新訳 そして伝説へ・・・ (久慈川 京)
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第一章
プロローグ


久慈川京と申します。

以前は某サイトで連載いたしておりました。
そのサイトの閉鎖に伴い断筆を宣言していましたが、どうしても物語の続きを描きたいと思い、こちらのサイトに掲載させて頂きました。

よろしくお願い致します。



 

 

 

 

人々は望む。

 

この最悪な世界から誰かが救い出してくれる事を………

 

自分の子供達が外で元気に走り回れる日々を………

 

自分がその光景を見ながら目を細める日々を………

 

その為に、『勇者』が必要だった。

 

自分たちが平和に暮らせる日々の為に………

 

自分以外の誰かであれば良かった………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カミュ、起きなさい。私の可愛いカミュ」

 

とても裕福とは思えない、城下町のはずれにひっそりと佇む一軒家の二階で、母親が子供を揺り起こす声がする。ベッドにはまだ覚醒しきれない少年が寝ていた。年の頃は十五・六といったところであろうか。

 

艶のある黒髪は()の英雄から譲り受けたもの。

 

「……ああ、起きたよ。着替えて下に行くから」

 

母親の呼びかけに、心底鬱陶しそうに少年は答える。

それは、反抗期を迎える子供とはまた違う、一線を引いたものであった。

 

「今日はお城に行く大事な日ですよ。すぐに着替えて降りていらっしゃい」

 

母親は息子がベッドから起き上がるのを確認してから階下に降りて行った。

 

「……はぁ……」

 

少年は本当に気だるそうに身を起こし、着替えの準備を始めた。寝巻きから青を基調にした服に着替え、靴を履く。ベルトに薬草などを入れたポーチを付け、ベッドの枕元に立てかけてあったひと振りの剣を背に回して、鞘についているベルトを胸の前で止めた。

 

この剣は、この日に十六歳を迎える少年への祝いとして、彼の祖父から貰ったものだ。年期は入っているが、とても丁寧に手入れをされており、切れ味は申し分なく見える。マントを羽織った少年は、最後にサークレットを頭に付けた。サークレットの中心には青く輝く石が付いており、これも、十六歳の祝いにと、昨夜に母から手渡された物であった。

 

準備が済んだ少年は一度自分の姿を見下ろし、盛大な溜息をついてから階段を下りて行った。

 

 

 

 

 



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アリアハン

 

 

 

 ここは、英雄を産みし国アリアハン。

 

 昔、人と魔物はそれぞれの住み分けをし、共存共栄が暗黙の了解のもとに成り立っていた。

 しかし、人間の繁殖能力は恐ろしく優秀であり、人口の増加に伴い人はその領分を広げて行くことになる。

 森を切り開いて平地にし、人の往来があるところに町ができ、今や未開の土地という場所は限られてきた。

 その為、住処を奪われた魔物達は徐々に凶暴化して行き、次第に人間を襲う事が多くなっていったのだ。

 それでもまだ人間の繁栄に衰えという言葉はなかったのだが、その人間にとっての平和が崩れる時が来た。

 

 『魔王バラモス』の登場である。

 

 バラモスの登場により、人を襲っていた魔物はより凶暴になり、今まで人に牙を向ける事がなかった魔物達までもが人間を襲い食すようになった。

 その結果、街と街の間の移動も困難となり、商品を輸送するにも傭兵を雇う分赤字になってしまう為、商品の供給も満足に出来なくなって行く。

 日増しに強くなる魔物の脅威は人々から笑顔を奪い、活気を消した。

 そして、自分達では対抗出来ない恐怖に対し、人々は自分達の信じる神である『精霊ルビス』へ祈りを捧げる事しか出来なくなっていたのだ。

 

 そんな中立ち上がった一人の青年がいた。

 彼の名は『オルテガ』

 アリアハンの若き勇者である。

 

 腕っ節はアリアハン随一の腕前であり、宮廷騎士達が数人でかかっても太刀打ち出来ない程のものであり、()の者は魔法さえも行使する事が出来た。

 

 自国の勇者が魔王討伐に立ち上がったのだ。

 国王は嬉々として各国に書状を送り、その勇者への支援協力を要請。

 国を挙げて魔王討伐を後押しした。

 

 そして、オルテガは旅立った。

 まだ幼ささえも残す若い妻と、生まれたばかりの息子を残して……

 

 

 

 旅立って一年、その知らせは魔王消滅を心から願う人々を絶望の淵に落とした。

 

 『オルテガ死去』

 

 その知らせは、瞬く間に全世界へと広がった。

 アリアハン国王はその知らせを聞いた時に、目の前が暗い闇に覆われる。

 しかし、国王の決断は迅速だった。

 

 早急に大臣達に命を下し兵士を招集させ、レーベの村の東にあるアリアハン大陸と別大陸を結ぶ旅の扉の破棄を命じる。

 命を受けた兵士達は、旅の扉の洞窟に分厚い壁を製作し、他国との繋がりを断ったのだ。

 これにより、別大陸から強力な魔物たちがアリアハンに入って来る事はなくなった。

 同時に、アリアハンの他国との交流すらも断絶し、鎖国状態となる。

 年に何度か海上からの渡航はあるが、それも海の強力な魔物達の影響で渡航成功率は皆無に等しかった。

 

 アリアハンの勇者『オルテガ』の死。

 たった一つの人類の希望は、たった一人の青年の死によって永遠に閉ざされたかに思われた。

 

 しかし、彼には息子がいた。

 これはそんな生い立ちを持ち、後に伝説となった少年の物語である。

 

 

 

 

 

「カミュ、朝ごはんは出来ているから、席に座って」

 

 母親はやっと降りてきた息子に対し席に着くように促す。

 すでに食卓には祖父は着席しており、料理もテーブルで主を待っている。

 祖父は息子であるオルテガを、三十歳を過ぎて授かった為、既に齢七十に近い。

 しかし、若い時は剛の者として名を馳せていた事もあり、腰も曲がらず、その体躯はとても七十歳の身体には見えなかった。

 

「お爺様、おはようございます」

 

 少年は慣れ親しんだ自分の場所に座り、家長である祖父に丁寧に挨拶をする。

 

「うむ。カミュ、いよいよ今日じゃな。わしやオルテガの名に恥じぬようしっかりとやるのだぞ」

 

 カミュと呼ばれた少年は、既に耳にタコが出来る程に聞いている祖父の言葉にうんざりとしながらも、それを表情には出さず『はい』と答え頷いた。

 

「大丈夫ですよ、お義父様。カミュはオルテガ様の子です。立派に果たしてくれますよ」

 

 台所から卵を焼いたものと、具がそれほど多くはないスープをお盆に載せて、にこやかな笑顔で母親が出て来た。

 彼女の名はニーナ。

 魔王討伐に行く前の諸国を旅していたオルテガと恋に落ち、十八歳という若さで妻となりカミュを身籠った。

 二十歳で未亡人となり、オルテガの功績による国からの補助や、宮廷騎士であったオルテガの父の老後手当があったとはいえ、女手一つでカミュを育てた女性である。

 

「さぁさぁ、スープが冷めないうちに頂きましょう。大事な日に登城を遅刻する訳にはいかないでしょう?」

 

「ふむ、そうじゃな。カミュ、王にお会いする時に失礼のないようにな」

 

 堅苦しい会話を幾度も交わす母と祖父の言葉に返事を返しながらも、どこか上の空でカミュは食事を済ませた。

 

 

 

「では、お爺様、行ってまいります」

 

 食事を済ませ、休む暇もなくカミュは城へと向かう事になった。

 

「うむ、くれぐれも王に失礼の無きようにな。そして、アリアハンの勇者としてオルテガの後を継ぐのだ、その名に恥じぬ行いを心掛けよ。それに、勇者としてこの家を出るのじゃ、目的を果たすまでは、この家の戸を開ける事は許さん。あとは……」

 

「お父様、その辺りで……登城が遅れてしまいます」

 

 果てしなく続きそうな祖父の小言にカミュが辟易していると、ニーナが祖父の言葉を遮る。

 それは、カミュを助ける為というよりは、言葉通りに城へ行く時間を気にしているようであった。

 

「さあ、カミュ、お城までは私も一緒に行きます。私の後についていらっしゃい」

 

 自宅の敷地を一歩出ると、ニーナはその表情を一遍させ、悠然とカミュの前を歩いて行く。

 外に出れば、ニーナは勇者オルテガの妻であり、カミュは勇者オルテガの忘れ形見なのである。

 

「おはよう、ニーナさん。あら、そう……今日だったのね……」

 

「頼んだぞ、カミュ! 魔王を倒して平和を取り戻してくれ!」

 

「夫とあの子の敵討ち、貴方に託すわよ」

 

 家を出て、城までの道で街の住人がそれぞれの想いをカミュに託す声が響く。

 ある者はこの荒れすさんだ時代からの解放を……

 ある者は失った身内の敵討ちを……

 ある者は無念にも命を落としたアリアハンの勇者へ託した希望を……

 

 十六歳の少年に背負わせるにはあまりに重すぎる責任と希望を嬉々として投げかける。

 それに対し、ニーナはにこやかな笑顔で応対しながらも、悠然とカミュの前を歩き、一方のカミュは能面のような、表情の抜け落ちた表情で、街の住民を一瞥もせずに前を歩くニーナを追っていた。

 

 

 

 アリアハンの城下町から城へと続く橋の麓に着くと、ニーナは振り返りカミュを見つめる。

 

「さぁ、ここからは一人でお行きなさい。お父様もおっしゃっていましたが、オルテガ様の名を汚すような事のないようにね。貴方はこのアリアハンが産んだ英雄の息子なのです。その事は忘れてはいけませんよ。それと、お父様はああ言っていましたけれど、あそこは貴方の家でもあるのですから、いつでも帰って来て良いのですからね」

 

「……ああ……」

 

 家を出る前に祖父がカミュに言ったことをそのまま繰り返すような母の言葉に、カミュは無表情のまま返事を返し、それっきりニーナの方を振り返る事なく城門に向かって歩き出した。

 『いってらっしゃい』、『いってきます』という世間でありふれた親子の会話すらもなく、ニーナとカミュの別れは済んだ。

 

「オルテガ様……カミュをお守り下さい……」

 

 そのカミュの背中を見つめながら、呟くニーナ。

 これが、ニーナが見るカミュの最後の姿になるとは当のニーナは考えもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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アリアハン城

 

 

 城門につくと、門の両端に槍を片手に持った兵士が一人ずつ立っていた。

 見覚えのない顔。

 おそらく新しく配属された兵士達なのだろう。

 最近では、如何に他国との行き来を断ったとはいえ、魔王の影響からかアリアハンの魔物達の凶暴化が進んでいた。

 昔から大陸にすむスライム。

 死者の亡骸を啄ばむカラスが魔王の影響で巨大化した大ガラス。

 数多くの魔物達がアリアハン大陸を住処としている。

 民衆の生活を保護するため、国では討伐隊を定期的に組織し、アリアハンとレーベ間の街道周辺の魔物討伐を行っていた。

 それは宮廷騎士だけでなく、街の酒場に集まる冒険者達からも志願を募り討伐隊を組織する。

 いくら宮廷騎士や旅慣れた冒険者達といえども、相手は魔物である。

 一回の討伐で多いときには数十人の死者が出る事もある。

 ここ数年はその傾向が強く、城の中の兵士や騎士達も、重臣以外は入れ替わりが激しくなっていた。

 

「カミュと申します。本日、アリアハン国王様との謁見のお約束を頂いております。ご確認をお願い致します」

 

 カミュとて、立つ事が出来る歳になった途端に剣が振るえた訳ではない。

 基本的に祖父に師事していたが、宮廷騎士であった祖父のつてで、城の兵士や騎士隊長から教えを受ける事もあった。

 顔見知りの兵士達であれば、カミュの顔を見れば今日ここに来た要件も解るだろうが、城門の両側に立つ彼らはカミュの顔を知っているようには見えなかった。

 

「むっ、少し待っていろ」

 

 右側にいた兵士がカミュの言葉に嘘がないことを確認するために城内へと入って行く。

 カミュはその姿を見送ると、左側の兵士からの無遠慮な好奇の視線を無視し、身動き一つせずにその場で待っていた。

 

「確認が取れた。国王様がお待ちだ。城内に入った所に案内役がいる。そいつに謁見の間まで案内してもらえ」

 

 戻って来た兵士は、それでもカミュの素性を知らされなかったのであろう。 

 見下すような傲慢な態度でカミュへ指示を出す。

 

「畏まりました。お手数をお掛け致しました」

 

 カミュは城内の兵士の平民に対する態度には慣れていた。

 武力では一般人より強いのだろう。

 そして、言葉通り命を懸けて民衆を護る為に最前線に立たされるのは、宮廷兵士ではなく彼らのような一般兵である。

 それを考えると仕方がない事なのかもしれない。

 カミュはそう思っていた。

 

「カミュ様、お待ちしておりました。王様もお待ちです。どうぞこちらへ」

 

 城内に入るとすぐに兵士ではなく線の細い男が立っていた。

 おそらく政に携わる文官であろう。腰は低く、それでいて眼だけはこちらを試すような光を灯している。

 

「ありがとうございます。宜しくお願い致します」

 

 文官は一つ頷くと、カミュを先導し前に見える階段へと向かって行った。

 幼い頃は、剣を習うために何度も通ったことのある城だが、ここ数年は城内に入ることもなくなった。

 記憶とは違う部分がちらほらとあり、それを見つけることがカミュは不思議に嬉しかった。

 

「きゃ!」

 

 女性の短い悲鳴に我に返ったカミュが見たものは、先導していたはずの文官に涙目で頭を下げている給士の女性であった。

 

「この私の前を横切るなど無礼ではないか!!」

 

「も、申し訳ございません……」

 

「貴様、どこの給士だ! 所属を言え!」

 

「も、もう…し…わけご……ざいません」

 

 カミュは見慣れた光景に溜息を洩らす。

 権力、腕力のある者がない者を虐げる事はこの世では当たり前の事だ。

 既にそう割り切っているとは言え、気分の良い物ではない。

 カミュはオルテガの息子ということで文官に案内させるような立場にいるが、実質はその給士の女性と変わらない、アリアハンの街はずれに住む一国民なのだ。

 

「文官殿、そこの給士の方の無礼にお怒りなのは当然ですが、よく見れば、給士の方も相当慌てたご様子。ここは文官殿の寛大なお心でお許しくださる訳には参りませんか?」

 

相変わらずな無表情で、カミュはやんわりと文官と給士の間に入る。突然のカミュの登場に、両者ともに驚いていたが、その後は対照的な表情をしていた。

 

「むぅ……カミュ様がそうおっしゃるならば……もう良い! 早急に仕事に戻れ!」

 

 カミュの登場に苦虫を噛み潰したような表情をしていた文官が忌々しそうに給士に当たり散らす。

 対する給士は『ほっ』とした表情を浮かべ、深々と頭を下げフロアを出て行った。

 何をあそこまで慌てる事があったのかが疑問であったが、結局自分には関係のない事だとカミュは忘れる事とする。

 奥の方で、『お姫様~~』という先程の給士の声が聞こえた事も聞かなかった事にしたのだった。

 

 

 

 

「よくぞ来た、勇者オルテガの息子カミュよ。面を上げよ」

 

 謁見の間に通され、カミュは王の前に跪いていた。

 跪くカミュの右手には見下すような形でアリアハン国務大臣が立っている。

 

「国王様におかれましては、ご健勝で何よりでございます」

 

 カミュは一度顔を上げたがまたすぐに面を下げ、謁見の間に敷かれている赤い絨毯を見つめながらありきたりな挨拶を交わす。

 

「うむ。さて、カミュよ。そなたも今日で十六歳となった。このアリアハンでは十六歳になれば、一人の大人として認められる。故にここにそなたをアリアハンの一戦士として認め、命を下そう。勇者カミュよ、これよりこのアリアハンを出て『魔王バラモス』を討伐せよ!」

 

 カミュは内心、国王の身勝手な言葉に毒づいていた。

 十六という歳で戦士として認められるならば、この『アリアハン』という国には何人の戦士がいると言うのだろう。

 その中で、誰一人『魔王バラモス』の討伐に向かった人間等いないのだ。

 

「はっ、謹んでお受けいたします。このカミュ、アリアハンの旗の元、国王様や勇者オルテガの名に恥じぬようその命、命を賭して果たしてごらんにいれます」

 

「うむ。期待しておるぞ。しかし、カミュ、そなたの父オルテガも一人で旅に出、そして命を落とした。日増しに魔王の力が強まる中、一人での旅は危険だ。城下町にある酒場には多くの経験豊富な冒険者たちがおると聞く。そこで旅の仲間を募れ。良いな?」

 

 顔を上げずに返答を返すカミュに、アリアハン国王は満足気に頷く。

 そして、まるでカミュの身を案じているかのような言葉をかけた。

 

「畏まりました。このような我が身を案じて頂き、有難き幸せに存じます。仰せの通りに致します」

 

 自分の身を案じた物ではない事など、カミュは百も承知だ。

 それでも未だ顔も上げずに国王へと返答する。

 

「うむ。ただ、魔王討伐という目的では思うように仲間を募る事も出来ぬであろう。よって、我が宮廷騎士からそなたに一人分け与える……大臣よ!」

 

「はい。これ、呼んでまいれ」

 

 思わぬ国王の提案に思わず顔を上げそうになったカミュだが、何とか抑える事が出来た。

 国王から呼びかけられた大臣が、その言葉が前から指示として受けていたかのように更に下の文官に指示を出す。

 しばらく経って、カミュの後ろの扉が開き足音が近づいて来た。

 足音はカミュのすぐ後ろで停止し、カミュと同じように跪く気配がする。

 

「うむ……カミュよ。その者の名はリーシャ。前アリアハン宮廷騎士隊長の一人娘だ。女子ではあるが、今の宮廷騎士の中でもその剣技の実力は上位に入る。そなたの旅の助けとなろう」

 

 カミュは国王の言葉に多少驚きながら、姿勢はそのままで顔だけ後ろに振り返る。

 そこに居たのは、確かに女であった。

 少しカールがかかった金髪は肩にも届かないぐらいの長さ。

 アリアハンの一般的な女性と比べると比較的筋肉のついた体格ではあるが、筋肉隆々と言う訳でもなく、女性特有の丸みを残した引き締まった身体をしている。

 跪いているのではっきりとは解らないが、背はおそらくカミュより頭一つ大きいだろう。

 宮廷騎士隊長の娘として幼い頃から剣の手ほどきを受けて来たのか、その気の強そうな瞳が彼女の性根を物語っていた。

 

「はっ、国王様のご寛大なお心を決して忘れず、魔王討伐の命、必ずや果たしてまいります」

 

「支度金と旅に必要な物を用意した。大臣から受け取るように。では、行け! 勇者カミュよ!」

 

 国王のその言葉を聞き、支度金と袋に入った道具を大臣から受け取ったカミュは、後ろに控えたリーシャを一瞥し、謁見の間から出て行った。

 

 

 

 

 



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アリアハン城下町

 

 

 

「ちょっと待ってくれ。これから一緒に旅に出るんだ。自己紹介ぐらいさせてくれないのか?」

 

 城から出て、アリアハンの城下町に続く橋を歩いている途中で、リーシャは前を歩くカミュに意を決して声をかけた。

 カミュは謁見の間からの出掛けに、リーシャへと視線を向けたきり城を出てからこの橋に来るまで、会話どころか顔を見る事すらなかったのだ。

 

「……」

 

 後ろからの声にカミュは無言で振り返る。

 謁見の間ではそれ程じっくりと見なかったが、リーシャの容姿は周りの視線を集めるに十分値するものだった。

 

 気の強そうな切れ長の瞳。

 すっと通った鼻。

 薄い唇。

 

 美人の部類に入るものだ。

 着ている物がワンピースのような物であれば、街を歩けば掛る男性の声に、なかなか前へ進めない状態に陥るだろう。

 しかし、リーシャはアリアハン下級騎士に支給される、なめし皮を叩いた鎧を身につけ、腰にはこれも国からの支給品である剣を差していた。

 

「ようやくこっちを向いたな。私は前宮廷騎士隊長クロノスの一人娘のリーシャだ」

 

「……カミュだ……」

 

 リーシャの自己紹介の後、しばらく間を置いて口を開いたカミュから出た言葉は、自分の名前だけを言う簡潔なものだった。

 幾分か不満はあったが、彼が自分の憧れていた人物の息子だと伝えられていた為、リーシャは気を取り直し、会話を続ける事にした。

 

「剣は幼き頃から父より教わってきた。そこら辺の男に負ける事はない。オルテガ様には幼き時分に何度か声をかけて頂いた事がある。その息子である貴殿と『魔王討伐』の命を受けた事を誇りに思う。よろしく頼む」

 

 そう言ってリーシャが手を差し出す。

 カミュはその手をしばし眺めると、盛大に溜息をついた。

 

「貴方が誰であろうと別段興味はない。『英雄オルテガ』への憧れを俺にスライドしても無意味だ。アリアハン国王の勅命という事で俺についてくるのなら、辞退してくれても構わない。理由はどう言っても良い。全てこちらの責任にしてくれても構わない」

 

 全く友好的ではない発言。それは、先程まで国王の前で雄弁に応答していた少年と同一人物とは思えない物だった。

 リーシャは信じられない者を見たように、オルテガの息子であるカミュを見つめる。

 呆然とするリーシャを見て、もう一度溜息を吐いたカミュは、踵を返し、再び橋を歩き始めた。

 カミュが歩き出した事を見て我に返ったリーシャは、慌ててその後を追った。

 

「ちょ、ちょっと待て! それはどういう意味だ。私が女だからか!? 女の騎士は旅の邪魔だとでも言うのか!?」

 

 それはリーシャにとっては、決して許せる理由ではないのだ。

 幼き頃、宮廷騎士だった父クロノスには子供が出来なかった。

 ようやく授かった子は望んでいた男ではなく女子。

 それでもクロノスは女のリーシャに剣を教えた。

 クロノスの同僚は、女子に剣を教える彼を嘲笑う。

 リーシャと同年代の子供達もまた、男女を問わずリーシャ親子を馬鹿にし始めた。

 

 そんな父クロノスも、宮廷騎士隊長まで登りつめたが、リーシャが七歳になる頃に魔物討伐の際に仲間をかばって戦死する事となる。

 それは、『英雄オルテガ』の死から三年後。

 アリアハン国周辺の魔物達もその狂暴性を更に増して来た頃だった。

 リーシャは父の死後も一人で鍛練を行い、同世代の子供達の中では頭一つ飛び出した実力者になって行く。

 だが、女が剣の実力を磨く事に対し、周りの視線は冷たい物であった。

 

「そうか、名はリーシャと言うのか。良い筋をしているな……流石はクロノス殿の子だ。私の子供が成長したら、剣を教えてやってくれないか?」

 

 だが、彼女の頭に残る、遠い昔に聞いた言葉が、リーシャを突き動かしていた。

 それは、彼女がまだ齢四つの頃、初めて父から与えられた木剣を、嬉々として振り回し遊んでいた頃の事。

 不意に掛った声に対し、振り返ったリーシャは、その人物の姿を見て、緊張で身体を固くしたのだ。

 

 旅による日焼けした肌。

 筋肉で武装された身体。

 それが、アリアハンの英雄と謳われ、まだ魔王討伐に出る前のオルテガだった。

 

 今回、そのオルテガの息子の魔王討伐という旅に同道できる命を受けた時、あの時の『英雄オルテガ』との約束を果たせる時が来たと喜んだのだ。

 成長し、騎士団に入ってからも、女というだけでの差別と侮蔑はあった。

 ましてや、自分よりも弱い男からは、嫉妬からの嫌がらせ等が日常茶飯事となっていたのだ。

 それでも耐えて来たのは、この日の為であったのだとリーシャの身は震える。

 謁見の間で見たオルテガの息子の背は、あの頃のオルテガに比べ見劣りはするものの、十六歳という歳を考えると成長が楽しみなものだった。

 

 だが、先程の言葉は、そんなリーシャの希望を容易く打ち砕く。

 

「……先程も言った通り、貴方が誰であろうと、女であろうと男であろうと興味はない。俺は始めから一人で旅に出る予定だった。故に、貴方が強かろうが弱かろうが、共に旅をする気はないという事だ」

 

 溜息と共に、振り返りもせずにカミュが放った言葉は、憤っていたリーシャの熱を一気に冷まし、絶望の淵へ落として行く。

 『彼は本当にあのオルテガ様の息子なのだろうか?』

 リーシャの頭の中で、既に否定的な答えが出ている疑問が、彼女の口を開かせた。

 

「お、お前は、本当にオルテガ様の息子なのか……?」

 

 呟くようなリーシャのその一言に、もう一度振り返ったカミュの表情は、何の感情も見い出せない、本当に生きている人間かを疑いたくなるようなものだった。

 今のカミュの表情を見れば、先程までリーシャと相対していた時がどれだけ表情豊かなものであったかが解る。

 遠巻きに見ている者には、その違いが解らないかもしれないが、言葉を直に交わしたリーシャには恐怖さえ感じるものだった。

 

「英雄オルテガの息子というステータスが貴方にとってどれほど重要なのかは知らないが、それを他人に押し付けるな。そのステータスと旅に出たいというのなら、人違いだ。他を当たるんだな」

 

 そう言ったきり、もう話しかけるなとでも言うように、カミュはアリアハンの城下町を賑す人の波へと飲まれて行く。

 先程までの喧騒も消え失せ、その場に一人の女性だけを残して行った。

 

『何故、このような事になったのだ?』

 

 リーシャは、カミュが喧騒の中に消えてからも、しばらく橋の上で放心状態にあった。

 三日程前にアリアハン国王直々にお呼びを受け、魔王討伐の命を頂いた。

 その命を最初に聞いた時は、周辺の魔物討伐の言い間違いかと思ったが、そうではなかった。

 討伐隊のリーダーは自分ではなく、若干十六歳の少年だったのだ。

 彼の名は『カミュ』。

 『アリアハンの英雄』であるオルテガの息子。

 

 生まれた時から英雄になる事が決まっている少年に対して、羨望の念を抱いた事もある。

 決して自分の父を蔑にする訳ではないが、全世界に誇る事の出来る英雄の血を引く子である事を素直に羨ましく思っていた。

 そしてリーシャは、この三日間の鍛練を強化し、自分を鍛え直した。

 『英雄オルテガ』の息子に同道する者として恥じぬよう、アリアハンの英雄の想いを引き継ぐ者として胸を張って旅ができるようにと。

 

 それがどうだ……

 会話して数分でリーシャの旅は終結しようとしていた。

 カミュというあのオルテガの息子は、仲間と旅をするつもりはないと言う。

 それはリーシャであろうと、他の誰であろうと同じだと言う。

 

 つまりは、彼はリーシャをリーシャという個人として見ていないのだ。

 それは、どれほどの屈辱だろう。

 未だに、亡き父クロノスには及ばないとは思ってはいるが、今の宮廷騎士の中では自分が一番だという自信もあった。

 なればこそ、旅への同道者として認めるどころか、存在すら認識されないという事は最大の侮辱なのである。

 リーシャは意識の覚醒と共に湧いてくる怒りを感じた。

 

「なんだと言うんだ! あのオルテガ様でさえ、一人旅で命を落としたのだぞ! オルテガ様の足元にも及ばない実力で、どうやって一人で魔王を倒すと言うんだ!」

 

 突然大声を張り上げたリーシャに、街の方から奇異の視線が飛んで来るが、怒りに我を忘れかけているリーシャには関係のない事であった。

 

「くそ! こうなったら、意地でも付いて行ってやる。あんな奴がオルテガ様の息子などと、私は認めない。きっと養子か何かだ。化けの皮を剥いでやる!」

 

 自分の中の『英雄オルテガ』像と、先程の少年とが結びつかない理由を、自分の中で強引に結びつけ、リーシャは偽勇者となった少年を追った。

 

 

 

 リーシャは、街に入り、街の門の方へ向かう途中で、道具屋に入っていく少年を見つけた。

 旅に必要な道具でも買いに行くのだろうか。

 『国王から旅の道具は支給されたはず』とリーシャは首を捻る。

 そのまま道具屋に続いて入ると、ちょうどカミュが道具屋の主人から薬草を数枚受け取っているところだった。

 

「何をしているんだ?……薬草なら国王様からの支給品の中に入っていたのではないのか?」

 

「……また貴方か……旅の仲間は間に合っていると言ったはずなんだが」

 

 不意にかけられたリーシャの声に対して驚きもせず、無表情のままカミュはリーシャを見る。

 だが、カミュの口から出た言葉は、リーシャの質問に一切答える事なく、リーシャとの接触を拒絶するものだった。

 

「ぐっ! わ、私はアリアハン国王様から直々にお前の旅への同道を命じられたのだ。どれ程お前に断られてもついていく」

 

「呼び名はお前に降格確定か……くっくっ、勝手にすれば良い。ただ、自分の身は自分で護ってくれ」

 

 意外にも、カミュはリーシャの同道を簡単に認めた。

 それでも、リーシャはカミュのある一言が気に食わない。

 それは、リーシャの生きて来た年月を否定する言葉なのだから。

 

「自分の身を護る!? それはこちらのセリフだ! オルテガ様の足元にも及ばないお前が何を言っている!? おそらく、お前の剣の腕などは私よりも劣るのだろう? お前こそ自分の身すら護れないのではないか?」

 

 アリアハン宮廷騎士随一だと自負しているリーシャにとって、立て続けの侮辱である。

 どうしても挑発的な物言いになってしまう。

 対するカミュはというと、そんなリーシャの言葉を聞いていなかったかのように、リーシャの脇を抜け道具屋を出て行った。

 慌てて後を追い、リーシャはカミュの横に並び歩き出すが、一切の会話がない。

 カミュはリーシャを見ようともせず、リーシャもそんなカミュに自分から声をかけるような事はしなかった。

 武器屋を通り過ぎ、アリアハン唯一の酒場が見えて来る。

 リーシャはさも当然のように酒場への道を曲がったが、カミュはそのまま道を真っ直ぐに進んで行った。

 

「お、おい! 国王様にお言葉を頂戴した筈だぞ?……酒場で仲間を募るのではないのか?」

 

 全く酒場へ向かう気がないカミュを追ってリーシャは声をかけるが、カミュはそんなリーシャに心底呆れたような溜息をついた。

 

「俺は、元々一人で旅に出る予定だった事は話したはずだが……それに、あんな酒場に入り浸っている人間が、魔王討伐のような、ほぼ確実な死の旅について来ると思うのか?」

 

 カミュの答えに、リーシャは息を飲んだ。

 一人で旅する予定だと言われた事を忘れていたためではない。

 国王様の忠告を無視するカミュに驚いたためでもない。

 カミュが、この魔王討伐という旅での『死』を当たり前の事と受け入れている事にだった。

 普通、このぐらいの歳の人間が、一国の国王から直々の命を受けて旅立つ時、その胸には多少の恐怖はあるだろうが、希望と好奇心、そして選ばれた事への優越感に興奮するのが当たり前だ。

 リーシャですら、国王直々の命に興奮を覚えた。

 それにも拘わらず、目の前の少年にはそのような感情のかけらもない。

 むしろ、死という絶望が自分の未来であることを納得しているかのようであった。

 

「こんな他国との交流もなく、大陸から強い魔物も入って来る事のない国の酒場に、昼から入り浸っているような人間達だ。碌な魔物と戦った事もない連中ばかりだろう。魔物討伐で街道沿いにいる魔物と多少の戦闘をして、それで得た給金で生活している名ばかりの冒険者。そんな我が身が可愛い奴らだ。死の旅について来るとは考えられない。例え、ついて来たとしても足手纏いなだけだ」

 

 カミュは言い終わると、そのままアリアハン城下町の入口の門に向かう。

 リーシャはカミュの言うことに反論が出来ない事に悔しさを覚えるが、よくよく考えれば、カミュの言い分が的を得ている事を理解し、その後を追った。

 

 

 

「アリアハンの英雄オルテガの意思を継ぐ勇者カミュ、バンザーーーーーイ!」

 

「勇者に精霊ルビスの加護のあらんことを!」

 

「頼んだぞ~~~~~~~~!!」

 

 門が近づくにつれて見えてきた人だかりに、リーシャは目を丸くした。

 街の住民の大半が勇者の旅立ちを見送ろうと押し寄せて来ていたのだ。

 口々にアリアハンから旅立つ新しい勇者への声援を発し、羨望と期待の眼差しを向ける。

 リーシャは、その民からの応援を受ける我が身を、若干気恥かしさを感じつつも、誇らしく思った。

 だが、少し前を伺うと、そこには先程橋の前でリーシャに向けた、恐怖すら感じる、表情の抜け落ちた顔をして門を潜ろうとするカミュがいた。

 

『彼はこれほどの声援を受けても何も感じないのだろうか?』

 

 そう感じたリーシャは、これからの先の長い旅路に若干の不安を抱きながらも、カミュに続いて門を潜った。

 

 

 

 

 

 



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アリアハン大陸①

 

 

 

「おい、まずどこに向かうんだ?」

 

 アリアハンの城下町を出てすぐに、リーシャは旅の計画についてカミュと話し合う必要性を感じ、声をかけた。

 

「まずはレーベの村に行く。何にせよ、このアリアハン大陸から出ない事には仕方がない。国王からも大陸の出方は教えて貰ってはいない……大陸からの出方も教えずに、『魔王討伐』か……」

 

 吐き捨てるように、アリアハン国王への愚痴を言うカミュに対し、リーシャは眉をしかめた。

 王都の中でこのような事を公に言えば、不敬罪で処罰されるぐらいの物だ。

 それを、王都から離れたとはいえ、宮廷騎士の一人である自分の前で発する等、どうゆうつもりなのだろうかと。

 リーシャは抗議の言葉を発しようとする。

 

「おい! お前そ……」

 

「お待ちくださ~~~~~~~~~~~~い!!」

 

 リーシャの抗議の声は、後ろから唐突にかけられた大声に阻まれる。リーシャは反射的に声のした方を振り返るが、カミュは相変わらず無表情で手元の地図を睨んでいた。

 声は城の方からした。

 見ると、一つの人影がこちらに近づいて来ている。

 リーシャはいざという時の為に、右手を腰に差す剣の上に置いて低く姿勢を取った。

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 しばらくすると、小さかった人影が大きくなって行き、カミュとリーシャの前で停止する。

 それは、遠くからでは分からなかったが、法衣を纏ったカミュと同世代の少女であった。

 背はリーシャの肩ほどまでしかなく、髪は癖のない黒味がかった蒼色の物を肩の下まで伸ばし、眼は慈愛に満ちた碧眼。

 

「何者だ……?」

 

 リーシャは未だに自分たちの前で息を整えることに必死な僧侶に声をかける。

 この時点でも、カミュはまだ地図を睨んでいた。

 

「はぁ……はぁ……は、はい! わ、わたくしは、アリアハンの僧侶でサラと申します。失礼ですが、勇者カミュ様でよろしかったでしょうか?」

 

 息が整えきれずに話し始めたため、とても流暢なしゃべり出しではなかったが、それでもきっちりと名乗りを上げる少女にようやくカミュは地図から顔を上げた。

 

「…………」

 

「あ、ああ、そうだ。こちらが、オルテガ様のご子息であるカミュだ。私はアリアハン国王様から同道を命じられた宮廷騎士のリーシャという」

 

 顔は上げたが返事をしようとしないカミュの代わりに、リーシャが慌てて名乗りを上げる。

 サラと名乗った少女は、それでもにこやかな笑顔を向けていた。

 

「ありがとうございます。勇者カミュ様にお願いがございます。どうぞ、このサラも勇者様の旅への同道をお認め下さい」

 

 サラは言葉と共にカミュの前に跪き、まるで一国の国王にするような対応を取る。

 その態度にリーシャは驚いたが、隣のカミュは冷たい目を向けるだけであった。

 

「あ、あの……」

 

 一向に返事を返さないカミュにしびれを切らし、サラが恐る恐る顔を上げる。

 サラが顔を上げると、無表情で自分を見下ろす冷たい瞳と視線がぶつかった。

 その視線と目を合わすだけで、死へと誘われるような感覚をサラは受けてしまう。

 

「い、良いじゃないか。回復魔法が使える僧侶は、旅には必須だぞ。こちらとしては願ったり叶ったりじゃないか?」

 

 カミュの態度に『またか』という思いを持ちながら、リーシャは僧侶を仲間に加える利益を説く。

 街や村から城へと延びる街道沿いにも魔物が横行する時代である。リーシャの言う通りに、回復魔法を使う事の出来る僧侶を旅の時に雇う商団などは多い。

 魔王討伐となれば、魔物との戦闘の数は十や二十では済まないだろう。

 多少の傷程度であれば薬草で十分補えるが、深い傷となれば回復魔法でなければ治癒が難しくなる。

 街や城の近くであれば、治療のために一度戻り、街にいる回復魔法の使い手に金を支払い、治療をして貰う事も可能であるが、旅に出ればそんな都合のいい形で街があるとは考え辛い。

 故に、長旅には回復魔法を使える人間が必ず同行する事になる。街の教会の収入源の一つは、そうした旅の同行での報酬で成り立っているのが現状であった。

 

「あ、あの、まだ僧侶として未熟ですので、高度な回復魔法は使えませんが、旅への同道を認めて頂けるのであれば、今以上の努力をお約束致します。必ず勇者様のお役に立てるような僧侶となります。ですから、ですから……」

 

 最後の方は感極まって涙声になっているサラに驚いたリーシャであったが、カミュは未だ冷たい目でサラを見下ろしていた。

 

「おい、カミュ。何か言ってやれ。このままでは、あまりにも不憫だろ」

 

「……何故、そこまでして旅に出たい?」

 

 簡潔な疑問。

 街の僧侶であれば、この時代なら食うに困る事などは、まずあり得ない。

 であるならば、比較的安全な旅に同行し、報酬を貰った方が利口であるのだ。

 

「そ、それは……」

 

「俺の旅は安全どころか、ただ死に向かうような旅だ。それに報酬など払えない。俺の旅に付いて来たとしても一文の得にもならない。僧侶であるならば、商隊に同道して報酬を貰っていれば、地位も食も保証される筈だ」

 

 表情も変えずに淡々と事実を述べ、跪いているサラに向かって、少しの温情も見せないカミュに対し、リーシャは我慢が出来なかった。

 

「もう良いだろう! 人には言いたくはない事情もある。この子の面倒は私が見る。私と同じようにお前に勝手について行くさ」

 

 横からのリーシャの怒声に、少し視線を動かし、カミュは溜息を吐いた。

 そのカミュの態度に、益々怒りを増長されたリーシャは、未だ跪いているサラを立ち上がらせようと腕を取る。

 だが、当のサラは、そのリーシャの腕を控えめに解き、改めてカミュに頭を下げたのだ。

 

 

「私は孤児として、アリアハンの教会の神父様に引き取って頂きました。それまではレーベの街に住んでおり、両親はレーベで商人をしていましたが、十四年前に私を連れてアリアハンに行く途中で魔物に襲われ命を落としています。母が遺体となりながらも私を護ってくれていた時に、魔物討伐隊に同道していた神父様に救って頂き、今に至りました」

 

 サラが自分の痛ましい過去をぽつりぽつりと、カミュの顔ではなく地面を見ながら話し出した。

 その内容は、過酷な過去ではあるが、今の時代ならば有り触れている話だ。

 リーシャにしても、そのような孤児なら数え切れないほど知っている。

 いや、サラはその中でもとても恵まれている方だろう。

 如何に平和なアリアハンといえども、街全てに王の威光が届くわけではない。スラム街と呼ばれる一角の存在もあり、そこにいる子供は、娼婦の子か魔物に親を殺された孤児である者が大半だ。

 盗み等の犯罪にも手を染め、雨を凌ぐ場所もない子供すらいる。

 生きるために必死なだけだが、そのような子供が成長したとしても、まともな仕事に就ける訳がない。

 大抵の者が盗賊稼業に身を落とすか、良くて剣の腕を磨き冒険者として生きていく者が多いのだ。

 それに比べれば、例え両親を失ったとはいえ、教会の神父に拾われ、生きていく技能を指南してもらえたことを考えれば、孤児の中では幸福な部類に入るだろう。

 

「それで、魔物へ復讐か?」

 

 カミュの言葉は感情が籠ってはいなかった。

 まるで、人形に話しかけるように、サラへと言葉を浴びせる。

 

「……はい……魔物が凶暴化したのは魔王バラモスの影響だという説が有力です。ならば、両親の仇はバラモスです。魔王討伐には何人もの人間が向かいましたが、未だに倒せた人間はおりません。しかし、勇者様なら……英雄オルテガ様の血を引く貴方様ならと思い、私はここにおります。私の個人的な問題ですが、魔王討伐にかける想いは嘘ではありません。勇者様!どうか……どうか、このサラの力をお使い下さい!」

 

 『復讐』

 その言葉をサラは否定する事をしなかった。

 親を目の前で殺されたのだ。

 その復讐心が消えずに成長するのも当然だろう。

 ただ、その復讐の為に、アリアハンの英雄と謳われた者の息子である勇者を利用する事を、臆面もなく言い切ったその神経にリーシャは驚愕した。

 

 

「……ふっ、自分の復讐の為に他人を利用する僧侶か……勝手にすれば良い。まぁ、俺が断っても、そこの女騎士が既にアンタの身柄の保証はしたらしいが……」

 

 カミュは自嘲気味な笑みを浮かべ、サラから視線を外した。

 カミュの視線が外れると同時に、それまでのやり取りに対する気負いなのか、それともこのプレッシャーこそがカミュを勇者たらしめん物なのかはわからないが、サラはその場に崩れそうになる程の疲労を感じた。

 

「しかし、こんな事はこれっきりにしてくれ。この調子では、俺が許可していないにも拘わらず、何時の間にか大行列を作って歩かなければならなくなりそうだ。アンタ方が勝手について来る事については、この際何も言わないが、これ以上の人間は邪魔になるだけだ」

 

 サラは心底迷惑そうに言葉を発するカミュを信じられなかった。

 サラは孤児だったため、友と呼べる者が存在しない。

 街にいる子供達は、街で商いをする者達の子供が多い為、自然とその仲間達で集団を作り、その他の者を排除しようとする。

 その対象になるのが、孤児達だった。

 

 幼い頃、教会でのお勤めを終えると、神父様に『外で遊んでおいで』と言われて外に出された。

 しかし、孤児であるサラと遊んでくれるような子供は誰一人いない。いつも遊んでいる子供達を遠目に見ていて、稀に人数合わせの為に誘ってくれる事がとても嬉しかった。

 子供の遊びと魔王討伐を一緒にするのはとても失礼な事だろう。

 しかし、人がいる事を邪魔だという気持ちがサラには理解が出来なかった。

 

「わかった。まあ、魔王討伐に行こうという酔狂な人間がそんなに多くいるとは思えないが……。サラと言ったな?……改めて自己紹介をしよう。アリアハン宮廷騎士のリーシャという。国王様の命で魔王討伐に同道している。これからは長い旅になると思うが、よろしくな」

 

 先程のカミュの発言に答えたリーシャが、そのまま自分に目を向け話し始めた事で、サラは我に返った。

 

「あっ、は、はい! こちらこそ、宜しくお願い致します。あっ、改めまして、サラと申します」

 

 自分に声がかかっていることを認識し、その内容を飲み込んで、サラは慌ててリーシャに向け頭を下げた。

 その拍子にサラの肩まである髪は下へ流れ、頭の上にある僧侶を示す帽子が地面に落ちてしまう。その帽子を慌てて拾うサラの姿に、リーシャは笑いを堪え切れず、優しい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 



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戦闘①【アリアハン大陸】

 

 

 

「和やかなところ申し訳ないが、戦闘態勢に入ってもらえるか?」

 

 リーシャとサラがお互い微笑み合っているところに、それにまったく関心を示さず、少しも表情を変えない人間が言葉を発した。

 戦闘態勢という単語にリーシャは素早く反応し、腰にかけた剣を抜く。サラも慌てて帽子をかぶり直し、腰のホルダーから使った跡がない綺麗な短剣を抜いた。

 身構えてすぐに近くの茂みから、青い物体が現れる。

 それは、アリアハン大陸に住む最古の魔物、スライムであった。

 魔物の中でも最弱と呼ばれる物で、主に女や子供を襲う。力がない者に飛びつき、体当たりや噛みつきを攻撃の主とする魔物。

 取り付いた者をその体液で溶かし消化するという、見た目に反し至極残酷な形で人を食す魔物である。

 

「……スライムか……まぁ、着ている物は別として、見た目は女と子供だからな……可哀そうだが、食事は出来ないだろうな……」

 

「女と子供!? くっ! 人間だけではなく、こんなスライム如きにまで女である事で馬鹿にされるのか!」

 

「……可哀そう……?」

 

 スライムの登場を見て、背中の鞘から剣を抜くカミュが発した言葉に、他の二人は異なる反応を示した。

 

 スライムは最弱の魔物であるが、最古の魔物でもある。

 自分の力量を過剰評価はしない。

 自分の目の前にいるものが自分よりも強い存在であれば、躊躇なく逃走を図るのだ。

 

 今、食を求め出てきた三匹のスライムも同様であった。

 目の前にいる三人の内、子供の方の女は三匹一斉にかかれば何とかなるのかもしれないが、残りの二人はいけない。

 特に、女だと思っていたもう一人の方は、何故か憤怒の表情を自分たちに向け剣を構えている。三匹のスライムには選択肢がほとんど残されていなかった。

 そして、一匹のスライムが剣を構える女の発する気に怯え、恐怖から飛び出してしまう。

 

「ピキ――――――――!!」

 

 奇声を発しながら、自分に向かってくるスライムをリーシャは怒りの中でも冷静に見ていた。

 一直線に何の策もなく飛び込んで来るスライムに構えていた剣を合わせる。

 下級騎士に配給される大量生産の剣とはいえ、リーシャが毎日手入れを欠かさないその刃はスライムの身体に何の抵抗もなく入って行った。

 それほど力も込めず、カウンター気味に入ったリーシャの一閃はスライムの身体を真ん中から真っ二つに断ち切る。地面に落ちた二つに分かれたスライムの身体は、その形状を保つ事は出来ず、青い粘着性のある液体に変わっていった。

 瞬く間に一匹の仲間が土に返ったのを見て、残りのスライムがパニックに陥っているのが見て取れる。

 そんな中、カミュはリーシャの動きとスライムの動揺を見て、剣を鞘に戻していった。

 サラはカミュの行動に疑問を持ったが、戦闘経験の少ないサラは自分に対しているスライムへの対応で手一杯になっていたのだ。

 

「ピ、ピキ―――――――――!!」

 

 パニックに陥っているスライムが二匹同時に剣を鞘に収めたカミュに向かって飛びかかっていった。

 それをカミュは微動だにせず、拳を握り込み立っている。

 スライムも必死である。

 一匹はカミュの顔を目掛け、もう一匹は地面すれすれから足元に攻撃をかけて行った。

 

「あっ、勇者様!」

 

 サラは二匹の魔物の同時攻撃を見て、反射的に勇者と呼ばれる少年の名を口にする。

 自分が信じ、憧れる『勇者』であれば、このような所で苦労する事はないとは思っているが、それでも無意識に声を出してしまっていた。

 

「ピキュ!!」

「プキュ!!」

 

 サラが危ないと思ったスライムの攻撃は、二匹の潰れた声で終わりを告げていた。

 カミュは顔に飛びかかって来たスライムを右拳で払い除け、足元から腹部目掛けてきた方を左拳で地面に叩きつけたのだ。

 カミュのカウンターを受けたスライムは目を回してはいるが、死には至っていない。

 カミュの様子を見ると、スライムへの攻撃は手加減を加えていた事は明白である。

 剣を使っていない事もそうだが、例え拳だけでもスライムを叩きつけ、土に還す事も可能であったように思われる。

 サラはそんなカミュの行動に不信感を覚えた。

 『なぜ、魔物に手心を加えるのか?』

 その微かな不信感は、次に発したカミュの言葉で決定的な物となった。

 

「逃げるのなら、早くしろ。追いかけはしない。次は相手を見誤るな」

 

「な、なにを!」

 

 その言葉は、サラだけでなくリーシャにとっても信じられない言葉だった。

 目の前にいる魔物を逃がそうとする。

 

 『そんな勇者がいるのだろうか?』

 『それ以前に魔物を逃がそうとする者が勇者と呼べるのだろうか?』

 

 リーシャは改めて、この世界的な英雄の息子の異常さを見た気がした。

 スライム達は起き上がるが、すでに戦意は消失していて、怯えた目で自分達の攻撃を軽く捌いた人間を見つめていたが、言葉を理解する事が出来ないまでも、相手が自分達に追い打ちをかけてこない事を悟ると、身を翻して茂みに身を隠そうとした。

 しかし、命を拾ったスライム達の希望は、身を隠す事が出来るまであとわずかの所で潰えた。

 

「ニフラム!」

 

 後方からかかった声に呼応するように、二匹のスライムの周りに光があふれ、その存在を跡形もなく消していく。

 

<ニフラム>

聖職者である僧侶にのみ使用可能な魔法。聖なる光で相手を包み込み、この世に生を持っていない者に効力を発揮する魔法ではあるが、スライムのような最下級の魔物にも効果があるのだ。

 

 魔法を行使したサラは、右手を天に向かって広げたまま、スライムが消え去った場所を見つめていた。

 逃がした筈の魔物が目の前で消されたにも拘わらず、カミュは何の感慨も持っていないような表情で踵を返し、歩き出す。

 

「お、おい! ちょっと待て! 今のは何なんだ!」

 

 リーシャは、何の説明もなしに歩き出すカミュの肩を掴み、強引に振り向かせた。

 その声に我に返ったサラは、身を正して、リーシャの後ろに控える。

 

「何がだ?」

 

 本当に何の事かも解らないといったように、カミュはリーシャの顔を眺めている。

 リーシャはそのカミュの態度、表情、言動の全てが気に喰わない。

 自然と語気も激しくなり、怒鳴り散らすように言葉を続けた。

 

「『何がだ?』ではない! 何なのだ、お前は! 戦闘中に剣を鞘に戻すなど、戦う気があるのか! 手加減をして魔物を叩き、挙句の果てには逃げろだと! 勇者が魔物を逃がしてどうするんだ! お前は魔王を倒す為に旅に出たのではないのか!?」

 

 リーシャの興奮度合いは、とても仲間に向けて発している言葉とは思えない。

 後ろに控えているサラにしても、無言でカミュを見ている事から、リーシャの意見に同意しているのは明らかだった。

 そんな熱くなっている二人の言動をカミュは冷めた目で見つめながら表情も変えずに聞いている。

 一通りリーシャが捲くし立てた後、いつものように溜息をついたカミュは重い口を開いた。

 

「別に魔物が相手とはいえ、無駄な殺生をする必要はない筈だ。スライムなどを今さらいくら殺したとしても、俺の剣の腕前が上がる訳でもない。確かに、アンタの言うとおり、俺は『魔王討伐』の旅に出た。だからと言って、この世から魔物全てを滅ぼすつもりは毛頭ない」

 

「な、なんだと!」

 

「!!!」

 

 リーシャの驚きも相当なものであったが、その後ろで事の成り行きを見ていたサラは目の前が暗くなるような錯覚に陥った。

 サラにとって、勇者とは人類の希望であり、『精霊ルビス』の加護の下に魔物たちの手から人間の平和を取り戻す事のできる世界で唯一人の人間であった。

 その勇者が、こともあろうに魔物を殺すつもりはないと宣言したのである。

 

 『では、何の為に旅に出たのか?』

 『人間の敵である魔物から平和を取り戻すためではないのか?』

 『その為に、この世界に蔓延る魔物達を根絶やしにするのは正しい事ではないのか?』

 

 サラのいた教会の教えでも、魔物は悪であった。

 人を殺す事を最大の罪とする教会の教えの中でも、魔物を殺す事はむしろ正義であったのだ。

 

「ちょ、ちょっと待て、カミュ!」

 

「では、勇者様は何の為に旅に出ているのですか?……人々の幸せのためではないのですか?……魔物は人々の生活を脅かしています。子供を魔物に攫われた親は、昼夜問わず涙に暮れています。私のように親を魔物に襲われ、親を失った孤児は世界中でも数えきれません。その人達を、悲しみや苦しみから救うべく立ち上がったのが勇者様ではないのですか?……魔物は人類にとって敵です。ルビス様の護る世界を、我が物顔で暴れ回る絶対悪です。その魔物に情けをかけるなど、ルビス様の慈悲を裏切る行為に他なりません!」

 

 溜息交じりに話すカミュに文句を言おうと口を開いたリーシャの言葉を遮って、今まで後ろで黙っていたサラが一気に捲くし立てた。

 リーシャは突然のサラの変貌に驚いたが、発している言葉はリーシャの言いたい事を八割方表現しているので、その成り行きを見守る事にした。

 

「魔物を逃がせば、また別の人々に襲いかかります。そうすれば、また泣く人達が出て来る事でしょう。魔物の命など救う必要などありません!」

 

 最後の方は感極まっているのか、サラは眼に涙を浮かべながら叫んでいた。そんなサラの肩を、リーシャは抱くように支える。

 しかし、二人とも自分の考えをカミュにぶつける事に必死になり、それを聞いている相手の表情にそれほど注視していなかった。

 サラの肩を支え、どうだと言わんばかりにカミュの目を見たリーシャは、アリアハン城下での恐怖を思い出す事になる。

 そこには、表情を失くし、汚らわしい物を見るような、本当に冷たい瞳で二人を見るカミュが居た。

 

「……だから、教会の人間は嫌いなんだ……」

 

 一言。

 本当にたった一言だけ。

 まるで、スラム街の道端で寝ている浮浪者に吐き捨てるように。

 

 自分の感情を爆発させ、詰めよった言葉を、たった一言で切り捨てられたサラは、しばらく呆然としていた。

 同じように、一度味わった恐怖を思い出させられたリーシャも、カミュが先に歩き出した後も、しばらくはその背中を呆然と眺めている事しか出来なかった。

 

 

 

 



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アリアハン大陸②

 

 

 

 アリアハン大陸は二つの陸地から成り立っている。

 大きく分けると、アリアハン城がある比較的小さな陸地と、レーベの村がある大きな陸地となり、その間に、アリアハン城から西に聳える<ナジミの塔>がある小島があるが、それもアリアハン国の一部と認められている。

 その陸地同士を分けている大きな川があり、昔そこに橋をかける作業がとても難航していた。

 海へと続く大きな川の流れはとても速く、橋の土台となる部分が作成出来なかったのである。その為、レーベの村へ向かう時は一度船に乗り、ナジミの塔の側で上陸してから歩く方法しかなかった。

 しかし、カミュがアリアハンを出た日から四十年程前に、一人の青年が川底への橋の土台作成に成功した。

 

 その青年は橋職人ではなく、レーベに住む小さな鍛冶屋の息子であった。

 基盤のできた橋は、時間をかけながらも少しずつ作成されていき、その完成までは実に7年の歳月を費やす。

 完成を迎えた橋ではあったが、アリアハン国は、橋の基盤を築いた青年に何の恩賞も与えなかった。

 今まで、何人もの名のある橋職人が挑み、すべて失敗に終わった事業をレーベに住む一青年が成し遂げてしまったのである。それは、アリアハンが国を挙げての資金と労力が全て無駄であったという事実を、全世界に公表する事になってしまうという、一国の威信に係わる重大な案件となってしまったのだ。

 故に、国は青年の功績を認めなかった。

 その青年は生まれ育ったレーベにも戻る事が出来ず、行方が分からなくなってしまったと言う。

 だが、その真実はアリアハン国民のほんの一握りしか知らない。カミュ達一行はそんな橋に差し掛かっていた。

 

「いつ見ても大きな橋だ……」

 

 幅は馬車が横に四台並んでもまだ余り、長さは橋の袂から向こう岸が見えない程もある。

 声を発したリーシャも、その横にいるサラも初めて見る物ではないが、その雄大さに思わず見とれてしまう程の物であった。

 そんな二人の感慨を余所に、何の感情も読み取れない表情でカミュは橋を渡り始めた。

 その大きさの為、緩やかではあるがアーチ状になっている橋を、カミュは脇目も振らずに前だけを見て渡って行く。後ろから続くサラは、物珍しそうに橋の上から見える<ナジミの塔>や、その後ろに広がる大きな海原を眺めていた。

 橋を渡り始め四半刻ほど歩いて、やっと橋を渡り終える事となる。

 アリアハン城下町を出て、もう随分経ち、太陽が真上を越え、疾うに昼時を過ぎていた。

 橋を背にしばらく歩き、大きな木の麓にカミュが腰を下ろす。前を歩くカミュが腰を下ろしたのを見て、リーシャとサラもその近くの木の根に座り込んだ。

 

 日頃から宮廷騎士としての鍛練を欠かさないリーシャとは違い、サラのその姿は疲労困憊の言葉がぴたりと当てはまる姿であっただけにこの休憩はありがたかった。

 おそらく、サラにとって初めての旅なのだろう。これ程に長く歩く事も初めてならば、魔物との戦闘の緊張も初めての体験。それらの見えない疲労がサラを蝕んでいた。

 カミュは、腰に付けた水筒を取り外して口を付け、腰のポーチから干し肉を取り出すと、それを千切って口に入れた。

 ふと、リーシャやサラの方に視線を向けると、そんなカミュの仕草を呆然と眺めているのが見える。

 

「……聞く事も嫌になるが、まさか水や携帯食も持たずに旅に出たとでも言うつもりか?」

 

 そのカミュの質問に、サラは恥ずかしそうに下を向き、リーシャはカミュを睨みつける。

 リーシャの瞳を見ようともせずに、干し肉を口に入れるカミュの姿に、リーシャは口火を切った。

 

「私は国王様の命でお前に同道しているんだ。国王様から、この旅の資金や物資を頂いたのはお前だろう!? それには私達の分も含まれているのではないか!?」

 

 リーシャは、旅を共にする者の食糧や水、その他の旅に必要な物を、旅のリーダーが管理するのは当然だと考え、カミュへと嚙付く。

 実際、魔物討伐に向かう際にも、その隊の隊長が物資の管理をしていた。

 隊員の数や目的地までの日数などを計算しながら、隊の人間に物資を配っていたのだ。

 『魔王討伐』という命を受け、国王から必要な資金や物資を受け取ったのは、他でもないカミュである。

 ならば、その管理から同道者への分配なども、カミュが行うというのが筋だとリーシャは思っていた。

 

「……国王から渡された旅に必要な物資とは、資金50Gと<こんぼう>二本、<ひのきの棒>一本、<旅人の服>一着の事か?……そんな物は、街に出てすぐに道具屋に売り、その金で<薬草>を買った」

 

 溜息と共に吐き出されるカミュの言葉。

 それは、一国の国王を蔑にするような物を含んでいた。

 

「それに、俺は一人で旅に出ると言った筈だ。勝手に付いて来たのはアンタだ。ならば、アンタの物資は自分で用意するのが筋なのではないか?……それと……そこの僧侶の面倒はアンタが看ると言っていたはずだ。ならば、それもアンタが用意するのが当然の筈だ」

 

「!!」

 

 サラはそのカミュの発言に愕然とした。

 同道は認められた筈であったが、それは自分の認識が甘かったという事を実感したのだ。

 確かに勝手にしろと言われたが、それでもパーティーとして認められたと思っていた。

 それは、今のカミュの発言で完全に否定されてしまう。呆然とするサラとは逆に、リーシャは、カミュの言葉の別の部分に意識が行っていた。

 

「ま、待ってくれ! 国王様から頂いた支度金が50Gだと!? そんな金額では、<銅の剣>どころか<革の鎧>すら、街の武器屋では買えないぞ!? それに、物資の中身が<こんぼう>二本と<ひのきの棒>だと!? <薬草>は? <毒消し草>は? <キメラの翼>すらないのか?」

 

 アリアハン国が、英雄オルテガの跡目として、国を挙げて送り出す勇者に与えた物資と支度金の酷さに、リーシャは我が耳を疑った。

 アリアハンの勇者として祭り上げて送り出した筈だ。

 しかも、それは城周辺の魔物退治にではなく、その魔物を統括している魔王の討伐という物への筈。

 それにも拘らず、アリアハン城下町で武器すらも買えない支度金しか、カミュには与えられてはいなかった。

 これでは、物資にない<薬草>などを購入すれば、行く先々で宿を取る事もできはしない。

 

「……アンタがどんな勘違いをしているかは見当がつくが、この程度だろう……アンタは、本当にアリアハンから剣の腕を買われて、魔王討伐の同道を命じられたとでも思っているのか?」

 

 カミュの投げかける言葉は、リーシャには理解が出来なかった。

 『それ以外に何があるだろう?』

 自分は、父クロノスには劣るかもしれないが、他の騎士たちとの模擬戦で一度も遅れを取る事はなかったし、戦った事はないが、現騎士隊長にも負けるとは思っていない。

 

「当たり前だ。剣の実力や旅に耐えられる若さを考えれば、私の他にいないと自負もしている。それがなんだと言うんだ!?」

 

「……本当に戦士という職業の人間は、脳味噌まで筋肉でできているのか?」

 

「な、なに!?」

 

 カミュの人を馬鹿にしたような、いや、確実に馬鹿にしている物言いにリーシャの頭に血が上った。

 そんなリーシャに視線も向けず、カミュは持っていた水筒を溜息交じりにサラへと投げ、腰に下げた小さな袋を手に取る。水筒を投げられたサラは、その水筒を落とさないよう必死に両手で掴み、そのまま口へと運んだ。

 

「では聞くが、アンタはそれ程の剣の腕を持っていながら、何故下級の宮廷騎士の地位にいる?……アンタが着ている鎧は、下級騎士に支給される、アリアハン城下町の防具屋で買える<革の鎧>だ。他人に誇れる剣の腕を持つ騎士を、下級騎士として扱うのは何故だ?」

 

「そ、それは、私はまだ若い。上級騎士となれば、戦闘での経験を基に隊を率いて魔物と戦わなければならない。それには私の経験がまだ足りない為だろう……」

 

 カミュの歯に衣を着せぬ物言いにリーシャは気圧され気味に答えた。

 その瞳は、動揺を隠せない程に揺らいでいる。彼女の中にも、何か思い当たる節があった事は明白だった。

 

「ふん。では、アンタより後に騎士となり、アンタと同年代の隊長はいなかったとでも言うのか?……それに、先程の戦闘を見て、アンタの戦闘経験が乏しいとは思えない。アンタのように、前線で戦って来た若い騎士がいたのか?」

 

「そ、それは……だが、その人間達は家柄も良く、それに……若くから隊の指揮を学んでいたからだろう……」

 

 何とか言葉を繋げるリーシャであったが、その言葉遣いとは逆に、勢いは失われている。水を飲み、幾分か落ち着きを取り戻したサラは、そんなリーシャの様子を心配そうに見ていた。

 

「ならば、前宮廷騎士隊長クロノス殿の嫡子であり、その手解きを受けて来たアンタも、立派な家柄ではないのか?……少なくとも、俺のような、アリアハン城下町の外れに住む一国民よりも格式の高い家だと思うが?」

 

「ぐっ、そ、それは……」

 

 先程とは違い、瞳を真っ直ぐ見て話すカミュの視線を受け、リーシャは僅かに視線を逸らす。カミュの瞳に宿る冷たい光を見る事が出来なかったのだ。

 その奥には、リーシャが意図的に気付かないようにしていた物を突きつけられるように感じた為だった。

 

「アンタも、既に気付いている筈だ。何故、アンタが下級騎士のままなのか……明確な答えが欲しいのならば言ってやる……それはアンタが女だからだ」

 

「!!」

 

 リーシャにとっては、それは一番言われたくない言葉だった。女だからと馬鹿にされない為に、父の死後も鍛練を続けて来た。

 男の騎士にも馬鹿にされないように、力だけではなく技も磨いて来たのだ。

 それでも、下級騎士から上に昇進出来ない。

 薄々は解っていたが、それでも、それは自分の力が足りないからだと言い聞かせ、無理やり納得をして来たのだ。

 

「違う! 女であっても、国王様に直々にお呼び頂き、お言葉を下さった。『魔王討伐』という名誉を与えて下さったのだ」

 

 認められない。

 これを認めてしまったら、今までの自分を否定するのと同じ事だ。

 だが、そんなリーシャの葛藤をカミュは容赦なく破壊する。

 

「お目出度いな。要は、アリアハン国宮廷騎士団にとって、アンタの存在は邪魔だったのだろう。例え、前宮廷騎士隊長の子でも、力量が無かったり、あったとしても男であれば何も問題はなかった筈だ。だが、アンタはその鍛練のおかげで、他の騎士をも圧倒する程の実力を示した。宮廷内は基本的に男社会。例え、技量があったとしても、女が自分達の上司になる事など、ちっぽけな国の騎士達の、ちっぽけなプライドが許さないのだろう」

 

 『ちっぽけ』という部分を、吐き捨てるように強調して発した後、カミュは一息つき、再びリーシャの瞳を真っ直ぐ見て、口を開いた。

 

「だが、実力がある分、解雇は出来ない。ならば、魔物退治の前線に出して戦わせ、間違って父親と同様に死んでくれれば、国としては良かったのかもしれないな。だが、アンタは功績は残しても、命は落とさなかった」

 

「…………」

 

 リーシャもサラも口を開く事など出来ない。

 カミュの醸し出す雰囲気に完全に飲まれてしまった。

 その言葉一つ一つに、異様な説得力を有し、心と頭に直に響いてくる内容に、彼女達は言葉を発する余裕はなかったのだ。

 

「ならば、死が確実視される『魔王討伐』に同道させれば良い。『実力があるのだから、万が一にも魔王討伐を成し遂げてくれるかもしれない』。最悪、討伐が叶わないとしても、アリアハンとしては、国内の英雄の息子と、女とはいえ国内トップクラスの戦士を魔王討伐に出せば、周りの国家に示しも付き、後々大きな発言権を得る事になる。そして、討伐に失敗したと言う事は、アンタも生きてはいないという事だ。正に一石二鳥だな」

 

 淡々と述べるカミュは、その顔に侮蔑も嘲笑も浮かべず、いつもの能面のような無表情である。

 サラはその話している内容も然る事ながら、何も感じていないような顔で、人の傷を抉って行くカミュに怯えていた。

 

『これが、自分があこがれ続けた勇者の姿なのだろうか?』

 

 育ての親である神父からは、『あと数年すれば、アリアハンの英雄と謳われたオルテガ様の息子が、魔王を討伐して下さる。そうすれば、皆に笑顔が戻る。それまでの辛抱です。その時はサラ、貴女達の時代です』と聞かされて来た。

 そんな希望ある未来を切り開く筈の青年が、今、同道者の傷を深く抉っている。サラは、頭の中にある、希望に満ちた未来の世界が歪んで行くのを感じていた。

 

 一方、リーシャは、まだ昼時が過ぎた程だというのに、自分の周りが夜になってしまったかのように暗くなって行くのを感じていた。

 女だから上に行けないという事実は認めたくはないが、自分でも感じていた事だ。言われたくない事だが、言われたとしても怒り以外には何も感じないだろう。

 しかし、カミュによって齎された可能性は、驚愕の物であった。

 まさか、自分の死までも望まれていたのかもしれない等、リーシャは今まで考えた事もなかったのだ。

 

「勇者様、何もそこまで……」

 

 完全に沈黙してしまったリーシャを見かねて、サラが重い口を開くが、聞く気がないとばかりにカミュは立ち上がる。

 そして、顔を下げてしまったリーシャを見下ろして、止めの言葉を発した。

 

「何れにせよ、勝手に付いてくると言ったのはアンタ達だ。魔物との闘いや、俺の言動が気に喰わないなら、去ってくれて構わない。付いてくるのなら、一々俺の行動や発言に突っかかるのは止めてくれ。それと、俺は『勇者』でも何でもない。アリアハンから出たばかりの唯の旅人だ。何も成し遂げていない者を『勇者』と呼びはしない」

 

「……しかし……」

 

 サラの反論は、歩き出すカミュの背中に空しく消えて行った。

 茫然自失のリーシャに声をかけ、何とかカミュの後に続いて歩き出す二人であったが、その心には自分達が描く勇者像と、目の前を歩くカミュとの違いに大きな溝ができて行く事になる。

 

 

 

 

 

 



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アリアハン大陸③

 

 

 

 茫然自失なリーシャを何とか促し、サラはカミュの後を追おうとしたが、すでにカミュは先に進み、その姿は小さくなっていた。

 ここが広い平原だから良かったものの、森の中での移動などであれば、既にカミュを見失い、リーシャとサラの旅は、終了の鐘が鳴っていた事だろう。

 サラはカミュの身勝手な行動に、落胆と怒りを覚えた。

 それでも、今はこの勇者の後に付いていくしかない。サラの念願である『魔王討伐』は、この勇者以外に成し遂げる事は出来ないのだから。

 

 魔王が登場して数年は、各国の腕自慢達が我こそはと名乗りを上げ旅立って行ったが、誰一人生きて帰ることはなかった。

 それでも、血の気の多く、未来を夢見る若者たちは次々と死地へと赴いて行く。

 しかし、全世界に轟いた一つの訃報が、状況を一変させた。

 

『英雄オルテガの死』

 

 このニュースが世界各国に行き渡ってから、名乗りを上げる若者の数は、減るどころか皆無となった。

 誰しもが未来への希望を捨て、その日をどう生きていくかを考えるようになる。

 街に活気はなくなり、大人達は未来を諦めたような会話をし、魔物に怯える自分への苛立ちを自分よりも弱い者へとぶつけるようになって行った。

 結果、魔王登場以前よりも、各国で貧富の差は広がり、階級等の貴族社会の傾向が強くなって行く事となる。

 そんな中、世界の唯一の希望である英雄オルテガの息子が、ここ十年以上、誰一人向かう事がなかった『魔王討伐』に名乗りを上げたのだ。

 育ての親である、アリアハン教会の神父の話を毎日のように聞いていたサラは、旅立つ日を今か今かと待ち侘び、探り、そして勇者の旅立ちと共にアリアハンを出た。

 今更、サラに帰る場所はなく、またサラの悲願である親の仇を討つには、どうしても『勇者』と呼ばれるカミュの力が必要なのである。

 

「サラ、すまない。もう大丈夫だ。カミュを追おう」

 

 自分の意識に埋没していたサラは、突然聞こえたリーシャの声に、自分が未だリーシャの手を引いて歩いている事に気付き、慌てて手を離した。

 

「あ、あ、も、申し訳ありません! 私のような者が、リーシャ様のお手に触れるなど……ああ、どうしたら……本当に申し訳ございません」

 

 自分の手を離し、我を忘れたように取り乱すサラを見て、リーシャは驚きと共に腹部から湧き上がる物を抑える事が出来なかった。

 

「ふっ、あはははっ! いや、大丈夫だ。先程もカミュに話したが、私は宮廷騎士とはいえ、下級騎士であり、下級貴族の出だ。父の代ではそれなりの功績を認められ、爵位を貰ってはいたが、父の死後は爵位も返還し、下級貴族に戻った。扱いは平民とそれほど変わらない。だから、『様』は止めて欲しい。そのまま、リーシャと呼んでくれ。こそばゆくなってくる」

 

 リーシャは下級騎士ではあるが、代々、宮廷に上がっている貴族の一つだ。

 リーシャの名は、正式には『リーシャ・デ・ランドルフ』という。ランドルフ家の現当主でもあるのだ。

 父であるクロノスの時代に全盛期を迎え、中級貴族の仲間入りも果たし、小さくない館を建て、最大で六人程の召使いを雇うまでになっていた。

 だが、父の死後、リーシャは父の爵位を相続する事を国王に許されず、爵位は返還。

 その財産も、高すぎる相続税の為に館を売る羽目になり、六人いた召使いも、一人を残して解雇する事になった。

 現在は、宮廷騎士達に与えられる国営の住宅に、代々ランドルフ家に仕えている老婆と二人で暮らしている。下級貴族とはいえ、その生活は平民出の騎士とほとんど変わらない物であったのだ。

 ただ、それも、先程のカミュの話が事実だと仮定すれば、何か納得のできる物ではあるのだが……

 

「い、いえ、そんな。貴族様を呼び捨てにするなど、恐れ多くてできません」

 

 カミュを見失わないため、前へと進みながらも、わたわたと慌てふためくサラに、リーシャは『妹がいればこんなものか?』と考え、先程の暗い気持ちが少し晴れたような気がしていた。

 

「そんなことはない。それに、私の手に触れただけで慌てていたが、先程、カミュが口を付けた水筒を貪るように飲んでいたじゃないか?……私の手は駄目だが、勇者様との間接的な口付けは良いのか?」

 

 その証拠であろう。リーシャの口から、先程まで自身を見失っていた者とは思えないような軽口が出ていた。

 

「え?……え?……えぇぇぇ! や、や、そんな事はありません! そんな事もしてはいません! あ、いや、しましたけど、違います!」

 

 先程よりも更に慌てふためくサラに、可笑しさが込み上げて来たリーシャは、周りを気にせず大声で笑い出す。

 そんなリーシャの様子を見て、からかわれた事に気付いたサラは、顔を真っ赤にし、リーシャから顔を逸らしてカミュの後を追った。

 

「あはははっ……いや、すまない。少しからかい過ぎたな。だが、これから辛く険しい旅を共にするんだ。貴族や平民という垣根などなく、仲間として見て欲しい。仲間であれば、名前に『様』を付けるのは可笑しいだろう?」

 

 

 ひとしきり笑った後、先を行くサラにかけた言葉は、サラの身体を強張らせ、足を止めさせてしまう。

 足を止めたサラに追いついたリーシャは、突然活動を停止してしまったサラを覗き込んだ。

 

「……仲間ですか……私は、仲間と認められているのでしょうか?……勇者様は私達と旅をする事を認めて下さるのでしょうか?」

 

 幾分か距離が縮まり、近づいた勇者の背中を見つめながら、サラは小さく呟く。その疑問はリーシャも感じていた物だった。

 今までのカミュとのやり取りからは、お世辞にも友好的な会話が出来たとは思っていない。

 むしろ険悪である。

 リーシャにしても、今はサラの慌てる姿で気持ちが和んでいるが、先程までのカミュとのやり取りで刻まれた傷は、簡単に消える物ではない。

 そんな傷をつけた相手に背中を任せ、これから先、旅を続けて行く事ができるのかというと、正直自信が無いというのが、リーシャの今の気持であった。

 

「確かに……カミュの行動、言動から見れば、私達を仲間とは認めていないのだろう。私としても、アイツがオルテガ様の息子だとは認めたくもない。だが、経過がどうであれ、アイツが魔王討伐へ向かっているのは間違いないだろう。ならば、私達の目的は同じだ。私は自身の誇りの為、サラは親の仇討ちの為」

 

 リーシャは視線と口調はサラに向かってはいるが、それはまるで自身に言い聞かせているように聞こえる。

 そんなリーシャの心情を慮ってか、サラは暫く俯いた後、意を決して振り返り、真っ直ぐリーシャを見た。

 

「……そうですね。その心にどの様なお考えがあろうとも、目的は皆同じですね。どの様な形であれ、勇者様に同道を認められたのです。これもルビス様のお導き。勇者様のお考えを正して行くのも、ルビス様が私にお与えになられた試練なのかもしれません。私達『人』は、皆等しくルビス様の子。旅を続ける中で、解り合える日が来ますよね?……それまで頑張ります」

 

 胸の前で拳を握り、決意を誓うサラに、リーシャは先を行くカミュの背中を見つめ、本当にサラの言うような日が来るのだろうかと苦笑した。

 

「旅慣れぬ身ゆえ、リーシャ様にはご迷惑をおかけする事も多いとは思いますが、改めてお願い致します」

 

「こちらこそ。私は魔法など一切使えないからな。傷の手当等はサラ頼みになってしまうだろうから、宜しく頼む。ああ、それと、さっきも言ったが、様はやめてくれ。呼び捨てで良い。できれば、その敬語も止めて貰えると嬉しい」

 

 リーシャが言うように、この世界では全ての人間が魔法を使える訳ではない。

 魔法を使う為には、その個人が所有する精神力が必要となる。

 その精神力を『魔法力』と呼ぶ。魔法力は、生まれ持った物であるが、その量は個人によって様々だ。

 その魔法力も、自己の能力の向上と共に、少しずつではあるが上がって行く。その構造は解明されてはいないが、人の成長、即ち精神の成長と共に魔法力も変化して行くようである。

 そして、魔法を使う者は、自己の成長と共に変化した魔法力に応じ、新たな魔法と契約を交わし、行使出来るようになるのが、この世界での魔法である。

 力量が足りない場合は、最悪、魔法の契約は出来ない。

 例え、出来ていたとしても、その魔法力の乏しさから魔法が発動しないという状況になるのだ。

 故に、リーシャのような『戦士』は、基本的に魔法が使えない。職業故に魔法が使えないのではなく、魔法が使えないからその職業に就くというほうが正しい考えだ。

 その中に例外もいるにはいるが、やはり魔法が使える戦士は、力は戦士専業よりも弱く、魔力は本業である魔法使いには敵わない。

 例外中の例外は、等しく皆『英雄』と呼ばれる者達だ。

 つまり、そういう者達の職業は『勇者』とでも言えば良いだろう。

 ただ、世界中のどこかで、人の生まれ持った性質さえも変化させる事ができる場所があるという噂が、ここアリアハンにも流れてはいるが……

 

「……いえ、この口調は、もう私の癖になっていまして……変えるように努力はしてみますが、難しいと思います。それに、お名前を呼び捨てにする事も、どうしても出来そうにありませんので、『リーシャさん』と呼ばせて頂こうと思うのですが……」

 

「『さん』か……まぁ、それでも良いか。さあ、急ごう。アイツのことだ、私達が遅れていたら、我関せずで置いて行かれてしまうぞ」

 

「あ、は、はい!」

 

 お互いに気持を若干ではあるが吐き出した事により、胸に痞えていた物を胃に落とした二人は、先を行くカミュの背中を追い駆け出した。

 だが、カミュへの不満と疑惑が、頭の大部分を占めている二人には、これだけの時間二人で会話をし、時には立ち止まっていたにも拘わらず、カミュとの差が広がっていないという事を疑問に思う部分は残っていなかった。

 

 

 

 

「クキャ――――――!」

 

 自分に向って、足に持つ人の頭部の骨を投げつけて来る<大ガラス>の攻撃をかわし、カミュは背中の剣を抜いた。

 攻撃をあっさりとかわされた<大ガラス>は、その鋭利な嘴を武器へと変える。人間にはとても届かない高みまでその身を上昇させ、加速をつけ一気にカミュ目掛けて降下して来た。

 武を持たない人間であれば、そのスピードに足は動かず、<大ガラス>の嘴に喉笛を掻き切られその命を落とす事になっただろう。

 今まさに、<大ガラス>の頭には、いつものその光景があった。だが、今回前にしている者では相手が悪い。

 カミュは抜いた剣を構え、降下してくる<大ガラス>へと照準を合わせる。

 <大ガラス>の鋭利な嘴は、カミュの喉に触れることはなく、あっさり身を捩りかわされた。

 <大ガラス>が、自分の攻撃がかわされたことに気がついた時にはその胴体が二つに分かれ、死を意識する暇もなく絶命することになる。

 

「まだ、いたのか?……かかって来るのなら、容赦なく切り捨てるぞ。戦う気が失せたのなら、早く行け」

 

 一振りし、付着した血糊を払った剣を、懐から出した獣皮で拭きながら、カミュは近くで身を震わせている魔物二匹に声をかける。

 その魔物は、通常のウサギよりも身体が大きく、特徴となる一本の角がちょうど眉間から生えていた。

 <スライム>、<大ガラス>と同じく、アリアハン大陸に古くから住む<一角うさぎ>である。

 自分達が相対した人間の圧倒的な強さに、身を震わせていた二匹であったが、その相手が持っていた剣を背中の鞘に納めるのを見届けると、脱兎そのもので逃げ出して行った。

 カミュは、二匹の<一角うさぎ>の姿が見えなくなるのを確認すると、<大ガラス>の死骸へと向かって行く。その途中に、先程<大ガラス>がカミュ目掛けて投げつけて来た骸骨の残骸が目に留った。

 人間の頭蓋骨であるそれは、後頭部の部分が派手に飛び散っており、その中から、金色に光るものが出て来ている。

 

「ゴールドか……266G……しかし、一国の王からの支度金より、魔物から得るゴールドの方が多いという物も皮肉だな」

 

 カミュは、頭蓋骨の中から出てきたゴールドを手に取って、その数に苦笑を洩らす。

 <大ガラス>の様な魔物は、魔物とはいえカラスであり、光った物を好む。人間を襲い、その死肉を食した後、持ち物にあったゴールドを巣に持ち帰ったのであろう。

 大体の冒険者は、魔物を討伐した後に、その身体の一部で売却できそうな物を持ち帰り、街の道具屋や武器屋などに売って資金を得る。先程の<一角うさぎ>等は、その特徴である角が、加工し易く丈夫である事から、あらゆる工芸品に使われる事も多く、ここアリアハンではそれ相応の金額で取引されていた。

 リーシャが装備している<革の鎧>のなめし皮もまた、魔物の皮から作られている。

 

「……なんだ?……また何か文句でもあるのか?」

 

 手に入れたゴールドを、腰の袋に入れて立ち上がったカミュの前に、追い付いてきたばかりの二人が、何か言いたそうな表情で立っていた。

 

「……また、魔物を……」

 

「先程言った筈だ。俺の行動に不満があるのなら、ついて来るな」

 

 魔物が逃げる所を見ていたサラが、再び魔物を逃がす勇者に疑問を投げかけようと開いた口は、カミュの拒絶にも似た先制攻撃に閉じられてしまう。サラの口が再び開かない事を確認したカミュは、ゴールドの入った袋を腰に結び付け、無言で歩を進めた。

 その後を、強い怒りと不満が渦巻く顔でリーシャが続き、硬直が解けたサラも歩き出す。

 

 

 

 その後も何度か魔物との戦闘はあったが、リーシャが剣を振い、サラは補助魔法を使いながら止めを刺す。カミュは、自分に向かって来る魔物以外には一切手を出さずに、死骸と化した魔物の身体から、売却できそうな部位を切り取っていた。

 

「…はぁ…はぁ…」

 

 何度目かの戦闘を終えた頃には、サラの息遣いが荒くなり始め、サラの歩調に合わせて歩いているリーシャと、先頭を行くカミュとの差が開き始めた。

 

「おい! 陽も落ちた。サラの様子を見ても、今日はこれ以上の進行は無理だ」

 

 リーシャは自分からも遅れがちなサラに近寄り、その身体を支えながら、前にいるカミュへ声をかけた。

 カミュは立ち止まり、ゆっくりと振り返った後、冷たい瞳でサラを見る。

 その姿に、リーシャはまた『付いて来る事が出来なければ、置いていくだけだ』というような言葉を予想し、カミュが口を開いていないにも拘わらず、頭に血が上って来た。

 

「わかった……この辺りが限界だろう。街道から逸れて、少し森の方へ向かう」

 

 予想とは反したカミュの答えに、リーシャは呆気に取られ動けない。支えていたサラからも、息を飲む気配がした事から、サラにとっても予想外の言葉だったのであろう。

 

「おい……まさか、ここから一歩も動けない等と、子供のような駄々を捏ねるつもりか?」

 

 一向に動き出さない自分達に、今度こそリーシャの予想通りの言葉が返って来るのではと怯え、二人は慌ててカミュの後を追った。

 

「なぁ、カミュ。森に入る必要があるのか?……街道沿いででも良いのではないか?」

 

 街道を逸れ、少し行くと、木が生い茂る森がある。通常は森の中は魔物も多く、人々は街道を逸れる事はない。

 馬や馬車での行き来が当然であるので、街道沿いで火を熾し、魔物を警戒しながら夜を明かす事が多い。

 

「ああ、普通はそれでも良いだろうな。だが、アンタ達は、旅の支度を何もしてはいない筈だ。食糧や水を手に入れる為にも、一度は森に入らなければならない。それに、雨が降れば、徒歩の俺達には、それを凌ぐ場所がない」

 

 森に入った後、リーシャの質問に顔も向けずにカミュは動いていた。

 確かにカミュの言う通りである。リーシャ達は、食糧や水などは全く所有していないのだ。

 サラに至っては、着のみ着のままの状態に近い。

 

「くっ……」

 

「この辺で良いだろう……その木の根元辺りで火を熾す。火は熾せるのか?」

 

 場所を決めたカミュは、腰に付けていた水筒をサラに投げ渡し、リーシャに無表情で言い放つ。

 

「ば、馬鹿にするな! 火ぐらい熾せる!」

 

 リーシャは、そんなカミュに激しく抗議をするが、『なら、頼む』というカミュの呆気ない回答に口を噤んだ。

 カミュは腰のポーチから出した瓶の蓋を開け、火を熾す予定の場所を中心に、円を描くように中身を振り掛けて行く。

 

「聖水か……」

 

 リーシャの言う<聖水>とは、教会にて精製される水の事を言う。

 どういう精製方法なのかを公表はされていないが、教会神父の祈祷によって精霊ルビスの加護がある水として売り出されており、その効力は弱い魔物であれば近付く事すらできないという代物である。

 これの利益もまた、教会の資金源の一つになっていた。

 

「空になった方の水筒を渡せ」

 

 カミュから渡された水筒に夢中で口を付けていたサラの目の前に、不躾な手が伸びて来た。

 最初の休憩時にカミュから渡された水筒の中の水は、その後の道中でリーシャと分けながら飲み、疾うの昔に空となっていた。

 先程、カミュから渡された水筒は、中身が満々であった事から、カミュがこの水筒に口を付けた形跡がない事は明らかである。

 先程までのカミュの態度から、自分達に水分を残しておいたとは考え辛いが、そんな疑問を思いながら、サラは腰につけていた、空となった水筒をカミュに手渡した。

 

「火は熾しておいてくれ。水と食料を調達してくる」

 

 水筒を受け取ったカミュは、森の奥へと進んで行く。カミュの姿が見えなくなってから、サラは恐る恐るリーシャへと言葉をかけた。

 カミュが入って行った方向に疑問を持ったのだ。

 

「水の調達と言っても、川がある方向は違うのでは?」

 

「さあな……アイツが何を考えているのかさっぱり解らない。とりあえず、言われた通りに火を熾そう。これで、火も熾していなければ、帰って来たアイツに何を言われるか解った物じゃない」

 

 

 

 結局、火はほとんどをリーシャ一人で熾した。

 サラは『何か手伝います』とリーシャに声をかけるが、旅をした事のないサラに出来る事は何もなく、大人しく腰掛けているのが最大の手伝いだというリーシャの呆れ声に肩を落とす事になる。

 火が点き、未だに戻らないカミュを待ちながら、リーシャとサラはお互いの話をするが、慣れない旅での疲れからか、サラの瞼が自然に落ちて行った。

 そんなサラの様子に、リーシャは苦笑しながら火に薪をくべていくが、森の中からの気配に気づき、傍に置いた剣に手をかける。

 近づく気配に緊張を高めていたが、それが、両手に何かを下げたカミュだと解ると、その緊張を緩めた。

 

「遅かったな」

 

「ああ。少し、食料を取ってきた」

 

 カミュの言葉通り、その右手には魚三匹を蔦に繋いだ物と、ウサギ一羽、左手には果物を三個持っている。火の傍に腰を下ろしたカミュは蔦から魚を取り外し、リーシャが拾ってきていた木の枝で刺した後、腰の袋の中から取り出した白い粉を振りかけ、火の回りの地面に刺していった。

 そして、果物をリーシャに渡した後、残ったウサギを持って立ち上がり離れた場所で捌いて行く。

 リーシャは、そのカミュの慣れた手つきに感心していた。

 リーシャのイメージでは、英雄の息子として、剣の訓練などは行っていただろうが、基本は温室育ちだとカミュを見ていたが、実際は、寝床の場所の確保から水や食料の調達の仕方、その調理の仕方を見ると、一度や二度の経験では身に付ける事が出来る物ではない事を感じる。

 

「随分、手慣れているのだな。それにその粉は塩か?」

 

 捌いたウサギにも先程の粉を振り、木の枝に挿し火の回りに並べていくカミュの手つきに目を奪われながら、リーシャは声をかけた。

 

「ああ。それより、起こしてくれ。魔法力の回復には食事を取ってから眠ったほうが良い」

 

「あっ! わ、わかった。おい、サラ。寝るのは食事の後にしろ」

 

 傍で丸くなって寝ているサラを少し揺らすと、サラは薄く眼を開けるが、疲れに勝てず再び目を閉じようとする。

 

「サラ、食事をとったら存分に寝ればいい。今は起きて、腹に何か入れろ。食わないと明日は歩く事が出来なくなるぞ」

 

 今度は容赦なく揺さぶるリーシャの手に、さすがにサラも飛び起きる。

 周囲の状況を確認するように、何度も首を動かしたサラは、慌てて立ち上がった。

 

「も、申し訳ありません。あ、ああ……私は何もせずに……お二人に何もかも任せっきりで寝てしまうなど……申し訳ありません」

 

 目を開け、今の状況を確認し終えたサラは、火がもたらす温かさとその周りから漂う肉の焼ける香ばしい匂いに気づき、自分の犯した失態に対して必死に謝罪を繰り返す。

 

「いや、もう良いだろう?……さあ、食べよう。カミュ、もう食べても大丈夫か?」

 

 『やはり、この娘の慌てぶりは場を和ます』とリーシャは思いながら、この食料を取ってきた功労者に確認を取る。

 

「いや、魚はもう少しで大丈夫だが、肉はどう考えても、今、火にかけたばかりだろ?」

 

 カミュは、確認を取っているくせにすでにウサギの肉に手をかけようとするリーシャに呆れながら、汲んで来た水をサラへと放る。

 

「むっ、そうか……匂いから、もう良いかと思ったが……」

 

「ふふっ」

 

 カミュの注意に心底残念そうに肩を落とし、串にかけた手を戻すリーシャにサラは微笑む。

 そこに、何度かの休憩時の時のようなギスギスした雰囲気はなく、とても和やかな夕食にほっと胸を撫で下ろした。よくよく考えれば、先程まで意見が対立していた人間同士が、僅か一日で和解する事など有り得ないというにも拘わらずに。

 

「魚はもう大丈夫だな。ほら、サラ」

 

 和やかな雰囲気に笑みをこぼすサラに、リーシャは魚を一串渡し、自分は豪快に頬張る。

 サラも渡された串と、頬張るリーシャを見比べ、意を決したように魚を口に入れた。

 

「なんだ、サラ?……こういう食事は初めてか?」

 

「あっ、は、はい。神父様に引き取られてから、アリアハンの町から出る事自体が初めてですので、このように外で食べる食事も初めてです。でも、美味しいですね」

 

 魚には良く火が通っていて、ところどころ焦げ等もあるが、皮はパリッとしており、中の肉は柔らかく、塩加減も絶妙であった。

 

「そうか。では、慣れないとな。長い旅になるのだから、これからはこういう食事が多くなるだろう。おっ、もう肉の方も良いか?」

 

 サラの回答を本当に理解して応えているのか怪しくなるくらいに、魚を頬張り、先ほど諦めた肉に手をかけようとするリーシャの姿を見て、サラの頬は更に緩む。

 そんなサラの様子を横目で見ながら、リーシャは食べ終わった魚の串を火の中に放り、肉の串を手に取って、口に放り込んだ。

 カミュは、二人の会話に全く参加せず、黙々と食べていた。

 サラはリーシャとの会話を楽しみながら魚を食べ終え、いつまでも食べないと、もう既に果物まで食べ終わったリーシャに取られてしまう恐れのある肉を取り、口に入れる。

 肉の方も脂が乗っており、とても美味しく感じられた。

 

「……魚や肉は、普通に食うのか……」

 

 そんな和やかなムードを一瞬で吹き飛ばす言葉が小さく漏れた。

 何故か、カミュの声はよく通る。小さく呟くような一言は、それまで笑顔で食事をしていた二人の動きを止めてしまう程の冷たさを宿していた。

 

「……どういう……意味ですか……?」

 

 突然のカミュの呟きに活動停止をしていた二人であったが、その内容の理解が出来ず、カミュの次の言葉を待つ事となる。

 

「どうでも良い事だが……魔物が人を喰らう食事を認めようとはせず、自分は嬉々として他の動物を食べるのだな……」

 

「!!」

 

 別に糾弾している訳でもなく、咎めるような様子もない。

 ただ、淡々と無表情でサラの顔を見ずに言葉を発するカミュに、二人は再び言葉を失った。

 

「ま、『魔物』と『人』を一緒にしないでください!」

 

 再起動を果たしたサラは、カミュの言動に食って掛かった。

 サラは、教会の『人は精霊ルビスの子』との教えが当然という前提ありきで物を考えている。

 故に、『精霊ルビスの子』である人と、憎き魔物が同等の者として扱われる事が許せなかった。

 

「お前は魔物が人間を襲う事が正しいとでも言うつもりなのか!」

 

 リーシャも同じ考えであったようで、こちらもカミュの発言に噛みついて来た。

 彼女もまた、ルビス教徒である。

 サラのように、ルビスの下に仕えるような『僧侶』ではないが、日々の糧は『精霊ルビス』の加護の賜物と考え、休日には祈りを捧げて来たのだ。

 

「……失言だったな……」

 

 あっさりと自分の非を認めるようなカミュの言葉に、ここからのカミュとの口論を予想し、身構えていた二人は拍子が抜けてしまう。

 しかし、大きく息を吐き出したカミュの表情は、リーシャには穏やかな物には見えなかった。

 それは、次に続いたサラの一言から始まる事となる。

 

「そうです。解って頂けて、良かったです」

 

 サラはカミュの言葉を額面通りに受け取り、人と魔物が同等ではない事を、カミュに理解して貰えたという事に素直に喜びを表す。

 だが、カミュの次の言葉は、今までの和やかな夕食時間を無にするものであった。

 

「いや、そういう意味で言った訳ではない。俺の考えに文句は言わせないのだから、アンタ達の考えを否定する事を口にするのは、ルール違反だったという意味だ」

 

『自分達の考えを否定する?』

『なぜ?』

 

 そんな考えが、リーシャとサラの頭を横切る。アリアハンのみならず、世界中で信仰されている宗教の最大勢力は『精霊ルビス』を崇める物である。

 地域によって、異なる神を崇めるところもあるという噂もあるが、それは地図にも載らない国の話である。ほぼ全世界の信教は『精霊ルビス』の教えと言っても過言ではないのだ。

 サラやリーシャの考えを否定する事は、教会の教え、即ち『精霊ルビス』そのものを否定する事になる。

 それが、サラには理解が出来ない。

 自分の考えだけではなく、『精霊ルビス』の存在までも否定されるのだ。

 目の前の『勇者』に絶望を通り越し、怒りすら湧いてくる。

 

「勇者様は、ルビス様を侮辱するのですか!」

 

 サラの手にある肉は疾うの昔に冷めきっている。それを串ごとカミュに向かって投げつけそうな勢いで、身を乗り出していた。

 

「本当に失言だったな……教会の人間の面倒くささは、昔に学んだ筈だった……」

 

 リーシャがカミュへの怒りによって忘れ果てた、火に薪をくべる作業を代わりにこなしながら、カミュは心底面倒くさそうに呟いた。

 その姿に、リーシャとサラの怒りが増幅する。

 

「め、めんど……どういうことですか!?」

 

「カミュ! 取り消せ! お前が今言った言葉は、サラ個人だけではなく、教会に属している僧侶達や、人々を導いて下さるルビス様すらも冒涜するものだぞ!」

 

 今までの和やかなムードは一変して、怒声が飛び交う世界と化した。

 そこに他の生物が介入できる隙間はなく、赤々と燃える炎の周りに座る三人だけの世界が、周囲の世界を塗り潰して行く。

 

「まず、魔物が人間を襲う事だが、食事という観点から見れば、食物連鎖的には正しい事ではないのか?……アンタ達が言っている通りだと、全ての生物の頂点は『人』という事になる。頂点にいる『人』は、何をしても許されるが、頂点にいる物を害せば、それは悪か?」

 

「当然です! 人々の幸せを害するものは悪です!」

 

 然も当然の事のようにサラは言い放つ。

 この間違った考えを持つ勇者を正す事が、自分の使命とも言わんばかりの毅然とした態度で。

 

「……そうか……王家が腐っていく訳だ」

 

 次に出てきたカミュの答えは、今度はリーシャの逆鱗に触れる物であった。

 王家の冒涜。

 アリアハンの城を出てから、時折、国家への不満を口にするカミュであったが、それでも一個人の不満として片付けるレベルではあった。

 しかし、それでも今のは見過ごせる物ではない。

 

「お前! ルビス様への冒涜だけでも許されざる行為なのにも拘わらず、王家すらも侮辱するつもりか!」

 

 リーシャも『精霊ルビス』を崇めてはいるが、教会に属するサラ程ではない。

 むしろ、代々仕えているアリアハン王家に忠誠を誓っている。

 例え、爵位を剥奪され、平民並みの生活しか送れなくてもだ。

 

「……ルビスを信仰する人間が多ければ、まず国家転覆などあり得ないだろうな。『人』の頂点に立つ王家に逆らう者は、どんな理由があれ悪なのだから。故に、王家は理不尽な事も平気で行う。なにせ、民が不満に思ったとしても、自分達に敵意を向ける者はいない。王家が腐れば、その周りを固める人間も腐って来る。王に刃向わなければ、下の人間に何をしても良いのだからな。よく、国家として成り立っているよ」

 

「くっ! よくも言った! それは貴族の事か!?」

 

 カミュの呆れたような言葉に、リーシャの頭は瞬間沸騰を果たす。

 王家を支える周囲の者となれば、貴族以外にあり得ない。

 それは、貴族であるリーシャを侮辱しているに等しい言動なのだ。

 

「……すべての貴族がそうだとは言わない。アンタのように自分の境遇に疑問を挟まず、馬鹿の一つ覚えで忠誠を誓っている貴族もいるだろう」

 

「馬鹿の一つ覚えだと! 抜け、カミュ! 私は貴様をオルテガ様の息子とは認めん! 偽者であるならば、ここで私が斬って捨ててやる!」

 

 カミュの容赦のない言動は、完全にリーシャの怒りに火をつけた。

 その様子を見ながら、これ程までに他人の怒りに触れるような言葉を選んで発するカミュを、サラは不思議に思う。まるで、自分に人を近付けないようにするかのように、相手から離れて行くように仕向けているようであった。

 

「まだ話は終わっていない。剣の相手なら明日にでもするさ……」

 

 腰の剣に手をかけ、構えを取るリーシャへ視線を向けたカミュは、火に薪をくべる手を止めず相手にしない。

 ここで、リーシャが怒りに震えながらも剣を抜いていないのは流石であった。

 お互い剣を持つ者同士、相手が抜いてしまえば、戦わない訳にはいかない。剣を持つ者同士の、訓練ではない戦闘の終結は、どちらかの沈黙、即ち死である。

 リーシャは戦闘時のカミュの動きを見て、その力量を低く見てはいない。

 若干自分に分があるように思うが、最悪同等の力量を持つと考えていた。

 故に、怒りに任せて剣を抜く事はなかったのだ。

 斬り捨てるといった言葉は、本当の希望であったが、実際それが出来るかどうかは別である。

 

「その人間と、魔物の違いというのは、一体何だ?……魔物の食の対象が『人』であるという事だけのはずだ。魔王の影響で、人を襲う率が上がった事は確かだが、魔物が突然現れた訳ではない。遥か昔から、魔物は人間を食してきた。それは知っている筈だ」

 

 沈黙するリーシャを余所に、カミュは少しサラの方を見て言葉を発する。

 その内容は、サラの培ってきた知識を根底から否定する物であり、とても容認出来る考えではない。それでも、カミュが発している内容も、紛れもない事実の一つであった。

 

「し、しかし、魔物に家族を殺された人々の悲しみはどうするのですか!?」

 

「……では聞くが、アンタが先程食したウサギが、巣に帰れば小さい子供がいたとしたら?……もし、食したウサギが生まれて数か月の子供で、今もそのウサギを探して親ウサギが森を彷徨っていたとしたら?……魔物に子や親を奪われた者達が、魔物に復讐を考えるように、アンタや俺らもそのウサギ達から恨みを買い、復讐の対象になっておかしくないはずだ」

 

 感情に任せたサラの問いかけは、カミュの冷静な返しによって遮られる。

 立場を変えただけの観点。

 しかし、それは弱肉強食の世界で生きる者達の中にある、太古からの矛盾。

 そして、サラの育ってきた環境の根底を揺るがす考えであった。

 

「違います! 人と獣は違います!」

 

「だから、何がだ?……知能が有るか否かの違いか?……知能がなければ、それを殺しても食しても良いとでも言うのか?……知能がなければ、悲しみを感じる事などないとでも言うのか?……アンタ達のような教会の人間が言う事は、常に自分達が中心だ。自分達に都合が良い事は疑問に思う事もせず、自分達にとって害になる物は排除の対象になる。魔物であっても、子を産み、育て、子孫を残して行く。アンタが殺して行く魔物であれ、家族があり、その帰りを待つ子がいるのかもしれない。その子を育てて行く為に人を襲い、子へ運ぶのかもしれない。何故、その生活を否定する事が出来る?」

 

 カミュが理論で捲くし立てる。サラには教会からの教え以外の知識はないのだ。

 街で生きている限り、サラは秀才のレベルの知識があり、周りから褒められて過ごして行けただろう。しかし、この『勇者』と呼ばれる少年を前にすると、自分の知識の少なさに唇を噛む事が多いのだ。

 

「そ、それは……しかし、『人』は精霊ルビス様の子です。その『人』を害するという事は、ルビス様への裏切りです」

 

 その証拠に、カミュへと出てきたサラの反論は、最初の剣幕とはかけ離れた、弱々しい物へと変化していた。

 そんなサラの反論に、いつもの様にカミュは盛大な溜息を吐き出す。

 

「……また、ルビスか……」

 

「ルビス様を、お前のような者が呼び捨てにするな!」

 

 カミュの言葉に、横合いからリーシャの檄が飛ぶ。

 リーシャは信仰心こそ、サラには劣るが、決して『精霊ルビス』を蔑にしている訳ではない。

 僧侶以外の全世界の人間と同等の信仰心は持っているのだ。

 『精霊ルビス』という存在を呼び捨てにする人間など、世界中探してみても、教会が示す異教徒以外ではカミュぐらいのものだろう。

 

「では聞くが、アンタ方が崇め、祀っているルビスが何をしてくれた?……もし、アンタが言うように、『人』がルビスの子であるならば、魔王の登場で子供達がこれ程に苦しんでいるのにも拘わらず、何故、手を差し伸べて来ない?」

 

「そ、それは、私達『人』に与えられた試練なのです。ルビス様の子といえども、何から何までルビス様に縋る事は出来ません。ですから、これは私達『人』に与えられた試練なのです」

 

 カミュの問いかけに、胸を張って答えるサラではあったが、その瞳は微かに揺らいでいた。

 ここまでのやり取りで、自身の中にある価値観の壁に大きな衝撃を受けている証拠である。それ程に、カミュの語る内容は、サラに対して影響を及ぼし始めていたのだ。

 

「『人』全体に与えられた試練を、俺のような人間一人に丸投げしている奴等が、熱心な信徒なのだから泣けてくるな……もし、万が一、俺が『魔王』を討伐する事が出来たとしたら、それは『人』が試練に打ち勝ったという事にでもなるのか?」

 

 カミュは、『魔王討伐』を若干十六歳の少年に国命として課し、自分達は安全な城の中で、ぬくぬくと過ごす人間を思い浮かべ、その表情を多少変化させる。

 カミュの表情の変化を初めて見たサラはそれにも驚いたが、それよりもカミュの言葉に衝撃を受けた。

 そのような事を考え、思いついた事もない。

 

「し、しかし、勇者様が生まれる前から、人々は戦っています。その戦いに終止符を打つ為に、勇者様が魔王討伐に出たのではないのですか?」

 

「まあ、俺の事はどうでも良い……その戦って来た人間だが、ルビスの子であるならば、何故ここまで差がある?……王家の下、貧しい国民から巻き上げた金で、私腹を肥やす貴族がいるという事実は知っている筈だ。何故、そういう腐った人間にもルビスの加護はある? 何故、スラム街で空腹で死んでいく子供達にはルビスの加護は届かない? そもそも、ルビスの加護とは何だ?……それこそ、アンタが言っている魔物に命を奪われた者達には、何故加護が届かない?……彼らは『人』ではないのか?」

 

 カミュの疑問。それは、遺骸が届いた時の遺族の気持ちなのかもしれない。

 『精霊ルビス』に愛されていると言われていた英雄オルテガ。

 カミュの父親もまた、魔物に命を奪われている。

 この疑問を教会にぶつけてくる遺族がいない訳ではなかった。

 しかし教会は、この遺族に対する答えを持ち合わせてはおらず、唯一掛けられる物は『これも貴方達に与えられた試練なのです』という言葉だけである。

 

「そ、その……貧富の差は、前世での行いの差です。彼らは、前世ではルビス様の教えに背く事をして来たのでしょう。ですから、今生ではそれを償っているのです」

 

 カミュとのやり取りで、感情的になっているサラは気がつかない。

 共に旅する、リーシャもカミュも父親を魔物に殺されているのだ。

 更に言えば、サラの両親もまた魔物に襲われ、その命を散らしている。

 敬愛する父親を、前世での罪人扱いされれば、通常の人間は激怒するだろう。 

 しかし、カミュは驚いた顔をした後、二人の前で初めて笑いを洩らした。

 

「……くっくっ……前世での罪人か……くっくっ……ならば、そのような人間が死したとしても、喜んでやるべきで、哀しむものではないな……罪も償ったのだから、来世では裕福な家に生まれる事だろう……くっくっ……」

 

 そんなカミュの姿に、サラは狂気にも似た感情を見る事となる。

 その感情に恐怖し、唖然としていたサラとは対照的に、リーシャは苦虫を噛み潰したように顔を顰めていた。

 

「……もう良いだろう……ほら、サラも食事が済んだのなら、もう寝るんだ。明日も陽が昇り次第、出発するぞ」

 

 リーシャは、カミュの狂気じみた笑いによって凍り付きそうな時間を強引に動かす。

 先程のサラとカミュの最後のやり取りが、自分の胸に突き刺さっているにも拘わらず、その場を収める為に、サラを誘導して寝かしつけようとする。

 対するサラもカミュの変貌に驚き、すでに反論する気力すらも失っていた。

 故に、リーシャの促しに逆らおうともせずに、その身を横たえ瞼を閉じる。

 サラは、未だ噛み殺したような笑いを繰り返すカミュの声を遮断するため、耳を手で覆って眠りに誘われるのを待つのであった。

 

 

 

 

 

 



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~幕間~【アリアハン宿営地】

 

 

 

 夜も更け、あと数刻もすれば日も昇って来るであろう時刻に、リーシャは目を覚ました。

 眠る前に、見張りをする事を譲ろうとはしなかったカミュと口論に発展したが、数刻毎に交代で行う事で同意を得た。

 それにも拘わらず、カミュに起こされる事もなく、ここまで眠ってしまった自分にも腹が立つが、起こす事をしないカミュへ沸々と怒りが湧いて来る。

 文句の一つでも言おうと身を起こし、火の傍にいるはずのカミュを探すが、その姿がなかった。

 一瞬、『置いて行かれたか?』という疑問が湧き上がるが、荷物がそのままである事から、席を外しているだけなのだろう。

 リーシャは昨夜のカミュの様子もあり、カミュの動向が気になり始めていた。

 サラはまだ自分の横で深い眠りに落ちている。サラの上には何時の間にかけたのであろうか、カミュが身につけているマントが掛けられていた。

 自分がこの場所を離れた後のサラの身を案じはしたが、聖水が撒かれている事を考え、カミュを探す為に森の中へと入って行った。

 

 

 

 森の中では方向感覚が狂い、迷った挙句に森から出る事が出来なくなるケースも多いが、そこは宮廷騎士として数多くの戦闘を経験して来たリーシャである。

 微かな人の気配を探り、ついにカミュの姿を視界に収めた。

 そこは、木々達が犇めき合う森の中にあって、異様な場所であった。

 中央に小さな水の湧き場が存在し、そこから下流に向かい河が出来ている。

 カミュはその湧き場の傍で、剣を振っていた。

 その動きは、幼い頃から積み上げてきた物に他ならない。リーシャ自身、アリアハン随一の剣の使い手である故に、そのカミュの剣捌きを正直に美しいと感じた。

 まだまだ荒削りな部分は残されているが、これから努力と経験を積めば、その剣は更なる高みへと昇って行く事であろう。

 

『自分にあれほどの剣の才能があるのだろうか?』

 

 そんな嫉妬にも似た感覚を味わいながらカミュの動きを見ていると、どうやら一通りの型が終了したようである。

 

「……なにか用か?」

 

 振っていた剣を鞘に納め、リーシャのいる場所に視線も向けずにカミュは口を開いた。

 自分の存在に気付かれていた事に気まずい想いを抱いたリーシャであったが、気を取り直してカミュの下へと近付いて行く。

 

「い、いや、交代の時間になっても起こさないお前に文句を言おうとしたら、いなかったのでな」

 

 カミュの動きに見惚れていた自分を認識してしまったリーシャは、誤魔化しも含め、幾分不機嫌そうに答えを返す。

 そんなリーシャの心の葛藤を知ってか知らずか、カミュは大きな溜息を吐き出した。

 

「……また、文句か?……余程、アンタ達は、俺が気に食わないのだろうな」

 

 リーシャは文句を言うつもりではなかったが、カミュのその物言いに夕食時の事を思い出し、同時にその時の怒りも再沸して来る。

 顔を上げたリーシャの瞳は吊り上がり、睨む眼光は、常人であれば竦み上がる程の強さを宿していた。

 

「当たり前だ! なぜ、あのような事を言った! 私は良い……確かにお前の言う通り、私は国王様の側近連中に媚を売る貴族連中のようには、世を渡る事のできない下級貴族だ。だが、サラは違う。自分を拾ってくれた神父を信じ、その幸福を与えてくれたルビス様を、心から信仰しているんだ。お前のような男が簡単に否定して良いものではない!」

 

 アリアハンを出てから一度もこの少年に口論で勝てた事がないのにも拘わらず、またその口火を切ろうとしている自分を可笑しく思いながらも、リーシャは真剣にカミュと渡り合う事にした。

 

「そうかもしれないな……それでも俺は、人間と同じように、魔物にも生きる権利はあると思っている」

 

 リーシャの言葉に、表情を変えずに間を置いてから、カミュは呟いた。

 その言葉は、夕食時のような熱はなく、まるで自問自答しているような呟き。

 そのまま、リーシャを背にするように、水の湧き場で水を少し口に含んだカミュは、その場に座り込んだ。

 

「生きる権利だと……?」

 

 リーシャはカミュの様子を訝しみながらも、その言葉を聞くためにカミュの傍に近寄り、そしてその横に座った。

 そんなリーシャの行動を咎める事なく、カミュは視線を目の前の湧水に向けたまま、ゆっくりと口を開き出す。

 

「……ああ……俺は、剣を握れる歳には、強制的に街道の魔物討伐隊に同行させられるようになった。オルテガの息子ならば、それが当然の事なのらしい。魔物が出てくれば、オルテガの息子というだけで、その魔物の群れの中に単身で放り込まれた。オルテガの息子ならば、魔物を打ち滅ぼすのは当然だという言葉と共にな……」

 

 不意に話し始めたカミュに驚くリーシャであったが、何よりあのカミュが、自分の生い立ちを語っている事に驚いた。

 もしかしたら、カミュは夕食時の事を後悔しているのかもしれない。

 リーシャの勝手な解釈ではあったが、カミュの話をそう受け取り、静かに先を促す事にした。

 

「俺は生きる為に、魔物を殺すしかなかった。数え切れない程の魔物を殺した。傷だらけになりながら帰って来ると、教会の人間が魔法で傷を癒し、次の場所に放り込まれる。その繰り返しだった」

 

 絶句した。

 先を促した身でありながら、その壮絶な幼少時代に驚き、かける言葉も見つからない。

 幼い身でありながら、大人たちの重圧に押され、単身で魔物と戦い、傷つき帰れば、休む暇もなく戦いに出される。

 例え、身体の傷は癒されても、それでは心が壊れてしまうだろう。

 

「ある討伐隊に連行されている時に、森の中で一人の人間が行方不明になった。そいつは討伐隊のメンバーではあったが、碌な戦闘もせず、支給品にある酒を飲みながら俺に指図するような奴だった」

 

 討伐隊には夜の食事の際に、士気を上げるためと、多少のアルコールが用意されている。

 軍には規律が必要ではあるが、あまり規律を締めすぎると、命をかけている分、割に合わないと言って志願する冒険者がいなくなるといった理由からのものでもあった。

 

「当然のように、俺一人が探索隊となる。その指令の内容は森の入り口で討伐隊が待ち、俺が中を確認し、その男を連れて来る事だった。森の奥に入り暫く行くと、人間の腕が落ちてあり、そこから血糊が続き、少し行った所にある巣穴まで続いていた」

 

「殺されていたのか?」

 

 答えは解っている。

 巣穴まで引きずられているのだ。

 生きている訳はない。

 

「……ああ、その男は疾うに死んでいた。俺の気配に気づいたのか、巣穴から一匹の<一角うさぎ>が出て来た。口の周りは血で汚れ、食事中だったのだろう」

 

 カミュは魔物が人を襲う事を食事と言う。リーシャはその考えを理解する事は出来なかったが、カミュにとって人が獣を食す事と、魔物が人を襲い喰らう事は同等の行為なのであろう。

 

「俺の存在を認識し、警戒を強めた<一角うさぎ>は、その身の毛を逆立て威嚇してきた。今考えると『去れ』という意思表示だったのかもしれない。それでも俺は剣を抜いた。その瞬間に<一角うさぎ>は、俺に向かって牙を剥いて飛びかかって来ることになる」

 

 そこで、一息入れるように、『ほうっ』とカミュは息を吐いた。

 まるで、その時の状況を思い出すのを躊躇うように……

 

「無我夢中だった。まだ、歳もようやく二桁になったばかりで、大抵は<スライム>か<大ガラス>が相手だったからな。<一角うさぎ>の予想外の動きに戸惑いながら、夢中で剣を振るった」

 

「二桁になったばかりだと……?」

 

 リーシャは、カミュの話で『剣を握れるようになってから』というのは、剣を振るえる歳になってからだとばかり考えていた。

 しかし、今の話であれば齢十になったばかりだと言うのだ。

 リーシャにしても、討伐隊に同行するようになったのは、十八になる頃からだ。

 未だ十歳にしかなっていない少年を、単身魔物の群れに放り込むなど、人間の行いではない。

 

「ああ、家の者も同意していた事だ。まさか単身魔物の群れに放り込まれているとは思ってなかったのだろう。いや、率先して俺を討伐隊に同行させていた感がある以上、むしろ知っていたのかもしれない。この際、それはどうでも良い。俺も、<一角うさぎ>と戦った事がない訳ではなかったが、その<一角うさぎ>は何かが違い、俺に向かって来る気迫は鬼気迫るものだった。それでも、夢中で放った俺の一撃が、たまたま<一角うさぎ>の首を捉え、その命を奪い、その死骸を前にして、俺は身体の力が抜け、座り込んだ」

 

 カミュから、もう一度溜息が洩れる。それは、何かを悔やむような儚い溜息。

 リーシャはそんなカミュが醸し出す雰囲気に飲み込まれてしまった。

 

「その時、あの巣穴から出てくる影を見た。流石に、もう一度<一角うさぎ>と戦う体力などない俺は、半ば諦めにも似た覚悟を決めて、出てくる影を待った。出て来たのは、二匹の<一角うさぎ>。だが、身体が異様に小さかった事から、それが今、俺が殺した魔物の子である事は容易に想像できた。その子うさぎたちは、血を流し動かなくなっている親を見た後、怯えた目で俺を見ていた。その身体は気のせいか、小刻みに震えていた」

 

「そ、それで……」

 

「おそらく、死んだ馬鹿な男は、あの<一角うさぎ>の縄張りに入ったのだろう。小さな子供がいる親は、子を護るために必死で抵抗し、その結果、男を殺害した。だとすれば、人と何が違う?……そう思った。俺が子供だと安心して、剣を支えに立ち上がると、二匹は凄まじい勢いで逃げ出して行った」

 

 これで、終わりだと言わんばかりに、カミュは瞳を閉じる。

 横からその姿を見ていたリーシャは、水が湧く泉の畔で静かに目を閉じるカミュの姿がとても幻想的に見えた。

 

「親や子が魔物に命を奪われ、憎しみに燃える人間は多い。討伐隊の中にも、そんな人間は多かった。だが、人間がそうであるならば、俺が魔物を殺せば殺す程、魔物の人間に対する憎悪も増えるのではないかと考えるようになった……まあ、そんな話だ」

 

 そう言うと、カミュは横に置いた剣を再び背に装着し、腰を上げた。

 立ち上がるカミュを追うように、リーシャの視線と共に顔が上がる。

 そんなリーシャの方を見る事もなく、溜息と共に言葉を吐き出した。

 

「つまらない話をした。今のは忘れてくれ。アンタ達の考え方の方が常識だ。俺の考えと、世間の一般常識が相容れない物である事は重々承知している。レーベの村に着いたら、アリアハンに帰ってくれ。一人の方が気楽だ」

 

 背を向けながら話すカミュに、リーシャは言葉をかけられない。

 ただ単に、自分達を否定し、受け入れない為に、このような態度を取っているのだと思っていた。

 だが、実際は、自分の考えと世間の常識とがかけ離れている事を認識しているからこそ、一人で旅に出ようとしていたのだ。

 

「まぁ、アンタの場合、アリアハンに帰ったとしても、今度は、腐った王族から貴族の称号を剥奪されて、宮廷騎士ですらなくなるかもしれないがな」

 

 泉から離れて行くカミュがリーシャに聞こえるようにわざとらしく呟き、その言葉を聞いたリーシャの怒りの炎は再燃した。

 『もしかすると、王家や貴族への侮辱は、自分を旅から外すために敢えて口にしていたのかもしれない』と、一瞬でも考えた事をリーシャは後悔する。

 

「そんな訳に行くか! 私は、国王様から魔王討伐の命を受けているんだ。例え何があっても、その使命を投げ出す事などあり得ん! それに、サラだって同じ筈だ」

 

 『こんな偽勇者の思い通りになってたまるか』

 そんな思いが、リーシャの言葉から滲み出ていた。

 リーシャの叫びに振り返ったカミュは、またいつものような無表情に戻っている。

 

「アンタの考えは解った。ただ、あの僧侶は無理だな。教会の人間は昔から苦手だが、あれはその中でも筋金入りの者だ。自分の身内を、前世での罪人として扱われたら、大抵の者は怒り狂う。アンタも、そうではないのか?」

 

 カミュの言葉を聞き、リーシャは唇を噛む。

 確かに、サラの考えには、納得が出来ない部分もある。

 貧富の差や生まれの差は、前世での行いの違いという教会の教えは知っていた。

 その為に今生でその罪を償い、徳を重ね、そして来世での幸せを夢見る。

 だが、ルビス様の加護の違いにも当て嵌るとなれば話は別であるのだ。

 

「確かに、納得は出来ない。だが、あの時のサラは、お前に追い詰められて正当な考えから言葉を発していない。それにサラはまだ幼い。しかも、アリアハンから全く出た事がなかった。これから、世界中を旅し、見聞を広げれば、少しずつ変わって行く筈だ」

 

「感情で話をしている時の方が本音を話すと思うが……それに、あの僧侶の歳は俺とそう変わらない筈だが……」

 

 確かにあの時、サラは感情的になっていた。自身の培ってきた価値観を真っ向から否定するカミュに対し、何も反論できない自分への苛立ちとも取れる。

 自分が誇って来た知識では対抗できない理論。

 それは、サラから冷静さを奪ってしまっていたのだ。

 

「お前が異常なんだ!」

 

「お前に続いて、すでに俺は異常者か・・・」

 

 もう、リーシャとカミュの間でやり取りされている事は、売り言葉に買い言葉となっている。

 実際、カミュは買うつもりはないのだろうが、リーシャはカミュの淡々と、尚克冷静に紡がれる言葉にどうしても荒れてしまっていた。

 傍から見ると、とてもいいコンビなのだが、リーシャは絶対にそれを認めないだろう。

 短めに整えてある髪が逆立つような意気で迫るリーシャに、溜息をつきながら宿営地に向かうカミュは、その後一言も言葉を発する事はなかった。

 そんなカミュの後ろを歩きながら、これから先の旅への不安が、アリアハンを出た当初よりも大きくなっている事に、リーシャは気持ちが暗くなって行く。

 

 火の場所に戻れば、薪をくべる事を怠っていたせいで、火が小さくなっていた。

 傍で寝ているサラも寒さを感じているのか、掛っていたカミュのマントに(くる)まっている。

 リーシャは慌てて火に薪をくべ、火の大きさを安定させ、カミュはその傍に座りながら、静かにその様子を見ていた。

 

「お前も、少し寝ろ。ここから朝までの見張りと火の番は私がやっておく。明日は陽が落ちる前にはレーベに着くつもりなのだろ?……その為に寝ておけ」

 

 薪をくべながら、隣に座るカミュに声をかける。

 剣を振っていた事を考えると、カミュは寝てはいないのだろう。

 故に、リーシャは、カミュの代わりに見張りの番を買って出たのだ。

 

「……わかった……少し眠らせてもらう」

 

「ああ。一人旅では、眠れないだろうからな。仲間がいるのも悪い事ばかりではないだろう?」

 

「……一人旅であれば、既にレーベの村に着いている頃だろうな……」

 

 意趣返しのつもりでリーシャが放った一言は、カミュの容赦ない切り返しで、逆にやり込められてしまった。

 確かに、戦闘を極力避け、休憩なしで歩き続ければ、夜中から朝方になるかもしれないが、レーベには着いているのかもしれない。

 ただ、引き下がれないリーシャは、尚もカミュに言い募ろうと顔を向けると、すでに革袋を枕にカミュは寝息を立てている。

 その顔は、先程までの捻くれた考えと物言いをする男ではなく、年相応の幼い寝顔である事に、リーシャは溜息を吐き出した。

 

「寝顔を見れば、サラの寝顔と然程違いはないのにな……」

 

 小さな笑みを作りながら溢したリーシャの呟きは、安定してきた焚き火の中に吸い込まれて行った。

 

 

 

 

 

 



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レーベの村①

 

 

 

 瞼の外の明るい光に導かれるように、サラは目を覚ました。

 暖かい陽の光がサラを包む。

 

「あれ?……こ、ここは……」

 

 まだ覚醒しきれない頭で、サラは自分の置かれている現状を必死に理解しようとする。

 昨日からの記憶を辿り、昨夜のカミュとのやり取りにまで到達した所で、ようやく今、自分がここに一人で寝ていた事への異常さに気がついた。

 

『置いて行かれた』

 

 昨夜には、あれほど周囲を暖かな空気で包んでいた炎は、既に消えてから時間が経過しており、サラを寝かしつけてくれたリーシャの姿もない。

 カミュだけがいないのならば、何故か納得のできる部分もあったが、リーシャまでいないとなると話は変わってくる。

 

『見捨てられた』

 

 自分の身体が、恐怖と絶望に震えて行くのが解る。

 切望していた『魔王討伐』の旅への同行。

 しかし、長い間憧れていた『勇者』は、自分が考えている人物像とはかけ離れていた。

 ルビスの子である『人』と、その天敵である魔物を同類としている考え。

 それは、魔物擁護の発言と同意であり、そして、この世界を護る『精霊ルビス』を侮辱する発言と同意。

 

 それがサラには許せなかった。

 最後には自分でも何を話したのか記憶が曖昧なぐらい感情的になってしまっていた。

 最初は自分と同じようにカミュに対して敵対心を剥き出しにしていたリーシャが、途中から無言になっている事に気が付いてはいたが、感情的になっているサラには、その事を考慮に入れる余裕がなかったのだ。

 

『自分は、何かとんでもない事をしてしまったのかもしれない』

『自分一人を置いて、あの二人は旅立ったのだろう』

 

 気持ちが益々沈んで行くサラは、そこでようやく自分が手に持つ、先程まで包まっていた布に気が付く。

 それは、『勇者』と呼ばれる青年が身につけていたマントだった。

 火の傍で寝ていたとはいえ、夜の森の気温はとても低い。

 

『自分は、寝ている最中に寒さに震えていたのかもしれない』

『それを見て、マントを掛けてくれたのだろう』

 

 それが、カミュが自ら掛けたのか、リーシャが無理やり引き剥がして、サラに掛けたのかは分からない。おそらく後者だろう。

 

「マントがあるということは……」

 

 サラは素早く身を起こし、周りの状況を確認する。

 マントがあるという事は、先程までのサラの考えが杞憂である可能性が高いのだ。

 自分を置いて行ったのではなく、リーシャとカミュが、何かしらの理由で席を離れているのかもしれない。

 サラはマントを手に取り、立ち上がる。

 上を見上げると、背の高い木の葉の隙間から朝日が差し込んで来ていた。

 もう、陽が昇ってそれなりの時間が経っている証拠である。今日中にレーベの村に着くつもりであれば、そろそろ歩き出さなければならないだろう。

 周りを見てみても、二人がどこにいるのかの手がかりすら無い。今、無闇に動くよりも、ここで待っていたほうが無難ではあったが、先程感じた心の内の焦りがサラを森の奥へと進ませて行った。

 

 

 

 

 サラには、カミュのような森の知識もなければ、リーシャのような経験もない。

 当然のように、奥に入って暫く歩くと、前後左右の場所が分からなくなった。

 引き返そうにも、自分がどちらの方角から来たのかさえ分からない。ここで初めて、サラは自分がした愚かな行為に気が付く。

 このままでは、森の中を彷徨うだけ。

 リーシャ達が宿営地に戻り、自分がいないことに気が付けば、探しに来てくれるかもしれないという期待はあるが、逆に良い機会だと置いて行かれる可能性をサラは捨て切れなかった。

 森で迷いそれほど時間が経過していないにも拘わらず、サラは、自分の考えによって気力を根こそぎ奪われ、その場に座り込んだ。

 

『自分は何をやっているのだろう?』

 

 経験豊富なリーシャや、何故か旅慣れている様子のカミュに強引に付いては来たが、完全に足手纏いになっている。

 自分の為に休憩をとらせて目的地までの日数を遅らせ、果ては勝手に出歩き迷子になっている。

 

「……ルビス様……私は……」

 

 自分の状況を分析し、尚更沈んで行く気持ちから、溜息混じりの呟きを漏らした。

 ふと視線を感じ、そちらの方向に目を向けると、一羽のうさぎがサラを見ている。

 昨日のカミュの話を思い出し、顔を顰めたサラではあったが、何故かこちらに視線を向けたまま動かないうさぎを不思議に思い、歩み寄ろうとした。

 

「あっ……」

 

 しかし、サラが腰を上げたと同時に、うさぎは踵を返し逃げて行く。

 そのうさぎの姿がサラの気持ちを更に沈めて行くが、うさぎはサラからある程度の距離をとると、再び小首を傾げながらサラを見ていた。

 

「……何ですか?……付いて来なさいという事ですか?」

 

 そんな事がある訳がない。

 そのうさぎにとって、サラのような『人』を見るのが初めてだったのだろう。

 故に、好奇心からサラを見ているが、危害が加わる事がないように距離を取っているだけなのだ。

 勝手に良い方に解釈をしたサラは、恐る恐るうさぎの方に近寄る。

 うさぎが気付き、距離を空ける。

 サラが近づく。

 距離を空ける。

 そしてまた近付くを繰り返しながら、サラは森の奥へと進んで行った。

 

 

 

「行くぞ! カミュ!」

 

 本来魔物に向けるはずの剣を、味方であり、世界最後の希望であるアリアハンの勇者に向け、リーシャは構えを取っている。

 対するアリアハンの勇者は、溜息混じりに背中の剣の柄に手を掛けた。

 

「……わかった。昨日、相手をすると言ったのは俺だったな……」

 

 心底、面倒くさそうに背中の鞘から剣を抜くカミュ。

 なぜ、味方同士の争いになったのか……

 それは少し前に遡る。

 

 

 

 カミュが気温の変化に目を覚ました時には、すでに夜が明け、少しずつ森を明るい光が包み始めた頃だった。カミュが感じた寒さの原因はすぐに解った。

 火が消えかけているのだ。夜が明けた今となっては、朝食の準備でもしない限り必要はないのだが、見張り兼火の番をするはずの女戦士が、火の傍で丸くなっているのはどういう訳なのか、カミュには一瞬理解ができなかった。

 火の状況を見ると空が白み始めた頃に眠りに落ちたのであろう。

 森の入り口ではあり、木々がひしめき合っていて、日光の差し込みが分かり辛いが、もう火が消えてしまっても差支えはない。

 ある程度の余熱があれば、寒さに震えるような事はないだろう。

 カミュは火に残った薪をくべ、火を安定させると、その場を後にした。

 昨日剣を振っていた水の湧き場で水を汲み、顔を洗った後、カミュは身体をほぐし始めた。

 寝具の中で寝ていた訳ではない為、筋肉に変なストレスがかかり硬くなっている。

 首をほぐし、肩、腕、腰をほぐし終わり、足の筋肉に取りかかっている時に、後方に気配を感じた。

 

「……大人しく待っている事は出来ないのか?」

 

 後方の気配はカミュの予想通り、リーシャであった。

 憮然とした表情で立つリーシャの表情は、不満を言う為というよりも、何やら本当にカミュに用があるようである。

 

「お前が勝手に一人で出発する可能性があるからな。まぁ、マントをサラに掛けたままだったから、そんな事はないと思ったが、念の為だ」

 

 リーシャは、後ろから極力気配を消してきたのにも拘わらず、近寄る前に声をかけられ、多少動揺をしながら歩み寄って来る。

 

「見張りや火の番を放棄して眠りこけていた人間とは思えない言い草だな」

 

「うっ! そ、それは……」

 

 カミュの容赦のない言葉に、リーシャは言葉に詰まる。

 眠ってしまっていた事を自覚しているだけに、その言葉はリーシャの胸に突き刺さったのだ。

 魔物の巣窟である森の中で、全員が眠りに落ちている等、死を望む者以外は行わない事である。仲間の命を危機に晒したという事実を突き付けられたリーシャが目を伏せるのも仕方のない事なのだろう。

 

「それでなんだ?……あの僧侶も起きたのか?」

 

「い、いや。サラはまだ寝ている。そうではなくてだな……また剣を振るのか?」

 

 自分の失態をつつかれ、狼狽しながらもリーシャは、昨日のカミュの訓練の様子を思い浮かべて問いかけた。

 サラが起きるまで、まだ少しばかり時間があるだろう。

 ならば、自分もカミュと共に剣を振るおうと考えていたのだ。

 

「まだ寝ているのか……言い出した見張りを放り出して眠りこける『戦士』に、昨晩から何もせずひたすらに眠り続ける『僧侶』か……一つ聞きたいが、このまま俺はアンタ方が付いて来る事を黙認していても良いのだろうか?」

 

 しかし、そんなリーシャの前向きな考えも、カミュの言葉で霧散してしまう。

 口端を少し上げたカミュは、自問自答するような口ぶりで、リーシャへと容赦のない言葉を投げかけたのだ。

 

『どうしてこうも捻くれているんだ?』

『しかも、その厭らしい笑いはなんだ?』

 

 リーシャは自分の血液と共に頭に上ってくる疑問に、怒りが増幅されるのを感じていた。

 事実、リーシャの考えるように、カミュの口端は上がり、笑みを浮かべているように見える。

 

「くっ! 私達が役に立たないというのか!? いいだろう! 昨日、剣の相手をすると言ったな。私が稽古をつけてやる。実戦と思ってかかって来い!」

 

 売り言葉に買い言葉である。

 カミュの表情を確認したリーシャは、腰の剣を素早く抜き、その剣をカミュに向かって掲げながら挑発をし返した。

 そのリーシャの姿を見て、カミュの瞳は驚きで開かれ、大きな溜息を吐き出す。

 

「……本当に頭に血が昇り易いな……よくそれで、魔物討伐で命を落とさなかったものだ」

 

 対するカミュは、明らかに失敗したというような表情に変わり、肩を落とした。

 そして、先程の状況になった次第である。

 

 

 

『かかってこい!』と受けに回る事をほのめかしながら、先に仕掛けたのはリーシャであった。

 瞬時にカミュとの間合いを詰め、踏み込む足の動きに合わせ、右手に持った剣を横薙ぎに振るう。

 必殺の速度である。

 

『殺す気か!?』

 

 対するカミュは、右手に持っていた剣を両手に持ちかえ、リーシャの剣に合わせる。

 間一髪、リーシャの剣とカミュの身体の間に剣を滑り込ませ、その剣を受け止めた。

 しかし、女とはいえ、アリアハン屈指の戦士の剣である。

 カミュは勢いを殺し切る事が出来ず、たたらを踏んで後退した。

 その隙を見逃さず、リーシャは二撃目を繰り出す。

 刺突である。

 魔物と戦う時に剣を横薙ぎに振るう事は少ない。

 魔物の身体は大抵人間のそれよりも堅い皮や毛に覆われている。横薙ぎに切った場合、運が悪いと魔物の身体の途中で斬撃が止まってしまい、剣が抜けなくなってしまう事があるのだ。

 故に魔物と戦う場合、牽制以外では刺突を用いる事が多くなる。

 つまり、リーシャは本気でカミュを殺しにかかっている証拠であった。

 

「くっ!」

 

 初手の対応を間違えたカミュは、防戦一方になる。

 リーシャの刺突をギリギリのところでかわし、リーシャの肩口目掛け剣を振り下ろす態勢に入るが、その前にカミュの腹部に衝撃が走った。

 刺突を、態勢を崩しながらかわしたカミュの腹目掛け、リーシャの蹴りが入っていたのだ。

 

「ぐはっ!」

 

 腹部に蹴りを受けたカミュは、後方に下がり際に剣を横薙ぎに振るう。

 しかし、それはアリアハン屈指の騎士に対する攻撃としては、無意味に近い物だった。

 

「甘い!」

 

 横薙ぎに振るわれたカミュの剣を弾き返し、返す剣でカミュの首を狙い一閃。

 辛うじてカミュは剣を戻し、首を狩りに来る剣を受け止めるが、リーシャは手首を返し、その剣を巻き上げた。

 

「!!」

 

 剣はカミュの手を離れ、回転しながら後方の地面に突き刺さる。

 武器を無効化されたカミュに、リーシャと渡り合う方法はなくなったのだ。

 

「勝負ありだな!」

 

 カミュの首筋に剣を添えながら、どうだと言わんばかりに顔を綻ばせ、リーシャは高らかに勝利を宣言する。

 カミュは格闘家ではない。

 素手での戦いができない訳ではないが、剣を持った戦いに比べれば、数段劣る。

 何より、剣での戦いで遅れを取った相手に、素手で勝てると思う程カミュは愚か者ではなかった。

 

「……今の勝負は……負けで良い……」

 

「今の?……なんだ? いきなり仕掛けた事を卑怯だとでも言うのか? 私は『いくぞ!』と言った筈だぞ?」

 

 リーシャは、カミュが負け惜しみを言っているのだと思い、ここぞとばかりに意趣返しを図る。

 リーシャの剣が首筋から離れた事を確認し、カミュは後方に飛んで行った剣を拾い、再び構えを取った。

 

「??」

 

「もう一度だ。アンタの力を見縊っていた事は認める……実戦形式とはいえ、本気で殺しに来るとは思わなかった。ならば、俺も実戦と同じように、魔物相手と考え相手をしよう」

 

 構えを取ったカミュの瞳が、先程までとは異なる光を宿し始めていた。

 しかし、カミュに戦闘で勝利した事を喜ぶリーシャは、その変化にまだ気付いてはいない。

 

「あははは……なんだ? 今の戦いは、本気ではなかったとでも言うのか?」

 

「……ああ……」

 

 『子供だ』 

 どれほど捻くれていようと、どんな厭味な事を言おうと、やはり年相応の子供なのだとリーシャは思った。

 リーシャの見立てでは、カミュは人間相手の戦いには慣れていない。

 昨夜の話の内容通り、幼い頃から魔物を相手にしてばかりいたのであろう。

 基本的に、魔物は本能によって行動をする。人間の動きよりも素早く、予測はつかないが、そこに思考がある訳ではない。

 反面、人間の動きは魔物には劣るが、様々な事に対応できるように思考を巡らし、攻撃や防御を行う。 

 つまり、力量の差がそれ程ない人間相手には、その駆け引きが重要になるのだ。

 それは日々の訓練による経験からくるものが多い。カミュも騎士と訓練を共にした事はあるのだろうが、その経験が圧倒的に足りないのだ。

 そんなカミュが、自分の負けを認める事を拒み、子供がよく使う『今のは、本気でなかったのだから負けたのだ』というような負け惜しみを言うのを見て、リーシャは内心で笑いを堪えるのに必死だった。

 

 『次は本当に稽古をつけてやろう』

 そのように軽く考えていた。

 故に、カミュの瞳が宿す光の変化に気付かない。

 

「良いだろう。存分にかかってこい」

 

 カミュを見据えながら、リーシャも剣を構える。多少心に余裕を持ち、それが侮りに近い物になっているリーシャは、カミュの纏う空気の変化に意識を向ける事をしなかった。

 カミュのその瞳は、今までの魔物の戦闘ですら見せた事のない、冷たく突き刺すような瞳に変化している。

 つまり、それは正しく敵を見据える瞳。

 

「来ないのなら、こちらから行くぞ!」

 

 一向に動く気配のないカミュに、今度もリーシャが先に仕掛けた。

 間合いを詰めながら剣を突く。

 それをカミュは自分に届く前に横にいなし、突き返す。

 リーシャとカミュの剣が幾度となく交差する。

 リーシャの見立て通り、カミュの剣の腕前は、まだリーシャには及ばない。

 しかし、その実力の差は天と地ほど離れている訳でもなかった。

 少しの実力の差が勝敗を左右する世界である故のリーシャの勝利なのである。リーシャがカミュに剣を教えるつもりで剣を交えれば、その攻防を続ける事が可能であった。

 

「ほら、どうした? 本気で来るのではなかったのか? これでは先程と同じだぞ!?」

 

 カミュの足を狙った剣を弾き、カミュの肩口めがけ剣を振るいながらリーシャはカミュへの挑発を繰り返す。

 そんなリーシャの挑発に、カミュの瞳が一瞬揺らぎを見せた。

 しかし、それは『怒り』という感情ではなく、『憐れみ』に近い物。

 

「……頭に血が昇り冷静さを失くすだけに飽き足らず、慢心までとは……アンタ、本当にアリアハン屈指の戦士なのか?」

 

 リーシャの剣をかわし、一旦距離を取ったカミュが溜息交じりに呟いた言葉は、リーシャの心に火を着ける物であった。

 一度、剣を下げたリーシャが、再び剣を構える。 

 その構えは、敵を見据えるような構え。

 

「わかった。稽古をつけてやるつもりだったが、お前がそう望むのなら本気で行こう」

 

 リーシャの目も敵を見る目に変わる。

 一本目よりも本気の証拠に、再び合わせた二人の剣が発する音は今までになかったものであった。剣を振るい、弾き、また振るい、弾くの繰り返し。

 何度目かのカミュの剣を弾いた後に、リーシャの瞳に信じられない物が映り込む。

 

「メラ」

 

 抑揚のない口調での詠唱。

 それと同時に目の前に迫る火球。

 リーシャは間一髪でその火球を避けるが、完全に態勢を崩した。

 そしてそれに合わせるように、リーシャの横っ腹にカミュの蹴りが入り、たまらずリーシャは地面へと転がる。

 焦って態勢を立て直そうと起き上ったリーシャの喉元に剣先が突き付けられた。

 

「……勝負ありだな……」

 

 おそらく意図的なのであろう。

 先程のリーシャの口調そのままで、カミュが勝利宣言をする。

 その瞳は、先程のような冷たい視線ではなかったが、表情はなかった。

 

「ちょっ、ちょっと待て!」

 

「……なんだ? まさか、魔法を使ったから卑怯だとでも言うつもりか? 俺は『実戦と同じように』と言った筈だが……」

 

 完全なる意趣返しであった。

 その証拠に、先程まで表情のなかったカミュの口元が片方上がり、厭味たらしい笑みが浮かんでいた。そのカミュを見て、リーシャは言葉に詰まる。

 悔しげに歪んだ口元が、その無念さを物語っていた。

 確かにカミュは『魔物相手と同じように』と言っていた。

 それに対し、リーシャもそれを了承し、途中からは自分も本気でカミュに剣を向けていた。

 剣でのせめぎ合いは、リーシャに分があった筈。

 しかし、カミュはそのリーシャの剣を何とか凌ぎながらも、魔法を使う隙を窺っていたのだ。

 カミュの力の具合や剣の腕から、魔法は使えないと無意識に決めつけていた事がリーシャの敗因だった。

 考えれば、アリアハンの英雄と謳われたカミュの父親である『オルテガ』もまた、剣の腕は世界中で右に出る者はいないと云われ、魔法も行使する事が出来た。

 しかし、それは真の勇者しか契約する事の出来ない魔法だとも聞いた事がある。それ以外の、先程カミュが行使したような、魔法使いが最初に契約をする『メラ』と呼ばれる火球呪文を行使できたかは解らない。

 何れにせよ、カミュの言う通り、この勝負はリーシャの慢心から来た思い込みが敗因なのは確かだった。

 

「ぐっ…………もう一度だ!」

 

 再度剣を構えるリーシャを嘲笑うかの様に、カミュは剣を背中の鞘に納める。

 そして、自分達の戦いの影響で喧騒を失くした森へと視線を動かした。

 

「いや、時間切れだ……これ以上は、出発が遅れる。それに、迎えも来ているようだしな」

 

 先程までリーシャに向けていた笑みを消し、カミュが視線を動かした方向を見れば、こちらを見たまま放心しているサラの姿があった。

 サラの姿を見て、リーシャも軽い溜息を吐き出す。

 そして、身体に入った力を緩めた。

 

「……わかった。だが、また勝負だ、カミュ。この先、お互い剣の腕を磨いていかなければ、待っているのは『死』だけだ。相手が思考能力を持たない魔物だけとは限らない。その為にも人間との鍛練は必要な筈だ」

 

 リーシャにとっては、苦し紛れの言葉だったのかもしれない。

 こう言わなければ、カミュは自分と剣を合わせる事がないと思っていた。

 しかし、それに対してのカミュの対応はリーシャの想像の遥か上を行っていた。

 

「……そうだな……アンタと相対して、俺の腕がまだまだだという事を思い知らされた。これからも頼む」

 

「……は?」

 

 リーシャはカミュの意外な言葉に一瞬呆けてしまう。それもそうだろう。

 昨日の夜までは、レーベの村に着いたらアリアハンに帰れと言っていた男が、直接的ではないにしろリーシャの同道を認めたのだ。

 

「……早々にここを出発する……今日中には<レーベ>に着きたい」

 

 リーシャが呆けている間に、カミュは早くも移動してしまう。

 我に返ったリーシャは、先程のカミュの言葉を改めて振り返り、自然と顔を緩めながらその後を追った。

 

 

 

 サラは、木々に覆われた場所から、唐突に開けた空間に出た。

 ついて来いと促していると考えていたうさぎは、疾うの昔に逃げ去っていた。

 興味本位でサラを見ていたが、いくら距離を空けても、その距離を詰めてくる人間に恐怖を覚えたのであろう。サラを置き去りにして、森の奥の方に一目散に逃げて行ってしまった。

 サラはそのうさぎを走って追う程の間を与えて貰えず、再び森の奥深くで取り残される形となった。

 立ち止まる訳にもいかず、うろうろと彷徨っていると、頬に当たる風が湿り気を帯び始めた事に気付く。水場が近くにあるのか、その周りの空気に湿気が含まれ、それが風に乗って来たのであろう。

 サラは僅かな期待を胸に、その風元に足を向ける。近付くにつれ、その期待が確信に変わって行った。

 そして、不意に広がった光に目を覆う。そこは幻想的な世界だった。

 木々は周りを覆うように生い茂り、その中央から一本の川が森の下流に向け流れ、大地には芝が生え、とても自然が造り出したとは思えない程の光景であった。

 そして、その中央の池の近くに、サラの探し求めていた二人の姿を見つける。

 ようやく辿り着いたことに安堵と喜びを感じ、駆け寄ろうと近づくサラの瞳に、信じられない光景が映し出された。

 

 二人は互いの剣を抜き、対峙しているのだ。

 しかも、その二人を取り巻く空気は、サラにでも感じられる程の緊迫した物であった。

 二人を止める為に声を出そうとするが、その空気に飲まれ、言葉を発することが出来ない。

 そして、サラが右往左往している間に、リーシャが動いた。

 リーシャの突きを剣で防いだカミュは、その後も何とかリーシャの攻撃を凌いで行く。途中、二人が距離を空け何か話していたようだが、この距離からはその会話が聞き取れない。

 しかし、サラにはカミュがリーシャを挑発したように思えた。

 その証拠に、その後からのリーシャの攻撃が先程よりも苛烈になっている。それでも、なんとか凌いでいるカミュではあったが、勝敗が決するのは時間の問題だという事は、サラにも理解できた。

 そんな時、サラの目にカミュの左手の動きが入って来る。右手の剣をリーシャの頭部めがけ振り下ろすカミュの左手が握られ、人差し指一本を立てた状態になっていた。

 

『何をするつもりなのか?』

 

 それはリーシャが頭部を狙う剣を振り払った時に判明する事となる。 

 左手の人差し指をリーシャに向けると、その指から火球が飛び出したのだ。

 それは、『魔法使い』と呼ばれる職業の人間が使える魔法。

 生来、魔力が高い人間が、初めに契約する事のできる魔法で、教会に入らない魔力を持った人間の将来を左右する魔法である。

 

 サラは驚いた。

 剣だけではなく、魔法の才能も持ち合わせている勇者と呼ばれる少年の能力に。

 リーシャの剣の腕は、素人の自分でも理解できる程に優れている。

 このアリアハンの地に住む魔物達では相手にすらならないだろう。

 そのリーシャに劣るとはいえ、あれ程のせめぎ合いが出来る腕を持つカミュも、相当な腕を持っているという事になる。その上、魔法まで行使できるとなれば、『自分は、唯の足手まといにしかならないのではないか?』とサラは考えた。

 

 カミュが魔法を行使できると言っても、それは魔法使いの魔法であって、回復魔法まで使える訳ではないだろう。もし、回復魔法が使えるのであれば、それは文献などに載る存在、『賢者』ということになる。

 今の世界に『賢者』はいない。

 遠い昔、その存在がいたとされているが、魔との契約による魔法と、神との契約による魔法を同時に使える存在は今現在確認されてはいないのだ。

 回復魔法が行使できるという強みは、パーティーの中での存在感となると考えていたサラは、魔法も行使できるカミュに、その存在価値を否定されたような感覚を持ってしまう。

 更には、リーシャとカミュの剣の腕である。

 『僧侶』であるサラは、剣の才能など皆無に等しい。

 しかし、魔物との戦闘の際に、常に後ろに控えている訳にはいかない。

 ただ、魔物に傷つけられた仲間を回復するだけであれば、それこそ魔王討伐には必要ないだろう。ならば、攻撃にも使える魔法を覚えるか、剣の腕前を、あの二人とまではいかなくとも、魔物に傷を与えられる程度には上げていかなければならない。

 そんな事をサラが考えている間に、二人の勝負は終わっていた。

 どうやら、先程の魔法が鍵となりカミュが勝利を収めたようだ。

 リーシャが何か悔しそうに、言葉をぶつけているが、それを無視するように、カミュがこちらに向かって来る。固まっていた自分に気が付きサラは二人に歩み寄り、その時、カミュの後ろから歩き出したリーシャの表情が、少し柔らかくなっていたのをサラは不思議に思った。

 

 

 

 三人は宿営地に戻り、火が完全に消えている事を確認した後、念の為、そこに土をかけてから森を出る。

 再び街道に戻った頃には完全に日が昇り、明るい日差しが街道を照らしていた。

 昨日と同じようにカミュが先頭を歩き、その後ろをサラの歩調に合わせてリーシャが歩く。

 その間隔は、ある一定の距離が刻まれ、それ以上縮まる事もなければ、逆に広がる事もなかった。

 昨日は、頭に血が上る事も多く気が付かなかったが、旅慣れぬサラの歩調を気遣いながら、カミュは先頭を歩いていたのだとリーシャは感じていた。

 相変わらず、出て来た魔物との戦闘では、自分に牙を剥いてくる魔物以外には全く興味を示さず、倒れた魔物の部位を切り取っていたし、別段サラや自分に向かってくる魔物を、代わりに倒したりすることもないが、彼は彼なりに自分達に気を使っているのかもしれない。

 昨日あれほど考えが対立していた相手を、何故このように思うのかは解らないが、何となく自分の考えが間違っていないという確信がリーシャにはあった。

 昨日と同じように、街道沿いでは<大ガラス>や<一角うさぎ>、そして<スライム>との戦闘はあったが、それらの魔物は、カミュやリーシャの敵ではない。

 サラが回復呪文を使う場面はないが、手に持つ一振りのナイフで、何体かの魔物に止めを刺して行った。

 昨日、サラが初めて魔物をその手の凶器で殺害した時には、その手に残る感触に暫し呆然としていたが、それを見るカミュの冷ややかな視線に気づき、カミュと睨み合う場面もあった。

 この先、その時に呟いたカミュの一言が、その後魔物をその手で倒す度に、サラの胸の奥に出来たしこりを大きくして行く事を実感するのであった。

 

「どうだ……魔物をその手で殺す気分は?……爽快か?」

 

 その言葉をカミュが発した時のリーシャは、完全に我を忘れるくらいに激昂していた。

 そのリーシャに呟いた一言も、サラの心の奥に張り付いて離れない。

 

「相手が魔物であろうと、命をその手で奪った事には変わりはない筈だ」

 

 昨日のカミュとの対立は必然であったと言えよう。

 未だにカミュの考えは解らないし、解ろうとも思わない。

 だが、カミュのその言葉は確実にサラの心に定着してしまっていた。

 

 

 

 後ろを歩く二人が全く違う想いを胸に、前を行く自分を見ているとは全く知らず、カミュはレーベへ向かい歩を進めていた。

 二度の休憩を挟み、何度かの戦闘を行い、日が沈み始めた頃、カミュ達一行はようやくレーベの村へと辿り着いた。

 

 木で出来た柵で、簡易の防壁を作って魔物の侵入を阻み、その囲われた小さな場所で、人々は集落を営む。

 『魔王バラモス』の出現による影響で魔物が凶暴化した事により、アリアハンから交代制で兵士が常駐し、監督を続けている。村の入口には、兵士達の番所があり、ここで兵士たちは寝泊りをしていた。

 基本的に、ここに派遣される兵士達は、アリアハンから募集した平民の兵士が多く、出世欲などはそれ程ない者が多い為か、兵士と村人の衝突などは一切起きてはいない。周りの魔物も強い魔物ではない為、世界で一番平和な村なのかもしれない。

 村の入り口でカミュ達三人は兵士たちに身分を伝え、村の中へと入る。

 

「レーベの村にようこそ」

 

 村に入ってすぐに、若い女性に声をかけられた。

 三人の服装なども見て、旅人と見たのだろう。にこやかな笑顔に偽りはなく、この時代に<レーベ>へと立ち寄る旅人を歓迎している様子であった。

 

「ああ、ありがとう」

 

 いつものように全く関心を示さないカミュの代わりにリーシャが村娘に答えるが、サラはというと、休憩を挟んではいたが、慣れない旅の疲れからか、リーシャの後ろを黙々と歩いていた。

 村の入り口から少し進むと、左手に道具屋の看板が見えて来る。

 陽が沈みかけているためか、店仕舞いをと考えているようであった。

 カミュは、魔物から切り取った部位の入った袋を持ちかえ、リーシャに『これを売ってくる』と告げて道具屋へと入って行った。

 その後ろ姿に、『先に宿屋を探しておく』と返したリーシャの言葉が、カミュに届いたかどうかは分からないが、とりあえず早めにサラを休ませようと、リーシャは宿屋を探す事とする

 

 宿屋は案外あっさりと見つかった。

 道具屋の向かいにある大きな建物が宿屋であったようで、入口が反対側だったため看板が見えていなかっただけであった。

 カミュを待つかどうか考えたが、サラを一刻も早く休ませたい事もあり、とりあえず宿屋の入口を潜る事にする。

 

「いらっしゃいませ」

 

 入り口付近で入るか入るまいかを悩んでいたリーシャの姿を見ていたのだろう。リーシャが店に入り切る前にカウンター越しから中年の男性に声を掛けられた。

 恰幅の良い男で、顔には優しげな笑みを浮かべている

 

「こんにちは。旅人の宿屋にようこそ。二名様ですか?」

 

 中年の男は営業的な笑顔でありきたりな文句を言い、こちらの人数を尋ねて来る。

 それに対し、サラの手を引きながらカウンター前にまで歩き、リーシャは口を開いた。

 

「いや、三人だ。できれば、二部屋用意してもらいたい。一つは一人部屋で、もう一つは二人部屋が良いのだが?」

 

「ああ、大丈夫だよ。このご時世、なかなか宿屋を利用する旅人も少なくなってきているからな。うちもガラガラさ」

 

 先程までの営業口調をいつの間にか取り払い、宿屋の親父は気さくにリーシャの要望に応える。

 先程までの営業的な笑顔とは違い、柔らかな笑みを浮かべているのを見ると、人柄の良さが窺えた。

 

「一緒の部屋なら、三人で6ゴールドなんだが、二部屋となると8ゴールドになるよ? それでも良いかい?」

 

「ああ、それで良い。金は、後から来るもう一人の連れが持っているから、そいつが来るまでそこに座らせてもらっても良いか?」

 

 ふらつくサラを支えながら、カウンターの前にあるソファーを指差したリーシャに、店主は笑みを濃くする。

 

「ああ、どうぞ。そちらのお連れさんは相当疲れているようだな……ちょっと待っていな。今、茶でも入れてやるから」

 

 もはや、丁寧な口調でもなくなっている宿屋の親父だが、その人柄はとても好印象が持てるものであり、リーシャの気持ちも自然と柔らかいものに変わって行った。

 奥からお盆に冷たいお茶を載せ戻って来た親父は、それをサラに渡すと、再びカウンターの中へと戻って行く。

 

「ああ、そうだ。ひとつ言い忘れた事がある。今夜の夕食と、明日の朝食は出せないが、それでも良いかい?」

 

「夕食も朝食も出せないのか?」

 

 なんでもないような事かのように口を開く宿屋の親父の発した言葉は、リーシャにとっては疑問が浮かぶ事柄だった。

 通常、深夜の到着でもない限り、宿屋の料金には、夕食と朝食が込みとなっている。

 それがないという事は、外の酒場などで夕食を取らなければならないという事だ。

 

「ああ、材料は多少あるんだが、生憎、私の家内が風邪をひいてしまって、昨日から寝込んでいてね。私も料理は出来るが、とてもお客様に出せる物ではないから……申し訳ないが、食事は無しでお願いしているんだよ。もしそれで良ければ、先程言った8ゴールドを、二部屋で通常通りの6ゴールドにしても良いよ」

 

「そうか……それでは仕方ないな……ん? そうだ! 6ゴールドにしてもらうお礼に、料理は私が作ろう。材料はあるのだろう?……ついでに親父さんの分と、奥さんの分も作ろう。風邪であるならば、消化の良い物が良いだろうな。台所を貸してくれ」

 

「は?」

 

 宿屋の親父の謝罪に対して発したリーシャの言葉は、その場を凍りつかせるのに十分な威力を持っていた。

 先程までぐったりと頭を下げていたサラでさえ、その頭を勢い良く上げ、疑問の言葉を発している。

 昨夜、串に刺さった、焼き上がっていない肉を頬張ろうとするリーシャを見ていたサラだけでなく、初対面の宿屋にとっても、リーシャと料理が全く結びつかなかったのだ。

 

「……な、なんだその顔は! 私が料理も出来ないとでも思っているのか!? サラまで何だ!?」

 

 リーシャはそんな二人の態度に戸惑いながらも、怒りを露わにした。

 リーシャの怒りを受けても、サラや店主の疑問は晴れない。腰に剣を差している『戦士』が料理を作るなど、彼女達には想像すら出来ないのだ。

 そんな宿屋のカウンター越しの微妙な状況の中、『勇者』が現れる。

 

「……ん? 何を騒いでいる? 魔物の部位は、思っていたよりも高く売れたから、ある程度の宿代は払える筈だ」

 

 登場したカミュは、その異様な雰囲気を不思議に思いながらも、見当違いな発言をする。

 そんな、いまいち状況を読めていないカミュに、サラが事の顛末を告げる為、リーシャの下を離れ、覚束ない足取りでカミュへと近付いて行った。

 

「宿屋の奥様が風邪をひかれたらしく、食事は出ないそうなのです」

 

「……は? そんな事で騒いでいるのか? 別段、外で食べれば良い。食い意地まで張っているとは、たいした戦士様だ。さすが脳まで筋肉で出来ているだけはある……」

 

「なんだと!」

 

 カミュの発言に、それまで微妙な空気を作っていた張本人がその身体に怒りを纏い、カミュを睨みつける。

 まさに一触即発の緊迫感に、宿屋の親父の顔も引きつるが、サラはカミュの間違いを正す為、もう一度口を開いた。

 

「あ、あ、違います。それは良いのですけれど、『材料があるのだったら私が作る』とリーシャさんが言いまして……」

 

「………………は?」

 

 サラは自分が伝えた言葉に対するカミュの反応に、心底驚いた。

 あのカミュが呆けているのだ。

 サラの発言の意味が全く理解できないといったような、完全な無防備な表情。

 無表情という訳でもなく、冷たいと感じる訳でもない、本当に人間らしい表情であった。

 

「~~~~!! 何なんだ、お前たちの反応は!! 私が料理を作るのが、そんなにいけない事なのか!?」

 

 先の二人の反応に続き、無表情と口端を釣り上げた厭味な笑いの顔しか見た事のないカミュに、人間らしい表情を出させた事への喜びなど感じる事もなく、リーシャは爆発した。

 

「い、いや、流石に俺も、アリアハンを旅立った二日後に、魔物との戦闘ではなく、食中毒で死ぬ事は、できるならば願い下げたいのだが……」

 

 初めて人間らしい感情を表に出したカミュが、そのままの状態でリーシャの言葉に返答を返すが、それは唯、火に油を注いでいるだけの行為であった。

 

「カミュ様……その言い方はちょっと……」

 

 <レーベ>までの道程で、カミュから『勇者様』と呼ぶ事を禁止され、お互いの落とし所であった『カミュ様』という呼び方でカミュに呼びかけるサラであったが、それは直接的ではないが、サラも気持ちは同じである事を明確に表していた。

 

「~~~~~~!! ああ、そうか、わかった。お前達が私をどう見ていたのか、良く解った。まさか、サラにまでそのように見られていたとはな。こうなれば意地だ。誰が何と言おうと、食事は私が作る。良いな! 親父、材料を見せてくれ。献立を考える。足りない物があったら、私が買いに行く!」

 

「あ、は、はい……わかりました。わ、わたしは頂きます……ですから、家内だけは……どうぞご容赦を……」

 

 旅の同道者である、サラとカミュの反応を見て、不安が尚一層深まった宿屋の主人は、何とか自分の妻だけは護ろうと、先程までの気さくな口調を正し、リーシャに懇願するように頼み込む。

 しかし、その主人の態度が、リーシャの怒りに益々火をつける結果になった。

 

「~~~~~~~~!! もういい!! 私は勝手に作業を開始する! お前達は出来上がるまで部屋で休んでいろ!!」

 

「は、はい!」

 

「……はぁ……」

 

 雷鳴の如く鳴り響くリーシャの怒声に、宿屋の主人とサラは同時に声を上げ、その横で心底疲れ切ったと云わんばかりに溜息を洩らすカミュがいた。

 そのまま台所へと消えて行ったリーシャの背中を暫し見ていたサラであったが、横にいる店主の心配そうな顔を見て、苦笑を浮かべる。

 カミュは、早々と自分の部屋へと向かって行った。

 

 

 

 リーシャが料理をしている間に、諦めきった表情で、宿屋の主人はお客の為に湯を沸かし、帳簿をつける。

 湯が沸いた事を確認し、二階の部屋で休んでいる二人のお客に、それを告げ、階下に戻って行った。

 宿屋の主人の声がした時、サラは疲れから睡魔に襲われていたが、二日間の身体の汚れを清める為、一応、カミュに先に入ることの了承を貰い、階下にある浴場へと足を運ぶ。

 これから起こるであろう惨劇を思うと気が重くなっていくが、まずは身体の汗を流す事にしたのだ。

 

 一人部屋に入ったカミュは、道具屋に売った魔物の部位の分のゴールドを袋に入れ、明日に道具屋などで揃える物を考えていた。

 これから先、アリアハン大陸から出る事になれば、この大陸の魔物とは比べ物にならない強敵が出てくるだろう。自分やリーシャが身につけていた、魔物の皮で出来た<革の鎧>では身を守る事が難しくなってくる筈だ。

 その為にも、少しでも良い物を買わなければならない。

 サラと呼ばれる『僧侶』は、戦闘に慣れるまでは危険が多いので、法衣の下にでも何か身を護る物を着せた方が良いだろう。そこまで考えて、自分が他の二人の装備品の事まで考えている事に驚き、カミュは苦笑を洩らした。

 

 サラが湯から上がり、カミュも軽く身体を清めた頃、台所からリーシャの声が響いて来る。

 その声は、サラにとって地獄からの呼び声のように聞こえた。

 もはや、先程の人間らしい表情を消し去ったカミュが、一番乗りで食堂に入る。その後から、ゆっくりと一歩一歩を確かめながらサラが食堂に入って来て、最後に宿屋の主人が食堂に姿を現した。

 それぞれが席に着き、サラと宿屋の主人がお互いの顔を見合せて愛想笑いをしていると、台所の方から両手に皿を二つ持ち、リーシャが現れる。

 

「おっ、揃っているな。さあ、これが、お前達が散々馬鹿にした私の料理だ。全部持ってくるまで手をつけるなよ」

 

 手に持った皿をテーブルの上に並べながら、リーシャは得意げに胸を張る。

 外にいたような鎧をつけている姿ではなく、鎧の下に着ている服の上からエプロンを纏い、先程まで台所の炎に当っていた為か、顔が上気していた。

 サラはその姿がとても美しく、とても羨ましく見え、眩しく見上げる。戦闘中では考えられないリーシャの女らしさに驚いたのだ。

 鎧を外し、エプロンをつければ、身体は引き締まっているが、女性らしさを損なわない丸みを帯びた美しいプロポーションだった。

 女性の仕事の一つである、子への授乳の為の胸は、一般的に見てもそれなりに大きい部類に入るだろう。髪は戦闘中に邪魔にならないよう短く切り揃えてはあるが、独特の癖のあるカールがかった金色の髪が、リーシャに良く似合う。

 

 サラがリーシャに見惚れている間に次々と料理がテーブルに並んでいった。

 暖かそうなコンソメのスープ。

 鶏肉を炙り、その上に気持程度にソースが掛けられたソテー。

 野菜と共に炒められ、疲れ切った身体でも食欲が溢れ出しそうな香りを出している。

 これはうさぎの肉であろうか?

 更には、野菜のサラダに、軽く焼き色のついたパン。

 

 どれも、湯気と共に食欲をそそられる香りを発している。ふと、サラが隣を見ると、食堂に入ってくるまで無表情を貫いていたカミュの表情が、先程宿屋の入り口で表した人間味のある唖然とした表情になり、料理とそれを運んでくるリーシャの顔とを見比べていた。

 その様子がとても可笑しく、カミュとは反対側に顔を背けて笑いを堪えていると、その方向にいた宿屋の主人も同じ事を思ったのであろう、必死に笑いを堪えていた。

 お互いの状況を確認した二人に笑いを堪える事は、もはや無理な話であった。

 

「あははははははははははっっ!!」

 

 突如、爆笑する二人に驚き、カミュの表情がいつものような無表情に戻るが、料理を運んで来たリーシャは、それが自分の料理を笑われたと思い、苦い顔をする。

 

「なんだ!? 失礼な奴らだな……人の料理を見て笑うなんて。良いから食べてみろ」

 

「ち、違うのです、申し訳ありません。リーシャさんの料理を笑った訳でないのです。ぷぷぷっ……」

 

 必死に弁解しようとするサラだが、一度落ちた笑いの渦から脱出する事は叶わなかった。

 顔を背けて笑うサラの様子に、先程まで強気の瞳を向けていたリーシャの意気も消沈して行く。

 

「……そんなにこの料理は変か?」

 

 先程までの剣幕はどこへやら、気落ちしたように顔を落とし、リーシャの表情は沈んで行った。

 そんなリーシャの様子に一気に笑いが引いて行ったサラと宿屋の主人は、何とか弁解をと必死に考えを巡らせ始める。

 しかし、そんな三人の様子を余所に、カミュが料理を食べ始めていた。

 スープをスプーンで掬い、一口啜ると、それからは怒涛のように他の料理に手をつけていく。

 

「あ、あの……カミュ様?」

 

「……ん? 料理は揃ったんだ。食べ始めて良いのだろう?」

 

 カミュの姿に驚き、恐る恐る声をかけたサラに、まるで当然の事のように答えたカミュの様子を見る限り、この料理の味は惨劇を生み出す物ではないようだ。

 

「……ど、どうだ?」

 

 今まで沈んだ様子だったリーシャは、自信のあった料理を笑われたと感じていた為、カミュが黙々と食べ続けるのを見て、感想を聞く。

 その声は、気のせいか若干震えているようだった。

 

「……旨い。凄いな……アンタの料理を馬鹿にするような発言をした事を謝罪する。ああ、それも食べて良いか?」

 

「そ、そうか! そうだろう!? 仕方がない。その謝罪を受け、先程の事は不問にしてやる! こ、これか? ああ、いいぞ! まだあるからどんどん食え!」

 

 凡そあのカミュとも思えないような素直な感想に、喜びを隠しきれない様子で、リーシャはカミュの前に野菜と肉の炒め物の皿を置いた。

 サラはそんな二人の様子を見ながら、カミュの態度に驚きながらもどこか得心の行く部分を感じる。

 カミュ達と出会い、まだ二日しか経ってはいないが、カミュは自分に非がある時には、その相手に対して謝罪する事や、感謝の意を表す言葉を言う事を厭わない。そんな気がしてならなかった。

 ならば、散々対立している自分に対して謝罪がないのは、カミュが全くその事に対して、自分には非が無いと考えているという事ではないだろうか。

 自分が考えた事もない考えをカミュは持っている。

 その考えを改めさせ、自分が受けてきた教えを、カミュに理解させる事ができる日が来るのだろうか。

 サラはそんな考えに没頭していた。

 

「……サラには口に合わなかったか?……やはり、ソースの酸味がきつ過ぎたか?」

 

 そんなサラの様子を心配し、リーシャが声をかけてくれている。

 旅の道中では、あまり表面には出て来ないが、このリーシャという女性は、本当にアリアハンの貴族らしからぬ人間だった。

 平民を虐げ、貴族である事がアリアハンで生きる為のステータスとでも言うような貴族が多い中、貴族であるという誇りは持っていても、それを驕るのではなく、平民であるサラに対しても気さくに接してくれる。

 リーシャは、そういう優しい女性であった。

 

「いやいや、このソースは絶品だ。凄いな、これは。俺も先程の態度を謝るよ。いやぁ、旨い。こりゃ、うちの家内にも食わせてやりたかったな」

 

 リーシャの味に気を良くした宿屋の主人は、最初の頃のような気さくな口調に戻っていた。

 そんな主人の態度の変化に苦笑を浮かべながら、リーシャは台所の方を指差し、口を開く。

 

「ああ、アンタの奥さん用に、台所に別にスープを作っておいたよ。消化に良い物で、体が温まるように作っておいたから、飲ませてあげると良い」

 

「そりゃ、本当かい? ありがとう。早速家内に持って行ってやることにするよ。ああ、本当に美味しかったよ。ご馳走様」

 

 嬉しそうに顔を綻ばせながら、リーシャに頭を下げ、宿屋の主人は台所の方へと消えて行った。

 主人の背中を見送ったリーシャは、テーブルに顔を戻し、目の前にある料理が少ししか減っていないサラへと声をかける。

 

「サラも食べろ。早く食べないと、昨日と違ってサラの分も無くなってしまうぞ」

 

「は、はい! このスープ、本当に美味しいです。リーシャさんは、お料理がお上手なんですね」

 

 スープを飲み、その味の良さに感激を覚えるサラであったが、隣のカミュの食の勢いを見ていると、リーシャの言う事も、満更嘘ではない気がして、急いで他の料理も取り分けて行く。

 

「ああ、ありがとう。料理は、うちに昔から仕えている婆やに教わったんだ。剣の鍛錬ばかりしていた頃に壁にぶつかってな。その事を婆やに話したら、『女には、女の強さがあるのですよ』と言って、料理を教えてくれたんだ」

 

「そうだったの……」

 

「それを食べないのなら、貰っても良いか?」

 

 リーシャの話に相槌を打とうとしたサラの言葉を遮り、リーシャの前にある料理にカミュが手を伸ばしてきた。

 

「ん、これか? ああ、いいぞ。食べたかったら、食べれば良い……ほら」

 

 自分の分の料理まで欲しがるカミュに、リーシャは嬉しそうに笑顔を向け、カミュの前に皿を持って行く。

 カミュの食の勢いに圧倒されていたサラが、リーシャの前に、何も料理が残っていない事に気付き、慌てて言葉を掛けた。

 

「良いのですか? リーシャさんは、食べていないのではないですか?」

 

「ああ、料理は作る時に、味見とかで少しずつ口に入れるからな。意外に腹が膨れるものなんだ」

 

 自分を心配してくれるサラに柔らかな笑顔を向けたリーシャは、テーブルにあるお茶を一口啜る。

 その姿は、無理をしているようには見えない。満腹ではないが、空腹でもないのであろう。

 

「は、はあ……」

 

「まあ、サラも料理を作るようになれば解るさ」

 

 それでも納得が出来ないサラの様子に苦笑するリーシャは、サラの肩を軽く叩く。

 それは、サラ程の年齢の女性からしてみれば、少しばかり不服を申し立てたい程の発言であったが、異議を申し立てようと開いたサラの口からは、聞き取れぬ程の声量しか出ては来なかった。

 

「わ、わたしだって、料理は……でき……ません……けれど……」

 

「ふふふっ。いや、良いさ。私も小さな頃から出来た訳じゃない。その内、嫌でも覚えるようになるさ」

 

 サラの必死な様子を、リーシャは暖かい目で微笑を浮かべたまま見ている。

 サラは、そんなリーシャの視線に、恥ずかしそうに身を縮ませていた。

 

「ご馳走様」

 

 リーシャとサラが和やかな会話を続けていると、それまで黙々と食事を続けていたカミュが一言呟き、席を立った。

 カミュの前にあった皿は、全て空になっている為、先程の言葉はお世辞ではないのであろう。

 まず、カミュがお世辞などを言う事ができるとは、サラにはどうしても思えなかったが。

 

「ああ、明日はどうする?」

 

 席を立ったカミュに、リーシャは明日の予定を問いかけるが、カミュは食堂の入り口に立ったまま少し考えた後、振り返りもせず、またもや火の種を投じた。

 

「明日は物資を少し買いたい。店が開いた頃に出る……アンタはこの町に残って店でもやったらどうだ?……その料理であれば、客は来るだろう」

 

 火の種を投じたまま、リーシャの反応も待たず、カミュは二階の部屋に上がって行ってしまう。

 カミュが発した言動を、ゆっくりと噛み砕き理解し始めているリーシャが爆発するまで時間は、それ程残されてはいなかった。

 

 その夜、爆発したリーシャを宥め、共に洗い物などをしてから部屋に戻ったが、尚も収まりきらないリーシャの怒りの捌け口になったのはサラであった。

 サラはリーシャの愚痴を聞きながら、頭の中でカミュに対して怨み言を言い続けた。

 

 

 

 

 

 



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レーベの村②

 

 

 

 まだ、夜が明け切れてない時分に、一人の男が宿屋の階下に下りて来た。

 

「お早いご出発ですね。皆様、まだお休みになられていますが?」

 

 誰もいないと思っていたカウンターから突然声がかかり、驚いてそちらを見ると、宿屋の主人が帳簿に目を落としながら筆を走らせていた。

 

「ああ、既に料金は払っているのだから、構わない筈だが」

 

 見つかるとは思っていなかったのであろう。二階から降りてきたカミュは、鬱陶しそうに宿屋の主人の方に視線を動かし、そのまま出口に向かおうとしていた。

 

「ええ、それは構いませんが、おそらく簡単には出られないと思いますよ」

 

 そんなカミュに視線も向けず、宿屋は奇妙な事を言い出す。

 宿屋の主人には昨日のような気さくさはなかった。

 いや、始めからカミュに対しては気さくな口調ではなかったかもしれない。

 

「どういう事だ……?」

 

「いえ、あのお方に、貴方が勝てるとは思えませんので……」

 

 その言葉と共にやっと顔を上げた主人の表情を見てカミュは咄嗟に身構えた。

 主人の顔には、ある感情が張り付いたままだったのだ。

 

 それは『恐怖』

 『何故、こんな片田舎の宿屋の主人がこれ程までの恐怖を味わっているのか?』

 『あのお方とは誰の事なのか?』

 カミュは背中の剣に手をかけながら、宿屋の出口に向かう。

 

 まだ夜も明けきらぬ時刻。宿屋は暗闇に支配され、カウンターにある一本の蝋燭では、帳簿を見る事は出来ても、宿屋全体を照らす事は叶わない。

 カミュが慎重に足を進めていると、やがて一つの人影が見えた。

 

「ほう……やはり一人で行くつもりか?……主人に言っておいて正解だったよ」

 

 徐々に明らかになる人影とまだ聞きなれたとは言えない声。

 腰に挿した剣に金髪の髪。

 気の強さを表す吊り上がった瞳は、今まさに、目前に立つカミュを射抜いていた。

 

「……誰かと思えば、アンタか……」

 

 目の前に立つ人物が、カミュの胃の中で未だに消化されていない物を作った女性である事を認識し、緊張を解きながら、剣から手を離した。

 

「こんな早くにどこに行くつもりだ?……お前は昨夜、宿を出るのは、店が開いてからと言っていたのではないのか?」

 

 緊張を解いたカミュは、もう一度身を強張らせた。

 宿屋の入り口に立つリーシャの身体から立ち上る怒気が、想像を絶する程の物だったのだ。

 表情は、周辺の暗闇に隠れて見えないが、宿屋の入り口を中心に空気が変わっている事から、リーシャの怒りが相当な物であるという事は理解出来る。

 

「お前は、私と剣の鍛錬も続けると言ったな。それも嘘か?……アリアハンから認められた勇者は、嘘しか言わないのか?」

 

 一言一句に呪いが籠められているのかと思ってしまうほど、リーシャの発する言葉の振動が重い。

 ふとカウンターに意識を戻すと、先程までいた宿屋の主人は跡形もなく消えている。

 カミュにも先程の宿屋の主人の怯え様が、ようやく理解できた。

 

「……以前、森の中でも話した筈だ……俺とアンタ方の考え方は、決定的に違っている。このまま旅を続けたとしても平行線なだけだ。俺の考えが変わる事はないし、幼い頃からルビス信仰を擦り込まれて来たアンタ方の考えが、変わる訳もない」

 

 『擦り込む』という単語にリーシャの反応があったが、今はカミュの言い分を聞く事にしたようだった。

 いつも即座に怒声を飛ばすリーシャが、何の返答もしない事を若干不思議に思ったカミュだが、先を続ける事にした。

 

「もし、アンタ方がどうしても『魔王討伐』に出たいというなら、俺とは別に行ってくれ。その方がお互いの為だ」

 

 カミュはそれだけ言って、リーシャの立つ横を通り抜けようとする。

 だが、それはリーシャの剣に阻まれた。

 まるで、カミュの進行を邪魔するように突き出された剣は、明け始めた空から降り注ぐ太陽の光を微かに反射させる。

 

「……お前の考えは聞いた……だが、聞いた事と理解できる事とは違う。お前は『魔王』を討伐する為に出ているだけで、実際に『魔王』を討伐する気は、本当はないのだな?……もし、お前が本気で、単身で『魔王』を討伐出来ると考えているのだとすれば、お前の脳こそ筋肉で出来ているのではないか?」

 

 横を通ろうとするカミュに抜き身の剣を向けながら、リーシャはカミュをまっすぐ見据えている。

 カミュは先程からリーシャが放つ言葉の中に、自分を挑発している部分がある事には気が付いていた。

 だが、『魔王討伐に出ているだけで、実際に倒す気がない』という言葉が、カミュの胸に突き刺さり動けない。 

 

「『魔王討伐』という旅に出たのだ。『魔王』を討伐する目的の旅であることは、当然の筈だ。討伐の可否は、その場で『魔王』の前へ辿り着かない限り、解りはしないが……」

 

 自分の心の中を、たった二日間行動を共にした人物に見透かされたのではという動揺を表情には出さずに話すカミュであったが、リーシャと視線を合わす事は出来なかった。

 

「あのオルテガ様でさえ、一人旅の末に倒れられたのだぞ! 何故、そのオルテガ様にも遠く及ばないお前が、単身で『魔王』を討伐する事ができるのだ!」

 

「……オルテガと俺は、関係ない筈だ。それに、俺はアンタ方が『魔王討伐』に向かう事を否定はしていない。アンタ程の腕があれば、あの僧侶の他に何人か仲間を募って旅に出る事は可能な筈だ?」

 

「そういう事ではない!」

 

 カミュは困り始めていた。

 最初ほど殺気を放つ事はなくなってはいるが、その怒りは幾分も和らぐ事はなく、未だに自分の行く手を遮っているリーシャが、何故これ程の怒りを感じているのかが、カミュには本当に解らないのであった。

 

「何が不服だ?……俺は俺で旅に出る。そこで、俺の力が足りずに死ぬ事があったとしても、直接アンタに関係する事ではない筈だ……」

 

「……そうか……お前は、自分の重要性を何も解っていないのだな。お前は、望もうと望まなかろうとアリアハン国が認め、全世界に通知された『勇者』であり、ここ十数年、誰一人旅立つ事がなかった『魔王討伐』に向かう全世界の人間の希望なんだ。それが、旅の準備も碌にせずに一人で旅立った末、『魔王討伐』も出来ずに死んだとなれば、皆の期待と希望はどうなる!?」

 

 カミュの問いに答えたリーシャの言葉は、カミュの顔から表情を失わせて行く。

 能面のように冷たい仮面を被ったようなカミュの表情は、リーシャの怒気によって熱せられていた周囲の空気を冷やして行った。

 

「それこそ、俺には全く関係のない事だ。俺に期待や希望を背負わせるのは勝手だが、それを背負うかどうかは俺が決めることだ」

 

「!! ふざけるな! お前は、あのオルテガ様の息子なのだろう! オルテガ様は、全世界の人間の期待や希望をしっかりと受け止めていたぞ!」

 

 リーシャは、まさしく激昂している。

 幼き頃、英雄オルテガに憧れ、その強く暖かな瞳に淡い想いを抱いていた。

 そんな相手を、よりにもよって、その息子に侮辱されたという思いが、リーシャの頭に血を上らせていたのだ。

 しかし、感情を露わにするリーシャとは反比例に、目の前のカミュの表情が消えて行った。

 

「……顔を見た事もない人間を、親と思った事は一度もない。前にも言ったが、オルテガという男への憧れや希望を俺に向けようとするな。迷惑以外何物でもない」

 

「なっ!」

 

 確かに、カミュが生まれてすぐにオルテガは旅立ったのだから、カミュがオルテガの顔を憶えていないのは当然だろう。

 しかし、全世界の英雄と謳われた父を誇りに思う事はあっても、ここまで拒絶するカミュを、リーシャは理解できなかった。

 

「……くっ! わかった。では、こうしよう……私と毎朝勝負しろ! 私に勝つ事ができるようになれば、この旅に私は必要ないと認めよう……ただし、それまでは旅の仲間として行動してもらう。お互いの衝突などはあるだろうが、それはこの際目を瞑ろう」

 

「随分と勝手な条件だな……俺がそれを飲むメリットは、何一つ見当たらないのだが?」

 

「勝手なのはお互い様だ!」

 

 リーシャは、自分が身勝手な言い分をしている事を十二分に理解している。

 ただ、そうせざるを得なかった原因は、目の前の男にあると思っているので、押し通す事にした。

 

「……わかった……ここを押し通るにしても、アンタを倒さなければならないのなら、結局同じ事だろう」

 

 カミュは、出口とは反対側のカウンターまで歩き、持っていた荷物を肩から下ろした後、もう一度リーシャの前まで戻って来る。

 

「主人! この辺りに、少し広めの場所などはあるか?」

 

「は、はい! この店の裏に少し広い場所があります。そこであれば、余り人も来ないので大丈夫だと思います」

 

 戻って来たカミュを満足気に見つめ、リーシャはカウンターに向け声を張る。

 カミュが消えたと思っていた宿屋の主人は、カウンターの下に潜っていただけのようで、リーシャの声に素早く反応し、まるで、軍の上官に返答するように背筋を伸ばして質問に答えた。

 

「そうか、ありがとう。では、カミュ、準備は良いな?」

 

「……準備が良いも悪いもないだろう……」

 

 諦めたような溜息をつくカミュを無視し、リーシャは意気揚々と宿屋の外に出ていった。

 その後姿に、もう一度深い溜息を吐き出したカミュは、宿屋のカウンターへと振り返る。その瞳には、階段を下りて来た時のような鋭い光は宿っていなかった。

 

「ああ……悪いが、適当な時間になったら、あの僧侶を起こしてやってくれ。それと、朝飯を頼む。簡単な物で良いから、作ってくれないか?」

 

 もはや、一人で旅に出る事を諦めたかのような言葉を自分に向かって掛けて来るカミュに、主人は驚きながらも、苦笑を浮かべて頷いた。

 

「畏まりました。朝食の方は、昨晩の食事には遠く及びませんが、ご用意させて頂きます」

 

 宿屋の主人の返答を聞くと、それに対し何の反応も示さずカミュは宿を後にした。

 周囲に静けさが再び戻る。

 太陽の光が差し込み始めた窓を眺めながら、主人はようやく、安堵の溜息を洩らした。

 

 

 

 

「……う~ん……」

 

 木の扉をノックする音に、サラは夢の世界から引き戻された。

 昨日は食事の後、リーシャが湯浴みに行く隙に、強引にベッドに入ったが、戻って来たリーシャに再び起こされ、遅くまで愚痴に付き合わされていたのだ。

 出発は店が開く時間ぐらいという話だったため良かったが、これが朝早くの出発であったのなら、完全に寝不足になり、いつも以上に役に立たないどころか、足手まといになってしまうところであった。

 

「お客様、起きていらっしゃいますか? そろそろ朝食が出来上がります」

 

 半身をベッドから起こしてはいるが、未だ覚醒しきれていない頭でドア越しにかかってくる声を聞いていたサラは、その内容を次第に理解し、慌てて返事を返した。

 

「あ、はい。わかりました。すぐ着替えて下に降ります」

 

「そうですか。別段慌てる必要もございませんので、どうぞゆっくりご支度をなさってください」

 

 その言葉の後、階段を軋ませる音が続いた。

 サラは昨日聞いたことのない声を不思議に思ったが、自分をお客様と呼ぶのであれば、この宿の人間なのだろうと、大して気にもせずに準備に取り掛かる。

 

 サラは、そこで初めて隣のベッドが空になっている事に気が付いた。

 それと同時に昨日の朝に感じた恐怖が再び蘇って来る。

 いや、正確には昨日よりも悪い予感が強い。何故なら、隣のベッドの傍には荷物がないのだ。

 サラは身支度をする事も忘れ、寝巻きのままで廊下に飛び出し、隣の部屋をノックした。

 サラの鬼気迫るノックに対して無反応を決め込む部屋に、悪い予感が確信へと変わって行こうとするが、頭を振り、それを払い除けると、ドアノブに手をかけてみる。サラの考えを裏付けるように、ドアには鍵がかかっておらず、すんなりとノブが回った。

 ノブが回り切り、ゆっくりと開いていくドアの向こうにはサラの最悪の予想通りの光景が広がる。

 

 誰もいない。

 本当に、この場所に人がいたのかをも疑いたくなるような冷たい空間。

 荷物など何処にもある訳がなく、この場所に居た人間が、かなり前に部屋を後にした事を表している。

 サラは、暫く呆然とその光景を眺めていたが、弾かれたように階段を下りて行った。

 階段を降りた場所にあるカウンターには、昨夜共に食事をした、この宿の主人が帳簿を見ながら、お茶を飲んでいる。

 

「ど、どうしたんだ、そんなに慌てて!? 服も寝巻きのままじゃないか!」

 

 突然鳴り響いた階段を駆け下りてくる音に、驚いたように顔を上げた主人は、寝ぐせで跳ね回っている髪の毛を気にする事もなく、更には着崩れた寝巻きが肌蹴ていることにも気が付いていない様子で、息切らし降りてきた人物を見て、驚きを通り越して呆れてしまった。

 

「あ、あの! 私と一緒にいた二人は……二人は、もう出発してしまったのですか!?」

 

「え!? あ、ああ、あの二人な……」

 

 サラの発言に、最初は戸惑った様子を見せた主人が少し口籠り、話し辛そうにする様子を見て、サラの顔色は真っ青に変化して行った。

 

「や、やはり……私は置いて行かれたのですね……」

 

 そう言ったきり、力なく俯いてしまったサラに、主人は更に困惑した。

 主人が何と声をかければ良いのか悩みながらサラを見ていると、俯いていたサラの顔から、木で出来た床下に水滴が落ちている事に気が付く。

 その水滴は、陽が昇ってから主人が拭き掃除をしておいた床に徐々に染み込んで行くが、その上に新たな水滴が落ち、乾く間を与えなかった。

 

「い、いや、嬢ちゃん、ち、違うんだよ」

 

 サラの状況は、既に主人の手に負える状態ではなかった。

 主人には子供がいない。

 今の妻と結婚してから早二十年近くになり、その夫婦仲はこの<レーベ>でも有名な程ではあるが、子宝には恵まれる事はなかった。

 実は最近になって、ようやく養子という形で子供を引き取ったのだが、その子もある事情から塞ぎ込み、なかなか部屋から出てこようとはしない。故に、主人は小さな子供達と遊ぶ事はあっても、成長していく過程の少年や少女達の心の中身を推し量る術を知らない。

 そんな主人の心の負い目が更に困惑を招いていた。

 

「……うぅ……うぅ……ぐすっ……」

 

 本格的に嗚咽を漏らし始めたサラに、主人は匙を投げたくなった。

 もはや、自分が何を言っても聞かないだろう。小さな子供が泣くように、何かを堪えながら咽び泣くサラの姿を見て、主人も違う意味で泣きたくなって来てしまう。

 

「あらあら、どうしたの?」

 

 そこに、正しく女神の如く、朝食の支度を終えた最愛の妻が奥から出てきた事に、主人は歓喜した。

 藁にも縋る思いで、主人は妻に事情を説明し始める。

 

「……ちょうど良かった……このお嬢ちゃんが突然降りて来て、泣き出したもんだからよ……困っちまって……」

 

「ふふ、そうなの? どうしたのかしら?もうそろそろ、お連れ様もお戻りになるでしょうから、ご一緒に朝食を食べた方が宜しいかと思ってお呼びしましたけれど、何か不都合がおありでしたか?」

 

 本当に困り果てた表情で頭を掻く夫の姿を見た妻が、柔らかく微笑みながら、未だに俯いたまま床に水滴を落とし続けるサラに近寄り、肩を抱くようにして落ち着かせる姿は、とても子供を産んだ事のない女性とは思えない程に、慈愛と母性に満ちた姿であった。

 

「え、えぇぇぇ!? 戻って来られるのですか!? 私は置いて行……」

 

「ふはははっ! まだまだだな、カミュ。魔法が使えると言っても、それを生かすための剣がそれでは、まだオルテガ様どころか、私にすら及ばない」

 

「くそっ!」

 

 自分の肩を抱く女性の言葉に違和感を覚え、突如顔を上げて叫び出したサラの言葉を遮るように、入口のドアから入って来た二人の声が宿屋に響き渡る。

 

「あら、お帰りなさい。既に朝食は出来ていますので、少し汗をお拭きになってから食堂に来て下さいな」

 

 そんな二人に、何ともゆったりとした言葉を投げかけ、サラから離れた女性は、奥の方に入って行く。

 

「ん?……サラ、起きていたのか?……それにしても酷いな……髪は起きたままボサボサだし、寝巻きのままじゃないか? そんなはしたない恰好で、年頃の娘が男達の前に出て来ては駄目だろう」

 

 返事をする前に奥へと消えた女性が若干気になってはいたが、それよりも目元を濡らしながら、呆然とこちらを見ているサラの格好に眉を顰め、リーシャは説教を始める。

 

「……まぁ、見られて減る物は、何もないだろう……」

 

 そんなリーシャの後ろから、憮然とした表情で現れたカミュが、サラの格好を一瞥し鼻で笑うように声を洩らす。

 

「……えっ!? えっ!? えぇぇぇぇ!! あっ、あっ」

 

 そんな二人の反応に、今の自分の状況を理解したサラが素っ頓狂な声を上げ、先程よりも大きな音を立てて階段を上って行った。

 階下まで響く程の音を立てて閉まるドアを確認すると、リーシャは宿屋の主人の方へ、確認の為に視線を送った。

 

「いや、アンタ方に置いて行かれたと勘違いしたみたいでして……」

 

 主人の言葉を聞き、リーシャは目を丸くし、カミュは溜息を吐き出す。

 カミュの溜息を聞いたリーシャが、鋭い視線をカミュへと向けた。

 

「……そうか、あの子も、薄々感付いてはいたのだな……カミュ! 先程も言ったが、約束は約束だぞ。私に勝てるまでは、勝手に出て行く事は禁じるからな」

 

 少し寂しく笑った後、鋭い視線を投げかけ釘を刺すリーシャに、カミュは『わかってる』と一言返し、身体を拭きに流し場に向かって行った。

 

「それはそうと、主人。先程の女性は、もしかして奥方か?」

 

「ええ、紹介しそびれましたね。お~い!」

 

「はい? 呼びましたか?」

 

 主人の声に奥から女性が顔を出す。

 台所にいたのだろう。

 手元をエプロンで拭きながら出て来る女性は、にこやかな笑顔をリーシャに向けながら、夫である主人へと近付いて行った。

 

「昨晩のスープが効いたのか、明け方には熱も下がって、起きられるようになりましてね。止めたんですが、お礼も兼ねて朝食を作りたいって言うんで、任せようと思いまして。本当にありがとうございました」

 

 女性を自分の横に立たせて、リーシャに頭を下げる主人。

 その夫の言葉で全てを察した女性もまた、リーシャへと深く頭を下げた。

 

「本当にありがとうございました。昨日のスープは美味しかったわ。できれば、今度お料理を教えてもらいたいぐらい」

 

 頭を下げる女性を見ると、若くはないが、年をとても良く重ねて来た事を窺える程に、綺麗な笑みを浮かべていた。

 何やら、こちらまで『ほっ』とするような家庭的な笑みを見て、リーシャの表情も無意識に和らいで行く。

 

「いや、そんなに礼を言われる程の事はしていないさ。元気になって良かった。料理に関しても、宿の食事を一人で切り盛りをして来られた人に教える程の物は持っていない」

 

 おそらく自分よりも二十年近く年上の二人に頭を下げられ、リーシャは気恥かしさで一杯になり、逃げるように流し場に消えて行く。

 

「ふふふっ、最近では珍しい、とても気持ちの良いお客さん達ね」

 

「そうだな」

 

 逃げて行くリーシャの背中を見つめながら、宿屋夫婦はお互いに微笑み合うのであった。

 その後、流し場で上半身裸のカミュを目の当たりにしたリーシャが、顔を赤くして戻って来たのは、夫婦揃っての笑い話になるのはまた別の話。

 

 

 

 

 朝食とは思えない程の量と質を備えた朝食を食べ終え、カミュ一行は宿を後にする。

 

「また、レーベに寄る事があったら、是非うちに来て下さいね」

 

 宿の出口まで夫婦揃って出て来てカミュ達に声をかける夫婦に、リーシャとサラは温かい気持ちに包まれながら、手を振っていた。

 

 太陽も昇りきり、レーベの村はすでに活動を始めていた。

 まず、宿屋を出てすぐにある武器屋へと向かって行く。

 リーシャとサラは、カミュの後に続いて武器屋の門を潜った。

 

「いらっしゃい。ここは武器と防具の店だ。どんな用だい?」

 

 無骨な主人の無骨な言葉にサラは驚いたが、カミュはそんな店主の問いかけも一切無視して陳列している武器や防具に目を向ける。

 店内には所狭しと商品が並べてあり、品揃えはアリアハンと大差ないが、一つだけサラの目を引く物があった。

 

「……甲羅?」

 

 それは、亀がその身を護る為に、生来身につけている甲羅であった。

 何故、亀の甲羅が武器と防具の店にあるのか、それがサラには理解出来なかったのだ。

 

「おう、それは『亀の甲羅』だ。結構な守備力はあると思うぜ」

 

 サラのこぼした疑問に対して、即座に武器屋の主人は答えるが、その答えも見たままのものであった。

 故に、サラの疑問は晴れない。

 武器屋の主人が発した『守備力は高い』という言葉が、尚更サラの思考を混乱させて行った。

 

「なんだ、サラ、それが欲しいのか? 今日からは、必要であれば、装備品なども買う事はできるぞ。勿論、代金はカミュが払ってくれる」

 

「えっ!? そうなのですか!?」

 

 主人の言葉に首を傾げているサラの横からリーシャが声をかけて来るが、その内容にサラは驚き、話題に上がった本人の方に視線を向けた。

 

「……ああ、旅に必要な物であれば揃える……途中で死なれても、面倒が増えるだけだしな。その『亀の甲羅』は、アンタに良く似合うのではないか?」

 

 視線を向けられたカミュは表情を変えず肯定するが、その後に決して年頃の娘には言わない褒め言葉をつなげた。

 『亀の甲羅』が似合う事を喜ぶ女性などいる訳がない。

 それはサラも同様であり、決して着飾ったドレスを着たいとは思わないが、それでも人並みの女性と同じように美しくありたいと思っている。

 

「な、なぜですか!? 『亀の甲羅』が似合うというのは、私が鈍臭いという事ですか!?」

 

「……解っているのだな……」

 

「なっ!!」

 

 自分が否定を求める為にぶつけた疑問を、あっさりと肯定で返した相手に、サラは言葉を詰まらせる。

 何かを言い返したいが、頭の中が真っ白になってしまい、思うように口が動かない。

 

「冗談はそれぐらいにして、何か買う為に来たのだろう?」

 

 二人のやり取りを眺めていたリーシャは、絶句したまま顔を赤くしているサラを宥めながら、カミュへと視線を移す。

 

「……オヤジ……その<革の鎧>を、この僧侶の法衣の下に着る事ができるように調整してもらえるか?」

 

「おう、そのぐらいなら少し時間を貰えればできるが……調整代金も含めて150Gになるがいいか?」

 

 壁に掛けられている<革の鎧>を指差しながら武器屋の主人に依頼をし、主人の要求通りの額のゴールドを取り出す為に、カミュは袋に手を入れた。

 

「まいど。じゃあ、寸法を取るから、そっちのお嬢ちゃんはこっちに来てくれるか?」

 

 サラは、自分を絡ませずに進んで行く話に付いて行く事が出来ず、言われるままにカウンターの中に入り、主人に寸法を取られることになった。

 リーシャは店の中の品揃えの少なさに飽きたのか、何をする訳でもなく、サラの寸法取りを見ている。

 

「オヤジ、この大陸から出る方法等を知っている人間はこの村にいるか?」

 

 寸法を取っている最中に話しかけられ、若干眉を顰めながらも、主人はその問いかけに暫く考える素振りを見せ、口を再度開いた。

 

「う~ん……アンタ達、この大陸から出たいのか?……それならば、そこの泉の近くにある家の爺さんなら話を聞いてくれるかもしれないな。まあ、変わり者の爺様だから、手こずるかもしれないがね」

 

 武器屋の主人の言葉通り、武器屋の向かいには、少し大きめな泉があり、その泉の畔に一軒の家が建っている。

 サラは寸法を取られながらも、その家の美しい情景に息を漏らした。

 

「……そうか、ありがとう……150ゴールドだったな。ここに置くぞ」

 

 主人の回答に、カミュは一瞬首を向けただけで、袋からゴールドを取り出しカウンターの上へと置いた。

 

「カミュ。私が言うのも何なのだが、サラに自衛の為の武器を何か持たせたらどうだ?……<銅の剣>くらいなら、サラでも扱えるのではないか?……流石にあのナイフ一本では、この先厳しいだろう」

 

 買い物はこれで終いだとでも言うように、切上げ始めたカミュを引き止め、共に旅する仲間の武器に関しても気を配れとばかりにリーシャが声をかける。

 だが、そんなリーシャを一瞥した後、カミュは呆れたような溜息を盛大に吐き出した。

 

「……そいつが持っているナイフは、この店で売っているような唯の<ブロンズナイフ>ではないだろう。おそらく、聖水で清められたナイフだ。放っている雰囲気が違うのに気が付かないのか?」

 

「……聖なるナイフか?」

 

<聖なるナイフ>

それは元々切れ味の鋭いナイフを、長時間聖水によって清め、その刀身全体に加護を施したナイフであり、その切れ味、耐久性などは通常のブロンズナイフの比ではない。

 

「はい! このナイフは、私がアリアハンを出る前に神父様から頂いた物です」

 

 サラは、腰についている革でできた鞘を愛おしそうに撫でながら、カミュの推測を肯定する答えを発する。

 そんな、サラの様子をリーシャは優しい目で見ていた。

 

「アリアハン屈指の戦士ならば、もっと周りの状況を冷静に分析するのだな。自分の仲間の戦力を見誤れば、待っているのは『死』だけだ」

 

「なんだと!! その私にも勝てない奴が偉そうに言うな!!」

 

 溜息交じりに挑発するカミュの言葉に、先程まで本当に優しく細められていたリーシャの瞳は、鋭く吊り上がるように細められる。

 そんな二人に苦笑しながらも、サラはカミュの言葉に驚いていた。

 カミュが初めて『仲間』という言葉を使ったのである。昨日の夕食後でさえ、リーシャに対して、『村に残って、食堂でもやるように』と言っていた筈なのに。

 自分が眠っている間に何があったのかをサラは疑問に思ったが、仲間として認められたことが嬉しく、深く考えない事にした。

 

「……よし! お嬢ちゃん、もう良いぜ。寸法を変える作業に少し時間がかかるが、ここで待つかい?」

 

 ようやく寸法取りから解放され、安堵の溜息を吐きながら戻って来るサラに、カミュに噛み付いていたリーシャの意気も削がれてしまった。

 

「いや、話に出た老人の家に行って来る。その後で取りに来るから、仕上げておいてくれ」

 

 カミュは主人の問いかけに答えると同時に、踵を返して店を出て行った。

 そんなカミュの様子に主人は肩を竦めて、残った二人に視線を送るが、リーシャもサラも苦笑を返すことしかできなかった。

 

 

 

 

 武器屋を出た三人は、泉の畔の一軒家の玄関に立っていた。

 近くで見ると、それなりの規模の家ではあるが、どこか生活臭のない雰囲気がある。 

 まるで、ここで何十年も通常の生活を送る人がいなかったような、そんな雰囲気に、ノックをするカミュを見ながら、サラは、『もしかしたら、誰もいないのではないだろうか』とさえ考えていた。

 サラが失礼な事を考えていると、不意にドアの鍵が開き、ほんの少しドアが開く。

 ドアの隙間から、こちらを射るような視線でのぞき込む老人の眼が見えた。

 

「なんの用じゃ?」

 

 カミュが挨拶をする間も与えず、呟くような疑問がドアの向こう側にいる老人から発せられる。

 その声は、お世辞にも友好的とは言えず、むしろ拒絶的といっても過言ではない物だった。

 

「……突然、申し訳ございません。このアリアハン大陸からの出方を知りたく、貴方であれば、その方法をご存じだと伺ったもので……」

 

 ドアを少ししか開けず、更にはこちらが何もしていないにも拘わらず、攻撃的な物言いをする老人に対してのカミュの接し方に、サラは息を飲んだ。

 リーシャは、アリアハン国王との謁見の際に同席しているので、カミュの外交的な態度を思い出し、多少の驚きはあっても、それを表に出す事はなかったが、今までの道程でのカミュの態度しか知らないサラにとって、今のカミュは別人に見えた事だろう。

 

「……お主は?」

 

 カミュの丁寧な問いかけに、すぐにでもドアを閉めようとしていた手を止め、老人は再度カミュに疑問を投げかける。

 

「申し遅れました。先日、アリアハンから旅に出ました、カミュと申します。後ろの二人は旅の同道者です」

 

 不意に話を振られた二人は驚いたが、紹介された手前、名乗らないのは失礼だと考え、二人は自己紹介をする事にした。

 

「あ、サ、サラと申します」

 

「アリアハン宮廷騎士のリーシャという」

 

 サラの言葉に視線だけを動かしていた老人であったが、リーシャの言葉にその双眸を大きく見開いた後、鋭くリーシャを睨みつけた。

 

「アリアハン宮廷騎士などと話す事は、何一つない!」

 

 突然の拒絶の発言に面食らった三人は、同時に力一杯閉まるドアを、ただ見送る事しかできなかった。

 

「どういうことだ!?」

 

 しばらく呆然としていた三人であったが、リーシャが覚醒と共に、閉まったドアを叩きながら、先程の老人の言葉に対しての疑問をぶつけているのを見て、時間が動き始めた。

 

「……やめろ……何をしても、今はドアが開く事はない……やはり、アンタ方を連れて来る事は、失敗だったかもしれないな」

 

「わ、私が悪いとでも言うのか!?」

 

 カミュの言葉にドアを叩く手を止め、その手を今度はカミュにぶつけるかのように振り向くリーシャは、何故こうなったのかを理解できない。

 しかし、視線の先にいる『勇者』には、朧気ながらも理解出来ているようだった。

 

「……おそらく、アンタ個人ではないとは思うが、アンタの名乗りが悪かったのは間違いないだろうな。何故かは解らないが、あの老人はアリアハンを嫌っている。いや、嫌っているのではなく、あの目は『憎しみ』を宿していた」

 

 家のドアから離れ、武器屋の方に足を向けながら、後ろに続く二人に、カミュは考えている事を語り始めた。

 カミュは、幼い頃から、大人に交じり魔物討伐をして来た事実がある。

 その中で、大人達が表す、ありとあらゆる感情を目の当たりにして来たのだ。

 それは、魔物に殺された親族に対する哀しみや憐み、その魔物に対しての憎悪。

 そして、魔物に対してだけではなく、同じ人間に対する、羨望や侮蔑。

 故に、人間の感情が籠る瞳は、カミュにとって、相手がどんな感情を持つのかを確認する事の出来る手段の一つであった。

 

「何故だ!?」

 

「……何故だかは解らないと言っているだろう……アリアハン国自体への恨みか、宮廷騎士に対しての恨みなのかすらも解らない。つまり、今は何も出来ないという事だ」

 

 カミュの言葉を頭では納得しながらも、心では納得が出来ないリーシャは、カミュの後ろで『うんうん』唸ってはいるが、サラはそんなリーシャを一先ず放置し、先程のやり取りについて話をしようとカミュの隣に付いた。

 

「カミュ様。あの方がアリアハンに対して特別な感情を持っている事は解りましたが、これからどうするおつもりですか?……アリアハン大陸から出ない事にはどうしようもありませんし……」

 

「……さあな……まぁ、大陸から出る方法を知っているのは、あの老人だけではないだろう。他を当たるさ」

 

 サラの問いかけが、特段重要な物でもないとでもいう様に答えを返し、カミュは武器屋の門を潜って行った。

 サラは、未だブツブツ言っているリーシャを促し、そんなカミュの後に続き武器屋に入る事にした。

 

 

 

「おう、早かったな。調整はもう少しで出来るから、その辺でちょっと待っていてくれ。それはそうと、うまく話は聞けたかい?」

 

 武器屋に入ってくるカミュの顔を見ると、手元で<革の鎧>をいじっていた手を止め、主人が話しかけてきた。

 主人の問いかけに三者三様の表情を返した事で、主人は彼らの成否を知る事となる。

 

「いや、何故かアリアハンに相当な思いがあるらしく、話すら出来なかった」

 

「ん?……ああ……アンタ達の中にアリアハンの国営に関わっている人間がいたのか?……それはしくじったな……前もって話しておけば良かったか……」

 

 カミュの返事を聞き、明らかに失敗したとでもいうように顔を顰め、手を額に乗せる主人にはその理由がわかっている様子であった。

 その主人の顔を見たカミュが、表情を変える。主人の顔を真っ直ぐ見つめたカミュは、こちら側の情報の一部を晒す事にしたのだ。

 

「国営に関われる程に頭の良い者ではないが、宮廷騎士だ。それよ……」

 

「なんだと!!」

 

 それまでサラの横で何か考え込んでいたリーシャは、カミュの発言の中に自分を侮辱する単語があった事に気が付き反応したが、それでは話が前に進まないと、サラが宥める役を買って出た。

 

「……失礼した。それで、オヤジはあの老人が宿すアリアハン嫌いの理由を知っているのか?」

 

 サラがリーシャを宥めている様子を横目で見たカミュは、話を続けるため、再度主人と視線を合わせる。

 カミュの視線を受けた主人は、少し眉を顰めた後、言い難そうに口を開いた。

 

「……ああ……まぁ、原因に関しては、実際の所は分からんが、俺の親父が言っていた話だと、あの爺さんの兄貴が関わっているらしい。詳しい内容は知らん」

 

「……お兄さん……ですか?」

 

「……」

 

 主人の言葉に、カミュの後ろにいるサラや、先程まで怒り心頭だったリーシャも聞く態勢に変わって行く。

 そんな二人を見て、一拍置いて再び主人が口を開いた。

 <革の鎧>を調整して行く音が一旦止んだ武器屋の中に、主人の声だけが響き始める。

 

「なんでも、あの爺さんとその兄貴は、この<レーベ>で暮らしていたらしいんだが……ある時期を境に、兄貴の方は<レーベ>では暮らせなくなったらしい。その辺にアリアハンとの関係があるんじゃないか?」

 

「その兄貴の方は、もう死んだのか?」

 

 武器屋の主人が実際会ったことがないという事は、主人の見た目の年齢からいっても四十年近く前の話になる。

 だとすれば、カミュが問いかけた内容のように、既に故人である可能性が高い。

 

「……そうだな……今はどうか分からないが、うちの親父の話だと、なんでも<レーベ>を出た後『ナジミの塔』に住んでいたって話だったがな。まあ、うちの親父も死んじまったから、その兄貴も生きてまだそこにいるという保証はないぞ」

 

「いや、それだけ解れば十分だ。ありがとう。これは少ないが、<革の鎧>の調整を急いでくれた分という事で受け取ってくれ」

 

 自信なさげに話す主人に対し、カミュは礼を言って、そのカウンターに10ゴールドを置いた。

 決して安い金額ではない。この<レーベ>では、カミュ達三人の食事付き宿代よりも多い金額なのだ。

 

「あ……いや、何か悪いな。ありがとうよ。一応、調整は出来上がったよ。お嬢ちゃん、向こうで着てみてくれ。実際着てみて、更に調整するところはするから」

 

 実際主人は、カミュに声をかけるために一度止めた手を、その後話しながらも再び動かしていた。

 サラは主人から<革の鎧>を受け取ると、奥にある試着室のような場所に移動し、法衣の中に着込む。

 着込み終わったサラは、そのままの姿で、もう一度主人の前へと出て来た。

 

「うん。お嬢ちゃん、どっか苦しいところとかあるかい?……見た感じはちょうどいいと思うが、実際魔物と出くわせば、動かなきゃいけないから、動き辛そうなところは言ってくれよ?」

 

 出て来たサラの姿を一通り見た後に、主人はサラの具合を聞いて来る。

 サラは主人に言われた通りに、何度か身体を動かし、動きづらい箇所も息苦しい箇所もない事を実感し、それを主人に告げた。

 

「そうか、じゃあそれで良いな。そういや、お嬢ちゃんの武器は<聖なるナイフ>なんだろ? あれは滅多な事じゃ刃毀れなんてしないが、血糊なんかはやはり付いてしまうからな。さっき貰った金額の事もある。アンタ方の剣の手入れが必要な時は寄ってくれ。三人とも一回だけ無料で手入れしてやるよ」

 

「……ああ……ありがとう」

 

 何とも豪勢そうに言う武器屋の主人であるが、全員一回ずつという制限をつけている辺り、やはり商売人なのであろう。

 そんな武器屋の主人に礼を言い、三人は武器屋を後にした。

 

 

 

「カミュ様、ひとまず『ナジミの塔』へ向かうのですか?」

 

「……ああ……ただ、正直『ナジミの塔』への行き方も解らない。その情報もどこかで得られると良いのだが」

 

「『ナジミの塔』であれば、地下道を通っていけば行けるぞ」

 

 サラの行先に関する質問を聞き、更なる課題が出てきたと悩むカミュの後ろにいた意外な人物から、その課題に対する答えは返って来た。その声に反射的に振り向く二人の顔は、異なった表情を浮かべてはいるが、その内心は同様の物である事が窺える。

 

「…………」

 

「~~~!! なんだ、お前達のその反応は! これでも、私は宮廷騎士だぞ。アリアハン国が管理している塔の行き方ぐらい知っている!」

 

 答えの出所に対し、言葉を失い疑惑の目を向けるカミュと、ただ単純に驚きを表すサラに、リーシャは癇癪を起した。

 二人の表情が、『リーシャに限って、知っている訳がない』という内心を明確に物語っている。

 そんな二人の内心が、手に取るように理解出来たリーシャは、切れ長の瞳を細め、二人を睨みつけた。

 

「……すまない……」

「……申し訳ありません……」

 

 癇癪を起すリーシャを見て、今のやり取りは完全に自分達に非がある事を認め、二人は素直に頭を下げる。その様子に、怒りを納めてリーシャは話を繋げた。

 

「勿論、アリアハン城内から続く地下道への入口には鍵がかかっており、見張りもいる事から無理だが、確か<レーベの村>の近くの森の中に、もう一つ入口があった筈だ」

 

「……確定した情報ではないのか?」

 

 続けたリーシャの言葉を聞き、明らかな落胆を態度で表すカミュに、隣のサラは胸をハラハラさせていた。

 貴重な情報ではあったが、胸を張って答えるリーシャも噂程度にしか聞いた事のない場所。

 それが本当にあるのかどうかも怪しい。

 カミュは、その不確定な情報に溜息を洩らしたのだ。

 

「まぁ、今の所はそれしかないのだから、行ってみるしかないだろ!?」

 

「……そうだな……」

 

「そうですね!」

 

 カミュの発言に若干気を悪くしたリーシャであるが、今の自分たちの状況を再確認させる事にし、行動を促す。

 それに対し、仕方ないといった様子のカミュと、一段落と胸を撫で下ろすサラといった対照的な二人の反応ではあるが、今後の方針が決定された。

 

「あっ、すぐに出ますか? もし少し時間があれば、教会に寄る時間を頂きたいのですが?」

 

 方針が決定され、村の外へと歩き始めたパーティーであったが、歩き出してすぐに、その場の雰囲気にそぐわないサラの一言が割って入って来た。

 サラにしてみれば、方針も決まり行動するのなら、先に教会で祈りを奉げたいというささやかな願いであったのであろうが、その願いを聞く程の時間はなかった。

 

「いや、すぐに出る。入口の場所が確定していれば時間も読めるが、探すところから始めるのであれば、一時でも惜しい。悪いが、教会に寄りたいのであれば、もう少し早く起きて行ってくれ」

 

「……は、はい……」

 

 サラにとっても、カミュの言う事は理解出来る物であった。

 ましてや、寝坊した挙句、置いてかれたと勘違いし、とんでもない醜態を晒した身としては、そんなカミュに反抗する事など出来よう筈がなかった。

 

「サラ、大丈夫だ。ルビス様もサラの頑張りは認めてくださる。これからは、朝のお祈りが出来るように早起きすれば良い。今日は夜のお祈りをいつもの倍すれば良いさ」

 

「……はい……」

 

 幼子を諭すように語りかけてくるリーシャの言葉が、益々サラの羞恥心を煽っている事にリーシャは気が付かない。

 恥ずかしそうに顔を俯かせるサラを、後悔していると勘違いしたリーシャは、サラの手を取りながらカミュの後を追い、レーベの村の出口へと向かった。

 

 

 

 

 



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ナジミの塔①

 

 

 

 一行はレーベの村を出て、真っ直ぐ南に進む。

 既に陽は高く昇り、強い日差しがアリアハンの大地を照らしていた。

 気温が上昇して行く中、カミュを先頭に進む一行の前を、広大なアリアハンの大地が広がり、雲一つない青空がカミュ達を見守っている。

 

「森の中とは、どの辺りなのですか?」

 

 いつものように先頭を行くカミュとの距離を少し空け、サラは隣を歩くリーシャに問いかけた。

 周囲を警戒しながら歩いていたリーシャは、視線をサラへと向け、何かを思い出すように考える。

 

「ああ、レーベの村から真っ直ぐ南に向かった森の中に、小さな小屋があるらしい。その横に地下へと続く通路があるはずだ」

 

「その小屋は森のどこにあるのですか?」

 

 リーシャの話す内容は、サラの予想に反して具体的な物だった。

 『森の中にある小屋の近くにある地下への通路』とは、まるでその場所を見て来た事があるのではないかと思う程に明確な物。

 故に、サラはその森の場所もリーシャは知っていると思い、もう一度訪ねた。

 

「真っ直ぐ南にだ」

 

「…………」

 

 結局、『ナジミの塔』への通路の入口の場所を聞いた筈が、返って来たのは目印についてだけであり、しかも、その目印の場所は何とも曖昧な物でしかない事に、サラは言葉を失った。

 カミュは、この曖昧な情報だけでどうやって探すつもりなのだろうか。

 サラは今日の旅に一抹の不安を覚えながら、前を行くカミュの背中を見つめた。

 

「他に『ナジミの塔』への行き方はないのですか?」

 

「先程も言ったが、アリアハン城内にも通路はある……ん? そう言えば、もう一つ何処かにあったような気が……う~ん、思い出せないな……」

 

 期待をせずに聞いてみると、何やら重要な事を、リーシャが呟いている。

 耳を傾けるが、それはすぐに落胆に変わった。

 肩を落とすサラを不思議そうに見た後、リーシャは再び視線を前へと移動させる。

 

「まあ、気にしても仕方がない。今は地下通路への道を探そう」

 

 『それを探すのが難しいのでは?』

 そんな言葉を何とか飲み干し、サラは再び前を行くカミュに目を向ける。

 視線を受けた『勇者』は、こちらに視線を向け立ち止まっていた。

 何かあったのかと慌てて駆け寄るリーシャの後ろを、サラも小走りについて行く。

 

「見つけたか?」

 

「……いや、まだ森にも入っていない……アンタの言葉を信じるのなら、森の中にあるのではないのか?」

 

 カミュに近づいてすぐに声を掛けるリーシャに、溜息を吐きながら返すカミュの言葉は、サラの顔に笑顔を戻す物であった。

 先程も森の中の小屋の近くにあるという話をしたばかりだというのに、まだ日差しを強く受けるこの平原で見つかる訳がないのだ。

 自分が言った手掛かりにも拘わらず、そのような事を問いかけるリーシャに嘆息するカミュの姿は、サラの心の中に、一時の休息を与えてくれた。

 

「そ、そうだな……森の中に小屋があるはずだ。その近くに、地下へ続く通路がある」

 

「……小屋……?」

 

 今初めて聞いた新たな情報に、カミュの瞳が鋭く細められる。

 サラには話していたが、カミュに小屋の事を話すのは初めての事であったのだ。

 完全に足を止めたカミュは、リーシャの瞳を真っ直ぐ射抜き、その視線の強さに若干怯みながらも、彼女はもう一度口を開いた。

 

「ああ、本当に小さな小屋らしいんだが……」

 

「…………」

 

 カミュはリーシャの『小屋』という単語を聞くと、何かを思い出すように目を瞑り黙り込んでしまった。

 突然黙り込んでしまったカミュにリーシャは疑問を覚え、サラは不安を覚える。

 

「……その小屋らしき物なら、憶えがある」

 

「本当か!?」

「本当ですか!?」

 

 暫くの瞑想の後に、突然目と共に開いた口から発せられたカミュの言葉は、二人を驚かせるのに十分な物であり、更にそれは、先程まで感じていたサラの不安を払拭させる物であった。

 

「……以前、森の中での休憩時に使った宿営地の近くに、そんな小屋があった。まあ、あれは小屋というより、牢屋に近かったような……確か、古い鍵がかかっていて、中には入れなかったが……」

 

「おそらく……それだな……」

 

 カミュの言葉に対して、情報源であるリーシャはしきりに頷いていた。

 サラはそんなリーシャの様子に苦笑しながらも、行き先が確定し、その行き方についても先頭を歩くカミュが知っている事に安堵する。

 

 

 

 森に入った事で、平原を歩く時と違い、カミュと他の二人の距離は空く事なく、密着した状態での移動となる。

 このアリアハンでも、平原に出て来る魔物よりも、森の中で生活する魔物の方が手強いのだ。 

 故に、唯の旅団や商団は、街道から外れて森へ入る事は、余程の事がない限りあり得ない。

 ただ、それでも雨を嫌い、森の入口で野営をしていて魔物に襲われたという話が減らない事から、人々の意識はそれほど強くないのかもしれない。現に、今一行の前に姿を現した魔物も、ここアリアハンでは中堅クラスの魔物と言っても良い物だった。

 

<おおありくい>

この魔物もアリアハンに古くから住む魔物の一つであり、その体躯は<一角うさぎ>よりも一回り大きい。ありくい特有の長い舌を持ち、その舌で人間に襲いかかる。鋭い武器となる長い舌は、人間の体躯など容易く貫く程の強度も誇っていた。

 

 その<おおありくい>が三匹に、<一角うさぎ>が二羽。

 そんな魔物の群れが今、カミュ達の前に立ち塞がっている。

 腰の鞘から剣を抜き放ったリーシャは、そのまま<一角うさぎ>に突っ込み、瞬く間に一羽を切り倒す。一瞬の攻防に驚いた残りの一羽も、その刺突によって絶命を迎えた。

 二羽の<一角うさぎ>を葬ったリーシャが後方に視線を向けると、カミュも二匹目の<おおありくい>を、その剣で突き刺しているところであった。

 その様子を見たリーシャに多少の安堵から来る油断があったのかもしれない。

 残った一匹の<おおありくい>は、攻撃を加えていたカミュでも反対側にいるリーシャでもなく、二人の動きを呆気にとられて眺めていた人物に向かって行った。

 <おおありくい>の動きに我に返ったサラは、慌てて<聖なるナイフ>を構えるが、<おおありくい>の動作はそれよりも早かった。

 その口の中に納められていた長い舌を、サラ目掛けて飛ばし、ナイフを持つサラの右手に絡めて来る。

 突然自分の手に巻きついてきた舌に驚き、その臭いまで漂ってきそうな感触を受けて、サラは硬直してしまった。元々の魔物嫌い故に、汚されたという想いまで抱いてしまう。

 

「サラ!!」

 

 追い詰められた魔物の本能を知っているリーシャは、自分の迂闊さを悔やんだ。

 大抵の魔物は、人間を殺す事も、自分が逃げる事も敵わないと知ると、その人間の集団内で瀕死の者や弱っている者、もしくは元々力の弱い者を狙い、そこから突破しようとする。

 リーシャの叫びもサラの硬直を解く事は出来ず、その魔物特有の強い力に引かれたサラの右手首から上の色が変わり始める。遂には<聖なるナイフ>を握っている事も難しく、その手からナイフが零れ落ちた。

 魔物へ対抗する武器をも失い、死すらも覚悟したサラの目にこちらに飛びかかって来る魔物とは別の何かが移り込む。

 

それは、拳大の火球であった。

 

 

 

 カミュが二匹目の<おおありくい>を刺し殺し、三匹目に剣を走らせようとすると、既にそこに最後の一匹はいなかった。

 リーシャによる、<一角うさぎ>の瞬殺と、自分達に飛び込んで来るカミュを見て、力量の違いと命の危険を感じた一匹の<おおありくい>は、この場からの離脱のみを考えたのだ。

 離脱をするのなら、三方向に分かれた人間達の間を縫うか、誰かを殺して、その方角を無人にするしかない。

 狙いをつけたのは、一人何も行動を起こさず佇んでいる子供だった。

 魔物の意図に気がついたのか、僧侶姿の少女はその手にナイフを構えるが、魔物の動きの方が早い。

 

 カミュは心底うんざりしていた。

 自分の力量を図る事も出来ずに、『魔王討伐』に出ようとすること自体が『死』を意味する。

 しかも、そんな人間と共に行動した場合、その人間が一人で死ぬのなら問題はないが、魔物が強くなって行くに連れ、その他の同行者にも危害が加わる事になる可能性が強い。

 女戦士の方の剣の腕は、『アリアハン随一』と云われるだけの力量はあった。

 しかも、鍛練も怠らず、その腕はこれから先も伸びて行くのは間違いない。

 この先の旅で、アリアハン大陸から出れば、今まで見た事もない魔物が現れ、いずれカミュ一人での限界にぶつかることだろう。

 

『その時は、そこで朽ち果て、魔物の食料となる』

『それならば、それで良い』 

 

 カミュはそう思っていた。

 リーシャに関して言えば、カミュのその限界を幾分か延ばしてくれるのかもしれないが、この教会に属する少女に関しては逆だ。

 カミュのみに降りかかる危害を前倒しにし、この旅の終了を早める存在になるだろう。

 

「サラ!!」

 

 リーシャの叫びと共に、サラの手からナイフが滑り落ち、その瞬間を狙った<おおありくい>がサラ目掛けて飛びかかった。

 その瞬間、カミュの身体は無意識に動き出す。

 考えた訳ではない。

 葛藤を振り払った訳ではない。

 それでも、彼は動いた。

 

「メラ」

 

 一瞬、『見捨てるか?』という想いが胸をかすめるが、自然とカミュの左手は前に出され、詠唱が行われる。

 カミュの左人差し指から出現した火球は、飛び出した<おおありくい>に寸分の狂いもなく命中した。

 

 

 

 サラは、<おおありくい>の爪が自分の左手を掠めた途端、目の前の魔物が炎に包まれて行くのを呆然と見つめていた。

 魔物の舌が絡みついていた右手は、魔物の飛び出しと同時に外されている。咄嗟に庇うように挙げた左手からは血が滴り落ちていた。

 

「サラ!! 大丈夫か!?」

 

 血相を変えながら、自分に駆け寄ってくるリーシャを見て、ようやくサラは自分の状況を確認する。

 我に返ったサラは、自分の右手首に残る鬱血した痕と、そこに残る不快な感触に眉を顰め、血が出ている左手をその部分に添えた。

 

「……は、はい……」

 

「そ、そうか……左手を見せてみろ! おい、カミュ。薬草をくれ!」

 

 力なく返事を返すサラを気遣い、リーシャはそれ以上質問せず、サラの怪我の処置に入ろうとする。

 しかし、自分の左腕を掴むリーシャの手を解き、サラはもう一度、傷がある左手を右手首に添え直した。

 

「あっ、この程度、大丈夫です」

 

「何を言っているんだ! どんなに小さな傷だろうと、魔物につけられた傷を甘く見てはいけない。<おおありくい>の爪に毒はないだろうが、水で洗った後に薬草をつけておいた方が良い」

 

 リーシャの言っている事は尤もな話だった。サラはこのような些細な事でもリーシャに心配をさせている事に心苦しさを覚える。

 『自分は本当に役立たずだ』 

 『役に立たないどころか、足を引っ張っている』

 そういう想いが浮かんでは消えて行く。それを振り払うように、嫌な感触の残る右腕を左手の傷口に添え、サラは自身の中にある能力を解放した。

 

「ホイミ」

 

 詠唱と共に、サラの左手の患部は癒しの光に包まれた。

 <おおありくい>の爪によって出来た裂傷が、淡い緑色の光に包まれながら徐々に塞がって行く。

 

<ホイミ>

教会が所有する『経典』の最初のページに記載されている初歩の回復呪文。魔法力を有した『人』の進むべき道を示唆する程に重要な呪文の一つである。最初にこの魔法との契約を済ませた者は、以後は『経典』に記載されている魔法以外の契約は不可能となり、同じように魔法力を所有する『魔法使い』という職業とは一線を画す存在となる。

 

「……ほぅ……」

 

 サラと出会って三日目にして初めて見た魔法。教会に属する僧侶として十年以上教えを受けて来たのだ。サラが回復呪文である『ホイミ』を行使できる事は予想出来ていたが、実際に行使している場面を見て、リーシャは改めて感心した。

 そんなリーシャの眼差しを受け、自分の不甲斐なさも合わせ、更に恥ずかしくなるサラであったが、傷に当てていた右手を離し、傷口に視線を落とす。先程まで、<おおありくい>の爪痕から血が滲みでていたサラの左腕の傷は、その傷跡も残らない程に綺麗に消えていた。

 

「流石はアリアハン教会の僧侶と言うべきか」

 

 サラの左腕の傷が消えたことを確認したリーシャは、その腕を手に取りサラに褒め言葉をかけるが、サラは困ったような苦笑を浮かべ俯いた。

 そして、思い出したように顔を上げたサラは、先程自分の危機を救ってくれた青年を目で探し、その姿を捉えると、以前と同じように、被っていた帽子が落ちてしまう程の勢いで頭を下げた。

 

「カミュ様、先程はありがとうございました」

 

「……」

 

 カミュからの返答はない。『役立たず!』と罵られるのではないかと思い、恐る恐る顔を上げるサラではあったが、そこで見た光景は罵られた方がまだ良かったと思えるほど冷たい物だった。

 カミュは何も言わず、まるで何か言うほどの価値もない者を見るような目で自分を見下ろしていたのだ。 

 サラは心底震えた。

 『この勇者にとって、自分の存在は何の価値も無い物なのかもしれない』と思う程に、カミュの瞳の中にサラは映ってはいなかったのだ。

 

「……俺が仕留め損なった魔物を殺しただけだ……礼を言われる筋合いはない」

 

「そ、そうだぞ、カミュ。仕留めるなら最後まで気を抜くな!」

 

「リ、リーシャさん!」

 

 カミュにとっては、三匹いる<おおありくい>を全て仕留めきれなかった事を納得はしていないのだろう。リーシャに剣の闘いで勝てない事は勿論、魔物に対しても、この先強い魔物に相対すれば苦戦する事は、現状では明白である。

 先程、サラを見捨てる事をせずに自然と身体が動いたのは、そういう事があるからだと結論付け、カミュはサラの感謝を否定した。

 

 リーシャは、カミュがサラを救った事に驚いていた。

 今まで、どんな状況であっても、自分に向かって来る敵以外には全く関心を示さなかった男が、仕留め損ねた為とはいえ、サラの窮地を救うとは思わなかったのだ。

 確かに、今日の朝、カミュとは自分達を仲間として扱う事を約束させたが、昨日まで、いや正確には今日の朝までは、自分達を仲間と思うどころか邪魔な存在として見ていた節のあるカミュの心が、ここまで変化するなど、リーシャにとって予想外にも程があったのだ。

 故の困惑した発言なのである。

 

 サラは、先程自分がカミュの眼差しに感じた印象とは正反対の言葉に、呆気にとられた。

 実際、救う価値もないと思っているのかもしれないが、もしかすると自分が取り逃がした責任を感じているのかもしれない。

 やはり、この『勇者』は自分が憧れていた通りの人物なのかもしれない。

 若干、自分の都合の良いように考えて行こうとする、サラの強引な楽観主義が発揮されていた。

 

「……余計な時間を使わされた……このままでは、地下道への入口を見つける頃には陽が沈むな……」

 

 それぞれの思いで各々を見ていた一行であったが、カミュが森の木々の隙間から見える太陽の傾き加減を見て、今後の予定が狂い始めていると洩らした事によって現実に戻された。

 カミュの言う通り、太陽の場所が西の方角へと傾きかけている。時機に太陽の傾き加減と比例し、闇の支配が始まる事だろう。

 

「……そうだな……まあ、地下道を進むのだから昼でも夜でもあまり変わりはないがな」

 

「……アンタは地下道や塔のような、<聖水>の効力がない場所で眠るつもりなのか?……ああ……眠るつもりはないのだな。ならば、アンタに見張りを任せて、ゆっくり眠らせて貰おう」

 

「ぐっ」

 

 少し緊迫していた空気を、リーシャなりに和ませようと楽観的な軽口を叩いたつもりであったが、カミュの容赦のない現実的な言葉で言葉を詰まらせた。実際、教会の販売する<聖水>は、カミュの言葉通り、洞窟や塔ではその効力を発揮する事はない。既に出来上がっている空間には、それぞれの縄張りが出来上がっている。その部分に強制的に新たな結界を敷く事は難しいのだ。

 

「……まぁ、アンタに任せた挙句、途中で眠られたお陰で、全員が魔物の腹の中という可能性がある以上、それも無理な話か……」

 

「カミュ様……」

 

「~~~~~~!!」

 

 更に続けられたカミュの厭味に、サラはリーシャを気遣うように声をかけるが、リーシャは事実なだけに反論できず、悔しそうに唇を噛むだけであった。皆を勇気づけようと口にした言葉の上げ足を取られ、俯くリーシャの肩が震えている。

 

「じ、時間も勿体ないですので、先に進みましょう」

 

「……そうだな」

 

 サラの自分の事を棚に上げたセリフに、若干疲れた様子のリーシャは頷くしかなかった。

 カミュ、サラ、リーシャという順序で三人は警戒しながらも森の奥へと進んで行く。

 森の中は静けさが広がり、徐々に近づく夜の闇を待っているかのようだった。

 

 

 

 カミュの記憶は正確であった。まるで、昨日ここに来たかのように迷う事なく道を選択し、進んで行く。

 カミュが討伐隊に同道していたという話は、リーシャも聞いた事がない。理由は解らないが、カミュはリーシャが討伐隊に組み込まれた頃には、既に参加をしていなかったのかもしれない。であるならば、カミュが討伐隊の宿営に参加していたのは四年以上前になる。そんな昔の事を明確に憶えており、更にはその道すらも記憶にあることにリーシャは驚いていた。

 途中で、<一角うさぎ>や<大ガラス>、<おおありくい>と、魔物に遭遇しては戦闘を行っていた為、陽も落ち切り、少し開けた場所に出た頃には、森の中は暗闇による支配が始まっていた。

 

「……ここが俺の記憶にある場所だ……小屋とはあれの事ではないのか?」

 

 開けた場所には森に入る前にカミュが語った、小屋というよりも牢屋に近いような建物が建っていた。岩を加工した物で造られたその建物は、入口を鉄格子で塞ぎ、頑丈に鍵が掛けられている。

 とても小さな建物ではあるが、その中は窺い知れず、何か言いようのない不穏な空気が立ち込めていた。

 

「……森の中に、このような場所があるのですか……」

 

 サラはその光景に驚いていた。二日前に野営をした森の中で、カミュとリーシャが対峙していた場所も幻想的であったが、あそこの上空は木々の枝や葉に覆われていて、その隙間から月光や日光が差し込む程度であった。

 だが、この場所は空を隠す枝や葉は一切なく、見上げれば一面の空が広がっている。

 

「……まずは、地下道の入口を探す……ここは、魔物の気配がないな……」

 

 カミュは、口を開いたまま空を見上げるサラを放って、小屋の方へ歩いて行く。リーシャはサラの様子に苦笑しながらも、そんな背中を叩くと、カミュの後に続いた。

 カミュの言う通り、サラが見惚れていたこの幻想的な場所には、何故か魔物の気配が一切ない。まるで、何かに護られているかのようなこの場所を野営地と決め、一行は野営の準備の前に、<ナジミの塔>へと続く地下道の入口を探す事にした。

 暫くの間、三人で手分けするように入口を探していたが、陽が完全に落ち、足元を照らす月明かりさえも雲によって一旦隠れてしまった為、『一旦休憩して、火を熾そう』というリーシャの提案を受け入れる事となった。

 リーシャとカミュが火熾しを行っている間、手持無沙汰になってしまったサラは、熾した火の為の薪や木の枝を拾っていた。暗い足元を、足を動かしながら探っては拾うという行為を繰り返していると、足に当たって飛んで行った小石が金属音を立てて転がった事にサラは微妙な違和感を覚える。

 サラは拾った枝を抱えながら、小石が飛んで行った方向へ歩き、その場を確認する為に屈み込んだ。落ち葉と、石や木の枝が散乱している地面は、暗さで分かり難いが、通常の地面とは違う光沢を持っている。

 

「リ、リーシャさん! カミュ様!」

 

 突然の叫び声に、リーシャはサラの身を案じ、カミュは「またか」というような雰囲気で振り返った。魔物にサラが襲われたのかと思ったリーシャは、サラの周りに魔物がいないことに安堵したが、屈み込んでいる事に再び不安を感じ、サラの近くまで歩み寄る。

 

「どうした、サラ! 何かあったのか!? 毒虫にでも刺されたのか!?」

 

 自分に近づき、開口一番に心配をしてくれるリーシャに嬉しさを感じながらも、サラは自分の足元にある土で出来た地面ではない物を指差す。雲が移動し、再び照らされた月明かりがサラの指差す大地を映し出した。

 

「これ、金属の蓋ではないでしょうか? もし、地下通路の入口を塞ぐ蓋だとしたら」

 

「なに!!」

 

 リーシャはサラの指差す地面へと慌てて視線を落とした。確かにサラの言うように、下の地面は土で出来た物ではない。サラとリーシャが、足元の落ち葉などを手で掻き出すと、ほぼ正方形の金属による蓋が姿を現した。

 リーシャは、サラに『お手柄だ』という言葉と共に微笑みを向け、サラはそんなリーシャの微笑みに恥ずかしそうに微笑を返す。そんな二人に火を熾し終えたカミュが近付き、二人が露わにした金属の蓋を見下ろしていた。

 少し重量のある蓋を、『一人で大丈夫だ』と言い張るリーシャをサラが宥め、カミュとリーシャでずらして行く。ずらされた蓋の隙間から、地下へと続いている証拠となる風が吹き出して来た。完全に陽も落ちた事もあり、穴の奥は何も見えないが、入口の渕に掛けられている梯子が、奥まで続いている事を推測させる。

 

「よし! これで明日は朝早くから地下道へ入る事ができるな。サラお手柄だ!」

 

 確認が終わると、今度はリーシャ一人で蓋を戻し、サラに褒め言葉をかける。

 いつもは無表情なカミュも『そうだな』という同意の言葉を残し、火の下に戻って行った。火の下へと戻った三人は、<レーベの村>で補充した干し肉などを口に入れ、リーシャとカミュとで一応の見張りを交代で行うことを決めて就寝した。

 

 

 

 翌朝、サラは耳元で響く金属のぶつかる音で目が覚めた。

 目元を擦り、徐々に覚醒していく瞳でサラが見た物は、以前見たようなカミュとリーシャの剣の打ち合いであった。

 流れるような動きではあるが、素人のサラにはお互いがお互いを殺す意図で打ち合っているのではないかと思う程の緊迫感があった。リーシャの振るう剣の一撃は、まともに身体に受ければ、致命傷どころか即死の可能性がある程の剣であり、対するカミュの剣もまた同じであった。『また喧嘩か?』とも思ったが、真剣でありながら、お互いの身体に傷はない事からも『鍛練なのだろう』と納得する。

 だが、それと同時に、昨日自分を襲った焦燥感が再び湧き出てきた。

 『自分は、このままでは置いて行かれる』

 それは、二人の鍛練を見ている時間が経過すれば経過する程に強くなり、サラの心にある決意をさせる事に至った。

 

 

 

「……ここまでだな。まあ、お前に負けるつもりは、私もないからな」

 

 カミュの剣を弾き、腹部に剣をリーシャが突きつけたところで今日の勝負は決着がついた。魔法を使っていないとはいえ、二日続けてリーシャに敗れた事を、カミュは表情に出さないまでも悔しく思っていた。

 彼もまた、自分の力量を低く見ている。

 正直、一国の騎士の中でも随一と謳われた程の実力者と渡り合っているのだから、それはそれで認められる事実ではあるが、カミュはそれに納得している様子はないのだ。

 

「……」

 

 いつも無表情を貫いているカミュの表情が憮然とした物に変わり、無言で剣を鞘に押し込める。カミュはリーシャに剣で敗れると、いつも同じような表情になるのだ。

 そんなカミュの子供らしい仕草に少し頬を緩めながら、リーシャも剣を腰に戻して火の下に戻って行った。

 

「おっ、サラ、今日は珍しく早起きだな」

 

 火の近くに戻ると、先程まで夢の中であったサラが起きていたことに、リーシャは驚きを正直に出したが、その言葉はサラにとっては心に突き刺さる物であった。

 何かの決意に燃えていた瞳は、自信なさ気に揺らぎ、顔自体を伏せてしまう。

 

「……いつも、いつも、申し訳ありません……」

 

 リーシャは、自分の軽口に意気消沈といった態度を取るサラに慌てるが、カミュはそのやり取りを無視するように、火に木の枝を入れて行く。カミュの無関心さを非難するように、一瞬鋭い視線を向けたリーシャであったが、一向に上がらないサラの顔を見て、サラへと近付いて行った。

 

「い、いや、そう言う訳ではないんだぞ、サラ。ただ、まだ太陽も姿を現したばかりだったからな」

 

「……はい……」

 

 リーシャの弁解を聞いても、更に下を向いてしまうサラではあったが、何か意を決したように顔を上げ、リーシャを睨むように見つめた。

 そんなサラの瞳に怯みながらも、何かサラが真剣に話そうとしている事を感じたリーシャは、先程までの表情を一変させ、真面目な顔でサラと向き合う事とする。

 

「リ、リーシャさん!」

 

「どうした、サラ?」

 

 自分の気持ちが伝わっている事を理解したサラは、逆にそれを言い出し難くなってしまい、真剣にこちらを見ているリーシャから視線を外して、口籠ってしまう。

 そんなサラの様子に苦笑を浮かべ、リーシャはサラの前にゆっくりと座り込んだ。

 

「サラ、何か言いたい事があるのだろう?……焦らなくても良い。私は、今のサラのように、何かを決心したような真剣な想いを笑ったりはしない」

 

「は、はい! あ、あの、わ、わたしにも……剣を教えてください!」

 

 リーシャの柔らかな笑顔を見て、サラは先程胸に抱いた『決意』を吐き出した。

 それは、サラがこのパーティーに残る為の自衛手段。回復呪文という『僧侶』の強みまでも、世界を救う筈の『勇者』が脅かそうとする中、サラにはこの選択以外に自分の存在価値を護る方法がなかったのだ。

 

「……わかった」

 

 サラは、『笑われる』と考えていた。

 自分の願いを爆笑される事はないにしても、少なくとも『カミュには、鼻で笑われるのでは?』という思いがあった事は否定できない。だが、リーシャは勿論、その後ろで聞いていた筈のカミュにすら、そんなサラの考えは、良い意味で裏切られる形となった。

 それどころか、呆気に取られたりする事もなく、少し考えただけで、その願いを受け入れてくれたのだ。呆気に取られたのはサラだけであった。

 

「なんだ、サラ。自分が言い出した事に何を呆けている? 今日はもう準備をして出なければいけないから、明日からだな」

 

「あっ、は、はい!」

 

 リーシャは先程とは違い、少し緩めた表情で、サラに稽古開始日を告げる。

 サラは、この後自分に降りかかる苦難を知らずに、そんなリーシャの優しさに感謝していた。

 もしかすると、実際に剣を交えていたカミュは、サラに少なからず同情していたのかもしれない。

 

 その後、支度をし終えた三人は、昨日見つけた地下道への入口に入る為、金属の蓋を再び動かした。

 その中は、昨夜程ではないが、闇に包まれ奥まで見る事は叶わない。奥へと続く梯子の姿が、昨晩より少し見えるようになった程度であった。

 

「私が先に行こう。次にサラ、最後にカミュが続いてくれ」

 

 未知の閉鎖空間に入るには、慎重さが重要である。

 その点でカミュは反論をしようとするが、この地下道はアリアハン国が管理している物であり、宮廷騎士として、誰かを先に入れるという事は、リーシャの気持ち的にも穏やかではないのかもしれないと考え、面倒事を起こす事を躊躇い、リーシャの提案に首を縦に振って肯定した。

 レーベの村で購入しておいた<たいまつ>に火を灯した物を片手に、リーシャは中に入って行く。徐々に小さくなって行く<たいまつ>の炎を見ながら、サラはその深さを知り、同時にリーシャの身を案じた。

 

「ふむ。とりあえずは、大丈夫そうだな。お~い、大丈夫だ。降りてきても良いぞ!」

 

 暫く炎の行方を見守っていたが、炎が小さくなる事がなくなると、下からリーシャの声が聞こえてきた。

 その内容を聞くと、人が呼吸に困難する事などもないようだ。

 

「おい、アンタの番だ。下を見ないようにゆっくり下りて行け。ゆっくりで良い。決して焦るな」

 

 リーシャの声を聞いたカミュは、サラに降りるよう促すが、その口調は今までのような冷たさはなく、サラを気遣っているような物である事に、サラは驚きながらも頷いた。

 カミュに言われたように足元は確認しながらも、下を覗き込む事はせず、そしてゆっくりと降りて行く。その梯子は、金属で出来ていたが、長年放置されていた為か、苔のような物が全体を覆い尽くし、金属の部分は錆で赤茶けており、掴んだ手にもその色は付着していた。

 苔による滑りに気を付けながらも本当にゆっくりと降りているサラに、下にいるリーシャも、上で待つカミュも一言も文句を言わず、黙って待っている。

 そして、サラの足が、硬い石で出来た地下通路の床に付いた。

 『ほぅ』と安堵の溜息を漏らし、サラはにこにこと優しい微笑みを漏らしているリーシャと笑い合う。最後のカミュが金属の蓋を閉めながら降りてきたため、地下道内は<たいまつ>の灯りだけとなり、薄暗い物となって行く。

 カミュがその手に<たいまつ>を持ち、難なく降りて来るのを二人は唯じっと見守った。

 

 地下道に全員が降り立ち、リーシャとカミュの持つ<たいまつ>で周りを照らし出す。

 洞窟という場所を想像していたサラは、この地下道に人の手がかなり加えられている事に驚いた。

 床は石畳が敷かれ、壁の所々に、明かりを灯す台が設置されている。カミュとリーシャは近くの燈台に<たいまつ>の火を移して行った。

 灯された明りによって、地下道の一部が明るくなり、三人はいつものようにカミュ、サラ、リーシャという縦の列を作りながら慎重に歩を進めて行く。 

 

「息苦しくはないな?……サラ、足元に気をつけろよ。カミュ、もう少しゆっくり進め!」

 

 前を歩くサラを気遣いながら、リーシャはカミュへと隊列を維持するように声をかける。カミュはリーシャの声を聞き、少し歩を緩めた。

 余り時間を掛けたくないのは当然だが、周辺の燈台に火を灯しながら前を進むカミュと、後方の二人の距離が離れる事はできるだけ避けたい。

 

 しばらく一本道を進むと、別れ道が現れた。

 真っ直ぐ進む道と、左へ曲がる道だ。

 

「ここは、真っ直ぐだろ」

 

「……リーシャさんらしいですね……」

 

 『何事も真っ直ぐに』という言葉が妙にイメージと合うリーシャに、サラは素直な感想を述べて微笑む。カミュの了承があり、一行は真っ直ぐ進む事となったが、すぐに少し開けた広間、つまり行き止まりへと行き着いた。

 

「……」

 

 カミュ、サラの二人がある人物へと視線を送る。その人物であるリーシャも無言で俯くといった何とも言えない空気が地下道内に流れた。

 一息溜息をついたカミュは、持っていた<たいまつ>を掲げ、周囲を照らし出す。左側を照らしたが、岩の壁が広がっていた。

 そして、右側を照らした瞬間、ある一点に緑色の物体が折り重なるように固まっているのが映り、三人は身構える。その物体は、急な明かりを突き付けられた事に驚き、凄まじい速さで散開して行った。

 

「……あれは……」

 

「……バブルスライムか……ちっ、数が多い……」

 

 サラは初めて見た生物に驚きを表すが、カミュが呟くように返答した。

 カミュの言う通り、魔物の数は四匹。

 カミュ達を取り囲むように四方を囲んだ緑色の魔物は、独特の質感の体躯を揺らしながら、虎視眈眈とカミュ達を見つめていた。

 

<バブルスライム>

通常のスライムよりも潰れたように見えるその体躯は、スライムが青色をしているのに対し、淡い緑色をしている。最古のスライムの変種と云われているが、その出生は未だに解明されてはいない。瘴気の多い場所を住処にしていたスライムとも云われ、その体躯には毒素を宿している。毒を受けて動けなくなった対象に張り付き、その対象を消化して行くという残酷な方法を取る魔物である。

 

「サラ、気をつけろ。<バブルスライム>は毒を持っている。それほど強い毒ではないが、傷口から入る」

 

 リーシャの忠告に、サラは神妙に頷くが、気をつけ方が良く解っていない。

 リーシャの忠告と同時に、カミュは背から剣を抜き、<たいまつ>をサラへ手渡すと、<バブルスライム>に向かって飛び出した。

 カミュの飛び出しを確認したリーシャも、サラを庇うように立ちながら腰の剣を抜き放つ。<バブルスライム>はその身に毒を有してはいるが、基本的な性能は<スライム>と大差ない。その攻撃に気を付けていれば、例え傷を受けたとしても、毒に侵される危険性は五分といったところだ。

 突然の出来事に動揺していた<バブルスライム>は、カミュとリーシャに苦もなく斬り捨てられて行く。<たいまつ>を持たないカミュは、動転して動き出そうとする一匹目を真っ二つに切り捨て、それを見て動けない二匹目を上から突き刺した。命の灯を失った魔物達は、その形状を保つ事が出来ずに地面に溶けて行く。

 リーシャも一匹の<バブルスライム>を切り捨てるが、後方から飛んで来た<バブルスライム>が、避けるために態勢を変えたリーシャの左腕を掠めた。

 

「くっ!」

 

 リーシャは苦悶の表情を表すが、<バブルスライム>が地面に着地する前に、その体躯を切り捨てる。空中で二つに分かれた<バブルスライム>は左右に散らばり、液体へと変わって行った。

 

「リ、リーシャさん、大丈夫ですか!?」

 

「……ああ……だいじょ……」

 

 リーシャが魔物の攻撃を受けたことを見ていたサラは、慌ててリーシャへと駆け寄る。

 そんなサラに返答しようとしたリーシャだが、途中で眩暈を覚え、言葉に詰まった。そのまま壁にもたれるように座り込んだリーシャの肩をサラが支え、剣を鞘に納めたカミュが二人の下へと近付いて行く。

 

「……毒を受けたか……」

 

 リーシャの様子を見て、カミュは肩にかけていた袋から一枚の葉と布きれを取り出す。リーシャに駆け寄ったサラは、『毒』という言葉に過敏に反応を示し、リーシャの身体を壁際に座らせながら、カミュの行動を見つめていた。

 カミュは、取り出した葉を半分に裂き、片方を布の中に入れて揉み込み始める。

 カミュが再び開いた布は、擦り潰れた葉から出た液によって緑色に染め上げられていた。

 

「……まず、これを患部に押し当て、その上からこれを巻いていろ」

 

 カミュはその布と包帯のような物をサラに手渡し、また作業を始めた。

 再び革袋から小さなお椀のような物を取り出し、水筒から水を少し注ぐ。

 先程の布よりもずっと薄い布で、残った半分の葉を丸めた物を包み、手で絞り出すように葉液を水に溶かして行った。

 

「巻き終わりました」

 

「……今度はこれを飲ませろ……<バブルスライム>の毒は、多少熱は出るだろうが、少し休めばその熱も引く」

 

「は、はい」

 

 サラはカミュから受け取ったお椀をリーシャの口へと運び、少しずつ飲ませて行く。即効性のある毒なのか、リーシャは先程から口も開かずにぐったりとしている。

 カミュの言葉を信じてはいるが、やはり心配である事は変わらず、サラはカミュにお椀を返しながらも、リーシャの顔を心配そうに見つめていた。

 

「……<バブルスライム>が群がっていたのはこれか……」

 

 一通りの作業を終え、袋に道具を仕舞終えたカミュは、先程緑色の魔物達が折り重なるように群がっていた場所に移動し、珍しく眉間に皺をよせながらその場所を見つめていた。

 そこにあった物は、二つの人骨。

 その大きさから見て、おそらく親子なのだろう。

 大きな人骨が小さな人骨に折り重なるように横たわっている。

 

 何故、この場所に親子が来たのかは解らない。

 白骨の具合から見て、つい最近というわけではないが、それほど古い物ではないだろう。

 おそらく、ここ数年といったところか。

 骨となって尚、魔物に吸い付かれていたその様を見て、自然とカミュの表情に変化が出ていたのだ。

 その骨の脇には、一本の<銅の剣>と、一つの袋があった。

 カミュはその両方を拾い、袋の中身を確認する。袋の中には、32ゴールドと小さな指輪が入っている。

 

「あ、あの……カミュ様」

 

 リーシャの顔から苦悶の表情が消えた事により、その場を離れてカミュの傍に寄ったサラは、その骨を見て魔物への憎しみが湧いて来ていた。

 隣に立つカミュを見ると、その表情も険しい物である事に疑問を持ち、思わずサラは声をかけてしまう。

 『何故、自分の魔物への憎悪を否定する彼が、このような表情を浮かべるのか?』

 そんな疑問がサラの表情に表れていた。

 

「……これは、アンタが持て……剣の鍛練をするのであれば、<聖なるナイフ>では難しい。この<銅の剣>であれば、重さも申し分ないだろう」

 

 カミュはサラの方を見ずに、袋の紐を締め、床に転がる人骨の手の部分に戻した。

 そして、その脇に転がる<銅の剣>をサラに手渡す。

 手渡された<銅の剣>を受け取る事が出来ず、サラは呆然とカミュの顔を見上げる事しか出来なかった。

 

「そんな……死体から物を奪うなど……」

 

「ああ、この袋に入っている物はそのままにしておく。だが、これは何処にでも売っている武器だ。呪い等の類が掛けられている訳ではないだろう」

 

「そういうことでは……」

 

 自分の伝えたかった事を全く理解出来ていないカミュに、サラは困惑する。

 呪いがかかっているという事を心配して言っている訳ではない。

 ただ、死人が持っていた武器を、断りもなく奪うのが遣り切れないだけなのだ。

 

「……ならば、無残にも魔物に殺された親子の武器を手に取って、この二人の無念も晴らしてやったらどうだ?」

 

「うっ……」

 

 サラはカミュの言葉が、自分を少なからず軽視している事は理解できた。

 しかし、それに対して反論する言葉が見つからない。

 確かに、魔物への復讐のためにこのパーティーに参加させてもらってはいる。そして、復讐への想いは、この親子らしい人骨を見て、更に膨れ上がった事は事実だ。

 

「……わかりました……すみません、貴方の剣をお借りいたします。そして、貴方方の無念を晴らす事をここに誓います。貴方方の冥福と、来世での幸福を祈ります」

 

 サラは、カミュの持つ<銅の剣>を受け取り、そしてその持ち主であった物言わぬ屍に向かい、手を握り合わせてその誓いを行った。

 そのサラの姿を、冷めきった目でみるカミュの姿があった。

 

「う、う~ん」

 

「あっ!リーシャさん、眼が覚めたのですか!?」

 

 サラの祈りが終わり、合わせていた手を解いた辺りで、意識を失っていたリーシャが覚醒を果たし、それに気がついたサラがリーシャの下へ駆け寄って行く。

 カミュはサラが去った後、もう一度床に倒れている人骨を一人で見下ろしていた。

 

「……来世があるとしたら、幸せに暮らせ……次に生を受けたら、他種族の縄張りには近付かない事だ……」

 

 

 

 

 

 

「先程は済まなかった。ありがとう」

 

 自分が落ちた状況と、その後の処置の事をサラから聞いたリーシャは、戻ってきたカミュに素直に感謝の意を表し、頭を下げていた。

 

「……毒消し草は基本装備の物。一回分の宿代を使わされただけだ」

 

 頭を下げるリーシャから逃げるように、荷物を取って歩き出したカミュに、リーシャは『多少の厭味にも慣れるものだな』と思いながら、苦笑していた。

 

 一行は、先程あった別れ道まで引き返し、もう一つの道を歩き出す。

 暗闇に支配されているが、燈台に火を灯すと、うっすらとではあるが、その道が真っ直ぐな道である事が推測できた。

 先程と同様に、カミュを先頭に二人が続くという形で通路を歩いて行く。

 歩けど歩けどその一直線の通路に果ては見えず、<たいまつ>の効力の範囲外は真っ暗な闇が広がるだけであった。

 通路の途中で何度か魔物と遭遇するが、カミュ達の行く手を阻む事は出来ず、屍と化して行く。

 <たいまつ>の火種も残り少なくなり、新しい物に切り替えようかと思っていた頃に、長く続いた一直線の通路は終わりを告げ、突き当たりに階段らしき物が見えて来た。

 

「……あれか……?」

 

「そうではないでしょうか?……既にかなりの距離を歩きましたから……海を越えたのではないでしょうか?」

 

 サラは疲れていた。地下であるという事もあり、陽の光は見えないが、何度かの休憩を挟みながら歩いている事を考えると、地上ではもう太陽が傾き始めている時間であろう。

 しかも、最初の<バブルスライム>と遭遇して以来、サラはその手に慣れない<銅の剣>を手に持ちながら戦闘を行っていた。

 最初にその姿をみたリーシャは、ため息を漏らしながら、まずは構え方から教える事となる。

 付け焼刃で振るえる程、剣の道は甘い物ではない。

 サラの姿は、剣を振っているというよりも、剣に振り回されているといった物であった。

 まだまだ、旅慣れたと言うには無理があるサラは、そんな理由もあり、いつも以上に肩で息をしていたのだ。

 カミュを先頭に階段を昇り始める。階段を上る度に、明るくなってくる様子が、地上に出ていることを実感させた。

 昇りきった場所は、石畳が一面に敷き詰められ、夕日が眩しい程に差し込む塔の内部であった。

 

「はぁ~~~~~」

 

 穴が空いただけの窓らしき物が壁一面に空けられ、無数の穴から差し込む、橙色に光る夕日がとても美しく、装飾が施された石畳を更に幻想的に彩って行く。

 そんな光景にサラは溜息を漏らし、感嘆の声を上げた。

 

「……もう陽が落ちるな……落ち着ける場所を探す。陽が落ちれば、魔物の活動も活発になる筈だ」

 

「そうだな。まあ、良い場所があれば良いが」

 

 建物の中とはいえ、吹きさらしの風が入って来る塔では、陽が落ち、夜の帳が広がれば寒さに震える事となる。

 しかも、このような塔や、先程歩いていた地下道などは<聖水>の効力は届かない。

 大抵が魔物の住処と化している場所が多く、眠っている間に殺されていたという可能性があるだけに、野営地には神経を使わなくてはならないのだ。

 リーシャがサラの様子を気遣いながらも、前を行くカミュに続いて塔内部を歩き出した。

 『ナジミの塔』はその建立が何時なのかはわかっていない。

 アリアハン初代国王がこの大陸に城を築く以前から立っていたとも、『精霊ルビス』がこの世界を創造した時に作られたとも云われている。

 柱や床の石畳には、様々な彫刻や絵画が装飾として成されており、その内部の広さも相当な物であった。

 

「……なんだ……これは……」

 

 前を行くカミュが、ある広間で立ち止まり、独り言を呟く姿に、リーシャとサラは首を捻りながらカミュの下へと歩く。カミュの傍まで近付くと、その不思議な光景を見て、二人は更に首を傾げる事となった。

 少し開けた場所に、木造の机とその両端に同じく木造の椅子があるのだ。

 このような魔物の住処となっている塔の中に、なぜ人が憩うような設備があるのか。

 ご丁寧にその机と椅子の周りには鉢植えに入れられた花が飾られている。

 

「……人がいるのか?……こんな場所に?」

 

 カミュと同じようにその不思議な光景に飲まれてしまっていたリーシャの呟きが、他の二人の覚醒を促した。

 

「カミュ様! あれは……?」

 

「!!」

 

 リーシャの声に我に返ったサラが、周辺を見渡して指差した物は、ここに来る前の野営地で地下道への入口を塞いでいたような、金属で出来た板であった。リーシャが金属板に近づき、地下道への入口の時のように少しずつずらしていく。

 

「お、おい、階段があるぞ?」

 

「……また地下道へ戻るのですか……?」

 

 下へと続く階段だという言葉を聞き、サラは再びあの地下道へ戻るのかと、肩を落として溜息を吐き出す。

 

「……いや、そうとは限らないな……地下道から上がってきた階段のような長い階段ではないようだ。下の階の床が、ここからでも見えるからな」

 

「降りるのか?」

 

 カミュが言うようにリーシャの目にも、階下の床が見えているのであるならば、先程の階段の半分の長さもないという事になる。

 状況から考えて、ここは地下道ではなく、この塔の地下部分になるのだろう。

 リーシャの疑問に、軽く頷いたカミュは、金属板を完全にどかし、下へと階段を降りて行った。

 リーシャはその後を続き、サラもしぶしぶカミュの後に続く事になる。

 

「お、おお! 久々のお客さんだ! いらっしゃい!」

 

 サラはそこで信じられない物を見た。

 下へ降りると、そこは完璧な家が存在していたのだ。

 いくつかの部屋に続くドアがあり、降りてすぐの場所にはカウンターもあり、そこに一人の中年の男性が立っている。

 

「……や、宿屋なのか……ここは?」

 

 リーシャもまた、その異様な光景に言葉を失っていた。

 リーシャの言葉通り、その佇まいは宿屋そのもの。

 いくつかの部屋へと続くドアの先には、ベッドが置かれた部屋が広がっている事だろう。町であれば当然の光景ではあるが、ここではこれ以上に異様な物はないという程の物だった。

 

「……どうやら、そのようだな……オヤジ、三人は泊まれるのか?」

 

「おう、大丈夫だ。三部屋で6ゴールドだな」

 

「い、いや、ちょっと待て、カミュ。どう考えてもおかしいだろ! 何故こんな場所に宿屋があるんだ?……その前に、この男は本当に人間なのか?」

 

 なんでもないように会話を進めるカミュ達に、リーシャが待ったをかける。確かにリーシャの疑惑は真っ当なものだ。

 このような魔物の住処で宿屋を営むなど、考えられる事ではない。

 故に、この男自体、魔物が姿を変えた者ではないかとリーシャは考えた。

 ただ、今まで人間に姿を変えた魔物など、リーシャも見た事はなかったのだが。

 

「あはははっ! お客さんが疑うのは尤もだ。ただ、俺は紛れもない人間だよ。まあ、色々あってこんな場所で暮らしてはいるが、お客さん方を取って食おうなんて事はないから、安心してくれ」

 

 リーシャの失礼な物言いに気を悪くした様子もなく、豪快に笑いながら答えを返す男に、サラは『苦手な部類の人』という印象を受けていた。

 

「……しかし、言葉は悪いが、何故このような場所で宿屋を?……それに、ここではまともな食事など出せないだろう?」

 

「……また、食事についてか……」

 

 男の言葉を信じきれていないリーシャが続けて発した言葉に、カミュは嘆息を漏らし、うんざりといった表情を見せる。

 

「な、なんだ!? 食事は大事なものだろ! お前も、散々私の料理を頬張っていただろうが!」

 

「そ、そうですよね……」

 

 リーシャとカミュのやり取りを見ていたサラは、そんないつもの光景に安堵したのか、力なく言葉を発した後、近くにある椅子に座り込んでしまった。

 サラが座り込んでしまった事に気が付いたリーシャは、慌てて近くへと駆け寄って行く。

 

「サ、サラ!!」

 

「……とりあえず、6ゴールドだ……食事に関しては、気にしなくても良い」

 

「あ?……ちゃんと材料はあるぞ……俺は元々漁師なんだ。アリアハンの海で取れる豊富な海産物が、うちの宿の自慢だ。塔の外で小さな畑も作っているから、新鮮な野菜もあるぞ」

 

 袋から金を取り出し、カウンターに置いたカミュが言った言葉に、心外だと言わんばかりに胸を張って答える男に、リーシャの目は輝いた。

 

「ほ、本当か!? アリアハンの海産物なら貝や魚等も結構あるのか?」

 

「ああ、今朝取ってきたばかりだからな。まあ、作るのは俺だから、大した物はできないけどな」

 

 自分の問いかけに返って来た言葉が、リーシャの瞳を益々輝かせて行く。

 材料があるのならば、何も問題はないのだ。料理を作る人間ならば、ここにいる。

 

「いや、それなら問題はない。食事は私が作ろう。材料と調味料、そして調理器具さえあれば、それなりの物を作れる自信はあるからな。なあ、カミュ?」

 

 宿屋の男に負けじと胸を張って答え、先日自分の料理を褒めた後に、他人の分まで取り上げて、貪るように食べていたカミュに問いかけるリーシャの顔は、先程までの疑惑の表情ではなく、意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

「おお、そりゃありがたいが……本当にアンタで大丈夫なのか?」

 

「ぶっ!」

 

 勝ち誇るリーシャに対して放った宿屋の一言は、椅子に座ったままやり取りを傍観していたサラを直撃し、盛大に吹き出してしまった。

 宿屋の男の発言に続き、サラの態度に腹を立てたリーシャの喚く声が、この魔物しかいないはずの塔にあった、奇妙な宿屋に響いた。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

本日は、初回投稿と言う事で、一気に第一章を公開しようと思ったのですが、力付きました。明日の夜にでも続きを公開したいと思います。

宜しければ、ご意見ご感想を頂ければ嬉しく思います。


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ナジミの塔②

 

 

 

 三人は塔にある奇妙な宿屋で夜を明かし、日が昇ると同時にその宿屋を後にした。

 塔の壁面にある窓から、昨日の夕日とは違う眩しい光が差し込み、塔内部の装飾をまた違った趣に彩って行く。

 

「サラ、今日中に頂上まで行って戻って来る事になる。少し急ぐ形になるが、辛くなったらいつでも言うんだぞ。サラは迷惑を掛けたくないと思うかもしれないが、休みもせず無理した結果が倒れる事になってしまえば、それ以上に進む速度が遅くなってしまうからな」

 

「……はい……」

 

 出発に先立ち、サラに向かってリーシャが忠告した内容は、サラにとって厳しい物であった。

 『自分は足手まといになっているのかもしれない』という負い目を常に感じているサラは、今まで無理を重ねて来ている節がある。今までは、そんなサラの無理に気付かないふりをしながらも気遣っていたリーシャであったが、ここから先は、常にサラを気遣える状況にあるとは限らない。

 『ナジミの塔』は今では人の往来もなく、完全に魔物の住処と化していた。

 近年で人が入ったと言われたのは、魔物と同様にこの塔を住処としていた盗賊を捕らえる為に、アリアハン兵が入った事ぐらいだろう。

 

「そんなに不安そうな顔をするな。この『ナジミの塔』は比較的低い。あって四階部分があるぐらいだ。順調に行けば、日が沈む頃には戻って来れるさ」

 

 多少厳しい忠告をして、サラの気持ちを引き締めようと思っていたが、リーシャの言葉の影響で不安顔になってしまったサラの表情に、リーシャは鬼になりきれなかった。

 宿屋の入口がある広間の反対側に上へと続く階段が見えている。塔の一階部分を隅から隅まで見た訳ではないが、まずは見える階段を昇り、上へ行こうという結論に達し、三人は階段を上って行った。

 階段を昇り切ると、太陽が若干近くなった為か、先程より強い朝日が目に飛び込んで来たようにサラは感じた。

 だが、それが勘違いである事にすぐに気付く事になる。

 実際は、一階部分とは違い、塔の周りを囲う壁が存在していないのだ。

 二階部分は、壁で仕切られた広間がいくつか存在するのだが、それらを取り巻くように作られた通路には壁が作られていない。つまり、足を踏み外せば、地上まで真っ逆さまに落ちてしまうというものだった。

 

「ひっ!」

 

 強い風が吹けば、転がり落ちてしまいそうな錯覚に陥ったサラの足は竦んでしまう。

 思わず立ち止まったサラを振り返ったカミュは、深い溜息を吐きながら、その口を開いた。

 

「……恐怖を感じるのなら、その戦士にでもしがみ付きながら歩け。良い重りになるだろう」

 

「なんだと!」

 

 いくら腕っ節自慢のリーシャといえども、同性のサラよりも重いとはっきり言われて喜ぶ訳はない。カミュの軽口に怒りを露わにして噛みつこうとするが、カミュの言う事を真に受けて自分の腕にしがみ付いて来るサラに、諦めの溜息を吐く事になる。

 結局、塔の外側の通路を歩いている間、サラはリーシャに手を引かれる形で歩いていた。

 前を歩くカミュが、幾分か内部へと足を進め始めた事を確認し、サラと共にリーシャも安堵の溜息を吐く。もし、この状況で魔物と遭遇した場合、カミュ一人で戦わせる事になってしまう可能性を、リーシャは気にしていたのだ。

 カミュの腕と魔法があれば、大抵の魔物に遅れを取る事はないとは思っているが、数が多ければ危険も上がって行く事となる。

 

「サラ、もう大丈夫だろ?……悪いが、手を離してもらえるか?」

 

「あっ、は、はい! 申し訳ありませんでした」

 

 振り解く訳でもなく、優しく声をかけてくるリーシャに、自分のしていた行為に今気がついた様子でサラは手を離す。

 以前、サラ自身も語っていた通り、平民が貴族の身体に触れる事は、このアリアハンの平民の間では禁忌とさえされている。

 もし、身体が触れようものならば、その瞬間に貴族に罰せられたとしても不服は言えないのだ。

 故にサラは、リーシャという貴族を信じ始めてはいても、何かを窺うような視線を向けてしまう。

 

「高い所は苦手なのか?」

 

「い、いえ……申し訳ございません。別段、特別に高い所が苦手な訳ではないのですが……」

 

 しかし、サラの不安とは裏腹に、申し訳なさそうに俯き話すサラにリーシャは微笑みを浮かべながら気遣うような言葉をかけて来る。少し面喰ったサラではあったが、尚も暖かな笑みを浮かべ続けるリーシャに、心に纏う物を脱ぎ捨てて行った。

 

「まあ、もう少し歩けば慣れて来るさ。誰でも最初は足が竦むものだ」

 

「リーシャさんは、以前にこの塔に上ったことがあったのですか!?」

 

 サラの心を理解したように、先程よりも優しい笑みを浮かべたリーシャの言葉に、サラの顔が勢い良く上がった。

 

「いや、私も初めてだ」

 

「……」

 

 サラは、自分が高所恐怖症だとは思っていない。教会の屋根の修理をするために、屋根に上ったことは多々あった。

 その際は、不安定な足場にも拘わらず、歩き回りながら金槌で釘を打った事もある。

 故に、リーシャの言葉に、『もしかすると、リーシャも自分と同じ気持ちを抱いた事があったのでは?』と期待を込めて聞いたのだが、返って来た言葉は、サラの期待を大いに裏切ってくれる物であった。

 

「サラ、戦闘だ! 剣を構えろ!」

 

 前を行くカミュが立ち止まり背中の剣に手を掛けた事を見逃さず、リーシャは戦闘開始の合図をサラへ送って来た。

 リーシャの合図に、サラも手に持つ<銅の剣>を握りしめ、リーシャの後ろに付く。カミュが剣を抜き対峙していたのは、アリアハン大陸でも生息する地域が限られている魔物、<フロッガー>であった。

 

<フロッガー>

巨大なカエルの魔物である。魔力を持って生まれたカエルが巨大化したのか、魔王バラモスの影響で凶暴化したカエルなのかは解明されていないが、このアリアハン大陸では上位の魔物に当たる。その体躯は、通常のカエルと同じように滑りがあり、剣による斬撃では傷をつけ難い。また、その跳躍力で人に襲いかかり、逃げ道を塞いで来る為に、アリアハン大陸では恐れられている。だが、それはあくまでも、対する人間が普通の人間であればという話だ。

 

「カミュ!」

 

 声と共に、リーシャはカミュに駆け寄り飛び掛って来た<フロッガー>に剣を振るう。リーシャの一閃は<フロッガー>の左腕を切り飛ばし、<フロッガー>の着地を無様な物にした。

 カミュは、もう一匹の<フロッガー>の攻撃をかわしながら剣を振るい、<フロッガー>を追い詰めて行く。追い詰められた<フロッガー>は最後の一撃とばかりに、その発達した後ろ脚に力を溜め、カミュ目掛けて飛びかかって来た。

 カミュは落ち着いて<フロッガー>の動きを見て、剣を立てて屈み込む。

 屈み込んだカミュに覆いかぶさるように飛んで来た<フロッガー>の喉元に、カミュの剣が突き刺さった。

 突き刺した剣を抜く為に、カミュに足蹴にされた<フロッガー>は、床に転がった後、数度の痙攣を最後に動かなくなった。

 

「やぁぁぁ!」

 

 リーシャに左腕を飛ばされた<フロッガー>は踏ん張りがきかず、十分な跳躍が出来ない。

 リーシャの攻撃を避けるにしても、片腕がないため十分に動けず、リーシャの剣を無様に受ける事となる。

 リーシャの最後の一閃が、自らの首を刈る瞬間に見せた<フロッガー>の表情は、苦しみから解放されたような安堵を含む表情に見えていた。

 

「まだだ!!」

 

 <フロッガー>の体液の付いた剣を振って、血糊を落とし鞘に収めたリーシャに、珍しくカミュの大きな声が掛けられた。

 リーシャに駆け寄ろうとしたサラは、剣を鞘に収めたリーシャの後ろに飛ぶ巨大な蛾のような生物を視界に収める。

 

「@%#$&&$」

 

 カミュの珍しい叫び声に振り向いたリーシャは、すぐ目の前にいた巨大な蛾が人語ではない詠唱のような音を発した途端に霧に包まれる感覚に陥った。

 今まで戦っていた筈の塔の内部ではなく、全てが霧に包まれたように景色がぼやけ、カミュやサラの姿まで無くなって行く。

 そのくせ、霧に包まれる前に見た蛾が、神出鬼没に自分の周りを飛び回っていた。

 

「そこか!」

 

 リーシャは飛び回る蛾へ剣を振るが、真っ二つになったはずの蛾が蜃気楼のように消えて行き、再び別の場所に現れるのを見て混乱に陥る。

 

 

 

 サラは、蛾が奇声を発した後に暫く動かなかったリーシャが、突然何もない所に向けて剣を振るのを見て驚いていた。

 状況が全く掴めないサラは、救いを求めるようにカミュへと視線を向ける。視線を向けられたカミュの表情は、苦虫を噛み殺したような物だった。

 

「ちっ! マヌーサか」

 

「えっ!?」

 

<マヌーサ>

教会が所有する『経典』に記載されている魔法の一つで、その効力は脳内に及ぼす物。この魔法を受けた者は、周囲が霧に包まれたような錯覚に陥り、敵の場所を特定できなくなる。陽炎のように現れる敵の姿に戸惑い、剣を振って敵を切り裂いても、蜃気楼のように消えてしまい、倒す事が叶わない。所謂、催眠のような魔法である。

 

 サラも<マヌーサ>との契約はすでに済ませてある。

 まだ使用した事はないので、実際発動するかどうかはわからないが、何れにしても、その効力に関しての知識はサラにもある。

 このパーティー内の一番の剣の使い手が、幻覚に包まれているのだ。

 迂闊に近づく事など出来はしない。

 

「そこかぁぁ!」

 

「!!」

 

 どうしたら良いのか判断をする事が出来ず、サラは動けない。その中で、リーシャは闇雲に剣を振るい続けていた。

 その剣は、カミュに対して振るわれる。間一髪のタイミングで避けたカミュではあったが、連続するリーシャの剣に防戦一方になって行った。

 

「!?……何故、俺に向かって来る!?……くっ……<メダパニ>でもかかっているのか!?」

 

 カミュの疑問は尤もである。

 基本的に<マヌーサ>によって幻覚に包まれた者は、敵と味方を間違えるような事はない。

 同じように脳内に影響を及ぼす、<メダパニ>と呼ばれる混乱魔法の影響を受けているのならば、別ではあるのだが。

 

<人面蝶>

その名の通り、『人』の顔を持つ蝶である。いや、その姿は蝶というよりも蛾に近い。通常の蝶や蛾の腹部に人面を宿し、その口の部分には鋭い牙を持つ。アリアハン大陸では珍しい、魔法を唱える事の出来る魔物である。

 

「くそっ! おい、何を呆けている! あの<人面蝶>を早く片付けろ!」

 

「えっ、えっ、で、でも……」

 

 リーシャの攻撃を何とか自分の剣で防ぎながらも、サラに巨大な蛾の討伐を指示するカミュではあったが、声を掛けられたサラは戸惑うばかりであった。

 手に持つ<銅の剣>を下げたまま、おろおろと視線を彷徨わせるサラを見て、カミュは盛大な舌打ちを鳴らす。

 

「今、あの蛾を倒せるのも、この脳筋馬鹿を救う事が出来るのも、アンタだけだ!」

 

 幻覚に包まれているリーシャは、しつこくカミュに斬り掛っている。

 確かに、今のカミュに、リーシャと対峙しながら魔物を倒す余裕はない。

 カミュの言う通り、今動く事が出来るのはサラだけである事は事実なのだ。

 

「わ、わかりました!」

 

 カミュの瞳が真剣である事を見たサラは、覚悟を決めた。

 ここで、自分が何もできなければ、今度こそこの『勇者』に愛想を尽かされ、置いて行かれる。

 その考えが頭を掠め、サラは緊張と恐怖で、<銅の剣>を握る手に汗が溢れた。

 それでもサラは、右手を胸に抱いて、呟くような詠唱を行った。

 

「ピオリム」

 

<ピオリム>

教会が管理する『経典』に記載される補助魔法の一つ。術者の魔法力によって、対象者の身体能力を限界まで引き上げる効力を持つ。本来『人』に限らず、生物は自身の身体に眠る能力を最大限まで活用出来てはいない。その眠りし能力の一部分を、一時ではあるが、術者の魔法力によって引き上げるのだ。

 

 <人面蝶>はリーシャに<マヌーサ>をかけた後、リーシャに攻撃を仕掛けようと考えていたのだろうが、そのリーシャの凄まじい動きに近寄る事ができず、場所を変えながらも周辺を飛んでいた。

 身体能力の上がったサラには、その<人面蝶>の動きが目でしっかりと追う事が出来ていたのだ。

 ちょうど、サラの頭の高さで飛んでいる<人面蝶>に向け、サラは<銅の剣>を振るう。

 <人面蝶>は、今まで、全く動く事のなかった『僧侶』が自分に向かって来た事に驚くが、それをひらりとかわし、上空へと飛び上った。

 

「あっ……」

 

 自分の攻撃を簡単に避けられ、更には自分の手の届かない所まで上がってしまった<人面蝶>に、サラは思わず声を漏らしてしまう。

 だらりと下げられた腕に握られた<銅の剣>は、その役目を果たす事無く、沈黙を続けていた。

 

「簡単に諦めるな! 魔物は、必ず攻撃を加えるために降りてくる! それに剣を合わせるように振り抜け! あぁ、くそっ! アンタ、本当に幻覚と戦っているのか?」

 

 珍しく良く話すカミュにサラは驚くが、自分への忠告の後、リーシャへと愚痴をこぼすカミュの姿を見て、緊張と恐怖で固まっていた自分の身体から、余計な力が抜けて行くのを感じた。

 

『どんな形であれ、今、あの捻くれた勇者は自分を信じている』

『自分であれば、あの魔物を倒せると信じてくれている』

 

 サラはもう一度剣を構え直し、<人面蝶>を見据える。

 自分を嘲笑うかのように上空を飛び回っている<人面蝶>は、剣を構え直すのを見て、その動きを制止させた。何度か羽ばたきを繰り返した後、サラに向かってその口にある牙を剥いて急降下して来る。

 <ピオリム>の効果が続いているサラは、<人面蝶>の動きを落ち着いて見詰め、カミュの忠告通りに、その動きに合わせるように<銅の剣>を振るった。

 基本的に、<銅の剣>は切れ味が良い物ではない。カミュやリーシャの持つ剣のように斬り裂いたり、突き刺したりといった攻撃は出来ず、主に叩きつける武器と言っても過言ではない武器だ。

 しかも、サラはその武器を未だに扱いきれてはいない。

 実際、身体能力の上がっているサラが振るった剣は、絶妙のタイミングだった。

 しかし、扱いきれていない武器の為、その剣の軌道にはブレが生じる。自分の動きに合わせられた事に気が付いた<人面蝶>は無理やり態勢を変え、サラの剣の軌道から外れようとしたのだ。

 結果、またしてもサラの剣は<人面蝶>を倒すに至らなかった。

 

「あぁぁ……」

 

 自分の不甲斐なさに俯きそうになるサラ。

 振われた<銅の剣>は石畳の床に打ちつけられ、乾いた音を立てる。

 『やはり、自分は唯の足手纏いに過ぎないのだ』と首を垂れるサラの後方から、その時、鋭い声が響いた。

 

「良く見ろ! アンタの剣は魔物を掠めている! 止めを刺せ!」

 

 気分が落ち込み、魔物から目を離しそうになったサラの後方からカミュの声が響く。

 その声に、もう一度顔を上げたサラの瞳に、上手く飛ぶ事が出来ず、サラの胸ぐらいの高さをふらふらと飛んでいる<人面蝶>の姿が映った。

 カミュの言う通り、サラの剣は<人面蝶>の片方の羽に大きな傷を与えていた。

 空を飛ぶ者にとって、羽とは生命線であると共に、非常に繊細な物でもある。

 <人面蝶>のような、昆虫の延長にある魔物にとっては顕著であり、湿気を帯びただけでも、その飛行は困難となるのだ。

 <銅の剣>を握り直したサラは、渾身の力を込めて<人面蝶>に向けて剣を振り抜いた。

 羽にダメージを受け、避ける事も叶わない<人面蝶>は、そのサラの剣を勢いそのままに受ける事となる。真正面から攻撃を受けた<人面蝶>は、床に叩きつけられ、数度羽を動かした後に動かなくなった。

 

「やりました!」

 

 <銅の剣>を持つ自分の手と、物言わぬ屍と化した<人面蝶>を見比べながら、込み上げて来る喜びを抑えきれず、サラは喜びの声を上げた。

 

「このっ!……ん?……どういうことだ!!」

 

 振るった剣を受け止めた相手がカミュであることに気がついたリーシャは、理不尽にもカミュを怒鳴りつける。嵐のような剣撃が止んだ事を理解したカミュは、手に持つ剣を一振りした後、それを鞘へと納めた。

 

「……それは、こっちが聞きたい……何故、<マヌーサ>に掛った筈のアンタが、俺に向かって攻撃して来た?……アンタにとって、俺は『敵』と認識されているのか?」

 

「……<マヌーサ>……だと?」

 

 背中の鞘に剣を納めたカミュは、鋭い視線をリーシャへと向ける。その視線を受けたリーシャには、現在の状況が理解出来てはいなかった。

 故に、カミュが口にした何かの名を反芻する事しかできなかったのだ。

 

「……ああ……アリアハン随一の戦士様は、上達する剣の腕とは反比例に、脳味噌は退化したのだろうな。だからこそ、ある程度の知識と判断力が備わっていれば惑わされる事の少ない、<人面蝶>如きが唱えた<マヌーサ>に惑わされ、俺に向かって剣を振るっていた」

 

「……カミュ様……その辺で……」

 

 先程まで、自分が果たした仕事の余韻に浸っていたサラではあったが、またしても不穏な空気を醸し出す程のカミュの厭味を聞き、慌ててリーシャとの間に入って来た。

 しかし、そんなサラの心配は杞憂に終わる。

 

「しかも、アンタが俺に剣を振るっていた為、アンタの幻覚を解く方法は、その『僧侶』が術者である<人面蝶>を倒す事しかなかった。それも、何度も諦めかけながらだ。アンタのおかげで、いきなり全滅の危機だった。流石に、俺も諦めかけた」

 

「……ぐっ……す、すまない……」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュの諦めかけたという言葉を聞き、自分の達成感からの高揚が覚めて行くのを感じたサラは、心配そうにリーシャを気遣いながらも、言葉を発するカミュを見て驚いた。

 カミュの口端が上がっているのだ。

 リーシャは何度か見た事のあるカミュの顔ではあるが、サラは初めて見る顔だった。

 あれは、明らかにリーシャをからかい、楽しんでいる顔に他ならない。

 対するリーシャは、カミュのからかい顔を理解してはいるが、現状を見れば、カミュが決して嘘を言っている訳ではない事も理解出来るだけに、反論は許されずに、されるがままになってしまっていた。

 剣を持つ右手が強く握りしめられ、小刻みに震えている事から、そのリーシャの堪忍袋の緒が切れるのも、時間の問題なのかもしれないが。

 

「まあ、良い。思わぬ時間を喰わされた。先を急ぐ」

 

 『あれだけ挑発しておいて、『まあ、いい』はないだろう』とサラは思ったが、先を行こうとするカミュへ何の反論も出来ずに歩き出すリーシャを見て、『火に油を注ぐ事はするまい』と、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 

 その後も、何度か魔物と遭遇するが、一度不覚を取ったリーシャに慢心や油断はなく、次々と魔物の命を奪って行った。

 そんなリーシャの様子に、カミュは積極的に戦いに参加する事もなく、屍となった魔物の部位を切り取り、革袋へと詰めて行く。

 サラも、ようやく自分の闘い方を見出しかけたことから、剣を振るう回数も多くなり、リーシャの取りこぼした魔物を倒しながらも、そんなリーシャの闘いを見ていた。

 リーシャの闘いは凄まじく、まるでカミュからの厭味の鬱憤を晴らすような動きであった。

 中でも、再び出て来た<人面蝶>には、流石のサラも同情を禁じ得なかった。

 共に姿を現した、<おおありくい>や<フロッガー>に見向きもせず、<人面蝶>へと一直線に向かって行ったリーシャは、<人面蝶>の両羽を切り落とし、飛べなくなり地面に落ちながらもまだ生きている<人面蝶>へ剣を突き立てたのだ。

 カミュでさえ、そのリーシャの怒気を纏った姿に唖然としていた。

 ましてや、<おおありくい>や<フロッガー>等は、サラ達の比ではない恐怖を感じ、唖然とするカミュとサラの隙を見て、我先にと逃げ出して行った。

 

「……カミュ……様……」

 

「……ああ……少し言葉が過ぎた事は認める……」

 

 この後、鼻息も荒く戻って来るリーシャに、魔物を取り逃がした事への説教をされる事を覚悟した二人は、ため息交じりに会話を交わしていた。

 

 

 

 その後も何度か魔物と遭遇しながらも、三人は順調に塔を登って行く。

 最初のリーシャの見立て通り、『ナジミの塔』はどうやら四階構造になっているようだった。

 しかし、四階部分に到達した一行はその様子に溜息を吐く。

 四階部分は下の階とは違い、中心に壁があり、その周りを囲むように広い通路のような部分が広がっていた。

 当然通路に壁はなく、強い風が吹けば真っ逆さまに落ちてしまう事になるだろう。

 

「これ以上、上へは進めなさそうだな……」

 

「下の階にもう一つ階段がありましたよね。もう一度戻ってそちらに向かいましょう」

 

 リーシャの言葉に、一つ下の階で見つけた階段を思い出し、サラは来た道を引き返す事を提案する。今回は、戦闘においても見ているだけではなく、剣を振るい戦闘に参加していたサラは、良い緊張感が続き、気力が充実していた。

 サラの提案を受け入れ、一行は一度下に戻り、違う階段で再び四階部分に出る事にする。

 先程、階段の上部を見た際に光は見えず、『行き止まりになっているか、作りかけの階段かもしれない』というリーシャの言葉から上る事をしなかったのだが、再び見てもやはり上部に光はない。カミュを先頭に一段一段上ってはみたものの、やはり、天井部分にぶつかってしまい、それより先には進めないようになっている。

 

「やはり、ダメか?」

 

「いや、この階段は何かで塞がれているようだ」

 

 後ろからかかるリーシャの諦めの声に、天井部分に手を当てていたカミュが答えた。

 カミュの言うように、塔内部は基本的に石で出来ているのだが、この階段の天井部分だけは木で出来ていた。

 階段の上部の為、暗く判別はし難いが、手触りが石や金属のような冷たさを感じない。

 

「……木か……?」

 

 天井の隙間に木が隙間なく嵌め込まれており、更には、その上から尚も木を釘で打ちつけている。

 まるで、この先にある何かを出すまいとしている程の厳重さであった。

 

「……少し下がっていろ……一度燃やす」

 

 カミュはリーシャとサラの二人を、一度階段の下へと下し、蓋をしている木に向かって左手を上げる。

 サラとリーシャはカミュに言われるまま、階段の下からその姿を見ていた。

 

「メラ」

 

 カミュの指先から出た火球は打ちつけられた木に命中するが、すぐには燃え上がらない。

 それ程、打ちつけて時間が経っていない木だとは思われるが、吹きさらしの風や雨が入ってくる塔の中で湿気を帯びてしまっているのだろう。

 何度目かの詠唱でやっと木に火がつき、天井を塞いでいる木が燃えて行った。

 

 燃え終わり、黒い炭と化した木々をリーシャとカミュで動かして行くと、この塔の一階にあった宿屋の入口の時のような金属の蓋が出てきた。

 リーシャがその金属の蓋に、下から突き上げるような衝撃をかけ、そして少しずつ横へとずらして行く。最初は、リーシャを持ってしてもなかなか動かなかった蓋だが、重く引き摺られる音を発しながら、徐々に動いて行った。

 完全に開けた蓋から暖かな空気が流れてくる。三人はカミュを先頭に一人ずつ上がって行った。

 

 

 

「お前さん達は、誰じゃ?」

 

 階段を上った場所は広い部屋になっており、石畳の床に、寒さ防止の為か絨毯が敷かれ、机や椅子が置かれている。その椅子には、白いひげを生やした老人が一人座っていた。

 

「あっ!」

 

「……失礼……カミュと申します。失礼ですが、貴方は<レーベの村>にある泉の畔の家に住まわれている方のご兄弟でいらっしゃいますか?」

 

 人が居た事に驚きの声を上げるサラの言葉を遮り、カミュが余所行きの仮面を被り、話し出した。

 その様子を見たリーシャは、『何度見ても、違和感しかないな』と思いながらも静観する事にする。

 

「……ふむ……それが誰の事を指しているのかがはっきりせんが、わしが居た頃とあの村がそう変わらないのであれば、おそらくお前さんの言う通りじゃろうて」

 

 カミュの質問に、少し考える素振りを見せながらも、白いあご髭を撫でつけ、老人はゆっくりと肯定の意思を示した。

 そして、カミュ達三人を一通り見渡した後、その細い腕を前へと差し出す。

 

「まあ、立ち話もなんじゃから、適当に掛けなされ」

 

 続く老人の言葉に、リーシャは入口の金属蓋を元に戻し、老人の対面に座る。それにカミュ、サラと続き、三人が老人と対する事となった。

 

「それで……わしに何の用かの?」

 

 三人が着席したのを見計らって、老人が口を開く。

 老人は頬が扱け、直視するのも気が引けるほど、骨と皮と言っても過言ではない程の身体になっていた。

 その老人の姿に、サラは思わず目を伏せる。

 

「な、なぜ……このような場所に、一人で住まわれているのですか?」

 

 そんな老人の姿に我慢ができず、誰よりも先に口を開いたのはサラであった。

 カミュは、サラの行動に顔を顰める様子であったが、口を開きかけた老人に遠慮し、言葉を飲み込んだ。

 

「お前さんは?」

 

「あ、申し訳ございません。アリアハン教会に属します僧侶で、サラと申します」

 

 名前を名乗っていなかった失態に、慌てて名乗りを上げ、それに倣ってリーシャも自己紹介を済ます。二人の名乗りに、一瞬表情を変えた老人だったが、その哀れな姿によって小さな変化は埋もれていた。

 

「ほう……アリアハンの僧侶様に宮廷騎士様ですか……ならば、私のような老人と言葉を交わしてはなりません。私は神敵であり、国家では罪人となっておりますのでな……」

 

 二人の自己紹介に力なく笑う老人はそれ以上を語らない。疑問を口にしたサラは、何故、老人がそのような事を言うのかという新たな疑問が湧いて来るが、老人の雰囲気がサラの口を再び開くことを遮っているようだった。

 

「……貴方は、あの橋を作った方ですか?」

 

「!!」

 

「ふむ……お若いの……何故、そう思われるのでしょう?」

 

 そんな中、沈黙を破ったカミュの言葉にリーシャとサラの二人は驚く。カミュへと視線を移すが、老人は少し目を細めただけで、静かにカミュへと問いかけた。

 この場にいる全員の視線が集まった事に怯みもせず、カミュは一度瞳を閉じた後、内心を語り始める。

 

「アリアハンの王家では、汚い物には蓋をする習慣があります。昔、あの橋の土台を築いたのは、国家が雇った橋職人ではなく、<レーベ>に住む鍛冶屋の青年という噂がありました。その青年は、功績を称えられるどころか、故郷である<レーベ>を追われたと聞いています。もし、貴方がその青年であれば、<レーベ>に残る老人の、アリアハンに対しての憎しみも理解できるのです」

 

「な、なんだと! そんな話、聞いた事はないぞ!」

 

 疑問を疑問で返されたにも拘わらず、それを気にしたような素振りすら見せずに語るカミュの話は、宮廷騎士として親の代から王家に仕えていたリーシャにとって初耳の物であった。  ましてや、教会という閉ざされた社会で育ったサラにとっては尚更だ。

 

「……良くご存じですな。まあ、宮廷騎士様と教会に属する僧侶様である貴方達が、ご存じない事は無理もないでしょう。アリアハン王家に仕える方々に、国家の暗部を公表する訳はありませんからな……」

 

 カミュに向かって、怒鳴るように投げかけたリーシャの疑問は、カミュではなく目の前の老人から答えが返って来る事となった。

 カミュへと鋭い視線を向けていたリーシャは、勢い良く老人の方へと振り返る。そこには、窪んだ瞳に寂しい影を落とした老人の姿があった。

 

「……カミュ殿と申したかの?……お前さんの考え通り、わしがその青年という事になるかの……しかし……そうですか……弟は、アリアハンを恨んでしまっておりますか……」

 

「!!」

 

 老人からカミュの話を肯定するような言葉が出た。

 それは、先程、カミュが話したアリアハン国家の行為をも肯定する言葉になる。そのアリアハンが抱える黒歴史の事実に、リーシャは言葉を失い、サラは愕然と老人を見つめた。

 

「わしは、四十年以上ここで暮らしてきました。<レーベ>に戻る訳にもいかず、この大陸を出る訳にもいかず……国家の罪人である私には、この大陸の中で暮らす事の出来る場所は、この魔物の住処である塔以外はありませんでしたからの……」

 

「そ、そんな……」

 

 老人の告白に、サラから声が漏れる。老人が言葉を洩らす度に、サラの中で築かれて来た『アリアハン国家』という偶像が音を立てて崩れて行くのだ。

 信じていた度合いが大きければ大きい程、その崩れる速度も加速して行く。

 

「幸い、妻も子もありませんし、親も既に他界しておりましたからの。ただ、唯一人の弟には苦労をかけてしまったようです。初めの頃は、何度か私に食糧などを持って来てくれていたのですが……」

 

「何か、他にもご兄弟がアリアハン国家を恨む要素があるのですか?」

 

「……ふむ……」

 

 会話を途中で止めてしまった老人に先を促すように、カミュが言葉をかけるが、それでも尚、老人は言い難そうに口籠る。

 それは、カミュの聞いた内容に思い当たる節がある事を示唆し、加えて、その内容がカミュ達三人に新たな衝撃を与える物である事を示していた。

 

「カミュ! 人には言いたくはない事もあるだろう!」

 

 尚も催促しようとするカミュに、先程まで我慢していたリーシャが口を挟む。アリアハン国の有する暗部の一部を知り、心に衝撃を受けてはいた。

 だが、それにより取り乱す事はなく、冷静に話を聞いていたが、心に残った引っかかりをカミュにぶつけてしまう事となる。

 

「……いや、良いのじゃ……お前さん達は……『バコタ』という人物を知っておるかの?」

 

「最近、捕まった盗賊ですか?」

 

 『盗賊バコタ』

 アリアハン大陸で活動している盗賊で、どんな扉も開けてしまうと云われている。

 つい数か月前に、住処としているこの『ナジミの塔』にアリアハン兵が踏み込み、捕縛される事となり、今はアリアハン城の牢獄に監獄されている。

 

「……ふむ……それは、あの弟の子なのじゃ」

 

「それで、捕まった事を恨んでいるのですか!? それは、自業自得ではないですか!?」

 

 息子である『盗賊バコタ』が捕まり、牢獄に入れられている事を恨んでいるというのなら、『それは筋違いだ』とサラは声を上げる。

 リーシャにしてもサラに同意であったが、カミュはいつもの無表情で声を上げるサラを冷ややかに見つめていた。

 

「あの子は、盗賊以外にはなれなかった。わしが原因で、母親も出て行き、父親も仕事を失い、そして周りからの侮蔑の視線を受けながら育ったのじゃ。働ける場所などなく、鍛冶屋を継いだとしても、造った物を買う者などいない」

 

「そ、それでも……人の物を盗み、それで生きていくなんて……真面目に働いて生きている人達に失礼です」

 

 生い立ちが厳しい人間は数多くいる。

 それでも皆必死で生きている。

 サラはそう信じているのだ。

 

「……誰もアンタの感想など聞いてはいない。それに元はと言えば、アリアハン国が、橋の土台を真面目に考えて完成させた人間の功績を自分の物へと変えたのが発端だ。それこそ、人の技術を盗む行為になる筈だ。アンタ方は認めたくはないだろうが、それが現実だ」

 

「……で、ですが!」

 

 尚を喰い下がろうとするサラに向けられたカミュの視線は、冷たく厳しい。その瞳を受け、サラの身が硬直した。

 人を殺しかねない瞳は、サラへの蔑みを宿している。

 とても仲間に向ける視線ではないのだ。

 

「……カミュ殿、良いのじゃ。このお嬢さんの言う通り、自分の境遇に悲嘆し、甘んじたあの子が悪い。どんな事情があれ、犯罪は犯罪。それは弟も解っておる」

 

「では、他にも理由があるというのか!」

 

 リーシャが若干憔悴した様子で、再度老人の話を促す。リーシャの叫びに近い声を聞き、老人は一度目を瞑った。

 何かを躊躇い、そして何かを決意するように開かれた瞳が、骨と皮だけとなった老人に凄みを持たせる。

 

「……ここから先は、アリアハンの中枢機関に属するお嬢さん達には、少しきつい話になるかもしれん……それでも良いか?」

 

 老人の痩せこけ窪んだ瞳に、鋭い光がともり、それが眼光となってリーシャとサラの二人を射抜く。

 サラはその眼光を受け、これから先の話に対する不安が募るが、リーシャと共に大きく頷いた。

 

「……そうか……わしは父の後を継ぎ、鍛冶屋となった。弟には鍛冶の才能はあまりなかったが、バコタは名人と云われた私の父の才能を受け継いだのか、光る物をもって生まれていた。だが、鍛冶屋として生きていく事はできない。毎日鬱憤を溜めながら暮らし、出来る事といえば、家の物を修理するくらいのものだ。そんな中、あの子は一つのカギを造り出した」

 

「……『盗賊の鍵』か……?」

 

 『盗賊の鍵』

 カミュが発した言葉にあるそれは、バコタが造り出したと云われる物。

 簡単な作りの鍵であれば、どんな扉も開けてしまうカギという話だ。

 その鍵を使い、バコタはアリアハン大陸にその名を馳せる程の盗賊となった。

 

「そうじゃ。そのカギを造ったあの子は、報われる事のない労働よりも、盗賊稼業に身を落としてしまう」

 

「……」

 

 その真実に、リーシャとサラの口は閉ざされてしまった。

 アリアハン大陸で暮らす鍛冶屋が作って来た鍵の全てを開けてしまう程の『カギ』。

 それは、国民にとっては、とてつもない脅威であり、他の鍛冶屋の生活をも奪う程の脅威でもあった。

 

「私の弟は、激怒したそうじゃ。どれ程皆から蔑まれようと、どれ程苦労しようとも、真っ当に生きてきた弟にとって許せる事ではなかったのじゃろう。弟はあの子を勘当し、周りの人間には、『息子は死んだ』と言っていたそうじゃ」

 

 自分の子を勘当するなど、余程のことだろう。

 父親として、息子に与えてしまった苦しみに負い目を感じながらも、それでも幾分かでも幸せに暮らせるようにと努力してきた自分を否定されたように感じたのかもしれない。

 

「<レーベの村>を出たあの子は、名前を捨て『バコタ』と名乗り、わしの住むこの塔を住処とした」

 

「それが、恨みにどう繋がると言うんだ!」

 

 元来気が長い方ではないリーシャは、老人の話すことに痺れを切らし、声を上げた。

 隣で、心底呆れたように溜息を吐くカミュが視界に入ったが、リーシャは早く結論を言えとでも言いたげに老人を促す。

 

「……ただ……あの子一人がここに来たのではないのじゃ……あの子には妻と幼い子供がおった。妻となった年若い女性は、あの子の境遇を知って尚、あの子を愛し、盗賊になると言ったあの子を必死に止めていたそうじゃ。それでも決意の変わらぬあの子に付いて行く事を決め、三人でこの塔に移り住んで来た」

 

「……それは……もしかして……」

 

 サラは自分の考えが辿り着いてしまった結末を信じたくなかった。

 そんな悲しい結果は知りたくもない。

 しかし、老人が話し出す結末は、サラの考えていた物など遥かに飛び越えたものであった。

 

「<盗賊の鍵>を使い、盗みを行っていたあの子が、小さなミスからこの住処を知られる事となる。アリアハンから大量の兵士がこの塔に押し寄せて来たが、既に下の階での生活場所はあの子たちに譲り、ここで生活していたわしは気付く事が出来なかった」

 

 話が進むにつれ、老人の顔の皺は濃くなり、骨と皮だけの身体を尚更痛々しく見せていく。

 話を聞いているリーシャとサラも、これから話される結末を考え、顔を歪めた。

 カミュは能面のような表情を更に深め、表情を失くして行った。

 

「あの子を捕らえた兵士達は、捕らえられる直前にあの子が逃がした妻と子を追った。地下道に逃げ込んだ二人を数人の兵士で執拗なまでに追い詰め、子供の方を先に殺し、妻の方は兵士達で何度も何度も凌辱を繰り返し……最後には殺したそうだ……」

 

「!!」

 

「……そうか、地下道にあった親子の骨はその二人か……魔物ではなく、人間に殺されていたとはな……」

 

 サラは完全に俯いてしまう。

 自分が先程ぶつけた言葉がどれ程酷い言葉だったのかを痛感していた。

 もし、この真実を知っていたとしたら、<レーベの村>にいる老人の『恨み』と『憎しみ』は、サラ等が口を挟む事を許さない程の物であろう。

 

「ちょ、ちょっと待て! 何故、貴方がそれを知ったのだ!? 貴方は階下の事は解らなかったと言っていただろう!」

 

「わしは、元から国家の罪人であり、神敵だからの……わしの所まで上って来た兵士が、自慢気に話してくれた……」

 

 肉の付いていない手を、血が滲む程に握り締め、小さな呟きのような声で老人は答えた。

 リーシャとしては、一般兵とはいえ、アリアハンを代表して盗賊捕縛の命を受けた者が、そのような非道な行為をした事実を信じたくはなかったが、老人が何の脚色もなく真実を語っている事は明白。

 それは、先程、盗賊行為に関しての見解を述べた事でも窺えた。

 

「わしは、その兵士達がここの入口を塞いでからの事は解らん。あの子が生きておるのか、それすらも解らん」

 

「バコタは生きています。まだ牢獄の中でしょう……一つお聞きしたいのですが、貴方がその兵士の行為を知った経緯は解りましたが、何故弟さんはそれを知ったのですか?」

 

 再び、余所行きの仮面を被ったカミュが老人に素朴な疑問を投げかける。

 確かに、今の話では、<レーベ>にいるバコタの父親がその事実を知る経緯が解らないのだ。

 リーシャとサラがそれを知らない以上、アリアハン大陸で公表されている訳ではない。

 

「それは、わしにも解らん。あの子には何人か部下のような人間がいたが、その人間が伝えに行ったのか、もしくはあの子自身が文でも託したのかもしれん」

 

「……」

 

 一連の話が終わり、『ナジミの塔』の頂上にある部屋に何とも形容しがたい沈黙が広がる。

 サラは自分の発言を悔やみ、現実の重みに涙を流していた。

 リーシャもまた、アリアハン国にある黒い部分の大きさに悩み、何も知ろうとしなかった自分を悔やむ。その横で、カミュだけは、何事もなかったかのような、何も感じない表情で老人を見つめていた。

 

「……これを……」

 

 沈黙を破ったのは、老人であった。その破れかけた衣服の懐から取り出した物をカミュへと手渡す。

 それは、小さな鍵。

 錆などが見当たらない程に磨かれ、銀色の光沢を放っていた。

 

「それは、<盗賊の鍵>じゃ。ミスを犯したあの子は、盗賊稼業から足を洗おうとしておった。それは、その前にあの子から渡された物じゃ。この鍵であれば、弟の家の鍵も開ける事が出来るじゃろう」

 

「ですが……それでは、犯罪者と同じではないですか!?」

 

 手渡された物が、盗賊の所有物である事を知り、サラが叫び声を上げる。

 バコタの境遇を知り、アリアハン国の持つ黒い歴史を知って尚、サラはその鍵を受け取る事に抵抗を感じていたのだ。

 

「わしから託された事を伝えなされ……ふむ……少し待っていなさい。手紙も託そう。それも共に渡せば良い」

 

 サラの心の叫びを受け流すように答えた老人は、その細い腕で取り出した紙に筆を走らせた。

 相手の心情を慮る事のない言葉を吐いた自覚のあるサラは、それでも柔らかな笑みを浮かべる老人を見て、居た堪れない思いを抱く。

 

「……まだ、我々の目的を話してはいない筈ですが……」

 

「……ふむ……数か月前に、あの子から噂を聞いた事がある。『魔王』の支配からの解放の為、十数年ぶりにアリアハンから旅立つ者がおると……アリアハン宮廷騎士にアリアハン教会の僧侶。お前さんじゃろ、お若いの?……ならば、お前さんの望みは、この大陸から出る事の筈」

 

 余りにもスムーズに話を進める老人は、カミュが感じた疑問にも、さも当然の事のように一行の目的を言い当てる。その老人の答えにリーシャとサラは驚くが、カミュは無表情に老人を見つめたままであった。

 

「弟は、鍛冶屋の才はなかったが、それとは違う物に非凡な才を示しておった。あ奴ならば、お前さんたちの要望に応える事もできるじゃろう……今の世界が歪んでしまっているのも、魔物達が横行するこの時代が影響している部分も多々ある筈じゃ……」

 

 何かを想うように瞳を閉じた老人を三人は見つめていた。

 一つ息を吐き出した後、老人は再びカミュ達を見回し、ゆっくりと口を開く。

 

「わしはもう長くはない。だが、今苦しんでいる子供達が、少なくとも今よりも幸せに暮らせる世が来れば良いと思っておる。その手助けが出来るのならば、わしが生きていた意味も少しはあるというものじゃ」

 

 続けて話す老人の言葉に、サラは再び自分の頬を流れ落ちて行く物を感じた。

 リーシャもまた、サラの涙を見ながら、老人の話に感じ入る所があったのであろう。先程までの雰囲気はなく、瞳に力が宿ってはいなかった。

 

「……ほれ、これも持って行くが良い」

 

 書き終わった手紙を老人から受け取ったカミュは、無言で老人に頭を下げた。

 暫くの間、頭を下げていたカミュだが、顔を上げたと同時に老人に背を向け歩き出す。

 サラは、初めてみるカミュの姿に、溢れる涙を抑える事が出来なかった。

 

「下の階に宿屋があった。貴方も私達と共に下へ降りよう。このままでは、貴方の身体がもたない」

 

 階段に脚を掛けたカミュを追いかける前に、リーシャが老人へと声をかける。その内容にサラも同意するように頷き、老人を促すように後ろに立った。

 そんな二人の気遣いにも、顔の皺をより一層濃くしながら、優しい微笑みを浮かべて老人は頭を横に数回振る。

 

「……いや、わしはいい……」

 

「な、なぜですか!? このままでは……このままでは……」

 

 老人の悟りきったかのような笑みに、リーシャは何かを感じたように俯くが、サラには老人の言う事が理解できない。老人の手を掴もうと伸ばした手が、行き場を失い、宙を彷徨っていた。

 

「ありがとう……お嬢さん。しかしの……わしは少し疲れた……これからはお嬢さん達の時代じゃ……」

 

「で……ですが!」

 

 尚も言い募ろうとするサラの肩が優しく包まれる。サラが顔を上げると、そこには本当に辛そうに顔を歪めながら、頭を静かに振るリーシャの姿があった。

 サラはそんなリーシャの姿に老人の意志が固い事を感じ、そして、それを飲み込まなければならない事に再び涙する。

 自分の胸に顔を埋めるサラを歩かせながらリーシャが階段まで辿り着くと、先に降りていた筈のカミュが立っていた。

 カミュは、老人が手紙を託した時に、その覚悟を感じていたのだろう。リーシャを見るカミュの瞳がそう語っていた。

 カミュに向かって一度頷いたリーシャは、サラを歩かせながら階段を降りて行く。部屋に残ったカミュは、もう一度深く頭を下げると、振り向く事なくリーシャの後に続いて階段を下りた。

 

広い空間に一人残った老人は、深く息を吐き、虚空を見上げる。

 

「これで良い……わしは、この日の為に生きて来たのかもしれんの……ならば、これでわしの役目も終えよう……」

 

老人は、椅子に深く座りながら言葉を吐き出し、そして静かに目を瞑った。

 

 

 

 一階部分に降りるまで、カミュ達は何度かの魔物との戦闘を行った。

 だが、誰一人として言葉を発する者はいなかった。それぞれの胸中に、先程の老人との対話が影響を及ぼしていたのだ。

 リーシャとサラは今日の朝までは、もう一度、あの宿屋に泊って行こうと考えていた。

 だが今は、とてもではないがそんな気分にはなれない。出来れば、早々にこの塔から離れたいとさえ、二人は思っていた。

 

「……カミュ……<キメラの翼>を買ってはいないのか?」

 

 そんな思いが、リーシャの口から言葉として零れ落ちた。

 少し前を歩くカミュは、その言葉に足を止め、二人の顔を見るように振り向く。

 カミュが二人を見て感じた印象は、『顔面蒼白』。

 それ程、二人の顔色は酷かった。

 

「……アンタは、何時の時代の人間だ?……今のアリアハン大陸で、<キメラの翼>を置いている道具屋などある訳がないだろう?」

 

「ど、どういうことだ!」

 

 カミュが溜息交じりに発した言葉に、リーシャは驚いた。

 いつもと違うのは、サラがそんなリーシャに驚いていた事だろう。それは、サラもカミュと同様の事を考えている事に他ならない。

 

「アンタは国からの補助によって、何度かの魔物討伐の際に<キメラの翼>を使用した事があるのだろうな……だが、今のこの時代に、アリアハン大陸の道具屋が<キメラの翼>を入手する手段などあると思うのか?」

 

「!!」

 

 カミュの言葉を聞いても、その意図する物を理解できていない様子のリーシャに、カミュは盛大な溜息を吐き出す。

 彼女は、例え下級といえども『騎士』だった。

 与えられた武器と防具で国家を護る。

 国家から支給される物で、彼女は全てを賄えていたのだ。

 実際に、食料などの調達でさえ、貴族である彼女には召使いがいる。

 つまり、彼女は正確な意味で、平民の生活を知らないのだ。

 

「……唯でさえ<キメラの翼>自体が希少なのに、こんな外の世界との交流を断った大陸に入手できる方法がある訳がない……アンタが使用した物も、国が昔に入手して、宝物庫にでも入れて置いた物だろう」

 

<キメラの翼>

希少種の魔物である<キメラ>が持つ二つの翼を胴体から切り離した物であり、頭に行きたい場所をイメージしながら、その翼を天高く放り投げると、翼から発する魔力によって行きたい場所へ運んでくれるという、非常に便利な道具である。<キメラ>自体が非常に強力な魔物であり、一匹の<キメラ>から二枚しか取れない為、昔から希少価値が高かったが、他大陸との交流を断ったアリアハンでは、既に一般の者では手に入らない程の道具となっていた。

 

「……サ、サラも知っていたのか?」

 

「は、はい。私のような者は、その存在を文献などで知るだけで、実物を見た事さえありません」

 

 一国の宝物庫にしかない道具である。

 サラのような教会に住む一少女が目にする事などあり得る筈がない。

 それが、貴族であるリーシャと、平民であるサラとの大きな隔たりだった。

 

「……そうだったのか……」

 

 自分の無知と、この塔からすぐに離れられないという事実から、更に落ち込むリーシャの様子を見ていたサラも、同様に気分が沈んで行く。リーシャの言う<キメラの翼>を使用する事が出来れば、塔の外に出てすぐにでも<レーベの村>まで戻る事が可能な筈だ。

 しかし、それが使えないとなると、またあの地下道を通らなければいけない。あの親子の屍のある地下道を。

 重い空気を引き摺りながら、一行は一階へと続く最後の階段を下り終えていた。

 もう一度、あの地下道を通るのであれば、その前に宿屋で身体を休め、明日移動した方がまだ良いとさえサラは考える。この塔の内部で眠る事自体が可能かどうかは別にしても、このままの状態であの地下道を歩くなど出来る訳はなかったのだ。

 それはリーシャも同様であった。

 

「……わかった。とりあえず、塔の外に出るぞ」

 

 一階に降りてから、サラが歩き出さない事に対して、カミュは呆れ返ったように溜息を吐き、外へと歩き出す。カミュの行動を不思議に思うが、付いて行く以外に選択肢はない為、サラはカミュに続いて歩き出し、その後をリーシャも続いた。

 

「……それで、どうするんだ?……一つぐらい<キメラの翼>を持っていたのか?」

 

 塔の一階部分から出た外部は、見渡す限り海であった。

 そもそも『ナジミの塔』自体が小さな島の中央にあるのだ。

 サラが日暮れの海風に当たっている横で、リーシャはカミュへこれからの行動を問いかける。

 

「ルーラを使う」

 

「なに!?」

「えっ!?」

 

<ルーラ>

その効力は<キメラの翼>と全く同じ魔法である。術者自身のイメージと魔法力によって、対象を目的地に運ぶ事の出来る魔法。国家が管理する『魔道書』の中に記載されており、中級の『魔法使い』が契約する事の出来る魔法である。運ぶ事の出来る対象は、その術者である『魔法使い』の力量によって違うが、数人が限度であり、卓逸した魔法力を有する者であっても、荷車や馬車などが限界と云われていた。

 

「カミュ様は<ルーラ>を行使する事が出来るのですか?」

 

 サラの疑問は尤もだ。通常、初級の修行を終えた『魔法使い』が契約出来る魔法である。それを『魔法使い』でもないカミュが使うと言ったのだ。

 それは、アリアハンのみならず、全世界の常識を覆す程の話である。

 

「……俺が初めて覚えた呪文だ……昔、必要に駆られてな」

 

「……」

 

 サラの疑問に答えたカミュの言葉に、カミュの幼少時代の片鱗を見た事のあるリーシャは言葉に窮していた。

 サラもリーシャの様子から、カミュのその答えに、これ以上疑問を挟む事は許されないと感じ、黙り込む。

 

「俺の腕を掴め。掴んだのなら絶対に離すな」

 

 そんな二人の様子を気にするわけでもなく、カミュは詠唱の準備に入る。二人は躊躇しながらも、カミュの腕をしがみつくように掴んだ。

 二人が自身の両腕を掴んだ事を確認したカミュが、一度目を瞑り、何かを考えるように空を見上げる。

 そして詠唱は紡がれた。

 

「ルーラ」

 

 カミュの詠唱の言葉と同時に、カミュを中心に魔法力の光が三人を包み込む。

 サラが、自分の身体が宙に浮いたのを感じたのも束の間、三人の姿は空高くに舞い上がり、北の空へと消えて行った。

 

 

 

 

 

 



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レーベの村③

 

 

 

「サラ、もう大丈夫だ」

 

 リーシャが掛ける声で、サラは自分が目を瞑っていた事に気が付き、慌てて周囲を確認する。そこは、つい先程までの見渡す限り海がある小島ではなく、周辺が平原の<レーベの村>の入口付近であった。

 <ルーラ>は、魔力により術者を運ぶが、時間までを超える事は出来ない。遠くへ行こうとすれば、それなりの時間を要してしまうのだ。

 実際、塔の外で潮風に当たっていた時は、陽が半分ほど沈んだ夕暮れ時であったが、今は、サラの近くにいるリーシャの顔すらも、はっきりとは確認出来ない程、周辺には夜の帳が広がっていた。

 

 一行が<レーベの村>に入ると、外に出ている人間はほとんどいなかった。

 それぞれの家には明かりが灯され、煙突からは暖かな煙が立ち上っている。入口にある番所にも明かりが点けられ、入口の門にも篝火が焚かれていた。

 門に立つ兵士に身分を伝え、村に入る事を許されたカミュ達は、店仕舞いが終わり、どこか物悲しい雰囲気を漂わせる通りを歩いて、宿屋へと足を向けて行く。

 

「……カミュ様、一つお伺いしてもよろしいですか?」

 

 小走りでカミュへと追いついたサラが遠慮がちに問いかける言葉に、カミュは無造作に振り返る。

 サラの顔色は塔内部にいた頃よりも良くはなっていたが、それでも心の奥に残る暗い物を隠しきれてはいなかった。

 返事はしないが振り返った事で、質問を許されたと考えたサラは、そのまま<レーベの村>に着いてから考えていた事を口にする。

 

「……カミュ様は以前に<レーベの村>に来た事はなかったのですか?……地下道の入口のあった小屋の場所に行った時に、<レーベ>に寄る事はなかったのですか?」

 

「……そう言われれば、そうだな……<ルーラ>が使えるのなら、アリアハンを出てすぐに、<レーベ>に来る事が出来たのではないか?」

 

 サラの発した疑問の内容に、リーシャも思いついた疑問を口にする。

 確かに二人が言うように、カミュに<レーベの村>の記憶があれば、<ルーラ>という魔法によって、瞬時に移動する事が可能であっただろう。

 サラの出身地である<レーベの村>ではあるが、幼かったサラには、その村の記憶など微塵も残ってはいない。幼き頃に教会に引き取られ、その後は、つい先日までアリアハンを出た事はなかったのだ。

 

「……<レーベの村>に来た事があるならば、そうしている。討伐隊に同道した時でも、俺には村の中に入る資格はない。周辺警備か、夜通し魔物と戦っているかのどちらかだ。そんな人間に、村の記憶などある訳がないだろう」

 

「!!」

 

 カミュが受けて来た物がどういった事かを知っているリーシャにとっては、そのカミュの言葉に、更に驚く結果となった。

 傷つき戻れば、回復魔法で癒され、再度戦場に送り込まれる。村の中で眠る事も許されず、村周辺で夜通し魔物と戦わされていたと言うのだ。

 自分が所属していた討伐隊がして来た事の苛烈さに、リーシャは聞いた事を後悔する。逆に、カミュの話している内容を理解できないサラは、首を傾げながら、一気に意気消沈してしまったリーシャを不思議そうに見ていた。

 

 

 

「こんばんは、旅人の宿屋にようこそ……おっ、この前のお客さんかい。また、うちに寄ってくれて嬉しいよ。この前と同じ部屋で良いかい?」

 

 宿屋の戸を開けると、先日と同じようにカウンターの中で帳簿と睨めっこしていた主人が、一行を見て嬉しそうに声を上げた。

 この宿屋を出てからあった様々な出来事に参り気味であったサラとリーシャは、そんな宿屋の主人の優しい微笑みに自分達の心が癒されていくのを感じていた。

 

「ああ、この前と同じで頼む。確か、8ゴールドで良かったか?」

 

 カウンターに向かって、腰の革袋からゴールドを取り出したカミュは、そのまま階段の方に向かって行く。旅の疲れと精神的な疲れから、疲労困憊となっていたサラは、部屋に戻る前に、以前と同じようなソファーへと腰掛けていた。

 

「ありがとう。今日は夕食もあるから、出来上がるまでは部屋で一休みしていてくれ」

 

 宿屋の主人の言葉に、リーシャとサラの二人もカミュに続いて階段を上り部屋へと入って行く。主人は妻に来客を告げ、三人分の食事の用意を頼むと、湯を沸かすために風呂場へと向かった。

 

 サラが、主人の沸かしてくれた湯で身を清めた後に食堂に入ると、既にカミュと主人が席に着いていた。

 自分が遅れてしまったのかと思い、慌てて席に着くサラに、柔らかな微笑みを湛えながら主人は口を開く。

 

「普通は、お客さんと一緒に食事をする事はあり得ない事なのだけれど、家内も貴方方がすっかり気に入ってしまって……あの戦士様のお言葉に甘えて、ご一緒させてもらうことになったんだ」

 

「えっ!?……ああ……リーシャさんでしたら、きっとそう言うでしょうね。私は全く構いません。大勢で食べた方が楽しいでしょうし」

 

 宿の経営者が客人と食事を共にするなど聞いた事はない。

 だが、厨房の方から聞こえてくる声の主は、そんなことを気にはしないだろう。自分の身分に誇りを持ってはいるが、それを押しつける事も振りかざす事もしない女性だ。

 サラは日を追うごとに、そんなリーシャという人間を『人』として好きになって行く自分を実感していた。

 

「本当に人が悪いな。こんなに料理が上手なのに、私のような者に『教えて欲しい』など、厭味以外の何物でもないですよ」

 

 両手に皿を持ち、隣にいる女性とにこやかに会話をしていたリーシャが厨房から出て来た。

 両手に持つ皿からは、湯気と共に食欲を誘う匂いも立ち上っている。リーシャの言葉の内容を聞くと、そのほとんどは、宿屋の奥方が作った物なのだろう。

 

「ふふふ。うちの主人が余りにも貴方の料理を褒めるものだから、悔しくなってしまってね。少し、意地悪をしてみたの」

 

 宿屋の妻が持つ大皿からもリーシャが持つ皿と同じように良い香りがしている。サラの隣に座っているカミュもその匂いに唾を飲み込んでいた。

 二人が何往復かして、次々と食卓に料理を並べて行く。数々の料理が放つ匂いにサラの食欲も制限が出来ない状況に陥った頃に、ようやく全ての料理が出揃った。

 

「こら、カミュ!まだ手をつけるな!」

 

 料理が出揃ったことを確認し、料理に伸ばそうとした手をリーシャに叩かれたカミュは明らかに不満そうに眉を顰めた。

 それでも、戦闘時などとは違い、食卓という場所では、カミュよりもリーシャが上である。

 カミュの不満そうな瞳を真っ直ぐと見詰めるリーシャの視線を、カミュの方が先に逸らしてしまった。

 

「ふふふ。ごめんなさいね。もう一人、まだ来ていない子がいるから呼んで来ますね」

 

 そんな二人のやり取りに微笑みながら、宿屋の妻は厨房とは反対側にある戸の中に入っていった。

 その扉の先は、この夫婦の居住区なのだろう。

 

「他にお客様がいらっしゃったのですか?」

 

「……いや……お客じゃないんだ。私達には子供が出来なくてね。つい最近に、養子を貰ったんだ。少し辛い目にあった子なんだが……その影響でなかなか心を開いてくれなくてね……」

 

 サラの問いかけに、宿屋の主人は珍しく俯きながら、哀しそうに言葉を紡いで行く。

 カミュは全く関心を示していなかったが、サラはそんな主人の言葉に何か引っかかる物を感じていた。

 

「……辛い目に?」

 

 サラの呟くような問いかけに、主人は軽く目を伏せ、言い難そうに口を開く。

 これから楽しく食事をしようとする時には合わない話題なのだろう。ぽつりぽつりと語り出した内容は、サラの心を抉って行った。

 

「……ああ……あの子は、両親と共にアリアハンからこの村に向かう途中で魔物に襲われてね。母親が傷だらけになりながら、あの子をこの村まで連れて来たんだ」

 

「……では、ご両親は……」

 

 何か思う所のあったサラは、続け様に問いかけを投げかける。一つ息を吐き出した主人は、サラの方に顔を向ける事なく、テーブルの端を見つめながら、その痛ましい過去を語り出した。

 

「父親は、妻と子を逃がすために死んだようだ。母親の方も、番所の兵士にあの子を預けると、そのまま息を引き取ったそうだ……」

 

「……」

 

 自分と全く同じような過去を持つ子供がいる事に、サラは言葉を失う。

 サラはその子供とは逆に、<レーベの村>からアリアハンに向かう途中で魔物に襲われた。

 三者三様の想いを感じていると、先ほど閉まった戸が再び開く音が食堂に響いた。

 そこから、先ほど入っていった宿屋の妻と一緒に四、五歳の少年が食卓に向かって歩いて来る。主人が言った通り、その姿は暗く物思いに沈んだ表情をし、心を閉ざしている様子だった。

 

「さあさあ、こっちに座って。今日はお客様と一緒に食べさせて頂くから、いつもより賑やかよ。ごめんなさいね、お待たせしてしまって」

 

 宿屋の妻に導かれるまま席に着いた少年は、食卓に並ぶ料理を見る訳でもなく、自分の手元を見詰めたまま動かない。

 宿屋夫婦はそんな少年の姿を沈痛な面持ちで見ていた。

 

「……もういいか?」

 

 食卓に着く全員が言葉を発することさえもできない空気が広がる中、唯一人関心を示していなかったカミュが、その場の空気にすら何の関心も示さずに、食事をとる許可を求めた。

 

「え、ええ、そうですね。いただきましょう」

 

 その言葉を皮切りに食事が始まった。

 例の如く、スープから口にしたカミュは、おそらく、リーシャやサラにしか気がつかない程の満足そうな、小さな小さな表情の変化を起こし、他の料理へと移って行く。

 

「カミュ、前から言おうと思っていたが、食事の前の祈りをお前に言うのは無駄だろうが、食事を作ってくれた人に対しての礼儀はしっかりとしろ」

 

 料理を、掻き込むように口に入れるカミュを見て、ため息交じりにリーシャがその姿を窘める。サラは、そのリーシャの言葉に少なからず驚いた。

 カミュが、『精霊ルビス』への祈りを行わない事を容認したような発言をしたのだ。

 サラにとって、『今日の糧が自分にあるのも、ルビス様の加護の賜物』という教えを受け、それを本心から信じている。カミュが祈りを行わない事を本当は快く思ってはいないが、それを言い出す事は出来なかったのだ。

 

「……ん?……ああ、そうだったな……すまない。頂いています」

 

「ぷっ!」

 

 リーシャの言葉に素直に従ったカミュが発した言葉はどこか間の抜けたような言葉で、リーシャとサラは唖然としてしまったが、カミュの普段を知らない宿屋一家は総じて吹き出してしまった。

 意図的ではない趣向により、食堂が和やかな雰囲気に包まれる。

 その証拠に、先程まで料理の美味しさに多少表情が緩んでいたように見えたカミュの顔が、憮然とした物に変わっていた。

 

『何故、カミュはリーシャの言葉は比較的素直に聞くのか?』

 

 和やかな笑いの中、サラはふと疑問に思った。

 カミュはリーシャの前だと、表情の変化を見せることが多い。

 皮肉気な笑みや、怒り表情に、からかいの笑みや不機嫌な顔。

 日常的な事でのリーシャの注意には、素直に従う事も多々ある。

 

『何故?』

『カミュは、リーシャに一目惚れでもしたのか?』

『自分が知らない間に、二人の中で何か進展があったのか?』

 

 サラは、自分の考えがただの勘違いではないように感じ始める。いつの間にか、カミュの事を考えていた筈が、リーシャまでをも巻き込み、二人の間の在らぬ関係まで想像を膨らませていた。

 たった、一週間やそこらで、あれだけいがみ合っていた者同士が、恋仲になどなる訳がない。

 サラの盛大な勘違いは、後々二人の逆鱗に触れる事になるが、それはまた別の話。

 

 食堂に来た時は、料理に手をつけようとしなかった少年でさえ、ゆっくりではあるが、料理を口に運び始めている。 

 そんな様子を、宿屋夫婦が優しい眼差しで見ている。

 その家族の優しさを、サラは若干羨ましく見ていた。

 

「そう言えば、お客様の事をお聞きするなどは大変失礼なのですが、お客様方の旅の目的は何なのですか?……商団の護衛という訳でもなさそうですし……」

 

 主人は、いつものような砕けた調子の言葉ではなく、宿屋と客という部分に遠慮をした様子で、カミュとリーシャのどちらともつかない方へ問いかけた。

 これには妻の方も同じ疑問を持っていたのか、子供へと向けていた視線を上げ、興味を示す。

 リーシャは、一度カミュとサラを見てみるが、カミュは食事を続けていて、リーシャの視線に気が付いていない様子であり、リーシャはサラに一つ頷くと、主人の問いに答えるため咳払いをした。

 その様子が若干滑稽であった事が、サラの顔に笑みを浮かばせた。

 

「私達は、魔王討伐の命を国王様から受けて旅を始めた。こっちは、英雄オルテガ殿の息子のカミュ。こっちはアリアハン教会に属する僧侶のサラ。そして、私は宮廷騎士のリーシャという」

 

 リーシャが語る言葉が進めば進む程、宿屋夫婦の表情から笑顔が消えて行き、その顔色が青を通り越して土色に変わって行った。

 少し自慢気に語るリーシャに微笑んでいたサラも、夫婦の変化に気付き、首を傾げてしまう。

 

「も、申し訳ございません! 貴族様とは知らずにとんだご無礼を! ましてや、食事の席に同席してしまうなど…………お許しください!」

 

 リーシャの言葉が終わった途端、夫婦揃って、椅子を立ち、その場で膝を折り平伏してしまった。

 サラは宿屋夫婦の変貌ぶりに驚いたが、カミュはその様子を冷ややかに見た後、リーシャへと批難の視線を向ける。当のリーシャはその状況が理解できず、ましてや何故自分が批難の視線を受けるのかも理解出来ていなかった。

 

「い、いや、顔を上げてくれ。そんな気はないんだ。それに、共に食事をする事を提案したのは私なんだ。許す許さないの問題ではない」

 

 何とか絞り出したリーシャの言葉は本心であったろうが、宿屋夫婦は床に平伏したきり動こうとしない。

 サラも呆然とした状態からは立ち直りはしたが、今の状況に戸惑い、何をすれば良いのか答えが出せず、おろおろとするのみであった。

 そんな中、口に入れた物を飲み込み、溜息を吐きながら無関心を通していたカミュが口を開いた。

 

「貴族とは言っても、貴方方を罰する程の権力を有さない没落貴族だ。俺に至っては、貴方方と同じ様な、アリアハン城下町の外れに住む平民の出。こっちの僧侶に関しては、元を辿れば孤児でしかない。貴方方が恐れるような存在ではない。席に戻ってくれ。今、話した通り、貴方方と共に食事をする事を望んだのはこちら。できれば、前の時のように食事を続けたいのだが……」

 

 没落貴族と言われた時、リーシャの額に筋が立ったようにサラには見えたが、カミュの口調の中に、本当にこの宿屋夫婦を気遣う物を感じたのであろう。リーシャはカミュの話に口を挟まず、黙って聞いていた。

 

「……は、はい……」

 

 ようやく顔を上げた夫婦の表情は、食事を始める前の自然の笑顔とは似ても似つかない、堅く引き攣った物であった。

 その表情にリーシャは遣る瀬無い思いになり、サラは改めて貴族と平民との垣根の高さを実感した。ただ、この場にいた者の中で、一人だけは違っていたのだ。

 

「お兄ちゃん達は、『魔王』を倒しに行くの?……これから、魔物とたくさん戦うの?」

 

「こ、これ!」

 

 今まで口を開く事が全くなかった少年が不意に言葉を発した事に、食堂にいる全ての人間の視線が少年に集まった。

 主人は、今までのやり取りで一息ついた途端の義息子の一言に、大いに慌てる事となる。しかし、少年の視線は、三人の中心にいる『勇者』だけに向けられていた。

 

「ああ、そうだな。『魔王』を倒す為には、ここから先、数多くの魔物と戦う事になるだろうな」

 

 少年を見つめながらも口を開こうとしないカミュに代わって、リーシャが少年へ返答する。そのリーシャの答えに、今まで心痛な面持ちで食事をしていた少年の顔に変化が現れた。

 手に持っていたスプーンをテーブルに置いた少年は、答えたリーシャに対してではなく、黙って自分を見つめる一人の青年に向かって口を開く。

 

「じゃあ……いっぱい、いっぱい魔物を倒してね! あいつらは……僕のパパとママを……うっ…うっ……」

 

 少年の胸の内を明かされ、先程の余韻が残る食堂内は、更に重苦しい雰囲気に飲まれて行く。

 両親が自分の目の前で死んで逝くのを見て、心に傷がつかない人間などいない。

 同じような境遇を持つサラには、その心が痛い程わかった。

 幼い少年の悔しさと歯痒さをぶつけられ、リーシャも決意を新たにする。唯一人、カミュだけは食事の手を止め、表情を失くしたまま、少年を見ていた。

 

「約束します。貴方に代わって、魔物達に正義の鉄槌を下す事を……そして、『魔王』を倒して、平和な日々を取り戻す事を……」

 

 最初に口を開いたのはサラであった。

 少年を真っ直ぐに見詰め、胸に手を置き、少年の願いを受け止めるように頷く。チラリと視線をサラへと動かした少年は、表情を変化させずに頷きを返す。

 流れる涙を腕で拭い、顔を上げた少年の顔を、リーシャは優しく眺めるが、ふと隣に座るカミュの手が止まっている事に嫌な予感が発動し、視線を向け、頭を抱えたくなった。

 そこには、あの表情を失くしたカミュが、サラと少年のやり取りを見ていたのだ。

 

 『まさか、ここで以前の宿営地でのような話をするつもりなのか!?』

 

 リーシャは、『少年に向かって、あのような事は言わないだろう』という思いはあるが、自信がない。

 少年の返事に、先程まで土色だった宿屋夫婦の顔色もようやく戻って来たというのに、再び重苦しい雰囲気になる事を望む者はいないのだ。

 リーシャは僅かな望みをカミュに託すしかなかった。

 『余計なことは言うな』と。

 そんな、リーシャの懇願を余所に、満を持してカミュの口が開かれた。

 

「……確かに、魔物を倒して行くのは俺の役目だ……だが、お前にはお前の役目がある。お前には、幸いにも引き取ってくれた夫婦がいる筈だ。産みの親を忘れろとは言わない。だが、これからは、今お前の両隣で、お前を心から心配している二人を護るために強くなれ。それは、魔物に対してだけではなく、貴族等にも対抗できる力もだ」

 

 リーシャはカミュが発する言葉が頭に入ってきたが、あまりにも予想外な為、理解が追い付かない。

 必然的に呆然とカミュを見つめる事になる。

 それはサラに至っても同様であった。

 

「……ち…から……?」

 

 ただ、少年一人だけは、カミュの言葉をしっかりと聞いていた。

 彼のような年の子供にとって、剣を取り、魔物へと向かっていくカミュのような青年は、憧れの対象となり得る者なのだ。

 

「……ああ……この世の中、俺の隣で呆けた顔をしているような、抜けた貴族ばかりではない。そういう者達から、お前の周りの人間を護る力だ」

 

「なっ!!」

 

 突然自分に振られた事に驚いたリーシャであるが、カミュが自分に向けて発した言葉は、明らかな侮辱とは取り辛い物であった。

 カミュは、貴族が平民を虐げている事実を言っているのだ。

 その貴族達の中に、リーシャを含めてはいない事を暗に示しているとも言える。

 『抜けた貴族』という部分に怒りが込み上げるが、それが発散できない歯痒さをリーシャは噛み締める事となった。

 

「お前という個人を、そして自分という存在を、しっかりと見てくれる人間がいるという事は、本当に幸せな事だ」

 

「……うん……」

 

 サラに返した頷きとは違い、少年は自らで思考しながらカミュへと頷きを返している。

 それは、カミュの語る内容を理解できなくとも、聞き洩らすまいとする心の表れ。 

 カミュも少年に向かって一つ頷いた後、もう一度口を開いた。

 

「お前には、二人の父と二人の母がいる。すぐにその幸せを感じろとも言わない。何れそれが理解できる時が来る。その時に、自分の周りの人間を護れる力を持て」

 

「……うん……」

 

 静寂が支配する食堂にカミュの言葉だけが静かに響く。

 大きな声でもない、強い声でもない、どちらかと言えば呟くような声で淡々と話すカミュの言葉が、食堂にいる全ての人間の心を飲み込んでいた。

 

「……カミュ……」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュが、少年を労わるように、そして導くように話す姿を見て、サラは呆然としていた。

 『これは、暗に自分の魔物への復讐という考えを否定しているのでは』とも考えたが、カミュの瞳は純粋に少年だけを映している事が、そうではない事を示している。

 サラは益々、この『勇者』という存在が解らなくなって行く。

 教会の教えを無視し、『精霊ルビス』を侮辱し、意にも解さないと思えば、哀しみと苦しみに苛まれている少年を導くような言葉を発する。

 どれが彼の本性なのか。

 彼の考えの根底にある物は何なのか。

 それが、サラには解らない。

 

「……お前が持つ、周りの人間を護る力がどのような物なのかは分からない。それはおそらく、お前がこれから先、生きて行く中で見つけるのだろう。お前には、数多くの選択肢が残っている筈だ」

 

「……せん…たく…し……?」

 

 カミュと少年以外の人間を置き去りにして、二人の会話は進んで行く。

 この食堂は、今は二人だけの世界となっていた。

 そこに他者が入り込む余地などはなく、ましてやその権利もあり得ない。カミュの言葉に異論を唱える事は許されず、少年の思考を止める事も許されはしないのだ。

 

「……ああ……今のように塞ぎ込んだまま、横にいる二人を悲しませ続ける事を選ぶのも、お前を護る為に死んで逝った両親の為にも、前を向いて生きる事を選ぶのもお前だ。そして、前を向くと決めたお前の目指す先を決めるのもな。その目指す先は、何も一つだけではない。ゆっくりと考えて、見つけて行けば良いさ」

 

「……うん……」

 

 少年はカミュに引き寄せられるように、一言一句を聞いている。その隣にいる宿屋夫婦は何時の間にか涙していた。

 リーシャは、そんなカミュを眩しく見上げる。彼の過去の一部しか知らないリーシャは、自分が思っている以上に過酷で哀しい過去を、この『勇者』が持っている事を改めて感じる事となった。

 

「……ご馳走さま……」

 

 言う事はもうないとばかりに、少年から視線を外し、スープの残りを飲み干した後、カミュは席を立った。

 残された人間がカミュを呆然と見守る中、少年の瞳だけがカミュの背中を追って行く。

 

「……お兄ちゃんも……頑張って魔王を倒してね……」

 

 食堂を出ていくカミュの背中に少年は声をかける。その声に、カミュは一度立ち止まるが、応える事も振り向く事もせず、そのまま食堂を出て行った。

 カミュが出ていった食堂は、先程と同じような静寂が支配していたが、それは重苦しい物ではなく、どちらかと言えば戸惑いに近い空気であった。

 誰もが胸に何かを宿し、その想いは決して不快な物ではない。

 

「…………」

 

 カミュと会話をしていた少年の目は、先程まで悲嘆に暮れていた物ではなかった。

 未だに、カミュの話していた内容の八割以上を理解できてはいなかったが、それでも塞ぎ込んでいた心の扉の鍵は開いている。

 後は、その扉を押し開く能力を、少年が持つだけなのであろう。

 

 再度食事を始める少年の様子を、宿屋夫婦は涙で滲んだ視界で捉え、更に涙する。

 リーシャは、ようやく新たな親子としてのスタート地点に立った三人を、優しい瞳で見つめながらも、この空間を作り出した一人の青年に思いを馳せた。

 彼を、英雄オルテガの息子とは認められなかった。

 彼の考え、行動を見ていて、どうしても許せない物も数多くあった。

 しかし何度か、周りへの気遣いや優しさを感じさせる事があったのも事実なのである。 

 

 今も、一人の少年を導いて行った。

 『人』一人の悲しみや苦しみを理解し、そしてその道を示す事など、誰でも出来る事ではない。

 もし、リーシャが同じ事を少年に話したとしても、それを素直に受け止めてくれたかどうかは、正直分からない。それは、『魔王討伐』に向かう『勇者』への憧れが、少年の胸の内にあったという理由もあるかもしれないが、それでも、あれ程心に浸透させる事は他の人間には無理であろう。

 それが、英雄と云われる人間達が持つ、不思議な魅力なのかもしれない。リーシャはそう考え始めていた。

 

 

 

「リーシャさん……カミュ様は、どのような人なのでしょうか……?」

 

 部屋に戻り、寝巻きに着替えながら、サラがリーシャに呟き出す。あれから、食事が終わり、この部屋に入って来る今まで、サラは一言も言葉を発する事はなく、何かを思いつめているような様子であった。

 

「……私にも解らない……ただ……一つ言えるとすれば、アイツは、私達が考えているような幼年時代は送っていないのだろうな……」

 

 リーシャとしてもそう答えるしかなかった。

 カミュから、以前に聞いた話はある。だが、リーシャはその話を、自分の口からサラに言う事はしなかった。

 それは、カミュが語る事だと思っていたのだ。

 サラとカミュの確執は深い。根底にある考え方が真逆に近い。それは、いくら話しても平行線を辿るだけで、もしかすると、『魔王バラモス』を倒したとしても、交わる事はないのかもしれない。

 

「……そうですね……私は正直、カミュ様という『人』が解りません。カミュ様がどんな想いを持ってこの旅に出ているのかも……」

 

「……ああ……」

 

 リーシャには、相槌を打つ以外出来なかった。

 『僧侶』としての教育を施されて来たサラにとって、カミュの考え方や行動が理解できる訳がない事を、リーシャも理解している。しかし、リーシャの胸の中には、先程の食堂での出来事が引っ掛かっていたのだ。

 

「カミュ様は、ルビス様を蔑にされるような方です。私におっしゃっていた事は、今でも私は理解出来ませんし、納得も出来ません……」

 

「……」

 

 サラは、上半身が裸のまま、寝巻きの上着を手に持ち、うわ言のように呟く。年齢の割に膨らみ切れてはいない胸が露わになっている事にも気が付いていないようだ。

 最も、見ているのは、同性のリーシャだけなのだから、気にする事はないのだが。

 

「……私は……ルビス様を蔑にし、魔物を擁護しようとするカミュ様のお考えを許す事は出来ません。魔物は私達の生活を脅かす罪悪です。その考えは、今も変わりません。ですから、私は『魔王討伐』の旅に同道させて頂いています。私が本来進む事の出来た幸せを奪った魔物達に復讐する為に……」

 

「……そうか……」

 

 サラの上着を持つ手に力が籠る。もはやあの上着は、皺で酷い事になっている事だろう。

 だが、サラが初めて自分から『復讐』という単語を口にした事に、リーシャは何故か気持ちが沈んでしまった。

 

「……でも……あの子は、私が魔物を倒す約束をした時も、あのような顔をしてくれませんでした……カミュ様は、あの子の魔物に対する憎悪や、両親を失った悲しみや苦しみを否定する事はありませんでした……それでも、あの子は……魔物への想いは消えなくとも……復讐を考える事はないのかもしれません……」

 

「……」

 

 リーシャは何も語らず、只サラの話す言葉を聞き続ける。

 暫しの沈黙が流れた。

 無理に先を促そうとはせず、サラの胸の中に残る物が自然と吐き出されるのを待つように、リーシャは彼女の瞳を見つめ続ける。

 

「……私は…私は……カミュ様が……あの子に話した言葉を…否定する事が出来ません……」

 

 最後には、持っている上着にサラは顔を埋めてしまった。

 そこで、リーシャはサラが何を話したがっているのかが、ようやく理解できた。

 サラは恐れているのだ。

 自分の考えが変わって行ってしまう事を。

 そして、自分の誓った想いが揺らいでしまう事を。

 

 サラの中で、両親を殺した魔物達への憎悪が消える訳ではない。ただ、自分がその想いによって歩んで来た事が間違いとまでは言わないが、他の道があったのではないかという考えが浮かんで来ているのであろう。

 あの少年が、前を向いて歩き出そうとしているのは、カミュという存在が大きい事は間違いがない。

 それに比べ、『自分は後ろ向きに進んでいるのではないか?』。

 カミュの言っていた、両親の代わりに育ててくれた人間に当たる『アリアハン教会の神父を蔑にしてしまっているのではないか?』と。

 

「……今はそれで良いのではないか?……何も、サラの目的が変わる訳ではないだろ?」

 

 リーシャの言葉に顔を上げないまま、サラは頷き返す。上着に埋めたサラの顔は小刻みに震え、自身の不安を吐き出している事が窺えた。

 彼女は今、自身の中に生まれ始めた、理解不能な『想い』の中、恐怖に震えているのだ。

 

『自分を含め、まだまだ視野が狭い』

 

 それが、リーシャがここ数日で感じた事実だった。

 サラは勿論、カミュに至ってもこのアリアハンから出た事はない。

 故に、自分達の世界は、この小さなアリアハン大陸だけなのだ。

 色々な出来事に対し、良い事なのか悪い事なのかの判断が、その狭い視野の中でしか出来てはいない。

 今は『自分の価値観について考える』という事だけで十分ではないだろうかと、サラの話を聞きながらリーシャは考えていた。

 

「さぁ、もう寝よう。明日は、アリアハンから出る為の準備だ。いつまでも裸のままでは、風邪を引いてしまい、ここまでの苦労が無駄になってしまうぞ」

 

「??……あっ!」

 

 リーシャの言葉を聞き、自分がまだ着替え途中で、しかも上半身が完全に裸のままであるという事にサラは気づき、慌てて寝巻きに着替える。

 その姿は、握りしめ過ぎた上着のせいで、皺だらけのみすぼらしい物になっていた。

 

「…ふっ…ふっ……あはははは! サラ、その寝巻き、皺だらけだぞ! いくらなんでも握りしめ過ぎだ! あはははは!」

 

「……うぅぅ……」

 

 今までの重苦しい雰囲気をぶち壊しにしたリーシャの笑いと、自分の間の抜けた姿を恨めしそうに見詰めた後、サラは無言でベッドの中に入って行った。

 サラがベッドに入るのを確認し、笑いを徐々に納めていったリーシャもまた、ベッドへ入り込む。

 部屋を照らしていたランプの明かりも消え、部屋全体を静寂と闇が支配した。

 

「……サラ……誰しも同じだ。朝からの様々な出来事や話が全て正しいのかは、正直私にも解らない。だが、この世の中には私達の知らない事が山程あるんだ。ならば、知っていけば良い。これから進む道は長く、サラは若い。色々な事を知り、考え、そして答えを出せば良い。焦る必要はないさ」

 

 暗い部屋に響く、リーシャの独り言のような呟きは、隣のベッドに入っているサラの耳にもしっかりと届いていた。

 

「……はい……」

 

 サラの返答を最後に二人の会話は途切れ、暫くすると、リーシャの静かな寝息が聞こえて来る。その寝息を聞きながら、サラはベッドの中で、自分が眠りに落ちるまでの間、自身の胸の中に生まれた『想い』について考え続けていた。

 

 

 

 翌朝、宿屋一家に見送られて宿屋を出た三人は、泉の畔にある家に向かって歩き出した。

 宿屋夫婦に手を引かれ、見送りに出て来てくれた少年を見るサラの表情は、どこか優れない物であったが、自分達の素性を知り、深々と頭を下げている夫婦に、余計な気を遣わせない様に笑顔を作っている。

 つい二日前に訪れた家の戸の前に立つ頃には、サラは勿論、リーシャの表情までもが沈痛な物に変わっていた。

 塔での話を思い出しているのであろう。

 

『例えそれが事実だとしても、どう伝えれば良いのであろう』

『この家に住む老人は、事の全てを知っているのだろうか?』

 

 様々な考えが、浮かんでは消え、二人を悩ましているのだった。

 そんな二人の想いを余所に、カミュは再びその重い扉をノックする。その重苦しい音は、二人の身体を緊張という感情で包み込んで行った。

 暫くして、遠慮がちに空いた扉の隙間から、先日と同じように覗く瞳が見えた。

 その瞳が宿す感情を理解してしまったリーシャ達は、暗がりに光る瞳に怯み、声を出す事が出来ない。カミュという壁が、彼女達の前にあるが故に立っている事は出来たが、もし、前面に立つ事になっていたとしたら、その場に座り込んでいたかもしれなかった。

 

「……また、アンタ達か……話す事など何もないと言ったはずだ!」

 

 これまた先日と同じように、こちらの話を聞く気もないとばかりに扉を閉め、鍵まで掛けられてしまう。三人は大きな溜息を同時に吐くが、その溜息が示すものは、カミュと他の二人では違った物であった。 

 

「……仕方ない……出来る事ならば、使いたくはなかったが……」

 

 カミュは腰につけた革袋から、塔の老人に託された鍵を取り出し、そのまま扉の鍵穴に差し込んだ。

 サラは、差し込む瞬間に何かを呻いたが、鍵を手にしたカミュの手は止まる事はなく、差し込まれた鍵はゆっくりと回される。

 『カチャリ』という乾いた音を立て、まるでその扉の鍵を差し込んだ時と同じように鍵は開けられた。鍵を革袋の中に戻し、ドアノブに手をかけたカミュは扉を押し開く。開かれた扉の先には、広い広間が広がっていた。

 

「……いくぞ……」

 

 カミュの言葉を聞いても、乗り気になってはいない二人は、ゆっくりとカミュの後ろに続いて行く。勝手に鍵を開けて他人の家に入っていく罪悪感が、リーシャとサラの胸に湧き上がっていた。

 入った広間はかなりの広さを持ち、中央にはこれまた大きな囲炉裏のような物があった。

 囲炉裏には大きな壺とも鍋とも言えない物が火に掛けられており、何かを煮詰めているのか、湯気が立っている。

 鍛冶をしていた人間がいなくなって幾年か経った為なのか、鍛冶に使用する道具らしき物はあるが、埃をかぶり錆だらけの状態でころがっていた。

 

「……上か?……カミュ、どうするんだ?」

 

 広間に先程の老人が見当たらない事から、階段を目に留めたリーシャがカミュへと尋ねる。

 カミュはそれに返答はせず、無言で階段に向かって行った。

 必然的に、リーシャとサラもそれに続く事となる。

 

「ワン! ワン! ウゥゥゥゥゥ……」

 

 二階に上がってすぐに、カミュ達は犬の襲来を受ける事となる。

 突然走り寄り吠え出した声に、サラは危うく階段を踏み外しそうになり、リーシャに腕を掴まれた。

 

「なんじゃ、お前達! どうやって入ってきた! わしは鍵をかけた筈じゃ!」

 

 吠え出した犬の鳴き声に、カミュ達の存在に気がついた老人は、今まで手にしていた紙を机に置き、犬の下に歩いて来る。カミュも、それ以上中へ入る事はなく、姿勢を正し、老人が歩み寄って来るのを待った。

 

「……申し訳ありません……『ナジミの塔』にいらっしゃったご兄弟から、手紙とこの鍵をお預かりしました。お渡ししようとお伺いしたのですが、話をする前に扉を閉められてしまいましたので、失礼とは存じながら、この鍵を使用させて頂きました」

 

 かなりの剣幕で詰め寄ってくる老人に、動じた様子もなくカミュは淡々と言葉を繋ぐ。犬に引き続き、凄まじい剣幕で怒鳴る老人に、サラはリーシャの後ろに隠れてしまっていた。

 

「……兄弟だと!?……それに、それは……あの子の鍵……」

 

 <盗賊の鍵>を目にした老人は、纏う怒気を鎮め、カミュが取り出した手紙を受け取った。

 そのまま、未だにカミュ達に敵意を向けている犬の頭を撫で、先ほど座っていた椅子へと腰を下ろす。そんな主人の様子に、犬も唸るのを止め、老人の足元に丸まるように腰を落ち着けた。

 

「……掛けなされ……」

 

 手紙の封を切りながら、老人は自分の前の席に座るようにカミュ達を促す。促されるまま、三人は老人と対峙するように座った。

 サラは犬に対し、多少警戒しながら座ったが、もはやこちらに犬が関心を示す事は、老人に敵対心を持たぬ限りあり得ない事であろう。

 老人が手紙を読む間、三人は言葉を発する事なく、ただ静かに読み終わるのを待った。

 老人はゆっくりとまるで噛み締めるように一文一文を読んで行く。読んでいた手紙を机に置き、老人が溜息を吐いたのは、結構な時間が経ってからであった。

 

「……済まなかったの……お主達にそれほどの使命があったとは知らなんだ。大陸を出るには、他大陸とを結ぶ『旅の扉』へと続く道を塞いでいる壁を取り払わなければならぬ。これを持って行け」

 

 老人は一度立ち上がり、カミュ達に軽く頭を下げた後、机の引き出しから何かを取り出し、カミュへと手渡した。

 差し出された物を受け取ったカミュは、その不思議な物体を疑問に思う。

 

「……これは……?」

 

「それは、『魔法の玉』じゃ。わしが作った物じゃが……それを壁に取り付けて、その紐の部分に火をつければ壁を壊せるじゃろう……うむ……火を付けたのならば、壁から距離を取る事を忘れるな。近づけば、怪我をする」

 

 老人が机の中から取り出し、カミュが手渡された物は、丸い毬程の大きさの球だった。

 毬よりも重量感があり、更にその球体のある個所から一本紐のような物が飛び出ている。老人が言う点火する部分がここなのであろう。

 

「ありがとうございます」

 

 球を受け取ったカミュは、老人へと頭を下げる。それに倣うように、リーシャとサラも軽く頭を下げた。

 『ナジミの塔』に居た老人が、どのような手紙を記したのかは解らないが、それは決してカミュ達を悪く言う物ではなかったのだろう。

 

「……良いのじゃ……それで、兄は……?」

 

「……」

 

 兄の安否を気に掛ける老人に対し、三人は言葉に詰まった。

 手紙の中には書いていなかったのだろう。カミュ達が去る時の状況を考えれば、あの老人の余命も幾許もなかった筈だ。

 それは、目の前にいる弟との永遠の別れを意味していた。

 

「……」

 

 そんな老人の目をしっかりと見据えてカミュが二、三度首を横に振る。その様子を落胆した様子もなく老人は見ていた。

 手紙には書いてはいなくとも、おそらく覚悟はしていたのだろう。

 

「……そうか……これで、わしは完全に天涯孤独となってしまったのう……お主達は兄の事を知っておったのか……?」

 

 老人の問いかけに、リーシャもサラも返答に窮した。

 『ナジミの塔』に居た老人の境遇は、リーシャの属するアリアハン国家の恥であり、暗部である。それを知っていて尚、この場を訪れるという行為を糾弾されたとしたら、リーシャもサラも返す言葉がないのだ。

 

「……はい……塔の中で色々とお聞きしました」

 

「……そうか……兄も報われぬ人生であったが……わしも兄も、最後にお主らのような若い希望の力になれた。もうそれで良かろう……」

 

 老人の独白に、サラはもう老人の目を見ていられなくなってしまった。

 彼らが悪い事など何一つなかったのかもしれない。国や教会の罪人として括られてはいるが、それが全て正しい事ではないという事実を、理解しなければならないのだろう。そして、サラはまた悩むのであった。

 

「……嫁や孫も帰ってこぬ……兄がそのような状況であれば、二人も既に生きてはなかろう」

 

「!!!」

 

 老人が発した一言にリーシャとカミュは目を見開き、サラは弾かれたように顔を上げる。まさか、バコタの家族の安否を知らなかったとは思わなかったのだ。

 その衝撃の事実に、サラは思わず口を開いてしまう。

 

「……知らなかったのですか?」

 

「……うむ……この子がな……あの子の手紙を持って来てくれたのじゃよ。傷だらけになりながらもな……手紙には『妻子の身柄の保護を頼む』と書いてあったのじゃが……帰って来たのはこの子だけじゃった」

 

 老人が知らなかったとは思っていなかったサラは反射的に問いかけて、返って来た返答にまた気持ちが沈んで行く。バコタは自分自身が投獄された後の事を、この父親に託していたのだ。

 だが、その望みは、アリアハン国家に属する兵士達によって潰されてしまった。

 

「……お主達は……知っておるのか?」

 

「……いえ……その……」

 

 サラには答える事は出来ない。

 あの塔の老人の言う事が全て事実だとすれば、これ程に酷な事はない。

 今は優しげな瞳をした老人の胸に、再び憎悪の炎を灯してしまう事になる可能性をサラは恐れた。

 リーシャも老人の真っ直ぐな問いかけに、言葉を窮している。

 

「奥様とお子様は、『ナジミの塔』から<レーベ>へ抜ける洞窟で、魔物に襲われ命を落としていました。その犬に手紙を託したのでしょう」

 

「ワン! ワン!」

 

 カミュが答えた言葉は、リーシャとサラの予想する言葉ではなかった。

 『嘘』

 それは、アリアハンが犯した罪を覆い隠す嘘。

 『何故?』

 リーシャとサラの胸に、カミュに対する疑問が浮かび上がる。今まで、老人の足元で静かに眠っていた犬でさえ、まるで嘘を言うなとばかりにカミュに吠えかかった。

 

「……そうじゃったか……あの子達には、少しも良い思いをさせてやれなかった……」

 

「ワン! ワン!」

 

 未だにカミュに吠えかかる犬を見つめながら、リーシャは遣り切れない気持ちに苛まれた。

 『アリアハン国に仕える者として、何を言えば良いのか?』

 『謝罪をするべきなのか』と。

 

「あ……」

 

 リーシャが老人に声をかけようとした時、その眼前にカミュの手が挙がった。

 まるで『言うな』とでも言うように。リーシャにも解っていたのだ。

 『今、自分が謝罪の言葉を述べて何になるのか』、『老人の気持ちを軽くするどころか、傷を更に抉ることになるのではないか』。

 そんな考えが回った結果、リーシャは口を噤み、押し黙ってしまう。

 

「……おぉ……すまんの。引き止めてしまったようじゃ……お主達の旅は長い……これから色々な困難にもぶつかるじゃろう……時間はいくらあっても足りない程じゃ。こんな老人の話に付き合わせる訳にはいかん。ほれ、もう行くが良い」

 

「……」

 

 未だに吠え続ける犬の頭を撫でつけながら口にした老人の言葉に、リーシャとサラの二人は、更に押し黙ってしまう。

 サラは、この兄弟の心の強さに言葉を失っていた。

 苦境に立たされ、数十年もの間辛い生活を送って来た者達にも拘わらず、カミュ達を思い遣る事の出来る『強さ』は、サラの心の中に新たな風を送り込んでいた。

 

「……ありがとうございます……では、この<魔法の玉>を頂いて行きます」

 

「……うむ……」

 

 最初に扉の前で出会った時とは違い、老人は優しげな微笑みで、カミュ達を送り出そうとする。

 その笑顔が、サラに再び口を開かせた。

 それは、『ナジミの塔』で口にした言葉であった。

 

「……あの、一緒に……」

 

「サラ!!」

 

 そのサラの提案を予測していたのであろう。リーシャがサラの言葉を途中で遮った。

 リーシャは、この老人の胸中にある想いを理解していたのだ。

 その想いの重さと厳しさを理解しているからこそ、それを『覚悟』として受け止める事が出来る。

 それは『諦め』なのかもしれない。

 それでも、それを受け入れる以外に他はない事を、リーシャは知っていた。

 

「……ありがとう、お嬢さん……じゃが、兄があの塔を出ずに最期を迎えたように、わしも生まれ育ったこの村で死を迎えたいのじゃ……」

 

「……あ…あ……」

 

「サラ、行こう」

 

 兄弟そろって申し出を断られ、その決意を理解しながらも、『何故?』という想いをサラは捨て切れなかった。

 それが、今のサラの限界なのだろう。

 この大人に成り掛けている女性には、圧倒的に経験が少な過ぎるのだ。

 リーシャのように、『人』の覚悟を受け入れる事は出来ない。しかし、俯くサラの肩を抱きながら、『それが、サラの良さなのかもしれない』とリーシャは考えていた。

 

「……では、失礼します……」

 

「……うむ……わしが言うのも可笑しいが、世の中には色々な『想い』が渦巻いている。それに飲み込まれぬよう、しっかり自分の道を歩みなされ」

 

 老人に向かい一つ頷いた後、頭を下げたカミュも階段の方へ向かって行く。既に、リーシャはサラを伴って階段付近まで移動していた。

 しかし、そんな一行の進路を阻む者が現れる事となる。

 

「ワン! ワン! ワン!」

 

 カミュ達が階段に辿り着くと、噛みつかんばかりの勢いで、先程の犬が飛びかかって来た。

 サラはリーシャの後ろに隠れるが、犬の目的はカミュのようであり、その足下に移動して来た犬は、カミュの顔を見上げながら、力の限り吠え続ける。その犬の様子に驚いていたのは、この家の主である老人だけであった。

 

「どうしたのじゃ?……いつもはこのような事はないのにの……」

 

 老人は、飼い犬の予想外の行動を不思議に見つめるが、三人にはその犬の行動の理由が理解出来ていた。

 吠える事を中断した犬は、カミュのマントの裾を口で掴み、椅子の方へ引っ張って行こうとする。

 まるで、『もう一度座り、話をしろ!』とでも言うように。

 カミュはその様子を、無表情に見つめていたが、やがて座り込み、優しく犬の頭を撫で始めた。

 

「……すまない……許してくれ……」

 

 カミュは犬の頭を優しく撫でながら、犬と目線を合わせ語りかける。

 この家に一人暮らす老人に真実を伝えられない事への謝罪を。

 そして、この犬の無念を晴らす事の出来ない事への謝罪を。

 

 カミュの後ろ姿を見たサラは、視線を落とす。

 リーシャは、サラが泣き出してしまう前にその場を立つ事にし、『先に行く』と告げた後、サラを伴い階段を降りて行った。

 

「クゥン……」

 

 暫くはカミュの目を見つめていた犬であったが、諦めにも似た鳴き声を漏らし、首を下げて老人の下へ戻って行った。

 その泣き声に、どれ程の罵声が織り交ざっている事だろう。

 もし、彼が飼い主の惨殺される現場を見ていたのならば、その事を伝える事が出来ない不甲斐無さをどれ程悔やんでいるのだろう。

 そして、それを伝える事の出来る筈の人間が真実を話さない事にどれ程の憤りを感じているのだろう。

 カミュは無表情のまま、離れていく犬の後ろ姿を見つめていた。

 

「ふぉふぉ。どうやら、久しぶりに若い人達に会い、寂しくなったようじゃな」

 

「……では……」

 

 犬の心情を図る術を知らない老人に言葉を返す事なく、カミュはもう一度頭を下げると、老人の送り出す言葉を背に階段を下りて行った。

 

 

 

「……カミュ様……どうして……」

 

 老人の家を出て、しばらく歩いたところで、サラが口を開く。

 『何故嘘をついたのか?』

 それをカミュに問いかけているのだろう。自分の口からはとても真実を話す事は出来なかったのに、嘘を告げたカミュに対し疑問を投げかける。

 事情を知っている人間からすれば、随分と勝手な言い草である。

 

「何もかも事実を知るという事が、何時も幸せに結び付くという訳ではない筈だ」

 

「……」

 

 カミュから返って来た答えに、サラもリーシャも返す言葉がなかった。

 正に今、サラは真実を知ったばかりに思い悩む事となっている。その先にある物が幸せに結びつくか否かは、今のサラには分からないのだ。

 

「……ですが、バコタさんが帰って来た時には、真実を知る事になりますね……」

 

「……いや、それはない……」

 

 今、自分達が伝えなかったとしても、何れ真実は老人の耳に入るとサラは考えていたのだ。

 しかし、そのサラの言葉を否定したのは、カミュではなくリーシャだった。

 サラの後方を歩いていたリーシャは、振り向いたサラの目を真っ直ぐ見つめ、口を引き締めたまま立っている。

 

「……どうしてですか……?」

 

「……それは……」

 

 サラの言葉を反射的に否定はしたが、その理由については言い難そうに口籠るリーシャに、サラは嫌な予感を禁じえなかった。

 そして、その嫌な予感を現実にしたのは、やはりカミュであった。

 

「現状のアリアハンでは、バコタが帰ってくる事はあり得ない」

 

「……どういう事ですか……」

 

 後方に振り向いていた首を戻したサラは、再び疑問を口にする。

 その瞳は不安によって揺れ動き、カミュの瞳を正視する事が出来てはいない。彼が何を口にするのかは解らないが、それが良い物ではないという事に気付いてはいるのだ。

 

「今のアリアハン国では、民達の不満の捌け口が無いからだ」

 

「……え!?」

 

 サラはカミュが話している内容が理解できない。

 『何故、バコタの帰還にアリアハン国民の感情が関係してくるのか?』

 そんな疑問が浮かんでは消え、サラの頭は混乱を強くして行った。

 

「アンタのように、親や子供を魔物に殺された人間の怒りの捌け口は、何処へ向かう?……魔物か?」

 

「……当然です……」

 

 サラは即座に返答する。

 サラ自身が、『憎しみ』という感情を、この世界に生きる魔物全てに向け、『復讐』を胸に抱いているのだ。

 世界中には、サラと同様に、魔物によって親族を亡くしている者達は数多い。その者達の『怒り』や『憎しみ』の矛先は、当然自分と同様に、魔物であるとサラは考えていた。

 

「それは、アンタが魔物に対抗する能力があるからだ。では、能力を持ち合わせていない人間はどうする?……魔物を憎んでも、自分では魔物に向かって行く事の出来ない人間は?」

 

「……それは……」

 

 魔物に家族を襲われ、途方に暮れた人間は数多くいる。その中には、魔物への復讐の念を募らせ、自ら討伐に出る人間もいるが、大多数は泣き寝入りとなってしまうのだ。

 そして、大黒柱である男を失った家族は、生活する事もままならず、路頭に迷う事となる。

 

「その不満の行き着く先は、国家やそれに準ずる施設だ。それ以外にも、国の要人達への不満なども多く上がっているだろう。その為にも、捌け口を国が作る必要がある」

 

「……」

 

 カミュの言葉の意味が、未だにサラには理解できない。そんなサラの様子に、カミュは深い溜息を吐き出した。

 後方で立ち止まっていたリーシャは、そんなサラに近づき、傍に控えている。リーシャには、カミュの話している内容が理解できているのだろう。

 

「まだ解らないか?……自分達よりも境遇が悪い人間がいれば、それに対する優越感が生まれ、一時的にでも不満は発散される。ならば、国がそれに相当する人間を作ってしまえば良い」

 

「……何を…するの…ですか……?」

 

 『聞いてはいけない』

 サラの中で、そんな警告が鳴ってはいたが、サラはカミュに先を促してしまう。それは、茨の道の門を叩く愚かな行為であった事を悔やむ事となるのだが、この常に考え、悩む『僧侶』は、自らその道の門を潜ろうと足を踏み出した。

 

「……公開処刑だ……」

 

 しかし、促した答えを口にしたのは、サラの後ろを歩くリーシャだった。

 サラはリーシャの発した言語の意味を、頭の中で理解するまでに数秒の時間を要する。

 それ程に、衝撃の強い問題であり、教会という閉ざされた空間で生きて来たサラの頭の許容範囲を大きく逸脱してしまう問題だったのだ。

 

「……罪を犯した罪人を、国民皆の前で処刑する……『この人間は、他の人間にとって厄災となった人物であり、魔物と同じだ』とな。それも、バコタ程の大物であれば、処刑までの日取りも早まるだろう」

 

 リーシャを見つめていたサラの後ろから、カミュが先を話し出す。頭の中の混乱に拍車をかけるように、前から後ろから答えが出て来る事に、サラは目眩がしてきた。

 サラの身体を支えるように腕を掴んだリーシャの瞳を、虚ろに見上げたサラの瞳は、大きく揺らいでいる。

 

「……そんな…そんな…こと……」

 

「それは、国を統べる者が考える、国民感情の操作として当たり前の行いだ。簡単に批難出来る物ではない」

 

 縋るようにリーシャを見つめるサラに向かって、カミュが止めの一言を発する。サラのような一介の『僧侶』が疑問を呈して良い問題ではないのだ。

 国家を維持する為、その国に生きる国民の心を護る為、その行事は『必要悪』だとカミュは言っていた。

 

「で……ですが!」

 

「……サラ……それが事実だ。殺人などの罪を犯した人間の処刑は、そのような形で行われる。それはサラも知っていた筈だ。その人間がどういった人間なのか、どういう生い立ちなのかは、国民には関係がない事なんだ」

 

 リーシャも宮廷にいる際に、何度かこの処刑に立ち会った事がある。ただ、その頃は、罪人達の内情など考えもしなかった。

 罪を犯した人間が裁かれる事は、当然とさえ思っていた。

 それはサラも同様である。教えに背く者、国家の罪人となった者、そういう人間が裁かれるのは、自業自得とさえ考えていたのだ。

 

「俺が聞いていた話では、バコタは盗賊であっても、殺しという罪を犯した事は一度たりともない。だが、最近スラムでも事件が起こっていない筈だ。故に、アリアハン大陸一の盗人である『バコタ』という人物を、国を挙げて捕縛したのだろう」

 

「……」

 

「……おそらく、あの老人もそれは解っていたんだろうな……」

 

 カミュはそう言うと、止めていた足を再び動かし、先を歩いて行く。

 余りにも大きな衝撃を受け、サラは呆然としていた。そんなサラの背中に優しくリーシャの手が触れる。

 先程まで対していた老人は、そんな国の掲げる『必要悪』とされた者の一人。

 故に、自分の息子の行く末にも察しは付いていたのだ。

 

『これで、わしは完全に天涯孤独となってしまったのう』

 

 自身の兄の最後を聞いた時に老人が溢した言葉をサラは思い出した。

 本来であれば、投獄されてはいても、『バコタ』が生きている以上、あの老人の肉親はいる筈なのだ。

 サラのように考えていれば、何れ戻って来るであろう息子を想い、あの言葉が出て来る事はない。しかし、あの老人は、自身を『天涯孤独』と語った。

 それは、息子を勘当した事を考慮に入れていた訳ではなかった事が、リーシャの言葉で明白となる。

 

「……サラ……冷たいようだが、バコタの事は、私達の旅とは関係のない事柄だ。殺しはしていなくとも、罪は罪。それは、あの老人も、そしてバコタも覚悟の上だろう」

 

「!!」

 

 サラはリーシャの言葉に驚き、落胆した。

 リーシャは、カミュとは違い、自分と同じように考えてくれていると思っていた。

 『裏切られた』という思いを持ったサラは、横に立つリーシャに鋭い視線を向けて、後悔する。

 リーシャの顔は、今にも泣き出しそうな程、歪んでいたのだ。

 リーシャとて、全てを飲み込む事等できる訳ではない。カミュのように、全ての事柄に諦めという感情を持ち、自分には関係ない事だと割り切る事等できる筈はないのだ。

 それでも、このパーティーの中で最年長の自分が取り乱す訳にはいかない。その想いが言わせた言葉だった。

 

「……行こう……サラ」

 

「……はい……」

 

 二人は重い足を引きずるように、前を歩くカミュを追って行く。太陽は既に昇り切り、サラ達の心と裏腹に、雲一つない抜けるような青空が広がっていた。

 それぞれの消化しきれぬ想いを溜め込んだままに一行は歩き出した。

 

 

 

 

 



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いざないの洞窟

 

 

 

 カミュが向かった先は、先日来た武器屋であった。

 中に入ると、まだ開店したばかりということもあり、客もいない。

 カウンターでは、店主が武器の手入れをしているところだった。

 

「おっ、いらっしゃい」

 

 カミュ達三人が入って来たことに気が付いた店主は、その厳つい顔に精一杯の営業的な笑顔をを貼り付け、歓迎を現してくる。

 

「……すまないが、先日言っていた好意に甘えさせてもらえるか?」

 

「ん?……ああ、剣の手入れのことか?良いぜ、どれをするんだ?」

 

 先日、金額を多めに払ったカミュ達に、店主が約束したサービスをさっそく使おうとするカミュに対し、拍子抜けしたような顔をしながらも、店主は快く承諾した。

 

「ああ、俺のこの剣と……アンタはどうする?」

 

「あ、ああ、そうだな。これも頼む」

 

 カウンターに鞘ごと剣を置くカミュの言葉に、リーシャも腰の剣をカウンターへと置いて行く。二人の剣は、アリアハンを出てから手入れを欠かした事はないが、専門の職人に手入れをして貰えるのであれば、それに越した事はないのだ。

 

「確かに預かった。少しの時間で出来ると思うから、適当に店内を見ていてくれ」

 

「ああ、わかった。それと、その<革の盾>も三つくれ。それぞれの手に合うように加工して欲しいのだが」

 

 剣を持って奥へ下がろうとする店主に向かって、カミュは店主の横にある<革の盾>を指差す。カミュの言葉を聞いて、店主は商売人らしい笑顔を向けて、壁に掛けられてあった盾を下ろし、カミュ達の前に置いた。

 

「おう、ありがとうよ。じゃあ、剣を研いでいる間に盾を装備してみて、不具合を確認しておいてくれ」

 

「この先は、どんな魔物が出てくるのか分からない。万全の用意をしておく為にも、盾は必要になる筈だ」

 

 サラはカミュから手渡された盾を両手で抱えながら、自分の盾の具合を確認しているカミュを見ていた。

 サラの心の中では、未だに様々な想いが渦巻いている。

 浮かんでは消え、浮かんでは消えの繰り返しを続ける疑問を消化する事が、彼女には未だに出来ないのだ。

 

 『なぜ、何事もなかったように振る舞えるのか?』

 『カミュにとって、この一連の出来事は、関心を示す価値もないものなのだろうか?』

 

 今のカミュの姿に、無理をしている様子は見えない。

 『やはり彼は、『人』としての感情を持っていないのかもしれない』とサラは考えてしまっていた。

 

「サラ、あまり考えるな」

 

「……リーシャさん……」

 

 そんなサラの肩に手をかけ、覗きこんでくるリーシャは、まだ無理をしているようだが、それでも普段通りに接しようとしている事が理解出来る。そんなリーシャの優しさに、サラは昨日の夕食時に感じた疑問をぶつけてみる事にした。

 

「あ、あの……リーシャさん……?」

 

「……ん?…どうした?」

 

 リーシャは、左腕に<革の盾>をつけ、具合を確かめながら、サラを見ずに返答した。

 新たな防具の具合を確かめるのも、『戦士』として当然の行為である。ましてや、カミュやリーシャといった最前線に出る人間にとって、盾は生命線に等しい防具でもあるのだ。

 しかし、その重要な行動は、サラのたった一言で狂い始める。

 

「……リーシャさんは、カミュ様のどういった所をお好きになったのですか?」

 

「……はぁ!?……な、なに!?」

 

 突然ぶつけられた、サラ特製の大型爆弾にリーシャは思わず大声を張り上げた。

 サラの問いかけの内容は聞こえていなかったカミュも、突然上げられたリーシャの奇声に振り返り、訝しげに二人を見ている。

 

「な、何を言っているんだ、サラ!?」

 

「えっ、えっ?……リーシャさんとカミュ様は、あの……そういったご関係に……なられたのではないのですか……?」

 

 自分が、この堅物な戦士に投げつけた大型爆弾の威力を、サラは理解していない。

 故に、突如として、とんでもない事を言い出したサラに凄い剣幕で詰め寄って来るリーシャの圧力に対し、昨日確信していた自信と共に声まで尻すぼみになって行った。

 

「なっ!? なにが、どうなって、そうなったんだ!?」

 

 もはや、完全なパニックに陥ってしまったリーシャは発する言動も支離滅裂であった。

 『これは、もしかしたら、照れているのではないか?』という盛大な勘違いを、サラがしてしまう程の取り乱し様であり、先程萎んでいった自信が再び膨らみ始めて来たサラは、カミュに聞こえないようにリーシャへと話しかける。

 

「い、いえ、何となくなのですけれど、リーシャさんのカミュ様への対応が、最初の頃より柔らかくなったような気がして……」 

 

「どこがだ!!??」

 

 もう、リーシャの声は怒声になっていた。

 確かに根も葉もない事を突然言われれば、頭に血が昇るのも当然だ。

 ましてや、リーシャは色恋には全く縁がない生活を送って来ていただけに尚更である。

 幼い頃から父より剣を学び、父が死んでからは宮廷に入り剣を磨いた。

 異性からの視線など、リーシャの剣への羨望よりも、嫉妬の方が多く、とても甘い香りのする物とは程遠い青春時代であった。

 

「……サラ……お前が、何をどう勘違いしたのか全く理解出来ないが、アイツのような捻くれた奴とそんな関係になる事は、世界が引っ繰り返ってもあり得ない!」

 

 サラの両肩を痛いぐらいに掴み、ゆっくりと否定をするリーシャは、それこそ鬼の形相に近い表情であった。

 しかし、もはやリーシャを姉のように慕い始めているサラには、そんな鬼気迫るリーシャの変貌も通じなかった。

 

「あっ、も、もしかして、照れていらっしゃるのですか?」

 

 サラが発したその言葉は、リーシャの顔から表情を無くさせるのに十分な威力を持っていた。

 まるで、カミュを彷彿とさせる無表情。そんなリーシャを見て、サラは自分の言った事の重大さに気が付き始めたが、それは既に遅過ぎた。

 

 ゴツン!

 

 盛大な鈍い音と同時に、サラは自分の頭部に凄まじいまでの痛みを感じた。

 目の前に火花が飛ぶ。

 眩暈と共に、一瞬サラは自分が立っているのかも分からなくなる程の衝撃だった。

 曲がりなりにも、アリアハン随一の戦士の拳骨を受けたのだ。

 

「……そうか……どうやら、私はサラを甘やかしすぎたのかもしれないな……」

 

 サラに対し振り上げた拳骨を納めながらも、未だに表情を取り戻さないリーシャは、サラに向かって何やら不穏な空気を出している。

 落ちぶれたといえども『貴族』。

 平民の出であり、しかも孤児であるサラが、本来ならば対等に話せる人物ではないのだ。

 何を話していたのか聞こえていなかったカミュでさえ、今のリーシャが放つ雰囲気を感じ、間に入ろうとしていた。

 

「……サラ、今日の朝の訓練は、確か剣の素振りだけだったな……?」

 

「……えっ?……あ、は、はい……」

 

 痛む頭に手を伸ばしかけたサラにリーシャが問いかける内容は、サラの脳裏に疑問符を浮かび上がらせる。

 しかし、近寄っていたカミュは、リーシャの言葉に何かを理解したのであろう。それ以上近寄る事はせず、遠巻きに二人の様子を窺う事にした。

 

「……魔物との実戦を経験しているサラに、素振りだけでは失礼だったな。明日からは、私が直々に稽古をつけてやる。まぁ、簡単な模擬戦だな……」

 

「えっ?……えぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 リーシャとの模擬戦。

 それはいつもカミュと剣を打ち合っている、あれの事である。 

 剣を持って数日のサラには、土台無理な話であるだろう。

 『リーシャは、自分を殺すつもりなのか?』という疑問が湧いて来る程に、その提案は無茶な物であった。

 サラがリーシャの言葉を理解すれば理解する程、その身を恐怖が支配して来る。

 

「……あ、あの……リーシャさん……?」

 

「ん?……なんだ、サラ?」

 

「ひっ!」

 

 恐る恐る顔を上げたサラが見たものは、先程まで無表情だったリーシャの貼り付いたような満面の笑みだった。

 無表情だったリーシャを見た後だけに恐怖が大きい。サラは、痛む頭をさすろうと手を伸ばしながらも、その目を伏せた。

 

「……えっ!?……あ、あぁぁぁぁぁ!!」

 

「!! 今度はどうした!?」

 

 突然上がったサラの奇声に、笑みを張り付けていたリーシャも驚き声を上げる。

 サラは、自身の頭を摩る為に僧侶帽を取り、それを見つめて呆然と立ち尽くしていた。

 

「……私の帽子が……へこんでしまっている……」

 

 先程、リーシャが下ろした拳骨は、サラの脳天を捉える為に、サラが被っていた僧侶帽をも突き抜けていた。

 その際に、当然帽子に拳骨がぶつかり破壊したのだ。

 通常、僧侶が被る帽子は、その形状を崩さない為という理由と、頭部を守るという理由で、その内部をなめし皮で覆っている。つまり、リーシャにあっさりと破壊されはしたが、本来の強度は<革の帽子>よりも高いという事になる。

 

「……柔な帽子だな……そうだ、少し待っていろ……」

 

 自分が破壊した事を全く意に介さず、何かを思いついたように店内を見渡すリーシャを見て、サラはへこんだ帽子を眺めながら溜息を吐く。傍観していたカミュも、盛大な溜息を吐き出し、再び<革の盾>の具合を調整し始めた。

 

「おっ! あった、あった」

 

 そんな言葉と共に戻って来たリーシャは、帽子を外したサラの頭に、取って来た何かを被せる。サラは、突然の事に目を丸くし、リーシャの顔を見つめ返すが、そのリーシャの顔は徐々に崩れて行った。

 

「……ぷっ、あははははははははは! サラ、良く似合っているぞ! あはははは! それを被って、昨日の皺だらけの寝巻きを一緒に着たら、最高装備だ!」

 

「……ぷっ……」

 

 崩れていったリーシャの顔は、爆笑という結果を生み出していた。

 腹を押えながら笑い出すリーシャは、もう止まらない。その状況で、ようやく自分に被せられた物が<革の帽子>である事にサラは気が付いた。

 普通の装備品の筈が、リーシャにあれだけ盛大に笑われると、恥ずかしい物のように感じてくる。カミュにまで噴き出された事が、その感情に拍車をかけた。

 

「それに組み合わせて、<亀の甲羅>でも背負ったらどうだ?」

 

「ぶっ! あはははははは!」

 

 更なるカミュの追い打ちに、収まりかけたリーシャの笑いは、歯止めを失い暴走して行く。

 腹を抱え、崩れ落ちてしまいそうな程に笑うリーシャを見ている内に、今度はサラの顔から表情が失われて行った。

 

「……なんだい?……いやに賑やかだな?」

 

 リーシャの笑い声が響きわたる店内に、店主が戻って来る。手にはカミュとリーシャの剣を持ち、あまりにも賑やかな店内に苦笑を洩らしていた。

 武器屋の店内がこれ程の笑い声に満たされる事は、通常ではあり得る事ではない。

 しかも、自慢気に討伐した魔物の話をする冒険者の不快な笑いではなく、本当に心から湧き上がったような笑いは、店主自体も久しく聞いた事がなかった。

 

「あっ! こ、これも直してください!」

 

 未だに笑い収まらないリーシャに顔を背け、頭から<革の帽子>を取り払ったサラは、手に持つ僧侶帽をカウンターに置き、店主に修理を頼み込む。

 カウンターに置かれた帽子を手に取り、暫く鑑定を行っていた主人だが、サラの瞳を見つめ、若干顔を歪めた。

 

「……ああ、僧侶帽か……まあ、直せなくはないが、何せ特製品だからな……ちょいと値が張るぜ……?」

 

「……えっ?」

 

 店主の言葉に、ゴールドが必要な事に初めて気が付き、サラはカミュに向けて視線を向けるが、そこに立っていたカミュからは、とても良い答えが返って来る様子はなかった。

 必要な装備品を整える為の資金は出すが、個人の所有物に関する事は、自己責任だとでも言うような瞳を向けている。

 

「……自分の懐から出せよ……」

 

 案の定、カミュから帰って来た回答は『出せない』というものであった。

 カミュの瞳を見た瞬間に予想は出来ていた事ではあるが、その答えにサラは愕然としてしまう。

 今、サラの味方は何処にもいなかった。

 

「どうすんだい?」

 

「うぅ……リーシャさんが壊した物なのに……」

 

 三人の様子を見ていた店主が、サラに向かって再度問いかける。カミュから視線を外し、壊れた僧侶帽を哀しそうに見つめたサラは、小さく恨み事を呟いた。

 笑い声が収まり、静けさを取り戻した店内に、その小さな呟きは響いて行く。

 

「サラ……何か言ったか?」

 

「い、いえ! 何も!……修理をお願いします」

 

 『本来ならば、壊したリーシャが出してくれても良い筈だ』という、サラの胸の内はあっさりと見破られ、僧侶帽を壊した張本人に先手を打たれた。

 サラの投下した大型爆弾の結果は、サラの剣の訓練の過酷化と、アリアハンから持って来ていた少ない資金の減少という、サラにとって最悪な状況へ陥れるものとなった。

 

 

 

 武器屋を出た後、一行はその足でレーベの村から出る事になる。村から出た三人は、抜けるような青空の下、アリアハンへ向かう道と反対方向へ歩き出した。

 

「カミュ、他大陸に行く為に必要な『旅の扉』は、<いざないの洞窟>と呼ばれる洞窟内にある筈だ。この先の山道を超えた先に、その洞窟はある」

 

リーシャがカミュの横に立ち、これから進むべき道を指し示している。そこから、少し離れた所で、サラはしょんぼりと俯いていた。

 未だに、リーシャの拳骨が落とされた頭部には、鈍い痛みが伴い、大きな瘤が出来ている。

 

「サラ! 行くぞ!」

 

 リーシャの声に顔を上げると、既に二人は先に歩き出していた。

 慌てて、サラはその後を追いかける。

 彼らの頭上には力強い太陽が輝き、楽な道程ではない事を示していた。

 

 一行はレーベの村から、真っ直ぐ東へと向かって歩き出す。途中の道で出て来る魔物の中には、『ナジミの塔』に住む魔物達なども存在した。

 カミュやリーシャの敵ではなかったが、剣を持ち始めたサラにとってはどれも難敵であり、しかも、<レーベの村>の一件以来、極力、サラを単独で魔物に向かわせるようになったリーシャは、サラの身に危険を感じるまでは手を貸す事をしなかった。

 サラの身に危険が迫ればリーシャが救ってはくれるが、二人が既に魔物を片付け終わった後も、一人で魔物と対峙しなければならない事は、戦闘初心者のサラにとっては辛い物だった。

 中でも、山道に入ってすぐに姿を現した魔物との戦闘は、サラにとって辛い経験となる。

 

 

 

 陽も高くなり、見渡す限り草原だった場所を抜けた辺りで、道が傾斜になり始め、そのまま山道へと入っていった。

 山道を歩く事を知っていたカミュとリーシャは、日が暮れる前に山道を抜ける為、ここまでの道で休憩を挟まずに来ている。その為、サラの息遣いは若干荒れ、歩む速さも衰えていた。

 そんな矢先、先頭を行くカミュの足が止まったのを視界の隅で確認したサラは、『休憩か』と胸を撫で下ろしたが、その期待はもろくも崩れる事となる。

 

「……」

 

 無言で背中の鞘から剣を抜き放つカミュの姿に、サラは大いに落胆した。

 剣を抜いたという事は、また魔物との戦闘の合図なのだ。

 しかし、リーシャに続いて、サラが腰にさした<銅の剣>を抜き、身構えた先に出て来たのは『人』であった。

 黒に近い色のフードを頭からすっぽりと被り、異様な雰囲気を持ってはいるが、姿形は『人』そのものである。それが三人、脇道から姿を現した。

 

「サラ! 気を緩めるな!」

 

 出て来た『人』の姿を見て、一瞬『ほっ』と息を吐いたサラに向かって、リーシャの檄が飛んだ。

 何を言っているのか理解の出来なかったサラの視線の先にいる、フードを被った一人がサラに向け右手を掲げる。サラがそれを視認したと同時に、フードの男の掲げた手から炎を纏う球体が、サラ目掛けて飛んで来た。

 サラがそれを『メラ』だと認識できた時には、避ける事も防ぐ事も出来ない距離まで、火球は迫っていた。

 思わず目を瞑ってしまったサラは、予想していた衝撃と熱が来ない事を不思議に思う。ゆっくりと目を開けると、そこには<レーベの村>で新調した<革の盾>を掲げたリーシャの背中が見えた。

 

「サラ、あれは人ではない。<魔法使い>という魔族だ」

 

<魔族>

獣のような魔物とは違い、知能が発達した者。本能で人を襲う魔物とは違い、理性を有し、理知的に獲物を追い詰める事が出来る者。この世界の魔物には大きく分けて、二種類の魔物が存在する。自然界に存在する獣のような姿形を持ち、知能が低く、本能で人を襲う<魔物>。そして、『魔王バラモス』が登場するまではこの世界には存在してはおらず、『魔王』の出現と共に、この世界に現れた<魔族>。知能は高く、時には魔物を従えていたりする事もある。

 

<魔法使い>

『魔王』の出現と共に現れ、アリアハンが旅の扉を封じる前にこの大陸に渡って来た種。最下級の<魔族>とされ、その身に宿す魔法力も少ない。人間の『魔法使い』と呼ばれる職業の初歩の魔法である<メラ>以外に魔法を行使できない事から、人間の『魔法使い』が魔族に堕ちた者ではないかという説もある。

 

 サラが人の姿をした魔物に戸惑っている間に、カミュは一人の<魔法使い>を斬り捨てていた。

 カミュの剣によって袈裟切りに切られた<魔法使い>は、肩口から盛大に血を噴き出し、山道を赤く染めながら崩れて行く。

 サラには、それが、『人』が倒れて行く様に見えた。

 

「サラ! 呆けるな!」

 

 我に返ったサラは、再び剣を握る手に力を込めるが、その手は小刻みに震えている。

 初めて見る人型の魔物。

 それは、『魔物=獣』という図式が成り立ってしまっていたサラの心に、大きな波紋を作り出していた。 

 

「くそ!」

 

 再びリーシャに向かい『メラ』を放ってきた<魔法使い>に向かって、火球を避けながら突き出したリーシャの剣は、魔法使いの胸を突き抜け、背中からその刀身を見せる。フードの奥にある口のような部分から、血液を吐き出す姿が、サラの目の裏にこびり付いた。

 勇者一行に動揺が走る中、サラが動けない事に気がついた<魔法使い>が、一点突破を考えてサラへ向かい攻撃を繰り出して来た。

 『メラ』による目くらましを仕掛けた後に、そのまま突進を始める。サラは自分に向かって来る魔法を辛うじて避ける事は出来たが、態勢を崩し、<魔法使い>の突進に対処する術はなかった。

 

「サラ!」

 

 リーシャの叫びが空しく響く。

 サラは、リーシャの叫びを耳にし、苦し紛れに手に持つ<銅の剣>を振り抜いた。

 それが、サラの持って生まれた運なのか、サラの言う『精霊ルビス』の加護の賜物なのかは解らない。

 それでも、サラが振るった剣は、カウンター気味に突進してきた<魔法使い>の、フードに隠れた眉間部分に吸い込まれて行った。

 元々打撃系の武器である<銅の剣>が、まともに眉間を打ち抜いたのだ。

 いくら非力なサラの剣とはいえ、その衝撃は相当な物である。

 <魔法使い>は、頭部から噴水のように血液を撒き散らし、崩れるように倒れて行った。

 

「……あ…あ……」

 

 自分の剣が起こした事象を確認したサラは、声にもならない呻き声を上げる。

 リーシャは一息安堵の溜息を洩らし、サラに近寄って行くが、カミュの方は、<魔法使い>の持っていた物資などを革袋に入れた後、そんなサラの様子を冷ややかに見ていた。

 

「サラ……何度も言うが、あれは『人』ではない。サラは『人』の命を奪った訳ではない」

 

 リーシャは、今サラが何を考え、何に押し潰されそうになっているのかが解っていた。

 リーシャも討伐隊に入隊したばかりの時に、あの<魔法使い>という魔族に遭遇し、今のサラと同じような状況に陥った事がある。

 魔物と言えば、その姿は獣のようなものが多い中、突如出現した人型の魔物。

 討伐隊に入隊する以前から、その存在は知っていたが、初めて目にした時、殺人に近い行為をする事に手が震え、足が竦んだ。

 

「……は、はい……」

 

「サラだけではない。私も、初めてあれと対峙した時には、同じ葛藤があった。殺した後は、今のサラと同じように罪悪感にも苛まれた」

 

 俯きながら小さく返答したサラであったが、そんなサラの肩に手を置いたリーシャの言葉を聞き、弾かれたように顔を上げる。躊躇なく<魔法使い>を斬り倒して行ったカミュとリーシャを見て、『自分の感覚が異常なのだろうか?』という疑問を持っていたサラにとって、そのリーシャの言葉は、光明にも見えたのだ。

 

「リーシャさんも……ですか……?」

 

「……ああ……恥ずかしい事だがな。あの時は、今のサラの歳よりも下だった」

 

 リーシャの告白に、今まで胸を締め付けるようにあった罪の意識が軽くなったような錯覚に陥る。今の自分よりも年若い時に、このような感情を抱く事になったリーシャに同情する反面、強い精神力を有していると考えていた宮廷騎士でさえ、そんな葛藤を持っていた事に安堵したのだ。

 

「だが、どんな姿形をしていても魔物は魔物。私が属す、アリアハン国で暮らす国民達の生活を脅かす存在に変わりはない……そう考えるようにした」

 

「……そうでしたか……」

 

 自分と同じような葛藤を、アリアハン随一の戦士が駆け出しの時分に持っていたという事実。

 そして、それを克服するための考え方を聞き、サラも下げていた頭を上げる。顔を上げたサラを、リーシャは優しく見つめていた。

 すぐに克服出来る物ではないが、その為に歩き出す事を決意したとリーシャに伝えるために、サラはリーシャに向けて微笑んだ。

 

「獣であれば殺しても良いとは、随分都合の良い話だな」

 

 その時、微笑み合う二人の表情を凍りつかせる言葉が、後ろにいる無表情の青年から発せられる。

 今まで前にいた筈のカミュが、いつの間にか二人の後ろに移動していたのだ。

 その言葉に、勢い良く振り向いたリーシャとサラの表情は、対照的な物となっていた。

 

「なんだと!?」

 

 いつものように、過剰に反応を返すリーシャに対し、サラはその真意を知りたくなる。この無表情な青年の思考を知る事こそが、その考えを正し、『精霊ルビス』の教えを伝える事への第一歩となると考えた。

 

「では、カミュ様は、なぜ魔物を殺すのですか?……カミュ様も、今まで数え切れない程の魔物を倒して来た筈です」

 

 リーシャのいつも通りの反応を受けていたカミュは、突然自分に向け強気な発言をしたサラの方に視線を向け、少し考える素振りを見せた後、その口を開いた。

 それは、辛辣な言葉を予測していたサラや、怒りを見せていたリーシャの予想を外す物だった。

 

「……俺に敵意を向けたからだ……魔物であれ、人間であれ、俺の存在を無にしようとする者ならば、殺す……それが、旅に出る時に決めた事だ」

 

「……人間でも……」

 

 カミュの言葉の一部分がサラの胸に突き刺さる。

 それは、サラが受けて来た『教え』の中では、最大の禁忌とされている行為。

 それを、目の前の青年は、平然と言ってのけた。

 軽い衝撃を受けたサラは、答えの解っている問いかけを向けてしまう。

 

「……ああ……例え人間でも……だ」

 

 サラは予想外の答えに言葉を失った。

 世界を救う存在である『勇者』が、その救うべき対象の『人』を殺す事を宣言したのだ。

 サラの視界が揺らいで行く。

 サラの信じていた『勇者』という偶像が音を立てて崩れ落ち、彼女を思考の迷宮へと誘って行った。

 

「……もしかして……もう……既に……」

 

 サラの思考は、最悪の方向へと向かって行く。

 それは、『カミュが、既に人間を殺しているのではないか?』という疑問。

 そして、もしそうだとすれば、『殺人者』という大罪人を、『勇者』として国家が送り出した事となる。サラにとっては、信じる事はできず、そして許す事のできない事実だった。

 

「……何を考えているのかは解るが……残念ながら、『人』を殺した事は、未だにない」

 

「……本当か?」

 

 サラの問いかけに答えるカミュに向けて、横にいたリーシャから再度確かめるような言葉が飛ぶ。

 リーシャにしても、カミュが『人』を殺した事がないという確信が欲しかった。

 もし、他国と戦争にでもなれば、リーシャのような宮廷騎士は、前線に立ち他国の兵士を殺して行く事が仕事となる。

 だが、ここ数十年、魔物が横行している影響で、国同士の争いは皆無となっている。『魔王バラモス』の登場により、人同士が寄り添っていかなければ、生きてはいけないからだ。

 故に、現在では、犯罪者以外に『人』を殺すという行為をする存在はいない。

 

「……俺がアンタ達に嘘を付く必要性は見当たらないが?」

 

 そんなリーシャの真剣な問いかけに対しても、カミュは無表情のまま答えを返す。暫しカミュの瞳を睨むように見つめていたリーシャは、その瞳に嘘がないと判断し、一つ息を吐き出した。

 視線が外れた事を確認し、カミュはもう一度口を開く。

 

「……それで?……アンタ達はこれから先、何の目的で旅を続けるつもりだ?」

 

「……は?」

 

 カミュの問いかけの意味が理解できず、リーシャは素っ頓狂な声を上げた。

 サラもリーシャの横で首を傾げている。カミュの質問の意味は解り過ぎる程に知っている。アリアハンが国を挙げて送り出した『勇者』の目的など、唯一つなのだ。

 その目的の為に、リーシャもサラも、この捻くれた青年に付いて歩いているのである。

 

「……え?……『魔王討伐』の旅ではないのですか?」

 

「目的が『魔王討伐』ならば、この先、魔物であれ人間であれ、自分達に敵意や害意を持つ者を倒していかなければ、自分達が目的も達せずに死ぬだけだ。悪いが、俺にそのつもりはない。自分の力量不足で殺されるならまだしも、何もせずに死ぬ事は断る」

 

 続けられたカミュの言葉に、リーシャとサラの二人は返答に窮していた。

 確かに、カミュの考えを否定する事など出来ない。最終目的は『魔王討伐』なのだ。

 それは、世界を救う為、そして人々を今の苦しみから救う為の旅。

 そのような大義のある旅をしている自分達に敵意を持つ者へ抵抗をしなければ、自分達の使命は果たせず、土に還る可能性も否定は出来ない。

 

「何れにしろ、俺は魔物だからという理由で殺す訳ではない。これから先も、それは変わらないだろう。魔物であれ、俺に敵意を見せず生活をしている魔物なら殺す事はしない」

 

「……傍で人が襲われていても……ですか……?」

 

 カミュは言葉と共に、二人に背を向け歩き出していた。

 サラはそのカミュの背中に向けて、疑問を投げかける。それは、サラにとって最後の境界線だった。

 そんなサラの心情を知ってか知らずか、珍しくカミュは立ち止まり、少し考えるように天を仰いでから、口を開いた。

 

「実際、その場に立ってみなければ解らないな。それが魔物にとって、『食料』という死活問題なのか、単純に襲っているだけなのか……襲われている人間にも、襲っている魔物にも言い分はあるだろうからな」

 

「……カミュ……」

 

 リーシャは、以前カミュから聞いた言葉を思い出した。

 『魔物にも生きる権利はある』

 人の中にも、弱い魔物をいたぶり殺す者はいる。それは、世間では肯定されてはいるが、カミュはそれを許さないのだろう。

 そんな事をリーシャは考えたが、それ以上に、サラに対して、カミュが自分の考えを語る事に驚いていた。

 

 『仲間として見る』というリーシャとの約定はあるが、自分を曝け出す事を義務付けた覚えはない。考えてみると、カミュの一連の言葉は、言い方は最悪だが、サラを悩ます罪悪感を軽減させる効果がないとは言い難いものだった。

 『自分に襲いかかって来る者を殺すのは、正当な行為だ』と言っているのだ。

 その真意がサラに届いているかと言えば、それに関してリーシャは自信を持てはしない。それでも、リーシャの中での『勇者カミュ』という存在に小さな変化が生じていた。

 

「日が暮れる前には、山道を出たい」

 

 再び背を向け歩き出したカミュに、リーシャもサラも黙って従うしかなかった。

 カミュが語った内容に対し、二者二様の想いを持ったまま、一行は再び山道を歩き出す。まだ彼等の旅は始まったばかりであり、この先の道は果てしなく長い。

 

 

 

 その後も、山道には魔物が多く、今まで出会った事のない魔物等も、一行の前に立ちはだかった。

 尻にある針に潜む毒によって、人の神経を麻痺させ、動けなくなった人を食す<さそり蜂>などは、アリアハン大陸にいる魔物の中でも最上級の魔物だ。

 針による攻撃を回避しながら、その胴体を切断して行くリーシャとカミュを、サラは呆然と見ている事しかできなかった。

 その姿を見ていたサラは、『カミュの考えを否定するにも、その行動を止める為にも、自分の力量が足りない』という事を改めて実感し、今後のリーシャによる稽古を、今以上に真剣にこなす事を決意するのであった。

 魔物との遭遇の多さに、一行の計画は崩れる。山道を抜ける前に陽が沈み始め、周辺を赤く染め始めていた。

 そんな太陽を忌々しげに見つめ、カミュは軽く舌打ちした後に振り向く。

 

「……予想より時間がかかった……このまま進んでも、陽が完全に沈んでしまえば、方向感覚も狂う」

 

「そうだな……この周辺で、休める場所を探そう……」

 

 カミュの申し出を快諾したリーシャは、周辺を見回し、火を熾せるような場所を探し始める。サラにとっても、この申し出は渡りに舟であった。

 朝から、休憩を取る事もなく歩き続け、戦い続けて来た為、サラの膝は笑っている状況だったのだ。 

 やがて、宿営地を決め、リーシャは火を熾し始めた。

 その周りを囲むように三人は座り、<レーベ>で購入した干し肉を炙り食して行く。そんな中、リーシャが、干し肉を噛み切りながら、おもむろに口を開いた。

 

「そう言えば、サラ……はむはむ……先程、サラの歳の話になったが……ああ! この干し肉は噛み切れないな!……実際、何歳なんだ、サラは?」

 

「……え?」

 

 干し肉を口に入れ、もごもごしながら話すリーシャの言葉を、何とか聞き取ったサラであったが、質問の意図が見出せない。突然年齢の話をし始めた理由が解らないのだ。

 干し肉を片手に呆然としているサラに、リーシャはもう一度口を開く。

 

「いや……カミュと同年代だとは思ってはいるが、はっきり聞いた事はなかったからな……別に、深い意図がある訳ではないんだ」

 

「え?…あ、はい……十七になります」

 

「はぁ?」

 

 リーシャに対しての回答であったのだが、返答したのはカミュの間の抜けた声であった。

 良く見ると、リーシャも口に入れた干し肉を噛む事を忘れてしまったように、唖然としている。

 

「……何かありましたでしょうか……?」

 

「アンタは、俺より年上だったのか?」

 

 二人の姿に、何か変な事を言ってしまったかと思い、慌てるサラに対して発したカミュの言葉は、非常に失礼な言い草だった。

 リーシャも、そんなカミュの言葉に我に返り、何かを思いついたような笑顔を見せる。

 

「この中では、お前が一番年下という事になるな。これからは、その辺りを弁えた言動をするんだな」

 

「ぷっ!」

 

 リーシャが得意げに話す姿が滑稽で、思わずサラは噴き出してしまう。カミュは一瞬不機嫌そうな顔をしたように見えたが、すぐに元の無表情に戻っていた。

 そして、視線をリーシャへと向ける。

 

「旅に年功は関係ない筈だ。唯単に、先に生まれたというだけだ。その証拠に、少なくとも、俺はアンタよりも『賢さ』を持ち合わせているつもりだが」

 

「なんだと!」

 

 無表情のまま、失礼極まりない言葉を発したカミュに、リーシャは激昂する。

 今にも立ち上がり際に、剣を抜きそうな勢いのリーシャに向かって、カミュは大きな溜息を吐き出した。

 

「俺は<マヌーサ>にかかって、味方を攻撃したりはしていない筈だが?」

 

「ぐっ……くそっ、古い話をいつまでも……」

 

 サラはいつの間にか、こんな二人のやり取りに慣れてきている自分がいる事に驚いた。

 旅に出たばかりの時は、リーシャの怒声を聞く度にどうしようかと慌てたものだが、今は笑みを零し、食事を続けながら二人を見ている事が出来る。それが良い事なのかどうかは解らないが、少なくとも、少しずつ仲間として行動し始めていると感じていた。

 怒鳴りながらも、本気で怒っている訳ではなさそうなリーシャと、時に口端を上げながら話すカミュのやり取りは、サラが眠るまで続いた。

 

 

 

 翌朝、陽が昇ると同時に山道を歩き始め、陽が高くなる前に一行は平原に出る事が出来た。

 平原の中、地図を見ながら歩くカミュが先頭を歩き、魔物を警戒しながらリーシャが最後尾を歩くという、いつもの布陣で目的地を目指す。

 途中に一軒の家が立っており、その中には<いざないの洞窟>を管理しているという老人が住んでいた。

 その老人と話をし、その家から北にある湖の畔に<いざないの洞窟>に続く道があるという情報を得て、一行は北に歩を進める。

 老人の話の通りに北へ進むと、周りを山に囲まれた澄んだ湖があり、その畔に大きく口を開けた洞窟が存在した。

 十年以上も前に閉じられた場所へ続く洞窟とは思えない程に手入れがされており、滑って足を踏み外したりする心配もなく、一行は地下へと降りて行く。

 

「貴方は、カミュ殿ですか?」

 

 階下に降り、一本道を進んだ先に、何人かの兵士が立っていた。

 着ている鎧は、リーシャが着ている物と同じ物であり、その鎧が、この人間達がアリアハンの兵士である事を物語っていた。

 

「……はい。カミュと申します」

 

 いつも通り、対外の仮面を被ったカミュを見て、リーシャとサラはお互いの顔を見合せて苦笑し合う。目の前に立つアリアハン兵士は、そんな従者二人の態度を訝しげに見つめるが、カミュの視線に気づき、話を前に進める事にした。

 

「国王様から話は聞いております。どうぞお通りください」

 

「……国王様から……?」

 

 リーシャの問いかけに表情を崩さず、一人の兵士が答えるために前に出る。それはリーシャも良く知る、宮廷騎士の一人であった。

 上級貴族の出身で、剣技や指揮力は皆無に等しいが、父親とその家柄の力で、宮廷部隊長まで伸し上がった人物である。そして、常にリーシャを嘲っていた人物でもあった。

 

「久しぶりだね……どういう風にこの大陸を出るつもりなのかは知らないが、国王様から、そこの若い奴が大陸から出る所を見届けるようにと指示を頂いたのでね。余りに遅かったんで、使命の重さに逃げ出したのかと思ったよ」

 

「なに!?」

 

 その七光の言葉に一瞬頭に血が上りそうになったリーシャだが、よくよく考えると、毎日のように交わされるカミュの皮肉の方が、ずっと身に詰まされる物である事に気付き、抑える事にした。

 この男の言っている事は、全く自分には関係のない事なのだ。

 カミュ流に言うと、『名前を覚える必要性も価値もない人間の戯言であり、別段、敵意と殺意を向けてきた訳ではない。相手にする必要さえもない』。

 そうリーシャは考える事にした。

 一向に噛みついて来ないリーシャを不審に思ったが、その部隊長はリーシャを無視し、カミュへと声をかける。

 

「それで?……どうやって、この壁の向こうにある『旅の扉』へ向かうつもりなんだ?」

 

「……下がっていてください」

 

 サラは後方からやり取りを見ながら、カミュの対外的な仮面にも、二通りの物がある事に気が付いた。

 一つは、本当にカミュが敬意に近い物を持って相手に接している時の仮面。

 もう一つは、全く相手にする気もない人間に対する時の仮面である。

 サラは不謹慎ながらも、もし、今あの部隊長がカミュの態度に腹を立て、剣を抜いたとしたら、カミュはどうするのだろうと考えていた。

 しかし、少し考えた結果、簡単に切り捨てた後、『こいつらを洞窟内に捨てておけば魔物に食われる。アンタ方が話さなければ判明しないことだ』と語るカミュの言葉しか思い浮かばない自分の頭を振り、考える事を止めてしまった。

 そんなサラの関係ない脳内会議を余所に、カミュは<魔法の玉>を壁に引っ掛けていた。

 壁に取り付けられた<魔法の玉>からは、一本の紐が飛び出ている。その紐にカミュは小さく、『メラ』によって火を点けた。

 

「下がれ!」

 

 点火し走って戻って来るカミュの言葉に、その場にいた全員が数歩後ろに下がる。

 そして、カミュが自分達の場所まで辿り着いた時、凄まじい程の爆音と眩いばかりの閃光が地下のそれ程広くない広間を包み込んだ。

 

「な、なんなのだ、一体!お前達、何をした!」

 

 耳を劈くような爆音に、兵士達の全員の耳が機能しなくなる。

 声は発しているが、聞こえてはいないのだろう。もはや、怒鳴り散らしているとしか思えない程の音量で、宮廷部隊長がカミュへ問い質すように詰め寄って来た。

 全員の耳の機能が回復した後に、カミュが兵士達に説明を返す。

 <魔法の玉>の出所は明確にせず、『ナジミの塔で見つけた古の道具』とだけ答えた。

 部隊長は完全に納得は出来はせずとも、余りにも信じられない光景だった為、追及を諦めざるを得なかった。

 

「……では、私達は参ります。お勤めご苦労様でした」

 

 全く心の籠っていない労いの言葉をかけ、カミュは先へと進む。その後を、小走りにサラが追って行った。

 最後に残ったリーシャは、瓦礫が散乱する広間を見渡し、一つ溜息を吐き出す。

 

「ふ、ふん。精々頑張るんだな。まあ、『魔王討伐』という使命を失敗すれば、アリアハンにお前が帰って来る場所などはないだろうがな」

 

「……」

 

 『やはり、カミュが語った内容は事実だったのか』

 リーシャは、部隊長の一言に腹を立てるよりも、その事実が確認できた事が何よりも哀しかった。

 『出来るならば、自分が『魔王』を討伐し帰って来るまで、自分を育ててくれた古い使用人である、あの老婆だけは無事でいてほしい』

 そう思いながら、リーシャは二人の後を追った。

 

 

 

 カミュ一行の姿が、洞窟の奥へと消え、広間には近衛兵達しかいなくなった。

 誰もが、先程ここであった出来事が信じられない心境であり、皆口を開く事をしなかった。

 

「……何を呆けている! これより国王様の命を遂行する。外で控えている職人達を呼び寄せ、作業に当たらせよ! くそっ! 派手にぶち壊しやがって! 何を使ったのか知らないが、時間を掛ける訳にはいかない。早急に壁を修繕するぞ!」

 

 部隊長の指示の下、部下である兵士達が慌ただしく動き始める。

 外に職人を呼びに行く者。

 弾け飛んだ瓦礫を片付け、修繕の準備をする者。

 部隊長が言うようにそれは時間との戦いであった。

 いざという時の為に、部隊全員を連れてきてはいるが、他大陸の魔物と対峙した事のない兵士達である。

 何がどうなるか、予想もつかない。

 先に進んだカミュ達が取り溢した魔物達が、こちらに向かって来る可能性も充分に有った。

 その為にも、最低限の防壁は、すぐにでも作っておかなければならないのだ。

 

 部隊長は『国王の命』と叫んだ。

 つまり、アリアハン国は、自国が送り出した『勇者』を、自国で締め出す算段なのだ。

 アリアハン大陸から出れば、その後の援助はなく、自力で『魔王討伐』という使命を遂行しろという事なのだろう。しかし、国としても『魔王討伐』は願うが、自国の民をこれ以上苦しめない為にも絶対的に必要な事でもあったのだ。

 それが、この行動として表れていた。

 

 

 

 更に地下に進んだカミュ達は、入り組んだ洞窟内を彷徨いながらも、着実に前へと進んでいた。

 しかし、洞窟内部は長年の放置により劣化が進んでおり、ところどころの床が抜け、進む事が不可能であったり、壁が崩れ進めなかったりと、行ったり来たりを繰り返している。その中でも、魔物の種類の変化が、サラに負担をかけていた。

 

「サラ、大丈夫か?」

 

「……はい……ホイミ……」

 

 サラの詠唱と共に、淡い緑色の光が、サラの患部を包み癒して行く。つい先程の、<一角うさぎ>の上位種である<アルミラージ>との戦闘で、その鋭い角によりサラの腕は傷を負っていた。

 魔物は、アリアハン大陸では見た事のない種の物ばかりだった。

 そして、その魔物達の力量も、アリアハン大陸の魔物とは大きく違っていたのだ。

 カミュとリーシャはいつも通りに斬り伏せては行くが、ようやく剣を振るう事が出来るようになったばかりのサラにとっては、それらの魔物との戦闘は厳しい物だった。

 リーシャがサラを護るように、戦闘をしてくれてはいたが、少しの気の緩みで、サラの腕は<アルミラージ>の角の攻撃を受ける事となる。

 

「……すまない……今日は、少しやりすぎたかもしれないな……」

 

 リーシャがサラに謝っている内容は、今朝の山道での事だろう。朝、陽が昇る前に起こされたサラは、すでに剣の稽古とは名ばかりの模擬戦をカミュと共に終えたばかりのリーシャに、剣を構えるように言われた。

 最初は戸惑っていたサラであったが、自分から頼み込んだ事でもある為、その指示に大人しく従い、出発までの間、リーシャに剣を打ち込む事となったのだ。

 

「……当然だな。剣を持つ事も初めてに近い相手に、初めからあれ程の事を求める事自体がおかしい。俺には、アンタがコイツを殺そうとしているようにしか見えなかったがな」

 

「そ、そんな事、ある訳がないだろ!」

 

「……何故口籠るのですか……?」

 

 一瞬口籠ったリーシャを見て、サラは一抹の不安を抱いたが、杞憂であるという希望を胸に問いかけてみる。『戦士』であるリーシャにとっての訓練と、『僧侶』であるサラにとっての訓練には、雲泥の差がある事をリーシャもサラも気付いてはいなかったのだ。

 

「サ、サラまでか!? 私の時は、最初からあんな感じだったんだ! 私がサラに害意を持つ訳がないだろ!」

 

 その証拠は、次のリーシャの言葉で明らかになった。

 彼女は、自分が行って来た鍛錬を、若干の手加減はあるにしても、サラへと求めていたのだ。

 幼かったとはいえ、リーシャは宮廷騎士隊長の娘であり、剣の才を有している娘である。それと比べられては、サラでなくとも疲労困憊になるのは当たり前であった。

 

「……脳筋戦士と同様に考えられたら、普通の人間は倒れるぞ……」

 

「なっ、なんだと!」

 

 しかし、こんな魔物が蔓延る洞窟内でも全く雰囲気を変えない二人が、サラにはとても頼もしく映る。それと共に、完治した腕を見ながら笑いが込み上げて来た。

 剣の鍛錬にしても、リーシャに悪気がない事は明白である。サラの願いに応えようと、彼女なりに真剣である事は、サラも理解していた。

 

「ふふふ、大丈夫です、リーシャさん。私も、いつまでもこのままでは駄目ですので、これからも稽古をお願致します」

 

「そ、そうか。よし、わかった。だが、その日の旅に支障をきたさないようにしよう。すまない、今日は私も張り切り過ぎた」

 

 困ったような表情で頭を下げるリーシャの貴族らしからぬ行動に、今度はサラの方が慌ててしまった。

 手を大きく振りながら、リーシャに顔を上げてもらい、一行は再び洞窟の奥へと歩を進めて行った。

 

 

 

「こっちではないか?」

 

 先程、稽古について話した階から一つ降りた階層は、階段を降りたところから、道が三方向に分かれていた。

 右、中央、左の三方向にである。リーシャが示したのは階段を降りて、左の方向であった。

 

「……そうですね。とりあえず行ってみましょう」

 

 リーシャの言葉に同意するサラの一言で一行の進行方向が決まり、左へと進路を取る。左の方角へ真っ直ぐ進むと、更に右に折れる道があり、そこに大きな扉があった。

 

「……鍵がかかっているな……」

 

「ほら見ろ! そんな立派な扉があるんだ。やはり左だっただろう?」

 

「<盗賊の鍵>では開きませんか?」

 

 一人得意げに語るリーシャを無視し、カミュはサラに言われた通りに、革袋から取り出した<盗賊の鍵>を、扉とは反比例に小さな鍵穴に差し込む。

 乾いた金属音と共に鍵が開き、カミュと未だに得意げに鼻を鳴らすリーシャの二人で、大きく重い扉を押し開いて行った。

 開かれた扉の先には、再び一本道の通路が続いている。そのまま進むしか選択肢のない一行は、その通路を真っ直ぐに進んで行った。

 

「……行き止まりですね……」

 

「……」

 

 サラの言う通り、その通路は少し進むと壁にぶつかった。

 この壁が、<魔法の玉>で破壊する必要がない物であれば、間違いなく行き止まりであろう。

 

「……戻りましょうか……」

 

 溜息交じりなサラの提案に、カミュは素直に頷き、来た道を戻って行く。リーシャも何とも言えない表情を作りながら後に続いた。

 

「……左ではないのなら、中央の道だな……普通は、中央の道が怪しい物だ」

 

「……リーシャさん……」

 

 リーシャの言葉にサラは曖昧に返事を返すが、再びリーシャの提案通り、降りてきた階段から中央にある通路を進む事となる。

 

 

 

「……」

 

「……もう進路に関しては、アンタは黙っていてくれ」

 

 中央の道の先にあった鍵のついた扉の先は、再び壁であった。

 言葉が出ないサラとリーシャは、無言で壁を見上げていたが、カミュは溜息交じりに辛辣な言葉をリーシャに投げかける。

 

「くっ……」

 

 悔しそうに顔を歪めるリーシャを申し訳なさそうに見ていたサラも、内心はカミュの申し出に賛成であった。

 『ナジミの塔』への地下通路の時から、リーシャの指し示す道は行き止まりばかりなのだ。

 サラやカミュでなくとも、溜息が出て当然であろう。

 

 

 

 気を取り直し、残った右への通路を進む。ここにも、先程までの二本の通路と同じように扉があったが、その扉の先は今までとは違っていた。

 扉を開け、進んだ先には、少し開けた広間があり、中央には渦を巻いている小さな泉があった。 

 

「……これが、『旅の扉』?」

 

 サラが確認するように口を開くが、残る二人も知識こそあれ、実物を見るのは初めてだった。

 故に、サラの問いかけに確かな回答が出来ない。三人が泉へと近付き、神秘的な輝きを放つ水の渦を見下ろした。

 小さな泉は、カミュ達が手に持つ<たいまつ>の明かりを反射するように輝き、不思議な事に渦巻くような動きを見せている。

 

「……おそらく、そうだろうな……」

 

「……これに、飛び込むのか?」

 

 カミュの自信なさ気な答えに、リーシャは弱気な質問を返した。

 そんな二人のやり取りに、サラの不安は大きくなって行く。

 少し泉を眺めながら考えていたカミュではあったが、意を決したようにリーシャを見つめ口を開いた。

 

「俺から先に入る。状況上、これが『旅の扉』である事に間違いはないだろう」

 

「……わかった。その後にサラを入れ、私が最後に続こう」

 

「……えっ!? 私ですか!?」

 

 不安が高まっていたサラは、リーシャよりも先に飛び込まなければならない事に驚き、思わず問い返してしまう。しかし、そんなサラの問いかけに、リーシャの方が驚きを見せた。

 

「なんだ?……サラはここに残るのか?……最後にサラを残しては、魔物が出て来た時の対応が出来ないだろう? 二番目に入れば、向こうにはカミュがいる」

 

「……はい……」

 

 リーシャの当然の心配に反論する事が出来ず、リーシャの申し出を受ける事しかサラには出来なかった。

 確かに、カミュやリーシャがいない状況で、この洞窟を住処にする魔物と遭遇しては、サラ一人ではどうする事も出来ないだろう。

 

「……先に行く……」

 

 リーシャとサラのやり取りを尻目に、カミュが『旅の扉』へと飛び込んで行った。

 眩い光と共に、カミュの姿が『旅の扉』の中へと消えて行く。それを見届けたリーシャが、サラの背中に手を置き、先を促した。

 心細そうにリーシャを見上げたサラの目を見つめ、リーシャが一つ頷きを返す。サラも覚悟を決め、リーシャに頷き返した後、目を閉じ、鼻を摘まんで『旅の扉』に足から飛び込んで行った。

 カミュの時と同じような光を伴って消えて行ったサラを見送った後、リーシャもまた、周囲の警戒をしながら泉へと飛び込む。

 最後の光に包まれた後、暗い洞窟内を再び闇と静寂が支配した。

 

 

 

 

「国王様、先程魔法兵士から報告があり、勇者一行がアリアハンを出たようでございます」

 

 大広間にて食事中のアリアハン国王に、国務大臣が火急な用事と近寄り報告をする。その内容を聞いた国王は、手に持つフォークとナイフを置き、しばし目を瞑った。

 

「……そうか……それで、<いざないの洞窟>は?」

 

「はっ! ご命令通り、兵士と職人達により、再び閉じさせております」

 

 その大臣の報告に安堵した為か、国王は一つ頷きを返した後、食事を再開した。

 時折何かを考えるように、手を止めながらも食事を続けて行く国王の姿は、締め出す形になってしまったカミュ達への懺悔の為か、それとも『魔王討伐』に馳せる想いか、それは横に立つ大臣にも解らないものであった。

 

 

 

 

 

 



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※勇者一行装備品一覧

 

 

 

 

※勇者一向装備品等

 

 

名前:カミュ

 

素性:アリアハンの英雄オルテガとその妻ニーナとの息子

 

年齢:16歳

 

装備:頭) サークレット

※中心に青く輝く石がはめ込まれている

 

  身体) 革の鎧

 

   盾) 革の盾

 

  武器) 騎士の剣

※祖父から譲り受けたもので、その強度は<鋼の剣>より劣る

 

魔法:メラ

   ルーラ

※現在使用が確認されたもの

 

 

 

 

名前:リーシャ

※正式名称は リーシャ・デ・ランドルフ

 

素性:アリアハン下級貴族並びに宮廷騎士

※父の代では中級貴族として爵位も拝命していたが、父の死後、爵位を返還し、下級貴族となる

 

年齢:現在のところは不明

 

装備:頭)なし

 

  身体)革の鎧

 

   盾)革の盾

 

  武器)騎士の剣

※アリアハン宮廷騎士に配給される剣。

 大量生産品であるため、カミュの持つ祖父の剣よりも劣る強度

 

魔法:魔法力が皆無の為、行使不可能

 

 

 

 

名前:サラ

 

素性:アリアハン教会僧侶

   元孤児

※元はレーベの商人の娘であったが、アリアハンに向かう途中で両親を魔物に襲われて亡くし、その後、アリアハン教会神父に引き取られ、僧侶として育てられる。

 

年齢:17歳

※その容姿や体型から、幼く見られることが実は若干コンプレックスとなっている

 

装備:頭)僧侶帽

※中をなめし革で補強されており、単純な<革の帽子>よりも防御力は高い

 

  身体)革の鎧

※僧侶の一般的な服装である法衣の下に着込む形で装備している。

 

   盾)革の盾

 

  武器)銅の剣

※バコタの妻子の遺骨の傍にあった物。それが、バコタの妻の物なのか、それともアリアハン兵士の物なのかは定かではない

 

     聖なるナイフ

※初期装備品であったが、リーシャから剣を習うために、今は腰に挿したままである

 

魔法:ホイミ

   ピオリム

   ニフラム

   マヌーサ?

※マヌーサの契約は完了しているが、行使した事がない為、発動するかは定かではない

 

 

 

 

 




ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

これにて、第一章は終了です。
第二章はロマリア編となります。
明日の夜には、更新を開始致します。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしています。


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第二章
ロマリア城①


 

 

 

 サラは、自分の顔を照らす熱気に目を覚ました。森程ではないが、周辺を木々に囲まれた美しい場所であった。

 サラの感じた熱気の元である焚き火が、中心で赤々と燃えており、その光が周辺の闇を照らしている。

 <いざないの洞窟>に入る頃は、まだ陽も傾いてはいなかったが、洞窟内で結構な時間を要し、また、サラが気を失っていた時間もあったのか、空には星が輝き、周辺には夜の帳が広がっていた。

 

「ん?……サラ、眼が覚めたのか……?」

 

 サラが夜空に広がる星の輝きに目を奪われていると、横からリーシャの声が聞こえて来る。

 サラが目を覚ました時にはそこにはいなかったのであろう。その手にはうさぎを二羽持っていた。 

 

「あっ、リーシャさん……申し訳ありません……ここは……?」

 

「ああ、ここは、おそらくロマリア大陸だろう。あの『旅の扉』は、ロマリアに通じている筈だからな」

 

 狩って来たうさぎを持ちながらリーシャが話す国の名は、サラにとって書物の中だけに存在していた国の名だった。

 アリアハンという島国から出た事のないサラは、この世界のあらゆる事の知識は、アリアハン教会にあった書物から得ているのだ。

 

「……ロマリア……」

 

<ロマリア王国>

アリアハンと同じように、王権による統治を行っている国である。その大陸の大きさから、広い領土と大きな生産力を持ち、産業などもアリアハンとは比べ物にならない力を持っている国である。

 

「ああ、アリアハンから出る事は出来た。ここからが本当の旅になるだろうな。カミュとも話し、まずはロマリア城に向かい、ロマリア国王様に謁見する事になった。とは言え、既に陽が落ちたからな……今日はここで休む」

 

「あっ、は、はい」

 

 頷いたサラの頭を、うさぎを持っていない手で撫でた後、火に薪を数本くべ、リーシャはナイフでうさぎを捌き始めた。

 その手つきはやはり慣れたもので、うさぎが解体されていくのを直視できないサラには見えないように捌かれていた。

 

 リーシャがうさぎを捌き終わった頃に、カミュも戻って来た。その手に種類の違う魚と、ねぎのような物を持っている。魚は川で捕れる種類ではない事が見て取れる為、この近くの海でカミュが捕って来たのかもしれない。

 

「カミュ、魚は捌くのか?」

 

「……アンタは魚を生で食べる趣味でもあるのか?」

 

 ナイフを水で清めながら問いかけるリーシャは、カミュの返しに口籠った。

 基本的に、料理を得意とするリーシャであれ、アリアハン国民である以上、魚を生で食す習慣はない。ソテーにしたり、煮込んだり、焼いたりして食すのが普通だ。

 遥か遠い所にある国ではそういう習慣があるらしいのだが、彼等はそれを知らない。

 

「……流石に私も生で食べる習慣はない……焼くのなら串が必要だろ?」

 

「……」

 

 カミュの厭味に近い物言いに対し、反論せずに串を渡すリーシャを眺めながら、サラの頭の中には先日の事が横切って行く。途端に、リーシャの拳骨が落ちた場所が痛み、余計な事は口に出す事はしなかった。

 串にうさぎの肉と、カミュが取ってきたねぎを交互に刺し、そのまま焚き火の周りに直に刺して行く。

 魚の方も同様だった。

 焚き火を囲うように三人が座り、身体を温めながら、肉などが焼けるのを待つ事になる。

 

「ロマリア国王様に謁見された後は、どこに向かわれるのですか?」

 

 いままで、焦点が合っていない瞳で炎を眺めていたサラが、ふと思いついたように顔を上げ、カミュの方を見ながら口を開いた。

 目的は『魔王討伐』の旅ではある。

 アリアハンを出てから今まで、サラは確認した事はなかったが、一言に『魔王討伐』とは言っても、実際その『魔王』の所在や、どう進めば近付いて行けるのかが分かっていない。

 故に、サラは何処に行くのも、カミュの判断について行くしかないのだ。

 

「ロマリア国王様との謁見内容次第だが、ロマリアの南東に<アッサラーム>という街があるらしい。その街は大きく、栄えているという話だ。何か情報は入るだろう」

 

 答えはカミュの横にいるリーシャから返って来た。

 カミュやリーシャにしても、『魔王』の居場所を知っている訳ではない。一つ一つ情報を掴みながら前進して行くしかないのだ。

 

「おそらく、宮廷魔術師の誰かが、<ルーラ>を使って、アリアハン国からカミュが旅立った事を伝えてはいるだろう。援助が受けられるかもしれない」

 

 サラの目を見て話すリーシャの言葉は、国の使命を受けた者としては当たり前の考えだろう。国の使命とは言え、『魔王討伐』という使命は全世界の希望であり、全世界の願いでもあるのだ。

 その使命を受けた者は、必然的に世界各国の命を受けた事に等しい。その者達への援助は、ある意味では当然の行いなのである。

 

「な、なんだ!?」

 

「……アンタの幸せな頭にはつくづく感服するよ……」

 

 しかし、リーシャの考えに対して盛大な溜息を洩らしたカミュは、頭に血が上りかけたリーシャの血流に、更に拍車をかける。

 カミュの考えている事など、リーシャには理解が出来ない。

 それはサラも同様で、至極当然のように聞こえるリーシャの考えの何が、カミュに言葉を吐かせるのか理解できなかった。

 

「なんだと!!」

 

「あれだけ、アリアハン国のやり方を見て来て、まだそんな事を言えるアンタを尊敬する。これ程の忠義者を、外へ出そうと躍起になっているアリアハンもアリアハンだがな」

 

 カミュの言う通り、アリアハンを出るまでに、リーシャもサラもアリアハン国の裏側を何度か見て来た。

 それは、とても許容出来る物ではなく、むしろ拒絶感さえ覚える物。

 それでも、リーシャは宮廷騎士なのだ。そして、『騎士』としてのそんなリーシャの姿を、カミュは評価していた。 

 

「……ロマリア国王に謁見したとしても、援助を受ける事など出来る訳がない。他国が推挙する人間を擁護すると思うのか?」

 

「し、しかし……今、国同士や人間同士で争っている場合ではありません。それは、一国をお治めになる国王様であれば、ご理解されているはずです」

 

 カミュが言った内容に、今度はリーシャではなくサラが噛みつく。

 その言葉に、カミュは『お前もか』とでも言いたげな視線を向け、溜息を吐き、そんな溜息を聞き、サラは身構える。

 次に出て来るカミュの言葉は、必ず辛辣な物である事は、サラにも予測できたのだ。

 

「それが、理解出来ないからこその国王だ。謁見した事などはないが、何処も同じだろう。自国の立場と、自分の立場を第一に考えている筈だ。でなければ、オルテガの死の時に、あれ程アリアハンに批難が集中する訳がない」

 

「!!」

 

 オルテガの死。

 その情報は、アリアハン国を絶望の淵に追い込む物だった。

 しかし、それは決してアリアハンだけではない。

 アリアハン国王が世界に向けて発した援助申請を受け、様々な国がオルテガの旅を援助して来た。それは資金援助であったり、物資であったりと様々であったが、世界中が一人の青年に期待と希望をかけていた事は事実なのである。

 その国々にとって、援助した相手が何も成さないまま命を落とすという事は、資金や物資をどぶに捨てた事と同じ物となるのだ。

 その矛先はそれを押し出した国家。

 それにより、世界中の国々から糾弾を受けたアリアハン国は、その立場を急落させ、現在のような辺境国という不名誉な扱いを受ける事となったのだ。

 

 勿論、その家族への影響もあったのだろう。

 オルテガの家への援助打ち切りの話は、何度となくあった。

 オルテガの台頭を快く思っていなかった、国家の重役に位置する貴族達や文官を牽引する者達等、それはかなりの数に上り、国命によって命を落としたにも拘わらず、オルテガの今までの功績を無にしようとしていたのだ。

 その数は、日を追うごとに数を増し、激しくなってくる他国からの糾弾により、遂に国王の判断が下る事となる。

 カミュの家は、オルテガの功績による恩給を停止された。

 残った収入は、祖父が宮廷騎士として残した功績に対する僅かな恩給だけとなったのだ。

 

「謁見が叶ったとしても、援助の申し出どころか、下手をすれば余計な依頼を押し付けられる事になるかもしれない」

 

 カミュは無表情で、夢も希望もない事を言う。その言い方と内容に、二人は言葉に窮した。

 以前リーシャが言ったように、カミュの生い立ちは自分が考えていた物よりも、ずっと過酷な物であったのかもしれない。親のいない孤児達は、今日食べていく物もなく、毎日に絶望している。

 それに比べれば良いとはいえ、『カミュは魔物ではなく、人間に人生を狂わされた人間なのかもしれない』。

 リーシャはそう思った。

 

「……も、もう、焼けただろ! ほら、明日も早い。サラもさっさと食べて、早く寝ろ」

 

「あっ、は、はい!」

 

 リーシャは、強引に話題を変えようと、刺さっていた串を取り、頬張り始める。

 重い空気に堪りかねていたサラも、そのリーシャの行動に乗り、慌てて魚が刺さった串を手に取った。

 呆れたような溜息を吐き、水を口に含んだカミュの横顔に浮かぶ僅かな悲壮感が、隣でねぎを口に入れていたリーシャの頭の中に、無意識に残って行く事となる。

 

 

 

 翌朝、焚き火の炎に土をかけて消し、一行は北へ向けて進路を取った。

 昨夜カミュが取って来た魚は、南方にある海で取ってきた物であり、その話から、南には海しかない事を知った一行は、目指す先は北と決まったのだ。

 いつものように、カミュを先頭に歩き出す。

 暫くは広く見渡す限り平原が続き、周囲の海から吹く潮風が心地良い。サラは、靡く自分の蒼味がかった髪を押えながら、壮大な平原を、目を細めて見つめていた。

 

 その内、前を横切っていく馬車が見えて来る。

 馬二頭に引かれた、かなり大きめな荷台には、白く大きな幌が被さっており、その内部は見る事が出来ない。先頭には一人の男が手綱を引き、馬車を制御している。その風貌は商人には見えず、むしろならず者と言っても過言ではない物。

 歩くカミュ一行から徐々に距離が離れていく馬車を、サラは何か言いようのない不安感を胸に抱きながら眺めていた。

 

「あの馬車は、おそらくロマリア城に向かっているんだろう。あれと同じ方向に向かおう」

 

 同じように馬車を見ていたリーシャは、自分達の向かうべき方向を示してくれた馬車の後について行くように指示を出す。

 それに対してカミュも頷いた事から、進路を若干変更し、馬車が向かった方角へ歩き出す事となった。

 

 

 

 馬車の車輪の跡を追いながら数刻歩くと、不意に先頭を歩くカミュが背中から剣を抜いた。

 その様子に、リーシャも腰の剣に手を置き周囲を警戒する。サラも<銅の剣>を抜き、リーシャとは反対方向に警戒の目を向けた。

 見渡す限り平原なだけに、それはすぐに確認出来た。

 草原を歩く一行を挟み込むように、両側から現れた魔物は、左手には巨大な芋虫のような魔物、右手にはアリアハン大陸に出て来た<フロッガー>のような巨大なカエル。芋虫のような魔物は、その大きな体躯に無数の足をつけ、こちらを威嚇するように身体を置き上がらせて来る。 

 

<キャタピラー>

見た目は蝶類の幼虫のような姿形ではあるが、芋虫とは違い、その背中は硬い鎧のような皮膚で覆われている魔物。その為、剣で斬り刻む事や、突き刺す事は容易ではない。特別な攻撃方法を持ち合わせてはいないが、アリアハン大陸に生息する魔物と比べれば、段違いの強さを誇る。

 

 カミュは右手に剣を持ったまま<キャタピラー>へと突っ込み、左手を掲げ<メラ>を唱える。

 カミュの指先から飛ばされた火球は、狂いなく<キャタピラー>に命中し、<キャタピラー>が苦悶の表情を見せる僅かな隙を作った。

 その隙を利用し、カミュは<キャタピラー>の懐に入り、剣を上から振り下ろすが、まるで金属と金属が衝突したような音を上げ、カミュの振り下ろした剣は上へと弾かれる。

 完璧な振り下ろしだったにも拘わらず、その剣を弾かれた事に驚きを隠せないカミュには若干の隙ができてしまい、<メラ>の炎から抜け出した<キャタピラー>は、そのまま態勢を崩したカミュに体当たりのように突進し、カミュの身体は後ろへ飛ばされる形となった。

 

「サラ!」

 

 カミュが魔物に遅れをとる姿を初めて見たサラは、その光景を不思議な眺めのように呆然と見つめていたが、リーシャの声に我に返り、間近に迫った巨大なカエルの攻撃を避ける事が出来た。

 

「サラ! そのカエルは毒を持っているようだ! 気をつけろ!」

 

 リーシャの言葉を裏付けるように、巨大カエルが振り下ろした手の先にあった木の枝に付く葉は、毒液を掛けられたように煙を吹きながら萎れて行く。

 

<ポイズントード>

その名の通り、その身に毒を持ち、その毒にて人間を食す魔物である。その毒はバブルスライムよりも若干強い性質を持ち、人の神経を侵すだけではなく、その身体をも傷つけて行くのだ。アリアハンに生息していた<フロッガー>と同様に、発達した後ろ脚を使った跳躍力は健在で、そこから繰り出される威力も段違いの物である。

 

「この!」

 

 サラに近づいて来た<ポイズントード>をリーシャが手に持つ剣で突き刺した。

 後ろからの刺突は、正確に魔物の脳天を貫通し、その傷跡から赤ではない体液がこぼれる。

 しかし、一体の身体から剣を抜き、もう一匹の<ポイズントード>に身構えたリーシャは、飛んで来る舌にその剣を絡め取られた。

 <ポイズントード>の唾液が滴る舌が剣に絡まり、力比べとなる。サラは、以前に<おおありくい>と力比べをした事を思い出し、魔物の力の強さにリーシャの身を心配したが、そのような心配は、このアリアハン随一の戦士には無駄な物であった。

 

「ふん!」

 

「ギニャーーーーー!」

 

 暫しの間、力比べをしていたリーシャは、剣を横に寝かせ、逆に舌に剣を這わせ、そのまま力任せに舌を斬り千切った。

 リーシャに舌を切られた<ポイズントード>は、力のぶつける場所を失い、奇声を発しながら後ろへ転がって行く。そこには、現在<キャタピラー>と戦闘中のカミュがいた。

 カミュは<キャタピラー>から剣を背け、その剣を転がって来たポイズントードの眉間に突き刺す。眉間に剣が深く突き刺さった<ポイズントード>は手足をバタつかせた後、その力も尽き絶命した。

 <ポイズントード>から剣を引き抜いたカミュは、その剣を横薙ぎに<キャタピラー>に向け振るう。剣は、カミュに向かって体躯を上げていた<キャタピラー>の腹部を薙ぎ、数本の脚と共にその体液を飛ばした。

 背中を覆う金属のように厚い殻と違い、腹部は通常の昆虫のように柔らかく、剣でも傷が付く事を理解したカミュは、怯んだ<キャタピラー>の喉元に剣を突き刺し、その剣を下に滑らせて行く。大した抵抗もなく滑るカミュの剣は、<キャタピラー>の喉元から腹部までを切り裂き、剣を引き抜いたカミュが距離を空けたのと同時に、その体躯から盛大に体液を撒き散らし、沈黙した。

 残るは一体だけ残った<キャタピラー>。

 傷一つない三人に敵う訳もなく、数秒で斬り伏せられて行く。

 

「ふぅ、何とかなったな。流石はロマリア大陸の魔物だ。アリアハンとは比べ物にならないな。まさか剣が通じないとは……」

 

 最後のキャタピラーを斬り倒したリーシャは、剣に付いた体液を振り払い、鞘に収めながら、今対峙した魔物達の感想を漏らす。

 サラは何もしなかったにも拘わらず、その場に座り込んでしまった。

 

「……カミュ様が飛ばされるところは、初めて見ました……」

 

「……」

 

 サラの正直な感想に、カミュは一瞬顔を顰めたが、そのまま表情を失くし、その瞳でサラを射抜くように見つめる。その視線を受け、慌てたのはサラだった。

 勢い良く立ち上がったサラは、大きく手を振りながら弁解を始める。

 

「あっ、い、いえ、そういう意味ではないのです! ただ、驚いてしまったというだけで……別にカミュ様が弱いとか……そういう……意味……では……」

 

「……」

 

 サラが言葉を紡ぐにつれ、カミュの視線が厳しくなって来るのを感じ、尻すぼみとなる。

 そんなサラを手助けする為、リーシャがカミュとサラの間に入った。

 

「いや、実際その通りだ。カミュはまだまだと言う事だな」

 

「……」

 

 サラの言葉を肯定するように、頷きながら腕を組むリーシャにカミュの視線が突き刺さる。

 そんなカミュの視線もどこ吹く風で、リーシャはサラを支えながら笑っていた。

 今のカミュの瞳は、アリアハンでリーシャが受けた物とは質が違う。他者を凍り付かせる物に変わりはないが、その内容が違うのだ。

 

「ん?……なんだ?……悔しかったら、せめて私に勝てるようになれ」

 

「……ちっ……」

 

 続くリーシャの言葉に舌打ちをしたカミュは、剣を背中の鞘に収め、先を歩いて行く。リーシャはそんなカミュの態度に軽く微笑みながら、起き上がったサラの手を放し、カミュの後に続いた。

 リーシャの優しい微笑み、カミュの拗ねたような態度、サラの頭の中でそれらが結びついた先は、やはり<レーベ>で考えていた事と同じ物であった。

 

 

 

 その後も何度か戦闘があったが、カミュとリーシャの活躍により、何とか魔物を撃退し、一行はロマリア城城下町の門前に辿り着く。ロマリア城はアリアハンと同じように、ロマリア城下町までを一括りに城壁で覆っていた。

 その門を潜った先には城下町が広がり、ロマリア国民の生活がある。その先に王族が住み、また国政を司る者達が働く本城が聳え立つのだ。

 門は、アリアハンのそれよりも大きく、そこから続く城壁の高さもアリアハンとは比べ物にならない。その城壁の長さも、肉眼では果てが見えない程の物であった。

 門の横には番所があり、兵士達が待機している。そこに、先程カミュ達の前を横切った馬車が止まっており、何やら兵士達と会話をしていたが、決着が着いたのか、門の中へ馬車ごと入って行った。

 

「……さっきの馬車ですね……」

 

「商人か何かだろ」

 

 サラの呟きに、リーシャは気にした様子もなく答える。

 リーシャの言う通り、この時代に馬車を使って移動する者は、裕福な者達がほとんどであった。

 自分達以外の荷物を馬車を使って運ぶしかない者など、裕福な貴族か商人の類しか考えられないのだ。

 

「……商人にしては、らしくない格好でしたけど……」

 

 サラは先程感じた以上の胸騒ぎを感じていた。

 実際、裕福な貴族や商人達の物であるならば、馬車の周囲を護衛の者達が囲んでいる筈なのである。この時代、裕福な者など数は限られており、町で生活できない者達の一部は、盗賊等に身を落とす者も多いのだ。

 故に、そんな盗賊への防衛手段として、腕の立つ冒険者や傭兵を雇う事が当たり前となっている。

 

「止まれ!」

 

 サラが物思いに耽っている間に、一行は城下町を護る門の前に辿り着いていた。

 城下町の護衛も兼ねている兵士が門の両側に立っており、その手に持つ槍をカミュの前で交差させ、その行く手を遮っている。

 これも、城下町に住む国民を守る為の仕事である。

 それは、カミュ達も解っていた。

 

「アリアハンから来ました、カミュと申します。後ろの二人は従者となります」

 

「……アリアハンから?」

 

 アリアハンという国名を出すと、右側にいた兵士は訝しげな顔をした。

 左側にいる兵士は、一目で嘲りの顔だと解る表情を浮かべ、カミュ達一行を舐めるように見ている。その視線はとても不快な物であったが、リーシャ達の前面に立っているカミュは、顔色を変える事無く、視線を向けていた。

 

「……私は、ここ数年ここの門を任されているが、お前達は初見だな……それ以前に、このロマリアへ来た事があるのか?」

 

「いえ、ロマリアには初めて訪れました」

 

 カミュの返答を聞いた右側の兵士は更に思案顔を深め、疑わしい者を見るようにカミュを見る。左側の兵士は、もはやにやけ顔を隠そうともせず、サラを見ていた。

 不快な視線にリーシャは顔を顰め、サラはその視線に耐えられず俯いてしまう。

 

「……では、<ルーラ>を使って来た訳ではないのだな……どうやって来た?」

 

「『旅の扉』を使用して参りました」

 

 兵士の問いかけに対し、間髪入れず答えたカミュの言葉は、大きな門の前を流れる時を止めてしまう程の威力を誇った。

 一瞬、何が起きたのか理解できないように、兵士は呆然と立ち尽くす。

 

「『旅の扉』だと!! あれが開通したと言うのか!?」

 

 アリアハンが『旅の扉』を封印し、行き来が出来なくなっているという事実は、ロマリアにも知られてはいる。その行為は、自国の安全だけを考えた卑怯な行為であり、『アリアハンは臆病者の国だ』と嘲る人間は多数いた。

 未だに、ニヤニヤと厭らしい目でサラやリーシャを見ている左側の兵士は、間違いなくその部類の人間なのであろう。

 

「はい。ですが、おそらく、我々が『旅の扉』に入った後、再度封印が施されたと思われますので、使用は出来ないでしょう」

 

「!!」

 

 カミュの言葉に驚きを表したのは、何も門兵だけではなかった。

 その言葉に、サラとリーシャの顔にも驚愕の色が表れている。まさか、自分達がアリアハンを締め出されるとは考えてもいなかったのであろう。

 

「へっへっ、やはりアリアハンだな。腰抜けの卑怯者ばかりが集まった国らしいや。自分達が犯した罪の尻拭いもせずに、小さな島に閉じ籠ったままだ……けっ!」

 

 予想していたのか、初めから決めつけていたのかは解らないが、左に立つ兵士がその手にある槍を下ろし、嘲るような笑いと言葉を一行へ向けて来る。その兵士の態度に真っ先に反応を返したのは、やはり彼女だった。

 

「くっ! なんだ……」

 

 しかし、頭に血が上りそうになるリーシャをカミュの手が押え付ける。

 ただ、リーシャの顔前に出されただけではあるが、その威圧感はリーシャでも声を紡ぐ事が出来ない程の物。力の強さという面では、まだリーシャに分があるが、こういう交流面では明らかにカミュの方が上なのだ。

 

「失礼しました。ロマリア国王様には、話は通っていると思います。謁見をお許し頂ければと思い、ここを訪れました。城下町に入る許可を頂ければと思うのですが」

 

 そう話すカミュは、一通の書状を右側の門兵に手渡した。

 それは、アリアハン城を立つ際に、国務大臣から手渡された物資の一つで、アリアハン国王の花押が押された認可状である。他国の街や城に入る際に、カミュ達の身分を証明する物となるのだ。

 

「……ああ…………うん、確かに……入れ」

 

 カミュから手渡された書状にじっくりと目を通した兵士は、許可を出し、槍を下げた。

 その兵士に一礼した後、カミュは門を潜って行く。リーシャは左側の兵士に、未だ収まり切らない怒りの視線をぶつけその後を追って行った。

 

「ふん! お前たちの国が、どれ程の事をしたと思っているんだ! 卑怯者が!」

 

「……」

 

 通り抜け様に罵声を浴びせられ、リーシャの顔色が変わるが、それは再度カミュによって抑えられる事となる。サラは、何故ここまで罵倒されるのかが理解できず、顔を俯かせながら門を潜った。

 

 

 

「何故止める! あそこまで祖国を馬鹿にされて、黙っていろと言うのか!」

 

 門から離れたところで、リーシャが今まで抑えていた怒りの感情が爆発し、その矛先は前を歩くカミュへと向かう。サラはリーシャを抑えるようにその腰に手をかけるが、その程度の力では、リーシャの突進は止められない。

 

「……アンタは本当に馬鹿なのか? アンタは、ロマリアの国敵にでもなりたいのか? ロマリアでアリアハンの人間が問題など起こしてみろ。今の人間を見て解るように、反アリアハン感情が爆発し、すぐにでも戦争になるぞ」

 

「……ぐっ……しかし、お前は悔しくはないのか!?」

 

 カミュの語る内容は、決して大袈裟な事ではない。それを、心の中ではリーシャも解っているのだ。

 ただ、知識として知ってはいても、実際に受けてみると、宮廷騎士としてではなく、アリアハンの一国民として納得が出来なかった。

 

「……アンタは、この俺に愛国心でも期待していたのか? それこそ、アンタの脳は、どういう構造になっている?」

 

「なっ、なんだと!!」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュの言葉は、サラにも信じられない物だった。<レーベ>の生まれであるサラであっても、国籍はアリアハンであり、長く生活をしてきたアリアハンに対し、国の騎士であったリーシャ程ではないにしろ愛着はある。故に、あの兵士に対し、やはり抑えてはいるが怒りの感情は持っていたのだ。

 ただ、リーシャが我慢し、カミュもそれを抑えていると思い込んでいたからこそ、下を向き堪えて来た。

 

「あの兵士が言うように、アリアハンが送り出した者が、世界中での英雄という訳ではない。それはアリアハンに近ければ近い程、憎しみに近い物を持っている可能性が高い筈だ」

 

「なに!?」

 

 サラは、続いたカミュの言葉を理解する事が出来ない。

 彼が言う『英雄』とは、紛れもなく、アリアハンの英雄『オルテガ』であろう。それは彼の父親なのである。

 それを憎しみの対象と、平然と言いのけるカミュが信じられなかった。

 

「そいつの旅の為に、国家が提供する資金や物資の出所は、大抵その国に住む人間達だ。無理な搾取を受ければ、国民の生活水準は間違いなく下がるだろう。今、この城下町を見ると、その片鱗は見えない。それが、ここ十数年の中での国民の踏ん張りの為なのか、それとも為政者の手腕なのかは解らない。どちらにしても、そんな状況に追い込む原因を作った国が、それに対しての後始末もせずに、自国の為だけに鎖国したという事は事実だ」

 

 それは、リーシャも同様であった。

 自分が仕える国と、そして幼い頃からの憧れの人物を、これ程までに愚弄された事に、目の前が暗くなる程の怒りを覚えたのだ。

 故に、彼女はその内に湧き上がった感情を吐き出してしまう。

 

「カミュ!! お前は父親を何だと思っている!!」

 

 リーシャはその胸倉を掴み、怒りに燃えた瞳でカミュを睨みつける。そのリーシャの姿を抵抗する事なく受け入れ、冷やかな瞳でカミュは見つめ返していた。

 その瞳は、<キャタピラー>との戦闘の後に見せた物とは質を違えている物。

 サラの身体は硬直し、口は開くが言葉は出て来ない。

 

「以前にも話したと思うが、アンタが『オルテガ』という人物にどんな想いを持っているのかは知らないが、俺にはそれが理解出来ない。俺はあれを『英雄』だと感じた事はなく、ましてや身内だとも感じた事はない。この話は平行線を辿るだけだ」

 

「貴様!!」

 

「リーシャさん! 落ち着いて下さい!」

 

 カミュの言葉を聞き、今まで我慢していた怒りが爆発したリーシャは、掴んでいる腕を放し、カミュに向かって殴りかかろうとする。サラは、周囲からの奇異の視線を感じ、硬直した身体を無理やり動かし、リーシャの行動を止めるため、その背中に抱きつくような形でしがみ付いた。

 

「……アンタにはアンタの、俺には俺の考え方がある。俺の考えを押しつける事をするつもりはないが、逆にアンタの考えに染まる事もない。それを理解した上での旅ではなかったのか?……それに、今俺が言った事を、あの門兵が証明するのを見た筈だ。アンタがどう思おうと、この国では<アリアハン>も『オルテガ』も崇拝する対象ではないという事だ」

 

「……ぐっ……」

 

「で、ですが、この国の人達の中に、『魔王討伐』を志した人間がいましたか? 魔王に立ち向かおうとする人間を、その成否だけで判断するなんて……」

 

 リーシャがレーベの宿屋でカミュと交わした約束の中には、考え方については何も入っていない事を思い出し、言葉に詰まる。確かに、リーシャは『お互いの衝突については目を瞑る』と伝えていた。

 それは何もサラとカミュの間だけではない。リーシャとカミュの間の事も含まれている筈なのだ。

 言葉に詰まるリーシャの後ろから、サラは自分の考えをカミュにぶつけるが、それは本来カミュにぶつけるには筋違いの話だった。

 

「それこそ、ロマリア国民には関係のない話だ。力のない人間、その日を過ごす事に必死な人間に、『魔王』を倒せという方が馬鹿げた話だろう。要は、勝手に国から討伐に向かい、勝手に死んでいった人間のおかげで苦しんだという事実、唯それだけだ」

 

「か、勝手に死んだだと!!」

 

「リーシャさん!!」

 

 再度血が上って飛びかかろうとするリーシャを、サラは必死で押さえる。そんな二人を余所に、カミュは周りを気にした様子もなく、怒りに燃えるリーシャの目を無表情に見つめていた。

 

「アンタ方がどう考えていようと構わないが、この国の人間には、この国の人間の主張がある。これからロマリア国王に会いに行けば、おそらく今以上に理不尽な言葉を浴びせられる可能性もある事だけは理解しておいてくれ。それでなければ、旅の邪魔だ」

 

 リーシャとサラに向かって、淡々と話すカミュの言葉は抑揚がなく、それこそ人形相手に話しているような物。

 サラはカミュの話に納得は出来ないが、理解する事は出来ていた。

 今、<ロマリア>で問題を起こせば国同士の戦争となる。リーシャやサラが、一時の感情に流された事の結末は、多くの人間の死に繋がるのだ。

 旅を続けるどころか、それは大袈裟に言えば、人の歴史に終止符を打つキッカケになり兼ねない問題だという事だ。

 

「……わかりました……」

 

「……」

 

 カミュはそのまま大通りを歩き、真っ直ぐ王城に向かい歩を進める。その後を、未だに目に怒りの炎を残し、前を歩くカミュの背を睨みつけるリーシャが続いた。

 リーシャとて、カミュに言われる程の馬鹿ではない。カミュが何を懸念しているのかは十分に理解している。しかし、理解する事と、心で納得する事とは違うのだ。

 その冷めやらぬ怒りの全てをカミュにぶつけるしか、今のリーシャには、自分を抑える方法を見つける事が出来なかった。

 

「それで、どうするんだ!? このまま王城に向かうのか!?」

 

 先程の感情を捨て切れていないリーシャは、カミュに行先を訪ねる声がほとんど怒鳴り声に近い物になっていた。

 そんなリーシャをサラも抑える事はせず、カミュも気にした様子もなく歩いて行く。

 

「いや、宿屋を手配しておいた方が良いだろう。今日は謁見が終われば、ここに泊まる事になるだろうからな」

 

 カミュの言葉に、二人は反論することはせず、宿屋を探す為に歩き出した。

 その時、左手の方から声がかかる。その声は、綺麗ではないが良く通る声であり、昼の喧騒が広がるロマリア城下町に響いていた。

 

「いらっしゃい、いらっしゃい。今日は良い武器を仕入れといたよ。寄って行っておくれ」

 

 三人が声のかかった方向を確認すると、そこには盾に武器が重なった独特の看板を掲げている武器屋であろう店が開いていた。

 店先で、主人であろう人間が手を叩きながら客引きをしている。視線を動かしたカミュの瞳が店主とぶつかった。

 

「おい、兄さん。旅の人だろう? 見て行ってくれよ」

 

「どんな武器がある?」

 

 店主の言葉に興味を引かれたのか、珍しくカミュが街の人間の声に耳を貸した。

 カミュが店の方に歩いて行く事に驚きながらも、リーシャとサラもその後を追う。店主に誘われるままに入った建物の中には、大きなカウンターがあり、武器や防具の品揃えも中々の物であった。

 

「おっ、ありがとうよ。今日はな、これさ、これ。この<鉄の槍>が仕入れられてな。どうだい? 王宮の兵士達が使っている槍よりも良い物だと思うぜ」

 

「……」

 

 店主が差し出した<鉄の槍>は、柄の先に鉄製の刃が付いている、何処にでもある槍であった。

 王宮の兵士達が使っている物と大した違いはない。店主の商法なのだろう。カミュはそれを理解していた為、その事を責める事はなかった。

 

「いくらだ?」

 

「おっ、買ってくれるのか?650ゴールドになるぜ」

 

 650ゴールドは決して安い金額ではない。アリアハンを出る際に、カミュが手にした支度金は50ゴールドである。しかし、少し考える素振りを見せてから、カミュはリーシャへと振り返り、口を開いた。

 

「……アンタは槍も使えるのか?」

 

「な、なんだ、突然。私はそんな物は要らないぞ。この剣で十分だ」

 

 突然振られた話題に、リーシャは驚いた。しかし、自分の腰に下げている剣を軽く叩きながら、カミュへと返答をするが、その答えはカミュが期待していた物ではなかったようだ。

 

「……誰もアンタの為だとは言ってない。その僧侶にも、これから先は、戦闘でも役に立ってもらわなければならない。アンタが槍を使えるのなら、教えられると思っただけだ。非力な人間であれば、<銅の剣>より、射程距離が長い槍の方が戦い易い筈だ」

 

「わ、私ですか!!」

 

 リーシャとカミュのやり取りを、我関せずで眺めていたサラは、それこそ飛び上らん程に驚きを表していた。

 剣や槍等の武器を見る時、自分には関係のない物として考えていた節のあるサラは、当然ではあるが槍の使い方など分かりはしない。

 

「一概にそうだとは言えないだろう。槍のような長い武器は、それなりの訓練をしなければ、手足の様には動かせない。一朝一夕に使いこなせる武器ではないぞ」

 

「だからこそ、アンタが居る。それに、ここまで来る間に遭遇した魔物達を見ていなかったのか? あれは、アンタでもなければ、もはや<銅の剣>でどうにかなる魔物ではない」

 

 カミュの言う事は尤もな話だった。

 あの硬い殻に覆われた魔物などは、とても<銅の剣>で叩き潰せるような相手ではない。それこそ、殻ごと突き刺すような鋭利な武器でなければ、太刀打ちは出来ないだろう。それは、リーシャも解っている事だった。

 故に、リーシャは一度黙り込み、何やら考え込んだ後、もう一度顔を上げた。

 

「わかった。槍は私が教えよう……任せろ、伊達に宮廷騎士をして来た訳ではない。大抵の武器は、使いこなす事は出来る」

 

「え、えぇぇぇぇ!! リ、リーシャさん!?」

 

 少し考えた後、リーシャが発した言葉は、サラの戦闘訓練の過酷化を宣言する物であり、サラは驚きと共に、天を仰ぎたくなるような心境であった。

 今、現状の訓練でも、サラは悲鳴を上げているのだ。

 それが、槍の鍛錬となれば、再び一からの訓練となる。

 基本的な足捌きから、槍の振るい方。

 その全てが初めて尽くしのサラにとっては、気が遠くなる作業である事は間違いない。

 

「……決まりだな……親父、その槍を貰おう。それと、そこに掛けてある物は何だ?」

 

「ありがとうよ!! ん…これか? これは<鎖帷子>と言う防具だ。細い金属を編み込んだ物でな。まあ、刺突には弱いが、剣等で切りつけられても傷はつかないって代物だ」

 

 腰に付けている革袋を取り外したカミュは、店主の後ろに掛けてある網状に金属を繋ぎ合わせている服のような物を指差すと、店主は自慢気に答えを返す。まるで自分が作成したかのように語る店主を無表情で見つめていたカミュは、説明を聞き終わると一つ頷いた。

 

「なるほど……では、それも貰う。コイツに合うよう仕立ててくれ」

 

 カミュは、店主が指差す防具をサラに合わせるよう指示を出す。サラは、その言葉に更に驚く事となった。武器ばかりか、防具までも新調された事に驚いたのだ。

 確かに、<レーベ>にて、リーシャから『武器や防具の代金はカミュが支払う』と聞いてはいたが、自分ばかりが与えられる事に戸惑ったのだ。

 

「カ、カミュ様!! わ、私ばかり、そんな……」

 

「何を勘違いしているのか知らないが、アンタがこの中で一番危うい。命が惜しければ、下に着ている<革の鎧>を脱いで、これに替えておけ」

 

「そうだぞ、サラ。ゴールドの事は気にするな。確かに、旅にはゴールドは必要だし、私達の旅はそれ程裕福な旅ではない。だが、使う事を惜しみながら旅をしていても、命を落としてしまえば、そこで終ってしまう。私達も、この<青銅の盾>という物を買っておくさ」

 

 そう言って、自分の懐から出す訳でもないにも拘わらず、既に自分用の盾に目をつけていたリーシャは、店内に置いてある<青銅の盾>を手に取り、寸法を合わせるよう指示を出している。カミュはその様子を呆れたように眺め、自分の<青銅の盾>を手に取り、具合を確かめる事にした。

 

「おう、ありがとうよ。お嬢さん、こっちに来て一度試着してみてくれ」

 

「……は、はい……」

 

 つい何日か前にあった出来事を彷彿とさせるようなやり取りに、サラはどこか達観したような表情を浮かべながら、店主に言われた場所へと歩いて行く。試着室とは名ばかりの、布で仕切られただけの部屋で<鎖帷子>を着込んだサラは、再び店主の前に戻った。

 

「……そう言えば、私達が来る少し前に、馬車で来た人達がいましたけど、あの人達から商品を仕入れているのですか?」

 

 サラは、店主に寸法を合わせてもらいながら、街に入る時に感じた疑問を店主に投げてみた。

 あの馬車を動かしていた人間は、とても商人とは見えない姿だったが、『もしかしたら、色々な場所でものを仕入れて、店に提供するために旅をしている一団なのかもしれない』とサラは考えたのだ。

 だが、店主から返って来た言葉は、サラの想像を遥かに凌駕する物であった。

 

「とんでもない!! あんな奴らから仕入れる物なんて、うちの店で取り扱う訳がないだろ! その前に、あんな奴らから買う物なんて何もない!!」

 

 それは、怒りの感情を含ませた怒鳴り声だった。

 突然の怒鳴り声に、目を丸くしたサラであったが、すぐに店主が何故怒りを露わにしているのか疑問が湧いて来る。

 

「……どういうことだ……? あいつらは何者だ?」

 

 店主に疑問を投げかけたのは、サラではなくリーシャであった。

 サラと店主のやり取りを何気なく眺めていたリーシャであったが、店主の変わり様に、サラと同じ疑問を持ったのだ。

 

「……あいつらは……奴隷商人だよ。今の時代、自分達の子供を、口減らしの為に売る親も少なくない。そこから買って来たのか、それとも攫って来たのかは知らないが、定期的にここへ来ては奴隷を売って行く。その後、適度に城下町で遊んで行くから街は潤うが、俺は嫌いだ」

 

「……奴隷商人?」

 

「……」

 

 『魔王』が現れ、世が乱れたといえども、それ程に世情が変わる訳ではない。『奴隷』という存在は、それ以前から存在するのだ。

 それは、孤児であったり、攫われてきた者だったり、罪人であったりと様々ではあるが、大抵は碌な扱いを受けていない。

 

「……そんな……一体誰がそんな……奴隷などを買うというのですか?」

 

 サラは、孤児ではあるが、教会の神父にはそのような扱いを受けてはいない。

 アリアハンに奴隷商人などが来る事は、サラの記憶の中にはなかった。

 故に、そんな状況がある事が信じられないのだ。

 ただ、先程、店主に疑問を投げかけたリーシャと、最初から一言も発していないカミュは、そんなサラをそれぞれの表情で見つめていた。

 

「……誰って……そんなの貴族以外いねえだろうが! この国には、奴隷商人から奴隷を買える程に裕福な人間など、貴族達しかいねえよ」

 

「えっ?」

 

 国を担う人材であるはずの貴族が、奴隷商人から奴隷を買い、虐げているという事実をサラは信じる事が出来なかった。

 思わず、リーシャの方へと顔を向けるが、リーシャの表情を見て愕然とする。

 それは『既に知っていた』という表情。

 知っていて、それをサラが知った事を心配するような表情。

 つまり、アリアハンでも、貴族が奴隷を持っていたという事実に他ならない。

 

「……それにな……あいつ等が連れて来る者は、女ばかりなんだよ。奴隷として買われた女どもの扱いなんて、知れているさ」

 

「……慰みものか……」

 

 今まで一言も発していない、カミュがぼそりと呟くような言葉を発した。

 それは、サラに絶望を感じさせるのには、十分な威力を持った物であり、女性を『人』として認めていない行為。

 権力と金によって『人』の尊厳すらも冒涜する行為。

 サラの視界が闇に覆われて行く。

 

「リ、リーシャさん?」

 

 サラは救いを求めてリーシャに縋ろうとするが、その懇願は振り払われる事となる。

 目を伏せるように、サラから視線を外したリーシャは、その重い口をゆっくりと開いた。

 

「……サラ……貴族の中にはそういう人間もいる。勿論、少数ではあるが、奴隷商人から奴隷を買い、自分の欲求を満たそうとする人間がな。だが、今は国にそれを取り締まる法律がない」

 

「……そんな……」

 

 サラは教会で祈る時のように、胸の前で手を合わせ、リーシャを見つめる事しか出来なかった。

 サラの信じていた国家の根底に揺らぎが生じ始める。

 その揺らぎは、まだ小さい。

 だが、一つの物を信じ込んでいたサラの価値観に大きな変革を及ぼし始めていた。 

 

 この時代、このような城下町で暮らしている人間は、ゴールドさえあれば食に困るようなことはない。そして、五体満足であり、労働内容さえ選り好みしなければ、資金を稼ぐ方法はあるのだ。

 しかし、辺境の村などでは、自給自足の生活が当然である。作物が取れる内は良いが、天候などにより不作が続けば、それに比例して生活は苦しくなって来る。

 そうなれば、扶養家族が不要家族となるのも時間の問題なのだ。

 まずは歳をとり、労働力として戦力にならない老人達が対象となり、近くの山などに捨てられる。その後は、未だ食すだけの小さな子供達の順番になるのだが、そこでゴールドに変える方法が出て来るのだ。

 それが奴隷商人となる。

 奴隷商人に自分達の子供を、二束三文で売り払う。

 元は食費が掛るだけの存在だった者が、ゴールドへと変わるのだ、嬉々として我が子を売り払う親も出て来る。

 むしろ、そのために子を生し、母乳から離れる頃に売り払う親までもいるのだ。

 我が子に名前すら与えず、全く関心を示さない。教育も施さず、その子の将来を憂う事もない。

 

それが、今の時代なのだ。

 

「……調整は終わったか……?」

 

 そんな二人の心の葛藤にまったく関心を示す事なく、店主に向かって仕事の進み具合を問い質すカミュの表情は、能面のように冷めた物であった。

 

「あ、ああ、すまない。余計な話をした。頼む、忘れてくれ」

 

「……別に、アンタの今の話を上申しようとは思わない。それぞれ想いはあるだろう。だが、よく知らない人間に自分の内心を語るのは止める事だ」

 

 冷静さを取り戻した店主は、カミュの言葉に顔色を失う。それでも気を取り直し、その忠告を受け入れ、商品をカミュ達へと手渡した。

 

「ありがとう、肝に銘じておくよ。<鉄の槍>と<鎖帷子>と<青銅の盾>が二つ、全部で1630ゴールドだが、今の話を黙っていてくれるのなら、1500ゴールドで良いよ」

 

 先程、店主が語った内容は、完全な貴族批判である。このロマリアでは、どれ程の罪になるのかは解らないが、国民が犯してはいけない罪である事は、万国共通な事柄であろう。

 カミュは、再度、店主に公言しない約束をし、カウンターに袋から取り出したゴールドを置いて行く。

 

「……奴隷商人がこの街で遊ぶというのは、どういうことだ?……悪いが、見た限り娯楽がそれほどあるようには見えないのだが?」

 

 カミュから受け取ったゴールドを引き出しに仕舞っていた店主に、カミュが話しかける内容は、店主の話を先入観なく、全て聞いていた事を主張する物だった。

 カミュに国家批判をしてしまっている店主には、その質問に答えないという選択肢はない。

 

「……ああ……それなら、ほら。そこの階段を降りて行けば解る」

 

「……」

 

 店主の指さす先には、地下へと続く階段が存在していた。

 その先に、店主が言う娯楽があるのだろう。後ろを振り返った三人は、その階段を訝しげに見つめる。

 サラの胸の中に不思議な警告音が鳴り響いた。

 不安そうにリーシャを見つめるサラとは裏腹に、表情を完全に失くしたカミュは、店主へと振り返る。

 

「……わかった……」

 

「ああ、ありがとうよ。また何かあったら寄ってくれ」

 

 店主の謝礼の言葉を背に、カミュは階段へと歩を進めて行く。

 慌てたのはリーシャである。この旅に『娯楽』は全く関係しない筈だ。

 故に、カミュ達が向かう必要性もない。それでも、その場所に向かおうとするカミュに、リーシャは疑問を感じたのだ。

 

「カミュ! 行くのか?」

 

「何があるのか、見てみる」

 

 リーシャの問いかけにも、振り向く事なく答えたカミュは、下へと続く階段へと真っ直ぐ進んで行く。リーシャとサラは顔を見合せながら、それに続くしかなかった。

 

 

 

「血肉湧き躍る『闘技場』へようこそ!」

 

 階段を下りた一行に、真っ先に声をかけて来たのは、陳妙な格好をした男だった。

 蝶ネクタイに燕尾服、宮廷の舞踏会に出るかのような格好なのである。その男が、カミュ達に深々と頭を下げながら、不穏な言葉を発したのだ。

 

「……闘技場……?」

 

「はい! ここは、魔物達を戦わせる闘技場です。どの魔物が勝ち残るか予想して頂き、あちらでその券を買って頂く運びとなります。見事予想が当たれば、そのオッズに伴った配当が戻ってきます。ジャンジャン稼いで行って下さい!」

 

「……魔物を……?」

 

 闘技場という言葉に疑問を投げかけたサラの言葉に対し、男が返して来た言葉は、カミュの表情から熱を奪った。

 咄嗟にリーシャはカミュの横に立ち、いつでも抑え込めるように備える。それ程に、今のカミュの醸し出す空気は危うかった。

 サラには、その理由を正確に把握する事は出来なかったが、カミュをここに置いてはいけないという事だけは理解する。

 

「カミュ様……行きましょう……?」

 

 そんなリーシャの動きを視界の脇で捕らえたサラは、ここから出る事をカミュに提案するが、カミュは一つ首を振った後、奥へと進んでいった。

 慌ててその後を追うリーシャとサラは、その先で驚くべき物を見る事となる。

 

 中央には、下を見下ろすような展望席が設置されており、その下には、周囲を壁で丸く覆ったまさしく闘技場が存在していた。

 その円の至る所に、鉄格子があり、おそらくそこから魔物を出すのであろう。その光景を、カミュは冷たい目で見下ろしていた。

 その冷たい瞳は、周りをも凍りつかせるような雰囲気を纏っている。

 

「長らくお待たせいたしました! これより本日の10試合目を行います。皆さん闘技場にご注目下さい!」

 

 そんな中、会場全体にアナウンスが響き渡った。

 そのアナウンスに呼応するように、周囲の人間の狂気じみた声援が、闘技場を震わせる程の大音量となり、続く魔物の紹介のアナウンスの後に、闘技場内の鉄格子が三つ開き、中から<大ガラス>、<フロッガー>、<おおありくい>の三匹が、ゆっくりとした足取りで中央へと集まって来る。

 何か、特殊な魔法が掛けられているのか、それとも何か特殊な薬品が撃ち込まれているのか、魔物達の目は焦点が定まっていないような正気の目ではなかった。

 

「では、戦闘開始です!!」

 

 アナウンスと共に一斉に動き出した魔物達は、身体というお互いの武器を使い、襲い合って行く。それを見ていた観衆の熱気も更に増し、闘技場を包む空気も異様な物へと変わって行った。

 

 <大ガラス>が<おおありくい>目掛けて急降下をし、その鼻先を鋭い嘴で抉ると、<フロッガー>がその長い舌で<大ガラス>の体躯を叩き落とす。

 叩き落とされ、一瞬動きが止まった<大ガラス>に、<おおありくい>の鋭い爪が突き刺さった。

 数度痙攣した後、<大ガラス>はその息を引き取り、<大ガラス>の死骸を満足そうに見ていた<おおありくい>に今度は<フロッガー>が襲い掛かる。体当たりによって弾き飛ばされた<おおありくい>は、先程<大ガラス>に切り裂かれた鼻先から、血を撒き散らせて転がり崩れ、倒れ込んだ<おおありくい>の頭上に、<フロッガー>はその発達した後脚で大きく跳躍し、大きな前足で押し潰すように顔面へと着地した。

 <フロッガー>の全体重を掛けられた<おおありくい>の顔面は、まるで花火のように弾け飛び、その内部を形成する物を派手に撒き散らす。

 

「……うぉ……おぅぇ……」

 

 サラは、闘技場を直視する事が出来ず、吐き気を抑えるように口元に手を置いた。

 そんなサラの顔を自分の胸に押しつけるように、リーシャはサラの身体を抱き抱える。そんな二人へ視線を移す事無く、カミュはその冷たい瞳を闘技場へ落としていた。

 

「勝負あり!! フロッガーの勝ちです!! お賭けになっていた方々、おめでとうございました!!」

 

 戦闘の終了を告げるアナウンスの後、今まで以上の、声になっていない音が闘技場を取り巻く。それは、もはや人間が発するような物ではなく、気が触れた生物が発する奇声のように、サラには聞こえた。

 そして、再び闘技場の鉄格子が開いた。

 中から出て来た十人程の兵士が、残った<フロッガー>を切り刻んで行き、無残な死骸と化した<フロッガー>を引き摺るように運び出し、他の二匹の死骸も綺麗に片づけられる。

 魔物は負けても勝っても、待っているのは『死』だという事だった。

 

「……これが、『人』のする事か……」

 

「……カミュ……」

 

 その様子を能面のような表情で見つめていたカミュがぼそりと呟く。

 そんなカミュに対し、リーシャも、魔物に恨みを持つサラも、何も言うべき言葉を持ち合わせてはいなかった。

 唯、その能面のような横顔を眺める事しかできなかったのだ。 

 

「……<メダパニ>か<毒蛾の粉>で自我を消されていたのだろうな……」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュの表情は、二人が見た物の中でも、一番と言っていいほど冷たい物だった。

 その表情が、カミュの心を雄弁に語っている。熱気と狂気が未だ渦巻く闘技場を、三人はそれぞれの想いを持ったまま後にした。

 

 

 

 武器屋の正面に位置する場所にあった宿屋に入るまで、誰一人口を開く事なく、カミュが宿屋の主人に宿の手配をし、一度それぞれの部屋に入るまで会話はなかった。

 カミュが、ここまでの道程で手に入れた魔物の部位を売り払って戻って来てから王城へ上がる事となり、サラとリーシャは荷物を置いた後、宿屋の広間でカミュを待つ事となる。その間にも、二人の間には会話はなく、ひたすら先程の光景が頭の中で繰り返されるという地獄のような時間であった。

 

 狂気に満ちた人々の表情と発する奇声。

 魔物達の正気を失った瞳。

 それらを煽るような主催者のアナウンス。

 

 それら、全てがサラの頭の中をぐるぐると回っている。自分がどこにいるのか、自分は何を成す為に旅を続けているのかすら解らなくなる程の物だった。

 そんな時間が経過していく中、カミュが戻って来る。手に持つ袋は、中身が無くなっている為、萎んでいた。

 

「……王城へ向かう……」

 

 未だに、その表情は能面のようなままでカミュは謁見に向かうと言う。リーシャは渋い顔をしていたが、反論を挟もうとはしなかった。

 この状態で謁見の間に入れば、リーシャとサラは、まともな表情を作る事は出来ないだろう。

 しかし、謁見の間にて、国王の前に跪くのはカミュなのだ。

 リーシャ達はその後ろに控える従者に過ぎない。彼女達に発言する機会など有り得なく、顔を上げる事さえ許されはしないだろう。故に、リーシャ達は黙ってカミュの後ろを歩き出したのだ。

 

 

 

「止まれ!!」

 

 王城の城門の前には、街の門と同じように兵士が立っていた。

 街と違うのは、立っている兵士の階級が、街の門番よりも上である事。

 着ている鎧には、ロマリアの国章が記されており、正規の軍の兵である事が分かる。

 

「アリアハンから参りました、カミュと申します。アリアハン国王様からの書状も持参しております」

 

「アリアハンからだと!!」

 

 カミュの仮面を被った話し方に、街にいた兵士と同じような反応が返って来る。

 その様子に、再びリーシャは顔を顰めるが、サラが腕にしがみ付いていた為、何とか気持ちを抑える事に成功した。

 

「卑怯者のアリアハンの人間が、今さら何の用だ!!」

 

「ロマリア領を通る許可を頂きたく、ロマリア国王様へのお目通りをお取次ぎ頂きたいのですが」

 

 普通一介の兵士が、国家に対しての侮辱をすれば国際問題になりかねない。

 しかし、それでもロマリアの兵士がこのような態度に出るのは、恨みの深さだけではなく、単純にアリアハンを辺境国として見ている侮りが存在しているのだろう。もしくは、『戦争になっても勝てる』という想いがそうさせているのかもしれない。

 

「ふん!! ここで待っていろ! 良いか、一歩でも動くな!」

 

 カミュが手渡したアリアハン国王の書状を持ち、一人の兵士が城内へと消えて行く。

 アリアハンとは違い、彼らのような兵士と平民の間には、高い垣根は無いのかもしれない。アリアハンへの憎しみが同じ物であるからなのか、それとも、彼らのような兵士が、平民出身の者達で組織されているのかはわからない。

 

「許可が下りた。このまま真っ直ぐ歩けば、謁見の間に続く階段がある。それを上れ。それ以外の余計な場所には行くな。良いな!」

 

 戻って来た兵士は、相変わらず横柄な態度で、カミュ達にあれこれと指図をする。リーシャの拳は怒りに震えてはいるが、カミュは涼しい顔で聞き流していた。

 

「ありがとうございました」

 

 カミュは兵士に一つ礼をした後、城門を潜って行く。リーシャを促し、サラもその後を続いた。

 すれ違い様に、兵士の発する大きな舌打ちが聞こえ、リーシャが顔を上げそうになったが、必死なサラの腕に我に返り、大人しく城門を超える。

 

 

 

 言われた通りの階段を一行が上った先に、広く開けた広間があり、その前方には二つの玉座が存在した。

 一つの椅子には、恰幅が良く、口に黒い髭を蓄えた中年の男が座り、もう片方には、年若く見目麗しい女性が座っている。おそらく、年の頃から、中年の男がロマリア国王であり、その隣に座るのが王女なのであろう。

 また、ロマリア国王の傍には、アリアハンと同じように、大臣らしき人物が立っていた。

 

「そなたが、あのオルテガの息子、カミュであるか?」

 

「はっ」

 

 前に進み、跪いたカミュの一歩後ろに、リーシャとサラの二人も同じように跪き、そんな一行に、国王自ら声を掛ける。

 跪いたカミュが、顔を上げる事無く、返答をし、その答えに満足そうに頷いた国王は、跪く一行を見渡した。

 

「ふむ。面を上げよ……なるほど、良い目をしておるの」

 

「……」

 

 カミュは答えない。真っ直ぐロマリア国王を見つめ、その真意を探ろうとしていた。

 彼の中では、『王族』という存在は、気を許して良い部類の人間ではないのかもしれない。表情一つ変える事はないが、顔を上げたカミュの瞳は鋭い光を宿していた。

 

「アリアハン国王からの書状は目を通した。そなたは、あのオルテガ殿と同じように『魔王討伐』に向かうとな?」

 

「……はい……アリアハン国王様より、そのように命を頂いております」

 

 国王の言葉は、カミュ達の旅の目的を尋ねる物であった。

 しかし、その口調はどこか冷ややかであり、まるで厄介者を抱え込んでしまったかのような響きを持っている。それを敏感に感じ取ったサラは、違和感を覚えつつも、広間に敷かれた赤い絨毯を見つめていた。

 

「……そうか……アリアハン国王からも、援助願いが来ておる。しかしの……そなたも知っての通り、度重なる魔物との闘いや、そなたの父への援助で、国は見た目以上に疲弊しておる。そなたの力量も解らない段階で、援助というのも難しい」

 

「……はっ……」

 

 国王の話は、カミュの予想していた通りだった。

 援助など断るつもりなのだろう。

 確かに、成功するか分からない『魔王討伐』という旅の援助を、毎回毎回してはいられないという想いは、国を預かる者として当然の発想であろう。

 

「……そこでじゃ、そなたの力量を見る為にも、今この国を騒がしている盗賊の討伐をしてもらいたい。その盗賊は、このロマリア城から盗みを働いた不届き者だ。生死は問わん。その盗賊が盗んだ物を取り返して見せよ。それが出来た時、ロマリアはそなたを真の『勇者』として認め、惜しみない援助を行う事としよう」

 

 実際に、カミュは援助などを願い出てはいない。

 ただ、ロマリア領の通行許可が欲しいだけなのである。

 それを、ロマリア王家の失態の尻拭いをすれば認めるなど、王族でなければ鼻で笑われるような事を、平然と言ってのけるロマリア国王にカミュは呆れていた。

 

「……はっ……確かに承りました。その盗賊の名と、王城から盗まれた物をお教え下さい。必ずや陛下の御前にお届け致しましょう」

 

「……」

 

 カミュの返答に、後ろに控える二人は言葉を失くしていた。

 国王の命を断る事など出来る筈もないが、不快感ぐらいは表すのではとリーシャは考えていたのだ。

 しかし、そのカミュは、表情を全く変えずに、再び赤い絨毯を見つめている。

 

「うむ。良き返事じゃ。その盗賊の名は『カンダタ』という。最近ロマリア国内で盗みを働いてはいるが、根城は分かっておらん。盗まれた物は『金の冠』じゃ。そなた達の良い報告を期待しておる」

 

「はっ! では、これにて」

 

 カミュは、もう一度深々と頭を下げた。

 それに倣い、リーシャとサラも赤い絨毯を見つめ直す。これで、国王との謁見も終了を迎える筈であった。

 

「……しばし待て……」

 

 しかし、盗賊の名と盗難物を聞き、早々にこの場を離れようとするカミュを、目の前に座る国王が引き止めたのだ。

 立ち上がりかけたカミュは、再び膝を付く。その姿を暫し眺めていた国王の口が、唐突に開かれた。

 

「ふむ。そなた、本当に良い目をしているの。そなたのような者が、一国の王となるべきなのかもしれん。どうじゃ、この国を治めてはみんか?」

 

「……は?」

 

「!!」

 

 続くロマリア国王の言葉は、カミュを含めた三人を混乱の渦に陥れた。

 『この王は何を言っているのだ』

 そういう考えが、三人の頭に同時に浮き上がって来る。

 

「国王様!!」

 

「良いではないか。この者が王となれば、否が応でも『金の冠』を取り戻さねばなるまい。同じ事ではないか。ならば、このような若者に国の未来を託した方が良い。娘と婚姻させ、婿となれば、王位を継ぐ事も可能であろう」

 

 カミュ一行を放って、国王と大臣の話は進んで行く。

 未だ混乱から抜け出せないサラではあったが、当のカミュと、その後ろに控えるリーシャの頭は冷静さを取り戻していた。

 その証拠に、カミュの表情はいつもの無表情へと戻っており、何の感情も湧いてはいないように、冷たく国王を見つめている。

 

「どうじゃ、カミュ? 一度、試してはみんか? そなたが出来そうにないと思えば、再びわしが王の座に戻ろう。これは約束しよう」

 

 そう続けるロマリア国王の横に立つ大臣を見ると、どこか諦めたような顔でこちらを見ている。まるで、カミュが肯定を示しても良いと思っているかのようだ。

 更には、国王の横に座る王女にしても、にこやかな笑みを崩す事なく、こちらを見ている。サラもリーシャも顔を上げないまでも、視界の隅にそれを入れ、不思議に思っていた。

 

 そして、暫しの静寂が謁見の間に流れた後、カミュの口が開かれる。

 

「……畏まりました……国王様の申し出、謹んでお受け致します。ただ、私は未熟な身ゆえ、王としての職務を何時投げ出すか分かりません。この事は、国民には告げずに置いて頂きたいのですが」

 

「!!」

 

「カミュ様!! 何を……」

 

 カミュの答えに驚いて声を上げそうになったサラの口を、リーシャの手が塞いだ。

 サラは『何故?』という表情でリーシャを見るが、リーシャは未だ顔を下げたままであった。

 

「ふむ、そうか。それも良い。一度試してみよ。政務で解らない事があれば、この大臣に聞くがよい。それでは今日より、カミュが国王じゃ! 皆の者良いな!」

 

 良い訳がない。

 しかし、大臣や周りの兵士達の表情には、怒りや戸惑いなどは微塵もなく、どちらかと言えば呆れに近い物が混じっていた。

 その表情が何を意味しているのかは、サラには理解出来ない。しかし、今この時を持って、カミュがロマリア国王になる事だけは、国政を預かる者達の中で承認された事を意味していた。

 ロマリア国王からマントが掛けられたカミュは、玉座に座り、そこからリーシャ達を見る事となる。

 

「供の者たちよ、表を上げよ」

 

 大臣の声にようやく顔を上げる事を許された二人は、玉座に座るカミュを見る。サラは、疑問と困惑が混ざった表情でカミュを見上げていたが、リーシャはどこか達観した様子で、玉座に座るカミュの瞳を見詰めていた。

 

「カミュ王、この者達は如何致しますか?」

 

 玉座に座るカミュへ大臣が問いかける。先程までそこに座っていたロマリア国王は、既に自室へと戻ってしまっていた。

 それでも、カミュの隣の玉座に座る王女の表情は、柔らかな笑みを湛えており、謁見の間に異様な空気を醸し出していた。

 

「……宿を取っている筈だ……今日はそこに泊まり、旅の疲れを癒してくれ」

 

「……と、言う事だ。下がって、ゆっくりと旅の疲れを癒すが良い」

 

 大臣からリーシャ達の処遇を聞かれたカミュが発した答えは、簡素なものだった。

 その内容は、今日の夜の事のみ。

 これから先の事などは、何一つない。

 

 『一体どうしろと言うのだ?』

 『ここまで来たのに、どうすればいいのだ?』

 サラはそんな気持ちを抑えきれなくなり、口を開きかける。

 

「……畏まりました……では、これにて……」

 

 だが、隣にいたリーシャの言葉に、サラは言葉を発する機会を失い、そのままリーシャと共に、謁見の間を後にするしかなかった。

 

 

 

「何故ですか!? 何故、何も言わなかったのですか!? リーシャさんは、このまま旅を止めるおつもりですか!?」

 

 王城から出ると、陽も落ち始め、街を赤く染め始めている時分になっていた。

 王城と街を結ぶ橋を歩き終わり、街に入ってすぐにサラの感情は爆発し、矢継ぎ早にリーシャへと謁見の間で渦巻いた疑問をぶつける。リーシャは立ち止まり、ゆっくりと振り返った後、真面目な表情でサラを見つめ返し、サラはその表情を見て、後の言葉を繋げなくなり、押し黙った。

 

「……サラ……ここから先の旅の為にも言っておく。これから先、数多くの国家に行き、その国にある城の謁見の間にて、国王様とお会いする事があるだろう。その際に、謁見するのは私達ではない」

 

「……えっ?」

 

 急に話し始めたリーシャの意図が掴めず、サラはもう一度聞き返す形で言葉を発した。

 謁見の間に入っている段階で、自分やリーシャも国王と謁見している筈だ。

 少なくとも、サラは今の今まで、ロマリア国王と謁見しているつもりだった。

 

「謁見の間で国王様とお会いし、お言葉を頂戴するのはカミュだ。私達はその従者に過ぎない」

 

「そ、そんな……」

 

 納得する事が出来ないサラを見て、一つ溜息を吐き出した後、リーシャは真っ直ぐサラの瞳を見詰めたままに語り出す。宮廷と言う場所がどのような場所であるかをリーシャは知っているのだ。

 

「私達だけの場合は、私もカミュも気にはしない。普通に話し、時には対立して罵声を浴びせる事もある。しかし、他国の代表と相対する時は、カミュは『魔王討伐』に向かうアリアハンの『勇者』であり、それに同道する私達は付き従う者なのだ」

 

「……」

 

 カミュが『勇者』だという事実を、最も認めていない人間が口にする内容は、説得力に欠けてはいた。

 しかし、リーシャの瞳は真剣であり、それが彼女の心の中を正確に表わしている事を窺わせる。

 

「サラには納得がいかないかもしれないが、そういうものだ。私達は、謁見の間でお許しの言葉がない限り、顔を上げる事も許されはしない。ましてや、言葉を発する事など以ての外なんだ。アリアハンを代表している人間は、カミュだけという事だ」

 

 リーシャの言っている事は、宮廷で働く人間にとっては当然の事でもあった。

 国王となれば、例え貴族であっても、おいそれと言葉を交わす事は不可能である。ましてや、他国の王族ともなれば、国家を代表して謁見する時にしか、言葉を発する事は許されない。

 だが、平民出のサラには、雲の上の存在過ぎて、想像が難しいのだ。

 

「……では……リーシャさんは、このままカミュ様がロマリア国王様となって、旅を終わらせてしまう事も仕方がないと言うのですか!?」

 

「そうは言わない。サラ、よく考えてみろ。あのカミュが、何の考えも無しに、あのような申し出を受けると思うのか?……サラもここまでカミュを見て来た筈だ。アイツが……魔物よりも国家や貴族、そして王族の方を嫌悪している節のあるカミュが、あのような申し出を喜んで受けると思うのか?」

 

 行き場を失ったサラの憤りは、リーシャへと向けられたが、諭すように語るリーシャには届かない。サラの感情の全てを受け入れるように、リーシャはサラの心へと入り込んで来た。

 

「……それは……」

 

「何か考えがあるのだと思う。それが何かは、私には解らないが、アイツがそうする理由があると思っている。だから、今夜は宿屋で休めと言ったのだろう……おそらく、明日には、アイツは国王という職を辞退するつもりなのではないか……」

 

 確かに、カミュは今日の宿の事だけを話していた。

 それが意味する事など、頭に血が上っていたサラは、考えもしなかったが、リーシャの言う通り、あのカミュが何の理由もなく、貴族や王族になるとは思えない。自分やリーシャが考えつかない事をするつもりなのかもしれない。

 その時、突如サラの頭に閃いた物があった。

 

「……もしかして……闘技場を潰すつもりでは!?」

 

 カミュが闘技場で見せた表情は、今までで一番の物であった。

 そこには怒りや哀しみを始めとした、色々な感情が混じりあった結果の無表情ではないかとサラは感じていたのだ。

 故に、その元凶の闘技場を廃止するのではとサラは考えた。

 

「……いや、それはないだろう。前に話した国民の不満の捌け口が、ロマリアではあの闘技場なのだ。それは、カミュも理解している筈だ」

 

「……そうですか……」

 

 自分の考えが否定された事の安堵に、サラは一つ息を吐き出す。それと共に、再びカミュの行動に対する疑問が湧き上がり始めた。

 頭の中を渦巻く疑問に目を回していたサラの肩が叩かれる。

 

「何にせよ、今、私達が考えたところで、何かが解る訳ではない。今日は、カミュ王のご好意に甘えて、宿屋でゆっくりと疲れを取るとしよう」

 

 リーシャは、サラの頭を軽く叩いた後、宿屋へと向かって行き、サラはどこか釈然としない思いを残し、リーシャの後を追った。

 その後、久しぶりに個室を取った二人は、湯浴みをし、ゆっくりと食事を取った後、少し早めにベッドへと入る。久しぶりのベッドは、サラを簡単に眠りに落とし、異国の地での夜は更けて行った。

 

 

 

 暗く、一寸先も見えない闇に覆われた王城の廊下を、一人の青年が歩いていた。

 手には、少し前に大臣から借り受けたランプを持ち、辺りを照らしながら慎重に歩を進めて行く。それは、衣装を替えたカミュであった。

 リーシャの考え通り、カミュはある目的の為にロマリア国王の申し出を受けていた。

 今、その目的を達する為、夜の廊下を一人歩いているのだ。

 

「……ここか……?」

 

 カミュの足は、一つの扉の前で止まり、その扉の上部に掲げられたプレートをランプで照らした後、その扉を開き中に入って行く。カミュが入っていった後、廊下には再び暗闇が戻って行った。

 

 どのくらいの時間が過ぎたであろう。

 再び扉を開け、戻ってきたカミュの手には、ランプ以外の物が抱えられていた。

 扉を閉め、歩き出したカミュは、それを小脇に抱えるようにして歩き、寝室へと戻って行く。

 静寂と闇に包まれた王城は、ランプの明かりが消えて行くと同時に、再び眠りへと落ちて行った。

 

 

 

 

 



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ロマリア城②

 

 

 

 翌朝、サラは日の出と共に目覚めた。

 昨晩早くに、ベッドへ入った為であろう。十分な睡眠により、身体の疲れも大分取れている。サラは早々に着替えを済ませ、宿屋を出てロマリア教会へと向かった。

 

 宿屋から、少し王城の方向に歩くと、アリアハン教会よりも若干大きめな教会が見えて来た。

 屋根には、『精霊ルビス』が天に向かって手を合わせている彫像が掲げられている。

 この世界では、『精霊ルビス』を崇める事は万国共通の宗教なのだ。例え、いがみ合っていても、人は皆等しく『精霊ルビス』の子なのである。

 教会に入ると、まだ陽が昇って間もないというのに既に先客がおり、ルビス像へ向かって跪き手を合わせていた。

 年老いた老婆であったが、サラが入って来た事に気が付いていないのか、微動だにせず、静かに祈りを続けている。サラは、老婆の祈りが終わった後にしようかと考えたが、この後にリーシャとの稽古が控えている事から、老婆の隣に跪き祈りを始める事にした。

 

「若いのに、良い心がけと思ったが、その服装からすると『僧侶』様でありましたか?……いや、『シスター』とお呼びした方がよろしいのかな?」

 

 真剣に祈りを続けるサラへ不意に声がかかる。

 声のする方へ視線を向けると、祈りが終わった老婆が、顔の皺を濃くした笑みを浮かべ、サラを見ていた。

 

「あ、いえ、『シスター』と呼ばれる程の者ではありません。未だ修行中の身です」

 

「これは、これは。立派な『シスター』とお成りなさい。貴女のような若い方ならば、色々と悩む事もお有りでしょう。ですが、何事も貴女を成長させる試練とお考えなされ……悩み、考え、前に進む事こそが、人を成長させる一番の物です」

 

 老婆に対して、一言礼を述べたサラではあったが、何か自分を見透かされているような、そんな不思議な感覚に包まれた。

 サラが今持っている悩み。

 それは、ルビス像を前にして話せるような内容ではない。

 

「……僧侶様……この世に、絶対はありませんよ。ルビス様は『人』を子としてお考えになられます。子であるからこそ、教え導く事はありますが、子の考えや子が歩む道を否定し、阻害する事などありません」

 

「……あ、あなたは……」

 

 押し黙ったサラに対して老婆が続けた言葉は、聞き方によってはルビス信仰を否定しているようにも聞こえる物だったのだ。

 熱心にお祈りをしていた老婆が、それも教会の中でそのような事を話す事にサラは驚き、そして呆れた。

 

「申し訳ありませんな。悩める若者に説教をするのも、年老いた婆様の楽しみの一つでしてな……ついつい……」

 

 サラが呆けた顔で老婆を見ていると、やわらかな笑みを保ったまま、老婆もまたサラを見ている。不思議な空気が教会内に流れ始めていたが、そんな空気を破ったのは、やはり彼女だった。

 

「サラ、お祈りは済んだか?」

 

 教会の扉が開き、眩いばかりの光と共に中に入って来たのは、姉のように思い始めている、頼りになる『戦士』だった。

 

「ほっほっ。お連れさんかね?」

 

「は、はい……」

 

 悠然とこちらに向かって歩いて来たリーシャは、サラの隣にいる老婆の存在に気が付き、軽く一礼した後、正面のルビス像に向かって手を合わせる。リーシャの姿は、既に旅立てるような恰好で、それはつまり、祈りが終わると同時に、サラにとって地獄に近いリーシャとの鍛練が開始されることの証明でもあった。

 別段暑くもないのに、額から汗の雫が垂れ落ちて来るのを感じながら、サラはリーシャの祈りが出来るだけ長くかかるように祈るのだった。

 

「サラ、行こう。おそらく今日、ここを発つ事になる筈だ。ならば、今日は軽めの鍛練にしよう」

 

「あ、はい!」

 

 祈りの終わったリーシャが振り向き様に言った言葉は、サラの胸を撫で下ろさせる物であり、自然とサラの返事も明るくなる。そんな二人のやり取りを見ていた老婆もまた、顔の皺を濃くし、笑みを溢していた。

 

「ほっほっ。悩みは、死すまで無くなる事はありません。自身の悩みに押し潰されそうになられたのなら、またここに寄りなされ。心の内をお聞きするだけであれば、この老婆にも出来ます故」

 

「……ありがとうございます……貴女は……この教会の……」

 

 先程のような物ではなく、サラの身を気遣う物言いに、サラの疑問は大きくなって行く。

 お礼を述べて、深く頭を下げたサラは、窺うような視線を向け、老婆へと問いかけるのだが、その問いかけにも、老婆は優しい笑みを浮かべていた。

 

「……はい。この教会で司祭をしております」 

 

「!! 失礼致しました!」

 

 司祭となれば、教会を任されている者と考えて遜色はないだろう。

 サラを育ててくれた神父様もまた、司祭である。

 ルビス信仰で司祭とは役職であるが、それに対し、神父とは呼称であって役職ではないのだ。

 更に、その役職は、男女問わず与えられる。

 故に、この老婆が、実質ロマリア教会の管理者であると考えて良いという事となる。

 

「いや、いや、お気になさいますな。今、私は法衣を着てはいませんよ。ですから、ただの老婆と思ってくだされ」

 

「……はい……ありがとうございます」

 

 身分を明かされ、『老婆と思え』など、土台無理な話だ。

 熱心な信徒であるサラにとって、司祭程の人間と面と向かって話す事さえ出来よう筈がない。現に、今のサラは、ルビス像にしていたように、老婆の前で跪いている。

 昨日、一国の国王を前にして、立ち上がり言葉を発しかけたようなサラとは違う。同じ雲の上の存在でも、国王と司祭とでは、サラ自身が感じる畏れ多さの実感が違うのだ。

 

「サラ、時間があまりない。行こう」

 

 このままでは埒が明かないと感じたリーシャの声で、ようやく立ち上がったサラは、深々と司祭に頭を下げた後、先を行くリーシャを追い、教会の門を開いて外へ出た。

 残された老婆は、未だ温かい笑みを浮かべながら、サラの出て行った門を見詰めていた。

 

 

 

「カミュ王、お目覚めでしょうか?」

 

 カミュは既に目を覚ましており、着替えを済ませていた。

 濡らしたタオルで顔を拭いていると、ドアのノックと共に、中を確認する声が聞こえて来る。

 カミュに割り当てられた部屋は、王が暮らすような部屋ではなく、一般に他国の貴族等の客賓が通されるような部屋であった。

 この事からも、王室全体が、カミュを国王として担ぐ気は微塵もない事を示している。

 

「……はい……どうぞ、お入り下さい」

 

 カミュがドアに向かい了解の意を示すと、遠慮がちにドアは開かれ、外から給士が顔を覗かせた。

 それなりの年齢を重ねた女性であり、おそらく若い頃から、このロマリア王宮に仕えている者なのであろう。

 

「お食事をご用意しています。皆さまも、そろそろお集まりになる頃ですので、お急ぎ下さい」

 

 一人の給士が、国王に掛ける言葉とは思えない内容を告げた後、カミュを案内する事なく、下がって行った。

 来いと言われても、食事を取る場所が何処であるのか分からないカミュは少し考えたが、あまり遅くなっても失礼と考え、とりあえず外に出る事にした。

 部屋を出てはみたものの、謁見の間までの道程は知っていても、食堂の場所が右か左かも分からない。数度周囲を見たカミュは、謁見の間からこの部屋までの間に何もなかった事を思い出し、謁見の間とは逆方向に歩き出した。

 

「あら、カミュ王、おはようございます」

 

 カミュが廊下を歩いていると、不意に横から声がかかる。彼は驚く事もなく、そちら側に顔を向けると、にこやかな笑顔を湛えた王女が立っていた。

 この王女の顔には、謁見の間でカミュ達が謁見をしている時から、その後の食事の時、更には夜に就寝の挨拶に至るまで、まるで、『作り物の仮面を被っているのでは』と思う程、常に笑顔が張り付いていた。

 

「……おはようございます、王女様……」

 

「あら、随分と他人行儀ですのね。これから、我が夫となるお方が」

 

 カミュの返しに、初めて笑顔という仮面を取って、明らかな不満顔を表す。その表情は、元来の美しさを持つ王女に、可愛らしさというエッセンスを加えた、男という性別に生まれたからには惹かれずにはいられない、そんな表情であった。

 

「……いえ、それは……」

 

 しかし、それは、一般の男性ではという話であり、当のカミュは全く興味を示しておらず、何やら口籠っているのも、また違う理由のようであった。

 うろたえたカミュの姿に、王女の表情が笑顔へと戻って行く。

 

「ふふっ、まあ、よろしいですわ。さあ、食事に参りましょう、あなた」

 

「……」

 

 再び笑顔の戻った王女であったが、その笑顔は、先程までの仮面のようなものではなく、心から楽しんでいるような、花咲く笑顔であった。

 カミュは、一瞬驚いたように目を見開くが、小さな溜息を吐いた後、王女に腕を取られ、食堂へと歩き始める。

 

 食堂での食事は、カミュと王女の二人以外にも、老人が一人同席していた。

 歳を考えると、おそらく先代のロマリア王と考えて間違いないだろう。カミュに対し、興味の欠片も示さないところは、他の重臣たちと同様で、この場に明らかに不似合いなカミュを、空気と同様に扱っているようでもあった。

 

「どうしたのですか、あなた? 食事が口に合いませんか?」

 

 カミュの手が止まっている事に気がついた王女が、カミュへと声をかけるが、その表情や物言いを聞くと、完全に面白がっているのが理解出来る。彼女は、この状況を明らかに楽しんでいた。

 常に周囲の人間に対し、興味らしき物を示した事のないカミュでさえ、今自分が置かれている状況に、内心焦りに近いものを感じているのにだ。

 

「すまんの。お主も、あのどら息子の我儘に付き合ったのであろう。あ奴は、昔から遊び好きであったが、歳をとり、子が出来てもその辺は全く変わっておらん。政も国務大臣と、その子に任せっきりでな……」

 

「!!」

 

 突然話し始めた先代の言葉に、カミュは心からの驚きを表す。

 カミュがここまで驚く事は、それ程ある物ではない。

 先代が『その子』と示した人間は、カミュの隣で、からかう事を面白がっている王女その人であったのだ。

 つまり国政は、王女が絡みながらも、国務大臣を陣頭に行っているという事になる。王女とはいえ、一国の国政を司るとなれば、中途半端な事は出来ず、まともな大臣であれば、才がないと感じれば、前に出て来る事を許さないだろう。

 そうなれば、今のロマリアは国務大臣が無能なのか、それとも、この横で楽しそうに笑っている王女が有能なのかのどちらかになる。

 

「……では、あの闘技場等も……」

 

「うむ。案は、その子が出した。実際に指揮したのは大臣じゃがな」

 

 昨日見た闘技場。

 その存在は、カミュの心象では最悪な物であった。

 ただ、国の取る政策として考えれば、あれ程に優れた施設はない。『人』にとって、憎しみの対象たる『魔物』同士の戦いを賭けの対象にする。

 その対象である魔物は、死という決着がつくまで戦わせ、最後に生き残った物も、人間の手によって大観衆の前で殺されるのだ。

 民の不満の捌け口としては、これ以上の物はないと言っても過言ではない。

 

「ふふっ、私は思った事を口にしただけですわ。それをどう実現させるかは、全て我が国の重臣たちの腕です。優秀な家臣たちを持っているからこそ出来た事です」

 

 手で口元を押さえながら、謙遜するその姿は、自分の頭脳や才能に絶対の自信を持っている表れであろう。

 もしかすると、このロマリア国の頭脳は彼女なのかもしれない。

 

 

 

 朝食も取り終わり、部屋に戻ろうとするカミュの横に、再び王女が並んで来た。

 廊下に出て、周囲の人間の姿がなくなるまで、一言も発する事はなく、カミュと同じ速度で歩いて来る。

 

「……何かご用でしょうか……?」

 

 堪りかねたカミュが、王女に向き直り口を開いた。

 そんなカミュの行動も予測していたように、柔らかな笑みを浮かべながら、王女も歩む速度を落として行く。立ち止まったカミュの瞳を見上げる王女の瞳は、何か悪戯を思いついた子供のように輝いていた。

 

「そうですね……目的の物は見つかりましたか?」

 

「!!」

 

 少し、顎に指を置いて考える素振りを見せた王女が発した言葉に、カミュは表情にこそ出さなかったが、驚きで言葉が出なかった。

 カミュの昨晩の行動は、城の者が寝静まった夜中に起こされた筈。

 それにも拘らず、この王女はカミュの行動を知っている節を見せているのだ。

 

「……何の事でしょうか……?」

 

「あら、別に惚ける必要はないですわよ。少し見ただけですが、貴方のような方が、自らの使命を投げてまで王になりたいとは思わないでしょう?……ですから、何か目的があるのではないかと思っただけですわ」

 

 何を言っているのか分からないとでも言うようなカミュの言葉に、王女は間髪入れず反応する。それは、まるで、『私にはお見通しですよ』とでもいう得意気な様子であった。

 

「ご心配には及びませんわ。貴方のようなアリアハンから来た人間が、ロマリアで何か事を起こせばどうなるかは知っていらっしゃると思いますもの。でしたら、例え貴方がこの城から何かを持ち出したとしても、それは、この国には必要のない物。それも、例え失ったとしても、その事を誰も気がつかないような程の物なのでしょう?」

 

「……」

 

 沈黙を続けるカミュを見て、自分の推測が間違ってはいない事を確信した王女の表情が、悪戯を成功させた子供のように咲き誇る。男性であれば、表情を崩すであろう王女の笑みを見ても、カミュの顔は能面のように静かであった。

 

「ですから、私はその事で、事を荒げるつもりはありません。それに貴方は、今日にはこの城をお出になるつもりなのでしょう?」

 

「……はい……」

 

 自分の考えが正しいと証明できた事に満足そうな王女は、畳みかけるようにカミュへと言葉を繋いで行く。カミュを見上げる王女は、顔の前で両手を合わせ、飛び上りそうな程に喜びを表していた。

 

「やはり、そうでしたのね。ああ、口調も元に戻してくださって構いませんわ。それこそ、私を王女としてではなく、平民のように扱ってくださいな」

 

「……」

 

 だが、王女が続けた一言を聞いたカミュの表情に変化が現れる。

 その変化は、おそらく、今現在では誰にも理解はできない程に小さな物だった。

 

「ふふっ、こう見えても、私は結構貴方を気に入っているのですよ。たった一日ですけど夫婦となりましたし。お父様の言う通り、意志の強い目をされておりますしね」

 

「……」

 

 王女が一方的に話す中、カミュの口は開く事なく、徐々に表情が失われて行く。

 王女の言葉の何かが、カミュの心を動かした事に間違いはない。 

 だが、それはプラスではなくマイナスの方向であった事は、確かであろう。

 

「そうですわ! カミュ殿、あなたが『魔王バラモス』を倒した暁には、本当に私と婚姻を結び、このロマリアの王となりませんこと? 『魔王』を倒した勇者であれば、一国の王となっても誰も文句は言いませんわ。どう、良い考えでしょう?」

 

 王女は自分が考えた案が、とんでもない名案だと言わんばかりに、柏手を打ち、目を輝かせながらカミュの返事を待った。

 確かに、カミュが『魔王』を倒したとなれば、カミュの名声は瞬く間に世界中へと広がるだろう。

 それこそ、彼の父オルテガも遠く及ばない程に。

 そんな英雄がロマリアという一国の王となり、先代王の血を引く王女を妃として迎え、その間に子を成せば、ロマリア王国は世界で並ぶもののない程の国となる事は間違いがない。それこそ、全世界を統一できる程の力を有す事だろう。

 おそらく、この賢女である王女からすれば、そこまで考えての発言なのであろう。

 もし、カミュが『魔王討伐』を成し遂げられないという事は、それは『死』という結末を意味する。つまり、ロマリア王国としては、多大な利益はあるが、損はないという提案なのである。

 しかし、王女の視線の先には、王女の可愛らしさや美しさ、そして聡明さに対し、照れたように顔を綻ばせる男達とは、全く正反対の表情で立つカミュの姿があった。

 

「……王女様、失礼を承知で、先程の王女様のお言葉に甘えさせて頂きます」

 

「え…ええ……」

 

 無表情のカミュの様子に、怯みながらも返事を返す王女の姿は、流石と言っても良いのかもしれない。リーシャや、サラでさえ、このカミュの無表情には足が竦みかねないというのにだ。

 

「ここ十数年での国家の立て直しに関しての賢策、見事だと思います。今このロマリアが国家として成り立っているのも、王女の力無くしては有り得ない事でしょう」

 

「そ、そうね……」

 

 カミュの表情や瞳からは、とても王女を褒め称えている様子は見受けられない。言葉では、その王女の功績を讃えてはいるが、その内心は違う物である事が明白なのであった。

 

「その上で敢えて言わせて頂きます」

 

「ええ……」

 

 徐々に、顔が強張って行くのを感じた王女であるが、カミュの瞳から目を離す事は出来ない。それが『勇者』としての能力なのか、それともカミュという人間の質なのかは王女には理解できない事だった。

 

「俺は、賢しげな女は嫌いだ。平民と同じようにと言うのなら、この国に来ている奴隷商人にでも売り飛ばしてやろうか?」

 

「!!」

 

 突然豹変したカミュの姿に驚き目を見開く王女。

 自分の言葉の何が気に食わなかったのかさえ、理解が出来ない。

 対するカミュも同じだった。

 こんな事を言うつもりもなかった。自分の物言いが、仮にも王族に向ける言葉ではない事は解っている。しかも、発している言葉は、カミュ自身も勝手さに身悶えてしまうような内容なのだ。

 昨日見た、闘技場の実情。

 それの発案者の、『平民と同じように』と言った一言が、カミュの中の何かを弾けさせた。

 この王女は知らないのかもしれないが、この城で働く貴族達の中には、平民の奴隷を蹂躙している者達もいる。闘技場で働く人間の中には、魔物に誤って殺された人間もいるだろう。

 平民とは、王族や貴族が考える程、平穏な暮らしをしている訳ではない。『人間は皆平等とでも言うのであれば、それ相応の立場で話せ』とでもカミュは思ったのかもしれない。

 しかし、当のカミュもまた自分の発言に困惑していた一人であり、『何故このような事を言ったのか』、『何に腹を立てたのか』という事さえ理解してはいなかった。

 そんな中、先に立ち直ったのは、王女の方であった。

 

「……そ、そうですか。残念ですわ。まあ私も、自分の損得の勘定もできず、感情だけで判断をするような脳なしは御免です。今の私への言葉は、『平民と同じように』と言った私にも落ち度がありますから、不問に致します」

 

 立ち直った王女の表情に憤怒の気配は微塵もない。

 謁見の間で見たような張り付いた笑顔を見せながら、カミュへと返答するところは流石一国の王女であり、その国政を担う賢女なのであろう。

 

「……失礼致しました……」

 

「お父様は、いつものように闘技場へ向かっている事でしょう。そちらへ行けば、会う事も出来る筈ですわ」

 

 それでも、自らが受けた動揺を隠すように髪を後ろへと靡かせ、王女はカミュへと視線を向けた。

 その視線を受け、カミュの表情に若干の色が戻る。

 『相対するに値する人間』。

 それは、カミュの傲慢な考えであるだろうが、彼は王女をそう評価し始めていた。

 

「……ありがとうございました……」

 

「いえ。それでは、ごきげんよう」

 

 頭を下げるカミュにちらりと視線を向けるだけで、王女はそのままドレスのスカートを翻して歩いて行く。

 頭を上げたカミュは、王女の後ろ姿を見送った後、自室へ戻り、剣とサークレット等の武具を身に着け、王城を出るために外へと向かった。

 

 

 

「うぅ……うぅ……」

 

 リーシャとの稽古が終ったサラは、宿で用意されている朝食を食べるのに四苦八苦していた。

 今日から、剣の素振りに加え、槍の立ち回りも入ったのだ。

 教会での言葉とは違い、リーシャの訓練は厳しく、槍など持った事のないサラは、その重みと重心の取り辛さに何度となく尻もちをついた。

 アリアハン城下町を出た時には、肌荒れもしていない綺麗な物であったサラの手は、今や、剣の素振りと槍の稽古でマメだらけになっている。マメができ、そのマメが潰れ、そしてその上にまたマメが出来る。剣の素振りでの力の入れ具合が、やっと解りかけていただけに、新たな武器の登場で、サラの手には新たなマメがぎっしりと出来ていた。

 その為、食事をとる為のフォークやスプーンが思うように持てない。

 

「はははっ。サラ、最初は誰しもそうだ。そのうち、今、マメができている場所の皮が厚くなって、少しぐらいの稽古ではマメなど出来なくなるぞ」

 

「うぅ……それはそれで嫌です……」

 

 ごつごつした手になる事を、好ましいと思う女性は少ない。

 いや、目の前に座るリーシャならば、『この手を見る度に、自分が強くなっている事を実感する』と嬉しそうに言いそうだとサラは思ったが、自分の身の危険を感じ口にする事はしなかった。

 

「そうも言ってはいられないだろう? これから先、旅は過酷になって来る。それこそ、私とカミュだけではどうにもならない事があるかもしれないのだ。そんな時、サラも剣や槍で戦力となれば、私としては心強い」

 

「……はい……」

 

 リーシャの顔を見れば、それはサラを乗せる為に言っているのではない事ぐらい、サラにも解る。リーシャは心からそう思っているのだろう。

 だからこそ、サラも心苦しいのだ。

 サラは、自分にそれ程の能力が隠れているとは思っていない。リーシャの大きな期待に応える事の出来る才能など、自分の中の何処を探しても見つからないとさえ思っていた。

 

「……ですが……カミュ様は、本当に旅を続けられるのでしょうか?」

 

「ん?……それは、大丈夫だろう。朝食を取り終わったら、城門の方まで行ってみよう」

 

 サラの中にある別の心配事を聞き、『そちらは全く心配していない』とばかりに、リーシャは卵を口に放り込む。その姿に、サラは溜息を吐くしかなかった。

 リーシャという『戦士』の中に、何故それ程の自信があるのかが理解できないのだ。

 サラの信じ続けていた『勇者』像とは掛け離れた存在であるカミュという青年を、まだサラは信じ切る事が出来ていなかった。

 

 

 

 リーシャとサラが城門に辿り着き、暫く経つと、城門に立つ兵士達が何やら話した後に、城門が開いた。

 城門から出て来たのは、王が纏うマントではなく、旅へと向かう為のマントを羽織ったカミュ。

 

「……なんだ、もう来ていたのか……?」

 

 リーシャ達の下まで歩いて来たカミュは、リーシャとサラの存在に大した驚きもせず、まるで当たり前の事のように言葉を交わす。そんな二人の会話を、サラは不思議な物を見るように眺めていた。

 

「ああ、サラは不安がっていたが、私は、お前が王になどなれない事は、解っていたからな」

 

「……そうか……」

 

 得意げに胸を張り、『どうだ』と言わんばかりに話すリーシャの姿に、後ろに控えるサラは笑みを溢す。それでも、カミュは何の感情も持たない表情で、歩き出した。

 

「実際、今日中に王位を返上するとは思っていたが、ここまで早いというのは正直予想外だった。追い出されるような事をして来たのか?……まあ、お前を夫として迎えなければならない王女様にしてみれば、何とか破談の方向に向かわせたいと必死になるだろうがな」

 

 続くリーシャの言葉に、サラは、朝早くから城門に向かう事になった我が身を憐れんだ。

 同時に、確信もなくこの時間から城門で待つ事にしたリーシャの行動に、脱帽したい気分になったのだ。

 当のリーシャは、カミュの行動を見抜いていた自分に大層満足気で、カミュに対して無謀な戦いを挑んで行く。

 

「……やはり、女は多少抜けていたり、馬鹿であったりした方が楽で良い……」

 

「な、なんだと!!」

 

 カミュは、そんなリーシャの挑発には乗らず、一つ深い溜息をついた後、リーシャからあからさまに視線を外し、呟きを洩らす。

 彼の発言は失礼極まりない。

 明らかに、それはリーシャを指している。

 誰と比較してなのか、どんな想いを込めているのかは、サラには想像もできないが、心底呆れ顔で溜息を吐くカミュの姿は、とても印象的な物であった。

 

 

 

「それで、すぐに出発するのか?」

 

「いや、まずは闘技場に向かう」

 

 もはや恒例になりつつある、不毛な戦いを繰り広げた後、リーシャはカミュに今後の方針を尋ねるが、返って来た答えはリーシャとサラの二人には、驚きの物であった。

 

『何故向かうのか?』

 

 その理由を述べる事もなく、カミュはさっさと闘技場に向かって歩き出してしまう。

 リーシャは別として、サラにとっては、あの闘技場は極力近寄りたくない場所の一つとなっていたのだ。 

 武器屋の前にある階段を降りると、昨日と同じように、珍妙な格好をした男が、歓迎の挨拶をかけて来た。

 その男の言葉を完全に無視するように、カミュは辺りを見回した後、目標を定めたように一直線に歩いて行く。何が何やら解らないリーシャとサラは、昨日と同じような歓声とも奇声とも判別できない音の中を、カミュに続いて歩いて行った。

 

「……国王様……」

 

 ある人物の真横に立ったカミュが、その人物に囁くように出した言葉にサラは驚きを見せる。その人物は、みすぼらしい恰好をしてはいるが、まさに昨日謁見の間にて拝顔した、ロマリア国王その人であったのだ。

 

「……ん?……おお、これはこれは。カミュ王ではありませんか……ですが、私はこの上にある道具屋の隠居です。人違いではありませんか?」

 

「……国王様……今の段階で私を『王』と呼ぶ者は、昨日あの場にいた者以外はおりません。間違っても道具屋のご隠居にそれを知る方法はありません……」

 

 国王と呼ばれたその人物は、惚けるように視線を外すが、それを許すカミュではなかった。

 カミュの言葉に、一瞬眉目を顰めた国王は、一つ深い溜息を吐き出す。サラはそんな二人のやり取りを唯呆然と眺める事しか出来なかった。

 

「……おお、これはしくじったわ! それで、如何したのじゃ?」

 

 ロマリア国王は、もう一度カミュに向き直る。その姿は、やはり一国の王が持つ威厳が、見え隠れしていた。

 国政を王女や大臣に任せてはいても、王族が生れながら有する威厳という物を、この国王も有しているのだろう。

 

「……はい。やはり、私のような若輩者には、国王という重責に耐える事のできるだけの物はございませんでした」

 

「……ふむ。そのような筈はないだろう。わしには、『王』としての能力など微塵もない。だが、その分、人を見る目というのは備わっていると自負しておる」

 

 確かにロマリア国王の言う通り、この国王には人を見る目が備わっているのかもしれない。それでなければ、若い王女の資質を見抜き、案を出させ、その案を実行する為の人物までも見抜き、国務大臣という地位を与えたりはしないだろう。

 愚王という者にも、二種類存在する。

 政治や軍部、またはその時勢を顧みる事を全くせず、民を苦しめ、国を滅亡に追いやる者。

 逆に、自分の能力を信じ過ぎ、何もかもを自分一人でやろうとし、家臣達を信用する事なく潰して行く者もまた、国を滅ぼす愚王なのである。

 今、目の前にいる国王は、確かに個人の能力としては、国王として及第点にも届かない者なのかもしれない。しかし、周りの者を信じ、その人物達を適材適所に配置する事の出来る王なのだろう。

 

「確かに……王女様や国務大臣、それにその他の文官や武官の方々を見ると、国王様の目は確かな物であると感じております。ただ、私のような若輩者では、今は国王様の期待にお応えする自信がございません。私では、成す事が出来たとしても、この闘技場の廃止ぐらいな物です」

 

「なんと!! お主は、この闘技場の持つ意味合いが理解出来ぬとでも申すのか?」

 

 国王の席を辞退する理由を聞き、国王は驚きに目を見開いた。

 国政を担う事の出来る者として見ていたカミュという青年が、その政策の一つである『闘技場』の役割に気付かない訳がないと考えていたのだ。

 

「いえ、それは存じておりますが、所詮アリアハンの田舎者ですので、賭け事という物に対しての免疫がございません。一度廃止してから、他の方法を考える事となるでしょう」

 

「……むむむ……解った。この闘技場は、製作にもかなりの時間と資金がかかっておる。そう簡単に廃止する訳にもいかん。わしの楽しみの一つでもあるしの。やはり、お主には、その姿が一番似合っておるのかもしれんの」

 

「……申し訳ございません……」

 

 サラが未だ、この闘技場に不釣り合いなロマリア王の存在に、呆けたままになっている間に話が進み、サラが気付いた時には、すでに決着がついている頃であった。

 リーシャは、淡々と話を進めるカミュを見ながら、素直に感心する。

 ロマリア国王の自尊心を傷つける事もなく、自分の意の方向に話を進めて行くその話術に。

 祖国アリアハンを田舎と吐き捨てはしたが、この場では仕方がない事だと納得もしていたのだ。

 

「良い良い。では、わしは城へ戻るとしよう。お主達は、このまま旅立つが良い。『金の冠』を、我が前に持って来る事を期待しておるぞ」

 

「……はっ……」

 

 場所が場所なだけに跪く事はしなかったが、手を胸に置いて、頭を下げるカミュを満足気に頷きながら見つめ、ロマリア国王は階段を上って行った。

 国王の退場は、カミュ達一行しか知らない。

 この闘技場にいるロマリア国民達の誰一人として、この場に国王がいた事など気付きもせず、この場を去って行った者へ目を向ける者などもいなかった。

 

「良かったです。もしかしたら、カミュ様はこのまま旅を止めてしまうのではと考えてしまいました」

 

 ロマリア王の後ろ姿を見送った後に、サラは安堵の溜息と共に、自身が今まで不安に思っていた胸の内を吐き出す。その不安は、疲労感を伴ってサラの身体から溢れ出した。

 

「だから言っただろう。それは心配ないと」

 

 サラの様子に、再び胸を張り答えるリーシャの姿に、珍しくカミュは苦笑する表情を出した。

 カミュの表情の変化を見て、自然とサラも笑顔が戻る。

 三者三様の和やかな雰囲気を保ちながら、三人は地上へと続く階段を上って行った。

 

 

 

「死にてぇのか!!」

 

 階段を上り終えた途端に三人の耳に入って来たのは、人の怒鳴り声と、馬の嘶きだった。武器屋のカウンターに先程までいた筈の主人はおらず、武器屋と宿屋の間にある道には多くの人だかりが出来ている。先程の罵声の発生源であろう人間は、昨日見た馬車の操縦士であった。道に唾を吐きかけたそれは、手綱を引き、再び馬車を動かして街の出入口へと走らせて行く。

 カミュ達三人が立つ武器屋側とは反対側に、武器屋の主人が倒れており、それを確認したサラが慌てて駆け寄り、リーシャもその後に続くが、カミュはゆっくりと道を渡って行った。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 倒れ込んでいる武器屋の主人にサラが声をかけると、その体躯がゆっくりと動き始め、主人の腕の中から、一人の少年が這い出て来た。出て来た少年は、未だ気を失っている武器屋を一瞥したが、そのまま泣きながら走って行ってしまう。その姿にサラは声をかける隙を見つけられず、走り去る少年を見送るだけしかできない。

 リーシャが気を失っている武器屋の身体をそっと起こし、頭部などに外傷がないかを確かめた後に、再度仰向けに寝かせた。

 

「……うぅ……」

 

 すぐに武器屋の意識は戻り、その目を開けていく。

 外傷はなかった事から、一時的に気を失っていただけなのだろう。何とか身体を起こす武器屋の顔を覗き込むように、サラとリーシャの顔が動いた。

 

「大丈夫か?」

 

「……うぅ……ああ、なんとかな……」

 

 リーシャの問いかけに回答し、身体を起こす様子からは、どこも異常がなさそうに見える。しかし、状況的に考えて、あの馬車から子供を救うために飛び出し、子供を抱えたまま反対側へ突っ込んだのだろう。馬車と接触していたら、どこか打っているかもしれない。

 

「……馬車とは接触はしていなさそうだな……」

 

「ん?……ああ、間一髪だったがな」

 

 武器屋の無事が確認でき、ほっと胸を撫でおろすサラの後ろから、今まで傍観していたカミュが前へ出て来るが、その表情からは、武器屋の身体を心配していた様子は微塵も感じない。

 

「……しかし、何故アイツらは、あれ程に急いでいた?……こんな街中で、あそこまでの速度を出す必要性はない筈だ」

 

 カミュの疑問は尤もである。如何に城下町の正門へ続く街道といえども、そこまで広い訳ではない。馬車がすれ違うのも一苦労する程の幅しかないのだ。

 そんな状況の中で、あれ程の速度で馬車を走らせれば、人を撥ねる可能性も出て来る可能性もあるだろう。

 

「……ああ……実は城門近くで、あいつ等の馬車の幌が捲れる場面があってな。その中が偶然見えたらしい。中には一人の女の子供がいた。売れ残りなのかもしれない。それを見た子供が騒ぎ出したら、人が集まってきちまって、この状態になった」

 

「……子供…ですか……?」

 

 つまり、馬車の中に売れ残った奴隷がいる事に気付いた子供が騒ぎだした為、元々奴隷商人を快く思っていないロマリア国民の感情を揺さぶり、大人も含め馬車を囲むように騒ぎ始めたと言うのだ。

 奴隷商人としても、一人や二人の民ならば、高圧的に出る事も可能であったろうが、群衆となれば、逃げるより他に道はなかったという事なのだろう。

 

「……それにな……奴隷商人と門兵が話している内容を聞いてしまった奴がいたらしい。そいつが言うには、その中にいた少女は売れ残りではなく、奴隷商人のお気に入りという事だった」

 

「……」

 

「どういう事ですか!?」

 

 カミュと、リーシャの二人は、武器屋の言葉が指し示す先が見えていたが、サラには見当がつかない。自然とその声も荒くなって行った。

 サラの声に、リーシャの顔は悔しそうに歪み、武器屋も再度俯いてしまう。

 

「……奴隷商人達に嬲られた後、殺されるという事だ……」

 

「えっ!!」

 

 カミュが呟いた言葉にサラは絶句し、武器屋は更に呻き、リーシャの顔は更に歪む。

 その様子を見ても、カミュの表情に変化は見られない。元々関心がないのか、それともこの時代に諦めているのかは解らない。

 それでも、カミュの瞳は冷たく、感情を宿していないようだった。

 

「な、何とかならないのですか!?」

 

「……ならない……」

 

 サラの呟きに返って来たのは、リーシャの答えだった。

 リーシャは、カミュに馬鹿にされる事はあるが、紛れもなく、国の中枢にいる『宮廷騎士』なのだ。

 冷静に判断しなければならない事には、非情ともいえる冷酷さを見せる。

 

「……アンタは奴隷全てを解放でもするつもりなのか? 奴隷や孤児、この世界には報われない人間など数多くいる。そんな人間の全てを救うつもりなのか? もし、奴隷商人の下から解放出来たとしても、誰がその面倒を見る? アンタか? 食糧、資金、住処に仕事、誰がそれを世話する?」

 

「……そ、それは……で、ですが!」

 

 カミュの放つ正論は、サラの胸に深く突き刺さり、その願いを抉って行く。

 実際に、サラはそこまでの思考はなかった。

 『奴隷』という報われない道を歩み始めてしまった人間の未来を憂い、その未来に同情しているだけ。

 そこに確固たる決意はなく、そして覚悟もない。故に、カミュへ反論する事が出来ないのだ。

 

「……話にならないな……」

 

 話を途中で打ち切ったカミュは、そのまま街の出入口に向かって行く。リーシャは、未だに顔を上げないサラの頭に手を置くが、何も言葉が浮かばず、黙ってサラを促した。

 信仰の理想と、教会の中だけでは知りえない現実とのギャップに、サラは押し潰されそうになる。しかも、その現実を知らないのは、このパーティーの中でサラだけなのだ。

 それが、更にサラの心を苦しめていた。

 

 様々な想いを胸に、一行はロマリアの城下町を護る門を潜って行く。

 新たな大陸で始まる彼らの旅には、暗雲が立ち込め始めていた。

 

 

 

 



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ロマリア大陸①

 

 

 

 門を出たところで、カミュは二人を待っていた。

 リーシャはそのカミュに一つ頷くと、いつも通りの隊列を組み、歩き出す。リーシャには、カミュの言っている事は理解できていたのだ。

 確かに言い方は最悪ではあるが、言っている事は正論である。それに対し、サラが納得するかしないかではなく、それを飲み込んでいかなければならないのだ。

 故に、リーシャはこの事で、サラを擁護するような事は一言も発しなかった。

 

「ここから北へ向かえば、<カザーブ>という村があるらしい。噂によれば、『カンダタ』一味は、北に向かって逃亡したようだ。その村へ行けば、多少なりとも情報が入るだろう」

 

「そうか」

 

「……」

 

 歩きながら地図を広げたカミュは、これからの行先を告げるが、返って来た返事は、気のないリーシャのものだけであった。

 サラは、未だに俯いたまま、カミュの後ろを、唯ついて行くだけである。

 サラは、ロマリアで新調した<鉄の槍>を背中に背負い、今まで腰に下げていた<銅の剣>は売り払っていた。

 その背中の槍の重さに、潰されてしまいそうな歩き方をするサラを、心配そうに眺めるリーシャであったが、やはり掛ける言葉が見当たらない。今、口を開いてしまえば叱咤激励となり、それが、更にサラの心の負担になりかねないのだ。

 サラを気にかけながらも、そこはアリアハン随一の戦士。自分達に近寄る不穏な影の存在に一早く気がついた。

 

「カミュ! 魔物だ!」

 

 先頭を行くカミュに、警戒を投げかけると、リーシャは腰の剣を素早く抜く。

 リーシャの声を聞いたサラも、顔を上げ、背中の<鉄の槍>を掴む。

 如何なる状態であろうと、敵との遭遇での対応を誤らないサラの成長に、自然とリーシャの口元が緩んだ。

 カミュも背中の剣を抜き、こちらに歩み寄る魔物に注視するが、その姿は野生の狼のように見えた。

 狼であるならば、傷つける事なく追い払う事も可能である。しかし、徐々に近付いて来るその姿を見て、三人は絶句した。

 陽光に照らされたその狼らしき獣の目は、眼球が零れ落ちて下に垂れ下がっており、その腹部の肉は削げ落ち、中の肋骨や内臓が見えている。とても生物の姿ではないのだ。

 それが三匹、狼とは思えない程の速度で、一行を取り囲むように近寄って来る。

 

「ひっ」

 

 意気込んで槍を構えたサラは、その魔物の姿の異様さに悲鳴を上げてしまう。

 明るい日差しの中で見ても、その姿は異様である。その身体から瘴気や異臭すら撒き散らしていそうな程に、それは腐り切っていた。

 

<アニマルゾンビ>

狼などの死骸が、魔王の魔力によってゾンビとなって魔物化したもの。その肉体は腐敗が進み、腐り落ちている。それでも、生への執着なのかこの世への未練なのか、魂の休息をせず、生者の世界に留まり続ける。死者である故に、その動きは遅い。しかし、死者であるが故に、その身体の能力を最大限に発揮する事も可能であった。

 

 剣を手に持ち、カミュが駆ける。

 <アニマルゾンビ>の一匹に狙いを定め、その剣を振るった。

 所詮、死体である身体を動かしている<アニマルゾンビ>の動きは遅い。カミュの剣は、腐りきっているその身体に吸い込まれ、頭部から上半身の途中までを二つに分けた。

 腐った異臭を放つ体液が飛び散るが、その臭いは、通常の人間であれば、耐える事など不可能な程の物。

 体液を浴びないように素早く剣を抜き、カミュは飛び退くが、剣で顔面を二つに分けられたはずの<アニマルゾンビ>は、その異臭漂う体液を撒き散らしながらも、未だに活動を止めようとはしない。

 

「メラ」

 

 カミュの一刀で腐り落ちていた眼球を完全に落としてしまった<アニマルゾンビ>は、避ける事も出来ずにその火球を受けた。

 腐った肉体が<メラ>の炎で焼かれ、その臭いを更に増して行く。二つに分かれた顔面を焼かれ悶える<アニマルゾンビ>に、カミュは再度剣を振るった。

 先程とは異なり、正面からではなく側面から繰り出されたカミュの剣は、再び<アニマルゾンビ>の身体に抵抗なく滑り込み、上半身と下半身を真っ二つに分ける。

 顔面を炎で焼かれ、下半身と分けられたアニマルゾンビは、成す術なくこの世に繋ぎ止めていた魂を昇華させて行った。

 

 カミュの戦いぶりを見る事もなく、残る二匹は、リーシャに襲いかかって行く。

 動きの遅い<アニマルゾンビ>の攻撃が、リーシャに触れる事など出来る訳がない。何の策略もなく飛び込んで来た<アニマルゾンビ>を避け、リーシャは両断するつもりで身構えた。

 

「ウォォォォォォン」

 

 その時、リーシャに飛びかからず、静観しているようだった方の<アニマルゾンビ>が突然、遠吠えのような鳴き声を上げる。その鳴き声が響いた途端、先程まで、十分に避ける事が可能であった筈の攻撃を、リーシャは避け損なった。

 飛びかかって来た爪を簡単に避ける筈が、リーシャの着込んでいた<革の鎧>の肩当てを弾き飛ばしたのだ。

 リーシャの身体に傷はつかなかったが、触れられる筈のない攻撃を受けた事にリーシャは驚いてしまう。しかも、リーシャの返しの剣すらも、<アニマルゾンビ>に避けられてしまったのだ。

 

「リーシャさん!!」

 

「なんだ、これは!?」

 

 リーシャの様子が奇妙である事に気がついたサラは叫ぶが、当のリーシャは自分が陥っている状況が把握出来てはいない。

 サラの目には、明らかにリーシャが手を抜き過ぎているように見えるのだが、そうではないらしい。どうやら、リーシャ自身はいつものように剣を振るっているつもりのようだった。

 

「くそ! おい、アイツに<ピオリム>をかけろ!」

 

「えっ? あ、は、はい!」

 

 二匹の<アニマルゾンビ>に翻弄され始めているリーシャの援護に走るカミュが、サラの横を駆け抜けざまに指示した内容は、身体能力向上の魔法の行使だった。

 サラは理由が分からないまでも、それをする必要性をカミュの言葉の強さで理解する。

 

「ピオリム」

 

 その対象となった人間の身体能力を向上させる魔法が、リーシャを包み込む。

 <アニマルゾンビ>の緩慢な攻撃に、四苦八苦していたリーシャの動きが戻って行き、常時の剣速を取り戻したリーシャの剣は、一匹の<アニマルゾンビ>の身体へと吸い込まれて行く。

 寸分の狂いもなく、<アニマルゾンビ>の首をリーシャは刈り取るが、先程のカミュの時と同じように、それではこの魔物の魂を昇華させる事は出来なかった。

 首の根元から斬り落とされ、地面に転がった頭と首の部分から、粘着性があり異臭を放つ体液をこぼしながらも、未だに動くその身体に向かって、後ろからカミュの『メラ』が放たれる。

 炎に包まれる胴体部分に、再度リーシャが剣を走らせ、ようやくその活動が止まった。

 

「ニフラム」

 

 残る一匹に、カミュとリーシャが目を向けるのと同時に、サラの詠唱が響いた。

 聖職者の本来の仕事である『迷える魂の浄化』。

 その為にある魔法の正常な行使であった。

 しかし、聖なる光に包まれ消えるはずの<アニマルゾンビ>の身体は、光に包まれて尚、一向に消える気配がない。動きこそ止まってはいるが、この光が収まれば、再びカミュ達に襲いかかって来る事であろう。

 

「うぅぅ……ニフラム!!」

 

 それに対し、サラが取った行動は、再度の詠唱。魔法の重ね掛けであった。行使する為に天へ向けて掲げていた手とは反対の手を再度天へと掲げ、諸手を挙げる形での<ニフラム>の行使である。

 更に強い光に包まれたアニマルゾンビの身体は、本来腐り、落ちていくだけの肉が、反対に上へと上がって行く。徐々に光によって天へと運ばれる身体は、数秒の後に欠片も残さず消えて行った。

 

「サラ、よくやった!」

 

「あ、はい……!!……リ、リーシャさん、その腕は!?」

 

 嬉しそうに駆け寄ってくるリーシャの声に、思わず返事を返してしまったサラであったが、そのリーシャが、片腕を押えながらこちらに向かってくるのを見て、慌てふためいた。

 

「ん?……ああ、あの魔物の攻撃を避け切らなくてな……少し傷をつけられた……」

 

「えぇぇ!! は、早く診せてください!」

 

 リーシャの抑えている方の腕を取り払い、サラは患部を注意深く見る。幸い傷は深くなく、爪で抉られてはいるが、サラの<ホイミ>でも治療が可能な範囲の物だった。

 サラは急いでリーシャの患部に手を当て、<ホイミ>を詠唱する。患部を暖かな光が包み、リーシャの傷口を塞いで行った。

 

「念の為、<毒消し草>も当てておけ」

 

 <ホイミ>の効力で傷口が塞がれて行くのを確認したカミュが、腰につけた革袋から一枚の毒消し草を取り出し、サラへと手渡す。

 

「そ、そうですね。腐敗している体液などが身体に入っていたら、毒に侵されるかもしれません」

 

 半分に割いた毒消し草を患部に当て、残りの半分を水に溶かしリーシャに手渡す。一つ礼を言い、リーシャはその水を飲み干した。

 幾分落ち着きを取り戻したリーシャは、先程の戦闘を思い返し、カミュへと問いかける。

 

「しかし、あれは何だったんだ? 急に身体が重くなったというか、言う事を利かなくなったというか……」

 

「……<ボミオス>だろうな」

 

「それでカミュ様は、私に<ピオリム>を唱えるように指示したのですね」

 

<ボミオス>

対象の身体能力を向上させる<ピオリム>とは正反対の効力を持ち、その術の対象となった者の身体能力を下降させる。対象となった者は、通常の動きをしているつもりなのだが、身体が言う事を利かないような錯覚に陥り、動きが緩慢になっていく。

 

 カミュはリーシャの動きから、<アニマルゾンビ>に<ボミオス>をかけられた可能性を考え、サラに<ピオリム>を唱える事を指示したのである。

 もし、身体能力が低下させられていたのであれば、反対の呪文を唱え、身体能力を戻せば良いのだ。 

 

「そ、そうか、すまなかった。ありがとう、サラ」

 

「礼を述べる前に、いい加減、その抗魔力の弱さを何とかしてくれ」

 

 以前の<マヌーサ>に続いての失態を突かれ、リーシャは言葉に詰まる。サラは、そんな二人のやり取りを心配そうに見ていた。

 この状態で、リーシャが怒りを爆発させる事はないとは思うが、サラはカミュがまた余計な一言を繋げるのではと不安視していたのだ。

 

「魔法の知識があるだけでも、幾分かは違う筈だ。剣の鍛練が終わった後にでも、そいつに魔法の知識を教われ」

 

「そうですね! 私でよければ、お教えします」

 

「……わかった……そうする事にする……」

 

 カミュの言っている事は正論である。

 魔法の特性、効果などについての知識があれば、下位の魔物が放つ魔法ぐらいでは、惑わされる可能性が少なくなるのも事実。

 カミュやサラと違い、魔法に触れる機会が少なかったリーシャは、魔法についての知識が明らかに不足していたのだ。

 苦々しい表情をしているリーシャを見ても、その内情に気付く事無く、サラは自分がリーシャの役に立てる事を喜び、諸手を挙げて賛成の意を伝えている。そんなサラの様子に、断る事が出来なくなったリーシャは、しぶしぶ了承する事となった。

 

 

 

 休憩を兼ねたリーシャの手当を済ませ、一行は再び北へと向かって歩き出す。途中、以前遭遇した<ポイズントード>や<キャタピラー>などと出くわすが、対処方を見つけていたカミュ達は、それほど苦戦する事はなく、悉く魔物を倒して行った。

 ロマリア大陸に入ってから、カミュが魔物を見逃す回数が少なくなっているが、それは、魔物達の力量がアリアハンとは違い、カミュ達を恐れて動きを止める事や、逃げ出そうとしない事が原因であろう。

 

 暫し歩き、陽が真上から西へと傾きかけた頃、順調に北へ向かう一行の前に、木々が生い茂る森が見えて来た。

 周辺の草原を阻むように広がる森は、北へ行くには抜けざるを得ない。おそらく、この分では、森を抜ける前に陽が落ち、夜の闇が支配する事となるだろう。

 カミュにその事を伝えられた一行は、ロマリアを出る時にサラが託された道具袋の中に聖水がある事を確認し、森へと歩き出した。

 森へ向かって歩き出すと、前方に見憶えのある馬車が停車している。それは、間違いなく、あのロマリアにいた奴隷商人の馬車である事にサラは気が付いた。

 

「……カミュ様……」

 

「……まだ、問答を続けるつもりか?」

 

 サラがカミュに向かって口を開くが、その内容を予測しているカミュは、冷たく突き放すように呟いた。

 それは、おそらく先程ロマリアの城下町で行った会話となるのだろう。

 今の時代では、恵まれない環境で育つ者など少なくはない。その者達に同情しない訳ではないが、一つ一つ気に掛ける程、誰しもが恵まれている訳でもないのだ。

 

「……で、ですが……」

 

「アンタは、以前俺に言った筈だ……貧富の差は、前世での行いの結果だと……」

 

 完全に立ち止まったカミュは、珍しくサラの目を見て語り始めた。

 尚も言い募ろうと口を開いていたサラの喉からは、言葉が出て来ない。カミュが言っている事を理解できないように、疑問符だけが漏れ出していた。

 

「あの馬車に乗せられている奴隷の子供は、親に売られたのか、それとも攫われて来たのかは知らないが、どちらにしても裕福とは言えない育ちの筈だ。つまり、アンタが言うような、前世でルビスの教えに背くような行いをした人間なのだろう」

 

「……カミュ……」

 

 サラの目を見て話すカミュに、リーシャは<レーベの村>の宿屋での一幕が頭を横切った。

 諭すような、相手の考えを導くような、無表情ではあるが、冷酷ではない話し方であったのだ。それをサラも感じており、カミュの瞳から目を離す事が出来ない。その言葉を聞きたくもないが、聞かなくてはならない事である事を理解しているのだ。

 

「アンタの言うルビスの教えの通りならば、この世での『償い』をしている最中という事になる。奴隷として売られ、奴隷商人に辱めを受け、そして殺される事が、アンタの言うような『償い』となるのならば、早々に死んで、幸福な来世を迎えさせてやった方がその子供にとっても幸せの筈だ」

 

「……そ、そんな……」

 

 サラは、言葉が出て来ない。

 確かに、サラは『前世での罪の償いの為』と話した事は記憶している。

 しかし、『その罪を償って死んだ方が幸せだ』等とは考えた事もない。

 その隙間を突くように語るカミュの言葉が、理解不能な物であるように、サラの頭の中を回り巡って行った。

 

「アンタが、あの森の中で俺に言った内容はそういう事だ。『この世には、ルビスという精霊の許、必要な命とは別に、死んで当然で不必要な、そして生きる価値も権利もない命がある』、とアンタが語ったんだ」

 

「そ、そんな……こと…は……」

 

「……カミュ……」

 

 サラは、カミュの言っている事が理解出来ない。

 『自分は、そのような事は言ってはいない』

 『そのような考えを持ってもいない』

 『人の命を、そのように軽く考えた事もない』

 『何故、このように酷い事を、自分は言われなくてはならないのか』

 それが、サラには解らなかった。

 

 リーシャは、カミュの無表情が闘技場等で見せた物ではなかった為に、静観している事にしたが、その内容の過激さに、間に入る事すら出来なかった。

 カミュの言っている事は、以前サラの発した言葉の揚げ足を取って、曲解している物だ。

 ただ、『精霊ルビス』を崇めない人間など、リーシャがまだ見ぬ異国の異教徒しかいない世界で、カミュのような考え方をする人間もいなければ、教会の教えをそのように解釈する人間もいない。

 つまり、サラもリーシャも、初めて聞く解釈なのである。

 

「アンタは、あの奴隷を救う為に泥を被る覚悟があるのか? 前世とはいえ、ルビスに対しての罪人を救うという事は、教会に属するアンタにとっても罪になるのではないのか? それとも、アンタが救えば、罪人である奴隷の罪は許されるのか?」

 

「!!」

 

「……」

 

 そんな規則はない。

 そんな規則があれば、サラとて今生きている訳はないのだ。

 親が魔物に襲われ、天涯孤独となった自分を拾い、育ててくれたのも教会の司祭職にある神父様である。そして、前世での罪人と言うのであれば、アリアハン教会の神父に育てられたサラもまた、『精霊ルビス』に背きし罪人なのだ。

 

「そ、そんな事はありません!」

 

 カミュの残酷ともいえる糾弾を受け、下がり切っていた顔を勢い良く上げたサラの瞳は、何かを決意したような瞳に変わっていた。

 それは、リーシャに剣の師事を頼み込んだ時の瞳と同じ物。

 その瞳の中に燃える炎が何であるかは、リーシャにもサラにも解らない。ただ、この小さな炎が、サラという一人の『僧侶』の運命を大きく変えて行く事となる。

 

「この世に死んで当然の命などありません! 誰しも、生きて幸せになる事を許されている筈です! 生きる価値のない者などいません!」

 

 カミュの瞳を見て、自分の内にある物を吐き出したサラは、その叫びを聞き終わった後のカミュの表情を見て驚いた。

 カミュが微笑んだのだ。

 口元を緩めるだけの微笑みではあったが、それは口端を上げる皮肉気な笑いでもなく、鼻で笑うような嘲笑でもない、そんな優しい微笑みだった。

 

「……そうか……それには、同意見だな……」

 

 カミュはその言葉と共に、馬車のある場所に向かって一直線に歩いて行った。

 サラは、カミュの微笑みの理由は分からず、唯その不思議な光景に呆然としたまま、カミュの背中を見送る。しかし、不意に肩に置かれた手に、そちらに顔を向けると、そこにはサラと同じようにカミュの背中を見つめるリーシャの姿があった。

 

「サラ……今のサラの言葉が、おそらくこれから先、サラを大いに苦しめる事になるだろう」

 

「えっ?」

 

 サラは突然告げられたリーシャの言葉が理解できない。

 何故、自分の言葉が自分を苦しめる事になるのか。

 『自分は、何も間違った事は言ってない筈だ』という想いが、サラの疑問を大きくする。

 それでも、サラの瞳を見ないリーシャの横顔は、サラを煽っている節はなく、唯単純な事実を告げている事を示していた。

 

「だが、カミュと同じように、私もサラの意見に賛成だ……例えそれが、これから先、私を苦しめる物であったとしてもだ」

 

「……リーシャさん……」

 

 リーシャは、軽くサラの頭を掌で叩き、既に馬車に辿り着いているカミュの後を追う。サラは、そのリーシャの背中も暫く見つめていたが、我に返り、慌てて後を追った。

 

 

 

「しかし、兄貴も面倒な事をするもんだよな……」

 

「ああ、流石に城下町では肝を冷やしたぜ……」

 

 停車していた馬車の近くで、二人の奴隷商人が休憩を兼ねて話していた。

 話している内容から、彼らが兄貴と呼ぶ存在が近くにいない事が分かる。用を足しに行ったのか、それとも馬車の中なのかは分からない。

 

「それに加え、趣味も悪いと来たもんだ。あんなガキじゃ、面白みもないだろうによ」

 

「ああ、それに、こんな事をしている事を(かしら)に知られちゃ、俺達自体がやばいからな……結構な値をつけた馬鹿貴族もいたんだから、さっさと売っ払っちまえば良かったんだよな」

 

 柄の悪い恰好をした二人は、何やら愚痴を言い合っている。それは、おそらくこの馬車の中にいる奴隷の少女に関しての事なのであろう。

 しかし、その話の内容は、通常の神経をしている『人』が紡ぎ出す物ではなかった。

 

「だよな……しかも、あんなガキじゃ、俺達は全く楽しめねぇしよ。どうせ殺すのも、俺らの仕事なんだろ? 流石にガキを殺すのは気が引けるな」

 

「嘘を言うな! お前がそんなたまな訳ねぇだろ!」

 

 もう一人の奴隷商人の切り返しに、二人は盛大に笑い合った。

 さも、楽しい事を話しているように笑うその姿も、やはり『人』の姿ではない。

 

「……楽しんでいるところに悪いが……」

 

「ああ?」

 

 楽しい談笑の中に割り込んで来る声。

 二人が同時にその方向を振り向くと、そこには、頭に蒼い石の嵌め込まれているサークレットをつけ、背中に剣を背負っている男が立っていた。

 

「なんだ、てめぇは?」

 

 一人の奴隷商人が立ち上がり、突然現れた男の方へ近づいて行く。もう一人は、にやにやと汚らしい笑いを絶やす事なく、その男を眺めていた。

 彼らには、サークレットを着けた青年の醸し出す空気を読む能力は備わっていない。もし、自然界に生きる獣であれば、その青年の纏う空気を敏感に感じ取り、逃げ出した事だろう。

 

「……少し尋ねるが、その馬車に乗っている奴隷は、お前達が買った物なのか? それとも、攫って来た物か?」

 

「ああ? なんだ? そんな事、お前には関係ねぇだろうが!」

 

 直接的すぎる質問を奴隷商人にぶつける男は、先程、サラとのやり取りの後に馬車へと向かったカミュである。そんなカミュの不躾な質問に、奴隷商人は鼻息荒く返答し、再び二人で笑い出した。

 一体何が面白いのか、とでも言いたげな表情を浮かべたカミュが、尚も質問を繋げる。

 

「いや、もし買い取って来たのならば、その金額を払うから譲って貰いたいのだが……」

 

「はぁ? 何を言ってやがるんだ!? 俺達の買値で、奴隷が買えるわきゃねぇだろうが!」

 

 奴隷商人達は、カミュの申し出に呆れ返ってしまう。彼らも、曲りなりにも商人を名乗っているのだ。仕入値で売却しては、利益など取れやしない。

 商売の基本も解っていない青年に向かって、奴隷商人達は罵声を浴びせた。 

 

「それによ、どんなにてめぇが奴隷を欲していても、あの娘は無理なんだよ。兄貴のお気に入りだからな」

 

 黙り込んだカミュを見た一人の奴隷商人が、諭すように語り出す。

 『どれ程資金を積んだとしても無駄だ』と。

 奴隷商人達にしてみれば、滅多に見る事の出来ない優しさだったのかもしれない。しかし、それを聞いていた青年は、無表情で溜息を吐き出した。

 

「……端金で買い叩いてきたものを偉そうに……」

 

「なんだと!!」

 

 カミュの切り返しに、一気に頭に血が上った奴隷商人達は、商人が持っている筈のない腰にぶら下げた剣に手をかける。

 

「抜くな!」

 

「!!」

 

 剣に手をかけた二人に、今まで呟くような話し方だったカミュの声質が変わる。その威圧感に、二人の奴隷商人は声に詰まった。

 先程までの青年はそこにはいない。

 相変わらずの無表情であるが、身体から噴き出したような空気が明らかな変化を告げていたのだ。

 

「……抜けば、斬るぞ……」

 

「!! ふ、ふざけるな!」

 

 カミュの最後通告を無視し、二人は剣を抜いて、カミュへと斬りかかって行く。

 しかし、素早く背中から剣を抜き、二人の襲撃に備えたカミュの剣が振るわれた。

 一刀目で、右側から襲いかかって来る奴隷商人の剣を持つ左手を斬り飛ばし、二刀目で、左側からの者の右腕を斬り落とす。

 その一瞬の早業に、呆然としていた奴隷商人達は、斬り落とされた腕から血が噴き出した事で我に返った。

 

「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 利き腕を失った二人の悲鳴が周囲に轟き、その声に全く関心を示さず、カミュは剣を一度振るい、血糊を飛ばす。のた打ち回るように、赤い血液を撒き散らす奴隷商人達を冷たく見下ろし、カミュは一歩足を進めた。

 

「……カミュ……」

 

「……カミュ様……」

 

 やっとカミュに追いついたリーシャとサラは、絶叫に近い悲鳴をあげながらのた打ち回る奴隷商人を見て、『人』に対しても容赦なく剣を振るうカミュの冷酷さに、言葉を失っていた。

 森の入り口に生えている草木には、奴隷商人達が撒き散らす血液が付着し、赤い染みを作っている。サラはその光景を信じる事が出来なかった。

 

「……それで、いくらで買った……?」

 

 未だに腕から血を流し続け、地面を転がる奴隷商人の身体を足で抑えつけたカミュは、先程の質問を繰り返す。その姿は、先程サラに微笑んだ優しさは微塵もなく、鬼さながらの物であった。

 その『人』と掛け離れたカミュを見て、サラはようやく我に返る。

 サラは、二人の奴隷商人に駆け寄り、その腕に<ホイミ>をかけて行った。二人の腕が暖かな光に包まれ、斬り飛ばされた部分の止血をし、赤々とした肉が皮に覆われて行く。

 元来、<ホイミ>では、傷などは癒せるが、身体の欠損した部分までは復活させる事が出来ない。それは、最上級の僧侶が使えると云われている蘇生呪文も例外ではない。

 この世で唯一、そのような事ができる物があるという伝説はあるが、それもあくまで伝説の域を出ない物であった。

 

「どうした!? 何を騒いでやがるんだ!」

 

 サラが二人の治療が終えた頃に、後ろの茂みから一人の男が出て来た。

 その姿は、腕を失った二人とは一線引いたものである。この男が、先ほど二人が『兄貴』と呼んでいた男である事が一目で解った。

 

「な、なんだ、てめぇら!」

 

「あ、兄貴!」

 

 カミュ達の存在に気がついた男は、自分に駆け寄って来る二人の弟分の腕が失われているのを見て、更に動揺を深めた。

 そんな男の心の動きを余所に、カミュが一歩前に出る。男は、カミュのその動きに恐怖し、腰の剣に手をかけようとするが、初めから剣を抜いている者と、これから抜く者では勝負は見えていた。

 男が剣を抜くよりも早く、カミュの剣が男の喉元に突き付けられる。

 

「……抵抗はするな……殺すつもりはない……」

 

「な、な、何が……も、目的だ……?」

 

 喉元に剣がチラついているため、男は思うように話す事が出来ていない。二人の弟分もまた、兄貴分の後ろに隠れ震えていた。

 リーシャもサラも口を開く事が出来ない。

 それ程に、カミュの纏う空気は厳しい物だった。

 

「……この馬車にいる奴隷の娘は、攫ってきたのか……?」

 

「あ、ああ!? な、何言ってやがる!? しっかりと親から……買い取って来たに決まってるだろうが!」

 

 カミュに剣を突き付けられながらも、男は気丈に言い放つ。カミュの瞳は冷たく、サラであれば失神しかねない程の圧力を放っていた。

 現に、奴隷商人の回復が終わったサラの身体は、カミュの圧力の余波で小刻みに震えている。

 

「……そうか……いくらだ……?」

 

「ああ!? それがてめぇに関係あんのか!?」

 

 曲がりなりにも、二人の弟分を持つ奴隷商人だ。

 既に心の動揺は抑える事に成功し、剣を突き付けられながらも、カミュと対等にやり取りを行い始める。しかし、通常の人間相手であれば有効な手段は、目の前に立つ青年には全く通用しない。

 カミュは冷たく鋭い瞳を向けたまま、地の底から響く声を絞り出した。

 

「……勘違いするな……殺す気はないが、殺さないとは言ってない。そこの奴隷の買値を教えろと言った。嘘を言うな……ふっかけられる相手ではない事は解る筈だ」

 

「……」

 

 持っている剣の角度を変え、再び男の喉元に突きつけたカミュの剣は、男の喉の皮を破り、血を滲みださせた。

 『兄貴』と呼ばれたこの男も、それなりの修羅場は潜って来ている。故に、カミュの瞳の中に宿る物へ恐怖したのだ。

 

「……20……ゴールドだ……」

 

「20……」

 

「!!」

 

 緊迫したカミュの様子に、男は少女の買値を白状した。

 その金額に、サラもリーシャも絶句する。

 高いのではなく、人一人の値段としては安すぎるのだ。

 今のこの世界で、20ゴールドで買える物など、たかが知れている。宿屋に2泊すれば全て無くなり、食費としても、一週間も過ごせない。

 

「……40ゴールドだ……少なくとも倍にはなる……」

 

 リーシャとサラが活動停止になっている横で、カミュが男から剣を外し、革袋から硬貨を取り出して男の足元に投げた。

 剣が喉元から離れた事で、男は安堵の溜息を吐き、鋭い目つきでカミュを睨みつけた後、硬貨を拾い上げ、弟分を引き連れて森へと入って行った。

 

「……カミュ様……」

 

 剣を背中の鞘に納め、馬車の方に歩くカミュの背中を、サラは複雑な想いで見送っている。リーシャは今回の一件には、極力前に出ないよう心掛けていた。

 その辺のゴロツキに手こずるカミュではない。更に言えば、このサラとカミュとの間でのやり取りが、この先の旅で重要な起点となる事を感じていたのだ。

 

 カミュが馬車の後方から中へと入って行くと、中は、幌によって日光が遮られている為か薄暗く、奴隷を詰め込んでいた為、独特な臭いが籠っていた。

 その奥で、一人の子供が手足を縄で縛られている。手を縛っている縄は、馬車の側面に繋げられており、その子供を吊るすような格好になっていた。

 カミュは、縄を剣で切り、子供に身体の自由を返還してやるのだが、手足を動かす事が出来るようになった子共は、不思議な物でも見るように小首を傾げながらカミュを見返すだけ。

 その子供は、年の頃は二桁に届くか届かないかに見える。

 別段、食事を取り上げられ、成長に異常をきたしているようには見えない為、見た通りの年齢で間違いはないだろう。髪は、不衛生の為に虫などが湧かないように、耳が隠れるくらいに短く切り揃えられてはいるが、ロマリアの武器屋が言っていたように性別は『女性』である事が解った。

 奴隷とはいえ、貴族に売り払う商品である為、餓死寸前では値が下がるのだ。

 奴隷商人達は、奴隷の食事に、量の制限はかけるが、必ず何かを口にさせる。そんな食費を含めて、貴族達にかなりの金額を吹っ掛けるのだ。

 故に、奴隷として売られるのは、食の細い女が多く、屈強な男の奴隷などは皆無に等しい。

 

「……歩けるか……?」

 

 立ち上がった少女を見上げる形となったカミュの問いかけに、少女は首を縦に振る事で返答する。少女の答えを確認したカミュは、少女の背を押すような形で馬車の外へと促して行った。

 自分の背を押すカミュの顔を確認するように振りかえる少女に対し、カミュは頷きで応え、そのカミュの頷きにも少女は小さく首を傾げる。それでも、促されるまま、少女は閉鎖された馬車の中から外の世界へと足を踏み出した。

 それが、この少女と、この世界の未来を変える一歩となる事を、まだ誰も知りはしない。

 

 

 

 傾きかけている太陽の放つ西日が、周囲を赤く染め始めていた。

 暗い馬車の中から出た少女は、眩しそうに目を細め、目が慣れるまで、その場に立ち尽くす事となる。

 

「……大丈夫ですか……?」

 

「!!」

 

 目を瞑るようにしていた少女を心配し、サラは確認の意も込めて少女に触れようと手を伸ばした。

 少女は徐々に慣れ始めた目に映った、サラを興味深げに見ていたが、ある一点に目を向けた途端、声にならない悲鳴を上げ、少女に遅れて馬車から出て来たカミュのマントの蔭に隠れてしまう。

 

「……えっ?……何故で…すか……?」

 

 カミュのマントの蔭に隠れ、その腰にしがみつくようにしながら、怯えた目を向ける少女にサラは愕然とする。先程まで夕日に輝いていた少女の髪は、今やカミュのマントに隠れて見えなくなってしまった。

 カミュのマントの隙間から見える濃い茶色をした髪の毛を呆然と眺め、サラは呆けてしまっている。

 

「……サラ……どうやら、その服装が、怯える原因のようだ」

 

「えっ!?」

 

 リーシャの言う通り、カミュのマントの蔭から見ている少女の目は、サラの法衣に止まっていた。

 それは、法衣を見た事がないからなのか、それとも他に理由があるのかはサラには解らない。

 

「奴隷商人が子供を買い取る時に、教会の人間と偽っている事もあるらしい。もしかすると、この子を買い取った奴隷商人も法衣を身に纏っていたのかもしれないな」

 

 リーシャが言う予想の内容に、サラは大いに憤慨した。

 自分が深く信仰する『精霊ルビス』。

 そして、その高貴な存在を信仰する証であり、誇りでもある法衣をそのような目的に使うなど、言語道断なのである。

 

「大丈夫だ。私達はお前に危害は加えない……おいで」

 

 一人憤慨するサラを放っておく事にしたリーシャは、少女の警戒心を解くようにゆっくりと優しく声をかける。暫くは、マントの蔭に隠れ、カミュの腰にしがみついていた少女だが、少しずつ顔を出し、リーシャの目を見つめるようになった。

 実は、少女に話しかけている時、リーシャは必死に笑いを堪えていたのである。

 何故なら、少女にマントと腰を取られたカミュが、今までリーシャが見た事のないような困惑した表情を浮かべていたのだ。

 少女を引き剥がす事も出来ず、只々困惑するカミュが、可笑しくて仕方がない。それが、自然な笑みとなり、少女の警戒心を解かせたのかもしれなかった。

 

「……ん……名前は……?」

 

「……」

 

 顔を恐る恐る出した少女に、リーシャは続けて柔らかく問いかけた。しかし、少女は答えない。

 『もしかすると、親に名前すら貰えていないのかもしれない』という考えが頭に浮かび、リーシャは後悔に顔を歪めてしまった。

 

「…………メルエ…………」

 

 そんな、リーシャの顔の歪みを、自分が話さない事に悲しんでいるとでも感じたのだろうか。小さな小さな声で、名前だけを単語のように少女は溢した。

 その呟きを聞き逃さなかったリーシャの顔が輝きを取り戻す。

 

「そ、そうか、メルエか! うん、良い名だ! 私はリーシャだ。よろしくな」

 

 少女の答えに、喜びを顔全体で表すリーシャは、自己紹介をするために自分の名をメルエと名乗った少女に宣言する。

 そんなリーシャに、こくりと一つ頷いたメルエは、続いてマントを掴みながら、そのマントを羽織っているカミュの顔を、まるで『貴方のお名前は?』とでも言うように見上げた。

 

「……カミュだ」

 

 カミュの自己紹介にも一つ頷く事で返事をし、少女はそのまま、またマントの中に隠れてしまう。その少女の行動にリーシャは笑顔を濃くし、カミュは困惑顔を濃くした。

 そのカミュの表情が益々リーシャの笑顔を濃くして行く。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい。私の名前も聞いて下さいよ」

 

 先程の憤慨から立ち直ったサラが、自分の名前も聞かずに再びカミュのマントに隠れてしまったメルエに対し、哀願するように話しかけた。

 先程のカミュの表情を思い出さされたリーシャは、サラの慌てぶりが笑いのツボの最後の一押しとなり、爆笑してしまう。

 

「あははははははっ!」

 

 突然響き渡ったリーシャの笑い声に、驚きで身体を跳ねさせたメルエは、尚更マントを身体に巻きつけるようにして隠れてしまった。

 その動きに、カミュの表情はますます困惑を極めて行き、リーシャの笑いは熱を増す。そんな和やかな循環が出来上がり、サラがメルエに自己紹介が出来るまで、かなりの時間を要する事になるのだ。

 

 

 

 リーシャの笑いも沈静し、状態が落ち着いた中、カミュが口を開いた。未だにメルエと名乗った少女は、カミュのマントの裾を離さない。その対面に立つサラに向かって向けられたカミュの瞳は、突き放すような冷たい物ではあったが、何処か優しさを含む物でもあった。

 

「それで、どうするつもりだ?」

 

 『この少女を救ったのはいいが、どうするつもりだ?』

 言葉は少ないが、カミュの言いたい事はそういう事であろう。カミュにしてみれば、サラの願いを聞いて、救っただけと言うつもりなのかもしれない。

 全てはサラが決めた事であり、カミュはその手助けをしたに過ぎないのだ。

 

「……」

 

 未だにカミュのマントの裾を握るメルエは、カミュとサラの両方の顔を見比べている。サラは、そんなメルエの視線を感じ、尚更言葉が出て来ない。

 ロマリア城下町でカミュの話した内容がサラの胸に突き刺さっていた。

 メルエを救っても、幼いメルエの人生を請け負う事は、サラには出来ない。『魔王討伐』という大望がある以上、少女を養う事も育てる事も出来はしないのだ。

 

「連れて行けば良いじゃないか」

 

 そんな二人の膠着状態を破ったのは、やはりリーシャであった。

 リーシャとしては当たり前の事なのかもしれない。幼い少女を、このような森の中に置いて行く事が出来ない以上、連れて行くしかないのも事実なのである。

 

「……本当に、アンタはどうしようもない馬鹿か……?」

 

「なんだと!!」

 

 しかし、呆れたような溜息を吐き出しながら開いたカミュの口からは、失礼極まりない言葉が飛び出して来た。

 その言葉に反射的に怒りを向けるリーシャであったが、瞳を向けた先にあったカミュの表情を見て、息を飲む。

 

「俺達の目的は分かっている筈だ! このような『死』への旅に、子供を連れていくつもりか!? それこそ、何の為に救った!?」

 

 珍しく語気が荒いカミュに、意見を述べたリーシャも、言葉が出なかったサラも驚きを隠せない。

 ただ、カミュの横に立つメルエだけは、カミュのマントを握る手に力を込めていた。

 

「…………メルエも……行く…………」

 

「……アンタの馬鹿な発言のお陰で、こんな事になる」

 

 メルエが発した言動に、心底疲れ切った様子で溜息をつくカミュは、リーシャへと怒りに燃えた鋭い視線を投げかける。

 先程、カミュがリーシャへ向けた表情は、無表情とは程遠い『怒り』の感情を乗せた物だった。

 そのカミュがメルエの発言に困っている。

 それが、再びリーシャを可動させる事となった。

 

「ま、まぁ、良いじゃないか。どちらにしろ、こんな場所に置いて行く事は出来ないのだから、<カザーブ>までは一緒に行くしかないだろ?」

 

「そ、そうですね。とりあえず、<カザーブ>までは一緒に向かいましょう」

 

 リーシャの言い訳のような言葉に乗るように、サラは同意を示した。

 そんな二人に、カミュの視線はますます厳しくなって行く。サラは俯いてしまうが、リーシャはそんなカミュの変化を好ましく思っていた。

 あのカミュが、二桁の歳になったかならないかの少女に翻弄されているのだ。

 これ程面白い事などある訳がない。

 

「よし! メルエ、ここからの道は危険が多い。カミュの傍を離れるな」

 

「おい!」

 

 カミュの抗議の声を無視するかのように、マントの裾を握ったまま、こくりと頷いたメルエに、リーシャはにこやかな笑みを作った。

 そんなやり取りに、俯いていたサラも顔を上げ、笑顔を見せるのだった。

 

 

 

 




ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

本日は帰宅が遅く、結局3話しか更新できませんでした。
明日の夜は、もう少し更新できるようにしておきます。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしています。


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~幕間~【ロマリア野営地】

 

 

 

「カミュ、馬車はどうするんだ?」

 

 マントの裾を握ったままのメルエを引き摺るように森に入ろうとするカミュに、リーシャが放置されたままの馬車について尋ねた。

 幌の付いた馬車は、メルエを救い出した時のまま、静かに佇んでいる。

 

「あの40ゴールドに、馬車の代金までは含まれていない。その内、あの奴隷商人達が取りに戻って来るだろう」

 

「しかし……」

 

 馬車があれば、メルエのような幼い子供がいても、行軍速度の心配はない。そう思って言い募ろうとするリーシャに、カミュは自分のマントの裾を握って放さない少女に視線を移す事で、その申し出を拒絶する姿勢を見せた。

 

「……そうだったな……メルエ、すまない」

 

 今まで、奴隷として縛られ、運ばれる為に乗っていた物に、再度乗りたがる訳はない。それを理解したリーシャは、メルエに向かって謝罪の言葉をかけたが、メルエはただ、首を横に数回振ったのみであった。

 少し、気不味い雰囲気のまま一行は森へと入って行く。もはや、夕陽も沈みかけ、夜の静けさが森の中に漂っていた。

 カミュとリーシャで、今夜の野営地を絞り、火を熾して行く。その間、サラは周囲から薪として使える木の枝などを探し、拾っていった。

 簡単な食事を終えた後、焚き火の傍でうつらうつらと船を漕ぎ始めたメルエをリーシャが横たえ、カミュから剥ぎ取ったマントを掛けてやる。まだ幼さが十分に残る寝顔を見て、リーシャに優しい笑みが浮かび、メルエの綺麗な茶の髪を手で梳き始めた。

 その後、リーシャは、今日の<アニマルゾンビ>との戦闘後に話した通りに、サラに魔法についての講義を受ける事になる。

 幼い頃から、剣だけを磨いて来たリーシャにとって、初めて聞く事も多く、何度も聞き返すような事はあったが、サラは嫌な顔一つせずに、懇切丁寧にリーシャの疑問に答えて行く。その講義の中には、時折サラの職業柄、『精霊ルビス』に纏わる話も織り交ぜられていたが、リーシャとてアリアハン国民である以上、『精霊ルビス』を崇めている一人であるため、そんなサラの話も真面目に聞いていた。

 

 サラの講義を受け始めてどのくらいの時間が立ったであろう。

 不意に、傍で寝ていたはずのメルエが、むくりと起き上った。

 傍で火に当たりながら講義を受けていたリーシャが、その変化に気付き、視線を動かす。

 

「ん……どうした? まだ寝ていても良いんだぞ」

 

「……」

 

 リーシャの優しい声にも上手く反応出来ていない様子で、目を擦る仕草をするメルエに、サラは笑みを溢した。

 ようやく、寝惚けから覚醒したメルエは、掛っていたマントを握りしめ、周囲を見渡し始める。その様子に、カミュを探しているのだと感じたリーシャは、今さらながら、カミュがいない事に気が付いた。

 

「カミュか? おそらく、その辺にいるとは思うが………少し待っていれば戻って来るさ」

 

 その声に、少しリーシャの方を見たメルエであったが、マントを持ったまま立ち上がり、周囲を歩き回り始める。それはまるで、迷子になった子供が、親を探しているかのような必死さであった。

 サラには、何故メルエが、そこまでカミュを頼みにするのかが理解できない。別段、特別な優しさをカミュがメルエに向けているようには見えなかった。

 メルエの傍でも、サラから見れば、いつものカミュにしか見えないのだ。

 

「あっ! お、おい!」

 

 自分の考えに没頭していたサラの意識が、リーシャの上げた声で戻される。メルエが野営地を抜け、森に入って行ってしまったのだ。

 野営地の周辺に<聖水>を振り撒いているとはいえ、そこを抜ければ魔物達が住処にする森である事に変わりはない。

 

「サラ! 私はメルエを連れ戻しに行く。ここは、かなりの量の<聖水>を使用しているから安全だ。火を絶やさぬように待っていてくれ」

 

 サラが頷く間も与えず、リーシャはメルエの後を追い、森へと入って行った。

 呆然とするサラであったが、今から自分が追いかけても仕方がないと感じ、ここで待つ事にした。

 

 

 

 どこをどう歩いたのか分からない。

 だが、親を探す帰巣本能なのか、メルエはカミュの下へと辿り着いた。

 そこは少し開けた場所で、周囲を木々が囲んではいるが、先程の野営地を一回り程小さくしたような、平地のある場所。

 そこにカミュはいた。

 

 カミュは胡坐をかくように、地面に座り、目を瞑っている。その周辺は、何か暖かな風に包まれ、淡い光を放っていた。

 メルエにはそれが何か分からなかったが、不思議と違和感を覚える事はなく、まるで昔から知っているような感覚に陥る。

 

「……どうした? 眠れないのか?」

 

 メルエが近付くと、カミュが目を開く。カミュのたった一つの行動で、メルエが先程まで感じていた、カミュの周囲を満たしていた物が霧散して行った。

 その不思議な雰囲気に、メルエは小首を傾げるのだった。

 

「…………なに…………?」

 

「……ん? ああ、魔法の契約だ」

 

 メルエの発した、意図の掴みとれない単語だけで、カミュは何を言いたいのかを正確に理解する。

 『何をしていたのか?』とメルエは聞いているつもりなのだろう。それを汲み取ったカミュは、傍に置いてあった『魔道書』を掲げ、自分が行っていた事をメルエへと伝えるが、先程まで『奴隷』であったメルエに、それを理解する知識はなかった。

 

「…………ま……ほう…………?」

 

「ああ」

 

 カミュの目の前まで移動して来たメルエは、小首を傾げたまま、カミュの表情を見ている。それに、頷くようにカミュは答えた。

 それでも、カミュの口にした単語が理解できないメルエは、反対側へと小首を傾げるのだった。

 

「…………か…ぜ…………」

 

「……お前……魔力の流れが見えるのか?」

 

 メルエが先程感じた、カミュを取り巻く風。

 それは、魔法の契約時に、契約者が纏う魔力そのものだったのだ。

 その流れが視認できるという事は、その人物もまた、魔力を有しているという事になる。

 別段、この世界で魔力を有しているという事は、それ程珍しい物ではない。しかし、二桁に届くか届かないかの子供に、他者の魔力を視認できる程の魔力があるとなれば話は別であった。

 

「……ここに座ってみろ……」

 

 カミュは、何やら地面に円を描いた後に、そこに幾何学模様のような物を描き、メルエを呼んだ。カミュが何をやっているのか理解はできないが、その声にメルエはこくりと頷き素直に従う。

 メルエがカミュの描いた円の中に入り、腰を下ろすと同時に、円に沿うように淡い光が溢れ出し、メルエを包み込んで行った。 

 

「……???……」

 

 暫くの間、メルエを包んでいた光は輝き続け、そして、まるでメルエの中に吸い込まれるようにその光は収縮して行く。不思議そうに自分の身体を見ているメルエとは正反対に、カミュは呆然とその光景を眺めていた。

 

「……まさか、本当に契約が完了するとは……」

 

「……???……」

 

 その様子を傍で見ていたカミュの顔に、珍しく心からの驚きの表情が浮かぶ。そんなカミュの表情を見て不安になって来たメルエは、飛び上がるように円を飛び出し、カミュの下に駆け寄って行った。

 

「……メルエ……あの方角へ指を向けて、『メラ』と唱えてみろ……」

 

 駆け寄って来たメルエに、カミュは違う指示を出す。カミュの顔を見上げていたメルエは、再度こくりと頷いた後、言われた方向に右人差し指を向けた。

 指を掲げた瞬間にカミュの眉間に皺が寄って行く。

 メルエの纏う空気が変わったのだ。

 

「…………メラ…………」

 

 メルエの呟くような<メラ>の詠唱と共に、人差し指から凄まじい音を立て、岩のような大きさの火球が飛び出した。予想はしていたのだろうが、その桁違いの<メラ>を見て、カミュは呆然となってしまう。

 

「あっ!」

 

「なっ!?」

 

 メルエから飛び出した火球の規模に、尚更目を見開いたカミュであったが、その後に起こった事に、らしくない叫びを上げてしまう事となる。

 木々しかなかった、火球の進行方向には、運悪くメルエを探しに来たリーシャが、突然姿を現したのだ。

 

 

 

 メルエを探し、森へ入ったリーシャであったが、あの小さな身体がどこへ向かったのか皆目見当もつかない。

 ましてや、闇に閉ざされた森の中である。

 一行は、ロマリアで見つけた『ランプ』を購入しようかどうか迷ったが、その燃料である油が高級なため、再び<たいまつ>に落ち着いていた。

 その<たいまつ>を持っての探索となる為、難航していたのだ。

 そんな中、自分の右手の茂みから、淡い光が輝いた事に気が付き、リーシャは腰の剣に手をかけながらそちらへと歩いて行く。しかし、近くまで近寄った時には、その光は消えてしまっていた。

 途方に暮れそうになったリーシャが最後に掻き分けた茂みの先に、突如昼になったかと思う程の熱気と光が飛び込んで来たのである。

 

「なっ!?」

 

 咄嗟に左手に持つ、<青銅の盾>を顔面に掲げ、その光から目を護ろうとしたリーシャに、更なる衝撃が襲った。

 <青銅の盾>を持つ左腕に何かがぶつかり、その力にリーシャは吹っ飛ばされる。何が起きたのか理解出来なかったリーシャではあったが、魔物の襲来を考え、素早く態勢を立て直し、腰の剣を抜き放った。

 

「……まいったな……」

 

 しかし、リーシャの耳に聞こえて来たのは、魔物の雄たけびや奇声ではなく、もはや聞き慣れて来た、自分と共に旅する捻くれ者の声であった。その声を聞いたリーシャは、<青銅の盾>から顔を上げ、前方から歩いて来る青年に厳しい視線を向けた。

 

「カ、カミュ! お、お前……何をする!」

 

「……いや、すまない……悪気があった訳ではない」

 

「……」

 

 リーシャの激昂に、カミュは素直に謝罪の意を表し、その傍にいたメルエはカミュの後ろへ隠れてしまう。小さな姿を確認したリーシャの怒りは、一瞬沈静化するが、再び湧き上がる怒りを隠そうともしなかった。

 

「……メルエ、ここにいたのか? それより、カミュ! 今のはなんだ!? まさか、メルエに良い所を見せようと、魔法でも見せていたのか!?」

 

 メルエの存在に気がついたリーシャは、ほっと胸を撫で下ろし、一つの問題を解決したとばかりにカミュへと詰め寄って来る。リーシャの剣幕に、メルエは更にカミュの後ろで小さくなり、カミュの足を掴むその手にも力が籠っていった。

 

「……少し落ち着いてくれ……俺も多少混乱している……」

 

「お前が……混乱?」

 

 カミュと混乱という全く結びつく事のない単語に、リーシャの頭に疑問符が浮かぶ。しかし、カミュの顔は真面目そのものだ。

 別段、口端を上げている訳でもない。

 そこで初めて、リーシャは冷静さを取り戻した。

 

「……落ち着いて聞いてくれ……信じられないかもしれないが、今、アンタがその盾で受けた<メラ>は、俺が放った物ではなく、メルエが放った物だ」

 

「何……メルエが!?」

 

 カミュの言葉に、リーシャの声は自然と大きくなる。その声量に、カミュの後ろに隠れていたメルエの身体は大きく跳ね上がった。

 リーシャの怒りの矛先は、カミュへ向かっているのだが、それをメルエが自分に向けられている物だと勘違いしてしまっているのだ。

 

「馬鹿も休み休み言え!!」

 

「……いや、アンタの気持ちは理解できる……だが、事実は事実だ」

 

 カミュへ向けられた怒鳴り声は、メルエの身体を完全にカミュのマントの中へと移動させてしまう。激昂したリーシャを抑える為に、カミュは冷静に話をするが、カミュへと詰め寄って来ているリーシャには通用しなかった。

 

「メルエが魔法を使えるとでも言うのか!?」

 

「……いや、今までは使えなかったのだろうが……たった今、契約が完了した」

 

 リーシャは完全に混乱している。

 カミュの言っている事は理解できるが、うまく飲み込めないのだ。

 そして、それを理解して行くに連れて、カミュが犯した罪を認識し、怒りを更に増して行った。

 

「お、お前! メルエに魔法の契約をさせたのか!? 何を考えている!? 」

 

「……それについては、謝る他ない……魔力の流れを見ていた為に、試しに魔法陣の中へ入れてみたら、契約が完了してしまった」

 

 掴みかからんばかりに詰め寄って来るリーシャに対し、カミュは表情を崩さないまでも、いつものような横柄な態度を取る事なく謝罪の言葉を呟いた。

 一瞬気が抜けたような表情を浮かべたリーシャであるが、再びカミュへと怒りを向ける。

 

「お前は馬鹿か!?」

 

「……アンタに言われると、かなり堪えるな……」

 

 自分が馬鹿にしているリーシャから馬鹿扱いされた事に、若干肩を落とすカミュであるが、リーシャの詰問は終わる事を知らなかった。しかも、それはリーシャ自身を馬鹿にしたような言葉を吐いた事に対してではなく、今話題に上がっている幼い少女に関する事。

 そこにリーシャの人と成りが窺える。

 

「お前は、メルエに魔法を教えてどうするつもりなんだ!? まさか、旅に連れていくつもりなのか!?」

 

「……いや、そのつもりはない……」

 

 自分の事よりもメルエを優先させるリーシャを見て、カミュは言葉を濁し始める。

 カミュ自身、何か思う事があるのであろう。そこに直接突き刺さるリーシャの言葉は、カミュから精彩を奪って行った。

 

「お前が私達に言ったのだぞ! しかも、あれ程の威力の魔法が使える少女を、引き取ろうとする人間が何処にいる!? お前は、メルエの将来をも暗い闇に閉ざすつもりか!?」

 

 もはや、リーシャはカミュの胸倉を掴み、その瞳を怒りの炎で燃やしてカミュを糾弾していた。

 そのリーシャに対し、カミュは反論する言葉を持たず、沈黙を貫いている。

 リーシャの言うように、普通の村でメルエの里親を探そうとすれば、魔法などという物はむしろ邪魔にしかならない。普通に暮らし、普通の幸せを願うのならば、魔法など『百害あって一利無し』なのだ。

 魔物に襲われた時の対処にはなる。だが、それは普通であった場合に限るのだ。今の<メラ>がメルエの放った物であるならば、それは十歳前後の子供が唱える威力の物ではない。<メラ>だけで言えば、カミュ以上の物なのである。

 強すぎる力は、畏怖の対象になる。

 魔物を退治した時などは、周囲の人間に喜ばれるかもしれないが、時が経つにつれ、『その力が、自分達に向けられやしないか?』という疑心を生み、そして恐れられるようになる。

 メルエが行使した能力は、そういう類の物なのだ。

 魔法力をその身体の内に微塵も所有していないリーシャでさえ、契約時の魔力の流れによる発光を視認できた程の魔法力をメルエは持っている。それは、メルエを幸せに導く物だとは言い難いのだ。もし、そのようなメルエを喜んで引き取るとなれば、それは跡目のいない魔法武官の家か、それとも研究材料としてしか見ない魔法学者の場所しかない。

 

「……すまない……俺の考えが足りなかった」

 

「くっ!」

 

 カミュは、本当に珍しく、謝罪を繰り返す。そんな様子に、リーシャもカミュを責め続ける事が出来なくなっていた。カミュも、自身の犯した罪と、それによって道を限定されてしまった幼い少女の未来を十分に理解しているのだ。

 故に、彼は何も反論をしない。

 

「…………メルエ…………だめ…………?」

 

 そんな中、今までリーシャの声量に怯え、カミュの後ろに隠れていたメルエが、少しだけ顔を覗かせてリーシャとカミュの顔を見上げる。その顔は、形の良い眉毛をハの字に歪め、怯え切った物であった。

 

「……いや……メルエは何も悪くない」

 

 カミュはそんなメルエの頭を撫でながら、何も知らない少女に非がない事を伝える。リーシャも、それ以上は何も言えず、ただメルエを見つめる事しかできなかった。

 カミュを責めれば事態が好転する訳ではない。彼がそれを理解している以上、リーシャが言う事は何もないのだ。

 

「さあ、戻ろう……もう夜も更けた。眠らなければ、明日が辛くなる」

 

「……ああ……」

 

 リーシャが、不安そうなメルエの手を引き、野営地の場所に戻って行く。リーシャに手を引かれながらも、カミュの存在を確かめるように、何度も何度も振り返るメルエを見て、カミュもその足を動かさざるを得なかった。

 

 

 

「あっ! メルエちゃん!……無事で良かったです」

 

 野営地に戻った三人の姿を確認したサラは、満面の笑みを浮かべ駆け寄って来る。そんな、サラの言葉に、何が不満だったのか、リーシャの手を握りながらあからさまにメルエは顔を顰めた。

 

「…………メルエ…………」

 

「えっ!?……あ、は、はい……ではメルエ、無事で良かったです。それでは、私の事もサラと呼んで下さいね」

 

 暫くサラの顔を眺めていたメルエが、ぼそりと呟いた一言に、サラはすぐに何を言いたいのかを理解する。そのサラの答えに、満足そうに頷くと、メルエは先程寝ていた場所に戻り、カミュのマントを被って横になった。

 

「ふふっ……あれ?……どうされたのですか? お二人とも顔色が優れませんけど?」

 

「……ああ、大丈夫だ」

 

「……」

 

 メルエとは違い、何とも難しい顔をしている二人を不思議に思い、サラは声をかけた。しかし、返って来た答えは、表情と同じく重苦しい雰囲気漂う物であり、そんな二人を見て、サラの疑問は不安へと変化して行くが、そんなサラの肩にリーシャが手を置く。

 

「サラも、今日はもう休め。この場所は、<聖水>を多量に使用したためか、魔物の気配が全くしない。今日は見張りを立てずに休める。ゆっくり休め」

 

「あ、は、はい」

 

 何があったのか聞こうと口を開きかけたサラを制するように、リーシャは就寝する事をサラに勧めて来る。それは、有無も言わせぬ迫力を持った物であった為、サラは自らの寝床に入る他なかった。リーシャも、既に静かな寝息を立てているメルエの傍に横になり、目を閉じる。願わくは、隣で安らかに眠る少女の将来も、安らかな物である事を祈りながら、リーシャは眠りへと落ちて行った。

 

 

 

「おい、起きろ! カミュ、起きてくれ」

 

 カミュは、耳元で声を出さないように抑えている叫びに、目を覚ました。

 まだ、森の中は暗闇が支配しており、陽が昇るまでは、まだかなりの時間がある事が分かる。ゆっくりと身体を起こすカミュの肩を、リーシャが激しく揺すっていた。

 

「……起きた……余り揺らすな」

 

 鬱陶しそうにリーシャへと視線を動かすカミュの瞳に、顔を真っ青にしたリーシャの顔が飛び込んで来る。

 その顔に余裕など全くなく、焦燥感に駆られている事は目に見えて明らかであった。

 

「カミュ、メルエがいない!」

 

「……何……?」

 

 リーシャの言葉に周囲を見渡すと、確かに火の傍で丸くなっているのはサラだけである。先程までメルエが眠っていた場所に少女の姿はなく、身体に掛けられていたカミュのマントも一緒に消えていた。

 カミュは、少し前に、火に薪をくべる為に目を覚ましている。その時には、確かにメルエはそこに寝ていたはずだが、夜の暗さから、その時からそれ程の時間が立っていない事が分かる。

 つまり、カミュが薪をくべ、少し眠りに落ちている間にいなくなっているのだ。

 

「カミュ、どうする!?」

 

 横で、開く口の大きさと声量が一致していないリーシャは、いつになく焦っているのが一目で分かるほど狼狽していた。カミュにしても、この狼狽している戦士にしても、それなりの者である。魔物や襲撃者が襲ってくれば、その気配に目を覚ます筈だ。

 つまり、そんな二人の横を歩く事が出来るのは、気配を消す事の出来る者か、警戒に値しない小動物かのどれかという事になるのだ。

 

「……一先ず、落ち着け……少し周辺を探す。何か盗られた物などはないか?」

 

 もし、昼に相対した奴隷商人などが再び現れていたら、眠りこけている三人など、疾うに殺されているはずだ。いや、その前に、カミュやリーシャが目を覚まさない訳がない。

 

「いや、盗られた物などは何もない」

 

 既にその可能性は確認していたのであろう。カミュの問いかけに、リーシャは即座に答える。カミュは、リーシャの言葉に頷きながら、自分の荷物を確認していた。

 そして、ある物が失われている事に気が付く。

 

「……なるほど……」

 

「何か盗まれていたのか?」

 

 カミュが呟いた一言に、何か手掛かりでも見つけたのではと、リーシャは必死の形相でその肩を掴んだ。カミュは、いつも以上に狼狽するリーシャの姿に、正直戸惑っている。昼に出会ったばかりの少女の身の上を、ここまで心配するリーシャが不思議だったのだ。

 

「メルエの行き先が、何となくだが見当がついた」

 

「本当か!?」

 

 肩を掴むリーシャの手を退けるが、カミュの言葉を聞いた彼女の腕が、再び彼の肩口を掴んだ。

 そのリーシャの行動に、カミュは大きな溜息を吐き出す。

 

「……ああ……連れてくる」

 

「私も行こう」

 

 メルエが何故いなくなったのか見当がついたカミュは、その予想場所に向かおうとする。しかし、付いて来る事を言い出したリーシャの言葉に、頭を振って拒絶の反応を示すカミュに、再びリーシャが咬みついた。

 

「何故だ!?」

 

「……<聖水>の効力もいつまで持つか分からない。ここにいてくれ」

 

 言葉に詰まったリーシャを置いて、カミュは森の中へと入って行く。リーシャは初めて感じる不安感や焦燥感を抑え込むように、火の傍に座り込み、深く溜息を吐き出した。

 

 

 

「……やはり、ここだったか……?」

 

「!!」

 

 突然後方からかかった言葉に驚き振り向くメルエの怯えた表情は、小動物そのものだった。

 そこは、先頃カミュが、魔法の契約をする為に魔法陣を敷いていた場所である。

 カミュの持つ袋に入っていた筈の『魔道書』を広げたまま、おそらく自分で描いたであろう魔法陣の中に座っていた。

 

「……俺の『魔道書』を使って、何をしている……?」

 

「……」

 

 カミュの静かな問いかけに、ビクッと身体を震わせたメルエは、俯き黙り込んでしまう。そんなメルエの様子に、溜息を吐きながら、カミュはメルエへと近付いて行った。

 カミュが近付いて来る事に怯えるように身体を縮込ませたメルエは、眉の下がった瞳をカミュへと向けている。

 

「……別に怒っている訳ではない……契約をしていたのか?」

 

「…………」

 

 傍に来たカミュの手が、自分の頭に柔らかく載せられた事に安心したのか、メルエは黙って一つ頷いた。

 メルエが座っていた場所に描かれた魔方陣は、拙いながらもしっかりとした物で、『魔道書』を見ながら一生懸命に描いた事が見て取れた。

 

「…………これ…………?」

 

 メルエは近くに広げてある『魔道書』を手に持ち、あるページを指さして、カミュに見せるように持ち上げた。

 メルエの持ち上げた『魔道書』のページには、カミュも習得出来ていない魔方陣が描かれてある。

 

「……<ヒャド>か……」

 

「…………ヒャ………ド………ヒャ…ド………ヒャド…………」

 

 メルエは一言一句確かめるように、また噛みしめるように、カミュの口から出た魔法の名を反復する。そして、何度か同じ言葉を繰り返した後、納得がいったのか、また違うページを選び出した。

 

「…………これ…………?」

 

「……これは<ギラ>だな……」

 

 メルエの指し示した場所を見たカミュが、再びその魔法の名を口にする。発音を確かめるようにカミュの口元を見ていたメルエは、『魔道書』に視線を戻し、再びその名を反復した。

 

「…………ギ……ラ………ギラ…………」

 

 何度も反復するメルエの姿を眺めながら、カミュは一つの結論に辿り着く。それは、この時代では決して珍しくはない物であり、それに関して、カミュがメルエを蔑視する事などないのだが、確認を込めて、カミュは口を開いた。

 

「メルエ、お前は字が読めないのか?」

 

「!!」

 

 メルエは、カミュの問いかけに、驚きと戸惑い、そして哀しみを混じり合わせたような表情をし、目を見開く。そのメルエの態度が、カミュの考えが間違っていない事を示していた。

 おそらく、メルエの両親は、メルエに対して教育は全く施さなかったのだろう。だが、それ自体は、この時代では責められる事ではない。

 今の時代、読み書きが出来ない子供が大半であった。ある程度の収入がある家に生まれた人間であれば、親や近所にいる知識がある者の教えを請い、読み書きや計算などを覚える事が出来るが、貧しい家に生まれれば、そもそも親自体が読み書きをする事が出来ない。

 故に、『子供に教育を』と考える親の方が稀なのである。そういう世の中だからこそ、国の中枢に蔓延る人間は、教育を受ける事の出来る貴族がその割合を大きく占める。

 メルエは、カミュの言葉に完全に俯いてしまった。

 先程まで次々と『魔道書』のページをめくり、目を輝かせていた少女の姿は微塵もない。そんなメルエの姿に、カミュは手のひらをその頭に乗せ、優しく撫でた。

 

「字が読めない事は、珍しい事ではない……すまない、そんなに落ち込むな」

 

「……」

 

 カミュの慰めのような言葉にも全く反応を示さないメルエに、カミュは困りきってしまう。

 カミュは、実際に『人』との接し方が分からない。幼い頃から友人などおらず、子供達と遊んだ事などないのだ。

 

「……それで、他に契約した魔法はあるのか?」

 

 一向に顔を上げないメルエに、カミュは溜息をついた後、話を続ける事にした。

 何度かメルエの頭を撫でながら、他に出来た契約の内容を聞いてみると、ようやくメルエの顔が上がり、再度『魔道書』を持ち上げる。

 

「…………これ……とこれ…………」

 

 正直に言えば、問いかけたカミュ自身が、『これ以上は、契約出来てはいないだろう』と考えていた。

 しかし、それは、メルエの言葉で完全に否定される事となり、『魔道書』を開いた二つのページに記載されている魔法を指差したメルエは、自信なさ気な表情をしたまま、カミュを見上げて来るのだった。

 

「……スカラ……と、リレミトだな……効力は解るのか?」

 

「…………???…………」

 

 魔法の名前を反復していたメルエは、カミュの言葉に小首を傾げた。

 もう一度溜息をついたカミュは、メルエにその魔法の効力を話し出す。どのような魔法であるのかを知らなければ、契約は出来たとしても、行使する事は出来ないだろう。

 それに気付いていたカミュであったが、期待するような瞳を向けるメルエに溜息を吐き出し、今までの魔法の効力も教えて行くのだった。

 

「理解出来たか?」

 

 再度確認したカミュに、大きく頷いたメルエは、再び『魔道書』を開き始める。そのメルエの行動に、カミュは驚きを強くし、目を見開いた。

 メルエの歳は、多く見積もっても二桁に届いてはいないだろう。その幼い少女が、『魔道書』に記載されている魔法を一晩で複数契約したと言うのだ。驚かない訳がない。

 

「…………これ…………」

 

「……メルエ……お前は、何処まで契約出来た?」

 

 『魔道書』を突き出して来るメルエを手で制したカミュは、メルエと目を合わせるように屈み込み、広げた『魔道書』を指差し尋ねる。カミュの質問の意図が把握出来ていないのか、暫し首を傾げていたメルエは、再び『魔道書』をカミュへと突き出した。

 

「…………これ…………」

 

 おそらく、メルエが契約出来たのは、今、指している魔法が最後なのだろう。

 この暗闇の中で『魔道書』を読むのならば、灯りが必要になって来る。傍に転がっていた木の枝の先は若干の焦げ跡が残っており、メルエが<メラ>を唱えた事が窺えた。

 その木から出る火の粉の破片が、メルエの指差すページに残っていたのだ。

 

「……凄いな……それはルーラだ」

 

「…………ルー……ラ………ルーラ…………」

 

 再び反芻し始めたメルエを、驚きの表情で見つめていたカミュは、メルエへの懸念が浮かび、苦い顔になる。

 その表情に浮かぶ物は、確かな『感情』。

 ここまでの旅で決して見せる事のなかったカミュの感情は、この幼い一人の少女によって引き摺り出されたのだ。

 

「……メルエ……よく聞いてくれ」

 

「…………???…………」

 

 魔法の名の反復を終えたメルエが顔を上げるのと同時に、カミュはその瞳を見つめながら語り出す。首を傾げたメルエは、それでもカミュの言葉を聞こうと、まっすぐカミュへ瞳を移した。

 

「メルエが魔法の契約を出来た事は理解した。だが、その魔法は、俺達の前以外では使うな。他の人間が周りにいる時には、絶対に使うな……わかったな?」

 

 カミュの忠告は、リーシャが心配している事への予防策である。メルエが魔法を行使すればする程、平穏な生活を送る可能性を狭める事になる。それは、リーシャも、もちろんカミュも願う事ではない。

 だが、それを聞くメルエは悲しそうな表情で、カミュを見つめていた。

 

「…………メルエ………だめ…………?」

 

 それは、『怯え』にも似た感情。

 自分が異常だから、カミュは認めないのではないかという疑念。

 そして、カミュやリーシャに拒絶される事が、今のメルエに取って一番の哀しみなのかもしれない。

 

「……いや……そうではない。俺も、メルエの歳と変わらない頃に、<ルーラ>の契約を終えていた」

 

「…………」

 

 カミュはメルエの横に腰を下ろし、『奴隷』から解放されるべき少女に向かって語り出した。

 自分の隣に座ったカミュの顔を見上げ、メルエは眉を下げたまま口を開かない。恐怖や怯えにも似た感情を持ったメルエは、カミュが何を話そうとしているのか見当が付かないのだ。

 

「……俺は、メルエの歳とそう変わらない頃から、魔物と戦っていた。俺もメルエと同じように、法衣を纏った人物は畏怖の存在だった。いくら怪我をしても、傷を治され魔物に向かわされる。それで、<ルーラ>を覚えた」

 

「…………おな…じ…………?」

 

 カミュの口調から、『自分が拒絶されている訳ではない』という事を理解したメルエは、ようやくカミュの話に反応を示した。

 『自分と同じ』という言葉に関心を示したメルエは、小首を傾げたまま、カミュの横顔を見つめる。

 

「……ああ……一人で戦って、傷ついて、それでもまた戦わなければならなくて……逃げ出したかったのだろうな……<ルーラ>を行使すれば、家に帰れると思った」

 

「…………かえれ……た…………?」

 

 カミュの独白に近い話に、こくりこくりと相槌を打ちながら聞いているメルエは、所々で疑問を挟む。そんなメルエの方を見ずに、カミュは一つ一つ答えて行った。

 この場には、心に傷を負った二人しかいない。その傷は、決して他人には理解されず、そして自身で癒す事も出来ないのだ。

 

「……帰れはした。だが、追い出された」

 

「!!」

 

 カミュの答えに、メルエの身体が弾かれるように揺れた。

 カミュの言葉の何に反応したのかは解らない。しかし、それがメルエの過去の一部と繋がっている事だけは確かなのであろう。

 尚一層、眉を下げたメルエは、黙り込んだままカミュを見上げていた。

 

「……魔物から逃げ出すような人間は、孫でもなければ子でもないとな……」

 

 放り込まれた先の魔物との戦闘によって満身創痍となった身体を引きずり、残りの魔力を振り絞った。

 しかし、契約を終えたばかりの『ルーラ』を唱え、家に辿り着いたカミュを待っていたのは、祖父と母親の叱責と罵倒であったのだ。

 討伐隊を置き去りにし、自分一人が魔法を使って逃げ出し来たと責められ、カミュは再び外へと放り出される。

 『英雄の子として有るまじき行為であり、恥じるべき行為である』とその身体の治療も受ける事も叶わずに、外へと投げ出された人間の心には、どれ程の傷が刻まれる事だろう。

 実情は、異なっていた筈なのである。

 カミュはたった一人で魔物の中に放り込まれていたのだ。

 『討伐隊』など名ばかり。討伐の六割以上は、カミュが行っていたと言っても過言ではなかった。

 それをカミュの家族は、誰も知らない。いや、『たとえ知っていたとしても変わらなかったであろう』とカミュは考えていた。

 

「……俺もメルエと同じようなものだ」

 

 その言葉と共に、ようやくカミュはメルエの方を向き直る。その表情は苦笑を浮かべていた。

 見る者によっては、痛々しくも映りそうな程の苦笑を浮かべたカミュを見て、メルエは眉を下げたまま黙り続ける。

 

「メルエ、魔法を行使出来る事が、お前の幸せには繋がらない。行使する事が出来ない方が、この先平穏な暮らしが出来る筈だ」

 

「…………」

 

 メルエは、カミュの話している難しい言葉を理解出来てはいない。だが、何を言いたいのか、何を自分に求めているのかは、何となくだが理解出来ていた。

 故に、彼女の顔は歪んで行く。

 

「……それ以上、契約は行うな。必ず俺達が、メルエが平穏に暮らせる場所を探してやる。それまでは、魔法ではなく、言葉や文字などをあの僧侶に教われ」

 

「…………」

 

 今まで黙ってカミュを見つめていたメルエは、カミュの最後の言葉を聞き、その頭を大きく横に何度も振った。

 完全なる拒絶である。

 自分の感情や考えを他者に上手く伝える事が出来ない程に幼いメルエの精一杯の拒絶。

 

「……メルエ……」

 

「…………た……る…………」

 

 微妙に肩を揺らすメルエの姿に、カミュは何とも居た堪れない思いになって行く。声をかけようと手を伸ばしたカミュの耳に、何か呟くような声が入って来た。

 それは小さな小さな慟哭。幼いメルエの心の叫びだった。

 

「…………メルエ………ダメ…………すて……る…………?」

 

「!!」

 

 やっとの思いで吐き出したのであろうメルエの言葉に、カミュは絶句する。自分が、良かれと思って話した話で、尚更メルエを追い込んでしまっていたのだ。

 既に、メルエの瞳を大粒の水滴が濡らしていた。

 それでも、カミュを射抜くように向けられた瞳は、幼いとは思えない程の力を宿している。

 

「……メルエ……」

 

「…………メルエも………行く…………」

 

 おそらく、あの奴隷商人達に聞かされていたのだろう。

 『お前の親は、お前を金で売っ払ったんだ。お前は捨てられたんだ』と。

 それは、メルエのような歳の子供にとって、どれ程、心に傷をつけるものであっただろう。そんな自分の状況を知りながらも、『自分を救ってくれた人間達と一緒にいたい』というその一念で、魔法の契約を一人でしていたこの小さな少女に、カミュは言葉を失った。

 

「…………メルエ………まほ…う………おぼえる………うぅぅ…………」

 

 メルエの瞳からは、溜めに溜めていた涙が溢れ出し、その頬を濡らしていた。

 もはや、言葉すらも聞き取る事は難しい。

 おそらく、メルエの瞳には、カミュがはっきりとは映ってはいないだろう。それでも、真っ直ぐと見つめる少女を、カミュは胸に抱いた。

 

「……わかった……」

 

 小さなメルエの身体は、カミュの胸にすっぽりと収まり、その手に持っていた『魔道書』は地面へと落ちて行く。カミュの胸の中で、すすり泣くような声を上げるメルエを、カミュはそのまま抱き締めていた。

 

 

 

「……落ち着いたか?」

 

 メルエの肩の震えが収まった事を確認したカミュが、そっとメルエの身体を離した。

 カミュの胸の部分は涙で濡れてはいたが、もはやメルエの瞳の中に涙はない。代わりに、真っ赤に腫れ上った瞼と、頬に残る涙の跡が、その哀しみの度合いを理解させた。

 カミュに向かって、こくりと頷いた後、もう一度『魔道書』を拾い上げるメルエの手をカミュが止める。

 

「……今日は、もうお終いだ。この先は、明日以降にしろ。それに……おそらく今は、<ルーラ>までが限界の筈だ。この先の魔法は、メルエが成長してからだ」

 

「…………せい………ちょう…………?」

 

 言葉の意味が解らないのか、小首を傾げるメルエに、カミュは苦笑を洩らす。土が付いてしまった『魔道書』を軽く手で払い、カミュは『魔道書』をメルエへと手渡した。

 

「……簡単に言うと……メルエが、大きくなってからだ」

 

 カミュの言葉にこくりと頷いた後、手渡された『魔道書』を胸に抱いたメルエは、少し微笑んだ。

 初めて見るメルエの微笑みは、とても暖かく、カミュの胸に不思議な空気を運んで来る。

 

「その『魔道書』は、メルエが持っていろ。俺が見たくなったら、メルエから借りる。失くすな」

 

 カミュもまた、メルエへと微笑んだ。

 再び頷いたメルエは、踵を返し、野営地への道を戻って行く。その後ろ姿を見ながら、カミュもまた歩き出した。

 メルエが先に森の中に入って行った事から、野営地への道は分かっているのだろう。確かに、ここは、野営地からそれ程離れてはいない。メルエの身に危険はない筈だった。

 

「……連れて行くのか?」

 

 メルエの背中を追っていたカミュの横から、突然かけられた声。

 それは、待つように指示を受けていたのにも拘わらず、やはりメルエへの心配で付いて来ていたリーシャであった。

 突然現れたリーシャに多少の驚きを見せたカミュであったが、木に背中を預けながら睨むリーシャを見て、一度足を止める。

 

「お前の心に、メルエを連れて行く事への覚悟はあるのか? 魔法は使えるが、子供だ。その命を背負えるのか?」

 

「……」

 

 カミュは黙して何も語らない。

 一度瞳を閉じたリーシャは、深い溜息を吐き出し、もう一度カミュを睨みつける。しかし、その瞳に宿る物は、怒りなどではなかった。

 それをカミュも理解しており、リーシャの瞳から目を離す事はない。

 

「お前に勝手に付いて来る事になった私やサラとは違い、メルエに関しては、お前が連れて行く事を決めたんだ。それは、しっかりと憶えておけ」

 

「……ああ……」

 

 リーシャの言葉を聞いていたカミュは、しっかりと頷きを返す。リーシャという『戦士』が何を気遣っているのかを理解したのだ。

 故に、カミュの纏う空気も変化して行く。

 相対する価値のある者に向けられる物へと。

 

「お前が連れて行くと決めた以上、反対はしない。私にとっても妹のようなものだ。何も、お前一人で護り切れとも言わない」

 

 リーシャは、真面目な顔で言葉を続けていたが、メルエを『妹のように』と表現した辺りで、カミュの口端が上がっている事に気が付いた。

 それを見たリーシャの頭には嫌な予感しか浮かばない。先程までの緊迫した空気はそこにはなく、不思議な空気が漂い始めた。

 

「な、なんだ?」

 

「……いや……メルエはアンタにとって、『妹』というよりは『娘』ではないのか?」

 

 これ程に失礼な話はない。

 メルエ程の子供がいるとすれば、それ相応の歳でなければならない。少なくとも、現在のリーシャの歳よりも相当な開きがあった。

 そして、リーシャは憤慨する。

 

「わ、わたしは、そこまでの歳ではない!!」

 

「……初耳だな……では、幾つだ?」

 

 更に失礼を重ねるように、カミュはリーシャの年齢を聞き始めた。

 そのような返しが来るとは思っていなかったリーシャは、息を詰まらせたような顔を見せる。

 

「なっ!?……くっ……女性に対して年齢を聞く事が、失礼に当たると知らないのか!?」

 

 リーシャの怒りとは反対に、カミュの口端は上がって行く。自分とメルエの話を立ち聞きしていたリーシャへの報復なのか、その手を緩める事はなかった。

 怒りの為か恥ずかしさの為か、顔を真っ赤に染め上げたリーシャが、瞳を泳がせながらカミュを睨みつける。

 

「……俺の記憶が正しければ、アンタはあの僧侶に対して、何の抵抗もなく年齢を聞いていた筈だが?」

 

「あ、あれは、サラの場合、明らかに年齢が若い部類に入るではないか!?」

 

 湯気が出ているのではないかと思う程に上気したリーシャの顔が間近に迫っているにも拘らず、カミュは苦笑のような表情を浮かべたまま、更に彼女を煽って行く。

 

「……ほう……では、アンタは明らかに歳をとっている部類に入るという事か……」

 

「ち、ちがっ!」

 

 もはや、完全にペースをカミュに握られてしまったリーシャは、わたわたと手を震わせながら、動揺を繰り返す。その様子を、カミュは笑いを堪えるように眺めていた。

 先程までメルエに関して話をしていた時の重苦しい雰囲気は、既に微塵もない。

 

「まぁ、アンタがこの中で最年長である事は確かだろう。おそらく、メルエよりも二十年程は長く生きているのだろうな」

 

「そんな歳ではない!!」

 

 更に挑発を繰り返すカミュであったが、リーシャの怒声を聞く様子もなく、リーシャに背を向けて歩き出した。

 自分の年齢を完全に勘違いされたままのリーシャは、慌ててカミュの後を追う。そんなリーシャの耳に、呟くようなカミュの声が入って来た。

 

「最年長のアンタの言葉は護るさ」

 

「……カミュ……?」

 

 カミュが呟くように溢した言葉が、リーシャの熱を冷まして行く。リーシャに言わるまでもなく、既にカミュの覚悟は決まっていたのだろう。それ以上は、お互い話す事もなく、野営地に戻って行った。

 既にメルエは戻っており、カミュのマントに身を包み、静かな寝息を立てていた。

 リーシャは苦笑しながら、メルエの身体を包み込むように抱き、瞳を閉じる。メルエという少女の体温の温かさを感じながら、リーシャは眠りへと落ちて行った。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

次の更新は、22時以降になると思います。
ご意見ご感想を心よりお待ちしております。


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戦闘②【ロマリア】

 

 

 

 勇者一行の朝は早い。

 まず、まだ陽が昇り始める前にカミュが起き、暖を取る為に火を安定させる。続いて起きて来たリーシャが、カミュと鍛練とは名ばかりの勝負が始め、それが佳境に入る頃にサラが起床して来る。サラの意識が覚醒すると、今度はリーシャによる地獄の特訓が始まるのだ。

 その後に、昨晩から加えられた、サラという講師を迎えた授業が始まり、リーシャは魔法の知識を、そして、メルエは字と言葉の授業を受ける。

 意外と言っては失礼だが、サラの授業は解り易いものであった。

 うろ覚えであった魔法について、リーシャは四苦八苦している様子であったが、メルエは初めて知る事に興味を示し、次々とサラへ質問を繰り返す。メルエの勢いに始めは圧されていた感もあるサラであったが、熱心な生徒程、教師として教え甲斐のある者はいない。

 サラは、一つ一つメルエの質問に答えながら微笑んでいた。

 朝陽が昇り、周囲を明るくし始めた頃に、一行はようやく朝食を取り始める。ただ、朝食と言っても、鍋などを使える訳ではない。保存食として持っていた干し肉と、カミュやリーシャが取って来た果物を食す事になる。

 果物を口いっぱいに頬張っているメルエの口元を、微笑みながら手にした布でふき取っていたリーシャが、不意にカミュに向き直り口を開いた。

 

「そう言えば、アリアハンを出た時から気にはなっていたのだが、お前のその剣はアリアハンの騎士剣ではないのか?」

 

「……ああ……アンタの見立て通りの剣だ」

 

 カミュは背中から剣を抜き、その剣をリーシャへと手渡す。リーシャは手渡された剣の柄に彫られているアリアハン国章に目を留めた。

 先程まで、果物を頬張っていたメルエも面白い物でも見るように、リーシャの横から眺めている。

 

「メルエ、あまり近づくな……カミュ、お前はこの剣を何処で手に入れた? 少なくとも、この剣は下級騎士程度では手に入らないような代物の筈だ」

 

 身を乗り出すように剣を見ようとするメルエの頭を押さえながら、リーシャは疑問を口にした。

 リーシャも、カミュが剣を盗んで来たなどと考えてはいない。ただ、上級騎士以上の者しか手に入れる事の出来ない筈の剣を持つカミュを、不思議に思っただけなのだ。 

 

「それは、俺の剣ではない。俺の祖父の物だ」

 

「祖父?……ああ……お前の祖父というと、オルテガ様の父君のオルテナ様か……なるほど……」

 

 リーシャにとって、英雄であり憧れの存在である『オルテガ』。

 その父もまた優秀な騎士であった。勿論、リーシャが生まれる以前に宮廷騎士として在籍していた為、その存在を話で聞く限りの物しか、リーシャも知り得ていない。その剣の腕は、アリアハンでは右に出る者はおらず、常に戦場では前線に立っていたと聞く。

 ただ、オルテガやカミュのように魔法を行使する事は出来ず、その身に魔力を宿してはいなかった。

 また、アリアハン宮廷騎士で随一の腕を所持してはいたが、『責任を持てば、前線に立てなくなる』という理由から、騎士隊長の勅命を辞退したという逸話も残っている。その際に、当時のアリアハン国王から、前線に拘る猛将ぶりへのお褒めのお言葉と共に賜った剣があると云われていた。

 おそらく、そう伝えられている剣が、今、リーシャが手に持つ騎士剣なのだろう。

 

「……これが、国王様から賜ったとされる剣か……」

 

「それ程に凄い剣なのですか!?」

 

 リーシャが呟いた一言に、サラもまた過剰に反応する。そのサラの反応に、リーシャの腕の下から剣を眺めていたメルエは、身体を跳ねさせた。

 驚いたメルエは、サラの方を怯えたように見つめ、リーシャの背中に隠れてしまう。

 

「どんな曰くがあろうと、剣は剣だ。鉄を型に流し込んだ物に過ぎない」

 

「お前は……仮にも、お前の祖父が国王様から直接賜った剣だ。その事実だけでも大変栄誉な事なのだぞ!」

 

 カミュの発言に対し、リーシャの発する言葉まで荒々しくなり、遂にメルエはリーシャの傍から逃げ出し、カミュの隣へと移動した。

 もはや、メルエにとってリーシャの隣も安全な場ではなくなっていたのだ。

 

「……この話は、前にも言ったが平行線だ。話題を出した俺が悪かった」

 

 自分の足を掴んで来るメルエに、溜息を一つ溢したカミュは、未だ鼻息の荒いリーシャへ話の終了を提案する。しかし、自身の内から湧き出す怒りを抑える事の出来ないリーシャは、そんなカミュの小さなサインに気付く事はなかった。 

 

「お前はっ!! お前は何故、そのように考えるんだ!! 自分の父だけでなく、祖父までもが一国の英雄なんだぞ! 誇りに思いこそすれ、蔑む事にはならないはずだ!!」

 

 リーシャは、カミュのこの考えだけは理解が出来ない。自分の父であるクロノスは、宮廷騎士隊長という一国の英雄には及ばない地位ではあるが、そんな父をリーシャは誇りに思っている。仲間を救う為にその人生に幕を下ろした父を、リーシャは誰よりも尊敬していた。

 故に、理解が出来ない。

 宮廷騎士隊長のリーシャの父クロノスのように国内の話ではなく、全世界にその名が轟いているオルテガを父に持つカミュが、その父を誇りに思わない事に、リーシャは怒りを感じずにはいられないのだ。

 人それぞれの考えや想いがある事は、リーシャとはいえ理解しているつもりだ。

  しかし、アリアハン国内に数々の逸話を残している祖父や、全世界に英雄として名を残す父を侮辱するカミュが許せない。それは、昨夜にカミュがメルエに話していた内容を聞いていても許せない物なのだった。

 

「……………リーシャ………いや……………」

 

 しかし、その怒りは、横から響いたか細い声に霧散して行く事となる。カミュに向かっていたリーシャの怒りに燃えた瞳の端に、怯えた目でこちらを見ているメルエの瞳が映ったのだ。

 

「メ、メルエ……こ、これは違うんだぞ! 何も、メルエを怒っている訳ではないんだ」

 

 メルエの怯えた様子に口籠るリーシャには、先程まで立ち上らんばかりに纏っていた怒気は既になく、幼子を怖がらせてしまった言い訳を四苦八苦する姿になっている。

 リーシャに余裕はなく、この三人の中で初めてメルエが名前を口にしたのが、自分の名前だった事にも気が付かない。後にサラからその話を聞き、得意顔でカミュに自慢する事になるのは、また別の話である。

 

「……」

 

 リーシャは、宥めるように手を伸ばすが、それに反比例するように、メルエはカミュのマントの中に隠れて行く。その二人の追い駆けっこが、サラには可笑しくて仕方がない。

 いつもなら、剣呑な雰囲気での出発となる所が、メルエの行動で和やかな物へと一変してしまっていた。

 

 

 

 朝食を取り終えた一行は、順調に歩を北に進め、昼前には森を出る事となる。森の中では、大した戦闘もなく、メルエが魔法を使う場面も全くなかった。

 当のメルエも、昨夜カミュに言われたためか、カミュの指示がない限り使う気がないようにも見える。

 昨日出現した、<キャタピラー>や<アニマルゾンビ>との戦闘は、リーシャとカミュが<キャタピラー>を片付け、サラが<ニフラム>の行使によって<アニマルゾンビ>を光の中へ消して行くといった物が続き、メルエはサラの後ろでその様子を眺める事が多かったのだ。

 森を抜けると、途端に道が傾斜を強くし、山道に入った事が解る。山道に入ると、今まで軽快に歩いていたメルエの足の進みが緩やかになり、前を行くカミュのマントの裾を握っていられなくなった。

 先頭を歩いていたカミュの後ろにいたメルエは、徐々に後退して行く。次第にサラの横を歩き、最後にはリーシャに手を引かれる形になっていった。

 

「カミュ! 少しスピードを落とせ!」

 

 メルエの様子を見て、リーシャがカミュへ指示を出す。少し苛立ちを含めていたリーシャとそれを眺めていたサラは、振り向いたカミュの表情を別々の想いで見ていた。

 振り向いたカミュの顔は、明らかに後悔の念を持つかのように歪んでいたのだ。

 それは、メルエの存在を考えていなかった事への後悔なのか、それともリーシャの言葉に対しての物なのか。おそらく前者なのであろう。

 そのカミュの表情に、リーシャは顔を緩ませる。カミュは、何故かメルエが同行する事になってから少し変わった。

 それは、ほんの些細な変化ではあるが、自分の内にある感情を表に出す事が多くなって来ている。リーシャにとって、その些細な変化はどこか微笑ましい物だった。

 逆にサラにとっては、どこか釈然としない物がある。

 自分の時は、『ついて来る事が出来なければ、置いて行く』とでもいうような物だったにも拘わらず、メルエに対しては優しさを見せるからだ。

 リーシャにしてもそうだった。何かにつけ、メルエを気にかけている。それは、『自分の姉を取られた』という子供の感情に近い物だったのかもしれない。

 

「悪かった……だが、この分では<カザーブ>に着く前に、陽が落ちるな……」

 

「…………メルエ………だいじょうぶ…………」

 

 気恥かしさからなのか、空に顔を向けながら謝罪を溢したカミュの何気ない一言に、メルエは気丈にも顔を上げ、再び歩き出す。そのメルエの姿を見て、カミュの表情は困惑を極めて行った。

 反対に、カミュを見るリーシャの瞳は鋭さを増して行く。

 

「メルエ、大丈夫だ。ゆっくり歩こう。カミュ!! <カザーブ>へ急ぐ用があるとでも言うのか!?」

 

「……リーシャさん……」

 

 急ぐ用など、『魔王討伐』という目的以外あり得ない。

 それを、まるで急ぐ必要がないかのように言うリーシャを、サラは信じられない物でも見るように見つめていた。

 

「……わかった……」

 

 驚愕に固まるサラを余所に、カミュが速度を極端に落として歩き始める。そんな二人の様子に、サラは尚一層驚きを感じ、暫し呆然としていた。

 二人の対応は、サラに対しての物とは明らかに違っている。歳が二桁に届かない少女と、カミュよりも年上のサラを同列に考える事自体が間違っているのだが、旅慣れないという点では、サラもメルエも同じなのだ。

 

「サラ! 何をしているんだ! 置いて行くぞ!!」

 

「!!」

 

 前方からかかったリーシャの声に対し、サラは釈然としない想いを抱いたまま、頬を膨らませて一行の後を付いて行くのであった。

 

 

 

「な、何故こんな場所に!!」

 

 一行が速度を大幅に緩め歩いた先で、リーシャは素っ頓狂な声を上げる事となる。それは、山道の中腹に入り、陽も陰り始めた頃だった。

 何度か魔物達とも遭遇し、疲れの見えるメルエを何度か休ませながらも歩き続けた先にそれはいた。

 

「リ、リーシャさん、落ち着いて下さい」

 

「い、いや、サラ。これが落ち着いていられるか!?」

 

 リーシャを宥めようとサラが声をかけるが、それは徒労に終わる。その奇妙な物体を目にしたリーシャの瞳は、驚きに見開かれたままであったのだ。

 カミュ達一行の進行方向を塞ぐように現れたそれは、奇妙な音を立てながらこちらの様子を伺っていた。

 

「な、なぜ、こんな山道に…………か、かにがいるんだ!?」

 

 リーシャが驚いた物。それは、本来は海にいる筈の<かに>であった。

 リーシャの生まれ育ったアリアハンは島国である。故に、周辺を海で囲まれ、そこでは様々な海産物が水揚げされる。その中に当然<かに>も含まれていた。

 リーシャの家の使用人である老婆が市場で購入してくる<かに>を、リーシャも何度も見てはいる。

 しかし、ここは周囲を木々が覆う山道なのだ。

 水辺もない山に<かに>が存在する事が、リーシャの知識では理解出来ない。

 

「…………」

 

「……山にも<かに>はいるだろう……」

 

「それでも、それは川などがあった場合だろ!? ここに水辺などないぞ!?」

 

 メルエの何とも言えない視線とカミュの心底呆れ返ったような反応に、多少戸惑いながらもリーシャは常識を口にする。しかし、その常識とは、アリアハンという小さな島国の中だけの知識が根底になっていた。

 

「…………リーシャ………ダメ…………?」

 

「なっ!! 私はまともだぞ! まともでないのは、こんな山奥に出てくる<かに>の方だろ!?」

 

 満を持してメルエの口から出た言葉に、リーシャは慌てて弁明をするが、メルエはカミュのマントへと隠れてしまう。抗議する対象を失ったリーシャの口は、何度も開閉をしながらも、結局閉じる事しか選択肢は残っていなかった。

 

「魔物なのですから、どのような場所に出て来ても不思議ではない筈です!! そ、そんな事よりも、戦闘準備をして下さい!! 」

 

 一行の目の前に現れた<かに>は三匹ではあるが、それは普通の<かに>ではない。

 その体躯はカミュどころか、リーシャよりも大きな物で、明らかに魔物であった。

 

<軍隊がに>

このカザーブ近辺の山々を住処とする超大型の<かに>である。元々は普通の<かに>であったのかもしれないが、何かの突然変異からなのか、その体躯が大きくなり、水辺の動物を食している内に魔物と化したと云われている。住処を水辺から陸地へと移し、山岳に住処を置く。その大きなハサミは、人間の身体など何の抵抗もなく切り裂き、腹部にある牙の生えた口で食していく魔物である。 

 

 しかし、料理を得意とするリーシャにとって、海辺にいる筈の<かに>が山岳地帯の川の傍でもない場所にいるのが、未だに信じられなかった。

 

「ちっ! メルエ……悪いが、マントを放してくれ。」

 

 メルエの手がマントから離れた事を確認したカミュは、背中の鞘から祖父の剣を抜き、<軍隊がに>目掛け駆けて行く。カミュの行動に目を覚ましたリーシャも、慌てて腰から剣を抜いて後を追った。カミュが行動を開始した事を見て、<軍隊がに>達も隊列を整え出す。

 元来、単独で行動する事の少ない魔物の為、戦闘においても単独で敵に当たる事はしない。向かって来たカミュを囲み込むように、横へと身体を移動させて行った。

 

「カミュ!!」

 

 敵に囲まれそうになるカミュに遅れて到着したリーシャは、一体の<軍隊がに>の体躯に体当たりをかける。リーシャの突進を受けた<軍隊がに>はカミュとの距離を離されるが、ひっくり返される程ではなく、態勢を立て直した。

 囲い込まれる心配のなくなったカミュが、二匹の<軍隊がに>の内の一体に狙いを定め、剣を振るう。

 しかし、カミュの剣が<軍隊がに>の身体に振り下ろされると同時に、金属の乾いた音が周辺に響き渡り、その音の元凶であるカミュの剣の刀身は、<軍隊がに>の身体ではなく、遥か後方の地面へと突き刺さっていた

 

「!!」

 

「く、くそっ!!」

 

 根元から折れてしまい、今や柄の部分しか残されていない剣を忌々しげに見たカミュは、その柄を放り投げ、<軍隊がに>から距離を置くように飛び退く。しかし、飛び退いた先に、先程リーシャに吹き飛ばされた<軍隊がに>が残っていた。

 

「カミュ様!!」

 

 サラの叫びが響く。

 カミュの身体は、<軍隊がに>の持ち上げた大きなハサミに吸い込まれるように納まった。

 万力のような強い力に、カミュは呼吸もできない程の締め付けを受けている。いや、ロマリアで新たに購入した<青銅の盾>をハサミとカミュの身体の間に挟まなければ、カミュの身体は上半身と下半身に分けられていただろう。

 

「カミュ!! くそっ! 並みの剣では、傷一つ付けられないのか!?」

 

 カミュを救いに行こうとするが、明確な手立てはなく、リーシャは二の足を踏んでいた。

 そのハサミから逃れようとするカミュであったが、手に持つ武器もなく、魔法を行使する為に指を動かす事も儘ならない。その時、今まで、余り戦闘で役に立たなかった者の声が響き渡った。

 

「リーシャさん! あの魔物の甲羅めがけて、その剣を力一杯振り下ろしてください!」

 

 リーシャの横に立つサラが、カミュを挟む<軍隊がに>を指さし怒鳴ったのだ。

 その声に反応したリーシャは、サラの瞳を見る為に軽く振り向いた。

 そこでは、微かに震える手で<鉄の槍>を握りしめるサラが立っていた。

 

「サラ! 何を言っている!? カミュの剣を見ていなかったのか? 私の剣は、おそらくカミュの剣よりも強度が劣る。あの二の舞を踏むだけだぞ!」

 

「大丈夫です! 私に手立てがあります」

 

 『状況を掴めていない』

 サラの言葉にそう感じたリーシャは、自分の剣の強度を伝えるが、返って来たのは珍しく自信に満ちているサラの答えであった。暫しサラの瞳を見詰めたリーシャは、先程自分が感じた物が間違いである事を悟る。サラは状況が掴めていない訳ではなかった。

 この状況を理解して尚、自身の出来る事を行おうとしている者の目をしていたのだ。

 

「何か手があるんだな?……わかった! 任せたぞ、サラ!!」

 

 自分の問いかけに、尚も自信に満ちた頷きを返すサラを見て覚悟を決めたリーシャは、剣を握り締め、カミュを拘束する<軍隊がに>へと向かって行く。リーシャが<軍隊がに>の攻撃を避け、右手に持つその剣を振り下ろすタイミングに合わせて、サラは詠唱を開始した。

 

「ルカニ!!」

 

 サラの詠唱と共に、<軍隊がに>の身体は光に包まれた。

 <軍隊がに>を包み込んでいた光が収束したその瞬間に、リーシャの渾身の一撃が<軍隊がに>の甲羅へと襲いかかる。先程のカミュの剣とほぼ同じ軌道を描きながら振り下ろされたリーシャの剣は、カミュの剣とは違う結果を生み出した。

 剣は、甲羅に弾き返され折れる事はなく、まるでやわらかな肉にナイフを入れるように<軍隊がに>の体躯に吸い込まれていったのだ。

 

「ギニャ―――――――!!」

 

 凄まじい雄たけびを上げながら、その身体を半分に切り裂かれた<軍隊がに>は、地へと伏して行く。命の灯を失った<軍隊がに>のハサミを自力で抉じ開け、カミュも身体の自由を取り戻した。

 

<ルカニ>

術者から発せられた魔力に包まれ、その身体を覆う物の耐久力を弱らせる魔法。例えば、鎧を纏った人間に対してはその鎧が脆くなり、通常の剣等は通さない堅固な鎧であろうと、真っ二つにする事が可能となる。魔物であれば、その体躯を覆う硬い殻や硬い体毛の強度を脆くし、剣や槍での攻撃を可能にする。

 

「サラ!! よくやった!!」

 

「はい!」

 

 自分の剣が生み出した結果ではあったが、その原因を作ったのがサラである事を認め、リーシャは後方にいるサラに労いの言葉をかける。その言葉に心底嬉しそうに頷くサラを、今まで事の成り行きを見守っていたメルエが、どこか悔しそうに見つめていた。

 

「……まだ二匹か……」

 

 ようやく呼吸を整えたカミュは、残る二匹の<軍隊がに>の戦意が衰えていない事を感じて身構えるが、その手には対抗する武器がない。

 

「カミュ様!!」

 

 そのカミュの様子を見ていたサラは、手に持つ<鉄の槍>をカミュ目掛けて放り投げる。今のサラの力量であれば、<鉄の槍>を所持していたとしても、あの硬い魔物に対抗するだけの攻撃を繰り出す事は不可能であろう。ならば、カミュが持っていた方が良いのだ。

 <軍隊がに>の攻撃を警戒しながらも、サラから投げられた<鉄の槍>を掴み取ったカミュは、使いなれた剣ではなく、槍に適した構えを取る。カミュの構えを見て、『伊達にアリアハンの勇者と呼ばれている訳ではないのだ』とリーシャは感心した。

 

「右の魔物に先程の魔法をかけます!!」

 

 サラの提案に大きく頷いたリーシャとカミュは、二人で一体の魔物に攻撃を加える為に飛びかかる。サラの詠唱と共に光に包まれた魔物にカミュの槍が突き刺さった。

 だが、それは浅く、槍を突き入れたカミュを振り払うかのように<軍隊がに>のハサミがカミュを襲う。そのハサミを今度はリーシャの剣が斬り飛ばした。

 槍を抜き、もう一度差し込もうとするカミュに向かって、忘れ去られていたもう一体の<軍隊がに>のハサミが襲いかかったその時、後方から、サラの声ではない詠唱が響き渡った。

 

「…………ヒャド…………」

 

「えっ?」

 

 呟くような詠唱。

 そして、その隣にいたサラの間の抜けた声。

 詠唱の言葉と共に、その術者の指先を取り巻く空気が冷気を纏い、カミュに向かおうとする魔物目掛け襲いかかる。大気を凍らせる程の冷気が魔物に直撃し、その体躯を包み込んで行った。

 徐々に凍りついて行くその身体は、最後には氷の彫像を作るように<軍隊がに>の動きを停止させる。後顧の憂いを失くしたカミュとリーシャは、残る一匹に止めを刺し、それぞれの武器を鞘と鉾に納めた。

 

「メルエ!! よくやった!!」

 

 剣を腰に納めたリーシャが、メルエの傍に駆け寄り、その頭を乱暴に撫で回す。髪の毛が乱れていくのを気に留める様子もなく、メルエは嬉しそうに目を細めていたが、サラは、メルエが発した詠唱の衝撃から未だ立ち直る事が出来ず、その光景を呆然と見るのであった。

 

「……助かった……すまない……」

 

 そんなサラを現実に戻したのは、らしくないカミュの一言であった。

 あのカミュが、戻って来て早々、サラに向かって頭を下げているのだ。

 サラは、尚更ショックを受け、それこそ今尚そこで凍りついている<軍隊がに>のように彫像となってしまった。

 

「…………メルエ…………」

 

 固まってしまったサラを呆れるように見ているカミュのマントを引く力に視線を下げると、若干頬を膨らまし気味のメルエが、カミュに何かを期待したような目を向けていた。

 自分の名前を口にし、見上げるメルエにカミュは苦笑を浮かべる。

 

「……ああ……メルエもありがとう 助かった」

 

 表情はいつも通り、無表情を貫いてはいるが、言葉に優しさを含ませながらメルエの頭を撫でるカミュと、嬉しそうに目を細めながらその手を受け入れるメルエを、リーシャは微笑みながら眺めている。

 サラの彫像が行動を再開したのは、他の三人が出発の準備を完了した頃だった。

 

 

 

「カミュ!! あの柄を捨てるつもりか!?」

 

 準備が完了し、歩き出す一行の最後尾を歩くリーシャは、ふと目に留まった折れた剣の柄を指差し、カミュへと声をかける。それは、先程の戦闘で、カミュが槍を手にする代わりに放り投げた剣の柄だった。

 

「……刀身の無い剣を持って行って、どうするつもりだ?」

 

「お前!?……あれは国王様から賜った物だろう!! それに祖父殿から頂いたものではなかったのか!?」

 

 振り向くカミュが表情も変えずに呟く言葉に、再び朝の怒りが湧き上がり、リーシャは激昂する。再燃したリーシャの怒りに、メルエはカミュのマントに隠れてしまった。

 

「祖父から貰った物ではあるが、その祖父は健在故に形見でもない。それに俺にはアリアハン国王から賜った物という事に価値を感じてはいない。そんな柄だけになった剣を後生大事に持っていても、自分の身を護る術にすらならないだろう」

 

「……ぐぐぐ……」

 

 カミュが言う通り、カミュの祖父オルテナは未だアリアハンにて健在である。祖父から譲り受けたとはいえ、カミュにとっては自分の身を護る為の武器の一つでしかないのだ。

 その考えは、リーシャの中で飲み込む事が出来ず、また争いの種となる。サラにとっては、アリアハン国王からの賜り物等は想像もつかないが、リーシャの様子から、それがとても名誉な事であるということは理解出来た。

 しかし、サラにとっても遥か雲の上の話過ぎて、リーシャとカミュの確執に頭が追い付いて行かない。困惑を極めるサラにとって、頼みの綱は彼女だけしか残されていなかった。

 

「…………リーシャ………おこる…………?」

 

「メ、メルエ……いや、怒ってはいない……大丈夫だ……」

 

 サラが望んだ人物が口を開いた事によって、何とか感情を抑え込んだリーシャは、引き攣った笑いを浮かべながら歩き出した。

 サラは、そんなリーシャの様子に胸を撫で下ろしながらも、このような形での抑えはいつまでも続かないと感じていた。

 カミュの考え、理想、価値観は、リーシャだけでなくサラとも遠くかけ離れている。それは、必ず衝突する程の物であり、この先交わる可能性など、どちらかが相手の考えに染まらない限りあり得ない物であるのだ。

 何れ何処かで、カミュとリーシャ、もしくはカミュとサラが大きな溝を作る程の衝突をする可能性をサラはこの時感じていた。

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

もう一話ぐらいは今日中に更新したいなと思っています。
ご意見、ご感想等を心よりお待ちしています。


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~幕間~【カザーブ村近辺山岳地】

 

 

 

 カミュの予想通り、山の山頂近くまで上った後、下山し始めた頃に陽は落ちてしまった。

 一同は、野営を行う準備をする為、野営の適地を探し、火を熾して行く。いつも通り、火を熾している間、サラは薪となる小枝などを拾い集めていた。

 

「サラ! 私達は、食物を探しに行ってくる。火の回りには<聖水>を撒いてあるから心配ないとは思うが、気をつけてくれ」

 

「えっ? あ、は、はい」

 

 火の傍で呆けたように火を見つめているメルエの頭を撫で、リーシャはサラへと声をかけた。

 既にカミュはこの場所を離れている。山中である事から、獣や果物を取ってくるつもりなのだろう。

 サラの返事に一つ頷いたリーシャは、そのまま山中に入って行った。

 

 

 

 火に定期的に薪をくべながら、サラとメルエは大した会話もなく火を見つめていた。

 基本的に無口なメルエではあるが、特にサラに対しては全く口を開かない。最初のようにサラの法衣に怯えた様子を見せる事はないが、極力サラを避けているようにも感じる。

 

「……メルエは魔法が使えるのですね……」

 

「…………」

 

 沈黙の空気に耐えられなくなったサラが、今日、自分の目で見た出来事をメルエに対して確認を取る為に声をかけた。

 そのサラの問いかけにも、メルエはわずかに視線を向けた後、かすかに頷くだけである。その後は、また元の静けさが戻ってしまった。

 『何故、魔法が使えるのか?』

 『何時から使えるのか?』

 『誰に教わったのか?』

 『カミュやリーシャは知っていたのか?』

 聞きたい事は山程あったが、メルエの態度がそれを拒絶しているようにサラには感じていたのだ。

 

 

 

 どれくらい時間が経っただろう。未だ、カミュとリーシャは戻らない。

 辺りは完全に夜の帳が降り、メルエとサラの間にある焚き火が唯一の灯りとなっていた。

 黙っている事に何の違和感もなかった為、サラは今まで気がつかなかったが、そこになって、メルエの視線が火の下ではなく、あらぬ方向に向かっている事に気が付いた。

 メルエは座っている位置に変化はないが、首を動かし、闇に染まる山中を見ているのだ。少なからず、その口元は動いているようにも見える。

 

「……メ、メルエ……?……何を見ているのですか……?」

 

 メルエの奇怪な行動に、自分の中で嫌な予感が働いている事を故意的に無視し、サラは恐る恐るメルエへ声をかける事にした。

 虚空を見ていたメルエは、そちらの方向に向かって少し口を開いてからサラの方へと向き直った。

 

「…………女の…子…………」

 

「えっ?……ど、どういう事ですか?」

 

 メルエがサラに向かって語った内容は、サラが理解出来る物ではなかった。

 メルエの言葉は極端に短い。それが幼い頃のトラウマからなのか、言葉自体の知識がないからなのかはサラには分からない。だが、今まさに、メルエの言動では意味が掴めない事は事実なのだ。

 

「…………女の子………いた…………」

 

「えっ?……今、そこにいたのですか?」

 

 続いたメルエの言葉にサラが聞き返すと、メルエは一つ頷いた。メルエは、先程まで見ていた場所に女の子がいたと言っているのだ。

 少なくとも、サラには見えなかった。という事は、メルエがサラと会話をしたくない故に嘘をついているのか、それとも本当にサラには見えない誰かと話をしていたかのどちらかという事になる。

 メルエが、そこまで姑息な手段を使ってまで、サラとの会話を拒むとは考え辛い。ならば、やはり本当にあの場所に少女が立っていた事になる。

 とすると、それはこの世の存在ではない者となるのだ。まさしく本職のサラが相手にするべき存在である。

 

「メ、メルエ! ど、何処にいるのですか!?」

 

「…………もう………いない…………」

 

 突然立ち上がり、サラが発した声は、若干裏返ったものであった。

 そして、それに対するメルエの返答は、相反するような冷めた物である。視線を火に戻したメルエは、暫し黙り込んだ後、再び口を開いた。

 

「…………女の子も………サラ………きらい…………?」

 

「えっ?……メ、メルエ……『も』ということは……メルエは私の事が嫌いなのですか?」

 

 メルエの発言の一部分に引っかかりを感じたサラは、恐る恐るといった感じにメルエへ真意を問い質す。しかし、無情にもメルエの首は縦に振られる事となった。

 これ程面と向かって、自分の事を『嫌いだ』とはっきり言われた事は、孤児であるサラにしても今まで一度もなかった。孤児であるが故、周りの子供達から揶揄される事も多かったが、メルエの目は真剣そのものだ。

 それがサラの心を大きく抉っていく。

 

「ど、どうしてですか……?」

 

 やっと絞り出した言葉は震え、その震えはサラの心境を物語っていた。

 火から顔を上げたメルエは、対角線上に座るサラの瞳を見て、本当に小さな呟きを残す。

 

「…………メルエ………どこか………連れていく…………」

 

「そ、そのような事はしません!! 私は偽者の『僧侶』ではありません!!」

 

 メルエが口にした内容は、メルエを買い叩いた奴隷商人の扮した僧侶と同じように、サラがメルエを何処かへ売り飛ばそうとしているという物だった。

 サラは思わず声を張り上げる。

 『精霊ルビス』に仕える自分が、そのようなことをする訳がない。何故、同じくルビスの子である『人』を売り飛ばすような真似をしなければいけないのだ。サラはそう考えていた。

 しかし、ルビス信仰をカミュのように曲解すれば、前世でルビスへの裏切りを犯したこの世の弱者は、その担い手に何をされても文句は言えないという事になるのだが、サラにその解釈は出来ない。

 勿論、幼いメルエにその解釈が出来よう筈がなかった。

 

「ほ、本当ですよ。私は、メルエをどこかに連れて行く事などしませんよ。それに、そのような事をしたら、それこそリーシャさんに殺されてしまいますよ」

 

 必死にメルエに対し弁明を繰り返すサラを、メルエはじっと見つめていたが、納得がいったのか、一つこくりと頷いた。

 メルエの頷きに胸を撫で下ろし、メルエの方ももう一度見ると、すでにメルエの視線は再び虚空を見つめている。

 

「……メ、メルエ……また来ているのですか……?」

 

 聞きたくはない。

 聞きたくはないが、聞かねばならない。

 そんな決死の思いでサラはメルエに問いかけた。

 恐れるサラに、メルエは振り向きざまに頷くのだった。

 

 

 

 

 

「カミュ、戻る前に言っておきたい事がある」

 

 山中での戦利品をそれぞれ抱えたリーシャとカミュは、申し合わせた訳ではなかったが、途中で鉢合わせとなった。

 カミュの手には木の実や果物。リーシャは右手で猪を引き摺っていた。

 

「……話の前に……アンタはこんな山奥で、そんな大きな猪をどうやって調理するつもりだ?」

 

「ん?……鍋を作る訳にもいかないからな……まあ、最終的には丸焼きにでもすれば良いだろう」

 

 驚くべき事を平然と言い張るリーシャ。それは、カミュにとっても驚きを隠せないものだった。

 女性であるリーシャが猪の丸焼きを頬張る姿を想像出来るだけに、カミュは片手を顔に当て、溜息を吐き出す。

 

「……正直、アンタが本当に女なのかも疑問に思う時がある」

 

「……カミュ……言葉に気をつけろ……今の私は、先程からのお前への怒りを何とか抑えているのだ……お前の不用意な発言で、何時斬りかかってもおかしくない程にな……」

 

 カミュの失礼千万な言葉に、リーシャは地面を見つめながら小刻みに震え出し、猪から離した手を腰の剣にかけていた。

 リーシャの纏う怒気は、周辺の木々を揺らし、休んでいた鳥達を羽ばたかせた。

 

「おい。まさか丸腰の人間相手に剣を抜く気か?」

 

「……お前なら、何とかなるだろう……」

 

 カミュの言葉通り、昼間の戦闘でカミュは剣を失っている。その為、獣等の食料の調達をリーシャに任せたのだ。

 しかし、顔を伏せたまま、地鳴りのように響くリーシャの答えに、流石のカミュも表情こそ崩さないが、その額から一筋の汗が滴り落ちていた。

 

「……ここは抑えておいてやる……」

 

 緊迫した時間が過ぎ、お互いがお互いを牽制し動けない状態が続いた時、止めていた息をリーシャが大きく吐き出す事によって、この場の空気が一気に緩む。

 リーシャの手が腰から離れた事を確認したカミュも、大きく息を吐き出した。

 

「カミュ、お前はどんな生活をして来たのだ?……どうやったら、今のお前のような考え方が生まれる?……私には理解が出来ない。お前の言うように、このままお互いの主張をぶつけ合ったとしても平行線のままだろう。だからこそ、お前の考えや価値観の根底を私は知りたい」

 

「……」

 

 カミュは、その内面を探るように、リーシャの瞳の奥を見つめていた。

 相手の心を知りたい等、通常の人間であれば、容易く口にしない事だからである。それ程に、リーシャは奇妙な事を口にしたのだ。

 

「ここまで来るまでの道程で、私は今まで見た事のなかった『人』の暗い部分を見た。いや、知っていて、敢えて見ようとはしなかったのかもしれない」

 

 リーシャは、顔を上げないまま、一人独白のように呟きを始めた。その内容は、カミュの知っている頑固一徹な戦士のものではなかった。

 そこにいるのは、宮廷騎士でも戦士でもない、紛れもない『人』そのものである。

 リーシャは、カミュに言われる程頭の固い人間ではない。それは、今までの行動に少しではあるが、表れている事もあった。

 自分に理解出来ない事や納得の出来ない事を無闇に拒絶するのではなく、その考えはどうして生まれたのかを知る必要性を知っているのだ。

 

「私は、お前がロマリアの闘技場で発した言葉が忘れられない。魔物を擁護する訳ではないが、私もあの闘技場に渦巻く淀んだ空気に、吐き気を抑えるので必死だった」

 

「……」

 

 独白を続けるリーシャに対し、カミュは黙して何も語らない。ただ、リーシャのその下げた頭を見つめるだけであった。

 その表情は、冷たい訳でもなく、かと言ってメルエに向けるような優しい物でもなく、ただ単に何も考えていないような無表情。

 

「……カミュ……お前は、我が祖国で何を見て来たのだ?」

 

「……アンタに話すような内容ではない……」

 

 リーシャの絞り出すような声は、直後に発せられたカミュのたった一言で霧散する事となる。

 それは、冷酷なまでの拒絶。

 メルエの加入により、少なからず開きかけているように見えたカミュの本心へと続く扉が、再び閉まってしまった音だった。

 

「!!」

 

 リーシャは勢いよく顔を上げた。

 その表情は怒り、哀しみ、悔しさ等、色々な感情が合わさり、かなり歪んだ物へ変化している。それ程リーシャにとって、カミュへのこの問いかけは覚悟を決めた物だったのだ。

 それを無碍に切り捨てられた。それがリーシャには許せない。

 そんなリーシャに向かいカミュが口を開いたのは、リーシャが『このまま剣を抜き、カミュを切り捨ててしまおうか』と、腰に手を伸ばした時だった。

 

「……アンタはそのままで良いさ。俺の内情など知る必要はない。『何事にも真っ直ぐに』向かって行けば良い。俺に歩み寄る必要も何処にもない」

 

「……カミュ……」

 

 カミュは先程リーシャと相対するために地面に置いた果物を拾い上げ、踵を返し歩き始めた。

 リーシャは暫くの間、呆然とカミュを見ていた。しかし、不意に立ち止まり、もう一度振り向いたカミュの言葉に、再び剣を構える事となる。

 

「ああ……アンタは、大分良く言えば『真っ直ぐ』な人間だが、一般的には『猪突猛進』という言葉が良く似合う人間だったな……ならば、それは共食いという事になるのか……」

 

「~~~~~~!!……カミュ……覚悟は良いんだな……今度という今度は、如何にお前が丸腰であろうと、切り捨てるからな……」

 

 地面に横たわる猪の亡骸を指さすカミュを斬り捨てる為、リーシャは腰の剣に手をかけ、大きく歩幅をとった。

 目は憤怒の炎に燃え、一刀両断の構えである。

 

「その猪は、アンタが捕って来た筈だ。調理はアンタに任せる」

 

 そんなリーシャに構う事なく、カミュは先へと進んで行く。リーシャは、怒りの向ける矛先を失い、立ち尽くしてしまった。

 

「……何をしている?……メルエが腹を空かせて待っているぞ」

 

「くっ! わかっている! 今行く!!」

 

 先に進むカミュの口から出た名前に反応したリーシャは、地面に横たわる猪の足を掴み上げ、カミュの後を追って歩き出す。しかし、その進行方向は、リーシャが考えていた方向とは異なっていた。

 リーシャの信じる帰り道の方角自体が正解であるのかどうかも怪しいのだが、次に発したカミュの言葉が、リーシャの考えている事を肯定する。

 

「少し寄り道をして行く」

 

「何処にだ?」

 

 リーシャは、先程までの怒りの名残を残しながら問いかけるが、振り向いたカミュの口端は上がっており、これから発する言葉が、決してリーシャの心を穏やかにする物ではない事を窺わせた。

 

「向こうに水場があった。まぁ、<かに>はいなかったがな……」

 

「!!」

 

 先程の自分の混迷ぶりを突かれ、リーシャは再び血が上り始める。本当に斬り捨ててしまった方が、自分の精神衛生上、良いのではないのかと悩むリーシャであった。

 

 

 

 

 

「メルエ! こっちに来て下さい!」

 

 メルエが未だに虚空を見ている事に、サラは身を震わせながらも、自分の下へメルエを呼ぶ。しかし、当のメルエは、サラの声が聞こえていないかのように、全くサラに関心を示さない。

 それがサラの恐怖心を尚一層掻き立てた。

 

「メ、メルエ……その子は一人なのですか……?」

 

 動こうとしないメルエに掛けるサラの声は、先程とは打って変わって心細い物になっていた。

 ようやくサラの方へ顔を向けたメルエは、ゆっくりと頭を横に振る。

 

「…………お母さん………いっしょ…………」

 

「ふ、ふたりなのですか!?」

 

 焚き火の灯りに映し出されたメルエの顔が、夜の闇に覆われた山中に浮かび上がり、サラの恐怖心を煽って行く。

 周囲の闇に溶け込み、メルエが視線を向ける先には何も見えない。サラの心の中には、『メルエが嘘を言っている』という考えはなかった。 

 

「…………いま………ひとり…………」

 

「メ、メルエ! 早くこっちに来て下さい! そ、その子は……も、もう『人』ではないのです!」

 

 サラの必死な叫びに、メルエは小首を傾げる仕草をする。サラが何に怯え、何に目くじらを立てているのか、メルエには全く解らないのだ。

 自分はただ、少し離れた場所でこちらを見ている少女に気が付き、そちらに顔を向けていただけ。その少女は、自分の存在に気が付いたメルエに優しく微笑みかけ、メルエが聞けば、それに対して答えてくれている。

 不思議そうに自分を見つめるメルエに痺れを切らしたサラは、震える指先に力を込め、メルエの傍に駆け寄った。

 そのまま、メルエの肩にかかっていたカミュのマントごとメルエを胸に抱き包む。

 

「………???………」

 

 サラの胸の中でモゴモゴと動くメルエに構わず、メルエの見ていた方向に視線を向け、サラは口を開いた。

 その声は鬼気迫る程の物であり、闇が支配する森の中に響き渡る。

 

「メルエは生きています。貴方方とは、もはや違う存在なのです。メルエを連れて行かないでください!」

 

 教会では、死者の魂が現世に彷徨い続ける事を良しとはしない。彷徨い続ければ、その内にある未練や後悔、憎しみや悲しみが増幅し、魔物へと変化してしまうと云われているからだ。

 また、死者の魂は生者の魂をも引き込むと恐れられ、その魂を救う事も、本来は『僧侶』の仕事の一つと言われている。

 しかし、実は、サラはその仕事が得意ではない。実際、死者の弔いの為に、何度か育ての親である神父に付いて行った事はあるが、除霊自体を行った事はないのだ。

 

「…………ぷふぁ…………」

 

 マントに包み込まれたままサラに抱かれていたメルエが、何とかマントからの脱出に成功し、胸一杯に新鮮な空気を吸い込む音が辺りに響いた。

 予想以上に、サラの身体は強張っていたのだろう。力を込めて抱き締め過ぎた対象は、眉を顰めている。

 

「…………サラ………くる……しい…………」

 

「えっ!? あ、ご、ごめんなさい。メルエ、大丈夫でしたか?」

 

 未だに虚空を睨んでいたサラの下からメルエの不満の声が聞こえ、サラはその腕に込めた力を緩める。少し息が楽になったメルエは、軽くサラを睨むように視線を動かした。

 『むぅ』と頬を膨らませて睨むメルエの視線は子供らしい物で、周囲の空気が緩み始める。

 

「…………もう………いない…………サラ………きらい…………」

 

「え、えぇぇぇぇ!!」

 

 顔を出したメルエの頬は軽く膨れ、サラから視線を外した後に呟いた一言は、サラに大きなダメージを与える物だった。

 サラは、自分の恐怖の対象が去った事よりも、メルエの一言に盛大な声を上げる事となる。だが、メルエの改めての拒絶は、先程の物とは違い、どこか拗ねたような軽い物であり、理由が分からないまでもサラが自分の身を挺して護ろうとしてくれた事は理解出来ていたのであろう。

 

「何を騒いでいるんだ!?」

 

 わたわたとするサラの後方からかかった声に、サラの胸の中にいたメルエの顔が上がり、もぞもぞと自分を拘束するサラの腕を外して、その声の下へと駆けて行った。

 

「あっ……」

 

 駆けて行くメルエの方向をどこか名残惜しそうに見ていたサラだが、その方向にいた声の主であるリーシャが手に持つ、大きな獣を見て両目を見開いた。

 駆け寄ったメルエは、リーシャの足に掴まる間際にその獣の存在を認識し、慌ててサラの腕の中へと戻って行く。

 

「ふふふっ……なんだ? メルエは、これが怖いのか?」

 

 メルエとサラの反応を可笑しそうに微笑みながら、リーシャは手に持つ獣を高々と掲げる。その様子に尚一層怯えを増したメルエは、サラの腕の中ですっぽりとカミュのマントに包まってしまった。

 

「……そんな馬鹿でかい猪を、どう食べるつもりなんだ……」

 

 声と共にリーシャの後ろから現れたカミュは、その手に果物を抱え、呆れたような表情を見せていた。

 カミュの声に、再びマントから顔を出したメルエは、その手にある果物を見て嬉しそうな微笑みを洩らす。

 

「だから、最終的には丸焼きにでもすると言っただろう!」

 

「……丸焼きですか……?」

 

「…………メルエ………焼き…………?」

 

 カミュに向かって怒鳴るリーシャに、先程までの鬱憤が残っている様子は見えない。純粋にカミュの言葉へ反論しているだけなのだろう。

 カミュの考えに納得した訳ではない。だが、リーシャは、『カミュには自分の考えと他者の考えに大きな隔たりがある事を認識しているにも拘わらず、それでも自分の価値観を変える事が出来ない経験があるのだ』という事を理解したのだ。

 

「ば、馬鹿者! メルエを焼くか! この猪の毛を排除した後、そのまま焼くんだ」

 

「……そんなに食べられるのですか……?」

 

「……そこにいる大食漢である『戦士』様が平らげてくれる……」

 

「…………メルエ………いらない…………」

 

 リーシャの申し出に三者三様の答えが返って来た。どれも、好意的な反応ではない。最後のメルエの言葉は、胸に突き刺さり、リーシャは顔を俯けてしまう。

 しかし、その肩は小刻みに震え始めていた。

 

「~~~~!! お前達は……」

 

「調理を始めなければ、夜が明けるぞ」

 

 三人の答えに、身を震わせながらも耐えていたリーシャは、カミュの声に諦めたような溜息を吐き、猪を解体する為に少し離れた場所へと移動して行った。

 

「メルエ、まだ食べては駄目ですよ」

 

「…………サラ………きらい…………」

 

 カミュが置いた果物に早速手を伸ばそうとしたメルエに向かって、サラの小言が飛ぶ。対するメルエは、自分の手を止めるサラを睨み、再び頬を膨らませていた。

 

「……うぅ……嫌いでも駄目です。カミュ様がメルエを甘やかすからいけないのです!」

 

「……アンタは、何から何まで他人に責任を投げるのだな……」

 

 予想外の方向転換にカミュは呆れたような溜息を吐きながら、何かを作っていた。

 果物から目を外したメルエは、そんなカミュの手元を興味深げに覗き込む。横から出て来たメルエの頭を軽く押さえ、カミュの手は再び動き出した。

 

「…………なに…………?」

 

「ん?……ああ、まさか猪を丸焼きで食べる訳にはいかないからな……」

 

 メルエの簡略化された問いかけにもカミュは手を休める事なく、言葉短めに答える。

 傍にあった石で土台のような物を作り、その上に、先程果物と一緒に持っていた少し大きめだが薄く平らな石を載せる。

 サラはテーブルを作っているのかと思ったが、四人で囲むには小さすぎるのだ。そして、上に載せられた石は、泥や埃などは付着していない。むしろ、洗ったためなのか全体が水で濡れていた。

 石で組んだテーブルの下に、サラが拾い集めた木の枝を、薪を組むように置き、リーシャが置いて行った<たいまつ>から火を移す。石の下で燃え始めた薪の炎によって、上に載せられた石が徐々に乾いて行った。

 時間が経てば、この石自体が熱せられ、触る事の出来ない程になる事は容易に想像出来る。それではテーブルとしての役割など担える訳がない。

 

「なんだ……何を拾って来たかと思えば、それを作る為の物だったのか?」

 

 メルエとサラが、カミュの作り出した石のテーブルに見入っていると、猪の解体を終えたリーシャが割と薄めに切った猪の肉を持って現れた。

 リーシャへと視線を移したメルエは、リーシャの手に血の跡が残っている事に身体を震わせ、カミュの背中に隠れてしまう。

 

「串に刺すしかないかと思っていたが、それなら焼く事が出来そうだな……となれば、何か野菜でも欲しいところではあるが……」

 

「リーシャさんは、これが何か分かるのですか?」

 

「…………」

 

 石のテーブルを見て嬉しそうに頷くリーシャに、サラとメルエは小首を傾げながらその用途を問いかける事しか出来なかった。

 作成を終えたカミュは、既に場所を離れ、焚き火の傍に腰を下している。リーシャはそんな二人の様子を見て、軽く微笑んだ後、言葉で答えを返さずに行動に移した。

 猪の血であろうか、少し赤く染まった手で猪の肉を取り上げ、そのまま石の上に置いたのだ。まだ石全体が熱しきれてはいなかったが、リーシャが置いた猪の肉は、微かに焼ける音を発して煙を立ち昇らせる。

 

「……わぁ……」

 

「…………ほぅ…………」

 

 焼ける肉の様子に、サラとメルエの二人は、それぞれの感嘆の声を上げた。

 その様子に満足そうに頷くリーシャは、石の状況を確認しながら何枚かの肉を載せて行く。焼ける肉の音と、香ばしい香りに、メルエの身体はカミュのマントから出て来ていた。

 

「カミュ! 塩をくれ」

 

 焼けてきた肉を見ていたリーシャがカミュに調味料を依頼すると、その方角から、小さな革袋に入った塩が放り投げられて来た。

 塩を振り終わった肉を木の枝で挿しひっくり返す。それを何度か繰り返し、完全に焼けた事を確認した肉を、リーシャはサラの口に放り込んだ。

 

「!! ハフッ……ハフゥ……おいしいです!」

 

 突然放り込まれた肉に、目を白黒させながら口を動かしていたサラが、飲み込むと同時に味の良さを満面の笑みで報告する。

 

「…………メルエも…………」

 

 そのサラの姿を横目に眺め、メルエもリーシャに向かって口を開ける。その姿は、ひな鳥が親鳥に餌をねだる姿に良く似ていた。リーシャはそんな事を感じながら、焼けた一切れの肉をメルエの小さな口に、火傷をしないように入れて行く。

 先程のサラと同じように、口に入った肉の熱さにモゴモゴと口を動かしながらも、何とか飲み込んだメルエもまた、その顔に笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 あれほどあった猪の肉もなくなり、果物を食しながら一行は火を囲むように座る。メルエはリーシャとカミュの間に座り、満足そうに果物を頬張っていた。

 

「猪の肉は意外と美味しいものなのですね」

 

「…………おい……しい…………」

 

 サラの言葉にメルエも同意を表わし、何かをねだるようにリーシャを見上げる。リーシャはメルエの視線が何を意味するのかは解らないが、満足そうなメルエの姿に顔を綻ばした。

 

「…………もっと………たべる…………」

 

「な、なに!?」

 

 しかし、そんなメルエの口から出た言葉は、リーシャの予想の遥か上を行く物だった。

 先程の食事では、リーシャ程ではなかったが、その小さな体では信じられない量をメルエは腹に納めていたのである。それが、まるでまだ食べ足りないとでも言うような意味の発言をするのだ。

 

「い、いや、もう猪の肉もない」

 

「…………リーシャ………とる…………」

 

 やっと絞り出したリーシャの言葉にメルエは不満そうに頬を膨らましていた。

 サラは、出会ってたった数日なのにもかかわらず、赤の他人であった自分達に我儘を言うメルエを不思議に思った。

 いや、メルエは、それが我儘だと理解していないのかもしれない。自分の欲望を口にしても、怒鳴られる事もなければ、叩かれる事もない。それが、メルエの口を軽くさせていたのだろう。

 

「メルエ!!」

 

 サラと同じようにメルエの我儘に苦笑していたリーシャの反対側から、今まで黙っていたカミュの声が響いた。

 それは、珍しい程の声量であり、声を掛けられたメルエは身体を跳ね上がらせる。

 

「…………」

 

 恐る恐るカミュの方に顔を向けるメルエが見たのは、今まで自分には向けた事のない表情をして自分をみるカミュの姿だった。

 

「メルエは、まだ腹が空いているのか?」

 

 静かに語るカミュの言葉に、返答を否応なくされたメルエは、ゆっくりと首を横に振った。そのメルエの後ろにいたリーシャもまた、カミュの瞳に吸い込まれていくような感覚に包まれる。

 唯一人、カミュが何を話すつもりなのか、それを聞き逃すまいと、サラは次の言葉を待っていた。

 

「……ならば、メルエは魔物以下の存在だな……」

 

「!!」

 

 カミュが次に発した言葉に、三者三様の驚きがあったが、三人が同時に感じた感情は絶望であったのかもしれない。

 この世界で、魔物以下となれば、それこそ生きる価値のない者であり、ルビス信仰の中では、存在自体が許されざる者となる。何度輪廻転生を繰り返しても、決して許される事のない者であるという事なのだ。

 

「…………???…………」

 

「メルエ、魔物が人間を食す事は知っているな?」

 

 メルエは、カミュに怒られる事を覚悟して、怯えた目を向けながらもこくりと頷いた。それを見たカミュは、話の先を続けて行く。

 メルエの眉は下がり、怯えるような表情を見せながらも、自身の着ている薄汚れた<布の服>の裾を強く握っていた。

 

「魔物は人間を食べる。だが、それは自分の食欲を満たす為だけだ。腹が減った時に人間を襲い、それを食す。基本は必要以上の人間を襲わない。必要以上に人間を襲うのは、知能のある魔物だけだ」

 

「…………ち……のう…………?」

 

 メルエが予想していたような怒鳴り声ではなく、ましてや手を出す事のないカミュの話をメルエは聞き入る。

 メルエの中では、相手を怒らせた時は、抵抗する事は無駄だと認識されているのかもしれない。それ程に、メルエの表情に変化が見えていた。

 

「ああ……知能や理性があり、人間を襲う事に愉悦を感じるような魔物だ。自分より弱い者を自己の楽しみの為だけに虐殺するような者。まあ、俺もそんな魔物はまだ見た事はないがな」

 

「……」

 

 知能のある魔物。それを想像する事は今のリーシャ達には難しい事だった。

 アリアハンを住処にする魔物達のほとんどは、本能のまま『人』を襲っていた。それは、カミュの言う通り、食料として『人』を襲っている事に他ならない。

 アリアハン大陸の中で上位に位置する<魔法使い>と呼ばれる魔族にしても、高い知能は持っておらず、本能のまま『人』を襲っているのだ。

 

「メルエ、それは人間にも言える事だ。メルエが腹を空かせているのだとすれば、食料の為に獣を捕って来よう。しかし、それは違う筈だ」

 

 カミュの真剣な眼差しに、メルエは黙って首を縦に振る。

 空腹を訴えている訳ではない。

 初めて味わった肉の味と、初めて自分の欲求に応えてくれる人。その二つに、メルエの心は浮かれていたのだ。

 

「それでもメルエが獣を捕って来いと言うのならば、それは、ただ単に獣の命を弄んでいるだけだ。人間の中にも、自分よりも弱い相手をいたぶり殺す者もいる。メルエはその部類の人間なのか?」

 

「…………ちが………メルエ………ちがう…………」

 

 もはや、メルエの瞳には涙が溜まり始めていた。

 自分が言った事がどれ程の事なのか、それを完璧に理解した訳ではない。ただ、自分が考えもせずに発した言葉が、いけない事だったのではないかという思いを持った事だけは確かであった。

 

「メルエ……メルエも俺も、自分が生きる為には、何かを食べなければならない。しかし、それは何処かで必死に生きようとしている者の命を奪っているという事だ。何時か、逆に自分が誰かの食料として命を奪われる時が来るかもしれない。それは憶えておいてくれ」

 

 一つまた一つと、メルエの目から涙が頬を伝って行く。それでもメルエは唇を噛みしめ、気丈にもカミュの目を見て頷くのであった。

 カミュもメルエの瞳を見て、自分の中にある想いを伝えようとしている。それは、本当に珍しい光景であった。

 

「……メルエ……おいで」

 

 涙を流し、肩を震わせながらも、カミュに向かって頷くメルエの後ろ姿を、痛々しく見ていたリーシャが、カミュの口がもう開かない事を確認し、メルエを自分の下へと導く。

 緊張で硬くなった身体を振り向かせ、リーシャの胸の内に顔を埋めたメルエは、ようやくその緊張を解き、すすり泣くように嗚咽を漏らした。リーシャは、自分の胸に顔を埋めるメルエの短く刈り揃えた茶色い髪の毛を優しく撫でる。

 サラはそんな一連の出来事を見ていて、昔、アリアハン城下町で見た事のある親子の図式を思い浮かべた。

 悪戯をし、父親に怒られ泣いている子供を母親が優しく慰める。そんな図式だ。

 カミュが話していた事は辛辣な内容なのにも拘わらず、この場の空気はとても優しい物であった。唯一人、魔物は悪と信じきっている女性を除いて。

 

「カミュ様! では、何故貴方は魔物を殺しながら『魔王』の討伐に向かっているのですか? カミュ様のお考えでは、魔物に食料として襲われた人間は、諦めるしかないという事になります」

 

 場を満たしていた優しい空気を切り裂くようなサラの声が響く。だが、カミュもリーシャも驚く様子はない。

 まるで、サラの発言を予想していたかのように、動じる事はなかったのだ。

 

「カミュ様の言い分では、『魔王』を倒す意味がありません。今のまま、魔物の横行を許し、人々が襲われても構わないと言っているのと同じです! ならば、何故カミュ様はアリアハンを出たのですか!?」

 

 サラの声は、アリアハンを出て初めての夜にカミュと口論した時のように激しい物へと変わっていた。

 ここまでの道程、リーシャが我慢して来たのと同じように、サラもまたカミュの価値観を認められず、内に溜めていた物も多かったのだ。

 『魔物も人間も、命を食し生きている事に変わりはない』

 『その対象が、人間か獣かの違い』

 カミュはそう言っているのだ。

 サラにとっても、ロマリアの闘技場で見た魔物同士の戦いは、『人』による魔物の命の弄びに見えなくもなかった。だが、魔物達は人間を襲っているのだ。

 サラの中で『自業自得』という言葉を使い、その気持ちを抑えるようにして来た。

 また、サラはこの旅が始まってから、教会の中だけでは決して見えない物を見る事が多かった。

 それは、決して良い物ばかりでなく、サラの価値観に大きく影響を及ぼす程の物。だが、人の考えなど簡単には変える事は出来ない。今まで、その考えの下に形成して来た自分自身をも否定する事になるからだ。

 故にサラは葛藤している。それが、カミュへの問いかけにもなっているのだろう。

 サラが立ち上がり、その拳を握り締めながら叫ぶ姿を静かに見つめながら、カミュはようやくその重い口を開いた。

 

「……俺には、生きて行く為の選択肢が許されてはいなかったからな……」

 

「!!」

 

 それは、聞き逃してしまいそうなほど小さな呟きで、カミュの口から出た途端に目の前の炎の中に吸い込まれて行く。だが、その小さなカミュの呟きは、確かにこの場にいた全員の耳に聞こえていた。

 

「カ、カミ……」

 

「明日も早い……もう休め……」

 

 尚もカミュに語りかけようとするサラの言葉を遮って、カミュは火の傍に身体を横たえた。それは、この話題の終了を意味している。

 リーシャの腕の中のメルエも、泣き疲れてしまったのか、いつの間にか寝息を立てていた。

 リーシャとサラのそれぞれが、別々の複雑な想いを抱いたまま、夜は更けて行く。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

本日はここまでに致します。
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過去~カミュ~

 

 

 

 カミュは、十歳になったばかりの時に出会った<一角うさぎ>との戦闘以来、魔物との戦闘において無意味な殺生をしなくなった。

 自分達を食料とし、襲いかかって来る魔物に剣を振るう事はあっても、逃げようとする魔物や恐怖で動けない魔物などには、剣を構える事もない。自分に剣を振るわない事を理解した魔物は再び森に返って行き、自然とカミュを侮り、食料を捕縛する為に襲いかかって来る魔物か、若しくは自身の身の危険を感じて窮鼠となった魔物以外、相手をする事がなくなっていた。

 日一日と身体も成長し、剣の腕も上達はして行くが、その力を闇雲に振るう事はなかったのだ。

 

 しかし、<一角うさぎ>との戦闘から二年程経った頃に事件は起こった。

 

「どういうつもりだ!! 何故、お前はあの魔物を逃がしたんだ!!」

 

 常に一人戦場に放り込まれていた為、カミュが魔物を数匹逃がしていてもそれを見咎める者はいなかったが、今回の討伐では、カミュに二人の人間が付いて来ていたのだ。

 成長したとはいえ、まだ子供と言っても過言ではない歳のカミュには、周りに注意を払う意識が全くない。自分が行っている事が、周りの人間にとってどう映るのかを考える事はなく、ましてそれに対して激昂されるとは思ってもみなかったのだ。

 

「……」

 

「何を黙っているんだ!! ふざけるなよ!!」

 

 相手の激昂ぶりに困惑しているカミュの表情は、元々表情の変化の乏しさから、ふてぶてしく黙っていると見た男の感情に、更に火をつける。

 

 

 

 この男の激昂ぶりには訳もある。

 周囲の反対を押し切って、カミュの赴く方角に珍しく付いて来た人間は、『アリアハンの英雄と呼ばれたオルテガの息子の戦いぶりを、一目見たい』と言った若い一組の男女であった。

 しかも、その男女は恋仲という、幼いカミュには全く理解できない存在。

 女性は魔法を少し使え、男性は剣を使う傭兵崩れの人間である。

 いつものように討伐隊の隊員達に方向を示され、それに黙って頷き隊を離れて歩き出したカミュに、首を傾げながらも付いて来た二人ではあったが、この行動をすぐに後悔する事となる。

 

「な、なんだ……これは……」

 

 カミュの父オルテガは、まさしくアリアハンの英雄だった。

 それは、アリアハンに住む子供達にとって自分達の身近にいる分、『精霊ルビス』への物よりも強い信仰が生まれる程である。

 カミュについてきた男女にとっても、それは変わらない。

 彼らもまた、幼い頃に旅立つオルテガの姿を、興奮して見ていた者達の一人であった。

 

 そんな英雄の子。

 自分達の憧れであり、嫉妬すら感じる存在のカミュが、自分達がオルテガを見送った年齢と変わらない歳で魔物の討伐をしていると聞いて、何としてもその雄姿を見たいと思っていた。 しかし、そんな二人が付いて行ったカミュの行く先には、彼らが見た事もない程の数の魔物が、奪い合うように何かの肉を貪っていたのだ。

 それは、彼らの少し前に出発した討伐隊の人間の肉。

 実は、カミュ達三人が同道していた討伐隊には、斥候の人間から前を行く討伐隊の全滅の情報は入っていた。

 しかし、それをカミュには伝えず、討伐隊は魔物が仲間を襲った場所へカミュを向かわせたのだ。

 討伐隊の人間の数も相当な物なら、それを食す魔物の数もそれに輪をかけた数である。確かに、カミュの魔物討伐は見られるかもしれない。

 しかし、この数を相手にするとなれば、自分達の命すらも危うい。如何に英雄の子とはいえ、まだまだ子供のカミュが、この数の魔物を全て駆逐する事が出来るとは思えなかった。

 そうなれば、待っているのは死のみだ。

 

「……あ…あ…ああ……」

 

「く、くそっ!! ど、どうなってるんだ!! おい、どうするんだよ!!」

 

 言葉を失った女性は、恋人に身を寄せる。女性を抱き抱えた男は、この状況を飲み込む事が出来ず、その理不尽な怒りをカミュにぶつける事しかできなかった。

 

「……」

 

「お、おい!! どうするんだって聞いてるんだ!!」

 

 もはや、英雄の子に対する発言ではない。

 ましてや、子供に対して尋ねる発言でもない。

 男女は、完全にパニックに陥っていた。

 それ程、目の前に広がっている光景は、この男女にとって地獄そのものであったのだ。

 もはや命の灯が消え失せている『人』であった物に群がっている魔物達。

 皮を引き千切り、肉を貪るその口は血液で真っ赤に染まっている。

 女性魔法使いの方は、その光景に嘔吐を繰り返し、まるで、カミュ達の存在に気が付いていないように、魔物の群れは食事に夢中になっていた。

 

「……うぇ……」

 

「大丈夫か!? もうここから離れよう」

 

 嘔吐が止まらない女性の肩を抱き、男はこの場からの離脱を提案する。

 カミュ自体の戦闘力は分からないが、所詮は子供。

 自分達二人の力量を考えても、とても三人で相手が出来る数ではない。

 

「……ギッ!!」

 

 しかし、女性を抱きながら踵を返した男の目の前に、食料にあり付けなかった魔物達が涎を垂らして立ち塞がっていた。

 討伐隊の肉に群がる魔物達の数程ではないが、少なくとも、カミュ達の倍の数は優に超えている。

 

「キャ――――――――――!!」

 

 目の前の魔物の数に半狂乱の声を上げる女性。

 その声に驚いたように、今まで肉に群がっていた魔物達もまたカミュ達の方向に顔を向ける。

 最悪の状況。

 今、目の前にいる魔物達だけでも精一杯なのにも拘わらず、後ろにいる魔物達まで加わるとなると、三人の生存は絶望的と言っても良い。アリアハンの魔物は世界中の中でも弱い部類に入る物がほとんどではあるが、それは『人』も同様であり、この最弱の魔物達が住む大陸で暮らす『人』もまた、魔物との戦い方を知らないのだ。

 その時、一匹の<一角うさぎ>が、声を上げた女性に向かって飛び出した。

 もはや、混乱の極致にいる女性に、魔法を詠唱する暇などない。肩を抱く男が剣を抜く間もなく、<一角うさぎ>の角が女性の太ももに突き刺さった。

 

「キャ――――――!!」

 

 <一角うさぎ>は突き刺さった角を引き抜き、距離を取る。

 再び大きな叫びを発した女性は、男に支えられながらも立っている事が出来ず、太ももから盛大に血を流しながら崩れ落ちた。

 女性が崩れ落ちるのと同時に支えていた男もまた、地面に膝を突く形となる。その機を見て、魔物達が一斉に動き出した。

 先頭を切ったのは、大きなカエル。

 <フロッガー>であった。

 その大きな後ろ脚からの驚異的なバネで、男女の上に飛び上がって来たのだ。

 

『もうダメだ』

 

 男がそう覚悟を決めて目を閉じた時、人間の物ではない叫びと、酷く生臭い液体が自分に降りかかって来る。

 恐る恐る目を開けると、そこには、座り込んだ自分達よりも若干高い位置で、両手で握り締めた剣を天に向かって掲げるカミュと、その剣に貫かれ、喉元から体液を噴き出させている<フロッガー>の姿があった。

 

「す、すまない」

 

 先程まで怒鳴り散らしていた相手、しかも自分達より一回り以上も小さな少年に救われた事に、男は驚きを隠せない。英雄の息子とはいえ、少年であるカミュをどこか侮っていた自分に気がついたのであろう。

 <フロッガー>から剣を引き抜いたカミュは、そのまま前方にいる魔物の群れへと突っ込んで行く。

 

「「……」」

 

 女性の足の応急処置をしながら、無言で魔物を切り裂いて行く少年の後ろ姿を見ている事しか、男は出来なかった。

 前方だけでなく、後方にその倍以上の数の魔物達がいる事も忘れ、呆然と立ち尽くす。

 カミュは所々で、覚えたばかりの火炎呪文を唱えながらも、魔物の群れを駆逐して行った。

 数に頼っているところのあった魔物達に、次第に焦りが見え始める。

 半分も魔物の首を落とした頃辺りから、カミュに襲いかかって来る魔物の数が止まった。

 カミュから距離を取るように後ろへと下がり、遠巻きでカミュを見ているのだ。その様子を見ていた男は、好機とばかりに自分も剣を抜こうとするが、自分の腕の中で額に大粒の汗を滲ませる恋人が気にかかり、カミュの応援には動けなかった。

 いや、カミュが半分を駆逐するまで、恋人を口実に動こうとはしなかったのだ。

 

「何をしている!! 今が好機だ! 早くしろ!!」

 

 しかし、人間というものは、自分の危機が遠のいた事を実感すれば、声は出る。

 自分の手を全く煩わせてはいないにも拘わらず、魔物の返り血で衣服がどす黒く変わりつつあるカミュへ投げかけた男の言葉は、尚もカミュを魔物に向かわせようとする物だった。

 

「……」

 

 しかし、その声を受けたカミュは、暫くの間、魔物達と睨み合いをした後、一匹の魔物が逃げ出すのを見て、剣を鞘へと納める。男だけでなく、未だに角が刺さった部分に焼けるような痛みを主張している女性魔法使いも、そのカミュの行動に驚愕した。

 一匹また一匹と姿を消していく魔物達を呆然と見ていた男は、剣を鞘に納めてしまったカミュが戻って来るのを見て、ようやく状況を理解する。

 

「どういうつもりだ!! 何故、お前はあの魔物を逃がしたんだ!!」

 

 男は戻って来るカミュの胸倉を掴み、そのまま持ち上げ、少年であるカミュの身体は軽々と持ち上がり、その足は完全に地面を離れてしまった。

 歳が二桁になったばかりの少年の首を絞めるように持ち上げた男の瞳には、狂気の炎が揺れている。

 

「……まだ、向こうに魔物がいる……」

 

「!!」

 

 首を絞められながらも、顔色一つ変えないカミュが漏らした言葉に、首を絞めている男だけでなく、足から血を流しながら倒れている女性も今の状況を改めて認識し直した。

 カミュの言う通り、食事を終えた魔物達は仲間達を斬り捨て終わったカミュをじっと見つめていたのだ。 

 

「お、おい!! どうするんだ!!」

 

 再びその顔に恐怖と焦りの表情を張り付けた男が、胸倉を掴んだままカミュに怒鳴りつける。女性は足の痛みに苦悶の表情とその額に大粒の汗を滲ませながらも、カミュを睨みつけていた。

 彼らにしてみれば、自分達を傷つけた魔物を逃がすカミュは、もはや憎しみの対象に近い存在となりかけていたのだ。

 

「……手を離してくれませんか……」

 

「く、くそっ!!」

 

 現状、自分の頭が混乱状態にも拘わらず、カミュが異様に冷静な事を見て、男の苛立ちは益々勢いを増して行く。文字通り放り投げるように、カミュの胸元から手を離した男は女性に近寄り、魔物の群れを見ながら叫び声を上げる事しか出来なかった。

 起き上がったカミュは、そんな男の狂い様に関心を示す事もなく、女性の近くに近寄り、患部である太ももに手を当てる。

 

「な、何をするつもりだ!!」

 

「や、やめて!!」

 

 もはや、カミュという存在を魔物と同等の位置まで落としている男女は、カミュの行動が奇怪な物に映り、恐怖の対象となっていた。

 故に、近づくカミュから身を避けるように、女性は身体を捩り、男は女性の前に立つ。

 

「ホイミ」

 

 しかし、そんな男女の在り方にも関心を示す事なく、カミュは静かに詠唱を始める。

 カミュの詠唱と共に、淡い緑色の光が女性の太ももを包み込み、<一角うさぎ>の角が突き刺さった大きな穴を塞いで行った。

 実際は傷を塞いで止血をした程度であり、内部の損傷などを復元させるまでは至っていない。 

 

「……血は止まりましたが、動かないようにして下さい……」

 

 言葉少なめに話をするカミュに、自分の患部を呆然と見ていた女性は慌てて首を縦に振る。まさか、回復呪文を行使出来るとは思っていなかったのであろう。

 基本的に、『経典』に記載されている魔法は、『精霊ルビス』の祝福を受けた『僧侶』しか行使は出来ない。『魔道書』に記載される魔法との契約を行った者は、『経典』の魔法は二度と契約する事が出来ない事はこの世界では常識である。

 それにも拘らず、カミュは先程<メラ>を行使し、今、『経典』の魔法である<ホイミ>という回復呪文を行使したのだ。

 

「……」

 

 女性の足の応急処置を終えたカミュは、魔物の群れに向かって再び剣を構える。女性の傷を治したカミュを、男は憎々しげに睨みつけていた。

 その心の中にある感情は、とても醜く暗い物。

 自分の半分にも満たない歳の少年に抱くには、余りにも情けない感情であった。

 

「えっ?」

 

 しかし、その異様な緊迫感は、足の痛みから若干解放された女性の、間の抜けた声に霧散する。女性の声を聞き、カミュに向けていた視線をその奥にいる魔物に向け直した男は驚きを隠せなかった。

 魔物の群れが引き揚げて行くのだ。

 絶対的有利な立場にいたのは、間違いなく魔物の方である。如何にカミュが奮闘していたとしても、数の暴力には敵う訳がない。

 それでも、こちらに襲いかかる事なく一匹また一匹とその場を後にして行く。カミュは暫くその様子を見ていたが、魔物の半数以上が森に消えて行ったのを見届けてから剣を鞘に納めた。

 その様子を、再び男女が憎々しげに見つめる。おそらく、逃げて行く魔物達を追撃しろとでも言いたいのだろう。

 魔物達が消えて行った後には、魔物に食い散らかされた元『人』であった骨が散乱するだけであった。 

 

「何故魔物を追わないんだ!? お前はオルテガ様の……英雄の息子じゃないのか!!」

 

 余裕を取り戻した男は、再びカミュを問い詰める。

 その表情は怒りに燃えており、自分の発言自体が感情的な物である事にすら気が付いていない様子であった。

 地面に座り込んでいる女性も同様の意見なのであろう。幼い頃より、『魔物=悪』という構図を作られてきた男女にとって、魔物を倒す力があるにも拘わらず、それをしないカミュに怒りしか湧いてこなかったのだ。

 自分達では、魔物に立ち向かう事すら出来なかったのにも拘わらず喚き散らす男女を、カミュはどのような感情を持って見ていたのだろう。

 

「……」

 

「くそっ!! また黙秘か!?」

 

 黙して何も語らないカミュに侮蔑の眼差しを向け、男は女性を背負い他の討伐隊に合流するように歩き出した。

 反対にカミュは魔物に食い散らかされた骨が散乱する場所へと向かって行く。

 カミュはこういう場所に一人で向かわされ、魔物の討伐を行う事が多いが、大抵は既に人間が襲われ食された後である。

 つまり、もはや生きた人間などいない所に放り込まれているのだ。

 故に、遺族の下に遺品を持ち帰るために、拾い集めるのもカミュの仕事の一つだった。

 

「……」

 

 骨が散乱し、血の海が広がるその場所に、若干十一・二歳の少年が立つ光景は異様な物であった。

 靴に血をべっとりと付けながらも周辺を探し、血に染まった指輪や肉片のこびりついたロケットなどを拾い集め、持っていた革袋に一つ一つ入れて行く。革袋に入れて行く前に一つ一つ持っていた布で拭いて行くカミュの表情は、先程まで男女に見せていた物とは違い、哀しみに歪ませた物であった。

 それは、幼い身なのにも拘わらず、このような仕事をさせられている自分に対しての憐れみなのか、それとも無残にも食い殺され、『人』の原型を留めていない者達に対しての哀しみなのかは、本人にしか解らない。

 

「おい!! 何をしているんだ!! 早くしろ!」

 

 ゆっくりと作業を続けるカミュの後ろから、女性を背負った男の呼ぶ声が聞こえる。

 彼らにとってみれば、もはや死者となり果てた者達よりも、自分の身の安全が大事なのであろうし、それは責められる事ではない。

 むしろ当然の感情でもあり、今生きている人間がこの先も生きられるような対策を取る事の方が、死者の弔いよりも優先されるのも当然の処置である事は明白であった。

 

 

 

 遺品を拾い終えたカミュを先頭に、街道に向かって歩き出した一行は、魔物との遭遇もなく、無事に討伐隊との合流を果たす。合流と同時に怪我人である女性魔法使いは、同行している僧侶の治療を受ける為、奥のテントへと運ばれて行った。

 残ったのは、討伐隊の面々とカミュに同行した男、そして遺品が入った革袋を討伐隊に手渡すカミュだけとなる。

 

「やはり、襲われた後だったか……」

 

 カミュから遺品を受け取った隊長らしき人物は、その革袋のずっしりとした重みから、先に進んでいた討伐隊の全滅を理解した。

 『やはり』という言葉に、その状況を予想していたにも拘わらず、カミュを一人で向かわせた事が推測出来る。

 

「か、数も相当な物でした。襲っている魔物とは別に、私達の後方から更に魔物が増え窮地に陥りました」

 

 隊長に対しても、黙して語らない姿勢を崩さないカミュに代わって、男が状況の説明をする。自分達が感じた恐怖を少しでも伝えようと、身振り手振りを加えて話すその姿を、討伐隊長は冷やかに見下ろしていた。

 

「だから、あれ程コイツについて行く事は反対したんだ」

 

「し、しかし、コイツはオルテガ様の息子ですよ!!」

 

 一般的な考えさえ持っていれば、この二人の発言はおかしいと気付く筈だ。

 この数年後に、カミュと共に旅に出る二人の同道者がこの場所にいたとしても、この二人に敵意を向けていたかもしれない。

 

「コイツ一人なら何とかなるんだ。傷を負って戻ってきても回復させて、また向かわせれば良い」

 

「……」

 

 とても英雄の息子に対しての言葉とは思えない発言に、身ぶり手ぶりで状況を伝えていた男も押し黙る。しかし、そこにカミュを憐れむ気持など湧いては来なかった。

 むしろ、討伐隊長の苦言を無視し、愚かにもカミュへ同道を申し入れた自分を悔やんでいるのだろう。

 

「……が、今回は傷一つないな……本当に戦闘を行って来たのか?」

 

 服に多少の魔物の体液が付着してはいるが、カミュに傷はない。

 靴に赤い血がついてはいるが、それはカミュの物ではないのは見て解る。

 討伐隊全員の視線が、幼い少年唯一人に集中した。

 そこに好意的な物は一つとしてなく、全員がカミュに対し、何かを問い詰める雰囲気を醸し出している。

 

「まさか、お前は討伐隊が襲われて行くのを黙って見ていた訳じゃあるまいな」

 

「い、いえ、私達が到着した時には既に全滅しており、魔物に食われているところでした!」

 

 カミュに向かって鋭い視線を向ける隊長の様子に、このままカミュが黙秘を続ければ、自分の身にも危険が及ぶと判断した男が弁明を口にする。カミュから目を離す事なく、男の話を聞いていた隊長は、少年であるカミュと暫く睨みあった後、視線を外し背を向けて自分の場所へと戻って行った。

 

「し、しかし、コイツは魔物を逃がしました!」

 

 しかし、その後に男の口から発せられた言葉に、戻りかけた隊長の足が止まった。

 周囲を取り巻くように立っていた隊員達の眼の色も変わって行く。それは、先程までの探るような色ではなく、もはや狂気と言っても過言ではない程の強い敵意であった。

 

「……どういうことだ……?」

 

「は、はい。コイツは、魔物達を何匹か倒した後、魔物が襲いかかって来なくなると剣を鞘に納めました。しかも、討伐隊を襲っていた魔物達に対しても斬りかかる事もなく、魔物が引いて行くのを黙って見ていました」

 

「!!!」

 

 男の発言に、周囲を取り巻く空気が一変する。

 それは怒気と殺意。

 

 男の発言は、その場にいた者であれば、頭を抱えたくなる程の勝手な言い分。

 勝手に付いて来たにも拘わらず、魔物の攻撃を受けて足に傷を負い足手まといになる女性魔法使いに、混乱し怒鳴り散らす事しか出来なかった男。

 そんな足手まといを二人も抱え、如何にして魔物と対峙すれば良いと言うのか。

 しかし、そんな内情はこの場にいる人間には解らない。例えカミュがその状況を話したとしても、取り合ってすらもらえないだろう。

 

「お前……仲間を襲っていた魔物達に一太刀も浴びせなかったのか!?」

 

「ふざけるな!!」

 

 その仲間の危機に自分達は赴かず、少年一人を放り込んだ人間達が、カミュの行動を責める為に、その包囲の輪を徐々に縮めて行く。カミュは、その周囲の圧力にも表情を変える事なく、どこか諦めにも似た感情を持って、周囲で目を血走らせる『人』であるはずの集団を見ていた。

 

「何とか言ってみろ!!」

 

「この野郎!!」

 

 黙ったままのカミュに業を煮やした隊長が、怒声と共にその拳をカミュの頬に叩き込んだ。

 それを機に、拳を受けて倒れ込んだカミュに、周囲の隊員達が群がって行く。倒れ込んだカミュの腹を蹴り、顔面を蹴り、もはや収集のつかない状況に陥った討伐隊は、我先にとカミュへ制裁を加えて行った。

 カミュに同行していた男もその輪に加わり、蹲るカミュの腹部を力一杯に蹴り上げている。当事者である人間までもがその輪に加わった事により、その制裁は更に加熱して行くのであった。

 

 何も知らない人間が見れば、先程討伐隊に群がる魔物と、今カミュに群がる『人』に、何の違いがあるのか疑問に思うのではなかろうか。

 いや、今の時代に魔物と『人』を同じ生き物として考える人間は、群がる討伐隊の中心で頭を抱え蹲る少年しかいないのかもしれない。

 

「お前は、英雄オルテガ様の息子じゃないのか!? お前が次代の勇者なんだろ!? お前が魔王を倒さなければならないんだ!! 魔物を逃がすような真似しやがって!!」

 

 『英雄オルテガの息子』

 その事実は、通常であれば多くの国民から称えられ、そして期待と共に大事に育てられる者の持つ称号の筈だった。

 しかし、アリアハン国は、英雄であるオルテガの功績を公式的に無にした経歴がある。

 憧れをもっていた人物の地位の陥落。

 それは、多くの国民の心のギャップを生みだした。

 国が認める事を止めた英雄。

 しかし、国民の頭には今もその雄姿が焼き付いている。

 

 その矛先は、家族へと向かったのだ。

 オルテガの父。

 オルテガの嫁。

 この二人には、オルテガと同様の知名度があり、それなりの交流もあった。

 しかし、オルテガが死んだ時には、まだ赤子であったその息子は、国民にとって様々な感情の捌け口となる。

 

 それは、今尚魔物に怯える生活を余儀なくされているこの時代への不満。

 魔王に対して何の対抗策もないことへの苛立ち。

 そして、自分達をこの苦しみから解放してくれるという期待と希望。

 そのような感情の全てが、この小さな少年の成長に多大な影響を与えていた。

 

 カミュにしても、その腕と魔法を持ってすれば、この討伐隊の半数の息の根を止める事は可能であったかもしれない。

 しかし、一国民にしか過ぎないカミュが、国が組織した討伐隊のメンバーを殺したとなれば、アリアハンで暮らす事は出来ない。それどころか、厳格な騎士であった祖父の手によって、カミュのその首は瞬時に斬り落とされる事だろう。

 故に、まだ少年にすぎないカミュは、ただ身体を丸め、この暴力が通り過ぎるのを待つしか出来なかったのだ。

 暴力を振るっている討伐隊も、カミュが家の者への報告もしない事を知っていたし、例え報告したとしても、それを家の人間が信じない事を分かった上での行為なのだ。

 気が済むまで暴力を振るった後に、回復魔法で痣までも消してしまえば良い。それぐらいにしか考えていなかった。

 

 これは、本当に『人』の行為なのだろうか

 

 そんな想いを胸にカミュは上から繰り返される暴力を受けていた。

 右から左へと身体を振り回されながら、尚も続く暴力の中、カミュという一人の人間の人格が形成されて行く。それの人格は、彼の人生と共に、ある者達によって大きく変化して行くのだ。

 

 

 

 

 身体の揺さぶりに耐えていたカミュは、余りにもその揺さぶりが大きくなった為に、ゆっくりとその目を開ける。そこには、小さくなった焚き火の灯りに映し出された、心底心配そうに顔を歪めるメルエの顔があった。

 

「…………おきた…………?」

 

 心配そうな表情を残したまま、メルエは言葉少なにカミュに確認をとる。メルエの表情が、寝ている間にどれ程カミュがうなされていたのかを物語っていた。 

 

「うなされていたのか……ありがとうメルエ。もう大丈夫だ……」

 

「…………ん…………」

 

 礼と共に頭に乗せられたカミュの手に、心底安心したようにメルエは表情を緩める。改めて確認すると、リーシャとサラは未だ夢の中のようだ。

 唯一、カミュの対角線上にいるメルエだけがカミュの変化に気付き、掛っていたカミュのマントを放り投げたまま傍に駆け寄ったのだろう。

 カミュが頭を撫でている内に再び睡魔が襲って来たのか、メルエはカミュの太ももに崩れ落ちて行き、そのまま静かな寝息を立て始めた。カミュは一つ苦笑をすると、自分が枕代わりにしていた革袋にメルエの頭を載せ、マントを取りに行き、それを眠るメルエに掛けた後、焚き火に薪をくべてながら、まだ明けるまで時間のかかるであろう夜の空を見上げる。

 空は雲一つなく、空一面の星達と、優しい月の光が地面へと降り注いでいた。

 

「……ふぅ……」

 

 何かを想うように吐き出されたカミュの溜息は、新たにくべられた薪によって燃えあがる炎の中へと消えて行った。

 

 

 

 



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カザーブの村①

 

 

 

 朝を迎えた一行は、朝食を取り始める。

 朝食の間中、メルエはリーシャの後ろに隠れながらチラチラとカミュの方に顔を出していた。

 その様子を不思議に思い、カミュが声をかけるが、カミュの声を聞くとまたリーシャの後ろに隠れてしまう。

 

「……何だ?」

 

「あははっ、メルエはお前が怖いんだ。また怒られるのではないかと思ってな」

 

 疑問を口にするカミュに答えたのはリーシャだった。

 朗らかな笑顔を浮かべながら、背にメルエを隠して話すリーシャを忌々しげに睨みつけるカミュの目は、いつもよりも迫力に欠けている。

 

「…………」

 

「……メルエ、俺は別に怒っている訳ではない。昨日話した事も、メルエには憶えておいて欲しいだけだ」

 

 再びリーシャの背中から少しだけ顔を覗かせてきたメルエに溜息を吐きながら、カミュはその幼い少女に話しかける。

 明け方に自分を心配して必死になって起こそうとしてくれ、起きた事に安心すると自分の膝枕で眠ってしまった筈のメルエが、今朝になって自分に怯えているという事をカミュは不思議に思っていた。

 

「あははっ、嫌われたな、カミュ」

 

「…………きらい………ない…………」

 

 尚も笑いながら話すリーシャの言葉に、先ほどよりも顔を出したメルエが反論する。言葉の抑揚に伴わない強い瞳を向けるメルエに、リーシャは少し戸惑った。

 

「…………メルエ………カミュ………きらい…じゃ……ない…………」

 

「そ、そうか……」

 

 続くメルエの言葉にリーシャはたどたどしく答え、サラは昨晩自分に向けられたメルエの言葉とカミュへの言葉の違いに不満を持ち、頬を膨らませていた。

 はっきりとした拒絶を向けられたサラにとってみれば、当然の感情だろう。

 

「もう一度言うが、俺は怒ってない。だから、メルエが怯える必要はない」

 

「…………」

 

 暫くカミュを見つめていたメルエは、こくりと一つ頷くと、リーシャの背中から身体を全て出し、カミュの傍に座りなおした後、朝食の果物を口に入れ始める。

 そんな様子を微笑みながら見つめるリーシャと、『何故自分よりもカミュの方がメルエに好かれているのか』とカミュを睨みつけるサラの姿があった。

 

 

 

 朝食を取り終わり、再びカザーブへと一行は歩み始めた。

 果てしなく続きそうな山道を、途中に何度か休憩を挟みながらもひたすら北上する。昨日はへばっていたメルエも、旅慣れてきたサラに不思議な対抗心を燃やし、弱音を吐く事なくカミュの後ろを必死について行った。

 カミュの歩く速度がいつもよりも若干遅い事を感じ、サラは釈然としない想いを抱くが、リーシャはそんなサラをも励ましながら山道を進んで行く。

 途中では、何度か魔物との戦闘もあったが、昨日リーシャが混乱に陥った<軍隊がに>や、アリアハンに住む<さそりばち>の上位種に当たる<キラービー>などであり、リーシャの剣、メルエの魔法、サラの補助魔法などの活躍で問題なく駆逐されて行った。

 

「なんだ、カミュ。今日は役に立たないな。お前もサラと一緒に、槍の稽古でもした方が良いのではないか?」

 

 扱えるとはいえ、本来の武器ではない<鉄の槍>を使っているカミュは、この旅に出て初めてパーティーの中で戦闘中に出番がなかった。

 それは、カミュが自ら出る事を拒んだ訳ではなく、実は今カミュに厭味を言っている張本人であるリーシャが、メルエとサラの力量を上げる為、カミュを抑えていたのだ。

 今思えば、只単にこの厭味を言いたかっただけなのかもしれない。

 

「…………カミュ………だめ…………?」

 

「ふふふっ、そうですね。今回はメルエの方が凄かったですね」

 

「あはははっ、その通りだな。カミュは駄目だ」

 

 メルエの好意を受けるカミュへの嫉妬から、サラは珍しくカミュへ攻撃的な言葉を発した。

 リーシャに至っては、先ほど<キラービー>を両断した剣に付着する体液を振り払った後、メルエの言葉を肯定し、豪快に笑い飛ばして行く。

 

「……そうだな……<かに>の登場でパニックを起こすような騎士よりも、メルエの魔法の方が役に立っている事は確かだな」

 

「な、なんだと!!」

 

 しかし、リーシャの笑いもいつものように長続きはしない。そのやり取りはもう見慣れた光景になりつつあり、サラもあたふたする事なく見守っていた。 

 

「…………メルエ………いちばん…………?」

 

「ふふふっ、そうですね。メルエが一番ですね」

 

 リーシャとカミュのやり取りをそのままに、サラも笑みを浮かべながらメルエの問いかけに答える。昨日の焚き火での出来事以来、メルエは自分からサラに話しかけて来るようになった。

 それは、言葉は少ないものの、しっかりとサラの目を見て話しかけるもので、サラはその事を心から喜んでいた。

 

 

 

 山道を下りきった一行は、周囲を山々に囲まれたのどかな盆地に辿り着く。見渡す限りを山々に囲まれたそこは、山からの吹き下ろしの風は吹いているが、自然豊かで、空では鳶の鳴き声が響くような場所であった。

 ただ、そんなのどかな場所にも魔物は出現するのか、所々に『人』の手で作られた物の残骸や、『人』そのものの骨などが埋葬される事なく野ざらしになっている。埋葬するための『人』が来る事が出来ない程に危険な場所なのか、『人』を手配する余裕がないのかは解らないが、その骨は新しい物から古い物まで様々であった。

 

 人が踏み歩いた土が道のように続く場所を一行は歩き続ける。

 山を降りしばらく歩くと、前方に簡易な柵で覆われた集落が見えて来た。

 おそらくあれが『カザーブ村』なのであろう。

 入口の門のような物の場所まで歩くが、その周囲に駐在所のような場所はなく、兵士が門番をしている様子などもなく、カミュが木で作られた門につく金具で叩き、村への来訪を知らせるが、しばらくは村から何の反応もない。

 何度も門を叩き、声を上げ続けると、門の中側にある見晴らし台の上に人影が現れた。

 

「アンタ達、何の用だ!?」

 

「旅の者です。今晩の宿をこの村でとらせて頂ければと思い訪れました」

 

 何かに警戒するような物言いでカミュ達一行を拒むような仕草をした男であったが、一行の中に少女と言っていい程の子供が混じっている事に気が付き、門を開ける事を了承した。

 徐々に開いて行く門の向こう側が一行の目に飛び込んで来る。村の中の様子にメルエを除く一行は息を飲んだ。

 

「遠いところ大変だったな。さあ、何もない村ではあるが、ゆっくりしていってくれ」

 

 門を開き、中に一行が入った事を確認すると、再び門を閉めて行く。

 男の表情は先程のように警戒心に覆われた物ではなく、山道を歩いて来た旅人の労を労うような優しい表情に変わっていた。

 門を閉め終わった男は、カミュ達に一言告げると、村の奥へと歩いて行ってしまう。

 

「……さびれている……」

 

「……酷いな……」

 

「……なるほどな……」

 

 男の姿が見えなくなり、改めて周囲を見渡したサラが発した言葉に、リーシャも同意を示す。メルエは二人の様子を不思議そうに眺めていた。そんな三人を余所に、カミュは一人納得したように頷いていた。

 

「何が『なるほど』なんだ? この村の惨状はどういうことなんだ?」

 

 カミュが一人で納得している内容が理解できないリーシャが、カミュへと問いかけを洩らす。リーシャと共にサラもカミュに視線を向けた事から見ても、同じ様に理解出来てはいないのだろう。

 メルエに関しては、初めて見る生まれた場所以外の集落に目を輝かせていた。

 

「……つまり、この村がロマリアに取っての暗部そのものなんだろう」

 

 カミュの洩らした言葉は、言葉が足りず、リーシャとサラの両名は理解出来ない。

 この<カザーブ>の村と、その存在が暗部となるロマリア王国との関連性が見えないのだ。

 それは、感情に置き換えられ、リーシャの口から飛び出した。

 

「どういう事だ!?」

 

「宿を取る前に食事にしよう。そこで話す」

 

 リーシャの声量の大きい問いかけに、周囲の視線を気にしたカミュが場所を変えるよう提案し、サラも同じ事を気にしていたため、すんなりと場所の移動に移る事となった。

 ただ、メルエだけは、少し寂しげな表情を映し出していた。

 

 村の一番奥に酒場があり、そこで食事を出しているという事を聞き、一行は酒場へと場所を移す。酒場に入ると、寂れた村に相応しい寂れた雰囲気を漂わせる内装で、客も二人きりという、なんとも言い難いものであった。

 

「いらっしゃい。空いている席に適当に座ってください」

 

 カウンター越しに、マスターであろう男の声が響き、その指示に従って全員が一つのテーブルを囲うように座る。メルエを椅子に座らせたリーシャが最後に席に着き、水を持って来たマスターに、適当に食事を持ってくるよう注文した後、先程の話題へと戻って行く。

 

「それで、カミュ。どういう事なんだ?」

 

 口火を切ったのは、やはりリーシャ。

 サラもカミュを注視している。

 メルエだけが水を口に運んでいた。

 その様子を横目で見ていたカミュは、一つ息を吐き出し、ゆっくりと口を開いて行く。

 

「アンタ方は、ロマリア城の様子を見たか?」

 

「ああ、それがどうした?」

 

 カミュの問いかけに即座に反応したリーシャであるが、その問いかけが何に繋がるのかは理解出来ていない。その姿に、カミュは盛大に溜息を吐き出した。

 吐き出されたカミュの溜息は、静けさが広がる酒場に良く響き、何とも言えない空気を生み出して行く。

 

「……ロマリア城下町は比較的落ち着いていた。だが、本来なら考えられない筈だ」

 

「……何故ですか……?」

 

 カミュが話す一言一言にリーシャやサラが疑問を挟む。二人とも頭が悪い訳ではない。だが、育ってきた環境で、自分の目で見た物をそのまま信じるという体質が身に付いているのだ。

 そこへ疑問を挟むという考えに辿り着く前に、納得してしまう。

 

「……ある英雄と呼ばれる男の為に、各国が相当の支援を出した。それは、『魔王』という最悪の根源を討伐する為の物だ。半端な量ではない。それこそ一国が傾く可能性がある程の量だろう」

 

「……」

 

 『ある英雄と呼ばれた男』

 それこそ、カミュの父であり、アリアハンが誇る英雄『オルテガ』その人であろう。

 そんな誇るべき父の名前すら呼ばないカミュに、再び怒りが湧き上がるリーシャではあったが、昨晩のカミュとのやり取りで、そこを追求するのは後回しにすると決めたばかりだった。

 故に、その怒りを飲み込む事とする。

 

「支援の為に、国庫にある財産を全て吐き出す訳がない。前にも言ったが、その物資や資金のほぼ全ては、国民に重税などを課して搾取した物だ。そうすれば、当然国力が弱まる。国の生産力を支える国民を虐げるのだから、生産力が上がる訳がない」

 

「で、でも、城下町は潤っていました。とても搾取が続けられた様子はありませんでしたよ」

 

 カミュの言葉に挟まれたサラの疑問は、至極当然の物である。

 ロマリア城下町は、寂れてはいなかった。国民は普通に生活し、店には商品が並び、買い物客などで賑わいも見せていた。

 

「それを不思議に思わないのか?……本来あり得る形ではない。ロマリアはアリアハンとの交流も多かった事から、一番多く援助を行っていた筈だ。最初は、あの王女が色々と奔走して国を立て直したと思っていた。だが、この村の現状を見て、その考えが間違っているとは感じないのか?」

 

「だから、どういう事なんだ!!」

 

 言い回しが回りくどいカミュの言葉に、痺れを切らしたリーシャの大きな声が飛ぶ。

 店にいた二人の客の視線を浴び、恥ずかしそうにするサラとは対照的に、そんなことを気にも留めないリーシャは真っ直ぐカミュを見つめていた。

 

「……少し声量を落としてくれ……」

 

「リーシャさん……」

 

「…………リーシャ………うるさい…………」

 

「うぅ……すまない」

 

 サラやメルエにまで、嫌な視線を浴びせられリーシャは声を落とした。

 メルエは水を持っていた両手で耳を塞ぎ、眉を下げてリーシャを睨んでおり、『奴隷』であった少女が向ける眼差しではないが、それがこの少女の心の中でリーシャという存在が大きくなっている事を示していた。

 

「つまり、搾取はこの村からだけだったのだろうな」

 

「!! しかし、この村にはそんな資金が出るようには見えません」

 

 カミュの言葉にサラが反論を返す。寂れたとはいえ、本来の村の姿はアリアハンにあるレーベの村とそれほど大差がある訳ではないだろう。ならば、膨大な資金援助分の搾取など出来る訳がない。

 

「もちろん資金の全てがこの村から出たとは言わない。だが、ロマリアの武器屋に聞いたが、この村の特産は『鋼鉄』だそうだ。『鋼鉄』は鉄を練成した物。つまり、この村は周囲の山が鉱山なのだろう」

 

「……この山々は鉱山なのか……?」

 

 カミュの語る推測は、リーシャには驚きの内容であった。

 この村を取り囲む山々の全てが鉱山である事は想像も出来なかったのだ。それに合わせて、この辺境の場所にある<カザーブ>という名の村の特産を、何時の間にか情報として仕入れていたカミュに驚いていた。

 

「ああ、鉱山から取れる『鉄鉱石』を他国などに売却する事で国は資金を得る。ロマリア国に属する村の鉱山だ。国有化すれば、この村の男達を安い賃金で雇い、鉄鉱石を掘らせて生産量を上げれば良い」

 

「じゃあ、この村の人達は……」

 

 サラは一抹の望みを託し、カミュの答えを待った。ようやくカミュの言いたい事が見えて来たサラは、この<カザーブ>という名の村の実情を把握し始め、その先にある重い現実を予想してしまっていたのだ。

 

「……使い捨てだ……」

 

 サラの願いを無視するように、カミュから出た解答は『絶望』

 何の希望もない物であった。

 リーシャとサラが顔を伏せたところに、マスターが料理を運んで来る。

 肉と豆を炒めた物に、生野菜のサラダ。

 塩で味付けしただけのようなスープ。

 正直、ロマリア城下町で食べた食事に比べれば、貧相極まりない。

 それでも初めての食事らしい食事に、メルエは目を輝かせて顔を近付けていた。

 メルエにとって、カミュの話す内容には興味が湧かないらしい。彼女にとっては、カミュやリーシャ達と行動が出来るのならば、その他の事はどうでも良い事なのかもしれない。

 

「……メルエ、食べても良いぞ」

 

 カミュの許可が下り、嬉しそうに頷いたメルエは、フォークを鷲掴みにして皿に乗った豆を突き刺し始めた。

 メルエの必死な様子に沈みかけていた空気が再び和む。

 メルエの加入により、このパーティーの気分が深く沈みこむ事が少なくなっている事を感じ、リーシャはメルエの頭を撫でつけた。

 

「…………???…………」

 

「気にせずゆっくり食べろよ。誰もメルエの分を取り上げたりはしないから」

 

 不思議そうに見上げるメルエの頭を撫で続けながら、リーシャは柔らかな微笑みを浮かべる。サラはそんなリーシャの様子を複雑な思いで見てはいるが、内心はメルエに感謝していた。

 

「……国に献上する『鉄鉱石』の他の僅かに残った鉱石で、剣や鎧などを造って売り、山々にある薬草類で商売をしようとはしているだろうが、こんな辺鄙な村に人が来る事はまずない。自然と金の収入はなくなり、自給自足の生活になって行ったのだろう」

 

 メルエのおかげで和んだ空気を犯すような毒をカミュは続けて吐き出した。

 一息つけたリーシャとサラはカミュの言葉を再び聞く態勢を取る。それは、とても重い現実ではあるが、それを知らない事には何も始まらないのだ。

 

「ロマリア国は、この村を犠牲にする事で、対外的な視線の的である城下町の優雅さを守った事になる。犠牲にされた村は、朽ち果てないような最低限の場所で保たれているのだろう。村の住民が全て去れば、鉱山を掘る人間すらも失ってしまうからな」

 

「……」

 

 カミュが話す内容は、所詮全て推測の域を出ない物である。だが、ロマリア城下町を見た後にこの村を見れば、カミュの言葉の信憑性は何倍にも膨れ上がる。

 それは、疑う余地など残された物ではなく、リーシャとサラの心に『事実』として植えつけられた。

 

「…………カミュ………たべない…………?」

 

「ん?」

 

 暗く沈む雰囲気をただ一人理解できず、全員が食事に手をつけない事を不思議に思ったメルエが、フォークを口にしながら声をかけて来た。

 話が一段落ついたカミュがメルエに視線を向けると、メルエの皿の上の料理は半分以上無くなっている。

 

「…………カミュ………だめ…………?」

 

「ぶっ!?」

 

「あはははっ、カミュもメルエには片なしだな!あはははっ」

 

 不意に発したメルエの言葉にサラは盛大に吹き出し、リーシャは大笑いする。

 おそらくメルエは、昨晩カミュがメルエに言った事を言いたいのだろう。

 『空腹でもないのに、食事を頼んだのか?』と。

 そうなれば、カミュは魔物以下の存在となる。

 不思議そうに小首を傾げたメルエの姿に困惑した表情を向けるカミュの姿は、リーシャとサラの顔に笑みを戻した。

 

「カミュ、話は解った。それは今も続けられていると思うか?」

 

「……いや、おそらく今は、鉱山の採掘を国から派遣された人間が行っているのだろう。だからこそ、ここに男たちがいる。この村は収入源を国に奪われ、自給自足でしか生き残って往けない村になっているのだろう」

 

 メルエの言葉で一斉に食事を始めた一行ではあったが、リーシャが再び話を戻した事で、カミュがその手を止めて話し始めた。

 

「食事が終わり次第、武器屋へ向かう。俺の剣を新調しなければならないし、新しい防具があるかもしれない。それに、流石にメルエの服を何とかしてやらなければならないだろうからな」

 

 カミュの言う通り、メルエの服は奴隷として運ばれた時のままで、<布の服>一枚なのである。しかも、湯浴みもしていない事から、正直発している臭いも結構なものであった。

 カミュ達は気にはしていなかったが、やはり酒場のマスターや他の客からは、奇妙な者を見るような視線が注がれている。

 

「そ、そうですね……メルエの服は新調しましょう。女の子がいつまでもこのような格好では可哀そうです」

 

 このカミュの意見には一も二もなく、サラは賛同の意を表す。

 リーシャもまた頷く事で同意を示した。

 話題の人物であるメルエだけは、自分の名前が出て来る度に反応を示しながら、不思議そうに首を傾げている。

 

 

 

 食事を終え、カウンターのマスターの場所に行く間に、他の客の横を通った。

 その客は、若い男女であり、食事はすでに終え談笑を楽しんでいるところであった。

 

「だからね、その村はエルフを怒らせた為に、村中の住民が眠らされたわけ!!」

 

「そんな村が何処かにあるだなんて信じられないよ」

 

 何気ない会話ではあるが、『エルフ』という単語が、一行の耳には残った。

 『エルフ』という種族は、人々の間で魔物と同様に恐れられている。その魔力は魔物以上といわれ、寿命も人間よりも遥かに長い。ただ、繁殖能力は魔物よりも更に低く、その人口は人間の数%にもならない程の物であった。

 

「……エルフ……?」

 

 サラはその男女の会話に引っかかりを感じるが、カミュがカウンターへさっさと向かってしまい、慌ててその後を追う事にした。

 

「ご馳走さま。いくらだ?」

 

「ああ、ありがとうございました。5ゴールドで結構です」

 

 カウンター越しにグラスを磨いていたマスターが、カミュの問いかけに答える。その勘定を聞き、カミュは革袋からゴールドを取り出し、カウンターへと置いた。

 

「マスター、この辺りにカンダタ一味は出没するのか?」

 

「!! アンタ達、まさかロマリア王からカンダタ様の討伐を依頼されて、ここへ来たのか!?」

 

 カミュがゴールドを置きながら発した自然な問いかけに、マスターは過剰と言えるほどの反応を返して来る。

 その過剰なまでの反応を見たカミュは、全てを察したように、その答えを濁して行った。

 

「いや……」

 

「そうだ。カンダタ一味が盗みを働き続ける事で、国王様をはじめ、民が困り果てているという事だったからな」

 

 しかし、マスターの様子に疑問を感じ、否定の言葉を口にしようとしたカミュの横合いから、よせば良いものをリーシャが割って入って来た。

 カミュはリーシャの言葉に溜息を吐き出し、もう一度マスターの方へ視線を向ける。そこで、事の重大さに気付く事となる。

 

「くっ、ロマリア王の狗かよ! 食事なんか出すんじゃなかった。もう出て行ってくれ! そして、ここへ二度と来るな!!」

 

 視線を上げたカミュに向けられた罵声は、先程のカミュの話が唯の推測ではない事を如実に物語っていた。

 カミュは諦めたように息を吐き出し、リーシャは目を白黒させる。突如響き渡った怒鳴り声に、メルエはカミュのマントの中へと潜り込んでしまった。

 

「えっ!? ちょっ、ちょっと待って下さい」

 

「うるさい!! 早く出ていけ!」

 

 突如変貌したマスターの様子に、サラが慌てて抗議をしようとするが、全く取り合う気もない。まさか、村の一般人に手を上げる訳にも行かず、成す術もないままに店の外へと追い出されてしまった。

 

 

 

「な、なんだ!?わ、私が悪いとでも言うのか!?」

 

 店の戸が閉じられ、外に追い出されたカミュ達は未だに状況を掴みきれてはいなかった。

 カミュの溜息と同時に送られた呆れたような視線を受けたリーシャは、開き直りに近い反応を返す。

 

「……俺は、アンタにこの村の状況の予測を話した筈だ。もし、俺が話した事がこの村での事実であれば、この村の住人がロマリア国に良い感情を持っていない事ぐらい理解出来るだろう?」

 

「……」

 

 カミュの言葉は正論である。

 もし、先程のカミュの話の可能性を理解していれば、リーシャの話す言葉は出て来なかった筈だ。

 ましてや、『カンダタ』という名に、過剰な反応を示していたマスターを見た直後ならば尚更である。

 

「アンタは、本当に脳味噌まで筋肉なのか? 少しは考えてくれ。今後交渉や、情報収集の場では口を開かないと約束してもらえないか? アンタが口を開いて、碌な事になった試しがない」

 

「……ぐっ……」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュの言う通り、ここまでの旅でリーシャが相手の感情を逆立てた事は多い。それは、サラや張本人であるリーシャも十二分に理解している事だった。

 元々、一人で旅をするつもりであったカミュにとって、サラやリーシャの発言や行動に怒りを感じる事は多々あったのであろう。それでも、サラやリーシャのようにその怒りを表に出し、相手にぶつけるような事はしては来なかった。

 しかし、今回は、村の状況の予想を話した直後の出来事だっただけに、カミュの怒りが臨界点を超えてしまったのかもしれない。

 

「…………カミュ………おこる…………?」

 

 しかし、リーシャを糾弾するカミュのマントの裾を掴んでいたメルエが、カミュの顔を見上げて問いかける姿が、再び場の雰囲気を変えて行く。視線を落としたカミュの深い溜息が周囲に響いた。

 

「……怒ってはいない……」

 

「…………おこる………だめ…………」

 

 カミュの否定を信じていないのか、メルエがもう一度口を開いた。

 眉は垂れ下がり、自信なさ気に見上げるメルエの姿を見て、カミュはもう一度溜息を吐き出す。

 

「……怒るにも値しない……」

 

 カミュは、メルエの目を見ることもせずに答えると、そのまま武器屋へと足を向けた。

 メルエはカミュのマントの裾から手を離し、リーシャの前に立つ。何かを告げるように見上げるメルエの瞳は、どこか必死な想いが籠っていた。

 

「…………カミュ………おこる……ない……だいじょうぶ…………」

 

「……メルエ……」

 

 何かを訴えるように、優しく語るメルエの姿に、リーシャもサラも言葉が出て来なかった。

 もしかすると、メルエは『人』と『人』の争いを絶えず見て来ていたのかもしれない。

 故に、それを彷彿とさせるカミュとリーシャのやり取りは、その不安感を大きくする物であったのだろう。

 

「メルエ、私は大丈夫だ。ありがとう。さあ、カミュの所へ行こう」

 

「…………」

 

 リーシャがメルエの頭に手を乗せて微笑む。

 すると、今まで心配に歪んでいたメルエの表情が緩み、こくりと一つ頷くのだった。

 サラはそんなメルエの様子を見て、複雑な表情を見せる。それが、どんな感情なのかは、サラ本人にも理解出来なかった。

 

 

 

「いらっしゃい。何がご入用で?」

 

 リーシャ達が追いついたのは、カミュが武