クロス・ワールド――交差する世界―― (sirena)
しおりを挟む

第一話

「うぅ~、急がないと遅刻しちゃう!」

 

 青く澄み渡った空。

 太陽の暖かな光が降りそそぐ早朝に、一人の少女が街道を慌ただしく駆け抜けていた。

 黒髪で、左右に分けて結ばれた二つのショートポニーが特徴的な女の子だ。

 彼女の名前は、黒衣 マト。自らが通う梅郷中学に向けて、通学しているまっただ中である。

 

 何故、朝から全力疾走をするはめになっているのかといえば。朝起きた時、非常に重大な事件がマトを襲ったからだった。その事件とは――量子接続通信端末(ニューロリンカー )に搭載されている、目覚まし用プログラムが持ち主を起こすという重要な役割を果たさず、沈黙してしまったというものだ。

 もっとも――それは寝ぼけたマトが自分で止めてしまったからであり、つまり彼女の自業自得なのだった。

 

 

「マトー! おそーい!」

 

 息を切らせながら走り続けていたマトに、甲高い叫び声が投げ掛けられた。

 声が聞こえてきたのは、前方三十メートル程先にある交差点。マトが親友と呼べる友人達と毎日落ち合っている集合場所からだ。そこでは、二人の少女がマトの到着を待っていた。

 

 二人の内の一人――マトに声を投げかけた、綺麗な長いブロンドの髪を一つに纏めて前に流している非常に整った容姿を持つ可愛らしい少女。彼女の名前が出灰(いずりは)カガリ。

 もう一人は、両耳の下の辺りから赤いりぼんで結んだ三つ編みと、眼鏡を掛けているのが印象深い知的な雰囲気の少女だった。名前は小鳥遊(たかなし)ヨミ。

 

 二人共、マトが幼少の頃からずっと付き合い続けている同年代の親友であり、毎朝一緒に学校に通う程に仲が良い。

 

 マトは二人の前に駈け寄ると、両手を合わせて遅れて来た事を謝罪した。

 

「ごめーん! 朝起きたら目覚まし用のプログラムが停止しちゃってて、慌てて飛び出してきたの」

「ふーん……あ、わかった! マトのことだから、きっと寝ぼけて自分で止めちゃったんでしょ」

「うぐっ、ひ、否定できない」

 

 カガリの鋭い指摘に、マトは言葉を詰まらせる。

 彼女自身、カガリの指摘が正しいかも……と思ってしまった為に。そして、その指摘は悲しいことに間違っていなかった。真っ先に正解を言い当てられたのは、カガリの察しの良さ、もしくはマトの普段の行いが原因だろうか。否定の言葉が見つからないあたり、恐らく後者だろう。

 

「二人共、口だけじゃなくて足も動かさないと。急がないと遅刻しちゃうわ」

「えー、カガリは走るの苦手だよー。マト、責任取って学校まで抱いて走ってー」

「ええー!? 無理、無理だから! だいたい抱いて学校までいくなんて恥ずかしいよ」

「マトと一緒に恥辱に濡れるのなら、カガリは別に嫌じゃないもん」

「私は嫌だよ!?」

「もう、カガリもマトも朝から元気なんだから」

 

 じゃれあうマトとカガリを、ヨミが柔らかな笑みを浮かべて見つめる。

 毎日繰り返されてきた光景だ。幼少頃から一緒だった、三人の変わらない日常の一コマである。

 

 小学校に通っていた頃はもう一人追加して、四人で登校していたが中学では通学路が合わなかった為この場にはいない。

 もっとも、その少女が三人にとって大切な親友であることに変わりはないのだが。

 

 結局、なんとかマト達三人はホームルームに滑り込みで間に合った。

 

 既に教卓で待機していた担任の教師に、もっと余裕を持って登校しなさい――と注意されてしまっていたけれども。

 

 

「だぅー」

「何うなっているのさ。だらしがないよ、マト」

「だってー、朝から先生に注意されちゃったんだもん。それに、何時までこんなこと続けるのかと思うと気が滅入っちゃうよー」

「あー、まぁそれはわからないでもないけどね」

 

 うなだれてテーブルに顎を乗せているマトを、小柄な体格の小動物のような可愛らしい少女がたしなめる。

 マトにとって最も長い付き合いになる三人目の親友、神足 ユウだ。当然、カガリやヨミともユウは仲が良く、教師からは四人揃って一つのグループとして認識されている。最も、それは個性の強い厄介なグループという不名誉な認識だったが。

 

 そんなマトとユウが寛いでいる場所は、学生食堂に隣接した校舎一階にあるラウンジだ。

 広い空間に、白の丸テーブルが余裕を持って複数配置されていて、暖かな陽光が採光ガラスから差し込んでくるそのスポットは、学生達にも人気が高い。

 学生達の間で、一年生では使用不可という不文律まであるくらいだ。マトとユウは二年生なので問題ないが。

 

「あーあー、私もヨミ達と一緒にサヤちゃん先生のところでコーヒー飲んでくつろぎたかったなー」

「まぁまぁ、このラウンジもなかなか良いじゃん。お昼休みの休憩場所には持ってこいだよ」

「うー、私はあさやけ相談室の方が落ち着くー」

 

 口を尖らせて愚痴を零すマトの姿に、やれやれといった様子でお手上げの仕草を取るユウ。

 二人はいつもなら、お昼休み中はヨミやカガリと共に四人でスクールカウンセラーの納野サヤという女性のいるあさやけ相談室に集まっている。

 しかし、今日ばかりはある目的の為にラウンジへと足を運んでいた。

 

「おっと、どうやら来たみたいだよ。マト」

「んん~?」

 

 ユウの言葉に、マトが顔を上げてラウンジの入り口へと視線を向けると、一年生と思わしき背の小さい非常にぽっちゃりとした男子生徒の姿が見えた。

 何故一年生だとわかるのかというと、着用する学生服のリボンとネクタイの色が学年毎に決められているからだ。

 入り口に立つ男子生徒のネクタイの色は、一年生用のものだった。

 

「えーと、確か有田春雪さんだったっけ」

 

 サヤ先生から聞いていた、男子生徒の情報を思い出しながらマトが確認を取る。

 

「そう、彼が昨日黒雪姫さんと接触していた男子生徒さ」

 

 それに対し、ユウが目的の男子生徒だと肯定すると同時。入り口にいる男子生徒――ハルユキへと、周囲の視線が集まっていく。

 その視線に含まれているのは、決して歓迎のそれではない。立ち入りを禁じられているはずの、一年生が現れたことに対する非難や不快だった。そんな周囲の視線を受けながらも、彼は負けじと奥へ歩いていく。

 マトはその姿を、意外に度胸がある人だなぁ――と感心しながら見つめた。

 

 周囲の攻めるような視線の中を歩むというのは、かなりの勇気が必要だ。

 しかも相手は上級生、受ける重圧は並大抵のものじゃないだろう。

 マトがそんなことを考えているうちに、彼――ハルユキは自身を呼び出したのであろう人物が居る最奥のテーブルへと辿り着いていた。

 もっとも、同席していた二年生の女子生徒に声を掛けられて戸惑っていたが。

 

 周囲の視線がハルユキに集まる中――それまで寡黙に読書に耽っていた、一人の黒髪の少女が動きを見せる。

 

「来たな、少年」

 

 黒髪の少女の、澄んだ高い声が辺りに響く。

 

「彼に用が有るのは私だ。済まないが、他の者は席を外して貰えるかな」

 

 手にしていた書物のハードカバーを閉じ、彼を呼んだのは自分だ、と告げた黒髪の少女。

 彼女は梅郷中の生徒副会長にして、その美貌からスノー・ブラックとも呼ばれている人物だ。周りからは、黒雪姫という呼称で親しまれている。

 腰まで伸ばしている艶やかな黒髪と、水晶のような深い黒の瞳。細い腕や足は驚くほど白く、雪と見間違えてしまいそうなほど。

 一種の芸術とすらいえる、凄絶な美少女。それが梅郷中に在籍する学生達の、黒雪姫に対する評価だった。

 

「あまり人と会話したがらない黒雪姫さんが一年生を呼び出すだなんて、一体何の用事なのかね~。まぁ、私達は大体の予想はついてるんだけどさ」

「そうかな? 少なくともあの二人にはこれまで何の接点もなかったんだよ?」

「でも、他に思い当たるものはないじゃん? まぁなんだ、見ていればすぐわかるんだし、ここは大人しく見守るんだね」

「もう、ユウは軽いなぁ」

 

 用事の内容次第で今後の活動が左右されるというのに、まるで気負っていないユウの様子にマトは思わず笑みを零す。

 気楽そうに見えて、その実思慮深い。小柄な姿からは想像できない精神的な強さを持つ、頼りになる少女――それがマトのユウに対する評価だった。十年近く一緒に過ごしてきたマトは、そんな彼女に何度も助けられてきた。ヨミやカガリ以上の、深い信頼をマトはユウにしていた。

 

 その頃――マトとユウが互いの意見を交換し合っている間に、騒ぎの中心となっている黒雪姫とハルユキが席につく最奥のテーブルで動きがあった。

 

 黒雪姫はハルユキに席へ座るように促すと、自身のブレザーのポケットから一本のXSBケーブルを取り出した。

 そして自らのニューロリンカーに片方のプラグを挿入すると、もう一方を席に着いたハルユキの方へと差し出してみせたのだ。

 まるで、そうするのが当然であるかのように。

 

 興味深そうに見ていた周囲の生徒達から、次々に驚愕の声が上がる。中には頬を抓って夢かどうか確かめている者までいた。プラグを差し出された本人であるハルユキですら、手を震わせて困惑しているのが伺える。

 

 大きなざわめきがラウンジを満たすのを感じながら、まぁ驚くのは当たり前だよね。と心の中で呟いた後、マトはその発生源たるハルユキと黒雪姫を見つめた。

 

 黒雪姫がハルユキに求めた行為――有線直結通信。

 略して直結と呼ばれるそれは、最も信頼できる特別な関係の相手にのみ行われるものだ。

 セキュリティの防壁が九割無効化され、ケーブルの長さによって新密度がわかるという俗説まで存在する直結は、男女が公共の場で行った場合九十九パーセントその二人は付き合っているといわれている。

 全学年の憧れの的である黒雪姫がその直結を男子生徒に促したとなれば、周囲の生徒が驚愕するのは必然だったと言えるだろう。

 

 周囲の視線がハルユキと黒雪姫に集まっている隙に、マトとユウもまた直結を行う。二人は同姓である為にカップルだと思われることもないが、周囲の要らぬ注目を受けるのは面倒である。直結に使用したケーブルは、なるべく死角になる位置に持ってくるようにした。

 直結した理由は、思考発生で会話し、周りに会話の内容を聞かれないようにする為だ。

 

『わざわざこんな人目に付く場所で直結するなんて、いろいろと規格外すぎるよ。黒雪姫さんは』

『そうだねー。でもまぁ、人がいない場所で直結を迫ったらいくらなんでも怪しすぎるし、彼女なりの信頼の表明なんじゃない?』

『うーん。そう考えると、まぁわからなくもないけど』

 

 周囲の視線を集める中、ハルユキと黒雪姫はお互いに見つめ合ったまま手を動かしている。

 おそらく思考発生で会話をしているのだろう。そしてそれは、周りには聞かれたくない内容の話をしていると推測できる。そう――例えば秘蔵された世界の情報などを。

 確証は無いが、可能性は非常に高い。ほぼ間違い無いだろう。

 

『間違いないね。これはサヤちゃんに報告しないと』

『……そうだね。はぁー、これでやっとこの誰かの観察なんていう気の進まないミッションから開放されるよー』

『よかったね。でも、これから忙しくなるよ。マト』

 

 安堵の息を吐いているマトを気遣いながらも、ユウは今後について自らの考えを整理する。

 

 『黒雪姫さん――黒の王(ブラック・ロータス)が再び動き出すとなると、他の王達も黙っちゃいないだろうね。停滞し続けていた加速世界が再び加速し始める。こそこそと裏で動いてる加速研究会の奴らのこともあるし、私達の仕事も増えそうだよ、全く……』

『加速研究会かぁ。ブレイン・バーストのシステム面に手を出すなんて、優秀な子がいるものだねー』

『おいおいマトさーん。そこは感心するんじゃなくて怒るところだよ、ルールを破ってプレイしてるんだから。まぁ、私達も人のこと言えないけどさ』

 

「てめぇ! ブ……有田! 何バックレてんだ、コラァ!!」

 

 ユウとマトが思考会話に没頭していると、ラウンジの入り口の方から唐突に怒声が響いた。

 

 

 

 




アクセル・ワールドの世界観をメインに、ブラック★ロックシューターの世界観とキャラクターを融合させたものです。独自解釈も含まれますがご了承ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

 梅郷中の一年生――有田春雪は、同級生の不良である荒谷とその手下達にいじめられていた。

 

 中学に入学した当初に、目を付けられたのが運の尽きだった。それからというもの、ずっと散々な目にあっている。例えば、お昼休みにパンや飲み物を買ってくるように命令され、拒否すれば殴る蹴るといった暴力を振るわれる。そんな惨めな毎日だ。

 いつか思い知らせてしてやる為に、証拠品として呼び出された際のメール等を保存して残してはいるのだが。その後の報復を恐れてしまい、学校側に提出することもできずにいる。

 

 その哀れな張本人――ハルユキは、今日も要求されたパンとヨーグルトを買い屋上にいる荒谷達へ持っていった後、人が少ない第二校舎の男子トイレに向かっていた。

 虐めを受けている自分を嘲笑する、周囲の目から逃れる為に。もっとも、それは彼がそう思い込んでいるだけであり、実際はそうではないのだが――自虐的な思考ばかりするようになってしまったハルユキには、そうとしか思えなかった。

 

 そうして早足で歩き続けたハルユキは、彼専用の潜伏場所である――昼休み中は全くといっていい程に人が来ない――第二校舎の男子トイレに到着した。

 人目を避けるようになってから、毎日のように入り浸っている場所である。

 それでも、用心深いハルユキはトイレの中に誰も居ないのを確認して、最奥の個室の中へと入っていく。そして便器の上に腰掛けて目を瞑り、嫌悪に満ちた現実から仮想世界へと、意識を転移させる為に必要な魔法の言葉を紡いだ。

 

「ダイレクト・リンク」

 

 瞬間――現実のハルユキの意識は闇に落ち、ネットワークの世界。仮想空間へと送り込まれていった。

 

 

 仮想世界では、現実の身体とは異なる肉体を作り動かす事が可能だ。人の姿をした者もいれば、動物の姿をした者もいる。梅郷中の学生達もまた、各々が好みで多種多様な身体――アバターを作成し、使用していた。

 

 そんな中、ハルユキは自虐の意味が込められたアバターを使用している。デフォルトで設定されている、丸い小さなブタの姿をしたアバターだ。自分で作成した黒い騎士の姿をしたアバターも持っているのだが、周囲からの視線を気にして封印されたままとなっていた。

 

 すっかり馴染んでしまったピンクのブタのアバターに姿を変えたハルユキは、レクリエーションルームが設置されている一本の大樹へと、一目散に駆け込んでいく。そこは様々なスポーツゲームをプレイできるゲームコーナーであり、毎日多くの学生達が集まって楽しんでいる人気スポットだ。

 

 けれど、そんな学生達の目から逃げるように、ハルユキは樹の上の方へと続く階段を走って行く。上に行けばいくほど、人気の無いゲームになっていくからだ。仮想世界の中でも人目に怯えているハルユキには、そこしか居場所が残されていなかった。

 

 脇目も振らずに走り続けて、<バーチャル・スカッシュ・ゲーム>と書かれたコーナーでハルユキは立ち止まった。手を翳してパネルを操作し、生徒IDを入力してゲームを開始する。プレイ料金などはないので、何度でも遊び放題だ。まぁ、授業中は当然あそぶことができないようになっているのだが。

 

 開始と同時に上から落ちてきたボールを、延々と壁に当てることでリターンし続ける孤独なゲーム。それがハルユキがプレイしようとしているゲームだ。入学してからずっと、ハルユキは昼休みにこのゲームをプレイし続けていた。

 

 その成果――といっていいのかはわからないが――を示すように、画面に表示されたハルユキのスコアは異常な程のレベルに達している。仮に全国ランキングのようなものがあったならば、間違いなくトップレベルだろう。

 

 流石に少し飽きているのだが、しかし他にやりたいゲームがあるわけでもない。ハルユキは出現したラケットを握り締め、落ちてきたボールへと叩きつけた。蓄積した一日の鬱憤を乗せて、全力で振るった一打だ。ボールはハルユキの心境を示すかのように高速で飛んでいき、床と壁に当たって戻ってくる。それを正確に捕捉し、再度打ち返す。

 

 

 それからどれ程の時間が経過したのか。

 ボールはどんどん加速していき、弾丸の如きスピードに達しつつあった。四方八方に飛び回るボールを、ハルユキもまた縦横無尽に駆け回り、跳躍することで打ち返し続けていく。

 

 ――くそっ、仮想空間ならこんなに早く動けるのに。

 

 高速で身体を動かしながらも、ハルユキは心の中で怨嗟に満ちた叫びを上げる。

 

 ――どうして今更現実なんかいるんだよ、人間はもう十分仮想世界だけで生きていけるじゃないか。

 

 ネットワーク技術が進んだ現代、仮想世界は現実と変わらぬほどに巨大化した。リンカースキルが進学や出世を決めるといわれているくらいだ。仮想世界で過ごす一日の生活時間が十二時間以上――現実を超えている者も世界中に大勢いるだろう。

 

 ハルユキがそんな悶々とした思いに囚われる中、ピキューンという効果音が鳴り響いてボールの速さが一段階ギアを上げた。光弾のように輝き、曲線を描いて意思を持っているかのように不規則に襲い掛かってくる。

 

 徐々にハルユキの身体が遅れ始め、打ち返すのが苦しくなっていく。それでも、ハルユキはボールに追い縋るのをやめなかった。必死に、懸命に加速し続ける。

 

「ちくしょう、もっと、もっと加速しろ! 仮想世界も現実も飛び越えて、誰もいない領域に辿り着けるほど、速く!」

 

 燃え上がる激情とは裏腹に、終に限界は訪れた。

 

 加速し続け、もはやレーザーと化していたボールがハルユキのラケットを掠める。そのままハルユキの後ろの方へ飛んでいき、勢いを失って地面を転がった後消滅した。

 

 GAMEOVERの文字が振ってきて、二百六十三万という点数がスコアボードに表示された。

 これまでの自己ベストを更新する驚異的な数字だ。

 

 そんな自らが叩き出したハイスコアに目もくれず、ゲームを再スタートしようとハルユキはパネルに手を伸ばすが、

 

「二百六十三万……。この馬鹿げたスコアを出したのは君か」

 

 背後から聞こえてきた声に、伸ばしていた手を止めることになる。

 

 ――そんな、この場所に誰かが来た? 今まで、僕以外には誰もここには来なかったのに!?

 

 びくびくしながらも振り向いて声の聞こえた方向へ視線を向けると、そこには妖精がいた。

 

 美しい黒揚羽蝶の翅を背中に生やしていて、宝石のちりばめられた漆黒のドレスを着込んでいる。百人に聞けば百人が美しいと返すだろう、完璧な美しさを持ったアバターだ。

 ハルユキはそのアバターが誰なのか知っていた。否、梅郷中の学生ならば誰もが知っているだろう。梅郷中の二年生にして、生徒副会長である少女、黒雪姫の名を――。

 

 誰も来ないはずのゲームコーナーへ、その美しい姿を現した一羽の妖精。黒雪姫は、驚愕して身を硬直させていたハルユキに視線を向けた。

 

「君は先程叫んでいたな。仮想世界も現実も飛び越えて、もっと先へ加速したいと――」

 

 ――聴かれていたのか。

 

 叫換が聴かれていたと知り、ハルユキは顔を赤くして俯いた。しかし、黒雪姫は気にした風もなく言葉を投げかける。

 

「君のその言葉が嘘偽りのないものだというのなら、私が君に授けよう。もっと先へ加速する為の力を」

 

 気が付けば、ハルユキは反射的に顔を上げて再び黒雪姫を見つめていた。

 

 現実も仮想世界も突き抜けて、もっと先へと加速する力を授ける。そんな夢みたいな言葉に魅せられたのか。あるいは、語り掛ける黒雪姫の神秘的な美しさに魅せられたのかもしれない。投げ掛けられた言葉に返答するかのように、黒雪姫を見つめるハルユキの目には普段の自虐的な彼には存在しなかった強固な意思が秘められていた。

 

 その真っ直ぐな視線を向けられた黒雪姫は、目を細め唇を吊り上げた。誘うような魅惑的な笑みだ。思わずハルユキはごくりと唾を飲み込む。

 

「明日、昼休みにラウンジへ来い」

 

 そうハルユキへ告げると、黒雪姫は仮想空間からログウトした。呆然と立ち尽くすハルユキを残したまま。

 

 

 その後、もう一度ゲームをプレイする気にもなれなかったハルユキは仮想空間をログアウトし、男子トイレを出て廊下を歩いていた。人のいない静かな空間に、ハルユキの足音だけが響く……。

 

「あーっ! こんな所にいたー!」

 

 はずだったのだが、悲しいことにハルユキが求めていた静寂は甲高い声の前に脆くも崩れ去った。

 傍迷惑な大音量の叫び声の犯人は、ハルユキに向かって走ってくる。

 

 ハルユキの幼馴染で、同じ一年生の倉嶋千百合だ。釣り目がちの大きい瞳が特徴的な猫科めいた少女で、ハルユキのもう一人の幼馴染、黛拓武の恋人でもある。

 

「最近ハルってばお昼休み中いつもいないから、探し回ったんだよ」

 

 チユリはハルユキの隣に立つと、手に持っていたバスケットを差し出した。憂いを含んだ彼女の表情は、ハルユキのことを心配してのことだろう。

 

「あたし、お弁当作ってきたの。ハルの好きなポテトサラダにハムチーズのサンドイッチ。あいつらに奢らされて、またお昼食べてないんでしょ? 何か食べないと、体に悪いよ」

 

 差し出されたバスケットが、純粋な好意によるものだとハルユキは理解していた。

 しかし、幼馴染に同情される自分の惨めさに、素直に受け取れないハルユキは差し出されたバスケットを右手で押し返してしまう。

 

「い、いらねぇよっ!」

「あっ……」

 

 強い力で押し返されたバスケットは、チユリの手を離れて壁に向かって飛んでいき――

 

「誰かのお弁当が危ない! しかし、そこへ颯爽と登場した謎の美少女カガリ! 華麗にジャンプして優雅にキャーッチ!!」

 

 壁にぶつかる一歩前で、獣の如き俊敏な跳躍で飛び掛かった金髪の少女――カガリの手に収まった。

 ズザーーーっという音と立てて床を滑りながらも、彼女はキャッチしたバスケットを死守してみせる。なかなかにシュールな光景である。とりあえず、華麗ではない。そして優雅でもなかった。

 

「なっ――!?」

「ええっ!?」

 

 あまりに予想外な出来事に、ハルユキとチユリが驚愕の声を上げた。見知らぬ少女の華麗な登場――もとい、謎の奇行を目にした者として当然の反応だろう。

 しかし、二人の困惑の叫びをまるで気にもとめずに、カガリは立ち上がって制服についた埃を落とす。そうして十分に払った後、手に持ったバスケットを持ち上げた。

 

「食べ物を粗末するような悪い子は、罰としてカガリがあさやけ相談室に連行します!」

 

 私、怒ってます。とバスケットを掲げながら声高らかに宣言するカガリを前に、ハルユキもチユリも唖然とした表情で固まるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

 ――どうして、こんな事になったんだ……。

 

 心の中でそう愚痴を零し、ハルユキは憂鬱そうに嘆息する。その原因は、彼の隣に存在していた。

 

 

「ほらほら、早く食べなさいよー。いらないとか言ったら、頬っぺたグリグリしちゃうぞー」

 

 そう言って、ハルユキの頬を指でぷにぷにと突いてくる少女、出灰カガリである。

 

 ハルユキとチユリを、現在の滞在場所であるあさやけ相談室に連れてきた張本人だ。

 

 軽い自己紹介を行い事の顛末を話したところ、サンドイッチを食べるようにカガリが言いだしたのが始まりだった。

 こんなに美味しそうなのにもったいないとか、せっかく作ってきてくれたのにとか、ハルユキはそれ以降彼女に駄目出しを受け続けている。

 

 対面で座っているチユリへと視線で助けを求めるも、顔を背けて止めてくれない。チユリ自身怒っているのか、それともカガリを止めるのが嫌なのか……或いは両方かもしれない。

 

 ブルータス、お前もか! という心の叫びが、信じていた幼馴染に裏切られたハルユキから聞こえてきそうだ。誰か助けてくれ……とハルユキが切実に願っていると、救いの手は意外なところから差し伸べられた。

 

「こらこら、無理強いをするのは駄目よ」

 

 梅郷中の学生達のメンタルケアを行っている、スクールカウンセラーの納野サヤがカガリに注意したのだ。

 梅郷中の学生達からは、サヤちゃん先生と呼ばれ親しまれているらしい。

 

「ぶー、わかりましたー」

 

 注意を受けたカガリは、しぶしぶとハルユキから離れた。物足りなそうな表情を浮かべていたが。

 

 そんなに人の頬を突くのが楽しかったのかよ。と恨めしく思いつつもハルユキは強気に出ることができない。相手は年上の先輩なのだ。あまり信じたくないが。

 

 あんな人が年上だなんて、と現実の理不尽さを嘆いてると、サヤがコーヒー淹れたカップをハルユキとチユリに差し出した。

 

「はい。コーヒー淹れたんだけど、飲む?」

「あっ、い、頂きます」

「ど、どうも有難うございます」

 

 恐縮しつつも、カップを受け取るハルユキとチユリ。

 

「あれ? あたしの分は?」

 

 自分の分がないことに気づいたカガリが尋ねる。しかし、サヤからの返答は無情だった。

 

「人をからかう悪い子に淹れるコーヒーはありません」

「な、なん……ですと……」

 

 酷くショックを受けた表情でカガリが項垂れる。どよーんという効果音が聞こえてきそうだ。

 コーヒー一杯に大げさな、と思いつつもその憐れな背中姿にハルユキが助け舟を出した。

 

「あ、あのー。別にそこまで気にしてない……です」

「そ、そうだよ。カガリは悪くないもん」

 

 ツーンと頬を背けるカガリ。早くも助け船を出したことをハルユキは後悔しそうになるが、腹いせにサンドイッチに齧りついて気を紛らわす。

 チユリがようやくサンドイッチを食べ始めたハルユキの姿を見て、密かにほっと胸を撫で下ろした。やはりハルユキのことを心配していたらしい。

 

 そんな三人の姿を、新しいコーヒーを淹れていたサヤは微笑みながら見つめていた。

 

 

 午後の授業が終わり下校時刻になると、これといった用事の無いハルユキは帰路に就く。

 舗装されたアスファルトの道路をカツカツと歩きながら、昼休みに起こった出来事に思いを馳せていた。

 

 何時ものようにバーチャル・スカッシュ・ゲームを延々と繰り返し、終わるはずだった休憩時間。

 だが、結論からいえばそうはならなかった。突如姿を見せた黒雪姫が残していった言葉が、ハルユキの脳裏を過ぎ去っていく。

 

 ――仮想世界も現実も飛び越えた、その先へと加速する為の力を、私が君に授けよう――

 

 その言葉の意味を、ハルユキは理解できてはいない。当然だ。いきなりそんな意味深な台詞を告げられて、理解できる者など普通はいないだろう。

 

 からかわれただけだ、という考えが浮かんでくるも、あの黒雪姫先輩がそんなことをするだろうか。という疑問もまた浮かんできた。

 

 ――わからない、あの人が何を想い僕にあんな言葉を残していったのか。

 

 明日の昼休みにラウンジへ来い、と黒雪姫は言っていた。会いに行けば、本当に授けてくれるのだろうか。

 現実も仮想世界も超えて、先へと加速する為の力を。

 自宅に向かう間ずっと考え続けるも、ハルユキは黒雪姫の問いかけに対する自らの気持ちに答えを出せなかった。

 

 自宅である高層マンションの一室に辿り着くと、ハルユキは一人で夕食を済ましてベットにダイブする。

 

 母親は零時を過ぎなければ帰って来ず、朝に昼食代をニューロリンカーにチャージしてもらう時くらいしか顔を合わせていなかった。

 

 ベットに重い身体を沈めながら、ハルユキはもう一つの昼休み中の出来事について考える。

 

 強情を張って、チユリが作ってきてくれたサンドイッチの入ったバスケットを押し返してしまった際に、恐るべき俊敏さで壁にぶつかる前に両手でキャッチした少女。出灰カガリ。

 

 今思えば、あの時周りに人の気配は感じなかった。あまりに予想外な出来事だっただけに、自分もチユリも開いた口が塞がらなかった程である。あの少女は一体何処から現れたというのか。

 

 疑問に思いながらも、わからないものしょうがない。とハルユキはそれ以上考えるのをやめた。もともと人がいない場所だっただけに、気が付かなかったのかもしれないと結論付けて。

 

 ――やけに慣れ慣れしい変わった人だったけど、まぁおかげでチユリに嫌な思いをさせずに済んだんだ。文句を言ったら罰が当たるよな。

 

 頬を突かれたりしたことは腹立たしいけど、と最後に呟いて、ハルユキは就寝した。

 

 

 そして翌日の昼休み。荒谷達に呼び出された屋上には向かわず、ハルユキはラウンジの入り口の前に身を隠して立っていた。

 

 呼び出しを無視すれば痛い目を見ると頭の中の理性が訴えていたが、黒雪姫先輩の処へ行く方が自分にとって最優先されるべき事柄な気がしたのだ。

 

 どうせ居ないんじゃないか、という半信半疑な気持ちで入り口からラウンジの中を覗いたハルユキだったが、予想に反して最奥のテーブルに黒雪姫は居た。

 

「……いるじゃん」

 

 思わずそう呟いて、ハルユキは黒雪姫の横顔を見つめる。

 

 入り口から黒雪姫の居るテーブルまでは二十メートル程。歩いて向かっても十秒もあれば辿り着けるだろう間隔だ。たいした距離ではない。

 

 しかし、それはこの場所がラウンジでなければ――の話だった。人気の高いスポットであるラウンジには、二年生以上でなければ立ち入り禁止の不文律が存在するのだ。一年生のハルユキが侵入することを許される空間ではない。

 

 たった二十メートルが、ハルユキには気が遠くなるほどの距離に感じられる。軟弱な心が悲鳴を上げていた。

 

 無理だ、帰ろう。購買で要求されたパンとヨーグルトを買って荒谷達に届けよう。何時もの隠れ家に篭って、仮想世界にフルダイブしよう。そしてバーチャル・スマッシュ・ゲームで時間を潰すんだ。そんな悪魔の囁きがハルユキの耳に入ってくる。

 

 何時ものハルユキなら引き返しただろう。しかし、今日は違った。ぐっと拳を握り締め、意を決して一歩を踏み出す。

 

 ――くそ、ちくしょう。行けばいいんだろ!

 

 ラウンジの中を歩き出した瞬間、一斉に周囲の目が集まってくる。非難と不快が込められた幾つもの視線が突き刺さった。

 思わず立ち止まりそうになるのを懸命に堪え、両足を必死に動かしていく。十秒にも満たない僅かな時間が数百秒にも感じられたが、ひたすら気力を振り絞って歩く。歩き続ける。

 

 そして、とうとうハルユキは黒雪姫が居る最奥のテーブルに辿り着いた。

 

「こんにちは。君、何か御用?」

 

 しかし、ハルユキの期待に反して声を掛けてきたのは同席していた二年の女子生徒だった。

 

「えっと……あの、その……」

 

 何を言うべきか、ハルユキは上手い言葉が見つからずに口ごもってしまう。

 そこへ助け舟を出したのは、彼を呼び出した張本人にして、ずっと本に目を通していた黒雪姫だった。

 

「来たな、少年」

 

 読んでいた本を閉じ、黒雪姫はテーブルに同席している者達に視線を送る。

 

「彼に用が有るのは私だ。済まないが、他の者は席を外して貰えるかな」

 

 意外な人物からの申し出に興味深そうな表情を浮かべながらも、同席していた学生達は席を外していく。

 

「す、すいません」

 

 思わず、ハルユキの口から謝罪の言葉が出た。

 一年である自分の為に席を外してもらうなんて、と申し訳なく思いつつも、黒雪姫に促されてハルユキは席に着く。

 

 周囲の奇異の視線に縮こまるハルユキに対し、黒雪姫は背筋をピンと伸ばしてまるで気負った様子が見受けられない。普段から人目を避けているハルユキと、常日頃から多数の注目を浴びている黒雪姫。両者の学内での立場を示しているようだ。

 

 そしてハルユキが席に座ったのを確認した黒雪姫が次に取った行動に、ラウンジ内は大きなどよめきで包まれることになる。

 

 ブレザーのポケットから一本のXSBケーブルを取り出すと、片方のプラグを首周りに装着している自らのニューロリンカーに差込み、もう一方のプラグをハルユキに差し出したのだ。

 

 一瞬、黒雪姫以外のほとんどの生徒が何が起こったのか理解でなかった。

 

 周囲のざわめきが酷く遠くに感じられ、胸の鼓動が高まる。夢でも見てるのかと、ハルユキは自分の正気を疑った。

 

 だが――黒雪姫がハルユキに直結を促したのは、夢でも妄想でもない、確かな事実だった。

 

「あの、これをどうすれば……」

 

  震える手でケーブルを受け取ったハルユキはどうするべきなのか理解しつつも、尋ねずにはいられなかった。しかし――

 

「君の首に装着する以外に使い道があるとは思えないが」

 

 即答されてしまい、ハルユキは瞬く間に逃げ道を失った。数度深呼吸して心を落ち着かせた後、ハルユキは一気にプラグをニューロリンカーに差し込む。

 

 瞬間――ピコーンという効果音と共にハルユキの視界で警告表示のメッセジーが映り、数秒と経たずに薄れて消えていく。

 

 メッセージが消えて鮮明になった視界でハルユキが黒雪姫の微笑む姿を見つめていると、脳裏に黒雪姫の声が聞こえた。

 

『わざわざ御足労すまなかったな、有田春雪君。思考発生はできるな?』

 

 思考発生は直結した状態から、ニューロリンカーを介して行う念話のような会話のことだ。ハルユキは同じく思考発生で言葉を返すことで、思考発生ができることを示す。

 

『は、はい。それで、あの……黒雪姫先輩が言っていた、現実も仮想世界も飛び越えて加速する為の力って……』

『ふふっ、まぁ、そう焦るな。私はこれから、君のニューロリンカーに一つのアプリケーションソフトを送信する』

 

 黒雪姫はそう告げると、手を空中に翳して高速で動かした。白く細い指が素早く視覚化したウィンドウを操作し、一つのアプリケーションソフトの送信準備が行われる。最後にニューロリンカーへ指を当てると、美しい蝶のホログラムが出現し、優雅に舞いながらハルユキのもとへ飛んでいった。

 

 蝶が目の前で消えると同時に、ハルユキの視界で《BB2039.exeを実行しますか? Run/Cancel》というシステムメッセージが表示された。

 

『それを受け入れたら最後。今、君の中に在る現実と日常は破壊され、新たな世界で生きていくことになる』

 

 その不吉な宣言に、ハルユキは息を呑む。現実と日常が破壊される、信じ難い言葉だ。

 

 ――僕の日常、僕のリアル。

 

 横目で周囲を流し見て、ハルユキは思う。

 

 人目を避け、隠れるように生きる醜い自分。怯え、逃げ惑い続けてきた弱い自分。そんな現実を変えようともせず、諦めて動き出そうとしない愚かな自分。ハルユキの脳裏に無数の己の姿が映し出され、消えていく。

 

 ――何も、迷うことなんてない。

 

『望むところです。今在る現実が、本当に破壊されるというのなら』

 

 それは黒雪姫に向けた言葉というより、自分自身に強く言い聞かせる為の言葉だったのだろう。キツく目を尖らせたハルユキは、空中に浮かび上がるRunの表示を指先で躊躇いなく押した。

 

 同時に――燃え盛る巨大な焔が轟音を響かせて周囲に迸った。

 

 突如その姿を現した紅蓮の炎は、ハルユキと黒雪姫を円状に囲い世界を紅く染め上げていく。

 

 そしてハルユキの目の前に集うと、《BRAIN BURST》の文字を残して消えていった。

 

 じっとその文字をハルユキが見つめていると、インジケータ・バーが表示されてインストールが開始される。

 

 固唾を呑んでハルユキが見守る中、百パーセントに達するとバーは静かに消滅していく。

 

 変わりに、《WELCOME TO THE ACCELERATED WORLD》というメッセージがハルユキの視界に映った。

 

『アクセラレーテッド……加速世界?』

『どうやら無事にインストールできたようだな。十分な資質はあるとは確信していたが』

『し、失敗することもあるんですか?』

『そう。このブレイン・バーストは適正のある者でなければインストールできないのだ。正確に言うと、脳神経反応速度が一定のレベルに達していることが条件になる』

『脳神経反応速度……』

 

 ハルユキと黒雪姫が思考会話に集中していると、ラウンジの入り口の方がら怒声が響く。それは、ハルユキが最も会いたくない人物――荒谷の声だった。

 

 「てめぇ! ブ……有田! 何バックレてんだ、コラァ!!」

 




基本原作沿いで進めていきます。たぶん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

 大きな怒声が、ざわついていたラウンジ内に響き渡る。

 

 普段は物静かなラウンジという空間に、その日二度目のハプニングが起きようとしていた。ラウンジ内に張り詰めた空気が漂う。

 その原因たる人物――荒谷達は、大声で叫んだ為に集まってくる周囲の視線を意に介さず、ラウンジ内をずかずかと歩いていく。向かった先は彼らの目的の人物、呼び出しに応じなかったハルユキが居る最奥のテーブルだ。

 

 荒谷たちが近づいてくるのを見て、ハルユキは生きた心地がしなかった。ブレイン・バーストというプログラムに対する興味や関心から消えかけていた、周囲からの重圧や緊張感が再び蘇ってくる。

 

 ――くそっ、大人しく屋上で待っていろよ。何だってこんな時に出てくるんだよ!

 

 心の中で悪態をつくも、声に出して歯向かう勇気は無いハルユキは、睨んでくる荒谷達の威圧を前に何もできない。

 

「クリームメロンパン2個と焼きそばパン1個、それから苺ヨーグルト3個を買って、屋上に来るように言ったはずだよなぁ」

 

 故に。空気の読めない乱入者、荒谷達の横暴な要求に対し口を開いたのは。彼と同じテーブルに居た少女、黒雪姫だった。

 

「君が荒谷君か。成る程な」

 

 その言葉に、荒谷は初めて黒雪姫の存在に気がついたらしい。目を細めて疑念の混じった視線を黒雪姫に向けた。学園の有名人である黒雪姫が、自分達の苛められっ子であるハルユキと同席しているのを不思議に思ったのだろう。しかし、すぐに唇を吊り上げて嫌らしい笑みを浮かべる。

 

 自分達と同じで、ハルユキを弄んでるとでも勘違いしたようだ。名前を知られているのは、ハルユキを苛める同業者だからとでも思ったのか。

 

「なんですか、生徒会副会長さん。ああ、この豚の日頃の惨めな姿についてでも聞きた……」

 

 得意気に話し出す荒谷の言葉を遮るように、侮蔑を込めた目を向けながら黒雪姫が口にしたのは、彼の予想を裏切るものだった。

 

「ハルユキ君からよく聞いているよ。間違ってこの学園に送られてきた、猿かチンパンジーにしか見えない奴だ。とな」

 

『え……? ええーっ!? ちょ。な、何を言っちゃってるんですか! 先輩』

 

 思いがけない暴言に、ハルユキは思考発生で抗議の叫び声を上げる。火に油を注ぐ行為、そしてその原因を擦り付けられたのだ。ハルユキの叫びは悲鳴に近い。

 

『ふっ、まぁ見ていたまえハルユキ君。丁度良い機会だ。厄介事は早めに片付けておくとしよう』

 

 焦るハルユキとは裏腹に、黒雪姫は落ち着いた声で慌てるハルユキをなだめる。

 

 こんな状況で何落ち着いてるんですか。とハルユキが今度は声に出して抗議しようとした時、変化は起こった。

 

「な、な、なん……」

 

 呆然と固まっていた荒谷のこめかみが、ピクピクと動き出したのだ。身体全身が小刻みに震え、怒りのボルテージが高まっていくのがハルユキにはわかった。思わず席から立ち上がり、荒谷から後ずさって距離を取る。だが――

 

「なんだとぉぉ!てめぇっ、このブタァァァ!!」

 

 けたたましい怒声と共に、荒谷は拳を振り上げてハルユキに襲い掛かった。後ずさっていた足が竦みあがり、ハルユキは動けなくなってしまう。

 

 ――殴られるっ!

 

 恐怖心から目を瞑るハルユキ。そこへ、黒雪姫の思考発生の叫びが脳裏に響いた。

 

『今だ、叫べ! バースト・リンク!!』

 

 その言葉の意味を、ハルユキは知らない。しかし、追い詰められていた彼はほとんど反射的に叫んだ。それまでの彼の現実を、日常を、常識を覆すプログラム――ブレイン・バースト。その始動キーである言葉を。

 

「バースト・リンク!」

 

 

 瞬間――世界は加速した。

 

 ラウンジ内のあらゆる音が消え去り、凍ったかの如く世界が青一色に染まる。殴りかかっていた荒谷が、成り行きを見つめていた生徒が、物言わぬ彫像になった。彼らの世界は停止してしまったのだ。

 

「う、うわぁっ」

 

 全てが停止する世界で、固まっているハルユキの身体から押し出されるように、ピンクの豚が現れた。地面にぶつかって一回転すると、ぶつけた頭を摩りながら顔を上げ、目にした光景に驚きの声を上げる。ピンクの豚の正体は、仮想世界用のアバターに姿を変えたハルユキだった。

 

「ど、どうなってるんだ。これ」

 

 停止した世界。さらには自分の身体が目の前に存在するという異常事態に混乱するハルユキへ、停止した世界で動いていたもう一人の人物が声を掛ける。

 

「ブレイン・バーストが起動し、世界が加速したのだ」

 

 そう告げたのは、黒のドレスを着て蝶の羽根を持つアバターに姿を変えた黒雪姫だ。しかし、彼女の簡潔な言葉では、ハルユキは現状に対する疑問を解消することができなかった。キョロキョロと挙動不審に周囲を伺う。

 

「世界が……加速した? ブレイン・バーストが起動したって……」

「ふむ、そうだな。順を追って説明していこう」

 

 黒雪姫は教え子に説明する教師のように、ハルユキに現状の説明を始める。

 

「一見すると周囲が停止したと感じるだろうが、実は違う。周囲が停止したのではなく、私達が加速したのだ。正確に言うと、ブレイン・バーストプログラムが私達の脳の意識を加速させたのだよ。そして、ソーシャルカメラが捉えた画像から再構成した3D映像が、この青い世界の正体だ。私達はニューロリンカー経由で、それを脳で視ているのだよ」

 

 淡々と説明しつつも、黒雪姫は手に持っていた黒い傘を椅子に掛けると、ピンク色の豚になったハルユキを両腕で優しく抱き上げた。

 

「う、うわっ」

 

 突然の行動に、ハルユキは思わず手足をバタつかせるも、すぐに大人しくされるがままにする。仮想とはいえ、黒雪姫の柔らかな肌の感触に内心は穏やかではなかったが。

 

 黒雪姫は抱き上げたハルユキをテーブルの上に移動させ、説明を続ける。

 

「ニューロリンカーには、人の思考を加速させる力がある。そう気づいた者がいた。ブレイン・バーストは、ニューロリンカーに秘められた加速の力を引き出す為のプログラムだ。その加速レートは、通常の一千倍にも上る」

 

「一千……倍……」

 

 あまりにも常識を逸脱したその言葉の意味を、ハルユキはゆっくりと呟いて脳に浸透させる。黒雪姫はそんなハルユキの姿を視界に捉えながら、大げさに両手を広げて熱弁した。

 

「そうだ。現実の一秒を一千秒、十六分四十秒として体感する空間。それが私達バースト・リンカーが住まう世界、加速世界(アクセル・ワールド )なのだ!」

 

 声高らかに宣言する黒雪姫。その姿を、じっとハルユキが見つめている。そんな中、我に返った黒雪姫は熱く語っている自分に気づき、頬を赤く染めた。誤魔化すように、手を口元に当てて咳払いをする。

 

「む……んん! この加速の力を使えば、今まさに殴られようとしている君は長大な持ち時間待で状況を把握し、熟慮することができる。来るとわかっていれば、現実に戻って拳を避けることも容易だろう」

 

 黒雪姫の言葉に、ハルユキは停止している荒谷と己の姿を見つめた。

 

 ――そうか、絶対に避けられないと思っていたのに。これが加速の力なのか。

 

 ハルユキは複雑な気持ちだった。梅郷中に入学して以来、ずっと荒谷には苦しめられてきた。もう学生の間は諦めるしかないとまで考えたほどである。そんなどうしようもなかった現実が、今、この時を持って覆されたのだ。ブレイン・バーストという一つのプログラムが持つ加速の力によって。

 

 これまでのハルユキの苦痛を思えば、複雑な心境になるのも仕方がないだろう。

 まぁ、黒雪姫の次の発言を聞いて、ハルユキのもやもやした感情は一瞬で消え去ってしまったが。

 

 

「だが、避けるな。ここはあえて、ぶっ飛ばされようじゃないか。ハルユキ君」

 

 あろうことか、黒雪姫は大人しく殴られろ。とハルユキに助言したのだ。

 

「え……ええっ? 嫌ですよ、そんな! い、痛いじゃないですか」

 

 当たり前だが、ハルユキは反論した。大人しく殴り飛ばされろ、と言われてうなずくような者は特殊な趣向を持つ人間でなければいないだろう。ハルユキにそんな趣味は無い。

 

「まぁ聞け。私が君に殴られろ、と言っているのはちゃんと理由があっての事なのだ」

「な、何ですか。その理由って」

「今まで、この生徒が横暴な態度を取っていられたのは、君が学校側に告発することができなかった以外にも、もう一つの理由があっただろう?」

「あ! そ、そうか。此処はソーシャルカメラの視界の範囲内なんだ」

 

 黒雪姫に言われ、ハルユキは荒谷が重大な失敗を犯していることに気づく。荒谷達は今まで、人気が無くソーシャルカメラに映らない屋上や校舎裏にハルユキを呼び出していた。カメラが設置されている場所や、人目につく場所は避けていたのだ。にも関わらず、今の荒谷はソーシャルカメラの視界に入り、多くの学生が居るラウジンで殴りかかろうとしている。

 

「そう。この者は私の安い挑発で頭に血が上り、多くのカメラが設置され、多数の学生達が集まるこのラウンジで、その醜態を晒そうとしているのだ。それは、逃れようの無い確かな証拠を押さえることになる。君にとっては今、この時こそ、これまでに受けてきた屈辱を晴らすチャンスなのだよ。ハルユキ君」

 

 黒雪姫の指摘は正しい。それはハルユキにもよくわかった。しかし、ブレイン・バーストという加速の力を手にした今、一つの感情が芽生えてくる。

 

 ハルユキは停止している荒谷に鋭い視線を送り、黒雪姫に問う。

 

「先輩。ブレイン・バーストの力を利用して、僕はコイツに喧嘩で勝てますか」

 

 ハルユキの中で芽生えた感情、それは復讐心だった。好き放題に殴られ、蹴られてきた日々。屈辱に濡れた半年間で溜まった怒りを、憎しみを晴らすことができるのだ。ブレイン・バーストの加速の力を使うことで。

 

 ハルユキの真剣な問い掛けに、黒雪姫はその美貌を引き締め、強い口調できっぱりと確言する。

 

「勝てるだろうさ。君はもう、常人では敵わぬ力を手にしたバースト・リンカーなのだから」

「……そう、ですか」

 

 心臓の鼓動が高まり、呼吸が荒くなる。暗い負の感情が心の中を満たしていく。このまま大人しく殴られるか、加速の力を使い叩きのめすのか。半年に及ぶ惨めな生活を、どちらの方法で終わらせるのか。

 

 数秒の間を置いて、ハルユキは選択する。

 

「やめておきます。大人しく殴り飛ばされますよ、せっかくのチャンスですから」

 

 強張った表情を崩して目を閉じ、肩の力を抜きながら大きく息を吐き出して、ハルユキはそう告げた。

 

 ――先輩の誘いに乗ったのは、現実が破壊されることを求めたのは、荒谷を叩きのめす為なんかじゃないんだ。

 

 荒谷に喧嘩で復讐する必要は無い。そう心の中で自分に言い聞かせ、ハルユキは沸きあがる激情を沈静化させていく。黒雪姫は目を細め、嬉しそうに唇を吊り上げた。

 

「賢明な選択だ。よく決断したな」

 

 褒めるように優しく耳元で囁き、黒雪姫は再びハルユキを抱き上げる。

 

「わ、わううっ」

 

 緊張して、背筋をピンと伸ばすハルユキを黒雪姫は抱き上げると、腕の上に乗せてバランスを取り安定させた。

 

「そうだな。どうせなら最大の効果を狙おう。加速が切れたと同時、君が自分から右後方へと飛ぶのだ。顔を回して、拳の威力を殺すのを忘れるなよ」

「えっ? で、でも。それだと先輩にぶつかっちゃいます」

 

 ハルユキは停止している現実の黒雪姫の身体を指差す。荒谷に殴られかけているハルユキとの距離は、およそ一メートル程だ。ハルユキが勢いよく飛べば、彼女の華奢な身体が巻き込まれてしまう危険性がある。

 

 しかし――

 

「効果を最大にすると言っただろう? 大丈夫、心配するな。ちゃんと考えてあるさ」

 

 そんなハルユキの心配を。黒雪姫は問題無い、と一蹴してしまった。

 

 でも、とまだ何か言いたげなハルユキの頬が、 むにょん。と柔らかな何かにぶつかって潰れた。黒雪姫が自らの頬を当てたのだ。豚のアバターの、ピンク色の肌が赤くなる。

 

「大丈夫だと言っているだろう。それとも、君は私の言葉が信用できないのかな?」

「うぅ……。ずるいですよ、先輩。その言い方は」

 

 恨めしげな視線を向けるハルユキを停止している彼の身体の上に乗せ、黒雪姫もまたもう一つの己の身体に触れる。

 

「そろそろ時間だな。じゃあ、上手くやれよ。私が叫んだブレイン・バーストプログラムの解除コマンドを続けて叫べ」

「は、はい」

 

 神妙に頷いて、緊張しつつもハルユキはその時を持つ。黒雪姫はそんな彼を軽く一瞥した後、加速を解くコマンドを高らかに叫んだ。

 

「バースト・アウト!」

「バ、バースト・アウト!」

 

 二人の叫びと共に、ガラスか何かが砕け散ったような高音が周囲に鳴り響く。

 それを合図にして、停止していた青い世界は再び時を刻み始めた。

 




やっとブレイン・バーストが晴雪君の手に渡った。

次話からブラック★ロックシューターのキャラを本格的に交えていく・・・かも。

ついでに原作から少し違った展開にします。書いてて面白味に欠けるので。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

 停止した世界がゆっくりと、しかし確実に動き出すのを感じながら、ハルユキは飛び退く瞬間を待った。黒雪姫に言われたとおりに、拳の威力を殺す為に首を限界まで横に回すのも忘れない。

 

 ――準備は整った。さぁ、殴れよ荒谷。いつもみたいに殴り飛ばしてみろ! それが、お前の最期になるんだ。

 

 迫ってくる拳を見据えながら、ハルユキは心中で荒谷を罵る。これまでの借りを返せる瞬間を、じっと待ち――だが、その瞬間が訪れることはなかった。

 

「まずいですよ、荒谷さん。こんな所で手を出しちゃったら、ソーシャルカメラの映像記録に残っちゃいますよ」

 

 そう言って、後ろで見守っていた手下達の一人がハルユキを殴り飛ばす手前で荒谷を止めてしまった為に。その結果――ハルユキの身体を殴り飛そうとしていた荒谷の拳は、手下からの警告によって頬に触れる数センチ手前で止まってしまったのだ。

 

 ――な、なんだって。

 

 想定外の事態に、ハルユキは慌てた。せっかく先輩がお膳立てをしてくれたのに、このままだと荒谷達に逃げられてしまう。なんとかしないと、と頭の中で必死に考えるも、そう簡単には良い案は浮かんでこない。

 

「チッ、人の悪口を言うのは関心しないなぁ。ハルユキ君?」

 

 忌々しそうに舌打ちをしつつも、荒谷は頭が冷えたのか手を出してくる様子は無い。普段の意地の悪い笑みを浮かべ、ハルユキにだけ聞こえる程度の声で囁く。

 

「覚えてろよ、豚。明日の昼休みを楽しみにしてるんだなぁ」

「ッ――!」

 

 そう言い残し、荒谷はラウンジ内を去ろうと身体を翻した。手下達も入り口に向かう荒谷に続く。悔しげにその背を睨むハルユキだが、相変わらず妙案は思いつかず、打つ手はなかった。

 二人の様子を黙って見守っていた黒雪姫も、この状況は想定外だったのか口を挟もうとはしない。

 

 ハルユキと黒雪姫に、この場で荒谷達に対して取れる策はもう無い。去ろうとする彼らを再び挑発したとしても乗ってくるとは考えにくいし、あまりしつこく挑発しては暴言を口にしたことが原因で、いざこざで殴られたと思われるだろう。

 

 だから、去っていく荒谷達を引き止めたのはハルユキでも黒雪姫でもない。

 

「ちょっと聞きたい事があるのだけれど、お時間良いかしら? あなた達」

 

 全くの別人――第三者の手によって、荒谷達は呼び止められたのだった。

 

「な、何ですかね。俺達は別に、何もしてないですが」

 

 優しげな笑みで近づいてくるも関わらず、荒谷達の背筋に悪寒を感じさせる一人の女性。彼らはその人物を知っていた。いや、知らされていた。

 あさやけ相談室のスクールカウンセラーで、サヤちゃん先生と呼ばれ親しまれている。梅郷中に通う学生達の御意見番。

 

 彼女――納野サヤは要注意人物だと、荒谷達は同じ不良生徒の上級生達から口を酸っぱくして言われていたのだ。

 

 動揺する荒谷達の手前で立ち止まり、サヤは用件を告げる。

 

「先日、うちの生徒が捕まってね。それについて、聞きたいことがあるの」

「な、何のことですかね。初耳ですが」

 

 その内容は荒谷達に取って非常にまずいものだったのか、平静を装うように努力しているのが見て取れた。

 サヤは荒谷達の動揺に気づきながらも、話を続ける。

 

「実はね、捕まった内容っていうのが違法なデジタルドラッグの所持だったの。その生徒を尋問したところ、まだ他にもドラッグを所持した生徒がいるって自白してね」

 

 サヤの口から、事件の詳細な内容が語られていく。

 

「その生徒が上げた名前の中に、あなた達が入っていたのよ。念の為、調べさせて貰いたいのだけどいいかしら?」

「俺達はデジタルドラッグなんて持ってない! 変な言いがかりをつけるのは勘弁してくださいよ」

「そ、そうだ。言いがかりだ!」

「デジタルドラッグなんて、俺達は知らない!」

 

 じわじわと追い詰められながらも、必死に否定の言葉を叫ぶ荒谷達。しかし、サヤは不適な笑みを貼り付けたまま、さらなる追い討ちを掛けた。

 

「そう? まぁ、それは後で調べるとして、あなた達に見せたい物があるの」

「見せたいものだって……」

 

 サヤは右腕を宙に翳すと仮想ウィンドウを操作していき、ある動画を表示し再生させる。荒谷達にとっては死刑宣告にも等しい、決定的な証拠となるそれを。

 

 表示されたホログラムのスクリーンに映し出されたのは、屋上で荒谷達がハルユキに殴る蹴るといった暴力を振るう姿だった。

 

 決め手となる証拠の映像を突きつけられ、荒谷達の顔が青ざめていく。最早言い逃れはできないだろう。

 

「有田晴雪君、この映像に覚えはある?」

 

 呆然と成り行きを見守っていたハルユキに近づいて、サヤが問う。本人からの証言を得て、荒谷達の心を折るためだ。スクールカウンセラーという職に就いているわりに、彼女は結構サドスティックな性格だった。

 

「は、はい。映像の通り僕は屋上で彼らに殴られました、間違いありません」

「そう、ありがとう。……チユリちゃんに感謝しなさい」

「えっ」

 

 耳元で小さく囁かれ内容に、ハルユキは思わず声を漏らす。何故チユリの名前が出てくるのか。ハルユキは一瞬うろたえるが、すぐに理解する。昨日、あさやけ相談室に訪れた際にチユリがサヤに相談したと。恐らく、映像はその時にチユリが彼女に渡したのだろう。

 

 事実確認をした後、サヤはハルユキから視線を外して荒谷達に最終勧告を行った。

 

「此処だと人目につくから、場所を変えてお話しましょうか」

 

 返す言葉は、荒谷達には残されていなかった。

 

 

 結局、荒谷と手下達はその場で御用となった。サヤに連行されて静かにラウンジを出て行く。ハルユキと黒雪姫は次から次へと移り変わる状況の変化を前に、口を挟むこともなく荒谷達を見送る。

 

「まぁ、なんだ。よかったな、ハルユキ君」

 

 自身の思惑が外れてしまったせいか、黒雪姫はバツが悪そうな表情だった。手の届かない高みの人である黒雪姫先輩でも、そんな顔をする時があるんだ。そう思ったハルユキはなんだか可笑しくなって、ぷっと吹き出す。

 

「む、笑うとは酷いじゃないか。いろいろと当ては外れてしまったが、君の為を思ってのことだったんだぞ」

「す、すいません。先輩でも、そんな顔をするんだなって思って」

 

 謝罪しつつも、笑うのを止めないハルユキに黒雪姫はむっとした顔で口を閉じる。拗ねてしまったらしい。

 

「ふん、いいさ。君が私のことをどう思っていたのかよくわかった」

「ご、誤解ですよ。先輩」

 

 ツーンと顔を背ける黒雪姫は機嫌を悪くし、結局昼休みが終わるまで直ることはなかった。チユリの機嫌を損ねた時もなかなか大変な思いをすることが多いハルユキは、女性と話す時は発言には気をつけよう……と胸に刻むのだった。

 

 

 昼休みが終わってからの午後の授業は、つつがなく過ぎていった。荒谷達から呼び出しのメールが、何時また送られてくるのかと身構える必要もない。久しぶりに平穏な心持ちで授業を受けた後、放課後を告げる鐘の音と共にハルユキは校舎を出る。

 

「そうだ、先輩からローカルネットには接続しないように言われたんだった」

 

 そうして校門の手前まで歩いたところで、黒雪姫に言われていたことを思い出す。明日の昼休みにまたラウンジで落ち合うまで、グローバル接続はしてはいけない。ときつく厳命されていたのだ。

 何故接続してはならないのかはまだ説明して貰ってないが、とりあえず言われた通りにニューロリンカーからネットワークへのアクセスを切断し、校門を通り過ぎようとする。そこで。

 

「ハルー!」

 

 不意に背後から声を掛けられ、ハルユキは振り向いた。振り返った先にいたのは彼の幼馴染のチユリ。

 

「チユ! ……げ」

 

 だけだったらよかったのだが、彼女の他にもう一人居た。先日知り合ったばかりで、ハルユキの苦手な人物ランキングに名を残すことになった少女が。

 

「あれぇー。何でカガリの方を見て顔を顰めるのかな? ハルユキ君」

 

 ――あなたの事が大の苦手だからですよ、カガリ先輩。

 

 破天荒な性格で、先日の昼休みに彼を散々振り回した梅郷中の二年生。カガリの姿が目に入って、ハルユキは思わず嫌そうな声が出てしまった。個性的な女の子の知り合いが増えていく辺り、彼には女難の相が有るのかも知れない。

 

「チユ、今日はもう帰りなのか?」

「うん。だから久しぶりに一緒に帰ろ、ハル」

「え、ああ。うん」

「おーい、カガリのことを無視しないでほしいんだけどー」

 

 誤魔化す為にチユリに話を振ったハルユキだったが、普通に返されて一緒に帰ることになる。会話の輪から外されたカガリが横で文句を言っているが、ハルユキはとりあえずスルーしておく。チユリの方はハルユキに聞きたいことがあって、耳に入っていなかった。

 

「昨日はわざわざお弁当作って来てくれて、ありがとな。あ、後、荒谷達のことも」

「それなら聞いたよ。昼休みに色々あったんでしょ? あいつらは退学処分になるんだって。サヤ先生がそう言ってたよ」

「退学? そ、そうなのか」

「あのー、もしもーし」

 

 違法なデジタルドラッグを所持していたのだ。そうなるだろうとは思っていたが、もし万が一学園に残ることになったらどうしよう、と心配していたハルユキにとって荒谷達の退学が確定したのは吉報だった。

 内心で安堵のため息を吐き――次のチユリの言葉で、ハルユキは心臓が止まりそうになる。

 

「そういえば、二年の黒雪姫さんと直結したって本当?」

「うえっ!?な、何で――」

「昼休みが終わってから、校内はその話で持ちきりだよ。数多の男子生徒を振ってきたあの黒雪姫さんが、一年の男子生徒と直結したって」

「そ、そっか」

 

 考えてみれば当然だった。学内で一番の有名人である黒雪姫が、何処の馬の骨ともしれない男子生徒と公共の場で直結したのだ。荒谷達のドラッグの件以上に学生達にとっては衝撃的だっただろう。

 

「で、どうなの? 本当にしたの? 直結」

「う……」

 

 鋭い視線が突き刺さり、ハルユキは口ごもる。どうしたらいいかと周囲に視線を向け、その場に居たもう一人の人物――カガリに救いを求める視線を送るも、さっきから無視していたこともあってニヤニヤと不適な笑みを浮かべるだけである。退路は無さそうだった。

 

「う、うん。まぁ」

「ふーん、本当にしたんだ、直結。ふーーん」

 

 ハルユキが頷いて肯定した途端、目に見えてチユリの機嫌が悪くなった。唇を尖らせて、スタスタと前を歩き始める。二人のやり取りを傍で見守っていたカガリが、面白そうな顔でここぞとばかりにハルユキへ声を掛ける。

 

「ほうほう、ハルユキ君は黒雪姫さんと直結しちゃったんだー」

「な、なんですか。べ、別に何も変な意味はないですよ」

「公共の場で直結したのにー? 怪しいなー、本当かなー?」

 

 姿勢を低くして隣に立ち、下から覗き込むように詰問してくるカガリ。意地の悪そうな彼女の笑みが見えて、ハルユキはう、うざい……と思わずにはいられなかった。

 しかし、今考えるべき難題は機嫌を悪くしてしまったチユリにどう弁明するかだ。心配を掛けておきながら、他の見知らぬ女生徒と直結していたなんていう事実をどう釈明すればいいのか。ハルユキには皆目検討がつかなかったが。

 

 気まずい思いをしながらハルユキがチユリの後を追いかけていると、前方から聞き覚えのある声が響いた。

 

「おーい! ハルー、ちーちゃん!」

「タッくん!」

「タク!」

「……誰?」

 

 三人の視線が、声が聞こえた方向に集まる。手を大きく振って走りながら姿を見せたのは、ハルユキの幼馴染でチユリの彼氏でもある人物――黛 拓武(まゆずみ たくむ)だ。

 美男子といって差し支えない容姿に加えて、学年トップクラスの成績。所属する剣道部では、一年にして都大会優勝という好成績を残して見せた。まさに文武両道、才色兼備といった言葉がふさわしい少年である。

 

 そんな彼――タクムはハルユキ達に駆け寄ると、意外そうな顔を見せた。見知った顔ぶれの中に、見覚えの無い子がいたからだ。

 

「あれ、君は?」

「私は出灰 カガリだよ。優男くん」

「や、優……」

 

 カガリの毒舌が、早くもタクムを襲った。

 初対面でも、相手がタクムでもお構いなしかよ、カガリ先輩って。ハルユキは心の中でツッコむ。まぁ、優男っていうのはプラスのイメージが多いから良い方なのだろう。カガリがどんな意味で言ったのかによるが。

 

「ちょ、ちょっとカガリ先輩。タッくんに向かっていきなり何言い出すんですか!」

「んー、一目見て思い浮かんだ単語が優男だったの。なんだか気の弱そうな感じがするし」

「そ、そう。それならまぁ、仕方ないかな。あ、あはは」

 

 言葉のナイフが次々に飛んできて、乾いた笑いを漏らすタクム。とりあえず、中々に個性の強い子みたいだ。とカガリに対する第一印象をタクムは胸に仕舞う。

 

 小学校を卒業して以来。久しぶりに幼馴染が全員揃っての下校は、第三者であるカガリのおかげで随分と賑やかなものだった。無論、良い意味でも悪い意味でも。

 

 どちらの意味合いが強かったかといえば、きっと良い意味の方が大きかっただろう。ハルユキとチユリとタクム。三人の関係は、昔と違い複雑なものになっていたのだから。

 




次回やっとBBの対戦になります。
長かった……。
それにしてもタッくんは良キャラですね。
にしてもブラック★ロックシューターのキャラは喋ってる姿が想像しにくい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話

 午後の授業の終了を告げる鐘が校舎に鳴り響き、生徒達は各々の目的に沿って行動していく。所属する部活動に向かう者、友人達と共に帰宅する者、やり残した用事でもあるのか、教室に残る者もいる。

 授業という縛りから開放された学生達で賑わう校舎内の廊下を、マトとユウの二人が談笑しつつ並んで歩いていた。

 

「それにしても、昼休みのあれにはびっくりしたよー。見ていて気が気じゃなかったもん」

「そうだねぇ。私もずっと不安だったよ。激情に駆られたマトが、あの不良達に飛び込んでいくんじゃないかって」

「うぐっ。た、確かに思わず身体が動きそうになったけど、そもそも私が飛び出すまでもないってわかってたから」

「ふむふむ、短絡的な行動の多いマトにしては上出来な判断だね。偉い偉い」

「ちょっとユウ。それだと、私が何時もは考え無しみたいな言い方に聞こえるんだけど」

「え、違うの?」

「違うよ! 私だって、ちゃんと考えてるもん」

「おー、ちゃんと成長してるんだね。マトも」

 

 否定の言葉を口にしつつも、自身に直情的なところがあると自覚しているマトは拗ねるようにムッとした表情を浮かべた。そんなマトを見て、楽しそうに笑うユウ。自分がからかわれていると理解したマトは売り言葉に買い言葉で応えそうになるも、ムキになってしまえば相手の思う壺だと考えて、口から出かかった言葉を飲み込む。

 

「むー、意地悪なユウは嫌い」

「まぁまぁ、とにかく丸く収まったんだし。我らがサヤちゃん先生の手腕のおかげでさ」

 

 荒谷達がラウンジに姿を見せた時、実はユウが手早くサヤに連絡していた。ブレイン・バーストを手に入れたハルユキが、加速の力を利用して荒谷達を叩きのめす可能性もあったし、どちらにせよその場に居た学生達だけでは荷が重いと判断してのことだ。誰の血が流れることもなく済んだうえに、二人が加速するところを確認できた。結果からいえば上出来だろう。ユウは昼休みに起こった一連の事件をそう結論付ける。

 

「それにしても、サヤちゃん先生格好良かったなぁ。柄の悪そうな人達に正面から立ち向かっいく姿なんて、すごいキリっとしてて」

 

 目を輝かせてサヤへ賞賛を送るマトの姿に、ユウは苦笑を浮かべた。

 

「まぁスクールカウンセラーのサヤちゃんとしては、この学校の不良生徒達は頭の痛い問題だったんだ。被害を受けた子達から相談を受けてたみたいだし、何とかしたいとは前々から言ってたからね」

 

 納野サヤがカウンセラーとして学生達から受けていた相談内容の一つに、横暴な不良生徒の存在があった。だが、影でこそこそと悪事を働く彼らはなかなかずる賢く尻尾を掴ませない。違法ドラッグの所持が発覚して、ようやく彼らの取り締まりに着手できたのだ。もっとも、学内の生徒から犯罪者が出たというのは学校側の責任者には喜ばしい話ではないだろうが。

 

「あっ、あの子は確か……」

 

 隣を一緒に歩いていたマトが、誰か見覚えのある学生を見つけたらしい。ユウの視線も自然とマトが見ている方に向かう。すると、マト達が向かっていた場所――あさやけ相談室の前でサヤと話す一人の女生徒が居た。

 

 

「サヤ先生。じゃあ、あいつらが退学処分を受けたのは間違いないんですね」

「そう。違法ドラッグの他にも、違法なソフトとかが複数見つかってね。もうあなた達の前に姿を見せることはないんじゃないかな」

 

 サヤと話しているのは、昨日悩み事の相談を持ちかけていたチユリだった。昼休みの一件について、詳細な内容を聞きに来ていたのだ。見る者を安心させてくれる優しげな笑顔で、もう心配はいらないとサヤが宣言する。それを聞いたチユリはほっとした表情で息を吐いた。

 

「そうなんですか……。ハルのこと、本当にありがとうございました」

「気にしないで、彼らに頭を悩ませてたのはこっちも同じだから。むしろあなた達に半年間も苦しい思いをさせてしまって、ごめんなさい」

「いえ、そんな。サヤ先生には感謝してます。相談に乗って頂いたうえに、助けてもらったんですから」

 

 頭を下げて感謝の意を示す殊勝なチユリの姿に、ちょっとした悪戯心がサヤの中で沸いてくる。サヤは優しげな笑みから面白そうな、いつも生徒達をからかう時の笑みに変えた。

 

「そう? それじゃあもっと砕けて接してほしいかな。そんな猫被った話し方しないで、普通に、ね」

「そ、そんな! 猫被ってなんてないです。私は普通に話してます!」

「あら、そうなの。ハルユキ君と話していた時とは随分違う印象を感じるのだけど」

「ハ、ハルとは幼い頃から付き合ってるから……」

「じゃあやっぱり、私の前では猫被ってるんじゃない?」

「うっ……」

 

 鋭い指摘を投げかけられ、思わず言葉を詰まらせるチユリ。しかしすぐに不機嫌そうな表情へと移り変わり、頬を朱に染めてむくれた。サヤの可笑しそうな笑みから、言葉巧みに遊ばれているとわかった為に。

 

「サヤ先生の意地悪。私、猫被ったりなんてしてないんだから!」

 

 チユリは強い口調でそう告げると、機嫌の悪さを表すように早足に去っていってしまった。残されたサヤはちょっとやりすぎたかな、と一人呟く。そこへ、二人のやり取りを見守っていたマト達が声を掛けた。

 

「サヤちゃーん!」

「おーっす、サヤー」

「あら、二人共。随分とタイミングが良いじゃない。さては、隠れて見ていたのね」

「えへへ、何だか話しかけづらくて」

「畏まった空気で話してたから、邪魔したら悪いと思ってね」

「もう。ところで、今日は部活の方出なくて大丈夫なの?」

 

 二人はバスケ部に所属している。マトは普通の部員として、ユウはマネージャーとしてだ。小柄な体格を生かした素早い動きで、相手を翻弄させるのが得意なマトはレギュラーとして大会にも出場する実力を持つ。鋭い洞察力があるユウは、部員の体調の良し悪しを見抜いたり落ち込んでるところを励ましたりして活躍していた。

 

 ちなみに、バスケ部の女子生徒達はサヤと顔見知りである。ユウがカウンセラーであるサヤのことを部員達に紹介した結果、良き相談相手として知られることになったのだ。ユウが学内で広めた為に多くの学生達があさやけ相談室を訪れるようになった今では、恋愛絡みの相談は専門外なので勘弁してほしい……とサヤ自身にも悩みが浮上していたが。

 

「用事があるから少し遅れるって、こはっち先輩にメール送ったから。問題なーし」

「私もマトに同じく」

「あらあら。困った子ね、あんまり遅くなっちゃ駄目よ」

 

 真面目で男勝りな性格をしている彼女のこと、きっと今頃おかんむりでしょうね。そうサヤは心中で、あさやけ相談室に訪れる学生たちの中でもマト達の次に親しい少女――小幡 アラタに二人が遅れる原因を作ってしまったことを詫びる。そして、マトとユウの二人を教室内へ招き入れた。

 

 

 酷い悪夢だった。

 青黒い世界の中、無数の人々に取り囲まれて這い蹲っている。取り囲む者の中には、これまでハルユキを苛めてきた小学生の頃の同級生や荒谷達もいた。彼らは蔑むような視線を向けて、地面に縮こまるハルユキを嘲笑する。全身を刺し貫く周囲の目に耐えながら前を向くと、そこにはハルユキを憐れむチユリとタクムの姿があった。

 

「やめてくれ……そんな目で見ないでくれよっ」

 

 信頼する幼馴染から向けられる同情に耐えかね、ハルユキが懇願する。しかし、ハルユキを嘲笑う人々は増していくばかりだ。遂には嘲笑する顔だけが無数に浮かび上がり、ハルユキを中心にぐるぐると回り始めた。

 

「いやだ、こんなの嫌だっ」

 

 ハルユキが拒絶の叫びを上げた時、一条の光が上から差し込む。釣られるように見上げると、黒い鳥が上空を飛んでいる姿が見えた。鴉だ。漆黒の翼を大きく広げ、遥かな高みで光を切り裂きながら飛翔する一羽の鴉。

 ハルユキは子供の頃から鴉が羨ましかった。黒い姿をしていることから不吉の象徴とされ、鳴けば死人が出るとまで言われいる鴉だが、翼を広げて青空を飛ぶことができる。

 同じように周りから疎まれているのに、自分と違い地面に縛られていない。翼を羽ばたかせ、何処までも遠くへ飛んでいける存在。そんな鴉に、ハルユキは憧憬の念を抱いたのだ。

 

「待って! 僕も、僕も連れていってよ。僕も飛びたんだ! 君と同じように、彼方まで!」

 

 飛び去っていく鴉に向けて、必死に手を伸ばす。飛びたい。ただそれだけを願い、ハルユキは心の底から叫んだ。その時――

 

それが、君の望みか(that is your wish)?」

 

 知らない声が、何処からか聞こえた。

 

 

 目を覚ますと、ハルユキは汗をびっしょりと掻いていた。

 

「なんだろう、嫌な夢を見た気がする」

 

 パジャマを脱いだ後タオルで汗を拭きながら、ハルユキは夢で見た内容を思い出そうとした。しかし、不思議と全く頭に浮かんでこない。確かに夢は朝起きると忘れてしまうことが多いが、これだけ嫌な汗を掻く悪夢なら少しくらい覚えていてもいいはずなのに。

 

「はあ、考えてもしょうがないか」

 

 思い出せないくらいなら、そうたいした夢じゃなかったのだとハルユキは忘れることにする。その後、シャワーを浴びて制服に着替えたハルユキは朝食にコーンフレークを食べ、まだ部屋に閉じこもったまま起きてこない母の部屋に行って昼食用の五百円をチャージして貰い家を出た。

 

「行ってきまーす」

 

 ハルユキの住居はマンションだ。エレベーターを使って下の階に降りていき、入り口の自動ドアを通って外に出る。後は何時ものように通学路を歩いて学校へ向かうだけ――そのはずだった。

 

 外へ踏み出して数秒と経たない内に、変化は起こる。ハルユキ以外の全てが青く染まり、動きを止めた。

 

「これは、加速……した?」

 

 動揺するハルユキ。だが、彼を置き去りにして、世界はさらなる変貌を見せる。

 晴れていた青空が暗雲に覆われていき、舗装された道路が罅割れて砕けていく。周囲の建物は取り壊し寸前のような、古びた姿を見せていた。つい先ほどまで存在していた多数の車や歩行者は全く見当たらない。何十年も人が住んでいない、戦後の町にやって来たのかとハルユキは錯覚しそうになる。

 

「これは……仮想世界? 3D映像なのか」

 

 呟くハルユキの眼前に、上空からチェーンで繋がれたスロットの様な物が姿を見せた。高速で回転するそれは、停止したと同時に1800という数字を表示する。そして、ガシャンッと音を立てて左右に細長い試験管のようなバーが出現し、ぐいーっとバーの色が透明から青に変わった。

 

 思わず手を伸ばしたハルユキに、自分の物とは思えない金属製の手が見えた。

 

「ッ!?」

 

 口から出そうになる悲鳴を押し殺し、伸ばした手を止めてまじまじと見つめる。視界に映る銀色の手は無数の部品を繋げた、ロボットの手にしか見えない。驚愕するハルユキの前で、『FIGHT!!』の文字が表示され、1800だったスロットの数字が1799、1798と変化していく。

 

 ハルユキはとにかく自身の姿を確かめようと、近くに落ちていた大きなガラスを見る。

 

「な、何だこれ!」

 

 そこに映っていたのは現実の彼の身体とは異なる、細長い銀色の肉体。そしてヘルメットを被っているレーサーのような顔だった。何が起こっているのか分からず、自身の変化した身体を触るハルユキ。

 

 こうして――ハルユキの記念すべきブレイン・バースト初戦は、予備知識が全く無しという過酷な状況で開始されたのだった。

 




BBの対戦が始まったところまでになりました。
相変わらずのスローペースですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

 理解できない状況に陥ったとき、人が取る行動は二手に分かれる。取り乱して慌てふためき続けるか、冷静に状況の把握に努めるか。幸いにして、ハルユキは後者の人間だった。

 

 ――この世界が、ブレイン・バーストが作り出した3D映像の仮想世界なのは間違いない。問題は、どうして急に何の前触れも無く加速したのか。そして、今如何するべきなのかだ。

 

 変わり果てた自身の姿を確認したハルユキは、今の状況で自分が何をするべきなのかを思案する。必要なものが何か、それはいうまでも無い。加速した原因、そして今居る世界に関する情報だ。

 とにかく、何か手がかりになりそうな物を探すべきだ。そう結論を出したハルユキが歩き始めて数分と経たない内に、その手がかりは向こうから現れた。

 

「あれは……アバター? NPCなのか? 嫌、違う」

 

 戸惑うハルユキの視界には、彼と似た姿をした複数のアバター達が映っていた。何時の間に現れたのかだろうか。ついさっきまでは、ハルユキ以外の人影は見当たらなかった。だが、今では多数の人間と思わしきアバターがハルユキを遠巻きに観察している。何故人間だと分かるのかというと、彼らが会話をしているのが見えたからだ。

 

「なんだ、随分とひょろっとした奴だな」

「なんか、狼狽えてるみたいだし。初心者(ニュービー)じゃねぇ?」

「そうねぇ。でも、メタルカラーだし。結構やるんじゃない?」

 

 好き勝手に何やら話しているアバター達を見て、やっぱりNPCじゃないとハルユキは確信する。口調や表情に、NPCのような無感動なモノとは明らかに異なった人間らしさが見受けられた為に。そしてこの3D世界に居るということは、彼らもまたハルユキと同じく加速世界に住まうバースト・リンカーなのだろう。慌てた様子が見受けられないのを考えると、ハルユキよりも先輩になるのだろうか。

 

「あの人達に聞いてみるべきかな……」

 

 せっかく自分以外の人間に会えたのだし、とりあえず話を聞いてみるのが得策だ。今の現状について、あの落ち着きぶりからして知っているのは間違い無いだろうし。

 そう心中で呟き、ハルユキは彼らの元に行こうと足を踏み出した。その時。

 

「ヒューッ! ひっさびさの世紀末ステージだぜぇぇ! ラァァッキィィィ!!」

 

 何やら楽しそうな叫び声が背後から聞こえてきて、ハルユキはまた足を止めることになった。

 

「な、何だあれっ」

 

 慌てて背後に振り返ったハルユキの姿が、強烈な光に晒される。光の発信源は、声が聞こえてきた場所に存在していた。ハルユキを照らし出した光の正体、それは乗り物が走行する際に前方の視界を確保する為の光だった。正確にいえば、振り向いたハルユキの先で強い存在感を放っている、大型バイクに取り付けられているライトだったのだ。派手なデザインをしたアメリカンバイクに、これまた派手な格好をしたライダーが搭乗していた。

 

「世紀末ステージで華麗に走る俺様、超クーーールゥゥゥ!!」

 

 骸骨の顔をしたライダーの男は上機嫌に叫ぶと、ドゥルンドゥルンとエンジンを数回吹かしてバイクの発車体勢に入る。主であるライダーの指示に従い、バイクは標的を見定める。狙うのは、その進行方向で訳もわからず立ち尽くしている獲物――ハルユキ。

 

「そして――これから俺様に狩られるお前はぁ、テラアンラッキィィだぁぁぁぁ!!」

 

 叫びと共に、ライダーが獣を繋ぐ鎖を解き放った。地面を爆発させて歓喜の咆哮が響き渡り、破壊のマシンが砂塵を巻き上げて撃ちだされる。大気を切り裂いて疾走し、獲物であるハルユキに向けて、一直線に迫り来る――――。

 

「う、うわぁぁっ!」

 

 慌てて、マシンから逃げようと背を向けて走り出すハルユキ。しかし、その速度は迫り来るマシンと比較してあまりにも遅い。背後から聞こえてくる爆音はどんどん大きくなり、追いつかれるのは時間の問題だった。

 

「くそっ、こうなったら」

 

 このまま走っても、追いつかれて轢かれるだけだ。ハルユキは足を止めてもう一度振り返る。見えるのは、残り十メートルという辺りまで接近してきたマシンの姿。高鳴る胸の鼓動を聞きながら、ハルユキはそれをじっと睨むように見つめ、そして――

 

「今だっ!」

 

 マシンが身体を捉える直前、強く地面を蹴って横に跳んだ。

 

「何ィッ!?」

 

 驚愕の声を上げるライダー。まさか避けられるとは思ってなかったのだろう、マシンはハルユキに直撃することなく通過する。それを視界に捉え、ほっと安堵の息を付く。間一髪ながらも回避に成功し、ハルユキは一瞬でも気を抜いてしまった。だから、次にライダーが取った行動に対応できなかった。

 

「まだ終わりじゃねぇぇぞ、メタル野郎!」

 

 そのまま離れて行くはずのマシンが急激な転回を見せ、再びハルユキへと襲いかかる。

 

「なっ!?」

 

 再び牙を剥くマシン。なんとか回避できた一度目に対し、今度は心の準備も回避する為の体勢もできていなかった。しかし、ハルユキを責めるのは酷だろう。時速百キロを超えて走るバイクが、ほとんど減速もせずにターンを行うなど初見で予想できるはずもない。

 

「がふっ――」

 

 火を吐くような激しい衝突。金属バットか何かで、勢いよく殴られたのかと錯覚する程の痛みがハルユキの全身に駆け巡った。悲鳴を上げることもできず、ハルユキの身体が宙を舞う。飛び上がった身体はたっぷりと数秒間浮遊した後、落下して地面に叩きつけられた。

 

「ぐっ――」

 

 飛びそうになる意識をなんとか保ちながら顔を上げる。ハルユキの目に入ったのは、大きく減少した青色のバーと、全く変化していない青色のバーだった。今までは気づかなかったが、よく見ればバーの下に文字が書かれている。減少したバーの下はシルバー・クロウ。変わらないバーの下には、アッシュ・ローラー。

 

 ――分かった、分かったよ。今何が起こっているのか。さっきから何で襲われてるのか。

 

 様々なジャンルのゲームをプレイしたことのあるハルユキは、手に入れた情報から答えを導き出す。今から三十年以上も前に流行した対戦格闘ゲーム。それが、今行われている催しの正体だと。対戦しているのは言うまでもなく、自身と襲ってくるライダー。遠巻きに眺めているアバター達は二人の戦いを観戦しているのだ。

 

「もうへばってんのかぁ!? まだまだ終わりじゃねぇぇぇぜ!」

 

 対戦相手であるアッシュ・ローラーが、叫び声を上げて三度突進した。倒れ伏すハルユキを轢き潰さんと、轟音を響かせる。それを耳にして、ハルユキは素早く地面から起き上がった。

 敵が迫る。地面を激しく削り、己が敵に向けて真っ直ぐに爆走してくる。

 

「対戦ゲームなら、僕の得意分野だ!」

 

 恐怖で目を背けたくなる自身を鼓舞し、奮い立たせる。これが対戦ゲームなら、負けはしない。否、負けるわけにはいかないのだと言い聞かせる。ハルユキにとって、対戦ゲームで敗北するのは許されないことなのだ。

 

 ハルユキは地面を蹴り、大きく跳躍した。意識を集中させ、高速で向かってくる敵――アッシュ・ローラーに、全力で放つ蹴りを叩き込む――――!

 

「ぐっ!?」

「がはっ!?」

 

 激突した両者が、共に弾ける。ハルユキの蹴りはアッシュ・ローラーを捉えるも、発生した衝撃を殺すことはできなかったのだ。大きく吹き飛ぶハルユキの視界に、見覚えのあるアバターが映った。

 

「せ、先輩……!?」

 

 荒廃した世界で異彩を放つ美麗なその姿は、先日ハルユキを加速の世界へと招いた黒雪姫に間違いない。漆黒のドレスを身に纏い、透明に輝く羽を背にハルユキをじっと見つめている。

 ハルユキはその姿を見て、黒雪姫にグローバル接続をしてはいけないと厳命されたことを思い出した。

 

 ――何やってるんだ、僕は!

 

 苛立ち、ハルユキは叫ぶ。受けていた警告を忘れ、ニューロリンカーをうっかり接続してしまった。瞬く間に戦場に引きずり出され、無様にやられている。そのあまりに惨めな自身の現状に、涙が出そうだった。

 

 黒雪姫先輩も、馬鹿な自分を笑ってるんだろうな。ハルユキは自嘲し、黒雪姫を見る。しかし、真っ直ぐに黒い瞳でハルユキを射抜く黒雪姫の眼差しには、彼を嘲笑するようなモノは一切含まれていなかった。

 何かを期待して向けられている黒雪姫の視線。そこに込められた意味を、ハルユキは瞬時に悟る。

 

 勝てと。目の前の敵に勝利して見せろと、彼女の黒い瞳は告げていた――――。

 

「――わかりましたよ、先輩」

 

 呟き、ハルユキは立ち上がる。弱気になっていた心は燃え上がり、金属の身体に活力が沸騰して肉体が熱を帯びた。手を差し伸べてくれた人が、自身を信じて見守ってくれているのだ。みっともない姿を見せるわけにはいかない。大地に足を着け、誇るように姿勢を正す。不屈の闘志を持って、その期待に応える為に。

 

 同時に、アッシュ・ローラーもまた立ち上がってバイクに身体を預けていた。

 

「少しはやるじゃねぇか、メタル野郎。もう遊びは終わりだ、全力で潰してやるぜぇぇ!!」

 

 遊びは終わり。その言葉を示すように、アッシュ・ローラーはこれまでで最高の速度を持ってバイクを走らせた。後部に取り付けられたマフラーが横に倒れ、ジェット機の如く火炎を噴出する。その様はまさにロケットスタート、弾き出されるスピードはこれまでの比ではない。音速を超える加速力を惜しみなく使い、アッシュ・ローラーは激進する。ハルユキはそれを、

 

「そこだぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 全神経、あらゆる五感を集中し、牙を剥いて迫る獣の突進を紙一重で躱して、渾身の拳を前に突き出す―――!

 

 離れていた両者の間合いは瞬く間に零になり、二つの影が交差した。己の勝利を疑わず、真っ向から激突したシルバー・クロウとアッシュ・ローラー。そこから導き出される結果は、アッシュ・ローラーの骸骨のような顔に突き刺さった、シルバー・クロウの白銀の拳。

 

 メキメキと音を立てて、ハルユキの拳がアッシュ・ローラーを完璧に捉え打ち貫いた。

 

「ごはぁぁぁぁッ!?」

 

 悲鳴を上げ、堪らずバイクから身を放り出されるアッシュ・ローラー。だが、それで終わりでは無い。ハルユキのターンは、まだ終了していないのだ。

 

「まだまだぁぁぁッ!」

 

 衝撃で宙を舞うアッシュ・ローラーに、ハルユキはさらなる追撃を叩き込む。飛ばされたアッシュ・ローラーの先へ大地を疾走して回り込み、地面に落ちる寸前に回し蹴りを放つ。そして今度は大地蹴って飛び上がり、回し蹴りを食らって再び宙を舞うアッシュ・ローラに拳の豪雨を見舞わせた。相手を地面に落とさずに、ハルユキのコンボがアッシュ・ローラーの体力をガリガリと削り取っていく。

 

 その光景は、誰もが知るコンボを連想させた。対戦格闘ゲームのテクニックに於ける、基本中の基本。パンチとキックの連打からなる、無限に続く空中連撃(エリアル・コンボ )――――。

 

 見守っていたギャラリーが息を飲んだ。

 

「おいおい、一体何者なんだ、アイツ」

「相手を宙に浮かしたまま一方的に攻撃するなんて、本当にニュービーなのか?」

「見たことないアバターだけど、親は誰なのかな。レギオンには所属してるのかしら」

 

 口々に、ハルユキを賞賛するギャラリー達。それもそのはず、相手を空中に浮かせたままコンボを繋げるというのは、実際簡単なものではない。拳や蹴りの威力から相手が飛ぶ位置を予測し、すぐに動き出さなければならないのだ。高い反応速度、身体能力と正確な距離間を測れることが必要になってくるだろう。

 

 しかし、ハルユキはその全ての条件をクリアしていた。中学に入ってから半年間、ずっと続けてきた<バーチャル・スカッシュ・ゲーム>は、正にその全てが必要とされるゲームだったのだから。不規則に飛び交うボールの予測、縦横無尽に走り、飛び回る為に必要な反応速度と身体能力、そしてボールに追いつく為の最短距離の割り出し。何となく無心で続けていたゲームが、此処にきてハルユキの大きな力となっていたのだ。

 

 無限に続くと思われたコンボも、終に最期の時が訪れる。殴られ、蹴られ続けたアッシュ・ローラーの体力ゲージが残り一割を切った為に。

 

「これで、とどめだぁぁッ!!」

「がはぁぁッ! お、俺様アンラッキィィ……」

 

 勝利を確信したハルユキの蹴りが、僅かに残っていたアッシュ・ローラーの体力を完全に削り取る。シルバー・クロウとアッシュ・ローラー。LV一同士の激闘は、銀の鴉に軍配が上がった。

 

「すごーい、やるじゃない。シルバークロウね。これから贔屓にさせて貰うわ」

「ニュービーかと思ったら、とんでもない奴だったな」

「これからが楽しみね」

 

 勝利したハルユキを、観戦していたギャラリーが称える。必殺技らしき技は全く使用せず、単純な拳と蹴りで近接格闘型には厄介な相手であるアッシュ・ローラーに勝利したのは値千金だろう。中には、観戦予約リストに登録する者もいた。

 

 

 

「フッ。流石だな、ハルユキ君」

 

 遠く離れたビルの屋上で見守っていた黒雪姫が嬉しそうに呟き、静かに目を閉じてその場から消える。ハルユキの全力を込めた戦いぶりは、彼女の期待に応えてくれたようだ。

 

 

 勝利を告げるメッセージが視界に表示され、ハルユキの高まっていた感情が静まる。勝利の余韻か、先ほどまでとは打って変わってハルユキは落ち着いていた。一時的に熱くなっていたのが静まって、思考が現状に追いついていないのかもしれない。

 

 ハルユキがバースト・リンカーとして歩む永い戦いの道。それは今、この時をもって幕を開けたのだ。加速が解除され現実に意識が戻される中、自身が望んだ現実の破壊の意味をハルユキは身を持って理解したのだった。

 

 




何を勘違いしているんだ。
まだ、俺のターンは終了してないぜ。
初めて見た時それなんてチート?って感じでした。
もうやめて!OOのライフは零よ!って台詞も大好きです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話

「やったな! シルバークロウ。すごいじゃないか!」

 

 加速世界から帰還したハルユキを出迎えたのは、そんな第一声だった。思わず口元を綻ばせながら、声が聞こえてきた方へ振り向く。振り向いた先には、ハルユキの期待した通りの人物――黒雪姫が笑顔で走って来る姿が見えた。

 

 何時もはクールな表情か、魅惑的な微笑を浮かべていることが多い黒雪姫。しかし、今は花が咲いたような明るい笑顔を浮かべていた。軽快な足取りで、ハルユキの隣に並ぶ。

 

「先輩、どうして此処に?」

 

 ハルユキが今いるのは、自宅のマンションを出てすぐの場所だ。何故、黒雪姫先輩が此処にいるのか気になり、理由を尋ねる。ひょっとして、先輩の家もこの近くに在るのかとハルユキは少し期待するが、黒雪姫から返ってきたのは別の理由だった。

 

「君が私の警告を忘れていないか気になってな、確認しに来たんだ。案の定忘れてグローバル接続し、対戦を挑まれている姿を見つけた時は、目が吊り上がるのを抑えられなかったが」

 

 その時のことを思い出したのか、黒雪姫の笑顔に怒りの感情が混ざった。

 

「す、すいません……」

 

 わざわざ自分から墓穴を掘ってしまったことを悟り、何を余計なことを言ってるんだ僕は! と自身を罵倒しつつハルユキは身を竦めるが、幸いにも黒雪姫はすぐに表情を和らげた。

 

「まぁ、見事勝利して見せた功績に免じて今回は許そう。だが、次からは注意したまえよ、ハルユキ君」

「は、はい! 気をつけます」

 

 反射的に、姿勢を正すハルユキ。黒雪姫はそんなハルユキの手を取ると、自身の手と繋いでしまった。ぎょっとして、目を見開く。

 

「ええっ!? い、いきなり何するんですか先輩!」

「せっかくだ、一緒に登校しようじゃないか。ああ、それからまた昼休みにラウンジへ来るように。忘れるなよ」

 

 驚き慌てふためくハルユキに対し、黒雪姫はなんでもないといった様子で歩き始める。それから学校に到着するまで、繋いだ手が離れることはなかった。嬉しいやら恥ずかしいやらで、ハルユキはブレイン・バーストの初戦で体験した時以上の疲労と緊張を味わうことになったのだった。

 

 

 

 眠気を誘う午前の授業が終わり、ハルユキは廊下を歩いていた。向かう先は、黒雪姫先輩に来るように言われているラウンジだ。人の多い、それも上級生ばかりが集まる場所なので、ハルユキとしては遠慮したいスポットなのだが、そうも言っていられない。さすがに今朝言われたことを守らなければ、どんなお叱りを受けるかわかったものじゃないのだから。

 

 とりあえず、副生徒会長の黒雪姫先輩が一緒に同席するのだから問題無いはずだ。一年生は立ち入り禁止だっていうのも、あくまで生徒側の決まりに過ぎないんだし。そう自身を慰めつつ、ハルユキは足を動かしていく。そこへ、見知らぬ女子生徒の声が耳に入ってきた。

 

「1年C組の有田春雪くん……だよね、ちょっとお時間いいかしら?」

 

 そう声を掛けてきたのは、ハルユキが昨日の昼休みの時、ラウンジで最初に話しかけられた上級生の女子生徒だった。確か、生徒会役員で書記を務めている人だったかな、とハルユキはうろ覚えの情報を掘り起こす。

 

「はい、そうですけど……。僕に何か?」

「少し、尋ねたいことがあるの。私は若宮 恵(わかみや・めぐみ)。生徒会で書記を務めているわ、よろしくね」

 

 そう言って、ふわふわした茶色い髪の女子生徒――メグミは柔らかな笑みを浮かべた。ハルユキは黒雪姫先輩と同じで、随分とお嬢様っぽい感じの人だなぁと内心で思う。黒雪姫先輩は喋り方が男っぽいけど、と少し失礼な思考も一緒に浮かんでいたが。

 

「こちらこそ、宜しくお願いします、有田春雪です。それで、僕に尋ねたい事って?」

「ええ、姫とあなたがどういう関係なのか、それが知りたいの」

「姫? ああ、黒雪姫先輩のことですか」

 

 一瞬、姫と言われて誰のことかと思ったが、すぐに答えは出た。梅郷中で姫、なんて呼ばれ方をしているのは一人しかいない。だとすると、知りたいのは昨日ハルユキと黒雪姫が直結をしたこと、その理由だろう。そこまで考え、ハルユキはどう答えるべきかと思案する。加速に関して話す事はできないし、どう誤魔化そうか。そうぐるぐると脳を回転させていると、メグミの方が先に口を開いた。

 

「実はね、姫にも同じことを聞いてみたの。そうしたら、姫があなたに告白して、あなたがそれを受けるかどうか、返事を待っている最中なんだって言っていたのだけれど、本当かしら?」

「ぶっ――――」

 

 ハルユキが噴き出した。

 

 ――何言ってるんだ、あの人は! 誰が誰に告白したって!?

 

 事の発端である黒雪姫に、ハルユキは心中で抗議の悲鳴を上げる。全くもって事実無根です、と否定したいところだが、黒雪姫先輩がそう言っているのだから話を合わせるべきかもしれない。悩むハルユキに、メグミはずいっと顔を寄せて返答を迫った。

 

「で、どうなのかしら? 有田君」

「う……、えーっと、そ、そのですね」

 

 何て答えるのが最善なのか、検討もつかない。縮こまって、しどろもどろに言葉を出そうとするハルユキ。ハッキリしない姿にメグミは眉を顰めるも、何か思い当たったのかハルユキから身を引いた。

 

「そう、わかりましたわ」

「えっ?」

「姫と待ち合わせの約束をしているのでしょう? 急いでいるのに時間を取らせてしまって、ごめんなさい」

「いえ、そんな。こちらこそ、しっかりと答えられなくてすいません」

 

 急に身を引いたことに疑問を抱きつつも、とりあえず助かったとハルユキは安堵した。彼女の中でどんな解釈が行われたのか非常に気になるが、それを聞く勇気はない。藪を突いて蛇が出てくるのはごめんなのだ。

 

「それじゃあ、またね。有田君」

 

 声を掛けてきた時と同じ柔らかな微笑で、メグミは去っていった。その後姿を目にしながら、できればまた会いたくはないな、とメグミの態度に嫌な予感がしたハルユキは思った。

 

 

 

『と、そんな事があったんです』

 

 その後、学食でカレーライスを注文して、ハルユキはラウンジで黒雪姫と同席していた。テーブルの上に置かれたスプーンを手に取って、ラウンジへ来る前に起きたことを話す。昨日と同様に直結し、思考発生による会話だったが。

 

『そうか、メグミが君に。それはまぁ、災難だったな、ははは』

『全くですよ。大体、なんなんですか先輩が僕に告白したって。もうちょっとマシな誤魔化し方があるでしょう』

 

 話を聞いて楽しそうに笑う黒雪姫を、恨めしげに見つめてハルユキが抗議する。

 

『だが、あながち間違いではないだろう? 私が君を誘い、君がその誘いを受けた。そして、これから大まかな説明をするのだからな』

『まぁ、それは確かにそうですけど……』

『事実を混ぜて話した方が、誤魔化しやすいものさ。さて、とりあえず、加速しておこうか。その方が説明もしやすいからな』

『……わかりました』

 

 はぐらかされた気がしないでもないが、とりあえず今は加速世界のことが知りたい。ハルユキは言われるがままに、加速コマンドを始動させた。

 

『バースト・リンク!』

 

 三度目になる加速。今回は驚くこともなく、世界が青く変化していくのをハルユキは見つめた。切り変わった世界で、現実の身体からピンクのブタの姿になったあと地面に降り立つ。黒雪姫の方へ視線を直すと、彼女もまたアバターに姿を変えていた。ハルユキと違い、黒雪姫は現実の身体と比較して衣装が変わった程度だったが。黒雪姫はお互いが加速したのを確認して、ハルユキに身体を向ける。

 

「では、試しに私と対戦してみようか。ハルユキ君」

「えっ?」

 

 小悪魔めいた笑みで告げられ、ハルユキは背筋を震わせた。

 

 

 

「おおー! 流石だね、ヨミの絵は。今にも動き出しそうだよ」

「そ、そうかな。私なんて、まだまだよ」

 

 様々な絵や工作物が点在する一室。梅郷中の美術室で、マトとヨミの二人が寄り添って話していた。美術部に所属しているヨミ。彼女が現在スケッチしている絵画が完成に近いと知ったマトが、見てみたいと言いだして昼休みに二人で訪れたのだ。二人が見ているキャンバスには、青空を力強く羽ばたいている一羽の小鳥が描かれていた。

 

「ヨミが描くことりとりは、すごく飛びたがってる感じがするんだよねー」

「ふふっ、ありがとう。それにしても、マトは本当にことりとりが好きね」

「それは勿論! 子供の頃からずっと憧れてたんだから」

 

 胸を張って断言し、マトは懐かしい記憶を呼び起こす。初めて知った幼少の時、ことりとりが翼を広げ、風を切り裂いて空を翔ける姿をなんども思い描いた。それこそ、あきれるほどに。

 ことりとりが旅をした世界は、一体どんな色をしていたんだろう。澄み渡るような美しい色だったのかな、もしかすると、澱んだ灰色の世界もあったのかもしれない。自分も同じように、いろいろな色の世界を見てみたい。十年以上も前から続くその願いは、今でも欠片も変わっていないとマトは思う。

 

「そう、私はマトのそういう純粋なところ、好きだけれどね」

「じゅ、純粋だなんて、恥ずかしいよ、ヨミ」

 

 嬉しそうなヨミの言葉に、マトは顔を赤くする。ユウに言った時は子供っぽいと笑われたので、ヨミの言葉は予想外だった。

 

 ――あれ? でも純粋って、結局のところ子供っぽいのと同じ意味なんじゃ。子供は純粋ってよく言われてるし。

 

「ところで、黒雪姫さんの方はどうなったの。動きがあったって聞いたけれど?」

 

 うーんと悩み始めるマトに、ヨミが別の話題を振った。その理由が、マトが悪い解釈をしようとしていると危惧したからなのかは不明である。

 

 

「あ! そうそう。実はね、今朝にも対戦を申し込まれたらしいの。有田さんが」

「え、そうなの? それは災難だったわね」

 

 同情心を含めてヨミが言った。手酷く敗北した姿を想像したのだろうか。まぁ、昨日の今日で早くも対戦することになったのだから、そう思うのは普通だろう。しかし、現実には彼女の想像とは違う結果になったのだけれど。マトは少し大げさに、ヨミが予想したものとは逆の回答を出した。

 

「それが、なんと有田さんは勝ったみたいだよ。対戦相手もLV1だったみたいだけど」

「あら、そうなの。それはすごいわね……昨日インストールしたのだから、アバターだって初めて動かしたんでしょうに」

「だよね、流石は黒雪姫さんに見込まれただけの事はあるかな。私も楽しみだよー」

 

 嬉しそうに言うマトの姿に、ヨミは疑問符を脳内で浮かべながら問う。

 

「楽しみって、何のこと?」

「ああー、そっか。ヨミはまだ知らなかったんだ」

 

 というか、それを伝えるように言われてたんだった。マトはうっかり忘れていたユウからの伝言を思い出し、その内容をヨミに報告する。

 

「ユウとサヤちゃん先生がね、こっちからアプローチを掛けてみる事にしたって言ってたの]

「へぇ……。今までずっと様子見に徹するって言ってたのに、何があったのかしらね」

「うーん、それは私にも分からないけど」

 

 額に手を当てて、なんでだろうかと考える。これまで、ずっとマト達は黒雪姫――ブラック・ロータスの動向を影で観察してきた。それは、指示を出す司令塔的な立場にあるサヤがそう決めていたからだ。加速世界において、最大の反逆者と呼ばれる黒の王。こちらの存在を知られることなく、彼女の動きを調べるように。しかし、そのサヤ本人が今になって黒の王に接触することを決めた。

 

 ――あの二人のことだから、何か深い考えがあるんだろうな。

 

 悩んだ末にそう結論を出し、マトは報告を続ける。

 

「それでね、有田さん――シルバー・クロウと私が対戦することになったんだよ。カガリちゃんも対戦したがってたけど、ここは多様な強化外装でどんな相手にも対応できる私が選ばれたんだ」

「マトが? そう……、最近は外のリンカー達とは戦ってなかったけど、マトなら大丈夫ね」

「うん! 私に任せて」

 

 シルバー・クロウ――有田春雪。彼はどんな色を、可能性を見せてくれるのかな。マトは久しぶりの対戦に胸を高ならせて、ヨミと今後について話ながらその時を待つのだった。

 

 




次回、とうとうブラック・ロックシューターが登場します。
もっとも、本格的な戦闘はもう暫らく先になる予定ですが。
更新速度が遅いですが今後も宜しくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話

 対戦フィールドを、間近で目にしながら説明したほうが分かりやすい。黒雪姫にそう言われ、ハルユキは彼女と二度目の対戦をすることになった。もっとも、実際に対戦するのでなく――お互いに手を出さずタイムアウトにするということだ。周囲の景色が切り替わり、対戦フィールドへと二人は降り立つ。

 

「ほう……、黄昏ステージか。前回の世紀末ステージといい、レアなのを引くな君は」

「は、はぁ。そうなんですか」

 

 ハルユキと黒雪姫が立っている場所は、一面の草で覆われていた。背の高い、草の群が風の流れに身をまかせて揺れていている。空は夕焼けでオレンジ色に染まり、幻想的な雰囲気を晒しだす。バースト・リンカーとして、先輩である黒雪姫が言うにはレアなステージらしい。今日が初対戦であるハルユキには、イマイチよくわからなかったが。

 

「あれ? 先輩のアバターは……」

 

 ハルユキがあることに気づき、不思議そうに黒雪姫の姿を見る。視界に映っている黒雪姫の姿が、ハルユキと違い変化していなかったからだ。ローカルネットの仮想空間に接続していた時と同じ、蝶の姿をしたアバターのままだった。

 

「ああ――私は訳あってデュエルアバターを封印しているんだ。今は普段のアバターで代用している」

 

 ハルユキの疑問を察し、黒雪姫が答える。

 

「そうなんですか……、僕は先輩のデュエルアバターを見てみたかったです」

 

 先輩のデュエルアバターは、きっと僕のひょろいのとは違って美しく綺麗な姿をしているんだろうな。そんなハルユキの期待を込めた視線を受けて、黒雪は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 

「期待に添えず残念だが、私のデュエルアバターは醜いよ。君のそのデュエルアバターの方がずっと良い」

「え、そんな……」

 

 珍しく、自身を卑下する黒雪姫にハルユキはどう応えるべきか迷う。そんなことはない、といって否定するべきだろうか――でも、まだ見てもいないのに?

 そんなハルユキの動揺を感じとり、黒雪姫は苦笑をしながら話を戻した。

 

「まぁ、私のことはいいさ。早速だが説明を始めよう。体力ゲージなどはもう既に理解しているだろうから、フィールドが持つ属性やデュエルアバターの特徴から解説していこうか」

「は、はいっ! よろしくお願いします」

 

 緊張した様子のハルユキに頬を緩ませながら、黒雪姫は説明を開始した。

 

 

 

 その後――対戦時間の30分が過ぎるまで、黒雪姫の説明は続いた。ハルユキが黒雪姫から聞いた説明で、特に重要だったのはフィールドの属性、デュエルアバターのカラーが持つ特徴、固有の必殺技やアビリティといった三つの項目だった。そしてハルユキのデュエルアバター、シルバークロウはメタルカラーでかなりレアな色系統らしい。特殊攻撃全般に耐性を持ち、防御に秀でているという。しかし、弱点として打撃攻撃にはめっぽう弱く腐食系の攻撃は天敵だそうだ。

 

 対戦フィールドに関しては、無数に存在する種類の中からランダムで選択されるらしい。フィールドには属性があり、それぞれが特徴を持っているということだ。ハルユキが目にしたのは世紀末、黄昏ステージの二つだが、中には水中のステージもあるという。テージの属性を把握しておくことは、勝つ為には非常に大切なことだとハルユキは強く言い竦められた。

 

 

「あのー、先輩……。パンチとキック、それから頭突きしか項目に表示されてないんですが」

 

 必殺技の説明を受けた時のことだ。ステータスの項目から自身の必殺技を確認するように言われたので、ハルユキは指示されるがままに仮想パネルを操作した。一体どんな必殺技を持っているのかと期待を込めて。しかし――ハルユキの期待に反して、そこに書かれていたのは殴る、蹴る、頭突きという三つの技名だけだった。

 

「ほぅ……?」

 

 興味深そうな黒雪姫の呟きを、ハルユキは失望の声だと感じた。俯いて、今までの自虐的な思考に捕らわれる。憧れを抱く黒雪姫の失意の言葉を聴きたくなくて、気づけば普段なんども口にしてきた弱音を吐いていた。

 

「すいません、期待に応えられなくて。いいんです、なんとなく分かってましたから。僕なんかじゃ、先輩の期待に応えられるはずも無かったんですよ。遠慮せず、見捨ててしまってください」

「何……?」

 

 ハルユキの自虐の発言に、黒雪姫は眉をひそめた。俯いたまま佇むハルユキ。黒雪姫は数秒ほど目を閉じ、息を大きく吸う。そして、激しく叱責した。

 

「この、馬鹿者! 私はどんなアバターにも秘められた能力があると説明した筈だ! 君は、私の話を聞いてなかったのか!」

「ッ!?」

 

 怒声が耳に入り、顔を上げるハルユキ。いつの間に近づいてきたのか、黒雪姫は目の前に立っていた。その美しく流麗な顔を、激しい怒りで歪めながら。

 

「で、でも……。技が三つしかないんじゃ」

 

 尚も弱音を口にするハルユキに、黒雪姫は肩の力を抜いて息を吐いた。

 

「初めから強い者なんていないさ。経験を積んで、Lvを上げて、強くなっていくものだ。それに、そのデュエルアバターは君自身の心が生み出したものなんだぞ、他ならぬ君が信じてあげないでどうする」

 

 優しげな声で、諭すように黒雪姫は言葉を投げかける。信頼がこもった助言を聞いたハルユキは萎えかけていた心を奮い立たせると、黒雪姫に強い意思を込めた視線を送った。

 

「分かりました……僕はまだ自分を信じきれていないですけど、ほかの誰でもない、あなたがそう言ってくれるなら、信じてみます」

「そうか……。まぁ、私の言葉で君が前を向いてくれるならばそれでいいさ」

 

 嬉しそうにふっと笑みを浮かべ、黒雪姫は頷いた。

 

 

 

「さて、大まかな説明はこれで終わりだ。そろそろ食事の再開といこうか」

 

 長い説明が終え、加速の時間が終わる。現実の世界に戻った黒雪姫は、開口一番にそう告げた。

 その言葉に、ハルユキは自身の前に置かれたカレーライスを見る。湯気がほかほかと出ているのを見て、忘れかけていた空腹感が戻ってきた。

 どうせなら人が集まるラウンジではなく、何処な人気のない場所で食べたいのだが――黒雪姫先輩にそれを言っても気にするな、の一言で終わってしまうだろう。ハルユキは極力回りを気にしないようにすることにした。

 

 ――ここに居るのは僕と先輩だけなんだ、他には誰もいない……誰もいない……。

 

 ぶつぶつと自身に言い聞かせてスプーンを口に運ぶ。黒雪姫もまた、自身の昼食――グラタンの具をスプーンで掬い取り、ゆっくりと薄桃色の唇へと運んでいく。そんな食事の姿でさえ、先輩は気品があり優雅な仕草だと思いながら、ハルユキはカレーを食べ続けた。

 

 

 食事が終わり、午後の授業が始まるまでの休憩時間の時だ。そこで、ハルユキは黒雪姫に注意してほしいことがあると知らされた。

 

『一つ、言い忘れていたことがあった。注意してほしい人物がいる、確証はないのだが』

『注意してほしい人物……ですか?』

 

 思わず聞き返したハルユキに、黒雪姫は頷く。

 

『ああ、君もよく知っている人物だよ。この前、私達に助力してくれたスクールカウンセラーの納野サヤ先生さ』

『ええ!? サヤ先生ですか!?』

 

 驚愕し、目を見開く。思いがけない名前が出てきたからだ。納野サヤ――チユリのことや、荒谷達の件でいろいろとお世話になったハルユキにとっては恩のある先生だ。とにかく、理由を聞かなければとハルユキは黒雪姫に尋ねる。

 

『でも、どうしてサヤ先生に注意する必要があるんですか?』

 

 加速の世界を知っているのは子供だけで、大人には知られていないとハルユキは先の説明で聞かされていた。最年長でも、十五、六歳までらしい。サヤ先生の年齢は知らないが、まさか先輩と同い年程度……などということはない筈である。

 

『サヤ先生が、バーストリンカーだとは思っていないさ。その可能性があるのは、周りにいる女子生徒達だ』

『女子生徒……カガリ先輩ですか?』

『そうだ。出灰カガリ、神足ユウ、黒衣マト、小鳥遊ヨミ……彼女達の誰か、もしくは全員がバースト・リンカーの可能性がある』

『それは……でも、どうしてです?』

 

 同じ中学の生徒に、四人のバースト・リンカーがいるかもしれない。ハルユキは緊張して唾を飲み込む。今朝と同じように、対戦を挑まれる可能性がまさかこんなにも身近に存在しているとは。

 

『私も、つい最近までは全く分からなかった。きっかけとなったのは、君もよく知っている荒谷達の一件さ』

『荒谷達ですか?』

『あの時、私達は彼女に助けられたわけだが……不思議に思ったことはないか?』

『えっと……何がでしょう?』

 

 黒雪姫に言われ、事件のあらましを思い返す。ハルユキの記憶では――ラウンジで荒谷達と騒ぎになった昼休み。そこにサヤ先生がさっそうと登場し、助けてくれた。恐らく、前の日にチユリが相談を持ちかけていたんだろう。スクールカウンセラーという指導者的な立場にあるサヤ先生が、問題の多い生徒であった荒谷達を罰したのは普通のことだし、特におかしな点は見当たらなかった。

 

『そうだな、確かに彼女の行動には何も不審なところは無い。スクールカウンセラーという立場上、彼らの問題行動も知っていたのだろう。だが、彼らがラウンジヘやって来たのはただの偶然だ。にも関わらず、彼女は随分と来るのが早かったじゃないか。あの時、加速していた時間を除けば荒谷達が来てから一分ほどしか経ってはいなかっただろう』

『それは、確かにそうですが……。サヤ先生は荒谷達を処罰する為に探していたんじゃないですか?』

『いや、それはないだろう。何故なら、黒衣マトと神足ユウ。この二人があの場に居たからな、荒谷達が来る前からだ』

『……? その二人がどうかしたんですか?』

 

 ラウンジは生徒達に人気の高い場所だ。昼休みにいたとしても不思議じゃない。ハルユキはそう考えたが、彼女は違うらしい。黒雪姫は目を閉じて腕を組み、じっと考え込むような仕草を見せる。

 

『先にも言ったとおり、確証はないんだ。だが……もしかするとあの二人は私を狙っているのかもしれない』

『ええっ、先輩をですか!?』

 

 驚愕するハルユキに、黒雪姫は神妙な表情で肯定する。

 

『黒衣マトに神足ユウ、この二人は随分前からよく目にしているんだ。初めは他の生徒と同じように、生徒副会長である私に色眼鏡を向けているのかと思ったのだが……どうも違うらしい。あの二人が私に向けてくる視線は、興味深い物珍しげな対象を観察しているような……そんな値踏みをされているように感じる』

『それって……』

『恐らく……君の想像のとおりだ。一介の生徒である私ではなく、黒の王にして、加速世界最大の反逆者――黒の王(ブラック・ロータス)としての私を彼女達は見ているのかもしれない』

『ッ!? で、でも……先輩は二年間ずっと外でグローバル接続はせずに対戦を避けてきたはずじゃ!?』

 

 黒雪姫――ブッラク・ロータスは赤の王を騙まし討ちした一件で、加速世界における最大の反逆者として指名手配されることとなった。しかし、その対策として二年間ずっと学内以外でのグローバル接続を避けてきたのだ。

 

『そのとおりだよ、ハルユキ君。それに……私は全校集会の場でマッチングリストを確認することで、私以外のバースト・リンカーが梅郷中に存在しないかは調査済みだった。リストには私の名前だけが表示されていたし、彼女達がバースト・リンカーであるはずがない……その筈だったんだ』

 

 学生達は学内にいる間、必ずローカルネットに接続しなければならない義務がある。朝礼などの場で接続していなければ、すぐに警告されてしまうだろう。つまり、その場に出席する全生徒が接続しているのだ。

 

『だが、その認識は覆された。今から二ヶ月前、私に対戦を挑んできた一人のバースト・リンカーの手によって』

 

 忌々しそうに、眉間を曇らせて語る黒雪姫。

 

『た……対戦したんですか!?』

『ああ、したさ。対戦相手の名はシアン・パイル。Lv4と表示されていたな。だが、本当に問題なのは別にある。その時に、私がダミーアバターを使用していたことだ』

『ダミーアバター……本来のデュエルアバターとは別の、観戦用のアバターですか』

 

 ダミーアバターは、正体を隠して他のバースト・リンカーの対戦を観戦する為のものだ。ハルユキと対戦した時も、黒雪姫はデュエルアバターは使用せずにダミーアバターで代用していた。

 

『そう、私は変更していたダミーアバターで対戦フィールドへと駆り出された。学内のローカルネットで使用している、あのアバターでな』

『じゃ、じゃあ……?』

『そうだ、私はシアン・パイルに正体を知られてしまった。今思えば、私が愚かだったよ。加速世界から遠ざかっていた二年の間に、危機感が薄れていたのだろう。自身が狙われる立場にあるということを失念していた』

 

 悔しそうに、黒雪姫が唇を噛む。ハルユキからすれば、二年間も緊張感を保ち続けるなんて考えられないことだ。多少気が抜けてしまっても、それはしょうがないことだと内心で思った。

 

『その後、私は次の朝礼の場ですぐにマッチングリストを確認した。だが……』

『見つからなかったんですか……?』

『……マッチングリストに表示されたのは、変わらず私の名前だけだった。つまり、奴――シアン・パイルはブロックできるのだ、こちらからの対戦の申し込みを。一方的に対戦を申し込み、相手からは乱入されない……恐るべき特権だよ。一体、どんな手品を使ったのか是非教えてほしいものだ』

 

 憂鬱そうに嘆息し、黒雪姫は真剣な表情を作った。その美貌を凛々しく引き締め、ハルユキを見る。

 

『もう分かったと思うが、私の周りは敵だらけだ。かつて立ち上げたレギオン――ネガ・ネビュラスも崩壊し、今の私は孤立無援と言っていい。厳しい道のりになるのは間違いないだろう』

『そう、ですか……』

 

 黒雪姫の宣告に、ハルユキはごくりと唾を飲み込んだ。緊張で、嫌な汗が流れるのを感じる。

 

 ――でも、先輩がいてくれるならどんな困難な道だって踏破できるはずだ!

 

 確かに、黒雪姫の言うように前途多難なのは間違いない。しかし、ハルユキはそれほど不安は感じなかった。何故なら、憧れの先輩が負ける姿を想像できなかったこと。そして初戦で無事に勝利したことが、大きな自信になっていたからだ。

 

『でも、先輩と一緒ならきっと大丈夫です。一緒にLv10を目指しましょう!』

 

 ハルユキの珍しく強気な発言に、黒雪姫はきょとんとした表情で目をぱちぱちさせる。そして、ちょっと格好つけすぎたかな――と焦るハルユキの前でクスクスと笑った。

 

『な、何も笑わなくても』

『いや、すまない。君がそんなことを言うとは思わなくてな。そうだ、共に目指そうじゃないか。頼りにしているぞ、ハルユキ君』

 

 少しむっとして拗ねるハルユキに、黒雪姫は楽しそうな声で信頼を表す。気恥ずかしくなって、ハルユキは話を戻そうとした。

 

『と、とにかく! サヤ先生と周りの女子生徒――カガリ先輩達に気をつければいいんですよね』

『そうだ。何度も言うように、確証はないのだが気に掛けておいてほしい。シアン・パイルの目的と正体がわからない以上、用心しておくに越したことはないからな』

 

 そこで丁度よく昼休みの終了を告げる鐘が鳴り響き、ハルユキは自身の教室へと戻る事となった。

 

 

 午後の授業は、ほとんど頭に入らなかった。手にした加速の力、黒雪姫先輩を狙うシアン・パイル、今後の方針。考えることが多すぎて、頭がぐるぐると回っていた。

 

 ――もう、後戻りはできないんだ……いや、するつもりも無い。もう、僕は前とは違うんだ!

 

 そう、ハルユキは心中で自身を鼓舞する。現実が壊れることを望み、望んだ通りに新たな非日常が舞い降りてきたのだ。後悔なんてある筈もないし、する必要も無い。前へ進むだけだ。ブレイン・バーストは簡単にいってしまえば、仮想空間を舞台にした対戦格闘ゲームである。ありったけの時間と情熱をゲームに注いできたハルユキにとって、恐れる理由など何もない。

 

 そんなことを考えながら下駄箱で靴を履き替え、昇降口から校舎を出ようとした時。

 

 ――今日、三度目になる加速がハルユキの前で発動した。

 

「ッ!? まさか、シアン・パイル!?」

 

 黒雪姫ではなく、今度は新たしく彼女の配下になった自身を狙ってきたのか! そんな思考がハルユキの中で展開される。

 

 ――慌てるな! これはむしろ好都合じゃないか、僕はあの人を守ると決めたんだ!

 

 先輩の話によれば、シアン・パイルはLv4のバースト・リンカーらしい。同じLv1だったアッシュ・ローラーよりも強敵のは間違いない。緊張に顔を強張らせながら、ハルユキは変貌する世界でじっと身構えた。

 選択された対戦フィールドは、奇しくも今朝と同じ世紀末ステージだった。無造作に置かれた多数のドラム缶から、赤い炎が燃え上がり周囲の廃墟を照らしている。

 

「とにかく、まずは相手を見つけないと」

 

 黒雪姫に教えられた機能の一つ、ガイドカーソルをハルユキは見る。水色の三角形したソレは、対戦相手の位置をおおまかに教えてくれるものだ。さすがに距離までは分からないが、方向だけでも知っていれば奇襲の危険性は少なくなる。周囲を注意深く警戒しつつも、ハルユキはカーソルが示す方向へと歩いていく。

 

 そうして、どれくらいの時間が経過したのか。散策を続けていたハルユキの耳に、つい最近に覚えのある音が聞こえた。

 

「これは、バイクの振動音……?」

 

 地鳴りの如く響く音は、今朝ハルユキが対戦したアッシュ・ローラーが乗っていたバイクの騒音と同じだった。もしかして、アッシュ・ローラーがリベンジを仕掛けてきたのかと一瞬考える。しかし、それはないと即座に否定した。

 

「学内のローカルネットで、アッシュ・ローラーに対戦を挑まれるはずがないんだ」

 

 と、そこでハルユキは重要なことを忘れているのを思い出した。対戦相手の名前は、体力ゲージを表示している青いバーの下に表示されているという基本的なことを。

 そんな当たり前の事実を失念していたことに、思った以上に自身が緊張していたことをハルユキは悟る。一度深呼吸して肩の力を抜き、対戦相手のネームを確認しようとして――。

 

 言いようのない悪寒が背筋に走り、ハルユキは後方へと飛び退いた。

 その判断が正しかったことを示すように、つい先程まで立っていた場所が爆音と共に弾ける。

 

「なッ!?」

 

 目を見開くハルユキの視界で、抉られた地面が衝撃の威力を物語っていた。

 思わず息を呑み、拳をぎゅっと握り締める。ガイドカーソルが示す方向へと目を向け、ハルユキは奇襲を仕掛けてきた下手人を視界に捉えた。アッシュ・ローラーが乗っていた、モンスター・マシンよりさらに一回り巨大な大型バイクに誇る人物を。

 

 黒のジャケットを羽織り、黒髪の長いツインテールを風になびかせている。ハーフパンツとブーツも黒一色で、対照的な白い肌と混じり合って強い存在感を放つ。海のように青い瞳には鮮やかな蒼炎が宿り、酷く印象的だった。そして――何より目につくのが、右腕に装着された巨大な銃身(ロック・カノン)

 

「ブラック・ロックシューター……」

 

 今度こそ、表示されていた対戦相手の名前を見て……ぽつりと呟いた。ハルユキ――銀の鴉(シルバー・クロウ)にとって長い因縁の相手となる、漆黒の少女の名を。

 




 とりあえず、やっとブラック★ロックシューターが登場しました!
 何分、作者が想像力にとぼしい為に筆が遅くなっています。1ヶ月も更新が滞ってしまい、読んでいただいてる方には申し訳ありませんでした。宜しければ、今後も目を通してもらえると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話

 蒼炎を宿した瞳が、鋭い視線で銀の身体を射抜いてくる。ハルユキはごくりと息を飲んで、眼前の敵を見据えた。

 

「シアン・パイルじゃない……どういうことなんだ」

 

 黒雪姫から聞いていた、シアン・パイルとは無関係なバースト・リンカーなのか。それとも、何らかの繋がりを持っているのか。このタイミングで、しかも学内のローカルネットで仕掛けてきたことを考えると、繋がっている可能性が高いと見た方がいいかもしれない。

 

「何だっていいさ。相手が誰だろうと関係ない、あの人の敵は僕の敵だ!」

 

 頭を振って、疑問を振り払う。相手の素性が何であろうと、敵は倒すだけだ。意識を戦闘へと切り替えて、ハルユキは敵――ブラック・ロックシューターの動きに着目した。

 

「……」

 

 対峙するブラック・ロックシューターが、跨がっていた巨大なバイクからゆっくりと降り立つ。そして右腕に装着していたロック・カノンを消滅させ、ハルユキに向けて静かに歩みだした。

 

「ッッ!!」

 

 その姿を見てハルユキは拳を強く握り、気を引き締めた。油断なく身構え、何時でも戦闘を始められるように体勢を整える。そんなシルバー・クロウの姿を前に、ブラック・ロックシューターはどこまでも自然体だった。顔色ひとつ変化させず、無表情に歩を進めてくる。

 

 ――余裕のつもりか? くっ、舐められてるな。

 

 構えらしい構えも見せず、悠々と近づいてくる敵の姿に眉を顰める。思わず熱くなりかけた心を、むしろ好都合だと思い直してハルユキは落ち着かせた。油断してくれるなら、させておけばいい。それが、相手の命取りになるのだから。

 

 ――それにしても……。

 

 一歩、また一歩と近づいてくるブラック・ロックシューター(漆黒の少女)。今の自身に比べれば、ずっと小柄な体格をしている。それなのに――。

 

 ――何で、僕はこんなにも寒気を感じているんだ。

 

 形容しがたいプレッシャーが、ビリビリと襲ってくる。身体が鉛のように重く感じられ、息が苦しい。気を抜けば、そのまま崩れ落ちてしまいそうな程の重圧だった。

 

 ――僕は、あの人の力になるって決めたんだ!

 

 ハルユキは何度も胸に刻み込んだ誓いを心の中で復唱し、挫けそうになる精神を奮い立たせる。

 泣き虫で、どうしようもなかった自分に手を差し伸べてくれた――憧れの先輩の力となる。今のハルユキにとって動力源にも等しいその誓いは、彼の身体に圧し掛かっていたプレッシャーを瞬く間に弾き飛ばしてくれた。

 全身に力を込め、近づいてくる敵――ブラック・ロックシューターとの間合いを計る。

 

「てやぁぁぁぁッッッ!!」

 

 接近してくる敵との距離が五メートルを切った時、ハルユキは動いた。雄叫びを上げて、一気に間合いを詰めていく。勢いよく地面を蹴り上げ、大きく右腕を振りかぶった。

 出し惜しみなんてしない。昨日の今日バースト・リンカーとして走り始めた自身よりも、相手はずっと格上なんだ。出しうる限り、全力の一撃を必殺の意思を込めて叩きつける!

 

「……」

 

 迫るハルユキを前に、それでもブラック・ロックシューターは動じなかった。

 静かに佇む彼女へと、ハルユキの拳が叩き込まれ――。

 

「なッ!?」

 

 そう驚愕の声を上げたのは、ハルユキの方だった。突き出した拳は宙を切り、敵の姿が視界から消える。一体何処へ――そんな疑問を抱く暇もなく、激しい衝撃が彼を襲う。

 

「ぐっ、―――!?」

 

 脳天を突き抜けるような、痛烈な打ち上げ。アッパーカットだ。ブラック・ロックシューターはハルユキの拳を屈んで回避し、そのまま勢いを乗せて隙だらけの顎を突き上げたのだ。脳が揺さぶられ、意識が一瞬ブラック・アウトする。そこへ、ブラック・ロックシューターは捻るように身体を回転させた。三百六十度、しなる鞭の如き軽やかさで一回転し――がら空きのボディへと回し蹴りを放つ。

 

「が、ふッ――――!」

 

 流れるように振るわれた、鋭く重い二連激。ハルユキの身体は大きく吹き飛び、地面を何度も転がった。

 たったの二発――そう、僅か2回の攻撃で、ハルユキは実力の差を思い知らされたのだ。三割近く減少したハルユキの体力ゲージが、シルバー・クロウとブラック・ロックシューターの間に存在するLvの差を明確に表していた。

 

「あの人の力になるって、そう決めたのに……」

 

 涙が滲み、ハルユキの視界がぼやける。結局、僕なんかが先輩の力になれる訳が無かったんだ。僕みたいな奴が、あの人の隣に立つなんて到底無理な話だったんだ。地面に倒れ伏したまま、全てを諦めかけたその時――。

 

 ――やはり……私の目に狂いはなかった。君は誰よりも速くなり、この世界を引っ張っていく者なのだ――

 

 ハルユキの脳裏で、憧れの――黒雪姫の言葉が蘇った。

 

「先……輩……」

 

 そうだ。あの人は、信じると言ってくれた。惨めで無様だった僕に、手を差し伸べてくれた。共に歩もうって、頼りしているって、そう言ってくれたんだ。なのに、まだ何も返せていないじゃないか。

 

 ――例え、負けるとしても。最後まで足掻いて、抵抗し続けなきゃ駄目なんだ。でなきゃ、あの人に会わせる顔がない!

 

 最後まで、諦めずに戦う。そう覚悟を決めたハルユキは、今一度立ち上がって己の敵と対峙する。その打倒すべき敵――ブラック・ロックシューターは追撃を仕掛けることもせず、一歩も動いてはいなかった。ハルユキが再び立ち上がるのを、待っていたらしい。

 

 ブラック・ロックシューターはハルユキが立ち上がるのを見ると、右腕を前に出して手招きをしてみせた。何時でもかかって来い――そう、挑発してきたのだ。

 

「ッ――上等だ!」

 

 ――その余裕を、今度こそ叩き折ってやる。

 

 僅かな動きも見逃さないよう、漆黒の少女の動きに意識を集中させながら走り出す。

 倒すべき敵は目の前にいる。もう、相手の素性なんて関係ない。今はただ、この戦い――この敵に打ち勝つ事だけに、全身全霊を捧げるのみ。

 

「うぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 叫び、右腕を打ち出す。しかし――またしてもハルユキの拳は空を切り、敵を捉えることはなかった。

 

「ぐっ――」

 

 避けられたという事実に今度は動揺せず、身を固めて敵の襲撃に備える。その判断は正しかったようで、右側面から重い衝撃がハルユキに突き刺さった。

 反撃に転じようと、敵がいるであろう方向――攻撃を受けた右側面へと顔を向ける。が、既に敵の姿は無く、また別の方向からハルユキは衝撃を受けた。

 

「くっ、そ――」

 

 敵のスピードに、全くついていけない。目まぐるしく高速で移動するブラック・ロックシューターの動きを、捉えることができないのだ。ハルユキは必死に身を固め、サンドバックのように連打を受けるしかなかった。ガリガリと体力ゲージを削られつつも、敵の動きに意識を集中させる。

 

 ――見える、見えるはずだ! 此処は僕は気が遠くなる程の時間と情熱を注いだ、仮想世界なんだ! バーチャル・スカッシュ・ゲームで、視認すら難しかったボールを打ち返してきた事を思い出せ!

 

 届く。必ず届く。あの人に認められた思考速度と反応速度は、絶対に負けてはいない。負けているのは、自身の心だ。思い出せ、無心でボールを追い続けた日々を。現実のあらゆる壁を飛び越えた、その先を目指したかつての自分を。

 

 体力ゲージが、残り三割を切ったその時――ハルユキは確かに見た。右腕を放つ寸前の、敵の姿を。

 

「見えたっっ!!」

 

 迫り来る敵の拳を、紙一重で回避して――渾身の一発を、敵の顔面に叩きつけた。

 クロスカウンター。敵の勢いを利用し、威力を増大させるカウンターブローだ。これ以上ないくらい、完璧にシルバー・クロウの拳がブラック・ロックシューターの頬を打ち抜いた。

 

「ッッ――――!?」

 

 予想外な敵の反撃に、ブラック・ロックシューターが大きく後退する。流石というべきか。しっかりと両足を大地に着け、倒れることはなかった。しかし、受けたダメージは小さくない。満タンだった体力ゲージが、2割も削られたのだから。

 無表情だったブラック・ロックシューターが、小さく目を細める。ここに来て、彼女は認めたのだ。シルバー・クロウは全力で倒すべき相手だと。

 

装着(セット)――ブラック・ブレード」

 

 か細い呟きと共に、漆黒の刀が少女に手に出現する。それを見て、戦闘中にも関わらずハルユキは見惚れてしまいそうになった。全容が深みのある黒で統一されていて、刀身が淡い輝きを放っているのだ。刀に詳しくないハルユキでさえ、名刀であるのが一目でわかった。

 

「剣技――ブレード・キル――」

 

 続けて呟かれたその言葉が、必殺技であるとハルユキが理解した時――全ては終わっていた。

 何時動いたのか。注意深く動きを見ていたし、一瞬たりとも目を離すような真似はしていない。だが――自身の身体に走る一筋の線と、後方に移動したブラック・ロックシューターの存在が結果を物語っていた。切断系の攻撃には高い耐性を持つシルバー・クロウの身体が、バターのように容易く一閃されたのだ。

 

「先輩、僕は……」

 

 最後にそんな言葉を残して、ハルユキの視界はブラック・アウトした。

 




 今回はハルユキとブラック・ロックシューターの初戦でした。
 ブラック・ロックシューターの強さと、
 ハルユキの戦いながら成長していく姿が上手く伝わっていれば幸いです。
 さてさて、問題のシアン・パイル戦はどうしようかと考え中です。
 無制限フィールドじゃないと対戦に介入できないのが、むずかしいですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話

「それで、有田君は負けたのね」

「うん、そうだよ。正直に言えば、何もできずに終わると予想してたんだけど。そこは流石に、あの黒雪姫さんに認められただけのことはあるね」

 

 シルバー・クロウとブラック・ロックシューターが一戦を交え、ブラック・ロックシューターが勝利した後――戦いの一部始終をマトから聞かされたユウは、あさやけ相談室でサヤにその報告をしていた。他に人影は無く、その場にいるのはユウとサヤの二人だけだ。

 

「それで、これからどうするのさ? サヤちゃんの思惑どおりに、私達の存在が黒の王に知られることになったわけだけど?」

「別にどうもしないわ。これまで通りに、彼女達の動向を見守るだけよ」

 

 予定通り、マトがシルバー・クロウと対戦し勝利した。これで、自分達の存在が黒の王に知られるのは時間の問題だろう。ついに、黒雪姫に接触するのかとユウは考えていたのだが。どうやら、サヤが考えている今後の展望は違うらしい。

 

「見守るだけ? なら、どうしてわざわざ対戦を仕掛けてこっちの存在を知らせたのさ?」

 

 首を傾げ、ユウが疑問を口にする。当然の疑問だろう。これまでと同じ方針を取るのなら、なぜ対戦を仕掛けたのか。サヤは手に持ったコーヒーを一口煽った後、その理由を語り始める。

 

「まず第一に、こちらの手札が揃った――準備が整ったからよ」

「手札ね……もしかして、私達全員がアクセル・ワールドに介入できるようになったとか?」

「そう。ブラック・ロックシューター、デッドマスター、チャリオット、ストレングス、ブラック・ゴールドソー。私達、全員の思念体がアクセル・ワールドの世界へと送り込めるようになったわ」

「へぇ……、ようやく私達も(・・・・・・・)いけるようになったんだ」

「ええ、ようやくね。でも、私達が入り込めるのは中立フィールドだけよ。それに、フィジカル・バースト等の加速コマンドも使用できないわ。残念ながらね」

 

 心底残念そうに、サヤが言う。ブレイン・バーストは、子供しか使用できないプログラムである。その原因は、生まれた直後に量子接続通信端末(ニューロリンカー)を接続していなければならない――という条件だ。最も古い第一世代ニューロリンカーが、世間に広まったのが十五年前。つまり、大人であるサヤは生まれた頃からニューロリンカーを接続しておらず、ブレイン・バーストをインストールすることはできない。

 

 だがしかし――それで簡単に諦めるような性格を、納野サヤという女性はしていなかった。アクセル・ワールドでバースト・リンカー達が活動する為の姿――デュエル・アバターに、サヤは目を付ける。

 デュエル・アバターはブレイン・バーストをインストールしたその日の夜、眠っている間に生成される仮の肉体だ。心の闇――負の感情を元に、その人物が望む姿が作られるという。

 

 サヤはその情報を手にした時、ある一つの可能性を思いつく。サヤは過去に起こったある経験から、現実とは異なるもう一つの世界を知っていた。虚の世界と呼ばれる、未知の世界を。その世界では、現実で生きる自分達の思念体――アバターと呼ばれる存在が、現実世界で持つ悩みや苦しみなどの痛みを引き受けて戦っていたのだ。

 彼女の親友であり、今では教え子となった(・・・・・・・・・・)ユウをきっかえに知ったもう一つの世界。そこで戦う思念体を、デュエル・アバターとして代用できるのではないか。そう考えたのだ。

 

 結論から言えば、それは可能だった。――というよりも、こちらが何をすることもなく。ブレイン・バースト自体が思念体をデュエル・アバターとして認識したのだ。理由は不明だが、サヤとしては好都合だった。今はもう、虚の世界は黒衣マトの手によって破壊された為に、新たなアバターが生まれることはない。つまり、この事実はサヤ達にしか分からないのである。

 それからはマト、カガリ、ヨミの三人に実行部隊として活動してもらい、サヤは情報を収集してきたのだ。

 

加速世界(アクセル・ワールド)は、私達が知る虚の世界に共通する点が幾つもあるわ。もしかすると、製作者が虚の世界を知っていたのかもしれない」

「それは……どうかな。確かに、痛みや悩みが元にデュエルアバターが作られていることや、ポイントを全損した時の記憶の欠損については虚の世界と似通っているけど」

 

 虚の世界でアバターが倒されると、その人物は痛みや悩み、そして想いを失ってしまう。そしてブレイン・バーストもまた、バースト・ポイントを全損するとブレイン・バーストに関する記憶が失われるという。確かに、似通っていると言えなくもないとユウは内心で思う。

 

「茅場晶彦……という人物を知っているかしら?」

「茅場晶彦? 確か、稀代の犯罪者だったかな」

 

 唐突に出された人名に、何か関係があるのかとサヤの意図を推し測りながらユウが答えた。サヤはユウの返答に頷きながら、自身が知る茅場晶彦という天才の人物像を説明する。

 

「茅場晶彦、天才的な量子物理学者でありゲームデザイナーでもあった彼は、世界で始めてVR技術を完成させた人物よ。そして、自らが生み出したゲーム――ソード・アート・オンライン(SAO)を利用して、数千人もの人間を死に至らしめた犯罪者でもあるわ」

「世界で始めてVR技術を完成させた……ああ、そういえばそうだったね」

「これ以上ないほどの地位と名誉を約束されていながら、自身の目的の為にその栄光を自ら地に落とした愚かな天才……っていうのが一般的に知られている彼の人物像ね」

 

 サヤの説明に、ユウが相槌をうつ。世界初で初めてVR技術を完成させたとなれば、将来を約束されたといっても過言ではなかっただろう。にも関わらず、茅場晶彦はその全てを投げ捨てて犯罪に手を染めた。せっかく手に掴んだ栄光を、ドブに捨てたに等しい暴挙だ。

 

「茅場晶彦は自らが夢見た世界を実現させる為に、VR技術を完成させたのだ……と後に語っていたらしいわ。自身が夢見た世界、それを現実と変わらないモノとする為にデスゲームを計画し実行した。まぁ、私達のような凡人には理解できない話ね」

 

 サヤは残っていたコーヒーを飲み干し、カップをテーブルの上に置くと腕を組んで窓を見る。釣られるようにユウも窓へ視線を移すと、そこからは日が暮れ始めて夕焼けとなった空が見えた。

 

「ブレイン・バーストプログラムの製作者もまた、茅場晶彦と同じ天才よ。そして、似たような思想を持つ狂人である可能性が高いわ。ニューロリンカーが思考を加速させる、この事実を学会に発表して立証すれば、間違いなく量子物理科学者として世界的な地位と名誉が手に入るもの」

「それは、確かにそうだけど」

「それでなくても、わざわざ他人にその力を分け与える必要はないはずよ。自分だけで利用することもできたでしょうに、それをしないで対戦格闘ゲームを模したシステムと世界を作り、子供達に配布した。その理由が、茅場晶彦と同じもう一つの世界を実現させることだとしたら?」

 

 窓に視線を固定したまま、サヤは鋭く目を細めながら続ける。

 

「勿論、全て推測にすぎないわ。……話を戻すけど、私達が黒の王に接触したのは彼女に発破を掛ける為よ。今の停滞した加速世界を、再び加速させるには彼女に動いてもらうのが一番手っ取り早いの。加速世界最大の反逆者――ブラック・ロータスに動いてもうのがね」

「その為に、私達の存在を知らせた……」

「彼女が私達に勘付いたところで、確かめようがないわ。デュエル・アバターを代用してる為に、マッチングリストに名前が載らない私達が、加速世界に介入できる事実に辿り着く――なんてことわね」

 

 ブラック・ロックシューター、デッドマスター、チャリオットの名は加速世界において知らない者はいない。無制限中立フィールドで多数のエネミーを狩り回っている事もあるが、かつて流行した無限EKと呼ばれる行為を行ったリンカーを次々に粛清したのが始まりだ。それ以来、三人の名は王と同じくらい知れ渡っている。

 

 また、三人はマッチングリストに名前が乗らない。思念体が、デュエル・アバターになっているからだろう。本来――デュエル・アバターはブレイン・バーストプログラムをインストールした、その日の夜に見た悪夢から作成される。しかし、彼女達は悪夢を見ることも無くデュエルアバターも作成されなかった。

 彼女達の中に存在していた思念体がデュエル・アバターだと、インストールされたブレイン・バーストプログラムが誤認したのだろうとサヤは考えている。結果、彼女達から見たマッチング・リストには自身の思念体の名前が表示されるものの、思念体をデュエル・アバターとして認識していない他人のブレイン・バーストプログラムからはデュエルアバターが未作成状態に見えるという結果が作り出された。

 

 意図したわけではない、全くの偶然の産物だが、その後のアップデートでもそれは変わらなかった。製作者が気づいていないのか、それともあえて無視しているのか、もしくは修正できないのか。どちらにしろ、都合が良いのは確かなので問題はない。

 

 ただし、誤算もあった。レベルを上げることができないのだ。思念体がブレイン・バーストプログラムによって作成されていない以上、仕方がないかもしれないが。もっとも、レベル1とはいっても能力値はレベル9と比べても引けを取らない。本来、レベルを上げることで強化されていくステータスがシステムの外側にいる為に設定されていないのだ。その結果、レベル1のまま各色の王と互角以上に渡り合うこともできた。

 

「私達は、彼女の動向を影で見守っていればいいわ。黒の王――ブラック・ロータスがレベル10に到達すればそれでいいし、他の王だって構わない。私達の目的は加速世界の真実を知ることであって、加速世界を支配することでも頂点に立つことでもないのだから」

「んー、りょーかい。まぁ、私はいいけどさ。マト達はどうかなぁ」

「黒衣君は、現実では見られない特別な色が見たいだけでしょう。現実とは違う未知の世界を、飛び回って見てみたい――私の見立てではそんなところね。カガリちゃんと小鳥遊君は、黒衣君と一緒に加速世界を見て周りたいだけよ」

「うむむ、流石はサヤちゃん。皆に親しまれるスクールカウンセラーだね、よくわかっていらっしゃる。言われてみると確かにそんな感じだよ、マト達は」

 

 サヤの言葉に納得しつつも、ユウは懸念を覚える。黒雪姫――黒の王、ブラック・ロータスはそんな簡単に手玉に取れるような相手だろうかと。二年近く彼女の動向を見てきたユウは、黒雪姫は自分達の手に余る存在だと思ったのだった。




今回は、ユウとサヤちゃんの話でした。
B★RSのキャラクターに関する説明回ですね。
虚の世界をマトが破壊したのは、アニメでは中学生の時になっておりますがこの作品ではそれよりもずっと前になっています。また、マトがカガリやヨミとも幼馴染という設定です。
他にも追加設定が出てくると思われますが、流して頂ければ幸いです。
B★RSアニメの謎めいた部分も、作者なりの解釈で進めていく予定です!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話

 ハルユキはブラック・ロックシューターとの一戦が終わった後、気がつけば意識が現実へと戻っていた。敵の必殺技であろう一閃をその身に受け、視界が暗転したところで記憶は途切れている。

 帰宅の途中だったことを思い出し、校門を出てふらふらと自宅に向かうが道中の記憶はほとんど頭に残っていなかった。自室にたどり着いた後も、ぼんやりとした様子でベットの上に横たわりながら天上を見つめていた。

 

 そうして数十分程度の時間が流れた頃、ぽつりと呟く。

 

「ちくしょう……」

 

 噛み締めるような、悔しさに満ちた呟きだ。

 一緒にLv10を目指す。昼休みに黒雪姫へ告げた言葉が、ハルユキの頭で繰り返し流れていた。

 ぐっと歯を食いしばり、唇を噛む。

 

「あの人の、先輩の為に戦うって決めたのに、僕は!」

 

 その叫びに含まれた苛立ちの矛先は、対戦を仕掛けてきたブラック・ロックシューターではなかった。ハルユキが憤りを感じている相手は、自分自身だ。学校で虐められていた自分に手を差し伸べてくれた、先輩の期待に応えられなかった自身の不甲斐なさにハルユキは苛立っていた。

 

「初戦に勝ったくらいで、何を得意気になっていたんだ! 僕はまだ、Lv1の初心者(ニュービー)なんだ」

 

 アッシュ・ローラーとの戦いで、確かな手応えを感じたのは事実だ。幼い頃からゲームは得意だったし、仮想世界での勝負なら、自分は負けないとハルユキは思った。だが、蓋を開けてみればこのざまだ。その自信が思い上がりだということを、手酷く痛感することになった。

 

「情けない。先輩にあんな大口を叩いておきながら、こんな有り様だなんて」

 

 ハルユキは目を閉じて、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。一分ほど続け、高ぶった感情が静まったところで目を開く。

 

「でも、それでも僕は先輩の力になるんだ。負けはしたけど、まだ僕の手には加速の力が残ってる。あの人の、黒雪姫先輩の役に立つことができる」

 

 これまでのハルユキなら、諦めて投げ出していただろう。やっぱり自分には無理だったんだと、逃げていたのは想像に難くない。でも、今度ばかりは違った。諦めなどという言葉は頭に無く、次は勝ってみせるという強い想いが燃え上がっていた。

 

 ハルユキは、自分を信じていない。幼馴染であるチユリやタクムと違い、背が低く運動が苦手な自分がハルユキは嫌いだった。けれど、あの人の言葉なら――憧れの先輩が自分を信じると言ってくれるなら――もう一度だけ自分を信じてみよう。そう心に誓って、加速世界を走ることを決意した。

 その想いと熱意は、負けた今も消えてはいない。むしろ、敗北した今になって高まっていた。

 

「それにしても……」

 

 胸に抱く誓いを再確認したハルユキは、自身を打ち負かした敵――ブラック・ロックシューターの情報を思い出して小さく零した。

 

「あれほど圧倒的に見えたのに、同じLV1だったなんて……。ブレイン・バーストは奥が深いな」

 

 自身が戦った相手が、ただのLv1じゃない――バースト・リンカーでも特殊な存在である――ことなど知る由もないハルユキは、その事実に戦慄を覚えつつ眠りにつくのだった。もっとも、その認識は翌日の昼休みに黒雪姫へ報告した時、覆されるのことになるのだが。

 

 

 翌朝。夕飯も食べずに就寝したハルユキは、普段より少し多めの朝食を取り梅郷中へと足を運んでいた。その体格ゆえに普段から歩く速度が遅いハルユキだが、今日はいつにもまして足取りが重かった。原因が何かは、言うまでもないだろう。

 

「はぁ……、先輩に何て言ったらいいんだろう」

 

 先日、勝負を仕掛けてきた相手――ブラック・ロックシューターとその対戦結果の報告。それが、ハルユキを憂鬱な気分にさせていたのだった。

 無論、報告をしないわけにもいかないことは百も承知である。梅郷中の学内にシアン・パイルとは別のバースト・リンカーが現れたという事実は、決して軽視するべきではない事実だ。今後の対応をどうするのか、師である黒雪姫に聞かなければならない。

 

「ぁぁぁぁ、僕は何で昨日あんなことを口走ったんだ」

 

 それを十分に理解していて、それでもハルユキは報告することを躊躇わずにはいられなかった。『先輩と一緒ならきっと大丈夫です。共に目指しましょう、Lv10を!』という先日の発言が、ハルユキの肩に重くのしかかってくる。軽率な過去の自分に何度目かもわからない罵倒をしつつ、ハルユキが校門を通り抜けようとした時。

 

「や、おはよう少年!」

 

 そんな、ハルユキの心情とは異なった明るい声が響いた。ビクリと身を竦ませて、声が聞こえてきた背後へと振り向く。できれば違っていてほしい――という願いも虚しく、そこに立っていたのは憧れの麗人である黒雪姫その人だった。

 

「せ、先輩……おはようございます」

「……? どうした、ハルユキ君。朝から元気がないな」

 

 どうにか、何時も通りに振る舞おうしたハルユキだったが。上級生で副生徒会長でもある黒雪姫の前では、まるで意味をなさなかったらしい。訝しな顔で尋ねられ、早くも退路を失ってしまう。

 ええい、ままよ。と意を決して、ハルユキは重い口を開いた。

 

「実は、先輩に伝えておかないといけないことがあるんです。昨日のことなんですが」

「何、昨日なにかあったのか?」

「はい、放課後のことなんですが。ええと、その……」

 

 覚悟を決めて話し出したものの、次第に声が小さくなってしまう。その躊躇いを、この場では話にくいことなのか――と黒雪姫は判断する。

 

「ふむ、どうやら長くなりそうだな。昼休みに、いつものラウンジで話し合うとしようか」

「え? あ……は、はい! じゃあ、昼休みにラウンジで」

「ああ、私からも君に伝えておきたいことがある。ではな、ラウンジでまた会おう」

 

 それだけ言葉を交わして、ハルユキと黒雪姫は各々の教室へと別れていく。思わぬ方向へ事が進み、ハルユキは自身の机にうつ伏せてほっと息をついた。先延ばしになったに過ぎないことは分かっているが、心の整理をするには十分な時間が与えられた為に。

 

 

 

「何!? ハルユキ君、それは本当か!?」

「は、はいッ! ごめんなさい!」

 

 午前中の授業を悶々として過ごしたハルユキは、昼休みのラウンジで今度こそ正直に告白した。内心でびくびくしながら反応を待ち、黒雪姫の叫ぶような声を聞いた瞬間、ほとんど反射的に大声で謝罪する。

 それも――人が集まるラウンジで、両者共に思考発声も忘れて。

 その結果。唐突に大声で叫んだ自分達へ、何事かと周囲の視線が集まっていくのが視線に敏感なハルユキには肌で感じられた。黒雪姫も自身の失態に気づき、浮かしかけていた腰を戻してふうっと息を吐きだす。

 

「すまない、少々取り乱してしまったな」

「い、いえ。それよりもすいませんでした」

「ん、何がだ?」

「昨日、あんな偉そうなことを言ったのに負けてしまいましたから……」

「何だ、そんなことか」

 

 戦々恐々とした様子で話すハルユキに、黒雪姫は何でもなさそうに返した。失望されるんじゃないかと身構えてたハルユキが、目をぱちぱちと瞬きする。

 

「そんなことって、負けたんですよ。昨日、一緒にLv10を目指すって言ったばかりなのに」

「……」

 

 俯いてぽつぽつと零す。そこへ、黒雪姫は無言で両手を伸ばした。そして、ぷっくりとした両頬を掴みぐにーっと引っ張る。

 

「い、いひゃい! 何ひゅるんですふぁ」

「全く、何を言いだすかと思えば……これか、この口か! そんな後ろ向きな発言ばかり繰り返すのは!」

 

 抗議するハルユキを無視し、黒雪姫はぐにぐにとよく伸びる頬を三十秒程もて遊んでからようやく手を離した。ひりひりと痛む頬を抑えて恨めしそうな視線を送るも、黒雪姫は澄ました顔でどこ吹く風と素知らぬふりをする。

 

「たった一度の敗北でうじうじする君が悪い。まさかとは思うが、一緒にLv10を目指すというのが嘘だったとは言うまいな」

 

 怪しく光る目で睨まれ、ハルユキが身を仰け反らせる。

 

「い、言いませんよ。先輩と一緒にLv10を目指したいという想いは、今でも変わっていませんから」

「そうか、それならいいが。君はもっと前向きに考えるべきだぞ。私達にとっての真の敗北とは加速の力を失ったときであり、たかが一度や二度の対戦負けではないのだからな」

「わ、わかりました」

 

 神妙にこくこくと頷くハルユキの姿を確認し、黒雪姫は硬くなった表情を和らげる。しかし――それも僅か一瞬のことで、すぐにまた真剣な表情へと戻っていた。

 

『それで、話は戻るが……本当に君が対戦した相手の名は、ブラック・ロックシューターだったんだな?』

『え? はい、そうですけど』

『そうか、間違いないのか』

 

 そこで黒雪姫は押し黙り、小さく息を吐いた。もしかして知っている名前なのかと疑問に思っていると、それを察した黒雪姫が口を開く。

 

『ああ、すまない。バースト・リンカーになって日が浅い君が知らないのも無理はないな。君が戦った相手――ブラック・ロックシューターは、加速世界でも有名な存在なんだ』

『そうなんですか。あ、でも僕と同じLv1だったみたいですけど』

『それは違う――Lv1だからこそ、有名なのだよ。ハルユキ君』

『Lv1……だからこそ?』

 

 Lv1だからこそ有名って、どういうことなんだ。普通、高Lvの方が名が知れるんじゃないのか。そう困惑しているハルユキへ、黒雪姫が補足する。

 

『そう。Lv1でありながら、高Lvのバースト・リンカーと比べても遜色ない実力を持っているのが問題なのさ。昨日説明したように、Lvが離れているほどバースト・ポイントの差し引きは増減する。それを考えれば、負けてもリスクの小さい私たち王よりも脅威だと言えなくもない。そして加速世界でも特殊なデュエルアバターに加えて、通常4Lv以上の者しかダイブすることのできない、無制限中立フィールドへと踏み入ることができる。これだけの特権を得ているのは、千人ほど存在しているバースト・リンカーの中でも彼の者達(・・・・)以外にはいないだろうな』

『彼の者達って……?』

 

 まるで複数人を相手にしたような言葉に、嫌な予感を覚えてハルユキは口を挟む。

 

 ――まさか、あんな強い敵がまだ他にもいるっていうのか。

 

 外れていてほしいと願いつつ、ハルユキは答えを待つ。だが――、

 黒雪姫から返ってきたのは、その嫌な推測が的中していることを告げるものだった。

 

『君が戦った相手、ブラック・ロックシューターには仲間がいるのさ。私が知っている限りでは後二人。巨大な蜘蛛の姿をした搭乗系の強化外装を操り蹂躙騎虫(インセクト・ライダー)という二つ名を持つ、チャリオット。そして鎖を利用した拘束技と鎌による近接技を主軸に、不気味な髑髏を自在に操るデッドマスター。通称――束縛の断罪者(リストレイント)だ』

『う……、何だか強そうですね』

『強そう、では無いさ。実際に強いのだよ。私も二年以上前に何度か戦ったことがあるが、噂以上の実力だったことはよく覚えている。近接戦闘から遠距離攻撃までこなす、オールラウンダーなタイプだったな』

『オールラウンダー、ですか』

 

 昨日の戦闘を思い出し、ぽつりと呟く。自身が敗北した相手――ブラック・ロックシューターは最初に狙撃を行い、その後は格闘戦に刀を使用した必殺技と多彩なスタイルで戦っていた。さらに言えば、まだ他にも何か隠し玉がある可能性があるのだ。ぶるりと身震いし、ハルユキは不安げに黒雪姫を見つめる。

 

『先輩、どうすれば……』

『ふふ、そう心配そうな顔をするな。油断できない相手であるのは確かだが、私も加速世界に現存する数少ないLv9到達者、黒の王なのだからな、負けるつもりは無いさ。それよりも、彼らがこの学内の生徒だというのならこれはチャンスでもある』

『チャンスって、何がです?』

『ほとんど人の姿にしか見えないデュエルアバターに、加速世界の大原則を幾つも覆している秘密が何なのか。一説では、ブレイン・バーストの開発者と通じているのではないかとも噂されている彼らの特異性、その正体を知るチャンスだということさ』

『開発者とですか!?』

 

 もしブレイン・バーストの開発者に通じているとしたら、それは黒雪姫が最大の目的としている加速世界の真実に辿り着けるということだ。驚愕するハルユキに、黒雪姫は頷く。

 

『それに、個人的にブラック・ロックシューターには興味がある。同色の名を持つことは無いとされる加速世界で、同じ(ブラック)の名を持つ理由がただの偶然なのか――それともその特異性に原因があるのか。この手で問い正してみるのも悪くない』

 

 不敵な笑みで、全く物怖じすることなく話す黒雪姫。自信に溢れたその姿に、ハルユキは手の届かない高みを見つめるような気分になった。

 

 ――弱気になって下を向いてしまう自分とは違う、この人はどこまでも前を見ているんだ。負けるかもしれない、なんて後ろ向きな考えは先輩の中にはないんだな。

 

「……わかりました、僕も早く先輩に追いつけるようできる限り努力します」

「その意気だよ、勝った対戦よりも負けた対戦の方が得るものは多いものだ。君が奴と戦った経験は、決して無駄ではないのだからな。次に活かせば良いのさ」

 

 黒雪姫の激動を耳にしながらも、ハルユキは思う。この人と共に歩むことができれば、自分は今よりずっと輝けるかもしないと。

 

 ――いや、それは違う。僕は必ず先輩の横に立つんだ、そして一緒に加速世界を走り抜けるんだ! 昨日、何度もそう誓ったじゃないか!

 

 ハルユキがそう胸の内で自身を鼓舞していると、黒雪姫が何かを思い出したように表情を強張らせた。それをハルユキが疑問に思うより先に、右手で仮想ウィンドウを操作し始める。

 

『ハルユキ君。すっかり忘れていたが、私も君に言わなければいけないことがあったんだ』

『あ、そういえば今朝にもそう言ってましたね。何かわかったんですか?』

『実はな、シアン・パイルの正体については目星がついていたんだ』

『え! 本当ですか!? でも、どうやって』

『ガイド・カーソルさ。加速世界の対戦ステージは現実をモチーフに作られている。つまり、現実での立ち位置がそのまま対戦ステージのスタート地点に反映されているんだ。対戦が終了した後、ガイド・カーソルが最初に示した場所へと辿っていけば、その先にシアン・パイルが存在しているということになるのさ。私は奴に挑まれた十を超える対戦の全てにおいてそれを繰り返し、結果として一人の生徒が浮かび上がった』

『そうか、そんな手があったんだ……。それで誰なんですか、その生徒って』

 

 加速世界のシステムを知り尽くしている、黒雪姫だからこそ気づけたであろう盲点だ。加速世界の一員になったばかりのハルユキでは、とうてい気づけなかっただろう。ハルユキはそう関心しつつ、肝心の生徒の正体を尋ねる。

 

『……これは私が君をこの世界へと誘う前から知っていた情報だ。だから、全くの偶然に過ぎない。それを忘れないでくれ』

『え? は、はい。わかりました』

 

 どうしてそんな前置きをするのかと疑問を感じたが、言われるがままに頷く。しかし、黒雪姫から差し出された画像を見た瞬間に。ハルユキは呆然と目を見開くことになった。

 

「は……? これって、何で……」

 

 自身が学内で最もよく知る人物で、幼馴染の親友――倉島チユリの姿が写っていた為に。




一ヶ月ぶりくらいに更新しましたー。
長らく放置してしまっていてごめんなさい。
いまだに一巻から抜け出せていないですが、ゆっくり話は進んでいます。
後原作に被るシアン・パイルことタッくんの戦闘はたぶん省きます、長くなるので。
ごめんよタッくん。
あ、二つ名については二つ名メーカーで検索しまくって参考にしつつ決めてみました。
気に入らなかったらすいません!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話

 無制限中立フィールド――4Lv以上のバースト・リンカーだけが立ち入ることを許される、制限時間が設定されていない対戦場。そんなブレイン・バーストプログラムの集大成ともいえる世界に、一つの巨大なタワーが存在していた。

 かつて日本最大の全高を誇った建造物、旧東京タワーだ。その頂上で、蒼炎を瞳に宿した少女――ブラック★ロックシューターは静かに地上を眺めていた。

 無制限中立フィールドはソーシャルカメラを利用して作成され、その範囲は日本全土まで続いている。一国の隅から隅まで、途方もなく広大な領域を恐ろしい精密さで再現しているのだ。三百メートルを超える高さから見渡した加速世界の景色は、まさしく絶景といってふさわしいものだろう。

 そんな素晴らしい眺めを鑑賞していたB★RSに、声を投げかける者がいた。

 

 

「あら、またいらっしゃったんですね」

 

 晴れた空を思わせる淡い水色の長髪に、白いワンピースを着て白の帽子を被った女性の姿をしたアバターだ。そして何より目を引くのが、車輪の付いたイス――車イスに座っていることだろう。

 水色の少女はゆっくりと車イスを動かしていき、B★RSの隣で止まる。その様子をチラリと一瞥して、B★RSは再び絶景へと視線を戻した。

 

「……此処の景色が気に入っているから」

「ふふ、知っています。私が覚えている限り、あなたは此処にいる間ずっとそうして眺めていますから」

「……否定はしない」

 

 柔らかな物腰で、優しい声で話しかけてくる少女――スカイ・レイカーにB★RSは素っ気無く返す。

 スカイ・レイカー。加速世界で最も空に近づいたことで知られている、Lv8のバースト・リンカーだ。旧東京タワーの頂上で隠居生活を送っている彼女と、B★RSは顔見知りだった。別に、同じレギオンに所属しているわけでもタッグ戦で組んだことがあるわけでも無い。それどころか、かつては戦ったこともあるくらいだ。

 しかし、それももう現実の時間で二年以上も前のことだった。以前、所属していたレギオン――ネガ・ネビュラスの崩壊と共にスカイ・レイカーは一線を退いている。B★RSも別に自分から戦いを仕掛ける気は無い為、旧東京タワーの頂上で再会した二人の間で物騒な争いが起きる事はなかった。

 

 その後――頂上から見られる絶景に心を奪われたB★RSは何度も足を運ぶようになり、それ以前から家を建てて住んでいた彼女とも必然的に顔を合わせることになる。その結果、自然と親しくなっていったのだ。

 

「黒さんは今でもエネミー狩りを続けているんですか?」

「続けてる。でも、前ほどじゃない。今はもうそれほどポイントに困ってないから」

「そうですか、黒さんはLv1ですものね。私はもう随分と本格的なポイント稼ぎはしていないので、減少していく一方です」

 

 遠くを見渡しながら語るスカイ・レイカーの姿は、どこか寂しげだった。おそらくは、二年前ほど前に解散してしまった彼女が所属していたレギオン―ネガ・ネビュラスを思い出しているのだろうか。儚げな彼女の姿を見て、B★RSは気づけば声を掛けていた。

 

「……その気になれば、またすぐに何処かのレギオンに所属して稼げるはず。あなたの実力なら、どのレギオンも歓迎する」

「あら、慰めてくれるのですか? ふふ、優しいのですね」

「別に、そんなのじゃない」

 

 冷ややかな声で否定するが、レイカーは柔らかい微笑みを浮かべたままだった。心の内を見透かされているような気がして、B★RSはむっとする。もっとも、それがますますレイカーを微笑ましく思わせてしまうのだが。

 

「お言葉は嬉しいのですが、私はネガ・レビュラス以外のレギオンに所属するつもりはないんです。あのレギオン――いいえ、黒の王ブラックロータス。彼女以外の下では戦う気になれません。お恥ずかしい話ですが。私は彼女を裏切ってしまった今でも、彼女と共に戦った頃が忘れられないのです」

「そう……」

 

 レイカーの切なげな言葉に、B★RSは胸の内で呟く。失敗したな、と。彼女が過去の自身の過ちを今でも悔いていることは、これまでの会話の中ですでに知り得ていたことだ。つまらない慰めは、彼女をよけいに傷つけてしまうだけなのは知っていたのに。

 

「こんな場所ですから、あまり人と話す機会もないんです。会いに来てくださるのは、私の子のアッシュとあなたの二人くらいなんですよ」

 

 心中で後悔するB★RSのことを察してか、暗くなった空気を変えるように明るい声で話すレイカー。B★RSはそんな彼女の心遣いに感謝しつつ、気恥ずかしさから否定の言葉を返した。

 

「……私はあなたに会いに来てるわけじゃない」

「ふふっ、そうでしたね。ありがとうございます」

 

 違うと言っているのに、楽しそうな声で感謝の言葉が返ってくる。レイカーに暖かな笑みで見つめられ、居心地が悪くなったB★RSは逃げるように絶景へと意識を集中させた。

 

 B★RS――マトは、彼女が自分よりも年上だろうと判断している。話し方や物腰に、サヤちゃんと話している時のような落ち着きが感じられるからだ。そして、彼女と話す自分に少し違和感を覚えていた。

 加速世界にいる間は、現実の時とは違って感情の揺れ幅が薄くなり、好戦的になってしまうようなのだ。

 普段、現実ですごしている時ならもっと明るく振舞っているはずなのに。加速世界では口数も少なく、素っ気ない態度を取ってしまっていた。

 他のバースト・リンカー達がどうなのかはわからないが、カガリやヨミも同じだと言っていたので自分達の特異性が原因なのかもしれない。感情をほとんど表さなかった、思念体の影響を受けているのだろうか。

 

 特異性といえば、B★RSはレイカーに対して不思議に思っていることがあった。

 

 B★RSは、加速世界に存在する多数のバースト・リンカー達から敵視されている。原因は言うまでもなく、その特異性だろう。加速世界における幾つもの制約を逸脱し、独自のルールで行動するB★RS達を快く思わないのは普通のことだ。

 それは同じ世界に立っているはずなのに、自分達とは違ったプレイをしているということなのだから。けれど、数少ない例外もまた存在する。それが、彼女――スカイ・レイカーだった。

 どうして、自分達を敵視しないのか。B★RSはそれが不思議に思えて仕方がなかった。

 

「……そろそろ、私は失礼する」

「あら、もうお帰りになってしまうのですか?」

 

 少し、残念そうな表情を見せるレイカー。

 彼女自身に問い掛けてみたい気もしたが、それで今ある関係が壊れてしまうかもしれない。そう考えて、実際に問いかけたことはなかった。素っ気ない態度を見せながらも、B★RSは彼女のことがそれなりに気に入っている為に。

 

「せっかくいらっしゃたのですから、宜しければ私の家でお茶にしませんか。丁度、お昼にしようと思っていたのです」

 

 離脱(リーブ)ポイントへ行こうと背を向けたB★RSに、妙案を思いついたといった明るい声でレイカーがそう告げた。一歩を踏み出そうとしていた身体が、ピタリと止まる。 

 

「う……わ、私は食べ物に釣られたりはしない」 

「そうですか、それは残念ですね。ふわふわで、とても美味しいパンがあるのですけれど……」

「ふわふわ……」

 

 その言葉に、思わずB★RSはごくりと唾を飲み込む。

 レイカーが料理上手なことは、既に何度かご馳走になったことがあり知っていた。でも、だからといって今さら帰るのをやめます、というのは恥ずかしい。

 でも、せっかく誘ってくれてるのを断るのは失礼じゃないのか。うん、きっとそうだ。そんな言い訳を心中で組み立てた後、B★RSは誘惑に抗えずに承諾してしまうのだった。

 

「わかった。そこまで誘ってくれるのに、断るのも悪いからお邪魔する」

「はい、ゆっくりしていってくださいね」

 

 クスクスと微笑むレイカーに連れられていき、B★RSは彼女の家で楽しく過ごすのでした。

 クールビューティーとは、持続させるのは大変むずかしいのである。

 

 

 

 午前中の授業が終わった昼休み。黒雪姫から告げられた事実は、ハルユキにしてみれば到底信じられない話だった。これまでに何度も黒雪姫を襲撃した、謎のバースト・リンカー。シアン・パイルの正体が、ハルユキの幼馴染であるチユリなのではないかというのだから。

 

 慌てて否定するハルユキだったが、黒雪姫も考えを変えることはなく、話は平行線のまま昼休みが終わってしまう。最終的に、ハルユキが調べてくるという方向でとりあえずの決着がなされた。

 

「あのゲームが下手で直情的な性格のチユが、難攻不落といわれているブライン・バーストプログラムを解析した凄腕のハッカー? あるわけないじゃん」

 

 何度考えてみても、ハルユキの頭の中でチユリ=シアン・パイルの図式が成り立つことはなかった。自慢じゃないが、幼馴染で長年の付き合いがあるチユリのことは梅郷中の誰よりもよく知っている。その自分が違うとしか思えないのだから、間違いはないはずだ。そう思いながらも、ハルユキにはもう一つの可能性が浮かんでいた。

 

 ――先輩がチユのことを疑っているのは、ガイドカーソルが示す延長線上に必ずいたからなんだ。それが、チユリ以外の誰かが仕組んだことだというのなら。

 

 チユリを、犯人に仕立て上げようとしている人物がいるんじゃないか。それが、ハルユキが考えるもう一つの可能性だった。そして、ハルユキの中で心当たりがある人物が一人だけ存在している。チユリが相談をしていたらしい、スクールカウンセラーのサヤ先生だ。

 

 黒雪姫先輩の話では、サヤ先生と親しくしている生徒達から探るような目で見られているらしい。加速世界に存在する七人の王の一人――ブラック・ロータスの正体が、先輩であることを知られているのかもしれない、と。

 

 ――だけど、それはあくまでも先輩の憶測に過ぎないんだ。梅郷中の生徒で先輩を知らない人なんていないし、シアン・パイルから幾度となく襲撃されていた先輩が神経質になっていただけかもしれない。

 

 サヤ先生やカガリ先輩が怪しいというのは、ガイドカーソルという確かな根拠があるチユリの一件よりも信憑性に欠けているとハルユキは感じた。荒谷達の一件だって、サヤ先生の立場を考えればやっぱりおかしくはないと思えたのだ。

 チユリがシアン・パイルだというのは勿論、サヤ先生が加速世界に通じているというのも、カガリ先輩がバースト・リンカーだというのもハルユキは懐疑的だった。

 

 だいたい、バースト・リンカーに大人はいないと言ったのは黒雪姫先輩じゃないか。仮に、カガリ先輩や他の生徒の誰かがブレイン・バーストのことを話したのだとしても、それを信じるだろうか。自分だって、この目で見なければ世界が加速する――なんて非現実的な話を信じたとは思えない。年長者であるサヤ先生ならば尚更だろう。だが、他に当てがあるわけでもなかった。

 

「とりあえず、あさやけ相談室にいってそれとなく探ってみよう。いざとなったら、チユに直結してもらえるように頼むしかないか……。でも、あいつ最近機嫌悪いからな。させてくれるかどうかわかんないけど」

 

 嘆息しながら、とぼとぼと哀愁を漂わせてハルユキは廊下を歩いていく。やはり、彼には女難の相があるようだった。




皆大好き、レイカー師匠にご登場頂きました。
B★RSの世界にはふくよかさが足りないよ!
サヤちゃん先生でさえ、スレンダーな方ですよね。
フーコさんみたいなすばらしいボディを持ったキャラを何故出さなかったのか。
スタッフの方々には、いまいち消化不良になってしまった未回収の伏線と共に意義あり!
と申し立てしなければならないと思います。たぶん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話

 憂鬱な気分で歩き続けていたハルユキは、程なくして目的の場所である、あさやけ相談室の前に到着していた。

 そのドアに手を掛けて、再度頭を悩ませる。

 これから、ハルユキが探りを入れようとしている相手はずっと年上の人だ。経験も知識も、比べ物にならないほどに。さらにはその職業柄、話術に長けているだろうことは容易に想像できた。

 そんな人物を相手に、怪しまれないようにしながら探りをかけるなんて無理に決まってる。今すぐドアから手を離し、回れ右をして帰ってしまいたい。そんな弱気な考えが、ハルユキの中で早くも膨れ上がってきていた。

 

「でも、僕がいきますって黒雪姫先輩に言っちゃったからなぁ。はぁ、どうして僕はこう後先考えずに口走っちゃうんだ」

 

 何度目かもわからない嘆息をついた後、ぐっと気を引き締めてハルユキはドアを開く。

 

「し、失礼しまーす」

 

 びくびくしながらも、教室の中へと足を踏み入れたハルユキ。そこで目に入ってきたのは予想していた通りの相手、サヤ先生――。

 

「あれ、ハルじゃない。どうしたのよ、珍しいわね。あんたいつも放課後はすぐに家へ帰るのに」

「チ、チユリ?」

 

 ではなく、幼馴染のチユリだった。現在、シアン・パイルなのではないかと黒雪姫に疑われている張本人である。ハルユキにとっても、幼馴染で親友とはいえ今は会いたくない相手だった。隠し事が苦手なハルユキにしてみれば、どんな顔で話せばいいのかわからない為に。

 誤魔化すように、ハルユキは同じ質問をチユリに返した。

 

「お、お前の方こそ! どうして此処にいるんだよ」

「どうしてって、サヤ先生に相談したい事があるからに決まってるじゃない。私だって、悩みの一つや二つあるんだからね」

 

 何故か胸を張りながら、自慢するように話すチユリ。その姿を見つめつつ、ハルユキは内心でツッコミを入れた。

 

 ――悩みなんかとは無縁な性格をしてるくせに。大体、威張って言うことじゃないだろ、それ。

 

 無論、声には出さなかったのだが。目の前の妙な部分で鋭い幼馴染は、目ざとく眉を顰めてハルユキを睨んできた。ギクリ、とハルユキの心臓が高鳴る。

 

「何よ、その顔は。何か文句でもあるわけ?」

「い、いや、何でもないです。そ、それより、サヤ先生は何処にいるんだよ。教室には見当たらないけどさ」

「サヤ先生なら、用事があるみたいで出て行ったわよ。でも、すぐに戻るって言ってたから。もうすぐ帰ってくるんじゃないの」

 

 どうやら、行き違いになってしまったらしい。肩透かしを受けたような気分になりながらも、ハルユキはほっと息を吐き出した。だが、彼の此処最近の運の無さは、今でも健在だったようだ。安堵した瞬間にガラッとドアが開き、当のサヤ本人が姿を見せたのだから。

 

 

「あら、有田君じゃない。どうしたの、何か相談したい事でもあるのかしら?」

「は、はいッ!?」

 

 気を抜いた瞬間の不意打ちに、ハルユキはビクッと身体を震わせながら返事をする。心臓に悪いにもほどがある、絶妙なタイミングだった。

 

「あ、いえ、相談事というわけではないんですけど」

 

 ドギマギしながらも、必死に考える。もともと、具体的にどんな質問をすればいいのか。皆目見当がついていなかったのだ。とりあえず、怪しまれないようにしなければいけない。しかし――ハルユキの口から出てきたのは、率直な質問だった。

 

「サヤ先生はカガリ先輩と仲が良いみたいですけど、どんなふうに知り合ったのかなぁと思って……」

 

 言いながら、ハルユキは内心で悲鳴を上げる。

 どう考えても、怪しまれるのが目に見えている内容じゃないか。もっと、別の言い方はなかったのか。早くもそんな後悔にさいなまれていたハルユキは、サヤの言葉で意識を引き戻された。

 

「あら、私とカガリちゃんの馴れ初めについて聞きたいだなんて、面白いことを言うわね。ふふっ、いいわよ。ただ、別に面白くもない話になってしまうけれど。それでも構わないのならね」

「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」

 

 必要以上に畏まりながらお礼を言うハルユキに、サヤが微笑む。そんな二人の事を、面白くなさそうに黙って見つめていたチユリがむっとした顔で口を挟んだ。

 

「すいません、サヤ先生。そろそろ、私は帰ります」

「ああ、ごめんなさいね。私がいない間の留守番を任せることになっちゃって。また、何か相談したい事があれば何時でも来てね。歓迎するわ」

「はい、いろいろ相談に乗って頂いてありがとうございました。それじゃあ、失礼します」

 

 やけに事務的な挨拶をして、チユリはカツカツとドアに向かって歩いていった。一緒にいたハルユキの方には、一切目を向けずに。

 

 ――あれ? なんか、さっきよりもさらに機嫌が悪くなってるような……。

 

 明らかに、チユリの機嫌はさきほどよりも悪化していた。何かまずいことでも言ったかな。とハルユキは頭を悩ませるが、思い当たる原因がわからない。ただ一つわかっているのは、ハルユキが考えている最後の手段がチユリとの直結であることを考えると、機嫌を直してもらわないと非常にまずいということだった。

 

「チ、チユ……あのさ」

 

 何か言わないといけないと、ハルユキは背を向けるチユリに声を掛ける。しかし、

 

「何!?」

 

 恐ろしく低い声が返ってきて、鋭い目でギラリと睨まれた。

 

「何でもないです、はい……」

 

 あまりの迫力に、ハルユキは僅か数秒で撃沈した。

 

「あ、そう。じゃあ、さようなら」

 

 ピシャリ。と音を立ててドアが閉まり、チユリが教室から去っていった。それを縮こまって見送った後、ハルユキはチユリが何故不機嫌なのかと考える。そうして、さんざん悩んで頭を働かせて出した結論は――。

 

 ――チユのやつ、ひょっとしてタクと喧嘩でもしたのかな。

 

 などという、全くもって見当違いなものだったのだが。

 そんな二人の一連のやりとりを。あらあら、若いっていいわねぇ……。と呟きながら暖かな眼差しでサヤが見守っていたのは余談である。

 

 

 

 その後。ハルユキがサヤから聞いた話は、ブレイン・バーストとは関係のないものだった。

 サヤとカガリが知り合ったのは、もう何年も前のことらしい。当時、身体が弱く入院生活を送っていたカガリは――今の彼女を知るハルユキにしてみれば信じられないことだが――神足ユウという少女の紹介で、知り合うことになる。その頃からカウンセラーの職に就いていたサヤは彼女のカウンセリングを行い、以降ずっと良き相談相手になっているのだとか。

 ハルユキが求めていたブレイン・バーストの情報は得られなかったが、もともとそこまで期待もしていなかったので落胆は少なかった。

 

「サヤ先生は、何時頃からこの学校でカウンセラーをしているんですか?」

「そうね……私がこの学校に来たのは今から二年くらい前のことよ。でも、カウンセラーを始めたのはさっきも言ったとおり、随分前のことなの」

「へぇー、そうだったんですかぁ」

 

 適当に相づちを打ちながら、ぼーっと聴いていたハルユキ。

 しかし、次のサヤの言葉で一気に意識を呼び起こされることになった。

 

「ところで、有田君。倉島君のことで伝えておきたいことがあるの」

「え? チユリのことで、ですか?」

「ええ、彼女の親友の有田君に知っていてほしいことなの」

 

 不思議そうな表情を浮かべたハルユキに、サヤは真剣な様子で言う。そんなサヤの姿を見て、ハルユキもぐっと気を引き締めた。ごくりと息を飲み、次の言葉を待つ。

 

「今日。倉島君のニューロリンカーに、バックドアが仕掛けられているのが見つかったわ」

「バックドアだって……!?」

 

 その衝撃的な事実を聞いて、ハルユキはほとんど反射的に叫んでいた。

 

 ――バックドア。クラッカーが用いる、悪意のあるウィルスプログラムの一種だ。これをニューロリンカーに仕掛けられてしまうと、視聴覚といったプライベートな情報を盗み見られることなる。

 

 大切な幼馴染が、悪意のあるウィルスプログラムの脅威に晒されていた事実にハルユキは愕然とする。しかし、これでチユリがシアン・パイルではないことは確実となった。恐らくは、バックドアを経由しチユリの視覚を利用することでマッチングリストに名前が載ることを回避していたのだろう。

 

「カウンセリングはね、声を出して話づらい内容もあるから思考発声を利用して行ったりもするの。それで倉島君と直結をさせて貰ったのだけれど、その時に見つかったのよ」

「そういうことですか……」

 

 確かに、思考発声は悩み事の相談には役に立つだろう。口ベタな人間にとっては、言葉にするよりもよほど話やすい。最近、黒雪姫と何度も思考発声で話すことがあったハルユキにはそれがよくわかった。

 

「有田君も知っているだろうけど、ニューロリンカーには厳重なセキュリティが設定されているわ。脳とリンクするニューロリンカーがハッキングされてしまうのは、すごく危険なことだから。でも、例外もあるの」

「直結をしている状態なら、セキュリティのほとんどが無効化されてしまう……」

「そう。つまり倉島君にバックドアを仕掛けたのは、彼女にとって気の知れた友人かご家族の方ということになるの」

 

 サヤの言葉に、ハルユキは胸の鼓動が早まるのを感じた。梅郷中で、チユリと最も親しい友人はハルユキだ。ということは、サヤ先生は自分を疑っているのだろうか。そんな嫌な想像に顔色を悪くしていたハルユキへ、サヤは優しく微笑みかけた。

 

「大丈夫。そんな顔しなくても、私は有田君のことを疑ってなんていないわ」

「ど、どうしてですか?」

 

 チユリがサヤ先生とどんな話をしていたのかはわからないが、間違いなく怪しいのは自分だと思ったハルユキは困惑する。そんなハルユキに、サヤは変わらず微笑む。

 

「私はね、もう随分とこの仕事をしているの。だから、たくさんの生徒達を見てきたわ。そうして培ってきたカウンセラーとしての知識と経験が、私に教えてくれているの。有田君が、倉島君にそんなことをするはずがないってね」

 

 ――僕を信じて、サヤ先生は教えてくれたんだ。

 

「サヤ先生……、ありがとうございます」

 

 

 胸が熱くなるのを感じながら、ハルユキは感謝の言葉を送った。

 

 

 

 それからあさやけ相談室を後にしたハルユキは、帰宅した後に自室のベットの上でずっと悩んでいた。

 その内容は当然、チユリに仕掛けられていたバックドアのことだ。

 

 ――とはいっても、もうほとんど結論は出ているんだけどな。

 

 ベットの上で天井を見つめながら、ハルユキは帰宅途中に出した結論を思い返す。

 チユリにバックドアを仕掛けたのは、シアン・パイルで間違いない。そう、犯人はバーストリンカーなのだ。そう考えると、家族という線は除外できる。両親は大人だから違うし、チユリに兄弟はいないからだ。つまり、シアン・パイルはチユリの友人の誰かということになる。そして、ハルユキが知る人物の中でチユリが直結を許すような相手は一人しかいなかった。

 

「タク、本当にお前なのか……」

 

 その人物の名前は、黛拓武(まゆずみ たくむ)。現在チユリが付き合っている恋人であり、ハルユキのもう一人の親友だった――。




また長らく更新停止してしまい、申し訳ありませんでした。
次話は、シルバークロウとシアンパイルの戦闘回をダイジェストでお送りします。
そしていよいよ、B★RS勢と黒雪姫の対戦に入る予定です!
よろしければ、今後も読んでいってください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話

 翌日の放課後。タクムをメールで呼び出したハルユキは、近所にある公園で彼を待っていた。

 シアン・パイルの正体に関しては、既に黒雪姫に報告している。そして、同時にハルユキは自分に確かめさせてほしいと願い出ていた。

 それはいくらなんでも無謀だ――そう言われることをハルユキは覚悟していたのだが。意外にも黒雪姫は「必ず勝てよ」とだけ告げて了承してくれた。

 正直に言えば、まだ心の整理がついたわけじゃない。けれど、待っていても事態は好転しないことを。自分で動かなければいけないことをハルユキは理解していた。

 

 年季の入ったベンチに身体を預け、ハルユキは静かに目を閉じてざわめく心を落ち着かせる。

 

 そうしている間に、頭の中で懐かしい様々な情景が蘇っては消えていった。

 それは小学校の頃――ハルユキがまだ、チユリとタクムに対して引け目を感じることなく接することができていた時の記憶だ。

 

 昔はこの公園で、チユリとタクムの3人でハルユキは夜遅くまで遊んでいた。夜遅くまで誰も家に家族が帰って来ないハルユキは、チユリの家で晩御飯をご馳走になったりもしていた。

 あの頃の自分は、何時までもこんな時間が続いてほしいと願っていたとハルユキは思い出す。でも、現実は残酷だった。時が経つに連れてハルユキは二人に負い目を感じるようりなり、中学はタクムと別々になってしまったのだから。

 

「変わらないものは無い、か……。そうだよな。でも、それでも僕は――」

 

 終わらせたくない。それが、ハルユキの嘘偽りのない想いだった。チユリもタクムも、大切な親友なのだ。二人との絆をこんな形でなくしたくなかった。その為には――勝たなくてはならない。

 黒雪姫は、シアン・パイルは加速の力を失うことを恐れていると言っていた。少しでも多くのポイントを稼ぐ為に、自身が所属するレギオンへ報告せずに王である黒雪姫を狙っているのだと。つまり、Lv1のハルユキが勝てば相手を追い込むとこができるかもしれないのだ。

 

「絶対に勝ってみせる。先輩の為、チユリの為、タクムの為に、そして――」

 

 シアン・パイルのLVは四、ハルユキより3Lvも高い相手だ。勝ち目が薄いことはわかっている。それでも、勝たなければいけない。加速の力に魅入られ、幼馴染のチユリにバックドアを仕掛けるようにまでなってしまったタクムの目を覚まさせる為にも。

 

「なにより、僕自身の為にも負けられない」

 

 ハルユキがそう自分自身に強く誓ったと同時に、公園の入り口から聞きなれた声が聞こえてくる。

 

「おーい、ハル! どうしたんだい、急にこんな場所へ呼び出したりして?」

「タク……」

 

 それはハルユキが待っていた相手、タクムだった。いつもと変わらない調子のタクムの態度に、思わず手を上げて答えそうになるのをぐっと堪えて、走り寄ってきた彼をハルユキは強く睨みつけた。

 

「ど、どうしたんだいハル? そんなに怖い顔をして」

「タク、なんでチユにバックドアを仕掛けたりしたんだ!」

 

 一気に核心を突いたハルユキに、タクムは驚くそぶりを見せる。

 

「……何をいってるんだよ、ハル。チーちゃんに僕がバックドアを仕掛けるだなんて」

「そうかよ。どうしてもしらばっくれるっていうのなら、こっちにも考えがある」

 

 驚いた後、訳がわからないといった様子で否定するタクム。だが、ハルユキは見逃さなかった。彼の顔が、刹那の間だけ険しくなったのを。そして、彼の声に僅かな動揺が含まれていたことも。

 

「こうすれば白黒ハッキリするんだ、タク!」

「ハル、一体何を――」

 

 静止するタクムの声を無視して、ハルユキは声高く叫ぶ。タクムが隠している真実を暴くことのできる呪文、加速コマンドを。

 

「バースト・リンク!」

 

 世界が凍り、全てが停止する。ただ一人動くことのできるハルユキは、素早く仮想ウィンドウを操作していった。数秒にも満たない時間でブレイン・バーストのコンソールへと辿り着き、マッチングリストを開く。

 リストに載っていたのは、シルバー・クロウとシアン・パイルの二つの名前。

 

 ――タク、わかってはいたけど。やっぱりお前だったのかよ!

 

 シアン・パイルの正体が親友のタクムだという自身の推測が、やはり間違っていなかったことにハルユキはギリッと歯を食いしばりつつ、デュエルのコマンドを指で強く叩いた。

 

 

 

 二人の戦いの場として、選ばれたステージの属性は煉獄だった。シルバー・クロウとシアン・パイル。両者が対峙して睨み合う姿を、多くのギャラリーが観戦している。アッシュ・ローラーとの初戦で一気に注目株となったシルバー・クロウが、3Lvも格上のシアン・パイルと対戦するとなればそれも当然だろう。

 無論、シルバー・クロウが勝利する可能性が低いことは誰もがわかっている。その上で、ほぼ全員のギャラリーが期待しているのだ。アッシュ・ローラーとの一戦で見せた活躍を、シルバー・クロウがもう一度見せてくれることを。

 

 そんな多くのギャラリー達が集結している区画から、遠く離れた一つの建造物。その頂上で、ダミーアバターを使用した黒雪姫が日傘を差して二人の戦いを観戦していた。

 

「相手はLv4、それなりに経験を積んだバーストリンカーだ。属性は青のようだが、見たところ間接攻撃も持っているな。さて、君はどう戦うのかな? ハルユキ君」

 

 目を細め、唇を吊り上げながら黒雪姫が呟く。

 それに応えるように、ハルユキはシアン・パイルに向けて足を踏み出した。

 同時に、シアン・パイルの右腕が持ち上げられる。

 その直後――ガシュッ! という音と共に、シアン・パイルの右腕から太い鉄杭が打ち出された。視認すら難しい速度で迫ってきたそれを、ハルユキは大きく姿勢を落とすことで身体を掠めがらも回避してみせた。鉄杭が、標的を貫くことなく後方へと過ぎ去っていく。

 

「ほぅ、良い判断だ」

 

 黒雪姫の口から、賞賛の言葉が漏れた。見てから避けるのは、ほとんど不可能な速度だった。恐らくは、シアン・パイルという名前と右腕の形状からどんな攻撃が来るのかを予測していたのだろう。

 

「タクッ!!」

「グッ!?」

 

 攻撃を避けられて驚愕するシアン・パイルに、ハルユキの拳が深く突き刺さる。しかし、Lvの差か装甲が厚かったのか。たいしたダメージは与えられていない。

 

「そんな柔なパンチじゃ、効かないよ」

「ああ、そうかよ。なら、これならどうだ!」

 

 すぐに、シアン・パイルが右腕を振るって反撃した。それをハルユキは後方へと飛び退くことでやり過ごすと、鋭い蹴りを放つ。狙ったのは、装甲の薄い足。

 ズン。と音を立てて、バランスを崩したシアン・パイルが地面に倒れる。

 

「くそっ、ちょこまかと!」

 

 ハルユキの素早い動きに翻弄され、シアン・パイルは攻撃を当てることができない。それは、B★RSとの手痛い敗戦から学んだ戦法だった。スピードで敵をかく乱させる戦い方を、ハルユキは上手く自分のものにしていたのだ。仰向けに倒れたタクムの上に飛び乗って、声高く叫ぶ。

 

「タク! チユはなぁ、お前に昔のままでいてほしかっただけなんだ! ただ、純粋に笑いあっていた頃のお前のままでいてほしかったんだよ! 加速の力を手にして、周囲のつまらない評価ばかり気にするようになった今のお前なんかじゃない、昔のお前に!」

 

 拳の乱打を浴びせながら、ハルユキはただ激情に身を任せて叫んでいた。なり振り構わずに、想いを吐露し続ける。先程までの冷静さを、完全に欠いてしまっていた。だから、

 

「調子に、乗るなァァァァァァァ!!」

「ッ!? しまっ!」

 

 タクムの反撃に、咄嗟に行動することができなかった。

 

「スプラッシュ・スティンガァァァァ!!」

「ぐうっ……かはぁっ!?」

 

 胸部から発射された無数の小さな杭が、ハルユキの全身を襲い爆発した。大きく吹き飛んだハルユキは、体力ゲージを四割近くも削られる。さらに最悪なことに、ダメージの大きかった右足が大破してしまう。

 

 ――しまった! これじゃあもう、さっきみたいなスピードを生かした戦いはできない!

 

 一転して窮地へと陥り戦慄するハルユキの耳に、タクムの嘲笑が聞こえた。

 

「ハハハハハ! これでもう、さっきみたいにちょこまかと動き回ることはできなくなったね。まぁ、結局こうなるんだよ」

 

 立ち上がり、地面の上でもがくハルユキの近くまで寄ってきたタクムが右腕を掲げる。なんとか這いずって距離を稼ごうとするハルユキだったが、タクムに右足を乗せられて身動きを封じられた。

 

「バイバイ、ハル。もう終わりにしよう――スパイラル・グラビティ・ドライバー!」

 

 タクムの叫びと共に、右腕が青く輝いて巨大なハンマーが打ち出された。それはハルユキの胸へと直撃すると、そのままハルユキを地面の奥深くまで埋没させていく。ハルユキの身体を貫くかというほどの重い一撃は、残されていたほとんどの体力ゲージを削り取る。僅か5パーセントを残して、ようやくハンマーはその動きを止めた。

 

「少し残っちゃったか。まぁ、せっかくだから止めは刺さないでおいてあげるよ。残された時間を、その穴の中でせいぜい悔しんでいるんだね」

 

 ハルユキが沈んでいった穴に背を向けて、タクムは対戦を観戦するギャラリー達の方へと足を運んでいく。そして、媚びるような声で叫んだ。

 

「おーい! 青のレギオンの皆、見ててくれたかな。この通り、僕はまだまだ戦えます。役に立ちますよ! ちょっとポイントを使い過ぎたからって、捨てるには惜しいはずだ! でしょう?」

 

 仲間である青のレギオンのメンバー達に、シアン・パイルが自身の有用性を説いている中、ギャラリーのほとんどはこの対戦が終わったと判断していた。シルバー・クロウの体力はほとんど残されておらず、片足を失って這い上がってくることも難しいのだから当然だ。

 

「あーん、最初はいい感じだったのに。あの子やられちゃったぁ」

「まぁ、それも当然じゃねぇ? むしろここまで頑張っただけでも十分だろうよ」

「そうねぇ、流石に3Lvも離れてる相手じゃねぇ」

 

 口々に、そんな感想を述べていく。彼らの中では、シルバー・クロウの敗北は決定しているのだろう。ただ、一人の観戦者を除いて。

 

「ここからだよ、ハルユキ君。今こそ、君の真価が問われる時だ」

 

 組んだ腕にぐっと力を込めながら、いまだシルバー・クロウの勝利を疑っていないただ一人の観戦者――黒雪姫がそう告げた。

 シルバー・クロウはこれといったアビリティを持っておらず、必殺技も単調なものしかない。スピードを生かした戦いは、アバターの能力というよりはハルユキ自身の力によるところが大きい。つまり、シルバー・クロウにはまだ隠されたポテンシャルが秘められているのだ。

 

 眠っている力が目覚めるのは、窮地に陥った時だ。無論、力に目覚めることなく終わってしまうことも多い。だが、黒雪姫は確信していた。彼は――自身が認めた誰よりも速くなれる可能性を持つハルユキは――必ず力を目覚めさせると。

 

 その確信は、シルバー・クロウが埋没していた穴から立ち昇った一条の光によって証明された。空高く舞い上がる光を目にしながら、黒雪姫はフッと笑みを浮かべる。

 

「綺麗だ……。それが君が持つ加速の力なのだな、ハルユキ君」

 

 銀色に輝く翼を広げ、上空で静止したハルユキを眩しそうに見つめながらそう呟いた。

 飛行アビリティ。これまで、誰も実現させることのできなかった能力だ。昔、黒雪姫の仲間だった一人の親友が求めてやまなかった力。

 

「っと、感傷に浸っている場合ではないか。子である彼が、ここまでのモノを見せてくれたのだ。親の私が何時までも逃げ回っている訳にはいかないな」

 

 今こそ、偽りの平穏を破り再び空を目指す時だ。そう胸の内で強く宣言すると、黒雪姫はシルバー・クロウから視線を外して別の方角へと移した。ギャラリー達が集まっている場所とも違う、背の高いマンションがたたずむ場所。その屋上には、

 

「ふん、やはり観戦していたか。ハルユキ君が言っていた相手とは、違うようだがな」

 

 黒と白を基調にしたドレスを身に纏い、パーマの掛かった金髪を風になびかせている小柄な少女――チャリオットが、冷たい目でシルバー・クロウとシアン・パイルの戦いを眺めていた。

 




結局、チャリオットとの対戦前まではいきませんでした。
区切りがよかったので、次回から戦闘を開始したいと思います。
タッくんとの戦闘は駆け足で行わせてもらいましたが、黒雪姫とカガリの戦闘回は
じっくりと書く予定です!
必殺技の名称をどうするかが問題ですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話

 ハルユキとタクム。二人の激闘は、タイムアップという形で幕を閉じようとしていた。遥か上空からの痛烈な一撃を決めて、自身と同じところまで体力ゲージを削ったハルユキがタクムに止めを刺さなかったからだ。それはポイントの少ないタクムの為に、ハルユキが譲歩した結果だった。バックドアの件をチユリに話すこと、黒雪姫や自分と共に加速世界で戦うことを条件に、ハルユキはタクムを許すことにしたのである。

 

 地上に降りたハルユキは、つい先程まで自身が飛翔していた空を見上げて思案する。

 

 本当にこれでよかったのか。タクムの体力ゲージを完全に削り切って、現実での襲撃の危険性を完全に絶っておくべきだたんじゃないか。そんな疑念が込み上げてきて――迷いを振り払うように頭を振った。

 

 間違ってなんかない。タクムと戦ったのはやり直す為であり、終わらせる為ではないんだ。失われていた絆を取り戻す為の戦いだった。だから――、

 

 ――これでいいんですよね、先輩。

 

 ハルユキは胸の内で自分に、そして憧れの先輩に向けて呟いた。その時、

 

「それが君の選択だというのなら、私から口を挟むような無粋な真似はしないさ」

「え――」

 

 内心の呟きに答えるような言葉が背後から聞こえて、ハルユキは慌てて振り向く。

 それは、ハルユキがここ最近よく耳にしている声だった。鈴の音のように響き渡る、澄んだ高い音色。

 

「黒雪姫先輩!」

「やぁ、ハルユキ君。君の戦いぶり、しかと見せて貰ったよ」

 

 明るい笑みを見せながらそこに立っていたのは、憧れの先輩である黒雪姫だった。どうして此処に、と疑問を口にする間もなく、優雅な足取りで近づいてきた彼女はハルユキを抱きしめる。

 

「ちょっ、せ、先輩!?」

 

 突然抱きしめられる形となったハルユキが、困惑して叫んだ。華奢な身体から伝わってくる柔らかな感触に、思考が纏まらない。

 だ、駄目ですよ先輩ここじゃ人目に付きますからそれにタクムも見てますしああでもずっとこうしていたい――と慌てふためくハルユキの意識を引き戻したのは、銀色に輝く翼を優しく撫でる黒雪姫の感慨深げな声だった。

 

「飛行アビリティ。加速世界に名を連ねるバーストリンカーなら誰もが一度は思い描き、そして実現し得なかった力だ。これが君のデュエルアバター、シルバー・クロウに秘められた可能性(ポテンシャル)だったんだな」

「先輩……」

 

 黒雪姫がハルユキから離れる。

 

「私はかつて過ちを犯し、多くの仲間を失った。レギオンマスターという責任のある立場でありながら、軽率な行動を取ってレギオンを崩壊させてしまったのだ。それ以来、私は臆病なことにずっとこの世界から逃げ続けていた……」

 

 黒雪姫はそこで言葉を区切ると、白く細い右腕を持ち上げて滑らかに指を動かしていく。仮想ウィンドウを操作しているのだ。黒雪姫は指を高速で踊らせながら、強いまなざしでハルユキを見つめた。

 

「だが、それはもう終わりにしよう。立ち向かわなければ、前へ進むことはできないと君が教えてくれたのだから。今こそ、雌伏の網より出でて偽りの平穏を破る時だ!」

 

 そう宣言すると同時に、黒雪姫の身体が強烈な光に包まれていく。思わず手を翳して目を閉じたハルユキは、光が静まった数秒後に目を開けて――黒い輝きを放つアバターを見た。

 漆黒。そうとしか言い表しようがない、純色の黒だった。そして所々に点在する紫が、不思議とマッチしているように感じられる。両腕両足。四肢の全てが細長く鋭利に尖っていて、剣のように見えた。否、実際に剣になるのだろう。あの両腕、両足で振り抜かれれば、鋼鉄ですら容易く切り裂かれるに違いない。

 

「貴様にも謝らなければな、シアン・パイル」

「なっ、何を?」

 

 唐突に話を振られ、二人の姿を眺めていたタクムが困惑する。卑劣な手段で追い込もうとしていた自分が謝罪するならわかるが、逆に謝られるとは思っていなかった。そんなタクムに鋭い視線を向けて、黒雪姫――黒の王ブラック・ロータスは続けた。

 

「貴様との名誉ある戦いを、私は何度も穢した。タイムアップを狙い、無様にも逃げつつけることで。だが、貴様がそれを望むならば私は次こそ受けて立つ。純色の七王の一人――黒の王として、全力で相手をさせて貰おう」

「――ッ!」

 

 氷の如く冷たい闘気を見せたロータスを前に、タクムは戦慄した。同時に、自身のこれまでの行動がいかに愚かなものであったかを理解する。もし本当に戦うことになっていれば、間違いなく敗北していたのは自分の方であり――狩られる立場にあるのは相手じゃなく、自分だったのだと。

 

「さて、ハルユキ君。この場には丁度良く各色のレギオンメンバーが集まっている。彼らに私達の目的を宣言するには、絶好の機会だ」

「え? いいんですか、そんなことをしたら」

 

 加速世界最大の裏切り者であり、数多のバーストリンカーから狙われる立場にある。ハルユキにそう語ったのは黒雪姫だ。だからこそ、彼女は二年以上もニューロリンカーをグローバル接続せずにいた。黒の王が健在だという事実が知られたら、他の王達は黙っていないだろう。だが――、

 

「言った筈だぞ、ハルユキ君。私はもう逃げるのはやめたと。奴らが私を狙って対戦を仕掛けてくるのなら、返り討ちにするだけさ。そうだな……手始めに我がレギオン、ネガ・ネビュラスを再結成するとしよう。占領区はかつてと同じ、杉並区だ!」

 

 黒雪姫は威風堂々とした姿で、何の澱みもなくそう告げた。

 

「……わかりました、先輩! 僕もネガ・ネビュラスの一員として全力で戦います。タク――シアン・パイルと一緒に!」

「ちょっ!? ハル、僕はまだ青のレギオンに所属して――」

 

 確かに共に戦うとは言ったけれど、現在所属している青のレギオンを抜けさせて貰えるかどうかはわからないのだ。慌てて抗議するタクムだったが、その声はハルユキにも黒雪姫にも届いていなかった。どうやらタクムに選択権は与えられていないらしい。

 

「僕の話を聞いてくれ……」

 

 盛り上がる二人に取り残される形となったタクムの背中には、哀愁が漂っていた――。

 

 

 

 黒雪姫――ブラック・ロータスがギャラリーの前へと姿を見せた瞬間、場は驚声と悲鳴に包まれた。恐れ戦く者、憧憬のまなざしを向ける者、各々が様々な反応を見せる中、黒の王ブラック・ロータスは凛とした高い声で力強く宣言した。

 

「聞け! 六王のレギオンに連なるバーストリンカー達よ、我が名はブラックロータス! 僭王の支配に抗う者だ!!」

 

 その内容は二年前に解散したネガ・ネビュラスの再結成と、不可侵条約によってもたらされた偽りの平穏の破壊。ギャラリー達は誰一人として異を唱えることもなく、黙ってそれを聞いていた。聞くしかなかった。ブラック・ロータスの威容に飲まれ、誰も反論することができなかったのだ。タイムアップになるまで、フィールドは静寂に包まれたままだった。

 

 その後は黒雪姫に言われて、ハルユキは観戦予約リストにブラック・ロータスとシアン・パイルを追加した。対戦の方は狙い通りに引き分けで終了。そしてフィールドから現実へと戻ったハルユキはタクムと今後について幾つか話し合い、別れた後は自宅へ向かって歩いていた。タクムと無事に仲直りすることができたハルユキだったが、その表情はどこか暗い。

 

「とりあえず、チユにバックドアの事を伝えないといけないよな。……はぁ、仕掛けた犯人はタクなのにこっちまで気が滅入るよ」

 

 憂鬱そうにハルユキが呟く。そう、まだ全てが終わった訳ではなかった。最近やけに不機嫌なチユリに、ブレインバーストやバックドアの件を話すという恐るべき難題が残っていたのだ。得にバックドアのことを知ればチユは間違いなく怒り狂うだろう。最大級の大爆発が引き起こされ、その弁明に明け暮れることになるのは確実だった。

 

「……やめた。考えても気が沈んでばかりでしょうがないし、今日はもう早く帰って寝よう」

 

 思考を切り替えて、早く帰ろうと歩く速さを上げた時――バシィィィィィィンという音が響き渡った。

 

「な、何で!?」

 

 ガラスが罅割れたようなその音と共に、世界が青く凍結する。それはここ最近の間に、ハルユキが何度も体験している現象だった。それが意味するのは、ブレイン・バーストプログラムが起動して加速したということ。

 

 ――まさか、対戦を挑まれたのか! ニューロリンカーは接続を切っていたのに!?

 

 対戦を申し込まれないように、ハルユキはグローバル接続を控えていた筈だった。しかし、困惑している間にも世界は変容し続けていく。

 気が付けば、ハルユキは荒れ果てた大地の上に立っていた。ハルユキにとっては初めて目にするステージだ。冷たい風が吹き抜け、赤茶けた巨石が所々で存在を主張している。景色から判断するなら、荒野ステージといったところだろうか。

 

「……あれ、対戦するのは僕じゃない?」

 

 ハルユキがある事に気づく。これまでの対戦と違い、自身と対戦相手のアバター名、そして体力ゲージを示す物が浮かび上がらないことに。それはつまり、ハルユキが呼ばれたのは対戦を申し込まれたからではないということを示す。

 

 ――じゃあ、僕は観戦者として呼び出されたのか!?

 

 慌てて周囲を見渡すと、ハルユキは自分以外にも多数のギャラリーが存在しているのに気づいた。それも、見覚えのある――つい先程ハルユキとタクムの対戦を観戦していたアバター達だった。それが偶然の一致だと、ハルユキは当然思わない。彼らがここにいるということは、そして自身が観戦者だというのなら、今対戦しているのはタクムと黒雪姫のどちらかになる。ハルユキが観戦リストに登録したバーストリンカーは、ついさっき登録したこの二人しかいないのだから。

 

「先輩!?」

 

 ギャラリー達が、固唾を飲んで見守っている方角へとハルユキは視線を向けた。そして憧れの先輩である黒の王ブラック・ロータスと、どこかで見たような黄色い少女が対峙している光景を目にした――。

 

 

 

 周囲のギャラリー達の視線が集まる中、黒雪姫とチャリオットは戦闘体勢を取りつつ言葉を交わす。

 

「やはり仕掛けてきたか、チャリオット。貴様とは二年以上前、私がまだLv8だった頃に上で手合わせしたことがあったな」

「んー、そうだっけ?」

「とぼけるつもりか? ふん、まぁいい。忘れたというのなら、今から嫌でも思い出させてやるさ」

 

 ハルユキとタクムの対戦が終了した後、黒雪姫はおよそ二年ぶりにニューロリンカーをグローバル接続した。それはもう逃げることはしないという決意の表れであり、戒めでもある。だが、最も大きな理由は一つの確信があったからだ。

 ハルユキとタクムの対戦終了間際。黒雪姫が六王のレギオンに向けて宣戦布告した時、ほとんどのバーストリンカーが畏怖と恐怖の目で彼女を見ていた。

 

 ――ただ一人を除いて。

 

 黒雪姫にはそれが分かった。他のギャラリー達、ハルユキやタクムは気づいていなかったが。彼女にはしっかりと感じられたのだ。例えるなら、それは正に絶対零度。凍りつくような冷たい視線で射抜いてくるチャリオットの存在が。グローバル接続すれば必ず対戦を申し込んでくると、黒雪姫はその際に確信した。

 

「二年ぶりの対戦。勘を取り戻す為の相手としては、申し分ないな。王に匹敵する実力を持つと目されている、三人の謎に包まれたバーストリンカー。その一人である貴様が相手ならば」

「王に匹敵する……?」

 

 ロータスの言葉に、心底不思議そうな表情を見せるチャリオット。王と同等だなんて過大評価にすぎる。そう思ったのだろうと、周囲のギャラリー達やハルユキは判断したのだが。

 

「――匹敵するだなんて、冗談。私達の実力は、王よりも上に決まってるでしょ?」

 

 唇を吊り上げ冷笑を浮かべたチャリオットは、そんなとんでもない言葉でロータスを挑発した。

 

「ほぅ――」

 

 ビシリ、と音を立てて空気が凍ったようにギャラリー達は感じた。

 ブラック・ロータスの全身から発せられた刃物の如き鋭い殺気が、そう錯覚させたのだ。

 その殺気を真っ向から浴びたはずのチャリオットは、冷笑を崩さない。

 

「随分と大きく出たな、チャリオット。その言葉に嘘偽りがないか、この手で確かめさせてもらおうか」

「お好きにどうぞ? できるものなら、ね」

 

 黒雪姫が今にも飛び掛かろうと、グッと姿勢を低く落とす。

 対するチャリオットは両腕を高く広げると、これまでとは一転した優しげな声でナニカ(・・・)を呼んだ。

 

「さぁ――、おいでメアリー」

 

 ぐにゃり、と空間が歪んだようにギャラリーには見えた。地面に魔方陣のような円が出現し、眩い輝きがチャリオットを中心にして周囲を包み込む。

 同時に得体の知れない異形(・・)が、地面に描かれた魔方陣から光と共に姿を現していく。

 大きい――いまだ光に紛れて正確な姿は見えないが、横幅は八メートル、高さは四メートル近くあるだろうか。

 

「――チッ!」

 

 舌打ちし、黒雪姫が後方へと大きく飛び退く。その直後、鋭く細いナニカがすれ違うように地面に突き立った。

 目を凝らしてよく見れば、それは信じ難いことに足だった。光と共に出現した、巨大な怪物の手足の一本。

 光がゆっくりと消えていき、その全容が明らかになっていく。

 

「強化外装≪メアリー≫か、初めて目にした時にも思ったがやはり規格外の代物だな」

 

 呆れたような口調で呟く黒雪姫の眼前で、巨大な怪物が遂にその姿を白日の下に晒しだす。

 蜘蛛。それが怪物の姿を見て、第一に頭に浮かぶ言葉だろう。六本の足を持った、節足動物の姿を怪物はしていたのだから。もっとも、蜘蛛であれば存在する筈の無い、白い歯が怪物の口には並んでいたが。

 

 怪物の身体は硬い装甲で、本来の蜘蛛のように柔らかくはない。手足もまた、幾つもの部品を組合わせたものだった。蜘蛛を模した機械獣。それが怪物の正体であり、機械獣はチャリットが騎乗する戦車を牽引している。馬車戦車型強化外装。それが七の神器(セブン・アークス)に並ぶともいわれている、チャリオットが保有する最大の強化外装≪メアリー≫だった。

 

「もう覚悟は決まったのかな、そろそろ始めちゃうよ?」

 

 余裕の笑みを見せるチャリオットがそう告げると同時に、巨獣が大地を蹴って疾駆した。

 六本の足を巧みに動かし、その巨体に見合わない速さで大地を揺るがしながらブラック・ロータスに突進していく。

 

「――フッ、笑わせるな。貴様の方こそ、私に斬り刻まれる覚悟は決まったのだろうな――!」

 

 足が竦んで動けなくなってしまいそうな重圧を前にして、黒雪姫は一切躊躇うことなく正面から迎撃に出る。

 大気を切り裂き、旋風を巻き起こして、ブラック・ロータスが迫り来る巨獣を迎え撃った。

 ブラック・ロータスとチャリオット。加速世界でも名の知れた両者の戦いが、今ここに幕を開ける――!

 




やっと二人の戦闘が始まりました。……始まっただけですが(爆
デッドマスターの初登場は無制限フィールドまで持ち越しでしょうか。
相変わらず、なかなか話が進まないですね。
ストレングスやゴールドソーが出てくるのは果たして何時になるのだろう(
誤字、脱字や気になった点などありましたら、感想いただけると嬉しいです!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話

 ゴクリ、と誰かが息を飲む音が聞こえた。ブラック・ロータスとチャリオット。両者の対戦をギャラリー達は一言も発することなく、息を殺すようにして観戦する。高まり続ける緊張に呑まれて、そうするしかなかったのかもしれない。

 

 ギャラリーの視線を一点に集める中、黒雪姫が地面を削りながら猛然とダッシュしていき、全く減速することなくメアリーに突撃した。

 開いていた両者の距離は瞬く間に零となり、互いに射程圏内へと入る。 

 

「潰しちゃえ、メアリー!」

 

 チャリオットが声高らかに、己が誇る機獣へと指示をだした。

 主の命に従って、メアリーが眼前へと迫った黒雪姫に前足を突き出す。

 見上げるような巨躯から放たれるその一撃は、息苦しくなる程の圧迫感を受ける側に与え、向けられた者は足を竦ませてしまうだろう。

 

 だがそれは、並の相手であればの話だ。

 

「遅い」

 

 平坦な声でそう呟くと、黒雪姫はすり抜けるように敵の一撃を躱す。

 傍目にはまるで、メアリーの一撃が黒雪姫の身体を通り抜けたかのように見えた。

 一切の無駄がない、最小限の動きであった為にそう見えたのだ。

 メアリーが持つ手足の数は六本、大きく回避すればすぐに次の一撃が襲い掛かってくるだろう。

 それを理解していたが為の、刹那の見切りだった。

 

「はぁッ!」

 

 素早くメアリーの懐へと潜り込んだ黒雪姫は、チャリオットに向けて一息に飛び上がった。

 光を反射して輝く漆黒の刃が、騎上に座るチャリオットに向けて一閃される。

 しかしチャリオットは特にあわてることも無く、笑みを浮かべて迫る刃を見つめた。

 

「な、に――?」

 

 困惑が入り混じった声を黒雪姫が漏らす。

 チャリオットを切り裂くはずだった、横薙ぎの一閃が空を切ったからだ。

 すかさず、チャリオットが鋭い蹴りを放つ。

 黒雪姫がそれを交差させた両腕で受け止めると、ギャリギャリと嫌な音が響く。

 

 その原因は、チャリオットの両足の先端にある車輪だった。超高速で回転するそれは、衝突した両腕の間で火花を散らす。黒雪姫は巧みに腕を動かして受け流すが、衝撃で後方へと弾き飛ばされてしまう。

 空中で無防備な体勢となったところへ、再びメアリーが襲い掛かった。

 

「くっ――!」

 

 今度こそ回避することは不可能だ。空中へと投げ出されている状態では、それこそ飛行アビリティを手に入れたシルバー・クロウでもない限りは避けられない。誰もが直撃を予想して、その直後。

 

 驚愕に目を見開いた。

 

 黒雪姫は直前で身体を捻り、迫る敵の一撃に右足を叩き付けたのだ。その衝撃で僅かに軌道をずらされたメアリーの攻撃は、またしても標敵を捉えることなく地面を砕くだけに終わった。身動きがまともに取れない空中で、見事に敵の攻撃をやり過ごす。数多の戦闘経験と高いステータスを持つ、王ならではの回避だった。

 

「また外した、ちゃんと狙いなさいよメアリー」

 

 チャリオットが不服そうにメアリーを叱る。だが、ここはむしろあの状況で避けて見せたブラック・ロータスを褒めるべきだろう。チャリオットもそれは理解してはいたものの、プライドが邪魔をしたらしい。

 敵を前にして余裕を見せるチャリオットの姿に目を鋭くしつつ、黒雪姫は先の自身の一閃が空を切った理由を考えた。

 距離を測り違えるようなミスを、黒雪姫がするはずもない。だとすれば、チャリオットの方が後ろに下がったということになる。だが、メアリーに牽引されて動いている戦車が急な後退を行うことができるのだろうか。

 一つだけ、黒雪姫には思い当たるモノがあった。

 

心意(インカーネイト)システムか……?」

 

 心意の力。強いイメージによって、システム上の事象を書き換えてしまう規格外な技だ。心意システムを使えば、巨大な車輪を瞬時に動かして車体を後退させることも不可能ではない。Lv1のバーストリンカーが心意システムを使用するなんて聞いたことがないが、加速世界の常識を幾つも覆してきたチャリオットならばむしろ使わない方が不自然だろう。

 

「さて、如何したものかな」

 

 牽引する機獣を無視して、騎乗者であるチャリオットを直接狙うのが一番有効だと黒雪姫は考えていたのだが。高い位置にいるチャリオットを攻撃するには、高く跳躍して空中に身を躍らせる必要があり、避けるなり防がれるなりされてしまうと大きな隙を作ってしまう。

 

 ライダータイプのバーストリンカーは強化外装の方に性能の多くを注ぎ込み、騎乗者自身の能力が低いことが多いのだが。突き放たれた蹴りを受け止めた時の衝撃は、決して軽いものでなかった。チャリオットのステータスは低くない。迂闊に手を出すのは危険だ。

 

「来ないなら、こっちから行かせて貰うよ!」

 

 油断なく身構えたままじっと動かない黒雪姫に痺れを切らしたのか、チャリオットが叫ぶ。

 向こうから来てくれるのなら、むしろ好都合だと迎撃の体勢を取る黒雪姫。だが、それが間違いであると数秒後に知る事になった。

 

「自慢のお菓子、たっぷりと味あわせてあげる――、七色菓激(レインボー・マカロガン)!」

 

 六本の足をしっかりと大地に固定したメアリーが、がぱっと大きく口を開く。

 空虚な洞窟の穴を思わせるその口の中から、ナニカが次々に撃ち出されていった。様々な色をしたそれは、マカロンとよばれる洋菓子と全く同じ見た目をしている。もっとも、お菓子にしては明らかに大きすぎるが。

 

「遠距離攻撃だと!?」

 

 予想外な敵の攻撃に動揺しつつも、飛んできた弾丸(マカロン)の一つ、赤い色をしたそれを弾こうと黒雪姫は右腕を振るい――大きく弾き飛ばされた。

 

「ぐぅっ――!?」

 

 右腕が触れた瞬間、マカロンが爆発したのだ。至近距離で爆風を浴びて、黒雪姫の体力ゲージが大きく削られる。十メートル近く地面をスライドしてようやく止まり、前方を見た彼女は何が起こったのかを理解した。

 メアリーの口から撃ち出されたマカロンは、地面に着弾すると同時に様々な結果を引き起こしていた。赤色は黒雪姫が受けた時と同じように爆発し、紫は見るからに毒々しい液体を地面に撒き散らし、黄色は地面の上で放電しスパークしていたのだ。

 

 色によって、様々な付与効果があるのだろうと黒雪姫は推測する。しかし、これでは弾くことはできない。

 故に次々と降り注ぐマカロンをひたすら避け、必殺技の発動時間が途切れるのを狙う事に専念したのだが。

 チャリオットの無慈悲な言葉が、黒雪姫に向けて発せられた。

 

「なかなかしぶといなぁ。でも、これは逃れられるかな?」

 

 マカロンを吐き出し続けていたメアリーが一瞬だけ口を閉じた。だが、それは必殺技の発動時間が終わったからではない。再び、先程以上に大きく開かれた口が光を放ち――。

 

 次の瞬間、豪雨とも呼ぶべきマカロンの弾幕が出現する。

 

 一瞬見えた光の正体。それは心意によって必殺技を強化した為に表れた輝きだった。

 先程までの比ではない、無数のマカロンが暴風雨となって飛来する。空を覆い隠すほどのそれは、一種の芸術にも見えた。もっとも、それは矛先を向けられたのが自分でなければの話だが。

 

 迫り来る死の弾丸。弾くことは許されず、着弾と共に付与効果が発動する為ぎりぎりで避けることもできない。許されるのは、降り注ぐ爆撃(マカロン)の中に身を置いて朽ち果てるのみ。

 

 だが――純色の七王が一人、黒の王ブラック・ロータスはその条理を覆す……!

 

「遠距離攻撃を持つのが、貴様だけだと思うな! ――奪命撃(ヴォーパル・ストライク)!!」

 

 必殺技を高らかに宣言し、ブラック・ロータスは輝く腕から燃え盛る極光を撃ち出した。目が眩むほどの激しい輝きが世界を照らし、紅い光が真っ直ぐに伸びていく。あらゆる障害物を両断して突き進む、触れるもの全てを破壊する光の刃。黒の王ブラック・ロータスが持つ心意技の一つで、近接特化型の彼女には珍しい遠距離系の必殺技だった。

 

「嘘ッ――!?」

 

 これまで余裕を崩さなかったチャリオットが、驚愕に目を見開いて声を上げた。光の刃は途中で触れた全てのマカロンをことごとく粉砕し、その先にいる己が標的へと一直線に迫っていく。必殺技を発動した直後の為に、身動きがとれないチャリオットは両断されるのを覚悟するが。

 

 それを、我が身を盾としたメアリーが救った。

 

「メアリー!?」

 

 光の刃をメアリーが食い止められた時間は極僅か。しかし、必殺技による硬直を脱して離脱するには十分な時間だった。チャリオットが無傷で地面に降り立つ。対して必殺技をまともに受けたメアリーは、身体の部位のいたる所が切断されていた。バランスを崩して地面に倒れこみ、大きな爆発を起こして炎上。そのまま動かなくなる。

 

「そんな、メアリーが……」

 

 ひどく沈んだ声でチャリオットが呟く。

 がっくりと肩を落とし、顔を伏せて小刻みに身体を震わせた。

 ショックで声もでないのか、と誰かが口にした時、

 

「よくも……よくも、やってくれやがったな! てぇめぇぇぇぇ!!」

 

 凄まじい怒号が、空気を振るわせた。キッと黒雪姫を睨み付け、転がっていた戦車の車輪を左手に、虚空から出現した直刀(ブレード)を右手に持って疾走。砂塵を巻き上げながら突撃していく。

 

「面白い、接近戦ならこちらも望むところだ!」

 

 黒雪姫は必殺技でメアリーを粉砕した後、追撃を仕掛けずに様子を窺っていた。頼みの戦車を破壊されたチャリオットがどういった手段に出るのかを見ていたのだが、見た目に反して黄色系統が得意な間接攻撃は仕掛けてこないようだ。接近戦ならば、警戒する必要もない。

 

 疾風となって接近するチャリオットを、黒雪姫は迅雷となり迎撃した。

 瞬時に距離を詰めた二人。先手を打ったのはチャリオットの方だ。眼前へと近づいたロータスに横薙ぎの一閃を振るう。放たれた矢の如く接近してからの、翳むような一撃。それをロータスは容易く弾いた。そして弾かれて体勢が崩れた隙に、右足で蹴りを放つ。全身に切断属性を持つ黒の王ブラック・ロータスは、身体そのものが武器になる。彼女の蹴りをくらえば一瞬で断ち切られるだろう。

 チャリオットは左手に持った盾でそれを防ぎ、斜めに傾かせて受け流す。まともに受ければ盾ごと両断されかねないが、受け流せば問題はない。高い技量がなければできない芸当だが、チャリオットにはそれがあった。

 

 両者は一歩も退かずに火花を散らし合う。絶え間なく甲高い金属音が響き、大気を揺らした。その舞武は全くの互角。そうギャラリー達からは見えたが、実は違う。ロータスが繰り出す斬撃が多く、チャリオットは徐々に守勢へと回り始めていた。

 

「はぁっ!」

「ぐぅぅっ、……」

 

 時間が経つにつれて、それは傍目にも明らかになっていった。一歩、また一歩とチャリオットが後退していく。その原因は、際限なく上がり続ける黒雪姫が放つ剣閃の速度にあった。一撃一撃がより速く、より重く、より鋭いものへと昇華していく剣閃。それを受け流すたびに、チャリオットの手が痺れを訴える。

 

 そもそも黒雪姫には、加速を行っていない期間。二年以上ものブランクがあった。どれほどの戦士であっても、長期に渡って戦いから遠ざかれ勘は鈍る。つまり、黒雪姫は激しい剣戟の中でかつての勘を取り戻しているのだ。

 

 このままだと、ジリ貧になる。そう判断したチャリオットが車輪を高速で逆回転させ、大きく距離を取って後退した。唐突な後退に虚を突かれた黒雪姫だったが、逃すまいとすぐさま追撃に出る。

 猛然と追い縋って来る黒雪姫に、チャリオットは左手に持った車輪を向けた。つい先程まで盾として使われていたが、実はその真逆。武器として利用することもできるのだ。

 

「調子に乗るなっ、車輪型銃撃槍(ガトリング・ホイール)!」

 

 チャリオットがけたたましく叫ぶと同時。車輪の盾が本来の役目を思い出したかのように回転し、無数の鋭い槍の穂先が弾丸となって射出されていく。槍の弾丸は激しい風切り音を轟かせて、標敵である黒雪姫へと殺到した。

 それに対し黒雪姫が取った行動は、必殺技による迎撃の一手。

 

「デス・バイ・バラージング!!」

 

 秒間百撃にも及ぶ、視認することすら難しい電光石火の蹴撃。それは無数に飛来する槍の弾丸を全て叩き落すには十分すぎた。行く手を阻むものがなくなり、さらなる加速をした黒雪姫がチャリオットを射程範囲に捉える。

 

「せやぁっっ!」

 

 黒雪姫は猛追した加速の勢いを乗せて、烈火の如き刺突を放つ。残像すら残さずに、空気すら引き裂いて、真っ直ぐに放たれた神速の剣。チャリオットはそれを車輪の盾で防ごうとして――、

 

 盾ごと胸を貫かれた。

 

「ごふっ――」

 

 咳き込むチャリオット。だが、体力ゲージはまだ残っている。なんとか反撃をしようと剣を持つ手に力を込め――全てが終わった。

 黒雪姫が空いた方の腕で横薙ぎの一閃を浴びせ、チャリオットの首を刎ねたのだ。

 今度こそ、チャリオットの体力ゲージが完全に零となる。

 

「私の勝ちだ、チャリオット。次は貴様の番だと、ブラック★ロックシューターに伝えておけ」

 

 激闘によって響いていた音が止み、静まり返ったフィールドで黒雪姫が自らの勝利を宣言する。

 加速世界でも名の知れた二人の戦いは、ブラック・ロータスの勝利で幕を下ろした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話

 ハルユキがバースト・リンカーとなってから早三ヶ月。当初危惧していたブラック★ロックシューター一味による襲撃は、黒雪姫がチャリオットを一蹴してからは一度もなかった。諦めたのか、それとも何か別の思惑があるのか、気になるところではあったけれど。相変わらずマッチングリストに出てこない為、ハルユキ達からはどうにも手出しができずにいる。

 

 そしてもう一つ、ハルユキの親友であるタクムがこの梅郷中に転校してきた。せっかく苦労して入学した名門の進学校なのに。とハルユキは引き止めたのだが、固く決意したタクムは引かなかった。幼馴染であり彼女でもあるチユリを利用して、黒雪姫を狩ろうとした罪。それを償おうとしているのだ。

 別にそんなことをしてほしいわけじゃない、ただ……前みたいな関係に戻りたいだけなんだ。そうハルユキは思っているのだが、酷く思い詰めた表情を見せながらも明るく振る舞うタクムの前に何も言えなかった。

 

 

 午後十二時五分。午前中の授業が終わった、昼休みの時間。

 

 

「無制限中立フィールドか……。一体どんなところなんだろう」

 

 黒雪姫と会う際に使用する、恒例の待ち合わせ場所になっているラウンジへと向かうハルユキがぼんやりと呟く。つい最近になって、ハルユキことシルバー・クロウはようやくLv4にあがった。そして師である黒雪姫先輩から教えられた通りに、LvUPボーナスを飛行能力の持続時間と敏捷力の強化へ振り分けていた時。ハルユキは彼女から上の世界へ行けるようになったことを告げられたのだ。

 

 その上の世界というのが、無制限中立フィールドと呼ばれる場所らしい。言葉だけなら何度も耳にしたことはあるものの、詳細についてはまだハルユキは知らなかった。

 だがそれも、今日までのことになる。無制限中立フィールドへの入場条件は、Lv4以上になることであり、ついにその条件を満たしたからだ。期待と不安が半々、という心境でハルユキラはラウンジの入り口から中へと入っていく。

 

「や、待っていたよ。ハルユキ君」

 

 最奥の窓際にあるテーブルで、何時ものようにその美貌を振り撒く黒雪姫が声を上げた。無垢な輝きを持った白い花を連想させる彼女の笑顔が、ハルユキへと向けられる。三ヶ月が経った今でも、全く慣れそうもないこの幻のような光景に胸を高鳴らせつつ、ハルユキは黒雪姫と同じテーブルの席に着いた。

 そして息を吸い、ぐっと表情を引き締めて挨拶を返す。

 

「おはようございます、先輩。き、今日も綺麗ですね」

 

 後半はかなりしどろもどろになってしまったが、言い切った。

 

 ――言えた、この三ヶ月間ずっと言おうと思っていた台詞を。先輩に!

 

 心の中で抱いていた密かな野望を達成して、何ともいえない幸福感に一瞬包まれたハルユキだったが、

 

「ん? そうか、ありがとう。ところで、この前言っていた上の世界についてだが――」

 

 軽く流すような黒雪姫の切り返しに、あっさりと沈下した。あれぇー、とハルユキは数秒ほど首を傾け、すぐにそれはそうかと納得する。黒雪姫先輩の凄絶な美しさは、学内の生徒なら誰もが認めるほどなのだ。綺麗です、なんてありきたりな口説き文句は耳にタコができるくらいに聞きなれているに違いない。

 だとすると、もっと気の利いた言葉じゃなければ先輩の心を動かすことはできないのかぁ。などとしょんぼりしつつ考えていたハルユキは、その黒雪姫先輩の言葉で意識を引き戻される。

 

 彼女の頬が僅かに赤く染まっていることには、気づいていない。

 

「――ぉぃ、おい! 聞いているのか、君は!」

「はいっ!? も、勿論聞いてますっ」

「ほぅ、では私が話していた内容を復唱してみろ」

「え、えーと……。その、すいません」

「許さん」

 

 頭を下げてハルユキは謝ったが、笑顔で額に青筋を浮かべた黒雪姫には通じなかった。

 にゅっと黒雪姫の白く細い腕が近づいてきて、ハルユキのふくよかな両頬がぐむっと摘まれ、そのままぐいーっと引っ張られた。熱せられたお餅を箸で伸ばすような勢いで、頬がびよーんと横に伸びる。

 

「ふむ、前にも思ったが君の頬は気持ちいいくらいによく伸びるな。癖になりそうだ」

 

 なにやら恐ろしいことを黒雪姫がいっているが、ハルユキはそれどころではなく聞こえていなかった。いや、むしろ聞かなくて正解だったのかもしれないが。

 

「ひ、ひゃめてくだはいいー」

 

 涙目で訴えるハルユキの姿は、むしろ黒雪姫のサドスティックな一面を刺激しているようで逆効果になっていたのだけれど。ハルユキにはそうする以外に打つ手がない。結局、黒雪姫が我に返るまでいいように弄ばれるしかないのである。

 

「ヒャクム、たふへてー!」

 

 当然、助けは来なかった。

 

 

 

 同時刻。ハルユキがラウンジで悲鳴を上げている頃と時を同じくして、梅郷中の近くにあるファミレスに一人の赤い少女が滞在していた。燃えるような赤毛に赤色の服装を着込んだ少女は、周囲の視線を集めて非常に目立っていたが、当の本人はまるで気にした風もない。

 

「ったくよー、早く下校時間になんねぇかなー。こんな場所で待ち続けるなんて、暇でしょうがないっての」

 

 忌々しげに呟いて、赤い少女は注文していたジュースをずずーっと啜った。そして不機嫌そうな空気を全身から発しつつ、仮想ウィンドウを開いてチラリと時間を確認する。表示された時間はまだ十二時過ぎといったところで、下校時刻にはほど遠い。やってらんねー、といった様子で赤い少女が天井を仰ぐ。

 

 やっぱりどこか別の場所で適当に時間潰してから、戻ってくるかなー。などと考えているこの少女の名前は、上月 由仁子《こうづき・ゆにこ》。見た目は幼い少女だが、実は加速世界では十人もいないとされる最高Lvのバースト・リンカーにして、二代目赤の王スカーレット・レインの名で知られている有名人だった。

 そんな彼女は今、ある目的の為にこのファミレスにいるのだが。その用事を果たす為には、梅郷中の生徒が下校する時間にならないと始まらないのだ。

 

「まぁ、正直いうと別に行きたいとこなんてないしなー……って、ん?」

 

 手持ち無沙汰にぼーっとしていた少女の視界で、急激な変化が起こった。だがそれは彼女からしてみれば、毎日のように見慣れた光景でしかない。まるで世界が生まれ変わるようにも見えるその現象の正体。それは、バースト・リンカーなら誰でも経験したことがあるもの。一千倍もの思考加速による仮想世界の構築だ。少女が何もしていないにも関わらずそれが起こったということは、他の誰かによって引き起こされたことになる。つまり、何者かが対戦を挑んできたということ。

 

 

「対戦か……。ハッ、丁度良い。何処の誰だか知らねーが、この鬱憤の憂さ晴らしに付き合ってもらおうじゃねーか!」

 

 にぃっと唇を歪めて、周囲と共に少女の姿もまた変化していく。数秒が経過した後。そこに立っていたのは赤い少女ではなく、おもちゃのような銃を手に持つ小柄な少女型アバターだった。共通しているのは、燃えるように鮮烈な赤色の姿をしているところだ。この可愛いらしいアバターをした少女が、加速世界でも恐れられている遠隔のスペシャリストだなんて、誰が想像できるだろうか。

 加速世界のデュエルアバター――赤の王スカーレット・レイン――へと姿を変えた少女は、ガイドカーソルを表示して敵の位置を調べる。速攻で蹴散らして、このあたしに喧嘩を売ったことを後悔させてやらねぇとな。と、非常に物騒なことを考えながらカーソルの示す方向に視線を向けて、思わず瞠目することになった。

 

「……ンだと?」

 

 呻くような呟きをレインが漏らす。彼女の前に姿を見せた対戦相手が、それだけ予想外なものだったからだ。おおよそ百メートル程先、ステージ属性《風化》によって酷く殺風景となった世界の中で、寂れた建物の上に悠然と立つ対戦者。漆黒のドレスに身を包み、頭や背中から生えた角と翼が悪魔を連想させ、澄んだ緑色の瞳が知性的な印象を与えてくる人物――デッドマスターがレインに冷たい目を向けていた。

 

 デッドマスター。仮想世界において、高Lvのバーストリンカーなら誰でも知っている存在だ。その原因は、加速世界の真の戦場ともいわれている無制限中立フィールドで、今より数年程前に無限EKと呼ばれる行為が流行したことから始まる。

 

 無限EKとは、無制限中立フィールドにだけ存在するエネミーという存在を利用して、ポイントが全損するまで殺させ続けることをいう。かつての無制限中立フィールドにおいて、無限EKは騙し討ちや仲間の粛清などで重用され頻繁に行われていたのである。そんな無秩序な状況が続いていた中、現れたのが三人のバーストリンカーだった。彼らはEKを行った者達を、次々に断罪していったのだ。4Lv以上でなければ入れない中立フィールドに、1Lvで存在している等の特異性も相まって彼らの名は瞬く間に知れ渡っていく。

 

 その三人のバーストリンカーの一人が、今まさにレインが対戦している相手デッドマスターだった。不気味な存在感を放つ鎌形の強化外装《デッド・サイズ》を携えて、じっと佇むその姿にレインが顔を顰める。

 

「てめぇ、デッドマスター。あたしの聞いた話じゃ、あんたはお仲間の二人と違って通常対戦の場には姿を見せないって言われたんだけどな。どういう風の吹き回しだ?」

 

 敵意を滲ませたレインの言葉に対し、デッドマスターは静かに返答した。

 

「別に、私は戦う為に来たわけではないの。対戦を申し込んだのは、あなたに聞いておきたい事があったからよ」

「……聞きたいこと、だと?」

「ええ、赤の王であるスカーレット・レインから今代のクロムディザスター(・・・・・・・・・・・・)について情報を引き出してくるように、ある人から頼まれたの」

 

 その言葉に、レインの表情がさらなる敵意を滲ませた。小柄な全身から発せられたそれは、もう敵意を超えて殺意とよんだほうがいいかもしれない。ぎりっと歯軋りをしたレインが、怒号を上げる。

 

「へぇ、そいつは奇遇だな。あたしの方もたった今、てめぇに聞きたいことができたぜ」

「……あら、それは何かしら」

「何であたしがここ最近になって出現した、クロムディザスターについて知っていると思ったのか、何の目的でその情報をほしがっているのか、教えて貰おうか!」

 

 声高らかに叫び、赤の王――スカーレット・レインはばっと両手を広げた。彼女にとって、武器であり防具でもある相棒を呼ぶ為に。

 

「来いっ、強化外装――――――ッ!!」

 

 その呼び掛けに応えるかの如く、ゴウッと出現した炎がレインの身を包み込んだ。続け様に、数々のコンテナが虚空より出現していく。そこから真紅に彩られた巨大な部品が次々に排出されていき、ガシャンガシャンと音を立てて連結していった。

 

「これはまた……。噂には聞いたことがあったけれど、まるで要塞ね」

 

 感慨深げに呟くデッドマスターの前に出現したソレは、確かにその言葉通り要塞にしか見えない。無数の部品が組み合わさって完成した、巨大な強化外装。遠距離火力の集大成ともいえるその規格外な外装を装着したスカーレット・レインは、不動要塞(イモービル・フォートレス)という二つ名で呼ばれ、加速世界最高の遠距離火力を誇ると恐れられている。

 

「随分と冷静じゃねぇか、デッドマスター! けどな、その余裕すぐに引っぺがしてやんぜ!」

 

 要塞に身を包んで準備を整えたレインが、デッドマスターに向けて武装の一つを動かす。両肩に設置された二つの長い銃砲身が狙いを定めた。

 間髪入れずに轟音が響き、銃口が火を吹く。直撃を受ければ大ダメージは免れない。だが、

 

「防ぎなさい、スカルヘッド」

 

 突如として出現した巨大な髑髏が、壁となって砲撃を阻んだ。デッドマスターは無傷のまま、爆炎が髑髏を飲み込む。しかし炎はすぐに消え去り、盾の役目を果たした髑髏もまた健在だった。それを見たレインが舌打ちをする。

 

「ちっ、硬ってぇな。めんどくせぇもん持ち出しやがって!」

「あなたが大人しく情報を渡すのなら、別に戦う必要はないのだけれど」

「ざっけんな、この骸骨野郎! 上から目線なのが気にいらねぇんだよ、てめぇの方こそ知ってること全部吐き出しやがれ!」

 

 怒気を込めて言い放ち、レインは自身が持つ全ての武装をデッドマスターに向けた。両腕に装着された主砲、肩より上に鎮座するミサイルポット、四門の機関銃。あらゆる武装がたった一人の標的へと照準を合わせていく。そんな圧倒されてしまいそうな光景を前にして、デッドマスターは心底面倒だといった様子で嘆息した。

 

「そう、仕方ないわね。できれば面倒事は避けたかったのだけれど、まずは拘束してから話して貰うことにしましょうか」

 

 深く澄んだ緑色の瞳をすぅっと細め、デッドマスターが意識を戦闘へと切り替えていく。本格的な対戦が、二人の間で繰り広げられようとしていた。

 




 ようやく原作二巻に入っていきました~。更新速度は全然上がってませんが、これからも更新は続けていきますのでどうぞよろしくお願いします!
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話

 全武装の射撃準備を完了させたレインは、眼前で建物の上に佇む対戦者をきつく睨んだ。

 二つの角を頭部から生やし、黒のドレスに身を包んだその少女。デッドマスターに関してレインが知っている情報は、大まかに三つが上げられる。一つ目はグローバルネット上のマッチングリストに名前が現れたことが一度もないこと。二つ目が一Lvでありながら高い実力を持ち、上の世界と呼ばれる無制限中立フィールドに出入りできること。最後にどの勢力にも属さず中立を維持していることだ。

 

 何故Lvを上げないのか、どんな目的があるのか。それを知っている者はいない。EKを行った相手を粛清している理由も不明だ。リアルで加速の力を利用するために、あえて低Lvを維持しているのではないか。そう考えた者もいたが、彼女たちの行動を考えると辻褄が合わなかった。もしポイントを荒稼ぎするのが目的なら上で無差別に狩りをしている筈だし、通常対戦の場にももっと姿を見せていなければおかしい。

 

 デッドマスターはこれまで、EK利用者の粛清以外には加速世界で表立った動きを見せていなかった。それが何故、クロムディザスターの情報を集めているのか。チェリーに《災禍の鎧》を渡した奴と何か関わりがあるのか。頭を悩ませるが答えは出ない。

 

 思考に耽ったまま、動かずにいるレイン。それに痺れを切らしたデッドマスターが口を開いた。

 

「急に黙り込んじゃって、どうかしたの。ひょっとして怖気づいたのかしら?」

「言ってな、すぐにその減らず口を黙らせてやるからよ!」

 

 敵のわかりやすい挑発に言い返し、とにかくこの対戦に集中しなければとレインは結論を出す。

 

 ――考えてもわからないものはしょうがねぇ。詳しい話は、この対戦で適当に痛めつけてから聞き出せばいいだけのことだ!

 

 答えの出ない疑問には見切りをつけ、先手必勝とばかりに攻勢へ出る。巨大なコンテナの蓋が勢いよく開き、数十にもおよぶミサイル群が姿を現した。白煙を撒き散らしながら射出、標的へ向けて我先にと殺到していく。咄嗟に建物から飛び降りるデッドマスター。だが、自動追尾機能が搭載されていたミサイル群は、一部を除いて(・・・・・・)そのほとんどが狙いを外すことなくデッドマスターの後を追う。

 

「食らいやがれっ!」

 

 耳をつんざくような轟音が響き渡り、次々と引き起こされる爆発が空間を揺らした。過剰ともいえる圧倒的な火力。並のバーストリンカーなら体力を全損しているだろう。しかし、レインの表情は晴れなかった。何故ならば、デッドマスターのHPバーが殆ど減少していないからだ。

 

 爆発によって立ち込めていた煙が風に流され、激しい爆撃に晒されて見るも無残に荒れ果てた地面が露になっていき、やがて隠れていたデッドマスターが姿を見せる。それを自らの目で確認したレインはぎりっと歯軋りをした。傷らしい傷は見当たらず、ダメージを受けた様子は感じられないデッドマスターが立っているのを目の当たりして。

 

 そして、なによりレインの目を引いたのが数を増やした巨大髑髏(スカルヘッド)だった。その数、最初に出現したのを含めて合計二体。

 

「つまらない攻撃ね、埃を巻き上げることしかできないなんて」

「ハッ、そういうてめぇの方こそ。偉そうにぺらぺらと喋ってるだけじゃねぇか、手に持ったその鎌は飾りかっての」

 

 軽口を叩きながらも、レインは頭の中で冷静に今起こった事を考えていた。

 地面が抉れるほどの攻撃を受けながら、まるでダメージを負わなかったデッドマスター。

 恐らくはあの髑髏でミサイル群の爆撃を防いだのだろうが、問題はその硬さだ。あれだけの火力を叩き込んだのにも関わらず、健在していたとなると破壊するのは容易ではない。最大の威力を誇る両腕の主砲ならば抜けると思うが、直線的な攻撃では避けられてしまうだろう。では、どうするか。

 

 再び動かなくなったレインに、デッドマスターがフッと笑う。

 

「また静かになったわね。なら、今度は私の方からいきましょうか」

 

 薄い笑みを浮かべたまま、デッドマスターは何もない虚空を横薙ぎに一閃した。すると、裂け目のような亀裂が生じる。

 

「何……?」

 

 一体何を――と訝しげな顔を見せるレインの視界が、強烈な緑色の光で埋め尽くされた。

 

「くっ――!?」

 

 あまりの眩しさに顔を背け、目を瞑ってから数秒後。ようやく光が収まったのを感じたレインが目を開き、そして戦慄する。

 

「なっ、なんだこいつ等! 骸骨の……群れだと?」

 

 全身が骨で構成され、両手に剣や盾を装備した兵士。PRGなどのゲームでよく出てくる敵キャラクターによく似た存在が、デッドマスターの前方に出現していた。それも――数十体という数が、である。

 

「さぁ、蹂躙を開始しましょう。敵は二代目赤の王、スカーレット・レイン。行きなさい」

「次から次へと悪趣味なモンを出しやがって。まぁいいや、一匹残らず消し炭にしてやればいいだけの事だからなッ!」

 

 主の命に従いゆっくりと動き出した骸骨兵士の群れを前に、纏めて一掃するべきだと判断したレインは両腕の主砲を動かす。今ならまだ前方に集中しているだけだが、取り囲まれると厄介なことになるのは明白。出し惜しみをしていられるような状況ではない。バーストリンカーとなってから、数々の戦いを経験することで得た直感がそうレインに告げていた。

 

「消し飛びな、胸糞悪い骸骨共」

 

 狙いを定めた二つの主砲へと、紅い粒子が収束していく。標的は密集しながら前進してくる骸骨兵士の群れに、その向こうで仁王立ちするデッドマスター。主砲を撃つ為に必要な必殺技ゲージは、先のミサイル群の攻撃で溜まっている。それはレインが全てのミサイルをデッドマスターに集中させることなく、幾つかを周囲のオブジェクトの破壊に向かわせていた為だ。目先の攻撃に囚われず、次に繋げられるように考えて行動していたのは流石赤の王と言うべきだろう。

 

「ヒートブラスト・サチュレーション!!」

 

 鋭い叫び声を上げて、レインが必殺技を宣言。その瞬間――真紅に輝く二つの火線が真っ直ぐに撃ち出された。それは、これまでの実弾とは明らかに異なるレーザー兵器だ。射線上に存在した全ての障害を、触れた瞬間に爆散させ破壊していく熱線。骸骨兵士は勿論、スカルヘッドもまた例外なく紅い光に飲まれて消し飛んだ。

 

「――――ッ!」

 

 これまで冷めた目で見ているだけだったデッドマスターが、初めてその表情を崩す。

 迫る破滅の光を強く睨みつけ、地面を蹴って跳躍。掠らせることもなく回避した。真紅のレーザーはそのまま幾つもの建造物をぶち抜いて、彼方へと消えていく。

 

「ちっ、避けやがったか。まぁ次で当てればいいだけのことだけどな」

 

 本命であるデッドマスターにはやはり避けられてしまったが、今の攻撃で倒壊させた建造物によって大量の地形オブジェクト破壊ボーナスを得ることができた。そのおかげで必殺技ゲージは満タンだ。これならば、さらに高Lvの必殺技を使用することができるだろう。

 

 次で終わりにしてやる、とレインが意気込む。だが、

 

「流石に王を名乗るだけのことはあるわね、まさかスカルヘッドまで撃ち抜くなんて。でも、これで勝敗は決したわ。あなたの負けよ、スカーレット・レイン」

 

 冷水を浴びせるような宣言がデッドマスターにより告げられた。

 

「ざっけんな、それはこっちの台詞だっての! てめぇが召喚した髑髏と骸骨は全部消えたんだ。それに対して、あたしは今の攻撃で必殺技ゲージが満タンなんだからな!」

「……そうね、確かに満タンになったわ。私達(・・)の必殺技ゲージが」

「私達……?」

 

 レインは一瞬、何のことだと首を傾げる。しかしすぐにその意味を悟った。

 自身と同じように、満タンまで溜まったデッドマスターの必殺技ゲージを目にして。

 

「何っ!? あたしだけじゃなく……、奴のゲージも限界までチャージされてやがるだと」

「そう、私の必殺技ゲージも溜まったのよ。あなたがさっき全滅させてくれた、骸骨達のおかげでね」

「骸骨共のおかげ……?」

 

 デッドマスターの言葉で、レインはハッと気づく。敵の狙いが何だったのかを。

 

「そうか、てめぇ。その為ににわざと倒させやがったな!」

「ようやく気がついたのね。もっとも……、今頃気がついたことろでもう遅いのだけれど」

 

 おそらく召還した骸骨や髑髏を倒された場合でも、必殺技ゲージにボーナスが得られるのだろう。先の骸骨兵士の群れは、ゲージを稼ぐ為の捨て駒に過ぎなかったのだ。そして纏めて殲滅しやすいように、わざわざ密集させて進軍させた。つまり、全てはデッドマスターの手の内だったということか。

 

「さぁ、それでは見せてあげましょう。本当の絶望というものを。――死者の都(ニヴルヘイム)

 

 必殺技の宣言。呟く様に告げられた、その言葉と同時。巨大な魔方陣が地面に出現した。

 直径数キロメートルにも及ぶそれは緑色に輝くと、一帯を新緑に染め上げていく。そして――無数の骸骨が土より這い出してきた。その数は先程の比ではない。百を超え、二百を超え、無尽蔵に増え続ける。

 

 僅か数秒の内に、レインは周囲を完全包囲されていた。

 

「私が生み出すのは、無数の死を内包した都市。その数に制限はないわ。さぁ、赤の王スカーレット・レイン。あなたはこの絶望の中で何秒生き延びられるのかしらね?」

「ハッ、上等だ……」

 

 絶体絶命。一転して窮地に陥ったレインだが、不思議な高揚感が胸の中で湧き上がっていた。

 ここまで追い詰められたのは何時以来か。二代目赤の王となり、最強の遠隔攻撃能力を手に入れてから久しく感じていなかった感情。即ち、対戦の興奮がレインを奮い立たせていた。

 

「思い上がるなよ、デッドマスター! てめぇが今相手してんのは赤の王、遠隔攻撃のスペシャリストたるこのあたしなんだからなァ! ――ヘイルストーム・ドミネーション!!」

 

 全方位から迫る骸骨兵士の群れに対抗すべく、レインもまた必殺技を発動。三種の砲声が同時に轟き、主砲とミサイルと機銃が一斉発射された。一個人が保有しているとは思えない、驚異的な弾幕を展開。激しい爆撃を至る所で発生させる。

 

「ふふっ、本当によく頑張るわね。所詮、無駄な努力でしかないのに」

 

 目の前で次々と配下たる骸骨達が葬られていくにも関わらず、デッドマスターは哀れみの視線でレインを見つめる。しかし、それも当然の事だ。いくら倒したところで、彼女の優位は動かないのだから。

 

「――クソッ!」

 

 倒しても倒してもきりがない、次々に沸き出してくる骸骨兵士。ならばこの状況を作り出しているデッドマスターを狙うべきなのだが、接近してくる骸骨共を放置することもできない。近接能力がほとんど無いに等しいレインは、纏わり着かれたら終わりなのだ。今はまだ拮抗しているが、敗北は時間の問題だった。

 

「そろそろ飽きてきたし、もう終わりにしましょう」

 

 冷徹な声でデッドマスターが言い放ち、傍に控えさせていたスカルヘッドを突進させた。高速で飛来するソレに対し、主砲をリチャージしていたレインは迎撃することができず、まともに直撃を受けてしまう。

 

 ――――強化外装の頑強な装甲に亀裂が走った。

 

「ぐっ!?」

 

 衝撃は内部にいるレインにも伝わってきて、小柄な身体が激しく揺さぶられる。

 歯を食いしばって耐えたレインだったが、続いて眼に入った光景に絶句した。これまでのと比べて桁違いに大きい、巨大な骸骨が鉄槌を振り被っていた為に――。

 

「グォォォォォ――!」

 

 不気味な唸り声を上げて、巨大骸骨兵士が鉄槌を振り下ろす。ゴウッと風を切り裂く音が聞こえた。上空から壁が降って来る様な圧迫感。レインに許されたのは、目を閉じながらぐっと身を固めることだけだった。

 

「かはっ!?」

 

 大地が埋没し、大気が悲鳴を上げる。激震が走り、押し潰されていく要塞。美しく真紅に輝いていた強化外装が、見るも無残に破壊されていった。全身に装着していた数々の武装もまた、嫌な音を立てて崩れ落ちていく。

 

 ――くそっ、駄目だ。このままじゃ完全に押しつぶされちまう。

 

 鉄壁を誇る自身の要塞が、もう持たない所まできているのをレインは直感で理解した。このまま強化外装と共に心中するべきか、それとも脱出するべきか。判断を迫られる。しかし、攻撃の要となる強化外装を無くした状態でどう戦うというのだろう。このまま負けてしまったほうが、いいのではないか。

 

 刹那の時間を迷い、レインは決断する。

 

「――全武装解除(パージ)!」

 

 身に纏う全ての強化外装を解除し、鉄槌に押しつぶされるより先に前へと踏み出す。後方で自身の強化外装が粉砕される音を耳にしながら、唯一手元に残った玩具のような銃を握り締めた。

 

 ――まだだ、まだ終わりじゃねぇ。こいつの一撃を奴に当てることができれば、逆転することだって。

 

 そう自身を鼓舞し、レインは走り出そうとして――、

 

「――無駄よ」

 

 何時の間に手に持っていたのか、デッドマスターが黒い鎖を振るった。鎖は真っ直ぐに伸びていき、標的の前で唐突に軌道を変化。蛇の様な動きでレインの身体に絡みつく。

 

「あぐっ?」

 

 なす術なく、何重にも全身を拘束されて地面に転げ落ちる。

 なんとか振りほどこうと全身に力を込めて暴れるも、巻き付いた鎖はびくともしない。

 その間に、ゆっくりと近づいて来たデッドマスターが声を掛けた。

 

「さぁ、尋問を始めましょうか。それとも、まだ抵抗するつもり?」

「チッ、あーもー、いいよ何でも! あたしの負けだよ、話してやるからさっさとしやがれ!」

 

 激しく舌打ちして、ぶっきらぼうに喋る。

 

「物分りが良くて助かるわ、できればもっと早くそうしてほしかったけれど。……あなたに聞きたいのは最初にも言ったように、ここ最近になって出現した今代のクロムディザスターについてよ」

 

 有無を言わさぬ声で言い放つデッドマスターに、レインは悔しげな顔で従うしかなかった。

 




 疲れたなう。デッドマスターは特殊な能力が多くて面倒でした。
 やっぱりブラック★ロックシュータが一番ですね!単純な攻撃方法ばかりなので。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話

 梅郷中学の校門前、昼休みも半分が過ぎた頃。スカーレット・レインとの対戦を完勝に近い形で終わらせたヨミが、ふうっとため息を漏らしながらグローバルネットから切断して、現実世界へと意識を戻していた。

 

「これで後は、サヤ先生に報告するだけ……か」

 

 赤の王スカーレット・レインとの対戦は、実をいえば彼女自身が望んだものではない。ブレイン・バーストという異質な対戦ゲームに対して積極的なマトやカガリと違い、ヨミはそれほど強い関心を抱いてはいないからだ。バースト・リンカーになった理由も、仲の良い親友達が遊んでいるので自分もそれに付き合おうと思っただけにすぎなかった。

 

「ユウもサヤ先生も何を考えているのか知らないけど、面倒事はやめてほしいものね」

 

 そんなヨミが赤の王に対戦を挑んだのは、サヤから頼まれたからである。上の世界ででクロム・ディザスターが出現し、その正体が赤のレギオン――プロミネンスのメンバーだという情報が入ったので、赤の王から直接確かめてくるように言われたのだ。

 赤の王が自身の領土を離れてグローバル接続しているのを知っていたことといい、一体どこからそんな情報を得ているのかと思ったが、何時ものように深くは考えないことにした。数年前の虚の世界の一件といい、サヤとユウのことを常人の物差しで考えても仕方がない。何処からか、独自の情報網でも作り上げているのだろうとヨミは結論づけた。

 

 ――二代目赤の王スカーレット・レインか……、案外たいしたことなかったかな。

 

 かつて上の世界で死闘を繰り広げた相手、純色の七王の一人。先代の赤の王レッドライダーの雄姿を思い出しながらヨミは内心で呟く。圧倒的物量を誇り、何度でも蘇るが故に無敗を誇った己の死者の軍勢(レギオン)を、神速の早撃ちで殲滅させられたのは実に鮮烈だった。骸骨兵士の群れの一部を突破して向かって来る敵は数多くいたが、その全てを蹴散らしてみせたのはB★RSを除けば初代赤の王しかいない。

 

 中央で行われたその対戦は、レッドライダーと一対一の勝負ではなかった為に不完全燃焼な形で終わってしまう。B★RSやチャリオットと共に戦闘を仕掛けてきた七王の攻撃を凌ぎながら、ポータルの位置まで移動して脱出したのだ。それ以降はお互いに不干渉という盟約が交わされ、それから間もなくして初代赤の王レッドライダーは黒の王ブラック・ロータスの手によって加速世界を永久退場させられてしまった。

 

「さて……と、休み時間が終わらない内に報告を済ませておきましょう」

 

 不思議ともやもやする思考を振り払い、気を取り直してヨミはサヤの待つあさやけ相談室へと歩を進めていく。校舎の中へと戻ってから数分と経たないうちに教室の前にたどり着き、ドアを開けた。

 

「失礼します」

「あら、おかえりなさい。早かったわね」

 

 爽やかな笑顔で出迎えるサヤを視界に入れながら、ヨミはソファの上に座った。

 

「コーヒー淹れるけど、お砂糖の量は何時もと同じでいい?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 仮にも王の一人と対戦してきたところだというのに、何時もと変わらない様子でコーヒーを淹れ始める彼女の姿に毒気を抜かれてしまう。信頼されているのか、或いは負けても構わないと考えているのか。ヨミにはわからなかった。

 

「それじゃあ、報告の方を聞きましょうか」

 

 コトリ、と目の前に置かれたコーヒーを一口飲んだ後。ヨミは話し始める。

 

「やはりすんなりと教えてくれるはずもなく、軽く対戦することになりましたが……特に問題なく押さえられました。それで二代目赤の王スカーレット・レインから聞き出した情報によると、最近になって出現したクロムディザスターの正体は情報通りプロミネンスのメンバーで間違いないようです。デュエルアバター名はチェリー・ルーク。レベル六のバーストリンカーのようですが、何故彼が災禍の鎧を持っていたのかは赤の王もわからないと言っていました」

 

 対戦中に赤の王から得た情報は、プロミネンスのメンバーがクロムディザスターであることを裏付けるものだった。しかし、肝心の災禍の鎧の出所は不明とのことだ。

 

「ふぅん、なるほどね。クロムディザスターがプロミネンスのメンバーなのは間違いないけれど、赤の王は災禍の鎧については知らなかったと」

「はい」

 

 ヨミが頷くと、サヤは両腕を組んで考え込むような仕草を見せた。

 

「そう、そういうこと。まぁ、そういう可能性も考慮していたけれどね。それで、赤の王はどうするつもりなの?」

「……不可侵条約を破って他のレギオンを襲っている、チェリー・ルークを粛清するつもりのようです。ですが、一人では難しいので協力者を探していると」

「それで、中立的な立ち位置にいる黒のレギオン――ネガ・ネビュラスに接触しようとしていたってことね。生半可な実力のバーストリンカーでは役に立たないけれど、前回のクロムディザスターと交戦した経験がある黒の王ブラック・ロータスなら戦力として加えるのに申し分ないから」

 

 加速世界において最大の規模を誇る六つのレギオンの間には、お互いの対戦を禁ずるという不可侵条約が結ばれている。レベル九に到達してその過酷なサドンデスルールを知った王達が、加速の力を失うことを恐れて交わしたものだが、その条約の為に二代目赤の王スカーレット・レインは追い詰められているらしい。

 先代が結んだ公約に苦しめられているだなんて、スカーレット・レインも哀れなものね……とヨミは思った。

 

「それにしてもサヤ先生、前回クロムディザスターが現れた時に私達は七王と協力して討伐しましたが。クロムディザスターはそんなに危険な存在なのですか?」

「……そうね、どちらかといえばクロムディザスター自身よりも災禍の鎧の方が問題だと私は思うわ。装着した者の精神を乗っ取るなんて、あまりにも異常すぎる」

 

 珍しく真剣な表情で話すサヤに、ヨミもまた楽観視していた自身の考えを改めた。クロムディザスターは過去に討伐したことがあるが、今と当時では事情が違う。七王がお互いに協力していた前回とは異なり、現状は敵対しているとはいわないまでも牽制し合っているような状況なのだ。

 

「災禍の鎧は私達と七王が協力してクロムディザスターを討伐した後、誰のアイテムストレージにも移っていないことを確認して消滅したはずです。それがどうして今になって再び出現したのでしょうか」

「考えられる理由としては、七王の誰かが偽りの情報を告げていたってことかしらね。装着すると精神汚染を起こすなんて他に類のない装備だから、そうだとは言きれないけど」

 

 サヤはそこで言葉を区切り、今後の作戦行動についての話へと切り替えた。

 

「とりあえず、王の誰かが裏で手を引いている可能性がある以上は慎重に動くべきね。クロムディザスターが中央にアクセスする時刻は分かっているのかしら?」

「それについては問題無いみたいですね。クロムディザスターになったバーストリンカー、チェリー・ルークは赤の王の親にあたる人物だそうで、特定することは十分に可能なようです」

「チェリー・ルークが赤の王の……、そう、それは辛いでしょうね」

 

 サヤの言葉を聞き、ヨミはチェリー・ルークのことを震える声で話していたスカーレット・レインの姿を思い出した。仲の良い親友が変わってしまい、それを止めることのできなかった自身への後悔か。王として制裁を与えなければならない、己の立場への苛立ちか。その両方が含まれているようにも見えた。

 

「でもサヤ先生、スカーレット・レインがネガ・ネビュラスと接触し協力を仰いだとして私達はどうするんです? 彼女達が向こうへアクセスする場所や時間が分からなければ、協力しようがありませんが。もう一度私が接触して聞き出しましょうか?」

「そうね、確かにそのとおりだわ。恐らく近日中にでも赤の王は黒のレギオンのメンバーの誰かしらに接触するでしょうから、彼女(・・)にそれとなく探りを入れてもらいましょう」

 

 ヨミの脳内で、自分達と協力関係にある一人の女生徒の姿が浮かぶ。

 

「彼女に、ですか。でも流石に正確な時間までは無理なんじゃ……」

「それで問題ないの。ある程度の予測さえできれば、後は私が向こうへアクセスしてなんとかするわ。今まで教え子のあなた達にばっかり頑張ってもらっちゃってたんだから、私も少しは働かないとね」

 

 さらりと告げられた衝撃の事実に、ヨミは目を見開いて驚く。

 

「え! サヤ先生が加速世界へアクセスするんですか? それになんとかするって一体どうやって……」

「加速世界でブラックゴールドソーが持っていた能力がなかなか面白いものでね、それを利用するの。ふふっ、長い時間をかけてようやくアクセスする方法が見つかったんだから、少しは楽しめる場所であってほしいものね」

 

 目を薄く細めながら、サヤが手に持ったカップのコーヒーを見つめて呟いた。

 

「そ、そうですね」

 

 うっすら笑みを浮かべる彼女に、ヨミは内心で冷や汗をかきながら同意するしかないのだった。




皆さんお久しぶりです。
艦隊これくしょんというゲームに嵌ってしまいさぼっていました。
もう大体の人から忘れ去られてるような気もしますがとりあえず更新しました。
クロムディザスター編が終わるくらいまではちゃんと書きます、たぶん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話

 夕暮れとなり、太陽が沈み始めた放課後。昼休みに黒雪姫から上の世界――無制限中立フィールドについてレクチャーを受けたハルユキは、とぼとぼと下を向きながら帰路についていた。

 

 頭の中を占めるのは、自身のここ最近のふがいない対戦成績のこと。そして、今まで以上の強者がいるであろう無制限中立フィールドのことだった。レベル四以上まで到達した者だけが、行くことを許される時間無制限(サドンデス)の対戦場。今でさえ苦戦しているような自分が、歴戦の古強者たちが凌ぎを削りあうそんな場所で本当に戦っていけるのかどうか。考えるまでもなく、今の自分ではとても無理だとハルユキは考えていた。

 

 飛行アビリティ。加速世界において、唯一無二といえるその強力なアドバンテージで、ハルユキは連戦連勝という成績を築き上げていった。黒のレギオン結成より一週間後にはシルバー・クロウのレベルは二に上がり、一ヶ月が過ぎた頃には三レベルまで上がってみせたのだ。しかし、そんな快進撃も対策を組まれることで終わりを告げてしまう。空を飛んでいる間は遠距離火力を持つ相手にとって格好の的であるという弱点が発覚して以来、ハルユキことシルバー・クロウと団体戦をする際には必ず遠距離射撃能力を持つバーストリンカーが現れるようになり、ようやくレベル四に上がった所で長らく足踏みするはめになっていた。

 

 なんとかして、敵の遠距離火力を回避できるようにしなければこの先は進めない。そのことを、ハルユキ自身が一番理解している。その為に、一か月前からタクや先輩に内緒で独自に訓練を始めたりもしていた。しかしその成果は今だ目に見えるようなレベルで体感できておらず、せいぜい回避できる割合が二割から三割に上がった程度でしかなかった。

 

 焦る必要はない。そういってくれるあの人の言葉に頷きつつも、ハルユキは足手纏いとなっている自分が許せないでいる。自分を信じてくれるあの人の隣に立ち続けるためにも、幼馴染の親友と今度こそ対等な関係であり続けるためにも、もっと強くならなければならない。どんな敵にも負けないくらい、強く、強く――。

 

 ――強くなりたい。

 

 地面を睨むような目で見つめながら歩くハルユキの思考は、それだけで埋め尽くされていた。そうしているうちに、ふと顔をあげてみれば自宅のマンションの前に着いていたことに気づく。はぁっと息を吐いて固くなっていた表情を和らげた後、自宅の中へと足を運んだ。

 

「ただいま……」

 

 と帰宅時の決まり文句を口にしつつも、玄関を通って自室へ向かおうとしたところで、ハルユキの歩みにブレーキがかかった。誰もいないはずのリビングで明かりがついていることに気づいたのだ。

 

 ――あれ……、母さんが消し忘れていったのか?

 

 不思議に思いつつも、ハルユキはリビングのへと足を踏み入れて――、

 

「お帰りなさい、お兄ちゃん!」

 

 有りえないモノを見た。

 

「え、……え?」

 

 どこかの小学校の制服とおぼしき白ブラウスと肩紐付き紺スカートに身を包み、その上からピンクのエプロンを重ねる見ず知らずの少女が、キッチンの前に立っていたのだ。目を大きく開いたまま硬直するハルユキに、名前もしらない少女が明るい声で話す。

 

「――あ、ごめんお兄ちゃん。今クッキー焼いてるから、もう少し待っててね♪」

 

 目の前の現実に思考が追い付かず、フリーズして固まる少年に笑顔でお兄ちゃんと呼びかける少女の図。そんな混沌としたそれが、シルバー・クロウこと有田ハルユキと二代目赤の王スカーレット・レインで知られる上月ユニコの初会合だった。

 

 ――その後。持ち前の疑り深さで少女の正体を見抜いたハルユキと、正体を知られたユニコの間で一悶着があったりしたのだが。無理矢理ブレイン・バーストの対戦へと持ち込まれた結果、赤の王である彼女に惨敗したハルユキは黒のレギオンメンバーを交えた話し合いの場を作るように約束させられてしまうことになった。

 

 ハルユキの女難は、どうやらまだまだ終わりそうにないようだった。ある意味幸せなのかもしれないが――。

 

 

 

 多くのバーストリンカー達が、真の対戦場と呼ぶ地、無制限中立フィールド。それは時間制限が設けられていない、通常対戦とは異なった空間のことを差す。この場所ならば、何年でも継続して接続し続けていられるのだ。そして現実世界に戻った時、僅かな時間が経過しただけとなる。それは最早、現実とは異なる別世界――加速世界といっても過言ではないだろう。

 

「グォォォォォッッ!!」

 

 そんな加速世界の大地で、けたたましい咆哮が響き渡った。無制限中立フィールドにのみ存在するNPC――通称エネミーの叫び声だ。プログラムによって生み出された加速世界の住人たる彼らは、それなりの実力を持つバーストリンカーが複数人集まってようやく倒すことができる強敵である。だが、そんな強者であるはずの彼に現在危機が訪れようとしていた。

 

「ふーん、見た目は立派だね」

 

 それは、小さな女の子の姿をしていた。十メートル近い巨躯を持つエネミーとは比べるまでもない、矮小な存在だった。巨大な足で踏みつぶしてしまえば、それだけで終わるだろうという格差が両者の間には存在していた。

 

 ――だから、エネミーは己の危機を察することができなかった。

 

 タンッ、と少女が地を蹴り出す。力強さなんて微塵も感じられない、軽い踏み込み。しかし少女はたったそれだけで、十数メートルもの高さまで飛び上がっていた。あまりにも一瞬の出来事であった為に、姿を見失うエネミー。その頭上へと降下していく少女。そして――、

 

 ――エネミーの頭部が地面に激突し押し潰された。

 

 世界が震えるような爆音が轟き、地面に巨大なクレーターが生まれる。悲鳴を上げる余裕すら与えられず、一瞬の内に絶命したエネミーは自身に何が起こったのかも理解できないまま光の粒子となって消滅した。絶対的強者であったエネミーを、一撃のもとに破壊したモノの正体。それは(アーム)だ。少女の全身と同等かそれ以上の大きさを持つ巨大な腕が、地面にめり込んでクレーターを作り上げていた。

 

「あっけないなぁ、拍子抜けしちゃったよ」

 

 めり込んだ腕を引き抜きながら、つまらなさそうに小柄な少女が呟く。黒ずくめの服とフードに身を包み、口元を隠すその姿は非常に可愛らしい。ただし――両腕に装着された馬鹿でかい強化外装(オーガ・アーム)が異彩を放っているが。エネミーを瞬殺し、そして何事もなかったかのように振舞う異質なデュエルアバター。彼女の名は、ストレングス。かつて虚の世界と呼ばれた地で、B★RSと激闘を繰り広げた少女だった。

 

「……ユウ、勝手に飛び出したりしたら私が一緒に来た意味がない」

 

 不意に、見知った声が耳に入った。共にアクセスしたB★RSが、唐突に飛び出していった自身の後を追ってきたらしい。無表情ながらも咎めるような口調に、ストレングス――ユウは振り返って謝罪した。

 

「ああ、ごめんマト。久しぶりにこの姿になったせいか、気が昂っちゃったんだよ」

 

 加速世界に慣れ親しんだマトと違って、自身は今回が初めての体験だった。だから、エネミーに対する万が一の備えとして彼女に同行してもらったのだ。にも関わらず、エネミーを発見した途端に向かっていったのは杞憂に終わったとはいえ、褒められた行為ではなかったとユウは内心でも反省する。

 

「そぅ、分かればいい。それで身体の方の調子はどう?」

「問題ないかな。むしろ、調子が良すぎて怖いくらいだね」

 

 ぐわんっ、と両腕のオーガアームを振り上げてユウは問題ないことをアピールして見せた。実際、虚の世界で戦い続けていた頃と比べても遜色ないくらいに好調だった。これならば、今すぐにでもマト達と共に戦えるとサヤちゃんに報告できそうかなとユウは内心喜ぶ。

 

「さて、と。それじゃあ私はサヤちゃんと合流するよ。マトは予定通り黒雪姫さん達に接触して、可能な限り単独で彼女達に助力して。もし危なくなったら、助けに入るからさ」

 

 二代目赤の王――スカーレット・レインを含めたネガ・ネビュラスのメンバー達が、無制限中立フィールドへアクセスしたことは既に把握している。そして、現在彼女達が秋葉原フィールドへと向かっていることも。無論、向こうは自分達の動向が監視されていることなど知る由もないだろうが。

 

「七王の誰かが罠を張っている可能性が有るから、注意は怠っちゃだめだからね」

「わかった」

 

 念の為に改めて忠告するユウに、B★RSはこくりと頷いた。

 そしてハルユキ達が移動している方角へ向き直り、

 

「行ってくる」

 

 とだけ言い残し、飛び去って行くB★RS。

 その背を見送りながら、ユウは自身の半身だった少女のことを思い出していた。現実世界において、同級生からの陰湿な虐めを受けていた頃に出会ったもう一人の自分。入れ替わってほしいという勝手な願いを聞き入れて、最期には現実世界で生きていくように諭してくれた少女の姿が脳裏に浮かぶ。

 

 ――ストレングス、私はもう逃げないよ。現実世界でも、この世界でも。

 

 両目を閉じて、固く誓うユウ。不思議と、虚の世界で自身とマトを守る為に消えていった彼女が遠くから見守ってくれているような気がした。

 




皆さんこんにちは。相変わらず艦隊コレクションなるゲームに嵌っている私です。
知っている人は知っていると思いますが、11月より秋イベントなるものが開始されました。
始まって3日で全ステージ攻略しちゃったんですが(どんだけやってるんだ
ポチポチクリックするだけのゲームなのでちゃんと一緒に執筆もするようにしたいと思います。
そして、やっと無制限中立フィールドでB★RSが活躍する場面が書けそうです。
では皆さん、気合!入れて!いきましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話

 時は遡り、赤の王スカーレット・レインと黒のレギオンネガ・ネビュラスのメンバーが会合する約束をした時刻。

 

 ――どうしてこうなるんだぁぁぁ。

 

 そんなもう何度目かも分からない自問自答を、胸の内で零しながら。ハルユキは目の前の状況に頭を悩ませていた。自身が今いる場所は自宅のマンションのリビングで、この部屋は深夜に母親が帰宅するまで何者にも犯されることのない安らぎの地であったはずなのだ。だが――、

 

「さて、それでは二代目赤の王スカーレット・レイン。一体何の目的があって貴様がハルユキ君に近づいたのか、洗いざらい話して貰おうじゃないか」

 

 仁王立ちで腕を組みながら、威圧するような目で話す黒雪姫と。

 

「へっ、何を偉そうに。知りたかったら、教えてくださいお願いしますスカーレット・レイン様。って土下座して言い直してみな」

 

 などという恐ろしい台詞を口走りながら、挑発的な笑みを浮かべる上月由仁子がリビングの中央で対峙していた。両者の間には友好的な空気などまるで存在せず、二人の視線の間で激しい火花が飛び散っているようにさえ見えた。そして、その間に挟まれてしまったハルユキはただオロオロするしかない。

 

 ちなみに、彼女達が顔を合わせた際の言葉が「ほう、貴様が二代目赤の王スカーレット・レインか。こいつは赤いな、交差点の真ん中に置いたら車が止まって面白そうだ」に「そういうてめぇの方こそ、真っ黒じゃねえか。真夜中に歩いてたら誰にも気づいて貰えなさそうだな」だった。二人の会話を傍で聞いていたハルユキがひぃーっと内心で悲鳴を上げたのはいうまでもないだろう。

 

 それから少しして、ハルユキの胃が悲鳴を上げ始めた頃。ケーキを手土産にやって来たタクムが「マスターも赤の王も、睨み合っていたところで何の解決にもなりませんよ。家に置いてあったケーキを持ってきたので、これでも食べながら話し合いましょう」と提案してくれて、ようやくピリピリした空気は緩和したのだった。この時、ハルユキが目線で「ありがとうタクム! やっぱり凄い奴だよお前は!」などと血涙を流しながらタクムに感謝して、彼が若干引いてたのは余談である。

 

 

「――さて。それでは全員の自己紹介が終わったところで、早速に本題に入るとしよう。まずは赤の王、上月由二子君だったか。貴様がどうやってハルユキ君のリアル情報を割ったのか、聞かせて貰おうか」

 

 リビングに集まった四人が、互いに自己紹介を交わした後――一人だけ本名を名乗らなかった為にユニコが機嫌を悪くして一悶着があったりもしたが――黒雪姫が再び鋭い目で対面に座るユニコを睨みながらそう告げた。いきなり重要な部分へと切り込んだその言葉に、当事者であるハルユキもまたごくりと息を飲む。緊迫した空気が戻っていく中、ユニコは軽く手を振って見せた。

 

「んな怖い顔しなくても、シルバー・クロウのリアル情報は誰にも教えちゃいねーよ。これは赤の王の名にかけて誓う。突き止めた方法は単純。あたしが小学生だっていう立場を利用して、かたっぱしから学校見学を申し込んだのさ。黒のレギオンの領土である、この杉並区に存在する中学校にな」

「――ふん、なるほどな。学校見学の最中にローカルネットへと接続して、マッチングリストを確認していったわけか。随分と手間のかかることをする」

 

 むっとした表情で不機嫌に顔を顰めながらも、黒雪姫は納得した様子で頷く。だが、それだけではまだ納得できないところがあった。

 

「しかし、それでは梅里中の生徒の誰かとまでしか判るまい。いったいどうやって、三百人はいる生徒数の中からハルユキ君を特定したのだ?」

 

 黒雪姫の当然ともいえる疑問に対し、ユニコはうぐっと一瞬言葉を詰まらせた。そして二人の会話に聞き入っていたハルユキを横目で睨み、ぶっきらぼうな声を出す。

 

「いーか、別にあたしはあんたのことをどうこう思ってるんじゃないからな。あたしの目的はデュエルアバター、もっといえば加速世界唯一といわれるその飛行能力だけだ。だから――」

「つまらない前置きはいらん、さっさと本題を言え」

「んなっ!」

 

 どこか言い訳じみたことを話しだしたところへ、澄まし顔をした黒雪姫の横槍が入った。額に青筋を浮かべたユニコだが、気を取り直して続きを話す。

 

「チッ、……梅里中でシルバー・クロウを見つけたあたしは、道路を挟んで校門を見渡せるファミレスの窓際に陣取って、下校する生徒が門を出てくるたびに加速したんだよ」

 

 何でもなさそうな態度を見せるユニコに対し、ハルユキはあんぐりと口を開けずにはいられなかった。

 

「そ、それって……どれくらいバースト・ポイントを使ったの?」

 

 数秒の硬直から我に返ったハルユキが、恐る恐る訪ねる。

 

「二百ちょいかな」

「にっ、二百!?」

 

 同レベルで対戦を行ったとして、二十回分の勝利ポイントだ。思わず驚愕して叫ぶハルユキに、手に持っていたカップを落としかけるタクム、苦笑いを浮かべる黒雪姫。そんな三者三様な反応が、消費したポイントの量の多さを物語っていた。

 

「成程な、ポイントに余裕があり、小学生である貴様にしかできない方法というわけか。しかしまぁ、見上げた執念だ。まさかとは思うが、一目惚れでもしたのではないだろうな?」

「違うっつの!」

 

 がーっと吠えるように叫んだユニコが、テーブルの下でハルユキの拗ねを蹴った。理不尽な暴力に晒されたハルユキが足を抑えて呻くも、ユニコはまるで気にした風もなく続ける。

 

「あたしが必要としてんのは、コイツじゃなくてアバターの方なんだよ! わざわざ偽装してこの家に潜り込んだのも、コイツの翼に用があるからだっての!」

「ふぅん、まぁそういうことにしておこうか。それで、飛行アビリティを持つハル――シルバー・クロウにやってもらいたい事っていうのは、結局のところ何だというのだ。赤の王」

 

 冷静に話を聞いていたタクムが、静かな声で続きを促した。蹴られた足の拗ねがまだ痛むハルユキが、誰も心配してくれないことに心中で一人涙していたが。皆気にしていないので特に問題ないだろう。

 

 ユニコは一度口を閉じた後、強い圧力と悲壮感を感じさせる声で告げた。

 

「飛行アビリティ。加速世界で唯一といわれるその力を、あたしに貸して貰いたい。災禍の鎧を破壊する為に」

 

 

 

 災禍の鎧。ハルユキには聞いたことのない代物だった。どうやらタクムの方も同様だったらしく、首をかしげて眼鏡の奥の眉を潜めている。大きな動揺を見せたのは、残ったもう一人。黒雪姫だった。

 

「災禍の鎧だと!? 馬鹿な、アレは二年前に消滅したはずだ!」

 

 テーブルを強く叩きつけ、珍しく感情を露わにして声を荒げる彼女の姿に、ハルユキは驚く。災禍の鎧とは、それほどまでに重大な意味を持つものなのかと。

 

「せ、先輩。何なんですか……、その、サイカのヨロイって? 人じゃなくて、モノなんですか?」

 

 そのハルユキの問いかけで我に返った黒雪姫は、ふうっと息を吐いて気を落ち着かせた後。口を開いた。

 

「そう、だな。それではまず、かつて加速世界に君臨した暴虐の王。クロム・ディザスターについて話さなければなるまい」

 

 それから黒雪姫の口から語られたストーリーは、ハルユキにとってもタクムにとっても想像以上のものだった。

 

 クロム・ディザスター。それは加速世界の黎明期に存在した、一人のバーストリンカーの名だ。メタリックグレーの騎士型強化外装に身を包んだ彼は、凄まじい戦闘力を持ち暴虐の限りを尽くしたという。数多のリンカー達がその餌食となり、手足を捥がれ首を刎ねられていった。しかし、その凶暴性、残虐性ゆえに彼の暴虐は終わりを告げることになる。多くのバーストリンカーの恨みを買ったが為に、当時最高レベルにあったバーストリンカー達が彼を討伐しようと結束したのだ。圧倒的な力を誇ったクロム・ディザスターも、たった一人で数多くのハイレベルリンカーを一度に相手取ることは難しかった。遂にはポイントを完全に喪失し、加速世界での死を迎えた時。彼は最期に一つの呪いを残した。

 

『俺はこの世界を呪い、穢す。この果て無き憎悪が消える瞬間まで、何度でも蘇り続ける』

 

 それは真実だった。クロム・ディザスターと呼ばれるバーストリンカーは加速世界より退場したが、彼が愛用していた鎧は消えることなく、討伐に参加していた者の一人に所有権が移っていた。そして興味本位か誘惑に負けたか、装備してしまったリンカーの精神を汚染し乗っ取ったのだ。

 

「同じことが、実に三度も繰り返された……。そして私は二年前と半年前、四代目となるクロム・ディザスターの討伐戦に参加したのだ。他の純色の七王と共にな。その時の戦いは、言葉ではとても言い表せない程に熾烈なモノだったよ」

 

 そこで一旦話を区切った黒雪姫は、突然口調を切り替えた。

 

「すまない、ハルユキ君。ケーブルを二本用意してくれないか」

「え、ケーブルですか? わ。わかりました。取ってきます」

 

 一体何をするのかと疑問に思いつつも、ハルユキは言われた通りに自室から一メートルと五十センチのXSBケーブルを手に取ってリビングに戻った。

 

「ちょうど二本だけありました。こっちが一メートルで、こっちは……五十センチです」

「ははぁ、そういうことか。OKOK、あたしが短い方で我慢してやるよ」

 

 とハルユキが差し出したケーブルから五十センチの方をユニコが掠め取ってしまい、また一悶着起こったりして、ハルユキのSAN値がガリガリ削られるなどの問題も発生したが。全員に無事にケーブルが行き渡ったところでタクムが口を開いた。

 

「マスター、加速するんですか?」

「いや、それには及ばない。全感覚モードにした後、表示されたアクセスゲートに飛び込め。では、行くぞ――ダイレクト・リンク!」

 

 黒雪姫に続き、ハルユキも慌ててボイス・コマンドを叫ぶ。

 

「ダイレクト・リンク!」

 

 たちまちハルユキの全身を虚脱感が襲い、意識が遠ざかっていった。




 今回は説明会になりました。原作と同じようなモノなので省こうかとも思ったんですが、話の流れ的に書くべき部分があったので申し訳ありません。次回も説明が続きますが、許してね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話

 ふと気が付くと、見渡す限りの荒野が広がっていた。

 

 キョロキョロと首を左右に動かして、ハルユキは辺りを見渡す。仮想空間でありながら、生々しさすら感じる場所だ。なんでこんな場所にいるんだろうと頭を悩ませながらも、視線を下へと傾けていく。そこには――、

 

 在るべきモノ、自身の肉体が存在していなかった。

 

『なっ、何で』

 

 思わず叫びだしそうになったが、すぐにその理由を察してぐっと踏みとどまる。

 自身が今見ているものが、過去の出来事を記録したVRムービーだと気づいた為だ。その証拠に、視界の右下で再生時間と小さなスライドバーが表示されていた。それを確認したことで、此処へ来る前のやり取りを思い出したハルユキは、戸惑いながらもこの状況を作りだした人物へと声を掛けた。

 

『あの、先輩……?』

 

 返事はすぐ右隣から発せられた。

 今ではもうすっかり聞き慣れた、鈴の音のような黒雪姫の声が響く。

 

『ここにいる。タクム君も、小娘もいるな?』

『はい、問題ないです』

『あたしもちゃんと見えてるよ、あとその呼び方やめろ』

 

 どうやら自宅に集まっていた全員がこの映像を見ているらしい。ハルユキはもう一度辺りを見渡し、仮想空間とは思えない程に精巧なグラフィックからこの世界が何処なのかを悟った。これほどの物が見れる仮想世界は、自身の知る限り一つしかない。

 

『ここは……、もしかして加速世界ですか?』

『ほぅ、気付くのが早いな。そう、君の言う通りここは加速世界だ。もっとも、通常の対戦ステージではなく――無制限中立フィールドの方だがな」

『無制限中立フィールド……』

 

 いまだ足を踏み入れたことのない、ブレイン・バーストの真の対戦場。それが目の前に広がる世界だと知らされ、ハルユキはごくりと息を呑んだ。それが伝わったのか、隣から黒雪姫の優しげな声が聞こえてくる。

 

『ふっ、そう緊張するな。君はもう此処へ来る為の条件となるレベル四に到達したのだから。胸を張ればいいのさ』

『は、はいっ!』

 

 お互いに見えている訳でもないのに、ハルユキは思わずコクコクと頷く。姿こそ見えないが、憧れの黒雪姫がすぐ隣にいるのだ。それを思い出した瞬間、緊張して強張った精神が落ち着きを取り戻していくのがわかった。

 

『それでマスター、僕たちが見ているこのムービーファイルは一体何なのですか……?』

 

 ハルユキと黒雪姫が微笑ましくなるようなやり取りを交わす中、このままでは話が進まないなと判断したタクムが苦笑を浮かべつつ口を挟む。その内容はハルユキも気になっていたものだったが、

 

『そう急くな、見ていれば分かるさ』

 

 と、黒雪姫はそっけなく返すだけだった。業を煮やしたニコの『ンだよ、勿体ぶってねーでさっさと教えろよ』などと挑発じみた言葉が聞こえ、また喧嘩し始めないかとハルユキがハラハラしていると。

 

 不意に、上空から鋭い風切り音と共に何者かが落下してきた。

 

 反射的に視線を音がした方へと向けるハルユキ。彼の目に飛び込んできたのは、よく見知っている姿だった。漆黒に輝く装甲。長く、鋭く尖った全てを断ち切るであろう四肢。バイオレットの淡い煌きを放つ眼光。間違いなく、憧れの先輩――黒雪姫が操るデュエルアバター<ブラック・ロータス>だ。

 

『あれ、先輩?』

『そう、私だ。ただし二年半前のな』

 

 二年半――、つまりまだレベル九に到達する前の姿ということだ。

 過去のブラック・ロータスの姿を感慨深げに眺めていると、合点が行ったという様子でニコが映像の内容を推測する。

 

『つまり、この映像はリプレイってことだろ。二年半前っていうと、あんたがさっき話した前のクロムディザスターとの戦闘か。確か、純色の七王が協力して討伐したんだよな?』

 

 その言葉が当たっているかどうかは、すぐに分かった。ブラック・ロータスに続きもう一人のデュエルアバターが姿を見せたからだ。吸い寄せられるように、ハルユキ達の意識が新しく現れたアバターへと向けられる。

 

『なんて綺麗な緑色なんだ……』

 

 無意識の内に、そう囁いていた。それほどの美しさだったのだ。巨大な盾を左手に持ち、細身ながらもずっしりとした佇まいを感じさせるそのデュエルアバターは、全身を深く透き通る緑色の装甲で包んでいた。僅かな澱みも見当たらないそれは、エメラルドを思わせる。

 

 疑いようもなく、純色の七王の一人緑の王だろう。

 

『緑の王――グリーン・グランデ。属性は近接および間接だが、彼の場合は二つ名の方が有名だな。曰く、絶対防御(インバルナラブル)

『只の一度も体力ゲージが全損したことがねぇ。それどころか、半分を下回ったところを見た者すらいないらしいな……まぁ、あたしは半信半疑だけどよ』

 

 体力ゲージを半分以上削られた事がない。ニコのいうとおりにわかには信じ難い話だったが、ハルユキにはそれが大言壮語だと言いきれなかった。過去の映像であるにも関わらず、伝わってくるその重圧。見た目だけなら大きさも重厚さも、強化外装を身に纏った赤の王より下である筈なのに、彼の装甲に傷をつけられる自分の姿を思い描くことができないのだ。大地の上に聳え立つ巨木を殴るようなイメージを連想してしまう。

 

『それが本当かどうかは、これから始まる映像を見ればわかる。……来るぞ!』

 

 黒雪姫の固くなった声が耳に入り、ハルユキは緑の王に釘付けとなっていた視線を外す。

 

 そして――ソレの姿を目の当たりにした。

 

『な、何ですか……アレ』

 

 震える声が漏れる。立ち並ぶ奇岩の間から姿を現したのは、ハルユキがこれまでに見てきたデュエルアバターとは余りにもかけ離れた存在だった。二メートルはゆうに超えているだろう長身に、蛇腹状の金属装甲に覆われた胴。ぶらりと垂れ下がった異様に長い両腕の手には、極太な肉厚の刃を持つ大斧が握られている。そして最も目を引いたのが頭部で、鋭い牙が生え揃う口はもう獣にしか見えなかった。

 

『こ、こいつもバーストリンカーなんですか……。こんな、野生の獣みたいな化け物が』

『そうだ、あの化け物じみた姿をしたバーストリンカー。奴こそが、私達が死力を尽くして討伐した四代目のクロムディザスターなのだよ、ハルユキ君』

 

 凛とした口調で肯定する黒雪姫だったが、何時もより声が固くなっているように感じた。二年半前の死闘を思い出しているのかもしれない。

 

『今暴れてる五代目とは、フォルムもサイズも全然違うな』

 

 ニコがぽつりと呟き、黒雪姫が頷く。

 

『それはそうだろうな、災禍の鎧はあくまでも強化外装にすぎないのだから。装着する者によって姿や形は違ってくるのだろう。唯一変わることがないのは、その狂気ともいえる圧倒的な攻撃性。これだけは、誰であろうと変わることはない……誰であろうとな』

 

 その言葉を肯定するかのように、漆黒の巨体が動きを見せた。巨躯に似合わず獣じみた俊敏な動きで、緑の王へと距離を詰める。手に持った大斧が高々と振り上げられ――、

 

『ガアアアッ!!』

 

 肉食獣を思わせる咆哮。ハルユキはそれを耳にして、緑の王が断ち斬られる姿を連想した。

 しかし、続いてその目に映った光景は、そんな自身の予想を覆すモノ。

 

 爆音が轟き、衝撃が大気を揺らす。恐るべき威力が込められたディザスターの一撃を、緑の王は手に持った十字の盾で完璧に防いでいた。彼の両足を中心として地面に入った罅が、受け止めた際の衝撃の大きさを物語っている。

 

『グルオオッ!』

 

 一撃で仕留めきれなかった事に苛立ったのか、ディザスターが唸り声を上げた。大斧を再び空高く持ち上げると、様々な角度から高速で振り下ろす。上下左右。全方位から襲い掛かる苛烈な斬戟を、緑の王は十字盾を巧みに動かすことで的確にガードし続ける。

 

『す、すごい』

 

 傍から見ているだけでも逃げたくなるような、漆黒の化け物。そんな敵を前にして尚、怯むことなく真っ向から立ち塞がる緑の王――グリーン・グランデの雄姿に、ハルユキは感嘆の声を漏らす。

 

 攻め立てるディザスター、防御に徹するグランデ。膠着した両者の拮抗を崩したのは、それまで身を潜めていた漆黒のアバターだった。

 

 稲妻めいた速さで岩の陰より飛び出すと、ディザスターをすれ違いざまに一閃。タイミングを図っていたブラックロータスが奇襲を仕掛けたのだ。グランデに気を取られていたディザスターの装甲に、深い傷跡が走る。

 

 だが、ディザスターはまるで怯む様子を見せず、ぐりんっとその長い首を伸ばし――がぱっと口を大きく開けた。攻撃を仕掛け離脱しようとするロータスの背に向けて、チューブに似た長い舌を伸ばす。

 

『危ない!』

 

 反射的にハルユキが叫んだ、その直後。

 ザンッと音を立てて断ち切られたのは、ロータスを背後から狙っていた舌だった。

 

『ギ、ガガガガッ!?』

 

 今度こそ無視できないダメージを受けたのか。巨体を仰け反らせ、デイザスターが苦痛のうめき声を上げた。一体何が起こったのかとハルユキは困惑し、それを行った人物を目にする。黒と銀の輝きを放つ、美しい刀を手に持った蒼炎を瞳に宿す少女――ブラック★ロックシューターの姿を。

 

『な、何で――』

 

 ――どうして彼女が此処に!?

 

 その疑問を口に出す間もなく。仰け反ったディザスターに向けて、即座に反転したロータスがヴァイオレットに輝く左足を振り上げた。迷いの無い動きを見るに、背中を見せたのはわざとだったのだろう。体勢を崩していたディザスターは、防御することも回避することもできず、真っ直ぐに胸を貫かれた。

 

 ロータスは突き入れた右足を真上に斬り上げ、弧を描きながら華麗に宙を舞う。

 ズバッとディザスターの身体に断線が走り抜け、ぐらりと音を立ててその巨駆が地面に崩れ落ちた。

 同時に、再生時間が終了してハルユキの意識が暗転した。




更新してない期間が長かったのでチラシの裏に掲載することにしました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話

 リンク・アウトのコマンドと共に、仮想空間より現実へと戻ったハルユキ達だったが。

 四人の間には重苦しい空気が漂っていた。しかし、それは無理もないことかもしれない。あれ程の映像を見せられたら、誰だって身体が強張ってしまうに決まっている。

 

 ――タクムもニコも黙った黙ったままだ、何より……。

 

 ちらりと視線を右に向ければ、当事者である黒雪姫ですら固い表情を見せていた。この状況で話しかけるのは躊躇われたが、兎も角。このまま黙っていては話が進まないので、ハルユキはニューロリンカーからケーブルを引き抜きつつ重い口を開く。

 

「本当に……、あいつはバーストリンカー何ですか? あの理性の欠片も感じない化け物が、僕達と同じ生身の人間だなんて」

 

 信じられない、信じたくなかった。しかし返ってきたのは、ハルユキが望むものとは逆の答え。

 

「それは間違いねぇよ。今代の奴も戦い方は同じようなもんだからな。……まぁそれはそれとして、最期にディザスターを一閃した奴の姿。あれはどういうこったよ、黒の王」

 

 ギロリ、と目を鋭くしたニコが黒雪姫に問う。

 

「4代目を討伐したのは、あんたを含めた七王だってあたしは聞いたんだがな。何だって、あのブラック★ロックシューターが出てくるんだ?」

 

 それは当然の疑問だった。ハルユキやタクム、三人の視線が黒雪姫へと集中する。無言の圧力が彼女へと無向けられたが、福生徒会長という立場で他人に見られることに慣れている黒雪姫は動じなかった。

 

「私を含めた純色の七王が奴を葬る計画を立てたのは確かだが、別に七王だけで戦ったわけではない。他のハイレベルなバーストリンカーもあの戦いには参加していたんだ。その中に彼女――、ブラック★ロックシューターも参加していたというだけのことさ」

 

 しれっとした態度で告げられ、流石のニコもぐっと押し黙るしかなかった。

 チッと舌打ちをした後、むすっとした顔を見せる。

 

「そうかよ、だが奴が前の戦いに参加してたってんなら、あたしの方からあんた達へもう一つ伝えなきゃなんねぇことがある」

「ま、まだ何かあるの?」

 

 これ以上悪い知らせを聞かされるのは勘弁してほしい。そんなハルユキの内心を知ってか知らずか、ニコは不機嫌そうに腕を組みながら話を続けた。

 

「あんた達と接触する為に近くの喫茶店で張っていた時、あたしはあるバースト・リンカーに対戦を仕掛けられた。でかい鎌を持った髑髏を操る奴だったんだがな、問題はそいつのアバター名がデッドマスターだったってことだ」

 

 デッドマスター。その名前を耳にして、最も敏感に反応したのは黒雪姫だった。

 

「何……、デッドマスターだと?」

 

 片眉を尖らせ、黒雪姫がその名前を低い声で呟く。ハルユキにとっても目にした事こそないが、何度か聞いたことのある名だった。王に並ぶ実力を持つとされる規格外なバーストリンカーであり、自身が完敗した相手――ブラック★ロックシューターの仲間の一人。

 

「あたしだって、名前くらいは当然知ってたぜ。六大レギオン同士の間で不可侵条約が結ばれた今の上の世界じゃ、最も注意すべき勢力だからな」

 

 数十人以上の規模を持つ六大レギオンの一角。それが二代目の王となったユニコが率いる赤のレギオン――プロミネンスだ。当然ながらその勢力は他の中小レギオンとは比べようもないのだが、たった一つだけ例外が存在する。それこそがブラック★ロックシューター、デッドマスター、チャリオットのたった3名からなるチームだった。

 

「けど不可侵条約が結ばれた後、奴らが六大レギオンに喧嘩を売るようなことは一度もなかった。前と変わらずエネミー狩りに御執心だったみたいだぜ。……つい数ヶ月前までは、だけどな」

「それって……」

 

 数ヶ月前と聞いて、ハルユキの脳裏に過ぎったのはある対戦だった。己の師である黒の王、ブラックロータスが復活を宣言した際に、突如として姿を見せた一人のバーストリンカーとの激闘。ハルユキがバーストリンカーとして加速世界に身を投じて以来、初めて相対した真にハイレベルな強敵――B★RS。その仲間であるチャリオットとロータスの一騎打ちだ。

 

「ロータス、あんたがチャリオットと一戦を交えてからだぜ。奴らが上の方で目立った動きを見せなくなったのは」

 

 何か知ってることがあんなら教えろ。といわんばかりのユニコの問いかけに、黒雪姫は肩を竦めるだけだった。

 

「むしろ、私の方が知りたいくらいだよ。あの一戦を終えてからというもの、何の音沙汰もない状態が続いていてな」

 

 その言葉は嘘ではなかったが、しかし全てでもない。ハルユキ達が知りえている情報の一つに、恐らくは他のバーストリンカーが誰も手にしていないであろう重要なものがあった。

 

 それは――B★RSが、梅郷中の生徒の誰かである可能性が高いということ。

 

「あ、あのぅ……」

「ん? どうした、ハルユキ君」

 

 ハルユキはそのことを思い出し思わず口を開きかけるが、黒雪姫に視線で制されてしまった。つまり、わざわざ教える必要はないと彼女は判断したのだろう。ユニコとはあくまでも一時的に手を組むことになっただけなので、余計な情報は与えるべきではないというのは当然かもしれないが。

 

「あ、いえ……何でもないです」

 

 喋りかけたのをごもごもと口ごもってしまった為に、ユニコが訝しむように視線を投げかけてきたが、黒雪姫がとりなすように話を戻す。

 

「とにかく、奴らがクロムディザスターを狙っていたとして私たちがやることは変わらないんだ。ならば、捨て置いて問題はあるまい。目的が同じなら敵対することもないのだからな」

「……もし、奴らの狙いが災禍の鎧だとしたらどうすンだよ?」

 

 黒雪姫は少し考える素振りを見せたが、それは無いと否定した。

 

「いや、恐らくだがそれはないな。前回の討伐作戦でも向こうから協力を申し出てきたのだから、今になって手に入れようとは思うまい。流石に奴らでも災禍の鎧は手に余る代物なのだろうさ」

「まぁ、確かにあんな物騒な代物。利用するにしてもリスクがでかすぎるのは確かだけどな」

 

 二人のB★RSに対する話し合いが一段落ついたところで、難しい顔のまま黙って聞いていたタクムが口を開く。

 

「それでマスター、彼女と協力してディザスターの討伐するかどうかについてですが。正直に言って僕は反対です」

「ええ!? な、何でだよタク!」

「ハル、正直に言ってこの話はリスクが大きすぎるんだよ。いくらマスターが王の名を冠する実力者だといっても、僕達の陣営はたった3人の弱小レギオンでしかない。無制限フィールドは同数対戦という縛りが存在していないんだ、つまり――」

 

 ちらりと隣に座るユニコへ視線を送り、眼鏡のブリッジに指を当てながらタクムは指摘した。

 

「この頼み事の全てが偽りで、赤の王が用意した罠であるという可能性も考えなくちゃいけない。前人未到のレベル十に到達する為の条件、レベル九プレイヤーの首を取るという企みであるかもしれないんだ」

 

 鋭く容赦のないその言葉に、ハルユキは何も言えなかった。助けてあげられたらいいな、程度にしか考えていなかった自分が酷く情けなく思う。タクムの推察は何も間違ってはいない、少し考えれば分かることだったのに。

 

 タクムは強い熱の篭った視線で隣に座る幼い少女を射抜く。しかし――、

 

「言ってくれんじゃねーか、シアン・パイル。なら見せてやるよ、こいつがあたしの覚悟だ」

 

 ユニコは全く怯むことなく言い放った。ポケットの中から出した右手で軽く仮想デスクトップを操作し、半透明のネームタグを表示させる。最初の自己紹介で既に見ていたものであったが、今度は少しばかり大きい。それには本名だけじゃなく、住所まで記載されていたからだ。

 

「赤の王、あなたは――」

 

 流石のタクムも、気圧されたように口ごもった。当たり前だ、本名だけでなく住所まで晒してしまうなんて正気の沙汰じゃない。バーストリンカーなら誰もが禁忌するリアル割れを、何ら躊躇うことなく行ったのだから。

 

「あたしが向こうで裏切ったなら、いつでもこっちでケジメを付けに来りゃいいのさ。リアルサイドじゃあ、あたしは何の力もない唯のガキでしかないからな」

 

 勇敢というには余りに危険すぎる、無謀ですらある覚悟だった。いや、ユニコにとってもこれは大きな賭けだったのだとハルユキは気づく。よく考えてみれば、ブレインバーストなんてお構いなしに暴力で脅される可能性だってあったのだ。他のレギオンメンバーを連れてくることもせず、単身で敵地へ乗り込んで来ているのだから。

 

 しん、と静まった空気を破ったのはユニコと同じ王の名を持つ黒雪姫だった。

 

「ふっ、伊達に王を名乗ってはいないということか。いいだろう、小娘。我がレギオン――ネガ・ネビュラスが貴様に協力してやろうじゃないか」

「マスター!」

「何、心配はいらないよタクム君。仮にこの申し出が罠であったとして、その時は突破すればいいだけのことだ」

 

 絶対の自信を込めて、黒の王――ブロックロータスとして黒雪姫は宣言する。

 

「プロミネンスのメンバーがどれだけ集まろうと問題はない、むしろ好都合というものだ。その全てを蹴散らして、赤の王スカーレット・レインを討つだけのことさ」

 

 あまりも、あまりな言葉にタクムとハルユキは絶句する。たった三人しかいないネガ・ネビュラスが六大レギオンに名を連ねるプロミネンスを蹴散らすというのだから。そんな中、ククッと笑みを零したのは侮辱にも等しい発言を受けたユニコだった。

 

「流石、加速世界最大の反逆者様は言うじゃねーか。罠に掛けるなんてこすい真似するつもりはねーけどよ、その言葉よーく覚えておくぜ」

「ああ、よく覚えておいてくれ。己が敗北することになるバーストリンカーの言葉をな」

 

 二人の王がばちばちと火花を散らし始めたところで、ようやく我に返ったハルユキがあわてて制止した。

 

「と、とにかく僕達はユニコちゃんに協力するってことでいいんですよね、先輩」

「む、そうだな。クロムディザスターに上の世界で暴れられるのは私達にとっても都合が悪い。今回ばかりはこの赤いのに協力しようじゃないか。タクム君もそれでいいな?」

「わかりましたよ、赤の王の覚悟も見せてもらったことですし。マスターとハルが乗り気なら僕もそれでかまいません」

 

 嘆息交じりタクムが同意し、ネガ・ネビュラスの方針は決定した。

 それを見ていたユニコが、すかさずこの空気が変わらない内にと次に確認しておくべき事を口にする。

 

「クロムディザスターが向こうにダイブする時間と場所は、あたしが責任を持って調べておく。今はまだ、明日の夕方くらい……としかいえねぇが」

「そうか。では明日の放課後に再びここに集合し、無制限フィールドへ向かうとしようか」

 

 ハルユキもタクムも頷き、この場は解散――という流れになったところで爆弾は投下された。

 

「ほんじゃな、博士と黒いの。明日は遅れんなよ~、さって続き続き、まだまだ面白そうなゲームがいっぱい転がってたからなー」

 

 そう楽しげに告げてハルユキの部屋へと走っていくユニコは、初めから帰る気などさらさらなくこの家に泊まっていくつもりだったのだ。当然そんなことを黒雪姫が黙って見過ごすはずもなく、

 

「今日は私も泊まっていく!」

 

 と恐るべき宣言をした。

 明日は今度こそ自室を死守! などと意気込んでいたハルユキは、唖然と立ち尽くしたまま目の前で変な方向へと転がっていく話の流れを聞いていることしかできなかった。

 

「あのー、僕の意思は?」

 

 虚しく虚空へと消えていく呟きに、一人帰り支度を終えたタクムが応えてくれた。

 

「諦めなよ、ハル。……ちーちゃんには、内緒にしておいてあげるからさ。ある意味うらやましいことじゃないか」

 

 タクムの情けが、割りと本気で心に染みる。

 だがこれは今後待ち受ける修羅場のほんの一つでしかないのだが、ハルユキには知る由も無かった。




 まだ覚えている人がいるかもわからないけど一応投稿しておきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話

 けたたましい爆音を響かせて、金属で造られた街並みを疾駆する影があった。

 空は薄闇に包まれているが、所々に設置された街灯のおかげで視界は明るい。地面はびっしりとアスファルトで舗装されていて、 土が露出した部分は見当たらない。そして影を除いて他に動く物の姿は見受けられなかった。

 

 そういった恵まれた環境が整っていることもあり、《無制限中立フィールド》を黒い影――BRSは全く減速することなく爆走して行く。何時の日かシルバー・クロウと対戦した際に使用していた、大型バイクに彼女は跨っていた。

 

 ――仲間を抱えたシルバー・クロウが向かっている先は……、池袋か。

 

 脳内に送られてくる映像を頼りに、BRSはアクセルを吹かす。周囲に自分以外で動く物がいない為、空を飛びながら移動するクロウの視界に入らないようにかなりの距離を取っているが、これなら心配はいらないだろう。彼らを捕捉しているサヤちゃん先生――ブラック・ゴールドソーの身に何らかのアクシデントがあれば別だが、ユウが万が一に備えて傍に待機している筈だ。

 

 ――風が吹き付けてくるのが心地良い、高いポイントを払った価値はあったかな。

 

 BRSが今身を預けているバイク型強化外装は、ブラックトライクという。骸骨の姿をしたアッシュ・ローラーという名のライダーとシルバー・クロウの対戦を見て、なんとなく欲しくなった為にショップと呼ばれる様々なアイテムを買うことができるお店で手に入れた代物だ。

 レベルアップなどで消費することがない為、ポイントに困っていないB★RSは何の躊躇もなくこれを購入していた。通常対戦で稼ぐことが難しくなり、大型エネミーを狩りながら雀の涙ほどのポイントを集めている他のバーストリンカー達にしてみれば何とも羨ましい話である。

 

 変わり映えのしない景色の中を黙々と快走していたBRSだったが、程なくして送られてくるクロウの映像に変化があった。

 

 何者かの襲撃を受け、バランスを崩し地上へと降下していったのだ。

 遠距離火力の奇襲に、危うく直撃はしなかったものの飛行を維持し続けることができなかったのだろう。予め予想していたことだが、矢張りこの一連の出来事には裏で糸を引く存在がいたらしい。そして黒幕が姿を現した以上、やるべきことは一つ。

 

「黒のレギオン、ネガ・ネビュラスとスカーレット・レインに助太刀して黒幕を排除、そしてクロムディザスターを討伐する」

 

 己の成すべき目的を、BRSは今一度復唱する。なかなかにハードルの高い戦闘になりそうだったが、不思議と気分は高揚していた。二年前に経験したクロム・ディザスターや王達との死闘が脳裏に蘇り、思考が熱を帯びていく。

 

「久しぶりに、全力が出せるかな」

 

 自身の口が笑みを浮かべていることに、BRS――マトは気づいていなかった。

 

 

 復活したクロムディザスターの戦闘力について、ハルユキ達がニコから聞いた情報によれば。

 今代のディザスターはこれまでと同等かそれ以上の戦闘力に加えて、非常に高い機動力をも有しているらしい。それが飛行アビリティを持つシルバークロウに助力を求めた理由だったようだ。

 作戦の段取りを決めて無制限中立フィールドにダイブし、ディザスターの出現予想ポイントへ向かう途中に異変は起こる。

 

 それは突然の襲撃だった。

 クロムディザスターが狩りをする為に現れるであろう池袋を目指し、飛行していたハルユキ達に遠距離からの狙撃が行われたのだ。かつて赤の王スカーレットレインの圧倒的な弾幕をも回避してみせたシルバークロウだったが、流石に三人も抱えたまま満足な回避行動を取れるはずも無く地上へと降下するだけで精一杯だった。

 

 なんとか墜落せずに地上に降り立ったハルユキ達を、待ち受けていたように姿を見せた総勢三十名近いバーストリンカーの群れが取り囲む。その中でも一際鮮やかな黄色の装甲を持つデュエルアバターの姿を見て、ユニコが息を呑んだ。

 

「イエロー・レディオ……黄の王……何故ここに……」

 

 掠れたように呟いたその言葉で、ハルユキはこの集団の頭目が黄の王である事を知った。

 そしてこの状況を作り出した目的も、相手が王だというのなら一つしかない。

 つまり――、タクムが言っていたようにこれは他の王によるレベル九バーストリンカーを狩る為の罠だったのだ。ただしその対象は黒の王ブラック・ロータスではなく、赤の王スカーレット・レインを狙ったものだということ。

 

「おやおや、ふらふら飛んでいた小虫を撃ち落してみれば。まさかスカーレット・レインだとは、これは思いがけない偶然ですねぇ」

 

 ピエロを連想させる外見をしたそのデュエルアバター、黄の王イエロー・レディオはさも驚きましたというように大げさに手を振って見せる。なんとも芝居がかったその仕草を見たユニコが、怒りに満ちた怒号を上げた。

 

「ふざけんな、分かっていて待ち伏せていやがったんだろうが! チェリー・ルークに隠匿した《災禍の鎧》を渡したのはてめぇだな!」

「チェリー・ルーク? 《災禍の鎧》? 何のことをいっているのか全く分かりませんね、妙な言いがかりはやめて頂きたい。私はただ、あなたが率いるプロミネンスのメンバーに強制アンインストールへと追い込まれた可愛いい部下の仇討ちをしたいだけですよ。不可侵条約の規定に従って、ね」

 

 不適な笑みを崩さず、イエロー・レディオはプロミネンスの失態と不可侵条約の規定を指摘する。確かにイエロー・レディオがチェリー・ルークに接触して《災禍の鎧》を渡したという証拠は何一つないのだから、それが詭弁だと知っていても諦めるに仕方が無かった。

 

 現にユニコは悔しそうに身体を震わせながらも、押し黙ったまま何も言い返せずにいる。

 だが、この場にはもう一人加速世界において圧倒的強者と呼べる者がいるのだ。

 

 ハルユキが最も尊敬する人物――黒の王ブラックロータスが。

 しかし、先程から黒雪姫は二人の王の会話に口を挟むことなく沈黙を貫いていた。

 何時もなら真っ先に声を上げてくれるはずなのに、と不審に思ったハルユキが声を掛ける。

 

「あの、先輩……?」

「……ッ、いや、何でもない。少し戸惑っただけだ」

 

 明らかに何かがおかしかった。しかしそれをハルユキが問う前に、ロータスはレディオへ声を張り上げる。

 

「ふざけるな、レディオ。そのようなこと、私が黙ってみていると思うか!」

「これはこれは、誰かと思えば黒の王ではありませんか。二年間も何処かに引き篭もっていたようなので、すぐには気づけませんでしたよ。それで? 今さらになって貴方が一体何をするというのです、よもやその血塗られた剣を私に向けるとでも?」

 

 嘲るように言いつつ、レディオは右手に一枚のカードを出現させハルユキ達の前に投擲する。

 

「二年間もこの舞台から遠ざかって、どれ程の覚悟を持ち再び舞い戻ってきたのか。是非とも見せて頂くとしましょうかね!」

 

 カードの正体は、過去に起こった出来事を記録するリプレイファイルだった。

 黒雪姫が先日にハルユキ達に見せた、先代のクロムディザスター戦を収録した代物と同じだ。

 しかし、当然ながら映し出される内容は同じではない。

 最も大きな動揺を見せたのは黒雪姫である。しかし、それは当たり前のことだった

 

「まさか……やめろ、やめろ!」

 

 かつて、純色の七王の間で起こった惨劇。黒の王――ブラック・ロータスにとって決して忘れることのできない過去が、そのファイルには残されていたのだから。

 

『俺達はこんなくだらないことの為に、毎日対戦を繰り返してきたんじゃないだろ!?』

『ロータス、俺はお前のことが好きだぜ。何時か現実世界で会ってもダチになれる、本気でそう信じてるんだ』

『ああ、そうだな。ライダー、私も君のことが好きだよ。勿論、尊敬という意味でだが』

『ロータス、お前ならきっとそう言ってくれると信じてたぜ!』

『デス・バイ・エンブレイシング』

『い……いやあああぁぁぁ!!』

 

 和解したように見せかけての、いきなりの不意打ち。

 初代赤の王レッド・ライダーの想いを、数年に渡り共に戦い競いあってきた友情を、裏切りという最悪の行為で踏みにじったのだ。それは黒雪姫にとって、決して忘れることも己を許すこともできない過ちだった。

 

「ハルユキ、君。わ、わたし、わたし、は……」

 

 震える声でか細く呟き、それ以上は続けることができなかった。

 ヴァイオレットに輝いていたロータスの両眼から、光が失われていく。

 ガシャン。と崩れ落ちるように地面へと倒れこみ、黒の王は糸の切れた人形の如く一切の反応を示さなくなった。

 

「《零化現象》! ロータス、あんたそこまで……」

 

 ユニコの低い呻き声が聞こえたが、ハルユキには何が起こったのか理解できなかった。

 

「先輩!? 一体、どうして」

「ハル、マスターは……」

 

 タクムが険しい表情で何かを言いかけたが、それを遮って高らかな哄笑が周囲に響く。

 

「くっ、くくっ、くふふっ、くあははははははっ!!」

 

 イエロー・レディオは自身の手札がもたらした想像以上の効果に、大きく肩を震わせて嗤うのを抑えられなかった。二年もの潜伏を経てようやく姿を見せたと思えば、よもやこの体たらくとは。いまだ過去に囚われたまま、一歩を踏み出すことすらもできていなかったとは。

 

「まだ引き摺っているだろうとは思っていましたが、まさか戦う意思すら失って零化してくれるとはね。かつてこの舞台に立つ先駆者となり肩を並べ合った者として、むしろ残念ですらありますよ! その程度のちっぽけな覚悟しか持たず、よくもレベル十に到達するなどとほざけたものですね……ブラック・ロータス!」

「何だ、と……!」

 

 ハルユキの口から怒りに濡れた低い声が漏れる。レディオの叫びには小さくない憤怒も混じっているように感じられたが、敬愛する親であり師でもある黒雪姫を侮辱され思考が熱くなっていた為に気づくことはなかった。

 

「それでは、つまらない余興も終わったところで本日のメイン・プログラム(最終演目)といきましょう! 全部隊攻撃用意、目標――スカーレット・レイン! おまけのゲスト共もまとめて蹴散らしてしまいなさい!」

 

 大きく振りかぶった右腕が死刑宣告のように勢いよく振り下ろされ、今か今かと開戦の合図を待ち詫びていたレディオ配下のアバター群が一斉に動き出す。その第一波となる無数の遠距離火力攻撃が、ハルユキ達の頭上に豪雨となって降り注ぎ――、

 

「《ヴォルカノン》――」

 

 そのすべてが標的へと達する前に遮断された。

 

 十人以上のアバターによる、遠距離攻撃の弾幕を一つとして残すことなく相殺する。

 理解し難いその光景に、ハルユキとタクムを含めた全てのアバターの視線が二代目赤の王、スカーレットレインに集中した。遠距離攻撃のスペシャリストである彼女なら、この神掛かり的な迎撃も納得のできると。だが違う、レインはまだその本体ともいうべき強化外装《インビンシブル》を装着していない。

 

 ならば一体誰が――という疑問に答えるが如く、近くの建造物から鮮やかな跳躍を見せて一人の少女が降り立つ。丁度、ハルユキ達とレディオが対峙するその中間へと。

 

「あのアバターは、まさか……ブラック★ロックシューター!」

 

 ほとんど無意識の内に、ハルユキはそのアバターの名を叫んでいた。

 




アクセル・ワールドの2期は何時になったら始まるのだろうか。
もし始まればもっと更新速度が上がるはずなのに(言い訳


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話

 唐突な乱入者の登場で、クレーターを包囲するように集結していた黄のレギオン――クリプト・コズミック・サーカスのアバター群が数歩後ずさる。誰の目からも明らかに、動揺しているのが見てとれた。つまり、これは彼らにとっても想定外の事態なのだ。

 

 しかし、それはハルユキ達もまた同じだった。

 

 BRSが何故こんな場所に現れたのか、何故自分達を助けるような真似をしたのかなど知る由もない。緊迫した空気が漂いはじめる中、最初に言葉を発したのは黄のレギオンメンバーで唯一人、その場から一歩も動かずに佇んでいたレディオだった。

 

「全く、今宵の演目は予定にないゲスト出演者が多くて困りますねぇ。私が用意した舞台に立ちたいと思ってしまうのは、まぁ分からないでもないですが」

 

 困ったものです、といわんばかりに肩を竦めて見せる。

 誰が立ちたいものか、と嫌そうにハルユキ達が眉を顰めるのもお構いなしだ。

 

「さて、それでは一応聞いておくとしましょうか? ブラック・ロックシューター、どうしてあなたがこの演目に横槍を加えたのか。私達の邪魔をしようとしているのか、をね」

 

 不気味な笑みを貼り付けたその表情に変化は見えないが、その言葉には僅かな苛立ちが含まれているように感じれられた。自身の描いていた展開とは大きく異なった今の状況に、相当な不満があるのだろう。

 

 だがそんなことは関係ないとばかりに、BRSはちらりと後方にいるレインを見てから鋭い視線でレディオを睨み返す。

 

「私の目的は、復活したクロムディザスターの暴走を止めること。レギオンマスターのスカーレット・レインなら、断罪の一撃を使用して奴のポイントを一度に全損させられる。だからイエロー・レディオ、貴方が彼女を狩るのは見過ごせない」

「ちょっと待った、あたしはそんな話聞いてねぇぞ」

 

 淡々とした、事務的な響きしか感じられない声で宣言するBRSに、それまで状況を見守っていたレインが疑問を呈した。

 

「確かにあんたのお仲間のデッドマスターとかいう奴に、こっちの事情はあらかた話したけどよ。でもクロムディザスター……、ルークがこっちにダイブする時間までは教えてなかったはずだし、だいたいどうやってあたし達の居場所を突き止めやがったんだ? そもそも前の対戦の一件といい、胡散臭すぎるぜあんた等」

 

 それは確かに気にせずにはいられない問題だった。クロウとタクムもまたBRSの背中へと意識を向ける。しかし、幾つもの視線を一身に浴びることとなった黒衣の少女は、前方のレディオから視線を逸すことなく返答する。

 

「私達が怪しいというのは、貴方達から見ればその通りかもしれない。でも、今はそんな事を気にしていられる状況ではないはず。信用できないからといってせっかく窮地に現れた救援を蹴るなんて真似を、仮にも一大レギオンの長を務める貴方がしていいのか。スカーレット・レイン」

「チッ、言ってくれるじゃねーか。だがそこまで大きく出た以上、期待してもいいんだろうな? 周囲を取り囲まれたこの状況、どうやって打開する気なのか教えてもらおうかね」

「決まってる、全部倒してしまえばいい」

 

 こともなげに言い切って見せたBRSに、ハルユキもタクムも絶句した。

 

「な、何を言ってるんだ! 僕達は無力化してしまったマスターを除けば貴方を含めてもたったの四人、相手はざっと見て三十人以上はいるんですよ。どう考えても無謀です!」

 

 必死に反論するシアン・パイルにクロウがこくこくと頷いて賛同する。

 少なくとも七倍以上の戦力差があるというのに、殲滅作戦を行うなど正気とは思えない。

 だが、意外にもレインは数秒の思考の後に賛同する意志を見せた。

 

「厳しいが、まぁそれしかねぇだろうな」

「ニコ!?」

「赤の王!?」

 

 驚愕するクロウとパイルを、レインは右手を上げて制した。

 

「まぁ、黙ってあたしの話を聞け……正直に言って、逃げるにしても身動きの取れないロータスを連れてじゃあ難しい、完全に方位されちまってるしな。ならいっそのこと、あたしが強化外装を装着しちまえば多人数相手でも十分に戦えるってこった」

 

 言われてみれば確かに悪くない考えにも思えてくるが、これだけの数的不利を覆せるのかという不安は残る。

 

「しかし……」

 

 尚も渋るようにタクムは呻くが、最早これ以上の話し合いの余地は残されていなかった。

 BRSが初手を完全に迎撃した事で動揺していた黄のレギオンメンバー達が、レディオの手により落ち着きを取り戻しつつあったからだ。初撃を行った遠距離火力の部隊も、すでに武装のリチャージを終えている頃だろう。

 

 此処で戦う以外に術は無いと判断したレインは、両手を高々と天に掲げ己が相棒に向けて咆哮を上げる。

 

「来いッ! 強化外装――――――――ッッ!!!」

 

 ゴウッ、と燃え盛る火焔がレインを包み込み、炎と共に真紅の物体が次々に出現する。

 一つ一つでもかなりの大きさを持つ紅い部品が、連結して巨大なナニかへと変貌していく。

 十秒にも満たない時間が経過した時には、クレーターの中心に巨大な要塞が鎮座していた。

 

 これこそ、二代目赤の王スカーレットレインの真の姿。《不動要塞》とも称される彼女が誇る遠距離火力の集大成だ。その威容の前に、落ち着きを取り戻した筈の黄のレギオンメンバーが再び慌てふためきだすのがはっきりと見てとれた。

 

 しかし、それもまた束の間の内に掻き消される。

 

「案ずることはありません! 我がクリプト・コズミック・サーカスは予定通りに、スカーレット・レインの首を狩るだけです! 低レベルの有象無象が数人加わった程度で、私が書いた脚本には何の支障も無い!」

 

 張り上げるような叫び声で、レディオが今一度自身の部下達を一喝する。

 流石というべきか、浮ついていた空気は瞬く間に消え去った。

 黄の王は統率者として、彼らからそれなりの信頼は得ているらしい。

 

「挨拶代わりといっては何ですが、まずはこれをプレゼントしてあげましょう。有難くお受けなさい――――― 愚者の回転木馬(シリー・ゴー・ラウンド)!」

 

 レディオの両手に黄色い光の球体が発生し、それに合わせてハルユキ達の頭上に位置する空間がぐにゃりと歪む。幻惑系必殺技の発動。遊園地にでも置いてありそうな玩具の木馬が歪んだ箇所から次々と出現し――、

 

「謹んでお断りさせてもらう――槌技《ウォーハンマー》!」

 

 その効果を発揮することなく、瞬時に破壊し尽くされた。

 

 虚空より取り出した巨大な鉄槌を、BRSが勢いよく地面に叩きつける。たったそれだけで、空中に浮かんでいた全ての木馬が粉砕されたのだ。この場にいる誰もが驚きに目を見開く中、最も信じられなかったのは必殺技を発動させたレディオ本人である。これまで保ち続けてきた余裕を全て失ったかのような平坦な声で、黄の王は呻いた。

 

「……なぜ、一体何をしたというのです? 実体を持たない幻影の木馬が破壊されるなど、有り得ない」

「別に、何も特別なことはしていない。例え実体がなくても目に見えて存在しているのなら、私はそれを破壊することができる。ただ、それだけだ」

 

 槌技ウォーハンマーは自身を中心として周囲のオブジェクトにダメージを与える範囲系必殺技であり、幻影である筈の木馬を破壊することができたのはBRSが持つ固有技能《アクティブ・スキル》のおかげだ。虚の世界より引き継いだその特性――《世界の破壊者》により、システム上では破壊不可能な物質や幻影でも関係なく彼女は破壊することができる。

 

 BRSにしてみれば、この結果は至極当然のモノに過ぎないのだ。

 

 けれど――、レディオにとってそれは大きな屈辱だった。本当に、別に誇るようなことでもないといったBRSの態度にピエロを模した彼の顔が歪む。己の必殺技を無効化しておきながら、造作も無いといった表情をされるとは。苛立ちで思考が熱を帯びるのを感じながらも、王としての立場から平静を装う。

 

「前々から思っていましたが、やはり貴方は私とは相容れないようですね。……いいでしょう、今ここで潰してしまえば後の憂いの一つが減るというものです。ブラック・ロックシューター、貴方はこの私が直接手を下して差し上げますよ―――― 多重残像(マルチ・ビジョン)!」

 

 技名発生と同時。レディオの身体が黄色く発光し、複数体に分裂した。

 

「幻影……」

 

 BRSは呟き、小さく舌打ちする。黄の王が幻覚・幻惑系攻撃のスペシャリストだと噂には聞いていたが、実際に目の当たりにしてみると予想以上に厄介だと。五感の中でも重要な情報源となる、視覚がまともに機能しないのは大きい。

 

「この私の前に愚かにも立ち塞がった事、その身を持って後悔させてあげましょう!」

 

 三体に分かたれたレディオが一斉に地面を蹴り上げた。

 前方と左右。三方向から距離を詰めてくるのを、BRSはその場から動かず迎え撃つ。

 本体がどれなのか見当もつかない以上、下手に動くべきではないと判断して。

 

 直後――貫くような怖気が背筋を走り、咄嗟にしゃがみ込む。

 

 その判断が正しかった事は、頭上を高速で通過した物体が証明していた。一体何時移動したというのか、背後へ回り込んでいたレディオが何処からか取り出した長大なバトンを横薙ぎに振るったのだ。危うく避けていなければ頭部を打ち抜かれていただろう。嫌な冷や汗が流れるのを感じながらも、BRSは地面に両手をつきながら後方へ右足を振り上げ蹴りを放つ。レディオが身を引いた為にこれは空を切るが、その勢いを利用し軽やかに側転することでお互いに向き合う形へと持っていく。

 

「前から向かってきた三体は、皆幻影だったのか」

 

 忌々しそうに、BRSは目の前で嫌な笑みを浮かべる黄の王を睨む。

 射抜くような視線を浴びながら、レディオはまったく動ずる気配を見せなかった。

 

「完全に隙を突いたと思ったんですが、なかなか良い反応をしますねぇ」

 

 トン、という力強さを感じない軽い踏み込み。しかし生み出された速度は突風の如し。

 瞬時に間合いを詰めたレディオから強烈な前蹴りが放たれる。

 予測を遥かに超えた旋風を連想させる蹴撃に、回避しきれないと判断したBRSは両腕をクロスさせて防ぐが途轍もない衝撃が迸った。

 

「くうっ――!」

 

 大型トラックと衝突したような圧力に襲われ、苦痛の呻き声を漏らす。

 ひょろ長い見た目をしたアバターの一体何処にこれだけの力があるのか。

 踏ん張りがきかずに砂塵を巻き上げ大きく後退しながらも、BRSは無手では厳しいと己が愛用する近接武装を手元に呼び寄せる。

 

「装着――ブラック・ブレード」

 

 深みのある漆黒と鮮やかな白銀の二色に輝く刀を掴み、さらなる追撃を仕掛けんと肉迫するレディオへ逆に踏み込みながら烈火の剣閃を見舞う。しかし相手はこの反撃を予想していたのか、巧みにバトンを操って斬撃の軌道を下にそらして見せた。攻撃を受け流されて無防備になったところへ、必殺の意思を乗せた上段からの一撃を振り下ろす。

 

 勝利を確信したレディオがにやりと笑みを作り、だがそれよりも早く鋭い痛みが身体に走った。

 

 攻撃を捌かれ体勢を崩したかに見えたBRSが、渾身の力を足に篭めて踏み止まり素早く手首を返して刀を振り上げたのだ。これが攻撃に意識が移っていた黄の王へカウンターとなり、装甲ごと胴を斬り裂いたのである。

 

「ぐがぁぁっ!」

 

 痛みの余り叫び声を上げつつ、レディオが後ずさる。

 それを好機と見たBRSは地面を力強く蹴り上げ、必殺技の発動体勢に入った。

 かつて非常に優れた反応速度を誇るクロウが、まだレベル一であったとはいえ全く対応できず真っ二つにされた剣閃が放たれる。

 

「剣技――《ブレード・キル》!」

 

 知覚することすら難しい剣速。空気すらも断ち切るような、飛燕の一閃が振り抜かれた。

 事実。レベル九であり王の一角たるレディオですら、避けることも防ぐこともできずに両断されて――――霞むように霧となって消滅した。驚愕にBRSは目を見開く。傷を受け後退した時、いつの間にか幻影とすり替わっていたのだ。

 

「残念、それは外れです」

 

 間近から声が聞こえ、その数瞬の後。打ち据えられるような痛みと衝撃が腹部を貫く。

 

「ッッ――――!!」

 

 歯を食いしばって苦痛に耐えるも、両足が地面を離れたBRSは滑空するように十メートル以上も吹き飛ばされ地面を転がった。




イエロー・レディオは小物臭い振る舞いに反して実は非常に強いに違いない……。
なんて個人的には予想しています。
というわけでこの作品の黄の王は少なくともユニコちゃんより強いのです。
すごいぞレディオ、強いぞ格好良いぞー!
まぁ緑や青といった他の王達がどれくらい強いのか原作全部読んでない私は知らんのですが()


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話

 加速世界。日本全土に張り巡らされたソーシャルネットカメラによって実現したその場所は、誕生より幾年もの月日が経過した今も尚。極限られた者達だけが知りうる、秘された仮想空間となっているのが現状だ。

 現実における一秒を、一千倍にも引き伸ばすことが可能な世界。そのメリットは、当然ながら計り知れないものがあった。思考を加速させる力は、現実での様々な物事で活用することができる為だ。その最たる例の一つに、スポーツが挙げられる。一千倍にも引き伸ばされた感覚を持ってすれば、圧倒的な優位を得て試合に臨むことができるからだ。スポーツの各分野で世間に注目されている成績優秀者が、バーストリンカーであったというのは少なくない。

 それは彼――黄の王イエロー・レディオにしてみれば、あまりにくだらないことだった。

 

 偶然手に入れた借り物の力を使い、他者からの賞賛を得たところで一体何になるというのか。

 そもそも、借りた力が何時までも自分のものであるという保障もないのだ。

 一度でも加速の力を使ってしまえば、もう抜け出すことはできなくなってしまう。

 嘘を隠す為にまた嘘を重ねるように、加速の力を使う頻度も増えていく。

 加速コマンドを使用する為に必要なポイントを貯めるには、対戦で勝たなくてはならない。

 しかし、ポイントを集めることで躍起になっているような精神状態では、自然と焦りが生まれてしまうものだ。

 そんな中で対戦を繰り返しても、安定した勝利を収められるはずがない。

 

 つまるところ、末路など初めからわかりきっていたということだ。

 

 レディオにとって、そんな彼らを眺めることは最高の愉絶だった。

 加速世界という場は、彼にしてみればこれ以上のない遊技場であり舞台装置(ステージ)なのだ。

 純色の七王などという大層な呼ばれ方をされ、六大レギオンの長を務める立場となった今でも、それだけは変わらない。

 二代目赤の王スカーレット・レインを罠に嵌めたのも、お気に入りの役者であったライダーの後釜に座ったのが気に入らなかったというだけ。前人未到のレベル十到達にも、実をいえば大した興味を抱いてはいない。どこまでも自身の享楽に忠実な道化師。誰かを楽しませるのではなく、自身が楽しむ事をなによりの目的としたピエロこそが、レディオの本質だった。

 

 

 

 振り抜かれた一刀は、敵を断つことなく弾かれる。

 すかさず二刀目を放とうとするも、鋭い前蹴りが迫り許してはくれない。

 後方へと飛び退くことで回避したが、敵は突き出した足を利用して地面を砕きながら一歩を踏み込んできた。

 器用にもくるくると回転させながら放つ一撃は、非常に読みにくい軌道を描いて襲ってくる。

 かろうじて防いだが、その衝撃で電流が走ったような痺れが両手へ伝わった。

 

「くっ――――!」

 

 苦しげに呻きながら、BRSはさらに数歩後退する。

 追撃のチャンスであったが、レディオは嫌な笑みを浮かべたまま仕掛けなかった。

 つい先刻、カウンターからの一閃で装甲を斬り付けられたことを気にしてのことだろう。

 さらにいえば、彼にとって重要なのは目の前の相手を倒すことではないのだから。

 

「おやおや、どうしたのですかBRS。そんな調子では何時まで経っても、私を倒して向こうの救援に行くことなどできませんよ?」

 

 クク、と笑みを漏らしつつレディオが挑発してくる。

 悔しげに歯をかみ締めるが、状況を好転させる一手は思い浮かばなかった。

 黒の王ブラック・ロータスが、戦力として数えられなくなったのが大きい。

 レディオとの戦いの最中。BRSは何度かもう一方の戦場を横目で確認していたのだが、完全に押されていた。

 スカーレット・レインは強大な遠距離火力を誇るが、弱点もまた存在している。事実、重要な武装の一つであるミサイルポッドが。彼女対策に連れて来たのであろう、ジャミングを発生させる後方支援型のアバターにより無効化されてしまっていたのだから。

 

 シルバークロウとシアンパイルが善戦してはいるものの、倒されるのは時間の問題だった。

 

「他人の心配をしている余裕が、今のあなたにあるんですかねッ!」

 

 焦りを隙と見たレディオが一息で間合いを零にし、閃光にしか見えない速度でバトンが突き出される。

 

「舐めるな――――――――ッ!」

 

 咄嗟に愛刀を振るって弾き、激しい火花と衝撃が空間を揺らした。

 両者の獲物が鍔迫り合い、拮抗する中。BRSはぎりっと歯軋りを鳴らす。

 

 間接攻撃を得意としたデュエルアバターである黄の王レディオが、ここまでの近接戦闘力を持っていたとは誤算だった。

 烈火の気合を持って繰り出した一閃を、目の前の道化師は容易く相殺してくる。

 俊敏さでは決して負けてはいない、むしろ勝っているといってもいい。

 しかし、戦いの巧みさでは敵のほうが一歩も二歩も上をいっていた。

 攻撃から次の攻撃へと移る際の隙の無さ。崩された姿勢からでも正確に相手を捉える、バトン捌きと蹴り技。

 幾度かもわからない撃ち合いの後、二人は互いに飛び退いて間合いを離す。

 

 相対する敵の力を過小評価していたことを、BRSは今さらになって後悔していた。

 

「ふむ、存外になかなかしぶといですねぇ。私が直に手を下すのですから、もっと早くかたがつくと思っていたのですが。これは少し驚きです」

「そう、なら早く諦めて帰ってほしいのだけれど」

 

 相手の安い挑発を、BRSは特に深く考えることなく軽口で返す。

 しかしそこで、ふむ。とレディオがあごに手を当てて思案するしぐさを見せた。

 

「では、こうしてはどうでしょう。私達がこの場であなた方を見逃す代わりに、一つ条件を飲んでもらうというのは?」

「何……?」

 

 意外な提案に眉を顰めるBRSだったが、続いて出された条件はさらに思わぬものだった。

 

「あなたのお仲間に、チャリオットというデュエルアバターを持つリンカーがいるでしょう? 私は彼女を勧誘したいと前々から思っていましてねぇ。機械仕掛けの蜘蛛型戦車という希有な強化外装、両足に装着したタイヤを利用して自在に動き回る移動術。ギミックに富んだ彼女の戦闘は、この私のような曲芸士を彷彿とさせて実に面白い。我がコズミック・サーカスにこそ、彼女のような人材は相応しいと常々思っていたのですよ」

 

 一瞬、BRSは目を丸くした。それだけ予期せぬ話だったからだ。

 こちらを惑わす為の策略かと、反れかけた思考を敵の一挙一動に集中するが。

 手に持っていたバトンを消し、レディオは腕を組んでみせた。どうやら本気で言っているらしい。

 

「断る、あなたのような胡散臭い奴に大切な仲間を渡せない。そもそも、チャリオット自身が了承するわけがない」

「胡散臭いとは、全く酷い言われようです。……まぁ、断られるだろうとは思っていましたよ。では、遠慮なく倒させてもらうとしましょうか。ここであなたを叩き潰して私の実力を示しておけば、次に彼女と出会った時に勧誘がしやすくなりますからねぇ」

 

 どうやら勧誘の件について、諦めるつもりはさらさらないようだ。

 厄介な存在に目を付けられた親友に同情しつつも、ぐっと手足に力を入れて仕掛けようとした――その時。

 

「何を……何をそんなところで無様に這っているんですか、先輩!」

 

 地の底から吐き出されたような重く低い声が耳に入り、機先を削がれることになった。

 

   ☆☆☆

 

 戦況は最悪といっていいほどに追い詰められていた。

 戦端が開かれた直後こそ、赤の王スカーレット・レインの凄まじい遠距離火力によって有利に思われた。

 しかし、仮にもレベル九に達したバーストリンカーである彼女を相手にする上で、策士を自称する黄の王レディオが何の対策も用意していない筈がない。ジャミングを発生させるという特異な能力を持つアバターが登場したことにより、レインの武装の一部が無効化。さらにシアンパイルは武者の姿をした刀を持つ敵に抑えられ、シルバークロウもまた発電タイプの敵が投擲したワイヤーに捕まり、全身へ流れる電気のせいで身動きが取れなくなっていた。

 

「くそっ、どうすれば……どうすればいいんだ。このままじゃ、このままじゃニコが、タクが!」

 

 地面に這い蹲り、やっとの思いで顔を上げたハルユキの目に入ったのは、いまだ糸の切れた人形のように沈黙し続ける憧れの人の姿だった。

 先代赤の王――レッド・ライダーを不意討ちで倒してしまったことを、あの人が今でも深く悔いているのは知っていた。当の本人である黒雪姫が、苦痛と悲しみに満ちた声で詳細は伏せながらも話してくれたからだ。

 

「先輩、黒雪姫先輩……!」

 

 ブラック・ロータスとレッド・ライダーの間に、どんな深い絆が結ばれていたのかなんてわからない。あの人の心の傷を理解できない自分が、こんな事をいう権利なんてないのかもしれない。でも、それでも――ハルユキは突き動かされる熱い想いのままに叫んでいた。

 

「何を……何をそんなところで無様に這っているんですか、先輩! あなたは、あなたは前人未到のレベル十に到達し、この世界の先を見てみたいと僕に語ったじゃないですか! あらゆる障害を切り倒し、なぎ払って、最後の一人になるその時まで止まらないと、あなたは他ならない自分自身に誓ったはずでしょう! 黒の王、ブラック・ロータス!!」

 

 

 りぃん、という音が聞こえた事を、最初に気づいたのは誰だったか。

 

 

 闇色に閉ざされていた頭部のゴーグルが、ヴァイオレットの輝きを宿す。

 力なく投げ出されていた四肢が、力強い駆動音を鳴らしてぎらりと光った。

 その時、レディオやBRSを含めた全てのアバター達の視線が一点に集中した。

 零化現象から蘇り、美しくも恐ろしい闘気を纏いながら立ち上がった一人の王のもとへ。

 闘志という名の生命を吹き込まれた黒の王ロータスは、今此処に戦場へと舞い戻ったのだ。

 

「すまない、どうやら心配を掛けてしまったようだな。ハルユキ君」

「先、輩……」

 

 その声は何時ものように、どこまでも優しくそして厳しい響きを持っていた。

 

「レギオンマスターであるこの私が、君達の足を引っ張ってしまった汚名はこれから晴らさなければなるまい。……それとな、何時までも転がってないで片手を地面に突き刺してみろ」

「え? あ、はい」

 

 言われたとおりに地面へ片手を突き刺すと、全身を縛っていた電流がみるみる内に抜けいくのが感じられた。始めはその理由がわからずに目をぱちくりさせて疑問を浮かべるも、すぐに理解してあっと呟く。

 

「そうか、アース……」

「技の特性を考えれば、初見で気づく事もそう難しくはなかったはずだぞ。……さて、後は自分でできるな」

 

 ロータスは今の戦況がどうなっているのか、ぐるりと周囲を一瞥しただけで看破したようだった。レディオと対峙するBRSの姿を目にした際、少しだけ目の輝きが増したようにもみえたが。

 まずは捨て置くべきと判断したのか、シアンパイルとスカーレットレインに群がっている敵の近接系アバター達へと狩るべき獲物の照準を定める。

 

「私と戦う者にはこの痛覚二倍の無制限フィールドにおいて、強い痛みを伴う部位欠損ダメージを味わって貰わなければならないが。よもやいまさら嫌とはいうまいな!」

 

 電流より開放されゆっくりと立ち上がるハルユキの前で、加速世界で最も名の知れた七王の一人にして反逆の王。ブラック・ロータスが反撃の狼煙を上げようとしていた。

 

 

 

 一方その頃――――

 

 

「クシュンッ!?」

「あら、どうしたのカガリ? 風邪でも引いたの?」

「うーん、わかんない。なんか急に背筋にゾッとするような寒気が走った気がして……」

「? とにかく、体調には気をつけてね」

「はーい、もうヨミは心配性だなぁ」

 

 リアルでは一人の黄色い少女が、見に覚えの無い悪寒に可愛らしいクシャミをしていたそうな。

 

 




ディザスターを倒したら完結にします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話

「彼女がレディオの相手をしている内に、一気に切り崩す! クロウ、パイル、行くぞ!」

 

 ブラック・ロータスが戦線に復帰したことで、戦況は一変した。

 圧倒的。それ以外の言葉が見つからない光景に、誰かがゴクリと息を飲む。

 黒い稲妻が駆け巡り、スカーレット・レインに群がっていた近接型の黄のレギオン兵が次々に切断されていく。

 

「うぎゃああああ! 腕が! お、俺の腕がぁぁぁ!」

「ぐえええええ! あ、足を切られだぁぁぁ!!」

 

 攻撃を受けた者達が絶叫を上げ、激痛に地面をのたうち回る。

 絶対切断( ワールド・エンド)の異名を持つ彼女のアバターは、全身が武器となる。土煙を上げて大地を削りながら疾走し、立ち塞がる者を全て切り伏せるその姿は一種の美しさすら感じさせ、まるで死を運ぶ黒い睡蓮のようだ。

 

 ――流石の強さ、か。これならチャリオットが負けても仕方がないかも。

 

 一騎当千の働きを見せるロータスの姿を視界の端で捉え、BRSは内心で舌を巻く。

 閃光の如きスピードに、強力なアビリティと絶大な攻撃性能。もし彼女と戦うことになったとしたら、自分はあの斬撃の嵐を凌ぎきり、勝ちを拾うことができるだろうか。チャリオットや彼らのように、身体を断ち切られ敗北するのではないか。

 

 ――まぁ、今回は協力し合う為に来たんだからね。

 

 もっとも、お互いの目的が一致している今だけは考える必要のないことだ。少なくとも、クロム・ディザスターを倒すまでは向こうも無駄な戦いをしようとは思わないだろう。彼の凶獣を葬る為には、戦力は幾らあっても過剰ということはないのだから。

 

「私を前にして考え事とは、舐められたものですね!」

 

 怒声を上げてバトンを叩きつけるレディオからは、これまであったはずの余裕が微塵も感じられなかった。より一層苛烈さを増していく、息もつかせぬ怒涛の連撃。BRSは後退しつつ弾き、両者の間合いが僅かに開いた。レディオは間髪を入れずに踏み込み、さらなる強撃を放つ。豪雨を連想させる連打を真っ向から浴びながらも、BRSは的確に捌いていく。

 

「この程度でっ、やられるもんかッ――!!」

 

 加速世界でも、たったの七人しか現存しないレベル九のアバターが持つポテンシャル。駆け上がっていく過程の中で培った、経験と技量。イエロー・レディオが王の名に相応しい実力を見せつけるが、BRSも負けてはいない。かつて虚の世界で孤独に戦い抜いた、もう一人の自分自身。ブレイン・バーストをインストールした際、デュエルアバターと共に彼女から引き継いだ記憶と知識の残滓によって、根底から支えられているからだ。 

 

 BRSが黄の王を抑えている間にも、戦況は目まぐるしく動いていく。

 シルバー・クロウが、敵の重要な戦術的切り札ともいえる一体のアバターを発見した。

 

「見つけた! あいつがジャミングの発信源だ!」

 

 レギオンマスターであり、親でもある黒の王の活躍を見て、ハルユキは自分も負けてはいられないとばかりに飛翔した。狙うのは、赤の王の遠距離攻撃を妨害しているパラボラアンテナのような外装を装備したアバターだ。しかし、武装のリチャージを終えた敵の遠隔系アバターのミサイルが発射され、次々に彼へと迫る。

 

「ハルの進む道は、僕が邪魔させはしないッ! スプラッシュ・スティンガァァァッ!!」

 

 シアン・パイルが必殺技を発動させる。重機機関銃のような連謝音が鳴り響き、ズトンッ、という爆音とともに小型の杭がミサイル群を撃墜した。阻むモノがなくなり、ギアを上げて加速したクロウが標的へと一直線に突き進む。

 だが――その先では護衛を勤める銃型外装を手に持つ狙撃系アバターが、クロウを撃ち落さんと待ち構えていた。

 

 視線が、交差する。

 

「あ、た、る、かァァァッッ!」

 

 咆哮し、狙撃手の一挙一動に全神経を研ぎ澄ます。時間がゆっくりと流れるような感覚の中で、指がトリガーを引くと同時、全力で身体を横に捻る。

 弾丸が空気を切り裂いてシルバー・クロウに迫り――その役目を果たすことなく、銀翼を掠めて地面を抉るだけに終わった。これまで、苦汁を飲まされ続けた遠距離射撃能力による精密狙撃。遂に、彼は自身の飛行アビリティの弱点となっていた狙撃を克服してみせた。

 

「うっ……ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

「ぐぎゃあっ!?」

 

 飛翔の加速により威力を増した渾身の右ストレートが、パラボラアバターのアンテナに叩き込まれる。まさかの事態の連続に、硬直して立ち竦んでしまった敵アバターは棒立ちでまともに攻撃を受けた。アンテナが重い衝撃音を上げて潰され、悲鳴を漏らし転倒する。

 

「ニコ! 今だッ!!」

 

 クロウが叫び、赤の王は即座に反応した。

 

「おっしゃあっ! よくやった、シルバークロウ! 全武装展開、行ッ……けぇぇぇぇぇ―――!!!」

 

 封じられていた武装が開放され、スカーレット・レインが雄叫びを上げた。爆炎がクレーターの外縁部の至る所で発生し、HPを全損した遠隔攻撃部隊の黄のレギオン兵の消滅を示す光が立ち上る。遠距離火力最強と名高い二代目赤の王による一斉砲火は、まさに撃滅と呼ぶに相応しい光景を生み出した。

 

 それを目にし、黄の王と対峙していたBRSが声をかける。

 

「レディオ、もう勝敗は決したと言ってもいいはず。潔く諦めて引き上げなさい」

「……確かに、これ以上続けても無駄に被害を増やすだけでしょうねぇ」

 

 レディオが細長い手を顎に当て、ふむと呟く。

 引き連れてきた兵も半数以上が倒され、明らかに劣勢となった今。ここから盛り返すのは流石に厳しいところだろう。撤退も視野に入れるべき状況なのは間違いない。

 

 だが――

 

「この私が手間と時間を掛けて用意した舞台と演目を最も邪魔してくれた、イレギュラーのあなただけは見過ごせないでしょう!」

 

 一瞬で距離を詰めたレディオが、手にしたバトンを振り翳す。気を抜いたような雰囲気を見せながらの、不意打ちに近い動き。にも関わらず、それは流れるように迅速だった。虚を衝かれた形となったBRSだったが、ブレードで咄嗟に受け流そうとして――。

 

 いいようのない悪寒が、両者を襲った。

 一度でも味わえば、忘れようがない重圧。加速世界発足以来、幾度となく暴虐の限りを尽くしてきた、最悪の怪物にして災害の化身。間違いなくヤツのモノだ。

 

 その直後。

 

「グルァァァアアアアアア!!!」

 

 世界を揺るがす絶叫。憎悪に満ち溢れたその雄叫びには、全てを呪い破壊せんとする悪意が込められていた。その場に集う全てのバースト・リンカー達が、一斉に動きを止めて声の発生源へと視線を向ける。まるで、吸い寄せられるかのように。

 

「クロム・ディザスター……」

 

 災厄の出現に、誰かがぽつりと呟いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九話

 ――ソレ( ・・)は、明らかに異常な存在だった。

 

 中世の騎士然としたフォルムを持ちながら、まるで飢えた肉食獣のような凶暴性。黒ずんだ銀色の鏡面装甲が巨躯を覆い、重厚な威圧感を放つ。巨大な籠手に守られた右手には、禍々しい紅色に染まった大剣が握られている。

 何より最も目を引くのが、黒銀の騎士の頭部だった。

 後方へと伸びる二本の長い角を生やしたヘルメットの形状は、竜の頭を連想させる。

 

 加速世界の闇が生み落とした、破壊と憎悪の凝集体。

 通常のバーストリンカーとは余りにかけ離れた姿だった。

 あのアバターをリアルで動かしているはずの少年――チェリー・ルークの面影など、欠片も残っているようには感じられない。

 圧倒的なまでの死の気配に当てられ、背筋を凍らせたニコが押し殺した声で呟いた。

 

「チェリー……、アンタそこまでおかしくなっちまったのかよ……」

 

 親しい間柄のレギオンメンバーの、あまりに変わり果てた姿。ニコの胸中を深い後悔と絶望が満たし、思考をかき乱した。その場にいたほとんどのアバターが恐怖に縛られて動けなくなる中、クロム・ディザスターはガパッと口を開く。ぬらぬらと怪しく光る鋭い牙が、上下にぎっしりと突き出しているのが見えた。

 

 ――食イタイ。食ワレテ、肉ニナレ。

 

 奇妙な声が頭の芯に響いた。抑揚の一切ない、機械の音声のような冷たさ。

 何より恐ろしいのが、その声色自体はどう聞いても声変わり前の少年のものだったことだ。

 

「あれがクロムディザスター……、災禍の鎧を装着したバーストリンカーの末路……」

 

 ブレイン・バーストというプログラムアプリが、ここまで精神に影響を与えることにハルユキは戦慄を隠せなかった。あれはもう、汚染か侵食というべき異常さだ。まともな思考……いや、自我が残っているのかさえ怪しい。

 

「ユルルゥ……」

 

 じゃりっと音を立てて凶戦士が向き直ったのは、黄の王達が集う方向だった。

 

「グルゥォォォオオオ!!!」

 

 爆音が空気を振動させる。獰猛な咆哮を轟かせて、手近な黄のレギオン兵(獲物)へと弾け飛ぶ。

 誰もが狙われた不運なアバターの末路を予感し、たった一人の少女がその未来を覆した。

 惨劇を阻止したのは、縦一文字に疾走した一筋の黒い影。

 

「あれは……、ブラック・ロックシューター!?」

 

 ハルユキは確かに見た。破滅的な圧力を内包して突進したディザスターに対し、押し止めるように迎え撃った――蒼炎を右目に宿す黒衣の少女(ブラック・ロックシューター)の姿を。

 

 分厚い灰色の雲に覆われた、黄昏時の夕空を背景に。両者は絶え間なく交差する。

 ディザスターは、ただ圧倒的だった。

 丸太のように太い腕が、縦横無尽に振るわれる。薙ぎ払う一閃が旋風となり、振り下ろされる一閃が爆撃となって大地を砕く。

 

 まともに直撃を受ければ、一撃で全体力ゲージを消し飛ばすには余り有る威力。それを正面から、渾身の剣撃を持ってBRSは対抗した。

 あの小柄なアバターにどれだけの力が宿っているのか。一瞬先に死が訪れる空間の中で、少女はその結末を否定し続ける。

 

 吹き荒れる爆風と共に、幾つもの青白いエフェクト光が火花を散らして両者を照らす。

 

 力が違う。速度が違う。純粋な戦闘能力に、差がありすぎる。絶望的な死線の狭間に己の身を晒しながら、BRSは一歩も引かなかった。

 剣を持つ手に痺れが走り、感覚が麻痺する程の衝撃。踏み込んだ地面が罅割れて砕け、浅くない裂傷が全身に刻まれていく。

 

「凄い……。どうして、あんな……」

 

 呆然とした様子で、ハルユキが声を漏らす。

 あの恐ろしい怪物を前に、何故怯むことなく立ち向かっていけるのか。敵はもう対戦格闘ゲームの域を逸脱した、悪意の化身ともいうべき存在だ。痛覚二倍の無制限フィールドで、あんな絶望の塊と戦うなんて考えただけで身体の震えが止まらなくなる。

 

 目を奪うほど絢爛な二人の戦いが繰り広げられる中、次に動きを見せたのはつい先刻までその一人と対峙していた黄の王だった。

 

「飢えた犬めが、飼い主の恩も忘れて演目(プログラム)の邪魔をする気ですか。仕方がありませんね、皆さん! 今の内に池袋駅のリーブポイントまで撤退しなさい!!」

 

 叫ぶと同時に何らかの必殺技を使用したらしく、残存する黄のレギオン兵達の姿が半透明に薄まった。朧な影となったアバター達が、必死の様相でクレーターから離れ北西へと離脱していく。

 

「故意か、無意識か。何れにせよ敵である私達をわざわざ助けるような真似をするとは……、実に愚かですねBRS。その甘さ、傲慢さ、狂犬の餌となって食われながら後悔しなさい――」

 

 冷徹に判断するのなら、黄の王達の撤退を妨害し囮にして、その混乱に乗じてクロム・ディザスターを奇襲するという選択もあり得ただろう。だが今もなお死闘を演じるBRSの姿には、僅かな後悔も未練も感じられず気迫と闘志だけがあった。つまらなさそうに一瞥した後、黄色い煙が噴出してアバター全身を覆い尽くす。その一秒後には、もうレディオの姿はなかった。

 

「グルルゥゥゥゥ……」

 

 狙っていた獲物に逃げられたことに苛立ったのか、低い唸り声を上げてクロム・ディザスターが剣速をさらに加速させる。大剣が視認不可能な速度で振り下ろされ、受け流しきれずにBRSの体が大きく後退した。

 

「っ――――!!」

 

 苦悶の表情を浮かべ、たたらを踏んで咳き込みながらもBRSは痺れる指先に力を込める。

 今はまだ持ちこたえているが、劣勢は誰が見ても明らかだった。

 

「行かなきゃ、僕が……僕はその為に、此処にいるんだから――」

 

 ニコと交わした約束を守る為にも、黙って見てるわけにはいかない。あの化け物を無力化し、断罪の一撃を撃つ手助けをするという約束を果たす為に、今すぐに動き出す必要があった。

 

 援護を――BRSの援護をしなければと思考は訴えかけるが、喉がうまく動かせない。全身から力が抜け落ち、がしゃりと膝が地に突いた。両手を地面につき慌てて立ち上がろうとするが、がくがくと震える身体は鉛のように重く思い通りに動いてはくれない。

 

 ――何だ、これ。僕はどうしちゃったんだ。さっき先輩にあんな偉そうなことを言ったのに、なんで動けないんだ。

 

 銀色のマスクの下で荒い呼吸を繰り返すハルユキの耳に、凛とした声が聞こえた。

 

「闘志なきバーストリンカーに、デュエルアバターは動かせない」

 

 下を向いていた顔を導かれるように持ち上げれば、艶やかな黒水晶のボディを煌めかせて立つ。憧れの先輩――ブラック・ロータスの姿が視界に映った。

 

「……ついさっきまでの私と同じさ。私が二年前の裏切りを後悔し、己の心の内で沸き立つ勝利への闘争心を強く恐れているように。君はこの加速世界で敗北することを……。いや、負けることが己の価値を下げると思い込み恐れているんだ」

「それは……でも、だって……負けたら何の意味も……」

 

 厳しい叱責を受けたハルユキは大きく目を見開き、震えた声で力なく反論しようとしたが。

 

「それこそが、君の勘違いだと言うのだッ!!」

 

 黒雪姫は、強い怒声でその迷いを断ち切った。

 

「クレバーな撤退など、何の価値もない! そんなもの、そこら辺の薄気味悪いピエロにでも食わせてしまえ! 一度ダイブしたならば、どんな相手であろうとひたすらに戦闘あるのみだッ!!」

 

 言葉を行動で示す為、ブラック・ロータスは戦場の渦中へと疾風となって駆け出した。

 

 その背中を見つめながら、鉄槌を打たれたような衝撃がハルユキのアバターを駆け巡った。

 同時に。加速の世界に足を踏み入れ、最初に敗北した戦闘の記憶が掘り起こされる。

 あの時――、明らかな実力差を感じたあのBRSとの対戦で、自分はどう戦ったのか。

 結果こそ負けはしたものの、最後まで諦めずに立ち向かっていったはずだ。無我夢中に、誰かの目を恐れることも、敗北に怯えることもなく。

 

 今、まさにクロム・ディザスターという強者へと挑み続ける一人の少女(ブラック・ロックシューター)のように――。

 

「僕は……、本当に大馬鹿野郎だッ!!」

 

 己を叱責して叫び、ハルユキは立ち上がる。背中の銀翼をありったけの力で振動させ、空気を引き裂いて飛翔した。限界を超えて、もっと先へと加速する為に。

 




次回で最終回です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十話

 ――もう一度、あの子と会って話がしたい。

 

 何のために。このブレイン・バーストを続けているのかと聞かれたら、それが全てだった。

 虚の世界。今でも鮮明に、少しも色褪せることなく、あの不思議な世界の記憶が心の奥底に焼き付いている。

 もう一人の自分と出会い、傷つけあって、大切な親友との別れを経験した物語。

 どのようにして誕生したのか、何のために存在していたのか、今でも把握できていないことの方が多いけれど。

 

 今では大切な仲間になった、ヨミとカガリとサヤ先生。精神が入れ替わっていたユウとも打ち解け合い、かけがえのない絆を手に入れることができたのがあの場所だった。

 

 ブラック・ロックシューターのおかげで、自分自身と向き合う大切さを知った。ストレングスのおかげで、孤独にならずに皆と知り合うことができた。

 

 もう一度会いたい。ありがとうってちゃんと伝えたい。バーストリンカーとして今日まで戦い抜いてこれたのも、その想いがずっと胸の奥底に焼き付いていたからだ。

 

 虚の世界は既に崩壊し、ブラック・ロックシューター達の消息もずっと掴めていない。

 それでも――あの子の名を宿したこのデュエルアバターを手にしたことに、きっと意味はあるはずだと信じている。諦めずにこの加速世界の謎を探求し続けれていけば、いつか、きっと。

 

 だからこそ、こんなところで躓くわけにはいかなかった。

 

「呪いに負けて、憎悪を糧にして戦う奴なんかに、絶対負けないッ!」

 

 悲鳴を上げる肉体を、打ち合うたびに刻まれる傷の痛みを、燃え盛る猛りで抑え込む。

 強化外装によって超強化された敵の剣速は、もはや視認することすら困難な領域へと加速している。一撃でも受け損ねれば、即死は免れないだろう。

 

 だけど、引き下がれはしない。絶対に引き下がりたくない。

 

 力任せに振るわれる、あまりにも無骨な敵の長剣。

 かつて戦った、黒い少女の姿が脳裏によぎる。

 どんな相手にも勇敢に立ち向った、あの少女はそのたびに傷付いていた。

 肉体的な痛みも、精神的な痛みも、全部受け止めて尚戦い続けたその姿。

 それに対して、目の前の凶獣はただ己の汚れた欲望に身を任せているにすぎない。

 本能で動くだけの暴力の塊と成り果てた、醜悪な剣。そんなモノに屈するなんて、他の誰でもない自分が許せなかった。

 

 ――私だけが、敗北するのならそれでもいい。だけど、今だけはこの名( ブラック・ロックシューター)である今だけは、負けられない!

 

「あの娘は……ブラック・ロックシューターは、お前なんかよりもずっと強かったんだから!」 

「グルオオオッッ!」

 

 土煙を巻き上げ、周囲を火花で満たす苛烈な剣戟。

 何時終わるとも知れぬ両者の戦い。 

 しかし第三者の手によって、それは唐突に終わりを告げた。

 

「デス・バイ・ピアーシング!!」

 

 悠然と響いたのは、高らかに必殺技を叫ぶ黒雪姫の発声音だった。

 左腕につがえられた右腕の剣。その剣身が強大な破壊力を示すヴァイオレットの煌きに包まれ、ディザスターを強襲した。

 意識の外からによる、完璧なタイミングでの不意打ち。

 甲高い金属音。しかし断ち切られたのは、ディザスターのヘルメットから伸びる片方の角だけだった。

 超反応。避けようがない、誰もがそう考える一撃を、霞むが如き動きで回避して見せたのだ。

 

「……ほぅ、今のを躱すかよ」

 

 必殺の間合いからの奇襲だったにもかかわらず、戦果は角一本だけに終わる。けれど黒雪姫は落胆した様子もなく、戦意を欠片もなくしてはいないようだった。

 加速世界最大の反逆者であり、今もなおその歩みを止めることのない彼女にしてみれば、この状況でも恐れはないということなのか。

 

 突然の乱入でどう行動すべきか迷うBRSを置いて、状況はさらに加速していく。

 

「いっけぇぇぇェェェ!!」

 

 雄叫びを上げ、地面スレスレの高さを一直線に突き進んできたのは、力強く銀翼を広げた一羽の鴉だった。無理な回避行動で体勢を崩したディザスターへ、飛行による重力を乗せた渾身の拳を突き出す。

 

「う……、おおっ!!」

「グルゥッ!」

 

 黒銀の装甲に叩き付けたパンチは、またしてもぎりぎりの所で右腕の篭手に阻まれる。しかし、さらなる追撃がディザスターを襲った。

 

「ライトニング・シアン・スパイク!!」

 

 青白い雷光が迸り、三度目の奇襲がついにディザスターを直撃した。狂獣はその巨体を浮かし大きく弾き飛ばされ、放物線を描きながら地面へと落下する。

 

「ルルッ!? …グルォォッ!」

 

 フードの下の牙を激しく打ち鳴らし、怒気を表す。ついにまともなダメージを受けた凶戦士だったが、恐るべき現象を見せた。大きく抉られ傷ついた装甲が、赤黒い光に包まれてみるみる修復されていく。数秒後には、鎧は無傷の状態へと戻ってしまった。

 

「自動修復機能……。流石、災禍の鎧の異名は伊達じゃないね」

 

 シアン・パイルが張り詰めた声で呟く。しかし、その響きには驚きはあっても怯えの色はなかった。圧倒的な脅威を前にして、それでも戦意を失ってはいない。そんな親友の立ち振る舞いに頼もしさを覚えつつ、ハルユキは隣に並んだ。

 

「助かったよ、タク。最高の援護だった」

「ハルとはもう、何度もタッグ戦を組んできたからね。それに僕だけが怖気づいて、皆に任せっきりというわけにもいかないさ」

 

 苦笑いを浮かべてお互いを称えあう二人に、黒雪姫が近づく。

 

「まったく、面倒な横槍のせいで時間はかかったが、ようやく状況は整ったようだな。さて二人とも。一丁、怪物退治と洒落込むとするか」

 

 まるで気負いを感じさせない気軽さを見せる黒雪姫に、二人は力強く返した。

 

「はいっ、先輩」

「了解です、マスター」

 

 自分でも説明できない感情が、胸の奥で渦巻いている。

 先ほどまで感じていたはずの恐怖も怯えも、今はもう感じない。

 恐れず、怯まず。今はただ、ひたすらに挑み続けるだけだ。

 なぜなら、自身はもう一人ではないのだから。頼もしい仲間が、ここにはいるのだから。

 ちらりと横目でBRSの様子を伺うが、彼女は沈黙を守ったまま、動く様子はない。ただ、共闘したいという先刻の言葉通り、こちらに敵意を持ってはいないようだった。

 

 気にはなるが、今は目の前の敵に集中せねばとハルユキは意識を切り替える。

 

「行きますッ!!」

 

 ぱっ、と広げた背中の両翼に力を込め、シルバー・クロウが飛び出す構えを取る。

 右腕の強化外装を胸の前に構え、シアン・パイルが狙いを定める。

 両腕の剣を掲げ、威風堂々とした佇まいでブラック・ロータスが二人の前に立つ。

 

 三人を迎え撃たんと、クロム・ディザスターが大剣を大きく振り上げ――

 

 真紅の巨大な熱線が、全てを飲み込んで迸った。

 

 真っ先に反応した黒雪姫が、剣の峰でハルユキを胸を叩く。

 たまらず地面に倒れ付したハルユキの上に、シアン・パイルが覆いかぶさった。

 二人の咄嗟の行動によってハルユキは射線上より逃れたが、続いて起きた大爆発の衝撃によって、十メートル以上も吹き飛ばされ転がった。

 

 膨大な熱量の中に、一体どれ程の破壊力が凝集されていたのか。フィールドの地形までもが、大きく書き換えられてしまっていた。小さなクレーターが新しく刻み込まれ、各所でちらちらと燃える炎から濃い煙が上がっているのが見える。

 

「タク! 先輩!!」

 

 タクムは熱線をまともに浴びてHPをゲージを全損し、青い光の柱となって消えた。黒雪姫はLV9による高ポテンシャルのおかげか、全損は免れたものの、これまで見たことがないほどに無残な姿だった。もう一人、自分達の近くにいたはずのBRSの姿が見えなくなっていたが、今はそれどころではなかった。

 

「く……、黒雪姫先輩!!」

 

 慌てて駆け寄ったハルユキが夢中で抱え上げると、全身の各所から黒い破片が零れ落ちた。

 ぐたりと力の抜けたアバターはぎょっとするほど軽く、破損箇所を這い回る青紫の火花がまるで飛び散る血液のように見えた。

 

 少し離れた場所では、ディザスターの焼け焦げた姿が見える。損壊は最も激しく、おそらく熱戦が初めから標的としていたのはあの狂獣だったのだろう。自分達は、巻き込まれたのだ。

 一体、何が起こったのか。驚愕と疑問符に思考を埋め尽くされながらも、ハルユキすでに半ば予期していた。

 

 熱線の正体は戦艦の主砲ともいうべき、圧倒的なパワーを持つ遠距離火力による攻撃だ。こんな芸当ができるのは、ハルユキが知る限りでは一人しかいない。

 信じたくはなかったが、恐る恐る熱線が飛来した方角へと首を向ける。外れていて欲しいという願いも虚しく、ハルユキが目にしたモノ。それは巨大な主砲を掲げ、ゆっくりと近づいてくる真紅の要塞の姿だった。

 

「何で……、何でなんだよ、ニコ! いや、スカーレット・レイン!! 僕達まで巻き添えにするなんて、どういうつもりなんだッ! 忘れたわけじゃないだろうッ! 先輩は……、ブラック・ロータスは、君に倒されたら、ポイントを全損してしまうんだぞっ!!」

 

 ハルユキの糾弾に、ニコは動じることなく静かな声で答えた。

 

「それが、どうした」

 

 その声は、驚くほど鋭利で冷たかった。

 絶句するハルユキに、ニコは無感動に続ける。

 

「バーストリンカーにとって、自分以外のあらゆるバーストリンカーは敵だ。敵に倒されりゃポイントは減る、ゼロになりゃ永久退場。ただ、そんだけの話だろ」

「で……でも、君は、僕達と君は……」

 

 仲間じゃないか――、と続こうとしたハルユキの縋るような呟きは、がすっと地面に叩きつけられた主砲によって遮られる。

 

「お前らの甘ったるさには反吐が出んだよ! いいか、加速世界にはな...信じられるモノなんて、何一つ存在しやしねぇ!! 仲間、友達、レギオン...そして親子の絆すら、幻想でしかねぇんだよ!! アイツを始末したら、次はお前らの番だ。それが嫌なら、すぐに逃げな。次に会うときは……敵同士だ」

 

 巨大な強化外装が解除され、小柄な赤いアバターが地面に降り立つ。つぶらな両眼のレンズの奥底で、どんな感情が渦巻いているのか。ハルユキにはとても読み取れそうになかった。

 

 赤の王は右手で腰の大型拳銃を抜き、じゃかっと銃身をスライドさせながら歩き出す。

 

 向かう先ではクロム・ディザスターが、全身の損傷から血の色の光を零しながら尚も北に向けて這いずっている。

 あの巨大な破壊力をまともに受けたはずなのに、あれだけ動けるとはやはり驚異的な耐久力だ。

 しかし、今はニコの歩みの半分程度の速度しか出せず、もう離脱は不可能だろう。

 すぐに追いついたニコは狂獣を踏みつけ動きを封じると、手に持った拳銃を向けた。

 

 それは、ハルユキにはとても悲しい光景に見えた。

 

 災禍の鎧は、確かに消去されるべき危険な代物だ。そして恐るべき戦闘力を持つあの怪物を確実に仕留める為には、自分達に意識が向いている隙を狙うのも合理的だったのかもしれない。

 でも、それなら……あのリビングで皆で過ごした暖かな時間は、何だったのか。チェリー・ルークが災禍の鎧を装着してしまったことを、とても辛そうに話していた姿も。その全てが偽りで、幻に過ぎなかったのか。

 

 やるせない想いが湧き上がり、とても見ていられなくなったハルユキは、視線を外しやがて訪れるであろう銃声を待った。

 

 そして――

 

 

 ハルユキ達がディザスターと対峙している場所から、数キロは離れた無制限フィールドの一角。

 どろりとした黒い影が地面に染み出し、みるみる広がっていく。瞬く間に伸長していき、数秒後には3メートル程の黒い大穴が浮かび上がった。

 

 穴の中から、二人の少女が姿を現す。一人は、クロム・ディザスターと熾烈な剣舞を演じたBRS。そしてもう一人は、悪魔のような二本の角を生やした、赤い瞳を持つ長身の女性型アバターだった。ロングヘアーの黒い艶のある髪が、さらさらと風になびいている。BRSと比べると、少し大人びた雰囲気をみせるそのアバターの名は、ブラック・ゴールドソー。加速世界において、僅か5人しかいない。リアルの人間に近い容姿を持つ、デュエルアバターだ。

 

「危ないところだったわね。あの砲撃を受けていたら、流石にあなたでも無事ではすまなかったんじゃないかしら?」

 

 ゴールドソーの指摘にムッとした表情を浮かべ、顔を背ける。

 

「……あれくらい、私一人でもどうにかできた」

 

 負け惜しみに近い言葉なのは、本当は理解していた。

 あの瞬間。赤の王――スカーレット・レインの存在は、完全に意識の外にあった。彼女の武装はどれも威力が高く、範囲が広い。自分だけならともかく、ネガ・ネビュラスのメンバーまでまき込んでしまうような攻撃をするとは考えもしなかった。

 

 ゴールドソーに助けられていなければ、危なかったのは間違いない。

 

「それにしても、相変わらず便利な能力。離脱(リーブ)ポイントまで、一瞬で移動できるんだから」

「ふふ、私は鴉くんのような飛行アビリティの方が夢があって羨ましいわね」

 

 空間操作。それが、ゴールドソーが虚の世界より引き継いだ能力だ。

 地面に作り出した影に潜伏して自在に移動し、遠く離れた場所まで転移することもできるアビリティ<潜影(シャドウ・ダイブ)>。

 巨大な目を空中に出現させ設置しておく事で、様々な場所を偵察、監視することが可能なアビリティ<透視探知(サーチ・アナライズ)>。

 類稀なる諜報力と移動能力。それが彼女の真骨頂であり、ハルユキ達が無制限フィールドにダイブした時間、場所を特定したのもゴールドソーである。

 

「あら? 向こうで動きがあったみたい」

 

 監視の目から送られてくる映像を見ていたゴールドソーの呟きに、BRSもそちらに顔を向ける。

 加速世界随一の火力を誇る、赤の王のメイン武装による砲撃だ。流石のディザスターでも大ダメージを受けたのは間違いない。

 一時的なものとはいえ、共闘する形になったネガネビュラスの3人の安否も気になった。

 

「……そう、まだ終わってはくれないみたいね」

「これって、いったいどういうこと……?」

 

 BRSが見たのは、ディザスターに捕まり吊るし上げられたスカーレット・レインの姿だった。

 ぐったりと抵抗なくぶら下がったスカーレット・レインは、全てを諦め闘志を失ってしまっているように見える。ゴールドソーに助けられてからまだ時間はそこまで経っていないはずなのに、一体何があったのだろうか。

 

 どうであれ、戦いはまだ終わってはいないらしい。

 Black Blade(ブラック・ブレード)を握る手に、力が篭もる。

 BRSは強い闘志を瞳に宿しながら、じっとディザスターを見つめていた。

 




ブラック★★ロックシューター DAWN FALL 放送記念に更新してみました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。