・プラティエを亡き者にする事でもない。

 ただ―――()()()()()()()()()()()()()()()

 

「リーシャが医科大学にいねぇってんなら……まぁそれはそれでアテはある。それに、()()イリア・プラティエがこの程度の事でテメェの矜持を投げ出す筈もねぇ。目が覚めたらすぐにでも、血が滲むようなハードなリハビリを進んでやるだろうよ」

 

「……あぁ、俺達もそう思ってる」

 

「だろうな。―――あぁ、時間を取らせちまって悪かったな。お前ら、どっかに行くつもりだったんだろ? ……何だ、キーア嬢ちゃんが迷子にでもなったのか?」

 

 その問いかけに一瞬だけ口を噤んだロイドだったが、しかしそれでも今まで支援課(自分たち)に力を貸してくれた人物に不義理は出来ないと割り切ったのか、事情を説明し始めた。

 

 曰く、『クロスベル国防軍』の長官に就任したアリオスがキーアの事を「迎えに来た」らしく、そしてそのままミシュラムへと向かって行ったのだとか。

 しかし、流石に事情も聞かずに納得などできる訳もなく、アリオスに真意を問いただすために今からミシュラムへと赴く直前であったとも。

 

 アスラは迷った。このまま彼らを見送っても良いのだろうかと。

 恐らくキーアは、既に《零の至宝》としての意識を覚醒させてしまっているのだろう。その上でアリオスに着いて行ったという事は―――彼女の覚悟は既に固まってしまっているという事だ。

 

 だが、それでも、彼女が今までロイドたちと過ごしてきた日々がただの”嘘”であった筈など無い。彼女は人間の少女として過ごし、その日々を幸せだと思っていた筈だ。

 ならば、ここで彼女に声を掛ける事にこそ意味があるのだろう。―――どちらにせよ、もう既に状況はアスラ一人が足掻こうともどうにもならない程に進行してしまっているのだから、口を挟むだけ無粋というものだ。

 

「そうだよな、お前らは”家族”だもんな。―――だが気を付けろよロイド。何があっても、その正義の心をテメェで圧し折るようなことはするなよ」

 

 だから、ただそう言って彼らを送り出した。

 この後にクロスベルを襲う混迷の中で、それでも彼らが少しでも抗うのならば……その時は全面的に力を貸す事で贖罪としようと考えたのも事実だが、彼自身、やはり今でもあんないたいけな少女一人に負担を背負わせようとする大人共の思惑が気に入らないというところが大きかった。

 

 しかし兎にも角にも、それを為す前に、まずはリーシャを探し出さねばならない。

 最後まで体調を気遣ってくれたセシルに礼を言ってから、アスラは多少軽くなった体を懸命に動かして東通りの方へと向かう。

 

 先程は「アテがある」と告げたアスラだったが、その「アテ」は一箇所ではない。普段ならともかく、この体の状態で虱潰しに探すのは少々辛くはあったが、しかしそれを面倒だとは欠片も思わなかった。

 だからこそ、まずは東クロスベル街道沿いにある「アテ」を探すために東通りに立ち寄った瞬間―――徐に軽く肩を叩かれた。

 

 

「っ―――⁉」

 

「ひゃあぁっ⁉ ご、ゴメンナサイすみませんッ‼ て、てっきりアスラさんなら気付くと思って―――っ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――その事実がアスラに与えた驚愕は大きく、つい臨戦態勢に瞬間的に移行してしまったが、振り向いたその先にいたのはひたすら頭を下げ続けている少女だった。

 

「っと……何だ、シャルテ嬢ちゃんかよ」

 

「は、はい。お久し振りですアスラさん。えっと……た、体調が悪そうですけど大丈夫ですか?」

 

「……一応外側の傷は塞いでもらったんだがな。まだそんなにヤバそうに見えるか?」

 

「え、だってその、左半身とかかなり石化してるように見えますし、以前お会いした時に比べて重心が大きくズレてますし、首周りの皮膚が赤くなってますから……毒か何かの影響でかなり発熱してません⁉」

 

「……驚いた。前々から観察眼は中々なモンだと思っちゃいたが、正遊撃士になってから磨きがかかったんじゃないのか?」

 

 遊撃士協会クロスベル支部所属―――シャルテ・リーヴェルトは、アリオスが遊撃士を一方的に辞職した今、クロスベル支部を支える代わりの利かない存在となりつつあった。

 クロスベルという地が一足早く激動の時代に乗り入れ、更にA級遊撃士が抜けた今、受付のミシェルが過労で倒れていないのは、彼女の成長に依るところも大きい。

 

 個人戦闘能力はそれほど高くはないのだが、観察眼・洞察力・マネジメント能力を伸ばし続けた結果、「他者をサポートする」という事に掛けては既に一流の域に達していると言っても過言ではなく、現在では『民間警察連携推進構想(クロス・プロジェクト)』のギルド側代表としてクロスベル警察や民間組織との折衝も請け負っている立場であった。

 

「んで? どうしたんだよ。このご時世だ、お前さん、かなり忙しくしてるんじゃないのか?」

 

「え? あ、はい。確かに以前より大分忙しくさせてもらっていますけれど……この後もジリアンさんの所へ行って話し合いをしなくてはいけませんし……」

 

「そうか……驚かせちまって悪かったな。お互い時間が惜しい身だ。お前さんトコの近況報告も兼ねて、今度時間があったら改めて話すとしようや」

 

 恐らくは忙しさという観点から見れば彼女の方が数段上だろう。大企業の秘書もかくやという量の仕事を、特に泣き言を言っている風もなくこなしている辺り、本当にクロスベル支部との相性は良いらしい。

 そんな彼女の邪魔をするのも忍びなく、アスラはそのまま東通りを抜けようと歩を進め―――。

 

 

「―――リーシャさんを探しているんですね?」

 

 呼び止めるようにして掛けられたその言葉に、立ち止まった。

 

「……知ってるのか?」

 

「アスラさんがそんな必死な顔をしていましたし……それに、『アルカンシェル』襲撃事件からリーシャさんの行方が分からなくなっている事も聞いています」

 

「…………」

 

「……探しに行かれるのでしたら、古戦場辺りをオススメします。先程アルモニカ村に行った際に、「黒衣の人間を見た」と村の人が噂していたのを耳にしましたから」

 

 そう告げると、アスラは「すまない」という一言だけを残して、そのまま東クロスベル街道の方へと歩いて行った。

 

 

 心配していない、と言ったらやはり嘘になる。エオリアとは違い、医療の事にはあまり詳しくないシャルテだったが、それでも今のアスラの状態が危険であるということくらいは分かる。

 だが、例え今自分が引き留めたのだとしても、彼は行くだろう。前に進むだろう。

 彼は”達人級”の武人。理不尽の体現者だ。どのような逆境に立たされても這い上がる事の出来る強者。……自分もそうでありたいと憧れてやまない存在だ。

 

「私も……頑張らなくちゃ」

 

 アリオスがいないクロスベル支部。一時は軽くパニック状態にはなったが、それでも市民の要望が途絶える事は無い。

 正遊撃士に昇格した事で出来る事も増えた。やるべき事も増えた。頼りがいのある存在に成長してくれた後輩もできた。―――この世で一番尊敬する姉がそうであるように、自分もまた、自分にしかできない事がある以上は足を止めるわけには行かない。

 

 自分は自分で、やるべき事をやる―――改めてそう決意した矢先、ふと彼女の心の中に欠片のような違和感が残った。

 

「……あれ? アスラさんがいて、リーシャさんを探していて……イリアさんが入院していて、シュリちゃんがそれに付き添っていて……あ、あれ? 私、()()()()()()……」

 

 本来ならば()()()()()()()()()()()その違和感に頭を抱えて立ち止まる。

 どんなに思考を巡らせても、どんなに記憶を漁っても引き出せないそれに、シャルテ・リーヴェルトは何故か罪悪感を抱えたまま、その場に立ち竦んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 以前この場所を訪れた時に感じていたのは、まさしく高揚感だった。

 義弟との久方振りの手合わせ。《結社》に居た頃よりも鋭く、真っ直ぐになった剣技を目の当たりにして、釣られるように武人としての悦びを感じていたのを今でもはっきりと思い出せる。

 

 だが、今のアスラ・クルーガーの胸中に宿っているのは、焦燥感と罪悪感だった。それに応えるように、先程までは誇るかのように頭上に座していた太陽も、今は分厚い灰色の雲に覆われてしまっている。

 

 吹き抜ける風が朽ちた建物の間を通る度に鳴る音が、亡霊の怨嗟の声の様に聞こえてならない。

 彼女が何を思って失踪したのか、何を恐れてしまっているのか……それを察することは出来ても、直接彼女の口から訊かねば意味がない。

 

 

 しかし、それが簡単に罷り通らない事も―――今のアスラには分かっていた。

 

 アルモニカ古戦場の一角。朽ち果てた古代の遺跡に囲まれて窪地となった場所。そこに彼女は居た。

 ただし、意識がある状態ではなかった。生気を抜き取られたかのように仰向けに倒れ、《(イン)》として受け継いだ大剣も少し離れた場所に墓標のように突き刺さっていた。

 胸が上下しているのを見る限り、死んではいない。一目見た限りでは外傷もなく、致命傷を負っているようには見えなかった。

 

 だがそれでも、アスラは鋭く細めた双眸を和らげはしない。―――その傍らに立つ存在を見つめ続ける。

 

 

 ―――異様な風貌ではあるが、今更それについて驚愕の言葉を漏らす事は無い。

 全身がボロ布のような黒布に覆われ、その中に点のように存在する白い仮面。その仮面の表情は、常人が見れば狂気すら連想させるだろう。

 

 しかしアスラは知っている。その面は狂気や嫉妬を現すものであれど、本来は神霊を奉る側面としてのそれであるという事を。

 

 『泥眼(でいがん)』―――気絶したリーシャの傍らに死神のように佇む存在に、アスラは戸惑うことも無く声を掛けた。

 

 

「疲れ果てて気絶した親友を介抱してる……って絵面じゃねぇよなぁ、マイヤ・クラディウス―――いや、《鬼面衆》よ」

 

 つい数か月前までは、《結社》の中に在ってもその名が知られていなかった存在。《月影》が秘していたその正体を、レイは義兄であるアスラにも明かしてはいなかった。

 にも拘らずアスラが看破できたのは、単に今の《鬼面衆》から「マイヤ・クラディウス」の気配が漏れ出ていたからに過ぎない。それを察した彼女は、抵抗することも無く黒布を自ら取り払った。

 

 黒衣の上から節々に軽装鎧を身に着けた、まるで武人のような姿。本来であればその顔は別の”鬼面”に覆われている筈であるのだが、今現在はアスラに対する評価を示すかのように、何も被せてはいない。

 

 しかしその表情は、いつもの彼女のそれよりも無機質で―――紛う事なき”暗殺者”の貌であった。

 

 

「……お前がやったのか?」

 

「えぇ。殺しはしていませんが、眠っては貰いました。……私が私の使命を果たす為には、邪魔なのです、彼女は」

 

 その声色は冷ややかで、狂気ではない意思がそこにはあった。

 だからこそアスラは、激昂の感情を爆発させずに済んだのだ。皮肉げに口元を吊り上げて、挑発するように口を開く。

 

「流石にプロだな、お前。……イリアが入院して、リーシャが失踪した事をロイドたちやシャルテ嬢ちゃん達は知ってたのに、()()()()()()()()()()()()()()()。……いざという時は関わった人間の記憶から”自分”が抜け落ちるように、常日頃から印象を操作してやがったな」

 

「当然の事です。私は《月影》の諜報員。クロスベルで劇団員として在った私はただの現身、影法師です。―――時が来ればいずれ去る場所に、自分の記憶を残すわけにはいかないでしょう?」

 

「……んで? そんなお前がこれから先《月影》の一人として行動するために、リーシャの存在が邪魔になった、と」

 

 矛盾している、とアスラは見通した。

 彼女が本当に心を分けているのであれば、リーシャを手に掛けるなどという手間を介する事無く任務に戻ればよかっただけの話。彼女ほどの技量であれば、隠密に特化すればリーシャであろうとも動きを気取るのは難しいだろう。その自負を持っていないとは考えづらい。……ならば。

 

「”囚われている”事を自覚してたんだな、お前は。リーシャに、『アルカンシェル』という場所そのものに本気で愛着が湧いてしまったからこそ、最後に後顧の憂いを断ちにかかった」

 

「…………」

 

「プロ根性が凄まじいのは見りゃ分かるがよ、もうちっと人間らしく生きても良いんじゃねぇの? お前、それが出来ない程弱くはねぇだろうに」

 

「……何も知らない外野風情がよく言いますね」

 

 ―――その殺気は、アスラを一瞬で臨戦態勢に移行させるに足るほどに、鋭く、尖ったものであった。

 とはいえ、殺気を向けられる事自体は予想していた事だった。彼女の心の琴線に触れるような言い方をしたのもワザとであったし、そうでなくてはならなかった。

 

「ま、俺としちゃテメェの矜持云々は今どうでもいいんだ。……そこをどけ、《鬼面衆》。今そこをどくのなら、俺の女に手ェ出した事は不問にしてやる」

 

 アスラのその言葉に否を突き付けるように―――マイヤが放った震脚が周囲の大地を震わせた。

 拒絶の意。これ以上は踏み込ませないという決意。それは、互いが拳を構えるに充分な威嚇であった。

 

「貴方こそ私の邪魔をしないでください。……私は今度こそ心を殺して任務に殉じる。―――たとえ彼女(リーシャ)を殺してでも」

 

「吼えたな、暗殺者。俺の目の前でそいつを殺すとぬかした以上……四肢が砕ける程度は覚悟しておけ」

 

 殺意を練り、闘気を絞り上げる。

 アスラは脂汗を滲ませながら、マイヤは冷ややかな眼光のまま別の仮面を顔に被せた。

 

 

 

 

 

「クルーガー家13代目当主、《拳神》コリュウが一番弟子、アスラ・クルーガー。―――推して参る」

 

「《月影》所属、《鬼面衆》―――『怪士(かいし)』。殺業を遂行します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 何故だろう。アスラ兄貴とリーシャが絡む話は大概書いてて長くなる。……まぁ今回の前篇ではリーシャ一言も喋ってないんだけどね‼

 というわけで前後編になったけど特に後悔なんかしてない十三ですよ。

 今回何が伝えたかったって、アスラ兄貴の生命力のヤバさ加減とかじゃなくて、「クレアとシャルテ、この姉妹が一緒になった時ヤバい力を発揮する」って事。
 大局的戦術眼、並列思考に長けるリーダータイプのクレアと、観察眼と洞察力、マネジメント能力に長けるサポートタイプのシャルテ。……姉妹で上手く長所がかみ合っておられる。

 まぁ、そんなで次回はいつもの殺し合いだね。真に愛するなら壊せって言うもんね(意味が違う)。



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死狂和音 後篇 ―in クロスベル






「偶然というのは神秘の隠語だ。知りえない法則を隠す為に偶然性という言葉が駆り出される」

      by 青崎橙子(空の境界)








 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――おや? やっぱり来たんだね。

 

 ―――迷惑? いやいや、迷惑だなんてあるものか。僕たちは基本的に人手不足でね。特に君のような間諜の可能性がなく、尚且つ才がある人材は貴重だとも。

 

 ―――……どうしたんだい、そんな鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして。

 

 

 

 ―――あぁ、君自身の過去を案じているのなら気にしなくてもいいよ。

 

 ―――マーナガルム(此処)の人間はそういう事を気にしない。君がどういった人間で、どういった半生を送って来たのか、興味はあっても訊きはしない。……特に古参のメンバーは、ね。

 

 

 

 ―――何故かって? 前例がいるからだよ。他ならぬ僕と―――そしてこの組織にとって、ある意味一番大事な人が。

 

 ―――うん、違うんだ。団長ではないんだよ。そりゃあ団長が居なければこの猟兵団は瓦解する。分かりやすく一番居なくてはならない人さ。

 

 ―――”一族”という呪われた鎖に足を引っ張られてしまった者。……僕はちょいと事情は異なるけれど、それでも”あの人”に救われたことには変わりない。

 

 

 

 ―――だから君も、これからはようく考えて生きると良い。自分という人間がどういう風に生きれば一番自分らしく在れるのか、それを模索すると良い。

 

 ―――その結果、いずれ此処を去る事になっても一向に構わないとも。去った後に此処に迷惑を掛けなければ、の話ではあるけれどね。

 

 ―――……分からないかい? まぁ今はまだ分からなくても良いと思うよ。僕も最初はそうだった。「”それ”しか出来ない」「”それ”しかして来なかった」「”それ”をすること以外許されなかった」者が全てを捨ててやり直す事が、簡単である筈が無いんだからね。

 

 ―――此処を止まり木と思ってくれても構わないが……あぁ、でもちゃんと仕事はして貰うとも。働かざる者食うべからず。ウチのキッチン担当は、そこまで優しくは無いからね。

 

 ―――うん? あぁ、そうだね。君の才能は僕の所で拾うのが一番良いだろう。必然、僕は君の上司という事になるわけだ。

 

 

 

 ―――初めに言っておこうか。僕はね、君のその人間臭さを非常に評価しているんだ。勿論、皮肉なんかじゃないとも。

 

 ―――確かに、超一流の諜報員に求められるのはそれに見合う精神だ。”人でなし”であればある程、それは研ぎ澄まされていく。

 

 ―――だがね、人間である精神を本当に全て失ってしまったら……それはもう人間ではなく、バケモノですらなく、ただの醜悪なモノに成り下がってしまう。

 

 ―――君は、どうかな? 

 

 ―――……そうだね。君にもいつか、自分が自分で在り続ける為に必要な”何か”が見つかる時が来るだろう。その時に、揺らがぬ芯が君に宿っていますように。

 

 

 

 ―――そう言えば君、名は? ……いや、それは(あざな)だろう? ……何? 今までそれでしか呼ばれたことが無かった?

 

 ―――酷い話だ。こんな僕ですら仮初の名くらいはあったというのに。

 

 ―――……それじゃあ僕が君に名を与えよう。と言っても、任務が変わればこの名も変わる可能性があるけれどね。

 

 

 ―――よろしく。新しい”影”の担い手よ。願わくば君も、神狼の爪牙に相応しい存在で在れますように。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 優に800年近くの歴史を誇る〈クルーガー一党〉の中にあって、最も最強に近しいと称された男は、今も尚存命している。

 

 《拳神》コリュウ・クルーガー。齢90を超える老人なれど、未だにその絶技に衰え無しと謳われる伝説の男。

 クルーガー家第11代目当主であった彼は、それまで終身制であった当主の座を存命中に息子に明け渡すという破天荒を成し遂げた後に自由気ままな隠居生活を送っていたが、ある時そんな彼に弟子入りを懇願してきた一人の少年が居た。

 

 有大抵に言って、彼には”暗殺者”の才能が無かった。

 生まれる時代を間違ったのか、或いは生まれる場所を間違えたのか。自身を反面教師にして育った堅物の息子の胤から生まれたとは思えない程に、純粋に”武人”としての才能を輝かせていた。

 

 否、その少年も()()だったのだろう。生まれた瞬間からの一族の跡目となる為の厳格な教育に嫌気がさし、こうして引退した爺の下に足を運んだのだと、当初はそう思っていた。

 ……しかしながら、少年の拳士としての才覚はコリュウが思っていた以上に稀有であった。

 

 コリュウ自身、己が天からの才に恵まれた人間だという事は理解できていた。若くして達人と呼べる領域に至り、その絶技を振るい続けてきたのだから。

 だが、天真爛漫ながらも不敵な表情を浮かべていた孫は、そんな己と同じ運命を与えられて生まれてきたのだと、そう断言出来た。

 

 

 『見稽古』という言葉がある。

 本来それは実践稽古に入る前の見習いの武人が師や兄弟子などの稽古をその眼で見る事で基本の方などを脳裏に焼き付ける事を言う。

 だが、「稀有な才能」という意味合いで使うこの言葉は、些か以上に趣が異なる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――超常的な記憶能力、超常的な身体能力、そして超常的な戦闘行為に対しての適性。それら全てを、後天的ではなく先天的に兼ね備え、更にその三つの要素が奇跡的に嚙み合った、まさに()()()()()()()()()()()と言っても過言ではない者のみが持ち得る事が出来る才能。

 

 

だからこそコリュウは、己が持ち得る技の全てを孫に教え込んだ。

 それが自分と同じ才能を持って生まれた孫への、祖父として、武人の先達としてできるせめてもの事であると。

 

 

 実際、拳士としての技は全て孫へと受け継がれた。

 実戦の経験値は未熟も未熟。武人として最も大切なそれが欠けている以上、祖父を超えるのは当分先の話ではあったが、しかしその時点で基礎的な部分では既に完成されていた。

 

 そして何よりコリュウにとって幸運だったのは、孫が”力の使い方”というものを既に理解していたという事だった。

 常人にとっては抗う事すらできない圧倒的な武の力。だからこそそれを修める者は、その”力”の使いどころを見極める術にも長けていなくてはならない。

 

 浅薄な感情で市井の者に対して死の技を振るってはならない。―――闇の中に生きる一族の者であるからこそ、無用に力を振りかざすのは誇りを持たない野盗と同義。

 

 幸いにも彼にはそれを理解するだけの聡明さがあった。

 強き者が抱えなくてはならない誓約を受け入れるだけの寛容さも、自分が弱い者であってはならないという自覚も、善なる者を虐げるを良しとしない最低限の良識も―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その全てを呑み込んでいた。

 

 だからといって、彼が完璧超人であったわけではない。寧ろ本家分家の人間は彼を「悪童」と呼んで憚らなかったし、彼の父親である当主は、息子のその自由奔放さに毎日頭を抱えていたのだから。

 

 

 ―――あれは由緒正しきクルーガーの次期当主の器ではない。

 

 ―――鳶が鷹を生むとは聞くが、鳶が姦しい雀を生むとは嘆かわしい事だ。本家の威光も地に落ちたな。

 

 

 自身らがクルーガーという家を支えてきたと自負する老人共はそう言って年若い彼を蔑んだが、その一方で、コリュウの代から仕える聡明な者達は、その才能をこう評した。

 

 

 ―――まさに獅子よ。今はまだ若いが故に急いてしまっているが……いずれコリュウ様に勝るとも劣らぬ拳士となろう。

 

 ―――虚けと謗る者の言葉など気になさるな。破天荒な若だからこそ、掴める未来もありましょうぞ。

 

 

 

 彼は強くなった。

 

 本家の中にも分家の中にも、同世代の者達では足元にも及ばない程に強くなった。

 腕っぷしだけではない。暗部である家の特徴を理解しようと努め、一癖も二癖もある依頼人を相手取れるような巧妙さまで身に着けた。

 

 金を受け取って人を殺す。成程それは表の世界の人間からしたらただの外道の所業でしかない。

 だが、外道には外道なりの矜持がある。その唯一の真芯だけは折らせてはならないと、彼は常に誓っていた。

 

 

 ―――勝たなくてはならない。

 

 弱ければ何も守れない。強く在る事でこそ守れるものがあるのだと、そう祖父は言っていた。

 ただ力が強ければ良いというものではない。ただ心が強ければ良いというものではない。

 

 自分が心の底から守りたいという”何か”がなければ、人は決して強くは在れない。

 陳腐な言い回しではあるが、それはやはり真実なのだと、含蓄の籠った言葉でそう言われたのを、今でもはっきりと思い出せる。

 

 

 ―――では、自分にとっての”それ”は何だ? 命の全てを燃やしてでも守りたいと願う”それ”は何だ?

 

 クルーガーという家か? ―――それもまぁ、守りたくはある。

 祖父がある日いきなり連れて帰って来た義姉か? ―――恐らくだが、彼女は自分が守らなくとも生きていける強い女性だ。

 

 ……結局のところ、その時の彼にはその答えが出なかった。

 しかしその後、彼は見つける事になる。

 

 自分が己の全てを賭けてでも守りたいと思う存在。守るために、どうしても勝ち続けねばならないという思い。

 

 

 だからこそ、彼は戦う。

 

 絶対に、負けてはならないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 凄絶―――その戦いは、まさにそう呼ぶに相応しいものだった。

 

 

 互いに拳を握り締めた者同士が、殺意と闘気を極限まで練り上げて眼前の敵を殺す勢いで剣戟を放つ。

 それを躱し、或いは去なし、或いは波動を直撃させ合う事で相殺する。

 拳が、蹴りが、空を切る度にうねり、唸り、哭けぶ。他者の一切を排斥するように、その一角だけは剛風が荒れ狂っていた。

 

 

 ―――マイヤ・クラディウスは”準達人級”の武人である。

 彼女自身は、己を”武人”と定義する事を烏滸がましいと思っている節があるが、その実力は本物だ。戦闘者として見るならば、《マーナガルム》の隊長格とも張り合える《月影》の中でも稀有な存在である。

 

 しかしそんな彼女でも、”達人級”の武人と正面から戦って勝機があると思う程自惚れてはいなかった。ある程度の戦いを”演じる”事は可能だとしても、そこから先の勝利を拾うだけの地力は無い。

 

 だが、今のアスラ・クルーガーは満身創痍だ。体の左半身は石化し、体中には毒が回り、高熱で意識すら朦朧としている有様だ。

 幾ら”達人級”の武人であっても、医者が口を揃えて絶対安静を言い渡すほどの現状であれば()()()()()()上回れるのではないかと―――そんな考察が浅薄であった事はすぐに気づいた。

 

 

「(やはり、この人は―――)」

 

 強い、と。そう評価する事に何の躊躇いも無かった。

 本来であればマトモに動くこともできない筈だ。戦闘を行うという事に対して脳が危機感を覚え、差し止める筈だ。朦朧とした意識が、彼に最適解の判断すら許さない筈だ。

 それなのに、それなのに―――アスラ・クルーガーは万全の状態の『怪士』(自分)と互角に戦り合っている。その顔に不敵な笑みすら浮かべて、まるでこの程度はハンデの内にも入らないとでも言いたげな雰囲気で。

 

 一瞬でも油断すれば、狩られるのはこちらの方だ。

 元より、『見稽古』持ちの相手に長期戦など愚策。戦いが長引き、自身の技を見せれば見せる程、彼らはその技を自身のものへと昇華させて、さも当然であるかのように使い始める。

 それがどれだけの長い年月を経て習得した技であろうが何だろうが関係なく、本人にその気が在ろうとなかろうと奪われていくのだ。

 

 篭手越しに伝わる微かな痺れ。防御されたとはいえ、確実に人体を殴りつけた筈だというのに、まるで最硬度の鋼を相手にしているかのような異常な硬さ。

 恐らくアスラは、()()()で氣の操作をしているのだろう。意識が朦朧としていても、本来なら戦えるような状態で無かったのだとしても、それでも身体に刻み込まれた戦闘意識は途絶えない。

 その身を生かす為、確実に敵を斃す為の最適解を、彼の身体は覚えているのだ。

 

「(これが……《神拳》と謳われた男の弟子の力……っ‼)」

 

 骨の髄まで”戦闘”という行為が浸透している。”暗殺者”と呼ぶには余りにも純粋な闘気と殺意に満ち溢れ、戦闘者として相対する際には、その一撃一撃が比喩ではない決殺となる。

 現に今まで交わされた拳撃も、まともに喰らえば内臓の一つ、骨の一部程度は容易く機能停止に追い込めるだろう。―――それを可能にしているのは、何も類稀な氣の扱いだけではない。

 

 『経絡秘孔』という技がある。

 凡そ()()()()()()()()()()()()()()()()()という粋を極めた混じり気無しの殺人拳。《神拳》コリュウ・クルーガーはこの技を極めた達人であり―――そしてアスラが最も得手とした徒手空拳の技でもある。

 

 人体を外部からではなく、内部から壊す。浸透剄とも似るところはあるが、攻撃を”徹す”事さえ出来てしまえば、”氣の逸らし方”に余程長けている者以外をほぼ確実に戦闘不能に追い込むことが出来る。

 だからこそ、深くまで攻め込むことは出来なかった。どれ程の優位性を持っていても、その一撃を貰ってしまえば一瞬で勝負はつく。

 

 本来、”達人級”と”準達人級”の死合とはそういうものだ。もしもアスラが万全の状態であったのならば、きっとここまで粘る事も出来なかっただろう。

 その拳に”遊び”は一切ない。戦いを愉しんではいるのだろうが、しかし慢心している様子は一切ない。

 

 

 

 

 ―――そして事実、アスラ・クルーガーは全く油断などしていなかった。

 

 寧ろその逆だ。考えるよりも先に身体が反応するからこそ()()()()()()()()()だけで、満足する戦いなど微塵もできていない。

 拳を繰り出す動きが鈍い。蹴撃が余りにも軽い。体内を循環する氣が乱れに乱れて話にならない。呼吸一つとってみても、苛立ってしまう程に思い通りにならない。

 

 このザマで”達人級”を名乗ろうものならば、詐欺も甚だしい。義弟の前でなくて良かったと、それだけを安堵に思いながら、アスラは再び構え直す。

 

 マイヤ・クラディウス―――今は『怪士(あやかし)』と名乗った存在は、武人として中々の強さを持っていた。

 技の一つ一つに派手さは無い。その攻め方は一見地味だが……武術の世界に於いて、”地味”であるという事を貫き徹すのは想像以上に難しく、そして手強い相手の象徴とも言える。

 

 技の装飾に走らないという事は、つまり”揺るがない”という事である。フェイント一つ、誘いの動きや挑発、見かけの動きに惑わされない。

 畢竟真実のみを見据えて動くことのできる武人というものは、実は少数派である。その拳は、蹴撃は、一切捻くれていない。

 

「(惜しい才能だな)」

 

 祖父辺りが知っていたらさぞや目を輝かせていただろうにと、素直にそう思う。

 自分の攻撃がいつもより直線的になっている事を差し引いても、的確に去なし、そして一糸乱れぬ反撃を返してくる反応速度と対応力は、才能のみに頼った凡愚では決して辿り着けないソレであった。

 

 

「(だが―――つまらねぇ)」

 

 だからこそ、アスラはそう思わざるを得なかった。

 才があり、技を扱う気概があり、胆力もあるというのに―――そこには”熱”が感じられない。

 

 まるで自身が戦うのは”義務”でしかないのだと、抱くはずの感情全てを押し殺しているかのようなその戦い方が―――嫌いではなかったが、さりとて好意的に見れるわけでもなかった。

 

 それは暗殺者……暗部に身を置く者としては正しい戦い方なのだろう。それは理解している。

 だが、アスラ・クルーガーは”武人”の気質が強い人間だ。交わした技、拳打、得物の殺意に”熱”が籠っているか否かを見分けるに長けた人間だ。

 

 故に彼は、『怪士』の繰り出す技を「つまらない」と一蹴した。

 《闇喰らい(レシア・イルグン)》のように、「完成された暗殺者」特有の感情を超越した殺意であれば面白い。嘗てのリーシャが纏っていた、未熟故に拙い感情の発露も愉しむに値する。

 

 しかし目の前の存在のそれは―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それは何と勿体無い事か。それは何と弄らしい事か。それは何ともどかしい事か。

 

 人の幸せ、なりたい理想にケチを付ける事が如何に馬鹿馬鹿しいかは理解している。アスラも、真に彼女がそれを望んでいるのであればここまでとやかくは思うまい。

 だが今の状況が彼女の望んでいたそれとは違うという事を分かってしまっているからこそ、彼は自分の身がそもそも危うい事すらも忘れ、戦い始めてから初めて口を開いた。

 

 

「屍のようだな、テメェは」

 

「っ……」

 

「俺に対する憎悪も、悔しさも、ブチ撒けたい何もかもを腹の奥底に閉じ込めて―――義務感を免罪符に振るう拳ほどつまらねぇモンはねぇ」

 

 自らが力を振るう理由を、己の意志ではなく他者に求める。

 それで最大限の力を発揮する者も確かに居る以上、それを否定はしない。問題は、その義務感が強迫観念から来ているという事。

 

 それに駆られた者が振るう力は、アスラの価値観からすれば軽いものであった。

 

「どうした? オラ、来いよ。テメェが得てきた大事なモン全部捨てて、走狗に戻る事を選んだんだろ?」

 

「…………」

 

「確かに今の俺は満身創痍だが……それでも今のテメェの軽い拳を受けられねぇほど鈍っちゃいねぇんだよ。……最期に内に眠ったままの全てを曝け出して、そして逝けや」

 

 

 

 ―――瞬間、拳が弾けた。

 

 反射神経が鈍っているとはいえ、”達人級”のアスラの反応が一瞬遅れる程度には鋭く、そして疾い拳。

 碌に動かない左腕を、振り子のように振るって受け止めはした。……が、受け止めた箇所から急速に生気が抜け落ちていくような感覚を感じ取ったアスラは、思わず一歩二歩後退する。

 

 しかしそれに構わず、『怪士』は追撃する。

 暗殺者としての拳の振るい方ではない。一撃決殺を狙うものではなく、手数を以て攻めるそれだ。

 まるで拳が分裂して見えるかのような疾い拳撃。先程までとは打って変わった”魂”の籠ったその攻撃は、アスラの予想以上に強いものであった。

 

「知った、風な、口をッ‼」

 

 面の奥から、激情が漏れ出る。溜め込んでいた感情の堰が、アスラの言葉で決壊した。

 

「私は、もう惑わされる訳にはいかない‼ 私は、もう―――人間らしく在って何かを失う訳にはいかない‼」

 

 それは心からの、魂からの叫びだった。普段「マイヤ・クラディウス」として生きている時にも誰にも見せた事のない、今の彼女の本心。

 

「貴方には分からないでしょう‼ 恵まれた家に育ち、師にも恵まれ、大切なものは全て守り切って来た貴方には‼」

 

「…………」

 

「えぇ、確かに、私は貴方を心のどこかで憎んでいました。僻んでいました。私より遥かに”得る”半生を生きているというのに―――そんな貴方が私の()()()()()()()()()()()()()()()()()という事が、憎たらしくて仕方がなかった‼」

 

 言葉を吐き出すと共に放った渾身の一撃が、遂にアスラの体の中心を捉え、吹き飛ばす。

 打ち捨てられていた瓦礫の山に突っ込んだ様子を見て、しかしそれでもなお()()()の心の昂りは収まらない。

 

「でも……彼女(リーシャ)は幸せそうでした。貴方と一緒に居る時の彼女は、アルカンシェルの舞台に立っている時よりも遥かに良い顔をしていて……貴方がどれだけ彼女を大事にしているかということくらい、嫌という程分かっているんです‼」

 

「えぇ、えぇ、分かっています。今の私はとても醜い。こんなものは逆恨み。―――ですが私は、私を繋ぎ止める全てを断ち切ってでも任務に殉じる覚悟を決めました」

 

「その為に、貴方も此処で斃します。地力の差など、状況と殺り方で如何様にも埋めてみせましょう」

 

 そう言うと、マイヤは瞬時に自身の貌を覆う仮面を挿げ替える。

 それと同時に身に纏うは『泥眼(でいがん)』の時よりかは丈の短い黒の外套。そしてそれを翻すと、外套の裏から鈍色に光る数多の暗器が顔を覗かせた。

 

 殺人戦技(マーダークラフト)―――『夜叉式(やしゃしき)阿修羅千牢(あしゅらせんろう)』。

 

 もはや数え切れぬほどの多種多様な暗器が、ただの一閃で幾千の箒星の如く飛んでいく。

 その全てに凶風の如き殺意が籠められ、虚空を裂いてアスラが吹き飛ばされた場所へと殺到していく。

 石が削り落とされる音、鋼同士が擦れ合う音、地面が抉れる音―――だが、しかし、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「―――随分と饒舌に語ったな」

 

 目と、鼻の先。

 石化した左足を自重で前へと押し出し、そして右の拳を引いた状態のアスラがそこには居た。―――先程よりも清々しく不敵な笑みを浮かべて。

 

 ―――剛打。

 骨が軋む音、内臓が捻じれる感覚、せり上がる血の味を感じながら、マイヤは身を翻して何とかダメージを最小限に抑え込む。

 しかしそれと同時に感じた言いようのない脱力感。膝を付きたくなってしまいそうな怠さに、彼女は覚えがある。

 

 否、その言い方は適切ではない。何故ならその技は、つい先ほどマイヤがアスラに放った技そのものなのだから。

 

「ハッ、使い勝手は悪くねぇ。防御(ガード)されようが関係ねぇってのは良いよなぁ」

 

 殺人戦技(マーダークラフト)―――『怪士式(あやかししき)黒爛式尉(こくらんしきじょう)』。

 

 本来攻撃の際に放出する氣の流れを、着撃の瞬間に自身の方へと吸い込ませることによって、対象の氣力を吸収する技であるのだが―――吸収する度合いによっては生きる為に必須の生気まで絞りつくす事も可能になる。

 無論、着撃の瞬間、その刹那に氣力の放出方向を一瞬で切り替えるという曲芸じみた技が必須となり、また氣の吸収度合いを間違えれば自身の氣力の許容限度を超えてしまい、逆に己の身体を壊す事にもなる。

 

 生来才を生まれ持ったマイヤが、そこに鍛錬という名の研磨を繰り返す事で習得した殺人技の一つ―――しかしそれを、目の前の男はただ見ただけで、完全に模倣して見せた。

 

 その事実が、更にマイヤを苛立たせる。

 自分しか持ち得なかったモノが奪われていくという現実。自身が無能に堕ちて行くという錯覚。―――それはただの勘違いだと分かっているところも確かにあるが、それでも納得できないところもある。

 

 もしこの男が、傲慢を絵に描いたような非道な人間であったのならば、幾らでも恨めただろう。もしこの男が、自らの才を過剰に謙遜する卑屈な人間であったのならば、幾らでも殺す隙はあっただろう。

 だが、違う。少なくとも、自分にこの男は恨めない。

 

 己の才を過信せず、さりとて過少もしない。それは生来生まれ持った、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それを生かすも殺すも努力次第だと、そう信じて疑っていない。

 だからこそ、他者の才を手放しで評価する。他者の努力を貶す事は絶対にしない。「お前はそんなにも素晴らしいものを持っている」と、そう笑うのだ。

 

 ……そうだから、あの方(レイ・クレイドル)が”兄”と呼んで慕うのだろう。

 不遜ではあるが、一度立てた義は貫く。驕らず、妬まず、一度好いた者を自ら手放す事は無い。―――嗚呼確かに、慕うのにこれ程適した存在もそうは居まい。

 

 だからこそ、己が醜く思えて仕方がない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――暗殺者として、諜報員として、もう二度と失望されない為に叩き出した最悪の結論。

 

 

 

「……吐き出してぇ事はそれで全部か?」

 

 だがこの男が、アスラ・クルーガーが。

 母を喪う事を皮切りに運命の全てに背を向かれたような少年を絶望の淵から引きずり上げた経験のあるこの男が。

 その覚悟が()()()()()()()()()()()()()を見逃すわけがなかった。

 

「テメェの暗部の人間としての矜持は見事だ。俺はンな殊勝な事は性格柄出来ねぇからよ。だがな、マイヤ。テメェそんな事したらもう取り返しのつかないレベルで壊れるぞ?」

 

「そんな事―――百も承知です。壊れた私が任を果たすに足るモノであれば、そうであった方が良いでしょう」

 

「……随分と徹底した”教育”だ。《折姫》の仕込みじゃねぇな。《森羅(シンラ)》の奴等も大概良い性格してたと見える」

 

 その名に、マイヤの動きも表情も一瞬硬直した。

 

「何で知ってんだ? ってツラしてるな。これでも一応クルーガー一党の筆頭だぜ? 同業者の情報くらい手に入れてるに決まってンだろうが」

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 ―――カルバード共和国以東には、嘗て《三界》と謳われた暗殺組織が在った。

 

 暗黒時代より歴史の”裏”の一角を担ってきた《月光木馬團》。

 その宿敵として当世まで存在し続けている《クルーガー一党》。

 

 そして、深き樹海の深奥に座し、属する者全てが突出した暗殺技能を有した暗殺猟団―――《森羅(シンラ)》。

 マイヤが生まれたのは、そんな厭世の境地に存在していた組織の中であった。

 

 

 ”死”とは与えるモノであり、また享受すべしモノ。

 同朋同士ですら、掛ける情けは一切無用。任務に失敗して落命しようとも、それはただの技量不足―――未熟者であっただけと烙印を押されて弔われもしない。

 老いも若きも、男も女も関係なく、属する者は皆ヒトではないモノとして任に当たっていた。

 

 慈悲も妬みも、謗りも嘆きも必要無し―――在るべきはただ任を遂行するだけの才と技量のみ。

 

 そんな地獄のような場所に生を受け、ただ一つ彼女が幸運であったのは、その中に在って評価されるに足るだけの才能を持っていたという事。

 素顔を見せず、面で覆い、それら一つ一つが司る殺法を、彼女は幼くして身に着けていた。

 

 絶対なる隠形で以て殺業を遂行する『泥眼(でいがん)』。

 生を奪う拳で命を枯らし尽くす『怪士(あやかし)』。

 亜種数多の暗器群を手足の如く操り縊り殺す『夜叉(やしゃ)』。

 

 その殺法の吸収、そして鍛錬によって更に磨かれる鋭さは凄まじく、いずれは組織の長候補に挙がる事も考慮されていた程の神童であった。

 

 そう、一つ。たったの一つ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そのたった一つの瑕疵。標的であった男を殺し、妻を殺し、しかし怯えて泣きじゃくる幼子だけは殺せなかったという、ヒトとしての欠片の心が生んだ失態。

 だが、《森羅》の掟の中では、標的に情を移して殺し損ねるという事は重罪であった。何よりも、彼女の溢れる才を犠牲にしてでも遵守されなくてはならない掟であった。

 

 ただ一度の”感情”を見せただけで、彼女は生みの親から殺されかけた。激怒されるでもない、罵倒されるでもない。ただの”出来損ない”の塵屑を眺めるような目で始末されかけた。

 その、本来享受するべき死から辛くも逃れることが出来たのは、或いは自分が殺し損ねた幼子が見せた当然の恐怖を思い返したからだろう。

 

 「死にたくない」という、ヒトが持ち得て然るべき恐怖の根源。ただそれを心の中に息づかせたまま、彼女は大樹海を命辛々抜け、それでも追っ手を撒く為に走り続けた。

 何処へ逃げたかも分からない。何処まで逃げたかも分からない。ただ気付いた時には、何処かの街の薄汚い路地裏で倒れていた。

 冷たい石畳の感触を味わいながら、か細い命の灯火は途絶えようとしていた。

 

 自分は何故死ぬのか?―――ヒトである事にしがみついてしまったからだ。

 自分より小さな子の、縋りつくようなあの視線に同情してしまったからだ。殺せなかったからだ。

 誰からも必要とされず、誰にも看取られる事なく、この狭く汚く薄汚い路地裏で、ボロ雑巾のように死ぬのは―――()()()()()()()()()()()()

 

 しかし、彼女の口からは知らず知らずの内に未練の言葉が漏れていた。

 達観しきったようでいて、冷め切ったようでいて、それでもやはり心のどこかにこびり付いてはいたのだ。

 「死にたくない」という、その感情が。

 

 

 

 『そうか。ならまぁ少し、立ち上がる手助けくらいはしてあげよう。君は中々、面白そうだからね』

 

 

 

 ―――彼女の声に応え、手を取った少女は、悪戯っぽくそう笑ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 ―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 最初は、「未熟者」だと嗤った。

 

 自分が言えた義理ではないが、そんな自分よりも遥かに裏社会に相応しくない少女がいた。

 伝説の暗殺者の名を引き継いだというのに、その思考はまるでただの一人の少女のそれ。面白ければ本心から笑うし、悲しければそれが表情にありありと出る。

 

 何故そうまで楽し気に、幸せそうに笑えるのだと問いかけそうになった事は何度もあった。だが堪えた。

 彼女と―――リーシャ・マオと接触したのは、彼女の動きを通してクロスベルの裏の動きを俯瞰しようという、ただそれだけの為であった。

 

 適当に話を合わせていた。適当に笑っていた。適当にからかっていた。

 取り繕った性格の何が面白かったのかは知らない。だがしかし、リーシャは殊更にマイヤと共に居る事が多かった。

 

 もしかしたら彼女の方も気付いているのかもしれない、とは思っていた。仮にも裏稼業に手を出し、人殺しを生業としている者であれば、同業者の雰囲気は嗅ぎ分けるものだ。

 互いに、互いを監視しているだけであったのかもしれない。それ以上の意味は無かった筈だし、それ以上の何にもなってはならない筈であった。

 

 

 ―――絆された、という感覚は無かった。

 

 《月影》の諜報員の一人としてクロスベルの動向を監視し、報告しながら、世間を欺く為にアーティストとしても活動する日々。

 それは仮初の日常だった。いつか帰還命令が下れば、何もかもを手放してこの街を去るのだから。

 情も、未練も、何もない。そんなものを生んではならない。

 そんな事をすれば、また同じ結末を辿る。決して祝福されない、未来の道筋を。

 

 それでも彼女は―――リーシャは懲りもなく話しかけ続けてきた。

 最初はただ鬱陶しいものだと思っていたのだが、彼女が余りにも女として”抜けている”事が段々浮き彫りになってからは、何故か面倒を見るようにもなってしまっていた。

 

 友達だと、彼女は言った。自分は彼女に対して、一度もその言葉を使った事は無かった。

 その言葉を発してしまったら最後だと理解していたからだ。貴女も裏稼業の人間であるならば軽々しくそんな言葉を口にするなと窘めそうになった事も一度や二度ではない。

 

 

 分かっていた。彼女は本当に、”裏”の世界に生きるには向いていない人間だと。

 宿業と技は引き継げても、その心までは引き継げない。彼女のような性根が余りにも優しすぎる()()は、早々に闇の世界から叩き出すべきだと。

 

 幸いにも、それが出来る人間がいた。その男は底抜けの愛を以て彼女を愛し、彼女もまた男を愛していた。

 間抜けそのもののふやけきった笑顔で惚気話などされた時には流石に苛立っていつも以上に弄り倒したが、それが本来彼女がいるべき世界の日常。

 

 ―――貴女は闇の世界(此方)に居てはならない。

 

 ―――貴女は陽だまりの世界の中で、向日葵のように笑っているのが一番素敵な姿なのだから。

 

 

 

 だから、だから、だからだからだから―――。

 

 忘れなくてはならない。捨てなくてはならない。水中に浮かぶ泡沫のように、儚く消え散らさねばならない。

 この街で過ごした日常の全てを、この街で接した人達との全てを―――彼女と共に過ごした日々の思い出を、全部全部、薪と共にくべて消し去らねばならないのに。

 

 どうしてこうも心の中に縋りつくのか。

 忘れたくない、忘れてはならないと、まるで駄々をこねる子供のように聞き分けなくしがみついてくるのか。

 

 振りほどかなくてはならない。自分はどうあっても影の者。日向で生きるには眩しすぎる。早く本当の場所に戻らなくてはならないのに。

 自分を救ってくれて、居場所を与えてくれた人に報いなければならないのに。役立たずだと思われないように、諜報員として心を殺して任務に殉じなければならないのに―――。

 

 

 

 

 

 ―――気付けば、大事な人を守り切れずに傷心となった彼女を見下ろしていた。

 

 気絶していただけだった。殺してはいなかった。やろうと思えば、今の彼女ならば容易く縊り殺せたものを。

 あと一撃。そのただの一撃が踏み込めない。雨に濡れた艶やかな黒髪も、その貌も、その何もかもが美しかった。その嫋やかな首を掴んで骨を折るなどという行為が、今の自分には出来なかった。

 

 情けない話であった。口では覚悟が出来ているなどと嘯いたくせに、この二人を殺める覚悟など、最初から組み上げてはいなかったのだ。

 憎らしいほど羨んでたのに、妬むほど焦がれていたのに。それでも、やはり、最後の一線だけは超えられなかったのだ。

 

 

 

 

 

「それでも……ッ‼」

 

 それでも言葉を吐き捨てる。

 

「私は任を全うする‼ 私の中の未練の全てを断ち切って‼ 何も残っていない抜け殻の状態で‼ 何故なら、だって、そうしないと……」

 

 また失う。

 失うのが怖い。

 奪われるのが怖い。

 

「行きますよアスラ・クルーガー‼ 私が壊れるまで―――暫く付き合っていただきますッ‼」

 

 再び『怪士』の面を被り、拳を握り、足を引く。

 地を蹴ってしまえば、再び死闘が始まる。よしんば死ぬのならば、殺されるのならば、それでも良いかなどと考えて―――。

 

 

「駄目っ―――‼」

 

 背後から抱き着かれた人物に、その考えは阻止された。

 

「駄目、です。嫌ですマイヤ、死んでは駄目です。だって、だって私は……」

 

 大切な友達が死ぬところなんて、見たくありません。―――彼女はそう言って、更に強くマイヤを抱きしめた。

 

「リー、シャ……はは、こんなに早く目が覚めるなんて……やっぱり、手加減してしまっていましたか」

 

 失笑が漏れる。自分の未熟さを嘆くよりも、殺し損ねた事を憤るよりも……彼女の目が覚めた事に安堵してしまっていた自分に対して。

 

「怒ってください、リーシャ。私は貴女の事をどうしようもない未熟者だと嗤っていたんです。蔑んでいたんです。……自分の意志で戦っていた貴女の方が、私なんかよりよっぽど強かったというのに」

 

「…………」

 

「私から、離れて、ください。こんな女が、貴女の傍にいるのは相応しくない。だから、どうか私を突き放して―――」

 

「マイヤ、私はね」

 

 耳元で囁くように紡がれたその言葉は、マイヤの強張った体を解かせるには充分だった。

 哀しそうに、しかし嬉しそうに。リーシャは力の限り目一杯大切な友達を抱き締めて言う。

 

「寂しかった。アスラさんが居てくれていたけれど、それでもクロスベルに来てからはやっぱり寂しかった。そんな時、マイヤが『アルカンシェル』に来てくれて、話し相手になってくれて……それで私がどんなに救われたか、分かる?」

 

「そんな、こと……」

 

「分かってた。マイヤが本音で接してなかったっていうのは。いつも誰との間にも壁を一枚張って、そこから絶対に踏み込ませなかったし、踏み込もうともしてなかった。

 でも、それでも、私はマイヤの事、大切な友達だって、ずっと思ってた」

 

 含みがあるように接していても、常に一歩引いて客観的に接していても。

 それでも、彼女がリーシャにしてくれていた事は本物だった。出来合いの食事で済ませようとするリーシャに対して料理を振る舞ってくれたり、タチの悪いナンパに絡まれた時は先頭に立って追い払ってくれた。演技に不安が残る時は黙って愚痴を聞いてくれていたし、なんだかんだ文句は言っても、彼女は親身に接してくれていた。

 

 ピシッ、という音が鳴り、これまでの戦闘で負荷がかかっていた『怪士』の面が割れた。

 湿った土の上に面が落ちた時には、マイヤの表情はとても辛そうに歪んでいた。

 

「……迷惑です。余計なお世話です。私は、だって、貴女を―――」

 

「うん」

 

「……”友達”だなんて認めたら、忘れられなくなっちゃうじゃないですかぁ……」

 

 その頬に、雨以外の滴が伝う。

 

「どうしてくれるんですか……貴女より更に、どうしようもない程に未熟者になってしまったら、私は……」

 

「私だって、どうしようもない未熟者だよ。今だって、イリアさんを救ってあげられなかった自分が憎い。イリアさんをあんな目に遭わせたシャーリィ・オルランドが憎い。……友達がこんなになるまで何もしてあげられなかった自分が憎い」

 

「っ……」

 

「だから、マイヤにも助けてほしい。身勝手なお願いだけど、私を、()()()()助けて」

 

 その”私たち”が何を指しているのか、分からないマイヤではなかった。

 その片割れである男の様子を窺ってみると、苦笑いしながら嘆息し、肩を竦めていた。

 

 自分を抱き締める、少し震えている少女の腕をそっと撫でてみる。

 嫋やかな腕だ。今この腕にどれだけの痛みと後悔を抱えているのかと思うと、不意に苛立ちが込み上げてくる。

 

 マイヤからすれば、このクロスベルに於いて善と悪の二元論で指し示せる要素は無い筈だった。

 俯瞰する傍観者の視点であれば、どちらを善と思う事も悪と思うこともなく、ただあるがままの事実を見定めるだけの筈だった。

 

 だが今、彼女の中で明確な”敵”が生まれた。

 その敵意という概念が生まれたのは、諜報員としては致命的だろう。彼女はまた、何かに対して心を開き、人間である事を捨てきれず、”人でなし”になる事すら出来なかった。

 

 しかし、何故だかそれを厭う心は薄まっていた。

 ()()()()()()などと、そう思う心がまだ自分の中にあった事すら自覚できない程に、彼女の心は思っていた以上に絆されていたのだ。

 

 

「……アスラさん、一つだけ訊かせてください」

 

「何だ」

 

「貴方から見て、今の私は壊れていますか?」

 

 つい先程まで殺意と闘気をぶつけていた相手に、マイヤは問う。

 アスラは一瞬だけ呆気に取られたような表情を浮かべはしたが、すぐにいつもの不敵な笑みを浮かべ、数分前まで純粋な闘気を練り上げていたその手で、多少乱暴にマイヤの頭を撫でた。

 

「良いツラをしてるよ、今のお前は」

 

「……答えになっていません」

 

「何、壊れかけた奴の矜持なんざ、生憎と俺は興味が無くてな。……だからこそ、今のお前の覚悟は聞くに値する。それだけだ」

 

 無論、その評価に一切の情けなど無い。

 今この瞬間、この問いを以て、マイヤ・クラディウスという少女はアスラ・クルーガーが気を掛けるだけの存在になったという、ただそれだけの事。

 

「お前も、だ。リーシャ。後悔をするのも、誰かを恨むのも構わねぇが……お前が何の価値も見いだせない鬼に成っちまうのを、俺は見たくねぇからよ」

 

「えぇ、はい。私がまだまだ未熟である事も、どうしようもないくらいに子どもである事も、アスラさんには隠せませんから。……だって、私の全てを知りたいと思ってくれた人ですもの」

 

 恋人のその言葉が思いのほか心地良かったのか、或いは本当に限界を超えて肉体を酷使していたのか―――吊っていた糸が切れたかのように、彼はその場で頽れた。

 張っていた氣は霧散し、身体を動かす機能の全てがここぞとばかりに悲鳴を挙げ出す。死に体であった彼の身体は、ここで漸くそれを思い出したのだ。

 

「っ……リーシャ、市内に戻って遊撃士協会に。エオリアさんなら、病院に運ぶまで繋ぎ止める事が出来るでしょう」

 

「ま、マイヤは⁉」

 

「……この人をここまで追い込んでしまったのは私の責でもあります。なら、出来るだけの事はします」

 

 そう言ってマイヤは、開いた掌をアスラの身体に押し付けた。

 本来なら際限なく搾り取る生気を、逆に自身から送り込む。得手ではなく、やった事もなかったが、それをする事に躊躇いは無かった。

 

「早く、リーシャ。……少し複雑ではありますが、今この人をこのまま死なせるわけには行かなくなりました。心配しなくても、息の根は止めませんよ」

 

「……大丈夫。それは信じてる。マイヤ、アスラさんをお願い」

 

 聞き慣れた足音が、気配が遠ざかるのを見送ってから、マイヤもまたぬかるんだ地面に腰を下ろした。

 生気を送り込み続けるというのは決して楽な事ではない。瀕死のアスラの生命活動を維持し続けるという行為は、そのままマイヤの命を擦り減らしているという事と同義だった。

 

 それでも彼女はそれを止めようとはしなかった。完全に殺そうとしていたのに、あれだけ好き勝手言われたまま死なれるというのはそれこそ業腹であったし―――それに()の頼みだ。聞いてあげねば沽券に関わる。

 

 ふと、とある方角から異様な気配が漂ってきた。

 エルム湖の向こう側。先日までは人々を楽しませ、笑顔にするリゾート地であったそこは、今や魔境と化しているのだろう。

 

 災厄の刻は訪れた。クロスベルというこの地が対峙する、最悪の試練の幕が開けた。

 本来ならそれでも傍観者で在り続ける筈であったマイヤは、小さく息を漏らしながら、まるで自身に言い聞かせるかのように口を開く。

 

 

 

 

「―――良いでしょう。この一時だけ、私は貴方方の末路を見守る者となりましょう。

 《鬼面衆》の力、精々上手く使ってみて下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 どうも。昨日の自分の誕生日中に投稿しようと思って無理だった十三です。
 何故一ヶ月も間が開いたって? 全部モンハンって奴のせいなんだよ。

 それはともかく、何でクロスベル組の話を書くときはこうも文字数が多くなるのか。今回も16000オーバーだし。
 まぁね。ってな訳で主人公戦力にマイヤが参戦する事になったわけですが、割と彼女がいると斥候から直接戦闘まで何でもこなせるんで実際便利です。

 ……すみません。割とマジで眠くなってきたので後書きもこれくらいにします。まだ話したい事はあった気がするけどもういいや。おやすみなさい。



 え?バレンタインなんだから特別話とか挟まないのかって?
 そんな気力がマジでないのと、原作の時期的にバレンタインイベ挟もうとするとクロウがもういないんです。これが割と辛い。


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愛しき者へと送るのは・・・ 前篇






「愛というものは、強引にでも掴み取るものですわ」

        by カルラ(うたわれるもの)








 10月に入り、トリスタの街も肌寒い寒気が吹きすさぶようになっていた。

 

 街に立ち並ぶ店の商品もそれに伴い様変わりし、寒さに弱い生徒は既に制服の下に少しだけ厚着をする、そんな季節。

 今年の冬は寒くなるだろう。そう『帝国時報』の記事には書かれていた。帝国領内でも、既に雪が降り積もっている地域があるらしい。

 

 だがそんな中でも、彼女の仕事は変わりない。

 

 

 列車の中に於いても、彼女の容姿と恰好は殊更に目を引いた。同性には羨望の目を向けられ、異性の目には彼女の姿はさぞ魅力的に映る事だろう。

 しかし、そんな彼女に声を掛ける色事師はいない。その美しさは確かに嫋やかなそれではあるが、同時に佇まいに一切の隙が無いからである。

 

 下車をしたのはトリスタ駅。ホームと改札を抜け、駅舎から一歩外へ出ればシキラハの花の香りが鼻腔をくすぐる。

 随分と長くこの街を留守にしていた、と思う。実際には一週間と少し程度ではあったが、それでも郷愁を感じる程度にはこの街に愛着も湧いてきた。

 

 そして何より、彼女にとって嬉しかったのは―――

 

 

「よっ、おかえり。……見た感じ大丈夫そうだな、安心したよ」

 

「はい。シャロン・クルーガー、ただ今戻らせていただきましたわ♪」

 

 

 愛する恋人が、自分の帰りを待ってくれていたという事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリーナ会長から許可は貰ったんだな?」

 

「えぇ。会長にもお許しを頂きました。暫くは此方の方でお嬢様方のお手伝いを、と」

 

 第三学生寮のキッチンにて、レイが買ってきた食材の下拵えを効率よくやりながら二人は他愛のない会話を続けていた。

 見る人間が見れば、レイがかなりアッサリとした対応をしているようにも見えるだろう。彼が3人の恋人に向ける情愛の念は語るまでもなく、一度は死にかけた恋人が元気な姿で戻って来てくれたとあれば、もう少し喜びを露わにしても不思議ではない。

 

 だがレイはそうしなかった。

 気恥ずかしさからそうできなかったのではなく、”そうしなかった”のだ。

 

 彼女の容体が安定していたのはツバキを通して知っていたし、彼女自身、あまり派手に迎え入れられるのをあまり好まないという事を知っていたからだ。

 ただそれでも、わざわざ学院の授業が終わった後に、学友らの頼みを今日だけは断って駅舎の前まで行き、内心ソワソワしながら愛する女性の帰りを待つ程度には―――彼ももどかしかったと言える。

 

「悪ィな。ホントはアリサやリィン達も迎えに行きたがってたんだが……部活の方で学院祭の準備があったみたいでな」

 

「まぁ。リィン様は生徒会のお手伝いを?」

 

「あぁ。まぁお人好しのアイツの事だ。見て見ぬ振りもできなかったんだろうさ」

 

 スープの入った鍋をかき混ぜながら、レイは苦笑いをしてそう言う。

 ”お人好し”という括りならレイも人の事は言えないのだが、リィンの場合はそれを優に上回る。少しでも困っているような人間を見かけたら自然に声を掛けに行ってしまうレベルで。

 

 ……つくづく遊撃士向きの性格をしていると、レイはいつも思っていた。このままだと数年後、成人した時も同じような事をしているのではないか、とも。

 

 

「それより、ホレ。お前が喉から手が出るほど欲しいであろうブツだ。お前が俺に預けたんだから、失くすなよ?」

 

「あぁ……あぁ……ありがとうございます、レイ様‼ このシャロン、お嬢様とリィン様が結ばれる瞬間を目の当たりに出来なかった事だけが唯一の心残りでございました……」

 

「お前が料理してる時にこの世の終わりみたいな表情すんの滅茶苦茶レアだな。写真撮りたいわ。……ま、でもアレだ。あんま必要以上にからかってやんなよ。俺も出来る限り自重してるからさ」

 

「えぇ、心得ておりますわ。(わたくし)としてもお嬢様をあまり困らせるのは本意ではありませんもの」

 

「因みに記念パーティーで調子に乗ったクロウにはサラ用に買ってあったバーボン一気飲みさせて沈めておいた」

 

 その余波で酒に興味を持ったミリアムがこぼれたバーボンを舐めてエラい事になったりもしたのだが、それはまた別の話。

 

「……やっぱり、特別なモンか? 小さい頃から面倒見てたお嬢様が好きな人に告白した、ってのは」

 

「えぇ、それはもう。……お嬢様はあの通り少々複雑なご家庭で育たれましたから、ご学友以外でご自分の本音を明かせるような方が出来たというのは、(わたくし)にとっても望外の喜びでございます」

 

「そうかい」

 

 社交辞令などではなく、心の底から安堵し、嬉しがっている様子のシャロンを横目に、レイは微笑んだ。

 

「俺としてもアイツらがこれから何事もなく清い交際を続けて行けるのなら、それ以外何も望まないんだがね。……世界はその程度の事も悠長に許してはくれないみたいだ」

 

 含むような言い方になったが、勘の良いシャロンは何が言いたいのかを内々に理解する。

 

 長らくイリーナの秘書的立場も務めていたという事もあり、シャロン自身、RFグループの業績の推移などは逐一チェックしている。

 結社《身喰らう蛇》の動きを他所にしても、カルバード共和国、クロスベル自治州方面への業績は荒れに荒れている。ヒルデガルドが主任を務める『第三製作所』やイリーナ直轄の『第四研究所』などはその中でもギリギリ安定したバランスを保ってはいるが、それに目を通しただけでも各国の情勢が良くない方向へと進んでいる事が分かる。

 

 それは無論、このエレボニア帝国も例外ではない。

 

「若いうちの苦労は買ってでもしろとは言うがな。選べもしねぇ手前勝手な試練(ソレ)なんざ願い下げだ。……女神サマも酷な事をする。男女の逢瀬すら、マトモに味あわせてやれないとはね」

 

 普段、リィン達の前では口にしないような言葉も、シャロンしかいないこの状況だと自然と外に出てくる。

 そしてシャロンもまた知っている。彼は本当に、何の気遣いも打算もなく、心の底から友人の恋を祝福しているのだと。彼らの辿る道が、自分のような茨のそれではあってはならないのだど。

 

 やっぱりこの少年(ひと)は優しい―――面と向かって言えば必ず否定するだろうが、他者の悲しみを理解し、他者の喜びを祝福できるのは、心根が優しい者だけの特権なのだから。

 

「レイ様は、リィン様の事を大変気に掛けているのですね」

 

「んー、まぁな。最初から色々と歪なモン抱えてたのが分かってたし……あぁそれと、アレだ」

 

「?」

 

「アイツからは、嫌なニオイがした。優しすぎて、張り詰め過ぎて、抱え込み過ぎて―――ただの優しい武人のままでは終われない運命を持つ男だよ、アレは」

 

 それを察することが出来たのが、レイ自身もまた同族であったから―――とは彼は認めないだろう。

 

「良い奴だ。人間の善を信じ、悪を嗜める事が出来る稀有な奴だ。だから俺も、他の奴らも分かってる」

 

 彼の優しさを今まで間近で見続けてきた者達だからこそ。

 

 

「アイツの優しさに(かこつ)けて、アイツを使おうとする奴が現れたら―――()()は絶対にそれを許さねぇ」

 

 

 その声は本心だった。

 

 トールズ士官学院特科クラスⅦ組―――歪な関係が入り組んだ状態で始まったその集団は、漸く一つの”カタチ”を創り上げていた。

 

 性別も、身分も、何もかもの枠を超えて助け合い、支え合い、切磋琢磨しながら成長していく場所。

 そんな場所に籍を置けたことにレイは感謝していたし、また人一倍癖のある過去を持つ彼に対しても本気で正面から向かい合う仲間たちに巡り合えたことも幸運だった。

 

 そして何より、そんな彼を《結社》時代から見てきたシャロンにとって、今のレイの姿は何よりも美しく見えた。

 異性として愛する男性である筈なのに、こういう所を見た時だけは弟の成長を密かに喜ぶ姉のようにも思えてしまう。

 それはそれで嬉しくはあるが、同時に少し寂しくもある―――そう思った時、レイがはた、と思い出したかのように口元を抑えた。

 

「……いや、すまん。忘れてくれ」

 

「? どうなされたのですか」

 

「……本当ならここでお前の快気への祝い言葉とか、そういうのを言うつもりだったんだが……悪い癖だ、お前と二人きりの時はつい愚痴が口から滑りやすくなる」

 

 気恥ずかしそうにそう言うレイの姿は、シャロンの目にはいつもより数倍愛おしく見え、気付けば料理の手を止めてレイの身体を抱き寄せていた。

 

「っ……と」

 

「良いではありませんか。(わたくし)で良ければいつでもお聞きいたします。それでレイ様の抱える棘の痛みが少しでも和らぐのでありましたら……それに勝る幸福はありませんわ」

 

「好きな女の前じゃ出来るだけ格好付けたい年頃なんだ。分かってくれ」

 

「ご心配なさらずとも―――貴方の格好良さは存じ上げているつもりですわ」

 

 語る言葉は多くなくとも、考えている事は充分に通じ合っている。

 シャロンは、レイが一番不安定な時に共に居た存在だ。彼の弱さを良く分かっているし、彼の不安定さも良く分かっている。

 

 だからこそ彼に格好良さも、十二分に。

 苦難に跪き、止まり、挫けそうになっても、それでも前を向くことを止めない強い男。そんな人の弱さを受け止める事を許された女。

 異性として、これ程名誉な事があるだろうか。それが想い人であるならば猶更。

 

「―――レイ()()、私は弱くなったと言われました。えぇ、その通りなのでしょう。ただ使命を果たす事のみを至上としていたあの頃と比べれば、私の暗殺者としての心は脆くなりました」

 

 ですが、と続ける。

 

「私の心に、後悔は無いのです。慈悲を知ったこと、人の温かみを知ったこと、家族の在り方を知ったこと……そして何より”愛”を知ったこと。血に染まった”人でなし”でも、未だ”人”で在れるのだと―――教えて下さった方々に背など向けられるものですか」

 

  レイとも最初は殺し合った。得物を横取りされたという、今から考えれば酷く幼稚な理由で。

 だがその後、彼女は”情”を知った。”仲間”を知った。義弟から向けられる信用も、心を寄せた人から向けられる信頼も、心地良くなってきた。

 

 シャロン・クルーガーは義務感だけでラインフォルト家に仕えているわけではない。

 根本は罪悪感であった。任務の一環であったとはいえ、一つの家族のカタチを壊してしまったという罪悪感。

 

 思えばその時から、暗殺者としては致命的なまでに落ちこぼれていたのだと思う。 

 至上とするのは任務だ。何を殺し、何を滅ぼそうとも、それが当たり前なのだ。誰が不幸になり、誰の人生が狂わされようとも、それに惑わされてはならない。

 

 

『貴女に罪悪感というものがあるのなら……そうね、私の下に来なさい。任せたい娘が居るわ』

 

 その言葉に頷いた時には、既に彼女は”暗殺者”ではなくなっていた。

 レイの近くから去る―――という選択を苦渋に思わなかったかと言えばそれは嘘だ。だが、彼自身がそれを推奨してくれたというのもあり、シャロンはメイドとしての技量の全てを《侍従長》リンデンバウムから叩き込まれてからラインフォルト家のメイドとして働くこととなった。

 

 ―――敗北した理由を挙げるのならば、シャロンはそれでもなお、”暗殺者”としてクリウスと相対してしまった事だろう。

 半端者と謗られても文句を言えない程に無様な姿であった事も充分に理解し、反省した。傷を癒している間、シャロンは己自身をどう定義するかをずっと考えていた。

 

 

「私は、それでも戦います」

 

 意志の籠った口調で、シャロンは言う。

 

「暗殺者としてはとうに落第した身としても、レイさんや皆さんと共に戦うだけの力はまだこの身に。……決して二度は見苦しい姿を見せませんわ」

 

 それはメイドとしてではなく、シャロン・クルーガーとしての言葉であった。

 レイとしては、それは諸手を挙げて歓迎出来る事―――とは言えはしなかったが、クレアの時と同様、戦うと決めた者に余計な言葉を挟み込む事など出来ない。

 

「……ありがとう、シャロン。正直、心強い事この上ない」

 

「ふふ、はい。レイさんがそう言ってくれるのでしたら、私はまだ戦い続けられます。……ツバキさんから仕込まれた新しい戦い方もある事ですし」

 

「……アイツ、お前に何を仕込んだんだ?」

 

「ふふふ」

 

 思わず背筋に寒気が走る。

 あの時は呪力の扱い方を教えてやってくれと言っただけの筈なのだが、ツバキの方はと言えばやけに張り切っていた。

 悪い、予感しかしない。

 

「レイさんから頂いたこの力が如何ほどのものか―――証明する機会を頂ければすぐにでもお見せできますよ?」

 

 その囁きに、レイは一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 シャロンの復帰を、Ⅶ組の全員が心の底から祝った。

 

 その夜は宴にも近しい騒ぎになり、あまりに騒ぎ過ぎた所為か翌日に近隣住民に注意されたほどであった。

 まぁその住民たちも既に有名人となっていたシャロンが体調不良から復帰した祝いだと知ると「それなら仕方ないか」とあっさり許してくれた。

 

 それだけでも、シャロンがトリスタという街でも如何に好かれているかが分かった。

 

 

 そして思った通りというより何と言うか、普段なら気丈に振る舞っているアリサが、珍しく宴の最中シャロンの傍から離れていなかった。

 彼女も彼女で不安ではあったのだろう。幼い頃から姉のように慕っていた女性が前と変わらない姿と雰囲気で戻って来てくれたことに思うところはあったのだろう。

 

 まぁその後、散々リィンとの関係の進展を弄られまくられた為に、最後は涙目になって自室へとダッシュしてしまったが。

 因みにリィンの方はダッシュして逃げたアリサを追って食堂を去り、その数分後、収穫ナシでトボトボと帰って来ていた。

 

 

 しかし実際、シャロンの働きぶりは致命傷に近しい傷を負う前と遜色がなく、寧ろ一層洗練されているようにも見えた。

 彼女の快気祝いの宴だというのにシャロン自身が働いていては意味がないとレイが気を利かせてはいたのだが、やはりじっとしていられる性分ではなかったらしく、最終的にはいつもの第三学生寮の光景に戻っていた。

 

 その最中、シャロンがここぞとばかりにビールを呷りまくっていたサラに何かを耳打ちし、それを聞いたサラはそれまでの上機嫌そうな表情を歪め、如何にも「面倒臭い」と言わんばかりのしかめっ面を作っていた。

 その苦虫を噛み潰したような表情も、シャロンがラインフォルト家のワインセラーから許可を得て拝借してきた、売るところに売れば数十万ミラは下らない一本を対価に差し出した瞬間に輝き出していた。

 それでいいのかお前、とレイが密かに心配しながら料理を平らげていたのは別の話であるが。

 

 この二人のやり取りに気付いていたのはレイだけであったが、その意味をⅦ組の面々は翌日に知る事になる。

 

 

 

 

 

 放課後。

 

 学院祭の準備、及びⅦ組の催し物の準備に一定の目途が立ったという事もあり、その日一日は休息日にしようと全員一致で決まり、久方振りに全員そろって第三学生寮への帰路に着こうと思っていた矢先、校門前で佇んでいたシャロンに一同が声を掛けられた。

 

 

「宜しければ皆さま、このシャロンの戯れに少々お時間を頂戴できませんでしょうか?」

 

 

 その言葉に、一瞬レイを除いた全員が呆気に取られたが、特に予定もない放課後を今まで世話になった人の使えないほど薄情ではない。

 ありがとうございます、と深々と礼をしたシャロンに連れられて、一同は旧校舎―――その地下にある石造りの大広間まで案内される。

 

 旧校舎の調査は自由行動日の任務。それはシャロンも分かっていた。彼女とて、その大扉の奥を調べる為に彼らを呼んだわけではない。

 それに、その大広間には既に先客がいた。

 

「あれ? サラ教官?」

 

「HRが終わった後姿が見えないと思ったが……此処にいたのか」

 

 壁にもたれかかってシャロンを待っていたサラは、昨日から何度目か分からない深い溜息を吐いた。

 

「気は乗らないわね、まったく」

 

「申し訳ございません、サラ様。……ですが今の(わたくし)の力を推し量るのであれば―――サラ様にお相手いただくのが最適化かと思いまして」

 

「アンタと戦うってなるとヤな事思い出すのよねぇ……。あの時はアンタとこんな感じになるなんて思ってもみなかったわ」

 

 そう言いながら、サラは後ろ腰に引っ提げた一対の導力銃と剣―――《ディアボロ&ペイン》を引き抜いた。

 

「ま、そんな事は気にしてたって仕方ないわね。夕飯の時間になる前にちゃっちゃと終わらせましょうか」

 

「えぇ。ではサラ様、このシャロンの我儘に、一手お付き合い願いますわ」

 

 ふわりとロングスカートが僅かに浮かび、その場で一回りすると、シャロンの周囲には銀線が舞い、その左手には右腿のホルスターに引っかけていた大型のナイフが握られた。

 戦闘スタイルに特に変更はないらしい、というのはレイを始めとしてⅦ組の全員が感じた。

 

 

 だが、しかし。その直後シャロンが右手に握った小瓶―――霊薬にも似たようなモノが入ったそれを見た途端、レイが目を顰める。

 

「あ、アイツ(ツバキ)まさか……」

 

 妙なものを仕込みやがったな、とレイが口にする前に、シャロンは小瓶の口を開ける。

 

「サラ様がお相手なら……この辺りでしょうか」

 

 一滴、そして二滴。小瓶の口から滴り落ちた発光する薄青色の液体。

 それは地面に吸われる前に空中で―――黄色とセピア色の二羽の蝶の形を象った。

 

「【黄蝶(クェイナ)】、【銀蝶(アスィミ)】。お願いしますね」

 

 シャロンがそう言うと、二羽の蝶はそれぞれ生きているかのように宙を舞い始める。

 

「式神? ……いえ、違うわね」

 

 呪術は門外漢であるサラであっても、それがレイやツバキが使役する式神(それ)とはまた異なるものである事を理解する。

 そして事実、シャロンがツバキから仕込まれたそれは、式神を使役する術式とはまた別のものであった。

 

 しかしそれであっても真っ先に潰しておかねば厄介な事になる―――そう武人の直感が囁き、導力銃の引き金に掛かった指がピクリと動いた。

 

 両者ともに戦闘態勢が整った、そんな状態で、徐にレイが財布の中から10ミラ硬貨を取り出し、親指の上に乗せたそれを弾いた。

 チィンという小さくも甲高い音。僅かに困惑したままのアリサが口を挟む暇もなく、重力に従って落下した硬貨は石床の上で乾いた金属音を反響させた。

 

 

 ―――直後、響いた二発の銃声とそれを弾く銀閃が描く火花の乱舞。

 

 生み出された蝶は未だ存命中。その翅を撃ち抜くはずであった導力弾は鋼糸が巧みに防いで見せた。

 とはいえ、サラがこの事を意外に思う事もない。シャロン程の実力者にもなれば、狙われると分かっている標的を防衛する程度は容易くこなせるだろうとは思っていた。

 

 しかしこれで、あの”蝶”が思惑通り厄介な存在である事は理解できた。

 恐らくそれが、シャロンが身に着けた”呪術”の一法であるのだろう。ただでさえ多彩な攻め方を実現できるこの女が更に搦め手の手法を増やしたとあれば厄介この上なく―――そして頼もしくあるのも事実。

 

 そう思いながら、サラは”蝶”の存在を最大限警戒しながら踏み込んだ。

 得物に”風”―――雷の『起源属性』を纏わせて、空間に展開される鋼の網を掻い潜り、或いは抉じ開けながら侵攻する。

 

 シャロンもシャロンで、その暴風の如き苛烈な攻勢を巧みに捌き切りながら応戦する。生半可な応戦ではサラの周囲に纏わりつく紫電に弾かれて傷一つさえつけられない。それが分かっているからこそ、いつものメイドとしての優雅さを保った表情は既に消え去っていた。

 

 互いに僅かの油断さえ挟み込まないような真剣な表情を変える事すらなく攻撃を受け、捌き、或いは押し通し、しかし防ぐ。

 サラのそれであればともかく、シャロンの氷のような眼差しを初めて目の当たりにしたⅦ組の面々は、アリサを含めてその光景に見入っていた。

 唯一俯瞰するような客観的な視線で戦闘を目で追っていたレイが、右腕をすっと差し出してもう少し下がるようにと指示を出す。

 

 

「なぁ、レイ」

 

「んー?」

 

「サラ教官とシャロンさんって、その……何か因縁があったりするのか?」

 

 リィンや他のⅦ組の面々が見る限り、この二人の仲は決して悪いわけではないように見えた。

 時折サラの方が冗談交じりでシャロンに突っかかったりするところは見る事があるが、シャロンの方はまったく傷ついた様子もなく微笑んでいるし、食堂で二人きりで卓を挟んで酒を嗜んでいる様子もよく見る。

 

 腐れ縁―――という関係のように見えるというのが、リィン達の見解ではあった。

 しかしレイはと言えば、さてどこまで言ったらいいものかと言わんばかりの曖昧な表情を見せた。

 

「……二年前の帝国遊撃士ギルド連続爆破事件」

 

「それって、前にレイが言ってたやつだよね?」

 

「そういや結局何も話せてねぇっての今になって思い出したけど、一応情報局の人間(ミリアム)の前であんまりバラしたくない事あるから、今関係ある事だけ少し話すわ」

 

 主に叩きのめしたり殴り倒したり、クレアに手を出そうとした輩どもを顔面の形が変わるまで殴り潰したり、《情報局》の目を掻い潜ってしれっと帝国軍の情報を抜き取ってカシウスに渡したり、事が全て済んだ後、堂々とガレリア要塞に正面から入ってそのままクロスベルまで徒歩で国境越えしたこと等々。

 後々レクターに大爆笑されたアレやコレやが今でも《情報局》のバンクの中には眠っているのだから。

 

「まぁその時の俺はただ単純に帝都ギルドに届けモンしててそれで巻き込まれただけなんだがな。最終的にカシウスさんまで介入してきたから恩返しの意味もあって最後までお供したんだが……事件当初、帝国ギルドの中でも有数のA級遊撃士だったサラの姿は帝国国内にはなかった」

 

「で、でもあの時は相当な非常事態だったと聞いたぞ。父さんも……帝都知事を始めとした官僚達も昼も夜もなしに動いていて……」

 

「まぁ実際、帝国の遊撃士にも少なからずの犠牲があったし、一般人の犠牲も出た。事件の収束の為に国内に居た遊撃士はほぼ全て駆り出されたしな」

 

 その直前、サラはとある理由で有休を使ってノーザンブリア自治州へと赴いていた。

 だが、帝国での一件を耳にした彼女はすぐさま帝国への帰路に着いていた。そのまま土地勘に優れた彼女が事件の渦中に間に合ったのならば、恐らく彼の一件はもっと早く収縮した事だろう。

 

 しかしその帰路を阻んだのが―――シャロンだった。

 

「な、なんで? だってその時のシャロンさんってもう……」

 

「……そういえば、あの事件が起こる直前から、母様に頼まれてって言って一週間くらいルーレから離れていたわ。もしかしたら巻き込まれたんじゃないかって冷や冷やしてたんだけど……」

 

 シャロンがサラの行動を妨害する意味が分からない。そう疑問に思う面々が多い中、徐にユーシスが口を開いた。

 

「聞く限りでは、RF社がその事件に関わっていたという事ではないだろう。アリサ、事件直前にお前の元を離れたその理由は、恐らくは建前だ」

 

「……そうね。遊撃士ギルドを襲ったのは猟兵団だったって聞いてるし、遊撃士協会を敵に回すなんて、それこそメリットがないもの」

 

「……ってことは、やっぱりシャロンの前歴が問題、かな?」

 

 珍しく鋭い指摘を落としたフィーの言葉に、レイはただ一つ頷いた。

 

 

 《執行者》が《結社》を抜ける際に、特に制約のようなものは無い。「あらゆる自由」が認められているという言葉の通り、そのNo.を返却するのも個人の自由だ。

 だが場合によっては、《盟主》の意志とは関係なく半ば「嫌がらせ」のような形で最後の役目を押し付けられることもある。

 

 ヨシュアがワイスマンより齎された催眠然り、レイがヴィータより押し付けられた《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》然り。

 そしてシャロンも、《結社》を抜ける際、ある最後の役目を《執行者》No.0―――カンパネルラより承っていた。

 

 『《結社》の《執行者》としての戦闘要請を、脱退した後に一度だけ引き受ける』という役目を。

 

 

「3日だ。シャロンは《執行者》としての最後の任務―――『最年少A級遊撃士サラ・バレスタインの足止め』という任務を3日間継続してみせた」

 

 それはつまり、戦闘能力という点においては当時の帝国ギルド支部所属の遊撃士の中でも上位であったサラの猛攻を3日間凌いだという事になる。

 

「俺が見る限り、サラとシャロンの武人としての階梯はほぼ同程度だ。”準達人級”の中でも最上位クラス。戦闘方法(スタイル)の違いこそあれど、互角である事に変わりはない」

 

 だが、とレイは続ける。

 

「サラの突破力、制圧力はその中でも突き抜けてる。ガイウスと同じ”風”の『起源属性』―――その中でも”雷”を主軸に戦う奴らは大体()()()に長じている事が多いが、アイツのそれはともすれば”達人級”とも渡り合えるレベルのスペックを兼ね備えてる」

 

「それは……まぁ俺達は身を以て味わったからな」

 

「だがシャロンはそんなサラ相手に3日、足止めし続けた。……サラとしちゃ色々と思うところはあるだろうし、シャロンもそれを赦してもらおうとは思ってねぇ。

 でも、武人としては嬉しいモンなんだよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってのは」

 

 

 レイの言葉通り、二人の戦いは拮抗していた。

 放たれた強力な魔力付与の導力弾は、しかしシャロンが一瞬で編み込んだ鋼糸の壁に阻まれる。刃による攻撃も、幾重にも折り重なった鋼糸柱が受け止める。

 

 攻撃一辺倒に見えるサラだが、それでも自らの足元から突き上げるように出現した針山に反応し、一瞬で距離を取る。まるで生き物であるかのように複雑怪奇な動きをする糸の攻撃を、磨き抜かれた動体視力と類稀なる身体能力、そして多少の勘を以て回避し、地面を蹴り続ける。

 

 剛と柔の競り合い―――典型的なそれを目の当たりにして、いつしか訝しんでいた面々の眼もその戦いに釘付けになる。

 

 思えば、彼らがシャロンの戦いを見るのはこれが初めてだったなとレイは思う。

 ただでさえ癖がある武器である鋼糸を自由自在に操り、”準達人級”に至るまで練り上げられたその練技は、それこそ見事の一言に尽きる。

 

 だからこそ、だろう。

 サラの口元が少しだけ吊り上がっている。異性よりも同性を虜にしそうな好戦的な微笑みを讃えている。

 あれだけブツクサと言っておきながら、それでもやはり彼女は楽しんでいるのだ。全力で”競り合える”相手との戦いを。

 

 ただ今回に限っては、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「そういえば」と、エマが言葉を挟んできたのはまさにそのタイミングだった。

 

「シャロンさんが戦闘開始の直前に展開したあの……液体の蝶? は一体……」

 

「あ、それ僕も思った。あれもレイが使う呪術と同じものなのかな?」

 

 後衛のアーツ使い二人が興味を示す中、レイはその疑問に頷いたが、補足も入れてくる。

 

「ありゃあ《天道流》の式の一種だ。とは言っても、俺やツバキが使うような式符を使うのとはまた違うタイプだが」

 

「? 式神にもタイプがあるんですか?」

 

「契約方法の違いってヤツさ。俺やツバキの使う【苻操式】は呪符に呪力を注ぎ込んで式を”創り出す”。シオンのアレはまた別だがな。

 そんでシャロン(アイツ)が今使ってる【霊操式】は霊脈の流れが濃い場所で生まれる霊水を媒介に呪力を軛として流し込んで自然精霊と契約する。―――形無きモノに形を与えて現界させる一種の召喚術だな」

 

 ”調和”を軸とした契約式である為、適性が無い者にはマトモに扱えない術であり、実際レイもツバキも適性が無かったために術の習得を断念し、【苻操式】の方を扱っている。

 とはいえ、【苻操式】には【苻操式】の、【霊操式】には【霊操式】のメリットとデメリットが存在し、一概にどちらの式の方が優れているかというのは存在しない。

 

 だが、才能的には()()()()()()()()シャロンにとって、【霊操式】に適性があったというのは不幸中の幸いであったとも言えた。

 

「アレは厄介だぞ。それに、今回は式の扱いなら俺より上手いツバキが教え込んだからな」

 

 適性が存在しないとはいえ、根本的な式の扱いはどちらも似たようなものであり、それに長けたツバキが中途半端な指導をするわけがない。

 ましてや敬愛する”兄”直々の要請である。その力の入れようは推して知るべしだ。

 

 

 ―――直後、それまで縦横無尽に駆け巡っていたサラの足が、不自然に止まった。

 

「っ⁉ 冷た―――っ⁉」

 

 反射的に足元を見ると、サラの足元がいつの間にか凍り付いており、しかもその浸食が絶え間なく続いている。

 何故、と思った。”凍結”を齎されるような攻撃はしてきたようには見えず、また受けた覚えもない。

 

 しかしそれを考慮する前に、この煩わしい状況をどうにかしなくてはシャロンの攻撃を避ける事も出来ない。そう考えて氣力を放出しようと試みて―――しかしそれも叶わなかった。

 

 氣の励起が叶わず不発するようなこの虚無感には、無論覚えはある。

 ”封技”の状態異常。サラのような氣を重視する武人にとっては警戒しなくてはならない状態異常の一つ。それも併発していた。

 

 それでも、魔力だけはまだ生きている。不意に体中から迸った紫電を見て、シャロンが再び小瓶を取り出した。

 

「失礼致しました。サラ様には此方のおもてなしも必要でございましたね。―――魔力(そちら)もお願いします、【青蝶(キュアノイア)】」

 

 生み出されたのは仄かに青色を帯びた蝶。その様子を見て、サラは眉を顰めた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて……やっぱ厄介この上ないわね‼」

 

「ご容赦くださいませ。(わたくし)からの心からのおもてなしでございます」

 

 そう言って口元に指を添えるシャロンもまた、先程のサラと同じような微笑みを讃えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 
 はい、最近「うたわれるもの」シリーズにハマりました。十三です。それとは別にPCの不調により長い間投稿できずに申し訳ありませんでした。

 
 今回はシャロンの復帰、及びシャロンの習得した呪術【霊操式】について話させていただきました。
 因みに能力については以下の通りです。

・呪符を用いて式神を”創る”のではなく、霊水に呪力を混ぜて自然精霊と”契約”する呪法。
・対象の()()()()()()()一定確率で適応した状態異常を与える。
・ただし防御力は非常に脆く、術者が護らなくてはならない。
・適応する状態異常は以下の通り。

・【黄蝶(クェイナ)】封技
・【青蝶(キュアノイア)】封魔
・【白蝶(レウンノ)】睡眠
・【銀蝶(アスィミ)】凍結
・【灰蝶(ペイオン)】石化
・【緑蝶(クローノア)】気絶
・【桃蝶(ロドクルーエ)】混乱
・【黒蝶(メライア)】暗闇
・【赤蝶(エリュイソ)】火傷
・【紫蝶(ポイクラン)】毒
・【金蝶(クレウソス)】即死


……もし原作だったら絶対にあっちゃならないな(断言)

それでは皆様、また後篇でお会いしましょう。


PS:
偽りの仮面の女の子みんな可愛いけれど、ルルティエがムネチカを腐った世界に引きずり込んでる姿が笑えました。
アトゥイちゃんこっちの世界においで。君が喜ぶようなヤベー奴いっぱいいるよ?


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愛しき者へと送るのは・・・ 後篇






「あのさティア、たまには妬いてみせるのも駆け引きの一つだよ 」

     by アニス・タトリン(テイルズ・オブ・ジ・アビス)








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――それは、シャロンの体調が快復して少しした後の事。

 

 

 

 

「ご存知かとは思いますが」

 

 ツバキはクスリと微笑んでそう言う。

 

「今や僕と兄上しか使い手がいなくなった《天道流》呪術。元は元は儀式術式でしかなかったそれを編纂し、組み換え、簡易化したのが兄上の御母堂……サクヤ様でした」

 

 長いアマギ一族の歴史の中でも有数の術式構築の天才。その才は終ぞ表に出る事は無かったものの、その技術の粋と才覚は―――本人としては望まない形で息子に受け継がれてしまった。

 

「簡易化された術式は、流石に大元である儀式術式よりかは出力で劣ります。しかし、戦闘中に使用するのであればそれで事足りるのです」

 

 そう言うとツバキは、服の袖から滑り落とした呪符を一枚、虚空へと放る。

 すると、それは空中で折りたたまれ、一羽の鳥となり、更に手品のように分裂してあっという間に群れとなる。

 

「更に呪術にはアーツよりも明確に”適性”があります。僕は【苻操式】、そして敵を欺き、惑わす術を()()と言ったところですね」

 

 逆に、とツバキは僅かに緩やかな笑顔になって説明を続ける。

 

「兄上の適性はとても稀有なものでした。【苻操式】や防護妨害術式は無論、アマギ一族が悲願としていた神性封印術式への適性―――皮肉なものだとは思いませんか? 彼らが無能と蔑んで価値無き存在と断じた方の御子が、千年の妄執を叶え得る方であったというのは」

 

 ツバキはそれを知っている。

 レイ自身、母の生家に対しての恨みが何よりも勝るかと言えば、そうではない。確かに愛した母をぞんざいに扱い、そしてヒトが手を伸ばしてはならない禁忌に手を染める為に数多の犠牲を強要したアマギ一族、その上層部を彼は赦しはしなかった。

 ―――赦さなかったからこそ、彼は自身の手で、その一族に引導を渡したのだから。

 

 

「そして此処からが本題です。シャロン様への呪力の定着はこの僕が確かに確認いたしました。……正直な話、ここまで早く、そして拒絶反応もなく馴染まれるとは思いませんでしたが」

 

 外部から血と術式で以て作り変えた”呪術師”というものは、本来であれば使い捨てに過ぎない。

 呪力は身体に定着せず、常に体内魔力との拒絶反応により激痛と苦しみが走り続ける。”呪い”という根本的な蝕みが肉体を崩壊させていき、そして近いうちに死に至る。―――それがアマギ一族が”卑隷”と呼んでいた者たちの末路であった。

 

 しかしシャロンは同じ”処置”で以て呪術師へと体を作り変えられたというのに、そういった破滅の予兆は無かった。

 寧ろ、生来呪力(こちら)の方が性に合っていると言わんばかりの馴染みよう。それにはさしものツバキも驚きを隠せなかった。

 

「……まぁその辺りの理由はシャロン様ご自身でもご理解できているようなので僕はとやかく申し上げません。

 そして肝心のシャロン様の呪術の”適性”でございますが―――ふふふ、これがまた兄上に似て稀有なものをお持ちのようで」

 

 そう言うと、彼女は袖の中から一本の小瓶を取り出した。中に入っている液体は、光を通さずとも淡く発光している。

 

「【霊操式】という式術がございます。霊水を媒介にして自然精霊と契約する事で使役する術なのですが……これがまた人を選ぶ術でして」

 

 ヒトとは違う行動原理、心境心理を持つ自然精霊と契約を結び、使役するというのはある種の才能が必要となる。

 これは、後天的なものではなく、先天的なものだ。動物に好かれるか否かの延長線上であると言えば分かりやすいかもしれない。

 

 だが、シャロンはこの術に対する適性があった。自然精霊と”調和”できるだけの才能をレイもツバキも有していなかった為、それが発覚してからのツバキの動きは速かった。

 

 媒介にする霊水というものはどこにでも湧き出ているという訳ではない。霊脈が幾つか重なり合い、原自然豊富な場所にしか存在せず、更にその中でも純度の高いものが採取できる場所となれば広大な西ゼムリア大陸の中でも片手で数えられる程度しかない。

 その為ツバキは、発覚したその直後に《マーナガルム》の《兵站班》に連絡。ルーレから戻ったばかりの主任であるカリサに()()()無理を言い、最高純度の霊薬を譲ってもらった。……無論、代金はツバキのポケットマネーである。

 

 仮にも経済には通じているシャロンである。最高純度の霊水、というものを目の当たりにした事こそなかったが、それがどれだけの価値を持つものなのかは理解できた。

 だからこそ、その対価は自身が払うと伝えたシャロンであったが、ツバキは鷹揚に、ゆっくりと首を横に振った。

 

「兄上からの頼みとはいえ、僕は一時であれどシャロン様、貴女の師となったのです。師が弟子の戦支度を整える事に、何の遠慮がありましょう」

 

 それは決して、上辺だけの言葉ではなかった。

 ツバキは、レイより唯一《天道流》の呪術を受け継いだ存在。この血塗れた術を易々と外部に漏らしてはならないと厳命されていた為に、彼女は兄より賜ったその呪法を身に留めたまま朽ちるつもりであった。

 

 それを無念に思った事は無い。元よりあの蠱毒のような場所で朽ちて果てる命運であった自分が拾われただけでも僥倖であったのだ。その上諜報部隊の長にまで推挙してして貰った。これ以上を望むのは無粋だと理解していたし、満足もしていた。

 

 しかし、技を伝授するという事に興味がなかったとも言い難かった。

 自身に師としての才があるかどうかは分からなかったし、元よりそんな機会が訪れるとも思わなかった。

 

 まぁ有体に言うと、彼女は―――ツバキははしゃいでいた。

 

 

「5日です。これより5日間を以て貴女様に呪術師としての基礎と応用を叩き込ませていただきます。本来であればじっくりと慣らすように教え込むのですが……悠長に使える時間が少ないものでして」

 

 そう。使える時間は少ない。

 混迷に呑み込まれるのはもはや時間の問題。ならば一刻も早くシャロンが呪術師としても使い物になるように仕立て上げるのが、ツバキの使命であった。……だが。

 

「お覚悟を。……ですが、まぁ、リンデンバウム様の御指南よりは軽くはなりましょう」

 

 

 

 彼女はつまり―――興が乗って()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

「誰 が こ こ ま で や れ と 言 っ た」

 

 

 若干恨み節も効いた口調でレイが呟くようにそう言った。

 確かにツバキには「シャロンを呪術師としてモノにしてくれ」とは頼んだ。

 彼女に才能があるというのは以前から理解していたし、こうするしか方法は無かったとはいえ、その人生を歪めてしまった責任を取る意味合いでも。

 

 

 ―――シャロン・クルーガーに【霊操式】の適性があったのは予想外だった。

 斯く言うレイにも適性は無く、もはや母より授かった知識の中で廃れていくだけの術であると思い込んでいた。

 

 自然精霊というものは奔放だ。基本的にヒトの思い通りになどならない。

 【霊操式】の契約にしたって、「面白そうだから」というひどく曖昧な理由で力を貸してくれているだけに過ぎないのだ。

 

 実際シャロンにしたって、まだ精霊たちを思う通りに操れてはいない。

 【霊操式】の最大の利点は、ヒトが各々持つ”耐性”を無視して状態異常を押し付けるというもの。しかしその”力”を使ってくれるか否かは彼らの気分次第だ。

 

 いつ、どの状況で発動するか分からない効果。運が悪ければ何もしないまま姿を消してしまう事も―――本当にごく僅かな可能性であるが―――有り得る。

 付け焼刃の鍛錬で扱えるものでは到底ない。

 更には耐久度の問題もある。霊水を媒介にして半ば無理矢理現世に繋ぎ止めている状態の精霊は総じて脆い。それこそ、マトモに食らってしまえば素人の振るった剣の一撃でも現世に留まれなくなってしまう程に。

 その為、展開中は術者かまたは術者の仲間による庇護は最重要。それを考えると、一対一での戦闘、そしてその中での精霊の複数展開は守り手の不足などから、本来なら愚策と見られるのも仕方ない。

 

 だが、シャロンなら可能だ。

 手足の如く鋼糸という武器を操り、広範囲に渡って防御を展開できる。

 扱いにくさという点でならばあらゆる武器の中でも最上位にあるであろうそれを自由自在に操るその技量は”達人級”にも匹敵する。

 更に防御一辺倒ではなく、すぐさま攻撃へと転じられるのも利点。精霊が効果を発動させれば、そのまま攻勢へと転じられる。

 

 

「怖ろしい方に、怖ろしい(すべ)が渡りましたな」

 

 すると、ふわりとした感触と共に布地の感触が頬に触れる。

 

「今はまだ粗くありますが、これが洗練され、研磨されれば……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、あの方の集団戦での強さは計り知れなくなりましょう」

 

 金色の長髪を棚引かせ、まるで水中の海月(クラゲ)のようにふわりふわりと浮かんだ傾国の美女―――シオンがそう囁く。

 

「魔法抵抗力を貫通して齎される数多の状態異常……良き策と手練れの仲間、そして天命に恵まれれば―――”達人級”の首にも届きましょう」

 

 その物騒な言葉に一同が息を吞む中、しかしフィーは冷静に思考した。

 

「どうだろ。例えば団長とか、レイとかだったら、戦場でそういう”厄介な存在”を見つける嗅覚がすごいから……何かされる前に真っ先に仕留めると思うな」

 

 フィーの言葉は、あながち間違っているとも言い難く、ともすれば正しくもあった。

 

 

 ”達人級”の武人は皆、死線を見極めるのに長けた者達ばかり。こと戦場に於いて、彼らの直感は時に未来予知にすら及ぶほどの精度を誇る。

 一対一の死合であればともかく、多対一である場合彼らが”倒すべき相手”の優先順位を間違う事はあり得ない。

 厄介な存在はまず潰す。それが情け手加減無用の殺し合いならば尚の事。術の効果が発動するよりも前に、術者の首を刎ね飛ばす方が早い。

 

「でも、アレが使われる側から見れば厄介な術である事は確かだ。こういった事(妨害工作)に掛けてツバキより優れている奴を生憎と俺は知らないが……それでも味方である以上、あの術の特性は魅力的だ」

 

「『耐性貫通』―――確かに現代魔法(アーツ)にはない特性ですね」

 

 エマが、そう呟く。

 魔女の眷属(彼女ら)の中でも特に魔法の扱いに精通している者達が扱える古の秘術―――古代魔法(ロストアーツ)であればその限りではないが、科学化されたアーツは基本的にその耐性の壁を完全に打ち破ることは出来ない。

 

 そもそも『状態異常耐性』というものは、無論生来の才覚如何によって変わってくるものであるが、『対魔力』『対呪力』とは異なり、後天的な要素で鍛えられる。

 例えるなら、ショック療法と同じ要領である。歴戦の存在になればなるほど、積み重ね、刻み込まれたその経験値がそのまま抵抗力となって状態異常を阻むのだ。

 

 故にこそ、”準達人級”ともなれば大抵の状態異常に高い抵抗力を有し、”達人級”であればほぼ確実に無効化する。

 とはいえ、何事にも例外は存在するもので、”達人級”のほぼ絶対的とも言える抵抗力を無理矢理抉じ開ける猛者も居るが、それは本当に極少数である。

 

 そんな耐性を無視し、状態異常を撒くこの術がどれ程の力になるか―――それが分からない一行ではなかった。

 

 

 

 実際、【霊操式】が本領を発揮した辺りから、サラは防戦一方になっている。

 

 ”準達人級”であっても、彼女らのような最高位に至ればゼロコンマ数秒の隙ですら致命的になる。

 現在展開されている【霊操式】は”封技”の【黄蝶(クェイナ)】、”凍結”の【銀蝶(アスィミ)】、”封魔”の【青蝶(キュアノイア)】の三種類。

 

 【苻操式】と同じく、展開に詠唱を必要としないのも利点の一つではあるが、流石に今のシャロンが同時展開できる精霊の数は三体までである。

 精霊体を現世に留めておくために細い精霊回廊(レイライン)を繋いでおく必要がある以上、同時展開すればするほど定期的に消費する呪力の量も増える。経験を積んだ呪術師ならば体内呪力のリソースの割き方を熟知しているため効率的に複数展開する事が可能だが、5日という突貫で呪術師として鍛えられたシャロンに決定的に足りていない要素である。

 

 恐らく他のⅦ組の面々の眼にはシャロンの方が優勢であると映っているだろうし、実際今はそうだ。

 しかしレイの後ろで浮遊しているシオンは指を顎に当てて暫く状況を見まわしてから徐に口を開いた。

 

「……まぁ、この辺りが頃合いでしょうな」

 

 その言葉に、レイも黙して頷き、そして言葉を返す。

 

「お前から見てどうだ? シャロンの仕上がり具合は」

 

(わたくし)、ヒトの扱う呪術にはとんと疎い方ではありますが……いやはや、たった5日で仕込んだとは思えませんな。『見稽古』持ちではないというのにこの上達……フフ、これだからヒトの子は面白いです」

 

「おいやめろ、お前今ちょっとだけ聖獣()が出たろ」

 

 口調が変わっていないだけまだマシではあったが、どうあっても神性が高い生物はヒトを値踏みするような視線で見てしまう。

 とは言え、何だかんだシオンとは長い付き合いではあるし、彼女にそういった視線を向けられても特に不快な気持ちにはなりはしないのだが、それでも律儀に「これは失礼を」と軽く頭を下げた。

 

「しかしながら、この上達ぶりは才能やら努力やらの言葉で尽くすには少々意地悪なところがありましょう。……ま、何があの方をそこまで駆り立てたのか、それを(わたくし)の口から申し上げるのも無粋ではありますが」

 

 ニヤニヤと、先程の反省が嘘であるかのような含みある目を向けてくるシオンの額に一先ず軽いデコピンをかましてから、レイはタイミングを見計らう。

 戦いは激化している。本来この間に割り込む事など自殺行為に他ならないが、レイはまるで走り込みを行う前であるかのように数回屈伸をした。

 

「? レ―――」

 

 リィンがその行動を見て何か言葉を発する前に、【瞬刻】が発動して旋風が巻き起こる。

 

 ―――一瞬であった。

 鞘に入ったままの《天津凬》が今まさに攻勢に転じようとしていたサラのブレードの斬撃の勢いを完全に殺し、それを迎え撃とうと伸びた鋼糸の凶先をグローブに包まれた左手が掴む。

 

「そこまでだ」

 

 その一言で”圧”が掛かったサラとシャロンは本能的に攻撃の手を緩めたが、その好奇心ゆえか、シャロンが召喚した精霊は不用意にレイに近づいていく。―――しかし。

 

去ね

 

 覇気を纏った強者の言葉。それが精霊の好奇心を完膚なきまでに砕く。

 今のシャロンでは、戦意を消失した精霊を尚も駆り立てるだけの強制力を放つことは出来ない。三体の精霊がそれぞれ霊水へと戻り、再び小瓶の中へと戻って行くのを見送ってから、戦意を解いた。

 

「上々だよ、シャロン。この期に及んで俺はまだお前を見縊っていたようだ」

 

「いえ、いえ。お褒め頂き光栄ですわ。(わたくし)が手に入れたこの力は、貴方様の血と共に頂いたもの。であれば、練磨し、使いこなすのに何の躊躇がありましょう」

 

 恭しく頭を垂れるシャロンの声色には、いつも以上に陶酔しているかのような感じが含まれていた。

 そしてレイの視線の先には、肩や足の感覚を再確認しながらジト目で此方を見てくるサラの姿。

 

「ったく、面倒臭い目に遭ったわ」

 

「お疲れさん。どうだったよ」

 

「……正直やりにくい事この上ないわ。味方であった事を喜ぶべきね」

 

 サラ・バレスタインは戦闘のプロだ。少女であった時から猟兵として戦場を駆け、敬愛する養父の背を見て戦闘の何たるかを知った人物だ。

 真っ当な戦場での戦闘という点で見れば、レイよりも経験値は高い。そんな彼女が憚る事もなく「やりにくい」と称したのはある種の敬意でもある。

 それを理解していたからこそ、シャロンもそれを称賛と受け取って返礼をした。

 

 不意に、レイは気付かれないように横目でクロウを見る。

 彼は表面上、他の面々と同じように驚きながら呆けているように見えたが、実際は違う。

 

 あれは脅威が如何ほどのものかを見定めている目だと、レイは経験則から理解する。

 

 《帝国解放戦線》の脅威度の大半は、底知れない《鉄血宰相》への憎悪で埋められている。

 目的を達成するためならば、己の命を差し出す事を厭わない。死兵というのは厄介で、それを懐に入れた時点で面倒臭い事はこの上ない。

 

 だが、総合戦闘力という点を鑑みればそれほど高くはない。

 クロウ・アームブラストという存在がどれ程高い戦闘能力と兵器を持っていようとも、対策は講じられる。例えば《マーナガルム》と喧嘩をさせれば、持って一週間の命と言ったところだろう。

 暗殺、毒殺、情報操作からの社会的封殺―――単一の強者を沈める方法など、幾らでもあるのだから。

 

 しかし、その背後にいる存在は無視できない。

 《結社》―――国を亡ぼす戦力程度ならば如何様にも調達できるあれらに対策を練られるというのは本意ではない。

 

 それは、シャロン自身も分かっている事だろう。であるのに、態々クロウや《情報局》所属のミリアムの眼もある中で自身の能力を見せた。

 恐らくは、今はレイに集中している警戒を、少しでも分散させるためだろう。そうすれば、レイが自由に行動できる可能性も僅かに上がる。

 

 気を遣わせてしまった事に対して思うところはあるが、しかし彼女としても謝ってほしいわけではないだろう。

 一先ず今は、お嬢様(アリサ)に色々と問い詰められているその状況に対してフォローを入れてやるのが先決だなと、レイは吐息と共に歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

「精霊の価値観や考え方は俺ら人間とは根本的に違うからな。意思疎通なんて普通は不可能だ」

 

 その夜、レイはシャロンが普段寝泊まりしている第三学生寮の管理人室の来客用椅子に腰かけ、シャロンが淹れてくれた紅茶を啜りながらアドバイスを送る。

 

「まぁとは言っても、俺も精霊の扱い方なんてあんま知らねぇからなぁ。シオンはアレ、精霊の完全上位互換だし」

 

「そんな事はありませんよ。現にレイさん、私たちの戦いを止めた際に私の【霊操式】を完全に手玉に取っていたではありませんか」

 

「いや、あれはただ単に”威圧”しただけだ。下がらせるならアレで問題ない。……尤も、術者が式と完全に通じ合っているなら使えない技なんだが」

 

 今現在、契約した精霊との信頼関係がまだ薄い状態であるからこそ使えた荒業だ。

 精霊は地に根付いて生きているが故に、契約に関してはそこそこ従順だ。しかし今のシャロンの【霊操式】は、言ってしまえば拾って来たばかりの仔猫のようなもの。主人の声を聞くよりも、好奇心が勝っている。

 それを指示だけで完璧に動かせるようになれば術者としては一人前と言える。

 

 とは言え、それは遠くない未来だろうとレイは思っていた。

 確かに【霊操式】は契約さえ済んでしまえば最低限の仕事はしてくれるが、その”契約”を結ぶまでが大変なのだ。”適性”と、そして精霊を使うだけの”人格”が無ければならない。

 選ばれるのは精霊の方ではなく、人間の方なのだ。それで見るならば、威圧で黙らせるのが一番手っ取り早いという思考があの時に真っ先に思い付いたレイは、確かに不適正であるのだろう。

 

 

「改めて、お礼を言わせてください」

 

 そう言うと、シャロンはスッと頭を下げる。

 

「私に、新しい戦い方(生き方)を与えてくれてありがとうございました。……私はもう、惨めな敗北を晒すようなことは致しませんとも」

 

「……お前にとってあの敗北がそこまで重かったのなら、俺は何も言えねぇわな」

 

「それに……今私の体の中には、レイさんの血が流れているのです。ふふ、貴方を愛している者にとって、これ程誇らしい事もありませんもの」

 

 すると、シャロンはいつの間にやら隣の椅子に腰かけてレイの肩に甘えるように頭を乗せる。

 メイドではない、「シャロン」の行動だ。紅茶を飲む手を止め、レイも首を傾けて文字通りシャロンと寄り添う。―――と。

 

「ん……お前少し熱い……風邪、じゃねぇな。もしかして呪力の過剰励起か?」

 

 呪力を扱い始めた頃にはよくある光景であり、余程深刻ではない限り体調に影響はない。

 だが、体調を崩した際に気分が落ち込むのと同じように、この状態に陥ると普段毅然としている人物ほど……心を許している存在に大胆になる事がある。

 

 かく言うレイも、《結社》で呪術の修行を本格的に始めた頃にソフィーヤに対して過剰に甘えた時もあり、それは今でも《鉄機隊》の中では有名な語り草となっている。

 

「まぁ問題ねぇだろうが、今日は早めに寝ちまえ。寮の最後の確認は俺とサラでやっておくからよ」

 

 気を利かせて軽く頭を撫でながらそう言ったが、シャロンはレイの首にか細い腕を絡ませ、そのまま自分を案じる言葉を漏らしたその唇を奪った。

 

「っ―――」

 

「ん……んっ……ふぅ。―――行ってしまうのですか? 酷い人」

 

 耽美な声色。艶めかしい息遣いに、レイの顔も無条件で熱を帯びる。

 

「火照ってしまって仕方がないのです。……私の愛しき方、今宵はどうか、この熱を鎮めていただけませんか?」

 

「……っは。鎮めるどころか燃え上がっても文句言うんじゃねぇぞ」

 

「それこそ望むところです。今度こそ、今宵こそ、私の全てを貴方に捧げてみせましょう」

 

 

 その声は、これまでにない程に―――彼女(シャロン)の全てを現す言葉であった。

 

 それ以上の言葉の交わし合いは無粋であると言わんばかりに、二人の距離は再び、零になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 はいどうも。本日「うたわれるもの 二人の白皇」をクリアした十三です。
 初めてですよ。ゲームでマジ泣きしたの。映画ノゲノラで泣いた時以来ですね。神ゲーでしかない。

 はい、というわけでシャロンさんの幕間は以上です。うん? 引きがR-18に繋がりそうだって? そうですね、多分いつか書きますよ。多分。ここでは「昨夜はお楽しみでしたね」って事で。

 というかシオンを出したのも相当久し振りな気がする……ガレリア要塞編以来ずっと各国を飛び回っていたからなぁ。

 そして次は何だか人気が高いリディアちゃん中心の幕間ですね。奔放な上司しかいねぇ彼女の胃は果たして持つのだろうか……。



PS:FGO二部クッソ楽しみなんですけど。

 


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夜の帳で剣王は謳う 前篇






「憎むなとは言わん。ただ己を捨てた復讐などするな。貴公が失った友に対してそうであったように、貴公を失えば儂の心には穴があくのだ」

                by 狛村左陣(BLEACH)








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――世界が、灰色に見えていた。

 

 

 

 生きているという事、そのものが億劫だった。

 

 生きているという事がこんなにも辛いのなら、いっそ死んでしまいたいと何度も思った。

 

 

 日曜学校でシスターは言っていた。「善き行いを積み過ごせば、いずれは女神さまがいらっしゃる天界に行くことが出来るでしょう」と。

 

 ならば、()()()はどうする。

 

 

 

 ―――わたしから母様(ははさま)を奪ったアイツらはどうなる。

 

 ―――母様がいなくなった後、我が身可愛さにわたしを売り飛ばした強欲なアイツらはどうなる。

 

 ―――わたしを殴って、蹴って、いたぶって嗤っていたアイツらはどうなる。

 

 

 

 

 ……わたしは、思った。

 

 もし、アレを、アレらを。

 

 罪科の海の底の底に、泣きも笑いも出来ぬ昏き深淵の彼方に追いやれるのならば―――わたしは煉獄に堕とされても構わない、と。

 

 自分が味わった苦しみを全てあの人でなし共に弾き返す事が出来るのならば―――悪魔に魂を売っても構わない、と。

 

 

 ……だが、その望みを叶えたのは、女神さまでも悪魔でもなかった。

 

 

 

「……お前は、生きる事を諦めなかった、か」

 

 金色の剣を携えた男だった。

 多くの人間を斬ったというのに、その肌にも、服にも、一切の返り血は無かった。無論、男自身が流した血も。

 

「何を望む」

 

 力を、と答えた。

 だが男は、ただ黙した。そして何かを思い探るように遠くを見つめ、そしてしゃがみ込んで手を差し伸べる。

 

「これも奇縁か」

 

「元より、お前を救う事は命ぜられていた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()よ、力を求めるならば、俺の手を取れ」

 

 その声には憐憫と強さが入り混じる。

 だが手は取った。この男の言葉が、嘘であるとは思えなかったから。

 

 

「……小さい手だ」

 

 呟くように、そう言った。

 

 それが余りにも消え入りそうなそれだった為か、ここで漸く、男の顔を見ることが出来た。

 

 

「よく、生きていた」

 

 

 

 その髪は―――

 

 

 

 ―――灰色に染まった世界の中でも一層、輝く程に美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 ラクウェル、という街がある。

 

 

 西部ラマール州の州都、海都オルディスより東、ラングドック峡谷の狭間に隠れるように存在するこの街。

 ラマール本線の中継地点としてこの場所を知っている者も多く、またオルディスを訪れた観光客がもののついでにと此処を訪れる事も少なくない。

 

 壮麗と豪奢で彩られたオルディスがラマールの光を表すのならば、耽美と欲業で照らし出されたラクウェルはラマールの陰を表す存在。

 だが、陰が光に劣っていなければならない道理はない。

 

 現カイエン公―――クロワール・ド・カイエンは清貧ではなく華美を好む貴族であった。

 

 己が”持ち得る者”であるからこそ、吝嗇家であるのは恥であると公言できる貴族であった。

 

 

 だからこそ、この街は発展した。人間の欲望を詰め込んだ夜の箱庭。老いも若きも身分も関係なく、この街には多種多様な人間が集まってくる。

 一夜の快楽を求める者、巨万の富を得ようと息巻く者、何もかもを喪って流れ着いた浮浪者。

 

 海都の煌びやかさに辟易し、刺激を求めて来る者達が、満足するも破滅するも運命次第。

 賭場(カジノ)でダイスを振るも、どの娼婦の腕を取るも同じ事。―――要は夜の快楽は、対価なしでは味わえないという事だ。

 

 面白い街だ、と人は言う。

 怖い街だ、と人は言う。

 怠惰な街だ、と人は言う。

 

 

 この街を楽しむには度胸と対価が必要で。

 この街に入れ込むには器量と矜持が必要で。

 この街で暮らすには、本能と理性を均衡に保つ意思が必要で。

 

 この街で生き残るには―――自分が持ち得る”ナニカ”を犠牲にし続けなければならない。

 

 

 峡谷都市、という名はそう呼ばれなくなって久しい。

 この街を訪れる者達は、皆一様に別の名前でこの場所を評する。

 

 夜に輝く幻蝶の如く淡く輝く場所。

 

 ―――歓楽都市ラクウェル、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 リディア・レグサーにとって不幸だったのは、この任務を半ば強制的に引き受けざるを得なかったことだろう。

 

 ルーレまでは一緒に行動していたルナフィリアも、東部でやる事があるからと別行動を取っており、つまるところ貧乏くじを引かされたのが彼女であったというだけの事。

 

 とはいえ、誰かが引き受けなければならない仕事であるのも事実。

 デュバリィ、アイネス、エンネアの三人はアリアンロードからの要請でクロスベルへと赴いており、ブルブランは基本的に行方不明。マクバーンは「怠い」とだけ言い残して人知れず何処かに行ってしまった。無論、ザナレイアが手を貸してくれるわけもなく……此処に至って《執行者》の面々に常識人など稀有である事が再度浮き彫りになってしまった形である。

 

 だが、組織である以上必ず最後は何処かに仕事は押し付けられる。

 その時に指名されるのは決まって、真面目で常識的な価値観を持っている人物だ。一応今回の直属の上司に当たるヴィータ・クロチルダより申し訳なさそうな苦笑交じりで今回の仕事を押し付けられたときは思わずその場で真横の壁を本気殴りしてしまったが、そんな彼女を一体誰が咎められようか。

 

 そう、その瞬間だけ割と真面目に「レイ・クレイドル(先輩)が《結社》に残っててくれたらどれだけ幸運だったか」などと、どうしようもない考えに逃げる程には心底面倒臭いと思っていたのである。

 

 

 

 まだサイズの合っていない、今は亡き師より貰った枯葉色のコートを今日も羽織って歩く。

 

 陽が傾き、導力灯と目に悪い程に強烈に輝くネオンが点灯してからが歓楽都市ラクウェルの真骨頂である。

 昼は一見真っ当に見える観光都市。しかし夜になれば一気に退廃的な雰囲気へと様変わる。

 

 ―――煽情的な服装と仕草で男を誘惑する水商売の女たちが出歩き、煙草と香水の匂いが入り混じる。

 ―――高級な導力車が我先にと高級クラブの入り口前に並び、今日も今日とて一時の遊戯を愉しもうとするギャンブラー達が下世話な話を飛ばしながら歩いていく。

 

 そんな「眠れぬ街」の中を闊歩しながら、リディアは何度目かも分からぬ溜息を吐き、気配を探っていく。

 だが、無意味だった。一流の武人ともなれば己の気配を断つのも一流。ましてやそれが”絶人級”ともなれば、”達人級”としては未だ未熟な自分がその気配の糸を辿ろうなどとは烏滸がましいだろう。

 

 ……一瞬だけ普通に尊敬しかかったが、そもそもあの人が姿を晦ませて博打に興じてさえいなければ自分がこんなにも面倒臭い事をしなくても済んでいるのだと思えば、やはり辟易の溜息が零れてくる。

 

「まったく……何処に居やがるんですかカグヤ様は……」

 

 《結社》第七使徒、アリアンロード直轄部隊《鉄機隊》の副長にして、主と同じく”絶人級”という武人の伝説的最高位に至った女傑。

 末席とはいえ若年で”達人級”階梯に至ったリディアを以てしても、相対せば1分持てば上々と思わせる規格外の人物だが―――清廉にして誇り高いアリアンロードとは対照的に、我欲に忠実な一面が特徴的である。

 

 特に無類の賭け事好きであり、今でこそ禁止されているが、昔は《執行者》などを相手によく金銭を巻き上げていたらしい、とはリディアも聞いていた。

 

 そして今、このラクウェルの何処かで飽きもせずにカジノ遊びに興じているであろう彼女を連れ帰れというのが、リディアに押し付けられた仕事だった。

 

 

 とはいえ、とは思う。

 

 リディア自身、ルナフィリアに「社会科見学」などという建前で一度だけ帝都ヘイムダルの歓楽街にあるカジノに連れて行かされたが、特に「スリルを楽しむ」などという事は無かった。

 スリルを楽しむまでもなく負け続けたとか、そもそもやる気がなかったという問題ではない。彼女にとってカジノのゲームの展開は()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 スロットをやれば、ほぼ確実に大当たり(ジャックスポット)()()()できる。

 ルーレットをやれば、ディーラーがボールを弾いた初期位置と回転盤(ウィール)の回転速度を見比べて、ストレートアップを難しくもなく当てていく。

 ブラックジャックをやれば、人並み外れた直感力と胆力で超過(バースト)直前までヒットし続ける。

 ポーカーをやれば、わざわざ揺さぶり(ブラフ)を掛けずとも、他プレイヤーの心情を読み切って優位な試合展開を維持し続ける。

 クラップス(サイコロ)は言わずもがな。どういう振り方をすればどのような出目が出るかなど、スロットの目押しと然程変わりはしない。

 

 彼女自身、”才能”の影響で異様なまでに覚えが早いというのもある。

 しかしそれ以前に、”達人級”の武人の動体視力、直感力がカジノ泣かせの原因だ。

 

 レイ・クレイドルはクロスベルで遊撃士をしていた際、こうした技量を尽くして裏稼業の調査などをしていた。

 しかしそういったものの中には、”決して負けることが出来ない”勝負などが珍しくもなく着いて来る。彼はそんな勝負での勝率を()()()1()0()0()()()()()()()、嘗てカンパネルラに習ったイカサマを磨き上げた経緯がある。

 

 だが、ヒトとしての感覚を超越した”絶人級”ともなれば、イカサマなどという小狡い手を使わずとも常勝不敗の賭け事を演じることが出来るだろう。

 

 東方の裾が長い着物と燃えるような炎髪を棚引かせ、口に銜えた煙管から悠々と紫煙を流しながら、口角を吊り上げて全てを見透かすように笑むのだろう。

 だが、波乱や想定外をも好むあの傲岸不遜な女傑が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ……恐らくは否である。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、愉しみ尽くす事だろう。

 それでも帝都やクロスベルの一流カジノを荒らしまくっていたのだから、怖ろしいものである。

 

 そして今、このラクウェルでも存分に愉しんでいる事だろう。……彼女(リディア)の気苦労などまるで知らずに。

 

 

「(とっとと見つけ出して帰らねーと……より面倒臭い事になりそーですねぇ)」

 

 一先ずは目ぼしいカジノを片っ端から探ってみようと、そう思って夜に差し掛かった道を再び歩き出す。

 するとその道中、ネオンの光すらも碌に届かないような路地裏から揉めるような声が聞こえてきた。

 

 とはいえ、この街で揉め事を見かけるのは日常茶飯事であり、一々気にかけていては身が持たない。だからこそリディアは”聞かなかった事”にして立ち去ろうとしたが……。

 

 

「なァ、オイ。分かってンだろ? お前のオヤジさんが俺らの金持ち逃げして消えたんだからよォ、お前さんに責任取って貰わなきゃいけねぇんだよ」

 

「いやな? 俺らも不憫だとは思ってるんだぜ? ガキのお前さんには何の落ち度もねぇからなァ。だが、俺らにもメンツってものがある」

 

「このままハイさようなら、ってワケにはいかねぇのよ。ボスの方もお冠でよォ、代わりに何か献上しねぇと俺らの首が物理的に飛んじまう」

 

「なァに、お前さんアレだ、アイツの娘にしちゃあ勿体ねぇくらいの上玉だしな。きっとボスも喜ぶだろうぜ」

 

 

 ―――ピタリと、足が止まった。

 

 

「……ふざけないでよ。アタシはあの男とは一切関係ない。親子の縁なんて、とうの昔にアタシの方から切ってる」

 

「関係ねぇんだよなぁ。お前さんをエサにしてアイツを誘き出すも良し、もしアイツが娘のお前さんを見捨てて逃げても、お前さんならボスを悦ばせられる」

 

「クソッタレ。姐さん達を侮辱するワケじゃないけど、アタシは捨て値の娼婦みたいな真似はゴメンだね」

 

 焦げたような赤色の髪を持った少女だった。

 歳の頃はリディアとそう変わりはしないだろう。吊り目と擦れたような振る舞いをしている所為で遊び好きのような見た目をしているが……強面の男数人に囲まれても意思を曲げようとしないところには歳不相応の強さを感じさせる。

 ……とはいえ、流石に声に多少の震えは滲ませていたが。

 

「……いいねぇ、気の強い女は嫌いじゃねぇよ」

 

「どうしますか、兄貴。ふん縛ってでも連れて行きますか?」

 

「まァそうだな、レオン、前に車付けてこい。……とはいえ、こうも強情じゃあ、このままボスの前に引きずり出すワケにはいかねぇなぁ」

 

「手持ちで質の悪いのしかないですが、ヤクでも打っときましょうか?」

 

「やめとけ。だが、そうだな……ボスは幸い()()()()()()拘るような人じゃねぇし、ちっと強姦(まわ)して大人しくさせとけ」

 

 他の強面たちとは違う、白いスーツを着込んだ男が放ったその言葉に、それまで気丈に振る舞っていた少女も体を強張らせたように見えた。

 

 見慣れた、という訳ではないが、男が女を意のままにするというのは珍しい事ではない。

 統治がしっかりと為された場所であれば、少なくとも人目が付く場所では起こらない事。だが世界というものは、そういった綺麗事の方が案外少ないものだ。

 

 ―――弱者は強者に蹂躙されるか、阿るか。

 どちらにせよ碌な事にはならない。それは今まで何度か目の当たりにして来たし……人間の悪意が表面化する暴力というものであるならば、それは()()()()()()()()()

 

 本来なら、深く関わってはならない。こういった事は、面倒事しか呼び寄せない。実際、リディアの近くを歩いている人々も、意図的に気付かないフリをしながら通り過ぎていく。

 

 

「はい、ちょーっと失礼しやがりますよー」

 

 だが、それでも。

 

 リディアは男たちが誰も気づかない速さで少女の腰と足を持って抱える。

 少女の方が背丈が高いというのに、ひょいと、まるで仔猫を抱えるかのような感覚で持ち上げて、周囲に居た男たちを睨み付けて牽制する。

 

 ……本来であれば、見た目だけならただの子供でしかないリディアに睨まれた程度で臆するような男達ではない。

 だが、その眼力には圧があった。”達人級”が発するそれの前に、文字通り蛇に睨まれた蛙状態になった男たちを尻目に逃走する。

 

「―――っ、テメェ‼ 待ちやがれ‼」

 

 数十アージュ離れてから漸く我に返ったらしいリーダー格の男がそう叫んだが、既に遅し。

 自分よりも小柄な女の子に”お姫様抱っこ”されながら猛スピードで連れ出されているという現実が未だに呑み込めずに呆けていると、いつの間にやら街の郊外―――居住区などが密集する場所までやって来ていた。

 

「……ま、ここいらで大丈夫でしょーかね」

 

 呟くようにそう言うと、リディアは地面に少女を下ろす。埃っぽい場所を走った所為で多少汚れたコートの裾を軽く払っていると、赤毛の少女が口を開いた。

 

「あ、えっと……助けてくれてありがと」

 

「お礼を言われるような事はしてねーですよ。あんなチンピラ紛いの連中から逃げおおせるなんて朝飯前ですから」

 

「……あれでも一応アイツら、マジモンのマフィアなんだけどねぇ」

 

 だが、一口にマフィアといってもピンからキリまである。

 その基準に照らし合わせれば、あれはキリに近い方の連中だろう。治安維持組織にマークすらされていない小物。”達人級”の一角とはいえ、然程気配を消してもいなかったリディアの姿を、赤毛の少女を抱えるまで視認できなかったのがその証拠だ。

 

「アタシはレイラ。この近くの、『デッケン』って食堂で働かせて貰ってるんだ」

 

「……そういえばそういった食事処もありましたねぇ」

 

 ラクウェルという街を下調べしていた際に見た覚えのある名前。「食事処」という名前を口に出したことで、リディアの腹が「くぅ」という小さな音を鳴らす。

 口を真一文字に結んだまま、赤面する。そう言えばできるだけ早く任務を済まそうと思い、ラクウェルに到着してから何も食べていなかったことを思い出す。

 

 そんな様子を見てレイラはキョトンとした顔を見せた後、思わずといった様子で吹き出した。

 

「お腹減ってるんだったら早くそう言ってよ。助けてもらったお礼に、奢るよ?」

 

「…………………………ご馳走になります」

 

 達人の一角でもある少女は、しかしそれでもプライドより三大欲求の一つに忠実になることを優先した。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

「美味しい……美味しいです‼」

 

「あっはっは。そう言って貰えると嬉しいねぇ。それだけ気持ちよく食べてもらえるなら、コッチとしても作り甲斐があるってモンだよ」

 

 パブも兼ねた食堂だからと腕前を疑ったつもりはさらさら無かったが、予想していた以上の美味しさに思わず言葉が出る。

 一流の料亭のような美味しさというよりかは、家庭料理の延長線上といったところだろうが、そういった味にはあまり馴染みがないリディアにとっては新鮮な味でもあった。

 

 割と本当に空腹だったリディアは用意された1ホールのミートパイと大皿に乗ったスパゲッティを十数分足らずで完食し、ふぅ、と満足げな息を漏らした。

 

「……お腹空いてたみたいだから結構な量を用意したんだけど、本当に食べきれるとは思わなかったわ」

 

 そう言いながら、レイラはすっかりと綺麗になった大皿を重ねて厨房の方へと戻っていく。

 

「あはは……すみません。私、そこそこ食べるほうでやがりますので」

 

「気にしなくていいよ。寧ろこのくらいの食べっぷりなら作った方も気持ち良いもんさね。……それに、ウチの大切な従業員を助けてくれたんだ。お礼としちゃ足りないくらいさ」

 

 『デッケン』の女将、モーリーはそう言って微笑む。その言葉に含みがあったのは勘付いたが、しかし敢えてリディアはそれには触れなかった。

 リディアとしてはこれ以上この件に踏み込むつもりはなかったし、レイラとしてもただの通りすがりであっただけの自分にこれ以上詮索されるのは煩わしいだけだろうと、そう思っての判断だった。

 

「しっかし珍しいねぇ。アンタみたいな可愛い女の子が一人でラクウェルに来たのかい?」

 

「かわ……え、えぇ。ちょっと、人を探していて」

 

 そこではたと気付く。食堂兼パブという、人の出入りが多いこの場所の主である女将であれば、もしかしたらカグヤの居場所を知っているかもしれないと。

 

「モーリーさん、ちっと訊きたいことがあるんでやがりますが」

 

「? なんだい。アタシが知ってることなら答えてあげるよ」

 

「えっと、最近この辺りのカジノや賭博場を荒し回ってる赤髪で東方風の女剣士……知りません?」

 

「…………エラく特徴的な人だねぇ。その女の人がアンタの探し人かい?」

 

「えぇ……はい。絶対にラクウェルに居る筈なのに見つからねーんでやがりますよ。あンの人ぁなーんでこう、姿を隠すのが上手いんだか」

 

「赤髪、東方風の衣装、剣士……うーん、そういった外見の人の話は聞かないねぇ。ラクウェルは土地柄色々な国の観光客が出入りするけど、流石にそんな特徴的な人間が出入りしてりゃ噂の一つくらいはアタシの耳に入ってきそうなモンなんだけど」

 

 実のところ、そういった反応が返されるのは予想の内ではあった。

 リディアはそもそも、カグヤの事を外見の特徴だけで探り当てようとは思っていなかった。モーリーの言う通り、カルバード共和国の東方人街であればいざ知らず、帝国の歓楽街で羽織を棚引かせている姿など本来であれば目立って然るべきなのだ。

 

 恐らくは、己から滲み出る気配を可能な限り希薄にしているのだろう。それこそ、武を齧っていない者から見れば一般人とさして変わらない程度に見える程度には。

 そこまでして賭博に興じていたいのかと叫びたい気持ちを胸の内にしまう。

 

 もう嫌だ。面倒くさい。いっそ「見つかりませんでした」という報告だけして帰ってしまおうかとも思ったが、彼女の生真面目な性格がそれを許さない。

 もう少しだけ粘ってみるかと半目になりながら思っていると、厨房に行っていたレイラが戻ってきた。

 

「どう? 満足してくれた? ……あ、えーと」

 

「……そういや私の名前をまだ言ってねーですね。リディアです。私の方が年下でしょうし、呼び捨てで構わねーですよ」

 

「んじゃあ、よろしく。リディア。それでさ、ちょっとお願いがあるんだけど……いんや、取り引き、って言った方がいいかな?」

 

「?」

 

「さっきの話、ちょっと聞いたよ。アンタの探してる人の情報、アタシもダチの伝手を使って集めるから―――その間だけ、アタシを守ってくれないかな?」

 

「それは……あのマフィアどもから、って事でやがりますよね」

 

 そう再確認すると、レイラは一つ頷いた。

 

「会ったばかりのアンタにこんな頼みをするのも虫のいい話だってのも分かってる。だからアンタの都合が悪ければ聞かなかったことにしてくれてもいいし、アタシとしてもそんなに長期間護衛を頼むつもりはないからさ」

 

「……私はカグ―――その人の居場所さえ分かりゃ後は別にどーでも良いですが、レイラさん、貴女はいつまで奴らから逃げ回れば良いんで?」

 

 問題は、そこだった。

 身を潜めるにしたって、この然程広いわけでもない街の中に居ればいつかはバレる。関係を断ちたいのであれば、それこそ別の街にでも逃げるのが一番手っ取り早い。

 だが聞く限り、レイラはその手段を取るつもりはないようであった。

 

「アタシ一人が逃げたところで、アタシが関わった人達に迷惑かかるだけだからね。どっかに雲隠れだけして自分一人だけ助かろうなんて、そんな不義理な真似はできないさ」

 

「…………」

 

「だから、クソ親父が何処に行ったかを突き止める。アイツらもそれさえ分かれば、アタシみたいな小娘への興味なんて消えるだろうしね」

 

「それまでの時間稼ぎでやがりますか。でも、私が役に立つかなんて、そんなの分かんねーですよ」

 

「分かるよ。アタシも一応この街の住人だからね。お忍びで来てる猟兵とか見てると、なんとなく分かるんだ。―――アンタ、相当の手練れなんだろう?」

 

 その評価に対して、リディアは頷きもせず、さりとて否定もせず、ただ食後の一杯として出されたコーヒーを黙って啜った。

 

 ラクウェルという街の独特な雰囲気は、そういった要因も関係してくる。

 混沌とした場所だからこそ、猟兵団のような普段は表に出ないような連中の駐屯場所としても使われる。リディアが探っただけでも幾らか、そういった雰囲気を漂わせる者達は確かにいた。

 

 とはいえ、一流クラスの猟兵団であれば、任務でもない限り一般人(カタギ)に絡むような愚かな真似はしない。この件に関してはノーマークでも良いと判断していた。

 

 しかし、リディアとしても時間を潤沢に使えるわけではない。”作戦”の時間は刻一刻と迫っているし、その時に間に合わなければ合流を優先しろとの命令も受諾している。

 だが、一度関わってしまったからには区切りがいいところまで付き合うのもまた義理というものだろう。少なくとも彼女は、師からはそういう風に教わっていた。

 

 どうしたものかと悩んでいると、レイラははっとしたような顔になって声をかけてきた。

 

「ごめんね、急にこんな話してさ。今日はもう遅いし、ウチで泊まって、返事は明日でいいから、ね」

 

 そう言うとレイラは、申し訳なさそうな顔をしたまま再び仕事へと戻っていく。

 はて、そもそも宿泊施設ではないこの場所に泊まってもよいのかと、主であるモーリーに訊くと、「空き部屋はあるから好きに使って頂戴」というお許しは頂けた。

 

 しかしまぁ、随分とサバサバとした女性だなと、リディアは改めて思った。

 どことなく遊び人のような雰囲気を最初は感じたが、『デッケン』で接客や皿洗いなどをこなすその姿は真面目そのもので、必要以上に悲観的にならず、自分がこれから成すべきことをしっかりと考えている。

 そして、リディア・レグサーという人間の力量をあの一時だけで計り、「自分を守ってくれるに足る存在」だという事を見抜いた上で護衛を頼み込んでくる強かさもある。―――正直自分が関わらなくてもどうにか出来てしまうのではないかと思うほどには。

 

「急に色々あってアンタも疲れただろう? コーヒーの後で申し訳ないけど、コイツも飲むかい?」

 

 そうして、モーリーが持ってきてくれたホットココアの入ったカップにも口をつける。

 コーヒーとは違い、ふんわりとした生クリーム入りのチョコの味にゆっくりと舌鼓を打っていると、不意に穏やかな声が下りてきた。

 

「すまないね、あの子が色々と頼んじまって。……でもまぁ、悪くは思わないでおくれ」

 

「……モーリーさんは、事情を知ってるんですか?」

 

「まぁね。あの子の両親が、まだ物心つく前のあの子を連れてこの街に流れてきた時からの知り合いさ」

 

「流れてきた、という事は以前は別の国に?」

 

「あぁ。十数年前に帝国に流れてきた、ノーザンブリア移民団の一員だったのさ」

 

 ―――その国の名前を聞き、リディアの双眸が一瞬だけ細められた。

 ピリッとした緊迫感が刹那の間だけ漏れ出て、しかしそれを自覚した彼女自身によって鎮められる。

 

「ノーザンブリア、ですか」

 

「そう。アンタも聞いたことくらいはあるだろう? 26年前、未曽有の”大災害”に遭っちまった国のことくらいは、さ」

 

 

 七耀歴1178年7月1日午前5時45分―――旧ノーザンブリア公国首都ハリアスク近郊に突如として出現した《塩の杭》を発端として広がった《ノーザンブリア事変》。

 「触れれば忽ち塩に変貌する」という謎の存在に蝕まれたノーザンブリアは、事変直後に国の王であるノーザンブリア大公が他国に亡命した事で急速に存亡の危機に陥った。

 

 元より自然の恵みが豊かとは言い難い北国を襲った不幸は、多数の餓死者と凍死者を出す未曽有の大災害を引き起こした。

 26年が経った今でも自治州となったその土地の復興は為されているとは言い難く、外貨の取得を猟兵団《北の猟兵》の働きに頼らざるを得ない状況である。

 

 その為、難民として他国に逃れる者も少なくなく―――事実レイラとその両親はそうしてエレボニアへと流れついたのだろう。

 

 

「……あんま聞いちゃいけねー事だとは分かってますが、その、レイラさんのお母様は……」

 

「元々、体が丈夫じゃなかったみたいでね。此処に流れ着いてから少しして、流行り病で逝っちまったのさ」

 

 移民”団”という体裁は取っていたと見えるが、その実は恐らく難民がバラバラに最低限纏まって押し寄せてきただけなのだろう。

 基本的に難民の扱いというのは難しいものであるため、大国であっても表立って多くを受け入れようとはしない。東方の移民を多く受け入れたカルバード共和国であっても、その政策が現在に至るまで問題の火種となっているために近年は移民の受け入れを断っている有様だ。

 

 恐らく彼女の両親も、帝国の色々な場所を彷徨い歩いた果てに、このラクウェルに辿り着いたのだろう。幼い娘を育てる場所を渇望して。

 

「あの子の父親も……良い男だったんだよ。嫁と、娘を何より愛していてね。嫁が逝っちまった後は、娘を男で一人で育てていたのさ」

 

「でも聞く限りでは、お父様はマフィアの一員であったよーですが」

 

「……色々と危ない橋を渡っちまってたみたいでね。アタシも詳しくは知らなかった。知った時には、もう遅かったのさ」

 

「…………」

 

 リディアは、それから数分黙った。

 普段の彼女であれば、そのお人好し具合が変な方に働き、何だかんだで快諾していただろう。後腐れのない、後悔のない選択をこそ、彼女は好むのだから。

 

 だがそんな彼女が、すぐに答えを出すのを渋った。彼女の胸のうちに眠る複雑な感情が、了承を止めていた。

 レイラの力になってやりたい、とは思っている。彼女に協力することでカグヤの居場所を掴む手掛かりになるのなら、尚の事受けるメリットはある。

 

 しかし―――それでも―――……。

 

「(いや……レイラさんは()()()()()()()()()()()()())」

 

 リディアはその言葉を脳内で反芻し、深呼吸を一回すると、接客を終えたレイラを呼び寄せた。

 

「引き受けます。レイラさんは私の探し人の情報を集め、私はレイラさんの護衛をする。それで問題ねーですね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、レイラに連れられてやってきたのは、入り組んだ裏路地を進んだ先にあった一軒のバーであった。

 バーといっても、一見の客が入れるような場所ではない。それは格式が高いというわけではなく、むしろその逆だ。

 

「んぉ? おー、レイラじゃねぇか‼ オメェ最近見なくなったからとっくにどっか行っちまったかと思ってたぜ」

 

「久し振り、サルーダ。アンタまだココの表番やってたの?」

 

「まぁな。こんなガタイだからよ」

 

 荒れた外見の店の前に立っていた、2アージュ近い大男にフランクに話しかけたレイラは、その流れでリディアの方を振り向いた。

 

「あ? 何だこのガキ。ココはガキが来て良い場所じゃねぇぞ」

 

「あ”?」

 

「おおぅ……割とドスの利いた声も出せるんだねアンタ。サルーダ、彼女はアタシの知り合いさ。ちっこくても、マフィアの奴らから軽く逃げ切れるレベルには手練れだよ」

 

「マジかよ……ま、オメェがそう言うんなら信じるがよ」

 

 悪かったな、と、全身の至る所にタトゥーを入れた色黒の大男が謝ってくる様は中々驚けるものであり、そのギャップに免じて自分をガキ扱いしたことは許した。

 とはいえ、外見の恐ろしさで言えば先達の《執行者》―――《痩せ狼》ヴァルターと比べればまだまだであったが。

 

 そうしてレイラは、重々しい鉄の扉を開け、建物の中へと入る。

 目に悪そうな照明がいくつも輝き、耳が割れんばかりの音量の音楽が反響しているその様は、典型的なまでの不良グループの巣窟といった有様で。しかし一瞥した限りでは人道に反した行為に手を染めている者はいない。明らかに未成年の人間が昼間から酒を呷っているのを見逃せば、だが。

 

 レイラが向かったのは体裁を保っているバーカウンターの奥。そこで肩肘を突きながら琥珀色の液体が入ったグラスを弄ぶ青年の下。

 レイラがその青年に近寄って一言二言声をかけると、怠そうにしながらも立ち上がり、リディアが待つ場所へと歩み寄ってくる。

 

 恐らくはこの青年がこのグループのリーダーなのだろうなと思いながら近寄ってくる青年の姿を凝視し―――そして目を見開いた。

 

「んぁ? ンだよ、俺の顔に何か付いてんのか?」

 

 

 

 その青年の髪の色は見間違えようもなく―――亡き師の髪色と同じものであったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 お久しぶりです、十三です。
 長らく投稿できずにいて申し訳ありません。以前投稿したときに「次はリディアの話をしまーす」なんて調子こいていたことを、一体誰が覚えていらっしゃるのでしょうか?

 4月末に祖母が急死し、ドタバタしながら葬式を済ませ、そしたら大学1年から連れ添ったノートPCがぶっ壊れ、先日漸く新しいPCを買う事ができました。
 いやぁ、4月の忙しさナメてましたね。入ってきた新人君たちは思っていたよりも覚えが早かったので助かりましたが、自分の仕事が増えたのが辛い。2年目は怖いですね。


 この調子だとこの小説がⅡに入る前に閃Ⅳが出るなコリャ……イヤベツニ公式設定ガ欲シイッテダケデワザト遅ラセテイルワケジャナイデスヨ?

 と、ともかく次もリディア回です‼ なるべく早く投稿できるよう努めさせていただきます‼ ところでリディアのイメージCVがどう足掻いても悠木碧さんになる僕でした‼



PS:アキレウス出なかった(*´Д`)



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夜の帳で剣王は謳う 中篇





「うむ。悲しいが、悲しいだけだ。それとはまた別のところに喜びもまたあった。
人生とは無意味と有意味のせめぎ合いだ」

    by 臥藤門司(Fate/EXTRA CCC)







 

 

 

 

「この度は《執行者》へのご就任、誠におめでとうございます」

 

 そう言って、目の前の侍従長は恭しく、優雅に深々と頭を垂れた。

 

 同性の目から見ても、美しいと躊躇いなく言える所作。

 腰まで伸びた、僅かな乱れもくすみもない一級品の黒耀石(オブシディア)にも劣らない黒髪。一点の染みも乱れすらない侍従服に包まれたその肢体は、服の上からでも”人間の女性”の黄金比をなぞっている事が分かる。

 

 異性であればその女神の如き美しさに目を惹かれざるを得ず。

 同性であれば嫉妬の感情さえ抱くのが馬鹿らしくなる容姿に憧憬の念を抱く。

 

 しかしながら彼女は、蠱惑的な香りを滲ませる女主人でも、男の欲望を駆り立てて受け止める娼婦でもない。

 ”仕える者”―――その極致に存在する人物。ただそこに佇んでいるだけで神代の彫像もかくやと思わしめるほどに”完璧”である女性に恭しく出迎えられる事に不快感を覚える人間はそうはいないだろう。

 

 

 だがリディア・レグサーは、不快感こそ抱いてはいなかったものの、一種の畏怖は感じ取っていた。

 

 

「……頭を上げてもらえませんかね、リンデンバウム様。私は、貴女に頭を下げられるほど上等な人間じゃねーですよ」

 

「ご謙遜を。《盟主》様に見出され、《使徒》様方に認められるまでになられた貴女様に対して礼を尽くさないとあらば、(わたくし)の鼎の軽重が問われるというものですわ」

 

 その言葉には、確かにリディアに対しての敬意がある。

 表面上のものだけではない。侍従が主の客を丁重にもてなす際のそれと同じく、彼女の一挙手一投足全てには礼節があった。

 

 ―――しかし、彼女はただの侍従ではない。

 《執行者》の末席を担うことを許され、”達人級”という武人最高峰の名誉を与えられたリディアでさえ、()()()()()()()()()()()()()()―――そう直感してしまう存在。

 

 

 《鉄機隊》、《処刑殲隊(カンプグルッペ)》と並び、《結社》最強戦力の一つと謳われる《盟主》直轄の親衛隊。

 11名の()()()()による守護・遊撃機構《侍従隊(ヴェヒタランデ)》。それらを束ねる《侍従長(セフィラウス)》こそこの女性―――リンデンバウムである。

 

 

「……私は生憎自分の地位が偉いなんて思ってねーですよ。《盟主》様麾下の実行部隊とは言え、所詮はただの戦闘しか知らねー小娘です」

 

「謙遜も過ぎれば卑下となりましょう。貴女様がご自身の立場をご理解されないという事は、即ち《盟主(グランドマスター)》のご判断が()()であるという事。―――()()()()()()()()

 

 瞬間、全身が捩じ切られたかと錯覚するほどの殺気がリディアの全身を襲った。

 一瞥の視線を向けたその瞳は底冷えするほどに冷たく、”達人級”に至ったリディアが数秒間は動けなかった程である。

 

「―――失礼致しました。一介の侍従の身で過ぎた言葉を」

 

「……別に気にしちゃねーです。それよりもリンデンバウム様こそ、《盟主》様の傍回りなんて名誉を頂いてるんですし、もうちょっと胸張ってもいいんじゃねーですか?」

 

(わたくし)はそのように在る為に生まれた存在。そして(わたくし)の意思でもあります」

 

 ピシャリと、けんもほろろであるかのようにリンデンバウムはそう言った。

 従者としてのあるべき姿を体現している彼女が別の顔を見せたのは、《執行者》の中では彼女から”メイド業”の手解きを受けたシャロン・クルーガーくらいのものだろう。

 

「寡聞な聞き回しの言葉で誠に申し訳ございませんが、《執行者》は”あらゆる自由”が許された役職。リディア様もいずれ、ご自分がなさりたいと思う”事”を見つけなさるでしょう」

 

 レオンハルト様がそうであらせられたように―――彼女のその言葉に、リディアは内心で歯噛みした。

 

 結局は師の死に立ち会えなかった弟子失格の自分がそんな言葉をかけてもらえる資格などないとでも言いたげに。

 死に顔を見る事さえままならなかった。何せ息を引き取ったのが遥か上空に顕現した空中古代都市の中。崩壊に巻き込まれた後、その死体は発見できなかったという。

 

 彼の命を奪った下手人が《使徒》の一人であるゲオルグ・ワイスマンであったと聞いた時は、普段生真面目で目上の人間に対しては礼節を以て接するリディアが珍しく怒気を露わに叫び倒した。

 何がなんでも、どんな手を使ってでも、その後に自分がどのような醜い死に様を曝そうとも―――必ず《白面》ゲオルグ・ワイスマンを殺してみせると。

 

 だが、その目論見は呆気なく潰えた。

 ワイスマンもまた、崩壊を始めた空中都市の中で死んでいた。死体も残らず、塩の欠片と化して散っていた。

 その死を悼む者はいなかった。アリアンロードは自業自得と蔑み、ヴィータ・クロチルダは死んで当然とも言った。イルベルト・D・グレゴールはただいつものように嗤っていたが。

 唯一、《盟主》だけは悔い、悼んだ。それを以て《使徒》第三柱への追悼は終わったのだ。―――彼を死ぬほど殺したかった少女の憎悪を置いてけぼりにしたままに。

 

 心の中に燻ぶった激情は―――しかし彼女を否応無く()()させてしまった。

 嘗ての先達、レイ・クレイドルがそうであったように。若くしてその境地に至る者は、何かしらの禍々しい異常を抱えるものだと練達した武人は言った。

 それが認められてか、或いは《剣帝》の後釜を見込まれてか、リディアは《執行者》の一員となった。

 

 与えられたNo.はXⅦ。司るは”希望”。

 

 リディアは自嘲した。一体自分に何を求められているのかと。

 彼女の第二の人生は師であるレーヴェによって齎され、作り上げられた。

 ならば、自分のすべきことなどただ一つ。

 

 

「私の為すべき事はただ一つ。師の遺志を継ぐ事だけ。―――それ以外に興味などありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

「ッハ、面倒なことに巻き込まれてんな」

 

 アッシュ・カーバイドは、レイラから事の次第を聞いた後、ただ一言そう言った。

 

「オマエの親父が仕事を貰ってたトコロってんなら、グリベリアファミリーの奴らだろ? とっととこの街から逃げた方が早ぇと思うがな」

 

「って、言いますと?」

 

「奴ら、最近そこそこ腕の立つ用心棒を雇ったらしい。虎の威を借りて小賢しい狐がイキってやがるってことだ」

 

 アッシュの言う通り、『グリベリアファミリー』と呼ばれる、この街には珍しくもなく存在している中規模程度のマフィアの一つは、ここ数か月、ラクウェルという場所を舞台に手広くシマを拡大しつつあった。

 本来、中規模程度のマフィアが親組織でもあるファミリーを出し抜いて事業を拡大するというのは、普通ではない。

 それを成すだけのカネか、カリスマか、或いは周囲を黙らせるだけの武力を有しているか―――恐らくはグリベリアファミリーが下克上じみた行動に移った理由は最後の事柄が深く関係しているのだろう。

 

「あぁ、それ俺も聞いたぜ。何でもグリベリアの事務所に押し掛けた『ラポス商会』と『黎明会』の連中を一人でノしたヤベー奴だって」

 

「『ハーミット』のジュリア姐さんが言ってたわよ。2ヶ月前に、共和国の方から流れてきた”猟兵あがり”らしいわ」

 

「おいおい、共和国方面で”準達人級”のヤベーのを抱えてる猟兵団なんて限られるだろーが。『黒月(ヘイユエ)』から流れてきたヤクザ者って方がまだ信頼できるぜ」

 

「どっちにしろこのままじゃいられないっすねぇ……『レネグアファミリー』か『ギリゲムナ連合商会』辺りが猟兵団雇って……また戦争っすかぁ?」

 

 気付けば、周囲に散らばっていたグループの仲間たちがリディア達の会話に口を挟んでいた。彼ら彼女らは、まるで意見交換でもするかのように自分たちが聞いた情報を包み隠すことなく口に出している。

 

 それにしても、とリディアは思った。この街で”つまはじきもの”として生きているであろう彼らは、実に色々なことを知っていると。

 無論、彼らを侮辱するつもりも軽薄するつもりもない。ただ、今現在街に出入りしている猟兵団の名前や領邦軍が立ち寄る頻度、怪しい動きをしているマフィアの種類や、果ては国籍不明の諜報員の情報まで、噂程度であるとはいえここまで筒抜けになっているという事に初めて、この街の強みを知った。

 

 都市というのは、猥雑になればなるほど、治安が不安定になればなるほど、情報が漏洩、拡散しやすくなるものだ。

 ひょっとすれば《結社(自分たち)》の事も噂程度にはなっているのかもしれない―――そんな事を思っているといつの間にかリディアの方をアッシュが見ていた。

 

「何か?」

 

「俺としちゃあテメェの事も気になるんだがな。チビっ子、テメェ何が目的でレイラに手を貸した」

 

「チビ……っ⁉ 初対面の人間に、それもレディーに対して随分な言いようでやがりますね」

 

「ハッ、女扱いしてほしいならせめて背丈と口調を何とかしてからにしろや、チビっ子」

 

 いつもなら、「チビ」などと言われた程度では噛みついたりしないリディアも、目の前のガラの悪い青年に対してだけは苛立ちを募らせる。

 女らしくない、という事に関しては彼女自身も自覚しているし、そもそもそれを磨こうとも思っていない。ヴィータなどにはよく「磨けば光るのに、勿体ない」などと言われているのだが、そもそれを研磨したところで武人としての強さに何か影響があるのかと思ってしまう。

 

 しかし、憧れがないのかと言えば、なくもない。

 良く世話になった《鉄機隊》の、例えばエンネアなどは”達人級”の武人でありながら女性としての美しさもしっかりと併せ持っている。

 両立できないことはない。だが、不器用な自分には過ぎた望みだと半ば諦めているのが現状ではあった。

 

「ちょーっと背ぇ高いくらいで調子乗ってんじゃねーですよ()()()。その身長物理的に縮めてやりますよ?」

 

「お前煽り耐性低すぎだろ。そう言うところがれレディーと程遠いって言ってんだよ」

 

 そう言ってアッシュは、バーの方でグラスを傾けていた、扇情的な服装をしたグラマラスな女性を指さす。

 

「せめてあの程度は色気纏ってから言うんだな」

 

 その明確な”女”の差にリディアが何も言えずに不承不承といった体で押し黙っていると、流石にからかいが過ぎていると思ったのか、室内にいた派手やかな女性陣がむくれた様子のリディアを可愛がり始める。

 そのスキンシップにレイラも加わって少し経った後、漸く話が本題に戻った。

 

「……んで、何が目的かでやがりましたか。単純な話です。人を探してるので、その人の情報を報酬に、ですよ」

 

「この街で人を、な。そいつは骨の折れる話だ。一夜限りの流れ者も含めて、何人が出入りすると思ってやがる」

 

「ここいらのカジノや賭博場を荒し回ってるであろう人でやがります。―――こういった場所ならそんな情報も回ってくるのでは?」

 

 確定的な情報がなくとも、断片的なものならば入手できるだろう―――そう思っていたリディアであったが、その目的はアッシュの失笑によって打ち砕かれた。

 

「ハッ、さてはテメェ、”遊び”そのものは知ってても”遊び人”の事は知らねぇクチか」

 

「……何か違いが?」

 

「その探し人がどうだかは知らねぇがな、こういったクソッタレな場所で遊び惚ける”プロ”には二種類いる。()()()()()()()()()()()()()と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 そして、彼は後者の方だという。

 だが、リディアとしては納得できなかった。あれほどの豪放磊落な性格の人が、ひっそりと勝つためだけに博打をするだろうか、と。

 

 ―――否、もし前提が違っていれば。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()を眺めて愉しんでいるのならば、敢えてそのような楽しみ方をする理由もある。

 

「お前の思惑通り、この街で派手な遊び方をしてる奴の情報は俺ンとこにも入ってくる。レイラが世話になった礼にそれを教えてやるのも良いが、生憎とお前が望むような情報はねぇだろうな」

 

 ここ数週間、敢えて派手に遊び回る人間の情報はない、と。アッシュはそう断言した。

 無論、リディアにその言葉を鵜呑みにする義務はない。虚偽の情報である可能性はあるし、情報を出し渋っている可能性もある。……彼にそれをするメリットはないが。

 

「どうしたチビッ子。これでお前がレイラに力を貸す理由はなくなったわけだ」

 

 そう言われてハッとなる。確かに、目の前の男から情報を得られない以上、これから先レイラを護衛する意味もなくなる。

 チラリとレイラを見ると、少しばかり不安そうな表情をしていた。それとは対照的に、こちらの返事を窺うかのように不敵に笑うアッシュの表情が非常に気に障る。

 

 ―――あの人なら、そんな表情はしなかった。

 

 先程からガラにもなく苛立っている理由も、なんとなくは分かっていた。

 その珍しいアッシュブロンドの髪が、どうしようもなく、レオンハルト(師匠)と被ってしまうのだ。

 だからこそ、師と対照的な粗暴な言動に苛立ってしまう。別人だという事は重々承知だとは言え、師のイメージが崩壊していくような身勝手な感覚が記憶を蝕んでいくのが怖いのだ。

 

「……ナメんじゃねーですよ、木偶の坊。生憎、乗り掛かった舟から途中下船できねー性格でしてね」

 

 理由は()()()()()()()()

 だが、そういった性格であるのもまた事実。伊達にカンパネルラから散々損をしそうな性格だとからかわれた訳ではない。

 どの道、カグヤを見つけ出さなければ帰れないのだ。無為に捜索を続けるよりずっと良い。

 

 すると、アッシュは一瞬だけ驚いたかのような表情を見せ、しかしその直後に再びニヤリと笑った。

 

「ファリア、エリン。レイラを控え室に連れていけ。少なくとも丸一日は強制的に寝かせておけよ」

 

「はいはーい、りょーかい、ボス」

 

「レイラちゃん、ちょっと目の下にクマできてるじゃない。はいはい、ベッドに縛り付けてでも寝かせるわよー」

 

「え、ちょ、一人で歩ける、一人で歩けるから‼ だから、ちょ、どこ触って―――」

 

 呼ばれた二人の女性にセクハラ紛いの行為をされながら連行されるレイラを憐れみを込めた目で眺めていると、不意にアッシュから放られた紙片をキャッチする。

 開いてみるとそこには、この街のとある地点の番地が記されていた。

 

「そこに、アイツの父親がいる」

 

 その言葉に、リディアは僅かばかり目を見開いた。

 

「本来なら俺たちが何とかするのが筋なんだがな。……まぁアイツの人を見る目は割とマジだ。チビッ子、お前も放り出さねぇって言ったからには、付き合ってもらうぞ」

 

「構わねーですよ、木偶の坊。それで? そっちは何をするつもりで?」

 

 やや挑発気味にそう言い放つと、アッシュはカウンターに頬杖をついたままの状態でカランとグラスの中身を鳴らした。

 

「コッチはコッチで、やらなきゃならねぇ事があるんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 その男は、特別何かが優れているわけでも、見目が麗しいわけでもなかった。

 ただの一般家庭の長男として生まれ、ごく普通の青年期を過ごし、ごく普通に大人になり、そして知り合った女性と数年の付き合いを経た後に結婚した。

 

 彼は普通であったからこそ、それ以上を望まなかった。国外貿易の仕事に就いていた彼は、しかし出世欲はあっても誰かを蹴落としてまで成り上がろうとは思わなかった。

 ただ一心に、愛する妻と、いずれ授かる子供に対して誇れる存在でありたい。子が大きくなった時に、自慢の父親であると、そう思ってもらいたいと。

 

 彼の願いは、そのままであれば成就するはずであった。その愛情が原動力となり職場でも高評価を貰い、平凡な人生を送るはずだった。

 

 

 ―――しかし、とある一つの”神罰”がその予定図を大いに狂わせた。

 

 

 26年前の《ノーザンブリア事変》。突如としてノーザンブリア首都バリアスク近郊に、天を衝く巨槍の如き”塩の杭”が出現したその時から、彼の人生は一変した。

 元々中小国であったノーザンブリアは、革命により自治州となったその時から終わることのない貧困に喘ぐこととなる。

 最終的に国家元首を追放した国の信頼は底辺に落ち込み、塩の杭によって国土の3割が死滅、人口の3分の1が死に至るという西ゼムリアの長い歴史の中でも類を見ない大災害となった。

 

 男と妻は何とか生き延びたものの、勤めていた仕事場は倒産。職を失い、貧しい生活を余儀なくされた。

 最初の数年はその日食べるものにも困る有様だった。その後、知り合いの伝手でどうにか働き口を見つけて、仮初ながら安定した生活を享受できるようになった矢先―――彼は娘を授かった。

 

 事変以前から「子供が欲しい」と常々言っていた男の望みを妻が叶えた形になったのだが、彼は嬉しい反面、罪悪感も抱いていた。

 我が子に普通の幸せを与えてやることができない現状。それでも彼は、この場所で必死に家族とともに生きて行こうと誓った。平凡でしかない自分だが、それでも家族を守り切ることぐらいはしてみせる、と。

 

 だが彼は、その誓いを揺らがせてしまう。

 

 

 娘が生まれて数年後の事だった。彼が街中を歩いていると、拘束具と鎖によってまるで奴隷のように地面に這い蹲っている少女に対して、大人たちがこぞって石を投げていたのだ。 何故そんなことをしているのかと男がその集団の中の一人に問うと、彼は狂気を孕んだ声で言った。「この子供は公家の血を引いた者だ‼ 悪魔なんだよ‼」と。

 

 公家―――即ちかつてのノーザンブリア公国を治めていた国家元首の血筋。事変当初にあろうことか真っ先にレミフェリアに亡命し、それに怒りが爆発した国民がクーデターを起こす切っ掛けになった一族。

 なるほど確かに、ノーザンブリアの民が怒りを向ける理由にはなっている。この国がこうなったのは貴様らの責任だと、そう罵倒する偽りの権利はある。

 

 しかし男は、その光景に恐怖を覚えた。

 見ればその少女は、自分の娘と同じか、少し幼いかくらいの年頃だ。公家の血を引いているのだとしても、彼女が何か、彼らの怒りの琴線に触れることをしたわけではあるまい。

 否、そうだとしても―――こんなボロボロの衣服を羽織っただけの少女に対して人が思いつく限りの罵倒を浴びせ、石を投げつけ、あまつさえ直接暴力を加えるような、そんな狂気に満ちた場所になってしまったという事実に、男は絶望した。

 

 結局その騒ぎは、見かねた元正規軍―――《北の猟兵》の指揮官の一人が止めに入ったことで終息した。だが、男の不満は消えはしなかった。

 確かに自分たちは貧困に喘いでいる。あの塩の杭が出現したことで、全てが変わってしまった。

 その不満は常に燻ぶり続けている。今回のように何か尤もらしい不満のぶつけ場所があれば、鬱屈している者達はその感情をぶつけ、そうでない者も周囲の狂気に煽られてその輪に加わる。

 

 駄目だ、と思った。

 この国は、既に”終わって”しまっている。元正規軍を中心とした猟兵団が外貨を稼ぐことで何とか最低限の体裁は保っているが、それでも理不尽な搾取は存在するし、冬になれば必ず少なくない餓死者が出る。

 立ち直ることがあるのだとすれば、それこそ根本的なところから―――例えば()()()()()()()()()()()()()()()()()根底から覆されなければならないだろう。

 そうすれば戦争になる。今度こそ、家族を守れなくなる。そう思ったからこそ、男は妻と娘を連れて亡命した。

 

 幸いにも、移民団のようなものはあった。行き先はエレボニア帝国。

 難民を多く受け入れているカルバード共和国とは異なるものの、しかし選択の余地などはなかった。

 とはいえ、難民を二つ返事で受け入れてくれるような場所は少ない。家族は帝国各地を転々としながら、最後にある場所に辿り着いた。

 

 歓楽都市ラクウェル。そこに生きる者たちは退廃的な面があるものの、知り合った店の女主人は男の置かれた境遇に同情したのか、住む場所を紹介してくれた。

 漸く腰を落ち着ける場所を見つけ、後は職を見つけるだけだと奮起しようとした矢先―――妻が倒れた。

 

 元来、頑丈と言うわけでもなかった。かと言って病弱というわけでもなかったから失念していたのだが、彼女の体には、これまでの綱渡りのような旅は負担に過ぎたのだ。

 男は後悔した。一時の感情に身を任せて国を出てしまったことを。あの国でもまだ、何かできたことはあったかもしれないのに。

 しかし妻は、そんな夫を叱咤した。

 

「私はあそこから連れ出してくれたあなたに感謝してる。あの子に、滅びゆく国を見せたくはなかったから」

 

 その判断は間違ってなかった。自分は絶対にあなたを恨まないし、自分と娘を愛してくれたあなたを、私も愛しているから、と。

 ―――そう笑顔で言った翌日、彼女は亡くなった。

 

 

 

 ―――その男は、特別何かが優れているわけでも、見目が麗しいわけでもなかった。

 ただそれでも、ただ一人残された娘を守るために躍起になることくらいはできた。

 

 なりふりは構っていられなかった。日雇いの仕事は元より、多少危険な橋であっても渡った。

 そうしてラクウェルという場所に体が馴染み始めたころ、たまたま立ち寄った喫茶店で怪しい男が声をかけてきた。

 

「貴方にとって悪くないお話だと思いますよ? 守秘義務さえ守っていただければ、安定した金額をお約束しましょう」

 

 それは、所謂”運び屋”の仕事であった。

 内容は単純で、中身の分からないトランクケースを所定の位置に運ぶことだけ。人から手渡される事もなく、人へ手渡す事もない。

 怪しい仕事だという事は勿論分かっていた。だが、報酬として支払われる金額は確かに魅力的であり、男はその仕事に手を染め続けた。

 

 娘の養育費と生活費に充ててもなお余るその金を、しかし男は酒や賭博に回すようなことはなかった。

 酒に溺れず、女に溺れず、煙草の一つすら嗜まない。この街の人間にとって男の生きざまはさぞ窮屈そうに見えたことだろう。

 しかしながら、男はそれで満足していた。成長した娘が思春期になるにつれて素っ気ない態度をとるようになり、不良の仲間たちとつるむようになっても心配はしていなかった。

 

 例え自分(父親)を嫌うようになっても、娘の性根は真っ直ぐである事が分かっていたからだ。

 彼女が自分の手から離れるようなことがあれば全力で寿ごうと思っていた。直接的ではないとはいえ、良からぬことに手を染めている自分の下に、いつまでも居続けるべきではないと。

 それが彼なりの愛情であった。子をいつまでも縛り付けることが正しくないことを理解していた。

 

 そしてそろそろ運び屋家業からも足を洗おうかと、そう思うようになった矢先―――その偶然は起きてしまった。

 

 その日も、いつもと同じように中身不明の大きめのトランクケースを運んでいた。

 とある路地裏の一角。複数ある受け取り場所の一つであるゴミ箱の中からそれを回収し、何事でもない様子を装って街の目立たない場所を縫うように歩いて、そしてまた複数ある受け渡し場所の一つにひっそりとケースを置くだけ。

 変わらない職務を淡々とこなしていた途中、男は足元の不注意で転倒してしまい、それに伴って放り出してしまったトランクケースの留め金が外れ、中身が露出した。

 

 遵守しなければならない契約内容の一つに、「搬送物の中身について一切詮索はせず、また見る事もしてはならない」というものがあった。

 人並みに真面目であった彼は、運び屋の職業を始めてからその契約を一切破ることはなかったし、或いはだからこそこれまで生き残ってこれたともいえる。

 しかしその時は運が悪かった。飛び出してしまったケースの中身が、転んだ男の目の前に転がってきてしまったのだ。

 

 それは明らかに非合法のものである白い粉。

 それは一瞬で人の命を奪うことのできる武器。

 それは布でくるまれた人の腕。

 それは用途が分からない謎の滑らかな金属の部品。

 

 それらを視界に収めた瞬間、男は恐怖した。

 考えようとしたことはある―――考え至ることはしなかったが。

 自分が運んだ”それら”が、自分の与り知らないところで他者を傷つけ、他者を狂わせ、他者を死に至らせているという事実を。

 今まで考えないようにしていた罪悪感が、一気に噴出する。そうして彼は逃げた。

 逃げて、逃げて、逃げて―――しかし彼は置いてしまっていたものを思い出し、引き返す。

 娘を一人にしてはならない。たとえ彼女がもう自分を必要としていなくとも、最後に彼女の顔を一目見たい。

 

 だがそこで、男は漸く自分が”追われている”事に気が付いた。

 しかし、振り切ることには慣れている。数年に渡って運び屋家業をしていた脚力と土地勘は伊達ではなく、容赦なく自分を殺そうとしてくる黒服の集団を幾度も撒いた。

 笑えないことに、自分は与り知らぬところでとあるマフィアの構成員となっており、その組織のカネを持ち逃げしたという”理由”で殺しに来ているらしい。

 

 逃げてしまえばそれで終わりだ。逃げて他の街へ。彼らの手が届かない場所へと。

 

 ―――出来るわけがなかった。誰よりも娘を愛していた彼が、愛娘にも危険が及ぶこの状況で尻尾を巻いて逃げ出せるわけがなかった。

 逃げ続けている最中で弾丸が体をかすっても、もう手遅れかもしれないという最悪の状況を幻視しそうになっても、それでも彼は諦めなかった。

 

 

 とある廃屋となった家の一角。路傍に打ち捨てられたゴミのように息を整える男。

 後どれくらい機を窺えばいい? 後どれくらい走り続ければいい? 後どれくらいで、娘を助けることができる?

 整わない思考を巡らせている最中、ギシリ、と目の前の木床が鳴った。

 

 ……気付けば目の前にいた、という表現が一番正しいだろう。

 まるで虚空から現れたかのように、その少女は男の眼前で憮然と佇んでいた。

 

 腰まで届く、手入れは最低限の、しかし美しい金髪(ブロンドヘアー)。小柄な体躯に相応しくない成人男性用の枯葉色のコートを羽織り、しかしその翡翠色の双眸は彼女がただの少女ではないという事を何よりも雄弁に語っていた。

 蛇に睨まれた蛙、という表現は聊か正しくはないだろう。彼女は男を睨んでいるわけではない。ただ悠然と、見定めるかのように見下ろしている。

 

 そこに、殺意も敵意もなかった。だというのに、男が言葉を発することは叶わなかった。

 何か目に見えない強制力に押し込まれているような感覚。絶対的な”ナニか”に晒されているような感覚。

 

 しかしその力を問う前に、彼女は眼を閉じた。同時に思い違いだったかと言わんばかりの溜息も添えて。

 

 

「何をしてやがるんですか、貴方は」

 

 言葉遣いは乱暴であった。だが、そこに人を苛立たせる色はない。

 何故か、どことなく育ちの良さを感じさせるような口調。

 

「娘さんに、レイラさんに会いたいんでしょう? ならとっとと会って、危ない目に遭わせた事を謝って、二人揃ってとっととどこへなりと逃げてくださいよ」

 

 その言葉に対して、男は漸く口を開いた。娘は無事なのか、と。

 

「危ねーところでしたが、無事でやがりますよ。ラルナ地区の路地裏を行った先にあるバーと言えば場所は分かりますか?」

 

 男は頷いた。少し前まで、娘がよく出入りをしていた場所だ。不良の巣窟のようだが、あまり悪い噂は聞かない。

 ただ単につまはじき者にされた若者たちが集って、酒を飲みながら過ごすだけの場所。そういった場所にはお決まりのような、マフィアやヤクの出入りもない。

 

 しかし、そこには行かないと言った。

 娘が無事であるならば、彼女一人で逃げることはできる。それくらい強く育ってくれた。

 ならば自分がすべきことは、娘が逃げおおせるまで囮として奴らを引き付けることだ。

 その結果自分が死んだとしても、悔いはない。父親として最後の使命を果たせるならば、命くらい捨てられる。……それが親というものだ。

 

 だがその言葉を聞いた瞬間、少女の表情が歪んだ。そして、男の胸倉を掴み上げる。

 

 

「なに―――馬鹿な事言ってやがりますか‼」

 

「娘を守れるなら死んでもいい⁉ そんだけの覚悟があるんなら、何で二人で逃げようとしねーんですか⁉」

 

「娘に会うのが怖いんでしょう? 手を握ったとき、その手を振り払われるのが怖いんでしょう? ―――何ちゃんちゃら可笑しい事ほざいてやがりますか‼」

 

「生きて、親の責務を果たすんですよ‼ 死んで責務を果たすなんてくっだらねー事考えてる暇があったら、これからどうやって逃げるかだけ考えるんですよ‼」

 

 そう叫ぶ少女の姿は、何も知らない男から見ても必死だった。

 親として在るべき姿を、自分より分かっている……否、()()()()()()()()()()()のか。いずれにせよ、自分にそれが理解できるはずもない。

 ただ一つ言えることは、彼女の言葉は―――男の心の底に沈みこんだという事だ。

 

「……ようやっと吹っ切れたみてーですね」

 

 少女はそう言って、微笑んだ。

 しかしその笑顔はどこかぎこちなかった。吹っ切れたかと言ったのは彼女の方だというのに、彼女自身は何かを抱えたままであるかのようであった。

 

 その違和感を口にする前に、男は廃屋から軽く蹴り出された。少女はこれ以上自分の顔を見るなと言わんばかりに男の体を押し出し、男もそれに応えた。

 走り出す前に声に出したのは感謝の言葉。それを受けた少女はただ一つの頷きを以て返してきた。

 

 不思議なことに、先程まで乱れっぱなしであった呼吸もいつの間にか整っていた。

 考えることはただ一つ。―――生きて、父親としての責務を果たす事。

 どれほど情けない父親であったのだとしても、それだけは絶対に譲れないことだから。

 

 

 ―――その男は、特別何かが優れているわけでも、見目が麗しいわけでもなかった。

 

 それでも、父親としては誰よりも強かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 ふぅ、と一つ息を吐いて、リディアは昏くなり始めた空を見上げた。

 

 先程までの自分の言動を顧みて、乾き始めた唇をそっとなぞる。

 そこまでする義理などなかった。彼の言う通り、レイラは一人で逃げられるだけのポテンシャルは持っている。彼が自ら進んで囮になるというのなら、逃げられる可能性は上がる。―――リディアが求めたのはその結果だけで、今更二人の間の親子関係など考慮する必要はなかった筈だったのだ。

 

 だが、リディアは彼を送り出した。

 胸倉を掴み上げ、発破をかけ、父親としての矜持を奮起させて。

 

 ……眩しかったのだろう、と思う。同時に羨ましくもあった。

 

 彼女は自分の父親の姿を見たことがない。見た事はないが、母親共々捨てられたのは知っている。

 臆病な父親だったのだろう。優しい母は最期の最後まで彼の事を決して悪くは言わなかったが、それでも夜中に一人で泣いているのを見た事があった。

 

 父親とは如何様に在るべきか。彼女自身、それを思わなかったかと言えば嘘になる。現に先程の彼女の言葉はそれを表したものだったのだから。

 

 リディアが思うよりも、あの男は強かった。腕っぷしの実力ではなく、心が。父親として最後まで娘の幸せを願い、それによって生じる自らの身の危険性すらも顧みず、守り通そうとする意志。

 それを滑稽と嗤う程の外道ではない。だが、ただ純粋に美しいと思えるほど、リディアの心は素直ではなかった。

 ()鹿()()()()()、と。そう思ってしまったからこそ、彼女はあの場で激昂したのだ。

 

 その自己犠牲は、残された者の心を考えていない。否、考えすぎているからこそ見落としている。

 レイラは父親に対して辛辣な事を言っていたが、それでも本心から嫌っていないのはすぐに分かった。聡明な彼女の事だ。父親と対面すれば、きっと憎まれ口くらいは叩くだろうが、最後はきっと共に行くことを選ぶだろう。

 だが、そう決意する時に隣に父親がいなかったら彼女はどうなる? それを想像するのは容易で、容易すぎるからこそ、リディアはそれを許容できなかった。

 

 もし彼が、娘よりも己の保身を考える男であればそう思わなかっただろう。この街で欲に溺れた男であれば、そもそも会おうとすら思わなかったはずだ。

 

 何せ、彼は()()()()()()()()()だ。それも、国が崩壊した当時とその後の荒廃期を知る人間だ。

 それは、それだけで()()()()()()()()()()。レイが未だにそうであるように、彼女もまた幼いころに根付いた復讐心を胸の内に抱き続けている存在だ。

 それを嗤う者を、彼女は決して許さない。復讐は良くないなどと、知ったかぶったような口振りで諭す輩も大嫌いだ。

 

 リディアは許しはしない。

 自らと最愛の母親を捨てた父親を、あの日、自分を見下し、人間のように扱わなかった者たち全てを。

 

 

 ……だが、今回ばかりは彼女はそれから目を逸らした。

 例え一時の関わりであったのだとしても、彼らを見捨てるのは義に背く。敬愛する師からは、そのように振舞えと言われたことは一度もない。

 

 故に、彼女はそこに立ったまま離れなかった。段々と近づいてくる複数の足音を聞きながら、その視線を戻す。

 

 

「なんだぁ、嬢ちゃん。お前さんもその廃屋にいる奴の知り合いかぁ?」

 

「ちょうどいいや、おいガキ、その中にいる男を渡しな。さもなければテメェから先に痛めつけるぞ」

 

「この前レイラの奴には逃げられちまったみてぇだからなぁ。この際このガキでも良いか?」

 

「そりゃいい。よく見りゃちんちくりんだが、出るとこは出てるみたいだしな‼」

 

 少なくとも20人以上はいるであろう男たちの下卑た言葉に、しかしリディアは一切反応しなかった。

 

 この世界は押し並べて非情だ。力弱き者は力強き者に蹂躙される。自然界がそうであるように、否、それ以上に醜い。

 弱者を甚振って嘲笑する者がいる。強者の庇護下にいるだけで己の力を過信する者がいる。人を人と思わないことを疑問に思わない者がいる。

 反吐が出るほどに汚い。そしてその世界に在って、自分だけが清らかなままだと己惚れてもいない。

 

 復讐に身を焦がす自分は、やはり例外なく醜いのだ。その為に力を欲した自分は、武人として何かが間違っているのかもしれない。

 

 だが―――だが、それがどうしたというのだ。

 振るわなければならない時に振るえぬ力などに、何の意味があるのだという。

 

 

「……()()()()、《パラス=ケルンバイダー》」

 

 瞬間、時空が裂けてリディアの手に一振りの剣が握られる。

 黄金の剣身が薄暗い空間に光る。小柄な少女が構えるには大振りすぎる剣に、しかし男たちはただならぬ気配を感じて動きを止めた。

 

「私の間合いに入るのなら、最低でも死ぬ覚悟くらいは出来てるんですかね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





誠に申し訳ございませんでした(開幕土下座)。
前作投稿が5月9日。この投稿が7月1日。実に2ヶ月もの間投稿できなかったことを平にお詫び申し上げます。

いや、仕事が忙しくなった事とか、疲れもあって体調が慢性的に芳しくなかったとか色々とあったのですが、話を捻り出すのに時間がかかりすぎました。

このリディア・レグサーというキャラ。義に厚い性格をしていながらも、正義感に極振りしているキャラではありません。だって《執行者》だからね。
でも清濁併せ呑めるほど成熟はしていない。そんな彼女の成長を描くのもこの作品の内容の一つだと思っており、この作品の第二の主人公でもあります。

だからできるだけ良い感じに書こうとしてこれだけの時間がかかってしまい、そして時間に見合った話になったかどうかも分かりません。ついでにまだ続きます。

御贔屓にしてくださっている方には、もう少しお付き合いいただければと思います。



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夜の帳で剣王は謳う 後篇






「相手のために死ねないのなら、私はその人を友達とは呼ばない」

              by 羽川翼(化物語シリーズ)








 

 

 

 

 

 

 アッシュ・カーバイドという青年が持つ才能は、有体に言って稀有なものであった。

 

 身体的ポテンシャルに恵まれ、戦闘におけるセンスも併せ持つ。咄嗟の判断力、先読みの戦略眼も粗削りながら有し、何よりはみ出し者達を纏め上げるカリスマ性は生半可なものではない。

 例えば彼が現Ⅶ組の生徒の一員であったならば、彼は誰よりも早く”達人級”の領域に辿り着ける才能を持つ人間という事で、レイ・クレイドルは彼をひたすら鍛え上げた事だろう。

 

 とはいえ、彼がその才能を開花させたのは、育ての親が死んだ後の事だった。

 このラクウェルは、親を持たない子供が一人で安穏と生きていけるほど平和な街ではない。しかし彼は、義母亡き後はそれをやってのけて見せた。

 

 一匹狼的な気質を持ちながら、しかし自分を頼り、仲間と認めた者に対しては面倒見が良いという一面もある。

 そうした性格と何事にも屈しない強靭な精神が、同じ境遇の若者を惹きつけていた。人を殺すことに長けたプロが跳梁跋扈するこの街で、何者の下にも着くことなく生きてきた。

 

 怖いもの知らず。そう呼ばれて久しい彼であるが、唯一―――そう、唯一心の底から恐れた人物がいる。

 これからどのような生き方をしようとも、アレよりも恐ろしい人間とは会うことはないだろうと、そう思わしめた人物。

 

 

「ふむ、研磨どころか削りさえ入れられておらぬ原石か。才を持つがゆえに天狗となった狂犬は珍しくないが……否、貴様のそれはちと違うか」

 

 

 その女は、奇異だった。

 色々な人種が入り混じるラクウェルという街において、それでも珍しい東方の服を着流した長身の女性。夜の街でも目立つ赤髪を揺らし、銜えた煙管から紫煙を燻らせるその姿は癖のある放浪人にしか見えなかった。

 

 しかし女は、その外見の珍妙さとは裏腹にラクウェルの街を行き交う誰にも()()()()()()()()()()()()()()()

 ”ただそこに、人間がいる”。その程度にしか思われていないし、彼女自身、それが当たり前であるように振舞っていた。

 

 だが、何故だかアッシュだけは彼女を正しく認識できていた。

 カジノで遊び、酒を飲み、愉しみ尽くす異邦人の姿を。ゆらゆらと、まるで陽炎のようにいつの間にか人混みに消えてしまう彼女の事を。

 

 今でも若いアッシュだが、当時は更に若かった。今のように俯瞰するような判断力もなく、不良の中にあって噛みつく事こそが正義であると勘違いしていた頃の事。

 

 最初はただの興味本位であった。自分こそがラクウェルの主であるであるかのように振舞うその女がどういった存在であるのかを知りたいだけであった。

 

 しかし、その目論見は失敗に終わる。

 女を追って路地裏に入った先で彼は、女にただ一瞥されただけで地を蹴り、拳を振り上げていた。

 最初は本当に、戦う意思など無かった。無かったのだが、何故か安い挑発を受けたかのように、彼の身体は一瞬で戦闘態勢に入っていた。

 一方で女は、アッシュが何の躊躇いもなく拳を振り上げてきたことに一瞬だけ口角を吊り上げ、しかし次の瞬間には冷たい石畳の上に叩きつけられていた。

 

「む? ふん、成程、貴様の()()か。貴様の内に眠る()()が儂を()()()()()のだとすれば是非も無し」

 

「ッ―――テメェ、何だ‼ 何を言ってやがる‼」

 

「なに、儂が言わずともいずれ分かるだろうよ。貴様が()()を飼い慣らせる傑物であるとは思えぬが……口惜しき事よ。あの馬鹿弟子がおらねば、我が剣を継ぐのは貴様であったかもしれぬな」

 

 それは、女にとっては最大級の賛辞であった。アッシュの才を見抜き、彼女がただ唯一継承者と認めた少年と同程度の才があると。

 だが勿論、アッシュには何を言っているのか分からない。それでも女が持つ底知れない”力”の一端を察し、小指の一本たりとも動かすことができなかった。

 

「小僧、眼前の事柄に惑わされているようでは三流ぞ。強くなりたくば、強さを”力”のみと捉えるでない。でなくば今の貴様のように、彼我の実力差も見極められずに―――遠からず死ぬぞ」

 

 何を、と一瞬思った。

 こういった掃きだめの中にあって、まず何よりも優先されるのは力だ。そうでなければ生き残れない。

 

 だが奇しくもそれは、女の一番弟子である少年が嘗て師に面と向かっていった事と同じである。

 所詮この世は、強くなければ生き残れない。弱者は強者に食われて死ぬ。弱く在り続けることは罪なのだと。

 

 しかしそれでは何れ破滅すると、女は言った。

 弱肉強食は確かに世の理だ。しかし強者が弱者を一方的に蹂躙し、自己顕示のために庇護という名の支配をする―――世はそう単純ではないのだと。

 ”力”のみを求めた存在は、何れ必ず何処かで足を踏み外す。それが正義だと疑わなくなれば猶更だ。

 そうなれば後は、弱者を一方的に見下す存在が出来上がるだけだ。そしてそういった者の最期など、決まって酷く醜いものである。

 

 女は武人だ。それも武術の最奥の、人が行き着く最果てのその先に足を踏み入れた者だ。

 普段はそれらしく、常人には理解しがたい破天荒な行動を取ることが多いが、だからこそ彼女は、才を持つ武人には善く在って欲しいと願っている。

 何故ならばそれは、彼女が得ようとしても得られなかったモノだからだ。ヒトとして正しく生きるなど、彼女にとっては生まれた時から不可能だったのだから。

 

 

「励め、若き戦士よ。貴様の内に眠るモノがどうであれ、その才は本物だ」

 

「貴様が何れ動乱を齎す火種になったのだとしても、揺るがぬ信念、強き心を持っていれば―――その慟哭を聞く者が必ずいる」

 

「力に溺れるな。己の才を過信するな。弱きを曝すのも強きを隠すのも罪ではないが……身の程を弁えず蛮勇を繰り返すは大罪ぞ」

 

 

 だが、彼女の言葉は一方的に投げられるものだ。

 

 彼女は才ある者に”そう在って欲しい”と思うことはあれど、”導く”事は不得手である。

 ただ己の意思を述べているだけ。それをどう捉えるも、どう思うもその人間次第。嫌われようと好かれようと、彼女にとっては至極どうでもよい事であるからだ。

 

 そしてアッシュはそれを聞いた。聞かざるを得なかった。

 その女の言葉を聞いて、脳内で反芻せねばならないと心の奥で理解していた。自分は弱いのだと、それを飲み込まなければならなかった。

 

 更に同時に悟る。自分という器では、人生で如何程の鍛錬を積もうとも、生涯この女に叶うことはないだろう……と。

 それを瞬時に理解し、腑に落とす事が出来るという点に於いても、確かにアッシュ・カーバイドは稀有な人間であった。

 ただし、それは彼が諦めが良い人間であることを指しているという事とイコールにはならない。

 彼は底知れずの負けず嫌いだ。そうでなければ、このラクウェルで何者にも屈さず、従わず、徒党を組むことなどありえない。

 

 つまるところ彼は、自分が与り知らないところで()()()を切り替える事に長けた人間であった。

 高い自負心と凶暴性を併せ持った狂犬の如き一面と、常に自身や周囲を俯瞰し、客観的に判断を下す理知的な一面。

 それら二つが上手い事噛み合うことにより、本来多種多様な人生を経験した辣腕な人間が意図的に切り替えるそれを、生来併せ持つという特殊性を得ていたのである。

 

 今までそれが出来ていなかったのは、単にその才を”咲かせていなかった”だけの話。

 ここに至って初めて”圧倒的な力量差”というものを知った彼は漸く、誇るべき才能を自覚できたのである。

 

 恐らく然るべき師に師事すれば『理』に至ることすら可能であろう人材。

 しかし彼女はその才を拾わなかった。それが惜しいことを充分過ぎるほどに理解していながら。

 

 彼女の全てを継承するのは()()()()。嘗て薄暗く、冷え切った牢獄で命を拾った少年だけ。

 どの才を拾い、それ以外の全ての才を捨てるか否か―――長く永い時を生きた彼女にとっては、それも運命の一端でしかない。

 

 

 そう、つまり。その邂逅は()()()()()()()()()()()のだ。

 この二人が出会うという極小の可能性が引き合わせたというただの事実。互いに教えたつもりもなければ、教えられたつもりもない。

 

 だが、この出会いがこの後のアッシュ・カーバイドという人間を作り上げるきっかけの一つになったというのもまた―――認めなければならない事実だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 アッシュという人間の、敵か味方かを判別する判断材料はひどく単純だ。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()()()()()()

 安っぽい正義感で動くわけでもなく、かと言って味方であろうとも無条件で切り捨てられる非情性があるわけでもない。

 そういう意味では不器用であるともいえる。彼は自ら己の中の善悪を狭めることで、守るべきものとそうでないものを振り分けているのだから。

 

 だからこそ今回、彼が動いた理由も単純である。

 

 レイラという少女を、彼は好ましく思っていた。異性として愛情があったという訳ではなく、その人間性をである。

 彼女には克己心があった。最初は父親が帰らない寂しさをグループに依存する事で埋め合わせていただけであったが、そこから脱却しようと努力する根性があった。

 だからこそ、バーに入り浸らなくなった彼女を問い詰めることはなかったし、このまま自分の居場所を見つけられるならそれで良いとも思っていた。

 

 そんな彼女が、自分が招いたわけでもない窮地に陥って再び自分たちの所に戻ってきた。

 その事実だけで、アッシュだけではなく、彼の下に集う者達の考えは決まっていた。

 仲間を追い詰めた奴らを許すな―――仲間を貶めた奴らを許すな。目には目を、歯には歯を。対抗できるだけの条件が揃った今、彼は虎の威を借った狐を狩る事に何の躊躇もなかった。

 

 無論、ただ闇雲に動いたわけではない。

 勝算はあるとはいえ、相手はれっきとしたマフィア。ただの不良集団である自分たちが全てを壊せるわけもなく、何も手を打たなければ報復に遭うことは火を見るよりも明らかだった。

 

 だから、()()()()()()()()

 『グリベリアファミリー』を敵視する大規模マフィアの幹部に秘密裏に、今まで探った情報を流した。彼らも『グリベリアファミリー』の昨今の動きを無視できないようになっている以上、”戦争”が近いことは確実であった。

 

 だが、一つ不可解なことがあったとすれば、高ランクの猟兵団すら雇える財力のある大型マフィアファミリーを相手にしてもなお、『グリベリアファミリー』は生き残る算段があったという事だ。如何に個人戦闘力が高い存在を用心棒にしようとも、戦争屋である猟兵団が数の暴力でかかれば、弩級の化け物でない限り封殺される。

 まさか、その程度のリスクを計算できないほど愚かではないだろう。だとするならば、かなり大きな後ろ盾を用意しているという事になる。

 そしてその後ろ盾は―――恐らくレイラの父親が見てしまったという”荷物の中身”に関係する事であり、その件が片付けば、戦争の火蓋は切って落とされてしまう。

 

 だからこそアッシュは、各所との交渉を終わらせた後、自ら得物を手に取った。

 悪知恵が働く悪友や、腕に覚えのある仲間たちと共に、アジトであるバーを急襲しようとした連中を迎え撃った。

 迎え撃つのが重火器であったのだとしても、碌に明かりもない路地裏、そして自らの庭も同然の場所であれば、充分に戦える。

 とはいえ、仲間たちに多少の恐怖感があったことは否めない。そんな彼らが躊躇うことなく戦えたのは、偏に先頭に立ったアッシュの影響だろう。

 

 しかし彼にとってみれば、この程度は恐怖の対象ですらなかった。

 放たれる弾丸が体を穿つ恐怖より、あの時感じた殺気の方が余程恐ろしい。故に、()()()()()()()()()()()()()()()()という自負心が今のアッシュを形作っている。

 ……考えてみれば運が悪かったとも言える。”彼女”よりも鋭い殺気を放てる者がいるのだとしても、普通の人生では決してお目に掛かることはない。そんなものを基準に考えてしまえば、高々チンピラに毛が生えた程度の存在に恐れを為せという方が無理な話だ。

 

 結論から言えば簡単な仕事だった。

 軍人のように連携を学んでいない奴らを瓦解させる事などそう難しくはない。罠に嵌め、不意を突き、早々に何人か潰してしまえば、後は烏合の衆と何も変わらない。

 そして恐らくは、男が潜伏していた廃屋の方に本命が向かっていたのであろう。ついで程度にしか考えられていなかったのか、バーを強襲しようとしていた連中は不利と見るや蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

 

 その様子を見て、思わず嘲笑じみた笑いを漏らしそうになったのは仕方がない事だろう。

 何せそのバーに、彼らが追っていた二人がいたのだから。セーフティールームに押し込んだ二人が今どのような話し合いをしているのかまでは流石に知らないが、恐らく悪い方向に転ぶまい。

 

 アッシュ自身、父親という存在が記憶にないが、それでもあの男にはレイラを護ろうとする強い意志と気迫があった。彼女も、それが分からないほど混乱してはいまい。

 

 

「んで、どうするよアッシュ。俺らの仕事なくなっちまったぞ」

 

 悪知恵の働く昔からの悪友―――ブラッドの言葉に、アッシュは鼻を鳴らす。

 

「サルーダ、ジョン、エルアスはこのままアジトを守っとけ。ブラッドはカタが付いたって情報を情報屋(ミゲル)経由で高く流せ」

 

「アッシュの兄貴はどうするんスか?」

 

 本来であれば既に、アッシュの為すべき事は9割方終わっていた。後は事後処理をバレないように済ませれば良いだけの話である。

 だが一応彼にも良心はある。断らないであろう事にかこつけて本命を回した。それを見届けるだけの責任はあった。

 

 面倒臭ぇ―――そう呟いた彼の口角が少しだけ上がっていたのを見た者は、誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 最初の数秒で9割方は沈んだ。

 

 その原因は殺気である。リディアが放ったそれが今まさに彼女に発砲しようとしていた男たちを襲い、一瞬で昏倒させた。

 ”達人級”同士の相対であれば挨拶代わりにしかならないそれでも、一般人に毛が生えた程度の連中が相手ならば戦闘不能にさせるに足りる。彼女が本気でひと睨みするだけで、全員が倒れて終わるはずだった。

 

「……あぁ、貴方が例の」

 

 バタバタと倒れる男たちの中で、一人だけ佇む男がいた。

 身長は2アージュに届くであろう巨躯。全身に刻まれた傷痕が素人ではないことを如実に表しており、何より発している覇気を見間違うほどリディアは雑魚ではない。

 両手には鋸状の刃がついた大型のバスターブレードが()()()。何も語らず、ただ真一文字に口を閉じたまま殺気を放つその姿は、確かに一流の猟兵を思わせた。

 

 聞いたことはある。カルバード共和国を根城とするA級猟兵団《赤枝の獅子》。嘗てそこで部隊長を務めながら、しかし部下を見捨ててまで戦い続ける戦闘狂さ故に幾度も舞台を壊滅させて追い出された狂戦士。

 

「《悪刹剛剱(テュルフィング)》、ヴァルドロス・アルター。……まさか中堅マフィア程度の用心棒になってるとは思わねーですよ」

 

 直後、ヴァルドロスの巨躯が動いた。

 その速さ、一切の乱れなく得物を操り、僅かの躊躇もなく首を刎ねる剣閃―――紛れもなく”準達人級”。情報に嘘はなく、そのままであればリディアを屠るに足る膂力であったのは間違いない。

 

 ()()()()()()()

 

 リディア・レグサーを相手にするには何もかもが足りない。殺気も、闘気も、ガレリア要塞で相対したあの二人(サラとナイトハルト)に及ばない。

 覚悟が足りない。自らの命を賭けて殺戮を好む、ただそれだけで殺れるほどリディア・レグサーの首は安くない。

 

 迫る凶悪な二振りの刃の軌跡も、彼女には蠅が止まっているかのような速さに見える。彼女の憧れの速さとは比べるのも烏滸がましく、ゆらりと《パラス=ケルンバイダー》を下段に構えた。

 

 そして、()()()

 

 残像を残して、彼女はヴァルドロスの脇を駆け抜けた。足に魔力を瞬間的に溜め、一気に解き放つそれを推進力にまるで流星の如く奔る。

 その技は、ルーレのあの夜に一瞬だけ見たものだ。《執行者》としての先達であるあの少年がリディアに追いつくために一度だけ見せた極限の歩法だ。

 しかし、()()()()()()()()()()()()()()()。それを習得するのに、二度は要らない。

 

 決着は、傍から見れば一瞬だった。

 ヴァルドロスが動き出してから、リディアが剣を一閃するまでにかかった時間は一秒もない。

 ヴァルドロスの剣は残像を切り裂き、リディアの剣は一条の血閃を描く。巨躯がズレ、上半身が石畳の上に転がるまでの時間の方が遥かに長かった。

 

 声も聴かず、うつ伏せに倒れたためにその表情も窺い知れないが―――多分笑って逝ったのだろう。

 リディアとしては、彼を救ってやったつもりは毛頭ない。今まで散々戦争とは関係ない命を奪って来たことに対する罰を与えたつもりもない。

 本来、武人の死合いの結末というのはこういうものだ。勝者が生き、敗者は死ぬ。平和な世では罪となろうとも、闇の世界では関係ない。

 

 しかし、リディアの胸に勝利の余韻があったかと言われれば否だ。虚無感すらなく、飛んでいる蠅を叩き殺した程度のものでしかない。

 

 

 思わず溜息を漏らしかけたその直前、背後から聞こえた足音に振り向く。

 

「おーおー、派手にやったなァ。チビっ子」

 

 人間の人一人から零れ落ちた肉と臓物と鮮血を目の当たりにしても、彼は動じていなかった。

 死を見慣れている。それそのものは不自然ではない。だがその詳細を聞くだけの権利も義務も、リディアにはない。

 

「私にできるのはここまででやがりますよ。……レイラさんの方はお任せします」

 

「そいつはもうどうにだってなる。しっかしお前、最後に会うつもりすらねぇって感じだな」

 

「二人に、言いたいことは言っちまいましたからね。これ以上口出しするってのも野暮ってもんでしょうよ」

 

「オイオイ、随分と冷え切った言葉だな。……ま、落としどころとしちゃ適当ってトコか」

 

 ヘラヘラと軽く笑うアッシュを見て、リディアは今度こそ溜息を吐いた。

 彼なりに責任を果たすために此処に来たのだろうが、それが終わった後であるならば何もすることはないだろう。

 彼女としては、師の面影を一瞬でも重ねてしまった目の前の不良青年に対して思うところは少しばかりあるが、それも違和感の範疇で片付けられるモノだ。義理果たしが終われば、これ以上関わる必要もない。

 

 踵を返すリディア。

 アッシュとしても、ここで彼女を引き留める必要はない。久し振りに同年代に近い、それも異性から”木偶の坊”だの”バカ”だのド直球に言われて面白かったのは否定しない。

 しかし、それだけだ。所詮は袖が触れ合った多生の縁でしかない。「そういう面白い奴がいた」程度に暫く記憶に残り、そして風化していくだけのものでしかない。―――その瞬間までは、そう思っていた。

 

 

 

 ―――彼の目に、その剣が映った。

 

 黄金に彩られた剣。しかし過剰な装飾などはない、正しく”斬る”為に存在している代物。

 その具体的な良し悪しが気に掛かったわけではない。元々、アッシュはそういうものに興味はない。

 

 だが、目が離せなかった。吸い付くように、引き寄せられるように。

 悪魔に魅入ってしまったかのように視界がその色だけに染め上げられた瞬間―――()()()

 

 身体の内から産み出されたようなモノだった。

 体内に直接特大の火種を抉り込まれたかのような感覚。ただし単純な熱ではなかった。

 

「ガッ……ガ……あ?」

 

 ()()()()()()

 この世に満ち溢れる数多の負の感情が濃縮したかのような悪氣が膨れ上がる。

 

 何故、と思う余裕すら与えられなかった。自分の意思とは切り離されたナニカが渦巻き、流れ、吹き出し溢れる。

 

「く―――ソがああァァッ‼」

 

 その、()()()()()()()()()()()に操られるように、アッシュはリディアに向って得物(ヴァリアブルアクス)を振り下ろす。

 しかしその全霊の一撃を、リディアは振り向く事すらなく背中に回したその剣で受け止めた。

 

「……出会った時から感じてはいたんですよね。そのヤーな雰囲気は」

 

 そして、弾く。凡そ小柄な少女から生まれたとは思えない膂力で吹き飛ばされ、アッシュは地を転がる。

 しかしそれでも、悪霊に憑りつかれたかのように正気を失ったアッシュは立ち上がり、走る。その眼からは、黒い靄が漏れ出していた。

 

「なン……なんだよその剣は‼ ソイツを見ただけで、どうにもクソッタレな感情が抑えられねぇ‼ 邪魔だ‼ 消えろやァ‼」

 

 その太刀筋は感情に突き動かされて滅茶苦茶であったが、それなりに早かった。

 だが、それを読み切れないリディアではない。刃の軌道に合わせるように刃を滑らせ、的確に弾いていく。

 

「この剣、と言いやがりましたね? 私自身ではなく、この剣(パラス=ケルンバイダー)が引き金になったと」

 

 それは、一層激しくなった猛攻によって肯定される。その様子を見て、流石に苦い顔を抑えきれなかった。

 

 

 《パラス=ケルンバイダー》―――リディアが《執行者》に就任したと同時に《盟主》から賜った武器。

 ”外の理”によって鍛えられたと言われるその剣の詳細全てを知る由はなかったが、しかしアリアンロード曰く、この剣はレーヴェが有していた《ケルンバイダー》を鍛えた際に生まれた欠片を軸に産み出された、謂わば兄弟剣。

 《執行者》No.Ⅰ、マクバーンが有する魔剣《アングバール》もそのカテゴリーに入るが、しかしそれともまた違う。

 対となるように鍛えられたか、起源を同じくするか。いずれにせよ、この剣を視界に収めて彼が豹変したという事は、とある事実を認めざるを得ないという事。

 

 彼もまた、《剣帝》レオンハルトに縁のある人物―――それも良い縁ではない。

 

 幾合も刃が交われば、自然と相手の心も見えてくる。

 それは人一人が抱えるには余りにも醜く、そして空恐ろしいまでの憎悪だった。

 まるで怨霊の宿業であるかのようなソレに、”達人級”の一角を担うリディアですらも一瞬慄いた。

 

 ……彼女もまた、そういった”憎悪”を知っていた。

 謂れのない罵詈雑言を向けられ、傷つけられ、貯水池が決壊していくように破壊的になっていくそれ。図らずもそれを思い出し、吐き気を催したその瞬間、アッシュの得物の刃がリディアの頬を浅く裂いた。

 

 幸運にも、それで正気を取り戻す事が出来たリディアは、大振りになったその隙を狙って剣の柄尻をアッシュの鳩尾に叩き込み、派手に壁に叩きつける。

 

「ガ……はっ……」

 

 無防備。もはや昏倒寸前。

 何もしなくても後は倒れてくれるのを待つだけ。しかしリディアは、心臓の位置を狙って剣先を突き付けていた。

 

 

 

 

 ―――この男は師匠(レオンハルト)を憎む者。

 

 

 ―――ならそれは、()()()だ。

 

 

 ―――ならば、倒さねばならない。

 

 

 ―――これ以上師を侮辱される前に、絶対に―――

 

 

 

 

 ―――殺サナケレ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでじゃ、阿呆め」

 

 背後から、何者かが柄を握ったリディアの腕を掴んだ。

 

「貴様も”達人級”の末席を彩るのならば、これ以上醜態を晒すでない。感情に支配され、全てを委ねて己が意思とは離れた心で振るう剣なぞ一流のそれとは程遠いぞ」

 

 後頭部をふわりと何かが撫でた。

 鮮やかな赤髪。纏った衣服や吐息にいつものような酒臭さはなく、ただ玲瓏な言葉がリディアの脳を冷ましていく。

 

「カグ、ヤ……様」

 

「因果なものよな。この小僧と貴様が出会うとは。誠、この世は意地の悪い運命に踊らされておるわ」

 

 浮世離れした声と言葉。まるで千里眼で何もかもを見通した賢者のような、この世の全てを知っているかのような諦観した物言いであった。

 

「今代の”贄”はまた随分と分かりやすい憎悪を埋め込まれておるのぅ。……まぁ、オルトロスの末裔の娘と較べればまだマシか」

 

「カグヤ様、一体何を……彼は一体……」

 

「……独り言じゃ。流せ」

 

 そう言うとカグヤは、昏倒したアッシュを担ぎ上げる。

 

「この小僧は儂が適当な場所に放り込んでおく。貴様はもうこ奴と関わるな、良いな?」

 

 それは、なけなしのカグヤの善意であったのだろう。

 この男とこれ以上関わっても碌なことはない。故に忘れろ、と。

 そうした方が自分にとっても都合が良いことはリディアとて理解している。感情に突き動かされたとは言え、一度は本気で殺しかけた男だ。再び会った時、また衝動が現れないとは限らない。

 

 

「……いえ、カグヤ様。その言葉には従えねーです」

 

 だが、リディアは敢えてカグヤの言葉に反した。

 

「ほぅ?」

 

「この男は師匠と関わりがあります。師匠を憎んでいる男です。ならばそれは―――師匠が遺してしまった未練です」

 

 ならばそれを解決するのは、弟子の自分の役目だ。

 憎むのならば、憎むだけの理由はある。細かいことは良く分からないが、この男を縛り付ける”呪い”じみた何かの起源がそれであるならば、自分が知らん顔をするわけにはいかない。

 

「どうかお願い致します、カグヤ様。師の遺志は弟子たる私が晴らさねばならぬこと。この男の運命が如何なるものでも……私にはそれを見届ける義務があります」

 

 人一人の人生。義務感で口を出してよい事ではない。

 それでも、とリディアは言った。その覚悟が如何なるものかを汲み取ったカグヤは、呆れるように首を振る。

 

「好きにせい。元より儂は貴様を従えているわけでも何でもない。貴様がそうしたいと言うのであれば、儂がどうのこうの口を出す問題ではない」

 

「っ……ありがとうございます」

 

 安堵したような声を吐き出したリディアは再び《パラス=ケルンバイダー》の柄を強く握りしめる。

 そして、カグヤの肩に担がれたままこちらの気も知らずに昏倒したままのアッシュの額に、一撃だけ軽いデコピンをかます。

 

 

「……そう簡単に死ぬんじゃねーですよ、アッシュ。次会った時は、死なねー程度に鍛えてやりますから」

 

 それは憎まれ口ではあったが、カグヤにはどこか喜色を滲ませたそれに聞こえた。

 その言葉が果たされるのは、少しばかり後の話となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 ―――以降、とある式神に吹き込まれた音声データとなる。

 

 

 

 

 

『――――――あー、あー。ツバキ隊長、聞こえるっスかー? ……っと、口調戻ってなかった。……んっ、んー。これでよし、っと』

 

『《影法師(マンシャドー)》が定期報告を送ります。つっても、今回のは()()()()みたいなものですが』

 

『予定通り、『グリベリアファミリー』が()()()()()()()()()()()()()()()を回収しました。とはいえ、機械兵器(オートマタ)の部品程度のものを運ばされてただけみたいですから、蜥蜴の尻尾程度。末端も末端ですね』

 

『『グリベリアファミリー』は今回の一件で《黒の工房》から支援を断ち切られ、ラクウェルを拠点とする他の大規模マフィアによって徹底的に潰されました。それまで流されてた部品の行方は未だ調査中です』

 

『ですが、以前よりも動きやすくはなりましたので、一週間程度いただければ詳細なデータを送れるかと。正式な報告書はその時にお渡しします』

 

『あぁ、それで、その情報を不可抗力で発見してしまった親子に関してはこちらの手引きでリベール王国へと逃がしました。ルーアン行きのチケットと難民申請書をサヤ経由で手に入れたのでそれを使って』

 

『そちらを監視するか否かは現地の諜報員の方にお任せします。……ま、折角手に入れた平穏を自ら壊すような馬鹿な真似をするようには見えませんでしたが』

 

『ともあれ、これで”第一任務”は遂行いたしました。”第二任務”に移るため、今まで通りあのグループに紛れ込んでおきます』

 

『あ、それとスミマセン。先に謝っておきます。多分自分が潜入してる《月影》の人間だってこと、カグヤ様にはとっくにバレてます』

 

『無理ですねアレは。”絶人級”をだまくらかす技量は自分にはありませんでした。……いやまぁ、あの人の事なんで分かった上で面白がって泳がせて貰ってるんでしょうけど』

 

『以上、報告を終わります。次の定期報告は、”第二任務”が始まった際に。―――では』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







暑すぎるだろ。無理。

なんて言葉が真っ先に出てくる程度には最近滅茶苦茶暑くて困りますよねって話です。どうも、十三です。

これにてリディア・レグサーの幕間「夜の帳で剣王は謳う」シリーズは終わりとなります。書いてて楽しかった。それは本当。

ところでこの前「この幕間ノ章の時系列が知りたい」とお言葉を頂いたので下に書いておきます。


『新たなる”最初の一歩”』
    ↓
『水底の魔女』
    ↓    
『幾星霜に紡ぐ愛』
    ↓
『夜の帳で剣王は謳う』シリーズ
    ↓
『愛しき者へと送るのは・・・』シリーズ
    ↓
    ↓
    ↓
    ↓
『死狂和音 ―in クロスベル』シリーズ

 となっております。『死狂和音 ―in クロスベル』シリーズに至っては終章でも最後の方ですね。直後にキーアの覚醒イベントがあるので。

 さて次ですが、ドラマCDにあった「慰安旅行 inユミル」編です。
え?本当に慰安旅行なのかって?……サテドウデショウネー。



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成長と命題






「正義を振り翳す人は鬱陶しいけど、正義であろうと頑張る人は愛おしいのです‼」

         by 宮本武蔵(Fate/Grand Order)









 

 

 

 

 

 

 

「面を上げると良い。トールズ士官学院、特科クラスⅦ組の若者たちよ」

 

 

 その声は威厳に満ちていた。

 しかし、一様に片膝を立てて跪く彼らを戒め、叱責する類のそれではない。重みを確かに感じさせながら、それでも彼らに対する慈愛を滲ませていた。

 

 だが、自然体のままでも醸し出される覇気は、間違いなく”国”という巨大な存在を背負う者にしか許されない王気(オーラ)

 支配者ではなく君臨者。自分たちがその場で害されることがないと分かっていながら、しかしリィン・シュバルツァーはすぐに動くことができなかった。

 リィンだけではない。アリサも、エリオットも、ラウラも、マキアスも、エマも、ユーシスも、クロウも、揃ってその”圧”に屈していた。

 普段から鷹揚な自然体を崩さないガイウスや、こういった礼儀作法に頓着しないフィーやミリアムですらも、この場で軽はずみな行動をしてはならないと本能的に察していた。

 

 そんな中で、全てを理解した上でいち早く、しかしゆっくりと顔を上げる。

 

 その表情は笑んでいた。しかしいつものような挑発的なそれや、意地の悪そうなそれではない。

 品性を感じさせるような柔らかな笑み。普段は少なからず意図的に醸し出している戦意や闘気をこの時ばかりは完璧に抑え込み、ただの年相応の振る舞いをしている。

 

 ……否、この表現には語弊がある。

 本当にただの年相応の少年であるならば、他の面々と同じように顔を上げるタイミングが遅れていただろう。

 

 王族との謁見の作法というものは、導力革命以降近代化された文明の中でも形骸化はしていない。

 更に言えば、エレボニアは未だ貴族の権力が強大な国である。それらが戴く皇帝陛下の前で粗相をしようものならば、この国でどういう扱いを受けるかなど火を見るよりも明らかだ。

 

 無論、玉座に座る壮年の男性―――エレボニア皇帝、ユーゲント・ライゼ・アルノールはそこまで狭量な存在ではない。

 その程度の事で若い芽を潰そうなどという事は全く考えておらず、そもその程度の事は非礼とすら認識していない。

 

 だが、他の一部の貴族らは違う。自らが皇室に絶対的な忠誠心を抱いていると()()()している輩は、僅かな非礼をあげつらい、それがさも大罪であるかのように社交界で吹聴する。

 貴族界とはそういう場所だ。それが分かっている者から順に、分かっていない者もそれに倣うように面を上げた。

 

 

 ―――玉座に座す(おう)がいた。隣に座す皇妃がいた。

 

 皇帝の傍にはエレボニア皇帝正統継承者、セドリック・ライゼ・アルノールが立ち、それから少し離れるように、皇女アルフィン、そしてオリヴァルトが佇んでいる。

 皇族が揃い座すという、本来であれば夏至祭の間、それも遠目でしか叶わない光景に、息を呑む一堂。そんな彼らを前にして、皇帝ユーゲントⅢ世は言葉を紡いだ。

 

 

「そう畏まり過ぎずとも良い。本日諸君らを皇城に招いた理由は堅苦しいものではないのだからな」

 

「……寛大なお言葉、承りました。我々一堂、未だ浅学の身であります故、申し訳ありません」

 

 緊張を押し殺したリィンの声が謁見の間に染み渡る。

 成程、この程度の度胸による感情の上塗りはできるようになったか、などと思いながら、レイもまた皇帝から視線を離さない。

 流石に、この状況で不躾に視線を動かすような真似はしない。その程度の常識は弁えている。

 

 まぁ、()()()()()()()()()()()()()()()()()はするが。

 

 

 

 

 元々、Ⅶ組一堂がこの度皇城バルフレイム宮に招待された理由は簡単なもので、先月のルーレにおけるザクセン鉄鉱山奪還の功績を認められた末の謁見である。

 貴族も平民も、前歴すら関係なく集まったこの特科クラスⅦ組という組織が皇族から直接謝辞の言葉を賜るのはとても名誉なことであり―――結果としてクラスの発足に関わったオリヴァルト皇子(皇族)の名を立てる事にもなる。

 落としどころとしては適当な所であり、これならばルーレで死にかけた甲斐もあるというものである。尚、オルディスに赴いたB班の面々も例外なくこの謁見の場に跪いている。

 あちらもあちらで割と死にかけていたのである。これくらいの褒美がなければならない。校外学習の一端とは言え、働きに相応の報酬というものは必要だ。

 

 とはいえ、一介の士官学院生に地位や金銭を褒美として賜らすのは体裁的にも宜しくはない。という事で実際皇帝陛下から賜ったのは―――温泉郷ユミルでの小旅行という褒美であった。

 

 ユミル―――帝国北部ノスティア州の中でもアイゼンガルド連峰に面した山岳地帯の一角に存在する街。

 お世辞にも交通の便が良いとは言えない、言ってしまえば田舎町だが、小規模ではあるものの、その土地は皇帝家と縁が深い。今回その場所での湯治を薦められたのが証拠でもある。

 

 

 温泉、と聞いてレイが思い出すのは、新米遊撃士としてリベールにいた時に赴任していたツァイス地方郊外にあるエルモ村の『紅葉亭』という温泉宿だ。

 地方の温泉宿特有のゆったりとした雰囲気が好きで、暇を見てはよく通っていた事もある。……稀にツァイス名物「ラッセル家の傍迷惑」に巻き込まれて被害を被ってはいたが。

 懐かしい記憶を思い出してクスリと笑ってしまいそうになったのを抑える。此処は御前、僅かな所作の乱れも許されない。

 

 ―――実際、エレボニア市民ではないⅦ組メンバーには、本人たちが不快にならないレベルに抑えた上で警戒の視線が向けられている。

 恐らくその警戒にはフィーも気付いているだろう。だがそれを不快だとは思わなかったし、寧ろ当然であるとすら思えた。

 

 理由はないのだとしても、元S級猟兵団の二つ名持ち(ネームド)猟兵と、元《結社》の《執行者》が混ざっているのだ。その気になれば、徒手空拳であったとしても皇族を害することは可能。

 例え限りなくゼロに近い可能性であったとしても、それを確実に潰しに来る仕事ぶりに感心すら覚えるほどだ。

 

 《皇室近衛隊》―――あらゆる貴族軍の中でも最精鋭が集うというその看板に偽りはないという事を実感させられる。

 視線を巡らせずとも、その精強ぶりは掴み取れる。ざっと探っただけでも”準達人級”の使い手が珍しくもなく、隊長格に至っては”達人級”もいるだろう。その中でも、特に強い覇気をレイにだけ向けて来ていた男がいた。

 

 

「(《皇室近衛隊》総隊長、《煉騎士》ガラディエール・ヴラウ・ウィトゲンシュタイン―――《光の剣匠》、《雷神》と並ぶ帝国の守護神か)」

 

 恐らくは”達人級”の中でも最上格。レイが本気で挑んで、「勝てる」確率は4割がいいところだろうか。

 この謁見の間に入った時、その姿は確認している。ヴァンダイク学院長に匹敵する巨躯と、その二つ名に見劣りしない燃えるような赤髪と赤髭。歳は50を過ぎているだろうが、感じられる覇気はそれだけで常人ならば失神しかねないレベルで”重い”。

 

 彼の警戒は、最初からレイ・クレイドル一人にのみ向けられていた。彼もまた”達人級”としてレイの強さを過小評価せず察した結果、「1人であっても抑え込める」彼がレイを警戒することになったのだ。

 敵意があるわけではない。殺意を向けているわけでもない。だとしても、互いの力量の探り合いなどその程度で充分だった。

 レイはまた一人、この帝国で自分を上回る存在を見つけ、ガラディエールはこの少年がアルノールに仇為す存在にならないことを望んだ。―――ただそれだけの事である。

 

 

 

 そんなレイの”戦い”などお構いなしに、謁見は終了した。

 未だ振るえそうになっている足をどうにか動かして謁見の間から退室し、近衛隊の人間に案内された一室に入った瞬間に溜まっていた息を吐き出す面々。謁見する前から過度の緊張で腹痛が止まらなかったエリオットなどは、ソファーに腰かけて真っ白な灰となっていた。

 

「陛下へのお目通りが叶ったのは随分前の事だが……慣れんな」

 

「ユーシスでさえそうなら、僕たちが緊張するなって方が無理だよー……」

 

「まさしく、賢王の雰囲気でしたね……王妃様もお美しくて、思わず見惚れてしまいそうでした」

 

「そうだねー。ああいうの、ちょっと良いなーって思っちゃうなー」

 

「……意外。ミリアムも、そう思うんだね」

 

「むー、何さ、フィー。ボクだって女の子なんだよ? そうでしょー、ユーシス」

 

「ハッ(嘲笑)」

 

「……ガーちゃ―――」

 

「それ以上はいけない」

 

 段々と本来の調子を取り戻してきた面々を見ながら、レイもソファーに腰かけた。

 ふぅ、と一つ息を吐くと、隣で出された紅茶に口をつけていたリィンが少しばかり驚いた表情をする。

 

「意外だな。レイでもこういった場はやっぱり緊張するのか」

 

「馬鹿言え。確かに皇帝陛下の王気(オーラ)は強かったが、もっと暴力的なそれを俺は知っている。少し気疲れしたのは別の理由だ」

 

 毎回相対するだけで死の可能性が付きまとうプライドの高い存在と比べてしまえば―――賢王であるだけの皇族のプレッシャー程度ならばどうにもできる。

 だが流石に、それを言葉にするのは不敬が過ぎる。それくらいは理解していた。

 

「それにしてもユミルでの静養か。……ユミルと言えば、リィンの故郷だったか」

 

「そうですね。温泉郷ユミル、とても風光明媚な場所だと聞いています」

 

「はは、辺鄙な田舎ではあるけどな。でも、うん、良い場所だよ。育った俺が保証する」

 

「アイゼンガルド連峰……猟兵団の訓練で行ったことがある。冬は本当に寒い」

 

「そなたの口から出る思い出話は基本物騒なものしかないな……」

 

「多分レイよりはマシ」

 

 程度はどうあれ、学院の授業が免除されて行く慰安旅行だ。全員が全員、期待感のようなものを抱いている。

 とはいえ、ただゆっくりするだけで終わるわけではないだろう。学院際の出し物の準備も、そろそろ詰める頃合いだ。

 

「リィンの、故郷……」

 

「? どうしたのだ、アリサ」

 

「バッカ、察しろよラウラ。待ちに待った恋人の御両親との初対面だ。そりゃ緊張しなきゃ嘘だろうがよ」

 

「そ、そうか。大丈夫だアリサ。器量良しなそなたならきっとリィンの御母堂も気に入ってくださる‼」

 

「唯一の先輩が情緒とか完全に無視してる件について」

 

「レーグニッツ、後でこの調子者の尻に模擬弾を叩き込んでやれ」

 

「最近君は本当に僕に責任を被せるのが日常的になって来たな……‼」

 

「アリサが百面相してるー。アッハハー、おもしろーい♪」

 

「ミリアムちゃん、ちょーっと静かにしておいてあげましょう? ね?」

 

 眺めていてやはり面白い光景を見ながら笑いあっていると、ふとレイのARCUS(アークス)に着信が入った。

 着信先は、見なくても分かった。相手もそれは分かっているだろうと思い、通話終了のボタンを早々に押して立ち上がる。

 

「悪ぃ、ちっと野暮用だ。先に帰っててくれても構わねぇよ」

 

「……そうか。いや、いいよ。そう長い話にはならないだろう? だったらもう少しだけ、此処でゆっくりさせてもらうよ」

 

 そう言ってリィンは、軽く手を振ってレイを送り出す。それに倣うようにして他の仲間たちも、特に深入りする様子もなく彼を見送った。

 

 ……何も思っていないわけではないのだろう。ただそれでも、信じて送り出して貰えているのならば、それに見合う事はしなくてはならない。

 そう改めて決意して部屋の外に出ると、以前皇城に来た際に見た事のあるメイドに案内され、数分ほど豪奢な内装の中を歩き続けた。

 そして退屈さに負けて二度目の欠伸を噛み殺した頃、目的の部屋へと案内された。今回ばかりは流石に《天津凬》も相異空間に押し込むでもなく普通に預けているので、ボディーチェックなどもされずに普通に通される。

 

 ……それはどうなんだ? と思わないのかと言われれば嘘になる。元はと言えばあちらが招いたとはいえ、この部屋の中にいるのは一応相当な貴賓なのだから。

 

 

「…………」

 

 ピアノの音がした。優麗な音が奏でられていた。

 その曲は壮麗で、時に壮大で、しかしどこか哀しいそれは、()()()()()の人間の一生を描いている曲であった。

 

「ベルベット=グラフナー作『正義の道程』か。お前に皮肉を伝えられるとはな」

 

「いや、違うとも。少なくとも僕は、君にこそこの曲が相応しいと思う」

 

 鍵盤を弾く手を止めて、オリヴァルト・ライゼ・アルノールは彼を出迎えた。

 その態度こそいつものように飄々としていたが、しかしそれでもその言葉に冗談じみた色はなかった。

 となればいつものようにキツいツッコミをかます訳にもいかず、小さく溜息を零してから先程の部屋のよりも数段豪奢なソファーに腰かけた。

 

「お疲れさまだ。陛下も感心しておられたよ。未だ若い身で肝が据わっている頼もしい若獅子達だと」

 

「そりゃどーも。……普段サラや俺がアイツらにぶつけている覇気と、陛下の”それ”はまた別物だ。良い経験になったろうさ」

 

 そう言ってレイは、対面に座ったオリヴァルトを眺める。

 皇族の一員らしく、深紅の貴族服に身を包んだ礼装姿。黙っていれば、この男も皇族の雰囲気を纏うに相応しい存在なのだ。普段の言動がアレでさえなければ。

 

「はは。ルーレで命を賭けてくれた君達に対して、という点であればこの程度では褒美として軽すぎると思っているんだけどね。名目上士官学院の学生であるから、そこまで大仰には出来なかったのさ」

 

「金銭面で困ってるわけでもねぇし、大層な称号なんざ、貴族組ならまだしも俺らは貰っても困るだけだ。休みを貰えたのはむしろありがたい」

 

「そう言って貰えると助かる。―――とはいえ、窮屈な思いをさせてしまったのは謝るよ。特に君には、ね」

 

「……何だ、やっぱ気付いてたのか」

 

 謁見の際に僅かに摩耗した精神力は、今では既に回復している。寧ろ、帝国最強クラスの武人の覇気を()()()()()というのは、レイにとっては僥倖ですらあったのだが。

 

「サー・ガラディエール……アレも大概バケモノの領域に足突っ込んでる武人だな。ヴァンダール流総師範《雷神》マテウス・ヴァンダールと並んで皇室の双璧か。ゾッとしないねぇ」

 

「僕が言うのもなんだけど、あまり悪く思わないでほしい。あの人の皇室への忠誠心は絶対だが、帝国貴族として模範的な人物なんだ。決して悪感情で君を()()()()()()()わけではない」

 

「分かってる。分かってるさ。少しでも皇族に害為す可能性がある不確定要素を牽制していただけ。そういう忠誠心、嫌いじゃないし」

 

 皇帝ユーゲントやオリヴァルトと言った、皇族個人に仕え、そして護る事を使命としているのがヴァンダール一族。

 対して《皇族近衛隊》は、<アルノール>という皇帝一族を守護する為に編成された組織。練度という点で見るならば最精鋭。

 どちらも、エレボニアを統べる者を護る盾にして剣。武人であり、そして騎士でもある忠義の(つわもの)

 

 決して自分にはできない生き方だからこそ、それに憧れるところもある。武人として武を振るうだけならばまだしも、ただの一人を主として定め、それを生かす為に戦い、死んでいく生き方など。

 

 

「ああいう手合いとは死合いたくねぇモンだなぁ。―――まぁ今の俺には元より、敵を増やす余裕なんてないわけだが」

 

「…………」

 

「さ、本題に入ろうぜ放蕩皇子殿。いつも通りの悪巧みの時間だ」

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 いつも通りひょうきんな先輩として後輩に弄られ、明るく談笑をしながら―――しかし心奥の思考は切り離していた。

 

 その思考はトールズ士官学院特科クラスⅦ組のクロウ・アームブラストとしてのものではなく、《帝国解放戦線》リーダー、《C》としてのもの。即ち、外道を是とした男のそれだ。

 ルーレでの一件を評価されて皇城へと招聘された―――それはまだいい。今現在、自分の正体を知っている貴族は限られている。少なくとも、皇族には顔は割れていない。

 

 彼が僅かに―――それこそ観察眼には定評があるアリサとユーシスにすら悟られない程度に眉を顰めたのは、このタイミングでレイ・クレイドルが単独行動を取ったことである。

 

 とはいえ、あちらも此方が警戒を抱いているというのは承知だろう。互いにどういう人間かを理解した上で、今のところは泳がせている関係だ。

 それに正直クロウ自身も、彼が今更何かを企んだところでどうにもならないという事を察していた。

 

 ルーレでは《結社》の第四使徒イルベルト・D・グレゴールの乱入により予想外の展開が生まれてしまったが―――それでも現状《貴族連合》による計画に狂いはなく、()()()に起こることを覆すのは至難だろう。

 

 よしんば運命を覆す程の奇策が用いられたとしても、協力者である《結社》の面々は小細工を地力で粉砕する絶対的な力を持つ集団。テロリストとして後悔も恥も捨て去ったはずのクロウであっても冷や汗が止まらない程の戦力がエレボニアに集おうとしているのだ。

 例え彼と、そして今会っているであろうオリヴァルト・ライゼ・アルノールが共謀したところでどうにもならない―――単純にそう言い切れれば、どんなに楽だっただろうか。

 

 彼自身、(はかりごと)や交渉の類は自分には不向きだと自嘲している。

 だが、向上心によって自身の破滅の運命さえ覆した彼が、不向きであるという理由だけでそれを蔑ろにするだろうか? 否。

 曰く、既に『理』の扉に手を掛けている彼ならば、既に盤上を見据える采配師の心得を見つけていてもおかしくない。不世出の辣腕、カシウス・ブライトが遊撃士協会に対して協会規定を無視してまで推薦したほどの才覚の持ち主。年齢制限にさえ縛られていなければ既にA級に達しようかという実力は嘘ではない。

 

 厄介な相手だ、という事は初めから分かっていた。

 妙な手を打たれる前に退場してくれればありがたかった。……それこそ命までは奪わずとも、数か月は戦線に復帰できない程の傷を負えば、と。

 

 だが彼は切り抜け続けた。宿命の相手、ザナレイアとの2度に渡る死闘も、異能持ちの使徒との立ち合いも。

 死線を潜り抜け、武人としての在り方、己が真に在るべき姿を確立させていくその姿は、正直羨ましくもあった。

 

 しかし彼とて、エレボニアという国のために戦っているわけではあるまい。顔も声も知らない者のために戦えるほど器用な人間ではないことは知っているし、何よりそういった人全てを救おうなどという青臭い理想論を抱き続けているとも思えない。

 だが、それでも何だかんだ言いながら……目の前で助けを求める存在を無視できないのがレイという少年の持つ善性だ。救えるならば救うだろうし、見捨てる事になったのだとしても、その後悔を抱き続ける強さがある。

 

 

 ―――そこを突くのならば、今の彼を排除することは比較的容易い。

 後悔を抱かせ、背負わせ、その重荷が彼の精神を磨り潰してしまうまで傷つけ続ければ、そして彼が復讐鬼に堕ちる前に殺す事ができれば―――当面の脅威は排除できる。

 

 しかし幸か不幸か、或いはクロウという青年が根本までは悪に染まり切れない性格の所為か、その非道を選択することはできなかった。

 それに、そのような方法を取れば、彼以上に厄介な存在を一斉に敵に回しかねない。それでは意味がなく、ともすれば状況を更に悪化させる。

 

 

 たまに、ふと思う事がある。

 

 それを思うのはいつだって平穏な時間のひと時だ。Ⅶ組の教室の片隅で椅子に腰かけながら、窓から差し込む木漏れ日に身を委ねていると、たまに気が緩む。

 

 

 コイツらと一緒にただの学生であったのならばどれほど楽しかったのだろう―――と。

 

 

 

「……クロウが難しい顔して黙り込んでる」

 

「珍しい事もある。明日はシルバーソーンでも降ってくるんじゃないか?」

 

「いや、来週の帝花賞の事でも考えてるんだろう。数日前から新聞の前でしかめっ面してたからな」

 

「本気で単位足りてない学生が考える事じゃないわね……」

 

「勉学を疎かにしていると相当に厳しいエマの特別授業が待っているからな」

 

「クロウもボク達と同じ目に遭えばいいよぉ~」

 

 ……些か奔放に振舞い過ぎたせいで平時は先輩を先輩と思わない口振りが増えてきた()()()()

 生まれも、育ちも、身分も、考え方一つ取ってみてもバラバラな連中がここまで纏まって今まで戦い抜いて来れた理由。否、主柱となったのはリィン・シュバルツァーという青年の在り方だろう。

 

 レイ程の武人としての強さは持ち合わせていないが、例え挫折しても前を向き続ける精神と人を信じ続ける心意気、「この男なら信じられる」と思わせられる雰囲気を醸し出せるのは、一種の天性のカリスマだろう。

 その点に於いては、レイも「叶わない」と憚ることもなく告げていた。リィンが持ち合わせる、人を惹きつける”光”は、間違いなく彼自身が持つものだと。

 

 複雑な心境ではあった。

 リィンはクロウにとっても面白い後輩だ。当初は真面目過ぎる言動が目立っていたが、良い意味でも悪い意味でも自分と同じくらい自由奔放な友人に感化された所為か、最近は随分と砕けてきた彼と―――戦わなければならない。

 

 彼の傍に”魔女”が着いているのはそういう事だ。運命が正しく回っている限りは、この二人は戦い合う運命にある。

 そう遠くないであろう”その時”を考えて僅かに陰鬱になる事を否定はしない。だが、クロウはその感情に任せて足を止めようとは思わなかった。

 

 既に多くの同胞たちを見送った。”《鉄血宰相》を斃す”というただ一つの目的のために集った、命を惜しまぬ同胞たちを。

 それらの責を、彼は背負っているのだ。それを果たさずに自分だけが安穏とした日々を享受するのは許されないことである。

 

 

 それに、”彼女”との約束もある。

 それは、それだけは決して破ってはならないものだった。テロリストとして生きることを決め、非道に手を染めた外道に堕ちた身であったとしても、それだけは。

 幼い時に交わした約束だ。彼が生まれ故郷を離れる時に一つだけ残した楔だ。

 

 ”彼女”が戦い続ける限り、自分もまた戦い続ける。”彼女”が斃れたその時は、自分もまた斃れる時だ。

 その鉄の誓いを脳内で反芻していると、いきなり背後から声がかかった。

 

 

「おいっす、お待たせ。話し終わったから帰ろうぜー」

 

「っと、意外と早かったんだな」

 

「他愛もない世間話で終わったからなぁ。……ま、途中で他の話し相手もできたんだが」

 

「?」

 

「何でもねぇさ。ホラ、ずっと此処に居たら仕えの人達にも迷惑だ。……つーかフィーにミリアム、どんだけ用意された菓子食い漁った?」

 

「おいしかった」

 

「いっぱいおかわりしたよ‼」

 

保護者(エマ)ぁ、何で止めなかった」

 

「えっと、その……美味しかったもので」

 

「同罪かよ」

 

 どこか呆れたような息を吐くレイを見ながら、リィンを先頭にして次々と応接間から退室していく。

 それに続くようにクロウも退室しようとすると、不意にレイに制服の袖を引っ張られ、強引に振り向かされる。

 

「安心しろ。俺は、お前が考えるほど強くはない」

 

 そうして、囁くように言う。

 

「あぁ、それと。勘付かれないように自分(テメェ)の女を想うなら、もう少し気を付けろ。察する奴は、普通に察するぞ」

 

 伝えたかったのはそれだけだと言わんばかりに、レイはすぐに退室した。一人残されたクロウは悔しさを感じるでもなく、薄く笑うしかできなかった。

 

「何が”交渉事は苦手だ”だよ。食えねぇ後輩だぜ」

 

 せめてもの仕返しだと、自分の指で形作った銃の先をその背中に向けてから、彼もまた後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

「あぁ、今日もとても楽しいひと時だったわ♪」

 

 常に宝石の輝きにも勝る笑みを浮かべる少女が、いつもよりも遥かに嬉しそうな声色を奏でながら豪奢な廊下を軽いステップを刻みながら歩いていく。

 

「アルフィン、あんまりはしゃぐと転んでしまうよ」

 

「あらセドリック、そういう貴方だって嬉しかったクセに。ふふ、何と言っても初めてできたお友達ですものね」

 

「……からかわないでよ」

 

 少しむくれたような表情でそう言いながらも、エレボニア帝国皇位継承権第一位―――セドリック・ライゼ・アルノールは姉に自分の心境を見破られたことが嬉しかった。

 

 事の発端は、彼らの兄であるオリヴァルトがレイと話をするという事を伝えてからである。

 万が一にも”悪巧み”中の話を聞かれてはならないという彼なりの配慮であり、彼を訪ねるのならば話が終わってからにしてくれと頼んだのだ。

 

 アルフィンはどちらかと言えばリィンがいる応接間の方へと足を運びたかったのだが、彼が皇帝との謁見で気疲れしているだろうという事と、謁見直後という事で監視の目が厳しい今、それを掻い潜ってひっそりと会いに行くのが流石に難しかったからでもある。

 その点レイに会うのならば「お兄様に会いに行く」という名目だけで事足りる。幸い傍仕えのメイドはレイがクレアと帝都デートをした際にもいた面子なので、そこさえクリアーしてしまえば自由に行動するのは容易い。

 

 愛しの殿方に会えないのは些か残念ではあるが、今回会えたのも大切な、彼女にとっては数えるほどしかいない「アルフィンとして接する事ができる友人」の一人である。

 そして、引っ込み思案で自分以上に「皇族」の額縁を飾られている弟の初めての友になってくれた人でもある。感謝しこそすれ、会うのを躊躇うはずがない。

 

「それにしても、良かったわねセドリック。レイさんが貴方の申し出を受け入れてくれて」

 

「……うん、良かった。今まで父上や母上、兄上かアルフィンにしか呼ばれたことがなかったから、なんて言うか、とっても嬉しかったよ」

 

 そも、セドリックがレイと友人になったキッカケは「中性的な顔と体格なのを良いことに女装されて遊ばれている」という男として泣きたい扱いを受けていた者同士という事であった。

 あの日、友達になって欲しいという願いを受け入れてくれたことは素直に嬉しかったのだが、それでもセドリックに対するレイの口調は硬いままだった。

 

 それもそのはず。オリヴァルトの場合は本人のフランクさや放蕩さも相まって基本的に見逃されるが、彼らはエレボニアという大国を統べる皇族の一員なのである。よしんば必要以上に親しくしている姿を他者に見られようものならば、不敬罪として罪に問われることは想像に難くない。

 レイとしてはそれだけを考慮したわけではなく、仮にも皇位正統継承者という身分の貴人が、経歴だけ見ればどこの馬の骨とも知れない人間と友人になったなどと知れれば、セドリックの沽券に傷がつく。

 「友人になって欲しい」と言われはしたが、一時の気の迷いですぐに忘れるだろうと、セドリックに対して最大限気を遣っている上での対応だったのだが、当の本人はそうは思っていないようだった。

 

 アルフィンという少女にとって、無二の友であるエリザ・シュバルツァーがそうであるように、ある意味での孤高を強いられる皇族の人間にとって、「友人」という存在は非常に重い意味を持つ。

 「取り巻き」ではなく「友人」。「皇位継承者」という肩書きではなく、「セドリック」という一人の人間を見てくれる存在。

 

 彼は確かに内気な所がある少年ではあったが、その分、自分に向けられる感情には敏感だった。

 だからこそ気付いた。レイ・クレイドルという少年は、自分が生まれたその時から抱え続けている「皇位正統継承者」という肩書きに()()()()()()()()()()()という事を。

 

 ―――事実、その考えは的を射ていた。

 レイは強かではあるが、本質的に価値観に縛られることを好まない。《結社》に居た頃から多様な価値観を植え付けられ、脱退してからは様々な場所、様々な相手と出会い、別れてきた放浪者でもあった彼にとって、人は揃って「唯一人」というところから人柄を見る。

 故に、あの日友人になってくれと言ってきたセドリックの言葉が「唯一人」の願いであることを察した彼は、形だけでも受け入れたのだ。

 

 だからこそ今回、セドリックが頼み込んだその言葉に、レイは頷かざるを得なかった。

 

 

『…………分かった分かった。降参だ。正直俺ぁ、そっちがそこまでの考えで迫ってくるとは思わなかったよ』

 

『ま、こっちは一応人の気配には敏感だ。ボロが出ないように上手くやるさ。―――んじゃ、ま。これからも宜しくな、()()()()()

 

 

 ―――誰もいない時だけでいいです。

 ―――この話を知っている者たちがいる時だけでいいです。

 

 ―――僕と、()()()友達になってください。

 ―――貴方が繕う必要はありません。本当の友達は自分の意思で決めるものだと、そう兄上は仰っていました。

 ―――だから僕は、僕の意思で最初の友達を決めます。どうか、よろしくお願いします。

 

 

 そのセドリックの言葉を、レイは了承したのだ。砕けた口調で話しかけてきた時にセドリックは人目を憚らずに破顔して―――その表情を当然のようにアルフィンにカメラで連射されていたが。

 

「これは後でお母様にも見せなきゃね♪ お母様との共同制作のセドリック成長アルバム集がまた1ページ埋まるわ」

 

「え? ちょ、何それ。僕そんなの知らないんだけど⁉」

 

「それはそうよ。今初めて言ったもの。今まで色々な写真を撮って来たけれど、今回のは今までで一番良いものだわ♪」

 

 まさかそのアルバム集に自分が今まで玩具のように弄り倒されて着させられた女装写真も飾られてるんじゃ……という事を敢えて考えないことにしたセドリックの肩を、オリヴァルトがポンと叩く。

 

「まぁいいじゃないか。僕としても可愛い弟に友ができたのは非常に喜ばしい。安心したまえ。彼は、君が友達だと思っている限りは自ら身を退くことはないよ」

 

「兄上……兄上は、レイさんと長いお付き合いなのですか?」

 

 セドリックの眼から見れば、二人のやり取りは長年付き合いのある竹馬の友にしか罷り通らないようなものであった。

 しかしオリヴァルトは、セドリックのその問いに首を横に振る。

 

「いや、それほど長くはない。せいぜいが一年程度さ。彼ともっと昔から親交がある人たちとは比べるまでもない」

 

「そうなのですか? それにしては、えっと、受け答えが……」

 

「それはまぁ、僕の性格が関係しているだろうね。それに言葉だけなら結構交わしているからなぁ」

 

「……一つ、兄上にお伺いしてもよろしいですか?」

 

 普段、自分に対して気恥ずかしさからか何かを頼む事をしない弟の珍しい懇願に、オリヴァルトは「勿論」と頷く。

 

「レイさんは、”達人級”の武人なのですよね? マテウス師範やガラディエール卿と同じくらい強いという……」

 

「あぁ、そうだね。武人としての強さならば、この帝国でも十指には必ず入るだろう」

 

「あの人は、僕とそう変わらない年齢で何故……何故そこまで強くなれたのでしょう?」

 

 セドリックは、強い男になりたいと渇望している。

 エレボニアという巨大国家を背負う運命を背負わされているというのに、病弱で、内気な己を疎んでいた。大国を統べるに相応しい存在にならねばならぬと、常日頃から思っていた。

 

 そんな彼にとって、たかだか2つか3つしか変わらないのにも関わらず、帝国十指にも入ると評価されたレイの”強さ”は羨ましいものであった。彼が憧憬の眼差しを向けているのは宰相として巨大帝国を取り纏めるギリアス・オズボーンの何者にも脅かされない不動の強さであったが、そちらの方にも勿論興味はある。

 

 しかしオリヴァルトはその問いに、どう答えたものかと立ち止まったままたっぷり数分ほど考え込み、そして答えた。

 

「セドリック、これは君の無二の友達に関することだ。僕やアルフィン以外の人に他言はしないように」

 

「はい」

 

「彼は、レイ・クレイドルという少年は、幼い頃に母君を亡くしているんだ」

 

 それは、オリヴァルトがレイという人間を知るために彼を良く知る親友―――ヨシュアから伝え聞いた話である。

 

 彼は弱さを呪う。己が何も守れぬ弱者であることを呪う。強くならなければ生き残れず、また何も守ることができない。

 母を亡くし、鉄檻の中で名前も知らない少女を見送り、そして自分を育て上げてくれた姉を亡くした。

 強く在らねばをと自分自身に脅された。そうでなければまた愛する者を喪うと囁かれた。自分を形作った全てを背負い、無数の後悔を抱きながら、彼はひたすらに強さを求め続けた。

 

「彼は弱さは罪だと言った。だがそれは、己の弱さに対してだけだ。他人にその価値観を押し付けたことはただの一度もなかったという」

 

「だからこそ彼は、悲しそうな声で言ったんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()自分は、弱いのだとね」

 

 セドリックは、その言葉に驚愕した。

 強さとは、強さだ。それ以外の何物でもないと思っていた。現に自分が憧れているオズボーンは、それを体現している。

 だがオリヴァルトは、いつになく良い表情で、言葉を続けた。

 

「己の中の弱さと向き合うのが、本当の強さだ。その弱さを罪と定めて目を背け続けて、”無かったこと”にしてしまった自分は弱者だ―――それが彼の言い分さ」

 

「あぁ、僕もそれには同感した。尤も、武人ではない僕がその言葉を真に理解することはできないだろうが、それでも頷かざるを得なかったとも。弱さを理解できない人間は、強くなどなれないのだとね」

 

 立ち止まり、俯く。

 その言葉が真理であるのだとすれば、今の自分はまさしく分水嶺に立たされているのだと理解する。

 このまま純粋な強さを求め続ければ、きっと、弱い自分は弱かった頃の自分を無かったことにしようとするだろう。

 それだけならば、まだ良い。罷り間違って強さこそが正義などと驕る未来があるのだとすれば―――それはこの上なく、醜いだろう。

 

「なら僕が……僕が求めなくてはならない強さというものは、どういうものなのですか?」

 

「それは……いや、それは君が見定める事だ、セドリック」

 

 その言葉に驚いたのはアルフィンだ。

 何だかんだで自分同様、弟を溺愛している兄が突き放すようなことを言ったのだ。

 否、それは突き放したのではないのだろう。それはいずれ帝国を継ぐ者として己自身で導き出さねばならない答え。

 オリヴァルトは弟を成長させるため、心を鬼にして”答え”を言わなかったのだと。

 

 そしてその意味を、セドリックも理解していた。

 元より敏い少年である。”本物の強さ”、それが如何なるものであるのかを見定める事こそが自分の使命なのだと。

 

 それは一朝一夕で見つかるものではない。とても難しい命題である。

 しかしそれを抱えたセドリックの顔は、いつもよりも数段、”男らしい”顔をしていた。

 その様子を見ていたアルフィンが、少し悲しいような、だけど嬉しいような、複雑な顔をしていたのはまた別のお話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 どうも。好きな座は第二神座『堕天無慙楽土』。十三です。
 無慙さんのあの座、クッソ格好いいと思ってしまう自分はやはり厨二病。だから何だというのか。

 さて、次からお馴染みユミル帰郷編になるわけですが、ただの帰郷になるわけねぇよなぁ⁉ 別に全員に試練与えるわけでもなく、ユミルがヤベー事になるわけでもないけど、とりあえずレイ君、君には半殺しになってもらうから(確定事項)。

 ところで今回でセドリック君のルート分岐したと思います? あんなイキリ皇子にならないと思います? いや、まだ油断ならない。


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温泉郷帰郷録 壱

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、こうしてもてなされたのはいつの時以来だろうかと思う。

 

 第三学生寮で味わっているシャロンからの愛情とは少し違う。他人行儀な客人へのもてなしともまた違う。

 そう考えると、今までの半生の中で無かったことではないのかと思い至る。

 

 親友と呼べる存在はいたが、その生き方の所為で友の家族とまで親しくなることはなかった。類は友を呼ぶ、とは言うが、まともに”親”と呼べる人間がいる者と親しくなること自体、稀だったのだから。

 

 

 仕留めた者の腕もさることながら、しっかりとした処理が施されて臭みが全くない野鴨のローストを切り分けて口に入れる。

 絶妙な火の通り加減と、芳醇な香りのソース、そして添えられた香草(ハーブ)や野菜の新鮮さ、どれを取っても一流レストランのそれと遜色ない出来であり、味わうように一口ずつ、時間をかけて咀嚼をする。

 

「お口に合ったかしら。ふふっ、リィンのお友達を招待すると言っていたから、いつもより張り切ってしまったのだけれど」

 

「えぇ、とても。このソースはルシアさんの自家製ですか? 見たところラインオニオンと極東ニンジンをベースに……にがトマトとスターベリーを合わせて東クロイツェン州産の赤ワインを加えたグレービーソースのように感じましたが」

 

「あら、リィンから聞いていたけれど本当に料理に詳しいのね。手書きでも構わないのなら、後でレシピをお渡ししましょうか?」

 

「是非に」

 

「お前のそういうところは凄いなってホント思うよ」

 

 レシピの蒐集と味の探求にも余念がない友人を見てリィンが溜息交じりにそういうと、目を輝かせて味わっていたレイが口元についたソースをナプキンで拭いながら答えた。

 

「何だよ、不満か? そりゃルシアさんのそれにゃ及ばないだろうが、今後学生寮でこれに近いクオリティーのソースが味わえるように俺とシャロンが研究して()()()。文句はねぇだろ?」

 

「う……そりゃ確かに魅力的だ」

 

「む、いやちょっと待て。ここはエリゼ嬢にレシピを習得してもらって通い妻的なノリで作りに来てもらった方が色んな方面でwin-winなんじゃないか? そこんトコどうよ、エリゼ嬢」

 

「それはとても素晴らしい事だと思います‼」

 

「妹を誑かすのならいくらお前でも容赦はしないぞ」

 

「お前マジで異性からの行為に基本的に鈍感なところ(そういうところ)直さないといつか絶対修羅場に立たされるからな。覚えておけよ?」

 

 そんな軽口を叩き合っていると、彼らと共に食卓に座っていた壮年の男性が笑う。

 テオ・シュバルツァー。温泉郷ユミルを治める男爵領主であり、リィンの養父。そして、リィンが実家である屋敷に帰ってきた際に面白がって着いてきたレイを快く昼食に招待してくれた人物でもある。

 

「良い友ができたようだな、リィン。お前の成長を見守ってきた身としてはこれ以上に嬉しい事はない」

 

 血は繋がっておらずとも、真の親子なのだと証明する言葉。料理を平らげたレイは、そちらにも話しかける。

 

「シュバルツァー卿、改めまして自分をこの場に招き入れてくださったこと、感謝いたします」

 

「そう畏まらなくてもいい。君の事は、リィンから何度も手紙を通じて知らされていた。自分を一切の手加減抜きで鍛えてくれる、無二の友が出来たのだと」

 

「と、父さん」

 

 流石に気恥ずかしかったのかリィンが言葉を遮ろうとしたが、当のレイがリィンの顔を見てニッと笑ったため、その気も失せた。

 

「ご子息が皇帝陛下から直々にお褒めの言葉を頂戴したとあれば、シュバルツァー卿としても鼻が高いでしょう」

 

「ふふ、そうだな。だが、相当に危険な戦いであったと聞いている。恐らくは君と戦術教官殿の指導がなければ切り抜けられなかったとも。……改めて礼を言わせてくれ」

 

「いえいえ。()()()()()()()()()()()()()()()は才能だと思います。自分はまぁ、例外だっていう認識はありますが」

 

 彼らは”戦える”人間であった。ただそれだけの事。

 サラとレイは彼らに戦う術を教えた。彼らはそれに着いてきた。一人も脱落せず、一人も曲がることもなく。

 それは確かに才能だ。彼らはもう、誰も欠けられない集団となった。

 B級程度の猟兵団の一個中隊くらいまでなら、場所と状況を上手く使えば勝てる集団となった。”準達人級”以上という強力な”個”に確実に勝つのはまだ難しいが、そこまで望むのは些か酷だろう。

 

 教師の真似事など絶対に向いていないと思いながらやってきた半年間だったが、意外にどうして、楽しかったのもまた事実だ。

 

「……ですのでシュバルツァー卿、彼はもう大丈夫です。もう彼は、八葉の初段程度に留まっていられる存在ではない」

 

「っ‼」

 

「……君は、カーファイ老師に会ったことが?」

 

「直接はありません。カシウスさんとアリオスさん―――老師より薫陶賜ったお二人と、そこで豆鉄砲喰らったような顔してる友に話を聞いたくらいですよ」

 

 《剣仙》ユン・カーファイ。東方剣術《八葉一刀流》の開祖にして、”達人級”の武人。

 老いてなお、その武の鋭さは留まるところを知らず、その慧眼は千里眼とも称えられるほど。自身が興した流派を継承する弟子を大陸中に幾人も抱え、その影響力は計り知れない。

 

 言葉通り、レイはユン・カーファイと直接会ったことはない。だが、その人柄の一角は知っている。

 武の道のみならず、風流を好み、旅を続ける。一見奔放な人のように見えるが、彼に教えを乞うた二人は揃いも揃ってこう言った。

 「あの方は、一度見込んだ弟子を見放すような人ではない」と。

 

 だから、直弟子の一人であるリィンが初伝を賜った状態で修業を打ち切られたと聞いた時には、違和感を覚えたのだ。

 破門されたわけではない。かの老師は、未熟者である身の上で自己の身を顧みずに蛮勇を是とした弟子(リィン)に対して、仕置きの意味を込めて叱ったのだろう。

 

 悉く、自分の師とは違うと思う。身の程を知らない蛮勇を厭うのは一緒だが、ここまで生易しくはしてくれないだろう。

 身の程を知らないのなら、それを徹底的に叩き込まれる。自らの程度を無理矢理にでも引き上げさせられる。察する期間は修行で補えと言ってくるに違いない。

 

 故に、今のリィンならば老師も認めるだろうと思った。

 心も腕も磨いた。何より、あの陛下の誘惑に一度は打ち克ったのだ。彼自身は気付いていなくとも、他ならぬレイは良く知っている。魔神の誘惑など、生半可な人間が断れるはずがないのだから。

 

「―――リィン、彼の言う通りだ。老師より、手紙を預かっている」

 

「受け取っても、宜しいですか?」

 

「無論だ」

 

 父より師からの手紙を受け取るリィンを横目にしながら、レイはゆっくりと席を立った。折角の帰郷である。父と子だけで話すこともあるだろうと、配慮した上での事だった。

 押し掛けたような分際で気ままに帰るのはマナー的にどうかとも思ったが、シュバルツァー親子は全く気にしてない様子で、寧ろ土産まで持たせてくれたのである。

 そしてそのお返しとして、レイは初めから渡そうと思っていたあるものをルシアに手渡す。

 

「これを。4月から撮り貯めていたⅦ組のアルバムです。彼は、あまりこういうものを渡しはしないでしょうから」

 

「あら、まぁ‼ わざわざありがとうございます」

 

「あとエリゼ嬢にはコッチね。学生寮(ウチ)の管理人のスーパーメイドが隠し撮……盗さ……個人個人を撮ったヤツで、リィンVer.の写真集」

 

「すみません、こちらおいくら万ミラでしょうか」

 

「エリゼ嬢、ちょっとその鼻血の量ヤバない?」

 

 玄関のカーペットに血だまりを作るレベルで流血しだしたエリゼの止血を、母親であるルシアが手早く行っていく。

 

「ごめんなさいね。この子、リィンに関することになると割と歯止めが利かなくなってしまうから」

 

「それはよく存じておりますとも」

 

 その親愛が、もはや兄妹の枠を超えていることも含めて。

 

 流石に客人の前で流血沙汰はマズいと悟ったのか、エリゼは写真集を受け取ってそそくさと自室へと戻って行ってしまう。その際、何度も頭を下げていたあたり、育ちの良さが滲み出ていた。

 

「……こんな事を訊くのは本当に不躾だと分かってはいますが、一つお伺いしても?」

 

「? えぇ、私に答えられることでしたら」

 

「彼は、リィンはお二方にとって、ずっと自慢の”息子”だったのですか?」

 

 それは、レイがどうしても理解できないこと。

 血の繋がった両親は、もうこの世にはいない。親子の絆というものの真髄を理解する前に、喪ってしまった。

 

 貴方の母親で幸せだった―――母は最期にそう言った。

 生きていてくれてありがとう―――義姉は消える前にそう言った。

 

 ただそれでも、自分があの人たちにとって誇れる人間になれているかは分からなかった。

 親にとって、どういった子が誇りになるのかが分からなかった。

 表面上、知識としては知っていても、その本心は理解しきれない。当然だ。自分は親ではないのだから。

 

 

「えぇ。あの子は私たちの誇りです」

 

 だが、ルシアは僅かも躊躇うことなくそう言ってみせた。

 

「例え血が繋がっていなくとも、あの子は私たちの家族で、私たちの自慢の息子です。誰がなんと言おうとも」

 

 そこには、紛れもない”母”の強さがあった。

 聞くまでもない事ではあったのだが、実際に聞くといっそ羨ましくなってしまう。

 リィンの半生も、決して幸福に満ちたものではなかった。それでも、彼は両親と妹には間違いなく愛されていた。何があっても、味方でいてくれる存在がいた。

 それだけで、彼は間違いなく幸福ではあったのだ。

 

「申し訳ありません。どうも自分は、こういった感情に不慣れなもので」

 

「ふふ、お気になさらず。私としては、貴方のような人がリィンのお友達になってくれて本当に良かったと思っていますから」

 

「買い被りですよ。自分は、そんな上出来な人間じゃありません」

 

「いいえ。だって貴方は、今優しく微笑んでくれたんですもの。子の身を案じてくれる友人がいるというのは、親として一番嬉しい事なのですよ?」

 

「……そういうものなんです?」

 

「そういうものなのです」

 

 成程、と納得をしながらもう一度礼を言い、レイはルシアに見送られてシュバルツァー邸を後にした。

 

 連峰の麓町特有の肌寒さが髪を撫でた。突き抜けるような蒼穹を一度だけ見上げてから、土産物を片手に寄り道をせずに宿泊所へと帰る。

 『鳳翼館』。皇帝陛下から下賜されたという由緒正しきその逗留施設は、確かに歴史を感じさせる風格が漂っていた。それでいて古さを感じさせない様相は、支配人と勤め人の腕の良さを語っている。

 

 2泊3日の小旅行。思った以上にゆっくりできそうだと柔らかい笑みを一つ落とす。

 だがこの時、彼は本当に忘れていた。

 

 何の皮肉でもなく、本心でそう思った時、彼の心が安寧であり続けた事など一度もなかったという事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――*―――*―――

 

 

 

「はい、じゃあ一曲目のボーカルは委員長。二曲目はマキアス。()()()はレイって事で異議ある人ー」

 

『『『ありませーん』』』

 

「いや、正直僕は……いや、もういいや」

 

「諦めろマキアス。お前地声は良いんだから、羞恥心だけ捨てりゃ良いボーカルになれるぜ」

 

「……そういう君は良いのか? 三曲目、トリだぞ?」

 

 そう言われ、しかしレイは談話室に用意された菓子を齧りながら、さして緊張していない声色で返した。

 

「上等だよ。学祭ライブのトリなんざそうそう張れるモンじゃねぇ。クロウ、曲は?」

 

「決めてある。お前の曲もだ、レイ。最ッ高に盛り上がるステージにしてやるよ」

 

「ホント、こういう場合は良い仕事するよなぁ」

 

 クツクツと笑う級友を見て、マキアスも一つの溜息で心を落ち着かせる。エマの方は早いもので、もう覚悟を決めたようだ。

 

 士官学院学院際におけるⅦ組の催し物。昨年のトワを中心とした、帝国ではまだ普及しきってはいないロックバンドを踏襲する形で。

 とはいえ、昨年のそれよりかは大人しいものになるだろうとは予測していた。実際、過激すぎて教職員から少しばかり叱られたと聞いている。

 

 ただそれでも、盛り上がるのならば良い。

 思い出作りには持って来いの場だ。ならば、せめてとことんまで盛り上がるのが礼儀というものだろう。

 

「レイは楽器の演奏はできる?」

 

「メジャーどころは一応、処世術ってことで叩き込まれた。だが、流石にギターやベース、ドラム系の経験はねぇなぁ。……1日くれ。本職には届かねぇだろうが、全部それなりに演奏できる程度には仕上げる」

 

「仕事人すぎる」

 

「言い方がいちいちカッコいいんだよなぁ……一度言ってみたい」

 

 茶化すクロウを他所に、エリオットは安心したように微笑んだ。

 実際、バイオリン、ピアノ、フルートなどといった楽器の演奏方法はどのような場所にも適応できるようにとソフィーヤから仕込まれていた為、嘘ではない。余程扱いが特殊でなければ数日で大抵をマスターできるのも事実だ。

 

 そも、学祭の演奏程度なら多少のミスはその場のノリで中和できる。……というのは通常の場合だ。

 エリオットが教育役である。彼は普段やや内気な印象があるが、こと自分がハマった分野に対しての執着はⅦ組一と言える。

 特に音楽に関してはそれが顕著だ。彼は、音楽に関しての妥協を決して許さない。笑顔のまま、涼しい顔のまま、鬼畜じみたクオリティを要求してくる。

 

 ここから先は地獄じみた特訓が続くな、とレイは思った。ともすれば自分やサラが課している戦闘訓練と同等レベルの特訓が。

 

「ま、どうせ合わせの時間は必要なんだ。気負うなよ。俺が言っちゃあダメだが、お前ら修羅場には慣れてるだろうが」

 

「ホントに言っちゃダメな奴だな‼」

 

「慣れたくて慣れてるんじゃないわよ‼」

 

「あはは、大丈夫だよ皆。最初は誰だって初心者なんだから」

 

 そんなエリオットの言葉に、楽器を触ったこともないメンバーがほっと胸を撫で下ろす。

 だが、幼少の頃から師と呼べる存在に鍛えられた者達には、逆に悪寒が走った。

 

 

「うん、初めてなんだから覚えは早いよね。今から2週間と少し、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「楽譜はもう作ったから、最初はこれを頭の中に叩き込む事。いつ振られてもソラで自分のパートが演奏できるようにね」

 

「大丈夫。()()()()()()()()()()()()()() むしろ時間がかかるのはレイが言ったとおり皆で合わせる事だから、楽器の扱い方も含めて、覚えるのに使える時間は5()()ってところかな?」

 

「心配いらないよ。僕が付きっ切りで教えるから。分からないことがあったら何でも訊いて? 無理だと思ったらとりあえず僕に言ってね? 絶対に、君たち全員、恥ずかしくない状態でステージの上に立たせるから」

 

 

 後に、レイはこう語る。

 あの時のエリオットは、一流の武人が出す闘気に勝るとも劣らない気迫だった、と。

 

 

 

 

 ミーティングが終わり、それぞれ休み明けの地獄を憂いながら自由行動のためにバラバラになる。

 

 レイはと言えば、特にすることもなくなったのでそのまま談話室のソファーに掛けながら窓から見えるユミルの景色を眺めていた。

 こう言っては何だが、ユミルには温泉以外にさしたる観光資源があるわけではない。豊富な自然と言えば聞こえは良いが、それは裏を返せばそれしかない際の誉め言葉であるとも言える。

 

 とはいえ、ユミルをただの田舎と貶すつもりは毛頭ない。こういった場所での骨休みは、ならではの休み方がある。

 幸いにして明日帰らねばならないという訳ではない。今日くらいはこうして何もせずにゆっくり『鳳翼館』内で過ごすのもいいだろうと思っていると、対面のソファーにリィンが腰掛けた。

 

「どうした。今日一日くらいは実家の方でゆっくりした方がいいんじゃないか?」

 

「いや、折角の陛下のご厚意だ。父さんと母さんもそうした方が良いと言ってくれたよ」

 

「難儀な奴だな。……アリサを実家に誘わなかったのは、エリゼ嬢に対する配慮のつもりか?」

 

 言っては見たものの、リィンの実家に恋人として挨拶に行くことを躊躇ったのはアリサの方だ。理由を訊けば、今レイが問うたそれであったが、当のリィンはどう思っているのかと思って訊いてみたのだが……。

 

「? なんでエリゼが出てくるんだ? エリゼならむしろ歓迎しそうなんだが」

 

「……いや、何でもない。忘れろ」

 

 暮らした期間が長かった弊害か。リィンは未だにエリゼが自分に対して恋愛感情を抱いていることを察していない。

 この綱渡りのような関係をどうするべきかと考えたことは何度もあったが、当人同士の異性関係の如何に他人が口を出しても碌なことにはならない。全てを知った時どうするべきかもリィンが考えるべきことだ。

 いっそ開き直ってレイのように全てに愛を注ぐと決めるならばそれも良いだろう。そうなれば気苦労は絶えなくなるだろうが、後悔するより余程良い。

 

「んで、ユン老師からは何とあった? 悪い知らせじゃあないだろ?」

 

「あぁ。俺に八葉の”中伝”を授けられるか否か、それを判断するとあった」

 

 《八葉一刀流》の中伝。それは一人前と認められた証。その先の”奥伝”に至った者は少なく、また真の”八葉”の後継者たりえるのはユン・カーファイが直接教えを授けた者達のみ。

 無論、そうであれば試練なしで授けられるものではない。何を以て”中伝”たりえる存在と認められるのか。

 

「弟子の一人を向かわせると。その人と戦った結果で中伝を授けるか否かを定めるとあったよ」

 

「ふぅん。ということはお前の兄弟子か姉弟子って事か。それに、老師の直弟子なら八葉の後継者の一人……軽く見積もって”準達人級”以上は固いぞ」

 

 そしてそれが”一葉”を担う《剣聖》の一人であったのならば、間違いなく”達人級”。天才の枠を超えた超人の一人。

 ご愁傷様、という言葉は呑み込んだ。これが彼にとっての試練なら、自分が何かを口にすべきではないし、人読みに長けた老師が試練を課すというのなら、それはリィンが乗り越える事を見越しての事だろう。

 

「分かっている。……一度は修行を打ち切られた身だ。今度こそ、やってやるさ」

 

「その心意気は分かるが、あまり気負うなよ、リィン。武人ってのはな、何かを気負った奴から弱くなっていくモンだ」

 

 嘗ての自分が、惨めなまでに弱かったように。

 何かを背負わない者は弱いが、何かを気負った人間は更に弱くなる。

 例え”達人級”の武人であっても、否、超人であるからこそ、人の弱さに穿たれれば脆い。背負う事をものともしない存在であれば、その心配はなくなるのだが。

 

「しかしお前は本当に恵まれている。師は不可能を提示せず、父も、母も、妹も、いや、故郷の皆がお前を愛している」

 

 それがレイにとって眩しく映ったのは当然の事だろう。

 彼も決して愛されていなかったわけではなかったが、見放された事の方が多いのだから。

 

「……サラ教官やシャロンさん、クレア大尉。それに一応、俺たちもいる。それだけじゃ不満なのか?」

 

「お前も言うようになったね、リィン。……ま、今のは俺が悪かった。らしくもなく、嫉妬じみた事を言っちまったよ」

 

 だがな、とレイは続ける。

 

「親に恵まれてるってのはありがたい事だ。俺も母上には愛されてたって自覚はあるが……親父は、どうなんだろうなぁ」

 

「そういえば、レイのお父さんってのは―――」

 

「さてね。俺が生まれてすぐに死んだ。―――アリアンロード卿に討たれたんだよ」

 

「っ‼」

 

 アリアンロード。その名前を聞くだけで、リィンの背中に冷たいものが走る。

 ローエングリン城で相対した、人を超え、人に非ざる領域に踏み入れた武人。”絶人級”の存在。

 だがその怪物の名を、レイは恐れる事もなく口にした。「彼女が父親を殺した」のだと。

 

「親父は傭兵だった。フィーみたいに猟兵団に所属してた訳じゃない。個人で動いていたフリーの傭兵。……近代化した時代でも需要はあるのさ、そういうの」

 

「……強かったんだな。多分」

 

「アリアンロード卿が「生まれる時代を数百年間違えた英傑」と称するくらいにはな。……あの人と本気で戦り合って()()()()()()武人なんて、数えるほどしかいねぇよ」

 

 嘗て、義兄と力を合わせて限界以上の力で戦い続けてなお、兜を剥がすだけで精一杯だった事を思い出す。

 そして今も思う。自分の父も、分かりやすく化け物の側の武人であったことを。

 実際に会ったことはない。その性格は母に、その実力はアリアンロードと師に聞いただけ。

 

 母を蟲毒の中から連れ出した男。子に名をつける時に希望を託した父親。武人として絶対的に近い強さを持った存在。

 会ってみたかった、というのが正直なところである。武人の先達としても、親子としても。

 

「レイは、恨んでいないのか?」

 

「アリアンロード卿を? いや、全然? あの人には、恨んでくれて一向に構いませんとは言われたけど、最初からそういう気にはなれなかったな。親父は多分、斃されんの覚悟で挑んでただろうし、最期まで愉しんでただろうさ」

 

 それは、武の道に憑りつかれた者にしか理解できない感覚。

 己より強い存在に相対した時の、逃れられない高揚感。この戦いを最後まで愉しみ抜きたいという戦闘狂(バトルジャンキー)の思考。

 それが理解できてしまう程度には、レイもまたその素養があった。

 

「どうしようもねぇんだよ、そういうの。俺ぁ確かに戦争とか覚悟を抱けない奴を甚振るのとか大嫌いだけどな、”強い奴と戦いたい”っていう欲求は分かるんだよ。”達人級”になってからは特にな」

 

「俺は……いや、確かに高みに至りたいというのは分かる。でも、大切なものを置き去りにしてまで戦闘の高揚感に浸りたいとは、思わない」

 

「結構、正しい価値観だ。俺もそこまで狂いたくはないね。……あぁ、いや。別に親父を非難してるって訳じゃない。呆れてる訳でもない。母上の事を愛してたのは本当だろうしな」

 

 そして恐らくは、自分の事も愛してはくれたのだろうが、それを確かめる術はもうない。

 だからこそ、今現在でも自分が「愛されている」事を自覚できるリィンが羨ましかったのだ。

 

「ま、結構脱線しちまったが、要はアレだ。孝行したい時に親はなしとは良く言ったモンで、感謝の気持ちとかは素直に表しておいた方がいいぜ。……だってお前ら、”家族”なんだろ?」

 

 ”家族”と呼べる存在を悉く亡くした彼だからこそ、その言葉に重みを持たせる事ができる。

 それをリィンも分かっていたからこそ、素直に頷くことができた。

 

 本当の親の顔を思い出せずとも、自分を育ててくれた人たちは、間違いなく”家族”なのだから。

 

「OK。それが分かれば上等だよ。さ、話は終わったんだ。露天風呂に行くからお前も付き合え」

 

「って、まだ昼過ぎだぞ?」

 

「馬鹿野郎、折角帝国屈指の温泉地に来たんだ。朝昼夜で味わっとかねぇと損だろ」

 

「地元民より温泉の味わい方分かってるの何なんだよ」

 

 何だかんだ言いながら同様に立ち上がったリィンと共に、タオルと着替えを引っ提げて露天風呂へと向かう。

 男風呂の方の暖簾を潜り、早々に服を脱いで扉を開けると、そこには絶景が広がっていた。

 

 エルモ村の『紅葉亭』のそれよりも広いだろう。東方風の趣というものを再現しているその温泉は、人工的らしさを極力感じさせない、自然の中の贅沢を味わえるようになっていた。

 流石に10月のユミルの空気は素肌には厳しいが、湯から立ち上る湯気がそれを緩和させている。そんな温泉を広々と使うのもオツではあったが、生憎と先客はいた。

 

「あ、レイとリィンも来たんだね」

 

「先にお邪魔している。あぁ、本当にこの湯は心地が良いな」

 

 既に温泉に浸かって蕩けきった表情を浮かべているエリオットに、先程までの殺気じみた雰囲気を一切感じないことにホッとしたリィンは先に体を洗おうとして―――不自然に突っ立ったままのレイに声をかけた。

 

「レイ? どうした?」

 

「ん、あぁ、何でもない。とっとと体流して入ろうぜ」

 

 そして数分後、軽く体を流した二人は、足先からゆっくりと湯に浸かる。

 通常寮で使っているシャワーよりも熱めの温度に徐々に慣らしつつ、肩まで体を沈めると、自然と息が漏れる。

 

 空を見上げれば先程も見た蒼穹。だが、温泉に浸かりながら見るそれはまた違う様相を呈していた。

 それを感じるのもまた醍醐味だと感じつつ、体の中に残っていた緊張感を全て吐き出し、吐き出し切ってから―――口を開く。

 

 

 

「―――んで? 男風呂で何やってんですかね? ()()

 

「―――なんじゃ、気付いておったか。相も変わらず可愛げのない弟子じゃの」

 

 

 

 

「「「⁉⁉⁉⁉⁉」」」

 

 突如として男風呂内に響いた、()()()()

 だが、それよりも驚いたのは、自分たち以外に先客がいたという事。エリオットはまだしも、人の気配の感知に関して言えばフィーと並んで鋭いガイウスでさえも、驚愕に満ちた表情を浮かべていた。

 

 しかし、段々とその声の正体が分かってきた。

 男風呂の岩の影、それを背にして悠々と湯に浸かり、徳利を傾けながら風呂酒と洒落こんでいる赤髪の女性。

 

「その酒どっからかっぱらって来たんですかねぇ……というか一応此処、Ⅶ組(俺ら)の貸し切りなんですが」

 

「固いこと言うでない。この酒は湯に浸かる前に厨からちょいと拝借してきただけじゃ」

 

「うわマジかよ……これ後で俺が怒られるヤツじゃん……しゃあねぇ、サラが先走って一本飲んだことにしよっと」

 

 美女、と称するのも言葉足らずと思えるほどのプロポーション。それを目の当たりにしてエリオットは思わず目を背けたが、リィンとガイウスは違った。

 ()()()()()()。その女性が美しいか否かを判断する余裕すらなく、ゆらりと陽炎のように漏れ出る圧倒的なまでの闘気に、完全に気圧されていた。

 

 しかし、得物はない。だからこそ、目を背けずにどのように対応すべきかの思考を続けていた。

 呼吸すら不規則になる程の緊張感。温泉の熱に晒されているはずなのに体の内側から絶えず湧き出る悪寒。それを感じ続けていると、不意にその女性が二人に視線をやった。

 

「ほう。レイ、そこそこ見どころがある程度には育て上げたようじゃの。肝が据わっておるわ」

 

「ま、死線はそこそこ潜ってきましたからね。つーか、あんまり苛めないでやって下さいよ。こちとら骨休めで来てるんですから」

 

呵々(かか)ッ、すまぬすまぬ。つい癖でな。……安心せい、小童ども。このような場で無粋はせぬよ」

 

 その言葉が耳朶に入ると同時に揺らめいていた闘気が霧散し、リィンとガイウスは湯の中に崩れ落ちた。その瞬間には事態を把握したエリオットもまた同様に。

 

 再び一杯、酒を呷る。

 美味いと言葉にせずとも分かる息を吐いてから、再度レイに話しかけた。

 

「時にお主、歳は幾つになった」

 

「まだ17っすよ師匠」

 

「む、まだその程度か。まぁ、構わぬだろう。お主も一杯やれ」

 

「へいへい。一献頂きますよ」

 

 そうしてゆっくりと徳利を傾ける友人の姿を見ながら、リィンは考える。

 レイは、「師匠」と言った。つまりこの女性こそ―――レイを若くして”達人級”に鍛え上げた張本人。

 

 ”達人級”―――そう思おうとして、しかし本能が拒絶した。

 先程の出会い頭の形容し難い悪寒。それをリィンだけは知っていた。ローエングリンの最奥で出会ったその武人と、毛色は違えど同一の圧力。

 即ち、それは―――。

 

 

「馬鹿弟子が世話になっておるな。儂の名はカグヤ。この小僧の剣の師でもあり―――第七使徒麾下、《鉄機隊》の副長を務めておる。よしなに頼むぞい」

 

 

 間違えようもない、”絶人級”の気配であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






帰郷とか言っといて修羅人間突っ込むのどうなんですかねぇ……。どうも、十三です。

最近体の調子良くないし、引っ越しの準備もあるしで休日にマトモにPC触れてない気がする……駄目だ。
買ったばかりの『世界樹の迷宮Ⅹ』にもロクに触れてない……それもこれも全部FGOのサバフェスが悪いんだそうなんだ。


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温泉郷帰郷録 弐

 

 

 

 

 

 

(わたくし)としては、貴女がそう言った理由で”弟子”を取ったこと自体驚きではあるのですが」

 

 ある日、親友であり、戦友であり、永遠の好敵手でもある女がそう言った。

 

「私が知る限り260年、貴女は誰一人としてその剣を継承しようとはしなかったでしょう? どれだけ頼み込まれても、どれだけ金銭を積まれようとも」

 

「そうじゃのう。才ある者は、まぁそれなりにおったが、いまいち儂の琴線に触れんでの」

 

「……そうですか」

 

 彼女は、それ以上深く聞いてくることはなかった。

 この二人が、「主従」ではなく「友人」として話す事は少なくなったが、偶のこういう時間にも、和やかに言葉を交わし続けるという事はない。

 

 武を磨き、戦場で生き続けた彼女だ。人の事を言えるわけではないが、普通の女性のような価値観は持ち合わせていない。穏やかな世間話など、夢のまた夢だ。

 叩き込まれたのは戦場で生き残る術、武術の全て、兵を統率する方法……蝶よ花よと愛でられることもなく、戦う事のみを強いられた人生。

 恐らく()()()と出会わなければ―――ヒトとしてもっと無機質なモノであったに違いないと確信できる程度には。

 

 

「……お主も分かっておるじゃろう、リアンヌ」

 

 コト、と先程まで傾けていた酒器を置き、今となっては呼ぶ存在など限られたその名で呼ぶ。

 

「”アレ”は運命に翻弄された者。歴史に見放された者。()()()()()()()()()。……儂も長くこの世界におるが、あそこまで深く神の寵愛を受けた者はおるまいよ。皮肉な事にな」

 

「……であれば、ザナレイアであっても良かったのでは? 彼女も同じく神に愛された者でしょう」

 

「あの女は神の愛を受け入れた。だが、あの小僧は()()()。神の奴隷となる事を嫌い、ヒトで在り続ける事を選んだ。―――()()()()()()()()など、言うまでもなかろう?」

 

「…………」

 

「あの小僧は儂を飽きさせまいよ。どれほど魂を磨ききるか、どれほど強き戦士となるか……嗚呼、儂の眼を以てしても、あ奴の”可能性”は読み切れぬ」

 

 それはとても、愉しそうな顔であった。

 彼女はあの地獄で何を見たのか。無垢な子供の死体が積み重なったあの研究所の昏い牢の中で何を見たのか。

 

 己の無力を嘆き、叫び、残りの人生全てを投げ打つ覚悟で縋ったその少年の眼は、どのような色を灯していたのだろう。

 

「きっと貴様も気に入るだろうよ。あの魂の色はそうお目に掛かれるものではない。根は聖者に近しいクセに、贖罪のために努めて罪人で在ろうとする。当人はまぁ、死ぬ気で否定するじゃろうが、アレもまた間違いなく、世が生み出す”英雄”の一角に外ならん」

 

「貴女が言うのでしたら、そうなのでしょうね」

 

「あぁ。儂にはあ奴を”英雄”に仕立て上げる()()がある。世界の終焉(おわり)(あらが)える、強き軌跡を描ける英雄を」

 

 その眼には、先程までの享楽に浸った者の色はなかった。

 そこにいたのは守護者。世界を護る者。進化を決して許されなかった、神が生み出した人世を俯瞰する存在。

 

 総じて、《始祖たる一(オールド・ワン)》と呼ばれる輩の生き方とはそういうものだ。

 誰だって、ヒトらしい生き方をしようとはしない。永く生きた代償とも言えるのだろう。達観に徹する者もいれば、人間を玩具として愛でる者もいる。

 そしてカグヤという女が選んだ道は、「己の欲望に忠実である道」だ。

 

 長い命の中で培った絶対的な武芸と千里眼を携えながら、彼女は自分がやりたいように生きてきた。250年前にリアンヌ・サンドロットと組んでドライケルス・ライゼ・アルノールの指揮の下、帝国各地を荒し回ったのも彼女の意思に他ならない。

 ただ単純に「面白い」と思った。それだけの理由で。

 だが今は―――彼女にしては珍しく―――自らが生まれ抱えた使命のために動いてもいた。

 

 

「お主があの若獅子の小僧と交わした約束を果たす為だけに生きているのならば、儂は……業腹だが、やはり世界を護らねばならぬ。例えそれが、お主を討つ未来に繋がろうともな」

 

「……私がそれを責めるとでも? 私のような、既に終わってしまった命に遠慮をするほど青くはないでしょう? 貴女は」

 

「呵々ッ‼ 無論‼ 儂らのようなヒトならざる者にヒトの倫理など不要よ‼ 嗚呼寧ろ、お主を殺せるのならば儂の命の全てをくれてやろうとも。―――我が生涯、最強の好敵手よ」

 

 それは悲願だ。最も強き者を打ち倒し、或いは最も強き者に打ち倒される。

 それこそが武人の誉れ。最期はそうでありたいと願う、狂人の思考だ。

 

 ―――そして、それが()()()()こともまた理解していた。

 

 

「だが我らは、揃ってヒトの定義から外れた者。片や死にぞこない、片や神の玩具。なれば、ヒトに非ずの化け物であるならば、我らはヒトの手によって討たれるべきであろうよ」

 

 無窮の武と称えられようとも、人外と畏怖されようとも、彼女らは本来生者に関わってはならない存在。

 その道理を捻じ曲げてまで、果たすべき約束が、役割がある。それを善い行いだと思ったことはないし、その因果の応報は死であるべきである事など重々承知だ。

 

「儂はあ奴に賭けた。あ奴であればいずれ儂を()()()。己が手掛けた弟子に殺されて死ぬのなら……本望じゃろう?」

 

「……贅沢というものです、それは。私たちには既に武人として死ねる権利など無い。路傍に落ちる石のように、誰にも知られず朽ち果てても何も文句は言えないのですから」

 

「ハッ、”死”に良きも悪きもあるものか。儂とて贅をぬかしておるわけではない。儂を殺すまでにあ奴が死ねば()()()()()()。あ奴に殺される前に儂が死ねば、それも()()()()()()。所詮、その程度でしかないわい」

 

 一息と共に煙管を銜えた口の端から紫煙を吐き出す。

 その不敵な笑みは全てを達観しているようで、しかしただの一欠片たりとも諦観はしていない。自分が今から為そうとしているその全てを余すところなく愉しんでやろうという悦に入った笑みだ。

 

 リアンヌ―――アリアンロードはその笑みが決して嫌いではなかった。

 それはある意味での羨望でもあった。自分が決して出来ない愉しみを見出す友を、どこか羨ましいと思ってしまうのだ。

 無論、自分がそれに手を出そうなどとは毛程も思っていないのだが。

 

 

 すると、二人が顔を突き合わせていたその部屋に、一人の人物が入ってくる。

 

「ご歓談中申し訳ございません、マスター、筆頭」

 

「構いませんよ、ソフィーヤ。どうしましたか?」

 

 一寸たりとも乱れなく白銀の鎧を纏った長身の美女。主であるアリアンロードと比べても勝るとも劣らない玲瓏たる美貌を持ちながら、《聖楯騎士》の異名を持つ”達人級”の武人。

 《鋼の聖女》の後継者と呼ばれるほどの彼女は、しかし今、どこか憂うような表情を滲ませていた。

 

「例の子が目を覚ましました。……精神はお世辞にも安定しているとは言い難いのですが、その」

 

「ソフィーヤ、お主から見てあ奴の眼はどう映った?」

 

 唐突な問いかけに、しかしソフィーヤは悩むこともなく言い放った。

 

「強い子です。あの歳であれだけの凄惨な体験をしたというのに、己が何をすべきかを既に心得ています。―――ですがその内側に弱さもある。あの歳で既に、()()()()()()()()()()()()()()

 

 それではいずれ朽ち果てますと、断言する。

 上司に対して僅かの遠慮もなしに放たれたその意見を、しかしカグヤは何の抵抗もなく受け入れた。

 

「及第点じゃ。だが元より儂は武に関する事しか叩き込めぬ。それしか能がない故な。―――だからこそソフィーヤ、お主があ奴の可能性を拡げよ」

 

「……それはつまり、私が彼の教育係になるという事でしょうか?」

 

「うむ。あ奴に教育を与え、倫理を諭せ。儂の見立てではあ奴は文官の才もあろう。あぁ、理由については適当に濁しておけ。お主に任す」

 

「……承知致しました。このソフィーヤ・クレイドル、必ずやあの子を立派な紳士に育て上げて見せましょう」

 

 そうして退室するソフィーヤの背中を眺めながら、カグヤは懐かしいものを見たかのようにクツクツと笑った。

 

「あ奴の生真面目さを見ていると、アルゼイドのところの嫁御を思い出すのう。あの女傑は、あれで中々面倒見が良かった」

 

「……えぇ、そうでしたね。随分と懐かしい」

 

「―――いかんな。考えが完全に(ばばあ)のそれじゃ。近いうちに《鉄機隊》も若い奴らに任せんと、いい加減老害扱いされてしまうわい」

 

「ふふ、引退して遊び惚ける口実でしょう?」

 

「何故分かった」

 

「一体どれほどの間、貴女と並んできたと思っているのですか?」

 

 会話を始めてから初めて笑みを見せたアリアンロードを見てしてやったりと言った表情をしながら、カグヤは席を立つ。

 

「ではの。精々壊れない程度に鍛えてやるとしよう」

 

「期待していますよ」

 

「任せておけ。お主の眼鏡にも叶う、特級の剣士に育て上げるとしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

「サラも不幸だな。師匠に捕まったら死ぬ直前まで飲ませられるぞ」

 

 控えめに言って半分死んだような目でレイがそう呟く。

 1Fの談話室が完全に混沌渦巻く飲み会場になってしまった為、リィンに割り当てられた部屋に入り浸ったⅦ組の面々はその言葉に一斉に溜息を漏らす。

 

「露天風呂の方からとてつもない覇気を感じたと思ったら……またお前が持ち込んだ厄ネタか、レイ」

 

「昔っからノリと勢いで動いてる人だからなぁ。自然災害みたいな感じだから深く考えたら負けだよ」

 

「ラウラとフィーなんか私の部屋でゆっくりしてたらいきなり跳ね起きて武器構えだしたのよ。何事かと思ったわ」

 

「すまぬ。まさか離れた場所で漏れ出た覇気だけで一瞬死を覚悟するとは思わなかったのでな」

 

「多分本当に一瞬だけ心臓止まった。……こんなの団長と《闘神》の死闘があった時以来かも」

 

「……見たところ、差があるみたいだな。僕なんかは少し違和感を感じる程度しかなかったんだが」

 

「だよなぁ、俺なんか飲み物吹き出したぜ」

 

 彼女の異常なまでの覇気、闘気を感じ取ることができたのは、リィン、ガイウス、ユーシス、ラウラ、フィー、クロウの6人。その現象について、レイは確証を以て答えた。

 

「まぁあの人の事だから、それなりに氣を練れる奴に限定して()()()()んだろう。その方が面白くなるだろうって思ったんだろうな」

 

「お、面白くって……」

 

「中々、その、突飛な方みたいですね」

 

「委員長、別に遠慮しなくてもいいんだぞ。あの人普通に自分が刹那主義の性格してるっての自覚してるから。俺普通に「師匠ってイカれてますよね」って言ったことあるぞ。半殺しにされたけど」

 

「いや遠慮するわ」

 

「むしろその流れでなんで遠慮しないと思ったのか」

 

 その学友たちの反応に、これ以上深く考えるのも無駄だと悟ったのか、レイは手元のカップに残っていた紅茶を一気に飲み干すと立ち上がった。

 

「ま、とはいえこの宿に迷惑をかけるわけにもいかねぇな。あのまま酒盛りしてたら、ユミル中の酒を飲み散らかしかねん」

 

「ゆ、ユミル中って……」

 

「流石にそれは誇張表現なのではないか?」

 

「お生憎、師匠はそれを()()()()()。俺も修業時代は師匠に色々な場所に連れ回されたが、酒蔵を空にされた可哀そうな街が一体幾つ出来たのやら。あぁ、勿論それに応じた金は支払ったし、その土地の呑兵衛共は揃いも揃って称賛してはくれたがな」

 

「おう……」

 

「ユミルは高山葡萄のワインと東洋風の米酒と芋酒が絶品だって言うじゃないか。名産だと聞けば必ず飛びつくのが師匠だ。止めてくる」

 

 そう言ってレイはリィンの部屋を後にし、途中で厨房に寄ってコップ一杯の白湯を貰ってから談話室へと足を運ぶ―――その道中、何故かずっとリィンとラウラとフィーが後を付いてきていた。

 

「何故付いてくるし」

 

「教官を自室まで運ぶ人手が必要だろ?」

 

「少し、確かめたいことがあってな」

 

「私は単純に興味。レイのお師匠様を見てみたい」

 

 そんな理由で付いてくる彼らを、レイは止めなかった。その理由は理解できるし、何より彼方が拒否していないのであれば振り払う必要もない。

 嫌な予感をひしひしと感じながら談話室へと繋がる扉を開くと……そこには予想通りの地獄が広がっていた。

 

 無数に転がる酒瓶、酒樽。部屋中に酒気が充満し、もはやそれは瘴気と呼んで差支えがない程。

 レイに付いて入室した三人が思わず顔を顰める中、そうなっているだろうなと思っていた当人だけは構わず進む。

 

「クハハハッ‼ やはり儂と飲み回せるのは貴様だけか、シオン‼」

 

「いやぁ、はっはっはっ。近頃は主に禁酒を言い渡されていましてな。これほど飲み干せるのは久方ぶりです」

 

「あ奴も細かいのう。酒の愉しみを知らぬ小僧の癖に、小煩くてかなわん」

 

「一年中酒に溺れているくらいなら多少小煩い方がマシだと思いますけどね?」

 

 ビクリ、とシオンが肩を震わせたが、カグヤは不敵に笑い続ける。

 

「師匠、ご存知かと思いますが、ウチの式神は過度に酒が入ると調子に乗ります。すべきことを忘れて、何かをやらかします。……いや、別に酒を嗜む事は悪くねぇんですがね」

 

「貴様も言うようになったな馬鹿弟子。”これ”は、貴様の式神として零落したとはいえ”聖獣”の一角。女神が産み落とした至宝を見守る世界の護り手であろうに」

 

()()()()()()()()()()()()、師匠。彼女は俺が死ぬまで俺の(しもべ)。主として拙い事は正しますよ、そりゃあ」

 

「あ、主……」

 

「酔いは醒めたな? ……まぁ、そこにある酒は好きにしろ。俺もちと、お前に我慢を強い過ぎたな」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 元より慰安旅行である。小煩い事を言うつもりなど最初はなかったが、それでもこの惨状は目に余る。最終的に支配人各位に頭を下げるのはレイなのだ。

 そして、早々に潰れて床に倒れていたサラの腰を抱えて持ち上げる。

 

 完全にイッてしまっている。どれだけ飲み、飲まされたのかは知らないが、恐らく向こう3日はまともに歩けまい。

 しかしそれでは困る。これでもⅦ組の責任者だ。これ以上泥酔した姿を部外者の眼に晒すわけには行かない。

 レイは用意した白湯に懐から取り出した紙袋に包まれた粉末状の薬を溶かし入れる。透明な色の白湯が僅かに緑色に染まったのを確認すると、レイはそれを口に含み―――

 

「ほう?」

 

 カグヤが揶揄うような視線を向けるのも構わずに、サラの口を僅かにこじ開けて、口移しでそれを飲ませる。

 性的な意味合いがあったわけではない。ただ、その一連の流れに僅かの躊躇いも無かった為、()()()()()()()()()()()()()()()()なのだと思わせるには充分だった。

 

「不器用な貴様も漸く女の扱いに慣れたか。感慨深いものよな」

 

 無論、レイが今したのは治療行為だ。白湯に溶かし込んだのは彼が調合した特製の酔い止め薬。サラの体質に合わせて作ったものである。

 元々薬師の息子として生まれ、母の仕事ぶりを見て育ち、執行者時代にはこういった知識にも長けていたアルトスクに調合技術を片手間に習っていた彼の調合技術の腕前は―――本職には流石に劣るが、それでも個人の体質に合わせた薬を作る程度なら時間をかければ何とかなるのだ。

 

「茶化さないでください。……リィン、ラウラ。サラを頼んだ」

 

「あ、あぁ」

 

「任せておけ」

 

 二人はそう返事をすると、サラの腕を片腕ずつ肩に担ぐ形で負担をなるべくかけないように体を持ち上げる。

 実のところこの二人も、カグヤから漏れ出る闘気に対して気張るのに精一杯で、余計なことを考える余裕などなかった。それと同時に、リィンは体の内側が疼くような違和感を、ラウラはどこかその容姿に懐かしさを感じていたが、終ぞそれを口にすることはなかった。

 

 そして一人残ったフィーは、一見ただ佇んでいるだけのように見えて、切れる寸前まで張り詰めた緊張感を纏いながらしっかりと臨戦態勢を取っていた。

 しかしながら、その眼光はいつもより揺らいでいる。まるで主人の脇で威嚇する子猫を見るかのように、カグヤもカグヤで面白がるのをやめようとはしない。

 

「フィー」

 

「……レイ」

 

「お前も戻れ。……この人は別格だ。ルトガー団長と《闘神》のオヤジが共闘してかかっても恐らくは勝てない正真正銘のバケモノだぞ」

 

 その小声を聞いた瞬間にフィーは眼を見開き、しかしすぐに悟ったのだろう。その言葉が決して過剰なものではないのだと。

 決して目を逸らさないようにして退室していく様子を見て、カグヤは笑みを深くした。

 

「アレが《猟兵王》の形見か。ただの小娘かと思ったが、成程確かにS級猟兵団で二つ名持ち(ネームド)であっただけのことはあるか」

 

 ふぅ、と銜えていた煙管を離して紫煙を吹きながらそう評価する。

 

「あと数年もすれば確実に”準達人級”最高位に至れる才はあると見た。クク、貴様が入り浸るだけあって面白い連中が揃っておるではないか」

 

「まぁ、十人十色ですよ。何より、根性と覚悟がある。……過去の俺なんかより、よっぽど上等な連中です」

 

「先の小僧と小娘にしてもそうじゃのう。鬼子だけに飽き足らず真祖を飼う小僧に、アルゼイドの小僧の末裔……因果は巡るのう。面白くて敵わんわい」

 

 実のところ、こういう事を考えている時のこの人が碌な事をしないのは分かっている。

 興味を持たれたら、そこで終わりだ。その強さを見せてみろなどという理不尽な理由で喧嘩を吹っ掛ける人なのだから。

 

 だが、まぁ。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「しかしこの郷は良き場所よな。心身を癒す湯があり、美味い酒があり、そこに生きる民たちは自然を是として受け入れている―――時代が進めば生き方も変わるのが人間だが、変わらぬを良きとするのも人だからこそ出来る贅というものよ」

 

「師匠の場合、美味い酒が飲めれば何でも良いのでは?」

 

「クハハッ、否定せぬ。浴びるほど飲み、そして月夜を眺めて余韻に浸るのが良き酒の飲み方というものよ」

 

「嗜む程度が一番美味いと思いますけどねぇ……まぁ、夜の散歩と洒落込みたいのなら、山道に行きましょうや」

 

「む? 珍しいのう。《結社》に居た頃は儂の()()()()()に付き合うのを死ぬほど嫌がっておったではないか」

 

「何言ってんですか。今でも死ぬほど嫌ですよ。……でもまぁ、アレです。師匠孝行できる最後の機会かもしれねぇっすから」

 

 その言葉には後悔も郷愁もなかった。ただの事実を事実として伝えただけ。

 そしてそれに対して、カグヤも何も返さなかった。煙管を銜えたままゆっくりと立ち上がり、レイの横を通って談話室から出ていく。

 

 冷や汗が噴き出した。

 リィンたちがいた手前堪えてはいたが、本気の闘士を剥き出しにしたカグヤを前にすれば、慣れているはずのレイでさえ気を抜けば膝をついてしまいそうな圧迫感を押し付けられる。

 ただ横を通られただけでこれだ。《結社》を去ってから5年と少し。これ程までに()()()のかと、己を叱責して鞭を打つ。

 

「シオン」

 

 恐らくは震えていない声で、僕を呼ぶ。

 

「後は任せた」

 

「……御意に。ご武運を」

 

 彼女もまた、多くを語らず、問わない。

 着いていくのは無粋だと理解しているからこそ、ただその一言で主を送り出す。

 

 武人の逢瀬に、ヒトならざる者がいてはならないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 浅い呼吸を、何度も何度も繰り返す。

 それでも、首筋の悪寒が止むことはない。立ったままの鳥肌がおさまることもない。

 

 恐怖という感情は戦場で覚えたはずだった。それを理解しても足を竦ませることなく動ける癖もつけていたはずだった。

 

 だが、アレは違う。アレは別格だ。

 

 レイは言った。S級猟兵団の頭目である《猟兵王》と《闘神》双方の力を以てしても、届かない領域だと。

 一瞬だけだが、その言葉を疑ったのも確か。聡明な頭脳と獣の如き荒々しさを併せ持ったあの剛力の達人たちが、敵わないことがあるものかと。

 

 しかし、直後に己の愚考を恥じた。後ろ腰に差した双銃剣に手を伸ばす事すらできず、睨みつけるのが精々であった。

 ()()()()()()()、と。戦場で鍛えた直観力がそう雄弁に語っていた。それに耳を傾けて従ったのは、優秀だったと言えるだろう。

 

 酒に呑まれていた? 否、あれは完全に飲み込んでいた。もし双銃剣に手を伸ばして殺意の刃を向けていれば、確実に命を取られていただろう。

 

「(いや、そもそも……)」

 

 ()()()()()()() という根本的な疑問が頭を過る。

 ザクセン鉄鉱山で相対した、ナニかに憑りつかれたかのような《帝国解放戦線》の幹部―――それと比べるべくもない程の()()

 

 一瞬だけだったが、カグヤという武人の姿に”鬼”を見た。

絶対に勝てない。残りの一生全てを技の研鑽に費やしても到底追いつけない人外の存在。部屋に戻って暫く経ったというのに未だに足が震え、呼吸が早くなるほどに恐怖しているのがその証拠だ。

 

 だが、その呼吸が整う前に、サラが運び込まれたこの部屋に新たな闖入者が現れる。

 

 

「よっ、と。サラ殿のご加減は……よろしいみたいですな。一応急性アルコール中毒にならない程度には気を付けておりましたが」

 

「教官が意識無くすレベルで酔うって見た事ないんですが……どれだけ飲まされたんですか」

 

「まぁ三杯ほど……樽を」

 

「桁が違った」

 

「これが大人の付き合いというものか。私も精進せねば」

 

「ラウラのそのベクトルが変に真っ直ぐなところ嫌いじゃないよ」

 

 仮姿の狐のぬいぐるみから元の姿に戻ったシオンがサラの顔を覗き込むと、若干表情が緩んでいた。口移しでの接触が無意識レベルで感じられる程には()()()なっているさまが見て取れて、シオンは変な笑いを漏らす。

 

「おや、フィー殿。まだ震えは止まりませぬか」

 

「っ……」

 

 かと思えば、話のついでのように核心を突いてくる。

 何も言い返せずにいると、しかしシオンは何を窘めるでもなく、寧ろ優しくフィーの頭を撫でた。

 

「無理をなさいませぬよう。それはヒトであれば感じねばならぬ恐怖です。主でさえ、今でもあの方の覇気の全てを受け止める事は叶いませぬよ」

 

「…………」

 

「皆様方もどうか、あの方を恐れた事を恥じませぬよう。ヒトの道理を踏み外したくなければ」

 

 それは、シオンの裏のないアドバイスだった。

 その覇気に僅かも怯むことがなくなれば、それはもう、ヒトの理を外れたバケモノの道に足を踏み外すという事。

 踏み入れるのではなく、()()()()()()。武人としての極致を垣間見る代わりに、ヒトとして失ってはならないモノを失う瞬間。

 

 それは理解できた。しかし、リィンは納得は出来なかった。

 

「レイは、あいつは()()()()事を自ら望んでいるんじゃないですか?」

 

「あ……」

 

「師を超えなければ、そうでなければ自分は強くなれないと思い込んでいる。俺はアイツと出会ってまだ半年程度ですけれど、そう思ってしまう程に自分の強さに無頓着な人間であることは、知っているつもりです」

 

 自分は弱いのだと。彼は幾度かそう言ってきた。

 それは過剰な謙遜ではない。武の実力ではなく、心がだ。まるで鋼を鉄槌で打ち付けるかの如く、追い込んで、追い込んで、砕かれ壊れる寸前まで痛めつける自傷行為にも似た在り方でなければ己を鍛える事は出来ないと思っている男だ。

 

 とはいえ、それを間違いだという事は出来ない。

 彼の半生がそう思わせたのだ。強くなければ生き残れない世界で何度も何度も絶望を味わってきた半生が、その感性を生み出したのだ。

 

 師匠越えは弟子の義務の一つ。その感覚を否定はできない。

 だが、彼の師は恐らく―――乗り越えてはいけない存在だ。彼女を下した未来の彼は、果たして以前と同じ”レイ・クレイドル”であるのだろうか?

 

「……リィン殿は、いえ、皆様は、主を学友として案じてくださるのですね。武人としての憧憬でも求める強さへの憐憫でもなく、ただ共に歩む友として」

 

「……侮辱していると笑いますか?」

 

「まさか。私も従者としてそれらしく振舞ってはおりますが、所詮はヒトの感情を完全には理解しきれない獣です。故にこそ、主と心を通わせ、共に歩める貴方方が羨ましい」

 

 それと、と。シオンはベッドの方へと視線を向ける。

 

「恋人として、(つがい)として主に愛されている貴女も羨ましゅうございます」

 

「……言ってくれるじゃない」

 

 額に乗せられていた濡れタオルを掴み、その言葉を向けられた当の本人がゆらりと立ち上がった。

 

「サラ教官、やっぱり酔ってなかったんですか?」

 

「お生憎様、きっちり酔い潰されてたわよ。やっぱりアイツの薬は効くわね。癪だけど」

 

 そう言っても少しはフラつくのか、重々しそうに何度か首を振ると、苦々しそうにシオンを睨む。

 

「アイツの童貞を持って行ったのはアンタだって聞いてるわよ。シオン」

 

「それはご勘弁を。カグヤ殿にも「女の味を覚えさせろ」と言い含められておりましたし。ふふ、()()()()()()()()()()()()()()

 

「アンタ、まさかまだアイツを食ってるんじゃないでしょうね?」

 

「まさか。私が抱いていただいたのはあの一度だけ。サラ殿やシャロン殿、クレア殿の愛を邪魔はしませんとも」

 

 火花を散らして繰り広げられる”女”としての睨み合いに、周囲で聞いているリィンたちの方がいたたまれなくなってしまう。因みに、その会話が始まった直後にフィーの両耳はアリサによって塞がれていた。

 とはいえ、戦場で生きてきて鍛えられた聴覚が手で塞がれた程度で遮断できるはずもなく、そのこっぱずかしい会話は筒抜け同然であったが。

 

「……話が逸れたわね。それで? アイツは行ったんでしょう?」

 

「えぇ。四半刻ほど前に」

 

「ちゃんと帰ってくるんでしょうね?」

 

「さて、それは保証できかねますな」

 

 グッ、と言葉を詰まらせるサラと、まるでもののついでかのように答えたシオンに驚愕する一堂。

 

「……主が戻らない可能性を、そこまで平静に口にできるものなのか、貴様は」

 

 ユーシスが苦々しくそう言うも、しかしそれでもシオンはただ軽く首を傾げるだけであった。

 

「これは異な事を。武人が武人を誘ったのです。死合いとはそういうもの。己の命を賭けるならば、従僕たる私がその結末を口にすることがあってはなりませぬ」

 

「っ……」

 

「ですが、気になされるのも道理でありましょう。まぁ酒については少々強く咎められてしまいましたが、()()()をするなと釘を刺されたわけではありませぬ」

 

 するとシオンは、虚空から金色の焔と共に一つの”鏡”を現出させた。

 そしてその鏡面に移るのは、部屋の様子ではなく外の景色。薄暗くなり始めたユミルの険しい山道を、しかし地元の人間であるかのように進んでいくレイとカグヤの姿がそこにはあった。

 

 瞬きすらしてはならない。何故かリィンはそう思った。

 事実これから始まるのは、最強の師弟による死合い―――紛れもない殺し合いなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 髪が、数房宙を舞った。

 

 しかしそれを意外には思わない。寧ろ鮮血が舞わなかっただけでも上々であった。

 既に、愛刀は手の中に。鯉口は切った。ただそれでも、彼が抜刀するよりも先に数十の剣閃が襲来する。

 

 数閃を弾く。指先まで一瞬感覚がなくなるほどの重さを味わい、しかし刹那の間に切り返す。

 

 防ぎ、躱す。だがそれが叶ったのはレイの実力―――だけではない。

 

 

 

 彼女が、そうしたからだ。

 

 師は、弟子が確実に避けられる力と速さを以て斬りつけた。

 それは手加減ではない。小手調べだ。ただしその小手調べであっても、凌ぐのが精一杯であるのが事実。

 

 視界に揺らめくのは真紅の刃。師が戦友と出会うよりもずっと前から携えていると常々言っていた、鍔のない長刀。

 

 その刃から繰り出される絶技の数々を知っている。どれだけ死にかけたかなど、千を超えてから覚えてなどいない。

 だが、恐怖の感情よりも先に口角が吊り上がる。今日こそ、その一見無防備なその構えに罅を入れてみせるのだと。

 

 

 故に、彼女はまた笑う。

 嗚呼、だからこそ面白いと。何度も何度も死にかけて、普通の人間ならば骨の髄まで恐怖を刻み込まれて発狂しているだろうに、それでも目の前の小僧は僅かに身震いしながら笑うのだ。

 

 

 

 

 ―――この一瞬を味わおう。

 

 ―――この一瞬を愉しもう。

 

 

 

 

 命を賭けた鍔迫り合いの中でしか、語れない事もあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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温泉郷帰郷録 参

 

 

 

 

 

 

 

 剣速が音を超える―――それ自体は()()()()()()()()

 

 鋼が風を切る音を聞いてから反応したのでは遅い。剣先が動いてから反応したのでもまだ遅い。視線が合ってから反応したのであっても、それでもまだ遅い。

 一合目を弾く前から、数十手先を読み切る。相手の足運び、視線、体捌き、それら全てを元に刹那よりも速く相手の可能性を叩き潰す。―――それが()()()()

 

 その程度ができなくては、この存在に抗う事は出来ない。

 

 左手は未だに腰に置き、右手一本で手遊びの如く剣を振るう。

 だが、その一閃一閃が文字通り必殺。例え”達人級”の武人であっても、油断をすれば即座に命を手放す程の。

 

 

 動きは、見えていた。

 見切れる程度に手加減をしたのだろう。だが、躱すことは叶わないと悟った。無理矢理にでも躱し切ろうとすれば、肩口から心臓まで斬り抉られる未来が視えていたからだ。

 故に、剣身で受け止めた。”不毀”の属性を有する《天津凬》であれば少なくとも折れることはない。

 

「阿呆めが」

 

 耳に届いたのは、冷徹な一言。

 直後、全身が感じたのは尋常でない圧力と風。ただの一振りであったが、その一撃でレイの身体は吹き飛んだ。

 

 大木を薙ぎ倒し、巨岩を粉砕し、谷を飛び越えて崖から投げ出され―――しかしそれでもまだ()()()()()

 

 凡そ人が受けてはならない重力の暴力を一身に浴びながら、それでもレイは意識を保っていられた。

 思考を巡らせて考えているのは迎撃の算段。距離にして山二つ分ほど越えた辺りで漸く身にかかる力が弱まってきたのを感じ、刀を地面に突き立てて停止させる。

 

 そして、完全に足が地に着いたのは、数キロ程地面に刀傷が刻まれた後。急激に戻ってきた血の巡りに僅かばかり眩暈を催したが、そんなものは些事だと言わんばかりに長刀を引き抜き、眼前を睨む。

 

 

 ―――それはまるで、夜の森を駆ける獣のようであった。

 

 灼炎のような双眸が、真っ直ぐにレイを見据えて靡いている。同色の刃が、その首を刈り取らんと一直線に迫ってくる。

 

 

 

 

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・瞬閃/鬼哭(きこく)

 

 ―――八洲天刃流【静の型・桜威】ッ‼

 

 

 

 

 剣先と剣圧を、極限まで研ぎ澄ました集中力と技量を以てして逸らす。

 眼前で散った火花が寒々しい風に煽られて消え去るまで1秒もなかった。しかし、その僅かな間に、背後の地形は一変していた。

 

 レイはカグヤの攻撃を辛うじて去なしただけだ。受け止めたわけではない。

 故に、背後に突き抜けた剣圧が、()()()()()()。一点を突き抜けた剣閃の罅は瞬く間に広がり、轟音を掻き立てて岩雪崩を引き起こす。

 

 【瞬閃】は、八洲天刃流に於ける攻撃剣術【剛の型】の中でも最も基礎となる型である。

 移動術【瞬刻】と重ねる事で目にも止まらぬ速さで一閃する―――基礎であるが故に、その威力は剣士の腕前を如実に反映する。

 

 鬼哭―――文字通り鬼が()くかの如き風切り音を鳴らしながら眼前の一切を破壊していく様は、まさにその使い手がヒトの領域を踏み越えていることを表していた。

 

 

「儂を侮ったか? 読み違えたか? いずれにせよ、悪癖は変わらんな馬鹿弟子」

 

 師の剣を、一度でも受け止めようと驕った。一太刀ならばと仰ぎ見た。

 いずれ超えるのならば、()()()()()()()()()()()()()()()。そう焦った。

 

 翼を動かしながら餌をねだる雛が天空を舞う大鷹に敵う事などないように。

 達人に至って未だ日も浅い若造が、睨み吠えて威嚇するだけならばまだしも、噛みつこうなどとは決して考えてはならない存在。

 

 抗うのならば初手から何もかもをかなぐり捨てて全力で行くべきであった。師の剣を、一太刀たりとも真正面から受けてはならなかった。

 

 事実、全身に強引に練り上げた氣を纏っているというのに、盛大に吹き飛ばされた後から動きが悪い。

 筋肉の繊維が千切れかかっているのか、それとも骨がへし折れかかっているのか……いずれにせよ、軋むような鈍痛を無視しながら、レイは一瞬で納刀する。

 

 限界まで練り上げた闘氣を刀身に纏わせる。より鋭く、より殺気を具現する形に。

 

 

 ―――《八洲天刃流》奥義。

 

 

 鯉口を切り、抜刀するまでは文字通り一瞬。鞘から刃を抜くその剣圧だけで空気がスルリと裂けていく。

 

 

 ―――【剛天・天羽々斬(あめのはばきり)

 

 

 幾百幾千にも折り重なる剣閃。殺意による圧殺。

 周囲の木々や岩壁、地面をも巻き込んで、剣戟による檻が完成する。

 

 その檻の中では、ただ無抵抗であるだけの生物は生存しえない。ただ抵抗する事しかできない生物も、また然り。

 あのザナレイアでさえ、この奥義の前には神格の異常励起を余儀なくされた。マトモに捕えられれば、例え同格の”達人級”であったとしても無傷で切り抜けるのは至難の業。

 それほどの奥義なのだ。異常なまでの集中力と瞬間的な膂力と反射神経を要する為に、レイであっても日に二度は撃てない。

 

 アイゼンガルド連峰の山々に響き渡る、斬撃が全てを切り伏せ沈める音。それがやがて小さくなっていき、やがて残響となっていく。

 シンと静まるまでに、どれだけの時間を費やしたのか。斬り刻まれ過ぎて塵となった数多が風に乗って舞い散る中―――()()()()()

 

 

 それはそうだろうなと、レイ自身それを予感していた。否、()()()()()

 自分を鍛え上げた師匠が、自分に力を与えてくれた師匠が、誇張ではなく最強の一角を担う師匠が、この程度で斃れて良いはずがない。

 

 

「温い」

 

 切り捨てるように、そう言う。

 

「儂は貴様に児戯の相手をしろと言った覚えはないぞ。遅く、軽く、鈍い。そのような木偶の剣で、一体何を断つつもりだ?」

 

 一歩一歩、まるで死神が闊歩するかのように、殺気が地を踏みしめる。

 

「貴様は今まで何を研鑽した。己を弱者と戒めながら、()()である事に酔いでもしたか? 何かを守り、何かを率いる事に満足し、狂気を失ったか?」

 

 衝突。凡そ剣と剣とがぶつかり合ったとは思えない音が響く。

 カグヤは振り下ろした太刀越しに、レイの右目を覗き込む。全てを見透かすと言われても信じてしまいそうな慧眼が、彼の心を探っていく。

 

「武人とは魔性よ。嗜む程度の者であればまだしも、達人の一角を担う貴様が、狂気を忘れて何とする。安寧を望むのは罪ではないが、それに浸り堕ちる耽溺に呑まれるのは罪だ。今の貴様は、何を思って剣を振るう?」

 

 そうだ、と。レイは今更ながらに思い出した。

 一見傲岸不遜、本能に従う生き方しか見せていないようなこの人でも、常に狂気を孕みながら生きていた。

 己の中に抑え込めぬほどの殺意と闘気を充溢させ、しかしそれを飼い慣らして日々を愉しんでいた。

 

 非情ではあるが外道に非ず。奔放ではあるが無軌道に非ず。誰よりも娯楽を愛しながら、しかしそれに呑まれることを良しとせず、最後は決まって戦場で笑っていた。

 純粋な”戦う者”。引き返せぬほどに狂って、狂って、狂い尽くして―――遂には己を超える者が生まれる事を何より渇望するまでに至ってしまった存在。

 

 その期待に応えられないという事。それは彼女の唯一の弟子であるレイにとって、この上ない侮辱であった。

 

 

「宿命を」

 

 故に、その問いに対する答えは決まっていた。

 

「この身に絡みついたクソッタレな宿命に諍うために。それを為せるだけの力を求めて」

 

「破壊を望むか?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それとも、何かを壊して悦に浸る程度の矮小な人間を、師匠は今まで育ててきたので?」

 

 死合いが始まって初めて、レイが笑った。生意気な、と、それに釣られて師も口角を吊り上げる。

 

「ならば覚悟を示せ。儂を落胆させたままで、その望みが叶うとは思わぬ事だ」

 

「無論。元より貴女に一太刀を入れるために、この誘いに乗ったんですよ」

 

 そして剣戟の音が再燃する。

 先程までの筋肉と骨が軋む痛みも、形容し難い劣等感も消え失せる。風を切る音と共に、深紅と純白が踊り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 瞬きをする時間すらも惜しい。

 

 忌憚なくそう言えるほどに、武人としての道を歩み始めた学生たちは食い入るようにその圧倒的なまでの剣舞の応酬を見守っていた。

 

 

 とは言え、その全てを視線で追えているわけではない。辛うじて、残像程度が鼓膜に焼き付いているだけ。エマやエリオットらに至っては、そこで”何かが起きている”程度にしか認識できていなかった。

 

 嘗て帝都の一角で見た剣戟よりもなお激しい。息をつく間もなく、瞬きをする余裕もなく、ただひたすらに暴力的な闘気と殺意が竜巻のようにうねり狂う。

 もはや、剣と剣との凌ぎ合いなどという陳腐な言い回しでは表現しきれない。その一太刀一太刀が地形を変えるような威力でありながら、しかしそれは決して力に振り回されるようなものではない。

 斬撃の一つ一つが意思を持っている。「貴様を斬る」という、ただ一点のみに特化した極限の意思が形となり、相対した者を喰らい尽くさんと牙を剥く。

 

 一見、今は互角のようにも見える。

 一体どれほどの剣閃が交わされたのか、既に数える気も失せており、そもそもそれが可能であることもない。

 

 

「……これが、本物の”達人”同士の鬩ぎ合いというものか」

 

 思わず、といった表現が一番正しいだろうか。

 少なくともラウラは自分がそう呟いたことすら気付いていまい。《光の剣匠》という帝国最高峰の剣士を父に持つ身であっても、眼前に広がるその光景を、そう称する事しかできなかった。

 

 帝都で見た時のように、怒りの下に振るう剣ではない。凡そ平静ではないだろうが、その心に雑念は混じってはいまい。

 刹那にも匹敵する程の時間の間に、一体どれだけ剣戟の先読みをすればあのような究極の鬩ぎ合いを行えるのか。どれだけの修行を行えば、あれ程の剣技を繰り出せるのか。

 

 結局のところ、この期に及んでもまだ自分たちは”レイ・クレイドル”という人間の真髄を理解していなかったのだと思わずにはいられない。

 一瞬だけ見えた、彼の横顔。その口元は確かに笑っていた。面白くて仕方がないと言わんばかりに。もっともっと、高みに至るための経験を寄越せと貪欲に食い下がっている。

 

 彼は基本、命を賭けた戦いで笑う事はない。他者の命がかかっている戦いでは尚の事。その為に命を奪わなければならないのならば猶更。

 だが、それでも彼は武人なのだ。強者と戦う事に悦びを感じざるを得ない生き物なのだ。己の全力を以てしても尚及ばぬ高みに在る者へと畏敬の念を抱きながら、しかしただ仰ぎ見るだけでは満足はしない。

 いずれ必ず、そこに至ってみせる。生きている限り、その研鑽を止めることはない。

 

 だから寄越せと笑うのだ。

 一太刀を躱す度に、受ける度に、その絶対的な強さの一端を吸収していく。

 その力を、その迅さを、その巧さを、その思考を、その才の真髄を―――その全てを。

 

 そうでなければ強くなれない。己の命を賭けてでも掴み取る程の覚悟がなければ、達人(その)領域には至れないし、そこから強くなることもないのだ。

 訓練、などという安全を保障された鍛え方ではもはや足りないのだ。常に死線を潜り続け、その中で生き残れた猛者だけが、”達人級”という最高峰の称号を背負う事が許される。

 

 

「これでもまだ、主は”達人級”としては若い方です」

 

 達人の強さとは、つまるところ経験にある。この領域に至れた者達は生まれた瞬間から武人としての才を有しているが故に、才の大小は誤差でしかない。

 

「修羅道を突き進んだ歴戦の達人は、培った経験を”巧さ”に変えるのです。それは武術だけの話ではなく、文武全ての道に於いて時に人智を凌駕する存在と成るのですよ」

 

 ”若い”達人は、感情に踊らされることもままある。シオンはレイが未だ未熟であることを事も無げに言い放ち、しかしそれだからこそ「面白い」と言う。

 

「今が未熟であるからこそ、主は()()()()()()()のです。私を下した時などは、それはもう今以上に未熟なヒトでありましたが……ふふ、懐かしゅうございますな」

 

 そういえば、とリィンは思う。

 レイはシオンを戦いで下し、屈服させ、シオン自身もそれを受け入れて式神として共に在るようになったと言っていた。

 果たしてそれは可能なのか? と、そう思う事は幾度もあった。ヒトの力を優に超えた獣。神獣。―――如何に彼と言えど、単身で勝てるような相手ではないだろう。

 

「そこんトコの話、アタシも詳しく聞いたことないのよね。レイに訊いても、「黒歴史だから訊くな」としか言ってくれないし」

 

「はぁ、主はそんなことを。何を恥じる事などあるのでしょうか。私も永らく生きておりますが、あの時ほど強く()()()()()()()を実感した時はないというのに」

 

 まぁ、今はそれは良いでしょうと、シオンは視線を再び鏡の方へと向ける。

 

「……皆様もよくご存じでしょうが、主が強さを求めるその根源にあるのは”後悔”と”贖罪”です。救わなければならなかったものを救えず、己が強ければそれが成しえたと信じてやまなかった―――そんな、ヒトにだけ許された傲慢さが、あの方を若くして”達人級”という階梯にまで押し上げた」

 

「……怒りと憎しみが、そうさせたと?」

 

「ご明察ですリィン殿。”憤怒”と”憎悪”はヒトを滾らせる感情の発露。若き時分に武の極致に至った方は、皆様何かしらの瑕疵を心に刻んでおられるものです」

 

 

 《剣帝》は愛する者を看取り、世界を見極めるために修羅となる道を選んだ。

 

 《痩せ狼》は生死を賭けてこその武であることを証明するために。

 

 《剣王》は己と母を捨てた父を、家畜以下の扱いを是とした者達を憎み、憎み、そしてその果てに虚無を知った。

 

 《死拳》は最強でなければならないという狂気じみた夢を叶えるために。

 

 《神速》は弱き嘗ての己を恥じて憎み。

 

 《剛毅》は正義を捨ててでも力を求める道を選び。

 

 《魔弓》は技のその果てに捨てた半生を埋めるモノがあると信じ。

 

 そして《天剣》は―――言うまでもなく。

 

 皆何かしら傷があり、壊れている。

 「そうでありたい」という狂気じみた求道の果てに至った者もいれば、「そうでなくてはならない」という拷問じみた自傷の果てに至ってしまった者もいる。

 

 

「”達人”とは即ち、抱き続けることができる者。想い続けることができる者。強く在り続けることができる者。強さの果ての”不条理”を捩じ伏せ、屈服させ、克服した者」

 

「ヒトならば誰もが持つ”限界”。才有る者にも、才無き者にも、全てのヒトの前にも立ちはだかる最大の”壁”を意思の力だけで乗り越えた”超人”の総称」

 

「”英雄”と成りえる素質を持ちながら、破滅の道を歩む者も多いのも事実。修羅道を歩むことを是とした”覚悟”の具現者と言えましょう」

 

 そして、とシオンは一瞬だけ口を噤み、しかし飲み込むことなく続けた。

 

 

「我が主は、恐らく()()()()()()()()()()しかできないでしょう。”英雄”か、”破滅”か―――いずれにせよ、只のヒトでは終われますまい」

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・武雷鎚/天墜(てんつい)

 

 

 何かを、斬った。

 果たして何を斬ったのか。師が放つその威力ならば、山の一つくらいは割りかねないと半ば本気で思っていた。

 

 ピシリ、と。空間に罅が入る。

 事前にシオンに命じて張らせておいた空間断層の結界が壊れかけた音だ。今頃麓のユミルでは、血相を変えて結界を張り直しているに違いない。

 

 範囲はアイゼンガルド連峰西部の一部。仮にも帝国国内で、このようなテロじみた被害を出せば、問題はユミルだけのものではなくなる。現に今の時点で、本来なら優に山の一つくらいならば潰す程度の被害は出しているのだから。

 

 だが、”三尾”までの解放を許している今ならば、その程度の範囲を空間断層結界で覆って切り離すくらいなら可能だ。彼女にはそのくらいの力がある。

 それがどれ程のものかは分からないが、彼女自身、「先代の《焔》の護り手と同じくらいには霊力の扱いには長じています」と自慢していた。

 

 それよりも恐ろしかったのは、弱体化しているとはいえ、元が神格であるシオンが割と本気で張った結界を、”神格殺し”の付与も何もない剣撃で断ち壊したという事実。

 《八洲天刃流》の中でも威力で見るならば最上級の剣技であるのが【剛の型・武雷鎚(たけみかづち)】という技―――なのだが、流石にレイの技量では数十キロ先の空間断層結界を破壊することはできない。

 

 つくづく規格外。だが、当たってはいない。

 故に、怯む理由にはならない。巻き上げられた豪風を掻い潜って、再び剣戟の嵐を顕現させる。

 

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・散華】

 

 白の華が舞う。百を超える剣閃が、先程の奥義にも迫る迅さでカグヤの躰に迫る。

 だが彼女は、その全てを紙一重で避けて行った。例えるならそれは、雨粒を全て避けて走り抜くようなもの。とてもではないが常人が成しえるものではない。

 髪を揺らす。着物も揺らす。だが、それに触れさせる事はない。

 

 その動き一つ一つが完成されている。無法に振舞っているように見えて、隙というものは一切ない。

 逆に隙が見え隠れしている時。それは”誘っている”時だ。不用意に飛び込めば、良くて輪切りは避けられない。

 

 だからこそ、レイは先程からカグヤの”誘い”には一切乗っていない。

 そこが突破口だと分かってはいる。勝ちを得たいのならば、そこに光明を見出すしかないことも。

 

 しかし同時に痛いほど理解もしていた。

 自分ではその極小の突破口を抉じ開ける程の力がない事を。賭けに出るには地力が足りず、むざむざ死ぬ事が確定しているような結末に飛び込むほど酔狂ではない。

 

 では何故諍っているのか。

 決まっている。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 面倒くさい性分であることは理解している。だが、レイ・クレイドルという人間はそうして強くなってきた。

 自分よりも圧倒的な高みに立つ師との命がけの稽古の中で、全てを取り込んできた。

 死と隣り合わせの中でしか、自らを高めることができなかった。―――否、そうでなければならなかった。

 

 そう言う意味では、カグヤという武人は良い師であったと言えるだろう。

 どう指南すれば、この少年がより迅く、より鋭く尖れるかを一目で見極めたのだから。

 だが、それが最適解であったかどうかは定かではない。現に彼は強さは得たが、弱さを克服することはできなかったのだから。

 

 

 

 しかし、とカグヤは思う。やはり間違ってはいなかったのだと。

 彼の弱さを克服させる役目を担うのは自分ではなかったのだと。己が成すべきは罅割れた原石を鍛え、研磨し、尖らせて輝かせる事のみ。

 元より、生まれ落ちたその時から強くしか在れなかった己には、他者の弱さを理解することも出来なければ、慰める事も出来ない。人間の弱さを理解できるのは人間でなければならないし、それを導くのも、また人間なのだから。

 

 故に、突き放すような口調でああは言ったが、カグヤはレイの事を一定以上認めていた。

 《結社》に籍を置いていた時には見え隠れしていた弱さが、今は心の奥底に封じ込まれた状態になっている。……が、それでもまだ、剣の鋭さには曇りがあった。

 

 剣とは心の移ろいを表す鏡のようなもの。

 向き合わねば真に”強さ”を得る事は出来ない。―――《結社》を離れて様々な場所で”表”と”裏”の両方で仲間や友と出会い、そして己を愛してくれる女たちと出会い……漸く彼は、それと向き合う余裕ができた。

 

 しかし、流れのままに時間をかけて克服させる事が叶う程、この世界は()()()()()

 

 であるからこそ、そこから先を歩ませる第一歩を蹴り出すのが師の役割であった。

 幸いにも、永い永い時の中で、彼以外に弟子を取ったことなど無い。己が戯れに”型”に押し込んだ剣術を継承する唯一人が後一歩を踏み出せないとなれば、それを助けるくらいはする。

 

 世辞にも良い師ではない事は自覚していたし、それを改めるつもりもない。

 しかしながら、唯一人取った弟子が強くなっていく様を見るのは楽しくあったし、自分の手から離れた際は一抹の寂しさを覚えたのも事実。

 アリアンロードからは「急かずともいずれ強くなりましょう」と言われてはいたが、堪え性がない彼女はそれに応じる事が出来なかった。

 

 それが間違っていたとは思っていない。何せ彼は、彼も普通の人間とは違う。()()()()()()()()()()()人間をなすがままに任せるほど達観はしていなかった。

 

 故にカグヤは、此処にレイを誘った時にある決心をしていた。

 

 

 

 

 ピタリと、カグヤの猛撃が止まり、そしてレイの動きも止まる。

 斬りかかる絶好のタイミング―――ではない。そういった空気でないことくらいは理解できた。

 

 既に躰には無数の傷がある。出血量も割と洒落にならない段階まで来ていたが、意識は不思議なほどクリアーだった。限界まで研ぎ澄ませた神経が、これから先の試練を―――何となく察してみせる。

 

 紅い刃が鞘に納刀される。凪いだ海の流れのようにゆっくりとした所作ながら、しかしそれを隙であるとは思えなかった。

 

 

「レイ・クレイドル、我が唯一の弟子よ。―――貴様に《八洲》の深奥を見せてやる」

 

 闘気の質が、変わる。

 荒々しい獅子の如きそれから、渓谷に吹き抜ける一陣の風の如き静けさと鋭さを孕んだそれに。

 

「故に貴様も()()。貴様なりの深奥を見つけ、そして昇華させてみせよ。それを以て、《八洲天刃流》の免許皆伝とする」

 

「…………」

 

「まぁ、此処で死ねばそれも叶わぬ。死ぬ気で避けろよ―――できるものならばな」

 

 

 

 ―――瞬間、全身が串刺しにされたかのような殺気がレイを貫く。

 だが、背を向けることはない。その右目はただ一回の瞬きも許さないと言わんばかりに見開かれ、ただ一度だけ放たれる師の最強の一撃を余さず網膜に焼き付けんとする。

 

 シン、と風の音がした。

 否、それは音ではない。極限まで研ぎ澄まされた殺気が、耳朶を掠っているだけ。

 

 だが、とレイは思った。

 殺気を纏った一刀であれば、もしかすれば”視れる”かもしれないと。”絶人”の極致の一端を垣間見えるかもしれないと。

 

 ―――その思考こそが、致命的な”甘さ”だとも知らずに。

 

 

 

 

 まず、感じ取ったのは違和感。

 

 カグヤは僅かも動いていない。納刀したまま、双眸を伏せてただの一歩たりとも。

 ()()()()()()

 

 これは何だ、と疑問が脳内を駆け巡る。

 何もされていない。自分は何の攻撃も受けていないはず。なのに、なのに―――。

 

 なのに、何故自分はこんなにも()()()()()()()()()()

 

 

 

「―――八洲天刃流」

 

 

 不意に、レイの両腕は己の身を守るために動き―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「秘奥刃―――【零天・時喰(ときはみ)】」

 

 

 

 

 

 

 

 鮮血が、噴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が醒めた時、レイは『鳳翼館』のベッドの上だった。

 

 特に何かを感じたわけではない。ただ、師の技を視て、感じ、そして理解し、その出鱈目さに失笑すら漏れた。

 成程、あれでは躱す事など不可能。防御することも不可能。アレを攻略しろなどと、それこそ比喩でも何でもなく”神”の領域に至らねばならないだろう。

 

 そうして笑っていると、鮮血が噴き出した()()に激痛が走る。流石に一瞬だけ表情を顰めたが、その痛みで冷静になれた。

 

 殺すつもりなど最初からなかった―――否、殺す価値が最初からなかったと言う方が正しかった。

 あの一刀を目に焼き付け、それに迫る刀撃を編み出した時。その時が本当の()()()なのだと。

 

 

 遠い。実に遠い存在だ。

 

 あの領域に辿り着くまでに、一体どれほどの修練が必要なのか。どれ程の天賦の才が必要なのか。

 だが、追いつかねばならない。弟子として、師に縋りついたままではならない。

 

 己が抱いた後悔と贖罪。それを捨てきる事はできないだろう。それは罷りならない。

 だが、それに囚われすぎていてはいつまでも前に進むことはできない。”絶人”の剣に届くことも。

 

 天井に向かって、斬られた肩口とは逆の腕を伸ばす。

 

 そうだ。まだ進める。あれだけ化け物じみた強さを持つ人が自分の前を歩いている限りは、まだ。

 いつだって”強者”で在り続ける師の剣の鮮烈さに憧れたのだ。後は、その憧憬を想いのままに消してしまわないようにするだけ。

 牙を研ぎ、剣を鍛え、その力に楔を打ち込む為に。

 

 生き残り、強くならなければならないのだ。

 

 

 

「……御指南、ありがとうございました。師匠」

 

 不意に口から出たその言葉は、不思議と心地良いと思えるモノだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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温泉郷帰郷録 肆

 

 

 

 

 

 

 

 端的に言って、暇を持て余していた。

 

 

 カグヤとの死闘を生き残って『鳳翼館』のベッドで目を覚ました後、待っていたのはお叱りの時間だった。

 流石に死にかけた人間相手に叱り続ける程彼らも鬼ではなかったが、サラは例外だった。

 

 医者に診てもらった結果、骨折や内臓へのダメージなど、普通の人間であれば数ヶ月の入院を余儀なくされる程の重体であったが、本人はいたってケロリとしており、健康体であるかのように振舞うその様子はⅦ組のメンバーを呆れさせた。

 事実、”達人級”の氣による自己回復能力があれば、この程度の怪我ならば()()()()()()()()()()()()。アスラやヴァルターなどの、肉体そのものを武器に変える”達人級”であれば、1日あれば完全回復するのだが。

 

 とはいえ、その身体に確実にダメージはある。どうにでもなると当人は言ったが、それをサラは許さなかった。

 レイをベッドに縛り付け、少なくとも学院に帰るまでは絶対安静を言い渡し、レイもそれを承諾した。

 心配をかけたという自覚はあったし、何より普段滅多に怒らないリィンですら「いいから寝てろ。な?」と殺気交じりの言葉をぶつけてきたのである。白旗を挙げる以外の選択肢など元よりなかった。

 

 だが、疲弊していたのも事実。皆の前では何でもないように振舞ってはいたが、再び目を閉じると文字通り泥のように深く眠った。

 深く、深く。それこそ悪夢すら見ない程にぐっすりと。

 

 

 

 

『ふぅ、あの御仁もやっぱり滅茶苦茶だ。最後の一撃、割と真面目にボクの事を()()()()()としてたからねぇ……』

 

『まぁ、君が君である限りボクは折れないし毀れない。そういう風に鐵鍛王(あの御仁)は鍛えてくれたわけではあるんだが』

 

『それを差し引いても、カグヤ卿はおかしいね。《外の理》であろうと何であろうと問答無用で”叩き斬る”。そういう風に特化してしまっている』

 

『気を付けたまえよ、我が主。彼女と比肩する剣士になるのは一向に構わないけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『君がボクを使って如何なるモノを”斬る”のか。それを見極めた時、君の”秘奥刃”は完成し、《理》への道もまた開く』

 

『楽しみにさせてもらうよ、我が主(ボク)。精々()を上手く使いこなす事だね』

 

 

 相棒の言葉すら、遥か彼方の幻想のよう。

 しかし、それを忘れるような事はない。無意識の底にしっかりと刻みつけながら、レイの意識はゆっくりと浮上していく。

 

 

 

「―――あ、起きましたか?」

 

 最初に感じたのは、昨夜は感じられなかった強烈な寒気。カーテンの隙間から除く窓の外には、季節外れともいうべき豪雪が降り注いでいた。

 むくりと上半身を起き上がらせると、部屋内を見渡す。ベッドの横には、起き抜けの自分に声をかけてきた人物が花に水をやりながら佇んでいた。

 

「おはよう、エリゼ嬢。……リィン達は外に?」

 

「あ、兄様達は……えっと……」

 

「―――ん、オッケ。いつものように何か面倒くさい事に巻き込まれたってところまで把握した」

 

 とはいえ、と思う。

 兄に対しては過剰に心配性になる彼女がそこまで気落ちせずに、こうして自分の世話に回っているところを見るに、そこまで深刻な事態ではないのだろう。

 

 概要はこうである。

 

 今朝方、シュバルツァー男爵邸に一通の郵便物が届いた。それは『鳳翼館』に宿泊するⅦ組宛に送られたものであり、その外装はメンバーが良く見知った、”特別実習”の依頼書のそれであったのだ。

 教官であるサラが与り知らないそれを訝しんだ彼らは、それでもそれを開封した。その内容は以下の通り。

 

『帝国の若獅子、トールズ士官学院Ⅶ組諸君に特別実習の課題を手配する。

 ユミル渓谷道へと赴き、季節外れの積雪を阻止せよ』

 

 

「……俺の記憶でも、そうだな。流石のアイゼンガルド連峰でも10月中にここまで降ることはない。地元民としての君の見解は?」

 

「全くない、という事はありませんが、確かにここまで降る事はありませんね」

 

「内容からして自然的現象ではない、か。魔獣の仕業か、それとも”幻獣”レベルか。サラ……教官は付いていったのか?」

 

「いえ。この急な積雪の所為で郷の麓で大木が数本倒れてしまいまして、サラ教官はそちらを手伝って下さると……」

 

「そうか。まぁ、”特別実習”の括りなら教官が手を出すわけにはいかんよな。まず間違いなく、正式に学院から送られてきたものじゃあないだろうが」

 

「……兄様達は、大丈夫でしょうか?」

 

 やはり心の何処かでは思っていたのであろうその不安をエリゼが吐露する。それに対して、レイは気丈に答えた。

 

「落ち着け、エリゼ嬢。あいつらなら大丈夫だ。勿論油断は大敵だが、俺やサラは如何なる時でも油断や慢心をしないように叩き込んだ。()()()()()。油断がなければ、今のアイツらがフルメンバーならば魔獣程度に後れなんか取らない」

 

 そう断言できる程には強く鍛えたつもりだという確信があり、そして信じていた。

 自分がいなくとも、彼らは異変の解決が出来る。死なずに生き残る強さはあるのだと。

 

「レイさんは、本当に兄様達を信じているんですね」

 

「……少し前までは割と独り善がりではあったよ。俺がいなくても死なない程度に鍛える。俺にはその義務があるんだと、割と真面目にそう思ってた」

 

 でも、と一区切りをつけて続ける。

 

「一度派手に喧嘩してな。リィンにも一発マジで殴られて分かったよ。―――結局のところ、俺はアイツらを信じてなかったんだってな」

 

「…………」

 

「”信じる”ってのは言葉では簡単だが、実際は難しい。特に命が賭かっている場合は」

 

 Ⅶ組の者達は違った。

 各地を放浪している時に出会った《西風の旅団》の連中とも、歴戦の遊撃士達でもない。昔からの知り合いであるフィーを除けば、”死線”というものを碌に経験したことがない者達ばかり。

 特別実習という概要を聞いた時に、既にレイは理解していた。オリヴァルトが「第三の存在」として作り上げたクラスに必要なのは”実績”で、それを作り上げるのに多少の”死地”に潜り込む必要がある事も。そしてその為に自分が呼ばれたという事も。

 

 だからレイは、学生としての”形”を全うしながらも義務を背負った。

 サラと共に、オリヴァルトが望む「第三の道」の、それを貫くために必要な最低限の力を授けるという義務を。生き残る為の術を叩き込むという義務を。

 

 

「そういうエリゼ嬢も、リィンを信頼してるんだろう?」

 

 とはいえ、彼女はそう言った柵に囚われずに彼を信じることができる数少ない人物でもある。

 家族だから、兄妹だから。ただそれだけの理由で信じるに足りる。だが、彼女は晴れた表情をしなかった。

 

「……私は、そんなに良い妹ではありません」

 

「…………」

 

「勿論、リィン兄様の事は信じています。尊敬しています。でも、私は、それだけでは満たされなかった」

 

 果たしてその先を自分が聞いてもいいのかという疑問を喉奥に押し込めて、レイはベッドの背に寄り掛かる。

 そして同時に、心の中で級友に対して呪詛を吐く。恐らくは意図せずに、この役を押し付けられたことを。

 

「……こんな事をレイさんに訊くのは筋違いで、失礼な事だと重々承知しています。ですが、どうか教えてください」

 

 だが、聞かなかったことにはできない。出来るわけもない。

 

 

「リィン兄様は、アリサさんとお付き合いをされているのですか?」

 

 

 その”愛”は、恐らくは叶わないモノなのだから。

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 どうするべきか、と悩んでいたのは事実だ。

 

 恐らく母ルシアは気付いているだろうとは思っていた。特に隠しているという訳ではないのだから、言葉にせずとも雰囲気で察することくらいはするだろう。父テオにしてもまた然り。

 

 《結社》の執行者、《怪盗紳士》ブルブランが仕組んだユミルでの異変を収めて渓谷を下っている最中、リィンはそんなことを考えていた。

 昨日実家に顔を出した際は現状の報告と師父からの伝言で頭がいっぱいになってアリサとの事を報告できなかった。

 

 だが、それは不義理であると断定した。実の子供でもないというのに自分をここまで育ててくれた”家族”に対して、その態度はあってはならないと。

 

 だからこそリィンは、今度こそアリサを連れて再びシュバルツァー邸を訪れた。

 若干緊張して固くなっているアリサを傍らに、リィンは改めて報告をした。自分とアリサが、しっかりとした交際をしているのだと。

 

 反応は―――思っていたよりもあっさりしたものだった。

 テオは「そうか。お前もそういう歳になったか」と感慨深い声色で祝福し、ルシアは夫とは若干異なり喜びを隠そうともしなかったが。

 

 

「おめでとうございます、兄様、アリサさん。……お二人のご関係が長く続かれますことを、僭越ながらお祈り申し上げております」

 

 そして、エリゼもそう言って二人の関係を寿いだ。

 その言葉に嘘はなかっただろう。本心でもあったのだろう。

 だが、本心が必ずその人間の全てを曝け出しているとは限らない。その胸の内を知っている両親はそれを痛み、そしてアリサ自身も真意には気付いていた。

 

 しかしながら、そこに悲嘆などは感じられない。まるでもう既に、何処かに吐き出してきたと言わんばかりに。

 ただ、全てを割り切れる程達観はしていない。百戦錬磨の恋多き女性であれば誰にも悟られずに恋した男の幸せを寿げるだろうが、齢15の少女にその胆力を求めるのは無理な話であった。

 

 それでも、痴情の縺れの片鱗を一切見せず、アリサに対する嫉妬の念を抱かない辺り、エリゼ・シュバルツァーという少女は”良い女”であったと言える。

 自らの恋情を爆発させるのではなく、その感情を抱き続けた男の幸せを想う事ができる。それは、誰にできる事でもない。

 

 

 だからこそ、彼女は泣いた。

 二人が席を外した後、エリゼはルシアの胸の中で泣いた。普段は男爵家令嬢らしく凛々しく在ろうとしている彼女が、その時だけは年相応の娘らしく泣いた。

 みっともないと自身を諫めてはいたのだろう。たかだか自分の片想い。その心情を口に出して伝えてもいなかったのだから、この結果は必定だ。

 アリサ・ラインフォルトという女性がリィンに相応しい人であることも痛いほど分かっている。あの二人が並び立つその様子が、余りにも眩しく見えた事も。

 

 「恋と愛の違いなんざ、俺が御大層に語るべきでもないと思うんだがね」と、彼女の胸の内を聞いた少年は言った。

 

 

『恋ってのは要は()()()だ。両想いであったとしても、それは互いが相手を好きであるという片想いが交差しただけに過ぎない。どこまでも”好き”という感情を募らせられる代わりに、どこで破綻してもおかしくない。そういうモンじゃないか?』

 

『”失恋”とは言いえて妙だと思うぜ。それが”愛”に成れるか、それともそれに成る前に失うか。……こんな事を言うもんじゃないが、俺だって初恋は実らなかった身の上だからな』

 

『気にするな、なんて言わねぇよ。エリゼ嬢、お前さんにとってリィンへの想いは本物だったんだろうからな。想いが本物であればあるほど、それが失われた時に溜まらなく哀しくなるのは恋でも何でも変わりゃしねぇさ』

 

『生憎とお前さんの涙を俺が見るわけにゃいかねぇからさ。お前さんの事を本当に理解してくれている人達の前で、少しは我が儘になってみてもいいんじゃねぇか?』

 

 

 その言葉を思い出した瞬間、滂沱と溢れる涙を止められなかった。

 ルシアは久しく見なかった娘が泣き崩れる様を優しく受け止め、父もまたそれを叱責しなかった。

 誰かを責める気など毛頭なかったし、娘の失恋を痛ましくは思っても、片想いの失恋をだれが責められようか。

 

 だが、その慟哭を聞いて自らを責めかけていた者もいた。

 義妹の真意を知り、それでもなお恋人となった少女への想いを偽る事などできない、不器用で真面目に過ぎる男の姿が。

 

 

「ヒデェツラだな。迷いと悩みが滲み出てるぜ、ダチ公」

 

 『鳳翼館』の庭で一人如何にすべきかと悩み続けていたリィンに話しかけたのは、従業員のメイドに貸してもらったストールを肩に掛けてしっかりとした足取りで歩いてきたレイであった。

 

「レイ……もう身体の加減は良いのか?」

 

「おう、大分回復した。シオンの神術も効いたが、一日中休んだからな。氣を回復に回せりゃこの程度なら楽勝よ」

 

「相変わらず良く分からない理論だよな」

 

「これでも遅い方だぜ。兄貴なら半日あれば全回復まで行くからな。そういう意味じゃ”達人級”の中じゃ俺なんざまだまだだ」

 

「やっぱ人間やめてるんだよなぁ……」

 

 そうして少しだけいつもの調子が戻ってきたところで、庭に設けられていたウッドチェアーに二人で腰掛ける。

 リィン達が昼間に異変の原因となっていた幻獣を倒したことによって、ユミルに降り注いでいた雪は晴れ、溶け出して水になりかけているそれを踏みしめながら、頭上に広がる星の海を見上げる。

 

「いや助かったぜ。目ぇ覚めてからエリゼ嬢に色々世話になってよ。何かユミルの郷土料理の乳粥ってのも作ってもらったぜ。あれ美味かったな」

 

「そうか」

 

料理(メシ)は美味いし、気はきくし、将来絶対美人になるしで、アレだな、良い嫁さんになるぜ」

 

「そうか」

 

「……マジかお前」

 

 心底信じられないと言った様子で驚愕するレイを見て、漸くリィンも「どうした?」と別の反応をする。

 

「いや、死ぬほどシスコンのお前なら俺が「看病してもらった」って言った瞬間に「女神に祈れ。今から俺はお前を殺す」くらいは言ってくるモンだと思ってたから」

 

「お前の眼には俺はどんな過激派に見えるんだ」

 

「じゃあどこの馬の骨とも知らねぇ奴がエリゼ嬢をナンパしようとしてたら?」

 

「なます切りにして煉獄に叩き落とす」

 

「秒で答えられるって事はお前偽物とかじゃねぇな」

 

 とはいえ、とレイは続ける。

 

「そこまで腑抜けてるって事は、お前漸くエリゼ嬢の気持ちに気付いたんだな」

 

「……あぁ。今更ながら、自分の愚鈍さが嫌になるよ。エリゼが俺の事を異性として好きだったとは、思ってもみなかった」

 

「まぁ、血の繋がりがないとは言え、長い間兄妹として過ごして来たんだ。お前がそれに気づかないのは仕方ねぇさ」

 

「……なぁ、レイ」

 

「?」

 

「俺は、俺はどうしたらいいと思う?」

 

 それは、縋るような声色だった。

 真面目なリィンの性格からして、この事実を知ってしまったら己を責めるであろうことは想像していた。アリサよりも長くその想いを秘めていた義妹の心を蔑ろにして、自分だけが幸せになろうとしても良いのかと。

 そしてそれを踏まえて、レイは特に間を置く事もなく口を開いた。

 

「何もしなくていいんじゃねぇの?」

 

「なっ……」

 

「エリゼ嬢はきっちりと自分の気持ちに始末をつけたんだ。これからはお前と以前のように”兄妹”として接するってな。なら、お前が蒸し返す事でもねぇ」

 

「でもそれは……」

 

「無責任だってか? お前は別に意図的にエリゼ嬢の好意から目を背けてた訳じゃねぇだろう? だったら誰も悪くねぇ。誰も悪くねぇのなら、誰も謝らなくていいんだ」

 

 ふぅ、と息を吐くたびに、それは白い靄へと変わって夜空に消えていく。このようにスッと消えてくれる問題ならば、レイがここまで言う必要もなかっただろう。

 とはいえ、恋愛ごとというのはスッキリ割り切れるものではない。見た目上は上手く断ち切ったように見えて、実際は色々な蟠りが蜘蛛の糸のように引っ付いてくるものだ。

 無論、それは一般的な話であり、シュバルツァー兄妹にそれが当てはまるかどうかは定かではない。だが、必要以上に責任感を感じてしまうのがこのリィンという少年だ。

 

「いや、でもやっぱり駄目だ」

 

 キッパリと、吹っ切れたような声色で彼は言う。

 

「エリゼは、俺の大切な妹だ。何か後ろめたい事がある状況でこれからも付き合っていくことは、できない」

 

「それが、独り善がりの責任感だったとしてもか?」

 

「だからと言って見逃して良い事にはならないさ。誰も悪くないとお前は言ってくれたけど、やっぱりエリゼの近くにいて、それでも彼女の気持ちに気付かなかった俺には、少なからずの罪があるんだと思う」

 

「…………」

 

「この出来事が彼女の心に僅かでも疵を残したら、俺は自分を許せなくなる。それを防げるのなら、俺はどんな謗りでも受けてやるさ」

 

 その覚悟に対して、レイは笑った。

 それは皮肉ったものではない。称賛するものだ。

 

「やっぱお前、生粋のシスコンだよ」

 

「誉め言葉として受け取っておくさ」

 

 やっと口元に笑みを浮かべたリィンは、早速エリゼの下へと向かう為に走り出そうとして、しかしその直前で振り向く。

 

「行ってくる。お前も建物の中に早く入れよ? 夜風は身体に毒だ」

 

「は、今更夜風程度でどうにかなるかよ。―――行ってこい。後悔を残すんじゃねぇぞ」

 

 駆け出す友人を見送ってから、レイは再び背もたれに体を預けた。

 睡眠は充分に取り、休息も過分なほどに堪能した。だと言うのに、身体はまだ疲れている。

 

 これほどまでに衰弱したのはいつ以来だろうかと考える。

 ノルドの地でザナレイアに毒を盛られた時ですら、ここまで衰弱はしなかった。”外の理”の毒の原液よりも強力であるという事に思わず笑いが漏れそうになる。

 

「あのね、まだ治りきってないんだったらこんな所で座り込んでるんじゃないわよ」

 

 そう、背後から聞こえてきた声に、しかし易々とは従わなかった。

 

「こんな所とは失礼だな。上見てみろよ。導力灯が犇めく都会じゃ、こう立派な星空は見えねぇよ」

 

「……ま、確かに見事なものよね。でも、それとこれとは話は別よ。アタシはアンタのお陰ですっかり良くなったんだから、今度はアタシがアンタの世話を焼く番だわ」

 

「お前は俺の母親か」

 

「恋人のつもりだけど?」

 

「そうだった」

 

 そう言い、サラはレイを抱え上げた。

 しかし、片を貸して支えるのではなく、レイの腰と足を持ち上げる、所謂「お姫様抱っこ」スタイルで。

 

「……お前もしかして怒ってんの?」

 

()っつに? 勝手に死にかけて帰ってきた男の事なんて、どうとも思っていないけれど?」

 

「クッソ根に持ってんじゃねぇかよ……悪かったっての。現状、サシで師匠と戦り合えるの俺しかいねぇし、俺とあの人が会うってのは、()()()()()()()()()。馬鹿みたいに思えるかもしれねぇけどな、俺らの師弟の在り方ってのはそういうものなのさ」

 

「出会ったら殺し合うのが?」

 

「殺し合うのが、だ。まぁ、殺し合いの体を為すようになったのも最近だけどな。それでも、こうして一方的にやられちまうんだが」

 

 サラが見下ろすと、鎖骨の辺りから除く包帯が目に留まる。シオンの協力もあって止血は早々に済ませたが、それでも痛々しいのには変わりない。

 

「何か、掴めたの?」

 

「当たり前だ。そうでなければ相対した意味がない。八洲の刃の”秘奥刃”。成程、師匠が振るうに相応しい、神域に足突っ込んだ絶技だったよ」

 

「…………」

 

()()()()()()()。神域に踏み込もうなんて考えちゃいないが、神格すら断てる剣には興味がある。()()()を斬るには、そこまで至らなくちゃならんからな」

 

 その笑みは、狂気を孕んでいた。

 力に溺れた者のそれではない。己が未熟者である事を重々承知した上で、それでもなお高みを目指す男の顔だ。

 

 サラの心臓の鼓動が跳ね上がる。普段は生意気な表情をして仲間たちと共に楽しく過ごしているというのに、こういう時の彼はひどく女の欲情を掻き立てる。

 

「漸く”見えた”。漸く”掴めた”。俺が目指す剣の到達点が。ずっと俺が敗者に甘んじていると思わないで下さいよ師匠。俺はいつか、必ず、貴女を超えてみせる」

 

 それは、決して虚勢ではないのだろう。傍から見れば不可能な事だと嗤う者もいるだろうが、この少年であればいつかそれを叶えるだろうと思わせるだけの何かがある。

 

 ―――と。不意に、レイの瞼が揺らめき始めた。

 

「今は、休んでおきなさい。兎にも角にも、そんな状態じゃ拙いでしょう?」

 

「……ま、そうだな。普段、眠ってる時でも周囲の警戒に割いている氣も全部回復の方に回す。サラ、後は任せた」

 

「はいはい、安心して眠りなさい。アタシがアンタを守ってあげるから」

 

 サラの言葉に小さく頷くと、レイは瞼を閉じて意識を落とす。

 言葉通り、普段よりも無防備な姿だ。いつもであれば寝ている時でもどこか警戒網のようなものを張り巡らせているが、今はそれが感じられない。

 その寝顔は、年相応のものだった。漏れ出る吐息も、力の全てが抜かれた手足の華奢さも、一見してこの少年が”達人級”の武人であるなどとは理解しがたい程に繊細だった。

 

 サラは、そんなレイの額にキスをする。死にそうな目に遭いながらも男らしい姿を見せてくれた恋人への愛おしさを込めながら。

 

「この一夜だけ、アタシはアンタを守れる。……それがどれだけ嬉しいかも分からないで気持ちよさそうに眠ってくれちゃって」

 

 こうして全てを任せてくれるという事は、つまり信頼されているという事。サラはその事実に笑みを零しながら、『鳳翼館』の中へと戻っていく。

 その腕の中の熱は、寒気に埋もれるユミルの中でも凍えない程に暖かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 長刀(エモノ)を、上段に構える。

 

 珍しい事だった。彼女が、型に沿った剣術の形を見せるのは。

 双眸は閉じられ、いつもの荒々しさも鳴りを潜めている。頬を撫でる突き刺すような冷気すら些事と言わんばかりに微動だにしない。

 

 そして、振り下ろす。

 

 氣を纏っているわけではない。己の魔力を放出しているわけでもない。

 だが、その一振りは()()()()()

 

 雲が裂け、空気がその一瞬だけ断ち切られる。それはさながら地図に定規で歪みのない線を引くように、僅かの狂いもない一直線。

 それほどまでの光景を、彼女は()()()()で作り出した。

 

 ただの一振り。しかしそれで満足したのか、カグヤは刃を鞘に収める。

 

「(フム、剣に狂いなし。儂が耄碌したわけではない、か)」

 

 カグヤが思い出していたのは、己が産み出した”秘奥刃”を以て唯一の弟子を斬った時の事である。

 あの時の一撃は()()入った。レイが、二日の休息を取れば全快できる程度の一撃である。

 だがカグヤは、本来もう少々レイを()()()()()つもりだった。

 

 それは決して加虐心から来るものではない。弟子が仮にも己と同じ階梯にまで足を踏み込もうとするならば、痛みを以てしなければ辿り着けないと思ったからだ。

 故に、一週間はマトモに動けない程度には痛めつけるつもりだった。だが、カグヤの思惑に反して、彼は比較的軽傷で済んだ。

 カグヤが無意識に過剰な手加減をしたわけではない。そのような事は、彼女の矜持が決して許さない。つまり……。

 

「(彼奴(あやつ)め、儂の”秘奥刃”に初見で諍いおったか。リアンヌですら死にかけたというのにのぅ)」

 

 口元が、三日月形に歪んだ。

 面白い。面白い。楽しくて愉しくて仕方がない。

 だからこそレイ(アレ)を鍛えるのはやめられないのだ。戦士としての才能だけならばアレよりも上はいくらでもいるだろう。

 だが、その才能の差を意志で潰す。強さへの渇望が時折超常的な飛躍を見せる。

 

 それは何故か? 彼の半生がそうさせるのか? 彼の魂の()()()()がそうさせるのか?

 否。断じて否。

 あれは才能であり、宿業だ。そう在れかしと叫ばれたのではない。在らねばならないと自戒したのは昔の事。そう在りたいと羨望するだけではない。

 

 自然体なのだ。どれだけ理性で繕おうとも、彼は強くならんとする。

 強さへの渇望。あれでいて武人としての狂気はちゃんと内包している。

 カグヤは勿論気付いていた。己の技の全てを簒奪せんと彼が戦っていたことを。戦いの中で、彼が笑っていたことも。

 弱き者を虐げる眼ではない。己の強さをひけらかす眼でもない。あれは、高みを仰ぐ者の眼だ。

 

 やっとか、と。カグヤは半ば呆れたような嘆息を吐く。

 そも、贖罪で振るう刃で高みには至れない。過去に囚われたままの存在が、本当の意味で前を見据える事はないのだから。

 

 とは言え、あの男は一生己の罪(ソレ)を捨て去ることはないだろう。

 根がとことんまで真面目なのだ。殺人を一つの方法と割り切る事は出来ても、その手で奪った命の重みを忘れることはない。

 それを「仕方がない」と諦める事はない。罪悪感を転嫁することもない。―――だからこそ、ここまで強くなれたとも言えるのだが。

 

 殺戮の荒野に一人立つ、などという真似は出来まい。

 皮肉なものである。人を殺すために武を振るう事を躊躇いもしない者が鍛えた存在が、己と真逆の理由で武を振るうのだから。

 

 だから、面白くて仕方がないのだ。

 

 

 

「相ッ変わらず性根が歪んでおるの、おぬし」

 

 クツクツと笑うカグヤの背後から、非難する様な高い声が届く。

 

「いや正直な、おぬしが弟子を取るなんぞと風の便りで耳にした時はとうとうトチ狂ったかと思うたが、割とヤバい才能を開花させたの」

 

「ハ、50年ぶりに()うた友に最初にかける言葉がそれか。ローゼリア。童のような躰になっても性根は変わらぬな」

 

「おぬしに言われとうないわ。何年経っても落ち着きのない悪童のようなもんじゃろう。本当に貴様妾より年上か?」

 

8()0()0()()()()()()()()()()()()小童がぬかしおるわ」

 

 貶し合っているように見えて、そこには殺気はない。

 

 少女のような体躯ながら、その佇まいは超常的な存在であることを否応なしに感じさせる。それ程までに内包している魔力が桁違い。

 人ではないナニカにしか到達できない域に達した超越者。嘗てカグヤらと共に影ながらエレボニアを救った英雄。

 

 《緋》のローゼリア。現存する”魔法使い”の中で間違いなく最強の存在であり―――しかし今はその力の大半を”眷属”に分け与えている賢者。

 

 

「貴様が出てくるとはな。少なくとももう少し、里に籠って傍観しているとばかり思っておったが」

 

「ふん、そうも行かぬわい。……セリーヌから《血殲狂皇(サタナエル)》復活の兆しを伝えられた。《結社》の《蒐集家(コレクター)》が手引きしたことも含めてのう」

 

 50年前、煉獄の底より侵攻を始めた”ソレ”を迎撃し、命辛々力を削り落とした者の一人としては、到底看過できない事。

 だというのに、その時に共に戦った剣士は、寧ろそれを愉しむかのように表情を変えない。

 

「よりによって()()()()()先が今代の《灰》の適格者。流石に妾も腰を上げるくらいはするわい」

 

「未だ未熟な魔女には任せておけぬか。今は馬鹿弟子の封印術が押し留めてはいるが、獣を餌で懐柔して蔦で縛っておるようなものよ。いつでも抜け出せるであろうな」

 

「……《天道流》の神格封印術、か。よもや再び目の当たりにするとは思わなんだの」

 

「貴様もやはり見知っていたか」

 

「無論じゃ。じゃがアレはあまりにも血塗られた呪いの産物。参考にしようとは毛程も思わんかったがの」

 

「アレらが掲げた”神”の弑逆。《教団》とは違う角度から《外の理》に至ろうとして”神罰”を受けた者共。―――貴様がアプローチを掛けなかったのは僥倖だった。でなくば、諸共滅ぼしていたであろうからな」

 

 いつもの軽口ではなく、圧が掛かる口調。つまりその言葉は、冗談ではないという事。

 しかしローゼリアは怯むこともなく皮肉気な口調で返す。

 

「……ハン、《結社》ご自慢の懲罰部隊とやらか。否、粛清部隊と呼んだ方が良いのだったか?」

 

「儂とてあの里は焼きたくないのでな。本気の貴様と殺し合うのは愉しそうではあるが」

 

「戦闘狂め。妾は御免被るぞ」

 

 そんな言葉を交わしていると、峰の彼方から朝日が這い出てくる。

 そしてそれを機に、ローゼリアが本題を切り出す。

 

 

「カグヤ。おぬし、弟子に何をさせようとしておる」

 

「何を言うか。儂はアレを縛ったことなど一度もない。何を成そうが、咎めはせぬよ」

 

「惚けるでないわ。妾が気付かぬとでも思うたか。成程、あの特異な魂の持ち主であれば、()()()()()()も叶うかもしれんな」

 

「…………」

 

 とはいえ、とローゼリアは思う。

 現状魔皇を封じていられる術を持っているのがあの少年である以上、彼女としてもそれを阻む事はしたくない。

 セリーヌ曰く、「何をしでかすか分からない滅茶苦茶な人間。でも一応根は善人みたいだし芯は通っている」。”達人級”の武人は何処かしら狂っている部分があるが、この少年の狂い方は間違いなく師匠譲りと言えるだろう。

 

 しかしながら一般的な倫理観と他者を思いやる優しさを内包できているのは、良い意味で師を反面教師にしたからだろう。そういう意味では人間らしいとも言える。

 

「《灰》と《天剣》。この二人の存在は間違いなくエレボニアを再び揺るがすじゃろう。おぬしはどうするつもりじゃ?」

 

「どうもせんよ。儂は、世界の在り様を見定めるだけじゃ。剣を振りながら、剣戟の火花を浴びながら、命の散りゆくさまを眺めながら―――戦いの果てに、世界が生きるか滅びるのかを、な」

 

 その歪みない声色に、これ以上の問答は無用と判断する。

 それは、ある意味での諦観だ。ヒトに非ざるモノであるからこそ、現世に拘ずらう意識が薄い。

 

 ただそれでも、彼女は一つだけ期待をしている。

 己の唯一の弟子が、一体何処まで強い戦士に成れるのか。人の身で、ヒトに非ざる己を打ち負かすまでの存在に成れるのか、と。

 

「ロゼ、貴様はこの世界を護れ。終焉に諍う若人達を護れ。貴様は最後まで、()()()()()()で在れよ」

 

「……何を言うておるのじゃおぬしは。人理の破壊者になろうという訳でもあるまい」

 

「違うな。儂は、”壁”となる。今代を生きる霊長の者共が、破滅の運命を退けられるに足る存在か、否かをな」

 

「…………」

 

「貴様も知っておるだろう、ロゼ。儂は創ら(生ま)れてこの方、戦う事しか知らぬ。故に、最期の最後まで戦って死ぬとも。それが儂の矜持よ」

 

 その覚悟は僅かも揺らぐことがない。例え誰にどのような言葉を投げかけられようとも、己の死に場所は戦場であると決めている。

 長い付き合いであるローゼリアは、勿論それを理解している。この超越者が、どうしようもない馬鹿者であることも含めて。

 

「分かった。分かったとも馬鹿者め。妾より旧くから生きる者である癖に、何も生き方を変えぬ阿呆めが」

 

「呵々‼ 儂が阿呆だと? 何を今更。利口だと思うた事もないし、そうなろうと思うた事もないわ」

 

「ならば精々満足するまで死ぬでないぞ。リアンヌ共々、妾が看取ってやらねば気が済まぬわ‼」

 

「……そうさな。貴様に見送られるならば、それも良かろう」

 

 そう言い残すと、カグヤは崖から飛び降りて消えた。

 その最後の言葉は、先程までのそれとは違い、何処か願望のようなものを孕んでいたように聞こえ、しかしローゼリアは首を振る。

 

 分かっている。あれはそのような殊勝な者ではない。どうせ、最期がどれ程酷い戦場であったのだとしても、笑いながら死んでいくのだろうから。

 

「おぬしもリアンヌも、馬鹿者じゃ。何故己の死に、そこまで価値がないと思うておる……ッ」

 

 無論、自分もそれに劣らず馬鹿者なのだろう。

 白けながらも未だ形を残す月を眺めながら、そう呟くしかできない己を、酷く恨めしいと思うしかなかった。

 

 

 

 

 







 はい、どうも十三です。最近あとがき書いてなかったのは単に時間なかったからですね。申し訳ありません。
 これにて閑話、「温泉郷帰郷録」編終了です。なんで4話も使ったんだろう……コレガワカラナイ。
 とりあえずリィンの恋人枠はアリサに固定します。そうしないとタグ詐欺だからね。仕方ないね。というか僕、閃ⅠからⅣまで一貫して最初のヒロイン枠にアリサを即決してたからね。

 次回、リィン君八葉一刀流中伝試練。試練の時間だ、腕が鳴るぜ‼
 大丈夫。そんな酷い事にはならないから。多分、きっと、メイビー。


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《八葉一刀流》中伝ノ儀 壱






「己の信念を貫けなかった男など 死んでも生きてても惨めなものだ」

                by 斎藤一(るろうに剣心)








 

 

 

 

 

 シンと静まり返った室内で、リィンはただ一人座禅を組んで瞑想をしていた。

 

 技を磨き、身体を鍛え上げる事のみが武の真髄に近づく方法ではない。心を研ぎ澄ませ、己と向き合い、”内”と対話することで見抜けるものもある。それが師の教えだった。

 

 しかし、今日の調子はどうにも悪い。

 雑念が混じる。澄んだ水の中に墨汁を一滴垂らしたように、僅かな澱みが広がっていく。

 

 瞼を開いた。このような精神状況では、続けるだけ無駄だろうと判断したのだ。

 時刻は午後六時。夕飯までにはまだ少々時間がある。気晴らしに少し外で剣でも振ろうかと、既に愛刀としてしっかりと手に馴染んだ兄弟子の太刀の鞘を握る。

 

 そして、食堂で夕食の準備をしていたシャロンとエマに少し外に出る旨を伝えてから第三学生寮の玄関を開ける。

 ユミルほどではないが、肌を突き刺すような寒気が襲う。この季節になると、この時間帯でも充分外は暗くなり、それはトリスタの街でも例外ではない。

 

 学院祭が始まるまでもう時間もない。催し物の準備も佳境に差し掛かり、どうにか見れる程度には仕上がっているという自負がある。まぁ、その程度で妥協をしない指揮総監督(エリオット)ではないのだが。

 

 ……充実はしている、筈なのだ。

 なのに、何故か”渇く”ものがある。どこか満たされない”飢え”がある。

 無心に剣を振るっている時だけは何故か解消されるそれをどうにか紛らわせようと街の郊外に歩を進めていると、ふと目が行った。

 

 トリスタの街の外れ。流れる川の近くに設けられたベンチに、一人の女性が腰掛けていた。

 緑がかった青色の髪を腰辺りで一つに括った、この辺りでは珍しい東方の着物を身に纏った女性だ。傍目でも小柄である事は分かったが、ベンチの上でゆっくりと舟を漕ぐその姿があまりにも落ち着いている為か、”少女”と呼ぶには躊躇われた。

 トリスタでは見かけない。ともすれば観光客だろうかと思ったが、であるならば人気が少なく、明かりと言えば街灯しかないこんな場所で一人でいるのは危険であると判断した。

 そして、そう判断したらすぐにお節介をしに行くのがリィン・シュバルツァーという少年である。

 

「あの、すみません」

 

「…………スゥ、スゥ」

 

「すみませーん。あのー……」

 

「………………」

 

 うたた寝しているだけかと思ったのが、案外マジ寝していた事に困惑する。

 寝ているとはいえ、流石に見知らぬ女性に触れるのはマズいなぁなどと思いながら呼び続けていると、10回くらい繰り返した末にようやく反応が返ってきた。

 

「…………ん。あら、いつの間にやら寝てしまっていたのですね」

 

「あ、その、自分は……」

 

「……あぁ、お気になさらず。このような私を見かねて声をかけていて下さったのでしょう? 暴漢と間違えて声を挙げるなど、そのような意地悪な真似はしませんのでご安心くださいな」

 

 鈴の音色のような声だった。開かれた双眸も、どこか冷ややかで、此処ではない何処かを見ているような朧げさがあった。

 とはいえ、”儚げさ”はない。硝子細工のような嫋やかさがありながら、どこか折れない”芯”を抱いているような―――そんな雰囲気を感じ取る。

 

「……あら、もうこのような時間ですか。早めに宿に向かわなくてはいけませんね」

 

「ご旅行でいらしたんですか?」

 

「……まぁそのようなものです。この街は良いですね。親切な方が多くいらっしゃいます」

 

「気に入っていただければなによりです」

 

「貴方は……成程、士官学院生の方ですか。太刀を扱っているとはこのご時世珍しい」

 

 そこで、リィンは僅かに目を細めた。

 確かに刀袋を背負ってはいたが、彼女からは逆光になる上にマトモに全貌も見えない。その上で彼女はリィンの得物を「刀」ではなく「太刀」と断言した。

 

 更に、ただ座っているだけだというのに、隙らしい隙が全く見当たらない。サラか、或いはレイよりも。

 武術を心得ている者の所作だ。それも並大抵の階梯ではない。―――そう確信した瞬間、リィンの警戒が跳ね上がる。

 だがそれを表に出すようなことはしない。彼女から敵意や悪意は感じられない。どういう意図があるのかも。

 

「共和国の方から?」

 

「……えぇ、まぁ。出身は向こうですね。厳密にはそういうわけでもありませんが」

 

「?」

 

「ゼムリアの、色々な場所を回っているのです。えぇ、それこそ東奔西走とも言うべきでしょうか。いえ、それは少し違うかもしれませんね。何分、急ぐ旅ではありませんから」

 

「は、はぁ」

 

 掴みどころのない女性だと、そう思わざるを得ない。

 ゆらりゆらりと揺らめく陽炎のような言葉。必要のない飾りのようなそれで本音を覆い隠しているかのような、そんな違和感を感じる。

 

「……では私はこれで。一期一会という言葉もありますが、私のような生きているか死んでいるかも分からない日陰者に声を掛けない方が良いですよ。見ての通り、感じの通り、面倒くさい女ですから」

 

 そう言い残すと、女性はするすると足音も立てずにトリスタの中心部の方へと消えて行った。

 狐につままれたような、とはこういった意味を指すのだろうかと先程までのやり取りを反芻する。夜間だというのに白昼夢を見たかのような、確実にあった事だというのに、幻であるかのように感じられてしまった。

 

「……帰るか」

 

 しかし気付けば先刻まで感じられていた心の中の靄のようなものが消えていた。……副作用か、精神的に疲れはしたが。

 そのせいか、その夜はいつもより深く眠れた事を追記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 クラスメイトが全員寝静まった頃、第三学生寮の管理人室にはいつもの三人が集まっていた。

 レイ、シャロン、そしてサラ。この三人が管理人室に集まる事は別に珍しい事ではなく、シャロンとサラは良くこの場所で酒を酌み交わし、時折レイがストッパー役として居合わせる。因みにシャロンは面白がってサラの暴飲を止めない。

 

 今日もまた、ハイスペースでジョッキを呷るサラと、いつも通りの涼しい顔で飲み進めるシャロンを眺めながらソフトドリンクを喉に流し込むレイ。たまにサラの絡み酒に付き合わされてアルコールを入れる事もあるが、そうでもない限りは今の立ち位置が基本だ。酒は飲めないわけではないが、身体が幼いままのせいかそれ程強くない。

 たまに酒の力で淫靡な雰囲気になってそのまま……という事も無くは無いが、今回は幸か不幸かサラの愚痴が止まらなかった。

 

「なぁーによハインリッヒのハゲ野郎‼ 「君はもう少し女性らしい淑やかさを身に着けたらどうだね?」って完全にセクハラよ‼ セクハラ‼」

 

「まぁ実際淑やかさは足りてねぇけどな」

 

「サラ様にはサラ様の魅力がございますから」

 

「一切フォローしないって良い度胸ねアンタら」

 

「別に気に入らないとは言ってないだろ。俺はそういうところも好きだからな」

 

 嘘偽りない本音だが、その言葉を聞いて酔い以上に顔が赤くなるサラを見てつい笑ってしまう。

 

「俺ぁあの先生嫌いじゃねぇけどな。ちっとばかし貴族派のケはあるが、学ぼうとする生徒に対しては真摯だ。貴族も平民も関係なくな。口調で七割くらい損してるが」

 

「リィン様も仰っておりましたね。真面目に教えを請えば、ちゃんととことんまで教えてくださる方だと」

 

「むぅ……」

 

 後はリーシャ・マオの隠れファンだという事も聞いていたが、それは言うのを止めておいた。

 よもやその憧れの少女に惚れている相手がいるなどと、まかり間違ってサラ経由で伝わろうものならば面倒くさい事になる。色々な人の名誉のために、黙っておくことにした。

 

 はぁ~という気の抜けた声と共にテーブルに突っ伏すサラ。そろそろ酔い潰れる頃合いか?などと思っていたが、突っ伏したまま再び喋り始める。

 

「リィン……リィンねぇ。なーんか感慨深いわよねぇ。七ヶ月くらい前はヒヨッコ達の集まりだったのに、いつの間にか”準達人級”に至る子が出てくるなんて」

 

「フィーは例外だけどな。アイツは最初から()()()()()()()()()()だ。強者との一対一(タイマン)は苦手だが、多数を相手にしての攪乱及び諜報は天才的だ。伊達にS級猟兵団で”二つ名持ち(ネームド)”だったわけじゃあない」

 

(わたくし)も、少々予想外でございました。先にラウラ様か、ガイウス様かと思っておりましたので」

 

 それについては、レイも同感であった。

 実際、戦闘センスという観点から見れば、その二人はリィンを上回る。だがそれでも、リィンが一番先に至ろうとしているのには、何か意味があるはずだった。

 

「ま、アイツは《剣仙》ユン・カーファイ老師最後の”直弟子”だ。八葉を完成させる最後の《剣聖》候補者。間違いなく”天才”の部類だろうさ」

 

「……アタシはあんまり《八葉一刀流》に関しては詳しくないんだけれど、八葉に於ける”中伝”ってのはどういうモンなの?」

 

 サラのその言葉に、レイは飲み物を啜りながら、言葉を選ぶように口を開いた。

 

「《八葉一刀流》は心技体の内、最も”心”を重要視する武術だ。元より東方系の武術はそういう傾向があるが……技が達者なだけでは八葉の名を背負う事は許されない」

 

「……リィンが初伝止まりだったのそういう訳ね。見た限り、技の冴えが初伝止まりとは思えなかったわ」

 

「八葉の剣士は大陸各地にいるが、そんな中でも老師が直接手解きをした”直弟子”達はまた別の存在だ。それは、リィンを含めて8()()()()()()()()、《八葉一刀流》の正統継承者―――つまり《剣聖》の名を冠するのは7()()()()()

 

「…………?」

 

 サラはその時点で明確な疑問を抱いたが、質問は後だと言わんばかりに、レイは説明を続ける。

 

「八葉の”直弟子”達は初伝までにまず、一から八までの基礎となる型の全てを叩き込まれる。それ以降は、適性のある型に尖らせる形で育って行くんだ。カシウスさんの《一の型》、アリオスさんの《二の型》といった具合にな」

 

 ただし、その育って行く過程に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。手取り足取り育て上げるのではなく、基本は基礎を叩き込んだ時点で老師の直々の修行は終わる。

 そこから先は()()()()()()()だ。鍛錬を欠かさず、向上に努める。他の剣術の流派と大きく異なるのは、やはりその部分であろう。

 だからこそ、《八葉一刀流》には直弟子たちが新たに練り上げた技が多く存在する。それを老師が咎めた事は一度たりともなく、寧ろそれこそが本領とでも言いたげに。

 

「八葉に於ける”中伝”とはつまり、一つの区切りだ。直弟子でなければ”奥伝”に至れない以上、それ以外の八葉剣士が到達できる最終目標。……それがどういう事か、お前なら分かるだろう?サラ」

 

 そこに至る事を許されたという事は、つまり”準達人級”の武人として恥じない実力を身に着けていると認められたという事。

 だが同時に、”《八葉一刀流》中伝”を名乗る為に適した試練もまた、厳しいものであるという事も理解できた。

 

「特に”直弟子”の中伝試練はキツいらしい。あのカシウスさんとアリオスさんも当時を思い出して相当苦い顔してたぜ」

 

 曰く、中伝試練はただ剣の腕が立つだけでは()()()()()()()()()

 曰く、下手をすると剣士としての尊厳を破壊しつくされる。

 曰く、絶対にもう体験したくない。

 

 そしてレイもそれを理解しているからこそ、流石に友のこれからを案じずにはいられなかった。

 

「名高き《剣聖》でいらっしゃるお方も、ですか」

 

「どんな武人であろうとも、未熟である時代はある。それを差っ引いても信じられなかったが……実際にやってみて分かったよ。アレを試練でやられたら確かに心折れるかもしれん」

 

「……リィンが老師から貰った手紙には、「八葉の直弟子の一人を向かわせる」ってあったみたいだけど。つまりはその人も《剣聖》って事よね?」

 

 サラの、一見その通りに見える疑問に、しかしレイは茶化すことなく首を横に振った。

 

「その考えは尤もだが、違う。()()()は《剣聖》じゃない。……いや、そう名乗る事を自ら拒んでいると言った方が良いか」

 

「そのように仰るという事は、レイ様はもうそのお方をご存じなのですね?」

 

 あぁ、と頷く。尤も、シャロンの方はもう心当たりを付けているのだろうが。

 そこでサラが、漸く合点がいったと言わんばかりに指を鳴らす。

 

「《剣聖》を名乗る事を許されていない最後の一人、ね」

 

「ご明察だ。とはいえ、老師はそこまで器の小さい人じゃあないだろう。俺が会った《剣聖》二人も、そう名乗る資格は充分過ぎるほどにあると言っていた」

 

 そこまで話を進めると、シャロンがエールの入っていたジョッキを静かに置き、微塵も酔っている様子を見せない落ち着いた口調で再び口を開く。

 

「《無剣》、《流水》、《断ち殺し》、《雲耀(うんよう)》―――数々の異名を持っていらっしゃる方ですわね」

 

「流石に<クルーガー>のリストには載ってるか。あの家が、()()()()()()()()()()()を放っておくとも思えねぇしな」

 

 その人物の事を思い出し、思わず口角が僅かに吊り上がってしまう。

 恐ろしい人だった。師とはまた違った意味で。武の極致とは様々なものを指すのだと、あの人が示していた。

 それをリィンが学ぶのは良い事だとは思う。肥大する力とは対極の存在。それに立ち向かう勇気を。

 

「笑ってるわよ、アンタ」

 

「悪ぃ。思い出してた。自分とは全く違う戦い方をする武人と戦うのがどうにも愉しかったからな」

 

「……その人と出会ったのは遊撃士繋がり?」

 

「カシウスさん繋がりだ。その人と戦えばより”強く”なれるって聞いてな。……実際愉しかったし、ためになったよ」

 

「《理》開眼者ですらトラウマになりかける相手に対して? アンタ、割と戦闘狂(ウォーモンガー)のケがあるわよね」

 

「馬鹿を言え。自分(テメェ)と同格か、格上の武人との死合いを愉しいと思うのは一定以上にまで至った武人の自然な(さが)だ。背負う者がない状態での死合いを愉しめない奴は、”達人級”にはなれねぇよ」

 

 レイ・クレイドルは殺戮を嫌う。虐殺を嫌う。戦争を嫌う。それが人の世では避けられないモノだと分かっていても。

 だからこそ、それに関わる時は笑う事など無かった。己の力で蹂躙する時も。弱者を嗤うのは愚者の行いだと義姉に教わっていたからこそ、レイはそこから先には堕ちなかった。

 

 だがそれでも、武人の本能までは抑え込めなかった。

 己と凌ぎ合える者との戦いは己の力を把握できる。己より格上の者との戦いは、進化ができる絶好の機会。

 力の在り方に悩み続けながらも、レイは力に対して貪欲ではあった。使い方に差異はあれど、極論として力がなければ何もできず、何も守れないから。

 

「ともあれ、だ。試練は明日だろう。シャロン、明日の夕飯はとびっきり美味いモンを頼む」

 

「はい、お任せくださいませ」

 

「ちょっと待って。何で明日って分かるのよ」

 

「簡単な話だ。今日一日、この街からその人の気配が漂いっぱなしだった。……結局見つけられなかったがな」

 

「見つけられなかった? アンタが?」

 

「異名の通りだ。雲のように掴みどころがない。隠れるとかそういうんじゃなくて、自然体で紛れて消えるんだ」

 

「中々厄介な御仁みたいね」

 

「明日のバンド練習は中止だな。ダチの試練だ。見届けなきゃいけねぇよな」

 

 そう言い、レイは天井を見た。

 

 

「さて、ダチ公。上手く乗り越えてくれよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 異様な空気が漂っているのは分かっていた。

 

 否、このトールズ旧校舎が異様な雰囲気を漂わせていなかった事など無いのだが、今日はまた違う空気が漏れ出ていた。

 そこに至るまでの林道を、リィンは一人で歩いていた。

 

 

 ―――今朝方、第三学生寮のポストに入っていた一通の書簡。

 

 

『リィン・シュバルツァー殿

 

 本日午後5時、トールズ士官学院旧校舎にて《八葉一刀流》中伝の儀を執り行う

 

 己の太刀と意思を携えて挑むべし

 

 尚、立ち合いは無用の事』

 

 

 差出人の名前すら書いていない、簡素な文。

 しかし、それを疑問には思わなかった。それが悪戯だとは思わなかったし、名を書かなかったという事はつまり、()()()()()()()()()という事だろう。

 

 一歩踏み出す度に強くなっていく、涼やかながらも凄烈な氣。―――あからさますぎて誘っているのもすぐに分かる。

 そう言えば名前を訊くのを忘れていたなと思い、リィンは旧校舎の扉を開けた。

 

 薄暗い中でも、眩しくなるほどに鮮やかな白と、緑。

 昨夜会った時とは違い、着物の上から白の外套を羽織り、その人は立っていた。

 

「……一期一会という言葉も存外アテにならないものですね」

 

 昨夜、彼女自身が言った言葉を否定しながら、ゆっくりと振り返る。

 

「改めまして、ね。リィン・シュバルツァー師弟。まぁ、本来私にこんな事を言う資格はないのだから、貴方の方は無視してしまっても良いわよ?」

 

「……それはできません。自分より先に師に薫陶賜り、奥伝に至った先達を貶す事など」

 

「はぁ……本当に真面目な後輩しかいないのですね。カシウスもアリオスも、あぁ、いや、例外はいましたか」

 

「《剣聖》に、《風の剣聖》……」

 

「貴方はどうですか、リィン・シュバルツァー。老師が見定めた最後の継承者。如何なる過去を持ち、如何なる未来を描くのか」

 

 声量自体は何処か抜けているように感じられるというのに、心の奥底にまで浸透する様な何かがある。

 その双眸は全てを見透かすように。《理》に至った者しか醸し出せない底知れない感覚を感じ、息を呑む。

 

 

「太刀を構えなさい」

 

 言葉を返すより先に抜刀していた。正眼に姉弟子を捉え、闘気を体中に充溢させる。

 

 

「私は、この場から半歩たりとも動きません」

 

「私は、貴方の繰り出す技の全てを躱しません」

 

「私は、己から技を出すことを致しません」

 

「私は、武器を扱いません」

 

「試練の内容は至極簡単です。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その内容に、リィンは僅かに眉を顰めた。

 それは、ほぼ無防備の状態だ。攻撃を”徹す”のではなく”当てる”だけで済むのであれば、此方の攻撃を躱せない以上、最初の一撃で勝負がついてしまう。

 達成できないわけがない―――字面だけを見るならば、そう思うだろう。

 

 だが違った。何故だと理由を説明できるわけではなかったが、今まで数多の”強者”を見て死線を潜り抜けてきた彼の本能が告げていた。

 この試練は生半可なものではない―――と。

 

 

「―――《八葉一刀流》初伝、リィン・シュバルツァー。全身全霊を以て中伝の儀に挑ませていただきます」

 

「……宜しい。では、儀を執り行うとしましょう」

 

 目の奥が光った。形容し難い研磨され尽くされた闘気がリィンの全身を刺し貫く。

 

 

「《八葉一刀流》八の型《無手》、ユキノ・クシナダ。その信念を探らせていただくと致しましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本来、《八葉一刀流》という剣術の《八の型》に於いて”奥伝”というものは()()()()()

 

 トールズ士官学院本校舎Ⅶ組教室。学院際の練習を今日だけは中止して、一同は教壇を囲むように思い思いに佇んでいる。

 その教壇の上にはユミルでレイとカグヤの戦闘を覗き見るためにシオンが用意していた遠見の鏡が設置されており、そこに映されている旧校舎の様子を眺めながら、徐に正面の席に座ったレイがそう口を開く。

 

「奥伝が存在しない? どういう事だ?」

 

「そのままの意味だ。―――ラウラ」

 

「何だ?」

 

「《アルゼイド流》に()()使()()()()()は存在するか?」

 

 その問いに、武術を嗜まないメンバーは首を傾げたが、ラウラは少し顎に手を当て、そして頷いた。

 

「あるには、ある。だがそれは……」

 

()()()()()()()()()()使()()()、だろ? 《八葉一刀流》八の型《無手》は掻い摘んで言うとそういうものだ。得物を失った際に、それでも活路を見出すために会得するもの。必然的に他の技より優先度は下がる―――()()()()()()()()

 

 そう。建前なのだ。もっと言うのならば、武の最高峰を覗き込んだ者にしか理解できない真理とも言えるだろう。

 

「武術ってのは、極めるところまで極めると自然と原点に立ち返る。八葉の《八の型》もそういうものだ。そして原点であるが故に、”奥義”というものは存在しない。何故だと思う?」

 

「……技の全て、その全てが奥義であるが故に、か」

 

 そう答えられる程度には、ラウラも理解してはいるのだ。武の真髄とは、”一”のその果てに見据えるものであるという事を。

 

「まぁとはいえ? それに至れる武人なんて一握りも一握り。やたらめったら会えるモンじゃねぇ。でも幸か不幸か、あの人は、ユキナ・クシナダという武人は、その深淵を少し覗き込み過ぎた」

 

「《理》に至った武人というやつか」

 

「《八葉一刀流》には現在六名の《剣聖》が存在するが、それと比べても()()だ。そしてその本質は、相対した人間しか分からない」

 

 ゴクリ、と誰かが唾を飲んだ。

 レイが茶化すような口調ではなく、心底真剣な口調で誰かを評価している。それを笑って聞き流すには、少々死線を潜り過ぎたとも言える。

 

「まぁ、まずは見ておけ。世の中にはこういう戦い方をする人もいるんだと、知見を広げておく意味でもな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迷いはなかった。雑念も捨てた。

 如何に目の前にいるのが、一見すると十代の少女にしか見えない人であったのだとしても、《八葉》の技を極めた者に他ならない。

 

 故に、初手で全力をぶつけるという選択を取った。

 長引かせて良い試練ではないという察しはついていたし、元より出し惜しみが罷り通るとも思っていない。

 此方の力量程度は、相対したその瞬間に見極められただろう。であれば、いかに瞬間的にでもそれを上回れるか否かこそがこの試練を切り抜ける鍵となる―――リィンはそう考えていた。

 

 

「《蒼焔ノ太刀》ッ‼」

 

 

 足が地から離れた瞬間に、太刀に纏われた蒼焔が大気を焼き始める。

 相手の回避を考慮に入れる必要はない。散逸する焔を一点に集中させ、破壊力を”点”に集中させる。

 

 全力の上段からの唐竹割り。言葉の通りユキノはその場から一歩も動こうとはせず、身を捻るような仕草も見せず。ただ目が焼けるような蒼焔が描く軌跡を真正面から眺めていた。

 

 このままでは直撃する―――そう思ったリィンであったが、もはや軌道をずらす事はできない。

 だが、その懸念の一切は杞憂に終わった。

 

 

「―――え?」

 

 気が付いた時、リィンは背中から旧校舎の石畳の上に倒れていた。両手で握られた太刀には、残火程度の蒼焔がチリついている。

 何が起きたのかを理解する前に、起き上がる。今まで徹底的に、それこそ老師に手解きを受けていた頃から”受け身”に関しては叩き込まれてきたリィンであったが、今は何故か、無様にも背中から倒れ崩れた。

 

 視界を移動させ、ユキノの方を見る。自分が放った技は当たったのか否か、それを確認するために。

 

 

 だが、すぐに目を見開くことになる。

 

 彼女は変わらぬ位置で立っていた。その長い髪は僅かに揺れてはいたが、その着物の裾の端にすら、焦げ跡一つ見当たらない。

 リィンが見ていた限り、彼女が手足のいずれかを動かしていたようには見えなかった。だというのに事実身体は吹き飛ばされ、彼女は未だ無傷でいる。

 

 無傷でいる、それ自体は珍しい光景ではないのだ。レイとの模擬戦でも、未だにそういう形で敗れる事がほとんどなのだから。

 しかしそれでも、どのようにして自分の攻撃が防がれたか、或いは躱されたかは理解できる。理解できるからこそ、試行回数を稼ぐことで改善点を見出すことができていたのだ。

 

 だが今回は違う。

 自分がどのようにしてあしらわれたのかが分からない。刀身に何かが触れたような感覚すらなかったというのに。

 

 何が何やら分からぬままに、リィンは再び斬りかかった。唐竹割りではなく、横薙ぎの一刀を。

 しかしそれも、まるで霞を斬ったかのような無力感を感じた直後、浮遊感と共に身体が軽く宙を舞っていた。

 流石に二度目は受け身を取ることができたが、ますます疑問は強くなった。

 

 ()()()()()()()()()()()()実体ではないのかとすら思ったが、その仮定はすぐに否定した。その程度すら見分けがつかない程未熟ではない。

 確かにユキノ・クシナダはそこにいる。自分の攻撃が通り抜けたわけではない。

 アーツによる幻術などではない。彼女からは一切魔力の励起を確認できていない。攻撃が通り抜けたわけではないのだ。

 

 

「……何をされたか分からないという顔をしていますね」

 

 先程までとは違い、まるで人間性を削ぎ落としたかのような冷たい声が降り注ぐ。

 

「武人同士の相対しにおいて、視覚というものは存外アテにならないものですよ」

 

「っ……」

 

 それは本来、己が気付かなければいけなかった事だ。それを姉弟子の口から言わせてしまったことに対しての無力感を覚える。

 

「己の思考、主観のみでの万物の把握は不可能。俯瞰し、客観性を極める事で()()()()技……八葉に於いてそれは、《観の眼》と称されます」

 

「…………」

 

「”《八葉一刀流》中伝位階”の名は甘くはないという事です。さぁ、立ちなさい。貴方の修める《無》が如何なるモノか、身を以て知ると良いでしょう」

 

 その言葉を機に、リィンは一度脳の中の思考をリセットした。

 無風の湖面の如く、波立たせず、あるがままを感じる事でこの試練が如何なるものを己に求めているのかを感じ取ろうとしたのだ。

 

 しかしその思考を―――乱すモノが()()してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 喪中につき、新年の挨拶が出来ません事をお詫びいたすと共に、今年も宜しくお願い致します。十三です。

 原作ではユン老師からの言伝のみであった中伝の儀ですが、この作品でのそれがそんな軟なものであるはずがないじゃないですかって事で、いつもの試練の時間だよ‼

 というわけで新キャラ、ユキノ・クシナダさん。
 《八葉一刀流》八の型の伝承者。「黒い翼」様より案を頂いたキャラです。
 元ネタは「刀語」の「鑢七実」ですが、流石にあそこまでぶっ飛んだキャラにはできませんでした。割とマイルドです。ただ元ネタが元ネタなだけに強さの方が尖りに尖っております。
 因みにイラストはこちら↓

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 さて、次回も続きますのでよろしくお願いします‼


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《八葉一刀流》中伝ノ儀 弐






「剣に生き、剣に死ぬ。それ以外に俺たちに道はない」

                   by 斎藤一(るろうに剣心)








 

 

 

 

 

 

 

 

 剣を”持たない”のではなく。

 

 剣を”厭う”ではなく。

 

 

 ただ、剣を”持つことができない”。

 

 

 それが、彼女が生来有していた”異常性”であった。

 剣だけに限らない。それが武器であるならば、槍であろうと銃であろうと弓であろうと、下手をすればただの木の棒であったとしても、彼女は上手く扱えない。

 

 人を殺すのは勿論の事、小動物や虫に至るまで、悉くを傷つける事が叶わない。

 それは呪いと称するに相応しい程のものであり、「才能がない」という言葉で片付けるのすら生易しい。

 

 そしてそれは彼女自身理解していた。武人という存在からは最も縁遠いと分かっていたし、そういった世界とは生涯関わる事はないだろうとも。

 

 

 

 ―――そんな彼女が、剣の流派として名高い《八葉一刀流》の()()()()()()となったのは、当人にしてみればあまりにも皮肉じみた出来事だったと言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――驚きましたな」

 

 思わず、といった口調で、カシウス・ブライトはそう呟いた。

 

 彼の眼前にいるのは二人。

 

 一人は舗装されていない地面の上に息を荒くして倒れ込んでいる少年。数ヶ月前、カシウス自身がスカウトして遊撃士協会所属となった、元《結社》の執行者という前歴を持つ剣士。

 身の丈に合わない長刀を携えたその少年の名は、レイ・クレイドル。後にレマン遊撃士本部にすらその問題児ぶりが伝わる準遊撃士。

 しかし、その実力は本物も本物。元”武闘派”《執行者》の前歴に恥じない強さは”達人級”に名を連ねる程。―――そんな彼が、無防備に命を取られる体勢を取り続けているのは珍しいと言える。

 

 そしてそんな彼を見下ろしながら、自らの頬をか細い指で拭う少女。

 否、それは外見だけの話だ。その落ち着き払った立ち振る舞いは、今が死闘の直後であることなど微塵も感じさせない。それも、”達人級”を相手にした死闘の後だ。

 

「……今の言葉はこの少年に対して失礼よ、()()()()

 

 外見だけならば娘程にも見える女性のその言葉に、しかしカシウスは素直に頷いた。

 

「確かに、少しばかり言葉が足りませんでしたな。しかし驚かせてください()()()よ。貴女が()()()()姿など、自分は見た事がないのですからな」

 

「……あぁ、やはりこれは、私の血なのね」

 

 陶磁器のように滑らかな頬に、ほんの僅かついた赤い線。そこから雀の涙ほど押し出された自らの血を指で拭い、そしてそのままその指を口に運んだ。

 

「ん……えぇ、カシウス。貴方の言った通り、自分の血を味わうのも久しぶりだわ。嗚呼、そういえばそうだったわね。私の味は、()()()()()()()()()

 

「どうでしたかな。彼の強さは」

 

 指を唇から離し、彼女―――ユキノ・クシナダは、気を失ったレイの近くまで寄ってしゃがみ込み、毛先だけ白く染まったその黒髪を撫でた。

 

「貴方が気を掛けるだけの事はあったわ。まだ13だというのにここまで苛烈に、鋭く尖った剣を振るう事が出来るなんて、一体何処まで深い地獄を垣間見ればこう成ってしまうんでしょうね?」

 

「…………」

 

「それに彼が使った剣―――《八洲天刃流》だったかしら? まさかあの鬼女が弟子を取っていたなんて、それこそ青天の霹靂なんていう言葉では到底表現しきれない程に驚いているのだけれど……まさか奥義まで修めているとは思わなかったわ。流石は元”武闘派”の《執行者》と言うべきね」

 

「はは、流石です姉弟子。貴女にはそこまで情報を開示していなかったつもりですが」

 

「あら、隠しているつもりだったのかしら。貴方が以前匿ってあげた子も、同じような境遇だったと聞いているのだけれど?」

 

 その時点で敵わないと判断したのか、肩を竦めるカシウス。S級遊撃士などと呼ばれるようになった今でもなお、この姉弟子には色々な意味で敵う気などしなかった。

 

「ですが、ただ”強い”だけでは貴女を傷つける事など叶わない。姉弟子、貴女は彼に、()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ユキノは、僅かも逡巡することなくそう答えた。

 

「昨日より今日、今日より明日。一時間前より、一分前より、一秒前より―――過去の己より強くならねばならないという強固な意志。本人にしてみればその自意識は薄いのかもしれないけれど、彼は、そうね。典型的な修羅道の人間。あの師あってこの弟子ありと言ったところかしら」

 

「姉弟子。珍しく殺気が漏れておりますな」

 

「武人が高みを目指すのは当然の事だけれども、この歳にして既に”達人級”。幾ら才覚があったのだとしても、果たしてどれ程の地獄の修練を積んだのかしらね? 貴方が目を掛けたという事は、ただの戦闘狂という訳でもないでしょう? ねぇ、カシウス」

 

「…………」

 

「答えなさい弟弟子。私が面白くない顔をしている理由くらいは分かるでしょう?」

 

 中々に無軌道な生活をしているこの女性も、人並みに許せないと思う事はある。

 そうでなければ、カシウス・ブライトという男が姉弟子と慕う訳もない。そして無論、彼女が面白くない表情をしている理由も分かる。

 

 だがそれでも、敢えてカシウスは口を噤んだ。

 レイ・クレイドルは、息子として家族に招き入れた少年を命がけで守った恩人でもある。その彼の尊厳を傷つけるような過去を、好んで伝えようとは思わなかった。

 すると、その意思を理解したのか、ユキノもやや不満げながらその無言を受け入れた。

 

「……少し、興味が湧いたわ」

 

 そう呟くように言って、彼女は再び「カシウス」と弟弟子の名を呼ぶ。

 

「《八葉》の剣を継ぐ者でなくとも、私に久し振りに血の味を教えてくれた子よ。このまま自らが抱える業に縛り付けられたまま、達人の末席に留まり続けるのはあまりにも惜しい」

 

「えぇ、それは自分も思います。潜在的な力であれば、《風の剣聖》も上回るでしょうからな」

 

「そう思っているのなら、貴方が背中を押してあげなさい。私が知る限り、弟子の中で貴方が一番そういう事が得意ですからね」

 

「そう言っていただけるのは嬉しい限りですな。しかし私の見解では、姉弟子も苦手という訳ではないでしょう?」

 

「……苦手だとか、出来ないだとか、そういう問題ではないですよカシウス。()()()の私が、誰かに何かを与えるわけにはいかないでしょう?」

 

「…………」

 

「貴方は私とは違う。貴方は人を育て、導く才がある。でも彼に”導く”事は必要ない」

 

 当てずっぽうなどではなく、人間観察の極致に至った瞳がそれを見抜いていた。

 そしてこれ以上は語るつもりはないと言わんばかりに、ユキノは立ち上がって「あぁ、そういえば」と話題を変えた。

 

 

「2年前、えぇ、そう。最後に貴方と別れた後すぐに、師父から手紙が届いたのです。―――《無》の継承者が見つかったと」

 

「……成程。七の型―――《八葉》の最後の継承者ですな」

 

「その継承者が、彼と同じくらいの歳の頃らしいのですよ。えぇ、えぇ、もしかすれば」

 

 期待と、ほんの少しの慈愛。意外と情があるこの人であっても、ここまで肩入れするとは珍しいと、カシウスが思う程。

 そんな感情を込めながら、ユキノは呟くように言った。

 

 

「もしかすれば、この子と()の子は、互いに不思議な運命を紡ぐ事になるやも知れませんね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

『力を求めるか? 隷子(れいし)よ』

 

 

 世界が赤く染まって止まり、そんな声が、直接頭の中に響いてきた。

 高慢で、己が何者より優れていることを疑っていないような声。それに聞き覚えがあるからこそ、リィンは顔を顰めた。

 

「貴女は……ッ。何をしに出てきたんですか‼」

 

『そういきり立つな。余も今すぐにこの縛を解こうとは思わん。我が愛し仔の顔を立てて、暫くは貴様の中に居てやるとも』

 

「……その言葉を信じろと? 俺の身体と意思を散々弄った貴女を?」

 

『余は王である。その名に懸けて偽りを口にすることはない』

 

 その言葉には、有無を言わせぬ強さがあった。さしものリィンもそれ以上追及することは出来ず、じくじくと内側から漏れ出ようとする熱を抑え込みながら問う。

 

 

「……もう一度問います。一体何をしに出てきたんですか?」

 

『言ったとおりだ。貴様が求めるのならば力をやろう』

 

 だが、とそこで彼女―――エルギュラは言葉を区切った。

 

『以前のように貴様の潜在能力を捩じ上げるのも面白くはあるが、それでは()()()()。何より()()は、それだけで勝ちを拾えるほど容易くはなかろうよ』

 

「…………」

 

『クク、そう訝しむ顔をするな。だが貴様の考えている通りだ。余は善意では動かぬ。これはただの戯れよ』

 

「俺に力を貸して、貴女に何のメリットがある?」

 

『余が愉しむ為だ。得も損もない。愛し仔程ではないが、貴様も中々に面白い。故に、余が言葉を貸すのも一興だと思ったまでよ』

 

 そして、眼前に現れる傾国の美貌。

 しかしそれに見惚れる事はない。その内側にあるのが人外のそれである以上、僅かでも気を許してはならない。

 エルギュラもリィンのその心情を見抜いていたのだろう。益々口角を吊り上げて笑みを深める。

 

『乞え。未熟者が手を伸ばして何が悪い。貴様が背を追う我が愛し仔も、嘗ては余に言葉を求めたものよ』

 

「……貴女が元《結社》の《執行者》だった事はレイから聞いた。その時の話か」

 

『そうだ。さあ、貴様はどうする。このままでは貴様があの女の試練を突破するのは難しかろう。余の言葉に耳を貸せ

 

 覗き込むその双眸が、獣のそれのように鋭く尖る。真紅の瞳に黄金の光が混じり、射すくめるような視線がリィンの全てを征服せんと向けられる。

 そして、その声にも聞き覚えがある。ザクセン鉄鉱山の最奥で聞いた、総てを屈服させる王の声。

 顎に手を添えられ、囁くように言われた。脳髄を溶かすような甘く、しかし猛毒の誘い。

 目の前が昏く染まっていく。身を委ねてしまえば楽になると、そうヒトとしての本能が告げている。―――だが。

 

 

「断る」

 

 

 彼は、それを断固として跳ね除けた。

 どれだけ揺らぎそうになったとしても、その精神力が、今まで死線を潜り続けた事で鍛え上げられたその精神力が、魔神の誘惑すら弾いてみせた。

 

 エルギュラは一瞬だけ、それこそ瞬きの間程度の時間だけ目を見開き、しかし直後にはいつものように笑っていた。

 だがそれは、捕食者の笑みだ。微塵も喰らう事を諦めていない笑みであった。

 

 

『クク、ククク、クハハハハハハハハハッ‼ やはり貴様は面白い‼ 二度も余の言霊を跳ね除けるか‼ 迷った末の、葛藤の先での拒絶であったら否が応でも()()()()と思っていたが―――貴様、やはり()()な』

 

 その高笑いに、怒りの感情など微塵もなかった。

 ただ彼女は正しく評価したのだ。リィン・シュバルツァーの覚悟と、強さを。

 

 

「これは俺が乗り越えるべき壁だ。俺が、俺自身と向き合って進まなければいけない道だ。誰かに頼る事が必要だという事も分かっている。だけど、今は違う。……そうでなかったとしても、貴女の言葉に堕とされる訳には行かない」

 

『ほぅ』

 

「助力を申し出てくれたことには感謝する。だが、前にも言った筈だ。貴女の”力”は、俺には要らない」

 

 リィンにしては珍しい、完全な拒絶。

 分かっていた。それを受け入れてしまえば、自分は確かに強くはなるだろうが、同時にヒトとして大事なものを失うだろう。

 人として胸を張れない強さなど要らないと、あの戦いではっきりと告げた。それを迷うことはないし、撤回するつもりもない。

 

 何より―――そんな事をしてしまえば、人として強くなった(レイ)に顔向けができない。己を愛してくれた彼女(アリサ)に顔向けできない。

 

 

『―――やはり人間は面白い』

 

 憤怒という感情を知らないわけではないだろう。

 だが彼女は、人間という存在を遥か高みから俯瞰することを止めない。リィンはその正体を詳しくは知らなかったが。その在り方には、ある種の呪いのようなものを感じた。

 

『目先の欲望に頭を垂れて堕落の極みを尽くす存在(モノ)もいる一方で、たまに貴様のような存在(モノ)もいる。如何に魅力的な餌を吊るされようとも、毅然と振り払う”意思”の具現のような人間がな』

 

『余は人間の在り方そのものを愛しているが、()()()()()者共は特に好いている。余がどれだけ言葉を用いようとも棚引かぬ。余を斃さねばならぬモノとして殺意を向ける。―――50年前から余は、そういった者共が別格に愛おしくて堪らんのだ』

 

 狂っている。再びそう思わずにはいられなかった。

 己を害するものを愛する。器が大きいか小さいかの問題ですらない。何故そう思うに至ったのか、それを知る事すら危険であると思えるほどに。

 

『以前貴様には言ったな? 余が好むのは”拒む者”であると。そしてこうも言った筈だ。―――貴様も、我が愛し仔と同じ”異常者”であると』

 

「っ……」

 

『貴様の中のその”力”。それに諍う貴様は実に愛い。異常なる力を厭うのであれば、それに打ち克つ強靭な意思が無ければならん。―――我が愛し仔はそれを得た。許容できぬ犠牲と引き換えにな』

 

 彼が”達人”に至るまでに支払った犠牲。それは安くなく、とても重い事は重々承知していた。

 だが、己が自らそれを差し出せるかと問われれば、首を横に振るだろう。

 

『ならば、貴様は何を運命に差し出す?父か?母か?妹か?友か?仲間か?それとも、恋人か?』

 

「貴女は……ッ‼」

 

『犠牲無き進化など有りはせぬよ。異常者の進化であれば尚の事。定命と脆弱という名の鎖に繋がれた身で、蝋の翼を以て高みに至らんとするならば、何れを差し出すのは道理というもの。愛し仔もそう思っているだろうよ』

 

「強くなるために不幸になれと……貴女はそれが正しいと言うのか⁉」

 

『然り。絶望を識り、それを乗り越えんとする時にこそ、ヒトは最も美しく、強くなれるモノよ。―――貴様の深奥で揺蕩うのも飽きたのでな、その記憶も覗いたが……心当たりがあるのだろう?』

 

 否定は―――できなかった。

 思い出すのは9歳の頃。ユミルの山奥で魔獣と相対してしまった時。あの時にリィンは、自分の背中に隠れて震えてしまっていた妹を救うために、己の中の”力”を暴走させた。

 家族を失ってなるものかという、唯その思いが力を生み出したのだ。ただの子供が、魔獣一頭を惨殺できる程の力を。

 そう言う意味では、この女性の言葉も間違っていないのだと理解できる。だが、それでも―――。

 

 

()()‼ 少なくともレイ(アイツ)は、自分が差し出した犠牲のお陰で強くなったとは思っていない‼ それが、正しかったとも思っていない‼」

 

 理解は出来ても、認めるわけには行かなかった。

 一人だけであっても十二分に強く、本来であればクラスメイトであったとしてもわざわざ稽古をつける義理など無いというのに、嫌われかねないレベルで戦い方を一から叩き込んできたのは何故か。

 

 ()()()()()()だろう。オリヴァルト皇子が掲げた「第三の道」という信念を、仲間内で誰よりも理解していたのは彼だった。だからこそ最初から分かっていたのだろう。その道の先駆けとなる自分たちの前には、きっと多くの壁が立ちはだかる事になるだろうと。

 その険しい道を進む過程で、力無き者は淘汰されてしまう。幾ら理想を掲げたところで、それを貫く強さが無ければ無意味も同然。

 サラ・バレスタインという教官は彼らにとって良き教師であったが、彼女の役割は彼らに戦いの何たるかを仕込み、戦い以外の何たるかを教え、それが身に付いたか否かを見極めるというもの。だがレイは、常にリィン達の前を歩きながら戦う者の覚悟を示し続けてきた。

 

 

「貴女も分かっているはずだ。アイツを見てきた貴女なら。どれだけ自分が不幸な目に遭ったとしても、他人にそれを望むほど腐った奴じゃない‼」

 

『…………』

 

「貴女の言葉には、決定的に”ヒトへの理解”が足りていない。―――あまり俺の友人を嘗めるな

 

 人間として、そして何よりレイ・クレイドルの友人として断固たる口調でエルギュラという存在を否定する。

 怖くないというわけはなかった。彼女が本気で怒り、自分を殺そうと動いたのならば、確実に殺されるのだろうから。

 だが、本人にとっては不本意であったのだが、この女性はそういった事では怒りを示さないであろう事もまた分かってしまっていた。

 

 限りなく高飛車で、不遜で、己が最強かつ最高である事を信じて疑わない。ヒトでは無いが故にヒトの心を理解できず、理解しようともせず―――しかしだからこそ、()()()()()()()()()()”面白い”のだと考える。

 故に、己がどうしようもなく理解できない”それ”を示す者に対しては寛大なのだろう。ペットが噛みつく程度で怒るほどの狭量ではない、というだけかもしれないが。

 

 

『―――は、吼えたな。気に入ったぞリィン・シュバルツァー。それ程嘯くのであれば示して見せよ。犠牲無くしてもヒトは強く在れるのだと』

 

「……貴女に言われずとも」

 

『ならばこの程度の試練で立ち止まるな。此方(こなた)彼方(かなた)もヒトであるのならば、貴様が超えられぬ道理などあるまい』

 

 それが、彼女なりの激励のようなものだと理解するまでに数十秒を要し、その間に眼前の世界は”動き出していた”。

 旧校舎の据えたような匂い。不気味さすら感じさせる石床と石壁の色合い。そしてそこに佇む、雪を纏ったかのようないで立ちの姉弟子。

 

 

「……()()()は終わりましたか?」

 

「……気付いていたんですか?」

 

「えぇ、まぁ。自分の反応知覚範囲内(テリトリー)()()()()()()()流石に気付きます。……あまり踏み込んでしまうと後々面倒臭い事になりそうなので深くは訊きませんが」

 

 少々物臭そうな反応が返ってきたところで、リィンは再び太刀を構えた。

 身体は半身に、刀身は目線と並行に構え、一切の雑念を捨てる。室内を滞留する空気の音すらも聞こえない程に。

 

 《八葉一刀流》二の型―――『疾風』。

 地を蹴って最速で。技も思考も最上級に研ぎ澄ます。それでも、姉弟子に触れる事は叶わないだろう。そんな事は分かっている。

 その攻撃は、見極める事が目的なのだから。

 

 剣鋩が触れようとしたその瞬間、本当に僅かな間だけ、ユキノの腕の裾部分が()()()

 それは、瞬きすら惜しい、本当の意味での刹那の時間。だが、レイの剣速に慣れたリィンの眼は、そのブレを辛うじて捉えた。

 捉えただけ。対策ができたわけではない。思い通りに攻撃は素通りし、リィンは足を踏み込んで何度目かも分からない繰り返しを終える。

 

 だが、ただの繰り返しではない。

 どうにか()()()。己の行動すらも客観的に分析の対象にして流れを読むことで、自分が今何をされたのかを。

 

 段階は次へと移行する。次に為すべきは何か。それを考えるために視線を再び彼女の方へと移すと、ユキノは眼を見開いて驚いたような表情を見せていた。

 

()()()()

 

 次に口が開いて紡ぎ出された言葉に、始まる前までのどこか距離を置いたような雰囲気は無かった。

 

「己の全てを絞り出してこの試練を突破してみせなさい。貴方に、それが出来ないはずはない」

 

 口元が緩む。慢心をするつもりはないが、そこまで期待をされているのならば、男として応えないわけには行くまい。

 

「勿論です、姉弟子。《八葉》の末席を担う者として、この試練を乗り越えて見せましょう」

 

 

 

 ―――その時。

 

 

 キン、と。心の中で何かの音が響いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

「……アイツ、やっぱ才能あるな」

 

 ポツリと、呟くようなレイの言葉に、ラウラが反応する。

 

「そなたがそこまで素直に武の才を褒めるのは珍しいな」

 

「そうかぁ?」

 

「少なくとも私は、そなたがそこまで言う程の事があったと見ているが」

 

 ラウラのその指摘は正しかった。

 戦闘……そのやり取りが戦闘と言って良いかどうかが疑問になるのはさておき、それが始まってから約2時間。傍から見れば、進展は何もないように見える。

 

 だが直近の攻撃は、レイにその言葉を漏れ出させるに相応しいものがあった。

 

「レイ、アンタがリベールにいた時にあの人の試練を特別に受けて、合格を貰うまでにどれくらいかかったんだっけ?」

 

()()。因みに俺が知ってる《八葉一刀流》の皆伝者では、カシウスさんが()()。アリオスさんが()()()かかってる。ま、勿論中伝前の話だけどな」

 

「……リベールの《剣聖》、クロスベルの《風の剣聖》でもそんなに」

 

「あの人の試練は、ハマる人間は確実にハマる。今まで自分が培ってきたものに絶対の自信を持っている内は、どんだけ時間をかけても突破は無理だ」

 

 その言葉に、他の面々は首を傾げたり、眉を顰めたりした。

 武人にとって、否、武人ではなくとも、それまで培ってきた努力の結晶というものは、運が悪くなければ実を結ぶもの。それだというのに、積み上げてきたものに意味がないなどと言われては疑問を感じるのも仕方がないというもの。

 だがレイは、直ぐに言い直した。

 

「あぁ、いや、言い方が悪かったか。そこに至るまでの努力の一切が無駄という訳じゃない。むしろそれすらしていない奴はスタートラインにすら立てない。この試練はな、突破するのに二つの要素が要るんだ」

 

「……単純なものじゃなさそうだね」

 

 何かを察したフィーの言葉に、レイは頷く。

 

「《八葉一刀流》の教えの中に、《観の眼》というものがある。単純な瞳力じゃなくて、文字通り観察眼の究極系だ」

 

 己のみならず、万象全ての現象を大局的に、客観的に()()()力。この力を身に着ける事で、《理》に至る道を開くことができるという。

 そういった力は《八葉》のみならず、様々な流派の中に組み込まれてはいるが、《八葉》のそれは特に”深い”ところまで探る。

 現状、直弟子の中でこの《観の眼》の技量に最も長けているのはカシウス・ブライトであるのだが、リィンは先程の一撃を放つ際に、その力の片鱗を垣間見せた。

 

「あの一撃を放った時、恐らくアイツはユキノさんの動きが”視えた”だろう。あの人の動きは、”準達人級”の武人であったとしても早々見抜けるモンじゃねぇ。たった一瞬であったのだとしても、その素養を見せる事がまず()()()だ」

 

「……結局、あの人はどうやってリィンの攻撃を去なしているの?」

 

 アリサが投げかけた疑問に、全員が聞き耳を立てる。サラでさえも、どのような技術を以て凌いでいるのか、それを見透かす事が出来なかったのだから。

 

「別に幻術を使っているとか、”異能”を使っているとか、そういったカラクリがあるわけじゃねぇよ」

 

 ならば自分たちが知覚できない”何か”であるのかという考えを、レイの一言が容易く打ち砕いていく。

 単純な、本当に単純な事なのだ。下手に頭を使って考えようとすると余計に深みに嵌っていく。

 だから、本当に根源的な所を覗かなければならないのだ。あらゆるものを俯瞰する”客観視”で以て。

 

「基礎は鍛えぬけば絶技になる。あの人はただ、「死なない」為に自衛の技を磨きぬいて、そして()()()()()()()()()特化型の”達人級”だ」

 

「死ななく、なった?」

 

 その疑問には答えず、レイは椅子の背もたれに体重をかけた。

 

 この試練を覗き見しているのは、何も心配だからではない。他の面々に、「こういった戦いも存在する」という事を理解させるため。

 なら、言葉でこれ以上説明するのは無粋だろう。補足が必要ならば、全てが終わった後にすれば良い。

 

 さて、と改めて思う。

 リィンの才能と成長性を加味して、自分よりも早く突破できると踏んでいたが、果たしてその目論見が正しいかどうかは最後まで分からない。

 だがそれでも、彼は昨晩のように友を信頼した上で意地悪そうな笑みを浮かべる。

 

 そこに、彼が試練を乗り越えられないかもしれないという懸念は欠片も宿ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 ―――思っていた以上に()()

 

 

 

 それが、ユキノ・クシナダが弟弟子、リィン・シュバルツァーに抱いた嘘偽りない感想だった。

 

 評価できる点は幾つもある。格上相手に様子見をせず、初手から全力の技を放ってきた点や、その攻撃が通じないと見るや、呆けている時間もそこそこに即座に()()に来た点。

 明らかに修羅場慣れをしている。油断したその一瞬が文字通り命取りになる事を身を以て理解できていなければ、こういった立ち回りは出来ない。

 

 望むと望まざるとに拘わらず、《八葉一刀流》正統継承者に定められた者は修羅場を潜る事になるのだが、彼の場合は一際異色であると思わざるを得ない。

 太刀筋から、()()()()()()()。今まで6人の正統継承者を見てきた彼女だが、ここまで苦々しい重みを抱えた命を見たのは久方ぶりだった。

 

 更にその行為も、研ぎ澄ました技を以て行ったものだろう。動揺も葛藤もあっただろうが、道を踏み外している様子はない。その点に於いては、まずは及第点と言えた。

 

 ()()()()()()。一因としてはそれだろう。道を踏み外してはならないと、そう強く思わせるだけの絆が。

 その中の一人が、あの時慙愧の念でしか剣を振るっていなかった少年であるというのは、少しばかり感じ入るものはある。―――だが、手心を加えるつもりはない。

 

 彼女が司るのは《八葉一刀流》の中伝。後に《剣聖》の名を冠するに相応しい者か否かを見極める事。

 これまで《剣聖》を名乗った6名も、全て彼女の試練を乗り越えた者達だ。一人残らず、容易に突破した者はいない。

 

 とはいえ、と思う。

 これ程の早さで《観の眼》を開眼し、自分の技を”視る”事が出来るとは思わなかった。その証拠に、今は大振りの技を避け、最小の動きで技を視切ろうとしてきている。

 

 

 

 ―――実のところ、レイの言葉通り、ユキノ・クシナダの”技”というものは特殊なものではない。

 だがそれは、彼ら達人級(常識外の者達)がそう思っているだけであり、常識の枠内に収まっている武人からしてみれば神業とも呼べる部類である。

 

 この世に存在する数多は、必ず何かしらの”流れ”の中に存在している。

 万物は流転し、無は有にして、有もまた無である。―――これはリィンが修めようとしている《七の型》の極意であるが、ユキノもまた、その流れを強く汲んでいる。

 

 ()()()()()()。ユキノは、自分があまり賢い部類の人間ではないことを自覚している。

 故に、己が辿り着いたその極意の通りに技を昇華させた。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……結局のところ、それも彼女にとっては”自分の身を守る”技という認識でしかなかった。

 ”死なない”という概念が戦いに於いてどれ程の強さを誇るかを知らないわけではなかったが、自分から敵を倒せない上に、剣の才能が微塵もない人間が《剣聖》などという烏滸がましい名を戴く権利など無いと、今の今まで思い続けている。

 そんな思考だからこそ、ユン・カーファイは彼女を《八の型》を司る者に任命した。”生き残る”という技が如何に困難であるか否かを、彼女を通して他の弟子たちに叩き込む為に。

 

 しかし、彼女も有無を言わせない”達人級”。その技はただ”受け流す”だけではない。

 彼女の技は、相手の技を物理的に受け流すのではない。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()概念を受け流すという超人じみた技だ。だからこそ、この試練が成り立つ。

 そしてそのカラクリを見極めるのが、この試練における「第一の壁」。必要なのは常識に囚われず、俯瞰視点を以て在り方を見通すモノ。即ち《観の眼》の開眼である。

 

 だが、それが成し得たからと言って、彼女の絶技を”抜く”事は出来ない。

 要求されるのは単純にして至難。要は瞬間的に彼女が”流せる”許容量を超えればよい。

 

 考え、考え、あらゆる手を尽くしてでも、一瞬は辿り着かねばならないのだ。

 《剣聖》の称号を戴いた時に辿り着く、非常識の階梯、”達人級”の領域に。

 

 そして敢えて、ユキノは何も口にしない。

 如何にすればその域に一瞬でも至れるのか。どのような技を以て試練を乗り越えなければならないのか。

 その答えは己で出さなければならない。それが《八葉》の名の重み。”直弟子”である事の重みである。

 

 

「(それにしても……)」

 

 リィンの太刀が産み出す”流れ”を全て受け流しながら、ユキノは思う。

 

 試練が始まった当初、彼の動きには僅かの濁りがあった。

 劣等感、焦燥感……今の自分では決して届かない領域にいる誰かの背を追い続ける焦りと、それに追いつく一歩を踏み出す事が出来るという焦り。

 それを抱くこと自体は仕方がない。あのカシウスでさえ、中伝試練の際は心の乱れを抱いていたのだから。

 だが、そんなものを抱いたまま突破できるような生易しいものではない。彼女の心の中にある僅かな矜持が、それだけは罷り通らせないと強く吼えているのだ。

 

 しかし、彼が”ナニカ”との時間を終えた後、それらの濁りは綺麗さっぱりと消えていた。まるで研ぎ終えたばかりの刃のような鋭さと、凪いだ水面のような静謐さを纏わせて、一刀一刀に魂を込めて振るってきている。

 

 その攻撃が一撃も当たらなくとも、決して腐る事がない。絶え間なく攻撃を繰り出しながらも、思考が全く衰えていないのが見て取れる。次に次にと、直前の一瞬よりも確実に迅い斬撃を繰り出してくる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()だ。自分の今の限界値を見極めた上で、それをどう上回れば良いのかを理解している。

 実に優秀と言えるだろう。武人として、その強みはいつか必ず自らを救う。

 

 だが、今ではない。右肩上がり程度の緩やかな成長ならば、ユキノがそれに対処する方が早い。

 跳ね上がらなければならないのだ。無理矢理にでも己が今いる階梯を叩き上げねば、試練を突破させる事は出来ない。

 それができるまで何時まででも付き合おう。あと数時間か?数日か? 不出来な姉弟子が成長途中の弟弟子に出来る事と言えばそれくらいだ。

 

 そんな事を考えていた最中、突然太刀の切っ先がユキノの視界の半分を埋め尽くした。

 

「――――――と」

 

 その攻撃は、ユキノが無意識に声を漏らしてしまう程度には鋭かった。

 無論上手く”流せた”が、リィンはすぐさま太刀の切っ先を引き戻すと、途端に動きを止め、身体を半身に刃を構え直す。

 

 僅かに、空気が変わったのを感じ取った。

 恐らく彼は無意識だろう。今まで積み重ね続けられた戦闘経験が、この膠着状態を突破するための打開案を閃かせただけ。

 

 この短時間で? と一瞬思いはしたが、しかしすぐに内心(かぶり)を振った。

 時間を掛けたところで、出来ないものは出来ないのだ。しかし逆に、最短で答えに辿り着く者もいる。それが彼であったというだけの事。

 それもただのセンスというわけではない。これは当然の帰結なのだろう。彼が今まで味わってきた生死の狭間での経験が生きた。

 ならば、姉弟子としてそれを受けなければならない。その一撃が自分に届くか否か。

 

 シン、と一切の音が排除される。感知範囲を極限まで狭く絞り、意識を深くまで潜らせる。

 牽制の為に闘気を放っては見たが、弾かれる。(リィン)は今、無意識下であったのだとしても精神を強固に固定させている。

 

 そして、動いた。

 

 その速さは、ただの歩法ではなかった。足元に瞬間的に魔力と氣を集めて推進力とすることで瞬間移動にも似た速度を生み出すもの。

 そしてそれを、ユキノは知っていた。だが、まさかそれを彼が使うとは思っていなかった。

 

「(【瞬刻】―――でもその程度では)」

 

 しかし、距離を詰めてただ斬りつけて来るのではなかった。刃は、ゆっくりと弧を描きながら彼の腰の辺りまで下ろされて―――。

 

 

「―――八葉一刀流」

 

 放たれたのは、同時の斬撃。

 ユキノを挟み込むように二撃。そして刀身に纏われた風の魔力が単身を巻き込むように圧縮されて、囲むような真空の刃を生み出す。

 

 ”流れ”はある。が、それらがほぼ同時に向かってきたとあれば、それは飽和して受け流す道を塞ぐ。

 

「終ノ型『毘嵐葉(びらんよう)』」

 

 増幅される剣閃。受け流す事は出来る。しかし―――。

 

 

 

「…………合格です」

 

 その玉肌に傷はない。紅い印は刻まれていない。

 だが、その前髪が僅かばかり斜めに刈られている。そして、巻き上げられた旋風に乗って、バラバラになったそれが石畳の隙間へと吸い込まれていった。

 

「見事、私に触れましたね。老師名代、八葉一刀流《八の型》伝承者ユキノ・クシナダの名に於いて、リィン・シュバルツァー門下生に中伝位階を授けましょう」

 

「――――――ぁ」

 

「最短記録です。誇りなさい、最後の《八葉》剣士。貴方が《剣聖》を名乗る日を楽しみにしています」

 

 優し気に微笑んだ姉弟子の表情を視界に収めたのを最後に。

 

 リィンの膝は、石畳の上に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 





 どうも。ウイルス性胃腸炎にかかってつい先日までグロッキーだった十三です。やっぱ雪の日に外でフォークリフト乗り回してたのが行けなかったんやなって。
 誕生日に投稿しようと思ってたんですが、病気と、あと職場の人間が3人一気に辞めるせいで仕事が急増して執筆の時間が取れませんでした。許してくださいなn

 さて、これにて中伝ノ儀編は一応終了です。後日談みたいなのもありますが、まぁそれは次に持ち越しで。
 この世界の《八葉一刀流》の直弟子はこれくらいできないと認めてもらえないんですよ。地獄でしょ?一瞬だけ達人の領域に踏み込める才能が必要なんですよ。


 そしてFGOファンの皆様におかれましては如何お過ごしでしょうか。僕は次のCCCイベでカズラドロップちゃんなんぞが実装されようモンなら、また諭吉さんを生贄にカードを召喚しなくてはなりません。仕方ないね。
 皆さま、良きCCCイベライフを。またあの極悪菩薩を相手にしなきゃならんと思うと絶望感しかないけど、まぁ通過儀礼だからネ。


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安寧に刻む罅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実感がない、というのが正直な気持ちではあった。

 

 

 目が醒めた時傍にいてくれたアリサによると、1時間程度気を失っていたらしい。しかしそれを理解しつくす前に、レイに後ろ首を掴まれて第三学生寮まで引きずられた。

 その時にはもうユキノ(姉弟子)の姿はなく、帰路につく最中、自分よりも舞い上がった仲間たちに称賛の声を貰いながらいつもの玄関の扉を開けると、嗅いだだけで食欲を刺激する芳香を吸い込んでつい腹を鳴らしてしまった。

 

 果たして、死に物狂いで全てを出し尽くした試練を突破し、気絶から醒めた直後でも腹を鳴らす事が出来る胆力を良しと捉えても良いものかと疑問には思ったが、今更この程度の事を深く考えても仕方がないと―――そう思える程度には図太くはなっていたのである。

 

 いつもの時間より随分と遅くなってはしまったが、それでもいつも以上に騒がしい夕食は楽しかった。

 とはいえ、羽目を外し過ぎるのは良くない。とても良くない。具体的に言うとラウラに酒を一滴でも与えたら駄目だと脳に刻み込まざるを得なかった。あれが悪酔いというものなのかという具体例としてはあれ以上のものはないだろう。ともあれ、レイが何かの呪文を刻んだ符をラウラの額に叩きつけて眠らせてくれたお陰で建物に被害が出なかったのは僥倖だった。

 

 その内、ミリアムやフィーといった年少組がウトウトとし始めたのを皮切りに、宴会は解散となった。

 その頃には、帰ってきた時にはまだ覚束なさが残っていた足の調子も元通りになり、何の苦労もなしに自室に戻ってこれた。そしてベッドに腰かけて僅かばかり呆けていると、今日が『アーベントタイム』の放送日であったことを思い出し、半ば諦めつつもラジオのつまみを捻る。

 

 

『―――はい、というわけで本日の『アーベントタイム』は以上となりまぁす。リスナーの皆さんは秋の夜長をどうお過ごしですか? 私は……そうですねぇ。綺麗な星空を眺めながらアルスター産の赤ワインを味わえたらもう言う事はありません♪……おっとっと、ディレクターに怖い顔をされてしまいました。

 まぁ、それは流石に贅沢でも、少しだけ厚着をして夜の街を散歩してみるのもいいかもしれませんね。もしかしたら、満天の星空よりも価値のある出会いが待っているかもしれませんよー?

 それでは皆さん、次の放送でもお会いしましょう。パーソナリティーは、ミスティでお送りしましたー♪』

 

 

 タイミング悪く、そこで『アーベントタイム』は終わってしまった。このところはこの番組を聞くのが割と習慣化していたせいで少しばかり残念ではある。

 とはいえ、酷く落胆する程でもない。ムンク辺りであればこの世の終わりのような顔くらいはしただろうが、そこまで深くこのミスティという女性の声に入れ込んでいるわけではない。

 

 だが、する事がなくなってしまったのも事実。本来であれば復習予習を欠かさない優等生であるリィンだが、今日ばかりはペンを取る気力はなかった。

 ネクタイを解き、襟元を緩めてベッドに横たわると、緩やかに眠気がやってくる。

 このまま睡魔に身を任せてしまおうかと思っていると、不意に自室の扉がノックされ、反射的に目を見開いた。

 

『リィン? 今、いいかしら?』

 

「アリサか。あぁ、大丈夫だよ」

 

 そう答えると、やや遠慮気味に扉が開かれる。

 正式に恋人同士になったものの、色々とあり過ぎてそれらしい事をほとんどできていない二人。精々が登下校時に(他の面々が気を利かせて)一緒に帰るか、こうしてどちらかの部屋を訪れるかくらいしかできていない。

 そんな数少ない恋人との時間を無下にするつもりはない。しかしアリサは、ベッドに腰かけるリィンを見て、少し申し訳なさそうな表情を見せた。

 

「あ……ごめんなさい。もう寝るところだった?」

 

「いや、もうちょっと起きてるつもりだったよ」

 

 そう言って、リィンは自分の隣のスペースをポンポンと叩く。

 ナチュラルにこのような誘い方が出来る程度にはアリサの事を特別視しているのだが、誘われた当の本人は顔を赤くしてしまう。

 好色男(プレイボーイ)としての素質は充分にある。多少レイからそういった知識の薫陶を受けてはいるが、大抵は彼の自前の才能だ。

 

 アリサがやや躊躇いがちにリィンの隣に腰かける。アリサが心臓の鼓動を早めているのと同様、リィンも女子の風呂上がり特有の柔らかな香りを感じて頬に熱を感じた。

 いつもであればこういった初々しい雰囲気が数分ほど続くのだが、今回はアリサが早々に口を開いた。

 

「え……っと、リィン。さっきも言ったけれど、中伝昇格おめでとう。私は武術にはあまり詳しくはないから、ラウラみたいにどういう風に凄かったかっていうのは分からないんだけど……でも、リィンが凄く強くなったっていうのは分かるわ」

 

「……いや、まだまださ。姉弟子の足元にも及んじゃいない。他の兄弟子とかと比べても、ね」

 

 あくまでも謙虚に振舞うリィンに対して、アリサはゆっくりと首を横に振った。

 

「貴方がそう思っていても、私にとっては違うわ。―――好きな人の格好いい姿が見れたんだもの。最高の日だったわよ」

 

 そしてアリサも、素でこういう言葉が出てくる程度には本気でリィンを愛しているのだ。

 とはいえ、剥き出しの好意を向けられて平静を保っていられる程、リィンも達観していない。沸騰しそうなほどに赤面した顔を見られたくなくて、思わず片手で顔を覆い、そむけてしまう。

 

「でも、そうね。少し寂しかったりするの」

 

「え?」

 

「貴方が武人として強くなっていくのを見る度に、どんどん私と住む世界や、見ている世界が違ってきている気がして……私にはその才能は無いから、貴方の隣で貴方を守る事はできないもの」

 

 自分に武人としての才能は無い―――それをアリサは充分理解していた。

 リィンは”達人級”であり、今まで自分たちを守り続けて来てくれているレイの背中を追い続けていて、そして自分はそんな恋人の背を見る事しかできないのだと。

 それがもどかしくて、悔しくて、しかしどうすることもできないからその思いを秘めておくしかなかった。

 

 その想いを当のリィンに打ち明けた理由に、確たるものがあるわけではない。

 ただ、この人には隠し事が出来ないと思っただけの事。人の心を探る術を磨いてきた彼女が、家族以外で心の全てを曝け出しても良いと思えるだけの存在に、彼がなっていた。

 

 

「……それは違う」

 

 だが、好きな女性にそこまで言わせておいて、首を縦に振るほど、リィン・シュバルツァーという男は物分かりが良いわけではない。

 

「俺が強くなれているのは、今まで俺を支えてくれた家族や、教官や、友達―――そして何より、アリサ。君という守りたい人ができたからだ」

 

「っ―――」

 

「俺はまだ弱い。自分の”力”の制御もまだままならないような未熟者だ。だからアリサ、俺の近くに居て欲しい。俺が道を見失わないように、俺と同じ世界に居て欲しいんだ」

 

 それは遠回しのプロポーズのようでもあったが、アリサとしてはそれどころではなかった。

 彼女も、同年代の少女よりかは現実的に生きている自覚はあったが、それでも思春期の女性だ。両想いの異性に真剣な顔で真正面からこうまで言われれば、脳内の理性が焼き切れそうになるのは道理と言えるだろう。

 

 頭から煙が出ているのではないかと錯覚するほどに茹だった思考を戻そうとして、しかし一度現れかけた本能がリィンの顔を抱き寄せた。

 アリサが理性を取り戻したのは、既にリィンの唇を奪った後だった。ハッと意識が現実に戻り、早々に唇を離すと、そのまま逃げるようにして部屋を後にする。

 

 残されたリィンは、直前まで彼女の息が触れていた自分の唇に触れる。

 本来は逆の立ち位置であったはずなのに、自分から奪った唇も、奪われた唇も、同様の熱を帯びていたことに気付く。

 

 異性に対しての”愛”という感情。未熟者である自分が、それを理解するのはもう少し先の事だと思っていた。

 だが、おぼろげながらそれが理解できたような気がした。言葉では形容し難いものではあるが、それが自分にとって無くてはならないものであることも。

 

 

 気が付けば、先程まで自分の意識を連れて行こうとしていた睡魔は完全に消え去っていた。

 

 悶々とした感情に悩まされながら、彼は一人、少し古ぼけた部屋の天井を仰ぐ事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「及第点よ」

 

 ユキノは多くを語らず、ただその一言が全てだと言わんばかりに落とし込んだ。

 

 月の光より先に導力灯の光が視界に飛び込んでくるベンチの上で、レイは背中合わせで座る彼女のその言葉に苦笑した。

 

「……合格ではあるけれど、まだまだ粗削りって事ですかね?」

 

「本来こうした言い方は仮にも先達として失格だという事を分かった上で敢えて言うわ。―――それは自分で気付くべき事よ」

 

 まぁそうだろうな、と。そう分かっていたからこそ、レイもそれ以上は追及しなかった。

 己は常に未熟者であるという思考を何処かに持っていなければ、武人は成長できない。

 そういった意味で、リィンがその心構えを怠る事はないだろう。傲慢とは対極にあるような男だ。

 

 

「……あの子が修めるのは《七の型》。名は《無》。カシウスが修めた《螺旋》が全ての武術に通じるモノであるならば、《無》は万物総ての根源とも言えるモノ。―――八葉の中でも最も()()()で、そして最も才ある者が受け継ぐ型よ」

 

「…………」

 

「何であれユン老師はあの子にそれを託した。私はそれを見極めた。ねぇレイ? あの子が《理》に至るまで長くかかると思うかしら?」

 

 投げかけられたその言葉に、レイは数秒目を閉じてから、首を横に振った。

 

 才能云々の話ではない。それに至らねばならない程の運命に巻き込まれるのであれば、そうなるのは必定だ。

 同情はしよう。だが憐れみはしない。それを凌げるだけの下地は整えたつもりだった。八葉の剣士でもないのに烏滸がましい限りだという自覚はあったが、忌避感はなかった。

 

「……えぇ、そうね。ねぇ、レイ。貴方【瞬刻】をあの子に教えたのかしら? 貴方が八洲の技を誰かに教える事は無いと思ったのだけれど?」

 

「教えてませんよ。アイツに仕込んだのは()()歩法です。《見稽古》持ちでもねぇのに、モノにしやがりました」

 

「危なかったわね。老師より先にあの鬼女に見つかっていたら、貴方諸共弟子にしかねなかったわ」

 

「俺は割とあの時精神ぶっ壊れてた自覚ありましたから何とか煉獄行きの片道切符みたいな修行耐えられましたけど、アイツならたぶん途中で廃人になってましたね」

 

「やっぱりあの女、いっぺんこの世界から追放するべきね」

 

 心底呆れたような溜息を漏らしてから、ユキノは音も立てずにベンチから立ち上がった。

 

 

「まぁいいわ。私の役目は果たしたのだし、この街に居続ける意味もないわね」

 

第三学生寮(ウチ)に来りゃ良かったじゃないですか。美味いメシを用意しましたのに」

 

「悪いけれど、若い子たちに気を遣われる趣味はないわ。リィン(あの子)にはこれからも精進するように伝えておいて」

 

 まぁそうだろうなと、少しではあるがユキノの性格を知るレイは笑った。

 あまり俗世に関わる事を良しとしないのがこの人の生き方だ。その異名の一つのように、雲のように様々な場所を棚引くように移動するだけ。

 ()()()()()()()()()()事も勘付いてはいたが、それを問うたところでこの人は答えないだろう、とも。

 

「帝国からは離れるんですか?」

 

「いえ、一度クロスベルに行くわ。……()()()()()()()()()()をしようとしている馬鹿弟子の一人の様子を見に行かなければならないもの」

 

 口元こそ変わらず少し笑っていたものの、レイは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

「……お手柔らかに」

 

「何を言っているのかしら? 私は別に叱ろうとも折檻しようとも思っていないわ。……アリオス(アレ)は自分の意思に基づいて動いている。義に背いているのも、道を外れているのも、承知の上でしょう」

 

 貴方はどうなのかしら? と、ユキノは逆に訊き返す。

 

「何か訊きたいことがあるのなら、行きがけの旅費代わりに聞いておいてあげるけれど?」

 

 その申し出に、静かに首を振った。

 

「特に、何も。俺があの人に言いたいことは、別れる時に言ったつもりですから」

 

 それだけを聞くと、ユキノは「そう」とだけ返し、踵を返す。

 ふわりと、夜風に乗って長い髪の一房がレイの頬を撫でる。

 すると、徐にレイの正面に回り込んで、その顔を覗き込んできた。

 

 

「……だけれどまぁ、安心したわ」

 

「?」

 

「大方あの鬼女が何かしたのでしょうけれど、貴方、随分とマシな目をするようになったわ」

 

「……前に貴女と会った時、俺ぁそんな死んだ目をしてましたかね?」

 

「死んだ目、というより、死に体の目だったわ。私は別に己の罪を永劫抱えながら強さを求める事自体は否定はしないけれど、それがいつか死を招く事も分かっていた。……あぁ。そういう意味ならただ成り行きに任せた私よりも、多少乱暴な方法であったとしても、引き戻したあの女の方がマトモなのかもしれないわね」

 

 その言葉を聞き、レイは皮肉気な表情を見せる。

 恐らくは、Ⅶ組の仲間たちが一度も見た事がない表情だっただろう。そのくらいに、今の彼の身上は複雑だった。

 

「何を言ってるんですかユキノさん。えぇ、確かに俺は師匠を尊敬しています。あの人の強さに魅せられて、救われた。あの人がいたから今の俺は戦える。何かを守ることができる。―――でも俺は、今まで一度だって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………」

 

「あの人の異常性なんてとうに理解しています。だから、あんまり気にしない方が良いですよユキノさん。貴女は、()()()()()()()()()

 

 すると、それまで全く表情を変えようとしなかった彼女が僅かに口角を吊り上げた。

 否、実際笑いそうにはなっていたのだ。”達人級”の武人は元来「マトモ」などという言葉とは無縁な存在だ。ましてや彼女のような、技の概念そのものに対応する様な絶技を持つ者に関しては。

 だが、それでもレイ()にとってみれば突出した「異常」の範疇には入らないのだ。

 価値観が麻痺しているのだろう。何せ修業時代に異常性の代名詞共(カグヤとアリアンロード)というどう考えても常人とはかけ離れた者達に鍛えられた過去があるのだ。アレらと比べれば、確かにユキノはまだマシだとも言える。

 

「……ふぅ、私を見てそう言うのは貴方くらいのものよ。まぁ、それくらいでいる方が丁度良いでしょうけれど」

 

「ユキノさんにそう言って貰えると気が楽になりますね」

 

「別に褒めているわけではないわ。何よりも絶人の狂気を知っている貴方が倫理を弁えているというのは貴重だという事だけ。ソフィーヤには感謝しなさい。貴方の精神が壊れなかったのは、間違いなく彼女のお陰だもの」

 

「……分かっていますよ。姉さんには本当、死ぬまで感謝してもし切れませんから」

 

 その言葉に多少満足したのか、一つ息を吐く。

 だがこれでいい、と安堵した部分もある。何処かしら精神的に不安定な部分を持つのが若い達人の特徴ではあるが、彼の場合は既に克服しかけている。

 その契機となったのが、仲間や恋人、友と過ごした時間であったのならば、これ以上自分が深入りする必要もないだろう、と。

 

「また帝国には戻ってくるわ。それまで生き残っているように」

 

「はいはい。代わりのお役目、全うさせていただきますよ。―――ユキノさんもお気をつけて」

 

「死にたがりでも死期は選ぶわ。弟弟子たちの前では死なないわよ」

 

 どこか矜持を感じさせるその言葉。それを最後に、ユキノは気配さえ消し去ってその場から離れた。

 一息吐いて、東を見る。その遥か彼方にあるのはクロスベルだ。帝国よりも一足早く試練を迎えようとしている場所だ。

 とはいえ、同情はしない。同情とは、それができるだけの余裕が有る者がする事だ。今の自分に、それができるだけの余裕など無い。

 

 もう一度ベンチに深く座り直し、空を見上げる。

 秋の夜長に相応しい、晴れ渡った夜空だ。とはいえ、流石に少し冷えるのも確か。修業時代に真冬のアイゼンガルド連峰に身一つで放り込まれた事のある身としてはまだまだ何ともない程度ではあるが、喉奥から口腔を経て白い息が出てくるレベルには極限状態から離れてしまっていた。

 

 それが良い事なのか悪い事なのか。少なくとも師匠に稽古をつけて貰っていた頃は、油断していれば殺される可能性があったので今のように熟睡することもできなかったし、こうして夜空を眺めてボーッとするような精神的余裕があったわけでもない。

 だが、あの頃の自分には今の自分とは違う強さがあった。冷徹に人を殺せる強さがあった。今はそれがない、と断言はできないが、少なくとも自分の技が誰かの命を奪う際に()()が入ってしまうのも確かだろう。

 

 どちらが武人として幸せか、などと考えだせばキリがない。しかし、個人的に今の立場は気に入っている。なら、そういう事を考えるだけ野暮というものだろう。

 

 尤も―――その平時をいつまでも享受はできないのだが。

 

 

 

 

「―――お隣、良いかしら? 色男さん」

 

 気配は感じなかった。古式魔法で意図的に消していたのは明白であったし、声を掛けられたところで狼狽する程未熟でもない。

 

「生憎とアルスター産の上物ワインは持ってねぇぞ」

 

「あら嬉しい。聴いてくれているのね」

 

「まぁな。暇つぶしには丁度いい。相変わらず声だけは良いからな、お前」

 

「あら酷い。これでもリスナーさんからは大好評なのよ?」

 

 被っていたハンチング帽を器用に指で回しながら、その女性は全く傷ついた様子など無くそう言う。

 

「でも残念だわ。もう少し驚いてくれると思っていたのだけれど」

 

「夜に出歩くたびにお前の魔力の残り香が鬱陶しかったからな。委員長とセリーヌの方にはご丁寧に隠蔽術式組んでたくせに、俺にはスルーだったろ」

 

「ふふ、だって貴方の魔力感知を誤魔化すレベルの術式を常に張っておくわけにはいかないもの。疲れちゃうわ」

 

「出来ねぇとは言わねぇのがお前らしいな―――ヴィータ」

 

 ラジオ番組『アーベントタイム』パーソナリティー、ミスティは仮の名前。帝都歌劇場を連夜満席にするオペラ歌手《蒼の歌姫(ディーヴァ)》も仮の姿。

 結社《身喰らう蛇》最高幹部《使徒》第二柱、《蒼の深淵》ヴィータ・クロチルダは、俗世に混じる仮の姿で妖艶な笑みを見せた。

 

 ふと、彼女の白魚のような手先がレイの首筋に触れる。それを邪険に払わなかったのは、そうするまでもないと判断したからだ。

 

「あら、私が埋め込んだ術式が大分()()()()()()わね。流石に良い仕事するわあの子(アンナロッテ)

 

「マジか。最初見た時完全にネタ枠が来たかと思ってたが……術式解体の専門家がやるとここまで早くできるモンなんだな」

 

「まぁ、でも? 私のこの術式が消えたところで貴方は《結社》に関しての深い事は関係者以外には話せないでしょう? 脱退組が何より恐れる《処刑殲隊(カンプグルッペ)》の元一員としては、ね」

 

 頷きはしなかったが、同意するしかなかった。

 

 《執行者》No.Ⅴ、《神弓》アルトスクが率いる、本当の意味での執行部隊。脱退組でなくとも、不必要に《結社》の根幹に至る情報を漏洩した者を―――それが意図的であれ偶然であれ―――確実に誅伐する”白の処刑人”達の部隊。

 ”人狩り”に特化したこの部隊に狙われれば、例え”達人級”であろうとも無事では済まない。それは、嘗て修行の一環として部隊の末席を担っていたレイが一番良く分かっている。

 

「言われなくても分かってる。俺だってアルトスクさんを敵に回そうとは思わねぇさ」

 

「その方が私も助かるわ。……正直、えぇ正直、これ以上心労は抱えたくないのよねぇ」

 

「マジザマァwww」

 

「呪詛返しするわよ? エッグイやつ」

 

「ンな事やったらグリアノス焼き鳥にすっからな」

 

とはいえ、と思う。現在帝国に来ている《結社》のメンバーを見れば、恨み言の一つくらいは言いたくもなるだろう。

 

 

「……クロスベルの方もそろそろ派手になりそうだな」

 

「あちらは聖女様と博士が主導しているもの。貴方としたら気が気ではないかしら?」

 

「気にならないと言ったら嘘になるけどな。まぁ大丈夫だろ。あそこにいる奴らが、簡単に折れるとは思えないからな」

 

「……少し驚いたわ。貴方、そうやって裏表なく人を信じる事ができるようになったのね」

 

 珍しく、心底驚いたかのようなヴィータの声に、レイは挑戦的な笑みを浮かべた。

 

「そりゃあ《結社》を離れてからお前と会う事も無かったからな。こちとら一応成長はしてんだよ」

 

「ふふ、そうね。貴方、あそこに居た頃は私の事を毛嫌って話しかけようとしてこなっかったもの。今もそうなのかしら?」

 

「勿論、()()()()()()()()()()()()()ヴィータ」

 

 この魔女、性格がねじ狂っているところは確かにあるが、それでも《使徒》の中では充分倫理的にマトモな部類ではある。

 《白面》や《蒐集家》と較べれば付き合いやすい。ただそれでも、レイ・クレイドルはヴィータ・クロチルダという存在を好きにはなれなかった。

 まぁそもそも《結社》に居た頃の、精神的に未熟であった彼はその辺りの線引きがあまりにもはっきりしていたというのもある。

 好きな者と、嫌いな者。その境目を曖昧にできないその時の自分を嘲け笑う事はしないが、それが正しい事ではないことも分かっている。

 

 今は、こうして皮肉を言い合える程度にはマシにはなってきた。

 自分に対して過剰すぎる程の呪いを植え付けた理由も分かっている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 嫌いであると口では言うが、《蒐集家(コレクター)》やザナレイアなど、どう足掻いたところで”嫌悪”しか抱かない存在とは違う。口角を吊り上げて「嫌いだ」と言える。その程度のものでしかない。

 

「んで? どうしてこのタイミングで俺の目の前に姿を現した。流石にこの間合いだと、お前の術が完成する前にその喉を貫く方が早いぞ」

 

「あら、冗談も得意になったのね。貴方が変な方向に染まっていなければ、私をここで殺す事にデメリットしか感じないでしょうし」

 

「とか言いつつ薄く防御結界張ってんじゃねぇよお前。俺の事1リジュも信用してねぇじゃねぇか」

 

「保険は大事よ? 何事にもね。あと、信頼していないわけじゃないわ。貴方は理性的な武人だもの。「面倒くさくなったら取り敢えず殴っておけばいい」なんて蛮族思考じゃないものねぇ?」

 

「おう、ナチュラルに人の義兄(あにき)をディスるなや」

 

 こんな風に軽口を叩いてはいるが、恐らく今、自分が全力で仕掛けたところでヴィータの命を取る事は出来ないだろうと確信していた。

 倫理観はまだマトモに近くとも、彼女も《結社》の《使徒》の一角である。その程度のリスクの管理が出来ていないはずがない。

 そうでなくとも、百年に一人と言われるほどの才覚を持つ稀代の魔女である。長であるローゼリアの『十三重詠唱(トライド・カゴン・スペル)』には及ばずとも、若干20歳で『九重詠唱(ナノゴン・スペル)』という、ただの天才では辿り着けない領域に足を踏み入れた存在。

 

 純粋な魔法技量という点で見れば《紅》のローゼリアや《侍従長(セフィラウス)》リンデンバウムには及ばないが、こと魔法の改造技術に於いては彼女の右に出る者はいないだろう。

 今体に這わせるように張っている防御結界も、どのような迎撃術式が捻じ込まれているか分かったものではない。

 

「……別に大したことでもないのよ。えぇ、本当に。ただちょっとだけ、貴方の顔が見たかっただけだもの」

 

「胡散臭ぇ事この上ねぇんだけど」

 

「まぁそう言わないで頂戴。これでも貴方の実力は買っているのだし、貴方が入れ込んでいるクラスの子たちも買っているわ。それこそ、《灰》に呼ばれている子もね」

 

「…………」

 

「クロスベルから始まり、エレボニアに繋がり、そして大陸全土に混沌が伝播する。―――果たして貴方は生き残れるかしら?」

 

 挑発するような魔女の口調。レイはちらりと一瞬だけ別の方向を見てから、ふらふらと手を振った。

 

「悪いが俺は、死に顔を晒すときは孫に囲まれてベッドの上でだって決めてるんだ」

 

「あらそう。貴方も愛に生きる事を知ったのね。とても素敵な事だと思うわ」

 

「お前は……いや、何でもねぇ」

 

 流石に()()()()()()()()()()がある。だからこそレイはその先を濁した。

 

「で? 俺の顔を見れて満足か? 満足したなら俺はもう帰るぞ。祝勝会で間違えて酔っぱらったアホがそろそろ目ぇ覚まして自暴自棄で死にたくなってる頃合いだから慰めに行かなきゃならん」

 

「貴方も割と苦労人してるわねぇ……」

 

「ホントそれな」

 

 妙な同族感が生まれたところで、レイは防音結界が張られていたベンチから離れる。

 

「お前の事だから認識阻害も完璧なんだろうけどな。バレたら色々面倒だからとっとと帰れ」

 

「あら、心配してくれるの?」

 

「うるせぇ。ルシードけしかけんぞ」

 

「貴方段々私のあしらい方雑になってきてないかしら?」

 

「なんかもう面倒臭くなって来たんだよ。察しろ」

 

 それにもう眠いし、と続けて、ヴィータに背を向けて歩き出す。

 しかし、何かを思い出したかのように立ち止まると、背を向けた状態のまま再び口を開く。

 

「委員長に―――エマに何か伝言があるんなら聞いてやる」

 

 その言葉は予想外であったのか、ヴィータは一瞬だけ目を見開き、そしていつも通りの笑みに戻った。

 

「気持ちはありがたいのだけれど、大丈夫よ。私はまだ、あの子に存在を悟られるわけにはいかないもの」

 

「ふーん」

 

 人の事を言えた義理ではないが、不器用な生き方をしているものだと思う。

 何だかんだ言って妹の事を気に掛けているくせに、努めて冷静に振舞おうとしている辺り、複雑ではある。

 

「それじゃあね。学院際でのボーカル、楽しみにしているわ♪」

 

「……やっぱお前性格悪いわ。クソッタレ」

 

 結局のところ、最後までお互い意地悪く言葉を交わし合って別れた。

 

 思っていたよりも長く外に居すぎたせいか、気付けば両手が冷たくなっていた。

 耐えられない程でもないが少しばかり感覚を戻すために息を吹きかけようと立ち止まると、その冷たくなった両手を別の手が包み込んだ。

 

 

「手が少し荒れてしまっていますわ。寮に帰りましたら、クリームを塗って差し上げますわ」

 

「……やっぱいたのか、シャロン」

 

 ヴィータと話している時、ずっと視線とほんの僅かな殺気を感じていたが、まさか本当に監視されているとは思わなかった。

 ちらりとその表情を窺うと―――いつもの柔和な表情の中に、少しだけだが拗ねているような濁りがあった。

 

「言っておくけど、別に何もされてねぇぞ」

 

「何の事でございましょう。(わたくし)はただ、長く戻られないレイ様を案じてお迎えに上がっただけですわ」

 

「あーはいはい。メイドモード崩さないレベルには不機嫌ってか。そりゃお前は俺とアイツの確執を知ってるしな」

 

 そう言うと、レイは徐に差し伸べられていたシャロンの手を引いて、その翡翠色の瞳を近くから覗き込んだ。

 

「安心しろ。本当に何もねぇ。……絶対にお前らを裏切るようなことはしねぇよ」

 

 囁く程度の声の大きさ。それを耳朶から聞いたシャロンは、珍しく呆けたような表情を一瞬だけ浮かべた後、いつもの二人の時だけの距離まで詰めてきた。

 

「……申し訳ありません。少々、気弱になってしまいました」

 

「気にしてるわけねぇだろ。それよりとっとと戻ろうぜ。暖かいシナモン入りのアップルティーでも淹れてくれ」

 

「ふふ、分かりました」

 

 

 

 ―――平穏な日常を謳歌できる時間は、あまり残されていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 はい。どうも。長らく期間を開けてしまい申し訳ありませんでした。
 
 今年に入ってから職場の人間が4人辞めてしまい、勤続年数的に自分が部門のリーダーっぽい何かになってしまった為、人手不足と引き継ぎとでクソほど忙しかったです。人手を寄越せ。このままじゃ新人教育も碌にできん。

 あ、遅れた理由の大半は多分「ゼルダの伝説Botw」だと思います。あのゲームヤベェわ。

 さて、今回で「幕間ノ章」は終了となります。次回からようやく「終章」と相成ります。

 なるべく早く投稿させていただく所存ですので、どうか見捨てないでいただけると幸いです。

 ではまた次回。


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優しき夢のその中で






「我らは前にしか歩めぬが、振り返るべき故郷があるのは幸せな事だ」

        by ハク/オシュトル(うたわれるもの 二人の白皇)








 

 

 

 

 

 最初から、違和感は感じていた。

 

 

 サラは朝一から学院の方へと向かい、シャロンは今日一日だけはルーレのRF本社の方へと戻っている。

 朝食当番であったリィンは、同じ当番であったガイウスと共に人数分の朝食を用意し、次々と起きてくる学友たちを出迎えていく。

 

 朝修練がない時の食堂は基本的に平和だ。本気で眠そうなフィーとミリアムを抱えるエマに、自主鍛錬をしてからシャワーを浴びた後のラウラ。朝から顔を合わせてしまい、地味に口喧嘩をしながら入ってくるユーシスとマキアス。寝癖がついたままで大欠伸をしながら扉を開けるクロウ。朝一でも楽譜とにらめっこをしたままのエリオット。お気に入りのジャムを買ったばかりで機嫌が良いアリサ。特にどうという事はない一日の始まりだが、その日は少しだけ違った。

 

「悪い、遅れた」

 

 珍しい事もあるものだ、と全員が思った事だろう。基本寝坊気味のクロウより遅く食堂入りするメンバーもまずいない。それなのにその日のレイは、一番最後に食堂の扉を開けたのだ。

 

「おいおい、珍しいな。今日は大雪でも降るんじゃねぇのか?」

 

「まぁレイもそういう時はあるよねー。うんうん、分かるよ。寒くなってきてベッドから起き上がるの辛いもん」

 

「二人には多分言われたくないと思うよ?」

 

 いつもより少しばかり騒がしくなったが、それでも食べ始めは変わらない。

 シャロンがいないせいで簡素ではあるものの、半年に及ぶ寮生活が功を奏してマトモな食事を提供できるようにはなった。

 朝から如何なく健啖ぶりを発揮する面々もいれば、自分のペースで優雅に朝食を取る面々もいる。

 そんな中、ガイウスがふと声を掛けた。

 

「どうした? レイ。今日はいつもより食べるのが遅いみたいだが」

 

「ん? そうか? まぁ昨日の夜ちょっと考え事しててな。腹減っちまったから自前で買ったモン食っちまったんだ」

 

「えー?ずるーい。一人だけ夜食なんてずるいよー。ボクも呼んでくれればよかったのにー」

 

「お前を呼んだら際限なく菓子食い荒らすだろうが。シャロンが盗難防止に仕掛けた戸棚のトラップに何回も引っかかってんだろうが」

 

「……あぁ、たまに食堂に行くとミリアムが天井から鋼糸に吊られて逆さ吊りになっていたのはそういう事だったのか」

 

 その会話に紛れるようにして、レイが手に持っていたスプーンを机の上に静かに下した。

 

「……スマン、ちょっと先に部屋に戻ってるわ。折角作ってくれたのにすまねぇ」

 

「え? あ、あぁいや、それは別に構わないけど……」

 

 そう言って席を立ち、食堂を後にするレイの後姿を、全員が信じられないものを見るような目で眺めていた。

 先程まで騒がしかったミリアムでさえ、パンを口にくわえながら固まったくらいである。まるで時が止まったかのような時間が十数秒。その静寂を破ったのはクロウだった。

 

「……おいおい、大雪どころか槍でも降るんじゃねぇだろうな」

 

「珍しい、というか初めてじゃないかしら? レイがご飯を残すなんて」

 

「でもちゃんと中途半端に残してない辺りは()()()な」

 

「あ、じゃあそのベーコンエッグ、ボクもらってもいい?」

 

「君は本当にブレないな」

 

「でも……本当にどうしたんでしょうか。何だか元気がなかったようにも見えましたけど」

 

 エマのその言葉に、全員が同意した。

 何と言うか、全体的に覇気が感じられなかった。いつもであれば例え食事中であろうとも最低限は纏っているはずのそれが、今日は一切感じられなかった。

 

「アイツでも体調崩す事あンのかね?」

 

「んー……フィーはレイが風邪ひいたところとかは見た事あるのか?」

 

「ううん。そもそも《西風》に居た時だって、極寒地帯での演習でケロッとしてたもん。アイゼンガルド連峰とか、ヴェンドラン雪原とか、リーリングベルン氷河地帯とか」

 

「……アイゼンガルドでの話は聞いていたけど、他の二つは大陸北端の未開拓地帯じゃない」

 

「むしろなんで生きてるんだろうね」

 

「やめてやれよ……今更だけどクラスメイトを人外扱いするのやめてやれよ……まぁアイツ色々な意味で人外みたいなものだけどさぁ」

 

「フォローするふりして背後から突き落とすのは良くないと思うなぁ」

 

 とはいえ、と思う。

 どれほどあり得ないと議論したところで、彼の様子がおかしい事に変わりはない。

 仮病を使うような人間ではないし、使うのならばもっと上手くやるだろう。表面上の様子だけではなく、足の運び方や体幹の位置まで、鑑みてみればおかしかったように思える。

 

「まぁ、後でちょっと様子を見て来るよ」

 

 リィンのその言葉を最後に、ひとまずその話題はそこで終了した。

 

 

 そして数十分後、朝食の片づけを終えたリィンは、二階奥のレイの部屋の扉をノックする。

 いつもであれば、自分が訪ねる事など最初から分かっていたと言わんばかりにすぐに返事が来るのだが、今日は違った。

 十数秒、数分経っても音沙汰がない。流石におかしいと思ってドアノブを捻ると、鍵はかかっていなかった。

 

「入るぞ、レイ。大丈―――」

 

 思わず、言葉を詰まらせる。

 

 床に、彼は倒れていた。

 いつものふてぶてしい表情などそこには微塵もなく、眉間に皺を寄せて苦しそうな表情を隠さない。

 息遣いは荒く、もはや立ち上がる力すらない事を表すかのように、手足が微妙に痙攣している。

 

「レ―――」

 

 呆けたのは一瞬。すぐに最大級の異常事態だと察したリィンがレイを起こすために駆け寄ろうとしたが、その前に虚空から現れたシオンが彼を優しく抱え上げた。

 

「嗚呼……やはりこうなってしまわれましたか。我が主」

 

「シオンさん‼ レイは大丈夫なんですか⁉」

 

「えぇ。……と、一概に肯定はできません。主のこの状態は、医療機関が対応できるものでは御座いません。リィン殿、登校前で申し訳ございませんが、皆様を今一度食堂にお呼び立ていただけますかな? サラ殿には私の方からお伝え致しますので」

 

「は、はい」

 

 瞬時に身を翻して走り出す。

 幸か不幸か、お世辞にも防音性が高くない寮で騒げば、異常事態への対処に慣れた面々はすぐに飛び出してくる。

 早々に全員が集まり、再び食堂の席が埋まるまでに、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を、見ていた。

 

 

 

 はっきりと、夢だと分かる夢であった。

 

 意識がハッキリしている。これで悪夢を見せられていたのならばこの上なく辛かったが、幸いにも、悪くない夢だった。

 

 

 

『―――お、起きましたね。いやー、ビックリしましたよ。私との模擬戦中に急に倒れるんですもん。まったく、体調悪いなら最初から言ってくださいってば』

 

『気付いていなかった貴女も貴女ですわよ、ルナフィリア。……顔色は最悪ですわね。今水を持って来させていますから、動かずに待っていなさいな』

 

 

 周期にして約一年に一度。忌まわしい事に例外なく、重度の風邪のような症状を発症させていた。

 その度に周囲の人間を困惑させ、大騒ぎになっていた。

 それは、普段命のやり取りにも似た模擬戦をやり続けている《鉄機隊》のメンバーが相手でも変わりない。

 

 

『おっと、ここぞとばかりに優しいお姉さんアピールですか。きたない。流石うっかりデュバリィきたない』

 

『な、何を言っているんですの貴女は‼ そういう貴女こそ彼が倒れそうになった時に槍を放り投げてでも助けに行ったじゃありませんか‼』

 

『そりゃそーですよーだ。皆の弟分ですもん。面倒見るのは義務じゃないですか』

 

『よくもまぁぬけぬけと……はぁ、もういいですわ』

 

 そうこうしている内に、《鉄機隊》の新人隊員達が水を持って来たり氷枕を持って来たり、気が付けば着替えさせられた上にベッドの中に放り込まれていた。

 今より痛みや苦しみに耐性がなかった頃。一年に一度訪れるこのどうしようもない苦しみは、否が応にも不安を煽った。

 

 このまま死んでしまったらどうしよう。このまま起きなかったらどうしよう、と。

 今思えばそんな事は杞憂だったのだが、幼い頃というのは理屈抜きで不安に駆られるものだ。

 薬ではどうしようもない。ただ痛みと苦しみが去るのを待つしかない。それに耐えていると、思い出すのだ。あの暗い牢に閉じ込められていた時の苦しみを。

 

 そうしてどうにか眠りについても、見るのは悪夢ばかり。全身から大量の汗を流して飛び起きる事など珍しくもない。

 しかしそんな時、誰か一人は必ず傍に居てくれた。

 

 

『む、起きたか。……どうやら夢見が悪かったようだな。今水を持って来よう』

 

『あらあら凄い汗ね。今拭いてあげるからじっとしていなさい』

 

『……あんまり不安そうな顔するんじゃありませんわ。貴方は筆頭が才能を認めた殿方なんですから、もっと堂々としていればいいんですわ‼』

 

『あーはいはい大丈夫ですよー。君はどうにもなりませんし、私たちもどこにも行きませんから。ね?』

 

 

 それは実際にあったことなのか、それとも「こうあって欲しかった」という妄想なのか。

 否、それすらも分からない程薄情ではない。

 精錬で、潔白で、自らの主の為に武を張り、勲を示す。その命を投げ出す事すら惜しくはない。―――そんな彼女たちが”人の心”を失わないままに研鑽を重ねていたのは幸運でもあった。

 

 人の痛みを忘れてはならない。

 人の苦しみを忘れてはならない。

 人の弱さを忘れてはならない。

 

 それが彼女らの主である《鋼の聖女》の言葉であり、当時の副長―――ソフィーヤ・クレイドルの言葉でもあった。

 

 《執行者》に就任するまで長く世話になったその場所で、レイ・クレイドルという人間の感性が培われたと言っても過言ではない。

 

 だから、考えてしまうのだ。

 このまま《結社》に居続ける未来がもしあったのだとしたら、自分の在り方は変わっていたのだろうかと。

 

 

 

 ……まぁ、そんなことは

 

 

 

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―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 《慧神の翆眼(ミーミル・ジェード)》。それはレイ・クレイドルの左目に埋め込まれた聖遺物(アーティファクト)

 本来であれば七耀教会の《封聖省》が回収・管理すべき物であるが、既にその聖遺物はレイの身体と一体化してしまっている。

 取り外せば彼の命も同時に失われる。だが、それでも”回収”するのが《封聖省》直轄の特務部隊《星杯騎士団(グラールリッター)》である。

 

 実際、彼が《結社》を脱退し、当てもなく各地を放浪し始めてから、幾度となく騎士団の襲撃を受けていた。

 最初は従騎士クラスが、それを追い返し続けると正騎士が。それも返り討ちにして行くと、遂に彼らが出張ってきた。

 

 《聖痕(スティグマ)》と呼ばれる異能をその身に宿す、最大数12名の教会最高戦力《守護騎士(ドミニオン)》。

 彼らとの戦いは熾烈を極めた。人目が多いところでの襲撃が無かったのが不幸中の幸いだったが、例外を除き、余計な被害を顧みる必要のない一対一の戦いでこそ、彼らの強さは光るのだ。

 

 ……彼らとの戦いでの凌ぎ合いが、レイの武人としての強さを更に引き上げたというのは皮肉としか言いようがなかったが。

 

 

 しかしそれでも、《星杯騎士団》最強にしてヒトの中に於いて最も”絶人”に近い存在とも謳われる《守護騎士》第一位総長、《紅耀石(カーネリア)》アイン・セルナートには叶わなかった。

 だが、その戦いでレイは彼女に”価値”を見せた。此処で己を殺してまでこの聖遺物を”回収”し、”保管”する。その意味が薄い事を。

 そして何より、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 《慧神の翆眼》(ミーミル・ジェード)の能力は情報分析能力。人類種以外の、暗黒時代以降に創造された物体を視界に入れるだけで瞬時に解析する。―――というのは表面だけのもの。

 《十三工房》の下、出力をヒトが扱えるまでに抑えた為にオリジナルのそれとは別種とし、別名として付けられたのがその名前。

 

 聖遺物としての正式名称は、《虚神の黎界(ヴァナヘイム)》。準至宝クラスという破格の力を持つそれは、意図的に劣化させているとはいえ人間がその身に宿すには過ぎた代物である。

 故に、反動がある。権能を限定解除した際に持続する激痛だけでなく、不定期に発症する高熱。

 

 今回、レイの身に起きた異常はその一環であると、そうシオンは説明した。

 

 この発熱は身体器官の異常によるものではない。だからこそ、医者に治せるものではなく、自然治癒を待つしかない。

 普通の人間ならばとうに発狂してしまうような痛みを宿しながら、それでも彼は生きている。以前それに関してリィンはレイに問うた事があったが、当の本人は「もう慣れた」と笑っていた。

 そんな彼が、意識を失わざるを得ない程の異常など、慮る事すらできない。だからといって、傍にいたところで何をしてあげる事も出来ない。

 

 結局リィン達は、シオンたっての希望でいつも通り登校することになった。彼らよりも先に出勤していて、シオンによって事情を知らされたサラも何処か空元気で動いている事は彼らの目からも明らかだったが、それは敢えて指摘しなかった。

 

 

 

 ―――何かが、決定的に足りない気がしてならなかった。

 

 時計を動かす歯車が一つ欠けてしまったような、そんな感覚だ。いつも通りの光景であるはずなのに、そこに一人いないだけで物足りない。いつもであれば昼食後の昼寝が日課のフィーでさえ、不満そうな顔をして中庭の木に寄り掛かっているだけだった。曰く、「レイの膝の上じゃないと気持ちよく眠れない」だそうである。

 

 考えてみれば、いつもそこに居て当たり前の存在だったのだ。

 実習の際などに分かれて行動することはあったが、学院内ではいつもそこに居た。

 フィーに次いで小柄な矮躯だというのに、それに似合わない自信家。傲岸不遜な面もありながら、面倒見は良く、頼まれごとは完遂しなければ気が済まない仕事人。

 その強さは、否応なしに様々な人を惹きつけた。身の丈に比する長刀を携えて悠々と戦いの場を駆け抜けるその姿は、ある種英雄的な安心感を与えてきた。

 「この男ならばどのような状況でも打破できる」という、ある意味身勝手な思い。だがそんな彼が今、高熱に侵されて倒れている。

 

 困惑が大きいのだろう。そんな日があるとは思わなかったという、予想外の事態だったから。

 

 

 頭の中を占める靄を振り払い続けながら、リィンは校内を歩く。

 学院際まであと3日となった今。幸いにも催し物であるステージの出来は順調だった。エリオットが組んだ短期プログラムは、厳しくはあったがちゃんと結果は残した。

 後は通しの練習を何度かするだけ。だからこそ、ギターとボーカルを兼ねるレイがいなければ全体練習は出来ない。

 

 仕方がなくトワ会長が抱えていた雑務を肩代わりし、学院中を駆け巡っていると、ふと背後から声が掛けられる。

 

「あら、リィン君。ふふ、また生徒会長のお手伝いかしら?」

 

「あ、フリーデル先輩でしたか。お疲れ様です」

 

 白金色(プラチナ)の髪を腰まで伸ばした2年の貴族生徒、フリーデル。フェンシング部の部長を務めている彼女とは、部絡みで何度か話をしたことがあった。

 

「丁度良かったわ。一つ聞いてもいいかしら?」

 

「えぇ、自分で良ければ」

 

「ありがとう。ねぇ、レイ君が何処にいるか知ってる?」

 

「…………えっと、アイツが何かやらかしましたか?」

 

「あら、意外と信用がないのね、彼。そうじゃないわ。久し振りにお手合わせ願おうと思っただけ」

 

 その言葉に、リィンは目を丸くした。

 実際、驚いたのだ。自分たち以外に地獄を好んで見ようとする人間がいるとは思わなかったから。

 

「意外、って言いたそうな顔してるわね」

 

「え、えぇ……」

 

「ふふ、楽しいのよ、彼との手合わせ。先輩とか貴族とか、そんな事何も考えないで相手してくれるしね」

 

「あぁ……アイツならそうするでしょうね」

 

「私も学院内ではそこそこ強い方だっていう自覚はあったのだけれど……彼と戦っていたらそんなちっぽけな自覚なんて打ち砕かれちゃったわ。えぇ、だから楽しくて仕方がないの」

 

 フリーデルはそう言ったが、それが謙遜であろう事をリィンは知っている。

 何せ彼女、細心で華奢な容姿とは裏腹に、名実共に”二年最強”の称号を欲しいままにしている武人である。

 その名声は偽りではない。実戦経験こそないものの、細剣から繰り出される迅さは一度フェンシング部を見学したレイが思わずご機嫌そうな口笛を吹くほどのものだった。

 

 しかし今日は生憎と彼が体調不良で学院に来ていないのだと伝えると、今度はフリーデルが驚いたような表情をする。

 

「珍しい事もあるものね。まぁでもそういう事ならしょうがないわ。―――あぁ、それなら、これを渡しておいてもらえるかしら?」

 

 そう言うとフリーデルは、ブレザーのポケットから赤いリボンで括られた小袋をリィンに手渡す。

 

「これは?」

 

「ん。今日の調理実習で作ったものでね。いつも部単位でお世話になってる彼にあげようと思ったのよ。あぁ勿論、深い意味は無いから安心して」

 

 軽く揺らすと、カサカサと軽い音がする。恐らくクッキー等だろうと察し、形が崩れてしまわないように一番大きいポケットに入れる。

 

 何だかんだで、彼は社交性が高いのだ。特定の部活に入っていない為、放課後には様々な部活に適当に顔を出している時がある。

 馬術部で馬に乗っていたり、料理部で普段寮では作れないような菓子を作っていたり、文芸部に連れ込まれて変な作品のモデルにされていたり、とにかく気が赴くままに学院中を渡り歩いている。

 

 それが彼なりの”学校”という場所への興味の示し方であると同時に、同年代の学生への接し方であるのだろうと理解できたのは最近の事。

 遊撃士だった頃は基本的に年上としか仕事をしていなかった、とは彼の言葉。《結社》に所属していた時はその限りではなかったようだが、その時にしていたバカ騒ぎは、それもまた別物であったとか。

 

 ともあれ、楽しんでくれているのならばそれに越したことはない。

 いつも世話になってしまっている身の上だが、彼が普通の生き方の中でやりたい事を見つけ出せたのならば、それを補佐するのは吝かではない。

 そんないつもの日常に戻る為に、彼には早く良くなってもらわなければならない。自分たちに出来る事などはあまりないだろうが、せめて塩分を補給できるような飲料でも買って帰ろうかと考えていると、真横にあった教室から一人の女子生徒が出てきた。

 

「おっ、リィンやないか。丁度良かったわ」

 

「ベッキー? まだ学院に残ってたのか」

 

「まぁ、学院際の屋台の事で詰められてへんのがまだあってなぁ。せや、レイ知らへん? 今日一日学院中探し回ったんやけど何処にもおらへんねん」

 

「ハハ、今日はアイツを探す人が多いな」

 

「んー? 珍しくもあらへんやろ。あんま人に頼りすぎるのも良くないって分かっとるんやけどな。元遊撃士だから的確なアドバイスをくれるんや。それで助かった生徒、ウチに多いんとちゃうか?」

 

「…………」

 

「ま、かく言うウチも学祭の屋台の件でアドバイス貰っとるんやけどな。なんや、クロスベルはそういうの多いっちゅうの聞いてから参考にしてるんや……ん?どうしたんや自分」

 

「あぁ、いや。何となく分かってはいたんだけれど、本当に頼りにされてるんだなって思ってさ」

 

 想像はできる。

 大体の事はソツなくこなしてしまう器用さで、飄々と微笑を浮かべながら、困っている人間の肩を軽く叩いて立ち上がらせる彼の姿が。

 

 或いはそれすらも、彼は”贖罪”と言うのだろうか。自分が今まで助けられなかった命の分、誰かを助け続けるのは義務なのだと。

 

「? どないしたんや」

 

「……何でもない。それでレイだけど、今日はちょっと体調を崩していて、学院に来てないんだ」

 

「ハァ⁉ 風邪なんて引くことあるんかアイツ‼ ……いや、あるわなぁそりゃ。どーも変に超人扱いしてまうわ」

 

「大体皆そう言うんだよな……いや、俺達でも今朝まではそう思ってたけど」

 

「大変やなぁ……せや、ええモンやるわ」

 

 そうしてベッキーが一度教室に戻って持ってきたのは、数本の缶に入った飲料だった。

 

「これは?」

 

「クロスベルで売っとる経口補水液って商品や。体調悪い時にはコイツがエエんやって。サンプルとして貰った物やけど、いつも世話んなっとる礼として、な」

 

「あ、ありがとう」

 

「ええってええって。レイによろしゅう言っといてな」

 

 そう言って軽くリィンの肩を叩いて去っていくベッキー。

 貰った物を眺めながら、思わず微笑んだ。そして同時に―――自分も人の事は言えないが―――自虐的な一面がある友に向かって思う。

 

 お前は、自分が思っているよりも多くの人に愛されているぞ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 自分を、覗き込む顔があった。

 

 ぼやける視界。睫毛が皮膚に張り付いているような感覚がこの上なく鬱陶しい。それを払いのけるように目を開き、上半身を起き上がらせようとすると、肩を抑えられて無理矢理ベッドの上に押し込まれた。

 

『仕事熱心なのはいいけどさ、こういう時くらいはちゃんと休んでおきなって』

 

 ……この体調不良は過労によるものではない。そう説明しようとしても信じられないのは分かっていたから、敢えてその場は黙っていた。

 とはいえ、仕事中に倒れるという無様な真似を晒してしまったのは事実だ。

 それがどれだけ仕事仲間に動揺を与えたかというのは、見れば分かる。

 

 なんだ、エオリア。お前そんな顔もできたのかと、そうからかった覚えがあった。

 

 隙あらば自分に対して倫理的にアウトな事を仕掛けてくるどうしようもない変態でも、流石にこういう時は医療に携わるものとして真剣になるらしい。

 

 

『……ねぇ、レイ君』

 

 そしてからかいに反応する事も無く、エオリアが真剣な声色のまま言葉を紡ぎ出す。

 

『あくまでも私の私見ではあるけれど、今の君の身体に異常な所が見当たらないの。……ううん、確かに高熱と気管支の炎症は確認できているけれど、それを発症するだけの原因が見当たらない。まるで、その症状が出るっていう結果だけが突然現れたみたい』

 

『どういう事だよエオリア。普通風邪とかってそういうものなんじゃないの?』

 

『違うわ、リン。人間に拘わらず、生き物の身体に異常が出る時って必ず原因があるものよ。栄養失調とか、過労とかね。その原因が負荷となって蓄積していった結果、症状が表に現れるの。その過程(プロセス)を無視して影響を与えるのが、俗に言う”状態異常”というものなのだけれど、レイ君の場合、それに関しての耐性が高いからその線は薄いわね』

 

 つらつらと、立て板に水のように解釈を連ねていくエオリア。

 性癖がアレであっても、医療大国レミフェリアで医療資格を取得するだけの才女である。この程度の知識はもちろん持ち合わせている。

 

『……でもまぁ、病人に言う事でもないわね。幸い熱は着実に下がりつつあるから、安静にしていれば問題ないと思うわ。……というより、処方しようにもレイ君には薬の類は効かないのだし』

 

『便利だけど、こういう時は面倒だよね。まぁ、ちゃんと休んでおきなよ? 仕事はアタシ達で回すからさ』

 

 遊撃士協会クロスベル支部の仕事は激務だ。一人が欠けてしまっただけでも通常であれば皺寄せが来る。

 だが幸運にも、今の時期はそれほど忙しいわけではない。この二人が、ここまで世話を焼いてくれる程度には。

 

 すると、新たに二つ声が増える。

 

 

『よぉ、レイの具合は?』

 

『あぁ、スコット。良くなってるみたいだよ。ヴェンツェルも、大分ウチの仕事に慣れてきたみたいじゃないか』

 

『早々慣れるものかよ。この支部は忙しすぎる。……若いホープが倒れてしまっているならば猶更だ』

 

『ツンデレみたいな言い方すんなよ。あぁ、早く治って欲しいってのは俺も同感だ。お前さんがいないとエオリアのやる気が50%くらい減少するからな』

 

『圧倒的事実……‼ 何も言い返せないわ‼』

 

『自覚して否定しないで最後の一線は超えない辺り、ホントギリギリの所で踏みとどまってるよね』

 

『俺としても同僚を未成年者略取の現行犯でクロスベル警察に引き渡したくはないなぁ』

 

 思わず、笑う。

 いつも通りの職場だ。自分がこうなってしまっても、変わらず回り続けている。

 

 

『―――邪魔するぞ』

 

 そんな空気が数分流れた後、仮眠室に最後の一人が入ってきた。

 

『あら、アリオスさん。レミフェリアでのお仕事は終わりですか?』

 

『あぁ、予想より早く終わった。……ミシェルからレイが”発作”を起こしたと聞いてな』

 

 クロスベル支部所属時代、”発作”と銘打って倒れた回数は2回。一度目の時は、アリオスさんと組んで仕事をしていた時だった。

 S級に近いA級遊撃士。それも《八葉一刀流》の《剣聖》を名乗る事を許された人である。自分のそれが尋常ならざるものである事は見抜いているだろう。

 だがそれでも、多くは問い質そうとはしなかった。自分の前歴を知っているからか、それとももっと深いところまで見透かされていたか。

 

『大事は、なさそうだな。これから俺も仕事を回す。エオリア、お前は今日はレイの看病に回るといい』

 

『おおっとこれはスケイリーダイナの檻の中に生肉を投げるが如き命令』

 

相棒(バディ)として忠告しとくけどさ、レイが弱ってるからって言って一線超えたら鳩尾に雷神拳だからね』

 

『……それは流石に殺意が高すぎないか?』

 

『私、自分の性癖はちゃんと理解しているつもりだけれど、流石に病人を前にしてそれを前に出す程馬鹿じゃないって自覚はあるわよ?』

 

 そんな事を言い合いながら仕事組は仮眠室からぞろぞろと出ていき、エオリアも一旦氷嚢を取り換えに部屋を離れる。

 ……そして、「少しだけ話がある」と切り出したアリオスだけが残った。

 

 

『……あまり、無理はするな』

 

『どの口が言うか、と思うかもしれないが、これは俺の本心だ。お前の身に何が起きているのかを深く問うつもりはない。お前が何を考えて此処にいるのかもな』

 

『だが今、この時だけは間違いなくお前はこのクロスベル支部に無くてはならない人材だ。掛け替えのない仲間だ』

 

『……自分を無下にするような生き方はするなよ』

 

 

 思えばそれは、自虐のようなものだったのかもしれない。

 だがそうであったとしても、その言葉が心にストンと落ちてきたのもまた事実。

 惜しむらくは、その時は既に意識が朦朧としかけていてぼやける程度にしか聞こえていなかった事だろうか。

 ……もしあの時、はっきりとした意識の中で聞くことができていたのなら。

 

 

 あの人の真意を、問い質す事ができたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 その日、戦技教導の授業を受けた生徒は、一人残らず瞠目した。

 

 サラ・バレスタイン。元帝都遊撃士協会史上最年少A級遊撃士。その肩書きに恥じない実力を持つ武人。

 そんな彼女の戦技教導は苛烈だ。勿論、生徒のレベルに合わせた教え方は心得ている。

 

 何せ此処は名高きトールズ士官学院。卒業後の進路で軍属以外を選択する生徒も多いとはいえ、帝国有数のエリート校である。

 そんな学校の戦技教導官が下手に手心を加えるような人間であってはいけない。平民だろうが貴族の子女だろうが、彼女は等しく鍛える。

 元々は望んで就いた職、とは言い難かったが、彼女は優秀だった。自由闊達に振舞っているように見えて、カリキュラムはよく練られている。

 

 鬼教官、と陰で呼ぶ生徒がいる事も知っていたが、そんなことをいちいち気にしているようでは教官など務まりはしない。反面、厳しくはあるが、面倒見も良かった為、本気で彼女を嫌う生徒はほとんどいなかった。

 

 そんな彼女が、この日だけは授業中も何処か魂が抜けたような表情のままだった。生徒が声をかけて漸く反応する程の鈍さだった。

 生徒らは心配するよりも先に恐怖感を感じた。果たして明日は雨が降るか雹が降るか特大の雷が落ちるのかと。

 

 

 そして、そんな事を思っていたのは生徒だけではない。

 

 教官室も異様な雰囲気に包まれていた。

 きっかけは教官室内でトマス教官がいつものようにサラを飲みに誘った事。トマスにとってみれば下心など一切なく、ただ教官勢の中で一番の酒飲みであるサラと飲み明かすのが一番楽しいというだけの理由であった。

 いつもであればサラも「いいですねぇ」と返事をして夜までもう一人か二人ほど道連れにしながら飲みまくる。それが通常だった。

 

「あぁ……すみません。今日はちょっと飲み明かす気分じゃなくて」

 

 瞬間、室内の時が止まった。

 軍事導力技術教官のマカロフは飲み干そうとしていたコーヒー入りのマグカップを傾ける手を止め、軍楽担当教官のメアリーは譜面を捲る手が止まる。普段は奔放なサラに小言を言う教頭のハインリッヒでさえ驚愕の表情を隠せなかった。

 

「…………珍しいなバレスタイン教官。貴女が酒の席を断るとは」

 

 内心道連れにならなかった事に安堵しながらも、聞かざるを得なかったのだろう。

 沈黙を破った軍事教官ナイトハルト。この二人の飲み明かしの犠牲者常連である。

 そんな彼が思わず案じる程に、その光景は異様だったのだ。

 

「あぁ、いえ。別に体調が悪いとかそういうんじゃないんですよ。ただ今日はそういう気分じゃないかなーって」

 

「ま、まぁそういう時もありますよねぇ」

 

「トマス教官、同意するんだったらせめて声の震えは止めましょうや」

 

 何故だか居心地が悪くなり、トイレに行くふりをして教官室を出る。

 

 

 気持ちが澱んでいるのは事実だ。今朝方、早めに教官室に到着した直後にシオンの分け身が飛んできて、レイの症状を聞かされた時からどうにも仕事に身が入らない。

 彼がその程度で死ぬとは思えないし、昔から相棒として傍にいたシオンが着いているのだろうから、今更自分が心配する意味もないように思える。

 

 だが、何故だろうか。そう分かっていても尚、焦燥感を抑えられない。

 不意に、父が死んだときの事が脳裏を過ぎる。

 人の死とは呆気ないものだ。元猟兵として数多の戦場を駆けた経験があるから分かる。

 

 祖国に残してきた子供が明日誕生日を迎える―――そう嬉しそうに話していた同じ部隊の人間がその翌日頭を撃ち抜かれて死んだ。

 戦闘に巻き込まれ、それでも運よく生き残っていた幼い兄弟が、その直後迫撃砲の余波に呑まれて死んだ。

 寒さと飢餓に苦しんでいた家族が、それでも懸命に生きていた矢先、数少ない食料を求めて押し入った強盗に皆殺しにされた。

 

 そういった非情を数多く見てきたからこそ、心の底から杞憂だと断定はできない。

 だがそれでも、今の自分は教官だ。私事で生徒達を心配させてはならない。

 しっかりしなくては、と軽く自分の両頬を掌で叩くと、廊下の先にとある人の姿が見えた。

 

 

「―――あら、バレスタイン教官。お休み中かしら?」

 

「ベアトリクス教官……えぇ、Ⅶ組のLHRまでまだ少し時間がありまして」

 

 トールズ士官学院保険医、ベアトリクス。年長者らしく穏やかに生徒を諭す事で有名なこの白衣の老婆に、サラは嘗てより頭が上がらなかった。

 自身が教官として赴任してから幾度となく助けられたというのもあるが、遊撃士となる前―――猟兵であった頃の恩人である。

 

「ふふ、いつもは貴女が戦技教練をした後は何人か怪我をしたと保健室に来るのだけれど、今日は来なかったの。あまりにも暇だったものだから、こうして出てきてしまったわ」

 

「あー……」

 

「生徒たちが噂をしていたわよ? 今日のサラ教官は何処かおかしかったって」

 

 やはり腑抜けてしまっていたか、とそこで再確認する。

 全てを見透かされていそうな声色。この人に隠し事はできそうにないと、サラは早々に心の中で白旗を挙げていた。

 

「すみません、今日はちょっと、生徒の一人が熱を出してしまいまして……」

 

「……あぁ、そういう事。だから今日は静かだったのね」

 

 そう言うとベアトリクスはグラウンドが一望できる窓の外を眺める。

 

「いつもはⅦ組の戦技教導の時間になると土煙と爆音で包まれるものだから。ふふ、まるで若い時の学院長が稽古をつけている時のようだわ」

 

「……《轟雷》の稽古風景とか、考えただけで背筋が凍りますね」

 

 とはいえ、この人も相当なものである。

 

 元帝国正規軍大佐。《死人返り》の異名を持つ伝説の衛生兵であり、激戦地に度々現れては敵味方関係なく、()()()()()()()()治しまくったと謳われる女傑。

 腕前だけを鑑みるのであれば《轟雷》のヴァンダイクと並ぶと称されており、未だ軍部の中に導力技術が浸透していなかった時代の帝国軍を支えた英雄である。

 

 そのせいか、血の気の多い士官学生が何かしらおイタをした時などは、保険医にあるまじき威圧で強制的に黙らせる事が偶にあるのである。ヴァンダイクがベアトリクスを次期学院長に推挙しているという噂も、あながち間違いではないのかもしれない。

 

 

「……あの子も、本当に良い表情をするようになったわね」

 

 しみじみと、まるで孫を想うかのような静かな口調で言う。

 

「貴女は覚えているかしら? あの子が、ボロボロになった貴女を私の下まで運んできたあの日の事」

 

 ―――無論、忘れる筈もない。

 あの日、猟兵サラ・バレスタインは死んだ。節介焼きな一人の少年の小さい手で、奈落の底から陽の当たる所まで救い上げられた。

 自分より遥かに強いというのに、心の中にどうしようもない弱さを抱えた少年。

 あの時は今よりも年端もいかない少年だったというのに、惹かれてしまったのも確か。思い返せば、初恋というやつだったのだろうか。

 

「級友たちと切磋琢磨して、苦楽を共にして、そうして青春を築き上げていく。……彼が奪ったもの、奪われたものは多くても、そうして生きているのなら、教官(私たち)にとってこれ程嬉しい事はないわ」

 

「…………」

 

「人というものはね、バレスタイン教官。本当の意味では()()()()()()()()ものなの。弱さの全てを消し去って、強さだけが残ったのだとしたら、それはもう人ではない。けれども、武を志す者は弱音を垂れ流す事は悪と教えられてしまう」

 

 根源の弱さを克服した者。もしくは弱さを強さで上塗りした者。―――それを”達人”と呼ぶ。

 彼は後者であった。寧ろ彼の師はその根源的な弱さを良しとした。

 ならばその弱さを抑え込めるだけの力を持てばよい。心を堅牢な鎧で覆い、鍛え上げられた剣を持たせ、何者にも負けぬようになれば良い。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()―――あまりの極論ではあるが、《爍刃》は弟子をそのコンセプトの下に鍛え上げた。

 

 ……もしもレイ・クレイドルが《結社》を抜けずに留まり続ける未来を選んだのだとしたら、そういう武人になっていただろう。

 強く、鋭く、何処までも徹底的に鍛え抜かれた一振りの剣。強いが故に、弱さを見せぬ強者。僅かな罅も許さないその生き方は、果たして彼をどのように殺していくのか。

 

 

「でも、あの子には貴女がいるのでしょう?」

 

 その脆さを、勿論ベアトリクスは理解していた。

 

「女の涙を受け止めるのが男の甲斐性とは言うけれどね。男の弱音を受け止めるのも女の甲斐性というものよ」

 

「女の甲斐性、ですか」

 

「好きになった殿方の弱みくらい受け止めて差し上げなさいな」

 

 頬が赤くなる。

 バレていない、とは思っていなかった。とはいえ、今の今まで愛した男(レイ)の事を学業面で贔屓した事など無い。寧ろ、彼はそれを絶対に望まないだろう。

 とはいえ、教官として生徒に恋し、愛するというのは褒められたものではない。叱責されるだろうかと横目で様子を窺うが、ベアトリクスは優し気に微笑むばかり。

 

「……ベアトリクス教官にも、そんな方が?」

 

 だから、思わずそんな事を訊いてしまう。

 しかし彼女は僅かも狼狽えることなく、一瞬だけ遠い目をしてから口を開く。

 

「どうだったかしらねぇ。何せ若い頃の話だから、忘れてしまったわ」

 

 

 

 

 

 

 

 ―――せめて、彼が目覚めた時、傍にいてあげよう。せめて今日一日くらいは、虚勢を張らせずに生きて欲しい。

 

 

 それだけが、今のサラ・バレスタインの願いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

『貴方は少し、頑張り過ぎです』

 

 

 仕方ないだろう、と思った。

 何せ師がアレなんだ。気張って強くならなければ死んでしまう。それに自分自身も、強くならなければいけない。

 

 それでもこの人は、それを叱責するのだ。多分俺のいない所で、師匠にも文句を言っていたに違いない。

 

 ただ、この人は決して止めようとはしなかった。嘆息をしながらも、見守ってくれていた。

 

 

『……カグヤ様は決してそういう事は言わないでしょうから、私が言いましょう。貴方の強さは既に相当なものですよ。《剣帝》殿も言っていましたが、後数年詰めれば”達人”の域に届くでしょう』

 

 優しく頭を撫でられる感覚が染み渡る。

 緩く結われた金髪が僅かに頬をくすぐる。彼女が愛用していた香水の匂いが、詰まっていた鼻にも届いた。

 

 凡そ、意識が薄くなるほどの高熱に魘されている子供に聞かせる話ではないのだが、だからこそ、だろう。

 ”達人”とは、教えの果てに成るものではない。己自身と向き合い、達するもの。

 

 少なくとも、この義姉はそうやって至ったのだ。

 攻めよりも守護に重きを置き、尋常ならざる基礎の反芻によって絶技を身に着けた達人。不動の精神と守りを以て戦乙女の名を冠する者。

 

 憧れであったのは事実だ。例え自分が師より授かった剣が義姉が至ったそれとは対極のものであったとしても。

 ……この人が生きていた間、自分はこの人に一太刀だって入れられた事がないのだから。

 

 

『……でも、少しだけ我儘を言えば、貴方にはそうなる前に世界を見て欲しい。貴方の剣は、陽の光の下で研磨されるべきです』

 

『弟子は師の背を見て育つもの。ですが、師と同じ道を歩む事はないのです。……貴方は、鬼に堕ちてはいけない』

 

 ―――思ったことはあった。

 あのまま《結社》に在り続けて、あの人の背を追い続けていたら、そのような人生を歩む事になっていたのだろうかと。

 《執行者》の責務として、親友や仕事仲間や学友らと斬り結ぶ未来もあったのだろうかと。

 

 ……意味のない事だ。今の自分は、選んだ道を歩んでいる。引き返せぬ可能性の道など、思案したところでどうなるわけでもない。

 ただ、鬼と堕ちて大切な者達すら躊躇いなく斬るような、そんな人間には―――なりたくなかった。

 

 

 

『……ふふ、少し語り過ぎましたね。今はゆっくりお休みなさい。それを咎める者など誰もいません』

 

『安心なさい。次に貴方が目を覚ますまで、姉はここにいますから』

 

 

 そう、優しく語りかけてくれていた。

 普段は割と厳しい一面も持ち合わせる義姉も、この症状が出ている時だけは甘えさせてくれた。

 

 その当時の自分は、それが堪らなく嬉しかった。

 恨みと贖罪だけを原動力に、ただ愚直に剣の修練に明け暮れていた自分が、”子ども扱い”される瞬間。

 

 もう二度と叶わない瞬間だからこそ、せめて夢の中でくらいそれを味わいたい。

 

 

 今だけは。そう、今だけは。

 自分だけこの耽溺に浸る事を、どうか許してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を、覚ます。

 

 

 まず感じたのは温かさ。毛布に包まれていない体のほとんどに、金色の尾が絡みついていた。

 素直に言えば気持ちが良い。が、少しばかりの圧迫感がある。

 

「シオン」

 

 一言、掠れた声でそう呼ぶと、ベッドの傍らに腰かけていたシオンが耳をパタパタと動かしながら振り向いた。

 

「おや、主。お目覚めですか。今お水をお持ちしますね」

 

 そう言って一度指を鳴らすと、分け身の一体が頭の上に水の入ったコップを乗せて浮遊してきた。

 レイは上半身を起き上がらせてそれを受け取ると、一気に飲み干す。乾ききった喉に水分が染み渡り、幾分か声の通りが良くなる。

 

「何時間くらい寝ていた?」

 

「8時間程、ですかな。そろそろ皆様方がお帰りになられる頃かと。あぁ、サラ殿も今日はすぐに帰ってこられるそうです」

 

「……すまん、迷惑をかけたな」

 

「御冗談を。皆様方、とても心配しておられましたよ。ご加減は、如何ですか?」

 

 そう言われ、レイは一度全身に氣を走らせる。

 だが、()()()()。澱みが多く、中々全身に行き渡らない。

 

「……駄目だな。本調子には程遠い。今までは半日も寝れば大分回復してたんだが……いや、そうだな。()()()()()()()()()()()

 

 理解はしている。回復が遅いのではなく、”慣らし”が追い付いていないだけだ。

 あまりにも神氣が濃すぎる。一度クロスベルに行ってキーアと会った時にその神氣は覚えていたはずなのだが、その時のそれとも比べ物にならない。

 

「主、差し出がましいようですが、私の神氣をお分け致しましょうか? 大分楽になる筈ですが」

 

「……その気持ちは嬉しいが、大丈夫だ。俺がこれから成さなくちゃならない事を考えれば、人造の神氣程度、耐えられなきゃ話にならん」

 

 ベッドから降り、立ち上がる。

 足がふらつくこの感覚も久し振りだ。今の状態では、【瞬刻】すら満足には発動できないだろう。

 

「あまり無理はなさらぬよう」

 

「大丈夫だ。あぁ、体調そのものはクソッタレなほど悪いが、そんなに悪い気分じゃないからな」

 

「?」

 

あの子(キーア)のお陰かな。良い夢を見させてもらったよ」

 

 その影響か、気力そのものはそれなりに回復している。

 ならば、後は体調を整え、体力を回復させるだけ。いつもより集中して”慣らせば”、明日中にはどうにかなるだろう。

 

「シオン」

 

「なんでしょう」

 

「世話をかける」

 

「その言葉は私よりも、快復された折に皆様方に仰った方がよろしいかと。―――私は既に主と一蓮托生。何があろうとお供致しますとも」

 

 その言葉が、今は何よりも頼もしかった。

 覚束ない足取りで歩き、ドアノブに手を掛ける。いやにひんやりした感触が全身を駆け巡り、自分の体温の高さを否が応にも自覚させられた。

 

何処(いずこ)まで?」

 

「少し、歩く。そうしないと感覚が鈍りそうだ」

 

「では、お供致しましょう。―――丁度皆様方もお帰りになられたようですしな」

 

「分かってんなら敢えて言うんじゃねぇよ」

 

「これは失礼」

 

 他愛のない主従の会話を交わしながら、レイは前を見据えて歩き出す。

 

 

 そうだ。此処から先は―――立ち止まるわけにはいかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 はい、前回のラストで「早めに投稿します」などとぬかしながら1ヶ月以上普通に過ぎていた十三です。お前遅筆なのもいい加減にしろよ。

 クソ忙しい仕事こなしながら新人教育とか無理やってマジで。いや何とか出来ちゃってるけどさぁ。帰ってから執筆とか眠すぎて無理ゾ。

 とか何とか言っておきながらきっちりと《隻狼》やりこんでる人間が我です。あのゲームクッソ面白いぞ。僕フロムゲー初心者ですが、弦ちゃんと戦ってる時が一番面白かった。ただし二頭目を呼びやがる獅子猿、テメーは駄目だ。そしてエマ殿、アンタの掴み攻撃の吸い込み加減はなんなんだ。ダイソンかお前は。
 友人から「お前そんなにハマってるんなら《隻狼》で一本書けば?」と言われましたが、多分僕が書くと葦名が原作以上に人外魔境になるので駄目です。

 さて、次回学院際。え?前日のラスボス戦はどうなったかって? うんまぁ、それも、ね。


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終章
”裏”の戦争


 

 

 

 

 

 

 

 ―――会場の盛り上がり(ボルテージ)が最高潮に達する。

 

 歓声が止まない。貴族生徒も平民生徒も、1年生も2年生も、皆等しく聞き入っている。

 舞台上で輝くのは12人の生徒。人種性別階級の垣根を超えて集った真紅の制服を纏う彼らが、今は純白の衣装を着て歓声を浴び続けている。

 

 一曲目を歌い切ったマキアスがマイクを下ろす。額には汗が浮かび、疲れが押し寄せてきた。

 だが、悪くない疲れだ。怠いと思う以前に、高揚感が身を満たす。

 

 ポン、と背が叩かれた。

 いつものような自信満々の笑みを浮かべて、彼は言った。お疲れ、次は俺だ。と。

 

 マイクを渡す。その代わりにベースはマキアスに移り、満を持して彼が舞台最前に立つ。

 

 一瞬だけ、シンと静まり返った。

 彼が歓迎されていないのではない。そうなるように仕向けたのだ。視線を集め、集中を高め、一度の呼吸で気持ちを切り替える。

 

 まさかこんな日が来るとは思わなかった。自分が、努めて目立つような立場からは避けていた自分が、スポットライトを浴びて舞台の上に立っている。

 偽りでも何でもない、レイ・クレイドルという自分自身のオンステージ。仲間たちが奏でる音を背後に、その声で先程以上に観客を沸かせなければならない。

 

 ―――上等。あの魔女に比べれば児戯にも等しい技術だが、その程度はやってみせるとも。

 

 ステージ上から観客席を見渡す。……知っている顔が幾つもある。

 それならば、無様な真似は見せられない。今更、この程度で緊張などはしない。

 

 

 無言のまま、マイクを数秒手で(すさ)び、スイッチを再びオンにする。

 場は整った。後はひたすら盛り上げるだけだ。

 

 

『熱を上げる準備はできたか? 歓声を上げる喉の調子は? 此処に集まった皆、残らず全員必ず満足させてやるよ』

 

 

 わざとキザったい口上を皮切りに、演奏が始まる。

 

 口角を吊り上げ、声を張る。思えば初めてなのかもしれないと思いながら。

 

 晴れ舞台で、自分が主人公になって盛り上げる。身内だけではなく、学院際を、自分たちのライブを見に来た人全てを盛り上げる役目。

 悪くない―――そう、素直に思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()―――旧校舎を覆う白い靄のような結界に触れる直前、レイはそう確信した。

 

 コレに自分は拒絶されている。お前は入れぬという意思を感じる。

 それを、意外には思わなかった。以前この旧校舎に来た際に扉に拒絶された時は少々解せない所もあったが、今ならば理解もできる。

 

 

 突如、旧校舎を覆ったこの結界は、無論の事教官も含めて大騒動となった。

 旧校舎敷地内以外に影響を齎していないとはいえ、時間が経てばどうなるかなど誰も分からない。故に、影響が出る可能性を考慮して翌日に迫った学院際そのものの中止を検討されるまでに至ってしまった。

 

 しかし、それに待ったをかけた。

 元より旧校舎探索は彼らの仕事。潜る度に新しい世界に誘われ、現代の科学では解明できないような超常現象がそこかしこに散らばっていた。

 

 ならば、今回のこの異常現象もその延長線上だ。

 自分たちが潜り、解決し、帰還する。ただそれだけの事。

 

 何より、今まで学生たちが懸命に準備をしてきた学院際がこのような事で中止になるなど許されない。

 その考えは一緒だった。だからこそリィンを先頭に、躊躇う事も無く結界を潜り抜けた。潜り抜けられなかったのは、ただ一人。

 

 その理由。理解ができるだけで、面白くは無かったが。

 

「(そんなに嫌かね。この魂と刀が)」

 

 ふぅ、と息を吐くと、それを落胆と捉えてしまったのかリィンが話しかけてくる。

 

「レイ……」

 

「気にするな。お前たちが通れるって事は、これはお前たちが乗り越えるべき試練って事だ。―――何も変わらない。今までの特別実習の延長戦みたいなものだ。お前らなら出来る」

 

 だから、と。

 結界の向こう側に行った彼らに向けて、レイは握り拳を突き出した。

 

「明日を掴んで来い。全員、揃って帰って来いよ」

 

「あぁ、勿論だ」

 

 向こう側にいる全員が、レイに握り拳を返してきた。

 即答でそう返せるのならば、心配はいらないだろう。それに、レイの予想が正しければ、これは乗り越えられない試練ではないはずだ。

 

 横目でエマを見ると、神妙な顔で一つ頷いていた。

 ならば、()()()()()なのだろう。餅は餅屋とも言う。この分水嶺を見届けるのは、やはり本業でなくてはならない。

 

 全員が、後ろ髪を引かれるかのように最後にレイの姿を一瞥してから、旧校舎の扉の中に消えていく。

 その後ろ姿を見送ってから、レイは再び、先程結界に触れようとしていた自分の掌を見る。

 

 明確な拒絶。あのまま無理矢理に手を突っ込んでいたら、間違いなく腕ごと消し飛んでいただろう。

 《灰》の方が拒絶したのではない。恐らくはもっと根幹の―――深く根付いた方からのものだ。

 

「―――っは」

 

 笑った。

 自分という存在を厭うだけならば、寧ろ誘い込むべきだった。誘い込んだ上で、消し飛ばせば良いだけの話。

 わざわざ自身の領域に招かなかったというのは、つまるところ少しは恐れたのだ。

 

 神にも近しい存在が、ただ一人の人間を僅かでも恐れる。それが面白可笑しくなくて何だと言うのだ。

 

 

「アンタは―――」

 

 隣にいたサラが何か言葉を挟もうとする。

 

 振り返ってみれば、レイ・クレイドルが今までの特別実習で彼らと共に戦った事など数えるほどしかない。

 理由は単純、()()()()()()()()。強いからこそ、彼は一人で激戦を繰り広げていた。

 

 ケルディックでは複数の大型魔獣を引き付けて戦い。

 バリアハートでは拘束されたマキアスの没収されていた武装を取り返すために単独で行動し。

 ノルドと帝都では《Ⅹ》―――ザナレイアとの死闘を繰り広げ。

 クロスベルではオズボーンとの密約に則ってテロ組織の殲滅に手を貸し。

 ルーレでは《結社》の《使徒》の一人である《蒐集家(コレクター)》イルベルト・D・グレゴールの悪辣な罠に囚われていた。

 

 それが、仕方がない事であるのも理解していた。

 力を持っているというのはそういう事だ。そしてそれは同時に、それまではリィン達がまだ「守られる側の存在」であったという事。

 しかし、今回は違う。レイは彼らを送り出した。「お前らならばできる」という、信頼の言葉を投げかけて。

 

 それでも。

 彼の横顔は確かに笑ってはいたが、それでも―――。

 

 何処か、悲しそうな顔はしていたのだ。

 

 

「……ま、悔しくねぇって言ったら嘘になるわな」

 

 苦笑しながら、それでも本心は隠さずに言い放つ。

 

「アイツらと轡を並べて、背中を預けて戦うってのはある意味で俺の望みの一つでもある。……別にアイツらが弱いって訳じゃねぇ。ただ単に今まで相手が悪すぎた」

 

 ”達人級”と相対して、生き残るだけの地力を彼らは有していなかった。

 それを弱いなどと誹るつもりは毛頭ない。そんな事を言えるのは物事をよく知らない阿呆だけだ。

 そしてレイも、そんな敵らを前にしてリィン達を護り切る確信は無かった。

 

 でも今なら、今ならばと。

 今回ならば皆と一緒に戦えるかもしれないと思った矢先の拒絶である。

 面白可笑しい、と思うのも確かだが、同時にこうも思っていた。―――()()()()()、と。

 

 いけないと自制した。

 この程度の事で苛立ちを見せてはならない。これが最後のチャンスであるわけでもない。心に浮き上がった波を鎮めようとして―――。

 

 

 ゾクリ、と。

 比喩ではなく真に刹那の瞬間、形容し難い悍ましい殺意を感じた。

 

 潜む必殺の意思。泥の中に霊を垣間見たようなそれとは違う。一寸先も見通せない闇の中で刃の煌めきを視認した時の恐怖だ。

 

 

 だが、この旧校舎前に集った者たちの中でそれを感じたのはレイ一人。

 此処にはサラがいる。自分と同じ”達人級”のヴァンダイクもいる。そして何より、そうした殺意に何より敏感な筈のシャロンでさえ反応していない。

 

 悟った。その悪い視界の中、野次馬を含めて多数集まった人間の中から唯一人にだけ刺し殺すかのような殺気を飛ばせる存在。

 そしてこの殺気の質。……嘗て追いかけ回されたことがあるから、良く知っている。

 

 殺気の元を感知しようとするが、無論引っかからない。そこまで足掻いてみたところで、レイは諦めた。

 

「サラ」

 

「どうしたのよ?」

 

「少し、離れる」

 

 それだけを短く告げ、【瞬刻】を用いてその場を離れる。

 旧校舎周辺は木々が生い茂るエリアだ。下手をすれば、移動するだけでも東西南北の感覚が曖昧になる。

 

 そこを駆け抜ける。駆け出した直後から、僅かに鼻先を気配が掠めている。まるで、餌を眼前に吊らされた魚のように。

 

 そして、止まった。旧校舎からも大分離れた場所。鬱蒼と茂った木々の葉の所為で月の光すらもまともに届かない暗闇の中、レイは携えていた愛刀の柄に手を掛ける。

 視線を動かさずに、ただ伏せる。

 此処に至って、視覚に頼るのは寧ろ愚策。柄に指先を当てた状態のまま、意識を静寂の中に沈みこませる。

 波紋の一つすら浮かび上がらない水面。その状態まで精神を研ぎ澄ませれば、例え蜘蛛の糸程度の異物であろうとも入り込めば即座に反応できる。

 

 ただ、世の中には存在するのだ。

 ”達人級”の武人がそこまで備えても尚、直感に頼らざるを得なくなるほどに気配を隠す()()()というものが。

 

 

 

 ―――首と、心臓。

 

 人の凡そ急所と呼べるその二ヶ所を、黒い刃が狙い刺す。

 それを、レイは極致に至った反応力で防ぐ。首に至ろうとした刃には刀身を、心臓に至ろうとした刃には鞘を以て。

 

 賭けだった。その人物が狙うのならばきっとこの二ヶ所だろうと、そう予想していたからこそ、ギリギリで防げた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。つまるところ、この致命攻撃を防げた要因には、少なからず運が介入するのだ。

 

 冷や汗が背中を伝う。

 全くもって心臓に悪すぎる。今この人は、その一瞬だけ手加減抜きで本気でレイ・クレイドルを殺しに来たのだ。

 

 ザァッと木々の間を吹き抜ける風。その風が彼女が纏った漆黒のローブをはためかせ、そこでようやくその輪郭が現れる。

 

 褐色肌に黒髪。その肌の大半を覆う服は僅かの曇りもない漆黒。その中で炯々と輝く真紅の双眸。

 そしてその表情が、変わったところを見た事がない。まるで、喜怒哀楽の感情を全て奪われた殺戮兵器のように。

 

 

「……どういうつもりだ、《闇喰らい(デックアールヴ)》。まさか今頃になってまた枢機卿のジジイ共が俺の”眼”を欲しがったとか言うんじゃねぇだろうなァ?」

 

「…………」

 

「いや、それが狙いならわざわざ俺を誘い出すまでもねぇか。アンタが本気だったらあの場所でも誰にも気づかれず俺を殺せる」

 

 すると、《闇喰らい(デックアールヴ)》―――七耀教会《守護騎士》第十位、レシア・イルグンは己の得物である闇短刀(ダーク)二丁を引っ込めた。

 

「失礼を。久方ぶりですね《天剣》殿。当兵の事を覚えておいででしたか。ハイ」

 

「当代最強の暗殺者なんぞ、忘れたくても忘れられねぇよ。アンタに追いかけ回されて、一体何度死にかけたと思っていやがる」

 

 皮肉を言いながら、刀身を鞘に収める。本来であれば夜間にこの人物の前で無防備になるなど自殺行為と同等だが、彼方があっさりと引いたという事は、少なくとも此方をこれ以上害する意図は無いという事。

 

「光栄です。ハイ。先程の一撃はまぁ、()()調()()()()()だとでもお思いください。ハイ」

 

「……チッ」

 

 ()()調()()()()()―――果たして”夜間”という条件下に於いて”絶人級”にも届くその神業が振るう”戯れ”がどれだけの恐怖を齎すか。

 特化型の”達人級”の極み。それを十全に相手するには、レイはまだ練度が足りない。

 小手調べであっても、防ぐのが精一杯だったのだ。つまりは、今の自分ではこの程度が限界という事。

 

 影に潜み、影を生み、影を統べる暗殺者。

 そして夜は、()()()()()()()()()だ。夜間に於いて、生半可な武の腕前では本気の彼女には一撃すら入れられない。

 

 だからこそ、これ以上の抵抗は無意味だ。そう諦めた瞬間、周囲の空間が不自然に歪曲した。

 半異空間化。レイが使える結界呪術とは段階が違う。その瞬間、囲まれたその空間内だけが”外”と半次元ズレた状態となる。

 

 

「説明は、貰えるんだろうな? 副長殿?」

 

「―――えぇ、勿論です。そしてレシアさん? 余計な事はしないで下さいと、散々言いましたよね?」

 

「是。しかしこの程度は挨拶のようなものです。ハイ。”余計な事”というカテゴリには含まれないと判断いたしました。ハイ」

 

「……頭が痛くなってきますね、ホント」

 

「上にも下にも問題抱えるとか割と騎士団も魔境だよな」

 

 片手で頭を抱えながら、トールズ士官学院歴史教官―――を仮の姿とする《守護騎士(ドミニオン)》第二位、《星杯騎士団(グラールリッター)》副長、《匣使い》トマス・ライサンダーはその眼に僅かに剣呑な光を宿した。

 

 

「単刀直入にお訊きしますよ。レイ・クレイドル君。―――今の君は、ちゃんと”人間”ですか?」

 

「何?」

 

 馬鹿にしている、という様子ではない。

 とはいえ、笑えないのも事実だ。これ見よがしに鍔を鳴らして不機嫌さを表に出しながら、答える。

 

「”俺”は”俺”だ。ヒトをやめたつもりも、神に堕ちたつもりもない。……大方クロスベル方面の異変と、今回の旧校舎の異変を重ねて確かめてつもりだろうが、無意味だよ」

 

「…………」

 

「誤魔化さないで言えよ、《匣使い》。もし俺がアレらの影響を受けて”神堕ち”していたら一撃で仕留めるために《闇喰らい(デックアールヴ)》を呼んだんだろ?」

 

 ()()()しまう前に一思いに殺し切る。レシアであれば例え”達人級”が相手であろうともそれが可能だし、彼女以上に向いている存在もいないだろう。

 苦しむ前に、人ならざるものに成ってしまう前に一息に、というのは慈悲なのだろう。その優しさだけは受け入れる。……だが。

 

「俺よりも先にどうにかしなきゃならん奴がいるんじゃないか? それとも、()()()だと流石に躊躇うか?」

 

 それが誰を指しているのか、他ならない”副長”であるトマスが知らないわけがない。

 一瞬だけ言葉を言い澱み、しかし流石に騙し切れないと悟ったのか、その疑問に対して答えを返した。

 

「……フラウフェーン卿に関しては、教会上層部から「手出し無用」と。それだけで、察していただけますね?」

 

「ハッ、教義の為だ何だと面倒臭ぇ。枢機卿の爺共、現人神の可能性にそれだけお熱ってところか」

 

 ザナレイア・フラウフェーン。元七耀教会《守護騎士(ドミニオン)》第三位にして《氷爛聖妃》の異名を戴いていた武人。

 約50年前、近年の中では最高戦力であったと謳われていた騎士団の中にあって、長らく不在であった第二位に変わり副長を務めてあげていた彼女は、ある日《虚ろなる神(デミウルゴス)》が遺した聖遺物の片割れ、《虚神の死界(ニヴルヘイム)》に魅入られてしまった不幸を切っ掛けに()()()

 部下であった正騎士・従騎士十数名を一人残らず惨殺し、止めに向かった当時の《守護騎士》第五位、第九位をも殺害し、逃亡。《封聖省》設立以来最悪の事件として知られ、当時の上層部の面子がまるっとすり替わったとか。

 

 その後、彼女はどんな経緯を経たのか《身喰らう蛇(ウロボロス)》に流れ着き、《執行者》の一人に名を連ねる事になった。在籍年数だけで言えば、カンパネルラ、アルトスク、マクバーン、エルギュラらと同じ最古参の一人だ。

 

 だからこそ、レイはザナレイアという教会にとっては稀代の背信者が、何故今まで野放しにされ続けているのかと気になっていた。

 ザナレイアは確かに《虚神の死界(ニヴルヘイム)》と同化し、神性が高まった影響で通常攻撃の殆どを受け付けないが、それでも《守護騎士》のみが纏う《聖痕(スティグマ)》の恩恵があれば可能性はある。

 それこそ、此処にいるレシアを差し向ければ、斃せるか否かは不明だが深手を負わせることはできるだろうと。

 

 だが、今の短い説明で理解した。

 

 神に成りかけている今のザナレイアは、善悪どうであれ教会の悲願の一つであるのだろう。

 見方を変えてみれば、嘗ての至宝の残滓に()()()()故の事。狂っているかどうかなど、それは所詮人間の理の中での話。神に人の理など通じまい。

 人が、神と成る。それは女神を祀る彼らにとっては禁忌であり、悲願でもあるのだろう。だからこそ、彼女を生かしている。

 

 そして、神と成るのは嘗て女神に仕えていた栄えある騎士()()()()()()()

 《結社》を抜けた後、妄執すら感じさせるほどのしつこさで騎士団の連中がレイの聖遺物を狙ってきた真意の一つはそれなのだろう。

 

 

「だが残念だな。その悲願は叶わない。―――アレは俺が殺す。殺さなきゃならない。例え教会の連中にだって、それは邪魔させねぇ」

 

 それは、レイ・クレイドルの使命だ。

 亡き義姉への手向けでもあり、同じように運命に狂わされた者へ対するせめてもの慈悲。

 誰にも邪魔はさせないし、誰にも手出しはさせない。

 

「……これは私個人の考えですが、フラウフェーン卿はこのままにしておくべきではないと思っています」

 

「ほう?」

 

「神とは()()()()()()()()()()()()()()()()、そう在るべきと歪められたものではありません。我々ヒトは、届かぬ天に手を伸ばす事はあっても掴むことがあってはならない。神に成るなど、文字通り畏れ多い事です」

 

「神に仕える者としての信条か」

 

「まぁそれもありますが、半分以上私の信条です。歴史教師は仮の姿ではありますが、歴史好きなのは本当ですからね。ヒトが歩んできた歴史を学んでいると、あまり大層すぎるものに手を伸ばそうとは思わなくなるのです」

 

「そういうモンかね」

 

「嘗て《空》の至宝の恩恵を享受していた人類は堕落の極みに在ったと言います。過ぎたる愛は毒になるものですよ」

 

 価値観としてはマトモだ。神は人にとって掛け替えのないものであるという事実を享受しながらも、歴史を紡ぐのは人間であるべきと思っている。

 神とは神以外の何物でも在ってはならない。その考えは、レイも同じであった。……その神が、人間を助けるか否かは別問題だが。

 

「アンタはどうなんだ、レシア」

 

「?」

 

「アンタも一応騎士団の一員だろう。人が神に成る事を喜ぶ上層部と同じ考えなのか否か、それを訊いている」

 

 すると彼女は、小首を傾げた。

 

()()()()()()()()()()。ハイ。当兵が司るは神敵の排除。定められた標的を殺す、ただそれだけです。ハイ」

 

「……流石は教会の単独暗殺機構。教義すらもどうでもいいってか」

 

 《守護騎士》の中で唯一、枢機卿(カーディナル)以上の存在から直接任務を言い渡される存在。

 部下を持たず、(メルカバ)を持たず、ただ単独で対象の息の根を止めるためだけに在る者。

 

 七耀教会の中でも《守護騎士(グラールリッター)》の存在は公になっていない部分が多いが、レシアに関しては特に秘匿されている。

 第十位の地位。存在しているはずなのに、姿が見えない幻のようなもの。夜にのみ現れ、教会上層部が定めた神敵の命を狩り続ける暗殺機構。

 

 そこに慈悲は無い。そこに情けは無い。標的がどのような過去を持ち、どのような悲劇に見舞われていようとも、彼女は(あやま)たず殺し切る。

 

 その凶手から逃れられた者など、数えるほどしかいない。

 その逃れられた数少ない一人として、レイは彼女への警戒を未だに解いていなかった。

 

 

「―――まぁいい。それで、これからアンタらはどうする? まさか今の旧校舎の最奥に在るモノを、知らないわけじゃないだろう?」

 

「えぇ。教会としては見過ごせない事態が進むでしょう。今のところは様子見をするよう言われていますが、そうも言ってはいられないでしょうね」

 

「だろうな。《結社》も《使徒》二人と《執行者》数名を送り込んで来てやがる。近々、()()()()()が上がるだろうよ」

 

 そしてそれを、一介の学生のみで止める事などもはや不可能。

 否、そもそも此処に至って止められる者などいるのだろうか。

 

「表の戦争と、裏の戦争が始まる。教会から戦力を出すつもりはあるのか?」

 

「……仕え人の辛いところでしてね。上層部が傍観を選ぶ限り、私たちが何かを指示することはできないのです」

 

 まぁそうだろうな、と息を吐く。

 

 《守護騎士》の最大人数は12名。今代に於いてはその全てが揃っているわけではないが、その半数ほどは”達人級”の武人が占める。そして、正騎士クラスにも強い者はゴロゴロいる。

 彼らが味方となってくれれば少しは楽ができるのだが、それが叶わないのならば仕方がない。

 

「ならいい。精々死なないように上手く立ち回れよ、副長殿」

 

「お気遣い、ありがとうございます。ですが、その言葉は私の方から君へも送らせていただきますよ」

 

「うん?」

 

「死なないように上手く立ち回ってください。信じてもらえるかは分かりませんが、教官の仕事は、結構気に入っているんですよ? 優秀な生徒が出席しなくなってしまうのは悲しいですからね」

 

 そう言ってトマスが指を鳴らすと、周囲の景色が元に戻る。

 ”匣”の解除。それが為されたという事は、話はここで終わりという事だ。

 

 それと同時に、トマス自身の姿も消えていた。恐らくはまた旧校舎前に戻ったのだろう。残されたレシアは、再び黒色のフードを深く被り直した。

 

「では当兵もこれにて。以降、敵として相見えない事を祈っております。ハイ」

 

「それはコッチのセリフだ。死神と好き好んで戯れる物好きなんざ早々居やしねぇよ」

 

 烏の羽のようなものが、舞った。闇に沈むようにその姿は見えなくなり、やがてレイだけがそこに残る。

 

 すると、そこでようやく自分の手が汗で濡れていることを理解する。

 ”匣”に囲まれた状態で、当代最凶の暗殺者が傍にいる状態。引き千切れんばかりに張り詰めていた緊張感を緩ませて、汗腺も緩んだのだろう。

 

 心臓に悪いやり取りだった。―――尤も、今旧校舎内に突入している面々を思えば、この程度でめげているわけには行かなかったが。

 

 

「突入してから、一時間か。夜明けまでには、戻ってきそうだな」

 

 その時は、正面から出迎えてやろう。

 お前たちのお陰で此方には何の影響もなかったと、そう感謝の言葉を投げかけて。

 

 夜が明けた時の事を考えれば、その程度の虚勢など何の苦にもならないだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうも十三です。《隻狼》の二周目をようやくクリアした十三です。何度やっても「剣聖・一心」戦は手に汗握るね。

 再登場したレシアさん。ゲーム的に言うならば、夜間限定でデフォで完全回避(アーツ、Sクラ含む)付き。通常攻撃の全てに即死付与。SPD値最高クラス。負けゲー確定演出とか入るレベル。やってらんねぇ。

 正直トマス副長の《匣》の力って良く分からないんですよねぇ。Ⅲ、Ⅳだと空間転移させたり足場作ったりと割といい感じにパシられてましたが、この能力の真骨頂はそんなんじゃないと思うんですよ。まだ《聖痕》も解放してないし。

 さて、それじゃあまた次回。お会いしましょう。
 あ、どこかの話の中に載せてたかもしれませんけど、載せたかもしれない本人が忘れてるのでもう一度レシア姐さんのイラスト貼っておきます。

 
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最後の平穏






「過去はもう変えられない。だが未来は自分の手で変えることができる。当たり前すぎる言葉だが、悪くないだろ。そして『今』こそが『未来』だ」

               by 風見雄二(グリザイアの果実)











 

 

 

 

 

 

 

 

 学院際は盛況だった。

 

 学院関係者以外にも、来校許可証を持つ者たちが来校し、一層賑やかになる。

 帝国で最も有名な士官学院と言えど、祭りの日だけは別である。至る所で聞こえる祭り特有の声を流し聴きながら、レイは学院の敷地内を歩く。

 

 学院際に出店する屋台の為に色々とアドバイスをした礼と言われてベッキーに貰ったあらびきソーセージを齧りながら、人気のない旧校舎近くのベンチに座る。

 昨夜はあれ程大騒ぎをしたというのに、今ではすっかり静かになっている。まるで悪い夢であったかのように、静かに佇んでいるだけだ。

 

 

 

 

 ―――あの後、日付が変わる頃になって旧校舎の結界は解除された。

 それを機にサラらと共に突入したのだが、その迷宮の最奥で、彼らは信じがたいものを見た。

 

 動く気配のない、巨大な機械人形。まるで受勲を待つ騎士のように跪くそれを見た瞬間、レイは確信した。

 

 それこそが、《灰》の騎神。大陸の歴史の転換期に幾度も《起動者》を選定し、戦火を拡げた究極兵装。

 それに選ばれたのが、眼前の友人。それは前々から理解していた事だが、それでも忸怩たる思いはある。

 

 選ばれてしまったからには、どのように足掻いたとしても必ず戦禍の中心に放り込まれる。本人が望むと望むまいと、今まで以上に死線を潜らざるを得ないだろう。

 

 眼前で、疲労のために倒れていた友を担ぎ上げながら、レイは再び理解した。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 悪い夢だと、そう断じられればどれ程良かっただろうか。

 理不尽だと嘆ければどれ程良かっただろうか。

 その悪逆の流れに逆らう事が出来れば、どれ程良かっただろうか。

 

 だが、残念ながら、遺憾ながら、腸が煮えくり返る程に悔しいが―――()()自分に、その力はない。

 しかし、今はどうにか出来なくとも、未来は分からない。

 

 暫くは、”彼”にリィンの運命を託すしかない。それを訝しむ程阿呆ではないつもりだった。

 リィンが”彼”と縁を結ぶことで、別の強さを得られるのなら、それもユン老師の想像の範囲内だろう。《剣聖》への道筋は、容易いものではないはずだ。

 

 

 

 ―――昨夜の記憶は、その程度だ。

 

 少なくとも、昨夜の出来事を正しく認識できたのはレイと、魔女の末席であるエマと、()()()()()()しかいない。

 他のメンバーは、夢と見間違う不思議な体験をした程度にしか思っておらず、それよりも学院際のステージの準備に躍起になった。

 いや、もしかしたら懸念しているメンバーはいたかもしれない。それでも、今日だけはそれを忘れようと努めているのだ。

 迷いがある状態で、ステージには立てない。そういう事だろう。

 

 今、他の面々はそれぞれの部活の催し物を手伝いに行っている頃合いだろう。リィンは恐らく、生徒会の見回りを手伝っているだろうか。

 そんな中、レイだけが文化祭を謳歌している……わけではない。彼もリィンと一緒に、生徒会の仕事の一端を担っていた。

 

 学院際にやってくる、来賓への対応。主に校内での道案内や、迷子の子供、客同士のトラブルの対応など、雑事を手伝っていた。

 とはいえ、勿論一人でやるわけではない。先程生徒会のメンバーの一人が役目を引き継いだため、レイは束の間の休息を取っていたのである。

 

 最後の一口を胃に収め、串を弄びながら空を見上げる。

 清々しい程の青空だ。雲一つなく、学院際を執り行うにこれ程相応しい日もないだろう。

 

 オマケに、この頃厳しくなり始めた寒波も、今日はナリを潜めている。目を閉じれば、そのまま眠ってしまいそうだ。

 そんな事を思いながらボーッとしていると、不意に、背後から彼の顔を覗き込む瞳と目が合った。

 

「…………」

 

「おう、どうしたリーリエ。お前の目でじーっと見られてると催眠術か何かにかかりそうなんだけど」

 

『久しぶりに会えたのに、言う事はそれだけ? レイ(にぃ)

 

「冗談だよ、冗談。暫く見ないうちに美人になったな」

 

『ん。よろしい。レイ(にぃ)は変わらないね』

 

「身長的な意味だったらデコピンすっぞコラ」

 

『怒りっぽいね。カルシウム要る?』

 

 そう書かれたメモ帳を左手に、「小魚せんべい」と書かれた菓子袋を右手に、薄紫色のロングヘアーを揺らした聾唖(ろうあ)の少女、リーリエが問い掛けてくる。

 傍から見れば儚げな印象を持つ華奢な少女だが、彼女がS級猟兵団にて《魔弾姫(デア・フライシュッツェ)》の異名を持つ最高位の狙撃手であるなどという事を、一体誰が信じるだろうか。

 

「一体誰と来た? お前のお守りならアウロラ辺りか?」

 

『アウ(ねぇ)なら酔っぱらって団長が持ってた重要書類濡らして駄目にしちゃったから罰として艦内全体清掃中だよ』

 

「何やってんだアイツ……相変わらず酒癖悪すぎだろ。んじゃあ誰がお前の付き添いを―――」

 

 

(わたくし)でございますよ。特別顧問(ミスター)

 

 続けて現れたのは、長身の女性。

 リーリエと同じく、表情自体はあまり豊かではない。静かに、彫刻のようにそこに佇んでいた。

 濡れた鴉羽のように艶やかな長い黒髪を首後ろで纏め上げ、やや仰々しい髪留めで束ねている。団服を改造して東洋風にしたものの上から割烹着を纏っているその姿は、リーリエとはまた別の意味でS級猟兵団の構成員とは思えなかった。

 

 しかしレイは、そんな彼女の姿を視認した瞬間に、安堵したような表情を見せた。

 

「驚いたな。厨房の纏め役が降りてくるとは。何か気でも引かれたのか? レティシア」

 

「御冗談を、特別顧問(ミスター)。《フェンリスヴォルフ》の厨房は、(わたくし)がいなくなった程度で混乱する程柔ではありません」

 

 恭しく礼をしながらも、そうはっきりと断言する。

 

 猟兵団《マーナガルム》内での彼女の所属は《五番隊(フュンフト)》。その中の《兵站班》の副主任を務めている。

 《マーナガルム》に於いての《兵站班》の役目は大きく二つに分かれる。即ち、主任であるカリサ・リアヴェールが担当する”補給係”と、レティシアが担当する”調理係”の二つ。

 彼女は”管理係”のトップ。《マーナガルム》の拠点、《ウードガルザ》級強襲飛空艇Ⅱ番艦《フェンリスヴォルフ》の厨房を取り仕切る女傑である。

 そして猟兵団という職場の関係上、彼女の戦場は厨房だけではない。野営時の調理役も兼ねる以上、非戦闘員であるとはいえ、彼女の言に逆らえる団員はそうはいない。

 

 ……まぁ、彼女が”非戦闘員”の括りに入るかと団員に問えば、全員が揃って首を横に振るだろうが。

 

「本来であればエリシア様がいらっしゃる筈だったのですが、どうしても外せないお仕事がありまして。僭越ながら、(わたくし)がリーリエ様のエスコートを務めさせていただきました」

 

「あぁ、エリシアは来れなかったのか。ガレリア要塞近くでクレアを助けてくれた礼がしたかったんだがな」

 

「そちらは次にお会いした際にでも。悔しさのあまり血涙を流しておられましたが、まぁ大丈夫でしょう」

 

「ちょくちょくホラーなんだかギャグなんだか分からない報告挟むのやめねぇ?」

 

 いつの間にか膝の上に寝転がっていたリーリエの頭を撫でながらそうツッコむが、そう言えばあそこはそういうところだったなと思い直し、冷静になる。

 戦場に出れば《赤い星座》や《西風の旅団》らとも互角に戦り合う集団でありながら、平時に於いては時にノリで良く分からない事をやり出す変人が多い。

 

「まぁいいや。それで? 俺は確かイリーナ会長から貰った招待チケットを3枚、マーナガルム(お前ら)の方に送ったはずだが?」

 

 もう一人は? と問おうとしたが、すぐにそれを飲み込んだ。

 問わずとも分かる。そして今どこにいるのかも……まぁ想像できるというものだ。

 

「休憩時間はまだ残ってる。リーリエ(コイツ)のお守りは俺に任せろ」

 

「ですが……」

 

「祭りと言っても学院際程度のものでしかないけどな。それでもヘカテがお前に下船許可を出したのは、お前に息抜きしてもらいたいって思いもあったんだと思うぜ」

 

 実際、《フェンリスヴォルフ》内での彼女の仕事は激務だ。

 食材だけに留まらず、生活必需品の確認と発注。カリサら”補給係”が基本的に船外での活動を取り仕切るのなら、彼女ら”管理係”は船内の雑務のほぼ全てを請け負っている。

 拠点防衛を主任務とする《一番隊(エーアスト)》と連携して設備点検などは行っているが、基本的に決定権などは”管理係”の方にある。 

 『素人は戦術を語り、玄人は兵站を語る』とは有名な言である。船内管理は意味だけを鑑みるならば”兵站”の概念からは外れるだろうが、それでも彼らを馬鹿にするような事があれば厳罰が下る。

 

 どのような屈強な軍隊でも猟兵団でも、後方支援が優秀でなければ成り立たない。それを軽視しては、勝てる戦も勝てなくなる。

 そのような当たり前のことを、《軍神》の異名を持つ《マーナガルム》団長、ヘカティルナ・ギーンシュタインが理解していないはずがない。

 

 そしてそういった重要ポジションに就いているレティシアを労うのもまた、彼女の役割である。

 

「まぁどうせお前誰かからビデオカメラでも渡されて俺らのライブを撮って来いとか言われてんだろ? まだ時間はあるからテキトーにうろついてこい」

 

「テキトーに、ですか」

 

「そうそう。調理部の出し物とか見てきたらどうだ? あそこの部長は良い料理作るし、俺のクラスメイトも一人いるからな」

 そう伝えられると、レティシアはもう一度深々と頭を下げると、本校舎の方へと歩いて行った。

 それを見送ってから、レイはリーリエを起こして歩き出す。

 ゆっくりと、木々の間を通り抜ける木漏れ日を噛みしめるように。リーリエも、眩しそうな仕草を見せながら隣を歩いている。

 

 途中で彼女がレイの制服の裾を引っ張る時は、何かに興味が惹かれた時。

 それは屋台の食べ物だったり、グラウンドを駆けまわる馬術部の出し物だったり、ギムナジウムの広いプールだったりと、様々だった。

 それら全てにレイは従者のように付き合いながら、彼も彼で人を探していた。

 

 すると、見つけた。

 場所は本校舎の裏手、技術棟の近く辺り。女子が一人と、男性が二人。やや剣呑な雰囲気を出して視線を交わし合っていた。

 やれやれと思いながら、レイはポケットから「生徒会」と書かれた腕章を取り出して左腕に取り付けてから割って入った。

 

 

「どうかされましたか、お客様方。お困りのようでしたら自分が承りますが」

 

 9割方皮肉で形作られた敬語で3人の意識を向けさせる。

 反応は、1人が何処か安堵したような表情を。1人が驚愕したような表情を。そして最後の1人が面白そうな表情を。

 はてさて誰から声をかけていくべきかと一瞬だけ考え、黒の貴族服を身に纏った長身の男性に視線を向けた。

 

「ようこそお越し下さいました、クラウン伯爵閣下。何か学院側に不手際がありましたでしょうか?」

 

「いやいや、不手際など無いとも。久方振りに母校の賑やかさに浸らせてもらっていた。―――私の方こそ意外だったよ。若き達人に名を知って貰えているとはね」

 

「閣下には学友が特別実習で赴いた場で()()()()()()()と伺っておりましたので」

 

 カーティス・クラウン伯爵。レグラムとオルディスでⅦ組の面々が出会った貴族。

 アリサとユーシス曰く、「油断ならない」人物。言葉ではそう聞いていたが、実際に見てみるとそれが良く分かる。

 

 飄々としているように見えるが、その双眸はこちらの全てを見通しているように鋭い。先程の言葉から察するに、Ⅶ組の人間の来歴程度は全て網羅されているのだろう。

 旧い貴族観念に固執しているようにも見えない。「油断ならない」という評価は正しいが、当の本人も油断という言葉とは縁遠いのだろう。

 

 他者を侮っている人間に対しては、如何様にも付け入るスキがある。そうした心の隙間というものは、一朝一夕では埋め難い。

 だが、こういった何事に対しても周到な用意を以て挑む堅実な人間は崩しがたい。そういう人間と相対するのがレイは苦手だ。基礎となる足場が強固である人間と本気で相対して勝てる程、自分の足場が固まっているとは思っていないから。

 

「た、大将。これは……」

 

「少し黙っていろ、ライアス」

 

 動揺している旧知の青年にその一言だけを飛ばす。

 一見突き放したような言葉だが、その左目が語っていた。「此処は俺に任せろ」と。

 それを悟ったからこそ、ライアスは一歩下がった。レイからすれば彼も立派な「お客様」である。級友と学院際を逢瀬するのは一向に構わないが、そこに貴族が絡むとややこしい事になる。

 苦手で面倒な仕事だが、やらないわけにはいかなかった。

 

Ⅶ組(ウチ)の前衛組エースに御用でありましたか。貴族の方々のお付き合いには疎いものでして、申し訳ありません」

 

「あぁ、そのような堅苦しいものではないとも。君は知っているだろうが、一応私は御息女殿の婚約者候補の一人でね。是非学院際の自由時間をご一緒したいと思ったまでだよ」

 

 やはりそうか、と理解するのと同時に、ややこしさに拍車がかかった。

 古今東西、男が女を取り合うという事例は碌な結末を生まない。レイとしては《結社》時代からの長い付き合いであるライアスに本懐を遂げて欲しいと思っているが、恋敵が貴族となると面倒くさい事この上ない。

 

 とは言え、と思う。

 見る限りラウラの方もライアスに対して良い感情を持っているようだし、それを応援できる程度には口が回るつもりだった。

 

「成程。自分としても男女の関係に口を挟むつもりはありません。―――ですがカーティス卿、ご存じであると思いますが、我々Ⅶ組は数時間後に催し物を控えております。何せ忙しない中合間合間の時間を縫って練習を重ねた程度でありますから、多少の動揺が失敗に繋がる懸念があります。閣下のような有名な方と一緒に居てラウラが視線を集めようものならば、彼女のメンタルにも多少の揺れが生まれましょう」

 

「ははは、御息女殿がそれ程柔な方だとは私は思わないがね」

 

「えぇ、勿論。自分の見通しでは後一押しで”準達人級”に至れる才の持ち主です。柔だなどと口が裂けても言えません。ですが心の動揺というものはあらゆる要因で引き起こされるもの。ラウラ・S・アルゼイドという女性がどのような要因で心を乱されるのか、ご留意いただければ幸いです」

 

 暗に|それが分からないなら女を愛する資格はねぇぞ《原因はお前なんだからこの場はとりあえず引き下がれ》と言ってみる。

 気分を損ねたらそれはそれまでだとある意味吹っ切れながら、それでも不敵に笑いながら反応を待っていると、カーティスは口角を吊り上げた。

 

「成程、これは一本取られてしまったな。とはいえ、レグラム、オルディスと挨拶だけで終わってしまったのだ。此処に至ってまでそれで終わってしまっては男の尊厳に関わるというもの」

 

 すると、カーティスは華美でない程度にラッピングされた小袋を取り出し、それをラウラに差し出した。

 

「受け取ってくれまいか、御息女殿。なに、貴女の無欲さは私も存じている。必ず貴女の役に立つ物を選んでおいた」

 

 その言葉と所作に嘘は無く、ただ純粋にラウラに喜んで欲しいという気持ちからである事が伺えた。

 それを理解できてしまったからこそ、今まで警戒を厳にしていたライアスも苦々しい顔をしながらラウラの傍を離れた。

 好きな女性に贈り物をしたい。その想いを理解できてしまうなら、自分が邪魔をする謂れもない、と。

 

 ラウラもその一瞬で色々考えただろう。

 彼女とて年頃の少女だ。好意を向けられて疎ましいと思うことはないし、カーティスの事も嫌っているわけではない。

 とはいえ、これを受け取るという事がどういう意味になるか。貴族の世界では体裁というのは大きな意味を持つ。贈り物一つを受け取っただけで婚約の約束を取り付けられたというケースも無くはない。

 

「……ありがとうございます。カーティス卿」

 

 だが、ラウラはそれを受け取った。

 それを理解していながらも、やはり好意を無下にはできないのがラウラという少女だ。とはいえ、本当に悪意が垣間見えた場合は決して受け取ろうとはしなかっただろう。その辺りの分別は確かにある。

 

 贈り物を受け取ってもらったカーティスはと言うと、いつも以上に満足げな笑みを浮かべた。

 

「では、私はこれで失礼するよ。御息女殿、催し物の方は楽しみにさせてもらう。……あぁ、スワンチカ家の長男殿。次は是非君とも胸襟を開いて話したいものだ」

 

「……奇遇ですね。自分もそう思っていましたよ。クラウン家の御当主殿」

 

 交わされた言葉は丁寧だが、交わされた視線は火花を散らしていた。

 彼ら二人の関係を端直に言い表すならば「恋敵」だろう。とはいえ、今この場で衝突しようとしない程度には分を弁えているが。

 

「レイ君、だったか。君にも要らぬ迷惑を掛けてしまったな」

 

「いえ、自分の事はお気になさらず。……あぁ、強いて申し上げるなら」

 

 言うべきか、言わざるべきかと思ったが、一応学祭の治安を守る一端を担っている身として”忠告”をすることにした。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ―――事実。

 先程からリーリエは、レイの傍に引っ付くこともせず、ただ一点をジッと見続けていた。

 技術棟近くにある森の一点。彼女が発声器官と引き換えに手にした超常視力という異能を以て、”外敵”の姿をずっと捉え続けていた。

 

 何か僅かでも動きがあれば、愛刀を取り出していつでも抜刀できるように気構えはしていた。恐らくはライアスも、その視線には気付いていただろう。

 

「おや、懸念される程不躾な視線を送っていたかね。とはいえ、アレは私の護衛のようなものだ。下手な動きはさせないと約束しよう」

 

「随分と物騒な護衛ですね」

 

「いやはや、色々と動いていると奇妙な奴らも湧いてくるものでね。非力な私を守り切れるような勇猛な護衛は必須なのだよ」

 

 白々しくそう言い放つカーティスを見て、思わず失笑が零れてしまいそうになった。

 カーティス・クラウン。《アルゼイド流》を修めた過去を持つ者である事は既にラウラから聞いている。少なく見積もっても”準達人級”以上の武人だ。

 

 とはいえ、今回直接害を及ぼさないというのであれば見逃すしかない。それ以上は、流石に越権行為だ。

 

 そうして去っていくカーティスを見送ってから、レイはライアスとラウラの方に目を向けた。

 

「……いや別に二人でイチャイチャするのは構わねぇんだけどよ。変な問題を起こすなよ? 以上」

 

「え⁉ いや、そんだけっすか大将⁉」

 

「ンだよ。もっと長々と説教して欲しかったのか? メンドくせぇからやらねぇぞ」

 

「いや、でも、大将に迷惑を掛けちまった訳ですし……」

 

「あの程度で迷惑だなんて思うかアホ。それよりとっととラウラをエスコートしろ。機嫌を損ねてライブに影響が出るようなら罰ゲームだからな」

 

「大将が考える罰ゲームとか怖すぎンですけどォ⁉」

 

 狼狽えるライアスに対して、再びレイに引っ付いたリーリエがメモ帳を向けた。

 

『ライアス(にぃ)、ヘタレ』

 

「ゴフッ(吐血)‼ い、いや待て、待ってくれリーリエ。何処でそんな言葉を……」

 

『シド(じーじ)がそう言ってた』

 

「あのオッサン碌な事言わねぇなホント‼」

 

 そんな騒がしい様子を横目に、ラウラがレイに視線を向けた。

 

 

「すまないな、レイ。お陰で穏便に済んだ」

 

「気にすんな。アイツにも言ったが迷惑とは思ってねぇ。……今まで会えなかった分、少しはアイツに甘えて来い」

 

「む……ぜ、善処する。―――レイは、ライアスとは長い付き合いなのか?」

 

「《結社》時代からな。昔から変わってねぇよ、アイツ。俺と同じでひねくれてた時もあったけど、アイツは根っこに確たる正しさがある。ずっと、お前に会いたがってたんだ」

 

「…………」

 

「まぁ強要はしねぇけどよ。時間があったら腹を割って話してみた方が良いぜ。お前にとってもアイツにとっても、その方が良いだろう?」

 

 10年以上会えていなかったのだ。その溝は簡単には埋まらないだろう。

 とはいえ、ラウラもライアスの事を憎からず思っている以上、相互理解はそれほど難しくはないだろうが。

 

「そなたは」

 

「?」

 

「そなたは、カーティス卿をどう思う?」

 

 アリサは「胡散臭い男」と言った。ユーシスは「油断ならない男」と称した。ならばレイは、という考えで訊いたのだが、彼は特に逡巡する事も無く言い放った。

 

「手強いな」

 

「手強い?」

 

「言ってる言葉は嘘じゃないが、本音の隠し方も上手い。真実か、虚構か。その曖昧さを使い分けられる人間はテーブルの上での戦いに於いて強く出られる。……敵に回したくねぇな、ありゃあ」

 

 苦笑しながらそう称する。その上でこう付け加えた。

 

「とはいえ、お前に向けた好意に嘘は見えなかった。”貴族”としての立場で言ったんじゃねぇ。アレは紛れもない”個人”の言葉だ」

 

「………」

 

「今すぐにとは言わないが、考えておいた方が良い。お前がどちらの手を取るのか、どちらの手を振り払うのか。そこをハッキリさせとかないと、要らない面倒ごとを抱え込むこともあるからな」

 

 女性三人の手を取っている自分が言う事ではないなと自虐的に心の中で笑いながら、それでもラウラに対しては二択を迫った。

 断るという手段は大切だ。Noと言えない人間は、どこかで必ず損をする。……そして、それで損をした経験のある人間しかそれを窘める権利を持たない。

 

「……あぁ、分かった。しっかりと考えよう」

 

「それがいい。―――よし、リーリエ。次はどこに行く? クロウ辺り見つけ出してメシ奢らせるか」

 

 そう言って傍らにいた少女と共に歩き出すレイの背中を見送る。

 本当に年下の子供に良く好かれる男だなと思いながら、ラウラも視線をライアスに向けた。

 

「えっと、あと数時間しかねぇけどさ。俺と一緒にいてくれるか? ラウラ」

 

 照れながらもそう言ってくる青年の顔を見ると何故かはにかんでしまう。

 それが好意という感情なのだろう。親愛とは少し違う。恋という感情なのだろう。

 

 差し出されたその手を取るのに、些かの躊躇いもなかった。

 迷う事など、最初から何もなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 調理部が普段部室として使っている家庭科室が、若干ながらザワついていた。

 

 それはそうだろう。客席として用意されていたテーブルの一つに、割烹着を着た謎の美女が座っているのだ。学生から外部の客まで、様々な人間の視線を集めている。

 しかしそんな視線など、レティシアはどこ吹く風で受け流していた。

 

 彼女の戦場は時間との勝負だ。任務に追われる構成員達に、それでも満足して貰えるような料理を提供する為、とにかく早く、計画的に仕込みと調理を済ませなければならない。艦内管理にしても同じ事だ。

 

 だから、こうして何をするでもなく料理が出てくるまでの時間をただ座って浪費するなどという事はして来なかった。じっとしていると、そこら辺の空いた皿やコップなどを片付けたくてたまらなくなる。

 とはいえ、勝手に動くわけにもいかず、窓の外を眺めて留まっている事十数分。やがて注文した品がテーブルに運ばれてきた。

 

「おまちどうさま~♪」

 

 ケチャップライスの上に乗せられた金色色の卵。スタンダードなオムライスだったが、あとひと手間が残っていた。

 

「ふんふんふ~ん♪」

 

 慣れた手つきでチューブの先端からケチャップを出し、何かを描いていく。

 僅か十数秒後。卵の表面に描かれていたのは、レティシアが頭に着けていた髪飾りの絵だった。

 

「これは……」

 

「えへへ~。お姉さんの髪飾り、形が面白かったから描いちゃった」

 

 成程、と思う。

 メニューには確かに「おえかきオムライス」とは書かれていたが、これで完成となるのだろう。

 オムライス自体はレティシアも数えきれないほど作ってきたが、わざわざ最後にケチャップで絵を描こうとは思わなかった。

 

「では、いただきます」

 

 スプーンを手に取り、卵ごとケチャップライスを掬い取って口に運ぶ。

 クオリティとしては、悪くはない。とはいえ、極めて良いという訳でもない。学院際の出し物として客に出す物としてならば上々という代物だろう。

 ケチャップライスの濃さは丁度良い。混載している具材の火の通りの良さも及第点。卵の形が少々歪であるのが気にはなるが、焦げが少ないのであれば問題ない。

 何より、この料理を楽しんで作っているのだという気持ちが伝わってくる。匙を進める理由は、それだけで充分だ。

 

「……この料理は、貴女が?」

 

 米の一粒も残さず食べ終えてから、皿を下げる少女にそう問うと、彼女は満面の笑みと共に答える。

 

「うん♪ ボクの得意料理なんだー‼」

 

 エプロンの下から除く、赤色の制服。

 であればこの少女が、彼の言っていたⅦ組のクラスメイト。団の幹部級であればクラスメイトの顔まで把握している者もいるだろうが、生憎とレティシアはそこまで知らない。

 

「ごちそうさまでした。美味しかったです。顧も……レイさんが薦めただけの事はありました」

 

「あれ? お姉さんレイの知り合いなの? なぁんだ。そうと知ってたらもっとサービスしたのに」

 

「いえ、充分堪能させていただきました。……僭越ながら、お名前をお伺いしても?」

 

 他意は無かった。ただ、Ⅶ組の学生の名前を一人でも知っておけば後々得になるかと思っただけに過ぎない。

 

 

「ボク? ボクの名前はミリアムだよ。よろしく、お姉さん♪」

 

 

 ―――過ぎなかったのだが、その名前を聞いた途端身体が固まった。

 

「……そう、ですか」

 

 僅かであっても声が震えるなど、いつぶりの事だろうか。

 だが、すぐに平常心を取り戻し、少しばかり微笑んだ。

 

(わたくし)はレティシアと申します。改めて、ごちそうさまでした」

 

「レティシアおねーさんかぁ。ねぇねぇ、良かったら今日の夜学生寮に来ない? これよりも美味しいごはんいっぱい出るよ?」

 

「いえ、今日の夜には帰りますので。お気遣いありがとうございます」

 

 そう言って、レティシアは席を立った。自分がいつまでも居座って回転率を下げてしまっては元も子もないという配慮であったが、ミリアムはもう少し話したかったのか、僅かに残念そうな表情を見せる。

 そんな彼女の頭に優しく手を乗せ、レティシアは言い聞かせるような声色で言った。

 

Ⅶ組(貴方方)のステージはちゃんと見させていただきますので。頑張ってくださいね、()()()()()()()()()()()()

 

「……うん‼」

 

 その言葉で笑顔が戻ったミリアムは、教室を去るレティシアを手を振って見送り、再び仕事に戻ろうとしたところでふと思った。

 

 

「? あれ? レティシアおねーさん、何でボクの機体名(ファミリーネーム)知ってたんだろう?」

 

 そもそも、初めて見た瞬間からあまり他人のように見えなかったのは何故なのか。

 数分ほど首を捻って、しかし部長に呼ばれたことで考えるのを諦める。

 

 

 その疑問が晴れるのは、もう少し後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 余韻が、まだ残っていた。

 

 ライブの熱というのは、思った以上に冷めないらしい。ただ、それが存外に心地よかった。

 日は既に暮れ、学院際の片付けも大体が終了した。生徒会の手腕が良かった為か、特に問題もなくトールズ士官学院学院際は終了した。

 

 ライブの衣装からいつもの制服姿に戻り、校舎内から火照った体を冷ますに丁度良い風が吹く裏口から外へと出る。

 随分とはしゃいだが、身体には特に異常はない。《至宝》の力は既に体に馴染んだ。以前のように酷い倦怠感に襲われることはないだろう。

 間に合った、とも言える。右手を握ったり開いたりしながらそれを確かめていると、彼の眼前に午前中送り出した女性が現れた。

 

 

「お疲れ様でした。特別顧問(ミスター)

 

「おう。そっちこそ()()()()?」

 

「……特別顧問(ミスター)も意地悪をなさいますね。知っていれば、もう少し冷静になれましたのに」

 

「まぁ、それはな。おう、リーリエ。俺たちのステージはどうだった?」

 

 レティシアの後ろにいたリーリエは、その言葉に返すようにメモ帳を掲げる。

 

『レイ(にぃ)カッコ良かった。他のみんなも、カッコ良かった』

 

 ふんす、と言わんばかりに鼻を鳴らす様子から見るに、楽しんではくれたのだろう。だとすれば奏者冥利に尽きるというものだ。

 

「レティシアはどうだった?」

 

「大変良うございました。……特別顧問(ミスター)にあのようなご学友が出来た事も含めまして」

 

「お前らホント同じような事言うよなぁ」

 

 そんなに俺に同年代の友達が出来た事が意外か、と呟きながら、リーリエの頭を再び撫でる。

 すると、別の方向からもう一人が歩いてきた。

 

「大将‼ ライブメッチャ良かったっすよ‼」

 

「おー、サンキュー。お前こそ、ラウラにそれは伝えたのか?」

 

「勿論っす。大将のお陰で今日は楽しかったっすよ‼」

 

「そりゃ良かった。まぁ帰ったらエリシアに詰め寄られるだろうが、それは必要経費だな」

 

「うっ……イヤな事思い出させないでくださいよ……今日は朝まで酒盛りに付き合わされそうなんスから……」

 

「そいつァご愁傷さまだ。コイツを持って行きな」

 

 そう言ってレイは、ポケットに忍ばせていた手製の悪酔い止めの薬を手渡す。それをまるで神からの賜りものであるかのようにライアスが受け取ったところで―――場の空気が一気に冷えた。

 

 

「―――《折姫》様よりの報告です。”博士”の創った兵装が《至宝》の加護を受けオルキスタワーから出撃。迎撃に出た帝国正規軍《第五機甲師団》を壊滅させ、夕刻、帝国東部国境《ガレリア要塞》を消滅させました」

 

 表情は動かさなかった。その程度ならば、想像の範囲内だったからだ。

 

「……”攻撃”ではなく”消滅”か。《幻》にそんな能力があるとは聞いてねぇな。今代の《零の至宝》、まさか《空》も混じってやがるか」

 

「リベールでのゴタゴタがあってからまだ数年しか経ってないッスからね。一度顕現したソレの力を取り込んでたとしても不思議じゃあないッス」

 

 髪をかき上げて後頭部を掻く。如何に帝国軍の精鋭部隊といえど、神に等しい力の加護を受けた《結社》の機会兵装相手では分が悪すぎただろう。通常攻撃など、碌に通らない相手だ。

 すると、レティシアがまだ静かに佇んでいる事に気付く。まだ続きがあるという所作だ。

 

「悪い報告は聞いた。次は良い報告でもしてくれるのか?」

 

「残念ながら、それ以上に悪い報告でございます」

 

 皮肉を言う暇もない。本来ならこういった報告をするのはツバキの役割だ。その彼女が姿を現さないという事は、姿を現す暇もないという事だ。

 万事そつなくこなす諜報員である彼女が、式を寄越す事も出来ない。そして予想通り、悪い報告にしても、度が過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

「飛行型兵装が《ガレリア要塞》の一部を消滅させた後、同座標に《侍従隊(ヴェヒタランデ)》が一、《天翼》フリージアが転移。殲撃機能《天撃(アルス・ノヴァ)》で以て、《ガレリア要塞》周囲100セルジュを()()させました」

 

 

 

「《双龍橋》付近にて補給を行っていた《第四機甲師団》は無傷でしたが、《第五機甲師団》の生存者はゼロ。現在《月影》の総力を以て情報収集を行っております」

 

 

 

「賽は投げられました。御命令を、特別顧問(ミスター)。我ら猟兵団《マーナガルム》、ヘカティルナ団長の下、如何様にも動く準備はできております故」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 
 平穏は終わりだ。

 安寧の学生生活は終わりだ。

 時間が来たよ、主人公。

 悪夢に焼かれる準備は良いかい?




 

 ―――なーんて、クソみたいなポエム流したところで、どうも十三です。

 学院際終了。このパートは特に深く書くつもりはありませんでした。だってライブパートとかどう書けばいいか分からないもん。だからそれまでの周囲の様子をね。
 
 そして、学生生活終了のお知らせ。原作プレイ済みの方はもうご存知でしょう?ここから奈落の底まで真っ逆さまです。
 しかしタダでは転がり落ちないのがこの作品のキャラ達。「いやいや、そうはならんやろ」という行動をさせましょうか(ゲス顔)


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前々夜の問答









 

 

 

 

 

 

 

 ―――七耀歴1204年 10月28日

 

 

 ―――PM9:00 トールズ士官学院視聴覚室

 

 

 

 

 窓の外に視線を向ければ美しい星空が見える中、レイ・クレイドルは特に緊張する事も無く教室の最前列の席に腰かけていた。

 とはいえ、夜間の補習授業などではない。この教室にいるのは、レイを囲むように立つ5名の軍人。帝国軍最強とも謳われる第四機甲師団の者達2名と、《鉄道憲兵隊》の隊員3名。

 そしてもう一人。教壇に立つ長身の男性。トールズ士官学院の軍事教官として同機甲師団から出向してきている、《剛撃》の異名を持つ若きエース。

 

「……まずは呼び出しに応じてくれたことに感謝する。クレイドル」

 

「別に大丈夫ですよ、ナイトハルト教官。この時間からする事と言ったらそれこそ今日の復習くらいですからね」

 

「そうか。不足があれば言うがいい。補習くらいは付き合ってやる」

 

「大丈夫ですよ。復習は復習でも、妹分の首根っこ引っ捕まえてのものですからね。アイツ放っておくとメシ食った後そのまま寝ますから」

 

 Ⅶ組の学力の一律化を担う一人としては、そういう意味で苦労が絶えない。重苦しい空気を僅かに緩和させた事で、多少なりとも話す準備を作り上げた。

 

 

 

「俺に話せる事なら何でも。ただし、()()()()()()()()()()()()

 

「……バレスタイン教官から聞いている。それは、お前に刻まれた術式の所為か?」

 

「いいえ。見た目と違って優秀だった術者のお陰でそちらはほぼ解呪されました。……まぁ、この期に及んではわざわざコレで口封じする必要も無いと思いますが」

 

「では、何故だ」

 

「腕利きの人狩り集団に証拠も残らず始末されたいのでしたら話しますよ?」

 

 その返しでナイトハルトも押し黙り、周囲を囲んでいた軍人たちも身を震わせた。

 彼らもレイ・クレイドルの強さは知っている。”達人級”の武人の強さ、その恐ろしさを。

 彼らの上官たる《紅毛》オーラフ・クレイグ中将。武術師範として度々招聘されるアルゼイド流の総師範《光の剣匠》ヴィクター・S・アルゼイド。皇室の剣、ヴァンダール流総師範《雷神》マテウス・ヴァンダール。その後妻《風御前》オリエ・ヴァンダール。《皇室近衛隊》総隊長、《煉騎士》ガラディエール・ヴラウ・ウィトゲンシュタイン。―――一騎当千という言葉を具現化したような領域に至った者達と同じ彼が「始末される」と断言する存在。身震いもするだろう。

 

 だが、ナイトハルト以外にもう一人、身を震わせていない者がいた。

 

「話には聞いている。《結社》の懲罰執行部隊か」

 

 《鉄道憲兵隊》西部方面分隊分隊長特務少佐、ミハイル・アーヴィング。

 教室の最後尾の席の後ろで腕を組んで佇んでいた彼は、そのタイミングで会話に割り込んできた。

 

「流石に《情報局》なら存在くらいは掴んでますか。まぁ原因不明の不審死とか行方不明とかあったらまずそっちに情報行くでしょうからねぇ」

 

「詳細は知らされていないがな」

 

「知らない方がいいと思いますよ。下手な事したら知らない間に首と胴体が泣き別れしているか、眉間に風穴空いてますからね」

 

 嘗て、修行の一環でその部隊に属して人殺しの何たるかを徹底的に教え込まれた過去があるレイにしてみれば、真っ先にあの部隊の情報網に引っ掛かるような愚は犯したくないと考える。

 彼らは決して標的を逃がさない。何処に逃げようとも、どれだけ防備を固めようとも、《結社》の最高機密を保持した者、漏洩させた者を必ず抹殺する。

 

「俺でも、まぁ、あの人らに目ぇ付けられたくないですし、そういう意味でも話せる所まで、です」

 

「……了解した」

 

 ナイトハルトは、レイのその一段階下がった言葉に了承した。

 

 元より彼は、レイを尋問するためにこの場を設けたわけではない。先日の一連の事件について、彼の近くで最も情報を持っていそうな人物がこの少年であったというだけであり、そして”教官”ではなく”軍人”として詰問するにあたっては、それに相応しい場というものを用意しなくてはならない。

 自身が所属する《第四機甲師団》から、そして彼とも交流がある《TMP(鉄道憲兵隊)》からも人員を寄越して貰った。

 唯一思惑と違ったのは、東部方面を主に担当するクレア・リーヴェルト大尉ではなく、西部方面分隊長を務めるミハイル特務少佐がやって来たことだ。東部は元より、貴族派の動きが活発な帝国西部も決して余裕はないだろうに、それでもこの場に来ることを希望してきたのである。

 

 そんな彼は、先程からレイに対して見極めるような、見定めるような視線を向け続けていた。ナイトハルトとしてはあまりにも越権した言葉を投げるようならば口を出すつもりだったが、今のところそんな様子もない。

 故に、一つ咳払いをしてから本題に入る事にした。

 

 

「4日前の10月24日の夕刻、ガレリア要塞を中心とした周囲100セルジュが文字通り()()した。我ら《第四機甲師団》が事件後に偵察に行ったが、隕石が直撃したかのような有様だった。―――駐屯していた《第五機甲師団》の安否は未だに確認できていない」

 

「…………」

 

「単刀直入に訊こう。()()は何だ?」

 

 超常の力。帝国最大の軍事要塞を、まるで砂の城のように容易く崩壊せしめた存在に、さしものナイトハルトも恐れを感じないわけには行かなかった。

 

「答えれば良いのはどちらで? 《第五機甲師団》を崩壊させた機械人形の方か、それともガレリア要塞周囲を消滅させた飛行物体の方か」

 

「やはり、情報は掴んでいたか」

 

「まぁ、独自の情報網は持っていますから。一応、両方ともお答えはできますよ?」

 

「……両方で頼む」

 

 レイはそれを了承した。

 《結社》としても、それらを人の目に触れさせたという事は、此処で自分から情報が漏洩する事も想定済みという事だろう。つまりそれは、情報が洩れても問題ない段階まで事が進んでいるという事でもある。

 とはいえ、全てに於いて確たる情報を持っているわけではない。そう伝えると、それでも構わないと返された。

 

「機械人形の方は……《結社》の《使徒》の作品でしょうねぇ。普段なら間違ってもあんな出力は出せないはずですけど、今はクロスベルを覆う結界の根源の力でブーストされてますから、常識的な出力は期待しない方がいいと思いますよ」

 

「常識的な出力、か。《結社》という組織はあのようなものまで作り出す力があるという事か」

 

 流石に、ブーストの源となる力が女神の至宝の再現であるという事までは伝えられない。とはいえ、《結社》が非常識なものを作り出す力があるという危機感を抱いてくれただけでもこの話をした資格はある。

 

 《結社》の第六使徒、F・ノバルティス。師匠であるヨルグ・ローゼンベルグが研究したゴルディアス級戦略人形兵器《パテル=マテル》を接収し、強引に組み上げた張本人。

 レイは、彼の研究成果の為ならば如何なる犠牲を厭わないスタンスを否定はしなかったが嫌悪していた。元が現存の科学技術を数世代凌駕する研究である。それを実践レベルにまで組み上げるとなれば、どうしても多少の人的被害は必要経費となる。

 それはレイも理解していた。《結社》時代、彼自身も度々恩恵を受けた組織の技術も大半がノバルティスが統括する《十三工房》が作り上げたものだ。それを享受していた身の上で綺麗事をぬかすのはお門違いというものだ。

 しかし、それとこれとは話は別だ。レンを強制的に《パテル=マテル》と同調させた件といい、アマギの崩壊の一端を担った呪具兵装の事といい、とかくそしりが会わなかった。

 そう言った意味では因縁とも言えるのかもしれない。《月影》ですら全貌を掴めていない、《第五機甲師団》を壊滅させた二機の戦略人形兵器―――否、追加報告によるともう一機、オルキスタワーのヘリポートに鎮座している機体があるらしい―――が彼の新たな作品である事はほぼ確定事項であるだろうし、それをどうにかしない限りクロスベルの異変を収束させるのは不可能だろう。

 

 そちらに関しては、もはやレイ自身がどうにか出来るようなものではない。あの場にいるであろう義兄(アスラ)やマイヤ、ユキノ達が加わった面々で何とか出来る事を祈るしかないのだ。

 風の剣聖(アリオス・マクレイン)赤の戦鬼(シグムント・オルランド)原初の錬金術師(マリアベル・クロイス)という錚々たる達人達に加え、鋼の聖女(アリアンロード)という規格外まで存在しているのだ。こちらも人の事を言えたものではないが、あちらもあちらで中々に修羅場だ。

 

 

「……ではもう一つ。ガレリア要塞周辺を陥没させ、《第五機甲師団》駐屯部隊を一人残らず屠り去った―――形容し難い飛行物体は何だ?」

 

 ―――正直に言えば、レイはここで何も答えずに口を噤み続ける事も出来た。

 いや、本当であればその選択が一番”安全”ではあるのだ。アレはもう存在自体が《結社》の最高機密。答えて良い情報か否かの線引きがあまりにも曖昧過ぎる。

 

 

「三対の白翼に桃瑠璃色の髪。凡そ人間に見えない容姿を持っているアレは、マジで人間じゃありません」

 

「《結社》が()()する最終防衛人型兵器。秘中の秘中の秘である筈の存在が、何故か出張ってきて()()()()()んですよ」

 

 

 それでも、レイは話す事にした。

 《情報局》の人間に任せて監禁状態で尋問させる事もできたはずなのに、こうした場を設けてあくまで自主的に話させてくれている、色々と不器用な軍事教官への感謝の意を込めての事でもある。

 

 ……まぁ、危ない橋を渡ることなど今更だ。その程度の肝の強さは持ち合わせている。

 

 

「……色々と分からない点がある。含意が広い、と言い換えてもいいかもしれんが」

 

「つまりはお前でも知らない点が多々ある、という事だな? クレイドル」

 

 ナイトハルトの問いに、レイは首を縦に振った。

 

「《結社》には大小さまざまな部隊が存在してます。その中には機密性が高く、元《執行者》だった俺でも碌に知らないようなのがありますが……その中でもアレが属する部隊は色々な意味でヤバすぎるんですよねぇ」

 

「アレの個体名は《天翼(フリージア)》。……部隊の中でも特に戦略的破壊に特化した存在です。―――マトモに相手しようとしちゃいけませんよ。たとえ列車砲の砲撃が直撃しても、アレは傷一つ負わずに反撃してきますからね」

 

 

 ―――実際のところ、レイも《侍従隊(ヴェヒタランデ)》という部隊について知っていることは少ない。

 《盟主》直下の護衛部隊。《侍従長(セフィラウス)》リンデンバウムを長とする11名の神造兵器。それぞれが一点に秀でた能力を持つ《結社》が持つ最終戦力。

 それ故に、属する者全ての情報は例え《使徒》クラスであったとしても開示されていない。全てを知るのは《盟主》と《使徒》第一柱、そして《盟主》の代弁者たるカンパネルラくらいであると聞いている。

 

 とはいえ、《侍従長(セフィラウス)》リンデンバウムは度々表に顔を出す事があるので知る者は多い。そんな中でレイが《天翼》フリージアを知っているのには理由があった。

 名と姿を知っているだけではない。その恐ろしさを、網膜の奥に焼き付けてもいる。

 だから確信するのだ。現在の科学では、アレに対抗することは不可能だと。

 アレは自然災害のようなものだ。被害を抑えるために出来る事はあれど、災害そのものをどうにかする事はできない。ガレリア要塞に設置された二門の列車砲はそれだけでクロスベルを壊滅させる力があるそうだが、彼女が本気で殲撃機能《天撃(アルス・ノヴァ)》を放てば、一撃で帝都を灰に帰すだけの力はあるだろう。

 

 だから、恐らくガレリア要塞周辺を消し去った一撃は()()()()()()だろう。アレの性格ならば、不完全燃焼とか言って要らぬところでとんでもない事をやらかしかねない。それが、一番の懸念だった。

 

 しかし、これらの情報を此処で開示するわけには行かなかった。

 これらは考えるまでもなく確実にクロだ。漏洩がバレた場合、《処刑殲隊(カンプグルッペ)》がどこまで手を伸ばしてくるか分からない。

 何せ大国の軍部に情報を漏らすのだ。どこまでが”処刑”の範囲内なのか―――それが不明である以上、迂闊に口を滑らせられない。

 彼らの”処刑”に忖度などは存在しない。国の重要人物であろうと何であろうと構わず殺す。老若男女など勿論問わない。

 それが嫌で、レイはあの部隊を去ったのだから。

 

 

「……本来ならアレは表舞台に出てくるはずのない存在です。今回ガレリア要塞一帯を消し飛ばしたのは、”牽制”の意味合いがあるんでしょう。これ以上クロスベル方面に手出しをすれば、これ以上の出力を以てエレボニアを消し飛ばす、という」

 

「……出鱈目だ」

 

「私も同じ考えだ、アーヴィング特務少佐。悔しいが、認めるしかあるまい。個人の武は元より、エレボニア軍の総力を以て当たったとしても、アレの進撃を防ぐのは難しいだろう」

 

 何せ戦略型兵器を超える甚大な被害を一瞬で叩き出せる存在だ。人形兵器と合わせて、クロスベルは余りにも強大すぎる力を手に入れてしまったと言っても過言ではない。

 ―――とはいえ、それをあの大統領が御せるかどうかは別問題だ。今の彼は言わば、虎の威を借りている狐。その力を何らかの理由で失った瞬間どうなるかという所まで考えが及んでいるかどうか。

 

 そしてそれだけの力があれば、エレボニア領内まで攻め込む事が可能であるだろうにそれをしないのは、偏に今のクロスベルが望んでいるのがあくまで”独立”だからだ。

 更に、他国への侵略というのは単一の巨大な存在があるだけでは成し得ない。侵略した土地を確保し続ける駐屯軍なども必要であり、元が寡兵であった独立軍にそれを為すだけの力はない。特にそのトップに立っているのが《風の剣聖》である以上、そのような愚考を許すとは思えない。

 

「個人的な考えですけど、クロスベル側はこれ以上帝国側を攻撃して来ないでしょう。こちらが何もしない限りは」

 

「そうかもしれん。だが、そうも行かないな。―――お前なら分かるだろう、クレイドル」

 

 その問いに、レイは渋々ながらも頷いた。

 

 エレボニアは大国だ。そして、ゼムリア大陸最強の軍事大国というレッテルを貼っている。

 全20からなる最精鋭の機甲師団。二個海軍に多数の飛行艦隊を有し、正規軍だけでも80万という絶大な軍事力を誇る。それこそ軍事力で対抗できるのはエレボニア以上に広大な面積を誇るカルバード共和国くらいだろう。

 

 だからこそ、その軍事力の上に乗る面子というものも絶大だ。

 これ程の力を有するエレボニア帝国が、碌な軍事力も持たないクロスベルを相手に怖気づいたなどという風聞が広まれば、周辺国に要らない弱味を見せる事になる。

 矜持、と言ってしまえば下らないと思えるかもしれないが、大国同士の付き合いなど、要は見栄の張り合いだ。誇れるものが機能しなくなった国など、いずれ惨めに食われるだろう。

 

 故に、帝国はこの「売られた喧嘩」を買わなければならない。

 小賢しく、愚かしくエレボニアという大国に逆らった自治州を見せしめに攻撃しなくてはならない。これ以上の増長を許すという事は、即ちクロスベルの国家としての独立を許すという事でもあるのだから。

 

「先に拳を振り上げたのはクロスベル。帝国はその振り下ろされた拳を受け止め、返す一撃で大打撃を与える。―――描くシナリオはこんなトコですか」

 

「滑稽かもしれんが、我々はそうせねばならん。それだけの名を背負っているのだ」

 

「その命令が下りてきた時に、真っ先に戦地に飛び込むのが貴方方《第四機甲師団》であったとしてもですか、ナイトハルト少佐」

 

「それが命令であれば、無論受け入れるとも。それが軍人というものだ」

 

 力を持つ者には責務が伴う。軍というものはその典型例だ。

 理不尽な命令にも従う。国の為にその命を捧げる事こそ使命。絶対的な上下関係の構築。

 ―――レイはその生き方を好ましくは思わなかった。その仕組みそのものを否定しているわけではなく、自分がその道を選ぶか否かと訊かれたら即座に否と答えるという意味だ。

 

「……一つだけ、仮定を」

 

「何だ」

 

「《天翼(フリージア)》の方の対策はありませんが、人形兵器の方は必ずエネルギー源があります。幾ら《結社》と言えども、空間操作などという超常能力を常時展開させることはできませんから」

 

 まぁ、それを個人の技でやってのける化け物じみた武人がいるなどという事は黙っておく。

 

「とはいえ、そのエネルギー源とやらを直接潰せば良い……という簡単な話でもないのだろう?」

 

「えぇ。あれだけのエネルギーを複数に分散しているとなれば、地中の霊脈から吸い上げるだけではとても足りないでしょう。俺の見立てでは、オルキスタワーが鍵でしょうね」

 

「あれは、ただの超高層ビルディングではないというのか」

 

「霊力や魔力といったエネルギーを集めるのに効率的な形というものがあるんですよ、少佐」

 

 通商会議の際にオルキスタワーに赴いたレイは、その構造図を見た時に違和感を感じた事があった。

 上手く弄ってはあるが、あの建物の構造の基礎は”螺旋”だ。上部に向かって渦巻く構造というものは、古来から超常のエネルギーを集めるに相応しい形とされてきている。

 

 元よりあれの建立を主導したのは錬金術一族のクロイス家だ。その使命の成就を大前提として建てたと見るならば、オルキスタワーという新市庁舎は単なる”殻”でしかないのだろう。

 

「とはいえ、外部からそれを破壊する手段は今のところないでしょう。今現在クロスベル市内を覆っている結界の強度はかなりのものでしょうし」

 

「…………」

 

「さて、そんな強度の結界を触媒も無しに維持できるかと言われれば、それも(ノー)です。堂々巡りのようになってきましたが、それも考慮に入れておいてください」

 

 そこまで聞き、ナイトハルトは頬に汗を一滴垂らしたまま僅かに口角を挙げた。

 

「クレイドル、卒業後は《情報局》に入る気はないか?」

 

「御冗談を、少佐。俺が帝国遊撃士ギルド連続襲撃事件の際に色々とやらかして、リベールの《剣聖》共々滅茶苦茶《情報局》に嫌われているのは御存じでしょう?」

 

 本来、エレボニア皇子の推薦という後ろ盾がなければ、帝国の士官学院に入学する事などできなかっただろう。

 カシウス・ブライト共々帝国中を引っ掻き回して、とある女性を人質に取った猟兵団を全滅するまでど突き回し、最後は《情報局》に補足されるのを嫌がって徒歩で国境を越えてクロスベルに帰ったなどという出鱈目極まりない一連の動きで翻弄し続けたのだ。これで嫌われない方がおかしい。

 

「嫌われ者は嫌われ者なりの動き方がありますから。……参謀本部のお偉方からは可能な限り情報を絞り出せとか言われてるんでしょう? この程度で大丈夫なんですか?」

 

「充分だろう。荒唐無稽な事実を多く含むからな。噛み砕いて報告する方が面倒だ」

 

「俺がアレらを手引いたとは考えないんで?」

 

 わざと挑発的な笑みを浮かべてそう問うと、ナイトハルトは一度鼻を鳴らして一蹴した。

 

「周到なお前の事だ。やるのであればもっと上手くやるだろう? この状況でこのような事態が起これば、真っ先に疑われるのは間違いなく己だと分かった上でこの場に出席する意味もない」

 

「はぁ、その為の”任意聴取”でしたか」

 

「一度は上手く《情報局》の手からも逃れたお前だ。その気になればこの状況からでも姿を晦ませられるだろう?」

 

「はは、それは買い被りすぎですよ少佐。《剛撃》に《不撓》、それにヴァンダイク学院長にベアトリクス教官もまだ学院に残ってますでしょう? この状況での逃亡が上手く行くとは思ってませんよ」

 

 実際、これらの面々から逃げおおせるとなれば本気も本気、全力でやらなければならない。軍を動員され、《鉄道憲兵隊》の機動力も相手にしなければならないというのは勘弁だ。

 

 とはいえ、と思う。

 20ある帝国の虎の子である機甲師団の内、東部駐屯軍でもあった《第五機甲師団》が比喩でも何でもなく”消滅”するという事態が起きたというのに、世間は不気味なほどに静かだ。

 無論、緘口令は敷かれているのだろう。ナイトハルトが言った通り、概要を知らない人間にとってみればあまりにも荒唐無稽な話だ。一般市民にまで話が及べば、大混乱は必至だろう。

 

 それと反比例するように軍上層部は気の毒なほどに東奔西走しているであろう事もまた分かる。何せ帝国最大の防衛設備であるガレリア要塞が一瞬にして消し飛ばされたのだ。現在、クロスベルと隣接する国境は完全に無防備になっているのである。

 考えにくい事だが、今クロスベル方面からカルバード共和国が侵攻してきたら止める術はない。まぁ、侵攻理由が薄い以上、それは杞憂にはなるだろうが。

 

 だとしても、再度あの人形兵器と”正体不明の飛行物体”が襲来すれば、という懸念は残る。

 だからこそそれらの詳細な情報を、元《結社》の構成員出会った自分に―――という事情であれば、これ程甘い状況での聴取にはならなかっただろう。

 恐らくは、保険程度の価値しか考えられていないのだ。つい最近まで所属していた者であればまだしも、レイが《結社》を脱退したのはもう5年以上も前だ。そんな人間に新鮮な情報を求めるなど、《情報局》の沽券に関わるだろう。

 実際、レイも憶測でしか答えられない状況があった。そういった意味では軍上層部の思惑は当たっているとも言えた。

 

 ……とはいえ、先程自分で言ったように「アレらを手引いた容疑者」として仮拘束されないのは、軍部の中で何かパワーゲームがあったと見て良いだろう。

 ―――あの調子者のかかし男に借りを作ったのは、いずれ高くつくことになりそうだが。

 

 

 一瞬だけ、妙な間が空いた後、ナイトハルトはポケットから懐中時計を取り出した。そして時間を一瞥しただけで確認すると、再び視線をレイと合わせる。

 

「聴取はここまでだ。時間を取らせたな、クレイドル」

 

「いえいえ、俺は別に。少佐こそ、これから双龍橋まで蜻蛉返りでしょう? お疲れ様です」

 

「軍務だ。苦には思わんよ。―――暫くは学院に戻れそうもないが、しっかりとやるがいい」

 

「……えぇ、分かっています。()()()()()()()()

 

 そう言って一礼を残してから、レイはナイトハルトより先に教室を出た。

 静寂が耳鳴りとなって残る校舎の階段を降り、目に入ったベンチに徐に腰掛けた。少し前までならば窓越しにも虫の音色が聞こえたが、今は風が木々の葉を揺らす音しか聞こえてこない。

 寒い季節がやってくる―――そう考えながら数分ほど何もせずにボーッとしていると、階段を下りてくる足音が一人分だけ聞こえてきた。

 

「……残っているとは思っていた」

 

「そりゃあ、ねぇ。久し振りにお会いできたんですから言葉くらいは交わしておきたいじゃないですか。アーヴィング特務少佐」

 

 曰く、質実剛健が帝国軍人のあるべき姿であるという。

 そう言った意味ではナイトハルトとミハイル・アーヴィング。この二人はその言葉を体現しているとも言えた。

 軍務に忠実であり、護国に身を捧げ、如何なる誘惑にも惑わされない精神を持つ。特にこの男の異名は《不撓》。察するに余るというものだ。

 

「君の活躍はその後も聞いていた。そのまま属していればA級遊撃士の座を約束されていたようなものだった君が、まさか帝国で士官学院生になるとは思わなかったがな」

 

「まぁ別に俺はA級遊撃士の座とかそんなものに興味ないですからねぇ。妹分の入学に付き合ったってのもありましたけど、面白そうでしたし」

 

「君が入学すると聞いて、参謀本部と《情報局》は随分と慌ただしかったようだ。少なくとも、私の所まで噂が届く程度にはな」

 

「そりゃまた。当の本人は反省も後悔もしてないってのに」

 

 流石に厳格な軍人の前でここまで虚仮にしたような言い方をすれば怒られるかと思いはしたが、しかしミハイルは声を荒げる事など無く、神妙な面持ちで再び口を開いた。

 

「……あの時はクレアの件で世話になった。改めて、礼を言う」

 

 突然向けられた礼言に一瞬だけ面食らったレイだったが、すぐに「あぁ」と切り返した。

 

「礼なんて要りませんよ。元々あの無茶だって、俺一人でやろうとしたらカシウスさんも参戦してきて、流れで他の遊撃士もなだれ込んできたって感じなんですから」

 

「それでも、だ。あの当時も帝国軍と遊撃士協会は決して良好な仲とは言えなかったが、そんな中で君は真っ先にクレアを救出しに向かってくれた。私が君に感謝するのに、それ以外の理由はあるまい」

 

 ミハイル・アーヴィングにとってクレア・リーヴェルトは従妹であるが、実の妹のようなものでもあった。その仏頂面で隠されてはいるが、彼の家族愛はかなりのものだ。……家中に降り注いだ悲劇を覗いてみれば、それも当然と言えるのだが。

 

「とはいえ、だ。君とクレアが、その、恋仲同士だというのは些か認めがたいものがある。シャルテは祝福しているようだがな」

 

「……分かってますよ。褒められない付き合い方をしてるのは百も承知ですからね。だから俺は、俺なりの誠意を見せるだけです」

 

 ミハイルの意見は当然だと思っていた。陰ながら大切に思っている従妹が年の離れた、それも他にも女を囲んでいる男に恋をしているなど、受け入れがたい。

 だからこそ罵倒くらいは常に覚悟しているのだ。だが、彼もクレアの人を見る目を信じている。もう一人の従妹であるシャルテも二人の関係を祝福している以上、目の前の少年を徒に非難はできない。

 それに、彼には帝都を含めて帝国中で騒ぎになったあの時に真っ先にクレアを救ってくれた恩がある。彼は今、礼は要らないと言ったが、ミハイルにとってそれは確たる恩だ。それを無下にはできない。

 そしてもう一つ、レイ・クレイドルには恩があった。

 

「―――2ヶ月前、ガレリア要塞襲撃の際にクレアを救ってくれたのも君だと聞いた。誠意は理解している。君がクレアの事を真剣に想ってくれているという事もな」

 

「…………」

 

「だが私は、他者の評価で全ては決めない。例え妹たちの言葉であったとしてもだ。私がこの目で見て、君が信頼に足ると理解できるまで、この返事は保留にさせてもらう」

 

「えぇ。了解です。それではお休みなさい、()()()()()♪」

 

「誰がお義兄(にい)さんだ‼ 誰が‼」

 

 思いのほか上手くノッてくれたと悪戯っぽく笑いながら、レイは足早に正面玄関から学院を後にした。

 

 分かっていた呼び出しではあったが、得るものはあった。国を護る為に戦うなど真っ平御免だが、人を護る為になら戦える。放っておいてはいけない程度には、この国に親しい人が出来過ぎた。

 ただ守られるだけの弱い人間ばかりではない。自分は自分の思うがままに、相棒(シオン)愛刀(天津凬)と共に飛び込んでいくだけだ。

 つまるところ、()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう考えながら第三学生寮に至る坂道を下っていく。冬は近いが、身を竦ませるほど寒くはない。僅かに内に籠った熱を冷ますように一歩一歩ゆっくりと歩いていく。寮に帰ったらシャロンが温かいココアを淹れてくれているだろうと予想しながら月下の道を歩いていき、坂道を下りきったところで―――()()()()()()()

 

 

「ッ―――⁉」

 

 怖気、そう呼ぶのが正しいのだろうか。

 否、正式な形容など意味がない。大切なのは、レイがその気配を知っていたという事。知っていたからこそ、逡巡すらする事なくその場から離れることができた。

 

 いや、分かっている。この気配の主相手に人間が出せる速度で離れても無駄だ。《執行者》の中では敏捷力では一、二を争う程であったと自負はしているが、それでもこの気配の主の攻撃から逃げおおせた事などただの一度も無かったのだから。

 

 寝静まろうとしている街を騒がせないように気を配りながら、レイは東クロイツェン街道へと出る。

 導力車などが通りがからない事を確認し、街道の脇道へと逸れる。トールズに拠点を移してから、度々このような事をしているなと自虐的な笑みを見せ、呼吸を整えた。

 深呼吸を一つ。それだけで充分。この人と会うのに、気取った格好や言葉など必要ない。

 

「……お久し振りです、アルトスク隊長」

 

「えぇ、久し振りですね。レイ君。少し、身長が伸びましたか」

 

 心の中にストンと落ちる声。落ち着きがあり、柔和な声質ではあるが、レイはその恐ろしさを身を以て知っている。

 意味のない殺戮を良しとする者ではない。意味なく弱きを蔑むを良しとする者ではない。

 だが、()()()()()()()何者であっても殺す。慈悲も呵責も一切なく、嗜虐的な感情など欠片も見せず、唯々淡々と殺していく。

 

 その在り方を蔑んだことはなかった。自分などよりも遥かに重い覚悟を以て執行していることが、傍目から見ても理解できていたからだ。

 ただ、どうしようもなく畏れていた。人殺しの修行と称してその部隊に身を寄せていた時に、レイは感じ取ったのだ。―――このような事を続けていれば、いずれ遠くない内に()()()()()()()()()()()と。

 

 

 結社《身喰らう蛇》《執行者》No.Ⅴ。懲罰執行部隊《処刑殲隊(カンプグルッペ)》隊長。《神弓》アルトスク。

 《執行者》の中ではカンパネルラ、マクバーン、エルギュラに並ぶ古参であり、作戦参加が個人の自由とされている中に於いて、《盟主》の命を至上として動く文字通りの執行者である。

 

 

「……貴方が此処に来たという事は、”執行”ですか? 俺なりに、気を遣って話していたつもりなんですがね」

 

「あぁ、いえ。要件は其方ではありません。君に少々、個人的に伝えたい事がありましてね」

 

 なので、そのように肩に力を入れずとも大丈夫ですよ、と。彼なりに気を遣った言い回しをする。

 

 砂漠に住まう民族のような風通しの良い服に、鳥の頭部を模した仮面。その素顔を見た者は限られており、レイもその肌が褐色色であるという事しか分かっていない。

 平時は穏やかな気性の人だ。そして、人を謀るようなことはしない。彼が口にする言葉は全てが真実。それが矜持の一つである以上、彼が戦いに来たのではないと言えば、それも真実だ。

 

 そうだと分かっているのに、手足に入った力が緩まない。例え師を前にしてもここまでではないと断言できる程に、レイの身体は強張っている。

 それだけの武人なのだ。伊達に、ヒトの身で”絶人”の領域に片足を踏み込んでいると称されているわけではない。

 

「近々、帝国内で”仕事”を行う予定があります。対象は身分で守られている為、早々に死ぬような事はないと思いますが……誤って貴方が仕留める事が無いように、と思いまして」

 

「身分、ですか。見境なく殺すは愚者の所業と、そう教えてくれたのは貴方ですよ、アルトスク隊長」

 

「結構。それを覚えてくれているのであれば警告は要りませんね。普段であればこのような言葉を掛ける事も無いのですが……久方振りに教え子の様子も見ておこうと思いましたので、そのついでです」

 

 ついで、という言葉も嘘ではないのだろう。だが、警告もまた偽りではない。

 獲物を横取りするようなことがあれば、例え嘗ての教え子であろうとも迷わず討つだろう。そんな隠された殺意を敏感に感じ取った。

 

「あぁ、御心配なく。《使徒》第六柱殿の要請でクロスベルに向かいはしましたが、私は今回、クロスベルにもエレボニアにも危害は加えません。そういった命の下で動いておりますので」

 

「―――流石アルトスク隊長。俺の心の揺れなんかお見通しですか」

 

「ふふ、君は昔からソフィーヤ殿に似て感情を良く表に見せていましたからね。とはいえ少々残念ではあります。君が《結社》を抜けてから、如何程力を付けたのか試したくはありましたので」

 

 反射的に、指先がピクリと動く。しかし、手元に《天津凬》を顕現させるのはギリギリで思い留まった。

 

「……冗談は止めてくださいよ。隊長がそんなこと言うと、否が応にも反応せざるを得ないんですから」

 

「失敬。ですが、貴方はまだ伸び盛りのようですね。手合わせを望むのは、もう少し後にしましょうか」

 

 そう言ってアルトスクは、指を鳴らして渇いた空に音を響かせた。

 足元に出現するのは緑色の転移陣。《結社》の異名持ち(ネームド)が主に使うものだ。

 

「教え子の顔を見たかったというのも本当ですよ。……えぇ、あの頃より遥かに、良い顔をするようになりました」

 

「……そう言われる事は、多いですね」

 

「”守るもの”という言葉の真意を理解したのですね。宜しい、ならば《冥氷》殿との決着をつけた頃にまた、顔を合わせるとしましょうか。恐らくはその時が、貴方がもう一段成長した瞬間になるでしょうからね」

 

 その言葉を最後に、アルトスクは姿を消した。それと同時に、レイも片膝を地面につける。

 

 苦手、という訳ではない。寧ろ尊敬している。

 ただ、何故だろうか。理由を明確にしろと言われると困るのだが、敢えて言葉にするのであれば―――師とはまた違う形での、”ヒトならざるモノ”の匂いがするからだろうか。

 

「……未だに分かんねぇんだよなぁ。あの人の事は」

 

 それでも彼の事を”人”と呼ぶのは、「そうであって欲しい」という願いからなのか。それともただ人として尊敬できるからだけなのか。

 

 だが一先ず、彼がこの先の騒動に参戦する事は無い。その事実だけでも、レイが安堵の息を漏らすには充分だった。

 冷ややかな風を受けながら頬を垂れる汗。果たしてそれも冷や汗と呼ぶのか否かと思いながら、レイは膝を叩いて立ち上がるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 決戦前々夜の出来事だよ! 割とマジで静かな夜を過ごせるのはこれが最後だよ!
 などという脅しという名の真実を突き付けていくスタイル。どうも十三です。

 アルトスクさんを実際に出したのはこれが最初かな? 因みにイメージCVは宮本充さんです。強い(確信)。
 この人が参戦したらパワーバランスが一気に傾くのでⅡまでの直接戦闘には参加しません。しないといいな‼(願望)

 そんなこんなの話でした。あとはもう血生臭い話しかありません。もう止めらんねぇよ。

 それでは皆様。また次回。


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審判ノ日 前篇






「幸せが壊れる時は、いつも血の匂いがする」

                  by 竈門炭治郎(鬼滅の刃)








 

 

 

 

 

 

 『最悪の一日』―――そう呼べる一日が、どんな人間にもあるだろう。

 

 

 そしてそういう一日は、得てして生涯で複数あるものだ。他者から見れば温いと言えるようなものでも、当人から見れば一大事であったりする。

 

 下らないと見下すつもりは毛頭ない。そんなものかと嗤うつもりなど更にない。元より、他者の人生に口を出す程偉くなったつもりなどないのだから。

 

 

 ただそれでも、これだけは言いたい。他の誰が何と言おうと、自分ははっきりと断言できる。

 

 

 

 

 七耀歴1204年10月30日―――あの日は間違いなく、自分(レイ・クレイドル)にとって『最悪の一日』の一つであったのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 帝都は未曽有の大混乱に陥っていた。

 

 

 ヘイムダルの中心地、ドライケルス広場。嘗てのエレボニアの英雄像を背に国民に向けて演説を行っていた帝国宰相ギリアス・オズボーン。クロスベルの初代大統領を自称するディーター・クロイスが行ったIBCの資産凍結措置、及びクロスベル自治州の独立―――そして先日のガレリア要塞への過剰なまでの報復攻撃。これを全面的に非難し、そして、クロスベルへの本格的な侵攻を行う声明を出そうとした。

 

 しかしその声明は、直後に挙げられたであろう国民の歓声は、一発の銃声によって掻き消された。

 

 

 誰も、その銃声を止められなかった。発生源である地点よりドライケルス広場に近い建物の屋上に佇んでいた漆黒の首領《C》の居場所をいち早く突き止め、その動きを封じていたクレア・リーヴェルトでさえ、その銃声は予想外だった。

 ……否、薄々予想はしていたのだ。《C》―――《帝国解放戦線》首領、クロウ・アームブラストが標的への狙撃を妨害されて、それでもなお皮肉気に笑って大人しく両手を挙げた時点で、()()は別にいるのだと察しはしたのだ。

 

 しかし、時既に遅し。レクター・アランドールが《情報局》から掠め取ってきた情報の中にあった、《帝国解放戦線》が擁する”ジョーカー”。軍事大国エレボニアが誇る諜報機関ですらその姿を捉えきれなかったそれが、唯この時の為に厳重に厳重に囲われていたという事は予想できていたが、よもや帝都の区画を跨ぐ程の長距離狙撃は想定していなかった。

 だが、それは言い訳に過ぎないだろう。ガレリア要塞付近で嘗て自分の窮地を救ってくれた《魔弾姫(デア・フライシュッツェ)》の驚異的な技量を知っているのならば「それができる」存在を予想しておくべきだったのだから。

 

 

 距離、およそ5000アージュ。現存する生産ラインに乗っている狙撃銃ではどうあっても標的を仕留められない距離。加えて建物風に煽られて弾道すらマトモに通せない中で、放たれた弾丸は、過たずオズボーンの心臓を貫いた。

 それでも、背後に吹き飛ばされなかった。左胸周辺に巨大な風穴を開けられながらも、彼は不敵に笑う。

 

「―――クレアを出し抜いたか。見事だ、クロウ・アームブラスト」

 

 自らが擁する策士を出し抜いたクロウを称賛する。だが、己が敗北したような雰囲気は一切醸し出していない。

 

「では見せてみろ、《読守(よみもり)の御子》よ。貴様がどのように足掻くのか、楽しみにさせて貰うぞ」

 

 その言葉を吐いた後、オズボーンは膝をついた。駆け付ける正規軍の軍人と、事態を把握した聴衆の悲鳴。一瞬で、ドライケルス広場は大混乱に陥った。

 だからこそ、誰も気づかなかった。彼らの背後の遥か先。そこで最悪の事態が着々と進んでいることを。

 

 

 

 

 

「アンタが”ジョーカー”か。見事な腕前だ。この大一番で僅かも狙いを外さねぇとはな」

 

 純白の長刀の切っ先を首筋に添えられても、長大な狙撃銃を握った光学迷彩ローブを纏った人物は全く動揺する様な素振りは見せなかった。

 まるで自分の役目はもう終わったと言わんばかり。ここで首を断たれて死のうとも、一向に構わないと覚悟を決めているかのようだった。

 

 そして、それを察していたからこそ、レイはその人物を殺すつもりは無かった。

 

「……アンタからは嫌な”匂い”がするな。ガキの頃、肥溜めみたいな場所で鼻がひん曲がる程嗅いだ匂いだ。アンタまさか―――」

 

「そこまででやがります。先輩」

 

 直後、刀身が捉えたのは柔首の肌ではなく、黄金色の剣身だった。

 それでも攻め手は緩まない。過剰なほどの攻勢は、レイをローブの人物から強引に引き剥がすためのもの。古いアパルトメントの屋上で。幾重の斬撃が響き合う。

 裾の長い茶色のコートの裾が翻る度に、死角から刃が飛んでくる。それを連続で去なしながら、徐々に距離を取っていく。

 

「やっぱりお前もここにいたか、後輩。……お前が阻んできたって事は、まだそいつには死なれちゃ困るって事だな?」

 

「えぇ。先輩に思う所があるのは重々承知でやがりますが、それでも此処は退いて貰いますよ」

 

 素直で真面目な後輩―――リディアのその言葉に嘘偽りは無かった。だが、レイは乾ききった笑みを漏らす。

 

「退く、退くねぇ。易々とそうさせねぇ為に俺を此処に誘い込んだんだろうがよ‼」

 

 

 瞬間、周囲の圧が尋常でない程増した。何も知らずに下の道路を歩いていた市民たちが、訳も分からず気を失う。木々に留まっていた鳥たちが、暗所に身を潜めていた動物たちが、一斉に逃げ出した。

 まだ雪も降っていない帝都の一角に、氷の檻が出現する。その奥では異端の焔が陽炎のように揺れ、羽飾りを付けた騎士や気障ったらしい怪盗、それらを纏め上げる蒼の魔女らがその双眸でレイの姿を捉えていた。

 

 そして、中空には”それ”がいた。

 旧い神話にその名を刻む天使のような翼を有する女。風に靡く桃瑠璃色の髪は形容し難い程美しく、しかしレイにはこの上なく忌々しく見えた。

 

 

「おやぁ? おやおやおやぁ? どこかで見た事のある童顔極まりないお顔があると思いましたら、お狐さんを侍らせている人間(ヒューマー) さんじゃないですかぁ♪」

 

「これはキレるべきか? それともテメェに()()()()()()事を喜ぶべきかどっちなんだろうなぁ‼ フリージア‼」

 

 《結社》の破壊神。その瞳に”意味”を映さないモノ。彼女の眼前に在るのは、その全てが斟酌するまでもなく”破壊すべきモノ”でしかない。

 異常という言葉ですら、彼女を形容するには足らなさすぎる。否、彼女を表すのに細々とした言葉など必要ない。

 

 『破壊狂(デモリッションモンガー)』。それだけで事足りる。それが彼女が《盟主》より与えられた唯一の存在意義。

 故に、彼女は有象無象を認識しない。()()()()()()()()()、峻厳な山々も、屹立する摩天楼も、強靭な肉体を持つ魔獣も、可能性の塊である人間も、彼女にとってはいずれ己が「壊すもの」でしかない。

 

 だからこそ、レイは彼女の異常性を問わない。

 ()()()()()()()()()()()()()に、倫理観を問う方が阿呆である。だから、彼は多くの言葉をフリージアには投げない。

 言葉は通じるが、会話は成立しない。彼女は、そういった類のものだからだ。

 

 

「―――そちらも相変わらずですなぁ。偽天使殿」

 

 黄金色の神焔。それを()()と撒き散らしながら、四尾まで現出させた神狐がレイを庇うように佇む。

 その嫋やかな唇は皮肉気に歪み、しかしその双眸は僅かも笑っていなかった。

 

「あらぁ♪ 少し煽っただけで本当に出てこられるとは思いませんでした。やっぱり(ケダモノ)(ケダモノ)らしく、ご主人様を守ってキャンキャン吼えるんですねぇ」

 

「ふふふ、壊す事しか取り柄がない()()()のクセによく口が回りなさる。あぁ、もしかしてその錆かけの口に安物の油でも塗っておいでで? 言葉が臭くて敵いませんなぁ」

 

 間延びした口調とは裏腹に、シオンの両手には神焔が、フリージアの両手には極彩色の光が収束していく。

 ヒトが扱う魔力とは次元を異にする、高次のエネルギー。収束されている段階だというのに、”天才”と称するに相応しい魔女が張った結界が啼き震える。

 

「おやおや、色狂いの()()()()()()が随分と懐いてるんですねぇ。人の子に誑かされるなんて、聖獣の品格も堕ちたものです」

 

「御心配なく。()()()()に口を出される程落ちぶれてはいません。あぁ、でも貴女はそのままでよろしいと思いますよ? 喜色悪い笑顔を張り付けた神の玩具に、ヒトの想いなど理解できないでしょうから」

 

 

 ―――上空に、華が咲いた。

 

 それを可憐と称するには、様々な事柄を見なかった事にしなければならない。少なくとも、大気そのものを抉るかのような衝撃と爆音は、《帝国解放戦線》が悲願を成し遂げた祝砲にしては、些かばかり物騒に過ぎると言えよう。

 技量に頼るという次元を完全に無視した、高エネルギーの正面衝突。時空が歪みかねない攻防を、両者は続ける。

 

 その様子を仰ぎ見ながら、レイは半ばヤケクソ気味に吼える。

 

「ンだよクソドS魔女‼ 俺一人を足止めするために随分と豪勢じゃねぇか‼ ―――そんなに俺が邪魔か?」

 

「えぇ、そうよ。少なくとも、今は絶対貴方を此処で止めなくてはならない。邪魔されるわけには行かないわ」

 

 ヴィータのその口調は、いつものような余裕に満ちたものではなかった。

 レイ・クレイドルという武人一人を足止めするために、現在帝国に居る《結社》のほぼ全ての戦力を局所的に投入する―――そんな過剰なまでの方法を取らねばならないと考える程、彼女はこの分水嶺を重く見ていた。

 

 不満げに口を閉じているリディアがいる。無表情で此方を見下ろすルナフィリアがいる。狂気に満ちた笑みを向けるザナレイアがいる。不承不承と言った表情のマクバーンがいる。興味深げに此方の様子を窺うブルブランがいる。それらを統括するヴィータがいる。そして、帝都を一瞬で滅ぼせる悪魔(フリージア)がいる。

 

 そんな絶望という言葉すら生ぬるい状況で、それでもレイは眼前を見据えて、膝をつかなかった。己が生きて此処を突破する事に、何の疑問も抱かなかった。

 

「残念ながら、こっちにも残してきた約束があるんでな」

 

 そう言って、長刀を再び構え直す。

 その闘志に諦めの濁りは欠片もない。それを読み取ったのか、剣を握る手が鈍っていたリディアも覚悟を決める。

 これだけの覚悟に鈍った剣で応えるのは無粋で無礼というもの。《剣帝》に鍛えられた彼女は、その理念を濁らせることはなかった。

 

 

 

「掛かって来いや馬鹿野郎共‼ 《天剣》の首、取れるものなら取ってみろ‼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――同時刻、トールズ士官学院Ⅶ組教室。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そういう事か」

 

 苦々し気に顔を顰めながら、ラジオの前でユーシスが呟くように吐き捨てた。

 

「ど、どういう事? ユーシス」

 

「あの馬鹿は確かに強いが、それでも驕る事はない。昨夜リィンの部屋の前に置かれていた手紙の内容が事実ならば、あいつは罠だと分かっていて敢えて飛び込んで行ったんだろう」

 

 ラジオからは、暫く帝国宰相が狙撃されたという報道が流れ続け、そして途端にその音声が途絶えた。恐らく、放送統制が敷かれたのだろう。

 ラジオを囲むⅦ組の面々の数は、いつもよりも少ない。具体的に言えば、クロウ、ミリアム、そしてレイがいない。

 

 とはいえ、レイの居場所は分かっている。昨夜ご丁寧にもリィンの部屋の前に置いてあった封入りの手紙には、そうした旨の内容が認められていた。

 曰く、明日は帝都に向かうという事。ミリアムとクロウもいなくなっているだろうが、決して行方不明ではないという事。

 

 そして―――必ず生きて戻るという事。

 

 この日、帝国宰相ギリアス・オズボーンによる帝都での演説が行われることは分かっていた。このタイミングでのミリアムとクロウの失踪。そしてレイの離脱。

 それがどんな意味を為しているのか、分からない訳ではない。その程度を察することができる程度には、色々と鍛えられていたつもりだった。

 

 改めて、現実を突きつけられている感覚があった。

 ミリアムは天真爛漫で歳相応の一面を強く覗かせているが、それでも諜報員だ。学院での生活より、任務が優先されるのは当然の事。

 そしてレイは、今までも独自に動いていた。それは自分達を護る為であったり、倒さねばならない敵を倒す為であったり様々だったが、それでも絶対、他の面々に迷惑を掛ける事は無かった。

 恐らく、今回はそれの最たるものなのだろう。自分たちに直接言わなかったのは、止められると危惧しての事か。隠れてでも着いて来ようとするのを絶対に防ぐためか。いずれにせよ、それ程の過酷な戦場が今の帝都(あそこ)にはあるという事だ。

 

 そして、クロウは―――。

 

「くそっ―――」

 

 思わず悔しさを滲ませた言葉がリィンの口から洩れる。

 胸の内が騒ぐ。ざわざわと、焦燥感と恐怖感が入り混じった斑模様の感情が心の隙間を掻き毟っていく。

 それこそが戦争の気配であるのだと、そう理解するのはもう少し後の事だ。そういう意味では、彼は幸運であったのかもしれない。その感覚を理解して、それでも尚生き残れる人間というのは、総じて運が良いのだから。

 

 そして、焦っていたのはリィン達だけではなかった。

 宰相狙撃の報を受けて教員室へと向かっていたサラの足音もまた、いつもより忙しない。

 その理由は、昨夜シャロンと共にした席で想い人に打ち明けられた言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「明日、帝都に行ってくる」

 

 その言葉自体に、不穏な所は何もなかった。

 ただ、その日も学院は普通に授業日。教官に向かって簡潔にサボりたいと伝えるその姿勢自体はどうかと思うが、それを叱責する雰囲気ではなかった。

 

「……そうですか。やはり明日、なのですね」

 

 重々しく言葉を紡ぐシャロンには、いつものような余裕を湛えた表情が無かった。

 

 とは言え、サラもその雰囲気は感じ取っていた。彼女とて元猟兵。様々な戦場を渡り歩いた経験は、いち早く戦争の匂いを嗅ぎつけていた。

 数ヶ月前から濃くなってきたその匂い。それは先日のガレリア要塞周辺の消滅を機に爆発的に沸き立った。―――対外戦争ではない。()()の匂いだ。

 

 過激的な貴族派の面々が着々と軍備増強を進めていたのは耳にしているし、貴族派に組しているRF社の《第一製作所》が不透明な物資の流れを隠していたのも知っている。

 そうであるならば、クロスベルの独立と先の要塞襲撃にも少なからず関わっていると考えるのが妥当だろう。

 そして、明日行われるドライケルス広場でのギリアス・オズボーン帝国宰相の演説。―――それで、全ての準備が整う。

 

「《貴族派》が直接手を下すわけではない―――《帝国解放戦線》最後の仕事という訳ね」

 

「本来ならルーレの事件の時にひっ捕らえる事はできた。……イルベルトの奴が盛大に引っ掻き回してくれたけどな」

 

「ですが、例えルーレでそれを為したところで、この機を逃すとは思えませんわ。どの道、明日が分水嶺になるのは確実かと」

 

 では、とサラが言葉を続ける。

 

「そんな渦中にアンタは飛び込もうとしている……そうしなければならない理由があるという事よね?」

 

 その指摘に、レイは黙って頷く。

 

「あの魔女が使い魔(グリアノス)を寄越してきてな。1人で帝都に来るように言われたよ。……あぁ、勿論罠だって分かってる。俺が逆の立場だったら間違いなくこのタイミングで潰しておくだろうな」

 

 罠と分かっていて、敢えて飛び込む。それも、帝国に集まっているであろう《結社》戦力を相手にせねばならない未来が容易に見える中で、だ。

 達人が珍しくない戦場。それ以上に厄介な連中まで勢揃いの状況など、普通に考えればまず間違いなく死ぬだろう。

 ただそれでも、彼が一人で行かねばならない理由があった。

 

「……クロチルダ様は、《天翼(フリージア)》様を切り札に使われましたか」

 

「あぁ。あの破壊神を出されちゃお手上げだ。下手すりゃ帝都が丸々灰になる」

 

 とはいえ、と思う。

 ヴィータ・クロチルダは倫理観という点に於いて他の《使徒》と比べればまだマシな方だ。気に入った相手に対する嗜虐的な性格は勘弁してほしいが、それでも好んで大量虐殺に手を染めるような人間ではない。

 《天撃(アルス・ノヴァ)》を使わせるようなことはない―――とは思うが、アレの攻撃は一つ一つが帝国の主力戦車を吹き飛ばす程度の威力がある。待つことに退屈してそれを振るわれるようならば少なからず犠牲が出るだろう。

 

 帝都市民が人質に取られている。ヴィータにとっても諸刃の剣であろうその手段を取る程に自分が脅威に思われているというのは、複雑であると同時に武人としては誉れでもある。

 どちらにせよ、ここでレイが言葉を無視することはできなかった。

 

「クレアに報告を入れて警戒を厳にしてもらうわけには行かないの?」

 

「それが一番賢い方法だろうな。《帝国解放戦線》が持つ最長狙撃距離だけでも伝えられれば、あいつなら必ずそれを阻害する。《氷の乙女(アイスメイデン)》は自分の領域内にいる敵の情報を誤る程甘くはねぇ」

 

 けれども、とレイは言葉を濁した。

 

「被害が大きくなるのはどちらだと思う、サラ。オズボーンへの狙撃を無力化したとしても、恐らく《貴族派》は止められない。勢いに乗ったディーター・クロイスが人形兵器を一体でも帝国に侵攻させれば東部の主要都市は火の海になる」

 

 そうは言ったが、レイ個人の見解では後者の心配は無いように思えた。

 ゴルディアス級人形兵器の改良型であろうアレらが常軌を逸した能力を使えるのは、偏に《至宝》として覚醒した《零》の力あってのもの。クロスベルからエレボニアに繋がる霊脈(レイライン)は半分程度しかない以上、人力で対処できない程ではないだろう。何より、”試作機”であろうアレらを手放す程あの博士も殊勝ではあるまい。

 

「……オズボーンが狙撃された方が、帝国に降りかかる被害は少ない。アンタはそう言いたいのね?」

 

 レイは頷いた。それに対してサラは反射的に言葉を挟もうとして、それを呑み込む。

 その選択は、帝国とは何の縁もない少年に委ねて良いものではない。どちらに転んでも犠牲が生まれる。ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「《結社》の連中が帝国に集まっている以上、この国で何かをしでかそうとしているのは明白だ。《貴族派》はそれを晦ます為の駒でしかない。だが、オズボーンが再起不能になれば《貴族派》の連中は必ず帝国の主権を主張する。……少なくとも、共和国に対する牽制にはなるだろうさ」

 

 とはいえ、それは半ば詭弁に過ぎない。そもそもレイ自身、これから始まるであろう内戦が《貴族派》の勝利で終わるビジョンがどうしても見えなかった。

 

 ()()オズボーンが殺される? 初めて見た瞬間に冷や汗と悪寒が止まらなくなったあのギリアス・オズボーンが、狙撃程度で? 

 師とはまた違った尋常ならざる覇気を纏っていたあの男がそう簡単にくたばるとは思えなかったが、それはあくまでレイの感覚に過ぎない。

 

「……それに、《結社》としてもオズボーンが撃たれることを計画の引き金にするつもりだろう。俺がクレアに情報を伝えたところで、結局直接的に潰される。犠牲が増えるだけだ」

 

「……どうあっても帝国宰相の命を贄にするつもりなのね、連中は」

 

「それだけの価値はある。エレボニアという国を本当の軍事大国に押し上げた立役者だ。それの命ともあれば、確実に大陸の命運を揺るがせる」

 

 事ここに至って考えを曲げる事はできない。クレアに情報を伝える事はできず、それはつまり、彼女を裏切るという事に他ならない。

 無論、言い訳をするつもりなど無かった。色々と手遅れになった後に会ったら、それこそ殴られたり嫌われたりするのもやむなしだと。

 

 そうなってしまっても尚、レイには貫かなければならない意地があった。そうしなければならない理由があった。

 その覚悟を知ったからこそ、サラもシャロンも余計な口を挟まなかったのだろう。

 

「……死ぬんじゃないわよ、レイ」

 

 忠告はその一つだけ。その一つだけ守ってくれれば充分だった。

 

「アンタが成人した時に、アタシ達4人で秘蔵のワインを飲むのがアタシの楽しみなんだからね」

 

「そいつは良いな。それじゃあシャロン、これを」

 

 するとレイは、羽織っていた真紅の制服を脱いで、シャロンに手渡す。

 

「クリーニングして俺の部屋に掛けておいてくれ。次にその制服を着る時は、皺一つない状態で着たいからな」

 

「―――畏まりました。ラインフォルトのメイドの名に懸けて、必ずや汚れ一つ、皺一つない状態でお掛け致します」

 

 その微笑には、僅かに翳が差していた。

 そんな筈はない、とどれだけ思っていても、断言はできないのだ。目の前の想い人と、再び生きて会える事を。

 

「サラ、後は頼んだ。ま、易々と生きる事を諦めるような温い教え方はしてなかったつもりだがな」

 

「……任せておきなさい。せめて学院の生徒の安全が保障されるまでは全力で足掻いてやるわよ」

 

 できるだけ気丈にそう答えたものの、サラも内心は焦燥感で溢れていた。

 これまでの特別実習でも命の危機はあったが、今回のそれは比ではない。生きて帰ってこれる保証などどこにもない。

 

 それでも、サラはレイのその生意気な笑みに安堵を覚えた。

 この少年は死なない。こんなところで死んでよい人間ではない筈なのだから。

 

 だからサラは祈った。彼はそれを良くは思わないだろうが、それでもそうせざるを得なかったのだ。

 女神様、どうか彼とまた生きて会えますように―――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街路樹が一瞬にして氷の彫刻へと早変わりし、砕け散る。

 丁寧に舗装された石畳の道には深々と剣傷が付き、赤煉瓦の壁には魔獣が抉ったかのような跡が残されている。

 

 帝都東街区の外れ。繊維工場区画とスラム区画の境目のこの場所に、今一般人は誰もいなかった。

 ヴィータが人除けの結界を周囲30セルジュに張っている。―――この戦いに干渉する余計な存在はいない。

 

 さて、それがレイにとって吉となっているか凶となっているか。

 一般人への被害を考慮に入れずに戦えるのは僥倖だ。彷徨った先の受け皿であっただけとはいえ、支える籠手を掲げた者だ。それに、恩人との約束もある。今はまだ、それを破るわけには行かない。

 

 だが、悪い側面の方が遥かに大きい。

 レイの目的は言わずもがな、帝都からの脱出だ。現在帝都上空を飛行する超巨大飛行艦船と、そこから放出される人型の機械兵。それらと今関わるのは御免だったし、関わっている暇もなかった。

 それは理解している。しかし逃がすまいと迫ってくる連中があまりにもタチが悪い。

 

 どれほど逃げ足に自信があろうとも、達人3人から五体満足で逃げ切るなど不可能に近い。

 とはいえ、その程度は予想していた。勝算を問われれば苦笑を返すしかないだろうが、それでもまたあの場所に戻るという決意だけはあった。

 

 

 首の肉を断つ寸前のところで黄金の剣の剣身を避ける。

 それでも、気を抜くことは許されない。重力を完全に無視したような槍捌きを去なし続け、僅かに浅く入った槍の穂先を刀身で絡め取る。

 

「何だ、お前はクロスベルの方には行ってなかったのか。ルナ」

 

「えぇ、まぁ。あっちには我らが筆頭殿が行っているので大丈夫でしょう? 私は私がすべき事をするだけですから」

 

 例え顔見知りであったとしても、戦乙女の槍捌きは緩まない。絡め取られていた穂先を弾き、殺気を伴うリーチを生かした連撃を繰り出してくる。

 達人(彼ら)の戦いとはそういうものだ。互いに譲れぬ絶対強固な芯があるからこそ、それを貫くために嘗ての友とも刃を交える。

 そこに僅かの躊躇いでも持ち込めば、死ぬのは己だ。それに対して恨み言を吐くような輩は、そもそも武人の峰の頂に至る資格すらないのだから。

 

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・薙円(なぎまどか)

 

 自身を中心として円形状に斬閃が疾る。

 瞬きをするよりも短い間の予備動作を見切ったルナフィリアはすぐさま追撃をせずに飛び退いたが、反応が遅れたリディアは剣の腹で受け止めた。

 衝撃には備えたつもりだったが、足裏に回した氣だけでは去なし切れず、数アージュ程後ろへと吹き飛ぶ。それでも退くことなく追撃を行おうと再び足裏に力を入れたところで―――怖気にも似た殺気を感じ取って()()へと飛び退いた。

 

「『死氷ノ薔薇十字(ニヴル・ローゼンクロイツ)』‼」

 

 リディアを完全に串刺しにする軌道を描きながら、大型導力車にも匹敵する程の巨大な氷の大剣が高速で飛来していく。周囲の大気すら凍らせながら進むそれを、真正面から受け止めるのは至難の業。

 無論レイは、それを受け潰すつもりなど無かった。

 

 ―――八洲天刃流【静の型・桜威(さくらおどし)

 

 長刀の刃を氷の大剣に這わせるように振るい、角度を僅かに逸らす。その僅かだけで充分だった。

 空気を抉りながら遥か彼方に飛んでいく大剣。それが近くの尖塔に直撃して破壊音をまき散らす頃には、次の技が放たれていた。

 

「ならばこれも去なして見せろ‼ 『死氷ノ奏剣(ニヴル・シュヴェリウト)』‼」

 

 ザナレイアの周囲に氷造の剣が現出する。以前帝都で相対した時に出現したのは十振りだったが、レイの視界に映ったのは百は下らない数の氷剣であった。

 その全てを【桜威】で弾いていくとなると、可能ではあるが大きな隙を晒す事になる。

 

 故に、レイは一呼吸で脱力を済ませ、そのまま()()()()()()

 

「⁉」

 

 その様子を見たリディアが瞠目する。

 確かに”達人級”の武人にとって視覚によって得られる情報は一側面でしかない。それでも、一撃を弾くだけでも重い攻撃が重なること百余、それらを前に目を伏せる事は無謀に思えたからだ。

 

 だが、それは違う。

 その技を繰り出すには、視覚情報は寧ろ邪魔になる。武人としての感覚を極限まで研ぎ澄ませ、迫る気配のみを感知して地を蹴った。

 

 

 ―――八洲天刃流【静の型・輪廻(りんね)/沙羅霞(さらかすみ)

 

 一寸先で回避を行う事で攻めの手を緩ませない【輪廻】の派生型。視覚を完全に閉じる事で一見回避不可能に見える攻撃を感覚で察知して直前回避し続けるという荒業。

 この技を習得するために、一体何度師の剣閃に殺されかけたかなど今更語るまでもない。

 それに比べれば、たかだか氷の刃を躱す事など容易いにもほどがある。

 

 空に浮かんだそれらが容赦なくレイの身体を穿とうと殺到する。

 それに対してレイは、長刀を鞘に収めたまま躱していく。決して大きく回り込むでもなく、決して派手に動き回っているわけでもない。

 必要最小限の動き。だが、曲芸師でも真似できないような回避を軽々と行っていく。こういう時ばかりは今の自分が矮躯で良かったと、そう自虐的じみた笑みを浮かべたくなるのだ。

 

 そして再びレイが右目を開けた時、眼前には猟奇的な笑みを浮かべた宿敵の顔があった。

 長刀の刃は女の首に、蛇腹剣の切っ先は男の心臓に。それぞれ肌を裂く一寸手前の所で止められている。

 

 その一連の攻防を、リディアとルナフィリアは一定の距離を置いて見ていた。元より彼女らに課せられた任務は「レイ・クレイドルの足止め」であり、殺害ではない。ザナレイアがその役目を全うしている以上、彼女らが下手に手を出すわけには行かない。

 だがルナフィリアは、その光景を複雑そうな表情で見守っていた。

 

 

「どけよザナレイア。今はテメェの悦楽に付き合ってる暇はねェんだ」

 

「貴様の事情など知ったことか。魔女の戯言など一考すら値しないが、貴様と再び(あい)し合えるのならば是非も無い。血飛沫が舞うまで踊り狂おうじゃないか」

 

「テメェとのダンスなんざ未来永劫お断りだタコ」

 

 短い拒絶を終えると、半回転しながら蛇腹剣の軌道から外れ、そこから流れるような動きでザナレイアの細い首を刈り取りにかかる。

 音を置き去りにする程の迅さの剣を、しかしザナレイアは見切って躱す。

 通常の攻撃ならば身に宿す《虚神の死界(ニヴルヘイム)》の権能(ちから)で無効化できるが、既に神格が混じったザナレイアの肉体を”不浄”であると定めている《天津凬》の刃はそれを看過しない。

 斬れば血を流し、肉を裂く。だが、そんな状況でも彼女は狂笑の表情を崩さない。

 

 蛇腹剣《ゼルフィーナ》の刃が分解され、横薙ぎに一閃される。レイの上半身を絡め斬る筈であった刃は、しかし虚空を薙いで、剣閃の余波は十数アージュ先の貯水タンクを上下に両断した。

 背後で破裂したタンクから、鉄砲水が溢れ出す。次第に足元に溜まり始める水を一瞥し、一瞬だけ眉を顰めたレイはその直後に()()()

 

 

 ―――『死氷ノ霊園(ニヴル・ナアスト)

 

 

 悪寒と呼ぶにはあまりにも殺気が高すぎる寒気が流れた直後、先程まで足を付けていた屋上が凍り付いた。

 あのまま足を付けていたら、足元から凍っていただろう。ザナレイアの氷に体の一部でも捕まれば、為す術なく氷の彫像と化す。それはレイとて例外ではない。

 すると、身動きが取れない筈の空中での串刺しを狙って《ゼルフィーナ》の切っ先が高速で飛んで来るが、横腹に突き刺さる寸前で身を捻り、これも躱す。

 裂かれたシャツの白い生地が宙を舞う中、レイは着地と同時に《ゼルフィーナ》の刃を踏みつける。それで稼げる時間は恐らく1秒にも満たないだろうが、”達人級”相手に稼ぐ1秒は重い。

 刃が頸を落とすのに、その時間は長すぎる。

 

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・身縊大蛇(みくびりおろち)

 

 

 殺気を刃に乗せ、氣を腕に乗せ、目の前の女の形をした化け物を確実に殺す為に白刃を振るう。

 その時の殺意の塊のようなレイの右目を、ザナレイアは歓喜の表情で見続けていた。

 

 彼女にとって、愛しの君から向けられる殺意(アイ)以上に嬉々に満ちたものは無い。

 嗚呼、ここであの白刃に貫かれれば、それはそれで幸福なのかもしれない。この男は自分を刺し貫いた状態で、一体どんな表情を見せてくれるのだろうか。

 憤怒? 憐憫? それとも罪悪感? ―――どんな歪み(まが)った感情をぶつけられるのか。それを考えただけで高揚感を抑えることができない。

 

 ―――だが、それは否だ。

 この男は自分が殺す。その胸を刺し貫いて、四肢を削ぎ落として、それでも気丈に睨みつけるその強さを受け止め、そして踏み躙る。

 それが為し得た時にこそ、初めて《虚神の死界()》は《虚神の黎界(アレ)》を超えることができる。初めて、この世界に生まれ落ちた意味を知ることができる。

 

 証明しなければならない。かの虚神から生まれた絶望を。遍く人類から受けた肥大化した欲望を目の当たりにした恐怖と、己の身が栄誉と富を得ようと他者を蹴落とす醜さを目の当たりにした憤怒を。

 その絶望から生まれたのが《虚神の死界()》であるのならば、虚神が遺した一握りの善意、慈悲が生み落としたのが《虚神の黎界(アレ)》である。

 

 故に、殺し合わなければならない。決して相容れない存在だからこそ、どちらかがどちらかの憑代を殺して奪い取らねばならない。

 だが、ザナレイアに憎悪は無かった。《虚神の黎界(ヴァナヘイム)》に魅入られたレイ・クレイドルという少年を一目見た時から、その感情を抱いたことは一度も無かった。

 どれ程癇癪に触れている時でも、彼の姿を見ると笑みを見せた。高鳴る胸の鼓動のままに、彼の命を奪おうと一心不乱に剣を振るった。

 

 それは愛というものだ、と。そう誰かが言った。

 誰が言ったのかなどもはや覚えていない。彼女にとってそれは雑音の一つでしかなかった。

 だが、その言葉自体はずっと耳に残り続けていた。己が抱くその感情こそが”愛”であるのだと。彼との死闘は、殺し(愛し)合う高尚なものであるのだと。

 

 であるならば、このような場所でそれを終わらせるには惜しい。

 もっともっと斬撃を交わそう。もっともっと血を流し合おう。もっともっと命を削り合おう。

 

 瞳に妖しい光が灯る。今まさに己の頸を斬り落とそうと迫る白刃に諍おうと、再び《ゼルフィーナ》の柄を握り直す。―――だが。

 

 

「――――――」

 

「――――――」

 

 

 

 

 恐らくは。

 

 

 彼女も手を出す気は無かったのだろう。これまで幾度か行動を共にせざるを得なくて、ザナレイアという女が抱える狂気の度合いは理解していただろうから。

 

 だが、幸か不幸か彼女は目が良すぎた。あの一瞬で彼女は、ザナレイアが一瞬だけ生を諦めた事を見抜いてしまっていた。

 そして、彼女の生真面目に過ぎる気質はそれを見逃せなかった。

 

 今ここでザナレイアという戦力を失ってはならないと直感的に判断したのだろう。そして、その判断は間違っていなかった。彼女が介入していなければ、恐らく結界の維持に回していた全力を少しばかり緩ませてでもヴィータが手を出していただろう。

 誰かがやらねばならなかった事。だがそれをするという事は同時に―――。

 

 

「馬鹿野郎‼ とっとと離れろリディア‼」

 

「な、っ―――⁉」

 

 

 ―――ザナレイアという女の逆鱗に触れる事と同義なのだ。

 

 

 暴力的な冷気が、レイの眼前を駆け抜ける。地から競り上がる氷柱の群体が、ザナレイアを護らんと白刃を防いだリディアの細身を吹き飛ばした。

 避ける事はできなかった。逆に言えば、”達人級”の武人ですら反応しきれない程に、その逆鱗が齎した攻撃は早かった。

 

「か―――はッ」

 

()れるな、雑魚が。死ね」

 

 その言葉は、どこまでも冷酷で、どこまでも凍っていた。

 殺意と呼ぶにはあまりにも簡素に過ぎる。殺す相手に対しての感情は限りなく希薄で、しかし見逃す気など何処にもない。

 己の愉悦の邪魔をした。血沸き肉躍る殺し合いの邪魔をした。思惑があったか無かったなど、知らぬ存ぜぬどうでもよい。

 

 謂わばそれは、視界に入った蚊を張り殺す事に等しい。

 羽音が喧しく、己の血を吸おうと不躾に肌に止まろうとする。ザナレイアにとっては、その程度の認識でしかなかった。

 

 故に、殺す。肩に刺した《ゼルフィーナ》の切っ先を撥ね上げる事に何の躊躇もない。

 

 

 

 

 

 ―――その感触は、リディアも実感していた。

 

 自分は見誤っていたのだと、遅まきながら自覚した。ザナレイアという女が抱える妄執は、人間である自分程度が計れるものではなかったのだと。

 コレは最早、呪いとかそういう類のモノですらない。最初からそう定められている、運命のようなものだ。

 

 だからこそ彼女は、片割れ(レイ・クレイドル)との殺し合いという至高の瞬間を邪魔されることを何よりも厭う。邪魔を廃するために、大局など投げ捨てて私怨を果たす。

 否、そもそも彼女の双眸には宿敵しか見えていないのだ。その他は総じて些事。他の《執行者》の命も、《使徒》の命令も、《盟主》の言葉ですらも―――取るに足らない戯言に過ぎない。

 

 宿敵を誑かすものは余さず塵でしかない。己の道を塞ぐ者は総じて滅殺する対象でしかない。

 

 リディアはただ、彼女の逆鱗に触れただけに過ぎない。だが、その一手が致命的なまでに悪かった。

 ルナフィリアはリディアを助けない―――いや、助けられないだろう。何が気に入らないのか、マクバーンは最初から傍観に徹して手を出しておらず、結界の維持に掛かり切りなヴィータは言わずもがな。そんな状態で、本来の任務である「レイ・クレイドルの逃亡阻止」を完遂しようとするならば、彼女だけはレイから視線を離してはならないのだから。

 

 とはいえ、よもやここまで力量差があるとは予想外だった。

 傲慢になっていたわけでも、慢心していたわけでもないという自覚はある。だがそれでも、彼我の実力差は確かにあった。

 

 ”達人級”の武人の中にも、実力差というものは存在する。心の在り方と経験を研ぎ澄ませた熟達の武人と比べられれば、技量が劣るという事は理解していた。

 だがそれでも、まさか反応できない程の速さで穿たれるとは思わなかった。憤怒という感情に振り切れた熟達の武人が、よもやここまでのものであったとは。

 

 ()()()()()()気づかなかった自分が死ぬのは、ある意味で当然であると言えるだろう。師に拾って貰った命だというのに、このような無様な形で捨て去ってしまう。それが何より悔しくて仕方がない。

 

 肩口に刃が捻じ込まれる度に、意識が一歩ずつ遠のいていく。《パラス=ケルンバイダー》を握る手の力も、それに伴って消えていく。

 鬱陶しい蠅を見るような目で睨みつけられる。本当の意味での殺意すら向けられないまま頸を落とされて死ぬという屈辱、それは享受せねばならない事なのだろうか。

 

 

 

 

 ……………。

 

 …………………………。

 

 

 ―――否。それは違う筈だ。

 

 

 自分は確かに過ちを犯した。相手を過小評価するという、武人として犯してはならない愚を犯した。

 だがそれは、()()()()()()()()()()()()にはなっても、()()()()()()()()にはならない。

 未熟な自分が未熟なまま煉獄に堕ちれば、それこそ師に顔向けができない。それこそが真に恥ずべきことの筈だ。

 

 では、どうする?

 猶予は多く見積もっても1秒未満。心構えを正すのに時間を割き過ぎた。

 此処から命を拾うならば、最低でも腕の一本は犠牲にしなくてはならない。そこまでやって果たして生き延びられるかは賭けではあるが、どれだけ醜く這いずってでも生きなければならない。

 

 そう思い至り、再びザナレイアの顔を正面から見据えようとした直後―――その身体が真後ろへと吹き飛んだ。

 

「ッ―――⁉」

 

 ザナレイアが吹き飛んだことで、同時に肩口に突き刺さったままだった《ゼルフィーナ》の剣身も抜ける。

 瞬間、身体の中から大量の血が流れ出て、しかし氣力を操って最低限の止血を行う。

 流血でぼやけた視界のその先で、ザナレイアの身体は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「―――失礼。いきなり吹き飛んで来られたものですから、()()手を出してしまいました」

 

 その言葉が、形だけの謝罪ですらない事は明らかだった。そして、槍の柄を握った手を翻すと、血払いをするかのように槍を横に薙ぎ、ザナレイアの身体を投げ捨てる。

 

「ルナ、フィリア先輩? どう、して……」

 

「どうしてもこうしてもあるかよアホ後輩め」

 

 傷口を手で抑えて座り込んでしまったリディアの傍らで、蹴りを突き出した体勢のまま―――レイ・クレイドルは後輩を叱咤する。

 

「レイ、せん、ぱい」

 

「言っておくが、どうして助けたかなんて訊くんじゃねぇぞ。俺の不始末で後輩が死ぬなんざ、それこそレーヴェに合わせる顔がねぇからな」

 

「…………」

 

「それに、ルナの奴から頼まれた。……アイツとは長い付き合いだし、借りもあるからな」

 

 とはいえ、ルナフィリアから言葉で助けを請われたわけではない。リディアが吹き飛ばされたその瞬間、一瞬目が会った時にレイは意図を汲み取った。

 それでも彼は、本来の目的を第一とするならばリディアを助ける手間と時間すら惜しむ筈だった。

 

 だが、彼は迷わなかった。逡巡すらしなかった。

 効率も理屈も度外視して、後輩を救うために動いた。それが真に正しい行動か否かと問われれば賛否あるだろうが、少なくとも当の本人はこの選択をしたことを僅かも後悔していない。

 

「死にたくねぇんならもうちっと賢く生きる事を覚えろ。手を出すべき相手とそうでない相手、その程度の見極めはつけるべきだ」

 

 生真面目さは美徳だ。正しく在ろうとする姿も間違っていない。

 だが、それが結果的に正しいとは限らない。彼我の実力差を読み切れない程度の観察眼でそれを為そうとすれば、最悪自分以外の命さえ危機に晒す事になる。

 

 自分がそれを理解するまでに、喪ったものがあった。だが、愚かに過ぎた当時の自分とは違い、眼前の後輩は賢い人間だ。忠告は言葉だけで充分だろう。

 

「ありが、とう、ございました」

 

「……一応言っておくと敵同士だからな、俺達は」

 

 彼女の呼吸は、浅く続いてはいるが安定していた。末席とはいえ”達人級”の名を担っているのならば、この程度の傷で命を落とす事も無いだろう。

 

 それよりも、レイは今別の事に意識を割かざるを得なかった。

 少し離れたところに今も佇むルナフィリアの突破方法―――ではない。寧ろ彼女も、今はレイと同じ懸念を抱いて()()を仰いでいた。

 

 

 

 

 

 ―――”最悪”が、いよいよ鎌首を(もた)げようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 本日の教訓はただ一つ。

 『ザナレイアという女にチームプレイを期待するな時と場合によっては助けた此方が殺されるぞ』


 と、いう訳で随分と間を開けてしまいました。十三です。
 明日からはイースⅨやったりCODE VEINやったりすると思うので、今日投稿しました。15000文字って今までで最長じゃないの? 何でこんなに長くなったかというと、区切る場所を見誤ったからです。

 次回、ちょっとマジで誰か死ぬかもしれない。
 それでは皆様、またの場で。

 


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審判ノ日 後篇




※前回までのあらすじ
 
・主人公が踏ん張らないと帝都がマジで灰になる可能性が出てきた




「人間をなめるな、ばけものめ」

「来い、闘ってやる」

            by インテグラル(HELLSING)












 

 

 

 

 

「つまらねぇ」

 

 彼は一言、そう呟いた。その言葉に返答を返す者が一人。

 

「ふむ、この狂気は君のお気に召さなかったかね?《劫炎》殿?」

 

「あぁ? 召すか召さないかじゃねぇんだよ。()()()()()()()()()()()()()こんなモン」

 

 くぁ、と大きな欠伸を一つ漏らして、マクバーンは眼前の戦場を見下ろす。

 拮抗、と言うには僅かばかり激しすぎる剣戟の中を見ても、彼の中の戦闘意欲という名の熾火は一向に燃え上がらなかった。

 

 結社《身喰らう蛇》執行者No.Ⅰ《劫炎》マクバーン。

 彼を一言で言い表すのならば、”戦闘狂”である。強い者との戦いを望み、勝利を望み、その果てに悦楽を見出す生粋の戦闘民族である。

 

 だが、だからと言ってどのような戦場でも牙を剥くという訳ではない。

 狂人には狂人なりの矜持がある。命を燃やす相手と場所は選ぶ。なりふり構わず燃やし尽くすのであれば、それはもう戦いではなく”現象”だ。愉しむのに値しない。

 

 ―――そういった意味では、彼は《結社》の中でも比較的マトモな価値観を持っている者と言えるだろう。

 己の悦楽しか勘定には入れていないが、そこには確固たる矜持がある。狂人ではあっても外道には堕ちない芯がある。

 

 故に、彼はこの戦いに価値を見出すことはなかった。

 彼の少年と、レイ・クレイドルと一対一で気兼ねなく殺し合えるというのであれば、嬉々として挑んでいただろう。例えヴィータが止めたとしても、それを無視して戦い続けたに違いない。

 

 だが、そうはならなかった。申し伝えられた作戦は、あくまで『レイ・クレイドルを該当時間まで足止めする事』だった。

 真っ先に飛び出していった《剣王(リディア)》、《雷閃(ルナフィリア)》、そして《冥氷(ザナレイア)》。いずれもが”達人級”。

 それでも、マクバーンの心は燃え上がらなかった。何故か何故かと何度も疑問を脳内で反芻させたが、理解しきる前に、同じく戦場を俯瞰していた《怪盗紳士(ブルブラン)》に声を掛けられたのだ。

 

「そういうお前さんはどうなんだよ怪盗。何だかんだ言って魔女の言いなりにはなってただろうが」

 

「ふむ、まぁ参戦するのは吝かではないのだがね。どうやら私の仕事はまだ先のようだ。それよりも―――見給えよ」

 

 ブルブランがステッキの先で指し示す場所。そこでは、状況が動いていた。

 相討ちもかくやという戦況になったそこに、リディアが割って入る。任務遂行を確実なものにするための判断だったのだろうが、それが誤りだった。

 逆上したザナレイアに弾き飛ばされ、圧しつけられ、煮え滾るような殺意がカタチとなって襲おうとした直前―――それまで敵対していたレイが、ザナレイアの身体を後方へと蹴飛ばしたのだ。

 

 その一連の様子を、マクバーンはさして驚かずに見ていた。

 

 

 

 レイ・クレイドルという少年の事を、マクバーンは割と昔から知っていた。

 と言っても、彼がボロ雑巾もかくやという様相で《結社》にやってきた頃からでしかない。かの鬼剣士である《鉄機隊》筆頭殿が何の気まぐれか任務先で子供を拾ってきたと聞き、興味本位で覗きに行った時が初顔合わせである。

 

 とはいえ、その時はただ貧相な体つきをした矮躯の子供だとしか思えなかった。その眼に宿った意志だけは確かなものだと思ったが、それだけで強くなれる程この世界は甘くない。

 だが、あの《爍刃》が、《鋼の聖女》と並び世界最高位の武人と称され、自分が何度挑んでも勝利を掴み取れていないこの存在が、今まで誰にも伝授しようとしなかった己の剣を叩き込もうとしていた子供が()()()()()である筈は無かった。

 

 ……そのマクバーンの見解は色々な意味で正しかった。

 

 3年。たったその月日で、彼は一人前の剣士にまで上り詰めた。当初の様相など見る影もなく、彼は身の丈を超える長刀をまるで己の腕の延長線上のように扱い、神速の剣術を数多繰り出す武人となった。

 降りかかる不幸に苛まれ、大切な者を喪い、何度も何度も膝から崩れ落ちても、それでも彼はその度に涙をぬぐって前に進む。

 ”達人級”の武人になり、《執行者》に選抜され、強者と戦いながら、人もヒトならざるものも殺しながら、それでも彼は”ヒト”である事を決してやめようとはしなかった。

 

 女神が産み出した聖獣を従え、暴走した《始祖たる一(オールド・ワン)》たる真祖を斃し、母の生まれ故郷に蔓延った”カミ”を屠り―――それでもなお彼は、人間であり続けた。

 ”達人級”の武人として、化け物と畏怖されようとも、修羅と呼ばれようとも―――それでも人の道を外れる事だけは無かった。

 力を求めた。折れぬ不屈を求めた。―――それでも真祖の誘惑を跳ね除け続け、神獣の力に溺れることなく鍛錬を続けてきた。

 

 無論、その意志は彼一人が紡ぎあげたものではない。そう在るようにと諭した義姉がいて、その在り方を認めた師がいて、そう在って欲しいと願った友たちがいた。

 その姿はまるで、運命に見放された者が、それ以外から愛されて進む英雄譚(サーガ)。否応なしに疎まれ、そしてそれ以上に魅せられる生き方。

 

 そしてその姿に、他ならぬマクバーンも興味を持った。

 アレと戦う際に、自分はどんな焔で彩ることができるのか。どう勝ち、どう負けるのか。どのような闘気と殺意を向け、向けられるのか。

 確定ではないが、確信はしていたのだ。アレとの殺し合いは、きっと素晴らしいものになる。血沸き肉躍るだけではない。魂すら震え揺らす戦いができるに違いない。

 ”本気”が出せる。例えこの世のあらゆるモノを燃え散らす焔を眼前に放たれたとしても、アレの構える白刃の剣鋩は自分の喉を捉えるだろう。()()()()()()()()()()()と判断したのならば、殺す事すら厭うまい。

 

 ()()()()()()()。最高の一戦を最高の殺し合いで迎えたいのであれば、()()()()は避けなければならない。―――強い者との戦いを好む戦闘狂にしては珍しくその思考に至り、そして事実、レイの《結社》所属中、マクバーンは一度も彼に喧嘩を売ったことはなかった。

 

 とはいえそれは、彼と一度も関わる事がなかったという事ではない。寧ろ私的な関わりという点で見るならば、それなりにあったと言えるだろう。

 だからこそ、真祖エルギュラとの決戦に於いては真っ先に彼女の眷属である古代竜に対して突貫していったし、何だかんだで<アマギ>の殲滅作戦にも手を貸していた。

 

 だが、仲が良かったか悪かったか、交流があったか無かったか。助け合ったことがあったか無かったか、などという関係は、武人同士の戦いに関係ない。

 昨日の敵は今日の友。昨日の友は今日の敵。刃を向けられて「何故?」と問う方が先であるならば、まだ未熟の証。

 

 レイ(アレ)ならば、よもやそのような事は言わないだろう。焔を向ければ、剣先が向く。

 マクバーンが求めているのはそれだけだ。ザナレイアとは何度も何度も異能をぶつけ合ったが、それともまた違う死闘ができるだろう。

 神の力に頼らなかった者。神の力に呑まれることを良しとしなかった者。決して楽ではなかっただろうその道を、血反吐を吐きながら歩んできた武人との果し合いを悦ばない実力者はいるまい。

 

 

 だが―――そう思った瞬間、マクバーンの顔の右半分を白光の槍が貫いた。

 

 常人であれば、間違いなく即死。だがマクバーンは全く動じることすらも無く、屋根の上で胡坐をかいたまま気怠そうにしていた。

 

「おや。最強の《執行者》でも、”天使”殿の攻撃は避けられなかったかね?」

 

「アホぬかせ。躱す価値すらねぇ。こんなモンで俺を消滅させられるかよ」

 

 すると、抉れたはずの顔の断面から瑠璃色交じりの焔が溢れ出し、やがてそれは元の輪郭を描いていく。

 その被害を齎した張本人はというと、そんな余波など一切介することなく遥か上空で戦いを続けていた。

 

 

 穢れという概念が一切混じらない純白の光槍が数百という単位で虚空から産み出され、それが容赦なく対象に向かって降り注ぐ。

 しかし、それを大人しく受け止めるような相手ではない。解放された尾の数は7本。尋常ではない神気を撒き散らしながら、狐を象った金色の焔を周囲に現出させる。

 

 それらがぶつかり合い、上空で時空が歪みかねない程のエネルギーが生み出される。

 それはまさに、神話の再現。女神により命を与えられた聖獣と、神に等しい存在に創造された神造兵器。現代に於いてはどのような兵器であろうとも、彼女らの破壊力に比肩する事はできない。

 

「あら、大口を叩いた割には随分と()()焔ですねぇ。暖炉の火代わりに持ち帰らせていただいても?」

 

「それはそれは。身を焦がす焔がお好きとは、どうにもこうにも救い難いでありんすねぇ。生まれもお里も生き方も知れるというもんでありんす」

 

 尾の一本から放出された神気が、ものの数秒でとぐろを巻ける程の大きさの焔龍に変貌し、音を置き去りにする速さで喰らいつく。

 それに対しフリージアは、己の身長の十倍はあろうかという長さの光槍を生み出し、投擲する事で()()()とした。

 

 互いに空間が飽和する攻撃を続けているというのに、一切攻撃を避けようとはしないのは、矜持(プライド)というものだろう。人智を超えた存在である者同士、相手の繰り出す攻撃を迎撃しきれなければならないと思っている。

 

 とはいえ、状況が示す通り、実力そのものは拮抗していた。否、拮抗()()()()()という表現の方が正しいかもしれない。

 両者が本気で衝突すれば、間違いなく人里の一つや二つは跡形も無く消え失せる。稀代の魔女が結界を張ってはいるが、それも彼女らにとっては薄壁程度のものでしか無いだろう。

 

 片や大昔に力に溺れ、使命を忘れかけた大狐の聖獣。片や”破壊”を司る人型兵器。決して埋められないヒトとソレとの絶対的実力差。

 それを覆せるのは、”英雄”と呼ばれるような存在。時にヒトの境界線を越え、次元の異なるモノを弑する可能性を持った者だけ。()()()()()()()()()()()()

 

 そしてその”差”は、一歩間違えれば大惨事を起こす。

 

 

「あ―――――――ハっ♪」

 

 笑った。

 

「ハ―――あハハっ♪」

 

 嗤った。

 

「――――――――――――――♪」

 

 壊れたように、狂ったように笑う。

 ()()()()()、という証左だ。それは、恐怖を撒き散らす前兆。

 

 それを、予期できなかったヴィータではない。寧ろそこまでは予定調和。すぐさまドーム状に張っていた結界の規模を縮小させ、その分強度を撥ね上げさせた。

 そして、同時に動いたのがもう一人。―――レイだ。

 

「シオン‼」

 

 その一言。その呼びかけだけで、シオンは飛びかけていた式神としての使命を手繰り寄せた。

 それまで常に焔を纏っていた白魚のような指が一つ、音を鳴らして柏手を打った。

 

 すると、シオンとフリージアとの間の空間に何重もの”壁”が現出する。

 

 七尾まで顕現させた彼女が生み出す防御壁は、その一枚一枚が戦車砲の連撃すら防ぎきる強度を持つが、それが数十枚あったとしても、この後に降る”厄災”を耐えきる事はできないだろう。

 ”余波”だけならばヴィータの結界だけでなんとかなるだろうが、”直撃”となると話は大きく変わる。

 

 帝国最大規模の要塞を周囲含めて消失させる程の攻撃だ。否、興が乗っている今放とうとしているソレは、ガレリア要塞に向けて放たれたモノよりも強力である可能性が高い。

 果たして帝都の何割が吹き飛ぶだろうか。既存兵器を嘲笑うその威力を、己が今持ち得る神気だけでは抑え込めないであろう事は理解していた。

 

 八尾、よしんば九尾までの解放を覚悟すべきかとも思ったが、すぐに(かぶり)を振った。

 七尾の状態でかなり長く戦闘を続けてしまった。これ以上の神気の解放は、主に対して許容できない程の負担を与えてしまう。

 これから彼が()()()()()()()()()を考えると、今解放できる力だけで可能な限り抑え込まなければならない。

 

 そんな不利な状況下に於いても、シオンは己に時間稼ぎの作戦を命じたレイの事を僅かも恨んでいなかった。寧ろ双眸は爛々と金色に輝き、口角は吊り上がって不敵な笑みを見せる。

 

 思えば、主であるレイが《結社》に在籍していた際はこのような生死の狭間に幾度も立っていた。女神が創った聖獣の一角である己でさえ死を覚悟する様な戦場が拡がっていた。

 そんな死地にすら、”人間”である主は挑んだ。恐怖という概念は確かに抱いていただろうが、それでもそれを乗り越えなければならない壁と定義して悉くを退けてきた。

 

 自分は、その背に惹かれたのではなかったのか。矮小なヒトの身でありながら己を屈服させ、しかしそれに溺れることなく逆境に立ち向かい続けるその姿を眩しく思ったのではなかったのか。―――その魂が空に還るその時まで共に在ろうと、決意させたのではなかったのか。

 であれば、自分が此処で怖気づくなど愚の骨頂。不可能を思案するなど無駄でしかない。

 主が行う策を信じて全てを賭ける―――やる事はそれだけだ。()()()()()()()()()()()()

 

「お任せください、主」

 

 口調を()()、シオンは笑みを浮かべたまま言った。

 

「あの破滅めは私が凌いで見せましょう。壊す事しか出来ぬ傀儡めに、私が押し切られるなど有り得ませぬ」

 

 故に、と己の内で作り上げられる最純度の神気を練り上げながら続ける。

 

「貴方様は貴方様の思うがままに。どれ程の重荷を背負おうとも、どのような未来を掲げられようとも、貴方様の進む先こそが我が道標」

 

 その先に果てに人類がどのような最期を迎えようとも()()()()。他の聖獣は至宝を守る事でヒトの世を儚むが、彼女にその常識は通用しない。

 主が斃れた時が彼女の最期。その運命に異議は無く、意味もない。

 しかし、それでもシオンは僅かにその表情に翳を落とした。

 

「嗚呼、お許しください主。私はきっと酷い従者でありましょう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。弱き貴方様を、私は本当の意味でお慰めすることができませぬ」

 

 何故ならば己が強いからだ。ヒトとは隔絶した生命体であるからだ。死というものとは遠い存在であるからだ。

 主が弱さを見せれば膝を貸そう。慰めの言葉を紡ぎもしよう。だが、癒しきることは不可能なのだ。その弱さを、本当の意味で肯定することができないのだ。

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。その光に焦がれてしまった以上、影を受け入れきることができない。

 

「主、この愚かな獣めに今一度お命じ下さい。命を燃やせと。その全てを俺の為に使い潰せと。()()()()あれば、このシオンめは如何なる力にも耐えきってみせましょう」

 

 

 大気が震える。

 その元凶は上空に。天に座す陽よりもなお輝くモノがそこにはあった。

 

 先程まで召喚されていた光槍とはまた別格。その大きさは小山もかくやと思う程であり、凝縮された力は今にも爆散してしまいそうなほどに強大だ。

 ”槍”と称するのも本来は正しくないのかもしれない。それはただの力の塊。辛うじて槍の穂先に見えなくもないというだけで、それが振り下ろされればあらゆるものを消し飛ばすだろう。

 

 神装侍従発令・対文明殲撃機能Ⅲ型《天撃(アルス・ノヴァ)》。

 

 《侍従長》リンデンバウムより許可を受けた《侍従隊》の兵器たちが、主に害為す数多を滅ぼす為に撃ち放つ決戦機能。

 その効果は侍従によって様々だが、”破壊”を司るフリージアに与えられた機能はごくシンプルなもの。

 

 その威力をレイは知っている。だからこそ、過大評価はすれど過小評価など死んでもできない。

 取り出したのはARCUS(アークス)。現在のバージョンでは大規模詠唱呪術を発動させることはできないが、それでも今は少しでも並列詠唱を行って時間を短縮しなければならない。

 

「ルナ‼ リディアを連れて戦域から離脱しろ‼ 早く‼」

 

 余裕など欠片も無い声が耳朶に入った瞬間、ルナフィリアはリディアを片手で右肩に担ぎあげた。

 担がれた当人はダメージが抜けきらない声で驚愕していたが、ルナフィリアは違う。ほんの僅かな悲哀を含んだ表情でレイを見つめた。

 

「待……って下さい‼ 先輩‼」

 

「…………」

 

「私……はッ……まだ……」

 

「無理だ。今お前に出来る事は何もない」

 

 あくまでも冷徹に、突き放すようにレイは言い放った。

 だがその一言が、全ての答えだった。それでもまだ言いたそうなリディアを無視し、ルナフィリアは瞬時に離脱する。

 「私が言えた義理じゃありませんけれど、生き残ってくださいね」―――去り際に放ったその一言は、レイの意思という名の炎に薪をくべるには充分な言葉だった。

 

 これで良かった。言葉通り、今リディアが此処に残ったところで出来ることなど何もない。そもそも彼女らの任務はレイ・クレイドルを可能な限り長く足止めする事。最早この場をどうにかしない限り逃げられなくなった今、彼女らが此処にいる意味も無くなったのだ。

 

 ―――それを考えれば、全く不本意ながら()()()()()()()だと思う。

 この状況下でレイという人間が全てを見捨てて逃げることは無いと理解しているが故の作戦。だからこそ、その作戦に抱く憎悪も一層深い。

 

「ヴィータァ‼」

 

 先程とは違い、怒気を含んだ声。射殺さんばかりの視線を、しかし魔女は怯えもせずに受け止めた。

 

「あぁいいさ‼ テメェの策に乗ってやる‼ 帝都88万の人間の命を質に入れた事、煉獄の底まで後悔させてやらァ‼」

 

 『ARCUS(アークス)駆動―――《天道流》神性封印術式転写―――終局術式【天道封呪・四神】詠唱開始―――並列詠唱error/error/error―――不正なプログラムがインストールされerror/eroor/error―――』

 

「マクバーン‼ ブルブラン‼ 手を貸せ‼ アレの《天撃》に消し炭にされたくなかったらなァ‼」

 

 『error/error/error/err―――追加プログラムインストール―――ARCUS(アークス)超過駆動(オーバードライブ)―――60秒後、当機にインストール済みのプログラム全てを消去、駆動を強制停止します』

 

「シオン‼ アレを180秒耐え凌げ‼ 余力は気にするな‼ その後は俺が絶対に何とかする‼」

 

 『超過駆動(オーバードライブ)許可―――並列詠唱開始―――天道封呪【東門青龍(とうもんせいりゅう)(なかこぼし)】/【南門朱雀(なんもんすざく)(みつかけぼし)】両術式の編成構築を開始します』

 

「ブルブラン‼ 『影縫い』で俺の身体を固定しろ‼ ()()()()()()()()()()()()‼ テメェそんくらい出来るだろ知ってんだぞ‼」

 

 『error/error/error―――処理能力超過、演算能力60%低下、詠唱強制停止まで35秒―――放棄を推奨放棄を推奨放棄を推奨―――』

 

 黙れ、と言わんばかりに火傷せんばかりに熱を持ったARCUS(アークス)を強く握りしめる。

 これは、確実に使い潰さなくてはならない。わざわざ特注品を作り上げてくれたZCFの技術者並びにラッセル一族には申し訳ないが、役目は果たし切って貰わなければならない。

 

 並列詠唱。アーツを使う際のそれと呪術を使う際のそれは些か趣が異なる。

 現代魔法(アーツ)の詠唱は、例えるなら演算からの数列の読み上げに近い。だが、後者のそれは所謂”言霊”と呼ばれる、言葉そのものに強烈な意味を備えるモノだ。

 だからこそ、あくまでもデータを基にした詠唱しかこなせない戦術オーブメントでは、その効果を発揮しきる事はできない。

 だがそれでも、この状況ではARCUS(アークス)に代理詠唱をさせざるを得なかった。

 

 詠唱の準備に入る。如何に”達人級”の末席を担っているとは言え、元が儀式術式である大規模呪術の発動準備となれば、必然的に他への警戒が疎かになる。

 ―――《結社》最強の一人を戦力に組み込んだのはその為だ。

 

 

「……まァ、()()()の相手をする方が楽しそうだよなァ」

 

 やや興味を上乗せした声色と共に、レイの背後で紅蓮の花が咲く。

 両手はズボンのポケットに入れたまま、地面から捲りあがるように発生した焔が、飛来した無数の氷柱を消し飛ばした。

 

 その視線の先に在るのは殺意の塊。虚仮にされたようなあしらいが余程気に喰わなかったのだろう。普段から漏れ出している殺気が、より濃密なものとなっている。

 だが、それはマクバーンにとっては心地良いそよ風程度のものでしかない。寧ろ、その戦闘意欲を高めるだけだった。

 

「そこをどけ魔人。貴様なぞに喰わせてやる魔力は持ち合わせていない」

 

「固ぇ事言うなよ《冥氷》。こちとらつまらねぇお預け喰らってイラついてんだ。解消に付き合ってくれや」

 

 直後、焔と氷が激突する。巨大な氷の剣の切っ先が、焔の壁に接触して爆発的な水蒸気を撒き散らした。

 神性が含まれるザナレイアの氷が普通の炎で溶け出す事など有り得ないが、マクバーンの”焔”ならばそれが可能だ。

 

 とはいえ、それで退くような女ではない。水蒸気を切り裂くようにして現れた《ゼルフィーナ》の剣身を、マクバーンは読み切っていたように己の得物で受け止める。

 魔剣《アングバール》。《剣帝》レオンハルトが有していた魔剣《ケルンバイター》と対になる、”外の理”の法を以て創られた得物。

 洸法剣《ゼルフィーナ》との性能の差異は無い。だが両方とも、使用者の異質性がそのまま性能を歪ませている。

 

 黒く変色した《アングバール》を振るう度、異名と同じ劫炎が巻き上げられる。それを受け流すザナレイアの表情は憤怒の一色で塗りつぶされていたが、マクバーンはただ笑っていた。

 

「去ねッ‼ 穢れた焔など見たくもない‼」

 

「釣れねぇこと言ってんじゃねぇよ。こちとら戦場に呼ばれたってのに燃えねぇ戦い見せられて燻ぶってんだ。憂さ晴らしに付き合って貰うぜザナレイア‼」

 

 

 ―――『死氷ノ奏剣(ニヴル・シュヴェリウト)』‼

 

                        『ギルティフレイム』‼―――

 

 

 常識という概念を遥かに凌駕した二者の技が接触する。

 現代魔法(テクノ・マギ)では到底辿り着かない破壊概念の一点特化。凡そ人間が生きてはいられない熱と冷気が混ざり合う中、レイはその地獄のような光景を見てすらもいなかった。

 

 正確には、見る余裕すらない、と言ったところだろうか。

 《天道流》に於ける最高位封神術式である【天道封呪・四神】。一つ発動させるだけでも膨大な呪力と脳の回路が焼き切れそうな程の術式構築を必要とする四つの封神術式の内、思考を並列させて呪力の一部を特製ARCUS(アークス)の回路に肩代わりさせているとはいえ、三つの術式をほぼ同時に発動させるのだ。

 もはや、宿敵であるザナレイアの存在すらも思慮の外だ。より早く、より正確に術式を練り切らなければならない。

 

 すると、レイの背中に数本の針が突き刺さる。倒壊しかけている建物から発せられる揺れの中、その身体が完全に固定された。

 

「一つ、貸しと思って良いのかね?」

 

「アホぬかしてんじゃねぇ。ヴィータがテメェを呼んだのはこの為だろうが」

 

 《怪盗紳士》の軽口にも、その程度しか返せない。

 そして漸く六割程の構築が終わった時―――視界の一切が”白”に包まれた。

 

 

 

 

「さぁ、死んでください劣等種さん♪」

 

 

 ―――『天撃(アルス・ノヴァ)』―――

 

 

 それはまさに”天罰”。地上を焼き尽くす天使による原罪の浄化。

 しかし、実際はそのような清らかなものではない。放つ者が、己の快楽を満たす為だけに行う破壊と殺戮。

 

 触れただけでも灰燼と帰すエネルギーを有するそれを、彼女は軽々と操り、そして()()させた。

 

 それはまるで巨大隕石の落下だった。僅か数メートル進むだけで、ヴィータが全身全霊で張った結界が軋みを上げていく。

 そして数秒後、シオンが張り巡らせた”壁”の一枚に触れる。

 

 瞬間―――レイのすぐ傍の天井が崩壊した。

 それは無論、余波でしかない。次々と崩れていく足場の中、レイが立っているその場所だけは不動だった。

 『影縫い』の恩恵は充分発動している。後はこの状況でも決して緩まない精神力さえあればいい。

 

 制限時間は残り180秒。0.1秒たりとも超過してはならない。

 比喩でも何でもなく割れてしまいそうな程の頭痛と、呪力の過剰励起による全身の痛みと嘔吐感を気合で捩じ伏せながら、最後の詠唱を開始する。

 

 

「【籠に住まう凶将の欠片 歳刑(さいきょう)歳殺(さいせつ)に隷属する諱鬼(おに)は滅門の彼方より出で給う】」

 

 

 ARCUS(アークス)の部品の一部が、火花と共に吹き飛ぶ。それを代償に、【南門朱雀・軫】が発動した。

 空中にばら撒かれた呪符が『天撃(アルス・ノヴァ)』に纏わりつくように展開され、仄紅い光が技の暴性を削り取りにかかる。

 

 本来、【天道封呪・四神】は四つの術式の同時発動により初めて本領を発揮する。

 シオンを調伏した時も、エルギュラを封印した時もそうだった。しかし、それを成したレイの体内には、もう既に碌に呪力が残っていない。

 故に今回も、発動させることができるのは三つまで。だが……

 

 

「【天道に坐し、神道に(かしこ)む 苦果も愛染も理なれば 此方(こなた)蠱業(まじわざ)()りて其を封ず】」

 

 

 理解する。このままでは三つ目の封神術式を()()()()()()()()()()()()

 単純に呪力が足りない。全身を巡る呪力の九割九分まで搔き集めても、まだ発動までには至らない。

 僅かに残った思考力で考える。どうすればよいか。どうすれば、どうすれば、どうすれば―――。

 

 

「【諱鬼(おに)よ、羅刹(おに)よ、現世(おに)よ 愚かしくも天津に弓引かんと欲するならば、我らは無量の加護を以て討ち祓おう】」

 

 

 ARCUS(アークス)が砕け散った。そして【東門青龍・心】が発動する。

 削り取った膨大なエネルギーを、その術式が沈静化させる。だが、その程度では文明そのものを破壊し尽くす絶技は止まらない。

 

 シオンの”壁”も、既に幾らか突破された。傍目から見ても、彼女自身余裕があるとは言い難かった。

 それだけの技なのだ。最高位の封神術式と神獣の防御壁を以てしても耐えるのが精一杯。

 

 だが、それでもやらなければならない。

 ここで自分たちが折れてしまったその瞬間、内乱の開戦も何もかもが些事と化す。人民の命と同時に、帝都ヘイムダルそのものが文字通りガレリア要塞のように消えてなくなってしまうだろう。

 

 それは、それだけはあってはならない。

 元遊撃士としての矜持? 否、そんなものではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()―――それはレイ・クレイドルが最も忌避する行いだ。自分の実力不足でまた何かを喪うのは何よりも耐えがたい苦痛である。

 

 

「【故に悪鬼よ 逢魔時(おうまがとき)にて邂逅せん 此処に血脈の契りは成り 我は其を封じる獄番となる】」

 

 

 ()()()、と。レイは心の中で謝罪した。恋人たちに、仲間たちに、自分の身を案じてくれる全ての者達に。

 また少し無茶をするという事を、正当化させるために。

 

 

「―――【代償奉納】」

 

 詠唱の間に挟んだその一説。たったの四文字であったが、それは諸刃の剣だった。

 それは名の通り。「己の何かを代償として捧げることで疑似呪力に変換し、呪法を発動させる」というもの。

 

 レイがこれを使ったのは以前に一度。エルギュラを封印する際に、彼は()()()()()を犠牲にして疑似呪力とした。

 

 しかし、この法は何度も使えるものではない。【代償奉納】は、外道の法が多い【天道流】の呪法の中に於いても禁呪指定されているものだ。

 不足している呪力に対して、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。発動自体は素人でも可能だが、未熟な術者が安易に使用すると生命活動そのものを犠牲にしかねなかったからだ。

 だが、レイは大体予想できていた。この【代償奉納】で、自分がどの程度のものを失うのかを。

 

 

「天道封呪―――【西門白虎(せいもんびゃっこ)(たたらぼし)】‼」

 

 

 その封呪が司るのは”封印”。

 【南門朱雀・軫】が”鎮圧”を、【東門青龍・心】が”抑制”を司り、その上で【西門白虎・婁】が”封印”する。

 本来ならば四つ目の封呪までを発動させて漸く神格封印が完成するのだが、今回はそれは不要。”封印”までの過程を成功させれば良い。

 

 だが、言うは易く行うは難し。普通の呪術師であれば、たとえ一年間全力で溜め続けてもまだ足りない呪力を唯一人で賄うなど狂気の沙汰であり、それを三種連続発動など、本来なら命を幾つ積み上げても足りないだろう。

 

 しかしレイはそれをやってのけた。母が組み上げた術式と、生来持ち併せた膨大な呪力のほぼ全てを余すところなく使い、使い潰した。それの”代償”は―――。

 

 

「ッ―――」

 

 ()()()()()()。まるで巨大な獣に食い千切られたように、レイの身体からその部分が消失した。

 無くなったのは肩口より先。途端にゴボリと流れ出ようとした血を、氣を最大限活性化して可能な限り止める。

 直後、視界がチカチカと弾けた。致死性の呪力枯渇と、その状態での氣力の励起。今までになく死の淵に立たされたレイは、それでもそこで踏ん張った。

 

 上空では、緑色に発光した呪符が《天撃(アルス・ノヴァ)》という名の”力”の洪水を堰き止めていた。

 シオンが展開した防御壁は、残り二枚になるまで押し込まれていた。元々聖獣としての権能を主の為に自己的に封じているシオンは、七尾まで解放をしていても本来の力には程遠い。

 彼女の本領は”九尾”まで、全てを解放する事で漸く発揮される。本来であれば破壊一点特化性能持ちとは言え、”兵器”に一方的に押し込まれる程弱くはない。

 

 だが現状、神格を最大解放すれば()()()()()()()()()()()()()()。そうなれば、生命活動の為にレイから際限なく生命力を絞り上げてしまう。好き勝手に生きてきた頃であればその程度は迷わずやっていただろうが、今は違うのだ。

 しかし、その縛りが逆に主を危機に追いやっているのは皮肉としか言いようがない。これ以上力を使えば否応なしに神格が順次解放されていく。それは両者とも望むものではないが、それが主を死に追いやってしまうのなら―――そう考えた時、彼女の眼前にレイが立った。

 

「よくやってくれた、シオン」

 

 その声には、隠しきれない疲弊が混じっていた。喉奥から込み上げているのか、吐息から血の匂いがする。

 それでも彼は、無くなった左腕の肩口から血を流しながら、余波で裂けかけた脇腹から目を逸らしながら、吹き飛んだ眼帯の奥から溢れ出る血を拭いながら、無事だったその両足で確と地面を踏みしめて立っていた。

 そうだ、その強さに惚れ込んだのだとシオンは再確認する。普通の人間ならばとうに絶望し、膝をつき、前を見る事すらできない状況に陥ったとしても、彼は必ず立ち、進む。

 

 それは他者から見れば猟奇的かもしれない。呪われていると思うかもしれない。何故そこまでして、と思う者もいるかもしれない。

 まぁ、呪いではあるのだろう。「強くなければ何も護る事はできない」という真実の一つに、齢6つで辿り着いてしまった子供が、幸か不幸か武の才能に恵まれていたのだ。

 そうして若くして”達人”の域にまで至った者が「護らなければならないもの」を背負っている以上、己の死を軽々と許容できるはずもない。

 

 そしてその姿は―――様々な修羅を惹きつける。

 

 

「……やっぱり不可解ですねぇ。どうしてそうまでして有象無象を助けようとするんです?」

 

 どういった方法か、轟音が響く中でその声がしっかりと耳に届いた。

 先程までの煽り散らすような声色ではない。ただ純粋に、疑問に思ったことを此方に投げかけているだけ。

 それに対し、レイは不敵に笑いながら答える。

 

()()()()()()()()()()()()()、フリージア。自分(テメェ)が原因の喧嘩だ。始末は自分(テメェ)の手の届く範囲でやる」

 

 左腕も、費やした大半の呪力も、全て必要経費に過ぎない。

 だが、費やすのは己の命と覚悟だけで充分。そこに関係のない他者を巻き込むのは矜持に反する。

 

 だから、とレイは右手で長刀を鞘から抜き放つ。

 上空では、ばら撒かれていた呪符が全て弾けた。吸収できるエネルギーの許容量を超え、その役目を終える。

 それでも、《天撃(アルス・ノヴァ)》の全てを無効化する事はできなかった。吸収できたのは全体の八割程。残りの二割は今も落下を続けている。

 

 二割なら、()()()

 そう判断したレイは、右腕だけで《天津凬》を大上段に構えた。

 

 体内に残った氣を搔き集める。これまでの戦闘に使った分と、現在治癒の方に回している分を差し引いて、ギリギリ一発放てる程度。

 足りなければ気合で補う。武術でのそう言った方法は師から何度も何度も叩き込まれてきた。

 

 

「八洲天刃流、奥義の弐」

 

 

 思考を固定する。目の前の事象を「斬る」というただ一点に。

 

 形あるモノを斬る。それは剣士としてはまだ二流の領域。

 では形無きモノを斬るには如何にすれば良いのか。

 ()()()()()。「斬切」という概念を極限以上にまで研ぎ澄ませて剣を振れば良いだけの事。

 

 ―――そんな、傍から見れば意味が分からない滅茶苦茶な理論を奥義という型に押し込んだのがカグヤという規格外の武人であり、それを叩き込まれたこれまた規格外の弟子がレイ・クレイドルという男なのだ。

 

 故にその技は、()()()()()()()()()()()()

 己の思考を”目の前にあるモノを断つ”という一点だけに固定し、その強度を高めていく。

 とはいえ、敵の眼前で悠長に瞑想などしてる時間など無い。呼吸の一つ、その僅かな間で精神統一と精神強化を完成させる。

 

 理論上は、ありとあらゆるモノを断つことができる。レイが先日、弱体化していたとはいえソフィーヤの護りを貫けたのもこの技があってこそだ。

 それでも、今のレイの練度では《天撃(アルス・ノヴァ)》そのものを断ち斬る事はできない。だが、総量の二割程度にまで縮まった今ならば―――断てる。

 

 

「【閃天(せんてん)十束剣(とつかのつるぎ)】」

 

 

 迅くはない。否、迅くある必要がない。

 

 ただ長刀を振り下ろせば良い。刀身が触れていなくても、纏った概念が触れれば良い。

 先程まで現れていた荒々しい気配を完全に抑え込み、レイはただ、右腕を振り下ろした。

 

 

「―――はぁっ♡」

 

 破壊の天使が、そう息を漏らした。

 彼女だけではない。その瞬間、その場にいた全員が一瞬息を呑んだ。

 

 結界を維持していたヴィータも、役目を終えたブルブランも、未だに死闘を繰り広げていたザナレイアとマクバーンも、そしてシオンも。

 

 その一閃に見惚れていた。一切の不純なく、一切の煩悩なく、一切の澱みがない、その一閃に。

 

 そしてその奥義は、見事に《天撃(アルス・ノヴァ)》の残滓を断ち斬った。

 帝都の全てを灰燼に帰す脅威は消えた。それと同時にヴィータの結界も消え、帝都の現状が露わになる。

 

 一言で言えば酷い有様だった。上空に浮かぶ巨大航空戦艦から投下された機械兵部隊が、帝国正規軍の機動部隊を蹂躙している。

 帝都の郊外であるこの場所から見ただけでも相当な騒ぎになっていることが分かるのだから、中心地の被害は推して知るべしだろう。死傷者も少なからず出ているはずだ。

 

 幾度も嗅いだ臭いがする。戦火の臭い、戦争の臭い。道も法理も飛び越えた、人殺し達が跋扈する世界。

 だがもはや、今のレイには自分の足でそこに向かう余力すら残されていなかった。握った刀こそ意地でも離さなかったが、刀を振り切ったその体勢のまま気絶していたのだ。

 

「主……」

 

 そんな主人を、シオンが抱き留める。今にも壊れてしまいそうなその身体を一度抱きしめると、彼女の身体が徐々に変化していく。

 

 人を象った姿から、獣の姿へ。他の聖獣がそうであるように、本来の姿へと立ち戻っていく。

 やがてそこに現れたのは、黄金の毛並みを持つ巨大な狐だった。双眸から、四肢から、その姿の全てから極上の神格を立ち上らせている。

 だが、その尾は七本のままだ。それでも、長らく見せていなかったこの姿に戻ったのには理由があった。

 

『……事此処に至って、まさかこれ以上我が主を阻む真似はしんせんね? 魔女殿』

 

 返答を問うている訳ではない言葉。それはヴィータにも分かっていた。

 ここでもし止めようものならば、彼女は暴走も覚悟で神格を解放するだろう。今のところは計算通り進んでいる現状を鑑みると、そのような愚行は絶対に侵せない。

 

「構わないわ。時間は稼がせてもらったし、《天撃(アルス・ノヴァ)》も消して貰った。お礼は後でさせてもらうわね」

 

『主の矜持に感謝しなんし。此方の借りは、何れ必ず返しんす』

 

 それだけを言うと、シオンはレイを背に乗せて跳躍した。

 ただ一回、それだけで帝都を囲う赤煉瓦の壁を飛び越え、そのまま東の方角へと去っていく。

 

 その姿をただ眺めていたマクバーンは、いつの間にやら眼前の女から発せられていた殺気が沈静化している事に気付く。

 視線を向けると、まるで憑き物が落ちたかのように戦意がなくなり、得物を引っ込ませるザナレイアの姿があった。彼女が《結社》に転がり込んできた時から見てきたマクバーンにしてみれば、これほどまでに”怒り”を抑え込んだザナレイアを見るのも久しく、先程まで殺し合っていたというのに、つい口が開いてしまう。

 

「ありゃあ凄ぇなオイ。流石のお前も良い意味で戦意削がれたか。ザナレイア」

 

「……煩い。普段なら氷漬けにしてやるところだが、今回は許してやる」

 

「ッハ。まぁそりゃそうだろうなぁ。あんな剣技見せられて、ついでに気絶しちまったんならテメェが追うとも思えねぇ」

 

 ザナレイアはレイを殺そうとしている。それは事実だ。

 だが、殺せるならばどんな状況であっても良いという訳ではない。あくまでも己を殺すのは、全力を出した宿敵でなければならない。自分が追い詰めた末の瀕死であれば殺す事に何の躊躇も無いが、今回は違う。

 武人の矜持、というものでもない。強いて言うのであれば殺人鬼の考えだろうか。

 ともあれ、今のザナレイアから殺人への執着は消えた。それからの行動は迅速で、足元に転移陣を出現させてその場から消え去るまで、数秒と掛からなかった。

 

 所詮自分との戦いは本命(レイ)と戦う前の前座に過ぎなかった。それに対して少々思う所はあったが、考えるのが面倒臭くなったマクバーンはその場に腰を下ろし、煙草を銜えると自身の焔で先を炙った。

 

 

 そんな《結社》”最強”の姿を見下ろしながら、ヴィータは上機嫌な様子で自分の隣に居座った天使に話しかける。

 

「それで? 気は済んだのかしら《天翼》様?」

 

「ふぅ♡ えぇ、えぇ。ここ数年で一番スッキリしましたねぇ。あれだけ全力でぶっ放したのも久々ですしぃ、それを防がれたのなんて、《爍刃》に喧嘩売った時以来ですから♪」

 

「……あの方に喧嘩を売って笑って生きてるなんて貴女くらいのものじゃないかしら」

 

 ほぅ、と艶めかしい吐息と共にレイが去った方を見つめるフリージア。その視線に籠っている情に、”恋心”なるものは一切含まれていない。

 そこに在るのはただの”興味”。都市区画どころか小国すら一撃で消し飛ばす自分の《殲撃機能》を単身で消滅させてみせた存在への嘱目に他ならない。

 

「良いですねぇ。本当に良いですよぉ。いつか()()()()は、私の()()の《天撃(アルス・ノヴァ)》も受け止めてくれますかねぇ♪」

 

 ―――そんな言葉と共に、フリージアは手の中に小型の光槍を生み出して、それを徐に帝都の中央へと投げ捨てる。音速を優に超える速さで飛んで行ったそれは、今まさに中央区画近くで逃げ遅れた帝都市民を踏みつぶしかけていた機甲兵の一機を貫いた。

 機能停止、どころではない。内部で爆散した光槍は、そのまま操縦していた貴族兵の命を容易く奪った。正体不明の狙撃と勘違いした後続の機甲兵の操縦士たちはその場で立ち止まり、その間に市民たちはその場を離れることができた。

 

「…………」

 

 何故こんなことを? と言葉にする程ヴィータは愚かではない。この偽天使が、市民を救うために今の攻撃をしたなどと考える程浅ましくも無い。

 

「私を笑わせてくださった劣等種(ヒューマー)への()()()。良く分かりませんけど、このくらいでいいですかねぇ?」

 

 そう、彼女の思考に善と悪など存在しない。彼女がヒトの形をして、ヒトの言語を喋り、ヒトのように振舞っているのは、ただそれが()()()()()というだけだ。

 例えば今の攻撃が、機甲兵の操縦士だけでなく市民を巻き込んでいたとしても、彼女は何も思わなかっただろう。ただこのように妖しく笑うだけだ。

 

 《結社》最高幹部であるヴィータでも、《侍従隊(ヴェヒタランデ)》のメンバーは完全に網羅しているわけではない。ましてや、直接会った者など数名しかいない。

 ただ、そのメンバーの中でも飛びぬけて”危険指定”されているのが《天翼》フリージア。殺戮と破壊の権化。彼女の前では人間はただの「劣等種」であり、聖獣ですらただの獣でしかない。

 彼女にとって人間を殺すという事は、人間が蟻を踏みつぶす事に等しい。()()()()()()()()()()()()()()()()という、経緯を省いた結果だけしかないのだ。

 

「それでは、私はこれで失礼しますね。一度《侍従長》に報告に行かなくてはいけませんので」

 

「えぇ。またよろしく頼むわね《天翼》さん」

 

「そうですねぇ。またお会いしましょう()()さん」

 

 純白の羽をはためかせ、フリージアはそのまま()()した。その時速は如何程か。僅か数秒で雲の中に姿を消した事実を鑑みると、やはり常識では計り知れない機構で創られているのだと実感できる。

 

「(”魔女”ね……)」

 

 通称で呼んだわけではない。フリージアはまだ、ヴィータ・クロチルダという存在を「名を覚えるに値しない劣等種」としか認識していないのだ。

 彼女にとって、”格上”と呼べる存在は二つしか存在していない。《侍従長(セフィラウス)》リンデンバウムと、《盟主》だけだ。

 それ以外は先述の通り、彼女にとっては有象無象に過ぎない。「いずれ自分が破壊することになるかもしれない存在」という一括りでしかないのだから、そもそも名前を覚えようとはしない。

 

 ―――では、(レイ)は何だ?

 

 そこは、ヴィータですら知らない過去。記録に残っている限り、彼とフリージアが同じ戦場にいたのは一度しかない。

 ゼムリア大陸東部、今は最早砂漠化の波にのまれて探す事すら難しい場所。その一角にあった邪法と邪神を奉った一族が暮らしていた神殿区画《天城教団総本部》の殲滅任務。

 《天道流》の遣い手を、唯一人を残して鏖殺した大規模任務。その総仕上げは、《天翼》フリージアによる《天撃(アルス・ノヴァ)》を使用しての”広域処理”であったと聞いている。

 

 果たしてその場で、レイ・クレイドルはあの神造兵装に一体何を見せたのか。何をしてアレに名を覚えて貰ったのか。

 ヴィータ・クロチルダは魔女である以上、研究者でもある。その辺りの事も気に掛かりはしたが、今はそれよりも考えなければならない事があった。

 

 

 

 ”計画”は、今のところ思い通りに進んでいる。一先ず何が何でも最初の一手は失敗してはならなかった為、可能な限りの戦力を過剰投入して混沌とさせてしまったのも、まぁ予想通りだ。

 さしものあの少年もあそこまで傷を負って、更に()()無茶をしなければならないのでは、全快までにそれなりの時間を有するだろう。

 

 開幕の花火は盛大に上がった。後はどれだけ詰められるか、どれだけ成長するかでしかない。

 

「さて、どうなるかしらね」

 

 結社《身喰らう蛇》《使徒》第二柱ヴィータ・クロチルダ。

 エレボニアという国を舞台にした実験が、幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 






 投稿期間がかなり空いてしまって誠に申し訳ありませんでした。年末から年始にかけて、どう足掻いても上手い文章が作れなくなるというワケ分からない症状に苛まれ、先のプロットに矛盾を発見して書き直し続けるというアホみたいなことやってました。
 あと普通に風邪引いてたり、ゲームもやってましたマジすみません。

 さて、かなり長い間連載していたこの作品ですが、次回で多分最終回です。ストーリー的には次回で終わると思います。
 あぁ、クッソ長かったなぁ。大学生時代はかなり速いペースで更新できてたんですが、社会人になった途端にペースが落ちてこのざまです。宜しければこの物語の区切りの最終話。どうぞ最後までご観覧くださいませ。



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覚悟を謳う者達 前篇

 

■前回までのあらすじ


 《帝国解放戦線》の切り札によってギリアス・オズボーンが狙撃された帝都に赴いていたレイ・クレイドルは、ヴィータ・クロチルダの策略によってザナレイアとの戦闘後、《侍従隊》の一、《天翼》フリージアの一撃を打ち消す為に己の呪力の全てを解放する。
 だが、足りない呪力を補うために自身の左腕を代償に捧げ、その結果辛うじて帝都を大虐殺の悪夢から救う。
 気絶したレイは、それでもシオンの背に乗ってトリスタへと戻る。

 まだ、守らねばならないものが残っているからだ。






 

 

 

 

 

 

 戦いにおける経験値は偉大だ。

 

 不測の事態、相対する敵の情報不足。その他諸々の「どうにもならない事態」に直面した際、頼りになるのは”直感”、そして”経験値”に他ならない。

 才能だけで補える戦いには限界がある。努力を積み上げたとしても、実戦をこなしていなければ意味は無い。紙の上に表示されるだけの能力(ステータス)など、何の意味も無いのだから。

 

 そういう意味では、今の自分は限りなく無力に近いだろうと、そうリィンは理解していた。

 

 いつもとは違う戦闘。己の身体を動かす感覚と、実際にこの灰色の騎士人形が動く感覚が乖離している。

 その感覚の差を一刻も早く埋めなければならない。だが、悠長に時間を掛けていられる時間は存在しない。眼前には既に”敵”がいるのだから。

 

『学生如きが、我らの道を阻むな‼』

 

 緑を基調に着色された、盾と片手剣を構えた機械兵。だが無人機というワケではなく、あくまで人間が操縦しているものであるというのは既に分かっている。

 練度であれば、恐らくあちらの方が上なのだろう。だが、その言葉を真に受けて退くわけには行かない。

 

 この街道の先にはトールズがある。皆と過ごした士官学院がある。もう一つの街道を守っている戦力を疑う気などさらさらないが、此方の道を機械兵の進撃から守れるのは、今は自分だけなのだ。

 自分が知る限り師に次いで強い友は、今はいない。彼は今も彼の戦場で戦っているのだろう。

 であれば、帰る場所は自分が守らなければならない。それがこれまで彼に幾度も助けられてきた自分が出来る、恩返しの一つなのだから。

 

 灰色の騎士に退く気配がないと分かったのか、機械兵が剣を振り上げた。

 ()()()()。達人たちの技をその眼に焼きつけ、その身で以て体験したリィンにしてみれば、その一連の動作は蠅が止まる程に遅く見えた。

 腕前は恐らく、素人が少しマシになった程度だろう。軍属ではあるのだろうが、拙い。未熟な自分が他者を評するなど烏滸がましいと分かってはいるが、剣士としての練度は低い。

 

 関節一つを動かすにも全神経を集中させる。脳内での動きと、実際の動きとの遅れ(ラグ)を可能な限りゼロにする。

 此方に得物は存在しないが、まぁ、それならそれでやりようはいくらでもある。

 

 

「《八葉一刀流》八の型―――『雲耀(うんよう)』」

 

 それは、自分の中伝試練を担当した姉弟子の異名の一つと同じ名の技。

 相手の動きと技を、完全に見切って受け流した上で、受け流した力を倍にして次の技に繋げる技。

 その精度は、完璧とは言い難い。リィンの実力では、精々が1.5倍の返撃が関の山だろうが、それでも充分だった。

 

「《八葉一刀流》八の型―――『破甲拳』」

 

 機体を半回転させて遠心力を乗せながら、剣を握っていた機械兵の右腕部分を狙って掌底を放つ。―――結果、機械兵の右腕の関節部分が粉々に砕けた。

 

『なっ……⁉』

 

 操縦者の、信じられないといった感じの声。だが、リィンにしてみれば予想外の事態ではない。

 宙に放り投げられた量産型の巨大剣を、そのまま手にして構える。

 手に馴染むかどうかと問われれば、馴染まないと即答できるだろう。いつも自分が手にしている太刀とは、形も長さも何もかもが違う。

 だが、刃を持った武器である事には変わらない。であれば、己がすべきことは依然変わらず。

 

 機体の足を狙って二閃。普通の武器であれば軽い傷をつけるのが精々であろうその場所に、深い斬線が刻まれる。

 鉄の騎士がガクリと膝をつく。その隙を狙って、その両腕を吹き飛ばしにかかる。

 

「《八葉一刀流》―――三の型『業炎撃』」

 

 炎を纏わせた袈裟斬り。それをまた二連。

 敵を倒す際は確実に戦闘不能にさせる―――それはサラとレイから散々叩き込まれた教えだ。

 

 前へ、前へ、前へ―――自分が守る、守らなければならない。

 勝ちきらずとも、せめて皆が逃げるまでの時間を稼ぐ。未だこの機体が思う通りに動いているとは言い難いが、それでもこの程度なら、と思う。だが……。

 

 

 

『よぉ、リィン。やっぱ強ぇなお前。この程度じゃ相手にならねぇか』

 

 

 

 ”戦い”というのは、そう上手くは事が運ばないものなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 戦争では、何より物量がものを言う。

 無論、寡兵を最大限動かす為の戦術も重要だろう。だが大前提として、数を揃えなければそもそも勝負そのものが成り立たない。

 

 故に、絶対的な物量と戦術を以て、敵に有無すら言わせず叩き潰す。

 

 貴族派の領邦軍が好む戦法はと言えば、単純なところそれであった。

 二足戦術機械兵装”機甲兵”を主軸に、RF社『第一製作所』で量産された重戦車と装甲車を前進させ、その後ろを訓練を受けた兵士たちが追従する。

 

 そも、格式の高い貴族生徒達を保護する名目であるとはいえ、たかだか士官学院一つを占拠するのにこれ程までの戦力が必要なのか、と。そう疑問に思った者も少なくはない。

 特に、選ばれた機甲兵の操縦兵(パイロット)―――通称『竜騎士(ドラグーン)』達は、その慢心が強く出ていた。

 それも仕方がないと言えば仕方がなかった。重戦車以上の機動力を持ち、それでいて機動部隊を半壊させるだけの破壊力を持つ機甲兵であれば、どのような防衛戦力が待ち構えていようが臆することは無い。そう思ってしまうのも無理からぬことだろう。

 

 ―――彼らにとって誤算があったのだとすれば、それはただ一つ。

 

 

 ―――その”防衛戦力”が、人心の慮外に位置する存在であったことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 稲妻が疾った。

 

 その雷光は鉄を容赦なく灼き、斬り潰し、破壊の化身とも言うべき兵器らを容赦なく燃え盛る棺桶へと変えていく。

 それを齎したのは新型の兵器でも桁違いの出力を持つ現代魔法(アーツ)でもない。ただの()()()()()()。それが分隊支援兵器もかくやというほどの破壊力を生み出した。

 

 領邦軍の面々が唖然とした顔を晒したことを、咎められる者はいなかった。慢心していたとはいえ、重戦車の装甲をたかが剣の一振りが突き破り、痛みを感じさせることすらなく搭乗者を焼き殺したのだ。理解するまでに時間がかかっても仕方がないだろう。

 

 だが、それを齎した張本人は、何を思う事も無く肩を回した。

 

「むぅ、やはり寄る年波には勝てんのう。得物を振り回すだけで肩と腰に響くわい」

 

「あら、ご自愛すべきですわ学院長先生。(わたくし)達ももう若くはないのですから」

 

「いやいや、ベアトリクス教官はまだ若いじゃろう。腕前も全く衰えておらんと見える」

 

「それを仰るのでしたら学院長先生もですわ。現役の頃、共和国軍を相手に暴れ回られていた頃を思い出します」

 

 穏やかな口調でそう言いながら、トールズ士官学院養護教諭のベアトリクスはその手に携えたスナイパーライフルの銃口を領邦軍の面々の方へ向けた。

 だが、彼女が狙ったのは一般兵ではなく、後ろに控えていた機甲兵。スコープを覗く事も無く、かなりの重さになる狙撃銃を片手で構えたまま引き金を引く。

 細身の老婆とは思えない芸当だが、その撃ち出された0.76リジュ弾が機甲兵の頭部に設置されたメインカメラを僅かも逸れることなく撃ち抜いたことで、更に戦場は混乱する。

 

「な、なんだ‼ なんなんだコイツら‼」

 

 前線に立っていた若い領邦軍人は知らない。

 

 彼女こそは、嘗て衛生兵でありながら常に激戦区の最前線に立ち続け、愛用の狙撃銃と共に屍の山を築きながら、それと同数の命を救ってきたと言われている伝説の女軍人。

 救える命を救うという一つの使命感を為し続けた者。抵抗すのであれば、文字通り足腰が立たなくなるまで叩きのめしてから強制的に野戦病院のベッドの上に放り込んだという話が、今でもその時代を共に生きた正規軍の将校たちの間では語り草になっている。

 

 そう、()()()()

 

 東部に於いて、共和国軍との戦闘が今とは比べ物にならない程に激化していた時代。日夜国境線を背に防衛と進撃を繰り返す地獄の戦場。

 世間では、C・エプスタインという奇才が導力器(オーブメント)を開発し、しかしそれが日常生活に必須となるまでは浸透していなかった頃。エレボニア正規軍に於いて伝説となった軍人がもう一人いた。

 

 その大男は、蒸気を動力とする戦車が幅を利かせる戦場に於いて、身の丈以上の巨大で無骨な斬馬刀一振りだけを携えて敵陣に突っ込み、阻む全てを薙ぎ倒して進軍した。

 現代魔法(アーツ)などという概念すら導入されていない中、己の内から溢れ出る膨大な風属性の魔力を、破壊を齎す雷に変換して蹂躙したという伝説。

 

 そこから付いた異名が《轟雷》。正規軍に伝わる《百式軍刀術》の中に技を伝授した賢人である一方、若かりし頃は敵は元より味方からも恐れられた軍人。それが正規軍最高司令官である元帥にまで上り詰めたヴァンダイクという男の半生だった。

 

 

 故に、彼らにとってこの程度の環境は”戦場”ですらない。

 抑える事も無い殺意の応酬、人肉と脂が焼ける臭いが鼻腔を腐らせ、撒き散らされる土砂に圧殺され、怒号と絶叫と断末魔が飛び交う地獄こそが彼らの半生が在った場所であり、今眼前にあるのは精々”戯れ”の場だ。

 

 投降を呼びかけるのが悪手であったとは思わない。むしろ当然の事であろう。

 だが、所詮は教職員共などと侮り、嘲笑交じりで武器を向けたからには一定の覚悟をしなければならない。そして、先に口火を切ったからには反撃される覚悟が無くてはならない。

 とはいえ、初手の銃撃はシャロンが地中に忍ばせておいた鋼糸の檻が全て防いだ。その返す刀がヴァンダイクの一撃であり、そしてその一撃が見事に場を制した。

 

「ひゃぁー、凄いですねぇ学院長。軍人さんって皆あんな感じなんです?」

 

「俺に訊かんといて下さいよ……ナイトハルト教官があんな事できると思います? ……いやあの人ならワンチャンできるな」

 

「そこの男性方、好き勝手言ってくれてますけど普通はあんなん出来ませんからね?」

 

「「いやバレスタイン教官ならできるでしょ」」

 

「残念ながら私、あそこまで人間やめてないので」

 

 事実、サラの力では時間を掛けて重戦車一台を一時的に行動不能にするのが精々だ。魔力反応装甲(マギアティブ・アーマー)を搭載していることが多い重戦車はそれそのものが小さな要塞である。本来であれば、人間が単身で挑んで敵う相手ではない。

 

 だが、”達人級”の武人ともなると話は別だ。

 存在そのものが一つの破壊兵器と言ってしまっても過言ではない。常識という枠に当て嵌められないその理不尽さ。

 眼前の《轟雷》と《死人返し(リヴァイバー)》がその証拠だ。尤も、ベアトリクスの方は銃の腕そのものが殊更に評価されているわけではないが。

 

 しかし、それでも。

 常識の枠を超えられない者は、超えられないなりの戦い方というものが存在するのだ。

 

「ひ、怯むな‼ 何をしている‼ 栄光あるクロイツェン領邦軍がこの程度の障害に臆するな‼」

 

 圧倒的な”個”の戦力差を前にして、しかしそれでもまだ物量による制圧を執行しにかかる。

 燃え盛る戦車と膝をついた機甲兵を押しのけるようにして、更に二機のドラッケンが前進する。そして先手必勝とばかりに巨大剣を振るうものの、その軌道は空に向かって掲げられた斬馬刀によって遮られた。

 

「ふむ、では少し足止めをさせて貰おうかの。バレスタイン教官、そちらの相手は任せましたぞ」

 

「……了解です。シャロン、ちょっと手ぇ貸しなさい」

 

「承知致しましたわ」

 

 右手に持った導力銃をリロードし、一歩前へ出る。

 

「腕は鈍ってないわね? 元《執行者》」

 

「勿論ですわ。サラ様こそ、大物喰いの方法は忘れていらっしゃいませんね?」

 

 上等、と一声返すと、まずサラが機甲兵(ドラッケン)に向かって疾走する。

 その速さは異名に違わぬ速さだったが、距離の影響もあって懐に潜り込まれるまでには猶予があった。

 

『馬鹿め‼』

 

 だからこそ搭乗していた貴族兵はその蛮行を嘲笑うかのように吼え、地面スレスレに大剣を薙ぐ。

 その後が彼に思い通りであったのなら、愚かにも人力で機械兵に挑もうとした女の上半身が宙を舞っていただろう。

 だが、その直後に彼が見たのは―――。

 

「破壊力は確かに一級品ね。でも、()()。その程度で竜騎士(ドラッケン)を名乗ろうなんて、ジョークにしてもセンスがないわよ?」

 

 振り抜いた左腕の関節部分に、まるで佇むように立つ赤髪の戦士。そして。

 

「灯台の下は暗くなるのが定め。足元がお留守ですわ」

 

 紫髪のメイドによって完全に地面に縫い付けられた両脚の駆動部分。

 それらの挙動を、その貴族兵は全く視認する事すらできなかった。それもその筈。機甲兵に搭乗したことで人の身以上の機動力と破壊力を再現する事はできたが、動体視力等の能力まで上がったわけではない。

 これは機甲兵だけに限った話ではない。どれだけ最新鋭の兵器を揃えたところで、使い手がその性能を発揮できなければただの鉄塊に過ぎず、ましてや搭乗を必要とする程に巨大な兵器であれば、使い手の才能すら求められる。

 

 ある意味では、それは機甲兵という兵器の欠点であるとも言えた。

 ”訓練如何ではあらゆる兵士が使いこなせる”という、最良の武器であるための条件の一つが欠けてしまっている。

 才能が無い者は、使えはするが、使いこなす事はできない。近接戦闘も可能な人型兵器で戦うというのはそういう事だ。

 

「『鳴神』‼」

 

「暗技『針郎花(はりなえし)』」

 

 超至近距離から叩き込まれる紫電を纏った銃撃と、追加で地面を突き破って現出した鋼糸の槍衾。

 反応は出来ていない。動きが完全に拘束され、銃撃をモロに正面から受ける。―――が。

 

「チッ、流石に硬いわね」

 

 それなりに魔力を込めた導力弾ではあったが、機甲兵(ドラッケン)は僅かに仰け反っただけでダメージが入った様子はない。

 

「如何ですか、サラ様」

 

「ああは言ったけれど、やっぱりちょっと面倒臭いわね。対魔加工クロムスチールの強度じゃありえないわ。更に強化を加えた素材をかなり重ねてるわね」

 

「では、手詰まりと?」

 

「馬鹿言ってんじゃないわよ」

 

 吐き捨てるようにそう言うと、サラは再び武器のリロードを終わらせる。

 状況的には不利だ。あまり時間をかけられない戦いである以上、細かく策を練ってもいられない。

 それでも、サラの頭の中に敗北の二文字は存在していなかった。

 

「こちとら元猟兵よ。デカブツとの戦いなんて慣れっこだし、可能性が絞られた戦況なんて珍しくもないわ」

 

 機甲兵(ドラッケン)が体勢を立て直す。その攻撃は大振りだが、時間をかければ被弾の可能性も生まれてくる。そしてそれは、ほぼ即死に直結するだろう。

 故に、サラは決して緊張の糸を張り巡らせたまま緩めない。一瞬の油断が取り返しのつかない悲劇を生む―――義父が死んだあの戦場で、それを痛いほどに理解していた。

 

「『エアリアルダスト』‼」

 

 風属性の高位アーツ。下部から巻き上げる巨大な竜巻が機甲兵(ドラッケン)を包み込む。だが、魔力は表面上しか込めていない、謂わば虚仮脅しだ。

 

「あの生意気な装甲ブチ抜くわよ。シャロン、アンタは鋼糸を絡めて”銀”で足止めしなさい」

 

「……危険ですわ、サラ様。恥ずかしながら、未だ制御しきれておりません」

 

「成功率は?」

 

「低く見積もって6割……高く見積もって8割強程度かと」

 

「上等。命を預けるには充分だわ」

 

 稼いだ時間は10秒にも満たない。だが、パートナーとの意思疎通を完成させるには充分な時間だった。

 嘗ては殺し合った関係だ。陽が落ち、陽が昇り、また陽が落ちてもまだ戦い続けた。それだけ殺意を向け合えば、互いの実力くらいは推し量れる。

 そして何の因果か、今度は背を預ける戦友として此処にいる。互いに守るべきものを持ち、そして同じ男を好きになった者同士。

 こんなところで、こんなド三流相手に死ぬわけにはいかないのだ。

 

 機械仕掛けの腕が、再びブレードを振り上げる。単調だ。今ならばまだ避ける事は充分可能。

 だがサラは、敢えてその攻撃の範囲に真正面から飛び込んだ。遂に観念したかと嘲笑を漏らす操縦者。だがその直後、カメラ越しのその視界に―――銀色の蝶が舞った。

 

「動きを止めなさい、【銀蝶(アスィミ)】」

 

 対象の状態異常耐性の一切を無視して特定の状態異常を押し付ける【霊操式】の呪術。

 霊水から産み出された銀色の幻蝶が齎すのは”凍結”の状態異常。気紛れな精霊は操者の意に沿わず勝手気ままな行動をする事もあるが、今回はその役目を全うし、機甲兵(ドラッケン)の両腕を行動不能に陥れた。

 更に、両脚を鋼糸が拘束し、一時的ではあれど巨大な機械兵をほぼ完全に機能停止させる。その一瞬さえあれば、サラには充分過ぎた。

 

 三撃撃ちこむ。しかしそれでは足りない。

 斬撃を叩き込む。しかしそれでも足りない。

 強化クロムスチールで構築されたそのボディには、高濃度の魔力を込めた攻撃ですら僅かな傷を残すだけに留まる。

 見ろ、無駄だ。貴様の攻撃は届かない、と勝ち誇る。それは決して間違っていない感覚だった。―――相手が元猟兵(殺しのプロ)でなかったなら。

 

「一つだけ教えてあげる。迫ってくる死の感覚は、なるべく覚えておいた方がいいわよ」

 

 導力銃の銃口を、今まで攻撃を集中させた傷の中心に突き付ける。

 実弾とは異なる導力銃の銃弾は、基本的には銃内部に仕込まれた導力機構から生み出される魔力で構成される。その為、使用者の魔力の多寡に関係なく一定の威力の攻撃を、導力機構が摩耗するまで実質無制限で放ち続けることができる。

 だがサラの持つ導力銃《ディアボロ》は、彼女が猟兵時代から愛用している特注品だ。内部に仕込まれている導力機構は、引き金にかけた指から送り込まれた魔力をほぼ完全に弾丸へと変換する。魔力を込めれば込める程、凝縮すればする程、放たれる最小単位の雷光は必殺へと近づいていく。

 

 そして、その匙加減をサラが過つ事は無い。

 猟兵団《北の猟兵》の元団員。若くして数多の戦場を生き抜いたその経験が、その引き金にかけられた指に籠っていた。

 

 迸る碧の灼光。限界ギリギリまで凝縮した風の魔力を撃ち込む。

 ただ、それでも一撃で機甲兵(ドラッケン)の装甲を完全に打ち砕くには至らない。サラが元来保有する魔力は特段多いとは言えず、これまでの戦闘で消費した分も考えると不足している。

 だが、充分だった。力業だけが、状況を突破する全てではない。

 

 ―――『鳴神(なるかみ)兇夾(きょうさ)

 

 複数方向から撃ちこまれた衝撃が交差する場所。その中心点に最大打点の攻撃を叩き込む。

 そうする事で、深く、深く穿つ。それこそ、機甲兵(ドラッケン)の中心機構を破壊する程に。

 

『なっ……ガッ……』

 

「命までは取らないでおいてあげるわ。もっとも、それなりに感電はさせたから生涯半身不随かもしれないけどね」

 

 情けを掛ける意味は無いが、無暗に殺す意味も無い。ヴァンダイクは()()()()の為に装甲車を容赦なく叩き斬ったが、警告が先んじるような段階での戦場では、矢鱈な殺害は不利になる事もある。

 

 少し離れたところを見ると、既にもう一機の機甲兵(ドラッケン)は沈黙していた。

 胴体部分が真っ二つに()()()()()()()()が、コックピット部分に問題はないだろう。それを見ていた領邦軍の面々も、意気消沈しているように見える。

 

 これで少しは時間が稼げる―――そう思っていた。

 

 

 

「ほぅ、参謀殿の要請に従って来てはみたが……中々に活きの良い獲物がいるではないか」

 

 殺意より重い何かが、サラとシャロンの体躯に圧し掛かった。

 単純な力量差、という問題でもない。()()()()()()()()()()()()()()という、ただの事実を突きつけられている。

 巨大な獅子を前にして、子兎が出来る事など何もない。精々が背を見せて逃げる事ぐらいだろうか、それも叶わないとあれば、せめて食らいつく意思は見せなければならない。

 

「《紫電》、それに……ククッ、そちらのメイドも良い殺気を放つ。奥の《轟雷》殿と《死人返し(リヴァイバー)》殿を相手にする前に、其方らを相手にするのも一興か」

 

 一点の曇りもない銀色の髪が揺れる。右手に携えられた豪奢な装いの大剣が、軋む程の覇気を宿して牙を剥く。

 その女の事は良く知っている。遊撃士だからではない。ラインフォルトのメイドだからでもない。この国で十指に入る武人を挙げよと問われれば必ずその中に入る者の事を、知らない筈がない。

 

「《黄金の羅刹》……‼」

 

「オーレリア・ルグィン様……」

 

 若くして帝国の武の二大名門、《アルゼイド流》と《ヴァンダール流》の免許皆伝を果たした天才。その師をしていずれ己を超える高みへ至れると評したその強さは、”達人級”以外の何物でもない。

 導力銃と剣を握り続けてはいるものの、勝てるビジョンが全くもって見当たらない。それは、シャロンも同じだろう。

 以前にも”達人級”―――リディア・レグサーと名乗った少女と相対したが、その時のものともまた違う。より尖り、より洗練された、一分の隙も無い在り方は、空恐ろしいという感覚を既に通り越している。

 

「……その参謀殿に言われて、トールズを()()()来たという事かしら?」

 

「さて。その辺りは想像に任せるとしよう。それで? 貴様らは私の前に立ち塞がるのか?」

 

 それは、無自覚の警告だった。

 このまま己に立ち向かうのならば、殺す事さえ厭わない。言外に彼女はそう言っていた。

 

 自分たちがあの剣の錆になるまで、一体どれほど持ちこたえられるか。十秒か? 一分か? それとももう少し保つか?

 サラとシャロンの脳内では、既にどれ程長く生きられるかという思考で停滞していた。

 一人が立ち向かって囮になれば、もう一人は生かせる―――そう思って一瞬だけ互いを見やったが、無理矢理笑みを引きずり出すだけで終わった。

 甘い考えだ。正真正銘の達人相手に一人で立ち向かうなど愚の骨頂。その程度で逃げおおせる程、制裁与奪が握られた戦いというのは生易しくない。

 

 枯渇しかけた魔力を内側から絞り出す。暴走しかける直前まで呪力を励起させる。

 そうして戦う意思を示した二人を前にして、《羅刹》は笑う。嘲笑ではない。蛮勇に対する侮蔑でもない。力量差を理解していながら、それでも守らなくてはならないものを護る為に立ち塞がる覚悟に対する称賛だ。

 

「貴様らを前座扱いしたことは謝罪しよう。一刀で終わってくれるな。二刀を凌ぎきってみせろ。三刀に至れば―――私の負けだ。疾く去るとしよう」

 

「ハンデってわけ? ナメられたものね」

 

「否。武人は得物の一振りに魂を込めるものだ。故に、二振り。()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………」

 

「故に、それで仕留められねば私の負けだ。そこの領邦軍や《轟雷》らも、この死合いを決して邪魔するなよ?

 

 大剣を構える。その僅かな動きだけでも、大気が震え立ったような錯覚が起こる。

 未だに武器を構えていたクロイツェン領邦軍の面々はその圧だけで完全に腰を抜かした。割って入ろうとしたヴァンダイクも、足を止める。

 

 本来であれば、強引にでも割って入らなければならない戦いだ。馬鹿にするわけでも何でもなく、あの二人では絶対に《黄金の羅刹》には叶わない。だからこそ、対等に渡り合えるであろうヴァンダイクが凌ぎ合わなければならない戦いだ。

 

 だが、それでも立ち入れない。

 ヴァンダイクは、久しく感じていなかった感覚を思い出した。己がまだ若く、この斬馬刀を担いで戦場を駆け巡っていた頃を。今よりも精強な武人たちが戦場を駆け巡っていた頃を。

 策謀を巡らすのもいいだろう。闇夜に紛れて敵を討ち、毒を以て嬲り殺すのも、死の動揺の隙をついて殺すのも戦場の冷酷さの一面だ。

 しかし、そのような悪徳の中に在っても、一流の武人が求めるものはいつの時代も変わらない。

 

 覚悟と覚悟を賭けた真剣勝負。そこには何人たりとも立ち入ってはならない。

 

 最初に視線を向けられたのはシャロン。それを感じ取る前に、彼女は鋼糸を何重にも編み込み始める。

 ”アレ”を前に、霊操術は悠長だ。効果が表れる前に死撃が此方の命を狩り取りに来る。故に、今励起できる呪力の全てを身体強化と武器の耐久力強化に回す。

 武器も広範囲には展開させない。自身の身体を守れるだけの分を限定的に伸ばし、密度を限界まで高くしていく。

 

 彼女は元々暗殺の世界に生きた人間。”達人級”の中でも高位に当たる存在相手に正面切っての斬り合いをして勝ちを捥ぎ取れるとは思っていない。

 だが、一撃を凌ぎきるだけならば生き残れる可能性がある。メイドとしてスマートな戦いを、などとは勿論言っていられない。例え醜く足掻こうとも生き抜かねばならない理由が、今の彼女には確かにあった。

 

「行くぞ。凌ぎきってみせよ」

 

 柄を両手で握り、大上段からの振り下ろし。基礎中の基礎とも言える攻撃であったが、基礎を極めきった達人がそれを行えば、それは地形すら変える一閃となる。

 その直前、シャロンも編み込み続けた鋼糸を身体の前面に解放させる。華やかさなど欠片もない、しかし確実な硬さを持った技を拡げた。

 

「『覇王斬』ッ‼」

 

「暗技『針屋戸(はりやと)・三連』‼」

 

 大剣から繰り出された剣気は、地面を深く抉りながら一直線にシャロンへと迫る。

 それはまるで津波のようだった。自然の大奔流にも劣らないレベルのエネルギーが人間から容易く放たれたことに、しかし驚くことは無い。

 それが達人の域に足を踏み入れた武人というものだ。常識的な人間が考える限界というものを上回る。心身共にそれを為し得た者が”そう”呼ばれている以上、それを見せつけられて尚思考を止めない者だけが、彼らに諍う権利を持つのだから。

 

 限界まで密度と強度を高めた鋼糸の盾。それが三枚。強大な攻撃を受け止めるには些か以上に物足りなくはあるが、現状彼女が仕立てられるのは此処が限度。

 チラリと、サラの表情が見えた。シャロンの身を案じるような、しかし嘗て自身と同等以上に戦った者が容易く押し負ける筈がないという強い光も混じっている。

 それに対し、シャロンはいつもの柔和な表情を一瞬だけ見せた。昨夜愛する人と交わした言葉、それを遺言とするわけにはいかないし、何よりラインフォルトに仕えるメイドとして、お嬢様(アリサ)と今生の別れになるというのは耐えがたい。

 

 鋼糸の盾が攻撃を受け止めた瞬間、途轍もない負荷が彼女の両腕に圧し掛かった。

 気を抜けば骨どころか腕そのものが千切れてしまいそうな衝撃。しかしそれに耐える。これで気をやってしまえば確実に死ぬ。それが分かっているのだから、僅かも糸を手繰る手先を緩めない。

 

 一枚目が耐えきれずに、断ち切られて解ける。聴き慣れた筈の鋼が徐々に擦り切れていく音が、今はこれ以上なく彼女の神経をも削っていく。

 指先が、血に塗れていく。お嬢様(アリサ)に羨ましいと言われたこともある手入れの届いたそこが、今は見る影もない。

 それでも、諦めはしない。激痛を意識的にカット。緩めてしまえと脳内の片隅で囁く悪魔の声を無視し、解けてしまった鋼糸すらも再動員して剣気を抑え込みにかかる。

 

 二枚目の盾が破壊される。その余波で左目近くの頬が切れた。

 後数センチズレていれば片目の失明も有り得たそんな状況ですら、瞬き一つせず脅威に立ち向かい続ける。

 もう後がない。此処が突破されてしまえば、もう自分を守るものはなくなる。呪力も膂力も何もかもを使い果たした女一人、殺し切るのは赤子の手を捻るより簡単だ。

 

 ()()()()()()()

 目尻を吊り上げ、自らの血に濡れた唇を噛みながら、シャロンは心の中でそう吼えた。

 

 可能な限り強度を上げる。少しでも技の威力を削り落とす為に。

 精神力が焼き切れそうな感覚が弾けるが、意識を引き戻す。受け止めているのはたった一撃。だがその一撃は、自身より遥か先を行く達人が放った、魂の斬撃だ。

 

 故に、それを弾いた瞬間、シャロンは後方へと大きく吹き飛んだ。

 

「見事」

 

 オーレリアのその賛辞が、結果を雄弁に物語っていた。

 吹き飛ばされたシャロンは、立ち上がる事すらままならなかった。意識は飛んでいなかったが、両手の指は一本たりとも動かず、両脚も既に限界を迎えて彼女の意のままに動かせなくなっている。

 しかしその双眸は、未だオーレリアを捉え続けていた。その殺気をまるでそよ風のように受け流しながら、羅刹の名を冠する将軍は再び大剣を握る手に力を籠める。

 

「貴様はどうだ?《紫電》」

 

 私の魂を凌ぎ切れるか、と。言葉で語るよりも先に切っ先が超高速で空を切り裂いた。

 今度は斬撃が飛んできたわけではない。ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、大剣を振るっただけだ。

 

 意識に間合いに滑り込むような歩法―――東方で”縮地”と呼ばれるそれを、オーレリアが何処で学んだのかは知らない。知らないし、今はそれを考える暇などサラにはない。

 

 『雷神功』―――起源属性の一つである”風”。その中の雷の魔力を全身に行き渡らせて身体強化を施す。

 しかしそれだけでは足りない。普段ならば絶対に回さない深部の魔力も全て励起させる。代償として数分後には行動不能になってしまうだろうが、それを出し惜しみして叶うような相手ではない。

 

 正面から大剣を受け止める―――受け止めざるを得なかった。

 自分の常識を超えた衝撃が掛かる事は覚悟している。だが、それを覚悟していれば一撃くらいであれば耐えられると、そう思ってしまった。

 

 

 大地が、震えた。

 頭上からまるで巨大な鉄塊が落ちてきたかのような衝撃を受け、両脚の骨が軋み、石が敷き詰められた街道に罅が入る。

 

 オーレリアの腕は、そこまで太いわけではない。妙齢の女性らしい、どちらかと言えば細腕の部類に入る程だ。

 だが、そこから放たれた攻撃は隕石の如し。一体何処からこれ程巨大なエネルギーが生まれているのか想像もつかない。

 

 サラがそう思ってしまう程に、オーレリア・ルグィンが有する氣の総量、そしてその研磨の練度は高かった。

 帝国二大剣術、《アルゼイド流》と《ヴァンダール流》を若くして修めた才は違う。彼女は膨大な量の氣を、”斬”ではなく”剛”の方向へと研磨することに長けていた。

 引き斬るのではなく、()()()()。ヴァンダイクが至った境地もそこであったが、オーレリアはそれを更に研ぎ澄ませた。

 

 柔よく剛を制す、というのは良く言われる武術論であるが、彼女のそれは”剛を以て柔を潰す”。それに尽きた。

 通常であればそれは武を知らぬ愚か者の言と馬鹿にされるだろうが、才溢れた”達人”がそれを語れば、それは一つの真理になる。

 

 膂力に関しては既に、《光の剣匠》ヴィクター・S・アルゼイド、《雷神》マテウス・ヴァンダール―――二人の師をも上回っていた。

 《黄金の羅刹》。その異名は決して形ばかりではない。獅子戦役時代に鍛えられた宝剣を手に、まさに羅刹()の如く蹂躙する。

 その攻撃を真正面から受け止めるなど、レイですら忌避するだろう。だが、サラはそうせざるを得なかった。

 

「(なん……って力よ‼ この女ホントに人間なんでしょうね⁉)」

 

 そんな事を反射的に考えてしまう程の余裕が僅かばかりでも残っていたのは、剣を振るったオーレリアが()()()()()()()()()()()()()()()()からだろう。

 事実。オーレリアはシャロンの件と並んで、昂ぶりで笑みを漏らしていた。

 

 全力ではないとは言え、己の剣を正面から受け止められたのはいつぶりだろうか。

 副官であるウォレス・バルディアスとは、職務の関係もありもう長い事手合わせをしていない。まさか、”準達人級”の武人に成せるとは思ってもみなかった。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 少しばかり腕に込めた力を増やしていく。それだけでサラの身体は沈んでいき、その頬を伝う汗は増えていく。

 

「どうした《紫電》。この程度か?」

 

 挑発じみたその言葉。その言葉に触発されたわけではない。

 膂力と圧で敵わない事は明白。だが、この場を生き抜かなければならない。

 ならばどうする。どう切り抜ける? 此処から「弾き返せる」とは微塵も思わない。あまりにも彼我の実力差がありすぎる。

 

 あぁそういえば、と。サラはこの状況にも関わらず、とある事を思い出していた。

 ()は確か「そういう」技を使っていた。”剛”の技を受け、そして「流す」技を。

 

 だがアレは、武の高みに至った者が集中力を研ぎ澄まして漸く成功する技だ。それをたかだか()()()()()()()()でしかない自分が実行して成功する保証などどこにも無い。―――それがどうした?

 

 受け止めている剣に流している魔力と氣力を縦方向から少しずつズラしていく。

 本当に僅かずつ。それこそオーレリアですら気付かない程に。ここの調整をミスすれば、サラ側の抵抗力が皆無になり、防御している剣ごと脳天を叩き割られてしまうのは想像に難くない。

 やがて、オーレリアが叩きつけていた大剣の刃の向きが、数ミリだけ右側にズレた。

 

「―――ほぅ」

 

 感嘆の声を漏らすオーレリア。しかしその瞬間にはサラの目論見は終わっていた。

 攻撃が加えられている方向が一定ではなくなった以上、その僅かなズレを「最大」にしてやればカタが付く。

 

っ―――らアァァッ‼

 

 咆哮。最後に残った全ての力をそこに注ぎ込み、攻撃の角度を逸らす。

 結果として、それは成功した。オーレリアが振り切った大剣が叩き割ったのは地面に敷かれた石畳。その余波が数アージュ先の地面まで抉り斬ったのを見れば、その攻撃の強大さは充分垣間見える。

 

 八洲天刃流【静の型・桜威(さくらおどし)】。当人であれば今の行程をより早く、より正確に、より低負担で行うだろう。

 真に辿り着くなど夢のまた夢。サラがこれからの生涯全てを掛けて果たして叶うかどうか。

 だが、今回は上出来だろう。見様見真似の猿真似ではあったが、結果的に自分の命を拾う事は出来たのだから。

 

 片膝をつく。過度の魔力欠乏により混濁し始めた意識をなんとか現実に留め置きながらオーレリアを見上げる。―――彼女は実に良い笑みを浮かべてサラを見下ろしていた。

 

「見事」

 

 二度目の言葉。嘘も偽りもない純度100%の賛辞。

 

「約束は守るとも。私はこれ以上歩は進めん。貴様らの武威に免じてな」

 

 大剣を背負った鞘に収め、オーレリアは視線だけをトリスタ方面へ向けた。

 すると、彼女の一言で進行を妨害されたクロイツェン領邦軍の隊長が怒気を荒げながら近寄ってくる。

 

「ルグィン伯‼ 一体これはどういうおつもりか‼」

 

「先程言っただろう。総参謀殿―――ルーファス卿の要請に従って参ったのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()」 

 

「なっ……‼」

 

「総参謀殿は私にトリスタを占拠せよとは仰らなかったのでな。しかし、この有様を見るに考えを改めるべきだったか?」

 

「何を、仰りたいのですか?」

 

「慢心した挙句にこの体たらく。調練もまともに済ませていない兵を乗せて、達人が混ざる防衛戦力を突破しようなどと浅薄にもほどがある」

 

 ピシリ、と地面に放射状の罅が入った。その声には、有無を言わせぬ凄味があった。

 オーレリア個人の戦闘スタイルは攻め一辺倒の分かりやすいものではあるが、司令官としてはまた違った一面を見せる。

 何より《理》に至った武人だ。彼我の戦力を顧みての作戦立案などは朝飯前。そんな人物から見ても、達人の効率的な排除というのは長考せねばならない問題だ。

 或いは己も同じ階梯に至っているが故の悩みではあるだろう。「自分が直接赴いて排除する」というのが一番手っ取り早くはあるが、それが戦術とは言えないということくらいは理解している。

 

 正面からの銃撃は基本的に通用しない。戦車砲ですら防ぐ者は多い。長距離狙撃ですら、着弾直前に殺気を察して避ける者がいる。

 一人を排除するのに、膨大な時間と仕込みと人員を浪費するか、同等の力を持つ達人を相討ち覚悟でぶつけるか。いずれにせよ確実性には欠ける。

 そのような難題を前にして、楽観視で挑むなど言語道断。現にそのせいで、兵を無駄に幾人か失っているのだ。

 

「貴族連合全軍に参謀長殿から指令は出ているであろう? ”機甲兵の力を過信するな”と。貴殿はそれを怠った。力任せに突破するのであれば、戦力の逐次投入は愚策であったな」

 

 部隊長は歯噛みする。それに対して何も言い返せなかったからだ。

 

「とはいえ、ラマール領邦軍総司令の私が他州の領邦軍の指揮を執るわけには行くまい? トリスタは双龍橋付近に陣取る機甲師団を撃滅させるための橋頭保として占領しておけとは通達されているが……まぁ後数時間もすれば痺れを切らした中央から増援が来るだろう。貴殿らはそれまで最低限のラインを確保しておけば良いのではないか?」

 

 言外にこれ以上の醜態を晒すなと言われ、握り拳を震わせる。歴史あるクロイツェン領邦軍の精鋭が、()()()()士官学院の教員数名に抑え込まれたとあっては、アルバレア公は激怒する事だろう。手柄を後から来た軍に掻っ攫われたとあっては、重い処分は免れない。

 何が何でも、どのような犠牲を支払わってでも此処を突破しなくてはならない―――現時点では指揮官として愚行としか言いようのない策を発令しようとした直前、別の声が割り込んできた。

 

 

「そこまでにしていただきたい‼」

 

 張った声が、街道に響き渡る。

 教員たちも、領邦軍兵士も、部隊長もオーレリアも、その声の主の方に視線を向ける。

 凡そ様々な感情が入り混じった視線を一点に受けながら、その人物は臆することなく堂々と領邦軍の前に立った。

 

「ぼ―――私の名はパトリック・T・ハイアームズ‼ フェルナン・ハイアームズ侯爵の三男だ‼」

 

 『四大貴族』が一つ、南部サザーランド州を治めるハイアームズ侯爵家の末子。その名が出ただけで、領邦軍の面々はざわつき出す。

 家名で言えば此処に集った者達の中でも最上級。当主ではないとはいえそのような人間に武器を向けるわけにいかず、互いに顔を見合わせながらも次々に銃を下ろしていく。

 

「これはこれは。かのハイアームズ候の御子息がトールズに通っておられたのは存じておりましたが、既にセントアークにお戻りになられている頃合いかと思っておりました」

 

 阿るような、揶揄するような、貴族特有の言葉回しを理解しながら、しかしパトリックは眉一つ動かさずその言葉に応える。

 

尊き者の義務(ノブリス・オブリージュ)を果たさずに己だけ逃げ出すなど笑止千万。アルバレア公の子息が戦いに赴いた以上、トールズを護るのは私の義務だ」

 

 強い者が弱い者を護る。それは決して、傲慢の発露として使われるべき事ではない。

 以前の、入学したての時のパトリックであれば、既にこの場にはいなかっただろう。侯爵の子供であるという事を鼻にかけて居た頃なら、学院にいる平民生徒を護る気概など無かった筈だ。

 

 だが、今は違う。多少なりとも変わるきっかけになった同級生たちの事は今でも少々苦々しくは思っているが、それでも貴族とはどう在るべきかを己なりに考えられる程度には落ち着いたと言える。

 そして彼は今、その家名に恥じぬ責務をその身に負おうとしていた。

 

 

 

「学院に残っていた生徒は、貴族、平民を問わず()()()()()()を使って全員避難させた。よって現在学院に残っているのは私と、教職員の方々だけ。この面々が人質となるのと引き換えに、トリスタへの不干渉を約束して貰おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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覚悟を謳う者達 後篇

 

 

 

 

 

 

 高速移動する巨体、というモノとの戦闘経験は、それなりに積んでいたつもりだった。

 見上げる程の体躯の魔物と戦い、勝ち、個の質を数の連携で上回ってきた。

 

 実際、それは正しい戦い方だった。思考力で上回れるのなら、連携力で上回れるのならば、それを以て勝ちを拾うのは恥ではなく名誉だ。

 だが、もしそれが()()()になったらどうなるだろうか?

 

 相手がもし同じ人間だったら?

 力量がこちらの個々人の全てを凌駕していたら?

 連携すら意味を為さない程に強力な能力を有していたら?

 

 そういった相手を前に確実な”勝ち”を拾える力。

 

 

 それこそが、今のⅦ組(彼ら)に求められている力だった。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 その機体の名は”ケストレル”と言った。

 全高は6.8アージュ。重量は汎用機体(ドラッケン)よりも一回り軽い4.6トリム。防御性能で言えばドラッケンにも劣る機体だが、その強みは機動力にあった。

 

 元より帝国が有する主力重量級戦車よりも機動力で勝る事をコンセプトの一つとして開発されたのが機甲兵という存在だが、ケストレルはその長所を更に顕著にした()()()である。

 単体の攻撃性能そのものは長所を尖らせるために犠牲にはなったが、それでも”対人戦”においてそれが欠点となる事はまずない。

 なにせ武器の重量だけでも最低でも数トリムは下らないのだ。”準達人級”、それも最上位クラスの、魔力と氣力で身体能力を劇的に飛躍させることができる武人が相手でもなければ、彼らが劣る事はまずないのだ。

 

 

 防御アーツ『ラ・クレスト』の土壁が、連続で繰り出された斬撃に切り刻まれる。

 空中で分裂した刃が、アーツを発動した後の硬直で足が止まっていたマキアスの頭部に迫り―――しかしその軌道を横から放たれた『クリスタルエッジ』が逸らす。

 

『足を止めるなマキアス‼ ガイウス、そこの馬鹿をいったん下がらせろ‼ ミリアムはそこを動くな、エマを守り通せ‼』

 

 次々と高純度の戦術リンクを介して命令を飛ばすユーシスの顔に余裕は一切見えない。

 オルディスの地下で戦った時も余裕などは微塵も無かったが、その時とはまた違った危機に直面している。

 あのバケモノとは異なる。動きそのものはそれなりに予測が出来るというのに、質量が桁違いなだけでこうも変わる。それはユーシスも理解していた。

 

『諦めなさい。アナタ達じゃあどう足掻いてもこのケストレルには勝てないわ』

 

 そうして再三突き付けられるのは降服勧告。己の勝利を疑わず、さりとて此処で足止めを続けられても煩わしい―――そういった思惑が透けて見える。

 それでもこちらを一思いに潰さないのは人道に則ったものなのか。それとも、彼らのリーダーの知り合いに向けられた同情なのか。

 

 どちらにしても、()()()()

 

「諦めろだと? 玩具に乗って気分が舞い上がった()()()()がよく吼える。情けを掛ける相手は良く選ぶべきだ」

 

『ッ……‼』

 

 苦虫を大量に噛み潰したような表情をしているのが透けて見えるようだった。我ながら悪い性格をしているというのは自覚していたが、それで勝ちの目を拾えるのなら安いもの。

 

 リィン(重心)はいない。レイ(最強)もいない。であれば、ユーシス・アルバレア(この程度しかできない自分)が使命を全うするしかない。

 勝利条件は決して間違えない。敗北条件も間違えない。欲を出さず、慢心せず、自分たちが為すべきことをただ為して最悪から脱する。

 

 兄上であればこの状況下であっても打開できる策を見いだせるのかもしれない―――そう思いそうになり、ユーシスはその思考をすぐさま霧散させた。

 意味のない仮定だ。確かにそうであるかもしれないが、そうであったとして、この場を切り抜ける何の役にも立ちはしない。

 

 

 轟音を伴って、巨大な蛇腹剣が此方の全てを薙ぎ払いにかかる。

 だが、巨体であるが故に完全に地面と水平に薙ぎ払うのは不可能。そしてどれだけ軽量級であったとしても、数トリム単位の機械が生身の人間と同じ速さで動くのも同じく不可能。であれば、回避する余地はある。

 とはいえ、これだけの質量の金属の塊が当たれば、即死は勿論免れない。その恐怖を乗り越えて全員が回避に成功できたのは、偏にこれまでの経験がものを言ったと言えるだろう。

 

『チィッ‼ ちょこまかと……‼』

 

 搭乗者(スカーレット)の声も、今は聞こえない。

 

 得物を振り抜いた状態から、再び攻撃可能状態になるまでの時間。それは今まで何とか凌いできた死闘の間に何とか探り当てた。

 5()()。先程ユーシスはスカーレットの事をああいう風に誹ったが、その程度のインターバルで再攻撃を放てるようになるまで一体どれだけの試乗を重ねたのか。

 だからこそ、このまま同じことを続けても回避し続けられるという保証はどこにもなかった。いつかはその刃が誰かを捕らえ、凄惨な死に方をした仲間を見て動揺した誰かがまた狩られる。そうしてこちらの敗北条件が整ってしまう。

 

 故に、仕掛けるならこの5秒間。

 相手が頭に血が上って攻撃以外を考えないであろうこの攻撃の隙間を縫う。

 その作戦を、ユーシスは既に皆に通達してある。中々にハイリスクな作戦に、通達当初はリンク越しに動揺が伝わってきたが、それも数秒で落ち着いた。

 

 『了解だ。僕たちの命、癪だが君に預けよう』

 

 そう真っ先に言ったのは、意外にもマキアスだった。それに次いでミリアムがいつものように能天気に返事を返す。そうして他の皆も―――というのがつい10分前。

 

 実のところ、このケストレスと戦闘状態に入ったのはそれほど前の事ではない。

 ユーシスの体感にして30分前程だろうか。精神的には数時間ほどの時間を費やしているように思えるのは仕方のない事だろう。

 

 脳が焼き切れそうな感覚に陥る。この5秒に全てを賭けなければならない。

 失敗すれば敗北は必至。自分は何も約束を守れず死んでいくだろう。それが、堪らなく嫌なのだ。

 

 

 

 ―――5

 

 

 

「『グラヴィオン・ハンマー』‼」

 

「『イクシオン・ヴォルト』‼」

 

「『ブルーアセンション』‼」

 

 アリサ、エマ、エリオットの順でアーツを飛ばす。

 全てが同時に着弾するわけではない。詠唱が終了し、魔力が形を得て対象に影響を及ぼすまでにかかる時間はその種類ごとに差異がある。

 それら全てを計算に入れた上で、戦術リンクを介してコンマ数秒単位に至るまで誤差なく同時に発動させた。

 

 ただし、狙うのは機甲兵本体ではない。

 今に至るまで数度攻撃アーツをケストレルに当てているが、本当に効いているかどうかすら怪しいレベルの効果しかなかった。

 最初に放った攻撃がほぼ通じていなかった―――その時点で、ユーシスは既に「対象の撃破」という勝利条件を捨てていたのだ。

 

 故に、狙うのはその()()

 

 

 

 

 ―――4

 

 

 

『何、を。その程度でケストレルの体勢が崩れると思っているのかしら⁉』

 

 如何に軽量化されているとはいえ戦車以上の機動力を謳った戦術兵器。アーツ攻撃の余波程度で体勢を崩される程脆くは無い。

 このまま左脚を一歩後ろに引いて、やや前傾姿勢になった状態で二撃目を繰り出す。それですべてが終わる―――筈だった。

 

『―――⁉』

 

 地属性最上位魔法(グラヴィオン・ハンマー)が地面を大きく隆起させ、風属性最上位魔法(イクシオン・ヴォルト)がそれを抉り、水属性上位魔法(ブルーアセンション)がそこに注ぎ込まれる。

 

 そうして出来た()()()()()。その淵にケストレルは脚を取られ、そのまま巨体が()()()()大きく後ろに傾いた。

 

 

 

 ―――3

 

 

 

「『カラミティホーク』ッッ‼」

 

「『奥義・洸刃乱舞』ッッ‼」

 

 それまで防御と回避に専念せざるを得なかったガイウスとラウラが、機を得たとばかりに前へと出る。

 しかしその二人の必殺戦技(Sクラフト)は、ケストレルの機体(ボディ)にすら届かない。上位機体にのみ取り付けられた対戦車砲用結界発生器(リアクティブアーマー)から発生した物理障壁が、不可視の壁となって渾身の一撃を軽々と防いだ。

 

「「押し通すッ‼」」

 

 だが、そんなものは想定通り。そもそもそういった不可思議な科学技術が搭載されているという事も初撃で確認済みである。今更自分たち程度のレベルの攻撃が通じるとは思っていない。

 それでも、高威力の技を一点に集中させれば、崩れた体勢を更に崩すことくらいは可能であろうと思い至った。

 

 

 

 ―――2

 

 

 

 その目論見は上手く行った。

 ケストレルの巨体は着撃の衝撃で大きく崩れ、もはや重力に逆らって体勢を立て直すのは不可能になった。

 そうして為すがまま、背中から水が張られた大きな窪みの中に倒れる。

 

『くっ、この程度……‼』

 

 だが、その程度であればすぐに復旧できた。悪路に足を取られて行動不能になるような不良品では、戦場では役に立たない。

 以前、再攻撃に掛かる時間は変わらない。その見解自体は何ら間違っていなかった。

 

 

 

 

 ―――1

 

 

 

「『プレシャスアラウンド』ッ‼」

 

 その最後の一手。その為にユーシスは策を巡らせた。

 どれ程強固な物理シールドを持っていようとも、どれ程滑らかな駆動部を持っていようとも、()()()()()()()()()()動く事は出来ない。

 機体表面の凍結対策は備わっているのだろうが、周囲の水分共々凍らされる対策は施していないだろうという思惑の下実行された作戦だった。

 

 実際、スカーレットはケストレルを動かせずにいた。

 ヴァルカンの方に与えられた巨大重装機甲兵『ゴライアス』であれば強引に氷を砕いて脱出する事もできただろうが、此処に来てケストレルの出力の低さが仇となった。

 それでも出力を最大にして脱出する事は可能と言えば可能だが、時間が掛かる上に過剰駆動(オーバーヒート)をする危険性がある。いずれにせよ、()()()()()()というのがスカーレットの感想だった。

 

 

 

 

 ―――0 

 

 

 

 

「総員、撤退だ‼」

 

 戦功を欲張らない。組み上げた作戦が全て上手く行った今であったとしても、撃退が出来るなどとは思っていない。

 だからこそ、その命令を下す事をユーシスは躊躇わなかった。

 

「可能な限り少人数で逃げおおせろ‼ 何があっても絶対に生き残れ‼ リィンとレイ(あの馬鹿ども)に文句を言うまで誰一人として欠けるな‼」

 

 その命令を聞き、Ⅶ組全員が駆け出した。

 それぞれ忸怩たる思いを抱えている事は間違いない。特にアリサなどは、今も戦いが続いているであろう街道の先に視線をやってしまう。

 

 愛しい(ひと)を残したまま、自分だけが背を見せて逃げる―――それが途轍もなく悔しい。

 彼は今も、一人で戦っているのだろう。負けられないという意思を胸に抱いたまま、泣き出しそうな心で剣を振るっているのだろう。

 その場に自分が居て支えることができないのは、自分が弱いからだ。足手まといにしかならないからだ。

 

 自分の強さに限界があるのは理解している。才能が無い人間が強くなるのを待ってくれるほど世界が甘くない事も。

 そんな事はとっくの昔に分かっているというのに、それでも未練が湧いてしまう。

 

 ―――そのような事を考えている暇など無いというのに。

 

 

「……え?」

 

 直後、アリサは自分の身体が浮いた感覚を認識した。

 制服の首元を掴まれ、背後へと投げられる。揺れる視界の中で、自分を投げ飛ばした相手だけはなんとか視認できた。

 

「ユーシス‼」

 

「ラウラ‼ 呆けているそこの馬鹿を引きずってでも撤退しろ‼ 振り返るな‼」

 

 見ると、ケストレルの右腕部分だけが氷の牢獄から解放されていた。その近くには、放り出されていた巨大な蛇腹剣。数秒後にどうなるかなど、どんな馬鹿でも理解できる。

 

「(『アダマスシールド』の無詠唱駆動……一発くらいなら発動できる魔力はある、か)」

 

 アーツの無詠唱駆動というのは、「可能ではあるがやるべきではない」というのが一般的な見解だ。

 要はマスタークオーツによる演算を強制的に超加速させるだけの過剰魔力を使用者が注ぎ込めばいい。場合にもよるが、本来の発動に必要な魔力のおよそ三倍。

 無論、格上相手にやるべき賭けではないし、格下相手にやる意味も無い。運良く霊脈と自身の魔力が()()()()()瞬間だけノーリスクで無詠唱駆動が出来るが、そんなチャンスを待てるわけもない。

 

 平均よりはそれなりに高い自身の内包魔力量に感謝しながら、ユーシスはARCUS(アークス)を構える。

 防ぎきる事は出来ないだろう。抗えるのは十数秒から数十秒と言ったところだろうか。

 

 とはいえ、ユーシスはアリサを責める気にはなれなかった。

 少し前に盛大に茶化してパーティーをしたのが既に懐かしい。互いに想いを伝えあったばかりだというのに、何故彼らがこんなにも理不尽な目に遭わねばならないのか。

 普段は崇める対象である空の女神(エイドス)を、今の瞬間だけは恨んだ。

 

 先程自身が出した命令を、自身が一番先に破る羽目になる―――あまりにもお粗末な結末ではあるが、これが最善手だと覚悟を決める。後は蛇腹剣の攻撃のタイミングに合わせて発動させるだけ。

 

 恐怖はある。だが、後悔のない選択をしたという自負がある。それだけで充分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり貴方が一番の傑物でしたな、ユーシス殿」

 

 黄金の焔が弧の軌跡を描いて襲来する。

 およそ人一人分の質量しかなさそうな攻撃だったが、それはいとも容易く巨大蛇腹剣を弾き飛ばした。

 

「ですが、()()がよろしくない。朋友を逃がす時間を作るのは最適解ですが、生きる事を諦めてしまうのはナンセンスです」

 

「……申し訳ないが、今の俺の手持ちカードは良くなかったんでな。ノーペアよりかは結果を出せる手段を選んだまでだ」

 

「対価として己の命を捧げるのは最後の手段であるべきですが……まぁ、この言葉の掛け合いに意味はありますまい」

 

 その直後、ユーシスは瞠目した。

 シオンという存在の異常さは理解していた。レイの手足として動く超常的な式神。飄々と佇んで、いつも余裕そうな笑みを浮かべながら此方を弄り倒してくる。

 だが今、彼女の表情に余裕は無かった。口元だけは辛うじて笑みと呼べるものを浮かべているが、その肉体の所々が()()()()()

 

 ボロボロと、崩れていく身体の部位が焔と変わって落ちていく。

 先程の一撃を繰り出した右足も、罅が広がって今にも欠損しそうな有様だった。

 

「帝都の方で少々暴れましてな。主の方も軽くない負傷をした為に私もこの有様です」

 

「……貴女が此処にいるという事は、あの阿呆はこの先で戦っているという事か」

 

「左様で。あぁ、御心配なくユーシス殿。主が越えてこられた修羅場の中では()()()()()()です。先程仰られた通り、私が今此処にいるのがその証左であります故」

 

 そこまで聞き、ユーシスは一つ深呼吸をするとシオンに背を向けた。

 

「己の無力さを嘆くのは後にしよう。俺達は俺達の為すべきことを為せという事だな?」

 

「えぇ。あの玩具を大人しくさせる程度の余力はあります。―――ご武運を」

 

「主に伝えておけ。手製のフルコースで勘弁してやるとな」

 

 

 十代の若き貴族。胸の内はやるせない憤りが渦を巻いているであろうに、それを抑え込んで「生き残る」事を最優先にして逃げおおせる。

 人間というのはこれだから面白い。プライドに突き動かされて命を粗末にする短絡的な者もいれば、地を這い泥を啜る恥辱を味わってでも目的のために生き残ろうとする者もいる。

 窮鼠猫を嚙む。そういう人間こそ最も恐ろしいのだ。追い詰められた存在は、時として神にも諍う存在に成る。―――そういった者に、自分は敗北したのだから。

 

「さて、まだやりましょうか?」

 

 言葉に殺意を乗せて問う。それに対して得物を失ったスカーレットは戦闘態勢を解いた。

 

『やめておくわ。ここまでされたら流石に私の負けよ。大人しくしておくわ』

 

 本来であれば、ここで彼女を生かしておく理由など無い。テロリストの思想云々などはシオンには理解できないが、主の敵は自分の敵だ。

 しかし、己の身体がその忠義を邪魔する。先程の一撃でさえギリギリだったのだ。今のレイに呪力の余裕がない以上、人間体を保つ事さえ難しくなっている。

 ここでこの質量の兵器を燃やし尽くす力を使えば、復活するまでに相当の時間を要する事になる。

 シオンの中の優先事項を考えれば、この後の行動は決まっていた。

 

 

『ガッ……⁉』

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

神焔を手先に集中させ、ボディを貫く。そして操縦室(コックピット)から操縦者を引きずり出した。

 

 今は式神として甘んじているとはいえ、シオンは神性存在だ。細々とした手段で殺すなど沽券に関わる。

 だが、今は仕方がない。この手段ならば力を使い果たすという最悪の状況に陥ることなく殺れる。最悪を回避できるのならば主の敵を見逃す理由など無い。

 

「っ……な、ん……」

 

「何故? と? これはおかしな事を申される。状況的に殺してしまっても問題ない場合は殺すでしょう? 生憎と私は主を除いたⅦ組の方々程甘くはありませんので」

 

 焔を消した手でスカーレットの首を締め上げていく。呼吸は辛うじてできるが、声は出しにくくなる絶妙な力加減。

 それを振りほどこうと藻掻くが、いかに消えかけとはいえ、ただの人間の膂力が神獣に敵う筈もない。

 

「嗚呼醜い醜い。よもやこの期に及んで死が恐ろしくなったわけではありますまい。死ぬために戦ってこられたのでしょう? 死に場所を求めて旅して来られたのでしょう? ならばせめて最期くらいは笑っては如何ですか? ほら、このように」

 

 ニィッと笑うその姿は、人の形を象ってはいたが、スカーレットにはそうは見えなかった。

 ()()()だ。ヒトの皮を被ったヒトならざる超常のモノ。

 

「バケ……モノ……」

 

「それは私にとって侮蔑にも恥辱にもなりはしません。それはただの純然たる事実。煉獄でギデオンとやらに誇るとよろしい。世にも珍しいバケモノに灼かれて死んだと」

 

 そう言われて、スカーレットは辛うじて口角を吊り上げることができた。

 

 シオンが言っていた事は、スカーレットにとって図星ではあった。

 彼女は死に場所を探していた。死ぬ前に《鉄血宰相》に一泡吹かせるために生きてきた。

 オズボーンが主導した併合政策のあおりを受けて家の農地を没収され、父はそれを苦に自殺した。国の主導者が国力を挙げるために他を取り込む政策を取る時に、犠牲になるのは無力な弱者である。

 とはいえ、スカーレットも無知ではない。それは多数の国民の利になる政策であり、大国の主導者ともなれば、大を成す為に小を犠牲にする事ぐらいは慣れているのだろう。そうでなければならない。

 

 だが彼女にとって、そんな事は関係なかった。

 復讐の炎が胸の内に灯ってしまった。他にもその炎を灯した者がいた。知識としては理解しても感情が伴わなかった。

 だからこそ、彼女は死ぬために戦い続けた。《鉄血宰相》の首を取る為に、時には関係のない人間さえも殺した。―――大義というお題目を掲げて。

 

 であるならば、確かに、この期に及んで死に怯えるというのは情けない事だろう。

 自分たちによって殺された者達の怨嗟、それを背負って煉獄へ逝くのだ。分かり切っていた事だし、それを拒否する権利もありはしない。

 

「ごめんなさい、クロウ。最後にしくじったわ」

 

 だからせめて、残す言葉はリーダーへのそれにしたかった。

 《A》は上手くやった。特注対物ライフルの超々遠距離狙撃を胴体に受けて生きている者などいないだろう。その目的が達せられたのであれば、自分が生きている価値もほぼ無い。

 ならば、最期の最後くらいは笑わなくてはならないだろう。地獄を生み出した一人として、大罪人として死ぬのなら、それに相応しい死に様でなくてはならないだろう。

 

「良い夢を見せて頂戴ね? バケモノさん」

 

「煉獄の悪魔どもによろしくお伝えください。では」

 

 おやすみなさい―――そう伝え終わると、スカーレットの全身は黄金色の焔に包まれた。

 痛みを感じる時間もない。紙切れが燃え尽きる時間よりも早く、彼女の身体は灰すら残らず()()()()

 

 ……痛みを与えず殺したのは、決して慈悲によるものではない。

 ()()()()()()()()()()()()()。ただそれだけに過ぎない。

 

「……思えば、最後に人を殺したのはいつでしたか」

 

 ここ何年かは斥候か、伝令役のような真似ばかりをやっていた。

 それはそれで面白かったのもまた事実だが、人間を一方的に嬲り殺すという行為は、シオンにとっては懐かしい感覚だ。

 

 レイと出会うよりずっと以前、それこそ大崩壊よりも前、人々が今よりも更に発達した文明を築いていた頃。

 霊長の頂点として君臨していた人間を、災害のような脅威として狩っていた時は()()()()。次第に人々の阿鼻叫喚を聞いて悦に入るのも()()、欲望の赴くままに世界を放浪した末に、まだ何もかもが未熟であったはずの少年に従属してから幾年。主が《結社》を抜けてからは無沙汰になってしまった感覚だ。

 

「あぁ、しかし」

 

 既に体の半分以上が崩れている状況で、しかしシオンはどこか呆けた感じでユーシスらが去った方向を見やった。

 

「この女も彼らの()()()()として残しておくべきでしたか。勿体ない事をしてしまいました。これでは主にお叱りを受けてしまいますな」

 

 その言葉は、あまりにも軽かった。

 彼女にとっては人の命など、そこいらを通る蟻のそれと何ら変わりない。彼女が人を区別する基準は、そこに価値を見出せたかどうか。

 シオンにとってのその最上級が今の主(レイ・クレイドル)であり、それとはまた別の価値を見出しつつあるのがⅦ組の面々であり、そうした者たちだけを彼女は()()()()ことができる。

 

 故に、価値を見出せなかった者に対しての感情など彼女は持ちあわせない。

 壊してしまった玩具の遊び方を壊してしまった後に思いついてしまったような、多少の後悔。

 

 そんなすぐにでも捨て去ってしまうような感覚を心に留めたまま、彼女もまたその戦場跡地から消え去った。

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 騎神には”同調率”というものがある。

 

 要は、起動者(ライザー)と騎神とのシンクロ率である。特殊な生まれ方をした騎神は、その他の”模造品”とも言える機甲兵とは比べ物にならない程の出力を誇り、その出力の高さは起動者(ライザー)との同調率に比例する。

 それは必ずしも搭乗時間の長さに左右されるものではないが、リィンと灰の騎神(ヴァリマール)の同調率はお世辞にも高いとは言えない。

 

 つまるところ―――彼が現時点でクロウ・アームブラストに勝つのは不可能だった。

 

 

 

『ぐ…………ぅ』

 

 自分の何もかもを上回っていた。自分の技の何もかもが見切られていた。

 当たり前と言えば当たり前だ。数ヶ月もの間同じ釜の飯を食い、戦い方の手の内を見ていたのだ。

 だというのに、クロウの動きはまるで読めなかった。珍しい武器(ダブルセイバー)を使っているというのもあるが、動きがまるで違う。

 

 得物が違えば動きも違う。その程度は理解していた。だが、今はそれ以前の問題だ。

 動きの機敏さが段違いである。こちらが剣を一閃する間に、蒼の騎神はその攻撃を弾いて数撃叩き込んでくる。

 その度に操縦室を襲う衝撃。直接脳を揺さぶられるようなそれにも慣れていない。衝撃を受ける度に唇を噛んで正気を保ち続けてはいるが、万全の状態で戦っているとはとても言えない。

 

「ちょっと、しっかりしなさい‼」

 

「分かって……いる‼」

 

 起動時に乗り込んできた黒猫(セリーヌ)が言葉を飛ばすも、それに対して優しく返す余裕すらない。

 仲間たちはどうなったのか、レイは無事なのか。そんな大事な事すらも、今のリィンは鑑みれなかった。

 

 今まで自分が磨いてきた《八葉一刀流》の剣術。その悉くが造作もないように見切られて弾かれていく。

 それが焦りに直結してしまうのは仕方のない事だろう。”達人級”同士の領域になれば完全な初見で相手の太刀筋を()()()()()のは珍しくもない事だが、そこに至っていないリィンが焦燥感を内に抱えてしまう事は責められない。

 しかし、いつの時代も心の澱みというのは、いとも簡単に武人を敗北へと誘うものなのだ。

 

 

『終わりだ。リィン』

 

 巻き上げられた土埃の中、膝をついたヴァリマールに、蒼の騎神(オルディーネ)が刃を突きつける。

 彼我の戦力差は歴然だった。だからと言って諦めるという選択肢は許されておらず、リィンは抗えるだけ抗った。

 その継続戦闘能力に、クロウも冷や汗をかいていた。それ程本気を出さずとも勝てるだろうと、何処か高を括っていた事は否めなかったが、その予想以上にリィンは強かった。

 

『……騙していたのか』

 

『…………』

 

『学院に入学したのも、俺達のクラスに編入したのも、あんなに楽しそうに笑っていたのも―――全部嘘だったのか⁉ 答えろ、クロウッ‼』

 

 これまでにない程に声を荒げるリィンに、クロウは内心忸怩たるものを覚えながら、極限まで心を押し殺した状態で応えた。

 

『そうだ』

 

 ギリッ、という歯軋りの音が聞こえる。勿論幻聴なのだが、その感情を向けられる事自体は覚悟していた。

 

『俺にとって学院は踏み台で、隠れ蓑だ。お前らのクラスに潜り込んだのは、それが一番適当だったからだ。……疑っていた奴は疑っていたし、気付いてた奴は気付いていたがな』

 

『最初から、こうするつもりだったんだな?』

 

『当たり前だ。俺は鉄血宰相を討つために今まで生きてきた。その為に利用できるものは何でも利用してきたし、命も奪って来た。とうの昔に、引き返せない道を歩いてんだよ』

 

 オズボーンへの憎悪を燃料に突き進んできた自分たちがそうであるように、自分たちに憎悪を抱いている人間も、それこそ数えられない程いるだろう。

 クロウはそれを否定しないし、当たり前である事も理解している。ただ一つを為す事を正義と定めて、その為に手段を問わなかったとあれば、その過程で必ず犠牲が生まれる。

 

 ただそれでも、クロウは後悔をしていなかった。

 この道を歩むと決めた瞬間から、()()()()()()()()()()()()()。彼らを率いて走り始めた張本人として、その感情だけは抱いてはならなかった。

 

『諦めろ。俺はもうお前たちの仲間じゃない。敵だ。お前たちと一緒に歩む事も、隣に立つ事も出来ない敵だ。その意味は分かるよな? リィン・シュバルツァーよぉ』

 

 説得も、同情ももはや意味を為さない。

 優しいこの青年は、心の何処かではまだ諦めていないのだろう。たとえ大悪に手を染めた者であったとしても、一度(ひとたび)共に在った者ならばきっと言葉を尽くせば此方の世界に戻ってきてくれるだろうと、そう思ってしまうだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『―――クロウ‼』

 

『お前との戦いは、まぁ、少しは楽しめたぜ』

 

 搭乗したばかりの起動者(ライザー)を相手に勝ち誇る程下衆ではなかったが、それでも騎神同士が相対せば決着を着けるのが道理。

 そう思い、ゼムリアストーン製のダブルセイバーを振り抜こうとした時、それまで会話に口を挟まなかった蒼の騎神(オルディーネ)が言葉を挟んできた。

 

 

『クロウ、此方に迫りくる反応がある』

 

『……速度は?』

 

『異常な速度だ。接敵まで―――』

 

 

 オルディーネがそれを口にするより先に、ボディに極大の衝撃が走った。

 両脚部をしっかりと地につけた総重量7.8トリムに至る青色の巨体が思わず後ずさる。

 

『……オルディーネ、対物理広域結界(アンチマテリアルシールド)は稼働してるか?』

 

『問題なく稼働している。だが、これは……』

 

『いや、構わねぇ。来るだろうとは思ってたさ』

 

 そうしてクロウは、砂煙を裂いて現れた人物に向かって好戦的な笑みを見せる。

 こうなる事は分かっていたと言わんばかりに、その闖入者を歓迎する。

 

 

「チッ、思ってたより硬ぇな。テロリストの分際で良い機体(モン)乗ってんじゃねぇかクソッタレ」

 

『そいつはありがとよ―――レイ』

 

『レイ⁉ 戻って―――』

 

 この場に於いて最も頼りになる友の帰還。リィンにとってそれは福音であり、その姿を視界に収めようと振り返る。

 

 

 そして、絶句した。

 

 

『レ、レイ。その腕……』

 

「おいおい、動揺してんじゃねぇよダチ公。あんなクソみてぇな戦力差で戦って左腕一本で済んだんだ。大金星だぜ」

 

【挿絵表示】

 

 

 何も問題は無いと言わんばかりの口調ではあるが、その顔には幾筋も嫌な汗が滲み出ている。

 全身の至る所から血が噴き出していた。見るからに応急処置の域を出ていないレベルの処置が施されているが、滴り落ちる鮮血の量は、口が裂けても軽傷とは言えまい。

 そして左腕は、肩口の部分から下が消失していた。だというのに、残った右腕で愛刀を構えるその姿に、一切の乱れが見えない。

 

 傍から見ても立っているのがやっとの重傷を負っているであろうに、その闘気は些かも鈍っていない。

 この状態であったとしても、生身で相対せば確実に負けるだろうと、そう確信させるだけの力強さがそこにはあった。

 

『マジかよお前。何でその状態で動けるんだよ。やっぱバケモンじゃねぇか』

 

「だから誉め言葉だっつってんだろうが。ノルドで喰らった毒の方がまだヤバかったぜ」

 

 挑発するように口角を吊り上げ、長刀を構える。

 鞘は紛失し、抜刀術は使えない。とはいえその迅さが失われていない以上、この状態であってもその一撃一撃はいつも通り必殺級である事に違いない。

 

 故に、クロウは先に動いた。ダブルセイバーの刃がその命を刈り取らんと、風を巻き上げながら迫りくる。

 それは、最近になって機甲兵を動かし始めたばかりの兵士のそれとはわけが違う。帝国を舞台にしたこの大一番の為に今まで磨きぬいてきた技。それを惜しげもなく放ちきった閃技。

 

 

「八洲天刃流【剛の型・塞月(とさえづき)/荒咬(あらがらみ)】」

 

 しかし、その技は過つ事無くオルディーネの周囲に張られた物理結界に突き刺さった。

 ()()()()()。通常の【塞月】と比べれば攻撃の速さは劣るが、捩り穿つ事で破壊力を増大させた派生技。

 先程と合わせて、それが二発。それが、()()()()()()()に、クロウよりもオルディーネの方が驚愕していた。

 

『……成程、この時代にもいるのか。ああいう武人が』

 

『あぁ、いるのさ。ああいう規格外が』

 

 騎神クラスの質量の攻撃を、人の身で叩き出すという異常。

 だが、その驚きも一瞬だった。()()()()()()()()()()()()()()()と、半ば諦観の様相すら見せている。

 

 手負いの獣は殊更に危険だとは言うが、それが手負いの達人ともなれば更に危険だ。

 普段は鉄の理性で抑え込んでいる暴力性が、ともすれば噴出する。人間の限界値を超えてしまった者が死をも厭わず暴れ尽くす姿など、想像すらしたくない。

 

 だが、とクロウは脳内でその可能性を否定した。

 レイ・クレイドルの人となりは、全てではないが多少は理解しているつもりだった。

 

 情緒が完全に安定している―――と言えるわけではないが、少なくともこういった場で理性を完全に飛ばす程脆弱ではない。

 その証拠に、今の彼の殺気と闘気は身体の状態と反比例して非常に()()だ。

 存在そのものが一振りの刃。こういった状況に際しても常に腕を鈍らせないようにと師から徹底的に叩き込まれているのだろう。クロスベルから帰ってきた際のあの乱れっぷりは、かなり稀有なものだったと分かる。

 

 そうしてクロウが思考を巡らせていると、倒れ込んでいたヴァリマールが上体を起こした。

 

 

『……レイ、俺もやる。俺も戦う。そんな状態のお前を、一人では戦わせられない‼』

 

 その言葉は、一体どの感情から紡がれたものか。

 友を助けたいという想い。それは確かにその通りだ。その想いに嘘偽りなど無い。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リィンのその、自身ですら気付いていない隠された感情を見透かしたかのように、振り向いたレイは一瞬だけ微笑み、しかしすぐに怜悧な表情に移り変わった。

 そして再びオルディーネの方に向き直るまでに数秒もかからなかったが、リィンはその僅かな時間で理解した。―――理解してしまった。

 

 

「退け、リィン。お前は自分が生き残る事だけを考えろ」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「セリーヌ、そこにいるな? エマがいない以上、お前が起動者(リィン)を導け。どんな手を使ってでも、そいつを見殺しにするな」

 

『……アンタはどうするのよ』

 

「此処で命を投げ出す程馬鹿じゃねぇさ。勝算はある」

 

 今にも死んでしまいそうな傷を負った友を背にして逃げ出す。それがリィンにとってどれ程辛い事かというのも、レイは理解していた。

 だが、今だけはその苦汁を飲んでもらわなければならなかった。その為に彼は、左腕を失っても尚此処に戻ってきたのだから。

 

『俺は、俺はッ‼ ようやくレイ、お前と―――』

 

「リィン、此処はもう戦場だ。夢を抱えて生き残れるほど、今のお前は強くねぇんだよ」

 

 リィン・シュバルツァーという男が、入学当初に比べて格段に強くなっているのは知っている。

 成長度合いとしては目を見張るものだ。あの師の下で修業した自分でも、果たしてここまで急激に強くなっていたのだろうかと思えるほどに。

 

 だが、彼は優しかった。致命的なまでに優しかった。

 戦場という言葉があまりにも似合わない男だった。誰かの善性を心の底から信じて、誰かの命を奪う事を最期の最後まで躊躇ってしまう人間だ。

 無論、それはとても大事な事だ。活人剣を継ぐ者として、無くしてはいけないものだ。彼を八葉の継承者に選んだユン老師の目利きは正しかったと言えるだろう。

 

 しかし、それが戦場に於いても正しいかと言われれば、話は別だ。

 「話せば分かる」という思考をまず真っ先に捨てなければならない。それを考えるのは戦争を動かす者であり、戦争に挑む者ではないのだから。

 

 今のリィン()に、クロウを倒すだけの力は無い。実力的にも―――精神的にも、だ。

 

 

「とっとと行け。流石に今の俺じゃあ、アレ相手にお前を護れるほどの余裕はねぇからな」

 

 だから突き放した。諭すだけの余裕すらなかったというのも事実だが、こればかりは己の目で見、聞き、感じたものを頼るしかないのだ。

 生き残る術は叩き込んだ。戦場に飛び込める程度の”実力”は身に着けた。ならば後は、自分で答えを見つけ出すしかない。

 

『……レイ』

 

「おう」

 

『死ぬなよ。絶対に、絶対に生きてまた会うぞ‼』

 

 その声色に、怒気は無かった。

 ただ、隠しきれない悔恨とやるせなさが滲み出ている。己の弱さを改めて突き付けられて、情けなさを噛みしめているのだろう。

 

 理解できる。レイ自身もそういう時があった。そうして彼は義姉を失い、より深く強さに傾倒していくようになった。

 さて、リィン()の場合はどうなるか。より鋭く己の強さを研ぎ澄ませていくことになるか、それとも―――等と考えを巡らせる内に、視界が白んできたのをレイは感じた。

 

 出血自体はなるべく止めたが、それでも流れ落ち過ぎた。外気温以上の寒気が絶え間なく全身を駆け巡り、視界も思考も呆として定まらない。

 それでも、この友の前では毅然としていたかった。一度は情けない姿を見せたが、だからこそ強く佇んでいたかった。

 

『ヴァリマール‼ どこか遠くに飛んで頂戴‼ 帝国国内の、人目につかない所に‼』

 

『了解シタ』

 

 応答の返事を短く返すと、ヴァリマールはブースターを起動させて離陸する。

 その様子を、レイは見送らなかった。不敵な笑みを浮かべたまま、オルディーネから視線を外さなかった。

 

 

 

「お望み通り、リィンを見逃す口実を作ってやったぞ」

 

 飛行音が完全に聞こえなくなった頃、口内に僅かに血が溜まった状態でレイがそう言った。

 その時までオルディーネを動かさずに静観していたクロウは、その言葉に自虐交じりの声色で応える。

 

『気付いてたのかよ。やっぱ食えねぇ奴だぜお前』

 

「気付いてないわけねぇだろ。手間をかけさせやがって。こっちだってできれば早めに本格的な治療を受けたいんだぞ」

 

 だが、そう言っている相手にクロウは踏み込めない。

 先程もそうだったが、その回避能力がオルディーネの攻撃速度を上回っている。今のままではいくら攻撃したところで躱され続けるだろう。

 どうしたものかと攻めあぐねていると、彼方から一つの光がやってきた。

 

「主、御無事でしたか」

 

「無事では……ねぇよなぁ。お前の方もその状態になるの久し振りじゃねぇかシオン」

 

 宙に浮かぶ、手のひらに収まる程度の大きさの焔。自分の傍らに寄り添うように近づいてきたそれに、レイは言葉を投げる。

 

「そこまで消耗したって事は、やったのか?」

 

「えぇ、申し訳ございません。主の御命令も待たずに、勝手を致しました」

 

「構わねぇよ。余力があったらそうしろと言ったのは俺だ」

 

 その会話の内容を、クロウはある程度理解していた。そして、眉を顰めながら奥歯を噛みしめる。

 

『スカーレットを、殺ったのか』

 

「そうだ、俺の指示だ。ギデオンを殺った時から、()()()()は俺の領分さ」

 

 スゥ、とその左目が細くなる。右目から滴る紅とは対照的に、その瞳は冷え切っていた。

 

「ヴァルカンは一度助けてやったが、次に会った時は殺す。そこら辺は留意しておけ」

 

『……元遊撃士の言葉とは思えねぇな』

 

「前にも言っただろう? 俺達は、どうせ最後は煉獄行きのクソ野郎共だってな」

 

 RFビルの屋上で言葉を交わしたあの時とは、雰囲気から何まで全てが異なる。

 あの時は軽口を叩きながら互いの戦意を確認し合う程度の余裕はあったが、今は違う。もはや戦端は開かれ、此処は戦場だ。であれば、純粋な殺意をぶつけ合うのに何の違和感もない。

 

「困ってる人間を助ける正義の味方の真似事をしたところで、結局のところ人殺しの域からは出られねぇのさ。俺もお前もな」

 

『…………』

 

「悩んでんじゃねぇよクロウ・アームブラスト。リィンに説教くれてやってたみたいだが、そういうテメェも随分と()()()()じゃねぇか」

 

 やはり、この男は誤魔化せない。分かり切っていた事だが、武器を持った人間の精神の揺らぎを察する技量にかけては、この男に勝てる見込みが一切浮かばない。

 例え直接目を合わせていなくても、拡声器を通した声であったのだとしても、そこから滲み出る違和感の全てを一つ残らず攫って行く。

 

『だとしても、だ』

 

 だから、クロウはそこを否定しなかった。

 

『俺はもうお前たちの敵で、お前は俺達に容赦するつもりは毛頭ない。そこは俺だって弁えてるさ。―――それ以外に何か交わす言葉があるのか?』

 

「ねぇな。戦場で言葉の問答なんざ意味がねぇ。そういうのは相手をぶっ倒してから押し付けるようにやるモンだぜ」

 

 それは、師からの教えの一つだ。

 戦が始まる前に互いに言葉と思いを交わすのは悪い事ではない。だが、一度火蓋が切られたからには、そこに残るのは己の正義の押し付け合いだ。

 力が無ければ、相手に己の正義を叩きつけられない。一度構えた矛を引っ込めるのは、無条件の降伏と同義だ。

 

 そんな生き方を、レイ・クレイドルは出来ない。それが出来る程器用な生き方をしていない。

 戦って、戦って、勝って、勝って、そうして自分の生き方(エゴ)を押し付ける。それが自分の意義であるのだから、例えどんな代償を支払おうとも、その考えは変わらない。

 

 

『俺からしてみれば、そんなズタボロな状態で勝とうって思えるのがそもそも異常なんだがな』

 

「そりゃどうも。―――まぁ、今此処でお前に勝とうなんざ最初(ハナ)っから思ってねぇんだがな」

 

『……何?』

 

「万全の状態ならまだしも、こんな死にかけの状態で騎神に勝てるわけねぇわな」

 

 

 

『―――クロウ、中型の強襲艇が迫ってきている。脅威度は、大だ』

 

 

 オルディーネの索敵センサーに入るや否や、その機体の背中に数発の機関砲が叩き込まれる。

 反応する前に不意打ちされたことで機体が僅かに前のめり、しかしその隙に足元に大型魔獣用の電磁ネットが撃ちこまれた。

 

 

「《三番隊(ドリッド)Δ(デルタ)特戦隊より《一番隊(エーアスト)》へ‼ 対象の行動を封じた‼ 拘束時間は概算10秒‼」

 

『《一番隊(エーアスト)》より《三番隊(ドリッド)Δ(デルタ)特戦隊へ。降下開始‼ お客様(ゲスト)を無事にお迎えしろ』

 

Δ(デルタ)了解。グライト、アリスは待機。私が行きます」

 

「了解。うっわ、思った以上にデカブツだなありゃ」

 

「お気をつけて、ゲルヒルデ副隊長」

 

 レイの背後の地面にロープが垂らされ、黒と赤を基調とした隊服を纏った長身の美女が降下してくる。

 そうして降り立つまでにかかった時間は僅か4秒。左手にガントンファーを構えた《赫の猟犬》が、レイの身体を抱え上げた。

 

「失礼します、特別顧問」

 

「流石特戦隊、練度が高いな」

 

「恐縮です」

 

 軽く一礼をするゲルヒルデを横目で見てから、再び視線をオルディーネの方へと向ける。

 機関砲によるダメージは元よりゼロに等しく、電磁ネットも容易く踏みつぶす。だが、それより先には相変わらず踏み込んでこなかった。

 

『成程、俺はまんまと時間稼ぎをされたってわけか』

 

「まぁ、リィンの方まで面倒を見切れないってのはマジだったけどな。俺の方は初めから、Ⅶ組の奴らを逃がす事が出来れば勝ちだった」

 

『……ンだよ、結局お前、何も変わってねぇじゃねぇか』

 

 そういう意味では、この場の勝敗はクロウの敗北だ。Ⅶ組の面々は誰も彼もが必死に足掻いて藻掻いて、その抗いの結果、彼らの救援が間に合った。

 貴族連合の上の方、特にアルバレア公にはこの失態について色々と言われるだろうが、一応トールズ士官学院を抑える事には成功している。その点を鑑みて、ルーファス総参謀がひとまずはとりなしてくれるだろう。

 尤も、この期に及んで殊更に助命を乞うつもりなどないのだが。

 

「じゃあな、クロウ。Ⅶ組(俺達)の諦めの悪さと生き汚さ、その操縦席からようく眺めておきな」

 

 まるで捨て台詞だ、という自覚はあったが、それを最後にして小型強襲艇が更に上空へと舞い上がる。

 ゲルヒルデ配下の特戦隊の隊員たちによって引き上げられたレイは、揺れる艇内の中ですぐさま追加の止血処置が施され、体温のこれ以上の低下を防ぐためにありったけの毛布を被せられた。

 

 カラン、という音を立てて、今まで必死に握りしめていた長刀が離れる。張り詰めていた気力が緩んだことで急に重くなりだした瞼を根性で押し上げながら、その名を呼ぶ。

 

「シオン」

 

「はい、主」

 

 唇も上手く動かなくなってくる。言葉を紡ぐという基礎的な事ですら困難になっている中、それでもこれだけは伝えねばとレイは最後の力を振り絞った。

 

「リィンを、頼む。お前の力が戻るまでには、少し時間がかかるだろうが……陛下の、我儘が行き過ぎないよう、に、見守ってて……やってくれ」

 

「……御意。必ずや」

 

 シオンの言葉は少なかったが、それも主を慮っての事。まるで蠟燭の火が消えるかのように、従順な式神はその場から去った。

 

「特別顧問、まもなく《フェンリスヴォルフ》本艦に到着いたします。《医療班》の方には話を付けてありますので、どうぞ気兼ねなくお休みください」

 

 そう言って、ゲルヒルデが撫でるようにしてレイの左目を閉じる。

 そこから意識が深奥に放り込まれる数秒間の間に、心の中に己の誓いを深く、深く刻み付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ここから先が、俺の本当の戦場だ。

 

 

 

 ―――自分を繋ぎ止めるために。

 

 

 

 ―――守るべき存在を守るために。

 

 

 

 ―――心地良くなってしまった場所を奪い返すために。

 

 

 

 

 ――――次こそは、絶対に。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――絶対に、俺が勝つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 まずは、10ヶ月にも及ぶ投稿の停滞を平にお詫び申し上げます。
 PCを買い替えた事とか、軌跡最新作に合わせたプロットの大幅な書き換えなど、色々と御座いましたが、まぁ何と言いますか、普通にゲームとかばっかやってました。誠に申し訳ございません。

 前回のお話など既にお忘れになってしまった方が大半かと思いますが、兎にも角にも、これにて『英雄伝説 天の軌跡』は最終回と相成りました。
 
 番外編4話等も含めて、計162話。6年と少しにも及ぶ期間の中、お付き合いくださいました事に関して、これ以上ない感謝を申し上げさせていただきます。

 とは言いましても、此方のお話しは原作『英雄伝説 閃の軌跡』のナンバリングゲームの内、Ⅰの内容を終わらせたにすぎません。
 此方の作品では可能な限り本編の内容に沿った話を展開させていただきました(当社比)が、此処から先は少しばかり独自の話を、主に主人公レイ・クレイドル視点で描いていこうと思っております。

 来年も新型コロナの影響がまだまだ残る年となりそうです。私の勤め先でも、一月から大きな人事異動があり、新年早々わちゃわちゃしそうでございます。
 ですが、この作品だけは何とか続けていこうと思っている次第です。もしこのようなエゴ丸出しの二次創作にお付き合いくださる方がいらっしゃいましたら、どうぞご覧くださいませ。


 それでは皆様、良いお年をお迎えください。ありがとうございました‼

 


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番外ノ章
if番外編 NIGHTMARE of Phantasma 前篇





※この番外編は筆者の『英雄伝説 空の軌跡the3rd Evolution』難易度NIGHTMARE攻略記念で書かれたモノです。グランドクロスは許されない。

※この話には以下の要素が含まれています。

■本編とは僅かに異なるifの世界軸
■《影の国》に於ける独自設定
■というかぶっちゃけ筆者の悪ノリ
■思ったよりも長引いて前後編








 

 

 

 

 

 

 

 

『《■■■》が告げる―――

 

 これより先は外典、慚愧の雨林。

 

 

 無二の友を想う者を伴い

 

 文字盤に手を触れるといい  』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

『新しい碑石―――ですか?』

 

 

 セレスト・D・アウスレーゼ―――実際は彼女の人格の一部を象っただけの存在―――は心底身に覚えがないと言わんばかりに、齎されたその報告に疑問の声を漏らした。

 しかしそれは、この《隠者の庭園》に集った者達とて同じ事。予想だにしないイレギュラーな事態に、一同の表情は厳しくなってしまう。

 

「始祖さん、何か分かる事とかありますやろか?」

 

『いえ―――しかし皆さんは確かに《影の王》が提示した全ての試練を乗り越えたはずです。それだけは間違いないでしょう』

 

 

 古代遺物(アーティファクト)《方石》の力により17名もの面々が《輝く環(オーリ・オール)》のサブシステムとして構築された異空間《影の国(ファンタズマ)》に閉じ込められてから幾許か。

 その事件の発端となった七耀教会《星杯騎士団(グラールリッター)》所属《守護騎士(ドミニオン)》第五位ケビン・グラハムと、従騎士リース・アルジェントを始めとしてこの異空間からの脱出を図るにあたり、これまで様々な試練を突破してきた。

 

 時には聖典に記された煉獄の悪魔と戦い。

 

 時には自らの”闇”と向き合う事を余儀なくされた。

 

 

 そうして《影の国(ファンタズマ)》の階層を奥へ奥へと進み続け、遂には深層の近くである『第六星層』にまで辿り着くことに成功した。

 

 そこで一同を待っていたのは、いずれも手強い者たちが”壁”として立ち塞がる試練。

 ただの一人の弱者もおらず、全力を以て、命の灯を消し去ってしまいそうになる程の死闘を一戦、また一戦と潜り抜けた。

 

 

 元リベール王室親衛隊大隊長―――《剣狐》フィリップ・ルナール。

 《泰斗流》免許皆伝の武人―――《飛燕紅児》キリカ・ロウラン。

 元Sランク遊撃士にして《理》に至った達人―――《剣聖》カシウス・ブライト。

 《身喰らう蛇》の手練れの執行者―――《幻惑の鈴》ルシオラ、《痩せ狼》ヴァルター、《怪盗紳士》ブルブラン。

 

 そして元《身喰らう蛇》執行者No.Ⅱ―――《剣帝》レオンハルト。

 

 

 それらの死闘を以て、『第六星層』での試練は終わった―――そう、終わったはずだった。

 

 

 

 

「エルベ離宮前の結界が解かれないんでおかしいとは思っとったんですが……性懲りもなく黒耀石の碑石がもういっぺん輝き出したんですわ。碑文も変わっとったんで、多分「仕様」やと思います」

 

「……でもおかしい。ここまで硬くなに”ルール”には従ってた《影の王》がここに来て悪あがきみたいなことをするなんて」

 

 リースのその言葉に、セレストはゆっくりと頷く。

 

『えぇ……不自然ですね。ですがその碑文はこれまでのものとは違い誰が文を刻んだのか分からなくなっている、と』

 

「さいですわ。差出人のところが塗り潰されてて見えんようになっとるんです」

 

 設定に沿って作られた《影の国(ファンタズマ)》というゲーム盤のゲームマスターとして、《影の王》はこれまで詭弁などで此方を惑わす事はあっても、主旨から逸脱するような試練を何の説明もなくいきなり割り込ませるような真似だけはしてこなかった。

 だからこそ、解せない。一体誰が、どのような思惑でこんな仕掛けを作り出したのか。

 

 

「―――ふふ、ちょっと考えれば分かるんじゃないかしら?」

 

 思考の海に呑まれかける中、ただ一人だけ余裕さを崩さない表情でそう言って見せた人物がいた。

 

「レンちゃん、何か分かったんか?」

 

「分かったも何も、これまでの出来事を俯瞰して見れば何となく分かりそうなものだと思うけれど?」

 

 その思わせぶりな言葉に、隣に立っていたヨシュアが「つまり……」と言葉を続けた。

 

「今回のイレギュラーが《影の王》が自ら引き起こしたものならば、そもそも碑文の内容を隠す必要性はない。ということはつまり―――」

 

「《影の王》以外の”何か”が《影の王》に気付かれないように仕込んだモノ、っちゅう事か」

 

 正解♪ と可愛らしく言ってみせるレンを他所に、一同は再び黙りこくった。

 正体が分からない―――という訳でもない。この《影の国(ファンタズマ)》に於いて《影の王》に隠れて星層の仕掛けに割り込みを入れる事ができる存在。一同が知っている中でそんな事ができる存在はたった一人しかいなかったからだ。

 

「えっと、もしかして……」

 

「もしかしなくても、そんな事が極小の可能性であっても実行できたのはレーヴェ……《黒騎士》だけだろうね」

 

 それは、広大な《影の国》の中にあっては針の穴程度のイレギュラー、極小の特異点のようなものであろう。《黒騎士》とは元々生前のレーヴェ、《剣帝》レオンハルトの概念にしか過ぎない存在ではあったが、それでも《影の王》と直接誓約を交わした存在であるが故に、幾許かの権限は持っていたのだろう。国の中に僅かな”歪み”を生じさせる、その程度の権限は。

 

「で、でもこうして表面に出ちゃったって事は《影の王》だって気付いてるはずよね? それなのにこうして異常が続いてるって事は……」

 

『えぇ。《影の王》はこの事態を知ってなお放置する事を選んだ。そう考えるのが妥当でしょうね』

 

 話の中核を掴んだエステルに対して、しかしセレストはどうにも得心が行かないという表情で結論付ける。

 

 厳正なルールの上で成り立っている《影の国(ファンタズマ)》に在って、今回表面化したイレギュラーはある意味では根本を揺らがしかねないルール違反である。

 それを王自らが放置しているという事は、一同が思っているよりも大した事態ではないのか、それとも―――。

 

「この事態がそもそも、レーヴェが《影の王》と交わした誓約の一つとして含まれていたのかもしれないわね」

 

 《影の国》の一部を”創り返る”力。それが誓約により与えられていたとあれば、成程確かに”ルール”に沿う《影の王》であれば無碍にはできないだろう。それも一同の脱出の出助けとなる仕掛けではなく、あろう事か試練を一つ増やすという類のモノだ。

 であれば碑文を刻んだ存在の名が消されているというのは―――考えれば難しくもない。創り出したレーヴェ本人が既に消滅という形で《影の国(ファンタズマ)》から消えた為、それに伴って名だけは焼却されたのだろう。

 

 

「……腑に落ちん事は幾らでもあるんやけど、それでももう一度試練とやらを乗り越えん限りは先に進めへんのも事実やしな」

 

「要はもう一度戦って勝てば良いってことでしょ? やったろうじゃない‼」

 

 鼓舞するようなエステルの宣言に、先程まで一抹の不安に駆られていた一同の表情に自然と自信が立ち返る。そんな彼女の天真爛漫さをこの場の誰よりも良く知っている筈のヨシュアは、しかし表情が晴れないまま思案する仕草を解いていなかった。

 

「ヨシュアさん?」

 

 その様子を見かねたのかリースが声をかけると、彼はその双眸に鋭い光を宿して口を開いた。

 

「ケビンさん。僕を連れて行ってください。―――多分、僕が居ないと碑石も反応しないと思います」

 

「ホンマか? ……いや、確かに《黒騎士》が直々に仕掛ける言うたらキミが一番可能性高そうやけど」

 

「……碑文に心当たりはあります。予想が正しければ、確かにこれは僕が乗り越えるべき試練だと思います」

 

 そう言うヨシュアの瞳は、《黒騎士》―――レーヴェと相対した時と同じような覚悟に彩られていた。

 そんな恋人の姿を見て、エステルは「よしっ」と意気込んで見せる。

 

「ヨシュアが行くんならアタシも行くわ。イレギュラーだろうが何だろうがどんと来いよ‼」

 

「エステル……分かった。多分父さんやレーヴェと戦った時と同じくらい厳しい戦いになると思うけど、それでも着いてきてくれるかい?」

 

「もっちろん。やってやるわよ」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれへんか⁉ いや、確かに状況的に見てそうなるんやろなぁとは思ってたけど、あの人らと戦うだけでももう十二分に死にかけたんやけどなぁ……」

 

「ケビン、今更往生際が悪い。私たちが行かなくちゃどうにもならないでしょ?」

 

「そうなんやろなぁ……」

 

 はぁ、と思い溜息を漏らしながらも、この四人ならば大抵の窮地は大丈夫かなどと思っていると、レンがヨシュアの服の裾を掴んで「ねぇ」と話しかける。

 

「つまり―――()()()()()()?」

 

「……あぁ、多分」

 

「そう。―――ならレンも一緒に行くわ」

 

 それは、彼女の行動原理の大半を占める”好奇心”からではない事は、表情から察せられた。

 ()()()()()()のだ。愉しそうだからという享楽的な思いではなく、「行かなくてはならない」というどこか義務感のような覚悟を孕んだ言葉。凡そ彼女のイメージとはかけ離れたその雰囲気にヨシュア以外の一同が呆気に取られていると、その雰囲気を纏ったままレンは続ける。

 

「それに、ヨシュアの想像が正しかったらレンがいないとキツイんじゃない? そうでしょ?」

 

「……そうだね。お願いしてもいいかな? レン」

 

「えぇ」

 

「……どうやらメンバーは決まったみたいやな」

 

 再び光を灯した黒耀石の碑石の前に立つメンバーは―――ケビン、リース、ヨシュア、エステル、レンの五名。《剣聖》、そして《剣帝》を下した後に現れた試練という事もあり、全員が内心で気を引き締めていた。

 向かうは碑文に記された『慚愧の雨林』。ケビン達は見送ってくれる待機組の面々の激励を背に受けながら、《方石》の輝きに包まれて目的地の近くまで「転移」した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――その場所は、言うなれば生命力を感じない場所であった。

 

 

 空は澱み、足元に生えている草も大半は枯れてしまっている。乱立している木々も屹立しながら朽ち果ててしまっているような、そんな印象を抱かずにはいられない。―――それでいながら枝にはしっかりと葉がついているのだから矛盾していると言う他はない。

 

 しかし、実際()()なのだ。

 例え《影の国》という現実世界ではない異空間であっても、《七の至宝(セプト・テリオン)》の一つがサブシステムとして構築したという経緯は伊達ではない。今まで彼らが訪れてきた見覚えのある街や街道では、違和感こそあれど先入観を抜いてしまえば元の世界の場所と瓜二つという所も確かに存在していたのだ。

 

 だが、この場所は違う。

 ケビンはこの森を知らない。この場所が大陸の何処であるのかを知らない彼が土地そのものに違和感を感じるのもおかしな話ではあるのだが、それでも断言はできた。

 

 《《こんな場所は、大陸どころか世界の何処にも存在しない》》―――と。

 

 それが、黒耀石の碑石から一同が飛ばされた場所―――『慚愧の雨林』だった。

 

 

 

「……辛気臭い」

 

 思わずといった感じでリースの口から漏れ出た感想に同意する。

 その名の通り鬱蒼と生い茂る生命力を感じない森の中。そして澱んだ空からは絶え間なく雨粒が滴ってくる。

 しかし不思議なのは、その雨粒に触れても体は濡れていない事だった。それに、視界も雨中とは思えないほどクリーンに保たれている。

 

「多分、この領域に招かれた人がそういう仕様にしたんでしょう。―――戦うのに余計な茶々を入れるな、とか言って」

 

 道なき道、獣道と称するにも無理がある場所を掻き分けて進みながら、ヨシュアはそう言う。

 道どころか方角すらも危うくなってしまいそうな中で、しかし彼だけは目的地が分かっているかのように前へ前へと進む。

 

「ヨシュアは知ってるの? その人の事」

 

「うん、まぁね。……《結社》時代から色々と助けられてた親友だよ」

 

「って事は―――その人も《身喰らう蛇》の一員っちゅうことか?」

 

 職業柄、自然とケビンの言葉にも刺々しさが籠る。しかしそれに動じる事もなくヨシュアは「えぇ」と肯定した。

 

「とは言っても、もう結構前に脱退したと聞きました。……ついでに今は僕たちと同じ遊撃士になってるって」

 

「……ちょっと待ってヨシュア。アタシその人の話父さんから聞いた事あるわよ多分」

 

「スカウトしたのが父さんだったらしいからね」

 

「というかヨシュアも何でアタシにそういう事黙ってたのよ」

 

 そう言いながらも、エステルは何故ヨシュアが古くからの友人の事を話さなかった理由については察しがついていた。

 ヨシュアの過去を鑑みれば、《執行者》の過去を隠していた時期に友人の話をするわけにもいかなかっただろうし、無事に《リベールの異変》騒動が収まった後は落ち着く暇もなくリベール中を西へ東へ、北へ南へと奔走し、最近は大陸中を駆け回っていた事もあり、思い出話をする余裕もあまりなかった。

 そう考えると自分にも責はあるなと気まずそうにエステルが口を噤むと、ヨシュアはその感情も察したように柔らかく微笑んだ。

 

「……ん? ちょっと待って。ヨシュアの《結社》時代からの知り合いって事は、レンも知り合いって事?」

 

「えぇ。もっとも、お兄様が脱退して以来会っていないんだけど」

 

「……お兄様?」

 

 その二人称に過剰反応したエステルはヨシュアを引き寄せると必死の形相で「ちょっと、どういうこと⁉」と問いかける。それに対してヨシュアはなんて答えたものかと考えていると、レン本人が再び口を開く。

 

「お兄様はね、レンが《結社》に来てからずーっとお世話してくれたの。ヨシュアやレーヴェとかと一緒にね」

 

「…………」

 

「教えてあげられるのはこれだけよ。エステルってばイジワルだから、言えば言うほど色んなことを訊いてくるんだもの」

 

 その時、エステルの胸中を過ったのは、怒りや劣等感、嫉妬といったものではなく―――ただ一つの疑問だった。

 レンは今、ただ一つの事しか話してくれなかったが、それでもその思い出が彼女にとって本当に良いものであった事は声色で分かる。

 

 レンがここまで本心で懐き、そしてヨシュアが親友と呼んだ人物―――そんな人が何故レンを置いて《結社》を抜けていったのか。憤りなどは抱くことなく、ただ純粋な疑問が頭の中を反芻する。

 

 

「……ちゅう事はこの場所は、ヨシュア君とそのお友達の(ゆかり)の場所っちゅう事か?」

 

「……縁の場所と言うには少しばかり苦々しい思い出ですけれどね」

 

 そう言って立ち止まったヨシュアの視線の先にあった、少しばかり開けた場所にあったモノ。それは、大の大人が複数人手を繋いで漸く一周できる程の大木が中程から真っ二つに斬り落とされている異様な光景だった。

 

「なに、コレ」

 

 リースがその大木に近づき、斬られた断面をそっと指でなぞる。それは信じられないほど滑らかで、異常なまでの切れ味を持った刃物を以て、そして信じられないほどの腕前を持った人間が一刀の下に斬り落としたとしか思えないというのが、騎士としての彼女の見解だった。

 

「……懐かしいな」

 

 呟くような声でヨシュアはそう言い、木の根元に座り込んだ。後ろ腰に携えた二振りの双剣がカチャリと鳴り、その音が苦々しくも懐かしい思い出を思い起こさせる。

 

「6年前、この場所で僕と彼は戦いました。―――文字通り命懸けで」

 

 言葉にすれば、脳裏に昨日の事のように映し出される。

 あの時もこんな、雨が降りしきる中での対峙であったと。

 

「僕は父さん(カシウス・ブライト)の暗殺を任務として言い渡されて、でも失敗して逃げ延びていた最中でした。父さんには終始あしらわれた程度で体に傷はなかったけれど……それよりも《結社》から入ってきた連絡に心が折れかけていたんです」

 

「どういう事や?」

 

「任務の失敗の責を問われて僕は《執行者》から除名処分にされ……そして文字通り存在そのものを処分される通告を受けたんです」

 

 《執行者》は基本的に、《結社》内の行動に制限はかけられない。《使徒》の命令は元より、《盟主》の意向にすら添わない事が許される。脱退も許されており、本来であれば一度の任務の失敗程度で抹殺命令が下るなどという事はない。

 だが、裏を返せば一度正式に命が下ってしまえば、生き延びる事は限りなく難しい。《執行者》No.Ⅴ《神弓》アルトスク、リンデンバウム侍従長率いる《侍従隊(ヴェヒタランデ)》を筆頭とした者達が差し向けられれば、大陸の何処に、否、世界の何処に逃げ隠れようとも確実に始末される。

 

 だたそれよりも、ヨシュアの心を抉ったのは―――。

 

 

「お兄様が担当の《処刑殲隊(カンプグルッペ)》として命じられたのよね。……凄く辛そうな顔をしていたの、今でも覚えてる」

 

「そりゃあ……アカンわな」

 

「親友と戦わなくてはいけないなんて……しかも、狩る側と狩られる側」

 

 《星杯騎士団(グラールリッター)》の任にも、それと同じような”裏切者”または”不心得者”の”処分”という表沙汰にならない汚れ仕事も存在する。

 彼らは一切の心を殺す。例え相手が昨日まで同じ釜の飯を食った掛け替えのない仲間であったとしても、命が下ったからには、容赦なく抹殺しなければならない。

 

「でもヨシュアは……父さんに連れられてウチに来た、って事は」

 

「例え気の進まない事だったとしても、手を抜く程器用じゃなかったよ、彼は。お互い全力で戦って―――いや、全力で()()して、そうして僕を見逃してくれた。だから今、僕は生きていられてる」

 

「…………」

 

「『慚愧の雨林』……確かにそうだ。僕はあの時の事について、何も言えていない。それが僕が《結社》時代に残してきた最後の後悔だよ」

 

 仮初の曇天を見上げながら、ヨシュアは呟くようにそう言った。

 すると、エステルが座り込んだヨシュアに向かって、徐に手を差し伸べる。

 

「なら、良い機会じゃない。真正面から言ってあげればいいのよ。ヨシュアの言いたい事を」

 

「エステル……」

 

「ウジウジしてたら、雨も晴れないわよ。さ、先に行きましょ」

 

 その声に促されて、手を取って立ち上がったヨシュアは再び歩き始める。

 

 そうして距離に換算すれば結構な長さを歩いたところで、不自然に開けた場所に出た。

 乱立していた枯れ木は、まるでその場だけを円形に避けるようにして生え、決闘場(コロッセオ)の会場の如く開けたその場所には、視界を遮るものは何もない。ただ剝き出しの土が敷かれているのみ。

 

 そこに―――”彼”はただ一人、立っていた。

 

 

 

「――――――」

 

 

 

 此方に背を向け、仁王立ちする少年。枯葉色と黒色のコートと毛先だけが銀色に変わった黒髪を棚引かせ、鞘入りの長刀を眼前に立たせながら、彼はただ、空を見上げていた。

 

 案山子のようにただ立っているだけだというのに、そこに虚無感は微塵も感じ得なかった。《守護騎士(ドミニオン)》のケビン、従騎士のリースは元より、数々の強敵と相対してきたエステルも、自然と体に緊張感を募らせる。

 そこに在るだけで流れ込んでくる涼やかな、しかし急流にも比する闘気。それだけで、強敵だと理解できた。

 

 

「漸くか。待ちくたびれたぜ、親友」

 

 スゥ、と。揺れる柳の葉の如く、少年が振り向く。

 その左目は漆黒の眼帯に覆われていたが、紫色の片目を携えたその顔立ちは整っていた。が、その体躯と比例するように、あどけなさはほとんど感じられない。

 狼か、獅子か。いずれにせよ獰猛な性格を伏しているかのような口元の笑みに、しかしヨシュアは狼狽えない。

 

「ごめん。待たせたかな、レイ」

 

「何もしない事がここまで退屈だってのを最近忘れてたからなぁ。腹は減らん、眠くもならない。だけどもこんな辛気臭い場所じゃあやる事もなし。俺を此処に呼んだ張本人も、結局姿は見せなかったしな」

 

「此処が何処だかは、分かってる?」

 

「一応、な。このクソ忙しい時期に肉体ごと喚ばれたら腹いせに黒幕ごと叩き斬ってやろうとも思ったんだが……喚ばれたのは精神だけと来た。()()()()()()()()()七の至宝(セプト・テリオン)》に連なる古代遺物(アーティファクト)の事件に巻き込まれるなんて、皮肉にもほどがあると思わねぇか?」

 

「それは……」

 

「《七の至宝(セプト・テリオン)》の事を知ってるっちゅう事は、やっぱ君は結構深いところまで知ってるんやね」

 

 割り込んですまんな、と一言謝罪を入れてから、ケビンが会話に入り込む。それに対して、彼が不満感を漂わせるような事はなかった。

 

「俺はケビン・グラハム。《守護騎士(ドミニオン)》の一角や。元《執行者》だった君なら知っとるやろ?」

 

「ケビン・グラハム―――あぁ、《外法狩り》の第五位か。そちらさんの総長殿と、《吼天獅子》の翁、それに《闇喰らい(デックアールヴ)》には一時期アホみたいに追い回されたからな。よーく覚えてるよ」

 

「……こんな事言うんもなんやけど、君、その面子に追い回されてよく生きてたなぁ」

 

「死にそうな目になんか師匠の所為で幾らでも遭って来たからなぁ‼ 翁はまだしも、《闇喰らい(デックアールヴ)》に夜中に追い回された時はガチで死ぬかと思った。特化型の《達人級》はやっぱ面倒臭い」

 

 すると、徐に視線をケビンから逸らし、ヨシュアの事も通り過ぎて、佇んでいた少女に声をかける。

 

 

「指定してたのはヨシュアだけだと思ってたが……久しぶりだな、レン。随分と成長したじゃないか」

 

「お、兄様」

 

「まさかお前が肉体も喚ばれた側だったとはな。―――いや、何があったかなんて、今の俺に訊く権利はねぇか」

 

 彼は、笑った。

 先ほどまで浮かべていた獰猛さを孕んだ笑みではなく、どこか哀し気な、それでいて慈愛の感情も含んだような、そんな笑みを。

 

 それを見たレンが不安そうに顔を歪め、胸を抑える。

 「お前を置いて出て行った俺に、お前を心配する権利はない」と、そう暗に言われているようで。―――恨んだことや妬んだことなど、ただの一度もないというのに。

 

 

「後の二人は―――フン、俺を倒すためにわざわざ5人がかりとは恐れ入る。カシウスさんを突破してきたお前らが、一体何にビビってんだ?」

 

「……レイ、君の強さは僕が知っている。《執行者》時代にレーヴェと互角並みに張り合った君に勝つには、生半可な力と覚悟では到底無理だという事も」

 

「ちっと持ち上げすぎじゃね? 《理》開眼組と比べりゃ、俺はまだヒヨっこだぜ?」

 

 だがまぁ、と言葉を漏らしながら、その右手が長刀の白柄に添う。

 

「キリカさんにルシオラ姐さん、ブルブランにヴァルター、仕上げにカシウスさんにレーヴェを倒した先の”番外章”の守り人として選ばれたからには拍子抜けなんてさせられねぇよなぁ。

 個人的に受け入れがたいとは言え、今の俺には聖遺物(アーティファクト)同士で相互干渉しあって中途半端に神性乗っちまってるからよ、現実よりも良い感じで動けそうなんだわ」

 

聖遺物(アーティファクト)同士の相互干渉? ……もしかして貴方、身体に聖遺物(アーティファクト)を宿しているのですか⁉」

 

「不本意ながら、な。宿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そうもいかねぇのがコイツの性質(タチ)の悪いところだ。

 一応そっちの総長殿と話は着けてあるからよ、手出しはしないでくれや、守護騎士殿?」

 

「……了解や。君にも事情があるんは察したし、何より総長と話が着いてる言うんなら俺が何かできる権利もないしな。まぁそれとは関係なく―――」

 

 ケビンは獲物であるクロスボウを引き抜き、しかしその射出口は向けないままに問いかけた。

 

「これまで通り、この世界の番人である君を倒さなければ先には進めへんのやろ?」

 

「まぁそういうこった。《守護騎士(ドミニオン)》に従騎士、《殲滅天使》に―――リベールを救った英雄二人。相手にとって不足はない」

 

 空気が変わる。

 無機質で空虚な世界に、鋭利な針のような緊張感が一瞬で拡がって行く。

 枯れ木のさざめきも、雨音も、もはや気に留める余裕はない。眼前に立つ敵一人。集中せねば一瞬で終わると、本能が告げていた。

 

「お互い言いたい事もあるんだろうがな、まぁ後回しだ。お前らは今、俺を倒して突破する事だけを考えてればいい。俺は不承不承だが、此処に喚ばれた役目を果たすとするさ」

 

 そう言うと、一息に鞘から長刀を抜き放つ。

 それは、見る者の心を無条件で惹き寄せるかのような、微かの翳りもない美麗の白刃。それを見て、漸くケビンは伝え聞いたその元《執行者》の名を思い出し、ヨシュアとレンは獲物を構えた。

 

 敵に回したくはないと、何時だって考えていた。

 どれだけ多く重い”後悔”を重ねたとしても強く生き続けようと抗う強さ。ヨシュアとレンは、共にその姿に憧れたのだ。何かを護るために強く在り続けようとする、その心に。

 

 

「―――っと、そういや俺の方の自己紹介がまだだったか。んー、まぁこんな場所が世界の一部として再現されたんだ。こう名乗るべきだろうな」

 

 

 矮躯であると侮るなかれ。紛れもない”達人級”の剣士。

 そんな人物と―――真剣勝負で相対する。

 

 

「元結社《身喰らう蛇》執行者No.Ⅺ 《天剣》レイ・クレイドル―――推して参る」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




用語集

■『慚愧の雨林』
 ヨシュアが《結社》を抜ける際、レイと”喧嘩”(命懸け)をした場所と状況を再現した世界。常に雨が降っているが、濡れず、視界も遮られない。あくまで要素的なものとして存在している。

■執行者No.Ⅴ《神弓》アルトスク
 所謂、《執行者》の中でも「頭おかしいレベルで強い勢」のお人。

■リンデンバウム侍従長
 実は本編でも名前だけ一回出てる。さて、どこでしょう。
 『ミスマルカ興国物語』という作品をご存知の方、あの作品に魔人でメイドの将軍がいるでしょう? イメージはあの人です。やっぱりメイドは最強なんだよ。

■《処刑殲隊(カンプグルッペ)》
 所謂「裏切者滅殺部隊」。円滑に《結社》を抜けた者も、後に《結社》に害為す存在とみなされればお世話になるヤバいお人達。レイも一時期は社会勉強的な意味で此処にいた事がある。



 お話のコンセプトは「主人公がボス側に回るとか普通にあるよね」です。これlight作品ファンの人達には分かっていただけると思う。夜刀さんマジカッケー。
 タイトルは……まぁいわずもがなでしょうか。本編にも出していない用語をノリでブチ込むという暴挙をしていますが、ちゃんと本編にも出しますのでご安心ください。

 後篇はバトルパートです。あとがきの用語解説にはレイ君の使う技の「ゲーム上での性能」でも載せていきます。


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if番外編 NIGHTMARE of Phantasma 後篇




※この話には以下の要素が含まれています。

■本編とは僅かに異なるifの世界軸
■《影の国》に於ける独自設定
■というかぶっちゃけ筆者の悪ノリ
■思ったよりも長引いて前後編


※推奨BGM『唯我変生魔羅之理』(『神咒神威神楽』)





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は、優しかった。そして、強かった。

 

 

 どれほど世の理不尽さを見てきても、どれほど運命の悪辣さをその身で知る事になったのだとしても。

 彼は最後には、前を向いた。その身は茨で締め付けられ続けても、一人で背負うには重すぎる責を引きずる事になったとしても。

 

 彼は、歩いた。振り向く事はあっても、戻ろうとはしなかった。

 自ら退路を断ち続けながら、不相応なまでに凄絶な過去から目を背ける事もなく―――救えるはずのモノを、救おうとしてきた。

 

 

 彼が居なかったらどうなっていただろう、と考える事はあった。

 

 己の心は自閉したまま、自分を庇って死んだ姉の姿を瞼の裏に焼き付けたままに壊れた心を持った人形は、きっと目も当てられない程に瓦解していったのだろう。

 人工的に超人を作る、などといった馬鹿げた実験の被検体として酷使され続け、いずれは存在意義も失って、何もかも、失ったに違いない。

 

 

 彼は掛け替えのない恩人だ。ヒトとして大切な何かを失いかけていたこんな自分でも、親友(とも)と呼んでくれた。人らしさを、取り戻させてくれた。

 

 

 だから、だろうか。

 

 自分が、あまりにも恩知らずだと分かってしまっているから。

 

 

 だから、弱いのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 初手でどのようにして先手を取るのか。格上との戦いに於いて、それは真っ先に優先すべき事柄だという事を、5人全員が理解している。

 

 レイが名乗った瞬間、それが戦いの口火が切られた瞬間でもあり、動いたのはエステルとヨシュア。前衛としての役目を果たすべく、地を蹴り駆ける。

 特にヨシュアは、彼の強さを知っているからこそ最速で動いた。可能であれば一撃で終わらせる―――それが最も最善手だと理解していたからであった。

 

 もしこの時、カシウスやレーヴェが相手であれば、もしくは先手を敢えて譲ったかもしれない。後進にあたる彼らの本気を見極めるために、先達としての義務を果たしたかもしれない。

 

 だが彼は―――レイ・クレイドルは違う。

 正しい意味での戦闘者。一度覚悟を持って戦場に立ったのならば、老若男女の別はなく、先達後進の別もない。

 ”らしく”戦う。それだけである。

 

 

「―――呵阿(カア)ッッッ‼」

 

 響き渡ったのは闘気の籠った発破の一声。

 ただの声ではない。耳朶より入り、脳は元より体の細胞一つ一つにまで響き渡るようなそれは、原初の時代、ヒトがまだ原子動物であった頃からの動物的本能を刺激する。

 自然の世界では、強者の一喝が並み居る弱者を怯ませる。レイが発した技は、まさしくそういったモノだった。

 

 ―――八洲天刃流【静の型・死叫哭(しきょうこく)】。

 

 その技で、エステルの足が止まった。常に前を向き、歩むことを止めない彼女であっても、生物の本能に畳みかける攻撃には流石に慣れておらず、反射的に動きを止めてしまう。

 だが、それだけでも既に悪手だ。たとえ一秒、たとえ一瞬であっても、彼を前にして止まってはならない。

 

 

「足を止めるな―――死ぬぞ」

 

 声はすぐ背後から聞こえた。

 旋風(せんぷう)を伴って目にも映らぬ速さでエステルの背後に回り込んだレイは、背中合わせの状態のままエステルの首筋に刀身を突き付ける。

 陽光などないこの世界でも、その白刃の煌きは鬱屈なほどに良く映える。だがそれに見惚れている暇もなく、刃は首を掻き斬る兇刃へと変貌しようとして―――。

 

「っ―――ぁあッ‼」

 

 寸でのところで、ヨシュアの双剣の刃がそれを阻む。刃と刃が軋み合う音で正気に戻ったエステルはすぐさま離脱しようと試みたが、その横腹をレイの蹴撃が襲う。

 瞬間的に走った激痛に顔を歪め、吹き飛ばされたエステルだったが、滞空中に体勢を立て直して再度棒を構えなおす。

 

「はぁッ‼」

 

 裂帛の気合と共にヨシュアの攻撃に合わせて棒術を繰り出していく。ヨシュアの攻撃も一切の様子見すらない苛烈なものであり、手数の多さと一撃の重さが組み合わさったこの二人の比翼連理の如き攻撃であればと、レイの実際の強さを知らないリースは思ってしまった。

 

「ボサッとすんな、リース‼ あの二人だけじゃ抑えきれへん‼」

 

 だが、ケビンの叱責が飛んで来た時には既に遅かった。

 棒の機動性を足で押さえつけられることで封じられたエステルは長刀の鞘から繰り出された重い打撃に沈みかけ、双剣の攻撃を刃と柄で止められたヨシュアは腹部に蹴撃を受けて吹き飛ぶ。

 カシウスやレーヴェとはまた違う、まさしく全身が凶器であるかのような隙のない戦い方であった。剣士でありながら、攻撃方法は剣に限定されない。そのトリッキーさに加えてあの尋常ならざる速さである。

 

 優秀な前衛二人が為す術もなくあしらわれたその光景を目の当たりにして、リースは動く。

 携えた法剣の連結部が外れ、予測が困難な軌道を描きながらレイに迫る。真正面から貫くように見せかけて、手首を動かす事で軌道修正。刃は(しな)り、死角から奇襲が成功する―――筈だった。

 

「なっ……⁉」

 

「法剣使いか。生憎だが、従騎士程度の奇襲を読めない程弱くねぇぞ」

 

 連結部分のワイヤーを素手で捕まれ、そのまま小柄な体躯からは想像もできないほどの膂力で引っ張られ、そのまま地面に叩きつけられた。

 

「『クロスギアレイジ』‼」

 

 すると、それ以上の追撃は許さないと言わんばかりに放たれた矢が一直線にレイの蟀谷(こめかみ)を襲いにかかる。

 無論の事技は神速で振るわれた長刀の一閃で真っ二つに斬り裂かれたが、それでもリースが間合いから離脱できるだけの時間は稼いだ。

 

 だが、レイにとっては中途半端な間合いなど意味を為さない。

 八洲天刃流の基礎歩法である【瞬刻】は、開いた間合いを瞬時に詰めて斬り捨てる為のモノ。他の型を使うまでもなく、連携もなく動く従騎士を戦闘不能にするのは彼にとって赤子の手を捻るよりも簡単な事であった。

 

 しかしそんな状況で追撃をしなかったのは、手心を加えたからではない。

 直後、レイとリースの空間を分断するように、地属性アーツ『ジアータイタニス』が走る。地属性中位アーツに分類されるこの技であれば、本来レイならば強引に突破する事も可能ではある。

 だが、今回放たれたこのアーツの力は上位アーツと較べてみても遜色ない威力であり、それは術者の能力の高さを物語っていた。

 

 誰が術者なのか。そんな事はわざわざ確認しなくとも分かる。そしてレイが地面に足を付けた瞬間、広範囲に渡って禍々しい時計の紋様が現出し、レイの身体の自由を縛り付ける。

 

「っ―――流石だな、レン。これはちっとキツいわ」

 

 時属性最上位アーツ『カラミティクロウ』。相手の行動を阻害し、妨害するアーツとしてはその名の通り最上位に位置し、それをレンという優秀な術者が発動させることで、弱体化に高い耐性を持つレイですら一瞬行動を阻害された。

 絡みつく時の鎖は、たとえ”準達人級”の武人であろうとも長時間拘束が可能だろうとレイは推測した。流石に《蒼の深淵》程の常識を度外視した威力ではない、あくまでも予測ができる範囲内の威力ではあったが―――それでも自分がこの拘束を破るまでに”一瞬”を有したという事について、レイは妹分の成長を肌で感じずにはいられなかった。

 

「だが―――」

 

 体内から放出した膨大な呪力で以て術の効果を破壊し、右手に握った長刀を逆手に構えて背後に振りぬく。そこには、自分よりも尚小さい体躯でありながら身の丈以上の鎌を軽々と振り回す妹分が居た。

 

「自分から前に出るのは感心しねぇな」

 

「うふふ♪ だってお兄様と戦える機会なんだもの。私だって楽しみたいわ」

 

「自由気ままな仔猫(キティ)なのは相変わらずか」

 

 交叉する白刃と黄金の鎌。高らかに戦場を鼓舞する喇叭(ラッパ)の音の如く、甲高い金属音が連続して響き渡る。

 互いに矮躯で長物を振り回しているとは思えない高速剣戟の応酬。レイは決して手を抜いて攻撃をしているわけではなかったが、そのレイの神速の剣術に、レンは巧みに”適応”して応えている。

 荒廃した空気を裂き、雨粒を圧し潰し、久方ぶりに思わぬ形で再開した兄妹とも言える二人は互いに口角を吊り上げていた。

 

 本来戦闘の場では笑わないレイであったが、この時ばかりは喜色の表情を漏らさずにはいられなかった。

 ”体捌き”と”攻撃の去なし方”。《結社》に在籍していた頃にレンに教えたのは武術の基礎の基礎とも言えるこの二点だけのはずだった。

 だが、基礎と言えどもそれは得物を振るって戦闘を行う場合にはそれが生死を分ける事も多分にある要素。当初こそレンは「それしか」教えてくれない事に渋ってはいたが、彼女は僅かな期間でそれをものにしてみせたのだ。

 

 それだけでも目を見張る事だったというのに、自分がいなくなった数年の間に更に磨きがかかっていた。

 前述の通り、レイは決して手加減をしているわけではない。師より叩き込まれた()()()()()()()()()、遊撃士となってからは不殺を掲げてきたものの、その在り方は変わらず、剣技も剣速も衰えてはいない。

 その剣速は凡そ常人に見切れるものではなく、更に戦乱の中で興った剣術を修めているため、千変する剣技を完全に見切れる者はそれこそ限られる。

 実際、レンも彼の剣を完全に見切れているわけではない。拮抗しているように見えるのは上辺だけで、凌ぐだけで手一杯という状況ではあるが、それでも”達人級”の剣を凌いではいるのだ。それだけでも、彼女の潜在能力と適応力の高さは見て取れる。

 

 ならば、と。レイは多少間合いを詰めた状態での一閃でレンに距離を取らせ、白刃を納刀する。

 再び左の親指で鯉口を斬るまでにかかった時間は刹那。踏み込んだ右足は上体を安定させ、脱力させた右腕に瞬発的に力を込めて―――抜刀。

 

「っ―――‼」

 

 直後にレンを襲ったのは幾多の剣閃と共に襲来した衝撃。鎌を盾に可能な限りの剣閃を凌いでは見せたが、衝撃までは抑え込めず、飛び退いて後退る事を余儀なくされた。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・散華(さんげ)】。

 

 長刀を扱った神速の抜刀術。八洲天刃流の主たるその剣技は刹那の間に優に50を超える斬撃を生み出す。

 再び鯉口と鍔が触れ合う音が聞こえた時には、周囲の地面には無数の斬痕が刻まれていた。その光景が速さと威力を物語り―――だが納刀から抜刀に至るまでに生じる一瞬のタイムラグを狙った。

 

 右方からエステル、左方からヨシュア、そして後方からリース。その隙間を縫うようにして飛来する(やじり)

 視線を左右に。状況分析はそれだけで充分。まず最初に、高速で飛来してきたボウガンの矢を、レイは難なく()()()()、へし折る。

 

「‼ ……いや、やっぱこの程度じゃ牽制にもならんか‼」

 

 そう。()()()()では余りにも生温い。射出速度は亜音速にも達する銃弾ですらも、”達人級”の武人にとっては十二分に対処しきれる程度でしかないのだ。

 ましてやボウガンという武器はその性質上、通常の弓とは異なり弦を引き絞る事での威力の増減が叶わず、また速射性に於いてどうしても劣らざるを得ない。

 

 「緩急のない一定した速さの攻撃」程、読みやすいものはない。だが、仮にも《守護騎士(ドミニオン)》の地位に在る者が己の武器の欠点と優位性を鑑みていないはずがない。

 ならば―――と考えながら、レイは後方の上段からの法剣の攻撃を体の軸をずらす事で避け、横薙ぎに振るわれた棒を掴み、双剣の攻撃を長刀で受け止める。

 まるで予め攻撃を周知していたかのように、流れるような動きで全ての攻撃を防いだ行為は、多対一の戦闘、そして「殺さない戦い方」が習慣付いてしまったレイにとって特別なものではなかった。

 

 個々の実力は決して低くはない。それはレイも理解していた。

 それに加えてコンビネーションも悪くない。あのレンが他者と協力して戦術を組み立てているという点からも、彼らは出自も経歴も超えて一致団結している事が分かる。だが―――。

 

 

「……遅い。軽い。この程度か、こんなものかお前らはッ‼」

 

 憤怒の感情が籠った声と共に、近接攻撃で抑え込まれた全員が吹き飛ばされた。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・薙円(なぎまどか)】。

 

 高速回転する独楽のように長刀を携えたレイが足を軸に回転し、白閃が全てを外へと弾き飛ばす。

 巻き起こった風圧は、まるで彼の心情を表すかのように荒々しく吹き荒れ、漸く目を開けられるまでに落ち着いた頃、レイはただ長刀を地面に突き立てて戦闘前と同じように佇んでいた。

 追撃をしなかった、のではない。()()()()()()()()()()()というのが本音だ。ギリッと歯軋りをし、その右眼に鋭い光を宿す。

 

 

「生温い戦いしてるんじゃねぇ。覚悟決めたみたいな事口走っておいて、剣に迷いがありすぎる。一体全体どういうつもりだ? ヨシュア」

 

「…………」

 

「ここまで来たからには当事者じゃねぇお前でも理解してるだろうが。たとえ此処がお前の後悔の具現化で、その相手が俺であったのだとしても、やる事は変わらねぇ。その大原則を分かった上で、何を躊躇ってやがる」

 

 その言葉に、ヨシュアは思わず眉を顰めた。

 そうだ。理解している。……()()()()()()()()()()()()。レーヴェを下して、本当の別れを乗り越えて、そうして此処に立っている以上、もはや親友との戦いであっても自分は躊躇わないだろうと、そう思っていた。だが―――。

 

「僕はあの時、君を見捨てた。心を失ってただの絡繰人形(からくりにんぎょう)に成り果てそうだった僕を友と言ってくれた君を、どんな時でも味方でいてくれた君を。そんな君を見捨てて、僕は一人だけ幸せになった。なってしまった」

 

「…………」

 

「そして何よりも僕が後悔していたのは、()()()()()()()()()()()だ。ワイスマンに仕組まれた事とは言え、僕は―――親友の事を、命を救ってくれた恩人の事を、忘れてしまっていた」

 

 

 

 

 薄れゆく記憶の中ではあったが、今でも鮮明に覚えている。

 嘗てこの場所で死力を尽くした喧嘩を行い、先に倒れたのはヨシュアだった。暗殺者の彼にとっては絶好の場所と時間であったというのに、それでも彼は叶わなかった。

 

 だが、こうも思っていた。ここでレイ(親友)に殺されるのなら別に良い。と。絶望の淵に落とされても、それでもなお友と呼んでくれた彼に殺されて終わるのならば、自分の禄でもなかったこの数年間も、決して無駄ではなかったのだと。

 

 しかしレイは、とどめを刺そうとはしなかった。流れ出てしまった血のせいで朦朧とした意識の中で、ヨシュアが最後に見たのは、あろうことか親友が新たに現れた”誰か”に向かって膝をつき、頭を地面につけて土下座をしている姿だった。

 

『お願い、します』

 

 屈辱に耐えているような言葉ではなかった。まるで心の底から懇願しているような、自分では叶えられない願いを、他の誰かに託そうとしているような、そんな声だった。

 

『こいつに、もう一度幸せな夢を見せてやってください。こいつはまだ戻れる、まだ帰れる。まだ―――幸せになれる権利がある』

 

 何を言っているのか、良く分からなかった。彼は一体、何を追い縋って求めているのか。

 

『俺には、それができなかった。同じ穴の狢の俺じゃあ、どうあってもコイツを本当の意味で陽の光の下には戻せないんです。だからどうか、お願いします。貴方になら、任せられるから……』

 

 悔しさが滲み出ているのが理解できた。涙声になって、実際に涙を流しているであろうことも分かった。

 いつも泰然自若としていて、不敵に笑っている彼が、泣いていた。その原因となっていたのが自分だと分かった時、どうしようもない罪悪感が胸の内に湧き上がってきた。

 何故彼ではなく自分なのか。彼だって充分、地獄を覗いてきただろうに―――。

 

『……分かった。君の願いは、確かに俺が果たそう。だが君は―――』

 

『……俺は、まだ()()()には行けません。成り行きではありましたけど……あそこには残してきたモノが多すぎる』

 

『そう、か』

 

『近い内に、コイツは”俺”の事を忘れるでしょう。そういう風に”仕組まれ”ましたからね。……でも、それで―――』

 

 やめてくれ、と口を動かすも声が出ない。

 すると、彼は一瞬だけこちらを向いた。その表情は、初めて会った時にのように穏やかで、しかしどこか哀しさを孕んだソレだった。

 

『それで―――”俺”を忘れる事でコイツが一つの呪縛から解かれるのなら、それで良いんです』

 

 

 

 

 

「君は、いつだってそうだった。どれだけ傲慢らしく振舞おうとも、どれだけ無慈悲に振る舞おうとも、結局は他人の幸せを優先してしまう。そんな君の優しさに甘えて僕は、他ならぬ君の事を忘れて日常を過ごしていた。―――それが、どうしても我慢ならなかった」

 

 それはある意味、八つ当たりのようなものであった。

 だが、こと此処に至ってその心情を思い留めておく必要もない。未だ鋭い眼光を向ける親友に向かって、ヨシュアは自身の言葉を放ち続ける。

 

「この世界はそんな僕の後悔が原点となって、それをレーヴェが拾い上げてくれて生まれた世界。―――なら此処で、僕は君に言わなければいけない事がある」

 

「それは―――ハッ、それはお前にとっては”言わなければいけない事”でも、俺にとっては”聞かなければいけない事”じゃあないだろうが。

 俺はあの時、俺が後悔しない選択をした。勿論、今でも後悔はしていない。なら、俺に”それ”を聞く義務はないんだぜ、親友」

 

 だから、と。レイは再び、いつもの通りの、見慣れた不敵な表情に戻る。

 

「お前が自分の後悔を振り払いたいのなら、俺を倒してケリをつけろ。お前一人でなく、お前たち全員で。……もうお前には、大切に想う奴がいるんだろうが」

 

 その言葉にハッとなったヨシュアが振り向くと、そこではエステルがいつもの活発的な笑みを浮かべて親指を突き立てていた。

 ふと、降り続いていた雨がいつの間にか止んでいたのを知る。レイは一瞬空を見上げると、再び長刀を地面から引き抜いた。

 

「迷いは晴れたか? 死闘に挑む準備はできたか? ただの一瞬、ただの一片も躊躇うな。過去の俺という(しがらみ)を振り払って漸く―――お前のドス黒い牙は消えて無くなる」

 

 だから、と。向けられた白刃の切先は持ち主の覚悟を、或いは持ち主よりも雄弁に語っていた。

 その為に、俺は”此処”に来たのだと。

 

 

 あぁそうか、と。ヨシュアはそこで漸く理解できた。

 やはり彼は、何も変わってはいなかった。巻き込まれたから仕方なくこの世界に居座っていたのではない。恐らく彼はレーヴェによって招聘され、この《影の国》で戦い続ける自分たちを見届けながら、ずっとずっと待ち続けていたのだろう。

 

 彼は、”らしく”立ち塞がっているだけだ。ヨシュア・ブライトが最後に抱いた(しがらみ)を振り払うための存在として。そして、自分たちを阻むためではなく、自身を関門として次の星層を突破し、そしてこの《影の国》より脱出できるだけの土壇場での強さを研ぎ澄ませるため。

 ”乗り越えるべき壁”ではなく”倒すべき敵”とこちらに定義付けさせようとしているのは、自分をよく知らない面々に対しての配慮だろう。”敵”として立ちはだかれば、少なくとも自分を倒す事に罪悪感を抱かないだろうと、そう思っての言動に違いない。

 

 ―――やっぱり彼は、どこまでいっても善人だと内心苦笑せざるを得なかった。

 どれだけ敵側としての言動に気を配っているようでも、その実面倒見の良さを捨てきれていない。自分と同じような後悔ばかりの道を歩ませたくないと、そんな心の声がヨシュアには分かってしまった。

 

 そんな彼だからこそ、《結社》時代ですら多くの人が彼を慕っていた。

 カリスマ、と呼ぶに相応しいのかもしれない。もし彼が過去を捨てて未来に生きる事だけを選んだのであれば、きっと自分などよりもよっぽど真っ当な生き方ができただろう。陽の光の下で、ずっと多くの人に認められ、慕われていただろう。

 

 それを、その人生を選択しなかったのは、彼が何処までも真っ直ぐで、一生懸命で、善人で、不器用だったからだ。

 過去の一切の後悔から目を背けられず、自分が救えなかった命の責務を背負い、その為に生きる事を選んだ。だからこそ―――今此処に、(レイ)は立っている。

 

 

 であれば―――あぁ、そうだ。告げられなかった言葉だけでは到底足りない。

 この不器用で、意地っ張りで、自分の事を棚上げにしてしまう少年に、親友として言わなければならない事が他にあった。

 

 

 

「僕はもう、迷わない」

 

 たとえ、単純であると馬鹿にされようと、関係ない。

 

 

「レイ、君を倒す。倒して、勝者の特権を手に入れる‼ そうでもしなければ、僕の言葉は君には届かない‼」

 

 

 高らかに吼えた時、ヨシュア達5人を淡い光が包み込んだ。すると、先程までダメージを負っていた面々が、軽々と体を起こしていく。

 

「な、何や? 急に体が軽くなったで⁉」

 

「いける……これならまだ、戦える」

 

「元気、出てきたわ‼ リベンジ行くわよッ‼」

 

「うふふ、そういう事ね。これはヨシュアのお陰かしら」

 

 その誰もが、先程までの無力感を薙ぎ払うかのように、生気に満ちた表情を浮かべていた。

 突然力が漲ってきた不思議な感覚に戸惑っていると、レイは全員を一瞥してから口を開く。

 

「なに鳩が豆鉄砲食らったような顔してやがる。そもそも此処は《影の王》とやらじゃなく、レーヴェがお前の記憶を媒介にして作り上げた、お前の心象風景みたいな世界(モノ)だろうが。

 なら、お前の戦闘意欲が低ければ、必然的にそれはお前ら全員に伝播する。腑抜けたままじゃあ永遠に俺には勝てなかったが……ま、それも杞憂になったか」

 

「レイ……」

 

「これで漸く舞台は整った。―――さぁ、死にたくなけりゃ、今度こそ本気でかかってこい‼」

 

 直後、レイは長刀を真横一文字に振りぬく。すると、その剣圧が闘気と混ざり合い、紫色の斬閃と化してヨシュア達を薙ぎ払いにかかった。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・常夜祓(とこよばらい)】。

 

 空間を軋ませながら迫る極大の斬光を、しかし今度は受け止めて見せる。

 

「っ……こ、こりゃあキッツイわぁ……ッ‼」

 

「あらお兄さん、ちゃんと踏ん張らないと突破されちゃうわよ?」

 

「レンちゃんにそう言われちゃあ、年上として踏ん張るしかないわなぁ‼」

 

 ケビンとレンによる、『短縮詠唱(クイックスペル)』による地属性アーツ『アースウォール』二重掛け。

 本来物理攻撃を無効化するに足りる出力を持つはずのこのアーツでさえ、気を抜けば一瞬で突破されてしまいそうになるほどの圧力。戦闘が始まる前にレイは自身に中途半端に神性が乗ってしまっていると言っていたのを漸く思い出したケビンだったが―――。

 

「あぁそうだな。不本意だが確かに神性が働いてる。―――だが此処は想念が具現化する”箱庭”の中。可能な限り抑え込んではあるし、そもそも俺が契約してる式神は()()()()()()()()()()()()()()以上、こんなものは誤差の範囲内だ。……それとも何だ? 異端狩り、聖遺物集めのエキスパートが、まさか卑怯だと罵る訳じゃあねぇだろう?」

 

「言って、くれるやんけ‼」

 

 そうだ。そんなものは言い訳に過ぎない。仮にも《守護騎士(ドミニオン)》の一角を担う以上、この程度はどうにかできなければならないと奮起する。

 結果は、相殺。『アースウォール』が破壊される直前に、紫色の斬閃は霧散した。

 

 その余波を潜り抜けて、肉薄したのはリース。先程は軽くあしらわれた結果を受け入れ、焦燥感に駆られない事を第一に剣を振るった。

 幾条も走る銀閃。血反吐を吐くような鍛錬の末に身に着けた法剣術を、僅かの狂いもなく振るっていく。連結部を解放しては再連結を繰り返し、通常の剣では再現できない攻め手の可能性を次々と再現していく。

 

 だがその全てを、レイは紙一重で避けて行った。まるで次に振るわれる剣の軌跡が見えているかのような不自然さなど皆無の動きで、造作もなく躱し続ける。

 

「どうしたリース・アルジェント。《紅耀石(カーネリア)》に仕込まれた剣はこんなものか?」

 

「ッ‼」

 

「法剣使いは俺にとって忌々しい思い出しかないんでな。生憎、届かねぇよ」

 

 白刃が伸び、法剣の剣身を絡め取るように勢いを無力化する。しかしリースは、その結果に一抹の悔しさを宿らせても、決して理不尽には思わなかった。

 ”達人級”の剣士が相手では、未だ未熟者の自分では足止めが精々。それは分かっていて―――だからこそ、それに徹する事ができた。

 

「なら―――二人だったら届くかしら⁉」

 

 リースに迫る長刀の刃を、棒の薙ぎが遮る。その一瞬の隙を狙ってリースは体勢を立て直し、しかし攻め手は緩まない。

 裂帛の気合と共に放たれるエステルの棒術とリースの法剣術。粗く直情的ながらも突破力に長ける棒術と、絡め手こそが本領の法剣術は、本来凶悪な組み合わせだ。それが、巧みな連携で迫っているならば尚の事。

 

 武器と武器が弾き合う音も徐々に増えていく。苛烈に、鮮烈に攻め立て、飽和状態になった攻撃の連舞は、回避する空間をも潰していく。

 だがそれでも―――防御という手段をレイに使わせるに至った現状ですらも、彼女らの攻撃はレイの髪の毛一房すら掠り取れない。

 

「あまり嘗めてくれるなよ?」

 

 その言葉に怒気はなく、エステルたちを試すような、そんな口振りだった。

 

「回避の空間を潰した程度で達人級(俺たち)がどうにかできると思うな。そんなものは、カシウスさんやレーヴェと闘ってきたお前らなら知ってるだろうが」

 

 そう。()()強くなったところで、どうにかなるような相手ではない。

 達人級(彼ら)は不条理の体現者だ。人が凡そ”修行”という行為の中で辿り着く事のできる領域の最奥近くにまで足を踏み入れた者達。

 彼らが敗北を喫する時、そこに「まぐれ」などは存在しない。避け得ぬ攻撃であるならば、全てを防いでしまえばいい。それを行動に移せるのは、偏に彼らの自負心から来る自信と言える。

 

 傲りもなければ慢心もない。ただ事実としてこの程度ではまだ生温いと、そう言い放とうとした瞬間に黒い風が割り込んでくる。

 

 放たれた最高速度での二連撃。エステルとリースの攻撃を受け続けながらその攻撃が迫れば、普通であれば防ぎようがないだろう。

 だが、レイ・クレイドルは”普通”ではない。エステルの攻撃を素手で捌き、リースの攻撃を長刀で捌きながら割り込んできた攻撃に対して瞬間的に反応し―――そして、刹那の内に身を翻した。

 

「えっ―――⁉」

 

 それまで出鱈目さを見てきたエステルでさえ、そんな呆気にとられた声を漏らした。

 だが、レイにとっては異常ではない。八洲の伝承者にとって、紙一重のところで生死を分かつのは”普通”の事だ。

 

 ―――八洲天刃流【静の型・輪廻】。

 

 刃が肌を裂くその直前。それこそ、刃が反射する光の影が肌に差し込む程に迫った状態からの回避。

 それは、武人の技量の奥地に達した者にしか成し得ぬ絶技の一つだ。技は元より、己の生死の境を極限の一瞬まで”客観視”できる精神力など、数多の人間が有して良いモノではない。

 

 エステルが、リースが一歩退いた。それを機に、翻ったレイは走る。駆けて、黒の風に追いつき、そして即死の剣を振るう。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・身縊大蛇(みくびりおろち)】。

 

 刃は首筋に添えられ、超速回転する遠心力で以て首を剪断する。

 刃で引き斬る力ですら、ない。物理的ではなく、一瞬で迫った刃と首の間に濃縮された空気が、逃れ得ぬ兇刃となって死を齎す。

 

 だが彼は―――ヨシュアはそれを避けた。それこそ数瞬前のレイと同じ紙一重。空刃が首を落とす直前に屈み込み、兇刃はその黒髪の一房を斬り捨てるだけに終わる。

 それは、分かっていなければできない行動であった。(レイ)であればこう攻めてくるであろうという、曖昧さを多分に含んだ賭けに、しかしヨシュアは己の命を賭けて勝った。

 

 双剣が、レイの纏うコートの裾を擦過した。

 身には届かないながらも、その戦果に、漸くレイは一瞬だけ驚愕の表情を見せた。

 

「なら―――」

 

 レイは【瞬刻】を使ってヨシュアの前から失せ、そして少しばかり離れた位置で足を止める。ヨシュア達全員を視界に収める事ができる位置。そこに陣取って、再び口を開いた。

 

 

「ギアを上げるぞ。―――着いてこい」

 

 

 枷を、一つ外す。

 そう告げてレイは、自己暗示の文言と共に現状最強の戦士と成る。

 黄金色の闘気が噴出し、理性を残しながらも修羅の如き爆発力をその身に宿した。視界は鮮明に澄み渡り、加速した思考が世界の全てをスローモーションに作り変える。

 

 ―――八洲天刃流【静の型・鬨輝(ときかがり)】。

 

 その技を知っているヨシュアも、本能的に速攻を察したエステルとリースも動く。―――が、間に合わない。

 刃は再び黒塗りの鞘に納刀され、そして放たれる時を待つ。それはコンマ数秒にも満たない待機時間で、死なぬ加減は無用と断じた戦士は、ただ一言、こう告げた。

 

 

「凌いでみせろ―――英雄共」

 

 

 ―――()()が煌めいた。

 

 否、()()ではない。ソレは正しく斬撃だった。抜刀と共に放たれ、しかし【常夜祓】程長い射程を生み出さないモノ。

 だが、その数はもはや目では数え切れなかった。一体どれほどの速度で剣を振れば、このような絶技を生み出す事が可能になるのかすら理解できない。

 

 流星のようだったと、エステルは後にそう表現をした。

 まさしくそれは、斬撃の流星。圧殺の剣舞。有象無象は触れただけでも断ち切られ、後に残るは蹂躙の(わだち)

 避ける?―――否、到底間に合わない。防ぎきる?―――否、これは武器を振るった程度でどうにかできるほど脆弱ではない。

 

 

 ―――八洲天刃流・奥義【剛天・天羽々斬(あめのはばきり)】。

 

 

 抜刀と同時に制圧を告げる奥義。その蹂躙劇が開幕する直前に反応が間に合ったのは、気を窺っていた一人のみ。

 

「っ―――『ガイアシールド』ォッ‼」

 

 エステルたちが攻防を繰り広げている隙にスロットに填め込んだ『地言鈴』のクオーツ。それを稼働させてケビンは、地属性最上級防御アーツを無詠唱で放つ。

 効果範囲は、戦場全域。刃の流星に晒される前に辛うじて、ヨシュア達を琥珀色の防御壁が包み込む。

 

 だがそれは、焼け石に水のような抵抗だった。

 最上級アーツの防護壁とはいえ、たった一枚だけでは抗えきれる筈もない。直後に走った衝撃に、ケビンは思わず意識を失いかけた。

 抵抗できたのは、時間に換算してたったの1秒。それは先延ばしにするにはあまりにも短すぎる時間で―――だが、しかし。対抗策を講じるには充分すぎる時間であった。

 

「来て―――‼」

 

 少女の高い声が何かを呼んだのとほぼ同時、斬撃は落ちた。

 絨毯爆撃もかくやという程の破壊力。どれ程強固な城壁であろうとも紙細工と化すであろう物量と圧力の無慈悲な制圧は一瞬で成された―――誰が見ても、そう思ってしまっただろう。

 

「あぁ―――そうか」

 

 だが、レイは思わず零れ出たかのようにそう言い、拍手をしそうになった己の両手を押し留める。

 

「想念が具現化した世界であるなら、そういった無茶も罷り通るのか」

 

 土煙が立ち込めるその中に向かって、称賛にも似た言葉を贈る。

 

「お前がいたよな―――《パテル=マテル》」

 

 

 《結社》の《十三工房》の一角で造り出された巨大人形兵器。ゴルディアス級戦略兵器として銘打たれて開発された全長15.5アージュにもなるそれは、レンにとってはただの兵装以上に大切な存在である。

 本来であれば、星層の枠を超えて現出する性能は有していないが、此処は想念を叶える世界。であれば操手であるレンが唱えれば現れるのは必然。そして―――。

 

「お前に対物理用結界発生器(リアクティブアーマー)は付いてなかった筈だがな。そんなモノまで実現できるのか」

 

 ヨシュア達を【天羽々斬】の斬閃から護ったのは、《パテル=マテル》を発生源として半円状に展開された無色の結界。

 主副2系統の高出力導力機関により可能となった半永久的な導力の供給。レンの想念によって搭載された対物理用結界発生器(リアクティブアーマー)はその供給の恩恵を受けて展開され、必殺の攻撃を防いだ。

 ……だが、それでも「無傷」ではなかった。

 

『―――――――――』

 

 結界の維持にエネルギーをオーバーロードさせた結果か、《パテル=マテル》は各種機関から煙を上げ、一部からはショートした火花が散っている。

 元々搭載されていた治癒・蘇生エネルギー生成機構『リバイバルシステム』も現時点では使用不可という有様だった。

 

 とはいえ、レンと《パテル=マテル》の機転により、最大の窮地は凌ぐことに成功した。

 元よりレンは、この戦いに攻撃要因として《パテル=マテル》を投入する事は最初から考慮に入れていなかった。如何に破壊力に優れた攻撃手段を持とうとも、文字通り当たらなければ意味がない。触れる事すら叶わなかっただろう。

 無論レンとしても、相棒(カゾク)である《パテル=マテル》をこのように「盾」として使う事には思うところがあったが、こうでもしなければ全滅していたことは想像に難くない。だが―――。

 

 

「……成程。()()()()()()()()()()()()、レン」

 

 

 風に乗って聞こえてきたレイのその言葉に、レンは一瞬ハッとなった。

 意識など、していなかった。していなかったのにも関わらず、レンは《パテル=マテル》に「全員を護る」よう指示をしていた。

 誰かを切り捨てれば必然的に結界の規模も縮小でき、まだ支援要員として戦える可能性だってあったというのに―――だというのにレンは、全員を護る事を選択し、それに疑問を挟むこともなかった。

 

 しかしそんな葛藤よりも先に、反撃の狼煙を上げるために動き出す。この機を逃せばもう勝利の可能性は残されていないと、そう全員が理解していた。

 

 

「『千の棘を以てその身に絶望を刻み、塵となって無明の闇に消えるがいい』―――」

 

 《守護騎士(ドミニオン)》の証である『聖痕』が昏く輝き、虚空に顕現する無数の闇槍。その一つ一つから、殺意の波動が滲み出ている。

 そしてケビンがクロスボウをレイに向けると同時に、全ての槍も穂先を変え、標的を捉える。―――まさしくそれは、獲物(生者)を視界に捉えた死神と言っても過言ではなかった。

 

「『砕け‼ 時の魔槍‼』」

 

 槍は一斉に解き放たれ、返礼とばかりにレイに降り注ぐ。だが当人は足を竦ませることも、判断を誤る事もしない。

 ただ、剣を振るうのみ。

 

()ッ―――‼」

 

 放ったのは【剛の型・常夜祓】。紫色の斬閃と魔槍の軍勢は空中で衝突し、悲鳴のような大気の軋みを挙げながら拮抗する。

 やがて、槍が次々と砕けていく。だが、『聖痕』の力を以て顕現した槍の穂先も、徐々に斬閃を喰らって行き―――。

 

 最後は、魔槍の一本だけが残った。空に散った眩い閃光に流石にレイの目も眩んだが、しかしそれでも致命の傷を受けるほど愚かではない。

 大気を裂いて飛来する魔槍を避ける。―――が、その穂先はレイの頬の皮膚の薄皮一枚を擦過し、初めて傷を負わせることに成功する。

 

 だが無論、致命とは程遠い。しかしこの技のみで決着が着くなどとは、誰しも思ってはいなかった。

 

 

「せいっ―――やぁッ‼」

 

 舞い上がった白煙を切り裂いて、宙に跳んだ少女が声を挙げる。

 その躰は螺旋を描き、己自身を竜巻のように変貌させながら、烈火の如き闘気を纏ってただ一直線に突撃をする。

 

 『絶招・太極輪』―――父の棒術の技を見真似たところから始まったこの技は、彼女の―――エステル・ブライトの輝かんばかりの闘気を纏い、突破する事に特化した技と昇華を遂げた。

 

 避ければ、避けられれば問題はない。そうすれば、カウンターを取る事など容易い。

 だがレイは、冷静に編み出したその戦術を自ら放棄する。否、否。彼女が《剣聖》である父との死闘を乗り越えて此処に至ったのであれば、その勝負に対して逃げる事は許されない。

 

 長刀を構えた。

 純白の刀身を左手がなぞり、その剣鋩はまっすぐ突っ込んでくる少女に対して向けられる。

 刮目しろ、と彼は目で言った。両者の目が一瞬だけ交差したのを合図に、最速最強の刺突が紅蓮を襲う。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・塞月(とさえづき)】。

 

 同じく、一点突破特化の剣術。足の爪先から手の爪先に至るまでに巡った闘気を瞬発的に爆発させ、放つ刺突。

 剣鋩と棒先が触れた瞬間、互いの闘気が爆ぜた。空間そのものが衝撃に耐えきれず砕けてしまうのではないかと思えるほどの圧力が襲い掛かり、しかし両者共、それから逃げるつもりなど毛頭なかった。

 

「見事―――だが」

 

 己の剣と瞬間的にではあるが拮抗したその強さを称え、しかしレイは尚進む。

 

()だ、達人級()に届かせるには足りないな」

 

 白閃が紅蓮の闘気を貫く。圧し負けたエステルは悔しそうに顔を歪めながらも、しかし諦めた表情は微塵も浮かべていなかった。

 

「まだ、まだぁッ‼」

 

 なおも威力が途絶えない棒を振るい、レイの長刀を抑え込みにかかる。

 だがそれは、傍から見れば悪足掻きだ。すぐに刀を切り返そうとしたその刃を―――反対方向から黄金の鎌が抑え込む。

 

「油断大敵よ、お兄様」

 

「レン‼ ありがとう‼」

 

「エステル、全力で抑えてて‼ そうしないとすぐに振り払われちゃうわ‼」

 

 前と後ろから、ガッチリと長刀の自由を封じる二人。ならば、と左手を鞘に伸ばそうとしたところで、そちらも絡め取られた。

 

「させま……せんッ‼」

 

 レイの左腕を雁字搦めにしたのはリースが伸ばした法剣の連結部分。エステルとレンの動向に気を取られた瞬間の出来事であり、己が生み出してしまった隙に対して眉を顰める。

 ならば強引にでも振り払うまで、と闘気を練り上げて―――しかしそこで、形容し難い倦怠感に襲われた。

 

「(っ―――これは……)」

 

 何だ、何が起きたと思考を巡らせて―――そして先程、自身の頬を擦過した存在について思い出す。

 

「(っ、アイツ、神性殺しの『聖痕』持ちだったのか……‼)」

 

 《守護騎士(ドミニオン)》が有する『聖痕』より顕現する力は、その全てが「聖」に偏った性質を持っているとは限らない。

 『聖痕』の出現条件が「絶望を味わう」事である以上、《守護騎士(ドミニオン)》の中には宿る力そのものが「闇」に傾いてしまうケースも往々にして存在する。

 

 レシア・イルグン―――《守護騎士(ドミニオン)》第十位、《闇喰らい(デックアールヴ)》の異名を持つ存在を知っているからこそ、レイはすぐにその結末に辿り着く事ができた。

 

 総じて碌でもない能力持ちだという事は伝え聞いているが、その中でもケビンの力、『魔槍ロア』は―――これはレイも知らない事ではあったが、そもそもが”神性殺し”の能力を持つ聖遺物(アーティファクト)であり、その力を『聖痕』の顕現と共に取り込んでしまったが故に、奇しくも今のレイ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()レイにとって弱点ともなり得る力となっていたのである。

 擦過ではいけない。アレは触れてはいけないモノであったのだと、そう思ったところで後の祭り。

 

 

 ―――駆け抜ける、音が聞こえた。

 

 人影は一つから二つになり、二つから三つになる。

 速い。少なくとも自分が知っている時よりも。レイはそう思いながら、右手だけでも自由になるために柄から手を放そうとして―――しかし、力を緩める事はなかった。

 

 それは事実として、己が下手を打った結果。もし現実世界で同じような状況下に陥ったら、恐らくそれでも構わず振り解いてみせただろう。

 だが今は、魂と精神だけという稀有な状況。そして今の自分の使命は、「倒されるべき相手」として”らしく”振る舞う事だった。

 

 

「秘技―――」

 

 

 あぁ、と思わず感慨に耽ってしまった。

 嘗ては”死神”、命じられた存在にしか牙を向けられない猟犬であった彼が、今は自分の意志で、自分と、そして自分以外のものを護る為に戦っている。

 

 暗殺者、ではない。今の(ヨシュア)は正しく―――戦士だった。

 

 

「『幻影奇襲(ファントムレイド)』ッ‼」

 

 

 今度こそ、その双刃はレイの身体を捉えた。激戦の結末にしては余りにもあっけなく、しかし誰もが息を吞む。

 もしくは、これすらもレイ・クレイドルの策の内だったのではないかという緊張感が包み込む。レイをよく知るはずのレンですらそう思ってしまったのだから、だれもその雰囲気を咎める事はできない。

 

 だが、レイはゆっくりと体を傾け、そして仰向けに倒れた。

 

「ふぅ……。あぁ、ははっ。こりゃあ俺の負けだなぁ」

 

 肉体が存在しない精神体の状態では、身体に傷をつけた状態であっても血は流れず、致命には至らない。

 ただ「敗れた」という事を認めるだけで消滅という結果に繋がる。負けという結果を受け入れたレイの身体の輪郭が、少しづつではあるが、淡く輝き始めた。

 

「敗北、負け、ねぇ。あー……こんだけスッキリしたのもいつぶりかなぁ……」

 

 晴れやかな表情で顔を掌で覆いながらそう言い、レイは起き上がることなく空を仰ぎながらそう漏らす。

 曇天の隙間から、陽光が差してきた。これ程心地良く倒れられたのは一体いつぶりだろうかと思いを巡らせていると、張り詰めていた緊張感が途切れ、次々と膝をつく音が聞こえた。

 

「はぁっ、はぁっ……魔力切れなんて久々に感じたで。キッツイわぁ」

 

「腕……もう上がらない……」

 

 掠れた声で限界な旨を晒していく面々。そんな中ヨシュアだけは、同じく座り込みたくなってしまいそうになる辛さを気合で何とか堪えながら、倒れたままだというのに疲れた様子は見せていない親友の下へ歩いていく。

 一歩一歩が重いのは確かだった。乾ききった喉を空気が通っていく度に、意識が遠のいてしまいそうになる。

 それでも、歩く。伝えなければならない事が、残っているのだから。

 

「レイ……」

 

「おう……ったく、今度は本当に俺の負けだ。あの時とは違う。俺が倒れて、お前が立ってる。……そんなに強くなれたんだな、お前」

 

「僕が勝てたのは、皆のお陰だよ」

 

「それも含めて”強さ”だろうが。―――あぁ、ホント。最初は死に目に立ち会えなかったレーヴェへのせめてもの恩返しと思って引き受けた事だったが、良いモンが見れて良かったぜ」

 

 それで? と。レイは自分の顔を覗き込んでいるヨシュアに向かって、歯を見せて笑いながら問いかける。

 

「勝者の権限として、俺に何かを言うんじゃなかったのか?」

 

「あぁ、そうだね。うん」

 

 咳払いを一つ。あの時は流れであんなことを言ってしまったが、いざ言うとなると少しばかり気恥ずかしい気持ちも出てくる。

 だが、言わなければならない。あの時どうしても言う事ができなかった一言を、今。

 

 

「ありがとう―――親友(レイ)

 

「どういたしまして、だ。―――親友(ヨシュア)

 

 

 掲げた拳と、降ろした拳が軽く合わさる。そのままヨシュアはレイの手を引っ張って、彼を立たせた。

 レイは地面に突き刺したままの長刀を引き抜き、鞘に納めて背負いなおす。

 身の丈にも迫ろうかという長さの得物を背負う姿は、否が応にも彼の異質さを浮き彫りにしてしまう。好きで成長できない訳ではないというのに、レイ・クレイドルという男はその小さな背に余りにも重すぎるものを、今でも抱え続けているのだ。

 それを改めて理解したからだろうか。次の言葉も、自然と口から飛び出してきた。

 

「君は―――君だって、幸せになる権利を持ってる筈だ」

 

「…………」

 

「こんな僕だって、全てを知って、それでも受け入れてくれる人がいた。受け入れてくれる仲間ができた。なら、君にだっていつか、そんな時が訪れる。絶対に、だ」

 

「全てを知って受け入れてくれる人、仲間、か」

 

 言葉を反芻して飲み込み、それを受け入れて、レイは諦観ではなく―――どこか何かに縋るような、そんな表情を浮かべた。

 

 

「そう、だな。いつかそんな奴らと出会えたら―――幸せなのかもしれないな」

 

 

 レイを包む淡い光が、徐々に輝きを強くしていく。この世界から去る時が近づいてきた事を悟り、その視線を肩で息をしながらもしっかりと立っていたレンに向けた。

 

「お兄様……」

 

「妹分の成長ってのは見てて嬉しくなる半面、どこか悲しくもなるなぁ。……うん、お前は充分強くなったよ」

 

 輪郭が既にぼやけている足でしっかりと歩き、複雑そうな目でこちらを見るレンの頭に優しく手のひらを乗せて、撫でた。

 

「お前は意地っ張りで、頑張り屋だから、どこまでも一人で行こうとする。―――そんなところまで俺の影響を受けなくても良かったのにと思う事もあったが……良かった。ちゃんとお前と一緒にいてくれそうな奴らと、お前は出会えたんだな」

 

「そん、な。違―――レンは、お兄様が……」

 

「いつか、言っただろ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。家族の幸せってやつが絶望で上塗りされちまった俺が、お前に本当の幸せを教えてやることはできないんだよ」

 

 エステル・ブライト。恐らくレンの心を解きほぐそうとしているのは彼女だろうと、レイは察する事ができた。

 ヨシュアの全てを受け止め、受け入れ、家族になって家族以上の存在になった彼女であれば、或いは、と。

 

「お前はもう強くなれたから、自分でどうなりたいか選べるんだ。だから―――まぁ、悩んでもいいし拒んでもいいから、新しい一歩は、自分の意志で踏み出してみな」

 

 その言葉に、レンは目尻から涙を流しそうになり、しかし寸前で堪えた。

 

「家族、家族なんて、レンは要らないの‼ パテル=マテル(パパとママ)とお兄様が居てくれれば、それで……それ、で……」

 

 それで良い、と。

 そう断言ができなかった自分にハッとなり、俯いた状態から再び顔を上げた時、レンが見たのはお兄様(レイ)ではなく、エステルの姿だった。

 それが納得できなくて目を逸らすレンを見てから、レイは最後にようやく立ち上がったケビンに視線を向けた。

 

 

「……責任の所在を問うつもりはないし、コイツらはそんなに脆弱なわけじゃねぇ。だが、誰一人として欠ける事無く現実世界に戻してやってくれ」

 

「勿論や。それは星杯の紋章にかけて約束する」

 

「いやそれは個人的には遠慮したいんだが……っと、そろそろマジで消える頃合いか」

 

 精神体が粒子となって消えていく己の姿を見てから、もう一度この世界の景観を一瞥する。

 陽光が差した世界は、無機質な中にもどこか温かさが感じられるようであり、嘗て命懸けの喧嘩を繰り広げた場所とはまるで違うようにも見えた。

 

 それはまさしく、ヨシュアの迷いが、後悔が晴れたことを指す何よりの証拠。

 であれば、自分が此処に来た意味はあったのだと、そう思えるだけでもレイの心は幾分か穏やかになれていた。

 

 

「それじゃあな。いつかまた、どこかで会おうぜ」

 

 

 その言葉を残して、レイの精神体は光に包まれて消えていった。それと同時に碑石の世界が消滅していき―――そして新たな場所への扉が開く。

 

 その先に待つのが如何なる試練であろうとも、彼らに躊躇する気は一切なかった。例え、どのような”真実”が待ち受けているのだとしても。

 

 

 

 

 

 ―――これは、幾重幾多にも拡がったif(もしも)の選択肢。

 

 

 「正史」とは少しだけ違う歯車が嚙み合った、幕間の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 




レイ・クレイドル 戦技詳細(原作ゲーム上における性能)

■瞬刻
CP:10
硬直:10
移動:なし
範囲:自己
効果:SPD+50%(4ターン)

■静の型・死叫哭
CP:20
硬直:20
移動:なし
範囲:円L(自己中心)
効果:気絶(50%、3ターン)、SPD-50%(3ターン)

■剛の型・散華
CP:25
硬直:20
移動:あり
範囲:円M(地点指定)
効果:封技(100%、4ターン)、DEF-25%(4ターン)

■剛の型・薙円
CP:25
硬直:20
移動:なし
範囲:円L(自己中心)
効果:MOV-75%(4ターン)、遅延+25

■剛の型・常夜祓
CP:30
硬直:30
移動:なし
範囲:直線L(地点指定)
効果:駆動解除、遅延+30、気絶(100%、4ターン)

■静の型・輪廻
CP:25
硬直:20
移動:なし
範囲:自己
効果:心眼(2ターン)、SPD+25%(3ターン)

■剛の型・身縊大蛇
CP:35
硬直:30
移動:あり
範囲:単体
効果:即死(100%)

■静の型・鬨輝
CP:40
硬直:30
移動:なし
範囲:自己
効果:STR+75%(4ターン)、SPD/DEF/ADF/MOV+50%(4ターン)

■剛の型・塞月
CP:35
硬直:40
移動:あり
範囲:直線M(地点指定)
効果:DEF/ADF-50%(4ターン)、遅延+30、気絶(50%、4ターン)

■Sクラフト■剛天・天羽々斬
CP:100~
硬直:40
移動:なし
範囲:全体
効果:気絶(100%)


以上。今回の話で登場した八洲天刃流ゲーム版性能です。こんなんいたら怖い……怖くない?


 というわけでどうも。後篇だけで総文字数19000文字。お前は一体番外編でなにをやっているんだと謗られても文句は言えない十三です。やっほい。

 この番外編は『レイ・クレイドルが《影の国》に召喚される』という一点のみのif世界ですが、これがあるのとないのとでは本編で色々と変わってくるので番外扱いです。番外編にしては色々とやらかしましたけどね‼

 何がやりたいかって、主人公を思いっきり敵陣営側で暴れさせたかったんですよ。最近レイ君の戦闘シーン書いてなかったなぁって。これでスッキリしたんでまた本編に戻ります。ゴーファイ‼


PS:
 アルテラ可愛いネロ可愛い玉藻怖いAUOマジカッケー碩学マジ殺す。
 そんな感じで『Fate/EXTELLA』楽しんでます。ポケモン?これ終わったらやるんだよ‼
 しかしいかんせん、Vita版だとエネミーの出現率や出現数が心許ないんですよねぇ。ポータル殺すマンになって速攻かけると1000体撃破が不可能になったりする、うーんこの。
 とりあえずもう一度言うけどアルテラめっちゃ可愛い。このアルテラさんが見れただけでもこのゲームを買った価値はあった‼ グラフィック?もう慣れましたよ。


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外伝 クロスベル支部のとある一日 前篇




※この外伝には以下の要素が含まれています。

・過去編
・遊撃士時代の主人公
・労働基準法? 何それ美味しいの?
・倫理観? アイツなら実家に帰ったよ。

それでも大丈夫な方はゆっくりして行ってネ。







 

 

 

 

 

AM 4:00

―――――――――

 

 遊撃士の起床時間というのは各々異なりはするものの、少なくともレイ・クレイドルが遊撃士協会クロスベル支部の男性専用仮眠室のベッドで目覚める時間はいつもこの時間であった。

 

 特に導力式目覚まし時計などをセットしているわけではない。《結社》に在籍していた頃に半ば強制的に叩き込まれた時間感覚が今でも正常に作動しているだけであり、どんなに辛くとも脳が自動的に覚醒してしまうのだから。

 

 そうして眼帯に覆われていない右目を開けると、いつものように()()()()()()()()()()()()()の顔面にアイアンクローをめり込ませる。

 

「あぶっ⁉」

 

「おぅエオリアテメェ、何回言ったら俺のベッドに忍び込むの止めるんだ? あァ? そろそろマジでテメェの寝首掻き切ってやってもいいんだぞ?」

 

「あ、痛い痛い‼ 今日のは割と本当に痛いわ‼ ―――あ、でも何だかレイ君にやられてるかと思うとゾクゾクしてきたかも……」

 

「死刑」

 

 同僚(エオリア)の顔面を掴んだまま窓を開け、容赦なく放り出すまで二秒と掛からない。性格は筋金入りの変態(ロリ&ショタ)の同僚だが、これでも二つ名持ち(ネームド)のB級遊撃士である。建物の二階から落ちたくらいでは怪我もしないだろう。

 

「おーい、寒いぞ」

 

「あ、悪ぃ」

 

「まーたエオリアか。懲りんなぁアイツ」

 

 窓を開けたせいで室内に侵入してきた寒風のせいで目が覚めてしまったヴェンツェルとスコットに一言詫びを入れてから窓を閉め、壁のハンガーに引っ掛けておいた上着を羽織って仮眠所を出る。

 既に二階の談話室の傍らに設けられている暖炉には火がくべられており、ともすれば再び睡魔が襲って来そうな温かさに包まれている。とはいえ、この支部のタイムスケジュールに惰眠を貪る余裕などほとんどない。思わず漏れ出てしまいそうになった欠伸を嚙み殺して、階段を下っていく。そこそこ急な階段を下り切った時には、既に目は完全に覚めていた。

 

「ういーっす」

 

「あらおはよう、レイ。後ろ、寝癖付いてるわよ」

 

「ほら後ろ向きな。アタシが整えてやっから」

 

 受付嬢(?)のミシェルと、レイよりも早くカウンターの近くで依頼書の束に目を通していたリンもいつも通り。半ば強引に櫛で髪を梳かされながら、レイはリンが眺めていた依頼書の文字を追う。

 

「あれ? 今日の午前中は俺とリンがバディだっけ?」

 

「昨日言ったろ? 聞いてなかったのか?」

 

「俺は昨日出先で貰ったワインを歩き飲みしてクソ程酔っぱらったまま夜中に帰ってきてそのまま仮眠室に消えて行ったお前しか知らん」

 

「……そうだったっけ?」

 

「あれから数時間しか経ってねぇのに完全にアルコールを分解し尽くしてるお前の肝臓に戦慄するわ」

 

 ともあれ、と思いながら髪を梳かしてくれたリンに感謝して、壁にかかった時計を見る。

 

 現在の時刻は午前4時。クロスベル支部は自治州内に居る限り昼を境に中間報告の義務が課せられているので、それまで残されたのは8時間。手元にある依頼書は15枚。凡そ1時間に2つの依頼をこなしていくペースである。

 他の支部ならば繁忙期にしか回ってこないであろう仕事量だが、このクロスベル支部ではこれが日常茶飯事である。否、むしろ今日は楽な方だと言ってもいい。

 

「ま、アタシとレイがバディ組むんだから、そりゃあ戦闘系が多くなるよね」

 

「北と西で魔獣退治にセピス集め……ま、俺らなら移動時間もそんなにかからないしなぁ」

 

 クロスベル支部では、よほどの繁忙期でもない限りバディを組んでの依頼遂行が普通である。A級遊撃士として国外に赴くことが多いアリオスは例外だが、そのほかの人員は極力協力して仕事に当たることで、より効率の良い仕事の分散方法や緊急時の対処を明確化する事ができるからだ。

 

 因みに、本来であれば”準遊撃士一級”であるがために正遊撃士と同じ任務は受注できないレイだが、ことこの支部に於いてはそんな常識は適用されない。

 本当ならB級遊撃士以上の実力と経験を積んだ彼が未だに準遊撃士という地位に佇んでいるのは、協会が定めた年齢既定の例外にいるからである。だが、年功序列など考慮に入れる暇すらない完全実力主義支部のクロスベルに於いては、レイも他の正遊撃士と同等の地位と仕事量を割り振られているのが現状だ。

 

「それじゃあ、二人ともよろしくね♪」

 

「あーい」

 

「あ、そうだ。さっき窓からエオリア投げ捨てたから後で回収しといて。ご近所さんたちに迷惑掛ける前に」

 

「あの子なら大丈夫でしょ」

 

 なんだかんだで信頼されてんだよなぁ、などと思いながら支部の入り口を開けて外へ出ると、途端に肌を突くような北風が通り抜ける。

 クロスベル自治州より南方にあるリベールのツァイス支部に勤めている時ですらそうだったのだから、年の瀬が迫ったこの時期に寒くないわけがないのだ。

 

 レイは、別に寒い日が嫌いなわけではない。そもそも彼にとって「暑い」か「寒い」かは、自身の動きに影響を及ぼす要因の一つでしかないというのが《結社》にいた頃の考えだった。

 だが今は、少し違う。こういった寒い日の早朝は、いつにも増してこの街は静かで、どこか不気味さを漂わせる。

 

 摩天楼が軒を連ねるクロスベル自治州というのは、全体的にどこか余所余所しい雰囲気はある。一部の、例えば遊撃士協会がある東街区や雑貨屋などか立ち並ぶ西街区などは商人たちなどの横の繋がりが密であるためにコミュニケーションを取る相手も多い。

 だが、クロスベルに―――所謂近代における「ビジネス」を行うべくやってきた者達は、無償の恩を程度の差こそあれ恐れる。つまるところ、「タダより怖いものはない」というヤツだ。

 

 中には特異な者もいる。これほどまでにお人好しで生き残っていけるのかと逆にこちらが危惧してしまうような者達が。

 だが大半は、顔に他所用の営業スマイルを張り付けて、讃美の言葉の中に謙遜と皮肉を織り交ぜ、利用するだけ利用した後は蹴飛ばそうと考えている輩だ。そういった者達に嫌悪感を覚える事こそないが、それがこのクロスベルという都市を一層冷え込ませているように感じる。

 

 これは、この街に数年暮らし、また後ろ暗い一面を覗き込んだ者にしか分からない感覚だ。こういった空気が合う人間は悉く嚙み合うし、合わない人間はとことん合わない。

 資本主義という言葉の具現化、弱肉強食の相関図。成程、「魔都」とはよく言ったものである。

 

 

「おーい。どうしたのさ、レイ」

 

 支部の入り口に立ったままぐるりと周囲を見渡していたレイの眼前に、視線を合わせたリンが覗き込んでくる。

 《拳闘士(グラディエーター)》―――そんな二つ名で呼ばれる彼女は男勝りだとよく称され、実際市内では同性のファンが多い。

 若くはあるが、それでも《泰斗流》の奥義伝承者。押しも押されぬ”準達人級”の武人である。恐らくは血の滲むような修練の果てに今日の実力を身に着けたのだろうが、それと比例するように傍目には”女らしさ”をどこかに忘れてきたように見えるらしい。

 

 しかし、昔から羨望や崇拝は目を曇らせるという言葉があり、実際その通りだとレイも思っていた。

 外見上”男勝り”を装ってはいても、甘いものが好きだったり、市内を歩いている最中にショーウインドウの中に陳列されていた可愛らしいぬいぐるみに一瞬目を奪われていたり、エオリアに年頃の女性らしい服を押し付けられては赤面していたりと、女性らしい面は幾つもある。

 

 俗な話だが、外見上だって例外ではない。

 吊り目がちだが透き通った琥珀色の双眸に、美人と言って差支えのない顔。穏やかというよりも美麗であると表現した方がいいだろうか。確かに、男装をしても見目麗しい麗人として周囲の視線を引くだろう。それでいて竹を割ったようなサッパリとした性格であるのだから、同性にモテるというのも無理はない。だが、魅力に欠けるという表現は当てはまらない。

 性格的にも経歴的にも、そこいらの軟派な色事師が口説き落とせる女性ではないことは確かだが。

 

「珍しいこともあるもんだね。アンタがボーっとしてるなんてさ」

 

「良いじゃんよ、ボーっとしてたって。人間だもの」

 

「アタシはアンタとアリオスさんは自動的に半人外認定してるからなぁ」

 

「あ、そういう事言っちゃう? んじゃあもう菓子作ってもお前にはやらんから」

 

(わたくし)めが悪ぅございました。なのでそれだけは勘弁してください」

 

「うむ」

 

 そんな軽口を叩き合いながら東街区を出て中央街区を抜ける。

 朝日もロクに昇っていない冬場の早朝ともなれば、普段は賑わう中央街区も静かなものである。せいぜいが犬の散歩に出ている老人か、釣りに出かける趣味人くらいなものだ。

 朝四時から日常的に勤めに奔走する職場など、数多の会社が集まるこのクロスベルでも遊撃士協会くらいなものだろう。

 

「あ”~……お腹減ったね」

 

「いつも思うんだけどよ、こんだけ過剰労働してる人間がいるんだから24時間営業の店とかあってもいいと思うんだよな。思わねぇ?」

 

「マフィア共の良い溜まり場になりそうだ」

 

「……違いない。俺らの早朝の味方を実現するには、クロスベル警察の諸兄に頑張ってもらわなきゃな」

 

 とはいえ、腹が減っては戦はできぬ。魔獣程度を相手にするのならば空腹でも問題ないだろうが、朝食は一日のエネルギー源である。

 特に、一日中動き回る遊撃士にとっては死活問題。しかし飲食店はまだどこも空いていない。ならば―――。

 

「道中で魔獣狩って食べながらマインツに行こっか」

 

「それな」

 

 《結社》に居た修業時代は師に放り込まれた雪山でよくやっていたが、まさかこんな文明の最先端を行く都市に来てまでこんなサバイバルじみた事をするとは思わなかったと思ったのも、既に遠い昔。

 この支部では、国外にいるわけでもないのにあまりにも多忙で協会支部に帰れず、道中で野宿するという事が月に幾度かある。その為、そういった常識に囚われない逞しさや記述などは必須とも言えた。

 

 魔獣の肉というのは一般的には忌避されがちだが、獲物を選んで調理法を間違えなければ珍味として一流レストランなどにも卸される食材だ。栄養価が高いものも多く、疲労した肉体の回復、または精をつけたい時などは重宝する。

 

 まぁそれでも、文明人としては出来れば正規の調理手順を踏んだ料理を食べたいと思ってしまうのは贅沢な考えというわけでもないだろう。

 普段贔屓にしている飲食店の完成された美味な料理を脳裏に思い浮かべながら狩ったばかりの魔獣の肉を豪快に焼き肉にして食うしかない現状に辟易としながらも、二人は西街区の住宅街を抜けて北の山道へと繰り出して行った。

 

 

 

 

 

 

AM 8:20

―――――――――

 

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」

 

「オラとっとと死ぬんだよ。おっ死んでさっさとセピス落として消えろ」

 

「ホンット、ここって何もないのに亡霊系の魔物だけはわんさか出てくるね」

 

「爆破してぇ。建物丸ごと爆破してスッキリしたいなぁ‼」

 

 クロスベル自治州北西部に位置するその場所は、俗に『月の僧院』と呼ばれている場所であった。

 南部に位置する『星見の塔』、北東部に位置する『太陽の砦』と共に中世の遺跡として残っているそこは、歴史的価値のある遺物を抱え込んでいる事で歴史学者たちの注目を集めながらも、突発的に湧いて出る亡霊系の魔物が建物内を徘徊する事が多い為、内部見学は基本的に禁止になっている場所である。

 出没する魔物はそこそこ手強いものも多く、クロスベル警備隊も手を焼かされているのが現状であり、定期的にクロスベル支部に掃討依頼が舞い込んでくるのである。

 

 重ねて言うが、この僧院に出没する魔物は決して弱いわけではない。ないのだが……。

 

「あっ、チッ‼ こいつ幻のセピス落としやがった。もうそれはいらねぇから時のセピス落とせって言ってんだろぉ⁉」

 

「レイー。ちょっとコッチに生きの良い感じの不死系の魔物来そうだから、コッチ頼むよ」

 

「あいよー。んじゃリン、そっちは二階の方片づけといてくれ」

 

「んー」

 

 純白の長刀から繰り出される神速の斬撃と手甲に包まれた拳撃の乱舞が、亡霊たちをまるで小魚の群れを蹴散らすかのように薙ぎ払っていく。

 互いの呼吸の一息に至るまで読み切って魔物狩りに奔走する彼らを傍目から見れば充分特異に映る事だろう。不満と暴言を撒き散らかしながら、然程苦労もしていない様子で、しかし討伐数だけは確実に積み重ねている。

 

 リンが軽業師もかくやという動きで建物の二階へと駆け上がっていったのを見届けると、レイはリンの予想通り一回の側面から湧いて出た不死性の魔物の処理に当たる。

 処理、と言っても大した事ではない。通常の討伐と同じように神速の剣技で以て叩き切る。ただそれだけの事だ。

 

 《結社》の《執行者》として活動していた時に、《盟主》より賜った”外の理”で以て鍛えられた産物。今でもレイの愛刀として常に傍らに在り続ける《穢土祓靈刀(エドハラエノタマツルギ)布都天津凬(フツアマツノカゼ)》が有する特異な能力は”浄化”。

 本来、レイがその身に宿してしまっているとある呪いを緩和するために備えられた能力だが、実体のないエーテル体だけで存在している亡霊系の魔物とは殊更に相性が良い。元々レイがアーツの代わりに使用している呪術の形態が封印・封魔に長じているという事からも、こうした討伐依頼には手間を省く意味合いでも呼ばれることが多い。

 

 そうして数分も経たずに、湧き出てきた全ての魔物を蹴散らし終えたレイは、ふと僧院の一角に目をやった。

 階段の影。ただでさえ一般人が立ち入らないこの場所では、注視しない限り決して分からない位置を覗き込むと、そこには以前討伐依頼を受けて来た際に張っておいた破邪の護符―――言うなれば亡霊系の魔物の発生頻度を下げる効果を持つレイ特製のそれが無くなっていた。

 

「…………」

 

 隙間風の影響などで自然に剝がれたわけではない。そもそもそんなヘマを犯すほど呪術師としても落ちこぼれていないつもりだった。

 その証拠に、護符が張ってあった場所には強引に引き剝がしたような痕跡があった。一体誰が、何の為に? という疑問は、すぐに氷解していく。

 

「(マリアベル(あのクソアマ)が手を回しやがったか。テメェんトコの一族が作った遺跡に余計な手を加えられたくなかった?……いや、あの女がそんな殊勝な考えなワケねぇか)」

 

 東方移民の生粋の呪術師の一族、その末裔であるレイが手ずから作製した破邪の護符は絶対的とは行かずともそれなりの効力は発揮する。それこそ、定期的に張り替える事さえ忘れなければ観光の場所として復活できる程度には。

 それを妨害してきたという事は即ち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事。更に護符を撤去したことをレイに伝えていないという事は、公にはできない理由があるという事だ。

 

「(チッ……あの腹黒女、何をしようとしていやがる)」

 

 碌な事ではない、というのは確かだ。そういった人間を見る目だけは、《結社》の中で鍛えられた。

 ともすればマリアベル・クロイスという女の本性は、第二使徒の魔女よりもタチが悪いかもしれない。

 

「(ったく、魔女(ヘクセン)ってのは性格的に捻じ曲がったヤツしかいねぇのか?)」

 

 思わず心の中で独りごちてしまったその言葉が極端な例だと証明されたのは少し後の話である。

 

 

「レイー、終わったかー?」

 

 すると、頭上からリンが呼ぶ声が聞こえてきた。その声色から察するに、二階の敵の掃討も恙無く終了したらしい。

 

「こっちもクリアーだ。ったく、亡霊風情が手間かけさせてくれるぜ」

 

「でもこれも一応正式依頼だしねぇ」

 

「警備隊や警察に恩を売っといて損はないってか。こういう仕事こなしてけば自動的に警察の自称エリート連中に絡まれる事もなくなる……なんて都合の良い展開があればいいんだが」

 

「人間ってのはそんなに上手いこと行かないもんだよ」

 

「世知辛ぇなぁ」

 

 クロスベルが抱える問題を、しかし苦笑しながら受け流して、二人は依頼書の何枚かに達成印をつけて僧院を後にした。

 

 

 

 

 

 

AM 11:30

―――――――――

 

「おっ、よう」

 

「ん? おぉ、ランディ。それにミレイユも」

 

 西クロスベル街道の魔獣をあらかた始末し終え、討ち漏らしがいないかどうかの確認作業中、偶然出会った二人に少しばかり驚いたような声を漏らす。

 彼らが身に纏う黒を基調とした軍服は、国家としては認められていないクロスベル自治州が有している()()()()()、『クロスベル警備隊』のそれであった。

 

 憲章に基づいて「軍隊」の所有を認められていないクロスベルが自衛の為に編成している部隊だが、隣接しているカルバード共和国、エレボニア帝国の正規軍と比べれば、規模も資金も雀の涙のようなものである。

 しかしそんな中にあっても、彼らのクロスベルを護るという思いは本物だった。―――そう、一兵卒の彼らのそれは、だが。

 

「そっちは二人きりでどうしたんだ? デートか?」

 

「えっ⁉ いや、ちょ、違―――」

 

「いやー、分かるか? 流石だわお前。今度の休暇ン時に飯奢ってやるよ」

 

「ゴチになりやーす」

 

「話聞かないとはっ倒すわよ⁉」

 

 二人揃って「ちぇー」と口を尖らせながら、レイはちらりと肩を組んできた大柄な青年の方に視線を向ける。

 

 ランディ・オルランドという青年は、レイと同じくこのクロスベルでは「余所者」であった。レイがクロスベル支部に異動してきたのとほぼ同じ時期に、彼もまたこの土地に流れ着くようにしてやってきた過去を持つ。

 それだけ見れば、別段珍しい事ではない。実際この街には、何かしら過去を抱えた者が二度目の人生を送るために辿り着くというのはよくある事だ。そこで大成できるかどうかはまた別の話だが。

 

 しかし、そんな中でもこの男は、少しばかり洒落にならない過去を抱え込んだ人間でもある。

 

 歓楽街にあるカジノハウス『バルカ』、そして旧市街に店を構える武器密売屋(ブローカー)『ナインヴァリ』。

 その二ヶ所が、ランディという青年がその本名と共に過去の経歴を埋めてきた場所だ。

 それをレイは知っているし、ランディもレイがそれを知っている事を知っている。

 だが、それをお互いに蒸し返すことはしないと約束した。レイとて、人生に瑕疵を負った人間である。それを興味本位や悪意で掘り返される事がどれだけ迷惑な事は知っている。

 

 その後は、特に軋轢が生まれるようなことはなく、逆によくつるむようになった。

 幸いにも二人とも、微妙な空気を引きずるほど甘い人生を歩んではいなかった。ランディが伝手を使ってクロスベル警備隊に入隊した後も、互いに休暇を使ってはカジノに足を運んだり、裏通りで騒いだりするようになるような仲になったのだ。

 

「んで? 真面目な話魔獣哨戒任務だったら大丈夫だぞ? 俺とリンがこの街道に沸いてた奴らはは全部ミンチにしたから」

 

「おうマジかラッキー。遊撃士(お前ら)がやったんなら一匹も残ってねぇだろ。帰ろうぜ、ミレイユ」

 

「そ、そういう訳には行かないわよ。いや、別に貴方たちの仕事を疑ってるわけじゃなくて、これも任務なんだから」

 

「はぁ~、真面目だねぇ。哨戒任務中ぐらい、もうちっと肩の力抜いて良いんじゃねぇの? ただでさえベルガ―ド門(ウチ)にいる間、お前は休めないんだしよ」

 

「う……」

 

 ランディのその言葉に、ミレイユは思わず言葉を詰まらせた。

 

 クロスベル自治州に設けられている準軍事施設は二つあり、それぞれカルバード共和国と接している方は『タングラム門』、エレボニア帝国と接している方は『ベルガード門』という名称がある。

 準軍事施設とは言っても、前述の通りクロスベルは周辺諸国と比べればまともな軍備を許されていない。実際は国境監視員と同じようなものだ。

 とはいえ、職務は楽というものではない。特にエレボニア帝国と隣接している『ベルガード門』は、平時でもそれなりの緊張感が求められた。

 

 それは、1199年に『ベルガード門』の目と鼻の先、エレボニア帝国側の軍事施設『ガレリア要塞』に超弩級の戦略型兵器『列車砲』二門が配備された時から顕著になった。

 クロスベル市内を僅か数時間で焦土に変える事も可能という、近代戦の概念を一変しかねない威力を持つそれに常時脅かされる現状、『ベルガード門』に配属された警備隊員には、それなりの護国の兵としての意識が必要となっていた。

 

 しかし、聞くところによると『ベルガード門』の司令は日々帝国派の州議会議員が開くパーティーに度々赴き、阿諛追従に耽って自己の保身にのみ奔走して警備隊の運営を疎かにしているという。

 

 露になっているのはクロスベルが抱える闇と、その闇が育んでいる腐敗だ。州議会でも、警察でも、警備隊でも、一部の例外を除いて大多数の利権を貪る事しか知らない醜い豚共がのさばっているという現実。

 そして”上”がそうであるなら、割を食うのは下の者達というのはいつの時代も同じことだ。

 

 恐らく彼女(ミレイユ)は、その真面目さゆえにまさにその”割を食っている”真っ最中なのだろう。

 それを考えれば、日々過剰労働を押し付けられはすれど、上司の顔色を伺う必要もなくやりたい放題できる遊撃士という職業は、このクロスベルに於いてはある意味楽な方なのかもしれない。

 

「大変だねぇ、そちらさんも。……よければ遊撃士(ウチ)に来る? 万年人手不足で困ってんのさ」

 

「……申し出はありがたいのだけど、それは受け入れられないわ。色々と儘ならない事もあるけれど、それでも私はクロスベル警備隊の一員であることに誇りを持っているもの」

 

 リンの、半ば冗談じみた言葉に返ってきたのは、色褪せない矜持を感じさせる強い言葉だった。

 それに対してリンがニッと笑ったのは、恐らく同類の気配を感じ取ったからだろう。彼女も彼女で、遊撃士という職業に絶対の誇りを持っているのだから。

 

「ランディはそんなに拘ってねぇだろうけど……ま、あんな女性(ひと)を放っておくわけには行かねぇか」

 

「まぁ、今はな。いつかどっかで縁がありゃあ、別の所で働いてるかもしれねぇぜ」

 

「どうだかな」

 

 それじゃあな、と踵を返そうとすると、不意にランディに肩を掴まれた。

 

「―――ウチのクソ司令が最近裏通りの連中と頻繁に連絡を取ってるらしい」

 

 そして耳の近くで囁くように言われたその言葉に、レイは思わず眉を顰めた。

 

「どうにも()()。ま、この場所じゃあどこもかしこもキナ臭いが、()()()()()にはお前の方が鼻が利くと思ってよ」

 

「嫌な特技が身に付いたもんだな、俺も」

 

 このクロスベルで遊撃士として一年も経験を積めば、自然と後ろ暗い事に鼻が利くようになる。更に言えばレイの場合は、その前歴も相俟って、そういった動きには敏感だった。

 

「ま、了解だ。できればお前んトコの司令がお偉い議員サマのパシリにさせられてるだけだと祈りたいがな」

 

「そうなんだよなぁ」

 

 杞憂であれば良いと思いながらも、恐らくはその程度では終わらないのだとレイの直感が告げていた。

 内心で溜息を吐くと、一転してランディはいつもの軽口で話しかけてくる。

 

「まぁお前にもお前の仕事があるだろうしよ、世間話の延長程度に聞いといてくれや。それよりアレだ、今日の夜は少し時間取れそうだからよ、久し振りにメシでも食いに行こうぜ」

 

「クソ忙しい緊急の追加依頼積まれなかったらな」

 

 そんな言葉を交わして二人と別れ、午前中最後の依頼書にチェックをつけながら、しかしレイの胸中には僅かな靄が纏わりついていた。

 少しばかり()()()()()みるか―――そんな事を思いながら、リンと共に午前中の報告をする為に市内へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

PM 12:15

―――――――――

 

「おかえり~レイ君♪ 早速だけど抱きしめても良い?」

 

「エオリア、お前が持ってる麻痺毒入りの注射器貸せ。連続注射して心臓麻痺で逝かせてやる」

 

「やだ、レイ君。イかせてやるだなんてダ・イ・タ・ン♪」

 

「割とマジで死ねばいいのに」

 

 帰路途中で購入した昼食のパンを貪りながら、レイは支部に入った途端に許可を求めるよりも早く抱き着いてきたエオリアに対して絶対零度の視線こそ向けるものの、朝方のように振り解かないのは理由があった。

 

 そもそもエオリアという同僚は、その既に手の施しようのない変態性癖を抜きにすればリンとはまた別のベクトルで万人が認めるような美女である。

 その艶やかな銀髪や細身ながらも肉感的な体型、嫋やかな普段の佇みようと遊撃士としての凛とした雰囲気のギャップに見惚れ、ファンになるクロスベル市民も少なくない。……それは全て、彼女の一側面でしかないのだが。

 

 子供(ロリ&ショタ)をこよなく愛するという変態性も、セーブしている内は「子供好きな優しい遊撃士」という長所で押し通す事もできるが、一度枷が外れれば一転して犯罪者にもなり兼ねない。そのガス抜きの役を担っているのがレイというわけである。

 

 無論彼女とて、《銀薔薇》の二つ名を戴くB級遊撃士。仕事に関してはプロフェッショナルであり、後方支援という観点から見ればこの支部で彼女の右に出る者はいない。人当たりの良さも相俟って、交渉依頼などもそつなくこなす優秀な人材だ。

 

 だが毎日毎日被害に遭っている身としては、辟易とせざるを得ない。一体いつからこんなに致命的に道を踏み外してしまったのか。なまじ美女だからまだマシなのだが、とはいえ悪態の一つくらいは付きたくなる。

 

 

「なんだ、今日は昼に全員揃ったのか。珍しいな」

 

「そうだな。もっとも、アリオスさんはまだ帰ってきていないが」

 

「あれ? アリオスさん何処に出張に行ったんだっけ?」

 

「レミフェリア。明日になったら帰ってくるって言ってたわ」

 

 多人数が揃えば姦しいというのは遊撃士であっても変わらない。とはいえ、普段仮眠室以外で支部のほぼ全員が一堂に会するというのは珍しい事ではあった。

 許された休息は十数分程しかなかったが、情報交換をするには充分な時間だ。その間、レイは内心忸怩たる思いを抱きながらもずっとエオリアに抱えられていた。たった十数分我慢するだけで彼女の仕事へのモチベーションが高まるというのなら安いものである。

 

「さ、皆。午後もお仕事、張り切っていきましょ♪」

 

「何そのオカマバーのママみたいな掛け声」

 

「あ、それ分かる」

 

「今更過ぎるだろう。リン、午後は俺とバディだ」

 

「あいよ、ヴェンツェル。そんじゃ行こうか」

 

「それじゃあレイ君、午後は私とバディ組もっか?」

 

「ハイハイ、エオリアは極力レイに近づき過ぎないようになー。んじゃあレイ、午後は俺と―――」

 

「……いや」

 

 自分が手にした午後の分の依頼書を片手に、レイは支部の仕事を割り振っているミシェルの方を向き直った。

 

「ミシェル。午後の仕事、俺は一人で回りたい」

 

 肩書的には”準遊撃士”であるレイは、本来ならば支部の方針でなくともバディで行動する事が義務付けられている。

 しかし彼の場合は異例中の異例。仕事はそこいらの正遊撃士よりも手早く、そして確実にこなすし、何か問題が起きた場合の判断力、事後処理能力も申し分ない。

 

 バディで仕事をこなすのは支部の方針であって、強制的なものではない。一人で事に当たった方がスムーズにこなせると判断された場合は認められる事も多い為、申し出自体は特異なものではなかった。

 

 勿論、バディで動く事に不満があるわけではない。そもそもこの支部に在籍している遊撃士は全て一流であり、学ぶべきところは随所にあれど、足手纏いになった事など一度もない。

 

 ただ少しばかり、一人で調べてみたい事ができただけなのだ。

 

「……いいわよ。それじゃあスコットはエオリアとバディを組んで頂戴」

 

 とはいえ、何か考えがあったという事は既にミシェルにはお見通しのようであった。

 口調はアレだが、伊達にクロスベル支部の全権を担っている人物ではない。それくらいはレイの声色で見透かしたようだった。

 

 軽く手を掲げて無言で「スマン」と合図すると、ミシェルは返答としてウインクを一つ返してくる。

 自由にさせてもらった見返りの成果は持ち帰らなければならないなと、レイはらしくもなく奮起したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 





 そろそろ新社会人としての日々が始まるため不安しかない十三です。しかしそんな事より『Dies irae』や『Fate/Apocrypha』のアニメPVがクッソカッコ良すぎて涙出そう。
 特にハイドリヒ卿が輝き過ぎてて直視できねぇ。なんだあのラスボス。

 そんでもって、今回本編じゃなくて番外編を書いた理由としては、今から本編に入っても社会人としての生活が忙しくなって執筆期間が空いてしまい、僕自身どこまで話を進めたのか忘れそうだったのと、読者の皆さま方にも迷惑が掛かりそうだったからです。
 そういった意味での我儘をお許しください。

 今回の外伝は以前のif時空ではなく、本編開始の少し前を描いたものです。詳しく述べれば七耀歴1204年の11月頃ですね。レイがクロスベルを去る1ヶ月くらい前です。

 3月中に後編も投稿する予定ですので、それでは。


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外伝 クロスベル支部のとある一日 後篇


※この外伝には以下の要素が含まれています。

・過去編
・遊撃士時代の主人公
・労働基準法? 何それ美味しいの?
・倫理観? アイツなら実家に帰ったよ。
・これが日常とか嘘やろ?→残念、本当だ。
・慣れないジャンルに手を出した系

それでも大丈夫な方はゆっくりして行ってネ。







 

 

 

 

 

PM 2:00

―――――――――

 

 

 現在手に入っている情報を整理する。

 

 とは言っても、”事実”として精査するには些か足りない伝聞調の情報だ。ランディがこの期に及んで出鱈目な情報を寄越すとは思えないが、憶測は時に足元を掬われる要因になりかねない。特にこのクロスベルでは顕著だ。

 

 ”『ベルガード門』の司令が連日”裏”の人間たちと連絡を取り合っている”―――成程、腐敗した組織運営の中にあっては、官人が公にはできない方法で公にできない存在とコンタクトを取るのは珍しくない。

 

 それだけならば、何もレイが気にかけるような事ではない。このクロスベルで一々そんな事を気にしていては、それこそ夜もまともに眠れなくなるレベルだ。

 官人の腐敗など昨今始まった事ではない。そもそもクロスベルの政治を司る自治州議会ですら、『帝国派』と『共和国派』に分かれて日夜醜い政争を繰り広げている。その政争に警察、警備隊、果ては民間企業やマフィアまで巻き込んでいるのだから、そんな様相を呈している中で清い関係を維持するというのが無理だ。断言してもいいが、不可能である。

 

 しかしそんな混沌入り乱れる腐敗情勢の中で、今回の一件がレイの琴線に引っかかったのは、偶然だとは思えなかった。

 

 本能レベルでの危機察知能力は一流遊撃士には必須の能力である。特にA級クラスの遊撃士にもなると、まるで未来予知が出来るかのように先回りをし、事態を最小限の被害で収束させる者達がいる。

 彼らに言わせれば、全ては経験がモノを言うらしい。つまりは他人からアドバイスを貰ってどうこうなるものではない。

 その言葉を素直に受け入れて今まで遊撃士として活動してきた経験に照らし合わせてみると―――やはりこの一件はキナ臭く思えるのだ。

 

 「何故?」と問われれば「なんとなく」としか答えられない。

 だから初期段階である今は、心を落ち着けた状態のまま推理を組み立てて行くしかない。

 それと同時に、サボる事なく手も動かしているのだが。

 

 

「おーい、レイ君。すまんが大道具のシャンデリアの接合部分が若干甘いみたいなんだ、見てくれないか?」

 

「うっす、了解でーす」

 

 慣れたような声色で了承し、レイは狭い足場を跳躍しながら舞台の最上部へと登っていき、天井部分から吊り下がっているシャンデリアの接合部分に手を伸ばす。

 接合が甘いと言っても、ほんの僅かにネジが緩んでいるだけ。放っておいても大事には至らないのだろうが、それでも彼らはプロ集団。万が一が起こりそうなリスクは片っ端から潰しておくに越したことはない。

 腰に取り付けたベルトからドライバーを抜き取ってネジを締め直すと、再び自分の仕事に戻るために舞台の上へとジャンプして降りる。

 

 午後のレイに課せられた依頼の一つが、劇団『アルカンシェル』での舞台設置の手伝いだった。

 大道具と小道具係、それぞれ一名ずつが流行りの風邪にやられて寝込んでしまった為に急遽要請が飛んで来たのだが、しかしそれは誰にでも務まる仕事ではない。

 

 何せ天下の『アルカンシェル』の舞台設置だ。僅かの狂い、僅かの設置ミスも許されない。全ては満員御礼の観客の視線を受けて舞う一流のアーティストに最高の演技をしてもらう為。その為には例え日陰の裏方であろうとも、プロフェッショナルの腕前が求められる。

 

 だからこそ、幾ら多彩な人材が揃うクロスベル支部の遊撃士であっても、本来は根本的なところには手は出せない。

 その道のプロにしか理解し得ない物の道理というものは確かにあり、それは赤の他人が横から軽々しく口や手を出して良い領域ではない。―――しかし。

 

「ハインツさん、照明の配置終わったっす。電圧が右翼と左翼のとで少し違ってたんで直しときました。あ、それと垂れ幕の結び目が解けかかってたんでそっちも結んでおいたんで」

 

「あぁ、すまないね。本来ならコッチが気付かなきゃならんところまでやってくれて助かるよ」

 

「気にせんといて下さい。舞台裏に脱ぎ捨ててあった衣装は後でカレリアさんのとこに持ってった方がいいですか?」

 

「衣装? あぁ、またセリーヌかニコルが忘れて行ったな。放っておいてくれ、若手とはいえ彼らもアーティストだ。それくらいは自分でやらせなきゃイカン」

 

「了解っす。そんじゃ、舞台下の装置の点検行って来ますわ」

 

「気を付けて―――ってのは君には無粋かな?」

 

「もう慣れたっすよ」

 

 支部の中でも屈指の手先の器用さ、そして物覚えの早さと順応力の高さを誇るレイは、過去に数回、同じような依頼を請け負っただけで既に『アルカンシェル』内の舞台配置、装置の点検方法からガタが来やすい箇所まで全て頭の中に叩き込んで記憶している。

 ともすれば今は、そこいらの裏方作業員よりも整備方法を熟知している可能性すらあった。流石に舞台のメインである大掛かりな装置には極力手を触れないようにしているが。

 

 請け負った仕事に全力を注ぎながら、それでも僅かに空いた脳の片隅で推論を組み立てて行く作業はやめない。

 俗に”並列思考”と呼ばれる技術だ。木製の階段を降りて行った先にある、アーティストを移動させるための昇降装置。一般人が見てもどうして動いているのかすら分からないそれを慣れた手つきで点検し、時にはスパナやドライバーで接続部分を調節しながら作業を終えて、一息を吐くために楽屋近くの休憩所に赴く。

 

 そしてそこに続く廊下で、見覚えのある人達を見つけ、レイは極力不自然さを残さない声色で声をかけた。

 

「おいっす、トップアーティスト三人衆。もう楽屋入りか?」

 

「あら、レイじゃない。……そういや今日、アリスタとローエルの代わりに遊撃士に手伝って貰うって団長言ってたわね。……それにしても」

 

「?」

 

「本当に場に馴染むのが上手いわね、アナタ。全く違和感がなかったわ」

 

「ま、どっちかって言うと裏方でいる方が好きだからな。性分じゃね?」

 

「良く言うわよ、《クロスベルの二剣》。この街アナタの事知らない人なんてもうそんなにいないでしょ? 良い意味でも悪い意味でも」

 

「アンタに言われると光栄なのか皮肉られてんのか分かんねぇなぁ、《炎の舞姫》」

 

 実際、このクロスベルに住んでいる人間の中でイリア・プラティエの名を知らない人間はあまりいないだろう。何せ、周辺諸国にまで熱烈なファンがいるほどだ。

 『アルカンシェル』が誇る看板トップアーティスト。たとえ舞台劇に興味がない人間であっても、彼女の舞を見た者は老若男女の別なく魅せられる。

 人はここまで美しく動けるのかという極致。鍛えぬいた全てを使って何かを傷つける武人とは違い、鍛えぬいた全てを使って魅了する彼女の存在は、同じようでいて違うのだが、それでもプロである事に変わりない。

 ……私生活の自堕落っぷりを除けば、だが。

 

「つーか、後輩二人に迎えに行かせるのいい加減止めさせてやれって」

 

「アタシは別に一人で起きようと思えば起きれるし、遅刻したこともないもの。甲斐甲斐しく迎えに来てくれる優しい後輩が二人もいて幸せだわ♪」

 

「さっすが、家の掃除を遊撃士協会に依頼しに来る人は言う事が違ぇや」

 

 主にその依頼を請け負わされている被害者としては忸怩たる思いが少しばかりあるのも事実だが、視線が火花を散らす前に「まぁまぁ」と両脇に居た他の二人が止めに入った。

 

「イリアさん、遊撃士の方に迷惑掛けるの止めてくださいって言ったじゃないですか‼ 掃除なら私がちゃんとやりますから‼」

 

「えー、でもレイが掃除してくれるとすっごいキッチリしてて清々しいんだもん。そこらのヘルパーよりちゃんとやってくれるわよ?」

 

「……レイさん、そんなにキッチリやってるんですか?」

 

「仕事だからな」

 

 ゴミ屋敷の清掃というのは思いの外ハードワークではあるが、それでもやり始めるとピカピカにするまで納得できないというのが性分である。

 仕事と言ってはみたが、実際の所は生真面目さゆえに投げ出せないだけだ。

 どこか遠い目でそう言うレイを見て、イリアの後輩である二人は申し訳なさそうな表情で苦笑した。

 

 リーシャ・マオと、マイヤ・クラディウス。

 両者ともまだ新人の域を出てはいないが、『アルカンシェル』の中では注目株と呼ばれて客の興味を引いている二人である。

 鮮烈にして麗美なイリアとは違い、静謐ながらも上品さを漂わせる演技をするリーシャ、そして脇役ながらも卓越した技術と動きで一定層のファンを確立させているマイヤ。

 二人ともイリアがアーティストとして見出した逸材であり、その甲斐もあってか『アルカンシェル』は新時代に突入したという触れ込みが売り文句になっている。

 

 ……そういったこともあって、頻繁に自由奔放なイリアの犠牲になっているという事実もあるのだが。

 

「リーシャもマイヤも大変だろうに」

 

「もう慣れました」

 

「もう諦めました」

 

「マイヤってちょいちょい自然に毒吐いてくるわよね?」

 

「完全に自業自得なんだよなぁ」

 

 せめて酒瓶くらい自分で処理しろよと思ったレイ本人が、数ヶ月後に恋人に対して同じことを思うのはまた別の話である。

 

 そのまま他愛のない話を続けていると、不意にリーシャがふぁ、と小さな欠伸を漏らした。

 

「何だ、寝不足か? 珍しい」

 

「そうですよね。リーシャは普段イリヤさんと違って規則正しい生活を送っていますから、眠そうな顔をしているのは久し振りに見た気がします」

 

「レイ、アタシの可愛い後輩が反抗期みたいなんだけど」

 

「だからもうちっと生活習慣を改めて、あとついでにスキンシップを控えめにした方がいんじゃね? 女同士でもセクハラって適用されるんだぜ」

 

 そんな事を言い合っていると、リーシャは「大丈夫です」と笑顔を見せた。

 

「別に夜更かししてたとか不眠症とかじゃなくて、昨日ちょっと市街区の中でずっと音がしてて眠れなかったんです」

 

「音? また不良連中が騒いでやがったのか?」

 

「リーシャ、だからあそこに住むのはやめた方がいいと言ったじゃないですか。せめて東街区に引っ越しましょう。あそこなら問題が起きたら遊撃士の方がすっ飛んできてくれますから」

 

「あそこで問題起こしたらものの数分でクロスベル支部(ウチ)の誰かがすっ飛んで制圧できるからな」

 

 『アルカンシェル』のアーティストとして少なくない給金を貰っているにも拘らず、リーシャの住まいはクロスベルに来た時から変わらず旧市街のアパルトメント『ロータスハイツ』であった。

 旧市街区は基本的にクロスベル警察の手が入らない治外法権地区でもあり、治安はお世辞にも良いとは言えない。あの場所をねぐらとしている二つの不良集団による衝突が後を絶たなかったりと、静かに暮らすにはお世辞にも相応しくない場所だ。

 

「言うても、一昨日喧嘩中に調子こいて一般人巻き込んだ連中を締め上げたばっかりだから流石に大人しくしてると思うんだがなぁ」

 

「サラッと物騒なこと言ったわね」

 

「クロスベル支部だと日常茶飯事みたいですよ」

 

 実際、不良同士の抗争で当人たちだけに被害が出ているのなら支部の方も黙認している。

 だが、その抗争が過激になり、旧市街に住まう一般人に被害が及んだ事が分かった瞬間、荒事に慣れ切った遊撃士が介入して力づくでも鎮圧するのが日常茶飯事の光景なのだ。

 

 レイの経験上、武力鎮圧が起こってから一週間はどちらのグループも大人しくしているのだが、今回ばかりは勝手が違ったのだろうか―――そう思っていたら、リーシャが首を横に振った。

 

「いえ、抗争とかそういうものではなくて、何と言うか……重たいものを運んでいるような大型車が昨日の夜中、旧市街区に出入りしていたんです」

 

「車の出入り? それだけでそんなに騒がしかったのか?」

 

「えっと、音からして旧市街区の南の方だと思います。……あの場所に出入りする大型車両なんてほとんど見なかったので、印象に残ってしまって」

 

「あら、確かに整地が不安定なあそこを大型車が通ってたなら、そりゃ大きな音も出るわよね」

 

「リーシャは耳が良いですからね。今度からは耳栓を常備しておくのをオススメします」

 

「はい。そうさせてもらいます」

 

 タチの悪い工事に出くわしてしまった少女を慰める世間話。傍から見ればそうでしかないはずだった。

 事実、この時のレイも世間話程度にしか聞いていなかった。その後、稽古の時間が迫ってきたという事で三人とも別れ、ひとまずの機材のセッティングや点検を終えたレイも、劇場の支配人や団長などにお礼を言われながら『アルカンシェル』を後にする。

 

 そうして次の依頼書に目を通しながら、レイの足取りは自然に陽の差さない場所へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

PM 3:40

―――――――――

 

 

「あいよ婆さん。お探しのアンティークのペンダントはこれだろ?」

 

「おぉ、これだこれだ。すまないねぇ、イッヒッヒ。アンタら遊撃士に依頼すると仕事が早くて助かるよ」

 

「ならもうちっと楽な依頼を寄越してくれよ。三日前に池ポチャした時計を探してくれだなんて、事と次第によっちゃ無理ゲーだぞ」

 

 そんな無茶な探し物の依頼を僅か数十分で果たす事ができたのは、ほぼほぼ運の要素が強かった。

 裏通りの一角にアンティークショップを構える大富豪、イメルダ夫人が住宅街で紛失したペンダントは、用水路に流される直前のパイプの腐食して変形していた部分に運よく引っかかっていたのを回収しただけである。

 

 運が悪ければ一日を費やしても見つからない依頼ではあったが、この時ばかりは自分の悪運を褒め称えるしかなかった。

 

「このペンダントはそこそこ価値のあるシロモノでねぇ。嘗てはこれの所有権を巡って貴族たちが血生臭い争いをしたってほどなのさ」

 

「ンな呪われたモン、わざわざ俺が探さなくても婆さんのトコに戻って来たんじゃねぇの?」

 

「イッヒッヒ、そうもいかんさね。―――まぁ、早々に片づけてくれた礼だ。そこいらにあるもの、一つだけなら持って行っても構わんよ」

 

「要らん要らん。こういうのは価値が分かるやつが持ってるから意味があるんだよ。―――いや」

 

 申し出を断って店を出て行こうとしたレイだったが、ふと思い至る事があって足を止め、再びカウンターの奥でチェアに腰かけたイメルダ夫人に向き合った。

 

「そうだな、報酬ついでに婆さん、ちょいと訊きたいことがある」

 

「ほう、何だい」

 

「昨日の深夜、旧市街区に来てた大型車と人間。それの詳細を訊きたい」

 

 そう言うとイメルダ夫人は僅かに肩を揺らし、しかしその直後には再び不気味な笑い声を漏らした。

 

「それを訊いてどうするんだい? まさか本格的に探偵業を始めようってわけじゃないだろうに」

 

「必要に駆られりゃ、な。しかし婆さん、アンタが露骨に話題を変えたってことは、やっぱその連中、ただの出入りの”業者”じゃねぇな?」

 

 イメルダ夫人はこんな裏通りに趣味で店を構えているだけあって、裏社会でもかなり顔が利く人物でもある。

 長らくその道に身を置いていただけはあり、抱える情報網はかなりのもの。それ故に彼女から情報を貰う際には膨大な見返りを必要とするのが常なのだが、今回はそれを請求してくることはなかった。

 

「アタシにも立場ってモノがあるからね。全部を応えるわけにゃいかんが、まぁその点に関してはアンタの予想通りさ」

 

「旧市街区に正規のルートで入るなら、街道側から来るにしろ中央広場、湾岸区側から来るにしろ、必ず支部の前を通る必要がある。誰も気づかなかったって事は、そいつらは旧市街区の裏手から入ったって事か」

 

 先程リーシャから訊いた、車が出入りし始めた時刻から逆算すると、その時はちょうど酔っぱらって帰ってきたリンが受付でミシェルにタチの悪い絡み方をしていた時間帯と合致する。

 幾ら酔っていたとはいえ、それでもB級遊撃士。時間帯に見合わない車の出入りを見逃すはずはない。だとすれば、普段は禁じられている封鎖道路から旧市街区に入っていったと考えるのが妥当だろう。

 

 とはいえ旧市街区はその特性ゆえに、違法物を狙った”運び屋”の出入りもある無法地帯。正規の手続きを受けていない車の出入りは珍しくはないが、しかしそういった人間もその手のプロだ。極力目立たないようにする為に、付近の住民に不審がられるようなヘマはすまい。そう考えると、益々キナ臭くなってくる。

 

「ありがとな、婆さん。それが訊けりゃ充分だ」

 

「何だ、もういいのかい。ヒッヒ、あいにくアタシゃ今夜は少し出かけるからね、後で話を訊こうとしても遅いよ」

 

「大丈夫だっての。そんじゃな」

 

 情報としてはそれを引き出せただけでも上等であり、レイは一言礼を述べると店の扉を開けた。この時間帯はまだ裏通りに軒を連ねる酒場も開店しておらず、ネオンの光も灯っていない。

 そんな薄暗い場所で、レイは近くの建物の壁に寄り掛かって腕を組んだ。

 

 ただの世間話。そう決定づけてリーシャの不幸話を流していたらこの線は繋がらなかった。

 旧市街区への違法侵入を行えるルートというのは複数考えられるが、それでもかなり限定されるのが現状である。それも人力でなく、車での出入りとあれば尚更だ。

 

 まずクロスベルという土地の地形上、車を使った違法侵入は東側からは罷り通らない。東部から南東部に拡がるエルム湖が進行を妨げるからだ。

 だとするならば、西側からの侵入に限定される。それも普段出入りするような”運び屋”ではなく、一般人にもバレるような”素人”の出入りであるとするならば、恐らくクロスベル自治州内に拠点を構えている連中の仕業ではないだろう。

 

 であれば、元々は国外からの進入と見て間違いない。そして西側の国外との接点はといえば―――『ベルガード門』だ。

 

「………」

 

 レイの頭の中で、バラバラだったパズルのピースが一つ、カチリと填まった。

 

 だが、詳細を確かめるために『ベルガード門』に問い合わせたところで、恐らくマトモな回答は得られまい。こんな場所ではあるが、それでも国外利用者に対してのプライバシーはある。

 そして捜査権を持たない遊撃士には、それをこじ開ける権利はない。

 

 そこまで推理が及んでも、しかしパズルは未だ空白が残っているのが現状。

 いつの間にか壁に寄り掛かるのをやめて次の依頼先であるクロスベル南部に向かって足が進み、駅前通りから少し外れたところに辿り着いた時、ふと何処からか視線を感じた。

 

 否、「何処からか」というのは正確には語弊であり、正体は既に分かっている。建物の影からこちらを伺っている黒服サングラスの二人組。

 明らかに一般人(カタギ)ではない雰囲気を撒き散らしているその二人の所属はわざわざ確認しなくとも分かる。どうやらイメルダ夫人の店で話し込み過ぎたせいで、尾行を着けられたらしい。

 

 とはいえ、今はそんなお粗末な尾行に(かかず)らってはいられない。

 現在こなした午後の依頼は5件。そしてこの後に5件。ペースを乱されて遅れを生じさせるのは、末席であるとはいえクロスベル支部の遊撃士である以上有り得ない事だ。

 

 尾行を撒くためにレイは、クロスベル市内から出るのと同時に【瞬刻】を発動させてその場から消え去った。

 その結果、一瞬でターゲットを見失った黒服二人が狼狽している姿を市民が奇怪なものを見るような目で見ていたのだが、それは別の話である。

 

 

 

 

 

 

PM 5:00

―――――――――

 

 

 冬季における陽の沈み方の早さというものは、当然このクロスベルに於いても変わらない。

 午後5時ともなれば、既に市街地には導力灯が灯り、元気よく遊んでいた子供らの姿も見えなくなる。昼間とは一風変わった夜のクロスベルは、幻想的でありながらも退廃的だ。

 

 そんな夜の街の間を縫うように、レイは建物の屋上を跳躍しながら進んでいく。

 夜間であれば、こういう方法で移動をしてもバレにくいという利点がある。多少無茶をしても交通課の職員に説教を食らわないというのはありがたい事であり、駅前通りから西街区を経て、裏通りへと侵入したレイは、そのままとある場所へと向かった。

 

 入り組んだ路地裏の、その奥の奥。一般人(カタギ)は迷い込まない限り入ってこられない場所に、その建物はある。

 

 『ルバーチェ商会』事務所。表向きは営業本部の形を取ってはいるが、その実態はクロスベル最大規模のマフィアの拠点である。

 8年前に5代目代表に就任したマルコーニの勢力拡大方針の影響で、現在では『ルバーチェ商会』がクロスベルにおける利権の殆どを有しているという状態であり、裏社会においてはもはや顔役と称しても過言ではない。

 

 そしてそれは同時に、クロスベルで日々渦巻き続ける謀略の渦中に存在し続けているという事を意味しており、だからこそレイは、単独でこの場所へとやってきたのだ。

 

 事務所に繋がる裏通りに立ち続けている構成員は、森の中のムササビの如く自由自在に移動するレイの姿を捉える事は出来ず、暗夜の中、事務所の入り口の前の硬いコンクリートの上に着地する彼の姿を咎める者は誰もいない―――筈だった。

 

「―――っと」

 

 闇の中から突如として襲来した豪拳に、しかしレイは慌てるような素振りも見せずに半身になって攻撃を躱す。

 その拳撃は空を切ったにも関わらず遠方のコンクリート壁を歪ませるほどの圧撃を放っており、それだけでも攻撃を仕掛けてきたのは只者ではないという事は分かる。

 

 そしてその数瞬後、レイは襲撃者の男の喉元に愛刀の刃を突き付ける形で、男はレイの側頭部に引き戻した拳を突き付ける形で相対した。

 着火寸前の火薬庫のような緊張感が一瞬迸り、しかしそれは互いに戦意を収めた事で霧散する。

 

Guten Abend(よう、こんばんは)。ご機嫌どうよ、《熊殺し(キリングベア)》」

 

「テメェが来ると分かってたから最悪だぜ。ウォッカの酔いも一瞬で醒めるってモンだ」

 

「そりゃ良いや。酔い醒めついでに真っ当になってくれりゃ、コッチとしても楽なんだがね」

 

「寝言は寝てから言えや。どう足掻いたって遊撃士(テメェら)とは相容れねぇよ」

 

「だよな」

 

 クツクツと笑うレイとは対照的に、巌から直接削り出したかのような厳つい表情をしたままの大男―――ガルシア・ロッシは眉間の皺をより深く刻んだ。

 『ルバーチェ商会』営業本部長にして若頭。実質組織のナンバー2である彼とは確かに立場的には相容れないが、性格的にはそれ程険悪ではないのだと思っていた。

 

 両者とも、本当の戦場を知っている。人が人を殺す極致、本当の地獄を潜り抜けてきた者同士。

 レイは《結社》の《執行者》として、ガルシアは元《西風の旅団》連隊長として、生涯をかけても洗い流せない程の血を浴びてきた者同士にしか分からない考え方というのは確かにある。

 

 とはいえ、ここは策謀入り乱れるクロスベル。表面上だけでも貿易都市と銘打たれている以上、立場というのはまず第一に考慮に入れておかなければならないのだ。

 

「まぁいいや。俺が此処に来る事が分かってたんなら、俺が訊こうとしてた事も分かってんだろ?」

 

「………」

 

「お互い暇じゃねぇし、お前相手に腹の探り合いとか時間の無駄だからド直球で訊くぞ」

 

 するとレイは浮かべていた苦笑を引っ込めて、鋭い眼光で睨みつける。

 嗜み程度にしか武術を修めていない者や、そこいらのゴロツキが相手ならば、この視線だけで全身の動きが縫い付けられ、心臓の鼓動は恐怖で跳ね上がるだろう。まるで蛇に睨まれた蛙の如く。

 だがガルシアは、元大陸屈指の猟兵団の連隊長。武人としても”準達人級”の領域に至っている傑物だ。その眼光に負けじと睨み返す。

 

「テメェらが()()()()()()()()()()()()()()。訊きたいのはそれだけだ」

 

「……何を言っているのか皆目見当つかんな」

 

「此処に来る前に、旧市街区の『ナインヴァリ』に立ち寄ってアシュリーから話を訊いてきた。ここ最近、街の区画一つくらいは余裕で吹き飛ばせる高性能導力爆弾の取引きがエレボニア方面でされてたらしい」

 

「………」

 

「正直に言えよ、ガルシア。お前自身最大級にキナ臭ぇとは思ってても、お前ントコの頭からは何も情報が得られねぇんだろ? だから、自由に探ってる俺から情報を引き出すために手下共に駄目元で尾行(ツケ)させていた……違うか?」

 

 わざわざ『ベルガード門』の司令が虚偽の申告をしてまでクロスベル市内に通し、表立って見咎められない真夜中に裏口を通って旧市街区に侵入し、公にはされていない旧市街区の南にある扉から地下区画(ジオフロント)へと侵入していった正体不明の人間たち。

 更に言えば『ベルガード門』の司令が『帝国派』の議員に擦り寄ってるという事はそこそこ有名な話だ。であれば、『帝国派』議員のリーダーであるハルトマン議長と昵懇の間柄である『ルバーチェ商会』の介入を疑うのは無理からぬこと。

 

 だが、ガルシアの反応を見て、レイは否と断言できた。

 ガルシアは何も知らない。というよりは知らされていない。それは、『帝国派』と『共和国派』などという二大派閥の謀略の枠組みに収まらない、もっと深いところで物事が動いている事を現していた。

 

 

 しかし、そんな事はレイには()()()()

 保身と利権にしか興味がない政治家共の醜い争い、どうぞ好きなだけやってくれ。単純な正義感に駆られて腐敗を正そうなどとする程甘い考えは持ち合わせていない。

 

 だが、その政争が一般市民にまで飛び火するならば話は別だ。

 

 例えばクロスベルの守護者、《風の剣聖》アリオス・マクレイン。彼は帝国と共和国の諜報戦、それにクロスベルの政治家が介入して巻き起こった爆発事故に巻き込まれて妻を喪い、娘の視力は奪われた。

 それだけではなく、同じような深い疵を負った人々が、このクロスベルには少なからずいるのだ。

 

 宿命と言っても過言ではない。この自治州の成り立ちがそうさせた、決して目を背けてはならない業だ。

 そんな不条理に巻き込まれて命を落とす人々を一人でも救えるように、可能な限りこの街に住まう人々が笑顔でいられるように。―――そんな儚い願望を抱き、それを実現させるために、この支部の遊撃士は存在している。

 

「……俺は会長(ボス)の命令に従うまでだ。尤も、会長は今帝国側とのやり取りに躍起になってあまり足元が見えていないところもあるが」

 

「組織勤めってのは窮屈だな。ガッチガチに上下関係が定められてるところは特に」

 

「組織としての在り方はその方が正しいだろうが」

 

「残念、俺は比較的自由にやってきたぜ。―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、今まで死ぬほど味わってきたからな」

 

 吐き捨てるようにそう言うと、右手をヒラヒラと泳がせながら踵を返す。

 

「まぁ良い。テメェらが関わってねぇってのが分かっただけでも大収穫だ。目星は大体着いたからとっとと締め上げに行くとするさ」

 

「ハン、優秀なこった。テメェも随分、”正義の味方”ってのが板について来たんじゃねぇのか?」

 

 その言葉に、レイはピタリと動きを止めた。

 癪に障った訳でもなければ、怒りを覚えたわけではない。漏らしたのは自虐じみた笑みで、しかしそれでも目だけは笑えていなかった。

 

「馬鹿言え。俺はそんなモノになろうとは思わねぇし、言われたいとも思わねぇよ」

 

「んじゃあテメェは、何で遊撃士なんぞをやっている?」

 

()()()()()()()()―――結局はただの自己満足だ。俺がやりたいからやってるだけ。テメェがテメェんトコのボスに付き従ってんのと同じ理由だ。……見返りを求めてやってるわけじゃねぇんだろうが」

 

 そう。見返りなど求めてはいない。

 

 初めは贖罪から始まった。《結社》を抜けた自分が、この力を使ってできる事はと言えば、護れる範囲の人を護るという事だけ。

 それは、義務感というよりかは強迫観念に近しいものだった。今まで散々命を奪い、奪われてきた果てにある生であるならば、せめて次の在り方は何かを護れる存在で()()()()()()()()という思い。

 

 ただし、それが傲慢な考えである事も重々承知している。

 本当の”正義の味方”であれば、そんな強迫観念に突き動かされずとも必ず誰かを護ってみせるだろう。このような、どうしようもなく()()()()()()人間にはそう呼ばれる資格など無い。

 

 だから、本当に面倒臭い人間だと自虐を重ねていくのだ。

 だがそれで不貞腐れるほど子供ではない。そんな事を考えている暇があるのなら、この街の仮初の安寧を維持するために動き続けた方が余程良い。

 

 『ルバーチェ商会』事務所の前から離れて、とある雑居ビルの屋上に佇みながら空を見上げる。

 月はまだ昇っていない。それでも宵空に栄える綺羅星の数々と、眼下に見える幻想的な光のアート。

 そんな美しい街の中でも、きっと今この瞬間ですら誰かが不幸に見舞われている。それら全てを助けられるわけがない。それができるとするならば―――それこそ神ぐらいのものだろうか。

 

 だが、レイ・クレイドルは”人間”だ。たとえその身体に神の呪いを宿していたのだとしても、それだけは変わらない。

 

 

どれくらい、呆けたまま佇んでいただろうか。自分以外誰もいない筈の雑居ビルの屋上に足音と気配を感じて、意識を再び表層に浮かび上がらせる。

 とはいえ―――誰が来たのかぐらいは察しがついていた。

 

 

「寒っ‼ ココ寒っ‼ ビル風が想像以上に辛い‼」

 

「軟弱だぞスコット。俺が帝都支部に居た頃のアイゼンガルド連峰での強化訓練に比べればこちらの方が十二分にマシだ」

 

「これだけ見事な景色を見ながらだと、お酒飲みたくなるねぇ。ま、持ってないけど」

 

「お酒を飲んで酔っ払ったレイ君……酩酊状態で半脱ぎの服……ハッ、閃いた‼」

 

「……同期として言わせてもらうけど、そろそろ妄想罪なんていう罪が適応されるレベルだと思うんだよな」

 

 4人はいつものように、特に気負う事もなく自然体のままでそこにいた。

 何をするでもなく、ただ世間話をしに来ただけと言わんばかり。しかしレイは呆れながらも苦笑して、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を外してエオリアに放り投げた。

 

「そら、返すぞ。……ただし今日みたいな時以外に使ったら問答無用で全力コブラツイストな」

 

「……できる限り自然に取り付けたと思ったのに、やっぱりバレちゃってた?」

 

「当然。本職に比べたらまだまだだな」

 

 昼に支部に立ち寄って抱きしめられた時。エオリアがレイに小型発信機を取り付けた手管については心の中では感嘆していたレイだったが、それを直接本人に言うのは避けた。

 搦め手の技術が上がったのは遊撃士としては喜ばしい事なのだが、それと比例してストーカーとしての技術も上がるようならば、一度師匠仕込みの徹底的な制裁を行わなければなるまい。

 

「ミシェルの指示だろ?」

 

「うん。君が一人で何かしようとしてるのは分かってたからな。ルバーチェの事務所前で反応があったから、こりゃヤバいと思って追って来たんだ」

 

「仕事の事は気にするな。全員、既にノルマは終えて来ている」

 

 その言葉を聞き、レイは4人からは見えない角度でニッと笑った。

 

「お人好し共め」

 

「うーん、レイ君には言われたくないかなぁ」

 

「同感。―――ま、そんなに斜に構えるなよ。”仲間”だろ? アタシらは」

 

 内心息を吐いたのは、何も彼らに対する呆れではない。事此処に至ってまで一匹狼のスタイルを張り続けようとしていた自分に対して呆れていたからだ。

 自分よりも長く、遊撃士として様々な国の民間人を助けてきた先達たち。今のこの状況で、これ以上頼もしい存在はいない。

 

「それじゃあ―――手を貸してくれ」

 

 だからこそレイは、衒う事もなくそう言う事ができたのだ。

 

 

 

 

 

 

PM 6:10

―――――――――

 

 

 クロスベル市の地下には地下区画(ジオフロント)と呼ばれる複雑怪奇に入り混じったエリアが存在する。

 本来は下水処理施設や配電施設、地下焼却炉などが配置された区画であったのだが、公にできない事柄を隠蔽するのに最適な場所であると政治家たちが気付いた結果、横領資金の隠れ蓑や違法物の極秘取引の現場、謀略の結果生まれた死体の処理など、多岐に渡って利用されている。

 

 前述の通り、立場も所属も違う権威者が独断で工事を発行した区画も少なからず存在するため、現在その構造を隅から隅まで書き写した詳細な地図は公式には存在していない。一歩興味本位で細道に入ろうものならば、下手をすれば延々と機械とパイプが入り乱れる無機質な場所を彷徨うハメになる可能性も高い。

 

 そして、数あるジオフロントへの入り口の中で、最も公式に認知されていないのが、旧市街区の南、廃屋などが立ち並ぶ寂れた一角に存在するジオフロントD地区への入り口だ。

 元々旧市街区という場所は、高度経済成長を遂げたクロスベルの中にあって、交通の不便さや元来の治安の悪さもあって意図的に取り残された区域である。

 治安維持組織も旧市街区にはノータッチで振る舞う事が多く、だからこそ前述の通り不法取引なども横行する場所なのだ。

 

 そんな旧市街区だからこそ、小規模であれジオフロントの入り口が存在しているのは役に立つ。無論、非常時における緊急避難場所というのは建前ではあるのだが。

 

 そして、クロスベルに現存しているAからD区画までの4つのジオフロントは、特定のルートを使えば自由に行き来できるようになっている。迷宮神殿(ラビュリントス)もかくやと言わんばかりのその中に紛れれば、並の人間が追跡をすることはほぼ不可能だろう。

 

 ―――そう。()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 言ってしまえば”彼ら”は、猟兵になりきれていない傭兵の集団。ランクとしては猟兵団のそれよりも幾分か落ちる武装集団であった。

 

 彼らが受けた依頼は、陸路を使ってエレボニア帝国経由で『ベルガード門』からクロスベル自治州内に入り、裏道を使って旧市街地区に侵入。運送屋を装った大型車の荷台から展開し、ジオフロントのD地区へと降りた後に用意された地図に従って各ジオフロントに展開。4つのジオフロント区画のそれぞれに決められた導力式高性能爆弾を仕掛けるというものであった。

 

 逆に言えば任務内容はそれだけであり、何故そんな作戦を行うのかという詳細は一切聞かされなかった。その上、仲介人を介して依頼が渡ってきたため、大本の依頼人も分からずじまい。

 ただ確かな事は、この作戦をこなした暁には莫大な報酬が転がり込んでくるという事と、”猟兵団”としての地位が確立されるという事。大した戦果を挙げる事ができずに燻っていた”彼ら”はそれに飛びついた。

 

 もし”彼ら”に精神的余裕があれば引き受けなかったか否かなどは分からない。

 だが、このゼムリア大陸に存在する猟兵・傭兵団の中で、プロであるが故の本当の意味での戦争屋という存在は存外少ないものなのだ。

 猟兵団として一旗揚げる為ならば、どのような理不尽でも引き受ける。たとえそれが、どれ程の無辜の一般人を葬り去る依頼であったとしても、だ。

 

 

 作戦自体は不気味なほどに恙無く進み、最後のジオフロントB地区の奥地、大木程の太さのコンクリート柱が乱立する広大な一角に爆弾を仕掛け終わった”彼ら”は、昨夜から作業を続けてきた面々と共に余裕の笑みを浮かべ合った。

 後は決められた出口から脱出した後に遠隔操作で爆弾を起動させれば作戦は完了。混乱に乗じて自治州内から出てしまえば、晴れて”猟兵団”としての旗揚げが叶う事となる。

 

 そんな青写真を描きながら悦に浸っていた”彼ら”は、しかしその空間に音もなく侵入してきた人物に気付いて慌てたように視線を向け―――しかしその直後、肩透かしを食らったような様子を見せた。

 

 

「どうもこんばんはー。遊撃士協会でーす」

 

 姿を見せたのは、やっと第二次性徴の兆しを見せた頃合いの中性的な少年。無論の事線も細く、見合わない長刀を右手に携えてはいるが、それを振るえるような筋力があるとは思えなかった。

 本来であればそんな子供が遊撃士であるなどとは信じないのだが、服の肩口に『支える篭手』のマークのワッペンが縫い付けてあることから、それだけは虚偽でないと分かる。

 

 だとしても、こんな年端もいかない子供の遊撃士が一人。次第に周囲には、下卑た笑い声が響き渡る。

 

「ハハッ、こんなガキが遊撃士だとよ‼」

 

「何だ、クロスベルの遊撃士サマってのは相当ランクが低いのか? じゃなきゃこんなガキに遊撃士なんて務まるはずねぇもんな‼」

 

「おいおい少年、見逃してやるからとっとと消えな。その小綺麗な顔に弾痕刻みたくねぇだろう?」

 

 そんな嘲笑う声が飛んできても、少年はニコニコとした笑みを崩そうとはしなかった。

 

 ―――この時点で、真に戦場慣れしているものであれば、多少なりとも警戒心を抱くものである。

 否、高ランクの猟兵団に所属しているものであれば、戦場における”子供”の脅威というものはそもそも身に染みて理解しているものだ。表面上では笑みを取り繕っていても、その真価が鬼……否、それ以上に悍ましいモノであるかどうかの判断がついていない時点で、”彼ら”の命運は既に尽きていたと言えよう。

 

 すると少年は、自分の足元に置いていたそれを蹴り上げて、”彼ら”の眼前に乱暴に落とした。

 それは、彼らが昨晩から必死に各ジオフロントに取り付けた高性能爆弾。その()()であった。

 あるものは丁寧に解体され、あるものはアーツで氷漬けにされたそれは、もはや爆弾の体を成していない、ただの鉄屑となり果てていた。

 

「断言しようか。遊撃士(俺ら)以上にこのジオフロントの裏道に精通してる人間は、このクロスベルにはいねぇ」

 

 カッ、と。少年の背後から新たに二人の遊撃士が顔を出す。

 

「更に言えば、お前らが必至こいて仕掛けたその三つの爆弾は全て偽物のハリボテだった。本命は、今お前らが設置したばかりのソレだ」

 

 三人目と四人目の靴音が、空間の中に響き渡る。

 

「この場所は裏通り―――あぁ、ちょうど()()()()()()()()()()()()あたりか。この場所を裏通り周辺ごと木っ端微塵に吹き飛ばせば、お前らの依頼者の目的も果たせるって事か」

 

 少年のその言葉に、しかしそもそも依頼者を知らない”彼ら”は、少年の言葉に眉を顰めるばかり。

 

「……ま、知らねぇなら知らねぇままの方が幸せかね」

 

「それもそうだな。……しかし、こいつらはさっき聞き捨てならない事を吐き捨てたな」

 

「あぁ、”クロスベルの遊撃士はランクが低いのか?”だっけ?」

 

 すると、額に鉢巻を撒き、首を鳴らしていた女性が失笑する。

 

「アタシらもそんなこと言われたの久し振りだね。最近だとどこの()()()()()()でも、クロスベル支部の事は知ってると思ったのに」

 

「あら、新鮮でいいじゃない。まだ私たちがクロスベル支部に着任した当初の頃を思い出すもの。初心は大事、でしょう?」

 

 そこで漸く、”彼ら”の中の数人が、手にしていた軽機関銃(サブマシンガン)を構えだした。

 遊撃士たちから漏れ出ていたのは、人間の本能レベルにまで訴えかける程の闘気だった。思わず銃を構えた面々も、何故自分が考えるよりも早く銃を構えたのか、そして何故こんなにも手が震えているのか。そういった事を理解しないままに臨戦態勢に入っていた。

 

 それを考えれば、”彼ら”は寧ろ幸運であったのかもしれなかった。

 本当の戦場であれば、これよりももっと容赦のない殺気を放ってくる連中は数多くいる。そしてそんな連中と相対せば、場慣れしていない者達は何の抵抗もできないままに命を落とすだろう。

 だが眼前の彼らは、遊撃士は少なくとも「命を取る」までの事はしない。四肢の一本や二本、骨の十本や二十本、或いは数週間くらい前後不覚になる程度でそれを学べたのならば、授業料としては安いものである。

 

「う、う……うわあああああっ‼」

 

 やがて、錯乱した一人が軽機関銃(サブマシンガン)の引き金を引くと、撒き散らさせた弾丸が死の具現となって遊撃士たちに襲い掛かる。しかし―――。

 

「―――フッ」

 

 鞘より引き抜かれた長刀の一閃。”彼ら”にはただ横薙ぎに振り抜いたようにしか見えなかったそれは、しかし直後には幾重もの斬撃となって放たれた弾丸の()()を叩き斬った。

 発射初速は亜音速に迫る銃弾を、まるで戯れるような容易さで弾き斬る。やがて軽機関銃(サブマシンガン)のマガジンの中の弾丸が空になり、周囲には硝煙が立ち込め、空薬莢が散乱する。

 

 周囲の地面、コンクリート柱ごと抉り取った銃弾の猛威は、しかし遊撃士たちには僅かの効果もなかった。肌を抉る事もなければ服を擦過したわけでもなく、届いた銃弾の全ては純白に輝く刃の前に無威と化した。

 

 ここで間髪を入れずに一斉掃射をすれば、或いは最初の主導権は握れた可能性はある。

 だが、数百発という単位でバラ撒かれた弾丸を完全に防ぎきるという有り得ない光景を前に、”彼ら”は一様に尻込みをした。それは、致命的であったと言える。

 

「さて、と。本日の締めに()()()()()()を遂行するとしようか」

 

「あー、アレ思い出すね、アレ。正遊撃士昇格試験。レマンの訓練所でやったヤツ」

 

「あぁ、先輩が猟兵に扮して試すヤツか。アレはまだやってるのか?」

 

「少なくともフィリス管理人は今でもやる気みたいよ?」

 

 口調こそ軽いが、その全員が隠していた気迫を漲らせていた。各々の得物を手に、狩るべき対象を視界に収めている。

 

 

「さて、出来損ないの猟兵モドキ共」

 

 白刃の剣鋩が、真っ直ぐに目線に突き刺さる。

 容赦はしない、ただ踏みつぶされろと一方的に宣告されたような圧迫感に支配され、そして”彼ら”の運命は決まった。

 

 

 

「地獄へようこそ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PM 8:25

―――――――――

 

 

「それで、結局最後の手柄は全部捜査一課の方に投げてきた、ってか」

 

「モドキとはいえ、傭兵連中の処分なんざ遊撃士(オレら)の手に余るからな。元々捜査一課(アッチ)にリークはしておいたから、置き手紙だけ残して全員でトンズラして来た」

 

「流っ石。抜け目ねぇなぁ」

 

「多分これでまたダドリーさんからのヘイト値はガン上がりしただろうけどな‼」

 

 

 東通りに居を構える宿酒場『龍老飯店』。カルバード共和国の東方人街出身の主人、チャンホイが振る舞う絶品中華料理が人気のこの店の隅の一角で、私服姿のレイとランディはテーブルを挟んで飲み物を飲みながら話していた。既にランディの奢りで運ばれてきた料理は二人の胃に収まり、後はデザートが運ばれるのを待つばかりになっている。

 

 店内の賑やかさは時間の関係もあって最高潮に達しており、多少ヤバめの話をしても誰かの耳に入る可能性は極めて少ない。だからこそ彼らは、ここで事の顛末を堂々と話していた。

 

「んで? そのモドキ連中を雇ってた依頼人(ホシ)まで分かったのか?」

 

「個人名までは流石に知らね。でも、どういうヤツが雇ったのかってのまでは推理できた」

 

「……やっぱり『帝国派』の議員か?」

 

「70点。模範解答は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 その言葉に、流石のランディも一瞬驚愕の表情を浮かべたが、すぐに酒を呷って息を吐き、気を落ち着かせる。

 

「……何だってまた、そんな複雑な所に辿り着けたんだよ」

 

「モドキ連中が仕掛けた導力式高性能爆弾、四つの内三つはハリボテだったってのは言ったろ?」

 

「あぁ。んで、ルバーチェの事務所の真下に仕掛けたのが本物だったと……いや、そうか」

 

「そういうこった。『帝国派』議員の仕業なら、奴らのトップのハルトマンと(ねんご)ろの関係のルバーチェ事務所を爆破するなんていうバカはしねぇ。ハリボテの三つが仕掛けられた場所の真上は全部『共和国派』の後ろ暗い金の流れ先だったが、それは全部他の『帝国派』の連中を欺く為の偽装(フェイク)だったんだろうな」

 

「表向きは『帝国派』議員の仕組んだゲームだったのにも関わらずルバーチェ事務所だけが木っ端微塵にやられりゃあ、『帝国派』の裏社会での信頼は一気に地面まで急落下、か」

 

「裏通りのイメルダ婆さんが「今夜は出かける」なんて意味深な事を言ったから引っかかって調べてみりゃこのザマだ。モドキ共をしこたまブン殴った後にわざわざ『タングラム門』まで行って、詰めてたソーニャ副指令にカマまでかけて探ってみたら案の定だ。もう既に議員サマが一人、カルバードに高飛びした後だったよ」

 

「結局捕まえられず終い、か。……一課の連中、そのモドキ共をシバけるかねぇ?」

 

「いやいや、無理だろ。お上の顔色ばっか窺ってるあの局長と副局長がテメェの地位を投げ捨ててまで公にして裁けるわけねぇっての。このまま闇に葬られるに10000ミラ」

 

「んじゃ、俺もそれに10000ミラ」

 

「……賭けが成立しねぇ」

 

「そんくらい有り得ねぇってことだ」

 

 そう笑ってジョッキを傾けたランディは、ついさっき自分が一気に酒を呷っていた事に気付き、通りすがった店員にもう一杯酒を注文する。

 

 ―――流石に言えない事ではあったが、レイはこの一連の騒動の裏に、ある組織が絡んでいると見ていた。

 近年、カルバード共和国のロックスミス大統領直轄化に発足したと言われている諜報組織、『ロックスミス機関』。その手の者が手段を回して起こった騒動と考えれば、説明はつく。

 だが、機関の代表室長であるキリカ・ロウランが、このような周辺住民も巻き込む可能性があった()()()な作戦を立案したとは思えない。

 

 であれば、()()()()手が伸びていたのか。―――流石にここまで深いところを探るとなると、今のレイには厳しく、また彼自身も探ろうとは思わなかった。

 レイが今回最後まで動き切ったのも、爆弾の影響で裏通りに隣接する周辺住民への被害を考慮したからに過ぎず、政治屋の闘争などには一欠けらの興味もない。

 

 ()()()()()()、自治州内どころか諸外国の影響まで受けて巻き起こされた事件の未然解決。

 恐らく今回の遊撃士の活躍は表には出てこないだろうが、だとしてもレイは何も困らない。一仕事を終えて一日が終わり、明日にはまたノルマの依頼をこなすために自治州内を駆けずり回る。ただそれだけなのだ。

 

 

「にしても、ご苦労さんだったな。まさか俺がポロッと漏らした言葉からエラい事に巻き込んじまった。スマン」

 

「気にすんな。お陰で爆破テロを未然に防げたんだからコッチとしちゃ万々歳だ。そっちの司令も、これで懲りて当分は大人しくなるだろ」

 

「だと良いんだがなぁ」

 

 そこまで話したところで、『龍老飯店』の看板娘であるサンサンが運んできてくれたデザートの杏仁豆腐に舌鼓を打つ。

 性懲りもなくサンサンをナンパしようとしたランディの頭をレンゲで叩きながら、反省会じみた食事の席は終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

PM 9:00

―――――――――

 

 

「ふぅ」

 

 ランディと『龍老飯店』前で別れた後、レイは寒空の下、港湾区の中央に設けられた公園のベンチに腰かけていた。

 先程までは星だけが散りばめられていた夜空にも、立派な望月が鎮座している。それを眺めながらレイは、周囲の状況に気を配った。

 

 普段であれば幾らか屋台が立ち並んでいるこの地域も、今日は何故かガランとしており、人の姿はレイ以外見えない。

 理由としてはクロスベル警察が「地下区画におけるガス漏れ事故」と称して周辺区画を封鎖しているからなのだが、本当の事情を知っているレイは、そんな事など気にせずに居座っているという訳である。

 

 ふぁ、と小さい欠伸を一つ漏らしてから、ベンチの背もたれを二回ノックする。

 すると、満月が作り出した影の中から、音もなく”何か”が現れた。

 

「異常はねぇか?」

 

『はい。クロスベル自治州内全域に於いて、新たな武装勢力の介入は確認されておりません』

 

「今回はここまで、か。……しっかし、本気でテロを成功させるつもりなら、何であんな半端モンを雇ったのかねぇ」

 

 存外、大本の狙いは”クロスベルにおける『帝国派』の権威失墜”ではなく、こうした事態における”遊撃士の動きの監視”であったのかもしれない―――そういった野暮な推測が思い浮かんだ瞬間、レイは冗談じみた笑みを伏せて目を細めた。

 

「……『泥眼(でいがん)』」

 

『ハッ』

 

「今回の件に関して、深入りをしようとはするな。あまり深淵を覗き込み過ぎると、悪辣な魔女(メイガス)のしたり顔を見る羽目になるかもしれん」

 

 考えすぎ、と。それであればどれだけ良いか。

 だがレイは、一度不安材料が浮き彫りになった事に対しては、できる限りの対処は行う人間だ。探る方向ではなく、()()()()()()()で。

 

『……承知致しました。引き続き、己の任を全うする事と致します』

 

「宜しく。……あぁ、そうだ」

 

『?』

 

「来月の末になるかな。俺、エレボニアに行く事になった」

 

 思い返すのは忙しい中半ば拉致の形で連れ去られたエレボニア帝国の皇族専用避暑地『カレル離宮』での出来事。

 あの表向きは調子のいい阿呆であるクセに、真意は探れない油断のならない皇子に乗せられて士官学院への推薦入学願書を受け取ってしまったところから始まった。

 

 それだけならば、特にこの時期にクロスベルを離れる必要はなかった。依頼をこなしながら適当に試験勉強をこなし、推薦試験を通過して入学ギリギリにエレボニアに向かえば良いだけの話だったのだが、そうもいかなくなったのだ。

 

 今月の初めに、ゼムリア大陸中央部で起こったとある出来事。その結果独りぼっちになり、何をするでもなく彷徨っていた()()()()()を知り合いが拾い、レイと同じ士官学院を受けさせる事になった為に勉強を見てやってくれと頼まれたのである。

 その知り合いとも仔猫とも浅はからぬ間柄ではあった為、溜息交じりではあるが引き受けてしまった。恐らく底辺に近い彼女の学力を、たった二ヶ月かそこらで帝国随一の士官学院の合格ラインまで引き上げなければならないというのは、もしかしたら遊撃士として受けて来たどんな依頼よりも難しいのかもしれない。

 

『―――左様でございますか』

 

「ん。だからお前には負担を掛けちまうことになるが……まぁ、頑張ってくれ。色々な意味で」

 

『お気遣い、感謝致します。―――それでは、自分はこれにて』

 

「おう、悪かったな」

 

 そう声を掛けると、音もなく影の中に消えて行った優秀な諜報員の残声を背に、レイもベンチから立って支部に戻るために歩き始める。

 

「(……そうだった。この景色が普通なのも、あと一ヶ月なんだよな)」

 

 そう思ってしまうと、途端に全てが名残惜しく思えてしまう。

 雑多な街並みも、無機質な摩天楼も、善悪入り混じった人々の価値観も。―――そんなものに別に感情移入はしないと思ってはいても、流石に2年近くも居続ければ多少の愛着は湧くというもの。

 自分が居なくてもクロスベルは何も変わらない。その事実が、僅かばかり寂寥感を感じさせるのだ。

 

 そんな事を思いながらクロスベル支部の扉を開けると―――。

 

 

「何ぃ? ヴェンツェル。アタシの酒が飲めないってぇのぉ?」

 

「お前は人が酔いつぶれてもまだ酒を注ぎこもうとするだろうが……ッ‼ 少しはマトモな酔い方をしろ、リン‼」

 

「うーん、今日ちょっとこの麻痺毒使ってみたんだけどダメっぽい。あの程度の傭兵相手に一瞬で全身麻痺を起こせないようじゃ、レイ君を痺れさせるなんてまだまだ先の話ねぇ」

 

「エオリア、悪い事は言わないからそっち方面に才能を尖らせるのはやめなさい」

 

「ウチの女性陣は相変わらずいっつもぶっ壊れてるなぁ」

 

 そこには、変わらない同僚の姿があった。あんな事があってもバカ騒ぎできる程度の胆力がなければ、この支部で遊撃士は務まらない。

 そんな様子を見て僅かに安堵したレイは、口元に穏やかな笑みを浮かべながら暖炉の温かさが広がっている中へと入る。全員がレイが帰ってきた事に気付いて視線を向けると、いつもの、不敵な微笑へと切り替えた。

 

 

「ただいま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ここは、遊撃士協会クロスベル支部。

 

 

 今日も変わらず、平常運転の一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 はい。というわけでクロスベル支部の日常編をお送りいたしましたが、いかがでしたでしょうか。
 ……え?こんな波乱万丈な一日が日常なわけないって? ハハッ、またまた御冗談を。こんなのは日常茶飯事ですよぉ(ゲス顔)。

 実際クロスベルって政治家たちがお互いの揚げ足を取ることだけに必死になって、それに他の機関も追随するわけだからワケ分かんない事が起きて当たり前なんだよなぁ。
 警察もマトモに動かない(動けない)わけだから、クロスベル支部の遊撃士にはこれくらいの事件は普通に解決できる程度の腕前が求められます。

 
 そんでこの一ヶ月後、レイは遊撃士を休職してエレボニアに渡り、フィーと地獄の勉強合宿をします。このお話もいずれ書けたらいいなぁと。


 では、また戦場で。


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