僕の心が染まる時 (トマトしるこ)
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本編
001 悲劇と別れは音もなく訪れた



 どうも、おはこんにちばんは、トマトしるこです。

 今作品は、私があまり好ましくない「アンチ・ヘイト」タグを最初からつけるという暴挙に出ております。あ、ちゃんと全体の流れを整理したうえでつけています。勢いではありませんよ?

 タグを見ていただければおわかりだと思いますが、鬱な展開をプッシュしていきます。ベターな設定にありがちな筋書きだとは思いますが、どうぞ読み続けていただければ幸いです。

 ヒロイン(確定)の簪ちゃんとのちょっぴり甘いシーンを混ぜ込みつつ、主人公がどんどん闇堕ちしていく様を暖かい目で見守ってくださいな。

 それではどうぞ。開幕です。



「おはよう、名無水(ナナミ)君」

「……おはようございます」

 

 看護師さんに言われて目が覚めた。次に身体を起こそうとするけど……やっぱりできない。手元にあるボタンでベッドの上半分を上げる。最近のベッドはリクライニング機能がついているらしく、主に身体が不自由な人や高齢者が使用している。

 

 僕もその中の1人だ。生まれつき身体が弱く、1人では何もできない。身体を起こすことすらね。現代の医療技術でも直す事ができない不治の病を、僕は生まれたときから患っている。世界で最も医療の分野が発展している日本、アメリカ、ドイツも匙を投げた。

 

「はいこれ、今日の朝ごはん。何かあったら、いつも通りナースコールお願いね」

「はい」

 

 台の上に食事を置いて、看護師さんは病室を出て行った。

 

 正直、食べたくない。味はどうでもいいんだけど、疲れるんだよね。でも食べないと家族に迷惑をかけてしまう。これ以上余計な心配はかけたくないので、無理やりにでも食べるようにしている。

 

「頂きます」

 

 少しでも重たくないように、という病院の好意で、僕の食器はプラスチックでできている。ただのプラスチックじゃなくて特殊な素材と方法で作られた物で、かなり軽い。スプーンなんて紙みたいだ。それでいて、従来のものより強度があるんだから驚き。

 

 そんなハイスペックスプーンで無理矢理食事を流し込んだ。

 

 

 

 

 

 

「げほっ、げほっ……」

 

 姉さんが持ってきてくれた本を読んでいると、突然苦しくなった。別によくある事なので驚いたりしない。無理に咳を止めようとせずに、傍に置いていた洗面器を持ってきて、それに向かって咳をする。面倒だけどこうしないとベッドを汚してしまう。

 

「げふっ、かは、ごぼぉっ……」

 

 今みたいに吐血するからね。

 

 収まったらゆっくり水を飲んで、口をゆすぐ。それからタオルで拭って薬を飲んだ。最後にナースコールで看護師さんを呼んで、洗面器を変えてもらう。コレを放置するのは衛生的に良くないんだとか。

 

「大丈夫?」

「……はい。すみません、また……」

「いいっていいって」

 

 看護師さんも慣れたもので、病室に来る時はいつも新しい洗面器を持ってきてくれる。些細な気遣いはとても嬉しいんだけど、それだけ病院に馴染んでるって事実が辛い。

 

 

 

 

 

「はろー、元気にしてた?」

「姉さん……」

 

 姉さんが来てくれた。夕暮れ時だし、スーツだからきっと仕事帰りだ。

 

「ほら! 今日は銀の好きなカップケーキ買って来たぞー!」

「………」

「んー? どうした?」

「ありがとう、って言ったの」

「気にしない気にしない。銀の為だからね」

 

 備え付けのイスに座って、カップケーキを食べやすい大きさに切ってくれる。

 

(本当は、ゴメンナサイって言ったんだけどね……)

 

 自分で好きなことしたいはずなのに、もっと遊びたいはずなのに、大学に行きたかったはずなのに、僕のせいでゴメンナサイって。何回言ったかもう分からない。でも、何万回でも僕は謝りたい。高校で首席をとった姉さんならいい大学に行って、有名な企業に就職できたはずなのに、僕の入院費と医療費を稼ぐためにって高卒で仕事を始めたんだ。大好きな家族の将来を潰した。僕みたいな存在が。だから、何度でも謝るんだ。それを言うと絶対に怒るから言わないけど。

 

「おいしい?」

「……うん。おいしい」

「そっか」

 

 ただにっこりと笑って頭を撫でてくれた。それだけで、僕は十分嬉しかった。お菓子なんて買わなくてもいい、僕の事なんてどうでもいい、ただ幸せに暮らしてほしいだけなのに。

 

「こら」

「……痛い」

「余計なこと考えるから。バカなこと言わないで、食べて元気出しなさい!」

「……うん」

 

 考えていることがバレるのって、何か嫌だなぁ。

 

「あら、先に来てたの?」

「今日は早かったからね。ダメだった?」

「そんなことないわ」

 

 母さんだ。続いてぞろぞろと入ってきたのが父さんと妹、弟。毎日じゃないけど、こうして家族みんなでお見舞いに来てくれたりする。なんていうか、贅沢だなって思う。

 

「見て見て! 今日ね、学校でテストが返って来たの! ほら、満点!」

「俺も! 姉ちゃんは2つだけど、俺は4つだよ!」

「そっか、よく頑張ったね」

 

 テスト用紙をランドセルから出して、机に広げる妹と弟の頭を撫でてあげる。重たい右手を動かすのは辛いけど、我慢した。姉さんが僕にそうしてくれたように、僕もそうしようと思ってのことだ。こんな死んだような僕だけど、いいお兄ちゃんでありたい。

 

「身体の調子はどうだ?」

「いつも通り」

「無理だけはするんじゃないぞ。ほら、口開けろ。父さんが食べさせてやろう」

「姉さん。お茶とって」

「はい」

「ガン無視!? 母さん、銀が不良に……!」

「はいはい」

 

 いつまでも子離れしない父さんと、割と何でもできる母さんには感謝してもしきれない。お金もそうなんだけど、2人には僕を捨てることだってできたはずなんだ。迷惑がかかる、お金だってどれだけするのかわからない、そもそも治るのか? たくさん不安とかあったはずなのに、当たり前のようにまだ僕のことを見てくれる。僕が生きていられるのは、生きていようと思うのは両親が……家族がいてくれるからだ。

 

 生まれてきてゴメンナサイ、居てくれてアリガトウ。矛盾してるけど、本当にそう思っていた。

 

 思ってたんだ。まだ、この頃は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家族が、皆死んでしまった。

 

 警察の人が突然病室に来てそう言った。どこかへ出かけた時、台風によっておきた土砂崩れに巻き込まれたらしい。見つかったのは、台風が去った3日後。土砂に呑み込まれた車の中で、五人の遺体が見つかった。丁度、お見舞いに来なくなった日と合致。他にも死傷者が出ており、記録的な大災害だったらしい。

 

 それからはいろんな人たちが訪れた。主に親戚の人たちだったけど。どの人達も、軽く挨拶をしたら遺産がどうのこうのって話ばかりで、母さん達の死を嘆いた人はいなかった。

 

 世の中腐ってる。

 

 病室から出た事なんてないのに、本気でそう思った。

 

 嫌になった僕は、看護師さんに頼んで面会謝絶にしてもらった。友達なんていない、家族だって消えた、来るのはお金目当てのクズ共ばかり。面会なんてシステムは僕には必要ない。

 

 遺産問題は全部丸投げして、ただただ、ボーっとする日々が始まった。

 

 それが変わったのは、あの人が来た時だった。

 

「やあやあ始めまして」

「………どなたでしょうか。面会はお断りしてます」

「おお、まだ中二のくせにやたらと礼儀正しいじゃないか。驚きもしないし、冷静沈着と……おもしろいねぇ~」

「僕は面白くありません。出て行ってください」

「まーまーそう言わずにさ、ちょっとお話ししようよ」

 

 入ってきたのはコスプレみたいな恰好をした女性だった。姉さんと同じくらいの歳に見える。

 

「で、私が誰か分かるかな?」

「知りません」

「おや? テレビやネットは見ないのかい?」

「ここにそんなものがありますか?」

「じゃあ知らないんだね。私は篠ノ之束、IS開発者とは私の事さっ!」

「ISって何ですか?」

「そこからーー!?!?」

 

 娯楽関連のものは姉さんが持ってきてくれる本だけ。ここにはラジオすらない。興味が無いからっていうのもあるけど、外に憧れてしまうから敢えて置かないようにしていた。他の病室には普通に置いてある。

 

 そこでこの篠ノ之さんにISについて教えてもらった。

 

 インフィニット・ストラトス。イニシャルをくっつけてIS(アイエス)と呼ばれている。宇宙進出を目的としたマルチフォーム・スーツで、空を飛んだり数km先を見たりと人間単体ではできないことができるらしい。100を超える戦闘機と数十の戦艦をたった1機で無力化もしたそうだ。

 

 で、それを目の前の人が開発したと。

 

「それで、そのIS開発者が僕に何の用ですか?」

「どうやら君には適性があるみたいでね……頼みごとがあって来たのさ」

 

 ISは聞いただけでもとてもすごいものだと分かる。でも、欠点が1つ。女性にしか扱えない。篠ノ之さんがそう設定したのか、偶然なのか、それは分からないがここでは関係ない。

 

「僕が……女性にしか扱えないISを?」

「そそ。ちょーっと病院のPCにお邪魔して調べさせてもらったよん。プライバシーに関することは見てないから」

「………それで、頼みごとってなんですか?」

「うんうん、いいねぇ~」

「?」

「喚かず騒がず、現実を受け入れ、即座に対応する。もしもこんな身体じゃなかったら、君は私側の人間だっただろうね。いや、動けないだけであってこちら側なんだね」

「こちら側?」

「私みたいな天才だってことさ! さて、それは置いといて………頼みごとというのはちょっとしたお手伝いさんになってほしいのだ」

「お手伝いさん……というと、掃除をしたりとかですか?」

「それもあるけど――」

 

 そう言いながら篠ノ之さんは席を立って、くるくると回りながらベッドの左側に移動して、真っ白なブレスレットをポケットから出した。

 

「じゃじゃーーん! これを着けてもらいたいのだー!」

「……ブレスレット?」

「ISが普段はアクセサリーだってこと話したよね。これがその状態。でも、これはまだISとしては不完全なの。君にも分かりやすく言うなら雛が孵る前の卵。そう、これは『ISの卵』なんだ」

「ISは機械でしょう? 機械に卵って表現はおかしくないですか?」

「これには深ぁいワケがあるの。ISの動力源であり核である部分――そのままコアって言うんだけどね、このコアには意志がある。私達人間みたいにね。でも、そのブレスレットのISにはまだ意志が生まれてない状態なんだ」

「『ISの卵』は、普通のコアが持つ意志がない。だから、孵るまで――意志を持つまで面倒を見ろ、と」

「そそそそ、話が早くて助かるなー。おっと、因みに君は断ることはできない……いや、断れないよ」

 

 お断りします、そう言おうとした時、先に言われてしまった。断れないってどういう事だろう?

 

「メリットが無いじゃないですか」

「ある。ISには操縦者を守る盾、“絶対防御”が存在する。それとは別でシールドエネルギーっていうのもあったりしてね、要するに、ISは操縦者を保護する機能が幾つかあるんだよ。その中に、ほんの一握りのISにしか積まれていない機能、“生体再生機構”っていうのがあるんだよねー」

「“生体再生機構”?」

「読んで字のごとく、搭乗者の身体を最善の状態まで高速再生するのさ。余程の大怪我をしたときとかに発動するの。コレをちょちょーっと弄れば、装着している間は常時発動にできるんだよ。君の場合は生まれた時からって聞いてるから、どこまで回復させられるか分からないけど、少なくとも寝たきりの生活とはオサラバ、ようこそ外の世界へ、ってね」

 

 話を纏めよう。

 ISには搭乗者を保護する機能が幾つかある。そのなかでも、限られたISにしかない“生体再生機構”というのが、篠ノ之さんが持っているブレスレット型のISにある。それを少し改良すれば、1人で起き上がることすらできなかった僕でも外を出歩くことができるようになる。それだけの力が、あのブレスレットにはある。

 

「………それ、本当なんですか?」

「ホントホント。本気とかいてマジと読む。最近の言葉で言うならガチってやつ。勿論、私のお手伝いをすること、『ISの卵』が孵化するまで面倒を見ることが条件」

 

 外に、出ることができる。その言葉だけで十分だった。

 

「分かりました。やらせてください」

「いい返事だね」

「ただ、1つだけ。我儘を言ってもいいですか?」

「聞くだけ聞いてみようじゃないか」

 

「家族が住んでいた家が、見たいです」

 

 

 

 

 

 

「ここが……」

「そ。君の家。と言っても、来たのは初めてだろうけどね」

 

 翌日、看護師さんに黙ってこっそり抜け出して束さんに家まで案内してもらった。車椅子を使おうと思ったんだけど、「それじゃ家の中回れないじゃん」って言われて、代わりにISを貸してくれた。僕にはよくわからないけど、PICっていう浮くためのシステムしか入っていない、太ももまである大きな足みたいなやつだ。歩けないので浮いて移動する。

 

 門を開けて、玄関を開けた。鍵はいつでも帰って来れるようにって、姉さんが合いカギを作ってくれていた。

 

「ただいま」

 

 靴箱の上には小物と写真が、壁にはカレンダーと姿見。多分、どこの家庭も変わらないような、一般的な玄関だ。

 ふわふわと浮いて、近くのドアを開ければそこはリビング。大きな6人用(・・・)のソファに、大きなダイニングテーブルと6つのイス(・・・・・)。食器棚には1人1人の名前が書かれたコップが6つ(・・)

 

「家には5人しかいないのにね……」

「そう、ですね……」

 

 ぐるりと回って、リビングを出て1階を回る。お風呂場、手洗い場、トイレ、書斎、庭。階段を上がると、廊下があり、部屋が幾つかある。ネームプレートがかかっているので、多分個人の部屋だ。

 

 手前のドアを開ける。両親の部屋だ。大きな本棚にはびっしりと学術書が並んでいて、デスクにはPC。大きなダブルベッド。クローゼットに三面鏡付きの化粧台。とても落ち着いた雰囲気を感じる。

 

 隣の部屋に移る。姉さんの部屋だ。大雑把な人だったから結構散らかっていた。服とか、下着とか、会社の書類とか、あと、医学書。ジャンルはバラバラだけど、どれもヨレヨレになるまで読み込まれた形跡があった。

 

 向かいの部屋に入った。妹と弟の共同部屋のようだ。小学校低学年らしく、玩具やゲーム、絵本に漫画で散らかっている。他にも戦隊ヒーローのフィギュアとか、アニメの人形とか、動物のぬいぐるみとか。僕とは対照的に元気いっぱいだってことがよくわかる。

 

 隣の部屋は空き部屋だった。プレートには『みらいのわたしのおへや(かり)』。妹の字だった。

 

 そして、その向かいの部屋、姉さんの部屋の隣。プレートには『銀の部屋っ♪』と書かれた姉さんの字と、妹と弟のぐちゃっとした絵、父さんが好きな釣り道具の絵と魚、母さんが趣味で育てているアネモネとバラの写真。どの部屋よりも大きくて、綺麗なプレートだ。

 

 ドアを開けると、中には物があまり置かれていなかった。空の本棚、新品同様のデスク、最新型のノートPC、母さんとおそろいの姿見、シワ一つないベッド。押し入れの中には布団が1つ。

 

 何を買ってもいいように、好きなように部屋をアレンジできるように、やりたいことがやれるように、友達を呼んでお泊まりできるように………生活感は全くないし味気ないけど、部屋にはそれだけのものが揃っていた。

 

 全部僕の為に。いつ退院してもいいように。いつ家に帰ってきてもいいように。

 

 ゆっくりと部屋に入って、1つ1つ触れていく。どれも指紋も埃もついてない、新品だった。イスに座って、押し入れ開けて、ベッドに横になって、ベランダにでて外の風景を眺めて、もし自分がここに住んでいたらを想像してみる。

 

 自分で起きれるのに、毎朝姉さんが起こしに来て、下に降りるついでに妹と弟を起こして、6人そろって頂きますって言って、テレビ見ながら仲良くおしゃべりして、学校に行って、友達作ってバカやって、誰かを好きになって、放課後は店に寄ったりして、帰ったら母さんと一緒に夕食作って、皆で集まってゲームして、宿題やってぐっすり寝る。

 

 そんな、当たり前の日々を、普通すぎて幸せな日々を僕も送っていたかもしれない。

 

 所詮は妄想、ただの幻想だけど。

 

「……………」

「いいお家だね」

「……そうですね」

「ところで、机の上に置いてあるのは君宛じゃないかな?」

 

 篠ノ之さんが指さす先には、大きな箱が1つ。綺麗に包装されて置かれていた。最後に開けようと思っていた物だ。ただの家具ならさわろうとは思わなかったけど、『銀へ』ってカードがあるから僕宛の何かだろう。

 

 破らないように綺麗に包装を解いて、ふたを開けると手紙が入っていた。一番上に置かれていた手紙を開いて読んでみる。

 

『コレを読んでいるって事は、銀が見事退院したってことね。家族みんな、とっても嬉しいわ。おめでとう、銀。部屋は気に言ってくれたかな? とりあえず必要になりそうな物は揃えておいたから、あとは自分好みに部屋作りしていってね。コレ、まず銀がしなきゃいけない事。あと、退院祝いとこれからの新生活を頑張る君へのプレゼントを、この手紙が入っている箱に入れてるから、ちゃんと受け取ってね。手紙も読むこと。きっと気にいってくれると思うわ。最後にもう一度、退院おめでとう、銀     母さん』

 

「……………」

 

 手紙を出して、かぶせてある紙をどけると、中には5つのものが入っていた。

 

 手縫いのウサギとブタが合体したようなぬいぐるみを取り出す。ぬいぐるみが着ていた服には手紙が入っていた。

 

『お兄ちゃんたいいんおめでとうっ! お母さんがね、お兄ちゃんのためにプレゼントをよういしてあげてって言ってたから、お母さんにおしえてもらいながらぬいぐるみを作ってみたよ! なづけて“ブタウサギ”! そのまんまだね! どう? かわいいでしょ! だいじにしてね!』

 

「……………うぅ……」

 

 よく病院で話していた戦隊ヒーローのフィギュアと手紙を出す。ヒーローは手に指輪を握っていた。

 

『兄ちゃんたんじょうび……じゃなくてたいいんおめでとう! プレゼントはオレと兄ちゃんが大好きなヒーローだ! どうだ、うれしくて声がでないだろ! それだけじゃないぜ、父さんにおしえてもらいながらゆびわ作ったんだ。木でもプラスチックでもないぞ。ちゃんとこーきゅーてんが使ってるようなそざいなんだ! デザインもオレがかんがえたかんぜんオリジナル! 姉ちゃんには負けないぜ!』

 

「……………あ、ああ……」

 

 透明なガラスケースを箱から出す。中には綺麗なガラス細工の花が咲いていた。上に乗せられていた手紙を開く。

 

『退院おめでとう、銀。父さんが手先が器用なのは知っているだろ? 俺が初めて手を出した工芸品がそのガラス細工なんだ。今じゃ色々とやってるけど、ガラス細工ほど上手に出来たヤツは無かったな。母さんにプロポーズした時も、指輪と一緒に送ったっけ。そんな原点に立ち返った渾身の一作だ。ガラスってのは脆いもんだ。床に落とせばすぐに割れる。誰もが思う以上に、ガラスって素材は儚いと俺は思っている。だから、俺は『銀』という名前をお前につけた。壊れない、砕けない、強い男に育ってほしくてな。そして願った通り、身体は弱くても、心は強く育ってくれた。父さんは嬉しいぞ! この調子で身体を鍛えて、本当に強い子に育ってくれたらもう文句は無い。自慢の息子の、今後に期待だな』

 

「……………うああっ……ああっ……」

 

 赤い手編みのマフラーを広げる。ぱさりと落ちた手紙を拾った。

 

『退院おめでとう、銀。母さんは手編みのマフラーにしました。まだ結婚する前、お父さんにプレゼントしようと思って頑張ってたんだけど、上手くいかなくて……しかもばれちゃったことがあったの。結局、一緒に編んだわ。結構大きめに作ったから、好きな子ができたら2人で一緒に使ってみてね。手袋は手をつなぐからいらないわよね♪ で、真面目な話なんだけど、お母さんね、悪いけど治るの殆ど諦めてたわ。世界でトップクラスのお医者さんでも治せない未知の病気が本当に治るの? って。でも、すぐに考えるの止めた。私が信じないで、誰が信じるの? 諦めたら本当に治らないままじゃない! ってね。神様なんて信じない、信じるのは私とあなた。必ず治りますようにって。どれだけそれが不可能なことでも関係無い、世の中絶対は存在しないの。いい? どんなに辛いことがあってもあきらめちゃダメ! 粘って粘って粘りなさい! 医者をうならせた病気を克服したあなたならできるわ。あ、それと1つ。いいお嫁さん見つけなさいよ。孫の顔を見せてね♪』

 

「うっく、ああっッ………」

 

 最後の1つ。綺麗な綺麗な、蒼い簪と雪模様の髪飾り。そして、手紙。

 

『退院おめでとう、銀。なんで簪!? って思ったでしょ? 銀はねー、女の子みたいな顔してるから、絶対女装が似合うわ! お姉ちゃんの服貸してあげるから、退院した次の日はファッションショーやるわよー! ………胸? うっさい! ま、冗談はこれくらいにして。必ず帰ってくるって信じてた。これからはずーーっと一緒だね! まずはそうだな……近所を案内してあげよう。お隣の佐東さんとむちゃくちゃ仲いいから、顔覚えるように! 慣れてきたらどんどん遠くまで行って、商店街とか、姉さんが通ってた学校とか、お気に入りの絶景スポットとか、ご飯がおいしいお店とか、仕事先とか。あ、銀が大好きなカップケーキを売ってるお店もね。とにかく、どんなことでもいいから、一緒にしようね。銀はね、姉さんにとって初めての姉弟だから特別なんだ。でも、一度も家に帰ってきたことない、ただいまを聞けない、いってらっしゃいが言えない。こんなことってあるの? すごく恨んだ。色んなことをね。酷い時は、お母さんにめちゃくちゃ言ったこともあったよ。どうしてあんな体で産んだの!? ってね。今はそんなこと思ってないよ。現実受け止めて、やれること、ちゃんと見つめてるから安心して。もちろんやりたいことだってやってるよ。アンタ、あたしが大学に行かずに就職したことを自分のせいって思ってるみたいだけど、それ間違いだから。あたしは目標があったから、今の道を選んだの。知りたい? しょーがないなぁ、教えてあげよう! それはね、医大に行って世界一の医者になること! そんで、絶対に銀の病気を治す事! …………笑ったでしょ。いたって大真面目なんだからね! 就職したのは、お金稼ぐため。家にはそんな余裕ないし、あの時そんなこと言ったら反対されただろうから。学校でもたくさん言われたよ。先生はどうして自分の可能性を潰すような真似をするんだって、同級生からはもったいないよって、一流の所に進学したほうが銀も喜ぶよってね。するだけ無駄なんて事を言ったバカは鉄拳制裁してやったわ。言ったでしょ、真面目だって。コレを読んでる時に私が医者だろうとなかろうと関係無いの。早く治るに越したことは無いからね。できるなら、私が治してあげたいって気持ちはあるんだけど。良かったわね、あなたのお姉ちゃんは世界一の医者なのよ。ノーベル賞なんてザラね……きっと。まぁ、そういうこと。あたしとしては、銀が元気で幸せに暮らしてくれるのが一番うれしいの。それだけ。姉バカ? ブラコン? そんなの褒め言葉ね。私は、弟の名無水銀がだーーーーーーーい好きっ!!』

 

「うあああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 我慢できなかった。思い出の中にって、それだけのはずだったのに、泣かないはずだったのに。

 

 家に帰ったことは無かったけど、部屋で過ごしたことは無かったけど、家族一緒にご飯を食べたことも無かったけど、僕は確かに、ココで一緒に暮らしてたんだ。

 

 僕は、ここに、いたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません。お見苦しいところを……」

「ううっ、とっても良い家族だったねぇ……ぐすん。束さんもらい泣き」

 

 いっぱい泣いた後、もう一度ゆっくりと家の中を回った。どこに行っても6人分用意されていて、何度も泣いてしまった。

 

「最後に、良いですか?」

「うん?」

「家を、燃やしてください」

「………いいのかな?」

「ここに、他の誰にも住んでほしくありませんから。それに、きっと姉さん達の葬儀にも顔を出せないままでしたから。それなら、代わりに……」

「そっか」

 

 どこからともなく、篠ノ之さんはポリタンクとマッチを取り出した。無言で受け取って、それを家の周りにばら撒く。本当なら中にも撒いた方が良いのかもしれないけど、こんなもので汚したくは無かったから止めておいた。

 

 火のついたマッチを放り投げる。ガソリンの上を火が走って行き、家に燃え移り、焦げ臭いにおいと焼けるような熱さに襲われる。

 

「持ち出したの、それだけでよかったの?」

「ええ。いいんです」

「そか」

 

 手に持っているのは、プレゼントと手紙のはいった箱。包装紙も綺麗に畳んで入れている。他にも色んなものを持ち出したかった。お墓の前で、本当に姉さんの服で女装しようかとも思った。でも、この家のままでいてほしかったから、気持ちを抑えた。その分、今まで生きてきた思い出とプレゼントをいっぱい大切にしよう。

 

「行きましょう」

「ん。じゃあ、これからよろしく。名無水銀(ナナミハガネ)クン」

「こちらこそ。篠ノ之束さん」

 

 燃える我が家を後にした。泣かない。だって、もう枯れてしまったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『昨日午後6時ごろ、○○県□□市△△町で火事が発生しました。名無水さんのお宅が全焼。幸いなことに、近隣の民家に燃え移ることはありませんでした。警察の調べに寄りますと、火元は玄関と家全体を囲むようにして撒かれたガソリンが原因だそうです。名無水さんは、先日の台風による土砂降りで亡くなられており、現在は無人の状態であることから、警察は放火されたとみて捜査を進めています。次のニュースです――』

 

 

 





IS要素が無いなぁと思いましたので、二話続けて投稿しております。



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002 時は巡り、幕が上がる。


鬱展開になってます?



 

「今日からよろしくお願いします」

「そんなにかしこまらなくてもいいよー」

 

 あの後、僕は束さんのラボ“吾輩は猫である(名前はまだない)”に招かれた。家を失い、家族を失った僕の居場所はどこにもなく、必然的にお手伝いをする束さんの住居を借りることになる。挨拶は当然だと言えた。

 

「さて、まずはここに座ってちょ。先に話しておくことがあるから、聞きたいことだってあるでしょ?」

「はい」

 

 細かな部品で散らかっている部屋をかき分けながら進む束さんにふわふわとついて行く。足はまだ筋力が足りないし、歩く練習もしていないので当分はこのISを借りることになりそうだ。ちなみにこれ、本当に浮くだけである。飛べないし走れない。まぁ、僕には十分なんだけど。

 

 ルンバみたいなロボットがお茶を持ってきてくれたので、ありがたく頂く。うん、苦い。甘いお茶って無いのかな?

 

「そんなことを考える君はまさにこちら側だと言えるね。さて、まずはお手伝いの内容を教えておこうか」

「このブレスレット『ISの卵』を孵化させること、ですよね。あとは困った時のお助け要員とか」

「そうそう。どうやって孵化させるのか、それについて教えておこうか」

 

 取り出したのは紙芝居。絵が壊滅的だけど分からないレベルじゃない。きっと興味が無いだけだと思う。設計図とかデッサンは得意そう。

 

 一枚目は鶏だった。

 

「一般的に言う“卵”ってどんな意味かな?」

「えっと……鳥とか爬虫類の子供が生まれる前の状態とか? あとは食べ物とか」

「世間を知らない君にしては合格ゴウカク、間違いじゃないよ。難しく言うなら、殻の堅い受精卵かな? どうでもいいや、ここで言う卵は前者の方だってことは分かってね」

「はい」

「生まれるためにはどうするのかな?」

「えっと……人肌ぐらいの温度で冷えないようにして、割れないように孵るのを待つ?」

「それは鳥の卵の場合だね。まぁ私も詳しくは無いんだけど!」

 

 一枚目をポイと捨てて、二枚目が現れる。今度は卵だ。因みに鳥。

 

「『ISの卵』の場合は、常に装着すること。これは絶対条件。お風呂の時でも、手術の時でも外しちゃダメ。何か言われたら小型の生命維持装置ですって言えば大丈夫だから」

「外しませんよ。歩くためですから」

「まあそうだね。身体をいい状態まで持って行く、尚且つ卵の孵化の為。一石二鳥とはこの事だね! ……あれ、縁起わるい?」

「さぁ?」

 

 束さんが二枚目を裏から弄っていると、絵の卵にヒビが入り始めた。芸が細かい。

 

「次に孵す方法だけど、これはキミの感情をエサにするのだ」

「感情? というと僕は感情が希薄になっていくんですか?」

「人間もそうだけど、人格を作るのは自分じゃなくて他人さ。周りとの違いが人格を作りだす。『ISの卵』の場合は、主に装着者のキミの感情や思考、参考程度に周りの人物を元にしてコア人格を作り上げていくってわけ。エサって言葉通りに捉えなくてもいいよ」

「僕が感じたことや思ったこと等がそのまま『卵』の経験値になる、と」

「おうおう、わかってるじゃねぇか兄ちゃんよー」

 

 いきなり絵の中の卵がパカッと割れた。中から出てきたのはヒヨコ……じゃなくてISだった。鶏からISって……。

 

「いつ孵るのかだけど、こればっかりは流石の束さんもわかんないなぁ。全てはキミ次第ってこと。どれだけのことを感じて、思って、学んで、『卵』に蓄積されるかによる。だから、色んな事に興味を持ってたっくさん悩むのだ! どうせ、キミからすれば何もかもがエキサイティングだろうけどね」

「………はい」

「怖い?」

「………正直言うと、かなり」

「ふーん」

「えぇー…………」

 

 自分から振っておいてそれですか。そこは励ますところですよ!

 

「とりあえず、冬までは基本的な知識を身につけてもらおうかな。どこに行っても恥ずかしくない程度、今まで病室から出たことないんです程度の中間ぐらい」

「それ今のままでいいんじゃ……」

「そうかな? ……それじゃあ、家事を覚えてもらおうかな! はい、お掃除お料理お洗濯、頑張ってー!」

 

 エコーを響かせながら束さんは奥の方へ去って行った。

 

 ……………掃除しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕が拾われてから二ヶ月ぐらい経った。

 

 ここの生活や、雑用にも慣れてきた。まだまだISは必要だけど、出来ることは昔に比べて格段に増えたはず。散らかした物をどこへ収納するのか、束さんはどんな料理が好きなのか、女性下着への耐性等々、昔では考えられないほど動いている。余裕が出来てきたので、歩けるようになる為の筋力トレーニングや、ISの勉強、美味しい料理の作り方とか、自分の時間を上手く使えるようになってきた。ただいまのマイブームはお菓子作り。

 

「ぬあーーっ!」

「うわぁっ!」

 

 ドカーンという音を立てながら束さんが奥の部屋……研究室から出てきた。

 

「ど、どうしたんですか?」

「話しかけないで。苛立ってるから」

「す、すいません」

 

 珍しく怒っていた。たとえ研究が行き詰っても、友達からアイアンクローをされても怒ることは無い。ということは……

 

「また?」

「はい、またです」

 

 僕は一緒に出てきた女の子に聞いてみた。

 

 束さんがくーちゃんと呼ぶ少女。クロエ・クロニクル。謎が多い子で、僕がお世話になる前からずっと束さんと一緒らしい。人見知りが激しいところがあったので、最近ようやく仲良くなってきた。僕もくーちゃんと呼んでいる。

 

 また、というのは束さんが嫌っていることの事だ。口にすると更に怒ってしまうので具体的には言わない。

 

 束さんはISをとても大事にしている。今では軍事目的価値を見出されて兵器扱いされているが、それでも我が子のように思っている。だからこそ研究には熱が入って部屋から出てこないことはザラだし、宇宙進出の為の計画を練っている。

 

 そんな束さんを怒らせる出来事。それは、ISを用いた非人道的実験のことだ。

 

 女性にしか扱えないが為に、世の男性の地位は地に落ちた。女性保護法なんてものまで出来あがっており、すれ違った男性に片づけをさせたり、驕らせたりする人がいるらしい。アホか、と思うが至って真面目、実際に起きている。

 

 地位挽回を計った一部の男性が目指すもの、それは“男でもISが使えるようになる”だ。従来の兵器ではISを倒すことは不可能。でも男性では扱えない。なら男でも使えるようにすればいいじゃない! 無いなら作っちゃえの発想である。

 

 勿論普通にさわっても、手足を装甲に通してもウンともスンとも言わない。そこで行われたのが人体実験の数々だ。染色体をいじくり回したり、去勢したり、ホルモンバランスを崩したり、薬品投与だったり、ISに女性だと誤認識させる方向で進んでいる。上手くいくかどうかは知らないが、今の所成功者はゼロ。つまり、被験者はただの犠牲者に成り、それは日に日に増えて行くばかり。束さんはISを穢されたと怒鳴り散らしていた。そんな研究者達はもうこの世にはいない。

 

 今日もそんな組織を見つけたんだろう。

 

「どうしようか?」

「束様の好きな料理を作りましょう」

「それが妥当だよね……」

 

 沈める方法はただ1つ。待つだけ。少しでも怒りを和らげるため、静めるために出来ることは殆どないのだ。

 

「じゃあ…………………………はいこれ、書いてあるのを買ってきてくれないかな?」

「かしこまりました。あとでケーキを焼いてくださいね」

「材料を買ってきたらね」

「お金を多めに持って行くことにしましょう」

 

 束さんが好きな料理の材料をメモに書いてくーちゃんに渡す。僕はまだ自力で歩けないからラボの外に出られないので、代わりにくーちゃんに必要なものを買ってきてもらっている。銀髪にオッドアイという目立つ格好ではなく、ウィッグとカラコンをつけてだが。好物を作ってもらえると知ったくーちゃんはルンルン顔で外に出た。

 

 家事系統は僕が、束さんのケアとサポート、買い物はくーちゃんが。“吾輩は猫である”の役割分担はきっちりとしている。

 

 今日も平常運転だ。

 

 

 

 

 

 

 日が落ちた夜。すっかり通常モードに戻った束さんは元気に焼き魚をつついていた。

 

「んーっ! 美味しーーー! はっくんはホントにお料理上手だね。いいお嫁さんになれるよっ!」

「ありがとうございます。あとお嫁さんにはなれません」

「いっつあじょーく、だってだってなんだもーん♪」

 

 酔っていませんか? いいえ、ハイテンションなだけなんです。

 

「束さんは和食がホントに好きですよね。てっきり洋食好きかと前は思ってました」

「嫌いじゃないしふつーに好きだよ、洋食。ウチは実家が剣術道場でね、家も歴史もそれなりにあるとこでさー、日本文化を大事にしてたんだ。それの影響かな? 箒ちゃんが和食大好きだったこともあるだろうけど。というかそれしかないねっ!」

「妹さん、お元気ですか?」

「どうだろ? 会ってないからわかんなーい」

「家族は大事にしなきゃだめですよ」

「分かってる」

 

 そこだけ真剣に答える束さんであった。僕という例がある以上、家族の大切さはよく分かっていると思う。束さんは身近な人しか興味が無いけど、いつかはそうじゃなくて沢山の人と関わりを持ってほしいと僕は思ってる。こんなにもいい人なんだから、もっと知ってもらいたい。

 

「それはそうとはっくん。『卵』の調子はどうだい?」

「貰った時よりは情報を蓄えてるみたいです。でも、予想値の1%も溜まってはいませんね」

「やっぱり、ここのような閉鎖的な場所ではあまり期待できないのでしょうか?」

「仕方ないと言えば仕方ないね。場所や人、はっくんがしていることが違うだけで、病室と大差がないもん。やっぱり、色んな人との交流や刺激的な体験が必要かな」

「それをする以前に、僕の身体に問題がありますからね……」

「まずは銀さんの身体を鍛えてからにしましょう。外にすら出られないのは、『卵』の有無に関わらず精神的にもよろしくないでしょうから」

「うんうん。いやぁー、くーちゃんはいい子に育ってくれたねぇ。束さん感動♪」

「きゅー」

 

 喜んだ束さんが、くーちゃんの身体を抱きしめてぐりぐり撫でまわしている。くーちゃんは迷惑だけど嫌じゃないらしく、とりあえず無表情でよろこんでますアピールをしていた。見た目からして小動物だよね。

 

「んー? もしかしてはっくんもナデナデしてほしいのかな?」

「うえ?」

 

 束さんがナデナデ。想像しただけで顔が真っ赤になりそうだ。鼻血出るかも。

 

 結構……どころかかなりの美人だし、童顔だから可愛いし、出てるところは凄い出てるし、引き締まってる。世界でもこんなに綺麗な人はそうそういない。そんな人が密着してきたらと思うと……

 

「うりうり~」

 

 そうそう、多分こんな感じで……って!

 

「や、止めてくださいって! 食事中ですよ!」

「おや、恥ずかしいのかな? じゃあもっとしてあげよう! むぎゅー」

「うひゃっ!」

「あははははーー! うひゃっ、だってさー! はっくん可愛いねぇ~」

「あわわわわわわわ」

 

 やわらかい塊が、甘い香りが、吐息がっ!

 

「はっくん、感想をどうぞ」

「や、やわらかい、です……」

「うんうん、正直な子は大好きだよ。お礼にもっとしてあげよう!」

「~~~~~!?」

 

 この日、僕は次の日起きるまでショートしていた。

 

 ………柔らかかったなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋。大分肌寒くなってきた。

 

 もうISが無くても歩けるようになった。最初は生まれた小鹿のように立つこともできなかったけど、練習の成果がはっきりとでたようで、今ではしっかりと歩ける。走ることはまだ無理なので、次は走れるようになることを目指して筋トレを続けている。

 

 そして家事スキルは更にアップ。近所の専業主婦にだって負けはしない。きっといいおばちゃん話ができることだろう。「換気扇の汚れが最近酷くって……」「家もなんですよ~」。………嬉しいんだけど嫌だなぁ、それ。

 

 コンコン。

 

「!?」

 

 棚を拭く手を止めて、玄関を見る。今、誰かがノックをした。

 

 このラボは移動できるようになっていて、どこか一定の場所にとどまることはあまりない。短くて1日、長くて1週間だ。束さんが現在のISコア数467以上を生産することを拒否しているため、絶賛全国指名手配中である。実はこの“吾輩は猫である”、各地に別荘を持たずに逃げられる万能住居だったのだ! 合体や変形はしない。多分。

 

 そんな背景もあるので訪れる人は1人も居ない。玄関を開けるのは僕とくーちゃんが殆どで、束さんはあまり出ない。そのくーちゃんは今は部屋だし、僕はこうして掃除をしている。束さんは引きこもっているので、必然的に外から誰かが来たのだ。

 

 僕自身に戦う力は無い。一応、前に使っていたISを借りたままで、展開すれば一般人よりはまともに動けるが、期待はしていない。できるのは精々束さんとくーちゃんが逃げる時間を稼ぐ程度だ。いつでも大声で2人に気付いてもらえる準備をして、ゆっくりとドアを開けた。

 

 そこにいたのは、スーツを着た女性。一言で言うならクールビューティー。纏う雰囲気は鞘に収まった日本刀。

 

「………どなたでしょうか?」

「織斑千冬という。篠ノ之束の友人で、今日は束に呼ばれて来たのだが――」

「ちーーーちゃーーーーーーん!! へぶっ」

「うるさい」

「うわぁ……」

 

 飛び出してきた束さんは見事にアイアンクローのカウンターをくらって沈黙していた。

 

 織斑千冬。ISにおける世界大会“モンド・グロッソ”の初代総合優勝者。つまり世界最強の称号を持つ“ブリュンヒルデ”その人だった。

 

 

 

 

 

 

「どうぞ」

「ありがとう。………うん、美味い」

「ありがとうございます。束さんは何にします?」

「ちーちゃんと同じの!」

「はい」

 

 同じの……つまりコーヒーをカップに注いで、束さんの前に置く。自分の分も用意して、束さんの隣に座った。

 

「はっくんに紹介するね、ちーちゃんは束さんのお友達なのだー!」

「名無水銀です。さっき聞きましたよ。世界最強の方とお友達ってすごいですね」

「違う違う、束さんのお友達だから、世界最強なのさ。いやね、ちーちゃんがモンド・グロッソで優勝したのは間違いなく実力だよ。でも束さんが言いたいのは……」

「ああ、分かりますよ。なんとなく」

「そういうところが大好き! やっぱりはっくんはそこらの凡人とは大違いだね」

 

 腕を組んで何度も頷く束さん。僕がどう凡人と違うのか、何度も疑問に思ったが教えてくれないので諦めている。きっと独自の考えがあるんだろう。

 

「驚いたな。束が他人に興味を示すとは……」

「どういうことなんですか?」

「そいつは自分の妹と私と私の弟以外はどうでもいいと思うようなヤツでな。無視なんて当たり前、口を開けば毒舌が飛んでいた」

「そうなんですか?」

「そーなんです! だって、相手にする価値が無いじゃん」

 

 ぶいぶいーとか言いながら物騒なことを言う束さんからはとても想像できない。僕にとっては第2の家族で、姉のような人だから考えたくないだけかもしれないけど。

 

「知り合うまでの話を聞いてもいいか? 少し興味が湧いてきた」

「むむっ! いくらちーちゃんでもはっくんはあげないからね! もっと家庭的な女の子じゃないと婿にあげないぞ!」

「すっかりお姉さんだな、その調子で妹にも優しくしてやれ。それで、どうだ?」

 

 躊躇ってしまう。僕にとっても、織斑さんにとっても良い話じゃないだろうから。でも、あんなにワクワクした表情をみると言えませんとか言えないなぁ……。

 

「えっと……僕は生まれつき身体が弱くて、全く動けなかったんです。束さんが偶然病室に訪ねてきて、研究や生活の手伝いをする代わりに、こうして面倒を見てもらっています」

 

 だから誤魔化すことにした。間違いじゃない、でも正解かと言われるとそうでもない。そんな曖昧な答えを返した。きっと束さんのお友達なら察してくれる、はず。

 

「そうか」

 

 にっこりと笑って、それ以上深く聞かれることは無かった。多分、分かってもらえたって事だと思う。

 

「名無水」

「はい?」

「綺麗な簪と髪飾りだな、よく似合っているぞ。右手の指輪もな」

「………ありがとうございます」

 

 男が女性の物を身につけている、これほど気持ち悪いことは無い。それが世の中の考えのようで、ISによって築かれた女尊男卑の風潮は、文字通り男性にとって非常に厳しい。軽く外に出たり、くーちゃんと買い物に行ったりする時、必ず1回は何か言われる。その殆どが「気持ち悪い」「何様のつもり?」「変態」等々、とにかくけなされる。

 

 だから、善意100%の織斑さんの言葉はとても嬉しくて心に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬。

 

 ただいまの季節、2月を世間では受験シーズンというらしい。各々の進路に向かってひたすら机とノートと参考書とにらめっこをしてきた学生たちの本番が行われる。センター試験は既に終わっているので、残るは私立と公立、国公立。今日もどこかで入試が行われていることだろう。

 

 そんな日でもここは変わらない。義務教育を無視してここで生活している僕には関係のない話だ。そう言えば中学校とかどうなってるんだろう。僕って失踪したことになってるって聞いたけど。くーちゃんも学校行ってないよね。というか束さんと一緒に居る時点で学校行くとか不可能か。

 

「束さん」

「なーにー?」

「晩御飯何がいいですか?」

「うーーん………赤飯に合うのがいいね!」

「何か珍しいことでも? くーちゃんにもアレがきました?」

「くーちゃんならとっくにアレ来てるよ。そうじゃなくて、めでたい日なのさ」

「それちゃんと言ってくださいよ! まったく……。それで、何の日ですか?」

「テレビつけてー」

「?」

 

 わけがわからないが、とりあえずテレビをつける。今は日本に居るので、普通に日本のテレビ番組が映し出された。どうやら特番らしい。テロップには“世界初のIS男性操縦者現る!?”。

 

「コレのことですか?」

「そう。いっくんはちーちゃんの弟でね、実はISを動かせるんだー。理由は聞かないでね? 束さんにもよくわかんないの」

「へー。でも、ウチが赤飯を炊く理由が分かりません」

「決まってるじゃん。いっくんは箒ちゃんと大の仲良しで、箒ちゃんはいっくんが大好きだからさ!」

 

 なるほど、分からん。

 

 束さんの事だから、妹さんが関わっていることなら何でも喜びそうだ。

 

「じゃ、束さんが好きなものにしますね」

「いえーい!」

 

 さて、買い物に行こう。その前に冷蔵庫を見てからか。

 

「あ、そうだ。はっくんはっくん」

「はい?」

「お願いがあるんだけど~?」

「何でしょうか?」

「IS学園に入学してくれないかなぁ? というかもう手続きしちゃった♪」

「は?」

 





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003 始まりを告げる紅い瞳

序盤はしょっぴくシーンが多くなると思います。
……もう見飽きたでしょ?


 

 酷く居心地が悪いったらない。生まれてはじめての学校だっていうのに、まわりはみんな女の子ばっかりだ。僕の立場とか特殊さもあって、珍しい物を見る目だし。

 

 唯一の同性である織斑一夏はガチガチに固まって居づらそうにしてる。このIS学園で一番前の席だなんて、もうイジメだよ。可哀想に。束さんのお陰で廊下側最後列に座ることができた僕は、姉さんが言っていた席替えの素晴らしさを実感した。

 

 電子ボードの前に立って、一人ずつ自己紹介をしていくクラスメイトを見ながら必死に顔と名前を覚えるようとする。女の子だらけなのは仕方がない。もうどうしようもないことだ。だから、これからを良くするためにもみんなと仲良くなりたい。『卵』のこともだけれど、色々な事が知りたかった。

 

 織斑君はやっぱりというか、みんなが注目した。いったいどんなことを聞かせてくれるのかと身を乗り出している人もいるぐらいには。ていうか、僕の前の人、それやられると僕見えないから。

 

「以上です!」

 

 何故かみんながテレビ番組のようにずっこける。名前だけじゃ駄目なんですか? そうですか、みんな知ってますもんねぇ。

 

「馬鹿者が」

「うぎゃっ!」

 

 そして現れる地球最強。身内には一切の容赦がない千冬さんらしい一撃だった。たぶん、僕なら頭が割れるね、うん。絶対に怒られないようにしよう。

 

「ち、千冬姉……」

「織斑先生、だ」

 

 またしてもざわざわと騒ぎだし、場が荒れる。普通にわかるんじゃない? テレビでも千冬さんの弟って流れてたし。

 

 そして一喝。身内であろうが無かろうが関係ないようです。流石です。

 

 途中で荒れることも挟みつつ、順調にそれは進んだ。そして僕の番が回ってくる。

 

 うーわー、これはきついなぁ。織斑君はよくやったと思うよ………。

 

「えっと、名無水銀といいます。身体が弱くてずっと病院生活してて、分からないことばかりですけど、よ、よろしくお願いします……」

 

 パチパチパチ、と疎らな拍手を受けて席に座る。

 

 肌は白いし、顔も背格好も良い方じゃないから、ウケはよくないらしい。騒がれたらそれはそれで困るんだけれど、ちょっと寂しい………。友達作りは難しそうだなぁ。

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

「決闘ですわ!」

 

 セシリア・オルコットさんはカチンときたようで、織斑君に決闘を申し込んでいた。

 

「おう、いいぜ」

 

 ヤル気満々で喧嘩を買う織斑君。

 

 両者の間では見えない火花が散っているに違いない。

 

 元はと言えば千冬さんがクラス代表を決めるぞという一声だった。それを聞いて面白がった一人の女子が織斑君を推薦して、いかにもプライドの塊ですといった雰囲気のオルコットさんが反発した。そこからはもう売り言葉に買い言葉だ。

 

 僕も推薦されたけど、体調の関係で出来ないと千冬さんが応えた。僕のことを知ってるし、教師としても聞いているんだろう。

 

 何にせよ、僕には関係の無い事だ。誰がクラス代表になろうとこれからが変わる訳じゃないし。

 

 あれよこれよと話が進むことについていけなかった訳じゃないから。

 

 後日、二人の決闘が決まりましたとさ。

 

 オルコットさんは余裕の笑みを浮かべて席に座っている。そりゃあそうだ、相手は素人で、自分は国家代表の候補生なんだ。じつに大人げない。

 

 対する織斑君はまだ真剣な表情で教科書とノートを見つめている。後悔してる訳じゃなさそうだ。というか、腹の虫が治まらないってところかな?

 

 ああいうのが"男の子"っていうやつね。僕には無理だなぁ。

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 間に授業を挟みつつ迎えた放課後、何か用がある風を装って人が去るのを待った。勿論、織斑君とお話がしてみたかったからだ。

 

 こんな言い方をすると怪しく見えるけど、特に思惑があるわけじゃない。束さんが言ういっくんがどんな人なのか気になっただけ。後は単に友達が欲しがった。そういえば、自己紹介から一度も会話してないよ………。おかげで喉が乾かない。

 

「や、大丈夫?」

「あっ、えーっと、名無水だっけ?」

「うん。勉強?」

「おう。ISはよくわかんねぇからな。授業についていけないのは嫌だし、一週間後には決闘あるし」

「そういえばそうだったね。でも、織斑君は普通の男性に比べてISに近い所にいると思うんだけど……?」

「千冬姉のことか? 俺がISに関わるのを嫌ってるみたいでさ、動画見たりとかもダメだったんだ」

「へぇー」

 

 弟さんを大事にしてるとは聞いたけど、これとなんの関係があるのやら。

 

 しっかしまぁ、律儀に守るんだねぇ。お姉さんの言うことが絶対だとか思ってるのかな? おめでたい人だったりする?

 

 なんてことを言うと嫌われること間違いなしだ。グッと飲み込んで別の話題を切り出すことにした。

 

「ねぇ、もしよければ―――」

「あー、良かった。まだ教室に残ってたんですね!」

「あ、山田先生」

 

 なんというタイミングの悪さ、山田先生が本題を切り出す前に遮ってしまった。しかも織斑君の注意がそっちに向いている。

 

「どうしたんですか?」

「お渡しするものがあったんですよ。はい」

「うげ…」

「次は大切に扱ってくださいね」

 

 それは織斑君が電話帳と間違って捨ててしまった参考書兼用語集だ。入学前に必ず読まなければならないこれは、聞くところによると三年間使い続けるらしい。再発行してあげるあたりが、千冬さんだよねぇ。

 

「あれ? これは?」

「それは寮の鍵だね」

「寮の?」

 

 どうやら参考書の他にもあったみたいで、取り出したのは見覚えのある鍵だった。僕のポケットに入っているものと殆ど同じ作りをしていることだろう。

 

 ドアの鍵にしてはやたらと大きなキーと、部屋番号が彫られたガラス製のキーホルダーは間違いなく寮の鍵だ。

 

「というかなんで貰ってなかったの?」

「逆に名無水はもう持ってるのか?」

「その説明はちゃんとしますよ」

 

 ごほん、とわざとらしく咳払いをして胸を張る先生。いやはや、素晴らしい。束さんよりも大きいんじゃない?

 

「名無水君は、割と前から入学が決まっていたので部屋の都合をつけるのは難しく無かったんです。織斑君の場合は急だったもので、また部屋割りを変える時間が無かったんですよ。だから、最初の一週間程は自宅から通ってもらうことになっていましたけれど………」

「鍵があるってことは、部屋割りが決まったんですね?」

「いやぁー大変でしたよ? まぁそんなことはいいんです。お察しの通り渡した鍵の部屋が織斑君の部屋になりますから、今日から使ってくださいね」

「わかりました。よろしくな、名無水」

「多分僕とは違う人がルームメイトになると思うけど……」

「は?」

「そうでした、ルームメイトは名無水君じゃありませんよ?」

「え? ちょ……えぇ?」

 

 その戸惑いはよーくわかる。僕と違う部屋ってことは、年頃の男女がこれからの学校生活でずっと同居ってことだもん。ルームメイトが僕だって思うのも無理はないし、違うってことへの戸惑いもよくわかる。

 

「じゃ、じゃあ俺はずっと女子と同室なんですか!?」

「良かったね、織斑君。でも襲っちゃだめだよ?」

「しねぇよ! てか良くねぇよ!」

「え、織斑君はソッチの人なんてすか……!?」

「常識的に良くないって意味ですよ! なんで鼻息荒くしてるんですかねぇ!?」

 

 ちょっとどころじゃないレベルで嬉しそうな山田先生はかなり引いた。せっかくのいい先生っぷりが台無しだよ。

 

「山田先生」

「はっ!? す、すいません、つい……」

 

 さらなる暴走を止めたのはあの千冬さんだった。流石の山田先生変態モードでも勝てない人はいるようだ。今度から暴走したら千冬さんに御願いしよう。

 

「織斑、先程山田先生が言われたとおり、お前の入寮は突然決まったようなものだ。部屋割りが決まったと言っても、空き部屋を作って無理矢理押し込んだだけにすぎない。この意味が分かるか?」

「応急処置的な意味ってことな……ですか?」

「そうだ。仮決定に過ぎず、今後も部屋割りが変わることがあるだろう。ただし、名無水と同室になることはほぼ無い。女子と同室か、一人部屋になるかのどちらかだな」

「え? 名無水は一人部屋じゃないんでか?」

「だったら最初からお前と同室になる。自己紹介を思い出してみろ」

 

 千冬さんの言葉を聞いて、手を顎にあてて頭を捻る仕草を見せる。ほんとにやる人いるんだ……あれ。

 

「確か……身体が弱いんだっけ?」

「うん」

「本来なら名無水は絶対安静にしてなくてはいけないところを、無理を言って学園に住ませている。体調管理やモニタリングの関係で、名無水だけは部屋の移動もルームメイトの変更も効かない。あまりペラペラと話すんじゃないぞ」

「は、はぁ……」

 

 未だに何でだろうと思っているに違いない。理由もなく結果だけを聞かされているようなものだ。千冬さんが言っているのは間違いじゃないし、むしろ正しい。生命維持装置があるとは言っても僕の身体は弱いことに変わりないんだ。常にモニターできる状況を整えること、それが、僕を入学させるにあたり提示した条件だって。

 

「ということで、織斑君の部屋はそこになります。ルームメイトの人に事情を説明して、健全な生活を送ってくださいね」

 

 にこりと笑った山田先生の顔は、充分千冬さん並に怖かった。

 

 コクコクと頷くばかりだった織斑君は荷物をささっと纏めて教室を出ていった。

 

 絶対に聞いてなかったね、あの顔は。

 

「はー、よかったです。ルームメイトの人に説明してないなんて知られたら何を言われるかわかったものじゃありませんからねー」

 

 だってよ?

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 ギャアギャアと騒がしい廊下も気にせずに自分の部屋へと足を向ける。どうせルームメイトのお風呂上がりに遭遇してはたき回されているに違いない。束さん曰く、彼は主人公体質なんだってさ。

 言えてる。彼は格好いいし、身体も鍛えている。背だって高いし、社会的ステータスもそこそこだ。立場や考え方も熱血正義系と、女子から人気が出るタイプ。漫画で言えば王道を進む鈍感ハーレムマンに違いない。

 それに比べて僕の貧弱さと言えば……まるで幽霊か何かのようじゃないか。日光の入らない病室で過ごしてきて、家族と医者と看護師の人以外の面識なんてまるでない。正義感以前に常識の欠けたところもある。圧倒的モブキャラ臭が半端じゃないね。

 

「別にいいけどさ。主人公なんてまっぴらごめんだよ」

 

 そういうのはやりたい人や、やるべき人がやればいい。モブキャラどころか村人Aで十分だ。壮大なスケールの物語には巻き込まれる被害者ポジが安定している。

 

 何かを求めるのは悪いことじゃない。むしろそういう欲求あればこその人間だ。ただ、僕にはこれ以上求める物はないし、必要ない。こうして動けるだけでいいのに、更に貪欲になったらバチがあたるでしょ。

 

「さてと……僕の部屋はどこかな?」

 

 学園は一クラス四十人で、十クラスある。つまり四百人居て、かけるの三学年で合計千二百人。教員や職員含めれば千四百人がここで生活しているわけ。僕が居る一年生寮を含めた寮棟と、食堂や購買洗濯浴場がある生活棟を合わせた“生活区”は、他の全寮制に比べて設備が良くとても広い。開けっぱなしの部屋をちらりと見てみたが、あれは良いものだ。早く部屋に入りたい………。

 

 カギのガラスキーホルダーには1070と書かれている。一年寮一階の端部屋で、非常出口に近く、隣接した教職員寮にも近い。有事の際に素早く対応できるようにと千冬さんが手配してくれたそうだ。何から何まで世話になりっぱなしで申し訳ない。叩かれるのも嫌なので、迷惑をかけないように気をつけなければ。

 

 左を向けば、1044のドアプレートが掛けられている。もう少し先かな。

 

「あ、ななみんではあーりませんかー」

「ななみん?」

 

 向かいから歩いてきて話しかけてきたのは袖が余りまくっている女生徒だった。見た目と喋り方がいかにも緩~い雰囲気を醸している。ゆったりとした動作で腕を上下に振って袖をぱたぱたと振り回す動作は見ていて微笑ましい。

 

 ………同い年、なんだよね? 世界は広い……。

 

「名無水銀って言うんでしょ? だからななみんなんだよ~」

「え、あぁ、そう………君は?」

「同じクラスの、『布仏本音』だよ。よろしくぅ~」

「……よろしくぅ~」

 

 ダメだ、僕には、できない。

 

 挨拶がしたかったのか、布仏さんはまたしても袖を振りまわしながら去って行った。それにしても同じクラスだったのか……。明日会ったら挨拶してみよう。友達を作るにはこういうのが大事なんだよ、きっと。

 

 布仏さんと別れた後は、誰かと会話することはなかった。すれ違う人は皆指さしながら道を空けるし………。誰か行きなさいよ、抜け駆け禁止だからね、そんな雰囲気だ。迷惑じゃないから気にはしないし、馴染めば気にもならなくなるはず。しばらくの辛抱だ。

 テレビで見る動物園で飼育された動物達はきっとこんな気持ちなのかもしれない。よし、僕は動物園には行かない。水族館もノーだ。

 

「あぁ、ここか。本当に端っこだなぁ」

 

 左側にずらりと並んでいたドアはぷっつりと途切れている。ドアプレートには1070の数字。間違いない、ここだ。

 

 数回ドアをノックして、返事が無いことを確かめてから鍵を開けてノブを回す。

 

「わぁ……」

 

 端ということで、作りが少々他の部屋とは違うらしい。二人部屋にしては明らかに広かった。

 入って左手には脱衣所と洗面所を兼ねたスペースがあり、更に奥にはシャワールーム。脱衣所に入るドアの隣にはトイレ。個室のくせにお風呂とトイレが別なのか……。右手には冷蔵庫とキッチン。ガスではなくて電気式ではあるが、二口コンロにトースター、レンジまである。これでグリルまであったら高級マンションだって真っ青じゃない?

 

 更に奥へと進む。

 

 本来なら右手にPCと本棚まである壁にベタ付けされた机があるわけだが、そのスペースはひらけていて、窓が取り付けられていた。綺麗な海が見えるために開放感がある。机諸々は1069側の壁に移動しており、ベッドは入り口と正反対の方向にある窓に頭を向けて並んで置かれていた。

 

 実に広い。そして並びが違うという特殊さが高揚感を与えてくれる。作りが良ければ備品の質もいい。どっかで聞いた通り、スイートルーム並の環境だ。何でもかんでも揃ってる。

 

 ………すごい贅沢をしている気分だ。いや、実際に贅沢なんだ。僕でも分かる。

 

「よっと」

 

 窓側のベッドに腰掛けて、カバンを床に下ろす。どさっという音もカーペットが吸収してくれるし、背中からベッドに倒れ込んでも、スプリングの出す不快な音もない。シーツやまくら、どれをとっても高級品だ。病院のベッドとは比べ物にならない。リクライニング機能が無い代わりに、安眠をもたらしてくれることだろう。

 

「zzz」

 

 今みたいに。

 

 慣れない集団生活や環境に疲れていた僕は、瞼を少し閉じただけでぐっすりと眠った。

 

 荷ほどきは……後にしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、かんちゃーん」

 

 寮を歩いていると、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。こんな呼び方をするのは幼馴染み兼メイドのあの子しかいない。

 

「どうしたの? 本音」

 

 ぱたぱたと駆け寄ってくる。本人はいたって真面目に走っているらしいが、傍から見ればどう見てもちょっと大げさな早歩きにしか見えない。長い袖も合わさって、同い年とは思えない幼さが溢れていた。

 

 服の上からでも分かるほど揺れに揺れる、とある一点を除いて。

 

 苛立ちを抑えて、平静を保った。

 

「どこの部屋になったの? 私はねぇ1034だよ~」

「知ってるでしょ……1070」

「ななみんと同じ部屋だってのは知ってたけど、どの部屋なのかは知らなかったの~」

「……そう」

 

 言われてみればそうかもしれない。部屋割で“彼”と同室になるのは前から聞かされていたけど、鍵を渡されたのはほんの二日前。それから本音に会う事はあってもこの話はしなかったから、知らなくても無理はない。

 

 本音自身が、その話題を避けてくれていたからというのもあるんだろうけど。

 

 入学も決まって、あとは専用機の『打鉄弐式』組み立ての調整だけだと思っていたところに、二つの悪い知らせが入った。一人目の男性操縦者の稼働データを取るために、打鉄弐式よりもそちらの専用機を優先するということと、二人目の男性操縦者が非常に身体が弱いために、誰か一人、信頼できる人を傍につけるというもの。

 前者は仕方がないと言えば仕方がない。私も世話になっている倉持技術研究所……倉持技研は日本トップクラスのIS研究施設で、政府御用達の大手にあたる。だからこそ、日本代表候補生の私へ与えられる専用機がここで作られているし、希少な男性操縦者の件を優先して回されたことも理解できる。優先順位もだ。思うところが無いわけではないが、国に所属する以上は呑むしかなかった。

 

 問題は、後者の方。どうして私が男の子の面倒を見なくちゃいけないんだろう? 乱暴だし、怖いし、単純に嫌だ。同じクラスにいて、少し気に掛けるとからなら全然分かるし抵抗感もない。でも、同室でこれから過ごすとなれば話は別だ。

 かなりの虚弱体質で身体も力も弱いから大丈夫とか言われても少しも安心しない。それでできるもんか。そういう問題じゃない。

 

 いつの間にか、私は会ったこともない二人目を勝手に嫌っていたし、本音や更識の人達も分かっていたみたいだから、この話題は避けられていた。

 

 でも今日からはそうもいかない。毎日顔を合わせるわけだし、何か体調に異変があれば私が何とかしなくちゃいけなくなる。悪く言えば、私の我儘は通用しないのだ。むしろ仲良くならなければ………。

 

「実はねー、私同じクラスなんだよー。それにさっきもあって話したんだ~」

「……どんな人?」

「えーっとねぇ………今にも消えそうな蝋燭って感じかな?」

「……そんなこと言われても……」

「なーんて言われると思って秘密兵器を持って来たのです。じゃじゃーん!」

 

 長い袖の中から白くて綺麗な手が覗く。あまり日に当たらない本音の身体はわりと白くて綺麗だったりする。もしかしたら美肌とかの為にわざとだぼだぼの服を着ているんじゃないだろうかと思うぐらい。

 

 そして手に握られているのは、数枚の写真だった。映っているのは男子にしては少し長めの黒い髪をした、華奢な男の子。蒼い簪と、雪模様の髪飾りがよく似合っている。女子の服を着せれば間違いなく可愛くなるに違いない、中性的な雰囲気だ。

 

「ななみんの写真~~」

「これが……」

 

 この人が、二人目……名無水銀君。私のルームメイト。

 

「どう?」

「うん、なんとなくだけど、わかる」

 

 今にも消えそうな蝋燭……的を射た表現だと思う。写真を見ただけでも分かるほどに、とても儚くて、脆そうで、力を入れれば折れてしまうだろう。下手をすれば女の子よりも女の子のような印象を感じる。

 

 少しだけだけれど、政府が言っていた大丈夫の意味も分かった気がする。力だけでなく気も弱いんだろう。女の子を無理矢理襲うような度胸がある様には見えない。

 

「どう? かわいいでしょー?」

「か、かわいいって……」

「とっても良い人だよ~。かんちゃんも仲良くしてあげてね~」

「あ、本音……! もう……」

 

 写真を渡して、言いたいことを言った本音は私が来た道を走って行った。追おうと思えば追えるけど、この写真にそれだけの価値はないし、話す事があるわけでもない。それよりも肩に下げているカバンを下ろしたかったので部屋に行くことにした。

 

 彼に合わせて端の部屋に決まったため、少し歩く必要がある。面倒ではあるけれど、これもまた仕方のないことだ。

 

 1070。キリのいい番号が私の部屋だ。

 

「……あれ?」

 

 鍵を差し込んで回してみるが、抵抗が無い。もしかして開いている?

 

「もう部屋に来てるのかな?」

 

 予想通り、部屋の鍵は開いていた。先に送られている荷物は部屋に入れてあると聞いているので、開けっぱなしになるとは思えない。既にルームメイトが来ている証拠だ。

 

 他の部屋に比べて広い1070号室は開放感がある。窓が多めにあることもそうだけど、単純に作りがいい。それもこれも、緊急時への対処の為だとか。二階以降の上の部屋は普通の部屋と作りが変わらないことから、わざわざ彼の為に作りかえられているのだ。男性操縦者に対するケアとしては当然なのかもしれない。これにあやかれたと思っておこう。

 

 数歩進めば窓いっぱいに広がる海が視界に入る。窓を開ければ潮風が入ってくるかもしれない。天気のいい日は尚更綺麗だろう。

 

 それよりも、気になるものが無ければ。

 

「………すぅ」

 

 やはり先に来ていたルームメイト――名無水銀君は、窓側のベッドで眠っていた。頭が枕ではなく壁に向かっているので、恐らく座った状態からぱたりと倒れたんだと思う。特に変な感じはしないし、呼吸も安定しているから異常はない、はず。

 

 それにしても、写真で見るよりも、なんだろう………さらに儚い感じがする。肌はまるで薄い白粉(おしろい)を塗ったように白かった。日にあたってないというよりも、まるで光に当たったことが無いようだ。病的なまでに白い。

 腕も足も細くて、脂肪は勿論必要な筋肉さえついていない。服もちょっぴりだぼついているし、それでいて髪は手入れが行き届いているものだからもう女の子だ。寝顔も可愛らしい。髪飾りも簪も黒髪によく似合っていた。

 

 じ、実は女の子だったりして。

 

 だからといって、確かめるために身体をべたべたと触るつもりはないけど。

 

 肩に掛けた荷物を机に置いて、備え付けのイスに座る。机の上には私の名前が書かれた段ボールが三つほど重ねて置かれていた。見覚えのあるそれは、私が数日前に実家から送った必要なものと、持っていくには重すぎる物を入れていたもの。中には教科書や参考書、技術関連の有名な著書に、機材、そしてお気に入りの漫画本やDVDが詰まっている。まだまだ持ってきたいものはあったけれど、整理に困るし、ルームメイトにも迷惑をかけると困るからって思って置いてきた。休みで帰る日に少しずつ持ってくるとしよう。

 

 荷解きをしようと思って手をかけると、学園全体にチャイムが鳴り始めた。

 

 日本ではよくある、夕方のチャイム。小学生や中学生が、家に帰る時間ということで知られるそれは学園でも流れる。学園の場合は寮に帰れという意味じゃなくて、夕食の為に食堂が開放された事を知らせるものらしい。仕込みが終わってから流れるため、日によって多少のズレがあるそうだけど、今日は入学式ということもあって早い。

 

 そう言えばお腹が空いたな……。

 

「いこ」

 

 段ボールに掛けた手を話して席を立つ。後ろを向けばベッドに寝転がる彼の姿が目に入った。

 

 ………。

 

「……ねぇ」

「………くぅ」

 

 放っておいて行くのは簡単だけど、私が何のために彼と同室になったのかを思い出すとそれは許されない。食事に行くぐらいは許されるかもしれないけれど、初日からサボったなんて言われたくないし、悪い印象を持たれてギスギスした生活を送るのも嫌だ。せめて悪い印象を持たれない程度には、これからの為にも仲良くしていきたい。

 

「起きて……」

「ううん………」

 

 彼という脆い人を壊さないように、優しく肩をゆする。口からもれた声は見た目にピッタリの少し高めで、さらりと垂れる髪や、寝がえりをうって少し覗ける首の根や鎖骨の白い肌は官能的だ。女の私でもそう思う。

 

「起きて……な、名無水君」

「ん、んぅ………くあぁ………」

 

 もう少しだけ強く揺さぶると、少しあくびをしながら目をこすり始めた。起きてくれたみたいだ。

 

「あ……」

「………誰?」

 

 むくりと起き上がって、目をこするのを止めた彼と目が合う。

 

 さらりと手入れの行き届いた黒髪は肩まであり、目が少し隠れている。髪飾りをつけているのに、前髪を纏めないのはわざとかもしれない。簪が綺麗に夕日で輝いており、雪が赤く輝いているように見えて、肌とのコントラストから幻想的にも見える。

 

 その夕日よりも、どんな火や宝石よりも赤く輝く、紅い目が、黒と白の間から覗いていた。

 

 私とお姉ちゃんと同じ、紅い目。

 

「ルームメイト、だけど……」

「そっか。名無水銀って言います。よろしくお願いします」

「えっと……更識簪、です」

 

 これが、私と彼の出会いだった。

 



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004 四月一日

 リアル学園祭楽しんできました。豚汁150円で連日完売、ありがとうございました。もしかしたら来られた方おられるかもしれませんねw


 誰かに肩を揺さぶられているんだとぼやけた頭で察した僕は、とりあえず身体を起こすことにした。

 

「くあぁ………」

 

 外の明るさからして長い時間眠っていた訳じゃ無さそうだけど、妙にスッキリした感じがする。よっぽど疲れていたに違いない。束さんのラボから一転して異性の中に放り込まれたんだ、自分じゃなければ同情もしたけれど、生憎とそうはいかなかった。

 

 まだクラスの人と会話してないんだよね……。放課後に織斑君と少し、さっきすれ違った布仏さんぐらい。これから大丈夫なのかなぁ。

 

 そういえば、肩に触れている手は誰のものなんだろう?

 

「あ………」

「………誰?」

 

 隣に立っていたのは見知らぬ女子だった。入学初日で見知らぬってのもおかしいかな。とりあえず、同じクラスにはいなかった。

 

 肩まで伸ばされた水色の髪に真っ赤な瞳、少し変わった眼鏡をかけている。白い肌に細い身体。力を入れれば簡単に折れてしまいそうな花みたいだ。

 

 特に魅入ったのがその瞳。綺麗である反面良い印象を持たないこの色は、僕を人から遠ざけた。買い物の時も、気味悪がって誰も近づこうとはしなかったっけ。

 僕のそれよりも数段輝いて見える赤は、彼女の魅力を引き立てるアクセントの一つでしかないのかもしれない。

 

 とても羨ましかった。

 

「ルームメイト、だけど……」

 

 そ、そうだったんだ……。まぁ部屋に入ってきてるんだからそうだよね。初日から他人の部屋にズカズカと入る人なんてそうそういないだろうし。

 

「そっか。名無水銀っていいます。よろしくお願いします」

「えっと、更識簪……です」

 

 誰になるのか怖かったけれど、少し安心した。知識のある人としか聞いてなかったから。乱暴な人だったらどうしようかと………。更識さんは大人しそうな人っぽいし、僕が気を付ければトラブルが起きることも無さそうだ。

 

「それで、どうしたの?」

「チャイム鳴ったから」

「チャイム?」

 

 聞き慣れない単語が聞こえたので思わず復唱してしまった。いや、チャイムが何なのかを知らないのではなくてね、なんで学園に流れるのかってことなんだけど。

 

「食堂が開放される合図、かな? 仕込みが終わって、利用できるようになると流れるんだって」

「へぇ……」

 

 読んだ本や姉さんの話では、定刻になれば何時でも利用できるものだと思ってたけど、ここでは違うみたいだ。

 

 時計は午後六時過ぎを指している。確かに良い時間かもしれない。

 

「ねぇ? もしかしてわざわざ起こしてくれたの?」

「……うん」

「優しいね」

「え………?」

「だって、僕を置いていくことだってできたのに、そうしなかったんでしょ?」

「それは……極力、目を離さないようにって、言われたから」

「いつも見張ってろってわけじゃないじゃないか。一人で行っても良かったんだし、クラスの人とも仲良くなれるチャンスだと思うよ。むしろそうするべきだと思うけど」

「……仕事だから。私、日本の代表候補生で、政府から言われてきたの」

「あ………」

 

 知識がある人って、そういう意味なんだ。

 

 覚えている限りでは、国家やコアを所有する企業には代表者がいるらしく、彼女達はISをより良く正しく使用するためにという名目で、軍人のような訓練を受けているらしい。ISの技量もさることながら、緊急時の対処法だって熟知している。

 

 僕が日本人で、学園の運営が日本に任されていて、更識さんがその日本の代表候補生だから。

 

 更識さんがここにいるのは、それだけの理由なんだ。

 

「ごめん」

「?」

 

 なら、僕は更識さんに謝らなくちゃいけない。

 

「僕のせいで同室になっちゃったこととか、色んな楽しみを潰してしまったこととか。多分、僕のせいで振り回してしまうかもしれないし、迷惑ばっかりかけることになると思うから」

 

 束さんに貰った卵という名の生命維持装置のお陰で、僕はこうして立ったり歩いたりできる。昔に比べたらかなり丈夫な身体になったけれど、それでも一般的な人たちに比べれば圧倒的に劣る。

 僕にとってはかなりの改善になったものの、回りからすれば大して変わっていない。よわっちいままだ。

 

 いつ体調が崩れるのか僕だって分からないんだ。それに付き添えなんて言われれば、張り付くしかない。自分の時間を返上しなければならなくなる時がきっと来る。つまり、僕は我儘で更識さんの自由を奪っているんだ。

 

 仲良くしていきたいとは思っている。でも更識さんはそう思っていないだろう。僕は男だし、病弱だ。悩みの種でしかない。なら、巻き込むのも良くない。

 

「嫌だよね、他人の我儘に付き合うのは。うん、やっぱり駄目だ、今からでも変わってもらえるように頼んでみるよ」

「え? でも……名無水君は、どうなるの?」

「僕はいいよ、慣れてるから。それに何時までも周りの人におんぶに抱っこは良くないからね。まぁ死にはしないと思うから」

 

 常に誰かが居てくれるとは限らない。そんな考え方は危険だ。そろそろ自分一人で何とかするようにならなくちゃね……

 

「まぁ部屋変えがあるとすれば、僕と織斑君が一緒になるんじゃない? 男同士だし、彼は鍛えてるみたいだから何とかなる―――」

「いい」

 

 更識さんの強い言葉で、僕の台詞はバッサリ切られた。

 

「更識さん?」

「別に気にしない。仕事って言いはしたけど、そこまで真面目にやるつもりなんてなかったし、隠すほどのことなんてないから」

「いや、でも、嫌じゃないの? 自分の時間が無くなるかもしれないんだよ?」

「名無水君が協力してくれるのなら、問題ない」

「協力?」

「私の行きたいところに来てくれればいい」

「あぁ……」

 

 なるほど、僕をつれ回すのか。逆転の発想だ。実に本末転倒な考え方。それならやっぱり部屋を変わった方が………あ、いえ、何でもありません。

 

「でも悪いよ――」

「名無水君」

「はい?」

「私と同室はそんなに嫌?」

「………」

 

 初対面とは言え、可愛い女子にそんなことを言われて断れるほどに、僕は対人スキルもなければ女子に慣れたわけでもなかった………。

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

「「頂きます」」

 

 半月型のボックス席に並んで座り、合掌して一礼。この席は二人で座るには広いんだけれど、他に空いていなかったのでここに座るしかなった。きっと、ついさっきまで誰かが使っていたんだと思う。良い時間に来れたものだ。

 

 部屋を変えることはせずこのまま過ごすと決めた後に、更識さんと一緒に食堂に来た。教室が違うので授業中は別々になるけれど、放課後から就寝、登校までは極力一緒に行動するというところで妥協(?)することに。何故そこまでこだわるのだろうか? 僕が男なのにISを動かしたから? それとも、日本の代表候補生だから?

 

 ………仕事熱心なんだよね、うん、そういう事にしておこう。考えるのが面倒。

 

「ねえ、名無水君」

「うん?」

「それだけで大丈夫なの?」

 

 少し離れて座っている更識さんが、僕のトレーに乗っている食器を見ながら言った。

 

 お茶碗一杯分のご飯に、少量の鮭が乗っかったお茶漬け。海苔も粕も入っていないシンプルな鮭茶漬けである。しかし舐めてはいけない、ここは世界中から才女が集まるIS学園なのだ。全てが一級線で纏まっている為にこれだけの料理も馬鹿にはできない。

 

 美味しいです。

 

 それに対して更識さんは焼き魚定食。魚に春と書かれるだけあって、この時期の鰆は脂がのっておいしいそうだ。

 

 女子がこれだけ食べるのに、僕がそれだけで足りるの? そう聞いているんだろう。

 

「全然。夜中にちょっとお腹が空くかな」

「なら、食べなきゃ。身体弱いんでしょ?」

「うん。でも食べ過ぎると吐いちゃうんだ。血と一緒にね」

「……ごめんなさい」

「いいって。さ、食べよ」

「……ん」

 

 正直に言えば、もう少し食べても問題はない。束さんと過ごしていたころは今更識さんが食べているぐらいの量は入っていたし。見えないところで確実にストレスが溜まっているはずなので、しばらくは控えるつもりでいる。

 

「自炊できればいいんだけどね……」

「名無水君は、料理できるの?」

「ちょっとね。ここに来る前にお世話になっていた人の所じゃ誰もできなかったから、覚えるしかなかったんだよ。できない人よりかはできる自信はあるよ。更識さんは?」

「……少しだけ。料理よりも、お菓子作りの方が好き、かな?」

「僕もケーキやクッキーは作ったりするよ。何が得意?」

「か、カップケーキ……とか」

「へぇぇ……そう言えば作ったことないなぁ……」

「今度、作ってみる?」

「いいの? じゃあ道具と材料揃えないとね。楽しみだなぁ」

 

 ラボじゃあ他に料理できる人いなかったし、その話題で盛り上がることもなかったから楽しみだ。束さんがキッチンに立ったら真っ黒な鉱物しかできないし、くーちゃんに至っては………ああ、思い出すんじゃなかった。

 

 誰かと料理トークするのがこんなに楽しいなんて思いもしなかったな。こういうのをきっかけに仲良くなれるのは良いことだと思う。どうせなら楽しく過ごしたい。

 

 それからは食器を返して寮に帰るまでずっと料理の話で盛り上がっていた。ああすると汚れがよく落ちるとか、実は隠し味にあれを使うといいとか、そんな内容だった気がする。色々と話し過ぎて具体的なのは覚えていない。それぐらい楽しかった。

 

 その過程で色々と更識さんのことを知れたと思う。

 

 家は名家らしく、格式も高く財も地位もあるそうだ。本人としてはそれらを背負わされる期待を嫌っていて、あまり家の事が好きではないらしい。家族が、ではなく、しきたりや押しつけがましい期待が、だ。お姉さんがこの学園の先輩らしいけれど、それについては聞かせてくれなかった。何か思うところがあるのかもしれない。この話題は避けよう。

 特技と趣味は機械工学系で、ISの整備なんかは特に好きっぽい。機体の武器や装甲がどうのこうの、エンジンや駆動系がうんたらと半分も内容が理解できなかった代わりに、どれだけ好きなのかが分かった。この分野には惜しみない情熱を注いでいることも。

 

 部屋に戻ってから、互いの荷物を整理している間もずっとお互いの話をしている。

 

 燃やした家から持ちだした家族の形見と、教科書に数着の私服と大量の医薬品だけしか持っていない僕は直ぐに終わったので、実際は更識さんの片づけを手伝っているだけ。中を見ても別に問題ないと言われた一つの段ボールから一つ一つ出しながら、丁寧に棚へ並べていく。

 

「ねえ、更識さん」

「何」

「これ、何?」

「何って……アニメのDVD、だけど」

「へぇー。これがDVDなんだ……」

 

 学術書や参考書を並べていると、下から非常に薄いプラスチックのケースが出てきた。表紙や背表紙には全く勉強と関係のないカラフルな文字や、漫画の様なキャラクターが描かれている。その割には薄いし、硬いし、ページが無い。どうやらこれがDVDというらしい。

 

 DVD自体は薄っぺらい円盤で、専用の機械に入れて使うんだよね? 記録した映像が見れたりするとかなんとか………。

 

「知らないの?」

「記録媒体って言えば小型のメモリぐらいしか知らない。アレなら映像も画像も見れるし、色んなデータを残したり閲覧できるしね。DVDっていうのがあるのは知ってたけど、実物は始めてみたかも」

「そ、そうなんだ………」

 

 ………何さ、その原始人を見るような目は。どうせ無知ですよ。知らないことを知らないままにするのが一番いけないんだ。僕は特に欠けているモノが多いから、この辺はしっかりしないといけないんです。

 

「し、CDは?」

「何それ?」

「MD!」

「あ、それは知ってるよ。手のひらより大きいぐらいの四角形の奴でしょ。後は……カセットテープだっけ? 他にはフロッピーディスクとか、レコードとか」

「なんでそれ知ってるのに他を知らないの!?」

 

 どうやら更識さんにとっては余程のショックだったらしい。この際なので教えてもらう事にしよう。

 

 DVDは映像。アニメや映画、ドラマにライブ映像等を記録したものが殆どで、CDには映像は無く音楽や音声のみだとか。新しい記録媒体は幾つかこの数十年出てきているそうだけど、結局残っているのはこの二つらしい。懐古的なものを楽しむ人は今でも集めているそうだ。手に入れれば彼ら相手に高く売れるかもしれない。

 

 まあそれはさておき。

 

 段ボールの半分を占める容量をこのDVDとやらが占領していた。同じタイトルのものが幾つもあり、また別のタイトルも混じっているものの、やっぱりたくさんあった。何故同じものをたくさん集めているのだろう?

 

「保存用、観賞用、布教用、実用用の四種類でしょ?」

「ち、違う……!」

「でも同じのがこんなにたくさんあるし……」

「同じのはタイトルだけで、中身は違うの!」

「え? そうなの?」

「漫画本みたいに、ナンバリングされてるから……」

「あ、ホントだ。1とか2ってちゃんとついてる」

「パッケージのイラストとかも違うし」

「おおー、言われてみれば。………ところで実用用って何?」

「し、知らないっ……!」

 

 顔を真っ赤にするような意味合いの事ってのは分かりました。

 

 何はともあれ、これだけある意味が分かった。アニメは漫画を映像化したようなものだと思えば、表紙が違うことも番号が振られていることもよく分かる。更識さんにこだわりがあるのかは分からないけど、とりあえず作品を番号順に並べておいた。

 

 どうやら持ってきていたDVDやら何やらはかなりの量があるようで、更識さんの棚を飛び出して僕の棚にまで侵入してしまった。何か置くわけでもないし、むしろ有効活用した方がいいと思って何も言わずに並べておいたけど、後で何か言われるかな……。

 

 夕食を食べて部屋に戻って来たのが七時半。更識さんが全部の段ボール箱を解体し終えて、一息ついたのが九時だった。途中から僕も手伝ったけど、それでも一時間半もかかったのか……。多いね、女の子の荷物は。

 

「ふぅ……」

 

 四月に入りはしたけれど、この季節はまだ寒い。淹れたばかりのココアが身体を温めてくれるのを感じながら、明日の準備を進めていた。

 

「ねぇ」

「何かな?」

 

 カバンに全部入っていることを確認して机の上に置く。ココアの入ったカップをを両手で持っている更識さんは、僕の髪を見ながら口を開いた。

 

「嫌なことだったら、ごめんなさい」

「まだ聞かれてないのに謝られてもねぇ……それで?」

「その、髪飾りとか……女の子のだよね?」

「ああ、これ? よく分かんないんだけど。そうなの?」

「………うん。日本に本社がある世界的にも有名なブランドの代表作だと思う。髪止めも、簪も」

「そう、なんだ」

 

 思えば、僕は姉さんの形見がどんなものなのかを気にしなかった。手作りにしては精巧過ぎるし、安物には全く見えない。

 

 ……いや、違うかな。それが何だろうが僕にとっては大した意味がない。安物だろうが、高価なものだろうが、手作りであっても、この二つが姉さんが残した形見であることに変わりはないんだから。

 

 これだけじゃない。手作りの人形も、フィギュアも、指輪も、ガラス細工も、マフラーも。規格品とか関係ない、全てがこの世にたった一つだけの大切な宝物。

 

 それだけで十分だ。

 

「大切なもの、なんだね」

「うん」

 

 そっと触れて、優しく撫でる。

 

「宝物だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     四月一日  晴れ

 

 何がなんだかよく分からないまま、僕は束さんによってIS学園に入学させられた。しかも全寮制のうえに、同性は一人しかいないらしい。僕の社会進出は劇的なデビューだったと思う。

 

 同年代の人達がこんな狭い空間に集まるところを見たのははじめてだった。控えめに言ってもどの子も綺麗で、眩しい。あれが普通なのかな? うらやましいなぁ。

 

 クラスのみんなの名前を覚えようと頑張るけれど、時間がかかりそうだ。髪の色が同じだったり、眼鏡をかけてたらみんな同じ人にしか見えないから困る。

 

 自己紹介なんてはじめてだから緊張したけど、ちゃんとできたと思う。あまりいい反応とは言えなかったから、これからが大変かもしれない。織斑君みたいにカッコいいわけでもなければ、特別凄いこともないから当然かな。インパクト弱いよね、僕って。

 

 そう思えばルームメイトの更識さんとはちょっとは仲良くなれたかな? お仕事を押し付けられたみたいで申し訳ないから、迷惑かけないように気を付けないとね。

 

 初日で色々決めつけるのも良くないし、また明日から頑張ろう。時間はあるんだから。卵もそう直ぐには孵化しないさ。

 

 

 

 

 

そっと次のページをめくった。

 




フロッピーとかMDとか久しぶりに書いたわ。カセットならまだ家にあるんですけどねぇ。


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005 融け散る心の氷

ハッピーバースデー私! リアル誕生日です


 ピピピッと少し耳障りな音が意識を浮かび上がらせる。次第に思考が機能し始め、それが目覚まし時計のアラームだったということを思い出した。恨みのこもった叩きで止めて時間を確認。

 

「くあぁ………」

 

 デジタル式のそれに針はなく、代わりにカラフルなディスプレイがチカチカと光っていた。

 午前の六時半かぁ。ご飯作らなくてもいいのに、いつもの癖でこの時間にセットしちゃったな。二度寝したら起きれなさそうだし……。

 

 ……起きようか。

 

 まだまだ肌寒いこの季節、布団が恋しいけれども仕方がない。僕は動けるんだから。

 

 ベッドから降りると、視界に入る見慣れない少女が、規則的に肩を揺らして微かな寝息を刻んでいる。更識さんが眠れるのか不安だったけど、大丈夫だったみたいだ。僕? 慣れてるよ。

 

「ぅ……」

 

 ぶるりと震えて無意識に布団を寄せる更識さん。寒いのかな?

 

 さっきまで使っていた掛け布団を更識さんにそっとかける。少なくともさっきよりはマシにはなるはず。女の子が身体を冷やすのは良くないからね。

 

 ルームメイトが目をさます前に制服に着替えを済ませて、初日から持ち込んだ電気ケトルを使ってココアを淹れる。かっこよくコーヒーでも飲んでみたいけど、生憎苦いものは苦手なんだ。

 

 最低音量でテレビをつけて天気予報とニュースを見る。あぁ、日本語だ。良かった。

 

 げ、今日の星座占いは8位かー。二日目だっていうのに、幸先悪いな。

 

 やっぱりというか、特集あるよね。そりゃ天下のIS学園が入学式を終えて二日目なんだから。画像ばかりなのは、カメラやキャスターが入ってこれないからかな。大企業の重役だってそう簡単に入れないのに、彼らが来れるわけがないか。

 なんと言っても注目は織斑君。彼のお姉さんである千冬さんは世界大会優勝者であり、伝説の人だ。そんな人の弟なんだ、話題には事欠かない。

 彼と比較して、僕について何か触れられることは無かった。一年前に家族は全員死んでしまい、僕は束さんに拾われて行方不明。家は謎の放火。金目宛の親族たちは動揺しているに違いない。これからずっとでしゃばらないでもらいたいな。

 

『岡田さん、これから各国はどのような動きを見せるのでしょうか?』

『あくまで予想ですが、国家代表候補生を編入させていくのではないでしょうか? 親しい関係を築いて何らかのパイプを確保しようと、同年代の代表候補生、それも専用機を持つ少女達が』

『データを得るため、という側面もあり得るのでしょうか?』

『むしろそちらが目的かもしれませんね。彼らのどちらか、もしくは両方が専用機を与えられると考えます。それに備えて、専用機を持たせることでしょう』

 

 専用機、か。この卵も見方を変えれば専用機になるのかな?

 

 何にせよ関係ない。その話が行くとすれば織斑君だろう。例え正常な身体を持っていても、彼のステータスには敵いそうもない。僕はかっさらっていじくり回される方だね。

 

 お国の思惑に振り回されるんだろうなぁ。お隣さんは特に。最近仲がよくないって聞くし。それを言ったらどこの国も同じ。

 

 同じ組のオルコットさんは、監視の名目で来たわけじゃなさそうだけど、これからどうなるか分からない。このテレビで言っていることが実際に起きるなら、色んな国からわんさかと一組に来る。

 

 織斑君には悪いけど、僕には来ないように祈ろう。いや、もう一人張りつかれてるんだけどね?

 

「ふぁ、ぁぁ……」

「あ、おはよう」

「!? お、おはよう………」

 

 少しびっくりされたけど、ルームメイトということを思い出してくれたのか、一瞬で落ち着いてくれた。よかったよかった、何もしてないのに叫ばれてお説教なんて理不尽過ぎるしね。

 

「ココア飲む?」

「え、あ、ありがとう……」

 

 少し冷めたぬるめのココアを手渡す。布団を剥いでベッドに腰掛けた更識さんは一口飲んでほっと息をついた。寝起きにはちょうどいい温かさだと思う。

 

「おいしい」

「ん。良かった」

「ちょっと甘過ぎる気もするけど」

「うぐ」

 

 い、痛いところを的確に……。

 

「?」

「いやぁ、何でもないよ?」

 

 薬は苦いものばかりだし、食事も栄養優先だから、甘党になりました。たまの甘味は許してください。じゃなきゃ食事が嫌いになる。

 

「更識さん、朝早いね」

「……お弁当、自分で作ってたから」

「へぇ。中学校で? 給食とか食堂は無かったの?」

「食堂はあったけど、お母さんに覚えなさいって言われたから」

 

 女の子だねぇ。

 

「じゃあお弁当作るの?」

「ううん。やること、あるから」

「やること?」

「そう」

 

 ぽわぽわと眠気が漂っていた雰囲気が消え去り、剣のような鋭さが伺える。今までの気弱な彼女じゃない。これが代表候補生の顔か。

 

「僕が言うのもなんだけど、身体壊さないようにね?」

「わかってる」

「言えば手伝うよ? ていうかしなくちゃね、昨日も言ってたし」

「え?」

「行きたいところがあるからーとか、協力してくれればーとか」

「………うん」

「そこでしか出来ないこととか、時間がかかって大変なことなんでしょ?」

「……それは、そうだけど」

「いや、違うな。手伝わなくちゃいけないんだ。僕のために更識さんが時間を使ってくれるのなら、僕は更識さんのために時間を潰さなくちゃいけない」

 

 誰かのためになれる人になりなさい。

 

 姉さんもそう言っていた。正しく堂々とあれば、何も恥じることはないと。

 

 自発的ではないとか関係ない。結果として彼女はそうしなければならなくなった。どちらかと言えば不本意ですらある。だからこそ、しなければならないんだ。

 

 ベッドに寝たきりの僕じゃない。もう施しを受けるだけじゃいられない。そんなのはもう嫌だ。

 

「………名無水君には、お姉ちゃんがいる?」

「うん」

 

 いた、とは言わない。話の腰を折るようなところじゃないから。

 

「更識さんにもいるの?」

「うん。何でもできて、綺麗で、強い。だからーーー」

「比べられる?」

 

 顔を伏せて、わずかに首を縦に振った。

 

 出来る人は目立つ。要領がいいからとか、面白いからとか、かっこいいからとか、理由は色々とあると思う。影で妬まれることもあるだろう。しかし、えてしてそういう人たちはそれすらもねじ伏せる。圧倒的なカリスマみたいなものを持っているんだ。見たこと無いけど、多分更識さんのお姉さんはこのタイプ。

 これを悪い言い方をすれば、"出来ない人がいるから、出来る人が目立つ"とも考えられる。対照的な人はこっちで見られる。要領が悪いとか、つまらないとか、気持ち悪いからとか。本人が望む望まないに関係なく、巻き込まれる。

 

 誰が悪い訳じゃないのにね。

 

 更識さんは出来が良くないとか、そんなことは無いと思う。だって、日本の代表候補生なんだから。誰もが成れるものじゃない、出来ないことを十分にやって見せている。

 負けているところはあると思う。だからって劣っていると決めつけるのはおかしい。

 

「これは僕の勝手な想像なんだけどさ……」

 

 だから思うことをそのまま話してみることにした。

 

「更識さんは、少し考えすぎなんじゃないかな? うーん、思い込みが激しいとか、決めつけが過ぎるっていうか………まぁ、そんなニュアンス」

「考えすぎ?」

「上手くは言えないけどね? 人ってさ、必ず何かで誰かに勝ってて誰かに負けているんだと思う。それを長所短所って呼んだり、特徴って言うじゃない。ある一面から見ればお姉さんの方が凄くて、また別の一面から見ると更識さんの方が凄いってことがあると思うんだ」

「私が、お姉ちゃんに?」

「うん。あ、具体的に教えろなんて言わないでね。会ったばかりの人の良さとか、知らない人の良さなんて語れないから」

「ある………のかな?」

「それは更識さんが自分で気づかなくちゃいけないことだよ。酷かもしれないけど、人から言われて気づくようじゃ駄目なんだ。そうでなくちゃ、依りは戻せないし、劣等感も消えないままだよ。距離置いてるんでしょ?」

 

 僕の問い掛けに、更識さんは応えない。

 

 更識さんはジレンマを抱えていると思う。

 お姉さんのことは好きだ、でも存在が遠すぎる。どれだけ努力を積んでも追い付ける気がしないし、届かない。全部がお姉さんの前では霞むし、誰も誉めてはくれない。

 

 自分で自分を追い詰めて、周りの圧力で歪んでしまった。だからこそ、自分でなんとか気持ちの整理をつけなくちゃいけない。違和感無く納得させるだけの何かを。

 

 「これでいいや」は諦め、「これしかない」はすがっているだけ。それじゃあ本当の意味での解決にはならないことを、僕は知ってる。

 

「なんで……」

「うん?」

「なんで名無水君に、そんなことを言われなくちゃいけないの?」

 

 ごもっともです。

 

 行きなり現れては言いたい放題言うだけの男は、どう見ても悪にしか見えないよね。

 

 それでも。

 

「分かるから、気持ちが。優秀な姉さんがいて、妹がいて、弟がいて、両親がいて。どうしようもなく醜くて無様で泥を塗りたくって足を引っ張ることしか能のない自分がとことん嫌いだよ。今でもね」

 

 勉強を教えてもらってもイマイチうまくいかない。入院代を食うだけの穀潰し。ことあるごとに迷惑を生むトラブルメーカー。僕は自分が嫌いだし、こんな人がいれば僕も嫌う。

 

「更識さんとはちょっと違うかな? でもわかる。姉さんの背中は遠くて、追い付けない自分にイラつくんだ。そんな気持ちがループして抜け出せなくなるんだよ」

 

 身体的な部分においてはもうどうしようもない。諦めるという選択肢しか残されていなかったんだ、諦めもついた。

 でも勉強は違う。教わる人や環境に違いはあるかもしれないけど、それは何にだって誰にだって言えること。使い込まれた教科書には書き込みもあるし、文字や図で埋め尽くされたノートも貰っておいて、僕は結果を残せなかった。

 

 誰かと対等に、あるいは誰か以上の力を得る数少ないチャンスすら活かせない僕はなんだろう?

 

 なにも出来ない自分が嫌になった。取り柄と呼べるものすら見つからない。

 

 それでも姉さんは励ましてくれた。だからまた頑張れた。何度も何度も挫けては立ち直ってを繰り返して、努力を重ねる。

 

 行き着くところまで行けば、その先にあるのはーーー

 

「更識さん、僕は経験者だ。気持ちも分かれば、このまま更識さんと更識さんのお姉さんが行き着く先も分かってる。とても悲しい最後がね」

「悲しい最後……」

「プライドや意地はあると思うけど、たった一回だけでいいから全部捨ててお姉さんと向き合ってほしいかな。それだけでも大分変わると思うから」

 

 空にしていたカップを更識さんから拝借して二杯目を渡す。元気無さそうに伏せっていた表情には少しだけ活力が戻り、目にはやる気が見えた。

 

「できるかな? 私、気が弱いし……」

「できるよ、きっと。心が強いから。何よりも、更識さんは仲直りしたいって思ってるじゃないか。お姉さんもそう思ってるはずだよ。だから上手くいくって思おう?」

「………ありがとう」

 

 彼女は少しだけ、昨日会った時よりも元気になっていた。

 

 完全な手遅れになる前に、僕は姉さんと仲直りすることができた。本当に良かったと今でも思ってる。何か一つでも歯車が噛み違えれば僕はここにはいなくて、姉さんは一生自分を恨むに違いない。

 

 閉鎖された病室でさえこうなるんだ。ISという大きな要因に深く関わるこの姉妹が、優しく終われる筈もない。きっと、僕と姉さんよりも、辛い最後を迎える。

 

 もしも更識さん達が、最悪の結末を迎えてしまったら? どちらも癒えない傷と負い目を抱えて過ごすことになる。同じ血が流れてて、同じ時間を生きてきたかけがえのない家族なのに、そんな思いを抱かなければならないこと自体がおかしい。

 

 家族は無条件で自分を受け入れてくれる。好きでいてくれる。好きでいられる。愛すべき人達。だから何度だってぶつかっていい。やり直しは幾らでもできるんだ。

 

 僕と違って、更識さんには傍にいてくれる人がいる。僕のようにはなってほしくない。

 

「さて、それじゃあ早速行こうか」

「ええっ!?」

「あ、お姉さんの所じゃないよ? 更識さんが早起きしてまでやろうとしてることを、やりに行こうよって意味だからね?」

「あ、あぁ……驚いた」

「ごめんごめん」

 

 ズレまくったけど、元々は早起きした理由がなんだっけってところだ。ついさっき手伝うよと宣言したばかりで何もしない訳にはいかない。

 

「じゃ、準備しよっか」

「…………」

「どうしたの?」

 

 コップを水につけてシンクに置き、更識さんの方を向くとじーっと見つめられた。そう、なんか邪魔なんだけどって感じの………。

 

「……ら」

「?」

「き、着替えるからっ! そのっ! その……」

「あ、あぁ、ごめん」

 

 もじもじと頬を赤らめながら言われたら何も言えないじゃないか。僕が悪いんだけどね。

 

 今までになく素早い動きで回れ右をして部屋から出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤くなっているであろう顔を制服に埋めて気持ちを落ち着ける。………よし。落ち着けるわけ無い。

 

 朝起きたら近くに名無水君が近くにいて結構ビックリした。直ぐに学園の寮で同室だったことを思い出したので、叫び声を上げることは無かったけど、ついさっき出ていくまでは落ち着きがなかった。

 

 言い方は誤解を生みそうだけど、名無水君と一晩過ごして気づいたことがある。

 

 私は彼に何らかの興味を抱いている。

 

「ななみ、はがね………」

 

 一切の詳細が不明な男性操縦者。同じ男性操縦者の織斑一夏とは対照的な人。身体は弱く、積極的な姿勢は見られない。私という護衛兼緊急時の対応者が張り付かなければならないあたり、死と隣り合わせの状況で生活していると言える。

 なのに、ついさっき聞いたばかりの言葉の数々は、形容し難い重さを感じた。心の底からそう思っていて、それが使命であるかのような重さ。

 そして嫌な顔もせずにしっかりと話を聞いて返してくれる真摯な態度と、読み取れる彼の辿った悲劇の重さ。

 

 床から天井まで、一切ブレることのない細くがっしりとした芯が、彼の心にはある。

 

 ISの登場により、昨今の男性の立場は非常に弱い。女性が傲慢になっているだけなのに。とにかく、腰も低くなり、プライドも随分と安くなって金で買える時代らしい。

 

 全員がそうだとは言わないけれど大半はこうだ。だから彼のような人はわりと珍しい。誠実であることは簡単ではないのに、病弱な彼はさも当然のように語る。

 

 外見と中身がまったく釣り合わない不思議な人。私にはない強さを持っている。

 

 そして当然のように手伝うと言われた。一人で機体を組むことに意味があるのに、驚くことに私はそれを拒もうとは思っていない。今まで張り続けていた意地は破裂すること無く失せて、受け入れようとしている。

 

 分かったような口振りにイラついたけれど、それは間違い。彼は分かっているから敢えて断言するように諭してきた。経験者だからなのか、それとも別の要因が働いたのか、言葉に重みをのせた何かは私の心の氷を優しく溶かしてくれた。

 

 会ったばかりの人なのに………どうしてこんなにも言葉が染み入るんだろう?

 

 分からない。でも、いや、だからこそ知りたい。そこまでさせるナニカを、強さを。

 

 一杯目よりも温かいココアをゆっくりと飲み干して、パジャマのボタンを外して制服を手に取る。

 

 もう高校生なんだよね。打鉄弍式に割ける時間は少なくなるのに、出番はすぐそこに迫っている。急いで仕上げなくちゃ……。

 弱音を吐くのはダメだ。でも行き詰まっていることも事実。私自身の限界もとっくに来ていた。疲れはとれないし、体調も優れない。このまま行けば絶対に倒れてしまう。

 

 打開するとなれば……第二者のヘルプしかない。

 頼りになるのは虚と本音、そしてお姉ちゃん。でも、誰かを頼ったとしても更識には力を借りたくない。

 

 ………。

 

「大丈夫、なのかなぁ?」

 

 入学したばかりで、専用機をいじれる人なんて早々いない。私も代表候補生じゃなければここまで詳しく知らなかった。先輩に知り合いなんていないし……となればもう彼しかいない。

 

 ISのことなのに、男の彼に頼るのもおかしな話だ。それくらい私が追い込まれているのかな? ちょっと悔しいけど、彼の好意に甘えてみよう。いいアイデアでも浮かぶかもしれない。

 

 袖を通してお気に入りの眼鏡型ディスプレイをかけ、カバンを持って外で待つ彼の元へ向かった。

 

「いいの?」

「うん」

「じゃあ行こうか………って、行き先知らないや」

「………こっち」

 

 本当に、大丈夫かなぁ?

 

 疑問を持ちながらも、私専用に与えられた整備ハンガーへと足を向けた。昨日の内に場所だけは把握しているので迷うことはない。まだ誰も起きていない寮はとても静かで、朝の空気がいっぱいだ。気のせいなんかじゃなくて清々しい。

 

 私の右側にぴったりと寄り添う名無水君も気持ちよさそうに歩いている。窓から差し込む光が髪飾りや簪に反射して眩しいけれど、不快な気持ちは一切しない。高価なものだからなのか、それとも彼が大切にしているものだからなのか………多分、後者。日に照らされて光る雪結晶というのは案外綺麗なものだ。

 

「どこへ行くの?」

「第一整備室」

「………というと、ISの調整でもするの?」

「詳しいことはそこで話すから」

「楽しみにしてるね」

 

 ニコニコ顔の名無水君は今にもステップでも踏みそうなほどご機嫌だ。そんなに楽しみなんだろうか? 自分から願い出たとはいえ、他人の手伝いなんて面倒なだけなのに。随分変わっている人なのかも。

 

 ………い、今からでも断った方がいいかな? 余計なことされて壊されたら堪ったものじゃないし。でもでも、今更手のひら返すのも悪いし、私の行くところについてくればいいって私が言っちゃったんだし……。

 

「更識さん?」

「ひゃっ……! な、何?」

「第一整備室はそっちじゃないよ?」

「え? …………あ、ごめんなさい」

「さ、行こう」

 

 考えごとをしている内に道を間違えていたみたい………恥ずかしい。私が先導するつもりで言ったのに。

 

「な、名無水君は場所知ってるの?」

「パンフに載っていた場所なら一通りだけ。機械いじりは少し興味があったから、余裕ができたら行ってみようかなーって思ってたところの一つなんだ」

「そ、そうなんだ………好き、なの?」

「お世話になってる人が得意でね、ちょっと興味があるんだ。恩返しとかしたいから勉強してお手伝いできたらとか思ってる程度だよ。好きってほどじゃないかな………手段って言う方がしっくりくる」

 

 ………べ、別に残念じゃないし。

 

 渡り廊下を歩いて整備棟へ。教室や職員室のある教室棟とは格段に違う大きさに驚くけど、ここで行われることを考えれば小さいくらいだ。それでも国内の一般企業が持っている敷地に比べれば全然大きいので、文句があるどころか小躍りするぐらいに嬉しい。

 学生証をカードリーダーに通して鍵を開ける。実家よりも揃えられた一級品の機材と機具、広々とした室内、モニターの数々は私の想像以上だ。

 

「あれ? ここって鍵がいるの?」

「……ここ、私専用の整備室なんだけど」

「え、そうなの?」

「そう」

「なんで?」

 

 これだけの設備が全部私の為に揃えられて、使い放題とあれば疑問もわく。いくら私が更識の人間でも学園にそこまでの影響を与えられるわけないし、そもそもそんな話をしても彼は理解できない。それ以前に家の力を使うなんてあまりやりたくない。

 

 答える代わりに見せることにした。手伝ってもらうんだから正直に言おう。

 

「おいで、『打鉄弐式』」

 

 右手の薬指に嵌められたクリスタルの指輪が光って、目の前に大きな一機のISが現れる。

 

 空色の装甲に、大きなミサイルポッドと腰の荷電粒子砲。珍しく腕部パーツの存在しない私の専用機、『打鉄弐式』だ。防御と格闘を主眼に置いた日本量産第二世代型IS『打鉄』の後継機。ISらしく、コンセプトは防御ではなく機動に切り替えられた。発展機であると同時に、新たな分野を切り開くための実験機でもある。

 

「そっか、更識さんは専用機を持っていたんだね。打鉄の後継機かぁ、その割には防御面が心許ないね」

「後継機だから」

「それもそうだね。専用機って言えばどれも実験機だし」

「……よく知ってるね」

「そうかな?」

 

 意外だという表情の彼だけど、これはあまり知られていないことだ。ISを学ぶ少女たちでさえ知らないだろう。

 

 ISコアの数は世界人口とは比べ物にならないほど少なく希少価値が高い。その為、専用機としてコアを独占することは誇りであり憧れとなる。与えられることの特異さが目立ち過ぎて、専用機が何故作成されて一個人へ託されるのかという意味に焦点がいかないのだ。

 ズバリ、彼の言うとおり実験である。例えば新しい技術だったり、装甲だったり、エンジンだったり、武器だったり等々。目的は多岐に渡りそれこそ星の数ほど。

 

 新たな技術を確立する為に、他国より一歩先を行くために、専用機にデータ採集をさせてはまた新たな専用機を開発し、来るモンド・グロッソやあるかもしれない有事の為に備える。

 

「でもこれ、完成しているように見えるけど………」

「ガワだけ。中身のOSやシステムなんか全然できてなくて……からっぽ」

「がらんどう、ってやつだね。なるほど、ただ機体を組むよりもシステムを作り上げるのは確かに時間が掛かるし人手もいる」

 

 機体を組むのは難しくない。引かれた設計図の通りにパーツをくっつけて、配線を繋げるだけだ。非常に複雑なプラモデルの様なものだと思えばいい。

 問題は、それを動かすための中身。人間で言う脳や神経にあたる部分を、私は作らなくちゃいけない。脳が無ければ植物人間になるだけだし、神経が無ければ脳があっても動くことはできない、つまりはそういうこと。

 

「システム作製のお手伝いだね」

「うん。………その、大丈夫?」

「なんとか。僕が全く知らないことじゃなくて安心してるくらいだよ。とりあえず作業始めようか、一秒でも早く完成させなくちゃね」

「………うん」

 

 彼に促されてタブレットを取り出してモニターにつなげる。同時にPCも立ちあげて作業できる体勢を整えた。

 

「今出来あがっているのは近接武装の『夢現』だけ。とりあえず、動かせるように機体制御系を何とかしたいから弄ってるんだけど………」

「………ここ、かな?」

「え? でも――」

「正しい配列だけど、多分この機体には合わないんじゃないかな?」

「そう、かな? …………言われてみたらそうかも。駆動系にからんでるし」

「このままで行くなら組み立てからやり直さなくちゃいけないかも。どうしてこうなったのかは組み立てた人に聞かないと分からないけど……どうしようか?」

「名無水君、わかる?」

「ギリギリ」

「じゃあ――――」

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 それからはずっと二人でモニターに向かい合ってああでもないこうでもないと議論しあって、少しずつだけど作業を進めていった。驚いたことに、彼は手段だと言っていた割にはかなり詳しかったことだ。いや、手段だからこそ詳しいのかもしれない。本職の技術者でもないのに、男性がISに詳しいなんて珍しすぎる。

 だからこそ、気兼ねなく彼と接することができた。

 

 私の事情も聞かない。私の事情を知らない。私のことを何も知らない。だからこそ、名無水君はぐいぐいと前に踏み込んで引っ張ってくれた。更識簪という人間に対する先入観を持たないからできることだ。

 

 行き詰っていたところに風穴を開けてくれただけじゃない、親身に付き合ってくれて、尚且つ話の合う人なんてはじめて。私達は時間も食事も忘れてただただ没頭した。

 

 授業も忘れて。

 

「たはは………まいったな。二日目からサボっちゃった」

「その、ごめんなさい」

 

 皆が起きる前に整備室に入って作業を始めてから、およそ十数回に渡る始業と終業のチャイムを全てスルーし、食事は供えられていたドリンクや栄養たっぷりの固形食品とゼリーで済ませ、強制終了時刻が迫っている事を知らせるアナウンスを聞いて初めて思い出した。

 学校が始まって立ったの二日目にして、仲良くおサボりである。

 

 片や話題の男性操縦者、片や日本の代表候補生。彼はともかく、私は模範になるべき立場にあるのに……恥ずかしい。

 

 でも後悔はまったくない。それどころが良かったとすら思っている。今日一日、授業時間を全て費やしたおかげで残り作業の約十二%が終わった。今の今まで、数日かけて一%進む程度だったのに比べれば大きな成果だ。それもこれも、彼のおかげ。

 

 良かった。

 

 彼の言葉を受け入れて、存在を受け入れて、手伝ってもらえて、ルームメイトで。昨日の私に会ったのなら言いたい、素直になれと。

 

 それだけに申し訳ない。彼を付き合わせてしまった。

 

「いいって。怒られるだけだから」

「でも……」

「死ぬわけじゃない。やり直しは効くんだからさ。今日の失敗は、明日取り戻せばいい」

「………凄いね。そんなふうに思えるんだ」

「凄いのかな? 今日の時間は確かに帰って来ないけど、取り戻す事は難しくないでしょ? 先生から聞けばそれでおしまい。二度と会えなくなるとか、そんな深刻なことじゃないよ」

「………そうだね」

 

 間違ってはいない。言い方は悪いが、所詮は入学したての一年生向け授業。自習するなりすれば直ぐに遅れは取り戻せる。人間関係は………まぁ、何とかなると思う事にしよう。

 

 今は、得られたことの大きさに喜びたい。

 

「ご飯、いこ。は、銀君」

「………そうだね。簪さん」

 

 彼とルームメイトになって二日目。私は入学して初めて心からの笑顔を浮かべることができた。

 




ちょっとチョロインっぽくなりすぎたかなぁ………心配

そうそう、感想でこんなものが届きました。


『髪飾りと簪が何処にあるのか気になる』


今回の話しの中にもちょろっと書きましたが、簪は左則頭部、髪飾りは左側の前髪を纏めるようにつけています。


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006 ワタシのキモチ

お久しぶりです、トマトしるこです。

約二ヶ月近く音沙汰が無かったことをお詫びします。めちゃしこ忙しくててがつけられず、これだけでなく他もまったく次話に手がつけられていないのが現状でした。

今年も残り二日、なんとか一話ずつ更新したいですね。

久しぶりすぎてヘタクソになっていないか、矛盾起きてないかちょっと心配ですけど……


 非常に気まずい。

 

 二日目にして女子と並んで歩いていることじゃない、戦争に勝った軍隊が凱旋するように人で道ができたわけでもない。………現実に道ができてはいるんだけど。

 

 何がって?

 

「よう。今日はどうしたんだ?」

「あはは……ちょっとね……」

 

 授業をサボったくせに平然と食堂を歩いては不調を見せることなくご飯を食べていることが、ひっじょーーーーーに気まずい。心配そうに話しかけてくれる織斑君には申し訳ない気持ちだ。一緒にいた篠ノ之さんは敵を見るように僕を睨んでいるので、彼女は僕と織斑君が話すのをよく思ってないらしい。単に僕を嫌っているのか、それとも………

 

「そっか、電話もできないくらいキツかったんだな」

「ん?」

「職員室まで行かなくても欠席の連絡ぐらいはできるだろ? それすらできなったんだからそうなるじゃないか」

「………まぁ、そうだね」

 

 考え事をしていたんだけどね……都合いいし、便乗させてもらおうかな。適当に勘違いしといて。

 

「そっちの人は知り合い?」

「ルームメイトのーーー」

「ご馳走さま。行こう」

「うえぇっ!? ちょ!」

 

 簪さんを紹介しようとして顔を右に向けると、いつの間にか右手をがっしりと掴まれて、気がつけば僕は無理矢理引きずられながら食堂を後にしていた。さよなら、ポテトサラダ。

 

 それからも暫く振り回されるような速さで校舎をグルグルと歩き回り、ようやく足を止めたのは二十分後のことで、食堂からも寮からも離れた海がよく見えるベンチに腰かけた。

 後から知ったけど、ここは海の向こうに日が沈む瞬間がよく見えることで有名らしい。周辺には何もないくせにベンチが設けられているのはそういうことだ。

 

 荒れた息を整えてから、理由を尋ねる。

 

「どうしたの?」

「………」

 

 俯くばかりで何も答えようとしない。短くはない髪のせいもあって表情を伺うことも難しいし、ただ右手を待機状態の指輪ごとぎゅっと握りしめていた。

 

「打鉄弐式に関わること?」

「………」

 

 黙って、頷く。

 

 整備室を出たときは誰が見てもわかるほど上機嫌だった。話が膨らめば笑顔も時々見せてくれていたし、食堂で蕎麦を啜っていた時も美味しいと楽しそうに呟いていたのに、今では泣きそうな雰囲気すら漏れている。

 そう、多分…………織斑君と篠ノ之さんが話しかけてきたときだ。どちらかが、或いは両方が影響を与えているんだろう。

 

 とても大事なことで、彼女にとっては悔しいことのはずだ。会話すら耐えられないほどに。僕はその理由を知る由もなければ、そこまで深く関わろうとは思わない。

 

 これからの学園生活で長く世話になる相手なのは間違いない。部屋替えがあったとしても、何らかの付き合いはあると思う。クラスが違うからといって二度と会わないわけじゃないんだ。だからこそ僕に付きあわせてしまう申し訳無さを感じていたし、楽しい生活を送りたいから、友人がほしいから仲良くなった。

 言ってしまえばただそれだけの関係だ。特殊な事情で選ばれたルームメイトでしかない。僕を守ってくれる反面、僕を見張るカメラでもある。簪さんは消極的みたいだけど、聞くだけなら十分に煙たい話だ。

 

 面倒事なのは間違いない。彼女ですら処理できないことを僕にどうにかできるものか。むしろ面倒を増やすことだってあり得る。

 

 それでも―――

 

「愚痴でも聞こうか?」

 

 ―――はじめての友達を見捨てられるほど薄情ではない。僕にできる最大限のことをするだけだ。彼女の我儘に付き合うと言ったのは僕なんだから。できることは少ないけれど、最低限のできることはやろう。

 

 彼女はただ、左手を右手で握りしめて頷いた。

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 愚痴を聞くにはあのベンチはちょっと寒いし、人に聞かれでもしたら次の日どうなることやら。場所を僕らの自室に移す事にした。何せ、簪さんが今から話す事は織斑君と篠ノ之さんが絡んでいる可能性がかなり高いのだ。方や世界最強の弟にして男性操縦者、もう片方はISの母である束さんの実の妹。誰かが聞いてぽろっと漏れた時、入学したばかりで二人がどういう人なのかも知らない生徒や先生は、理由もなく二人を庇って、理由もなく簪さんを責めることだって十分あり得る。というかその可能性が高い。

 

 織斑千冬と篠ノ之束という名前はそれだけの影響力を持っている事を、僕はよく知っている。

 

「何か飲む?」

「………アイスココア」

「ん」

 

 湯を沸かす時間が勿体ないので、パウダーと氷に水を混ぜて簡単に作ったものを渡す。僕は常備しているお茶をカップに注いで向かいに座った。

 

 お互いに一口つけて、机にカップを置く。

 

「今から言うことは、まだ誰にも言っちゃ駄目なこと。後で知ることになるとは思うけど」

「僕には話してもいいの?」

「そこに原因があるから」

「ああ」

 

 それもそうだ。でなきゃ初対面の彼とイザコザが起きるなんてありえない。

 

「……織斑一夏には専用機が用意される」

「この時期から? 基本をしっかり押さえてからと思ってたよ」

「少しでも多くのデータが欲しいからって。どうせだから『白式』で基本も学ばせて経験値をあげるつもり」

「『白式』って?」

「彼の専用機。高機動格闘型の第三世代」

「詳しいね」

「白式の作成を依頼されたのは、打鉄弐式を作成する倉持技研だから」

「………」

 

 そういうこと。

 

 今日手伝っている間ずっと引っかかっていたんだ、どうして個人で機体を作成しているのか。それも、組み上がった後のシステムだけという中途半端なところだけ。

 企業お抱えの操縦者だろうが代表候補生だろうが、彼女らに任される専用機は最新の技術を積んでいる。つまり、それは今までの技術の結晶でありこれからの技術を支える希望や布石だ。それを途中で投げ出すなんて余程の事が無い限りは起きない。

 

 それこそ、男性操縦者が現れ、彼の専用機を作成するという垂涎の依頼でもない限りは。

 

 技術者は自分らの腕で食べている。養ってもらえる人間がする小遣い稼ぎのアルバイトやパートじゃないんだ。俗っぽい話、食べるためには常に腕を磨いて自社の魅力を売りださなければならない。本人達は機械が弄れるならそれでいいような変態ばかりらしいけど……。

 

 生きるために働く。その為に技術者は学ぶし、新しいものを生み出していく。

 

 もし、今あるものを生み出す事より数倍以上の利益を生むことができるのなら? そのチャンスが目の前にぶらさがっているとしたら?

 

 企業としては………利益を追うのなら食いつかないはずが無い。

 

「倉持技研の人達は、作製途中の打鉄弐式よりもまだ見ぬ白式にお熱なんだね」

「そう」

 

 単純に、打鉄弐式よりも白式の方が“イイ”ってだけのこと。

 

 もはや時代遅れになりつつある第二世代を組むよりも、全てが未知数に包まれている第三世代の方が旨みがあるのは誰が見たって分かることだ。

 だからと言って今まで心血注いで作ってきたものを途中で放り出して、新しいものに飛びつくのはどうかと思うけどね。

 

 簪さんは人形じゃなくて人間だ、打鉄弐式……ISコアにだって人格や心と呼べるものがある。もういいやと投げだされた側の気持ちをもう少し組んでやるべきじゃないだろうか? これじゃあ歩き方を教えてもらう前に捨てられた赤ちゃんだよ。

 

「打鉄弐式の作製に入ったのは去年の夏。設計図を直ぐに引いて組み立てに入って、今の状態まで進んだのが丁度今年一月下旬」

「そこで高校入試があって、織斑君がIS適正を持っていることが分かって倉持技研に依頼が来た、と」

「最初は白式開発のスタッフだけで作業していたんだけど、人手が足りなくなったみたいで、打鉄弐式のスタッフもそっちに割かれた」

「倉持技研は小さい企業なの?」

「……多分、日本で一番進んでいる所だと思う。専用機の依頼が来るぐらいだし。勿論、人はたくさんいるよ」

「なら―――」

「未知数だからとか、候補生なら日本にとって良い方を選べ。そう言われた」

 

 それは………卑怯だ。正論だけど、気持ちを踏みにじる卑怯な言葉だ。気が強いわけでもなく、はっきりと物を言える性格じゃない簪さんにそんなことを言えば断れないのは、付き合いの短い僕だって分かる。

 

 彼女にそう言い放った人は、確信を持ってそう言ったに違いない。とんでもないクズだ。

 

「……偶然、聞いちゃったの」

「何を?」

「………旧式を組み立てるのはもう飽き飽きだ、って」

 

 担当になった人が偶然そちらに興味を惹かれた……というのは都合のいい解釈かな。何にせよその人物は技術者失格だ。組み上げる新型を旧式呼ばわりし、責任放棄したのだから。

 

 それに大した腕も無さそうだし。

 

 IS作成で最も手間と時間が掛かるのは中身の部分……つまり、今簪さんが一人で手掛けている部分だ。前にも誰かに言った気がするけど、機体を組むだけなら時間なんて掛かりはしない。緻密な設計図と、人員と設備があれば尚のこと。倉持技研が日本国内でトップの位置にいるのなら、組み立てだけで半年もかかる方がおかしいんだ。

 同時進行でもしていればまた話は違ってくるけど、ゼロの状態から簪さんが作製に入っているのを見るあたり下積みは無さそうだから……。結果的ではあるけれど、引き取って正解だったのかな。

 

「新型の建造に関われるのはとても光栄なことだし、惹かれるのも分かる。私が代表候補生だからっていうのも承知の上。彼もただISを動かしただけで、何の関係も無い」

 

 机に置いていたカップを手にとって煽り、一気に飲み干しておかわりを要求してくる。時間が経っていたから沈澱してあまり美味しくなかっただろうに。

 

「どうしようもない、仕方のないこと、だよ」

「納得できていないじゃないか」

「できるわけ、ないよ。自分が我儘言っているだけだっていうのは分かっていても」

 

 受け取ってもう一度同じ様にココアを淹れて渡す。

 

 担当者も中々だけど、簪さんも気持ちの整理が出来ていないのか。理解はしてるけど納得してないって感じだ。靄が取れないままだから、白式を受け取るだけで事情を知らない織斑君に苛立つし、対して関係のない彼に八つ当たりする自分にも苛立っている。一番は酷いことを言った人だろうけど。

 

 何とかしたいけど………そうだ!

 

「じゃあさ、僕らで最高の打鉄弐式を完成させよう」

「?」

「要は途中で放り投げた倉持技研が原因なんだよ。入学までには完成していただろうし、織斑君に苛立つことも無かった。だから、ここで倉持技研が完成させるはずだった打鉄弐式以上の打鉄弐式にしてしまえば、自分で引き取ってよかったってとりあえずは思えるでしょ? お姉さんにいい所を見せるチャンスでもあるんだしさ」

 

 強引だけど、コレぐらいはしないとね。ぶっちゃけ方法はどうでもいいんだ、簪さんが納得できるのであれば。折角同じ学校にいて、同じ日本人で、同じ倉持技研製の機体に乗るんだから仲良くできる方がいい。

 

 より一層集中できることだろう。

 

「大丈夫、最初からそのつもりだから。……彼を見て、ちょっと思い出しただけ」

「そっか」

「ごめんなさい。聞いてほしかったの。ありがとう」

「どういたしまして、でいいのかな?」

「うん」

 

 調子を取り戻したのか、またにこりと笑って返してくれた。大分笑顔が増えてきたようで何より、不快に思われていないと分かるので助かる。

 

 ぐぅぅ~

 

「………」

「………」

「………食堂開いてるかな?」

「もう閉まってると思う」

「何か作るね」

「手伝う」

 

 多分アレだよ。安心したからお腹が空いたんだよ。決してエアブレイカーなわけじゃない。

 

 くすくすと笑われながら、僕は重たくなった腰を起こした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スイッチを入れて温度調節、三十八度の程よい温度の湯が身体を打つ。寮に備え付けのシャワーは綺麗だし広いから好きだ。大浴場も今の時間は開放されているけど、行きづらいし、私よりも大きい子を見ると殺意が湧くので行きたくない。どこが大きいとは言わない。

 お姉ちゃんとエンカウントした時が一番最悪だ……あの、篠ノ之さんも敵。

 

 ………どうして私はこんなに小さいんだろ。豆乳こっそり飲んでるのに。

 

 ぐすん。

 

「銀君は……どうだろう?」

 

 やっぱり大きい方がいいのかな?

 

 ……いやいや、彼は関係ないでしょ。何を言ってるんだろ。

 

 でもでも気になるな……。

 

「どうしたんだろ、私」

 

 最近……というか学校に来てから自分が今までと別人のようだと思う。親しい本音でさえそう言うし、誰よりも私自身が変わっているという自覚がある。それが良いのか悪いのかまでは分からないけど、本音曰く「ずっと明るくなったねー」らしい。

 確かに、気が楽になった。作業は進むし、心配だったルームメイトはとても親切でこんな私にも親身になってくれる。気が利いて美味しいココア淹れてくれるし、私の知識にもしっかりついてくるし、さっき食べた缶詰をアレンジした料理は上手に出来てたし、女子の私が羨むぐらい可愛いし、髪も飾りも綺麗で肌もすべすべでさわり心地いいし、自分だって辛いのに気遣ってくれる優しさや相談に乗ってくれる懐の広さに偶にぐいっと引っ張る男の子っぽさもあって………

 

「簪さーん」

 

 そうそう、ああやって名前で呼んでくれる男の子なんて彼ぐらい……

 

「簪さーん」

「ひゃっ!? はっ、銀!?」

「うん。昨日ちょっと機械の調子がおかしかったから気になったんだけど、大丈夫? 急に冷水が出たりしてない?」

「えっ………特には、ないけど」

「そっか。驚かせてごめんね。ごゆっくり」

 

 洗面所の更に奥にあった人の気配が少し遠ざかっていく。ほっ、と溜息が漏れた。

 

 それにしても、本当にどうしたのかな。一人の時間が出来たら銀君の事ばかり考えてる気がする。会ってまだ二日しか経っていないのに……。

 

 でも、今の私はとても満ち足りている気がする。打鉄弐式の事だけじゃない、他の何かがそうさせている。

 

 鏡に映っている私は、両手で胸を包みながら幸せそうな顔をしていた。

 

 銀君は織斑君とは違う。何も奪わない、与えてくれるし、支えてくれる。

 

 私は………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今の僕はれっきとした学生だ。いや、入院中も学籍はあったんだけど通っていなかったからノーカンってことで。

 サラリーマンがパソコンとにらめっこしたり会議を開くのが仕事なら、僕ら学生はペンを握って勉学にいそしむのが仕事だ。世界を支えるために、夢をかなえるために、金を稼ぐために、生きるために。理由は千差万別だろうけど、勉強することに変わりない。学校にいる以上、学ぶことは義務である。

 

 二日目の様なおサボりを何度もするわけにはいかないので、三日目からは普通に起きて登校し、授業が全部終わってから第一整備室で簪さんと合流するのが習慣になっていた。

 

 今日で七日目。入学して一週間が経過している。

 

 勿論これから打鉄弐式の作製に入る………つもりだったんだけど、別の予定が既に入っている。

 

「模擬戦?」

「そ、前に話さなかったっけ。イギリスのオルコットさんが織斑君と決闘するって」

「あぁ……あったね」

 

 入学早々に問題を起こした二人は今日決闘することになっている。勝った方がクラス代表になるわけだけど……どうみても千冬さんがややこしくしてるっていうね。

 

「そうなの?」

「だって織斑君はやる気が無くて、オルコットさんは自分がやりますって言ってるんだよ? 素人でやる気のない人と、経験があってやる気のある人ならどっちを推すのか何て明白でしょ」

「織斑先生はどうしても織斑君にクラス代表をやってほしいの?」

「経験を積ませたいんだと思うよ。男がIS操縦に関わるなんて前代未聞だからね、これから面倒事に絡まれるのは目に見えてる」

「まぁ、そうだけど………今日は見に行くの?」

「自分のクラスの事だからね。それに、白式が気にならない?」

「………行く」

 

 明らかに嫌そうな顔をしていたけど、白式を口にしたら一瞬にして候補生の顔になって手のひらを返した。どっちがクラス代表になろうがぶっちゃけどうでもいいけど、勝負の行く末は気になるし、イギリスのISと白式も気になる。実際の戦闘を生で見るのは初めてだし、純粋に興味もあるんだよね。

 

 見たくも無い簪さんには悪いけど、今回は僕の我儘に付き合ってもらおうかな。彼女だって得る物があるはずだし悪い事じゃないさ。

 

 場所は第三アリーナ。話を聞き付けた生徒は学年問わずにわらわらと集まっては、観客席に座って今かと待っている。一組の皆は大体一ヶ所に集まっているみたいだけど、あまり仲の良い人はいないし、偶然にも隣の席だった布仏さんは別の人と観戦するみたいで塊の中にいて楽しそうに話していた。今は簪さんと一緒だし、離れたところで観戦しよう。

 

「そういえばさ、簪さんは四組だよね。クラスの人とはどうなの?」

「私? 最近になってちょっと話せるようになってきた。クラス代表だし」

「え、そうなの?」

「候補生だから」

「ああ」

 

 機体は未完成なのにね。

 

「知ってる? あと一ヶ月もすればクラス代表だけでトーナメント戦が行われるの」

「へぇ。もしかして、敵情視察かい?」

「素人に喧嘩を仕掛ける候補生なんて、敵じゃない。気になってるのはどっちがクラス代表になるかだけだから」

「おおぅ、けっこうキツイね」

「候補生なんてこんなものだよ。大小差はあるけどプライドの塊だから」

「簪さんにもある?」

「勿論。操縦者にとって肩書きは誇りだし、専用機は憧れだよ」

 

 僕にはよくわからないな。入院している間はISなんて知らなかったし、束さんに引き取ってもらってからはずっと傍にISという存在がついて回っていた。左腕には卵があるし、身体が良くなるまではISを使って生活していたし、ちょっとドアを開ければパーツが転がっていることなんてザラにあったしなぁ。

 

 どうやら当たり前の様にISが傍にあることそのものが異常らしいね。気を付けよう。

 

 お、出てきた。

 

 左側のピットから出てきたのは青い機体。大きなライフルが目を引く射撃型だ。どう見ても白くないし、金髪の女子が操縦しているのは見えるので、あれがオルコットさんの専用機ってことか。

 

「簪さん、知ってる?」

「イギリスの第三世代『ブルー・ティアーズ』。見ての通り射撃型で、『ビット』っていう小型の遠隔操作BTライフルが特徴なの。ほら、あの浮いているユニットに接続されているでしょ」

「あれがビットかぁ。彼女、適正高いのかな?」

「じゃないと試験機任されたりはしないと思うけど……」

「オルコットさんには悪いけど、参考にはなりそうにないや」

 

 機体コンセプトや武装が別のベクトルだし。

 

「あ、こっちも出てきたね」

「あれが……」

 

 オルコットさんが出てきた方とは真逆から機体が躍り出る。

 

 お世辞にも白とは言い難いテストモデル全開な機体だ。背部のスラスターの大きさや上半身の装甲の薄さや少なさからして防御よりは機動を優先したベーシックなフォルムをしている。ぱっと見たところ、特別な装備は見当たらないけど、簪さんが言うには第三世代なんだよね……。どんな装備を積んでいるのやら。

 

「あれ………」

「どうしたの?」

「……初期状態のままなんだけど」

「というと、織斑君向けのセッティングが済んでないということ?」

「多分。普通、専用機を作る時は搭乗者のデータを先に入れてから作り始めるけど、織斑君の場合は逆だから。前に倉持技研で見た時と変わってないから……」

「それって専用機って言えないんじゃ……」

「うん。試合中に初期化と一次移行を済ませるつもりだよ」

「メチャクチャやらせるなぁ。ちふ……織斑先生らしい」

 

 人前で一生徒が千冬さんとか言ったら馴れ馴れし過ぎてファンの人からなんて言われるか分かったもんじゃない。簪さんは気にしなくても回りで観戦している人が怖いね。この学校、千冬さんのファンが殆どだし。

 

 試合開始のブザー鳴る。

 

 オルコットさんが先手を奪い、予想通りの展開で試合が始まった。大型ライフルを活かして距離を離して狙い撃つ様は映画で見る狙撃主そのものだ。実に綺麗なフォームで、よく訓練していることが窺える。

 対する織斑君はまだ操縦に慣れていない様で、上手く制動をかけられずにいる。それでも紙一重で避け続けるあたり流石としか言いようがない。まだ白式が馴染んでいない上に二回目の操縦でよくあんなに動けるものだ。元々身体は鍛えているみたいだし、あの様子じゃ何かスポーツをしていた様にも見える。

 

 白式が展開した武器は何とブレード。飾り気も無ければ何の特徴も見られないただの剣だった。多分、まだ一次移行が済んでいないから機能が引き出せないんだ。

 

 この勝負、織斑君が勝つためにはまず一次移行が済むまで最小限のエネルギー消費で逃げきることが大前提だ。それまでに慣熟まで何とか済ませて距離を詰めるだけのテクニックを身につけなければ折角の武器を活かせない。銃じゃなくて剣を出すって事は、銃が無いか剣に慣れているか。わざわざ後者を選ぶ素人がいるはずもないし、多分武器はアレだけのはず。随分と偏屈な機体だなぁ。

 

 元々負けて当たり前の試合だ。オルコットさんの勝ちは殆ど確定しているようなもの。見どころはどれだけ織斑君が食い下がるか、だね。

 

「彼は筋がいいかい?」

「………癪だけど。血は争えないっていうのかな」

「それは君にも言えることだよ」

「………銀君?」

「ごめんごめん」

 

 簪さんはもっと自分を高く見てもいいんだよ。自分で機体を完成させようって発想そのものがずれているって事に気付いてないのがらしいけど。

 

「さっきの話だけど」

「どの話?」

「やる気があるとか無いとかの……」

「あー、うん」

「銀君は、どうなるの?」

「僕?」

 

 予想もしていない角度からの変化球にフリーズしてしまった。てっきり何が起きるのかとか聞かれるのかとばかり……。

 

「織斑君には専用機が付くし先生もいるけど……銀君はどうなの?」

「男だからって二つもコアを割くほど余裕があるわけじゃないし、機体は無いだろうね。先生も一応僕のことを見てはくれているし、何より簪さんがいるじゃない」

「そ、それは……ってそうじゃなくて、その……影響力っていうか……」

「あー」

 

 影響力。言い方を変えれば社会ステータス、箔がつくか否かってことかな。織斑君で言う千冬さん、篠ノ之さんで言う束さんの様ないわば後ろ盾やスポンサーが居ないこと? それとも僕自身の社交性その他諸々?

 

 言えないだけで、僕は十分以上にあるんだけどね。束さんと千冬さん両方の庇護下にあると言えば世界でも指折りの安全性を得ていると言っても過言じゃない。機体は無くてもある程度なら卵の皮膜装甲が守ってくれるし。

 

「………」

「簪さん?」

 

 それだけ言ってしまうと急に黙りこんでしまった。試合も気になるけど、隣で俯かれると放っておくわけにもいかないし……集中できない。

 

「機体の搭乗時間はどれくらいある?」

 

 声をかけようとしたところで逆に質問された。しかも場にそぐわない。でもまぁ無視もできないよね。何らかの意図があってのことだろうし。

 

「えっと………」

 

 正直に答えようとしたけど一瞬詰まった。

 ISとして完成されたものであれば、授業中と放課後の打鉄弐式のテスト時ぐらいしかないから精々五時間がいい所。だけど、病院を抜け出してから自分で歩けるようになるまでは脚部だけのISでPICを使いながら生活していたから……それも込みで考えるなら、最低でも五ヶ月は装着しっぱなしだったから三十日×五ヶ月×二十四時間で三千六百時間。最低でこれならどこの候補生ですかねぇ。

 

 うん、誤魔化そう。

 

「多分、多めに見積もっても八時間ぐらいかなぁ」

「………ん。来て」

「えっ、ちょ、ちょっと……!」

 

 返答を聞いて数秒考え込むと、簪さんは僕の右手を取って歩き始めた。急な上に早歩きなものだからこっちがこけそうだ。

 

「し、試合は見ないの?」

「あとで学園のデータベースから見ればいいから」

「どこに向かってるのさ。は、早すぎてこけそうだよ……!」

「ごめん。いつ試合が終わるか分からないから」

 

 それ以上は答えない、時間がもったいないから。そう言わんばかりの慌ただしさで観客席を出た後、何時になく急いだ様子で階段を駆け上がった。

 

 ノックもせずに入った部屋には篠ノ之さんと山田先生に千冬さん。どうやら管制室らしい。こういうところは生徒立ち入り禁止だった気がするんだけど……いいのかなぁ。

 

「名無水……と、あの時の……」

「だ、ダメですよ! ここは先生しか入っちゃいけないところですよ?」

「織斑先生にお願いがあって来ました。それに、篠ノ之さんが既に入っているのですから問題ないでしょう?」

「あ、そうなんですか。………あれ、そう言えばどうして篠ノ之さんがいるんでしょう?」

「山田先生……」

 

 大丈夫かなこの人。良い人すぎて天然になってるよ。

 

「ん? 更識の妹に……名無水か。何の用だ?」

「いえ、用があるのは僕じゃなくて簪さんで」

「ほう? 名前で呼んでいるのか? あまりたぶらかすなよ」

「た、たぶらかすって……」

 

 あなたの弟さんと一緒にしないでください。

 

「それで、どうした?」

「はい」

 

 いつも以上にしっかりとした返事で答えた簪さんは僕をぐいっと前に押し出してこう言った。

 

()に……オルコットさんと織斑君の二人と模擬戦をさせてあげてください」



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007 銃の矛先

「更識」

「はい」

「お前にはある程度名無水の容体に関して伝えているはずだが?」

「知っています。ですが、授業では一般生徒と同じように機体に乗せていると聞きました」

「歩行と滞空だけはな。ランニングや高速機動などはさせていない」

「それが彼の為になると?」

「ふむ……何か考えがあるようだな? 言ってみろ」

「銀、には専用機が無いからです。急な事態に対応することもできず、身を守る事も出来ません。男である以上何らかのトラブルに巻き込まれるのは明白なのに、織斑君には術があって銀に無いのはおかしくは思いませんか? ある程度一人で生きのびるだけの実力が彼には必要です」

「そうなっても守るために我々教員やお前が居るのだろう?」

「二十四時間三百六十五日、ずっと銀の傍に居れるわけではないでしょう。寝ている間、授業中、お風呂……傍に誰も居ない、気付かれにくい場面なんてたくさんあります」

「四六時中ボディーガードを張り付ければいいのだな?」

「それは嫌だなァ………」

「「………」」

「あ、何でもありません。どうぞ……」

「はぁ……では専用機をつけてやればいいのか?」

「織斑君というこれ以上ない適任がいるというのに、彼にコアが回ってくるとでも?」

「………ああわかった、降参だ。名無水銀の、模擬戦参加を許可する。まったく、ああ言えばこう言うところは姉そっくりだ……」

 

 ガリガリと頭を書きながら溜め息をつく千冬さん、後ろ手でガッツポーズを決める簪さん。おいてけぼりの僕と山田先生。終始不機嫌そうな篠ノ之さん。

 

 ………なぜだろうか? 僕の了承も無く、模擬戦参加が決まってしまった。先生が前にダメって言ったはずなんだけどなあ……。

 

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい」

「えーっと……」

「本当に……ごめん、なさい……」

「わわ、泣かないでよ!」

「でも……」

「いいから」

 

 管制室を出てからロッカールームに入ると、簪さんは崩れ落ちるようにしがみついてきて泣きながら謝り続けた。端から見れば運動音痴の人に公式戦に出てこいと言ってるようなものだし、僕もそんな気分だから、謝ることは分かるけど……分かっていながらどうして?

 

「考えあってのことだよね?」

「……今は、言えない。まだ」

「いつか話してくれる?」

 

 無言で頷いてくれるのを見て、ほっと安心した。僕のためを思ってのことだと信じよう。

 

「それで、何をすればいいの? 勝てる見込みなんてないんだけど……」

「食らい付いて。無理をしない程度でいいから。ただ、織斑一夏には負けないで」

「ええー? 織斑君に勝てるかすら分からないよ?」

「ダメ」

「……なんか、意固地になってない?」

「ちっ、違う! ……彼にだけは、負けてほしくないの」

「む、難しいこと言うなぁ」

 

 搭乗時間なら僕の方が圧倒的に長いけれど、僕の場合は本当に乗っていただけでブースターに火を入れたことはない。武器を握ったこともなければ、殴ったり蹴ったりもしたことない。もっと言えば生身で人を叩いたことだってないんだ。

 

 彼は結構鍛えているみたいだし、昔は剣道をやっていたって聞いたから荒事も少しは経験がありそうだ。何より一度戦闘を経験した。そして、さっきちらっと見たけど一次移行を済ませている。

 

 量産型を更に抑えた訓練機でどこまで戦えるのやら。銃の握り方から教えてほしいんだけど……。

 

「ど、どうやって戦えばいいのかな? そこからなんだけど」

「機体のアシストレベルを最大に引き上げる。細かな狙いは機体に任せて、銀は撃つだけでいい」

「うーん、まぁなんとかなるか」

 

 着替えを済ませて今度は訓練機が収納されている格納庫へ。ここはいつも一組と二組が実習で使っているアリーナだから………あ、いたいた。

 

「やあ。急だけど今日はよろしく。専用機と戦うことになったけど、一緒に頑張ってくれるかい?」

 

 探していたのは、いつも実習で僕が乗っているラファール・リヴァイヴ。この子は僕の身体をとても気遣ってくれる優しい子で、僕の操縦を繊細で心地がいいと褒めてくれた。

 訓練機に性能の違いなんて全くない。それこそ打鉄かラファールかの二択だ。どうせ好き勝手に機体を選ぶことが出来るのなら、僕は迷わずにこのコアを搭載した機体を選ぶ。

 

 ISコアには個々に意識がある。声がはっきり聞こえるわけでもなければ、それらしきものを感じ取っているわけでもない。ただ直感や雰囲気を読みとって返事をくれていると思っているだけ。ただ、間違えているとは思わない。卵のおかげなのか、僕には確信があった。

 

「………ありがとう」

「決めた?」

「うん。このラファールだよ」

「乗って。調整する」

 

 指示通りに従う。装甲にそっと手を触れると、コードを発信したわけでもないのに機体が装甲を開いて人間を受け入れる形をとった。僕を歓迎してくれているんだ。よじ登って腕と脚を通すとまた機体が装甲を閉じて、システムが起動する。全天周の視界に切り替わり、網膜に機体の情報が表示された。

 

 各種エネルギーは全て満タン、どこにも問題は起きていない。ただし武装が何も無いのでこれから選ぶ必要がある。

 

「そう言えば、調整って何するの? 万全の状態だけど」

「設定を弄る」

「えっ? 訓練機は先生が監督している間だけしか変更しちゃいけないんじゃ……」

「許可は貰って来た。これくらいのハンデも無しに勝てるわけないから」

「そっか。どう変えるの?」

「ラファールの素早さを活かしたいところだけど、そんな機動はできないだろうから防御を厚くする。武器は何を使うか考えている?」

「一番嬉しいのは無反動砲かな。光学系も反動は無さそうだけど、使えるのかな?」

「あるにはあるけど、初見で扱うのはまず無理……光学系は、多分無い」

「なら、威力重視の単射式にしよう。連射は反動を抑えられそうにないから……」

「うん。探してみる」

 

 撃つだけでいいような設定にしても、連射式だといずれ照準がズレにズレる。自力で戻すような技量も無いし、ISのパワーアシストを受けても僕の筋力が足りない。どうせ反動を抑えきれないなら当てやすくてダメージを多く与えられるバトルライフルやバズーカ、グレネードの方が効果的だ。

 

 簪さんを待っていると、いきなり幾つかの情報がダウンロードされ表示される。武装リストだ。まだ領域内に格納していないので、多分簪さんが送ってくれた要望に合う装備一覧だろう。

 

「それの中から詰められるだけ詰め込んで。でも、近接用の武器と連射武器は一つだけでもいいから必ず持っていって」

「僕、使い方とかさっぱりだけど」

「さっぱりでも。織斑一夏はがっちがちの近接型だから」

「じゃあ―――――で」

「ん」

 

 指定した幾つかの武装が直ぐにピックアップされ、拡張領域の容量計算や、装備時の問題点などが検査され………クリア。格納庫端にある武装庫がガコンと稼働し始め、僕が装備する武器が次々と吐き出されて来た。一つ一つ手にとって、感触を確かめたり構えてみたりして格納する。

 

「銀」

「うん?」

「こんなことをさせる私が言うのも変だけど……無茶したり、怪我しないで……ね?」

「頑張るよ」

 

 お互いに二コリと笑って、視線を合わせた。

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 

 簪さんは格納庫で別れて管制室に戻ると言って来た道を帰って行った。僕は格納庫のさらに先に進んで、アリーナの出入り口……ピットに入る。すると、織斑君が山田先生から説明を受けながら補給を行っていた。

 

「あれ? なんで名無水がここにいるんだ?」

「あはは………色々とあってね、僕も混ざる事になったんだ」

「身体、大丈夫なのか?」

「やってみないことには分からないかな。自分の限界を知る意味でも、いいチャレンジだと思うよ」

「あんまり無理すんなよ」

「そうする」

 

 隣に並んでコンテナに腰掛ける。隣の織斑君……白式は観客席で見ていた時とはまるで別の機体に変わっていた。グレーだった装甲色は名前の通り白を基調とし、継ぎはぎの備品で作ったような装甲は新品に貼り替えられたように洗練され、特に目立ったのが巨大化した大型スラスター。……うん、専用機だなぁ。

 

「先生、順番はどうするんですか?」

「オルコットさんはビットの修復に時間がかかりそうなので、まずは名無水君と織斑君の組み合わせでしましょう。どちらもまだまだ不慣れなところが多いでしょうから、丁度いいと思いますよ」

「よろしく」

「こっちこそな」

 

 ISの拳をガツンとぶつけあい、口角を上げてにやりと笑う。僕がこんなことする日が来るなんてね……人生何があるかわかんないな。

 

「先にいいかな? ちょっと慣らしておきたいんだけど」

「良いぜ。俺は身体暖まってるしな」

「先生ー」

「どうぞー。もうちょっとで終わりますから、長くは取れませんけど」

「はーい」

 

 ありがとうございます、としっかりお礼を言ってからピット奥にあるカタパルトへ脚を乗せる。ガコン、という音が響いて足首から下を固定、視界にカウントダウンが表示され、アリーナ側のハッチが開いた。一瞬の眩しさに目を細めるが、次の瞬間にはISのアシストもあって眩しさは失せ、その先が良く見える。

 

 窓の向こうに見えるのは大勢の生徒で埋め尽くされた観客席。たった一部だけでもアレだけいるんだから……アリーナ全部見渡したらどれくらいいるんだろう?

 

 ……怖いな。

 

 ……でも、やらないとね。成り行きとはいえ、僕がやるって決めたんだから。

 

「ラファール、行こう。僕を連れて行って」

 

 返って来たのは文字でも言葉でもなく、カタパルトのカウントダウンだった。

 

 5、4、3、2、1――――

 

「ぐっ……!」

 

 火が入ったカタパルトは一瞬で最高速に達してあっと言う間に僕をアリーナへと放り出した。Gは結構きつかったけど、その割にそこまでスピードは出なかったので落ち着いて制動をかけて程よい速度に落ち着かせる。

 

 凄い、これが、IS本来の速度。束さんのラボみたいにとても速い。全身を装甲に包まれて飛ぶのは、こんなにも気持ちいいんだ……。周りの視線も大して気にならない、僕だけの時間と空間に居るみたい。

 

「ははっ…」

「楽しそうだな~」

 

 直ぐ後ろから織斑君の声が聞こえた。どうやらもうエネルギーの補充が終わったらしい。本当にすこしだったな、勿体ない。

 

「うん。風を感じるくらい速く飛んだのは初めてだったからさ」

「そういえばそっか。バトルもだよな? でも、手加減しないぜ」

「お互い初心者だもんね」

「そりゃそうだ」

 

 二人してカラカラと笑う。

 

 織斑先生のアナウンスが入り、僕が模擬戦を行うことが発表されて、大型スクリーンにラファールと白式のシールドエネルギーが表示される。守りを固めたラファールのシールドエネルギーは標準よりも高め。専用機ではあるけれど、攻撃に特化した白式との差は広く、数値だけ見れば僕の方が有利だ。

 

 右手にバトルライフル、脚部と背部ブースターにミサイルを展開。簪さんの言うとおり近接武器を乗せはしたけど、あれを使うのは最悪の事態であって今じゃない。予定通り銃火器で攻める。

 対する織斑君は先程と同じようにブレード一本。新しくなった機体には他に装備があるようには見えないし、本当にあれしか武器がないのかも。その分何かしらの仕込みがされていそうだ。

 

 試合開始のブザーが鳴る。

 

「行くぜ!」

 

 真っ正面から織斑君が突っ込んでくる。右手のブレードは刀身が二つに割れて鍔になり、開いた部分から青のエネルギーがほとばしっていた。物理じゃなくてエネルギー武器だったの!?

 

 焦らず冷静に、猪のように突撃してくる白式の左足を狙う。ついさっき教わったとおりに構えて、システムのロックオンに従ってトリガーを引いた。

 

「うおっ!?」

「今のを……避けるんだ」

 

 あの反射神経や危険察知の能力は並みじゃない。五百メートルもないのに、構えて撃ったとはいえギリギリで避けるなんてそうそうできることじゃない。

 

 流石だよ。本当に初心者なのかい?

 

 感心している場合じゃない。避けないと……。

 

「甘ぇ!」

 

 ここで加速!? まだ速くなるのか……!

 

 回避は間に合わないと判断して受け止める方向に切り替える。空いている左手に機体の半分を隠すシールドを展開。吹き飛ばされる覚悟で構えて、ライフルで迎撃。

 

 ただの一発でコツを掴んだのか、偶然か。しっかりと狙って撃った全ての弾丸をするすると避けて、あっという間に懐まで入り込まれた。

 

「らあっ!」

「わあああっ!」

 

 バチバチとブレードとシールドの接点が火花を散らして、ブースターを使った踏ん張りもそう持たすに押しきられ、腕の振り抜きで吹き飛ばされた。

 

 こうなることは読んでいたので驚きはない。PICを使って速度を殺し、悠々とアリーナの壁に着地して直ぐにブースターを使ってとんぼ返り。織斑君へ急接近する。

 

 腕を振り抜いたままの体勢だった彼のお腹に、シールドの尖った端の部分で思い切り突き飛ばす。生身なら貫通する勢いをもろに受けた織斑君が、今度はアリーナの壁へ叩きつけられた。

 

「チャンスだ……!」

 

 畳み掛けて一でも多くのエネルギーを削ってやる。

 

 シールドを格納して左手にグレネードランチャーを展開し、右手のバトルライフルと各部のミサイルと合わせて一斉に白式をロックオンして放つ。

 

「遠慮が……ねぇなっ!」

「手加減しないって言ったのはそっちじゃなかったっけ」

「言葉のアヤだよ!」

 

 迷わずに先頭のミサイルを切り裂いてその場を離脱。ホーミング性能がついていない全弾があっという間に誘爆して消失、グレネードも巻き込まれたし、ライフルの弾も爆風で逸れてしまった。二射目以降はあっさりと避けられてしまったので殆どダメージはゼロ。

 

 手強いったらないなぁ……。

 

 でも、シールドにぶつけて吹き飛ばされた僕と、機体に直接ダメージを負った織斑君との差は変わらない。むしろ開いている。格好の悪いイタチゴッコだけど、これを維持することが出来れば僕の勝ちだ。

 ただし、今の時点で有利な立場にあるだけであって、あの武器の威力と機体のパワーを考えれば簡単にひっくり返されてしまう。気を抜くわけにはいかない。アホな姿をさらしても良いから、少しでも多くのダメージを与えて削りきってしまおう。

 

 ガキッ!

 

「た、弾切れ……?」

「隙あり!」

「うわっ!?」

 

 嫌な音がしたかと思えば、右手のバトルライフルの残弾がゼロになっているのに今気づいた。心なしか最初よりも軽いし、左端の残弾ゲージも真っ赤になっている上に表示が《EMPTY》に変わっている。

 

 動揺しているところを見逃してくれるはずも無く、一気に加速した白式はもう一度剣の間合いに僕を取りこむ。

 

 反射的に後ろへ下がり、鉄の塊になったバトルライフルを織斑君へ投げつけてシールドを左手に再展開。先程と同じように構えた。

 

 左手でバトルライフルを弾いてブレードを両手で持つ。

 

「もうその手は食わねえ!」

 

 その言葉通り、少しばかりの工夫を加えてきた。

 ブレードを振り抜く前に右足で引きはがすようにシールドの内側につま先を引っかけ、蹴り上げると同時にシールドを飛ばされてしまった。しっかりと左手で握っていたつもりだったけど、握力の弱さとパワー負けで持っていかれるなんて……。でも、そんな方法もあるんだね、驚いた。

 

「この……!」

「やらせるかよ!」

 

 空いた両手に武装を展開しようとするも、振りあげられたブレードが振り下ろされて斬られる方が若干早そうだ。展開するのは後にして、今は斬撃を防ぐことを優先しよう。

 

 左脚を身体を傾けながら目いっぱい蹴りあげて、両手でブレードを握っている内の柄側にある左手を蹴り、右脚のスラスターと背中のブースターを全開にして何とか踏ん張る。その姿勢のまま左脚に装備していたミサイルを再度発射。ロックオンせずに撃ちだした。撃てばどこにでも当たるように角度を変えては見たけれど、これも気付かれたらしく首や腰をひねったりと何故か全弾回避。

 直感とラファールの意識が速く離れろと囁き、急いで距離をとろうとするが、左脚を掴まれて地面へ叩きつけられてしまった。

 

「決める……!」

 

 より一層柄を強く握りしめたのが、土煙が立ちこめて視界が煙る中でもよく分かる。

 

 だからこそ、その変化は肌にひしひしと感じた。

 

 白式は……光っている。そしてブレードの刀身がより強い輝きを放ち、長く、太く、密度を増している。

 

 あれは拙い。直感じゃない、これは確信だ。僕はアレの正体を知っている。

 

「零落白夜……! ということはあのブレードは雪片ってことだね。まさか、弟の君も使えるだなんて……」

 

 単一仕様能力という特別な能力が発現することが、ISには稀にある。これはどんな武器でも再現できず、この世に二つとして存在しない文字通り単一の能力(ワンオフ・アビリティー)

 彼が発現している『零落白夜』という単一仕様能力はあの千冬さんが現役時代に使用していた機体『暮桜』が発現したもの。自身の体力とも言えるシールドエネルギーを消費して、シールドエネルギーを含んだ全てのエネルギーと呼ばれるものを消滅させる最強の技。千冬さんがモンドグロッソで優勝できたのは、本人の技量とこの能力が噛み合わさった結果と言っても過言ではない。

 

 その最強の技が今目の前の相手が発動しており、自分を斬りつけようと迫ってきている。

 

 大抵の危機以上の危機だ。

 

 とっさに身体を起こして右手にブレードを展開し、左手で峰を抑えて重たい一撃を受け止める。

 

「その単一仕様能力は……さっき発現したのかい?」

「何だそれ?」

 

 わ、分かってなかった……! 自分が何を使っているのか知らずに発動させているってこと!?

 

 ……いや、これはチャンスだ。逃げきれば勝手にシールドエネルギーを減らしてくれる。細かなオンオフを身につけていないエネルギーだだ漏れの今なら上手くいく。もう一度距離を離せば……!

 

 パワー負けしている事なんて分かりきっていること。現に両手で支えているのにブレードの刀身が少しずつ迫ってきている。でも、ここで無理をしてでも引きはがさないと一撃喰らって負けだ。どうせなら……。

 

「この!」

「ぐあっ!」

 

 今度は右脚のミサイルを全弾発射。さっきの様に避けることはできずに直撃する。ゼロ距離で爆発したので僕も無傷では済まないけど、ダメージと引き換えに白式は離れてくれた。

 

 直ぐに身体を起こして飛ぶ――

 

「げっ……もしかして、今の爆発?」

 

 ――ところだったけれど、ぼふんと爆発の音が聞こえたと思ったら右脚のスラスターから黒い煙が出てウンともスンとも言わなくなってしまった。さっきのミサイルゼロ距離射撃が原因で故障してしまったみたいだ。肝心な時に……いや、仕方が無いのかな。

 

 なら……。

 

 推力のバランスが取れないので両足のスラスターをカット。背中のブースターとPICの両方を使ってホバリング、まずはミサイルの爆発でできた煙から飛び出て様子を窺う。両足のミサイル装備を格納して、左手にアサルトライフルを、右手にバズーカを展開。あの煙の中のどこから出てきてもいいように、中心に狙いを定めて背中を壁に預けて待つ。

 

 ………来た!

 

「いや、違う……!」

 

 飛び出て来た影に向かってバズーカのトリガーを引く。撃ったあとに気付いたけれど、それは白式ではなく僕が投げつけたバトルライフルだった。着弾して盛大に爆発。またしても煙が巻きあがる。

 

「貰った!」

「今度は本物だね……!」

 

 左手の端から地面を這うように現れた白い影に、アサルトライフルを狙わずに撃つ。反動に耐えきれず照準が大きくブレるが関係ない。とにかく撃ち続けた。が、ダメージが全くない。というか当たってない……!?

 

「シールド!」

「盾に許可なんて要らないだろ?」

 

 本来、他の機体の武装を他者が使うことはできない。使うためには、所持者の許可が必要になり、それで初めて使う事が出来る。銃の場合は撃つことが出来ず、近接武器であれば本来の性能を発揮することが出来ない。シールドも同様に防御力の低下が発生するわけだけど……今回は弾の威力が弱いことに加えてそもそも当たっていないので十分な効果を得られているらしい。

 

 ならバズーカで!

 

 引きながらバズーカを撃つ。それに合わせて織斑君はシールドを投げつけてきた。丁度中間地点で接触して爆発。比較的小規模だけれど、またしても白式を見失ってしまった。

 

「どこに……」

 

 反応は……後ろ!?

 

「この……!」

「遅ぇ!」

 

 煙にまぎれていつの間にか真後ろに回り込まれていた。振り向きながらアサルトライフルを盾にバズーカを接射しようと銃口を向ける。

 

 が、間に合わなかった。一太刀でライフルを切り裂かれ、二太刀で胸を切り裂くように右脇から左肩への斬り上げ、三太刀で左脇から右肩への斬り上げ、最後に身体を二つに斬り裂くように横一文字に横を抜けて行った。

 

 零落白夜の四連撃。どれだけ耐久力に自慢のある機体だって耐えきれはしない、必殺はあっという間にシールドエネルギーを空にした。

 

 ブザーが鳴る。

 

 僕の………負けだ。

 

 

 

 

 



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008 四月十三日

いやぁ、お待たせしました。
ちなみに死んでませんので。


 知らない天井が、ゆっくり広がった視界に映る。真四角で真っ白な模様が隅から隅まで……あ、保健室だ。知らない場所じゃないや。

 

 でもなんでここに……。

 

「はろー、気分はどうかな?」

 

 シャーっとカーテンが開けられ、その向こうから友人によく似た女子がベッド脇の椅子に座ってにっこりとほほ笑んだ。

 

 外側に跳ねた水色の髪に真っ赤に輝く赤の瞳。姿勢が良く茶目っ気と気品が混じりあったイレギュラーと呼ぶべきかな。溢れる自信の有り様に、僕でもわかる程凄い人だ。

 

 ルームメイトによく似ている様で真逆なこの人は誰なんだろう?

 

「あの……どなたでしょうか?」

「誰だと思う?」

「えぇ?」

 

 なんかめんどくさい人だなぁ。

 

「分からないから聞いているんですけど」

「アハハハハ! それもそうだね! それにしても、初対面の人によく言えるね、そんな棘のある言葉」

「馬鹿にしてきたのはあなたの方じゃないですか」

「あら? これは失敬。お詫びに自己紹介するから許して?」

 

 返事を聞かずに、目の前の女子はどこからか高級感のある扇子を取り出してバッと開き、口元を隠しながら喋った。扇子には"学園最強"と書かれている。

 

「二年一組、ロシア代表の更織楯無よ。生徒会長なんかもやってるわ。よろしくね、名無水銀クン♪」

 

 つまり、この人は学校の先輩で、国家代表で、多分専用機も持ってて、生徒会長もやってて、簪さんの親族であると。すっごく似てるし、きっと噂のお姉さんだね。

 

「えっと、名無水銀です。はじめまして」

「………あっさりしてるわね」

「そうですか?」

「まあいいんだけど」

 

 扇子を閉じて、観念したように力を抜いた更織さんは、今度はリンゴとナイフを取り出して皮を剥きはじめた。

 

「身体の調子はどう? あなた達の部屋よりも、ここの方が設備がいいから運んだんだけど」

「身体の調子? 普通ですけど。………というか、また僕は倒れたんですか?」

「んー、見て思い出そうか」

 

 懐から……じゃなくて、席を立ってからカーテンの外に出て、物音が数分続いた後に戻ってきたときには、携帯モニターが両手にあった。流石にあれは取り出せないらしい。

 

 更織さんの頭を包むように光が溢れ、ISのヘッドギアが装着された。コードを服から取り出して、モニターとヘッドギアを繋いでアイセンサーで何らかの操作をしていると、いきなりモニターの画面が切り替わる。

 

 ここは、アリーナ?

 

「試合が終わったあと、急に吐血したのよ」

 

 その言葉でようやく思い出すことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 

 やはりというか、負けた。手加減なんてできるほど実力者じゃないから僕なりのやり方で全力を出してやってみたけど……難しいよね。

 

 バタリとグラウンドに寝転がって、大型スクリーンに写し出されているシールドエネルギーを見る。当然、僕の残量はゼロで、織斑君は……たったの六。

 あと……数秒凌いでいれば、何処かで別のアクションを起こしていたら、僕が勝っていたかもしれない。

 

 悔しい、な。でもこれが現実だ。今現在の僕をそのまま表しているようで、悔しい。

 

「げほっ…」

 

 途端に口の中が生暖かくて鉄臭い液体で溢れかえる。喉の奥から湧いてくるそれに溺れる前に、身体を横に傾けて四つん這いになり吐き出す。

 

 血。

 

 分かっていたさ。スポーツだってそうそううまくいかないのに、もっと激しく動くISで無事に済むなんて話ありえない。

 

「………っは」

 

 左足の力が抜けて倒れこむ。べしゃり、と嫌な音をたてて自分が作り出した血溜まりに突っ伏した。

 

 髪飾りと簪を外しておいて良かった。着けたままなら今頃血で染まっている。僕の予感も、たまには当たるらしい。

 

 息苦し い。喉の奥に何かが詰まっているような感覚がする。今日はなんだか、いつもより酷いな……。いっつも思うんだけど、僕にとっての適度な運動ってどれくらいなんだろ?

 

 そうだ、立とう。立ってピットに戻って、格納庫に武器と機体を返して、部屋でゆっくり休まないと。

 あ、でもその前に簪さんに謝らなきゃ。負けてほしくないって面と向かって言ってくれて、武器選びも手伝ってくれたし、僕には出来ない設定いじりもしてくれた。期待に応えられなかったこと、ちゃんと詫びよう。

 ……そう言えば、オルコットさんとも模擬戦やるんだっけ? ビットの修復は終わったかなぁ? ちょっと気になるんだよね、あれ。流石に今すぐはできそうにないから、今度お願いしてみようかな。

 

 結局何をすればいいんだろ?

 

 というか、何をしてたんだっけ?

 

 あれ? 僕、ぼくは――――

 

「名無水!」

 

 誰かが大きな声で叫んでいる。誰かを呼んでいるみたいだ。ズンズンと大きな音を響かせて何かが近づいてくるのがわかるけど……なんで僕のほうに?

 音のする方を向くと、白くて大きな人型の何かが走ってくる。このままだと蹴り飛ばされそうだ、急いで避けないと……って、これ向こうが退くのが普通じゃないかな? でもそんなつもりなさそうだしなぁ。どうしよう……。

 

 手を伸ばせば届く距離まで近づいてきた白の人型は、屈んで僕の様子を窺っている。

 

「おい! 返事しろよ、名無―――

「触らないで!!」

「うお!?」

 

 そんな白の人型を押しのけるように水色の人型が割り込んでぐっと顔を近づけてきた。赤の瞳を潤ませながら、ぼやけた目でもはっきり見える。

 

 見覚えのある顔と機体だ。

 

「銀……はがねぇ!」

 

 何かを僕に向かって必死に叫んでいるのは分かるけど、生憎と聞こえない。

 答えなきゃ。誰なのか分からないし、何を言っているのかも聞こえないけど、彼女の言葉を無視してはいけないと、どこかで理解していた。

 

「…………ぁ」

「あ………」

「ぐ……ごふっ!」

 

 声を絞り出そうと力を込めて口から出たのは、彼女の名前じゃなくて噴水のような大量の血液だった。今までは口の端からこぼれる程度だったのに、今に限って……。

 吹き出た赤は彼女の水色の髪と白い肌を汚し、機体にまで斑点をつけた。眼鏡のレンズは赤一色に染まってもう見えない。

 

 謝ろうと口を開くと、また血が溢れた。今度は僕の顔や身体、ラファールの装甲の色を少しずつ塗り替えていく。

 

「…………っ!」

 

 唇を噛み締めて、両手の血の気が引くぐらい強く握りしめた彼女はまた何かを叫び始めた。

 

「両腕の展開を部分解除して!」

 

 なにやらよくわからない言葉が多々混じっていた。展開? 解除? …………ああ、ISのことね。

 

 言われた通りに展開を解除、ぱしゃりと両腕が血溜まりに落ちて飛び跳ねる。

 

 彼女はぐったりとした僕の身体を起こして左腕を肩に回して立ち上がった。どうやら運んでくれるらしい。が、いつまで待っても浮くことはなかった。

 

「PICの出力が安定しない……こんなときに! スラスターはまだ使えないし……」

「お、おい………運ぶんだろ? 手伝うからどうすればいいのか教えてくれ! 急いで保健室にーー」

「黙って! あなたさえいなければ……!」

「そんなこといってる場合かよ! 俺が何をしたのかは分からないし、知らずに傷つけたのなら謝る! でも今はやることが他にあるだろ!」

「ッ! このーー」

「そこまでにしなさいな」

 

 すぐ脇で口論を始めた二人の間に文字どおり割って入った水色の影。彼女とそっくりな見た目の割り込んだ水色の人型は、宥めるように諭していく。

 

「織斑一夏君、君は先に戻って先生に連絡。担架の用意をお願い」

「え、えっと、あなたは?」

「そんなこといってる場合じゃないって言ったのは君じゃなかったっけ? 分かったらさっさと動く!」

「わ、分かりました!」

 

 織斑と呼ばれた少年は元気よく返事をして飛び立っていった。

 

 残った二人は僕を挟んで向かいあっている。気まずそうな表情の割り込んできた水色の人型と、驚きが隠せていない僕の身体を支えている水色の人型。

 

「……彼を運びましょう。話はその後、ね?」

「……うん」

 

 それからはよく覚えていない。時折動いてと言われたから動いた事が数回、気がつけばベッドの上だった。

 更識さんが見せてくれた映像もピットまで僕を運んだ所で終わったので、その先は知ることができなかったけど、知らなくても問題はなさそうだ。

 

「ということ。どう、思い出した?」

「はい」

 

 朧気な部分がはっきりしたのでたすかる。

 

「で、何か用ですか?」

「用って程じゃないわ。本当に体の調子を確認に来ただけ」

「………」

 

 わからない。

 

 この人はほぼ確実に簪さんのお姉さんだ。彼女の言うとおりなら、完全無欠の美人さん……だっけ? とにかく、普通じゃない。僕との接点なんて簪さんぐらいしかなくて、殆ど初対面のこの人がそれだけで見舞いにくるだろうか? そもそも見舞いに来たのか?

 

 聞けばシスコン全開らしいから、簪さんのことだろうなぁ。気が重い。

 

「妹さんのことで、何か言いたい事があったんじゃないんですか?」

「ん? んー、無いわけじゃないけど、今のところは保留で」

「……」

「そうカリカリしないでよ。おねえさんと仲良くしましょ♪」

 

 怪しい。からかってるのかな? でも悪い人じゃなさそうだし、付き合いがある分には問題はない、はず。

 

「えっと、よろしくお願いします」

「ヨロシクね」

 

 利き腕の右手を出して握手をしようとしたけど、点滴に繋がれていたので左手を差し出す。察してくれたのか、更識さんは扇子を右手に持ち替えて握手してくれた。

 

 ……丁度いい。この二年生と二人きりで会うことなんてこの先早々無いだろうから、この機会に聞いてみよう。

 

 簪さんのことを。

 

「あの、更識さんさえ良ければ聞きたいことが―――」

「更識さんじゃ、簪ちゃんと被っちゃうから名前でいいわよ」

「いえ、その区別は付きますか――」

「何、してるの?」

 

 ピシリ、と空気が凍りつく音がハッキリと聞こえた。幻聴じゃない。

 

 閉じられたカーテンの向こう側、保健医の机や診察台が置かれているスペースから確かに声が聞こえた。鈍い僕でも感じられる気配がする。更識さんは余程鍛えているのか、身体がガタガタと震えてるし。

 近づいてきた声の主はカーテン一枚を挟んだ向こう側にまで寄ってきている。逆光でくっきり影が写し出されて、その形から何となく誰なのかを察した。

 

「簪さん」「か、簪ちゃん」

 

 二人揃って同一人物の名前を口にする。何故かちょっと更識さんに睨まれた。

 

 僕のルームメイトで、更識さんの妹、簪さんである。

 

「具合はどう?」

「大丈夫。少しクラクラするけどね」

「……ん。ちょっと待っててね、部屋まで連れて行くから。はい」

「あ、ありがとう」

 

 少々不機嫌気味な簪さんは、包の中から僕の髪飾りと簪を出してきた。わざわざ持ってきてくれたらしい。慣れたもので、鏡も見ずにするするつける。

 

 にこりと笑って頷きを返してくれた。しっかりついているらしい。

 

 そのまま首だけを更識さんに向けると、一瞬にして冷たさあふれる無表情へ変わった。

 

「お姉ちゃん」

「な、何かしら!?」

 

 こぼれた声も表情と同様に冷たさを感じる。

 

 何故か驚いている更識さんは大声を出して姿勢を正した。

 

「………」

「………」

「……ありがとう」

「………」

「そ、それだけっ」

 

 先程までの態度とは一変。照れくさそうに礼を言うと、恥ずかしさを感じたのか、簪さんはバタバタと保健室を出ていった。

 

 多分、あれが今できる精一杯のことだったと思う。今まではずっと敬遠してきたのに今更にこにこしながら引っ付けるはずがない。目の前の人ならさっと水に流しそうなものだけど、そんなことができる人間がたくさんいてたまるものか。元々はお姉さんの事が好きみたいだし、依りが戻るのはそう遠くないかな。

 

 それにしても、置いてかれちゃった。これは一人で帰らないといけないのかな? ちょっと肩を貸して欲しかったんだけどなぁ。

 

 気を取り直して、先ほどの質問をふっかける。

 

「ふぅ、助かったぁ。何されるのか分かったものじゃないわ。それで、何かあるんじゃなかった?」

「はい。更識さんは、妹さんをどう思っているのかなって」

「勿論好きよ! LikeじゃなくてLoveの方ね。それが?」

「何でもありません」

 

 当たり前のことですけど? という様子で、嘘をついているような雰囲気も感じない。嘘つかれても見抜けないだろうけどね。

 でも良かった。どれだけ簪さんが歩み寄っても、更識さんが疎ましく思っていたら意味がない。何かアクションを起こす以前の問題なわけだけど、杞憂で済んだ。

 

「そういう銀君はどうなの?」

「どう、とは?」

「簪ちゃんのこと、気になるんじゃないの~?」

「とても助けられています。今回のこともそうですし」

「そうじゃなくってさー」

「もし妹さんの事を好きだという男が現れたらどうしますか?」

「取り敢えずISで引きずり回して成層圏まで吹き飛ば………はっ!?」

 

 冗談でも、友達としてと言わなくて良かった。本当に……!

 

「そういう引掛けするってことはさぁ、気があるってことなんじゃない?」

「……どんな返しを期待してるんですか?」

 

 YESと言えば成層圏まで飛ばされて、NOと言えば「妹に魅力が無いとでも?」とか言われて深海まで叩き落とされそうだ。

 

 どう答えたところで結果は同じである。

 

「いいからいいから、おねーさんにぶちまけなさいよ」

「………」

「じょーだんだってば。素直な気持ちが聞きたいだけ」

「ストレートに聞くのを恥ずかしがって出た言葉があれって、更識さんわりと偏屈ですね」

「結構ボロクソ言うのね……少なくとも普通じゃないのは認めるけど。ねーねー、いいでしょー?」

 

 この手の人はかなり見覚えがある。気が済まないと気が済まない人だ。だから食い下がるし、時と場所と手段を選ばないことも多い。当たり前だといえば当たり前なんだけど、往々にして何も気にせず考えず兎に角目的を達成したい。そんな人種だ。

 例えた束さんとか。目の前の更識さんとか。

 

 経験則で僕は知ってる。被害が広がる前に折れろ、と。

 

 はぁ、とカーテンの向こうにまで聞こえるようなため息をついて観念した。

 

「とても申し訳なく、そして、とても有り難く思っています。世話になりっぱなしで、迷惑もかけましたよ。それでも変わらずに接してくれますし、おかげで毎日楽しいです」

「だから?」

「好きですよ、簪さんが。友人としてですが」

「うんうん」

 

 少しだけ考える素振りを見せたあと、更識さんはにっこりと笑って満足そうに頷いた。先のような意地悪なものとは全く違う、心からの喜び。

 

「何か?」

「仲良くやってるみたいで良かったって思っただけよ。不仲ならまだしも乱暴してたら本当に殺そうかなって思ってたし」

「それは怖い」

 

 束さんに勝るとも劣らない筋金入りのシスコンらしい。ハエを叩くような軽さで物騒な事を言うんだから。

 

「喧嘩するだけで死にそうだ」

「流石にそこまではしないけど……」

「相手の強さに関わらず、僕じゃあ誰にも勝てませんから」

「別に殴る蹴るだけが喧嘩じゃないのよ? それに、試合だって中々のものだったし、かなり見込みがあるわ」

「才能があろうとなかろうと、僕には関係ありません。ココア一杯分のマグカップに何リットルもの水は入らないでしょう?」

「……そうね、ごめんなさい」

 

 なみなみに注がれた器にどれだけ注ごうがそれ以上入る事はなく、中身を少し撹拌して溢れていく。

 

 物には許容できる限界が必ずある。器をすげ替えるか、破壊して作り直すかでもしない限り上限は変わらない。先のようなコップもそうだし、USBメモリもデータ量の上限は決まっている。

 

 人間はもっと顕著だ。脳が処理できない事態に陥れば思考が固まるし、これ以上は危険だという程の負荷が掛かれば勝手に意識を失う。

 そして人間は特殊でもある。鍛えれば伸びるように、器が水を吸い込んで栄養にすることもある。器そのものが大きくなるこのことを誰が言ったか成長と呼ぶらしい。

 

「とにかく、僕は更識さんに殺されるような事はしていない事だけ分かってください」

「現状はね」

「結構です」

 

 自分ができる側だという自覚がある人間は往々にしてしつこいと言うか何というか……面倒くさい。そして驕りもなければ詰めを誤らない。

 

 大分前から目を付けられていたと実感するとともに、逃げ道を少しずつ塞がれている気分がした寝起きだった。

 

 ちなみに、この後赤面した簪さんは戻ってきてちゃんと部屋まで付き添ってくれた。こういう律儀なところは彼女の美点だと思うなあ。

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 走って保健室から出たのはいいけど、銀を部屋まで送ると行ったことを思い出した私は、また顔を出さなきゃいけないのかという恥ずかしさを覚えながらドアの前まで来た。

 

 開閉ボタンを押そうとしたところで中の会話が少し聞こえてきた。どうやら私のことらしい。お姉ちゃんのことだから大体予想はつく。自分で言いたくはないけど、お姉ちゃんってものすごいシスコンなんだよね……。

 

 気になる。

 

 聞けば病院暮らしで、つけた知識も本や又聞きのものばかりで経験がないとか。

 でも弐式の開発を手伝ってくれる銀の様子は本の虫という言葉では片づけられない。実際にその備品に触れ、自分で組んだことのある人間の手付きをしていた。知識だけじゃなく、ISの内部構造や整備に関して言えばそれなり以上の経験を持っている。矛盾だ。

 料理も得意だと言ってたし、実際に食べたらとてもおいしかった。デザートまで作れるし、正直女子の私よりも上手だったりする。悔しい。

 

 そう、やっぱり矛盾する。何があって病院で過ごしてきたのかは知らないし、どんな暮らしを送っていたかも謎。

 

 でも一番は………私のことをどう思っているのか。おせっかいだとか、邪魔だとか、面倒とか、そんな風に思われてないかな……? もしそうだったら、嫌だなぁ。泣いてしまうかも。

 

「好きですよ、簪さんが」

 

 だからこの言葉はとても唐突だった。途中から考え事で聞いてなかったし。

 

「う、嘘、嘘じゃない……よね?」

 

 誰もいないし聞いてもいないのに、つい聞き返してしまう。だって、銀が、私のこと……。

 

 まるで誰かから心臓をわしづかみされたみたいに苦しい。走り切った後みたいに息も荒くて、その場で立っていられないくらい足が震える。ぺたりと膝を合わせてその場に座り込むしかなかった。両手を胸に当てるとドキドキが止まらないし、顔が真っ赤になってるのが鏡を見なくてもよくわかる。

 

 だって……

 

 銀が私のこと、好き、だって。それだけの、たった二文字の言葉なのに、私へ面と向かって言ってくれた言葉でもないのに、盗み聞きしただけなのに……うれしさが止まらない。どこからでも溢れてくる。

 

「すき」

 

 だってそれって……

 

「銀、大好き…」

 

 だってそれって、両想いってこと、だよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     四月十三日 快晴

 

 次の日とその次の日は強制的に休まされた。倒れるたびに何日も休まされたら堪ったもんじゃない、一体全体どれだけ休むことになるのやら。

 詳しく千冬さんに聞けば束さんが絡んでいるらしく、僕は何も言えなくなってしまったので大人しく療養に専念した。我儘を言い始めた束さんは千冬さんでさえ止められないようだ。さすがは世界最恐といったところか。

 

 とりあえず遅れないように自習しつつ、時に簪さんに教えてもらいながら勉強をすることに。それが終わってからはずっと打鉄弐式のエネルギー配分がどうのこうのとか、組み立てで時間を潰して過ごした。予期せぬ休みだったけど、お陰で結構進んだ。

 

 クラス対抗戦には間に合いそうもないけど、今のペースを維持できれば、その次の公式戦は万全の状態で出られそうだ。いつ頃なのかは知らないけど、すぐ後には来ないでしょ。

 

 そうそう、クラス代表は織斑君で決まりらしい。僕が準備に追われている頃、勝負はオルコットさんの勝ちで終わったって聞いたんだけど、彼女のありがたーいご厚意により譲ってもらったそうな。

 二日間の休み明けに様変わりした様子に驚いて、隣の布仏さんに聞いてみたらこんな返しがきた。

 

「んー、コロリと落ちたんだよー」

「コロリと?」

「チョロイよねぇー」

「チョロイ?」

「むふふ、ななみんもまだまだだね~」

「??」

 

 彼女の言葉を解読するにはまだまだ経験が足りないらしい。

 

 あとは………ああ、なんか簪さんが柔らかくなったような固くなったような。うまく言えないけど彼女の中で何か変わったことや決心した事があったんだと思う。

 お姉さんにありがとうってちゃんと言えてたし、いい方向への変化だと信じたい。お姉さん絡みのことはぶっちゃけ僕に被害が来なければもうそれでいいよ、うん。

 

 たったの一週間と少しだけだっていうのにこれだけの事が起きたんだと思うと、学校って凄いなぁ。皆が一斉に話題に食いついて、二、三日すれば新しい話題が生まれて飛びつくし、それでいて忘れない。

 

 凄く楽しそうでとても羨ましい。時間さえ経てば、学校という空間に慣れることができたら、僕もああやって笑っているだけで過ごせるのかな?

 

 

 

 

 

 ページをめくる時の顔は微笑んでいた。

 




恋する乙女は都合のいい場所ばかり聞き取る


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009 思惑

「ねえ、ななみんななみん」

「何?」

「知ってる?」

「何を?」

「おおっ、この最新情報を知ってるなんて流石だねぇ」

「いや、何のことかさっぱりなんだけど?」

「そう、二組に転校生が来るって言うアノ噂さ~」

「初耳だよ」

 

 相変わらず僕の隣の席に座るこの人はよくわからない。なんだろう、キャラクターっていうのを無理して作って様には見えないんだ。きっと素でこうなんだろうけど、でもこれが本当の彼女とは思えない。殻の向こうには黒いものがきっと幾つもあるに違いない。

 

「ねぇ、布仏さん。僕らまだ入学して二週間くらいしか経ってないのに途中編入って珍しいのかな?」

「そうだねぇ。少なくとも私は見たことないかなぁ~」

「じゃあ珍しいね」

「ちょいちょい、ななみんの中の私は何か変な基準になってないかな?」

「気のせいだよ」

「そういうことにしておいてあげよう」

「ありがとう」

 

 お許しも頂いたので、これからも使わせてもらおうかな。

 

 さて、明らかに不自然な時期の途中編入が起きたわけだけど……まぁ、織斑君が絡んでいそうだよね。彼の事だからグローバルな付き合いがあるに違いない。

 そうだなぁ………例えば、小さい頃は近所に住んでいて仲良しだったけど、急な引っ越しで友達が母国に帰ることになったけど感動の再会を果たす! なんてどうだろう? 彼の場合、きっとその友達は女子で、女子は織斑君に気がある。テレビで偶然見かけて、入学するつもり無かったけど来た。

 

 なんてね。幾ら織斑君に主人公属性とやらが備わっているからって言っても、ここまできたらもう漫画とかアニメとかぶっ飛んでる。

 

 勉強しよ。

 

「それじゃあななみん。月末のトーナメントは知ってるかな?」

「……クラス代表対抗戦でしょ? それは割と前から知ってたよ」

 

 僕のいる一組はまぁ色々とあった結果、織斑君が代表になった。その織斑君がなったクラス代表は普通の学校で言う委員長さんのこと。その委員長が、ISを使ったトーナメント戦で実力を競うというもの。

 入学する生徒の大半はある程度の知識を持ってここへ来ているらしい。入学以前で勉強が出来るのは格式ある女子校が主で、企業にコネがあるなら実物を見せてもらえることもある。市販の本を読みこんだ独学も、まぁ出来なくはない。

 それでも限界はあるし、専門的なことは実機に触れるまでさっぱりなのがIS。スタートラインは殆ど同じ、機体にも差は無い。彼の様に未経験にも関わらずに専用機を与えられたり、簪さんとオルコットさんのような国家代表候補生、もしくは企業専属の搭乗者のような例は極稀なんだ。

 

 束さんに言わせれば、学園のデモンストレーションの一環なんだそうだ。世界中の何処よりも多国籍な学園ならではの体面があるってことかな……。

 

「あれで優勝したクラス、学食のデザートパスが貰えるってさ~」

「!? で、でざぁと!!」

「おぉう、食いつきイイね。でざぁと、好きかい?」

「も、勿論! そんなに食べられないけど……」

「そっかそっか………でゅふふ」

「怪しいなぁ」

 

 でも、クラス代表ってそんなことまでしなくちゃいけないのか……なるつもりは無かったけど、ならなくて良かった。

 

「でも、今回は勝てそうだね」

「そう?」

「専用機を持ってる代表は織斑君と簪さんだけなんでしょ? 今回は辞退するって簪さん言ってたし。実力はどうか知らないけど、機体の性能だけでも十分勝てるんじゃないかな」

「う~ん、白式がどれだけの機体なのやら……ってとこがミソかなぁ。ななみんの言うとおりかも~」

 

 織斑君が勝ってパスを手に入れたところで、僕は満足に使えないんだけどね。期限がどれくらいかは知らないけど、上手く体調をコントロールできたとしても使えるのは月に一回。……日ごろのお礼に簪さんにプレゼントでもしようかな。

 

「頑張るのは僕らじゃないけど」

「?」

「何でもないさ。今の所、一組の優勝できる確率は高いって―――」

「その情報、古いよ!!」

 

 他にもクラス対抗の話をしていたクラスメイトはたくさん居たし、むしろそっちの話を聞いていたのかもしれない。突然現れた女子が言う情報ってそういう奴だと思う。

 

 身長は僕よりも小さい。多分あれぐらいだと女子の中でも小さめなんじゃないかな。僕と同じぐらいの身長の女子は割とよく見るし、高い人もまぁいる。逆っていうのは始めてかも。

 自信一杯なのが表情からよく見てとれる。頭の両サイドで結ばれた長い髪の毛を揺らしながら、その女子は颯爽と表れて一組へ入って来た。

 

「久しぶりじゃない?」

「………鈴?」

 

 ………おっとぉ? 嫌な予感しかしないなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

「多分、彼女の名前は《凰鈴音》」

「ふぁんりんいん? 日本の名前じゃないね」

「中国人」

「なるほど」

 

 昼間に一組へいきなり突撃してきた女子の名前は、凰鈴音さん。織斑君は「鈴」と親しげに呼んでいた。篠ノ之さんとオルコットさんに説明を要求されていたところをこっそり盗み聞きしたところ、どうやら凰鈴音さんは、篠ノ之さんが引っ越した後に知り合って、中学校の途中で本国へ帰国した『セカンド幼馴染み』なる人種らしい。因みに『ファースト幼馴染み』は篠ノ之さんだとか。

 

 まさかとは思っていたけど、本当にそんな相手がいるだなんてね。漫画の様な展開よりも、僕は自分のイメージが本当に起きていたことだったって事実がショックだよ。超能力なんてモノは持って無いはずなんだけどね。

 

「昨日の内に日本へ来て入学手続き済ませて、二組のクラス代表を変わってもらったらしいよ」

「へぇ、随分と………その、活発だね」

 

 強引とか勝手という言葉はオブラートに包んでおこう。活発という言葉が間違っているわけじゃないんだし。

 

「クラス代表を変わってもらうってことは、ISに自信でもあるのかな?」

「彼女は専用機を与えられている、みたい。中国第三世代型、だって」

「ふぅん。そりゃ変わってなんて言えるわけだ」

 

 実力も中々の物に違いない。

 

「どんな機体なんだろうね?」

「燃費性に重点を置いた近接戦闘型。それが中国の第三世代型だよ」

「燃費………確か、第三世代型は総じてエネルギー効率が良くないんだっけ」

「うん……」

 

 ズズズと熱々の緑茶を啜る。ココアばかり飲んでいると怒られるし、今日は健康重視で日本茶だ。うえぇ、苦いぃぃ。この味が分からないなんてまだまだだねぇーとか束さんに言われたこともあった。あの人、何だかんだで道場の娘で日本人だよ、うん。

 

 参考にはなるだろうけど、打鉄弐式へ新しく取り入れるようなものは無さそう。凰鈴音さんの性格からして遠くから銃を使って撃ち合うような機体じゃないはず。器用貧乏な近接タイプと見た。

 

「当然、凰さんも専用機で対抗戦に出ると思う」

「織斑君と凰鈴音さんの一騎打ちになりそうだね」

「……うん」

 

 どっちが勝つと思う? って聞こうかと思ったけど、答えが分かりきってるので止めた。簪さんなら凰さんだと答えるはず。生半可な努力じゃ代表候補生になれないことを良く知っているから。

 

 キーボードを打つ手を止めて、湯呑みに手をかける。二人して啜ってほっと息をついたところで、僕は以前から気になっていたことを切り出した。

 

「簪さん」

「?」

「そろそろ僕が織斑君と戦わなくちゃいけなかった理由を教えてほしいな」

「………」

 

 当初はオルコットさんの「納得がいきませんわ!」から始まった、一組のクラス代表を決める模擬戦。いざ当日になって始まると、簪さんは僕を連れて千冬さんの所へ行き、僕も混ぜろと言いだした。

 生まれつき身体が丈夫じゃない僕は、束さんから貰った『卵』無しでは碌に歩くこともできない。詳しいことを伏せたけど、学校側にもちゃんと伝えてあるし、だから運動系の授業は八割見学で済ませていた。そもそも病弱で心配だから、ある程度知識のある簪さんがルームメイトになったわけで………。

 

 彼女を信じてみたものの、始まってからも終わっても謎のままだ。でも、終わったら話すと約束してくれていたし、そろそろ聞いてもいいはず。

 

「……お姉ちゃん、会ったでしょ?」

「うん。なんか凄そう」

「そう、凄い人。国家代表で、学園最強で、現当主」

「とうしゅ? 更識さんは何かの集団のリーダーなのかな?」

「うん。自分で言うのは嫌だけど、更識家って歴史があるところで……名家なの。お姉ちゃんで十六代目」

「わお………確かに凄そうじゃなくて凄い人だね」

 

 ………ん? じゃあその実の妹である簪さんって、実はものすごーい、お嬢様? 成程、ただ気が弱いだけじゃないとは思ってたけど、家柄に合う様に教育を受けていたからってことかな。そもそもただの一般人が候補生っていうのもおかしいなとは思っていたさ。

 

「私が銀と同室になったことで、更識は銀のことをマークしてるって思ったの。ほら、お姉ちゃんって、あれ、だし……」

「ああ、うん……」

 

 束さんに負けず劣らず、シスコン。この世界の凄い人はシスコンもしくはブラコンである、って法則があるんじゃないかって最近思い始めたんだ……。

 

「でもそれはあくまで銀が男性操縦者だから、私と同室だから。手を出さないかとか、警戒の意味が強いの。保護じゃなくて監視」

 

 この間直接本人の口から聞いた、乱暴してないか気になっていたって。なる程、確かに監視だ。貴重な男性だけど、それは織斑君という最高の人物が居れば事足りるし、僕まで無理をして守ろうとする必要は無い。

 

「更識なら銀まで守れる力がある。そう仕向けたくて……」

「つまり、更識さんに、僕を守るだけの価値があると認めさせるためにってことかな?」

「……うん」

 

 まさかそんなことをと考えていたなんてね……偶然ルームメイトになっただけの僕にそこまでしてくれるのはどうしてだろう? ……聞くのは野暮かな。僕が男だからだろうしね。

 更識さんはセンスがあると、言ってくれた。低く見られていることはないと信じたい。

 

「ありがとう」

 

 現状どうなっているのかは分からないけど、僕の為にと動いてくれた事には素直に感謝している。お礼ぐらいは言うべきだ。

 

「うんっ!」

 

 満面の笑みで返してくれた簪さんに、ドキッとした僕であった。

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 朝。簪さんと別れて教室へ入ると、織斑君が頭を抱えて俯いていた。漂うオーラが実に悲しい。僕知ってるよ、悲壮感っていうんだよね?

 

「どうかしたの?」

「あぁ、名無水。聞いてくれよー」

「はいはい」

 

 絶望に浸っていた織斑君が縋る様に僕へしがみついてきた。痛いんだけど……周囲の女子が湧き上がってるのがすっごく怖いんだけど!?

 

 要点だけを纏める。

 

「織斑君は昔、二組に編入してきた凰さんと何か大切な約束をしていたけど、その覚えが織斑君には無い、と。聞いても答えてくれないからヒントもなくて思い出せない」

「そうなんだ! 鈴の奴、謝るから教えてくれって言ってるのに教えないし、その癖勝手に怒るんだ」

「苦労してるね」

「他人事みたいに言わずにさぁ」

「他人事だからね?」

 

 君は女子を惹きつける癖して扱いが雑だからそうなるんじゃないかな? 一歩引いて見てれば、篠ノ之さん達もかなり酷いけどさ。

 

「多分だけど、織斑君は約束を覚えていると思うよ。ただ、鳳さん程その約束を大切な物だと思ってないんじゃない?」

「食い違いがあるってことか……」

「凰さん、織斑君が約束を覚えていないって知った時どんな様子だった?」

「怒ってたな。あと泣いてた」

「ってことは、凰さんにとってはそれぐらい大切なことだってこと。やっぱりさっき言った通り……いや、君だからなぁ……」

「なんだよそれ」

 

 君の唐変木は今に始まったことじゃないことぐらい、付き合いの短い僕でもわかるんだって。自覚を持てっていうのが無意味だってこともね。

 

「そうだなぁ……さっきのに似た意見になるけど、履き違えているんじゃない?」

「………どういうことだ?」

「例えを出してみようか。女子から『付き合ってください』って言われたら、織斑君はどういう意味だと思う」

「そりゃ勿論、買い物に付き合ってくださいって意味だろ?」

「もう一つあるんじゃない?」

「……あっ」

「主語が抜けているから分かりづらいだろうけど、この場合『彼氏彼女の関係』になりたくて付き合ってほしいって意味と、『遊びや買い物』に一緒に行きたくて付き合ってほしい、の二つが有力だよね」

「つまり、俺が鈴からの約束の意味を間違えて捉えている?」

「可能性の一つとして、あってもいいんじゃない?」

 

 可能性どころかそれしかないよ。それ以外に何があるっていうんだよ。どんな約束したのか知らないけど、絶対付き合ってとかそんな意味の奴だよ。可哀想に。

 

 今ナチュラルに買い物に~って言ったけど、異性に対して付き合ってって言ったらそりゃもう買い物とかいう次元じゃないでしょ、ふつーは。

 

「うーん、でもどの約束なんだろう?」

「そればっかりは自分で思い出すしかないんじゃないかな? でも、凰さんが引っ越す直前にしたものって具合に、ある程度絞ることはできるよね」

「そこまではいいんだけどさ、別れ際に色々と話もしたし、次会ったら~の話もし過ぎてもうわけわからん」

「あはは………」

 

 凰さんってさ、篠ノ之さんみたいなとげのあるタイプだよね。素直になればあっさり済むのに、恥ずかしさに負けて自分でどんどんチャンス逃してる。いつまでも彼はフリーじゃないんだからさ……ってことを僕が考えても仕方ないか。

 

 なんとか思いだして解決することを祈ってるよ。放っておいたら僕にまで飛び火しそうだ。

 

 じゃあねと織斑君に言ってから自分の席に座る。三限目の宿題を仕上げるために、教科書とノートを出して問題を解いていく。

 

「あー、それ今日のじゃん! 忘れてたぁ……」

「相川さん、見る? 勿論終わってからだけど」

「ホント! 助かるわー! やっぱ名無水君は天使ね!」

「天使って……宿題一つで大げさすぎだよ」

 

 布仏さん繋がりだけど、僕も少しずつクラスに馴染めてきたのを最近実感してる。だからかな、毎日が少しずつ楽しくなり始めた。

 

 それもこれも、僕を貫く冷えた視線に気づかなかったからなんだけど……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 なんとまぁ、馴れ馴れしい奴だ。そして懲りない。近づくなという意を込めた視線をどれだけ送っても涼しい顔をしたまま無視を貫いている。それとも気付いていないのか? ………まさかな。

 

 突然現れた、謎の男。依然として過去を追えず、彼自身も浮世離れしたところが見られる。謎だ。とてもじゃないが理解しがたい。

 

 病弱だからと運動する授業の大半を見学で済ませているにもかかわらず、先の一組クラス代表を決める模擬戦では到底初心者とは思えない動きを見せつけ、あと一歩というところまで相手を追い込んだ。センスという言葉だけでは片づけてはいけない何かが、名無水銀にはある。

 

 普段の授業では、漢字も碌に読めず掛け算と割り算で手こずるような中学生レベルのくせして、ISが絡むと人が変わったように饒舌になる。知識量も私達他の一年生とは段違いで、整備知識も豊富で授業の度に褒めちぎられている。山田先生にこっそり聞けば、整備科首席レベルだとも言っていた。

 

 ………怪しい。こんなにアンバランスな存在があってもいいのか? そもそもどうやって生まれる? 一般知識と常識に欠け、ISに詳しい人間。

 

 狂ってる。不気味と言ってさえいい。何故存在しているのかすら分からない。

 

 消そう、消す。私達の害になる前に………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 月末ということもあって、あっという間にクラス代表対抗戦当日を迎えた。まだ入学して一ヶ月しか経っていないのに……なんというか、毎日が濃いよ。

 

 今日こそ、今日こそはゆっくりと試合を見ることが出来るはず。うん。そう信じている。少なくとも誰かのお願いで割りこむことは出来ない。

 

 学園のクラスは十まである。ただし、簪さんは今回機体の完成が間に合わず辞退したので、参加者は九人。一人がシード枠になる計算だ。

 学園の訓練機であるラファールか打鉄を借りて出れば? と聞いたことがあったけど、専用機を持つと他のISに乗ることは無くなるそうで、出ないときっぱり言われた。コアの相性がどうのこうの、なにやらややこしい問題がでるんだって。

 

 その簪さんはというと……

 

「え、一緒に見ないの?」

「モニターで見る。丸一日作業に使える日なんてそうそうないから、今日の内に進めておきたくて」

「なら僕も手伝う。二人の方が効率いいでしょ?」

「ダメ。というか、銀にはお願いを聞いてほしいの」

「……また?」

 

 僕にお願いを託して整備室で籠っている。

 

 僕が思うに、簪さんは専用機が出る試合を見たくないんじゃないかな。羨ましさとか、織斑君への嫉妬とか、なんか色々混ざって疲れてそう。

 

 因みに、お願いは本当にどうでもいいことで、モニターでもログでも見れば済む程度の事だった。つまり、彼女は実際に見て楽しんでと言っている。流石に言い返せなくて、僕は大人しく布仏さんと一緒に観客席へ行くことにした。

 

 専用機が勝ち上がることはほぼ確定と言っていい。織斑君と凰さんの試合が終わったら簪さんの所へ行こう。

 

「ななみん、組み合わせでてたよー」

「わぁ、見せて」

 

 当日になるまで組み合わせは一切公開されず、参加者でさえ知らされない。相手によって作戦を立てたり、相手の情報を手に入れたり、といった試合前の工作を防ぐため、と聞いている。

 

 さて、僕が見たい試合は何番目かな………?

 

「おやおや、結構早く簪さんの所へ行くことになりそうだなぁ」

 

 第一試合:織斑一夏 vs 凰鈴音

 

 人為的としか思えない組み合わせには会場がどわっと沸いた。

 



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010 奇襲

思わず筆がのった。

ここいらから原作一巻終了までは、作品を書く前から書きたいなと思っていたところでもありますので、意図せず熱くなっているかと………

毎度ながら、感想ありがとうございます


 聞くところによると、試合の抽選は完全ランダムになっていて人の手は一切加えられないようになっているらしい。方法までは僕の知るところではない。ただ言えるのは人為的ではないということ。

 それでも疑わずにはいられないこの組み合わせには、僕だけでなく周囲にいる皆もフリーズしてしまう程の衝撃だった。

 

「おお~」

 

 ※隣のクラスメイトは除く。

 

「ちょっと、今脚注挟まなかったかな?」

「脚注?」

「ふぅうぅうぅん?」

 

 怖い怖い怖い!!

 

「布仏さんは、この組み合わせどう思う?」

「初っ端決勝戦って感じかなぁ」

「やっぱり?」

 

 僕らの会話を聞いていた他の生徒もうんうんと首を縦に振って頷いている。

 

 第一試合  織斑一夏 VS 凰鈴音

 

 今回のトーナメント参戦者の中で専用機を持っている二人がいきなりぶつかるのだからそれもそうだ。

 

 専用機はそれだけで量産機とは格が違う。極端な仕様の違いや装備の有無、何よりも操縦者の力量如何でどうなるのかはわからない。ただ、機体の性能差が大きくあることは間違いない。普通のママチャリ(?)とロードバイクは同じ自転車というカテゴリの中でも性能が段違い。つまりはそう言うこと。

 

 端から専用機の相手をできるのは、同じ専用機だけ。量産機で出場する他の代表には悪い話だけど、彼女らに勝ち目はまるで無かった。性質の悪い出来レースみたいなもの。

 

 だから布仏さんは初っ端から決勝戦って言ったんだ。

 

「じゃあこの初っ端決勝戦、どっちが勝つと思う?」

「そうだねぇ。それは難しい質問だなぁ~。逆にななみんはどっちだと思う?」

「僕?」

 

 むむむ。

 

 普通に考えれば凰さんの方に軍配が上がる。専用機によるアドバンテージが無くなれば、決め手になるのは力量と知識と経験。凰さんが日本にいた頃はISに触れていなかったことを考えると、彼女はたったの一年で素人から候補生へ駆けあがった天才肌だ。たとえどれだけ織斑君が気力と才能があったとしても、一年のキャリアと経験の差はそうそう埋められるモノじゃない。ISが蓄えた経験値の差も大きい。

 

 ただ、それすらも覆せる力が織斑君の白式にはある。

 

 『零落白夜』。エネルギーによって生み出されたエネルギー無効化。コアのエネルギーによって動き、シールドエネルギーによって守られているISにとって最も恐れるべき能力。IS殺しと言ってもいい。

 

 たとえどれだけ卓越した技術があっても、機体の性能がずば抜けていても、それはISというカテゴリがら逸脱することは絶対にない。零落白夜が掠りでもすれば大ダメージは避けられず、数秒触れれば致命傷となる。

 

 つまり、敵がISである限り、わずかではあるけれど織斑君は勝つことができる可能性が残されているわけだ。

 

 そこに白式という機体の高性能が加わるなら、可能性はもう少しだけ上がる。

 

 五分はありえない。良くても一対九。勝負の世界がそんなに甘くないことは僕よりも彼の方が身にしみて分かっているはず。でも織斑君には一割が残されている。彼にとっては十分賭けるに値する確率に違いない。

 

「凰さんかな」

 

 それでも織斑君は勝てない。僕はそう思う。

 

「へぇ~。それは戦ったことのあるななみんならではの感想かな?」

「そんなところ」

 

 一対九とはつまり十回戦って一回しか勝つことが出来ないということ。これでもかなり多めに見ての確立だから実際はもっともっと低いはず。ここまで来ると勝ちを掴むというよりは勝ちを引き寄せる“運”の問題。

 零落白夜がうまく発動したとしても、当てられるかどうかはまた別の話。

 機体には慣れたかな? 乗れる時間はほんのわずかしかなかった。

 空中戦の間隔は? 練習はしていないけれど。

 

 不安要素はまだまだある。もう上げればキリが無いよ……。

 

 実際は織斑君の勝率は限りなくゼロに近いゼロ。凰さんは勝てて当たり前の勝負。だからこそ、性質の悪い出来レースなんだ。一見釣り合ったカードに見えても、中身の役が大違い。

 

「そもそも、乗ったことのない運動もしたことのない僕にあれだけ追い詰められてちゃ……ねぇ」

「確かにね~。でも、ななみんは特別だと思うんだ……」

「そうかな?」

「うん! とってもシュバババって動いててね、カッコ良かったよ~。あんな動き、代表候補生でも中々できないと思うなぁ。ななみんはセンスの塊だね」

「言い過ぎだって……」

 

 それ、更識さんにも言われたんだっけ。厳密にはセンスじゃないんだけどね。

 

 僕があれだけ動けたのは馬鹿みたいな搭乗時間と、卵とISの二重で働いた生命維持装置と、おかげでなんとなく分かるコアの声があったからであって。僕自身は人を叩いたこともデコピンしたことも無い。

 

「それで、布仏さんはどうなの?」

「私? わたしはねぇ~」

 

 袖をぱたぱたと振りながら布仏さんらしいポーズをとって言った。

 

「引き分け。もしくはお預けかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全校生徒お目当ての第一試合。予想通りの展開になり、一切の遠距離武装を持たない白式は凰さんの射撃による弾幕を抜けられずに飛びまわっている。

 

 凰さんの赤くとげとげしたISは僕らには何も見えないけれど、なにやら弾を撃ち続けているらしい。織斑君は必死に避けているし、実際に何も無い空間で吹き飛んだりいきなりエネルギーが削られたりしている。銃を構えてもいないのに弾丸を撃つことが出来るのが、凰さんのISの第三世代兵装か……。

 

 今は上手に避けることが出来ている。きっと織斑君には見えない弾丸が見えているんだ。肉眼では無理でもISのハイパーセンサーなら感知できるんだろう。

 

 でも……。

 

「このままじゃ織斑君、負けちゃう……」

「デザートパス……」

 

 クラスメイトの悲しい声が地味に広がり始める。……デザートパスって。まぁ、そうだけどさ。もうちょっと真摯な気持ちで応援しようよ。

 

 現状、織斑君は一撃すら与えていない。にもかかわらず凰さんは安定した距離を保ちながら織斑君を寄せ付けない。たとえ無茶をして剣の間合いに入ったとしてもそう簡単に零落白夜の一太刀を入れられるはずもない。凰さんは両手に薙刀の様な中国っぽい槍を持っている。どう見ても近接寄りの機体だ。しかも二振りだから手数で負けている。

 

 僕は周りに聞かれないよう小声で布仏さんに話しかけた。

 

「さっきの話しの続きじゃないけど、どっちに勝ってほしい?」

「んー、複雑な質問だね……」

 

 人差し指……いや、袖を顎にあてて上を向く。

 

「おりむーは、かんちゃんのISが完成しなくなった原因。だけど、おりむーが故意に何かをしたわけじゃないし………。同じ倉持技研製だからちょっと負けてほしい様な負けてほしくない様な………むむむむ」

「割と悩むんだ」

「むむっ、ななみんは私を何だと思っているのだね? そろそろ怒っちゃうぞ~」

「ごめんごめん」

 

 てっきりどちらかを即答するものだと思っていたから……別に馬鹿にしているわけじゃない。

 デザートパスをとりたいなら織斑君を、打鉄弐式を引き合いに出すらな凰さんを。同じ簪さんの経緯を知る者同士、ちょっと気になっただけ。この人ならどっちもあり得ると思った。

 

「ななみんは?」

「凰さん」

「即答?」

「即答」

 

 織斑君にはすんなり勝たれると困るんだ。ゆっくりと階段を上るような成長をして貰わないと、僕に変な期待やとばっちりが押し寄せそうだし。

 名無水銀は病弱な人間。そういう事実の方が先に広がった上で織斑君と比較されるのと、広まらずに比較されるのでは大きく違う。出来もしないことを要求されたり、変な先入観を持たれるのが一番面倒だ。

 

 だから凰さんには勝ってほしい。贅沢を言うなら、シールドエネルギーに大きな差をつけて。

 

「ふぅぅん」

「ニヤニヤして……気持ち悪いなぁ」

「別にぃ? かんちゃんにほーこくだねっ」

 

 今の言葉に伝えるほどの意味があるのかな……。

 

 その時大きな歓声が会場から巻き起こる。

 

 見えない弾丸を切り抜けた織斑君が、凰さんのISに一撃を入れた上に左手の槍を遠くへ弾き飛ばしていた。

 

「おぉ~、やるねおりむー」

「わ、私の稽古の成果だな!!」「ふっ、私との練習の成果が出ているようですわね」

「「…………」」

 

 少し離れた所に座る篠ノ之さんが大層喜んでいた。踏み込み方から貼りつくように指導していた篠ノ之さんからすれば、結果が見える一撃に違いない。地のない空中でも立派に懐へ入りこめたのは稽古のお陰ということもあるんじゃないかな。

 見えない弾丸と言っても、見えないだけで性質は普通の銃弾と大差ない。超高速の点の攻撃だ。織斑君があれだけ避けることが出来たのも、一重にオルコットさんのビットを使った連続射撃を相手にして毎日頑張ったからでもある。

 

 ……そこ、睨まない睨まない。

 

『その空気の弾丸……龍砲はもう見切った! 次で決めてやるぜ、鈴!』

『はっ! 何一回アタシに一撃入れただけで調子にノってんの? 衝撃砲なんてこの甲龍にとってはただの牽制武器。一番性能を引き出せるのは―――』

 

 くいっと手首を動かした凰さんの手には弾き飛ばしたはずの槍が収められていた。かろうじて見えたのは、巻き戻しの様に一直線に戻ってくる一瞬だけ。

 

『―――アンタの大好きな剣の間合いって奴よ!!』

 

 槍の柄同士を噛み合わせて双刃の槍に変化した武器を両手で構え、更に気合いを漲らせる。凰さん自身近接戦を好むような雰囲気をしているし、ここからが本番って言いたいんだろう。織斑君からすればようやく戦いが始まるってところだろうけど。

 

『本気で行くぜ』

『アタシは手加減してあげてもいいわよ?』

『抜かせ!!』

 

 対する織斑君は突進の構え。左半身を前に、両手で握った刀の先は地面を向いて、重心を前に傾けて腰を落とした。あれは確か……千冬さんが一つだけ教えてくれた、お得意の『瞬間加速』……だっけ。

 

 数秒間の間。観客も静まり返ったその後……。

 

 先に仕掛けたのは織斑君だった。

 

『うおおおおっ!』

 

 構えそのまま、スラスターを全開にして突進していく。

 凰さんは見えない弾丸を撃ちながら斬り結ぶ為に槍を振りあげていた。

 

 そこで織斑君――白式が視界から消えた。

 

『そんな……何を!!』

『決める!』

 

 次の瞬間には凰さんの懐へ。

 槍では受けることも逸らす事も出来ないほどの近距離。ただし、刀からしてみれば一撃の入れやすい適正距離。この絶妙な距離まで踏み込めたのは、やはりあの瞬間加速を使ったからに違いない。

 

 一度吐き出したエネルギーを取り込み、機体内のエネルギーと一緒に噴射することで一瞬だけ爆発的な速度を得られる。だったかな。一番ベーシックかつ難易度の高い技術らしい。

 

 加えて白式が握る刀――雪片弐型が金色に包まれ、刀身が肥大化する。零落白夜の発動だ。これは既に知っていたのか、凰さんの表情が更に引き攣る。

 

 右下から左上へ斬りあげる。

 

 その前に、二人の直ぐ脇を何かが通り過ぎて地面へと激突した。巻きあがる粉塵。

 

「あれは……一体」

 

 卵が教えてくれるかすかな情報は……僕の知らないものばかりだった。

 

 一拍置いてから土煙の中からエネルギーの閃光が直上へ迸る。行く先はアリーナの電磁シールド。アレの強度はISのシールドエネルギーの比ではない。どんな攻撃も簡単に弾く……はずだった。

 

『電磁シールドがたったの一発で壊された……!』

『とんでもない化け物ね……コイツは!』

 

 僕らに見ることができたのはそこまでだった。織斑君達のやりとりの直ぐ後に観客席の緊急用シャッターが閉じて非常灯の淡い光に包まれる。

 

『緊急事態だ! 観客は避難! 教員は直ぐに避難誘導とISを以って奴を抑えろ!』

 

 じわりと広がり始めた動揺は一気に爆発した。すぐさま全員が出口へと殺到し、教員達が落ち付かせて非難させようと声を飛ばす。

 

 それにしても……今のは一体……。

 

「ななみん、行こうよ。危ないよ?」

「そうだね」

 

 僕らも安全な場所へと避難することにした。二人ならきっと大丈夫なはずだ。千冬さんだってついているんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これで……。

 

「ふぅ」

 

 武装はようやく及第点ってところかな。荷電粒子砲、高振動薙刀、最大四十八のクラスターミサイル。機体のコンセプト自体は前々から決まっていたけど、色々なパターンを試したくて載せている武装が他にもいくつかある。シールド、ライフル、バズーカ………大半はそのままキャストオフだろうけど。

 

 ここまではいい。うん。銀のお陰でかなり進んだし、学んだことも多くて私の技術も向上してるから、やりたかったこともある程度は実現した。ただ、マルチロックオンシステムに関してはやはり私一人では無理があった。とにかく実戦が出来るようにしておきたいので後回しにする。

 

 問題はここから………そう、機体そのもの。武装はそこまで苦労していなかった。

 

 バランスはガタガタ、出力も不安定、回路もまともに繋がっていないときた。ただ組み立てただけのハリボテと言っても差し支えはない。銀の手伝いがあったとは言え、やはり全体的にはまだまだ。

 

 ………悔しいけれど、これ以上は私一人では手がつけられない。銀がいないと。でも、試合を楽しんでって行ってもらったのに呼ぶのも違う。

 

 どうしよう……。

 

「見に行こうかな……」

 

 銀も本音もいるし。暇つぶしにはちょうどいいかな。

 

 今の様子を取り敢えず確認。

 

「ふぅん……意外と、善戦してる」

 

 すぐやられるとは思ってなかったけど、ここまで粘るのも予想外だった。シールドエネルギーの残量からして結構避けているみたいだし、二組の候補生のシールドエネルギーも減ってるからダメージも与えてる。

 

 予想をいい意味で裏切って、しっかり試合をしていた。

 

 生徒としては彼を褒める……というか関心の言葉を贈るべきなんだろう。

 でも、そこにいられるのは、その機体を使うことができるのは……私と打鉄弐式という犠牲を払っているからこそ。楽しそうに、笑いながら、汗を流して剣を振るえるのは………。

 

「………」

 

 黙って首を横に振る。故意的な事じゃない、私ごときではどうしようもない仕方の無いことだ。彼にはなんの罪もない。その事でグチグチと恨み言を言うのは間違っている。

 

 ……嫌な女にはなりたくない。好き嫌いなくさないと。

 

「いこ」

 

 腹を括ってアリーナへ行く決意を固める。

 

 カードリーダーでスキャンして整備室を出ようとした時、アナウンスが流れた。

 

『 緊急事態だ! 観客は避難! 教員は直ぐに避難誘導とISを以って奴を抑えろ! 』

 

 ………穏やかじゃない内容だ。

 

 頭を切り替えて代表候補生として取るべき行動を取る。まずは現状の把握と、私がすべき事の確認だ。

 

 スキャンするために取り出した学生証を端末に通して原因を探す。非常事態が起きそうな場所といったら………トーナメントが行われている第一アリーナが怪しい。

 

「繋がらない……回線が向こうからカットされてる」

 

 ビンゴ。何かあったんだ。見られては困るけれど、教員が出なければならず、避難もしなければならないほどの危ない何かが。

 

 危ない?

 

 …………!? 銀っ!

 

 観戦には学年問わず多くの生徒が集まっている。出場するのは一年生のほんの一部だけど、ISを使った実戦形式の試合には不測の事態に備えて多くの教員が控えているため、他学年の授業が出来ないらしい。自習にするくらいなら観戦した方が勉強になると思っての配慮だ。

 

 銀は、そこにいる。

 銀だけじゃない。本音も、本音のお姉さんも、私のお姉ちゃんも、クラスメイトも、みんな………。

 

 ………行かなきゃ。何が出来るのか分からないけど、ここでじっとなんてしていられない。だって……そう、私は銀の護衛役なんだから。部屋が一緒なのも、傍に居なくちゃいけないからだから。役割を果たさないと。

 

 再び部屋を出ようとカードリーダーへ近づく。

 

 そこで異変に気付いた。

 

「………音?」

 

 聞こえるはずのない音が聞こえた。しかもそれは確実に少しずつ大きくなっていく。つまり、近づいている。これは聞き覚えのある……聞きなれた音。

 

 ………ォォォォォォォォォオオオオオ。

 

「ISのジェット……!」

 

 それはスラスターから漏れるISの推進力。PICで浮いた機体を加速させる音。

 

 たとえIS学園内であろうと、不用意な許可のないISの起動は禁じられている。治外法権の適用されるIS学園でも、これだけは変わらない。

 

 だが現にISは接近してきている。殆ど無人であるはずの整備室が並ぶこのエリアに。

 

 狙うのであれば、人が多く集まり試合の為に集められたISのあるアリーナがまず挙げられる。さっきの放送の事を考えれば、今ここに近づいてくる機体の仲間がアリーナに乱入した、もしくは乱入した機体がこちらへ来ていると考えると………普通に私が危ない。

 

 いや、逃げてきているのならまだいい。追って来ている教員部隊がすぐ来てくれるから。もしも、アリーナに現れた機体とは別で、誰も気付いていないのなら……でも、いや、もしかして。

 

「私のISが狙い?」

 

 成程と一人で納得する。どうやって私の居場所を調べたのかなんてどうでもいい、そんなことは後。狙われる理由なんて考えればキリがない。この危機をどう切り抜けるかを考えないと……。

 

 非常時の通路なんて知らないし、そもそもあるのか怪しい。今すぐここから出て人がいる場所へ逃げたとしても、対処できるかどうか分からない。それに、その途中でもし遭遇でもしたら詰み。今の打鉄弐式じゃまともに戦えるわけがない。

 

 IS相手にして生身で逃げきることは不可能。迷路の様に複雑ならまだしも、ここはISを搬入することも想定されているので大きく広い。頑丈な造りだけど壁を壊されたらもうどうしようもなくなる。そもそも私がここにいることを始めから分かっているなら、移動したところで追跡されることも十分ありうる。

 

 逃げは悪手。

 

「ここで迎え撃つ」

 

 技術者にとって、自分だけの整備室は自分の城の様なもの。どうせ戦うなら自分に有利な場所で戦いたい。未完成の機体を使うのなら尚更。

 

 入口から最も離れた壁に背中をくっつけてISを展開。機体の半面をカバーする大型のシールドを展開し、ライフルも構えて砲台になる。今から細工をする時間は無い。背水の陣を敷くほか無かった。

 

 次第に大きくなってきていた音がブツリと途切れた。

 

 瞬間、轟音。頑丈な仕上がりの自動ドアが部屋の内側へ吹き飛ぶ。

 

 現れたのは引きずるほどの大きさと長さの剛腕が目立つ鉛色のIS。全身が装甲に包まれ、漂う雰囲気はどう見ても友好的なものではなく、敵意と殺意に溢れている。

 

「……………っ!!」

 

 近づかれたら何もできない。動けないのだから踏ん張りも効かない。少し力を込めて突かれただけで倒れてしまう。

 

 だから、その前に終わらせないと。

 

 ズン。

 

「う……」

 

 怖い。相手が誰なのか分からないことも、何の目的なのかも。選択を間違えれば、深手を負うかもしれない……下手をすれば死ぬ。

 

 ズン。

 

「…………っくぅ」

 

 それでも引けない。

 

「わああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 銀が待ってる――!

 

 大型シールドを床に突き立てて、右手でライフルを、左手でマシンガンを握ってトリガーを引く。発砲による反動は全部壁が吸収してくれる。気にすることなく、撃ち続けた。

 

 ロックオンのシステムはしっかり機能していたので、微妙な射線のズレを勝手に直して撃ってくれた。吸い込まれるように弾丸は敵ISへ……。

 

 硬い……! 

 

「でも……」

 

 弾丸を弾くような装甲だからといって、何度も同じ個所を狙われて無事なはずが無い。必ず攻め時はやってくる。

 

 一歩ずつ、確実に、追い込むようにISが迫ってくる。手を休めることなく正確に撃ち続けた。

 

 ガキン!

 

「弾切れ……!?」

 

 はっとなって視界の左に表示される武装欄に焦点を合わせる。どちらも全ての弾を撃ち尽くしていた。本来なら弾倉を変えればそれで済む話だけど、生憎とそんな物は持ち合わせていない。どれもこれも、インスタントにしか使えないことにようやく気付いた。

 

 それならそれでもいい。無いよりは何倍もマシだ。

 

 領域内へ再格納せずに鉄屑になった銃を投げつける。当然自慢の腕で弾かれるが、脚は止めたし身体もガラ空きだ。

 

 すぐさまバズーカを二つ展開して関節部の肩と膝を狙い撃つ。

 

 どんな攻撃手段を持っているかは分からない。ぱっと見たところ射撃系の武装は持っていないみたいだし、近づかれる事さえなければ一先ずの安全は確保できそうだ。脚さえ何とか出来れば……。

 

 儚い期待を持ってひたすらバズーカも連射する。無駄にしないように、丁寧に。

 

 命中するたびに爆発が起きて視界が濁っていくが、視界が塞がれた程度じゃISのハイパーセンサーはどうもしない。見えない不安もあるけれど、当たっていることを、傷を負わせていることを祈る。

 

 ガキン、ガキン!

 

「っ……! なら!」

 

 あとがどうなるかなんて考えない。室内であることも忘れてとにかく手にある武器を使い続けた。

 

 ロケットランチャー。

 手榴弾。

 迫撃砲。

 ミサイル。

 槍。

 キャノン砲。

 狙撃銃。

 荷電粒子砲。

 

 ………。

 

「はぁ、はぁ…………っく」

 

 これでもかと撃ち続け、あっという間に空になった武装欄から目をそらしながら敵を見やる。粉塵がバンバン巻きあがる中で荷電粒子砲やら持ち出したせいで、電波障害が若干起きている。視界は殆ど煙で染まって何も見えない。機能しなくなったセンサーも合わせて、本当に何も見えなくなった。

 

 酷い有様になっている整備室の換気扇はまだ生きていたようで、天井の数点へ煙が吸い込まれていき視界が徐々に晴れていく。

 

「そん………な」

 

 ガシャン、と膝をつきたくなるような光景。

 

 所々装甲にヒビが走ったり、壊れたり、一部は砕けている所もあるが、ISは健在だった。脚もある。幸いと呼ぶべきか、左腕は吹き飛んでいた。

 

 そこで気付いた。損傷した部位から見えるのは、人間の身体じゃなくて、コードや電子機器に噴出するオイルばかり。乗っているはずの人間の身体なんてどこにもない。考えたくも無いけれど、本当なら骨や焦げた肉、血が飛び散っていてもおかしくはないるのに……。

 

「無人? いや、でも、そんな………なら……」

 

 ISは人間からの電気信号をキャッチして動く。少しでも効率を上げるためにわざわざスーツまで作られるのだから、この電気信号がどれだけISにとって重要なのかはよくわかる。

 

 そう、無人機など有り得ない。

 

 でも、これがもし機械だけで作られた……無人機なら?

 

 たとえ足を壊したところで止まることはない。腕を使って這ってでも私を捕まえようとするだろう。目的を果たすまでは止まることなく、手段も選ばない。

 

 ……いや、そんなことはない。これはISなんだから。

 

 でも、止まらないという事実は同じだ。

 

「どう、すれば……」

 

 全て文字通り打ち尽くしてしまった。残されているのは薙刀の夢現のみ。ただ、近接武器を下半身の踏ん張りなく使えるはずがない。

 

 自分の周りには何もない。打ち尽くした銃火器は全て投げつけたのだから。ガラクタや破片も投げたところで効果があるとは思えない。

 

 どうする? このままじゃ……動くか、せめて走れるぐらいはできないと………!?

 

「あ」

 

 簡単なことたった。

 

 今システムを完成させればいい。それさえできれば戦うこともしなくて済む。

 

 時間がない。大きく負傷したとはいえ敵は健在だ。なんとしてでも間に合わせる。

 

 システムキーボード、オン。

 

「回路を接続。神経系………クリア。やっぱり出力が安定しない」

 

 とはいえそう簡単に出来ることでもない。だからこそトーナメントには出場していないし、逃げることも出来ないんだから。

 

 色々なパターンを試しては診断して、エラーを突きつけられた。今まで何千回と繰り返した行為。その度にため息をついては考え直してきた。たけど、今に限ってはため息じゃ済まない。

 

 ズン。

 

「ひっ!」

 

 一際大きな足音に悲鳴を上げてしまう。無表情の鉄の顔が笑っているように見えた。カメラの向こうにいる製作者がわざとそうさせているに違いない。こいつは悪趣味だ。

 

 スピードを上げて新しいパターンを試していく。

 

 エラー。

 

 エラー、エラー。ERROR。

 

 ズン。

 

「ハァ、ハァ………ハァ、ハァ……」

 

 次第に息が上がっていく。それに合わせてミスタイプが増えてきた。

 

 だめ、落ち着いて……。私の命が掛かってる、銀が待ってる……!

 

 ピピッ。

 

「こんな時に……!」

 

 一通のメールだ。

 

 差出人は……名無水銀。



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011 貴女のもとへ

 こんな時にメールが届いたところで、見る余裕なんてない。授業の課題だろうが、家からの呼び出しだろうが関係あるものか。

 

 でも、銀の送った間の悪いメールは何故か見なければならない気がした。

 

 ふらりと浮いた指が、OPENをタップした。

 

『や。きっと、暇してるだろうから自動送信するメールを送ったよ。武装関係はそろそろ終わりそうだったから、今頃はシステムと出力に頭を悩ませてるんじゃないかなぁ……

 本当は一緒に試合を見たいんだけど、簪さんは機体を完成させる事のほうが大事だろうから、来てほしいなんて言わない

 でもやっぱり一緒に楽しみたいから、早く終えられるように参考になりそうなデータをまとめておいたから、添付してるものをインストールすればわかるよ。

 

 頑張ってね』

 

 メールを開いた瞬間にインストールした傍から解凍されていく謎のデータ。止めさせようと動いた手を慌てて引っ込めて文を読んだ。

 

 《complete》

 

 読み終わる頃には全て終わっていて何か何やら……。わかっているのは、数秒前の打鉄弐式ではないということ。

 

 視界がクリアだ、パワーもバランスも安定している、感覚も敏感になった、何より無駄がない。

 

 私は何もしてないのに……まさか、自分でデータを参考にして組み立てた?

 

 ……すごい。銀が送ってくれたデータもだけど、分類から応用まで単体でこなしたコアなんて聞いたこともない。何から何まで最適に書き換えられてるし、完成の目処がまるで立たなかったマルチロックオンシステムまで出来てる。

 

 悔しいなぁ。私、結局何もしてない。データを用意したわけでもないし、組んだわけでもない。

 

 自分で組み立てようと決めて、他人が完成させたこの機体。

 

 ………私に乗る資格があるの?

 

 ガシャン!

 

「くっ……!」

 

 今はこのISをなんとかしないと!

 

 壁に張り付かないと禄に撃てなかった時とはもう違う。打鉄らしからぬ素早さで突進して、大盾を使ってぶつかった。上手くいくのか不安だったけど、油断していたらしく面白いくらい吹き飛んでくれて助かる。

 

 ただし、ここからはあの敵も手加減はしてくれない。少なくともゆっくり歩くことはないはず。

 

 戦わないと。

 

 でも……。

 

 いや、今を乗り切らなければならないことはわかる。でも、何もしていない私が乗ることは、違う気がしてならない。男だし、私よりも銀が乗るべきなんじゃないかって。

 

《NO!》

 

 視界いっぱいに広がった、一つの単語。それは私が予期しない相手からの言葉だった。メールでもチャネルでもない、ただのメッセージ。

 

 誰なのか、直感的に理解した。

 

《I. I'm……》

《Watashiwa……?》

《……わたしは、あなたの、ために、つくられた》

 

 !? 意思を、文字で伝えようとしている?

 

 設定された言葉以外はすべて公用語の英語で表示するようにしているのに、わざわざ、日本語に変換してる。

 

 こんなの、はじめて。

 

《あなたに、のって、欲しいから、わたしは、さいてきな、こたえを、える、ために、あなたから、なかまから、くみたてかた、というものを、まなんだ》

 

 ………学習能力が、戦闘以外の分野で働いた。ということ。かな?

 私がISを通して検索をかけることで、その結果を見て学び、意欲を膨らませて、自ら学ぶことを学んだ。

 

 こんなこと、どんな本にも載っていない……。

 

《かれは、わたしを、あなたに、のせるために、いっぱい、てつだった》

《そして、わたしが、かんせいする、ことで、えられる、ものは、あいえす、だけでは、ないはず》

 

 そうだ。完成した打鉄弐式を見せてやりたい。旧型と嘲笑って捨てた倉持の研究者達に。お姉ちゃんへ一歩近づくために。何よりも、誰より側で手伝って………支えてくれた銀のために。

 

《あなたの、おもいや、きもちが、わたしを、つくった》

 

 私は何もしていない……なんてことはない。挫けなかったその姿勢や気持ちが、打鉄弐式を完成させる道を手繰り寄せた。

 

 そう、言っているんだ。

 

《さあ》

 

 私には結局わからない。努力はしたけれど、実ることは無かった。

 

 でも、問われていることは簡単なことだ。

 

『打鉄弐式を赤の他人へ渡せるか?』

 

 NOだ。有り得ない。

 

 なら選択肢は一つだけだ。

 

《一次以降終了報告》

《Get Ready?》

 

 私は《完了》のボタンを拳で叩いた。

 

 更に感覚が鋭く、広がる。これで、打鉄弐式は誰がなんと言おうと私のパートナーだ。

 

 達成感その他諸々が広がるが、その気持ちを抑えて粉塵を見やる。あの中にはまだあの無骨な機体が私を狙っているんだから。

 

 ここからは機動戦だ。大盾を煙の中心へ向かって投げつけて、その代わりに使い慣れた薙刀『夢現』を手に取る。床には投げつけた武器が散らばってるけれども、そのまま使えるのはこれだけだった。

 

 ぎゅっと柄を握りしめて薙刀を構える。

 

 換気扇によって煙が全部外へ吐き出される頃、ようやく敵……腕長のISは立ち上がった。

 

「っ!」

 

 瞬く後には、柄で腕を防いでいた。殆ど反射に近い。あのまま棒立ちしていたらもうやられていただろう。

 

 重心を前に移して、押し返すように腕を伸ばす。これくらいじゃ夢現は折れたりしない。このまま押し切って……っ!?

 

 メーターがゼロ? 推進剤が……ない!? 

 

「あっ……」

 

 思い出したのは、つい数日前のこと。そう、入学する前に打鉄弐式に触っていた時。その前のテストで暴走して、推進剤が切れるまで試験場を爆走するなんて事件があった。そうならないようにわざと少量を残して抜いたんだった……。

 

 ……もう! バカ!!

 

 なんて言っても仕方がない。昔の自分をどれだけ恨んでも推進剤は満たされないんだ。なら使わない方法で倒すか逃げるか考えないと……。

 

 相手がスラスターを使って強引に押してくる前に、すり足で敵の右脇に入り込んで、短く持った薙刀を振るう。

 

 ヴヴヴヴ、と振動し始めた薙刀の刃が淡い光を帯びる。手のひらから感じる感触と揺れで、夢現の機能が正常に作動している事を把握した私は、右腕に狙いを定め、豆腐のように切り落とした。

 

 肘から先だけがガシャンと音を立てて身体から離れる。生身の腕に傷がつかないギリギリのラインだ、中の人間は無事のはず。

 

 床を蹴って飛び退き、再び距離をとる。

 

 さっきの一撃で感触は分かった。全身装甲は実戦向きだって聞いていたから、通用するのか心配だったけど、これならいける。次は足を落として、そのまま逃げよう。ついでに背中のスラスターまで壊せれば完璧だ。

 

「………ッ!」

 

 深く息を吸って、吐いて、吸って………鉄の床を蹴る。

 

 たったの一足で再び懐へ入りこんだ私は、足払いの要領で膝から先を両方とも斬り落とす。

 

 ―――筈だった。

 

「か………っっっく」

 

 薙刀を振りかぶったところまでは覚えているし、理解できる。でも、一秒後には、なぜか私は壁に背中をつけていて、息を詰まらせていた。

 

 ………なん、で?

 

 違和感を感じる腹部を見れば、どこかで見たことのあるような大きな腕が、私を壁に押し付けていた。余程の勢いだったのか、棒を握るように私の身体を掴みながら、指先がどれも壁に埋まっている。

 

 これは、私が斬り落としたあいつの腕!?

 

 視点を真下から、未だに腕を斬られたままの体勢で蹲る敵へ移す。私がもう一度踏み込むまでピクリとも動いてはいなかった。奴に吹き飛ばされた今も変わっていない。

 

 あの敵が斬られた腕を投げたのかと思ったけど、違う。もし投げたのなら、野球選手の投手や、陸上選手の槍投げの様に、振りかぶった後の体勢をとっているはず。そもそも投げる腕が残っていない

 

「……この腕、まさか、自分で?」

 

 自分で腕が飛び付いてきたのか、もしくは、オルコットさんのビットの様に遠隔操作を行ったのかもしれない。

 

 普通のISは片腕を切り離して飛ばすなんてことは絶対しない。数本の腕を持つISならともかく、目の前の機体は二本だけ。だから、最初から腕が斬り落とされた時の為に遠隔操作できるようにしておく、なんてことは無い。ありえるかもしれないけれど、それだけの事になる前に、絶対防御が発動して負けている。

 

 ……いや、目の前の機体は無人機だ。なら、そんな細工がされていてもおかしくは無い。

 

 現行のISでの常識は、目の前の機体には通用しない。そうでも考えないと、この腕の説明が付けられなかった。

 

 視線をまた上に戻すと、敵は起き上がって私を見てきた。カメラと目が合う。

 

 背筋を這うようなおぞましい感覚と不安を振り払って、振りほどく為に手と足に力を込めた。

 

 打鉄弐式は、ここ数年………と言うよりも、全世代を通しても珍しい腕を装甲で保護しないという珍しいタイプだ。その代わりにマルチロックオン・システムという画期的なものを搭載している。ライフルやソード、ランスを持つのではなく、キーボードを叩く為だ。なのでこういう時は力勝負はまるで向いていない。なにせ装甲が無い分、ISのアシストを受けられずに私自身の握力と腕力でどうにかしなければならないんだから。

 

 ものは試しと思ってやってみたものの、案の定一ミリも動かないので、脚でなんとか踏ん張る事にした。PICだったり、割とISにとって重要な機関が多く詰め込まれているので、脚部の恩恵は大きい。

 

 地についていた脚を浮かせて、壁を踏む。重たい段ボールを持ち上げるように、一気に力を込めた。

 

 動いた感触はしない。でもやらないと……死ぬ。

 

 とにかく腕の拘束を緩める為に何度も繰り返す。腕を使ったり、荷電粒子砲の砲身をガシャガシャと動かして叩きつけたり、腕を壊そうと蹴りを入れてみたり。

 

 結局、ピクリとも動かなかった。それもそのはず、途中で気付いたけれどこの腕はやっぱり遠隔操作されていて、常に力が込められていたんだから。私に気付かれず、苦しめない程度に。それに気付いたのは、浮いたはずの指が元に戻ったところを偶然見たからだ。

 

 腕を引きぬくのは無理が……いや、まだいける。脚部の出力を調整して、腕の指先が食い込む以上の力が出せれば或いは。そうやって戦局に対応できるように、打鉄弐式は腕部装甲がないんだから。

 

 視界に写される機体情報の中に、他の機体には無い表示が、この機体にはある。センサーアイで焦点を合わせ、システムを起動。脚部の装甲が、簡易的に装着されたまま外されて裸足を晒す。そして両手両足の位置に電子キーボードが現れた。同時に、こめかみのあたりにモニターが現れる。

 

 真正面には睨むように私を見るIS。再び形勢逆転したとはいえ、この敵はもう油断なんてしないだろう。詰めを誤らず、私を潰しに来る。その前に何としても抜けださなくちゃ。

 

 四つの電子キーボードからはありえない量の鍵打音が整備室に響く。初期設定のポンポンという音ではなく、一昔前のPCキーボードのようなカタカタという音に設定しているので、違和感はまあある。それが協調性も無くガガガガガガガと削るような音になっているが。

 

 ………よし!

 

「これで……っ!?」

 

 プログラムの書き換えが済んで、最後にエンターキーを叩こうとしたその時、目の前には片腕を失ったISが。レンズアイに、私が驚いているところがいっぱいに映っているところが見える程度には近い。

 

 息が詰まるような感覚。目の前に立つ、死。

 

 私は金縛りにあったように動けなくなってしまった。

 

 そんな私を余所に、品定めをするようなべたつく視線でじろじろとこちらを見てくる。この感じは……そう、下心を隠そうともしない四十代の男性。のような

 

「ひっ………」

 

 間違いない。これを操っているのは男だ。

 

 一気に増した嫌悪感が髪の先まで這いあがって来た。街を歩いている時の様な、周囲の視線が目の前にあるだなんて思うと、もう……。

 

 もう、だめ。

 

「……………やぁ」

 

 助けてよ……。

 

「いやあああああああああああああああああああああああぁぁぁ!! 銀ええええええええええええええぇぇぇ!!」

 

 私の叫びを笑う様に、敵は爆発で千切れた方の左手を私の身体に向けて飛ばしてきた。どれだけ身じろぎをしても、一向に拘束は緩まない。そもそも恐怖で身体が動かない。

 

「い―――――んぐっ!」

 

 勝手に開いた私の口が、敵の手によって抑えられる。人を呼ばれると思ってのことだろう。今日はトーナメントが離れたアリーナで行われているし、誰かが騒ぎを聞きつけてくる事なんて殆ど無さそうなものだけど。それをひっくり返せば、誰も助けに来てはくれないということでもある。

 

 わかってる。でも、諦めたくない。認めたくない。

 

 まだ、私は、鋼と…………。

 

 首を横にも縦にも振って、一瞬だけ手を振り払った隙に、もう一度だけ叫んだ。きっと、誰かに届くはず。

 

「銀ええええええええええええええええええぇぇぇぇ!!」

「呼んだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリーナの観客席から出て、別の安全な場所とやらに移動している最中、僕はあるものを見た。偶然僕だけがそこを見ていたからなのか、それとも卵をつけていることによってISの恩恵が受けられているからかもしれない。

 

 アリーナを襲ってきた腕長の機体が、もう一機いた。

 

 そいつは誰にも見つからないように気をつけながら学園の奥の方へと消えていった。

 

 ということは、アリーナで暴れている機体は囮で、こっちが本命だ。

 

 先生に伝えようとして………歩みを止めた。

 

 状況はこうだ。

 

 トーナメント中に乱入してきた謎のIS。これは今織斑君と凰さんが二人がかりで戦っている。もしくは教員の人達が戦っている。じき抑えられるだろう。その間に、僕ら一般生徒や一部の教職員は避難して、来賓は来た方法で帰る。

 でもそれは囮で、隠れて行動するように周囲に気を配りながら奥の方へ消えていった。方角だけで狙いは分からないから何とも言えないけど。

 僕がそれを先生に言ったとして、誰が対応に当たるんだろう? それが動き出すまでにかかる時間は? 探す事も考えると、人手が多くいるし、抑えるならもっと必要だ。現状アリーナ側で手一杯なのに動く人がいるとは思えない。

 

 そもそも敵の狙いは何だろう? 人が集まるところを襲って来ていながら、人には全く手を出さなかった。つまり学園生や職員、来賓は除外する。

 次に学園を狙う理由として考えられるのは………やっぱりISだ。たった一機すら持つことが出来ない国家があるにもかかわらず、ここには数十機というどこぞの大国もびっくりな数を揃えている。ISの戦力だけで見れば、ここIS学園が間違いなく世界最強の国家だ。

 なら、打鉄やラファールを奪うつもりなのか……? でも向かった方角はアリーナの保管庫じゃなくて、どちらかと言うと別のアリーナや整備室のような……………!?

 

 整備室!

 

 簪さんか!?

 

 そこまで行きついた僕は急に走りだした。走るなんて生まれて初めてだ。これで走っているのかどうかは分からないけど、他人から見た評価なんて今はどうでもいい。一刻も早く駆けつけられればなんだっていいんだ。

 

「ちょ、ななみんー!!」

「忘れ物してきたんだ!」

「今はそれどころじゃないよぅ~~!」

 

 こんな時もブレないね、布仏さん。

 

 間延びした癒しボイスを置き去りにして、人の波に逆らいつつアリーナに戻って来た僕は更衣室……の先にある保管庫へ向かった。

 

 直接向かわなかったのは、ISがいるからだ。戦闘になったら生身の人間なんてホコリのように吹けば飛ぶ。対抗する為にはISしかない。たとえ向こうが解除した状態ならそれはそれで構わない。

 

 それに、この保管庫には――

 

「やあ」

「     」

 

 ――このラファールがいる。

 

「大切な人を守りたいんだ。力を貸してくれないかな?」

「    」

「ありがとう」

 

 装甲を開いて僕を迎え入れたラファールに腕と脚を通す。装着されたことを身体で感じた僕は、隣の武器庫へ急いだ。

 

 本当は……ISで戦いたくは無い。束さんの気持ちを直に聞いた人間としては、争いに使いたくは無いんだけれど、今は、今から少しの間だけは、身を守るために許してほしい。

 

 以前の様なスポーツじゃない。命をかけた実戦があるかもしれない。吐血して見動きが取れなくなれば、僕の負けだ。それだけは無いように気をつけないと。後の事なんて考えるな、今は、彼女の無事と限界が来る前に終わらせることだけを考えるんだ。

 

 詰められるだけ武器を詰めた僕は通路を通って整備室へ急いだ。外には避難している途中の生徒がいる。人の目に映るのはまずい。どうせ後になればバレるし怒られるけど、この貴重な時間を邪魔されるのは御免だ。

 

「たはは、千冬さんなんて言うかなぁ」

 

 ゲンコツだけは勘弁だよ。

 

 一先ず向かうのは簪さんがいるはずの第一整備室。そこでも見つからなかったら、外を回るしかない。

 

 無事であることと、せめてなんらかの手がかりがあることを祈って僕は速度を上げた。

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 あらかじめラファールに入っていた学園内のデータをじっと見ながら、ガンガン速度を上げたお陰で直ぐに辿りつくことが出来た。専用機と違って学園の訓練機は量子化出来ないので、普通の入り口からは入れなかった。壊そうかとも思ったけれど、ここで貴重な体力を使うことも無いので少し回って搬送口から入った。ここならISでも楽々入れる。

 

 一つ一つの整備室が大きいことで、この整備関連の棟はとにかく大きい。目指す場所が分かっていても、広すぎて手間がかかった。

 

「そろそろかな」

 

 素手の左に扱いやすく面積もそこそこ広い縦長な六角形のシールドを装着し、右手にバトルライフルを選んだ。速度は落とさず、そのまま進む。

 

 風が機体の高速移動によって巻き起こる中、僕は遠くから聞こえた声を逃さなかった。

 

「簪さんだ……!」

 

 まだ第一整備室にいる、そして危ない!

 

 僕は入口……を通り過ぎて壁の前に立って脚を止めた。僕に近かった方は生憎と人間用で入れない。かといって奥側のIS搬入口まで行く時間すら惜しい。

 

 結果、僕はここの壁を壊す事にした。ここまでくれば体力温存なんて関係ない。

 

 ライフルを腰のラックに掛けて、代わりに一撃必殺を謳う近接武器を取り出す。

 

 パイルバンカー。

 

「いっくぞおおおぉぉ!!」

 

 装着した右腕を振りあげる。

 

「銀ええええええええええええええええええぇぇぇぇ!!」

 

 ……ここに、壁一枚向こうに簪さんがいる! 

 

 でも、もう止められない。もし簪さんに当たりでもしたら。

 

 なんてことは想像もしなかった。大丈夫。そんなことは起きない。

 

 躊躇いなく、僕は振りかぶった右腕を前に突き出した。流石に整備室であっても、この杭は防げなかったようで簡単に壁は崩れた。

 

 右腕は簪さんの丁度右腕から五十センチ離れた場所を貫いており、怪我は無い。

 

「呼んだ?」

 

 返事を返して、僕は左腕で彼女を受け止める。そして右肩に取りつけたキャノン砲を、直ぐ向かいにいる機体の顔面へブチ込んだ。

 

「助けに来たよ」

 

 右腕が早速限界を迎えたことを悟った。



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012 問い

 森宮の方でも書きましたが、一応こちらでも。

 私は基本的に七千字を目安、平均にして一話を投稿しています。そこで、もうちょっと内容を濃くしていきたいなーと思った結果、字数を増やしてみることにしました。多くても一万字程度ですかね。ご意見ありましたら、是非是非。

 ちなみに今回は八千五百です。




 あらかじめ伝えておきます、今回はちょいとグロイっす。


 役目を果たしたパイルバンカーを外して、腰のラックにかけていたバトルライフルを手に取る。

 

 が、あまり役には立たないだろう。

 

 もともと僕の身体は頑丈じゃない。柔いとかいうレベルを超えて、もはや濡れた障子やティッシュ並の脆さだ。お陰で実技を受けなくていいという取り柄になりつつあるけど……こういう時は困り者かな。

 

 普通のライフルの反動でもギシギシと腕と身体に来るというのに、火薬を爆発させて杭をブチ込む武器でまともにいられるわけがない。きっと生身のままなら肩から粉微塵に吹き飛んだとおもう。

 

 とにかく、この敵を何とかするまでは使えそうにない。できても盾代わりくらいだ。

 

 たとえ打鉄弐式が完成したとしても、この有様じゃ………

 

 ん?

 

「簪さん。打鉄弐式、動くの?」

「うん。お陰様で」

 

 そ、そうなんだ。あれだけの情報をすぐに整理して完成させるなんて、流石だなぁ。

 

 ということは打鉄弐式も戦力と見て大丈夫。いや、明らかに僕よりも強い。むしろ僕のほうがツマじゃないか?

 

 ………。

 

 少し、虚しい。

 

「銀!」

 

 自分で抉った心を慰めていると、簪さんから激を飛ばされた。視線の先を見ると、キャノン砲で吹き飛ばした敵のISが起き上がるところだった。

 

 直撃した腹部はショートしていて、回路やチップがよく見える。既に切り落とされていた腕を見ても同じだ。

 

 それにしても、大分小柄な人が乗っているんだね。あれだけお腹の部分を破壊したのに、生身の肌が少しも見えない。

 

「簪さん。色々と武器を持ってきてるけど、使う?」

「じゃあ、これ。貸して?」

「うん」

 

 武装リストを送って、言われたとおりに武器を渡す。使用者制限解除はもちろん済ませてある。

 

 足元に散らばる武器の残骸を見るに、簪さんの武器は薙刀だけだろう。流石にそれだけじゃ心もとない。何より、僕よりも強い彼女が多くの武器を使うべきだ。

 

「動きを止めたら逃げよう」

「そうするつも………ううん、逃げない」

「え?」

「私達で、一緒に、倒す」

「どうして!? 危険な相手なんだよ!? 死んじゃうかもしれないのに……」

「退けないの。私は、日本の候補生だから」

「それは……」

 

 そう言われると、僕は言い返せない。

 

 でも、退いても許されるだけの理由はあるんだ。

 

 簪さんは僕の護衛兼監視役として常に行動する。僕が行くところには彼女がとついて来るってことだ。言い返せば、彼女が行く場所に僕はついて行く必要がある。

 僕の安全を最優先して逃げたと言えば誰もが首を縦に降るだろうし、専用機を奪われないためと言えば研究所だって何も言えなくなるはず。

 

 それでもそうしないということは、それ以外に何らかの事情があるってことだと思う。先の代表戦みたいに。

 

 僕らにとって良い状況や環境を作るため、何と言っても、簪さんがお姉さんから認められるため。

 

 ムキになっているということもありうる。

 

 それでも、僕には止められなかった。こんなにも自分を通そうとする姿は、殆ど見ないから。それだけ大切なことだと思うと、口を挟むことは僕にできない。

 

 怪我で済まないとわかっていても、むしろそれを助けたいと思った僕はどこかずれてるんだろう。

 

「援護なんて器用なことできないから、逃げ場を潰していくよ。だから、簪さんが決めてほしい」

「……ありがと」

 

 推進ユニットと山嵐の弾倉を兼ねる背部のユニットをパージ。およそISらしからぬ、走るという行為で敵へと接近していく。僕が来るまでに推進剤を切らしてしまったんだろう。

 

 簪さんを迎え撃とうと、敵ISは腕に内蔵したエネルギー砲を向けた。

 

 正面から向かう簪さんが狙いみたいだ。

 

 そのまま撃たせたりなんて、させない。

 

 スラスターを一瞬だけ吹かして急上昇。加速の余韻に浸りつつ、PICによって身体を上下逆転させて天井に着地。ISにとってはあまりにも低すぎる天井に到達した。

 

 手に持ったライフルを頬付けして直下の敵へと向ける。ロックオン機能もあるし、これなら外さない。僕は迷わず引き金を引いた。

 

 火薬が弾ける音が部屋に響くと同時に、鉛玉が簪さんへと伸ばしていた不気味な腕に命中する。

 

 見えないハンマーで叩きつけられたように、腕の装甲にヒビが入って床に激突する。そこで発砲された腕部エネルギー砲は、整備室の床を大きく抉っていく。

 

 弾け飛ぶタイルの残骸を、PICをオンにして苦もなく歩を勧めた簪さんは、驚異的な威力を誇る薙刀を振りかぶって横に薙ぐ。

 

 床に向かって放ったエネルギー砲の反動と、脚部のスラスターを使って、敵は簪さんが攻めて来ることを読んでいたかのように全力で後ろに飛んだ。夢現は敵の表面をなぞって線をつける程度の傷しかつけられなかった。

 

 仕切り直し。

 

 をするつもりはないらしい。後ろにステップを踏んだその足で今度は前に突出してきた。

 

 対する簪さんは、夢現で迎え撃つ体制だ。

 

 ライフルと肩のキャノン砲がいつでも撃てるように構えて待機する。一瞬だけ僕を見てきた時のアイコンタクト、あれは待て。絶好のタイミングを、作ってくれるはず。

 

 残された腕を振りかぶって、握りつぶそうと指を立てて開いた手を簪さんへ向ける敵IS。

 

 ひょい、としゃがんで回避した簪さんはアシスト全開の脚部で足払いを繰り出した。自然と敵ISの身体は不安定な状態で宙に浮く。

 

 ここからの流れるような動作は綺麗という一言に尽きた。

 

 夢現の振動機能をカットして刃側の鍔元を持ち、刃側を地面に向け、石突を天上へ向けるように、柄のおよそ中心部分を背中と肩の上にポンと乗せる。

 

 石突は浮いた状態の敵ISの股間部分を強く打ち付け、次に向きを変えて右太腿の内側を強く打つ。

 

 柄が触れている肩と背中を支点とし、刃の鍔元を握る両手で力を加え、敵の内側右太腿に力が伝わり、更に敵の姿勢を崩す。今のタイミングでスラスターやPICを使おうがもう間に合わない。

 

 てこの原理を用いた、武道の型のような動きだった。

 

 そしてこれこそが、彼女が作り出した絶好のタイミングに違いない。

 

 ライフルのトリガーを握る指に力を込める。延髄に叩き込めば、流石に頑丈なこの機体でも……!

 

 ロックオンの照準を首へと定める。

 

 ………そこまでが僕の限界だった。

 

「ごふっ」

 

 あぁ、こんな時に……。

 

 酷使していた身体は悲鳴を上げて、とうとう耐え切れなかったらしい。口から溢れる赤い液体を押し留められずに、鉄臭い雫を撒き散らしながら僕は床へと墜落した。

 

「は、銀……!」

 

 視界には真っ赤な床がいっぱいに映っている。が、ISとしての機能を活用させて周囲を把握した。

 

 敵ISは空中で姿勢を整えることは出来なかったようで、壁に叩きつけられている。そして床にうつ伏せに広がった。

 

 簪さんは驚いた表情で僕へ駆け寄ろうと走ってくる。

 

 そして、無意識下で捉えた小型の何か。

 

 その小型の何かの正体を探る暇も考える余裕もない。直感に従って、駆け寄ってくる簪さんを突き飛ばした。思いっきり。スラスターも使って。

 

 その行動が正しかったと僕は痛みを持って判断した。

 

「ぎっ、い、あっ………ァァァァァァアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 左腕に襲いかかる、まるで万力のような締め付け。ラファールの装甲で守られたその奥、僕の生身の左腕がミシミシと聞きたくない音を膨らませていく。

 

 万力の正体は……切り落とされた腕だった。

 

 僕が部屋に到着した時には、簪さんによって既に切り落とされており、タダの残骸としか見ていなかった。だって、ねぇ? まさか切られた腕が動き出すなんて分かるわけないよ。

 

 いや、それよりも……おなじくらい? ヤバイよね。

 

 内蔵をグチャグチャにかき混ぜられるようで、熱された鉄の杭で貫かれ、鎚で潰され、鑢で削られ、ミンチになった皮膚の内側を炙られるような………表現のしようがない。とにかく痛いしつらいし、吐きそう。

 

 ISの搭乗者保護のお陰様で、意識を飛ばすことができないまま、僕は叫びながら悶え続けた。

 

 こんな状態でも、ISは律儀に情報を送ってくれる。身体を起こした敵ISが僕の方へ向かってきているみたいだ。僕との間に割って入るように、簪さんが夢現を握って立ちはだかる。

 

 痛みはどんどん増していく。本で読んだような、拷問を受けるシーンで殺してくれという気持ちがよく分かる。こんなものをずっと受けるくらいなら、死んだほうがマシに思えてきた。

 

 左腕が更に軋みを上げる。

 

 ばきん。

 

「          」

 

 もう声も出なかった。喉の痛みと血で口が舌もああああワケがわからない。赤い泡でも吹いてそうだ。

 

 とうとう左腕の骨が折れた。

 

 そしてここからはドミノ倒しのように、また折れていく。

 

 ばきん。ばきっ、めきめき、べきり。

 

 骨が折れるということは、周りの肉もとんでもないことになる。

 

 ぐちゃ。みちみちぃ、ぐちゅ、ぶしゅっ。

 

 装甲はもはやその体を失って肌に張り付く鉄になり、むしろ腕に破片が食い込んでいる気がする。

 

 所々にできた隙間から赤い液体が勢い良く吹き出して、噴水がいくつもできていた。

 

 は。

 

 ははは。

 

「アハハハハハハハハハハハ。アハハハハハハハハハハハはははははははは」

 

 どうしてこんなことになったんだろう? 

 

 どうして僕はこんなにも恵まれないんだろう?

 

 持っているものなんて何一つ無いのに、繋ぎ止めていた人達はもう居なくて、僕はこんなにも弱くて脆い、普通たり得ない人間なのに。

 

 どうして? 

 

 僕がいったい……何をしたっていうのさ……。

 

 何もしてない。生きることに精一杯なのに。満足に走ることも、好きなものを好きなだけ食べることも、勉強することも、人と仲良くなることも、碌に出来たもんじゃないんだ。

 

 なのに、これ以上苦しめって………

 

 見もしない誰かは、神様とやらは、このISは、僕をいじめて何がしたいんだろう。

 

 僕は…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が起きたのか、理解が追いつかない。

 

 私が投げ飛ばしたところまでは順調だった。銀が上から狙撃することで、決着がついて私達が勝つはずだった。

 

 でも、私が見たのは倒れている敵のISじゃなくて、血を振りまきながら落ちてきた銀の姿。

 

 忘れていたつもりはない。でも、まだ大丈夫だって勝手に決めつけて、安心しきっていた。

 

 銀はいつだって精一杯に生きている。いつ歩けなくなるのかわからない。危険な綱渡りを毎日毎日、誰に知られることもなく続けているんだ。

 

 わざわざ格納庫から装備を持って駆けつけてくれた。

 試合のあるアリーナは離れているのに、苦もなく来てくれて、当然のように迎えに来てくれた。

 

 それだけ銀はISを動かし続けていた。

 

 激しい戦闘とはいえ、トーナメントでは持って十分程度しか動けなかったのは知っていた筈なのに。それに、頑張って十分戦えたとしても、その後には吐血して気を失う。

 

 最初から戦わせるべきじゃ無かったんだ。

 

 欲を出してしまったから……銀の言う通りに逃げていれば……。

 

 周りの評価なんて本当はどうだっていいのに、銀やお姉ちゃんが見てくれるならそれで良かったのに、倒したことで得られる評価なんて、守ったことで得られる安心感のほうが何倍も大きいのに!!

 

「銀!!」

 

 まだ敵は倒れていない。

 

 ………そんなことはわかっている。

 

 いま追い打ちをかければ倒せる。

 

 ………知ったことじゃない。

 

 銀に駆け寄った。

 

 それが、一番の悪手だというのに、私は気づけなかった。

 

「きゃっ」

 

 いきなり跳ね起きた銀が私を思い切り突き飛ばした。まさか起きるとは思っていなかったので、私も尻もちをつくほど飛ばされてしまう。

 

 驚きはしたが、お陰で冷静さを少しだけ取り戻せた。ブルブルと頭を横に振って目を開く。

 

「あ」

 

 まず目に入ったのは、私が切り落として私を締め付けていた片腕。それが銀の左腕を鷲掴みにしている。ラファールの二の腕部分だ、あの辺りには搭乗者の生身の腕が格納されているはず。

 

 ……まさか、まだ動いていたなんて。いや、動いて当たり前。私はあの腕にとどめを刺した覚えはないし、銀が割って入った時も攻撃したところを見てはいない。本体と同等かそれ以上に警戒しなくちゃいけなかったのに、あろうことか忘れていたなんて。

 

「ぎっ、い、あっ………ァァァァァァアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 ――だめ。

 

 ばきん。

 

 ――やめて……。

 

 ばきん。ばきっ、めきめき、べきり。

 

 ――もう銀は一歩も歩けない状態なのに、それ以上傷つけないで……!

 

 ぐちゃ。みちみちぃ、ぐちゅ、ぶしゅっ。

 

「アハハハハハハハハハハハ。アハハハハハハハハハハハはははははははは」

「っく……うぅ、はがねぇ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめ、な、さ………」

 

 痛みに狂って笑い出した銀に、私はボロボロと泣きながら謝ることしかできなかった。

 

 だって、私のせいだよ。

 

 ここで頑張れば、織斑一夏に負けないくらい凄い男だって世間は彼を知る。学校での白い目もきっと変わる、銀はたくさんの人から褒められる。

 

 銀はいつも私を褒めてくれる。組み立てるときはもうどこからそんなに言葉が出てくるんだろうってぐらい、べた褒めされたっけ。おかげでちょっとだけ自信がついた。お姉ちゃんのことも、今は前ほど深刻に捉えてはいない。

 

 でも銀はそうじゃなかった。一緒に歩いているとき、ご飯を食べるとき、他人の視線がある場所で、周囲の人間は銀のことを『世界で二番目の操縦者』だとしか見ていない。『名無水銀』という個人は、この学園に在籍していないかのような扱いだった。

 

 叱られることを覚悟で、私は銀の服に手製のカメラ付き盗聴器を取り付けていた時期がある。ばれたらばれたで、彼を守るためにやったことですと言えばどうとでもなる程度だけれど、これがもう、聞くに堪えなかった。

 

 無視。

 

 しかと、とも呼ばれる行為のオンパレードだ。隣に座る本音や席が近い人、同じ男性の織斑一夏以外の女子は、銀に近づくことも話しかけることも話しかけられた時に言葉を返すこともしなかった。まるで、お呼びじゃないとでも言うような、一夏君じゃないの? とも見えるような、そんな表情をする女が殆ど。あまりにも腹がたったのでこっそり回収して壊した。あれ以上見続けていたら、私は一組の半分以上をひっぱたくことになりそうだったので。

 

 本音からの報告も私が感じたものと大差なかった。むしろ、観察するという点においては天才的なモノを持っている本音が生で見てきた感想の方が酷かった。

 

「なんだかねぇ、使いようのないサンプルみたいな感じするなぁ。おりむーがメインのごはんなら、ななみんは用意された皿に乗ってる埃みたい。みんなおりむーにはとっても興味があって自分から近づくんだけど、ななみんの場合だと逆に避けているっぽくて……」

「理由は? 分かってるでしょ?」

「ほ、ほら! ななみんってさ、おりむーとはタイプがちがうでしょ? おりむーが正統派イケメンって感じで、ななみんは優しくてほんわかしててでもちょっぴり儚げだから――――」

「言いなさい。本音」

「うぅ………。一組だけじゃなくて、全部のクラスや他学年も聞いたんだけど、その……」

「二度目はないわ。言いなさい」

「………幽霊みたいで、気持ち悪いって」

 

 その時の私はよく我慢したと今でも思う。

 

 だから少しでも銀は銀だって、ここにいて、懸命に生きているんだって、知ってほしかった。

 

 ぶしゅうぅっ。

 

 こんな……血まみれでぐちゃぐちゃになるだなんて……

 

「こんなの、望んでなかった! 欲しくない! 要らない!! 嫌い!!!」

 

 夢現を握りしめて銀に駆け寄る。早くあの邪魔な腕を切り落とさないと……! でも本体の方も邪魔だ。割り込まれると困るし、倒し損ねて別のパーツが銀を傷つけ始めたらキリがない。

 

 少しの間だけ、銀に我慢してもらおう。

 

 待っててね、あんな鉄屑すぐにバラバラにしちゃうから。すぐに治療できるところに運ぶから。

 

 敵が来た直ぐの時、使え無くなり投げつけた武器の内一つを手に取る。このワイヤーガン、逆に引き寄せてしまうかもしれなかったのでそのまま投げたのだ。が、推進剤を切らしている今ならこれが役に立つ。

 

 ようやく起き上ったISの背後にある壁へ向けてワイヤーガンを撃ち込む。すぐにリールを巻いて、さっきよりはマシな速度で敵へと迫った。

 

 途中でワイヤーガンを放り投げ、慣性に身を任せて襲い掛かった。

 

 夢現を投擲、ワイヤーガンのアンカーが刺さったところから更に敵IS寄りの壁に突き刺さる。敢えて外すように投げた槍に気を取られて、頭部がすぐ右に突き立つ刃と柄に注意を割いた。

 

「やっ!」

 

 ボールを蹴る様に、左頬を狙って右足を振り抜く。鋭く尖った打鉄弐式の足が見事に命中、突き刺さる。が、そのままでは非常に困るので更に力を込めて、パーツを抉り、足を振り抜いた。その代りに右足のつま先から足の甲までが犠牲になったが。

 

 ギギギ、と鈍い音を鳴らして腕を振り上げて狙いを定める敵IS。対する私は右足の勢いに、体全体の捻りを加えて空中で一回転。銀がさっき命中させてヒビが入っている部分目がけて、左足で踵落としをお見舞いする。二度目は無く、残った腕もとうとう使い物にならなくなった。幸運なことに、完全に千切れることなく、肘から下の一部の配線とゴムだけが生き残ってぶら下がった状態だ。また一本の腕が自由に動くことはなくなるので助かる。

 

 左足、右足の順番で足をつけ、壁に突き刺さった夢現の柄を握る。瞬時に振動機能をオンにして、刃が鈍く光り始めたのを見て確認。

 

「はあああああああああっ!」

 

 引き抜くという動作ももどかしく、そのまま壁ごと敵の胴体を斜めに切り裂いた。右の肩から左の腰まで。

 

 バチバチと傷口がショートを起こして、数秒後にはヘッドパーツから光が失せる。それからは糸が切れた操り人形のようにがしゃがしゃと膝をついて股を開きながら仰向けに倒れた。

 

「終わった……?」

 

 達成感と同時に緊張が解けていく。が、それと同時にやってしまったという焦りが生まれた。

 

 やりすぎてしまった。両腕は腕が通っていない部分を切り落としたので大丈夫だったけれど、この最後に付けた切り裂き傷はかなり深い。確実に中の人間まで斬ってしまった。

 

 確認のために駆け寄って傷を見る。が、流れてくるのはどれも潤滑油ばかりで、人間の血のような赤い液体はどこにも見当たらない。それどころか、傷口から見える内部はどこまでも機械ばかりで人間の肌は無かった。

 

 まさか……無人?

 

『聞こえる!? 返事をして、簪ちゃん!』

 

 深い思考の泥沼に入りかけたところで、チャネル越しに親しい声が聞こえた。

 

「お姉…ちゃん?」

『ええ、お姉ちゃんよ。今どこにいるの? 大丈夫? 怪我してない? 音が結構遠くにまで聞こえてきたし、もう一機入り込んでいたのは気づいたけど、追われたりしてない?』

 

 その声で、一気に現実に引き戻された。

 

「助けて、……が」

『どうしたの? 一緒に誰かいる? 怪我してるの?』

「銀、が……」

『え?』

「銀がっ! 私を庇って! 怪我が酷くて、身体も無理したから危ないの! お姉ちゃんお願い! 銀を助けて! 先生でも医者でも誰でもいいからぁ!」

『っ! すぐに行くわ! 虚! どこにいるの!』

 

 チャネルを切り忘れるほど慌てたお姉ちゃんの声を聞いて、私から回線を切る。うるさかった。

 

 少し、少しでも銀を楽にしてあげないと……。

 

 駆け寄るような気力が無くて、足を引きずるようにがしゃがしゃと歩み寄る。夢現を握る力もなくて、ずるりと柄が掌から滑り落ちた。

 

 からんからん、と私だけが動く私の部屋で、虚しく響く。

 

 ようやくたどり着いた血だまりで膝をつき、敵の片腕に触れる。

 

「は、はが……はがね?」

「………」

 

 気を失っていた。痛みで叫ばれたり、暴れられるよりはマシだと思って、重たい腕を動かす。

 

 ビクともせず、あれだけ苦しめられた力は感じられない。私の身体や、銀のラファールの装甲へ簡単に食い込んだ指を、楽々とはがすことが出来そうだ。

 

 鉄の色をしていた敵の腕は万遍なく赤に染まっており、引きはがそうと触れた私の手もまた赤に染まる。

 

 ねちゃり。にちゃり。

 

 持ち上げる指には、血だけではない、ブヨブヨとした柔らかいナニカや、ずるりと薄い膜のようなナニカや、目の粗い砂のように固いナニカが私の手に触れる。

 

 掌が、手の甲が、手首が、腕が、肘が、二の腕が、肩が、胸が、首が、お腹が、顔が、髪が。

 

 全身が銀の血で染まっていく。水色の装甲も、全部が赤に変わっていく。

 

 リアルな音と一緒に指を剥がしていくたびに、私が赤く染まっていく。銀に染まっていく。包まれていく。

 

 人差し指から小指まで、最後に親指をはがした。

 

「………」

 

 意を決して、血まみれの腕を、ゆっくりと、銀から離していく。

 

「ひっ!」

 

 私は決して気が強い方じゃない。夜一人で家を歩くのも怖いし、先生や両親から怒られるたびに泣いていた。サブカルチャーは大好きだけど、ホラーだけは手が伸びない。

 

 そんな私には、この光景はショッキングだった。

 

 コレが、鋼の左腕だった(・・・)と思うと……いつも私を支えてくれていた、ココアを淹れてくれた、あの左腕。信じたくない、認められない、これだけは違うんだ、と。

 

 ……目を逸らすな、更識簪。

 

 これはお前が招いた結果だ。お前が引き寄せた事実だ。お前が永劫背負わなければならない罪の象徴だ。

 

 さあ。

 

「……ぁああ」

 

 ソレを。

 

「っく、うぅぅ……ひっく……」

 

 目に焼き付けろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お姉ちゃんが織斑先生や保険の先生を連れて来たのは、それから数分後。

 

 私は血まみれの銀を抱きかかえて、やつれたような表情をしていたらしい。

 



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013 非情の現実

 エンターキーをカタンと叩いて、肩の力を抜く。一時間前に山田先生から淹れてもらったコーヒーはすっかり冷めていたが、構わずカップを傾ける。彼女が淹れるコーヒーは非常に美味しいので、現役時代からのお気に入りの飲み物だ。飲み慣れたとも言える。

 

「お疲れ様です。先生」

「全くだ。ただでさえ手のかかる馬鹿がいるというのに……」

「もう、そんなこと言っちゃ駄目ですよ? 織斑君は要領良くやっていますし、頑張ってるじゃないですか。事実、成績は学年でも上位です。先生は織斑君限定で厳しすぎじゃありませんか?」

「そうかね?」

「そうです! まったくもう……大切だからこその気持ちは分かりますけど、やり過ぎはいけませんよ」

「なあに、奴はその程度じゃへこたれたりはせん」

 

 私相手にこんな話を出来るのは世界広しと言えども彼女ぐらいだろう。優秀かつ唯一の気のおける後輩であり、友人だ。

 

 隣の席からため息が聞こえるが無視だ無視。あぁコーヒーがうまい。

 

「名無水君の、ですか?」

「ああ。読むか?」

「いいんですか?」

「さあな。だが、自分のクラスの生徒がどんな容体なのか、知る権利はあるだろうさ」

 

 マウスを動かしてクリック。印刷された提出資料を山田先生へ渡す。

 

 ――クラス対抗トーナメント中の事態における報告書――

 

 ソレのタイトルだ。山田先生へ渡したのは、その中でも名無水に関係のある箇所。アリーナでの戦闘は直接目にしているので説明の必要はない。

 

 かいつまんで要約すると、偶然目撃した二機目の無人機を静止するクラスメイトや教員に反して追い、無断で訓練機と多数の武装を持ち出し、色々と褒められない行為を重ねたものの、結果的に敵を大破させることに成功した。目的と思われた打鉄弐式のコアも守り、更織簪にも目立った外傷は見られず、大金星とも言える成果を挙げている。

 専用機三機がやっとの事で機能停止に追い込んだことと比べて、未完成の専用機と虚弱な素人の訓練機がコアに傷を付けることなく大破させた。

 

 どちらが高評価なのかは一目瞭然だろう。

 

 それだけで済めば、な。

 

「左腕は……どうなったんですか?」

「………」

 

 答えるのも心苦しい。名無水は年頃の男とは思えないほど綺麗な奴だった。下品な女達より何倍も品があるし、礼儀正しく、芯を持った強い男だ。だからこそ惜しい。

 

「君も見ただろう? あんな状態の腕を元通りに治すのは不可能だ」

「では……」

「書いている通り、肩から切断だ」

「そう……ですか」

 

 酷いものだった。

 

 肩口から手首までがミックスされてミンチ状態。骨まで粉々にされており、噛まずに飲み込んでも痛くない程細いらしい。掌も、筋肉の繊維と皮でなんとかぶら下がっているだけ。

 

 もはや腕としての機能は果たしていなかった。

 

「義手は用意されます……よね?」

「分からん。だが、当たってはいるところだ。男性操縦者というブランドがあるおかげで、そう時間はかからん」

 

 これはウソだ。

 

 実際は束に頼んである。トビキリ高性能なものを作ってみせると、泣きながら電話をしてきたのだ。向こうから。

 

 その序に色々と情報を仕入れ、私の中で整理することもできた。

 

 元々束が怪しいとは思っていたんだ。たとえ故意ではなくとも、関与していることは間違いない、と。事実、束は襲撃してきたISに関する情報を私へ公開した。

 

 二機の無人機は全く同じだった上に、使用コアは未登録ナンバーの物。つまり、束が作成したものだった。本人も認めている。

 

 余計な武器も持たせずにエネルギー砲だけだったのは、元々宇宙空間の隕石やデブリ……宇宙ゴミ撤去の為に取り付けたものらしく、作業用だそうだ。基本性能は高いものの、現行の機体と比べるとどこか見劣りする程度の性能なんだが……。

 

『中身が全く別だね。かなり豊富な経験を積んだISのデータをベースにして戦闘モデルに改造されてる』

 

 とは束のセリフ。

 

 稼働テストで実際に宇宙へ打ち上げていた数機の内に、束に気付かれずデータを書き換えた強者がいるという事らしい。中々に信じがたいが、説明が付けられなかったので信じるしかなかった。天才科学者は万能じゃない。

 

 今頃、アイツは名無水の義手を作りながら、躍起になって犯人を探し回っていることだろう。それ自体には賛成なので、こちらで解析したデータは全部くれてやった。学園長の許可? 知らんな。

 

「身体を失ったという心の傷は大きいが、今回は本人よりも深刻な奴がいるからな……私としてはそちらの方が心配だよ」

「彼女は……更織さんは立ち直れると思いますか?」

「立ち直ってもらわなければ困る。そうしなければ名無水が危ない」

 

 今までも今もこれからも、名無水を守るのは更織の役目だ。こういう時こそ気を持って欲しかったんだが……ここで強要出来るほど、私は残酷にはなれない。

 

「……警備の強化を主任へ申し出てみます」

「是非そうしてくれ」

 

 書類を私に返してから、山田先生は席を立って教務主任のデスクへ歩いていった。負い目はないが、責任を感じているんだろう。教師の鏡だな。

 

 私もそうなりたいとは思うが、恐らく無理だろう。彼女とはベクトルが違うし、親切親身になって接するなど出来るものか。直そうと思った時期も多少はあったが諦めた。

 

 私は私なりのやり方でやる。

 

 受け取ったプリントを脇に寄せて、新しくファイルからクリップで止められた二部の資料を抜き取って広げる。

 

 同じような二種類の資料には、顔写真が付いている。

 

 転入者の調書だ。新しく二人の少女が、ここへ来ることになった。

 

 一人はプラチナブロンドの長髪をリボンでまとめた華奢な印象の少女。写真は真面目な表情だが、調書の内容や写真から感じる印象では、温厚で優しい性格なのが伺える。

 

 もう一人は、凛とした鋭さが見て伝わる銀髪の少女。同年代の中では幼い容姿だが、誰よりも強く厳しい。そして、左目の黒い眼帯が異彩を放っていた。

 

 フランス代表候補生、大企業デュノア社社長令嬢。シャルロット・デュノア

 

 ドイツ代表候補生、ドイツ軍特殊IS部隊シュヴァルツェ・ハーゼ隊隊長。ラウラ・ボーデヴィッヒ大佐。

 

「はぁ……」

 

 少しのため息ぐらいは、許してほしいものだ。次から次へと問題や案件が転がり込むのだから。

 

 思っていた通り、各国が男性操縦者の情報欲しさに続々と代表候補生を送り込んでくる。編入に関してはどうでもいいが、面倒なのは彼女らが入学を蹴った事が問題なんだ。掌返しなど珍しくはないが、嬉しくもない。

 

 通常の倍以上の書類とにらめっこは、精神的に削られたがそれも先日済ませた。あとは転入を待つのみである。また何か起きるんだろうが……それまではせめて何もありませんように、とらしくもない祈りを捧げてみた。

 

 あとは……名無水か。更織の妹もか。

 

 此度の謎の襲撃。事情を知るものからすれば、二人が成したことは言葉では表せない程の戦果だと、私は思っている。それに比べて一夏は……等と言うつもりもない。弟達が戦い、無事に勝利を収めたこともまた素晴らしい戦果だ。

 

 だが、それに見合うだけの結果を用意することは出来なかった。 

 

 話としては単純だ。

 

 ISは人が乗って初めて起動する、という定義を覆すだけではなく未登録のコアまでもが使用されていた。襲撃という事件を公表すれば、当然謎のISにまで話が行き着く。各国や世間に対して公表出来るような内容でないことは明らかだ。誰が? コアは? なぜ? と世界は荒れに荒れるだろう。

 

 それらの問題回避は、委員会にとっても学園にとっても絶対に成さなければならないことだった。

 

 ならばどうする?

 

 簡単なことだ。事件そのものを、無かったことにすればいい。

 

 学園生と教員ならまだ口封じが出来る範囲内だが、マスコミによって拡散されればもうどうしようもなくなる。それさえ起きなければ、何とでもなるし何が起きようと構いはしない。コアの数が増えた、という事実に比べれば安すぎる。

 

 それが結論。余程のバカでない限りは誰もが辿り着くであろう答え。

 

 世間にはこう公表されるだろう。

 

 IS学園の年間行事の一つである、クラス代表トーナメントの最中に、謎のISが襲来。試合を行っていた織斑一夏と凰鈴音は、謎のISと戦闘を行うことになる。

 学園職員は、試合会場のアリーナから観客の生徒や来賓の避難誘導を進めると同時に、IS部隊を急いで準備させて取り押さえに入ろうとする。

 が、その前に、試合を行っていた織斑一夏と凰鈴音、そして一年一組のセシリア・オルコットの三名によって、機能停止に追い込むことに成功した。

 その後についての調査は、現在進んている。

 

 とまあ、こんなものか? 最近はコアを盗んでテロ活動を行う組織もあることだし、言い訳の材料には困らない。

 

 だが、名無水と更織が取り押さえたもう一機のISに関しては、救助に駆けつけた私、更織楯無、山田先生、更織の生徒と職員以外には公表されることはない。クラスメイトであってもだ。誰に話すことも許されない。

 

 しかし、名無水は実際に戦闘によって左腕を失い、ISを操縦した事によって衰弱している。第一整備室は半壊し、戦闘の爪痕が無数に残されていることに変わりはない。打鉄弐式は何故か完成しており、戦闘のログまでしっかり残っている。名無水の操縦したラファールも損傷し、失った左腕と同じ箇所を粉々に碎かれ、名無水のものと確認が取れた肉片や血液も採取された。

 

 これだけの証拠と、事実があるにも関わらず、名無水は避難をせずに負傷した。と一行で纏められてしまうのだ。

 

 この事実だけは覆すことは出来ない。私の名前を使おうと、学園長に、委員会の面々に頭を下げようと決して変わらない。変わってはいけないことだ。

 

 だから私に出来るのは現実を二人へ認めさせ、守ること。

 

 途轍もない労力がかかることは想像出来る。気弱だと高をくくっていたが、姉譲りで強かな面を見せられて手を焼いたのはつい最近の事だ。

 

 なぁに、やってやれんことはない。私は教師なのだからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コチコチと音が聞こえる。………あぁ、時計の針の音か。

 

 どれくらいぼうっとしてただろう……音がする壁を見ると、針は午後の四時三十二分を指していた。事件が起きたのは昨日の昼前だったので、もう軽く一日を過ぎている。

 

 それでも、目の前の彼は瞼が一ミリも動くことはない。寝息の音も立てずに、深い眠りについていた。心電図のグラフでようやく死んでいないと確信が持てる程に、死人のような顔をしている。

 

 ………本当に? 生きているよね? 銀?

 

 自分の膝の上に置いていた右手を、ベタベタとモニターの電極が貼られた胸へと優しく重ねる。

 

 ………ン。

 

 弱々しくも聞こえた鼓動にほっと息をついた。

 

 そして目を覚ましてくれるその時を待つ。

 

 ………またこれを、何度も何度も繰り返すんだろう。どれだけ私が悔やんでも、自分を責めても、時は戻ることはないし、打鉄弐式が完成することも………銀の左腕が治ることも絶対にない。

 

 正常な人間であればそこにあるはずのものを、彼は失ってしまった。私が気を付けてさえいれば、気づくことが出来ていれば、銀は一生の傷を負うことはなかったのに。守る立場の人間が、守られる立場の人間に守られただなんて笑えないわ。

 

 幾度となく握りしめたシーツは皺でくしゃくしゃになってしまい、涙で濡れた部分は余計ひどかった。

 

 シーツだけじゃない、きっと私も酷い顔をしているに違いない。食事も喉を通らなかったし、お風呂にも入っていないから臭いだってする。年ごろの女子がすることじゃない。

 

 だから? そんなもの、銀の左腕以上の価値があるの?

 

「………」

 

 クズだ。人一人も守れないなんて、とんでもないクズだ。私は。泣いて謝ってもらおうなんて甘えたことを考えて、死んで償うことも左腕を削ぐこともできない軟弱な人間なんだ。

 

 なんて……なんて弱くて、情けない。

 

 死んだ方がいいに決まってる。

 

「……いや」

 

 嫌だ。死にたくない。それは嫌だ。

 

 やり残したことがいっぱいある。やりたいことはそれ以上にたくさんだ。何よりも……私は銀と一緒にいたい。きっと銀もそれを望んでいるはず。

 

「違うの?」

 

 それなりの責務と義務を果たす必要はある。それが出来なかった私には相応の罰を私自身が与えなくちゃ……。

 

「それも……ダメ」

 

 まるで私が二人いるみたいだ。生きるか死ぬかを迫られているようなこの感覚……気持ち悪い。頭が痛くて割れそう。

 

「ぁ……っはあぁっ……」

 

 次第に息が荒くなってきたのが自分でもわかる。急に痛み始めた頭を両手で抱えて、突き立てる指と爪に力が籠った。

 

 ガリガリ。

 

「違う、違うの……」

 

 ガリ。

 

「そうじゃないの!」

 

 ミシミシ。

 

「私は」

 

 ガリガリガリ。

 

「わたしは……………ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼんやりとした、ふわふわした感覚に体中が包まれている。これは……あぁ、麻酔かな。あやふやでちぐはくなこの感じ、間違いない。週に一回は会う友達みたいなもんだしね。

 

 待っていればその内はっきりしてくるだろうし、それを待とうかな。

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

「わたしは………ッ!!」

 

 広くない病室に大きな声が響いた。微睡んでいた意識がぐいっと引き戻される。

 

 ん。感覚も戻ってきた。誰か傍にいるみたいだし、起きよう。

 

「ぁ………」

 

 そこで僕は仰天した。左側に座っていた簪さんは、涙をボロボロと流しながら頭を両手で抱え込んでいた。爪が食い込んでいるんじゃないかってくらい指を立てて、ガリガリとここまで音が聞こえるほど引っ掻いている。普段の彼女からは考えもつかない、常軌を逸したシーンだ。

 

 止めさせないと……!

 

 ………?

 

 おかしいな、麻酔は大分抜けたはずなのに腕が動いてくれない。右腕には点滴の針が刺さっているし、何より遠すぎる。左腕が鈍いなんてことは今まで一度もなかったはずだけど……。

 

 あ。

 

 そっか、そういえばあのISに握りつぶされたんだっけ。再生出来るかなぁ……うん、無理でしょ。あそこまでぐちゃぐちゃにされたら束さんでもどうしようもないよね。

 

 でも僕がこうやってベッドで寝ている所や、目の前の簪さんが無事そうなのをみるあたり、とりあえずあのISは撃退できたみたいだ。勝利にはそれなりに貢献できたと思うよ、うん。それと引き換えなら、腕一本は安いもんだよね。母さんと父さんには申し訳ないけど……。

 

 誰かの命が救えたのなら、僕はそれでいい。僕が死んだわけじゃないんだしさ。

 

「だからさ、泣かないでよ。簪さん」

「ッ!?」

「なんで泣いているのかは何となくわかるよ、でもいいんだ」

「駄目! 私は……私のせいで……銀は!」

「それでいいんだって。もっと酷いことが起きたかもしれないって思ったら、僕はこの結果でもいいかなって」

「……ごめんなさい。私は、知ってたのに……逃げることも、止めることもしなかった…!」

 

 確かに、それは簪さんの言うとおりだ。僕が割って入った後に逃げようと言っても、彼女は戦うことを選んだ。それを言ったら、戦うことを認めた僕も同罪の様なもんだよ。

 

 責めてほしいのやら、許してほしいのやら……。僕にとってはどっちでもよくて、謝るのも泣くのも止めてほしい。だって、瞼を真っ赤にして、普段よりやつれてボロボロの彼女にそんなことが言えるわけが……。

 

 だから責めることもしよう。許しもするさ。そうでもしなきゃ、簪さんは一生このままだ。

 

 その代り、僕は彼女を縛り付ける。でなければ先に進めないから、と言い訳を自分について罪の意識を奥へと押し込んだ。

 

「じゃあこうしよう……簪さん、僕の義手を作って。そしてそれを整備してほしい」

「……え?」

「いいかい簪さん。僕は君のせいで(・・・・・)左腕を失った。だから、それなりのお返しを貰うってことだよ」

 

 人間にとって、腕と脚はとても重要な身体の一部だ。いや、無駄な場所なんて一つもないんだけど、その中でも特にって意味で。

 

 歩くためには、モノを持つためには、それぞれが必要だ。どちらか片方を失うだけでも、人間としての満足な機能を失うと言って過言じゃない。片足だけじゃ歩けない、片腕だけじゃ物を持てない。極端に生きづらくなるそうだ。僕は腕を失って目を覚ましたばかりだから、何がどう不自由なのかも分からないけど、そんな僕でも想像はつくし、病院で何人も見てきた。

 

 なんて重たいことを言ってみたけど、今の時代じゃ義手に義足が普及してきている。昔の生活を取り戻したと喜ぶ人もちらほら見かけた。何らかの収入がある家庭なら、もう一度身体が復活できるように最近はなってきている。

 

 お世話になった病院と言わず、束さんに頼めば速攻で最先端の数世代先を行く義手を作ってもらえるんじゃないかなぁとは思ったよ。それぐらいには仲がいいという自負もある。性能が良いことに越したことはないし、手軽に手に入るとはいえとても大切なものだ。手に入れるだけじゃなくてアフターも真剣に考える必要がある。

 

 だからこそ、任せる。まさしく縛り付ける行為だ。

 

「ほら、前に話したことあるんじゃないかな? お世話になってた人。あの人ってかなりのメカニックだから、きっと簪さんよりもいい義手を作ってくれるんだ。それでも、簪さんにお願いしようかなって思ったんだけど、無理そうなら別に……」

「やる」

「そっか。よろしく」

「うん」

 

 たったの一言で頷いた簪さんはいつも通りに戻っていた。

 

 僕がしたお願いのことを本当に理解しているのか、勢いで頷いてしまったわけじゃないのか、気になる。だけどやっぱムリなんて今更言えないし、悪くないと僕が思っているんだから、それでいっか。

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

「というのが今回の事件だ」

 

 簪さんが落ち着いた所で、内線を使って千冬さんに病室まで来てもらった。医師からいくつかお叱りの言葉を貰った後に、軽めの食事を食堂から簪さんが貰って来て、食べながら事件についての話を聞かせてもらった所だ。

 

 アレがどこから、誰が送り込んだのか、目的はなんだったのかは結局のところ分からずじまい。終わってから見れば、衝撃的な織斑一夏の衝撃的なデビュー戦だったわけだ。

 

 学園からしてみれば、トーナメントをめちゃくちゃにされ、生徒も職員も危険な目にあっただけでなく、施設まで破壊されるどころか、未登録コアまで手に入れてしまった。厄介極まりない。特にISコアという希少物質の価値を考えればもう投げ出したくレベルで。

 

「そこでだ、お前たちに言っておくことがある」

「……何も見ず、何も起きなかった。私たちはただの事故に巻き込まれた」

「そうだ」

「え? どういうこと?」

「一から説明してやる。つまりは―――」

 

 話を要約すると、世界的にトンデモナイことだったから公に出来ないんで黙ってろ、ってことらしい。頑張って二人でアイツを倒したけど、僕の左腕が犠牲になったけれど、無かったことになると。それどころか、僕は避難誘導を無視して戻って大けがを負う馬鹿ってことになる。

 

「そう、ですか……」

「……すまない」

「いえ、理由は分かりましたし、仕方ないですよ」

「銀……!」

「何も思わない訳じゃないよ。でも、僕にはどうしようもない事じゃないか。大人でも手に余るのに、子供の僕には、ね」

 

そうだ。千冬さんが無理と言ったらそれは無理だ。ISにおいて、とんでもない顔の広さと影響力を持っている人が、不可能としか言えないんだ。

 

束さんの名前を使う訳にもいかないし、更識さんの大きな家でもこればかりは無理がある。家柄や、お金、権力でどうこうできる範疇を超えていることだ。

 

そもそも、簪さんを助ける為に頑張っただけであって、何かを得ようとした訳じゃない。

 

「これ以降、たとえ私や更識相手であっても、この事を口にするな。この会話だって誰が聞いているのかわからないからな」

「はい」

「更識もだ」

「……はい」

「よし。名無水は治ってから授業へ復帰だ。それまではここで経過を見る。容体が良くなれば部屋に移してやらん事もない」

 

要約、おとなしくしてろ。

 

「はい」

 

僕の返事を聞き届けた千冬さんはカーテンを閉めて出て行った。丁度よく食堂解放のベルが鳴ったので、簪さんも戻っていった。持って来てもらおうとも思ったけど、しばらくはお粥シリーズらしい。

 

「……ふぅ」

 

やっと一人の時間ができた。誰かが見舞いに来てくれるのは嬉しいけど、気遣いをしなくて済む時間もやっぱり欲しい。

 

一難が去った。という実感がやっと出てきた。きっとこれからもこんな事が起き続けるんだというのが、ぼんやり浮かんだ。男が二人もいれば無茶をして手に入れようとする人も増えるだろうし、それに合わせて今年は専用機も沢山ある。学園の高い技術も考えると、この島はまるで宝物庫さ。

 

腹をくくる必要があるっぽい。

 

僕は左腕を失った。もしかしたら、今度も身体が傷つくかもしれない。

 

「全身機械になったりして……」

 

笑えな冗談だった。

 

そっか。僕、もう腕が無いのか。

 

「……っ」

 

今ぐらいぽろぽろと泣くのは許して欲しいかな……。





とまあ、こんな感じで原作一巻がおわったわけであります。MF文庫の第一巻が販売されてからどれだけ時間がたったのやら、ハーメルン様の毎月のツイート見てますけど、いまだに検索率トップ5をキープしてるISは地味にすごいとつくづく思います。

閑話休題

こんな感じのノリで進んでいきます。ちょいと上げたので、こっからは段階を経て下げに下げていく所存であります。是非最後までお付き合いいただければ幸いです。

いかがでしょうか? こうした方が良いとか、こんなシーンが見てみたいとか、これが知りたいとか、なんでもいいので読者様の率直素直なご意見をお聞きしたいですね。

陰鬱な話は書いてる自分がブルーになりがちなのでコメディの次に苦手なんですが、頑張りますw


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014  七月二日

おまたせしました。
その割には短いんですけど……


「おーっす」

「やあ、織斑君」

 

 ぼうっと簪さんが持ってきてくれた雑誌を読んでいると、医務室に織斑君がやってきてくれた。手には売店でよく売れてるドリンクとリンゴ。

 

「お前の大好きな宿題だぞー」

「ありがとう」

「……そこはうげーって言うところだろ」

「そうかな? 僕は好きだよ。勉強」

「うげ」

 

 授業を受けれない僕は、こうやってクラスの誰かが貰ってくる宿題で自習をするようになっている。お見舞いに来てくれる人っていったら織斑君か布仏さんくらいだから、一人か、あるいは二人で放課後来てくれるんだ。そして毎日簪さんは来てくれる。織斑君がいると時間をずらすんだけどね。

 

「調子は?」

「さぁ?」

「さぁ? って……」

「感覚なんて当てにならないから。大丈夫と思ってても、トイレに行って帰ってきたら吐くこともあるし」

「お、おう」

 

 マシになったほうだよ。とは言わない。普段の暮らしで吐くなんてことはないんだろう。

 

 束さんには本当に感謝している。実験とはいえ、卵を預けてくれたおかげで僕はこうして無茶もできるし、歩けるし、勉強もできて、生きていられる。

 

 左腕だった肉の中から奇跡的に無傷のまま返ってきた卵は、右腕に付けることにした。脚だと観察できないし、蹴りそうだし。

 

「綺麗だよなそれ。生命維持装置なんだろ?」

「うん。厳密にいうと違うんだけど、そんなもの。これがあるから病院の外でも生活できるんだ」

「凄いよな。そんなに小さいのに病院にある大きな奴と同じ機能なんだからさ」

「本当」

 

 血や肉は綺麗に洗い流せたし、臭いも残ってはいない。ただ金属部分と変な反応を起こしたのか、少し黒くなってしまった。ISの装甲がそんな反応を起こすなんて聞いたこともないけど……卵だからこその反応だと勝手に納得した。吐血の際は気を付けようと思います。

 

「一夏さーん」

「お、セシリアー。こっちだ」

「名無水さんの所でしたか。ごきげんよう、容体はいかがですか?」

「こんにちは、オルコットさん。多分良くなってるんじゃないかな?」

「そうだといいですわね」

「うん」

 

 オルコットさんは織斑君を探しによく来る。誰もいなくて時間がある時はお喋りに付き合ってくれる程度には仲良くなれた。悲しいかな、僕は眼中になくお喋りの内容も八割が織斑君で残りの二割は本国イギリスの自慢だったりする……。喧嘩にならないだけまだいいよね。

 

「今日も特訓するんでしょ? 早くいかないと場所取られちゃうよ?」

 

 なぜ迎えに来るのかと言うと……放課後の特訓があるかららしい。待たずに来るのはアレだ、悪い虫が寄り付かないようになんだって。

 

「大丈夫だって」

「急がないと篠ノ之さんが打鉄借りてアリーナに行くかも―――」

「一夏さん急ぎましょう! 膳は急げと言うのでしょう!」

「字が違う! それは段差に躓いてぶちまける方だ!」

 

 感謝しますわ! と言いたげなオルコットさんのウインクに、僕は笑顔で手を振って送り出した。

 

 篠ノ之さんもオルコットさんも凰さんも、みんな彼のことが好きなのは知ってる。そしてそれらを総スルーする彼の鈍感っぷりが銀河級なのも。特定の誰かに肩入れするつもりはないけど、影ながら力になれればいいなと思う。いやだってさ、織斑君がニブイってことをよく知ってるのにあの三人肝心なところでヘタレだもん。独力じゃあ何年かかっても無理だよ、あれ。

 

「……」

 

 電波時計のカレンダーを見る。今日は六月十五日。

 

 あの事件が起きたのは先月末の日曜日、四月二十九日。

 

 一ヶ月半も経過したけど、僕は未だに自室へ帰ることが許されていなかった。数日に一度は体調を崩してナースコール(?)を押しているのが多分原因。というかそれしかないでしょ。ああ、フカフカベッドが恋しい。ここのはリクライニングとか機能付きだから部屋と比べると物足りないんだよねぇ。

 

 そうそう、一ヶ月半の間にいろんなことがあったっけ。……ここは毎日いろいろあるけど、とびきりなのが幾つか。全部又聞きだけど。

 

 打鉄弐式が完成した。僕らの努力が実を結んで、マルチ・ロックオンも推進バランスも荷電粒子砲もバッチリ動いたそうだ。倉持技研も今後はパッケージや新武装を融通してくれるようになるらしい。担当者は脂汗をだらだら流してひきつった顔をしてたのが笑えたって。スクショを見たけど確かに笑えた。ざまぁないね。とにかく、これで次のイベント、タッグトーナメントにはちゃんと打鉄弐式で出れる。

 

 それがきっかけになって、お姉さんとちょっと距離が縮まったって嬉しそうに言ってたっけ。普通に話すぐらいなら大丈夫、だってさ。

 

 あとは……。

 

「あの……」

「はい? ああ、デュノアさん」

「やあ。えっと、名無水君だよね?」

「うん」

 

 そうそう、これが一番の出来事かな。

 

 中に入ってきた彼女はそう言って医務室へ入ってきた。

 

「失礼する」

 

 そしてデュノアさんに続いてもう一人。

 

「む、リンゴか。誰か来ていたのか?」

「さっきまで織斑君とオルコットさんがね」

「ちっ」

「ラウラ、舌打ちしちゃだめだよ?」

「ふん。上官への無礼は処罰が科せられるが、他は知らん」

「ボーデヴィッヒさんって軍人なんだっけ?」

「ドイツ軍大佐だ」

「大佐ってどれくらい凄いの」

「ふむ……階級を例えるのは難しいな。私に限ってはだが、ドイツのIS部隊を任されている程度か」

「それって多分凄く凄いよ」

「なんだその腹痛が痛いのような言い方は。しかし、凄く凄いというのならシャルロットだろう? 努力や運で階級はあげられなくもないが、生まれだけはどうしようもないからな。大企業の社長令嬢となれば尚更だ」

「やめてよもう……」

 

 金髪生脚美少女シャルロット・デュノア。実態はフランスの一大企業デュノア社の娘であり、フランス代表候補生。自社開発の専用機を預けられた、社会ステータスも実力も持つスター。

 

 銀髪眼帯美少女ラウラ・ボーデヴィッヒ。ドイツ軍IS特殊部隊体長の大佐様。当然代表候補生であり、第三世代を任された戦闘のスペシャリスト。千冬さん大好き織斑君大嫌い。

 

 六月の頭に、二人の専用機持ちが一組へと編入されたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 消灯時間まであと一時間というところ。警備員さんと宿直の先生が来るのを待っていた。

 

「うわっ」

 

 ぴぴぴと携帯が突然鳴りだした。ビックリしたなぁ。誰から……。

 

 『篠ノ之束』。

 

 直ぐに緑の受信ボタンを押して耳に当てた。

 

「もしもし」

『はろはろー。はっくん元気?』

「はい。なんとかですけど」

『うんうん。元気ならそれでいいんだよ』

 

 久しぶりに聞いた声がとても懐かしい。でも、まだ三ヶ月しか経っていないんだよね。

 

『人生初の学校はどうだい?』

「楽しいです。新鮮で、毎日発見ばかりっていうか、学ばされるって言うか」

『友達はできたかな?』

「あはは……片手で数えられるくらいですけど」

『むむ、それはダメだぞー。折角の学校生活なんだからいっぱい友達を作って思い出を残さないと』

「束さんがそれ言います? 千冬さんしか友達いないじゃないですか」

『あ、くーちゃんに変わるね』

 

 聞いてないし………。

 

『あ、銀さん』

「やあ。元気」

『はい』

「束さんに無茶なこと言われてない?」

『無茶?』

「この服着てーとか、アレが食べた―いとか」

『一時間に一回はそんなことを言ってますけど……』

「うわぁ。断ってもいいんだよ」

『一度お説教はしたんですけどね』

「せ、説教を? 怖いなぁ」

 

 おとなしくて優しい人ほど、怒るときは怖いって聞くけど……くーちゃんが怒ったらかぁ。束さんが正座して俯いてるのが想像つくね。

 

「それで、今日は?」

『なんとなく』

「そ、そうですか……。あ、卵の成長は順調ですよ。もうすぐ四十パーセントを超えます」

『ほうほう。それだけ、はっくんにとって興味深い出来事があったってわけだ。その調子なら、一年の内に孵化するかもしれないね』

「そうなるといいですねぇ」

『外装は?』

「あぁ、血とかで黒く汚れちゃってますけど特に痛んだりはしてません」

『ふむ。その調子で頼むよ。ところではっくん』

「はい?」

『更識簪とかいう女と仲がいいらしいね。付き合ってるの? ちゅーはした? 子供は何人? 家は見つけた?』

「ちょ!? な、何の話をしてるんですか!? 簪さんとはそういうんじゃありませんよ!!」

『いやぁ、入学早々に浮いた話が聞けて束さんはうれしいよ』

「僕はおもちゃじゃありません!」

『まぁまぁそう言わずに。青春をいっぱい味わえるのも今だけさ』

「絶対僕をダシにして楽しんでる!?」

『それなら聞いてみようか。彼女に対して何も思わないのかな?』

「それは―――」

 

 そこまで言いかけて、口が止まった。

 

 更識簪。

 

 元気や活発という言葉とは縁遠い、おとなしく物静かな性格。見た目にも顕著に表れており、髪が内側に跳ねていたりメガネだったり華奢すぎたり色白だったりとどう見てもインドア。そして学生の範疇を超えた技術者でもある。

 

 身長は僕より少し小さいくらい。無駄な肉や脂肪どころか必要な筋肉まで無さそうなくらい細くて心配になるレベル。そのくせ出ている所は意外とある。更識さんや布仏さんみたいなモンスターが多いもんだから比較してしょげてるけど、日本人の中では十分だとおもう。

 

 自分の意見をはっきり伝えるのが苦手で、流されたりすることが多いけど芯はしっかりしてる。意外なところで頑固だったりするのが面白い。やるときはやるし、それだけの力を彼女は持っている。代表候補生であり、専用機を任され、それを組み上げたのだから。

 

 結論。彼女は十分に可愛い。と、思う。

 

「何もないに決まってるじゃないですか」

『ダウトーーーーーーーーーーーー!!』

「うるさっ!」

『そんなへたぴっぴな嘘はよくないよはっくん』

『そうです。もっと正直になりましょう』

「二人がかりで攻撃されてる!?」

『あの肌を汚してやりたいぜ! とかないのー?』

「あ り ま せ ん !!」

『えーじゃあ―――』

「電話切りますよ!」

『わーーーっ待った待った! 最期に一個だけ!』

「……なんですか」

『本当に、更識簪に義手を作らせていいんだね?』

 

 急に真面目な話を……よくそんな直ぐにスイッチが切りかえられますね……。

 

 一ヶ月半経った今、僕の左袖は肩からスカスカだ。まだ簪さんは作成中らしい。時間がかかるのは仕方がないと思って、気長に待つことにした。一年中イベントだらけの学園で直ぐに出来るなんて思ってない。

 

 束さんが言いたいのは、時間じゃなくてもっと別のことだろう。そんな型落ちでいいのかとか、その辺。

 

「自分のせいで左腕を失ったって、簪さんは自分を責めてる。許すと言っても聞かないと思う。欲していたのは罰だよ。だから作ってもらう……いや、作らせるんだ。気持ちを落ち着かせるためには必要なことだよ」

『放っておけばいいのに……そうしないのがはっくんらしいというか、甘いというか。わかったよ、でも何かあれば言うこと』

「うん、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 六月を通り越して七月二日。

 

「よし」

「何がですか?」

「部屋に戻って良し、ってことよ」

 

 ということで、僕は二ヶ月でようやく医務室暮らしから解放された。授業には出られず、というか医務室から出ることを許されず、日々の楽しみは見舞いだけ。一年前のあの頃に戻ったと思えばなんともなかった。

 

 というのは嘘。誰かと一緒に過ごすということを知ってしまった今、それがとても苦痛で仕方がなかった。これからは気を付けよう。

 

「銀」

「行こうか」

 

 迎えに来てくれた簪さんと一緒に医務室を出る。着替えや荷物の入った手提げは持ってもらった。

 

 医務室のある棟から寮まではすぐだ。あっという間に自室へたどり着く。

 

「銀」

「ん?」

「おかえり」

「……ただいま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七月二日

 

 四月の事件からおよそ二ヶ月。ようやく僕は退院(医務室で退院と言うのも可笑しいけど、しっくりくるので)できた。毎日誰かが見舞いに来てくれるとは言え、何もせずにベットの上で一日を過ごすのはキツかったな。

 

 一年前の僕なら何てことは無かった。狭くて白い部屋で一日を過ごすのが僕にとっての当たり前だったから。それを苦しく感じるということは、もう当たり前じゃないってことだと思う。

 

 学園に来て三ヶ月弱。その内自室で過ごしたのは一ヶ月程度。友達を作って、遊んで、勉強して……朝も昼も夜も誰かが側にいてくれる。簪さんや織斑君、周りのクラスメイトにとっては日常のような光景かもしれないけど、僕にとってはとても新鮮で宝物みたいに眩しくて輝いていた。十数年間の習慣を塗り替えるくらい衝撃的だったんだ。

 

 束さんとくーちゃんとの一年間は……楽しかったけど、大変で忙しかったかな。上手く言い表せない。

 

 卵の成長率を見れば明らかだ。一年で数パーセントだったのが、三ヶ月で四十を超えたんだから。

 

 三年間通い続けることが出来るのか僕にはわからないけど、ここに居られる限りは楽しみ続けたい。きっとこんな時間はもう過ごせない。

 

 まぁ、僕の事はこれくらいにして……。

 

 六月の末にまたしてもトーナメントが開かれた。クラス代表だけでなく、全校生徒が参加する学年別のタッグマッチだ。専用機だろうがクラス代表だろうが一般人だろうが企業の娘だろうがおかまいなし。ペアを組んで勝ち抜くというもの。

 

 簪さんは布仏さんと組んで、楽々一回戦突破。したはいいものの、アクシデントにより中止となった。因みに無人機の襲撃ではないらしい。

 

 聞けばボーデヴィッヒさんの機体が暴走したとか。本人も学園もドイツも大騒ぎに違いない。ツンケンしてる彼女がわたわたするところはちょっと見てみたいと思ったけど、不謹慎だって怒られそうだから止めておく。

 

 ともかく、無事で何より。騒ぎを収めた織斑君と篠ノ之さん、暴走したボーデヴィッヒさんと、ペアだったデュノアさんにも怪我はなく、一般生徒と先生も問題なしで済んだそうだ。

 

 追い打ちとばかりにもう一件。ボーデヴィッヒさんが織斑君に告白したらしい。しかも、クラスメイトの前でキスまでするという大胆なことまで。そして嫁宣言。ここまではなくとも、篠ノ之さん達は見習うべきじゃないかな?

 

 そのうちデュノアさんもころっといきそうだね。密かな楽しみです。

 

 それが確か三日前のことだ。織斑君の無自覚ハーレムはとどまることを知らない。これからもころころと落とし続けるのを期待する。

 

 

 

 

少し驚いたように、ページはめくられる。

 



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015 七月四日

 自室に戻ってきた翌日。偶然にも日曜日だったので授業は無かった。

 

 久しぶりのココアでほっと一息ついてテレビを見る。朝早いこの時間は面白そうな番組はないかも……。

 

「銀!」

「ど、とうしたの?」

「チャンネルを……変えて……」

「えっと、何番に?」

「早く!」

「はっ、はいっ!!」

 

 さっきまで寝ていたはずの簪さんが飛び起きては声を荒げる。初めて見る迫力に押されて僕はリモコンを押しまくった。

 

 三回ほど変えてようやく納得する。

 

『出たな、怪人め!!』

「……ああ、そういえば毎週日曜に特撮番組が放送されてるんだっけ。欠かさず見てたよね」

「うん……このシリーズ好き」

 

 一転して目を輝かせる簪さん。見舞いに来てくれた時は沈んだ雰囲気しか感じなかったから、素直に喜んでるところが見れてちょっと嬉しい。

 

 が。少しは僕のことも考えて欲しい。

 

「あ、あのさ簪さん」

「?」

「そのぉ、言いにくいんだけど……ふ、服を着て欲しいな……って」

「…………ッ!?!?!?」

 

 飛び起きたせいなのか、それとも特別寝相が悪かったのか……昨晩着ていたシャツが消えて下着だけになっていた。

 

「バカッ!!」

 

 枕とシーツが飛んできた事だけは納得できないまま、僕はもう一度眠ることになった。理不尽だ……。

 

 完全に意識が飛ぶその前に、織斑君が親指を立ててにっこり笑っていたのには、流石にイラっときた。一緒にするな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び覚醒した時、簪さんはしっかり服を着ていた。夏も近づいて暑いというのにわざわざ長袖を。納得はいかないけど、そういう状況になったら問答無用で男性が悪い事になるのは、彼を見てなんとなく分かってはいたけど……つらい。

 

 場所は変わって食堂。授業が無くても学園内に残る学生はだいたいここに来る。全寮制だからまぁ当然かな。自炊する人はごく稀だ。なんといっても美味しいから。

 

「いただきます」

 

 久し振りの食堂のご飯にちょっと心が躍った。

 

「……なんか慌ただしいね」

「学校、明日からだし」

「そう言えば言ってたね」

 

 言い方は色々とあるらしいんだけど……要は学外での合宿のようなものらしい。たしか、毎年お世話になってる旅館があるとかなんとか。

 

 アリーナだけでなく、海や山などISを使用する経験を一応積ませておく為。野外ならではの訓練や授業。入学してばかりの一年生の気分転換などなど、様々な理由があるそうだ。専用機を持つ一部の生徒は、新型の武装やパッケージのテストという理由が追加される。

 

 今までのトーナメントと一風変わったイベントという事で、そわそわした雰囲気が僕にも伝わってきた。

 

 しかし。

 

「いいなぁ。一年生しか無いんでしょ?」

「お姉ちゃんはそう言ってたけど……」

「何となく分かってたよ。こうなるってさ、うん」

 

 設備の整った病院などならまだしも、旅館では話にならない。医務の先生も千冬さんも臨海学校には行くなと口を揃えて言った。

 

「一週間も一人かぁ……寂しい」

 

 そして一週間も僕はぼっちになるのだ。これが寂しくないわけがない。

 

「私も……」

「そう?」

「ん。銀と……離れるのはイヤ」

「……そうだね。寮に入ってから一緒だもんね」

 

 同室だし、機械に興味あるもの同士で、見舞いにもよく来てくれていた。なんだかんだで毎日簪さんとは会って話をしてたりする。一人ぼっちは意外と久しぶりだ。

 

「あ、でも更識さんは行かないよね? 二年生だし」

「ざーんねん。私も行くのよね」

「お姉ちゃん……」

 

 むすっとした表情の先には生徒会長の更識さん。広げた扇子で口元を隠して僕を見ていた。多分にやけてるな。

 

 今ちらっと、あまり聞きたくなかった言葉が聞こえた気がしたんだけど……。

 

「ど、どういうことでしょうか?」

「引率よ、引率。実技指導の為に私も行くの」

「いやいや、更識さんも学生じゃないですか」

「でもロシア代表よ? そこらの教員よりもずっと強いもの」

「言いますね……」

「勿論」

 

 ……これは、本格的に一人ぼっちですねぇ。鮭の塩焼きが少しだけしょっぱく感じる。

 

「織斑先生も引率で行くなら、僕はこの一週間何をするんだろ?」

「今日のうちに聞きに行った方がいいわ。このあとの時間なら……多分自室じゃない? それでも捕まらなかったら電話すればいいし、副担任の先生に聞くしかないわね」

「分かりました。探してみます」

 

 今日やることは決まった。

 

 久しぶりの食堂のご飯をゆっくりと味わって、簪さんと一緒に食堂を出た。

 

 楯無さんの言葉を信じて千冬さんの自室へ足を向ける。

 

「うーん、静か」

「先生の部屋しかないし……騒がしいわけないよね」

 

 臨海学校を前にして賑わっている一年寮とは対照的に、靴の音が響くくらいここは静かだった。まるで生活感を感じない空間だ。

 

「どこだろ……」

「この辺りだと……あ、あれ」

「え? あ、ほんとだ」

 

 簪さんの案内でもう少しだけ歩を進めると左に織斑の表札が見えた。教員に織斑とつくのは千冬さんだけだ。

 

 早速ノックする。

 

「すみませーん。ち……織斑先生ー」

「……あぁ、お前達か」

 

 バタバタと音がして、千冬さんが出てきた。いつものスーツやジャージではなく貴重な私服姿という事は、今日はお仕事の日では無いらしい。どこかへ出かけたりするのかな? ジーパンに白シャツ。うーん、いつも通り。

 

「何の用だ? いやまて、ちょうど良かった。名無水、明日以降の話がある」

「はい。僕もその事が聞きたくて」

「少し待て、片付ける」

 

 パタンとドアを閉めて中からバサバサと布団を畳むような散らかった服を纏めて押し込むような音がしたり、ジュースの缶をゴミ袋に押し込むような甲高い音がしたり、机に散らかった文具を慌てて元の場所に戻しているかのようなガシャガシャという音がした。

 

「片付けられない人なんだ……」

 

 簪さんのぽろっと漏らした言葉には同感だ。本人の前で言ったら殺されるから絶対に言わないけど。

 

「む、待たせたな」

 

 少しだけ汗をかいた千冬さんが迎えてくれたのは、部屋を訪ねて五分後のことだった。

 

 間取りは生徒の僕らよりも広く、内装も凝っている。ベットも大きいし、机も中々だ。本棚には難しそうな本と数年分の授業で使ってきたようなファイルがずらりと並んでいる。

 

 ……押入れがギシギシと音を立てているのは見ない事にしておこう。

 

 二人掛けのデスクに僕と千冬さんが向かい合うように腰掛けて、簪さんは別の椅子を持ってきて僕の隣に座った。

 

「さて、まず言っておかなければならない事がある。聞いただろうが明日からの臨海学校、名無水は欠席とする。理由はわかるな」

「もちろんです。でも、僕はその一週間何をすればいいんですか?」

「一週間分の課題を用意してある。それを片付けるように。明日の出発前に渡す」

「はい」

 

 心配して少し損した気分だ。

 

「あの……私がいない間は誰か側にいるんですか?」

「日本政府の人間を一人付けさせる。私が現役時代の頃にお世話になった人だ、心配はいらん。念のために待機形態のラファールも装備させておく」

「わぁ……凄いな」

「お前はもう少し自分の価値というものに関心を持て」

「わかっていますよ?」

「……そういう事にしておいてやる」

 

 はぁ、とため息をつく千冬さんも私服同様に珍しい。今日は何かいい事がありそうだ。

 

「やっぱり、私が残ることはできません。よね?」

「それも考えたが、倉持からも新武装やパッケージが届く予定になっている。お前だけが護衛出来るなら話は別だが、そういうわけでもないだろう?」

「……はい」

 

 僕が明日からお世話になる人はどうやら凄い人らしい。千冬さんがお世話になったというくらいだ。生身でISを圧倒できるに違いない。

 

「すまないが人と会う約束をしている。話はもういいか?」

「はい。ありがとうございます」

「いや、あらかじめ伝えていなかった私の配慮不足だ、すまない」

 

 やんわりと部屋を追い出された。知りたいことは知れたし、別にいいけど。

 

 さて……。

 

「何しようか? 時間まだたくさんあるけど」

「じゃあ……お願いあるの」

「ん?」

「付き合って」

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつぞや、僕がどこぞの鈍感君へ諭したように「付き合う」「付き合って」という言葉は主に二通りの意味がある……と思う。

 

 男女のお付き合い。彼氏彼女という意味合い。

 

  用事についてきてほしいという意味合い。

 

 まぁ、当然のごとく後者だった。最近の僕はもう織斑君を馬鹿にはできないと思うんだ、うん。

 

 彼みたいに女の子に耐性のある人ならまだいいと思う。でも慣れていなくて、それなりに好意のある相手という不平等な情況なんだということは察して……。

 

 さて、僕が何に付き合わされてるのかというと……。

 

「あっち」

「うん」

 

 明日からのための買い物である。もっと前にしておけば……と一種思ったけど、よく考えれば僕が動けないんだから簪とさんがふらふら歩けるわけが無い。責任の一端は僕にあったんだから、これくらいはと思って一緒に歩いている。

 

 例えば、お泊りセット。アメニティーだとかシャンプーリンストリートメントドライヤー美容液乳液うんぬんかんぬん……。男には到底理解できない量の道具が、女の子には必要らしい。しかも必須。レゾナンスというデパートには廉価なモノから高価なモノまでずらりとそろっている。

 

 織斑君は「女子との買い物はスゲェ疲れる……」と零していたのを思い出した。まったく言う通り。彼は先駆者かもしれないとか思い始めている。

 

 なぜ疲れるのか……とある本で読んだ。

 

 男性はそこと決めたらそこにしか行かない。目的を済ませたらすぐに帰る。しかし、女性は目的の店があってもお構い無しに寄り道寄り道寄り道……してから到着するとか。よその店をぐるぐる回り、目的の店についてもそこが気に入らなければまたぐるぐる。エンドレスぐるぐるなんだって。

 

 簪さんは比較的大人しく落ち着いた人だ。しかし年頃の少女でもある。例に漏れず、練り歩いた。もともと体力の無い僕を!

 

 いや、それはまだ良い。良い方だ。良くないけど。何が悪いかって? 女性用の下着店に僕を連れ回して僕に試着させようとしたり、ビキニを僕に着せようとしたことが! 何よりも! 心に刺さったよ! 僕をどんな目で見てるのさ!?

 

「ねぇ……」

「絶対に嫌だからね!?」

「……」

「子犬みたいな目で見ても駄目だよ!? それそういうところで使うものじゃないよね!?」

「うぅ……わかった」

 

 仕方ないと思ってなあなあに流してきたけど、これは遊ばれてるんじゃなかろうか? 事実、いいおもちゃにされていた。

 

 昨今の男女差別はかなり酷いというのに……何もなくてよかった。

 

 ちなみに今度はふわふわしたシャツとスカートをじっと見つめて僕に話しかけてきたので、言われる前に言ってやった。簪さんはスイッチがオフのときは押しやすいから助かる。

 

「室内用の服にしては凝ってない?」

「こういう時にでも、買っておかないと。私外にはあまり出ないし」

「だからって着せ替え人形にしないでほしいな」

「ちぇ…」

 

 油断も隙もありゃしない。カウンター出来るんだけど。

 

 ……こういう時じゃないと、か。それもそうだ、せっかく来たのに必要最低限の物しか買わないのはもったいない気がする。さびれたスーパーじゃなくて、県最大のデパートなんだから尚更。

 

 僕も簪さんも、少しくらい遊んだっていいじゃないか。

 

 そうと決まれば……さっきちらっと見てきたあそこへ行こう。

 

「簪さん、ちょっと戻ってもいいかな?」

「え? うん」

 

 スタスタと店を出て来た道を引き返す。カフェとCDショップと……水着と下着の店よりさらに戻って足を止めたのはアクセサリーショップ。

 

 更識簪エンドレスぐるぐるがまず目を付けたのは、ホールに面したショーウインドウに飾られたネックレスだった。サファイアの宝石を加工した結晶をチェーンで下げているそれを、食い入るように見つめていたのを思い出したんだ。確かにそれは簪さんによく似合うと思う。

 

「ここ?」

「うん。折角のデートだから、記念にね」

「ででっ、でででーと!?」

「違う? そっか残念だなぁ」

「ちがっ、ちがわな……でも、あぅ」

 

 わたわたと慌てて顔を真っ赤にしているのは実に可愛らしかった。気が少し晴れた気がする。

 

 デートのつもりじゃなかったけど、周囲から見たら完全にデートだよねってことに気づいて僕も途中からはドキドキしてたりする。僕はどう思われているんだろうと気になるけれど、考えるのは後にした。少なくとも下着屋にまで連れ込まれる程度には仲良く思ってくれているのでそれでいいか。

 

 放っておいたら閉店まで棒立ちしたあげく走り出しそうなのでしっかりと手を掴んで逃げられないようにしてから店に入った。恥ずかしいけど逃げられるほうがもっと恥ずかしいので我慢。

 

 柔らかい。

 

「すみません。表のネックレスの試着ってできますか?」

「できますよ。どちらになさいますか?」

「マネキンが付けている青を」

「かしこまりました」

 

 奥に入った店員さんが戻ってくるのに一分もかからなかった。真っ白な手袋で大切に抱えられた箱の中に入っているんだろう。

 

「お待たせしました」

 

 中身はウインドウ越しに見たものよりも数倍輝いて見える。実物は凄い。

 

 横目に簪さんを見てみると、吸い込まれるようにネックレスだけを見ていた。さっきまで恥ずかしがっていたのが嘘みたいだ。

 

 箱から取り出されたネックレスを簪さんの胸元へピタリと着ける。流石に首に掛けさせては貰えないらしい。そのまま逃げられたら大変だからかな。

 

「うん。似合ってると思う」

「私もそう思いますよ」

 

 にっこりと店員さんが笑って返してくれる。今日学んだことだけど、この手の人たちは似合わなければ似合わないとはっきり言う。会話の中で人柄や性格を掴んで似合うものを選んでいく。一言で似合うと言うのだから似合っているんだ。

 

「じゃあお願いします」

「えっ、銀?」

「まぁまぁ。えっ……と、カードでいいですか?」

「はい」

 

 財布の中から「お高そうな時はこのカードを使うんだよ」と束さんから渡されたカードを渡した。

 

「それ、ブラック……」

「え? 何か知ってるの? とりあえず出せってもらった時に言われたから良く知らないんだよね」

「な、なんでもないよ!」

 

 ……どうやら凄いカードらしい。迂闊に人前じゃ使えなさそうだ。

 

 会計を終わらせた店員さんからカードとネックレスの入った袋を受け取って店を出た。

 

「……その、あり、がとう」

「ん。気に入ってくれたらいいな」

「大切にする! ずっと……」

「ありがとう」

 

 涙を浮かべてはにかんだ彼女はとても愛らしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えへへ……」

「あれー、かんちゃんご機嫌だね?」

「うん。いいこと、あったから」

「ななみんと?」

「うん」

「ねえねえ、それって学園出る前にはつけてなかったネックレスのこと?」

「っ!? な、なんのこと?」

 

 隠すの下手くそだなぁ。布仏さんが引っ掛けるのが上手なのもあるんだろうけど。

 

 帰ってきて寮の部屋でゆっくりしていると、布仏さんが訪ねてきた。簪さんとしては首に下げたネックレスを見られるのが恥ずかしいみたいだ。僕としては自信を持ってつけて欲しいんだけど、シャイな彼女に求めるのは酷か。

 

 観念した簪さんは捕まって、服の内側に隠していたネックレスを服の上にさらけ出された。

 

「わぁ……きれい……」

 

 天然な布仏さんが間延びしない声で呟くくらいには良いものらしい。それ聞いて余計簪さんは硬く赤くなった。

 

「これ、ななみんがプレゼントしたの?」

「え、うん。似合うと思って」

 

 ぐっ、とお互いに親指を立てた。わかる、わかるよ布仏さん。

 

 顔を近づけてにこりと口を広げて布仏さんが迫る。

 

「明日からも着けていくよね?」

「いやっ、それは……」

「えー? ななみんがかわいそうだよそれは……」

「うっ」

「似合ってるんだから、堂々と付けて、買ってもらったんだって言わなきゃ」

「うぅ……銀も、そう思う?」

「僕? 勿論」

「あぅ。わ、わかった」

「よろしい」

 

 満足したのか、顔を離してうんうんと頷いている。明日からを想像しているのか、簪さんは倍ぐらいに顔を赤くしている。そろそろ煙が出てきそうだ。

 

「あーいいなぁ。ねぇ、お土産とか買ってきてよ」

「お土産とかあるかなぁ……」

「自由時間あるんでしょ?」

「それは海水浴」

「海と砂でいいなら袋に詰めてくるよ?」

「やっぱいいや……」

 

 とんでもない友人達だ……。期待しないで織斑君に頼んでおこう。彼なら買ってくれるはず。

 

「じゃあーーー」

 

 その日は消灯時間まで三人でおしゃべりした。明日からすこし不安だけど……まぁなんとかなるでしょ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七月四日

 

医務室から解放されたものの、明日からは臨海学校とやらで僕以外の一年生は一週間も学校を開けるそうだ。勿論簪さんと布仏さん、織斑君も。その上二年生の更識さんまでも行くとかなんとか。親しい人の居ない学園での一週間は中々にハードだと思う。

 

簪さんの代わりに来てくれる人も特に聞かされてないし、上手くいくのやら……。

 

心配だけど、今までで一番の経験が得られると思うんだ。きっと卵の成長もぐっと進む。

 

なんだかんだで僕は楽しみだな……。

 

 

表情が険しくなった。

 




さて……。

今回は多分本作で最もクソ甘な一話だったと思います。残すはラストハッピーのみ。

ここからは転がり続けるだけです。


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016 一日目/毒づき

今まで上げて来たので、ここから下がります。

下へ参ります、ご注意ください。


「いってらっしゃーい」

 

 朝早く、始発のモノレールに乗って一年みんなが宿泊先へと向かった。向こうに着いてからバスに乗って行くらしい。僕は一組のみんなと簪さん、更識さんを見送ってから職員室へ足を向ける。

 

 今日からお世話になる人が来る事になってるから、挨拶に行くんだ。

 

 既に授業中の時間。廊下には誰もいない。静かすぎて靴の音しか聞こえない。

 

 ヴーッとポケットの中で携帯が振動する。周りを見て先生がいないことを確認してから取り出して画面を見た。

 

『行ってきます。買えたらお土産買ってくるからね』

 

 簪さんからだ。

 

 自然と嬉しくなる。ふふっと笑みを浮かべながら『ありがとう』と返してポケットに直した。職員室はもうすぐそこだ。

 

「失礼します」

 

 ノックを数回して中に入る。

 

「あー、こっちこっち」

 

 僕の方を振り向いた一人が手招きしている。言われた通りにそっちへ行くと、見慣れないスーツの女性が隣に座っていた。

 

 茶髪の癖のある長髪。モデルさんと言われても疑う余地のない美人だ。

 

「えっと……」

「こっちの人が一週間警護してくれる亜紀原さん。日本政府の役人、でいいですよね?」

「ええ。短い間ですけど、宜しくお願い致します」

「こちらこそ、お願いします」

 

 軽く握手。フニフニ柔らか……ではなく少し硬かった。ナイフや銃を使ってできたタコみたいなものかな。実力のある人だという事で少し安心しつつ、怖くなる。

 

「あと……はい。織斑先生から預かってた課題ね。詳しくは書いてあるみたいだし、それで分からなかったら電話して聞いてみるといいわ。番号わかる?」

「あ、わかります」

「じゃあ頑張ってね」

「はい。失礼しました」

 

 課題を受け取って職員室を出る。

 

「……」

「……」

 

 めちゃくちゃ気まずかった。と、とりあえず何か話さないと……!

 

「あ、あの……」

「はい?」

「亜紀原さんは、普段どういった事を?」

「そうですね……幅広すぎてなんと言っていいやら」

「いろんな事をされてるんですか?」

「まぁそんなところです。ですがまぁ、ざっくりと言うと守ることと奪うこと、ですかね」

「守ると奪う……?」

「人や物を守る。そして何かを、脅かすものを奪う。抽象的になりますが……」

「……いえ、なんとなく分かります。ご立派ですね。僕は少し羨ましいです」

「羨ましい?」

「ええ」

 

 物心ついた頃から病室が家だった僕は、生まれた時から色々なものを奪われて、常に誰かに守られていた。子供は守られて当然なのかもしれないけれど、とても嫌だったんだ。せめて姉さんと妹と弟くらいは、守ってあげたかったし、何かしたかった。

 

 家族を守りたくて、家族に奪われたかった。だから少し、亜紀原さんが羨ましい。

 

「何をしましょうか?」

「そうですね……歩けるのなら、普段行かれるところを案内していただけますか?」

「じゃあ……近いので図書室から」

「IS学園の図書室ですか。さぞ珍しい文献や資料があるんでしょうね」

「僕はそんなにISに詳しいわけじゃないので分かりませんけど、知ってる人は知ってるような珍しい書籍が多いそうですよ。他には……たしか小説とかもあった気が……」

「あら、意外ですね。他には?」

「IS関連の雑誌も常に最新号を置いてますね。一番人気なのは、織斑先生の写真集らしいです」

「うわぁ……」

 

 一週間、僕はこの人と仲良くしていけそうだと思った。

 

 

 

 

 

「これが先ほどの写真集。あぁ現役の頃ばかりなんですね」

「ブリュンヒルデと言っても今では一教師ですし、学園内にマスコミやメディアの人達は入れませんから。取材したくても無理でしょう」

「で、こちらが雑誌ですか。外国の物もありますね」

「多国籍ですから。母国の雑誌を読みたい人も結構いますし、聞く中ではわざわざ取り寄せてる人もいるらしいです」

 

 

 

 

 

「保健室。確かに場所は知っておきたいところの一つですね」

「つい最近までお世話になってましたから。多分卒業まで通いますね、多分、いや絶対。亜紀原さんも具合悪くなったら来てもいいと思いますよ。ここの先生気さくでいい人ですから」

「護衛の私がここの世話になるわけにはいきませんから、極力私用で近づきたくはありませんね」

 

 

 

 

 

「来るかは分かりませんけど、僕が通う教室です」

「一年一組ですか。確か織斑一夏を始めとした殆どの専用機がここのクラスだそうですね」

「お陰様で、実習の先生には困りません」

「受けられるのですか? 聞いた話ではISの着用は身体に毒だと」

「歩くだけですよ」

 

 

 

 

「自室です。あ、棚のものには触らないで下さいね」

「大事なものですか?」

「ええ、家族の遺品です」

「……失礼しました」

「いえ」

 

 

 

 

 

「で、食堂です。一通りですけど普段行くのはこの辺りですね」

「思っていたより歩きましたが……身体は?」

「今日は調子が良い日みたいです。普段からこんな距離を歩いたりはしませんから」

 

 立ち寄った場所で雑談したり、休憩を挟みながら練り歩いて最後は食堂に。丁度お昼ご飯の時間だからということで食事になった。まだ昼休み前の授業が行われている時間内だから人は居ない。僕と亜紀原さんの貸切だ。

 

「こんにちは、おばさん」

「あらぁ! 臨海学校じゃなかったのかい?」

「あははは。僕はお留守番です」

「そうかい、残念だねぇ。何時ものでいい?」

「はい」

「私が受け取りますから、座っていてください」

「いいんですか? ありがとうございます」

「お姉さんは?」

「月見で」

「はいよ」

 

 好意に甘えて近くの席へ座る。向かいの椅子を開けておくのも忘れない。ついでに二人分のお茶と水も用意する。

 

 僕の分の食事を持ってきてくれた亜紀原さんは「ありがとうございます」と言って対面に座った。

 

「では、改めて自己紹介等を」

「お願いします」

「亜紀原陽子と申します。所属は……まぁ日本政府の一員程度に思ってください。主に警護などを担当しています」

 

 一礼。

 

「今回の契約内容ですが、一週間緊急時や体調不良を起こした際にすぐ対応出来るように護衛すること、と聞いています。更識簪が普段行っている貴方近辺に関する出来事を私が代理で行い、彼女が何らかの理由で帰りが遅れた場合は、彼女が帰ってくるまで引き続き私が対応します。ここまでは?」

「いえ」

「では、幾つか取り決めたいことがありますので次はそちらを。まずは起床時間ですが」

「えっと……普段は七時半です」

「結構早いのですね。日中は主に何を?」

「提出課題を進めようかと思います。全部レポートなので、自室のPCか図書室で主に進めようかなーと」

「就寝は?」

「そうですね……寝るのは十一時頃ですね。消灯と同時にもう寝てます」

「成る程。ではこうしましょう、私は空いた教員用の部屋をお借りすることになってますので、八時に部屋に伺います。この時には起きていて下さいね。あぁ、合鍵はけっこうです。課題を自室でされる場合はお邪魔します、図書室へ行かれるならそちらにも付き添います。夕食を済ませて消灯前の十時半には自室へ戻りますが、よろしいですか?」

「はい。あの、もし何かあった時のために連絡先だけ教えて頂けますか?」

「勿論です」

 

 携帯を取り出した亜紀原さんから電話番号の画面を見せてもらって、自分の寂しい電話帳に登録する。因みに四人目。

 

「この一週間でISに乗る予定は?」

「ありません。けど、もし課題が行き詰まって、乗る事で解決するなら乗ります」

「怖くはありませんか?」

「怖い?」

「左腕を奪ったのは、他でもないISなのですよ?」

 

 一瞬考える。

 

 確かに亜紀原さんの言う通りだ。袖がぷらぷらと垂れているのはISに左腕をミンチにされたから。もっと言うならISと関わりがなければこんな目に会うことはなかったはず。

 

 でもそれを言うなら、ISと出会うことが無ければ僕は今頃一人のままだ。家族みんなが死んで、引き取り手も現れず、煙たがられながらずっと病室のベッドの上に。束さんとくーちゃんという第二の家族を得ることも無く、簪さんに会うことも無かった。そもそも病室の床すら踏めなかった僕がこうして歩けることが出来るのは、束さんのおかげだ。

 

 憎い部分がないわけじゃない。でも、得られたものはそれだけの価値があると思う。

 

 怖くは、ない。

 

「大丈夫です」

 

 だからそれだけ答えた。

 

「そうですか。もしそうなれば、ですが私もISの経験はありますので何かとお役に立てると思います。その際は一声お掛け下さい」

「あ、ありがとうございます」

 

 ないに越したことは無いんだけど……。

 

「さて、食べましょうか。伸びてしまいます」

「……ですね」

 

 パキリと割り箸を割って合掌。割り箸同士を擦ってささくれをとってからすすり始めた。全く同じ行動に、亜紀原さんと揃って笑みがこぼれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 

 ご飯を食べた後は一旦自室に寄って、課題を回収してから図書室に篭り続けていた。

 

 亜紀原さんはと言うと……珍しそうな本を持ってきては読んで返して探してを繰り返している。やっぱり僕にはわからないだけで貴重なものが多いのかもしれない。ちなみに付け加えておくと、千冬さんの写真集には見向きもしなかった。

 

 それが四度目のこと。

 

「ふぅ……」

「一息吐かれては?」

「そう……ですね。水を買ってきます」

「ああ、いえ、私が行きますから座っていて下さい」

「じゃあお言葉に甘えて、お願いします」

 

 亜紀原さんは、読んでいた本に栞を挟んで立ち上がり、スタスタと歩いて角を曲がって消えた。最寄りの自販機は裏手のベンチコーナーにあるんだけど多分知らないだろうから……え、売店まで戻るの? うわぁ……ごめんなさい。やっぱり僕が行けばよかったかも。

 

 そうなると往復で二十分くらいはかかるから、それまで何をしていよう。

 

 端末を除いても特に誰かから連絡が来ている訳でもなし。簪さん、楽しんでるのかな……。そう言えば織斑君がお土産買ってくるぜって言ってたっけ。楽しみだなぁ。でも彼のセンスを信じてもいいのやら。旅館だったからとかで木刀を買ってきそう。食べ物はほとんど無理だから有り難いんだけど。

 

 あ、そうだ。携帯で亜紀原さんに場所を伝えれば良いんだ。こんな時のための連絡先交換だよね。五秒もかからないさ。

 

「ちょっと」

「はい?」

 

 時計代わりに置いていた携帯を手に取った所で、後ろから声をかけられた。

 

 振り向くとそこにいたのは学園生三人。今は臨海学校で一年生は僕以外残ってないので、必然的に上級生になる。先輩で知り合いなんて更識さんしかないから、僕と彼女達は初対面のはず。

 

 それなのに、どうしてそんなに鋭い目で僕を見るのだろうか。

 

「そのテキスト、私も読みたいから借りても良いかしら」

「えっ?」

 

 栞を挟んで表紙を見る。

 

『今日から始めるIS』

 

 これは初歩も初歩。小学校で簡単な漢字を習うくらい初歩的なことしか書かれていないのだ。入学倍率が二桁を軽く超える学園に来た人達が読むようなものではない。

 

 それにこの本は数冊棚に残っている。読む人がいないのに何冊も用意してれば残って当然。読みたいならそこから持っていけばいい。

 

 ……まぁ、もしかしたら この本だけにあるメモ書きとか、前使っていて栞を挟んだままとか、その他諸々の理由があるのかもしれないし。

 

 渡して僕が別の同じ本を使えばいいか。

 

 ページを覚えて栞を抜く。

 

「どうぞ」

「どうもありが、と!」

「ッ!」

 

 頭がクラクラする……。角で殴られた部分が熱を持って熱い。

 

 ……、そうだ、殴られた。手渡した本の角で殴られた。振り上げずに手首の返しだけでやられたもんだからびっくり。転けて頭をぶつけるのとはまた違う、力のこもった痛みだ。

 

 いやいや、なんで殴られなくちゃいけないんだよ。親にも打たれたことはないんだぞ。じゃなくて、暴力を振るわれる事はしてないはず。

 

「なぁんて言うと思ったの? きっも。ゴキブリが這い回るよりも汚い本なんて誰が触るか」

「は、いや、な……」

「あー危ない、触られるところだったわ」

「大丈夫?」

「可哀想に……」

 

 ……いやいやいや、まったまった。同じ本が残っているのに、わざわざ僕が使っている本を貸してほしいと頼んだのはそっちじゃないか。それを汚いから触らない? 触られるところだった? もう一回小学生から日本語の勉強しなおして来るといいんじゃないかな? それ以前に失礼だ。

 

「いこ。同じ空気吸いたくないし」

「触られそうになるのも御免よね」

「みんなに気をつけるように言っておかないと……」

 

 僕が反論しようと口を開く前に、三人の先輩はスタスタと去っていった。しばらくぼうっとしていたけど、殴られた部分がズキズキと痛み始めたことをきっかけに頭が回り始めてきたぞ。

 

 とにかく一方的だった。会ったことも話したこともない人達に、殴られるわ罵られるわ風評被害その他もろもろ……。堪ったもんじゃない。何もしていないのにサンドバッグ扱いしてさ、あぁ、むかつくなあ。

 

 僕が……

 

「僕が何をしたっていうんだ、くそっ」

 

 知らずに毒づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 図書室を出てまっすぐ売店へ……向かうのではなく、角を曲がって最寄りの自販機へ足を運んだ。特に彼から説明があったわけではないが、学園内の施設は一通り頭の中に叩きこんでいるのでここを選んだに過ぎない。欲しいものの指定もないので別にいいだろう。

 

 一息つくために一番安い缶コーヒーを購入。隣のベンチへ腰かけてプルタブを押して引いた。

 

「さて」

 

 かねてより気になっていることが、一つだけある。その為に、道に迷って時間がかかりましたという言い訳を、任務が決まった時から用意しているくらいには。

 

 ズバリ、彼の現状だ。馴染めているかと言い換えてもいい。

 

 一応IS学園は共学ということになっているが、ISが女性にしか起動できないという条件があるため実際は女子高に等しい。そこへイレギュラーの織斑一夏と名無水銀が現れ、新入生としてやってきた。良くも悪くも、話題のネタというか恰好の的というべきか……本人たちは、猛獣の檻に放り込まれた生肉の気分だと言っていた。そんな環境でどういう立場にあるのか、外部の人間からすれば興味津々のネタであり、護衛を引き受ける身分からすれば知っておくべきことでもあるはず。

 

「……ふん」

 

 結果から言えば、彼はサンドバック扱いだった。反撃という行為が浮かばないのか、それとも呑まれているのか。一方的に殴られ、暴言を吐かれてと終始受け身の姿勢だ。

 

 想像していなかったわけじゃない。むしろこうなるだろうという確信すらあった。世の中の風潮と、学園に通う学生が総じてエリートなのだから、女尊男卑を体現したような女子が大勢なのは間違いないのだから。

 

 それでも入学から今まで、迫害を受けてこなかったのは織斑千冬という存在と、更識簪という護衛がいたからだ。

 

 横暴ギリギリのラインで指導する(らしい)織斑千冬が彼の担任なのだ。虐めがバレれば速攻で犯人捜しが始まり、捕まるだろう。その後はまぁお察しだろうが……とにかく、女生徒からすれば危険なわけである。彼へのバッシング行為がリスクに釣り合うだけのモノかと言われるとそうじゃないだろう。

 

 そして更識簪だが、彼女は日本の代表候補生であり専用機を所有している。学生の中でも特にエリートであり、実力は三年生と比較しても光るものがある。姉の陰に霞んでいるが、彼女もまた天才だ。が、彼を守っているのは実力よりも更識の名前と姉の力という面が強いだろう。

 その筋の人間なら更識の名前は誰もが知る程のネームバリューを持っている。日ノ本に更識あり。実の姉はその長であり、学園の長なのだから織斑千冬とは別の意味で、虐めがバレれば終わる。色々と。

 

 家を嫌う更識簪にとっては皮肉な話だな。

 

「反応を見るからに、明らかな暴力を受けるのはこれが初めて、か? 敵意にすら慣れてないとなると…よほどの箱入りと見える」

 

 普通の高校生でも堪える環境だというのに、彼が一週間まともにやっていけるのか不安になってきた。

 

「お」

 

 ずずずとコーヒーを啜っていると、先ほど銀を本で叩いた女子三人組が図書室から出て来た。

 

「あーもーマジムリ。なんであんな幽霊みたいな奴がいるわけ? 図書室使えないじゃん」

「それ。しかもよりによっていつも私たちが使ってるテーブルでさ。もうあそこ座れないって」

「はあぁ、織斑一夏君だったよかったのになぁ」

「なに? アンタ彼みたいなのがタイプ?」

「えー? だってかっこよくない? 爽やか系で身体づくりもしっかりしてるし、社会ステータスもバッチリじゃん! 正統派ってやつ?」

「わかるー! そんでさ―――」

 

 角を曲がったのでそれ以上は聞き取れなかったが、まぁ大体は分かった。

 

 名無水銀は肌が白すぎる。女子よりも透き通るように白い肌は確かに不気味だ。それが男となれば猶更かもしれない。髪飾りも女性のモノを付けているし、髪も男にしては長い方だ。織斑一夏とは違って鍛えている訳でもない。特に深くかかわらなければ、好印象を持てる対象じゃあない。幽霊なんて言いえて妙だ。

 

 隣の比較対象が、絶滅危惧種並の優良物件なら尚のこと。彼はそんなつもりもなく接しているんだろうが。

 

「胸糞悪いったらない」

 

 私個人としては、男が女がなんて気にしていない。だからか、ああいうのは嫌いだった。

 

 飲み干した缶コーヒーをカツンと音を立ててベンチの手すりに叩きつける。癖で胸ポケットからタバコとライターを取り出したが、そういえばここは高等学校だったと思い直して手を離した。灰皿(缶コーヒー)があるのに吸えないのは、結構な苦痛だ。

 

 空き缶をゴミ箱に放り投げ、二人分のお茶を買ってから図書室へ戻った。

 

 意気消沈したのが見て取れる。

 

「どうかされましたか?」

「亜紀原さん……いえ、なんでもないです」

「そうですか。何かあればいつでも言っていただいてかまいませんので」

「はい」

 

 彼が普通じゃない生き方をしてきたのは聞いている。書類でも見た。どんなことでも初めての体験に違いない。いじめもそうだろう。

 

 きっと人の頼り方も分からないんだろう。捨てたはずの良心が、少しだけ疼いた。

 

 

 



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017 二日目/宣戦布告

午前7時半。アラームがけたたましく鳴り響く。ようやく眠りかけた頭が覚醒していくのは初めての経験で、とても嫌なものだ。

 

簪がいない夜というのも、割と堪える。昔はいつも一人だったのにね。

 

「っ」

 

身体を起こそうと右肘を起こすと頭がズキンと痛んだ。図書室で上級生に殴られたところだ。

 

理不尽。その一言に尽きる。

 

僕が何か悪い事をしてしまったのなら、百歩譲って分からないこともない(手を上げることが許せないのだ)。でも、そういうわけじゃなかった。関わりのある人は全員覚えているし、あの上級生は初対面の人だった。

 

どうして、馬鹿にされたりしたんだろうか……。

 

その時、枕元に置いていた携帯電話が鳴りだした。相手は……簪?

 

「もしもし」

『うん、おはよう。銀』

「早いね、折角の学外なんだからゆっくりすればいいのに」

『そうはいかないよ 』

「だよね」

 

亀のように身体を起こして、ベットの端に腰掛ける。笑いながら冗談を交えて話す。携帯をスピーカーフォンに切り替えて、机に置いたまま通話しつつ、制服へ着替える。

 

「いった…」

 

簪を編んでいる時に髪を引っ張って、殴られた場所が痛んで声に出してしまった。

 

『銀、どうか、したの?』

「あぁ、いや、ちょっと頭が痛くて」

『えっ? 大丈夫なの?』

 

実は知らない上級生に、いきなり殴られてさ……。と、言葉を続けようとして慌てて口を噤んだ。

 

多分、言えば学園にいなくても問題は解決する。してくれると思う。簪の立場もあるし、織斑先生や更識さんもいるわけで。

 

でも、それって今度は簪に迷惑がかかってしまう。ターゲットが移ったり、もしかしたら手間に思われるかもしれない。それは嫌だ。

 

『銀?』

「ん、大丈夫だよ。ちょっとよろけてぶつけちゃったんだ。腫れてるわけじゃないし、すぐに治まるよ」

『そう? ならいいけど……ごめんね』

「いいって。気長に待ってるよ」

 

それからは他愛のない話をして八時まで過ごした。

 

「じゃあまた」

『うん』

 

そこで電話を切って、得体の知れない感情が湧き上がってきた。

 

僕は、僕は……これで良かったんだろうか?

 

左腕の卵は、薄汚れてきたのかすこし黒くなっていた。後で磨いておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、今日は何を?」

 

亜紀原さんが部屋を訪れてきたので、取り敢えず中に入ってもらった。僕はベットに腰掛けて、亜紀原さんは僕の椅子に座ってもらっている。

 

織斑先生からの課題はそう難しい内容じゃない。今までの総復習に近く、束さんと過ごしてきた僕にとってそこまで苦労はないけど、やたら数がある。でもまぁ……四日もあれば終わるだろうってところかな。

 

腕の怪我があって授業に出れなかった分を取り戻す為のもの、らしい。疎かには出来なかった。

 

昨日は思わぬ事件が起きたものの、ノルマは達成しておいたので残りは約三日分だ。頑張って終わらせて、後はゆっくり過ごしたい。

 

「今日も図書館に行こうかと思います」

「昨日のこともありますが?」

「ええ。なので、授業中に利用してそれ以外は避けようかと」

「ああ、成程」

 

すんなりと納得してもらえたので早速動く事にした。

 

朝食は食堂へ。昨日の一件が広まっているのか、周囲の視線が痛いが亜紀原三という存在が僕を守ってくれている。彼女の傍に居る限りは安全と見て良さそうだ。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

特別におばちゃんに作ってもらったお茶漬けをずずずと啜る。亜紀原さんは朝からしっかりと食べるタイプらしく、定食をつついていた。もしかしたら、彼女は織斑君と気が合うかもしれない。意外と健康志向なのかな?

 

「身体の調子はどうですか?」

「今日は少し重たい気がします。昨日は普段より歩きましたから…」

「では、本日はなるべく動かないようにしましょう」

「そうします」

 

ごちそうさま、と合掌。この後は上級生達は授業があるので、僕は図書室に移動するつもりだ。

 

「ん」

「どうかされました?」

「いえ、上司から電話が……」

「出られた方がいいんじゃないですか?」

「まぁそうなんですが…」

「僕なら大丈夫ですよ、多分」

「……すぐに戻りますので」

 

亜紀原さんはすぐに電話に出て、肩で携帯を支えながらトレイを返却口まで返して食堂を出ていった。

 

さて、僕も続こう。長居してたら何をされるか……。トレイを持って食器を返却口まで運ぶ。

 

「あ」

 

昨日の上級生グループの二人だ。まだ僕には気づいてないみたいだけど……関わりたくはないな。

 

ささっと帰ろう。

 

トレイを返しておばちゃんにお礼を言った後、少し距離をとって人の波に隠れながらやり過ごす。

 

「うわっ!」

 

つもりだった。

 

何かにつまづいた僕は綺麗に前のめりにこけた。顔面を打つことは無かったけど身体が全体的に痛い。。

 

学食の床だぞ? なんでつまづくんだ僕は、と思って足元を見た。黒のブーツが不自然な角度をつけてつま先を天井へ向けていた。足の主は……上級生グループの一人。歩いてくる二人に混じっていない三人目だった。

 

「こっちこっちー」

「あーもう、早いって…ばっ!」

「うごっ!」

 

飛んだ。いや、浮いた。

 

二人組が呼ばれていることに気づいて、駆け足で寄ってきて僕の腹を思い切り蹴り飛ばした。丁度身体を起こしたところでガラ空きだったのが災いしてジャストミート。

 

「なにか変な音しなかった?」

「えぇー? 気のせいでしょ?」

「幽霊だったりして」

「それかゴミでも蹴ったんじゃない?」

「あー、そっかー。幽霊かなー、ゴミかなー。でもキモくない? 人の声見たいなの出すってさぁ」

「カエルの間違いでしょ」

 

あはははは、と笑って離れていく上級生を睨む。状況を把握しても、脳が理解しようとはしてくれなかった。拒絶だ。

 

ゴミ? ゴミってなんだ? カエル? 僕のことか?

 

……なんどよ。なんなんだよ。訳が分からない。そんな事を笑いながら出来ることが理解出来ない?

 

お前らの方がゴミじゃないか。

 

「ごほっ、こぼっ」

 

地面に二度叩きつけられた身体を起こす。痛みに耐えて咳き込むと、血が口から溢れてきた。

 

「がふっ!」

 

一度関を切ったらもう止まらない。吐くように、血が流れていった。

 

誰か…。

 

周囲を見ると、僕を中心に輪が出来ていた。半径一メートル程の小さくはない人の輪。誰もが手で口を覆い、目を見開いている。食堂のおばちゃん達はここから見えない。亜紀原さんもいない。上級生だけの輪。

 

大半が、笑っていた。血反吐を吐いて倒れる僕を見て、ニヤニヤと心底嬉しそうに笑っている。

 

畜生。

 

そこで記憶がプツンと切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はっと目が覚めた。目だけを動かしてここが何処なのかを察する。懐かしくもない保健室だった。入院していた頃のベットというオマケ付きで。

 

右手側にはナースコールと点滴。左手側には椅子に座って本を読む亜紀原さんがいた。

 

声をだそうとしても上手く出ない。血と一緒に胃液が喉を焼くいつもの症状だ。いい加減慣れた。どうしようかと悩んでいると、衣擦れの音で気づいてもらえた。

 

「あぁ、良かった。起きないのかと思いましたよ」

 

声の代わりに右手の人差し指と親指でマルを作る。オッケー。

 

ジェスチャーで察してくれた亜紀原さんは、ナースコールの横にメモ帳とボールペンを置いてくれた。すごく助かる。

 

『何時ですか?』

「午後の三時です。騒ぎが起きたのが八時半なので……まぁ、時間は経っています」

 

あぁ、どうしよう。課題を進めようと思っていたのにな。お腹は痛いし、喉は焼けるし、最悪だ。

 

それもこれも、あの三人組だよ。

 

昨日の夜や朝まではきっと間接的に何か気に食わないことをしてしまったんだろうと思っていた。そうじゃないと納得がいかなかった。ところがそんな事はなくて、ただ気に入らないから僕を嬲ったように見えた。

 

周りの人達もそうだ。少数の人達を除いて、みんながみんな僕を見て笑っていた。その光景を悲惨だなんて思っていない、バラエティ番組の芸人みたいに痛い目に合っているシーンで笑うことと何ら変わらない。

 

成程。確かに、幽霊扱いゴミ扱いカエル呼ばわりされるわけだ。連中、僕を人として見ているわけじゃないんだろう。

 

不愉快だ。僕が何をしたんだ。こんなこと考えるのも何回目かもわからない。

 

なんで、僕なんだ?

 

「悔しさ、察します」

 

……悔しい、のかな? どう整理したらいいのかわからない。でもムカつくことは確かだ。ムカつくし、イライラする。

 

「どうしますか?」

 

? 問いかけの意図が掴めなかったので、聞いてみる。

 

「言っていただければ、意趣返しの五つや六つは代理でやってやれないこともないですが?」

 

そういうこと。亜紀原さんが仕返しをしてくれるらしい。

 

いいかもしれない。僕は貧弱だし世間知らずな所があるからどういう手が効くのか分からない。片腕もないし。けど、亜紀原さんならそんなことも無いと思うし。僕が想像するより三倍いやらしい手口を使うに違いない。

 

でも…。

 

『僕は、自分で見返してやりたいです』

 

にっ、と亜紀原さんが笑った。つられて僕もニヤリと笑う。

 

少なくとも、腹に一発蹴りを入れたいなとは思った。昔はこんなこと考えなかったのになぁ。これが成長なのかな? 束さん、僕は立派でしょうか?

 

「嫌いではないです、むしろ好ましいですね。しかし、方法はどうされるおつもりで?」

 

筆が止まる。そう、それが問題だ。最初からそれができるなら自分でやってるし、亜紀原さんも自分がやるなんて提案はしない。

 

やり返すなら、僕の得意分野じゃないとダメだ。それ以外は負ける。

 

そう、アレしかない。

 

『IS』

 

亜紀原さんの顔が厳しいものに変わる。理由は言わずもがな。

 

「それならば勝率があると?」

『はい』

 

整備科だろうと一般だろうとどんと来い、だ。

 

三百六十五日、二十四時間常にISを装着し展開していた僕からすれば、三年間授業プラスアルファしか乗れない相手なんて屁でもない、はず。この前の一悶着でも結構やれたし、時間制限設けてもらえたらやれる。

 

整備知識も束さん仕込みの基礎から応用までなんでもござれ、だ。簪は研究所から見てもかなり優秀な人材らしいから、対等に話せるレベルにあるなら充分勝ち目はある。

 

体力的には後者がいいな。

 

「今のあなたは身体を痛めています。そうでなくとも、腕を失ったばかり。あまりお勧めはしません。というより、護衛として認める訳にはいかないのですが」

 

そりゃ……そうだなあ。やりたい放題やっていいわけじゃないもんなあ。

 

『そこを何とか』

「いいえ」

 

……仕方ない、カードを切ろう。

 

『僕の生体データと取引でどうですか? 加えて、日本政府の要望をなるべく呑むようにも心掛けます』

「……」

 

流石に口が噤む、か。そりゃそうだ。虚弱な僕とはいえ男性操縦者のデータはどこだって喉から手が出るほど欲しいに決まってる。加えて言うことは聞くと言っているんだ。

 

自分一人で決めていいことじゃないだろう。ましてや自分のデータなんて、先生や簪、束さんがなんて言うか……考えたくもない。価値なんて僕が思っている以上ある。

 

それだけの意味がこの行為にあるかと言われたら、多分ない。亜紀原さんに任せるか簪と更識さんに伝えればきっと何とかしてくれる。気持ち的には嫌だけど、そうするべきなんだろう。

 

でも、僕は、彼のようになりたい。正義に溢れて、誰かの為に顧みず身体を張って、悪に立ち向かって、剣を振るう。お姉ちゃんに読んでもらった絵本のような、弟と妹が好きだった漫画の主人公のように、僕だってなりたい。動機は不純だし、高潔でもないけれど、せめて自分の力で打開したい。

 

『三人の名前と特徴を教えて下さい』

「…………どうぞ」

 

彼女なら、既に準備を済ませているだろうと睨んでいたけど、まさにそのとおり。十枚ほどでまとめられたレポートを受け取った。ベットのリクライニングで身体を起こして、痛む腕でページを捲る。

 

さっと読んだところ、どうやら全員三年生のようで、最初に僕を殴った人は大企業の娘らしい。他二人は取り巻きといったところかな。

 

成績は中の上程度。特筆する部分はなく、素行が悪い。親の権威を傘に着て不自由なく過ごしているらしい。

 

「それは元より差し上げるつもりでしたので、好きにお使い下さい。ですが、もし勝負を仕掛けるなら条件をつけます。呑んでいただけるのであれば、方々に掛け合いましょう」

 

亜紀原さんは指を三本立てた。

 

「三分間のバトルの制限時間を設けること。非公式で行うこと。深追いはしないこと。理由は、言わなくてもわかりますね」

 

深く頷く。はぁ、とため息をついた亜紀原さんは電話をすると言い残して保健室を出て、すぐに戻ってきた。

 

「対戦相手からですよ」

 

と、いきなり携帯を放られた。掛け合うって真っ先にかけたのは相手からでしたか…。

 

多少は引いた喉の痛みをこらえて声に出す。

 

「もしもし」

『アンタ、あたしと勝負だって?』

「ええ。明日の放課後に」

『ほんっと気持ち悪っ。乗れないとかウワサは聞いてるけどさぁ、何がしたいわけ?』

「さぁ? でも、暴力と侮辱に熨斗をつけてお返ししたいのは確かですね」

『ぎゃはっ。超ウケる! 負けて言い訳か文句言わないならいいわよ。 病弱理由で負けましたなんて、私の株が落ちるしぃ』

「良いですよ。じゃあ変わるので」

 

あぁ、言った。もう取り消せない。やるしかない。そして喉が痛い。

 

「名無水さん。後は私に任せて、お休みください」

 

ありがとうございます、と言おうとしたけどやっぱり喉が痛いのでペンを取る。

『ありがとうございます。ついでにお願いしたい事が二つ』

「ええ」

『これを、用意してください。整備は明日します』

 

さらさらと書き殴って渡したのは、明日の模擬戦に必要な装備品だ。左腕がないから換装の必要があるし、両手持ちの武器は使えない。記憶している限りで、使えそうなものをリストアップして渡した。

 

「もう一つは?」

『臨海学校に行ったクラスメイトや知り合いには、バレないようにしてください』

「わかりました」

 

なんて言われるか、想像するだけで胃が痛くなる。綺麗に終わらせれば大目に見てくれるだろうと信じて。

 

ベットを倒して目を瞑る。すぐに睡魔が襲ってきた。身を委ねようとしたところであることを思い出した。

 

そういえば、課題してないし卵も磨いていない気がする……明日しよう。

 

 

 

 



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018 三日目/復讐

 亜紀原さんに手配してもらったのは、ラファール一機を僕の代わりに申請してもらうことと、左腕に換装する武器腕の用意、無ければ外してもらうことだ。

 機体は用意してもらえた。本来は予約がぎっしりのところ、僕の名前を出したらすんなりと通してもらったらしい。不思議に思ってたけど、その理由はすぐに分かった。

 

「今日もよろしく頼むよ」

 

 何度も乗っているラファールだった。こいつは前に僕が乗った時に左腕を大きく損傷していて、交換の為のパーツがないまま、整備だけされていてそのままだったらしい。左腕がないので生徒には貸し出せないが、左腕のない僕になら……と貸し出してもらえたとか。

 ただ、武器腕に関しては僕が使えるものはなかった。どれも左腕があること前提で作られているので当然といえば当然か。身体障害者が乗るには豪華なもんだからね。

 

 左腕の部分は装甲板を重ねて塞いだ。これで、僕でも問題なく使える。大規模な整備の必要も無し、バランスの微調整と武装選択を、済ませてしまえばあとは待つだけだ。

 

「武装は……片手で使えるものじゃないとなぁ…。時間も短いし、リロード出来ないことを考えると、使い捨てる方向で考えて沢山積む方がいいかな」

 

 できれぱ全損させる形で決着をつけたい。その為には速攻で畳み掛けるのが最善だろう。別に被弾してもいいんだけど、僕自身が虚弱度からシールドエネルギーが残ってても動けなくなって負けそうだ。

 

 近接武器は片手のショートソードだけでいい。鍔迫り合いも勝負にならないから、受け流すしかないので長物は取り回しにいし。

 

 前回は初手にパイルバンカーを使ったから右腕がもう限界だったけど、振動が小さい武器をチョイスすれば三分間は持ってくれると思う。

 

 時計を見る。現在時刻は午後一時。試合の時間は授業後の午後六時に設定してもらった。四時には三年生の授業が終わるので、そこから整備と準備運動を行えば丁度いい時間だ。アリーナの閉館は八時なのでまた丁度いい。

 

 その時、ピピピと電話がなった。ポケットから取り出して画面を見ると、知らない電話番号が表示されているだけ。

 

 ………。確か、電話帳に登録されてない人は電話番号だけで出るんだっけ。束さんとくーちゃんに千冬さん、簪と更識さんの五人ぐらいだったから、それ以外で僕の電話にかけてきてるってことか。

 こういうのは誰かが教えたか間違い電話らしい。で、フリーダイヤルとな押し売りとか詐欺の電話も掛かってくるとか。怖いなぁ……。

 

 まぁ、危なさそうだったら切ればいいよね。これも経験ってことで。

 

「はい」

『もしもしー、名無水かー? 織斑だよ、織斑一夏』

「は?」

『あ、番号は千冬姉から聞いたんだ』

「そ、そうなんだ」

 

 全く意外な人物からだった。

 

「それでどうしたの?」

『いや、千冬姉が騒いでたのをこっそり聞いたんだけどさ、今日の午後に模擬戦するんだって?』

 

 げぇ! なんでか知らないけどバレてる!? 亜紀原さんばらさないでって言ったのにーーー!

 

 ど、どうしよう……殺される、千冬さんにアイアンクローされて死んでしまう。その後に簪から二日間ぐらい説教されそう。やばい。

 

 生唾を飲み込んで一瞬考える。正直に話すことにした。織斑君は千冬さんが騒いでいたのを盗み聞きしただけだ、もっと話が大きくなってるなら皆がと言うだろうし、織斑君よりはやく簪が電話するかもしれない。彼が偶然聞いたのは山田先生と話している最中か、学園の誰かと電話しているときだ。

 

「……うん、そうだよ」

『まじか…。実習休んでるのに大丈夫なのか? トーナメントの時も吐血したし…』

「三分間だけだよ。それよりも、この事は絶対に誰にも言わないでね。この会話も聞かれないでね。バラしたりバレたりしたら君らが帰ってきた後に織斑君の根も葉もないうわさばら撒くから」

『お、おぅ。男に誓うぜ…。お前そんな奴だっけ…』

「そんな奴だよ、僕は」

 

 僕らは周りの視線もあってお互いに関わりあいになるのを少し避けていた。織斑君を取り囲むような専用機持ちは他に近づく女子を警戒してるし、僕の事も噂で良く思ってないだろう。僕は簪が織斑君を嫌ってる事があるから。個人的には千冬さんから耳にタコができるくらい聞いてるし、同じ男子として仲良くしたいんだけどね。

 

「理由は言わないよ。というか、言いたくない。どうせ帰ってきたら先輩達から嫌ってほど聞くと思うしさ」

『そ、そうか……』

「うん。だから他言無用で頼むよ、特に簪と更識さんには」

『おう、わかった。男の約束だな』

「……うん、男の約束、だね」

『ん? なんか変だったか?』

「いやいや、そういう訳じゃなくてさ、男って言われるほど男子扱いされたことないなぁーって」

『そうか? 俺はお前が立派に男子やってると思うぜ』

「え?」

『ベンチで女の子を慰めてたしな!』

「ぶふぅっ!?!?」

 

 ゼリー飲料を思わず吹き出してしまったじゃないか!!

 

「そ、それ、どういうこと?」

『えっと……入学したばっかの時だったかなー。箒とお前のルームメイト合わせて四人で食堂のテーブルについたことあったろ? あの時入れ替わるように慌てて出ていったからさ、食べ終わったあと少し気になって探したんだ』

「そしたら、僕と簪がベンチの近くにいたのを見つけたと…」

『そうそう』

 

 まぁ、確かに真面目な話してたけどさ。しかも内容は君も絡んでたからね?

 

『その時は辛そうにしてたけど、次の日見たらウキウキしてたからさ。悩み解決したんだろうなーって思ったんだ』

「なる程ね」

 

 実際は解決したかと言われると怪しいところだけどね。人間関係だけは、一朝一夕とは行かないんだ。

 

『なぁ、ついでにもう一個聞いていいか?』

「いいけど……」

 

 時計を見るとまだまだ時間はある。僕も暇つぶしとかリラックスしたかったから、折角だし彼の無駄話に付き合うことにした。

 

『名無水ってさ、更識さんのこと好きだろ? あ、妹の方な』

「ぶふぅっ!?!?」

 

 本日二度目のマーライオンをしてしまった……。

 

 て、てか……!

 

「な、何言い出すんだよ! そりゃあ確かに簪は可愛いし機械系の話はよく通じるし料理も美味しいしお菓子も得意見たいだし、頼りになるし掃除もしてくれるし体調崩した時も嫌な顔しないで看病してくれるし吐血しても汚れるの気にしないで真っ先に心配してくれるし」

『お、おぅ、そ、そうか…』

「僕が女性用のアクセサリーを身に着けてても褒めてくれるしむしろつけるの手伝ってくれるし、少し前なんて似合うと思うからって自作のヘアゴムプレゼントされちゃったし、てか今でも僕の義手作ろうと頑張ってくれてるしメガネ似合うし実は種類すこーしバリエーションあるしその事言ったら照れちゃって可愛かったしタイツとか細い足とか魅力的だし、それ言ったら初対面の時の綺麗な目がすごい印象的で吸い込まれそうだったし、簪のおかげでのほほんさんとか友達も増えたし」

『わ、わかった! わかったから! ストップ、ストーップ!!』

「……ごほん。変なこと言い出さないでよ、まったく。君に好きだの嫌いだのを言われる筋合いは無いよ」

『ひ、酷いな。でもさ、絶対あの子お前のこと好きだって』

「……は?」

『は? って、いやいや、見てたらわかるじゃん。いっつも目で追っかけてるしさ、ほかの女子が近づいてきたら目線が鋭くなるんだぜ? 臨海学校の間もずっと携帯みてるし、学園のある方気づいたら見てるんだ。あれ、お前に気があると思うんだよなぁ』

 

 え、君、そういうとこ見てるくせして自分に向けられる好意分かってないの? ほんとにそうなの? 実はそういう演技してるとかじゃないの? 君に言われても信じられないし、むしろムカッとくる。

 

『両思いってことだろ? 青春だなぁー』

 

 このあとの試合で殴り合う人とは別の意味で、僕は織斑君をはたきたい。猛烈にはたきたい。取り敢えず世界に謝って欲しい。

 

「……知ってるよ」

『あれ、そうなのか?』

「君と一緒にしないで」

『はっはっは(?)』

「そこ笑うとこじゃないから…」

 

 はぁ、とため息をこぼす。

 

 ……そうさ、僕は彼女が好きだ。と、思ってる。人を好きになる気持ちなんてわからないけど、友情とはま違った彼女への感情があるのは間違いない。何だろう、守りたいとか抱きしめたいとか…。

 そして彼女の好意も何となく分かる。少なくとも悪くは思われてないはずだ。でも簪の場合だと、僕を無理矢理ISに乗せて気絶させてしまったことや、左腕を潰してしまったことの罪滅ぼしなのかなと考えることがよくある。でもさ、少しくらいは自惚れたいとも思うわけだよ。

 

『でもま、ホントに無理だけはするなよ。臨海学校が終わったら千冬姉も更識先輩も戻るんだからさ。頼ることは悪いことじゃないんだからな』

「分かってるよ…ありがとう」

 

 織斑君が『じゃ』と言って通話を切った。

 

 分かってるよ? 嘘つきめ。

 

 僕がわかってるのは、少しでも乗ると痛い目を見る事だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「逃げずによく来たじゃん」

「そりゃまあ、僕から売った勝負ですから」

 

 時間になるとアリーナにその人は打鉄で現れた。名前は……。

 

「では、卜部先輩」

「きも、名前呼ばないでくれる?」

「……もう一度、ルールを確認します」

 

 オープンチャネルでやり取りしていると、液晶が切り替わった。審判役を引き受けた亜紀原さんの優しさだろう。ルールが観客にもわかるように名文化されていた。

 

「試合時間は三分間。シールドエネルギーの減衰量で勝敗を決める。同率の場合は最後にはシールドエネルギーを減らした側の勝利とする」

 

 シールドエネルギーの総量は機体によって異なる。同じラファールでも追加装備によっては増えたり減ったりもするのだ。あとはエネルギーバランスの調整でも少しは変わる。だから、実際に減った値ではなく、パーセンテージによって判断するのがオフィシャルルールだ。

 

「武器の使用制限は無し。シールドエネルギーが全損した相手への攻撃は厳禁。その他はオフィシャルルールに則ったものとなります」

「どーぞー」

 

 くひひ、と見下すような目で下品な笑いを見せる卜部先輩。彼女の後方観客席には取り巻きの二人もいて、同じようにニヤニヤしている。彼女だけじゃなく殆どの観客が似たような顔をしていたけど。

 いつか見たような、スポーツの大会で対戦相手も観客も日本一色に挑む外国選手の気分だ。僕の数少ない味方と言える人はこの場にいない。

 

『では、カウントを始めます』

 

 五から刻まれた合図は程よい緊張を高ぶらせてくる。気持ちを鎮め、身体の力を抜く。

 

 四。卜部先輩がマシンガンとシールドを展開した。加えてヘッドバイザーが装着される。補助を入れるってことは、射撃戦で戦うつもりかな。遠距離武装もありうるかな。

 

 三。対する僕は自然体。肩幅に開いて爪先は地面に向ける。腕もだらりと下げるだけだ。武器を見せては対策を立てられてしまう。特に僕が取ろうとしている戦法では。

 

 二。ぐぐっと力を込める。

 

 一。目を瞑った。

 

『試合開始』

「うらぁ!」

 

 合図と同時に卜部先輩が発砲。シールドで半身を覆い、ライフルを握る右手は肩から一直線に伸ばした綺麗なスタイルでトリガーを引いている。

 

 対する僕はというと。

 

「は?」

「なに、あれ……」

 

 背部、腰部に追加ブースターと姿勢制御スラスターを展開した高機動スタイルで距離をとってスルスルと避けて見せた。その最中にバトルライフルを右手に、両脚部にミサイルポッド、バックパック左面にアームを取り付けた大型シールドを展開する。

 

 銃床を脇に挟んで細かく引き金を引く。卜部先輩は僕は向けてシールドをかまえているが、僕の狙いはそこじゃない。カバーしきれていない肩や足を的確に穿った。

 

 反撃に撃たれたのは追尾性ミサイル。これには脚部のミサイルを一発だけ発射して、それを撃ち抜いて誘爆させることで回避する。

 

「こ、この……!」

 

 シールドを投げ捨てて両手にサブマシンガンをコールした卜部先輩が鬼の形相で吶喊してきた。怖い、かなり怖い。

 

 アームを伸ばしてシールドを前面に押し出す。身体を水平にして盾に全身を隠して接近、視界をふさいでいる分レーダーとにらめっこして、タイミングを計る。バトルライフルを引っ込めてショートブレードをコールした。

 

「ぶっ飛べ!」

 

 全速力と体重を乗せた飛び蹴りがシールドを砕いた。簪が見たらライダーキックと叫んだに違いない。

 

「んなっ!?」

 

 が、僕はそこにもういない。

 

 シールドが砕かれる直前にパージして、身体を百八十度回転。地面を向いていた視点が一転して空を仰ぐ。すれ違いざまに目が合った。まるで化け物を見るような目だ。

 

 また地へ顔を向けるように半回転。ブレードを振り抜いて斬りつけ、片足のブースターを殺した。

 

 すり抜けた後は直進して直角に急上昇して振り向く。ショートブレードからバトルライフルに切り替え、バックパック右側にキャノン砲を装備して静かに銃口を向けた。

 

 シールドエネルギー減衰率。零対三十八。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はその時馬鹿なヤツと思った。学園に来て初めて乗り始めた一年の癖して三年の私に勝負を挑むなんてバカのやることだ。相手が代表候補生ならまだわかる。と言うよりも私が負ける方が確率が高そうだ。

 

 でも、まさか、あの男風情が?

 

 クソ笑えるんだけど。

 

 あんだけ虐めてやっても気にしていないフリをしてるのがまた面白かった。それと同じくらい、歯向かってくるのが気にくわないのよ。私は財閥の一人娘なのだから、そんな私の言葉に逆らうことがどういうことか教えてやらないといけないじゃん? 目上の人間との付き合い方って奴をさぁ?

 

 蜂の巣にして、試合が終わったら花壇のミミズ入り腐葉土口に突っ込ませてやるわ。

 

(なんだよ……なんなんだよこのクソ野郎!!)

 

 と、思っていた。

 

 試合開始の宣言と共にマシンガンの斉射で流れを掴んで終始圧倒してやるはずだった。

 それが、なんだ? なんで私は幽霊男を見上げてるんだ? なんで翻弄されてるんだ? あいつは授業をサボってる実技ゼロ点男じゃなかったのかよ!

 

(クソ…クソクソクソクソクソッ!!)

 

 なんであんなに動けるんだ。ブースターを増やせばその分繊細なコントロールが必要になる筈なのに、狭いアリーナで魚みたいにスルスルと…!

 

「ありえない、って顔してますね」

「あぁ!?」

「教えませんよ。時間もありませんし」

 

 逆光の中でも赤い目は歪な光を放っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリガー。キャノン砲とバトルライフルの夾叉で動きを封じ、バトルライフルを素早く連射して的確にダメージを与える。逃げようものならミサイル進路上で爆発させて足を止めてキャノンで叩く。

 

 壁に叩きつけられ、地面で跳ね、四つん這いに這いつくばる卜部先輩。

 

 余りにも一方的な展開になってしまった。観客もびっくり、先輩の取り巻き二人なんて真っ青だ。

 

 特別何かをした訳じゃない。練習なんて出来ないし、僕にはアホみたいな搭乗時間だけがアドバンテージだ。だけ、なんて言ったけどどれだけ乗ったかも重要なスキル。簪の好きなRPGに例えるなら一極振りの歪なステータスキャラってとこかな。更識さん曰くのセンスもあるらしいけど。

 

 きっと誰もが想像していなかったはずだ。病弱な一年の男が、健全な三年の女子を圧倒するなんて。

 

 卜部先輩はもう戦意を失いつつある。反撃しようと翻しても僕の射撃で足を止められ直撃コースだ。シールドを展開してもその手を狙って握りを緩めて弾く。銃火器もそう。でも肝心の(スラスター系統)は破壊しない。

 

 怒り心頭といった様子が、次第に苦虫を潰したような苦しい表情に変わり、今は犯罪者が警察から必死に逃げるような、今にも泣きそうな表情だ。

 

 許せないなぁ。

 

 僕はアンタの殴る蹴るにこうして面と向かって立ち会ってるというのにさ。命の危険を犯してまで、こうしてさ。

 

 本当に、許せないなぁあぁ。

 

「ははっ」

 

 いつか束さんが言ってた通りだ。くだらない凡人そっくりそのまんまじゃないか。学園の三年生ともあろう人がそんな人だってことも、そんな人に苦しめられたことも悔しい。

 

 丁度いいね、善人じゃないし、容赦なく叩く。

 

 弾切れになったキャノン砲をリリース。グレネードを代わりに展開して更に追い詰める。

 

 シールドエネルギー差は、残り時間一分で覆すにはほぼ不可能になりつつあった。

 

「くっそがぁぁぁあああ!」

 

 内部機関がチラホラと見える機体が最後のあがきに出てきた。右手にブレード、左手にマシンガンを握って弾幕の中を突っ切ってくる。

 

 グレネードからシールドに切り替える。左面にも同様にシールドを展開して、バトルライフルからショートブレードに持ち替え、迎え撃つ態勢を作った。

 

 シールド二枚を繋げてマシンガンの弾幕の中を突き進む。正面に向けていた脚部のミサイルを真下に向けて残弾をすべて撃ち尽くす。一定距離を直進すれば敵へと向きを変えるそれは下から卜部先輩を襲う。

 

 先の反省からか、照準をすぐにミサイルへ移した先輩はマシンガンで迎撃して全弾迎撃してみせた。

 

 その一瞬があればそれで良かった。

 

「んなっ……!」

 

 得意の機動でバックをとった僕はブレードを一閃。右脚部スラスターの燃料タンクに穴を開けると、あっという間に空になった。右脚をとられて上手くバランスのとれない先輩の顔面にシールドを叩きつける。

 

「ぶっ」

 

 胸のあたりにぶつけるつもりが顔面に叩きつけてしまった。女性の顔なので少し申し訳ない気持ちになるけど…まぁ、いっか。流れるように半回転して、シールドの辺の部分でお腹を切り裂くように振り抜く。

 

「ごっ、おえっ」

 

 唾液とそれ以外のものを撒いて地面に叩きつけられたあと、数回バウンドした先輩は地上でむせ返っている。吐くまいと耐えているに違いない。

 

 ブザーが鳴った。

 

 僕の完勝だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした。取り敢えず、おめでとうございます」

 

 ピットに戻った僕を迎えてくれたのは、管制室にいたはずの亜紀原さんだった。急いで来てくれたに違いない。

 

 ラファールから降りた僕は膝をついてうずくまった。もう限界だ。

 

「ごほごほっ、げふっ」

 

 身体中が痛い。もう指一本動かせそうにないし、先輩とは別の意味で吐き気を抑えてた。

 

「飲んでください」

 

 開いた口に薬が押し込まれて常温の水を流し込まれる。窒息したくない一心で飲み干した。これぐらいの吐き気なら、薬が効いてくればなんとか収まる。身体の痛みは…耐えるしかない。

 

「ありがと、、ございます」

「いえ」

 

 それ以上は何も言わず、抱えられて近くにあったコンテナに背中を預けられた。亜紀原さんは隣に立って僕と同じ方向を見ている。

 

「どうでしたか?」

 

 早速薬が効いてきたお陰で少し落ち着いて、考えるだけの余裕が生まれた。ぼやける頭で振り返る。

 

 とても……

 

「嫌な三分間でした」

「?」

「最初、昨日から始まる前にかけての僕は、先輩の行動がただ許せなかったんです。無抵抗の無力な人に手を上げることが、僕には理解できませんでした。でも……」

「気づいた、と」

 

 亜紀原さんの答えに、小さく頷いた。

 

 分かってしまった。

 

 最初は本当にムカつくからやり返したいとか思ってた。ただの意趣返しだ。ところが蓋を開けてみれば、卜部先輩は僕よりも操縦ができない人だった。ISというものをまるで理解していない扱い方に、ろくに武器も扱えない姿に、笑ったんだ。ひどく滑稽に見えて、ISに関しては自分よりも劣る人なんだと思ってしまった。

 

 ここはISの研究機関であり、操縦者等の養成機関。学校とは銘打ってあっても、実力社会なのは違いないと、束さんは言っていた。

 

 であれば、卜部先輩は僕にも劣る人間なんだ、性格も言葉使いも汚いし、とこの感情を正当化してしまった。

 

 その瞬間から復讐じゃなくなって、知らない何かにすり替わった。それがあまり良くない感情だと分かっても、それはとても楽しいもので気分が良くなった。口に出して笑ってしまう程に。

 

 でもそれは僕が成そうとしていた事じゃないって、ふと気づいた。俯瞰すればよく分かること。

 

 昨日の先輩とおなじことをしてるんだと気付いた。気付いていないふりをして僕を痛めつけた挙句暴言を吐くことと、執拗にいたぶって暴力に笑って身を任せること、何も変わらないじゃないか。

 

 そこに気付いたから、僕はもう一秒でも終わらせたくなった。身体に無茶な機動をとってまでして。

 

「あなたのその感情は決して間違っていない、むしろ人として正しい感情です。誰であれ、誰かから屈辱を受ければ復讐したいと思い、それが達成できるとなれば胸が空く思いをするもの。ましてや自分の方が上手であったとなれば歓喜もするでしょう」

「そんなものなんですか?」

「そんなものなんです。あなたが思っている数倍、人間という生き物は醜く、不器用だ」

 

 亜紀原さんの目が遠い。きっと僕の様な体験をしてきたんだろうか? いや、誰もが知っていることで僕が知らなかっただけだ。亜紀原さんの様な人なら、普通の人以上にそれを知っているだけのこと。

 

「まぁ知識としてお納めください。先の発言も、名無水さんが目指す姿には関係のないこと」

「……そう、ですね」

 

 間違いなく、僕は勝った。よくよく考えれば負けてばかりの人生で初めての白星がついたんだ。ただ、とても喜べるものじゃないってだけで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっそがああああぁぁぁ!!」

 

 ピットへ戻った私はイライラのあまり近くのコンテナを蹴り飛ばした。

 

 あんな、あんな男に私が負けた…?

 

 ありえない。

 

(大体、なんだよあの機動は!? 実習は全部見学するくらい病弱って話じゃん!)

 

 まず聞いていた話とは全然違った。二人目の男性操縦者、名無水銀は病室暮らしの病弱人で運動は出来ない人間だった、というのが学園生の共通認識で、これはマスコミが雑誌に取り上げたりもしている周知の事実だ。それが本当ならISに乗った事なんて精々超が付く簡単な実習か入試だけのはず。あんなに複雑且つ繊細な機動戦なんてできるはずが無い。三年生や代表候補生ですら怪しいレベルだ。

 

 つまり、私は負ける勝負を挑まれてそれを受けて、想像通り負けたって?

 

「ッ-----!!」

 

 あまりの苛立ちに声も出なくなった。

 

 私に恥をかかせて……っ!!

 

 そこへ取り巻きの二人がやっと来た。タオルとドリンクを奪い取って汗をぬぐい、水分を補給する。

 

 私の頭の中は復讐でいっぱいいっぱいだった。

 

「調べてきた、あの名無水って男」

「へぇ、なんて?」

「生徒会長の妹と同室らしいよ。警備と監視兼ねてるって。ソースは先生だから信じていいと思う」

「生徒会長の妹って……日本の候補生の?」

 

 生徒会長といえば、学園最強の称号を兼ねる学生。今は二年の更識楯無が務めている。どうやら日本有数の名家らしく、天才でありながら英才教育を受け、ロシア国籍を持ち専用機を任されるまさしく最強の人間。それが私達三年生も含めた見解だ。

 その妹なら、同じとは言わないまでも同程度の教育は受けているに違いない。候補生で専用機も持っているのが何よりの証拠。

 

 ならば、その二人がバックについた名無水銀は彼女らの庇護下にあることになる。

 

「じゃあ何もできないんじゃ……」

 

 取り巻きその二が呆れたようにうなだれる。バカじゃないの? これだから凡人はさ。

 

「今がチャンスなのよ、その姉妹揃っていない今が」

「「え?」」

 

 くふ、くひひっ。ひひひひひひひひっ。

 



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019 四日目/暗雲

ちょいと長いです


天井を見ればすぐに分かる。もはや僕専用となりつつある保健室のベッドで一晩明かしたようだ。断定出ないのは、またしても僕の記憶が曖昧だからだろう。

 

昨日の僕は卜部先輩との模擬戦を行った。上手くできるか不安だったけど、蓋を開ければなんてことは無くて、僕の完勝という形であっさりと復讐劇は幕を閉じる。ピットに戻ってから自分が感じた素の感情を亜紀原さんに聞いてもらったところまでは覚えている。

 

どうせその後にガタがきて倒れたに違いないや。

 

「はぁ」

 

溜め息をついて壁に掛けてある時計を見る。時間は……午前九時を指そうというところか。どうやら一晩眠っていたようだ。

 

「真夜中に起きるよりはいっか」

 

片腕を支えにして身体を起こし、ベッド脇のテーブルに置かれていた携帯を手にとって亜紀原さんに電話をかけた。

 

「おはようございます」

『おはようございます。気分はどうですか?』

「問題ないです」

 

身体の節々が痛むがこれくらいは問題ない。リハビリ中の筋肉痛の方がよっぽど辛かったし。

 

「それよりも昨日はありがとうございました」

『礼には及びません。やることをやったまでですので』

「でも、また運んでもらいましたし……」

『? ……あぁ、そう言うことでしたか。気絶されたと勘違いしているようですが、昨晩はご自身で保健室まで歩いて就寝されましたよ』

「え?」

『疲れと緊張で極限状態だったのでしょう。問いかけても殆ど反応が無かったので、余程疲れていたのだと思います。記憶が無くても不思議ではないでしょう』

「そ、そうですか」

 

そんなことがあったなんて。だめだ、全く思い出せない。

 

でも確かに言われてみればそうかもしれない。服装は制服じゃなくてISスーツのまんまだし、ロッカーのカギと携帯しかテーブルには置かれて無い。朦朧としてない限りは着替えもするしシャワーだって浴びるから……きっとそうなんだろう。じゃなきゃ怖すぎる。

 

『まだ保健室ですか?』

「はい。今起きたばかりです」

『ではお迎えにまいりますのでそちらでお待ちください』

「わかりました」

 

通話を切って携帯をテーブルに置く。どこにいるか分からないけど、五分から十分くらいはかかると見た方がよさそうだ。それまではなにをしようか……。

 

「あ」

 

ひらめいた。

 

勝手知ったる保健室を漁って見つけたのは濡れた布巾と乾いた布巾。

 

常々思ってはいたんだ、そろそろ右腕の卵を綺麗にしないとって。ここにきてから色んな人と話したり、色んな出来事が立て続けに起きて手入れが疎かになったから真っ黒になってしまった。生命維持装置代わりとはいえ、これは束さんからの借り物なんだから、ちゃんと綺麗にしておかないとね。

 

両足で濡れた布巾を挟んで丹念に優しく腕輪を拭き、今度は乾いた布巾を脚で挟んで水分を拭き取っていく。手首に面している部分やその付近は流石に難しかったけれど、それ以外の場所なら一通り拭き終わった。

 

「うぅん、なんかそんなに綺麗にならない」

 

来たばかりのころはまだ新品同様に綺麗だったんだけどな。こんなに汚れるようなことなんて……したね。腕がなくなるくらいのことはしたね。オイルもいっぱい触ったし、黒くもなるか、ごめんよ。

 

めいっぱい力を込めて擦ると少しは綺麗になったように見えなくもない。布巾は汚れてるから実際に綺麗にはなったんだろうけど……なんだろう、卵そのものが黒くなっているような―――

 

「おはようございます」

「おはようございます、亜紀原さん」

 

シャーっとカーテンが動く音と一緒に亜紀原さんが現れた。唐突でも挨拶は忘れない。颯爽と登場した亜紀原さんの目には珍しく隈が。

 

「寝てないんですか?」

「仕事です」

「すみません」

「いえ」

 

ごめんなさい、僕のせいです。

 

「今日はどうされるのですか?」

「昨日置いてきた荷物を取りに行こうかと。その後は勉強します」

「では行きましょう」

 

今の時間なら授業で誰かとすれ違うこともないはず。ササッと済ませて自室に戻ろう。特に卜部先輩とその他には会いたくない。

 

身体を起こしてスリッパに足を通す。ペタペタと学園では珍しい足音を立てながらアリーナの更衣室へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不思議ですね、何らかの方法でやり返してくるとは思っていたのですが」

「僕もそう思ってました」

 

無事に更衣室のロッカーから荷物を取り出した僕は、何も盗まれていないことを確認して制服に着替えて部屋に戻っていた。亜紀原さんも一緒に。

 

なんと間の悪い事に、卜部先輩とばったり会ってしまったのだ。

 

亜紀原さんの言う通り何かしらやり返してくると思っていた。手は出さなくてもせめて悪態をつくくらいはしてくるだろうと。結果は何も無かったんだけど。

 

一瞬だけ目が合って睨まれた。舌打ちの一つもなかった。珍しい。

 

何も無かったんだからいいか、と深く考えずに納得してペンを握る。

 

さぁて、残りの課題もさくっとすませてしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

両手の指を絡めて天井へ向けうーんと背伸びをする。長いことイスに座ったまんまだから身体のあちこちが痛いけれど、お陰さまでなんとか残りを片付けることが出来た。

 

亜紀原さんは報告してくると言い残してつい数分前に部屋を出たばかり。あの人の電話は長いイメージがあるから、戻ってくるまではしばらく時間が掛かるだろう。

 

……お腹すいたな。そう言えば夕食がまだだった。

 

「うぇ、何も無い」

 

備え付けの冷蔵庫を覗いてみても何も残って無かった。備蓄していた食料はいつの間にか胃袋に入れてしまったようだ。その時はそれで良いんだろうけど、こういう時は困るんだよなぁ。

 

戸棚を開くと簪さん秘蔵のお菓子が少しと、インスタント食品が幾つか残っていた。お菓子はさておき、インスタントか…。

 

「仕方ない、か」

 

最近は健康志向のインスタントやフリーズドライなるものが人気だけど、あまりこういう食品が身体に良いとはどうしても思えない。でも食堂も売店もとっくに閉まってるからこれ以外に食べる者が無い。

 

次からは気をつけようと心に誓って、一番身体に良さそうなおかゆとスープ春雨をチョイスして適当なカップに入れる。常備しているお湯を注いで混ぜれば完成だ。

 

「味が良いのが、なんだかなぁ」

 

美味いんだよ。だから嫌いになれないんだろうな、僕。

 

テーブルの隅に置いていたテレビのリモコンが目に入ったので、静かなのも困りものだからとテレビを久しぶりに付けてみた。今の時間は面白い番組が多い、らしい。

 

『今日でIS学園一年生の課外授業は四日目を終えようとしていますが、なんと! 少しだけ取材の許可が下りたので、カメラ突撃していきたいと思います!』

 

偶然にも簪達が向かったホテルが移ったと思ったら突撃取材らしい。それにしてもよく千冬さんが良く許したなぁ。学園には関係者以外は殆ど接触を禁じられているはずだけど……それを許してくれない要素が多いからかな。

 

聞けば例年に比べて圧倒的に専用機の数が多いとか。どう考えても織斑君が原因だね。がんばれ。

 

レポーターはロビーに入ってくつろいでいる学園生達にインタビューを敢行しては移動を繰り返し、なんとか目的の人を探そうと必死になっている。クラスの人も何人か映った。布仏さんが映った時はお腹を抱えて笑った。ホテルのラウンジで販売されているケーキの解説を始めたらレポーターの制止も振り切ってアレが良いコレがミソとか、普段からは想像もできない本職顔負けの饒舌ぶり。最後は谷本さんに引きずられていった。

 

番組を視聴しておよそ十分、ようやくお目当ての一人を見つけたようだ。

 

『ラウラ・ボーデヴィッヒさんですね?』

『ん? ああ』

『四角放送局の者です、今これ生放送中なんですけど、お時間いいですか?』

『日本のメディアか。まぁ、少しなら構わん』

 

きっとラウラさんの頭の中はこうに違いない。

 

日本のメディアが取材に来た

面倒くさい

だがここで断ってしまえば引率の教官に泥を塗ることになる。

すこしだけつきあってやるか。ここでしっかりと受け答えが出来れば褒めてもらえるかもしれないしな。ぐふふふふってところは流石に邪推かな。

 

『日本は初めてだと聞いていますが、もう慣れましたか?』

『そうだな。始めは色々と苦労したが、もう問題ない』

『因みにどんな場面で?』

『やはり文化の違いだ。特に食はそうだった。ハシという二本の棒で食事をするとは思わなかったし、生魚や腐ってネバネバした豆の臭いときたら……』

『あはは……確かに刺身や納豆は外国の方にとっては親しみのない食べ物ですよね』

『うむ』

『でもそう言えば……織斑千冬さんは大の和食好きで―――』

『それは知っている』

『特に納豆好きだった気が』

『なんだと!?』

『現役の頃に一度直接お話ししたんですけど、その時も言ってましたよ』

『ぐ、おお、おぉぉ……』

 

カッと目を見開いたラウラさんは両手で頭を抱えてぶつぶつと呪いの様に呟きながら膝をついてしまった。どうやら納豆好きがかなり効いたらしい。そういえば毎朝常に納豆が付いた定食を食べていた気がする。

 

レポーターが苦い顔をして十秒ほどでなんとか彼女は立ち上がった。日本中に凛々しい姿を見せることが出来たのだ。

 

『シャルロットーーー! ナットウを持って来い!』

『わぁ、どうしたのいきなり。これは人間の食べるものではない! って前言ってなかったっけ』

『そんなことは無いぞ? 私はナットウが大好きだ。なにせ教官の好物なのだからな』

 

震えながら走り去って行ったラウラさんがシャルロットさんと一緒に角を曲がるまで、カメラがしっかりと追っていた。

 

訂正、凛々しくない。むしろ身長相応の可愛らしい姿だよね、あれ。

 

「あ」

 

そんな二人とすれ違う様に現れたのは簪だった。

 

でも様子が変だな……いつも以上に下を向いてい歩いているというか、寂しそうというか……あれは、落ち込んでいる?

 

僕と本人の気持ちがレポーターに伝わるはずもなく、むしろお目当てが向こうから来てくれたと嬉々としてアタックを仕掛けるメディア。

 

慣れていない上に不意を突かれた簪は想像通り焦った様子だ。

 

『あの! 更識簪さんですよね!』

『えっ、あっ、はい……そう、ですけど』

『私は――』

『四角放送局の方ですよね?』

『そ、そうです。お時間は、よろしいですか?』

『ええ』

 

簪の立場的には、ラウラさんより断りづらいところがあるだろう。それでも落ち込んだ様子を隠してインタビューに答え始めた。聞きたがっていることなんて僕でも予想が付く。

 

『名無水銀の警護を担当されているとか。どんな方なのかお聞きしても?』

 

ほらね。

 

『銀、ですか? 身体は弱いけどなんだかんだで男の子、です』

 

ちょっと頬を染めながら言わないで誤解される! てか僕のことそんなふうに思ってたの? ちょっと恥ずかしいな……。あまり色々と話してほしくないんだけどなぁ。恥ずかしいのもあるけど、以前の親戚の人とか見てるだろうし、束さんが何をしでかすか分かんないし。

 

あ。

 

「イイこと思い付いた」

 

最近電話してないなって思ってたんだよねー。

 

充電中の携帯からコードを引っこ抜いて電話帳を開いてコール。僅かに残ったおかゆを啜りながら相手が出るのを待つ

 

『わっ』

『電話ですか?』

『い、いいですか。ちょっと急ぎなので……』

『え、ええ。ありがとうございました』

『失礼します!』

 

一瞬で表情を変えた簪に推されてレポーターは頷いてしまった。携帯を両手で抱えた簪は一礼だけしてバタバタとカメラの外へ去って行って……。

 

『銀!』

「やっ」

 

僕の電話に出た。嬉しそうに。テレビに映る彼女は一転して笑顔満点。

 

「テレビ見てたよ、あっという間だったね」

『だ、だって……電話久しぶりだし……』

「うん。邪魔じゃなかった?」

『むしろ助かった、ありがとう』

 

さて、困っていたルームメイトも助けたことですし、本題に入りますか。

 

「大丈夫? あまり調子が良くないみたいだけど」

『あぁ、うん……そうだね』

「どうしたの?」

『お姉ちゃんと、ちょっと……』

 

簪と更識さんが衝突、か。最近は仲良さそうにしていただけにちょっとびっくりだな。更識さんなら自分が引くかなんとか合わせようとするものだと思うんだけど、そうじゃなくて口喧嘩して真っ向から対立したってことは、余程の事があったんだろう。

 

簪が怒ったのか、更識さんが怒ったのか。

 

「聞いてもいい?」

『今は……待って。ちゃんと自分で解決してから、話すから』

「間に入ろうか?」

『大丈夫。これは、私がしなくちゃいけないことだから』

「そっか」

『銀は大丈夫? 怪我したり倒れたりしてない?』

 

うぐぉ、痛いところを突くなぁ。ぶっちゃけ安全に過ごすという約束を破っていることになるので怒られるのは確定であるからして……どうしよ。簪よりも織斑君の方が先に知ってるって聞いたら怒るを通り越して何をされるか分かったもんじゃないや。

 

「あはは……僕もちょっとあったけど、大丈夫だよ」

 

という嘘でも本当でもないグレーな言葉でごまかす事にした。日本語は便利だ。

 

『あまり、無理しないでね』

「うん。でもあと二日くらいすれば帰ってくるんでしょ?」

『……それが、そうでも無くて』

「そうなの?」

 

一般には公開されてない事だから、誰にも何も言わないでね? と代表候補生が口にしてはいけない前置きを置いて簪は説明した。

 

超の付く最新型軍用ISが暴走したらしい。所有国は直ぐに回収に向かうも全滅。そのISは暴走したまま姿を一度消して、もう一度現れた。現状の推測で最も有力なのが、IS学園一年生が今いるホテルを目指しているというもの。今簪のいるその場所が、攻撃対象の可能性があるとのこと。

 

日本政府と国際IS委員会はこの事態の収束に学園の専用機持ちを指名したらしく、先日発表された紅椿と引率していた更識さんの専用機を含めた八機が集まっているのだ。学生という身分を考慮しなければむしろ最適と言える。

 

ということで、戻ってくるのが遅くなるとのこと。一般生徒だけ予定通りに帰るのか、それとも一緒に残るのか、具体的な部分は未定だがそれだけは確定していると言う。

 

僕にどうこう言える問題じゃない。敢えて言うとすれば、仕方が無い。

 

「気をつけてね」

『うん』

「この後は?」

『またお姉ちゃんと話してみる』

「そっか、頑張れ」

『うん!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

携帯の電源を切ってポケットにしまう。

 

思わぬ応援に励まされた私はさっきとは打って変わって機嫌が良かった。我ながら現金だと思う。でも仕方が無いものは仕方が無いのだ。好きな男の子からエールを送られて嬉しくならないわけがない。

 

「よし」

 

声に出して気合いを入れる。相手はあの完全無欠の姉なのだ、勝てるとは思えないが挑まなければならない。先の会話を思い出して、一層気合いを込めた。

 

 

 

 

 

 

「簪ちゃん、名無水君と距離を置いてもらえない?」

「へ?」

 

呼びだされたと思ったら、お姉ちゃんはそんなことを切り出してきた。想像もしていなかったことだけに変な声が出てしまう。

 

頭に来たが、まずは話を聞くことにした。

 

「彼の過去の一切が不明だって話をしたのは覚えてる?」

「うん」

「なんとなく、つかめたわ」

「……あまり良い人じゃ無かったってこと?」

「何とも言えないわね。恐らくだけど、篠ノ之束博士」

「えぇ?」

 

本日二度目のすっとんきょうな返事はあまり耳に入らなかった。

 

束博士が、彼の裏にいる?

 

そんなまさか、と一蹴する事が出来なかった。

 

彼の生命維持装置と言う名のブレスレット。あれは現代の科学と医学では到底造れない代物だというのは見てすぐにわかった。そんな物があれば今の医療はもっと発達している程の技術レベルである。歩くこともできず、碌な食事もとれない、点滴とチューブで生きてきた人がある程度の人並みの生活が送れるように回復させたのだ。その科学力は不気味の一言に尽きる。

他には、鋼がISに詳しいという事だ。女性の物という認識のISに男性が関わることと言ったら、精々営業回りか技術職の人ばかり。それも中年が殆どで、同い年の技術者なんて女子であっても一人もいない。でありながら彼は本職の様に知識があり、手つきもそれだ。病院暮らしと言っていた彼は必ずISとの関わりがあった筈だとは睨んでいた。

これはもしかしたら違うかもしれないけど、織斑先生が彼に対して少し甘いように見える。身体の事を気遣っているのかなと思っていたけど、それとは違うものが見えた。なんだろう、親愛というか、友人への気遣いというか……。とにかく普通の生徒とも弟とも違う接し方に違和感を覚えたのは間違いない。

 

私が銀に対して不思議に思っていたことが、たった一人の存在で肯定出来てしまう。

 

生命維持装置は博士が造った。

博士と居たからISの知識と技術がある。病人だったころを博士が拾ったのだとしたら、以前口にしていた恩人は博士の事だ。

そしてその博士と親友の織斑先生なら詳しく知っているに違いない。何度か会っていると考えられる。

 

「思い当たる節があるのね」

「……それで、どうするの?」

「分からない」

「分からないって……」

「何とも言えないっていうのはそういうことなのよ。何かあれば更識は終わる、でも友好関係を結べるチャンスでもある。ただどちらに転んでも何が起きるか分からない」

「天災、っていうくらいだもんね」

 

そこで理解した。お姉ちゃんは、当主として危ない道は渡れないと言っているのだと。ほどほどのお付き合いであればまだ関係の薄さを主張もできるし、取り入る機会も捨てずにいられる。そこがギリギリのラインなのだと。

 

そこで振り出しに戻る。

 

「ソースは?」

「彼の親族を名乗る人物からよ。写真付きでね」

 

そういって渡されたのは数枚の写真。脚部だけのISを装着した骨と皮だけの様な銀と、紫色の長い髪を垂らしたグラマーな女性――篠ノ之束博士が並んで一軒家の前に立っている。他の写真ではポリタンクを撒いている写真だったり、放火している写真だったり、何かが詰まった段ボールを持っている写真だったり。どれもが二人一緒に作業していた。

 

「一家全員が交通事故で死亡した家に、謎の放火。唯一生きていた息子は病院にはおらず行方不明。そんなニュース覚えてない? タイミングは全て一致しているのよ」

「……それを信じるってこと?」

「一応はね。だから不確定なのよ、全部」

 

限りなく黒に近い白。

 

彼の親戚は誓って一般人だった。現像もその辺のコンビニでやったものだろう。その親戚とやらは金欲しさに情報を持ってきたらしい。彼が束博士と居たのは、たらいまわしにされた末だったんだろうか。

 

まぁその辺りはさておいて、私の結論としては――

 

「嫌」

「……簪ちゃん」

「立場があるのは分かってるよ、お姉ちゃんも私も。みんなが危険な目にあうかもしれないってことも」

「そうね」

「それでも、私は嫌だ。護衛だからとか、代表候補生だからじゃなくて、私は彼の味方でいたい」

「……私個人は同じ気持ち。彼はとても好感の持てる男性だって思ってるわ、今のご時世では見かけなくなった優良物件だとも。けど――」

「だったら銀をモノ扱いするのはやめてよ!!」

 

篠ノ之束とのパイプだとか、優良物件だとか、そんなものが彼じゃない。銀であって銀じゃない。私がお姉ちゃんのオマケじゃないって銀が言ってくれた通りのこと。

 

姉の言う事が組織として、当主の妹として正しく義務であることは分かっていても、耐えられなかった。

 

 

 

 

 

 

と言って飛び出してきたら捕まったんだけれども。そのおかげで元気が出たのだから良しと考えよう。

 

来た道を戻って階段を上がり生徒立ち入り禁止のエリアへ入ってお姉ちゃんを探す。予想通り、さっきの場所から動いていなかった。

 

「お姉ちゃん」

「……戻って来たの?」

「……さっきは、ごめんなさい」

「いいのよ、お姉ちゃんも悪かったわ。ごめんなさい」

 

ふふ、と笑ってぽんぽんと頭を撫でてくれた。

 

並んで壁に寄りかかる。銀の声を思い出しながら、私は口を開いた。

 

「お姉ちゃん」

「んー?」

「私ね、銀が好き」

「……そっか」

「大好きなの。だから私は離れない。もっと近くにいたい。振り向いて欲しいから。だから、信じて」

「………」

「心配しているのは不利益を被るかもしれないからだよね? でも私が上手く付き合えればそんなこと起きないと思う。銀が私に振り向いてくれれば博士は私を――更識を無下にはできない。そうすれば問題は起きない、お姉ちゃんにも更識にも絶対に迷惑はかからない」

「そうね、確かに上手くいけば丸く収まるわ。でも現実は思っているように事は運べないわよ? 名無水君も簪ちゃんも人間なんだから」

「大丈夫だよ。私が銀を嫌いになるなんてありえないから。銀が余所に行かないように、私だけを見させればいいだけだもん。左腕のこともあるし大丈夫だよ」

 

そうだ。私を助けて銀は腕を失った。一生の傷を私が負わせてしまった。だったら私が一生をかけて銀に尽くさなくちゃいけない。義手も、その他の生活も全て。

 

それに、私を庇ってくれたってことは十分に脈があると見てもいいと思う。

 

お姉ちゃんみたいにメリハリのあるモデル体型じゃないけど、まだ成長の余地はあるし、足りないなら他で上手くカバーして満足させてあげればいいだけだ。

 

「……それじゃあお姉ちゃん、信じてみますか!」

「本当!?」

「可愛い妹の頼みだものね」

 

仕方ないと言った様子のお姉ちゃんは、困ったように笑っていた。

 

「その代わり!」

「な、なに?」

「次に名無水君と会ったらちゃんと告白しなさい」

「ふぇ?」

「それもただの告白じゃなくて家に婿に来てくださいって事。あ、ちゃんとオッケー貰ってね」

「ふぇえええぇぇ!?」

「何驚いてるのよ? 簪ちゃんが言ってるのはそういう事でしょ? まぁ婿に来るか嫁に行くかはどちらでもいいけど」

「そ、そうだけど…」

「返事!」

「ひゃい!」

 

またしても素っ頓狂な返事をしてしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妹の言うことは理解できる。妹が立場と責任を理解している事も理解している。

 

だが、あやふやなままにすることも、今後を決めかねたままに時間を浪費することもできないのが現状だった。

 

名無水銀。彼は良い意味でも悪い意味でも更識にとってはジョーカーである。彼が篠ノ之束と関係がある可能性が浮上してきた時点で、私は彼の評価を改めた。

 

ISにおいて織斑一夏と同等がそれ以上のセンスを感じさせる女のような男。少々腹黒い面も見られるが、大人びた精神と性格は良好と言える。唯一にして最大の欠点が虚弱であることか。

いや、得たものに比例して身体が耐えきれなかったのかもしれない。そう思わせるほど彼は出来すぎている。きっと素晴らしい家庭に生まれたのだろう。

私が人として最高の評価を与えてもいいと思う程だ。妹が惚れ込むのは当たり前か。立場と状況が違えば私が彼を欲していたかもしれない。

 

彼自身は素晴らしい人間と言えるが、件の篠ノ之束はそうとは言えない。問題はここにある。

 

篠ノ之束は身内に甘い。とにかく甘い。それは先日の紅椿を見れば火を見るより明らか。彼を保護していたのなら身内扱いしていることはほぼ確実。そんな彼の妻になる女性は、自らしっかりと吟味するに違いない。

妹は少々内気なところはあるが芯は持っている。気遣いも料理も出来るし、女としては申し分無いと姉の私は太鼓判を押しているつもりだ。何より技術者の卵で話も合う所があるだろうし、気に入っては貰えるはず。

 

と思っていても恐らく意味は無いのだ。アレは人の物差しで測ってはいけない。これが不安の種。

 

もう一つは単純に本人達の問題。今は良くても時間が経てば気持ちが変わることもあるもの。何がきっかけで関係が変わるかなんて誰にもわからない。極端な話だが明日には喧嘩別れしてもおかしくないのである。

そうなればまたしても篠ノ之束と出番だ。名無水銀が良からぬことを吹き込めば必ずあの女は動く。そうなれば更識が受けるダメージは計り知れない。

 

この歪んだ社会を生み出した個人が最も恐れるべき相手というのは、この業界に身を置く者として常識。近親者に手を出して滅びた組織は五万とあるのだから。

 

要するに、篠ノ之束怖い、というわけね。

 

モノ扱いしないで。

 

妹はそう言うが、彼は私からすれば殆どモノに近いのだ。更識を高みへ導くくす玉なのか、地の底へ叩き落とす爆弾なのか。

 

結局のところ私は折れた。信じて、と言われたら信じるしかない。否定することも折ることも出来たが、それは私が信じる"妹はいい女"という泊を剥がすことになる。

 

というか私の言うことはもう聞かないとも思っている。

 

私はまだ心から好きになった男性が現れたことは無いし、恋愛とやらもしたことが無い。相手は選べないだろうと諦めすらある。だからせめて妹はと思っていた。

 

愛だろう、紛れもなく妹の愛の形だろう。男と姉と家族と組織と。自分ならば守れると、愛する男と共にいられると。

 

断言してもいいが、妹は彼に依存している。彼によって言葉巧みに誘導されれば、何でもする人形になる。人を殺せと言われれば殺すだろう、作れと言われれば作るだろう、抱かせてくれと言われれば差し出すだろう。

 

私は、妹が更識に牙を向けることが一番怖い。

 

正直なところ、二人がくっつくのは好ましくないのだ。

 



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020 五日目―暗転

急転直下。


私はかなり苛立っていた。

 

昨日はお姉ちゃんと喧嘩したりしたけども仲直りできたし、昼間の機体実験も上手くいった。何より久しぶりに銀の声も聞けた事もあって上機嫌なまま布団に入ったのに。

 

朝一の電話で全部台無し。思い返すだけでも頭にくる。

 

「更識さん、名無水銀との接触を控えてください。彼は暴力に快楽を見出すような危険人物なのです」

 

馬鹿馬鹿しい。銀に限ってあるわけが無い。虫一匹殺したことの無い彼が人に暴力を振るえるか?

 

断じて否。

 

銀は年齢に比して成長が遅い。上手な感情の処理が出来ていない様子が散見されたことから、まだ知らない事ばかりなんだ。人に手を上げる事や、仕返しする事、悔しくても耐える事、人を頼る事。

 

暴力も知らない銀にそんなことが出来るものか。

 

……やや攻撃的な銀かぁ。

 

『簪は悪い子だね。これはお仕置きが必要かな?』

『いたっ。痛いよ……噛まないで……痕がついちゃう』

『つけてるんだよ。逆らわないように、逃げられないようにね』

『あっ……』

 

とか? 両手両足抑えられて?

 

「……あり、かも」

 

普段は優しい銀が私のこととなると態度が豹変して、見えない場所に程よく"お仕置き"されるのが何故か容易に想像出来た。舌なめずりをしながら、獲物を喰らう獅子の目で、荒い息を耳に吹きかけながら首筋を舌先でなぞるように、べろぉ、と――

 

「っ!」

 

ぞわりと身体が震えた。想像しただけでこうなるのに、実際にそんな目にあったらもう、もう……。

 

いや、いや待て私。こんなのもあるぞ。

 

『銀、ダメじゃない。やっておいてって言ったのに』

『ごめん、簪』

『ダメ。前は許してあげたから今日はお仕置き』

『そんなぁ。嫌だよ僕、簪怖いんだって』

『仕方ないじゃない』

 

「だって、銀が可愛いんだもん」

 

はっ、となって口を両手で塞ぐ。周囲を見渡すが朝早い廊下には誰もいない。安堵のため息をついて思い返した。

 

銀が受け。攻めに比べたらギャップは無いが安定感はある。朝起きたら私に両手両足を縛り付けられて、はだけた服の上から指でなぞったり、時には覗かせた肌に爪や唇で痕をつけて、少しずつ脱がして傷物にしていく。

 

私が苛虐的になるところは想像出来ないけど、銀が頬を赤らめて抵抗しつつも気持ち良さそうに受け入れる姿はやっぱり容易に想像がつくのはどうしてだろう。

 

というところまで考えて正気に戻った。

 

何を考えてるんだろ、私。縛るとか縛られるとか。しかも人気がないとはいえ同級生が泊まっているホテルの廊下でなんて。

 

これはお姉ちゃんのせいだ。昨日銀を婿に迎えるとかお嫁に行くとかそんな話するから変になってるだけだ。うん。あと倉持も。

 

でも倉持の人の不安も分からないわけじゃないのだ。世間一般からすれば、IS関係者でさえ銀の情報は公開されていない。義務教育を病院で過ごしたり、一年前までは完全に失踪状態。どんな機関でも足取りを掴めないのは不気味の一言に尽きる。

 

彼等には銀が居なくても織斑一夏という最高の人物が既にいる。得体の知れない男性操縦者は必要ではないと言うことか。

 

冷静になって考えればわかる。厄介事は欲しくないのだ。

 

その事実が狂っていた頭を怒りに引き戻す。

 

織斑一夏は確かに出来た人間だろう。聞けばかなりの朴念仁だが、今のご時世では化石レベルの正義感を持っている。加えて女性顔負けの家事スキルまで付いてくるとなれば二乗してもお釣りが来るくらいか。

 

だからと言って銀が劣る訳では無いことを、私は知っている。

 

くだらないダジャレなんて言わないし、気の利いたジョークで笑わせてくれる。私とお姉ちゃんの間も取り持ってくれた。料理やお菓子までお手の物。華奢だけど容姿は人気のアイドルみたいに整ってる。何よりISにかなり詳しい。

 

ただ他人より身体が弱いだけでここまで言われるなんてあんまりだ。

 

だから。

 

「私が…」

 

変えてやる。要は名無水銀という人物が好印象であると周りに認めさせればいいのだ。世間知らずなところも、持て余している感情も、ちょっとした社会常識まで全部。私が銀に教えてあげればいい。

 

今の銀は真っ白な紙に三色ばかりの絵の具が垂らされただけで絵にすらなっていない。そこに新しい絵の具を増やして、筆をとって自分らしい絵を描いてほしいのだ。

 

それが銀の為。真っ当な評価を受けられれば、織斑一夏と比較され貶されることもないし、名無水銀として見てもらえる。

 

それが出来るかどうかは私の匙加減次第。

 

旦那()の将来が()にかかっていると言うのはどの世界でも変わらない事実だ。

 

………自分で考えておいて照れてしまった。

 

「えへへ」

 

そうだよ旦那なんだよ? 私奥さんになるんだよ? 結婚だよ結婚。

 

ずっと女子校にいたから男の子と縁なんて無かったのに、卒業して入学して、たったの半年で恋をしてお姉ちゃん公認で番になれる。

 

「あは」

 

私が銀にいっぱい色んなことを教えて銀は私好みの彼になる。

 

私は銀に似合う、虚弱な彼を支えられるようなより良い女になる。私は銀好みの女になる。

 

「えへ、えへへへ、あはぁ」

 

また一転して、私は狂ったように笑う。火照った頬を覚ますように手のひらを添えて。

 

「えはあははあはははははあはぁ」

 

狂ったように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は……というか今日も本の虫だった。課題は終わったんだけど、お陰でやる事が無くなったからだ。掃除もしたし、洗い物も片付いてる、部屋は散らかす人がいないので常に整理整頓されてるし。

 

最初は簪のお気に入りアニメを見てたんだけど、DVD一本見終わった頃に疲れて今に至る。

 

手に持っているのは今朝の新聞だ。一面にはやっぱり学園一年生特集ということでどーんと専用機持ちが写されている。昨日聞いた軍用機の暴走はどこにも載っていないのは、簪が言う通り極秘だからかな。

 

お馴染みとなりつつある椅子に腰掛け、読む予定の本を数冊机に積み上げ、温かい自販機のお茶を片手にゆったりと過ごしていた。

 

勿論、亜紀原さんも一緒だ。

 

ちなみに今僕が読んでいるのは最近話題の小説で、亜紀原さんはイギリスの高級志向なファッション雑誌。どうやら英語も難なく読めるらしい。

 

物語も終盤に差し掛かってきたところで、右手をペットボトルへ伸ばす。

 

「ありゃ」

「どうかしましたか?」

 

軽い手応えから中身が空っぽになったことを察して変な声が出てしまった。亜紀原さんが不思議そうに尋ねてくる。

 

「お茶が無くなったみたいで」

「買ってきましょうか?」

「うーん」

 

三時間ぶりに会話らしい会話をしながら身体をほぐす。カチコチに固まっているらしい。

 

「身体動かしたいので自分で行きます」

「そうですか。私も同行してよろしいですか?」

「勿論です」

 

どうせなら少し休憩にしようかな。読んでばかりだと疲れるし。

 

読んでいた面を伏せ立ち上がる。

 

その動作を遮るように、目の前に温かいお茶のペットボトルが差し出された。

 

「……卜部先輩?」

「どぉも」

 

差出人は、イチャモンをつけてきた卜部先輩だった。今日はいつもの取り巻きがいない。一人らしい。

 

「どうされました?」

「いや、ちゃんと謝ってなかったなーって」

「え?」

「だから差し入れ。そっちの人のもね」

「あ、ありがとうございます」

「じゃ」

 

二本受け取って、ぼーっと背中を見送る。いきなり現れては風のように本棚に消えていった。何だったんだろう。

 

「何だったんでしょうね」

「さ、さあ」

 

亜紀原さんが僕の気持ちを代弁してくれたけれども、僕も困惑しているので返す言葉がない。恐らくお詫びの品に当たるお茶を二つ手渡して帰ってしまった。言葉通りに受け取るべきなのかな。

 

取り敢えず一本は亜紀原さんに渡してもう一本は貰うことにした。せっかくの好意だし、受け取っておこう。それに買いに行こうとした矢先だしちょうど良かった。

 

腰掛けて一口。喉を潤したところで閉じたばかりの新聞を手に取った。

 

 

 

 

 

「起きてください」

 

ハッキリとそう聞こえた。言われた通りに身体を起こすと、僕は机に突っ伏していて、亜紀原さんは僕の肩に手を置いて立っていた。

 

いつの間にか寝ちゃってたみたいだ。

 

「す、すみません。居眠りしてたみたいで」

「いえ、私も気づいたら眠ってしまいました」

「珍しいですね」

「恥ずかしい事です」

 

この人はとても真面目な人だなーって思ってたんだけど、そんな人でも居眠りしちゃうんだ。空調が効いて過ごしやすいし、冷房の効き過ぎで寒い冷えた身体にお茶が効いたのかもしれない。

 

時計は寮の門限の一時間前を指していた。閉館時間も近いし丁度いいころあいだ。

 

「部屋に戻りますか」

「そうしましょう」

 

特に反対されることもなく寮に向かう。途中で亜紀原さんとは挨拶をして別れ、がらんとした一年生寮へ。一階の端にある自室の鍵をポケットから出して遊びながら歩いた。

 

誰かに会うこともなく部屋に辿り着き、鍵を開けて入る。

 

「ただいま」

 

誰も居なくても癖になった言葉を口にして電気をつけた。

 

「え?」

 

頭が理解を拒む。

 

僕の部屋はこうだ。手前に簪の机やベットがあって私物スペースがあり、奥には同じような間取りで僕のスペースがある。ただ僕のスペースの方が少し広くて、点滴台とか血圧計とか色々と置いてあるんだけども。

 

僕の目は、荒らされた僕の私物を捉えていた。

 

割れたマグカップ。

 

破かれた教科書。

 

焦げたノート。切り刻まれたノート。

 

インクが漏れたボールペン。そのインクで汚れたカーペットと机。

 

備え付けのパソコンはディスプレイにヒビが走り、キーが幾つか飛び散っている。

 

木屑を撒き散らした本棚。

 

そして……。

 

「あ」

 

家族の、形見。

 

妹が自分で既存のぬいぐるみを切って縫って作ったオリジナル作品。ブタウサギとそなまんまな名前のぬいぐるみは、綿が内蔵や血液のように飛び散り、全身を切り刻まれ、鼻と耳は床に転がり、目が糸一本で辛うじて繋がっていた。

弟のヒーロー物の人形は全ての関節で切り離され、所々無かったはずの穴があり、抉られ、欠片がそこらじゅうに落ちている。

父さん手作りのガラス細工は粉々に砕けて砂糖みたいになってた。砂場のように山になって。

母さんが編んでくれた、冬に簪と使いたいなとか思ってたマフラーは、元が何だったのか分からなくなるように糸になって散らばっていた。ベットのシーツの上に、カーペットに、ゴミ箱に。

 

「え、あ? はぁ?」

 

目では見えてる。何が起きたのか、どうしてなのか。だいたい検討もつく。

 

ただ、理解してはならないと頭がそれだけを拒む。理解してしまったら、きっと僕は僕を■■■しまうと。

 

「あ、ああ。ああああああああああああああああああああぁ」

 

もう無いんだぞ。

 

退院祝いにと用意してくれていた物以外、何も残ってないんだぞ。

 

一度しか寝そべってないベットも、指紋一つ付いてない最新型のPCも、お泊まり用の布団も、妹と弟のオモチャやぬいぐるみも、姉さんの医学書や僕に着せようとしてたレディースの服も部屋に散らばっていた下着も、両親の趣味の小物や花も、名前入りのマグカップとかシャンプーとか靴とか車とか家とか全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部、ぜんぶ。

 

焼いたんだぞ?

 

「は、はは」

 

帰ってこない。返ってこない。

 

家族が死んだ場所も知らない。墓も知らない。骨も残ってない。

 

僕を繋ぎとめてくれた全部、退院祝いに詰め込んだ。

 

それが? これ?

 

「あはははははははははははははひひひははははは」

 

ありえない。嘘だ。嘘だろ嘘だよね嘘だと言ってくれよちくしょう。

 

………。

 

……………。

 

嘘だって言ってよ、誰か。

 

認めるしかないじゃないか。

 

「あはは」

 

狂ったように笑いながら、大粒の涙を零して、右手で遺された髪飾りと簪をそっと包みながら、膝をついて嗚咽を漏らした。

 

「ははは」

 

狂ったように。

 

 

 

 

 

やっと落ち着いたのは門限を二時間過ぎて、消灯を一時間過ぎた頃。

 

状況を把握できるだけの余力が生まれてきた僕は、誰の仕業なのか、何故か、どうやって侵入したのかといった犯人探し―――ではなくて、誰かにとにかく話を聞いて欲しくて、助けて欲しかった。

 

家族が病室の中の僕にとって全てだった。失って、その穴を埋めてくれたのは束さんとくーちゃん。そして簪。

 

それでも遺品は僕が父さんと母さんの息子だったこと、姉さんの弟だったこと、妹と弟の兄だったことを教えてくれる世界最後のモノだった。それは僕が思う以上に心の支えだったらしい。

 

だから助けて欲しかった。束さんが拾ってくれたみたいに、心の隙間を埋めて欲しかった。

 

息を荒くして携帯を取り出し、電話帳を開く。登録された順に表示された一番上、"篠ノ之束"に電話をかけた。

 

繋がらない。

 

もう一度かけた。

 

繋がらない。

 

次こそはとかけた。

 

繋がらない。

 

何度も何度もかけた。

 

繋がらない。

 

何度も何度も何度も何度も何度もかけた。

 

繋がらない。

 

「なんで……なんでなんだよ……でてよ! 束さん出てよ!」

 

不在通信が五十を超えたあたりでようやく出ないと気づいた僕は悪態をついて束さんに電話することを諦めた。

 

ガリガリと頭を掻きながら相手を変える。くーちゃんは束さんと一緒だろうし、きっと携帯にかけても繋がらないだろう。固定電話もない現状、音信不通と大差ない。

 

簪。

 

お願いだよ。

 

君にはたくさん迷惑をかけてると思う。左腕を失ってからは特にそうだ。でも、もし君に僕の事を想いやってくれる気持ちがあるのなら、助けて。

 

君は君が思っている以上に、僕にとって大切な人なんだ。自惚れかもしれないけど仲良く出来ていると思ってるし、君が僕に対して特別な感情を抱いていることも何となくわかるんだ。それは、僕が君に抱く気持ちと同じだから。

 

更識さんは依存だ、と吐き捨てるかもしれない。例えそうであっても僕の気持ちに変わりはないんだ。

 

だから……!

 

二桁を超えた頃、コール音が途切れた。

 

「かん――」

『しつこい! もう掛けないで! 私は――』

 

罅だらけのガラスが激しく割れる音がした。破片が身体中に突き刺さって、内側から食い破るような痛みを与えてくる。破片はガジガジと僕の心を喰い散らし、力が抜けた僕は携帯を落としていつかこけた時のように体全体で床を打った。

 

電話から何か聞こえる。僕の名前らしい音を発している。

 

きっと何かの間違いだろう。それまで誰かが簪に電話をしつこくかけていたんだ。それが鬱陶しくてあんなことを言ったんだそうだそうに違いないだってもう掛けないでって言ってたし。

 

じゃあ誰が? 大人しい彼女が声を荒らげるくらいかける奴いるのか?

 

「……ぼく?」

 

あぁ。そうかもしれない。いっぱいかけたし。

 

じゃあ束さんは? しつこくてしつこくて、面倒になって出てくれないのかな。

 

それじゃあ僕はどうなるんだ? 家もない、家族もいない。引き取ってくれた人や仲がいいと思ってた人には見捨てられて。

 

僕は弱い。一人じゃ生きていけない。誰かが助けてくれないと、満足に歩くことも食べる事もできない屑人間だ。

 

「……あぁ、そっか」

 

だから僕は、捨てられたんだ。

 



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021 5日目―

妹が酷い顔で泣いていた。見ていられないような、恐ろしい顔で。

 

「おね、ぢゃ……あぁ」

 

要点を得ない単語とうめき声が混ざった会話を続けて何とか分かったことは、名無水銀との間に何かあった事だけ。

 

何があったの? と問いかけても――

 

「違う違う違う違う違う違う違うの。ねぇホントだよ? 私そんなこと思ってないよ? 何でも言うこと聞くから信じて。信じて、信じて信じて信じて信じて信じて信じてよおおおおおぉぉぉお!」

 

――突然錯乱して落ち着ける所から取り掛からなければならない。どれだけ落ち着かせても、いざ核心に迫ると同じように取り乱す。

 

かなりマズイ状態だ。時間がかかればかかるほどドツボにハマって抜け出せなくなる。何とかして本人に解決させなければならない。

 

鍵は、名無水銀という男のみ。

 

対する私はここから動くことが出来ない。妹からこれ以上情報を引き出せない今、学園に残った駒を動かすしか無かった。丁度信用に足る従者が一人いる。

 

携帯を取り出して電話をかける。

 

「虚」

『はい、遅い時間ですがどうされました?』

「急ぎ。名無水銀に問い詰めなさい、家の妹となにがあったのか」

『了解です。既に消灯時間を過ぎていますので時間はかかりますが』

「最速」

『はい』

 

手は打った。これ以上駒を動かすのは逆効果になりかねない。

 

「あぅ、あ、あ、えぁ」

 

獣のように呻く妹を力強く抱きしめながら、自分の無力を呪った。

 

やはり妹の交際を認めるべきではなかった。二人の……少なくとも妹は私の想像を超える程依存している。この様は麻薬を切らした薬物者によく似ていた。幻覚が見えてもおかしくないような狂い様。焦点が合わず目がグルグルと回り、唾液がダラダラと垂れる。

 

人に怯える小動物のような可愛らしい姿はどこにも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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目が覚めた。大の字になってふかふかのカーペットに寝そべっていた。

 

上半身を起こす。部屋は強盗でもここまで荒らさないでしょってくらい荒れていた。ベットの基礎部分も、シーツも、内装の全てが、水周りに家電、窓ガラスまで、消えていたり壊れていたり、高級ホテルのスイートルームは影も形もない。

 

「何が……」

 

立ち上がる。そこで僕は一番の違和感に気がついた。

 

右手が手袋を嵌めている。しかも真っ白じゃなくて幾つかのボロきれを縫い合わせたような模様の。でもサイズはピッタリで僕のために作られたようなフィット感。

 

「何だ……これ…」

 

何かが起きた。今も何かが起きている。

 

僕は玄関の姿見へと足を向ける。奇跡的に姿見は全損しておらず、所々欠けているものの全身を見るという機能は果たしてくれた。

 

ボロきれと剥き出しの機械を中途半端にまとったISが、立っていた。

 

僕が右手を動かすと、鏡が合わせて動く。首も足も同じだ。

 

継ぎ接ぎだらけの組み立て中のような機体を僕が操っていた。

 

僕の記憶が正しければ、部屋に帰ってきて荒れていた事に驚いて壊れて……。目を覚ましたらこうなっていた。うん、おかしい。

 

どうしよう。タダでさえ粉々だった遺品が跡形もなく消えてしまっている。荒らした誰かも手をつけなかった簪の私物もぐちゃぐちゃだ。説明しろなんて言われても無理だ。

 

気絶する前よりも詰んだ現状に呆れて声も出ない。もう死ぬしか無いんじゃなかろうか。

 

「はぁ……」

 

ため息をついて壁に寄りかかる。天井を見て、もう一度ため息を漏らして視線を戻した。

 

「ッ!?」

 

額に突きつけられる冷たい感触。それは銃口。オルコットさんのブルー・ティアーズにそっくりな、けれどもボロボロのビット兵器が僕の額を狙っていた。

 

硬直する身体を奮い立たせて床に転がる。一回転してビットを睨み、ハイパーセンサーで探りを入れた。

 

「えっ……この機体の武装?」

 

型式番号が若干文字化けして表示され、武装欄の一つと一致。間違いなくビットはこの機体の武装だった。

 

わ、訳が分からない。だってさっき起きたときはこんなもの無かった。上を向いた一瞬で現れて僕に狙いを定める自分の武器ってなんなんだよ。

 

一先ず警戒心を解いて腰を下ろす。ビットは格納した。

 

さっきよりは落ち着いたし、ゆっくり考えてみよう。

 

これは確かにISだ。機体名や武装など細かな情報は全て文字化けして読むことが出来ない。ハッキリと分かるのは"生体再生機構"が搭載されていることだけ。さっきのビットも格納したはずなのに拡張領域には無いし、姿見みたらなんかさっきより機械の面積広くなってるし。

 

コアはどうだろ。ナンバーは……468? どこの国にも所属しない、世界に登録されていないISという事になる。そんなものが何で、と考えた矢先に解を得た。

 

右手には黒ずんだ腕輪ではなく、宝石のように輝く石を埋め込まれた赤と黒が混じりあうブレスレットが。

 

間違いない、卵が孵化したんだ。だから機体を作ろうとして無理やり部屋の中にある家電や内装まで取り込んでなんとか形を作ろうとして継ぎ接ぎになったのか。関節や機械部分を守るように巻かれている布はよく見ればベッドのシーツやマフラーの糸だったりしてる。

 

こんな時に孵化するなんて……ごめんね。きっとさっきの絶望感で経験値を満たしてしまったんだ。もっと素晴らしい事を学んで欲しかったけど、今の僕はそんな事を口にする元気も希望もない。

 

世の中に善がいっぱい溢れてるんだよ、なんて口が裂けても言えなかった。

 

取り敢えず……。

 

「どうすれば、いいんだろう」

 

お先真っ暗だ。

 

束さんとは音信不通或いは鬼電で呆れられている。簪に至っては直接くどいと切り捨てられた。家族の形見は粉々。部屋もボロボロで何故か孵化したISだけが手元にある。

 

機体のお陰で身体は動く。でも動かしてどうする? 何をする? 行き先も帰る場所も無い。目的も無い。無い無い尽くしだ。

 

生きる意味なんて、どこにも……。

 

「いや」

 

一つだけあるじゃないか。これから先どうなろうが、形見を滅茶苦茶にしてくれた犯人は懲らしめてやりたい。端的に言えば殺したい。関節の一つ一つを刻んで、おろし金で指からゆっくりと削り、髪を引っこ抜いて剃って、最後には全身をかんなでスライスしてやりたい。

 

そうと決まれば寮に行こう。どうせアイツしかいない。差し入れなんておかしいと思ったんだ。

 

ゆっくりと立ち上がってドアを開けた。

 

「うわっ! あ、亜紀原さん!?」

「その声は……名無水さんですか?」

 

驚いたことに、亜紀原さんがドアの前に立ってビックリした様子で僕を見上げていた。あ、IS装着したままだ。機体を解除して向き合う。

 

先に彼女の要件を聞くことにした。

 

「な、何か御用ですか?」

「ええ、まぁ。来ていただきたい場所がありまして」

「僕に?」

 

無言で亜紀原さんが頷く。

 

「その機体、そして部屋の惨状。ある程度はお察しします。その貴方に、来ていただきたいのです」

「……どちらに?」

 

ふっ、と彼女は微笑むと眼鏡外して胸ポケットに収め、髪ゴムを解いて長い髪を広げてこう言った。

 

「オレ達のアジトに、さ」

「アジト? オレ達って……どうしちゃったんです?」

「アタシはこっちが素なんだよ。んで、どうする? まあ来るしか無いんだけどな」

「な、何でそんな……」

「飯はどうする?」

「え?」

「寝床は? 風呂は? トイレも無いな。ここまで散らかして今まで通りなんて虫のいいこと、お前は考えたりしないよな?」

 

そうだ。ついさっきその壁にぶち当たったじゃないか。文字通り僕は全部失くしてしまった。生きる術が無い。

 

でも、亜紀原さんは怪しい。とても護衛には見えない。まるで知っていたかのようなタイミングで僕の部屋に来て、それが目的だったかのように僕を誘ってきた。

 

つまり、日本政府の人間ではない。僕を狙って潜入してきた誰か。

 

それでも僕は受け入れるしかない。

 

「……目的と何者かを教えて下さい。あと一つ条件を呑んで貰えるなら」

「カカカ。保護してもらう立場で要求たぁ肝が据わってんな」

「死んでもいいんですよ? 生きている方が都合が良いんでしょう?」

「まぁな」

 

すっと差し出された手を握る。初めて会った時、やけに現場の手をしているなと思ったらそういう事だったんだ。

 

「国も亡く、種族も亡く、己の為にそこに有る。ようこそ亡国機業へ。組織随一のIS部隊スコールチームのオータムだ」

「宜しくお願いします」

 

簪のアニメで見た事のあるようなシーンだなって、ぼやけた頭で思った。仲間だと思っていたキャラが実は敵のスパイで、目の前で裏切って、最後は仲間達に殺される。或いは家族をみんな殺されて、少年兵に身を落とすしかなかった子供。そんな感じ。

 

どちらかと言うと僕は裏切られた側だけど、きっと最後はそう大差ないんだろう。こんな手段を取る組織だ、真っ当じゃない。

 

でも仕方ないじゃないか。何も無いんだ、真っ白なままで生きていけないなら汚れるしかない。

 

「取り敢えず一仕事してから行くか」

「え?」

「え? じゃねぇよ。殺るんだよ、お前が」

「やる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「卜部ー」

「どうしたの?」

「いやそれが部屋から出てこなくて」

「卜部が?」

「うん」

 

いつもの様に朝起きて、朝食に誘おうと何度もノックするが一向に出てくる気配がなかった。普段なら五月蝿いと言いつつもニヤけた顔で出てくるんだけどな。面倒な性格をしてるけどそういう所が可愛いし、良さだと思ってる。

 

腕時計を見る。そろそろ出てきてくれないと余裕を持って食べれなくなりそうな時間だ。仕方ない。

 

「開けるよー」

 

一際大きな声で宣言してドアノブを回す。鍵は……掛かってなかった。

 

赤い。紅い。あかい。そして滅茶苦茶な部屋がそこにはあった。内装まで剥げ、家電はボロボロ、ノートは焦がされ、食器は割れ、大事にしていたであろう化粧品やアクセサリーは真っ赤に染まり粉々に砕けている。

 

そして臭い。月一のアレと似たようなニオイが、鼻の奥をガンガン攻めてくる。気を抜くと気絶してしまいそうな悪臭が。

 

私も、さっき合流した友達も言葉を失った。

 

逃げなければ。

 

身体はそんな本能とは真逆の動きをとる。一歩。また一歩。部屋の奥へと進んでいく。

 

ベットは二つあるが、卜部のルームメイトは退学したので実質一人部屋だ。彼女は奥のベットを使っていたはず。

 

だというのに、彼女のベットで寝ていたのは卜部じゃなくて、赤い塊だった。

 

何となく輪郭や全体像で人間のようなカタチをしていることは分かる。だが、およそ人間と呼ぶには色々なモノが足りなさ過ぎた。

 

右手にあたる部分は解体されて、繋げられている。指の関節、手、手首、肘、肩と切り離されて、それをわざと一センチほど隙間を開けて繋がっているように見せていると言うのが正しいか。

 

左腕らしき細長いものの周りには真っ赤な大根おろしが山積みに。爪も、所によっては骨まで見えても、綺麗に綺麗に細く長くおろされている。

 

足もあしも、あし、あ、しがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三十二本のアームを同時に操る。凡人では到底不可能なそれをいとも容易くこなす。天才故に。アームはそれぞれが工具を持ち、目の前の真紅の機体をひたすら改良している。

 

紅椿。私が心血を注いだ四機目のIS。より妹にあった機体へと変化させていく。全ては妹と親友の弟の為。

 

アメリカ・イスラエル間共同開発の軍用IS銀の福音。これを暴走させ、撃墜するは新型二機を操る若武者二人。妹のデビュー戦には持ってこいなシチュエーションだ。

 

しかし気を抜くなかれ。箒ちゃんが少し浮かれているのは予想済み。隠れあがり症なのも熟知している私は、そんな妹を最大限フォローしてくれるように、今回に限ってマニュアル操縦の割合を減らす設定に書き換えている。

 

自作自演のショーとはいえ、役者は私の思うままに動いてはくれないし、機体性能は(私の作品を除けば)世界最高の機体なのだ。全く油断ならない。

 

「くーちゃん、大丈夫かなぁ」

 

事情があるので表に出てこれない同居人はちゃんと一人で生活できているだろうか? と考えて無駄な事だとすぐに頭から追い出した。彼のお陰もあって生活能力は私よりも高い。多分私の方が心配されてる。

 

「ん?」

 

白衣のポケットで何かが揺れている。取り出してみるとそれは何個目か忘れた携帯で、銀からの着信が来ていることを示していた。

 

「おおっ。久しぶりだなー。どんな感じかなー」

 

たまに掛けてくれるこの電話が地味に楽しみだったりする。気になる女の子がいるんだー、なんて言われた時は顎が外れそうになるくらいビックリした。早すぎ。美味しく頂いた? って聞いたら全力で否定されたので健全なお付き合いをしているようだが。果たしてどんな相手なのか。今日こそ問い詰めてやる。

 

意気揚々と二つ折りの携帯を開いて通話ボタンを押す。

 

「ありゃ」

 

それと同時か或いは先か、バッテリー切れでウンともスンとも言わなくなってしまった。試しに振ってみても、電源ボタン長押しでも画面に電気が入らない。

 

「あーー、そういや一昨日から充電してないなぁ」

 

やってしまった。全く使わないからつい忘れちゃうんだよね。電話なんてほとんど来ないから気にしないけど、ちーちゃんがどうしてもって言うから持ってるだけだし。でもこういう時は困るんだなぁ。

 

うーん……電話したいけど今は紅椿仕上げないといけないし、てか充電器無い。今時の学生が持ってるはずもないしなぁ。かけ直すのは帰ってからになりそう。後で謝らないと。

 

心の中で謝りつつ作業に戻った。

 

 

 

 

 

この時、私がはっくんの気になる人を探してでも彼に連絡を取っていたら、携帯をもう少し早く開いていたら、充電してれば、あんなことにはならなかったのに。

 



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022 8日目\

六日目と七日目は何も無かった。というのも、銀の福音を捕らえる為に待機しているのに肝心のISが消息を絶っているからだ。これではどうしようもない。緊張状態のまま二日間を終えた。

 

私はと言うと少し落ち着きを取り戻した。銀にまさかあんなことを言ってしまうなんて……と今でも後悔しているが、なんとか自分を落ち着けた。優しい銀ならしっかり謝れば許してくれるから。

 

しっかり謝ること。その上で結果を受け入れること。許してもらえれば今後気をつければいい事だし、許さないと言われれば少しずつ償いをしていくしかない。

 

自惚れに聞こえるが、銀は私の事を特別に思ってくれている。男女のそれかはさておき、護衛やルームメイトとして、何より学園生では一番彼の事を理解している自信があるし、信頼を得ている。本来ならあんな言葉を吐いていい相手ではない。

 

その為にもこんな事さっさと終わらせて帰りたかった。

 

「簪ちゃん、来たわよ」

 

どうやらそのチャンスが早速巡ってきたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「あは、アハハハハ」

 

遠目で少年を見る。またしても周囲から部品を集めては形を整えていく不気味な機体を纏い、出来損ないの幻想に縋っていた。

 

心の支えであった更識簪と入れ替わるように潜入してはや一週間。あっさりと手駒にすることが出来た。スコールの読み通り、更識という盾を失った名無水銀は女尊男卑という迫る壁に押しつぶされ、無駄に理性を残して壊れてしまった。

 

上級生からのいじめ。それがいじめということに気づかない未熟な精神。そして形見。

 

いじめってのは二択だ。やられたい放題か、やり返すか。そしてやり返した後に報復があるか、否か。

 

名無水銀はやり返した。そして形見を含めた全てを壊し尽くされた。

 

その後は電話で何か揉めたのか、時折狂ったように叫び、最後は言葉も失って気絶した。

 

心にポッカリと大きな穴が空いた奴に付け入るなんざ朝飯前だ。

 

「調子は?」

「ぼちぼち」

「そう」

 

バスローブを纏ったスコールとやり取りする。内容は勿論、彼についてだ。

 

男性操縦者の存在が明るみに出るもっと前。およそ一年ほどか。日本の中でも指折りの実力を持った構成員が一度に二人も亡くなった。二人は夫婦の関係にあり、子供も四人と恵まれ、反社会的組織に身を置きながらも人並みの幸せを手に入れていた珍しい奴らで、皆がそんな二人を祝福したし、不思議に思った。

 

なんでこんな世界にいるんだろうって。

 

ま、聞く前に死んじまったが。

 

土砂崩れに巻き込まれて一家全滅なんて、相応しくない最後だったな。何せ俺達裏の人間がニュースで取り上げられて死にましたなんて報道されてんだから。

 

遺体は回収した。通常では有り得ない行為に当たるが不思議と異論は出ず、皆が冥福を祈ったのだ。何せ名無水夫婦に世話になった奴なんて五万といる。今生きていられるのも、立派に仕事が出来るのも、足を洗った奴らも、亡国機業の誰もが恩義を感じているんだ。不満も異論もあるはずがない。

 

夫婦には病弱な息子がいた事は聞いていた。その息子は……名無水銀は一人遺される事になった。

 

そんなガキを引き取りたいと言う奴も、これまた五万といた。言わば形見だ、と引っ張りだこ状態に。俺がやる、いや俺だ、私が相応しい、とまぁ荒れに荒れたもんだ。かくいう俺やスコールもその一人だった訳だが。

 

すったもんだの末にようやく決着がついた時には、篠ノ之束からかっ攫われる直前で、間に合わなかった。そん時は別の意味で荒れたっけ。組織が全力を上げても足が掴めない相手に持ってかれちゃどうしようもなかった。

 

だからもう一度表に現れた時はチャンスだと思った。一年前に親権を得ていたスコールはすぐに動き出した。それが学園に潜り込む事。

 

だが、一年前とは違って立場を上げたスコールが自ら行動する事は叶わず、代わりとして俺が派遣された。先ずは潜入し接触する事。徐々に信頼を得て、いつか頃合いを見て真実を打ち明ければ必ず彼はこちらに来ると言うのが作戦だった。

 

これが思いもよらない方向へ転がる。

 

臨海学校の為、更識簪が離れるらしい。銀の福音が暴走を起こして学園の専用機にスクランブル、帰りが遅くなる。〆は電話での口論ときた。本人には申し訳ない話だが、俺達にとっては棚から牡丹餅。

 

「その……悪い」

「いいのよ、仕方のない事だわ。私達が傷を癒してあげればきっと良くなる」

 

端から見れば無理やり連れてきたと思われるかもしれない。事実、空き巣の真似をしてきた。しかし、方針を話し合って決めた上での行動だったのだ。何かしらの負傷は覚悟を決め、最小限にとどめ必ず完治させると俺達は誓った。

 

今が幸せならそれで良いじゃないかとも思った。まさしく青春を謳歌しているのだから。だが、銀の世界は極めて狭く、自身の周囲以上の環境には目を向けられていなかった。肌で感じる以上の事を知ろうとしなかったから、いじめが起きて今に至る。

 

更識簪はよく動いた。だが力不足は否めない。彼女の選択は常に最後の一手を誤り失敗に終わっている。トーナメントはいい例だろう。別にバトルでなくとも良かったのだ、織斑姉弟にさえ強くアピール出来れば、二人がバックに付くだけで学園生活は保障されていたというのに。

 

俺達は違う。医師もカウンセラーも技術者もいる。

 

「ところで、銀のISは何かわかったの?」

「何も。篠ノ之束お手製の、現行機を圧倒する機体って事だけだ」

「紅椿とは似ても似つかないフォルムだけどねぇ」

 

二人して壊れては直っていく機体を見やる。いや、ブロックのように組み替えて遊んでいる。

 

IS一機は組み立てられるパーツを渡してみたが、一時間ほど繰り返してばかりで、一向に完成に向かっている気配がない。関節を守るようにボロ切れをたなびかせ、装甲は無いに等しく、ショートこそしていないものの配線丸見え。

 

これは……。

 

「そういう機体、だろうな」

「恐らく。まるで三流映画に出てくるアンデットやゴーストみたいね」

「見ていた限りではビット兵器を扱えるようだったぞ。コントロールには難ありといったところだが」

「あら。エムと友達にでもなれるんじゃ無いかしら?」

「どうだか」

「スコール」

「あら、噂をすれば」

 

現れたのは、一言で表すと小さな織斑千冬。スコールチーム三人目のISパイロット。 エム。

 

「準備が整った」

「そう。ありがとう」

 

それだけを告げるとエムは踵を返して立ち去り、スコールは銀に近寄った。

 

「銀」

「はい?」

「あなたに見せたいものがあるの。一緒に来てもらいないかしら?」

「僕に、ですか?」

「ええ」

「行きます」

 

さっきまで狂ったように笑っていた人間の受け答えとはとても思えないな。

 

行きましょう、と言って先を行くスコールに歩調を合わせる。銀は後ろからついて来ているようだ。少し距離を開けて。

 

「なぁ、本当に見せるのか?」

「今更ね」

「良いことなのかわからねぇよ」

「そうね、堅気じゃないものね、私達は」

 

銀は違う。ってことか。

 

それ以上は俺も何も言わずに黙って従った。エレベーターに乗り地下からビルの上階へ上がり、厳重なロックを幾つも抜けて、先へ。

 

両手で数えられる程のドアを抜けてようやくスコールが歩みを止めた。最後のドア……もはや核シェルターのように頑丈なそれを、エムと二人掛かりで開けて汗だくな俺達には心地よい涼しさが部屋から漏れてくる。

 

「さぁ」

 

スコールは道を譲るだけで入ろうとはしない。それもそうだ、ここから先は彼だけが入るべきだ。

 

「亜紀原さん」

「オータムだ」

「オータムさん、あの……」

「行けよ。お前の為の場所だぜ」

 

困ったように俺を向いてきた銀を前に向けさせ、背中を叩く。恨めしそうな顔で睨んでくる奴を、ニッと笑って行けとジェスチャー。そこでようやく歩き出した。

 

「あなた、すっかりお姉さんね」

「ま、約一週間は起きてから寝るまで一緒だったんだ。少しはな」

「フン」

「おい待て、何でお前鼻で笑ってんだ」

「喧しい」

「なんだヤキモチ妬いてんのか?」

「喧しいっ!」

 

スコールが隣でくすくすと笑い出した。最近になってエムの扱い方が分かってきた気がする。話せばそこそこ面白い奴だ。

 

「……一人にしてやらなくていいのか?」

「そうね」

「たまには気が利くな」

「お前次はその首を捻じ切るぞ」

 

部屋から漏れる冷気と嗚咽を背にして少し前のエリアまで戻る。

 

全ての遺体は確かに回収した。が、土砂に揉まれて損傷が激しく指が欠けていたり、肉が抉れ骨が飛び出ていたりと見ていられない状態だった。

 

一人を除いて。

 

五人乗りの乗用車(銀の退院まではこいつで頑張ると言っていた、そこそこ年式の古い走行距離二十万キロのカスタムカー)の後部座席真ん中に座っていたであろう彼女は、死ぬ間際に家族全員から守られ打撲と骨折のみという奇跡的な損傷で息絶えていた。窒息死だ。

 

名無水楓。

 

まるでこの瞬間のために、綺麗だったかのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅い!」

 

エムが痺れを切らした。

 

「そうだな、流石に身体がヤバいんじゃないか?」

「全くだ」

 

霊安室は死体が腐らないように低温維持に努めるよう空調が設定されている。一時間も長居するのはあの虚弱な身体でなくとも危険だ。

 

電話がかかってきたスコールが戻ってくるのを待たずに二人で霊安室まで戻る。

 

「……おい」

「急ぐぞ」

 

近づくにつれて嗅ぎ慣れたニオイが漂ってきた。

 

血だ。

 

緊張の糸を張り巡らせ、全速力で駆けた。

 

頼むから自殺だけはしてくれるなよ……!

 

「銀!」

「おい! 何を……して、る」

「あっ、すみませんお待たせして。もう少し待ってもらっていいですか? 残りはこれだけなので(・・・・・・・・・・)

 

にこりと振り向いた銀の身体は赤く汚れていた。身体だけでなく、その周囲全てが真っ赤に染まり、中心で座り込んで何かを手にしている。

 

それを持ち上げ、顎を開き、歯を突き立て、嚙みちぎり、咀嚼し、喉を鳴らす。

 

ただそれだけの作業だ、ブレッドを齧るのと何ら変わらないの行為に、俺とエムは凍りついて動けなかった。

 

歯を突き立てる度にソレからは赤い肉汁が溢れ、銀と部屋を汚し、池を広げていく。時折、あさりの味噌汁をすすった時のようにガリッガリッと硬いものを噛む音が聞こえるが、吐き出す事なくそれも嚥下する。

 

「おいおい待て何してやがる止めろ!」

「この……!」

 

大声で自分を奮い立たせ、ISを展開する。エムも続けて機体を展開した。互いの射撃武器で床を狙い撃ち威嚇する。

 

「「な」」

 

筈が、俺のガトリングとエムのライフルは瞬いた後に全て両断されていた。全く同じ言葉を呟いたことにも気づかない。

 

「だから待ってくださいって。もうすぐで食べ終わるんで」

「……それだ、それだ私が言いたいのは!」

 

エムが叫ぶ。

 

「何故、名無水楓を食べている!?」

「あ、勿体無い事しちゃったな」

 

またしてもぶしゅっと血が溢れたことに肩を落とす。エムの叫びは初めから聞こえていないかのように聞き流された。

 

果物の果汁を吸い取るように肉をしゃぶる銀に、問いかける。

 

「何故だ!」

「何故って言われても……そうだなぁ」

 

また一つごくんと取り込んで、やっと語り出した。

 

「普通は家族を亡くしたら最後にお別れを伝えて火葬するんでしょう? でも僕はずっと病室の中で外にも出られず、死に目にも葬儀にも、いつだってその場に居なかった。何故かお墓も無くて、二度と会えないって思ってた」

「そうしたら、スコールさんとオータムさんとエムさんのおかげでまた会うことができた。とっても嬉しかったです。有難うございます。一年隠れて住んで居たことも、学園であったことも、いっぱい話すことができました」

「お別れもちゃんと言えましたよ? でもやっぱり離れたくないなぁって、思ったんです。家族は大好きだったし、姉さんは特別大好きだったし。姉さんの遺体を傷つけずにずっと一緒に居られる方法がないかなって考えたんですよ」

「それが……それが喰うことだってのか!?」

「天()的じゃありません? 栄養にならない分は流石に出て行っちゃいますけど、そういうことじゃないんですよね。ほら、三国志の武将でも目玉を食った人がいるのと同じですよ」

「姉さんが大好きなんです。好きで空きで隙でスキで透きで鋤で好きで好きですきですきでたまらないんですよ。あの綺麗で魅力的で注目の的だった姉さんの目も髪もまつげも耳も唇も歯も骨も舌も喉も指も爪も肩も鎖骨も胸もへそも腰もお尻も×××も全部全部全部僕の中に吸い込まれていくんですよ。心の中にまで。ほら、ずっと一緒」

 

開いた口が塞がらないとは、この事だろう。途中から何を言っているのか分からなかった。いや、日本語で喋っていたのか?

 

怖い、怖すぎるだろこいつ。

 

食事を再開した奴に焦点を合わせながら、自然と身体が後ずさる。エムの奴は堪えているようだが、膝が笑っていた。

 

「お前、どこまで考えてた?」

 

来る途中は自殺してるんじゃないかとか考えていたが、幾ら何でも斜め上すぎる。何周回ったらこんな事考えつく?

 

知りたくもない。

 

「俺は左腕くっつけるんじゃないかって思ってたぜ」

「死んで腐り始めた妹で童貞卒業した男なら知ってるが」

「世の中狂ってやがる」

 

スコールが来るまで前にも後ろにも動けなくなった俺達は、ただ食事を続ける奴を見続けるしか出来なかった。

 

 



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023 9日目↓

すごくお待たせしてます。
急転直下、普段の倍近い長さになりましたが、お楽しみください


姉さんの声が聞こえる。

 

『私殺されたの。家族みぃんな、××とかいう連中に』

「土砂で亡くなったって……」

『そうよ、私達を狙って土砂崩れを起こしたの』

「そ、そんな、どうして!?」

『ねぇ銀。私憎いわ。殺してやりたくて仕方ないの。私の代わりに、そいつら殺してくれないかしら?』

「……うん。やるよ。姉さんが言うなら」

『ありがとう。そいつらはねーー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「目標は太平洋のど真ん中に出現。北上した後、軍事施設を破壊しながら南西に進路をとっている模様。予定進路は……こうだ」

 

織斑先生が旅館に持ち込んだミーティング用のデスクを操作して、各々の専用機と前方のディスプレイに情報が送信された。真っ直ぐではないものの、おおよそ西寄りに南下しているという感じか。施設を狙っていると言うよりは、目的地に行く途中にあるから寄り道したという方が正しい様子だ。

 

「奴の最高速度にはどの機体でも追いつけない以上、とれる作戦は限られている。全戦力を投入でき、尚且つ確実性の高いこの作戦で迎え撃つ」

「これって……」

「待ち伏せ?」

「そうだ。予測進路上に点在する無人島に待機し、多方面からの一斉飽和攻撃を行う。幸いな事に、今回各国から送られてきたパッケージは砲戦型、高機動型と今作戦に適している。各国からの許可は既に得ている事を確認しろ」

「あぁ、そう言えばメールが来ていたような……」

 

私も来てたっけ……。やたら長ったらしくて適当に流してたけど、あれってそういう内容だったのかな。

 

「作戦はーー」

「ちょい待った!」

 

天井の板をぶち抜いて現れたのはウサ耳。そして明るい桃色の美髪。

 

「……」

「や、やだなぁ、そんな目で見なくてもいいじゃん」

「取り敢えず、修理代は払え」

「勿論さ!」

 

軋む床に音も立てず着地した篠ノ之博士は両手を腰に当てて鼻を鳴らした。

 

「ズバリ! 紅椿と白式によるヒットアンドアウェイだよ!」

 

何を行ってるんだろう、と思う反面、成る程と納得する。

 

普通に考えるなら、遠距離型の砲撃や狙撃で足止めしつつ、中距離の射撃で削りつつ、近距離にて有効打を与えていくのがセオリーだ。軍用機であろうがこれだけの専用機があれば負けはない。

幸いにもそれぞれの距離においてスペシャリストがいることも大きいだろう。砲撃パッケージと高速狙撃パッケージのドイツとイギリス、オールラウンダーで定評のあるフランスは防御を尖らせた防衛型パッケージに、燃費を抑えた継戦力に長けた中国と私の打鉄弍式。そして一撃必殺の零落白夜を持つ白式。なにより海上ではお姉ちゃん無双が始まる。

 

ただし、付いて回る問題も多い。十字砲火、波状攻撃を仕掛けるには完全な、それを意識して訓練しなければならないほどの連携が求められる点だ。一人がしくじれば全員が死ぬかもしれない。そんな重圧に耐えながら戦えるほど、私達は……というか私と彼らはお互いを知らなさすぎる。

政治的な背景もあるだろう。誰だって自国の最高機密を見せびらかしたくはない。それが他国の尻拭いとなれば尚更。委員会の打診が無ければこんなドリームチームは結成されなかった筈だ。

 

対して二人なら被害も最小限に抑えられるし、どちらも国家に属せず篠ノ之博士のお手製IS。何処だってデータは喉から手が出るほど欲しがっている。零落白夜があれば火力も十分。まぁ乗り手は二人とも心許ないが、そのあたりは性能でカバーできるという心算かな。

 

「却下」

「なんでさー」

 

まぁ、そうなるよね。

 

「そんな危ないことを……ん、いや……。よし、作戦を説明する」

 

という私の期待を裏切って先生が納得した様子を見せた。しかも自己完結。らしくはあるけど、篠ノ之博士が口にする事を受け入れるのはなんだか珍しそう。ぽかんとしている弟が証拠か。

 

「第一段階、紅椿と白式のタッグによる強襲。第二段階、他全機による包囲網縮小と集中砲火で鹵獲する。詳細はこうだ」

 

データリンクで周辺海域が投影される。参加する全機体と銀の福音を表すコマも合わせて表示された。

 

「白式は紅椿とトップアタックを仕掛けろ。銀の福音の主兵装である銀の鐘直上に向けた砲門が無いことが分かっている、攻めるならココだろうな。側面から射出された追尾弾丸が膨らむ形で迎撃してくる可能性が高い、気を付けろよ。特に篠ノ之、お前がキモだという事を自覚しろ」

「お、おう」

「はい!」

 

戸惑う織斑一夏とガチガチに固まった篠ノ之箒は誰から見ても緊張している様子で、頼りなかった。

 

「他全機はトップアタックの着弾地点を中心に二重の円を描く形で包囲網を形成する。凰と更識姉妹は、織斑と篠ノ之の離脱を援護した後、銀の福音に攻撃を仕掛ける。残る三機は遠距離からの支援砲撃に徹しろ。状況次第では高速パッケージのオルコットには敵を引きつけてもらう」

「は、はい!」

「いいか、安全が最優先だ。委員会からの要請とはいえ、本来ならば学生が対処する問題ではない。が、放っておけばどれだけの被害が出るかもわからん。気を引き締めていけ」

 

この後、作戦準備に各々が取り掛かることに。お姉ちゃんは生徒会長&国家代表って事で、残って先生と話をするらしい。私達は山田先生と一緒に砂浜へ先に行く事にした。

 

「作戦の大詰めや細部は更識さんと織斑先生にお任せしておきましょう」

 

と、半ば強制的だったけど。

 

「一先ず学園からはみなさんにユニバーサルモデル(世界共通規格)の外付けブースターを支給しますので、行きについて心配の必要はありません。織斑君はブースターが例によって取り付けられないので、篠ノ之さんに乗せてもらってください」

「の、乗るんですか?」

「はい。それはもう、サーフィンのように。あー、疑ってますね? 乗り方があるんですよ、ちゃんと」

「第一回モンドグロッソのタッグマッチ部門優勝ペアですわね」

「ああ。"サマリー"だな、興味のない私でも知っているぞ」

「いやぁ、千冬姉には見るなって言われてたからさ。こっそり見るのも限界あったんだよ。だからタッグマッチは見てない」

「アンタ千冬さんの試合は網羅してるけど、それ以外はからっきしだもんね」

「そうそう」

 

先を行く賑やかな集団から数歩離れてついて行く。彼の事はイマイチ苦手だし、あんなにワイワイと盛り上がる会話なんて出来ないし、そもそも警戒されていて近づけない。チラチラとこちらの様子を伺われている。

 

…なんかしたっけ。

 

「どうかしたの?」

 

さらに一歩引いた私に声をかけてきたのはフランスの代表候補生。隣には一悶着あったと噂のドイツ代表候補生。聞けば同室らしいので、仲がいいのかもしれない。

 

「…よくわからないけど、睨まれてるだけ」

「睨まれ? ……あぁ、そういうことね。更識さんの事が嫌いとかじゃないから、安心してもいいと思うよ」

「どうして?」

「一夏ってば、勝手に女の子と仲良くなるからさ。ライバル増やしたくないから警戒してるんじゃないかな。ね?」

「ああ。何せ私達がその口だ」

「堂々という事じゃないと思うよ、ラウラ」

 

フランス代表候補生のデュノアさんの推測に、ドイツ代表候補生のボーデヴィッヒさんが同意する。いいコンビ感がすごくあるなぁと思った。

 

「更識簪」

「な、なに」

「実は私達は編入当初からお前と話してみたいと思っていた」

「え?」

 

私には全く思い当たる節がありません。

 

方や、IS素人でも耳にする大企業の社長令嬢。

方や、軍属なら知らないものはいないドイツの特殊部隊の隊長。

 

ちょっと特殊な家に生まれただけの私に何の用があるというのか。

 

「メカニックでありながら代表候補生の座を手に入れた人間はそう多くない。だが、それらは全くの無関係でない事は、模擬戦やトレーニングを見れば明らかだ」

「え、えっと…」

「機体構造やシステムに精通しているからこその射撃がそれを物語っている、という事だ。機体構造を瞬時に把握。そして弱点を的確に狙う射撃精度。機動制御と近接戦闘の技量も悪くないときた。軍にお前の様な人間がいれば速攻スカウトに行く」

「あ、ありがとう?」

「僕も、良ければ色々と話が出来ればなぁーって前々から思ってたんだ。一夏の事避けてるのは分かってたから、一緒にいる僕らも避けられてるかもって思ってて、どうしようかなーって。中々接点が作れなくて困ってたんだけど、今日は一緒に作戦に参加するからコミュニケーションも兼ねて」

 

銀髪少女は腕を組みながらうんうんと頷きながら、金髪少女は朗らかに頬笑みながら、そう話してくれた。まさかこんな有名人達に興味を持たれているなんて思ってもいなかった。どうやら私のことを良い意味で評価してくれているみたいだし。

 

言われた通り、避けていただけに少しの申し訳なさを覚える。何があるか分からないものだ。

 

「む。何だ、一夏のことが嫌いなのか?」

「えっと…専用機がらみで、少し。誰も悪くないんだけど」

「ん? ああ、そういうことか」

 

誰かに話していない筈なんだけど。なんだか分かってもらえたみたい。

 

「奴は確かに無遠慮で唐変木でどどどどと鈍感野郎のニブチンだからな。まだISに触れて間もないし、メーカーや業界にも疎い故に、まさか他人の専用機に迷惑をかけている認識など持ってないだろう」

「うんうん」

 

わかるわかる、と言わんばかりにデュノアさんが首を縦に振る。困ったような表情で。

 

「でも、誰かの為に全力になれる人だよ。会ったばかりの僕だったり、険悪だったラウラであっても、全力で、命をかけて助けてくれる。だから僕らにとって、一夏はトクベツなんだ。ヒーローなんだよ」

「……ヒーロー」

 

私は彼のことを良く知らないままだ。ボーデヴィッヒさんとデュノアさんが言うことはわからないけれど、誰かを特別だと思ったり、ヒーローだと思いたくなる気持ちは凄く分かる。

 

銀。愛する、愛すべきヒーロー。私だけの英雄。

 

彼女らにとっては、それが織斑一夏だったってだけの話。

 

「そうなんだ」

「うん。だから話しかけてみても良いんじゃないかな」

「私は名無水とよく話をするから見ていたが、男同士は仲が良いようだ。まだ知らない一面も、一夏なら知っているかもしれないぞ?」

「う……」

 

それは確かにある。おおいにある。どれだけ仲良くなれたり、気持ちがあっても私は女で銀は男だ。私相手だと言いにくいことがあって、(人生初の)同性の友人になら打ち明けられることもあるだろう。私だって銀に言えない秘密や悩みがあるのだし。

 

今まで織斑一夏に対して張っていた心の壁がぐわんぐわん揺らいでいるのがわかる。得られるはずのなかった銀の情報は喉から手が出るほど欲しい。具体的には好みのタイプとか。

 

「動機など俗物的でいいのだから、少し挑戦してみると良い。経験から言わせてもらうが、自分が一方的に張っていたレッテルなど案外脆くてくだらないものだぞ?」

「……ん」

 

織斑先生を崇拝し、織斑一夏を憎んでいた彼女が言うのだから説得力もあるというもの。頷く他ない。

 

「一夏に話しかけると言うのなら協力しよう。その代わりと言っては何だが、兼ねてから聞きたかったことにも答えてもらえないか?」

「それは、別にいいけど……」

「ほ、本当か? では聞くぞ……」

 

威厳溢れる凛とした雰囲気はどこへ行ったのやら。背格好相応の照れを見せながら周囲を確認して、こっそりと、こう彼女は切り出した。

 

「実はだな、私の部下が日本のあにめとやらが大好きでな? 入学前から色々とせびられているのだが、何をいっているのかさっぱりわからんのだ。翻訳してくれ、よく見ていると噂で聞いたぞ」

「え、いいけど・・・」

「恩に着る! 二度と本国の土を踏めなくなるところだった・・・・・・」

「流石にそれは言い過ぎじゃないかな?」

 

困り顔のデュノアさんに、安心したような疲れたような表情のボーデヴィッヒさん。国も言葉も違う別世界のような人達だと思っていたけど、そういうわけじゃなさそうだ。うん。

 

そこからはなんてことない話をした。メカニックなこととか、アニメのこととか、意中の相手のこととか。先頭と距離を開けて歩く間に、私は二人と意気投合した。名前で呼び会うぐらいには仲良くなれたから、友達とよんでもいいんじゃないかなーと思う。いや、そういうことにさせてもらおう。友達少ないし、迷惑扱いされてないみたいだし。

 

変わらず銀のことは心に刺さったままだし、気を抜けば狂いそうになる。どうしようって考えが止まらない。

 

でも。

 

すこしだけ、学園での生活が楽しみに思えてきたのは間違いじゃないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふうっ・・・・・・・・・」

『銀の福音の停止を確認、搭乗者も怪我はありません。作戦成功です!!』

『よくやった。直ぐに旅館へ戻ってこい』

 

セカンドシフトを果たした白式・雪羅の左腕にはぐったりとした銀の福音。打鉄弐式のセンサーは、先生が言うようにエネルギーが底をついて停止していることを教えてくれてる。

 

ちょっとしたアクシデントはあったけれど、全員無事なまま終えることができた。

 

正直なところめちゃくちゃヤバかった。軍用機舐めてた。これだけの専用機が揃っていても、生け捕りが目標だったとはいえここまで苦戦するなんて考えてもなかった。海をうまく利用したお姉ちゃんと、途中でセカンドシフトして全回復した織斑君以外はボロボロと言う表現がピッタリである。装甲は剥げたりヒビが入ったり、所によってはショートしているプラグが見えている機体も。弾薬も殆ど使い尽くしてしまった。

 

丁度エネルギー切れを起こした荷電粒子砲を切り離して、薙刀を担ぎ一息つく。自然と、白式を中心にしてみんなが集まった。私は武装が中~近距離なので前で戦っていたのであって、決して自分から彼に近づいた訳じゃないことだけは言わせてほしい。

 

「ご苦労様。みんな無事で何より。でも織斑君、次あんな無茶したら五回気絶するまで私の新技サンドバックにするから、次からしないように」

「う、うす。スイマセンデシタ。みんなも、ゴメン」

「まっっっっったくだぞ一夏。密漁船を庇うのは何よりだが自分が瀕死の火傷を負ってどうする!?」

「箒さんの言うとおりです!!」

「カッコつけも大概にしないとブッた斬るわよ! どんだけ心配したか・・・!」

「一夏のそういうところは良いけど、もっと自分を大事にしてほしいかな、うん」

「教官と私を悲しませてみろ、二度と同じ真似ができないように調教してやる」

「誠に申し訳ございませんでした」

 

器用に空中で土下座をする姿は草も映えない。普段の操縦スキルはそこそこなくせして、そんな技術をどこで磨いているのやら。

 

「でもほら! なんとかなったし、誰も大きな怪我してないし、迷い混んできた船も無事だし!」

 

・・・・・・流石に私もなにか言った方がいい気がしてきた。

 

「反省してる?」

「し、してます」

「だったら、発言に気を付けるべき。悲しむのは、貴方じゃない・・・・・・」

「うぐ・・・、気を付けます。てか、更識さんって結構毒舌なんだな」

 

気を付けようと思った矢先に目の前でアホなこと言われたら誰だって毒舌にもなる。これは確かにラウラが言ってたとおりのどどどどど鈍感野郎だ。

 

「「「・・・!?」」」

「あちゃぁ・・・」

「失言だな、簪。実害はそう無いだろうが」

 

どうやらお三方には更に勘違いされてしまった。まぁ、もういいや。是非ムダな警戒を続けて疲れて。銀に余計な蟲が這い寄って来るのは私も望むところじゃないし。

 

「ほら、続きは帰ってからよ。私が密漁船と話をつけてくるから、あなたたちは先に帰っていてちょうだい」

「大丈夫なの?」

「元気なのは私と織斑君ぐらいだし、海上だからね」

 

ぱちん、とウインクして見せたお姉ちゃんはふわふわと無人島へ寄せていた船へと近づいていく。それを視界の端に捉えながら、銀の福音を抱えた白式を囲むようにして帰路についた。

 

これで、帰れる。

 

銀に会える!! 

 

警戒をそこそこに、先ずどう謝ろうか、何を話そうかを考える。

 

「貴方、どうしーー」

 

思考を遮ったのは、海を割る爆音とお姉ちゃんの途切れた声だった。

 

反射的に身体が反転する。振り向き様に飛来してきたそれをキャッチした。

 

「お、お姉ちゃん!」

「全速後退! 私が殿に付く!」

 

受け止めた私には視線だけで返し、即座に指示を飛ばす。手から離れたお姉ちゃんは数歩前に進んでガトリングランスを構えた。そこへ黒と橙の機体が方を並べる。

 

「加勢する。コイツは逃げ足よりも叩き潰す方が好みだからな」

「今回は盾役だから、適材適所ってことで」

「頼もしいわね」

 

私はというと、ピッタリと白式の前に機体をつける。手持ちの武器は薙刀だけで他に出来ることがないのだ。私以外も似たような状況なので、全員で白式を守るように配置し、逃げた。

 

だが、敵は私たちの退路を塞ぐようにあらゆる方向から銃弾を雨のように降らす。それでも必死の思いで身体を操り段幕を切り抜けた時だった。

 

「いたっ! ちょ、なにこれ!? なんか壁があるんですけど!」

「こっちもですわ!」

「俺の方もある! アリーナの電磁バリアみたいなのが!」

「くそ・・・何処かに抜け出せる隙間があるはずだ! 探せ!」

 

全員で変わらず飛び交う弾丸を避けつつ視線を巡らせる。センサーを切り替えれば確かにそこに電子の幕があることが分かった。あとはセンサーの受信半径を広げれば・・・・・・。

 

「・・・・・・!?」

 

そんなまさか。という考えが頭をよぎる。アレは莫大な電力が安定的に供給されるから形成できるのだ、あんなものが小型化に成功しているならとっく世界で使われている。

 

こんな。こんな範囲を立体的におおうだなんて、技術的に無理だ。

 

ただ一人を除いて。

 

「・・・だめ、逃げられ、ない! 反対側まで、海のなかも、隙間も穴もない!」

 

海を割った密漁船。そこを中心として半径五キロ圏内は未知の技術によって隔離された。中継機の様なものは現状センサーで拾えていないことから、発生させているのはやはりあそこか。

 

どうやら倒すしかないらしい。

 

「箒、この人頼む。お前ならエネルギー回復できるし、スピードも一番早い。俺たちが何とかしてこのバリアを壊すから、真っ先に旅館に戻って先生たちに伝えてくれ」

 

正しい判断だと私も思う。真っ先に試した通信も全く反応がない今はこうするしかない。誰も反論はなかった。以外にも篠ノ之さんは食い下がらずに素直に銀の福音を受け取る。

 

「いくぞ!」

 

一機を残して全員が反転する。すると射撃はピタリと止んだ。篠ノ之さんだけが狙われていると言うわけでもない。

 

「狙いは俺ってことか」

 

戻ってくるなら構わない、といったことろか。

 

そう言えば。誰が狙ってきているのか。センサーは円の反対側まで情報を拾い続けているが、ISコアの反応は無い。中心にお姉ちゃんたち三人と、恐らく敵であろう解析不可の機体が一つあるだけだ。つまり・・・

 

・・・・・・あった。ビット。夜闇に紛れるように塗装された黒の塊。イギリスのとはまた違った意匠のそれは、美しさよりも実用性を追求した軍用というのがしっくり来る無骨さを感じさせる。はたはたと風に揺らぐボロ布がさらにそれを引き立てた。

 

私と、目がいいオルコットさんが同時にビットの存在に気づいた瞬間、一目散に進行方向へと逃げていった。

 

脂汗が滲む。

 

私はてっきり索敵範囲外の長上空から複数機で狙われているものだと思っていたのだ。そうでない、そうではなかった。戻っていくように、敵のビットは円の中心へと向かっていった。つまり、先にいる敵は三人を相手に立ち回りながら数キロ先までビットを的確に操れるということ。

 

マシンも、パイロットも、とんでもない化け物だ。

 

ついにその姿をとらえることができた。

 

「お姉ちゃん、ラウラ、シャルロット」

「・・・・・・そう、逃げられなかったのね。通信は?」

「ダメ」

「了解。だったら、ここからは時間稼ぎじゃなくて潰す方向で頑張りますか」

 

いつになく殺気立つお姉ちゃんが睨むその先。

 

まるで亡霊のような機体がそこに佇んでいた。

 

頭から爪先まで走行でおおわれるフルスキンモデル。だが、全身の装甲はボロボロという言葉が正しく当てはまる。ヒビ、欠け、パーツの欠損、はみ出るプラグ、むき出しの回路、ほんの少しだけ肌を覗かせるメットバイザー、脚先の装甲から漏れ出るオイル。非固定武装も同じようなもの。間接を含む所々を、ボロボロの布で多い隠していた。

 

だが、見た目とは裏腹に漂わせる雰囲気は撃墜寸前の人間が醸すそれではない。裏打ちするように三人の息は荒く、表情は険しい。

 

「嫁、気を付けろ。コイツは強い。教官に匹敵するほどな」

「冗談キツいぜ、それ。世界最強ってことだろ」

「そうだ。比喩でも何でもない。動きや武装の全てがまるで別次元」

「唯一の救いはパイロットの不調かな。時おりピッタリ攻撃が止むんだ。咳き込むように身体を丸めてね」

「でも既にボロボロじゃない。あとちょっと攻撃すれば・・・」

「いいえ。やつは最初からああだった。私たちは、一度も攻撃できてないの」

 

内心驚愕する。姉の実力は私がよく知っているからだ。織斑先生といい勝負ができる実力があるあの人でも、逃げるだけで精一杯と言っている。

 

ゆらり。亡霊が身体を揺らす。

 

「来るわよ!」

 

お姉ちゃんの激が身体を震わせた。

 

亡霊の周囲には私たちを苦しめたビットが漂い始める。右手には日本刀のような刀、左手はサブマシンガン、腰から六つの爪のように鋭いワイヤーブレードを垂らし、頭上に謎の球体を浮かべた。そのどれもが、本体と同じように故障寸前のボロップリだが、実際そうでないのはビットが証明済みだ。

 

「あぐ!」

 

甲龍が突然海面に叩きつけられた。それを皮切りに逃走劇が始まる。

 

亡霊の次の手はワイヤーブレードの乱舞。同じくブレードを持つラウラが切り結ぶが、三本にまで減ったワイヤーと両手のプラズマブレードを使っても捌ききることはできず段々と押され気味。ラウラの加勢に入ったシャルロットがショートブレードとシールドでカバーに入るが、タイミングを同じくして海面に叩きつけられる。

 

「龍砲!? まさか・・・」

 

オルコットさんがビックリした様子でライフルを構えている。成程、中国の見えない弾丸が正体か。

 

ワイヤーが今度は私に向かって伸びてくる。次の獲物は私らしい。

 

「アレはなんとか引き付けるから・・・!」

「よろしくってよ!」

「応!」

 

その隙に攻撃して。という意図は伝わったようだ。六本のワイヤーはわき見することなく私へ向かい、二人は両サイドから龍砲を避けつつ接近する。

 

薙刀を絞るように握りしめ、構える。そこに道場の床があるとイメージして腰を落とし、突いた。

 

「・・・・・・・・・ッああああああ!!」

 

突いた。突いて突いて突いて突いて突いた。正面から壁のように迫る爪を片っ端から突いて弾く。死角に回り込むのは払い、ワイヤーをたゆませ、刀身で滑らせ、ひたすらに振るい続ける。柄にもなく声を張り上げ、一心不乱に捌いた。

 

実力は間違いなくラウラには劣る。だが、槍術と武道に限ってはそうでない自信がある。彼女がマシンに乗り続けた倍以上の歳月、私は更識だからと槍を握ってきたのだ。それなりに打ち込んできただけに、そんじょそこらの人には絶対負けない。これくらいならまだイケる!

 

「仕返しだっ!」

 

ワイヤーが一斉に張りを無くす。復帰した凰さんの投てきした双刃の槍だ。かなり頑丈な素材で編まれたワイヤーを切ることはできなかったが、苛烈を極めた猛攻がストップ。今がチャンスだ。

 

オルコットさんと織斑君の十字砲火。海中から水をまとったお姉ちゃんの槍。トップアタックを仕掛けるラウラ。それらの退路を塞ぐようにグレネードで隙間を埋めるシャルロット。

 

亡霊は・・・・・・

 

「うそ・・・」

 

全て何てことはない、と言わんばかりの滑らかな動きでいなして見せた。

 

着弾が早かった十字砲火をぼろ布ビットで防ぎ、速攻で展開した荷電粒子砲で直上のラウラを弾き飛ばし、左手のサブマシンガンで的確に数個のグレネードを撃ち抜き誘爆させ、変形した日本刀が激流の槍を切り払う。更に長方形の箱を展開したかと思うと、中から一斉に三桁に迫るミサイルが全方位に吐き出された。

 

全員が一瞬の内に判断を下して、お姉ちゃんとシャルロットの背後へ回る。飛ばされたラウラはオルコットさんの腕にワイヤーを伸ばして無理矢理回り込み、壁の二人はというとガトリング掃射でなんとかミサイルを全て迎撃して見せた。

 

爆煙が晴れるまでの沈黙。見渡せば全員が苦い顔をしていた。私もしてる。

 

必殺の連携だった。訓練もなしにあそこまで綺麗に繋げられたのは比喩でもなく奇跡だった。誰もが獲ったと確信した。

 

全く通用しなかった。それどころか仕切り直しまでされる始末。

 

亡霊は変わらず佇んでいた。

 

「零落白夜で一気に決める」

「織斑君」

「ちゃんと聞いてましたよ。でも現状、それしかないです。それにさっき先輩の攻撃防いでた武器、こいつと似たような奴ですよ。だったら俺の出番じゃないですか」

「・・・・・・っ」

 

下唇を噛むお姉ちゃんの気持ちはわかる。ついさっき無茶をするなと自分が言ったのに、そうでもしないとこの危機的状況は切り抜けられない。

 

「・・・・・・全員で囲むわよ。パイロットの不調に掛ける。隙を見て瞬間加速で突撃して一気に決めて」

 

無言の肯定。

 

シャルロットからライフルを一丁借りてひたすら撃つ。

 

少しずつ削り、粘って、機会を伺った。依然として分厚い弾幕が少しずつ私たちのシールドエネルギーを削り、装甲を砕き、時間が経てば経つほど弾薬は減る。

 

そして、

 

「今だ!」

 

チャンスが巡ってきた。亡霊が手を止めて苦しみ出した。

 

ラウラが温存していたワイヤーブレードを両手に巻き付け、ブレードを失ったワイヤーも総出で四肢に胴体にと巻き付ける。両サイドからオルコットさんの射撃と、凰さんの龍砲が頭を直撃し中を揺さぶる。メットの隙間が広がり、中から赤い液体が漏れ出てくるが、気に止めず背後から突貫した。

 

薙刀の振動機能をオン。切れ味を増したそれで一閃。正面のお姉ちゃんも同時に槍を振るい、あ互いに得意の槍術をプレゼント。大きく振りかぶった渾身の薙ぎ払いが両膝を切り裂き、断面から赤が吹き出す。流れるようにお姉ちゃんの槍が脇腹を薙ぎ、私は側頭部を石突きで殴り付けた。

 

流石の亡霊もこれには堪えた様子で、最後の一撃を加えた腹部と頭部装甲が砕けて剥がれ落ちていく。武装や機能はハイエンドだが、装甲は見た通りのオンボロだったか。

 

頭部は先ほどから血が溢れていたので、今回のダメージで盛大に撒き散らされた。当然すれ違う私にもかかる。おかげで薙刀には血がベットリだ。あぁ、汚い。

 

離脱しながら血をふるい落とす。すると、鮮血に混じって光る何かが舞った。青い色の結晶というか、金属片だ。破片だけでもわかるそれは装甲ではなくてまるでアクセサリーのような美しさ、が、あ・・・・・・あ?

 

ああ? アクセ? 青・・・・・・いや、蒼色の? こんなにも美しくて綺麗な、蒼色の?

 

血に混じって飛んだってことは、頭部についていたってこと。装甲にこんな鮮やかなパーツは無かった。つまり、これは中の人間がつけていたってことだ。

 

中の?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ

 

あっあああああああああああああああああああああああああぁあ

 

蒼い頭部のアクセサリ。

 

脚部から漏れていたオイル。

 

メットバイザーから漏れた血。

 

頭部から異様に撒かれた鮮血。

 

 

 

”時折、身体を丸めて苦しみだす”

 

 

 

口よりも身体が動いたいややっぱり叫んだ「やめてえええええええぇ!」帰りも考えずにフルスロットルでターンを決めて駆けつける亡霊の向こうのお姉ちゃんとすれ違うように超高速で必殺を振りかざした織斑君に向かって手を伸ばしてまにあえまにあえとまってとま

 

ざしゅっ。

 

 

 

 

 

 

手が届いたのは、零落白夜が振り抜かれた一拍あと。私は斬られた反動でふわりと浮かぶ亡霊を両腕抱き締めて、周囲の何もかもを無視して直下にある密漁船が停泊していた無人島へ着地した。

 

そっと横たえる。

 

違和感は少しだけ感じていた。ただ、プレッシャーと何とかしなければという焦りがそれらを吹き飛ばして考えないようにしていた。

 

改めてみる亡霊は、亡霊の左腕は細すぎた。基本的に訓練された人だけが乗ることを許される。細すぎても筋肉や骨格はしっかりしているはずなのに、これはそんな常識に当てはまらない。

 

左腕が極端に細い人間が乗れる物じゃないのだ。つまりは、そういうことだ。

 

確信しかない。

 

「・・・て」

 

嘘だと信じたかった。

 

「起きて。起きて」

 

メットが砕ける。それに合わせて、展開されていた装甲と武装は全て粒子に変換されて、右手首へと収束する。

 

「めを、あけて・・・」

 

さらさらの黒髪。病的な白い肌。長いまつげ。すかすかの左袖。身体の殆どが自身の血液で真っ赤に染まっても、どれも鮮明に思い出せる。

 

「銀ぇ」

 

亡霊は・・・・・・彼だった。



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024 M

二ヶ月ぶりくらいになるのでしょうか? 

お久しぶりです、トマトしるこです。

後書きから本を読む方がいらっしゃるそうですが、ハーメルンで後書きから読む方ははたしていらっしゃるのか……。今回は、読まないでくださいね。

この作品終わらせたくないですけど、頑張ります。


ぱたり。震える手で日記を閉じた。読み返しながら、入学してからをずっと思い返して、今に帰ってくる。

 

場所は私と彼の部屋だった場所。その原型は、私が臨海学校で部屋を出た時を留めていない。

 

お互いの私物、教材、据え置きの家具、銀の家族の形見。部屋にあるありとあらゆるものが破壊されつくしている。もはやそれが何だったのか思い出せないくらいには粉々で、ボロボロで、バラバラで……部屋を空け過ぎた。惨状を先生から聞いてはいたが、ここまでとは思っていなかった。ここで何があったのか、銀に何が起きたのか、想像もつかない。

 

その中で奇跡的に無事だったものが幾つかある。戸棚の奥にしまわれていた互いに愛用していたマグカップと、引き出しの一番下に隠されていた銀の数冊もある日記だ。他の物が悲惨な目にあっているお陰で、この二つは埃をかぶっている程度で傷は無い。探せば他にも出てきそうだが、むせかえる様なこの部屋で長時間の作業は身体と心に毒だろう。

 

だが読まずにはいられなかった。持ちかえるのではなく、今、ここで、銀が最後まで過ごしていたこの部屋で、私達の居場所で読まなければいけない気がした。

 

なんてことなかった、ただの日記。特別文才があるわけでもないし、絵が書いてあるわけでもなく、ノートも至って普通の市販品で、ごくありふれたただの日常が綴ってあるだけ。彼らしい事が書いてあって、時にそんなことを考えてたんだってビックリして、意外な一面が垣間見えた、ただの日記。

 

そうだ、普通だ。普通の人間だ。彼も、私だって、ちょっと人と違うだけで何も変わらない。クラスメイトも、織斑一夏だってちょっと特殊なただの高校生だ。できることなんてタカが知れている。

 

なのに、どうして? どうしてこうなるの?

 

「何を、したって言うの?」

「……」

 

部屋まで案内してくれた織斑先生とお姉ちゃんは、ただじっと悲しそうに部屋を眺めている。言葉が帰ってくることはない。私も何か返してほしいとは思ってない。

 

ただ、口に出さなきゃ落ちつかなかった。

 

「なにしたって、いうの………」

「簪ちゃん…」

 

喚いてやりたい、こんなことを仕組んだ張本人をぶん殴ってやりたい、薙刀で髪を全部剃って荷電粒子砲で身体の端から少しずつ焦がしてやりたい。

 

殺してやりたい。殺したい。殺す。絶対に殺してやる。死んでも殺す。両親も兄妹も親戚も友人も家も物も全部全部根絶やしにしてやる。

 

『でもあなたの一言がきっかけかもしれないのよ?』

 

うるさい。

 

『聞いたんでしょ? 留守にしている間、学園であってたこと。さぞ苦しかったでしょうねぇ。自分さえいれば、あの時ちゃんと携帯の画面を見て電話に出てさえいれば…』

 

五月蠅い。

 

『彼は何とか正気を保ったままで、学園にいる先生に頼んで主犯の女学生は適切に処罰されて、帰ってからは二人の世界は完成されていたのに。銀には私だけだって、教えてあげられたのに。私だけの銀に出来たのに。それこそ妄想していたようなお仕置きだってできたのにね』

 

喧しい!

 

ああそうだよそうですよ、私が間違ってさえいなければ今頃は完成してた! 依存しあう様な私が望んだ世界が手に入ってた! 友達だってできた! これからだった!!

 

なのに……。

 

心を傷つけて、それどころか脚までも奪ってしまった。

 

わからない。苦しい。助けて。

 

もういっそのこと狂ってしまいたい。

 

スカスカの心は存外に重たく、ひざから崩れ落ちる。

 

その時、軽快な音が部屋中に響いた。考えなくても分かる。教職員に支給されている業務用の携帯、その着信音。ばつが悪そうな表情で織斑先生は電話に出た。

 

「はい、織斑です。はい、はい……そうですか、分かりました」

 

「更識簪」

「はい」

「名無水が目を覚ましたそうだ。お前に会いたいと、言っている」

「……」

「行けるか?」

「……はい」

 

久しぶりに話せると言うのに、私の心は沈んだままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学園からモノレールで本土に渡ってタクシーを使い、政府指定の病院へ到着。設備の関係で今回ばかりはあらかじめ緊急搬送先として決まっていた病院へ入院している。手続きを受付で済ませ、医者の案内でセキュリティゲートをくぐり立ち入り禁止区域へと入っていく。警備員と何人もすれ違い、最奥へと歩を進め、頑丈な扉の前で止まった。

 

「緊急時の為に監視カメラと録音設備が部屋に幾つも仕掛けられている、こればかりは私でもどうすることもできなかった。すまないが承知の上で面会をしてくれ。私達は後から入る」

「……はい」

 

異論はなかった。むしろ当然だ。あれだけの専用機を単独で圧倒し続けたのだから。それどころか足りないくらいである。

 

何かあれば、最悪殺されるかもしれない、のかな。

 

分からない。

 

でも、それもいいかもしれない。もしもそうなるのなら、最後に抱き締めさせてほしいな。

 

「……銀」

「やぁ、簪」

 

意を決して、ドアをノック。ガチャリと開けて挨拶をした。

 

リクライニングベッドで身体を起こした銀は、いつものように右手をあげて、頬笑みながら挨拶をしてくれた。

 

普段通りのやさしい銀。でもどこかさびしいというか、悲しい雰囲気を感じた。

 

用意されていたベッドのわきにあるパイプ椅子に腰かける。

 

ベッドにあるはずの膨らみは無い。私が切り落としたから。

 

それでも……

 

「……ぃ」

「ん?」

「ごべ、なぁさい」

 

銀は優しく、私を受け入れてくれた。

 

「また、私の、わた、しがぁ‥…!」

「うん」

「わたしが斬ったの! 斬り落として、大事にしてた簪も! わた…し、がああぁぁぁぁぁぁ……!」

「……そっか」

 

俯きながらスカートの裾を握りしめる。受け入れてくれたとはいえ、許されてはいない。何より今の私には触れる資格すらない。涙も鼻水も止まらないけれど、判決を待つ被告人の様に次の言葉を待った。

 

「一つ、教えてほしいことがあるんだ」

「ぅ"ん」

「あの時の電話。覚えてるかな、もうかけてこないでって言われたやつ」

「あれは……ぐしゅ」

 

ひとまず備え付けのティッシュで涙と鼻水を何とかする。……年頃の女の子が好きな人の前でやることじゃないけど。

 

「あれは、あの日の朝に政府と倉持から電話が来たの。その、銀と関わり合いになるのは止めろって。彼は暴力的な人間だからって。他にもお姉ちゃんからは、束博士と繋がっている可能性があって危険だからって。それで凄くイライラしてて。心配されてるのはちゃんと分かってたんだよ? でも、私は銀と一緒にいたから分かるけど絶対に喜んで手をあげる様な人じゃないの知ってたし、むしろ少しくらいはそうなっても良いんじゃないかなって思ってたぐらいで。あと、銀の家族や親代わりの人がどんな人でも銀は銀のまんまで変わったりしないんだから。束博士って聞いた時は流石にびっくりしたけど、むしろあんなにISに詳しいことに逆に納得したって言うか……。とにかくね、銀に対して言ったわけじゃないの信じて、信じて」

「そ、そうだったんだ。あはは……」

 

喋り倒してしまった。そんなつもりはなかったんだけど、言い訳じみた言い方をするつもりも無かったんだけど、口が開いたら止まらなくて。途中で気付いたから切ったものの。ほら、銀が引いてるじゃない、私の大馬鹿。

 

「えっと……」

「信じるよ」

「え?」

 

耳を疑った。信じてもらえることは凄くうれしい。よかったとホッとしている自分がいる。ただ即答した事が信じられなかった。

 

以前、左腕を失った時とはまた違うのだ。むしろ今回の方が酷い。そして原因はどちらも私にある。私が銀の身体をどんどん不自由にしていっている。私の不注意で左腕は握りつぶされて、気付くヒントがあったにもかかわらず両足を切り落とした。

 

全部私のせい、なのに。

 

「なんだろう。なんとなくそうかもしれないとは思ってたんだ。何回もって、言ってたからね。でも凄く迷惑ばかりかけてたし、その前に束さんも出てくれなかったし、参ってたんだよ。そしたらどんどん気持ちが沈んでさ、嫌なことばっかり考え始めて……気付いたらこうなってた」

 

点滴の繋がった右腕で、中途半端な長さの太ももをさする。

 

「記憶が無いわけじゃないよ、全部確かに覚えてる。それから自分が何をしたのかも、全部ね。簪はきっと僕に責められるかもしれないって思ってるんだろうけど、僕にはその資格なんて無いんだよ」

「どういう、こと」

「人を殺した。復讐で、むごたらしく殺してやった」

「……」

 

衝撃的なことを口にしても、銀は表情を変えなかった。病室に入った時の違和感はコレが正体だったんだ。

 

銀も同じだったんだ。取り返しのつかないことをしてしまったって後悔してる。それは超えちゃいけない一線で、およそ人から外れる行為。銀に比べれば私なんてちっぽけなものかもしれないけど、きっと今の気持ちは似通ってる。

 

「まぁ、そういうわけで、僕にはあれこれ言う資格は無いって事。それを抜きにしても、僕は簪のことを信じてる。こうやって来てくれてるわけだしさ。なにより……君だからってのは駄目かな」

「……ありがとう」

「ううん、こちらこそ」

 

無条件で、私だから信じる。そう言ってくれた。信頼があることが嬉しい反面ですこし悲しかった。

 

やっぱり罰は必要だ。お互いに後ろめたいことがあるから両成敗なんてのは理屈にならない。でもきっと銀はこれ以上何も言わないのだろう。追求したところで喜ぶことを罰と称して実行させるだけだ。だから自分に自分で罰を与えよう。とびきりに重たくて苦しくて、銀に還元できるような、そんな罰。

 

だけど今は……

 

「義手もだけど、義足も作らなくちゃ」

 

ひとまずこの二つだろう。

 

「あ、義足は気持ちだけ受け取っておくよ」

「え?」

「束さんが今回は譲らなくてさ。電話にでていればーって凄く後悔してたんだよ、だからお願いしたんだ。ほら、前は簪にお願いしたから」

「……うん、そうだね。ねぇ、お願いがあるの」

「何?」

「抱きしめても良い?」

「…うん」

 

そっと優しく、ぎゅっと抱き合う。

 

「顔赤いよ、大丈夫?」

「いや、ちょっと……良い香りがするなぁって」

「それだけ?」

「………やわらかい、です」

「えっち」

「なぁっ!?」

「ふふっ」

 

真横にある照れた顔が容易に想像できる。可愛いなぁ。欲しければ……欲しくなくても、身も心も銀のモノだよ。今は言えないけど、何時かちゃんと全部あげるから、ね?

 

そう惚気る頭の中で、身体は正直だ。

 

銀の身体は、入学した時よりも少しやせ細っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わずか三日で届いたハイスペック義足にもようやく慣れたのが、病院で目を覚ました一ヶ月後。晴れて退院となった僕は学園に戻ってくることが出来た。といってもまたしばらくは医務室暮らしなので、簪と元の部屋で生活するのはまだ先になりそうだけど。

 

部屋は綺麗に片付いたそうだ。調度品や家具も元通りらしい。ただ、当然と言うか個人の所有物だったものはどうしようもないので瓦礫と一緒に使えないと判断された物は捨てられた。僕の私物で唯一残ったものと言えば、かろうじて残っていた愛用のマグカップと、読まれてしまった日記のみ。教材はまた支給してもらえるらしいので、他の物は追々揃えていこう。幸いにも、束さんに貰った黒いカードもあることだし。

 

本当に大切なものはもう残っていない。

 

時刻はもうすぐ四時を指そうとしている。今日の自習を終わらせてのんびりと本を読んでいた僕はそわそわと彼女を待っていた。

 

「銀」

 

来た来た。

 

「やぁ、簪」

「おまたせ、持ってきたよ。何ヶ月もかかってごめんね。束博士なら直ぐに出来ていたのに」

「ううん。君のが欲しいんだ」

「……ありがと」

 

春先に失った左腕の義手。それがようやく完成したので持ってくると言われたのが二日前のこと。採寸や採血、義手の接続端子を肩に取り付けたりなんかもあったっけ。あれは麻酔が効いてても痛いとかいう地獄だった。三か所一気にだったからに違いない。

 

バッグから取り出されたのは無骨ながらも洗練された義手。耐久性もそこそこに芸術性を重視したタイプに仕上げたらしい。スイッチを入れれば電磁迷彩が働いて生身の腕の色彩を忠実に再現してくれるんだとか。左腕のデータを元にしてうんぬんかんぬん。

 

簪の左手が僕の左肩を掴んで固定し、右腕で抱えるように持った義手がガチャリと音を立てて肩と接触し、九十度時計回りに回転されて接続された。肩に繋がれていたプラグからPCにデータが送信されていく。診断プログラムは問題なしと判断し、レディとだけディスプレイに表示される。

 

「神経繋げるよ、違和感があったら直ぐに言ってね」

「うん」

 

簪が一度だけ深呼吸してエンターキーをカチリと押す。

 

「ア"ァッ!」

 

脚の時にも感じた様な全身が硬直する様な電気が全身を駆けめぐる。痛みは一瞬だけで違和感も特にない。敢えて言うなら、久しぶりの左腕の感覚に戸惑っているぐらいだ。それを伝えると簪は「時間をかけて慣れていこうね」と優しく返してくれた。

 

大きな問題は無さそうなので、これでひとまず五体満足な身体に戻ったわけだ。

 

いやぁ、不便だった。役得も多かったけどさ。

 

「よし、大丈夫」

「ほっ」

「じゃあ行こうか」

「え?」

「行きたい所があるんだ。学外じゃないし、どうかな」

「まぁ、それなら」

 

渋々と言った様子で簪は承諾してくれた。病み上がりに何だかんだでベッドにとんぼ返りしてるから心配されるのもなんとなく分かるんだけど、今が一番いいんだよね。

 

医務室には書き置きを残して後にする。放課後の学内には人があまり残っておらず、部活に行くかアリーナに自主連に行っているので静かだ。カツカツと音を響かせながら校舎の外の出て、舗装されていない草原を歩いて行く。

 

「わぁ」

「なんだかんだで、この時間には来たこと無かったからさ」

 

そこはベンチがぽつりとあるだけの場所。海がぱあっと広がって、夕日が沈むのが綺麗に見れるだけの、それだけの。

 

「懐かしいよね」

「うん。早起きして整備室に行った日、だよね」

「そうそう。学校が始まって二日目なのに全部サボって籠りきりだったよね」

「ふふっ。レーションとかでご飯も済ませてたっけ」

 

あの日。夕食だけを食べに食堂に行って、食べてたら織斑君が挨拶に来てくれて、でも簪は彼の事がまだ嫌いな時期で、僕はそのこと知らなくて……それでここに走って来たんだ。あの時はもう日が暮れて夜だった。星が綺麗だった様な記憶はあるけど、夕日が綺麗な名所だって聞いた時からまた行きたいなってずっと思ってたんだ。

 

並んでベンチに腰掛けて、ぼうっと黄昏を眺める。

 

「明日ってラウラさんとシャルロットさんと出かけるんだっけ?」

「うん。そろそろ肌寒くなってくる季節だから、新しい服を買いたいってラウラが」

「へぇ。彼女、そういうのに無頓着っていうか、実用性重視で新しいものを買うイメージが無いんだけど」

「最近そうでもないよ? シャルロットが着せ替えにしてるから興味持ち始めたって言ってたし、織斑君の気を引くなら服選びも大事だよってアドバイスしたら急に乗り気になって」

「あはは。彼の好みはうなじや太ももとかのチラリズムだって教えてあげてよ」

「そうなの?」

「見てたらそんな感じかなって。彼って日本人気質強いから。肌色面積が広いのも効くけど、どっちかって言うとチラリズムとギャップがこうかばつぐんだよ」

「じゃあ言っておく。銀の情報は確かだってラウラが褒めてたよ」

「大佐殿にそう言われると悪い気はしないかな」

 

簪は相変わらずの引っ込み思案だけど少しずつ友達を増やしているみたいだ。臨海学校で二人と仲良くなったのがきっかけらしい。シャルロットさんは社交的だし、ラウラさんはカリスマを感じるから人が集まるんだろうね。勿論自分のクラスメイトとも遊んだりしている。

 

僕はと言うと、話相手はほぼ決まった様なもので。簪、更識さん、織斑君は頻繁に足を運んでくれる。そんな彼と一緒に皆曰く織斑ガールズが見舞いに来てくれていた。あの一件では敵対してたこともあって顔が引きつってるんだけど、織斑君が足しげく通うもんだから最近は慣れた様子だ。

 

「銀は織斑先生と外出だよね?」

「うん。委員会のお偉いさんと面会だって。何するのかは聞いてないなぁ」

「なんだろうね、危なくないことだと良いけど……」

「ね。織斑先生が一緒に来てくれるから滅多なことは起きないと思うから大丈夫じゃないかな」

「うん。あ、そう言えば本音がね――――」

 

それからは火が暮れるまで駄弁ってた。適当に、どうでもいい様な世間話。

 

でもそれがすごく楽しくて、普通だけど幸せで。

 

色々とあったけど僕が望んでいたゆっくりな時間が戻って来た。簪がいて、友達がいて、束さんも前より連絡を取ってくれるようになったし、くーちゃんの成長もちょっと楽しみだったりする。

 

願わくば、ずっと、続きますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、では行くか」

「はい」

 

いつも通りスーツをびしっと着こなす織斑先生の後をついて行く。義手と義足は今日も快調だ。

 

モノレールに乗り込み今日の話について質問してみた。

 

「今日はお前のISについて、と私は聞いている」

「僕の?」

「右腕のソレだ。束謹製とだけは伝えてあるが、詳しく聞かせろとおおせだ」

「はぁ」

「名無水、どれだけその機体を把握している?」

「ある程度は……束さんが調べてくれましたし安全とは思ってますけど」

「まぁ、そうだな」

 

幾つか予想はしていたけどその内の一つが見事に的中した。

 

このIS、束さんが調べてもすべて解明できなかった。自分も知らない、理解が及ばない技術が使われているとショックを受けてたし燃えてたのは記憶に新しい。武装欄や計器類も一部が文字化けしていて全く読めない。ただしISとしての機能はしっかり持っているし、ボロボロのくせして正常に動くという完全なブラックボックスだ。

 

危険だから生命維持装置のみの腕輪を作ると束さんに言われたけど、断ってコレをつけさせてもらっている。機能に問題はないし、こうなってしまったのは多分僕の絶望が原因にあるから。孵った雛を守るのは親鳥の役目だ。

 

そんなことがあったので、一応気にかけてもらっている。

 

それからは雑談を交えつつ真面目な話も少しして、時折束さんのことも聞かせて貰ったりしながら、移動時間を過ごした。

 

モノレールを降りてからは山田先生が運転する車で目的の委員会があるビルまで運んでもらい、中には織斑先生と二人で入る。受付には話が通してあるのか、それとも織斑先生の顔パスか、ゲートの警備に声をかけることなく素通りしてエレベーターに乗る。

 

「あぁ、一つ言っておく」

「はい?」

「これから会うIS委員会の連中はどれも狸と思っておけ」

「狸?」

「化かし合いの末に権力を手に入れた老害共だ。マトモに話を聞くな、流されずに自分を持て。あの手この手でお前の守りを剥がしにかかるぞ」

「き、気をつけます」

 

簪に聞いた通り、厄介な人達らしい。

 

エレベーターを降りて少し歩き、目的の部屋の前で立ち止まる。生唾を飲み込んでどうぞと織斑先生に合図して開けてもらった。

 

中には茶色のスーツを着たどこにでもいそうな初老の男性が一人だけ。座ってコーヒーを啜りながら本を読んでいた。こちらに気づくと本を閉じてにこりとほほ笑んで声をかけてきた。

 

連中って言われたから、てっきり数人いるものだと思ってたけど、そうじゃないらしい。

 

「ようこそ。久しぶりですな、織斑千冬殿。はじめまして、名無水銀君」

「お久しぶりです、委員長」

「はじめまして」

「まずはかけたまえ」

 

中は至って普通の会議室、といった内装。大きな楕円のテーブルがあって、囲むように高級そうな椅子が並んでいるだけの部屋。テーブルの真中には空間投影型のディスプレイがあるので、あれを使って普段は話を進めているんだろう。

 

言われた通りに入り口側の二席に腰掛ける。わぁ、お尻が沈む沈む。凄いね。

 

「聞いている通り、君のISについて教えてほしいと思ってね、今日は来てもらった」

「はぁ」

「それを持つにいたった経緯を聞いても? 我々からは君に与える様な指示を出した覚えは無いが、聞いた通り篠ノ之束から直接受け取ったと言う事かね?」

「ええ、まぁそうです。僕は病弱だったので、自分の手伝いをする代わりに貸し与える、と」

「最初からそうだったのかい?」

「いえ、何と言いますか…変身? 進化とは違うんですけど」

「ほうほう、興味深い。聞いたことはありますかな?」

「いえ。セカンドシフトならば聞いたことはありますが、本人の証言からしてまた別の現象と考える方が正しいかと思います」

「同意見じゃな」

 

ふむ、と顎に手を当てて考える初老の男性。先生も敬語だし、この人が委員会のお偉いさんなんだろう、さっきも委員長って言ってたし。あんまりそんなふうには見えないけど、面と向かって感じる圧力や雰囲気は普通じゃないって事だけ分かる。

 

「まぁ盛り上がる話題は後にして、まずは諸々の面倒な所から片付けて行こうかの」

「所属ですか?」

「そんなところですな。国家所属ではなく束博士自作の機体ということで、委員会及び全機には無所属として扱う、これでいいですかな?」

「ええ」

「では―――」

 

なんか、置いてきぼりなんですけど。僕が所持してるのに、話がポンポン進んでるんですけど。子供だから? でも聞いててもさっぱり分からないので先生に任せよう、うん。

 

ぼーっと聞き逃さない程度に話を聞いていると、先生の携帯が鳴りだした。

 

「済みません、学園からなのですが……」

「いいとも。ただ、外でお願いします」

「……」

「ここのルールと言うことは承知でしょうな?」

「……はい」

 

僕の傍を離れることに反応した先生だけども、無視できない電話なのか、一旦退室して行った。外で会話する音は全く聞こえない。

 

「……」

「ふむ。先生無しでは話が進められんな。しばらく雑談でもして待っていようか」

「はぁ」

 

これで僕と委員長の一対一になってしまった。どうしよう、何か話さないといけないのかな。好きそうな話題のタネなんて持って無いんだけど。適当に話を合わせていればいいか。狸って言うから、こんな場面でも気は抜けないけど。

 

「学園生活はどうだね? 聞けば、あまり外出しない暮らしをしていたと言うじゃないか」

「そうですね……楽しいです。毎日が発見ばっかりで飽きないですし」

「ほぉ~。学校が楽しいとは、ウチの孫にも聞かせてやりたいわ。あいつらちーーっとも勉強せん」

「あ、あはは……」

「秘訣なんかはあるのかね?」

「えっと……どうでしょう。でも友達がいて、仲間がいるから楽しいんじゃないかなって思います。自分一人だったり、嫌いな人がいっぱいいても楽しくないですから……」

「ふぅむ、なるほどのぉ。やはり彼氏でも見つけて謳歌させるべきなんかの。そう言えば更識のお嬢さんと仲が良いそうじゃな?」

「え? はいまぁ。ルームメイトですし」

「どうじゃ、どこまでいった? もう美味しく頂いたんか? それとも好みの味付けでもしとるんか?」

「はい? 頂く?」

「ううん眩しい」

 

額に手を当ててのけぞる委員長。どうやら期待した返しが出来なかったらしい。いや、頂くってなんですか?

 

「まぁ、楽しめているなら何より。病弱でも元気に生きているなら尚のことよ」

 

気を取り直したのか、委員長はうんうんと腕を組んで頷いている。なんか勝手に変なこと考えられてそうな怪しい顔してるけど……ホントに大丈夫だよねこの人。いや、怪しいおじさんだった。

 

「とすると、申し訳ないことをしてしまうな」

「は?」

 

脈絡のない言葉にぽかんとしていると、上から人が三人ほど振って来た。かなり高い天井からいきなり現れて、音も無く僕を囲むように着地すると、一斉にISを展開して僕に武器を向けてくる。

 

嵌められた。そう判断した僕は迷わずISを展開する。身体がどうとか言ってられない。いつも思うけど緊急事態起き過ぎじゃない?

 

「投降しろ」

「……エム?」

「そうだ」

「それに、オータムさんと、スコールさんまで…」

 

知識として聞かされている。僕が臨海学校中について行った先は、世界的に活動しているテロリストの亡国機業という組織だったらしい。彼女達はその中でも上の人間で、僕と姉さんを巡り合わせてくれた人達。

 

悪い人達じゃない。むしろ凄くよくしてもらった。特に、エムには。強気な性格で、口調もとげがあるけどどこか簪と似ていて話相手になってくれていたっけ。

 

いやまておかしい。ここは国際委員会の本拠地と言っても良い場所だったはず。先生がいたから間違いない。

 

どうしてテロリストがこんなところまで忍び込んでいる?

 

「そういう作戦ですか?」

「そういうことじゃ」

 

つまりはグルだったのか。汚い、大人は汚い。

 

「そんなに、この機体が欲しいんですか?」

「わしはな。別にお前さんが協力してくれる形でもかまわんのじゃけど」

「お断りします」

「じゃろうな。彼女らはお前さんが欲しいそうだぞ? モテモテは辛いの」

 

それは、分かった。両親がそのテロ組織の構成員だったことを聞かせてもらったからね。

 

「僕は、どちらもお断りです。こんな手段をとるあなたに預けるものは何もありません。皆さんには良くしてもらったけど、今選んでしまっては裏切ることになる」

「ほらな、言った通りじゃろ?」

「喧しいわよクソ狸。さっさとしなさい。ブリュンヒルデが扉一枚向こうにいるんでしょう?」

「呼んだか?」

「……あぁもう、言わんこっちゃない」

 

待っていた声がしたと思えば、スコールさんと千冬さんが切り結んでいた。サソリの様な黄金の機体は自身を包む様な球状のバリアを展開してブレードを弾く。千冬さんが不利に見えるが、執拗に一点を狙い続けてバリアにヒビが入り始めた。一挙手一投足、全てが洗練されたプロの動きだ。

 

いや、見とれてる場合じゃないだろ。

 

ビットを展開して二人に威嚇射撃。当然のようにそれを避けて十字砲火が僕を狙うが、空間圧縮で実弾エネルギー弾ともにひねりつぶす。

 

「ほおぉ」

 

委員長の感嘆が聞こえるが無視だ。てか逃げなくていいの?

 

ワイヤーブレードを多方に散らして動きを封じ、ワイヤーから直接発射できるビームスプレーで確実にダメージを与え装甲を溶かす。

 

「この!」

 

僕自身はガラ空きなのでエムは僕狙って突貫してきた。銃剣に速度を乗せた突進なんてくらったら身体がバラバラになる、たまったもんじゃない。

 

ビットが吐き出す散弾で速度を削り、空間操作で圧縮した弾丸を正面からぶつける。あらかじめ察していたのか、銃剣とビットを重ねてそれを防ぐ。が、勢いまでは殺しきれず壁際まで押しやった。立ち位置は初期に戻ったと言える。

 

(わかっていたけど、気が抜けない…)

 

バイザーのせいで表情までは分からないが、かなりやりづらそうに口元を歪めている。オータムさんもどう攻めるべきかとあぐねているようだ。ここは狭い上に向こうはそんな空間をフルに使ってドンパチやってるから自由に動けない。それに狙いは無事な僕とこの機体だ、思ったように戦えないんだろう。

 

そこをついて何とか逃げるしか……。

 

「ええのぉ、ますます欲しくなるわ」

「誰が…!」

「いやいや、譲ってもらおうなんて思うとらん。欲しいなら、奪うまで」

 

目を向けなくても分かる。センサーは机に隠れていた委員長が発光する箱を取り出したのをしっかりととらえていた。

 

あれは、ヤバい。そんな気がする。見ただけでも分かる。

 

ワイヤーを引きぬいてバーニアを吹かす―――ことは叶わなかった。親しみすら覚える、あのこみ上げる感覚。

 

「ごふ」

「ううん、すまんの」

 

吐血して動けない所へ、委員長の投げた箱が僕の機体にカンと良い音を立てて命中する。

 

箱が開いたと思えば、全身を電流が支配していた。

 

「ぎっ、が、あが…!」

「名無水!」

「あなたはこっちでしょ!?」

「ぐっ…!」

 

義足と義手の接続時に感じたやつの倍はある痛みと熱が身体を焼く。強すぎるソレらが回路を焼いていく感覚が神経を伝わってくるから性質が悪い。

 

それも一瞬だけで、気付いたらその痛みから解放されていた。が、電気で焼かれた義手と義足は反応が無く、仕方なく右腕で近くのテーブルをつかみ、椅子を支えにしながら床に倒れる事だけは無いように力を込めた。そして流木に捕まるように、テーブルにしがみつく。

 

そこでやっと気付いた。右腕にあるはずのものが、無い。そもそも機体が無い。

 

「ほほー。シンプルな黒い腕輪が待機形態か。しかしどす黒い色をしとるのぉ、美しさを感じんわい」

「まさか……!」

「ん、頂いたよ。ありがたぁく使わせてもらうぞ」

「返せ…それは、あの人のものだ!」

 

動かない身体を右腕一本で支えて、テーブルを伝い必死に近づく。が、それを見逃してくれるはずも無く、僕はエムの腕に抱かれた。抵抗らしい抵抗もできず、大人しくつままれる。

 

「はなして、くれ! あれは、大切な人から預かったものなんだ…!」

「分からなくもないが、今は諦めてくれ(機会があれば取り返してやれる、今は大人しくしていろ)」

「……君は」

 

もう何が何だか分からなくなってきた。誰か説明してほしい。というか助けて。

 

「スコール、ずらかるぞ!」

「先に行ってなさい!」

「させん!」

「こっちの台詞よ!」

 

激闘を繰り広げる赤と金を避けて、入り口とは反対の壁側まで移動するエムとオータムさん。大事に扱ってくれるのは分かるんだけど僕の意志をどうか尊重してください。

 

「離して! 僕は!」

「駄目だ、お前は連れて帰る! わた、し……?」

 

面と向かってエムに噛みつくが、徐々に彼女の言葉に力が無くなっていく。普段は絶対に外さないというバイザーまで外して、呆然とした表情で僕を見つめてくる。なんだよいきなり、拍子抜けするじゃないか。僕まで力が抜けてきたぞ。

 

「ふぅむ、加減が難しい……」

 

がちがちと泣きそうな表情で歯を鳴らすエム。ついで僕と目が会ったオータムさんは、一瞬で沸点に達したように怒りへと表情を変えて叫んだ。

 

「おい、どういうことだクソ狸ジジイ!!」

「どう、いう、ことだ? 話が、違う。その機体があればいいと言ったのは貴様だ、名無水は私達が連れて帰ると、そういう内容だったはずだ……!」

 

なんだいきなり仲間割れ? 雰囲気からして利害の一致って感じだけど、なんか取り決めでも破ったの?

 

「勿論。連れて帰ってもらってかまわんぞ? ほれ、はよう行かんか」

「てっめぇええええぇえ!」

 

挑発するようにしっしっと追い払うように手を振る委員長に飛びかかるオータムさん。蜘蛛のようなISの四本のブレードが一斉に斬りかかる。

 

が。防がれた。

 

「こうか? 若い時とは違って、身体が思い通りに動かんわ」

 

僕の機体を、委員長が操っていた。どういうこと? 奪うまではわかったけど、どうして操れる?

 

なんか、もう、わけわかんないよ。ホント、誰か説明してくれない? 展開速すぎて頭追いつかないよ、ぼーっとしてきたし。

 

「おい、寝るな! 起きろ! 今寝たら死ぬぞ!」

「だぁ、れが。しぬもん、か…‥げぇ」

「っ! そうだ、そのま でいろ、今  場所を す!」

「どけ! 応 処置が先……貴様、何者……えぇい後だ !  コール、心拍が浅い、人工呼 を!」

「ええ。エム、あな  呼びか 続けて!」

「わ、わかった!」

 

あれ、なんか集まってない? どうしたのさいきなり僕の周りに集まって。さっきまで戦ってなかったっけ? え、なに、ちゅーするの? やだなぁスコールさん、幾らなんでもからかい過ぎですよああああああああ。すごいナにコレあったかいね。さよなら僕のファーストキス。

 

……いやいや、そうじゃなくて、下ろしてくださいってば。僕は行きませんよ。待ってるんですから、友達が、彼女が。お世話になりましたし、良い人達だってちゃんと分かってますから。会いに行くとか考えますから、とりあえず帰してください。

 

足掻くように右腕を伸ばす。左腕と脚は未だに反応が無いので、一度外してメンテして貰わないと動かないかもしれない。あとでお願いしなきゃ。今は這ってでも逃げて、連絡とって拾ってもらって、学園に。

 

身体が動かない、おかしい。いやいや右腕は動くはず。さっきまで動いてたじゃん。意外と根性あるって知ってるんだからな、僕の身体。

 

「ぁぇ?」

 

無い。

 

右の肩から下が、無い。ごっそりと欠けている。噴水のように血が撒かれている。だらりとホースの様な大きめの管が僕の中から零れ落ちている。

 

死。

 

たった一単語が頭をよぎる。普段から僕の隣を歩いていて、気まぐれに肩を掴んでは連れて行こうとする悪友。その彼が、身動きできない僕を肩に担いで、来た道を戻っていく。

 

やめろ。いやだ、駄目なんだ。僕は……。

 

「 ぎ、だぃ」

「ッ! 当たり前のことを言うな!  きるに決まっている。お前が ぬわけあるか! 帰って   に会うんだろう? 友達が待っているんだろう!?」

「ぅ"n」

「いいか、寝るな。起きろ。起き続けろ。今寝たら会えなくなると思え!」

「ね、nあi」

「そうだ! 私との約束だってあるんだぞ! 駅前の雰囲気の良い喫茶店に連れていくと言ったのはお前だからな! 自分で決めた約束を破る様な奴じゃないだろう!」

「ぁ   ぁ」

 

あと一分だ。

 

え?

 

一分だけ。くれてやるぜ。俺達の仲だしな。それ以上は無理だ。

 

そんな、嫌だよ。僕まだ何も出来てないんだ。だから……

 

………。

 

……そっか。ありがとう。

 

「ぇ、m」

「な、なんだ? どうした?」

「たの、み   ある 」

「たのみ? 馬鹿を言うな! まるで、もう、諦めたような―――」

 

自分の視界がだんだんと滲んでいく。赤く、あと、うるうると。それで、エムの涙が頬を叩く感覚が、どんどん鈍くなっていく。

 

「エム。聞いて、あげて」

「スコール! おま「エム!」 ………ッ! ど、どうした?」

 

なんか、喧嘩させてごめん。

 

「髪、 り」

「髪? 髪飾りか? これか?」

 

するり、と髪がほどけていく感触。そう、それ。姉さんが残してくれた、雪模様の髪飾り。色々あって、色んなものが無くなっていったけど。それは最後まで残ってくれた、家族の形見。それを、どうか……

 

「か、ん‥…」

「更識簪か?」

 

そう、簪。

 

「彼女に、渡せばいいんだな?」

 

うん。汚くて、受け取ってもらえないかもしれないけど。僕のこと、忘れてほしくないから。

 

「分かった。私が、責任を持って、届ける」

 

ありがとう。千冬さんとか、束さんは、ちゃんと渡してくれなさそうだから。頼んだよ。

 

「げぇ」

「「「「名無水っ!」」」」

 

口から最後の血が全部溢れていった。もう、あと、最後に……

 

「ぁりか " tぅ」

 

にこりと涙ながらに微笑むエム。やっぱり簪に似てる気がするなぁ。だからかな、簪に看取られている気分だ。わるくない。

 

 

 

 

 

もういいかい?

 

良くないよ。僕はまだ きていたい。

 

無理。

 

わかってるさ。良いよ、ありがとう、君も。

 

いくぞー。

 

うん。

 

 

さよなら。




次回、最終話です。

二人はマグカップ数セット持ってるので、前割れたじゃんって思ってもそれは別のです。



すこしだけ、舞台裏のお話をさせてください。

出だしと、これまでの話しの中で数話だけ日記の様な部分を描いてきました。名無水の日記と、誰かの所作。まぁ簪ですね。

時間軸? って言うんですかね。時系列を書くなら

今作23話まで

冒頭直前

簪が銀の日記を見つける。最初の一冊から、過去や知らない一面をひも解いていく。

冒頭

というイメージで書き続けてきました。時折見せた簪の反応は、日記を読む中で彼女が反応した場面のほんの一部になりますね。

実際のところ、二人が部屋で過ごしたのはたったの一ヶ月ちょっと。それ以外は全部学園の医務室や打鉄弐式の整備室だったり。意外な感じもしましたが、病弱な銀が生きやすい環境と言えば医務室が一番だったのでしょうね。

こんな構成にチャレンジしてみたのは単純な興味です。タイムタイムリープなんて話はまだ難しいけどなんかやりたいというのがきっかけでした。結果的に上手い具合に物語りを引きたてるスパイスになったんじゃないかなって思ってます(まだ完結してないけど)

さて、では次を楽しみにお待ちいただければと思います。近日中に投稿(予定)です。


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025 せーのっ

トマトしるこです。

僕の心が染まる時 最終話になります。

長いですが、是非とも最後までお付き合いください。


「おはよう」

「ああ」

「……一夏、気持ちは分かるが少しずつでも元気を出していこう。いい加減に切り替えろ、等とは私も言わないさ」

「そう、だよな」

 

朝。ムカツクぐらい気持ちいい快晴。洗濯物でも干せば、さくっと乾いてくれそうないい感じの天気だが、生憎と今日は授業日なので難しそうだ。

 

俺より先に起きていた箒はまだパジャマのまんまだが、しっかり目が覚めているようだ。しゃこしゃこと歯磨きをしている。箒が歯磨き終わったら先に着替えさせてもらおう。というわけで、先に授業の準備をすることにした。宿題と復習の為に広げていたノートを片付けてカバンに放り込む。

 

日光を浴びながら軽くストレッチ。ポキポキと良い音が肩や腰から鳴り響く。一通り身体がほぐれた頃には、箒も歯磨きを終えてノートをカバンに入れ始めていた。

 

「んじゃ、着替える」

「ああ」

 

着替える時は俺が洗面所に鍵をかけて着替えるのが俺達のルール。これは女子の箒が逃げられるようにという配慮だ。絶対襲わないけどな。提案してきたのは箒で、俺も別に洗面所で着替えるのが嫌ってわけじゃないから承諾して今に至る。

 

さくっと着替えてドアをノック。

 

「いいぞ」

 

返事を確認して戻れば、いつものポニーテール剣道女子だ。

 

「行くか」

「ああ」

 

先導して部屋を出て鍵を閉める。

 

今日は名無水の葬儀から丁度一週間経つ。授業は昨日から再開していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然クラスの雰囲気は暗い。比喩でも何でもなく通夜という表現がふさわしい。俺が気の効いたダジャレを決めようものなら向こう三年間は干される。

 

授業中も静かなもんだ。いや、私語も今まで無かったけど、その、盛り上がりって奴が無い。みんな真剣なんだけど、上の空で、でも身体はノート取ってるみたいな。

 

「あっ」

 

山田先生もどこか集中しきれてない様子で、ペンや教科書を落とす落とす。

 

「すっ、すみません……」

 

いつもならここらで相川さんが「やまやせんせーなにやってんすかー(笑)」なんて言いそうなもんだが、その我らがムードメーカーも、いや、だからこそか、顔が真っ青だった。

 

アイツは、普段から教室にいない奴だった。

 

身体が弱くて、歩けば血を吐くぐらい脆い奴で、マトモに一緒に授業を受けたのって最初の一ヶ月ぐらいだけだった気がする。医務室に缶詰めになるようになってからは出たり出なかったりが続いてて、でも勉強は誰よりも大好きで、テストの点数は学年トップを総舐めしてた。知らないことばかりで、勉強がしたくて仕方が無いって感じで、医務室に顔出しに行ったら勉強してるか更識さんとイチャコラしてるかのどっちかだっけ。

 

それでもクラスの中心に、アイツは居た。みんなアイツが大好きで、気に入ってて、初心だからおちょくって遊んだりして、勉強得意だから教えてもらったりとか、聞き上手だから話やら愚痴やら聞いてもらったりしてたみたいだ。

 

物知りだけど世間知らず、勉強も人付き合いも好きで、偶に毒を吐いたりジョーク言ったりして空気を合わせられる。典型的な、良い奴。ただ、ちょっと人より身体が弱いだけの、普通の友達。

 

「えっと、じゃあ……織斑君、ここわかりますか」

「はい? うぅん、Aですか?」

「そうですね。正解です」

 

そこ、アイツが教えてくれてたところなんだよな。先生だったらこう出題するかもねって言ってたけど、ホントにそのまんまだったよ。

 

「……ッ」

 

その話を丁度一緒に聞いていた宮白さんが涙ぐむ声が聞こえた。

 

しばらくは、誰も立ち直れそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

授業間の休憩時間。

 

「一夏」

「おう、ラウラか」

「さっきのノートを見せてくれ」

「ああ、いいぜ」

 

俺の席は教卓の一番前のまんまだ。良く見えるが、後ろからすればデカイ奴がいて邪魔な時があるらしい。ラウラは特に身長が低いし最高列で見えにくい事が多いから、こうやって偶にノートを見せてくれと頼まれることがある。

 

ラウラからすれば初歩の初歩だろうが、提出義務があるのできっちり取っている。

 

「お前は」

「ん?」

「お前は、立ち直れそうか?」

「わかんねぇよ。身内で亡くなった人なんていないんだ」

「そうか」

「ラウラはどうなんだ? 四組の更識さんとも仲が良いし、一緒に遊んだりしてたイメージあるけど」

「私だって悲しいし、苦しい。それに奴は私が見てきた中で誰よりも出来る奴だった。プライベートでもあそこまで気のおける男はいなかった。それだけに、悲しい。簪の塞ぎこみもあるしな」

「そっか。悪い」

「ん?」

「勝手に決め付けてた、ラウラはもう立ち直れたんだなって」

「いや、いい。事実半分くらいは切り替えが済んでる。それが軍属だからな。お前達よりも、死は身近にあって、この目で見てきた。いわば経験者だ」

「……ホントにごめん」

「気にするなと言っている。むしろ私が異常なんだ。お前達は正しい。私はただ、麻痺しているにすぎん」

 

さらさらとノートを写す手が止まる。

 

「人の生き死にに特効薬などない。時間が風化させるか、整理してくれるか、それすら許さない状況か。そして私の様に感覚が鈍るか。それぐらいだろう」

「時間かぁ…想像つかないな」

「大丈夫さ。また笑えるようになる」

「そうかな」

「そうさ。悲しむのは一時だけでいい。でなければ、アイツが報われん。あの教官があそこまで傷を負うのだ、余程無念の中で果てたのだろう。なら、奴の分まで気持ちも思いも背負って生きて見せろ。ISを全く知らなかったずぶの素人が、モンド・グロッソのトロフィーを墓前に持って行くぐらいしてやれば、少しは喜ぶだろうよ」

「……もし、立ち直れないままなら、どうすればいい?」

「仲間がいる。少なくとも、お前には私達が、教官には教官の同期やお前がいる。助け合って、支え合って立ち直ればいい。何時までに切り替えろなんて指示はないんだから、気長で良いんだ。心の強さも価値観も人それぞれだろう?」

「うんうん」

「周りを元気にしたいのなら、まずはお前が元気になることだな。しょぼくれてる奴が何を言っても効果はない」

 

やっぱラウラはすげえな。同い年とは思えない。

 

「どおおおしても、と言うのなら私の所に来い。私も部隊長だ、カウンセリングの心得もある」

「お前ホントすげえなおい」

「もっと言っていいぞ? 私があの手この手で、お前を元気にしてやろう」

 

だらしなく口を空けたラウラはとろみを効かせた瞳で俺を見つめてきた。粘つく様なよだれがたまらな……いやいや何を考えているんだ俺は。

 

「お前、なんか仕掛けたな?」

「まぁな。そこそこ効いたようで安心した。不安定な部分が見えるがまだ元気だよ、お前は」

「そうかよ。そりゃどうも」

「元気でたか?」

「お陰さまで朝よりは」

「それは良かった。何かあればいつでも相談すると良い。なにせ、お前は私の嫁なのだからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次は二組との合同実習だった。どうせならと思って皆に聞いてみることにした。どう思ってるのか、どうしようかな、とか。

 

「アンタ、思ってたより元気ね」

「さっき隊長殿に元気を分けてもらったからな」

「ふぅん。先越されちゃったか、残念」

「先?」

「こっちの話よ。んで、どうなの?」

「ああぁ。見ての通りでさ、なんか皆切り替えられなくて、でも何時までもこのままってわけにもいかないだろ? それはアイツに申し訳ないからさ。元通りってわけじゃないけど、湿っぽいのも長引くと良くないし」

「そうねぇ。ウチのクラスは特に親しい知り合いって言えばアタシくらいだから、そんなに落ち込んだりしてないけど……隣のクラスがこれだとちょっとね。だからってわけじゃないけど、話くらいは聞くわよ」

 

ロッカールームでさくっと着替えて、外のベンチで合流する。差し入れのドリンクを渡して、一息ついてから話を続けた。

 

「アイツってさ、すげぇ奴だったじゃんか」

「そうね。勉強も出来て、いつだかの試合も見たけど、あれは凄いの一言に尽きる。料理もできるって聞いたし、彼女もいるらしいじゃない? とんでもない完璧人間ね」

「だよなぁ」

「……アンタ鏡見たことある?」

「なんだよ、あるに決まってるだろ? 今朝も見たぞ」

「そういうとこよねぇ、ホント」

 

はぁ、と大きなため息をつく鈴。右ひざに左脚を乗せてさらに肘を乗せる。おーい、スカート上がってるぞー。

 

「まいいわ。それで?」

「でもさ、期待されてるのは多分俺だと思うんだ。自惚れかもしれないけど」

「自覚あったのね」

「流石にな。専用機ももらったし、千冬姉がいるし。逆にアイツの話は一切取り上げられないから、最初はムカついてたんだけど、そういうことなのかなって」

「まあそういうことよ。……はぁーん、アンタ、俺よりアイツの方が出来るのに、俺の方が期待されてるけどどうすりゃいいんだろー的なこと、考えているわね」

「うぅん、そんな気がする」

「そんな、じゃなくてそうなのよ。でもま、アンタの悩みも分からなくない。何時だって何をするときだって、アイツのこと意識してたんじゃない?」

「それはある。勉強とか人付き合いは特にそうだった。とにかく上手いんだよ。なんかコツがあるのかもって観察してた」

「そ。つまり、一夏にとって、アイツは"メンター"だったってことよ」

「メンター?」

「カンタンに行ったら、目標にしている人、人生における師匠の様な存在。そんな人のことよ」

「鈴、お前すげえこと知ってんな」

「たまには漫画以外も読みなさい。んで、そのメンターって人を参考に自分も模索していくわけよ。一夏の場合なら、人付き合いの方法とか、効率的な勉強法とか。観察するって事は、相手の技を盗むって事。吸収しようとしてる証拠よ。ちゃんと学べた?」

「ああ。俺なりに真似て工夫してみたら上手くいったよ。お陰でこの間の抜き打ちテストは前よりいい点数が取れたんだ」

「良い傾向じゃない。で、ここからが大事なんだけど、学べる物を学んだら次はメンターを越える必要がある。同じ分野で、自分のメンターを倒す。それが出来て初めて成長できるように人間って出来てるの。アンタは今この段階ね」

「ふぅん。でも肝心のメンターはもう居ないじゃないか」

「だから? やることは変わらないわ。アンタの中にある最強のメンターを越える。失礼な話、生きてる必要はないのよ。自分の憧れたあの人は本人よりもずっと輝いて見えるから何倍も強い。男子ってそう言う展開けっこう好きでしょ。それを繰り返して階段を一歩一歩上がっていく。その内今度は一夏をメンターにする人が現れるだろうし、一夏は一夏で後輩とか弟子とか教える側になってくる。後はわかるでしょ」

「……メンターから教わったことを伝えていく。そうすることで、俺を通してアイツの技や意志はどんどん伝わっていくのか」

「そういうことよ。湿っぽくなるのも大事だけどね。キリの良いとこで切り替えて、壁もさくっと飛び越えて、クラスの雰囲気ぐらいちゃちゃっと変えてみなさい、アイツから教わった方法でね。男だし、クラス代表だし」

「ああ。そうだな。サンキュ!」

「いいってことよ! アタシを誰だと思っての?」

 

にかっと笑ってハイタッチ。乾いた音が心地いい。

 

鈴はいつだって真っすぐだ。迷っている時ほど鈴の言葉はよく染みる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……わからない」

 

アイツを越える、と決めたものの壁は大きい。苦手な数学で躓く時点で先は長そうだ。全教科の点数を越えるとかそう言う話じゃないってのはわかってるんだけども、どうせならってのが男の性。

 

ハードルは高い方が断然燃える男だ、俺は。

 

今のハードルは低いけど。

 

「あら? 一夏さん、お悩みですの?」

「セシリアか。そう言えば数学得意だよな。教えてくれよ」

「構いませんことよ。狙撃とは、綿密な計算の上に成り立つのですから」

 

隣のアデーレは今トイレに行っているので席を借りさせてもらう。

 

「しかし、どういう風の吹きまわしですの? テスト以外は数学の勉強をしない主義とか、仰っていたような」

「アイツには悪いけどいい機会だからさ、自分を見つめ直してみたんだ。将来何かやってみたいことがあるわけじゃないけど、アイツには負けてられないし、越えたいから」

「あら、そう言うことでしたか」

 

雑談はそれきりにしてさっきの復習に入る。中学までは何とかサクサク解けてたんだけどな、学園に来てからは全体的にレベルが高くて一般教科もちょっと置いて行かれているのが現状だ。俺が進学する予定だった高校とは偏差値が雲泥の差だからに違いない。

 

どうしても分からなかった問題を解き方からしっかり教わってマスター。

 

「助かった、ありがとうセシリア。こういう勉強とか教えるの上手だよな」

「当然ですわ。私は人について行く人間ではありませんから。教え導くのが、貴族の務めでしてよ」

 

IS乗り立ての頃の、イメージに数字を持ち込むアレだけは困ったけどな。

 

「ところで先程の話ですが、将来の夢は無かったのですか?」

「俺か? うーん、確かに無いなぁ。早く就職して千冬姉に恩返しがしたいってのが、強いて言えば夢だった」

「一夏さんらしいですわね」

「そうか? でも具体的にって言われると何も浮かばないんだ。卒業したらどうしよう、とか」

「それは今からでも考えておいた方がいいかもしれませんわね。時間は限られているのですから」

「どういうことだ?」

「ええと……話は少しズレますが、一夏さんは卒業してから今勉強している数学をどれくらい使っていくことになると思いますか?」

「……殆ど使わなさそう。少なくとも、俺は家事をしている時に方程式なんて使わない」

「仰る通り、数学に限らずですが社会に出て役立つことなんてほんの一握り程度。それ以上の事を求められる場合は、手軽にこなせる道具や仕組みが整っているです。百桁の計算を方程式で解くなんて現実的ではないでしょう? 電卓を使うに決まっているじゃありませんか」

「頭がおかしくなりそうだ。そんなことしてたら日が暮れちまう」

「ええ。勿論学生の身分ですから、勉強は大事ですわ。でも、将来を見据えて、その為の勉強をする方がはるかにタメになると思いませんか? だったら今からでも始めるべきです。年齢を重ねれば重ねるほど、大成させるのは難しくなっていくものです」

「確かに」

 

年をとれば身体もだんだん衰えてくるし、問題やしがらみも増える一方だ。自分だけの身体じゃ無くなっていくのは世間を見れば明らか。

 

「目標を越えようと努力するのは素晴らしいことですわ。苦手も克服して平均的に高いレベルを目指そうという心意気は誰でも持てるものではありませんし、理想です。ですが無理をする必要はないのです。荷電粒子砲を射程距離限界からでも確実に当てられるようになるより、より刀と零落白夜を使いこなす方が性にあっててより強くなれると思いませんか?」

「それは……そうだな。そんな気がする。銃を撃つのは憧れるけど性に合わない」

「何事も同じです。一夏さんがパーフェクトになる必要はありませんわ。数学や射撃が苦手ならそれでいいのです、一夏さんには近接が苦手だけど数学と射撃が大得意な私がいるのですから。無理や苦手は仲間や友人と折半してはいけない、なんてこと誰も決めていませんもの」

「……ありがとう。変な無茶をしてたみたいだ。ちゃんと考えてみるよ、将来のことも考えて」

「それがいいですわ。因みにですが、私としては社交を学ぶことをお勧めします。織斑先生の弟が求められる場面もきっと増えてきますから、覚えておいて損はありませんでしてよ」

「社交かぁ。パーティとかに出席するんだよな。やっぱ踊ったりするのか?」

「勿論。首をながぁくしてお待ちしていますわ。この私、セシリア・オルコットと円舞曲を踊ってくださる日を」

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は正午ちょい過ぎ。学園では昼休みだ。普段だったら皆で弁当だったり食堂で集まったりしてたんだが、まだワイワイ騒ぐのは憚られる。ここ一週間は一人で定食をつつくのが日課になりつつあった。夜だったら箒が一緒なんだけどな。

 

「今日は一人?」

「今日も一人だな」

 

すっと対面に座ったのはシャル。サラダとパスタという欧米色の強いランチだ。

 

「美味しそうだね、それ」

「これか? とろろを美味しそうっていう外国の人は始めて見た」

「むっ、それは失礼じゃないかな」

「これ納豆みたいにねばとろってしてるぞ?」

「前言撤回。やっぱり日本食は独特だよ、ホント」

「美味しいのに……」

 

ずぞぞぞ、と醤油を垂らしたとろろを啜る。ここで米をかきこむと美味さが倍になるのがまた。

 

「なんか皆に話しかけてるみたいだね。どうかしたの?」

「あぁ、いや。少しずつでいいから、立ち直らないとなって。丁度いいタイミングでラウラと話したからさ、どうせならと思って。お陰で良い話が聞けたよ」

「良かったね。で、次は僕の番だったりした?」

「だな」

「よかった。どんな話をしてたの?」

「クラスの雰囲気も少しずつでいいから明るくしていきたいって話したら、まずはお前が元気になれって。んで、鈴からはアイツを越えてちゃちゃっと雰囲気戻してくれって。頑張ろうって苦手なところから始めてみたんだけど、セシリアは無理に苦手を克服することはしなくても良いって。皆すごいよな、しっかり自分の考え持ってて、その為に勉強もしてる」

「まぁ、僕らは仮にも代表候補生だから。ただ強いだけじゃなれないものなんだよ」

「それは分かってるけどさ。因みに基準とかあるのか?」

「基準、かぁ……」

 

フォークの先にコーンを数個指してぱくっと食べながら、シャルは考え込んだ。

 

「一応あったと思うよ、国際委員会が決めたのが。でも内容が結構アバウトでね、実際は各国政府が適していると判断した人がなってる。共通して言えるのは、実力とマナーかな。あとは雑誌とかにも取り上げられたりしてるから見た目にも気を使ったりしてた気がする。あまりメディアに露出しない方針の国もあるから、そこは違うけど」

「成程……結構大変なんじゃないか?」

「まぁね。雑誌の話もそうだけど、メディアはネタに飢えてるから。良くも悪くも話題になりやすいんだよ。日本は特にそういうの神経質でしょ? アイドルのスキャンダルとかさ。その分見返りも大きいけどね。給料だって貰えるし」

「え、金貰えるのか!?」

「職業だからね。勿論貰えるさ。マスコミの取材だって僕らにアポとってお金を貰ってるんだよ? 印税とかって聞いたことあるんじゃない?」

「言われてみれば……千冬姉はどこからお金を稼いでるんだろうって思ってたけど、そう言うことだったのか」

「代表ともなると、額も凄いんだろうね」

 

代表候補生が凄いってのは聞いてたし、実際シャル達はすごいんだけど、まさかそんな仕組みになってたとは。ってことは皆国から給料もらってるのか。鈴とか車買う計画立ててそうだな。

 

「僕は賛成だよ」

「何が?」

「代表候補生、目指してみようって顔してるよ」

「そ、そうか? まぁ確かに考えていたけど」

「折角ISが動かせるんだから、卒業後の進路もそういう道に進んでみるのはアリじゃないかな。一夏は覚えもセンスも凄く良いし、直ぐになれると思う。さっき言ったみたいに給料だってでるから、織斑先生への恩返しもできる。むしろ二代目織斑って誇らしくない?」

「二代目って名乗れるほどじゃないけど……でも、ちょっと憧れたりはしてたんだ。千冬姉みたいになれたらなーって。それにさ、皆が見てる物を俺も見てみたいんだ」

「そっか。じゃあ今から頑張らないとね。少なくとも、相手はあの簪だから。彼女は凄いよ」

「うぐ……や、やったらあよ!」

「あはは。その意気だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千冬姉」

 

こんこん、と扉をノックする。今日も欠勤の連絡があったと山田先生が言っていたから部屋にいるのだろう。きっと酒を煽っているか、布団に籠っているかのどっちかだ。昔から辛いことがあるとそのどっちかだったから。周囲とは違う過ごし方をしてきたから、誰にも相談できなくて、そうやって解決するしかなかったんだ。

 

「俺、皆と色々話したんだ」

 

こんなこと話したってきっとそれがどうしたって思われるだろうけど。

 

それでも言葉にしないと伝わらない。

 

「アイツの分まで頑張って生きるよ。今より何倍もでっかくなって、守りたいんだ」

 

「だから、代表になる。それが俺の、今の目標だ」

 

……返事は、無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、今日も疲れた。やっぱ身体が鈍ってるのかも。最近は塞ぎこんでたし、運動もあんまりしてなかったからな。食事も適当に済ませてたっけ。

 

明日……いやいや、今日からまた頑張って行こう。

 

目指すは日本代表だ。

 

 

 

 

俺が?

 

馬鹿言え。

 

そんなふうに部屋の隅っこでガタガタ震えてる奴がなれるもんかよ。

 

そら、歯がカチカチなってるぞ? 

 

息も荒いじゃないか。

 

ガシガシ頭もかきむしってさ。

 

ガキみたいに蹲ってやがる。

 

「うっ……かっ、はぁあっ、あ」

 

泣くか? 泣くのか? 未来の代表様は泣いちゃうんですかぁ? ギャハハハハ!

 

「あああああああああああああっ!!!」

 

幻覚が俺を責め立てる。そのたびに思い返すのは、アイツを切り裂いた時の感覚。

 

零落白夜が装甲を溶かし、生身の身体を焼く、あの。ギリギリの間合いから振り抜いたから剣先が掠る程度だったが、十分過ぎた。

 

じゅうじゅうと焼ける音、焦げた生肉のニオイ、炭化していく真っ白の肌、蒸発していく鮮血。メット越しでも想像がつく、アイツの苦しむ顔。血反吐を吐いて、両足まで切られて、留めとばかりに俺に斬られる、絶望したアイツの顔を!

 

そのどれもが今でも鮮明に思い返せる。ついさっきの出来事のように。

 

この一週間、ずっと、俺は、何度も何度もアイツを斬りつけて、痛めつけてる。

 

ちょうどあの日の様な暗い夜に。

 

「……無事では、無さそうだな」

「ほうき……」

 

ぱっと明るくなった部屋。入口側には竹刀袋を下げた箒が俺を見ていた。

 

「とりあえず電気くらいは付けた方がいい。あと着替えることだ」

「あぁ…」

「まったく……ほら、こっちに来い」

 

しょうがないなぁ、と言った様子の箒は何かお香のようなものを焚くと、ベッドに座って隣に座るようにとぽんぽん叩いた。

 

もそりと動きだした俺はどっかと腰掛ける。

 

「それは?」

「気持ちを落ち着かせてくれる香だ。昔、まだ重要人保護プログラムで家族と引き離されたばかりの頃は私も今の一夏の様にイライラしたり落ち着かなくてな、試しにと買ってみたそれが思ったよりいい香りで一役買ってくれた品だ」

「へぇ」

 

お香か、和物大好きな箒らしいな。確かに花の良い香りがするし、少し落ち着いてきた。幻覚も遠ざかっていく。ちょっとふわふわするけど……もともと女子が使う様なものなら、男には合わないのかもしれないな。

 

「聞いたぞ、日本代表を目指すそうだな」

「あ、あぁ。早いな」

「なんだ自信なさげだな。そんな調子で大丈夫なのか」

「大丈夫、じゃないな。御覧の通り」

「……そうだな。苦しいか?」

「苦しいさ。アイツは良い奴で、凄い奴で、同じ境遇の友達だった。特別な友達だったんだ。おれは、それを……斬った。クソだ、俺は、最悪だ」

「一夏……お前は、何も間違っていないんだぞ?」

「……ってるよ、分かってるよそんなことは! 間違ったことしてないって事ぐらい! ああしなきゃもっと誰かが傷ついてて、死んでたかもしれないって! でも、俺は怖かったんだ。自己防衛だからって、殺す気で戦ってた自分が怖いんだよ…!」

「一夏……」

「零落白夜は相手を気遣って掠らせたんじゃない、推進剤が足りなくてあそこまでしか踏み込めなかっただけで、俺は真っ二つにしてやる気概で踏み込んでたんだ! 相手が人間だって気付いてた! せき込む様な動作で、更識さんが傷つけたところから血が出てきたのも見てた! でも俺は殺そうとした! そのことしか頭の中に無かった!」

 

もう自分が信じられない。怖い。また繰り返してしまうかもしれなくて、怖い。震えが止まらない。

 

寒くも無いのに身体がガタガタと震えだす。

 

そっと、そんな俺を箒が抱きしめてくれた。

 

暖かくて、やわらかな、いい匂いに包まれる。

 

「少し疲れているんだよ、深く傷つき過ぎただけだ。休めばまた前の様に振る舞える。きっといつか、な」

 

ぎゅっと抱きしめる力が強くなった。不思議と、箒の言葉がすうっとしみこんでいく。

 

じつは、おれのこころがちょっときずついてるだけで、またきれいもとどおりになれるって、ほうきがいうんだ。

 

ほうきが、なおしてくれるんだ。

 

「少し休もう、一夏。日本代表はそれからでも遅くないだろう?」

「……うん」

「ふふ。私に任せてくれ。今のお前に足りないのは、きっと癒しだよ。大丈夫だとも、私が責任を持って、必ず、お前を癒して見せるとも」

 

ゆっくりと、あたまをなでられるかんかくがとてもきもちよくて、じぶんがだんだんととろけていくのが、わかった。

 

ああ。

 

きもちいいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っつうぅ……」

 

寝付いた一夏の髪を撫でる。身じろぎすると鈍くも鋭い痛みを訴えた下腹部をさする。思っていたより痛かったし、腰がだるい。

 

だが、まぁ、おおむね好調だ。

 

いや、完璧と言って差し支えない。駒が死んだのは想定外だったが替えはきく。

 

「ぷくく。くすくす」

 

完璧すぎて笑いがこぼれてしまう。おっと、さわぐと一夏が起きてしまうな。静かに。せっかくいい運動と香のお陰で眠れているのだ、起こすのは野暮だろう。

 

思えば長い道のりだった。想定外の厄介な虫を払うのにここまで苦労するとは思わなかったが。存外にしぶとい奴だったが、終わってしまえばあっという間だ。

 

ゴーレムのデータをこっそり改ざんし、

 

学園のそこそこ力のあるアホを買収していじめさせ、

 

奴の不気味な機体の情報を委員長へとリークする。

 

色々と準備はしていたが、実際に行動を起こしたのはこの三つだけ。しかしどれも偶然が良い方向に働いてくれたおかげで、たったの三手で私は一夏を手に入れた。

 

特に更識簪と姉さん。本当にありがとう。私と一夏の愛を繋げてくれる為に身を粉にしてくれたとした考えられないよ。特に姉さんは紅椿までくれた。これさえあればもう他の連中に水をあけられることはない。

 

「きひっ」

 

本当に死人が出るとまでは思っていなかったが、別にどうでもいい。私には全く関係のない話だ。むしろこれすらも幸運と言えるだろう。傷心に漬けこむ形になったが、関係はグッと進んだ。ラウラが誘惑していたので多少の焦りがうまれたが、終わってみればアレすらもスパイスだったわけか。

 

今日はまさしく記念日だ。明日の夕飯は私がてずから豪勢な食事を用意してやろう。ついでに皆も招待してやるか。その方が一夏が元気になるだろう。

 

「くはははっはははっ」

 

月明かりに照らされる自分と一夏の身体。お互いに噛み後や赤いあざが幾つもある。満足いくまで眺めた私は優越感に浸りながら眠りに着いた。

 

ありがとう、さようなら。

 

お前のお陰で一夏は私のものだ。

 

心から感謝するぞ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわああああっいたっ!」

 

跳び起きた私を出迎えたのは低い天井だった。身体を半分も起こそうものなら額をぶつけてしまう不親切設計のこのアジト。面積を優先するのは分からないでもないが、流石にこれはやり過ぎだろと何度目か分からない悪態をつく。同時にまたか、と呆れた。

 

ここ数日同じ夢ばかりを見る。

 

あの日、彼を看取ったあの瞬間だ。織斑千冬ではなく、私に髪飾りを託してくれた、あの瞬間。

 

たった二日程度の付き合いだったが、彼は私にとって初めての友人だった。くだらない話も、料理のことも、学園のことも、何もかもが私にとって新鮮で、そんな様子を前の自分みたいだと苦笑していた。

 

生まれて初めて心から笑っていた。楽しかった。約束もした。好きだった、のかもしれない。

 

スコールやオータムとはまた違った、特別な存在だった。

 

だからこそ悔しい。

 

夢を見るたびに、楽しかった思い出と、自分の不甲斐なさに打ちのめされる。私が守ってやれれば、こんなことにはならなかったのだ。ISを一時失うことになってアイツは生き続けられた。生きてさえいればチャンスなんてたくさんある。私達だってまだ一緒にいられたし、更識簪とだってまた会えたんだ。

 

攻撃に気付かず、抱えることしかできなかった私が全て悪い。

 

私が悪いんだ。罰を受けるべきは私だ、裁かれるのは私だ。

 

「おいエム。また頭打ったな」

「悪いか」

「心配してんだぞこっちは」

「余計な御世話だ。で、何の用だ」

「仕事だ。ジジイに関係のある施設を襲撃して情報を手に入れる」

「……ジジイ?」

「あぁ、そうだ。アイツだ。篠ノ之束から情報が廻って来た」

 

ははっ。そうかそうか、足取りを掴んでくれたのか。なんでもいいぞ、少しでも関係があるのなら、可能性があるのなら、私はどこへでも行ってやる。どこにいようが知ったことか、引きずり出して、追いまわして、引っ掴んで引きずり寄せてブチっ殺す。

 

「殺してやる。殺して殺して殺して殺して殺して、殺して。やる」

 

復讐だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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空になったレーションを適当に放り投げる。がさり、とまた一つゴミの山に近づくが、そんなことは些事だ。

 

食事など栄養が取れればそれでいい。同じく水分も。睡眠は別だ。しっかりと脳を休めることが、効率を高めることを天才の私はよく知っている。取り過ぎるのもよくないので、六時間だけと決めているが。

 

風呂もいい。研究もいい。実験もいい。

 

何を置いても、コレは全てにおいて優先する。

 

一刻も早く、一日でも、一時間でも、一分一秒でも、早く。

 

でないと私が壊れてしまう。気が狂いそうだ。いや、事実狂った、錯乱した。そのたびにくーちゃんに鎮静剤を打ってもらって、そうやって正気とも言えない正気をなんとかこの一週間保ち続けてきた。

 

でも、それももうすぐ終わる。完成する。

 

さぁ、どうだ。

 

ホルマリンに漬けられた、握りこぶし程度の物体。透明な容器に入れられたそれにプラグを差し込み、ラボにある全機材を投入して、情報を摘出し、整理し、文字として還元する。膨大なディスプレイにはずらりとアルファベットがならび、尋常じゃない速さでスクロールしていくそれらに目を通し、問題ないことをチェックしていく。

 

そして……。

 

『く、ああぁぁ……』

「やあ、おはようはっくん! 気分はどうかな?」

『おはようございます、束さん。今日もいい天気ですね』

「うんうん、そうだよね。洗濯物がしっかり乾いてくれそうないい天気だ!」

『ですねー。僕、ちょっと干してきますよ。なんか見ない間に散らかってるみたいですし』

「にゃはは、もうしわけなっしんぐ」

 

むくり、と起き上がった所々金属を覗かせる人形が、すたすたと歩いて行っては脱ぎ散らかした服を回収して部屋を出ていく。

 

「やった…」

 

……できた。成功だ! やった! 流石私! はっくんが生き返った!

 

「やった、やったやったやった! 見てたくーちゃん! はっくんが生き返ったんだよ!」

「ええ! ええ! 勿論です! 流石です!」

「んふー、もっと言っていいんだよ? 何せ私は、今この瞬間から神になったんだからね!」

 

 

 

訃報を聞いた時、私は人生で一番狂った瞬間だったと思う。なにせなんも覚えてないから。ISの為に人体実験をしていたとか、違法な研究をしていたとか、そんなの比じゃない。

 

気を取り戻した私は直ぐにIS委員会の委員長の足取りを追った。ただ殺すだけじゃ飽き足らない、むごたらしく、辱めて、自分が生まれてきたことを一生後悔する様な、無駄に長生きさせる器具をつけて半永久的に苦しめる拷問具を作って、壊れるまで苦しめて、飽きたら鳥のエサにでもしてやるよ。この私がここまで懇切丁寧に最後まで考えてやってるんだ、光栄に思え凡愚。

 

そう決意して足跡を洗っていると、ある情報が目に入った。

 

DNA。

 

人間の設計図とも言えるそれは髪の毛にすら存在する。

 

そう、設計図なのだ。彼の一部さえ手に入れることが出来れば、それはつまり設計図を手に入れたと同義。図面だ。それさえあれば私にできないことはない。

 

挑戦したことのない分野だが、不思議と不安はなかった。私ならできると確信があった。現にそれは不完全であるが成功している。

 

その日の内にほのかに温かさを残した遺体から肉片を少し頂戴して、ホルマリンにつけて劣化しないように大切に保管し、機材を揃える。急ピッチで仕上げられたのは無骨な人型の人形だけだが、次第に人間らしいパーツや機能を増やして、その間にクローンを生成し、最終的にはそちらに意識を写して完全に生き返らせる計画だ。

 

あぁ。完璧。なんの障害も、不安も無い。クローン生成にどれくらい時間が必要なのかがキモだが、それも三年もあれば余裕で完遂できる程度。

 

三年。たったそれだけ我慢すれば、彼は帰ってくるのだ。

 

「うふふ、待っててねくーちゃん。数年もあれば前の暮らしが戻ってくるから。そうしたら三人であまぁい日々をまた送ろうね。更識簪とかいう小娘のことなんて何も覚えちゃいない、私達だけのはっくんとね」

「私も精一杯お手伝いします」

「たのむよくーちゃん。あ、ねぇねぇ、子供は何人欲しいかな? 今の内から部屋を広くしておかなくちゃ」

「そう、ですねぇ……」

『二人して何の話をしてるんです? 手伝ってほしいんですけどー』

「「はーい」」

 

あぁ懐かしい。やっと帰って来れた。ちーちゃんとの日々もすてきだったけれど、はっくんとくーちゃんとの生活も良いものだ。

 

ひと段落したら、またジジイを探さなくっちゃ。そんでもってあいつらに引きずり出させてやる。

 

うふ。

 

うふふふふふふうううふふふっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クローゼットの扉の内側、そこには真新しい姿見が飾られている。学園から支給されたそれは他の部屋よりもちょこっと質の良いものらしい。前よりも一回り大きいので重宝している。

 

今日のコーディネイトは水色のブラウスにカーディガンを羽織り、ストッキングにひざ丈のスカート。どれも銀が似合うねといって買ってもらった洋服だ。待機形態の打鉄弐式と、愛用の眼鏡。

 

そして、天然石のネックレスと赤い雪模様の髪飾り。

 

うん。ばっちり。

 

今日は朝から晴れていて気持ちが良い。散歩には持って来いだ。サボるなら今日みたいな日が一番。

 

私は意気揚々と寮から飛び出した。最短距離を進むと人の目が多くてバレてしまう。若干時間をかけて遠回りし、駅員には封筒を握らせてモノレールに乗り街へと繰り出す。

 

アニメファンの間には、聖地巡礼という言葉がある。

 

製作の際にモデルとなった街並みや風景、作中に出てくるお店など、現実に存在する場所を聖地と呼び、それらを何件も梯子する、という楽しみ方の一つだ。モノによってはツアーが組まれていることもあり、集まった人達は仲間なので一粒で二度おいしいのである。実際はそんな上手くいかないけどね。

 

話が逸れたが、今日は聖地巡礼が目的だ。

 

近場から寄って行き、ぐるりと街を一週して学園に帰る。一人ならではののんびりとした自由なツアーだ。誰に気遣うことも無い。思うままにぶらぶらとしよう。

 

 

 

駅前の喫茶店。

 

大変雰囲気の良いお店である。コーヒーが格別に美味しいし、セットのケーキがまた程よい甘さで相性抜群。読書が世界一贅沢な時間になること間違いなしだ。ちょっと気さくなマスターは雑談にも付き合ってくれるので退屈しないし、アンティークな調度品に合う音楽も点数高い。知る人のみぞ知る隠れスポットだ。

 

 

 

大通りのペットショップ。

 

ここら一帯で一番大きなペットショップで、それだけに種類も豊富なのがウリ。犬猫はもちろん、ウサギ、カメ、鳥、ハムスター、金魚等々。珍しい時はウリボウもいた気がする。個人的にはフクロウが可愛かったなぁ。

 

 

 

路地の古書店。

 

振り子の音が響く静かな古書店。小説や文学が殆どで、とにかく多い。店主とバイトの大学生はだいたい読了しているらしく、珍しく入って来た私達をなんとか引きずり込もうと熱い接客を受けた。悔しいのが勧められた本が好みの展開だったことか。

 

 

 

デパートのランジェリー。

 

私が気に入っているブランドで、とにかく可愛くて素材が良い。可愛いからついつい店員さんと二人がかりで試着させようと、隙あらば迫ってたんだけど叶うことはなかった。いや、叶ったらそれはそれで危ないんだけどね?

 

 

 

同じくデパートのジュエリー。

 

ショーケースに飾られていたネックレスが気になっていたのを見ていたから、とただそれだけでウン百万するネックレスをプレゼントされてしまったあのお店。買いますと即決したこともビックリだし、財布からブラックが出てきたこともビックリだった。勿論、あれからずっと付けている。手入れも欠かしたことはない。

 

 

 

屋上の中華料理店

猫の小物雑貨

惣菜コーナー

香水専門店。

 

………

 

 

 

ふぅ、楽しかった。一人で遊ぶなんて初めてだったからどうなることかと思っていたけど、案外良いものだ。一緒の誰かに気を使う事が無いので、自分のペースで、好きなようにできる。良い。とても良い。パーツショップに一時間居ても苦笑されることが無いのは実に良い。

 

新しいお店を開拓せずに、行ったことのある場所ばかりだけど、品ぞろえが変わっていたり、また新しい楽しみ方を発見できたりと少しも退屈しなかった。

 

唯一、銀と私の顔を覚えていたジュエリーの店員さんからは「お悔やみ申し上げます」と頭を下げられた。あの一回きりで何も買ってないし今日も冷やかして帰ったけど(それ以前に私達が入っていい様な場所じゃない)、それでも感じよくしてくださった。少しだけ心が痛くなったけど、それ以上に嬉しかった、私以外の誰かが彼のことを覚えていてくれている事実が。

 

今後必要になりそうな物だけを買って今日は帰ることにした。時刻は午後六時。そろそろ日が傾き始める頃合い。夜遊びするならここからが本番、帰るには今ぐらい、ちょうど区切りの良い時間だ。今回は後者をとる。というか、高校生が夜に外出するもんじゃない。

 

最初に時間を潰した喫茶店の前を通ってモノレール乗り場へ。ちょうど街を一周して帰って来たような道のりだった。お陰で脚がパンパン。

 

「ふぅ」

 

自販機で買った水を飲んで一息つく。モノレールが発車したことを身体で感じながら、何度の振動しつつも無視していた携帯を取り出す。

 

「うわ……」

 

着信履歴とSNSの通知がとんでもないことになってた。当然と言えば当然か。あんなことがあったばっかりだし。学園は当然として、本音からが凄い事になっている。おおかたどっかでバレてしまい学園に連絡がいったに違いない。無理やり連れ戻されなかったのは優しさか。

 

それらを再び無視してカバンにしまい、戦利品を確かめるべく袋を除く。

 

そこにはかねてより狙っていたアニメグッズ……ではない。学園や一般の店ではなかなか手に入らないちょこっとレアなパーツの数々だ。無くても良いが、あれば超助かること間違いなし、なそれらは私にとっては無くてはならないものである。切らしかけていたので予め電話して取り寄せてもらっていたのを受け取りに行くのが、今日の目的。のひとつ。残りの七割は本当に聖地巡礼です。

 

途中駅のないモノレールは直ぐに学園に到着した。ササッと降りて、朝と同様に封筒を握らせて素通りする。六時と言ってもまだ学園は部活動で活気づいている。見つかると更に面倒くさい事になるので、茂みや建物を上手く活用しながら学園内も歩きまわる。コレに関してはいい加減に慣れた。

 

そうやって辿りついたのはあのベンチ。私達以外に誰も使った様子のないココは半ば私達専用と化してきている。噂は広まってるのにどうして誰も来ないんだろう、と考えたけどそう言えば部活真っ最中かと速攻で解決した。

 

「や」

「……本音?」

「そだよー」

 

ぼうっと海でも眺めるか、と腰掛けた瞬間に、近くにある木の陰から本音が顔を出した。

 

「どうして?」

「かんちゃん、ここ数日決まった時間にここに来てたから、今日も来るのかなって思って。私の席って、窓際最高列なんだけど、ギリギリここのベンチが見えるんだー」

「あぁ…」

 

そういうことね、と納得。この一週間毎日欠かさず、四時にはこのベンチに来て座っていた。授業自体は昨日から始まっているから気にせず来ていたし、昨日に限っては欠席の連絡をしたので堂々と(?)足を運んだ。きっとその時に見られていたのだろう。別に誰かに見つかると困るものでもないし、気にせず耳を傾けた。

 

「どこに行ってたの?」

「街。コレが無くなりかけてたから」

「あー。いつも買ってくる奴だ」

「うん、そう」

「でもサボるのはよくないと思うよ?」

「私もそう思うよ?」

「?」

 

まあそんな顔にもなるよね。でも私は悪くない。今日しか無理だって言った店主が悪い。

 

……はい、ごめんなさい。白状します。

 

「今日って何日だったっけ?」

「今日? たしか八月の四日だよね?」

「正解。じゃあ何の日か知ってる?」

「うーんと……何かあったっけ?」

「銀の誕生日」

「え、あ…そう、なんだ」

 

そうなの、知らなくて当然だけど。

 

本当ならケーキを自分で用意して、自作のタブレットを渡して、いっぱいおしゃべりする予定だった。お姉ちゃんと話したように、私の気持ちを包み隠さず伝えようと思っていた。好きです、愛しています、結婚を前提に私と付き合ってくださいと。

 

全部パアだ。だから、いやせめてと思って、思い出の場所を一日かけて巡っていた。ココからは第二部と称して学園編である。といっても自室とベンチと私の整備室だけど。

 

せっかくだ、本音にも少し付き合ってもらおう。銀と同じクラスだし。

 

「どうだった、今日」

「……ずーんとしてて、あまり良い雰囲気じゃないよ」

「そっか。なんか、ほっとした」

「そうなの?」

「私以外にも、そう思ってくれる人がいるんだなって。銀はちゃんとクラスメイトと仲良く出来てたんだなって」

「…うん。勉強大好きだったから、みんなに教えたりしてたよ。宿題とか、テスト対策とか。それを通じてみんながななみんの良さを知っていって。大好きになっていったんだ」

「へぇー。私には教えてくれなかったのに」

「かんちゃんは必要ないんじゃない?」

「そういうことじゃないの」

「たはー」

 

てへぺろ、と効果音がぴったりなジェスチャーでこつんと頭を小突く本音。無理をして元気を装っている感じでは無さそうなので、少し安心した。もうちょっとだけ付き合ってもらおう。

 

「私ね、学園が好きだけど、嫌いなんだ」

「かんちゃん?」

「ちょっとだけ、愚痴を聞いて。一組の人とか、四組は(私がいるからなんだけど)結構重たい雰囲気でね、他は全くそうじゃないの。いつも通りに友達と駄弁って遊んで、授業を受けて、部活で汗を流してる。それが堪らなくムカツク。分かるよ? 全く関係ない、会ったことのない人の死を悲しめなんて無理だよ。でも、これが織斑君だったなら……きっとそうじゃないんだろうなって。銀が悪口言われていたの、私絶対に忘れないから」

「……だね」

 

いつのころだったかな、銀が亡霊みたいっていう悪口が流行ってるって、本音が教えてくれたんだっけ。そのことについてなんとなく聞いてみたけど、本人は笑って流していたから私もそこまで追求しなかった。何も言い返さないことでそれはどんどん広まってって……今も囁かれている。

 

だからだろう、誰も興味を持とうとしていなかった。亡霊みたいな奴が死んで本当に亡霊になっただけ。みんなはそう考えているんだろう。

 

くっっっそムカツク死ねばいいのにというか死ね。

 

ただ、それは私の気がすくだけで誰も得しない。何より銀が悲しむ。だから私の目の前であからさまに侮辱する様な言い方をするだけは捌くと決めた。今の所は喧嘩を買ってないけど。

 

「かんちゃんは、ななみんのこと大好きだった?」

「うん。愛してる。お姉ちゃんは結婚しても良いって」

「なにそれ聞いてない」

 

誰か。私と彼を知る誰かには、私達のことを知ってほしかった。覚えていて欲しかった。

 

ごめんね、ありがとう、本音。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見たところは、問題なさそうだった。時折感情がブレる事も無い。街中では家の者に尾行させたが、ビックリするぐらいいつも通り、という報告も上がっている。

 

一年一組の教室、窓際最高列に座ってその様子を眺めていた私は、妹がベンチから離れて行ったことを確認して双眼鏡を下ろし、本音に付けさせていた盗聴器の電源を切る。

 

妹は錯乱するのではないかと心配していた。狂ったようにモノを投げたり、自分を傷つけたり、人にあたったりするんじゃないかって。部屋の監視カメラや盗聴器が拾う限りは問題なかったが、外では何が起きるか分からない。故人との思い出の場所を巡る行為は、大層危険だ。

 

あの日を思い出す。密漁戦に近づいた私は、ISを展開する前の彼の顔を見た。そして、私はもとから警戒していたからこそ何とか反応できた速度の攻撃。あれが妹だったら、織斑君だったら、間違いなく即死寸前の大怪我を負っていただろう。

 

真っ黒で、濁りきった、焦点の合わない目。ぶつぶつと聞き取れなかったが、恐らくそれは呪詛の類。ああ、そうだ、今なら分かる。彼は―――

 

「更識を殺せ姉さんの仇」

 

そう言っていた。まるで誰かに操られていたかのような、呪いから生まれた亡霊だった。私でさえ背筋が凍る思いをしたのだから。次に目を覚ましたらさっぱり忘れていたが……。

 

手加減は無かった、すれば殺されてしまうという謎の確信があった。織斑君との一騎打ち、整備室での戦闘ログ、私が留守にしていた間の私闘、そして今回。たったの四回しか彼はISでの戦いを経験していない。束博士も彼で実験してはいないはずだ。それでいてあの強さ。努力では到達できないセンスの領域。健全なままなら今頃彼が生徒会長だろう。

 

もっと言うならあの機体だ。はっきり言って解析不可能。装甲強度やシールドエネルギーはお粗末なものだったが、武装面はオーバーテクノロジーの塊だった。

 

ブルーティアーズのようなビット。

 

甲龍のような空間圧縮砲撃。

 

シュヴァルツェアレーゲンのようなワイヤーとAIC。

 

打鉄弐式のようなミサイル群。

 

今世界各国ではやっとの思いで実用化に漕ぎつけた第三世代兵装を当然のようにごろごろと合わせ持っているのだ。しかも現行機よりもアップグレードしているオマケつきで。馬鹿だってもう少し遠慮する。もしかしたら他にも様々な武装を持っていたのかもしれない。下手をすれば、零落白夜だって……。

 

「……っ」

 

だとしたら、私が生きているのは単なるマグレにすぎないのだろう。

 

結果的には、癪だが彼を片付けるべきと言っていた彼女……篠ノ之箒は正しかったわけだ。今回、或いはそれ以前から彼女が用意した舞台が幾つかあったのだろうか…。

 

正しい? いや、当主としては正しいと思わざるを得ない。一攫千金のチャンスだが、同時に地獄の門扉を叩く行為でもあったのだから。ならば後者を避けるべきだ。でも……

 

楯無は……刀奈はそう言っていないらしい。

 

『更識さんって縫物が苦手なんですか?』

『苦手じゃないの、挑戦するものを残しているだけなのよ。それに弱みがあったほうが可愛いでしょ?』

『はいはい』

『てきとーねぇ。泣くわよ』

『どうぞ。でも、一理あります』

『何が、かしら。美少女先輩と美少女同居人に手厚い看護を受けながらもそっけなくあしらう贅沢ボーイ』

『-10点。何でもできる完璧更識さんよりも、ちょっと意外な弱点ある更識さんのほうが可愛いと思います。そっちの方が好きですね』

『っ!? そ、そう? 貴重な男子の意見だし参考にさせてもらおうかしら? ところでそれってプロポーズ? 簪ちゃんから私に乗り換え? いいわよ~、お姉さんの方が包容力あるしナイスバディだから引かれちゃうのも無理ないわよね』

『ー200000点』

 

懐かしいやり取りだ。そう言えばそんなこともあったっけ。実はその会話を聞かれてて簪ちゃんにスリーパーホールドを決められた。その時の彼の苦笑いが傑作で……。というか彼もかなりの天然ジゴロよね、あんな歯の浮く台詞をさらっと言っちゃうあたりが特に。漫画や小説でときめくキャラにアホかなんてもう言えないわ。

 

携帯を取り出す。待ち受けはその時に撮った写真で、彼と妹とのスリーショット。臨海学校前の、多分この頃が一番楽しい時間だった。

 

仲直りもできて、初めて同年代の男の子と友達になれて。何だかんだで生きてきた中で幸せな時間だった。

 

「どうして……」

 

どうして。

 

例えばもう一人だけ男性操縦者が現れて、出来れば元気の良いタイプがいいわね、それで篠ノ之箒はそっちを警戒するだろうから、彼はノーマークでのびのびと学園生活を送れて。私達は三人仲良く過ごせていたかもしれない。

 

例えば何か一つだけ歯車が噛みあわなければ、身体の一部を失う事があっても彼は生きていて、更識と寄り添って生きていけたかもしれない。

 

例えば…。

 

「何で、君だったのかなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教室からかすかに聞こえる嗚咽に耳を傾けて、その場を去った。どうやら先客がいたらしい。血が繋がってるなら、考えることも一緒なのかな。

 

まぁ、ここはいっか。私は特に思い入れがあるわけじゃない。ちょうど一週間前の最後の夜、二人でこっそりここに忍び込んだし、あれで手打ちにしよう。

 

いよいよツアーも最後だ。例によって人目を避けながら校舎を歩く。足音も立てない。

 

そこは、第一整備室。私に割り当てられた、打鉄弐式の為の部屋。私達の始まりを言うならまずココだろう。今日の様に授業をサボって二人で開発に熱中したあの日が昨日の様だ。

 

そうそう、ここで並んでディスプレイとにらめっこしてた。あっちのコンテナに座ってご飯を食べてた。呼び出した打鉄弐式の装甲を開いて配線を弄ってた。

 

懐かしいなぁ。

 

今同じようにディスプレイを見ても、映る真っ黒な画面には彼が居ない。食料は余分にあるけど、私一人の晩御飯。工具も一人分で事足りる。打鉄弐式は彼との合作だ、装甲は冷たくても中には彼の技術や思いがいっぱい詰まっている。私だけが分かる温かさがあるのだ。

 

でもそれだけじゃ物足りない。

 

マグカップも、日記も、髪飾りも、ネックレスですら足りない。私の飢えはちっとも満たされない。違う。違う違う。足りない足りない足りない足りない。

 

今日巡った時に思いかえす、あの温かさが、欲しい。他の誰かでも、何かでも絶対に満たされないって分かってるけど、でも、欲しいの。

 

だから……!

 

「かんちゃん?」

「本音、ごめんね。呼びだしちゃって」

「ううん、いいけど……先生からちゃんと許可貰ってるんだよね?」

「勿論。ほら、借入証もあるし」

「ならいいけど…」

 

思考を遮るように、本音が現れた。いや、私が呼びだした。

 

別れた後にわざわざ電話したのだ。お姉ちゃんが誰かにつけさせているの分かってたから、学園内なら本音が近づいてくるだろうって。だから、一度別れた後に呼び出した。さっき泣いていたし、盗聴器の電源も切ってるはず。何より本音にはお姉ちゃんには内緒で話がしたいと言ってある。打鉄弐式のセンサーも、それらを持って無いことを証明していた。

 

本音が気にかけたのは、打鉄弐式の隣にある一機のラファールリヴァイヴと打鉄。武装互換テストということで数日借りたいと申請したのだ。勿論、許可は下りていない(・・・)。借入証も偽造。許可なんて待っていたら一ヶ月も先になってしまう。なにより同時に二機なんて無理だ。

 

「それで、どうしたの?」

「えっとね、昼に買ったパーツがあるでしょ? アレがあれば完成する武装が一つあるから、それのテストに付き合ってほしいの。打鉄弐式は勿論、他の機体での運用も視野に入れた武装になっててね、急ぎなんだ。少しでも早くデータが欲しいから、付き合ってくれない? こんなの頼めるの、今は本音しかいないから……」

「うぅん……」

「お願い」

「……しょうがないなぁ。一時間だけだよ?」

「十分だよ、ありがとう!」

 

手を合わせて柄にもなく跳びはねる。一時間もあれば本当に事足りる。鍵は買ってきた部品次第だけど、恐らく問題ないはずだ。

 

早速作業に取り掛かる。本音は整備科志望で多少の知識もあるから彼女には簡単な作業をお願いして、私はプログラムの最終調整を行い、簡単な動作を試して問題ないことを確認した。

 

完成だ。

 

「これってなんなの?」

「単純なパワーアシスト装置。力押しになったらISの地力が勝負の分かれ目でしょ? だからそれをサポートするのがあっても良いかなって。特に打鉄弐式は腕部装甲が無いから押し負けしやすいし、量産型対専用機みたいなシチュエーションも似たようなものだから」

「なるほどー。じゃあどっちからするの?」

「ラファールからかな。こっちの方が広く扱われているし」

「おっけー!」

 

袖をまくった本音が機体に身体を滑り込ませる。慣れた手つきで起動させ、全てのセンサーや駆動系が問題ない報告をタブレットから受け取る。

 

ラファールが試験装備を手に取り、いったん格納してから再展開して装着する。ISのエネルギー源である背部と脚部のジェネレーター付近に外付けで装備するタイプのソレは、黒い箱の様な外見をしている。空気抵抗とか何も考えてないけど、試作段階なのでそれはスルー。

 

「いつでもいいよー」

「うん、じゃあ―――」

 

あぁ、心がワクワクしてたまらない。

 

 

 

 

「スタート❤」

 

タブレットの起動ボタンをタップ。

 

瞬く間に試作装備が起動し、ラファールの全システムを一瞬にして掌握。一定の間あらかじめ決められた行動だけをとるマシーンへと変身する。パワーアシストなんて真っ赤なウソだ。

 

プログラムは既に一週間前に組み込んだ。後はその通りに動いてくれることを、イレギュラーが無いことを祈るばかりである。

 

「えっ?」

 

ラファールがゆっくりと動き出した。離れた場所にいた私に向かって、一歩一歩、しっかりと踏み込んで、迫ってくる。銀が最後まで愛用していた、あのラファールが。それはまるで彼が迎えに来てくれたかのような錯覚を与えてくれる。いや、事実そうなのだ。

 

「ちょ、ちょっとストップ! なんかプログラムが暴走してるよ! かんちゃんストップー!」

「あれれぇ? そうかなぁ。こっちは正常に動いてるって表示が出てるんだけど……うん、問題ないから続行ね♪」

「ほんとに駄目だってば! 私の操作を受け付けてないの! 何もしてないのに動いてるの!」

「ふぅん」

 

「ちゃんと動いてるね、よかった」

 

銀のラファールは今から私を連れて行って(殺して)くれるんだ。彼の居る場所まで。

 

ズン、ズン、と足音が次第に大きくなっていく。彼が私闘の為にチューンとカスタムを加えたそれは一般生徒では歩くこともできない程の敏感な設定なので、歩行速度がかなり遅い。飛行特化の弊害か。書き換えるだけの時間は無かったし、これはこれで良い味を出しているので問題なし。

 

「止まって、止まってよ! このっ…!」

 

珍しく真面目な表情の本音は私に何か言うことを諦めて、装甲が無いので自由に動かせる左腕で装甲を叩いたり剥がそうと必死な様子だ。残念かな、そうなると思って袖に隠してた工具も外させたのよ。せっかくのお迎えの邪魔をされたんじゃあ流石の私も怒る。

 

「ねぇかんちゃん止めてよ! ラファールがロックオンしてるの! かんちゃん狙ってるの! 止めなくても良いからせめて逃げてよぉ!」

「なんだちゃんと動いてるじゃん。正常だよ」

「何言ってるのおかしいよ!」

 

プログラム通りに動いているようでほっと一安心。だとすれば、私の人生が終わるまでそう時間もかからないだろう。

 

タブレットはもういらない。適当に邪魔にならないように遠くへ放り投げて、予定通りに壁際へと移動する。ラファールもそれに合わせて若干の軌道修正をして、また歩きだした。

 

あと数歩で私に手が届く距離まで近づいた。本音の喚く姿が私の視界から消え失せて、銀がしょうがないなぁって顔で苦笑いしてる姿に切り替わる。一週間ぶりのその顔についつい嬉しくなって両手をひろげてラファールを迎え入れた。

 

「おいで」

 

隻腕が手のひらを向けて私へ伸びてくる。それは私の左腕へと迫り、包み込むように握りしめて……。

 

握りつぶした。

 

「いやああああああああああああああ!!」

 

本音の絶叫が整備室に響き渡る。あんまりおおきいと余所まで聞こえてしまうので止めてほしいんだけど。

 

いやいや、そんなことよりも現在進行形でひき肉になっていく私の左腕だろう。メチャクチャ痛い。痛いなんてもんじゃない。銀は、こんな痛みを受けていたんだね。私のせいで。ごめんね。

 

ホントにごめんね、銀。

 

私、すごくキモチイイの。

 

ああ。これが、これが銀が味わっていた痛み! 私を庇ってついた傷の痛み! 私の罪!

 

聞こえる? 皮膚がべりべりと螺子切れて、筋肉がぶちぶちと千切れて、骨は軟骨に至るまでが粉々に砕けて、神経がむき出しになったと思ったらそれらと混ざり合っていく音が。

 

どんなオーケストラよりも壮大な感動の波、あなたは感じてる? 私はダイレクトに聞こえるからちゃぁあんと聞いてるよ。たまんないわ。スタンディングオベーションを送りたいレベルで。

 

濡れるわ、ほんと。

 

「お嬢様! お嬢様聞いて! なんで来ないの!? 早く来てよかんちゃんがかんちゃんがああああ!!」

 

悲痛な叫びもこの音楽の前ではかき消されていく。それももう終わってしまった。

 

完全に閉じた隻腕は九十度手首を回転させる。皮がなんとか繋ぎとめていた私の左腕はぶちりという音を残して完全に離れて行った。さようなら。いい音と快感だったわ。

 

さあ、次を頂戴よ。

 

血と肉でまみれた右手に粒子が集まり武装が実体化する。それは打鉄弐式の薙刀。振動機能を持つソレはISの装甲ですら容易く切り裂く。生身の人体など豆腐のように容易く両断できる。両手での運用が前提だから少し不格好で危うげだが、コツを掴んだAIはしっかりと握りしめ。

 

私の両足を綺麗に断った。

 

「あはぁ……ぁ」

 

もうたまんないほんと。刃先が脚を撫でたかと思うと何の抵抗もなくするりと脚のあった場所を通り抜けて、一拍置いてから鮮血が吹き出していく。

 

左腕が音楽…耳で楽しませてくれたのなら、両足は優しくなでる様な愛撫か。

 

上手ね、何時の間にそんなスキル磨いたの? いいの、惚れ直しちゃったとこだから。お陰さまでくらくらしちゃってる。

 

……正直やばい。既に意識を手放しそうだ。思っていた以上に血が流れ過ぎている。全然良いんだけど、どうせならプログラムした最後まで起きていたい。銀ならきっとそうしてくれるであろう、私の妄想をぶっ込んだ最後まで。だから重たい瞼を必死に開く。

 

支えを失った私の身体は壁に身体を打ちつけて尻もちをつく。脚は偶然にも切断面から少し離れた場所に倒れてきた。

 

さぁ、もう少し。

 

次にラファールが構えたのは牽制用のハンドガン。IS相手には心許ない武装のそれは、戦車程度なら軽くねじ伏せる火力を持つ。生身の人体など以下同文。

 

それは私の右肩までがっつりと容易く奪っていった。内蔵で感じる着弾の衝撃は、まるで花火の様。いや、音も火薬のにおいもそっくりだから花火で良いだろう。会ったら夏祭りに誘うのも良いかもしれない。浴衣を着て屋台を冷やかそうか。

 

そんな幸せな妄想も続きそうになかった。チカチカと頭が明滅し始めて、だんだんと眠気が増していく。力を込めようにも込める場所が無い。視界も殆ど真っ赤に染まって、耳もイカレてしまった。なんとなく本音が叫んでいるようにしか聞こえない、きがする。どうだろう。

 

寒くなってきた。誰か温めてほしい。今日は涼しめな格好してたし、最近は夜も暖かいから油断してたな。

 

誰か…。

 

『簪』

 

「あ……?」

 

呼ばれた。幻聴じゃない、確かに声が聞こえた。私を呼ぶ声。簪と、そう呼んでくれるただ一人の彼。下がりかけていた瞼がかっと開いていく。赤く染まっていた視界も少しだけ鮮やかさを取り戻した。

 

伸びるラファールの腕。広がる真っ赤な手のひら。

 

それは私の頭を掴んで……やさしく撫でてくれた。そっと頬に指を這わせて、むにむにと頬を弄る。

 

「は、  …ね」

 

銀がにっこりと笑って私に触れてくれている。

 

とても儚くて、脆そうで、力を入れれば折れてしまうだろう。下手をすれば女の子よりも女の子のような、そんな。肌はまるで薄い白粉おしろいを塗ったように白くて、腕も足も細くて、脂肪は勿論必要な筋肉さえついていない。服もちょっぴりだぼついているし、それでいて髪は手入れが行き届いている。髪飾りも簪も黒髪によく似合っている。どんな火や宝石よりも赤く輝く、紅い目は私の心を捉えて離さない彼。

 

ああ。いるのね、そこに。

 

いま、いくから、ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

✾✾✾

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やれやれ。そんな感想が僕の心を支配する。

 

こうなるんじゃないかなって、どっかで思ってた。彼女は引っ込み思案で、内気で、気が弱いけど芯がある。こうと決めたらブレない、強い芯。ちょっぴり頑固で、とても真面目な、そんな人。

 

だから、腕のことで自分を責めたり、僕の脚を斬ったこと誰よりも苦しんでいた。それらが起きるたびに、彼女は僕に対して尽くしてくれるようになっていった。愛情と、それに混じった義務感を僕はひしひしと感じていたとも。依存とも言える。

 

責任を感じて、現実に耐えられなくなって、後追いするかもしれないのは、容易に想像できた。

 

とか言っても僕にはどうしようもない。死んじゃってるし、その場に行けるわけでもないし。忘れてほしくはなかったけど、どうにか立ち直って強く生きてほしかった。次の恋に踏み出してほしかった。彼女は可愛いし、お姉さんはしっかり者だからきっといい人と巡り合えたんじゃないかな。それにいい技術者になれたと思う。束さんとも少し繋がったんだから、面倒見てくれたりしてね。

 

でも、それでも、僕を選んでくれたことが何よりうれしかった。これは人のこと言えないね。死んでくれてありがとうってバカみたいだ。

 

そうそう、話は変わるけどここって凄く便利なんだ。テレビでバラエティを見てる気分でみんなのことが分かってくる。驚いたのは篠ノ之さんが裏で糸を引いてたことかな。彼女は結構不器用なイメージがあったんだけど、どうやってそんな実力とコネを手に入れたんだろうね。何にせよ、彼女や織斑君に何もしてないのにこの扱いで最後は殺されるだなんて流石の僕も怒りが収まらないよ。絶対に呪ってやるからな。手始めに明日の朝階段から落ちてしまえ。全身骨折しろ。話はそれからだ。

 

もう一個驚いたのは束さんかな。まさかクローンとは恐れ入る。発想が僕らとは違うね、やっぱり。想ってもらえることは嬉しいけど簪とは違ったベクトルで行き過ぎじゃないかなー。くーちゃんも乗り気なのがどうしようもないけど。束さんにとっては普通なのかな。作ってしまったものは仕方が無い、どうか幸せに過ごしてほしい。応援してるよ、もう一人の僕。

 

「そろそろかな」

 

良い頃合いだろう。

 

「楓姉さん、人を迎えに行って来るね」

「人? こんなところに誰か来たの? っていうか死んじゃったのね、その人」

「うん。そうみたいなんだ」

「なによ、気になるじゃない。良かったら家に連れてきてよ。銀の友達なんでしょ」

「そうだね。きっと来てくれるし、姉さんも仲良くなれると思うんだ」

「そ。いってらっしゃい」

「行ってきます」

 

玄関で靴を履いて外に出る。うん、いい天気だ。

 

やっと一人で乗れるようになった自転車にまたがってペダルを漕ぐ。ISと比べてちっともスピードがでないけど、これはこれで楽しいから好きだ。

 

向かう先は近くの公園。市が管理しているそこは四季を通して花が咲き乱れる名所の一つで、僕が死んだ時も最初はそこで目が覚めた。だからきっとそこにいるはずだ。

 

ほらね。

 

肩まで伸ばされた水色の髪に瞼を開ければ真っ赤な瞳がそこにある。少し変わった眼鏡をかけていて、白い肌に細い身体は、力を入れれば簡単に折れてしまいそうな花みたいだ。綺麗な紫陽花や朝顔、多くの花が風に揺れている中で、一際可憐な花。

 

頭を軽く撫でて、頬を指で撫でる。軽くつまむと弾力と整った肌が良い触感を与えてくれる。

 

あんまり遊ぶと怒られるので、風邪をひくといけないし、軽く肩をゆすって起こす事にした。

 

「……ねえ」

「………くぅ」

「起きて……」

「ううん………」

 

口からもれた声は見た目にピッタリの少し高めで、さらりと垂れる髪や、寝がえりをうって少し覗ける首の根や鎖骨の白い肌は官能的だ。じゃら、と音を立てて覗かせるネックレスに頬が緩む。

 

 

「起きて……簪」

「ん、んぅ………くあぁ………」

 

もう少しだけ強く揺さぶると、少しあくびをしながら目をこすり始めた。起きてくれたみたいだ。

 

「あ……」

「やぁ。やっと起きてくれたね」

「は、が……」

「うん。久しぶり、簪」

「銀っ!」

 

跳び起きた簪を受け止める。僕の胸に顔をうずめ、存外強めの力で抱きしめられた。

 

「寂しかった……っ!」

「うん」

「毎日退屈で、つまんなくて、何をやっても楽しくなくて、苦しかった……」

「…そっか。ごめんね、死んじゃって」

「ううん、いいの。銀は何も悪くないよ」

 

少し身体を離して、同じタイミングで二コリと笑いあう。一週間ぶりに見た彼女の満面の笑みに、僕もつられて笑ってしまった。

 

「えへへ、来ちゃった」

「うーん、来ちゃったか」

「駄目だった?」

「駄目って言うか、もう遅いって言うか」

「え、遅かったの?」

「いやいやそういう意味じゃなくてね?」

 

はぁ、と溜め息一つ。ちょっと天然入ってるの忘れてたよ。遅かったって、早く死んでよっていう奴最悪じゃね? 少なくとも僕は違うぞ。

 

「しょうがないなぁ、簪は」

「えへへ。あったかい」

「まったくもう」

 

そんなのよしてくれよ。許しちゃうじゃないか、てか許す。

 

寒かったろうね。血が身体から抜けていく感覚は、誰だって慣れるものじゃない。僕だって何度か経験あるけど嫌なものだった。辛いし、苦しいし、何より孤独が強すぎて嫌だ。今の所そんな心配はしなくていいんだけど。

 

「それで、ここは?」

「さぁ? 起きたらここに居たんだ。よく分かんないけど、僕の家があった場所によく似てるよ」

「ふうん。ね、じゃあ銀の家があるの?」

「あるよ。勿論、来るよね」

「うん!」

 

勢いよく立ちあがった簪の手をとって歩きだす。胸から覗かせるネックレスと、僕がエムに託した髪飾りがよく似合っていて、それをつけてくれたことに嬉しい気持ちでいっぱいになった。

 

「身体大丈夫なの?」

「みたいだね。しこりみたいなのをいつも感じてたんだけど、それももう無いんだ。身体も元通りだし。だから思いっきり走ったりできるし、疲れるまで運動できるんだ。凄く楽しいことだったんだね、運動って」

「じゃあさ、今度一緒に何かスポーツでもしない? 二人でできるやつ!」

「賛成。考えとくよ」

 

停めていた自転車に近寄って……少しだけ引き返した。困惑する簪の手を引いて、ベンチに腰掛ける。簪も隣に座って、二人で並んで公園の花畑を見わたした。風がきもちよく吹いて、日差しも程よく温かくて、夏なのに春先みたいに過ごしやすい季節。

 

思っていたのとはちょっと違うけど、これはこれで良い。

 

「簪、一つだけ言っておきたいことがあるんだ。だから帰る前に少しだけゆっくりしない?」

「うん。いいよ。私も言いたいことがあるの」

「……同じ気がするよ」

「奇遇だね、私も」

「じゃあせーので合わせてみない?」

「いいね」

 

子供みたいだなって頭の片隅で思うけど、こんなやりとりが僕らの普通だった。だからちっとも嫌じゃない。懐かしくて、楽しいよ。ちょっと緊張するけどね。

 

胸に手を当てて深呼吸。ベンチに着いた手に、簪の手が重なって、指が軽く絡みあう。

 

「「せーのっ」」

 

「「あなたが好きです」」

 

「「……っふふ」」

 

どちらからともなく、互いに笑みがこぼれて…。

 

そのままそっと、厚く、熱く、僕らは唇を重ねた。

 

 

 




○後書き


はい。と、いうわけで、今作はこれにて閉幕となります。

いかがだったでしょうか? 原作の時間軸的には3巻~4巻ぐらいを目安に構成したつもりです。入学から数ヶ月程度、半年にも満たない期間で、銀や簪を始めとした彼らにはイベントが目白押しだったことでしょう。

そんな彼らのめまぐるしい日々を楽しんでもらえたのなら、私も銀も嬉しい気持ちでいっぱいです。


書き手の皆さん、物語りを作ろうとするならどう考えますか?

私はこんなシーンが見たいな、と頭の中に不意に浮かんで、こんな展開も見てみたいな、というのをつなぎ合わせて一つの作品を書きだします。これに限らず、他のものもです。

僕の心が染まる時。これに関しては、「簪ヒロイン」「鬱な展開」「最後に少しだけ、歪な救い」これがキーワードでした。特に最後の告白シーン。あれは最初から決まってました。大人な香りが漂う作品の中で、二人は誰よりも愛し合っていてクリーンな関係だったつもりです。私好みな展開は単純なオレツエーなんですが、それだけに今作は挑戦のつもりで発車しました。

ええ、辛かったですとも。最後は二人が死ぬと分かっていながら、キャッキャウフフな展開を繰り広げられるんですから。困りますね、私の身になってほしいもんですわ。何せ涙を浮かべながら書いたシーンが山ほどあります。多分一番の被害者は本音ちゃんですけど。

何はともあれ今の自分を出し切った様な作品でした。そして成長を実感させてもらった作品です。どれもこれも、読んでくださった皆様のおかげです。何より、感想を送ってくださった方々のお陰です。この場を借りて感謝申し上げます。



さて、今後の話についても少し語らせていただきます。

これで終わり? と思った方々もいらっしゃるのではないでしょうか? 展開に納得いかないのはまた別としてもらって……。

回収していない伏線だったり、解説のないまま放置されているところが散見されると思います。

なぜ、箒はあのような力をもっていたのか
銀の孵化したISはなんだったのか
委員長の目的とは
エム達亡国機業とはどんな話があったのか

言いだしたらキリが無いですが……設定はあります、が、全てを公開はしません。そのつもりならこの短さで完結にはさせなかったですし、謎が少しくらいあった方が可愛げがありますもんね。

もしかしたら(十中八九)、ですが番外編やありえたかもしれない世界、幕間などを数話だけ投稿するかもしれません。そのときに、ちらりと垣間見えるかもしれませんね。一先ずそれらの疑問を晴らすためのものではないことを、先に宣言しておきます。ですので、完結として処理はしますが、もしよろしければお気に入り登録をされている方はそのままにしていただけると幸いです。そしてまた読んでいただけたければと思います。



最後に。

重ねて、今まで読んでくださった全ての方々、ならびに感想を送ってくださった皆様、本当にありがとうございました。拙い文章や誤字脱字で御不快な思いをおかけしてしまったことを謝罪します。それでも修正してくださったり、ここまで読んでくださった皆様に、感謝を。

またどこかでお会いしましょう。

それでは!



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閑話休題
ドミネーター・G


トマトしるこです。

先日の誤投稿は大変ご迷惑おかけしました。今回は大丈夫です、大丈夫なはず、です。


小話やネタ、それから本編に絡む話、それらをひっくるめて
「閑話休題」と題した章にて公開していこうかと思います。

今回はギャグです。
元ネタは四コマ漫画の「あいえすっ!」ですね。


学園は世界的に見ても豪奢な建物だ。授業は勿論、生活にも不便が無い様にあらゆる部分で最新鋭の技術がふんだんに盛り込まれてる。それいる? って感じのまである。使ってて不思議に思うようなものは、きっと管理が楽になるんだろう、とあたりをつけた。別にどうでもいい。

 

当然、身の回りの清潔感にも気を使う。夏場の虫対策もかなりの物で、これから本格的に増えると予想されるからか島全体に忌避剤が撒いてあるんじゃなかろうかってぐらい見かけない。基本的に女性ばかりだし、虫が得意って人の方が珍しいから、これくらいは当然のこと、なんだってさ。大賛成だよ、男だって虫は嫌いなんだ。

 

しかし、必ず虫達を撃退できるわけではない。忌避剤が効かない虫もいればキリがないほど生息する虫、中には克服する奴まで現れる。そういうわけで確実に見なくなる事は無かった。まぁそんな事言っても蚊みたいな何処でもいる奴のことだから、見かけたからと言って騒ぎになる事はない、はず。

 

とある一種を除いて。

 

これは、ある日の事。何の変哲もない、授業を受けた後のちょっとした大事件だ。

 

 

 

 

 

 

義手と義足が馴染んできたと感じる今日この頃。祝日だったので、僕は簪と一緒に整備室にこもっていた。完成したと言え、打鉄弐式はまだ発展途上の機体、やる事はまだまだあった。

 

人口皮膜が油で汚れないようにグローブをつけて工具を突っ込む。書き換えた設定に馴染むよう最適解を求めるべく、配線を弄ってはテストを繰り返す。当然エラーが殆どだけどそんなものだ。

 

「どう?」

「もうちょい」

「ん……はい」

「オッケー」

 

珍しく良い感触を得られたのか、簪は嬉しそうだ。

 

「今日はもう良い時間だし、キリも良いから帰ろうか」

「そうだね。食堂、いこっか」

「うん。お腹すいたぁ」

 

工具を片付けてグローブを外し、専用のバッグに詰め込む。流石に油で汚れてきたかな…そろそろ中身をひっくり返して洗った方が良さそう。うぅん…とれるのかなこれ。一先ず人口皮膜が汚れて無くて良かった良かった。

 

整備室を後にして、食堂でいつも通りご飯を頂く。今日はうどんにした。かき揚げにすると簪が少しうるさいのでとろろを注文。うん、うまい。

 

とまぁそんな感じで、ここ最近のいつも通りの流れで僕らは部屋に戻った。

 

そこで、いたんだ、奴が。

 

………さ。

 

「え、何か言った簪?」

「何も言ってない、けど……」

 

かさ……。

 

「「ッ!?!?」」

 

かさかさ、という聞き覚えのある音。人間ならば、人種を問わず誰もが嫌悪する音。それは人の心の奥深くに沈んだ原始の記憶を呼び覚ます、最低最悪、最狂最凶最恐の、地獄の始まりを告げる、音。

 

かさ。かさかさ。

 

かさかさかさかさかさかさかさかさかさ。

 

「ぎゃーーーーーーーーーーーーーー!!」

「いやーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

鈍い光沢を放つ黒い甲殻、ひょんひょんとはねるISと同等の性能を誇る触覚、まだその存在を知らずに奥に眠る羽。名前を口にするのもおぞましい、悪の中の悪。

 

僕らは忘れていた。この学園があまりにも綺麗すぎて、コイツの様な害悪しか生まない存在が、世界中どこにだっている事を。

 

その日、僕らは思いだした。奴らは、常に存在し続けていると言う事を。種を絶やす事は出来やしないのだと。

 

其の名は、■■■■。またの名をG。

 

僕が地球上で最も嫌う不潔。それを体現した存在だ。

 

(あ、ありえない!)

 

悲鳴を上げてピタリと凍りついてしまった簪を庇う様に、震える身体に鞭を打って思考を加速させる。

 

僕は不潔が大嫌いだ。何せこんな身体、他愛のない病原菌一つに殺されるかもしれない日々を送って来たんだ。看護師さんや姉さんを始めとした僕の病室に来る人全員が、埃一つ許さない徹底した清掃と清潔感を持ってくれていた。お陰でこうやって生きていられる。当然、Gなんて不潔の塊は見たことも無かった。

 

立った一度を除いて。

 

それは僕が物心ついた頃、その時既に病院から一歩も出られなかった僕は不満が溜まって病室を抜けだしたことがあった。今思えば自殺行為でしかないのだけど、そんなことを当時の僕に言っても絶対に聞かなかったと思う。それぐらい辛かったんだ。そこで病院からも抜け出して、姉さんが話していたコンビニとかスーパーに行ってみたんだ。

 

そりゃあ感動だった。人間がいっぱいいて、声や放送が騒がしくて、見るもの全部が新鮮だった。でも病院服のままだったから店の人に捕まえられ、事務所の様な場所で話をされて連れ戻されることに。

 

そこにいたんだ、その、黒いのが。

 

始めてみても分かる、それは見ちゃいけないもので、触れるだなんてとんでもない生き物だってことを直感した。しかもあろうことに、そのGは……僕に近づいた上に膝からよじ登ってズボンの中に侵入してきた。

 

そこからの記憶は無くて、目を覚ましたのはなんとそれから一週間後。謎の病原菌のせいで生死の境目をさまよい続けていた、らしい。後からアレが何だったのかを怒り心頭と言った姉さんから聞いたんだけど、もう話の最初から吐きそうだった。

 

それ以来、僕は病院から抜け出す事は無くなった。あんなものがウヨウヨ居る場所に誰が好き好んで行くものか、と。同時にGは僕にとっての天敵に格付けされている。だから部屋の清掃には手を抜いたことは無いし、なんなら簪を少し叱ったこともあるくらいには綺麗好きなんだ。部屋の外だってぬかりない。それだけに今回の出現は全くの予想外で、連中はそれすらも突破して攻めてくるのかと恐怖した。

 

正直逃げだしたいけど……今は立ち向かうしか、ない!

 

「簪、下がってて」

「…はっ! だ、駄目! 助けを呼ばなきゃ!」

「大丈夫だよ……僕が君を護って見せる」

「銀……」

 

意識を取り戻した簪を部屋の入り口側まで下がらせる。いざとなれば廊下に逃げて貰おう。その時はきっと僕は死んでるだろうから助けも読んでもらえると非常に助かるな。

 

よし。

 

IS起動。依然としてボロいまんまの機体だけど性能が現行機の全てを圧倒していることは分かっているんだ。たとえこの戦いでまた僕が傷ついたとしても、それでもやるしかないんだよ!

 

調度品と家具を傷つけないように、慎重に一歩ずつ奥へと踏み入る。センサーを全てフル稼働させ、ビットも展開してくまなく探した。

 

「…いた!」

 

ベッドの下。足を上ってへばりついている。

 

位置を確認した瞬間にビットを飛ばす。銃口の先にエネルギーを滞留させて刃先を形作り、射線を絞る。IS戦闘のように撃つのでは色々と傷つけてしまう。それらを防ぐためにはコレが最善だ。ランサーモードのビットでもって、一瞬の内に焼き殺す。

 

「いけ!」

 

ISを展開しても尚、四つん這いになってカーペットに頬をベタ付けし、両目を見開いて気合いと共にビットを飛ばす。

 

ビットは…‥Gを一瞬の内に炭へと変え、跡形もなくこの世から消し去った。

 

「はあ、はあっ……」

 

神経を研ぎ澄ませたあまり疲労がどっと押し寄せた。そのまま床に倒れ込んだ僕は最後の力を振り絞って仰向けになる。

 

「銀!」

 

そんな僕を簪がそっと抱きかかえてくれた。息も絶え絶えといった様子の僕を優しく抱きしめてくれている。

 

「ありがとう、銀」

「お礼なんて、そんな。君のためだから」

「銀っ」

 

簪の優しさが胸にしみる。少しだけ息が整って回復した体力は、簪を抱きしめるべく腕を回した。

 

そこで見えた。見えちゃったんだ。

 

かさ。

 

「まだ、いるっ!!」

「ひっ!」

 

台所の影、冷蔵庫と壁の隙間から現れたのは二匹目のG。しかもご丁寧に一度こっちを見てから廊下へ逃げるという余裕っぷり。触覚ふりふりとか完全に舐めきってる。

 

なんで……なんで二匹もいるんだよーー!? そりゃ一匹いたら三十いるとは思えって言うけどさぁ!

 

「簪!」

「うん!」

 

立ち上がった簪に引っ張ってもらい、手を借りながら廊下へ出る。幸いにも僕らの部屋は角部屋で、奴が逃げる方向は限られている。その予想通り、Gはかさかさと高速で蛇行しながら堂々と廊下のど真ん中を失踪していた。

 

「次も殺してやる!」

「銀! 奴ら後退はできない!」

「オッケー!」

 

ビットを部分展開。コツは掴んだ、一基だけで十分だ。

 

「いけぇええぇ!!」

 

滑走するビット。銃口には充填完了したエネルギーの塊。蛇行先を二手も読んだ、絶対に避けられる……はず、が…。

 

……おかしい。僕は疲れているのか? いや、疲れてるっちゃあ疲れてるんだけど、幻覚を見るほどだったっけなぁ。

 

「ねぇ」

「…今……」

「した、よね?」

 

さっきまでの決死の覚悟も気合いも全て削がれた。ありえない、ありえないよ。

 

なんで……。

 

 

 

 

 

 

なんでGがカエルみたいに跳びはねてるのさっ!?

 

ふざけんなおかしいだろ! 幾ら離島だからって進化し過ぎじゃない!? 節足の癖にどうやってあの身体を飛ばしてるんだよ!?

 

ぺたっ。ビットをジャンプで避けたGは器用に前身しながら回頭し、またしても僕らを一瞥した後逃げ始めた。

 

え、なに? 舐められてる? あんな黒くてすばしっこいだけの雑菌に?

 

「ぶちっっっっ殺す!!」

 

同じく鬼の形相をした簪が脚部だけの部分展開をした。スラスターに足を乗せて簪の肩に手を置く。僕が乗ったことを確認した簪は走りだす。振動を僕に伝えず、それでいて常人では出せない走行速度を叩きだすという無駄な玄人っぷりを発揮して。

 

人間が特別偉いとかそういうことを考えたことは無いけど、奴は例外だ。例外は例外なくブチ殺してやるのが礼儀。そういうわけで今度は八に迫るビットを全て展開し、一斉に差し向ける。撃ちはしない。が逃がしもしない! 今度は本気だ! さっきが二手先を読むなら今度は十でも百でも読んだ詰み将棋! 跳ねようが無駄だ!

 

コンビネーションを持って追いたて、逃げ道を塞ぎ、包囲し、叩く!

 

「……」

「………」

 

……もう驚かない。そう決めたはず。決めたはずだったのに。なんで……。

 

 

 

 

 

ビットを使って八艘跳びなんてするG、いる? いや、目の前に居るんだけど。

 

「もうやだ逃げたい」

「だめ銀! 自分を強く持って! やらなきゃ私達がやられるのよ!」

「……うん、そうだね、ゴメン」

「ううん。今度こそ終わらせよう」

「わかった」

 

いよいよ余裕が無くなって来たのか、もうこっちを見て煽ってくる様子は無い。蛇行と急ブレーキ、ジャンプを織り交ぜて必死になってビットを避け続けるG。

 

もう何部屋通り過ぎたか分からない。それほど走った先には見知った顔がこっちへ歩いてきていた。ISを部分展開している僕らを見てぎょっとした表情に変わっていくデュノアさんとボーデヴィッヒさんだ。

 

「貴様ら何をしている!?」

「ちょ、もう夜だよ先生が!」

「それどころじゃない!」

「前を見て! 下!」

「前? 下?」

 

二人はそろって引き気味になりながらも異変に気づく。

 

嫌悪の象徴が、最新鋭ビット八基を相手にしてもするすると避け続け、なぜかありえるはずのないジャンプを使ってビットに飛び乗っては乗り継ぎ、床と壁と天井を縦横無尽に駆け抜ける。いつの間にか出来ないはずの後退まで習得したと思ったら今度はカニ歩きだ。

 

もう常識にあてはめられないソイツを見た二人は……。

 

「うろたえない。ドイツ軍人はうろたえない」

「大きな星が、ついたり消えたりしてる……彗星かな?」

 

精神に異常をきたしてしまった。

 

Gはそんな二人の間を颯爽と通り抜けていく。

 

「我がドイツの科学力はァァァァ! 世界一イィィィィィ!!」

「いや、違うよね。彗星は、もっと、ぱぁーって光るもんね」

 

何やらいきなり叫び始めたボーデヴィッヒさんと、うつろな目をして危ない事を言い始めたデュノアさん。現実を受け止めきれない人間がどうなるのかを身体を張って教えてくれた二人だった。きっと最初から追っていなければ僕らがああなっていたかもしれない。

 

「ラウラ、シャルロット……仇はとるよ」

 

ぐっと唇を噛む簪。僕もまた心に誓った。あれは生きてちゃいけない奴だ。

 

いつの間にか正面玄関を通り過ぎて、とうとう寮の反対側まで来てしまった。壁を前に立ち尽くしたGはその場で立ち尽くしている。

 

そして何故か僕らの背後にはギャラリーが集まって壁を作っていた。意識していなかったけど、普通に考えてGが一匹でも出れば騒ぎになるもんだ。ましてや女子校ならこうもなる。皆アレの超常っぷりには目をつむっているようだけど…。

 

「簪」

「できた!」

 

走りながら簪は何もしなかったわけじゃない。ずっと超強力な殺虫兵器を作りだそうと必死に頭脳をフル回転させていたんだ。そうして出来あがったそれをミサイルの弾頭に込めている。

 

その名も液状バル○ン。相手は死ぬ。人体には無害の人類最終兵器。これと僕のビットで逃げ道を潰せばいい。逃がしはしない、もう終わりだ。

 

「貴様ら、何を騒いでいる。廊下で遊ぶな」

「お、織斑先生!」

 

背後から聞こえてきた先生の声。振り向けばジャージに竹刀を持った明らかに指導するぞって感じの千冬さん。今の僕らはただでさえ廊下を走り回った挙句に禁止されている武装までしている始末。明らかな処罰対象だ。でも待ってほしい。せめて……奴を殺すまでは!

 

「先生! 奴が!」

「奴?」

「簪! 動いた!」

「いっけぇえええ!」

 

八門のポッドから放たれ、更に四十八の小型ミサイルに分裂する山嵐。その全てに例の最終兵器が搭載されている。簪のタイミング一つで爆散して壁床天井全てに薬液が吹きかけられるのだ。さらに跳ねるように仕向けた壁を這う僕のビット。かさかさと這うGにもう逃げ場は残されていない。

 

今度こそ、終わりだ。

 

 

 

 

 

ひゅん!

 

左耳を何かが高速で通り過ぎる音。尋常じゃない速度だ。予想はつく。というかそれしかない。

 

奴め…とうとう飛ぶことを知ってしまった。

 

「簪、後ろだ! アイツ飛んだ!」

「うん。分かっ…て、る‥‥」

 

流石にもう驚かなかった。冷静に判断して簪に反転を促す。先細りしていく簪の言葉に、僕は見なくても何がどうなってるのか大体の予想がついた。

 

「いやーー! 織斑先生がーーー!」

「先生の、先生の御顔に奴がーーー!」

 

すいません予想の斜め上をマッハでブチ抜いてました。

 

立ち尽くす千冬さんの額にはぴたりと張りつくG。触角をふよふよと動かしたかと思うと、ぷぅーんと飛び上がり、生徒の壁を越えて着地。再度加速してその場を去っていった。

 

……沈黙。あの、あの織斑千冬が。Gが…。

 

「諸君」

 

故に先生の言葉はよく響いた。

 

「IS並びに全ての武装の使用を許可する。いいか、奴を殺せ。今すぐ殺せ瞬時に殺せ立つ暇があるなら殺せ喋る暇があるなら殺せ寝る間を惜しんでも殺せ何をしている貴様ら私の声が聞こえなかったのかさっさと反転して追いかけてブチ殺せこの地球上から奴の細胞をDNAを一変たりとも残さずに焼却して完全消滅させろとにかく何でもいいから今直ぐブチ殺せええええええええええええええぇぇぇぇ!!!!!」

 

そしてものすごぉく恐ろしかった。我に帰った生徒達が一斉に最寄りの部屋にあった武器を手に取り駆けだす。殺虫スプレー、箒、モップ、モッピー、ペットボトル、包丁、皿と兎に角手に持って走った。じゃないと背後の関羽が僕らを殺す。拒否権が無かった。ぶっちゃけGよりそっちが怖い。

 

簪が打鉄弐式を全展開して生徒の波を飛び越える。ビットは足場にされるだけだと判断して格納し、代わりにワイヤーブレードと衝撃砲を展開する。先生がゴーサインをだしたのだ、建物への被害はもう考えない。ワイヤーで床を削って道を崩し、衝撃砲を叩き込む。が、飛ぶことを覚えた奴は空中に躍り出て止まる勢いを知らない。すんでの所で回避され、全く掠りもしない。

 

まだ棒立ちしていたデュノアさんとボーデヴィッヒさんも追い越す。今度は「肉体があるから、やれるのさ」とか言ってた。彼女は夜が明けたらしかるべき場所へ連れて行った方が良いかもしれない。

 

そしてその先。頼もしい援軍がいた。

 

「織斑君! そいつ頼んだ!」

「よ、よぉ、名無水。廊下走ると千冬姉に怒られるぞ」

 

そう、織斑君の家政婦スキルは本職もうなるレベルで高い。だったら家政婦の敵であるGへの対処も超一流のはず! たとえどれだけ進化しようとも、主婦の前では無力なはずだ!

 

「そんなの良いから早く!」

「な、なんだよ……って、ゴ■■■かよ。ちょっと待ってろ」

 

いやもうその落ちつきっぷりというか名前を平気で口にするところがもう頼もしすぎて惚れるレベルだよ。

 

そういって自室に引っ込んだ織斑君は片手にスプレー、もう片手には丸めた新聞紙が握られていた。その新聞どうやって手に入れたの? 売店には無かったと思うけど。

 

「窓ふきには欠かせないからな、持ってきた」

 

流石過ぎる!?

 

慣れた手つきでGの進行方向にスプレーをたっぷり撒いた織斑君は数歩下がって新聞紙を構えた。とてつもない勢いでかけるGはスプレーを散布した場所を通過し……いきなり苦しむようにふらふらと異常を訴え始めた。

 

「よっ」

 

すぱーん!

 

そこへ織斑君の新聞紙が炸裂。Gは……まだ生きている。

 

「しぶといなコイツ」

 

すぱーん!

 

色々とモザイクが必要な光景が視界の一部に広がっているが、Gは完全に沈黙した。

 

「ふぅ。学園じゃあちっとも見なかったけど、やっぱどこにでもいるもんだな」

 

慣れた手つきで後処理を始めた織斑君。おかんだ…。

 

僕らギャラリーは開いた口が塞がらず、塩素系の洗剤で消毒するところまできっちり見届けると、乾いた笑いを浮かべながら、ぞろぞろと解散した。昼間なら黄色い歓声が湧きあがるかっこいいシーンだったかもしれないけど、生憎と千冬さんの件があったり、そろそろ就寝時間もあるので、疲れ切った生徒達は退散を始めるのだった。

 

「げふぅ」

「銀、銀ーー!」

 

張っていた緊張の糸が切れた僕の身体は速攻で限界を迎えた。本日二度目の簪の抱擁に心が躍るが、ちっともスッキリしなかった。

 

あれだけ追いまわして最後は結局これかい。

 

戦いなんて、どれもこれも空しい。なんにも残りはしないんだ……。

 

疲れた。

 



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銀の看病 

お久しぶり? です。トマトしるこです。

今回は実際にあったけれども本編未収録なワンシーン


退院? してよしと先生から言われたのが昨日のこと。嬉々として僕らは部屋に戻って、懐かしい生活を送ってぐっすりと念願のフカフカベッドで就寝した。

 

規則正しく起きたその時、異変は既に起きていた。

 

「か、かん……ざし、さん?」

「んぅ」

 

オーケー。まずは現状把握からだ。何事も知ることが大事。

 

僕は昨日自分のベッドで寝た。二ヶ月近く留守にしていたのに埃一つなかったことに感動してお礼を言ったから間違いない。それでお互いのベッドにもぐりこんで、僕が電気を消した。うん、間違いない。

 

そのあとは特に夜中起きることも無かったし、夢遊病を持ってるわけでもないので、勝手に移動したってことも無いはずだ。

 

ということはつまり。

 

簪さんが僕のベッドにもぐりこんだ事になる。

 

しかもこんな時に限って服が乱れたりしてるから困った。掛け違えたボタンの隙間からは白く透き通った柔肌が覗いており、たるんだ下着の紐と、意外と深い谷間の破壊力ときたらヤバい。防御力の高い簪さんだけに攻撃力が倍プッシュ。僕も男の子だからね、そりゃ落ち着かないさ。

 

彼女は寝付きも良ければ目覚めも良い。身じろぎして起きたらこの状況どう思われるだろう? 控え目に言って死刑だ。更識さんから。きっと黒いガムテープを使って局部と少々の肌を隠しただけの変態スタイルに仕上げられて、学園沖の星型特設ステージで脇を晒しながら踊らされる公開処刑が待ってるに違いない。

 

なので目を覚ましたは良いものの、僕は身体を起こす事が出来なかった。

 

困った。そろそろ起きたい。お腹もすいたし、久しぶりの自室で思う存分くつろぎたいんだ。こんなラッキーを堪能するのも悪くないけど、それをやっちゃうと彼と同類になる。それは嫌だった。

 

「よし」

 

意を決して身体を揺さぶる。間違いは起きてない。本当だ。だったらそれを真摯に伝えよう。きっと分かってもらえるはず。

 

「ぁっ…」

「ぐはっ」

 

突如漏れた艶やかな声が僕の体力と精神力を大幅に削る。ごっそりと。

 

それは卑怯だよ! はだけた衣服、無防備な姿、熱のこもったなまめかしい声、上気した頬、荒い息……

 

ん?

 

もしかして、と思った僕は今までの慎重さを捨ててすっと右手を伸ばして額に当てる。

 

「あちゃあ」

 

熱が出ていた。

 

どうやら簪さんは風邪らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こりゃ風邪だね、うん。引き始めだし、薬飲んで養生してればすぐに治ると思うよ。はいこれ、毎食後に服用ね」

「ありがとうございます」

 

昨日の今日でとんぼ返り。先生もびっくりしていた。ぼーっとしている簪さんに代わって、先生から処方箋を受け取る。僕も良く知ってる、風邪をひいた時に飲んでいた薬だ。

 

「あの…養生するって、どうすれば?」

「ん? あぁ、そうねぇ。無理はしない、寝る、胃に優しい食べ物を取る、水はこまめに飲む、とか? 冷やすのもあまり良くないし、付き添ってあげるのも大事ね。裸で抱き合っこでもすれば?」

「ぶふぅっ!?」

「げほっげほぉ!?」

 

にやり、と意地悪な笑顔でトンデモ発言をかました先生。僕らは揃ってむせかえってしまった。

 

「だ、大丈夫?」

「なんとか…」

 

真っ赤な顔で弱々しく返事する簪さん。肩に手を添えて優しく背中をさする。

 

「変なこと言わないで下さいよ!」

「そんなに変な事言ったかしら?」

「言いましたよ!」

「おかしいわねぇ……病気の寂しさと、冷えさせずにリラックスできるかなり有効な方法だと思うんだけど? もしかして…コッチ?」

「違いますから! 駄目でしょう、色々と!」

「良いに決まってるじゃないー。あ、でもね、ヤってもいいけど感染されないように」

「わざとですか? わざとですよね?」

 

私、楽しんでますって顔を貼り付けた先生も、手はしっかり動かしている。問診票らしき紙に、先生らしい崩した丁寧な字をさらさらと連ねていく。

 

「君は思ってたより元気そうね。痺れはない?」

「はい、大丈夫です」

「じゃあ尚更チャンスでしょ!」

「帰ろうか」

「うん」

 

何故かいきなり怒り始めた先生は無視する事が決まり、僕らはさっさと退散すべく軽くなった腰を上げる。

 

ここの先生、腕は確かなんだけどなぁ。診察がわりにからかわれるのがなぁ。もっと端的に言うなら僕で遊ばないでほしいなぁ。

 

病院が長かった僕は医者を見てきたけど、彼女は凄腕の部類に入る人だ。世界中の秀才が集まる学園で健康管理を預かるというのだから、確かな実績と信頼のある人物なのは間違いない。診察室には英語やらドイツ語がずらりと並んだ証書が高価そうな額縁に納められているし。以前僕が発作を起こして倒れた時の初期対応は真剣そのもので目を疑った。

 

「更識さん」

「……はい」

 

そんなに警戒しなくても…。

 

「具合が悪くなったり、良くならない時も直ぐに私のところに来なさい。なんなら真夜中に教職員寮に来てもいい」

「え、さすがに、そこまでは…」

「貴女には一秒でも早く回復してもらわないと困るのよ、学園も日本も世界も。どうして男と同室なのか忘れたわけじゃないでしょう?」

「そ、うですね…」

「それに、変な虫が彼の周りをブンブン飛びまわるのって結構ストレスになるよ? そういう奴らに留守を好き勝手されたり、領分を侵されたり、しまいにゃ連れ去られた日には…」

「……ひぃぅ」

 

先生のおかしな誘導をそのまま想像してしまったのか、簪さんはおかしな声を挙げてガタガタと尋常じゃないレベルで震え始めた。どれくらい尋常じゃないかと言うと、丸イスから振動が伝わって本棚の上に飾ってある証書が音を立てるくらいには。

 

大丈夫かなこれ?

 

「気のせいですかね? 悪化してません?」

「そう?」

「ここは私の居場所ここは私の居場所」ガチガチ

「ちょっと!?」

「気にしなくても大丈夫よ。これはね、れっきとした治療よ治療。身体が震えれば体温が上がってウイルスを倒す力が上がるから」

「それは知ってますけど僕が言いたいのはそういうことじゃありませんのですが!?」

「先生ありがとうございました。銀、私今直ぐ部屋に帰って治すね」

「消化に良い物食べて、栄養ドリンク飲んであったかくして寝るのよ~」

「はい」

 

……え、いいの? いや、まぁ、簪さんが良いならいいんだけど。上手く表現できないけど、のせられた挙句遊ばれてるって感じてるのは気のせいなのかな。好意や心配の隙間から色々とだだ漏れなの、気のせいなのかな。

 

「お大事に~」

 

簪さんの体調には十分気をつけないと、二周回って僕が疲れる事を知った一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日

 

「ん~~~。快調」

「良かったね」

「うん。先生から貰った薬とドリンクが良く効いたみたい」

「そっか」

 

宣言通り回復に努めた簪さんは、風邪をこじらせることなく見事一晩で完治した。表情もスッキリしており引く前よりも元気を感じる。

 

「じゃあ、余ったの貰っていい?」

「……うん」

 

そして案の定、僕は感染されたのであった。期待を裏切らないというか何と言うべきか…。

 

手を借りて上半身を起こしコップと薬を受け取り、迷わず一回当たりの錠剤を取り出して水で流しこんだ。昨日は僕が受け取って看病したんだ、用法用量は覚えてる。

 

一息ついてまた寝かせてもらう。

 

「ありがとう」

「ん」

 

簪さんは……少し微笑んでいた。

 

「…どうしたの?」

「え?」

「いや、うれしそうだなって」

「あ……ゴメン。ちょっと不謹慎なこと、考えてた」

 

どうやら良からぬことだったらしい。反省したように、ベッド脇のイスに腰掛けて口を開いた。

 

「銀が看病してくれて嬉しかったし、新鮮だったんだけど、やっぱりこうがいいなって」

「こう?」

「うん。銀がベッドにいて、私がイスに座ってる。今が落ち着くし好きだなって、そう思ったの」

「あはは」

 

確かに、普段の僕らとは逆の立場だったからちょっと新鮮味はあった。いつもして貰う側だったから何が嬉しいとかしてほしいのか分かってるからそうしたし、看病って大変なんだなって再認識したっけ。

 

「反省する様な事じゃないって。僕もたまにでいいかなって思う」

「本当?」

「本当。嫌いじゃないけど、脇で見守ってくれたり手を握ってくれてる元気な簪さんの方が安心するよ」

「そっか」

 



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アフター ■■

後日談のような中身。
だからアフター。


ふと、微睡みから浮上する感覚に包まれる。

 

夢を見てるときは殆ど夢だなぁって自覚があるのに、この時ばかりはどっちか判断がつかなくなるよね。だから寝ぼけて適当な相槌をうったり、普段ならしないポカやらかしたり、あと五分…なんて台詞が出てくるわけで。

 

期待してるところ悪いけど、ラッキースケベなイベントとかないからね? この間織斑君が篠ノ之さんの胸元に手を突っ込んだりしてたけど、そういうのないから。え、メタイ? そりゃなんと言っても死んでるし。

 

あえて言うなら、そうだなぁ…。

 

「おはよ」

「…ん、おはよ」

 

将来の妻が必ずと言って良いほど先に起きてて、毎朝僕のほっぺをつつきながら微笑んでくれることくらい、かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕こと名無水銀は不本意ながら死亡した。

 

「ん……」

 

目が覚めるとそこは、写真で何度も見たことのある場所で、肉眼では束さんが実家に連れて行ってくれた時に一度だけ見たことのある光景が広がっていた。

 

焼け落ちたであろうマイホーム近くの公園。近所の子供たちのたまり場で、弟や妹もよく友達とここで遊んでいたそうだ。最近は何かと規制されがちだけど、ここは毎日賑わっていたらしい。そういや、束さんと来た時も小学生ぐらいの子供たちが砂場で山を作ったり鬼ごっこしてたっけ。

 

「あれ、僕……たしか…」

 

春のような暖かい日差しに照らされて、草の上で寝転がってぼやけた頭を働かせる。

 

はっきりと死ぬ瞬間の記憶が残っていた。何度も感じていた血が無くなって体が冷たくなっていく感触に、僕を見下ろしていたエム達。

 

そして、ISを奪って何故か装着していたジジイ委員長。最後に右腕を持っていかれたのは機体の武器を何か使ったからだと推測してる。

 

「あんのクソジジイ」

 

頭が冴えてきたところでジジイへの怒りが天元突破。

 

これから、これからだったんだ。

 

本当にもうどうしようもないことをやってしまって、みんなを傷つけてしまって、心配だってかけて……人を殺して。それでも簪は僕に寄り添ってくれて、なんだかんだと織斑君達も許してくれていた。あまり明るい未来は見えなかったけど、やり直そうって思っていた矢先だった。

 

しかも僕の■■を奪うどころか使いこなすだなんて、何者なんだよマジで。

 

「はぁ」

 

いや、ま、もう考えたところでどうしようもない。呪い殺せるなら二十四時間背後にべったりくっついて即死の呪文を唱え続けてやるんだけど、できるはずもなし。もうちょっと建設的なことを考えようよ、銀。

 

よし、そうと決まれば。

 

「ん、あれ?」

 

大の字になっていた身体を畳んで上体を起こす。

 

重い?

 

「おお? 義手と義足じゃないぞ」

 

僕の左腕は学園が無人機に襲撃された時、両足は臨海学校での一幕で失っている。無くなった場所にはハンドメイドの義手と専門家真っ青の義足が接続されていたはずなのに、生身よりもパワフルでハイテクなそれらはもとに戻っていた。つまり、そこには生の手足が。

 

握って開いても問題無い、曲げ伸ばしも自由自在、関節が許す限り、思う通りに動かせる。

 

虚弱な僕のことを思って少しでも軽くなるように素材を厳選してくれた二人のお陰で、義手義足は肉と骨よりも軽くて丈夫というちょっとありがたい仕様だった。ただ、あんまりにも軽すぎて生身の部分とバランスがとりにくくて慣らしに苦労したのはいい思い出である。流石の束さんも苦笑ものだった。というわけでちょっとありがたい、である。

 

そんな経緯もあって、久しぶりの重量感に少しばかりほっとした。同時に寂しい気持ちが胸を占める。

 

血の通った手足はもう僕には無い。辛うじて? 残っていた右腕も死ぬ間際に奪われてしまった。無い筈のものが戻ってきている非現実的な僕の身体が、何よりも僕の死を裏付けているのだから。気の迷いや妄想ではない事実だと、教えてくれる。

 

「やめやめ。建設的なことを考えるんだろ、僕」

 

しょげたところでどうしようもない。先も考えた通りじゃないか。

 

「とは言え、何をすればいいものやら……」

 

土を払って立ち上がるも、最初の壁は結構分厚かった。

 

一度だけ立ち寄った場所がどれだけ縁のある土地であっても、僕からすれば見知らぬ土地だ。どこに何があるのかなんてわからないし、そもそも死後の世界が現実とそっくりにできているとも限らない。見慣れた公園? 地球上にごまんとあるだろうさ。

 

知らない場所と言っても覚えは良いほうだ。僕の家があった場所までの道ならぼんやりと覚えている。充ても無いし、寄ってみるのもいいだろう。

 

死んだら生まれ変わるなんて話もあるけど、今の僕は生前の身体と記憶を持ったままでいる。死んだらそういう風になるのか、それとも神様とやらが何かをさせたいのかは知らないけど、折角だし好きにさせてもらおう。

 

公園のバリカーの間をすり抜けて家までの道を歩き出した。

 

一歩外に出ればそこが住宅街だったことがよく分かる。

 

手入れの行き届いた街路樹が奥までずらりと整列して、落ち着いた色のマイホームがそれに沿う。

 

排気ガスを撒きながらコンパクトカーが徐行して、僕とすれ違うように犬の散歩をしていたおじいさんが公園へ入っていく。

 

ランドセルを背負った私服小学生集団が友達の家の前でサヨナラを言いながら解散しているし、その反対からは女子中学生が今日はどこ行こうかと盛り上がっている。

 

どこにでもあるような普通の……いや、ちょっと裕福な暮らしを謳歌している、ニュータウンの風景だ。

 

いつかの様に想像してみる。すれ違う人達一人一人の傍に幼い自分を投影して、こんな暮らしもあったのかなーと。近所のおじいさんと仲良くなって昔話を聞かされてちょっとうんざりしたり、同じクラスの友達と一緒に帰ったり、姉さんの友達に揶揄われて。

 

「……やめた」

 

かぶりをふって脚の回転を早める。

 

結局同じことだ、考えたところで意味がない。それはそれで楽しいことかもしれないけど、今まで育ててくれた人たちへの後ろめたさが強すぎていい気分に浸るなんて、とても。

 

それに、きっとそこにいる僕は僕じゃない誰かだ。名無水銀は濡れた障子並みに病弱な少年じゃないといけない、それがいいんだ。

 

とぼとぼとした歩みから腕を大振りにして元気よく行こう。死んだからなんだってんだ、死んでも今の僕は生きている。だったらまだ生きてる。命があるなら足掻く。それが、それこそが……いつだってそうだったんだ。

 

そうやって歩くこと十分。元気になった僕の前には、焼いて消えた筈の我が家があった。

 

帰ってきた…ってことになるのかな? い、いいよね? だって表札には“名無水”ってかかってるし? 

 

生唾を飲み込んで門扉のカギを外す。敷地に足を踏み入れて、玄関までの数段を上って、インターホンをぐっと人差し指で押した。今時珍しいカメラがついてないタイプだ、覗き穴が一応ついてるけど、家主と家族は使ってないんだろうなと苦笑する。

 

「はー、い……」

「や、やぁ。どうも……」

 

ドアの向こうから上半身を乗り出した女性は、僕とそっくりな紅い目を見開いた。

 

ちょっと癖の入った栗色の髪を肩まで垂らした、黄金比を体現したようなモデルも裸足で逃げだす医者の卵。

 

「……銀?」

「…うん、ただいま。楓姉さん」

 

信じられないといった表情と震えた声で、名無水楓は僕の名前を紡いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただいま死後二ヶ月といったところです。久しぶりにこちらに来た時を思い出しました。

 

あの後少し時間をおいて…生活や元の身体に慣れた一週間後に簪は自殺してこちらにやってきた。それからは両親と姉さんに紹介して、「うちの息子はやらん!」とか一悶着があって……はい、嘘ですすみません。簪は大歓迎で即入居しましたとも。姉さんはほんの少しだけ不服そうだったけど。

 

部屋に余裕はないので簪とは同室。学園でも稀に同じベッドで眠ることもあったし、今更ということでベッドは一つだ。今更っていうより、尚更?

 

こんな死後の世界で何があるのか、どうなるのか、時間の概念とかその他もろもろさっぱり分からない。でも僕は、僕らはお互い溜め込んでいた想いを伝え合った。ずっと一緒に居ようと。もしこの世界で何かあったとして、その時まで。今度こそ終わりまで添い遂げると。やることもやりましたとも、ええ。

 

それからはすごくすっきりした気分で過ごせている。快調な身体もあって、我慢する必要がないからだ。食べ物を気にする必要もないし、両親の手伝いもできて、弟妹の無茶ぶりにも応えられる。姉さんの着せ替えに付き合うのだって……うーん、これは流石に疲れたっけな。

 

「おはよう」

「おはようございます」

「ん、おはよう銀、簪」

 

揃って階段を下ると、リビングでは姉さんがコーヒーを片手に雑誌を読んでいた。

 

「今日は大学休みなんだ」

「んー、そうね。午後から用事があるからちょっと出るけど、それまではゆっくりしてる」

「父さん達は?」

「どっちも仕事。カナとリクも友達と遊びに行くって、ついさっき」

「早いなぁ」

「そうねぇ」

 

両親は同じ職場で勤務しているらしい。詳しくは聞いたことなかったけど、大手の商社に勤めているとか。生前に裏の人間と聞いてびっくりしたけど、ここには亡国機業も無いし足を洗って堅気に生きるって真面目に答えてくれたのは記憶に新しい。

 

カナとリクは妹と弟のこと。名無水華菜芽と名無水陸也。どちらも元気いっぱいで友達がたくさんいるらしい。朝から誘いに行くor誘われるばかりなのでクラスでは上手くやっているみたい。お兄ちゃんもそんな君らにあやかりたかったな。

 

「二人はどうするの?」

「ご飯を食べたら外に行くよ」

「また“下”を見に行くの? 好きねぇ」

「いやいや、今日はまた別。簪が買いたいものがあるんだって」

「そうなの?」

「はい。楓さんに頼まれていたものを作るのに、ちょっとパーツが足りなくって」

「ああ、PDAね」

 

姉さんがよく使っているPDAが故障してしまったのが三日前。母さんのお古を譲ってもらって使っていたのがとうとうご臨終なさった、というのが僕と簪の診察結果で修理も難しい状態だった。講義で欠かせない道具なので新品の購入を検討していたところ「簪が世話になっているから」とイチから作ることに。

 

義手の製作や打鉄弐式のソフトウェア開発を横から見ていたからわかるけど、大手企業の技術職人に勝るとも劣らない技量が彼女にはある。市販品よりは良いものを作ってくれるのは間違いないし、簪のハンドメイドが市場に流れたらかなりの良い値段がつく筈だ。

 

普段大人しい簪がやる気を出した様子を見て何を思ったのか、にやにやと笑いながら姉さんは製作を依頼した。

 

「言ってくれたら私が買いに行ったのに……っていっても、パーツの違いなんてわかんないか、ごめんなさいね。お金はちょっと多めにあげるから、デートでもしてきなさいな」

「お、お代なんていいです。頂いてばかりだからそのお返しに作るのに、もらっちゃったら意味が無くなります」

「まーまーそう言わないで。いいからとっときなさい」

「でも…」

「うぅん、そうねぇ…。だったら、お使いを頼まれてくれない?」

「その話を私の前でするのはどうかと思いますけど…」

 

姉さんの強引なやり口に僕も苦笑する。何とかしてお金を持たせようとするのはわかるけどさ。でも意外と効果覿面で、断りづらくなるから面白いよね。

 

「銀の新しい服を縫うのに布と糸が足りなくなっちゃって…」

「分かりました喜んでお使いを承ります」

「うふ、ありがと」

「ちょっと!?」

 

ひじょーに聞き逃せない部分があったんですけど華麗にスルーしないで! まだやるの!? すっごく疲れるし恥ずかしいし簪が暴走して大変な事になるからもうやめてって言ったじゃんか!

 

という僕の抗議を無視して立ち上がった姉さんと簪が熱い握手を交わしていた。手にはメモ紙と諭吉が三人。困った表情は仮面を外したように捨て去って、簪さんはとってもご機嫌です。

 

ちらりとこっちを見た姉さんがゲスな笑みを浮かべていたのがまた悔しい。

 

「お店はいつもの場所でいいですか?」

「うん。店員にこれを渡せば用意してもらえるから」

「はい、わかりまし……?」

 

握ったメモ紙とお金を収めようとした簪。しかし姉さんは全くその手を離す気配がない。にこにこと笑ったままだ。

 

そんな様子に簪は困惑するも、姉さんの意図を察した途端にあわあわと慌て始め、頬と耳が少しずつ赤く染まっていく。言わないと放さないゾ、と姉さんの顔に書いてあるのがよく見える。観念した簪は照れながらぼそぼそと口を開いた。

 

「お義姉ちゃ、ん……」

「え、聞こえなぁーい」

「う、うぅー……い、行ってきます。楓お義姉ちゃん…」

「ん。いってらっしゃい、簪」

 

手を放してにこりとほほ笑んだ姉さんは、簪を大事に想う楯無さんとそっくりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきのやり取りはそう珍しくない。というか僕らが同じ部屋で眠っているのを快く認めている時点でもはや公認だ。だから姉さんは簪に自分のことを姉と呼ばせるようにしているし、父さんと母さんも喜んでお義父さんお義母さんと呼ばせてる。僕は簪に指輪を渡したりプロポーズした覚えはないけど、家族の中では既に嫁として迎えられているという不思議な状況が出来上がっていた。

 

まだ顔をカッカさせている簪の手を引いて家を出た僕らは町までバスで移動している。利用者の少ない時間帯を選んで甲斐あって貸し切り状態だ。マイカーを持ってる人がほとんどだから利用者そのものが少ないってのもあるけど。お陰で運転手からは喜ばれた。

 

目的はささっと済ませた。欲しいパーツを予め電話で伝えていたおかげでスムーズに買えたし、姉さんのお使いも店員が慣れたものでこれもすぐに終わった。

 

「えへへ、楽しみにしてますね!」

 

と言ったのはお使い先の店員。姉さんと懇意にしているこの人は驚くことに僕の着せ替えを楽しみに待っていると言う。姉さんが買い物に来た時に何を作っているのかと聞かれて、僕が女装させられた写真を見せて意気投合したとかなんとかかんとか。それ以降、新作という名の僕の女装を心待ちにしているそうな。どうかお願いだからそんなところに働き甲斐を見出さないでほしい。

 

多少のどす黒い感情を抱えたまま、いい時間になったので昼食をとることにした。場所は既に予約してある。

 

町からまた少し離れた場所にあるそこは、要人御用達の高級な料亭だ。死後でも通用した更識の名前を使って貸し切った簪の案内で中に通される。本人は何度か利用したことがあるらしく、従業員も見知った様子で、迷うことなくすいすいと進む彼女について行った。

 

庭園が良く映える一室に腰を下ろす。ソファも真っ青な座布団が癖になりそうだ。

 

「更識ってやっぱりすごいんだね」

「そう、かな……?」

 

聞いた僕が馬鹿だった。彼女は日本でも上位に位置する名家の娘で、お家柄ちょっとは訓練を積まされているが女子校育ちの箱入りお嬢様。簪にとってこういう食事や部屋は日常でしかない。

 

……改めて、とんでもない女性を貰おうとしてるね、僕。

 

運ばれてきた食事に舌鼓を打ち、景色と簪を堪能する僕に、彼女はとうとう切り出した。

 

「で、聞いてもいい?」

「うん。■■のことだね」

 

これが今日の本題だ。ずっと簪の中にあった疑問を解消するために、わざわざこうやって場所を選んで足を運んだと言っていい。

 

■■。僕が束さんから預かったISの卵が孵化した存在。専用機…になるのかな? まぁ分類はどうでもいい。特筆すべきはその異常性だ。

 

外見はぼろを纏った故障寸前のガタが来ている状態で、扱う武器も全て破損したものばかりで基本性能は当然低い。パワーアシストやセンサー系統はまだ働いていたように思うが、足回りは壊滅的だった。浮くだけで精一杯、緊急回避でスラスターを使えない損傷具合で、来ると分かっていても避けられなかった攻撃が幾つかある。僕自身の体調ももちろん要因の一つではあったけど。

 

ただし、あの一瞬で見せた武器性能は時代にそぐわないものばかり。みんなが苦戦したのは一重に自分が装備している武装よりも高性能で、それを幾つも使われたこと。第三世代兵装は脳波コントロールを要求するものが多く、ビットであったり、AICであったり、衝撃砲であったり、一つを使うだけで脳のキャパシティを使い切ってしまう。それを平然と併用した様子がまたプレッシャーになったことだろう。実際はもう少し種類があったのだけど、僕にはあれが限界だった。

 

現時点で最先端の技術の更に先を行く技術を持った謎のIS、と言ったところか。

 

「どう話せばいいのかな……」

「うーん、じゃあ、所持するに至った経緯から」

「経緯か。まず、僕は病室から外出できないくらい病弱だったんだけど、それを解消してくれたのが■■なんだよ。生体再生機構が僕の身体を人並みに丈夫に保ってくれていた」

「それは聞いてるよ。篠ノ之博士の研究を手助けも含まれていたって、前に言ってた」

「うん。その時はまだデータが足りない状態で、孵化する前の卵の様な状態でね」

「……そのデータが集まったから、卵が孵化して……その、ISになった?」

「そう言う事。■■って言うと、簪には伝わらないみたいだね」

「ごめん、その部分だけ何を言ってるのかぜんぜん聞き取れないの。外国語とかじゃなくて、言葉じゃないみたいに」

「だったらこれからは“亡霊”と呼ぼうか。これが言い得て妙でね、本当に亡霊なんだよ、あの機体は」

 

ふと思い返す。

 

データ…着用していた僕の感情を餌として世界を学習し、収集完了したその時に孵化した亡霊。残念ながら、僕が卵に与えた餌は良いものではなかった。簪に対する好意や、束さんやくーちゃんに対する親愛、織斑君に対する友情を含むものの、大半は僕を執拗にいじめてきた先輩だったり、ほんの行き違いから生まれた束さんとの音信不通と浴びせられた簪の罵倒。それらを反面教師にするような知能も無かった卵は素直にそれらを吸収して……負の存在として生を受ける。

 

今振り返っても機体の性能も、在り方も、マイナスなISだった。

 

「どういう事?」

「……物はいつか壊れる時が来るよね?」

「え、そ、そうね。大切に扱っても部品を変えたりしても、最終的には捨てなくちゃいけなくなる、よね?」

 

一見して何の関係もなさそうな僕の問いかけにも、簪は真面目に考えて返答してくれる。

 

「それってさ、ISも同じだと思わない? それが開発終了に伴う解体なのか、戦闘によって破損して修復不可能になったのか、それは分からないけれど」

「……うん。どれくらい先の話になるんだろう」

「そうでもないと思うよ? 現に第一世代機は全て解体されて存在しないわけだしさ」

「ああ、そう言われるとそうかも。となると、第二世代や第三世代もいつかは引退する日が来る」

「引退か。良いね、その言い方。そう、兎も角いつかは引退する可能性だってある。破壊されるとはまた違うけど、これも似たようなものだと僕は思うんだ。でもね、第三世代は長生きするんじゃないかなって気がする」

「それは分かるよ。第二世代とは違って革新的な技術を搭載しているし、織斑君や銀みたいに男性操縦者が現れたから。彼はずっと白式に乗り続けるだろうし、他の皆も長い間乗り続けるんじゃない?」

「おっ? どういう具合に?」

「ううん……まだ無駄やムラが多いから、それをまずは洗練していって、燃費効率もあげなくちゃだし、ブルーティアーズみたいに適性が必要なシステムなら敷居を下げなくちゃ使える人も増えないし……稼働を簡易にしたり、時間を延ばしたり、とか?」

「流石、簪だね。それが答えさ」

「え? …………あ、あぁ…! でも、そんな!?」

 

驚愕に目を見開いてあり得ないと振りかぶる簪を宥める。理屈をすとんと理解した僕と違って、技術畑の簪にとっては理解できる範疇を超えている。いや、そうじゃなくても普通に考えてもまっとうにオカシイのだ。順序が。

 

簪が挙げた通り、第三世代はまだ課題が山積みで研究の伸びしろがたんまりと残っている。第四世代なんてものを束さんが提唱してるけど、世界としては第三世代をまだ捨てきれないし、次のステップに上がる為にはまだデータが足りていない。

 

では仮にそれらの欠点を克服すればどうなるのだろうか?

 

無駄をなくし、燃費が上がって、適性は要らず、簡単に動かすことが出来て、長時間稼働できる。まるで夢の様だ。きっと白式も、ブルーティアーズも甲龍もシュヴァルツェア・レーゲンもミステリアスレイディも、その域にまで到達するのだろう。その上で、何らかの形で幕を下ろす。

 

云わば“死”だ。稼働停止や解体、引退はISにとって人が死ぬことと同義と言える。

 

 

 

だったら、それを理解し寄り添うことが出来るのは、同じように濃厚な“死”を体感したことのあるISだけ。

 

 

 

あの時の自分の感情は今でも説明できない。暗くて底なしで、ずぶずぶでどろどろでぐちゃぐちゃだった。あんなものを人間が抱けるのかと、客観的に笑ってしまうくらいに埒外だった。でも、気を失ってまた目を覚ました時、僕は自分でも怖いくらいすっきりとした気持ちで現実を受け入れていた気がする。よく分からないボロのISも卵が孵化したのだとすとんと納得していたし、人を殺した時も何も感じなくなっていた。姉さんを喰い尽くした時だって、それが幸せだと心の底から思っていた。

 

まるで一度死んで生まれ変わった(・・・・・・・・・・・・)ようだった。僕だけど、僕じゃない、みたいな。

 

どうやらISに臨死体験をさせるには、十分過ぎたようです。

 

一度死んで、それでもなお現世に留まる。ご丁寧に、それらの死ぬ姿を引っ提げて。

 

僕はみんなから、亡霊や死神の様に見られていたんじゃないかって思うんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごちそうさまでした。次は……しばらくいいかも」

「気に入らなかった?」

「いやいや、そんなことないよ。でも僕には敷居が高すぎるかな」

「じゃあいろいろと回って慣れてもらわなくちゃ」

「あはは…」

 

昼食を終えてぶらぶらと町を歩くことにした。荷物は料亭に来る前にロッカーに預けているので気にしなくていい。忘れないようにだけ気を付けてさえいれば…。

 

ごはんは本当に美味しかった。病院食が僕の基準になってるんだけど、それに比べたら学園の食堂は月とスッポンぐらい差があったのに、それを飛び越える美味しさがあるとは思わなかったな…。またと言わずに何度でも来たいけど、メニューに価格が載ってないところとか、そもそもメニューが存在しないディナーとか、流石にご遠慮したい。庶民には縁のない場所ですって、ほんと。

 

でもまた連れていかれるんだろうなぁ……。

 

「とりあえず、聞きたいことは聞けた?」

「うん、まぁ、納得は出来てないけど……」

「だろうねぇ」

 

ちゃんと詳しく説明したところでやっと簪は大人しくなってくれた。

 

“亡霊”は死という概念とイメージを持って生まれている。また、コアネットワークという部分で根源的にすべてのISは繋がっている。つまり、現存する機体の行きつく先を演算から導き出してその最後を再現したのでは? というのが僕の仮説であると話した。よく分かってもらえないとは思うよ、何せ僕もちんぷんかんぷんだし。でもこうとしか考えられなかったし、簪もその結論に至ったので、そこまでズレた見解ではない筈だ。

 

あの場で皆の機体に使用された武器を使ったのは、その方が心理的にダメージを与えられると思ったからだし、使われているシーンを見たことがあるので知りもしないものより扱いやすかったという理由がある。

 

実のところ、かなり危険なISだ。

 

「あ、ねえ、聞いてもいい?」

「んー?」

「最後に委員会の理事長が“亡霊”を強奪して使ったんでしょう? 将来的には、男性が使えるようになるようになっていたってことなのかな? それとも、そういうオプションパーツが開発された、とか?」

「あぁ…」

 

死に際を思い出してちょっと鬱になるけれど、簪の手前おくびにも出さない。

 

「それは、違うよ」

「……ってことは」

「うん。委員長がなぜISを使えたのかは分からない。少なくとも、“亡霊”が予測した未来において男性が女性同様にISに乗れていた、ってことは無いみたい」

 

これに関しては僕も自信が無い。現時点では僕と織斑君二人だけが乗れるけど、今後少しずつ増えてくる可能性はある。勿論そうでない可能性もある。僕ら男性操縦者が単なるイレギュラーなのか、それとも今後男性操縦者が増えてくる前兆なのか、こればっかりはその時にならないと分からない。“亡霊”はイレギュラーとして処理した未来を予測した、と僕は考えているけど。

 

「あのジジイが乗れるようにした、誰かが居る。束さんと張り合えるだけの力を持った誰か。そいつにとって僕は邪魔だったんじゃないかな」

「……ほんと腹立たしい」

「そうだね。だから階段から落ちて全身複雑骨折してしまえって呪っておいたよ」

「ええ? それじゃ足りない。人間もみじおろしにして生皮を剥いで作ったソーセージを食べさせるぐらいはしないと」

「ひぃ………」

 

彼女だけは怒らせないようにしよう。みんなも気をつけような?




銀のISについては、今回打ち明けた通り。

コアネットワークを介して全てのISの死を予測し、再現している。他から学習して生まれたから自己が希薄で、他に依存し、身近なものが他ISの死にざまだから、常にボロボロの状態しか維持できない。

第三世代型が退役する頃には今直面している問題も解決されて、軽量化簡素化されてるなら一機に複数の第三世代兵装が積まれていてもおかしくないから、戦闘時も色んなものを並列して使いこなしていた。

武器も含めて性能は劣悪。破壊寸前の状態の再現なので損傷具合も半端ない。それでも基本性能は現行機よりも高いし、武器も強力。ただ、あれだけの大立ち回りを演じたのは何よりも銀のセンスによる所が大きい。

てー感じです。ちょっと無茶ぶりな設定でですかね? 私は大好物ですけど


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カニバリズム

病的なまでに白い男……名無水銀は犬の様に四つん這いになりながら、一帯に広がる赤を啜る。こちらからは見えないが、先程のセリフからして嬉々として舐めとっているに違いない。

 

「……」

「……」

 

あまりの光景に二の句が続かない。

 

つい先ほどまで私達は一緒にいた。ちょっと時間をおいて、帰りが遅いから様子を見に来てみればこれだ。この一時間ちょっとの間で何が起きたというんだ。知りたいような、知りたくないような……確実に言えるのは、私達には理解できないだろうと言う事だけ。

 

衝撃的すぎて脳が麻痺している。今すぐ思考停止して回れ右をしろと本能が訴えかける。あれはダメだ、見てはいけないものだ、人を、私の生命を脅かすぞ。

 

そんな危険信号に身を任せそうになった私を引き戻したのは、意外にも嗅覚だった。

 

臭う、酷く臭う。

 

血と、急速に腐敗していく何かの臭い。

 

今頃は名無水銀の血肉となっているであろう彼の姉、名無水楓は一年と数ヶ月前に死亡している。彼女の遺体がここに安置されているのは、彼の両親が亡国機業にとって大きな存在だったことが関係しているらしい。生憎と、私が加入する前の話なので関心が無いのだが、スコールもオータムもそれはそれは世話になったそう。IS実働部隊のトップがここまで動くのだから、余程の人物だったのだろう。

 

話が逸れた。

 

冷凍保存でカチコチに凍っていれば変わってくるのかもしれないが、彼女の遺体は外見こそ保持に努めているが中身は腐りきっていたということだ。当然か、霊安室はパウチ食品や缶詰じゃあない。

 

つまり、歯を突き立てたことで名無水楓の腐敗した中身が外気にさらされてこの世のものとは思えない悪臭が一気に充満している、と。腐っていく人の臭いを嗅いだことはあるが、一年モノを味わう日が来るとは流石に想っていなかった。二度と体験したくない。

 

兎に角、非現実的な臭いが私を現実に呼び戻した。そしてそれはオータムも。

 

「どう、する」

「なにも出来ねぇだろ、これ。止めるべきなんだろうが…」

 

私は私のことを人間離れしていると、異常だと思っている。しかし、そんな私でもアレには近づきたくない。立場的に、役割的に止めなければならない事は百も承知だ。病弱なアレが腐敗した人肉や血液で死んでしまう未来しか見えない。

 

だが、一歩どころか1ミリたりとも近寄りたくなかった。常軌を逸しているだとか、異常をきたしているだとか、正気を失ったとかそんな言葉で説明できる範疇にない。というかほんと回れ右してシャワーを浴びたい。

 

しかしそういうわけにもいかないのが現実。逃げ出したい気持ちをぐっと飲み干して、頭を働かせる。

 

「止めるよりは穏便に済ませる方が良いと思わないか?」

「……賛成」

 

結論から言って、止めるのは無理だと判断した。二対一で押し負けるとは思っていないが、下手に暴れられたり、それが原因で死なれるちゃ困る。やりたい事をやらせて、気が済んだ頃合いに声をかけて、誘導させるのが一番楽だし、安全だ。

 

今回に当てはめるなら、お腹いっぱいになったアレを寝かしつけるまで。

 

話しかけたとして、どんな返事が返ってくるのか予測がつけられない。出たところ勝負だ。失敗すれば、どこまで転げ落ちるのやら……。

 

死の味しかしない生唾を飲み込んで重たい重たい一歩を踏み出す。オータムを一瞥して、私の意図を汲み取った奴は逆に一歩下がり、部屋から出ないギリギリの場所で待機した。

 

ねちゃねちゃぐちゅぐちゅごりごり、と人から聞こえてはいけない音がする方へ近づく。人間は順応する生き物だと聞いているが、私の鼻はちっとも慣れてくれない。鼻が曲がっても逃げられそうにないな。

 

あれこれ考えている内に、ついにその背中までたどり着いてしまった。

 

「あー……名無水、だったか?」

「…………はい?」

 

私が話しかけてから食事を止めて嚥下した名無水は何事も無かったように返事をして顔だけ私の方を向ける。当然だが、口回りや人だった腐肉を持つ手はおびただしい量の血に塗れていた。

 

既に半分ほどを胃袋に収めてしまったのか、綺麗に上半身がこの世から消え去っている。

 

「名無水、その、だな――」

「あ、銀でいいですよ。エムさん」

「……分かった。私もエムでいい」

「うん。エム。それで?」

「あーーっと……」

 

しまった、話し方は良いが何を話せばいいのやらだ。

 

美味いか? いや美味くは無いだろ。

 

なんで姉を食べた、言え! 何か違うな。

 

腕の良い医者を知ってるぞ? これも違うな。

 

関係に亀裂が入りそうな言葉しか思い浮かばないんだが……!? そんなことをしているコイツが100%悪い筈なのに、なぜ私が頭を抱えないといけないんだ!?

 

「明日のことを話しておこうかな、と思ってな」

 

選んだのは業務連絡だった。

 

「明日? 何かあるの?」

「ついさっきの話になるんだが、軍事ISが暴走し消息を絶った」

「はぁ」

「その後、軍事ISは不規則にロストしながらも南下をしている。これは意図的なものだ」

「……はぁ」

「目的地は恐らくIS学園の臨海学校先の近海だろう」

 

何を言いたいのか分からない、といった様子の銀はその一言で纏う雰囲気を変えた。ふわふわしたものから、肌がひりつくような冷たさに。

 

「私達はこれが篠ノ之束が仕組んだものじゃないかと考えている」

「束さん、が?」

「ああ。明日私達はここへ行くつもりだ。この軍事ISを頂く」

「それを、どうして僕に?」

「そこには更識簪が居るんだろう? 会って話したいことが、あるんじゃないか?」

「………」

 

背後から殺気と呆れと焦りが混じった感情をぶつけられるが、とりあえず無視した。口にしてしまったのはしょうがない。

 

私が銀について聞いているのは、世間知らずと病弱、あとは……更識簪と男女関係に発展しかけていることぐらいだけだ。オータムが言うにはちょっとしたすれ違いが殺人に繋がったとの事だが……そこまで逸脱した行動をおこすぐらいだ、いざこざがあったのは更識簪が相手と見て間違いない。

 

世間知らずというくらいだ、きっと喧嘩も初めてで、仲直りだってしたことが無いだろう。今彼女のことをどう思っているのかは分からないが、縁を繋ぐにせよ断ち切るにせよ、一度くらいは顔を見て話した方が良い。今後私達と共に生きるのなら、余計なモノは捨て置く方をお勧めするが。

 

もう一つ欲を出すなら、更識簪は銀に依存していると聞くし、声をかければこちらに引き込めるかもしれない。テロリスト向きの性格じゃないが、コアだけでも回収はしたいところだ。

 

鬼が出るか蛇が出るか。博打じみた仕掛け方だが、私の読みどおりならば…

 

「それって今すぐ決めないとダメなんです?」

「いや、出発前に教えてくれればいい。スコールにな」

「じゃあ一晩ください」

「ああ」

 

うん。取り乱すことなく、銀はそう答えた。

 

常識が無くなったわけでも精神異常者になったわけでもない。ただ、静かに心を壊しただけなんだろう。とても気分が沈んだ時に、普段ならダメな事や危ない事でも良さそうに思えてしまう、多分そんな現象だ。流石に人を喰うのはやりすぎだと思うが。

 

やさぐれた事も無いんだろう。だから壊れ方も知らないんだ。かわいそうな奴。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その場はそれっきりで、「じゃあな」と言い残して私とオータムは霊安室を後にした。ヒヤヒヤしただろうがとオータムがキレていたが、適当に流しておいた。

 

今は自室でサイレントゼフィルスのメンテナンスをしている。

 

今は夕食の時間までの手慰みに明日の準備も兼ねて、推力バランスの調整画面とにらめっこタイム。

 

私としてはさっきの一幕でカロリーを大量に消費した気分なのでぺこぺこだ。軽食で済ませる予定を大幅に変更してがっつく事に決めた。とりあえず量が欲しい。

 

時計と画面を交互に見ながら今か今かと待っているところで、客人が訪れた。

 

「や」

 

銀だった。

 

「……同行するならスコールに話を通しておけよ」

「あぁ、そういうんじゃないんだ」

「だったらなんだ」

「暇だったから」

「は?」

「年が近そうだし、亜紀山さんは忙しそうだしさ」

「忙しいと言えば忙しいだろうが…」

 

あのレズビアンは三日に一回は忙しくしているが、果たしてそれを忙しいと言ってもいいのか。自分が連れてきたというのに初日から育児放棄で自分はお楽しみとは……やはりクソだなあいつ。スコールもスコールだ、銀を世話すると言い出したのはお前だろうに。

 

何で一番関係の薄い私が相手をしなくちゃいかんのだ。

 

「何してるの?」

「……機体の調整だ」

「へぇ…」

 

まだ入っても良いとすら口にしていないのに、銀は勝手に入ってきては私の横に腰を下ろす。こちらを覗き込んではつまらなさそうに呟いた。

 

「エムは機械いじりが好きなの?」

「いや、特に。明日の出撃があるから見直しているだけだ。ISに道具以上のものを求めてない」

「そうなんだ。でも、そっち(・・・)はそう思ってないみたいだよ?」

「は?」

 

意味深なことを口にした銀を見る。ただからっぽの笑顔を浮かべるばかりで、それ以上何も言うつもりは無いらしい。

 

なんだそれは。まるでサイレントゼフィルスが意志を持っていて、私に懐いているようじゃないか。

 

馬鹿げている。私は本来の所有者ではないし、正しい使い方もしていない。誘拐してくれてありがとうなんて喜ぶ子供がどこにいる?

 

「じゃあ趣味は? 普段何してるの?」

「それをお前に話す義理はない」

「織斑君は料理が好きなんだってさ。千冬さんは苦手らしいけど」

「……だからどうした?」

「似てるから姉弟なのかなーって。中らずとも遠からずって感じだね、複雑そうだ」

「お前がスコールの客人じゃなかったら今頃は消し炭にしてやれるんだがな」

「やだなぁ」

 

へらへらと笑う銀は降参と両手を上げるジェスチャー。尚、誠意は全く感じられない。

 

聞いていた印象と全く違うぞ、まさか人をおちょくるような性格だったとは。気がふれて会話が成立しないよりは百倍マシだがちっとも居心地が良くない。さっさと帰れ。

 

「で、どうなの?」

「比較するな」

「やったことないんでしょ?」

「お前本当に殺すぞ?」

「作るから夕食付き合ってよ。食べれないけど、作るのは割と好きなんだ」

「勝手にやってろ、知らん」

「食べる相手が居ないと作る意味がないじゃないか。僕は好き勝手に食べれないし、二人はそういうの食べ無さそうだしさ」

「私なら良いとでも? そもそも自分が食べれないなら作るな」

「二人よりは食べてはくれそう、かな。ね、いいでしょ? 僕らの仲だし」

「………はぁ~~……」

 

凄んでもどこ吹く風、都合が悪いことは無視、挙句の果てに謎の関係性を主張してくると来た。だいたい僕らの仲ってなんだ、私はお前と会って24時間も経ってない。

 

ここに至って、ようやく名無水銀は少々どころか多分に人の話を聞かない人間だと理解した。話せば話すだけ、オータムの報告にあったのと同一人物なのか疑ってしまう。

 

私は知っている。主に経験則で。こういう手合いは張り合うだけ無駄なのだと。目をつけられた時点で詰みなのだと。逆に力むだけ無駄に体力を削られるのだと。

 

「……その内な」

「言ってみるもんだね。でも今から作るから、お菓子とかつまんじゃだめだよ」

「……」

 

こいつ……。

 

「どんなのが好き? やっぱ女の子だからサンドイッチみたいな軽食とか?」

「食べ物に好みは無い。無駄な脂肪が増えない程度に栄養が取れて味もそこそこ良ければ十分だ。あ、いや、アジア系の虫を使ったようなゲテモノは勘弁してほしいが……日本食のあえて腐らせる納豆とか、ブルーチーズやカマンベールみたいなカビも無理。キノコなんて菌だぞ? 絶対食わない」

「取り合えず前言撤回しようか。わかった、キノコは入れないからさ」

「ふん」

 

いい気味だ。適当に振り回されるだけの私ではない。この機会に私に声をかけることがどういう事かを教えてやろう。勝手に友達面した罰だ。報いを受けるがいい。高級志向な二人に連れまわされて肥えた私の舌を満足させてみろ。まぁ、病室育ちのおぼっちゃんには土台無理な話だがな!

 

「そうだなぁ……キクラゲとか食べたことある? さっき厨房覗いたらいっぱいあったから、それ使おうかなって思ってるんだ」

「キクラゲ……」

 

……聞いたことのない食材だな。くらげと言えば海にいる半透明の生き物だったはずだが……美味いのか? いや、大量に仕入れるぐらいだし美味しい食材か、もしくはスコールも口にする高級品と見た。さぞ美味いのだろう。

 

「特別に食ってやる。だが、結構腹が減ってるんだ、早めに、多めに作れ」

「ハイハイ。キクラゲ入りで、早くて、多いのね。りょーかい」

 

満面の笑みにうすら寒さを感じたがもう遅い。ゆっくりと立ち上がって、手を振りながら銀は部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「銀ェーーーーー!!!」

 

私は激怒した。必ず、彼の邪知暴虐の軟弱貧弱色白野郎を除かねばならぬと決意した。私には料理や食材がわからぬ。引き金を引き、ナイフで咽喉をかっ裂いて生きてきた。故に人の邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

 

ああ美味しかった、美味しかったとも。加えて私の注文通りにボリュームもあった。決してスコールとオータムでは口にできない量が、イメージ通りの盛り具合が実現化したとも。

 

中華丼と言うらしい丼物と、同じく中華料理のナムルとやらがメニューだった。

 

中華料理自体食べる機会の無かった私はそれが新鮮で、味も良くあんかけという独特の具材に気を良くした。良くしてしまった。件のキクラゲとたけのこ、野菜に肉とエビと、バランスと彩りも文句は出なかった。

 

認めるとも、良い料理であったと。惣菜のナムルも格別だった。

 

疑って済まない、いい腕をしているじゃないか。

 

私はそう謝罪しようと思っていた。思っていた……思って、いたんだ。

 

なのに!

 

「キクラゲはきのこではないか!!!!!!」

 

キクラゲ。

キクラゲ目キクラゲ科キクラゲ属の キ ノ コ 。

 

そう、キノコである。

 

一体奴の言うキクラゲとは何なのか、とろみとうま味が濃縮した半透明のあんに包まれた、たった一つだけ目にしたことのない程よい弾力と触感のある黒いコレは何なのかと、ググってみればこれだ。

 

「そうだよ?」

 

そしてこの何を当たり前のことを言ってるの? といったすまし顔である。嫌な予感の正体はこれだった。息をするように人をおちょくりやがって。

 

私の感動を返せ!

 

「エム」

「なんだ!!」

「美味しかった?」

「………」

「良かった」

 

今にもサイレントゼフィルスのシールドビットで小突きまくって顔面を蜂に刺されて原型を留めていない顔にした挙句写真を更識簪におくりつけてやろうと思っていたのに、唐突に裏の無い笑顔で感想を聞かれた私は毒を抜かれてしまった。

 

美味かったとも。それは事実だ。ひじょーに悔しいが。

 

振り上げたこぶしをどう下ろしていいか分からず、しかし素直に口にすることもできないままイライラしている私を見て察した(というよりも掌で踊らされた)銀は満足げにほほ笑む。

 

銀の前には皿が無い。自分で作るだけ作って、私が完食するところをずっと対面で眺めていただけだ。本人が言った通り、好き勝手に食べれないのだろう。それに、体重五十キロ前後の肉と水分を食べ尽くした後では腹も空かないか。というかどこに収まってるんだ?

 

「で、好みはどんなの?」

「………笑うなよ?」

「笑わないって。流石にこれ以上揶揄ったら殺される」

「自覚があるなら今すぐ止めろ」

 

悩む、が、これだけ上手とあれば是非とも食べてみたい。これといった趣味を持たない私にとって、食は欠かせない娯楽の一つなのだ。

 

なのでぽろっと溢してしまった。

 

「………パンケーキ」

「そっか、夕食には向かないもんね。いつか機会があれば駅前に美味しいお店があるから、一緒に行こっか」

「……その内な」

「その内ね」

 

また何か仕掛けられるんじゃないかと身構えてしまったが、流石にそんなことは無かった。時間も遅いし、彼が言う駅前――恐らくIS学園と直結しているモノレール駅はここから距離がある。店もとっくに閉まっているだろう。何よりお尋ね者だ。

 

なんと言うか、すっかり打ち解けてしまっている。オカシイ、こんな筈じゃ無かったのに。遊ばれるかもしれないと身構える自分が、順応している自分が恐ろしい。

 

「ねぇ、エム」

「なんだ」

「僕はどうすれば良かったのかな」

 

悶絶していた私に、銀はほいと質問を投げかける。その気軽さとは正反対の、重たい質問だ。

 

この男の境遇には同情を禁じ得ない。これほど悲惨や壮絶がしっくりくる人間はそうそう居ないだろう。一人の女を除いてすべてに恵まれなかった。最終的にこうなるのは必然に近い。

 

「今更何を言ったところでどうにかなるとは思えん」

「まぁ、そうだね」

「だがこれからを良くしていくことは、出来るだろう?」

「うん」

「なら、私と来い」

「それって…亡国機業と、ってこと?」

「そうだ。自分に今何が必要なのか、お前は分かっているか?」

「……なんだろう?」

「友達だよ」

 

酷い境遇だ。手を引っ張ってくれる大人は居ないし、守ってもくれない。ただ寄り添ってくれる女が居ただけで。勿論それはとても大事な存在だが、どれだけ家の力が強大でも一人ではできることもたかが知れるというもの。持て余していたのなら尚更だ。

 

一人では生きていけないのは当たり前の話だが、二人でも生きてはいけない。真っ黒な大量の絵の具の中に、二滴だけ水色を足しても黒で塗りつぶされてしまう。水色でいいと主張できるだけの自分を肯定してくれる仲間が居れば、混ざったとしても自分の色を放つことが出来ていれば、せめて違っていたかもしれない。

 

冗談を言い合って、時には悩みが打ち明けられて、気軽に誘えるような、一緒に馬鹿が出来る友達が居れば。

 

…なんとまぁ、私と似たような。

 

「今度私にパンケーキを作れ」

「それって友達?」

「勿論。馬鹿を言い合うのが友達の特権さ」

「……そっか」

 

私につられてにやりと笑った銀は席を立った。皿を重ねて……帰り支度の様だ。

 

「ありがとう、エム」

「礼などいらん」

「友達だから?」

「ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、施設内を歩いていた私は銀に割り振られた部屋の前を通る。内装は原型を留めておらず、至る所に何かの傷跡が見られ、吐き出した血痕もまた幾つもあった。

 

カメラも盗聴器も全て潰され改ざんし、やっと足取りを掴んだ頃には既にすべてが終わっていた。

 



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アフター のほとけほんね

どこかでリクエスト?があったようなそうじゃなかったような……
今作一番の被害者こと本音ちゃんのその後です。


布仏本音(わたし)の話をしよう。

 

****年九月現在、16歳のIS学園に通う一年一組の生徒。席は窓際最後列。友達はそこそこ。

特技は工学。彼女に付き従う事がきっかけになり、話を合わせる程度にするつもりがどはまりしてしまった。中途半端は許されない家系なので、方々に広がる伝手をフル活用して勉強している。その甲斐あって店を構えて飯を食っていけるぐらいの知識を持つことに。

容姿は自分でも悪くないと思ってる。童顔なのが実はコンプレックスで、どうにかしたいと思ってはいるものの、多分無理だろうなと最近になって諦めた。でもスタイルは姉や主人の姉よりも自信があるよ。重たいものを持つことも多いので多少は鍛えているが、女性らしい柔らかさはしっかりあるし。ただし、男性からの卑猥な視線が年々増えていくが。

服はダボついたのをよく選ぶ。というか、身長に合わせてもバストが合わなくてそれしかない。私服もふんわりしたものばかりだ。ちょっと残念だなって思うときもあるけど、そういう服は割と好きらしいのであまり苦にならない。工具や護身用の道具も隠し持てる。

好きなものはお菓子。しょっぱいのも良いけど、甘いほうがもっと好き。食べ好きてちょっと……すごーく後悔する時もあるけど、そういう体質なのか無駄な肉がついたことは今のところ無い。多分手痛いしっぺ返しがどこかで来ると思う。ってことで、嫌いなものは苦い食べ物。

 

とか、かな。捲し立てた気がするけど、そんなに大事じゃないので。

 

じゃあ次に、私の家の話をしよう。

 

更識という日本有数の名家がある。対暗部という裏稼業を生業とした堅気じゃない人達だ。お国とも縁がある。

 

布仏はそんな更識家と縁のある一族で、ずーっと昔のご先祖様の時代から、更識家を支えてきたんだそう。それは現代でも変わらなくて、私も姉も、両親やご先祖様の様に更識家の僕である。

 

タイミングが良いのか悪いのか、私と同じ年に更識家にも子供が産まれた。いや、違うかな。更識家が第二子を産むから私が作られた。きっと男の跡取りが欲しかったんだろう。残念ながら、産まれてきたのはどちらも女だったわけだけど。ざまぁない、子供を大人の事情で振り回すからそうなるんだ。

 

何にせよ、私は産まれてきたし、更識にも同い年の子供が産まれた。簪、と名付けられたその子はその瞬間から私のご主人様で、私は簪の僕になった。

 

物心ついたころから、私は色々と教育された。礼儀作法から入り、護身や護衛などなど。一般教養も成長と学年に沿って教わっていく。自分が周りと違って面倒なことをしていることに疑問を持つこともあったけど、そんなものは直ぐに忘れた。今更私が何を言ったところでどうしようもないから。

 

こうやって聞かされると「大変だね」とか「かわいそう」とか言われるけど、そんなに悪いものじゃないと言っておく。字面は悪く見えるかもしれないけど、実際はそう厳しく指導されたことは無い。叱られることはあったけど、大事に育てられたなぁってその時から思ってた。一番うれしかったのは簪が女性だったことかな。もし男だったら接待しなくちゃいけなかったらしいから。

 

そんなことも無く、すくすくと育ちました。簪……かんちゃんとはうまくやっていけたし、お嬢様も良くしてくれてる。お姉ちゃんは真面目で私はてきとうなところあるから偶に怒られるけど大好きだ。

 

なんの苦もない16年だったと思う。

 

だって、裕福な家に産まれた。

だって、お金をかけて育ててもらえた。

だって、容姿が悪くない。

だって、スタイルが良い。

だって、趣味がある。

だって、工具を弄っても良い。

だって、甘いものが食べられる。

だって、苦いものを嫌ってられる。

だって、かんちゃんとうまくやっていけてる。

だって、お嬢様が良くしてくれる。

だって、お姉ちゃんが好きでいてくれる。

 

だから、布仏本音は今まで生きていなかった。

 

熱中できる趣味があって、気の合う友人と時間や思い出を共有して、求められる役割を演じ、期待に応え、ちやほやされるだけの毎日を生きているとは言わないんだ。ぼーっと流れるままに夢を見せられるように日々を過ごしていたのは、比喩じゃない。

 

現実はきっと残酷で過酷で、逃げ出したくなるような……想像もつかないものだ。挫折というものを知らない私には特に。

 

そんな話をしたらきっと笑われてしまう。で、こう言われるんだろう。

 

「うらやましい」

 

楽しいことも嬉しいこともきっとある、甘いお菓子に家族に…大人になれば恋だって。

 

でも、それらは常に苦しみや辛さと表裏一体で、コインの裏表の様に、物語が始まって終わる様に、光と影と、太陽と月の様に傍にいる。切っても切れないとはこのことだ。そして、にやりと出番が訪れるのを待っている。いまかいまかとうずうずしている。

 

誰も彼もがそんな現実の中で、苦しい苦しいとぼやきながら、僅かながらの幸福に一喜一憂し辛さも忘れて心地よい夢に浸り、そしてまた現実へ帰る。そんな繰り返しをまた明日また明日と、今までもこれからも歩んでいくのだ。

 

そんな人達からすれば、私の16年間がキラキラと眩しく見えるのも仕方がない。誰だってつらい思いはしたくないし、そんな現実よりも毎日幸せだけを齧って生きられるならその方が良い。途中で飽き飽きしても、少なくともつらい思いはしなくて済む。

 

知らなかったでは済まされない、この世界の本質。

 

日常がコイントスの連続で、幸福な夢と辛い現実の反復で織りなされているんだと、私はこの時初めて思い知らされた。ハンマーで叩きつけられ、ドリルで貫かれ、鑢で削られ、はんだで焦げるほど刻まれてしまった。一生どころか、死んで生まれ変わっても消えない程に。

 

そしてあの日を境に全てが変わった。16年間、私は幸福だけを味わって生きてきた。これはそのツケである。

 

「…………」

 

ベッドの上で半身を起こし、病室に備え付けの鏡を見る。

 

つやの無い肌。ぼさぼさでうざったいだけの髪。かさかさの唇。くぼんだ瞳。こけた頬。隈。

 

まめに訪れる姉が花を活けているが、こんなに似合わない女もいない。意図したものか知らないけど、花とツーショットなんて、嬉しくないったらない。

 

一般病棟に移されたのが一週間前。それまではまるで監獄の様な部屋のベッドに縛り付けられ、管理されていた。一日三食と食後のトイレ、二日に一回の入浴。どこであろうが武装した女性兵士が付いて回り、ヒステリックも目じゃない発狂を起こせば鎮静剤を打たれる。あのまま重症化すれば射殺されていたかもしれない……いや、そうなるべきだったのかも。

 

看護師に手をあげた事がある。手入れされていない伸び切った爪で首筋を引っ掻いた。傷が深かった彼女は失血で倒れショック死しかけ、一命をとりとめるも傷跡が消えずに残ったという。隔離されるきっかけになった出来事だ。

 

親友であり主でもある彼女を手に掛け、無関係の人を相手に発狂し一生モノの傷を負わせるだなんて。死ぬべきだし、死んでしまいたい。

 

隔離されて最初の面会。ベッドの足にそれぞれ鎖でつながれて大の字に無様を晒す私を見て、姉は信じられないものを見るような目で、呆然としていた。

 

『ころして』

 

何も言わずに姉は俯いて立ち去った。

 

バカな私。殺してと言われてはいわかりましたと妹を殺す姉がどこにいる。

 

死にたければ勝手に死ねばいい。何も簪の様に大掛かりな自殺をしろと言ってるわけじゃない、舌を噛めば直ぐに逝けるでしょ? 

 

めいっぱいに舌を伸ばして歯で思いっきり噛むだけ。ちょっと弾力のあるお菓子ぐらいに思えばいい。そう、そんな風に、今度は力を込めて、一回で済むように。

 

さあ。

 

さあさあさあ!!

 

死ねっ! 死ね、死ね、死ね!!!

 

……。

 

『うっ………ぁああああああぁぁ……』

 

思いっきり噛むと、痛かった。

 

それはそうだ、そそっかしい私は間違えて舌を噛んでしまうなんて日常茶飯事。ご飯を食べる程度の力で簡単に出血して痛むのだから、噛み切ろうとすれば痛いでは済まない。

 

でも痛い。痛くて痛くてたまらない。

 

痛いのは嫌だ。だから舌を噛んで……というより自殺を諦めた。

 

あの簪ですら必要以上に身体を痛めつける死を選んだというのに、舌を噛むことすらできない自分が惨めだ。だからって他人に殺してくれと頼む様も惨めだ。

 

惨め、余りにも。

 

『わあああああぁぁぁぁぁん……』

 

泣いてスッキリしてしまおうと選んでしまう、無意識に刷り込まれてしまった甘えすらも。

 

何もかもがひどく嫌になって、それからは考えることを止めた。そうして大人しくしている内に一般病棟へ戻されたのである。

 

その時から食欲を失った。何かを口に含むたびにあの痛みが蘇る。点滴を繋がれた私はとうとう歩くことすらせず、ベッド脇にあったはずの車いすはいつの間にか下げられてた。窓の格子も外された。身体は細くなり、支えがあってももう立てない。今思い返せば、断食は最後の抵抗だったのかも。

 

自分で終わる勇気も気概もなく、二人も人生を奪って、怖いからと情けなくただだらだらと生を繋いでいる。まるで植物の様に。これからもきっとそうだ。どれだけ時間が経っても、私はもう……もう、生きることも死ぬことも選べないまま、その日が来るのを待つんだろう。

 

ベッドに倒れこみ、瞼を閉じる。

 

それが私、布仏本音です。



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おーい名無水、ゲームやろうぜ!

パーティゲームで遊んだのは何年前が最後だろうか……
色々とうろ覚えだけどまぁだいたいこんな感じだった気がする


日曜日。それは、授業は休みだけど部活が入ってたり、遊ぶ予定を入れたり、なんだかんだで休みとは言い難い週末を指す。僕ら学生にとっては授業が無ければ休みと同等なのでやっぱり休みなんだけど、疲れが抜けるかと言われると首を縦には触れないかな。少なくとも僕は。

 

疲れ……特に身体の疲労を感じなくて時間も潰せて楽しめるような、都合の良いものはないだろうか。なお、簪秘蔵のアニメは既に二巡したことを考慮して回答すべし。

 

「うぅん……」

 

とても難しい問いだ。一番ややこしくしているのは僕の虚弱体質だというのは言うまでもない。以前ならまだしも、四肢を失った挙句に殺人の前科持ちとなると外には出してもらえなくなる。

 

簪の打鉄弐式に時間を掛けても良いんだけど、それはダメだと簪に却下されてしまった。それ以外だったらアニメを見ようかと提案をしても見終わってしまったし、部屋の本も読みつくしているし、図書館は逆に多すぎて困るし(というか向こう一年は入りたくない)……八方ふさがりなのだ。少なくとも、僕らはこれ以上の知恵を出せそうにない。

 

「誰かに聞いてみようか」

「それだ」

 

誰かに頼るという案が浮かぶのは時間の問題だった。

 

暇つぶしをたくさん知っていそうな人と言われると……二組の凰さんが浮かんだ。勝手なイメージで申し訳ないけど、キワモノ揃いの専用機持ちの中で一番平凡と縁が深そうな気がする。篠ノ之さんは……遊びが無さ過ぎるし。織斑君と同じ地元中学校に通学していたってことは色々と知っていそうだし。

 

「ってことで、今日丸一日二人でできて屋内でできる疲れなくて飽きない遊びもしくは暇つぶしを教えて欲しいんだ」

「とりあえずアンタらが超メンドクサイ要求をいきなり突きつけてくる性格だってことは分かったわ」

 

場所は食堂。Tシャツに短パン、髪も結わない休日スタイルの凰さんはにっこりと笑いつつも全身から殺気を放っていた。否、させてしまった。左目がヒクついている。

 

「まぁ、仕方がないか。事情が事情だもんね。といわれてもねぇ……」

「中学校の頃は何をして遊んでいたの?」

「中学か……買い食いしてゲーセン覗いたり、ウチか弾の店でご飯食べたり、そのままゲームしたり…」

「ゲーム?」

「そそ。ISの格ゲーとか、緑鉄とか、デカポンとか、ストブラとか」

 

何を言っているのかさっぱりだけど、簪には通じているらしく苦笑いを浮かべていた。「なんでリアルファイト必須のゲームをチョイスしてるんだろう…」ってつぶやきが聞こえた気がする。未だにつらつらと指を下りながら何かを数えている凰さん。ゲームのタイトルかな。

 

「うん、テレビゲームがいいんじゃない? 道具があれば座ったり寝転がってもずっと遊べるし、面白いわよ」

「どうやって? 私、ゲームは持ってないけど……」

「あー……」

 

閃いたのも束の間、ゲーム機が無いので挫折する僕ら。凰さんも友達の家でゲームをしていたらしく、自分は持っていないのだという。持っていないから、持っている奴の家に集まって遊ぶもの、なんだって。

 

椅子の上で器用に胡坐を掻いて唸り始める凰さん。万策尽きた僕らは彼女から新しいアイデアが生まれるのをじっと待つ。

 

暫くすると凰さんは深いため息をついた。

 

「はぁ、無理、わかんな――」

「お、いたいた。おはよう。座っていいか?」

「一夏、いいとこ来たわね」

 

了承を得る前に凰さんの横の椅子を引いて腰掛けたのは織斑君。

 

簪の顔が少々引き攣るも一瞬だけで、彼はそれに気付いていない。凰さんは目で彼に変わって謝罪の意を示しつつ織斑君を迎え入れる。彼女の凄いところはこういうこまかな気遣いがしっかりできるところだと思う。

 

朝食を食べ終えた僕らと違って織斑君は今からの様子。ザ日本人とも言うべき焼き魚定食は彼のお気に入りで、とても美味しそうだ。どれも美味しいけど漬物がポイント高めなんだって。

 

「昔さ、一緒にゲームしたの覚えてる?」

「あーー……弾の家で色々やったな。緑鉄とかデカポンとかストブラとか」

 

僕の横でお茶をすする音に紛れて「だからなんでリアルファイト必須のゲームなんだろ……」と聞こえてきたのは聞き間違いでは無さそうだ。

 

「それがどうかしたのか?」

「実はかくかくしかじか」

「なるほど」

「えっ、それで通じるの?」

「アレだろ? 名無水達がめちゃくちゃ暇だけど暇つぶしが無くて困ってるから鈴がゲームはどうって提案したんだろ?」

「なんでその察しの良さをみんなに向けてあげないの?」

「みんな?」

 

相変わらずというかなんというか、軟化したとはいえ織斑君に対して風当たりの強い簪はいつ見ても新鮮だし、それをネタ合わせしたお笑い芸人みたいにスルーしてる彼には苦笑いしか浮かばない。ここまで来ればもう才能だよね。

 

織斑君は上品かつ素早く、おかわりするんじゃないかというペースであっという間に食器を空にしてしまった。ごちそうさま、と合掌して入れ替わりで食後の緑茶を用意して腰を下ろすと話が再開する。

 

「貸すぜ、ゲーム」

「……持ってるの? さっきの話だと、また別の友達の家でゲームしてたみたいだけど」

「近所の町内会福引で当てたのがずっと残ってるんだ。家に居たらだいたい家事ばっかりだし、もらったソフトも興味湧かなくてさ」

「自分の家に集まらなかったの?」

「千冬姉に遠慮して誰も上がりたくないってのと、弾…中学の友達の家が定食屋で、食べたら直ぐに遊べたし気軽だったから、かな。そんな理由で結局空けることも無いまんま放置してるってわけだ」

 

あり得そうな話ばかりですとんと納得してしまえる。特に家に居たらだいたい家事ばっかりってところが一番説得力があった。掃除洗濯炊事をほっぽり出してゲームにかじりつく織斑君の姿が1ミリも想像できない。

 

悪い千冬姉、ゲームやっててメシがまだなんだ! ……うん、無いわ。

 

どうしようか、と簪と顔を見合わせる。こちらとしては願ってやまない話だし断る理由も無い。何らかの形でお礼はするつもりだけどそれを要求するようなタイプじゃないし、たとえ壊してしまっても何も言わないだろう。それは人として問題があるんだけど。

 

「んじゃ一時間ぐらいで戻るからちょっと待っててくれ。丁度家に取りに行くものがあったから、そのついでで持ってくる」

「ありがとう織斑君」

「いいって。いつも勉強見てくれてるしさ」

 

早速と立ち上がった織斑君は右手をハンズアップして食堂を去った。相変わらずの感じの良さで、さわやか系イケメンの面目躍如といったところか。

 

「二人の部屋に集合で良いのよね? 私も久しぶりに遊びたいし、また後で」

 

凰さんもまた立ち上がって食堂を去った。あの面倒見の良さや仲介ぶりは活発系幼馴染の面目躍如といったところか。

 

僕ら二人が置き去りにされた気もするけど、トントンと話が決まった結果、織斑君のゲームを借りて遊ぶことが決まった。

 

「部屋の片づけしないと」

 

簪の提案もまた至極当然の話であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビニール包装がほどかれてない未開封のソフトが一つと、遊びこんだ形跡がある開封済みのソフトが三つ。僕らには四つの選択肢があって、凰さんは食堂での去り際と打って変わって機嫌が良く、からからと笑いながらソフトを吟味している。

 

気を利かせた織斑君が中学校の友達の家に寄って、追加でゲームソフトとコントローラーを借りてきたんだとか。生憎友達本人は居なくて妹に用意してもらったんだって。きっとその子も彼に恋しているに違いない。

 

未開封のソフトはダークな雰囲気のパッケージで、調べてみるととてもリアルな反面難しいみたい。初心者の僕らにはハードルが高いので今回は除外する。

 

残りの三つはというと…

 

「緑鉄にデカポンにストブラってアンタ最高ね!!」

「だろ!」

 

二人はきゃっきゃと盛り上がっているが、僕の隣からはもはや明確なツッコミと化した「だからなんでリアルファイト必須のゲームなの?」と怒りの声が。悲しいかな、その声は届かずついぞ二人が聞き入れてくれることは無いままだった。

 

というわけでリアルファイト必須のゲームとやらを遊ぶことに。

 

「ストブラは操作を覚えるのが大変だから止めておくとして……緑鉄とデカポンね」

「どう違うの?」

「細かいところは違ってくるんだけど…決められた期限の中で一番お金を稼いだ人が勝ちってルールは一緒。その稼ぎ方が違ってて、ざっくり言えば日本縦断しながら物件を抑えて稼ぐか、ファンタジーな世界でモンスターを倒してお金を稼ぐか」

「ふーん」

 

簪の反応を見る限りどれを選んだところで波乱が巻き起こるのは必至。それでも怖いもの見たさが勝っているのか、止める気配はない。ここは僕が好きに選ばせてもらおう。

 

緑乃介電鉄というソフトは日本のどこかが目的地に設定されてゴール、を繰り返すらしい。その過程でお金を稼いだり他人を妨害したりをするんだとか。ぼんびーと呼ばれるお邪魔キャラもいるらしい。このゲームには登場しないけど、悪魔の様なメイクをしたキングはそれはもうえげつないとの事。

 

もう一つのデカポンもまぁ似たり寄ったり。雑魚を倒してレベルを上げて、モンスターに占領された街を開放しながらお金を稼ぐ。こちらも他人妨害アリ…というより推奨、いや必須。

 

一つのゲーム機と一台のテレビを使って、友達複数人で集まって遊ぶパーティゲームでありながら、横に座っている友達の目の前で嫌がらせを行い、時には蹴落とし蹴落とされを繰り返しながらトップを争うんだと。

 

簪が度々口にするリアルファイト必須というのは、これらの応酬に耐え兼ねて取っ組み合いに殴り合いのケンカに発展してしまうところから名付けられた、という経緯がある。その通りですね、としか言いようがない。よく販売中止にならないものだ。

 

普段からゲームをしない僕らにとっては細かく説明されたところで同じにしか聞こえない。

 

なのでデカポンをチョイスすることにした。

 

織斑君と凰さんはにちゃあといやらしい笑みを浮かべて嬉々として準備を始めた。

 

簪は悟りを開いたように無表情のまま虚空を見つめている。

 

なんとなく、僕は選択を誤ったことを理解した。そしてそれを嫌というほど思い知らされることになる。一般的に、デカポンの方がリアルファイトに発展しやすいとされていることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずキャラクター作成から始まり、そして本格的にゲームが始まる。サイコロの代わりに0の目があるルーレットを回して出た目の数だけマップを歩く。止まったマスによって戦闘かもしくはイベントが発生し、ターンを終える。これが一日の流れで、七曜迎えて一週間。さらに設定した週をプレイした終了時点の資産で勝負する、と。

 

聞けば簡単に聞こえるし、一応セオリーを教わったので僕と簪はそれに倣って行動した。雑魚でレベルを上げてイベントを挟みつつ、町に居座るボスを倒して安定した収入を得る。地道かつ堅実な、初心者らしい一週間だ。

 

しかし二人は違った。手つきから違ってくるのはまぁ分かる。ISの整備となれば簪も僕もまぁまぁなレベルだろう。

 

「「ほい」」

 

千里眼でも持っているのか、まるで当然のように最大目の6を連発してはサクサクと進めていく。目押し? さっぱりわからない。

 

ショップについたらまず襲う。強面で筋骨隆々なおじさんがじゃんけんで負けて情けない顔で商品を譲り、魔法?屋の魔女っぽいお姉さんは涙を目に浮かべ、道具屋の関西弁は二度と来るなと騒ぎ立てる。無実のキャラクターをこれでもかと襲撃しては一切の出費をかけずに装備を整えるのだ。

 

次の標的は町に居座るボス。これも涼しい顔で蹴散らしてあっという間に町の支配者……げふんげふん英雄になった。

 

戦闘パートでは先攻後攻をその度にランダムで選択するはずなのに、ここでも何故か当然のように先攻を引いて、敵の防御パターンを把握しきった淀みないコントローラー捌きで瞬殺していく。しかもスタート地点周辺は僕らに配慮する余裕まで見せて。

 

それを繰り返してだいたい三週間……期限の半分を過ぎた頃から、それは始まった。

 

「おっしゃ!」

「げーっ! アンタ何を勝手にレア泥してんのよ!」

「悪いな鈴」

 

織斑君がガッツポーズ。どうやらかなりレアものな武器らしい。このゲーム、結局は“倒す”ゲームなので武器やステータスは非常に重要、期限が設けられた中でのレアドロップは目に見える以上に差が開く。この時点で既に僕ら二人とは別次元で争っている為、凰さんはかなり苦しい勝負を強いられることに。なるはずだった。

 

「あっ」

 

簪のターン。やたら豪華な演出が入り、誰が見ても分かるレアなアイテムをゲットした。使い方については謎だけど…

 

「「……」」

 

二人の反応を見れば重要度は明らか。目の色が一瞬にして変わっている。今までを日向でじゃれる子猫と例えるなら、今は群れから逸れた獲物を草陰からじいっと狙いを定める飢えた豹。特に織斑君に大きく突き放された凰さんの気迫はすさまじいものがあった。

 

ここで思い出してほしいのが、このゲームのコンセプトが他プレイヤー妨害“推奨”という点である。

 

「ふふふ」

「鈴、それは流石にマズイだろ……」

「ま、まさか……!」

「ふ、ふふふ、悪く思わないでね……そういうゲームだからコレ!!」

「くっ……!」

 

僕は。僕らは思い知らされた。勝利の為なら初心者狩りでさえためらわないのが、デカポンなのだと…! いともたやすく行われるえげつない行為が蔓延しているのだと!

 

 

 

※ここからしばらくは音声のみでお楽しみください

 

 

「来た…来たー! たすけてー!」

「あははは! 頂いたわー! これで一夏に勝てる!」

「なんて奴だ、初心者狩りに手を出すなんて…ゆるせねぇ!」

 

 

「このままじゃ負けるけど、二人にはとても勝てるレベルじゃないし……」

「か、簪さん?」

「……ごめんね」

「まじか…! ぎゃーー!」

 

 

「くそ、なんとかして巻き返したいけど簪と倒しあうだけじゃダメだ。さっき見たいなレアアイテムを手に入れるか一発逆転の何かを……ん?」

「げぇっ、アレはマズイ! やめるんだそれは……!」

「なんかよく分かんないけど、変身してみようかな! どうせやられるなら!」

「あ、悪魔だ……悪魔が!! 来るなぁーーーー!」

「えい」

「ぎゃーー! 死んだ!」

「あははは。そっちも」

「やっぱりアタシも狙われるわよねー!」

「ふふふ」

「銀は…私に手を上げたりしないもん、ね?」

「さよなら」

「いやーーー!」

 

「やってくれるじゃない…! まぁどう足掻いたところでアンタが1位になるのは不可能なん……え? なんで捲られてんのよ!?」

「ふふ、急がば回れ」

「更識……ぶっ潰すっ!」

 

………

……

 

 

 

気が付いたら、消灯時間を過ぎても騒ぎまくっていたからという理由で千冬さんに4人そろってしょっ引かれていた。具体的に何が起きたのかは全く記憶にないけれど、口汚い言葉で罵り合って互いが互いの足を引っ張り合い、騙し、裏切るような醜い争いが続いたことだけは理解していた。

 

結果的に時間も忘れて熱中したし、終わってみればたかがゲームの順番争いでしかない。織斑君と凰さんが帰った後の僕らは気づけばいつも通りの生活に戻っていたし、翌日の月曜日に再開した二人とも何事も無かったように挨拶を交わした。

 

楽しかったかどうかと聞かれれば、楽しかったと思う。でも友達で集まって何かをするのが楽しかったのであって、あのゲームが楽しかったと、僕には口が裂けても言えない。なんで娯楽で気をすり減らして闘争心をむき出しにしなくちゃいけないのさ。

 

数あるゲームの中の一つってのは分かるけど、もうゲームはいいかな……。

 

「おーい名無水、ゲームやろうぜ!」

「「もういい」」

 



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名無水楓

名前出した事があったような、無かったような、銀のお姉ちゃんの話。


目覚まし時計のけたたましいアラームが私の意識をぐいっと一本釣りした。それはもう勢いよく。とてもいい夢を見ていただけに、早朝の会議が入っている日であれば微睡んでいるからと適当な理由をつけて殺意を込めたチョップを決めるのだが、今日だけは勘弁してやろう。

 

そう、何と言っても今日は家族旅行の日。多忙な両親が頑張って仕事を終わらせて作った連休に、家族水入らずで旅行に行こう、という一大イベントなのだ。

 

ブランケットを蹴飛ばして飛び起きた私はシャーっとカーテンを開けて、窓から新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。朝日も浴びて、いよいよエンジンもかかってきた。

 

「よし!」

 

机の上に出しておいた旅行1日目の洋服一式にささっと着替えて一階へ静かに下りる。時刻はまだ朝日が昇ったばかりの6時。ちびっこ達とお父さんは夢の中。

 

洗面台で簡単に髪を整えて、既にキッチンでお弁当の仕込みをしているお母さんと合流する。

 

「おはようお母さん」

「おはよう楓」

「ちょっと早くない?」

「お母さんはいつも5時30分起きだから」

「今日は私も一緒にご飯を作るんだし、いつもより30分寝ればよかったのに」

「子供が出来れば楓も分かるわ」

「はいはい」

 

社会人なりたての娘に一体何を期待しているのやら。まぁ声をかけられることはあったからその気になればいい人も見つかるかもしれないけど? 恋愛よりも大切な事があるので、まだまだ先の話だろう。

 

したくないわけじゃないので、勘違いはしないで欲しい。今の私は私の幸せや両親の不安解消よりも、弟の吹けば飛ぶ命を繋ぎとめることの方が重要なのだ。

 

長い髪をヘアゴムで束ねて袖を捲る。前日にある程度は仕込んでいたし、予定とは違うけどお母さんが既に数品完成させてる。さっさと作って包んでしまって準備と片付けをしなければ。昨日も勉強勉強だったので部屋が散らかったままなのだ、連休で家を空けるのに散らかしっぱなしは良くない。私が良くてもお母さんが良くない。

 

入社してからしばらく触っていなかった包丁はちょっと怖かったけど、直ぐに勘を取り戻した。気づけば7時を過ぎていて、お母さんがキッチンを離れてお父さんを起こしに二階へ上がっていった。結婚する前に同棲していた頃から毎日欠かさずおはようのキスをしている、らしい。現場を抑えたことは無いけど、ショッピングモールへ出掛ければお父さんの腕に抱きついてばかりなので間違いない、と思う。

 

ご近所はおろか私の会社まで評判が届くラブラブっぷりには一周回って羨ましさを感じないことも無い。

 

私もいつかお母さんの様に愛する人が現れるのかな……なーんて。

 

運命の人が本当に居るのかはさて置き、もし見つけることが出来たならきっと同じことをするだろうなという謎の確信がある。だってあの二人の血が流れている。毎朝添い寝からのキスで起こしちゃうし、行ってきますだって玄関の外で見送りもして、帰ってきたらハグしてチューしちゃう。間違いない。

 

逆の言い方をすると私がそうしたくなる人が運命の人ってことなんだけども……その理屈でいけば脳裏に浮かぶのはただ一人。

 

「銀……」

 

自分の両足で立つこともままならない病弱な弟。たとえ健常であっても女の子と間違えられそうなあの子以外にはあり得ない。考えられないし、そも考える必要性すらない。

 

痩せこけて色白で隙あらば吐血して心配ばかりかけさせていつ何を切っ掛けに命を失ってもおかしくないくせに、頭の中は私達家族の事でいっぱいで罪悪感を感じてるけど私達に余計な心配をかけさせないよう懸命に明るく振舞おうとする。

 

私はそんな弟が……彼が好き。愛している。

 

出来上がった料理を弁当箱へ詰めながら、両手足を倍にしても数えきれないほど繰り返した思考を巡らせる。なにせ禁断の思想だし。それでも答えは変わらなかった。

 

確信したのはさらに下の弟が生まれた時。家族が増えた嬉しさと、銀の様に虚弱な子じゃなくて安堵したのを未だに覚えている。だから、私がまだ小さくて銀が生まれたばかりの頃に銀に対して抱き続けている感情こそが別物なんだと理解した。

 

怖かったから、彼氏持ちだった数名の友人に好きになるとはどういう気持ちなのかを聞いたことがある。どうして告白に至ったのかor告白をOKしたのか、その後の相手に対する気持ちは、お金はどれくらいまで使っても良いと思えるか、未来は描けるのか、結婚は、エッチな事は許せるか、幸せを感じられるか。

 

その結果、友人たちが彼氏に対して抱いている感情や許せるボーダーラインが、銀に対して抱いているものと大差ないことが分かった。

 

客観的に見ても血のつながった実の弟に恋をしている。そう結論付けた。

 

とても安堵した。それからは一層医学の勉強に身が入った。愛しの男性を救う為に人生をかけて挑むのだ、と思うとやる気が溢れて止まらない。進学を止めてお金を稼いで医学の大学へ進もうと決めたのもこの時だ。ただの家族愛で片付けられる方が私にとっては怖かった。

 

仕事は大変だけど給料は悪くない。数年もすればお金は溜まるだろうし、入学して卒業して病院で働いて研究して……ゴールインは長そうだが、志して早4年、意志は固まるばかりである。

 

しかし硬いだけでは脆いもので、ある程度の柔らかさは欠かせない。今日の旅行の様な息抜きは思っている以上に大切なのだ。勉強頭も今日明日はこれっきりにして、連休を楽しもう。

 

「おはよう…」

「おはようお父さん。寝癖立ってる」

「後で直すよ。とりあえず、コーヒーをくれ」

「はいはい」

 

パジャマのまま一階に降りてきたお父さんは普段の癖でコーヒーを注文しながら食卓に腰を下ろし、新聞を広げながらテレビをつける。

 

「台風は逸れたみたいだな」

「うん。九州を縦断して、そのまま日本海を北上して中国上陸の見込み、だって」

 

今日の行先は京都。車で片道6時間で、寄り道しながら初日を過ごし、宿泊して観光してからまっすぐ帰るプランとなっている。時期外れの台風がどう動くのか気になっていたけど、どうやら影響は無さそうでほっとした。中止して近くでゆっくり過ごすのも悪くないけど、折角なら遠出したいし。

 

いつの間にかちびっこコンビを連れて降りてきたお母さんはコーヒーをお父さんに手渡ししており、お父さんはお父さんで角砂糖二つを手元を見ずにぽいと入れている。

 

いつもよりちょっとうわついた土曜日。うんうん、これが旅行だよね。

 

「楓、にやついてないで支度しなさい。どうせ部屋の片づけ、してないんでしょ」

「あっ」

 

言われて時計を見ると出発時間まであんなにあった余裕が無くなっていた。お弁当はお母さんに任せて化粧と荷物チェックに……部屋掃除は無理かも。色々と諦めたいところだけどそれではお母さんに怒られる。急ぐ素振りだけは見せて部屋掃除は帰ってからしようと、自らの予定を先送りにした。

 

部屋掃除なんていつでもできるのだ、別に今日急いでやる必要は無い。それよりも銀に挙げる写真の写りがどれだけ良くできるかが100倍大切である。部屋に戻った私は、昨日買ったばかりの新作のルージュを取り出してにんまりとほほ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し身じろぎをした。

 

それだけで激痛が全身を駆け巡る。奇跡的に意識を取り戻した私は全神経を総動員して重たい瞼を開いた。それでもいう事を聞いたのは右側だけで、左は感覚が朧げな上に真っ黒で何も見えない。

 

見覚えのある茶色いものが視界を埋め尽くしている。暗順応した右目は、それがお母さんの綺麗だった長髪だと教えてくれる。髪を辿った先にある鮮やかな赤色のベレー帽には見覚えがあった。お母さんは後部席を振り返るような体勢でぴくりとも動かない。

 

焦点をちょっとずらせば運転席のお父さん。お父さんはお母さんを…お母さんと後部席の私達を守る様に車体中央へ乗り出して、お母さんにかぶさるように倒れている。どちらも、シートベルトは外れていた。

 

「   ……      」

 

二人を起こそうと声をかけるも喉は震えない。からからに乾いて、激しい痛みを訴えている。耳がおかしくなっているのかも。いや、そもそも声を発していないのか? それすらも分からなくなっていた。

 

血液と酸素が脳へ送り込まれて徐々に意識がはっきりしてきた。同時に、直前の記憶がよみがえる。

 

旅行中の私達は連休を満喫して帰路についている最中だった。

 

台風が急に進路を変えて東京を直撃するコースを取った。九州を縦断して日本海側へ抜けて、中国韓国へ上陸する寸前に反転。S字を描くように再度日本の大地を踏む。

 

なるべく安全な道を選ぶために行きの高速道路とは別ルートを検索してナビに任せた……が、それが失敗だった。途中までは良かったんだけど、台風に伴う交通規制を反映したナビが渋滞した通りを避けてしまって山道へ進んでしまい……舗装された綺麗な道にスイカ大の落石が落ちてきたところで私の記憶は途切れて今に至る。

 

―――土砂崩れに巻き込まれたのかな…。

 

光源は車のインパネと故障したナビのブルースクリーンだけ。車の外は何も見えないし、それどころか窓を突き破って泥が入り込んでいるし、フレームもぐしゃぐしゃに歪んでいた。

 

両親はもう、ダメだろう。目が死んでいる魚のそれと同じだ。焦点がぼやけてだらしなく口を開けたまま。ちび達は分からない。

 

でも、私は今なんとか生きている事だけは分かる。まだ死んでない。

 

死ねない、死ねない、しねない、死ねない!

 

何がどうなっているのかもわからないままだけど必死に力を込めた。このまま居ても助からない事だけは間違いなかったから。

 

銀を一人には出来ない。

 

言葉通りの意味で一人じゃ何もできない子なのに、このままじゃ銀が独りぼっちになっちゃう。親戚なんていない様なものだし、誰も引き取ってはくれないだろう。

 

私しか、居ないんだ。

 

……。

 

身体は動かなかった。

 

感覚はぼんやりとある。というか痛いので千切れたり潰れたりはしてない。痛みが強すぎて他の感覚が鈍く感じる、のかな。どうやら後部席に座った状態から前方に投げ出された体勢、らしい。

 

両腕の肘から先はなだれ込んだ土砂に埋もれてどうなっているのか分からない。ただ、何かを握っている。首が動かないのではっきり言えないが、察しはついた。足は折れてあらぬ方向へつま先を向けている。

 

固めた意志を嘲笑うかのような状況に悔しくなる。激痛に耐えても土砂が両手を飲み込んで離さず、足は折れて地に足をつける事すら叶わない。おまけに、眠い。

 

「……ッ!」

 

気力を振り絞って舌を軽く噛む。じんわりと鉄の味が広がっていくと同時に傷ついた粘膜の刺激が意識を引き戻した。

 

酸欠の初期症状で眠気や吐き気を催すと聞いたことがあるのを思い出したのだ。車内は真っ暗で土砂に埋もれていて、エアコンも機能していないとすると、じっとしていたところで酸素欠乏症で死ぬ。

 

嫌、嫌よ、しにたくない。

 

意識を保つ為に鞭を打って身体を苦しめる。そうやって動くこと自体に酸素を消費して、また眠くなる。そして眠ってなるものか、とまた鞭を打つ。酸素の足りない頭ではそれが悪循環だと気づけない。

 

やがて疲れ切った私は息も絶え絶えな状態で突っ伏した。あれだけ光っていたブルースクリーンも見えなくなっていて、いつの間にか車内は真っ暗だった。車が故障したか、あるいは。

 

「     !!     ……!」

 

ついには幻聴まで聞こえるようになってしまった。

 

私は足掻くのを止めた。ここまで長時間酸素が不足してしまえば、助かっても人として生きていくのは難しいだろう。銀を助けてあげられる身体ではなくなっている。

 

だったらこれからもっとつらい時間を生きる弟の道行きが少しでも明るくなるように、神様に祈る方が良い。こんな事になっても神様が居るのかなんて分からないけど、他に祈る相手も知らないし、銀だけは助けてくれるかもしれないじゃないか。その結果が種火程度の物だとしても良いから、銀の為に命を燃やそう。

 

「             」

「               」

「         」

 

真っ暗な視界はいつの間にか真っ白に晴れていた。埋もれていたはずの両手は風を感じていて、なんだか浮いている気がする。フランダースの犬の様に天使が私の身体を運んでくれているのかな? だったら嬉しい。お天道様に近い方が、しょぼくてかすれた祈りも届きそうな気がする。

 

神様、どうかお願いです。私の祈りを聞き届けてください。

弟は産まれて一度も立ったことが無い病弱な子です。

もし、同じ血肉を分け与えられた私の命が尽きてしまえば、弟は幸福を知らないまま苦しみ続けるでしょう。

あの子は、美味しいご飯も、綺麗な風景も、心通わす友人も、胸を締め付ける恋心も、何も知らないのです。

だから、どうかお願いです。

どうか、どうか、どうか…

どうか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2時間程度の、まぁ、例えるなら映画か。それを見終えた私はテレビの電源を切った。

 

ちび達は学校に、両親は仕事に。家には私しか居ない。広いリビングで寂しく一人、テレビでも見て紛らわそうとソファに腰掛けてチャンネルを変えて気づけば2時間経っていた、というわけ。

 

このテレビはとても不思議だ。今生きている人達の営みを見る事も出来れば、過去の強烈な出来事を事実に基づいて忠実に再現してくれる。

 

例えその瞬間に私の意識が無かったとしても。

 

最後、私は確かに少しでも銀の人生が良いものになりますようにと薄れゆく意識の中で必死に祈った。視界が晴れたのも、浮遊感も、死ぬ間際に身体の機能が停止したからこそ感じたものだと思っていた。

 

実際はそうでは無かったらしい。

 

『こっちだ! まだ息がある!』

『しっかりしろ! 助けに来たぞ!』

『ヘリを呼んでくれ!』

 

救助は間に合っていた(・・・・・・・・・・)。土砂から運び出されてヘリに引き上げられていたのを錯覚していたのだ。ホントに天に近付いていたというのがまた笑える。

 

何が言いたいのかというと、身を任せて眠ってしまえば、後遺症が少し残った程度で私は助かっていた。ということだ。

 

まぁ、自分を責めた。でも、どれだけ心を病んで壊しても、身体を痛めつけて傷をつけても、この天国と思しき世界では一晩で正常に戻される。朝にはけろりと治って、精神まで落ち着いているのだ。実に平和で、狂っていると思わない?

 

だから後悔は全部止めにして、生きている銀の行く末を見守る事を始めた。幸い引き取り手が見つかってまともな生活を送れていると分かったのが唯一の救いか。保護者があの篠ノ之束だってのは、びっくりしたけど。

 

それからISを使って健康体へ限りなく近づいて自分で自分の世話ができるようになり、学校にも通えて友達も出来て、席に座って勉強し、

 

恋をして。

 

そして死んだ。

 

考えるのは全部止めた。どうしようもないし、狂っても戻されてまた狂うだけだ。それよりも銀と一緒にマイホームで暮らせることを素直に喜んだ。女の子を連れてきたのだけはマジびっくりしたけど。でも良い。銀はやっと幸せになれたと思えば、もうどうでも良かった。

 

ただし、気になっていることが一つだけある。気になっているというより……決着がどんなふうに着けられるのかが楽しみ、と言った方がいいかも。

 

「君達も気になるよね?」

「これを読んでる君さ。え、メタい? まぁまぁ、だって私って死んでるし」

「っていうか、私も君たちと同じ読者側なんだよ?」

「今を生きる残りの登場人物達が何をどう思って生きているのか、それをこうやって俯瞰している」

「銀と簪が死んだ後の世界が気になって気になってしょうがないから、ここまで読んでくれてるんだよね?」

「ほら、一緒でしょ?」

「さ、分かったらこっちにおいで」

「………よしよし。それじゃあお姉さんと一緒に続きを見よっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「篠ノ之束と篠ノ之箒の決着」

 

 

 

 




次回から、ホントの最終章
スッキリできるか?
まさかwそんなわけwないじゃないですかぁw


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■編
026 懐疑


あの日から一年が経過した。あの日、というのは銀が死んだ日の事であって、更識簪の事ではない。私にとっては……まぁ、複雑な相手であるが銀のガールフレンドだったので渋々名前を覚える事になった程度だ。いや、そんなことはどうでも良くて。

 

命日から一週間、遺体から回収した肉片よりDNAを分析して不眠不休でクローンを作成した。クローンと言っても映画に出てくるような立派なものではない。皮膚も貼り付けていない人型のマシンにISコアを応用した電脳を搭載して、分析した情報を転送しただけの簡素なものだ。

 

最初こそ油を定期的に差したり、せめて見てくれぐらいはと皮膚を貼り付け、電脳にエラーが発生してくーちゃんと慌てふためいたりすることもしばしばあったけど、一年も経過すればそんなアクシデントともおさらばだ。

 

今の“銀”は生前と瓜二つの外見まで寄せることが出来ている。フレームは骨格から見直し、人工皮膚は電気信号を受け取って表情を作り出す。横に並ばれると並の人間じゃあこれがマシンだと気づけないだろう。学習も進んでいて、料理洗濯炊事はお手の物。最近になってようやくだらしなさを叱る事も覚えた。

 

ソフトウェアは順調だが、ハードの方はそうもいかない。

 

培養液に満たされた四肢は既に完成しているものの、内蔵の複製が難航していた。高度に発達した医療の専門家が未だに試行錯誤しているのだ、いくら天才の私でも生体分野は門外漢。勉強を始めたものの成果はまだ出ていない。

 

しかし手ごたえはある。宣言した通り、あと二年もあれば完璧な銀を模した“銀”の生体クローンが完成できるところまでは漕ぎつけた。研究と勉強に没頭すれば二年なんてあっという間だ。世間一般では十二分すぎるクローンもいるのだから、きっと退屈だってしない。

 

二年間いつも通りにコツコツと進めればそれだけで半分はハッピーになれるってわけ。凡人が一生をかけて挑むものを、この私ならたったの三年で実現できる。あぁ、素晴らしきかな天才。

 

ソファに腰掛けてアルバムをめくる私の前に、すっと湯気が立つコーヒーが差し出される。礼を言って受け取り、一口啜ってはテーブルのうさぎマークのコースターに置いた。

 

丁度欲しいなーと思っていた所へ用意してくれたくーちゃんは、自分のココアが入ったマグカップを両手で持って隣へ座った。

 

「束様」

「うん?」

「今回も収穫無し、との報告が」

「そっかー」

 

何となくそうだろうなと思っていた答えに相槌を打つ。作戦を虱潰しに切り替えて包囲網を徐々に狭めているのだ。簡単に見つかる相手ではないし、追い込みも最終局面に入ったばかり、焦る必要は無い。むしろ追い詰めているという実感が私を興奮させる。

 

探させているのはほかでもない、銀を直接手に掛けたあのクソ忌々しいジジイ――IS委員会の委員長だ。

 

クローンが完成すれば私の世界は完成されるが、そこで終いにしてはいけない。私のこの手で直接地獄へ送ってやらねばならない。銀にしたように腕を捥いだ後、自分がどれだけの罪を犯してしまったのかを悔いながら死んでしまえ。奴は生きてちゃいけないゴミだ。

 

亡国機業の連中はあまりいけ好かないが、この銀が絡む一件だけは利害が一致した。理由は分からないが、絶対に裏切らないだろうと確信が持てたので、駒が手に入るならと手を組むことに。裏社会で最も幅を利かせる勢力と、世界最高の頭脳が結託したことで包囲網は完成した。私がこうやってコーヒーを啜っている間にも、奴は袋小路へと追い込まれている。

 

捜査に必要な情報は全て渡した。捕まえた、と電話が来るまで私は優雅に待てばいい。クローン研究をこつこつ進めながらね。

 

「懐かしい写真ですね」

「うん。まだ来たばかりの頃だよね」

「はい。ISの足に不慣れでゴミ山に頭から突っ込んだところです」

「人の資材をゴミ山だなんて…ひどいなぁ」

 

無表情のままぴしゃりと口にするくーちゃんは今でも根に持っていると分かった。空を移動するこのラボで出てくるはずの無い黒光りするアレが出てきたからだ。病原菌の塊ともいえるヤツと銀が接触でもしようものなら大事である。深く反省した私はそれ以来片付けというものを少し意識するようにした。

 

アルバムには他にもいろいろな写真が収められている。写真を撮り始めた切っ掛けが銀なだけあって、全て彼で埋め尽くされている。写っていないのは彼が撮ったものだ。

 

段々と血色が良くなって、自分の足で歩けるようになり、重たいものも持ち始めて、制服に袖を通して。

 

入学してからもこっそり小型ドローンを飛ばしてアルバムを増やしていたりする。ちーちゃんが気づいていたので決して盗撮ではない。

 

教室で熱心に勉強している姿はレンズ越しでも嬉しそうなのが良く分かった。次第に後のガールフレンドである更識簪とのツーショットが増えて、

 

左側が寂しくなって。笑顔も辛そうになって。

 

………思えば、ここから不幸が始まったように思う。

 

ゴーレム暴走、臨海学校で護衛が皆留守になって始まったいじめ、亡国機業にそそのかされて殺人を犯し、遺体を喰らい、学園生との殺し合いまで。この一連で目を付けた委員長に呼び出されて、多くのものを奪われた。

 

まるでドミノ倒しだ。誰かの描いたシナリオをなぞる様に起きている。立て込んだこともあり深く考えてこなかったけど、共犯者がいるとみて間違いない。それも、IS委員会とは関係が無く私の目をごまかせるだけの力を持つ、誰かだ。

 

そもそもゴーレムが暴走する事自体がおかしい。この私が手掛けたマシンがそう簡単に操られるわけがない。しかし現に起きてしまった。私はそんなことが出来るとすれば亡国機業ぐらいのものだ、と思って探りを入れていたが、実際は形違えど銀を守る側で動いていたので、共犯者の正体は亡国機業ではない。

 

「そろそろ、動かないとね」

「?」

 

ジジイを問い詰めてからと思っていたけど、先に動き出しても損はない。研究も一段落付いた事だし、探りを入れるにも丁度いい季節だ。

 

アルバムを閉じて机に置いた代わりに手に取ったのは携帯電話。二度と同じ過ちは繰り返さない為に、常に充電するバッテリーを導入した魔改造のそれを操作し、電話帳から彼女を呼び出す。

 

『………なんだ』

「もしもしちーちゃん。明日学園に行くから、オフレコでよろしく」

 



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027 追及

きれいな満月が浮かぶ夜。モノレールの駅からまっすぐ伸びる道の先には学園の正門が待ち構え、その中央に腕を組んで待人が一人。

 

「や、一年ぶり?」

「そうだな」

 

スーツ…は脱いでシャツにパンツの普段着で私を出迎えたちーちゃん。顔を合わせるのは臨海学校以来だ。風の噂とおり、まるで別人のように見える。

 

ちーちゃんは激しく責任を感じていた。

 

それもそのはず、はっくんは自分のクラスの生徒で入学前から顔も合わせていてとても気に掛けていたし、あの日一番傍にいたのはちーちゃんだったから。

 

『世界最強などと持て囃されておきながら、このザマだ……』

 

電話でそう溢した時の声は今までとこれからも含めて最も苦しいものだったろう。

 

世間では名無三銀という男性操縦者の名前は公表されていない事を利用して、次第に二人目が居た事そのものに誰も触れなくなるように動いている。詳しい事情を知らない世の中では急に織斑千冬が大人しくなったと、ちょっとした話題になった。

 

見る人が見ればわかる。大人しくなったのではなく、刀が折れたのだ。しかも折れた刃を鞘に納めて何でもなかったかのように振舞ってひた隠している。

 

事情を知らない世間は今までと変わらない織斑千冬を求めている。それは関りの深かった1組の生徒もそうだった。最も、その意味合いは全く違うのだが。以前のような覇気を纏う事は出来なくとも、どれだけ力を失っても、せめて立ち振る舞いだけはと努めて装っていて、無理をしているのが私にはよく分かる。

 

少しだけ嬉しかった。元より身寄りも無く存在が周知されていなかったこともあって、心を痛めているのが私達だけなんじゃないかって思っていたから…。

 

「流石の私でも夜間は学園内の施設を好きに使えん。私の部屋を使おう」

「えー大丈夫ぅ?」

「盗聴の類が気になるなら好きに調べるといい」

「そっちじゃなくて」

「昨日の内に一夏に掃除させた」

「だったら座る場所くらいはあるか……あいたぁ!」

「流石の私でも1日は持つ」

 

私の知り得る最短記録は4時間だけどね、という言葉は奥深くに飲み込んでおく。決して、良からぬことを考えていますという気配を微塵も出してはならない。鋭さだけは獣並なのだ、これ以上叩かれてはたまったもんじゃない。

 

門をくぐった敷地内は、夜間照明のお陰で宿舎へ延びる歩道沿いは十分に明るい。教室棟側が暗いのは単純に利用者が皆無だからだろう。あとはヘリポートのある屋上付近の誘導灯と、なんとかアリーナのでっかいタワーの障害灯ぐらいで、真っ暗である。まぁこんなものか。

 

影を作りながら黙々と歩く。普段ならくだらない話をふったり、アイアンクローをかまされそうなうざったい絡みをするのだが、ちょっと怖かった。あまり気にしなくても大丈夫だろうし、こうやって気遣われることを嫌う性格なのは百も承知なんだけど……。

 

もし、もしも、私の想像しないような寂しい様子を見せつけられてしまったら、私のショックは計り知れない。

 

電話越しでも分かるほど織斑千冬という刃はぽっきりと折れて、牙も砕けた。それは分かる。でもそれ以上はこの目で確かめたくない。

 

自惚れかもしれないけど、見せたくないとちーちゃんも思ってると、思う。だからちょっとした冗談なら平気で付き合ってくれる。

 

要は認めたくない。

 

ただ、この沈黙もけっこう気まずい。なんとかしたいと思いながらも、対人スキルだけは磨いてこなかったツケが回ってきたらしい。部屋につくまで終始無言のままだった。

 

電子錠を解除したちーちゃんに続く。

 

「おぉ、本当に綺麗な状態を保っている……」

「だから言っただろう」

「だって4時間したら散らかりまくってたギャフン!」

「今時ギャフンなんて言う奴がまさかこの世にいるとはな」

「言わせておきながらそんなこと言うの?」

 

我々も大人になったんだなぁと思い知らされる出来事である。それくらい衝撃的なのだ。

 

カメラと写真で生徒用の相部屋は見たことがある。駅前のホテルであの部屋を作ろうものならウン万円しそうな高校生にはもったいない高級志向だったが、教員用はさらにその上を行く。ワンランクグレードを上げた内装と備品からは、どこを切り取っても絵になるし、上品さがある。一人部屋で少々狭く感じるが、それでも十分に広い。

 

読書用と思しき身体が沈みそうなソファに腰掛ける。おぉ、10センチは沈んだ。これは気持ちいい。

 

だらしなく身を任せていると、ソファとセットのテーブルにコーヒーが現れた。用意したちーちゃんは仕事用デスクに備え付けのチェアを動かしてきて、テーブルを挟んだ向かい側に落ち着ける。

 

「で、何が聞きたい」

 

要件など分かっている。世間話はもう済ませたとばかりに切り出してくれた。正直、助かる。

 

「……共犯者がいる。学園の中に」

「だろうな。だが、見当がつかない」

 

素直に驚いた。

 

「……調べてるの?」

「いや。だが、誰が見ても明らかだろう。偶然にしてはトントンと進み過ぎている。それに、この長期間お前と亡国機業という大きな組織から個人が逃げ続けるのは不可能だ。だが、」

「目的とメリットが謎だ」

「ああ」

 

亡国機業に粉をかけて掌を返し、二人目の男性操縦者を殺してまでして、私でも解析できなかったISを持ち去った。

 

デメリットが大きすぎて手を出す旨味が無い。

 

公にテレビで取材などされていないと言っても二人目の男性操縦者。担任にはかの織斑千冬。規模や影響力は知らないけど、日本名家のサラシキとかいう裏家業の家の次女と交際もしてた。当主の姉はシスコンで本人もいたく気に入ってたらしい。もし危害を加えれば、世間が、世界最強が、暗部からの制裁が待っている。

 

さらに言えばこの私もそうだし、亡国機業とて黙っていない。殺してくれと懇願するような地獄に片足を突っ込んでいるようなもので、楽に死ねるならまだマシだ。

 

大半の問題は織斑千冬の名前が解決してくれるし、その影響力はたとえ委員会の委員長であっても無視できないはずなのだ。お茶の間での知名度とメディアの露出の多さに、未だ破るものが現れない最強伝説を打ち立てた女優顔負けの美貌とスタイルは、老若男女国家言語を問わずに圧倒的な支持を獲得している。世間は間違いなくちーちゃんへ味方する。

 

もしこの事実が白日の下に晒されれば二度とお日様の下を歩けなくなる。それが最低限だ。そんなリスクを孕んでいながら、奪ったISが使用できるかどうかも分からないのに、それを実行した。

 

そこまでして何がしたかったのか、何がそうさせるのか。それが全く分からない。

 

「………」

「………」

 

二人で5分ほど唸っても答えは出なかった。

 

「分からんな」

「うん。分かるところから整理しよう」

 

時系列に沿って、思えばあれは不可解だった点を一つ一つ挙げていく。

 

・ゴーレムは誰かからのクラッキングを受けて私の制御を離れ暴走した。それも二体。つまり、私と同等の技術を持つ誰かが関与している。

 

・暴走したゴーレムはプログラミング済みの行動でリモートではなかった。また、難解複雑多重のパスで一切の情報開示を受け付けない。

 

・亡国機業が接触したのは両親の形見が理由。殺害とは目的が離れているため標的ではない。また、狂気に駆り立てる行動をとることもない。シロ。

 

・いじめについては、学園で死亡した卜部とかいう女が首謀。取り巻きはただ付きまとうのみで、今まで三人の中では話題にも上がらなかった。なぜいきなり銀をいじめ始めたのかについては不明。

 

・殺害前の精神状態、また電話の件は悪魔のいたずらとしか言いようのない偶然。私、更識簪にその意図はなかった。人為的とこじつけるなら、精神不安定な状態にまで追い込んだ時に頼る先が私達二人だということを知っていたことになる。現実的ではない。

 

・亡国機業+銀の学園生襲撃は、亡国機業側の事情と銀のおかしな希望。それ以前の精神異常や食人行為が引き金で異常をきたしていたとみるべき。

 

・ジジイから亡国機業へ話が持ち掛けられ、機体は委員会が、銀は亡国機業がとりわけにて話が成立。実際はジジイの契約不履行により銀が死亡。

 

………

……

 

「こんなところ?」

「他にもあるだろうが、今は十分だ。挙げ過ぎても分からなくなる」

「どうしようか」

「直ぐに調査出来るところから始めるしかない。あとは芋づる式に引っ張り上げるか、パズルのようにピースをはめるか」

 

少しでも疑問に思った事を書き連ねてみたが……これらが本当に結びつくのかさっぱり疑問だ。いじめの首謀者の動機は想像通りな気もするけど。

 

さて、どうしようか。

 

私としてはジジイの情報が少しでも手に入って厳重に監視されているゴーレムを触らせてもらえればそれで良いのだ。ちーちゃんに手伝ってもらうつもりは全くなかった。まだ立ち直れていない親友を振り回すなんて、流石の私でもしない。

 

だが、なぜか活き活きとしている親友を見てしまうとそうも言えない。もしこの件が解決すれば立ち直るきっかけになるかもしれないと思うと、何も言えなかった。

 

それに手伝ってくれるというなら有難い話だ。断る理由も無いし、私は何も言わなかった。

 

 

 

―――真相にたどり着くことが、決して良い事とは限らないというのに



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028 てがかり

直ぐに調査出来るところから。

 

その言葉通りかねてからの目的を伝え、今回は正式に学園長とやらの了承を得た私は監視……という名目でちーちゃんと一緒に学園地下に居る。

 

目的とは、学園に突如として乗り込んだ暴走ゴーレムのこと。

 

正確に言うと暴走してしまった、だけど。

 

世間的には華々しく衝撃的な織斑一夏のデビュー戦。割り込ませたゴーレムの一機は確かに私が程よく調節をしてアリーナに乱入させた。弱すぎず強すぎず非常に手強いソレは主人公の決死の覚悟の前に倒れてその役目を終えた。

当時は新聞の一面を飾り、連日ワイドショーで特集が組まれた出来事なので知らない人間は恐らくこの地球上に存在しないだろう。最近は密林で古くからの風習を守り続ける民族だってネットやってる時代だ。しかし、この事件には裏がある……いや、秘匿されたもう一つの事件がある、が正しい。

 

私が大気圏外へ打ち上げたゴーレムの内の一機が何者かによってプログラムを書き換えられ、これでもかと蓄積された戦闘データを携えて学園を襲っていた、というものだ。

 

目的は何故か整備室にこもっていた更識簪と打鉄弐式。救援に駆け付けたはっくんとの共闘の末に辛くも撃退には成功したが、残された傷跡は物も人も広く深く、失ったものは大きい。

 

事が済んだ後にその事実を知らされた私は犯人の後を追っていたが尻尾は掴めないままだった。学園での解析データから得られた情報はそれなりに貴重だったが、それだけでは足りずついぞ痕跡を踏むことすらできず断念した過去がある。

残骸を弄らせてくれ、と再三ちーちゃんとちーちゃん越しに学園長や個人的なツテで委員長ことクソジジイへ頼み込んだが徒労に終わった。私が学園へ踏み入る事と残骸を搬出した際のリスクを延々と語られ、終いには自分が作ったものだろうが、と耳の痛い話で締めくくられる。他にも色々と言われた気がするが都合が悪いので忘れた。

 

とまぁ以前掛け合った際はダメだったのだが、今回はそう時間も掛からずにOKがでた。監視付きなんて条件も出ているが、ちーちゃんのみという時点でお察しである。色々と物騒な事件も起きたし、約一年の間に三人も生徒が死んでいるし、当然と言えば当然か。

 

「さて、やりますか!」

 

頬を両手でぱしぱしと叩いて気合注入。何重にも防御シールドが張られロックが掛けられた見覚えのある鉄屑を前にして、持ち込んだ機材を全て起動させ作業に取り掛かった。

 

学園在中の職員や生徒が既に調査済みだが、100%ではない。何せ見えない相手は私と同等の技術と知能を持っている奴だ。有象無象の凡愚どもでは到底たどり着けない高みにある。巧妙に偽造を施して「私は解析しきった」と嘘っぱちの安堵を与える罠を張り巡らせているだろう。私ならそうする。というかベースになっているシステムは私が構築したものだし、そういう作りにした。

 

手製のキーボードへ指を滑らせ、アームと計器の全てを無駄なく淀みなく操る。

 

残骸の中に埋もれたコアと、中枢たる電脳と、全身を繋ぐ各回路や砕け散った破片まで、余すことなく文字通り全てを対象に情報を吸い出す。

 

開始から5分ほど。時間は掛かりそうだが困難を極めるようなものではない程度だと判断し、その旨を親友へ伝えておく。立ちっぱなしもそうだけど、終わりが分からないのも辛いしね。

 

「そうか」

 

返事はそれだけだった。暗に集中しろと仰せである。

 

言外の圧力を無視して私は話を続けた。無駄話でもないし、許容範囲内だろう。

 

「結果次第だけど、次はどうする?」

「直ぐにと言うなら……亡くなった卜部の遺族か友人への聞き込みぐらいか。どちらも学園には居ないから、都合をつける必要があるが」

「えーっと……いじめの主犯で死んだ奴だっけ? どうしようか? 金魚のフン共が有益な情報を持ってる気がしないんだけど」

「だらだらするよりはマシだ。それに不可解な点もゼロじゃない」

「それもそっか。じゃあ呼べる?」

「とっくに退学済みだ。アポを取るところからだな」

「それもそっかー」

 

それはそれはグロテスクな死体だったらしい。あんなものを見せられた場所に居続ける神経なんて、一般人は持ち合わせちゃいない。ISに関わりたい、とすら思わなくなるだろう。今何をしてるかさっぱりだけど、会話できるぐらいの精神状態であることを祈ろうか。

 

おざなりな言葉を返して指を止める。丁度良く作業も終わった。まぁ予想通りである。

 

「どうした?」

「終わった」

 

広げたアームとその他もろもろの機材を回収する。入れ替わりに他人が見ても分かりやすいようにタブレットを取り出して情報の精査と整理のプログラムを走らせた。これもそう時間は掛からず終わるよ。

 

「なら、一つ提案がある」

「そこに隠れてるやつの事?」

「ああ。こっちに来てくれ」

 

今の今まで隠していた事をズバリと指摘しても、まるでそれが当然の様にちーちゃんはさらりと受け流した。それどころか隠れていた奴もあっさりと出てきて、驚いた様子なんてちっとも見せない。

 

「ぶーぶー、つまんなぁーい」

「私としては話す手間が省けて助かるよ」

 

くつくつと笑う親友は、そんな調子のいいことを言いながらも表情と仕草でしてやったりと自慢げ。もっと昔の様に驚いてくれないとつまんないよ? 主に私が。

 

ただし、今回に限っては別かもしれない。

 

連れてきた奴が最高に面白かった。

 

「正直なところ、私達だけでは限界があると思ってな。私は探偵じゃないし、お前が追えるのはディスプレイ上に限られている。だが、学園内に関係者ないし犯人がいるのは明らかだろう? だったら餅は餅屋だ」

「それでこの女ってわけ」

 

外側に跳ね返った癖のある水色の髪。対照的に輝いて鋭く射貫く紅い瞳。険しいながらも整った自信家特有の表情に、腰に手を当て扇子を握り、カツカツと音を立てながら歩み寄る。

 

とある人物のそっくりさん。見た感じの印象は全くの正反対ときた。

 

「どうも、篠ノ之束博士。更識簪の姉、更識楯無です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地下での作業と思いがけない第三者の登場から一段落つくまで。5時間は籠っていたようだ。真上で燦々と私を照らしていた太陽は水平線に触れるかどうかの所まで沈んでいる。

 

つまりは夕食の時間だ。

 

折角ここまで来たのだから偶には一夏と箒に会っていけ、とちーちゃんが提案した。おおっぴらに歩けるわけじゃないから、ちーちゃんの部屋で作ってもらうことになるんだけど、私はそれでも十分だ。二人の顔を見れるだけじゃなくていっくんのご飯までご馳走になれる? なんという贅沢か。

 

テレビのワイドショーをちーちゃんと並んでぼうっと眺めながら、今か今かとその時を待つ。二人はというと備え付けの簡易キッチンで仲睦まじく料理中だ。

 

誰も話しかけてくることのない、完全な空き時間。考え事には丁度良かった。

 

今日の成果を振り返ると主に三つ。

 

一つ、情報改ざんが行われたのは男性操縦者の存在が発表された後。

これは流石に予想がついていた。私個人へ攻撃を仕掛けるのなら時期なんて関係ないし、ISに大きな関心が集まるタイミングは避けたいものだ。

 

二つ、犯人は私の持つ管理者権限を利用してプログラムを書き換えていた。

この事実には流石の私も戦慄を覚えた。私に匹敵する知識と技術を備えているであろう犯人が、どうやったのかさっぱり分からないけど私の管理者権限を手に入れたのだとしたら、文字通り何でもできる。極端な例を出すと、全ISを支配下に置いて地球人類に対して宣戦布告だって出来てしまう。

当然だがそんなことは不可能に近い。同時に制御下に置いて全てをフルスペック同等の動きをさせるには学園敷地内を埋めるスパコンとそれを賄う電力が必要になる。

 

ただし、一機程度ならなんてことは無い。ということで、私の中ではジジイが操縦できた理由としてこの説が濃厚になっている。

 

三つ、駒が増えた。ちーちゃん曰く優秀な駒だ。

言われた通り、私達は探偵でも何でもない教師と科学者。調べものが得意にならざるを得なかったから出来るようになっただけで、専門家のようなノウハウは持ち合わせていない。ならば、とちーちゃんは専門家を用立てた。

更識楯無。能力は十二分にある、というからとりあえず信用してやる事にした。学園内を調査できる人間が欲しかったので丁度いい。なにより、彼女の一番の長所は私怨で動いていることだろう。篠ノ之束と織斑千冬がいるのだ、真相にたどり着けないわけがない。当然、裏切らないし全力で働く。

 

三つ目は想定外だったけど、収穫はあった。やっぱり機械いじりは人に任せていちゃダメだね。

 

「やけに上機嫌ですね、姉さん」

「んふふ、そう?」

「ええ」

「箒はよく見分けがつくな。束さんっていっつもにこにこしているから俺にはさっぱりだ」

「気にするな。付き合いの長い私でさえ読めない時がある」

 

出来上がったのは長らく口にしていなかった和食。その中でも私がリクエストしたのは煮物と焼き魚だ。それからほうれん草のおひたし、キュウリの浅漬け、たきたてご飯にお味噌汁ときた。うーーん、和風。

 

こういう色とりどりでお皿が幾つも並ぶ食卓に少なくない安心感を覚えるし、ナントカっていう高い肉や左魚を前にした時よりもおいしそうに見えてしまう。なんだかんだで私は日本人なんだなぁって。

 

あ、海外の寿司はSUSHIであって寿司じゃないので。

 

「でも今日みたいに堂々と出歩いて大丈夫なんです?」

「今日は特別。はっくんの一連の事件を追ってて、ね」

「ああ、それで」

 

ちらり、といっくんの顔を盗み見る。かなり責任を感じている、と聞いていたから下手したら病んでしまうんじゃないかと心配していたけど、ぱっとみた限りでは問題なさそう。取り繕っては無いみたい、嘘はへたくそだからね。平気ではないだろうけど。

 

ちーちゃんからそれ以上は止めろと視線で釘を刺されたので引っ込む。

 

が、なんといっくんが掘り下げる。

 

「分かりそうなんですか?」

「うーん、まだなんとも。手がかりが少なくてね」

「そうですか…」

「…一夏」

「あ、いや、ごめん千冬姉。気になってさ」

 

にへら、と笑って誤魔化すいっくん。学園で唯一の同性で仲も良かったし、臨海学校での一戦もあったからね。気にするなってのが難しい。というか、けっこうニブチンないっくんでも流石に不自然だって気付くか。

 

どう返事しようか悩んでいたところでナイスな妹がお茶を持って来てくれた。何故か用意されていたちゃぶ台を四人で囲んでいただきますを待つのみとなった。

 

ご飯を前にしたら、昔の私達はうきうきしていた。あのちーちゃんでさえ険しい顔を多少なりともほころばせたもので、稽古終わりのいっくんと箒ちゃんなんてにっかりと笑っていたっけ。流石に箒ちゃんは落ち着いてきたからニコニコとはならないけど、いっくんの表情は晴れない。

 

「大丈夫さ」

「え?」

「この星まるごと洗いまくって、見つけたらボッコボコにしとくから! ちーちゃんが」

「……ふっ、そうだな。お前らの分までしこたま殴っておいてやる」

「いや、千冬姉が遠慮しなかったら跡形も残らないんじゃあっいえ何でもありませんすみませんでした」

「さっさ、食べないと箒ちゃんが拗ねちゃう」

「いい加減子ども扱いは止めてください」

 

いっただきまーす、と元気よく合掌して箸を動かす。沈んだ様子のいっくんも、多少は元気を取り戻したようで安心した。食べ終わる頃には何もなかったようにいつもの朴念仁が帰ってきていた。

 

箒ちゃんは……気にするかと思ったけどそうでもなかった。ただ、ご飯を食べる前のくだりはくすくすと笑っていたっけ。




「えっ、私の出番、これだけ?」


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029 あらためて

前回までのあらすじ
束さんが衝撃の事実をしるまであとちょっと


折角なのでちーちゃんに一つ、ちょっとした我儘を聞いてもらった。

 

「まぁ、手短に頼むぞ。ここにお前が居る事が一大事だからな」

 

何も残ってないぞ? と念を押された。何か調査の一環と思っているみたい。確かにその通りだけど、だって私以外の調査結果なんて全く期待していないし。

 

日が落ちて消灯時間が来るのを談笑しながら待って、再び暗い学園の敷地内を二人で歩く。昨日の深夜と違って長々と歩くことは無く、目的地の学生寮はすぐそこだ。

 

消灯時間になるとそれぞれの部屋から明かりが消えて、廊下の照明も二分の一に減らされるらしい。等間隔に並んだ学生寮には過ぎたおしゃれなそれは、半分だけがその役割を果たしていた。

 

向かう先は、学生寮。

 

世間で事故物件と言われるいわくつきの部屋になった一室を中心とした数部屋は今空き部屋になっているそうだ。事故物件の横に住む気持ちを察してやることはできないけど、年頃の女子が素知らぬ顔で今後も生活するのはまず無理だろう。というかよくまだ通学しようって思えるね。

 

「退学した生徒も当然いた。特に、名無三が学園生として戻ってきた時期がピークだったな」

「そりゃそうか。人を殺しておいて罪に問われず復学したとなれば、ねぇ」

「罪を問える精神状態ではなかった、というのが関係者各位への説明だったんだが……到底納得できる内容ではない」

 

当時のちーちゃん的には周囲への説明よりも手を焼いていたことがあったらしい。足を切ってしまった更識簪ととどめを刺したいっくん、他にも一緒になって戦った専用機持ちのケアだ。去る人間が出てくるのは分かっていた事。無理に止めることはせず、渦中の彼女らと必死に向き合っていた。

 

心が折れないように、教師としての務め、理由は色々とあるけど……すべては自分が正気を保つためだろう。

 

「既に消灯時間で夢の中だ、大きな音を立てたりするなよ。バレると面倒くさい」

「うん」

 

正面入り口で再三の注意を聞いてゆっくりと中に入る。ちーちゃんの先導に任せて上質な床を歩いた。外と同じで完全な暗闇ではなく、ほのかな灯りが廊下と整然と並ぶ豪奢なドアを照らす。教職員用の寮よりもワンランク下の印象を受けるが、これもまた豪華なこと。高級ホテルも顔負けだ。泊まった事ないけど。

 

綺麗な廊下は見飽きることが無い、装飾も外の景色も結構見ていられる。が、あっという間に目的の角部屋へたどり着いた。

 

ここも隣数部屋は空いている。開錠だけ慎重に、ドアはゆっくりと音無く開く。

 

聞いていた通り、彼の暮らしていた部屋は何も無かった。話では緊急用の医療器具があったとか、更識簪のアニメがずらりとならんでいたとか、家族の遺品を大事に飾っていたとか聞いてたけど……それも無くなっている。

 

「臨海学校の最中、卜部達はこの部屋に忍び込み名無三の私物を壊した。どうやら睡眠薬入りのドリンクを詫びと称して渡し名無三はそれを飲んだらしい。眠った名無三から鍵を盗み、散々に荒らしてまだ眠っていた名無三のポケットに返した、と」

「そして壊れた」

「お前と、更識簪への電話の後にな」

「そうだったね」

 

誰とも連絡を取り合わない自分をあれほど恨んだことは無い。あれから携帯の充電には神経質なくらい気を使っている。

 

人の物を盗んで壊すだなんて、本当によくやるね。死んで当然のクズ野郎だ。気の毒なんてちっとも思わない清々しいクズめ。こんな奴が居なければと思わずにはいられない。

 

もうどうしようもないのだけど…。

 

遺物は全て片付けられた。身寄りのないはっくんの遺物は捨てられたことになっているけど、保護者代わりだった私がちーちゃんからこっそり受け取っている。粉々になり判別のつかないものは捨てられたが、僅かでも私物らしきものは全て。

 

……。

 

「現場の写真、ある?」

「ああ」

 

ちーちゃんが掌に収まる機械をちょっと操作すると私の端末が震えた。データ化されて届いた画像を開いて、今の整頓された部屋を見比べる。とても三人が荒らしたとは思えない悲惨な現場だ。

 

ガラスは割られ、ベッドはスプリングが露出し、テレビもパソコンもネジ一つになるまで分解状態、不思議な事に電子レンジやケトル、シャワーヘッドに至るまで部屋の全てがバラバラ。

 

「ねぇ、これおかしくない?」

「私もそう思う。私怨で壊すには念が入り過ぎている気がする。それに…」

内側から破裂している(・・・・・・・・・・)、よね」

「それだ」

 

モノを壊そうとするなら、モノそのものを叩きつけるか鈍器を振り下ろすのが普通だろう。柔らかいなら刃物で切り裂くのもあり得る。こんなのに普通も何もないけど。

だけど、ガラスは内側に破片が散らばってるし、ベッドの綿も同じ。家電には何かを叩きつけられた形跡は見られず、いくら何でもシャワーヘッドを壊すなんて考えられない。

 

最も不自然なのが綺麗すぎる事だろう。弾けているけど散らばった細かな部品には目立つ傷はない。この電子レンジの扉がまさにその通りで、透明なガラス部分は亀裂も入っていないのに、それを囲っていた枠やネジだけが綺麗さっぱりと消えている。割れ物の破片が目を引くから勘違いする人も大勢いたかな? 一番大事な点は明らかに見逃してるね。いや、揉み消された? うーん…。

 

「束」

「ああ、うん。この内側から破裂したような跡なんだけど…部屋の……このあたりに向かっているの」

「んんん……そう言われるとそんな気が」

「多分ここに、はっくんが居た」

「名無三が部屋中の物を壊して吸い寄せたとでも? 何故…」

 

その問いへの答えはまだ得られていない。でも予想はつく。

 

「はっくんに持たせていた卵の事はもう説明しなくても良いよね?」

「ああ。登録の無いコアと未確認機だった。だから、名無三の卵が孵化して戦闘を行ったんだろう?」

「そうだね。学園の専用機達の特性を併せ持った異常な機体。専用機8機相手に単独で大立ち回り出来る化け物さ。でも、詳しく聞くと武装は豊富でそれらを的確に操作できる技術はあっても、速さとパワーは量産型以下らしいじゃん」

「だから化け物。ISの基本性能を満たさないながらも、あれだけ戦えるのをそれ以外にどう呼ぶ」

「そこだ。ISの基本性能をを満たさない、がポイントなんだよ」

「……その話が部屋の惨状とどう結びつく」

「ちーちゃんには、私の“リソース”の話したことあるよね」

 

私個人の考え方の一つに、リソースと名付けたものがある。

 

人間でも動物でも機械でも、ISでも、100を上限としたリソースをどのように振り分けるのかというものだ。同じ人間という種族でも勉強が得意な人と運動が得意な人が分かれる。時間や情熱、それから努力というリソースを一つの分野へ注いだ結果が、科学者や弁護士だったりスポーツ選手だ。

でも、それら全てを一人の人間が兼ね備えるのは不可能に近い。掛け持ちできてもせいぜい二つが限界だろう。なぜなら時間も情熱も努力も、割けるもの…リソースは有限だから。

 

ISでも同じことが言える。白式で例えるなら、零落白夜という機能とそれを活かすためのパワーとスピードにリソースを割いており、汎用機ならあるはずの容量はまるで無い。

ブルー・ティアーズのようにイメージインターフェースにリソースを割きコンセプトを寄せた機体もあれば、燃費や基本性能に重点を置いた甲龍も存在する。ラファールの大容量っぷりはまさに何でもできると評判は良いが、基本性能は最低限と言ったところだし。

 

あくまでも持論ね。この篠ノ之束のだけど。

 

「それを当てはめるなら、基本性能を捨てて武装に特化したIS、ということになるんじゃないか」

「私もそう思ってた。でも、この部屋を見て確信したよ。それは半分違う。確かに基本性能をよりも武装を優先して組み立てられているけど、そのリソースの総計は100じゃない。私はね、卵の中に確かにパーツを入れておいたけど、それもPIC関係の最低限だけなんだ」

「と、いうことは」

「はっくんのISは未完成だね」

 

戦う為に武器を最優先で作り、ISとしての本当に必要最低限だけをガワとして纏っているだけでしかなかったと仮定して、

 

「絶望のどん底に落とされて卵が孵化したその時、室内のあらゆるものを分解して吸い寄せて、武器と機体を形作った、か」

「うん」

「まったく、恐ろしい機体だな。多種多様なの武器を同時に本人以上に使いこなせる名無三もそうだが」

「いやー流石ちーちゃんは分かってるねぇー」

 

アレの何が恐ろしかったのかについては、乗り手のセンスが異常だったの一言に尽きる。まさに、ブリュンヒルデ級。

 

似た者としてフランス娘のラファールがあげられる。大量にある武器を知識と経験で何が適正かを瞬時に判断し、高速切替という技術と努力がそれを実現させる戦闘スタイルだ。基本性能の差をものともせず、専用機の中でトップの実力を持つのはそういう事だ。彼女自身の力が、ただの剣を勇者の剣へと変えている。

 

はっくんの場合もそれと同じことなのだが…武器の種類や同時に操った数、立体的に戦場を把握し最適な武装を選択する空間把握力、1対8を圧倒した技量など、彼女とは次元が違う。

いや、彼の次元が違う。フランス娘は良くやっている方だ。仮組みの出来損ないで最新鋭機8機を相手に大立ち回りできる人間がどうかしている。

 

はっくんもまた、特別な存在だったのだ。それだけに惜しむ気持ちでいっぱいだった。

 

収穫は無かったが、私は決意を新たにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

「おかえりなさいませ」

 

真面目に働く愛しい娘はとててと駆け寄ってくる。犬猫の様に見えるし、私の影響でつけ始めたウサミミのせいでウサギにも……は無理があるか。可愛いぐらいしか共通点が無い。

 

「どう?」

「いえ」

 

ちーちゃんのところで数日世話になっている間も、ずっと下手人を負わせていたが特に進展は無かった。何かあれば電話で知らせると話し合っていたので、これは分かっていた事だ。分かっていた事だけど、どうしても聞いてしまう。

 

進捗は80%を超えた。

 

隠せないため息をついて、どかっとソファに倒れ込む。くーちゃんがお茶を淹れてくれてもイマイチ身体を起こす気分になれない。精神的な徒労がピークを迎えている事を数年ぶりに感じている。久しく忘れていた疲れとやらにすっかりやられているのだ。

 

そりゃ、私だって苦しい戦いになる事は分かってた。

 

あのIS自体が完全なブラックボックスで、どんな機能が搭載されているのかよく調べられないままだった。既存のISとはどう違うのかすらさっぱり分からない。ジジイがそこそこできるヤツで解析を進めてステルス機能をしっかり使いこなしていたら、発見は困難を極める。

 

そして、ジジイのバックにいる誰か。この誰かはジジイ以上に曲者だ。人物像というか目的というか、とにかく読めない。

まずはっくんは殺す必要が無いのに殺されたのがおかしい。彼は2/70万という地球上で最も価値ある存在なのだ。もう片方がいっくんというところを考慮するなら、1/70万と言い換えても良いまである。

ISコアよりも断然価値ある筈の彼をどうして殺す必要があったのか。どうにかして結論付けるなら「どちらかと言うと死んでくれた方が都合が良い」からだろうか。バックにいる誰かにとっては生死不問なのは間違いない。

殺したかった……は、流石に無いか? 復讐したいと思うヤツがはっくんに居たとは思えない。せいぜい私物を壊した三人組の生き残りくらいだろうけど、一人があんな殺され方をしてやり返すような連中じゃないか。

 

……いよいよ分からなくなってきた。これはもう狂人の仕業? うーん、なんだか私の勘はそう外れてもいないと言ってるような。

 

そこまで考えてゆっくりと身体を起こした。狂人が黒幕だったとして、これ以上考えても分かるわけがない。私は常人から外れている自覚はあるけど、狂っているつもりはないのだ。見つけて問い詰めた時にとっておこう。理解できるとは思えないが。

 

熱々だったお茶がちょっと冷めて飲みやすくなるくらいには時間が経った頃、普段は物言わない私の携帯が音を立てた。あまりにも聞き慣れてなくて、なんの音かさっぱり分からない着信音。それをうるさいなぁと思いながら電話に出た。

 

『私だ』

 

相手はちーちゃんだった。というかくーちゃんがこの場にいるので、かけてくる相手はちーちゃんしかいない。

 

「どうしたの、忘れ物でもしてた? 今日は下着もリボンをつけて帰ったつもりだったんだけど?」

 

忘れもしない中学時代の思い出の一ページだ。お泊りの度にこのネタでおちょくってくるので、今日は先手を打ってみた。ちなみに気づいたのは私でもちーちゃんでもなくて、洗濯してたいっくんというのがオチ。

 

『直ぐにこっちにこい。更識が手がかりを見つけた』

「……詳しく教えて」

 

ゆるゆるだったネジをがっちりと締めなおす。電源スイッチもオンにして、居住まいを正して続きを待った。

 

 

 

 

 



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