【完結】どうしてこうならなかったストラトス (家葉 テイク)
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第一話「その男――」

 少女が、暗がりの中にいた。

 呆然と虚空を見つめているその少女は、『普通の格好』はしていなかった。

 

 肩の上に浮かぶのは武者が肩に身につけるようなそれ――大袖に酷似したパーツ。両手両足のみを覆うような防護パーツの他にあるのは、いまどきは珍しいスクール水着のようなインナーだ。胸を覆うように申し訳程度の防具が備わっているが、それも胸の上と下のみを庇う程度のもので、衝撃から守るというよりは胸の形を整える機能の方が主だろう。

 総じて、武者が身につける鎧――大鎧のうちの特徴的な部分だけを抜き出し、グラビア的方面に突き抜けさせ、誇張したようなモノ。端的に言って何かのSF系アニメのような――という形容が似合うソレを、少女は身に纏っていた。

 

 IS。

 正式名称をインフィニット・ストラトスと言い、もともとは大気圏外での作業を行う為に開発されたパワードスーツという話である。しかし、至近距離での核爆発にも耐え、一機で連合艦隊を()()()()()()()()()()()という凶悪さから、現在は表向き『次世代のスポーツ』、実際は『核に変わるクリーンな抑止力』として各国が所有するに至っている。

 しかし、そんな無敵のISにも一つだけ弱点があった。それは、『女にしか反応しない』という点である。外見が女性に似ている男も、手術によって後天的に女性の臓器を手に入れた男も、その全てが意味をなさず、彼らを探し出すのに使った費用と時間だけが無駄に終わった、と言えばその徹底ぶりの一端くらいは理解できるだろうか。

 

「なん、だよ」

 

 少女は、その可憐な相貌に似つかわしくない粗暴な口調で呟く。

 決定的に不似合いなはずなのに、何故かそれは彼女という人格にこれ以上ないほど馴染んでいた。

 

「なんなんだよ、これ……」

 

 少女の瞳は、不安定に揺れていた。

 そんな少女の心境を表すように、彼女の周囲に半透明の画面(ウィンドウ)が表示されては消えていく。何かのパラメータと思しきもの、アーマーの耐久値を表していると思しきもの。少女の視線は、その中の一つに釘づけだった。

 

「……どう、して……?」

 

 少女は、消え入るような声で呻いた。

 途方に暮れた子供のように、心細さに押し潰されそうになりながら。

 少女の声に答えるものは、誰もいない。

 

***

 

 ――その日は、織斑一夏にとって間違いなく最悪の一日だったと言えるだろう。

 そもそもが、場違いだ。

 織斑一夏は男、そして此処IS学園は女の園である。見渡す限り女、女、女。教壇に立っている副担任のロリ巨乳眼鏡という三倍満も勿論女だ。そして、一夏は別に男の娘とかそういった人種でもない。つまり、完全無欠に浮きまくっていた。その性質上、女性しか乗ることのできないISの操縦技術を教えるIS学園は必然的に全生徒が女性であり、教師もそれに伴い男性比率はほぼゼロに等しいのであった。そんな女の園に、どこからどう見ても完璧に男でしかない織斑一夏がいる理由――――それは、非常にシンプルだ。

 

 世界で初めて、ISに乗ることが出来た男。

 

 それが、現在の織斑一夏に関する最もポピュラーな肩書である。入試の際、何の間違いか倉庫に仕舞われていたはずのISを起動させてしまった織斑一夏の存在は今や全世界中に知れ渡り、善人、凡人、悪人誰でも一定数は織斑一夏の身柄を狙っている、という非常に厄介な状況に追い込まれているのだった。

 それもあって一夏はIS学園に入学することになってしまったのだが、彼は周囲から突き刺さる好奇の視線に早くも心が折れそうになっていた。ただでさえ()()()()()()()()があるというのに、この上この客寄せパンダっぷりである。これまでの人生で彼女いない歴=年齢であり、ロクに女への免疫もない一夏には明らかに荷が勝っている状況だった。

 弱弱しくあたりを見渡すと、女生徒達は一斉に目をそらしてしまう。その向こうに見知った顔――数年前に離れ離れになっていた幼馴染・篠ノ之箒――を見つけたが、こちらもふいっと不機嫌そうに視線を逸らしてしまった。助け舟すら出してくれないというわけらしい。一夏は思わず溜息を吐いた。

 

「……織斑一夏、くん?」

「はっ、はい!」

 

 不意に名前を呼ばれ、一夏は思わず立ち上がった。一夏の席は真ん中の最前列、つまり、副担任のロリ巨乳眼鏡のすぐ目の前ということである。一夏はロリ巨乳眼鏡と目が合い、数瞬ほど気まずい沈黙を味わった。

 

「え、ええと……自己紹介、織斑くんの番、なんですけど……大丈夫……?」

「あっ、はっ、はい! え、ええと、織斑一夏です!」

 

 はっと我に返った一夏は、反射的にそう言った。

 そうだった。今は最初のホームルームで、自己紹介をしている最中なんだった。どうせ男だし孤立するだろうとは思うけど、自己紹介は……最も伝えたいことだけは、伝えておかなくては。

 ――一夏はそう考え、

 

「えっと、世界初の男性操縦者なんて言われていますが――俺、在学中に一度でもISを操縦するつもりはありません」

 

 きっぱりと。

 一息に言い切った。ISを操縦する資格と才能を持ち、その為の環境にいながら、それでもISには触れない、と。

 もちろん、教室は騒然となった。この発言はともすると国を揺るがすスキャンダル――クラス中の生徒がそう認識する程度には、織斑一夏は『期待』されていた。世界で唯一ではなく()()()なんて言い方をするところからも分かるだろう。世界は、織斑一夏をテストケースにして他の男性操縦者を生み出そうとしているのだ。その為に一夏はIS学園へと放り込まれたのである。

 その当の本人が、操縦拒否。それまでの前提を知っている一般人なら驚愕して然るべきだ。事実、目の前にいた副担任のロリ巨乳眼鏡もまたあわあわと狼狽し、そのせいで騒がしくなった教室を鎮めることすらできていなかった。

 ゆえに、教室の喧騒を鎮めたのは、必然的にこの教室にいなかった者――乱入者ということになる。

 

 スパァン‼ という音が鳴り響き、まるで猫だましでもされたみたいに教室は静まり返る。

 

「残念だが、お前のその望みは叶わない」

「……千冬姉」

「織斑先生、だ」

 

 一夏の頭に出席簿を振り下ろすという形ですべての喧騒に決着をつけたその女性は、抜身の刀のように鋭いまなざしで教室を一瞥すると、そのままロリ巨乳眼鏡を脇に移動させ、教壇に立った。それを受けて、一夏は頭を左手で抑えながら着席する。その表情は、やはり納得をしている顔ではなかった。

 

「織斑千冬。これから一年間お前達の担任となる者の名だ。ブリュンヒルデだの元日本代表操縦者だのといったくだらない肩書はあるが、それは今は忘れろ。この一年間、私はお前達の教師として此処に立つ。お前達も、その私に相応しい生徒であれ。――以上だ」

 

 まるで首筋に刀を突きつけるかのような千冬の挨拶に、全ての生徒がごくりと喉を鳴らした。ともあれ、気を引き締めた生徒に次を促し、自己紹介はさらに続いた――。

 

***

 

 二時限目の授業が終わった中休み、一夏は早くもグロッキーになっていた。二時限目の授業から始まったISの理論学習にいきなり圧倒されていたのである。一応最低限の予習はしたつもりだったが、その程度でどうにかなるならばIS学園なんて必要ないのである。授業には全くついていけなかった。

 

「――少し、よろしくて?」

「あ、ああ……?」

 

 不意にかけられた声に視線をあげると、そこには『いかにもお嬢様』といった風貌の少女が佇んでいた。金糸のように滑らかで高貴な輝きの金髪、海の様に深い色合いの碧眼。そして制服越しでも分かるほどのスタイルの良さ。胸はそこまで大きくはないようだが、それでも恵まれたスタイルと言えるだろう。

 

「はぁ、何ですのその態度は……、ふふん、まあ良いでしょう。その分ではとてもではないですが授業に追いつくことすらできていないことでしょうし」

「他の大多数と違って俺は急造だからな……、それで、名前を聞いても良いか?」

「…………貴方、自己紹介を聞いていなかったんですの?」

「この世の理不尽を心の中で嘆いていたら、いつの間にか」

「……まあ良いですわ」

 

 肩を竦めておどけて見せる一夏に少女は呆れて物も言えないようだったが、それはさて置くことにしたらしく――あるいはそれよりも気になることがあるのか――溜息を吐いて渋々ながら再度自己紹介をすることにしたらしい。

 

「わたくしは――セシリア=オルコット。イギリス貴族オルコット家の当主にして、イギリスの代表候補生ですわ。もちろん、代表候補生はご存知ですわよね? 流石に」

「お、おう……勿論だ」

「……、」

 

 嘘を吐くのが下手な正直男一夏に絶対零度の視線を向け、セシリアは何度目とも知れない溜息を吐いた。

 

「ISの世界大会『モンドグロッソ』に出るのが国家代表操縦者。その候補生だから代表候補生。――もっとも、わたくしの実力は全イギリス代表候補生の中でも最強な上に『BT適性』も最高ですので、殆ど『次期国家代表操縦者』と言ってもいいのですが」

「へ、へぇ……」

「何で知らないんですの?」

「し、知ってたって!」

 

 嘘を吐くのが超下手な馬鹿正直男一夏に、またも絶対零度の視線が向けられる。一夏は気まずそうに目を背け、

 

「……ISに嫌な思い出があるんだよ」

 

 一夏は、どこか気まずい表情を作って吐き出すように言う。()()()()()()()()()()、一夏のその言葉は異様な真剣みを持っていた。彼の闇の様に黒い瞳に吸い込まれそうな錯覚をおぼえたセシリアは、思わず一夏を侮るような態度をひっこめた。

 

「だから、ISに関するものは見たくなかった……それだけだ。……俺だって、まさかこんなことになるなんて思ってなかったし……」

「……、……貴方にも、色々あるということですのね。……ですが本当に分かっておりますの?」

 

 セシリアは指をピンと立て、一夏に言う。分からず屋にゆっくりと教え込む、噛んで含めるような口調で。

 

「――現代社会において『国家代表操縦者』とはその国の英雄。貴方のような木端役者がわたくしに話しかけられる栄誉を受けられるのは、本来ならそこらの田舎者が偶然エクスカリバーを引き抜くのに匹敵する奇跡ですのよ? もうちょっと感激しました的なリアクションがないと張り合いがありませんわ」

「(……俺はエクスカリバーなんて抜きたくなかったけどな)」

「何か言いまして?」

「いや、なんでもない」

 

 死んだ魚のような目をしていた一夏だったが、セシリアの鋭い指摘にすっと居住まいを正した。このセシリアという少女は気位が高いらしいので、腑抜けた態度をしていたらいつまでも小言を言われそうだった。そう一夏が考えていたのを悟ったのだろうか、セシリアは少し説教くさくなっていた自分を恥じるように咳払いをして話題を変える。

 

「……わたくしもこんな小言を延々と垂れ流したくて貴方に話しかけたのではないですわ。用件を言いましょう」

「ああ」

「ずばり――先程の発言の真意を。『ISを使うつもりはない』というのは、一体どういうことですの?」

 

 問い掛けるセシリアの瞳の中には、燻る炎のようなものがあった。きっと、彼女にとって譲れない何かに基づいた行動なのだろう。周りの女生徒達も気になっていたことだからか、すうっと教室中が静まり返る感覚があった。それどころか、廊下にいた生徒達まで静まりかえっている始末である。

 

「どうもこうもない。……俺は、ISを動かしたく――いや、ISに()()()()()()()()んだ」

「どうしてですの? 現代においてISとは軍事の枠を超えて普遍的な権力の象徴にすらなりつつある。貴方は――貴方達男性は、それがないから肩身の狭い思いをしていることと聞いていますわ。では、その権利を拡大する為に男性を代表してISの操縦技術を学ぶのは当然の成り行きではありませんこと?」

「――俺は、『摂理』を捻じ曲げてまで幸せになりたいとは思わない」

「…………逃げるんですの?」

「逃げることの、何が悪い?」

 

 セシリアの瞳には怒りすら浮かんでいたが、その気勢は一夏の目を見た瞬間に消え失せた。……一夏の瞳には、セシリアのそれを遥かに凌駕する怒りと、そして悲しみが浮かんでいたからだ。

 

「話は終わりだ。悪いなセシリア、俺は――君の期待には応えられない」

「……ふん、拍子抜けですわ。世界初の男性操縦者と聞いてどんなものかと思えば、この程度だったなんて」

 

 吐き捨てるようにそう言って、セシリアは自分の席に戻って行く。一夏はその後姿を静かに見送り、そして机の上に突っ伏した。

 ――逃げるんですの?

 セシリアの言葉が、脳内を駆け巡る。何も分かっていない、そう、本当に何も分かっていない言葉だった。あそこまで無邪気になれたらどれほどよかっただろうと、一夏は思う。

 

「……逃げられるんだったら、とっくの昔に逃げてるよ……」

 

 逃げることすら許されない。それでも抗うしかないから、一夏はこんなことになっているのに。

 

***

 

「クラス代表を決める」

 

 三時限目の授業、千冬は開口一番にそう言った。

 自己紹介、二時限目の授業を経て、大体生徒のスペックも分かって来た。生徒同士でも何となく『誰それが優秀』というのが何となく分かって来た頃である。クラス代表を決める要因は、十分にそろった頃だろう。

 ……ちなみに、一夏は当然ながら落ちこぼれの烙印を押されていた。

 

「自薦他薦は問わない。ただし、辞退は認めない」

 

 そう言って、千冬は静かに腕を組んだ。少しの間、互いが互いの様子を伺うような沈黙が教室を支配した。数秒ほどそうしていたが、流石にIS学園というべきか、沈黙はすぐに打ち破られた。

 

「……織斑くんが良いと思いますっ!」

「はぁ⁉」

 

 ただし、斜め上の形で。

 在学中ISに乗るつもりはないって言ったのに――と一夏は驚愕して目を剥いたが、一度うねりだした流れは誰にも止められなかった。

 

「ちょっと待ってくれ、」

「私も賛成っ!」

「ちょっ、待って、」

「織斑君で良いと思います」

「ちょ、待っ、」

「いやむしろおりむーしかいないよね~」

「……、」

 

 などなど、女生徒達は次々に一夏を推薦していく。

 おそらく、世界初の男性操縦者の実力を見たい、というのが総意であろう。『ISを操縦するつもりはない』と一夏は言っていたが千冬はそれを認めないようだったし、むしろそこまで言う一夏の実力の程が見てみたい、という考えもあったはずだ。

 千冬はそんな生徒達を呆れたようなまなざしで見ていたが、結局それ以外の意見が出ることはなかった。首を動かして辺りを見渡し、異見がないことを確認した千冬は、

 

「異論はないな? では、クラス代表は、」

「――――そ、ん、な、選出が認められるかァァぁあああああああああああああッッ‼‼」

 

 瞬間、怒号が轟いた。

 

客寄猫熊(オトコ)が選ばれるのも良い、極東の愚民が選ばれるのも良い、戦う気概もない腑抜けが選ばれるのもまあよしとしましょう。――ですが、納得がいかないのは! そんな三流が選ばれておいて何故! イギリス次期代表の! このセシリア=オルコットが誰からも推薦されないのかということですわ‼‼」

 

 怒号の主――セシリアは、憤怒と軽蔑の目線でクラス中を一瞥する。千冬は溜息こそ吐いたが、セシリアを止めるようなことはしなかった。肩を怒らせたセシリアは、血走った眼で一夏を視界に収め、一旦呼吸を落ち着けてから続ける。

 

「…………クラス代表ともなれば実力者が選ばれるのが当然。そしてこのクラスにおいての最強とは()()()()()()()()わたくしですわ。……ねえ、ミス山田?」

 

 セシリアの言葉に、視線を向けられたロリ巨乳眼鏡はおずおずと頷く。

 機体として洗練された量産機と違い、洗練されていない……バグや弱点の多い性能の不安定な試験機で、セシリアは元代表候補生であり試験官役だったロリ巨乳眼鏡に勝利している。代表候補生なので殆ど合格は決まっており、入学試験といっても軽いエキシビションマッチのような扱い――つまりそれなりに本気――であったにも拘わらず、だ。つまり、教師を含めてもナンバー2。それがセシリア=オルコットの実力である。

 ロリ巨乳眼鏡の肯定に呆然としているクラス一同を一瞥したセシリアは、怒りを通り越して呆れている様子で鼻を鳴らす。

 

「まったく、事前情報を見れば『勝利合格』が私だけだなんて簡単に分かることですのに。そんなことも分からないほどに日本人というのはオツムがゆるいのかしら? ISの技術流出を指をくわえて見ているだけでなく、そんな簡単な計算もできないんですの?」

「で、でも……噂では、織斑くんも入試試験で勝ったって」

 

 おずおずと、怒り心頭な調子のセシリアに、女生徒の一人が言った。素早くセシリアがそちらの方に視線を向け、言った少女がひっと短い悲鳴を上げる。セシリアはふっと目尻に浮かぶ厳しさを和らげ、女生徒を労わるように目礼した。

 それから、ロリ巨乳眼鏡に視線を向ける。

 

「……ミス山田、それは事実ですの?」

「え、ええと、はい。確かに、見様によっては織斑君が勝った、って言えなくもない、の、かな……?」

「IS学園の公式情報では、『勝利合格』はわたくしだけという話でしたが?」

「……あー、それは、なんというか、はい、色々とあるんです」

 

 歯切れの悪い回答だったが、ロリ巨乳眼鏡の言質はとった。つまり、この場においてナンバー2は二人いる、ということになる。

 織斑一夏と、セシリア=オルコット。

 どちらも、クラス代表になる資格はあるということだ。

 

「――申し訳ありませんでしたわ、クラスの皆さん。先程の暴言は訂正いたしましょう。そしてミス織斑。わたくしは自らを、セシリア=オルコットを自薦いたします」

「受理しよう。そして織斑先生と呼べ、オルコット」

「感謝します。――さて、これでお膳立ては整いました。織斑一夏! わたくしは貴方に決闘を挑みますわ‼」

 

 毅然として人差し指を突きつけ、セシリアはそう言った。一夏はあまりの怒涛の展開に表情筋を引きつらせ――、

 

「ち、ちなみに、辞退は?」

「できんと言ったはずだぞ、馬鹿者」

 

***

 

「何て日だ……」

 

 部屋番号を教えられた一夏は、その足でこれからしばらく――部屋の用意ができるまでは相室で我慢するようロリ巨乳眼鏡に半泣きで頼まれた――住まうことになる自室に向かっていた。ちなみに、生活用品を取る為に一時帰宅させてくれという頼みは防犯上の理由から却下された。代わりに渡されたのはスポーツバッグに入る程度の荷物である。

 

「女の子と相室とか、どうすりゃ良いんだっての……」

 

 此処は女の園。そして女は男に対して高い警戒心を誇る生き物である。一夏は実体験で知っている。女とは、不慮の事故で身体が触れあっただけでも反射的に(グー)が出る生き物なのである。

 

「千冬姉は『よく知っている人物だから大丈夫だ』とか意味深に笑ってたけ、」

「――ああ。同室になった生徒か? こんな格好で済まないな。少し緊張で汗をかいてしまって、」

 

 そんなことを考えながら扉を開けた、その先には。

 ――一糸纏わぬ姿の幼馴染、篠ノ之箒の姿があった。

 幸い、風呂場から漂ってくる湯気と即座に顔をそむけた一夏の努力のお蔭で、(お互いに)致命的な部分については目撃していない。だが、箒からしたらそんなことは分からないし、何より隠れているからと言って風呂上がりの姿を見たことに変わりはないのだ。

 

「ご、ごめん‼」

「ひっ、わっ、ひゃあ‼」

 

 一夏が目を固く瞑ったままそう言った後のタイミングで、箒は再起動を果たした。両手で胸と下半身を隠し、そのまま風呂場の中へ引っ込んで行ってしまう。風呂場の中から、怨嗟にも似た声が聞こえて来る。

 

「な、な、な、な、な、なんでっ、何で此処に」

「此処、俺の部屋でもあるんだ」

 

 まさか箒と相室だったなんて知らなかったけど、と一夏は呟く。まあ普通は部屋割りなんて事前に伝えたりはしないだろうが、それでも一夏は世界初の男性操縦者なわけで、少しくらいそういう方面に融通を利かせてくれてもいいのに、と思った。

 

「す、すまん。……着替えを取りたいんだ。ちょっと部屋から出ていてくれるか」

「あっ……ご、ごめん」

 

 一夏は頬を赤らめながら、一旦部屋から出た。ややあって、部屋の中から『入って良いぞ』という声が聞こえて来る。一夏はおそるおそる扉を開け、中に入って行く。

 部屋の中に入って行くと、襦袢を着てベッドに腰掛けた箒の姿があった。湯上りだからか頬が上気しており、妙に色っぽい。襦袢という薄着も、一夏にとっては意識せざるを得ない要素だった。

 目のやり場に困りつつ、一夏はとりあえず、同じように自分のベッドに腰掛けた。

 一瞬、気まずい沈黙が生まれる。

 

「あー、何から話せば良いのか…………剣道の大会、優勝おめでとう」

「っ、……あ、ありがとう…………でも、何で?」

「……何で、って?」

「な、な、何で、知ってるんだってことだっ!」

「あっ、ああ、……し、新聞で見た」

「……なるほど」

「……俺はさ、中学に入ってからバイトやってて剣道やめちゃったけど、箒の剣道してる姿を見れて、何となく嬉しかったよ」

「そ、そうか……」

 

 お見合いのように気まずい雰囲気だった。

 幼馴染と言っても、もう互いに一五。相手の認識は立派な『異性』であり、何が好きなのか、何が嫌いなのかすら曖昧な存在だ。親しい間柄のように話せ、という方が無理だろう。

 

「い、一夏は……」

 

 だから、箒は探り探り話を続けていく。

 

「何で、剣道をやめたんだ……?」

「……家計を助けたかったんだ」

 

 一夏は、その問いを聞いて初めてはにかむように笑った。箒はその無邪気な笑みに思わず見惚れてしまったが、次の瞬間には一夏の表情はまた曇ってしまう。

 

「あの頃は俺、千冬姉がどんな仕事してるのか教えてもらってなかったからさ。でも、女尊男卑な世の中っつったって年功序列は変わってない。高卒の千冬姉が働けるような仕事じゃ、そんなに多くの給料はないって思ってたんだよ」

「それでは……、」

「まあ、現実はこうだったけどな。千冬姉は俺なんかの想像を絶するほどの高給取りで、俺の心配は全部杞憂だったって訳だ」

 

『それでも中学三年間をバイト漬けで過ごして来たことは後悔してないけど』と笑う一夏は、恥ずかしそうだったがどこか清々しい笑みだった。多分、このことは彼の中で既に決着がついているのだろう。一体その結論に至るまで、彼の中でどんな葛藤があったのか、箒には想像もできなかったが。

 そして、また無言になる。もともと口下手な箒に加え、今の一夏は何かに絶望しているようだった。重苦しい空気が立ち込めて、箒の頭の中は『何か話して沈黙を打開せねば』という思いに支配される。……そして、焦った彼女は決定的な『地雷』を踏んだ。

 

「今日の授業、何で、『在学中に一度でもISを操縦するつもりはない』なんて言ったんだ?」

 

 瞬間、箒は部屋の室温が一気に五度は下がったような錯覚を感じた。それくらい、一夏の様子が目に見えて変化した。

 

「――お前には、関係ないだろ」

 

 突き放すような口調で、一夏はそう言った。あまりにも冷たい声色に、箒は思わずたじろぎかけたが――しかし、そこで踏みとどまった。

 

「関係なくはないだろう。私は――その、お前の友人だ! もしもお前が困っているなら、力になりたい!」

「……箒は、俺の力になんかなれないよ」

 

 そう言って、一夏は自分の手を見つめて黙り込んでしまった。箒のことなど最初から問題にすらしていない、という態度だった。自分でどうにかするしかない。一夏はそう思っている。

 箒は、もう我慢ならなかった。他人にそんな態度をとられてもちっとも堪えない箒だったが、他の誰でもない一夏にそんな態度をとられるのだけは、どう頑張っても耐えられなかった。

 

「そ、そんなの、やってみないと分からないだろう‼」

「分かるよッ‼ 分かるからこう言ってんだ‼ もう放っておいてくれ‼」

 

 鬱陶しがるように立ち上がった一夏は、そう言ってベッドから立ち上がり、扉の方へと歩き始める。

 

「どこに行く気だ」

「……夜風に、当たりに行くんだよ。頭を冷やしにな」

「嘘だな」

 

 一夏はやはり嘘の吐けない男だった。本当は、箒は話している最中から分かっていたのだ。ISに乗りたくない、なのにクラス代表を決める為にISに乗らなくてはいけない。日中の一夏の態度だったら、そんな状況に追い込まれたらどう動こうとするのか。

 

「――逃げるのか? このIS学園から」

 

 箒は追いかけるように自分もベッドから立ち上がりながら、その背中に必死の思いで言葉を投げかけていく。

 

「……ああまで言われて、悔しくはないのか? 私の知っている一夏は、あんな挑発を受ければどんな敵が相手でも立ち向かったぞ」

 

 そんなことを言う箒の言葉には、とある感情の熱が灯っていた。そしてその炎は、箒の中にある『何か』をどんどんと熱していく。

 

「相手がイギリス最強だからって、逃げるのか? 違うだろう? 勝てないからって最初から諦めるのはお前らしくない。一夏、思い出してくれ。あのとき、いじめられていた私を守ってくれたあの時のような勇気を――、」

「お前は、何も分かってない」

 

 一夏は血を吐くような表情でそう言い捨てた。それは、差し伸べた手を振りはらうような取り付く島もない否定だった。並の人間ならば、そこで怯んでしまい、一夏の心に踏み込むことも出来ずに見送ることになっていただろう。だが、箒もそこで留まるような器ではない。

 

「ああ、分からないさ‼ だって、一夏は何も言ってくれない‼ お前がどんなことを想っているのか、私には全く分からないよ……でも! でも、分からないなりに共に立つことはできると思っている! 言えないことなら言わなくて良い。でも、逃げることだけはしないでくれ! どんなことがあっても、何があっても、私は、私だけは一夏の味方でいるから! だから……そんな捨て鉢な態度はやめてくれ……。そんな悲しそうな顔はしないでくれ……」

 

 そう言って、箒は一夏を後ろから抱きしめる。

 一夏は一瞬虚を突かれ、それから背中にあたる二つの柔らかい感触にたじろいだが、やがて箒の言葉の真意に気付き、かたく絡まっていた何かを解きほぐすかのようにゆっくりと、自らを抱きしめる箒の腕に自分の手を添えた。

 

 ――織斑一夏には、実姉である千冬以外には今まで誰にも言っていない過去があった。

 中学二年生の頃。一夏は誘拐されたことがある。千冬のモンドグロッソ二連覇のかかった決勝戦の直前だった。何者かに襲われた一夏は、何もできずに攫われ、倉庫に軟禁された。ドイツ軍からの情報提供によりやってきた千冬によって一夏は救い出されたが、その代償として千冬はモンドグロッソの決勝で反則負けとなった。それだけでなく、情報提供の見返りとして千冬は一年間ドイツで教官をやることになった。それはつまり、彼女のIS選手としてのキャリアの終焉を意味し、事実千冬はそれを機にISの国家代表操縦者を引退した。

 一夏の誇りだった姉の覇道は、他でもない彼自身が潰してしまったのだ。この罪悪感が、『ISに嫌な思い出がある』と語った一夏の真意である。

 

 

 ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……本当に」

 

 ゆっくりと、一夏は箒の腕をほぐし、それから振り返ってその目を見る。黒曜石の様に真黒な、潤んだ瞳がただ一夏の顔を映していた。

 

「本当に、俺の悩みを聞いてくれるのか」

 

 一夏の表情には、感情がなかった。それほどのことがあったのか、と箒は思う。覚悟し、それでも一夏は自分の――と思い、頷く。解決できるかどうかは分からない。箒は彼女の姉である万能のデウス・エクス・マキナではない、ただの人間だ。だから、出来ることなんて限られている。だが、それでもやるだけのことはやってみるつもりだった。

 そんな箒の覚悟を見て取ったのか、一夏は小さく微笑み、話を切り出した。

 

「実は、俺は……ISを装着すると――――」

 

 箒は思う。

 どんな真実が告げられようと、決して笑って受け入れると。

 絶対に、一夏の味方でいて見せると。

 

「――――――女になるんだ」

 

 そして、告げられた衝撃の事実に。

 

「……ぶっふぉ⁉」

 

 箒は、笑って受け入れるどころか大爆笑してしまった。



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第二話「――女につき」

「――くそっ、くそっ、笑いごとじゃねえってんだよ、こっちは本気なんだよ、死活問題なんだよ……」

 

 それから一か月後。

 一夏は半泣きでISの到着を待っていた。

 あれから、色々とあった。一夏専用のISが開発されていることを教えられたり、IS操縦練習用アリーナの予約がとれなかったから箒と剣道の練習を行ってバイト漬けですっかり錆びついていた剣道の腕を取り戻したり、ISの到着が遅れたり、メンタルのケアをしてもらったり、あとISの到着が遅れたり。

 この一か月間、一夏が逃げ出さずにIS学園に留まることができたのは、何だかんだ言って箒のケアが大きかった。

 ちなみにその一環で中学二年生の時の事件の話をしたら、箒から『何でそっちのがトラウマになってないんだおかしいだろ⁉』という至極真っ当なツッコミを受けた一夏である。しかし、一夏的にそこは『自分の不手際は、こっから俺が挽回すれば良いんだ』という超絶ポジティブの範疇なのであった。

 

「まあ落ち着け、一夏。ただ……私はちょっと興味があるぞ。千冬さん、一夏の――は、どんな感じだったんですか?」

「馬鹿! 男が女になったって気持ち悪いだけに決まってんだろ!」

「織斑先生と呼べ、篠ノ之。……そしてそれに関しては『期待しておけ』とだけ言っておく」

 

 試合用アリーナのピットにて、一夏は箒、千冬と共にISの到着を待っている。のだが、どうにも箒は一夏のことをからかうし、千冬も仏頂面をしているもののそれを全く咎めないしで一夏は完全に遊ばれているのであった。一夏が半泣きなのはそんな事情がある。

 ああもう一刻も早くここから消えたいセシリアに負けても全然良いからむしろ()よIS来いさっさとしろ頼むーと呻いていた一夏だったが、その祈りが天の通じたのか、焦った調子のロリ巨乳眼鏡がピットにやってきた。

 

「お、お待たせしました一夏君! これが貴方のIS――――『白式』ですっ‼」

 

 あ、やっぱり前言撤回来てほしくないわ――と心の中で鮮やかな掌返しを決める一夏だったが、もう遅い。背後から感じる千冬の殺気に押し込まれる。

 

「な、なあ千冬姉……やっぱり、アレ装着しないと駄目か?」

「織斑先生、だ。織斑」

 

 意訳すると、『何言ってんだ馬鹿じゃねえのお前』である。殺気はもはや実体化するレベルにまで到達しており、なんか殺気が独立したヴィジョンのようにすら見えてきた。これ以上は色々なアレに抵触しかねないと察した一夏はゆっくりと歩を進めざるを得なくなる。

 その殺気にじりじりと追い込まれ、ISの方に移動させられる。鈍い銀色の輝きを放つソレの目の前に立った一夏はゆっくり、ゆっくりと手を伸ばし……、

 そして、触れる。

 

 瞬間、光が迸った。

 

 着用者と適合したISはその刹那、その武装の一切を一旦量子化させる。それによって生まれた光の渦が一夏の身体に纏われていき、やがて一夏の全身を量子の光が覆われた。……そう、全身だ。顔を含めた全身が覆い隠される。

 異変は、そこから起こった。

 収縮していく量子の渦は、明らかに一夏の元の身体よりも小さく、そして華奢になって行った。そしてその分が胸部や臀部に、押しのけられるように移動していき――部分的に、光が解放される。

 

 手は大きくてごつごつした逞しい形から、白魚のようにほっそりとしていて白く繊細に。

 腕は全体的に丸みと細みを帯び、筋肉よりも柔らかな脂肪が豊富に。

 足は小さく、太腿も大腿筋が浮かび上がるような逞しさではなく、丸みを帯びつつもしなやかなシルエットに。

 臀部は平均よりも多少小さめだが明らかに丸みを帯びた形に。

 腰はうっすらと腹筋こそ浮かび上がっているが、やはりゴツゴツした印象のなく、むしろ滑らかに。

 胸部も臀部と同じく平均を大きく下回っているものの全くないというほどではない、小ぶりな丘に。

 髪は肩甲骨くらいまで伸び、硬かった髪質も柔らかく艶やかな光を放つように。

 最後に顔から量子の光が散り、凛々しい眼差し、形の良い眉、小さい鼻、柔らかな唇、一〇人に聞けば一〇人が美しいと称するような――『女性の顔』が現れた。

 

 それらにISスーツが纏わりつき、影が浮かび上がるように純白のISアーマーが次々と生み出されていく。最終的に誕生したのは――『IS操縦者』だった。

 ただし、それが『世界初の男性操縦者』と分かる人間が、この世界にどれほどいようか。それほどまでに、一夏は見事な『美少女』に生まれ変わっていた。

 

「…………う、うぅ」

 

 恥じらうように、一夏――イチカは呟いた。その声は男のものではなく、ハスキーではあるもののやはり少女そのものである。その少女が、恥ずかしさと心細さに身をよじっている。

 瞬間、箒のタガが外れた。

 

「かっ、可愛いっ‼」

 

 ISの絶対防御があることなど完全に無視して、箒はイチカを抱きしめる。そして絶対防御は致命的な攻撃でない限り貫通してしまうので普通にイチカは箒に抱きしめられてしまう。

 

「ちょっ⁉ 箒、や、やめ……」

「やめないぞ、イチカ! 何を恥じらう必要がある! お前のことを馬鹿にしようと思うようなヤツがいても、この姿を見れば考えが変わる! ぶっちゃけ私も今の今まで『一夏が女になるとか(笑)』って思ってたけど一八〇度考え方変わったしな! おそらく全世界がイチカの美少女っぷりに驚愕することだろう‼ これがあのダメ姉の差し金ならマジお姉さまGJ‼」

「箒、キャラがおかしくなってる‼」

 

 悲鳴をあげるイチカだが、箒は全く取り合わなかった。

 箒にとって、『一夏』は初恋の人であり、『憧れ』だった。彼女の実姉・篠ノ之束の研究成果により、政府の要人保護プログラムで各地を転々とする生活を送るようになり、『一夏』とは離れ離れの生活を送ることになってしまった箒だったが――『一夏』との思い出があったから、友人の出来ない幼少時代でも絶望せずに暮らしていけたのだ。

 むしろその思いは会えない間も蓄積され、思い出の中で美化された『一夏』は箒の中で既に『憧れ』を通り越して『信仰』の域に達していたと言っても良いかもしれない。『一夏ならこうする』『一夏がこんなことするはずがない』――……一歩間違えば醜い押しつけになりかねない感情だが、箒の感情はその域にまで達していたのだ。

 しかし、その『一夏』は、傲岸不遜で鼻持ちならないセシリアの挑発にも終始反論せず争いになることをいつまで経っても避けているし、挙句の果てに決闘からも自分からも逃げ出そうとしてしまう始末。以前の負けん気の強さなど見る影もなかった。

 それでも幻滅しないほど箒の『憧れ』は強烈だったが、『それでも一夏がこうするのには何か理由があるに違いない』と思う程度に、箒の『信仰』もまた強かった。だから、箒は何か悩みがあるのであれば聞いて、できれば解決してあげたいと思っていた。

 その理由と言うのが――ISに乗ったら女になってしまうからだ、と説明された瞬間、ぶっちゃけ箒の長年抱いていた『憧れ』や『信仰』、そして胸の奥の奥に潜めていた仄かな恋愛感情は一気に冷めた。

 といっても別に『一夏』に幻滅した訳ではなく、それまで『憧れ』であった『一夏』が、急速に身近に感じられるようになったのだ。そして、冷めた『憧れ』は、『信仰』は、『恋慕』は、熱した鉄を急激に冷やすことで鋼鉄が生まれるように――『親愛』となった。

『一夏』だって、そんな『くだらない』ことで自分の命運を賭けてしまったりするほど、無鉄砲で向う見ずな男の子だったのだ、と。まったく馬鹿で、どうしようもない奴だ――と、新たな親しみと共に、笑ったのだ。

 

 で、そんな『親愛』の対象が、この変貌である。

 なるほど――男の時点でも人を惹きつける魅力にあふれていた(本人に自覚はなかったが、明らかにモテる)『一夏』が少女になったのだから、整った美貌になるのは当然として、元が男だからかガサツながらも凛とした振る舞い、そしてどこか自信なさげな所作、デフォルト装備なのかちょっぴり女々しい内股気味の足、そして今まで気にしていなかったISスーツの微妙な色気――それら全てが化学反応を起こした結果、鉄の理性(生憎錆びきっている)は砕け散り――箒は疾風(かぜ)になった。

 

「そこまでにしておけ」

 

 いつまでもイチカに抱き付き続ける暴走少女こと箒の首根っこを掴んで離した救世主千冬は、イチカの姿をまじまじと見る。……入試の際の起動事件、そしてその後の模擬戦時にイチカの姿は見ていたが、その時よりも体が鍛えられていることに千冬は気付いていた。 一か月間、みっちりと箒に鍛えられたのだからある意味当然なのだが。

 

(どうやら、男の状態での鍛錬が、女の状態にも反映されるようだな。……ん? 逆もまた然りだとしたら、もし仮に処、)

「千冬姉っっ‼‼ それ、アウト‼‼」

「織斑先生だ、馬鹿者」

「それ都合のいい逃げ道じゃねえからな⁉」

 

 電波を受信して水際で危険なボケを阻止してきたイチカのハスキーボイスなツッコミはさておき、もう一回その姿を見てみる。これなら、イチカの潜在能力とセシリアの油断を勘案すれば最初数十秒『それなりにいい勝負になる』だろう。――単純な真剣勝負になれば。

 ……勝てる、とは思わない。イチカが入試の際にロリ巨乳眼鏡を下し『勝利合格』したのは事実だが、アレはイチカが男性である、という事前情報を受けていたロリ巨乳眼鏡が緊張していたところに絶世の美少女が現れてしまったため色々とパニックになり、その結果致命的なミスをおかして自滅した、というのが本当の所だからだ。

 素質はともかく、イチカの能力は一般人に毛が生えた程度だし、セシリアは素質においても経験においてもイチカを数倍上回っている。勝てる道理があるはずもない。

 ……ただまあ、イチカの雄姿が見られるいい機会だし、というのであえて訂正せずに決闘に持ち込ませた千冬も、大概良い性格をしている。

 

「……はぁ、ぐだぐだ言っていてもやるしかねえよな」

 

 イチカは、やはり可憐な声で気怠そうに呟き、肩を回す。グオングオン、と機械音がしてイチカは自分のことながらぎょっとしたが、しかしそれで却って感覚が掴めたらしい。イチカはそれで入場する決心がついたようだ。

 あるいは、これ以上この空間にいたらツッコミ疲れでダウンしてしまうと思ったのかもしれない。

 

「――行ってくる。世界最強の人間の弟として、恥ずかしくない戦いをしてくるよ」

 

 そう言って、イチカはピットを出た。

 あー行っちゃったー、と寂しげな声をあげるダメ少女の横で、千冬は孝行者にフッとニヒルな笑みを浮かべ、誰にも聞こえないくらい小さく呟いた。

 

「――――そう言ってくれるだけで、お前は私にとって最高の妹だよ」

 

 …………なんかもう、色々と駄目だった。

 

***

 

 セシリア=オルコットは苛立っていた。

 既に予定の時刻になっているというのに、一夏は出てこない。何やら訳ありのようだったので、やって来ない可能性すらあるとは一応考えていたが、実際に来ないとなると、分かっていても失望を感じざるを得なくなる。彼の姉は織斑千冬だ。あの勇敢で、セシリアをも超える戦士を姉に持つというのに、一夏に血族としての誇りはないのか? とセシリアは思う。

 それは、自らの血に誇りを持つ貴族オルコット家の当主だからこそ考えられることだ。家を守るために戦い続けたからこそ持てる矜持だ。だが、それを当然の様に備えていたセシリアは、一夏にもそれを要求する。――それが、どれほど厳しい要求であるとも知らずに。

 だが。

 果たして、セシリアがもう待ちくたびれたと言おうと思っていたちょうどその時、向かいのピットのハッチが開き、そして一機のISが現れた。どっっっ‼ と一気に歓声が爆発した。初の男性IS操縦者を前に、全員が興奮しているのだ。オペラグラスのようなものをみなが持って、一夏を一斉に観察しだす。

 セシリアも『そうでなくては』と不敵な笑みを浮かべ直して皮肉を言う。

 

『遅かったですわね。ヒーローは遅れて現れる、とでもいうつもりだったのですか? 私はてっきり貴方が恐れをなして逃げたものと、』

 

 そこで、言いながらも抜け目なくハイパーセンサーで相手の様子を窺っていたセシリアは、異変に気付いた。

 一夏じゃ、ない。

 ハイパーセンサーから伝わる感覚によると、目の前にいるのは完全に『女性』だった。身体のラインがそもそも女性だし、極め付けに小ぶりではあるものの胸もある。サーモグラフィから伝わる体温分布も、完全に女性のそれだ。そのことに気付き始めたのか、段々と観客もざわつき始める。

 

『……織……、……斑ァ……‼』

 

 そして、セシリアは、激昂した。

 

『織ッ、斑ッ、一夏ァァァァああああッッ‼‼ ここまで、ここまで私を愚弄するかッ‼ いいですわ、もう許しません。子供だましにもならない影武者は引き下がりなさい‼ あの見下げ果てた臆病者は、決闘に「代理」などを出すクズは、地の果てまで追いかけて二度と日の目を見れないように、』

『おい、勘違いするんじゃねえぜ、セシリア=オルコット』

 

 怒り狂うセシリアを呼び止めたのは、影武者と目されていた少女だった。少女は、その可憐な容姿には似合わない粗暴な口調でセシリアを宥める。あまりに想定外の出来事に、セシリアは一瞬ぽかんとしてしまう。

 それを認めた少女――イチカは、さらに続ける。

 

『俺は影武者なんかじゃない。正真正銘織斑一夏だよ』

 

 その口調は、声色こそ違うものの明らかに一夏のそれで、ゆえにセシリアは怒りも忘れて動揺する。

 

『でッ、ですが、その姿は――』

『……これが、俺がISに乗りたくなかった理由だよ』

 

 イチカは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。しん、と静まり返った会場を一瞥し、深呼吸し、イチカは意を決して言う。

 

『俺は……ISに乗ると、女になっちまうんだ』

 

 イチカの言葉に――アリーナ中がしん、と静まり返った。その反応を見て、イチカは辛そうに眉根を寄せる。

 箒のメンタルケアによって比較的精神的には安定していたイチカだったが――それでも、やはり不安はあった。箒はISを装備したら女の身体になると知った瞬間大爆笑したし(それは単に拍子抜けしすぎたというだけのことなのだが)、事実イチカもおかしいと思う。

 そして、この模様はIS学園中に知れ渡るのだ。流石にテレビ局の類はいないし録画も禁止されているが、人の口には戸が立てられないと言う。じきにIS学園から情報は世界に知れ渡り、自分が女になってしまう男だと全世界の人間が知ることになる。

 ……普通の男なら、いくら権利回復ができるとはいえ女になりたいとは思うまい。となるとアテが外れた世界中の男はぬか喜びをさせたイチカに悪感情を抱くだろうし、女の方も自分達と同じ性別に変化する男など気持ち悪い存在以外の何物でもないに決まっている。きっと、色んな人がイチカのことを責めたてる。そんなことになったら、自分の居場所なんてなくなってしまうのではないだろうか。

 箒はからかいながらも何だかんだ言ってそこだけは真剣に否定していたし、千冬の態度も気持ち悪がっているところはなかったから、身近な人は大丈夫だろう。そう思うと一応のところは安堵できるイチカだったが……こうして実際に大勢の前で真実を話すと、急速に怖くなってくる気持ちもあった。

 

 静まり返ったアリーナの中で、冷たい目線が自分だけに突き刺さる。侮蔑の言葉が叩きつけられる。イチカの心を削っていく。

 

 ――そんな未来を想像するだけで、イチカは小さく縮こまって震えそうになってしまう。やはり逃げていれば良かったと、後悔さえしたくなってくる。

 

 永劫にも及ぶような沈黙。

 それは、今伝えられた情報をその場にいる全生徒が咀嚼している時間に等しかった。

 

「……ぉ、」

 

 最初に声をあげたのは、一体誰だったか。

 

 

『――――ゥゥうォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ‼‼‼‼‼‼』

 

 

 瞬間。

 爆撃のような威力を持った歓声が、会場中を席巻した。

 

『うひゃあ⁉ な、何だいきなり‼ ど、どうなってんだ⁉ おい、セシリア!』

 

 いきなりの大音量にひっくり返りそうになりつつ、どこか怯えた仕草を見せてセシリアの方に懇願するような視線を向けるイチカ。

 

 ――性転換、TS、女体化。

 

 それを表す言葉はいくつかあるが……往々にして、それらの『属性』は『非一般的』と形容できる。場合によっては『変態趣味』と揶揄され、認められないどころか迫害され、軽蔑されかねない。ゆえにそれを愛するものはひっそりと、誰にも見られないように自らの『属性』を愛でる。それが正しい『やり方』だ。

 イチカもまた、そうした『属性』に理解のない『一般人』の一人だった。だから、いきなり女になった人間を見たら、気持ち悪がるものだと決めつけていたのだ。

 ただ、イチカは知らなかった。

 ――世界は、実はけっこう愉快にできているということを。

 世の中には、そうやって自らの持つ『属性』を密やかに温めていた者が、意外といるということを。

 

『セシ、リア……?』

 

 こんな大歓声のなかでセシリアが無言を貫いていることを怪訝に思ったイチカは、そう言って不安そうにセシリアの方を向く。

 そこには――、

 

『わたくしの、負けですわ……』

 

 両手で顔の下半分を覆って、幸せそうな涙を流しているセシリアの姿があった。

 

『えっ』

『ええ。乾杯、いえ完敗ですわ』

『えっなんて?』

『こんなものを見せられて、この上戦うなどと。そんなもの無粋でしかありませんわ。わたくし、そこまで話の分からない女ではありませんもの』

『えっあのっ』

『だからちょっとこう、ISアーマーだけ解除して、こっちに来てくださりませんこと? 一撫で半、一撫で半で良いですから』

『セシリア⁉』

 

『半』がみみっちさを増幅させている変態淑女セシリアの両手の下からは、ぽたぽたと赤い滴が垂れていた。一夏はそれが何なのかあんまり理解したくなかった。

 

『ちょ、ちょっと待てセシリア。決闘は? クラス代表決定戦は?』

『降参いたしますわ。貴女の完全勝利です』

『待て待て待て待て‼ さっきまで真剣勝負がどうのでブチ切れてたのはどこのどいつだ⁉ っつか今「あなた」の漢字が妙じゃなかったか⁉』

『ミス織斑。受領していただけますね』

『織斑先生と呼べ、オルコット。そして降参を受理する。辞退は認めんが降参まで認めんとは言っていないからな』

『屁理屈に過ぎる‼‼』

 

 イチカは精一杯の抗議を申し立てたが、ザ・貴族とザ・世界最強がただのか弱い少女の言い分など聞いてくれるはずもなく――、

 ――こうして、イチカ以外のすべての人間にとって納得の結末を以て、クラス代表決定戦は幕を下ろしたのだった。

 

***

 

「クラス代表決定おめでとーう‼」

 

 その後、一夏のクラス――一年一組ではクラス代表決定記念パーティが開催された。パーティといってもみんなで一緒にご飯を食べるだけの簡単な会だが、クラスが一つにまとまった記念としてきゃあきゃあと各々楽しんでいるようだった。

 当然、男の一夏はそんな輪に入ることも出来ず、一人でちびちびとオレンジジュースを飲んでいる。

 ちなみに、『クラス代表就任記念』ではなく『クラス代表決定記念』なので、別に一夏のことを祝っている訳ではない。頑張ったのは殆ど俺だけみたいなモンなのに現金なもんだよ、と一夏は若干ささくれだった心でそう思った。

 そんな一夏の右手首には、白のブレスレッドが装着されていた。本来ならガントレットだったはずだが、多分女の子には似合わないという理由で変更にでもなったのだろう。

 

「一夏、そんなところで何をしている?」

「そうですわ織斑。貴方は主役なのですから、中心でもてなされるべきですわ」

「……いやね……向こうに行くと、女の子たちが土下座してくるんだよ」

 

 一夏は、微妙な表情のまま箒とセシリアに答えた。

 土下座、という言葉の異常さに、箒とセシリアは一瞬首をかしげるが――ほどなく、『ああなるほど』と納得した表情になった。こんなにすぐ納得できるこの二人もなんかやだ、と一夏は頭を抱えそうになった。

 

「つまり()()()()()が見たい、と」

「気持ちは分からんでもないな、私などは抱き付いてしまったし。あの喜びを味わえないのは不平等だ」

「抱き付いたですってそれは本当ですか箒さん‼」

 

 ぐりん‼ とセシリアが首を箒の方に回転させる。眼光が軌跡を残す程のスピードを叩きだしたセシリアはなんかもうホラー映画のバケモノのような様相を呈していたが、同レベルの変態になりつつある箒は鷹揚に頷くだけだった。一夏は泣きたくなった。

 

「出撃前のピットで、抱きしめた。照れてたのが可愛かった」

「こーなーみーかーんーでーすーわー‼‼」

「日本語を話せよお前ら……」

 

 げんなりとする一夏だったが、女生徒達はそんな騒ぎを聞きつけたらしかった。『え? 篠ノ之さんイチカちゃんを抱きしめたの?』『ガチ? 抜け駆けとかマジファッキン』『なら平等にクラス全員ハグの権利があるってことだよねぇ』『一夏は良い! イチカを出せぇ‼』などなど、好き勝手言いながら迫って行く。

 一夏は怯えながら一歩ずつ下がって行くが、やがて背後にあった何かにぶつかって足を止めた。振り向くとそこには、

 

「げえっ千冬姉!」

「織斑先生だ、愚弟」

「義姉さん!」

「お義姉さま!」

「織斑先生だ、色ボケ二匹」

 

 世界最強の姉、織斑千冬が仁王立ちしていた。

 

「ちょっと変身してハグしてやるくらい別に良いだろう。むしろ役得だぞ」

「や、役得て……。っていうか、ISの無断展開は違法でしょ、織斑先生」

「安心しろ、今しがた特例条約が国連で可決された」

「クソったれこの世界の立法制度はどうかしてやがる‼」

 

 一夏は血の涙を流しながら頭を抱えた。

 

「何で、何でこんなことに……」

「せっかくのパーティだからな。教師として、生徒のガス抜きの場を設けてやるのも悪くない」

「ガス抜きの餌に弟を使うのかよ……」

「まあそう言うな」

「……で、実際の所は?」

「イチカを餌にして今後あの連中を制御する。このクラスは少しばかりじゃじゃ馬が多すぎるからな」

 

 あまりに酷すぎる台詞に、一夏はもうツッコむ気力すら起きなかった。というか、そういう狙いがある時点で逃げるのは不可能である。きっとISを展開して逃げようとしても生身のままISアーマーをバラバラに打ち砕かれてシールドエネルギーも全部削られた上で放り込まれるのである。

 

「それじゃ、みんな危ないからちょっと離れててくれ……」

 

 一夏は、自分の貞操がこの夜が終わっても残っていることを祈ってISを装着した。光の粒子が一夏を覆い、それが消え去った時には純白のISアーマーを纏ったイチカの姿があった。

 イチカは恥ずかしそうに身を捩りながら、ISアーマーの解除を念じる。一瞬にして強固な防具が仄かな光と変わり、後にはISスーツのみ――つまりスク水ニーハイ姿のイチカが残る。世界最強の兵器の一切を喪った少女はいかにも頼りなさそうに、内股気味になりながら俯いていた。頬を僅かに赤く染め、手持無沙汰気味に手を体の前でもじもじとさせている姿は、どこか背徳的な色気すら伴っていた。

 その姿を見た瞬間、クラスの女子から黄色い悲鳴の洪水がイチカに叩き付けられる。

 

「きゃー‼ 可愛い! 可愛いわ‼ ちょっとロリなのが良い‼」

「ぺろ……ぺろ……」

「おりむー……脱ぐと凄かったんだね……」

「イチカちゃん、このくまさんを持って、上目づかいで私を見て『おねえちゃん、だぁいすきっ』って言ってくれないかな……?」

「ツインテールにしよう‼ 絶対似合うから‼‼」

「イチカさん! 撫でさせてくださいまし! 三擦り半、三擦り半で良いですので‼‼」

「イチカぁぁああああ私はもうハグしたし我慢しようと思ってたがやっぱり無理だったぞぉぉおおおおお」

「やめてくれえええええっ⁉⁉」

 

 ――当然、人の津波が発生した。

 イチカが必死に懇願しても、誰もそんなことは聞いてくれない。もみくちゃにされながらもボディタッチそのものは優しいのが彼女達変態淑女の慎み深さを感じさせるが、冷静になって考えてみればタッチしてる時点で慎み深さという言葉の奥深さを考えさせられる事態である。

 髪を優しく梳かれ、どこからともなく持ち出された熊のぬいぐるみを抱かされ、頬を三〇擦り半撫でられ、同時に八方向からベアハッグされ、二の腕だのお腹だの太腿だのとあらゆる場所を撫でられまくった。

 ……五分。

 流石にそれ以上はヤバい――自制できなくなる――と判断したのか、変態淑女の津波はそれだけの時間が経つと文字通り波が引くようにイチカを解放した。後にはもみくちゃにされていたはずなのに頬が紅潮しどことなく汗ばんでいることを除けば普通そのものなイチカが椅子に腰かけた状態で残っていた。

 もはや首を据わらせる余裕すらないのか、かくんと首を横に傾けた状態で、死んだ目をしたイチカは乾いた笑いをもらして呟く。

 

「俺、これから大丈夫かな……」

 

 ………………この状況を見て大丈夫などと嘯ける者がいたら、そいつはきっと頭のネジが何本か外れているだろう。



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第三話「織斑一夏(イチカ)の日常」

 織斑一夏の朝は早い。

 朝、起床した一夏は同居人も起き出さないうちに朝の支度を終え、ランニングに向かう。これは、クラス代表決定戦に向けて箒と特訓をしたときに、自分の体力の低下具合(と、箒との身体能力の差)をまざまざと見せつけられたことからずっと続けている。

 IS全盛となり、女子教育の質ばかりが急上昇してより一〇年弱、男は女に勝てなくて当然という風潮が既に世界には浸透しているが、一夏はそうは思わない。やっぱり男児たるものおなごを守る盾となってこそ、である。今の自分はそのおなごになってしまう身の上なのだが、だからこそ男の時くらい男らしい自分でありたいと思う一夏であった。

 ランニングが終わり、部屋に戻ると朝の六時過ぎである。この時間には既に箒は目を覚ましており、ベッドの上で制服姿で瞑想をしていることが多い。箒曰く、物質的な鍛練には限界があるが、精神的な鍛練には限界がない。ある程度の領域まで到達してしまうと、瞑想によって心を鎮める修行の方が効率が良いのだそうだ。そんな馬鹿な話があるか――と一夏は思うが、一か月前と比べて確実に強くなっているにも拘わらず箒との剣道での対決は一か月前よりボロ負けしているので、彼女は今このときもめきめきと成長しているのだろう。

 

「そろそろ朝飯に行くか」

「そうだな」

 

 瞑想を終え、携帯の画面を眺めていた箒は一夏の言葉に頷くと立ち上がり、部屋を出る一夏の後に続いた。

『何見てたんだ?』と食堂に行くまでの時間稼ぎに問いかけてみたところ、箒は『秘密だ』と意味深な笑みを浮かべるにとどまった。

 

***

 

 IS学園の食堂は大きい。そして品ぞろえが豊富だ。全世界から様々な人種、宗教の生徒がやってくるため、それに対応する必要が生まれるのである。もちろん日本食も完備しており、和風趣味(ジジくさいとよく言われる)の一夏にとってはありがたい限りだった。

 

「あら、織斑」

「よう、セシリア」

 

 一夏と箒がそれぞれ日替わり定食を手にテーブル席に向かうと、そこには金髪碧眼の令嬢――セシリア=オルコットが優雅に座っていた。セシリアのメニューはオートミールである。イギリスのオートミールは嘔吐ミールと呼ばれるほど悲惨な味わいだといわれているが、セシリアは眉ひとつ動かさずにそれを食べている。IS学園のオートミールは本場のものよりも()()()()おいしいようだ。

 

「箒さんも、おはようございます」

「ああ、おはようセシリア」

 

 セシリアは箒の姿も認めると、にっこりと花のように微笑んで会釈する。箒も不愛想な彼女にしてはかなり友好的な態度で目礼した。……どうにも最近仲の良い二人である。

 一夏は少しだけ置いてけぼりにされたような気分になり、

 

「なあセシリア、何で俺のこと『織斑』って呼ぶんだ? 女の時は名前で呼ぶのに」

「……何ですの、藪から棒に」

 

 席に着きながらの一夏の言葉に、セシリアは怪訝な表情を浮かべた。先日の『イチカ』に対する態度が嘘のような豹変っぷりである。もっともあのときのような猫かわいがりをされても一夏としてはリアクションに困るのだが、しかしあの一〇〇分の一でも愛想を向けてくれればとは思わずにはいられないほど、セシリアの一夏への態度はそっけないのである。

 

「良いですか、織斑。『イチカさん』は可愛くてか弱くて初心な女の子。『織斑』はみてくれだけは良いですが脆弱で鈍感な野郎。……なのに同じ『いちか』で呼んだら、『イチカさん』を呼ぶときにあなたの顔がちらついて上手く萌えられないではないですか。そんなことも分からないんですの?」

「お前本当に遠慮とかないのな!」

 

 酷い言われようだった。中身は同じなのにいくらなんでもこの扱いの変わりようは酷すぎると思う一夏だが、セシリアの方は世界常識を語るような顔をしているし、周りで聞き耳を立てている変態淑女たちも様子からして異論はないようだった。この世界はおかしい。一夏は切実にそう思う。

 

「なあ箒、お前からも何か言ってやってくれないか」

 

 仕方がないので、一夏は幼馴染でありこういったことについては唯一一夏の味方に回ってくれるであろう箒を頼ることにした。が、

 

「すまん一夏。この件については私も同意だ……」

「箒っ⁉」

 

 一夏の脳内で、『私だけは一夏の味方でいるから――』と決め顔で言い切った箒の姿がリフレインして、それから一夏の見ていないところで小声で『でもいつも味方とは言っていない』と言っている様が付け加えられた。この世界は厳しい。一夏は切実にそう思う。

 

「俺に安息の地はないのか……」

「女の子になれば、この学園は地上の楽園と化しますわよ?」

「それは俺にとっての安息の地じゃない……」

 

 なんてことを言いながら、朝食を口に運んでいく。セシリアもまたオートミールを口に運びながら、一夏の食べている料理を見遣る。

 

「それにしても織斑、貴方よく食べますのね」

「食べないと力がつかないからな。それに俺、男だし」

「いえ、そうではなく」

 

 セシリアは箒の方を指差す。一夏もそれに釣られて見てみるが、その量は多くない。一夏の半分程度だ。セシリアの方も、両掌でカップを形作ったのよりも小さな皿しかない。

 

「織斑もあの程度にしておくべきではなくて?」

「へ? 何でだよ?」

「……IS学園の授業の過酷さを知らないのですか?」

 

 セシリアは呆れたように言う。確かに、ここ最近は訓練やら座学やらで、実技の授業は殆どなかった。あったとしてもISの動かし方だとかそういったもので、大したものではない。

 なので一夏は訳も分からず首を傾げるしかなかった。

 

「一体、何が言いたいんだよ?」

()()()()()()、と言っているのです」

 

 セシリアは溜息混じりにそう言った。能天気な一夏もその言葉に思わず目を丸くする。それから、おそるおそるセシリアに尋ねていく。

 

「は、吐く……? って、別にフルマラソン走らされるわけじゃないだろ?」

「フルマラソンならまだマシですわ。貴方本当に知らないんですの? 履修科目の授業計画とか見ないタイプですの?」

「いや、見てたけど単元とかしか覚えてない……」

「基礎体力育成の授業第一回は全身に五〇キロの重りを身に着けてランニングしながら、ペアと格闘するのですわ。そんなに食べていたら、重りつきランニングで一ゲロ、格闘で二ゲロ、史上初の二ゲロヒロインの名を獲得してしまいます」

「…………、」

「お残しは許されないぞ」

 

 無言で朝食を終了しようとした一夏に、それまで無言で少な目の食事をとっていた箒の待ったがかかる。一夏の瞳が、絶望に彩られた。

 

「じゃ、じゃあどうすれば良いって言うんだ⁉ もう半分以上食っちまったし、この腹の調子で重りつきランニングと格闘戦をセットとか、どう考えても吐くぞ!」

「一夏、お前には二つの道がある」

 

 箒は、二本指を立ててそれを一夏に突きつける。セシリアの方も、にやにやと瀟洒な、それでいて悪い笑みを浮かべながら狼狽する一夏の様子を眺めていた。

 

「一つは、根性で頑張る道。全精神を胃袋に注いだうえで、一発も打撃をもらわないで戦う。それが可能になれば、ゲロインの汚名は逃れられるだろう」

「そもそも俺はヒロインじゃないけどな」

 

 一夏は譲れない一線に立つが、箒はそれを素通りしながら指を一本折り曲げる。残った人差し指を一夏に突きつけ、箒はさらに言葉を紡いでいく。

 

「そして、もう一つは――――」

 

***

 

 そんな訳で、一夏は校庭にやってきていた。各々ISアーマーを模した重りを装着した上で整列している。

 前に立つ千冬が、全員を一瞥して頷く。

 

「よく来た。この『基礎体力育成』の初回に遅刻してくる不届き者はいないようだな。私は嬉しい。それでこそ私の生徒達だ」

 

 笑み一つ浮かべずに生徒達を褒めた千冬に、褒められたにも拘わらず全員の意識が引き締まって行く。俗な表現だが、コンビニのトイレにある張り紙と同じだ。『トイレは綺麗にご利用ください』よりも『いつもトイレを綺麗にご利用いただきありがとうございます』の方が響きやすい。千冬の場合はそれに数百万倍ものプレッシャーを乗せているのだ。

 

「ただ――――」

 

 千冬は、そう呟いて一夏の方を見る。

 実技の授業ということで、ISに乗る訳ではないが生徒達はISスーツを身に纏っていた。ISアーマーを模した重りだからそちらの方が装着がしやすいというのと、ISスーツ自身にある運動補助性能の恩恵を受ける為だ。

 というわけで全員がスク水ニーハイ状態なのだが、一夏だけは格好が違った。流石に男のスク水ニーハイ状態は核兵器級のダメージを生み出すので、一夏だけは特例でツーピース型のISスーツが採用されているのだった。お蔭でおへそがセクシーなことになっており、おそらく正常な趣味を持つお姉さま方なら垂涎モノだったのだろうが、生憎ここには変態淑女しかいない。むしろ『笑止! 生ヘソなど時代遅れ、ぴっちりと身体に纏わりついたボディスーツ越しに見えるシルエットのみのおヘソこそ至高の芸術よ!』と唾棄する猛者が現れる始末である。

 

「……」

 

 そして千冬もまた、そんな変態淑女の一人――いやむしろ頂点である。一夏が女体化していないことにそこはかとなく残念そうな表情を浮かべ、それから説明に戻った。

 

「――この授業はハードだ。ISスーツを身に纏っていても重りは負担だろう。しかも、その重りは盾として機能しない。衝撃を一〇〇%伝達する素材で作られているから、生身で殴られたのと同等のダメージを受けることになる」

 

 要するに、当たり判定が広くなっただけ――ということだ。だが、シールドエネルギーは基本的にISアーマーさえも覆うように展開される。防具だからと軽視していると痛い目を見るのがISの戦いなのである。

 

「学生だから、授業だからとナメてかかるな。お前達は倍率一万倍の中から勝ち抜いて来た選良であり、どのような形であれ国の未来を担うことになる英雄の卵だ。――――私は、それに相応しい成果を期待している」

 

 そう言って締めくくった千冬の言葉の後、数瞬だけ無言が続く。全員が、気圧されていたのだ。変態であると同時に、猛者。一夏はこの数秒で千冬株が乱高下を繰り返していることに戸惑いを隠せずにいた。

 しかし、その沈黙はすぐに打ち破られる。千冬が全体を一瞥し終えたと同時に、気圧されていた少女達の精神は再起動を果たした。

 自分達の国の、未来の為に。

 この人の期待に、応える為に。

 そして何より、自分達に相応しい成果を残す為に。

 ――――全身全霊を尽くす‼

 

『はいっっっ‼‼‼‼』

 

 千冬の演説の前とはまるで別人のように目の据わった少女達が、臨戦態勢に入る。

 そんな中で、一夏はおずおずと手を挙げた。興が削がれたのか、多少不満そうにしながら千冬がそれに応対する。

 

「――何だ織斑」

「あの……実は」

 

 じろり、と少女達の視線が一夏に集中する。睨んでいるつもりはないのだろうが、全員が全員目を血走らせている為、非常に精神的に重圧がかかる。こんなことなら言いださなければ良かった、と思いつつ、でもそうしたらゲロまっしぐらなのでどうしようもない。

 それもこれも、あんな解決法しかないからいけないのだ――と一夏は朝食時の一幕を思い返していた。

 

『もう一つの道――それはだな』

 

 あれほど嫌がっていたのに、こんなことを言いださなければならないとは――と考え、むしろ『この程度』でその決断に踏み切ることができるようになっていた自分の心境の変化に、一夏は苦笑する。

 

「えっと、ISの展開を許可してもらいたいんですけど……、あ、勿論武器とかそういうのはナシで、ただ変身するだけで良いんで……」

 

 一夏は、慌てて付け加えつつそう言った。

 本来、ISの展開というのはただ武装を呼び出すという意味でしかない。しかし、一夏にとっては『体の変革』を意味する。量子化された時点で『一夏』の身体は記録され、それを元に女体化した『イチカ』に作り替えられるのだ。勿論、だからと言って体の中にある朝食が消えるわけではないし、吐くリスクがなくなったわけではないのだが、ISの武装がなくとも、ISエネルギーは装着者の運動をサポートし、体力も劇的に向上する。気合で吐き気を抑えることもできるようになるし、殴られても吐く心配はないという訳だ。

 尤も、そうなれば重りのハンデもかなり意味を減ずるし、何よりセシリアはISを展開していないのに一夏だけがISを展開するというのは多分に不公平である。その為、許可される見込みはないだろうことは一夏でも分かっていた。そこをどうしても頷かせる為、一夏は誠心誠意頭を下げ続けるつもりだったが……、

 

「許可しよう」

 

 千冬はあっさりとOKを出した。

 その言葉を聞いて、目を血走らせた女戦士たちが一気に野獣の風格を身に纏う。一夏はまだ男の状態だというのに背筋に寒気が走った。

 

「ただしその代わり、重りは一般生徒の倍だ。重さが増える上に当たり判定も広がる。総合的には多少不利になるくらいだが……それでも良いな?」

「も、勿論ですっ!」

 

 一夏としては、ゲロさえ吐かなければ何でもいい。むしろ厚着は視線を避ける為に使えると思ったため、こくこくと頷くばかりだった。

 

***

 

「ぶぅ……死ぬぅ……」

 

 そんなこんなで。

 何とかゲロインの名を賜ることなく任務をクリアしたイチカは、死にかけと言った風体でグラウンドに転がっていた。既に防具(拘束具とも言う)は取り外しており、あたりには淑女たちがヘバっているイチカの様を鑑賞していた。

 

「ほらイチカ、ちゃんと立つんだ。千冬さんにどやされるぞ」

「う、うん……」

 

 やっとの思いで起き上がったイチカは、周囲を見渡してみる。

 ……変態淑女たちは、疲労の色こそ見せているものの、概ね元気そうにしていた。少なくとも、今にも気絶しそうなくらいへばっているのはこの場でイチカだけだ。

 

(男なのに……情けないな)

 

 そもそも今のイチカは女だし、体質的には女性の方が苦痛に対して耐性があるという研究結果も出ているくらいなのでイチカの思考は時代錯誤もいいところなのだが、それはそれとして、オトコノコとしてはオンナノコよりも体力面で劣っているというのは悔しいものなのだった。

 男尊女卑というのは概ね悪徳の塊ではあるが、一方でこうした『強い男だからこそ発生しうる義務』という側面も存在しているのだ。尤も、男尊女卑の悪徳が是正されつつもそうした美徳だけが残ってしまった結果に生まれたのが、現在の女尊男卑の世の中なのだろうが。

 ちなみに、この結果はイチカが彼女達変態淑女一同に劣っているという訳でもない。何せ、変態淑女一同は『イチカ』というエネルギー源がすぐ近くにある状態で活動しているのだ。当然、回復ポイントが一切ないイチカとでは余力の差は天と地ほどもある。

 身も蓋もない表現をすると、この場でギャグ時空じゃないのはイチカだけ、という話だった。

 

「みな集まったようだな」

 

 そこに颯爽と現れたのは、教官の千冬だ。

 彼女の登場と同時に、試練を乗り越えてどこか緩んでいた場の空気が一気に鋭さを増す。イチカも、それに押されるようにしてすっと背筋を伸ばした。

 

「はっきり言って――今回の訓練は『まるで駄目』だ。私の求める基準は、私が見極めた貴様らの真価は、こんなものではない。だが……気を落とすことはない。貴様らはまだ卵の殻すら破っていない雛鳥未満であって、まともに動けることなど最初から期待していない。だから――『次』を考えろ。この次、今回の二倍、三倍の成果を出せるようになれ。その為に、今この瞬間から努力に励め。それが祖国から選ばれた選良である貴様らの義務だと考えろ。――以上だ、解散ッ‼」

「ありがとうございましたっっっ‼‼」

 

 千冬の演説めいた言葉に一斉に礼をした一同は、そのまま各々後者へと戻って行く。

 

「はぁ……」

「どうしたんですか? 元気ないですわね、イチカさん」

 

 改めて自分の現状を再確認したイチカが肩を落としていると、後ろから声がかけられた。

 セシリアだ。彼女は遠距離戦専用のISを専門に扱っている為、近距離戦の経験値に関しては不得手のはずだったが――それでも尚、彼女に疲労の色は見られない。もしも彼女が何故かと問われれば、『それはわたくしだからですわ!』と胸を張って応えただろう。意味不明だが、それがセシリア=オルコットという少女の強さでもある。

 

「いや、地力の差っていうのを思い知らされたっていうかさ……そうだよな、此処にいる人たちって、此処に来る為に血のにじむほどの努力をしてきて、そして今もしてる人達なんだよな……」

 

 変態だけど……という言葉は呑み込み、その事実を再確認する。

 イチカはたまたま男だけど適性があったからこの場にいるだけで、それはやはりとても歪なことなのだろう。全く悪くないのだがにも拘わらず、それでもろくに努力をしてこなかった自分がこの場にいるというだけで罪悪感を感じてしまうあたり、イチカは真面目な性格なのだろう。

 

「そうですわね。――そんな連中の中に突然放り込まれたというのに、イチカさんはよく頑張っていますわ」

 

 セシリアは優しげな笑みを浮かべ、イチカの頭を軽く撫でる。

 イチカは少しくすぐったく感じたが、セシリアの心遣いが嬉しくてそのまま撫でられるがままにしていた。

 

「イチカさんが自分の現状を後ろめたく思う必要はないのです。確かに彼女達はこの場に立つ為に数多の苦痛を噛み締めて来ましたわ。ですが、それはイチカさんも同じこと」

 

 さらりと、イチカの細い髪の間を、セシリアの指が通って行く。髪を梳かれるような感覚が心地よくて、イチカは歩きながら目を瞑った。

 

「それに、ご理解できていて? 地力の差がある分、貴女は――これからそれに匹敵する苦痛を、『この場に立ち続ける為』に味わわなくてはならないのです」

「それは望むところだ。でも……」

「……ふふっ。それが言えるなら、十分すぎますわよ」

 

 しばっ‼ とイチカの頭上辺りで何かが高速で通過する音が聞こえたが、イチカは気にせずに前を向いて歩く。

セシリアは、疲労で遅いイチカと歩調を合わせるのをやめ、数歩前に出た。

 

「理不尽に押し込められた現状を嘆く権利と資格だって、貴女は有している」

 

 前に出たセシリアは、こちらに背中を向けたままにそう言った。

 彼女の言ったことは、この学園にやってきた当初のイチカそのままの姿だ。ちなみにこの時のイチカ(一夏)をセシリアは戦う気概のない愚図とばっさり切り捨てたが、そこはそれである。

 

「しかしそれを放棄し、前に進む決断をした。それだけで十二分ですわ。それ以上は貴女を追い詰めるだけ。必要のない自負というものですわ。尤も、このわたくし並に有能であれば、適切な自負といったところでしょうが」

 

 そんな言葉を残して、セシリアは先に歩いて行った。

 イチカはそんなセシリアの後ろ姿を、眩しいモノでも見るように目を細めて見送り――それから、グッと目に力を入れ直して、校舎へと走り去って行った。

 

 ……途中でイチカの頭に垂れそうになった鼻血を手刀で弾き飛ばしたり、流血を隠す為に横並びで歩くのをやめたりといったことがなければ完璧だったのだが、悲しいかな、この作品は変態ギャグコメディである。

 

***

 

「お邪魔いたしますわ、箒さん」

「ああ、上がってくれ」

「あのー……セシリアさん? 一応俺もいるんだけど」

 

 夜。

 自室で寛いでいた一夏は、セシリアを自室に迎えていた。というよりは、箒がセシリアを迎えていた、といった方が正しいが。

 この一か月弱で親交を深めた二人の変態淑女は、こんな感じで互いの自室に一方を呼び合ったりしているのであった。一夏としては自分という男がいるのだから素直にセシリアの部屋に行ってほしいと思わなくもない。

 ちなみに、箒の部屋にセシリアが向かうのには理由がある。単純な話で、何度も通い詰めているうちに一夏が居づらい空気を打開する為に自分から女にならないかと期待しているのだ。その為に、色々と向かうたびに一夏を口説く為の文句を並べ立てていたりする。

 

「セシリアはほんと、俺に対して冷たいよな……」

「織斑が男だからいけないのですわ」

 

 はぁ、と溜息を吐く一夏を、セシリアはばっさりと切り捨てる。同一人物でも性別によって扱いが変わると言うのは、ある意味女尊男卑の極地でもある。

 

「なあ一夏、セシリアも言ってるが、女として生活してみる気はないのか? 案外慣れれば楽かもしれないぞ。ISの補助とかも得られるし」

「いやだよ‼ 何が楽しくて男なのに女として生活しないといけないんだ‼」

「だが、女装癖の人とかもいるし、女として生活することを望む人が全くいないわけではないとも……」

「少なくとも俺はないわ‼」

 

 生憎、一夏はノーマルなのでそういうのはごめんなさいなタイプなのであった。

 

「そういえば、この間言っていましたが織斑は温泉が好きなのですよね?」

 

 箒のベッドに寝転んだ状態のセシリアは、そう言って隣のベッドで肩を落としている一夏を見る。パジャマ姿なのも相まってそこはかとなく艶めかしい絵面だったが、常日頃からセクハラ被害を受けている一夏としてはブービートラップにしか見えない。まかり間違って何か問題でも起こそうものなら、それと交換条件に女としての生活を余儀なくされかねない。ラッキースケベなどもってのほかであった。

 

「温泉っていうか、風呂全般だな。此処の大浴場も入ってみたかったんだがなぁ……」

「入れる方法、ありますけど」

「なんだとっ⁉」

 

 さらりと言ってのけたセシリアに、一夏の目の色が変わる。一夏は無類の風呂好きで、卒業したら全国温泉巡りでもしたいと思うくらいの勢いなのであった。じじくさい。

 セシリアは一夏が食いついて来たのを見て、笑みを浮かべて身体を起こし、ベッドの上に座り直す。備え付けの机に座ってカメラの手入れをしていた箒の口元にも、笑みが浮かんだ。

 

「簡単なことですわ――――女になればよいのです」

「ぬむぅっっっ⁉⁉⁉」

 

 想定外の方向からのアプローチに、一夏は思わず武将みたいな呻き声を上げる。

 

「現状、男の貴方の為だけに浴場の使用時間を整備することは不可能ですわ。ですが、貴方が女として浴場を利用するのであれば、何の問題もなくなりますわ」

「いやいや待て待て、問題ならありまくりだろ。ガワが女でも中身は男なんだから……」

「そう言うと思って、全校生徒及び教職員の意識調査アンケートを(おこな)ってみましたわ。テーマは『イチカさんの浴場利用について』。そしてその回答をまとめたフリップがこちら。どん」

「用意が良いなお前‼」

 

 どこから取り出したのか、ニュース番組なんかで使用されるようなフリップを引っ張り出したセシリアは、そのままそれを膝の上に乗せる。

 フリップには何やら票差が圧倒的なグラフと共に、こんなことが書かれていた。

 

『イチカさんの浴場利用についてどう思われますか』

 お金を払ってもいいから実現してほしい 70%。

 大賛成 25%。

 賛成 5%。

 

「え⁉ いや、ちょっと待って⁉」

「何ですか織斑。そんな驚く結果でもないでしょう」

「いや驚くわ‼ 賛成100%どころかなんかそれ以上の結果を叩きだしてるじゃねえか‼」

「支持率100%ですわよ。このまま生徒会長になれるレベルですわ。喜びなさい」

「ひとっつも喜べる要素がねえっつってんだよ‼」

「ちなみにミス千冬はお金を払ってくれるそうです」

「千冬姉ェェェええええええええええええええええええええええええええええ‼‼‼‼」

 

 一気にツッコミどころをぶっこまれた一夏は、絶叫したのちに叩き込まれた情報の整理に追われた。

 

「はぁ、はぁ……周りが良くても、俺が困るんだよ……周りに裸の女の子がいるとか、目の毒すぎる」

「あら、意外とウブなんですのね……モテそうなのに」

「モテねえよ。むしろ昔から女には嫌われやすくて……何故かよく怒られてビンタされるんだ」

「女の敵ですわね」

 

 バッサリと切り捨てられた朴念仁はさておき、セシリアはずいと身を乗り出した。

 ちょうどパジャマの開いた胸元が一夏の目を惹き、慌てて視線を逸らす。

 

「なんでしたら……()()()()()()()()()()?」

「なっ⁉」

「勘違いしないでくださいまし。貴方が変身して自分の全裸を鏡で見るということですわ」

「……良いけど、お前らはその間どうしてるわけ?」

「…………」

「…………」

「黙るなよ‼ そして鼻を押さえるな! カメラを構えるな!」

 

 なんか変態性が固定されつつあるんじゃないか? という疑念を抱きつつも、一夏は貞操と男としての尊厳を守るために徹底抗戦する。

 

「大体だな、ちゃんと部屋に風呂があるんだから浴場に入れないのは勿体なくはあるが別に我慢できないわけではねえよ。女になるくらいなら我慢する」

「ところがですね、実はそうはいかないのですよ、織斑。理由を此処にどん」

 

 セシリアがそう言うと、傍らに待機していた箒が箱をぽんと取り出して置く。どすん、と重い音が聞こえて来る。さっきもそうだが何もない所からものを取り出すのは世界の法則が乱れるからやめてほしいと切に願う一夏なのであった。

 

「で、これは?」

「募金箱ですわ」

「……は?」

「ですから、募金箱ですわ」

 

 唐突な慈善事業に、一夏は事態の把握が一気に困難になる。

 

「先程のアンケート結果で、『お金を払うからイチカさんの浴場利用を実現してほしい』という結果が圧倒的だったので、試しに『実現してみせるから募金をお願いします』と言ったら、箱いっぱいに」

「一体いくら入れてるんだよ……。こんなに小銭が入ってたら、ちょっとした凶器になるんじゃあ……?」

「いえ」

 

 そう言って、セシリアは指を鳴らす。既にアシスタントと化した箒が阿吽の呼吸で箱の蓋を開くと、

 

「小銭ではありません。札束ですわ」

「どういう世界観だコレ‼」

「これはほんの一部です。既にちょっとした国家予算レベルの募金が集まってしまっているのですわ。わたくしとしても、織斑が嫌だと言ったからって諦めるわけにはいかないのです」

「テメェの問題だろそれ‼ 全部持ち主に返して謝って来い‼ 俺は知らねえぞ‼」

 

 一夏は立ち上がって精一杯に訴えるが、とうの箒とセシリアは二人して『何言ってんのこの人……』みたいな顔をしているのであった。あまりにも酷すぎる。

 

「そんな金があるんなら、普通に新しく俺用の浴場を作ってくれたって良いだろ! 募金を有効利用してるじゃないかそっちの方が!」

「自分の為にお金を使わせるとか、貴方はなんて恥知らずですの……?」

「そのために集めた募金だろうが‼‼」

 

 そもそもセシリアもイチカの裸見たさにやっているので自分の為にお金を使おうとしていることに何も変わりはないのであった。

 

「とにかく‼ 絶対に嫌だからな俺は! もう知らん!」

「ところで、先程小銭がたくさん入っていたら凶器になると言っていましたが、紙でもこれだけ大量に詰まっていれば十分凶器になったりするのですが……」

「募金の有効利用(物理)⁉」

 

 ……。

 …………。

 …………分かった……変身するから……。

 ……………………。

 …………………………いやぁー……助けてぇー……。

 

 こうして、織斑一夏の夜は更けていくのだった――。



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第四話「ファッキン国連(byイチカ)」

「……はぁ」

 

 四月下旬、昼前の教室。

 机に頬杖を突いてぼうっと前を眺めている少女がいた。艶やかな黒髪を肩甲骨のあたりまで伸ばした、『超』のつく――と表現して良い美少女である。ただし、形の良い眉は今は不満げに顰められ、意思の強さを感じさせる潤んだ黒曜石のような瞳も今はぼんやりと虚空を眺めるにとどまっていた。

 

「イチカさん」

 

 ワンピース型の純白の制服に、同色のニーソックスと革のブーツ……IS学園の女子制服を身に着けたその少女に、ふわりと涼しげな風のような声色の呼び声がかかる。胡乱げな眼差しでそちらを見ると、金髪碧眼のお嬢様然とした美少女がそこに立っていた。

 

「……セシリアか」

「不満そうですわね?」

「当然だろ」

 

 少女――イチカはそう言って、溜息を吐くように俯いた。

 イチカの法律的な性別は、男だ。

 といってもこれは彼女が女装しているとかそういうわけではなく、()()()男である、という意味になる。彼女――あるいは彼――はどういうわけか、ISを装着すると女になってしまうのであった。男でISを起動させられるのはそもそもイチカただ一人なのでそれが彼の体質なのかどうかは定かではない。ただ、イチカがそんな自分の身の上を疎ましく思っていることは確かだった。

 話は戻るが、そんな彼女が女の姿をしているということは、既にISを展開しているという意味である。しかし、彼女の周囲にISを世界最強の兵器にまで押し上げた兵装たちは存在していない。

 

「股がすーすーする……」

「女の子はみんなそうですわ」

「俺は男なんだって……」

 

 加えて言うと、初めての女子制服に戸惑いまくりだった。ISスーツは、確かに違和感があるといえばあるのだが、水着という意識があるからか、自分のヴィジュアルさえ想像しなければ問題はない。ただ、女子制服はスカートのひらひら感や空気の流れがダイレクトに直撃するので、なんかこう落ち着かないのである。

 

「そういえばイチカさん、下着は?」

「え? つけてないけど?」

「ノォォおおおおおおおおおおおおおおウッッッ⁉⁉⁉」

「ひえっ⁉」

「いや待てセシリア! つまり今イチカはノーパンノーブラ! そう考えればこの状況は我々にとってチャンス……っ‼」

「いや、あの……」

 

 一気に二人のボルテージが急上昇したほか、クラスで何気なく談笑していたフリをして三人の会話を窺っていた全生徒の眼差しが野獣の眼光に変貌した。特に黒板付近にいた生徒の目つきがヤバい。現在イチカのスカートの中身は教壇によって隠されているのだが、あの目は気合で教壇を透視しかねない眼力だった。イチカは自分がオオカミの群れに放り投げられた一匹のヒツジであることを否応なしに自覚せざるを得なくなる。

 

「そうじゃなくて、ISスーツを下に着てるから……な?」

「……けっ」

「……興醒めだ」

 

 イチカがそう言うと、セシリアと箒のテンションは急降下した。ガタガタっと立ち上がっていたクラスメイト一同も、すぐに席についていた。しかも今度は談笑しているのではなく無言である。イチカは原因不明の罪悪感に襲われた。理不尽である。

 なお、ある種の属性――『制服の中にスク水を着て、あたしってば天才! って思っていたけどプールの後ノーパンノーブラになってしまい涙目になってるお馬鹿な少女って可愛いよね』という信念を持っている派閥は、ここぞとばかりにその良さを周りに説いていたのだが、ISスーツはスク水っぽいが実質的にはスク水でない為あまり効果を成していないようだった。

 

「…………」

 

 イチカにはばっちりと聞こえており、そのせいで彼女の精神力をガリゴリ削る要因になっていたが。

 

「ともあれ、イチカさん。これから一日中過ごすというのに、下着がISスーツなんてよろしくありませんわ」

「でも、山田先生はISスーツはおっぱいの形を整えてくれるし下着としても利用できたりするって言ってたぞ、……セシリア?」

「おっぱ、イチカさんが、おっぱ…………」

「……箒」

 

 セシリアは鼻から興奮の証を迸らせたまま何かイケない世界にトリップしてしまったようなので、イチカは箒に話を向けてみることにした。セシリアに比べればまだ箒の方が良心的である。が、

 

「イチカのおっぱいは形が崩れるほど大きくないから大丈夫だぞぉー」

「ひぃぃぃっ⁉⁉ もっもっ、揉むなぁ⁉」

 

 なんかもう既にセクハラにかかっていたので、イチカは顔面蒼白になりつつ飛び退いた。武装がないとはいえISを展開しているからか、座った姿勢から一歩で二メートルは引き下がる。驚きの回避速度だった。

 胸を揉まれたから恥ずかしい、で顔が赤くなる段階ではなかった。恐怖、恐怖である。胸を揉まれても甘酸っぱいカイカンなんて走らなかったしむしろ怖気をおぼえる。痴漢された女の子ってこんな気分になるのか、とイチカは自分の身を心もとなく思った。

 ……普通、こういう女の子の身体ってか弱いんだねという実感は見知らぬオッサンに電車で痴漢されたり街で不良にナンパされたりして発生するイベントなのだが、何故幼馴染でそんなイベントやってんだ? とクラスの変態淑女たちは思ったが、眼福な光景であることに変わりはないので拝みつつ観察することにした。

 かくして、幼馴染に胸を揉まれて顔面蒼白になりつつ飛び退く性転換少女をクラス全員で拝む、という奇妙な絵面が生まれたのだった。新手の新興宗教である。

 

「……こほん。復活しましたわ」

 

 ティッシュで色々と後処理をしつつ、セシリアが再び顔を上げる。

 

「セシリアの方が良心的だって、俺やっと分かったよ……」

「当然ですわ。YESロリータ、NOタッチ。英国淑女の嗜みですもの」

 

 お前は撫でまくってるけどな、とは、話がこじれそうなので言わないでおいた。目前にツッコミどころがあった為、自分がロリだと認定されていることに気付けていないのは、幸運なのか、不運なのか。

 

「ともかく。あのロリ巨乳眼鏡のトリプル役満女の言うことなんて真に受けてはダメです。アレは教職に就くような年齢になっても男に免疫のない、言ってしまえば彼氏いない歴=年齢のこじらせ女子なのですわ! あんなのに彼氏が出来るなんて今日び少女漫画の世界だけですわ!」

「ああ。山田先生はIS教育が整備されてからの人だから、ずっと女子校で過ごして来た人なんだ。私は様々な学校を転々としてきたから知っているが……女子校の女子は、女子ではない。バイオゴリラだ」

「お、おう……」

 

 ジャングル メス オスト カワラナイ。ミンナ ビョウドウニ ゴリラ!

 今の箒の発言で女子高出身の変態淑女――全体の八割が薙ぎ倒されていたが、事実だし女子校の女子も半ばそれを自虐ネタとして使っている節があるので何も言い返せないのだった。女子校の女の子はお嬢様言葉で薔薇や百合の花が舞い散るような生活なんだろうなぁと純粋無垢なイメージを浮かべていたイチカは夢が壊されるような気持ちがした。

 

「だからな、イチカ。お前もそんなバイオゴリラ系女子になりたくなければ、ちゃんと下着は身に着けよう」

「身に着けようも何も、俺男だからパンツもブラも持ってないよ」

「…………っっっっ‼‼‼‼」

「…………っっっっ‼‼‼‼」

「なんで想定外でしたみたいな顔してるんだよ…………」

 

 大きく目を見開いて絶句している変態淑女二匹を前に、イチカはやれやれといった感じで額に手をやった。

 

「では、買いに行きましょう!」

「そうだそうだ、私達も一緒について行くから下着選びも安心だぞ!」

「え、いやだよ」

 

 イチカは素で断る。

 性転換イベントにありがちな下着&婦人服購入イベントのフラグが叩き折られた瞬間だった。クラスのメンバーも、この展開には落胆が隠せないようである。雰囲気が質量を持ったかのように重苦しい空気が流れて来る。

 しかしイチカはそんなことには気付かずに、さらに言葉をつづける。

 

「だってお前ら、絶対着せ替え人形にするもん。ISスーツの替えは何着かあるから、それを使い回せば別に良いだろ」

「ぐぬぬ……」

 

 実際その通りなので、セシリアも箒も何も言えなかった。

 

「それに俺、今はこんなんだけど、一応男だからな……? 練習期間中だからこうやって女として過ごしてるけど、それもクラスマッチまでだからな……?」

「それは違いますわイチカさん。今はそうかもしれませんが、今後そういうことが必要になる可能性はいくらでもあると思います。たとえば将来、よき男性との出会いに恵まれたイチカさんが男としての性を捨て、女性として生きる決意をしたときにISスーツを着てるずぼらな女って……みたいな感じに」

「ならねえよ‼ そもそも男のことを好きになったりもしねえ‼‼」

 

 男としては最悪な部類に含まれるであろう妄想に、イチカは思わず吼えた。想像するだに鳥肌の立つ光景だった。恐ろしい、と言わざるを得ない。そんな未来になるくらいなら舌を噛んで死ぬ、とイチカは思った。

 ……そんな風に必死に否定するとフラグになるぞ? とそんな一部始終を見ていた変態淑女一同は思う。世界は今日も平和だった。

 

「だいたい、何でわざわざ女子の制服に着替えてまで女の姿で過ごさなくちゃならないんだ……」

「……もう一度説明しなくてはいけませんか?」

 

 むすっとした調子で言うと、セシリアは若干必死な様子で腰を曲げて、座っているイチカに目線を合わせる。子ども扱いされていると思ったイチカはさらに苦々しい表情を浮かべるが、セシリアは気にせずに頬を片手ですりすりと撫でた。

 何だかんだ言って、セシリアは今朝から機嫌がいい。おそらくイチカがずっと女の姿をしているからだろう。

 どうにも納得のいかない気分を味わいつつ、イチカは自分がこうなった経緯を思い返していた――――。

 

***

 

「はっきりと言いますわ、織斑。貴方はこのままだとクラスマッチで確実に敗北します」

「んなこたあ俺が一番分かってんだよ何で辞退しやがった‼」

 

 ――前日の夜。いつものように一夏(というより普段は箒目的なのだが)の部屋に乗り込んできたセシリアは、開口一番人差し指を立ててそんなことを言った。一夏はすぐさま反駁したが、女子というのは都合の悪いものごとはシャットアウトできる高性能な聴覚を持っているものだ。まさしく聞く耳なかった。

 ちなみに、彼の同居人である箒はと言うと、ベッドに寝転がってイチカのあんな姿やこんな姿を納めた写メの数々を眺めてしまりのない笑顔を浮かべていた。既に削除させようと試みた一夏であったが、それは無謀な挑戦だった。むしろ消そうとするたびに写真が倍になっていくという悪夢を目の当たりにした一夏は『見て見ぬふり』を覚えて一歩大人になった。

 

「いつまでも終わった過去に拘泥しても仕方ないとは思いませんこと? であれば、わたくしは貴方を短時間でクラスマッチに通用するレベルの操縦者する為の努力を惜しみません」

「お、おう……」

「――勘違いしないでくださいまし、織斑。貴方の為ではなく、イチカさんの為に動くのですわ」

「(どっちも俺なんだけどなぁ……)」

 

 しみじみと呟いた一夏だったが、多分そんなことを言ってもセシリアの態度は変わらないのだろう。チョロいくせにチョロくない、と一夏は残念な気分に陥った。

 

「でもさ。いっくら俺が努力したって、他のクラスでクラス代表に選ばれるような連中だぜ。一か月やそこらのトレーニングでどうにかなるもんかよ? セシリアみたいな実力者がわんさかいるんだぜ……」

「人を甘く見ないでくださるかしら? わたくしほどの操縦者など、IS学園全体を探しても片手で数えられる程度にしかいません。このクラスが特別なのですわ。他のクラスに散らばっている代表候補生は、四組の日本代表候補生ただ一人。他は、企業のテストなどでISを精々二〇〇時間程度動かしているだけのひよっこばかりです」

「……つまり、二〇〇時間程度のアドバンテージならひっくりかえせる、と?」

「凡人では不可能でしょうね。ただし、イチカさんの才能とわたくしという名コーチがいれば可能ですわ」

 

 胸を張って、セシリアはそんなことを言った。あまりにも驕り高ぶった発言だが、しかし彼女にはそれを可能とするだけの技術と能力が備わっている。そのセシリアに言われたのだから、一夏も何となく気圧されて頷くしかない。

 しかし、そこで待ったをかける人物がいた。それは、先程までベッドでごろごろしながらイチカコレクションを整理していた箒その人だった。

 箒は、先程までのにやついたしまりのない表情などどこかに(ほう)り捨て、真面目な表情で語る。

 

「セシリア。イチカの戦闘スタイルは明らかに近接戦だ。遠距離型のお前では適切なコーチができるとは思えん。分業を提案したい」

「では、そういたしましょう、箒さん。貴女では手の届かない基本操縦技術はわたくしが。近接戦については貴女が教えればよろしい」

「俺の目の前で俺をよそに俺の強化プランが組み上がっていく……」

 

 一夏は呆然と呟いたが、それで話が止まるわけでもなかった。それに一夏も満更、心強い気持ちがある。敵に回ると厄介この上ない変態淑女だが、こういうときには言うことに従っておくべきだろう。何だかんだ言って、彼女達はISのプロフェッショナルでもあるのである。……箒に関しては、専用機を持たない一般生徒だが、多分実姉から何らかの手ほどきは受けているのだろう。多分。

 

「では、織斑。クラスマッチに向けて貴方に一つ、基本的な訓練メニューをお教えいたします」

「お、おう!」

 

 ついに来たか――と思い、一夏は思わず身構える。そんな彼をよそに、セシリアはまるで女教師の様に朗々と言葉を並べ立てていく。

 

「現状、貴方にとって最大のネックは『起動時間』です。まず何よりも経験が足りない。技術などわたくしから言わせてみれば五十歩百歩ですわ。こんなものはすぐにでも塗り替えられる。ただし、機動時間、経験はとにかく動かすことが第一。こればかりはわたくしの力を以てしても如何ともしがたいです」

「そ、それで、その経験を埋める為には……?」

「ええ、それはですね」

 

 セシリアは勿体つけて言葉を区切り、

 

「織斑。貴方は明日からクラスマッチの日まで、一日中ISを展開して過ごすのです」

 

 …………………………………………………………………………。

 

「……ぐふ。一日中イチカさん。ぐふふ」

 

 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 

「はァァあああああああ⁉⁉」

 

 口端から欲望が垂れ流れるのを抑えきれないセシリアに、一夏は絶叫という形でツッコミを入れた。

 

「うるさいですわよ織斑ミス織斑が騒ぎを聞きつけてこっちに来ますわ」

「でっ、でもっ、女のまま過ごすなんて……」

 

 声を小さくして再度抗議する一夏。セシリアは口端から流れる欲望を軽く拭い、自信満々で言う。

 

「それが最短ルートですわ」

「いや、そもそもISアーマーを使ってないと何の意味もないだろ? 日常的に展開する以上、武装を出すわけにはいかないから、結局無意味じゃないか?」

「そうでもないですわよ? アーマーを展開していなくともPICは機能していますし、何よりISが貴方のデータを取り込んで動きを最適化してくれますから。とにかく、IS上達の近道は長く機体を起動させ続けることなのですわ」

「ううっ」

 

 はっきり言って一夏は専門外なので、こうも立て板に水を流すようにまくし立てられると、それが正しいのかどうか分からなくなってくる。ただ、セシリアは変態だが誇り高い。自分の得意分野のことで嘘をついて一夏を騙すようなことはしないだろうと思うことにした。

 ただ、だからと言って女の子として過ごすのを認められるわけではない。

 

「っていうか、たとえ武装を出してなくてもISを学園で展開するのってヤバいんじゃないか。色々と法律に抵触するだろ?」

「その点は問題ありません。先ほど国連で特例条約が可決されましたので」

「国連んんんんんんんんんんん‼‼‼」

 

 そういえばこういうノリだった、と一夏は血涙を流して頭を抱えた。ISの無断展開は罪になるんだったよね? あれー? と思うが、考えても仕方が無い問題というのもある。一夏は気にしないことにした。

 だがやはり女の子になるというのは一夏にとっては受け入れがたい。先日ゲロの危機の為に仕方がなく授業時間中に使用したが、あの時も散々な目に遭った。なるべくならもう二度とISには乗りたくない一夏である。

 

「っていうか、そもそも俺はわざわざそんなお膳立てなんかしなくたってちゃんと動けるぜ。山田先生の突進も回避したし」

「……では、試してみますか?」

 

 なのでそもそもの前提から突き崩しにかかった一夏に、セシリアは挑戦的な笑みを浮かべる。むしろ、その方向に持って行こうとしていたとでもいうかのように。望むところだ――と考えた一夏だったが、生憎この時間にはもうアリーナは閉まっていたし、それに専用機持ちといえどアポなしでアリーナを使うのは難しい。……既に負けん気を刺激されて思考を誘導されていることには、単純な彼は気付けない。ついでに言うとこうして言動のパターンを記録していくことで女の子の時に円滑にセクハラを進める方法論を構築するという策略にも、純粋な彼は気付けない。

 

「ご安心を。アリーナをわざわざ使わずともやりようはいくらでもありますわ。たとえば、ISのコアネットワークを用いた複数コア演算による仮想模擬戦とか」

「え、ええっと、よく分からないけど、それをやれば良いんだな?」

 

 そう言って、一夏は右腕を突き出す。その手首に嵌められた待機状態の白式がきらりと輝く。

 

「設定はわたくしが行うので、貴方は指示に従ってください」

「ああ、分かった……、」

 

 言いながら眼前に現れたウィンドウを操作すると、一夏は一瞬目眩を感じた。

 頭を揺さぶって再度あたりを見渡すと、そこはすでにアリーナになっていた。

 

『これより、仮想模擬戦(ヴァーチャルトレーニング)を開始いたします。双方準備を行ってください』

 

 電子音声によって我に返ったイチカは、そこでやっと声を発した。

 

『……白昼夢?』

『正確にはその原理を利用した仮想模擬戦(ヴァーチャルトレーニング)ですわ、イチカさん』

『セシリア? ……ってうお! 女になってる⁉』

『ISを展開するのですから当然ですわね。それより、模擬戦ですわ。準備はよろしくて?』

『……、おうっ!』

 

 イチカは威勢良く構える。それを認めたセシリアは柔らかく微笑み、

 

『わたくしの兵装はこのビット。第三世代機ブルーティアーズのキモですが……今日はおためしですので、こちらのライフルだけでお相手しましょう』

『……油断して、あとで吠え面かくなよっ……!』

『――油断ではありません。「自負」ですわ」

 

 そのやりとりを合図に、二機は動き出した。イチカも言うだけはあり、高等技能である瞬時加速(イグニッションブースト)をいとも簡単に使用し、手に持ったビームサーベル――情報によると雪片・弍型と言うらしい――を振るおうとセシリアに肉薄してくる。

 並の操縦者であれば、虚を突かれて一撃もらっていたかもしれない。しかし生憎、セシリアは並の操縦者ではなかった。

 

『「それ」は貴女だけの特権ではなくってよ?』

 

 瞬時加速(イグニッションブースト)

 右への回避によって一瞬にしてイチカの眼前から姿を消したセシリアは、加速の止め方が分からずあたふたとするイチカの背中に照準を合わせ、

 

『撫でてさしあげますわ』

『そうくるだろうってのは、分かってんだよっ‼』

 

 咄嗟に、イチカは雪片を背中に回して防御を図る。雪片にはISの放つエネルギーを相殺する『零落白夜』というシステムが搭載されている。ゆえに、ただ後ろに回すだけのおざなりな防御でも相殺されてくれるはずだ。

 しかし、それすらセシリアにとっては予測通りだった。

 

『直撃なんて真似はいたしませんわ。言ったはずですわよ、()()()()()()()()()()、と』

 

 瞬間――イチカに殺到していたBTレーザーの軌道が激変する。

 BT偏光制御射撃(フレキシブル)。操縦者の思考によって軌道を自在に変更できるBTレーザーの性質を利用した攻撃だ。照射後のBTエネルギーの思考操作はかなりの難度と言われているのだが、世界最高のBT適性を持つセシリアはそれを難なくこなすどころか、同時に最大四八発のBTレーザーを自在操作することが可能だった。

 彼女の大言壮語は、決して自信過剰ではない。傲岸不遜な物言いを以て、尚分相応。それがセシリア=オルコットの実力である。

 しかし、BTレーザーはイチカの防御を突き抜けて直撃する――といったありきたりな攻撃はしない。まるでイチカを取り囲む繭のように、ただ薄皮一枚のところをグルグルと回っているだけだ。怪訝に思ってしばらく動きを見ていたイチカだったが、次の瞬間に聞いたアラームに目を丸くすることになる。

 

『エネルギー残量残り二〇%』

『はぁ⁉︎ まだろくに食らっても……、っ! このレーザーか‼』

『ご名答。ただしもう遅いですわ』

 

 ISの『当たり判定』は、必ずしも見た目通りとは限らない。シールドエネルギーが膜の様にISの周囲を覆っているので、実際には見た目よりもわずかに外側までエネルギーが広がっているのだ。そしてセシリアは、そのシールドエネルギーの膜のみに干渉するようにしてBTレーザーを屈折させていた。単品では大したダメージを生まないBTレーザーだが、こうしてシールドエネルギーぎりぎりを狙えば減衰することなく連続攻撃することができるし、たとえ微々たるものでもダメージになりうる。実戦ではあまり意味のない攻撃だが――『スポーツ』という建前としてのISにおいては、強力な武器と言えるだろう。

 慌てて退避しようとするが、ギリギリのラインで循環しているBTレーザーの繭の中で少しでも動けば、待っているのは直撃の未来。エネルギー残量に余裕があればそれでよかったが、残り二〇パーセントの状態でそんなことをすれば待っているのは速やかな敗北だけだ。

 つまり、詰みだった。

 

『エネルギー残量残り〇%。仮想模擬戦を終了します』

 

 無機質な電子音を聞いた瞬間、イチカはまた眩暈を覚える。かく、と首が意思によらず傾いたと思った瞬間には、自室に戻っていた。あたりを見渡すと、模擬戦中は常に微笑みを浮かべていたのに今となってはにこりとも笑わないセシリアと、スマホの画面から顔を上げ、一夏の様子を見ていた箒と目が合った。

 

「理解できまして? 貴方はまだISの動かし方を完璧に理解できてすらいない。わたくしがあまりに圧倒的過ぎたので分かりづらかったですが、織斑の動きはあまりに未熟です。瞬時加速(イグニッションブースト)を独力で成功させた技量は確かに驚きでしたが……その後の制御もままならないようでは片手落ちですし」

「……ああ」

「そのあたりの制御も、ISをずっと身に着けていけば自ずとできるようになってきます。まさしく『習うより慣れよ』なのですよ、ISの上達というのは」

 

 一夏は憮然としていたが、言い返しはしなかった。というより、できなかったと言うべきか。振り返ってみれば、まだまだやりようはあったはずだ。多少の被弾を覚悟で最初に突っ切ればまだチャンスはあったし、何より瞬時加速(イグニッションブースト)後の隙が致命的だった。それらがなければまだまだいい勝負ができていただろう。それができなかったのは、一夏に――イチカに経験が足りなかったからだ。

 

「……分かったよ、明日はとりあえず変身して登校する」

「それでこそですわ。ちなみに報酬は一日一〇〇擦り半ですので」

「……前々から気になってたんだけど、その『半』って何の意味があるんだ?」

 

 気になって問いかけてみた一夏だったが、セシリアは適当にはぐらかすだけで答えてくれはしなかった。一夏も、下手に聞きだしたらやっと上がったセシリアの株が大暴落しかねないのでそれ以上は聞かなかった。

 

***

 

「イチカさんのほっぺは柔らかくてすべすべですわねぇ……」

「……おい。一日一〇〇ってルール覚えてるよな?」

 

 そんなことを思い返していたら、いつの間にかセシリアがイチカの頬を撫でていた。

 恍惚とした表情のセシリアに、イチカはどんぐりのようにぱっちりとした目を訝しげに細め、鈴の鳴るように愛らしい声に精一杯ドスを利かせて問いかける。

 

「もちろんです。今一擦り目ですわ。あと一〇〇じゃなくて一〇〇擦り半ですわ」

 

 しかし、代表候補生ともなると数の数え方まで異質になっていくのか、帰って来た答えは明らかに異常だった。ツッコミの地位が低いって悲しい、とイチカは頭を抱えた。

 尚、箒はこの間ずっと頬をなでなでされているイチカの姿を写メに納めまくっていた。

 

「そろそろ撮影料とるぞ」

「一枚一五万でどうだ?」

「お、おう……」

 

 流れるような動作で札束を取り出した箒に、幼馴染がいつの間にか遠いところに行ってしまったことを実感したイチカは、何とも言えない表情でその札束を箒に返した。

 

(ああ、こんなとき鈴がいたらなあ)

 

 と、イチカは今はここに――どころか、この国にすらいない友人に思いを馳せた。

 (ファン)鈴音(リンイン)。名前の通り中国人で、中学二年生のときに両親の離婚で中国に行ってしまうまで、小学校の頃から一夏と一緒に過ごして来た幼馴染だった。一夏が出会った中でも数少ない常識人の女性であり、ツッコミ属性持ちだ。彼女がこの場にいれば、ツッコミ不在のエンドレスボケ時空になりつつあるここにも一定の秩序が築かれることだろう。

 だが、いない人物に思いを馳せても仕方がない。此処には、イチカしかツッコミはいないのだ。たとえ絶望的な戦いだとしても、諦める訳にはいかない――!

 

「そういえばさ。他のクラス代表ってどんなヤツらなんだ?」

 

 話を逸らす意味も込めて、イチカは絶賛なでなで中のセシリアに問いかける。セシリアは頬をなでなでする手を止め、顔だけは真面目になってイチカの疑問に答えた。

 

「そうですわね。まず、二組はIS用銃器企業のテストパイロット経験を持つ――」

「――――その情報、古いわよ‼」

 

 そんな声とともに、颯爽と現れた少女。

 その場にいた全員が反射的にその姿を見ると、そこにはツインテールを不敵に靡かせた、勝気な印象の少女が仁王立ちしていた。



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第五話「唐突なシリアス回」

 両親の離婚によって中国に移住すると聞いたとき、鈴音は勿論徹底的に反抗した。

 彼女はその時、日本に『親友』と『想い人』がいたのだ。その彼女にとって、たった五年足らず過ごしただけでも、もはや日本は生まれ故郷も同然であったし、当然そこで生き、そこで幸せを見つけ、そこで暮らすつもりだった。だが、所詮は子供。『大人の都合』の前では、そんなものは何の役にも立たなかった。結局、『親友』と、『親友』であり『想い人』の二人に見送られ鈴音は中国へと旅立って行った。

 鈴音は泣いた。自分の無力さを悔やみ、幸せな日常全てがどうしようもなく手から離れていく現実に絶望した。

 ――しかしこの少女、物語をそんな切ない終わりで片付けるほどおとなしい性格ではない。

 

「……ふふっ」

 

 上機嫌で廊下を歩きながら、鈴音は思い返す。中国で過ごした一年半の間のことを。

 最初の半年間は、環境の変化、鈴音の気持ちも考えずに移住を決定した家族への反感、離婚によって生まれた家庭の不和などから、鈴音は前を向く余裕すらなかった。『親友』達とはメールでやりとりを続けていたが、そうした状況を赤裸々につづる訳にもいかず、結局気まずさからやりとりの頻度は下がってしまう。そんな孤独の中で、鈴音は過ごしていたのだ。

 時の流れがそうした彼女の心を『一応』癒した時には、彼女は中学三年生と呼ばれる年齢になっていた。そして、将来のことを考え、思ったのだ。

 

 このまま終わるのは、悔しい。

 

 今までのすべてが『鈴音の為』だったなら、彼女は納得できたはずだ。そんなことも分からないほど、彼女は馬鹿ではない。だが、これは違う。『大人の都合』――要するに我儘に、子供である鈴音がなす術もなく振り回されただけだ。なら、その決定に子供が反逆してはならないなんてルールは、この世のどこにも存在しない。

 そして、この世界にはその反逆を可能にするイレギュラーが存在している。

 ――インフィニット・ストラトス。ただの子供が国家に匹敵する力を保有できる手段は、これを置いて他にはない。だから、鈴音は猛勉強し、特訓し……そして、『力』を手に入れた。

 

 おそらく、天才だったのだろう。

 たった一年で鈴音はそれまで何年も訓練に訓練を重ねて来た代表候補生を軒並み打ち倒し、政府肝入りの開発プロジェクトのテストパイロットに抜擢されるまでになった。

 IS操縦者には、莫大な権力が与えられる。

 たった一人で国家戦力に匹敵する能力を得るわけだから、厚遇も当然だ。そして、国家代表操縦者にまで上り詰めれば、知名度も活動範囲も世界レベルに広がる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ISという強大な『力』には、そんな『子供の我儘』を、『大人の都合』が及ばないほど強大にできるだけの影響力があるはずだ。

 ……信じがたいことだが、それが、彼女が並み居る強豪を尽く薙ぎ払い、『大人の都合』で足を引っ張る陰謀やさらなる強豪に土をつけられても這い上がりそれにすら打ち克ち、広い中華の大地の頂点に立った原動力だった。

 あとはこのままテストパイロットとしてプロジェクトを成功させ、国家代表に成り上がるだけ――鈴音はそう思っていた。しかし、幸運と言うのはいつも予測のつかないところから舞い込んでくるものだ。

 

 ――織斑一夏、IS学園に入学。

 

 その一報を聞いた政府は、すぐさま『試作機のテスト運用の為に代表候補生をIS学園に編入させる』という名目で鈴音を送り込む決断をした。勿論、鈴音はその任務に二つ返事で答えた。

 それからの鈴音は、ずっと上機嫌だった。

 いずれ一夏と再会する為だけに磨き続けていたこの技術だったが、こうも早く、そしてこうも的確に実を結ぶとは、少女の慧眼を以てしても見抜けなかった。とはいえ、これは嬉しい誤算だ。前々から思っていたが、どうやら一夏のトラブル体質もここに極まれり、ということなのだろう。

 

 編入した二組のクラス代表は鈴音の編入を知るなりすぐにクラス代表の座を明け渡し、そして鈴音もまたその変更を受け入れた。一夏が一組のクラス代表になったと聞いていたからだ。

 

「(あいつ、クラス代表なんかやらされて、きっと今頃てんやわんやでしょうね。敵に塩を送るみたいだけど、此処は一つ、し、『親友』のあたしが面倒見てやらないと、ね。あたしは、何てったって『次期代表』なんだから)」

 

 そんなことをぶつぶつと呟く鈴音はちょっとした変質者の様相を呈していたが、彼女自身はそのことに気付くべくもない。もとより、外聞を気にするような性格であれば此処まで上り詰めることはできなかっただろう。鈴音のツインテールが、その喜びを表すかのごとくふわふわと揺れる。

 ……美少女と言うのは得だ。明らかにおかしな独り言をつぶやいていても、緩みきった笑みを浮かべていても、それらすべてが『可愛らしい』とか『微笑ましい』といった表現に変換されてしまうのだから。

 ともあれ。

 IS学園にやって来た鈴音は、目的の人物――一夏のいる教室に足を運んだのだった。やって来てみると、教室の前の方の席に集まって三人の少女が談笑しているのが目に入った。一人は黒髪をポニーテールにした少女、一人は金髪碧眼のお嬢様、一人は何故かどこか既視感をおぼえる雰囲気の少女だった。国際色豊かなIS学園らしい光景である。

 そしてこれが一番鈴音にとっては重要だが……三人とも、掛け値なしの美少女だ。鈴音も自分の容姿には自信を持っているが、一夏がこんな美少女の巣窟にいるという事実に少しばかり危機感を覚える。

 

(あれは……イギリス『次期代表』のセシリア=オルコットね。あたしはてっきりアイツが代表をやるモンだと思ってたけど、やっぱり一夏の実力が見たいってところかしら)

 

 政府から得た情報によると、セシリアは代表決定戦において現れた一夏の姿を見て、戦いもせずに代表の座を譲り渡したという。鈴音はそんなことよりさっさとIS学園に行きたくて仕方がなかったので情報は殆ど聞き流していたのでそこしか覚えていないが、多分一夏の動き方を見てセシリアが実力を把握し、クラス代表を任せるに足る『何か』があると判断したのだろう、と思う。

 

「そういえばさ。他のクラス代表ってどんなヤツらなんだ?」

「そうですわね。まず、二組はIS用銃器企業のテストパイロット経験を持つ――」

 

 不思議な既視感をおぼえる少女が、セシリアに問いかけていた。セシリアはさらりと情報を伝えていたが、生憎その情報は鈴音の登場によって古いものへと格下げされてしまっていた。ここぞとばかりに、鈴音は声を張り上げる。

 

「――――その情報、古いわよ‼」

 

 瞬間、突然の乱入者にクラス中の視線が集まった。掴みは完璧か――と鈴音は内心満足し、たった今待ったをかけた会話に混じるように次の言葉を紡いでいく。

 

「私は二組に転入してきた中国代表候補生の凰鈴音。二組の代表の座は、ついさっき私のものとなったわ。――それでこのクラスの代表っていう織斑一夏はどこにいるの?」

 

 そう問いかけながら、鈴音は改めて教室の中を確認する。

 授業前だからか、生徒は殆ど教室に揃っているらしかった。しかし、一夏の姿は見られない。彼の存在はイレギュラーだから、この場にいないこと自体は不思議ではないが……空いている席と生徒数を瞬時にカウントしたところ、一夏が新たに座るスペースはないときた。鈴音は少しばかり不穏なものを感じる。

 

「中国『次期代表』の凰鈴音ですか。もうすぐ授業ですが、何用ですの?」

「そういうアンタはイギリス『次期代表』のセシリア=オルコットね。授業は良いのよ、あたしは一夏に会いに来ただけだから」

「えーっと、織斑一夏は俺だけど」

 

 おずおずと手を挙げたのは、先程からセシリアと会話していた不思議な既視感をおぼえる少女だった。……そう、少女である。黒髪だし、目つきも似ているが、少女である。そして、一夏は少年である。いくら二年ほど会っていないからと言って、性別も違うのに騙される程鈴音はアホではない。

 では、何故男のはずの一夏がいるべきそのポジションに、よく似た少女がいるのか。鈴音は即座に計算を巡らせ……、そしてすぐさま納得のいく答えを得る。

 

「鈴、」

「ふざっけんな‼」

 

 何か言いかけた少女の言葉を遮るように怒鳴った。

 非常に不愉快な気分だった。

 つまり、目の前の少女は『影武者』なのだ。

 考えてみれば当然、あまりにも当然だ。一夏は確かに世界中から注目される初めての男性操縦者で、彼自身の身の安全や調査などの必要性からしてもIS学園が身柄を確保するのは理に適っている。

 しかし、実際にIS学園に通わすとなれば、いきなり一夏を異性の集まる集団に放り込むのは彼自身のメンタルに多大な負担をかけるおそれがあるし、何より周囲の少女たちにも悪影響を及ぼしかねない。問題が決して起こらないと確約できるはずもないし、第一学園とはいえたくさんの人間が集まる場所に彼をいさせては獅子身中の虫に対するリスクが常につきまとう。

 千冬も所属しているというIS学園系の勢力に確保されたことは間違いないだろうが、少なくとも一夏は通常時にIS学園に顔を出すことはないのだろう。

 目の前の少女は、言うなれば『一夏が外界と接する為のデバイス』と言ったところだろうか。

 おそらく、一夏とこの少女はISのコアネットワークを通じてデータのやり取りをしているのだ。そういえば、先程から鈴音のISはこの少女の方からISの反応を訴えていた。とすると、今もその機能が使われているのだろう。

 そして、この少女が経験したことはそのまま一夏への経験となってフィードバックする。後は、一夏から再度データを取り直すことで、『世界初の男性操縦者』の稼働データを入手することができるというわけだ。

 つまり、目の前の少女はいくらでも替えの利くデコイの影武者、ということになる。

 ……流石に幾分か過保護すぎる気もするが、しかし『世界初の男性操縦者』を守る為ならば、そのくらいやっても不自然ではない。

 いや、鈴音にとって重要なのはそこではなかった。

 

「あんたが、一夏? そんな馬鹿な話があるわけないでしょう! 同姓同名の別人とでもいうつもり⁉」

「正真正銘、イチカさんですわよ」

「ああ。この可愛さ、まぎれもなくイチカだな」

「でもコイツ女じゃない!」

「いや、それは、」

「アンタは喋るな!」

 

 弁明しようとした少女をぴしゃりと遮り、鈴音は息を荒くして状況を整理しようとする。

 ……何より腹立たしいのは、彼女と話していた二人が当然の様に影武者の少女を『一夏』として受け入れていることだ。一夏の代役としてその存在を受け入れるのならまだしも、『織斑一夏』の名を冠した存在として受け入れられるなんて、そんなの一夏の居場所を塗り潰していることに変わりないではないか。何よりも一夏を馬鹿にしているではないか。

 きっと、一夏は今ごろ研究や調査でひどく心細い思いをしているだろうに、存在まで塗り潰されるような真似が許されて良いはずがない。

 

「ふざけやがって……! こんなこと……」

「な、なあ、」

「黙れって言ったでしょう⁉」

 

 おずおずと声を掛けようとした少女に、鈴音は怒声を浴びせかける。少女の身体がびくりと震え、その表情が悲しそうに歪むのを見て胸がちくりと痛んだが、しかしそれで感情を抑えられるほど鈴音は大人ではなかった。

 

「覚悟しておきなさい。アンタなんか、アンタなんか、クラスマッチで完膚なきまでに叩き潰して、」

「もうすぐ授業だ。教室に戻れ、凰」

 

 ガゴン、と出席簿が怒り心頭の鈴音の頭に直撃する。突如発生した衝撃に思わず頭を押さえ振り返ると、そこには鈴音も見知った顔があった。凰、という呼び方なんて柄じゃない。そんな女性が、鈴音を見下ろしている。

 鈴音の襟首を掴んで教室の外に放り出した千冬を、鈴音は半ばにらみつけるように見る。本当なら、こんな仕打ちは千冬が一番憤るべきだ。なのに、何故何も言わないのか、という抗議を込めて。

 

「……千冬さん」

「織斑先生、だ。凰」

 

 しかし、千冬はそんな鈴音には取り合わず、教壇の方に歩いて行く。生徒達が蜘蛛の子を散らすように自分の席に戻って行く中、千冬は顔を向けずに一言残した。

 

「それと……少し、頭を冷やせ」

 

***

 

「何が……何が『頭を冷やせ』よ」

 

 その日の放課後。

 鈴音は、一人ぶらぶらと歩いていた。

 授業自体は余裕だった。一年間の詰め込み学習である為、座学が得意な方ではない鈴音だったが、基本的な内容なら感覚と経験則で理解できる。唯一法整備関連が弱いくらいで、むしろ実技から得た経験則は部分的に教科書の内容を上回っていたりするほどだった。

 だが、鈴音は周囲の中で優秀だったくらいで満たされはしない。その程度で満ちる器だったら、此処まではやって来れなかった。

 

「本来なら一夏がいるべき場所に居座ってるヤツなんか見て、落ち着けるわけ、ないじゃない……」

 

 勿論、鈴音も馬鹿ではないので、自分の抱いている感情が見当違いな怒りだということくらいは理解している。彼女だって影武者として、役割を与えられて生活しているのだ。決定を下したのは『上』であって、彼女に怒りをぶつけるのは間違っている。

 しかし、理屈で分かっていても感情がどうにかできるほど、鈴音は大人ではない。一夏と会えると思っていたのに――そんな、どうしようもない落胆の八つ当たりを向けてしまう。

 その子供っぽさが鈴音の原動力であるがゆえに、こればかりはどうしようもなかった。

 

「でも、あんなこと言って目の仇にしたのは謝らないといけないわよね……」

 

 そんなことを呟いてみるが、今あの少女がどこにいるか、鈴音には分からない。……いや、そういえばISの練習を頑張っている、という話だった気がするので、アリーナの方向にいるのかもしれない。鈴音としても、自分の試合があるであろうアリーナの環境がホームである中国のものとどこまで違うのか調べる必要がある為、アリーナの方に向かうことにした。

 そう、あくまでアリーナの状態を確認する為に必要だから向かうのだ。その先であの少女が練習していて、成り行きで会話をすることになったとしても、それは全くの偶然であって何の作為もないのだ。

 ――と、絶賛自分に言い訳中だった鈴音は、そこで異変に気付いた。

 異変と言っても、学園全体がどうこう、と言った規模ではない。廊下の隅だ。廊下の隅に、少女が蹲っている。艶やかな黒髪を肩甲骨のあたりまで伸ばしている、小柄な少女だ。どこか既視感をおぼえる雰囲気だったが、苦しそうに息を荒くしている少女を見て冷静に分析していられるほど鈴音は薄情な人間ではない。

 

「ちょっと……ちょっと、大丈夫⁉」

 

 鈴音はそれまで考えていたことなど放り出して、蹲る少女に駆け寄る。黒髪の少女はよほど疲労しているのか、息も絶え絶えだったがそれでもこくりと頷いた。……どう見ても大丈夫そうには見えない。髪が陰になっていて顔の様子は見えないが、苦しそうに歪められていることは想像に難くなかった。鈴音は思わずこの意地っ張りな少女に呆れ、それから決意する。

 

「強がり言ってんじゃないわよ。良いから、保健室まで運んだげる!」

 

 そう言って、鈴音はひょいと自分よりも一回りは大きな――尤も、小学六年生並の体格である鈴音より一回り大きい程度では、まだ小柄と言わざるを得ない――少女を持ち上げる。

 IS操縦者の中でも代表候補生レベルになると、ISの部分展開という高等技術を身に着けるようになる。しかし、この部分展開になるとPICの稼働率も減少する為、必然的にその分筋力が高くなければならない。生身でISを『制圧』できるともっぱらの噂である織斑千冬は別格としても、『次期代表』とまで言われる鈴音もまた、ISに太刀打ちできる――とは言わないが、熊と喧嘩できる程度の身体能力はある。

 ひょいっと軽々抱え上げられた少女は、恥ずかしそうに礼を言った。

 

「ご、ごめん……。ありがと」

「礼なんて良いわ、よ……」

 

 そして、横抱きにしたことで鈴音は目の前の少女の正体に気付く。

 というか、声を聞いた瞬間に気付くべきだった、と鈴音は思った。おそらく、彼女の容姿に関する印象が大きすぎて、そのハスキーな声に関する印象が抜け落ちてしまっていたのだろう。

 彼女は……、

 

「……織斑、()()()

 

 鈴音が今まさに会いに行こうとしていた少女、その人だった。

 

***

 

 保健室に移動した少女は、単なる過労と診断された。IS学園に入学して一か月程度で何故過労? と疑問に思わなくもない鈴音だったが、それは聞かずにしておいた。

 保健室のベッドに少女を横たわらせた鈴音は、そのまま保健室から出ずにベッドの横の椅子に座る。今がいい機会だと思ったのだ。

 

「……今朝は、悪かったわね」

 

 ぽつり、と鈴音は憮然として言う。まだ、一夏の名を騙るこの少女には複雑な思いがある。ただ、それらは全て勝手な逆恨みだ。その場の感情で怒鳴りつけたことは、謝らなくちゃいけない。

 少女の方は、謝られたことが意外だったのか、一瞬だけぽかんとした表情を浮かべていたが、すぐにそれを嬉しそうな笑みに変えた。とても儚げな、弱弱しい笑みだったが。

 

「良いよ。気にしてない」

「……そ。ありがと」

 

 言いながら、鈴音はおかしな気持ちになった。何でこの少女は、たったこれだけのことで嬉しそうな顔をするのだろう。いきなり現れて、逆恨みをして、あんな風に怒鳴った相手から歩み寄られたって、普通嬉しくないだろうに。

 

「……正直言うと、心細かったんだ。ISに乗るつもりなんてまったくなかったのに、関わるつもりもなかったのに、いきなりこんなことになってさ」

 

 その答えを促すかのような鈴音の沈黙に、少女は少しずつ語り出した。

 それは、からっぽな影武者の少女の告白だった。

 

「でも、皆俺のことを受け入れてくれる良いヤツばっかりだからさ。それはそれで有難かったし支えになったけど、やっぱり……なんていうか、こう……」

 

 もごもごと、恥ずかしそうにしながら言葉を濁した少女は、自分の体調管理も出来ないようじゃ駄目だな――と自嘲する。無理矢理にごまかしたようだが、彼女の態度は『今も心のどこかでは満たされない思いをしている』と言っているようなものだった。

 だから、練習を手助けしてくれる仲間の期待にこうまで応えようとするのだろうか。過労で倒れるまで頑張っても、なお立ち上がろうとするのだろうか。

 どういう理屈でISに触れたことすらないこの少女が一夏の影武者役に抜擢されたのか、鈴音には分からない。歩んできた人生や遺伝情報が似通っている少女を選んだのかもしれない。それなら、この少女から感じる妙な既視感にも説明がつく。

 だが、何にしてもこの少女は、仲間の期待に応えたいというただそれだけの為に、この一か月必死になって頑張って来たのだ。ISに乗ったこともない状態から、クラス代表という重圧に負けないように頑張って来たのだ。その努力は、『織斑一夏』という全くの他人の功績にしかつながらないというのに。

 なのに、それでもどこかでうしろめたさがあったのだろう。『織斑一夏の居場所を奪っている』という、罪悪感が。自分だって周りに推し進められて無理やり押し込められて、自分の功績を丸々他人のものにされているというのに、それでもうしろめたさがあったから、鈴音に糾弾されて、どこか救われたような気持ちになってしまったのだろう。

 なんという、歪さか。

 どんな生き方をすれば、そんなに自罰的になれるのか。

 

 ……そんな少女に、鈴音はどんなことを思った?

『大人の都合』で理不尽に苦しめられているというのに、鈴音はそんなときにただ塞ぎこむことしかできなかったというのに、あろうことか『誰かの為に』努力できる、そんな少女に……鈴音はどんなことを思った?

 織斑一夏の存在を塗り潰している? 織斑一夏の居場所に居座っている?

 …………それは、彼女だって同じことだ。

 彼女だって、自分の存在を、自分の居場所を、『織斑一夏』に挿げ替えられているのに。この少女は、ただの被害者だったのに。もう十分すぎるほど、いや不当すぎるほどに多大な苦しみを背負わされているというのに。

 

「ほんとに、ごめん」

 

 思い返してみれば――『頭を冷やせ』という千冬の言葉は限りなく適切だった。その通りだ。鈴音は、一時の感情――一夏との再会が叶わなかった落胆――で、この少女にとんでもないことを言ってしまった。心細い気持ちだったのは、この少女も同じだったのだ。それなのに、慰めるどころか自分勝手に糾弾し、この少女を追い詰めるようなことを言ってしまった。その所業は、謝っても謝り切れないだろう。

 謝ったってもう遅いと知りつつ、それでも鈴音は言う。言わなくてはならない。

 

「あんな風に言ったの……すごく、後悔してる」

「だから、良いって。気にするなよ。……ただまあ、気が咎めるっていうんなら、普通に接してほしいかな。クラスのヤツらもそうだけど、変に特別扱いされると、疲れる」

 

 だが、少女は何でもないことのように、照れくさそうに笑って鈴音にそんなことを言った。まるで歯車がかみ合っていないみたいにあっさりとした対応だった。

 きっと、この少女は本当に鈴音の言ったことをもう気にしていないのだろう。簡単に赦せてしまう、そういう性格なのだろう。懐かしさを感じる雰囲気だった。まるで、一夏を相手にしているような――そんな気分。

 もう既に、二人の間に流れる空気は数年来の友人同士のようなものになっていた。鈴音の肩の力も、自然と抜けて行く。

 

「あはは、分かったわよ。それじゃあ、あたしのことも遠慮なく接してくれていいから」

「分かった。…………鈴?」

 

 どこか自信なさげに、鈴音の様子を伺うように……上目づかいで首を傾げるのは、まだそこまで踏み込んで良いのかどうか、不安だったからだろうか。

 その時の、少女の表情が、あまりにも一夏にそっくりだったので、鈴音は思わず息を詰まらせてしまった。

 

「(……こりゃ、アイツの影武者に抜擢されるのも納得だわ)」

「へ? 抜擢?」

「そういうところもそっくりなのね」

 

 狐につままれたような顔をしている少女にそれ以上何も言わず、鈴音は笑った。笑って――それから、吹っ切れた。

 

「ねえ、明日って土曜日じゃない。一緒に遊びに行きましょ」

「え? でも俺、練習が……」

「目下最大の敵と遊びに行けるのよ? もしかしたら情報を聞きだせるかもしれない。……そう考えたら、一日練習を潰す価値もあると思わない?」

 

 あえて『遊びに行きたいから』と感情論を語らず、鈴音はそれらしい理屈を捻り出す。……そう。『それらしい理屈』である。叩けば埃が出て来るくらい、どうしようもない詭弁だ。だが――この、まだ友達と言えるかすら分からない少女を遊びに誘うのに、『ただ遊びたいから』なんて理由を面と向かって言うのは、鈴音にはあまりにも照れくさいことだった。

 少女は少し考えていたようだったが、やがて観念したような笑みを浮かべて、鈴音の提案に頷いた。

 

「分かった。良いよ、頼んでみる。セシリアだって、そう言えば納得してくれると思うしさ」

「うん!」

 

 話がまとまったので、少女はベッドから立ち上がった。思わずよろめきそうになるが、それは鈴音が支えた。……華奢な身体だった。こんな体で、鈴音と違ってIS操縦者として身体が出来上がっていない状態で、倒れるまで頑張っていたのだ。

 ……その努力は尊いが、同時に危ういとも思う。きっと、セシリアとポニーテールの少女はかなりのスパルタなのだろう。それはそれで良い。そのくらいの無茶がなければ、全くの素人がクラスマッチで通用するレベルになんかなれないからだ。

 この少女がそれを望んでいないのであれば、鈴音は持てる力のすべてを振るって彼女を救うが――生憎、この少女は自ら高みに上って行くことを望んでいるように思える。誰かの為でも何でも、やりたい、と思ってこの場に立っている。

 

 ――なら、その代わりのケアは、あたしが受け持つ。

 ――この馬鹿の背中は、あたしが支えてやる。

 罪滅ぼし、という意識も、鈴音の中にあったのは間違いない。だが、それだけなんかではなかった。ほんの数分の会話だったが、鈴音はもう既に少女の事を『大切な友達』だと感じていた。だから――助けるのだ。友達だから。

 

 何故だか他人には思えない少女の手を引いて歩きながら、鈴音はやっと、心からの笑みを浮かべて少女に言った。

 

「……これからよろしくね、イチカ」

「…………ああ」

 

 突然笑いかけられ、少女が浮かべた笑顔は、

 

「よろしくな、鈴」

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



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第六話「Long and Winding Load(相互理解までが)」

「……だから嫌だったんだよぉ……」

 

 時間を少し巻き戻して、鈴音が去って行った、その次の休み時間。

 イチカは机に突っ伏していた。その脇では、箒とセシリアが気の毒そうにイチカを見下ろしている。

 

「鈴、完全に勘違いしてたじゃないかぁ……。あんな風に怒って……」

 

 何故あそこまで怒っていたのかは分からないが、とにかく怒っていた。多分イチカを影武者と勘違いしていたことが関係しているのだろうが……。

 一方、箒とセシリアは鈴音が怒っていた理由をばっちり理解していた為、そこに気付かない鈍感少女イチカを見てによによしているのだった。

「まあ、凄い剣幕だったからな……。きっと、イチカのことを影武者だと勘違いしたんだろう。セシリアみたいに」

「まさか、中国の『次期代表』と知り合いだとは思いませんでしたわ。……わたくしも誤解の解消をお手伝いいたしますので、そんなに気を落とさないでくださいまし」

 

 腕を組みながら分かり切ったことを言う箒の横で、優し気に言いながら、セシリアはイチカの頬を撫でる。この局面なら撫でるのはせめて頭にしろよ、と思いつつも、今のイチカは一年半ぶりに再会した親友に思いっきり辛辣に当たられてド凹み中だった。というか、鈴音が代表候補生になっていること自体イチカは知らなかったのだ。そんな大ニュースも知らないなんて親友失格だ、という思いもあった。

 

「うぅ……」

「こっちも重症だな」

「ううん、ISというのは操縦者の精神に強い影響を受けますから、中国次期代表との接触でメンタルに受けた影響がパフォーマンスに及んでいるのかもしれませんわね」

 

 左手でイチカの頬を撫でながら右手を口元にやって、セシリアはそんな推測を言った。

 確かに、先程からイチカは単なるメンタル以上の気怠さを感じている。無敵の兵器の意外な弱点を知ったイチカだが、こんな状態でもPICは問題なく使えるし、兵器を持てば一騎当千は確実。多分兵装を一切装備していないイチカだからこその問題であろうことは間違いない。

 

「ですが、クラスマッチまで時間がありません。中国次期代表もあの調子ですからきっと本気で来るでしょう。予想以上の難敵ですが諦める訳にはいきません。当初の予定よりも厳しくいかせてもらいますからね」

「まあ、それは良いけどさ……」

 

 ぐい、と突っ伏した顔をセシリアの方に向ける。そうすることも億劫と言わんばかりの緩慢さだったが、やはり美少女であるイチカがやると華があった。セシリアの口元に当てられていた右手が、我知らず鼻の方へと移っていく。

 

「そういえば、さっきから『次期代表』って言葉が飛び交ってるけど、何それ?」

「肩書ですわよ。非公式なものですけれどね」

 

 セシリアは両手を腰に当てて胸を張って言った。欧米人としては慎ましやかな(しかし日本人基準だと十分豊かな)胸がその存在を主張するが、残念ながらその鼻から一筋赤い液体が垂れていたので、イチカは全く性的な意識を持てなかった。

 

「代表候補生と一口に言っても、ぶっちゃけピンキリなのですわ。普通の生徒より一回り上という程度の輩もいれば、既に前線で活躍できる力量の輩もいます」

「後者は、たとえばどんなのが?」

「そうですわね……たとえば、ドイツのラウラ=ボーデヴィッヒは代表候補生と言いつつバリバリ軍属――つまり第一線ですでに活躍しているプロの人間です。軍属は国家代表には使えないのですが、代表候補生関連では特に取り決めがないという抜け穴を使って、自国の操縦技術の高さをアピールしようというハラでしょうね。近くIS学園に編入してくる可能性もありますが……まったく、あの国は二年前のモンド・グロッソと言い……やることが本当に姑息…………ぶつぶつ」

「要するに、『次期代表』というのは代表候補生の中でも特に技術が秀でていて、国家代表操縦者と比べても遜色ない人材ということだ」

 

 ブツブツと愚痴モードに入って行ったセシリアとバトンタッチする形で、箒が話をまとめた。要するに、代表候補生の上位互換ということらしい。セシリアや鈴音は、既にそういった領域に到達しているということなのだろう。……ISの操縦技術を学ぶ場にプロレベルの操縦者がいるとか、ソイツらに教師をやらせればいいのでは? と思わなくもないイチカだった。実際、イチカはそのプロに操縦技術を教わっているのだが。

 

「閑話休題ですわ。つまり、中国次期代表はプロと遜色ない――いえ、最悪わたくしと同レベルの力を持っていると考えて良いです」

 

 復活したセシリアが説明に戻る。

 何気に自分の力量を『プロより上』に設定しているセシリアだったが、この少女は自惚れや自信過剰こそしても過大な自己評価はしない。鈴音がプロより上の実力を持っている可能性も十分にあるというのは、此処までの話を聞いていたイチカでも頭ごなしに否定できるものではなかった。

 

「セシリアや鈴の他に、『次期代表』って呼ばれるヤツらはいるのか?」

「いるにはいますわ。四組の更識簪。アレは日本の代表候補生ですが、空間把握だとか情報処理だとか、いわゆる『地味な裏方能力』に秀でています。正直、わたくしなどはああいうタイプこそ一番の天敵なのですが……あいにく、イチカさんの専用機に人員が引き抜かれているせいで専用機を持っていない状態ですので、今回の参加は見合わせることになっていたはずです」

「え、マジか……それは悪いことしたな……」

「まあ、本人も大分不服のようで、現在は絶賛ふてくされ中らしいですが……イチカさんが気に病むことではありませんわ。悪いのは無能な日本企業です。本当に、日本というのは優秀な人材をあの手この手でダメにしたり流出したり…………ぶつぶつ」

「他にはさっき言ったドイツのラウラ=ボーデヴィッヒも『次期代表』レベルの能力を持っているが、彼女は軍人だからスポーツとしてのISには参加しないので、『次期代表』という肩書は持っていないな」

 

 再度ブツブツと愚痴モードに入って行ったセシリアとバトンタッチする形で、箒がさらに補足する。

 

「ISの業界も、色々と面倒なことがあるんだなぁ……」

「というか、面倒な事しかない。姉さんは今も全世界指名手配中だし、私の方も保護プログラムのせいで何十回と転校を繰り返してきたからな。大概面倒なことだらけだぞ、IS関連」

「あ……そう、だったな…………。……ごめん、能天気なこと言って」

 

 けろっと言う箒に、逆にイチカは罪悪感を刺激されてしゅんとする。それを見た箒のキツイ目尻がだらしなく垂れ下がるが、イチカはそれには気付いていない。

 

「でも、こうしてイチカに出会えたんだからプラスマイナスで言ったらプラス一億くらいだぞぉ~」

「ひぃ⁉ だから胸を揉むなぁ‼」

 

 胸に伸ばして来た箒の手を必死の思いでパリィしつつ、イチカは身をのけぞらせる。まさかISの試合中ならともかく、日常生活でパリィなんてことをするとは思っていなかったイチカである。そんなことをしていたせいか、鈴音に辛辣な当たり方をされたこともあり、どっと疲労が出て来た気がする。

 

「……はぁ……」

「大丈夫ですかイチカさん? 箒さん、貴女がごり押しでセクハラするからイチカさんが疲れてしまったではありませんの」

「イチカへの精神的負担で言えばお前もどっこいどっこいだと思うぞ、セシリア」

 

 一切悪びれていないが、何だかんだで自分がイチカに精神的負担をかけていることは否定しないあたりが実にあくどかった。

 

「大丈夫だよ……やっぱISを展開し続けるのってキツイのかな?」

「さあ……どうでしょう。一応ISの最大起動時間の記録はミス織斑の七五時間四九分ですが、それにしたって別に記録に挑戦しようと思ってやっていたわけではありませんし、ISをただ起動しつづける為だけに使うなんてもったいないから、正確な記録なんてありませんしねぇ……」

「前に姉さんが言っていたが、本人の根気が尽きなければ大体平気らしいぞ」

「根気かぁ……」

 

 というか、箒は束からそんなこぼれ話を聞けるような関係だったのか、とイチカは思った。ひょっとすると篠ノ之姉妹の仲はもうそこまで悪くないのかもしれない。原因は間違いなくイチカだ。

 

「それより、鈴のことはどうしよう……。どうやったら話を聞いてもらえるかな」

「難しい話ですわね……。まずイチカさんの話は聞いてくれなさそうですし」

「かといって私達の話も聞いてくれるかと言えば、それはなさそうだぞ」

 

 今の鈴音は、怒りに我を忘れている状態だ。そんな状況では何を言ったところで相手の心には響かないような気がするが、かといって何もしないでいつまでも気まずい雰囲気というのは、イチカには耐えられない。

 

「そうだ。この際戦ってみれば良いではないか。実際に剣を交えれば誤解もなくなるだろう」

「いや無理だろ。何で思い出したように脳筋属性を引っ張り出してんだよ……」

 

 さも『良いこと思いつきました』と言わんばかりに言う箒に、イチカは呆れながら言う。たまにこうして変態以外の属性を見せておかないと、ただの変態Aという感じで没個性化してしまうのであった。

 

「では逆に、色仕掛けというのはどうです? イチカさんの水着姿を披露するのです」

「それ、絶対に火に油を注ぐ結果にしかならないから……」

 

 イチカの魅力が通じるのは、変態淑女だけである。

 忘れてはならないが、変態淑女はあくまで世界全体で見ればマイノリティであって、誰も彼もがイチカのあられもない姿を見ただけで涙を流して拝み倒すわけではない。…………とイチカは思っているが、世界は彼女が思っているよりもほんのちょっとだけ愉快である。

 と、バッサリ切り捨てたイチカだったが、セシリアの方も引きはしない。むしろ自信満々に胸を張り、

 

「いいえ。確実に全人類がイチコロですわ。あ、でもその前にテストが必要ですので個室で私と二人っきりで予行練習を……ぐふ、ぐふふ。ぐふふふ」

「……………………………………。どうしよっかなぁ…………」

 

 暗黒面に堕ちた変態から目を逸らしたイチカは、そう言ってぼんやりと廊下を眺めた。

 考えてみるが、やはり答えが見つかるはずもなく。

 

 ただただ、時間ばかりが過ぎて行くのであった。

 

***

 

 放課後。

 すべての授業を終えたイチカだったが、その頃には既に疲労困憊の様相を呈していた。

 まず、授業が分からない。少しでもついて行こうとISの能力強化を用いて処理能力を最大限向上して授業に臨んだのだが、それでも分からない。お蔭で処理能力回りの動かし方はだいぶ慣れたのだが、その代償として知恵熱でも出たみたいに頭がふらふらとしていた。

 それだけではない。ISアーマーを展開していないとはいえ、『普段通りに動く』のは世界最強の兵器の運用としてはけっこう難しく、細かな動作の微調整精度は上がったかもしれないが、それはかなり神経を使うものだった。そこにメンタル的な問題による体調不良、イチカの身体は戦う前に瀕死になっていた。

 

「あ、あとは、アリーナで、訓練……、……無理だな」

 

 そのイチカだったが、それでも自分の状態を省みるくらいはできる。こんな状況で訓練などした日には三日間ほどぶっ続けで昏睡状態になりかねないので、アリーナまで行って訓練中止を申し出るつもりだった。

 

「しっかし、まさかただISを装着し続けるのがこんなに負担のかかるものだ、と、はっ……?」

 

 かくん、と。

 そこで、イチカは自分の足から力が抜けたことに気付いた。どうやら、自分で思っている以上に疲労が溜まっていたらしい。ははは、とイチカは自嘲的な笑みを浮かべた。

 

「これじゃあ動けないよなあ……。一旦もとに戻ろうか。いや、戻ったらISの補佐でマシになってる疲労のせいで気絶しかねないぞ……」

 

 そもそも、ISを着ている状態というのは通常であれば普通よりも快適なのである。解除したら良くなるどころか、ISの保護が消えることによってよけいに疲労が悪化するだろう。

 こんなバッドステータスじみた状態になっているのは、ひとえにイチカの精神状態とISアーマーのすべてを展開していないという条件によるところが大きい。後者はともかくとして、落ち着いて冷静さを取り戻しさえすれば、すぐにでも元通りに戻れるはずなのだ。

 そう考え、とりあえず変身は解除しないで廊下の隅で蹲ることにしたイチカ。ゆっくりと呼吸を整えていると、段々と気が楽になってくるような感覚が――、

 

「ちょっと……ちょっと、大丈夫⁉」

 

 と、突然背後から少女の声がかけられた。放課後とはいえ、まだ日は傾いてもいない。生徒に出くわす可能性は普通にあったなあ、なんて思い返しつつ、イチカは呼吸を整えながらゆっくりと頷いた。しかし、それでは少女の方は納得できなかったらしい。

 

「強がり言ってんじゃないわよ、良いから、保健室まで運んだげる!」

「ご、ごめん……。ありがと」

 

 ひょい、と軽々抱えられ、イチカは礼を言う。少女の身体は、華奢なイチカの身体よりもさらに華奢だった。思わず驚いて、イチカは少女の顔を見上げ、さらに驚愕した。

 

「礼なんて良いわ、よ……」

 

 そして、相手の方も同じように驚愕していたようだった。

 凰鈴音。

 朝にはあれほどイチカのことを敵視していた少女だった。

 呆然と鈴音が何かを呟いていたが、その言葉は疲労でいっぱいいっぱいなイチカの耳には届かなかった。

 

***

 

 どうやら、鈴音の誤解は既にとけていたらしい。

 

「……今朝は、悪かったわね」

 

 保健室にイチカを運び込んだ鈴音は、開口一番にそう言った。あの時、千冬に『頭を冷やせ』と言われ、冷静になって考えてみたのだろう。そう、冷静になって考えればすぐに分かることだ。学園に一夏の影武者として少女を入学させたって、そんなのすぐに諸外国にバレるのだから隠蔽の意味がない。ましてそんな少女がわざわざクラス代表に抜擢されるわけもなければ、専用機をわざわざ与えられるわけもない。

 それらすべてに筋が通る可能性としてはイチカが何らかの方法で一夏と繋がっており、そのデータをモニタリングしている――というものが考えられるが、そんな大がかりな可能性を想像するくらいなら、一夏が女になってしまった可能性の方が現実的だろう。

 …………と、イチカは普通にそう思っているが、実際にはどちらも同じくらい荒唐無稽である。

 

「良いよ。気にしてない」

「……そ。ありがと」

 

 誤解がとけたのが嬉しくて、イチカは自然に笑みを浮かべていた。鈴音も、それに釣られるようにぎこちなくだが笑みを浮かべた。二人の仲直りのしるしには、それで十分だった。

 イチカはぽつぽつと話し始めた。特に何を伝えたいというわけでもなかった。ただ、自分の思っていたことを、鈴音に話したいと思ったのだ。

 

「……正直言うと、心細かったんだ。ISに乗るつもりなんてまったくなかったのに、関わるつもりもなかったのに、いきなりこんなことになってさ」

 

 女になったときはわりと本気で精神的に参っていただけに、イチカは照れくさそうに笑いながらそう言った。もちろん、今はもう真剣な意味で心細いと思ってはいない。

 ただ、今度はツッコミとボケの比率的な意味で心細かった。変態のセクハラまがいのボケと戦う日々。ツッコミ役であるイチカがセクハラの対象なので、正直ツッコミにも限界があったのである。

 だから、鈴音が転入してきたと知って、イチカはまず『味方ができた!』と喜んだ。その後にあんな勘違いをされたので、精神的に参ってしまったのだが。

 よくよく考えてみれば、あの時点で変身の解除を申し出るべきだったのかもしれない。練習も大事だがそれで倒れてしまっては元も子もない。体調管理も特訓の大事な要素の一つである。

 では、そうしなかった理由は何かと考えると、イチカの中で思い当る節は一つしかない。

 

「でも、皆俺のことを受け入れてくれる良いヤツばっかりだからさ」

 

 何だかんだ言って、イチカは女の子になった自分を見たらドン引きされると思った。しかし実際のところ、クラスどころか学園中の皆が普通に――普通とはいったいなんだろうという疑問は、とうに投げ捨てた――接してくれている。それが嬉しかったからだ。ただ、ちょっと行き過ぎている部分はある、とイチカも流石に思う。

 

「それはそれで有難かったし支えになったけど、やっぱり……なんていうか、こう……」

 

 セクハラとか、セクハラとか、セクハラとか。よくしてくれるのは嬉しいが、一日一〇〇擦り半とか、盗撮とか、そういうのは勘弁してほしい。

 ただ、そんなことを包み隠さず鈴音に言えるほどイチカはオープンじゃないので、自分の体調管理も出来ないようじゃ駄目だな――と誤魔化して笑う。こういうところがあるから、変態を助長させるのかもしれないとイチカは内心で涙しつつ思った。でもそこは絶対崩しちゃいけないラインだとも思う。

 しかし、イチカのメンタルにダメージを与えた張本人である鈴音は深刻な意味にとったのか、今にも泣きそうな顔で言う。

 

「ほんとに、ごめん。あんな風に言ったの……すごく、後悔してる」

「だから、良いって。気にするなよ」

 

 予想以上にイチカを影武者だと勘違いしていたことに罪悪感を抱いているらしい鈴音に、イチカは逆に困ってしまう。確かにパフォーマンスがガタ落ちするほど落ち込みはしたが、解決したのならそれはそれだ。あんまり気にしすぎて、ぎくしゃくする方が嫌だ。

 

「……ただまあ、気が咎めるっていうんなら、普通に接してほしいかな。クラスのヤツらもそうだけど、変に特別扱いされると、疲れる」

 

 この上鈴音まであの変態のようになったら、イチカの味方は地球上からいなくなってしまう。その時はもう、アマゾンの奥地か群馬県にでも逃げるしかないだろう。

 そんなイチカの心境を理解したのか、鈴音はイチカを安心させるような声色で、くすくすと口元を抑えて笑いながら言う。

 

「あはは、分かったわよ。それじゃあ、あたしのことも遠慮なく接してくれていいから」

「分かった。…………鈴?」

 

 そういえば、とイチカは思う。この学園で鈴音と再会してから、こうして名前で呼ぶ機会はこれが初めてなのではなかろうか、と。実に一年半ぶりに呼ぶ名前に、少し自信なさげに首を傾げる感じになってしまった。その所作は実に少女っぽく、多分セシリアがこの場にいたらIS学園の白い制服を真っ赤に染め上げて卒倒していたことだろう。こういうところは男の時の天然ジゴロと何一つ変わらないイチカなのだった。

 

「(……こりゃ、アイツの影武者に抜擢されるのも納得だわ)」

「へ? 抜擢?」

「そういうところもそっくりなのね」

 

 ボソリと呟かれたからか鈴音の言葉を聞き取れなかったイチカだったが、鈴音は同じことを二度言わない。というか、恥ずかしいから聞こえないように小声で呟いているのである。二度同じことを言うわけもなかった。イチカもそれで慣れっこだから、それ以上鈴音の真意を問うことはしない。

 鈴音は呆れつつ、イチカのベッドに腰掛ける。

 

「ねえ、明日って土曜日じゃない。遊びに行きましょ」

 

 突然の申し出に、イチカは驚いた。中学生時代も遊びに誘われることはあったが、大体はもう一人の友人――五反田弾と一緒だったり、二人きりで出かけそうになっても弾の妹の蘭が乱入してきたり、鈴音が何故か突然怒り出したりしてご破算になることが多かったからだ。

 鈴音から二人きりで出かけようと提案された時も、もっとガチガチに緊張して、戦に赴くような感じで言われていたのをよく覚えている。それこそ今の様に『まさしく友達を遊びに誘う』ような感覚で言われたことなど一度としてなかった。

 

(鈴も向こうで一年半も過ごしてたんだし、大人になってるよな……。なんか、置いて行かれた気分だ)

 

 わずかな寂寥感を覚えつつ、イチカは内心で鈴音の成長を喜んだ。しかし、同時に戸惑う思いもあった。

 

「でも俺、練習が……」

 

 セシリアと箒との特訓は毎日ある。そうでもしないとクラスマッチに間に合わないし、まだ訓練が始まったばかりなのに遊びに行くから休ませてくれとは、とうてい言えない。

 しかし、鈴音はそんなイチカの懸念を既に読み取っていたのか、得意そうな表情ですらすらと解決策を言ってくる。

 

「目下最大の敵と遊びに行けるのよ? もしかしたら情報を聞きだせるかもしれない。……そう考えたら、一日練習を潰す価値もあると思わない?」

 

 そう説明されて、イチカは『なるほど』と思った。確かに、鈴音という敵と一日過ごせば、それなりにISの話題だって出て来るだろう。イチカはISに乗り始めてから日が浅いので同じように情報を分析されても特に痛くもかゆくもないが、鈴音はそうではない。色々と話を聞ければそれだけイチカは有利になるというわけだ。

 

「分かった。良いよ、頼んでみる。セシリアだって、そう言えば納得してくれると思うしさ」

「うん!」

 

 ……ころっと鈴音の詭弁に引っかかったイチカに、鈴音はにっこりと笑って頷いた。

 

「……、っと」

 

 それから、話がまとまったので早速セシリア達のところに戻ろうとしたイチカだったが、まだ身体の調子が戻っていなかったのかよろめいてしまう。しかし、それを待ち構えていたかのように鈴音がイチカを支えてくれた。女の子になっているとはいえ、一回りは大きなイチカを支えておいて、鈴音は一歩もよろめかずどっしりと構えていた。

 それを見て、また随分と差がついちまったなぁ、とイチカは心のどこかで思う。しかし、それは寂寥感ではなかった。追いつき、追い越していく目標。それが新たにできただけだ。

 

「……これからよろしくね、イチカ」

「…………ああ。よろしくな、鈴」

 

 鈴音は、友達としてそう言ったのだろうけれど。

 イチカは、新たなライバルに対して、()()()()()()()()()()そう笑いかけた。

 

***

 

 鈴音の力を借りてアリーナに辿り着いたイチカは、これまでのいきさつなどを説明した上で、明日の練習を中止にしてくれるよう頼み込んだ。セシリアと箒の性格を考えると、それなりに交渉は難航するかに思われたが――、

 

「もちろん、構いませんわ」

「ああ。私も、何ら異論はない」

 

 意外にも、セシリアと箒はイチカの休憩を快諾してくれたのだった。

 

「倒れるほど疲労がたまっていらっしゃるのでしたら、無理に訓練を続けても効率が悪いですわ。一日休憩を取るのも良いでしょう」

「それに、対戦相手とはいえ一年半ぶりにあった友人なのだろう? イチカだって、色々と積もる話もあるだろうし、旧交を温めるといい」

 

 あまりにもあっさりすぎる決着に、イチカは不信感を募らせる。基本的に、この二人はシビアだ。何か理由がない限り特訓の休みなど門前払いだろう。だからこそ、事情を説明するための一悶着があると思っていたのだが……こうもあっさりしていると、何か裏があるのでは? と疑ってしまう。主に、変態的な方面で。

 スカートを穿くように仕組んだ上で町中のマンホールに監視カメラを仕込んで四六時中イチカのパンツをモニタリングしようとしていたりだとか、着ぐるみに扮してイチカをなでこすりしたりとか、この二人ならばそんなことくらい簡単にやってのけそうだ。

 

「その代わり、明後日からはビシバシ行くぞ」

「ええ。きちんと敵の情報も聞き出してくださいましね?」

 

 ……そんなイチカの疑心暗鬼に応えるような二人に、イチカは自分の考えすぎを悟った。この二人には、イチカがわざわざ説明するまでもなかったのだ。そんなことしなくとも勝手に今回の提案の有用性を導き出して、それだけではなくイチカの気持ちまで先回りして汲み取ってくれたのだ。

 というか、そもそもすでに誤解はとけているんだし、男のまま遊びに出かければ二人もセクハラしようとは思うまい。あくまでロックオンされているのは一夏ではなく、イチカだけなんだし。

 そして、二人に変態的な疑いを投げかけてしまった自分をイチカは恥じた。確かに普段は変態の限りを尽くしている二人だが、イチカになる前がそうであったように、誇り高かったり、幼馴染思いだったりとした一面は確かにあるのだ。イチカになってからは、それはもう酷い有様だったが、それは言わない約束だ。

 

 ちなみに、そんな感じで株を上げた彼女達変態淑女の本心はというと、

 

(箒さん。この様子、中国次期代表はイチカさんの中身がいったい何者なのか、把握できていないようですわね)

(ああ。おそらく明日は普通に新しく出来た友達と遊びに行くつもりなのだろう)

(友達と遊びに行くとなれば、一番可能性が高いのはショッピングですわよね。特に服)

(……つまり、何とかしてイチカを言いくるめて女の姿で外出させれば)

(イチカさんのことですから、きっと女らしさのカケラもない言動、服装で行きますわ)

(凰はその性格上、それを放ってはおけないだろう。それが意味するところは――)

 

 などとアイコンタクトを交わしている通りだった。

 そう。ISの教導に関して妥協のない二人が妥協するとしたら、それには彼女達のもう一つの側面――変態淑女の一面が関係している。

彼女達がイチカの一日休養を認めたのは他でもない。

 

『イチカに却下された、女の子用洋服購入イベントのフラグ構築』。

 

 変態淑女は、手段を選ばない。

 たとえ、自分が手を下せずとも。手を下す者が無自覚であろうとも。

 ――得られる萌え(リザルト)が同じなら、彼女達は喜んで裏方に徹する。

 今、過去最強の敵が静かにイチカに狙いを定めていた――。



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第七話「本編(前編)」

 案の定というか、翌日もイチカは女の子になった。

 もちろん、イチカも今日は男のままで向かうつもりだったのだが――……、

 

『いかに休暇を認めたと言えど、訓練できる限りはすべきですわ。我々に与えられた時間はそう多くないのですし、中国次期代表もそこは分かってくれるはずです』

 

 というセシリアの有難い詐術(アドバイス)にあっさりと納得したイチカは、その裏にある意図を疑いもせずに変身していたのだった。そろそろ学習するべきである。

 さてそのイチカの格好は、普段着ているIS学園のものではない。街へと繰り出す関係上、制服を着ていると目立つのだ。なので、イチカは適当に自分の持っていた私服から着られそうなものを引っ張り出して身に着けていた。やはりどこか丈余りな感は否めないが、悪くはないな――とイチカは鏡の中に映る自分を見て思う。

 男物の白い半袖Tシャツ。男の自分が着ているときは普通だが、この姿になると太腿の半ばあたりまで覆ってしまっている。これだけでミニスカートか何かのように見えるが、流石にそういう感じで着こなすのはイチカには難易度の高い所業だったので、普通に迷彩柄のズボンを穿くことにした。案の定サイズが大きすぎてずり落ちそうになるが、そこはベルトと裾捲りと気合でカバーした。気合の割合はおよそ一割である。

 イチカ自身は服装のセンスなどまるで気にしておらず、顔だけ見て『何だ俺意外といけてんじゃん』なんて血迷った感想を漏らしているのだが、どう考えてもファッションにルーズな少女すぎて目を覆いたくなる格好だった。

 そんな格好に身を包んでいるものの、客観的に見てイチカはやはり美少女だ。黒檀のような艶を持つ漆黒の髪、大きく丸い瞳は覗き込んでいたら吸い込まれそうなほど奥深い夜空のような黒。それと双璧を成すかのように映える、白磁のような白い肌。儚ささえ感じられるほどに真っ白なのに健康的な赤みの差したその肌は、不思議な色気を感じさせる。

 見れば見るほど、美少女。それは男の時に鈍感だったイチカでも分かる。もしかしたら、今まで自分が見たどの少女よりも可愛いかもしれない――とそこまで考え、鏡の中の少女はイチカを馬鹿にしたように苦笑した。

 それはいくらなんでも、自意識過剰というものだ。

 寝ぐせももうないし、さっさと鈴音との待ち合わせ場所に行こう、とイチカは洗面所から出て、扉の隙間からイチカの姿を盗撮していた箒に微妙な笑みを投げかけてから部屋を出た。今、イチカは何も見なかった。

 

***

 

 鈴音との待ち合わせ場所はIS学園の校門――本校舎入口前だった。

 巨大な敷地を持つIS学園の校門はもはやゲートと呼んで差支えなく、ちょっとしたランドマークのようですらあった。とはいえ、この一ヶ月寮住まいのイチカにとってはまだ新鮮な場所だ。

 鈴音は、そこに一人で立っていた。

 オレンジ色の半袖Tシャツに、オリーブ色のオーバーオール・ミニスカート。活動的な鈴音らしいコーディネートだ。イチカや弾と遊ぶときよりもさらに垢抜けている印象だった。というより、似合っている……ボーイッシュな雰囲気というべきだろうか。一年半くらい前の鈴音の服装は、どことなく女の子らしい『オシャレ』な感じがあってらしくないなぁ、とイチカも思っていたものだ。今の鈴音は、そんなこと気にせず自分に合うファッションをしている。

 

「お、来た来た」

「よ、鈴。おまたせ」

 

 片手をあげて鈴音の前に立ったイチカの口からは、素直な感想が出て来た。

 

「それ似合ってるな」

「ありがと。でも、アンタの方は……」

 

 特に気負った様子もなく礼を言った鈴音は、イチカの頭からつま先までを見て、渋い顔をする。

 イチカの格好は男物の白いTシャツに、迷彩柄のズボン。勿論、ズボンは丈余りで裾の方を捲りまくっている。……とてもではないが、高校生になる女の子のファッションではなかった。何と言うか、お兄ちゃんのおさがりを無理やり着ている小学生のような痛々しさと同居した微笑ましさがある。

 

「ダメダメね」

「ええっ⁉」

 

 ばっさりと自分のコーディネート(と呼んでいいのだろうか……)を切り捨てられたイチカは、驚愕したような声を上げた。鈴音はそんなダメファッション少女イチカの頭に軽くチョップを繰り出す。

 

「いてっ」

「アンタねぇ、流石にコレはないわよ。何これ、全部男物じゃない。全然アンタに似合ってないし。百歩譲って白Tまでは良いとして、下は他に何かなかったの? ホットパンツと黒のサイハイとか。あと、これなら中にタンクトップとか着ないと……襟口広くないから微妙かなぁ」

 

 言いながら、鈴音はTシャツの着方にも納得が言っていないのかイチカの肩に手をかけ、Tシャツの傾きを微調整しようとし、すぐに目を丸くした。Tシャツの下にあるべき『もの』が、影も形もなかったからだ。ついでに言うと、Tシャツの傾きを調節しようとして引っ張った拍子に隙間から『見えて』しまった。

 つまり。

 

「……あ、アンタ、何でブラしてないの⁉ 白Tなのに‼ ば、ば、馬鹿‼ すぐ隠しなさい‼‼」

「え? ⁇ ⁇」

 

 突然血相を変えて慌て出した鈴音に、イチカはわけも分からず頭から疑問符を飛ばすことしかできない。

 対する鈴音はあたりを見渡して一夏に羽織らせるものを探そうとし、そんなものはないと悟って(かぶり)を振った。イチカの胸があまりなかったのが、幸いか……。

 ノーブラ。それは女性にとって防御力ゼロを意味する。そして白のTシャツとは、肌が透けやすい衣類の代名詞である。五月のぽかぽか陽気を二人で外出すれば、当然ながらうっすらと汗をかく。そうしたときに防御力ゼロの衣服がどんな悲劇を齎すかについては――わざわざ説明する必要もないだろう。鈴音は、友人にそんな悲劇を体験させたくはない。

 

「……イチカ、町についたらまず服屋に行くわよ。アンタのその文字通り致命的なファッションセンスをどうにかするから。それと、それまでずっと前かがみでいること。あたしの後ろにぴったりくっついて、なるべく体の前面を見せないようにして」

「……何で?」

「な・ん・で・も・よ‼ このお馬鹿‼ 何でアンタそんなに無防備なのよ⁉ 自分のこと鏡で見たことないの⁉」

「いや、あるけど……。可愛い顔だなぁって自分でも思ったよ」

「自分で言うなそれはそれでなんかむかつくから‼ あと分かってるんならもう少し外見に気を使え無防備すぎてちょっとドキッとするレベルよそれ‼」

 

 ベシイ! と昂ぶった鈴音はイチカの脳天にツッコミを叩き込む。うぎゃあ、と小さく声を上げつつも、イチカは何故自分がツッコまれているのか全然分かっていなかった。

 なお、鈴音の言葉に他意はない。本当に同性でも『この子、大丈夫か?』という意味でドキッとしてしまうのである。変態淑女なら『この子、誘ってるのか?』という意味でドキッとしかねないところだが。

 

「大体、なんで女物の服とか着ないのよ」

「いや、俺、男物の服しか持ってないし……」

「何で男物の服しか持ってないのよ?」

「そりゃ、俺は男だからなぁ」

「……、…………ああ、なるほど。アンタも難儀ねぇ……」

 

 イチカの言葉に、鈴音は何やら納得した風で頷く。分かってくれたか、とイチカが安堵するのもつかの間、鈴音はビシ! と人差し指をイチカに突きつけて言う。

 

「こうなれば仕方ないわ。アンタも色々と大変でしょうし、今日は特別にあたしが面倒見たげる。服代は全部あたしが持ってあげるから、私服買い溜めするわよ」

「は⁉ いや、それは流石に悪いって! 金くらいなら俺出すし、っつかそんなに着る機会もないんだからわざわざ買わなくたって……、」

「い・い・わ・ね⁈」

「……はい」

 

 女は強い。イチカも外面は女の子だが、中身は男なので、鈴音の決定には逆らえないのだった。

 ただ、鈴音は何だかんだ言いつつイチカの服を選ぶのを楽しみにしていたし、イチカの方も多分に女性仕様とはいえ友人と街に繰り出すのは悪くない気分だった。

 

***

 

 そんな二人を、物陰から見守る――いや、覗き見ている影が二つあった。

 篠ノ之箒と、セシリア=オルコットだ。

 イチカのお出かけとあっては、当然黙って見過ごす道理などない。イチカは女の子としては幼稚園児並みの警戒心しか持ち合わせていない。そのくせあんな隙だらけな格好で、隙だらけな雰囲気。そんな状態で街に繰り出せば、それはもうぽろぽろとボロを出してくれることだろう。

 二人は、そうして焦ったイチカを遠目から眺めて萌える為にここにいる。いざってときに助けるとかではなく、焦って半泣きになって鈴音の服の端を摘まみ助けを求めるイチカが見たいが為にここにいるのである。

 

「ついに……始まったな」

「ええ、そうですわね」

 

 二人も(おもに邪な理由で)イチカとお出かけしたかったろうに、そして申し出れば同行もできただろうに、不満は何一つなかった。

 自分達が混じって、直接セクハラに走るのもよいが――、

 

「……あの笑顔は、わたくし達では作れませんわね」

「…………ああ、そうだな」

 

 そう、セシリアは目元を緩めた。

 自分達は、あの場に立てばきっと耐えきれずにイチカにセクハラしてしまう。ぶかぶかの白Tを前に、蛾が灯りに吸い込まれるように服の下の小さな丘に指を滑り込ませてしまうだろう。

 それはそれでいいが(よくないが)、せっかくの初女の子モードでのお出かけなのだ。イチカは自然体のままで楽しんで欲しい。彼女の笑みを困惑とツッコミに染め上げるのも悪くないが(悪いが)、今は友人と屈託のない笑顔で笑い合ってほしい。それが、二人の願いだった。

 

 ……これで望遠レンズつきのカメラを片手に、締まりのない笑みを浮かべて鼻から赤い情熱さえ垂れ流していなければ完璧だったのだが、生憎二人はどこまで行っても変態淑女だ。

 イチカを今日一日()()()()いるのは、十分な撮れ高が見込めるから。鈴音は二人の目論見通り、イチカの服を買うことに決めた。既に町にある全ての服屋の更衣室には監視カメラを仕込んである。

 そして、二人だけが知っている事実がある。

 イチカは、女物の下着を一着も持っていない。白のTシャツなんて着てしまったものだから(あるいはそれしか着るものがなかったのか)ISスーツを着るわけにもいかない。

 そして、更衣室の覗き見により箒はある事実を知っていた。イチカは――男のときのトランクスパンツを、今も穿いている。ズボンだからこそ辛うじて穿ける代物だ。これがスカートやホットパンツになれば、当然脱がなくてはあるまい。そう、監視カメラつきの更衣室の中で、だ。

 つまり、イチカは遠からずその全てをカメラの前に曝け出すことになる。それに比べればお出かけの一回がなんだというのだろうか。一〇〇のお出かけよりも一の濡れ場。それが、変態淑女の基本である。

 

「クク……楽しくなってきたな」

「ええ、全く。時は満ちました。今こそ、イチカさんの全てを我々の手中に収めるとき」

 

 二人の変態淑女は、そう言って笑い合う。

 無垢な少女の身に、汚らわしい魔の手が迫っていた。

 

***

 

「電車、空いてて良かったなぁ」

「あたしはもう気が気じゃなかったわよ……」

 

 IS学園から出ているモノレールに乗って近くの街まで降り立ったイチカと鈴音は、対照的な様相を呈していた。初めて――この一か月殆どIS学園の外に出ておらず、またIS学園の近くは地元ではない――やって来た街に目を輝かせるイチカと、『透け』を気にしすぎて電車の中でも全く気の休まる時間がなかった鈴音。もういっそイチカに全て指摘してしまえばいいのだが、流石にそれをしたらイチカは真っ赤になってしまうだろう。武士、もとい女子の情けとしてそれだけは勘弁してやりたかった。

 

 現在地は駅前にあるショッピングモール『レゾナンス』の二階。

『レゾナンス』は総合ショッピングモールを銘打っており、食事から服飾まで何でもござれな品ぞろえを見せている。二階は服飾コーナーであり、此処では制服から水着まで揃えていないものはないという触れ込みすらあるほどだ。ときたま怪しげな衣装を購入していくカップルもいるが、『楽しみ方』は人それぞれなので見なかったふりをしておいてあげよう。

 閑話休題。

 大手ショッピングモールである此処は電車に地下鉄、バス、タクシーとあらゆる交通網が近くに整備されており、休日であることも手伝って人通りは最高潮に達していた。イチカは新鮮そうにそれらを眺めているが、明らかに観衆の視線はイチカに集まっている。主に男の視線が目立つあたり、イチカの格好の薄氷加減が分かるというものだろう。

 

「まず、下着からね」

「お、おう……」

「イチカ、自分のスリーサイズ分かる?」

「……、」

 

 嘘の吐けない男(今は女の子だが)イチカは黙ることしかできなかった。鈴音は呆れたようにはぁ、と溜息を吐く。溜息を吐かれたイチカは心外だという表情をしたが、乙女の先輩モードとなった鈴音の機先を挫くことはできない。

 

「仕方ないヤツねぇ。測ってもらうわよ」

「ええ! 嫌だよ、知らない人に裸を見せるとか恥ずかしいし……」

「でもアンタどうせ測り方すら知らないんでしょ?」

「…………」

 

 嘘を吐けないイチカは、俯き加減のまま上目づかいで鈴音を見つめる。ちょっと涙目なのが実に可愛らしかったが、変態ではない鈴音にその攻撃は通用しない。

 

「そんな顔してもダメなもんはダメよ。……そんなに嫌なら、代わりにあたしが測ってあげようか」

 

 ……訂正しよう。ちょっと照れくさそうにしているあたり、上目遣いの可愛さでは堕ちていないが、自分を頼って来る健気な一面にはほだされかかっていたようだ。

 対するイチカは、地獄に差しのべられた救いの手に顔をぱあっと明るくさせ、鈴音に抱き付く。

 

「ありがとう、鈴っ!」

「うわっ、ちょ、イチカ! こんなところで抱き付かないでよ!」

 

 とか何とか言っているうちに、件のランジェリーショップにやって来た。店先にある下着姿のマネキンを見て、順調だったイチカの歩みが急に止まった。

 

「……イチカ?」

「いや、あの、えっと……」

 

 イチカは僅かに頬を赤らめ、なるべく下着姿のマネキンを視界に入れないように目を背けていた。女性に免疫のないイチカとしては、たとえマネキンであっても下着姿の女性を象ったものというのは見ているだけで気まずくなるものである。ましてランジェリーショップの中など男にとっては真空地帯に等しい。中に足を踏み入れるだけで窒息しそうになるほどの息苦しさを感じるのだ。

 

「何いまさら尻込みしてるのよ! さっさと行く!」

 

 しかし、鈴音はそんなイチカの心情など一切斟酌せずに無理やり引きずり込む。イチカは嫌がりつつも鈴音に逆らえずに入って行ってしまった。

 そして、下着、下着、下着、下着、下着。

 白いものからピンク色のもの、レースをあしらったものもあればスポーツブラなど布地のものまで、種類はそれこそ数えきれないほどあった。それら全てが、地味にISによって強化されている認識能力によって脳内に拾われていく。そして、扇情的なデザインのものばかりが目についてしまう。

 イチカは、想像した。

 様々な下着を身に着けている自分の姿を。

 レースが施された純白のランジェリー。白式と同じカラーリングだからか、何となく自分に映えるなぁとイチカは思った。想像の中では、比較的幼い体つきのイチカにレースの施された下着が微妙なアンバランス感を醸し出していたが、しかしそれが一見すると子供にしか見えない少女も実は大人なのだという意外性を感じさせていた。そして何より、下着がエロい。自分がそんなものを着て、しかもそれを他人に見せているというシチュエーションはあまりにも倒錯的だった。

 見せている相手は、誰なのだろうか? もしかして、男の人だったりするのだろうか? 自分が、『そうなる』可能性を秘めているのだろうか?

 

 ………………………………………………………………………………………………………………。

 

「ねえねえイチカ、これなんて良いんじゃない? ……ってアンタ、大丈夫?」

 

 そう言って鈴音が差し出して来たのは、ライトグリーンの下着だった。目に優しい、そして幼い体つきのイチカに良く似合う色合いだった。下着は下着だがそこまで色気というものも感じられない。これを着ている自分を想像しても、姉の下着を洗濯していて耐性のあるイチカにしてみれば『ああ、下着姿だな』としか感想を抱けないくらいだ。先程までのイメージがあまりにも刺激的すぎただけでもあるが。

 

「あとこっちのピンクのも可愛いと思わないかしら」

「う、うん……。そ、そうだな……」

 

 イチカは自分の妄想っぷりを恥ずかしく思いながら頷いた。

 この有様では、セシリアや箒達のことを言えないではないか。ランジェリーショップの雰囲気に()てられすぎだ。イチカは我に返って落ち着きを取り戻した。

 なお、その後方ではオペラグラスを片手に赤面したイチカを観察し、(鼻血で)赤面していた変態淑女二人がいたことを追記しておこう。このくらいで変態淑女と同類になってしまった気になっているイチカは、まだまだ救いようがある。

 

「あっ、そっか」

 

 どうにも興が乗っていないイチカを見て怪訝な表情を浮かべていたが、鈴音はふっと何かに納得して頷いた。イチカは『何に気付いたんだろ?』と首をかしげたが、次の瞬間鈴音の言った言葉でさっと顔を青褪めさせることになる。

 

「そういえばまだスリーサイズ測ってなかったわね。店員さんにメジャー借りて来るからちょっと待ってて」

 

 そう。ランジェリーショップに中てられたせいで忘れていたが、スリーサイズを測らなくてはならないのだ。

 ……人前で、それも女の子の前で、服を脱ぐ?

 イチカ的にそれはいけないことだった。いくら外見的には同性でも、精神的には立派な異性である。

 

(ど、どうしよう。逃げ……いや無理だ。絶対すぐ見つかるし、何より鈴に怒られるし)

「お待たせ。……良かった、逃げてなかったわね」

「はぇえ⁉ ななななな何で逃げる必要があるんですか⁉」

「……逃げてたら、そこにあるネグリジェとTバックが融合した黒くてスケスケの破廉恥極まりないランジェリーを着せているところだったわ」

 

 世にも恐ろしい鈴音の告白に嘘の吐けない少女イチカはただひたすらがくがくがくがくがくーっ‼ と震えるしかできなかった。思い止まって良かったと本気で思っていたが、鈴音がくすくす笑っているあたり実はただからかわれているだけなのであった。もちろん、イチカは気付いていないが。

 

「んじゃ、更衣室に行きましょうか。そこで測ったげるから」

「う、うう……」

「恥ずかしがってんじゃないわよ。女同士なんだからさ」

「そ、そりゃそうなんだけどさぁ……」

 

 確かに今は女同士だが、内面は違うのである。男が女の状態で女に裸を見られるというと色々とイレギュラーが多すぎて恥じらうべきか否か悩んでしまいそうになるが、やっぱり異性に裸を見られるのは何か恥ずかしいはずなのである。

 と言いたいところなのだったが、ザ・押しに弱い少女イチカは鈴音に引っ張られるままに更衣室へと吸い込まれていってしまった。

 

***

 

「……ッッッ良し‼ 良ォォおおおしッッ‼‼」

「面白くなってきましたわァああ……! 宴はこれからですわよ‼」

 

 そして、変態淑女はISの情報処理能力をフル稼働させてこのランジェリーショップに設置した盗撮用隠しカメラにハッキングをしかける。

 

***

 

「はい、腕挙げて」

「う、鈴~……」

「分かってる、脱がせたりしないから安心して」

 

 更衣室に入るなりイチカの腕を上げさせる鈴音に、思わずイチカは情けない声を出してしまうが、鈴音はそんなイチカの心もきちんと把握しているらしかった。服を脱がせたりせず、そのままシャツの裾から腕を突っ込む。

 腕でシャツがまくれ上がり、イチカの引き締まったお腹だけでなく鳩尾のあたりまでが露わになるが、肝心の部分については辛うじて隠されている状態だった。どこかで『ヂィィッッ‼‼』と凄絶な舌打ちをする音と『ぶぼっっ‼』と凄絶な出血をする音が響いたが、更衣室の中にいる二人にそれは分からない。

 

「ひぁっ……」

「ちょっと、変な声出さないでよ」

「ご、ごめん。ちょっとひんやりして……」

 

 胸にメジャーを当てられたからか、イチカはどこか落ち着かなさそうに身を捩らせる。

 その様子を隠しカメラにて確認していた変態淑女二人は盗聴機能を取り付けていなかったことを血涙を流す勢いで後悔していたが、そんな中でも話は進んでいく。

 

「トップは……七九・八センチね」

「それ、大きいの? 小さいの?」

「わりと小さい」

「鈴よりは?」

「ブン殴るわよ」

 

 鈴音は額に青筋を浮かべて、

 

「そもそも、胸の大きさってのはトップだけじゃ分かんないのよ。トップ(最大値)とアンダー(最小値)の差で胸の大きさっていうのは決まるわけ。世の間抜けな男どもは勘違いしてるけどね、絶壁だなんだ言われてるけどあたしは一〇センチも胸があるの! 一〇センチもあれば十分じゃない! ほら、挟もうと思えば、挟まるし…………指とか、挟まるし……!」

「で、一〇センチって何カップなの?」

「…………Aカップ……」

 

 苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てる鈴音に、イチカは何か申し訳ない気持ちになった。

 

「…………そんなに胸って重要か?」

「うるさいわね! 確かにあんまり重要じゃないけど、なんかムカつくじゃない! 胸が小さいってだけで馬鹿にされるの!」

 

 それは一理あるな、とイチカは思った。別に胸なんか大きくたってえらいわけじゃないんだし、そんなので勝った負けたと考えるのは器が小さい。イチカの周囲には千冬とか箒とか束とかとにかく胸の大きな女性がたくさんいたので、彼女はその有難みを忘れているようだった。

 

「んじゃ、アンダーも測るわよ、見てなさい、どーせアンタだってAカップになるに決まってんだから……」

「あひぁ」

「だから変な声出さないの」

 

 すっと胸のすぐ下にメジャーを巻きつけられたイチカはまたも変な声をあげてしまう。しかし二回目なので鈴音も大して構わずにさっさと測り終えて、アンダーのサイズを確認する。

 

「……六七・三」

 

 ぼそり、と鈴音が呟く。

 その言葉を聞いて、イチカは拍子抜けしたような表情を浮かべた。

 

「ってことは――一二センチか。なんだ、鈴とあんまり変わらなかったな」

 

 女の自分のスタイルというのは、自分事なだけに気になるが、所詮いっとき、かりそめの姿である。なのであんまり関心がないのでそんなことを言ったが、対する鈴音のリアクションは強烈だった。

 

「変わるわよ‼ 一二『・五』センチ‼‼」

「えっそんな小数点以下までカウントしなくても……」

 

 思わず後退りしそうになるイチカだったが、鈴音はさらに詰め寄る様にして言う。

 

「一二・五センチはBカップなのよ‼‼‼」

「あの、声……」

 

 もはや暴走状態に陥った鈴音はイチカの言葉など聞いていない。もうイチカは更衣室のカーテンの防音性にすべての望みを託すしかなくなっていた。

 

「あたしが、あたしがどれだけ……! どれだけこの二・五センチの差を埋める為に頑張って来たと思っているの……⁉ たくさん食べて脂肪をつけようと思っても腹にばっかり肉がいきやがって、そっちじゃねえんだよ聞き分けの悪りい脂肪だなコラ‼」

「鈴、キャラが……」

 

 最後の方は口調が乱れに乱れていた鈴音をなだめるように、イチカは鈴音の肩に両手を置く。ややあって平静を取り戻した鈴音は息を荒げながらも、とりあえず会話は出来る程度には落ち着いたらしかった。

 胸の話題は、地雷。

 本人は気にしてない風を装っているが、明らかにコンプレックスになっている。貴重なツッコミ要員をボケに回さない為にも、この話題は封印しよう――とイチカは思った。

 

「……こほん。アンタはカップサイズがBでアンダーバストが六七センチだから、ブラは『B六五』のものを選ぶのよ。良い、覚えておいてね。アンダーのサイズが近い方で選ぶんだからね。それと、アンタ身長はまだ伸びてる?」

「ん? まだ伸びてるけど」

「それじゃあ、ブラがきつくなってきたと思ったらまた測り直すのよ。測り直さないで目算で新しく買い換えると、サイズの合わないブラをつけるのってけっこう苦痛だから」

 

 それは、ひょっとして実体験からか――? と思ったが、イチカは言わないでおいた。まだまだ命が惜しい。

 

「次! ウエスト!」

「はっはい」

 

 切り替えるような鈴音の号令にビシッとしたイチカはそのまま服をたくし上げる。どこかで変態淑女二人が盛大に出血したが、それは気にしてはいけないのだった。というかセシリアはともかく箒はついこの間までノーマルだったはずなのだが、何が彼女をあそこまで駆り立てるのであろうか。

 

「んひっ」

「変な声上げない……。っつーかアンタホントに細いわね……。えーと、五四・八センチ。……アンタちゃんと食べてる?」

「いや、お昼たくさん食べるぞ?」

「全食ちゃんと食べろっつってんの! これちょっと細すぎよ、あと二センチくらい増やしなさい!」

 

 二センチなんて大したことないんじゃ……とイチカは思ったが、多分そこは女性にしか分からない大事な線引きなのだろうと思うことにした。細すぎてバテてもロクなことにはならないし。

 

「次はヒップを測るわよ。ズボン脱いで」

「お、……おう」

 

 鈴音の指示に従ってイチカはズボンを脱いでいく。カチャカチャとベルト金具が音を立てていくのを聞いて、イチカはひょっとして自分はとんでもなく恥ずかしいことをしているんじゃないかと思い始めて来た。今更である。

 すとん、とズボンが落ちると、イチカは一気に自分の下半身が涼しくなるのを感じた。まるでそこだけ一糸纏わぬ状態になっているかのような――、

 

「――あれ?」

 

 そう、一糸纏わぬ状態になっているかのような感覚を感じてイチカは自分の下半身に視線を向けた。

 パンツを――――穿いてない。

 いや、違う。脱げたのだ。もともと、イチカのパンツは男用で、イチカのヒップのサイズには合っていなかった。そこに緊張しながらズボンを脱いだものだから、勢い余ってパンツまで脱げてしまったのだ。

 幸いだったのは、ちょうどそのときヒップを測る為に鈴音がイチカのヒップ周りに後ろから手を回していたおかげで、大事なところは鈴音の手によって隠されていたところか。流石にモロで見てしまった日には、イチカは恥ずかしくて死んでしまうだろう。

 鈴音自身も、イチカの背中に貼りつくようにして、ちょうど頬を背中にくっつけている状態なのでイチカの惨状にはまだ気付いていないようだ。 咄嗟に鈴音の手を両手で押さえつけて大事なところの防御を完璧にしたいイチカだったが、それをしたら即ち待っているのは『接触』であり、然るのちに友情の終焉が待っていることくらいは鈍感なイチカにも分かった。

 

「あ、あのっちょ!」

「? 何よ、急に慌てだして。すぐ測るからちょっと待ってなさい」

「いやァあああああああああ待ってまだ測らないで‼」

 

 思わず女の子みたいな(女の子だ)悲鳴をあげてしまったイチカだったが、その剣幕が逆に正解だったらしい。鈴音は面食らって手の動きをぴたりと止めた。イチカはその一瞬の隙を突いて一瞬だけ右手の装甲を部分展開、その分伸びたリーチでズボンごとパンツを上げる。そしてすぐさまISの装備を解除したのだった。

 ……この部分展開は代表候補生にしか使えない高等技術であり、イチカは今まで使えたためしがなかったのだが、どうやらこの極限状態でその技術をマスターすることに成功したようだ。

 

「イチカ……あのねえ、あんた」

 

 結果として、鈴音はイチカが恥ずかしがってズボンを上げたという風にしか認識できていないらしかった。イチカは内心と表面上で別々の意味を込めながら鈴音に詫びつつ、今度は慎重にズボンだけを降ろす。

 

「……っつか、アンタ、男物のパンツ……?」

 

 鈴音は改めてイチカの下着を見て呆れているようだった。

 

「…………つかぬことを聞くけど、これって新品よね?」

「ああ。っていうか服とかは大体IS学園に来てから買ってもらったよ。家からは持ち込めないからって」

「何でこんなとこまで徹底してんのよIS学園……私服くらい許してやりなさいよ……」

 

 鈴音はブツブツと呟きながら、とりあえずイチカの非常識さについては目を瞑ることにした。何か致命的な齟齬がありそうだったが、残念なことにそこに気付ける人間は此処には誰もいないのだった。――一〇〇メートルほど離れた場所にはいたが、今その二人は出血の処理に忙しい。

 

「ちょっとパンツ下げるわよ」

「えっ⁉」

「変に驚かないでよ。アンタが穿いてるの、トランクスだからちゃんとしたサイズが分かんないのよ。全部はずらさないから」

「お、おう……」

 

 大分ギリギリのラインを攻めて来る運命の魔手に、イチカは軽く絶望感を抱きながらも言われるがままにする。一瞬間が空いて、ひんやりとした感覚が今度は臀部を覆った。

 

「ひゃっ」

「はいはい動かない」

 

 鈴音の方はもう慣れたもので、あっさりと計測を済ませていく。しゅるり、とメジャーが離れたのを感じたイチカは、電光石火の速度でパンツとズボンを引き上げ、ベルトを締めて重装備を整える。もうこんなことは二度と御免だ――とイチカは思った。

 

「八二・六センチね」

「それってでかいの? 小さいの?」

「小さいわよ。アンタが仲良くしてるあの二人とか、九五くらいはあるんじゃない? 胸でかいし」

「九五かあ……」

 

 イチカはよく分からないが、男の感性で言うとヒップのサイズが九五あります! なんて言われたらおっきいなあと数字のイメージだけで漠然と思う。男はスリーサイズの善し悪しなんて実感を持たないからそんな感じなのだが、女性からしたら身近なもので、男の勝手なイメージもつきまとうから色々と大変なんだろうなぁと思った。

 尤も、九五という鈴音の見立て自体、バストサイズからくる僻みもあるので正確な数値とは言い難いのだが。

 鈴音の方はそんなイチカの呟きをどう捉えたのか、べしべしと半分出たお尻を叩き、

 

「心配しなくても、あたし達はまだ高校生なんだから伸びるヤツは伸びるわよ! それにアンタはグラマーじゃない方が可愛いと思うし」

「やめろよ可愛いとか……それに鈴は中学の時から成長止まってなかったっけ?」

「ばっ……! っに言ってんのよこっからよこっから‼ ……あと昔のことなんて何で知ってるわけ⁉」

「いや、普通に……」

 

 イチカとしては普通に記憶しているだけだが、鈴音からしたら『一夏の影武者をやる以上交友関係は頭に叩き込まれている』という意味合いになったので、なるほど……とまたイチカの境遇に同情するだけで終わるのだった。イチカはまた地雷を踏んだと思って話題を切り替えることばかり考えていたので、鈴音の不審な言動には気付けないのであった。

 なんだかんだ、抜けている二人である。

 

***

 

「てっ手パン……ッ! 手パンですわ……!」(※手でパンツの意)

「おい! 落ち着けセシリア! これ以上血を出し過ぎると死ぬぞ‼」

「ほ、箒さん……」

「セシリア‼」

「わ……我が一生に、一片の悔いなし……ッッッ‼‼‼」

「セシリアああああああ――――――ッッッ‼‼」

 

 倒れる変態! 忍び寄る盗撮の魔の手! 既に法律はブッチギリ……一体二人のお買いものはどうなってしまうのか⁉ 後篇に続く‼



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第八話「本編(後編)」

「次、服買いに行くわよ、服」

「あれ? 買った下着は着ないで良いの?」

 

 結局、あれからパステルカラーの、色っぽくない(子供っぽいともいう)下着を何着か、そして鈴音からの強い勧めで白い大人っぽいのを一着買った(料金は鈴音持ちだが)イチカは、そのままの格好でランジェリーショップを後にしていた。

 劇的な変化も覚悟していたイチカだけに、少々肩透かしの格好である。

 そんなイチカに鈴音は呆れたように溜息を吐き、

 

「はぁ……アンタ、自分の格好忘れてるわよね。その格好じゃブラ紐が出ちゃうでしょ?」

 

 再三になるが、イチカの格好はだぼだぼの男物のTシャツに迷彩柄のカーゴパンツ。そこに女物の下着でも身に着けようものなら、大きく出た肩からブラジャーの紐がはみ出て女子としての死は免れないのであった。

 イチカはそんな事情など分からないので、とりあえずブラ紐がはみ出る=NGという図式だけ覚えておくことにした。こういうときの女に歯向かっても良いことは何一つない。

 

「分かった」

「分かってなさそうだけど……まあ良いわ。まだお昼まで若干時間あるし、ちゃっちゃと行ってちゃっちゃと買うわよ」

「なんかもう既に数日くらい見てる気がする……」

「アンタは疲れすぎ。このくらいで音を上げてたら、学園の女子どもと遊びに行くとき持たないわよ」

「う~、多分俺の服を買ってるから疲れてるんだと思うけどな~……」

 

 ぶつくさ言うイチカを半ば引きずるようにして、鈴音は進んでいく。

 

「そういえば、アンタは好きな人とかいる?」

 

 その道すがら、鈴音は唐突にイチカに問いかけた。突然の恋バナに、イチカは一瞬言葉を詰まらせる。

 

「……いないけど、どうしてだ?」

 

 女の園であるIS学園に編入したのだからよりどりみどり、恋の一つや二つ――ともいえるのだが、イチカの精神は生憎じじむさいと親友に言われる程であり、尚且つ朴念仁である。しかもIS学園の女子と来たら、メスとしてイチカを狙うオスの変態淑女どもである。もはや恋とかそういう次元の話ではなくなっていた。

 

「いや。アンタも好きな人の一人や二人くらいできれば、自分のことに気を配るようになるのかなーってね」

 

 一方、そんな事情を知らない鈴音はへっ、と影のある笑いを浮かべていた。しかし、好みの人の前で自分をよく見せたがるのは男女共通の概念だ。イチカは今の自分がなんとなくずぼらだと(散々鈴音にツッコまれて)自覚はしているので、なるほどと頷いた。

 

「じゃあ、鈴は?」

 

 好きな人ができれば自分のことに気を配るようになる、という鈴音の言葉に従えば、帰国前とファッションが違っている鈴音は中国にいる間に自分を見直すきっかけがあった――つまり好きな人ができたのではないか? とイチカは思う。大切な親友に好きな人ができたのであれば、それは勿論応援してやらねば嘘というものだろう。

 

「……まあ、あたしにだって好きな人の一人くらいはいるわよ」

 

 鈴音は少し照れくさそうにしながら、そっぽを向いた。

 

「今は遠い所にいるけど……とっても、大切な人がいるの。その人の為に、あたしは『次期代表』にまでなったんだから」

「へえ……」

 

 やはり、と思う一方で、イチカはそこまで鈴音が想う人物に思いを馳せてみた。鈴音がそこまで入れ込むような男なのだから、きっと魅力的な男なんだろう。親友としては、どこか娘が嫁に行くような気持ちに近いものを感じるイチカであった。

 ……まさかそれが自分のことだとは、夢にも思っていないのが罪深い。

 

「でもね! 今は()()()()()()()アンタの方があたしにとっては重要なの! アイツは……どうせあたしがいたっていなくたってそう簡単にどうにかなるようなヤツじゃないし」

 

 鈴音は憎らしそうに、どこか安心しているように最後にそう付け加えてから一旦間を置いて、

 

「それに、アンタだって今のあたしにとっては同じくらい大事な……友達なんだから」

 

 自分の人生を賭けるくらいに好きな男と天秤にかけて『同じくらい』とはずいぶんだ――とイチカは思うが、同時にそれが鈴音という人間なんだということも何となく分かっていた。

 昔風に言えば、『義に(あつ)い』と言おうか。友情と愛情を、同じように見れる性格なのだろう。

 そしてそれは、IS学園に入学していなければ気付けなかった側面だ。

 

「ああ……俺も、同じだよ」

 

 鈴音に手を引かれながら、思う。

 人は成長するもので、現にこうしてイチカの横を歩く鈴音の姿は、中国に行ってしまう前の鈴音からは想像もできないものだった。こういう一面を、成長を知ることが出来たのは、IS学園に入学したからだ。

 鈴音だけではない。箒も、セシリアも、変態ではあるがその他のクラスメイトも、何だかんだ言って悪いヤツではない。彼女達との出会いも、イチカにとっては大切な財産で――それを得ることが出来たのは、イチカが男でありながらISに乗る才能を持っていたからだ。

 

「色々あったけど、俺、IS学園に入学してよかったって、今は思う」

「……そ」

 

 鈴音はそっぽ向いたままイチカの先を歩いて行く。

 そっけない態度だったが、その耳が真っ赤に染まっていたのを、イチカは見逃さずにいた。

 素直じゃないヤツ、と内心で笑いながら、イチカは照れ隠しで足の速くなったエスコートを甘んじて受け入れた。

 

***

 

「キーマーシーターワー‼‼」

「セシリア⁉ 生きていたか!」

「塔を、塔を建てるのですわ‼」

 

***

 

 一方、イチカと鈴音の二人は無事に服屋に到着していた。

 

「こ、此処が……」

「服屋よ。何そんな緊張してんの?」

 

 そう言って、鈴音はさくさくと店に入って行く。(中身は)男のイチカとしてはランジェリーショップと同等レベルの居辛さなのだが、いつまでも立ち止まっている訳にはいかない。見えない力に後押しされるように、イチカも中に入って行った。

 内部は様々なジャンルの服が置かれており、それぞれ服の『系統』ごとに売り場が分かれているようだった。ブランドの関係なのか、あるいは店員が独断で分けているのか、ファッションに疎いイチカにはいまいち判別がつかないが、欲しいものが一つの場所に固まっているのは有難いな――と思った。

 鈴音はどこから攻めて行こうか悩んでいるようだったので、イチカはそんな鈴音から主導権を奪うように迷彩柄なミリタリーっぽい服が並んでいるゲテモノゾーンへと踏み込もうとする。イチカは困ったら迷彩柄に頼ろうとする中学生男子でも早々ないようなファッションセンスの持ち主なのだった。

 

「イチカ、アンタ一人でそっち行っちゃダメ」

 

 ……が、あっさりと鈴音に首根っこを掴まれてしまった。

 

「……一応聞くけど、何で?」

「どーせアンタ、そっちで似たような感じの趣味の服を選ぶつもりでしょ? アンタのセンスに任せてたら変な物しか買わないから、駄目」

「お前は俺の保護者か⁉ 良いだろ好きなモン買ったって!」

「アンタの為を思って言ってんのよ! 変な服着て恥をかくのはアンタなんだからね!」

「そもそも制服着るから滅多に私服で外なんて出ねえし……」

「ファッション音痴のアンタの為の勉強も兼ねてるの。今日お金出してるのあたしなんだから、このくらい言うこと聞きなさい」

 

 そう言われてしまうと、イチカとしては何も言えなくなってしまうのであった。

 イチカが矛を収めたのを見て取ると、鈴音は満足そうな笑みを浮かべて、

 

「じゃあ、こっち行くわよ。まあ、アンタはガーリッシュ系とかきれい系とか似合う感じじゃないし、カジュアル系か、いいとこキレカジ系ってとこかしらね」

「キレカジ?」

「きれい系とカジュアル系の間ってこと」

「それ別に略さなくて良いんじゃないかな……」

 

 ぶつくさぼやくイチカだったが、それが女子のサガというものである。郷に入っては郷に倣えと言うことでイチカは渋々キレカジ系の売り場へと足を運ぶ。

 

「……大変だ鈴」

「どうしたのイチカ」

「俺、そもそもきれい系とカジュアル系がどんなものかすら分からない」

「…………。言葉の感じから察しなさいよ、それくらい」

 

 売り場へ一歩足を踏み入れるなり、衝撃の事実(拾い忘れ)に気付いたイチカだったが、それはあっさりと流されてしまった。しかし、数か月前までバイトに明け暮れる男子中学生で、困ったら迷彩に手を出してしまうという壊滅的なセンスを持ったイチカにとって、ファッション用語など異国語とほぼ同じである。英語を全く分からないものに『Literature』の意味をスペルの雰囲気から察しろと言われたって、大体の人は無理だろう。

 

「どのみち、アンタはきれい系もカジュアル系も似合わないわよ。きれい系はもっとお淑やかな子向きで、カジュアル系はもう少し大きくてキリっとしてる子向きだから」

「なんだそれ。俺がチビでガサツってことか?」

「意外と自分のことよく分かってるじゃないの」

「……お前だって人のこと言えないだろ、貧乳」

「ど、の、く、ち、が、そんなこと言うのかしらぁああ~~~~ッ⁉」

「ひぃ、いふぁい、いふぁい、ぼうひょくはんふぁい‼」

 

 口論の末に暴行をはたらくというどっかの見出しみたいな行動に出た鈴音は、力でイチカを黙らせると手を放して本題に戻る。

 

「きれい系っていうのは、無難な感じ。トレンドに乗っかりつつ、清潔感を重視してるの。言ってみれば『オシャレで清楚』ってことね。一番万人受けするタイプ」

「ふむふむ。……じゃあそれで良いんじゃないか?」

「そういうのはある程度『中身』も無難にこなせるタイプじゃないとダメなの。アンタの周りだと……イギリス次期代表とかね。アンタは無理」

「それ、前から思ってたんだけど肩書で呼ばないとダメな決まりでもあるの?」

「カジュアル系は、元気な感じ。要するにラフなファッションって感じで、仕事には着ていけない感じね。ジーンズとか、ボーイッシュなファッションとも若干被るわね」

 

 さらっとおそらくは読者も思っていたであろう疑問を流した鈴音は、次の説明に入ってしまった。RPGで味方キャラが同じことしか言わないときに似た悲しみを背負うイチカだったが、それでも思うことはあった。

 

「俺、それが良いなあ……」

「駄目。アンタがそれやると、悪ぶって背伸びしてる子供にしか見えないから」

「上げ底でなんとか……」

「そういう問題じゃないのよ。顔、顔の問題」

 

 顔の問題、という男の時は言われたことすらなかった大問題に直面したイチカは、思わずがっくりと凹んでしまう。そんなイチカに、鈴音は微笑みながら肩に手を置く。

 

「そう心配しなくても良いわよ。多分、オシャレに疎いアンタからしたらそもそもキレカジ系ときれい系とカジュアル系の違い分かんないから」

「…………」

 

 ……悲しいことに、一理あった。

 

***

 

「あかんて、これはあきまへんでぇ……! エロさはない、ないですが、この着実に友情を育む感じ、妄想がはかどりますわァ……!」

「フッ……流石だと言いたいところだが、甘いぞセシリア! 凰にほっぺをぐにぐにされるあのイチカの姿に、エロスがないとは言わせない‼」

「ハッ⁉ まさかあの頬の歪み方が【ピ――】で【ピ――――】とでも言うのですか⁉ 流石箒さん、やりおる……‼」

 

***

 

(参ったなあ)

 

 服選びの最中。

 イチカは、ぼんやりとそんなことを考えていた。

 

(さっきから、何となくそうじゃないかとは思ってたけど――)

 

 ある意味、それは必然だった。イチカ自身、ここまでのことは初めてだったから思い至っていなかったが、普通であれば『そう』なるのは当たり前というものだった。

 

(ションベンいきたい)

 

 その名は――尿意。

 

(あれ? でもこの身体でトイレって――)

 

 当然、男子トイレに入ろうものなら今のイチカは少女の姿をしているので変態の誹りを受けることは免れない。なのでこの選択はナシになる。女子になったのだから女子トイレに入るのは――まあ仕方がない。イチカにとっては死ぬほど恥ずかしいが、女になって女子に揉みくちゃにされたり女子更衣室に拉致されかけたりしている日常を送っているイチカにとっては今更だ。

 だが――女子トイレに入る以上、女子として用を足さない訳にはいかない。

 女の子の身体だから女子トイレに入っても許されるのだ。女子トイレの中で変身を解いたら、それはもう女子トイレの中で用を足す変態でしかない。

 そして――用を足す以上、イチカは自分の手で、色々と……『デリケートな行為』をしなくてはいけなくなる。

 それは、果たして、良いのか? 許されるのか?

 イチカは思い悩んだ。そして――ふと気付いた。

 

(あっ、途中で男に戻れば別に良いじゃん)

 

 流石に人混みの中で変身するわけにはいかないが、適当に人がいないところで変身を解除してしまえば、男子トイレに入っても変態扱いされなくなるので何ら問題はなくなるのである。イチカは今日一番の冴えを見せる自分の頭に感心した。

 

「ごめん鈴、ちょっとトイレ行ってくる」

「あ、そう? じゃあ此処で待ってるからさっさと戻って来てね。トイレの場所分かる?」

「馬鹿にすんなよ。そのくらい分かるって」

 

 鈴音、これをあっさり了承。

 イチカは手を振りながら、『女として過ごすのもそんなに難しいことじゃないな』などと直前までの悪戦苦闘を棚に上げて調子に乗っていたのだった。

 

***

 

「――これは、よろしくないですわね」

「ああ――せっかくのトイレイベントを機転で無効化しようとしているな」

「仕方がありませんわ。此処は――――わたくしたちがテコ入れをする必要があるようです」

「そう言うと思って、既に用意はできているぞ。――さあ、パーティの始まりだ」

 

***

 

「なん、だと」

 

 男子トイレの前で、イチカは愕然としていた。

 周囲に人はいない。此処でなら変身を解いて、可及的速やかに男子トイレに入り込んで用を足すことができる、はずだったのだが……。

 

 トイレ清掃中。

 

 その看板が、彼女の前に堂々と立ちはだかっていたのだ。ちなみに女子トイレの方にはない。無視して入ろうかとも思ったのだが、中にいた黒髪ポニーテールで巨乳なのに声だけは妙にしわがれた掃除のおばちゃん(マスク装備)が『ごめんねぇ、あと一時間くらいは清掃中だからねぇ。あれ? よく見たら女の子だったねぇ』とか言って掃除していた為に望みは潰えたのであった。

 ちらり、と女子トイレを見るイチカだったが、すぐさま首を振って脳内によぎったその選択肢を振り払う。

 

「いっ、いや! まだ他の階がある。望みが潰えたわけじゃない」

 

 段々と膀胱の存在感が増していくが、イチカはそれを無視して歩き始める。幸い、トイレの近くには階段があり、他の階との行き来は容易だった。イチカは上の階を目指そうとしてみて――上るのはやっぱり膀胱への刺激がアレなので、半分くらいまでのぼった後に思い直し、下って二階へと向かう。お蔭で膀胱はさらにピンチに近づいたが、気にしてはいられない。

 

(しっかし、なんでこんな時間にトイレの清掃なんか……。昼時なんて一番利用者が多い時間帯だろうに……)

 

 それでも内心では納得がいっていないのか、ぶつくさ呟きつつ階段を下りて行く。既に膀胱は我慢限界の六〇%ほどまでキていたが、二階のトイレを使うことが出来れば何ら問題はない。イチカの表情にはまだ若干の焦りしかなかった。

 が。

 

「オー、スミマセンネー。こっちのトイレは清掃中なんですネー。……オーゥ、と思ったら女の子でしたネー! じゃあ普通に女子トイレを使えば問題ないですネー!」

 

 ゆるくカールさせた金髪が印象的な、メガネマスクの掃除のおばちゃんが、イチカの前に立ち塞がる。

 イチカは、思わず泣きそうになった。

 

「うっ、うっ……いつになったら終わりますか……?」

 

 涙をこらえきれないイチカの問いに、いつの間に取り換えたのか真っ赤なマスクをした掃除のおばちゃんは、

 

「ブッゴフ……あと一時間ほど待てば空くと思いますが――お嬢ちゃんには関係ない話ネー」

 

 そして――イチカは思う。

 

(もう……別によくないかな?)

 

 と。

 

(っていうか、よくよく考えたらこれ自分の身体だからマズイことなんて何もないし、いくら身体が違うって言ってもそうそうおかしなことにはならないだろうし、目を瞑ってぱぱっと済ませれば案外いけるんじゃないか?)

 

 イチカの目が急速に据わったのを確認した掃除のおばちゃんは、内心でほくそ笑む。

 

良し(グッド)。これでイチカさんは女子トイレを利用する。そして――当然ながら、女子トイレには監視カメラを仕込んでいますわ)

 

 何を隠そう――この掃除のおばちゃんこそ、イギリス次期代表筆頭候補セシリア=オルコットその人である。

 こうやってイチカの思考を誘導し、女子トイレに誘き寄せた上で――その模様を監視カメラで録画するのが、彼女の目的の一つだった。そして今、その目的を邪魔する障害は全て取り払われた。もはやイチカは女子トイレに向かい、そして目を瞑って用を足してしまう。目を瞑っているからISの高精度センサーは仕掛けられた監視カメラの存在に気付けないし、ゆえにベストヴューで完璧な映像が保証される。

 全て、この変態淑女の手のひらの上だったのだ……!

 と。

 

「あれ? イチカこんなとこで何してんの?」

 

 女子トイレから、鈴音が現れるまでは。

 ささっと男子トイレの中に引っ込んだ掃除のおばちゃん――もとい変態淑女セシリアをよそに、目の据わった少女イチカはそこでやっと鈴音の存在を認める。

 

「え、いや、何ていうか……」

「あ、下階(こっち)にいる理由は分かってんのよ。なんか上の方で、掃除用具の故障とか言ってめっちゃ泡まみれになってたからね。あたしもトイレ行こうと思ったらそんなことになってたからさー。下に降りて来たの。アンタもそうなんでしょ。で、何でそんなとこにいんの?」

 

 おそらく、イチカが上の階へ行こうとした時にすれ違いで三階のトイレに向かったのだろう。ただでさえトイレを我慢していたイチカの移動速度は遅くなっていたから、四階から二階へ移動するまでの間に鈴音の方が早く二階のトイレを使用できたのだ。

 

「(箒さん……⁉ まさか意外と機械音痴な方だったんですの……⁉ 不覚ですわ……まさかこんなことで中国次期代表がやってくるとは!)」

 

 男子トイレの陰に隠れたセシリアは、思わず歯噛みする。考えられる可能性は、箒が掃除のおばちゃんへの擬態の為に使っていた掃除の為の機械の操作をミスって騒ぎを起こしてしまった、とかだが……おそらくそのセシリアの予測は正しい。だから鈴音は此処にいるのだ。

 しかし、既に鈴音はトイレを済ませた後。此処からイチカの盗撮を妨害できる要因はない。セシリアは勝利を確信し――、

 

「あ、そうそう。アンタ気を付けなさいよ」

 

 そこで、鈴音の右手に握られている何かの残骸に気付いた。

 

「ほらこれ。ここのトイレ、なんか分からないけどめちゃくちゃ隠しカメラが設置されてたのよ。多分盗撮目的ね。一応見つけた奴は全部取っ払ってブッ壊したけど……まだ残ってるかもしれないから、一応ね」

「あ、ああ」

 

 生身で隠しカメラを粉々に握り潰している鈴音の膂力に若干引き気味のイチカだったが、それ以上にセシリアは戦慄していた。

 

「(ば、馬鹿な……ッ⁉⁉ あの隠しカメラを見破った、ですって……⁉ 箒さんが調べ抜いた最高の設置ポジションを! いや、待つのですセシリア、まだ望みはありますわ。まだ残っている可能性はある。ISの機能を使ってカメラにハッキングを――‼)」

 

 しかし。

 帰って来るのは――ノイズばかり。それは、全てのカメラが破壊された、という何よりの証だった。

 

「犯人は捜しておくから、アンタは心配しなくて良いわよ。それじゃ、あたしは先に戻ってるから」

「……分かった」

 

 犯人は捜しておく、という鈴音の言葉に、素直にうなずいたイチカだったが――何となく、分かりかけていた。

 あの妙に都合のいいトイレのおばちゃんに、図ったように仕掛けられた隠しカメラ。そんな回りくどい変態行為に手を染めるような馬鹿を、イチカは何人か知っている。

 

「………………はあ。ちょっと見直してたのに」

 

 どこか残念そうに呟き、トイレの中に入って行くイチカ。

 セシリアと箒の手並みは完璧で、彼女達が法的な裁きを受けることは――このSSがギャグというのもあって――ないだろう。

 だが。

 彼女達にとって、その一言は…………下手な制裁よりも、ダメージを負うものであった。

 

***

 

 結局、それ以上の変態的な嫌がらせはなかった。

 服の購入にあたって、下着ごと着替える場面もあったにはあったが――あの一言によって賢者モードに入った箒とセシリアは、早々に更衣室に仕掛けておいた隠しカメラを撤去していたので、イチカは盗撮されることなく着替えを完遂できた。

 

「……な、なんか変な感じなんだけど」

 

 イチカの現在の格好は、白いオフショルダーのTシャツに、黒いタンクトップ、紺色のフレアスカート――という出で立ちだ。足元はパンプスで、イチカは先程から普段よりも不安定な足元に不安がいっぱいだった。

 

「大丈夫よ。すっごく似合ってる。可愛いわ」

「そういうの恥ずかしいからやめろって……。それに、この黒いの見えてて良いの? ブラジャーはその下にしてるけど」

「それは見せる為のインナーだから良いの! そういうものなんだから」

 

 インナーはインナーであってどんなものでも平等に見せてはいけないのでは? と疑問に思うイチカだったが、『そういうもの』と言われてしまうともう何も言い返せなくなるのがオシャレ弱者の悲しいところだった。

 ともあれ、これでイチカのファッション更生は何とか終了したということになる。そう思った途端、どっと疲れが出て来るのであった。

 

「言っとくけど、学園に戻ったら服の組み合わせとかもう一度おさらいするからね。アンタ、今ほっと安心して今日教えたこと半分くらい忘れちゃったでしょ」

 

 完全に図星である。

 

「もう今日は服の話はやめにしようぜー……」

 

 イチカは完全に心が折れて、今にも倒れそうな感じで鈴音の肩に手を置いて懇願する。今までの――鈴音が中国に行くまでの――イチカでは考えられないスキンシップだったが、今日一日の経験でイチカは鈴音に対しての印象が随分と変化していた。何と言うか、男友達である五反田弾にも似た――本当の意味で『気の置けない』関係性に。

 

「はあ……仕方ないわね」

 

 そんなイチカだからか、鈴音は呆れたような表情を浮かべつつも、その口元にしっかりと笑みを作って、今日一日慣れないことを覚え通しだったイチカの頭に手を置く。

 

「ま、よく頑張った方でしょ。まだまだだけど、今日は及第点ってことにしといたげるわ」

「うう……ISの勉強もまだまだなのに」

「そっちも疎かにすんじゃないわよ。アンタ、このままだとあたしにボロ負けだからね」

「分かってるよ……」

 

 別の意味で気が滅入りそうになったイチカの手を引きつつ、

 

「ほらしゃきっとしなさいしゃきっと。もうすぐレストランだから」

「お? お、おう……。さっきからどこに向かってるんだろうと思ったらレストランだったか」

 

 そういえば、まだお昼を食べていないな――とイチカは思い返す。服選びと変態の妨害工作に時間を取ったせいで、もう時間は一時過ぎだ。そう考えると急速にお腹が減って来た気がする。そして、人間と言うのは現金なもので、その空腹が満たせるとなると急にやる気が湧いてくる。

 

「よし、早く行こう! 服の代わりにメシ代は俺が奢るよ!」

「別にいいわよ。アンタどうせお小遣いも大したことないでしょ。あたしは次期代表だから一〇万程度じゃ全然懐が痛んだりしないし」

「え? じゅうまん? 何語?」

「……あたしが中国人だから発音が変っていうイジリなら、面白くないわよ」

「いや、そうでなくて……服で一〇万って今言った?」

「?? 何がおかしいの? あんだけ服をまとめ買いしたらそのくらいして当然でしょ」

「でも、上下四着くらいずつだぞ⁉ 下着のことを考えても、一着一万くらいしてることになるぞ⁉」

「だから、それの何がおかしいの? いや、ほんとにこれくらい普通よ?」

「…………」

 

 オシャレというのは、恐ろしいものだ。

 中学時代のイチカが半月働いた給料分に匹敵する金額が、ほんの二時間で吹っ飛ぶ世界というのは、イチカにとっては魔境以外の何物でもなかった。流石に、一回の買い物で一〇万円を飛ばすような女子はそうそういないだろうが…………一着一万円というのが、出来の悪いギャグではなくいくら高価な部類であるとはいえ『常識の範疇』として語られる世界なのだ。

 今まで一番高かった買い物がゲームのハード(中古で八九五〇円)というイチカにとっては、まさしく別世界だった。

 

「分からん……何でそこまで金かけるんだ……」

「イチカも恋をすれば分かるわよ」

 

 恋愛の先輩っぽい顔をする鈴音に、イチカは何も言い返せなくなる。少なくとも彼の自覚のある範囲において誰かに恋愛感情を持ったことは一度としてないので、鈴音の言葉は事実かもしれないのだ。

 そう、納得がいかないながらも考えると同時、いつの間にか自分よりも先に行ってしまった鈴音のことが眩しく感じた。

 

「そういうもんかな」

「そういうもんよ。……って、なにあれ? ……なんか変じゃない?」

 

 そう言って鈴音が指差した先には、おそらく彼女が連れて行こうとしていたであろうレストランがあった。

 が、異常だ。

 何が異常かと言うと――雰囲気が。店内から溢れ出る、黒い色がついたかのようなどんよりとしたオーラが周囲の客を押し出すように店から追い払っていた。

 

「な、何だあれ」

「イチカ。やめましょう。なんか嫌な予感がするわ。っつか絶対ヤバいからアレ」

「そ……そうだな」

 

 と、普通に通り過ぎようとしたその時、イチカは見てしまった。

 テーブル席でお通夜ムードになっている、金髪碧眼と黒髪ポニテの二人組を。

 

 ――セシリアと箒は、イチカに残念宣言されてしまった直後から、自分達の悪ノリのせいでイチカに幻滅されたことを死ぬほど後悔し、賢者モードになってここで反省会をしていたのであった。自らの変態行為でイチカが困惑し、そしてツッコミを入れるのは大いに歓迎だが……ツッコミなしで、マジトーンで悲しまれると、それはもうご褒美ではなくなってしまうのであった。

 

 ちょっとくらい大人しくなれば良いな――と思っていたイチカではあったが、流石にあそこまでヘコむとは思っていなかったため、思わず足を止めて二人の事を心配してしまう。流石にトイレに隠しカメラとかは冗談にならないレベルなのであの仕打ちもある意味当然というかむしろ甘いくらいなのだが、それでも心配してしまえるあたりイチカは優しい子なのだった。

 

 そして、その逡巡がイチカの命運を分けた。

 

 足を止めたその刹那、セシリアと箒の嗅覚が鋭敏にイチカの匂いを嗅ぎ分け、その方向へ振り返る。

 その姿を認めたセシリアと箒は、音よりも素早くイチカの足元に取りすがる。

 

「待ってくださいましイチカさん‼ 行かないでくださいまし‼」

「私達が悪かったのだ‼ イチカのあんなところやこんなところを永遠に形に残したいからと小細工に走ってしまって……反省している! だから嫌いにならないでくれ‼」

「今度からは正々堂々ちゃんとセクハラしますわ‼ 申し訳ありませんでした‼」

 

 二人の謝罪は微妙にピントがズレていたが、隠しカメラを仕込んだりといった悪行を反省しているのは間違いなかった。

 それにイチカとしても、『せっかく見直したのにこれだからなー……』というニュアンス以上の含みは、あの発言には込められていない。むしろ今回の鈴音とのやり取りの中で、セシリアと箒にはとても感謝していたのだ。

 だから、横で何となく事態と三人の関係性について察し始めた鈴音には気付かずに、

 

「良いよ、そんなに悪いと思ってるなら、もう……。それに、二人にはむしろ感謝してるんだ。二人のお蔭で、鈴ともこんなに仲良くなれたんだし……ありがとう」

「ヴバファッ⁉ い、イチカさん、それは……GOサインですの⁉ そうなんですのね⁉ わたくし達ついに許されましたのね⁉」

「そ、そういうことならもう一片たりとも遠慮しないぞ……ハネムーンは世界一周旅行とかどうかなあ⁉」

 

 許されたのをいいことにけだものと化した二人は、良いこと言った直後でぽかんとしていたイチカに飛び上がって襲い掛かる。そして――――、

 次の瞬間に、美少女にあるまじき形に顔面を変形して吹っ飛んだ。

 

「り、鈴……?」

 

 イチカの前には、拳を構えた鈴音の姿があった。

 

「なるほど。イチカ、アンタが置かれてる状況はよぉおおお―――――く理解できたわ。今日あった隠しカメラの一件も、アンタが妙にすんなり学園に受け入れられている理由も」

 

 鈴音はビシィッ‼‼ と変態淑女二匹に指を突きつけ、

 

「この変態どもが‼ 毎日のようにイチカにセクハラを働いているってわけね⁉ どうりでイチカが女の子らしい格好をしたがらないと思ったわけだわ……そんな格好したらアンタ達変態どもの格好の餌食だものねえ‼」

「いや、それは普通に俺の趣味なんだけど……」

 

 イチカは一応注釈を入れるが、ヒートアップした鈴音はそんなこと聞いていない。

 

「もう決めたわ‼ あたしの目の黒いうちは、イチカにセクハラなんてさせるもんですか! 見つけ次第変態豚は出荷してやるわ!」

「そんなー‼」

 

 非情な(『非常に常識的な』の略)宣言にしょんぼり顔で言う二人だったが、鈴音は当然聞き入れない。それだけでなく、その矛先はイチカにも向いた。

 

「アンタもアンタよ! 何でこんな変態どもに心を許しちゃうわけ⁉」

「いやでも、俺のトレーニングメニューとかも考えてくれてるのこいつらだし、確かにちょっと変態だけど普段は良い奴で……」

「そこは別に良いのよ‼ でもトレーニングとセクハラでは話が別でしょ⁉ 面倒見てくれてるから少しくらいセクハラされても許してあげるって、それ完全にDV夫から逃げられないダメンズウォーカーの思考よ‼ アンタ、そんなんじゃ将来幸せな結婚とか絶対無理よ‼」

 

 イチカは男なのでDV夫から逃げられないダメンズウォーカー的な思考でも問題ないのではないのかと思うのだが、逆もまた真なりかなぁと思うところがあったので言い返すに言い返せない。

 

「まあ良いわ……。中国時代もこの手の馬鹿は何人か湧いてたし。良い機会だから、あたしがアンタにこの手の変態のいなし方を教えてあげる」

「いや、多分鈴の言ってる人達と箒達では人間的なダメさ加減の方向性が違、」

「い・い・わ・ね⁉」

「はい……」

 

 脂ぎったセクハラ親父と同類にされてしまった箒とセシリアなのであった。しかし、そこまで言われて黙っていられるほど二人はツッコミに対して受け身ではない。

 

「くっ……言わせておけば、私達の愛はもっとプラトニックでクリスタルな純愛なのに」

「もう貴女の役目は終了していましてよ。さっさと本国に失せなさい」

「……あんた達、どこ見て言ってんのよ」

「はっ⁉ これは床でしたわ⁉」

「馬鹿な……いつの間に壁とすり替わって……」

 

 直後、馬鹿二人の悲鳴が響き渡る。

 イチカの日常に、新たな風景が加わった瞬間だった。

 

 そんな感じで――――イチカの初めての外出は、色んな意味でいつも通りの結果に終わったのだった。



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第九話「唐突なバトル回」

 ――クラス対抗戦(リーグマッチ)

 IS学園一年クラスの恒例行事と化しているイベントだが、これは本来粛々と行われるものだ。何故ならIS学園は一般人をIS関係者に育成する、あるいは実験機のテストをする為の機関であって、ISの技量を競い合うセミプロ機関ではないからだ。

 しかし今、まさに対戦が行われる直前のアリーナには大勢の観客(学園関係者のみだが)が詰めかけ、そして何台もの撮影機器が並べられていた。

 さざ波のような弱い歓声が、選手入場口裏にある控室にまで届いてくる。

 IS学園が今回のクラス対抗戦をここまで大がかりにした背景には、当然ながら一夏――正確にはイチカの存在がある。

 二組の中国次期代表、四組の日本次期代表、三組だけはIS関連軍需企業のテストパイロット上がり――つまり『ただの代表候補生レベル』だが、一組の『男性操縦者』である織斑一夏とかち合わせるには十分なラインナップだ。現状唯一ISを操縦できる一夏が、どこまでやれるのか……各国のお歴々はそれが見たい。その期待にIS学園の運営が応えた、というわけだ。

 

「――気に入りませんわね」

 

 セシリアが、普段のダメな感じを封印して、怜悧さを感じさせる眼差しで呟く。

 

「何がだ? イギリス次期代表だけのけ者にされていること、か?」

「箒さん、世にも面白い冗談を言わないでくださいまし。のけ者ではありません、格が違うだけです」

 

 茶々を入れた箒の想像を超えるレベルで驕り高ぶるセシリアは、そう言ってさらに言葉をつづける。

 

「気に入らないのは、IS学園の態度ですわ。全世界のあらゆる政府権力から独立した機関を銘打っているというのに、ニヤニヤ笑いでイチカさんを品定めするお歴々に靡くなど。一体何の為のIS関連条約ですの?」

「そう言うな、オルコット」

 

 不満げに言うセシリアを宥めたのは、五月に入って温かくなったというのにまるで杓子定規で測ったかのようにきっちりと黒スーツを身に纏った千冬だ。

 

「制度の上では権力的に独立しているIS学園とはいえ、別に世界の経済活動からまで独立している訳ではない。出資者(スポンサー)のご機嫌伺いをしないことには、組織として立ちゆかないのさ」

「理屈は分かっていますわ。ですが、それが改善を怠って良い理由にはなりません。違いまして?」

「ご尤もだオルコット。私がちょっと打鉄に乗って世界中の政府を脅せば事足りるだけの話だからな。そうしていない私は酷い怠け者だろう」

「………………、」

 

 当然ながら、そんなことをすればIS学園は経済活動の面でも独立できるだろうが、その代わりに世界は未曽有の混乱に陥るだろう。千冬もそんなことは重々承知している。ただ、純粋な正論を振りかざすセシリアの行きつく先にある歪さを皮肉っているだけだ。

 

「……ふん、そんな顔をするな。貴様の気持ちを否定したいわけではない」

 

 言いくるめられてむすっとしたセシリアを前に、千冬はそこで初めて口元に笑みらしきものを浮かべた。

 セシリアの言葉の根本には、イチカを食い物にしようとしているIS学園の弱腰さへの憤りがある。そしてブラ……もといシスコンの権化でもある千冬にとっても、それは同じことだ。

 

「心配せずとも織斑に対して必要以上の劣情を抱いていると思われる政府要人は既に『粛清』している。私と、篠ノ之、お前の姉の手によってな。それに今回のこれは……半分は織斑の為でもあるんだ」

「イチカさんの為、ですの?」

「ああそうだ。……織斑がIS学園の中で、ある意味『保護』されて確実に生活できる期間は……あと三年しかない。それまでに、織斑の『特性』を世界中に知らしめ、そして浸透させる必要がある。……そのためには、こうしたご機嫌伺いのイベントを利用して広報するのが一番都合が良いんだよ」

 

 イチカの存在は――一はっきり言って異常だ。

 だからといって迫害されるわけではないのはIS学園の淑女諸君が証明してくれているし、まあ全世界がイチカの都合を知ったところで、彼女を排斥しようという『一般人』が現れることは多分ない。TSは正義だからだ。

 ――――だが、正義を盲信する者が現れないとも限らない。

 IS学園の変態淑女でこれなのだから、変態紳士まで現れた日には、なんかこう……イチカが男性不信になってしまうかもしれない。それはヤバい。

 

「なるほど。今のうちに危険そうな連中を炙り出しておく……そういうことですね、千冬さん」

 

 箒の言葉に、千冬は頷いた。

 イチカの存在が世界に広く知られれば――――当然ながら、ファンクラブの一〇〇〇や二〇〇〇は簡単に生まれるだろう。もしくはそれ以上かもしれない。それらのファンクラブの動きや、ファンクラブから外れるファンの動き。それらを補足すれば、イチカに近づく変態の危険性の有無をチェックするのもより簡単になる、というわけだ。

 しかも、一夏の身柄がIS学園預かりであれば変態そのものの危険性はグッと下がる。だから、一夏が卒業するまでに広報する必要があるのである。

 

「…………なあ、それ、これから試合があるっていう俺の前でする話か?」

 

 そして、そんな三人の目の前で、一人の少女がげんなりしていた。

 少女は紺色のISスーツの上に純白のパワードアーマーを纏って、選手入場の合図を待っている真っ最中であった。

 

「イチカさん、貴女は他人事じゃないのですからきちんと聞いておくべきですわよ」

「根本的な常識がめちゃくちゃだから聞いてるだけで疲れるんだよ‼ 何でこんな馬鹿な話を大真面目に語ってるんだお前らは‼」

 

 しれっと言ってのけるセシリアに、少女――イチカが吠える。しかし、残念ながらこの場には彼女の味方である鈴音はいないので、孤軍奮闘、四面楚歌の様相を呈していた。

 それもそのはず。

 何せ、これからイチカはその鈴音とIS戦を行うのだから。

 

「もう……頼むよ。これから鈴と戦うんだから、ただでさえ集中しないといけないのに」

「大丈夫ですわ。わたくしがこの一か月弱、みっちりと技術を仕込んだのですから――――中国次期代表とはいえ、勝てない道理はありませんもの。というか、勝利以外は許しませんわ」

「ええ⁉ そんな……この前セシリアと同等かもしれないみたいなこと言ってたよな……?」

「言いましたが、それとこれとは話が別ですわ。イチカさんなら肝心なところで主人公補正を働かせて勝ってくれると信じていますわ」

「無責任な……」

「負けたらぺろぺろしますわ。……やっぱり負けてくださいまし」

「そんな理不尽なっ⁉」

「ええい、イチカ、戦う前からそんな弱腰でどうする! そんな顔されたらむらむらするじゃないか! ぺろぺろするぞ‼」

「が、頑張りますっっっ‼‼」

 

 イチカが口を挟んだことで変態淑女がその本性を出し始めたので、イチカはびしっと姿勢を正して口を閉ざした。沈黙は金である。

 やがて、アラーム音とともにアナウンスが流れだす。

 

「頑張ってくださいましね、イチカさん」

「私もここから応援しているぞ、イチカ」

 

 二人の友人が、戦場に向かうイチカにエールを送る。いつもこんな感じだったらいいのにな、なんて思いつつ手を挙げて応えたイチカは、最後に師ではなく――姉からの激励を耳にした。

 

「勝って来い、イチカ」

 

 イチカの答えは、決まっていた。

 

「当然だ!」

 

***

 

「……ふふ。仕上げて来るとは思ってたけど、予想以上の出来ね」

 

 戦場に辿り着くなり、鈴音は嬉しそうにそんなことを言った。

 両肩部に一対の浮遊装甲(アンロックユニット)を備えた赤黒の機体は、一見すると鈴音らしからぬ禍々しさを感じさせる。長大な青龍刀を持っているあたり、イチカと同じように接近戦特化タイプのISだと言えるだろう。

 特に目を惹くのは、そのインナー……ISスーツだろうか。紺を基調とし、通常のものと大して違いがなかったセシリアやイチカと違い、鈴音のそれは白とピンクをベースにした明るいスーツだ。しかも首元には襟とネクタイを模した模様が施されており、腰当たりにもチャイナドレスを彷彿とさせる短い前掛けとスリットが備わっている為、それが『ボディスーツ』らしさを軽減させていた。

 

 対するイチカは、両肩に天使の翼を模した浮遊装甲(アンロックユニット)を備えた純白の機体だ。両手両足に籠手を模した分厚い装甲があるが、それだけ。あとは身体に纏わりつく、胸の形を強調するような申し訳程度の装甲くらいしかない。他のIS操縦者に同じく、ワンピース水着のような紺色にところどころ白いラインの入ったISスーツを身に纏っている。

 その手にある淡い光の剣は、さながら大天使ミカエルが持っていたという炎の剣だろうか。ISエネルギーを打ち消し、『絶対防御』を誘発させることで相手のエネルギーを著しく削る、現状唯一の対IS戦特化型・単一仕様能力(ワンオフアビリティ)――『零落白夜』……それを擁する第四世代型武装、『雪片・弐型』。素人丸出しのイチカにとっては、窮鼠が猫を噛み殺す為の唯一の牙だ。

 ……これは余談だが、彼女のISのデザインは当初の予定からかなり変更がなされていた。元々は男だというのでそれを前提にしたデザインで開発されていたのだが、蓋を開けてみれば超可愛い女の子になっていたとかで制作陣が俄然やる気を出してしまったのである。ちなみに、従来のデザインでは股間部の装甲が厚くなり、肩当などいわゆる『男性っぽい』デザインがなされる予定だったらしい。

 

「……へっ、余裕こいてられるのも、時間の問題だぜ、鈴」

 

 イチカはそう言って、ISのアーマーを器用に操って鼻先を軽く掻く。簡単にやっているが、ISの手は人間の一〇倍ほどの大きさなので、これで鼻先を精密に掻くのにはかなりの技量が必要になる。普段から女性として生活する特訓の成果だった。

 合図と同時にすぐさま動けるよう、身をかがめていたイチカは――、

 

「きゃー‼ イチカちゃーん‼」

「こっち向いてー‼」

 

 突如聞こえて来た黄色い歓声で、空中でずっこけるという高等技術を披露するハメになった。これも訓練の賜物だったが、どっちかというと『訓練の最中に間断なくかまされる変態淑女のボケ』の賜物であった。

 

「きゃー‼ イチカちゃんずっこけてるー‼」

「天使じゃね? あの浮遊装甲(アンロックユニット)とか完全に天使の翼じゃね?」

「イチカちゃんマジ天使」

「マジ天使」

「ちなみにイチカちゃんマジ天使な試合の模様は全世界同時配信されております‼」

「そのマジ天使って言うのやめろ‼‼ 恥ずかしいだろ‼」

 

 めいめい好き勝手なことを言っている観客にイチカはたまらず噛みつくが、しかしそんなことを聞いてくれるほど変態淑女たちは良心的ではない。むしろ逆に鈴音は同情交じりに、イチカを宥める。

 

「やめときなさい。騒げば騒ぐだけ喜ぶわよあの変態ども。さっさと試合して、そういう変態が入り込めない雰囲気を作った方が賢明だわ」

「そ、そうだな…………」

 

 鈴音にそう言われて渋々矛を収めたイチカだったが、今度はその様子を見て観客は鈴音に対して野次を飛ばす。

 

「なんだあの邪悪な武将みたいなカラーリング! 悪役かよ!」

「イチカちゃんとの対比完璧すぎでしょ!」

「ひっこめ貧乳武将ー!」

「貧・乳って区切ると三国志の武将っぽくね?」

「テメ――――――らぶっ殺す‼‼‼‼」

「わー待て待て鈴騒げば騒ぐだけ事態が酷くなる‼」

 

 あろうことか、試合前に対戦相手を羽交い絞めにして制止するという前代未聞の事態に発展しかけ、騒然となる会場。鈴音はこの模様が全世界同時配信されているという事実をもう少し真剣に考えるべきである。

 

『そ、そ、それではお二人とも、一旦距離をとってくだひゃいっ……』

 

 ようやっと、と言うべきか、アナウンスの声が二人に届く。ロリ巨乳眼鏡の声だった。矛を収めた鈴音が肩で息をしながら戻って行くのを見届けながら、イチカも所定の位置につく。

 バトルフィールドは半径五〇メートルの半球。イチカと鈴音は、それぞれ中心点から横に二五メートル、上に二五メートル移動した地点で向かい合っていた。つまり、上空二五メートルで五〇メートルの距離をとってにらみ合っている状況だ。

 もっとも、こんな距離はISにとっては拳と拳を突き合わせた状態で構えているのと何ら変わりない。

 

 緊張の一瞬。

 

『そそ、それでは……………………試合開始っ‼‼』

 

 瞬間。

 

 直径一〇〇メートルもある半球の全域に、暴風が吹き荒れた。

 

 それは、二つの機体が勢いよく前進した為に後方の()()がPICによってめちゃくちゃになったことによって発生した乱気流だった。ISエネルギーの噴出が、通常では歪むことがないはずの慣性に直接干渉し、それによって慣性そのものが大幅にねじくれてしまっているのだ。

 しかしISはその乱気流の発生すら精密にコントロールし、互いの機体を加速させる為の追い風に作り替える。『瞬時加速(イグニッションブースト)』と――ISの業界では、そう呼ばれている高等技術だった。

 代表候補生でも早々使えないそれを、序盤の接敵の時点で、さも当然のように使いこなす。

 彼女達の戦いは、その領域に踏み込んでいた。

 その領域に踏み込めるように、イチカは研鑽を積んできた。

 

「やっぱりね――思った通り。技量に乏しいアンタは、短期決戦であたしのことを攻撃してくると思ってた! あたしがアンタの武装を知らないとでも思ったの⁉」

 

 鈴音が、不敵な笑みを貼りつけながら叫ぶ。

 固有武装『零落白夜』が解析されている可能性は、イチカも当然ながら考えていた。模擬戦などを殆どやらない鈴音に対し、イチカは少しでも固有武装の扱いを上手くするためになりふり構わず訓練しなくてはならない。鈴音がその気になれば、訓練データを集めることなど造作もないのであった。

 情報収集なんて仮にもプロが、素人相手に卑怯だと、友人相手に厳しすぎると――思う者もいるかもしれない。だが、それは大きな間違いだ。彼女はプロであり、そしてプロの土俵で戦う以上いかに経験がないとはいえ、いかに技量に乏しいとはいえ、イチカでもプロなのだ。プロがプロとの戦いに際して手加減するなど――『矜持』と『友情』に対する、二重の侮辱に他ならない。

 

瞬時加速(イグニッションブースト)の特訓を重点的に行っていることも、分かってる! 急激な加速を逆方向への瞬時加速(イグニッションブースト)によって相殺して、あたしの虚を突いて一気にシールドエネルギーを削る算段だってことも、最初からお見通し、よッ‼」

 

 そこまで鈴音に言い当てられて、イチカの目が丸くなる。

 だが、仮に全てが読まれていたとしても、この一瞬で全く別の作戦を思いつくことなどできない。下手に方向を修正しようものなら、狙っていた作戦以上に悲惨な結果を生むだけだ。

 そして、次の瞬間。

 鈴音の言い当てた通り、イチカは逆方向への瞬時加速(イグニッションブースト)によって急減速する。イチカの前方に乱れた慣性による乱気流が発生するが、ISはそんなものものともせずに突き進む。衝突のタイミングと同時に青龍刀でイチカを切り伏せる姿勢だった鈴音の攻撃は、当然ながら空ぶる運命だったが――、

 同時に、鈴音の背後に見える風景が微妙に()()()

 

「……っ?」

 

 イチカが怪訝に思った時には、もう遅かった。

 

「まず、一撃」

 

 瞬きする間もない程の刹那に既にイチカに肉薄していた鈴音が、ISエネルギーを帯びた青龍刀を振り下ろす。

 猛烈な火花が飛び散り、咄嗟に自分の身体を庇ったイチカの右手装甲に深い亀裂が走る。

 

「な、んだ……今の……ッ⁉」

 

 イチカは驚愕と緊張で息も絶え絶えになりながら、距離を取って鈴音の様子を観察する。

 あり得ない挙動だった。

 瞬時加速(イグニッションブースト)というのは、何度も連発して発動することは可能だが、それによって際限なく加速できるわけでは――原則的に――ない。イメージとしては、スケートボードに乗っているときに地面を蹴って加速するのと近い。いくら地面を蹴ったとしても、蹴り足の強さ以上の速度には加速できない。無理に速度を出そうとすれば、逆に減速してしまうか、もしくはバランスを崩して転倒してしまう。そういうものなのだ。

 だが、鈴音はその瞬時加速(イグニッションブースト)の加速を『超えた』。それは本来、あり得ないことだ。

 

「…………その、『球二つ』か」

「へえ、やるじゃない。ま、この一か月、瞬時加速(イグニッションブースト)の練習ばかりしていたアンタなら一発目で種は割れると思ってたけど」

「その球……空間を歪ませて、『衝撃の砲弾』を撃っているな」

 

 そう、イチカは人差し指を突きつけて言った。

 それで、正解だった。鈴音の操る『甲龍(シェンロン)』の第三世代兵装『龍砲』の能力は、空間を歪ませること。そして空間を歪める圧力を球状に形成し、意図的に一方向に『穴』を作ることで生み出した『砲身』を使い、余剰圧力全てを特定方向に撃ち出す『衝撃弾』が、派手な青龍刀に隠れた鈴音の真の牙である。

 では、その能力を以て、鈴音はどうやって加速したのか。

 簡単な話だ。

 

 鈴音は、自分を撃った。

 

 それだけなら、おそらく今のイチカでもぶっつけ本番で出来る。鈴音はそこでさらに、瞬時加速(イグニッションブースト)による慣性の乱れをぶつけ合わせ、普通に『衝撃弾』を自分に撃ち込むよりも数倍の加速を手にし、しかも『衝撃弾』が命中すれば当然発生するはずのエネルギーの消耗を殆どゼロに抑えたのだ。

 イチカがこれを見破ることができたのは、加速の時に発生していた鈴音の背後の空間の歪みが、通常よりも僅かに激しかったからだ。鈴音は発生する乱気流の形も通常の瞬時加速(イグニッションブースト)に近くなるよう偽装していたが、練習の為に何度も瞬時加速(イグニッションブースト)のデータを見ていたイチカの目には明らかだった。

 とはいえ、ただでさえ空間を歪ませる()()の『龍砲』は使用に必要なエネルギーが少ない。そこに高速移動まで加えられれば――イチカの勝利はさらに遠のくことになる。

 しかも、今の一撃で一気にエネルギー全体の四〇%が持っていかれた。『零落白夜』の発動にはそれだけでISエネルギー一〇%が必要となる。これ以上は……一撃ももらうわけにはいかない。

 

「逃げ回ってあたしの隙を伺う? それも良いわね」

 

 イチカの思考を先回りするように、鈴音は言う。

 それはまるで、歌を歌うかのような調子だった。

 

「『衝撃弾』の併用による超加速――多段加速(マルチステージブースト)は、システム的な問題からどうしても加速直後のハンドリングが計算よりもよりもズレる。一回や二回は誤差だけど、一〇回もやっていれば加速後の一瞬に隙ができるかもね?」

 

 いとも簡単に自らの弱点を明かす鈴音の口調には、『それで、プロである自分がそんな根本的な部分に対策を練っていないとでも思っているの?』とでも言いたげだった。

 そして、こうした高圧的な口上の数々は、決して優越感に浸る為の『隙』ではない。敵を恐れさせ、精神を鈍らせることは即ち、ISの弱体化にもつながる。もし一瞬でも『勝てない』と思わされれば、ISはそれを如実に反映する。そしてそれがさらなる不利を招くスパイラルを生む。戦闘中の言葉の一つ一つが、IS戦においては立派な戦略になりうるのだ。

 ただし。

 劣勢が、必ずしも人の心を弱くするとは限らないのだが。

 

「なら、逆に‼」

「……ま、アンタならそうするわよね」

「まっすぐ突っ込んで、倒す‼」

 

 鈴音は予測する。

 イチカは、『鈴が多段加速(マルチステージブースト)でこちらのタイミングを乱すのなら、タイミングに囚われない攻撃――つまり「突き」で向かい撃てばいい』と思っている、と。

 事実、イチカの構えは大上段だがあまりに右腕に力が入っていない。寸前で突きに切り替えようとしていることが丸分かりの構えだ。

 それは確かに有効な選択肢だろう。少年漫画の主人公であれば、それで慢心している敵の鼻っ柱を折って勝利できるだろう。しかし、鈴音は違う。相手がどんな手を打って来るか観察し、思考し、そして対策する『人間』だ。

 

(イチカは、片腕の力を抜いて、()()()()()()()()()()突きの姿勢に移行しやすい形にしている。それはつまり…………)

 

 そして。

 

 ほんの〇コンマ〇〇〇〇〇〇数秒後には衝突するか、というその一瞬。

 鈴音は()()瞬時加速(イグニッションブースト)を行った。

 イチカが突きをする為の、その直線状から身体をずらす為に。

 そしてその上で、多段加速(マルチステージブースト)でイチカの左手側から、青龍刀を大上段に振り下ろす。その刹那。

 

「この展開を、狙ってたんだぜ――鈴ッ‼‼」

 

 突きの直前で、しかも目の前から鈴音がいなくなって動揺しているはずの、していなければおかしいはずのイチカは、そう言って身体を捻ることもなく、そのままの姿勢でスライドするように移動し、振り下ろされた青龍刀を躱す。

 ――相手がどんな手を打って来るか観察し、思考し、そして対策する『人間』。

 確かに、それはそうだ。だが、逆もまた真なりでもある。

 横方向への瞬時加速(イグニッションブースト)と、その移動の余波を瞬時に抑える為の逆方向への瞬時加速(イグニッションブースト)。その二つをごく短時間に連続して行うことで体勢に囚われない回避を行う超高等制動技能――『瞬時緩急(イグニッションスイッチ)』。

 この一か月、最高峰のプロに教導をつけてもらったイチカが得た、『隠し玉』だ。

 

「食、らえェェえええええええええええええッッッ‼‼」

 

 そして、イチカは左手で、鈴音に『零落白夜』を発動させたビームサーベル――雪片弐型を掬い上げるように振るう。

 が。

 

「だからアンタは、素直すぎるっつってんのよッ‼」

 

 滑るように。

 イチカが先程やったように、鈴音の身体が強引にスライドし、『零落白夜』を回避する。

 鈴音の肩装甲のエネルギーが削れるが、それが大勢に影響することはない。

 

 鈴音は単なる『代表候補生』の枠組みを超えた『次期代表』だ。セシリアと箒に師事したイチカはもはやいっぱしの代表候補生並の技量を持っていたが、それでも彼女に出来ることは、即ち鈴音に出来ることに他ならない。

 作戦にしても、『分かりやすすぎる』と思われてしまった時点で、その挙動でプロを騙すことはできない。その裏に何かがあると言っているようなものだ。鈴音は、イチカが嘘を吐けない性格だとこの一か月で知りすぎるほど知ってしまっている。だから、逆にブラフの有無も簡単に見抜けてしまうのだ。

 これは情報を得る為に――という建前で――鈴音と親交を深めてしまった弊害だろう。

 

「っ‼」

「これでっ‼」

 

 空振りの隙を突いて、鈴音が振り下ろした青龍刀を振り上げる。イチカはこれをギリギリのところで右手を挟み防御するが――その拍子に右手装甲が完全に砕け散る。そしてまた四〇%のエネルギーが消費される。――残り二〇%。

 

「終わりよっ‼」

 

 そして――鈴音にはまだ武器が残っている。

 移動に使用してきた、第三世代型兵装――その本来の役目は、『衝撃砲』だ。

 当然ながら、この局面で、この至近距離で『衝撃砲』など当てられた日には――イチカの敗北は、確実となる。

 そんな状況で、イチカはそれでも、不敵に微笑んでいた。

 

()()()()()()()()

 

 装甲を失い、細く白い指が露出したイチカの右手が、ゆっくりと、少なくともISセンサーで反応が加速している鈴音にとってはゆっくりと、『龍砲』を――いや、そこから伸びた不可視の砲身を指差す。それは、先程『零落白夜』が通過した方の砲身だった。

 ――? と、鈴音の脳裏を一つの違和感がよぎる。

 圧力で『砲身』とも呼べる威力の抜け穴を形成し、余剰圧力全てを特定の方向に撃ち出す『衝撃砲』。

 ISエネルギーを消し去る能力を持つ『零落白夜』。

 そして見事なまでに空振りしたイチカ。

 先程、イチカは何と言っていた?

 そう――そうだ。

 

()()()()()()()()()、ってなァ‼‼」

「しまっ、『甲龍』攻撃を止め――」

 

 空振りしていたと思われていた『零落白夜』は、元々鈴音のことを狙ったものなんかではなかった。

 そう鈴音に思わせて、慢心しないプロから一%の慢心を引き出して、確実に『砲身』に攻撃を仕掛ける為の物だったのだ。

 イチカは嘘が吐けない。だから、見え見えの(ブラフ)は本気のもので、そこにさらなる裏など隠れていない――イチカの作戦は、最初から鈴音にそう思わせることだった。大きな分かりやすい嘘の中に、本命の嘘を隠して、バレないようにしていたのだ。

 

 瞬間。

 砲身を形作る圧力の一部に切れ目を入れられた『衝撃砲』は、鈴音が止める間もなく一か所の破損からほころび、そして大爆発を起こした。

 当然、そんなことになれば照準などめちゃくちゃになり、無事な方の攻撃もまたイチカに当たることはなかった。

 さらに――イチカの狙いはそれだけではない。

 

「あの時、一か所だけエネルギーを削れていた肩部装甲……そこに衝撃が集中するように『砲身』を傷つけることで、『絶対防御』を誘発させて一気にあたしを倒そうって算段だったのね……。……ええ、認めるわイチカ。怒っても良い。本気で戦っているつもりになっていたけれど、多分あたしは――心のどこかで、アンタを舐めてた」

 

 しかし。

 それだけやって、尚。

 綿密な計画を練って、プロの心に生まれた僅かな慢心に付け込んで、尚。

 

 凰鈴音は墜ちなかった。

 

 ギリギリのところで青龍刀の柄を砲身と装甲の間に挟み、直撃を避けることで撃墜を回避していた。

 

「本当に、危なかった……もうエネルギー残量が二五%しか残ってないし。咄嗟にコイツを盾にしていなければ、負けていたわ」

 

 鈴音は、そうは言いつつも危なげなど欠片も見せずに――この程度のしっぺ返しは想定の範疇とでも言わんばかりに、不敵な笑みを浮かべ、使い物にならなくなった青龍刀を放り捨てて続ける。

 

「で――アンタの手は、これでおしまい?」

 

 それは、勝利宣言のようなものだった。

 だが、実際にはそれは間違いだ。最早、鈴音の心に一片の油断も存在していない。目の前の少女を後輩とも友人とも思わず、ただ強大な『敵』と認識している。その上で、イチカの心の方も全力で折りに行っているのだ。

 

「は、ははっ……流石に、強ええな、鈴は」

 

 イチカの方は、もう満身創痍だった。右手は度重なる衝撃でピリピリし始めているし、『零落白夜』の使用により、エネルギー残量はもうあと一〇%しか残っていない。つまり、イチカに出来るのは『零落白夜』を頼っての引き分けか、『零落白夜』抜きでの勝利のみ。引き分けの後は再試合で、慢心のない鈴音を相手にしなくてはならないとなると――結局、『零落白夜』はもう使えないと考えた方がよさそうだった。

 

(分の悪い賭けだな。しかも、相手はもう欠片の慢心もねえ鈴だ。でも……)

 

 これ以上ない程の劣勢。その局面で、イチカは仲間の顔を思い出していく。箒、セシリア、そして――ほかならぬ鈴音の顔を。

 

(俺は、俺の為にも、俺に力を貸してくれた仲間と、お前の為にも‼ ――負ける訳には、いかないんだ‼)

 

 覚悟を決めたイチカは、瞬時加速(イグニッションブースト)によって一気に下方に加速し、そして地面に踏み込む。爆音と共に、フィールドを含めたアリーナ全体が震動する。それだけでなく、地面が大いにひび割れ、小さな瓦礫片が飛び散り、そして周囲を粉塵が包み込む。瓦礫片などでエネルギーが消耗する程ISの防御はやわではないし、粉塵を撒いた程度で相手の視界が塞げるほどISセンサーは甘くはない。イチカの行動に、鈴音が怪訝な表情を浮かべようとした、ちょうどその時――――、

 

 眼前に、イチカの顔が現れた。

 

『フェイント』。

 相手を認めているからこそ、この行動には何らかの意味があるはずだ――と思考するそのほんの一瞬のスキを突いて、直接攻撃をしかけたのだ。もはや策も何もない直接攻撃。しかし、それもまたプロの世界では駆け引きとして使われる立派な戦術として有効打になりえる。

 

「――とでも、思ったの……⁉」

 

 既に青龍刀は放り投げている。しかし、如何に想定外だとしても、行動が見え見えであれば防御は容易。この程度のフェイントは、鈴音には通用すらしない。――鈴音が咄嗟に『龍砲』を間に差し入れて即席の盾にしようとした、その瞬間。

 

 二人の頭上の天井――正確にはバトルフィールドを区切る為のエネルギーシールド――が破壊された。

 いや、正確には、何者かがエネルギーシールドを無視して、戦場に乱入した。

 

 鈴音は攻撃に夢中で襲撃に対応できていないイチカの攻撃を『龍砲』一機を犠牲に回避し、それから防御されて動きが止まったイチカの一瞬のスキを突いて殆どタックルみたいにしてその場から退避する。

 その直後、彼女達がいた空間をレーザーの豪雨が蹂躙した。

 

「…………おい、鈴」

「何よ、イチカ」

 

 謎の乱入者から五〇メートルほど距離を取ったイチカは、傍らにいる鈴音の横に並び、

 

「アイツ、一体何者だと思う?」

「さあ。アンタのファンの変態じゃない?」

 

 未だ粉塵の中にいる侵入者が、笑みを浮かべたようにイチカは感じた。

 それは、さらに続く激闘の予感でもあった――――。



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第一〇話「うさぎなぶりてこすばくはつ」

 その場を、不気味な沈黙が支配していた。

 突如現れた謎の乱入者。

 攻撃が来ないのは、突入時に発生した土煙が原因だと推測できる。

 乱入者の主な兵装は強力なレーザー砲の連射――光の豪雨(レーザースコール)。土煙のせいで光学兵器は減衰しすぎてISに通用しない程度になってしまうし、土煙から出て突入しようにも、おそらく土煙内部はレーザーの熱と電磁波と単純な砂埃のせいでISのセンサー自体も上手く機能していないだろう。まったく状況の把握できない戦場に後先考えず突入するなど、愚策もいいところ。だから、乱入者は動かないのだ。

 しかしそれも、いずれはなくなる均衡でしかない。ISセンサーの周辺走査が終了すれば、レーザーによる熱や電磁波の影響を計算に入れて砂埃を無視した周辺状況の演算も即時完了するので、今度は計算に計算を重ねて強襲できる。

 

『織斑さん、凰さん! 今すぐそこから離脱してください! 敵機――仮称コードネーム『レーザースコール』の目的や能力は一切不明です! とにかく此処は一旦退いて教員達が来るのを待ってください!』

 

 聞こえて来たのは、ロリ巨乳眼鏡だった。

 アリーナの防壁はどうやら現れた乱入者によってロックされているようだが、イチカの『零落白夜』ならそんなことは関係ない。それでエネルギー切れになってしまうが、鈴音がそれを抱えて持って行けば離脱は完了するだろう。

 ただし。

 

「無理よ。敵はアリーナを覆うシールドエネルギーを無視してレーザー攻撃をしてる。あたしたちが此処で逃げれば観客にも被害が出かねないわ」

『その点は問題ありません! あのシールド無効化は兵器による攻撃ではなく、同時刻に全く同じタイミングで施行されたハッキングが原因です! そちらの対策は先程完了しました!』

「だからそれでもまた同じことされる危険性があるから向こうの気を惹く必要があるっつってんじゃないアンタ馬鹿⁉」

『ええっひどい……これ以上ハッキングされる余地をゼロにする為に回線をオフラインにして、発生する色んな不具合も全部取り払ったのにぃ……この後始末書確定なのにぃ……』

 

 人事を尽くしてもなお叩かれる不運なロリ巨乳眼鏡だが、実際のところ、IS学園の強固なセキュリティを突破できるような化け物を相手に『オフラインにしたから大丈夫』というのは、慢心以外の何物でもない。何せ、敵が外側にいるとは限らないのだ。内側から攻撃を仕掛けているのであれば、いくら外部向けの対策を練ったところで意味などない。それに――世界には、ハッキング防止の為に完全オフライン制御していたはずの大陸間弾道ミサイルを全く同時に『ハッキング』して誤射させた実績を持つ変態科学者も存在している。

 

「しっかし、あのレーザーが通ったのは別に威力が高いからって訳じゃないのね……。チッ、何が『レーザースコール』よ。いいとこ『エレファントピー』ってとこじゃないの?」

「エレファント……象のなんだって?」

「象のおしっこよ」

「『レーザースコール』な! 敵性コードネーム『レーザースコール』! それダメ!」

 

 慌てて訂正し、イチカは雪片弐型を構える。

 直後――――――動きがあった。

 ぼふっ‼ と、土煙の煙幕から突き抜ける動きが。

 来る。

 世界最高峰のIS学園のセキュリティを無視し、正体不明のISで単身突撃してきた謎の敵が。

 そんな敵相手に、こちらの戦力は死に体のISが二機のみ。

 それでも、戦わなくてはならない。

 だが、不思議とイチカには恐怖感はなかった。

 鈴と一緒なら、きっと勝てる。根拠のない自信が、イチカの中で燃え上がっていた。

 そして、ISの超高精度センサーが敵影を感知する。

 

「へ?」

「ん?」

 

 ……ただし、出てきたのは妙に機械的なウサ耳をつけた長髪の女だったが。

 

『はろはろはろ――――っ‼‼ ひっさしぶりいっくーん‼ いやその姿だといっちゃんかなどうかなー⁉』

「た、束さんっ⁉」

 

 女の名は――――篠ノ之束。

 ISの発明者であり、現在、世界で唯一ISコアを作成する技術を持った鬼才である。

 その束は、土煙から抜け出たままの勢いでイチカに突撃を仕掛ける。ISは至近距離から放たれた対物(アンチマテリアル)ライフルの弾丸をも余裕で回避し、超音速航空機以上の速度でドッグファイトを行えるのがISだが、操縦者が驚愕で動けなくては話にならない。思わず身を竦めてしまって動けないイチカに代わって、鈴音が間に割って入る。

 

「何よ、アンタ⁉ いきなり出てきて――、」

 

 が。

 

『じゃまー』

 

 束は気の抜けた言葉と共に、鈴音の身体を突き抜けてそのままイチカへの突貫を継続する。

 そして、そこで鈴音は気付く。敵のコードネームは『レーザースコール』……光の豪雨、つまり光学兵器。ISの応用性を以てすれば、様々な波長の光を放つことで精巧な3D映像を空間に投影することだってできるのではないだろうか。

 つまり、ホログラム。

 実体を持たないからこそ、あらゆる対象からの干渉を無視することができる。とはいえ、それではイチカに飛びかかる理由がないので、自分側からの干渉だけは何らかの手段で可能にしているのだろうが。

 

『むふ、むふふ……いっちゃんのことをぺろぺろむにむにして良い感じのトロ顔にしてやる――っ!』

 

 盛大な科学技術の無駄遣い。

 ――この姉あって、あの妹ありと言うべき有様だった。むしろ、危険度に関しては姉の方がよっぽど邪悪だ。イチカが思わず自衛のために『零落白夜』を発動しかけた、その時。

 ホログラムのはずの束の頭を掴み、そのまま二〇メートルほど下方の地面に叩き付ける者がいた。

 

『お、おふ……』

「そこまでだ、束」

 

 顔面を女子的にNGにした束のすぐそばで立ち上がったのは、『世界最強』――織斑千冬その人。

 

『ち、ちーちゃん、一応今私はここから超音速旅客機で飛ばしても数時間はかかるようなところにいるんだけど……?』

「ここでは織斑先生と呼べ。……質問に答えると、ホログラム映像の乱れ(ノイズ)から位置情報を推測して、その地点に衝撃を()()()()。それだけだ」

 

 なんというか、もはや存在自体がバグのようなものだった。

 なお、ホログラム映像の乱れは肉眼はおろかISの高精度センサーでも見えるかどうかという程度の規模だったことを此処に追記しておく。既に千冬の視覚はISのセンサーを上回っているということだ。

 そんな超人千冬に、潰されたカエルのような状態から辛うじて復帰した束が問いかける。

 

『ほ、他の人は乳繰り合うのOKで、何で私だけダメ……?』

「貴様は乳繰るついでに怪しげな薬を打ち込んだりしようとするだろう。そのホログラムに重なるようにして隠していた小型UAVを使って」

 

 そう言いながら、千冬は束から手を放し、立ち上がろうとする。完璧な図星だったが、束はこの程度ではめげない。むしろ千冬が立ち上がろうと動いたその瞬間に俊敏にイチカの方へ突貫しようと動く。

 

『そりゃあ当然でしょー何なら女のカイカンに目覚めちゃうくらいにひぎぃっ⁉』

 

 その首を、立ち上がりかけの千冬が軽く撫でる。

 同時に束の首がグリンッと回ってはいけない方向に首が三回転したのを確認すると、千冬は興味を失ったように束から視線を離す。

 そのあまりの手際の良さに戦慄しつつ、鈴音が口を開く。

 

「ち、千冬さん……」

「織斑先生、だ。すまん、やって来るのが遅れた。ちょっと準備に手間取ってな」

「いや、そもそもまだ遮断シールド解除されてないみたいなんですけど、どうやって生身で……」

「こう、乱数を調整して」

「さっきから思ってたけどアンタだけ世界観違うわよね⁉」

 

 まさかのバグ技ワープを使っていたことが判明した千冬(TAS)さんに戦慄する鈴音の横で、同じように戦慄しつつイチカは改めて束のことを観察する。

 機械製のウサ耳型ガジェットが目を惹くが、その服装は『カジュアルな不思議の国のアリス』と言ったところだろうか。大きく開いた胸元が特徴的な、フリルが多めのエプロンドレスを身に纏っている。

 束の姿は、記憶にあるそれと殆ど変化していない。つまり――一〇年前のあの日と同じ、『少女』と形容できる姿をしていた。目つきが柔らかいこともあり、箒よりも年下に見えてしまうほどだ。それが束の天然の美貌なのか、得体のしれない科学に身を浸した結果なのかまでは、イチカには判別がつかないが。

 

「イチカさんっ‼」

「イチカ、大丈夫かっ⁉」

 

 そこで、ブルー・ティアーズを身に纏い、箒を抱えたセシリアが合流する。

 

「……セシリア? 遮断シールドがあったはずじゃ……」

「箒さんに解除してもらいましたわ。数秒で元通りですけど」

「………………………………………………………………」

 

 あの姉あって、この妹あり、である。

 セシリアと合流したイチカと鈴音は、そのまま高度を下げて千冬たちの近くに降り立つ。

 

「イチカ……さっきアンタ、コイツのこと『束さん』って言ってたわよね……?」

「うん……」

「つまり……コイツが『篠ノ之束』ってことよね……? あの、天才科学者の……」

「そうなるな……」

 

 けっこう困惑してている鈴音の横では、イチカが目を覆いながら頷いていた。ちなみに、視線の先では首が絞り雑巾みたいになっている人体の神秘の体現者が転がっている。ぷるぷると震えているあたり、あんなのでも一応生きているらしい。

 と、捩じった輪ゴムのように束の首がくるくる回って元の形に戻る。まさに人体の神秘だった。

 

「あ、戻った」

 

 人体の神秘を目撃し、イチカが呟く。完全に他人事だ。

 そんなイチカはさておき、受け答えできるようになったと判断した鈴音がおそるおそる束に尋ねる。

 

「……アンタ、一体何者? 一体何の用で来たの……?」

『ん? 束さんは篠ノ之束さんだよ。用は……そうだなー、ひ・み・つ☆』

「この愚か者が」

『あぎゃ――――――っ⁉⁉』

 

 めぎょっっっ‼‼‼ と、鈴音とのやり取りを見ていた千冬が呟くと同時、世にも恐ろしい音が束から――より正確には、束のホログラムの肩あたりから聞こえて来る。

 千冬が背中を踏みつけた衝撃で、何故か束の両肩が外れた音だった。

 通常であればホログラムは映像を伝えるだけであり、音声など伝わるはずもないのだが――おそらく、アリーナのスピーカーをハッキングし、指向性超音波音響装置(パラメトリックスピーカー)でも再現して自身の周囲の音声を伝えているのだろう。

 スライムか何かのような動きで肩を元通りに戻し、ぬるりと千冬の足の下から抜け出した束はうんざりした様子で、

 

『もー……酷いよちーちゃーん……』

「これほどの大事を起こしておいてよく言う。『中継を見ていたら織斑が可愛すぎて我慢できなくなった』だけだろう」

「た、たったそれだけの理由で……」

「一体どんだけの人達に迷惑がかかったと思ってんの……?」

 

 千冬から明かされた衝撃の真実に、イチカと鈴音は怒るというより思わず脱力してしまう。が。

 

「それならまあ、仕方ありませんわね……」

「ああ。むしろあの可愛さを見せられ続けたら、侵入手段さえあれば誰だって侵入していただろう。たまたま出来たのが姉だけだったというだけの話で」

 

 なんか、同意を得られていた。

 他の観客たちも、『そういうことなら仕方ないね』って雰囲気になっていた。異常な雰囲気に何かヤバい能力でも発動しているのでは……と能力バトル物めいた懸念を抱くイチカだったが、直後に思い直す。そういえば、この世界はイチカのIS展開を是とする為に専用の条約とかが作られてしまうような世界だった。

 

「へ、変態だとは思っていたけど、此処までとは……!」

「え? 何? 何なの? もしかしてこれってあたしのリアクションがおかしいの……?」

「いや待って‼ 違う、鈴違う! アイツらが変態なだけだから‼ 頼むから自分を強く持ってくれ! 俺を一人にしないでくれぇ‼」

「そうですわー中国次期代表もこっちに来るのですわー」

「こっち側は楽しいぞー仲間もいっぱいだぞー」

「お前らやめろォ!」

 

 まさしく、四面楚歌という表現がぴったりな状況だった。下手人は束なのに。

 

『というかむしろ、今からでもいっちゃんに素直になれるお薬とか打ち込んで良いよね? ほら、需要あるだろうし。大丈夫大丈夫効力一〇分だしアレルギー原因物質も含まれてないしただちに影響はないから』

「最後で一気に胡散臭くなってるわよ‼」

「むぅ……否定できませんわ……!」

「おのれ卑劣な……姉め……!」

 

 言葉とは裏腹に、超嬉しそうな変態淑女二人に、千冬は溜息を吐きつつ、

 

「駄目に決まっているだろう愚か者」

『どっふぇいっ⁉⁉⁉』

 

 スッ……と懐から取り出した人参のようなデザインの注射針を持った手(ホログラム)を掴み、そしてそのまま捩じり上げる。人体の可動域を越えた軌道で、束の右手が天高く持ち上げられる。

 

『決まってる……! 決まってるよちーちゃん⁉ 決まっちゃってるよ……⁉』

「あれどうやってんだろ……」

 

 もはや異次元の攻防に慣れたイチカは、ただしみじみと呟くだけだった。

 ちなみに、鈴音はこのとき『変態たちを抑える為にはこういう攻撃が有効なのかー』と思っていた。ただ受け身に収まらないところが、イチカとのツッコミ役としての資質の差であった。

 ちなみに千冬も方向性としては立派な変態なのだが、それでも一応薬物系統にはしっかりNGを出してくれる良識は持っているのだった。

 …………良識とはいったい、という哲学的な問いは、おそらくイチカと鈴音くらいしか抱かないだろう。

 

「っていうか束さん、俺達の試合見てたんだな」

『そりゃもー当然だよっ! 束さんはいっちゃんのデビュー戦も見てたんだからね! もー束さんってばいっちゃんの大ファンだよー』

 

 千冬の関節技からやっとの思いで解放された束は、そう言ってイチカに抱き付こうとするが、背後から感じた殺気にびくりと身体を震わせてから思い止まる。いかに変態天才科学者と言えど、自重するタイミングでは自重するのだった。

 

『まあ、ISができてから一〇年、そろそろ安定してきちゃって面白いこともなかなか起こらなかったからねー。そこにいっちゃんの登場だから、束さんもやる気になってついつい無人機なんて作っちゃったのだよーぬはは』

「いや、それでISのルールをぶっ壊すようなものを作れるなんておかしくない……?」

 

 かなり自然に流されていたが、本来ISというのは人間の女性がいないと動かすことができないものなのだ。そういうものだからこそ今の女尊男卑社会があるのであり、無人機が運用可能ということになるとそれまでの前提が全部覆ってしまうということになる。それは女尊男卑社会の崩壊であり、現在の社会体制に発生する未曽有の混乱でもあるのだが――、

 

『あ、安心して良いよー。無人機の開発は束さんレベルの天才が心のち×んこをおっ立てるくらいのリビドーに突き動かされないとできないくらい高度な発明だから、他の凡人達にはフル×チンになってもできないからね』

「束さん、伏字の意味がなくなってる……」

『ふははー! 束さんのゥエルルォッスが伏字ごときでどうにかなるとでも思ったら大間違いなのだー! なんならいっちゃんの耳元でもっと恥ずかしいことを囁いて全国ネットにいっちゃんの赤面顔を、』

「それも悪くないが、私にもっと良い考えがあるぞ。――全国ネットに貴様の赤面顔を流すのだ」

『あだいぎぎぎぎっぎぎ⁉⁉⁉ ちーちゃん‼ 締まってる‼ 首、首‼』

「織斑先生、だ」

 

 音もなく背後に回り込んだ千冬によって首を絞められた束の顔が、鬱血で真っ赤に染まっていく。束はたまらずタップするが、無慈悲な処刑人と化した千冬が手を緩めるはずがない。

 確かに赤面顔に違いはなかったが、その赤面はいずれ紫色に変色する定めの、色気ゼロの赤面であった。まさかお茶の間の皆さんも世界初の男性IS操縦者の試合を見ていたら突如乱入した開発者の窒息顔を見せられることになるとは夢にも思わなかったろう。既に放送事故というレベルではなかった。

 かくっ、と束が安らかな表情で落ちたのを確認すると、千冬はゴミでも捨てるようなぞんざいな扱いで束をその場に放り捨てる。

 すると、放り捨てられるや否や何もなかったかのように束は軟体動物のような気持ち悪い動きで起き上がって、千冬の周りを世にも腹立たしい表情と身振りで回り始める。

 

『もー、ちーちゃんだっていっちゃんに色々としたいくせにぃ』

「織斑先生、だ。それと私は教師として常識の範疇で自分の欲を満たしているから問題ない」

「いや、今の時点でも大分職権乱用してると思うけどな……?」

 

 真顔で言い切った千冬にイチカはおずおずと言うが、そんなことで世界最強はへこたれないのであった。

 

『あーそーなんだ。ちーちゃんがそう言うなら私にも考えがあるよ! この場でいっちゃんのISに用意しておいたバックドアからハッキングしていっちゃんのISアーマーをとんでもないどエロ装備に変更してちーちゃんが正気を保てるかどうか試して……、』

 

 あくどい笑みを浮かべながら、懐から怪しげなリモコンを取り出す束。

 しかし、そのリモコンが使われることはなかった。べし、と千冬が束の手ごとリモコンを叩き落としたからだ。

 叩き落とされたリモコンは当然ながら大破し、ついでにISを生身で制圧できるとまで言われた膂力を一身に受けた手首は、壊れかけの玩具のようにプランプランとしてしまう。

 

『ひあああああ――――っ⁉⁉ 束さん特製のリモコンが粉々にっ⁉ ちーちゃんなんてことを‼』

「学校に余計なものを持ち込むからだ」

 

 ISにバックドアがついているとかセキュリティ的に大丈夫なのかとか、リモコン以前にとんでもないものを持ち込んでいるとか、そもそもホログラムだから持ち込んでいるわけじゃないとか、色々とツッコミどころは満載だったが、それは今更なのであった。

 もはやツッコミの一環で人体が破壊されることについて、誰も違和感を抱いていなかった。どうせ次の瞬間には元に戻ってるし。

 

「っていうか、バックドアってなんだ束さん! いつの間にそんなものを⁉」

『あ、言ってなかったっけ? その白式の基礎は束さんがいっちゃんの為に組んだものだからね。日本の企業に譲り渡す前の段階でクラッキングする為の窓口を作ってたんだよ。これで頼んでもいないのに定期的にOSを自動アップデートすることができるよ! やったねいっちゃん!』

「やめなさい!」

 

 某窓のクソ仕様を彷彿とさせる束の余計なお世話に、鈴音が二重の意味でツッコむ。

 

『というわけで、スイッチなんかなくても開発者権限でモミモミすることによっていっちゃんのコスは束さんの思うがままなのであった‼ ハッハー食らえイ束さん秘伝クラッキング(物理)‼‼』

 

 荒ぶる鷹のボーズで、束がイチカに飛びかかる――‼‼

 が。

 

「なるほど、こうやるのか?」

 

 飛び上がったまさにその瞬間に、何故か束の服装が変化、ボンテージめいた拘束具と化してその場に転がる。通常であれば艶めかしいことこの上ない構図なのだが、残念なことに前後の展開のせいで色気は全くなかった。

 

『あ、あれ? ちーちゃんこれは一体……?』

「織斑先生だ。いやなに、どうせお前のことだし見た目には分からずともISの技術を使っていることだろうと思ってな」

 

 原理についてはツッコんではいけないのだった。

 重要なのは、束が拘束具を装着させられて身動きが取れなくなってしまったという点だ。

 

「束さん秘伝クラッキング(物理)、だったか? これ」

『どぅあああいいたぁぁぁいいいい痛い痛い痛い‼ 束さんの身体にセキュリティホール(物理)ができてしまううううう』

 

 千冬が無造作に腕を振ると、拘束具が嫌な音を立てて変形する。稼働するPCのファンめいた悲鳴が響き渡るが、千冬は制裁(ツッコミ)の手を一切緩めないのであった。

 束は、ここに無力化された。

 と、がさり、がさりという音が聞こえたのでイチカはそちらの方に視線を向けてみる。そこには、

 

「うう……勿体ないですわ。せっかくイチカさんのあんな姿やこんな姿が見れたかもしれないというのに……」

「千冬さんはちょっと堅苦しすぎると思うぞ……」

 

 半泣きでバラバラに散らばったリモコンを掻き集めようとしている変態淑女がいた。イチカのコスプレ博覧会と言えば、変態たちの悲願の一つでもある。それがこんなにもあっさりと破壊されてしまったことに悲しんでいるのであった。ちなみに、掻き集めようとしているもののリモコンはホログラムの為当然すり抜けてしまっている。賽の河原とはまさしくこのことであった。

 

「アンタら……」

 

 あまりのさもしさに鈴音が呆れた、その瞬間だった。

 

『と、見せかけて! こんなこともあろうかと予備のリモコンも用意しておいたのでしたっ! ポチっとな!』

「ひゃあ⁉ 束さん⁉」

 

 拘束具の身体の陰に隠してあった予備のボタンを、束が神速で作動させる。次の瞬間にはリモコンごと撃ち抜くように束の顎にアッパーが叩き込まれるが、もう遅かった。イチカのISが白い輝きに変換され、その体のラインがあらわになる。

 

「ど、どエロすぎますわっ⁉ こ、こんな……ブフォッ‼」

「せ、セシリア‼ まずい、精神的童貞である我々に『光に覆われてるから健全』なんて理屈は通用しないというのに‼」

 

 (鼻から)血を噴いて倒れたセシリアを助け起こした箒の前で、イチカの変身が完了する。

 そこにいたのは――――天使だった。

 イチカが、スクール水着を身に纏っている。

 それも、ただのスク水なんかではなかった。

 

 ――――白スク水。

 

 白式から変換された影響だろうか? 少女性の象徴であるスクール水着が、純白の神聖さを得たその姿は、イチカという少女の在り方によく似ていた。ぴっちりと身体に沿う水着が生み出すボディライン、そこから伸びる真っ白い四肢、そして白スク水という材質ゆえに、仄かに透けて見える肌色――。

 

「……な、なんだよ、これ……」

 

 極め付けに、赤面し、悶えるイチカ。

 

「バブッ‼‼‼」

「ゴブッ‼ ……こ、これは、流石の私も……」

 

 二人の変態淑女が、なす術もなく地に臥す。

 観客席でも、夥しい出血で倒れる者、ノーマルスク水でないことに憤怒し立ち上がる者、スク水なんてニッチなエロスよりも分かりやすいビキニが良かったと嘆く者、地上波では流すことのできないであろうびっくりエロ水着を探求する者、水着は良いからブルマを求める者などで争いが生まれていた。

 

「こ、こんな……こんなむごい、ことが……あって良いんですの……⁉」

「美しいものがあれば、救われる、と思ったのに……人は、それを巡ってでさえ争いを生み出してしまうというのか⁉ 救いはないんですか……⁉」

『ふふ、イギリスガールA、箒ちゃん……人類っていうのは、こういうものなのさ……』

「そんな……」

「セシリアですわ」

『でも、私は信じてる! いっちゃんの色気が世界を救うと信じて――――‼』

「ご愛読ありがとうございました! 姉さん先生の次回作にご期待ください!」

「コミックス三巻は四月九日に発売予定ですわ!」

「終・わ・ら・せ・る・なァァァああああああああああッッッ‼‼」

 

 そこで、業を煮やした最後の良心・鈴音が渾身の蹴りを叩き込む。

 

「っふぇいッ⁉」

「しなるっ⁉」

 

 変態二人がISの攻撃により叩き伏せられるが、当然ながらホログラムである束には通用しない。

 

『むっふっふー当たらないよー』

「ぬぐぐ……」

 

 調子ブッこく束に鈴音は歯噛みするが、しかし鈴音に束に対する攻撃(ツッコミ)手段などなかった。

 

『ふぇっひっひっひ‼ ちーちゃんはいっちゃんのスク水姿にやられてるだろうし、もう此処に束さんを止められる人はいないね! やーいやーいこれから思う存分いっちゃんにセクハラしまくってやるぞぉ~』

「こ、の、変態兎ィ……ッ‼」

 

 気を良くした束はそう言って円運動を行う。いつの間にか拘束具めいた服は元の形に戻っていて、掲げられた両手がワキワキと人の神経を逆なでする動きをしていた。怒りの限界に到達した鈴音が新たな世界の扉を開けかけた、ちょうどその時。

 

「心配要らない、お前の担当は私だ」

 

 束の背後から、声が聞こえて来た。

 振り向くと……そこには、千冬の姿が。

 

『ち、ちーちゃん? いっちゃんのあられもない姿にやられたはずじゃ……』

「織斑先生、だ」

 

 答えになっていなかったが、それが答えだった。

 ちなみに、あられもない姿には確かに気を惹かれていた千冬だったが、完成された淑女である千冬はYESロリータNOタッチの精神を完遂できるのであった。

 

『ま、待ってちーちゃん‼ 確かにちょっと調子乗ったけどいっちゃんのあられもない姿を見られてイーブンってとこだよね⁉ すぐ元に戻すから折檻はなしの方向で……っ‼‼』

 

 束は慌てて後退り、必死で千冬に許しを請う。

 しかし、千冬の答えは決まっていた。

 

「織斑先生、だッ‼」

『ファラオっっっ⁉⁉⁉⁉⁉』

 

 暴虐が、繰り返される。

 

「……うう、何でもいいからこれ戻してくれよぉ……」

 

 一方最大の被害者は、そう言って頼りない水着を両手で隠しつつ呟いた。

 残念ながら、その望みを聞いてくれる者はどこにもいなかった。

 

***

 

 何やかんやあって、イチカは元に戻った。

 

「ほら、迷惑をかけたのだから謝罪しろ」

『ば、ばごどび、ぼぶびばべあびばべんべびば……』

「何を言っているのか分からん、もう一度だ」

 

 そんなことを言う千冬の足元には、三角柱を敷き詰めた床の上に正座で座り、後ろ手で手首を縛られた上で膝の上に重りを載せられた束がいた。この拷問は『石抱』と言って、江戸時代に行われていた由緒正しき拷問である。ちなみに、機械的なウサ耳からは『この度はまことに』『申し訳ありませんでした』という紙がそれぞれ垂れ下がっていた。どこから調達したのか、そしてどうやって束にダメージを与えているのかについては、気にしてはいけない。

 

「特に織斑は、貴様の乱入のせいで負けたのだからな」

「ええ⁉ 俺負けなのか⁉」

「ISの試合では、特別な事情がない中断ではその時点でのエネルギー残量で勝敗が決定する。コイツの乱入は別に特別な事情ではないのでお前の負けだ。それにどうせあのままやっても負けていた。まあ、だと思ったからこの馬鹿も気兼ねなく乱入したのだろうが」

 

 実際、慢心が一切なくなった鈴音から『零落白夜』なしで一二%もエネルギーを削れたかと言うと、それは厳しい所がある。しかし、実際にやって負けるのとやらずして負けるのとでは無念さが違う。

 

『も、もういたしません……申し訳ありませんでした……』

「誠意が足りない。もう一度だ」

『ちーちゃん酷いよー‼ もう許してよ足が痛いよー‼』

「織斑先生と呼べと言っただろう。馬鹿者」

『ちぎゃんっ⁉⁉⁉⁉』

 

 石を載せられた太腿に、千冬のローキックが突き刺さる。

 

「あの……もうそのへんで良いですから……。ね? イチカも良いでしょ?」

「う、うん」

「……当人が言うなら仕方ない。解放してやるか」

 

 千冬がそう言うと同時に、束はにゅるるっと軟体動物のような動きで拘束から逃れる。千冬もそうだが、動きがいちいち人間離れしていた。

 

『はぁー……本当に死ぬかと思ったよー……。止めてくれてありがとね、いっちゃんとチャイナガールA。まったく、ちーちゃんはホントに乱暴なんだから……』

「織斑先生だ。また同じことをされたいのか?」

『ひっすみません‼』

 

 びく! と反射的に身を縮こまらせた束は、狂気の天才科学者というよりはなんかこう、ヘタレボケキャラみたいな感じだった。それでも一〇年以上へこたれずにこんな感じで身体を張った(ツッコミの暴力に晒されると言う意味で)ボケを続けているのだから筋金入りである。

 

「わたくし達はああはなりたくありませんわね……」

「ああ、そうだな……」

 

 自分達は違う的なスタンスをとっている変態淑女二人だが、既に半ば同じ立場に陥っていることには気付いていないようだった。

 

『きょ、今日のところは帰るけど……ふっふっふっ! 束さんは負けない! 実はさっき突入に使った束さん謹製の無人機『GOGO☆レム睡眠君』には時限爆破装置がついているのだっ‼‼‼』

「それ普通にゴーレムで良いんじゃ……って、時限爆弾⁉」

「はぁ⁉ ちょっと待ちなさいよそれどうやって解除する、」

『それじゃあ私はちーちゃんにオシオキされる前に退散するぜ‼ あばよーとっつぁーん‼』

 

 鈴音の制止も聞かずに、束のホログラムは跡形もなく消え失せる。それを黙って見ていた千冬が『織斑先生、だ』と拳を振った瞬間、どこか遠いところから『おほお――――――っ⁉⁉⁉⁉⁉』という悲鳴が聞こえたような気がしたが、意味はない。

 イチカはとっくに砂埃が消えて、その場に転がっているだけのオブジェと化していた無人機『ゴーレム』を見る。『ゴーレム』にはヒビが入っており、その隙間から既に淡い光が放たれていた。

 イチカの直感が語りかけて来る。

 もう、遅い。

 

「うわあああああああああどうするんだよこれええええええええ」

「クッソ……‼ あの変態、いずれ血祭りにあげてやる……‼」

「姉さん、安らかに……」

「祈っている場合ですか箒さん! ええい爆発オチなんてあんまりですわ――――っ‼‼」

 

 瞬間。

 四者四様の断末魔ののち、直径一〇〇メートルの半球全体を爆風が席巻した。



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第一一話「あるすれ違いの終着点」

 イチカと鈴音の試合から、一日が経った。

 

 結局大爆発こそ起こったものの、被害は殆ど皆無だった。

 大爆発はISのエネルギーによって起こされたものであり、掛け値なしに核爆発級の凶悪度だったが――しかし、それは何の問題もなく千冬がなんか得体のしれない能力によって防御していたのであった。

 下手人の束はあれから音沙汰がないが、千冬が『然るべき報いは受けさせる』と言っていたので、おそらく今日も元気に悲鳴だか奇声だか分からない何かを上げていることだろう。

 

「ったく、あの馬鹿ときたら……」

 

 カツカツと、鈴音は保健室へと続く廊下を歩いて行く。

 殆どの者は無傷だったが、イチカに関してはそうはいかなかった。

 イチカはあの一瞬で機転を利かせて『零落白夜』を発動し、爆風を相殺しようとしてしまっていたのだ。

 無人機――ゴーレムの爆発は、ISエネルギーの過負荷によるもの。であれば、『零落白夜』はその爆風の影響を斬るだけで消し去ることができるのだ。……だが、実際には既に千冬が得体のしれない能力で防御していた。

 結果、『零落白夜』は千冬の得体のしれない能力を相殺し、結果イチカだけは暴風の影響を(部分的にではあるが)受けてしまった。もちろんエネルギーゼロ状態とはいえ、ISの保護は絶対だ。なので別に命に別状はなく、大怪我もしていない(尤も、仮にISの保護がなくとも束のことだし頭がアフロになる不具合しかなかったであろうことは想像に難くない)のだが……自分の力量を大幅に上回るプロとの大立ち回り、公衆の面前で白スク水姿を晒された羞恥などからくる精神的疲労からか、そのあとイチカはすぐに気絶してしまい、そのまま保健室に搬送されてしまっていた。

 当の鈴音や箒、セシリアも昨日は疲労の為(おそらくほとんどが精神的な疲労だ)あのあとすぐに自室でダウンしてしまっていたので、今日、やっとお見舞いにやって来れたのだった。

 

「『零落白夜』を使う余裕があるんだったら、瞬時加速(イグニッションブースト)で少しでも爆発から遠ざかることだって出来たハズなのに、この期に及んであたし達まで守ろうなんて馬鹿みたいなこと考えるからこうなるのよ」

 

 そう言って、鈴音は手に持った果物の入ったバスケットを少しだけ揺らす。しかしやはり、その声色に険はない。

 あの一瞬で、誰よりも早く誰かを守るために動けたあの少女は……勝敗の上では鈴音に負けていたとしても、少なくともあの瞬間だけにおいては、ISの戦闘力とは別のもっと大事な部分で、『次期代表』なんて呼ばれている鈴音よりも先の領域に達していた。

 そして鈴音はそんな、この中の誰よりも弱いくせに、誰よりも一生懸命に誰かを守ろうとするイチカが――大好きだから。

 

「ま、どうせ負けてただろうとはいえ、中国次期代表のあたしに一太刀入れたんだもの。ちょっとくらい褒めてやっても良いかしら。ご褒美に……そうだ、駅前のパフェでもご馳走してあげよっかな。アイツのことだしどうせ『そんな女の子っぽいもの食べたことないよ』とか言い出すんだろうけど……いい加減、少しは女の子させないとね」

 

 ぶつぶつと呟いて行くうちに、鈴音の顔はどんどんと綻んで行った。

 同性の友達と、こんなに仲良くなるなんて経験――鈴音にとっては初めてだった。みんながみんな、鈴音のツンケンした、竹を割ったような性格を嫌悪し、離れて行ったから。中国に行ってからも、めぐり合う同性の殆どがライバルだった。素人同然のところから溢れる才能で駆けあがって行った鈴音をやっかむ声は常に多かったし、嫌がらせを受けることだってあった。それでも、鈴音を助けてくれる者なんていなかったし、鈴音も最初からそんなことは期待していなかった。

 

「あー……でも、どうせあの変態二人がちょっかい出してきそうね。いちいち警戒すんのも面倒だし、一緒に連れて行こうかなー……千冬さんの技を見て、いくつか試したいこともできたし」

 

 そんなことを言っているが、何だかんだで一緒に外出に付き合っても苦ではないと思う程――鈴音は、二人の事も認めていた。同性の友達なんて期待すらしていなかった鈴音が、今はイチカだけでなく、他の相手に心を開けるまでになった。

 思い返すのは、あの買い物の日。

 

『色々あったけど、俺、IS学園に入学してよかったって、今は思う』

 

 あのときは、『……そ』なんて、恥ずかしがって気の利いた返事すら言えなかったけれど、今なら、とびきりの笑顔を浮かべて言える。最初は本気で憎みさえした相手だけれど、こんなに一緒にいて楽しくなれた。一緒に遊んでも良いと思えるような友達が、たくさんできたのだから。

 

(あたしも、IS学園に入学してよかったって――今は、思う)

 

 そんな気持ちを胸に、鈴音は目の前に来た保健室の扉に手をかける。

 第一声は、何にしよう? 多分この時間は起きてるだろうし、退屈もしているだろうから、『鈴様が遊びに来てやったぞー!』だろうか? いや、せっかく見舞いの果物も持ってきていることだし、『差し入れ持って来たぞ有難く思いなさい!』か? いや、この機会にイチカに林檎剥きを教えてやるというのも悪くないかもしれない。いや……それより、まず最初に言いたいことがいくつかあるんだった。よし、ここは――。

 

「ったく、やらかしたわねイチカ! 鈴さんが調子見に来てやったわ、」

 

『よー!』と続けたかった鈴音の言葉は、そこで止まった。

 何故か?

 そこにイチカがいなかったからだ。

 いや、それだけではない。

 イチカがいないだけではなく――――()()()()()からだ。

 

 ……一夏がイチカでいられるのは、ISを展開している間だけ。対抗戦(リーグマッチ)のときまでイチカの姿で日常生活を送っていたのは、ISアーマーを量子化したままISのシステムのみを機動し、シールドエネルギーも極限まで温存していたからだ。

 対抗戦(リーグマッチ)が終わり、ISを展開する必要がなくなった以上――――一夏が、イチカである必要はない。

 

「おう、鈴か。いやあ、まさか千冬姉があそこまで化け物とは思ってなくてさ……」

 

 ベッドの上に横たわり、上半身だけ起こした少年は、そう言って照れくさそうに小さく苦笑する。この一か月で、何度となく見た雰囲気の笑みだった。

 

「……え? あれ、何でアンタここに……いやそうじゃなくて……イチカはどこ……?」

「?? 何言ってんだ鈴。俺なら此処にいるだろ」

「そうじゃなくて‼ アンタじゃなくて……このくらいの身長の、顔は可愛いのに馬鹿でガサツで、変にお人好しなせいで騙されやすくて、自分のことに鈍感で押しが弱い、危なっかしい子が…………‼‼」

「……それ、もしかして俺のこと言ってんの?」

 

 散々女の姿のときに鈍感な部分を指摘され続けていたからか、一夏もそのくらいは自覚が出てきていたらしかった。

 この瞬間、鈴音の中のズレていた歯車が、元の位置に戻った。

 

「何…………言ってんの…………?」

 

 ぼすり、と、手の中からバスケットが零れ落ちる。

 言われてみれば。

 顔は良いのに馬鹿でガサツで、変にお人好しなせいで騙されやすくて、自分のことに鈍感で性欲がないんじゃないかってくらい押しが弱い唐変木が、目の前にいた。

 

「それって……つまり……」

 

 よろよろと、鈴音は一夏のもとへと歩み寄って行く。しかしそこにいるのはイチカではなく、まぎれもなく――IS学園に来たころは、会うのを心待ちにしていた――織斑一夏の姿だった。

 鈴音は、イチカのことを『何らかの方法で一夏と内面的に繋がり、彼に外界の情報を入力する為のデバイス役』だと思っていた。

 だが、もしもそれが間違いなのだとしたら?

『女しか扱えないISに搭乗した結果、ルールを歪めるのではなく、自分が歪むことによって性別が変化した』のだとしたら?

 すべては鈴音の勘違いで――鈴音と同じように『大人の都合』で無理やり訳の分からない環境に放り込まれて、それでもなお鈴音とは違い誰かの期待に応えようと必死に努力する、自罰的過ぎるほどに自罰的な、どこか危なっかしい少女なんて…………鈴音に生まれて初めてできた同性の親友なんて、この世のどこにも存在しないのだとしたら?

 これまで感じて来た友情が、全てただの嘘っぱちの勘違いだとしたら?

 

「う、う」

 

 そんな事態に耐えられるほど、鈴音の心は強くなかった。

 

「うえぇぇぇぇ……………」

 

 鈴音の瞳から、涙が零れる。

 

「えっ、ええっ⁉」

 

 一方の一夏は、もはや驚くしかない。何せ意気揚々とやってきた親友が自分の顔を見るなり、この世の終わりと言わんばかりの絶望感と悲壮感を漂わせながら近づいてきて、自分の傍まで来た途端に泣き崩れたのだから。

 

「ちょ、大丈夫か鈴⁉ どうした、何があった? なんか嫌なことでもあったのか⁉」

「イチカぁ、イチカぁ……!」

「俺ならここにいるぞ!」

「アンタじゃなくてぇぇぇ……!」

 

 慌ててベッドから起き上がって鈴の近くに寄る一夏だったが、今まさに親友を失ったばかりの鈴音はただただ子供のように泣きじゃくるだけだった。

 

「なんで、なんで言ってくれなかったのよぉぉぉ……!」

 

 鈴音は、涙をぽろぽろ流しながら一夏に縋りつく。この時点で、一夏はようやっと雲行きの怪しさというか、事態の全貌の輪郭を掴み始めた。

 

「あたしっ、知らなかったからっ、ずっとずっとっ、イチカのこと女の子ってっ、初めての女友達ってっ」

 

 鈴音の脳裏に、色々な思い出がよぎっていく。ほんの一か月弱程度の間だったが……それでも、イチカとの思い出は、彼女の中ではかけがえのないものになっていた。

 鈴音は竹を割ったようなさっぱりした性格と、歯に衣着せぬ物言いのせいで、男友達は多いが同性からの評価は真っ二つに分かれるタイプだった。しかも、好意的な評価にしても『遠くから見ている分には』という但し書きがつく類のもので、中学時代の鈴音がずっと一夏や弾などの男友達とつるんでいたことからもそれは分かるだろう。

 そんな鈴音にとって、イチカは――女の子としてはかなりダメな部類であったが――初めて出来た女友達で、自分と同じようにISを使う者で、親友だったのだ。

 

「それ全部、勘違いだったなんてっ、全部嘘だったなんてっ、そんなのっ、あんまりでしょぉぉぉぉ……‼」

 

 だが、そんな少女はこの世のどこにも存在していない。

 自分がそう思っていたのは少女の姿に変じた中学時代に離れ離れになった幼馴染で、親友で、想い人。当の本人はずっと、昔のノリのままに接しているつもりで、鈴音はたった一人で馬鹿みたいに女同士の友情ごっこをやっていたというわけだ。

 

「ご、ごめん……」

「うわぁぁぁぁぁ‼ イチカぁ、イチカを返してぇぇぇぇ‼‼」

 

 本人を目の前にして『イチカを返して』というのはかなりエグイ発言だったが、誰が彼女を責められよう。『人生を賭けるくらいに強大な恋慕』に匹敵するほどの熱量を持った友情を感じていた相手が、実は恋慕を抱いていた相手と同一人物でしたと言われて、頭の中が混乱しない方がおかしい。一夏とイチカ、それぞれの存在が鈴音の中で大きすぎて、二人が一つにならない。それゆえ、鈴音はイチカを失ったような感覚を味わっているのだ。

 

「ま、参ったなあ……」

 

 だが、一夏としても勘違いは最初の時点で片付いたと思っていたので、それ以降は『織斑一夏として』鈴音と親交を深めているつもりだった。そして、IS学園に入ってから二人は間違いなく中学時代よりも仲良くなっていた。その親交が実は別の誰かとのもので、自分の分は急にチャラになったと言われても、一夏は戸惑うしかない。

 ともあれ、現時点で一夏が問題の解決策として取り得る行動は、一つしかなかった。

 鈴音が悲しんでいるのは、親友だと思っていた『イチカ』が、実際にはどこにも存在しない人物だと分かって、感じていた友情が嘘っぱちだと思ったから。ならどうすればいいかくらいは、鈍感な一夏にも分かった。

 

 一瞬、まばゆい光が部屋中を覆ったと思った、その直後。

 

 鈴音が顔を上げると、そこには困ったように鈴音を見下ろすイチカの姿があった。もう、こうした変身にも慣れたもので、既に肉体のみの展開すら可能になっていた。

 相変わらずの美少女具合で、事情を知らぬものが見れば彼女が男である織斑一夏などとは到底思い至らないであろうが、その男っぽい趣味のぶかぶかの丈余りの寝間着が、彼女の正体を鮮明に伝えていた。

 

「……なんていうか、悪かったよ。もっと早くに気付ければよかったんだけど……」

 

 謝りながらも、イチカはぽんぽんと鈴音の頭を撫でる。その感じは――まさしく、鈴音と一緒に笑い合ったイチカそのものだ。……全くの同一人物なのだから、当然なのだが。

 

「イ、チカぁ……!」

「鈴?」

「イチカぁ‼」

 

 それで何故だか安心した鈴音は、そのまま飛び上がってイチカの首に抱き付く。面食らったイチカは『わっ⁉』と短い悲鳴を上げ、ベッドの上に押し倒された。

 驚いたイチカだったが、突き放すようなことはせず、ただ黙って受け入れる。これが普段の変態淑女のそれとは別物だということくらい、鈍感なイチカにも分かる。そのまま、イチカは静かに語り出した。

 

「いろいろ行き違いはあったみたいだけど……俺が言ってたことは、全部、本当の気持ちだからさ……」

 

 鈴音が全くのゼロからイチカのことを親友だと思うようになったのより劇的ではないが、イチカだって鈴音との関わりの中で以前よりずっと鈴音のことを親しく思うようになっていた。お互いの認識に違いはあれど、交わされた言葉の意味に大きな隔たりがあれど、その事実だけは変わらないはずだ。

 鈴音と仲良くなれたことも、IS学園に入学して良かったと思ったことも、全部本当の事だ。だから。

 

「全部嘘なんて、言わないでくれ」

 

 ……ああ、と鈴音は思う。

 色々勘違いはあったけれど、思っていたのとは違う内面だったけれど、それでも、イチカはイチカで、一夏でもあるんだ、ということが実感できる。鈴音に初めてできた女友達は嘘なんかではなく、でも最愛の人がいなくなったわけでもない。

 まだ、二つの別個なイメージを統合させることは難しい。二つのイメージは鈴音の中のあまりにも大きな部分を占めてしまっている。だが、それらが同じ存在であるということも、何となく認められるようにはなって来た。……不思議な感覚だった。

 

「……そう、よね」

 

 イチカに抱き付いたまま、鈴音は小さく呟く。だが、その声はしっかりとイチカにも届いていた。

 

「ああ」

「……ホントに、心配したんだからね。あんたエネルギーも一〇%しかないくせに、『零落白夜』なんて使ってさ……。千冬さんが防御シールドを張ってくれなかったらどうするつもりだったの?」

 

 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、鈴音は言う。イチカはすっかり調子を戻した鈴音の様子に苦笑しながら、頭を掻いていた、

 

「大体、いくらエネルギーを相殺できるって言ったって全部守り切れるわけないじゃない! どのみちアンタは無事じゃ済まないに決まってるでしょ!」

「いやぁ、何とかなるかなって……」

「現実を見てみなさいよ! なってないじゃない!」

「仰る通りで……」

 

 鈴音は相変わらず泣いていたが、その涙の意味は先程と変わっていた。

 

「その上、説教してやろうとしたら勝手にいなくなって……もう会えないかと思ったじゃないのよ馬鹿ぁ……」

「あのなぁ……男だろうが女だろうが、俺は俺だろ」

「そうだけどちょっと違うのよ馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!」

「はいはい、悪かったよ。……反省は、ちょっとしてる」

「ちょっとじゃ駄目なのよ馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 

 本格的に泣きじゃくり始めた鈴音をあやしながら、イチカは思い返していた。

 一か月前、セシリアに言われたことを。

 

『良いですか、織斑。「イチカさん」は可愛くてか弱くて初心な女の子。「織斑」はみてくれだけは良いですが脆弱で鈍感な野郎。……なのに同じ「いちか」で呼んだら、「イチカさん」を呼ぶときにあなたの顔がちらついて上手く萌えられないではないですか。そんなことも分からないんですの?』

 

 つまり、『一夏』には優しくしづらいが、『イチカ』に対しては態度を軟化させやすい。そういう傾向が、セシリアや箒といった変態淑女だけでなく、鈴音のような一般人にもある。そういうことだろうか。

 

(女って色々と大変なんだな……)

 

 女として仲良くなったのだし、鈴音の方も気持ちの整理が必要なのだろう。これからは男の自分にも素直な気持ちが言ってもらえるよう努力しよう――とイチカは思うことにした。

 流石の唐変木っぷりだった。

 

「その、さ」

 

 たくさん泣いて落ち着いたのか、抱き付いて押し倒した体勢のまま、鈴音はイチカに顔を見せずにゆっくりと話し始める。

 

「色々と、ごめん。気が動転しちゃって……」

「良いよ。勘違いしてたのは分かったし、俺だって同じ立場だったらびっくりしただろうし」

「中身が一夏だと思うと途端に腹が立ってくるわね……」

 

 それはそれで理不尽だと思うイチカだが、鈴音は気を取り直して続ける。

 

「これから、少しずつ……慣れて行くから。男のアンタにも、同じことを言えるようになるから……ごにょごにょ」

「まあ、そんな焦らなくて良いって。気長で良いから」

 

 そう言って、イチカは鈴音の頭を撫でる。

 ふと冷静になって、鈴音は気付く。この状況……実は『凄く良い』のではないだろうか? 性別こそアレだが、抱き付いてベッドの上に押し倒して密着しているというこの体勢は、『男女の仲』で言えば、かなり進展している風があって、とてもムードがあるのではないか?

 鈴音の中の乙女回路が、好反応を叩きだした。今のイチカは女の姿だが……だからこそ、男の一夏相手では恥ずかしくて意地を張ってしまって言えないことも言える。言うなら、今だ。雰囲気的にも完璧だし、いくらなんでもこの朴念仁にだって分かるはず。

 

「い、()()! あたしアンタのこと、」

「そういえばさ、鈴」

 

 言いかけた鈴音にかぶせるように、イチカは言う。イチカの中で勘違いのくだりは完璧に終わっていたので、もう別の話である。

 

「あ、ごめん。何だ?」

「いや、イチカからで良いわよ……」

 

 機先を挫かれた鈴音は凹みながら言った。まあ、少しくらい譲ってやってもいいだろうと鈴音は思った。むしろ、ちょっとした小休止を挟んだ方が鈴音の心の準備もできる。既に及び腰になりつつある鈴音だったが、本人にその自覚はなかった。

 

「あ、そう? いや、別に大したことじゃないんだけどさ……お前、前に遠くに好きな人がいるって言ってたよな」

「‼‼‼‼‼」

 

 まさかのイチカからの話題転換に、鈴音の胸が高鳴る。

 確かに、考えてみればイチカからその真実に気付くまでの道筋はあった。『今は遠くにいる人』と言った時に、イチカのことを本物の女の子だと思っていたのなら、当然そこに一夏も候補として含まれることになる。とんでもない朴念仁だということは既に(匂わせる程度に)説明しているのだから、もしかしたら気付いたのかもしれない。

 いや、最悪違ったとしてももうこのまま押し切ろう。『それはアンタのことよ‼』と言ってやればいいのだ。イチカ相手ならそのくらい余裕だ。さあ言ってやる――、

 

「俺の中身が男だって分かった以上、こういうことするのはまずいだろ。離れた方が良いぞ?」

 

 という鈴音の覚悟は、朴念仁の一言によって粉々に打ち砕かれた。

 ――――いくら何でも、苦笑いでやんわりと肩を押して来る少女に告白を叩き込めるほど、鈴音のメンタルは強くない。

 

「いっ」

 

 鈴音は、殆ど泣きそうになりながら、

 

「い?」

「良いのよ今のアンタは女であたしの親友なんだからこのくらいノーカンよ――――――――――っっ‼‼‼」

 

 ヤケクソになってイチカの首にしがみ付き、気道を〆る勢いで抱きしめる。部分展開をマスターしたイチカはシールドエネルギーの展開も普段は削減しているので、不幸なことに絶対防御も発動していないのだった。

 

「あぐっ! 鈴、しまってる、しまっちゃってるからこれ! っていうか今また泣いてなかったか⁉ お前涙腺緩くなってないか⁉」

「今日だけ‼ 今日だけなんだからぁぁぁぁうわぁぁぁぁぁぁぁぁん何であの時のあたしはあんなこと言っちゃったのぉぉぉぉぉ‼‼‼」

 

 これでもう、朴念仁のイチカは鈴音がよほどのアピールをしない限り、『鈴音は中国にいる某のことが好きだから別にこれはそう言う意味じゃない』と勘違いしてしまう。鈴音にとって絶望的な条件が付加された瞬間だった。

 ヤバいこれ死ぬ、とイチカの目前で走馬灯が駆け巡るように記憶が浮かび上がりかけたところで、

 

「イチカさん、無事ですの⁉⁉⁉」

「イチカ、大丈夫だったか⁉⁉⁉」

 

 二人の乱入者の声によって、イチカは辛うじて意識を繋ぎとめる。鈴音が虚を突かれて首を絞める腕を緩めてくれたのも大きいが。

 

「……あら? 中国次期代表……もしかしてわたくし達、お邪魔でしたか?」

「どうやら、そのようだな。……馬に気を付けるとしようか、セシリア」

 

 きょとんと首を傾げつつも、セシリアと箒は一切遠慮なく保健室の中に入って行く。

 

「でもまあ、結果オーライですわ。『抜け駆け』はよろしくありませんもの、ねぇ?」

「ああそうだな。イチカは――()()()()()()()()財産だ。だろう?」

「あっあっ、アンタらは『イチカ』目当てであって、『一夏』の方はどうでも良いんでしょ⁉」

「ああ、その通りだ」

「ですが、『一夏』をとれば『イチカ』の方も貴女が独占するでしょう?」

 

 ニヤリと笑いながら問いかけるセシリアに、鈴音は当惑しつつも答える。

 

「あ、当たり前よ! どっちにしたって『いちか』は『いちか』なんだから!」

「それじゃあ結局は同じことじゃないか」

「なんかさっきから俺の名前が飛び交いすぎてて訳が分からんぞ……」

「イチカさんは、気にしなくてもよいのですわ」

 

 そう言って、セシリアはするりと鈴音との間に入り込み、イチカの事を抱きすくめる。

 

「おいおい。ずるいぞ。私だって」

 

 それを見た箒も、イチカの首に腕を巻き付けるようにして添い寝する。……二人とも、地味にイチカの身体を撫でているあたりが悪質だ。

 その上、肝心の鈴音の方はぐいぐいと二人に押し出されるようにしてベッドから転げ落ちつつある。

 

「おい、お前ら、くすぐったっ、ひゃ! どこ触ってんだ馬鹿!」

「そういえば負けたらぺろぺろするって言いましたわよね? 今がその時……ぺろぺろ……」

「あ゛ぁ~、たまらないな……。この膨らみかけの……ああーいい……」

 

 イチカが嬌声を上げる横で、鈴音がゆっくりと立ち上がる。顔は陰になって隠れており、どう考えても危険信号を発していたが――馬鹿二人はセクハラに夢中で気付かない。

 

「この肌艶……すばらしすぎますわ……天使のようですわイチカさん。イチカさんマジ天使」

「いっそここは天国なんじゃないか? このまま永遠にすごしていたい……」

「この、離せ馬鹿! やめろ、揉むなぁ、やめ、手をすべり込ませ、…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あっ」

「アぁ~ンん~タぁ~らぁ~……‼」

 

 そして、鈴音が構える。

 千冬のプロの対変態ツッコミをその目で見て、我流にアレンジした鈴音の拳が――、

 

「そんなに天国に行きたいなら、あたしが連れて行ってやるわ。この拳でね‼‼」

「はっぷわ――――――――っ⁉⁉」

 

 馬鹿二人の顔面を、過たず撃ち抜いた。

 ガッシャアアアン‼‼ と窓ガラスを叩き割って吹っ飛んでいく変態二匹を眺めていたイチカは、これ、誰が修理代持つのかな――なんてことをぼんやりと考えていた。

 

「……それじゃ、あたし、帰る! アンタももう良くなったんだったら、さっさと部屋に戻りなさいよね! それと、今度の休み……今回のお疲れ様会ってことで、どっか遊びに行くからね! 良い⁉」

「…………お、おう」

 

 イチカが頷くと、鈴音はそのままドスドスと肩を怒らせたまま保健室を出て行く。

 後に残されたのは、粉々に砕け散った窓ガラスの破片と、ベッドに座って着衣を乱したイチカのみ。

 

「…………この惨状、ひょっとして俺がどうにかしなくちゃいけないのか?」

 

 誰かに助けを求めようにも、原因である三人はもう遠くまで行ってしまった。

 少しだけ、この状況をどうしようか考えたイチカは、

 

 女のまま、誰かが来るのを待つことにした。

 女の状態だと、皆は優しくなるから。

 

 ……イチカは少し、大人になった。



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短編版

連載化前のもの。一~二話を一つにまとめた内容で、大筋は同じです。


 ――その日は、織斑一夏にとって間違いなく最悪の一日だったと言えるだろう。

 そもそもが、場違いだ。

 織斑一夏は男、そして此処IS学園は女の園である。見渡す限り女、女、女。教壇に立っている副担任のロリ巨乳眼鏡という三倍役満も勿論女だ。そして、一夏は別に男の娘とかそういった人種でもない。つまり、完全無欠に浮きまくっていた。

 

 IS。

 正式名称をインフィニット・ストラトスと言い、もともとは大気圏外での作業を行う為に開発されたパワードスーツという話である。しかし、至近距離での核爆発にも耐え、一機で連合艦隊を壊滅させるという凶悪さから、現在は表向き『次世代のスポーツ』、実際は『核に変わるクリーンな抑止力』として各国が所有するに至っている。

 しかし、そんな無敵のISにも一つだけ弱点があった。それは、『女にしか反応しない』という点である。スケベオヤジもかくやというくらい、ISは女性にしか反応しない。女性ならばほぼ全てが起動させ操縦できるというのに、男性となると全く動かない。全世界が総力を挙げて『最も可愛い男の娘』を調べ上げて搭乗を試みたみたものの、結果は変わらなかった。もうこれで良いやってくらい可愛いニューハーフ(工事済み)でもダメだった。

 その為、ISの操縦技術を教えるIS学園は必然的に全生徒が女性であり、教師もそれに伴い男性比率はほぼゼロに等しいのであった。

 そんな女の園に、どこからどう見ても完璧に男でしかない織斑一夏がいる理由――――それは、非常にシンプルだ。

 

 世界で初めて、ISに乗ることが出来た男。

 

 それが、現在の織斑一夏に関する最もポピュラーな肩書である。入試の際、何の間違いか倉庫に仕舞われていたはずのISを起動させてしまった織斑一夏の存在は今や全世界中に知れ渡り、善人、凡人、悪人誰でも一定数は織斑一夏の身柄を狙っている、という非常にカオスな状況に追い込まれているのだった。

 それもあって、一夏はIS学園に入学することになってしまったのだが……、

 

(……帰りてえ…………)

 

 彼は周囲から突き刺さる好奇の視線に、早くも心が折れそうになっていた。ただでさえ()()()()()()()()があるというのに、この上この客寄せパンダっぷりである。これまでの人生で彼女いない歴=年齢であり、ロクに女への免疫もない一夏には明らかに荷が勝っている状況だった。

 

(そりゃ、IS業界って女性主流だからそこに浸かってたお前らにとって男が物珍しいってのは分かるけどさ! でも、俺だって好きで此処にいるわけじゃねえんだよ。少しくらいその事情ってモンを鑑みてくれてもいいんじゃないか……?)

 

 弱弱しくあたりを見渡すと、女生徒達は一斉に目をそらしてしまう。その向こうに見知った顔――数年前に別れた幼馴染・篠ノ之箒――を見つけたが、こちらもふいっと不機嫌そうに視線を逸らしてしまった。助け舟すら出してくれないというわけらしい。一夏は思わず溜息を吐いた。

 

「……織斑一夏、くん?」

「はっ、はい!」

 

 不意に名前を呼ばれ、一夏は思わず立ち上がった。一夏の席は真ん中の最前列、つまり、副担任のロリ巨乳眼鏡のすぐ目の前ということである。一夏はロリ巨乳眼鏡と目が合い、数瞬ほど気まずい沈黙を味わった。

 

「え、ええと……自己紹介、織斑くんの番、なんですけど……大丈夫……?」

「あっ、はっ、はい! え、ええと、織斑一夏です!」

 

 はっと我に返った一夏は、反射的にそう言った。

 そうだった――今は最初のホームルームで、自己紹介をしている最中なんだった。どうせ男だし孤立するだろうとは思うけど、自己紹介は――最も伝えたいことだけは、伝えておかなくては。

 

「えっと、世界初の男性操縦者なんて言われていますが――俺、在学中に一度でもISを操縦するつもりはありません」

 

 きっぱりと。

 一夏は言い切った。ISを操縦する資格と才能を持ち、その為の環境にいながら、それでもISには触れない、と。

 もちろん、教室は騒然となった。この発言はともすると国を揺るがすスキャンダル―ークラス中の生徒がそう認識する程度には、織斑一夏は『期待』されていた。世界で唯一ではなく()()()なんて言い方をするところからも分かるだろう。世界は、織斑一夏をテストケースにして他の男性操縦者を生み出そうとしているのだ。その為に一夏はIS学園へと放り込まれたのである。

 その当の本人が、操縦拒否。それまでの前提を知っている一般人なら驚愕して然るべきだ。事実、目の前にいた副担任のロリ巨乳眼鏡もまたあわあわと狼狽し、そのせいで騒がしくなった教室を鎮めることすらできていなかった。

 ゆえに、教室の喧騒を鎮めたのは新たな乱入者であった。

 スパァン‼ という音が鳴り響き、まるで猫だましでもされたみたいに教室は静まり返る。

 

「残念だが、お前のその望みは叶わない」

「……千冬姉」

「織斑先生、だ」

 

 一夏の頭に出席簿を振り下ろすという形ですべての喧騒に決着をつけたその女性は、抜身の刀のように鋭いまなざしで教室を一瞥すると、そのままロリ巨乳眼鏡を脇に移動させ、教壇に立った。それを受けて、一夏は頭を左手で抑えながら着席する。その表情は、やはり納得をしている人間の顔ではなかった。

 

「織斑千冬。これから一年間お前達の担任となる者の名だ。ブリュンヒルデだの元日本代表操縦者だのといったくだらない肩書はあるが、それは今は忘れろ。この一年間、私はお前達の教師として此処に立つ。お前達も、その私に相応しい生徒であれ。――以上だ」

 

 まるで首筋に刀を突きつけるかのような千冬の挨拶に、全ての生徒がごくりと喉を鳴らした。ともあれ、気を引き締めた生徒に次を促し、自己紹介はさらに続いた――。

 

***

 

 二つ目の授業が終わった中休み、一夏は早くもグロッキーになっていた。一つ目の授業が終わった後には幼馴染の篠ノ之箒と旧交を温めた。それは良かったのだが、二つ目の授業から始まったISの理論学習にいきなり圧倒されていたのである。一応最低限の予習はしたつもりだったが、その程度でどうにかなるならばIS学園なんて必要ないのである。授業には全くついていけなかった。

 

「――少し、よろしくて?」

「あ、ああ……?」

 

 不意にかけられた声に視線をあげると、そこには『いかにもお嬢様』といった風貌の少女が佇んでいた。金糸のように滑らかで高貴な輝きの金髪、海の様に深い色合いの碧眼。そして制服越しでも分かるほどのスタイルの良さ。胸はそこまで大きくはないようだが、それでも恵まれたスタイルと言えるだろう。

 

「何ですのその態度は……、ふふん、まあ良いでしょう。その分ではとてもではないですが授業に追いつくことすらできていないことでしょうし」

「君らと違って俺は急造だからな……、それで、名前を聞いても良いか?」

「…………貴方、自己紹介を聞いていなかったんですの?」

「この世の理不尽を心の中で嘆いていたら、いつの間にか」

 

 少女はあきれてものも言えないようだったが、それはさておくことにしたらしく――あるいはそれよりも気になることがあるのか――、溜息を吐いてから渋々ながら再度自己紹介をすることにした。

 

「わたくしは――セシリア=オルコット。イギリス貴族オルコット家の当主にして、イギリスの代表候補生ですわ。もちろん、代表候補生はご存知ですわよね? 流石に」

「お、おう……勿論だ」

「……、」

 

 嘘を吐くのが下手な正直男一夏に絶対零度の視線を向け、セシリアは何度目とも知れない溜息を吐いた。

 

「ISの世界大会『モンドグロッソ』に出るのが国家代表操縦者。その候補生だから代表候補生。――もっとも、わたくしの実力は全イギリス代表候補生の中でも最強な上に『BT適性』も最高ですので、殆ど『次期国家代表操縦者』と言ってもいいのですが」

「へ、へぇ……」

「何で知らないんですの?」

「し、知ってたって!」

 

 嘘を吐くのが超下手な馬鹿正直男一夏に、またも絶対零度の視線が向けられる。一夏は気まずそうに目を背け、

 

「ISに嫌な思い出があるんだよ……。だから見たくなかった。それだけだ。俺だってまさかこんなことになるなんて思ってなかったし……」

「……、……まあ、色々あるということですのね。でも、本当に分かっておりますの? 現代社会において『国家代表操縦者』とはその国の英雄。貴方のような木端役者がわたくしに話しかけられる栄誉を受けられるのは、本来ならそこらの田舎者が偶然エクスカリバーを引き抜くのに匹敵する奇跡ですのよ? もうちょっと感激しました的なリアクションがないと張り合いがありませんわ!」

「(……俺はエクスカリバーなんて抜きたくなかったけどな)」

「何か言いまして?」

「いや、なんでもない」

 

 死んだ魚のような目をしていた一夏だったが、セシリアの鋭い指摘にすっと居住まいを正した。このセシリアという少女は気位が高いらしいので、腑抜けた態度をしていたらいつまでも小言を言われそうだった。

 

「……まあ良いでしょう。わたくしもこんな小言を延々と垂れ流したくて貴方に話しかけたのではないですわ。用件を言いましょう」

「ああ」

「ずばり――先程の発言の真意を。『ISを使うつもりはない』というのは、一体どういうことですの?」

 

 問い掛けるセシリアの瞳の中には、燻る炎のようなものがあった。きっと、彼女にとって譲れない何かに基づいた行動なのだろう。周りの女生徒達も気になっていたことだからか、すうっと教室中が静まり返る感覚があった。それどころか、廊下にいた生徒達まで静まりかえっている始末である。

 

「どうもこうもない。……俺は、ISを動かしたく――いや、ISに()()()()()()()()んだ」

「どうしてですの? 現代においてISとは軍事の枠を超えて普遍的な権力の象徴にすらなりつつある。貴方は――貴方達男性は、それがないから肩身の狭い思いをしていることと聞いていますわ。では、その権利を拡大する為に男性を代表してISの操縦技術を学ぶのは当然の成り行きではありませんこと?」

「――俺は、『摂理』を捻じ曲げてまで幸せになりたいとは思わない」

「逃げるんですの⁉」

「逃げることの、何が悪い?」

 

 セシリアの瞳には怒りすら浮かんでいたが、その気勢は一夏の目を見た瞬間に消え失せた。……一夏の瞳には、セシリアのそれを遥かに凌駕する怒りと、そして悲しみが浮かんでいたからだ。

 

「話は終わりだ。悪いなセシリア、俺は――君の期待には応えられない」

「……ふん、拍子抜けですわ。世界初の男性操縦者と聞いてどんなものかと思えば、この程度だったなんて」

 

 吐き捨てるようにそう言って、セシリアは自分の席に戻って行く。一夏はその後姿を静かに見送り、そして机の上に突っ伏した。

 ――逃げるんですの⁉

 セシリアの言葉が、脳内を駆け巡る。何も分かっていない、そう、本当に何も分かっていない言葉だった。あそこまで無邪気になれたらどれほどよかっただろうと、一夏は思う。

 

「……逃げられるんだったら、とっくの昔に逃げてるよ……」

 

 逃げることすら許されない。それでも抗うしかないから、一夏はこんなことになっているのに。

 

***

 

「クラス代表を決める」

 

 三回目の授業、千冬は開口一番にそう言った。

 自己紹介、一回目の授業を経て、大体生徒のスペックも分かって来た。生徒同士でも何となく『誰それが優秀』というのが何となく分かって来た頃である。ちなみに、一夏は例外なく落ちこぼれの烙印を押されていた。

 

「自薦他薦は問わない。ただし、辞退は認めない」

 

 そう言って、千冬は静かに腕を組んだ。少しの間、互いが互いの様子を伺うような沈黙が教室を支配した。数秒ほどそうしていたが、流石にIS学園というべきか、沈黙はすぐに打ち破られた。

 

「……織斑くんが良いと思いますっ!」

「はぁ⁉」

 

 在学中ISに乗るつもりはないって言ったのに――一夏は驚愕して目を剥いたが、一度うねりだした流れは誰にも止められなかった。

 

「ちょっと待ってくれ、」

「私も賛成っ!」

「ちょっ、待って、」

「織斑君で良いと思います」

「ちょ、待っ、」

「いやむしろおりむーしかいないよね~」

「……、」

 

 などなど、女生徒達は次々に一夏を推薦していく。

 おそらく、世界初の男性操縦者の実力を見たい、というのが総意であろう。『ISを操縦するつもりはない』と一夏は言っていたが千冬はそれを認めないようだったし、むしろそこまで言う一夏の実力の程が見てみたい、という考えもあったはずだ。

 千冬はそんな生徒達を呆れたようなまなざしで見ていたが、結局それ以外の意見が出ることはなかった。首を動かして辺りを見渡し、異見がないことを確認した千冬は、

 

「異論はないな? では、クラス代表は、」

「そんな選出が認められるかァァぁあああああああああああああッッ‼‼」

 

 瞬間、怒号が轟いた。

 

客寄猫熊(オトコ)が選ばれるのも良い、極東の愚民が選ばれるのも良い、戦う気概もない腑抜けが選ばれるのもまあよしとしましょう。――ですが、納得がいかないのは! そんな三流が選ばれておいて何故! イギリス次期代表の! このセシリア=オルコットが誰からも推薦されないのかということですわ‼‼」

 

 怒号の主――セシリアは、憤怒と軽蔑の目線でクラス中を一瞥する。千冬は溜息こそ吐いたが、セシリアを止めるようなことはしなかった。肩を怒らせたセシリアは、血走った眼で一夏を視界に収めながら続ける。

 

「クラス代表ともなれば実力者が選ばれるのが当然。そしてこのクラスにおいての最強とは()()()()()()()()わたくしですわ。……ねえ、ミス山田?」

 

 セシリアの言葉に、視線を向けられたロリ巨乳眼鏡はおずおずと頷く。

 性能の不安定な専用機で、セシリアは試験官役だったロリ巨乳眼鏡に勝利している。代表候補生なので殆ど合格は決まっており、入学試験といっても軽いエキシビションマッチのような扱い――つまりそれなりに本気――であったにも拘わらず、だ。つまり、教師を含めてもNo2。それがセシリア=オルコットの実力である。

 

「まったく、事前情報を見れば『勝利合格』が私だけだなんて簡単に分かることですのに。そんなことも分からないほどに日本人というのはオツムがゆるいのかしら? ISの技術流出を指をくわえて見ているだけでなく、そんな簡単な計算もできないんですの?」

「で、でも……噂では、織斑くんも入試試験で勝ったって」

 

 おずおずと、怒り心頭な調子のセシリアに、女生徒の一人が言った。ギョロリ! とセシリアがそちらの方に視線を向け、言った少女がひっと短い悲鳴を上げる。セシリアはふっと目じりを和らげ、女生徒に目礼した。

 それから、ロリ巨乳眼鏡に視線を向ける。

 

「……ミス山田、それは事実ですの?」

「え、ええと、はい。確かに、見様によっては織斑君が勝った、って言えなくもない、の、かな……?」

「IS学園の公式情報では、『勝利合格』はわたくしだけという話でしたが……」

「あー、それは、なんというか、色々とあるんです」

 

 歯切れの悪い回答だったが、ロリ巨乳眼鏡の言質はとった。つまり、この場においてナンバー2は二人いる、ということになる。

 織斑一夏と、セシリア=オルコット。

 どちらも、クラス代表になる資格はあるということだ。

 

「――申し訳ありませんでしたわ。先程の暴言は訂正いたしましょう。そしてミス織斑。わたくしは自らを、セシリア=オルコットを自薦いたします」

「受理しよう。そして織斑先生と呼べ、オルコット。山田先生に対してもだ」

「感謝します。――そして織斑一夏! 貴方に決闘を挑みますわ‼」

 

 びしいっ! と人差し指を突きつけ、セシリアはそう言った。一夏はあまりの怒涛の展開に表情筋を引きつらせ――、

 

「ち、ちなみに、辞退は?」

「できんと言ったはずだぞ、馬鹿者」

 

***

 

「一夏、どこへ行くつもりだ」

 

 その日、割り当てられた自室に入るなりラッキースケベを働くという相変わらずっぷりを見せた一夏だったが、何とかラッキースケベの相手にして幼馴染――篠ノ之箒の機嫌を取り、ひと段落つけることができた。

 箒が、部屋を出ようとする一夏の背中に声をかけたのは、そんな折だった。

 

「どこって、ちょっと夜風に当たりに行くだけだよ。ほら……あんなことがあったしさ」

 

 一夏はそう言って言葉を濁す。『あんなこと』というのは、箒の全裸を見てしまったこと――に相違ない。同室の者が同性だと思い込んでいた箒は、すっかり油断して浴室に着替えを持って行き忘れ、そこから出て来たときにちょうど間が悪く一夏と遭遇してしまったという訳である。そのことを思い出して箒は思わず赤面したが、鉄の理性(錆びついている)で以て平常心を保つ。重要なのはそこではないからだ。

 

「夜風、か。――本当か?」

 

 鋭い視線。

 千冬のそれを思わせるような目で見つめられた一夏は、思わず言葉に詰まる。やはり、一夏は嘘を吐けない男だった。

 はぁ、と箒は溜息を吐く。つまり――一夏は、ISに乗りたくない一心でIS学園からの逃亡を企てているのだ。あまりにも馬鹿げている、と箒は思う。そんなこと成功する訳がない。なのに、一夏は一縷の望みに賭けて逃げ出そうとしている。どのみち、その先にあるのは破滅の二文字以外にはないというのに。

 

「……ああまで言われて、悔しくはないのか。私の知っている一夏は、あんな挑発を受ければどんな敵が相手でも立ち向かったぞ」

 

 そんなことを言う箒の言葉には、僅かに感情の熱が灯っていた。そしてその種火は、話していくうちにどんどんと燃え上がって行く。

 

「相手が代表候補生最強だからって、逃げるのか? 違うだろう? 勝てないからって最初から諦めるのはお前らしくない。一夏、思い出してくれ。あのとき、いじめられていた私を守ってくれたあの時のような勇気を――、」

「お前は、分かってない」

 

 一夏は血を吐くような表情でそう言い捨てた。それは、差し伸べた手を振りはらうような取り付く島もない否定だった。並の人間ならば、そこで怯んでしまい、一夏の心に踏み込むことも出来ずに見送ることになっていただろう。

 だが、箒もそこで留まるような器ではない。

 

「分かる訳が、ないだろう‼ あれから一体何年経っていると思ってる! 分からないから、こうして話しているんじゃないか! 悩みがあるなら教えてくれ、私に解決できることなら何でもする! IS学園から脱走なんて出来る訳がないだろう、そんな捨て鉢な態度はやめろ! ……お前は、一人じゃない!」

 

 そう言って、箒は一夏を後ろから抱きしめる。

 一夏は一瞬虚を突かれ、それから背中にあたる二つの柔らかい感触にたじろいだが、やがて箒の言葉の真意に気付き、かたく絡まっていた何かを解きほぐすかのようにゆっくりと、自らを抱きしめる箒の腕に自分の手を添えた。

 

 ――織斑一夏には、実姉である千冬以外には今まで誰にも言っていない過去があった。

 中学二年生の頃。一夏は誘拐されたことがある。千冬のモンドグロッソ二連覇のかかった決勝戦の直前だった。何者かに襲われた一夏は、何もできずに攫われ、倉庫に軟禁された。ドイツ軍からの情報提供によりやってきた千冬によって一夏は救い出されたが、その代償として千冬はモンドグロッソの決勝を棄権した。それだけでなく、情報提供の見返りとして千冬は一年間ドイツで教官をやることになった。それはつまり、彼女のIS選手としてのキャリアの終焉を意味し、事実千冬はそれを機にISの国家代表操縦者を引退した。

 一夏の誇りだった姉の覇道は、他でもない彼自身が潰してしまったのだ。この罪悪感が、『ISに嫌な思い出がある』と語った一夏の真意である。

 

 ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……本当に」

 

 ゆっくりと、一夏は箒の腕をほぐし、それから振り返ってその目を見る。黒曜石の様に真黒な、潤んだ瞳がただ一夏の顔を映していた。

 

「本当に、俺の悩みを聞いてくれるのか」

 

 一夏の表情には、感情がなかった。それほどのことがあったのか、と箒は思う。覚悟し、それでも一夏は自分の――と思い、頷く。解決できるかどうかは分からない。箒は彼女の姉である万能のデウス・エクス・マキナではない、ただの人間だ。だから、出来ることなんて限られている。だが、それでもやるだけのことはやってみるつもりだった。

 そんな箒の覚悟を見て取ったのか、一夏は小さく微笑み、話を切り出した。

 

「実は、俺は……ISを装着すると――――」

 

 そして。

 

 話された衝撃の事実に。

 

 

 

 箒は、不覚にも大爆笑した。

 

***

 

「くそっ、くそっ、笑いごとじゃねえってんだよ、こっちは本気なんだよ、死活問題なんだよ……」

 

 それから一か月後。

 一夏は半泣きでISの到着を待っていた。

 あれから、色々とあった。一夏専用のISが開発されていることを教えられたり、IS操縦練習用アリーナの予約がとれなかったから箒と剣道の練習を行ってバイト漬けですっかり錆びついていた剣道の腕を取り戻したり、あとメンタルのケアをしてもらったり。

 この一か月間、一夏が逃げ出さずにIS学園に留まることができたのは、何だかんだ言って箒のケアが大きかった。

 ちなみにその一環で中学二年生の時の事件の話をしたら、箒から『何でそっちのがトラウマになってないんだおかしいだろ⁉』という至極真っ当なツッコミを受けた一夏である。しかし、一夏的にそこは『自分の不手際は、こっから俺が挽回すれば良いんだ』という超絶ポジティブの範疇なのであった。

 

「く、くく……まあ落ち着け一夏。私は、ちょっと興味が出て来たぞ。千冬さん、一夏の――は、どんな感じだったんですか?」

「織斑先生と呼べ、篠ノ之。……そしてそれに関してはノーコメントだ」

 

 試合用アリーナのピットにて、一夏は箒、千冬と共にISの到着を待っている。のだが、どうにも箒は一向に一夏のことをからかうし、千冬も仏頂面をしているもののそれを全く咎めないしで遊ばれているのであった。

 ああもう一刻も早くここから消えたいセシリアに負けても全然良いからはよしろさっさとしろ頼むーと呻いていた一夏だったが、その祈りが天の通じたのか、焦った調子の巨乳ロリ眼鏡がピットにやってきた。

 

「お、お待たせしました一夏君! これが貴方のIS――――『白式』ですっ‼」

 

 あ、やっぱり前言撤回来てほしくないわ、と心の中で鮮やかな掌返しを決める一夏だったが、もう遅い。背後から感じる千冬の殺気に押し込まれ、じりじりとISの方に移動させられ、一夏はゆっくり、ゆっくりと手を伸ばし……、

 そして、触れる。

 

 瞬間、光が迸った。

 

 着用者と適合したISはその武装の一切を一旦量子化させ、そしてそれによって生まれた光の渦が一夏の身体に纏われていく。一夏の全身を量子の光が覆う。……そう、全身だ。顔を含めた全身が覆い隠される。

 異変は、そこから起こった。

 収縮していく量子の渦は、明らかに一夏の元の身体よりも小さく、そして華奢になって行った。そしてその分が胸部や臀部に、押しのけられるように移動していき――部分的に、光が解放される。

 

 手は大きくてごつごつした逞しい形から、白魚のようにほっそりとしていて白い繊細な形に。

 腕は全体的に丸みと細みを帯び、筋肉よりも柔らかな脂肪が豊富に。

 足は小さく、太腿も大腿筋が浮かび上がるような逞しさではなく、丸みを帯びつつもしなやかなシルエットに。

 臀部は平均よりも多少小さめだが明らかに丸みを帯びた形に。

 腰はうっすらと腹筋こそ浮かび上がっているが、やはりゴツゴツした印象のない、むしろ滑らかな形に。

 胸部も臀部と同じく平均を大きく下回っているものの全くないというほどではない、小ぶりな丘がしっかりとある。

 髪は肩甲骨くらいまで伸び、硬かった髪質も柔らかく艶やかな光を放つように。

 最後に顔から量子の光が散り、凛々しい眼差し、形の良い眉、小さい鼻、柔らかな唇、一〇人に聞けば一〇人が美しいと称するような――『女性の顔』があった。

 

 それらにISスーツが纏わりつき、影が浮かび上がるようにISアーマーが次々と生み出されていく。最終的に誕生したのは――『IS操縦者』だった。

 ただし、それが『世界初の男性操縦者』と分かる人間が、この場にどれほどいようか。それほどまでに、一夏は見事な『美少女』に生まれ変わっていた。

 

「…………う、うぅ」

 

 恥じらうように、一夏――イチカは呟いた。その声は男のものではなく、ハスキーではあるもののやはり少女そのものである。その少女が、恥ずかしさと心細さに身をよじっている。

 瞬間、箒のタガが外れた。

 

「かっ、可愛いっ‼」

 

 ISの絶対防御があることなど完全に無視して、箒はイチカを抱きしめる。そして絶対防御は致命的な攻撃でない限り貫通してしまうので普通にイチカは箒に抱きしめられてしまう。

 

「ちょっ⁉ 箒、や、やめ……」

「やめないぞ、イチカ! 何を恥じらう必要がある! お前のことを馬鹿にしようと思うようなヤツがいても、この姿を見れば考えが変わる! ぶっちゃけ私も今の今まで『一夏が女になるとか(笑)』って思ってたけど一八〇度考え方変わったしな! おそらく全世界がイチカの美少女っぷりに驚愕することだろう‼ これがあのダメ姉の差し金ならマジお姉さまGJ‼」

「箒、キャラがおかしくなってる‼」

 

 悲鳴をあげるイチカだが、箒は全く取り合わなかった。

 箒にとって、『一夏』は初恋の人だ。その思いは会えない間も蓄積され、思い出の中で美化された『一夏』は半ば箒の『憧れ』ですらあった。その『一夏』は、再開するなり傲岸不遜なセシリアに終始及び腰で、挙句の果てに破滅を覚悟してでもIS学園から逃げ出そうとする始末。以前の負けん気の強さなど見る影もなかった。

 それでも幻滅しないほど箒の『憧れ』は強烈だったが、どうしてこんな風になったんだと悲しみ、そして何か訳があるのであればそれを聞き、できれば解決してあげたいとすら箒は思っていた。

 その理由と言うのが――ISに乗ったら女になってしまうからだ、と説明された瞬間、ぶっちゃけ箒の長年抱いていたほのかな恋愛感情は一気に冷めた。といっても別に『一夏』に幻滅した訳ではなく、それまで『憧れ』であった『一夏』が、急速に身近に感じられるようになったのだ。そして、冷めた『憧れ』は、冷えた鉄が硬くなるように――『親愛』となった。

『一夏』だって、そんな『くだらない』ことで自分の命運を賭けてしまったりするほど、無鉄砲で向う見ずな男の子だったのだ、と。まったく馬鹿で、どうしようもない奴だ――と、新たな親しみと共に、笑ったのだ。

 で、そんな『親愛』の対象が、この変貌である。

 なるほど――男の時点でも人を惹きつける魅力にあふれていた(本人に自覚はなかったが、明らかにモテる)『一夏』が少女になったのだから、整った美貌になるのは当然として、元が男だからか、ガサツながらも凛とした振る舞い。そしてどこか自信なさげな所作、デフォルト装備なのかちょっぴり女々しい内股気味の格好、そして自分は今まで気にしていなかったが、ISスーツの微妙な色気――それら全てが化学反応を起こした結果、鉄の理性(生憎錆びついている)は砕け散り――箒は疾風(かぜ)になった。

 

「そこまでにしておけ」

 

 暴走を始めた箒の首根っこを掴んで離した救世主千冬は、イチカの姿をまじまじと見る。……入試の際の起動事件、そして試験の時にイチカは見ていたが、その時よりも体が鍛えられていることに千冬は気付いていた。一か月間、みっちりと箒に鍛えられたのだからある意味当然なのだが。これなら、イチカの潜在能力と勘案すれば『それなりにいい勝負になる』だろう。――単純な真剣勝負になれば。

 ……勝てる、とは思わない。イチカが入試の際に巨乳ロリ眼鏡を下し『勝利合格』したのは事実だが、アレはイチカが男性である、という事前情報を受けていた巨乳ロリ眼鏡が緊張していたところに絶世の美少女が現れてしまったため色々とパニックになり、その結果致命的なミスをおかして自滅した、というのが本当の所だからだ。

 イチカの雄姿が見られるいい機会だし、というのであえて訂正せずに決闘に持ち込ませた千冬も、大概良い性格をしている。

 

「……はぁ、ぐだぐだ言っていてもやるしかねえよな」

 

 イチカは、やはり華凛な声で気怠そうに呟き、肩を回す。グオングオン、と機械音がしてイチカは自分のことながらぎょっとしたが、しかしそれで却って感覚が掴めたらしい。

 

「――行ってくる。世界最強の人間の弟として、恥ずかしくない戦いをしてくるよ」

 

 そう言って、イチカはピットを出た。

 あー行っちゃったー、と寂しげな声をあげるダメ少女の横で、千冬は孝行者にフッとニヒルな笑みを浮かべ、誰にも聞こえないくらい小さく呟いた。

 

「――――そう言ってくれるだけで、お前は私にとって最高の妹だよ」

 

 …………なんかもう、色々と駄目だった。

 

***

 

 セシリア=オルコットは苛立っていた。

 既に予定の時刻になっているというのに、一夏は出てこない。何やら訳ありのようだったので、やって来ない可能性すらあるとは一応考えていたが、実際に来ないとなると、分かっていても失望を感じざるを得なくなる。彼の姉は織斑千冬だ。あの勇敢で、セシリアをも超える戦士を姉に持つというのに、一夏に血族としての誇りはないのか? とセシリアは思う。

 それは、自らの血に誇りを持つ貴族オルコット家の当主だからこそ考えられることだ。家を守るために戦い続けたからこそ持てる矜持だ。だが、それを当然の様に備えていたセシリアは、一夏にもそれを要求する。――それが、どれほど厳しい要求であるとも知らずに。

 だが。

 果たして、セシリアがもう待ちくたびれたと言おうと思っていたちょうどその時、向かいのピットのハッチが開き、そして一機のISが現れた。どっっっ‼ と一気に歓声が爆発した。初の男性IS操縦者を前に、全員が興奮しているのだ。オペラグラスのようなものをみなが持って、一夏を一斉に観察しだす。

 セシリアも『そうでなくては』と不敵な笑みを浮かべ直して皮肉を言う。

 

『遅かったですわね。ヒーローは遅れて現れる、とでもいうつもりだったのですか? 私はてっきり貴方が恐れをなして逃げたものと、』

 

 そこで、セシリアは異変に気付いた。

 一夏じゃ、ない。

 ハイパーセンサーから伝わる感覚によると、目の前にいるのは完全に『女性』だった。体型がそもそも女性だし、極め付けに小ぶりではあるものの胸もある。そのことに気付き始めたのか、段々と観客もざわつき始める。

 セシリアは、激昂した。

 

『織ッ、斑ッ、一夏ァァァァああああッッ‼‼ ここまで、ここまで私を愚弄するかッ‼ いいですわ、もう許しません。子供だましにもならない影武者は引き下がりなさい‼ あの見下げ果てた臆病者は、決闘に「代理」などを出すクズは、一度直接糾弾して、』

『おい、勘違いするんじゃねえぜ、セシリア=オルコット』

 

 怒り狂うセシリアを呼び止めたのは、影武者と目されていた少女だった。少女は、その可憐な容姿には似合わない粗暴な口調でセシリアを宥める。あまりに想定外の出来事に、セシリアは一瞬ぽかんとしてしまう。

 それを認めた少女――イチカは、さらに続ける。

 

『俺は影武者なんかじゃない。正真正銘織斑一夏だよ』

 

 その口調は、声色こそ違うものの明らかに一夏のそれで、ゆえにセシリアは怒りも忘れて動揺する。

 

『でッ、ですが、その姿は――』

『……これが、俺がISに乗りたくなかった理由だよ』

 

 一夏は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。しん、と静まり返った会場を一瞥し、深呼吸し、一夏は意を決して言う。

 

『俺は……ISに乗ると、女になっちまうんだ』

 

 瞬間。

 爆撃のような威力を持った歓声が、会場中を席巻した。

 

『うひゃあ⁉ な、何だいきなり‼ ど、どうなってんだ⁉ おい、セシリア!』

 

 いきなりの大音量にひっくり返りそうになりつつ、どこか怯えた仕草を見せてセシリアの方に懇願するような視線を向ける一夏。

 ――性転換、TS、女体化。

 それを表す言葉はいくつかあるが……往々にして、それらの『属性』は『非一般的』と形容できる。場合によっては『変態趣味』と揶揄され、認められないどころか迫害され、軽蔑されかねない。ゆえにそれを愛するものはひっそりと、誰にも見られないように自らの『属性』を愛でる。それが正しい『やり方』だ。

 一夏もまた、そうした『属性』に理解のない『一般人』の一人だった。だから、いきなり女になった人間を見たら、気持ち悪がるものだと決めつけていたのだ。

 一夏は、知らなかった。

 

 ――世界は、実はけっこう愉快にできているということを。

 

『セシ、リア……?』

 

 セシリアからの返答がないことを怪訝に思った一夏は、そう言って不安そうにセシリアの方を向く。

 そこには――、

 

『わたくしの、負けですわ……』

 

 両手で顔の下半分を覆って、涙を流しているセシリアの姿があった。

 

『えっ今なんて⁉』

『ええ。乾杯、いえ完敗ですわ。こんなものを見せられて、この上戦うなどと。そんなもの無粋でしかありませんわ。わたくし、そこまで話の分からない女ではありませんもの。だからちょっとこう、ISアーマーだけ解除して、こっちに来てくださりませんこと? 一撫で半、一撫で半で良いですから』

『セシリア⁉』

 

 セシリアの覆った両手の下からは、ぽたぽたと赤い滴が垂れていた。一夏はそれが何なのかあんまり理解したくなかった。

 何はともあれ――――、

 

 ――こうして、クラス代表決定戦は、一夏以外のすべての人間にとって納得の結果となったのだった。

 

***

 

「おめでとーう‼」

 

 その後、一夏のクラス――一年一組ではクラス代表決定記念パーティが開催された。パーティといってもみんなで一緒にご飯を食べるだけの簡単な会だが、クラスが一つにまとまった記念としてきゃあきゃあと各々楽しんでいるようだった。

 当然、男の一夏はそんな輪に入ることも出来ず、一人でちびちびとオレンジジュースを飲んでいた。

 

「一夏、そんなところで何をしている?」

「そうですわ織斑。貴方は主役なのですから、中心でもてなされるべきですわ」

「……いやね……向こうに行くと、女の子たちが土下座してくるんだよ」

 

 一夏は、微妙な表情のまま箒とセシリアに答えた。

 土下座、という言葉の異常さに、箒とセシリアは一瞬首をかしげるが――ほどなく、『ああなるほど』と納得した表情になった。こんなにすぐ納得できるこの二人もなんかやだ、と一夏は頭を抱えそうになった。

 

「なるほど。つまり、()()()()()が見たい、と」

「気持ちは分からんでもないな。私などは抱き付いてしまったし、あの喜びを味わえないのは流石に不平等だ」

「抱き付いたですってそれは本当ですか箒さん‼」

 

 ぐりん‼ とセシリアが首を箒の方に回転させる。眼光が軌跡を残す程のスピードを叩きだしたセシリアはなんかもうホラー映画のバケモノのような様相を呈していたが、同レベルの変態になりつつある箒は鷹揚に頷くだけだった。一夏は泣きたくなった。

 

「出撃前のピットで、抱きしめた。照れてたのが可愛かった」

「こーなーみーかーんーでーすーわー‼‼」

「日本語を話せよお前ら……」

 

 げんなりとする一夏だったが、女生徒達はそんな騒ぎを聞きつけたらしかった。『え? 篠ノ之さんイチカちゃんを抱きしめたの?』『ガチ? 抜け駆けとかマジファッキン』『なら平等にクラス全員ハグの権利があるよね』『一夏は良い! イチカを出せぇ‼』などなど、好き勝手言いながら迫って行く。

 一夏は怯えながら一歩ずつ下がって行くが、やがて何かにぶつかったように足を止めた。振り向くとそこには、

 

「げえっ千冬姉!」

「織斑先生だ、愚弟」

「義姉さん!」

「お義姉さま!」

「織斑先生だ、色ボケ二匹」

 

 世界最強の姉、織斑千冬が仁王立ちしていた。

 

「ちょっとハグしてやるくらい別に良いだろう。むしろ役得だぞ」

「や、役得て……。っていうか、ISの無断展開は違法でしょ、織斑先生」

「安心しろ、許可ならとってある」

「クソったれこの国の司法制度はどうかしてやがる‼」

 

 一夏は血の涙を流しながら頭を抱えた。

 

「何で、何でこんなことに……」

「せっかくのパーティだからな。教師として、生徒のガス抜きの場を設けてやるのも悪くなかろう」

「……実際の所は?」

「今回のことで味を占めさせ、今後のコントローラにする。このクラスはじゃじゃ馬が多すぎるからな」

 

 あまりに酷すぎる台詞に、一夏はもうツッコむ気力すら起きなかった。というか、そういう狙いがある時点で逃げるのは不可能である。きっとISを展開して逃げようとしても生身のままISアーマーをバラバラに打ち砕かれてシールドエネルギーも全部削られた上で放り込まれるのである。

 一夏は、自分の貞操がこの夜が終わっても残っていることを祈ってISを装着した。

 

「きゃー‼ 可愛い! 可愛いわ‼ ちょっとロリなのが良い‼」

「鼻血が……至近距離はレベルが高すぎる……」

「おりむー……脱ぐと凄かったんだね……」

「イチカ様ー‼ ぺろぺろするー‼」

「これが……世界か……!」

「イチカさん! 撫でさせてくださいまし! 三擦り半、三擦り半で良いですので‼‼」

「イチカぁぁああああ私はもうハグしたし我慢しようと思ってたがやっぱり無理だったぞぉぉおおおおお」

 

 ――当然、その瞬間人の津波が発生した。

 もみくちゃにされながら、その少女……イチカは、夢想する。

 男のままISを装着していた自分の姿を。

 そうしたら、きっとイチカは男として人気を博していた、と思う。多分。居心地は悪かったかもしれないが、自分のことを想ってくれる女の子に、もうちょっと自分を尊重した接し方をしてもらって、それなりに楽しい学園生活が送れていただろうに。

 

「どうして」

 

 爽やかな笑みを浮かべ、多くの女の子とよろしくやっている自分を夢想し、イチカは涙を流して叫ぶ。

 

 

「どうしてこうならなかった‼」

 

 

 

 おしまい。



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第一二話「唐突な料理回」

「お疲れ様会?」

 

 五月下旬。

 机に向かって課題をやっていた一夏は、一夏の部屋にやって来てゴロゴロしている鈴音へ振り返りながらそう問い返した。

 箒とセシリアはセシリアの方の部屋に移動しており、この部屋には一夏と鈴音の二人きりだ。……が、仮にも幼馴染であり、互いの共通認識として『親友』でもある為、そこに色気は何一つ存在していなかった。鈴音の方は、多少の緊張を覚えていたが。

 鈴音はゴロゴロと箒のベッドの上で転がりながら、そんな緊張を少しも表に出さずに答える。

 

「そーよ。この間言ったでしょ? 今度リーグマッチのお疲れ様会するって。もう忘れたの?」

「ああ……あれな。覚えてるよ。それで、そのお疲れ様会がどうしたんだ?」

「うん。そのお疲れ様会は喫茶店でやるつもりなんだけど、そこに行くときアンタには()()()になってもらいたくて」

「………………やだ」

「そう言うと思った」

 

 突然の宣告に、雰囲気から意味を悟った一夏は渋い顔を作って応える。それでも予想通りでしたという風に表情を変えない鈴音に、一夏はさらに問いかけた。

 

「何でだよ? 別に喫茶店に行くのに女になる必要なんかないじゃんか」

「……あたしは、男のままでも全然良いんだけど……アンタ、男のままで喫茶店入るのとか、駄目でしょ?」

「いや? そんなこと全然ないぜ」

「……本当に? アンタ以外全員多分女の子だけど? 白い目で見られるけど? それでも良いの?」

 

 ……全然良い、などと言っているが、本当は一夏を他の女の前に晒したくない、というのもある。セシリアと箒も連れて行くので、まさか女三人男一人の集団に悪い虫がついてくるとは思えないが、一夏のモテパワーを舐めてはいけない。ちょっと目を離したすきに路地裏にふらっと足を運んで不良に絡まれている女の子を助け出して惚れられるなど、はっきり言って日常茶飯事なのである。

 そうならない為には、鈴音が先回りして町中の不良を駆逐して女の子を助けるか、イチカになってもらうしかない。

 

(……それに、どうせこじゃれた喫茶店に行くんなら、『好きな人』と『お邪魔虫二人』じゃなくて、『女友達三人』と一緒に行きたいし……)

 

 何だかんだ言っておいて、こんなことを打算抜きに本気で考えられるあたりが、鈴音の良い所なのだろう。変態淑女的には『つけ入る隙』でしかないが。

 

「…………それでもやだ」

 

 一方の一夏は女子の集団の中で白い目で見られる自分を想像し、それは相当居心地が悪いだろうなと結論したが、それでも拒否する構えなのだった。

 対抗戦(リーグバトル)で曖昧になっていたが、基本的に一夏の性別は男だ。女として過ごしていたのは少しでも稼働時間を伸ばす為で、描写こそされていなかったが寝ているときはちゃんと男に戻っていたのだ。リーグバトルが終わった以上、あの時のように必死にISを稼働させ続ける必要性も薄い。

 喫茶店に行くのは既に約束したことだし別に一夏としても女の園に男一人なんてもう慣れたことだから(居心地が悪くても我慢できるという意味で)別に良いが、わざわざ女の子になってまで行くのは耐え難かった。一夏はあくまで男の子であり、女の子の姿は仮初の物なのだ。

 

「大体、それなら喫茶店以外のとこに行けば良いじゃないか!」

「そもそも、あたしは女のアンタと行くためにお疲れ様会を考えてたの! 今更撤回は……それはそれでやだ‼」

 

 鈴音的には、イチカと一緒にお疲れ様会をすることに意味があるのであった。

 一夏と一緒に出掛けてしまえば、それはもうデートを意識せざるを得ない。男女の友情は成り立たないというが、そんな感じなのだった。

 

「……じゃあ、こうしましょう」

 

 このままではらちが明かないと判断した鈴音は、そう言って一夏に提案をする。

 

「これから、一つ勝負をする。それにあたしが勝ったら明日の喫茶店はイチカで行く。アンタが勝ったら一夏のままで良いわ」

「……それ、イマイチイントネーションが分かりづらいんだが……後で良いように解釈したりしないよな?」

「当たり前でしょ! 文章にしたらちゃんと分かるようになってるわよ!」

 

 どうにもメタ的なやりとりを交えつつ、

 

「でも、それじゃあ俺にメリットがないだろ。俺が勝ったら何か特典がないとなぁ~」

 

 そう言って、一夏は横目で鈴音をちらちらと見る。あまりにも露骨な態度だったので鈴音は思わずこめかみに血管を浮かび上がらせるが、主張そのものはいたって真っ当だったので我慢することにした。

 

「良いわ。それじゃあアンタが勝ったら、あたしがISの修行をつけたげる。今はもうイギリス次期代表と特訓してないんでしょ?」

「ああ、セシリアも忙しいからな……。……でも、勝利の特典が修行ってなぁ……」

「もしかして、嫌だった?」

 

 ぼんやりと言う一夏に、鈴音は悪戯っぽい笑みを浮かべて問いかける。

 

「いいや、むしろ大歓迎だ」

 

 一夏もまた、それに挑戦的な笑みで返した。セシリアの教え方は非常に理論的で分かりやすかったが、彼女の基本戦術は遠距離戦。ゆえに近接戦に関しては『如何に距離をとるか』といったところに重点を置かれていて(瞬時加速(イグニッションブースト)もその一環だ)、近接戦の稽古に関しては殆ど箒頼りだった。

 箒は箒で言葉の説明は擬音を使った大雑把なものしかなかったが、『身体に覚え込ませる』タイプの教え方としては優秀だった。ただしやはり彼女の戦い方は『お行儀の良い剣道』が根底にある為、鈴音のようにギリギリのところで刀の柄を間に差し込んで防御してみたり、時には唯一の武器である第三世代兵装すら簡単に盾として消費してしまえるようなダーティさが足りなかった。過日の試合でイチカが鈴音を倒しきれなかったのも、そういう『ギリギリのダーティさ』が関わっているのだと、一夏は分析していた。もちろん、根本的な力量差もあるだろうが。

 箒の『お行儀の良い剣道』が悪いと言う訳ではないが(そもそも『お行儀の良い剣道』を極めた箒はイチカよりよほど強い)、『使えるものは何でも使い、相手を騙し倒す近接戦』のプロである鈴音に教えを乞える――接近戦について別の角度からアプローチできるというのは、願ってもないことだった。

 

「……なんかアンタ、中国の武侠小説の主人公みたいね」

「読んだことない」

「色んな師匠に修行をつけてもらって、色んな技を身に着けつつあるってことよ」

 

 その師匠が揃いも揃って同級生の女子というのが奇妙な話だったが、それはそれで人に好かれやすい一夏ならではだろう。このまま行けば、さらなる強豪たちとも仲良くなって師弟関係を結んでしまうかもしれない。

 

(まあ、惚れられなければあたしは何でも良いけど……)

 

 そうはいかないということは今までの経験上よく分かっていた――のだが、どうにもIS学園に入学してからはそっちの影響がイチカに集中している気がする。そのせいか、鈴音は一夏の女性関係にわりと寛容になりつつあった。

 

「まあそれは良いのよ。それで、勝負はどうするかだけど――」

 

 と、鈴音が言いかけた瞬間。

 

「話は全て聞かせてもらったぞ‼」

「ですわ‼」

 

 バターン! と豪快に扉を開け、変態淑女二人がエントリーする。まるで図ったかのようなタイミングだった。

 

「箒、セシリア……一体どこから……?」

「監視カメラの映像と音声から面白そうな話を聞きつけましたわ」

「俺の部屋が監視されてる⁉」

「安心しろ、録画しているのはベッド付近のみだ」

 

 衝撃の事実に一夏は思わず恐れおののく。箒が超どうでも良い注釈をつけていたが、ちっとも安心できる話ではなかった。むしろほかに仕掛けてたら色々な物が終わってしまう。

 

「……っていうかアンタ達、一夏の方はノーマークじゃあ……」

「ええ、そうですわ……。ですが、イチカさんとイチャコラする為であればこそと……歯を食いしばり……」

「苦行だった…………一秒が数千年のように感じられた……」

 

 当然の疑問(半分くらい警戒が入っているのはご愛嬌)を呈する鈴音に、セシリアと箒は歯を食いしばり、沈痛な面持ちで答える。セシリアはともかく箒の方は元々は一夏のことを好きだったんじゃねーの? という真っ当なツッコミをしてくれる者は、今この場には存在しなかった。

 

「それで、本題に入りますが……その勝負、待ったをかけますわ」

「待った? そりゃ何でだ?」

「何よ、良いじゃない! あたしが一夏と何をしようがそんなのあたしと一夏の勝手でしょ!」

 

 何もなかったかのように本題に入ったセシリアに、まず鈴音が噛みつく。しかしセシリアはそんな鈴音の抗議にもいたって冷静に、

 

「ご安心なさいませ。別に勝負に反対というわけではないのですわ。ただし――互いに賭ける物のある勝負である以上、勝負の内容は公正でなくてはなりません。どちらかが勝負を提示したら、自分に都合のいい勝負内容にしようとするかもしれませんからね」

「うむ、セシリアの言う通りだ」

 

 超得意げに語るセシリアに、箒がうんうんと頷く。実際正論なのだが、この変態が正論を吐くときは何か思惑があるものだと一夏は経験で理解していた。

 

「……なんか俺、嫌な予感がしてきたんだけど」

「悪いけど、アンタ達が勝負内容決めるってんならお断りよ。絶対一夏に肩入れするに決まってるもん」

「あら、中国次期代表。舐めないでくださいまし。わたくし達は織斑ではなくイチカさん一筋ですわ。むしろ中国次期代表が勝てば一緒に喫茶店確定である分、判定は貴方寄り寄りなのですわ」

「あー‼ 反対‼ 絶対反対‼ のほほんさんとかにお願いする‼‼」

 

 セシリアがぽろっと不正宣言ともとられかねない失言をした為一夏は即座に逃げ出そうとするが、残念なことに扉は変態淑女二人でふさがれていた。そして当然、自分に有利になる条件を提示されて鈴音がそれに乗っからないわけがなかった。

 

「よし、お願いするわ」

「うむ。満場一致だな」

「満場じゃない‼ 此処に俺がいる‼」

「三対一で賛成多数により可決ですわ」

「何気にお前らを頭数にカウントしてるんじゃねーよ‼‼」

 

 徹底抗戦の構えをとる一夏だったが、しかしこうなってしまってはもう遅いのだった。唯一の味方である鈴音が敵に回った時点で一夏の敗北は決定していた。

 

「勝負内容は明日お伝えします。では、わたくしはこれで」

「あたしも今日は部屋に戻るわ。また明日ね」

 

 一夏の抗議もむなしく、二人の『次期代表』はさっさと退散してしまう。

 二人を制止することができなかった一夏は、箒と二人きりになった部屋の中でしょんぼりとベッドに腰を下ろした。

 

「……何が来るんだろ……今から胃が重い……」

「案ずるな一夏、悪いようにはしない」

 

 説得力は、欠片もなかった。

 

***

 

『というわけで、これより織斑と中国代表の、休日の過ごし方決定権争奪戦を開催するのですわ‼』

 

 次の日。

 授業が全て終わった後、一夏と鈴音は何故か校庭のド真ん中に立たされていた。校庭のど真ん中だけ何故か仮設のステージが建築され、そこにキッチン台が二つほど設置されており、それを取り囲むように大勢のギャラリーが集まっている。尚、セシリアと箒は――、

 

『実況はこのわたくし、高貴で思慮深く荘厳かつ、威厳があり高貴で誇り高いイギリス次期代表ことセシリア=オルコットが務めさせていただきます』

『解説は篠ノ之箒でお送りする』

 

 何故か特設された実況ステージの上でマイクを握りしめていた。ウオオオオオオオオオオオオオ‼‼‼ と、まるで闘技場に観戦しにきたむさくるしい男かと聞き間違うような歓声が、校庭中に轟く。

 

『ちなみに審査員は一組の担任と副担任である、ミス織斑とロリ巨乳眼鏡ですわ』

『織斑先生、だ』

『せめて名前で呼んでください~~~~っ‼‼』

 

 シリアスの皮を被っていた一話以降名前で呼ばれることがなくなってしまった悲哀の嫁き遅れ(絶賛彼氏募集中)が、涙を誘う。肝心の一夏と鈴音は――校庭に設置された仮設ステージ、その中央に存在するキッチン台の傍らに立っていた。

 

「これは一体なんだよ⁉」

 

 可愛らしいフリルつきのエプロンを身に纏った()()()が、正常な人間であればだれもが思うであろうツッコミを入れる。

 

「無理やり控室に放り込まれたら女物の服しか用意されてねえし! しかも『このコスチューム着ないと不戦敗で強制敗北だぞ』って箒テメェ何の茶番だこれは‼」

 

 華奢な肩を精一杯に怒らせたイチカは、そう言って服の端をつまむ。IS学園の白い制服ではなく、コックが着るような白い、色気の少ない服装だ。だが、その色気のない健全さが逆に変態たちにとってはスパイスになるのを、イチカは知らない。

 気持ち悪いくらいにサイズは一致していたが、そこはもはや問題ではない。この期に及んで、イチカはこの対決が『とりあえず勝敗は脇に置いておいて、イチカのエプロン姿が見たい』という煩悩のみで運営されているであろうことに戦慄を覚えていた。

 

『何と言われても、料理勝負に決まっているだろう』

「知ってる! 聞きたいのはそこじゃない‼」

『やれやれ……イチカは恥ずかしがり屋だな。悪いようにはしないと言っただろう?』

「早速悪いことになってるから俺はこんなに声を荒げてるんだよ‼」

 

 必死にアピールしてみるイチカだったが、しかし箒はもはや『やれやれ』と肩を竦めるだけだった。観客の方も、声を荒げるイチカのことを眼福眼福とばかりに目を細める始末である。

 完全に、動物園にいる可愛い動物みたいな扱いだった。

 

『イチカさん、もう諦めてくださいまし。というか、着てから文句を言うのは遅すぎじゃありませんこと?』

「テメェらがそうなるように仕組んだんだろうが‼‼」

 

 歯を食いしばるイチカであったが、もう此処まで来た以上は引き返すことなどできないのであった。

 イチカの最後の抵抗が終了したのを見て取ると、実況席のセシリアが再度マイクを口元に近づける。

 

『これからお二人には料理勝負をして、雌雄を決していただきます』

『オスメスの別は既に決まっているがな』

『おほほ、これは一本とられましたわ』

 

 実況ステージで繰り広げられる軽快なトークに、観客席から『世の中にはメス男子というジャンルもあるんだぞ!』という野次が飛ぶ。

 必死に今の野次を聞かなかったことにしようと自己暗示を試みるイチカの横で、料理勝負と聞いた鈴音が不満げに実況ステージに抗議した。

 

「全然上手くなんかないわよ! 大体料理勝負って、一夏に分がありすぎじゃないの⁉ コイツの料理スキルの高さ知らないでしょ!」

『ご安心くださいませ。お題は「中華料理」としますわ。これならば中国次期代表の方が有利でしょう』

「おい! 中華料理のレパートリーなんか殆どないぞ俺⁉ おい、こんなの良いのか! 不正じゃないか! 観客!」

 

 あからさまに依怙贔屓発言でありこの対決の公平性が疑われるものだったが、この場にいるすべての人間は偶然にも耳にゴミが入っていたらしく、イチカが振り返ってみるとみんなして耳の調子を確認していた。

 

『おっと、失言でしたが偶然にも誰も聞いていなかったようですわね。バレなきゃ不正ではないのです』

「いくらなんでもわざとらしすぎるわ‼‼‼」

 

 イチカは力の限り吠えたが、残念なことに完全アウェーなのであった。まだ気乗りしないイチカをせかすように、セシリアは言う。

 

『制限時間は三〇分。それまでに、おいしい中華料理を作り上げるのです。では――――はじめ‼‼』

 

 そして、唐突な料理バトルが始まった…………。

 

***

 

 イチカが作り始めたのは、チャーハンだった。

 

(俺が中華料理で作れるのは、普通に家庭的なチャーハンだけだ……。下手に中華料理ってカテゴリにこだわるよりも、自分が全力を出せるメニューで勝負するしか、鈴に勝てるチャンスはない‼)

 

 気を取り直してしっかりと手を洗ったイチカは、炊飯ジャーから白飯を、冷蔵庫から長ネギとひき肉、卵を取り出す。

 キッチン台の近くに取り付けられた棚には調味料の類がずらりと並んでいて、およそ調味料と呼べるものは何でも揃っていますと言わんばかりのラインナップだ。イチカはその中から自分が使うものを手早く選んで抜き出していく。

 ここまで、三〇秒とかかっていない。まるで熟練の主婦のように流れるような手さばきだった。

 

『おっとぉ……? イチカさんが此処で選んだのは、塩コショウとごま油、醤油ですわね。しかし、チャーハンに醤油ですの……?』

『香り出しと塩味の調整の為にわりと使われる……とネットには書いてあるな。私は使ったことないが』

『箒さん、料理音痴ですもんねえ』

『お前には言われたくないぞ、イギリス人』

 

 急に殺伐としはじめた実況席はさておき、イチカはまず長ネギを小さく切っていく。みじん切りではなく輪切りだ。細かく鳴り響く包丁の音と、エプロン姿でキッチンに立つイチカの姿はまさしく視覚と聴覚の競演。観客たちはそこにイチカと自分との幸せな家庭を幻視し、あまりの良妻力に震え上がった。

 

「ちょっと! なんであたしの方は完全にスルーなのよ!」

 

 一方、鈴音の方も具材の切り分けに入っていたが、中華包丁で手際良く野菜を切り刻んでいく姿は良妻というより料理人のそれであった。

 中華料理人鈴音の奮闘はさておき、長ネギを切り終えたイチカは中華鍋にごま油を垂らし、熱し始める。

 

『おや! ここでイチカさんが中華鍋を使い始めましたわ! しかしイチカさんあの大きさを使いこなせるのでしょうか……? 心配ですわ……お手伝いしたい……ぺろぺろ……』

『ふぅーむ……イチカのヤツ、ISの操縦者補助機能を使って筋力を底上げしているようだな。あの様子だと五時間は中華鍋を素振りしても疲れることはなかろう』

 

 二人の実況解説をBGMに、十分熱せられた中華鍋にネギと肉を入れていくイチカ。ひき肉は既に成形の過程でばらけているので、イチカはかき回すだけだ。自分の頭よりも大きな中華鍋をいとも簡単に操る姿は、まるで小さな戦士のようですらある。

 

『塩コショウを入れて、味を調える……わたくし、チャーハンの作り方は存じ上げないのですけれど、このあたりは普通なんですの?』

『あ、え? ああ……多分、そうだ。私は塩コショウなんて入れたこともなければごま油を使うという発想すらなかったが……』

 

 料理音痴な二人の実況解説はさておき、イチカはどんどん手早く作業を進めて行く。ネギと肉にほどよく火が通ったところで、イチカはご飯を中華鍋の中に投入し、木のしゃもじを使って細かい粒にしていく。肉の脂やごま油が米に馴染んでみるみるうちにパラパラとした米粒になっていくのは、一種の魔法のようだ。

 ここでイチカは二つ目のコンロにフライパンを載せ、火をかけ始める。

 

『……? あれは一体何でしょう?』

『おそらく、卵を炒めようとしているのではないか?』

『卵、ですか? しかし、普通はご飯と絡めるように炒めるものではなくて?わざわざ中華鍋を使っているのですから、ご飯はあちらで炒めるのでしょう?』

『それは黄金炒飯というやつか? いや、私もどっちが主流なのかは分からないな……』

 

 二人の料理素人の疑念をよそに、イチカは流れるような動作で卵をとき、そして油をしいたフライパンに流し込む。

 名残惜しそうに糸を引く卵を菜箸で断ち切ると、手早くかき混ぜて半熟の炒り卵にしてしまう。

 チャーハンの作り方に正解などないが――この作り方はおいしさの秘訣、というよりは織斑家の好みの問題だった。大黒柱である千冬は卵の食感が強い方が好きなので、自然とイチカの作るチャーハンもそうなっていった、というわけだ。

 

『フフ……あの馬鹿め。私の好みをよく分かっている』

 

 気を良くした千冬が、珍しく嬉しそうな言葉を漏らす。それだけでイチカが千冬の好みのチャーハンを作っているということに、観客は愕然とした。

 

「まさか……織斑先生の好みのチャーハンを⁉」

「いや! イチカちゃんにそんなあざとさはない……つまり‼」

「普段から、織斑先生の好みに合わせて行くうちに、自然とその作り方が身についた……」

「長い姉妹の生活の中で、嗜好が織斑先生色に染め上げられていた……?」

「『調教』されていたというのかッ⁉」

「調教‼‼‼」

 

「そこの変態ども、大概にしないとあたしがぶっ飛ばしに行くわよォ‼‼」

 

 ゴオ! とコンロから炎を迸らせつつ、中華鍋片手に鈴音が変態たちに牽制を仕掛ける。自分の頭よりも大きな中華鍋をいとも簡単に操るその姿は、まるで山をも持ち上げる凶悪な巨人のようであった。これにはさしもの百戦錬磨の変態たちも怯えを隠せない。

 ちなみに、イチカの持つ中華鍋はちゃんと持ち手の部分が存在しているフライパンに近いデザインだが、鈴音の持つ中華鍋はコの字型の取っ手がついているきりの本格派だ。

 

『さて! 料理も終盤ですわ……中国次期代表もなんか異次元的なスピードで完成にこぎつけてきていますわよ!』

『だが、危険な部分もあるようだな……。いや料理ではなくて。観客が、先程から額に汗して料理を作っているイチカの良妻具合に我慢の限界を感じているようだぞ』

『おおっと……まずいですわね。一部の観客が柵を取り払おうとしていますわ。尤も、こちらにある解除ボタンを押さない限り柵が外れることはないのですが』

「何でそんな思わせぶりな解除ボタンが用意してあるんだ⁉」

 

 唐突な展開に、イチカは思わず料理の手も止めて

 

『おほほ、自爆スイッチは様式美ですわ』

「自爆って言ったな⁉ 今自爆って言ったな⁉」

 

 数日前に自爆で痛い目を見た人間と同一人物とは思えない言いぐさのセシリアにイチカは精一杯の抗議を行うが、いかんせん距離が遠すぎるのだった。そんなことをしているうちに、

 

『あっ手が滑っちゃったぞ』

 

 ぽちっ、と。

 箒がついうっかり――うっかりとはいったい――解除ボタンを押してしまう。瞬間、今まで変態淑女たちを防いでいた柵が地面に収納され、イチカを守る盾は皆無となった。

 人の津波が、発生する。

 

「ちょっと! 何であたしのところには誰も来ないの⁉ 酢豚よ⁉ おいしい酢豚を作ったのよ⁉ ちゃんとパイナップルも入ってるわよ⁉」

「だから鈴パイナップル入りの酢豚は日本じゃ邪道だって……、……うわああああああああああ⁉⁉」

 

 その悲鳴を最後に、イチカの周囲へ変態たちが殺到していく。

 当然ながら、もう――料理勝負どころではなかった。

 

***

 

「……フム……やはり、イチカの料理は美味いな」

 

 そんな生徒達の乱痴気騒ぎを眺めながら。

 織斑千冬は、満足そうにれんげを動かしていた。

 

 誰かによそってもらったわけではないのに、その皿にはチャーハンと酢豚が盛られていた。

 ちなみに、酢豚にパイナップルは一つも入れられていなかった。

 

「……あれ? 織斑先生、一体どうやってそれを……」

「ん? いや、なに。空間をちょっとこう、くいっと、捻じ曲げて」

「いやちょっとこうで済む話じゃないですからねそれ⁉」

 

***

 

「はぁ、はぁ……くそ、セシリアと箒のせいで酷い目に遭った」

 

 変態たちの波が引いた後。

 すっかり疲弊しきったイチカは、そう言って選手控室に備え付けてあった長椅子にどっかりと座り込む。何故こんなお遊びの為にこれほどの設備が使われているのか、ということについては気にしてはいけない。

 

「全くよ……。変態どもを千切っては投げ千切っては投げてやっとイチカを助け出したと思ったら、なんかもう作った料理は全部なくなってたし」

「多分、千冬姉がなんかして全部よそったんだろうな……」

 

 相変わらず、チート街道まっしぐらな姉だ、とイチカは思う。あれでたまに乱数調整とかしてるから、本当にチートなのかもしれない。

 

「それで、結局勝負の結果はどうなったのよ?」

 

 そう言って、鈴音は後ろを振り返る。

 そこには、全身を縄でぐるぐる巻きにされた上に天井からぶら下げられたセシリアと箒の姿があった。あの後、変態たちを『鎮圧』した鈴音は、まず実況席に乗り込んで余計な真似をした変態淑女二人を粛清、捕獲してこうして拷問にかけていたのだった。

 

「うぶ……しょ、勝負は、中止ですわ」

「ち、千冬さんが我慢しきれずに作っている途中の料理を全部よそってロリ巨乳眼鏡を分けてしまったからな……」

 

 とのことだ。

 

「じゃあ、あたしとイチカの賭けはどうなるのよ! アンタたちのっ! せいでっ!」

「やめろ鈴! それ以上やったら死んじゃう!」

 

 ゲシゲシとなじりながら二人を蹴り続ける鈴音を、イチカは急いで止める。

 

「うげぶ……今回は中止ということで、引き分けにするのはどうでしょう?」

「イチカは女の子として喫茶店に行く代わりに、凰に修行をつけてもらう……うぐ、それで良いだろう?」

「釈然としない……」

 

 だが、もう一度何か勝負をするほどの気力は、もうイチカにも鈴音にも残っていなかった。勝負の結果が引き分けというのなら、そうするしかない。

 

「なんか、うまいこと誘導されたような気がしないでもないけど……」

「そんなことはありませんわ。イチカさんの為にも修行の機会を用意したいけど一緒にお出かけする機会も欲しいというわたくし達の願いが反映されていたわけでは毛頭ありません」

「…………、」

 

 もはや自白しているようなものだったが、一応自分のことを思ってくれているようなので心優しいイチカはツッコみづらい。そういうノリはやめてほしい、とイチカは思った。

 何より、吊るされた状態でドヤ顔をかまされてもそれはただ滑稽なイメージしか感じさせない。

 

「さ。話が決まったんなら帰るわよイチカ。なんかそうこうしてるうちにもう六時すぎてるし。早く部屋で着替えた方が良いわ」

「え、でもアイツらは……」

「イチカ、いい加減学習しなさい。あの変態どもはこのくらいじゃへこたれないわ」

「そ、そうじゃなくて……」

 

 イチカは二人を気遣うようにちらちら見ていたが、鈴音は無視してイチカを伴い控室から出て行く。

 その日、イチカは一人で平和な夜を過ごした。



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第一三話「涙のお疲れ様会」

 料理対決(のようなもの)より数日後、朝。

 イチカは正面ゲート前で独り他の面子を待っていた。

 

 イチカの現在の格好は、一か月前に買った白いオフショルダーTシャツ、黒のタンクトップ、紺のフレアスカートにパンプスというコーディネートだ。他にも色々と買ってもらったイチカであるが、買ってもらった服をどう組み合わせれば良いのか分からないという致命的問題が当日になってから発覚した為、覚えている唯一の組み合わせで出陣せざるを得なかったわけである。

 身支度を整える段になって実に二〇分ほど鏡の前であーでもないこーでもないと試行錯誤していたので、箒が見ていたら種々のセクハラの餌食になっていたことだろう。

 

(箒がいなくて良かった……)

 

 その箒とは、つい最近、部屋が別れた。

 何か問題があったわけではなく、もともと箒との相部屋は期間限定で、普段は男であるイチカはそのうち一人部屋に移動するという話だったのだ。何でもイチカの為にセキュリティ強度の高い部屋を新設したとかで、学園がどれほどイチカの存在を重要視しているか(そしてどれほどIS学園の変態淑女たちを危険視しているか)が分かるというものだ。

 一人部屋は少し寂しいと思ったイチカだが、それでもやっと訪れた平穏に胸をなでおろさざるを得なかった。

 まあ、今でもほぼ毎日のペースで変態淑女が部屋に乗り込んでくるのだが。

 

「おっはよーイチカ。早いわね」

「おう鈴。おはよ」

 

 鈴音の格好は変わり映えしないイチカと違い、ピンクのキャミソールのような服に薄いオレンジのパーカー、緑色のホットパンツという出で立ちだった。キャミソール(かどうかはイチカには詳しく判別できないが)というと下着一直線なのでイチカは絶対見えないようにしか着られないが、イチカと違いオシャレレベルの高い鈴音は着こなせるのであろう。

 

「あら、お二人とももう到着でしたのね」

「おはよう、二人とも」

「おー、お前らも来たか」

「おはよー」

 

 そこに、セシリアと箒も合流する。

 セシリアの格好は白のワンピースに薄いピンクのカーディガン。

 箒の格好は薄水色のTシャツに黒のパーカー、赤いミニスカートに黒のサイハイソックス。

 どちらも、きれい系にカジュアル系……イチカでは無理だとボツを食らった格好を、これでもかというほど完璧に着こなしていた。

 

(いつもは変態なのに……)

 

 それでも、やはり女の子は女の子らしい、ということを垣間見て、イチカは若干気おくれする。

 

「はぁぁ~~……イチカさんとお出かけできると思っただけで、わたくし夜も寝られないほど興奮していましたわ」

「ちなみに私は寝ずにイメージトレーニングをしていたから、今日は盤石だ。安心してくれ、イチカ」

「いや、一体何の安心なんだ……っていうかお前ら途中でバテるなよ?」

 

 ……気遅れしたが、やはり変態は変態であるということも分かったのでちょっと気分が楽になったイチカなのであった。

 

「んん? 何ですのイチカさん。そんなにわたくし達のことをじっと見つめたりして」

「ははぁ、なるほど。イチカはおっぱいが小さいのを気にしてるわけだな? 安心しろ、私が揉んで大きくしてやるから」

「違うっつーの‼ 何で男の俺が胸の大きさなんか気にしなくちゃいけないんだよ」

 

 あらぬ疑いにイチカは反論するが、二人の変態はニヤニヤ笑いをやめない。真実がどうかなど二人には関係なく、ようはイチカをいじれればいいのである。そしてあわよくば貧乳にコンプレックスを抱いてくれればいいと思っていた。

 

「まあ? わたくしはもちろんとして、箒さんの胸もかなり大きいですし? 身近に大きな方がいれば、自分の色んな所の小ささを気にするのは至極当然ですわねぇ」

 

 そう言って、セシリアは両手で自分の乳房を下から持ち上げる。イギリス人にしては控えめだが、しかしそれでも平均以上はある乳が、ずしりと掌の上で存在感を示す。

 内面は健康な男子高校生であるイチカは、思わず顔を赤らめて顔をそむけた。それに気分を良くして、変態のセクハラはエスカレートする。

 

「イチカ、そう恥ずかしがるものではない。今の我々は同性の友人なのだから。そうだこういうのはどうだろう? 私が持ってきたパッドとブラジャーを差し込むんだ。この間姉さんに聞いたんだが、ISの機能を応用すれば量子化を介して装備することで、変身ヒロインみたいな早着替えを再現できるらしいぞ」

「いや、白式は第四世代兵装を無理やり搭載したせいで他の装備を使う為の格納領域(バススロット)がないから……」

「服くらいなら数着くらい収納できるよって姉さんが」

「何その無駄な新事実⁉」

 

 どうでも良いところで魔改造される白式なのだった。

 

「ともかく、このパッドをそのちっぱいに挟んで大きなおっぱいというのを体験してみるのも悪くないだろう。もしかするとその状態を記録した白式の影響で巨乳モードとかできるかもしれないしそうなったら思う存分揉みたいし……」

「いやだ‼ っていうか、お前最初からそれが目的だろ⁉ いいよ胸なんていらないよ‼」

 

 そう言って、イチカは断固拒否の構えをとる。内面が男のイチカからしたら、胸の大きさなんかどうでも良いものだ。むしろ身近に大きい胸の肉親がいる分、そう言った方面での悪影響はたくさん耳に入っているので是非とも避けたいところだ。

 ……そんな風に、くだらない漫才をしていたからであろうか。

 三人は――気付けなかった。

 変態淑女二人の、()()()()()イチカをいじる言葉の数々が。

 

 その隣で不気味な沈黙を保っていた『彼女』にも、しっかり刺さっていたということに。

 

「そう言わずにほら、私たちが普段どんな気持ちをしているのか知れるチャンスだか、」

「どんな気持ちか知れるチャンス、ねぇ」

 

 ガッ、と。

 前後の話の脈絡を無視して、鈴音が箒とセシリアの胸を片方ずつ掴む。

 その形の良い胸が、マシュマロのように柔らかく歪むが――――そこに扇情的な色合いはなく、むしろ猛獣が獲物に牙を突き立てた瞬間がスローモーションになっているような、そんな衝撃的光景の前触れを感じさせる有様だった。

 

「ひっ⁉」

「凰、一体何を……、」

「じゃあ、アンタらもあたしが普段どんな気持ちをしているのか知ってみたらどうかしらァァああああああああああああああああああああ⁉⁉⁉」

「ひぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい‼‼‼‼‼」

 

 ドアノブを捻るようなノリで、掴んだ乳房を一思いにぐりん! と捻る。その暴虐は、もはやツッコミの領域を超えていた。

 

「も、もげる、もげますわ! わたくしの熟れた仙桃が馬鹿ザルに収穫されてしまいますわ‼」

「やめるんだ凰! 私達はアマゾネスではない! 弓は使わないから胸を削る必要なんかないんだ‼」

 

 哀れな被害者二人の懇願も、鈴音の心には響かない。それはもはや、二人に持たざるものの悲しみを教えるというよりも、自分にはない幸せを奪い取ろうという行為に近かった。

 

「やめてくれ鈴! こぶとり爺さんの鬼じゃあるまいし、乳はもいでも自分のものにはできないぞ!」

「ならあたしは、鬼にだってなってみせる‼」

「……ごめんツッコみ方を間違えた‼ 痛そうだからもう放してあげて‼」

 

 必死になって、イチカは鈴音を羽交い絞めにしようとする。

 四人の外出は、開始早々混乱の様相を呈していた。

 

***

 

 幸いにも、馬鹿二人のおっぱいは健在のままだった。

 未だに二人は乳を気遣わし気にさすっているが、そのことに触れようとはしない。下手に鈴音を責めようものなら、逆ギレされて今度こそ乳をもがれかねないからだ。箒とセシリアは完全に委縮してしまっていた。

 休日の昼間だからか人通りの多い街中を歩きながら、イチカが問いかける。

 

「それで、今日行く喫茶店ってどんなの?」

「この間行ったデパート、覚えてる? あそこの三階に、新しくオープンしたらしいのよ。なんかアイスとかケーキとか色々あるって」

 

 総合ショッピングモール『レゾナンス』。

 イチカとしては初めて鈴音と二人で遊びに行ったという意味で思い出深い場所だ。このあたりはイチカが元々住んでいた地元にもほど近く、何となく雰囲気が懐かしいのも高ポイントだった。

 

「アイスとケーキ、ねぇ……。そういうのは女子供が食べるものだと思うけど」

「アンタも今は女じゃない」

 

 乗り気ではないイチカだったが、鈴音にあっさりと切り返されて口を噤む。

 実は、鈴音は既に知っていた。女性状態のイチカの味覚に、若干の変化が生まれていることを。じじむさい趣味の為に過度に脂っこいものが食べられないのは元々だが、それ以前に増して肉類を避けることが多くなり、また甘味にも多少興味を示し始めているのだ。本人は『俺は男だから』と断固否定しているが、同性の親友と(勘違い)して一か月間一緒にいた鈴音の目はごまかすことが出来なかった。(当時は役作りの為に無理に好きな物を避けているものと思っていた)

 

「イチカさん、認めてしまった方が身のためですわよ」

「というか、仮に女じゃないとしたら、今のイチカは女装している変態になるぞ」

「なァッ…………⁉⁉⁉」

 

 驚愕の真実を告げられたイチカは、顔面を蒼白にさせて絶望した。……確かに、その通りだ。イチカが男だとしたら、格好も男のものでなければおかしい。誰かに強制されたわけでもないのに自然に女物の服を着るということはつまり、当たり前のように女装をしている変態ということではないだろうか? だが、一夏は自分が変態とは認めたくない。変態でないとしたら、今のイチカは女ということではないだろうか?

 

「うぐ、うぐぐぐぐ……俺は女だった……?」

「おら変態二人。イチカをあんまりいじめるんじゃないわよ」

 

 頭を抱えるイチカを守るように、鈴音がセシリアと箒の頭を叩く。

 

「仮にイチカが男の格好でやって来たとしても、その状態で外出するのはあたしが許さないわ。一緒に歩くときに恥かかないくらいのファッションはちゃんとしてもらわないと」

 

 どのみち、イチカに逃げ道はないようだった。

 

「ところで、このあたりはイチカさんの地元なんですわよね?」

 

 懊悩するイチカの意識を逸らすかのように、あっという間にノリを切り替えたセシリアが問いかけてくる。

 

「そうだけど、何だ? いきなり」

 

 若干警戒しつつ、イチカは頷く。『レゾナンス』の最寄り駅は、イチカの地元から電車で二駅という近所なのであった。顔見知りもちょっと足を延ばせば来れる範囲――とそこまで考えて、イチカは顔を青褪めさせた。

 そういえば、この間のクラス対抗戦(リーグマッチ)は全世界同時生放送だった。

 つまり、『女になる男織斑一夏』の女の時の素顔は全世界に知れ渡ってしまっている、というわけである。ちなみに男の時の素顔もどこから漏れたのかも分からない中学時代の卒業アルバムの写真が流出してしまっている為、ネットで検索すればすぐに分かってしまう有様だった。

 

「やばい……バレるかも……どうしよう……」

 

 そしてもし、イチカであるということがバレたら……どうなってしまうだろうか? IS学園だけであの変態っぷりである。まかり間違って変態にロックオンでもされようものなら…………外出どころではなくなってしまうだろう。

 と、思っていたのだが。

 

 意外なことに――道行く通行人たちがイチカに反応するようなことはない。

 

「あー、中継で流れてた映像は『ISを着たイチカ』だから、私服のイチカとはイメージが一致しないんじゃないかしら。ほら、水泳選手が私服着てるインタビュー記事とか見ても、なんからしくないなって思うじゃない」

「そ、そういうもんか……」

 

 言われてみれば、その通りかもしれない。その方が有難くはあるのだが、襲われるかも――なんて思っていたイチカは、自分が自意識過剰になっているように思えて恥ずかしかった。すっかり縮こまって俯いてしまう。

 ちなみに。

 

「な、なあ……あれ……もしかしてイチカちゃんじゃないか……?」

「やだ……可愛い…………」

「あ、握手、頼んじゃおっかな! してもらったら、手とかホルマリン漬けにして永久保存しようかなっ!」

「背中にサインをもらってそれを元に刺青彫ろ」

「ぬううッ! しかし待てい! あれに見えるは中国次期代表凰鈴音ではないかッ⁉」

「何ィッ! それは真実(まこと)かッ!」

「あの鬼気迫る殺気――近づこうものなら八つ裂きにされかねんッ!」

「う、動けぬ……この儂が、畏れで動けぬ……!」

 

 イチカの見ていないところではこんな一幕があったため、イチカの認識はこれ以上ないほどに正しいのであった。イチカの知名度は間違いなく全世界レベルになっていたが、同時に鈴音の脅威も全世界レベルになっていたのである。

 

「(チョロいですわね)」

 

 イチカは朴念神と呼ばれるほどの鈍感である。周りからの好意に気付かないのは割と当然だった。……いや、最近は変態たちにセクハラされるので、改善傾向にはあるのだが。

 

「それで、話を戻しますけれど、このあたりがイチカさんの地元なら、せっかくですし今度、イチカさんの生家の近所にも遊びに行きたいのですわ」

「え? 別に良いけど……」

「駄目よイチカ! 考え直しなさい! コイツらがアンタの家の近くに行ったりしたら()えぇぇ――――っ対に変なことするに決まってるんだから!」

 

 思わずうなずきそうになったイチカを遮るように、鈴音がビシイ! とセシリアを指差す。対するセシリアはというと、指を突きつけられても飄々とした風に髪を靡かせて応える。

 

「失敬ですわね中国次期代表。わたくしだって変態目的以外で行動することはありますわ。単純にイチカさんの生まれ育った場所に立ち、同じ空気を吸って幼き日のイチカさんに思いを馳せたいだけですわ」

「やっぱり変態目的じゃない‼‼」

「あと、俺の子供の頃って普通に男だったんだけど……」

 

 おずおずと言うイチカだったが、

 

「いや? イチカは小さい頃からイチカだったぞ?」

「アンタは自分の記憶を捏造してんじゃないわよ‼」

「捏造なものか。いいか、姉さんが言っていたがこの世には並行世界というものが無数に存在しているんだ。その中の一つや二つや三つくらい、最初から一夏が女の子だった体で話が進む世界だって……、」

「急にメタネタをブチ込むんじゃないわよ‼ 話の趣旨が変わって来ちゃうでしょうが‼‼‼」

「……取り込み中のとこ悪いけど、もうモールに着いたぞ」

 

 そうこうしている間に、四人の目の前に巨大なモールが聳え立っていた。休日ゆえに人は多いが、鈴音の殺気もあって周りに人は少ない。そして結局イチカの自宅周辺に行くかどうかについてはうやむやになってしまったのだった。多分行くことになってしまうだろう。

 

「……しかし、ナンパとか本当に来ませんわね」

 

 盛況のハズなのに空いているという奇妙な状況で、セシリアはきょろきょろとあたりを見渡しつつ呟いた。

 セシリアの希望としてはこうやって四人でうろついていたら五、六人のゴロツキに絡まれてイチカをおたおたさせつつ、速攻で不届き者を始末しようとする鈴音を宥めつつ箒と共にイチカを巧妙にセクハラする流れが欲しかったのだが、残念なことに周囲にいるのは変態紳士ばかりらしく、明らかにガラの悪い不良でさえ『あっイチカちゃんだ……』→『ぬうッあの殺気は凰鈴音ッ』の流れに入ってしまっているのであった。

 

「そりゃあ、このへんそんなに治安が悪いわけじゃないしなあ」

「っつか、仮に来てもあたしが許さないしね」

「凰がそんな調子だから男が寄って来ないんだぞ。お前はイチカを百合の道に引きずり込みたいのか?」

「アンタみたいな変態からコイツを守ろうとしてんのよ、この馬鹿‼」

「やめろ鈴! 箒は束さんと違ってまだ人間だ!」

 

 メギィ‼ と余計なことを言った箒の頭蓋骨が軋む音が響く。人の波がさらに引いた気がしたイチカだった。

 鈴音を抑えたイチカだが、しかし箒の言動に問題がなかったわけではない。友達として、鈴音のフォローをすることも必要だ。ということで、真顔で箒の方に振り返って言う。

 

「でも、箒も失礼だぞ。鈴はちゃんと中国に好きな人がいるんだから、そういうことは言うもんじゃない」

「うわああんアンタも馬鹿よ馬鹿ぁぁぁぁぁ‼‼」

 

***

 

「やっと着いた……」

「まったくよ……ぐす。あ、四人です、はい」

 

 明らかに疲弊したイチカの横で、まだ涙ぐんでいる鈴音が店員に何事かを話していく。

 無事にボックス席に案内された四人は、まるで長旅の後のような様相を呈していた。ちなみに席順は鈴音とイチカ、対面に箒とセシリアだ。

 

「なんでちょっと出かけるだけでこんなに疲れるんだ……」

「中国次期代表がいちいち暴れるからですわ」

「凰はちょっと肩に力を抜くべきだと思うぞ」

「なるほど、こんな感じ?」

 

 シパァンッ! と極限の脱力から放たれた鞭打が音速の壁を越えつつ二人の変態に極限の激痛を味わわせる。

 二人の要望に応えているが限りなく背いているという矛盾したサービス精神を会得した鈴音は、暴力者(ツッコミスト)としてまた一つ高みに上ったようだった。顔面に大きな紅葉を一つずつ作って悶えている変態二人を横目に、イチカは『いや、誰がどうって話じゃないんだけどな……』と思っていた。

 

「あ、見ろよ三人とも、これ」

 

 と、メニューを見ていたイチカが指を差す。

 

「『タワーパフェ』ぇ? 大食いチャレンジってこと? ……なんで女向けの店にこんなのあるのよ?」

 

 鈴音が怪訝な声を発する。

 イチカが指差したメニューには、特大の器に塔のように盛られたパフェの写真があった。

 パフェの注意書きには、『一人で食べきれたら代金は無料』と書かれている。しかし値段は四分の一で割ればちょうど良いものになっているので、おそらく『友達同士で分けて食べる』ことも視野に入れたメニューなのだろう。

 しかし、女であればまず最初に思いついても、男であるイチカに『分けて食べる』という発想はない。

 

「よし決めた。俺はこれにする。俺は男だからな」

「今アンタ女でしょ……やめときなさいよ。絶対食べきれないって」

 

 無謀な挑戦をしようとするイチカを制止する鈴音だが、イチカはもう決意を固めてしまっているようだった。反面、変態淑女二人は沈黙を保っている。

 鈴音はイチカに気付かれないようにアイコンタクトを交わす。

 

(……アンタらも何とか言ってやりなさいよ。イチカがへばるのをみすみす見てるっての?)

(いや、イチカが食べきれなくなったタイミングで処理を申し出て、合法的に間接キスをと思ってな)

(ついでに食べきれなかったイチカさんをいじって楽しむのですわ)

「イチカっっ‼‼ コイツら大食いチャレンジに失敗したアンタのパフェを食べて間接キスとかして楽しもうとしてるわよっっ‼‼」

 

 うっかり目的をポロリしてしまった変態たちの思惑を、鈴音は速攻でイチカにリークする。情報戦はいつの世も戦争の要なのだった。

 

「中国次期代表っ⁉ 貴女何をっ⁉」

「ち、違うぞイチカ! それは真っ赤な嘘だ! アイコンタクトでぽろっと答えちゃったとかそういうことじゃないぞ‼」

「…………俺、この抹茶ケーキにする……」

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 意気消沈した様子で抹茶ケーキを指差すイチカに、絶望の叫び声を上げる変態二人。ちなみに、ちゃっかり鈴音もメニューは選んでいるのであった。

 

「ほら、アンタらもさっさと選びなさいよ」

「こうなればイチカさんと食べっこして間接キスを狙っていくしかありませんわ! イチカさん、他に食べたいものはないんですの⁉」

「俺、お前のそういうあけっぴろげなところは凄いと思うよ……」

 

 当然ながら、そんな劣情丸出しの行動が成功するはずもなかった。

 

「フン……甘いなセシリア。此処は同じものを頼んでイチカの味覚に思いを馳せるくらいでなくては」

「……実害はないのにさらに業が深くなっている気がするのはなんでだろう……」

「目を覚ましなさいイチカ! アンタの前で言ってる時点で『気持ち悪い』っていう実害が出てるわよ!」

 

 ノータッチならセクハラにならないのであれば、この世はもう少し変態にとって生きやすい世の中になっている。

 そうでない理由は、明らかだ。

 

「大体、イチカさんにセクハラをするのはわたくしたちの心の充足なのですわ! 中国次期代表が来てからというもの、それも満足にできず……このままではわたくしたちの心は不毛の大地になってしまいますわ!」

「そうだそうだ! 変態にも人権はあるぞ! 凰は変態の人権を尊重しろー!」

「アンタらねぇ……」

 

 人権団体みたいなことを言いだした変態二匹に、鈴音はいよいよ呆れ返る。そもそも鈴音が来てからもセクハラしまくっていたじゃないかとか、それどころか鈴音をダシにしてめちゃくちゃ楽しんでいたじゃないかとか、そういうことは言ってはいけないお約束である。

 イチカは、不当な人権を主張しだしたお馬鹿二人の人中(鼻と口の間のくぼんでいる部分)に中国四〇〇〇年の歴史が詰まった突きを食らわせている鈴音をぼんやりと眺めながら、

 

「……お前ら、そんなに仲良いのに呼び方は他人行儀だよなぁ」

 

 と呟いた。

 二人して顔面を抑えつつ呼吸困難に陥っていた変態二人と、そこにさらなる追撃を繰り出そうとしていた鈴音が、ポカンとしてイチカの方を振り返る。

 

「仲がいい? どこらへんが?」

「じょっ、冗談も休み休み言ってくださいまし! 誰がこんな貧乳とあおおおおおおおっ⁉ そこはダメ! 女としてダメですわ!」

「そうだぞ! 我々は断固として変態の人権を蔑ろにする貧乳と戦い続けあいだだだだだだ‼ ギブ! ギブ!」

「ストップ! ストップ! 悪かった! 手を止めて!」

 

 片方もがれそうになっている変態ともごうとしている貧乳に、イチカは慌てて制止せざるを得ない。

 

「ったく……で、呼び方が何だって?」

「ひい、ひい……」

「そろそろおっぱいがとぐろを巻き始めるぞ……」

(こうやってすぐに流していけるあたり、やっぱり仲良いと思うんだけどなあ……)

 

 話をこれ以上こじれさせても悪いので、イチカはもう言わないことにした。

 

「ああ、せっかくこうやって出かけてるわけじゃん。それなのにやれ『中国次期代表』だの『イギリス次期代表』だのって呼び合うのはちょっと他人行儀かなって思うんだよ。俺はみんな名前で呼んでるし、みんな名前で呼んでくれてるし」

「それは当然ですわ。イチカさんと一緒でなければ誰がこんなちんちくりんと……」

「誰がちんちくりんよ変態!」

「ええ! 変態ですわ! それが何か⁉」

「いやセシリア、それ、威張って言うことじゃないからな……」

 

 いがみ合う二人をよそに、腕を組んでイチカの話を聞いていた箒は素直に頷く。

 

「確かに。私もイチカのことは名前で呼んでいるが、凰のことは名字で呼んでいるな。そして、凰に至っては多分私のことを変態とか馬鹿とか以外で呼んだことすらない」

「えっ、そ、そんなことないわよ!」

「じゃあ普段何て呼んでいるか言えるか?」

「そ、それは……し、篠ノ之さん……?」

「他人行儀だ!」

 

 急にしどろもどろになる鈴音なのであった。そのあまりのらしくなさに、イチカは思わずツッコんでしまう。

 が、鈴音は開き直ったようにダン! とテーブルに両手を置いて、宣言した。

 

「わ、分かったわよ! 呼べばいいんでしょ呼べば!」

「わたくしは絶対に呼びませんよ! 乳をもがれても貧乳には屈しまあいだだだだだだだ⁉ この、いい加減ツッコミがワンパターンですわよ‼」

「アンタのワンパターンなボケにはこの程度で十分ってことよ‼」

(早くもツッコミとボケの応酬にクオリティを求めはじめてる……。二人ともコメディアンの鑑だな……)

 

 ともかく、この様子では、意地っ張りの鈴音が変態二人のことを名前で呼ぶことなど夢のまた夢だろう。箒は全く関係ないのだが、なまじ鈴音が箒とセシリアを同様に扱っているせいで、『セシリアを名前で呼ばないのに箒を名前で呼ぶのはなんかちょっとアレ』という意識が働いているのだ。変なところで義理堅い。

 ますます犬猿の仲を演じる二人を見て、イチカは溜息を吐いた。

 

「はぁ……結局ダメか……」

「私はこの件に関して一切落ち度はないんだがな」

「いや、変態とか馬鹿とかしか呼ばれないあたりはお前に問題があると思うぞ?」

 

***

 

「お待たせしました。抹茶ケーキ、ミルフィーユ、フルーツタルト、ベリーアイスです」

 

 そう言って、店員さんが俺達の目の前にケーキを並べて行く。

 ちなみに飲み物は既に並んでいて、イチカは緑茶、他は全員紅茶だ。緑茶美味いのに、とイチカは不満げにしているが、こういった店に来て緑茶を頼む人はあまりいないだろう。というか、緑茶が置いてあること自体稀有だ。

 

「ん~~っ」

 

 フォークで器用に切り分けた抹茶ケーキを一口加えたイチカの表情が、一気に綻ぶ。

 それを見ている変態淑女二人の表情も、それ以上に緩む。

 

「どうです? おいしいですか、イチカさん」

「ん、まあ、悪くはない……かな」

 

 イチカは照れくさそうに視線を逸らしたが、否定はしなかった。つまり、そういうことだろう。必死にごまかしているが、はた目から見たら完堕ちと言って差し支えない状態だった。

 問いかけたセシリアが先程からペーパーナプキンを大量に使用しているのは、口元を拭う為ではないはずだ。

 何故なら、使用済みのペーパーナプキンが原因不明の赤みを帯びているから。

 口に着いたフルーツタルトの破片を拭ったりするだけでああはなるまい。というか、あそこまで使うまい。

 

「これ、どうやって作ってるのかな……」

「……もしかしてイチカ、ケーキも作れるの?」

「ん? ああ、千冬姉の誕生日の時とか、ホワイトデーの時とか、自分で焼いたりしてたしな」

「ぶばっっ‼‼」

「落ち着けセシリア、まだその時点では男だ‼」

 

 誕生日にエプロン姿でケーキを焼いているイチカの姿を幻視してしまい、血を噴いて倒れ込むセシリアを、ソウルメイト箒が助け起こす。いちいち台詞が一夏に対して失礼なのは仕様であった。

 

「わ、わたくしも……誕生日にお菓子を作ってほしいですわ……ケーキでなくても良いので……」

「別に良いけど……誕生日いつ?」

「ちなみに私の誕生日が七月七日なのは当然覚えているよなイチカっ‼ 私へのお菓子も忘れずにお願いするぞイチカっ‼ むしろ一緒に作ろう‼‼」

「お、おう……分かった」

「ちょっと箒さん割り込まないでくださる⁉ 大体プレゼントとしてもらうのに一緒に作ったら意味がないじゃないですか‼ 欲望が透けて見えますわよ‼」

「お前に言われたくはないっ‼」

 

 そんなこんなで、変態二人は取っ組み合いの喧嘩を始める。

 イチカ的にはそんなことで争わなくてもいいのに……という感じだった。ちなみに、普通にイチカが男状態のまま作って男状態のまま手渡されれば何の意味もないというリスクについては、二人の馬鹿は思い至っていないらしい。

 そして、そんな風に変態たちが自滅への道を歩んでいる、その最中。

 鈴音は何をしていたかというと……、

 

「け、ケーキ……女子力…………こんなのに…………負けた……?」

 

 イチカのあまりの良妻力に、ほぼ真っ白に煤けていた。

 

「……そういえば、もうすぐ学年別トーナメントだったな」

 

 そこで喧嘩から復帰したのか、ただ一人アイス系を選んだ箒がアイスを一掬いしながら言う。

 

「ああ、そういえばそうだったな……束さんが襲撃したのによくやるよ」

「それを言ったら、あの後普通にリーグマッチ続行したんだからね……ホントどういう神経してんだか……」

 

 呆れながら言うイチカに、さらに被せるように鈴音が呟く。

 鈴音の言う通り、()()()()()()()()とは違ってリーグマッチは最後まで続行された。おそらく、下手人があっさり束だと判明したこと、それからその束が千冬じきじきに粛清されたことなどが関係しているのだろうが、それにしてもIS学園の安全保障とかそういうのを疑いたくなる一幕であった。

 ちなみに、結果は鈴音の優勝である。四組にいるという日本次期代表が現在絶賛いじけ中で不戦敗となった為、三組の『一般的な代表候補生レベル』と決勝戦をするハメになったからである。勝負の模様は、もはや言うまでもないだろう。イチカの方がまだ善戦した、というあたりに、鈴音の容赦のなさとイチカの成長ぶりが見て取れる。

 

「だが、今回はその償いをする為に、姉さんが企画運営に携わるらしいぞ。昨日連絡が来た」

「箒さん、実はさらっと国家機密を遥かに超えるレベルの情報を得ていたりするのではなくて?」

「た、束さんが企画運営に携わるのか……」

 

 前回、酷い目に遭ったため、束が関わるというのはイチカにとっては恐ろしい話なのだが……もはや決定されているというのであれば、イチカに覆すことなどできるはずもない。

 そんなイチカに、鈴音がミルフィーユをフォークで切り分けながら言う。

 

「まあ、今回は大丈夫じゃないかしら。それよりも、腑に落ちないわね……あの変態兎が来るなら、ペアにする意味ないじゃない」

「ああ…………そういえばそんな話があったなぁ」

 

 イチカはぼんやりと頷いた。

 前回のゴーレム乱入事件を受けて、今回の学年別トーナメントは乱入者が出たとしても有利に立ち回れるよう、二対二のタッグマッチにすることが決定されていた。しかし、束が大会運営に関わると言うのであれば、そもそも乱入者など出ようはずがない。それなのにタッグにするというのは、何の意味があるというのだろうか。

 

「……束さんのことだし、何かろくでもないことになりそうな気がする」

「同感ね。あたしもそう思うわ」

 

 常識人二人は互いに警戒を高めてみるが、変態淑女の方はと言うとのんびりしたもので、

 

「それより、誰とペアを組みますか? わたくしはイチカさん一択ですが」

「無論、私もイチカ一筋だ。ペアなんてタッグ練習し放題ではないか。このチャンスを逃す手はない」

 

 そんな話題になっていた。

 勿論ながら、イチカの方もセクハラされると分かっていてわざわざ飛び込みに行くほど馬鹿ではない。

 

「いや、俺は鈴と……」

「何を言っているんですのイチカさんっ‼ 中国次期代表は二組、イチカさんは一組ですわっ‼」

「そうだぞ‼ 大体、クラス代表がコンビを組むなど戦力格差があまりにも拡大しすぎている‼ そんなの不公平だ‼」

 

 専用機持ちタッグトーナメントにて一組に所属しているイギリスの代表候補生でありながら二組に所属している中国の代表候補生とコンビを組んでみたり、実の姉から超強力な第四世代機を渡された上で二年の学園最強とコンビを組んでみたりした()()()()()()()()の少女達に特大ブーメランが突き刺さったが、変態たちは全く気にしない。

 が、一応正論と言えば正論である為、常識人代表イチカと鈴音は反論に窮してしまう。別にルールで禁止されているわけでもないので、実際にはイチャモンも良い所なのだが……。

 

「じゃ、じゃあのほほんさんと……」

「此処に! いるでは! ありませんの‼ わたくしという最高のコンビが‼」

「いや待て! そこの変態は甘いことを囁いておいてお前の貞操を狙っているぞ! 此処は私が‼」

「ちょっと箒さん黙っていてくださいまし‼」

「お前こそ黙っていろセシリア! 姉さん呼ぶぞ‼‼」

「そっちがそう出るならわたくしは国家権力を使いますわよ‼‼」

 

 仲間割れを始めた上、ついには姉や国の七光りすら行使し始めた変態たちの醜い争いを目にし、イチカは『どうしよう』と思う。

 確かに、鈴音とコンビを組むことはルール違反ではない。それに、鈴音とならコンビを組んで練習するのも楽しいだろう。今回の見返りである修行に付き合ってもらうという良い口実にもなる。だが……変態たち二人の糾弾は欲望こそ透けて見えるが、論理は正しい。

 イチカは既に代表候補生並の力量を持っている。それに加えて次期代表レベルの力を持つ鈴音とコンビを組むというのは流石に『大人げない』し、他クラスとコンビを組むというのも、クラス単位で競い合うという風潮が強いIS学園では、あまり歓迎されない姿勢だろう。

 ……実際にはそんなこと誰も気にしないのだが、根が真面目なイチカはついついそういうところまで気を巡らせてしまうのだった。

 

「どうしようかなぁ……」

「変態たちの言ってることなんて無視すれば良いでしょ。誰もそんなこと気にしないわよ」

「そうか? でも、セシリアたちの言っていることも別に的外れってわけでは……」

「そうですわよ中国代表‼ っていうか貴女だってイチカさんとコンビを組みたいだけでしょう‼ 欲望が透けて見えますわよ変態予備軍‼」

「へ、変態予備軍っ⁉」

「そうだそうだ‼ 何だかんだ言ってイチカとコンビを組めるいいチャンスだからそうしているだけなんだろう! 自分がコンビになれなさそうだったらそれはもう暴れ回るくせに‼」

「こ、この変態ども……言わせておけば……‼‼」

 

 喧嘩がヒートアップした変態二人の煽りに巻き込まれ、鈴音の拳がまた暴虐を振るう。

 その様子を見て、イチカはふと気が付いた。

 ……この三人だけでこの有様なのだとしたら、今頃IS学園では、これ以上の騒乱が巻き起こっているのでは?

 そして、篠ノ之束は、この展開を狙って『タッグ』という形式を推し進めたのでは?

 

 最終的に、全ての変態がイチカを狙う状況を作り上げる為に。

 

「………………抹茶ケーキ、おいしいなあ」

 

 何故か、顔が綻んだ拍子に涙が零れ落ちた。



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第一四話「怪しくなってきた雲行き」

 敗残者の呻き声が聞こえる。

 そこは、数日前とは全く違った様相を呈していた。

 立ち上る火煙、這いつくばる変態、そしてときおり響き渡る爆音と怒声。何だかんだで平和だったIS学園は、今や完璧に戦場と化してしまっていた。

 誰もが苦しんでいるはずなのに、止めることができない。イチカのパートナーという栄誉を前にして、立ち止まることなど彼女達変態にできるはずがなかったのだ。たとえそれが、篠ノ之束によって仕組まれた構図だと分かっていても。まるで誘蛾灯に引き寄せられる羽虫のように、本能的に吸い寄せられてしまう。

 あと、そうしているだけでイチカが微妙な顔をしてくれるのが若干楽しくなりつつある変態なのだった。……のだが。

 

「はぁ……」

 

 昼。

 一夏は食堂で、疲労困憊の様相を呈しつつ溜息を吐く。

 

 あれから、一夏は細心の注意を払って生活するようになった。

 何せ、女の姿でいるとどこからともなく変態が湧き、自分をパートナーにと迫っては他の変態と戦争を始めるのだ。鈴音がいるときは両方ともブン殴って退散させてもらっているが、いない時など――まだそういった事態はないが――恐怖しかない。

 しかしながら、IS操縦の授業の際には変身せざるを得ないのである。結果的に……一夏は一瞬のうちにISの量子化処理を完了させる高速切替(ラピッドスイッチ)という高等技能を習得していた。

 尤も、白式に許された量子化済み兵器――後付武装(イコライザ)は何の変哲もない衣服だけなので、ISの展開速度が向上した以外に実戦では役に立たないのだが……。

 

 周りには普通に女生徒がわらわらいるが、彼女達は一夏にアプローチをかけたりはしない。彼女達にとって性欲の対象はイチカであり、一夏はあくまであまり関わりのない異性、という位置づけなのだ。女所帯の中で生活してきた彼女達は珍しがったり恐れたりすることはあっても、積極的に話しかけたりはしないしできない。イチカのときにだけ群がるのは、女の子の姿だから接しやすいというのと、あわよくばセクハラという意識が働いているのかもしれない。

 ただ、一夏としてはこの露骨な態度の変化が心をささくれ立たせる。

 

「目の前で溜息を吐かないでくださるかしら。こっちまで気が滅入りますわ」

「今はお前のその辛辣ぶりも救いに感じるよ……」

「…………、……これは重症ですわね……」

 

 一夏の対面で食事していたセシリアの歯に衣着せない物言いも、今の一夏にとっては心地よいものだった。

 

「だが、実際の所これは困りものだぞ。何せ、イチカの姿だと他の生徒が四六時中やってくるものだから、すぐに変身を解いてしまう。今までは何だかんだで警戒心が緩かったから、授業後数分くらいはイチカの姿のままおしゃべりできていたのに、だ」

 

 呆れるセシリアの横で深刻な表情をしているのは、箒だ。一〇〇%私情だが、それを本人の目の前で言えるというのはある意味清々しさすらあった。

 

「まあ、良いんじゃない?」

 

 そんな箒とは裏腹に、一夏の隣に座る鈴音はあっけらかんとした調子で言う。

 

「一夏はしばらく大変かもしれないけどさ……この機会に、アイツらも『一夏』と仲良くなれば良いと思うのよね。そうすれば変態行動も少しはおさまりがつくんじゃないの?」

 

 それはそれで一夏に惚れる女子が増えるリスクもあるわけだが、女の状態のイチカにあれだけお熱になるのであれば、そう簡単に男に靡くということもあるまい――と鈴音は考えていたのだが。

 

「いや……それはどうだろうな」

 

 それに対し懐疑的な立場をとったのは、箒だ。

 

「? どういうこと?」

「いや……思い過ごしかもしれないし、今は良い」

「何よ気になるわね……」

 

 そう言って箒は黙り込んでしまう。

 実は、箒には少しだけ、気になることがあった。箒自身も冗談交じりに言っていて、おそらくセシリアも冗談ではあるが何度もイチカに言っていたことだが――最近、『イチカは最初から女の子であった』とする言説が、変態の中で生じているのだ。

 勿論、そんなことはない。イチカはあくまで『ISを機動させた状態での姿』であり、本来の姿は一夏。一夏の性別は本来的には男で間違いないのだ。

 だが、一夏にはそんな認識を覆してしまうほどの素養が備わっている。性格は(程度はともかく)純朴かつ純粋、料理洗濯など家事は万能で、おまけに面倒見も良い。およそ『女性的な魅力』と呼べそうなものは大体備えているのである。

 そんな魅力を兼ね備えたイチカに目が眩んだ者が、イチカとしての姿を追い求めるあまり一夏の存在を否定し、イチカこそが本質なのだと思いたくなる心理は、分からなくもない。

 現にセシリアも、一夏に対してかなり辛辣な態度をとっている。鈴音でさえも、一夏に対してよりもイチカの方が対応が柔らかい。その為に一夏が『イチカの方が何かと得』と悟ってしまうような事態にまでなっている。

 だが、この中でもおそらく最も稀有な変態性を持っている箒は、そうは思わない。

 確かに、イチカの存在は魅力的で、それ単体だけでも魅力的であることは間違いない。だが、その魅力を支えている最大の要素は、『TS少女である』という点だ。いかにイチカが可愛らしいとはいえ、彼女が本来的に女性だったとしたら、ここまで惹かれていただろうか? 答えは『否』である。

 TS萌えを司る者にとって、TS娘が男に戻るパートは確かに苦痛だろう。退屈だろう。だが、それが良いのだ。その雌伏の時が、『男の時はこんな態度だった』という積み重ねが、女体化した時の至福に繋がるのだから‼‼

 であれば、いくらイチカが魅力的であっても、翻って一夏がいくら鈍感唐変木女の敵野郎であっても、男の状態を否定して良い理由にはならない。むしろ、男の状態でさえも『男の状態でも可愛く思えてきた』と言えるくらいでなければ、真のTS紳士淑女とは言えない、とまで言っていいはずだ。

 だが、今はその事実に気付いている者は少ない。鈴音は言うまでもなく、セシリアも一夏の存在を本心から否定しているわけではないし、他の生徒も一夏を疎んじる風潮はごく一部に少しだけ現れた程度だが、このまま無理に男のまま突き進もうとすれば――――反動で『排斥』が起こってしまう可能性さえ、考えられる。

 

(流石に、一夏の時にまで安住の地が奪われるような事態は、避けてやりたいしな……)

 

 忘れられがちだが、イチカが絡まなければ箒は幼馴染思いの優しい少女である。

 

「ともかく、俺はこんな息苦しい状況さっさと打開したいんだよ……。トーナメントのタッグ登録日っていつだっけ?」

「織斑、貴方そんなことも忘れてしまいましたの?」

「ちょ、ちょっとど忘れしただけだって」

「はぁ……。……今週が六月の第一週ですから……来週の金曜日ですわね。しょうのない男ですわ」

「ってことは……にしゅうかん……」

 

 あまりの長さに、一夏が絶望的な声を上げる。これから殆ど二週間ずっと、誰かに襲われないように隠れて変身しなければならないのだから、その窮屈さは察するに余りある。五月中殆どを女として過ごして来たこともある一夏だが、それとはまた勝手の違ったプレッシャーだった。

 

「あたしが同じクラスだったら、一夏の隣にずっとい続けることで変態たちを牽制できたんだけどね……」

「わたくし達だってできますわよ!(イチカさん相手なら)」

「それはもう、二四時間ずっと、お風呂の中まで警護するぞ!(イチカ相手なら)」

「そこが信頼できないっつってんのよ‼」

 

 いつも通りの風景に移行していった三人を遠巻きに眺めつつ、一夏は窓の外を眺める。

 ほんの数日前に外出したばかりだったが、もう既に外の世界が恋しくなりつつあった。

 

***

 

「一時帰宅?」

 

 その夜。

 千冬の私室に呼び出された一夏は、そんなことを命じられたのだった。

 

「なんでまた……あ、生徒達が流石に危険だから俺を遠ざけるようにって指示が出たとか?」

「いや、そこは問題ない。というか、一時帰宅は日帰りだ」

 

『日帰りか……』としょんぼりした一夏は、意気消沈しつつもゴミの詰まったビニール袋の口を結ぶ。

 無論、一夏が出したゴミではない。千冬が散らかしたゴミを、一夏が片づけているのである。

 

「もう六月だ。そろそろ私物が足りなくなってくる頃合いだろう。だから、一旦家に帰って荷物を取りに戻って良いと許可が下りた」

「許可下りるの遅くない? 入学してから二か月だぜ……」

「仕方ないだろう。ゴミ掃除が忙しかったんだ。この間のリーグマッチでやっと見つけたくらいだからな」

「……ゴミ、けっこう散らかってたけど?」

「『外のゴミ』を片付けるのに忙しかったと、言っているんだ」

 

 一夏はそれ以上何も聞くまいと思った。というか、聞いてはいけない領域であった。

 分別したゴミを邪魔にならないように部屋の隅に置き、散らかった雑誌類を纏めつつ、一夏は言う。

 

「千冬姉、仕事を頑張るのも良いけどもう少し自分のこともしっかりしてくれよな。こうやって俺が掃除しないと、いつまで経っても掃除しないんだからさ」

「心配いらん。私には一夏がいる」

「それが駄目なんだって……」

 

 呆れる一夏だが、そこには普段のような緊張はなかった。

 此処は千冬の私室だから、二人は『先生と生徒』ではなく『姉と弟』としていられるのだった。別にそこまでしなくとも良いというのに、この千冬という女性は頑ななまでに公私を別ける。自身をファンとして慕う一般生徒は勿論のこと、鈴に箒に束、たった一人の肉親である一夏でさえ学園内では名字で呼び、『先生として』接しているのだから。その鋼の自制心を、イチカ相手にも働かせてほしい――と一夏は思わなくもないのだが。

 

「しかしこうしていると、昔を思い出すな。私が帰って来たら、一夏が家事をしてくれて……これで一夏が女だったら、新婚夫婦のようだと何度思ったことか」

「そんなこと思ってたのかよ千冬姉⁉ っつか千冬姉の方だって女だろ⁉」

「いや。ISの力を使えば竿の一本や二本くらい、」

「やめー‼ やめやめやめ‼‼ 千冬姉は全体的にストレートすぎ‼ もう少し恥じらいを持って恥じらいを‼‼」

 

 速攻で限界を越えようとして来る千冬に、一夏は慌てて止める。千冬なら得体のしれない能力で部分的な男体化くらい成し遂げかねないので、全然冗談では済まないのだった。

 …………二本、と真顔で言いかけたことに気付いていないのが、せめてもの幸いか。

 

「っていうか、IS学園に入学してからこっち、みんなそれだよ……。鈴も女の俺の方が気兼ねなく接せられるらしいしさ……」

「女というのはそういうものだ。考えるだけ無駄だぞ、一夏」

「でもやっぱり気になるだろ! 箒はまあ……男の時でも優しいけど、セシリアなんて男の俺には凄い風当たり厳しいんだよ……」

 

 それは、実の姉だからこそ言える本音だっただろう。

 一夏だってやはり年頃の少年で、――非常に鈍感だが――人並みに友人関係に悩みを持ったりする。特に一夏は男と女の二つの顔を持つという特殊な事情があるのだから、その悩みも複雑怪奇になる。

 男の時にはあまり顧みられないのに、女になった途端猫かわいがりされる――というのは、男の時の自分を『基本』と考える一夏にとっては、本来の自分を見ずに上っ面だけを見て接せられているような不安感をおぼえてしまうのだ。

 そんな弟に、千冬は生徒の誰も見たことがないような笑みを浮かべ、

 

「それは当然だろう」

 

 ばっさりと切り捨てた。

 

「…………泣けて来たよ……」

「一夏……お前は複雑に考え過ぎだ。()()()()は男か女かで相手の評価を変えたりするほど、薄っぺらい人間性の持ち主ではない」

「いや、思いっきり変わってるけど……」

「そういうことではない。いくらイチカの時の姿がどストライクとはいえ、そもそも人間的に好ましくない相手にあそこまで反応するか? と言っているのだ」

 

 そう諭されるが、一夏はいまいちピンと来ない。

 考えてもみよう。

 もし一夏がゲスい性格だったとしたら……確かに、今のような猫かわいがりではなく、ここぞとばかりにいじめ倒されていた……かもしれないという想像が脳裏をよぎったが…………。

 

「いや、それ今と何も変わってないから」

「だが、そこにある感情は間違いなく親愛ではないだろう」

 

 そう言われて、一夏は返答に窮した。確かに、いじめ倒すタイプのセクハラに親愛の情はない。今は、間違いなくイチカに対して親愛の情を抱いていると断言できるセシリアだが……そうなると、セシリアがイチカのことを猫かわいがりするのは、男の時の一夏あってのもの、ということになるのだろうか?

 

「それに、仮にお前の性格がセシリアと相容れないものだったら、今のように男の時のお前と一緒にいたりはしないだろう」

「……確かに、何だかんだ言って、セシリアは男の時の俺とも一緒にいるな……」

 

 思い返してみれば、セシリアは確かに一夏に対しては辛辣な物言いだが、対応だけを見れば、無碍に扱ったりはせずにしっかりと接してくれていたように思える。あれが『セシリアなりの男に対するスキンシップの取り方』なのだとしたら……辛辣な物言いを無視すれば、普通に親切な友達ではないだろうか?

 

「うん……そうだな。ありがとう千冬姉。俺、セシリアのこと誤解してたよ」

「分かれば良い。……それと、今のことは他の連中にも言えるからな。忘れるなよ」

「? 分かったけど」

 

 頷く一夏だったが、その顔には『何を言っているのかちょっと意味が分かりません』と書いてあった。多分、『他のクラスメイトも一夏に対して完璧に無関心というわけではないと諭しているのかな?』なんて的外れなことを考えているのだろう。やはり朴念仁は朴念仁である。

 

「……ところで、お願いがあるんだけどさ……」

 

 意味の分からない言葉について考えていても仕方がないと思ったのか、一夏はおずおずと話を切り出す。一夏に真剣に思いを寄せている某中華系少女はとことん報われなかった。

 

「なんだ?」

「いやさ……」

 

 こんなこと、普段の千冬――『織斑先生』に言っても『自分でどうにかしろ』で一蹴されてしまうだろう。しかし、今なら……先生ではない、ただの織斑千冬ならば。

 

「頼む! 学園の変態たちをどうにかしてくれ‼」

 

 ――変態たちをどうにかしてくれるのではないだろうか。

 そんな淡い期待を胸に、一夏は顔の前で両手を合わせ、千冬を拝む。連絡を受けるだけだったのに部屋を片付け、あまつさえ明日の夜食まで作り置きするという良妻力満点な行為をしていたのは、このためのご機嫌取りという側面もあった。

 数瞬。

 沈黙が続き、一夏が薄目を開けて千冬の様子を伺う。千冬はそんな一夏ににっこりと笑みを浮かべ、

 

「駄目だ」

 

 やっぱりばっさりと切り捨てた。

 

「なんでだよっ⁉⁉ 弟の願いだぞ、このくらい聞いてくれても良いじゃないか‼」

「この部屋を出れば私とお前は生徒と教師になる。そこに私情を巻き込むわけにはいかない」

 

 などと言っているが、実際の所『放っておいた方がイチカいじりがしやすくなる』というところもあるのだろう。何だかんだ言って一夏がそこまで追い詰められていない(このくらいの女難は慣れている)のを姉ゆえに理解しているというのも大きい。

 しばし無言で睨んでみるが、野郎の上目遣いなど千冬にとっては憎しみの対象でしかない。ふっ、と冷笑し、目を逸らしたその瞬間。

 

「……これでもダメ?」

 

 千冬の目の前には、可愛らしく小首を傾げ、上目づかいで見つめる天使がいた。

 高等技術――高速切替(ラピッドスイッチ)。千冬が野郎の上目遣いという失笑モノの行動に思わず目を逸らしてしまったその瞬間に、ISを高速で展開して、驚異の演出を可能としたのだ。

 ……イチカは、『自分の魅力』を武器にすることを覚えていた。

 代わりに、何か大切なものを一つ失ったような気がしないでもないが。

 

 がくっ‼ と、あらゆる兵器を時代遅れにした超兵器すら生身で屠ることができる『世界最強』が、いとも簡単に片膝を突く。

 ぐい、と口端(から溢れた欲望の雫)を拭った千冬は、震える声で続ける。

 

「……分かった。だが、少しだけ条件がある」

 

***

 

「…………」

「何だイチカ、もう後悔しているのか?」

 

 翌日。

 イチカは千冬と連れ立って一時帰宅に赴いていた。

 既に女の姿になっている彼女は、白いワンピースに茶色い革のブーツという清楚な出で立ちをしていた。鈴音からは『似合わない』と一蹴された『きれい系』の極みのような格好だったが、黒檀のような輝きの黒髪の中に映える白いカチューシャの為か、令嬢のような雰囲気を醸し出しているイチカには不思議と似合っていた。

 

「確かに、良いって言ったけどさ……」

 

 千冬がイチカに提示した条件。

 それは、明日――つまり今日の一時帰宅に自らを同行させること、そして、一時帰宅の間『イチカ』でいること。

 つまり、イチカの状態で自分とデートすること…………だった。

 そのくらいなら、イチカも散々友人達とやってきた。いまさら特段に拒むようなことではない(不承不承なのは間違いないが)。だから了承したものの……一つだけ、計算外があった。

 

「この服は、恥ずかしすぎるだろ!」

 

 この服装。

 ワンピースの丈は太腿の半ばまで。一応ワンピースの中には黒い短パンを穿いてはいるが、あくまでワンピースの中に隠れる程度。つまり、外見的にはミニのワンピースを身に着けているのとそう変わらない。太腿を撫でる感覚も、露出している意識も、この間三人と遊びに行ったときに着ていたものとは段違いだった。

 

「慣れれば恥ずかしくない。我々女性はいつもそういう格好をしているのだからな」

「そういう千冬姉はいつもズボンじゃないか!」

「私は良いんだよ、私は」

 

 そう言って、千冬はイチカの頭を乱暴に撫でる。くしゃりと髪を揉まれると、イチカは何とも言えない気分になってしまう。昔、子供だったころはよくやられた仕草だった。

 子ども扱いされている不満と『庇護者』でいられる安心感がないまぜになって微妙な心情になったイチカに、千冬は笑いかけて、

 

「私はな、妹が欲しかったんだ」

 

 そんなことを言いだした。

 しかしそこに邪な意思はなく、どちらかというと子供の頃の憧憬を語っているようだった。

 そんな千冬の横顔をまじまじと見つめるイチカに気付いたのか、千冬はニヤリとイチカの方に悪戯っぽい笑みを向け、

 

「弟も可愛くて悪くはなかったがな」

「可愛いって何だよ、可愛いって」

「可愛いという言葉は、おそろしく多義的なんだよ」

 

 茶々を入れるイチカの言葉を軽く流して、千冬は続ける。

 

「だが、『同じ女』という連帯感は共有できなかった。束と箒を見ていると、そういった部分も少なからずあるように思えてな。所詮は『隣の芝生』なんだろうと思いつつ、それでも羨ましかったのは覚えている」

 

 ただ、それをこのタイミングで言ったということは、そこまで純度の高いコンプレックスという訳ではなかったのだろう。それに、イチカは自分の性を否定されたというよりは、姉にもそういった『子供らしい望み』があったのか、と親近感がわく思いの方が強かった。

 この姉は、少しばかり完璧超人すぎるきらいがある。

 

「だから、今イチカが女の子として――妹として私の隣に在ってくれるというのは、けっこう満たされることなんだよ」

「体は女でも、一応弟として此処にいるつもりなんだけどな……」

 

 イチカは呆れて言ったが、良い話モードに入っている千冬を止めることはできなかった。

 

「そういえばさ、今度のトーナメントなんだけど」

 

 仕方ないので、イチカは目下最大の関心事に触れる。

 千冬の表情が、無表情なのににた~りと笑う気味の悪い感じから、正真正銘の無表情に変わった。こういう切り替えが早いので、イチカは完璧に千冬を『変態枠』に入れることができないのだ。

 

「束さん……大丈夫か? 何か企んでたりしない?」

「ああ、そういうことか。安心しろ。企みまくっている」

「安心できる要素が一つもねえ‼」

 

 当然と言えば当然の展開に、イチカも当然吠える。千冬はイチカを宥めつつ、

 

「だから安心しろと言っている。どうせアイツが何かを企まないことなどありえないのだから、企んでいることを気付けない方が問題だろう。私がそれを認知しているということはつまり、ヤツの企みは全て完封しているという意味だ」

 

 しかし千冬がすべての企みを完封できているとは限らないのだから、やっぱり安心できる要素はないのでは? と疑問に思うイチカであったが、千冬にどうにもできないことなら全世界のどの人間がどんな方法を使ったところで対処できないという意味なので、ツッコミを入れるのはやめておく。

 代わりに、

 

「……一応、どんな企みがあったのか聞いておきたいんだけど」

「聞いたところで、お前の精神力が削れるだけだと思うが……」

「それでも聞いておく! 千冬姉の対処が完璧かどうかも分からないんだ! 自分の身に降りかかって来た時の為に、今のうちから傾向を把握して覚悟を決めておきたいんだ!」

 

 そう言い切るイチカは既に若干捨て鉢だったが、千冬も人の子だ。情けはある。そういうことなら仕方がないので説明してやることにした。

 

「基本的に、白式のシステムにハッキングをしかけて試合途中でコスチュームを変形させるタイプの企みだったな」

「おおう……」

 

 覚悟を決める為の行動だったのだが、却って未来に絶望するだけだったイチカである。未来に起こり得ることを事前に知れたらたとえ未来を変えられずとも幸福、なんていうのは狂人の理論である。

 

「ISのハッキングにも色々と手段があってだな。直接コアネットワーク経由で制御を乗っ取る方法については前回束がやった。あの後、私がじきじきに奴を〆て監視のもとにバックドアを潰させたからこちらは問題ない」

「じゃあ、後はどうするっていうんだ……?」

 

 コアネットワーク以外にISに干渉できそうな窓口など、あんまりないような気がする。そもそもISというのは誕生と共に世界の在り方を変えてしまったほどのバケモノだ。開発者にしか使えない裏技的な抜け穴以外で簡単に無力化できます、なんてことができれば世話はない。

 

「あのなあ、ISをあまり過大評価しすぎるな」

 

 千冬は呆れたように笑い、

 

「あんなのは、定規みたいなものだ。その気になれば誰でもできることを補助しているに過ぎない」

 

 そう言って、千冬は指で拳銃の形を作って、空に向けて振る。

 すると、直径一メートルはあるであろう光の束が天空めがけ放たれた。

 ぽっかりと、大空に浮かぶ雲に穴が開いた。

 

 一撃で数キロ先にある戦艦を串刺しにする、ISエネルギーを利用したビーム光線だった。

 

「…………まあ、それはともかくとして」

 

 今、イチカは何も見なかった。

 

「こんな風に、ISによる現象はその気になれば生身で再現できる。武装変更くらい、束なら余裕だ」

「話題切り替えてるんだから蒸し返すなよ‼ あんなの千冬姉くらいにしか出来る訳ないって‼」

 

 如何に束の科学力が常軌を逸していても、それはあくまで科学力がヤバいのであって千冬のように物理法則に喧嘩を売る類のものではない。一緒にされては流石に束も戸惑ってしまうことだろう。

 

「今の所確認できた奴の小細工としては、イチカの脳にバニーガール電波を放ち、意識をバニーガール一色にすることでISの自己進化機能の方向性をバニーガールに固定し、二次移行(セカンドシフト)時の形態をバニーガールに大幅に近づけるというものや……」

「待て‼ ちょっと待って‼ まずおかしいところがあるんだけど! バニーガール電波って何⁉」

 

 せっかく本編中で初めて二次移行(セカンドシフト)の説明が来たというのに、イチカはそれよりも酷い話を聞いてしまう。

 ちなみに、二次移行(セカンドシフト)とは読んで字の如くISが第二形態に移行することだ。ISは絶えず操縦者の心理状態や操縦技能のデータを記録することで自己学習を繰り返し、そのデータが一定以上溜まったときに新たな形態に進化するのだった。

 なお、この際明らかにアーマーの質量が変わっていたり存在していなかった武装が追加されていたりもするのだが、そこは『ISだから』で納得するしかないのであった。

 

「何って……何がおかしいんだ?」

 

 必死の訴えを行うイチカに、千冬は本気で怪訝そうな表情を浮かべる。もはや異次元言語であった。

 

「最初から最後までおかしいだろ! 何だよバニーガール電波って! 意識をバニーガール一色にするっていうのもおかしいだろ! 洗脳はアウトだろ! ISの操縦者保護機能はどうなってるんだ⁉ 確か授業で聞いた話だとISは薬剤・音波などによる洗脳攻撃もまとめて無効にしてくれるって話じゃなかったか⁉」

「ああ。だから人格や思考能力、感覚機能には影響がない範囲で、脳内をバニーガール一色にすると言っているんだ。操縦者の命を脅かすレベルでない限りにおいては、絶対防御は発動しないからな」

「抜け穴だらけだな絶対防御‼」

 

 この分では『命に危険がないから良いよね?』ってことで性感に訴えかけるタイプのセクハラ攻撃は素通りしてしまうであろう。女性しか乗れない世界最強の兵器に有効な唯一の対抗策がエロ攻撃。実にエロゲーみたいな設定であった。多分、餌食になるのはイチカだけだが。

 

「あとは……」

「いや! 良い! やっぱりもう良い! 千冬姉が全部どうにかしてくれたんだろ⁉」

「まあそうだが」

 

『だから言ったのに』と言わんばかりに溜息を吐く千冬に、『それでも聞く』なんて言っていたイチカは気まずそうに肩を落とした。

 

「他にもいろいろあったんだが……まあ、あまり言いすぎても可哀想だからな、このくらいにしておいてやろう」

「ありがとう……」

 

 礼を言うようなことではないのだが、もはやイチカの基準は通常から大きく乖離してしまっていた。

 

「ところで、バニーガール電波ではなく図書委員の眼鏡っ子ちゃん電波だったらOKだったりしたか?」

「電波の時点でアウトだよ‼」

 

 と、そんなことをツッコんでいたりしている間に、イチカの視界に見慣れた風景が映った。IS学園に入学する前には当たり前だった我が家がある住宅街の風景だ。

 二か月ぶりに帰って来た風景は、イチカに『帰って来た』という実感を与えてくれる。当然のことだが、二か月程度ではあたりの風景は変わっていない。イチカがISを機動できるという報道によって近所に色々と迷惑をかけたと思っていたイチカは、特に変わり映えのない風景に安堵していた。

 なお、近所への被害がゼロなのは、千冬の力技であった。世の中力が全てなのである。

 

「久しぶりの我が家だー」

「私も久しぶりだな」

 

 そう言って、織斑姉妹は家に入って行く。久々に帰って来た家は、何故だか少しよそよそしい雰囲気を感じた。

 

「二一時にはモノレールに乗るから、それに間に合うように支度しておけ。いいか、遅れないようにしろよ」

 

 後ろ手で扉を閉めた千冬は、イチカにそう声をかけて居間の方へ歩いて行く。その言葉に違和感をおぼえたイチカは、こめかみに手を当てる。ISの機能の一つである空間投影式モニターが表示され、現在時刻が表示される。……現在時刻は八時。当然ながら、荷造りなんて一時間とかからずに終了してしまう。

 

「お前も久々に地元に帰って来たことだし、会いたい友人くらいいるだろ」

 

 居間へ歩いて行く千冬は、そう言ってあっけらかんと手を振っていた。

 その後姿に、イチカは人知れず笑みを浮かべる。

 変態で、理不尽なところもあるけれど、こういうところがあるから、イチカは千冬のことを胸を張って『自慢の姉だ』と言えるのだ。

 

「あ! だが約束は有効だからな! 変身解除したらダメだからな!」

 

 ……言える………………のだ…………多分……。



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第一五話「本編(前編)」

『実は今こっちに来てるから、遊ぼうぜ!』というイチカの誘いに、イチカの友人・五反田弾は二つ返事でOKした。

 

 弾としても、イチカ――否、一夏が女の園であるIS学園に行ったというニュースの後はメールのやりとりしかしていなかった為、どんなことになっているのか気にはなっていたのだ。

 IS学園。女の園。

 女尊男卑になって男が生き辛くなったとは言われていたが、同じ高校に通うはずだった一夏が男の身でそこに放り投げられたと聞いたときは、不覚にも噛み締めた唇から血を流す勢いで嫉妬したものだった。

 しかも、その一夏が女になっているのが中継で流れた時は、不覚にも目から血の涙を流す勢いで嫉妬した。

 何故って、女である。女の姿なのである。思春期男子なら誰しも、女になって女体の神秘を味わってみたいと思うはずだ。おっぱいってホントにきもちいいの? とか女の子のアソコってどんな感じになってんの? とか、そんな童貞をこじらせたような好奇心を誰しも抱えたことがあるはずだ。

 一夏は、否イチカはそれを自分の意思で知ることができる。女体の快楽を味わうことができる。しかも、IS学園の美少女集団からの大声援。あの様子だと、IS学園ではハーレム同然になっているはずだ。TSレズハーレム。女尊男卑の為に男に辛辣な女が増えている現状では、それはこの世で最高の楽園だと言えるのではないだろうか?

 何故、イチカばかりがこの世の春を満喫できるのか。いつもイチカの隣で過ごし、己の妹も含めて周囲の女性すべてをことごとくイチカにかっさらわれて行った弾は、この世の不平等を恨む。

 恨むが――――、

 

「よ。待たせたな、弾」

 

 ――その『天使』を視界に収めた瞬間、そんな気持ちは霧散した。

 

 肩までかかる程度の長さの、黒檀のような輝きの髪。

 この晴天の下で満天の夜空を思わせる、吸い込まれそうな深い漆黒の瞳。

 太陽の輝きを眩しく反射するほど瑞々しく真っ白い肌。

 真っ白いカチューシャは令嬢然とした落ち着きを少女に与え、丈の短いワンピースから覗く太腿が落ち着きと活発さを高度な次元で調和させている。

 中世画家が描いた一級の美術品だと言われても何の抵抗もなく納得してしまいそうなほど純粋な『美』が、そこにあった。

 

「おう。んじゃ俺んち行くか。この間『IS/VS』の新しいDLCが出てさー」

「……新しいデータを買うだけで一〇〇〇円って、ボロい商売だよなぁ」

 

 再起動を果たした弾は、至って自然に自宅への道を進んでいく。

 ちなみに、『IS/VS』というのは、世界で初めてISを題材にした本格3D格闘ゲームだ。正式名称を『インフィニット・ストラトス/ヴァニシング・スカイ』といって、日本で開発された後は世界的に売れている。もっとも、どの国も自分の国の機体が最強でないと納得がいかない(し、国威発揚的な意味でも自国の機体が最強でないと政府的に問題がある)為各国ごとにマイナーチェンジ版が発売されているという稀有なゲームでもあるのだが。

 

「しっかしその格好、どうしたんだよ?」

 

 五反田宅に向かい始めて、数分後。弾はそうイチカに問いかけた。

 イチカの姿があまりにも美しかったのもそうだが、弾としてはイチカが女の姿で活動していることの方が驚いた。メールでイチカは自分が女になることについて忸怩たる思いを書き連ねていたから、てっきり女の姿でいるのはなるべく避けているものと思っていたが……。

 と、そんなことを考えていた弾にイチカは気まずそうに苦笑して、

 

「いや、ちょっとな……色々とあって」

 

 そう言葉を濁した。学園に跋扈している変態の駆除を任せた見返りにイチカの姿でいるなんて、説明しても理解できる話じゃないのは想像に難くない。

 弾の方はそんなに気にしていなかったのか、軽く流して、

 

「ま、別に良いけどな。俺も可愛い女の子と一緒に歩くってのは悪い気しねーし」

「ばっ‼‼ おま、俺男だぞ⁉」

 

 突然の台詞に、イチカは顔を赤らめて反発する。

 

「いや、そんなマジになるなよ。嬉しくなるだろ。あくまでガワの話なー」

 

 弾はあっさりと笑いながらそう返した。イチカは自分ばかりが意識している状況に、少しばかり恥ずかしさを感じる。これではまるで素直になれない乙女である。

 ともあれ気を取り直して、イチカは問いかけてみる。

 

「ガワだけねえ。中身が男って分かってたら、色々と冷めてこないか?」

「いや? 少なくとも俺は、ガワが可愛ければイケるけど?」

 

 それに対し、弾はあっさりと答えた。三年間、目の前で女をかっさらわれる生活を続けて来た弾は、女に飢えまくっていた。それこそ顔が良ければ分かり切った地雷にも飛び込んでいくようなレベルで、である。今さら男の娘だのTS娘だので躊躇するような段階は越えてきているのだ。

 ……自慢になど、ならないが。

 

「っつか、その様子だとイチカ……女の身体とか利用したりしてねーの?」

 

 弾は信じられないものでも見るような目で問いかけて来た。イチカはぼんやりと自分の在り方を思い返して――――それから、苦い顔をして言う。

 

「……いや、ないわけじゃ、ない。昨日も、千冬姉との交渉道具にこの姿使ったし……」

 

 イチカとしては、男なのだから女になるのはなるべく控えるべきだと思っているし、その姿を求められることはあっても、自分から利用するようなことは言語道断だと思っている。思っているのだが、他に方法がなくて使ってしまったのだ。なのでかなりの罪悪感(誰に対してのものかはいまいち不明だが)をおぼえていた。

 ただ、弾が聞きたかったのはそういうことではない。

 

「いや、そうじゃなくて……ほら、女湯に突撃してみたり、一緒の更衣室で着替えてみたり……王道だろそういうの」

「………………………………………………………………………………な、なにいってんのおまえ」

 

 コソコソと男子特有の猥談をするノリで言った弾に、イチカは顔を青褪めさせて完全無欠のドン引きを行っていた。

 

「ば、馬鹿じゃねえの⁉ っていうか変態じゃねえの⁉ そんなことするわけないだろ……そんなことしたら貞操の危機だ!」

「それが望むところなんだろうが‼ お前が馬鹿だろ‼ レズプレイだろうと何だろうと可愛い女の子と一発ヤれる大チャンスだろうがッッ‼‼」

「変態‼ 不潔‼」

「中身男のくせにカマトトぶってんじゃねえぞこのアマ‼‼‼」

 

 かくして、顔を真っ青にさせて相手を罵る美少女とそれに掴みかかる変態不審者という構図が出来上がったのであった。

 その構図を客観視した為か、弾は肩で息をしつつも矛を収める。矛を収めて、しかし先程と同様に猥談のテンションで問いかける。

 

「それで、お前もうやったの?」

「……?」

 

 細かい所を伏せられた問いかけに、イチカは疑問符を浮かべる。

 

「やったって、何を?」

「いやほら、だからアレだよ、アレ」

「…………アレって何だよ」

「はぁ、お前も分かんねえ奴だな……あれだよあれ、マから始まる言葉で……」

 

 弾は言葉を濁したが、イチカは首を傾げるだけだった。仕方がなく、弾は決定的な言葉を言う。

 

「……マスター……ベーションを……だよ」

「ヒエッ」

 

 思わず悲鳴をあげかけるレベルで、イチカはドン引きしたが。

 

「いや、待て‼ 何で俺が引かれるんだ⁉ 違うだろ、お前男だろ⁉ 普通は真っ先に確認するだろ、女になった自分の身体を‼」

「するか馬鹿‼ それは絶対選んじゃダメな選択肢だろ! 選んだ瞬間男としての大事なモノが台無しになっちゃうだろ‼」

「このくらいでルート分岐するわけねーだろどんなマゾゲーだよ最初の選択肢は適当にCG回収できる奴だけ選んどけば良いんだよ‼」

 

 異世界言語で語り出す弾はさておき、イチカはちょっと真面目に考えてみる。

 自分で自分の身体を弄るというのは、イチカにとっては青天の霹靂だった。これまで男としての自分を守る、という意味で女としての自分の身体に対して接触することはなるべく避けていた(風呂に入るときも変身は解除していたし、トイレも新設された男子トイレで済ませていた)が、弾の言う『男としての劣情を持って自分の身体に接する』という考え方も、男としては分からないものではなかった。むしろ、女の状態の自分の裸を一度もまともに見たことがないという自分の状況の方が異端のような気さえしてくる。

 女の身体なんてどうせ自分本来の身体ではないのだから、過剰に同一視してしまうのも、それはそれで『自分が女だと認めている』ということになりかねない。

 

(うう……なんか哲学的過ぎてこんがらがってきたぞ……)

 

 要するに『女になったら自分の身体を弄ってみるのが自然なのかもしれない』ということだ。イチカの男友達の代表格である弾が言っているのだし、そう外れた考え方でもないだろう。弾は多少、女に飢えすぎているところこそあるが、基本的にはIS学園の変態と違って常識人だし。

 

「……あー、なんか悪かったな。そういえばお前はそういう奴だった」

 

 ポン、と思い悩むイチカの頭の上に手が置かれる。

 弾の手だった。

 

「……それどういうことだよ」

「ま、女になっても中身が変わるわけじゃねーからなあ」

 

 弾は適当に笑って、イチカの頭を乱暴にわしわしとする。イチカはむず痒そうにそんな弾の両手を押さえていたが、悪い気はしなかった。男の時から弾の方が拳一つ分ほどイチカより大きかったが、女になった今は頭一つ分くらいに身長差は拡大していた。

 こうして頭を撫でられると、今朝千冬に頭を撫でられたのを思い出して、やはり微妙な気分になる。()()()()を嫌ったイチカは、両手で弾の手をどかす。

 別に特別逞しいわけでもないのに、その手は女のイチカの手よりもずっと大きく、そして節くれだっていた。

 

「やめろよ、そういう扱い方」

「悪い悪い。なんかこう、妹みたいな感じがしてな」

「俺はお前の妹じゃない」

「だから悪かったって」

 

 イチカはむくれて先を歩く。

 五反田宅への道筋なら、イチカも何度も行っているから覚えている。わざわざ弾の横を並んで歩く必要などないのだ。

 後を追ってくる弾を振り切るように、イチカは少し足を速めた。

 

***

 

 そんなこんなで、イチカは五反田家にやって来ていた。

 食堂を経営している五反田家の店側ではなく裏口の家族用の玄関から入り、そのまま弾に促されるように弾の自室へ上がり込んだイチカは、弾と共に『IS/VS』をやっている。

 アーケードスティックタイプのコントローラはイチカも中学時代やり込んでいたが、如何せん『IS/VS』は弾の方がやり込んでいる。イチカはISによる操縦者サポートを自ら縛っていたので、負け続きだった。

 

「くそー……ハメ技とか卑怯だぞ。ウチのシマじゃノーカンだから」

「限られたルールの中で勝利条件を満たしただけ」

 

 格ゲー界隈でしか通じないスラングを飛び交わせながら、連敗のスパイラルに嫌気がさしたイチカは弾のベッドに飛び込んだ。

 

「おー、もう降参かー?」

「クッソ、お前経験者なんだからもう少しくらい手心加えてくれても良いだろー」

 

 ベッドに顔を埋めたイチカは、そう言って口をすぼめ言う。弾はそんなイチカのことをせせら笑い、

 

「ハッ、獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすものよ。それとも何か? イチカは接待ISで勝って『きゃー嬉しーい』なんて言っちゃう女みたいな奴だったのか?」

「ッッ、この性悪!」

 

 馬鹿にするようなセリフに、イチカは掛布団を頭にかぶって、さらにベッドの奥へ埋もれた。

 ちなみに、上半身をベッドに投げ出したイチカはちょうど弾の方にお尻を突きだしているような形になる。丈の短いワンピースはまくれ上がっていて、その下の黒い短パンが露わになっていた――――だけでなく、その短パンの隙間から見えるパステルカラーのパンツまで開陳していた。

 

「…………」

 

 その様子を見て、弾はだらしなく鼻の下を伸ばしていた。

 この男、最初にイチカの姿を見た時から、その壮絶なまでの美少女具合に参っていた。

 当然だろう。弾はあくまで平凡な男子高校生。しかも、今まで目の前の親友に美少女を奪われ女日照りの毎日だったのだ。そこにこんな無防備な美少女が現れたのだ。健全な思春期男子の劣情はもはや暴発寸前である。

 だが、イチカの性格上それを前面に押し出していけば引かれるのは目に見えている。中継やメールのやりとりから、イチカが変態の蛮行にほとほと参っているのは分かり切っていた。

 だから、からかうことはしても劣情から来る欲求をぶつけたりはしなかった。本当はこうやって突き出されたお尻とか思いっきり掴みたくて仕方がないリビドーに襲われていたが、それをやっちゃったらなんかダメな気がしたので必死にこらえているのだ。

 ちなみに、弾はイチカ個人に対して変態的な感情を抱いたことは一瞬たりともない。イメージとしては、『親友が手に入れた新しい玩具に興味津々』と言ったところか。実際、イチカの姿は仮初のものなので、イチカ自身にとっても玩具みたいなものではある。

 

「おいイチカ、パンツ見えてる」

「えっ!」

 

 鉄の理性で以て自らの劣情を制した弾は、目から血を流す思いでイチカに声をかけた。ベッドの上に突っ伏していたイチカは何故だかぼーっとしていたようだったが、その声に反応して慌ててワンピースの裾をただし、居住まいを整える。

 

「気を付けてくれよな。中身男だって言っても、お前美少女だし。いくらなんでも目に毒だぜ」

「あー、悪い悪い。これからは気を付ける」

 

 と言っているが、急いで直したせいで胸元が若干はだけていることにイチカは気付いていない。弾は心中でイチカのことを拝んだ。『ごっつぁんです』、と。

 

「そういやさ」

 

 十分イチカの胸元を堪能した弾は、話題を切り替えるようにパソコンを起動して専用ブラウザを開く。

 

「この前、こんなスレッドを見つけたんだよ。お前なんか知ってる?」

 

 そう言われて、イチカは弾の後ろに立ってパソコンのモニタを覗き込んだ。ふわりとイチカの髪が揺らめき、(何故か)甘い香りが弾の鼻腔をくすぐる。いちいち男心を刺激してくる奴だな……と半ば呆れつつ、弾はスレッドを表示させる。

 そこには、こんな文言が書いてあった。

 

『IS学園の生徒会長をしてるんだけど、最近妹が反抗期すぎてつらい』。

 

「…………いやあ、知らない……かなあ?」

 

 いっそどっかのラノベみたいなタイトルのスレタイを見て、イチカは内心汗を流しながら首を傾げた。

 ()()()()()()()()と違ってこの世界のイチカは(変態淑女二人+親友からの献身的な授業のお蔭で)IS学園の事情については多少明るい。生徒会長が『更識楯無』という二年生であること、『更識家』の特権である『自由国籍権』を使いロシア国籍に国籍を変更していること、そして国籍を変更したロシアで国家代表操縦者にまでなっていることなども知っている(尚、国籍変更関連で国家間のパワーバランスと日本政府の失政に超厳しいセシリアの愚痴が炸裂していたのは言うまでもない)。

 ただ、こんなネット掲示板にスレッドを建てていることまでは知らなかった。というかこれ、地味に情報漏洩なんじゃないか? とイチカは思うが、よく考えたら生徒会長のプライベートとかは別にバレても良いという判断なのだろう、と思い直した。

 

「そっか。まあイチカもIS学園の生徒とはいえ、いち生徒だしなあ」

 

 そう言いながら、弾は適当にスレッドをスクロールしていく。まったく内容を見せる気のない動きだったが、ISの操縦者サポート機能を使ったイチカにはその文字が追いかけられる。

 読む限りだと、こんなことが書いてあるようだった。

 

 まず、レス番号一にコテハン名『シールドレス』が書き込む。シールドレス=楯無か……安直すぎる……とイチカは心中でツッコむ。

 

『最近、最愛の妹との関係が冷え込み過ぎています。私に何か原因があるのだと思いますが何も分からねえ……ボスケテ』

 

 それに対し、即座にレスがつく。

 

『>>1と妹のスペックうp』

『私→IS学園二年生・生徒会長・ロシア国家代表操縦者・専用機は自分で作った。妹→IS学園一年生・日本次期代表』

 

 さらりと個人が特定できてしまう発言を晒した楯無(特定)に、『エリート姉妹乙』だのといった僻みや『特定した』という笑い混じりのコメントがどんどんとついていく。ひと段落したところで、とあるレスがついた。

 

『で、どんな風に冷え込んでるんだ? 説明してくれなきゃ分かんないんだが』

 

 というご尤もな意見だった。妙に高圧的なのは、ネットではよくあることだ。

 それに対し、楯無は即座にレスを返していた。

 

『私は基本的に毎日朝・昼・晩と挨拶のメールと電話を入れて、意図的に一日に何回も廊下をすれ違うルートを通ってるんだけど、妹はメールの返事もなければ挨拶も返してくれなくて……それどころか私のことを煙たがるみたいに……反抗期なのかもしれない……』

 

 どう考えても構いすぎが原因のように思われたが、そういう旨のツッコミをされても楯無は挫けなかった。

 

『でも‼ 昔はもっと甘えてくれてたし……妹がIS学園に来る前はここまではしてなかったけど、それでもなんかよそよそしかったし……私は妹のことが大好きなのに…………何故だ…………』

『日本次期代表の話は聞いたことあるけど、確か世界初の男性IS操縦者の専用機を作る為に専用機開発が中止になったって話じゃなかったっけ?』

『ああ、それ中止じゃなくて、妹が差し止めたのね。研究所がいつまで経っても開発を再開しないから、自分で作るーって』

『それ進んでるの?』

『超難航してる。助け舟を出そうと何回か試みたけど全部突っぱねられてしまいました』

 

 それじゃん……とイチカは加速した思考の中で頭を抱えたくなった。姉に対してもともとコンプレックスがあった妹が、自分は悪くないのに専用機開発が中断され、それなら自分で作るとなったものの上手くいかない。……それはもうコンプレックスを刺激されまくるだろう。姉妹仲が悪くなるのも頷けるというものである。

 しかも、その原因の一端を担っているのがイチカの存在と言うのがさらに頭の痛い話だった。多分弾がそれとなく探りを入れてみたり、その割にスレッドの内容を見られないように速くスクロールしていたりしているのも、そのあたりを気遣ってのことだろう。

 

(でも……この妹さんの気持ち、俺なんかに言う資格はないと思うけど、分かる気がするな)

 

 スレッドの内容は、『どうやって妹の機嫌をとれば良いんだろう』という話し合いが紛糾しているところで止まっていた。

 だが、そうではないのだ――――とイチカは思う。

 イチカも、世界最強の姉という巨大すぎる存在をコンプレックスに思っていた時期はあった。恥ずかしい話だが、IS学園に入学する直前、千冬がIS学園の教師をやっていて、イチカの中学時代のバイトなど全て無駄だった――というか、千冬に渡していたバイト代は全て『イチカの為の貯金』に回されていた――と知った時は、イチカも本気で怒った。生まれて初めて、姉に対して声を荒げて激情をあらわにした。

 千冬はイチカの為を想って、何一つ過ちなんて犯さずに、最大限の努力をしてくれていたにも拘わらず、である。

 

(そうじゃないんだ。自分のことを想ってくれているとか、優しい姉でいてくれるとか、そういうことも確かに重要だし嬉しいけど、弟妹(オレたち)が求めてるのはそういうことじゃないんだよ……)

 

 似ている、とイチカは思う。

 こんなネット掲示板の断片的な情報を見ただけだが、薄っぺらいスペックシートを見たような上っ面の情報だけだが、それでも、更識楯無と織斑千冬は、家族との関わり方という一点において似ている――。

 

「……イチカ、当たってる」

 

 と、そんなことを考えていたイチカに、弾の声がかかる。イチカは思わず首を傾げた。

 

 ここで簡単な位置関係の提示をすると。

 弾はノートパソコンを取り出し、スレッドを開いていた。そして、イチカはその後ろからモニタを眺めていたという形になる。それこそ、ISのサポートを使って一言一句逃さないようなレベルで、食い入るように見ていたのだ。

 当然の帰結として、イチカは前のめりになる。

 そうなると、両者の位置関係は、体勢は、どうなるだろうか?

 

「だから、胸が当たってるんだっつってんだろ」

 

 当然、胸が背中に押し付けられる形になる。

 イチカの胸は小さいが、鈴音ほど絶無という訳でもない。押し付けられれば、嫌でもその感覚を意識せざるを得ないと言う訳だ。

 

「いい加減にしないと揉むぞオイ」

「ひゃあ!」

 

 突然のセクハラ勧告に、イチカは慌てて弾から身体を離す。そんなイチカの様子を見て、弾は呆れたように続ける。

 

「ったく。気にしすぎるのもアレだが、無防備すぎるのも考えものだぜ。さっきも目に毒っつったろ……」

 

 相手がイチカとはいえ、弾は恋人いない歴=年齢(原因はモテない言動というより、近くに女吸引機である一夏がいたせいだが)の女子免疫ゼロ少年である。中身が親友だから同じ部屋にいてもキョドらなかったわけであって、こんなに頻繁にボディタッチの機会があったら流石に自制心にもヒビが入って来てしまう。

 

「……ふぅーん」

 

 初めて困ったような表情を見せた弾に、それまで散々からかわれていたイチカが、にんまりとした表情を浮かべる。

 この時のイチカの心情を表すなら――――『魔が差した』、というべきだろう。

 これまで弾はイチカに対して散々なからかいようだったが、しかし直接的なセクハラには及ばなかった。だから、無意識に心の中の防御ラインを下げてしまっていたのだ。弾にとっては願ったりだったが、これは偶発的なことである。

 そして、イチカは決定的な言葉を口にする。

 

「じゃあ、揉んでみる?」

 

 そう言って、イチカはベッドに腰掛けて、しなをつくってみる。

 いっそ笑えてしまうほどぎこちない動作だったが、しかしそれは妙な淫靡さを醸し出していた。言っておきながら自分で恥ずかしいのか、頬を若干赤く染めているのも、非常にポイントが高かった。

 そんなイチカに対して、弾の回答は分かり切っていた。

 

「え? イイの???」

「……う、あ、……まあ……べ、別に、減るもんでもないしな…………」

 

 ほんとはちょっとした冗談のつもりだった。弾のことを惑わせられたら、女の身体であるのを良いことに小馬鹿にする弾をからかえたら、という思いだったのだが、なんか弾の目が血走ってしまっていて、いまさら『冗談でした』などと言おうものなら弾が爆発するのは想像に難くないので、頷くしかなかった。

 それに、イチカも男なのでこういう場面で『いや、やっぱ冗談だから駄目』と言われることの残酷さについては理解があるつもりだ。いや、イチカは今までそんな状況まで行ったことなどないのだが。

 それに、別に揉ませるだけならいつものことだしいっか、という謎の感覚の麻痺もあった。

 

 イチカは気付いていない。

 女の子同士の絡みならともかく、同意の上で男が女の胸を揉む展開は、どう考えてもギャグエロの範疇を大幅に超えてしまっているということに。

『度を超えた行為』をしたとき、世界の修正力がどう愉快に作用するかということに。

 

 そして、()()()()()()()()で、六月頭に五反田家を来訪したイチカに、どんなイベントが振りかかったかということに。

 

「じゃ、じゃあ揉むぞ……」

 

 そう言って、弾はベッドに腰掛けたイチカの前に跪く。それから、ゆっくりとイチカの胸に――僅かに膨らんだ、控えめな丘に手を伸ばす。イチカは思わずごくりと生唾を呑んで、その様子を見守っていた。

 そして、その手がイチカの胸に触れる、と言ったところで。

 

 弾の脳裏に、『はい、サービスタイム終了ー』という声が聞こえたような気がした。

 

「お兄! さっきからお昼出来たから下降りてってお母さんが、」

 

 ドカン! とドアを蹴り開ける音。

 弾の妹、五反田蘭は、その光景をモロに見てしまった。

 

 自らの兄が、見知らぬ清楚な感じの女の人の胸を、今まさに揉もうとしている姿。

 

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 思春期の、多感な時期の少女が見てしまえばトラウマ行きは免れないであろう光景を見て、しかし蘭は冷静に、最善の行動を選択した。

 

「……ごめんお兄さん、お母さんにはお兄出かけたって言っておくから……」

 

 ばだむ。

 開けた時とは裏腹に、扉を閉める音は非常に丁寧だった。

 弾は勿論、この時ばかりは鈍感そのもののイチカも自分が置かれている状況に気付いた。二人の選択は、一つしかなかった。

 

「うわああああああああああああああああああああああああああああ待って待って待って待って待ってえええええええええええええええええええええええええええええええ‼‼‼」



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第一六話「本編(後編)」

「違う、違うから待つんだ蘭! お前は何か決定的な勘違いをしている!」

 

 光速で部屋を出た弾は、そのまま階段を降りようとする蘭の手を掴んで引き止める。此処で彼女を下におろしてしまえば、まず十中八九今の情報は弾の母に伝わるだろう。『お兄が部屋に女の子連れこんで一発ヤろうとした』、と。そして、その情報は一気に一家に拡散する。最終的に、『コイツは女になったイチカだから』なんて言いづらい空気になってしまう。

 が、対する妹のリアクションは非常に冷え切っていた。というか、深刻だった。

 

「いや、お兄ごめん。ノックもしなかったのはホントに悪かったと思ってるから、私が悪かったからごめんホントに……」

「違うの‼ 確かにそうだけど違う‼‼ 俺は別にアイツとしっぽりやろうとしてたわけじゃないからいやコレホント‼‼」

 

 もう謝罪体勢に入ってしまっていた蘭に、弾は必死の形相で言う。それに対し、蘭は眉をひそめて、

 

「じゃあ、あの人に何しようとしてたの?」

「そりゃ胸を揉もうと」

「やっぱりそうじゃん‼ ごめんねお兄‼‼」

「違う‼ 胸を揉もうとしたがアイツとはそういう関係ではない‼‼」

「え、じゃあセ●レ……?」

「違う‼ もっと違う‼‼」

 

 頭を振って否定する弾。このままでは埒が明かない――が、弾には簡単に誤解をとく方法が一つある。

 

「大体、アイツは――――」

「弾‼ 待て‼」

 

『アイツはイチカだ』、そう続けようとした弾は、突如後ろから襟首を掴まれて引っ張られる。

 当然、引っ張ったのはイチカだ。

 

「うげぇ、げふ、げふ!」

 

 むせ倒した弾は、イチカに掴みかかる勢いで噛みつき、

 

「(……お前何しやがる⁉)」

「(悪い、でも待ってくれ! 此処で弾が俺の胸を揉もうとしてたってことになったら、ひょっとして蘭にドン引きされるんじゃないか⁉)」

 

 二人の小声による作戦会議が始まる。

 確かに、そういう可能性は大いにあった。

 外見はともかくとして、中身は男と男なのだ。厳密にいうとTS少女は男ではない(重要)が、しかし弾が『男友達の胸を揉むだけだからセーフ』なんて言った日には、それはそれでダメージがデカくなることは間違いなかった。そして、イチカの方にも色々と無視できない被害がやって来そうな雰囲気だった。

 

「(じゃ、じゃあどうするんだよ⁉ このままだとお前が恋人ってことになるぞ⁉)」

「(そ……それで良い!)」

「(はぁ⁉ 血迷ったかイチカ‼)」

「(とりあえず此処はそういうことにして、今日を乗り切ったら適当に『別れました』ってことにすれば良い! 幸い、蘭は俺に気付いていないっぽいし、この場を一番軽傷で済ませるにはこれしかない!)」

「(それ、俺は彼女と速攻で別れたってダメージが出来てるんだけど……)」

「(中身男の胸を揉もうとしたって言われるよりはずっとマシだろ! ほら行け!)」

 

 作戦会議終了。

 イチカに突き飛ばされた弾は、そのまま蘭の方へたたらを踏みつつ移動した。

 蘭は律儀に二人の作戦会議を待っていてくれたようで、胡乱げな眼差しで弾の方を見ながら、

 

「で? お兄、ちゃんとした言い訳は考えてきたの?」

「……いや。言い訳はやめるよ。兄ちゃんはアイツと付き合ってる」

 

 でも‼ と、弾はさらに蘭に何も言わせないように前置きして、

 

「あれはちょっと話の流れで胸を揉むか揉まないかで論争になってただけで、それ以上でもそれ以下でもない! 信じてくれ……頼む!」

「お、あ、わ、私からも……信じてください」

 

 ひょっこりと顔を出したイチカも、一緒になって言う。その様子をたっぷり五秒は眺めていた蘭だったが、やがて溜息を吐いて肩を竦めた。

 

「まあそんなことだろうと思ってたけど……お兄に女の人を自分の家に連れ込んでどうこうなんて甲斐性ないのは知ってるし」

「はは……我が妹ながらこの辛辣さよ……」

 

 命拾いしたはずなのに半死半生の弾は、半泣きになりつつ肩の力を抜いた。

 そんな弾に蘭は呆れたような表情を浮かべていたが、

 

「あ、すみません」

 

 ふと真顔に戻って、イチカの方に頭を下げる。当然、頭を下げられる覚えなどないイチカは疑問符を浮かべた。

 そんなイチカに、蘭は続けて言う。

 

「あたし、そこの馬鹿の妹で五反田蘭って言います。よろしくお願いします」

 

 礼儀正しかった。

 あくまで蘭が傍若無人なのは弾に対してのみで、他の人に対しては如才ない――というか色々と要領が良いタイプだったのは、イチカも薄々知ってはいたが、こうまでしっかりとした一面を見せられるのは意外だった。

 

「え、あ、ええと、」

 

 思わず、イチカは口ごもってしまう。

 名乗られたのだから名乗り返さないといけないわけだが、ここで織斑イチカですなんて言ったら即バレである。彼女を名乗ってしまった以上、もう後には引けない。

 

「お、」

 

 ぽつりと呟いたイチカに、弾は思わず戦慄する。

『お』ってお前完璧に『織斑イチカ』って続く感じじゃねえか! という弾の視線に気づかず、イチカは緊張で完全に空転を始めた頭脳で必死に『即興の偽名』を考え、

 

「お、小村チカです!」

 

 …………()()()()()()()である。

 即興にしては良い方だろう――と、弾は胸をなでおろしつつイチカの肩に手を置いて、

 

「コイツ、いつもはこんな感じじゃないけど、緊張してるっぽいから何か変な事言い出しても許してやってくれよ」

「可愛くて初々しくて純粋とか、お兄には勿体ない物件だなあ……」

 

 あんまりな言いぐさに再度兄が涙している横で、蘭はすっとイチカの方を見る。

 今まで一夏として接してきていた時は一度も見たことのない、そんな表情だった。

 

「チカさん、兄をよろしく願いします。お兄、こんなだけど根は良いタイプだから、気長に付き合ってあげてください」

 

 と、蘭はそう言って頭を下げる。

 どこまでも出来た妹だった。

 

 さりげなくディスられていた兄は、相変わらず半泣きだったが。

 

***

 

 そんなこんなで、イチカ達は食堂にやって来ていた。

 理由は勿論昼食を取る為、だったのだが――――、

 

「あらぁ弾ってば女の子を連れ込むなんて。手が早いわねえ」

「まだ出してねえってんだよ‼」

「弾に彼女か……そうかそうか……」

「んでじーちゃんは何で感慨深そうに泣いてんだ‼ 俺は――、」

 

 家族にいきなり持ち上げられた弾がそう口走った瞬間、イチカの目の色が変わる。

 

「……弾!」

 

 あのままいったら、弾が『俺はコイツと付き合ってなんかいねえ』などと照れ隠し(事実だが)に口走ってしまうのは想像に難くなかった。イチカのファインプレーである。

 弾はハッとして、それから今の言葉の続きを誤魔化す方法を考え、

 

「……お、俺は、もうちょい清いおつきあいをだな……」

「お兄、もう尻に敷かれてるんだね……」

 

 もごもごと口をすぼめて言う弾に、イチカははぁ、と溜息を吐いてうなだれた。なお、最初に話を振った弾の母――(れん)は絶賛大爆笑中である。弾はからかわれただけにすぎなかった。

 

「はい、できたわよ。お食べ」

 

 と、そうやっているうちに蓮がイチカ達が座るテーブルに料理を置いて行く。両手で大きな皿を三つも抱えていく様は、流石に五反田食堂の(自称)看板娘(28+α)なだけはある。

 

「あっ、ありがとうございます」

 

 慣れた場所のはずなのに妙な居心地の悪さを感じていた為、思わず礼を言って応じたイチカに蓮はにこにこと笑いながら、

 

「そう緊張しなくていいのよ~。貴女にとっては、すぐに()()()になるんだし~」

「そうだぞ、今日はめでたい。楽にしてて良いからな!」

 

 何故か涙声の厳――弾の祖父――の方へ、蓮はそう言いながら引っ込んで行く。すっかり歓迎ムードの五反田一家に、イチカはたじたじだった。

 そんなイチカをニコニコと眺めていた蘭が、やがて口を開く。

 

「――義姉さんは」

「ねっ⁉」

「お兄の彼女なんだから、義姉さんでおかしくないでしょう?」

「そ、それは……、い、いや! いくらなんでも飛躍しすぎだって! 義姉だなんてそんな……お、私まだ……」

「あたし、実はお姉さんが出来るのが夢だったんです。でも、いるのはガサツなお兄だけだし……。小さい頃は、お姉ちゃんが欲しいなんて言ってお母さんを困らせたりしちゃって」

 

 えへへ、と照れくさそうに笑う蘭。もはや弾をナチュラルにディスるのは基本だ。

 だがそれはイチカの初めて見る蘭の顔だった。出会った当初は違ったような気がするが、蘭はイチカの前ではいつも緊張しているというか、肩肘張っている感じがあった。それが今は、こうやって警戒心を解いて話しかけてくれている。

 

(やっぱり、女の身体はこういうところが得だよな)

 

 鈴音の時も思ったが、全体的に一夏の時よりも『ありのまま』の姿を見せてくれることが多い、とイチカは思う。別に女だから『ありのまま』の姿を見せているわけではないのだが……朴念仁のイチカにそこに気づけというのも酷な話である。

 それにイチカの方も姉と言われて満更でもない気分になっていた。末っ子だったので、性別はともかくそういう風に言ってもらえるのは新鮮で、面映ゆい気分になるのだ。

 

「お義姉さんは、どこに住んでるんですか?」

「ぇあっ⁉」

 

 ……なんてことをぼうっと考えていたからだろうか。イチカは不意の問いかけに、思わずびくんと跳ねてしまっていた。

 横で弾が焦っているが、イチカはそれどころではない。

 

「あ、えーと……IS学園……」

「ええ⁉ IS学園⁉ それ本当ですか⁉」

「……の、近く……です……あはは……」

 

 思わず、イチカはそんなしどろもどろな回答をするしかなかった。当然、そんな回答では蘭のことを納得させられるはずもない。

 

「…………」

「……うぅ」

「……まあいいです。お義姉さんが言いたくないなら」

「うぐう……」

 

 言葉にどこか棘のある蘭に、イチカはたまらずうつむいた。

 弾はそれを見て『こいつほんとに男だったのか?』と疑問を抱いたが、よく考えたらこの煮え切らなさは一夏にも共通する部分であった。性別が違うだけでこれほど魅力的になる要素を兼ね備えているから、たぶんイチカはこれほどの人気を獲得したのであろう――。人知れずイチカ人気隆盛の理由を垣間見た弾である。

 

「その代わり、もっともっと仲良くなったらその時は教えてくださいね。……せっかくの『お姉ちゃん』なんだし」

「…………蘭、ちゃん」

 

 少しだけ恥ずかしそうに口調を崩す蘭に、イチカは思わずぽうっと感動したような視線を向ける。イチカはずっと弟(妹)として過ごしていたため、こうして『姉』として慕われることなど一度もなかった。だから思わず感激してしまったのだが――。

 

(…………チョロいなぁ、お姉)

 

 当の蘭はといえば、コロっと態度を軟化させつつあるイチカに対して、そんなことを思っていた。つまり、ここまで徹頭徹尾演出である。

 内心ではすでに『お姉』呼びなあたり、最終的に蘭がどこまで距離を縮めるつもりなのかが伺える。

 

「それはそうと、IS学園の近くに住んでいるなら、この近所ですよね。二人は頻繁に会ってるんですか? お兄を見る限りそんな風には見えませんけど」

「あ、いや、私の学校は全寮制で、だから弾とは普段はメールのやりとりしか……」

「……IS学園の近くで、全寮制」

「…………う、ううううう」

 

 住んでる場所についてはもうほとんど語るに落ちていた。

 弾は、疲れたようにしながら、イチカにこう言った。

 

「もう良いから、お前喋るな」

 

 イチカは、力なく頷いた。

 

***

 

 食事を終えた三人は、弾の自室に戻っていた。

 ゲームは食事に行く前に片付けられていたので、『えー家デートするのにゲームやってるの……?』みたいな疑いと呆れの視線を浴びることは回避できたが、しかし弾とイチカの表情は曇っている。

 理由は言うまでもない。二人の間に何故か蘭も座っているからだ。当然、それだけボロが出るリスクがあるということであり二人としては気が気じゃない。

 

「……おい蘭。兄ちゃんはこれからチカと二人でイチャイチャしたいんだ。だからお前邪魔」

「イチャっ……⁉」

「おやおやーお兄ってば強がっちゃって。そこでお義姉さんが顔を真っ赤にしてる時点で、まともなイチャイチャなんてできないくせにぃ。それなら私っていう不純物がある方がイレギュラーもあってより刺激的なデートになるんじゃないの?」

「くっ……!」

 

 蘭の減らず口に歯を食いしばる弾だが、家族内ヒエラルキーにおいて弾は蘭よりもはるかに格下。しかも(バレてはいないが)相手方に嘘を吐いているということもあり、あまり強くは出れないのであった。

 

「まあまあ、本当に良い雰囲気になったらさっさと退散するから。ね?」

「この妹は……」

「ま、まあまあ弾。蘭……ちゃんだって色々話したいこともあるだろうし……」

 

 しかもいっちょまえに気遣いしてる風なのでさらに忸怩たる思いを抱える弾だったが、イチカの苦笑しながらのフォローにより何とか苦情を呑みこんだようだった。何かが致命的に間違ってる気もするが、気にしてはいけない。

 しかしそんな弾はさておいて、蘭はイチカにべたべたしまくりなのだった。

 

「お義姉さんはやさしーなー。肌もすべすべだし、おっぱいも小さくてかわいいし、お姉ちゃんっていうか妹みたいだなー」

「もう……やめてって蘭、ちゃん」

 

 抱き付きはじめた蘭をやんわりと押しのけるイチカだが、当然ながらそのくらいで蘭が離してくれるわけはない。かといって蘭の行動に従来の変態のような邪さは感じられないので、無碍に扱う訳にもいかない。

 そんなイチカを見て、蘭はあることに気付いた。

 

「……お義姉さん」

「な、なに、かな?」

「お義姉さん、私の名前呼びづらそうにしてますよね」

 

 ドキッ‼ と一気に心臓が跳ねた。確かに、イチカは普段蘭のことを呼び捨てで呼んでいる為ちゃん付けで呼ぶことに抵抗があった。そうでなくとも元々女の子のことをちゃん付けで呼ぶのが恥ずかしいと思う程度には純情なのだ。自分を姉と慕う相手への対処法など分からないのは頷けてしまう。

 蘭はそんなイチカの内心を見透かすように笑い、

 

「だったら、別にちゃん付けじゃなくても良いですよ。義姉なんだから、呼び捨てで」

「え……」

「その代わり、私もタメ口で話しかけても良いよねっ!」

「あ、う、うん……?」

 

 流れでタメ口で話しかけられたイチカは、そのまま勢いに押されて頷いてしまう。元々蘭のことは呼び捨てで呼んでいたのでそこは何も問題ないのだが……蘭の圧倒的コミュ力に押し切られた形だ。

 

「いやぁー、なんか敬語って堅苦しいと思ってたんだよね。壁があるって感じっていうか!」

 

 そう言うなり蘭はイチカに抱き付く力をさらに強めて、そのままベッドに押し倒してしまう。押し倒す……と言ってもその後するのは抱き付いたまま頬ずりするくらいで、変態のようなアレなスキンシップはない、のだが……おそらくこの場に変態達がいれば、血だまりの中に崩れ落ちていたであろうことは間違いない展開だった。

 

「わ、わ、わ⁉ あう、蘭、ちょっとくっつかないで……」

 

 ところで、イチカはこんなナリをしているが内面は相変わらず男である。つまり、人並みに女の子に対して興奮したりする感性を持っている。いかに絵面が可愛い女の子のくんずほぐれつとはいえ、イチカからすれば可愛い女の子に無防備に抱き付かれて頬ずりされているという形になる訳で……。

 

「こ、これはやばいから! まずいって! 絵面的に……」

「絵面的には姉妹のスキンシップだし問題ないって! お姉は恥ずかしがりやだなあ~」

「う、ううう~~~~っ‼」

 

「おい蘭、嫌がってんだろ、離れろって」

 

 いよいよイチカの頭がパンクしそうになったとき、弾が間に入った。片腕でイチカの肩を抱き、そしてもう片腕で蘭を押しのける。

 

「ええー。ちょっとくらい良いじゃん。どうせお兄はいつもベタベタしてるんでしょ?」

「駄目だ。コイツは『俺の』なんだよ。たとえお前でも嫌だ」

 

 そう言って、弾はイチカの肩を抱く力をさらに強める。

 もちろん、これはパフォーマンスである。蘭の狙いは弾には大体分かっていた。要するに、兄の前でイチカに色々とちょっかいを出して嫉妬を煽り、良い感じに本音を引き出して良い雰囲気にしようという魂胆である。聡明な蘭らしからぬ妙に厚かましい態度や、『良い雰囲気になれば退散する』という言動からもそれは間違いないだろう。ひょっとすると、先程(わざとでないとはいえ)二人の逢瀬を邪魔したことを気にしていたのかもしれない。

 偽装カップルである二人にとっては全く以て余計なお世話極まりない言動だったがこれが本当に『お互い素直になりきれないカップル』だったらファインプレーになってしまうので責めるに責められない。よって、弾は仕方がなく蘭の口車に乗ることにしたわけである。

 蘭はそんな兄の言葉を聞いて、にまーりと笑みを浮かべる。

 

「……ありゃー、どうやらお邪魔虫だったみたいで。ごめんね! じゃあ私は退散しますか! じゃあねお姉! またあとで!」

 

 そう言って、蘭はそそくさとイチカから離れて部屋から出ていく。

 残されたイチカは、顔を真っ赤にしたままぼうっと弾のことを見ていた。

 

「……おい、どうした。やっと二人になれたんだぞ?」

「へっ……あっ、ひゃっ、お、おまえ、ちかいっっっ‼」

 

 そう言って、イチカは弾を押しのけようとする。

 此処で二人の体勢について解説しておくと、ありていに言って、弾がイチカをベッドに押し倒すみたいな形になっていた。

 まず蘭がイチカをベッドに押し倒し、その状態のイチカと蘭を遠ざけようと間に入ったのだから、弾がベッドに体重をかける姿勢になるのは当然の帰結である。その上で、弾はイチカの肩を抱いて自分の側に引き寄せていたのだから……全体的に顔が近い体勢になるのも仕方ない話だった。

 ただ、イチカにとっては仕方なくなんかない状況である。

 

「あ……悪りい悪りい」

 

 幸いにも(?)弾はそのことにすぐ気付いて、身体を起こしてイチカと距離を取る……が、イチカはそれでもしばらく、ベッドに横たわった体勢のまま顔を真っ赤にして起き上がることもできなかった。

 

「…………イチカ?」

「な、何でもっ、何でもないっ……」

 

 そう言って、イチカは身体を起こした。何故だか顔が熱くて仕方がないが……イチカは頭を振って気を紛らわせることにした。

 そうでもしないと、自分が自分でなくなってしまうような気がした。

 

 心臓の音が妙にうるさい。

 この部屋に来てから……いや、もっと前、弾と一緒に五反田家に来ている時から、妙ではあったのだ。

 弾と会って、白く小さく柔らかくなった自分の手よりもずっと大きく、節くれだった手で撫でられた時に感じた、あの感覚。

 ゲームに負けてからかわれて、拗ねてベッドに突っ伏して布団を被り弾のベッドの匂いを嗅いだ時に感じた、あの感覚。

 そしてたった今、弾と急接近した拍子に嗅いだ匂い、触れた体温、聞こえた息遣いによって起きた、自分の変化。

『俺の』と言われた時に感じた、不思議な胸の高鳴り。

 それが何故かとても『恥ずかしい』もののように思えて、『いけない』ことのように思えて、イチカは何が何だか分からなくなっていた。

 

「…………、」

 

 そんな姿を弾は間近で見た。

 そして弾は、イチカと違い鈍感でもなければ唐変木でも朴念仁でもない。

 

「……あのさ、お前さ……少しは自分の今の姿とか考えてみようぜ」

 

 弾は、気持ち前かがみになりながらそう言う。

 その目は、どこかぎらついた光があるようにイチカには見えた。

 

「……俺だって健康な男子高校生だぜ? 目の前にガワだけでも可愛い女の子がいてよ、ずっと我慢して、それでそんな顔真っ赤にされて……色々と、こらえるのがキツイって、分かるだろ?」

 

 そう言って、弾はイチカに向けて手を伸ばす。

 イチカは自分の胸の前で手を組むようにして心臓の動きを落ち着かせながら、何も答えずに俯いた。ただ、拒絶もしなかった。

 やはり、心臓の音はうるさい。

 イチカも、女体化した自分の見目麗しさについては自覚している。なまじ『変身』というファクターが挟まっているから、『自分の容姿』……ひいては『自分の身体』という認識を持ちづらくなっているのも事実だ。そのことについては、先程弾に指摘されてイチカの意識の中でも明確になっている。

 

「……だから、……あー……」

 

 そこまで言いかけて、弾は伸ばしかけていた手を止めた。

 

「いや、駄目だな。この流れは胸を揉む揉まないの流れと一緒だ」

 

 そう言って、弾は手を降ろそうとする。驚くべき自制心だった。変態達が見れば拍手喝采を送るか中指を立てるかのどちらかだろう。

 

「……俺は、別に良いけど」

 

 そんな弾の手を、イチカは両手でつかんで止めた。

 

「……は?」

「蘭だって、わざわざ二人きりにしてくれたんだから外で様子を伺うようなことしてないだろ。冷静に考えてみれば、『俺自身』に劣情を抱いてるんじゃなければ、別に身体を少し触られるくらい、ちょっとくすぐったいだけだし。減るもんじゃないし」

 

 イチカは息を吸って、改めて言い直す。

 

「だからその、……俺は別に、お前にならそういうことされても気にしないけど?」

 

 そう言い切った後で、イチカは途轍もなく恥ずかしいことを言ったのではないかという衝動に駆られた。顔から火が出たみたいな熱さを感じる。心臓は相変わらず早鐘のごとくうるさく鼓動しているし、何だか全身がふわふわしたみたいに現実感がない。弾の顔を直視することすらできなくて、イチカは俯いて顔を覆った。

 ぼすん、とそんなイチカの頭の上に、逞しい手が置かれた。

 

「そんなトマトみたいな顔するくらい恥ずかしいんだったら、最初から言うなよ。馬鹿」

 

 ぐりぐりと髪を搔き乱すように乱暴に撫でながら、弾は言う。

 

「少し落ち着け。そういうのは、まだちょっと早い」

 

 ……後半は殆ど自分に言い聞かせるようだったのは、ご愛嬌か。

 

***

 

(…………っべー。やっべー、なんかよくは聞こえないけど、凄いエロイっぽい。大人だ。っべー……)

 

 なお、会話の一部始終は断片的に『よくできた妹』に聞かれていたのだが、あくまで『断片的』なので問題はないのであった。

 

***

 

「えー、もう行っちゃうの?」

「バカ、長居しすぎたくらいだっつの。こいつの休みは少ないんだ。ちょっとくらい恋人同士の時間を作らせてくれよ」

 

 結局、帰りの時間近くになるまでイチカは弾の家で過ごしていた。

 見送りの段になって、蘭は多少の不満さを隠そうともせずにそう言った。それが憎らしさではなく可愛げに変換されるあたり、彼女の要領の良さを改めて感じざるを得ない。

 イチカは申し訳なさそうな表情を浮かべて、ぶっきらぼうな弾に付け加える。

 

「ごめんね、蘭。……私、二一時のモノレールに乗って帰らないといけないから……」

「えー。……まあ、お姉にも色々と事情はあるだろうし、本気で駄々をこねたいわけじゃないけどね。でも、今度会った時はもっと色々話を聞かせてほしいな」

「……、うん。もちろん良いよ。じゃあ、()()()、蘭。おばさんたちによろしく」

 

 少しだけ言葉を詰まらせたが、イチカはにこやかな笑顔を浮かべてそう言った。

 小村チカは、この場を乗り切る為だけの嘘。

 此処から立ち去れば、あとはもう嘘を吐く必要などない。弾は彼女にあっさりフラれ、そしてこの話は終わる。

 だが、一方でイチカは思っていた。

 多分、その話を聞けば五反田家は悲しむだろうな、と。

 そして、こんなにも無邪気に自分の嘘を信じてくれるような人達を欺くようなことをして、本当に良いだろうか、と。

 

「おい、妙なこと考えるなよ、イチカ」

 

 隣を歩く弾が、イチカの考えていることを敏感に感じ取ったのか、すぐさま釘を刺して来た。

 

「アイツら、別に本気で新しく家族が増えたって歓迎してるわけじゃねえよ。からかい半分なところもあるし、それ以上にああいうテンションがいつも通りなんだ。いちいち真に受けてたら始まらねえ。お前も知ってるだろ」

「…………ああ」

 

 そうなのかもしれない。

 イチカが考え過ぎているだけで、実際にはそんなに深刻な問題ではないのかもしれない。言われてみれば、ちょっと会って話しただけなのだ。弾が『ああアイツ、フラれたよ』って言えば、弾の家族は表面上爆笑して弾のことをイジりつつも、適切なフォローを入れてくれることだろう。それ以上に特に話は膨らまず、大きな問題にもならないはずだ。

 だが……かといって、あの時交わされた言葉の全てが嘘偽りだったとも、イチカには思えない。

 姉が欲しかったのだと無邪気に笑う蘭の姿が、妹が欲しかったと笑う千冬の姿と、どうしようもなくダブった。

 そんな彼女に対して嘘を吐いて平気な顔をして笑いかけて、その尻拭いをせずに逃げ切るなんて、そんなことをしてイチカは自分を許せるのか? 大きな問題にならないにしても、小さな棘のような痛みは与えているはずなのに、それを相手にだけ押し付けるなんてことが許されていいのか?

 イチカに一方的に非があるわけではない。冷静になった後ならともかく、ヒートアップした五反田家に真実を告げれば、蜂の巣をつついたような騒ぎになることは目に見えている。その結果生まれるであろう弾や蘭へのダメージを考えれば、あの嘘は長期的に見れば蘭の為の嘘であるとも言える。

 だが。

 たとえそうだとしても、くだらない嘘だったとしても、『妹』に本当のことを隠して、何でもかんでも持ち去ってしまう『姉』というのは……千冬や生徒会長と同じなのではないか? その苦しみを一番知っているのは、イチカのはずではないか?

 

「――――分かってねえじゃねえか、この馬鹿」

 

 べしっ、とそんなことを考えていたイチカの額を弾が指でつつく。

 

「別にさ。そんな深刻な話じゃねえんだよ、これは。蘭のことを考えてるなら気にするな。元はと言えばアイツが勘違いしたのが原因なんだしよ。なんならいずれネタ晴らしって形で女の姿で『自分はイチカです』って自己紹介してみろよ。今はアレだけど、ほとぼりが冷めた後なら笑い話で片付く。これはそういう話なんだって。むしろ重く考えられる方が俺は困るね」

 

 そう言って、弾は肩を竦めた。

 

「そう、なのかな」

「ああ、そうだ」

 

 ぽつりと呟くイチカに、弾は自信を持って答える。

 と、そんな感じでしんみりしかけた二人の間に、イチカが爆弾を投下した。

 

「…………どうでも良いけどさ。そもそもの原因はお前が俺のことをからかって遊んでたことじゃないのか?」

「そっ、それはだな……」

「……中身は男だって分かってたのに。変態。スケベ野郎」

「ぬぐううううフォローしてやったのにこの言われよう‼‼‼」

 

 あんまりな言いぐさに弾は目から血の涙を流す勢いで打ちのめされる。

 そうは言いつつも、この悪友に改めて頼もしさを感じるイチカだった。

 

***

 

 で、もう帰るということで街中に出た二人だったが、この形が外部から見ればいわゆるデートになるのだと気付くのにそう時間はかからなかった。

 というのも、周囲の視線が彼らに否応なしにその客観的事実を突きつけて来るのだ。

 

「……見られてる……」

「そりゃ、一応美少女だしなあ」

 

 ちなみに、イチカを見ている観衆は別にイチカであることに気付いているわけではない。

 普段とは服装の系統が違う……というのも理由の一つかもしれないが、これを用意したのが『何でもあり』を地で行く千冬であるという事実を考えれば、深く考えずとも深く考えることの無意味さに気付けるはずだ。

 そして、観衆がイチカの正体に気付けないとすれば。

 

「あの子、可愛くね?」

「ああ……でも彼氏持ちかぁ……」

「略奪愛ってアリだと思うかね?」

「やめとけ、お前それ完璧に当て馬になるパターンだぞ」

 

 イチカは見事に注目を集めていた。何人か不穏な事を口走っている連中もいた気がしたが……流石に創作の中のように彼氏連れの女に『そんなヤツ放っておいて俺達と遊ばない~?』みたいなことを言う不逞の輩はいないらしい。

 ただ、だからといってイチカ達が平気という訳ではなかった。

 

「弾、今すぐどこか人のいないところに……」

「くそ、視線が痛い……何で俺がこんな目に……? 『なにー相手の人釣り合ってないー』的な視線を浴びてコンプレックス刺激されるのは少女漫画の世界の話であって、男主人公のラブコメにあって良い展開じゃねーぞ……」

「弾、何言ってんだ? 早く!」

 

 むしろ、此処で不良の一人でも湧いてくれた方が気がまぎれる、という有様だった。

 肝心の弾が聴衆の心ないつぶやきで精神にダメージを負ってしまっているので、服の裾をつまんで引っ張ったりしているのだが、それが逆に萌えポイントになるということにイチカは気付いていないらしい。

 

「……此処まで来れば、まあ大丈夫だろ」

 

 イチカにせかされて人通りの少ない通りから少し外れた、裏道のような通りにやって来た弾は、せかすイチカを宥めるようにそう言った。

 

「そうかな? 大丈夫かほんとに……」

「何焦ってんだよ。いまどき不良が襲ってくるなんてパターンねえだろ。っつか、襲われたってISを展開してるお前だったら簡単に返り討ちできるだろうし」

「そっちじゃないって」

 

 イチカはそう言って、弾と歩調を合わせ、隣に立つ。

 それで、弾からもイチカの表情が見えた。

 イチカは困ったように眉を八の字にして、

 

「だって、ああいう風に言われるのって恥ずかしいだろ」

 

 そして、少しだけ頬を紅潮させていた。

 

「えっ……」

 

 思わず、弾は素っ頓狂な声を上げる。

 それで頬を赤く染めるということはつまり、『そういう』意識があるということではないか?

 弾の声を聞いてはっとしたイチカは、朴念仁としては奇跡に近い精度で弾の想像を察し、超速で否定する。

 

「いやいやいや! 違う、そうじゃなくて! ほらなんかこう、俺が女だと思われてるっていう状況がなんかこう、恥ずかしいっていうかさ…………この感覚はお前には分からないか」

「いや、まあ、何となく、そういうことじゃないってんならそれで良いけど」

「うん……」

 

 二人の間に、巨大な沈黙が横たわる。

 まるで気まずいカップルのような雰囲気だったが、それを一番自覚してどうにかしたいと思っているのは他でもない二人自身だった。

 

「ええい! だから人混みは嫌いなんだよ! もう!」

 

 そんな空気を打破するように、イチカはずんずん弾よりも前に進んで行く。そんな様子が少しかわいく思えて、弾は苦笑しながらそれについて行った。

 

「……ありがとな」

 

 弾を先導するような形で歩きながら、イチカはそんなことを言う。

 

「何がだ?」

「今日一日だよ。色々助けてもらったし」

「やめろよ気持ち悪りい。親友同士なんだから当然だろ」

「……へっ」

 

 照れ隠しの色が滲み出ている弾の言葉に、イチカも照れくさそうに笑った。

 そうは言いつつ、何だかんだ言って弾がイチカの身体に『女の子としての魅力』を感じていたことを、イチカは知っている。面と向かってそう言われたし、胸を揉むとかそういう話もあったが弾がそういうことを求めてもおかしくなかったし、責められない状況だったはずだ。だが、弾は最後の最後まで『親友』としてイチカに接してくれた。

 

 そこまで考えて、イチカは気付いた。

 本当のことを言わないのは蘭や五反田家の人達に悪い――確かに、それもある。だが、イチカが五反田家を離れる際、後ろ髪をひかれる思いがしたのは……多分、もっと別の理由だ。今日一日の中で、『小村チカ』という一人の少女として、弾と一緒に過ごした時間が、蘭と一緒に過ごした時間が……『このままなかったことになってしまうのは惜しい』と、そう思えるくらい、魅力的だったから。

 だから、イチカは何だかんだと理由を付けて――もちろんそれも、イチカの本心ではあるけれど――帰りたくなかった。

 

「ありがとね、弾」

 

 だから、イチカは意識して声色を変えて、そう言った。

 織斑イチカではなく、今日一日弾と一緒にいた、弾の彼女である『小村チカ』として。

 

「……やめろよ、気持ち悪りい」

 

 弾は、ただそう返すだけだった。

 そっか、とイチカは気にした風もなく笑い、そして前に進む。

 気付けば既にモノレールの駅は目の前にあって、改札には見慣れたパンツスーツの女性が佇んでいた。

 

 それを認めたイチカは、今度こそ『織斑イチカ』としてあっけらかんと声をかける。

 

「じゃあな、弾。今度は鈴と、三人でどっか行こうぜ」

「おう。その時はちゃんと男の姿で来いよ。もうこんなのは懲り懲りだ」

「いやごめん……それは保証しかねる……」

「…………お前はどういう環境で生活してるんだ……」

 

 なんてことを言い合いつつ。

 イチカの一時帰宅は、大体つつがなく終了したのであった。

 

***

 

 ――現在、世界のあらゆる政府も確認できていない『どこか』。

 そこに、『彼ら』の根城はあった。

 人類が経験した最も大きな世界大戦。その最中から、実に五〇年以上にわたって世界の闇の奥の奥で暗躍し続けていた組織……『亡国機業(ファントムタスク)』。

 彼らの組織構造は、大きく分けて二つからなっている。

 一つは、実働部隊。一人一人がISの国家代表操縦者顔負けの操縦技術を誇り、独力で国家の中枢にあるISを簒奪する単体潜入能力すら有する『本物の戦闘者』の集団。

 一つは、幹部会。総勢三〇〇人程度の『幹部』と呼ばれる参謀達からなり、戦中からあらゆる国のあらゆる干渉から亡国機業(ファントムタスク)を逃れさせてきた『本物の策略家』の集団。

 これに、外部協力者を合わせた組織構造すべてを合わせて、亡国機業(ファントムタスク)

 

「連中は消されたか」

 

『幹部会』の中の一人が、徐に口を開く。

 彼らの間に優劣はなく、それぞれが対等な立場だった。通常であればそんな組織構造では立ち行かなくなるのが目に見えているが、しかし彼らがそんな愚を犯すことはない。

 打てば響くように、誰かがその言葉に答える。

 

「『ブリュンヒルデ』が出たのだ。むしろよくもった方だろう」

「それに、役割は果たしてくれた」

「彼らは潰されたが、デコイとしての役割を全うしてくれたおかげで、こちらはかなり動きやすくなった」

 

 一つの事柄について、複数の人間が矢継早に情報を補足していく姿は、もはや『集団』というより人間という『細胞』によって構成された一つの生命体のような不気味さを持っていた。

 

「『対象』は?」

「ガードが堅い。だが、経過は順調のようだ」

「『周囲』の反応に我々と同じ『因子』を確認している。おそらく『ブリュンヒルデ』も当人に『その因子』が芽生えないようにしているだろうが――アレの魅力には抗いがたい。遅かれ早かれ、『対象』自身もまた同じ『因子』に目覚めるだろう」

 

 それは、おそらく部外者には全く分からない言葉の応酬だっただろう。

 だが、他の誰にも分からない中でも、彼らの悪意は――狂信のもとに進行していく。

 

「五〇年待った」

 

 不意に、闇の中で、しわがれた声が響く。『幹部』の中の一人だった。彼らの中には、このように今にも生命の灯が消えうせそうになっている老人もいれば、まだ学校に通っていてもおかしくない年齢の子供まで、平等に集っていた。

 

「大戦の最中、芽生えた意志に従って我々は集った。そこから、五〇年待った」

「そして今、『対象』がいる。篠ノ之束は自らの欲望に従った結果生まれたイレギュラーだと思っているようだが、それは違う。この世は、そういうものなのだ。それほどまでに、『それ』は強大なのだ」

 

 あるいは、自分達を鼓舞するように。

『幹部』達は言葉を紡いでいく。

 

 これほどの人数が一堂に会し、しかも平等な立場でいられるなんて、そんなことは通常であればあり得ない。

 考えられるとすれば――――それは、此処にいる万人が平等にひれ伏し、そして忠誠を誓う『絶対的な何か』の存在による強固な統治。

 だが、『絶対的な何か』とは、必ずしも物質的なものである必要はない。

 古今東西、あらゆるものの中で最も人を強固に支配した概念といえば――――『思想』を置いて、他にはあるまい。

 

「『TS娘』を、完成させる。他の誰でもない、我々の手で」

 

 少年の声が。

 未来に溢れた少年の、活力ある声が、そう断言した。

 

 千冬は言った。

 TSは正義だ。だから正義そのものであるイチカが迫害されることはあり得ない。

 その事実は確かに疑いようのない真理かもしれない。

 だがそれとは別にして、正義とは時に盲信されるものでもある。だから同じように『TS』を盲信する者がいる可能性まで否定することはできない。

 

 たとえば。

 

 大戦の最中から、『TS少女をちやほやしたい』という欲望に従って五〇年にわたって暗躍を続けて来た、とある変態の集まりとか。

 

 彼らは、『TS少女』を愛している。

 だが、その愛は実に歪だ。

 TS少女の、その『TS後』のみを肯定し、『TS前』の男である存在は認めないとする考え。

 セシリアや鈴音のそれは単なる照れ隠しのようなものでありそこまで深刻なものではない。だが、世の中にはそれを本気で求める者だって確かに存在する。

 つまり、織斑イチカのみを認め、織斑一夏を否定する集団。

 

「我々は『可逆TS』を認めない」

 

 誰かが、そんなことを言った。

 そしてそれは、すぐさま集団の全体に波及していく。

 まるで、血液が全身の細胞に巡って行くように。

 

「TS娘に、『男だった過去』は必要ない‼‼」

 

 インフィニット・ストラトス――Infinite_Storatos。

 世界最高の兵器にして、登場と共にあらゆる兵器を時代遅れの玩具に変え、そして世界の在り方すら捻じ曲げた化け物。

 永遠、無限……途方もない数値、終わりのない時を表す『Infinite』に、生物は存在しえずかといって宇宙でもない成層圏……あるいは転じて地球の頂点つまり最高段階を表す『Storatsphere』を名に冠する存在。

 その名称の意味には諸説ある。

『無限の成層圏』を意味し、揚力すら確保が難しい成層圏にて恒久的な飛行活動を可能にしていることをさしている、といった説。

『永久の最高段階』を意味し、いくら技術革新が起ころうと常に頂点に立つ兵器であるという束の自信を表している、といった説。

 さまざまにあり、意味一つとってみてもISを軸にする組織にとってはその存在意義の根幹に関わる問題で、それこそその言葉の意味一つとって多種多様な団体が喧々囂々の論戦を交わしているような『人類の命題』でもある。

 そして亡国機業(ファントムタスク)では後者の説を、()()()()()()()()()採用していた。

 

 つまり、『最高段階』の意味の曲解。

 

 ――三〇〇人いる『幹部』達の声が、まるで一つの生命体のようにひと揃えになる。

 それこそ、彼らの存在意義であり、悲願でもあった。

 

 それは――――、

 

 

「『永久の女体変化(インフィニット・ストラトス)』を、イチカちゃんに‼」

 

 

 亡国機業(ファントムタスク)――――

 

 

 ――――目的:イチカの性別固定化。



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第一七話「宗教戦争」

「本日は転校生を紹介します」

「おおっ!」

「しかも二人です!」

「おおっ⁉」

 

 あくる日。

 IS学園のホームルームにて、副担任のロリ巨乳眼鏡がそんなことを言ってクラスを賑わせていた。

 

(……セシリアの機嫌が悪い……ってことは、代表候補生関連かな?)

 

 最前列に座る一夏は、最後列の方から何か恐ろしいオーラを感じ取ってそう思う。

 普段はおちゃらけているセシリアだが、やはり次期代表だけあってこういった国際的な話についてはわりと厳格な態度をとったりする。それならば将来的に国家間で取り合いに発展することが想像に難くない自分の取り扱いについてももうちょっと厳格になって欲しいと思う一夏だが、そこは例によって例外なのであった。

 

「転校生だって」

「どんな人かな? やっぱりこの時期に編入ってことは代表候補生とか?」

「編入できるってことはけっこう凄い人だよね」

「セシリアさんよりも?」

「んーどうだろう…………」

「今不敬なことをのたまったヤツは死刑ですわ」

 

 とはいえ、何であろうと転校生。さしもの変態連中も、今日ばかりは年相応の少女らしいざわめきに支配されていた。ごく一部圧倒的強者による恐怖に支配されていたりもしたが。

 

「失礼します!」

「………………」

 

 しかし、そんなざわめきも転校生が入って来た瞬間に止まった。

 何故なら、二人の転校生のうち一人が――――男だったのだから。

 

***

 

「お、男……?」

 

 一夏が、小さく呟く。

 それはつまり、一夏にとっては『仲間』に他ならない。男でありながら、ISを動かせる人材。今まで一夏がたった一人で担っていた、その重圧。それを分かち合える仲間が、できたということだ。

 そんな一夏の背後で、ガタッッッ‼‼‼ と勢いよく立ち上がる音が聞こえた。

 

「笑止ィィッッ‼‼ そのような児戯で我らが騙されると思フベアッ⁉」

 

 相川清香、という名前の少女だったはずだが、彼女の台詞は途中で級友に顔面を殴り飛ばされたことで中断した。

 

「(ぐぬおお……馬鹿な、TSを騙る愚か者に鉄槌を下そうと言うのに、何故……)」

「(愚か者はお前だ清香。ラブコメにおいて男を装って編入してきた女の子の性別を開始数秒でバラすなどありえないだろう)」

「(癒子の言う通りだ。此処はあの少女の雄姿をもう少し見ているとしよう。学園もそういう意図のはずだ)」

「(皆全体的にキャラおかしいよ~)」

 

 水面下では変態が色々と察して気を利かせてくれていたので、わりと()()()()()()()()通りの進行なのであった。

 

「シャルル=デュノアです。フランスから来ました。まだ日本に来て日が浅いので、おかしなことをしてしまうかもしれませんがよろしくお願いします」

 

 転校生の一人、シャルルはそう言って、にこやかな笑みを浮かべ一礼した。

 その如才ない態度は、まさしく微笑みの貴公子と呼んだ方が良いかもしれない。顔は少し童顔気味だが、骨格は明らかに男だし、事実一夏も男だと思っている(じゃあ何故変態たちがそれに気付けたのか? それは考えるだけ無駄だ)。

 まあともかく、綺麗な黄金色の髪を首の後ろで束ねているその姿は、昔の少年漫画の『イケメン枠』と言うのが最適な風貌だった。

 

「……男、なのか?」

 

 一夏が、ポツリと呟く。

 

「はい。こちらに僕と同じ境遇の方がいると――あ、君が織斑君だね? お互い男同士、一緒に頑張ろう」

 

 それで、シャルルの自己紹介は終わった。

 一夏は『あれ? 念願の男なのにどうして他の奴らから反応がないんだろう?』と首を傾げていたが、TS愛好家変態淑女のボルテージ的に『男装女子』はラブコメ的に面白いから黙認することはあっても、それで特に昂ぶるというようなことはないのであった。

 そして、続いて二人目の自己紹介。

 

「……はぁ」

 

 溜息を吐いたのは、シャルルの隣にいる銀髪の少女だ。片目に黒い眼帯をつけており、制服は軍服のような改造を施されている。

 

「ラウラ=ボーデヴィッヒだ。元軍属。諸君からしてみれば現役軍人が軍隊を退役し『代表候補生』の設定条件に『兵役の有無』がないのを良いことにルールの抜け穴を通って此処に来ている事実は良い迷惑だろうが、そこについては目を瞑ってもらいたい」

 

 ラウラ=ボーデヴィッヒは非常に理知的な語り口で、全員にそう呼びかける。

 

「……率直に言って、私の方も軍人が民間人に混じって活動するという状況に非常にストレスを感じているんだ。何が最適解か、そもそも集団のルールすらも掴めていない手探り状態だし、軍人としての私のプライドも大いに傷ついている。変に当たり散らすほどガキであるつもりはないが、そこは考慮してくれると嬉しい」

 

 ラウラはそう言ってクラス全員を睥睨する。他の生徒を見下しているとか、自分の実力に胡坐をかいているとか、そういうことではない。単純な事実として、軍人と民間人では『鍛え方が違う』。その事実を認識した上で、それを当然のこととして突きつけている。

 つまり、自分の方がこの学園のあらゆる人員より遥かに優れていて当然。

 彼女が心配しているのは、その優秀すぎる能力ゆえに発生する集団との軋轢だ。

 ――今の自己紹介で一夏は背後から感じるセシリアの怒りゲージがまた上昇したのを感じ取ったが、そこに言及するような余裕もないほど、目の前の少女との『意識の差』に打ちのめされていた。

 

「もっとも、私の目的は此処で学生相手に大人げなくプロの殺しの技を見せつけることではない」

 

 そして、ラウラは一夏の方を指差し、言う。

 

「織斑一夏。()()()()()()()()()()

 

 その瞬間。

 

 ドッッッッッ‼‼‼‼‼ と。

 

 シャルル=デュノアの登場でもピクリともしなかったオーディエンスから、迅速に黄色い津波が生じた。

 

「静かに、静かにっ!」

 

 それを遮るように、ロリ巨乳眼鏡が手を振って生徒を鎮静化させる。

 さりげなくクラス全員を(無意識に)超絶上から目線でディスっていたラウラだったが、そこについては『いやー軍人さんと張り合ってもね……』という生徒が大半であり、あまり気にされていなかった。というか、その後の爆弾発言がそれらの印象を塗り潰していた。

 

「えーと……つかぬことをお伺いしたいんだけど、『女にしてやろう』というのは?」

「何を当たり前のことを……。お前は男だが、女にもなれるのだろう?」

 

 そう言って、ラウラは腕を組んで自信満々に言う。

 

「だが、今こうして男として生活している。それは何故か。『女の素晴らしさ』を知っていないからだ。だから、私が『女の素晴らしさ』を教えて、お前を女にしてやると言っているのだ!」

「笑止! ドイツ軍人は押しつけがましくていけませんわ! それはイチカさんが自ら気付くべきこと! 我々が必要以上に押し付けるべきものではありません!」

「それにお前の物言いでは一夏そのものを否定しているじゃないか! TS少女の良さは男としてのアイデンティティあってのもの! 男の状態を否定してはただのボーイッシュ少女に成り下がるぞ!」

「戯け! 肉体面だけでなく精神面での女性化を経てこそのTS! 親友の少年との恋愛模様を経て身も心も女になっていく様こそ王道だと何故わからない‼」

「馬鹿! GL系TSだって需要はありますわ!」

「『ら●ま1/2』という名作を知らないのか‼」

「『ら●ま1/2』だって男とちょっと良い雰囲気なる回が一番好きだったんだよ‼‼」

 

「あわ、あわわ……」

 

 宗教戦争が始まってしまった教室で、三人の『次期代表』レベルの猛者がぶつかり合う。ただの代表候補生だったロリ巨乳眼鏡としてはひたすらに心臓に悪い展開であり、止めることなどもってのほかだった。

 ゆえに、この状況を止められる者がいるとすれば、一人しかいない。

 

 スパァン‼ と。

 

 時空を超えた出席簿の一閃が、一万分の一秒ほどの狂いもなく同時に三人の頭に直撃する。

 

「ホームルーム中だ。弁えろ」

 

 遅れて、ガララ、と扉が開く音と同時に千冬の声が聞こえて来た。

 相変わらず、物理法則どころか因果律の一切を無視した女だった。

 圧倒的強者に諌められた三人は、渋々その場での矛を収める。

 

「……で、では、ホームルームはこれで終わりですっ! 各自すぐに着替えて、第二グラウンドに集合してくださいね~。今日は全クラス合同でIS模擬戦闘を行いますから。では、解散!」

 

 追い立てるように手を叩きながら教室を出て行ったロリ巨乳眼鏡を見送った一夏は、すぐに立ち上がってシャルルの近くへ行く。

 

「織斑君、改めてはじめまして、僕は、」

「挨拶は後。今はとにかく、移動が先だ!」

「えっ、え⁉」

 

 一夏はそう言うなり、シャルルの手を掴む。

 と同時に。

 

「織斑君、今日こそコンビを組もう‼ そしてお着替えしよう‼」

「大丈夫だって平気平気女の子同士ならセーフだから! 何なら変身したら目を瞑ってるだけで良いから!」

「思春期の男子が女子校で寮生活って色々溜まってるだろ~女の子になれば合法的に発散できるぞ~?」

 

 変態淑女たちが、毎度おなじみの軍隊めいた動きで行動を開始する。

 

「な、んだ……この練度は……⁉」

 

 どこぞの軍人がシリアスに慄いているが、それはあんまり関係ない。

 

「お待ちなさい織斑! 今日と言う今日は逃がしませんわよ!」

「いい加減に観念しろ、一夏ぁ!」

 

 変態淑女の一団を掻い潜ると、今度は明らかに壁に対して垂直になりながら走るセシリアと、それを回避した先に的確に陣取って一夏を捕えようと天井に設置されたわずかな照明の凹凸に指をかけて待機している箒の姿があった。

 無論、作戦会議などしている様子はない。全てアドリブの賜物だった。

 

「こ、ここまでになると、私のキャラ付けの存在意義が……あれ、もしかして私、まさかの没個性キャラ…………⁉」

 

 わりとシリアスに慄いているどこぞの軍人は、あまり気にしてはいけない。

 

「お、織斑君⁉ これって……」

「見ての通りだ! タッグトーナメントのタッグ登録日まで一週間を切ってから、連中ついに見境なくなって、男の時の俺にまで襲撃を仕掛けるようになったんだ!」

「『男の時の俺にまで』? いつもじゃなくて??」

「もしそうなら俺が男の姿でお前と顔を合わせることはなかっただろうな!」

 

 飛びかかるセシリアと箒がどこからともなく現れた鈴音に勢いよく殴り飛ばされるのを横目で見ながら、一夏はシャルルの手を引っ張って走って行く。

 

「…………あの、一夏。さっきのあの子は一体……?」

「ああ、アイツか。アイツは俺の親友だよ」

 

 シャルルは何が何だか分からなくなった。

 

***

 

 ちなみに。

 ラウラ=ボーデヴィッヒが此処まで(色々とツッコミどころ満載なのは脇に置いておいて)理知的に一夏と接することができているのには、きちんとした理由が存在している。

 ()()()()()()()()と同じように、ラウラは千冬が競技選手を引退する遠因となった一夏に対し、憎悪とも呼べるほどの強大な悪感情を抱いていた。だから、何かのタイミングがあればビンタの一発でも決めて思いっきり対立しまくってやろうと、そう考えていた。

 …………その一夏が、『女になる』と知るまでは。

 もちろん、最初はラウラだって『いくら女のときの姿が……ちょ、ちょっと可愛いからって、教官の未来を奪ったことに変わりはないんだから!』と思っていたのだが(この時点で既に半堕ちであった)、同じ部隊に所属している副官のクラリッサ以下オタク隊員たちが四六時中イチカちゃんイチカちゃんと喚きたて、挙句の果てに『この子、なんか目元とか教官に似てると思いませんか隊長?』『昔やってた「もしも教官が気弱な乙女だったら的IF妄想」が現実になってませんか隊長?』とか言われてしまっては、さしもの鉄の女ラウラでも理性がくらっと来てしまうのも仕方のないことだった。

 ただ、いくらイチカの時が可愛くとも、男になればそこにいるのは教官の未来を奪った憎き男。しかも、肝心の本人は『男が基本』と言ってはばからない。その上変態への警戒で滅多に変態しないと来た。これは、ラウラからしてみればよろしくない。ラウラとしては、『イチカが一夏であるのは気に食わない』のだ。

 ゆえに、IS学園入学の際には『頼れる軍人お姉様』ポジションに立ち、そして『女の素晴らしさ』を教える――ついでに親友の男と恋愛して身も心も女の子になっていくというラウラの愛する『王道』を広める――という宣言をするに至ったのであった。

 

 まあ、『頼れる軍人お姉様』ポジション狙いは自己紹介の時点からして軽くスベっていた上、変態たちのスペックがあまりにも変態じみていた為裏目に出てしまっているのだが。

 ラウラの明日はどっちだ。

 

***

 

 バタバタバタ! と足音が遠ざかって行くのを、一夏とシャルルは物陰に潜みながら聞いていた。

 

「……撒いたか……」

「……あの、織斑くん?」

「一夏でいいよ」

「じゃ、じゃあ一夏。いつもこんなことしてるの? さっきの人達の動き、明らかに民間人のそれじゃなかったけど……」

「あいつら変態だからな」

 

 一夏はさらっと言ってのけたが、それが説明になるのは同じ変態相手だけである。だが、一夏の方も現状を甘く見ているわけではない。物陰に潜む一夏の表情は、むしろ焦っていると言ってもよかった。

 一夏が一夏のまま生活していた此処二週間近くは、変態たちに新たな成長を与えていた。端的に言うと、変態たちは一夏を『付き合いのない同級生』で終わらせるのではなく、普通に話をする同級生として扱うようになったのだ。

 だが、それが逆にあだとなった。

 行動範囲を拡張させた変態淑女は、登録日が近くなったことに焦りを覚えてコミュニケーションがとれるようになった一夏に対してもダイレクトに勧誘行動を仕掛けるようになったのである。結果として、一夏にとっての安住の地は失われた。(『排斥』が起こらなかったのが幸いだが……)

 

「……しかし、正直なところ助かったよ」

 

 そう言いながら、一夏は物陰から身体を出さないよう、なるべく多くの視点から死角になるルートを自然と選んで通って行く。

 これもまた、変態たちとの日々の切磋琢磨によって培われてきた技能だった。あまり嬉しくはないが。

 

「どういうこと?」

「いやあ、皆あんな感じだろ? 色々と気を遣うんだよ。まあ親友がいるからそれほど苦じゃないんだけど、やっぱり男がいてくれると、違うんだよな」

「ああ……。うん、そうだよね。()()()()()()()()()()

「うん? ……まあ、別に女の子だからダメって訳じゃないけど……」

 

 何か微妙なニュアンスのシャルルに怪訝な表情を浮かべつつも、一夏は先に進んで行く。群衆に掴まることなく校舎を出た一夏は、そのまま第二アリーナの更衣室へと突貫する。

 更衣室の前で赤外線センサー(一度、赤外線トラップに引っかかってあわや確保というところまで行ったことがある)の有無を確認した一夏は、迅速に扉を開けて中へと進む。シャルルもそれに続いて行った。

 

「うう……毎度の事ながら時間がヤバい。ともかく、さっさと着替えよう」

「う、うん。そ、そうだね……うふ……」

「シャルル?」

「ううん! 何でもないよ!」

 

 何か慣れ親しんだ質の視線を感じつつ、一夏は制服を脱いでいく。女子と違って隠れる面積の多い男子制服を普段着ている一夏は、下着の代わりにツーピース型のISスーツを身に纏っていることが多い。その方が格段に早く着替えられるからだ。だから着替えと言っても、殆ど制服を脱いで汗をぬぐう程度のものしかない、のだが……。

 

「…………シャルルは何で全裸になってるの?」

「え? だって着替えでしょう?」

 

 シャルルの方は、下にISスーツを着込むとかそういうことはなく、普通に全裸なのだった。お蔭でシャルルのシャルル(隠語)が丸見えになっていたが、シャルルは恥ずかしがったりしない。むしろ一夏に見せつけるように、その童顔からは似ても似つかないシャルル(隠語)を惜しげもなく晒していた。

 かえって見せられている一夏の方が恥ずかしくなって頬を赤らめるというこの世の誰も得しない光景を提供する始末だった。読者諸氏に置かれては是非ともイチカに脳内補完していただきたい。

 なお、それを見たシャルルは何故か恍惚としていた。

 

「このISスーツ、着る時()()()()()のが邪魔だよねえ」

「……引っかかる?」

「うん」

 

 何か()()()()()()()()とは役割が逆転していたが、このSS的に一夏はセクハラされる側なのでどこも間違いではないのであった。

 

「……最初から着ておけばいいんじゃないか?」

「ええー、蒸れるでしょ?」

「ISスーツは通気性抜群だから蒸れないぞ……」

「そっかあ、じゃあ今度からはそうしようかなあ。残念だけど」

 

 何故残念なんだ……という一夏の魂の呟きは、当然ながらシャルルには届かなかった。

 

***

 

 そんなこんなで、何とかギリギリ間に合った。

 

「遅いぞ織斑、デュノア。間に合ったから許すが、五分前行動を心がけろ」

「それなら学園の変態をどうにかしてください、お願いします……」

「それも計算に入れろ、と言っているのだ」

 

 織斑教諭からの有難い無理難題(アドバイス)に涙を流して感謝した一夏は、そのまま一組の列の端に加わる。

 一応千冬へのお願いをした後数日は変態の活動も沈静化していた為、約束は果たしたことになっているのであった。再発しても止めろとまでは言われていないのである。

 

「遅かったですわね、織斑」

 

 すると、隣から『綺麗な花には棘がある』どころか『綺麗な花は棘で出来ている』といった感じの声色で声を掛けられた。

 どうやら、整列は何の因果かセシリアが一夏の隣になっていたらしい。

 

「お前らがハッスルしてくれたおかげでな……っていうかセシリアの方は何で間に合ってるわけ? あの後も俺のこと探し回ってたんだろ?」

「貴方と一緒にしないでくださいまし。わたくしを初めとした学生陣は自分でやることをやった上でアレをやっているんでしてよ」

「なら俺のペースとかも考えてくれたっていいと思うんだ……」

「あら。考えていますわよ。貴方ならあのくらいでも大丈夫だと思ってやっているのです。それとも貴方の実力はあの程度とでも?」

「ぐぬ……」

 

 そう言われると、一夏お得意の負けん気が盛り上がって来てしまい、NOとは言えなくなってくる。セシリアの挑戦的な笑みがさらに憎たらしく見えて来た一夏であった。

 

「しかし、今日は災難でしたわね」

「ああ……いきなり女にするとか、訳が分からないよ。ほんとに……」

「まったくですわ。内面が男で百合百合するから良いというものですのに……」

「ん゛っ?」

 

 唐突に雲行きが怪しくなり、一夏は思わず変な声を出してしまう。

 此処から先は専門用語が飛び交うので注意してください。

 

「それは違うぞセシリア。他の誰かとかけ合わせたりせずとも、TS娘の胸が大きくなったり生理が来たりするのを外野が持て囃し、TS娘が自身の性を自覚する。それだけで、世界は素晴らしくなる。他のすべては雑味――――」

「ほう……どうやら箒さんは『フェチ系TS派』のようですわね……わたくしのような『GL(ガールズラヴ)系TS派』とは相いれないと……」

「何を言っているかと思いきや……フン、どうやらイギリスも日本もTS後進国という点では団栗の背比べのようだな。TS娘が親友の男と恋愛することこそ至高にして究極だと何度も言っているだろう」

「『BL(ボーイズラヴ)系TS派』は黙ってなさい‼」

「TS娘×親友男は恋愛の過程で内面まで女性化するんだからNL(ノーマルラヴ)だって一億年前から言ってんだろブチ殺すぞ変態‼‼‼‼」

「それを言ったらGL系TSだってTS娘の内面は男のままだからNLですわ! 変態じゃありませんわ!」

「でもお前TS娘を女として見ているだろうが! ならやはりGLだ! 変態だ‼」

「ちょっと待てNLが成立するほど内面が完璧に女の子になったらそれもうTS娘じゃなくてただの女の子じゃないか! 男が女になっていく過程が良いのは分かるが『完全になった後』を主眼に置くのはズレてるぞ! 殆どマインドコントロール(MC)モノじゃないか! 変態‼‼」

「見識が狭いぞ女体化フェチ! 内面の完全女性化は何もMCだけじゃない! 相手の男と添い遂げる為に女であることを選んだりするだろ! それに生理とかに萌える方が変態だろ‼‼‼」

「NL系のTSモノだって生理が物語のターニングポイントになったりするから一概に人の事言えないだろ変態‼‼‼‼」

「さっきから黙って聞いてりゃやかましいわよ変態ども‼‼ はたから見たらどっちも変態だっての‼‼‼ 一夏は男なの‼‼‼‼ 元の状態のまま恋愛するに決まってんでしょバーカバーカ‼‼‼‼‼」

 

『フェチ系TS派』『GL系TS派』『NL系TS派』『男戻り派』の四派によって全く求められていない戦争が勃発するかに思われた、その時だった。グゴシャア! と前後の流れを無視して、戦争に参加していた四人の少女が叩き伏せられる。

 

「馬鹿者が。TSに貴賤はない。くだらん争いをするな」

 

 ――織斑千冬。

 一人一人が数万の軍勢をも超越するIS操縦者をたった一人で四人叩き伏せたその化け物は、威風堂々という言葉が人の形をとったようなたたずまいでそう言い切った。

 これほどまでに主張が分かれる分野をして、『貴賤がない』とはっきり言い切れる彼女は、いったいどれほどの悲劇を見て、そして学んできたのだろうか。変態淑女たちはしばし、そこに思いをはせる。

 

 そして、その中で一人、一夏だけは聞き逃していなかった。

 シャルルが『……BL系TS、上等じゃない……?』と呟いていたのを。

 

***

 

「で、では、本日から格闘および射撃を含む実戦訓練を開始しますよー……」

 

 生徒の目の前に立ったロリ巨乳眼鏡がそう言うなり、変態淑女たちは優等生の仮面をかぶって一斉に大きな返事を返す。

 全クラス――つまり四組合同の実習である為、人数はいつもの倍である。当然ながら、熱気も、一夏を狙う視線も四倍であった。

 その熱気を見渡し、満足そうにうなずいた千冬は、一夏とシャルルに声をかける。

 

「デュノア、織斑、今のうちに変身しておけ」

「…………げ、限界まで待っては駄目ですか……?」

「今がその限界だと言っている。これから、四組の中の専用機持ちで合同模擬戦を行うからな」

「合同模擬戦?」

 

 首を傾げる一夏に、千冬は軽く頷いて声を張り上げた。

 

「みな、聞いていたな! 今日の授業の前に、貴様らが目指す『頂き』を見せてやる。貴様らの中の頂点が集って、私に挑むのだ。その高みを見ろ。すぐにそこに到達できるとは期待していない。三年かかっても無理だと思っている。だから、目に焼き付けろ。これからの一生、その残像を乗り越える為に使え。その残像に押しつぶされる腑抜けは此処にはいないと私は信じている。以上だ‼」

 

 その号令を受けて、専用機持ち達が前に出て来る。

 一組からは、押しも押されぬイギリス次期代表『セシリア=オルコット』、軍隊仕込みのドイツ次期代表『ラウラ=ボーデヴィッヒ』、彗星のごとく現れたフランス次期代表『シャルル=デュノア』、そして世界初の男性操縦者『織斑一夏』。

 二組からは、たった一年で代表まで上り詰めた中国次期代表『凰鈴音』。

 そして四組からは、IS学園生徒会長を姉に持つ日本次期代表『更識簪』。

 見事に次期代表級が勢ぞろいしていた。

 

 そしてその中で、一夏の身体が眩い光に包まれ、そして奇跡の具現化と言わんばかりに美しい少女へと変貌する。それを至近距離で目の当たりにした変態淑女から、どよめきとも歓声ともとれるざわめきが響き渡る。

 シャルルも一緒に変身し、先程の線の細い美少年から、柔らかくそして巨乳な美少女へと変貌していたのだが、そこに対するリアクションはあまりなかった。この変態ども、ことごとく徹底している。

 

「あ、あー……その、はじめまして。俺、織斑イチカ……よろしく」

「………………」

 

 全員がそれぞれのISを展開した後、六人は作戦会議を始めていた。ちなみに、簪の方はまだ専用機が完成していないため、既存の打鉄に改造を施しただけのカスタム機である。

 これから集団戦闘ということもあり、イチカは気まずげにしながらも簪に挨拶する――が、ライトブルーの髪の少女は、眼鏡の下の不愛想な眼差しを隠そうともせずイチカを一瞥した後、そっぽを向いた。

 

「ちょっと貴女……イチカさんが挨拶しているのに失礼ではなくって?」

「………………」

「聞いていまして? これから協力するというのにそれでは……、」

「待ちなさいイギリス次期代表」

 

 さらに詰め寄ろうとするセシリアを、鈴音が抑える。

 

「何ですの中国次期代表」

「あの子…………照れてるわ」

「⁉」

「わ、私は…………TS娘が、男と女の間で揺れ動いてる『両性系TS』が好きかな、って……えへへ」

 

 あ、こいつも変態だったわ。

 イチカは『自分のせいで専用機の開発が遅れ遅れになっちゃって申し訳ないな』とかといった殊勝な考えが一瞬で消し飛んだのを理解した。っていうか、なんかもう既に打鉄の方も完成しつつある感じである。この先の展開とか吹っ飛んじゃうけど良いの? と誰ともなく思ったり思わなかったりだったのだが、そこは多分どうせ端折られるので問題ないのであった。

 ともあれ、模擬戦。模擬戦である。まず役割分担から決めなくてはいけない。

 

「で、皆は何ができるんだ?」

「BTシステムによる超遠距離自在精密砲撃ですわ」

「近距離戦も出来るけど本職は龍砲で中距離戦。アンタも見たでしょ?」

「僕は……特別な兵装はないけど、多彩な装備を自在に切り替えて全距離に対応できるよ。一番得意なのは中距離戦かな」

「……フン。手の内を晒すのは癪だが……第三世代兵装で相手の動きを止めてから、レールガンを当てる遠距離タイプだ」

「私は、接近して……ゼロ距離から荷電粒子砲ブッパ…………浪漫……」

 

 ちょっと見るだけでも、遠近多彩な面子が揃っていた。

 

「俺は近距離専門型だ。この『雪片弐型』っていう、ISエネルギーを相殺する剣でな」

 

 当然だが、みんなして知っているって顔をしていた。

 イチカはちょっと恥ずかしそうな顔をしていたが、このまとまりのない面子を纏めるのは自分しかいないという義務感からめげずに続けていく。

 

「それじゃ、今回は自分の得意な距離感で行こう。俺と簪さんが接近戦で戦うから、」

「簪で…………良い……」

「あ、ああそう……。俺と簪が接近戦で戦うから、鈴とシャルルは俺達のサポートと援護。セシリアとラウラは、後ろから全体の援護と指揮をお願いできるか? ……喧嘩とかしないよな?」

「当たり前ですわ。公私の区別くらいつきましてよ」

「私もプロだ。自分の仕事はしっかりと全うする」

 

 こういうところでは頼りになるのであった。

 そして、全体的な流れを確認しおえたイチカは改めて今回の敵――――千冬の方を見る。

『次期代表』級が五人。イチカ自身も、そこらの代表候補生くらいなら凌駕する技量を持っている。これまでイチカが戦ってきた戦闘の中では、おそらく一番の戦力だと言って良いだろう。コンビネーションも、この五人は趣味の違いとかでくだらない仲違いをするタイプではない。むしろ『やるときだけは凄くカッコよくなる』タイプの連中なのだ。心配要素は皆無と言って良い。

 なのに……どうしてだろう? とイチカは思う。

 

 これだけの戦力を掻き集めているのに。

 どうして、織斑千冬に傷一つでもつけられるヴィジョンが思い浮かばないのだろう?



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第一八話「やっぱり国連クソだわ(byイチカ)」

 午前の授業を一通り終えた一夏は変身を解除し、屋上にやって来ていた。

 結局、模擬戦は惨敗だった。

 完璧の布陣、そして完璧の連携を以て挑んだはずの六人は、開始数秒後に何故か一万分の一秒の狂いもなく同時のタイミングで撃墜。もはや次元が違うというか……作品が違う有様だった。

 

「良い天気だなぁ……」

 

 空を見上げた一夏は、のほほんとした心境で呟く。

 一面に配置された花壇は色とりどりの花が咲き乱れ、西ヨーロッパを思わせる石畳が一面に敷き詰められている。中心には円卓と椅子が用意されていて、晴れた日の昼休みになると色んな生徒が此処にやって来るほどだ。今日は一夏たちだけだが。

 

「一夏、お爺ちゃんみたいだからそれやめなって」

「中国次期代表、言っても無駄だと思いますわよ。織斑の老人趣味と女たらしと唐変木は死んでも治りませんし」

「せめてイチカだったらなぁ……」

 

 ただ天気についての感想を漏らしただけなのにこの言いよう。一夏は思わず涙したくなった。

 

「えーと……僕も来て良かったのかな?」

「私もまさか招待されるとは思わなかったが」

「わ、私……も…………」

 

 そして、この日の同席者はいつもの四馬鹿(カルテット)だけではなかった。

 さらに三人の次期代表(ラウラは厳密には違うが、実力的には同じだ)もまた、この場に加わっていた。

 

「まあ良いじゃんか。さっきの授業で共闘したのも何かの縁だしさ。専用機持ち同士親睦を深めようぜ」

 

 というのも、一夏が『転校してきたばかりで二人はなじみが浅いだろうから、仲良くなるきっかけを持とう』と言いだしたのである。世話焼き気質の鈴音は元より、基本的にどっちの状態でも一夏の言うことには好意的な箒、口で何だかんだ言っても面倒見のいいセシリアもそれに付き合い、ついでにクラスで孤立しているらしかった簪も引っ張り込んだ、というわけだ。

 

「私、は……専用機、まだ完成してないけど……」

「……それについては、本当に、申し訳ない……」

「いい……貴方は悪くないから……」

 

 陰気な簪の言葉に一夏はがっくりと頭を下げるが、当の本人に悪意はないようだった。

 

「それに……私にとっては、願ったり叶ったりだよ。……お姉ちゃんの偉業を超えるチャンスを、もらったわけだし……」

「ああ。確か、更識の姉は国家代表操縦者で、自分の手でISを作ったんだったか。お互い出来る姉を持つと困るな」

「そこについては俺も同意だなぁ」

「ふふ……。私は、上等……って思ってるわ。……だって、それだけ、超えた時の私の評価も……上がるし」

 

 簪の声色は陰気そのものだったが、しかしその表情に卑屈さはまるでなかった。むしろ、夏の大空のように清々しい晴れやかな顔だ。まあ、規格外の科学力を持つ束に、常識とか法則とか摂理とか因果とか曲げちゃいけないものまで捻じ曲げる千冬と違い、会長の楯無は『まだ』常識で語れるレベルの強者だから、というのも大いにあるだろうが。

 

「……簪は凄いなぁ」

 

 だが、具体的な『姉を超えるヴィジョン』を持っている簪は、一夏にとっては大きな存在に見える。一夏なんて、姉をどう超えるか、そのヴィジョンすら見えていないのに、だ。今はまだ、同年代の仲間に追いつくことすらできていない。

 

「私がこうなれたのは、……一夏君のお蔭だけどね」

 

 そう言って、簪ははにかんだ。隣にいる鈴音がピクリと反応したが、箒がどうどうと宥めている。

 

「……俺の()()? 俺の()()ではなく?」

「うん。……専用機の完成が遅れて、私が作ることになってなければ、お姉ちゃんを超える機会すらなかったわけだし……それに…………テレビでイチカちゃんの活躍を見てたら、『私だけじゃないんだ』って思えて……」

 

 それはおそらく、五月にあったクラス対抗戦のことだろう。簪は棄権していたが、イチカの試合はしっかり見ていたらしい。

 女体化しただけで、二巻だけでなく七巻の展開まで食いつぶす魔性の女(?)っぷりであった。ちなみに、亡国機業(ファントムタスク)の設定も歪んでいるのでその他の設定もブッ壊れていることは言うまでもない。

 

「イチカちゃんは、こんなにか弱くて可愛らしいのに……強いお姉ちゃんと比較されながらも、あんなに可愛らしく……それなのに、私がこんなところで腐っていられないって、思ったんだ……」

 

 簪は完全に良い話ムードだったが、可愛らしいを連発された一夏としては果てしなく微妙な気持ちだった。結果として良い方向に向いているので、良かったと言えるかもしれないが……。

 

「……それに、……この間の試合のイチカちゃんは、…………男らしくて格好良かったし……」

「っ!」

 

 男らしい、という称賛に、微妙な顔だった一夏が明るくなる。女体化するようになってからこっち、多分一度も使われたことのない形容だったことだろう。

 

「やっぱり、TS娘はかくあるべき、だよね…………」

 

 ……ただ、その喜びは続いた台詞で全部台無しになってしまったのだが。

 後ろで臨戦態勢に入っていた鈴音が盛大にズッこけたのはご愛嬌だ。

 此処から先、思想のぶつかり合いが続くのでご注意ください。

 

「TS娘っていうのはね……男でもあり女でもあるから素晴らしいのよ。…………可愛らしい女の子なのに、ところどころで男の時の面影を感じさせる。ある時は誰かを守る男気を見せるけど……またある時は守られるか弱さを見せる……そのちぐはぐさが……、TSの最大の魅力……」

「ちょっと待て。良い話だと思ってスルーしていたが、そうなってくると話が変わって来るぞ」

 

 持論を展開しだした簪に、箒が待ったをかける。

 

「大体、お前ら揃いも揃って掛け算ばかりじゃないか。嘆かわしい。お前らにとってのTSとは、関係性でしかないのか? 違うだろう? 女体化していく中で、徐々に胸が大きくなり、背が縮み、月経が始まり、趣味嗜好が女性的になってこそのTSだろうが! 他は好きにすればいいが、大前提は履き違えるなよ!」

「貴様こそ勘違いしているんじゃないか? 世に散らばるTSF作品を見ろ! 他者との関係を排し、フェチ系に重きを置いた作品はもうTSFではない! それはただの変身モノ……『TF(トランスフォーメーション)』と言うのだ‼」

 

 TFとは、人間の肉体が別の何かに変化してしまう性質の現象を題材にした作品のことを言う。人が馬などの生物に変化したり、あるいは無機物になったりする話……文学作品で例を挙げれば――『山月記』などが有名だ。

 もちろん、男の肉体が女に変化するTSFも大枠で言えばTFの一種ということになる為、あまりに好みから外れすぎている……『変化に重きを置きすぎた作品』はTSFではなく『女体化を題材にしたTF作品』だ――と敬遠する者もいないことはない。

 趣味の違いは仕方ないが、理解できない趣向を否定することだけは絶対にしないようにしよう。TSFは、色んな趣向の者がひしめく紳士淑女の社交場なのだから。

 

「それは違う! TSとTFは確かに似た部分もあるが、それは二つの円の一部が重なり合うような関係! 変化に重きを置いたTSFがTSFでないということにはなり得ない! そもそも、お前の提唱する『内面の女性化』だって形の変化を伴わないだけで実質はTFの一種に含まれるということに気付いていないのか!」

「何をこの……ッ‼」

「おやめなさい」

 

 危うくリアルファイトに発展しかけたところで、セシリアが制止を入れる。

 

「箒さんの言うことにも一理あります……しかし、だからといって大前提とするのは視野が狭すぎるのではなくて?」

「何を……」

「TSにも色々ありますわ! 未知の奇病、新薬の副作用、魔術……それらは仰る通り女体化に『過程』が存在します。しかし、中にはイチカさんのような変身というケースがあるのも事実。必ずしも肉体の段階的な変化があるとは限りませんわ! それに、内面が男だからこそ良いという考え方もあります!」

「ぐっ……! 確かに姉さんも『女体化手術』とか『朝おん』とか、唐突な変化を伴うものが大好物だが……!」

 

 突きつけられた現実に、箒は思わず反論に窮する。唐突に自分を引き合いに出された一夏はビクリと身体を震わせた。というか、束は一歩間違えればマジで女体化手術とかやりかねない。今度から不意のトラック事故には気を付けようと思うイチカであった。朝おん(朝起きたら女になってた)をやられた場合は太刀打ちできないのだが。

 

「しかし、変身にしても一夏を見れば分かるように変身し続けていくことで男状態で女の挙動が沁みつく、という段階的変化は存在しうる! やはりフェチ要素はTSFには必要不可欠のはずだ! それにシークエンス要素(※段階を踏んで変化していくこと)がなくとも生理や味覚の変化などで徐々に女性化が進行していく例は枚挙にいとまがない‼」

「ぬぐうッ⁉」

 

 それに対する箒の反論に、思わずセシリアが呻く。流れ弾が見事に着弾した一夏は、テーブルに突っ伏さざるを得なかった。

 

「……なんでそこで、内面に変化を求めちゃうかな……」

 

 そこで呟きを漏らしたのは、そこまで静観の構えを崩さなかったシャルルだった。

 

「……何、だって?」

「違うでしょ。()()()()()()()()()()()()()()

「⁉」

 

 突然の宣言に、その場の変態全員が息を呑む。それを一瞥したシャルルは、さらに続けていく。

 

「――――中身が男のまま、男とくっつくから『良い』んじゃあないか」

「ば、馬鹿な、貴様、それでは『BL』に……ッ!」

 

 百戦錬磨のはずのラウラが、動揺を隠せない様子で言う。

 それに対し、シャルルは『マジカルピースのiOS版まだですか』って感じの表情で力強く頷いた。

 

「『BLだからこそ良い』ッ‼」

 

 一夏は、仲間だと思っていた男子のまさかの謀反に口から魂が漏れ出ていた。

 

「もちろん、TS娘同士のBLも良いよね……。内面はお互い男だって分かってる。でも目の前にいるのは可愛い女の子にしか見えない。同じ痛みを共有し合える関係……外面はGL、互いの認識はNL、しかしその実態はBL……可憐な純白の百合の裏側で真紅の薔薇が密かに咲き誇っている奇跡――この複雑な恋愛模様……これが良いんじゃあないか」

「ま、さか…………貴方…………‼‼」

 

 セシリアが、息を呑む。シャルルは微笑を湛えて頷いた。

 

「そうだよ。僕は……『BL系TS』の良さを一夏に教える為に、この学園にやってきた……!」

「よーし分かった。とりあえずアンタら全員歯ぁ食いしばりなさい」

 

 まるで物語の終盤並のテンションで自分の目的を明らかにしちゃった良識派を装っていたBL系TS愛好家シャルルの背後で、一通りの主張を律儀に聞き届けていた鈴音が最終判決を下す。

 

「全員、ブチのめすッッ‼‼」

 

 ……まあ。

 何だかんだ言って、腹を割って話したことでみんな仲良くなれたんじゃないだろうか。

 

***

 

「酷い話だった……」

 

 その後。

 ともすると顔を合わせるたびに戦争を勃発させかねない次期代表連中を鈴音と一緒になだめたり鎮圧したり制圧したりしていた一夏は、何とかその日の授業を全て乗り切った。何だか今日だけで何度も戦争を経験した歴戦の兵士になった気分だ。

 

「しかし、まずいな」

 

 此処まで来れば、察しの悪い一夏でも分かる。

 箒をはじめとした代表級変態連中(ネームド)は――一口に変態と言っても、実際には少しずつ『主義主張の違い』のようなものが存在しているらしい。

 箒は『TS娘の女体変化そのもの』。セシリアは『TS娘と女の子の絡み』。ラウラは『TS娘が女の子として恋愛すること』。シャルルは『TS娘が男として男と恋愛する事』。簪は『TS娘が男女の間を揺れ動く様』。

 そういえば、箒とセシリアをとってみても箒は盗撮などイチカの姿を観察することに重きを置いていたのに対して、セシリアは一〇〇擦り半をはじめボディタッチが過剰だったように思える。予兆はあったわけだ。しょせんどいつも変態だが。

 

「いや、問題はそこじゃない。みんな自分の趣味が一番だと思っているから、他の人と一緒にいると自分の趣味が一番だって主張しちゃって、言い争いが始まっちゃうんだ……」

 

 お互いを高め合う議論なら良いが、鈴音が殴らなければ殴り合いに発展しかねない剣幕の言い争いは、一夏としてもあまり歓迎できない。イチカの状態で止めれば解決できそうだが……流石に、あの五人の前でイチカの姿を晒せば、自分が次の瞬間どうなるかくらいは一夏にも想像ができる。

 

「どうしようかなぁ……」

 

 こんな時、千冬の金言が脳裏をよぎる。『TSに貴賤はない』。その通りだ。誰もがそんな思いを持っていれば、こんな風に一夏が頭を悩ませることもなかっただろう――――。

 

「…………俺、何でこんなこと真剣に考えてるんだろう……」

 

 我に返ってしまった一夏は、顔を覆うしかなかった。なんで特殊性癖の細かな違いで此処まで争いになるというのか。一般人の一夏には到底理解できない事柄であった。と、

 

「あ、よかった! 織斑さ、くん!」

 

 廊下を歩いていたロリ巨乳眼鏡が、一夏の姿を認めて駆け寄って来る。呼び方がなんか女性仕様っぽくなっていた気がしたが、一夏は気にしないことにした。いちいち考えていたら精神的に死にそうだ。

 

「どうしたんです?」

「いやですね、実は、新しく男性操縦者が見つかったことでこれから男性操縦者が見つかるかもしれない、とIS学園の方で話が進みまして。これまで一夏さんは浴場を利用する為には女性の身体にならないといけませんでしたが、これからは週に男性が入る日を決めることになりましたので、ご連絡をと思いまして!」

 

 その言葉に、一夏は顔をぱあっと明るくさせる。まあ大浴場は利用できなくても良かったのだが、源泉かけ流しらしい浴場を利用できないというのは、風呂好きの一夏としてはかなり残念なことだったのだ。それが利用できるとなれば、喜ぶのも宜なるかなというものである。

 

「ほ、本当ですか⁉ い、いつからです⁉」

「それはもちろん、今日からですよ。私は準備もあるでしょうし明日からにした方がと進言したのですが――」

「馬鹿野郎っ‼ お前は本当に何も分かってない‼」

「ええっ⁉ 織斑君の為を思って言ってたのに……」

 

 全体的に不憫なロリ巨乳眼鏡はさておき、

 

「……でも、また唐突ですね。いったい何で?」

「元々はISの機能を利用した浴場の建設計画が進行していたのですがそれが頓挫したので、対案がそのまま採用という感じになりまして」

「……ISの機能を利用した浴場?」

「はい。何でもIS起動させると浴場が浮遊し、IS学園全体を一望できる機能とかなんとか。他にもISを浴場と接続させることで色々な機能が使えるっていう触れ込みだったらしく、実は予算も上がってたらしいんですが、流石にそこまでは……」

「…………」

 

 ロリ巨乳眼鏡は苦笑していたが、一夏としては一ミリも笑えなかった。

 そんな機能があれば、一夏は絶対使ってしまう。ISを動かすだけで色んな機能を使って温泉を満喫できて、しかも学園を一望できる高層露天風呂とか、男とか女とかそんなのを気にせず使ってしまうに決まっている。そして、一夏が女の状態で浴場を利用すれば得をする人間には、心当たりが両手足では足りないほどある一夏であった。

 

(……でも、ちょっと惜しかったな……鈴と一緒なら変態対策もできただろうし……)

 

 そんなことを本気で考えてしまうから、変態たちに足元を掬われてしまうのだが。そして鈴音は女状態で一緒に入ろうとか言われたら棚ボタやら女じゃ意味ないやらデリカシーないやらの感情に襲われて悶死してしまうに違いないのだった。

 

「ところで、それだけ進んでいた計画がなくなったってことは、誰かが反対したってことですよね。いったい誰が? 千ふ……織斑先生ですか?」

「いえ、織斑先生はこの件については傍観していましたので……」

 

 変態の中でも何気に頂点に位置している(しかも確かアンケート(※四話)のくだりではお金を出してでも実現してほしいとか言っていた)彼女が傍観と言うのは意外だったが、とすると別の人間が計画を阻止したということになる。それほどの『力』を持つ者……なおかつ変態に対抗できる常識力を持っている者となると、一夏としては鈴音以外に心当たりがまったくない。

 クエスチョンマークを並べる一夏に微笑みかけるように、ロリ巨乳眼鏡は言う。

 

「更識さんですよ。更識楯無さん。簪さんのお姉さんで、この学校の生徒会長です」

 

***

 

「はぁー、そうか、浴場解禁かぁー」

 

 部屋に戻った一夏は、お風呂セットの準備に余念がなかった。何せ待ちに待った大浴場である。思いっきり満喫する気満々であった。

 まあ、女に変身する必要性は皆無なので当然お風呂の光景は男のままでお送りする為、しかるのちの地獄絵図は確定的に明らかであるのだが、一夏としてはそこらへんに配慮する必要性は全くない。鼻歌でも歌ってしまいそうなほど清々しい気分でお風呂セットの準備を終えた一夏は、浴衣を着て風呂桶を小脇に抱えるというザ・湯浴みスタイルで学園を闊歩する。

 通りすがりの女生徒が怪訝な表情を浮かべながらこちらを見て来るが、一夏は気にもしなかった。

 

「あ、そう言えばシャルに浴場のこと言ってなかったな……。まあ、大丈夫か。あの先生の様子だと、多分シャルにも伝えるんだろうし」

 

 なんてのんきなことを言いつつ大浴場に足を踏み入れた一夏は、

 

「……あ」

「……すいませんでしたァッッ‼」

 

 コンマ一秒で踵を返した。

 何故か? 答えは簡単だ。浴場に足を踏み入れたら、金髪碧眼で巨乳の見知らぬ女の子が既に着替えていたからだ。

 そしてラッキースケベが日課になってしまった一夏。こういうときの為の対応はもはや遺伝子レベルで刷り込まれていると言っても過言ではなかった。

 

「……あー…………」

 

 それゆえ、一夏は次に聞こえた声に疑問を覚えた。

 何故って、それは見知らぬ女の子の声に聞き覚えがあったからだ。

 

「えーっと……ちょっと良いかな」

 

 ガシッ、と。

 あらぬ方向を向いていた一夏の腕に、ほっそりとした指先が絡みつく。一夏は思わず当惑して、女の子の方を見て……そして目の前いっぱいに広がった谷間が目に入り、振り向いたことを後悔した。

 

「あっあっおっ、あ、お前! ちょっと、こういうのダメだって! それに、えーとなんだっけ、そう、浴場は男が使って良いんじゃなかったのか⁉ あのロリ巨乳眼鏡適当なこと言いやがって‼‼」

 

 ともかく、此処に女子がいるということはつまり浴場の中にも女子がいるわけで、しかもこれからも女子が来るということに違いない。

 そこまで思考を働かせた一夏は、すぐにでも女の子の手を振り払って逃げ、

 

「……あれ?」

 

 ……ようとしたところで、気付く。

 それにしては、あまりにも人気がなさすぎる。もし仮に女子が通常通りに利用しているなら、もっと着替えは散乱しているはずだし、中からは水音が聞こえているはずなのに。更衣室にお湯やシャンプーの匂いが立ち込めていたりもしない。

 

「一夏、僕だよ僕。シャルルだよ」

「え゛っ⁉」

 

 そう言われて、一夏は初めて女の子の顔をまじまじと見る。

 確かに、顔のパーツはシャルルによく似ていた。多少丸みを帯びているように思えるが、このあたりは特殊メイクだのなんだのの得体のしれない技術でカバーできる範囲だ。

 

 ――というか、もういい加減に白々しいので断言してしまうと、ご存じのとおり彼女こそシャルル改めシャルロット=デュノアである。

 

「なん……いや、おま、おと……あれ? え? ええ???」

 

 だが、一夏にとっては理解できないことだ。というか、一夏はシャルロットのシャルル(隠語)を見てしまっているため、よけいにそうなのだろう。混乱の極致に立たされた一夏がそれでも計算を弾いた結果、出た結論は、

 

「あ、そうか。ISを起動してるんだな」

 

 という、当たり前の結論だった。一夏もやるので理屈は分かる。だが、だとしても疑問は残る。

 

「……あれ? でもなんでわざわざISを機動してるんだ? 男しか入らないんだからシャルルが女になる必要はないし、」

 

 そこまで言いかけた一夏の視界に、『あるもの』が入る。

 それは、シャルロットの目の前にあるカゴの中に入っていた。

 ……ふにゃふにゃの皮だけになった、人間の身体……に見えた。

 

「ひっ……⁉⁉」

 

 あまりの出来事に悲鳴を上げかけた一夏の口元を、全裸(描写しないと忘れられそうだった)のシャルロットが塞ぐ。これ以上ないラッキースケベだったが、残念ながら一夏はそれどころではなかった。

 

「……えーとね。一夏、落ち着いてもらえるかな」

 

 そう言って、シャルロットは身体にタオルを巻いて行く。一夏の方も、当惑していたもののやっとの思いでコクコクと頷く。

 

「まず一夏。僕の本来の性別は、女なんだ」

「…………え、」

「一夏、声を出さないで」

 

 手で口元を抑えられ、一夏は夢中でコクコクと頷いた。

 

「……何から話せば良いかな……」

 

 そう言って、シャルロットは虚空に視線を彷徨わせる。

 

「デュノア社って、一夏は知ってるかな」

 

 そう言って一夏の方を向いたシャルロットの表情には、憂いがあるように思えた。

 

「……ああ。IS企業の一つで、フランスじゃ一番のシェアを誇ってるんだろ。ラファール=リバイブだってデュノア社の……」

「そう。まあ、それはしょせん第二世代だけどね。しかも、第三世代機の開発に失敗して経営難に陥っている程度の」

 

 シャルロットは自嘲気味に笑い、

 

「僕はね、一夏。そのデュノア社の社長の、()()()()()()()

「‼」

 

 その告白に、一夏は息を呑む。

 そして、なんとなくシャルロットの話の筋が分かって来た。妾の子だから……道具として使われている。経営難に陥った社を立て直す為、IS学園に企業スパイとして送り込まれてきたのだ。男と偽ったのは、そうすれば一夏と接触できるし、男に飢えているIS学園の生徒から様々な情報を聞けるからか(尤も、()()()こちらの目的は成功していなかったが……)。

 

「シャル、」

「いやまあ、そこは良いんだけどね」

 

 思わず何か言いかけたところで、シャルロットはそれまでの物憂げな空気とか全部吹っ飛ばしてそんなことを言った。

 突然の展開に何も言えなくなっている一夏に対し、シャルロットは畳みかけるように言う。

 

「ほら、僕ってさ。BLもいけるけど親子丼もいけるんだよね」

 

 聞いては、いけないと、本能で感じた。

 

「シャルルその後はもう……、」

「正直、二回しか会ったことないから父親って感じがしなくってさ。それで、お歳は召してるけどまあイケメンでね? せっかく手元に高性能肉襦袢なんてものも用意されてるわけだしさ……まあ、()()()()わけで、今は何だかんだで親子仲は良いよ」

「何でだよ⁉ 何でその流れで親子仲が良くなるんだよ⁉ 絶対途中で何かあったろ!」

「話してほしい?」

「いや! 遠慮しておきます‼」

 

 流石に、これから夕食だというのに食欲をなくすような真似はしたくない一夏であった。

 

「で、でも親子仲がいいなら何故学園に……? 道具として扱われることもなくなったって訳だろう?」

「うん。まあそれはそれとして、僕はBL系TSが好きだからね。ついでに一夏に布教したくって」

「うっがああああああああああああああああああああああああああああああああ‼‼‼‼‼」

 

 許容量を超えた理不尽に、一夏は思わず頭を抱えて絶叫した。

 だが考えてみれば一夏の方も一話で似たようなことをやらかしていたので人のことは言えないかもしれない。

 

「もうやだ……貞操が……やだぁ……」

 

 あまりにもあまりな話に、一夏は思わずその場にへたり込んだ。

 

「大丈夫だよ一夏。流石にノンケでも構わず食っちまうほどじゃないから。R-18は邪道だよ」

「全然信用できないよぉ……」

 

 そう言って、一夏は白いブレスレットがついた右手を掲げる。まばゆい光が放たれ、それが消え去った時には女の子座りでへたり込んでるイチカの姿があった。

 そう。男であることに危機をおぼえたイチカは、本能的に女になることでシャルロットから逃れることを選択したのだった。なお、普段のクセなのかイチカはISスーツ装備ではなく、IS学園の女子制服になっていた。ゲイコマである。

 

「よし‼ このタイミングを待っていましたわ‼」

「更衣室に監視カメラを仕込んでおいた甲斐があったぞ‼」

 

 と。

 

 そのタイミングで、二人の変態が(何故か更衣室内の物陰から)乱入してきた。

 

「ひえっ⁉」

 

 イチカは思わずびくりと震えて、咄嗟に身を庇ってしまう。それを見て、二人の変態は鼻の下を伸ばした。いつもの光景であった。

 あまりのことに呆然としていたイチカだったが、驚愕も一周回れば冷静になるものだ。我に返ったイチカは、近くに立つシャルロットのタオルの裾を引っ張って、

 

「(しゃ、シャルル……! やばい、早く男に戻らないと、バレちゃう……!)」

「心配は必要ありませんわ、イチカさん」

「というか、デュノアが女だということを知らないのはイチカだけだからな」

 

 数瞬程。

 イチカは、思考が空白に染まった。

 

「えっなんて?」

「ですから、フランス次期代表が女だという事実は、全世界のTS紳士淑女にとっては公然の秘密なのですわ。TS紳士淑女なら、それが本物のTS娘かどうかなんて簡単に区別できますし」

「…………」

 

 なんかもう全体的に、何もかも間違っていた。この場に鈴音がいないことが本気で悔やまれる有様である。

 

「な、なら……シャルルはこれからどうするんだ? 変態たちが知ってるって言っても、嘘を吐いてたことに変わりはないんだし、このままだとヤバいんじゃ……」

「ああ、そのことなら、僕の方で国連に許可をとってあるんだよ」

 

 もはや殆ど縋るように言うイチカを、シャルルはバッサリと切り捨てた。

 

「ホントは駄目だけど、イチカちゃんに刺激を与えられるんなら、って。ついでに援助金ももらったからデュノア社の経営は持ちなおしたよ」

「連載漫画の打ち切りかよ‼‼」

 

 ダーン! とイチカは床を叩いて渾身のツッコミを叩き込む。が、当然ながら目の前の変態たちがそれを聞き入れてくれるはずもなかった。というか、この二人は本気で何故この場に乱入してきたのか……。

 

「……そうだ! セシリアと箒は、何で此処に来たんだ……? 正体を現したシャルルをとっ捕まえる為って雰囲気でもないし……」

「そんなの決まっているだろう。イチカが変身したからだ」

 

 そう言いながら、箒は流れるようなスピードで服を脱いでいく。セシリアは既に裸一貫だった。

 

「あっ、あわ、あわわ、あわわ……」

「こうでもしないと、イチカと一緒にお風呂に入る機会がなかったからな。おかしいとは思わなかったのか? イチカの全裸を拝むチャンスだというのに、同じ変態であるシャルルを泳がせていたことを」

「答えはこれですわ! フランス次期代表がイチカさんを怯えさせれば、イチカさんは十中八九変身する! そこを狙えば、イチカさんと入浴できる……イチカさんは、この裸の美少女がいる状態で男の姿に戻れまして?」

 

 そう言って、にじり寄るセシリアと箒、そしてシャルロット。

 確かに、セシリアの言うとおりだった。裸の美少女ににじり寄られた状態で男に戻ってしまったら、それは絵的に最悪だ。男としての矜持的に、イチカは男に戻ることができなかった。

 

(こ、このままだと……昇っちゃいけない階段を昇らされる‼)

 

 そう思うが、先程のあまりにも濃厚なBL力にあてられたイチカは完全に腰が抜けていた。そのイチカに、三人の変態の毒牙が――、

 

 

「ええ、その通りよね。でもこうは考えなかったの? あんた達と同じ結論に、このあたしも至ってる……って」

 

 

 背後から聞こえたその声に、イチカは反射的に振り向いた。

 そして、見た。

 

 死屍累々の山を。

 倒れ伏しているラウラ、簪、数々の変態達……そして、その頂点に立つ一人の少女を。

 

「……中国、次期代表…………‼‼」

「……っていうか、こいつら全員同じこと考えて覗きに来てたのか……」

 

 ジャンプ漫画のヒキ並のテンションで慄くセシリアの横で、ご丁寧に山みたいにして積まれている変態達を見て呆れるイチカ。

 ほんとにツッコむべき部分はそこではないのだが、もはや正常な感覚が麻痺してしまったイチカはそんなこと気に出来ないのであった。

 死体の山の頂点に立った鈴音が飛び上がり、変態に襲い掛かって行くのを傍目に、イチカはそろりそろりと浴場の方へ進んで行く。ぎゃーぎゃーですわーですわーと変態たちの断末魔が聞こえて来るが、そこはもうイチカも慣れていた。

 

 かぽーん。

 

「あー……、いい湯だ……」

 

 しかる後。

 大浴場の湯船にたった一人で浸かりながら、イチカはぼんやりとそんなことを呟いた。

 

 ……世の中ひどいことだらけだが、それでもお風呂はあらゆる疲れを洗い流してくれる。

 だから、自分はお風呂が好きなのかもしれない――――と、イチカは最近思うのである。



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第一九話「姉ならば その行動で 愛示せ」

「そろそろいい加減本題に入りませんこと?」

 

 授業合間の休み時間。

 いつものように一夏の席の近くまで移動してきたセシリアは、そんなことを言いだした。

 

「本題ってなんのことだ?」

 

 一夏は首を傾げるが……その場にいた箒と鈴音の方は、一定の緊張感を保っている。彼女達にとっては、セシリアの言う『本題』が何か既に分かっているということなのだろう。

 

「何だどうした。何の話だ?」

「ああ、ラウラちゃん。多分あの話だよ」

「……デュノア、ラウラ『ちゃん』はやめろ」

 

 それだけではなく、シャルロット(なんかいつの間にか男装はやめていた)とラウラもいた。よく見ると、簪もその後ろにいる。どうやら専用機持ち(うち一人カスタム機)の全員が揃っているようだった。

 

「っつか全員どうしたんだ……? 専用機持ちが全員集まるっていったい……?」

「はぁ。あんたもう忘れちゃったの? 『タッグトーナメント』の登録締め切り日。今日のお昼なんだから。さっさと決めないと出遅れちゃうわよ」

 

 呆れたといった感じの鈴音に、一夏はハッとした。そういえばそうだった。登録しないと、くじ引きで決まってしまう。流石に運任せで相棒を決定するのは、一夏としても避けたい事態だった。

 

「って言ってもどうしようか……周りの連中はもう決まってるんだろ?」

 

 そう言って一夏はあたりのクラスメイト達を見渡す。

 女子一同はみな一様に首を横に振った。『私達の隣はいつでも空いているよ』――そう言いたげな表情だった。一夏は『毎度ご苦労だなぁ』と他人事みたいに思った。

 

「ですからわたくしと組みましょう織斑。イチカさんと組むためでしたら貴方と行動を共にする苦痛も呑みこみましょう」

「お前一応俺の方が立場上だってこと忘れてない?」

 

 当然ながら却下なのであった。

 

「そんな高飛車は放っておいて私と組もう一夏。なあに大丈夫だ。空いた時間で保健の授業までバッチリこなしてやるぞ」

「箒、だんだん変態レベルが気持ち悪いことになってないか……?」

 

 組む組まない以前に、身の危険を感じる一夏である。

 

「フン、くだらん。そんなヤツらは放っておいて私と組め織斑一夏。今なら軍隊式のレッスンで貴様を一から鍛え直してやるぞ。男であることが嫌になるくらいにな……」

「一見すると理想的だけど裏に私情が見え隠れしてるからな‼」

 

 軍隊式のレッスン自体は理想的なのか……と、変態淑女の間で一夏ソフトM説が浮上した瞬間だった。

 

「まあまあ一夏。ここは世界の修正力に従って僕と組んでおこうよ」

「世界の修正力って何だよ! っていうかシャルルは男の時でも危ないからいやだ!」

 

 流石にBLはNGなのであった。

 

「……それじゃあ此処は……トーナメント本番までに専用機開発というドラマを提供できて話を作りやすい私が……」

「俺はトーナメントにドラマとか求めてないから‼」

 

 むしろ()()()()()()()()ではコンプレックスにしていた部分を利用するバイタリティは評価に値するかもしれないが。

 

「で、他のモブ変態と組んでもそれはそれで貞操が危うい。ね? 分かったでしょ? 選択の余地なんてないのよ」

「ぶーぶー! りんりんは横暴だ~!」

「そうだそうだー!」

「モブって言うなー!」

「対応が面倒だからってひとくくりにするなー!」

「わりとガラスのハートなんだぞー!」

 

 一通り専用機持ち変態達にツッコミを入れ終えた一夏に鈴音がなだめるように声をかける。すると変態達が文句を言い始めた。

 

「(……いや、私は一応、一般人なんだけどね~?)」

 

 地の文に反応すると言うある種別()()の変態っぷりを見せるモブ少女の一人――布仏本音は、そう呟いて肩を竦めた。

 

「…………本音……」

「ん? 簪は、のほほんさんと知り合いなのか?」

 

 此処に来て本名が初登場したからか、彼女に反応した簪に一夏は首を傾げて問いかける。簪は言葉少なに首肯した。

 

「本音は……私の専属メイド……」

「なっ……日本次期代表、貴女お嬢様属性持ちでしたの⁉ わたくしと被っていますわ!」

「いやセシリア、お前も大概口調だけだし特に問題ないと思うぞ」

「それはともかく~」

 

 早くも話が脱線しだした変態たちを制するように本音は切り出していく。そしてまるで感じられないメイド属性を振りかざしながら、

 

「かんちゃんの登録は私が済ませておいたから~」

「……! でかしたわ本音……!」

「ただしパートナーは私だけどね~」

「なんっっっでだよ…………‼‼」

 

 次の瞬間、簪はキャラとか口調とか全部投げ捨てて崩れ落ち地面に両拳を叩きつけて激情をあらわした。

 しかし当の本音はあっけらかんとした調子で流していく。

 

「だって私もラクしたいし~。かんちゃんと一緒なら良い所までいけそうだしそれに多分かんちゃんあぶれると思うし~」

 

 更識簪、脱落。

 その報を受けて(というか目の前で見て)変態たちはほくそ笑む。

 

「フフ……」(セシリア)

「更識がやられたか……」(箒)

「所詮ヤツは我ら専用機持ちの中でも最弱……」(ラウラ)

「ちょっと前までモブだった人に引きずり降ろされるなんて、専用機持ちの面汚しだね……」(シャルロット)

 

 簪はそもそも専用機持ちではないのだが、すでにカスタム機とはいえ荷電粒子砲持ちの打鉄を開発しているので()()()()()()()()と戦力はあまり変わらないのであった。

 ともあれここからがクライマックス。イチカのパートナーという至高のポジションを得るべく世界最高峰の変態達が世界最高峰の戦いを繰り広げる――‼

 

「……いや、あの」

 

 ――前に声がかかった。賞品である織斑一夏その人だ。

 彼は非常に気まずそうにしながらもはっきりと、こんなことを言った。

 

「盛り上がってるところ悪いんだけど、俺、この中だったら鈴と組みたい……」

 

***

 

 そんな訳でタッグトーナメントのペアは決定した。

 イチカ&鈴音ペア。

 セシリア&箒ペア。

 ラウラ&シャルロットペア。

 簪&本音ペア。

 専用機持ちはこんな具合に分かれた。専用機持ちでペア固まりすぎじゃね? というツッコミがあるのではないかと最初こそ危惧していた一夏であったが、そこはどうやら『専用機持ちペアには相応のハンデを与える』という運営側の柔軟な対応があるらしく、主だった反論とかは全く出なかった。イチカとペア組めなかった、という不満は運営に殺到していたらしいが。

 

「ふうっ……」

 

 そんな日の放課後。

 イチカは一旦動きを止めて一息ついた。タッグトーナメントの告知があってから二週間余り。変態たちの勧誘をかいくぐり、セクハラをかいくぐり、戦い抜いてきたイチカはもうへとへとであった。

 

「落ち着いてる暇なんてないわよ」

「うおっ!」

 

 そんなイチカに、鈴音はそう言って青龍刀を振りかざす。イチカはそれを認めて、後方への瞬時加速(イグニッションブースト)で回避した。

 ……そもそもイチカが女の姿をしているところからも分かるように、二人は今アリーナでIS戦闘の訓練をしているのであった。尤も訓練――というよりは、鈴音相手にイチカが『稽古をつけてもらっている』といった方が正しいが。

 

「ほらほら! イギリス次期代表の狙撃はこんなモンじゃないわよ! あの軍人女のAICも視認はできない! 近距離からブラフもなしに放たれる龍砲の攻撃くらい難なく躱せるようにならなくちゃ、勝利なんか夢のまた夢なんだからね‼」

 

 セシリアの論理的な説明を中心とした教え方や箒の丁寧に体に覚えこませる教え方とは対照的に、鈴音との特訓はスパルタを極めていた。

 まず、説明をしない。なんだかんだでたった一年で一国のトップに上り詰めるところからもわかるとおり、元が天才肌な鈴音は学習ということをしたことがない。理論を教えるのではなく、経験によって力をつけていくタイプなのだ。

 それゆえ、鈴音は相手にも同じことを求める。結果として、イチカは鈴音という格上の相手と何度となくぶつかることを余儀なくされていた。無惨にも撃ち落されてはエネルギーを補充してまたぶつかっていくその姿は変態たちには涙なしには見れない痛ましさだったが、イチカの方はわりと充実した表情を見せていた。

 イチカにとって一番必要なのは、技術もそうだが『経験』だ。彼女は今年の四月に初めてISに乗ったルーキー。とにもかくにもほかの専用機持ちと比べて経験が圧倒的に少ないのである。そんな彼女にとって、鈴音の『実戦形式の訓練』はまさしく渡りに船であった。

 

「ところで……さっ! 気になってたんだけど……ラウラのAICって……いったいどんなモンなんだよっ!」

 

『零落白夜』を使うとあっさりエネルギーが切れてしまうため、雪片弐型をほとんど盾のようにして使いつつ、イチカは鈴音に問いかける。先日の模擬戦で一緒に戦っていたりしたものの、あの時はセシリアが様子見の射撃を行った数秒後には突然前触れもなく全員撃墜されてしまったので結局詳細は分からず、千冬からの『今の攻撃はAICを参考にした』というセリフも、ラウラが戦慄していたあたり跡形もなくなっているだろうからアテにはならない。

 イチカの問いかけに、鈴音は青龍刀を振り回すと見せかけて背後に控えさせておいた不可視の龍砲で不意打ちを仕掛けつつ答える。

 

「あんた少しは自分で調べなさいよね。AICっていうのは、静的慣性分散機構(PIC)の発展系。『動的慣性分散機構』のことよ」

 

 かろうじて回避したイチカの肩アーマーに、牽制だと思われていた青龍刀の一撃が食い込む。

 

「ISの移動は玉を空気で浮かせて高速で動かすエアホッケーと仕組みは似てる。エアホッケーが空気で玉を浮かせて摩擦係数を減らすなら、ISはPICで慣性――『その場に留まろうとする力』を減らして超音速戦闘機を凌駕するスピードを出す。尤も、動きやすいってことは動かされやすいってことでもあるけど、ねッ!」

 

 食らった青龍刀をつかんで『零落白夜』を叩き込もうとしたイチカの腹に蹴りを叩き込んで思い切り吹っ飛ばした鈴音は、吹っ飛んだイチカを見据えながら叫ぶ。

 

「イチカ! ISは吹っ飛ばされやすくもあるんだから、衝撃を食らったらブースターを吹かして『その場にとどまる』ようにしろって言ったでしょ! 話に気を取られてんじゃないわよ!」

「お、おう‼」

 

 イチカが復帰したのを見て、鈴音はさらに話を進める。

 

「ドイツ軍人の『AIC』は、これを発展させたものよ。慣性っていうのは、『その場に留まろうとする力』だけを言うんじゃない。『運動を続けようとする力』も慣性。『AIC』はこの『運動を続けようとする力』を殺して、相手の身動きをとれなくするわけね」

「でもそれじゃ一瞬しか効かないんじゃないか?」

「『AIC』っていうのは一種の力場のように展開されるから動こうとした傍から能力の餌食になるのよ。龍砲だって『圧力の弾』を撃ってはいるけど、そもそもその『圧力』だって力場なんだから」

 

 先ほどの反省を生かし、青龍刀の間合いに入らないようにしつつ立ち回るイチカ。そんなイチカに対し、鈴音は獰猛な笑みを浮かべてこう言った。

 

「――つまり別に『龍砲』は砲身の形しかつくれないってわけじゃないってことなんだけどね」

 

 次の瞬間。

 間合いの外を保っていたはずのイチカは、なぜか頭部に強烈な『打撃』を食らって撃墜された。

 

***

 

「だから『龍砲』は砲身の形以外でも、自由に『圧力フィールド』を整形できるの。つまり青龍刀に纏わせて『見た目の間合い以上の攻撃範囲を獲得する』ことだってできるんだから」

「うう、不覚……」

 

 そんな感じで、鈴音のだまし討ちにうまく引っかかって撃墜されたイチカは、一旦休憩ということで装備を全部解除して反省会に入っていた。

 

「でも向こう――ラウラの方も、今みたいなことができるのか?」

「どうでしょうね。前の『イグニッション・プラン』の報告だと手を翳した一直線上にしか能力は使えないって話だったし、レーザーや龍砲みたいなエネルギー兵器に効果は薄いって話だったけど……十中八九そのままってことはないし、できるって思って動いた方が良いわよ。ただ仮にそこまで開発が進んでいなくても、こっちがそう考えると思ってできないのにブラフを張る可能性もあるわけだし、最悪を想定しつつ実地で見極めるって感じかしら」

「結局出たとこ勝負ってことか……」

 

 イチカがげんなりしたように言うが、鈴音の方は相変わらずあっけらかんとしている。仮にも一国の技術の粋を集めて作られた能力だ。完全に外部に開示されているなんてことはあり得ないし、逆に言えばラウラの方も、鈴音の『龍砲』の正体を完璧に把握できている訳ではない。今鈴音が言ったように、『データ上にはないが「龍砲」はいくらでも形を変えられると思って挑んだ方が良い』程度しか情報の絞り込みは出来ていないはずだ。

 ただ。

 

「……でも、今の訓練で、『見えない力場の攻撃に対する対応策』は思いついたぜ」

 

 イチカはそう言って自信ありげに笑う。

 ドイツ謹製の第三世代兵器。千冬が『アレンジ』したものとはいえ、六人の専用機持ちがなす術もなく撃墜された能力――だが。

 当然ながら、この世に『完璧』なんて言葉はない。

 

***

 

「疲れた…………」

 

 そんな感じで鈴音との修行を終えたイチカは、武装を解除してアリーナを歩いていた。

 タッグ登録期間が終了した為か、この頃はイチカの姿でも遠巻きにキャイキャイ言われるだけで済んでいるので修行が終わった後もあまり変身を解除することはなかった。というのも、修行の後はたいてい歩くことすら億劫になるほど疲労している為ISの操縦者保護機能がなくなると自室に戻ることすら一苦労するほどになってしまうのである。

 結果として変態達は帰り道のイチカを鑑賞することが出来る為アリーナからイチカの私室までの通路だけは異様に人口密度が上昇しているのだが、当のイチカはへとへとなのでそんなこと気にしていない。

 

「お疲れのようね」

 

 それほどまでに疲れていたから、だろうか。

 イチカは、いつの間にか眼前に立っていた少女に全く気付かず、その双丘に顔面を埋もれさせてしまっていた。

 

「わむっ⁉ うあ、す、すみません!」

 

 反射的にチーター並の瞬発力で飛び退いたイチカは、そこで自分がぶつかった少女の顔を見た。

 大空のように青々としたスカイブルーの髪。外はねがヤンチャそうな印象を感じさせるが、それとは対照的にその瞳は穏やかな海のような静かさを湛えている。余裕そうな笑みとあわせて、色々な印象が一目で得られる情報量の中に錯綜しすぎていて、却って少女自体の情報がちっとも入って来ない。

 イチカは、この少女の正体を知っている。

 神出鬼没にして不可思議、そして学園最強の二つ名を許されているただ一人の生徒――。

 

「ひどいじゃない。そんなに驚くことないのに」

 

 IS学園生徒会長、更識楯無。

 何故か、その彼女がイチカの目の前に立っていた。

 

「……そりゃいきなり女の子の胸にぶつかっちゃったら驚きますよ……」

「今はキミも女の子でしょ?」

「心は男なんです!」

「ああそう……」

 

 憤慨したイチカに、楯無は意外そうな表情で頷くだけだった。

 そしてそれを見たイチカの方も、何となく違和感をおぼえた。なんというか――他の変態のように、イチカに対して『がっつく』様子が見られないのだ。そうではなく、比較的自然体に近いかたちで、イチカと相対している。テンションとしては、男の時のセシリアのような感じだ。

 

「あ、そうだ……浴場の計画、中止にしてくれてありがとうございました」

 

 ふと、数日前にロリ巨乳眼鏡から聞いた話を思い出し、イチカは頭を下げて礼を言う。変態であれば、どんな理由があってもイチカの裸を見る策略を妨害することはない。それを中止に追い込んだのだから、少なくとも楯無は良識ある先輩ということになるだろう。

 対する楯無はふわりと微笑んで、

 

「良いのよ。キミの方こそ、この頃大変だったでしょう。まあ、私も気持ちは分からなくもないけどね……キミ、可愛いし」

「……やめてくださいよ」

「あはは、そういうところも!」

 

 バッ! と楯無は、手に持った扇子を広げて口元を隠す。そこには『可愛いね!』と書いてあった。皆まで言わなくても分かる親切設計である。

 ……が、やはり人並みにイチカをおちょくることはあっても、他の変態のようなセクハラ攻撃をしかけてくることはない。

 

(ひょっとして生徒会長はまともな人なんじゃ……? ……いやネット掲示板にスレ建てたりしてるけど)

 

 もはやイチカの中では変態ではない=常識人という図式が成り立っているのであった。

 それに、イチカもIS学園の生徒会長の噂は耳にしている。品行方正、容姿端麗、文武両道、そして学園最強。三年生の代表候補生どころか教師すらも見下すほど気位の高い(そして実際に実力もある)セシリアが『IS学園最強』という肩書に対して何も言わないところからして、楯無の実力の高さを感じさせる。当然ながら、性格についても高潔と評判である。イチカの存在が明るみになる前も今も、それなりの数の楯無シンパがあると言えばその支持率の高さも分かるだろう。

 そんな彼女ならば……鈴音に次ぐ、第二の常識人枠になるのではないだろうか。

 

「ええと、それで生徒会長が俺に何の……、」

 

 

「キミ! どうやってうちの簪ちゃんをたぶらかしたのよ⁉」

 

 

 …………しかし、そんな願望は一瞬にして打ち砕かれた。

 

「あの、えっと……?」

「うちの! 簪ちゃんが! 私には全く反応してくれないのに、キミにはぞっこんってどういうことなのよ‼」

「え、えぇ……」

 

 突然のヒステリーに困惑するイチカを置いてけぼりにして楯無の猛攻はさらに続く。

 

「どうせその美貌で簪ちゃんを誑かしたんでしょう! 心は男ですって⁉ 女の身体を有効活用しておいてよく言うわ! この泥棒猫‼ キィィー‼」

 

 キー! なんて今日びお嬢様かマダムか鷹くらいしか言わない台詞を初めてナマで聞いたイチカは、もはや呆れたりする前に呆然としてしまった。

 一方で、頭の中の冷静な部分は目の前の状況を分析していく。楯無は簪がイチカにぞっこんなのが気に入らない。そして、イチカに対して嫉妬している様子を見せている。だから、イチカに対する変態行動をとっていない。その代わり、彼女の好意は全く別方向に向いている。つまり……、

 

(こ、この人……変態(シスコン)だー‼)

 

 現実は非情だった。

 

「良い⁉ 簪ちゃんはキミみたいなどこの馬の骨とも知れない女には(ずぇ)っっっっ対に渡さないからね‼‼ コンビも解消してもらうから‼」

「いや……俺、鈴と組んだので、簪さんはのほほんさん……布仏さんと組みましたよ」

「えっ」

「えっ」

「……いやいや待って? だって簪ちゃんよ? あんな可愛らしい子がコンビを組みたいって言ってるのよ? それはもう喜んでコンビを組むのが宇宙常識よね???」

「いやなんていうか、一緒にいたら疲れそうだなって……」

「ああっ……」

 

 気まずそうな表情で答えるイチカに色々と臨界点を振り切ってしまったのか、楯無は芝居がかった動作で崩れ落ちる。口元を覆った扇子には『こいつ馬鹿じゃねーの?』と書かれてあった。余計なお世話である。

 イチカは『この人もこの人で疲れるなぁ……』などと思っていた。

 

「うっうっ……なんてイケズなのかしら。おねーさん悲しくなっちゃう……」

「まあまあ……それで、先輩の用っていうのはそれですか?」

「いえ……今の宣戦布告がメインだけど、ついでの用事があってね」

 

 あれがメインだったのか……と思うイチカをよそに、楯無はさらっと立ち上がって何事もなかったかのように続ける。

 

「お願いなんだけど、簪ちゃんの専用機開発に協力してほしいのよ」

「……協力? でも、この間は模擬戦もできたし、殆ど完成してるようなものなんじゃ?」

「それがそうでもないの。確かに稼働することはできるけれど、細かい操縦性はやっぱりプロが整備したものに比べれば劣る。それでも簪ちゃんは最高だから『それなり』の連中程度ならなぎ倒せるでしょう。でも、その状態で長いこと操縦していれば変な癖がついてしまうリスクがあるの。姉としてはそんな状態は看過できなくてね」

「……それなら先輩が自分で協力すれば良いんじゃないですかね?」

「簪ちゃんが私の事避けてるのは知ってるでしょ⁉ 正攻法でアドバイスしたって聞いてもらえる訳ないじゃない! 何度か助け舟出そうとしてみたけどダメだったし! 機嫌を直してもらおうにも、何をやってもダメで……ネット掲示板で聞いた方法も試したけど梨の礫でぇ……」

 

 楯無は学園最強の生徒会長とは思えないほど情けない顔でメソメソと泣き出す。

 というか、結局本当に試したのか……とスレ建ての真実を知るイチカは別の意味で愕然としていた。有能なハズの彼女がそんな情弱みたいなことをしているということは、本当にそこまで追い詰められての事なのだろう。

 

「だから、もうキミしか頼れないの! 練習の合間で良いから、あの子の開発に協力してあげて!」

「……そんなこと言われても、俺素人だから大したことできませんけど……」

「キミがいるだけであの子のパフォーマンスが数十倍に跳ね上がることがこの間の模擬戦で分かったのよ‼ 悔しいことにねっ‼‼」

「いやない、……かな……?」

 

 思わず否定から入ってしまったイチカだったが、変態たちに既存の常識が通用しないことなど、これまでの生活で嫌と言う程痛感させられている。語尾が弱くなってしまうのは誰にも責められない。

 それに、生徒会長のシスコンぶりには困惑したが、それとは別に簪は友人である。その簪が将来的に困るというのであれば、手伝いをするのは吝かではない。

 だが……それとは別に、イチカには気になるところがあった。

 

「……分かりました」

「っ‼ それじゃあ!」

 

 ぱあっと顔を明るくさせる楯無。それに対し、簪に整備場に見学しに行く旨を伝える為の連絡機能を呼び出すべく、こめかみに指を当てながらイチカは続ける。

 

「でも! ……今日だけで良いですから、俺だけじゃなく会長も一緒に来てください。それが条件です」

「ええ? でも、それじゃあ簪ちゃんが……」

「俺が何とか説得します。とにかく先輩も一緒に来てください」

 

 イチカは言葉に感情が乗るのを止められなかった。

 多分、この楯無の行動は、一〇〇%妹への愛情で成り立っている。くだらない優越感だとか、上から目線の庇護欲とかいう下心は一切ない。そう、『一切ない』のだ。だから、『自分の手で助けて、それによって関係を修復したい』という『綺麗な下心』すら切り捨ててしまえる。……その『合理性』が、妹を遠ざけていることに気付けない。

 

「先輩は、もう少し本音で簪にぶつかって良いと思いますよ」

「…………」

 

 面と向かって断言したイチカの瞳を覗き込んだ楯無は何も言わなかったが、ただ満足げに頷いて口元を扇子で隠す。その扇子には『なるほどね』という文字が書かれていた。

 

「……? どうしたんです?」

「いや。簪ちゃんの言ってたことが分かったの。TSは『入れ替わり』に限ると思ってたけど、普段可愛い癖に男らしくなる(こういう)のも悪くないな、ってね」

 

 パシン! と扇子を閉じて歩き始める楯無の背中は、やはり『皆に慕われる生徒会長』に相応しいものだった。

 何だかんだ言ってコイツもTS愛好家だったのか――というツッコミは、流石にしなかった。

 

***

 

「かーんざーしちゃァァあああああああああああああああん‼‼‼‼」

 

 ……と、シーンが切り替わる前はカッコよかった楯無だったのだが。

 整備場が近づくにつれて変態(シスコン)としての血が暴走しはじめたのか挙動が落ち着かなくなり、扉を開けるに至ってついに感情が暴発した。

 …………彼女がイチカに反応しないのは、『変態ではないから』ではなく『もっと直近に感情をぶつける相手がいるから』なのかもしれない。IS学園にまともな人間なんていなかった。なお、鈴音は既に人間をやめている。

 

「邪魔。うるさい」

 

 対する簪はというと、もはや楯無の対応は慣れたものであるのか、亜音速と言って良いレベルで加速した楯無のタックル(ハグのつもり)を見事に裏拳でいなし、もう片手で手刀をつくり延髄に叩き込んだ。一瞬の早業である。

 

「うぐう……さ、流石簪ちゃんね……また腕を上げたかしら……」

「何を白々しい……、……ってあれ⁉ イチカちゃん……⁉」

「お、お邪魔してます……」

「イチカちゃん、どうしたの……? もしかして私のところに嫁に来てくれたとか……? だとしたら歓迎、大歓迎だよ……! 二人で一緒に末永く幸せに暮らそうね……」

「いや、そうじゃなくて、整備の様子見ようかなって」

 

 今しもイチカにウェディングドレスを着せそうなテンションの簪に、イチカは断りを入れる。

 

「ああ、それならイチカちゃんが来てくれたおかげで……数十倍は作業効率が上がったよたった今!」

「たった今俺が来たから作業を中断したように見えるんだけど」

 

 ぼやくイチカを(どこから取り出したのか不明な)ソファに座らせ、ついでに作業用のコンソールも持ってきて隣に座り込んだ簪は、そのままイチカを横に置いて作業を再開する。……楯無の見立て通り、簪の作業スピードは常軌を逸していた。隣にイチカを置くだけでパフォーマンスが跳ね上がるというのはもはやいろいろな摂理に喧嘩を売っているとイチカは思うのだが、多分この世界ではそれが常識なのだろう。

 

「イチカちゃん、うちの簪ちゃんをあまり舐めないでもらえるかしらっ!」

 

 バッ! と『妹、万歳』と書かれた扇子を広げた楯無は、姉馬鹿全開の笑みを満開にさせながら高らかに言う。

 

「何せうちの簪ちゃんはスポーツ万能、成績優秀、さらに容姿端麗と何もかもが完璧なのよ! 特に演算技能については世界トップクラス! 『姉の七光り』とか抜かす時代遅れどもをブチのめして頂点に立った本物の天才なんだから!」

「…………それをお姉ちゃんが言っても、イヤミにしか聞こえない……」

「ええっ⁉ そ、そんな……私はこの口で簪ちゃんを称えることすら許されないというの……?」

 

 失意の余り、楯無は地に膝を突いて落ち込みだす。

 しかし、学園最強(の馬鹿)はそこでへこたれたりはしない。

 

「そう……考えてみれば言葉で簪ちゃんの素晴らしさを語ろうなどいかにも惰弱(だじゃく)‼ 姉ならば! その行動で! 愛示せ! というものよね‼」

 

 ドッパァァ――――ン‼‼ と背景効果として背後に水しぶき的なものを召喚しつつ、楯無は頷く。意味不明な論理だったが、ともかく愛が深いということだけは理解できたイチカであった。

 そんな楯無に対しても簪は眉ひとつ動かさず、

 

「じゃあ、愛を示す為のIS学園二〇周、生身で」

「了解マイシスター‼‼」

 

 風のように疾走した楯無は、ガッシャアアアン‼ と窓をブチ破って屋外へと跳んでいく。なお、描写していなかったが作業場の窓から地面まではおよそ五メートルほどの高さがあり、常人であれば怪我は免れない。のだが……、

 

「うおおおォォおおおおおおおおおおおおかんッざしッちゃんッラアアアアアアアアアアアアアアヴ‼ ヴ‼‼」

 

 ……の、だが……。

 

「……良いのか?」

「あれくらいじゃ、五分しか時間を稼げない……」

「……なんていうか……凄い姉御さんだな……」

「色々と……暑苦しい」

 

 普段お前らが俺にやってるのがまさしくあんな感じなんだがな? というツッコミは、今は言わないでおくことにした。それを言っても色々とこじれるだけである。

 

「簪は、楯無のこと嫌いか?」

「……そんな訳、ない……けど」

 

 簪は俯きながらも、そう答えた。

 

「ただ、今はお姉ちゃんにかまっている暇はない。…………私は、お姉ちゃんを越えるから」

「一人でか?」

「理想を言えば……。……お姉ちゃんだってたった一人で専用機を完成させた訳じゃないことは……知ってる……。……でも、万人が認める『更識楯無を越える偉業』には……それくらいのインパクトが要る……」

「出来るのか?」

「イチカちゃんがいれば、確実」

 

 陰気な様子を微塵も感じさせない調子で言いながら、簪は手元のコンソールを目にもとまらぬ早さで操作していく。そういえば演算能力は世界レベルとは楯無の言だったし、ずっと前にセシリアも似たようなことを言っていた気がする。

 簪は無理をして言っているわけではないし、姉との仲も悪いわけではない。いや……それでも、簪の中にしこりみたいなものはあるはずだ。イチカだってそうだった。でなければ、姉が好きだと俯きながら答えるような心境にはならないはずだ。

 

「……それに、そのくらいできなければ、お姉ちゃんだって安心できないと思うし……。……お姉ちゃんが私に『弱い部分』を見せてくれないのは……私が、頼りないからだと思うから……」

 

 その言葉は、イチカには聞こえないように呟かれた。だからイチカは当然聞こえずに首を傾げていた。

 だが、この場にその言葉をしっかりと聞き取っていた少女が一人いる。

 

 速攻で学園二〇周を終え、二人が座っているソファの下で待機していた楯無その人だ。

 彼女はぬぅっとソファから抜け出して簪にセクハラをかます気でいたが、その言葉を聞いてソファの下に潜ったまま神妙な面持ちをしていた。聡明な彼女をして、簪の真意は分かっていなかった。てっきりセクハラの度が過ぎているから辟易としているのだと思っていたが(実際それも含まれているが)……まさか、自分を安心させる為とは露とも考えていなかったのである。ましてその理由が、『弱い部分』を見せていなかったからとは思ってもみなかった。

 当然、楯無は簪の事を心配してなんかいない。簪は自慢の妹だ。自分がいなくとも生きていけると思っている。思っているが、世話を焼きたい。大好きな妹の前だからこそ、理想の姉でいたい。そう思っていたから、楯無は簪に自分の弱みを見せてこなかった。あるいは、見せていたとしても冗談だと思うように誘導してきた。

 だからこそ起きてしまったすれ違いなのだろう。

 

 多分、イチカが自分を連れて来たのはこの為だ。

 どちらかの為ではなく、更識姉妹二人ともがわだかまりを解く為の行動。聡明な楯無は、それが彼自身の過去からくる教訓だとすぐに読み取った。

 

「……? 今、何て?」

「お姉ちゃんを越えるのが、一番のお姉ちゃん孝行ってこと」

「……そっか。簪は姉想いだな」

「……えへへ。それほどでも……」

 

 そう言って、イチカは彼女にしては珍しく女子に対して自分からスキンシップをとっていた。

 簪の頭を撫でる、という形で。

 

「ぬゎァァあああああああああにをやってるのかしらァァァあああああああ???」

 

 ぬうううう、と。

 それを金属類の反射で確認した楯無は、まるで液体のように滑らかな動きでソファの下から躍り出る。びっくりしたイチカがひゃっ‼ と足を上げたことでパンツが丸出しになり、それを金属類の反射で確認した簪が血を噴いた(あの姉あってこの妹ありだ)が、楯無はそのすべてを全身で受け止める。

 血濡れとなった楯無はそのままイチカを見下ろした。ホラー映画並の迫力に、イチカは顔を蒼くしてアワアワ言っていた。

 

「簪ちゃんはね……私の妹なの。百歩譲って、いや千歩、いや一万歩譲って簪ちゃんがキミのことを気に入っているとしましょう。ボディタッチとかするとしましょう。それは許すわ! 愛する簪ちゃんの意思だもの。尊重しないと」

 

 簪のことを語っているからか、ぱあっと顔色を明るくして(しかし血濡れだ)演説していた楯無は、しかしビシイ! とイチカに指を突きつけて続ける。

 

「でも、キミの方からスキンシップするのは駄目(どぅゎめ)ですぅー! そんなのは一兆年早いですぅー! せめて私を倒せるようになってからにしなさいぃー!」

「えっあのっ……」

「もっとも‼ 私はキミなんかには絶対に負けないしキミがいくら強くなろうがその数千倍の速さで強くなっていくからキミが簪ちゃんに触れる機会は一生ないってことになるけどねうわはははははは‼」

「黙りなさい刀奈」

 

 ドゴォッ‼‼ と。

 傍若無人の限りを尽くしていた楯無を止めたのは、簪ではなく眼鏡にポニーテールの少女だった。

 

「ちょ……おぐぅ……虚、人前で本名ダメ……」

「おっと失敬しましたお嬢様。つい癖で」

 

 ――――布仏虚。

 本音の姉であり、本音同様更識……つまりこの場合楯無の専属メイドである。怜悧な印象とは裏腹に、普段は笑顔が優しいお姉さんなのだが……今に限っては、その眼差しは絶対零度を誇っていた。

 ちなみに楯無というのは更識家が代々世襲するものであり、楯無の本名は刀奈と言う。本来他人に本名を教えられているのは禁じられているのだが、もうそういう決まり事的なのはイチカの存在からして今更なのであった。

 いつの間にやってきたの? とかそういうことについてはツッコんではいけない。

 

「まったく、途中でいなくなったかと思えばこんなところで油を売って……簪お嬢様も申し訳ありません。この馬鹿お嬢様は私が預かっておきますので」

「ひぃぃ~~放せ悪魔ぁぁ~~簪ちゃん~~‼」

 

 まるで子供のようにジタバタする楯無を引きずって行く虚に、簪は一礼して言った。

 

「……よろしくお願いします」

 

 …………姉妹仲の改善には、まだ少しだけ時間がかかりそうだった。



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第二〇話「織斑一夏(イチカ)の新しい日常」

 織斑一夏の朝は、相変わらず早い。

 朝、夏になって早くなった日ノ出の頃に目を覚ました一夏は顔を洗い歯を磨き髪を整えなど身支度を整える。今までは正直そのあたりは適当だったのだがIS学園に入学してより早二か月、女子に囲まれて生活していく中で一夏も少しずつ身だしなみに気を遣う意識が芽生え始めて来たのであった。

 

「ふああ……」

 

 あくびしながらジャージに着替えた一夏は、そのまま朝のランニングに出る。グラウンドの周りを二、三周ほどした後に通り一遍の筋肉トレーニングをしてからシャワーを浴びる。朝とはいえ夏の足音がすぐ近くまで聞こえる今日この頃は外も暑いが、一夏としてはそこはあまり気にならない。何故なら、一夏は部屋であまりクーラーをつけないからだ。毎日夜に乗り込んでくる変態淑女達からはクーラーつけろと言われているのだが、一夏としては冷房をつけてばかりいるのは健康に良くないと固く信じているのである。

 

 男の朝シャワーとかいう誰も得しない絵面を提供してくれやがった一夏はその後改めて身だしなみを整える。学園に来たころの一夏であれば二度手間じゃんとか思っていたが、今はそんなことも言わなくなった。ちょっとした成長である。

 そこまでやったら、ちょうど食堂が開く頃だ。食堂に足を運ぶと、その途中か食堂に入った後で大体見知った面々と顔を合わせることになる。

 

「おはよ~おりむー」

「……おはよ……」

「おはようのほほんさん、簪」

 

 その中でも簪を見つけたなら要注意だ。

 何故かと言うと、

 

「あ――らっ! お! は! よ! う! 一夏君‼」

 

 凄い速さで間に楯無が割って入って来る。

 それほどの高速であるにも関わらず食堂の誰にも迷惑をかけずに行動できるその技量を別の所に生かしてほしい一夏だが、ここのところの楯無は一夏の妨害に心血を注いでいた。尤も一夏は別にそこまでして簪とお近づきになりたいわけでもないので、簪が一夏に接触しようとするのを邪魔している、と言った方が正しいかもしれないが……。

 

「おはようございます、先輩……」

「そしておはよう簪ちゃん~~っ!」

 

 相変わらずな楯無に呆れる一夏をよそに、楯無は座っている簪の首に後ろから腕を回して抱き付きつつ言う。バ! と自分の口元を隠すように広げられた扇子には『簪ちゃんは渡しません』と書かれていた。

 今さらだがあの扇子どういう仕組みなんだろう? とか考えてみる一夏だが、多分考えても無駄だろうという結論に落ち着いた。世の中には分からないことも、分からなくて良いことも、分からない方が良いこともたくさんある。

 

「……お姉ちゃん、もう今日に入ってから一五回くらい挨拶してるよね……」

 

 おそらく、衛星のように簪の周りをグルグルと回っているのだろう。

 

「っていうか、一応先輩も品行方正で性格も高潔で通ってるんだよな……? こんな他の変態と同じようなことをしていて大丈夫なのか……?」

 

 と、当然と言えば当然の疑問を感じて辺りを見渡す一夏は見た。

 

「ああ、今日も楯無会長は素敵ね……」

「なんだかよく分からないけど楯無先輩が高潔なお言葉を話している気がするわ~」

「私達も会長を見習わなくっちゃ!」

 

「だ、駄目だ⁉ 連中、思考停止して先輩の事を崇めてやがる‼」

「……お姉ちゃんは凄い人だから、多少おかしくてもこの学校の一般生徒は目を瞑って正当化してしまう……」

 

 こうやって楯無の奇行を受け入れているから全校生徒が変態になっているのか、それとも全校生徒が変態だから楯無の奇行が受け入れられているのか、それは人類史に残る哲学的命題なのかもしれない。

 そんな深遠さを感じていると、絶賛簪分補給中の楯無がニヤァとしまりのない笑みを浮かべ始める。

 

「おやおやおやぁ! 簪ちゃん、今お姉ちゃんのことを凄いって……⁉ これは……もしやデレ期⁉ ついにデレ期が到来したというの⁉」

「……デレてないわ。その後の台詞もちゃんと聞いて」

「多少って言葉には目に余るほど多いわけではないってニュアンスも入ってると考えていいのよね~っ!」

 

 グイグイ頬を押しつける楯無にそれを押しのけようとする簪。これもまた朝の日常と化していた。これまではそんなに目につく光景ではなかったはずなのだが……多分簪と一夏が接近したことで、楯無の変態欲が暴走した結果だろう。変態欲って何だ。

 そして、こうやってあらゆる事象をポジティブに解釈して楯無の収集が付けられなくなった頃になると、

 

「……会長。此処にいたのですか」

 

 まるで虚空から沁みだすような自然さで、虚が楯無の背後に現れる。そして次の瞬間には楯無はグルグル巻きにされて拘束されていた。この間一秒未満。まさしく仕事人という風格の早業であった。なお、この一幕も一般生徒からは『まあ、副会長だわ』『いつもクールで素敵ね』というような感想しか出てこなかった。フルボッコにされていても楯無のカリスマが衰えないというのは、ある意味凄い。

 

「朝のうちに片付けなくてはいけない書類が残っているのです。こんなところで油を売っている暇はありませんよ。……それと本音。貴女も簪お嬢様の専属メイドならこの馬鹿から簪お嬢様をお守りするくらいのことはしなさい」

「ええ~、でも、私面倒なの嫌いだし~」

「それは専属メイドとして大丈夫なのか……?」

 

 多分大丈夫ではないのだが、虚も言っても無駄だと分かっているのだろう。そのまま楯無を引きずって食堂から去って行った。色々と嵐のような連中である。

 そんな一部始終を見た一夏は二人に別れを告げて食堂を進んで行く。流石に簪たちはいつも一緒に食事というわけではないのであった。

 食券を買い、食堂のおばちゃんから朝食を受け取る。ちょっと歩いた先に、セシリアと箒と鈴音が既に席に着いて待っていた。

 

「おっす」

「おはよ、一夏。遅かったわね。また会長にでも絡まれてたの?」

「おはようございます織斑」

「おはよう。あまりに来るのが遅いからもう食べ始めてしまったぞ」

 

 箒の言葉通り、三人は既に朝食をとっていた。やはり量は少なめだ。今日も今日とて実戦訓練なのである。ここのところ、全員の練度が高まって来たからか授業の内容もハードさを増してきた。当然のようにこの三人の変態はケロっとしているのだが、一夏としては鈴音との修行もあるのでだいぶ内心音を上げている。健康な男子的には朝はもっと食べたいのだが……それをやると吐くことになってしまう為、結果昼食をたくさん食べるという形に調整しているのであった。

 まあな――と鈴音に返しつつ、一夏もテーブルにつく。

 

「おはよう、諸君」

「皆、おはよう~」

 

 一夏がテーブルに着くのとほぼ同時に、シャルロットとラウラもやって来てテーブルにつく。

 

「ラウラがなかなか起きれなくてさ~、危うく遅れるところだったよ」

「……うう、だからと言って男装して『起きないと悪戯しちゃうよ』などと言いながら男装させようとするのはやめろ」

 

 ラウラは顔を青褪めさせながらそう呟く。どんなことがあったのか想像し、一夏は心の中でラウラに同情した。

 シャルロットの変態行為は、地味にえげつない。見境もない。

 

「シャルル怖い……」

「それなんだけど一夏、何でいつまでもシャルルって呼ぶの? 僕、シャルロットって言うんだけど」

「え、ああ……なんか、色々とインパクトが強くて」

 

 今も一夏は目を瞑るだけで瞼の裏にシャルロットのシャルル(隠語)を明確に思い浮かべることができる。ある意味他の変態のセクハラよりも大ダメージであった。

 これから朝食なのにこれでは食欲が失せる、と思った一夏は頭を振って今浮かんだ考えを打消し、そして目の前にある定食に視線を移す。なんとなく食欲が戻って来た。

 

「……朝はちゃんと食べないと調子が出ないんだけどなぁ」

「燃費をよくしなさい。わたくし達のように」

 

 そう言うセシリアは楚々とオートミールを口に運んでいる。こうして見ているだけなら深窓の令嬢と言っても過言ではない可憐さなのだが、如何せんその口を突いて出る言葉がことごとく辛辣なのであった。ついでに、言ってることも無茶苦茶だった。

 

「燃費なんて意識して変えられるモンなのか? そういう風に長期的な肉体改造をするとかなら分かるけど」

「割と気合で何とかできるものだよ。多分、セシリアちゃん達もそうしてるんじゃないかな?」

「私は試験管ベイビーだから、遺伝子レベルで新陳代謝には調整が加えられているけどな」

「なっ……」

 

 サラリと言ったラウラの言葉に、一夏は思わず絶句した。

 試験管ベイビー……つまり、母親の身体から生まれるのではなく人工的に大人たちにとって都合の良い身体に成長するよう調整した上で生み出された子供、ということだ。

 

「な、なんだよそれ。遺伝子操作とかって、漫画や映画の中だけの話じゃねえのかよ? そんなの……ハッ、まさかあの眼帯も……」

 

 そういえば、ラウラは眼帯をつけていた――と一夏は思い出す。軍人キャラを印象付ける為に行った涙ぐましい努力の跡だとばかり思っていたが、そういったものも人体改造の副作用だとすれば頷ける。

 

「…………残念ながら、これが世界の裏側ですわ」

 

 セシリアもそれを良しとしている訳ではないらしく、苦々しい表情を浮かべて肩を竦めていた。

 軍の道具にする為だけに子供を作り育てるなんて、そんなことあって良いはずがない。そして、そんな邪悪が今も罷り通っていて、ラウラがそれに苦しめられていると言うのなら、一夏はそれを黙って見ている訳にはいかない。

 

「ISにVTシステムを組み込まれていたこともあった」

「なんっ……それ、VTシステムって条約違反じゃないか⁉」

 

 VTシステムとは、『ヴァルキリートレースシステム』の略だ。その名の通り、ヴァルキリー……ISの世界大会『モンドグロッソ』において部門別優勝したIS操縦者の動作データを基に操縦者のスキルを無理やり向上させるシステムのことを言うのだが、総合部門優勝を果たした千冬もまた、ヴァルキリーの一人である。……尤も総合部門優勝を果たした彼女については『ブリュンヒルデ』という異名の方がポピュラーだが。

 そして、ラウラに搭載されていた『VTシステム』は……千冬がドイツで教官をしていた時代にサンプリングされていたものだ。つまり、二年前のデータとはいえ千冬のデータを基にしたもの。当然ながらそんなことしたら『どの国が一番千冬に近いシステムを作れるか』の勝負になってスポーツもクソもなくなってしまう為、条約で禁止されているのだ。

 一夏の激昂など気にせず、ラウラはあっさりと言う。

 

「まあ、そうなるな」

「そうなるなって……何でそんなあっけらかんとしていられるんだよ! そんなことされて、ラウラだってただじゃ済まないんだぞ!」

「ああ、分かっている。だが憤っても仕方ないことだってあるんだ」

 

 ラウラにしては珍しく、諦めたような表情だった。起きてしまった過去はどうにもならないと、そういう表情だった。それに対して一夏が何事か言い返そうとした時、ラウラは被せるようにしてこう続けた。

 

「それに、該当部署は結構前に私がこの手で粛清したからな」

「もう解決してたのかよ‼」

 

 ラウラがサラリと言ってのけた。

 粛清……という言葉の恐ろしさもさることながら、この世界のヒロイン達はみんなして揃いも揃って強すぎである。箒は知らない間に束と和解してるし、セシリアは最初からなんか強いし、鈴音は中国で驚異的な成長を遂げたし、シャルロットはご立派なシャルル(意味深)だし、簪も姉妹仲を除けば平常だし、ラウラもご覧のとおり粛清済みである。唯一問題が残っているらしいのは楯無だけだが、アレは多分放っておいても覚醒するタイプだ。

 ……なお眼帯の方も人体改造だというのは正しいのだが、あれは越界の瞳(ヴォーダンオージェ)と言ってむしろ人体改造の本番であり、ラウラにとっては『副作用』という『弱み』というよりは『強み』に近かったりする。

 

「まあ、途中に教官と篠ノ之博士の力を借りたりもしたがな。あの時は色々と世話を見てもらったものだ」

「というか、姉さんと千冬さんの目を欺くことなど不可能だ。もう誰もISで悪さをしようとする輩なんていないだろうし」

「そう言われてみれば、確かにそうだけど……」

 

 かといって、この世に『完璧』という言葉はない。千冬や束を以てしても何かしらのとりこぼしがある可能性は十分ある訳だ。前回のリーグマッチだって、結局千冬がいたのに一夏は公衆の面前で大恥をかいたわけだし。そして、この頃の一夏は大体の悪巧みが自分を狙っていることを何となく悟っていた。

 そこで、話には参加せずただ黙々と食事をとっていた鈴音が言う。

 

「でもどうせ、あの変態科学者と千冬さんがどうにもできないならあたし達にどうにか出来るはずないわよね?」

「…………それ、この前千冬姉にも言われたよ……」

 

***

 

「さて…………今日は一組だけの授業ですわ」

 

 ISスーツ姿のセシリアはそう言ってぐひひと低く笑う。朝食後の実習授業。今日の実習授業はISを使わずISスーツの基本的な操縦者補助機能を使っての訓練ということで、一組だけで行っているのであった。そしてそれは二組の鈴音がいないということを意味しており、つまりお邪魔虫がいないから目いっぱいイチカにセクハラできるということである‼

 

「…………うう、悪寒が」

 

 そんなセシリアの背後で、イチカが身震いをする。

 本来ならISを起動させる必要のない授業なのでイチカになる必要はないのだが、今回の授業では女生徒と肉体を触れ合わせる機会も多くなるため、イチカの精神衛生上変身しておいた方が良いという判断なのであった。

 どのみちもうイチカはIS起動による操縦者保護機能は完璧に切ることができる為、入学当初のように特殊なハンディキャップを新設する必要もない。

 

「安心しろイチカ。お前はこの私が守ってやる」

 

 そんなイチカの横に立ったのは、入学初日にイチカに『女の素晴らしさを教えてやる』と豪語したラウラであった。

 

「そして、守られる側(ヒロイン)の素晴らしさを知るが良い。そうすれば、お前も女の良さというものが分かるはずだ」

「……女尊男卑の風潮で『女は守られるもの』っていう固定観念は崩れてきているから、むしろそれって『男の良さ』を教えるものになっているんじゃあ……?」

「女尊男卑の風潮なんてけっきょくファッションだから気にしなくていいんだよ‼」

 

 ドイツ軍人の口からとんでもない暴論が飛び出したためイチカは思わず呆然としてしまったが、それも千冬の到着によってうやむやになった。

 綺麗に整列した全員を睥睨した千冬は、相変わらずラスボス級のプレッシャーを惜しげもなく生徒達に叩き付けながら言う。

 

「さて、ISの基本操縦を学んだ貴様らだが、そこで私が感じたのはもっと基本的な立ち回りの未熟さだ。貴様らには『攻撃を受ける』ということに対する慣れが足りなさすぎる。だから、攻撃を受ける段になると立ち回りの脆さが露呈する。ISとは想いの力で動くものであり極論を言ってしまえば肉体の鍛錬などあまり意味をなさないが、その域に達するまでに肉体の鍛錬は必要不可欠だ。今日はISの保護のない、最低限の補助機能だけでIS流の『受け身』の練習を行う! 良いな‼」

 

 裂帛の気合いで以て叩きつけられた千冬の檄に、生徒一同は声を張り上げて応える。

 当然ながらイチカも同じように答えていたのだが…………内心の方では、わりとげんなりしていた。

 

(『受け身』かあ……。まあ授業予定(シラバス)見てたからどんな内容かは把握してるんだけど、大丈夫かなぁ……。流石に授業中にセクハラしたりはしないよなぁ……胸とか、揉まれたり……)

 

 イチカは少しだけ顔を赤らめた。過日の弾とのやりとりが思い出されたからだ。あの時は、ちょっと気が動転していて自分から受け入れるような言動をとってしまっていたが、冷静になった今は違う。誰かに胸を揉まれたりするのは、御免だ。

 そんな風にして警戒するイチカの前に、セシリアが立ち塞がる。

 彼女の表情は、イチカの予想にたがわず色欲に塗れていた。だが、イチカは逆に不敵な笑みを浮かべてセシリアを挑発する。

 

「……悪いけどセシリア、俺だって強くなってるんだ。半端な気持ちで挑んだら無様に倒れ伏すことになるぜ!」

 

 言うが早いか、イチカは突撃を敢行する。セシリアを次期代表にまで押し上げたのは、あくまで遠距離から戦場という盤面全体を支配する才能あってのもの。接近戦においても、緊急回避などの『距離を取るスキル』は超一流だが、回避性能そのものがズバ抜けて凄いという訳ではない。つまり、この条件下においては両者はほぼ対等。

 

「ええ、分かっていますわ」

 

 対するセシリアは、それでも尚余裕の表情を崩さない。

 振りかぶったイチカの掌底(拳で攻撃するのは今回のルールでは禁止だ)を最小限の動きで回避する……が、それだけでは回避しきれず、セシリアのたわわに実った豊かな胸を軽く掠る。

 

「あんっ」

「おわ、ご、ごめっ」

「……でゅふふ」

 

 セシリアから上がった艶やかな声に思わず謝罪してしまったイチカだが……次に聞こえて来たくぐもった笑みを聞いてすべてを悟った。

 そう……この変態が、いつまでも一辺倒な押せ押せだけで終わるはずがなかったのだ。セシリアが好きなのは『TS少女が女の子とくんずほぐれつする展開』。であれば、『女の子がTS少女にちょっかいをかける』のではなくその逆だって好んで然るべきはずだ。

 つまり……セシリア=オルコットは、『受け身』と称してボディタッチを仕掛けさせ()ることでイチカにセクハラを仕掛けているのだ。

 

「う、ううッ……!」

 

 こうなればイチカは手を出しあぐねるが……それはセシリアに直接的なセクハラを行う隙を与えるということに他ならない。進退窮まったこの状況、鈴音がいてくれればどれほど心強いか……そう現実逃避を始めたイチカだったが、

 

 ドゴオ! と。

 セシリアの頭が強烈な跳び蹴りによって吹っ飛ばされたことで、状況は激変した。思わず息を呑むイチカに、突然の乱入者は乱れた髪を払ってこう言った。

 

「な……ッ!」

「悪いな、セシリア=オルコット。単なるセクハラであれば許容できたが、イチカに『責める側』という属性を与えるのは『女の素晴らしさ』を教える私としては許容できないんだよ」

 

 乱入者の名は、ラウラ=ボーデヴィッヒ。

 彼女は軍隊仕込みのマーシャルアーツでセシリアに痛烈な打撃を食らわせると、そのまま油断なく拳を構える。対するセシリアも間違いなくダメージはあっただろうに、プッと横合いに口の中に溜まった血を吐き立ち上がる。

 

「不意打ちとはやはりゲルマン民族は騎士道精神の欠片も持ち合わせていないようですわね。良いでしょう、相手になって差し上げますわ」

「抜かせ、古さだけが取り柄の『島国』が。いつまでも大国を気取っていられると思うなよ」

 

 互いに不敵な笑みを浮かべ、拳を構えるセシリアとラウラ。

 それだけなら非常にスポ根めいていたのだが……彼女たちはさらにこう続ける。

 

「イチカさんは、渡しませんわよッ‼」

「それはこちらの台詞だ! アレを女にするのは、私なのだからなッ‼」

 

 二人の変態が、互いに全力を以てぶつかり合う。

 一方、ペアが勝手に戦い始めてしまったイチカはそんな二人を放置して同じくあぶれてしまったのほほんさんと実習を再開した。

 セシリアとラウラはこのあとめちゃくちゃ怒られた。

 

***

 

「いよいよ明日ね」

 

 その日の夜。

 いつものように一夏の部屋に転がり込んできた鈴音は、何故か一夏の部屋に追加されたキングサイズの『来客用ベッド』に寝転がりながらそんなことを言った。一夏は自分のベッドに寝転がりながら携帯機器を操作しつつ頷く。

 

「もうやれることは全部やったし、あとは明日に備えてゆっくり身体を休めるだけだ」

 

 ただでさえ変態達の襲撃で一夏の疲労度は高かったので、何気にゆっくり休めるかどうかは死活問題だったりするのであった。

 

「流石に弁えているようですわね。貴方はわたくし達に比べて圧倒的に足りていないのですから、少しでも自分を高める努力をなさいな」

「ちなみに男性の身体に比べると女性の身体の方が疲労の回復が早いと私の中で評判だぞ?」

 

 が……やはり何故か変態達も来客用ベッドの上に転がり込んでいた。消灯時間まではまだまだ時間があるという判断だろうが、一夏からすれば迷惑極まりないのだった。いや、そのわりに追い出したりしていないから、何だかんだ言って一夏も心の中では認めているのだろうが。

 

「だから休もうとしてんのに何でお前らまで上がり込んでるんだよ! あと箒は嘘にしてももう少しまともなものを吐け!」

「久々にツッコみましたわね……イチカさんだったら完璧でしたのに」

「なあ、男女差はともかくとしてISを起動すれば操縦者保護機能の力で疲労とかも完全回復するんじゃないか?」

 

 ISの機能を盾にとられた一夏は思わずよろめくほど意志が揺らいだ。そういえばその通りである。万全を期すというのであれば変身した方がむしろ良いのかもしれない。本来なら反則だが一夏は国連のなんか良く分からない条約で自由に変身することが許されているし、この場には鈴音もいるし。

 本来一夏はあまり女の姿にはなりたがらないが、明日は大事なタッグトーナメント。その主義を曲げてでも、完璧な体調で臨むべきだと思ったのだ。(真面目なのが災いした)

 ……まあ、そんなことするくらいなら大人しく寝ておけばいいし、そもそも此処に変態達がいることを考えればむしろ変身しない方が最終的にはスタミナにも優しいのだが、一夏はそこまで頭が回らなかった。鈴音の方も、ベッドの上の変態(調子に乗りすぎて鈴音に関節技をかけられている)にかかりきりだったため一夏の思考にツッコミができず……、

 結果、一夏は変身した。

 キャメルクラッチされている変態達が歓喜するのと同じタイミングで、台所の方から声が聞こえて来る。

 

「ねえ一夏、台所使っちゃって良い? っていうかラウラちゃんが何か料理作るって張り切っちゃってるんだけど……」

「『ちゃん』はやめろシャル。あと私軍人キャラがスベっちゃったからメシマズでも何でも新しいキャラを取得しないと埋没しちゃう……! ただでさえ強力なシスコンキャラが出て来たのに……!」

「……お姉ちゃんは所詮、サブキャラだから平気……」

 

 何やらキャラ獲得に涙ぐましい努力を見せているドイツ軍人がいたが、もはやそれこそ『没個性キャラ』という新しいキャラづけになっていることに当人は気付いていない。

 ところで何気にラウラとシャルロットの仲が良くなっているのであった。

 

「まったく……何でみんなして俺の部屋に入り浸っているんだ……」

 

 イチカは思わず嘆くが、世間的に見れば六人の女の子を自室に侍らす男なんて嫉妬の対象にしかなり得ない。そこに目がいかないあたり、イチカはやはりド級の朴念仁なのかもしれない。

 …………いや、女の時に変態の限りを尽くされてしまっては、そういう気分になれないのも仕方ないというものかもしれないが。

 

「中身は男なのですから、イチカさん的にはこの状況はかなり喜ばしいのではなくって? ほら、なんならおっぱいぱふぱふとかしますわよ。そこに転がっているまな板とは出来が違いますわ」

「いや、ぱふぱふとか良いから……」

「代わりにあたしにぱふぱふしてね?」

 

 目の前でこれ見よがしに乳を突きつけられた鈴音が、セシリアのおっぱいを徐に揉みしだく。ぱふぱふというよりバフ! バフ! とサンドバッグを殴るような音が響いてくるが、もはやイチカにとってそのくらいは日常になっていた。

 

「っていうかこんな感じでドツキ漫才みたいなことしてるとさ、なんか異性って風に見れなくなってくるんだよ。お前らは男の時の俺と女の時の俺で分けて考えてるのかもしれないけど、俺からしたら同じだからな。どこの世界に、自分から素っ裸になって『これは責任を取ってもらうほかないですわね』とか言いながら肉体関係を迫って来るヤツに欲情できるヤツがいるんだ」

「イチカ、それなら私は無関係じゃないか?」

「お前もあの時『ああ~手が滑った~』とか言って盛大にスライディングしながら俺のパンツ脱がそうとしてただろ‼」

「私が寸でのところでヘッドロックかまして動きを抑えたけどね」

 

 なお、その際箒が『あがががが‼‼ 首が折れる! あとおっぱいが床を擦れて削れるうううううう‼‼‼』などと断末魔の叫び声を上げながら床に『乳ドリフト痕』を作っていたりした為、イチカがさらにドン引きしたことは言うまでもない。

 

「二人ともセクハラが古典的かつ直接的すぎるんだよ。僕達みたいにインテリジェンスなセクハラを磨かないと」

 

 と、そこで夜食のピザトーストとコーヒーを作って来たシャルロットがラウラと簪を引き連れて戻って来る。結局料理はラウラではなくシャルがやったらしかった。見てみると、ラウラの指は血まみれだ。どうやればピザトーストでこんな負傷が生まれるのかは不明だが……。

 

「って、あれ⁉ イチカちゃんになってる!」

「道理でコーヒーの匂いに混じってTSっ娘の匂いがすると……残り香だと思っていたが……」

「なあ、TSっ娘の匂いって何だ? 俺におうのか?」

 

 不安そうに自分の腕の匂いを嗅ぐイチカだったが、そんなものは逆に変態達を興奮させる要素にしかすぎない。匂いなんてしないわよあの変態の戯言だから、と唯一の常識人鈴音がイチカを宥める。

 

「シャルはともかく、ラウラと簪のどこがインテリジェンスなんだ?」

 

 きょとんとした表情で、シャルロットの言に返す箒。

 なお、二人ともこれまでにイチカにアプローチを仕掛けようとして鈴音に粛清されること既に三桁くらいなのであった。

 シャルロットの方は、未だにたまに『男装用肉襦袢』を着て一夏のことをからかったりしている程度だ。『裸じゃないから恥ずかしくない』とはシャルロットの言だがあまりにも精巧な為に実質裸みたいなもんであり、多分シャルロットも恥ずかしくないと言いつつ半ば裸を見せびらかしている節があるので彼女には露出狂のケがあるのかもしれない。

 

「失敬な。私だってインテリジェンスな部分を見せているぞ。そもそも私がイチカにセクハラするのは自分の欲求を満たす為ではなく、それによってイチカに『女の素晴らしさ』を教える為であって、その点でただセクハラするだけの貴様らとは一線を画している」

「俺はむしろそれでお前ら変態に対する不信感を募らせてるんだけど……」

 

 呆れたようにイチカが言うと、ラウラは『マジでっっ⁉⁉』って顔で涙目になってしまわれた。さらに畳みかけるように簪も続ける。

 

「私は行間でイチカちゃんと一緒にIS作ったりしているもの……。むしろセクハラはノルマを達成しているにすぎない……」

「そういえば、簪はもうIS完成したんだっけ?」

 

 もはやボケをスルーし始めたイチカに簪は一抹の寂しさを感じながら(こうして少女は姉の悲しみを理解していくのだ)頷く。

 

「ええ。イチカちゃんのお蔭でしっかり完成したわ……。何だかんだ言って一線級のモノが……」

「じゃあ、簪の目標でもある『姉の偉業を越える』っていうのは、達成できたんだな」

「うん……これも、イチカちゃんのお蔭……」

 

 そう言って、簪はイチカのことを抱きしめる。

 突然の抜け駆けに六人が湧き立つが、簪はそれでも止まらない。そのまま対応できていないイチカの唇に自らの唇を、

 

「簪ちゃんどえらッッッしゃァああああああああああああああああああああいィィッ‼‼‼」

「くたばれ変態、ここがアンタの墓場よッッッ‼‼‼」

 

 接触させる直前、二人の猛者がクロスカウンター気味にイチカと簪を引き離す。

 いや、正確に言うと『鈴音がブン殴ろうとした直前に楯無がイチカの部屋の扉をブチ破って乱入し、簪を引っ張って回避させた』のだが。対変態では束を除いて必殺を誇っていたはずの鈴音の拳が虚しくも空を切る。

 ズザザザザザザ‼‼ と乱入の勢いを猛獣の如く四つん這いになって殺した(簪は背負っている)楯無は、そのまま油断なく鈴音を睨む。

 

「アンタ、会長ね……!」

「てんめェェええええええ…………簪ちゃんを殴ろうたあ良い度胸じゃないの……先輩として一つ、教育してくれる……‼」

「やってみなさいよ。あたしだって、アンタ達変態の暴挙にはいい加減我慢の限界だってのよ……‼‼」

 

 一触即発。

 片や愛する者を守る為に拳を振るう人外。

 片や愛する者を守る為に理を捨てた変態。

 もはや常のセオリーなど通用しない状況にて、最初に動いたのは楯無だった。

 ただし、動いたのは彼女の意思によるものではない。

 

「……何をやっているの、刀奈」

 

 扉の方から聞こえて来た、絶対零度の声。それによって楯無の身体が自分の意思とは無関係に震えてしまったのだ。

 いかな変態と言えど、お目付け役からの制裁(ツッコミ)に勝つことはできない。

 

「ほら、部屋に戻るわよ。下級生に混じって遊ぶような歳でもないでしょうに……」

「うぅぅ……だってだって虚、あのチャイナ娘が簪ちゃんをぉぉ……」

「駄々を捏ねるんじゃない」

「がっ⁉」

 

 ベシ! と頭に刺突を食らわせられた楯無は、そのまま全身から力を抜いて虚に引きずられるがままになる。そんな生徒会長を引っ張りつつ、虚は瀟洒にお辞儀をして言った。

 

「イチカさんの部屋の扉まで破壊して…………ウチの馬鹿がご迷惑をおかけしました。貴女達も、消灯時間はもうすぐですからね。明日は学年別タッグトーナメントなんですから、こんなことで消耗するのは馬鹿らしいですよ」

 

 虚は簪も拾い上げた上でイチカの部屋から立ち去って行く。

 あとに残されたのは、臨戦態勢のまま振り上げた拳の行き先を失った鈴音と、イチカと、変態のみ。

 

「…………とりあえず、この拳はどこに振り下ろせば良い訳?」

「その()()はどうですか? ゴリラのドラミングみたいで意外と絵になりそうですわよ」

「ありがとう、でもたった今最適な場所が見つかったわ」

 

 ですわー‼ と懲りない悲鳴が響き渡る。

 イチカは、全てを諦めてただベッドに身を投げた。

 

***

 

 そんなこんなで、変態達が自室に戻って言った後。

 

「……静かになったなぁ」

 

 イチカはそんなことを呟いて、携帯を取り出した。扉はいつの間にか修復されていて、彼女達がさっきまで此処にいた痕跡はもはや客用ベッドの乱れくらいだ。

 何だかんだ言って別に部屋にいられることが苦痛というわけでもないし、馬鹿騒ぎに付き合わされるのももう慣れたので最近はむしろ変態達が立ち去ると寂しさすら感じるようになっていた。

 だからと言って、一晩中居座られても困ってしまうのだが。

 

「……ん? メール来てるな」

 

 ふと、取り出した携帯にメールの着信が入っていることに気付いた一夏は、何の気なしに開いてみる。着信があったのは今から大体十数分前。ちょうど鈴音がセシリアのおっぱいを使って七色の音色を奏でていた頃だ。

 

「えーと……弾からか。どうしたんだ?」

 

 そうしてメールの内容を確認したイチカは、さあっと顔を青褪めさせる。

 

 そこに書いてあった内容は――――。



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第二一話「開幕…………そして覚醒」

『さぁさぁさぁ! IS学園の皆さんグーテンモルゲ――ン‼‼ そんな感じで始まったよタッグトーナメント! 実況は皆のアイドル☆ マスター束さんがお送りしまっす! ()()()()()()()()じゃ滅多にお目に掛かれないレアキャラだぞー皆有難がれー』

 

 ISアリーナに設置されている巨大オーロラヴィジョンに、機械的なウサ耳を身に着けた少女――少なくとも二〇代半ばのはずだが、そうとしか表現しようがない――が跳ね飛ぶ。実写のはずなのになぜか頭身が低く見えるのは、彼女の醸し出す雰囲気が幼いせいか。

 

『一般人には分からん台詞を吐くな馬鹿』

『びゃびゃ――――っ⁉』

 

 脇腹に肘鉄というかなり地味な(しかし千冬がやる以上戦車の装甲すら貫通する)ダメージに、束は尻尾を踏まれた猫のような悲鳴を上げる。

 

『もう、ちーちゃんは全体的に暴力が激しすぎるよ……いっちゃんあたりが見てたら逆にちーちゃんの方がツッコまれちゃうんじゃないかな?』

『篠ノ之(姉)。これから開会の挨拶なのだが、それ以上余計なことを言うようであれば私にも考えがあるぞ?』

『はいっ! 黙りますっ!』

 

 コキリ、というありきたりな骨を鳴らす音に続いて何か謎の高周波の超音波めいた音(音源不明)が聞こえ始めた為か、束は顔を蒼くしながらも沈黙の体勢に入った。

 

『……さて。それではこれより、IS学園タッグトーナメントの試合を開始する。なお、一年生全員の試合を行う為今トーナメントは今日一日をフルに使う。その関係上、()()()()()()()()や出店などもあるが……生徒諸君はハメを外し過ぎないように。――――私は、いつも見ているからな』

 

 ある意味どんな脅し文句よりも恐ろしい忠告であった。

 

『じゃあそういうわけでっ! これからの時間は当初の番組内容より大幅に変更して「()()ちゃんのあんなコラこんなコラ」をお送りします! 地上波だと規制に引っ掛かるエロさだかrあがごぼぐしゃっっっ⁉⁉⁉』

『おっとしまった。ついうっかり地上波だと規制に引っ掛かるグロさを披露してしまったぞ』

 

 一面赤とピンクのモザイクに覆われた画面から、千冬の声だけが響き渡る。

 …………そんなこんなで、波乱のタッグトーナメントが幕を開けたのであった。

 

***

 

「はあ……」

 

 そんないつも通りの放送を見ながら、IS学園制服姿のイチカは憂鬱そうに溜息を吐いていた。

 現在地は、本校舎前の大広場だ。ISの正面ゲートから校舎までは大型車両も通れるような広大なスペースが展開されているのだが、今日に限っては大量の来場者にお金を落としてもらう為か様々な出店が展開されており、座る為のベンチなども大量に並べられているのだった。

 イチカが座っているのは、そんなベンチのうちオーロラヴィジョンが良く見えるポジションだった。

 彼女が身に纏っているのは、IS学園の女子制服。しかも、普段着ているものと違って何故か千冬特製の特別仕様である。いつもよりほんのりスカートが短いのがイチカの精神力をがりがりと削っていた。

 

「……イチカ、元気出しなさいよ」

 

 憂鬱そうな溜息を吐くイチカを慰めているのは、隣に座るツインテールの少女――鈴音だ。

 

「鈴、それだめ」

「……あっごめん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あっけらかんとした鈴音に現状を再認識させられたイチカは、また肩を落とした。

 そもそも、イチカは今IS学園の女子制服を身に纏っている。……試合に備えてISスーツを着ているならともかく、制服を着て『女の格好』をするという嗜好は普段のイチカは持ち合わせていない。

 それというのも、昨日の夜に弾からもらったメールが関わっていた。

 

『困ったことになった』

 

 そんな件名の弾のメールに、一抹の不安を覚えつつメールを開いたイチカ――当時は一夏だったが――は顔を青褪めさせた。

 そこにはこんなことが書いてあった。

 

『明日、蘭を連れてIS学園に行くことになっちまった』

 

『はァァああああ⁉⁉』と悲鳴にも似た声を上げて寮監でもある千冬に怒られつつも読み進めた結果、メールの文面には以下のようなことが書いてあった。

 

 なんでも、あの日イチカと弾の仲睦まじい様子を見ていた蘭はイチカがあっさり弾と別れたという事実を信じなかったらしい。蘭曰く『お姉みたいな初心な娘がお兄をあっさり捨てられるわけないでしょ‼ 絶対何か理由があるんだって‼ 何で直接会って話をしようとか思わないの⁉ この馬鹿お兄‼‼ 見損なったよ‼』とのこと。

 このままだとマジで兄妹仲に深刻な亀裂が入ると判断したために弾は学園に赴かざるを得なかった……というわけだ。ついでに、イチカは蘭に『別れた経緯』とかを説明しなくてはならないことになっている。

 弾を行かせるならともかく、蘭も同行するとなると大分強引だな……とイチカも思わなくもなかったが、おそらくそれほど蘭がイチカに入れ込んでしまった、ということなのだろう。人たらしは此処でも真価を発揮していた。

 

 ……いや、それは良い。

 百歩譲ってイチカはその顛末は受け入れていた。自分が考えた嘘によって五反田兄妹があわや大喧嘩だったのだ。その火消しをする為に自分が泥を被るのを躊躇する程イチカの器は小さくない。

 だが…………先ほども言った通り、イチカはメールを見た瞬間に開口一番悲鳴を上げてしまった為、千冬に怒られていた。つまり、千冬もイチカの部屋にやって来ていたわけで……問題のメールの内容もバッチリ確認されてしまっていたというわけだ。(もっとも、そうでなくともIS学園で行われるありとあらゆる通信は機密保護の為に一度情報部で検閲されるのだが)

 

 結果、弾が蘭を連れてイチカに会いに来る――という情報は、一夜のうちに全校を駆け巡った。

 

 お蔭でイチカ=チカということで蘭に真相を誤魔化すという体制を学園一致で行う流れになったのはイチカにとっても有難いのだが、変態的にはフリとはいえ男と付き合う展開は大きな波紋を呼んだ。セシリアはブチギレ、ラウラは感涙、シャルルは絶頂、簪は成仏など、一時はタッグトーナメントの開催すら危ぶまれる状況だったほどである。

 そんな状況で蘭の対応もしなくてはいけないのだから、自分が撒いた種ということもあってイチカは非常に精神的に辛い状態なのだった。心の力で動かすISを起動させている関係で体調不良を訴え始める程度には。

 なお、鈴音も鈴音で最初は不機嫌極まりなかったのだが、相手が親友である弾であったこと、あくまで『フリ』であるというイチカの必死の説得によって今のような状態になっているのであった。

 それでもやっぱり、表には出していないだけで心にちょっとした棘は刺さっていたが。

 

「この後、弾が来るのよね?」

 

 ナイーブになっていたイチカに思考を促すように、鈴音が言う。イチカは顔をあげるとこくりと頷いた。その顔色はやはりあまり良いとは言えなかった。

 鈴音はやれやれとばかりに頬を掻くと、ぺしんとかるーく背中を叩いて喝を入れる。

 

「ほら、しっかりしなさい。あたしだっているんだしそんなにくよくよしてても仕方ないわよ。大丈夫、何とかなるって!」

「……そう、だな。うん、ありがとう鈴。気が楽になったよ」

 

 まだ本調子ではなさそうだったが、イチカは何とか笑みを浮かべられる程度には気分を持ちなおしたらしい。と、鈴音はぱっと校門の方を見る。鈴音が素で展開したISの操縦者保護機能が雑踏の中に紛れているバンダナ装備の少年の姿を確認した。

 

「……来たみたいね。久々だから挨拶しときたいとこだけど、あたしがいたら進まない話もあるでしょ。席はずしとくから」

「ありがとう、鈴」

「気にしないで良いわよ。あたし達の仲でしょ」

 

 そう言って、鈴音はあっさりと手を振りながら校舎の方へと移動していく。それと入れ違いになって弾がイチカに気付いてやって来た。

 

「久しぶりだなイチカ」

「おす」

 

 朗らかに笑いながら目の前にやって来た弾を見上げながら、イチカは軽くはにかんだように笑みを作って片手を上げる。弾は特に断るでもなくイチカの隣に座りながら、

 

「ったく、参ったな。まさかこんなことになるとは思わなかったぜ」

「そ、そうだな……」

 

 ベンチの背もたれに思い切り寄りかかった弾から男性用制汗剤の匂いがして、イチカは思わず座る位置を僅かにずらす。

 弾はそんなことに気付かず、豪快に背もたれに肘をかけながら話を続ける。イチカが女の子みたいに足を閉じて縮こまってしまったのにも気付いていない。

 

「で、どうしようか。蘭はどうしてお前が俺のことをフッたのか聞く! って意気込んでたけどさ。……正直、IS学園に来られた時点で詰んでるよな?」

「……そういえば、お前蘭はどうしたの? 姿が見えないけど」

「あん? ……ああ、あいつには『先に俺が会って話をするから』って言ってある。だから、大体一時間くらい遅れて来るんじゃねーかな。だからその一時間までにどう蘭を切り抜けるかの対策を練らねば……!」

「ああ、そうだな」

 

 明らかに気温の暑さとは違う原因で汗を流している弾に、イチカは真面目な表情で首肯する。そうして作戦タイムが始まった。

 

「ええと、フッたっていうのがまず信じてもらってないんだったよな?」

「ああ。『お姉はそんな人じゃないから』って。まあ俺もそう思うよ。あのキャラで速攻でフりましたってのはちょっと無理ある」

「じゃあどうするんだ? フッた理由を考える?」

「そうなるな。まあ俺がフッたってことにしても良いけど」

 

 鷹揚に頷いた弾がちょっと偉そうだったので、イチカは弾の脇腹をつねった。

 

「いてっ! この野郎っ」

「偉そうにするなよ。……で、フッた理由だけど」

 

 イチカはそう言って一旦間を開けて、

 

「……弾が予想以上にヘタレだったからっていうのはどうだ?」

「『どうだ?』じゃねーよ‼ それどういうことだよ‼」

「いやほら、この間も結局据え膳食わなかったし……」

「紳士‼ そこは紳士的って言えよ馬鹿! っていうかお前あれ据え膳のつもりだったのかよ⁉」

「結果的にだよっ‼」

 

 思わぬ痛い所を突かれたイチカは顔を赤らめながら弁解する。……これ以上はたがいにとって不毛なやりとりになると考えたのか、二人はどちらからともなく沈黙した。

 

「……まあ真面目な話、多分それは無理だぜ。蘭の奴はそういう『普通に軽い理由』でイチカが俺をフるのがあり得ないって言ってたんだからな。多分、それじゃあ納得しない」

「それでもゴリ押しで行ったら? 俺は失望されるだろうけど、蘭も諦めてくれるんじゃないか」

「…………良いの?」

「そりゃ、俺が撒いた種なんだし」

 

 イチカの顔色は全然良さそうじゃなかったが、それでも堪える意志は見えた。とはいえ、紳士でありたい五反田弾としてはそういうヘタを(ガワだけでも)可愛い女の子に掴ませるわけにはいかない。

 それに、

 

「多分それでもダメだろうな。アイツ、あれでかなり頑固だから……しびれを切らして自分の手で調査したりするかもしれねー」

「……でも、女の子一人の力でどうにかなるもんか?」

「あれでもアイツ、圧倒的支持率で中学の生徒会長やってんだぜ。人望もあるし能力もあるよ。下手するとお前の正体までたどり着かれるかもしれねーぞ」

「…………」

 

 イチカはそう言われて、黙って想像してしまう。

 イチカ=一夏であると突き止められ、蘭に『本当は一夏さんだったのに、黙って私の事騙してたんですね! 最低! お兄もグルだったなんて! 死ね‼』と言われる暫定未来を。……それだけは絶対に避けたかった。

 

(いや俺だけが嫌われるんなら仕方ないけど、弾にまで迷惑かかっちゃうからなぁ)

 

 弾が聞けば『お前を嫌うことでも蘭は傷つくんだよ』とフクザツな女心を教えてくれただろうが、しかしそうではない以上朴念仁たるイチカがそこに気付くことはない。

 

「でも、それじゃあ下手に誤魔化すのも悪手……少なくとも蘭が納得する理屈を作らないとダメってことか」

「というよりは、『お前があの日演じた小村チカの人格に相応しい理由』だな」

「む、難しい……」

 

『あの日演じた』と言われてもイチカはぶっちゃけそんなに演技したつもりはなかったし(演技する余裕がなかった)、演技しようとして演技しきれなかった素の自分が考えるであろう理由なんて朴念仁のイチカに分かるはずもない。

 

「そうだなぁ、『寮生活のせいでなかなか会えないのが切なすぎていっそ別れたくなった』とかどうよ?」

「ええ、やだよ! そんな女の子みたいな……」

「いや、今お前女の子だろ?」

「中身は男だって話だよ‼ それに、むしろそっちの方が『らしくない』だろ⁉ 俺そんな演技できないぞ多分……」

 

 弾は憤慨するイチカを宥めるように肩を叩き、笑いながらイチカの瞳を覗き込む。

 

「まあまあ。わりと似合うし様になると思うぞ?」

「なっ……」

「でもまぁ、そうだなぁ……」

 

 すっと視線を横に向け、思案に耽る弾。イチカはそれを見てやっと呼吸を落ち着けることができた。

 

「そうだ! ISに専念したいから一旦別れる……とかはどうだ?」

「いや、それってかなり無理があるというか時代錯誤だと思うぞ」

「今の時代に男が女を守るとか言っちゃうお前がそれ言う?」

「それとこれとは話が別!」

「じゃあ、イチカは何か案あるのかよ?」

「う――ん……。不治の病だと判明したから別れたとか……」

「お前も大概女の子みたいな理由だぞそれ! 発想の方が!」

 

 まるで恋愛映画みたいなのであった。いや、いまどきこんなベタベタな展開はないが。

 

「そんな、でも、こういうのって王道だろ⁉」

「王道すぎて逆に怪しいっつーんだよ! あとそれやると蘭が余計引きずる!」

「あっ……そうか……」

 

 そう言われて、イチカははっとした。確かに、気に入っていた兄の彼女が急に兄をフッたと思ったら不治の病でしたとか、あまりにも劇的すぎて蘭も流すに流せなくなるだろう。そういう意味では本末転倒である。

 

「んーじゃあ……」

「こういうのとか……」

 

 あーでもないこーでもないと、二人は意見を出し合っていく。

 だが、結局答えは見つからないまま、時間だけが過ぎていくのだった。

 

***

 

「……ぬぐぐぐぐううう……‼ あの男、イチカさんにべったりと……うらやまふざけていますわ……!」

「せっしー、お願いだから突撃とかしないでね~」

「しませんわよ! 趣味ではないですがNLも嫌いというわけではありませんし!」

「そうじゃなくってね~」

 

 そんな二人を見守る影が二つ…………どころか数千ほどあったのだが、それは常人には分からないことである。

 

***

 

『さあーてさてさて! お次はこのカードだよー!』

 

 オーロラヴィジョンから束の声が聞こえて来るのを、イチカは試合会場で聞いていた。

 結局……具体的な対策は見つからないまま、試合の時間が来てしまった。何とか試合を延期できないかと方法を考えてみたイチカだったが、常識的に考えてイチカ一人の都合で試合の組み合わせを変えることなど許されない。観念して『アドリブでやろう、この前もアドリブだったんだし』と弾と確認して、此処までやって来た。

 

「チカ、準備は良いわよね」

「当然だろ」

 

 隣に並び立つ鈴音が、常とは違う獰猛な笑みを浮かべながら問いかけて来る。……もう、当然のように『チカ』だった。こういう風に織斑イチカではなく小村チカとして扱われると、なんだか自分が本当に女として学園で生活しているような、そんな不思議な感覚になって来る。

 蘭の件も併せてかなり不安だが……もう試合は始まっている。思考を切り替えなければいけない、とイチカは思う。

 そんなイチカの前に立ち塞がるのは――――、

 

「さ・て。素晴らしい光景に素晴らしいシチュエーション、はっきり言って今の私の変態力は通常の数千倍だぞ……‼」

「ラウラ、昨日からこんな調子なんだよねぇ……。まあ僕もなんだけど」

 

 ラウラ=ボーデヴィッヒとシャルロット=デュノア。

 

「お前達と一回戦からぶつかるって聞いたときはちょっと焦ったぜ」

「私は嘆いた。何せチカの勇姿を見られるのがたったの一回だけになってしまうのだからな……」

「へっ、言ってろ!」

 

 余裕綽々でアンニュイに浸って見せるラウラに、イチカが不敵に笑い返したと同時。

 

『では双方――――試合開始ッッッ‼‼』

 

 千冬の宣言が、戦場に響き渡る。

 先に動いたのは鈴音だった。

 

「喜びなさいアンタ達、チカの活躍ならこれからいくらでも見れるわよ。アンタ達は此処で墜ちるんだからねッ‼」

 

 ドッ‼ と不可視の弾丸が、まるでマシンガンのように無数にばら撒かれる。しかしそれは単なる弾丸ではない。それ自体が攻撃力を持った『圧力フィールド』。つまり、防御しても空間全体にかかる圧力でどのみちダメージは受けることになる。そして一度でも防ぎ損ねれば、後は延々攻撃を叩き込まれる無限ループが生まれてしまう。

 

「チッ……‼ 厄介な……!」

「こちとらイグニッションプランに対抗する為に中国の技術の粋を集めて作ってんのよ! そう簡単に対策されて溜まるモンですか!」

 

 しかし、相手側もただ黙って鈴音の思惑に乗るわけではない。

 

「ラウラ、よろしく!」

「こんなに早く使うハメになるとはな……予想以上に中国の第三世代兵器が進化していた、か」

 

 ラウラは手を翳し、世界に命令するように言う。

 

「『停止結界』ッ!」

 

 その瞬間、イチカは本当に世界が一瞬停止したような錯覚を覚えた。

 鈴音の予測していた着弾や無理な回避行動は、ない。

 

「チッ……! 『龍砲』はエネルギー兵器よ⁉ 形状変化は考えてたけどまさか停止対象が拡大してるなんて……!」

「鈴! 躱さないと次が来る!」

「言われなくても分かってるわよ‼」

 

 二人がその場から退いた瞬間、二人の頭上に回り込んだラウラとシャルロットが銃撃を開始する。イチカの『零落白夜』を警戒しているのか、二人そろって実弾による攻撃だ。

 

「クソ……何がレールカノンだ! 殆どガトリングじゃないか⁉」

「差し詰めガトリングレールカノンってとこね……そんなところを気にしてる場合じゃないわよ! 今の射撃に対応しようとしてる隙にドイツ軍人がもう一発かまそうとしてる!」

「う、うわあ⁉」

 

 殆ど空中を転がるようにしてイチカと鈴音はラウラの『AIC』を避けていく。その合間にも鈴音は『龍砲』で牽制を繰り出すが、そのたびに『AIC』で止められてしまう。

 

「フハハハハ‼ どうした! この程度か!」

「悪役みたいな笑い方するヤツね……!」

「あはは……ラウラってばこういうの好きだよね結構」

「逃げるなチカ! お前の動きを止めてあんなことやこんなことをしてやるから! 時間停止AVみたいに! 時間停止AVみたいに!」

「ちょっ馬鹿‼ 越えちゃいけない一線考えろよ⁉」

 

 思わずとんでもないことを口走ったラウラに、イチカは焦りながらツッコミを入れる。一応この模様は全世界同時中継なのだがラウラはそのことに気付いているのだろうか。まあ、変態相手に羞恥心を期待するだけ無駄なのかもしれないが。

 

「おいゴルァ! 誰だウチの隊長に妙なこと吹き込んだ命知らずは‼」

 

 ……観客席で何やらものっそい叫んでいる女性客がいるが、そこはあんまり気にしちゃいけないだろう。

 

「……ええい! 来るなら来い! 『零落白夜』で切り裂いてやる!」

「馬鹿! チカ! こんなとこでエネルギー無駄撃ちすんな!」

 

(銃撃にではなく変態発言に)痺れを切らして刀を構えたイチカを、鈴音は引っ張って押さえつける。

 

「じゃあどうしろっつーんだよ⁉」

「あたしが囮になる!」

 

 そう言って、鈴音はイチカの反応も見ずに単身二人の方へ突っ込んで行った。

『龍砲』によって自分に当たる銃弾だけを弾き最短ルートで移動する鈴音は、明らかに囮だが放っておけば確実に喉を食い破られる。当然、二人の対応もそちらに集中せざるを得ない。

 だが……いかに中国次期代表に上り詰めた鈴音とはいえ、軍のIS部隊で隊長を務めていたラウラに、急造とはいえフランスの次期代表であるシャルロットを相手取って勝利することなど不可能だ。徐々に、機体に傷が入って行く。

 

「貴様の騙し討ちは不可視の『龍砲』を起点としたものだ。人は見えないものを恐れる。だから対戦相手の注意は『圧力弾』そのものに移り、それゆえに騙し討ちされる隙を生む。……だが、対策は簡単だったんだ。その『龍砲』の動作から稼働状況をサンプリングすれば良い。ご苦労だったなシャル。お前の精密射撃のお蔭で、『龍砲』の稼働状況のサンプリングは完了した。そちらにデータを送る」

「チッ……‼ せっかく不可視だってのに機体の方を見られて発射を先読みされてちゃ何の意味もないでしょうに……!」

「それが開発途中の試作機の脆さというものだ」

 

 注釈しておくと、『龍砲』の稼働状況など、常人ではスロー再生でじっくり見たとしても分かりっこない微々たる変化しか起こさない。だが、ISの超精密なセンサーと軍人としてのラウラの卓越した観察眼がそれを捉えることを可能とした。

 

「シャル! 私はこの中華娘にトドメを刺す! お前はチカをやれ! いいか、ISアーマー全剥きだぞ! 分かってるな‼」

「当然! 薔薇色の演出つきだね‼」

「いやそれは別に良いんだけど……」

 

「好き勝手言ってくれるな……だがラウラ、試作機で脆いのはお前も一緒だぜ‼」

 

 ドッ‼‼ と。

 イチカは超速度でアリーナの地面に着地する。

 ISは高速で移動するが、その重量は数百キロ以上もある。正直なところ巨大な戦艦であったとしても『ISが体当たりするだけで轟沈する』ような代物だ。そんなものがアリーナの地面に着地すれば……。

 当然、地面は砕け土煙が戦場全域を覆い尽くすことになる。

 そんなことをすれば対戦相手の目視は困難になるが、そもそもISには光学センサーの他にも電磁センサー、温感センサー、音波センサーなど様々な方式のセンサーが備えられている。たかが土煙程度で『ISの目』を潰すことはない。

 

「お前の『AIC』の弱点……それは掌から先の『空間全体』に無差別に作用すること! さっきお前らが『圧力弾』を停止した直後に攻撃を繰り出さず、わざわざ俺達の上に回り込んで攻撃したのだって、『空間全体に作用しているから解除しないと自分達の攻撃まで停止させてしまう』から移動して射線を開けざるを得なかったんだ!」

 

 無差別――つまり、土煙が戦場を覆い尽くしているこの状況では、『AIC』が真っ先に留めるのは土煙、ということになってしまう。そして、複合方式のセンサーであれば土煙が停止したことを感知するのは容易い。つまり、弾道を読める――ということになる。

 そうなれば、ISのスピードが『AIC』を躱すのは容易い。

 

「ば、かな……ッ⁉」

 

 そして、得意技を破られたラウラの隙を突くのもまた、ISならば容易い。

 いかにISが超高速とはいえ、操るのは人間。そして、驚愕によって消費された刹那は万全のISにとっては那由他にも匹敵するのだから。

 

「食ら、えェェえええええッッ‼‼」

 

 ゾバァ‼ と、イチカの剣閃が、ラウラを両断する。

 

「ラウラ‼」

「あんたの相手は、こっちだっつーの‼」

 

 ゴンガン‼ と連続して金属音が響く。シャルロットもまたラウラの援護に出ようとしていたが、鈴音によって阻まれていたのだった。

 

「チカ、やった⁉」

「いや駄目だ! 一瞬早く飛び退かれた! 傷は浅い!」

 

 運が悪かったと言うべきか――いや、この場合は軍人たるラウラのとっさの判断を褒めるべき場面だ。ISアーマーを袈裟斬りにされたラウラは、それでもまだ不気味に空中に佇んでいた。

 

「………………う、そだ……」

 

 しかし、その様子はどこか危うかった。

 

「嘘だ……このわたし、が……」

「ラウラ……?」

「ハンッ」

 

 おそるおそる相手の様子を伺うイチカに、鈴音は逆にラウラを嘲笑うように鼻で笑う。

 

「おおかた、格下相手にあっさり一太刀入れられてプライドが許さないんでしょうよ。自分は軍人だから、こんなところでごっこ遊びしている学生なんかには絶対負けないとでも思ってたんじゃないの? プライド高い奴ってのは、一度折れると脆いからね」

 

 そう言うが――次の瞬間ラウラが見せた感情には、流石の鈴音も度肝を抜かれた。

 

「この私が‼ チカに時間停止AVみたいなことをできないだと⁉」

 

 眼帯に覆われたラウラの左目から、血が流れていた。

 いや、これは単なる血ではない…………『血の涙』だ。ラウラの強烈な絶望が、イチカに時間停止AVみたいなノリでえっちなことができないという事実が、彼女にこの上ない絶望を齎しているのだ。

 というかそのボケ、まだ続いてたんだ……とイチカは思うが、ラウラの絶望はさらなる段階まで沈んで行った。

 

***

 

(私は……負けるのか?)

 

 イチカに『AIC』の弱点を見破られた瞬間、ラウラの心を支配したのは絶望だった。

 確かに『AIC』はもはや当たらないが、それは『龍砲』も同じこと。『シュバルツェア・レーゲン』はワイヤーブレードやプラズマ手刀などの近接武装も充実している。ガトリングレールカノンなどの実弾兵器もあるから、まだ勝負は分からないだろう。

 だが――ラウラにとって、イチカの身体に合法的にセクハラをかませる千載一遇のチャンスで変態行為以外で勝利するのは、もはや敗北以外の何物でもなかった。

 格下相手だから……とかいう見下しではない。それが、変態のサガなのだ。たとえギリギリの勝負だったとしても、イチカを前にしたらそういう行為をしないとそれは負けでしかないのだ。それができなくなった時点で……どうしようもなく負けてしまっている。

 だが、ラウラはそれを認めなかった。

 

(私は、負けられない。こんなところで負けられない!)

 

 思い出されるのは、千冬を教官と仰ぎ師事した日々。

 ISの発明と普及に伴って適性向上の為に施された越界の瞳(ヴォーダンオージェ)の不適合事故によって落ちこぼれ扱いされていた(本当は『しょげてるラウラちゃんぺろぺろ』と部隊員(へんたい)が陰ながら応援していただけだが)ラウラに戦闘のイロハと常識を常識として受け止めることの不毛さを教えてくれた教官。誘拐された一夏を助ける為に分身して戦ったら『流石に二人になるのは反則』とかで反則負けになってしまった教官。

 ――――そんな教官……千冬と別れた後、ラウラの楽しみはそんな凛々しい千冬が弱弱しくしているという妄想をして、そのギャップと己の憧れを穢している背徳に快感をおぼえることだけになってしまっていた。

 そして――やっと見つけた『理想の女の子』。

 絶対に、絶対にこんなところで止まる訳にはいかないのだ。此処で女の子の喜びを覚えさせて、TSっ娘の最高の幸せを味わわせてやるのだ‼

 その為ならば、何でもする。何だってやる。だから、

 

(力が、欲しい――)

 

 そう考えた瞬間、ラウラの心の奥底で何かが蠢いた。

 そして……『そいつ』は言った。

 

『――あれ、お願いしちゃう? どおーっしよっかなぁー。束さんってばチョー忙しいし。どうしてもって言うんだったら考えてあげないこともないけどぉー』

 

 ……『そいつ』っていうか、束だった。

 VTシステム関連の粛清の時に束に色々と世話をしてもらったとはラウラの談だが、その『世話』というのがこれである。ぶっちゃけ、遊び心で仕込んでいただけだが。

 

「ど、どうすれば力をくださるんですか……?」

『土下座してお願いすればやってあげよっかなぁ~』

「…………」

『あっごめん! 此処ってちーちゃんいないからいつもの暴力ツッコミ来ないんだった! もー、調子狂っちゃうなー』

「やれば良いんですか……?」

『ああ良いから! えーと台本台本……コホン。汝、自らの変革を望むか! よりおぞましい変態を欲するか!』

「言うまでもない……力があるのなら、それを得られるのなら、私は何でもやる‼ 何でもだ‼」

『言質とったよ‼‼ 束さんトレースシステム起動(セットアップ)‼』

 

 

 Damage Level=A

 Mind Condition=Uplift

 Certification=Clear

 

 The agreement of the start condition was confirmed.A system is started more than this. Please be careful about the psychological numerical value of the wearer.

 

***

 

 俯いたラウラは、ぽつりと呟いた。

 

「……認めない」

「ッ⁉ チカ、なんかヤバい! 早くアイツにトドメを‼」

「このまま決着なんて、そんな真っ当な展開は、絶対に認めない‼‼」

 

 そして。

 ラウラは――――弾けた。



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第二二話「チキンレース」

 それは――――『堕ちた天使(ヒロイン)』だった。

 

 鋼鉄製のISアーマーは何故だか輝きを放つ漆黒の革へと材質を変え、服装は露出の多いボンテージ(インナースーツはなくなっていた)。武装は信じられないことに鞭一本という有様……普通に考えれば、弱体化も良い所だ。そのままでは旧式……第一世代のISにすら勝てないだろう。

 だが、その変化に確かに変態はどよめいた。

 

***

 

「あ、あれは……‼」

 

 観客席にて、問題の試合を観戦していた少女――簪が呻くように呟く。

 

「ん~? 何か知ってるの~かんちゃん~」

「あれは……悪の女幹部コス‼‼‼」

「あ~ダメな方の知識だったか~」

「ダメな方って何よ! 正義のIS使いが邪心に呑みこまれて悪の女幹部に堕ちちゃったんだよ! これって凄いことよ!」

「そうなんだ~かんちゃん物知り~」

 

 鼻息荒く語る簪に、本音は肩を竦めるばかりでまともに対応しない。この手のオタク会話はハイハイと適当に頷いて流すに限る。

 ……多分、この場にイチカがいたら『正義……?』とか『いや、元々邪心の塊みたいなヤツだったろ』とかツッコんでくれていたのだろうが、残念なことにこの場にツッコミ要員となるものはいない。いるのは変態オタクと天然ボケだけである。

 

「…………なるほど、流石は簪ちゃん――お目が高い」

 

 そんな簪の言葉に同調したのは、簪と同じライトブルーの髪を持つ少女――楯無だ。どうやら変態オタクと天然ボケの他にダメ姉がいたらしい。

 楯無の声が聞こえたのは、簪の座る座席の真下。……つまり、椅子の下にあるスペースだ。弾かれたように二人が下を見ると、楯無はアリーナの席の下の空間に突っ伏して試合と金属類の反射で見える簪のスカートの中身を交互に見ながら、真剣な表情を浮かべて鼻から血を流していた。

 何かに殴られたわけではない。いや、精神的にはガツンと殴られるくらいイイのをもらっているのだろうが。

 

「…………」

 

 簪は全くの無表情のままに足を閉じて、

 

「お目が高いって? お姉ちゃんも分かるの?」

「まあね。今の状態がラウラちゃんだけのものではない、っていうのは少なくとも間違いないし」

 

 楯無は鼻から一筋の赤色を描きつつも飄々と頷いた。鼻から上だけみれば真面目なのだが、その下とか体勢とかが絶望的なまでにコメディであった。

 

「それに、あの感じ…………。私の予測が正しければ、あれは……」

 

 まるで、獲物に狙いを定める猛禽のように。

 目を細めた楯無は、席に使われている金属類の方に視線をやり、それから簪の両足を掴んで無理やり開こうとする。

 

「…………っ」

「…………っ‼‼」

 

 当然ながら、簪は抵抗するわけで……もう試合とか関係のない争いが勃発していた。

 

「(おりむーって呼んじゃいけないんだよね~)……ちかりん、大丈夫かなあ~」

 

 そんな醜い争いは無視して、本音はポップコーンを貪るのであった。

 なお、醜い争いは数分後に楯無を捜してやってきた虚によって終結した。

 

***

 

「な、なんだこれ……VTシステムはラウラが潰したんじゃなかったのか⁉ これは一体⁉」

 

 突然の変化に、イチカは動揺する。

 そんなイチカをさらに責め立てるように、オーロラヴィジョンの束が調子に乗りながら言った。

 

『ふっふっふーん‼ どうだねどうだね皆の衆! なんかドイツのお馬鹿さん達がちーちゃんのスペックをトレースするとかいう馬鹿なことしてたから粛清とかしちゃったんだけど、せっかくだからその時レーゲンちゃんのシステムにちょっとした細工を入れてみました☆』

『お前の差し金か』

『あだ、いだだだだ! ちーちゃんせめて暴力(ツッコミ)は動いてやって! バグ技で不可視の攻撃をするのは絵的にも地味すぎる‼』

 

 何故か虚空で締め上げられる束は、これまた何故かその拘束からにゅるりと軟体動物めいた動きで脱出しつつ解説を続ける。

 

『名付けて――――束さんトレース(TT)システム! ぬっふっふ……果たして君達は束さんの変態パワーをトレースした変態的な変態となったドイツガールを止めることができるかな……? くしかっ!』

 

 絶望的な宣告だった。

 過日の戦闘でも、イチカは束の変態力になす術もなかった。千冬がいたというのに見事に服装を思い切りへんなものにされてしまい、そして公衆の面前で辱められた。だというのに、今この場には千冬はいない。自分達だけで、あの束の変態パワーをトレースしたラウラを相手にしないといけないというのか――――。

 

「チカ! 逃げなさい! いくらISでもあたしが援護しつつの逃走なら逃げ切れるはずよ!」

「そうはいかないよ鈴ちゃん! 今回は僕もラウラ側に着かせてもらう!」

「なっ……⁉ 血迷ったのシャル!」

「僕はいつでも、正気だよ!」

 

 已むなく鈴音はシャルロットへの対応を余儀なくされる。そして残るはイチカとラウラのみ。イチカは顔を青褪めさせ、震えてしまう。

 

「……フフフ、安心するが良いぞチカ。私は篠ノ之博士のように服装を変化させ衆人環視に晒してお前を辱めるつもりはない」

「…………そ、それは、」

 

 顔を明るくさせかけたイチカに、ラウラは畳みかけるようにこう続けた。

 

「この手でッ‼ 直接お前を辱めるのだッ‼‼」

 

 瞬間、ラウラの手に持った黒い鞭が爆発した。

 否、爆発したのではない……『爆発的に巨大化した』のだ。鞭の先は幾重にも分かれ、それ自体が生物的な自律機動を見せ始める。それはつまり。

 

「この『鞭捕触腕(テンタケル・ガーテン)』でなァ‼」

「クッソ……第三世代兵装はどうしたってんだよ⁉」

 

 そういうのはこの『触手モード』になった時点で一時的に失われている。しかし、もともとイチカの作戦のせいで『AIC』は機能不全に陥っていたので何も問題はない。むしろ、イチカにとってはよりやりづらくなったと言えるだろう。

 

「だけど、そっちには鞭以外の武装もなくなってる……! むしろ弱体化してるんじゃないか、ラウラ!」

 

 そう言って、イチカは高速で小刻みに機動することでラウラの触手を回避しつつ、徐々に徐々に距離を詰めていく。

 

「どうかなァ……? 縦横無尽に駆け巡る触手。遠距離攻撃の手段を持たないお前には辛いだろう!」

「く……!」

 

 強がってはみたものの、完璧に図星だった。近づくにつれて触手が多くなりさばききれなくなったイチカは、たまらず後ろ方向に瞬時加速(イグニッションブースト)して距離を取る。これで、仕切り直しになってしまった。

 

「チッ……面倒臭いわね‼」

「鈴ちゃん、まあ此処は僕とゆっくり遊んでいようよ! ずっと前から、鈴ちゃんも良いなぁって僕思ってたんだ!」

「それってどういう意味⁉ あたしの胸がないから男みたいって言いたいの⁉⁉」

 

 シュゴッッッ‼‼‼ と余計なことを言ってしまったがばかりにシャルが『衝撃砲』の直撃を食らって吹っ飛ぶが、これはギリギリのところでパイルバンカーの灰色の鱗殻(グレー・スケール)を盾にしていたらしいが、それでも巨大な機体がくの字に折れ曲がっていた。

 

「チカ‼」

 

 敵を遠ざけた鈴音はすぐさまイチカのもとへと駆けつける。

 二対一の構図となったラウラは軽く舌打ちした。このままではイチカへの攻撃は全て鈴音が防ぎ、その間にイチカがラウラの懐に入り込む――という作戦をたてられてしまう。そして、今のラウラにそれを防ぐ手立てはない。

 未知の力相手だったが……盤面はイチカ達に傾きつつあった。

 少なくとも、表面上は。

 

***

 

「セシリア、お前はこの対戦をどう見る」

 

 簪たちと試合場を挟んで向かい側にて、箒とセシリアは腕を組んで試合を観戦していた。

 なお、一応シュヴァルツェア・レーゲンの突然の変形は立派な異常事態なのだが、二人を含めアリーナにいる全員の観客は特に逃げ出そうとしたりはしなかった。ラウラのことを危険と思っていないとかではなく、そんなことでイチカの晴れ舞台を途中退席することは許されないのであった。

 

「――悪魔に魂を売り渡しましたわね」

 

 セシリアは、眼下で荒ぶるラウラに対してそう評価を与えた。

 

「ゆえにこの勝負、チカさんの勝ちですわ。ドイツ軍人がいかなる手を使おうとも、チカさんには勝てないでしょう」

「…………」

「わたくし達が死ぬのは、中国次期代表に嬲られる時ではありません。セクハラに己が信念以外の何かを混ぜてしまった時、己が身以外の何かにセクハラをゆだねてしまった時――変態(わたくし)達は死ぬのですわ」

「………………然り、だな」

 

 TTシステムにより、強力なセクハラ力を得たラウラ。その脅威は確かに恐ろしいだろう。だが、ISは想いの力で動かすものだ。いかに束が凄かろうと、ISに自分以外の想いの力を混ぜ、あまつさえそれに身を委ねているようでは…………まだまだ甘いと言わざるを得ない。

 

「……っづァああッ!」

 

 と、そこで真っ黒い触手と格闘していたイチカが触手の痛打を受けて悲鳴を上げる。

 

「…………」

 

 たらり、とセシリアの鼻から想いの力(暗喩)が溢れ出た。

 

「……ただ、心情で言わせてもらえばこの勝負…………もうちょっとドイツ軍人、いえ、ラウラさんに粘っていただきたいですわね」

「ああ、全く同感だ」

 

 変態は、やはり変態なのだった。

 

***

 

「良い? あたしと距離を離さないこと。あたしが『龍砲』で群がる触手をブッ飛ばすからアンタはその間に本体に『零落白夜』を叩き込んで倒す。良いわね?」

「分かった」

「なら行くわよ! そろそろシャルが復帰してくる頃だから!」

 

 鈴音がそう言ったのを皮切りに、全てが動き出した。

 瞬時加速(イグニッションブースト)で間合いを詰めるイチカに追従するように、鈴音もまた寄り添うように瞬時加速(イグニッションブースト)を行う。次期代表レベルなら基本中の基本ともいえるものだったが、それでも高等技能に分類される技能だ。当然ながら、寄り添うようになんて曲芸めいた動作は、それも迫りくる触手を躱し、弾きながらとなれば、それはもう神業と言っても過言ではないだろう。

 

「……ッ⁉ この軌道…………」

「俺と鈴は、気が合うんでなッ‼」

「ぐぬう……訓練の成果とでも言うのか……⁉」

 

 元々はシャルの集中砲火やラウラの『AIC』によって移動できるルートを制限された時に最小のスペースで回避行動をとれるように――という目的で行っていたコンビネーションだったが、少々違う状況であろうと効果は発揮されていた。

 イチカと鈴音、幼馴染だからこその以心伝心と二人の技術の高さによって初めてなせる業だ。

 

「妬けるッ! だがイチカ、お前が女を愛すことはなくなる‼ 我が触手の虜となれィ‼」

「ナメんじゃないわよ…………アンタみたいなポッと出に譲れるほど安い席じゃないのよ、此処はッッ‼‼」

 

 鞭のようにしなる触手が二人を襲う……が、それは『龍砲』の見えざる打撃によって弾かれる。それだけでなく、弾かれた触手は周囲の触手を巻き込んで大きく弾き飛ばされてイチカとラウラの間にポッカリと大きく空いた空間を生み出す。

 それを見たイチカは即座に判断した。

 

「……好機‼」

「待ちなさいチカ、何かおかし、」

 

 慌てて鈴音がイチカを制止するが、既にイチカは止まれなかった。ドッ‼ とエンジンを吹かしてラウラへと肉薄していく。

 本来であれば、此処からイチカが単独行動をしたとしても特に問題はない。ラウラの触手は既に弾かれた直後であり、此処からならどう考えてもイチカの攻撃が当たる方が早い。

 だが、鈴音の勘が、彼女を一年で次期代表にまで押し上げた野生の感覚が『ここで突撃するのはマズイ』と呼びかけていた。

 

 そして。

 

「――――悪いけど、ラブコメにおいて幼馴染は当て馬でしかないんだよね」

 

 ドッ‼‼ と真上から放たれた集中砲火によって、イチカは思い切り地面に叩きつけられた。

 

「……シャル‼‼」

「この触手、便利だよねぇ。内部にISエネルギーを内包してるから、ISのハイパーセンサーも遮断してくれるし。お蔭で中で好きなだけ不意打ちのチャンスを狙えたよ。……射線を開く必要はあるから、イチカちゃんには一瞬早く気付かれちゃってたみたいだけどね」

 

 触手の束に腰掛けたシャルロットは、そう言って鈴音に不敵な笑みを向ける。

 

「鈴ちゃん、君の相手は僕だよ」

 

***

 

「がうっ! あっ、ぐあ!」

 

 集中砲火を寸でのところでガードしたイチカだったが、それで衝撃が殺せるわけではない。盛大に吹っ飛ばされたイチカは下にあった触手と何度も激突しながらも、辛うじて勢いを殺す。

 鈴音に訓練中『衝撃を受けたらすぐにブースターを吹かしてその場に留まれ』って言われたっけ――と思い出しながら、イチカはガードに使った左腕をチラリと確認する。

 案の定、籠手型のアーマーは完全に破壊されておりイチカ本来の細い腕が覗いていた。

 

「チッ!」

 

 エネルギーは先程の攻撃で既に六〇%だ。これでもあの不意打ち相手によく防いだ方だとイチカは思う。

 ともあれ、舌打ちを一つしたイチカは戦線に戻る為に飛び上がろうとし……自らの右足に巻きついた触手に気付いた。

 

「――――‼」

 

 すぐさま切断するが、その間にも触手は舞い飛び、イチカを拘束しようと動いてくる。瞬時加速(イグニッションブースト)三次元躍動旋回(クロスグリッドターン)特殊無反動旋回(アブソリュートターン)……イチカもあらゆる回避方法を試みるが振り切ることはできず……気付けば籠手を破壊された左腕を除くすべての四肢が拘束されていた。

 鈴音の悲痛な叫びが聞こえる。

 

「チカぁ!」

「おっと、鈴ちゃんの相手は僕だってば」

 

 それをシャルロットがしっかりと押さえているのを確認したラウラは、満足げな笑みを浮かべてイチカを見下ろす。左腕を除けばX字に拘束されているイチカの姿は、変態が見ればそれだけで艶めかしい印象を与えて来る。左腕を自由にしているのはせめてもの情けだ。ISアーマーのない左腕では、何をどうやっても拘束から逃れることはできない。

 

「クク……良い格好だな、チカ」

「……俺は、全然嬉しくないけどな……ッ!」

 

 イチカはこの期に及んで勝気な瞳の光を捨てていなかった。ラウラにとっては、それこそが最も気に食わない。TS少女は庇護者であり、女の子であり、ヒロインでなくてはならないのだ。こんな風に立ち向かう存在であっては、ならない。

 

「今、お前を完全体にしてやる…………」

 

 それに対し、イチカはこう吐き捨てた。

 

「余計なお世話だよ、バーカ」

 

 その手にある雪片弐型(ゆきひらのにがた)に、淡い光が蓄積されてきた。

 

「! チカ、お前それは」

「さっきシャルルは言ってたよな。その触手はISエネルギーを内包してるって。考えてみりゃ当然だったんだ。普通に考えて伸びたり動き回ったりする触手なんて物理的にあり得ないしな。お前の武器は、伸縮操作にISのエネルギーを使っている」

 

 そして、それがISのエネルギーなのであればイチカの『零落白夜』は平等に打ち消すことができる。変形にISエネルギーを使っているラウラの鞭は、『零落白夜』の攻撃を食らえばただの鞭に戻ってしまうはず。そうなれば、現状レールカノンなどの武装も失われているラウラは一時的にではあるが丸腰になり、イチカにとっては絶好のチャンスとなる。

 それに、幸いラウラの方は触手を思うさま伸ばしまくってくれているので、的だけならこの上なく巨大になっていた。

 

「…………だがッ! お前の四肢は完全に拘束されている! いまさら『零落白夜』を使ったところでどうにかなるわけではない!」

「忘れたのかよラウラ? 俺しかやってなかったけど……ISアーマーは、消せるんだぜッ! そしてこれで!」

 

 瞬間、イチカのISアーマーがきれいさっぱり消失する。

 スク水めいたISスーツのみになったイチカだが……しかしその状態でも、ISの機能は死んでいない。ブースターを利用した加速はできないが、ISの武装を通常通りのスピードで振るうことくらいは……、

 アーマーの分、余裕ができた空間をすり抜け、触手に『零落白夜』を叩き込むくらいのことは、できる‼

 

「万事予定通り! お前の触手を斬ることができる!」

 

 イチカはそのまま触手の一本に『雪片』を突き立て――――そして直後、背後から襲い掛かって来た触手の打撃をモロに食らった。

 

「ぐ、うううッ⁉ 馬鹿な、確かに攻撃は当たったハズ……なあ⁉」

 

 衝撃で明滅する視界で斬ったはずの触手を見てみると、触手は切った箇所よりも根本で切断されていた。イチカに切断された触手は、空中で存在を維持しきれなくなって量子化し、雪のように溶けて消えてなくなった。

 それを横目で見ていたラウラが、まるで介錯でもするみたいにイチカに告げる。

 

「……『自切』というヤツだ。ある種の爬虫類や甲殻類は、各々の尾や肢を自分で切断し天敵から逃れるという。……『零落白夜』を相手にするのにエネルギー相殺対策を用意していないはずがないだろう……そしてェッ‼」

 

 明滅する意識の中で必死に回避行動をとろうとするイチカだったが、その甲斐なく両手足に触手が巻きついていく。今度はISアーマーの発現消失によって回避されたりしないよう、四肢全てをその付け根まで覆う程の念の入れようだった。

 

「うわっ⁉」

「くくくく……‼ また捕まえたぞチカぁ……この触手の力はそれぞれがIS一機分に相当する! もはや拘束から逃れることは不可能よ! 悪くない……悪くないぞこの展開はァ……これからお前の身体に【ピー】を刻み込んで【ピ――――】なしでは生きられない身体にしてやる‼」

「この、野郎ッ‼ シャル、どきなさい! あそこの変態をなぶり殺しにしてやらなくちゃ気が済まない‼」

「待って待って今良い所だから!」

 

 あまりにも一線を越えすぎたラウラの言動に、鈴音は怒り狂うが……シャルロットを突破することができない。彼女達の実力は五分五分なのである。

 

「くく、くく……さあてここからどうしてやるか……まずはその頼りないISスーツを剥いて、この触手を使った触手スーツに着せ替えてやろうか…………‼」

 

 その間にも、無事にイチカを拘束したラウラはにたにたと不気味な笑みを浮かべて近づいて行く。あまりにも地上波で放送できるレベルを超えた蛮行に、さしもの変態達も色んな意味で固唾をのんで見守るしかない。

 

「……いや、違う」

 

 そんなどこか異様な雰囲気の中で、近づいて来たラウラを真正面から見据えたイチカは、そう呟く。

 イチカが生み出した土煙は既に風や触手の大群によって流され、ラウラの姿を肉眼で確認できるようになっていた。

 そのラウラの瞳。

 

「ラウラの瞳は、そんなに濁っていなかった! お前は……お前は何者だ!」

「くく、クククク‼ まさか私の変化に気付くとはな……朴念仁に見えて意外とラウラ=ボーデヴィッヒのことを見ているらしい……変態冥利に尽きるぞ!」

 

 突発的に出た鼻血を拭うようにして、ラウラ――の姿をした者は言う。

 

「私はラウラ=ボーデヴィッヒ! だが本来の私そのものではない……差し詰め『ラウラ()α()』といったところか」

「+αだと⁉」

「おかしいと思わなかったのか? TTシステムを起動する前の私が、急に時間停止AVとか言い出していたことを……。今私が触手スーツがどうのと言ったことを。そもそもあれらの知識がどこから来たのかということを!」

「……いや、まあ変態は変態だし……」

 

 まるで入念に張られていた伏線を満を持して回収しましたみたいな感じで放たれたラウラ+αの言だが、イチカ的にはいつもと同じノリなんだろうなぁと思っていたのであった。

 だがまぁ、言われてみればこれまで変態達はいくらイチカにセクハラしようともR-15の域に入ることはなかった。いきなりR-18の領域に飛び出すのは千冬や束の仕事だったはずだ。

 ラウラ+αがそこを飛び出したということは、つまり……束のR-18な知識を無意識のうちに蓄えているということでもある。ついでにさっきからそこはかとなく台詞がハイテンション悪役っぽくなっているのもそのへんの影響なのだろう。

 

「そう! 私は通常のラウラ=ボーデヴィッヒの思考回路に、篠ノ之博士の変態知識を部分的に搭載したハイブリッド戦士なのだ‼」

「最悪の存在だ……」

 

 誇らしげに笑うラウラに、イチカは久方ぶりに泣きたくなった。

 

「さあイチカ! 触手ということは当然次にやることも分かっているな⁉」

「うぐ……この、腕さえ動かせれば……!」

「無駄だァ! お前はこれから私に女の子の素晴らしさを教えられるのだ! やったねチカちゃんメス堕ちフラグ来たよ‼‼‼」

 

 何も『やったね』なところがないが、イチカは身動きを取ることができない。

 そして、そんなイチカに触手が触れようとした時――――、

 

「お姉っ‼ 負けないで‼ そんな奴にやられちゃダメ――――っ‼‼」

 

 固唾を呑んでその様子を見守っていた観客席から、一人の少女の声が聞こえた。

 

「……っ‼ 蘭……⁉」

 

 そこには、息せき切って駆け付けたばかりですと言わんばかりの蘭の姿があった。

 息を切らして肩を上下させている蘭は、キッと意思の強い眼差しでイチカを――チカを見据える。そして、アリーナを見渡して一人ハラハラしながらイチカを見守っていた弾を見つけると、ずかずかと歩み寄ってその頭を殴りつけた。

 

「この馬鹿お兄! なんでお姉がピンチの時に応援しないの‼ 彼氏でしょ!」

 

 まるで状況を理解していない発言だ。

 イチカは四肢を拘束され、触手の数は無数。もはやここからイチカが挽回する方法など鈴音が助けてくれる可能性に賭けるしかない。しかし肝心の鈴音はシャルロットにかかりきりでイチカを助ける余裕なんかない。だから、イチカはもう負けるしかないというのに。

 でも、蘭はこんな『姉』を信じてくれている。何も相談せずに約束を反故にしようとしたイチカ……いや、チカをあんな無邪気に信じてくれている。

『黙っていることが一番みんなにとって幸せだから』とか、『本当のことを話せば幻滅されてしまう』とか思っていた自分が恥ずかしい……とイチカは思った。蘭が、そんなことを考えるはずがないじゃないか。気を遣っているように見えて、蘭のことを考えていないのはイチカの方だった。……やはり、かつての千冬や会長のことは言えなかったようだ。

 

「……ってなわけだ。負けるなチカ‼ 頑張れ‼‼」

 

 そして、そんな蘭に乗せられて弾まで大きな声を出して応援する。

 そんな風に応援されては、イチカも頑張らない訳にはいかなかった。

 

「そういう訳だ。悪いなラウラ+α。彼氏とその妹の前で、カッコ悪いとこ見せらんねえぜ……ッ‼」

「ぐ、ゥおおおお⁉ 馬鹿な、この私が力負けしている⁉ こいつ土壇場でそれほどのパワーを……」

 

 徐々に押し負けて白式に引きずられつつある触手を前に戦慄くラウラ+α。だが、ポタリ、ポタリと自分のすぐ近くから聞こえて来る()()()()()()()、すぐに『そうではない』ことに気付いた。

 それは、涙だった。

 

「ラウラさんが……泣いてる……?」

 

 観客席のセシリアが、なんか意味深っぽく呟いた。

 そう。

 悪の女幹部(おに)の目にも涙――というべきか、ラウラ+αは何故だか涙をこぼしていた。いや、違う。泣いているのはラウラ自身だ。ラウラ自身が涙しているから……目の前に広がる魂の桃源郷に精神を浄化されているから、ラウラ+αの力が弱まっているのだ!

 

「馬鹿な……まさか、TSっ娘とその親友の男とのイチャつきを間近で見ただけでなくその妹も恋路を応援しているという外堀埋めまくりの展開に、ラウラ=ボーデヴィッヒ自身が満足してしまっているというのか⁉」

「トドメだラウラ+α! 人の恋路を邪魔する奴は俺が斬って捨ててやる!」

 

 そして、弱体化した触手の拘束を振り切ったイチカはそのままラウラを袈裟切りにした。

 機体から紫電をほとばしらせたラウラの身体が、ぐらりと傾ぐ。

 

「ぐふっ…………‼‼ 見せてもらったぞチカ……お前の覚悟を……」

 

 ふっと、ラウラの表情から険がとれた。

 憑き物が落ちたかのように穏やかな笑みを浮かべたラウラは、最期にこう言った。

 

「ただ男らしい女の子というだけでなく、恥じらう時にも『男』を連想させるからこそ…………TSっ娘は、魅力的なのだな」

 

 直後。

 ドッゴォォオオオオオオン‼‼‼ とラウラを中心として謎爆発が起こった。

 なんだか今日は全体的に特撮っぽい雰囲気だ。

 

「……ふぅ。そういえば、鈴の方はどうなったんだろう……?」

 

 もはやツッコミは放棄して(気力がないともいう)、イチカは鈴音とシャルロットの戦いの方へ目を向ける。

 

「オラァ!」

「んほぉ!」

「まだまだぁ!」

「ひぎぃ!」

「アンタが死ぬまで続けるわよぉ!」

「らめぇ!」

 

 …………そこには、シャルロットで空中四〇連コンボにチャレンジしている鈴音の姿があった。

 この後、鈴音によるシャルロットのリンチは呆けていたイチカが我に返るまで続けられた。



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第二三話「揺らぐココロ」

 その後、イチカは弾と合流して選手控室に戻らずアリーナ前に向かっていた。

 本来なら選手控室に行って次の試合に備えるところなのだが、イチカはこれ以上の試合は棄権していた。……というのも、ラウラとの戦闘の中で大分消耗させられた(精神的・体力的問わず)のでこれ以上まともに戦闘できなかったのである。流石にISアーマー全解除の上で格闘というのは、かなりの無茶だったらしい。

 それに、個人的にも用事があった。

 

「…………蘭」

「お姉!」

 

 今、弾を伴ったイチカの目の前には蘭が立っている。

 試合でうやむやになっていたが、イチカは蘭に『真実』を話さなくてはならない。……蘭が納得して、五反田家の絆にヒビを入れないような『真実』を。

 

「お姉、どうしていきなりお兄と別れるなんて言ったの?」

 

 最初に言葉を発したのは蘭の方だった。蘭はとても、それこそ泣きそうなくらいに不安な顔をしていた。

 

「……あたしが、お兄との仲をからかったりして一緒にいづらくなったんなら、謝るから……」

「…………違う、そうじゃないんだ」

 

 首を振りながら、イチカは得心がいった。

 弾だけならともかく蘭までIS学園の突撃すると聞いたとき、イチカは確かに疑問に思ったのだ。この話は弾とチカの二人の問題である。そこに言ってみれば『部外者』である蘭が首を突っ込むのは、流石に強引すぎるだろう。だが……だが。

 彼女の目的が、イチカの詰問ではなく……自分のしたことについての謝罪であるとするならば、その強引さにも納得がいく。

 

 それで覚悟が決まった。

 

「…………」

 

 弾が、イチカの方に目くばせをする。

 結局、試合前に良い言い訳は思いつかなかった。だから、弾が主導になって言い訳をする――という意思表示だ。

 

「あのな、蘭……チカは忙しいんだ。見てたら分かると思うけど、コイツ専用機持ちでさ……日本の代表候補生になるかもしれないんだよ」

 

 ……と、言う風に試合中も説明されていた。束はおろか千冬まで話を合わせてくれていた。すべては蘭にイチカ=チカだと気付かせない為の学園側の策略だったが、その甲斐あって蘭がそれを疑う要素は今のところなかった。

 

「これから、どんどん会えなくなるし、今も切ないから、これ以上辛くなる前に……って」

 

 弾の言葉に、イチカは思わず弾の顔を見てしまった。

 それは弾が一番最初に提案し、イチカが『女々しすぎる』といって拒絶していた言い訳だった。だが、弾の目は『これで行く』と言っていた。それが最善の作戦だと、互いに一番うまくいく結末だと言うように。

 

「…………」

 

 イチカは数瞬程そんな弾と視線を躱し、それから俯いた。

 そんなイチカの姿を見て蘭はどう思ったのか、悲しいような安心したような、言葉に出来ない表情を浮かべた。

 

「そ、うだったん…………」

「違う」

 

 そこで終わる話だったはずだが、イチカはそこで蘭の言葉を遮った。

 それから千冬に渡された特別製の制服ではなく、ただのISの制服を身に纏い直す。……つまり、千冬の得体のしれない力の加護がない状態の制服を、だ。

 

「え……?」

 

 当然、蘭もテレビは見る。イチカの姿だって見たことがある。その彼女がイチカの正体に気付けなかったのは、ひとえに千冬の得体のしれない力のお蔭である。イチカも最初は気付いていなかったが、冷静になればすぐ分かる。そして今日わざわざ制服を渡して来たことで確信に変わった。

 それを元の制服にするということはつまり、チカ=イチカを成立させるということだ。

 

「俺は…………織斑イチカだ」

「え? そ、え? そん……」

「おい、イチカ! お前何を……‼」

「俺が悪かったんだ」

 

 イチカは苦笑もせず、目も伏せず、ただ真摯な目で蘭を見据えて言い切った。

 

「女になった俺のことをからかう弾にやり返したくてさ……誘惑してみたりなんかして、そこで蘭に見つかって……気が動転してたんだと思う。言い訳するつもりはないけど、それから嘘に嘘を重ねちまった。弾は俺の我儘に従ってくれたんだ。コイツ、良い奴だからさ……だから、悪いのは俺だ。……ごめん、蘭。本当に、悪かった」

 

 そう言って、イチカは頭を下げる。

 自分のしていたことが、弱みを見せずに本当のことを黙っていることが間違っていると気付いたイチカにできるのは、これだけだった。

 その結果に待っているのが千冬や会長のような『和解』でなかったとしても――――その結果は、イチカだけが責任を持って受け入れる。

 

***

 

「え…………?」

 

 一息に捲し立てられた事実を受け止める間もなく、目の前で女になった憧れの人が頭を下げていた。

 自分が騙されていたとか、知らなかったとはいえ随分失礼なことしてたよなとか、そんなことに思い至るよりもまず目の前の光景が自分にとって受け入れられないものだと気付けるほど脳の機能が戻るまでに、数秒ほどかかった。

 

「あっ、頭を上げてくださいイチカさん! ええと、あの、あた……私、何て言えば良いのか、ああ……」

「本当に……」

「ああ! そうじゃないんです! そうじゃないんですけど……気持ちの整理が……だって、お姉が……」

「…………、」

 

 姉だと思っていた人物が、実は憧れの人だった。

 彼と会ったのは中学生になってから。兄の弾が中学に上がって仲良くなったと言って家に連れて来たのが、彼だった。最初こそ警戒していた蘭だったが、純朴で鈍感だが決める時は決める性格と……それと()()()()()()()()を経て彼に憧れにも似た恋心を抱くようになったのは、いつの頃だったか。

 その後も彼が兄と遊ぶと言って家に来るときには決まってオシャレをして、精一杯女らしい装いをして彼の前に立った。彼の隣には大体兄と、それから彼に恋している中国出身らしいちんちくりんのツインテールがいたが、それでも退く気はなかった。お蔭でつるぺたのツインテールとは今でも犬猿の仲だが。

 そんな彼が女になってISに乗れる体質で、しかもIS学園に入学することになったと知った時は、それこそ足元がガラガラと崩れ落ちるような感覚になったものだ。何せ、お邪魔虫だった貧乳のツインテールは家庭の事情で中国に帰り(同情したが正直ライバルが減ったという気持ちしかなかった)、彼の周囲に残ったフリーな女性は自分だけ。学校は違うがそこは生徒会長の強権を使っていかようにでもアプローチをかけるつもりだった。つもりだった……のに。

 IS学園なんていう女の園に行き、しかもお誂え向きにIS学園には貧乳のツインテールだけでなくなんか小さい頃離れ離れになった幼馴染とか、傲岸不遜な金髪令嬢とか、銀髪の女軍人とか、可憐な男装女子とか、怜悧な印象の眼鏡才女とか、ちょっと見ただけでもオールスター級の美少女とよろしくやっているのである。蘭的には、もう絶望だった。

 

 そんなある日だった。

 彼女と――小村チカと出会ったのは。

 最初に会ったのは兄の弾が自室で胸を揉もうとしているタイミング。いつものようにプライバシーを無視した行動の結果、最悪の出目を引き当ててしまった蘭は今もこの行動を後悔している。兄に対しては傍若無人を地で行く彼女が今も兄の部屋に入る前にはノックを欠かさなくなったということからもそれが分かるはずだ。

 そんなはれんちな行為を働いているのだから、きっとこの人はとても大人っぽい人なんだろう。兄も案外手玉に取られているだけかも――――そう思って身構えていた蘭だったが、その想像は良い意味で裏切られることとなった。チカは優しく気遣いもできるが自分の事には鈍感で、ちょっとからかってやると面白いくらいに顔を赤くして拗ねる。その様子に何故だか他人とは思えないくらい親しみを感じて――まあ、実際兄の親友なのだから当然だが――本当に姉のように思えた。

 聞けば弾がチカの胸を揉もうとしたのも、そういった『大人なこと』をする為ではなく、子供じみた言い争いの延長だったらしい。そう、本当にまるで子供だった。そこもまた自分の姉みたいで、蘭はこの突然降ってわいた可愛らしい姉のことが本当に好きになってしまっていた。

 だから、兄からその義姉と別れたと聞かされた時は信じられず、またメールの文面を見ても納得がいかなかった。自分のことを妹のようにかわいがってくれた女性が、こんなにも簡単に兄との絆を捨てられるとはとうてい思えなかったからだ。考えられるとしたら、自分が甘え過ぎてしまったせいで『重い』と思われてしまった可能性くらい。だとするなら……自分のせいで姉が離れてしまうだけでなく兄から大好きな女性を奪ってしまったとしたら、それは絶対にどうにかしなくちゃいけない。

 会話の流れでチカがIS学園の生徒だということは分かっていたので、タッグトーナメントの時に直接会って話を聞くつもりだった。いざトーナメントに行ってみると、姉は良く分からない敵の能力で酷い目に遭いそうになっていた。だから、どうにかしなくちゃという思いも投げ捨てて応援してしまった。

 そして改めて会ったら――――義姉は、兄の親友だった。

 彼女は知らないことだが……それは一か月前にとある少女が体験した気持ちに似通った感覚だった。尤も、蘭は件の少女よりもイチカと接した期間が短く、ゆえに当惑具合も大分やさしくなっていたが。

 

 彼女が冷静に思考を働かせることができたのは、だからだろう。

 

 ちなみに、蘭の『イチカ』に対するスタンスは――『消極的賛成』だ。鈴音のように『一夏が基本!』と言って、照れてコミュニケーションが上手くいかないとしてもなるべく一夏のままでいてほしいと思うのではなく、『一夏さんは好きだけど、イチカさんでもいてもらえると何かと助かるな……』という考え方。

 もし自分がイチカと会ったら、服だけでなく化粧なんかも教えてあげたいな、とテレビを見て思っていた。イチカは顔が良いのでスッピンでも下手な女性より可愛いというフザけたレベルだが、それでも化粧は女の嗜みだ。いや、そういうことを教えるというコミュニケーションを通じて『いちか』との距離を詰めたい――つまり、コミュニケーションの窓口としてイチカを認めているわけだ。

 

 だからだろうか…………チカがイチカだと知った時、蘭の心にはそれほどの拒否感がなかった。彼女の中での『理想のイチカに対する接し方』が、『チカに対する接し方』と近かったのだ。

 もちろんずぼらな一面を見せてしまったこととか、素の口調を見せてしまったこととか、思い返せば顔を赤くしてイチカに逆ギレ(いや、正当な怒りだが)したくなるところもあることはあった。ただそういうのはどうせ親しくなる中でタイミングを見て切り替えようと思っていた部分だったし、何よりチカがイチカだというのを知って……いや、『あの日イチカと弾が話していた内容』を思い返して、蘭の中にある気持ちが芽生えていた。

 

「…………あたし、イチカさんが……一夏さんが好きでした」

「…………!」

「好きっていうのは、愛してるって意味です。男と女という意味で、好きでした。恋人にしてほしいって、思ってました」

 

 朴念仁のイチカでも勘違いしないように、同じ意味の言葉を何度も何度も蘭の捲し立てる言葉に、イチカは一気に顔を真っ赤にさせ、それから青褪めさせた。

 ゴゴッ……! とアリーナ全体が少し揺れた気がしたが、蘭は気にせず続ける。

 

「でも……今は違う」

 

 その言葉を聞いて、イチカは目を伏せた。

 好かれていた少女がそうでなくなったこと――というより、つまり『そうなるほど幻滅した』と言われたと思っているのだろう。それで良い、と蘭は思う。

 

 蘭だって散々振り回されて混乱したのだから、少しくらい思わせぶりな言い方で狼狽させたって、バチは当たらないと思う。そのくらいは、当然の権利だと思う。

 そう思って、蘭は茶目っ気たっぷりにイチカに笑顔を向けて、こういった。

 

「あたし、イチカさんがあたしのお姉さんになってくれたらいいなって、今は思ってるんだ」

 

 それに対し、イチカはまるまる五秒ほど、ポカンと間抜け面(しかしそれも可愛い)を晒して――――、

 

「………………は?」

 

 今度は、イチカの思考が停止する番だった。

 ついでに、弾の思考も停止した。

 

***

 

「ら、蘭…………? えっと、それは……」

「馬鹿、お前っ、蘭‼ 言って良い冗談と悪い冗談があるぞ!」

 

 現状が全く呑み込めず、『罰としてお前は女として生きろと言われているのか?』なんて見当違いの方向に思考を飛ばしていたイチカとは違い、察しの良い弾は蘭の意図が分かっていたようだった。

 顔を赤くして食って掛かる弾に、蘭は冷ややかな眼差しを向けて言う。

 

「冗談なんかで、こんなこと言えると思う? ……あたしは、本気だよ。お兄とイチカさんはお似合いだったし、イチカさんのお兄を見る目、恋()()()()乙女の目だったし、それにお兄とイチカさんがくっつくなら、あたしは義理の姉妹ってことでイチカさんとずっと一緒にいられるし」

「あっ、え、……それって、弾と俺が本当に付き合うって言ってるのか⁉」

 

 そこまで言われて、イチカはやっと蘭の真意に気付いた。

 つまり、蘭は言ってみれば『次善の策』に打って出た訳だ。

 イチカを狙うライバルの女は多い。蘭がIS学園に行っても埋没してしまいかねないし、それまでに誰かがイチカと付き合う可能性だって否定できない。だから弾を、『イチカの親友というステータスを既に持っている』弾をイチカ争奪戦に投入する。その結果弾がイチカを勝ち取れば、その時は蘭は『イチカの妹』という形で、大好きな人とずっと一緒にいられることになる。それはきっと蘭が争奪戦に参加するよりも、ずっと勝算のある作戦だろう。

 その関係性を『次善』と呼べるほどに、妹というポジションが甘美なものだと知った。姉としてのイチカが素敵だと知った。

 幸い、蘭の目から見てイチカはやはり弾に対して『ただの親友以上』の感情をいだきつつある。それが心情面の女性化からくるものか、肉体面の女性化からくるものか、あるいは女である自覚をしたことによって弾を意識しただけなのかは不明だが……このままその感情を育てれば、いずれ恋心に変わるだろうことは想像できる。

 

「そうなってくれたらいいなってこと。……でも、()()だって満更でもないんじゃないの?」

 

 瞳を覗き込むように言われ、イチカは思わず言葉に詰まる。

 違う……とイチカは言いたかったが、しかし断言もできなかった。弾と一緒にいる中で不思議な気分になることは疑いようもない事実だったからだ。それが弾のことを無意識に恋愛対象として意識しているから――であれば、蘭はイチカも気付いていない真意を汲んでいるということになる。

 そしてこの如才ない少女の言うことだし、あながち間違っていないとも考えられ――、

 

「あたしが満更だわ‼」

「あ、鈴」

 

 ズドッ‼‼ と。

 そんな二人の間に、一人の少女が天空より降り立つ。誰かは言うまでもない。イチカ、弾、双方の親友……凰鈴音である。

 どこからやって来たのだろうか? それは誰にも分からない……弾は『ああ、コイツ少し見ないうちに大分はっちゃけてるな』と他人事みたいに思った。イチカはいつものことなので普通にスルーしていたが。

 

「鈴音さん……」

「黙って聞いてればぬけぬけと、思考誘導ばっかりじゃない! コイツは流されやすいんだからそういうこと言ったら本当にそうなのかもとか思っちゃうでしょ!」

「……えぇー。良いじゃないですか。それに誘導だけでもないですよ。本当にそういう風な様子だって……」

「な・が・さ・れ・や・す・い・の‼‼」

 

 ここまで堂々と自分の意志の弱さを指摘されるとイチカも微妙な気持ちになってしまうのだが、正直なところ大分精神的に混乱するやりとりだったので鈴音の乱入は内心有難くもあった。蘭の方もたじたじになって、思わず両手を挙げて降参の意を示す。

 蘭は少し申し訳なさそうにイチカに頭を下げ、

 

「混乱させちゃったみたいでごめんね。……でも、あたし……お姉は女の子のままでも幸せに暮らせると思う。……今は男でいることにこだわっているみたいだけど、『そういう未来』だって確かに『あり得る』んだからね。……どっちが良いか一回じっくり考えてみて。せっかくお姉には『二つの性別』があるんだから、男が正解なんだって決めつけちゃうのは勿体ないとあたしは思うよ」

 

 そう言って、蘭はすたすたとイチカから離れていく。鈴も蘭を撃退したからか、『本国に報告に行って来る』と言って去って行った(どうやら報告を後回しにしてでも蘭への対応を優先させていたらしい)。

 二人を見送ったイチカは、隣に立つ弾に向き直ってこう問いかけてみた。

 

「で……、どうしよっか」

「ちょっと真面目に考えてるんじゃねーよ、馬鹿」

 

 答えはデコピンだった。

 

***

 

「……で、アンタらは何してんのよ」

 

 イチカと別れた鈴音は、そこからある程度離れたところに屯している変態を見つけてげんなりとした表情を作って言った。

 死屍累々であった。

 シャルロットは何故かエビ反りになって恍惚とした表情を浮かべているし、セシリアは鬼のような形相をして箒に宥められているし、簪は座禅を組んで悟りの境地を開いているし、その前では楯無が礼拝をおこなっているし、ラウラは血だまりの中に転がっていた。

 なお、そのさらに向こうで束が千冬に絶賛折檻中なのはいつものことである。

 そんな様子なので、変態達を代表して比較的正気を保っている箒が鈴音の言葉に応えた。

 

「見ての通り、イチカと……弾、だったか? 彼の妹とのやりとりを見て、各々リビドーが暴発しているのだ」

「認めません、認めませんわぁぁぁ……! 男とくっつく未来など認めませんわ、百歩譲って中国次期代表とのレズカップルですわ……‼」

「何を白昼堂々レズカップル呼ばわりしてんのよッ!」

 

 ツッコミを一閃する気配を感じた箒が拘束を解くと同時、ドッ! とセシリアの顎にコンパクトなアッパーカットが炸裂した。が、セシリアはくるんと空中で宙返りして軽やかに着地する。

 

「おーほほ! パンチ力が足りていませんでしてよ、中国次期代表! どうやらGL扱いでもイチカさんとの仲を認められたのが照れくさいようですわね! ですが甘いですわ! GL扱いならわたくし何でもいいのです! なんならわたくしが直接、」

 

 要らんことを口走ってしまったセシリアにコークスクリュー・ブローを叩き込み、鈴音は他の面子を見渡す。シャルロットは……なんか危なそうなのでスルー。簪は……あ、虚が楯無を処理した。あっちはあっちでボケとツッコミのサイクルが完成しているのでスルー。

 となると……と思い、鈴音は改めてラウラを見下ろした。血だまりの中に倒れ伏しているラウラは、指でダイイングメッセージを残していた。そこに書いてあったのは…………『TSモノの妹って良いよね』の文字。

 

「待って! 起きて! アンタはあれでOKなの⁉」

「OKなのも何も……パーフェクトだ。私は新たな悟りの境地に到達した」

 

 揺さぶる鈴音に、ラウラは普通に起き上がって答える。身体の前面が顔も含めて真っ赤になっていたが、本人はいたって真面目な表情だった。

 

「まあ真面目な話、こういうのは僕達がどうこう言う問題じゃないしねえ」

 

 そこに口を挟んできたのは、先程まで恍惚としていたシャルロットだ。急に真面目なトーンになったので、鈴音も真面目に言い返す。

 

「どうこう言う問題でしょうが! イチカは男なのよ? 男としてこれまで生きて来たのよ? それを女として生きるって……そんなことできるはずないじゃない! こんなの軽はずみにそうしますなんて言える話じゃないでしょ!」

「いや、親友の男との恋愛を経れば可能だ」

 

 断言したラウラの言については、変態達も異論がないようだった。

 

「アンタのその親友の男に対する絶対的な信頼感はいったい何なのよ⁉ 大体イチカと弾のアレは、親友だから気心知れてるってだけの話で恋愛的な要素なんてないに決まってるでしょ!」

「…………それはどうかな、凰。イチカのさっきの目は完璧にメスの色をしてごはァッ‼‼」

「アンタ、ホントに言って良い冗談と悪い冗談考えなさいよ…………」

 

 マジギレ寸前なのであった。

 そんなマジギレ寸前の鈴音に、吹っ飛ばされてから復帰してきたセシリアが舞い戻って来る。

 

「冗談ではなく、真面目な話ですわよ、中国次期代表」

「…………何ですって?」

「わたくしもどちらかと言うと『貴女側』ですが、そのわたくしから見てもイチカさんは五反田弾を『異性として』意識しかけている様子が見受けられます」

 

 その言葉に、鈴音はただ押し黙った。その心中も理解できなくはないのだろう、セシリアはそんな鈴音の顔を見ずに言葉をつづける。

 

「肉体の女性化に伴い、脳構造も女性化している……なんて理屈もつけられますが、おそらく原因は『小村チカ』でしょう。恋人ごっこをしたことで実際に相手をさらに意識してしまう――というのは、古今東西のラブコメでは王道に過ぎますわ」

 

 勿論王道だからといって常にそうなるとは限りませんが、とセシリアは前置きして、一旦鈴音の反応を待った。

 鈴音は――――泣きそうな顔をして、セシリアの話を聞いていた。

 

「でも…………だって。あたし、それじゃ……困る」

「……困る、と来たか……」

「だってそうでしょう! イチカが本当にこのまま女の子になっちゃったら、男を好きになっちゃったら、あたしのこと好きになってもらえなくなるじゃない!」

 

 復唱する箒に、鈴音は噛みつくように返した。

 それは、イチカがこの場にいないからこそ言える本音だった。まあ周知の事実でもあったのだが、鈴音の偽らざる本音を聞いて普段はおちゃらけてばかりの変態達も真顔になる。

 

「まあまあ。中国次期代表の気持ちはわたくし達も分かっていますから」

「私を含めた専用機持ちと篠ノ之箒の望みは『イチカ』を共有財産にして色々すること……だが、それ以上の領域で趣味を過剰に押し付けるつもりはない。セクハラは友人の範囲で出来れば良いと思っている。少なくとも、今ここでお前の敵に回るつもりはない。…………本当だ」

 

 ちょっと前までイチカに女の子としての恋愛の道を歩ませようと暴走していたからか、ラウラは少し気まずそうな表情を浮かべて言い切った。

 

「でも、だからといって弾君の妹……蘭ちゃんの話がまるっきり押し付けとは思えないな。だって、イチカ自身気付いてないけど明らかに女の子としての嗜好を兼ね備えつつあるんだもん。それなら、二つを自覚した上で好きな道を選んでもらうのがフェアでしょ」

 

 それもまた事実。

 選ぶのはイチカであり、そもそも鈴音が現状に対して不満があるのは『イチカに余計な選択肢を与えたくない』という感情論の為だ。理詰めで行けば、正しいのは蘭であり鈴音の考えは自分本位……ということになる。

 ただ、かといって変態達が鈴音を糾弾するかというとそれは違う。基本的に彼女達は鈴音の友達だからだ。

 

「これは…………来月の臨海学校で勝負をかけるしかないんじゃない……?」

 

 そこで、それまで沈黙を保っていた簪がそう言った。

 

「臨海学校? ……ああ、そういえば」

「……来月の七日に、臨海学校がある……。当然、水着とかお風呂とかイベント満載……そこでイチカちゃんにモーションをかけて……鈴ちゃんにメロメロに……」

「…………」

 

 なるだろうか――と一瞬思った鈴音だったが、よくよく考えてみればイチカも性欲がないわけではないのだ。ただおそろしく察しが悪いだけで。だから鈴音が女としてアピールしたら、その時はイチカだって相応のリアクションをするだろう。上手く行けばそこで……告白しちゃったりとか、そういう展開も考えられる。

 

「えぇー……七月七日は私の誕生日だから、それにかこつけてイチカにいっぱいおっぱいねだろうと思ったのに……」

 

 いっぱいおっぱいという新種の韻を踏む箒だったが、それは見事に黙殺された。メインヒロイン要素を潰された箒は静かに涙を流す。やっぱりモッピーはモッピーなのである。

 

「しかし、簪ちゃんはよく提案しようと思ったね。僕的には今の状況、簪ちゃんが一番楽しんでると思ってたんだけど」

「『女になって欲しい』って働きかける側があるなら…………『男になって欲しい』って働きかける側があっても良い……私にとっては、それが『フェア』……」

 

 現状を一番楽しんでいるという発言に対して否定はなかった。

 よく分からない価値観だが、とにかく簪としては中立を貫き通す所存のようだ。

 全体の意志が鈴音びいきということが分かった時点で、セシリアは手を叩きながら話を纏める。

 

「そうと決まれば、早速臨海学校に向けて準備ですわね……。水着購入からおそらくUVカットという概念すら知らないであろうイチカさんに対する日焼け対策講習、イベントは作ろうと思えばいくらでも作れますわ。そこに中国次期代表、貴女をねじ込めば自然とイチカさんも『男である自分』を意識するというものです」

「協力……してくれるの?」

 

 にわかに信じられない話の流れに思わず弱弱しく問いかけてしまう鈴音に、五人は一様に頷いて返した。多分内心ではそれにかこつけて色々と自分達好みのセクハラを炸裂させようとか画策している部分はあるのだろうが、それでも大枠は鈴音の為という考えはみな同じだろう。そんな五人を少しだけ見つめていた鈴音だったが、五人の意思を感じ取ると、鈴音もまた力強く頷いた。

 

「ありがとう皆。…………と、()()()()

「礼には及びませんわ、()()()

 

***

 

 ――――そうして、タッグトーナメントは終了した。

 一夏・鈴音ペアが途中棄権してしまった為、優勝争いはセシリア・箒ペアと簪・本音ペアの一騎打ちとなり、最終的に本音の実力不足でセシリア・箒ペアが優勝を獲得した。優勝したセシリアが凄まじくご満悦だったのは此処に記しておこう。

 件の一夏はというと、弾と別れてから色々と蘭に言われたことについて考えていたものの結局答えは出ず――試合の疲労もあったので――結論を先送りにする形でベッドに倒れ込むように寝てしまった。

 

 そして、その翌日。

 いつも通り夜が明けたくらいの時間に目を覚ましたイチカは目覚ましのアラーム機能を切り、んぅ……と小さく可愛らしい声を出しながら上体を起こした。

 目をこすりながらベッドから這い出たイチカはそのままいつものように洗面所に行き、顔を洗って目を覚まさせる。

 鏡に映っていたのは、ここ数か月で随分と見慣れた顔だった。黒曜石のような輝きを秘めた深い黒、小さく形の良い鼻、桜色の唇。頬は寝起きだからか赤く色づいていて、顎へのラインは童女のように柔らかい曲線を描いている。我ながら相変わらずの美少女っぷりだった。これほどの美少女に出会っていれば、『一夏』もきっと少しは反応していたはずだ。

 

 

 ――――待て?

 

 

 そこで、覚醒してきた()()()の意識が現実を認識した。

 手首に視線を落とす。

 そこにはISが待機中であることを示す白式の化身、白いブレスレットがあった。

 つまり今、イチカはISを起動していない。

 

「……待て、よ」

 

 胸に手をやる。

 自分も知っている通り、小ぶりな『丘』がそこにある。

 

 股間に手をやる。

 やはり知っている通り、そこに膨らみは一切ない。

 

「嘘、だろ……おい」

 

 尻に手をやる。腕、太腿、腰、肩、そして顔。

 やはり、()()()()()()()()()()()身体だ。

 ――ISは、起動していないのに。そのはずなのに。

 

「…………じゃあ、なんで……」

 

 此処数か月で初めて、本当の本当に途方に暮れた調子でイチカは呟く。

 

「何で、女になってるんだ…………?」




これにて二巻分完結。当SSは短期集中連載なのでしばらく休載期間を挟みます。
三巻分開始時は事前に活動報告にて連絡をしますので、その時までしばしお待ちください。
……三巻分は隔日ではなく毎日更新になる予定。


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第二四話「朝おんフェスティバル」

三巻分は毎日更新になりますので、話数飛ばしなどにご注意ください。
あと、活動報告の方に三四話までのボツ台詞を掲載しているので、興味があればご覧ください。


 ――――想像してみて欲しい。

 朝起きたら、自分の身体が男から女になっていた。そんな珍事が発生していたら、あなたはどうするだろうか?

 夢だと思い目の前の女体を思うさま味わう?

 すぐさま現実を理解してどうしようかと悩む?

 これから訪れるであろう災難の数々に思いを馳せ絶望する?

 色々とあるだろう。ひとくちに『朝おん』と言っても『展開』は千差万別あり、反応は当人の人格によるところが大きい。どれが正解だとか、どれが一番現実的だとか、そういった答えは存在しない。

 では、()()()()で『朝おん』に巻き込まれた当人――――織斑イチカの反応はというと。

 

「…………束さんだ。そうとしか考えられない。そういえば前に箒が『朝おん』がどうとか言ってたし、束さんなら動機・技術両方の面でやりかねない……………………!!」

 

 即座に思考を回転させ、原因に当たりをつけていた。

 何だかんだで、セクハラ攻撃を食らいまくったことでこの手の事態に耐性が出来ていた、というのもあるのだろう。思考が停止したのはほんの数秒。原因が束にあると判断したイチカは、コンマ一秒でISを武装なしで展開し、ベッドの方へ駆ける。起きた時には既にTSが完了していたのであれば、その原因はベッドにある可能性が高い。今まで束の凶行については半ば黙認していた(というか黙らされていた)感が強かったイチカだが、流石にこういうイタズラはいただけない。早急に原因を破壊して、千冬にでも突き出してオシオキをしてもらうべきだ。

 

「…………やっぱりか……!」

 

 ベッドに戻ってみると、掛布団の下に明らかに不自然な膨らみができていた。起きた時は寝ぼけていたせいで気付かなかったが、あれがイチカをTSさせた装置ということなのだろう。イチカは珍しく自力で束の策を看破できた達成感から表情に得意げな笑みを浮かべさせながら、勢いよく掛布団をめくった。

 

「束さん、こういうイタズラはいい加減にしてくれっ…………!」

 

 ……………………この時点で、イチカには気付くべき点がいくつかあった。

 まず、寝ぼけていたとはいえ自分の横に機械のような重いものが転がっていたならそのベッドの凹みに気付けなかったのは何故か。

 次に、掛布団の膨らみが人間大なのは何故か。

 そして、あの束が企んでいたとしたなら、簡単にイチカが気付けたのは何故か。

 つまり。

 

 イチカの横に転がっていたのは機械よりももっと軽いもので、

 掛布団の下に潜り込んでいるものは人間のような大きさで、

 そして束のたくらみとは関係ない別の何かである。

 

「…………んにゃ? おはようイチカ……朝から素敵な笑顔だ。流石は私の嫁だな」

「…………………………あれ?」

 

 ベッドの下にいたのは、()()()()()()()()通りに全裸なラウラ=ボーデヴィッヒだった。

 

「……………………、」

 

 掛布団をめくったことで、無防備な体勢になっているラウラの幼い白肌を図らずも目撃してしまったイチカは、

 

「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!?!?!?!?」

 

 女の子みたい(女の子だ)な悲鳴を上げたのであった。

 

***

 

 ――――――というわけで、第一発見者はラウラ=ボーデヴィッヒだった。

 ()()()()()()()()のように部隊員から唆されたラウラは朝イチで奇襲を仕掛けることでイチカへの変身を促し、ぶかぶかパジャマ姿のイチカを思う存分堪能しようとしていたのだが…………部屋に来てみれば一夏がおらず(ちょうどイチカが起きて洗面所に行っていた時だったのだ)、しかも何故かベッドからイチカの匂いがしたので潜り込んでいたらなんかイチカの匂いに包まれて安心してしまいうっかり転寝していたという次第である。

 

 で、そのラウラは現在、第一発見者が一番アヤシイの法則に則って全裸のまま両手を後ろ手に縛られ正座させられるというエロゲもびっくりな状態に陥っていた。

 

「くっ……殺せ!」

 

 彼女の目の前にいるのは、(オーク)だ。

 これまで、多くのラウラの同志を屠り、辱めてきた野蛮な鬼。その鬼が、今にもラウラの身体を蹂躙しようとその魔の手を伸ばしている。

 だが、ラウラはそれでも恐怖に屈せず、なおも気丈に鬼を見据えた。

 

「私は…………私は貧乳蛮族(ないちちオーク)なんかには絶対に屈しない!」

「アンタだって貧乳(ないちち)は同じでしょうが!!!!!!」

「いや少なくともお前よあきゃああああああいたいいたいいたいいたいいたいいたいたたたたたごめんなさいごめんなさいごめんごめんごめん乳首捻っちゃらめええええええええちぎれちゃうううううううううううう」

 

 即堕ちをキメた姫騎士ラウラの(性的な要素はないマジの)絶叫に、目の前でその様子を見ていたイチカは思わず目を背けた。

 今まで乳を捻られてきた変態を見て、おっぱいがあるのも良いことばかりじゃないんだなぁとか思ってきたイチカだったが……とんでもない。おっぱいがあってもなくても、蛮族の前では無意味なのだ。僅かでもでっぱりがあれば、ヤツはそれを捻ってしまうのだ。捻っちゃう蛮族なのだ。

 なお、ここまでの絵は全部アングルの関係で危険な部分は映っていないのでご安心くださいなのであった。あくまでこのSSは全年齢対象の健全な物語です。

 

「……フン。このへんで勘弁してやるわ」

「ひぃ、ひぃ、新たな快楽に目覚めるぅ…………」

 

 第一発見者ラウラを発見した被害者イチカの悲鳴に駆けつけた鈴音が即座にラウラを捕縛し、そこにセシリアをはじめとした変態一同が集合したのが、今から大体二〇分前。

 そこから鈴音がラウラから(ちょっと手荒な)事情聴取をしていたのだが、情報は少しも得られないどころか、ラウラがドMに開花しかける始末である。

 さらに悪いことに、他の変態達もイチカの身に起きたことを知りもはや暴走寸前だった。

 

「もう犯人捜しなんてどうでも良い! とりあえず祭りだ!」

 

 どこから引っ張り出したのか、一人で神輿を担ぎあげた箒が叫び出す。神輿の右前側しか掴んでいないのに完璧なバランスを見せる箒。小型でも一〇〇キロはくだらないだろうに、地味に人間のレベルを超えていた。

 ちなみに神輿の上にはなんか豪奢な椅子っぽい飾りがつけられており、そこになんかしょんぼりした様子のイチカが無理やりおさめられている。ちょこんとしているのがそこはかとなく可愛い。

 

 …………訂正しよう。既に変態達は暴走し始めていた。

 

「ああ、おいたわしやイチカさん……まさか女の子から戻れなくなってしまうなんて……」

 

 次の瞬間、神輿の上ではセシリアがイチカにしなだれかかっていた。彼女はイチカの顔の両脇をまるで耳を塞ぐみたいにして両手で押さえる。

 

「しかしイチカさんの内面は女性が好きな男。こうなっては女の子でもイケるわたくし以外に伴侶となれる人類はいなくなってしまいましたね。さあ、誓いのキスを…………」

「馬鹿やめなさい! 大体中身が一夏ならあたしだって女だろうと全然オーケーよ!!!!」

「お――――っほっほっほっほ! 勢いに任せて告白したようですが無駄ですわ! 何故ならイチカさんの耳はわたくしが塞いでいますので!! いざファーストキスゲット! むちゅううううううう!!!!」

 

 いかにもお嬢様らしい高笑いと共に、ちょっとアレな感じのキス顔でヘッドバットもかくやという勢いのキスを敢行するセシリア。イチカはあまりの形相に顔を青褪めさせ、ただ目を固く瞑り運命を待ち受けるしかなかったが――――、

 

「………………させない………………」

「セシリア、抜け駆けは良くないよ?」

 

 ガッシィィィン! とまるで刃同士のぶつかり合いのような音を立てて、セシリアの接吻(ヘッドバット)が弾かれ、イチカはセシリアの魔の手から解放される。

 絶体絶命の危機を回避したのは――――同じく暴走中の変態だった。

 

「簪、シャル……!」

「何故なら、私は()()()()()()()()()()()()()()者……現状では()()()()()()()()()()()、この状況のイチカちゃんのファーストキスを奪ってみるのも一興……」

「イチカのファーストキスは、イチカがしっかり男としての自覚を取り戻してから僕が肉襦袢を身に纏った状態でいただくからね」

「テメ――――らも同じかよ!!!!!!」

 

 まあ、暴走中の変態というのは同じなのだが。

 ドカッ! バキッ! と鈴音は一瞬前まで味方だと思っていた変態を容赦なく蹴り飛ばす。昨日の敵は今日の友という格言があるが、実際には一瞬前の友だって次の瞬間には敵になりえるのかもしれない。世の無常を感じるイチカであった。

 

「ったく、アンタらいい加減正気に戻りなさい! イチカが男に戻れなくなったってことは、男要素がなくなっちゃったってことでしょ!? それって変態的にはよろしくないことなんでしょ!」

 

 暴力で訴えることに限界を感じた(限界とは……?)のか、鈴音は変態淑女たちに言葉で呼びかける。一般人とはいえ鈴音は次期代表と呼ばれるほどのプロだ。普段の言動から変態達の思考パターンを読み、そこに働きかける話術を弄することなど容易……、

 

「…………? 何を言ってるんだ鈴は??」

「別に不可逆でもTSはTSですわよ?」

「むしろ『我々』の主流派はこっちだぞ?」

「まあ、エロ同人とかで行ったり来たりできるのはあんまり見ないねぇ」

「……私的には、ここからが本番よ…………」

 

 ……ではなかった。如何に次期代表とはいえ、一般人が変態の思考を読むことはできないのかもしれない。まあ、読めたらそれは即ち同類の思考を獲得しているということになるので鈴音的には読めない方が幸せなのかもしれないが。

 

「…………なん…………ですって…………!?」

「そもそもだな、TSFの中でも男と女を行き来するのは比較的『初心者向け』……いや、『一般向け』なんだよ。男の成分を強く押し出せるし、何より『変身することによるドタバタ』をメインに据えることでフェティシズムを極力抑えてコメディっぽく見せることができるからな」

「尤も、そうした『一般向け』によって我々のように特殊性癖を開眼する者も生み出していたりするがな。つまり変態(われわれ)にとっては入口のようなものだ」

 

 底知れぬ変態達に戦く鈴音に、箒は何も知らない子供に一つ一つ世の道理を説くようにして話していく。横で自信満々に言うラウラはスルーだ。

 

「一方で、今回のように『女になった後男に戻れなくなる』タイプはそうした私達にとってはむしろメジャーだ。此処から自分の身体の変化を確認し女の子の服を着て徐々に感性が女になっていきほどほどのところで生理を迎えちゃったりなんだりするのが王道だな」

「いや、そうじゃなくて無駄に男前な親友に助けを求めてイチャイチャして徐々にメスの顔になっていきなんだかんだあって結ばれるのがだな……」

「貴女はいつもそれですわね! なんでTSっ娘×親友男が幅を利かせてるのか……親友女でも良いじゃありませんの……それもこれも女の子と結ばれるGL系TSが少ないせいですわ……!」

「あ゛ァ!? 特殊性癖(マイナークラスタ)は黙ってろコラ! 誰が何と言おうと最大多数が王道で最強なんだよ! 悔しかったら自分で供給してみろや!」

「こンの貧乳姫騎士崩れが…………!!!!」

 

 逆鱗に触れてしまったラウラに、セシリアの美貌がいよいよ女の子としてダメな感じへと舵を切り始めてしまう。

 GL系TS派に対してマイナーは禁句だ。あと『少ないと言いつつTSした主人公がヒロイン作ってる作品なら俺ツイとかなろうのネトゲ転生系とか探せばいっぱいあるじゃん』も禁句だ。ああいう類はTSFではなくTS主人公作品なのである。欲しいのは現代系の世界観でTSっ娘が女の子とイチャコラ恋愛する話なのである。

 

「なら今、ここで! 供給してみせますわ! 行きますわよイチカさん白昼堂々らぶらぶちゅっちゅですわ!!」

「くだらない争いにイチカを巻き込むな妖怪乳デカ変態レズ女!!!! そもそもアンタら全員特殊性癖(マイナークラスタ)なのよ!!!!」

 

 セシリアがイチカにとびかかろうとしたまさにその瞬間――身内で話しているうちに『あれ? TSFって意外とメジャーなんじゃね?』という驕りを抱いてしまった変態達に悲しい現実を突きつける鈴音の拳がセシリアの顔面に突き刺さり、まるで鉄板に叩き込まれた拳銃弾のようにその顔面を一〇センチもめり込ませる。

 顔面を(アスタリスク)みたいな感じにしたギャグ時空の極致にあるセシリアは、そんな状態のまま憤慨したように叫ぶ。

 

「な、なんてことしますのこのラブコメかませ犬!」

「誰のかませ犬よ、誰の!!」

(セシリア、あの状態でどこから声出してるんだろう…………)

 

 もはや本格的に世界の法則に喧嘩を売り始めた変態達の戦いに、神輿に担がれた状態のイチカはぼんやりと思うしかなかった。あとセシリアの発言はわりと語るに落ちていたが、顔面ブラックホール(キン肉マン)状態のインパクトのせいでイチカの耳には全然届いていない。難聴すごいですね。

 

「しかし、ラウラが犯人でないとしたら一体誰が犯人なんだ?」

 

 そんなこんなで顔面の復旧に忙しいセシリアの横で、箒が不思議そうに首を傾げる。やっと本筋に戻った――とイチカは思った。此処まで色々と脱線しすぎなのである。

 

「というか、ラウラはあの一件で改心して、イチカを無理に女の子にしようとはしなくなったしね」

「……………………ラウラが改心したって、その割には襲撃することで変身を誘発させようとしてたりしてるけど………………」

「っつか、犯人なんかあの変態兎以外有り得ないでしょ。IS起動してないのに女の状態のままなんてそんなトンデモ状態、アイツでもなければ作れるはずないんだし」

 

「いや……それがそうでもない」

 

 めいめいに好き勝手なことを言い合っていると、扉が開いて新たな乱入者が現れた。

 ズリズリ、ジャリジャリと鎖の音を響かせて現れたのは――――、

 

「…………千冬姉?」

「織斑先生、だ」

 

 遅れて来た世界最強、この人が出てきたら物語が終わっちゃう要員筆頭――――織斑千冬その人だった。

 

「…………っていうかその鎖につないで引っ張ってるのは…………」

「篠ノ之(姉)だ。お前の異常を察知した時点で捕縛し、尋問した」

 

 そんなことを言う千冬の足元には、鎖でグルグル巻きにされた束の姿があった。顔面は美女にあるまじきボコボコ具合で、ギャグ系の作品でよくありそうな有様である。仮にも美少女アニメ作品でこの顔はOKなのかどうかは、定かではない。いや、多分ギリギリアウトな顔だ。

 この世界のツッコミ役の基本方針が『疑わしきはまず叩きのめせ』なのは、もはやツッコむべきところではないのかもしれない。日ごろの行いって大事だなぁとイチカはぼんやり思った。

 

「それで、束さんは何て?」

 

 気を取り直して、イチカは改めて千冬に問いかける。

 しかし、普通であれば居場所を探すのにも文庫本二冊分くらいのいざこざが起こりそうな束を行間で捕捉し捕縛し尋問して引っ立てるのだから、織斑千冬というのは全く以てシナリオブレイカーだとイチカは思う。お蔭でイチカはこんなクソったれな世界でも安心して生きていけるのだから有難いといえば有難いのだけれど、今回ばかりはとんでもない展開だったので多少の悶着は覚悟していただけに拍子抜けな気持ちもある。

 

「ああ、それがな」

 

 千冬はそんなイチカの真意を知ってか知らずか、なんだかちょっとだけ嬉しそうな表情をしつつ、

 

「実は今回、束は一ミリも関わっていないそうだ」

「はいはいそうだよね、そうだと思っ――――へ?」

「だから、今回はノータッチだと言ったのだ」

「…………じゃあ、何で今もグルグル巻き?」

「便乗して色々やろうとしていたのを発見したからな」

 

 疑いが晴れても束は束なのだった。

 

「…………じゃなくて!! 束さんがノータッチなら俺はいったいどうしてこの有様なんだよ!?」

「私にも分からん」

「二人とも分からないんじゃ俺はいったいどうすれば良いんだよ!?」

「分からんと言ったら分からん」

「うわあああああああああああ~~~~~~~~~ん!!!!」

 

 あんまりにもな展開に、イチカは目をバッテンにして泣き喚いた。この分では束が出てきたのも『今回コイツは後ろ暗いところないから登場引っ張ったりはしないよ』という天の意志なのかもしれない。

 ともあれ、泣き喚きながらふとイチカは気付く。

 

「…………あれ? そういえばいつもの得体のしれない力で俺を元に戻せたりは…………」

「……しないな」

 

 が、そんなイチカの最後の望みも千冬によって一瞬で切り捨てられてしまう。

 ふだん威風堂々という言葉を一〇〇〇倍くらいに濃縮して擬人化したような存在を地で行く千冬にしては珍しく、少しだけ弱弱しい語調だった。姉の弱気というのを今まで片手で数えるほどしか見たことがなかったイチカは、思わず目を丸くする。

 というか千冬でも出来ないことがあるのかと思わざるを得ないイチカであった。

 

「正確には、出来ないこともないが」

「やっぱりできるのかよ!」

 

 やはり姉に不可能はなかった。

 

「話を最後まで聞け。…………以前、束が最初のトーナメントの時に自爆攻撃を敢行したのを覚えているか?」

「ん? ああ……あの千冬姉が守ってくれた奴……」

「織斑先生、だ。……その時、お前は『零落白夜』で私が張ったバリアーを解除しただろう」

 

 千冬は肩を竦め、

 

「私がやっているのはあくまで『定規であるISを使ってできることを生身でやっているだけ』……つまり、ISの力であることに変わりはないんだ」

「いや千冬姉、大したことないみたいに言ってるけどそれがヤバいんだからな?」

「織斑先生、だ」

 

 控えめにツッコむイチカの言葉をいまいち弁解になってない台詞で一刀両断して、千冬はさらに続ける。

 

「つまり。私がISの力を使いイチカを男に戻す…………それ自体は理論的には可能だ。しかし……零落白夜を発動した瞬間に相殺される」

「別に良いじゃんかけ直せば! っつか、それがマズイなら俺は零落白夜を封印する覚悟だぞ! マジで!!」

「その零落白夜が、今なお継続されていても、か?」

「……………………え?」

 

 千冬の台詞に、イチカは咄嗟に何を言っているのか理解できなかった。

 

「た、多分暴走してるんだよ~……」

 

 次に口を開いたのは、鎖でグルグル巻き状態になっている束だった。ちょっと目を離した隙に美少女アニメ作品に出ても大丈夫なくらいの美貌を取り戻した束が説明する気になったのを見て取った千冬は、あっさりと束の拘束を解く。

 鎖でグルグル巻きという劣悪極まりない環境にいた束だったが、微塵も弱った様子を見せずに起き上がり、千冬の横に並んだ。

 

「ま、科学のお勉強なんていっちゃんの求めてるところじゃないから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……結論だけ」

 

 そこはむしろ置いといてはいけない世界最高レベルの謎なのだが、生憎この場にいる者に『イチカの女体化よりそっちの秘密の方が重要だろうが!』なんてまともなツッコミを入れられるまともな人はいなかった。変態どもはもちろん、鈴音はイチカのことが一番大事だし、イチカも自分の身体のことだったのでこれは仕方がない。

 

「今のいっちゃんは、零落白夜のエネルギーを全身に帯びてる状態だからあらゆるISの干渉を無効化しちゃうんだよ~。つまりちーちゃんのトンデモ技術で男になっても瞬時に戻るのだ!」

「…………いや待て。それって燃費悪すぎないか? 零落白夜って基本的に一対一のエネルギー相殺能力だぞ!? そんなことしたらすぐにエネルギー切れになっちゃうだろ!」

「だからそれを説明するにはさっき言ったようなことを解説しないといけないんだよ~…………でもぶっちゃけめんどくさいでしょ?」

「それが分からなきゃ元に戻れないじゃないか! 説明してくれよ!」

「説明しても、元に戻る方法は分からないんだな~これが。何故なら全部理解してる束さんが現在進行形でお手上げだから」

「………………」

 

 確かに、束と千冬がお手上げと言っている以上イチカが原理を理解できたところでどうしようもない。二人に出来ないということは『実質的には不可能』というのと同義だからだ。

 要するに、イチカを男に戻すことは千冬と束であっても不可能で、その原因も全く以て不明。科学的見地から調べるのは絶望的…………ということらしい。

 イチカは肩を落として呟く。

 

「…………どうしてこうなった…………」

 

 その肩は、まさしく女の子らしい小ささだった。

 

***

 

 で、この間まったく話に絡んでこなかった変態達が何をしていたかと言うと――――、

 

「さて、一通り楽しんだしイチカを元に戻す方法を探すか」

 

 そんな箒の号令で、みんなして気持ちを切り替えていた。彼女達は何だかんだで鈴音の恋路を応援すると決めたのだ。たとえこのままいけば自らの変態性癖が思う存分満たされるとしても…………それでも友情を選ぶ。それが彼女達の矜持である。

 

「…………本当は、このままでいてほしいが…………ッ」

 

 そんな箒の表情は、耐え難い苦痛に歪んでいたが。

 

「……でも、なんか直す方法ないっていうか、原因すら分からないって感じになってるわよ?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 イチカ達の方を見遣りながら心配そうに言う鈴音に、セシリアはあっさりと答えた。真意を掴めない鈴音に、サブカル方面に強いマンガ脳の簪が続けるようにして説明する。

 

「つまり、お約束で考えれば良いのよ……。……こういう『男になったり女になったり』な作品で男に戻れなくなるのは…………その人自身が、女の身体のままでいることを望んでいるからという場合が多い……」

「何よ!? それってイチカが自分から女になるのを求めてるってこと!?」

「ひ、ひえぇ……許して下さい……お命だけはぁ…………」

 

 ぐわし! と鈴音は簪の胸倉を掴み上げる。ラウラの乳首すら捻り上げる悪魔の怒りに触れた簪は、ただこれ以上の怒りを買わないように目を瞑って顔を青褪めさせガクガク震えるしかない。

 

「感じる…………簪ちゃんの恐怖失禁の匂い!!」

「楯無会長!?」

「まだしてない……!」

 

 と、どこから現れたのか、鈴音の手から簪を救出した状態で楯無が現れる。

 確かイチカの部屋はセキュリティも厳重に設定されているらしかったが、なんかもうそういうのは有名無実って感じになってしまっていた。

 まあそれはともかく、会長は変態的な登場とは裏腹にわりと真面目なトーンで続ける。

 

「……それで、イチカちゃんのことだけどね」

「お姉ちゃんも情報は把握してるの?」

「まあ、これでも会長だから。こちらでも打てる手は打っています。……他の生徒に対する情報封鎖もね」

「ああ…………」

 

 情報封鎖、という物々しい発言に、鈴音は納得してしまった。比較的鈴音側にいる専用機持ちのメンバーだけでもあれほどのカオスだったのだ。もし普通のTS変態淑女であるいち生徒がその事実を知ってしまえば………………学園の崩壊すら視野に入れなくてはならなくなる。

 

「原因は、科学的には不明……でも、想いが強く関係するISのトラブルだもの、きっとイチカちゃんの想いが関わってるんじゃないかと思うの。多分、織斑先生達がイチカちゃんにそれを伝えないのは……『無意識』をイチカちゃんに意識させない為でしょうね」

「それは…………今、私も言ってた……」

「簪ちゃんと…………以心伝心ですって…………!?」

「とすると、考えられる原因は…………」

 

 妹ラヴモードに入ってしまった楯無はさておき、鈴音は腕を組んで考え始める。イチカが女になるのを求めているかどうかはともかくとして、イチカの心に強い影響を与えかねない存在…………。

 

「…………やっぱアンタ達変態じゃない! アンタ達がイチカイチカって持て囃すからあの馬鹿勘違いして『女の方が何かと得かも』って思っちゃったのよ!!」

「多分持て囃し度なら貴女の方が上だと思うんですけれど…………」

 

 思いっきり怒ってみせる鈴音だったが、直後セシリアからクロスカウンター気味にツッコミを入れられる。

 勘違いしていた時の『親友』っぷりは伊達ではない。最近はツッコミに忙しいので鳴りを潜めているが、基本的に鈴音はイチカにはダダ甘だ。それこそ、変態達の猫可愛がりなどよりもよっぽどイチカを『女』に傾けさせかねないほどに。

 それに、鈴音の考察が当たりとも限らない。ラウラが疑問点を指摘する。

 

「何だかんだ言ってイチカは我々のセクハラにも一定の拒否感を持っている。というか、我々のセクハラのせいで女形態を嫌がってる節もあるんじゃないか?」

「となると、原因はやっぱり」

 

 ラウラの指摘を受けてシャルロットは慎重に言葉を選びながら、

 

「…………原因はイチカの親友…………弾君にあるんじゃないかな?」

「弾? 何で弾がそのタイミングで…………まさか」

「そう。この間のタッグマッチ、弾君とイチカの間で何か様子がおかしかったでしょ。その影響でイチカが弾君を意識しちゃったとか」

 

 そう言った後、シャルロットは少しだけ鈴音の反応を待ったが、鈴音は何も言わなかった。

 当惑していたり、怒りの余り言葉を失っているのではない。

 眉間にしわを寄せ、少しばかり視線を下に向けて何事かを考え込んでいるようだった。

 そんな鈴音をよそに、シャルロットの言葉にラウラは若干目を輝かせながら言う。

 

「つ、つまりだ。イチカは弾とやらと結ばれたくて無意識に女の子になりたいって思っ」

「なんでちょっと嬉しそうにしてんのよこのド変態ッ!!」

「ブゲェ!?」

 

 そんな感じでラウラが本日二度目の殺人ツッコミの餌食になってしまった。この期に及んで喜びを隠しきれないというどうしようもない変態ラウラに天誅を下した鈴音は、(何故か)煙をあげている拳を一振りする。

 

「…………、」

 

 正直なところ、シャルロットを初めとした専用機持ち達はイチカが女になった――という事態になって、イチカそのものの心配よりも鈴音のメンタルの心配をしていた。

 何せ普段はアホほど精神力の強い鈴音だが、ことイチカの――一夏のことになるとそれはもう年頃の乙女相応の対応しかできなくなるのだから。その彼女が、『イチカが弾に無意識にせよ惹かれ、女として生きる道を選びつつある』なんて言われた日には色々と大暴走しかねない……と思っていた。

 だからこそ、シャルロットはその鈴音を刺激しないように慎重に言葉を選んでいた。しかし、全てを知った鈴音の表情に迷いのようなものは存在しない。

 

「ともかく、何であれ原因にあたりをつけられればこっちのモンよ。無意識だろうが何だろうが、『女』に傾いたイチカを振り向かせる。これは『恋の綱引き』よ。想いの強さで、あたしが負けるもんですか。…………それに、あんた達も協力してくれるんでしょ?」

 

『頼りにしてんだからね、これでも』と鈴音は笑いかける。

 そして、彼女が頼りにしている――と言った変態達は気付く。鈴音に迷いがないのは、彼女が想定より強かったからではない。彼女の傍に、頼れる仲間がいるからなのだと。

 …………………………いや、頼れるかどうかで言えばわりと油断ならないと言った方が良いのかもしれないが、それはそれとして。

 

「ぶっちゃけわたくしは永久にイチカさんのままでも問題ないのですが、イチカさんの心が男に奪われるような事態は考えたくありませんわ。協力しましょう」

 

 そう言って、セシリアは鈴音の方へと一歩踏み出した。

 彼女に続いて、いつもの面々も鈴音の方へ一歩踏み出していく。

 

「私は最終的なイチカの判断を尊重する――が、その判断へ働きかける努力を否定するつもりはない。友人の願いなら、力になるぞ」

「僕も。イチカちゃんが永久に女の子のままっていうのは嫌だし――鈴、本気みたいだしね」

「私の趣向的には現状は万々歳なのだが…………流石に前言を翻すのは、プロとしての信用問題に関わる。今はただ、鈴の恋路を助けよう」

「…………私は、イチカちゃんには『両方』を知った上で悩んでほしい。……鈴ちゃんの気持ちを知らないままイチカちゃんが男に靡くのは、よくない」

「私も、あなた達に協力するわ。…………何せ簪ちゃんの願いだもの、ね!」

 

 ――――目標は定まった。

 イチカに『男』を取り戻させる為の、鈴音+変態達の奮闘が今始まる…………!



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第二五話「当SSは健全な作品です」

 格好よく決めたからと言ってそれで事態が一気に急展開を迎えるかと言えば、世の中はそんなに物語のように劇的には進んでくれないものだ。

 幸いだったのは、今日――つまりイチカが戻れなくなった日がタッグトーナメントの翌日であり、生徒たちの疲労抜きの意味で休日だったという点だろう。翌日、翌々日は土日であり、三連休ということもあって他の生徒たちにイチカが戻れなくなったという、超絶ビッグイベントを悟られないような言い訳づくりに専念できる。

 それに――――、

 

「イチカさん、元気を出してくださいまし。たとえ戻れなくともわたくしがいますわ」

「それじゃダメなんだよ、それじゃ…………」

「そうだ。僕が肉襦袢を着たら男女が入れ替わってノーマルに戻るから完璧だよね!」

「何の意味もないんだよ、それじゃ…………」

 

 世界最強二人に匙を投げられて、いささか絶望気味なイチカのメンタルを修復するための猶予もあるということだった。

 ちなみに、一応の報告は終了したということで千冬と束、それから楯無は既に退室している。この三人は休日であっても色々と忙しいのであった。

 

「ったく、いつまで経ってもしょげてんじゃないわよ、イチカ!」

 

 バシン! と、ヘコみにヘコんでいるイチカの背中を、鈴音が勢いよく叩く。既に人外の領域に到達している鈴音の力はたとえ手加減しても暴力的らしく『げほ!』とイチカが思い切りむせたが、鈴音は細かいことなど気にしない。

 

「鈴、でも…………」

「起きちゃったことをいつまで経ってもくよくよしてたって仕方ないでしょうが。それに、これはチャンスじゃないの? 千冬さんができなかったことをアンタが成し遂げてみせたら、それって千冬さんを超えたってことじゃない」

 

 挑戦的な鈴音の物言いに、弱気だったイチカの目の色が変わる。姉では成し遂げられなかった偉業を成し遂げる。それは簪もやってみせたことだ(結局簪は自分一人で専用機を形にした)。なら、イチカだって千冬にできなかったことをして、姉超えを目指すべきじゃないか。そんな思いがイチカの中に芽生えたのだ。

 

「…………だけど、具体的にどうすれば良いんだ…………?」

 

 とはいえ、イチカはどうすれば戻れるか分からない。

 鈴音達はイチカが戻れなくなった理由が『無意識下で女のままを望んでいるから』だとあたりをつけているが、それをイチカに言えばその願望を自覚してしまいさらに状況が悪化するおそれがあるので言うに言えないのだ。

 よって、鈴音は口八丁でイチカを騙くらかすことにした。

 

「『戻る』と思ってるからいけないんじゃない?」

「…………どういうことだ?」

「考えてもみてよ。零落白夜が暴走してるっていうのに、アンタの『女体化』は打ち消されてない。つまり、『アンタ自身が起こしてる性別の変化』には零落白夜も通用しないのよ。なら今の状態から『男になる』変化を上書きすれば良いってことになるわ!」

「……どうやって?」

「そんなもん決まってるでしょ! アンタが男らしくしてればなんかこう、男っぽくなっていくのよ! たぶん!」

「……ホントかなぁ?」

「本当よ! あたしの次期代表としての経験がそう言ってるの! きっとほら、男性ホルモンが分泌されることによりISの操縦者適合機能が作動して染色体の変換を再開するとかそんな感じで! とにかく信じなさい!」

「………………うん、鈴がそこまで言うなら、信じてみるよ。ありがとな!」

 

 そして案の定チョロかった。

 よくよく考えてみれば結局どうすれば良いのかとかは具体的に理論立って説明されているわけではないのだが、『専門家がこう言っているのだから』に弱い日本人の特性がこれでもかというくらいに炸裂している。鈴音のごり押しにあっさり流されたイチカはけろっと回復していた。

 これはこれで、御しやすいやら将来が心配やらで不安になってくる鈴音なのだった。

 

「……鈴さん、あの積極性と度胸を普段から出せていれば、こんなことには…………」

「言うなセシリア、それができれば鈴も苦労しない」

 

 横で変態達が鈴音に対してある種の憐れみを向けていたが、もう本当にそう言いたくもなってくるレベルでさくっとイチカをノせてしまっているのだから仕方がない。恋する乙女というのはいろいろと複雑なのだろう。

 

「……じゃあ具体的にどうやって『男らしく』するか、だけど…………」

 

 そこで、鈴音の言葉を引き継ぐように簪が言う。鈴音がイチカを説得し、変態達が具体的な作戦を練る。それが今回の方針なのであった。

 そして、その変態達が編み出した結論とは――――、

 

「…………臨海学校に向けて……イチカさんの水着を、買いに行きましょう」

「ん? ちょっと待て、全然男らしくないぞ?」

 

 水着の、購入。

 もちろん、イチカに男としての人生を望んでもらうように努力すると真面目に決めた変態は、決して自分達の私欲()()でこの目的を設定した訳ではない。

 もちろんイチカに水着を着せたりしていろいろセクハラしたいという思いはある。当然ある。変態淑女である以上、その劣情を否定することは不可能だ。

 だが同時に、いかに変態とはいえ彼女達は『女』なのだ。それも、全員が全員世界レベルの美少女。…………いちいち描写しないとたまに忘れそうになるが、こんなのでも一応美少女なのである。

 そんな彼女達が、イチカに水着を着せるかたわらで水着の試着をしてその魅力的な肢体をイチカに見せつける。

 そうすれば…………イチカだって嫌でも『男として』興奮するはずだ。イチカは鈍感だが、決して性欲がない訳ではない――というのは、入学式当日に(当時作中一番の輝き(Hパワー)を見せていた時期の)箒が作中唯一のラッキースケベで以て確認している。

 なお、Hパワーとはヒロイン(Heroine)パワーと読む。変態(Hentai)パワーではない。

 

「何を言うイチカ。海と言えば海軍、海軍といえば海軍式トレーニング! せっかくだから軍属の私が海軍式のトレーニングをやってやると言っているのだ! 水着を着るのはそんな男らしいイベントの前準備に他ならない!」

「…………それにしたってわざわざ水着を買う必要性が感じられないんだけど……」

 

 そして立て続けに、ラウラがイチカに説得を試みる。

 ちなみに、確かにラウラは軍属だが別に海軍に所属していたわけではない。

 そもそもISというオールラウンドで絶対的な武力を陸海空のいずれかに所属させてしまうと、それだけでパワーバランスが冗談ではなくなるほど崩れてしまうということでその所属についてはかなり曖昧な扱いになっており、名目上は新設の軍隊という扱いになっているほどだ。

 そんなラウラの説得ではイチカもいまいち納得していないみたいだが、押しの弱いイチカのことである。ゴリ押しでいけば何とかなると判断したラウラはさらに押していく。

 

「いいやある。トレーニングにはその場所に適した格好というものがある。そこを取り違えてしまうとトレーニングの効率が著しく低下してしまうのだ」

「いや、ISスーツは全地形対応だから水着としての機能もあるって前に授業でやってたし」

「………………………………………………………………」

 

 ……が、完全論破されてしまった。

 

「(くそ……あのロリ巨乳眼鏡は本当に余計なことしかしねェな……!)」

 

 ただ授業をしていただけなのに罵られる不憫なロリ巨乳眼鏡はさておき、ラウラとしてもイチカの思わぬ正論にどう答えればいいか考えあぐねてしまう。初っ端から束の仕業だとあたりをつけて即座に布団を(あらた)めたところと言い、今日のイチカはいつもと一味違うのかもしれない。

 とはいえ、このまま反論に窮してしまっているとイチカが不審に思ってしまうかもしれない。そうなる前にどうにか言い訳を捻りだしたいところだったが……、

 

「フ……所詮は脳筋軍人、此処は私のインテリジェンス(?)な交渉術に任せて……」

 

 そんなラウラからバトンタッチするように、簪が前に出る。なお、インテリジェンスというのは名詞なのでここではインテリジェントが正解である。インテリジェンス(笑)な間違いであった。

 とにかく自信満々な簪は、全員の注目を一身に集めてこんなことを言う。

 

「イチカちゃん、そう言われてもなおISスーツを身に纏うということはつまり、自分が水着を着ていると認めることになるんじゃない?」

「…………? どういうことだ?」

「ISにおいて一番重要なのは肉体の効率なんかじゃなくて想いの力……つまり、イチカちゃんが水着だと思ってISスーツを着ているならトレーニングの効率は上がる。でも、もしイチカちゃんがISスーツを水着だと思っていないのなら! トレーニングの効率は著しく低下するってことになるんじゃないかな…………!?」

 

 つまり、『水着にもなるからISスーツを着るので水着は買わない』という理論だと、今度は『ISスーツは水着代わり』という認識ゆえにトレーニングの効率が下がるという意味である。

 そもそもイチカにとって至上命題は『男っぽくいること』なので、トレーニングの効率は最悪下がっても仕方がない……のだが、トレーニング好きのイチカとしては悩ましい部分でもある。

 我知らず、イチカの眉が垂れ下がる。呼応するように、変態の眉尻も緩んだ。

 

「やっぱり、やるなら徹底的じゃないと…………それとも、イチカちゃんは男に戻る為に効率を捨てちゃうのかな?」

 

 悪魔的な笑みを浮かべ、簪は問いかける。

 なんかゲーマーの簪が効率とか言い出すと効率厨っぽい響きがあるが、それはともかくとして、彼女は内心で自分の勝利を確信する。

 

(これは、もらった……! イチカちゃんはチョロ可愛いから、これで流されるはず――!)

 

 が。

 

「いやでも、そもそも今重要なのは男らしくなって男に戻ることであって、今は訓練の効率なんて二の次だろ」

 

 我に返ったイチカのド正論により、簪はノーバウンドで数メートルも吹っ飛ばされることになった。……物理的衝撃は皆無だったはずなのだが、多分想いの力が重要なISに長けた人間は心理的衝撃だけで吹っ飛ぶことができるのだろう。ほどよく意味不明だ。

 ともあれ、朝のくだりと言いやはり今日のイチカは一味違う。

 

「まあまあ二人とも」

 

 ラウラに続き簪までも打ち倒したイチカをよそに、今度はシャルロットが口を開く。ただし対象はイチカではなく、撃沈してしまった二人に声をかける。

 なお、イチカは声を掛けられていた訳でもないのに思わず身構えてしまっていた。なんというか、シャルロットが話に加わるというシチュエーション自体がイチカにとっては『なんかあるのかな?』と身構えてしまうのである。肉襦袢の傷は深い。

 まあ、その心配は間違いではないのだが。

 そして、シャルロットはにこりと笑ったまま、こんなことを言った。

 

「いくらイチカを水着店に連れて行きたいからって、無理にイチカを誘導するのはよくないよ」

 

 その瞬間。

 掛け値なしに、その場の空気が凍りつく。

 その行為は、裏切りに等しかった。イチカの水着姿が見たいから――なんて動機を知らされてしまえば、もうイチカは水着姿になんか絶対になってくれない。それは変態達にとって敗北を意味する。

 そのはずなのに、シャルロットはいとも簡単にそのカードを切ってしまう。そして、一度口から出た言葉は取り消すことなどできない。

 

「なっ…………っ!?!? バカなシャル、貴様いったい何を……!?」

「だからさ」

 

 突然の裏切りにラウラが動揺するが、それを遮るようにシャルロットは続ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――――――!!!!!!」

 

 その瞬間、変態達はシャルロットの真意に気付いた。

 つまり、シャルロットは無理にこの場で言質を取るという発想を捨てたのだ。

 そんなことをしてイチカに不信感をおぼえさせ、最大目標である『イチカを女性陣の水着姿で興奮させる』ことまで頓挫してしまっては台無しである。それならば自分達の水着姿で誘惑して判断力を失わせた上で、『私達だって水着姿を披露したんだよ?』と迫った方が義理堅いイチカ的に押し切れる可能性が向上するというものだ。あとそういう展開になれば多分鈴音は恥ずかしさでオーバーヒートしてるから邪魔が入らない。

 そんなシャルロットの深謀遠慮を察した変態達は、彼女の権謀術数に恐れおののきながらも追従する。イチカの方も、

 

「…………まあそんなこったろうと思ったけど」

 

 と、すっかり警戒心を緩めてしまっていた。多少賢くなってもイチカはイチカである。

 話がまとまったと判断して、ラウラはすっくと立ち上がりこんなことを言った。

 

「というわけで、これから『レゾナンス』に行くぞ」

「え? 今から?」

 

 唐突な買い物展開に、イチカは思わず問い返す。断言したラウラの方はむしろ意外そうに、

 

「当たり前だろう? 一般生徒と顔合わせをするまで三日しか時間がないのだ。一刻たりとも時間は無駄にできない。今のうちに我々が臨海学校の準備を万端にすることは、結果的にイチカの身辺警護にもつながると思わないか?」

「……そうだな」

 

 そして『自分のため』と言われてしまっては無碍に扱えないのがイチカの悲しいサガだ。

 かくして丸め込まれたイチカは、さっさと『レゾナンス』に行く為の支度を整えるのであった。

 

「………………何だかんだ言ってチョロいですわねぇ、イチカさん」

 

 ()()()()()()()()を知る者からすれば『お前に言われちゃおしまいだよ』といったところだったが。 

 

***

 

 で、『レゾナンス』である。

 この『レゾナンス』、元は単なる駅ビル――駅に併設するように建てられた商業施設――だったのだが、栄えていくにつれてバス停ができ、海に近いのを良いことに船の停泊場ができ…………という感じで今のような『あらゆる交通手段を束ねたハブ』のような役割を備えてしまうようになった。数年後には小型空港の建設まで視野に入れているのだから恐れ入る。

 だからか、平日の真昼間だというのに『レゾナンス』はそれなりの賑わいを保っていた。一応トーナメントの振り替え休日なので平日休みという不思議な気分に陥っていたイチカだったが、『レゾナンス』にやってくるとそんな不思議な気分も吹っ飛んでしまうようだった。

 

「しかし便利なモンねぇ」

 

 イチカを先導しながら、鈴音は感心したように呟いた。彼女は中学時代イチカと一緒にすごしていたため、『レゾナンス』は慣れたものだ。だが、IS学園直通のモノレールから直接『レゾナンス』に来れるというのはまた違った感慨があるのかもしれない。

 

「流石にIS学園のお膝元だけあって栄えているな……! IS関連のグッズも多く見られる」

「まあ、ちょっとした観光収入みたいな部分もあるしねぇ。IS操縦者のブロマイドを紙媒体で限定発売したことで下り坂だった紙媒体の出版業界がちょっとだけ盛り返したっていう逸話もあるくらいだし」

「ゲーム業界も、ISってだけで売れてる……。おかげでクソゲーが蔓延して、私は良い迷惑…………」

 

 ISの登場で世界は変わった――というが、それは何も軍事に限った話ではない。

 たとえばIS学園に入学する為のIS塾など女性専用の教育環境が整備された結果、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が一〇年かけて大量に社会進出した。

 また、メディアによるIS操縦者の偶像化が進んだ結果、各種媒体の売り上げが向上し大半の娯楽にISが介在するようになった。IS女子、IS男子、サブカル方面ではISおじさんやISおばさんと呼ばれる愛好者集団(クラスタ)まで現れ、各種媒体にそれぞれ『ISモノ』と呼ばれるジャンルまで生まれる始末だ。

 これらの社会現象により女性の権利が少々過剰なまでに向上した『女尊男卑』社会が形成された――――というのは歴史の教科書の最後の数ページにでも載っていそうな話だが、そんなものは変態も言っている通りTSの前では些細な出来事である。

 それはともかく、ここが地元でない次期代表の面々としては、『レゾナンス』は新鮮に映るらしい。正直なところこのくらいの規模のショッピングモールは世界を探せばいくらでもあるのだが、それでも平日にこの賑わいは稀有なのだろう。

 

「……早めに目的を済ませましょう…………」

「……そうだな、それがいい…………」

 

 そんな中セシリアと箒だけが少し落ち込み気味なのは、以前ここでイチカの放尿シーンを盗撮しようとしてお叱りを受けたことでも思い出しているからなのかもしれない。あれは悲しい事件でしたね。

 

「えっと、水着売り場ってどこだったっけ?」

「この間行ったランジェリーショップの隣よ」

 

 一応イチカも何度となく『レゾナンス』には来ているのだが、女性用のランジェリーショップやら水着売り場まで足を運ぶことなどほとんどない。キョロキョロしながらの問いかけに鈴音が反応してくれたため、やっと足取りから迷いがなくなる。

 ほどなくして水着売り場に到着したイチカは、さっさと店内に入って行った。その様子を見て、『前回』の模様を知るセシリアと箒が眉を顰める。

 

「……イチカさん…………女性化が進んでいるようですわね」

「ど、どういうことよ?」

「覚えていないのか? 前回、イチカはランジェリーショップに入るなり女性用下着に赤面していたじゃないか。それが今では水着に無反応だ」

「なんであの場にいなかったアンタ達がそれを知ってるのよ」

「え、あ、その……」

「えと……デュフフ……」

 

 思わぬカウンターに思わず気持ち悪い笑みを浮かべることで回避を試みる馬鹿二人。

 しかし悲しいかなそんなことで誤魔化しきれるはずもなく、ガガガガン! と打撃音が連続し、余罪が判明した変態の頭に巨乳のように大きなたんこぶが二つずつできた。

 都合四つの大きな乳房をぶら下げた変態に呆れたような一瞥をくれ、鈴音は溜息を吐く。

 

「………………はぁ。第一、水着と下着じゃ話が別でしょ?」

「鈴にとってはな! だがイチカの初心(うぶ)力を嘗めるなよ! 白スク水だけで気絶するくらい恥ずかしがってたイチカだ! 普通なら素面で水着売り場に行けるはずないもんね!!」

 

 自信満々に箒が宣言する。

 そこまで言われると、鈴音も何も言い返せなかった。確かに一理ある。いや、公衆の面前で白スク水とプライベートな仲間で水着を買うのでは羞恥心のベクトルが少し違う気もするが、まあそれはそれだ。

 ともあれ、鈴音はイチカが女性化していると言われても特にそこに拘泥したりはしない。そんなことは分かっていたことだし、だからこそ彼女は此処にいるのだから。

 むしろ、鈴音はそれである種の踏ん切りがついたようだった。

 

「……なら、余計にイチカには『男』を自覚してもらわないといけないわね」

「具体的には?」

 

 鷹揚に頷く鈴音に、ラウラが問いかける。

 対する鈴音は覚悟を決めた女(ボケたんとう)の顔でこう返す。

 

「――――露出を、増やすわよ」

 

***

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あの」

 

 イチカは、目の前に広がっている光景に戸惑いを隠せなかった。

 何というか…………『これ』は、自分の役目ではないのではないか? という思いが先に来る。イチカにとって『色気』とは他者が自分に感じるものだったはずだ。(自覚の有無はともかくとして)いつもイチカが『誘惑する側』に立っていたし、イチカとしてはそれに対して忸怩たる思いを持っていた。

 …………だが、だからといって彼は別に『誘惑される側』に立ちたかった訳でもない。

 

「……何よ」

 

 彼女の目の前に立つ鈴音は既に水着姿になっていた。

 それも、ただの水着ではない――――真っ赤なマイクロビキニだ。ボトムに申し訳程度の前掛けがついて『一応チャイナドレスがモチーフですよ』って感じの微妙なアピールになっているのが過剰なまでのエロスを引き立てている。

 勿論、それだけではない。

 セシリアはメイドをモチーフにしたらしきモノキニ――要するに肉抜きされまくってビキニと大して変わらない露出度になっているワンピース水着のことだ――を身に纏っているし、箒はトップが包帯のサラシになっている。

 シャルロットは何で中身が見えていないのか不思議なスケスケ衣装(水着なのか?)だし、ラウラは全裸だし、簪は『これ絶対必要性ないだろ』って感じに露出の多いエロゲーの変身ヒロインみたいな水着を纏っていた。

 

「………………いや、いやいやいや! 待て待て待てツッコミどころ満載なのは間違いないんだけど一人だけその中でも群を抜いておかしかったヤツがいるぞ!!!!」

「……? それは誰だ、嫁よ」

「オメェェ――――だよ!!!!」

 

 びし! とイチカはラウラ(全裸)に指を突きつける。そう、なんとラウラは全裸になっていた。探せば軍服をモチーフにしたガーターベルトがエロい水着とかキャラに合うのはいくらでもあったはずなのに、彼女はそれらを投げ捨てあえて全裸を敢行したのだ(ガーターベルトが水着として適切かどうかはさておき)。

 なお、ここまでもこれからもアングルは全て奇跡的な偶然により危険なアレは映さないような塩梅になっている。このSSはあくまで全年齢対象の健全な作品なのでご安心ください。

 

「エロ水着を着るのは、まあ良い。俺が着てる訳じゃないから、見てるだけで恥ずかしいけど百歩譲ってOKだ。でも、全裸は駄目だろ! もうインフレ極まっちゃってるじゃん!! これ以上どう話を転がすって言うんだよ、もうオチついちゃったぞ!!」

「…………それはどうかな?」

 

 憤慨するイチカに、屈んでラウラの見られたらダメなアレを両手で覆い隠していた簪がカードゲームアニメの主人公みたいな台詞で切り返す。

 

「……世の中には、着エロという概念がある……。……時には、服を着ていた方がエロいこともあるのよ……。…………つまり、『脱ぐ』という方向性ではエロさはいずれ頭打ちになるということ…………」

「たとえば――――絆創膏」

 

 簪の言葉を引き継ぐように、セシリアがそんなことを言った。その自慢の胸を持ち上げるように腕を組んだ彼女の指先には、三枚の絆創膏が確かにあった。

 

「いや、水着じゃないだろそれは」

「何を言うイチカ! 絆創膏が三枚もあれば両乳首と股間、よい子には見せられない三大恥部を覆い隠すことができる! しかも水の抵抗が極端に少ないから遊泳速度は並の水着以上! これでどこが水着じゃないと言える!?」

「強いて言うなら水着じゃないところがだ!」

 

 何故か必死に言い募る箒に正論が通じない恐ろしさを感じつつも、イチカは必死にツッコミを入れる。

 っていうか絆創膏だけじゃサイズ的にどう考えても色々ハミ出てしまうのでは? と健全なる思考を持つイチカは思うのだが、そもそも変態的にはハミ出てナンボなのであった。

 

「そんなに言うならラウラさんにでも貼り付けてこれが水着であることを証明してみせましょう。大丈夫、乳輪がハミ出てもこれは影の部分ですと言えば大体誤魔化せますので」

「誤魔化せるか!!」

 

 現実とCGを混同するセシリアに、イチカは本能的に吼えた。イチカを想うせいか、あるいは変態同士で気兼ねなくやれるせいか、心なしかいつもよりも変態行動が過激な一同である。やっぱり何だかんだ言ってイチカに対しては遠慮による心のリミッターのようなものがあるのかもしれない。…………逆に言うと、あるのにあのザマなのだが。

 

「っつか、鈴は何やってるんだ!? こういうときには鈴がツッコミを入れるのが今までのパターンじゃあ…………」

「いや…………別に…………」

 

 バッ!! と鈴音の方を見るイチカ。

 そこには、プルプルと俯きがちになって震える鈴音の姿があった。完璧にツッコみたい感じだがそれを必死に抑えている雰囲気だった。

 何故我慢して…………と思い、イチカははっとする。

 これ自体が、イチカを男に戻す為の作戦なのだ。一見するとただの変態による変態的変態行動にしか見えないこの行動がそうとはイチカにはとうてい思えないのだが、鈴音が怒りを呑み込めているということはそうに違いない。具体的に何がどうなってイチカを男に戻すことに繋がるのかはいまいち不明だが、多分そういうことなのだろう。

 

(なのに……俺はよく考えもせず…………)

 

 殊勝にも自分の行いを反省するイチカは、気を落とした様子で肩を落とした。

 実際には変態達の行動は実益も兼ねているので遠慮する必要など毛頭ないのだがイチカにはそういった機微が分からないのだった。

 

「よし! 俺もお前らの水着選び、真面目に協力する!」

 

 カッ!! と目を見開き、イチカは決意の光を瞳に湛えて宣言する。

 瞬間、変態達の纏う空気が変化する。イチカが水着選びに前向きになった――今が、本来の目的である『イチカに「男」を自覚させる』最大のチャンス!

 

「ところで、イチカさん!」

 

 ずずい! と、セシリアはイチカに詰め寄る。イチカは早くも自分の浅慮を察し始めたが、もはや既定路線に入ってしまった変態の言動を今更止めることなどできない。

 

「何だかんだ言って我々も一五、一六の乙女ですわ!」

「乙女……?」

「あ?」

「いえ、何も」

 

 乙女らしからぬドスの利いた脅しに屈したイチカに、セシリアはさらに続ける。

 

「そして、乙女である以上水着選び一つとってもオシャレなデザインを追求したいと思うのはごくごく自然なこと! それは分かりますわね?」

「まあ、それは……」

 

 イチカは頷くが、

 

「…………でも、もうみんな好き勝手に水着を着てるじゃないか。これ以上何を選ぶって……?」

「かあーっ! だからイチカさんは駄目なのですわ! 女の子のショッピングが一度のチョイスで終了すると思っていまして!? 貴女は今までの人生で何を学んできましたの!?」

 

 乙女を自称するわりにはリアクションがオッサンくさいセシリアだったが、あまりの剣幕にイチカは圧倒されてしまう。なお、イチカがしているのはショッピングの話ではなく既にオチのついたコントの話であることは言うまでもない。

 

「じゃ、じゃあまた水着を選ぶのか……?」

「ええ。でも本番はこれから。イチカさんをこの場にお呼びした真の理由をお教えしましょう」

 

 セシリアがそう言うと、打てば響くような調子で箒がどこからともなく物々しい機材を取り出していく。椅子と、それに備え付けられたバンドや電極…………一見すると、尋問用の拷問椅子のような感じの機材だ。

 変態達はイチカをそれに座らせ、各種機材を取りつけていく。あまりにも滑らかな手際にイチカはしばし呆然としていたが、やがて我に返って半ばヒきながら問いかける。

 

「…………なにこれ?」

「『羞恥心計測チェアー』だ」

 

 答えたのは、ドイツ軍人のラウラだった。ひょっとするとドイツ軍の備品だったりするのかもしれない。だとすればかなりの問題だが、この世界で規律がどうとか気にするのは不毛だ。

 

「ここに備え付けられたバンドや電極からイチカの脈拍などバイタルサインを計測し、イチカの羞恥心を数値化することができるのだ」

「俺の羞恥心、ショッピングに一ミリも関係なくない!?」

 

 説明からしてイチカに使う気満々なラウラにイチカは殆ど悲鳴を上げるような調子でツッコミを入れるが、ラウラはやれやれとばかりに苦笑しながら肩を竦めるだけだった。

 

「甘いな、イチカ。我々は確かに乙女だ……だが、完璧な乙女とは限らない。私は軍属だからまともに男と関わったことがないし、他の連中にしてもIS教育を幼少の頃から受けて来た弊害で男と関わることが少ない。例外は…………中学二年生までは普通に過ごして来た鈴音くらいのものだ。つまり……我々は、男ウケというものをよく分かっていない」

「うん、まあな」

 

 でもなければ絆創膏三枚とかいう破滅的なスタイルがまかり通るはずがないのであった。そこまで行くと逆に男はエロすぎて引いてしまうのである。そういうのが許されるのはエロ漫画の世界だけなのだ。(※個人の感想です)

 

「そこで、『生粋の男』! であるイチカの前で水着ファッションショーを行うことでイチカの反応を確かめ、それによって真なる『男ウケ』を学ぼうという訳なのだ」

「でもそれ、この椅子なくてもよくない?」

「……イチカちゃんは恥ずかしがりやだから、本心とは違う感想を言う可能性がある……」

「うぐっ」

 

 わりと自覚はあるので、イチカもこれには言い返しづらい。しかも既に各種機材が取り付けられてしまっているので、もう今更後には退けないのだった(無理に取り外そうとしたら何かが壊れそうで怖い)。

 

「あーうー……でも……これは……」

 

 それでも、イチカは決断できずにいた。というか、今の時点でもうR-18ギリギリなのにここからさらに踏み込むとなればどうなるんだ? という恐怖でいっぱいだった。

 しかし、変態達はそんなイチカの姿を見てむしろボルテージを上げていく。

 頼みの綱の鈴音は何かを我慢するようにプルプル震えている…………つまり、此処は変態の独壇場ということだった。

 

「ひ、いや…………」

 

 イチカの目が、徐々に潤んでいく。

 そして。

 

「いやあああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 また一つ、この世に悲劇が生まれた。

 

***

 

「さて………………」

 

 疲れ果てたイチカを見下ろし、変態達の誰かが呟く。

 それは、悲劇だった。五人の変態のうち二人は何故か全裸だし、一人は全裸になった後簀巻きにされるという納豆みたいなスタイルになっているし、一人は全裸の上にコールタールを塗られているし、一人は肉襦袢装備だがその肉襦袢が全裸だし、つまり変態は全員全裸だった。

 鈴音にしても、何故か絆創膏装備だ。なんかもう出禁になっていないのが奇跡といってもいい光景だ。

 なお、当然のことだが全裸になったメンバーのアレなアレは奇跡的な偶然により全員隠れている。このSSはお子さんにも安心してご覧いただける健全な作品です。

 

「……ここからが、本番」

 

 変態達の誰かが、決定的な一言を呟く。

 鈴音への義理は通した。

 

 此処から先は――――お楽しみの時間だ。



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第二六話「守護神、陥落」

「さて、それじゃあイチカの水着を決めようか」

 

 裸とか変態とかセクハラとかが入り乱れた戦争の後。

 

 全裸になった変態その一こと箒は、唐突にそんなことを切り出した。

 本来の目的は、イチカに対して水着姿を見せびらかし、それによって『男』として性を意識してもらうこと――だったが、変態達としては『それでは足りない』という思いもあった。

 趣味的にも、イチカを元に戻す作戦的にも。

 というのも、TSFにはイチカがまだ実績解放していない、とある『お約束』が存在している。

 その『お約束』とは――――

 

***

 

「これが、俺の身体……」

 

 そう呟き、俺は鏡に映る可愛い少女――今の俺の姿――をじっくりと見る。

 鏡の中の少女はぼうっと頬を上気させながら、何かとろけたような瞳で俺のことを見つめていた。

 そして、鏡の中の少女の手が徐に動き出す。白魚のようにほっそりとした指先が徐々に持ち上がり、そしてだぼだぼのよろけたTシャツに覆われていた小ぶりな丘を覆い――、

 

***

 

 そう。

『女になった自分の身体に欲情してちょっといじったりするえっちな展開』だッッッ!!!!!!

 フェチ系、GL系、BL系、NL系、両性系、男戻り系、どの属性にしても、大半のTSFでは女になった自分の身体をいじるところから始まると言っても過言ではない。

 なのに。

 にもかかわらず。

 イチカは未だ、『これが……俺の身体……?』していないのだ!!!!

 一連の流れは、TSっ娘の弱小ヒロイン化が進んで久しい[独自研究]TSFにおいて貴重な『TSっ娘が「男」を見せる場面』である[要出典]。殆どの主観TSFではこの流れが序盤に採用されている[中立的な観点]。むしろ、変態達の中には『この通過儀礼をやってないから男に戻れなくなったんじゃないか?』と思う箒がいたりするほどなのである。

 彼女はフェチ系がお好みなので、こういう肉体の変化に戸惑ったりする描写がないと『TSの意味がない』と思うタイプなのであった。もちろんそれを口に出すことはTSF界隈どころかネット上最大のタブーなので絶対にやらないが。

 

 で、その箒はそんなこともあり全裸のままイチカに水着試着を提案していた。

 なお、彼女の裸体は、振り乱されたポニーテールが奇跡的ななんかになって大事な部分だけは隠されている。いい加減くどいがちゃんと言わないとR指定が入るのであった。

 

 …………………………思えば、一夏にラッキースケベされて赤面していたところから、ずいぶん遠いところまで来たものだ。

 ともあれ、突然の提案にイチカは状況を上手く呑み込めないまま首を傾げる。

 

「……は? 俺の水着?」

「そうですわ。わたくし達も水着を選んだのですから、イチカさんも水着を着るべきではなくて?」

「いや、みんな水着選んでないし、セシリアに至っては簀巻きになってるじゃ……」

 

 簀巻きになった全裸ことセシリアの台詞にイチカは弱弱しく言いかけるが、それを上書きするように全裸になった変態その二こと簪が叫ぶ。

 

「イチカちゃんは!! ここまでやった私達を見て、何とも思わないの……!? ここまで来たら、イチカちゃんも恥を忍ぶ。それが、『男らしさ』ってヤツなんじゃないの……!?」

「う、ううっ……!」

 

 店内の照明か何かであろう逆光を背にした(つまり体の前面はノーガードだが影になっていて見えない)簪の台詞に、イチカは思わず気圧される。

 適当な理屈ならスルーしているのだが、『ここで恥を掻くのが男らしさなのではないか』と言われてしまうと、確かに女の子ばかりに恥を掻かせるのは男らしくないような気がしないでもない。イチカ的には男らしいことをすることで男に戻るのが当面の目標なのだから、こういうところで男らしいことをしないわけにはいかないのである。

 よく考えるとそれ自体が適当な理屈なのに気付いていないのはご愛嬌だ。変態達の変態ストリップショーによって、イチカも正常な判断力が削られているのであろう……。

 

「大丈夫、別に僕たちはイチカに全裸を強制するつもりはないよ。セクシー水着は着てもらうけど。でも、全裸に比べたらずっとマシだろう?」

 

 次に、全裸の肉襦袢を着た変態ことシャルロットが甘い言葉を囁く。

 全裸をこれほどまでにアピールしておきつつ、全裸を強制するわけではないと言う。実際の脅威は一ミリも変わっていないのだが、こう聞くと何故か途轍もない譲歩を引き出せたように聞こえるのだから不思議だ。

 

「う…………」

 

 イチカの天秤が、明確に傾いていく。

 ちなみにコールタール塗れの変態ことラウラは今生死の境を彷徨っているのでイチカの説得どころではなかった。どうしてこうなった。

 

「と、いうわけで」

 

 精神防壁が弱まったのを見計らい、変態達がずらりとイチカを取り囲む。ちなみに、鈴音は絆創膏姿などという痴態を晒したギガインパクトの反動により動けないでいる。何もかも変態達の計算通りであった。

 

「此処から先は、お待ちかねの水着試着タ~イムですわ」

 

 ズオア! と、どこから取り出したのか輪っかとカーテンがイチカの周りの足元に召喚される。

 ついでに、イチカの手には既にピンク色のビキニが手渡されていた。あまりにも手際がよすぎる。

 

「…………これ、本当に着るの?」

「当然」

 

 イチカの縋るような視線に、変態達は声を揃えて頷いた。

 

***

 

 反重力的ななんかによって浮遊している円形のカーテンが開かれると、そこにはピンク色のビキニを身に纏ったイチカの姿があった。

 トップスの三角形の大きさは、イチカの小ぶりな胸を軽く覆う程度。ボトムはローライズ気味だが、あくまで一般的な露出の範疇だ。総合的に言うと、深夜アニメの水着回でよくある『現実的に考えたらグラビアアイドルしか着ねえだろってくらいの高すぎる露出度だけど何故かわりと自然に受け入れられている』という感じの水着だった。

 しかし――これがイチカにとっては意外な難関だった。

 何せ、『ごく一般的な女の子が着るような水着』なだけに、『これは変態が選んだ変態水着だから』という一種の羞恥心の麻痺が一切存在しないのである。スイカにちょっとだけ塩を振ると余計甘く感じる的な理論だった(?)。

 

「うう…………恥ずかしい……」

 

 イチカはそんな一般的な範疇による布面積の暴力が気になるのか、水着を着ているのにその上から両腕で水着を隠している。恥部を隠す為の装備がそのまま恥部になる恥部の連鎖。イチカの羞恥以外何も生まないことは間違いなかった。

 

「あぁ~イチカはやっぱり可愛いなぁ! 私の見立てに狂いはなかった!」

 

 そんなイチカに、関節技でもキメるのかというくらいひしと抱き付いたのは、篠ノ之箒。

 この水着のチョイスは、箒によるものだった。

 どんな水着を着ても良いだろう。しかし、水着そのもののエロさでイチカを飾るのは、彼女が良しとしない。

 TSFとは、女体を持たぬ者が女体を得ることによる戸惑い、喜び、快楽――――そして変化を経験していくのを愛でるジャンルである。箒は、そう確信している。

 そこにおいて最も重要視されるのは、『女体』。TSっ()が自分の身体をえっちな目線で見ること――それこそ、TSFのスタートラインである。

 そこに主眼を置けば、下手なエロ水着でイチカの心を惑わすのは、本来一番に視線を向けさせるべきものから彼女の意識を逸らさせかねない愚挙であった。

 つまるところ、女体の素晴らしさを、できるだけニュートラルに――――素材の味を大切に扱う料理人のごとき信条が、安易なエロ水着を良しとさせなかったのである。

 

「どうだイチカ? イチカは、自分の身体を見て何か思わないか? 『可愛いな~』とか、『興奮するな~』とか、『これが、俺……?』とか感じないか!?」

「さも当然のようにセクハラすんのやめろ!」

 

 なお、箒については全裸のままだと寒いというもっとも(?)な意見から、今は来る時に着ていた私服になっている。まぁ、全裸のまま抱き付かれていたならイチカは今頃声一つ上げられないくらいテンパっていただろうから、服を着ているのは言わなくても分かったかもしれないが。

 

「そう言うな…………。これは、お前の中の雄を呼び覚ます為の儀式でもあるのだ、イチカ。TSっ娘がTSしてから男を見せる貴重な機会……それが自分の身体に興奮するシーンだ。だが、イチカはそれをやっていないだろう? だからイチカは男らしさが足りず、」

「ちょおっとお待ちあそばせそれは聞き捨てなりませんわッ!!」

 

 流れるように持論を展開し始めるフェチ派(ほうき)に、GL派(セシリア)の簀巻きドロップキックが決まる。

 淑女のおみ足を叩き込まれた箒は、くの字に折れ曲がりながらノーバウンドで十数メートルも吹っ飛んで行った。なんかここだけバトルものである。

 

「そんなの自分の好みの展開じゃないから気に入らないだけでしょう。それを言ったら女の子といちゃいちゃちゅっちゅしないから男性性が薄れているとも言えるのですし」

 

 勝ち名乗りのようにそう言うと、セシリアはぽかんとしているイチカの方に向き直る。あまりの可愛さに思わず頬ずりしたくなったが、今それをやると話が進まないので鋼の精神力で以て堪え、先に進む。

 

「さて。次はわたくしですわ」

「………………え? アレいいの?」

「いいのですわ。どうせ放っておけば治っています」

 

 イチカは困惑しまくっているが、セシリアは全く動じることなく虚空から水着を取り出す。

 なお、彼女も簀巻き全裸から此処にやって来た時の私服姿に戻っている。さっきドロップキックしたときは箕巻きだったよね? とかそういうことは気にしてはいけない。

 

 彼女が取り出したるは、光沢が眩しい紺色の水着だった。胸部から臀部に至るまで、一直線に全身を覆う、ISスーツの意匠とも共通点を持つそれ――――。

 今は失われた幼女性の象徴。そして、ひとたび肉体の熟れかけた少女が身につければ、水着が醸し出す幼さからくる神聖性と、半ば熟れた一五、六の女体の色気が組み合わさり、背徳的なエロスを生み出す魔性の装備。

 人はそれを――――『スクール水着』と呼んだ。

 

 以前のクラス対抗戦(リーグマッチ)では、イチカは公衆の面前で白スクを披露したが――識者(ヘンタイ)によれば、通常のスク水と白スクは全く異なるエロ水着であると言われている(なお、当然のことだが、スク水はエロ水着の一種である)。

 白スクがスク水の少女性を兼ね備えつつ純白さによるエロティシズムを内包しているなら――スク水はさらなる直球。

 スク水自体は、ただの野暮ったい学生用の水着でしかない。しかし、その『野暮ったさ』、言い換えるなら『純朴さ』が、本来あるべき場所、本来着るべき人以外のところで発露する――――それこそがスク水のエロさの真骨頂だ。

 さらにそこに、胸元に貼られた名前が加わる。エロさに加え、自らの名前を晒されるという恥辱の要素すら兼ね備えているのである。これは、エロ落書きにも似た背徳を与える効果もある。いやむしろ、エロ落書きこそスク水の名札の派生形と呼ぶべきかもしれない。

 ……スク水はもはや猥褻物にしか見えないという者がいるのも頷ける。

 

「いや、待てッ!!!!」

 

 そして、そこに待ったをかける者が一人。いや、二人、三人。

 ラウラ、簪、シャルロットだった。

 もちろん、締めるべきところではきっちり締める(逆説的に緩めてよければ全開で緩める)彼女達はもはや全裸同然の姿ではなく、私服になっていた。

 

「同じワンピースならこっちの子供用ワンピース水着とかも良いんじゃない? ほら、いきなり露出度高かったりする水着を着るのもイチカ的に辛いだろうし……」

「正気ですの? 羞恥プレイ狙いならスク水の方が良いに決まってるではありませんか。それに幼児プレイは流石にちょっと……全体的なネタの方向性が……」

「どっちも変態度は変わらん! というか貴様ら、イチカの羞恥が目的にすり替わってるんじゃないか?」

「……ラウラの方こそ、その布きれは明らかに羞恥目的になってるんじゃないかしら…………」

「何を言っている! ここはこのスリングショット水着で自分の肢体に興奮することでだな…………」

「いやあ、せっかくの試着なのにスリングショットなんてありきたりなのはどうかなぁ。後回しで良いんじゃない?」

「そもそも、そういうのはわたくしのようなナイスバディじゃないと映えませんわよ。イチカさんは貧乳ですし」

「…………鈴が故障中で良かったな、普段だったら今ので一回死んでいたぞ、セシリア」

「やっぱりここは一つ…………バラエティ色の強い貝殻水着で……グラビアっぽく…………」

「昔じゃあるまいし、今それやっても多分笑いしか取れませんわよ」

「股間に貝殻ってちょっとシュールすぎるよねぇ」

「……ちょっと気になったんだが、あれって本当に直接貝を当ててるのか? それとも布を間に噛ませてるの??」

 

 と、変態達は各々自分の差し出した水着を先にイチカに着せようと喧々囂々のやりとりを再開する。

 なお、イチカは現在ビキニ装備であり非常に居心地が悪い。

 

「待て! まだ私のターンは終わっていない!」

 

 そこに箒がダメージから復活してしまったのだから、もう状況は混迷を極めるしかなくなった。

 

「はぁ!? 貴方はもう終了ですわ! イチカさんと出会った順的に言えば次はわたくしの出番ですわよ!」

「イチカと出会った順って何だ、こういう時は人気順で決めるのが定番だろう。ここは軍人かつ国家代表操縦者というキャリアから自国でダントツの人気を誇る私が…………」

「そうなると箒が一番ってことになるけど………………それはおかしいわよね……。そもそも日本次期代表は私だし…………」

「人気一位って言うと、男性操縦者疑惑で世界中から話題をかっさらった後で金髪巨乳美女に転身した僕がブッチギリだよね」

「あ? モッピーナメてんのかお前ら???」

 

 と、人気談義になって一触即発になる変態達。一応注釈しておくと、彼女達が話しているのはIS操縦者としての人気であって、別にヒロインとしての人気順とかではない。ない。ないのだ!!

 その後も、イチカをほっぽって五人の変態達は議論を重ねる。

 ……イチカはいい加減水着のままだと寒くて、ちょっとお腹が冷えそうだな~などと考えていた。

 

「……分かった分かった。それじゃあこうしよう」

 

 議論に決着がつかないと悟ったのか、ラウラが遮るように両手を振りながら、こう切り出した。

 

「五人の希望を全部聞いていては永遠に決着がつかない。ここは一つ、鈴の意見を聞いて決定してみてはどうだ?

「………………鈴さんの意見だと当たり障りのないものになりそうですが、このままだと永久に話が進みませんしね」

「…………私も、良いと思う…………」

「ま、鈴ちゃんの案だったらイチカも納得できるだろうしね」

「私も、鈴が決めるのだったらビキニイチカにやってもらおうと思っていたあんなことやこんなことも諦めて良いぞ」

「………………箒だけ良い思いしてるのは、ずるいと思うけど」

「まぁまぁ、その後にも機会はあるのですから」

「思ったんだけど、それって結局問題の先送りをしているだけじゃないかな?」

 

 多少の不平こそあれど、変態達の意見は満場一致で決定された。

 イチカも含む全員の視線が、鈴音に集中する。

 視線を一身に受けた鈴音(彼女も既に私服に着替えている)は――――、

 

 

「――――ばんそうこう」

 

 

 そんなことを、ぽつりと呟いた。

 

「…………は?」

「え? 鈴さん? ちょっと聞き逃してしまった気がするのですが、今なんと……、」

「だから、ばんそうこう」

 

 困惑するイチカ。鈴音に対しては比較的遠慮ない物言いのセシリアですら遠慮がちに問い返したが――――それでも、鈴音は再度、はっきりとその言葉を口にした。

 ばんそうこう。つまり、場合(サイズ)によっては乳輪を陰の色と誤魔化さなければならない防御力ゼロ装甲。

 鈴音は、それをつけろとはっきり言う。

 

「…………しょ、正気、か?」

「……いや、でも…………鈴の意見だし……」

 

 変態達の方も、鈴音の乱心に困惑しきりだった。本来、鈴音はイチカを守る役割だ。今回は、変態達の策略により思考をショートさせられていたが…………こうやって水を向ければ復活すると、そう思っていた。この展開は、さしもの変態達も予想できていなかった。

 ……まぁ、変態的には棚から牡丹餅な感じだったが。

 

「り、鈴さん? もう少し穏当なものを選んだ方がよろしいのでは……」

「そ、そうだぞ鈴。冷静になって考えるんだ。というか選択肢にばんそうこうはないぞ……?」

「鈴、まずは深呼吸して落ち着こう?」

「ばんそうこうよ」

 

 本来ボケに回るはずの変態達が抑えに動き出すが、鈴音はばっさりと切り捨ててしまう。もはや、変態達の中途半端なツッコミでは止まらない。

 

「イチカの為でしょ。自分の痴態を見て、それに興奮したら、万々歳なんでしょ? じゃあスク水だのビキニだの回りくどいことする必要なんてないじゃない」

 

 狼狽する変態達だったが、鈴音はわりと冷静そうだった。確かに、このお着替えの流れの大義名分が『イチカに自分の女体を意識させ男として興奮させる』とすれば、鈴音の言う『露出度を上げて羞恥心を煽る』というやり方は徹頭徹尾理に適っている。

 しかし、そこで変態達の(あるかどうか定かではない)良心が働く。

 

「で、ですが鈴さん、それでは殆ど全裸と変わらな、」

「あたしはその『全裸と変わらない格好』をしたのよッッッ!!!!」

 

 ………………。

 

 その瞬間、セシリア以下変態は思った。

 

(――――あ、この子羞恥心で暴走してる)

 

 その叫びに留まらず、羞恥心で顔を真っ赤にした鈴音はぷるぷると震えながらもなお叫ぶ。

 

「あっ、あっ、あたしがこんなに恥ずかしい思いをしたんだから、あんただってちょっとくらい恥ずかしい思いしたって良いでしょ!?」

 

 今度は、イチカの方へとぐいぐい食い掛かって行く鈴音。その瞳に、正気の光は宿っていない。もはや本来の彼女の正義は一時的に失われていると言ってもよさそうな感じだった。あまつさえ、鈴音は今しもビキニをひん剥いてばんそうこうを貼ろうとしている始末であった。

 

「う、うおおおお……!」

「脱、ぎ、な、さ、い、よぉッ……!!」

 

 イチカの乳首が出るか否か。

 まさしく(作品)世界の存亡をかけた争いが、今繰り広げられる。しかし、両者の力は意外にも拮抗していた。それもそのはず。イチカは現在零落白夜が暴走している状態なのだ。つまり、鈴音を強化しているISエネルギーも触れた時点で無効化されている。

 それに加えて、イチカが日ごろトレーニングを怠らなかったのも幸いした。もちろん鈴音がトレーニングを怠っていたという意味ではないが、それでもイチカが彼女の伸び率を大きく超えて、彼我の筋力差を縮めていたのだ。

 

 ただし。

 

 それはあくまで、『差を縮めていた』というに過ぎない。

 

 いかに正気を失い精彩を欠いていようが。

 イチカが成長していようが。

 鈴音は、紛うことなき世界最強レベルの一角だ。

 

「うぐ、うぐぐぐ…………」

「いい加減に…………諦めなさいッ!!」

 

 直後。

 鈴音の二の腕が強烈に脈動し、縄のような筋肉の隆起が生じる。

 我欲の為に力を振るう鈴音の姿はもはや、蛮族という言葉でしか言い表せない。

 それでも、イチカは諦めなかった。

 

「って、おかしいだろ鈴! 正気に戻れぇぇぇ――――っ!!」

 

 べしん! と。

 片手防御に切り替え、イチカは鈴音の頭を渾身のツッコミで引っ叩く。

 賭けだった。

 片手防御に切り替えれば、その分両手で水着を脱がそうとしている鈴音との筋力差は開いてしまう。

 もって一〇秒。ツッコミのチャンスは一度きり。

 これが無意味に終われば、イチカは全国放送(?)に桜色の乳首を乗せてしまうことになるだろう。

 

「………………」

 

 鈴音は。

 羞恥と貧乳に呑まれた蛮族は、ぺしんと叩かれた瞬間のまま、首を若干傾けて静止していた。

 まるで大気全体が震動しているかのような緊張感の数秒が経過する。

 

 そして――――、

 

 

「…………ごめんイチカ。あたし、ちょっとどうかしてたわ」

 

 頭に手を当てて軽く調子を確かめながら、鈴音はそう言った。

 鈴音は、正気に戻った。

 イチカと鈴音の友情が、羞恥と貧乳という最大の悪魔に打ち勝ったのだ!!

 

 そんな鈴音を尻目に、とりあえず話がまとまったなーと感じた変態が代替案を提示する。

 

「それで、着替えの方なんだけど」

「…………男物の海パンで男らしさを演出するっていうのは、どうかな…………?」

「…………!!」

 

 変態達のアホみたいな提案に、しかしイチカは目を輝かせた。

 男らしさを追求するなら、男物の水着を着れば良い。

 盲点だった。

 盲点・オブ・盲点ズだった。

 

「アリかも…………!」

 

 その素晴(アホ)らしい提案に、イチカは二もなく乗ろうとして、

 

「ナシだボケぇ!!」

 

 当然ながら、復活した鈴音に速攻で却下されてしまった。



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第二七話「集え、黒兎部隊」

 正気に戻った鈴音は、やはり手ごわかった。

 変態達はツッコミ役が復活したので安心してエロ水着をイチカに提供しようとするが、鈴音はそれをちぎっては投げ、ちぎっては投げで応対していく。

 そんな中、業を煮やしたセシリアは紺の衣装に身を包みながらイチカへと突貫を開始した。

 

「ええい……こうなればわたくし自らエロ水着を着てプレゼンしますわよ! 見てくださいましイチカさん、このスクール水着を! まな板では出せないこの色気を!」

「あら? こんなところに衣装に不釣り合いなでっぱりがあるわね。あたしが均しておいてあげるわ」

「ロォォォドロォォォラァァァ!?!?!?!?」

 

 …………そんな感じで一部の変態は自らエロ水着を身に纏うことでイチカにプレゼン(ついでにセクハラ)しようとしていたが、復活した鈴音はそんな暴挙を許すほど甘くない。

 ギャルギャルギャルギャル!! と、人間では絶対に出せないはずの重低音を響かせながら、鈴音は巨乳山脈を整地していく。その身一つで山を作ったり均したりしたといわれるダイダラボッチにしか不可能な芸当に到達した蛮族に、変態達は恐怖の悲鳴を上げて逃げ惑わざるを得ない。

 

(うぐぅ…………過剰なセクハラからイチカを守るという大義名分はあるが、結局形はどうあれイチカに色目を使う女を排除したいだけなんじゃないか? やはり蛮族は蛮族か……)

 

 命からがら、鈴音の暴力から逃れたラウラは、物陰に身を隠しながらそう思う。

 このあたりは流石に軍隊仕込みのサバイバルスキルの賜物なのであった。まぁ、イチカを強襲したらコンマ数秒でバレてミンチにされてしまうのだが。

 

(このままでは埒が明かない。何か、何か打開策は……)

「隊長! 御無事でしたか!」

 

 と、そんなことを考えていた一人末期戦状態ことラウラに、彼女にとっては聞き覚えのある声が聞こえてくる。ラウラはそちらの方を見て、ニヤリと笑った。

 

「………………黒兎部隊(シュヴァルツェハーゼ)、やっと来たか」

 

***

 

 黒兎部隊(シュヴァルツェハーゼ)――――それは、冗談抜きでドイツ最高峰の戦力を誇る警察組織だ。

 …………警察組織、というのはISの軍用利用に対する方便であり、実際の所は殆どISを利用した軍事部隊という様相なのだが、『あくまで競技用規格で運用する』『矛先は常に国内に向いている』といった理由で黙認されているという、実に危ういパワーバランスの上に立っている組織なのだった。

 今回来日した彼女達も、流石にISは本国に置いて来ている。『暗殺のリスクとか気にしなくてはダメではありませんの!』と頭の固いセシリアあたりなら憤慨しそうな感じだったが、まぁイチカの為とあればそのくらいのリスクは呑み込めてしまうのが変態淑女である。

 その彼女達を、ラウラは秘密裏にイチカ籠絡の為に彼女達の協力を要請していたのだった。

 

「……以上が、現在の状況だ」

 

 というのも、黒兎部隊(シュヴァルツェハーゼ)の頂点――つまり隊長を務めるのが、ラウラ=ボーデヴィッヒである。

 言ってみれば、ラウラはドイツ最強の人類なのだ。

 

「鈴のガードは堅い。私が行ってもコンマ数秒で屠られてしまうだろう…………。相性の問題というヤツだ。我々(ボケ)連中(ツッコミ)には勝てない。……その上で、貴様ら、何か良い案はないか?」

 

 いつものおとぼけはどこへやら、上官の威厳すら漂わせる凛々しい表情で、ラウラは部下の意見を聞く。

 すると、打てば響くように部下の答えが返ってくる。

 

「作戦があります」

 

 部隊の副隊長、左目をラウラと揃いの眼帯で覆った黒髪の美女――クラリッサ=ハルフォーフは、現在進行形でラウラの頭を撫でながら言った。

 …………というか、ラウラは現在、そのクラリッサにまるでぬいぐるみのように抱きすくめられながら部下たちに意見を仰いでいた。凛々しいのは表情だけで、あとはどこからどう見ても親戚一同に可愛がられる可愛い姪っ子みたいな感じである。

 

「はぁはぁ……隊長かわいい……」

「隊長と副隊長(おねえさま)のイチャコラ……癒される……」

「この為に生きていると言っても過言ではない」

「ミリタリー系天然ロリとかそれだけで個性の塊よね…………没個性とか何それ意味わかんない……」

 

 真性のクソレズっぷりを炸裂させる部隊員だったが、一応遠くから愛でているスタンスの為ラウラには聞こえていないのであった。この世の変態は、TS紳士淑女だけとは限らない。

 それはともかく。

 

「して、作戦とはなんだ」

「隊長の情報は既に敵側――――凰鈴音に知られてしまっています。その状況で何をしようとも、相手は手の内を知っているわけですから十全に対応されてしまうものと思われます」

「それは分かっている。だからこそ、貴様らの知恵を借りようと思って召喚したのだ」

「どうせなら、知恵だけでなく手もお貸しいたしましょう」

「……なに?」

 

 さらりと言った副隊長クラリッサの言葉に、ラウラの隻眼が怪訝そうに細められる。

 

「要するに、隊長は鳳鈴音と仲良くなりすぎたのです。そのせいで遠慮なく攻撃されるようになってしまい、隙がなくなった。であれば、解決策は簡単です。彼女とそこまで親しくない、つまり遠慮が存在するであろう『部外者』の私達が、イチカちゃんに接触すればいい」

「…………なるほど……。適当な観光途中の外国人を装って、変態とは判定されない程度のミーハーなやり口でイチカに接触すれば、鈴の干渉を阻害できる。あれでヤツは理不尽ではないからな。気心の知れた相手でなければ、問答無用で攻撃することはしない」

「では」

 

 言ったクラリッサに、ラウラは頷いて。部隊長としての威厳に満ちた声で宣言する。

 

「ああ。その作戦で行こう。全体の指揮は私が行う。チャーリーとデルタは(アルファ)の補佐。エコーからジュリエットまでは各所に散ってクラリッサ(ブラボー)のサポートだ。行くぞ――――行動開始!!」

「イエスマム!!」

 

***

 

「イチカちゃん、……この服とかどう? …………今年の女児アニメのヒロインをイメージしたデザインの水着で――」

「いや、流石に子供向けはサイズないでしょ……」

「うぐぅ……、やっぱり鈴ちゃんじゃないと無理かしら……」

「アンタが着れば良いんじゃない? 手伝ってあげるわよ」

「ぎゃああああああああああああ縮む縮む背が縮められるううううううううう」

 

 ゴリゴリゴリゴリ! と逆ジャックハンマー現象を引き起こしたり引き起こされたりしつつ、イチカの水着選びは順調に(?)進んでいく。ツッコミ役の面目躍如とばかりに変態を屠っている鈴音を尻目に、イチカはその場から少し離れた場所へと移動した。

 少しは自分の趣味でも水着を選んでみたかったからだ。

 

(…………って言っても、服の好みなんてないけどな。う~ん…………弾だったら、どういうのが好みなんだろ?)

 

 なんて思いつつ、イチカは水着売り場を練り歩く。

 

(そういえば、弾は白のビキニが好きとか言ってたっけ? 試しにそっちでも見てみるかなぁ)

 

 あくまで女性用水着にこだわりがないから身近な同性の友人の好みを思い出しているだけであって別に弾個人の好みをことさら意識しているというわけではないイチカがビキニ売り場にやって来た、ちょうどその時だった。

 

「あらっ」

 

 ちょうど売り場の角に差し掛かったところで、イチカの視界はあるもので埋められた。

 直後、もふっという柔らかい物にぶつかった感覚がやってくる。

 

「――は!? すみません!」

 

 超人的な速度で飛び退いたイチカは、そう言って頭を下げる。何だかんだ言って、イチカはまだまだ男だった頃のことを忘れた訳でもない。こういう『出会い頭に前が見えなくなる』場合というのは、彼女にとってはたいてい『女の人の豊満な胸に顔を埋めてしまっている』のだと相場が決まっていた。

 

 果たして、イチカの予測は正しかった。

 

 彼女の目の前に立っていたのは、黒髪を肩くらいの長さで切り揃えた女性だった。左目は怪我でもしているのか、白い医療用の眼帯をつけている。

 服の上からでも分かるほどの巨乳をカジュアルなスーツで包んでおり、露出こそ少ないが健全な青少年的には大分過激だった…………が、生憎イチカ的には、『見知らぬ女性=見知らぬ変態』の図式が成立してしまっているので、それ以前に思わず身構えてしまうのだった。

 

「……あら? もしかして、ISの織斑さんかしら?」

 

 それだけに、目の前の女性のきょとんとした声に思わず肩透かしを食ってしまったが。

 

 …………勿論、賢明な読者諸氏は既に気付いているだろうが、彼女は一般人に見えるように変装を施したクラリッサ=ハルフォーフその人である。

 彼女の台詞には、いくつかの罠が潜んでいた。

 まず、初見でイチカと看破したこと。これはともすると『自分のことを知っている=変態?』とイチカに警戒を促しかねない行為だが、実際のところイチカの知名度は全世界的である。下手に知らないフリをする方がイチカに警戒を抱かせかねないので、こうしておく方が却って油断を誘いやすいのである。

 次に、『ISの織斑さん』という呼称である。『女の子になるイチカちゃん』ではなく、それよりも大きな『IS』という枠組みに入れて語ることにより、『その業界への理解が浅い』という印象を覚えさせやすい効果を生み出しているのだ。業界人に対しては失礼にあたる(例えばセシリアにやれば不興を買うこと間違いなしだ)が、そうしたプライドが乏しく、むしろ自分を特別視されていることに辟易している節のあるイチカにとってはこちらの方がよほど効果的である。さらに、『くん』ではなく『さん』と呼ばれることで『女性である自分に違和感を覚えられていない』と認識させ、肩に余計な力を入れることを防いでもいた。

 最後に、きょとんとするという動作。変態がイチカを相手にすれば、どうしても本能的に身構えてしまうものだ。目の前に極上だと一目で分かるステーキがあれば、誰だって唾液を呑み込んでしまうのと同じように、イチカに対するそれは変態であればほぼ条件反射的に発生する。クラリッサはそれに対し、溢れんばかりの『隊長愛』で対抗した。これは彼女がTS嗜好の中でも『TS転生モノ』を専門としていたからこそ可能だった離れ業でもあるが――ともかく彼女は本能から来る動作を抑え、イチカの安心を勝ち取ったのだ。

 

「あ、えと、はい、そうです…………」

「本当!? いやだわ、ついてるじゃない。もしよかったらサインもらっても良いかしら」

「さ、サイン!? いや、俺そんなの書いたことないし…………」

「うっそ、じゃあ私がサイン第一号!? それって凄いじゃない! 奇跡!? ああ神様ありがとう!」

 

 クラリッサはそう言って、両手を重ねて信じてもいない天の神様に祈りをささげる。

 

「き、聞いてないし……。外国人さんってみんな押しが強いのか…………? ……いや、考えてみればセシリアもラウラも、変態はみんな大体外国人か……」

 

 その割には箒とか簪とか楯無とかも立派に変態なのだが、イチカ的には外国人の『押しが強い率』にはかなりのものがあったのであった。

 というわけで、そんなクラリッサにイチカは早くも圧倒されてしまっていた。

 もちろん、これもクラリッサの作戦である。

 こうしてイチカの反論を封じてまくしたてつつ、それでいて変態トークを封印することでイチカに『困った人だけど変態ではないから強く出づらい』という意識を植え付けているわけである。

 

「(ククク…………ISは想いで動かす兵器。つまりそれを操る者は、想いを操るプロでもあるというわけだ……。我が部下ながら恐ろしい女よ、クラリッサ……)」

 

 その様子を物陰から観察しつつ、ラウラは内心でほくそ笑んでいた。

 しかし、ここでイチカが動く。

 

「ごめん! サインとか、そういうのはやってないんだ! だから悪いけど、できない」

 

 ぱちん! と両手を顔の前で合わせ、申し訳なさそうに頭を下げるイチカ。しかし、その声にはしっかりとした意思の力が宿っている。いくら押しが弱くて流されやすいとはいえ、自分の意見を言えない性格というわけではないのだ。

 そして、クラリッサとしてもそこまで言われてはあまり強くは出られない。

 

「えー…………、それじゃ仕方ないわね。じゃあ、代わりに私の水着を選んでくれない?」

「え?」

 

 …………が、最初からそれがクラリッサの狙いだった。

 右手をそのすらりとした腰に当てながら、クラリッサは呆然としているイチカに向かって続ける。

 

「だから、私に似合う水着を選んでほしいの。せっかく織斑さんに会えたんだもの。『織斑さんに選んでもらった水着』なんて、サインと同じくらい光栄だと思うの。これならいいでしょう?」

「は、はい、まぁ…………」

 

 にこりと笑うクラリッサに、イチカは思わず頷いてしまった。

 よく考えたらいきなり『私に似合う水着を選んで』なんて何をどう考えてもおかしいのだが、いきなり現れた外国人観光客にサインをねだられたりなんだりで感覚が麻痺しているイチカはそのことに気付けない。

 

「(あっという間にあそこまで……やはりヤツは手練れだな)」

「(隊長と違って副隊長(おねえさま)は何回か()()()()()()ガチ勢ですし……)」

「(ん? おねえさま? 揉み消してる??)」

「(あっべ。別に何でもないです)」

 

 不穏な情報が提示されつつ、

 

「えーと…………じゃあ、これとか?」

 

 そう言いながら、イチカは白地に黒で縁取りされたノーマルなビキニを取り出した。さきほどラウラにおススメされていた逸品である。ラウラにしては(イメージカラーとの兼ね合いとか)常識的なセンスだったが、いかんせんボトムがローライズすぎる為、イチカの羞恥心的にちょっとダメな感じだったのだ。

 それでも無理やり着せようとしていた為、ラウラは鈴音に折檻を受けるハメになってしまったが。

 ただまぁ、目の前のこの女性はそういうこととか気にしなさそうなタイプだし、別にいいか――という考えもあった。

 

「ふんふんなるほど――――」

 

 それを受け取り、クラリッサは興味深そうににんまりと笑い、

 

「――――じゃあ、これ二着ね」

「へ? 二着? なんで?」

「なんでって…………アナタの分だからじゃない」

 

 クラリッサはさも当然と言わんばかりに答える。が、イチカとしては意味不明の極致である。なぜ、自分が何気なく薦めた水着を自分で着ることになるのであろうか。そんな疑問がイチカの頭を埋め尽くす。

 

「心理学の話をしてあげましょう」

 

 クラリッサはそう言って、講釈する先生のようにピンと人差し指を立てる。

 

「あなた、自分が着る水着をどうしようか悩んでいたでしょう?」

「っ、なんで……」

「一人で水着売り場をうろちょろしているってことは、まだ水着が決まってない状態ってことだからね」

 

 言われてみればその通りであった。

 

「そして、人に薦めるものというのは、たいていその人が好きなものなのよ。誰だって、自分が嫌いなものは人に薦めたりしないでしょう?」

「た、確かに…………」

 

 イチカが選んだのは単に『さっきラウラが推してたから』というだけの理由なのだが、もっともらしい発言にイチカは思わずペースに乗せられてしまう。

 …………というところからも分かる通り、これが心理学的な話だ、なんていうのは真っ赤な嘘。だが、この時点では嘘でしかないとしても、これから真実にしてしまえば嘘は嘘でなくなる。

 これは、そうなるようにイチカの思考を誘導する為の話術だった。

 

「つまり、あなたは深層心理ではこのビキニに興味を持ってたってこと。そうねぇ……『誰かに見せるなら、こういう水着がいいな』って思ってたり、とか?」

「!! …………」

 

 クラリッサの言う『誰か』とは――つまりイチカ自身に他ならない。この前の段階で既にラウラ達が『イチカ自身に自分の姿を意識させて男として意識させる』話をしていたことは、クラリッサも知っている。その話の流れで、ビキニを身に纏った自分の姿を想像させようという魂胆なのだ。

 その一言にイチカの表情が固まるが、イチカの思考を誘導する話術を開陳するのに夢中なクラリッサは気付かず続ける。

 

「何にせよ、あなたは心のどこかでこの水着を着てみたいと思っていた。まぁでも、日本人はシャイな人が多いからねぇ……。私が言わなかったら、心の底に隠したままだったかもね」

「な、る、ほど…………」

 

 気付けば、イチカの顔は真っ赤になっていた。

 まるで、気付いていなかった自分の気持ちに気付いてしまったかのように。

 

(…………フフ、羞恥攻めとしてはなかなか上出来だったかしら。隊長、私はやりましたよ…………!!)

 

 その赤面を、『ビキニを身に纏った自分を想像した』ことによるものだと判断したクラリッサは、自身の作戦の成功を確信する。

 その上で、軍人クラリッサは油断しない。

 最後の駄目押しを、敢行する。

 

「まぁ買うにしろ買わないにしろ、一度試着してみたらどうかしら? 心配ならお姉さんも一緒に試着してあげるから」

 

 そう言って、相手を安心させる優しげな笑みを浮かべて見せる。

 

(織斑イチカの趣味が年上に傾いているのは既にリサーチ済み……! 年上美女のセクシー水着姿に悩殺されることで本来の目的を達成し、ついでに隊長も織斑イチカのセクシー水着を見れて幸せ…………ククク、一石二鳥とはこのことよ!)

 

 そして裏では勝者の笑みを浮かべるクラリッサを遠目に、ラウラは人知れずガッツポーズしていた。

 

「よし……! よくやったぞクラリッサ! これでイチカはスリングショットを身に着ける! 我々の勝利だ!」

「ほ~お、誰の勝利だって?」

「それは勿論、我々黒兎部隊(シュヴァルツェハーゼ)………………ん?」

 

 そこまで言い切って、ラウラは疑問を感じる。

 今、自分の背後で声を発したのは一体誰だ?

 

「は、いや、まさか…………そんな…………!!」

 

 震え、冷や汗すら流しながら、ラウラはゆっくりと後ろを振り向く。

 それはない、今の今まで『ヤツ』は変態達の猛攻を水際で食い止める為に動けなかったはず…………そう考えたところで、ラウラは背後の光景を目撃した。

 

 その場に佇んでいたのは、言うまでもなく凰鈴音。

 しかし、彼女が背負っている光景は異様だった。

 死地。

 まさしく、そう呼ぶのが相応しいだろう。

 彼女の背後には、倒れ伏したセシリア、箒、シャルロット、簪が転がっていた。

 そう…………これが、変態達の波状攻撃に対する鈴音の回答だった。

 つまり、次から次へと湧いて来てキリがないのなら、一回全滅させてしまえばいい、と。

 そうすれば、自分の行動を阻むものは誰もいなくなる、と。

 

「馬鹿な……! まだその時点では変態行動をしていないものだっていたはずだ! そんなヤツらにまで攻撃を加えたというのか……!?」

「どうせ放っておいたらなんかするでしょ。推定有罪よ。十分攻撃対象だわ」

「そんな、むちゃくちゃな……!?」

 

 傍からみたらどっちがむちゃくちゃか分からない有様だったが、ともあれラウラは考えを切り替える。ここで重要なのは、鈴音が既にラウラのたくらみを察知してしまったというその一点だけだ。

 

「ひ、引き返せ『黒兎部隊(シュヴァルツェハーゼ)』!!」

「させると、思った?」

 

 メシィ!! と。

 ()()()()()()が軋む音が、その場から響き渡る。

 

「うッ、うおおおおおおおおッ! 『黒い(シュヴァルツェ)》、」

「遅い」

 

 その直後、鈍い暴力の音が短く連続した。

 

***

 

「…………というわけで、馬鹿どもがなんかしてたみたいだけど、あたしが片付けておいたから安心していいわよ」

「まさか、道端でばったり会った外国人のお姉さんまでラウラの手先だったなんて……」

「アンタ、気を付けなさいよ。もうこの世界は大体変態しかいないんだから」

 

 まともな人間が少数派。なんかゾンビ映画みたいな感じである。

 

「うん、分かったよ。結局、『あの話』も嘘っぱちだったらしいし…………」

「あの話?」

「いや、こっちの話」

 

 そう言って、イチカは水着売り場に戻してきた、白地に黒く縁取りされたビキニ水着を一瞥する。

 

「………………、」

 

 その横顔は、どこか上気しているようにも見えた。



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第二八話「ドキッ☆女だらけの――」

「――――忌々(ゆゆ)しき事態だ」

 

 ラウラ=ボーデヴィッヒは、重々しい口調でそう言った。

 IS学園のものとも、ドイツの軍服とも違う、似合わない黒の背広に身を包んだ少女は、目線を隠すサングラスの下で、疲れたように目を瞑る。

 

「結局、今回の水着選びは逆効果に終わってしまいましたわ」

 

 同じように黒の背広を身に纏う金髪碧眼の令嬢、セシリア=オルコットが肩を竦めながら言う。

 

「ラウラさんの人海戦術が失敗に終わったことで、イチカさんのガードはこれからさらに上がることでしょう。目的達成の難易度はさらに上昇したものと思われます」

「…………すまない」

「気にしなくていいよ。ラウラは最善を尽くした。多分僕達の誰かが動いていても、結果は同じだっただろうしね」

 

 ラウラの隣に座る少女――シャルロット=デュノアが、沈痛な面持ちで頭を下げた彼女の肩を優しく叩く。彼女もまた、黒い背広を纏っている。その豊満なバストが、背広を無理やり内部から押し広げていた。

 

「…………問題は……今回の一件でイチカちゃんの態度が若干ながらも硬化してしまったこと。…………違う……?」

「だが、その問題を洗い出したところで私達に打つ手があるか? こればかりはイチカ自身の機嫌が直らないことには始まらないと思うが」

 

 続く更識簪の言葉に、篠ノ之箒は手を振りながら言う。

 二人も、黒い背広を身に纏っている。暗い色の服装も手伝い、彼女達の表情はいつもより深刻そうに見えた。

 そんな彼女達に、『それ、簡単でしょ』と書かれた扇子を持った手が向けられる。

 

「機嫌、直してもらえばいいんじゃない?」

「しかしお嬢様、見たところイチカさんも別段怒っているわけではありません。怒っているわけではないけど機嫌が悪いというのは厄介ですよ。下手に干渉すれば悪化しかねませんし、かといって何もしなければ一定以上の反応を引き出すことも難しくなります」

 

 今回は彼女達に加え、生徒会長の更識楯無と会計の布仏虚も参加していた。彼女達も他の面々と同じように、黒い背広を身に纏っている。

 以上、七名。

 IS学園にある会議室の一室を貸し切った彼女達は、難航しているイチカの女性化解除の方策を考える為、こうして長机を七人で囲って会議を行っているのであった。

 そして虚にあっさりと自説を否定された楯無だったが、それでも彼女は楽観的な構えは崩さない。

 

「えー、そうは言っても、イチカちゃんってけっこう……『素直』な子じゃない。ちょっと騙くらかせばころっと誘導されてくれるんじゃない?」

「いえ、それがそうもいかないのですわ。本格的に女性化してからというもの、少しずつではありますがイチカさんが我々の『手口』を学習してきている節がありますので」

「それは女性化の影響という話?」

「いいや、それは違う」

 

 首を傾げる楯無に、今度はラウラが答える。

 

「普通に、マンネリなんだ。イチカも馬鹿ではない。流石に入学からこっち三か月も我々(ヘンタイ)と接し続けていれば手口の一つや二つくらい学習するだろう」

「『我々』と言うと私も含まれているような響きなので訂正してくださいね」

 

 さらりと変態疑惑から逃れる虚。

 

「そろそろ、手口を変える必要がある、ね…………」

 

 重々しい口振りで、シャルロットが言う。

 気にすべき点はそこではないのだが、他の面々からも異論は上がらない。いや、正確には虚はしっかり顔で異論を表明しているのだが、全員が黙殺していた。

 そんな中で、箒はサングラスの向こうで困ったように眉根を寄せながら言う。

 

「具体的に何をすればいい? 水着選びでは結局セクハラ前の目的でもあった『欲情させることで内面の雄を意識させる』ことも達成できなかったぞ。これ以上はマジでR指定にいかなきゃいけない気がするんだが」

「やめなって。セクハラにしろ男を意識させるにしろ、これ以上のインフレは致命的だよ」

「……正直なところ、シャルのセクハラは絵面も相まって最初からボーダーラインを振り切ってる気がする…………」

「簪ちゃんがそう言ってるんだから、デュノアさんは少し控えて頂戴ね」

「話がこじれるので黙っていてくださいシスコン」

 

 ぐりんっ!! と会議のメンバーが一人脱落したところで、

 

「じゃあ、水着とは別のアプローチで攻めてみるのはどうだ?」

 

 と、箒が提案する。

 一斉に会議のメンバーから視線を集めた箒は、さらに続けていく。

 

「私達の目的はイチカに内面の雄を意識してもらうことだが――別に性的な要素でなくてもいいわけだ。要するに、イチカを男としてキュンとさせればいいわけで」

「それこそヤバくありませんの? 主に鈴さんからの妨害が」

「イチカちゃんに色目を使う訳だし、鈴ちゃん多分相当機嫌悪くなるよね…………」

 

 確かにイチカの男心をくすぐる方向性なら道筋は簡単かもしれないが、そもそも彼女達がイチカを男に戻そうとしているのは半分くらいは鈴音の恋路を応援する為である。そこに抵触しそうな雰囲気の作戦は本末転倒であった。

 それに、

 

「そもそもそういう系のアプローチって、イチカに効果あるかな? ただでさえ朴念仁なのに女性化してるからなかなかハードだと思うんだけど」

「どうだろうな。案外、色気を絡めないさりげなさを兼ね備えたボディタッチならば効果がありそうな気がしないでもないが」

「まぁ……その場合、やるのは鈴ちゃんってことになるだろうけど……」

 

 そこまで言って、変態達はしばし沈黙した。

 まるで、互いに互いの認識を確認し合っているかのように。

 

「………………無理だな」

 

 そう結論したのは、言いだしっぺの箒だった。

 

「鈴がイチカとスキンシップをとれるんだったら、そもそもここまで私達が悩む必要はなかったんだし」

「絶対途中で照れ隠しが入って、最終的に友情を深めるオチがつきますわね」

「いっそそれでもいいんじゃない? 恋愛系からは離れられるでしょ」

「…………女の友情の良さに目覚めて、さらに状況が悪化するかも…………」

「それ、いいですわね。それでいきましょう」

 

 趣味に逸れだしたGL派である。

 

「とすると……恋愛系やセクハラ系を感じさせない方法のアプローチ、か……」

 

 うーん、とラウラが唸る。アイデアに詰まったときは誰かに聞こう、とばかりに黒兎部隊(シュヴァルツェハーゼ)に電話しようとISの通話機能を呼び出そうとした、ちょうどそのとき。

 

「見つけたわよっ!!」

 

 ばだん!! と、彼女達のいた会議室の扉が、勢いよく開け放たれた。

 開け放たれた勢いで会議室の扉(ちなみに、防音の為に一部金属製である)が引き千切れて、吹っ飛んできた扉をセシリアが必死の形相で回避するという一幕があったがそれはそれだ。

 

「ちょっ、気を付けてくださいまし!! この世の全てが貴方の蛮族具合を考慮して作られていると思ったら大間違いですわよっ!?」

「うるさい! 戻って来たら誰もいなくなってるし何か企んでると思ったら、会長まで抱き込んで何してたのあんたら!!」

「濡れ衣だ! わ、私達はイチカのことを元に戻す方策をだな……」

「あたしを呼ばずにあんた達だけで話してるって時点で嘘バレバレなのよっ!!」

 

 あと、弁解しようとする箒の目が泳いでいたのもポイントなのだった。実際彼女たちのことなので、ほどほどのところで私欲が混じって大なり小なりやましい意図が計画に混じってしまっていただろうことは否定できない。変態のサガなのだ。

 

「いや~ごめんね~。束さんも止めたんだけど、抑えきれなくって~」

 

 と、鈴音の後ろからぬっと軟体生物めいた動きで束が入室する。相変わらず全体的に人体の限界を超越した女であった。どう考えても止める気はなかったといって差し支えない。

 

「しかし、やはりイチカに男を意識してもらうには色仕掛けが最適だと思うのだ。セクハラ系は駄目だったから、今度は恋愛系で」

「へぇ、なんか()()()()()()()()みたいなお話だね~」

「さっきも言ったけど、それが通用するとは……」

「通用するしない以前に、とりあえずやれることはやってみるべきではなくて?」

「ううん……、まぁどっちにしろ僕は宗教上の理由でNG、かな。どう転んでもGL系が強くなりそうだし」

「私もシャルに同じだ。宗教上の理由で恋愛系の色仕掛けはできない」

「アンタ達のそれ、宗教だったの……?」

 

 実際宗教みたいなものだが。

 

「いや、待ちなさいよ! 恋愛系の色仕掛けって、それアンタ達がイチカにモーションかけるってことでしょ!? それってどうなの!? ダメじゃないの!?」

「別に鈴ちゃんがやってもいいのよ……?」

「あたしに!! それが!! できると思うの!?!?!?」

「う~ん、チャイナガールAは全体的に恥ずかしがりやさんだね~……」

 

 束は、彼女にしては珍しく呆れたように苦笑した。そのくらい、彼女もここにいる面子には心を開いているということなのかもしれない。少なくとも、人種くらいは認識できる程度に。

 

「まぁまぁ、ご安心なさいませ鈴さん。わたくしこういうときの為に、普段からきちんと深爪していましてよ!」

「セシリア、先走っている上に知識が生々しすぎて鈴の理解が追いついていないぞ」

「なんだか良く分かんないけど、放っておいたらダメっぽいから殴る!」

 

 もはや何が悪いのかも分かっていないのに雰囲気だけで拳を振るい始めた変態スレイヤー鈴音はさておき、

 

「…………? お姉ちゃん、色仕掛けと深爪って、いったい何の関係があるの?」

「それはね簪ちゃん、普段から深爪しとかないと本番のとき女の子の大事げるヴぁるば!?!?!?」

「簪お嬢様には永遠に必要のない知識ですので、知らなくても問題ありませんよ」

 

 …………さておき。

 

「あ、そうだ!」

 

 完全に煮詰まってしまった会議に、『天災』が一石を投じる。

 

「恋愛系でも、セクハラ系でもない…………イチカちゃんが絶対食いつく『男らしさを得る方法』。私、思いついちゃった」

 

 ――――ただし、その表情は、やはり悪魔的な彩りを見せていたが。

 

***

 

 と、いうわけで!!

 『ドキッ☆ 女だらけの相撲大会! ポロリもあるよ!』、堂々開催!!!!

 

「…………いや、あのさ」

 

 そんな感じの垂れ幕が飾られた会場(高台の上に土俵が設置されている)を目の前にして、イチカは耐えられないとばかりに思わず首を横に振った。

 

「あのさ!! 話が違うんだけど! 『ここから臨海学校まで特にイベントもないから身体がなまっちゃいそうだし、心の緩みからくる技術の低下を防止する為と、あと戦闘を介して男らしさを磨くことで女性化に歯止めを利かせる為に一つ生身でトーナメントをやろう』って話だったじゃないか! それがやって来てみたら『ポロリもあるよ』って!! いったいどういうことなんだよ!!」

「いやはや、企画段階では格闘技大会だったんだけどな」

 

 それに対して、箒は苦笑しながら応対する、

 これには海より高く山より深い理由があるのであった。

 

「殴ったり蹴ったりだと、戦闘スタイルの問題もあって不公平ですし、何よりわたくし達が本気(ガチ)でぶつかったらけが人が出ますし」

「うんうん……」

 

 ここまではまだいい。

 

「ついでに、昨日買った水着も一足先にお披露目したい…………」

「…………ん?」

 

 これも、まだいいとしよう。ここでそれやっちゃったら来たるべき臨海学校のときの水着披露イベントどうすんの? というメタ的問題が表出するが、それはひとまず置いておく。

 

「となったら、なんか水着相撲大会になっちゃってね」

「それダメなヤツだー!!」

 

 このへんで完全にダメなやつになってしまった。まぁ、殴る蹴るがアウトとなった時点で投げたり極めたりするしかなかったので、ほとんどこの路線は避けられなかったのだが。

 

「…………私は、トルコ相撲がいいと言ったんだがな……」

「こ、これでも最悪は回避した方だったのか……」

 

 ラウラがぶすっとしながらそう呟いたが、その隣にいる鈴音はさらにぶすっとしていた。もちろん常識人の鈴音がこの決定に反対しないはずがなく、なんだかんだでセクハラ系や恋愛系よりはまだマシだということでこの結果に甘んじているのであった。

 

「いっちゃん納得した?」

 

 と、そこにふわふわという擬音を(文字通り)背負いながら、束がやって来る。相変わらず無意味に世界のルールを捻じ曲げる女であった。

 

「納得したも何も、もうどうにもならないじゃないですか……」

「あっはっはーまぁそう言わないでよ。一応、いっちゃんばかりがひどい目に遭う仕組みにはしてないから」

 

 束はそう言って快活そうに笑い、どこからともなくフリップを取り出してイチカに提示する。

 そこには、なぜかトーナメント表が書かれていた。

 

「……トーナメント?」

「そ。一応相撲大会だから一対一なんだけど、総当たりでやるのはどうもね…………ということで、今大会はトーナメントになりました!」

 

 しかし、よく見るとトーナメント表には一つだけ異様な点があった。

 ほとんど普通のトーナメントと同じなのだが、一点だけ、右端に一試合もせず直接決勝戦にコマを進めている出場枠があるのだ。

 ちなみに、その決勝直通枠には『織斑イチカ』と書かれていた。

 

「束さん、これは?」

「ああ、それね。……いやいや、そんな不満そうな顔しないで。舐めプとかそういう話じゃないから」

 

 どことなく不満げな表情を見て取った束は呆れたように苦笑する。変態達も、イチカらしい跳ねっ返り感ににっこり笑顔だ。

 

「そういうことじゃなくて、いっちゃんって今、一応暴走状態なんだよねぇ」

 

 束のなんてことないつぶやきのような一言に、イチカはぴくりと震える。

 そう。ここまで穏やかな日常生活を送れているので忘れがちだが、こうしている今もイチカは常に零落白夜を発動しIS関連のエネルギーを常時打ち消し続けているような超弩級の暴走状態なのである。

 零落白夜がIS関連エネルギーにのみ反応するものであるため、日常生活では何の変化もないように見えるが、これが鈴音なら全方向に圧力をブチ撒けているようなものだと言えば、恐ろしさの一端くらいは理解できるだろう。

 

「イチカちゃんの側からすれば平穏なように見えるかもだけど、研究者どころか開発者である束さんとしては見ていてだいぶヒヤヒヤものなのだよねぇ~。だから、ドクターストップ」

 

 そう言いながら、束は会場の端、選手となる変態達が詰めているであろう控室の方を一瞥する。中からは宗教戦争でも勃発しているのか、開始前からギャーギャーと喧騒の音が聞こえていたが。

 

「肉弾戦オンリーとはいえ、次期代表? っていうんだっけ? まぁどうでもいいけど、けっこう強い人達と連戦したら自己学習機能とかがどう働くのか…………まぁ束さんは天才で天災だから予想はつくんだけど、あんまりよさげな予想にはならなかったからやめてほしいかなってね」

 

 わりと真面目な回答に、イチカはこくりと頷く。

 変態としての束は油断ならないが、こういう技術者としては千冬と並んで世界最高の人材である。その世界最高の人材からドクターストップをかけられてしまっては、流石に言うことを聞かざるを得ない。

 あと、イチカが思っていた以上に自分の置かれていた状態が綱渡りであることを改めて自覚させられたというのもあった。

 

「まぁ、闘争によって刺激を与えるというのは束さん的に見ても悪い着眼点じゃないし、お仲間が戦ってるところを見て闘志を燃え上がらせるのも、男らしさ的にはアリなんじゃないって束さんも思うけどね」

 

 ――などと適当そうに付け加えた束の視線の先で。

 

 ようやっと、選手たちの入場が始まった。

 

***

 

『それでは、選手入場で~す! 実況は簪ちゃんの専属メイド、布仏本音がお送りしま~~す』

『そして解説は簪ちゃんのお姉ちゃんにして愛の奴隷、あとついでに学園生徒会長の更識盾無がお送りするわよ!』

 

 同時に、会場に設置された特設スタジオの中から姦しい声が聞こえてくる。

 

『で、会長さん。ずばり今回の優勝候補は誰ですか~? あ、かんちゃん以外で』

『簪ちゃん以外で…………となると、やはり現役軍人のラウラさんかしらね。あれに肉弾戦で対抗できるのは、フェイントの名手である鈴音さんくらいじゃないかしら? 正直肉弾戦に限定したら私でも対抗できるか微妙ね』

『おお、意外とまとも~』

『…………私、これでも学園で一番強い生徒なんだけど』

 

 そんな実況解説漫才に呼応するように、ラウラが会場へと入場してくる。

 ラウラの水着は、意外にも普通の(?)ゴスロリビキニだった。黒地の、布面積の乏しいビキニに、濃紫のフリルがあしらわれている。…………これだけならまだ『普通』の範疇で収まったのだが、ビキニのボトムの両腰部分には、何が入っているのか分からない黒のホルスターのようなものが引っ掛けられていた。

 

(あれ、ホルスターの重みでボトムずり下がるんじゃないか……?)

 

 とイチカは余計な心配をしていたりもしたが、多分ラウラ的にはそれを狙った仕掛けでもあるのだろう。

 さらにそれに加え、右太腿にはコンバットナイフがくくりつけられている。それらの装飾のせいで、全体の色合いが無理やりミリタリー方向に捻じ曲げられていた。

 

『というか、ナイフの持ち込みって反則なんじゃないの~?』

『心配は要らないわ。あれはただの装飾品で武器としては使用できないから』

『伊達ナイフとかキャラづけ必死すぎ~』

 

 ド辛辣な本音(ダブルミーニング)の解説をBGMに、新たな参戦者が入場していく。

 

『続いて現れたのは――――あら、鈴ちゃんね』

 

 現れたのは、鈴音だった。

 こちらはラウラと違い、普通のツーピース水着である。オレンジの布地に、要所に黒の縁取りが映える。ボトムは超ミニのスカートのような形状になっており、全体的に色気よりも活動的な雰囲気の方が強い。

 

『こっちの勝ち目はいかほど~?』

『正直、分からないわ。互角と言って良いんじゃないかしら? 単純なルール無用の殴り合いなら鈴ちゃんに分があるし、武器OKならラウラちゃんが圧倒的。ただ、ルールのある水着相撲だと…………難しいわね』

『でも、裸になっても戦えるボーちゃんと比べたらりんりんの方が不利じゃないかな~』

『…………ボーちゃん?』

()()デヴィッヒだから、ボーちゃん』

『キミはまた変なあだ名を…………』

 

 楯無は呆れたように笑いながら、

 

『まぁ、脱がし合いだったらラウラちゃんの方が圧倒的に有利だけど…………むしろそっち方向に持って行ったら、その瞬間ツッコミ負けするんじゃない?』

『私的には、そっちの方が面白いで~す』

『一応、建前的には自主トレーニングで、決してエンタメじゃないんだけどね、このトーナメント…………』

 

 そんな感じで、試合が始まった。

 

***

 

 二人の拳が衝突する度に、まるで花火が打ち上げられるときのような爆音が響き渡り、会場の大気がびりびりと震える。

 もはや、その激突は人間同士の戦闘の領域を遥かに超越していた。

 まさしく、兵器。

 これが、次期代表。

 次代の『人類最強』、その一角を担う化け物の片鱗だった。

 (※水着相撲です)

 

「………………」

 

 そんな二人の激突を、イチカは真剣な表情で見ていた。

 なにせ、セクハラする余地のないガチの戦闘である。普段は鈴音はもちろん、普段はおちゃらけているラウラも今日ばかりは本来持っている力をフルに使っているようだった。

 

「――いつもあのくらい真剣にやっていれば良いんですけどね」

 

 そんなイチカの横に、いつの間にか一人の女性が佇んでいた。

 

「………………虚さん?」

 

 目だけで横を見ると、そこには虚が主人に侍るように楚々としていた。もちろん、イチカは誰かが横に立つような気配は微塵も感じていなかったが…………そもそも、セクハラにご執心とはいえいつものように楯無のもとへ現れてはコキャるような怪物である。イチカが接近を察知できないのもある意味当然だった。

 

「失礼。貴方にとっては、貴重な学友の『本気』でしたね。……貴方と相対している時は常に『本気()()』、という意味ですが」

「はは…………」

 

 イチカは困ったように苦笑するだけだった。

 正直なところ、イチカにとって虚はあまり近い関係性の人間ではない。というか、殆ど『楯無にツッコミをする人』程度の認識しか持ち合わせていないのだ。これが変態だったならイチカは(遺憾ながら)『被捕食者』というポジションを得られるので、そういう前提で動けるが…………虚の場合はイチカに対して非常にニュートラルな立ち位置なので、どう接すればいいのか分からないのだった。

 と思ったところで、イチカは気付く。

 

「……そういえば、虚先輩って他のヤツらみたいにTSがどうこうって言いませんよね」

 

 それはひょっとして、イチカ自身と同じようにTSF趣味を持たない一般人枠なのではないか。イチカはそう思った。そして、そうだとすれば()()()()()()()()()()()()()()を聞いてみたかった。

 

「もし、先輩がTSFに興味のない一般人だったら、その先輩から見て、俺って――――」

「残念ですが」

 

 イチカの言葉を遮るように、虚は静かに言う。

 

「私は、TSFに興味がないわけではありません。……()()()()()ですよ。ラウラさんはTSの中でもNL……つまり『TS娘の精神性が女性化し、男性と結ばれる物語』を好みますが、シャルロットさんはBL……つまり『TS娘が男性の精神性を保ったまま男性と結ばれる物語』を好みます」

 

 虚は解説席で元気に解説している生徒会長を一瞥し、

 

「そして、彼女達は異なる方向性の趣味にも理解は示しますが、だからといってことさら興奮したりはしない。……お嬢様なども、『男女が入れ替わることで始まる物語』を好んでいる為に、イチカさん自身には大した執着は見せていないでしょう? ……簪お嬢様に対する起爆剤としては注視しているようですが」

「ええ、まぁ…………」

「私は、『男性だった人間が死を介して女性に転生する物語』を好んでいるのです」

 

 虚は小さく微笑んで、地面に視線を落とす。

 何か、後ろめたいことを告白しているような声色だ、とイチカは思う。

 戦場では、ラウラが鈴音の左ひじ関節を外そうと組みつき、鈴音の重心移動に気を取られた隙に殴り飛ばされていた。鈴音の挑発的な笑い声が、青空狭しと響き渡る。…………全体的に水着相撲感はなくなっていた。

 

「その反面、私は転生ではないTSFについては、大した関心を持たないのです。嫌いではないしむしろ好きですが、我を失うほどではない。…………『業界』では、そんな私は『にわか』だとか『異端』だとかの誹りを受けますが」

「……い、異端、かぁ…………」

 

 意外だ、とイチカは思う。TS変態紳士淑女は、何だかんだ言って互いの性癖を認め合っているものだとばかり思っていた。いやまぁ代表級の変態達はみんなして自分の性癖にこだわりぬいているので、衝突は絶えないものと思っていたが……何かしらの性癖を異端呼ばわりまでするとは思っていなかった。

 

「仕方のないことです。そもそも転生系は前世の話をしないのが常。TSというのは男女の違いを表現することによって『らしさ』が生じますが、その違いを表現する為の人間関係を捨て去ってしまっている以上、『TSFらしさ』の表現は肉体的な変化の描写に終始しがちです。さらに転生後の物語も描かなければならないとなれば、必然的に比重は少なくなります。時には『女の振りをする』体で話が進むために、最初から女であったような描かれ方をすることもあります。そうした作品に、『TSFらしさ』を求めてやって来た読者が不満を抱くのも仕方がないというもの」

 

 理解を示している虚の言葉だったが、それはとても悲しそうな声色のように聞こえた。

 何か…………イチカはそれが嫌だった。確かに変態達はイチカにとっては迷惑だし、できればそういう性癖は大っぴらにしないでほしいと思う(反応に困るから)。でも、それでも彼女達は気持ちの良い馬鹿だった。主張を認めずにぶつかり合ったり否定することはあっても、誰かの信条を見下すようなことはしていなかったはずだ。

 こうして見下されることを『仕方ない』と諦めるような考えは、どう考えても間違っている。

 

「それでも、私はそんな中にある『TSFの匂い』が好きなんです。……他のものも嫌いなわけではないですが、そのくらいが一番楽しめるんです。他の愛好者から見れば『にわか』で『中途半端』でも………………私は、TSFが好きです。ですので、貴方の問いに純粋な気持ちで答えられはしません」

「そう…………です、か」

 

 毅然とした虚の言葉に、イチカはただ頷くだけだった。

 

「…………自分が『普通の人』から見た時どう見えるか、ですか」

 

 無言になったイチカの横に立ったまま、虚は舌の上で転がすようにその言葉を呟いた。

 先程、イチカが言いかけていた言葉だった。

 

「それはまたどうして、()()()()そんなことが気になったので?」

「…………いや、まぁ、なんていうか……なんとなく?」

「なんとなく…………ですか。まぁ、この世界において『TSFに興味がない』人間というのは、なかなか珍しいものですからね」

 

 頷くように虚が言った途端、イチカの横から虚の『存在感』が薄れていく。

 

「…………お邪魔しました。私は向こうで暴走しだしたお嬢様を始末しなければいけませんので」

 

 言われて、解説席の方に視線を移すと、どこから引っ張り込んできたのか、楯無が簪のことを掴んで解説席の中に引きずり込もうとしており、隣で実況していた本音はその様を絶賛実況中であった。

 …………簪も、あれだけ変態被害に遭っているのに懲りずにイチカにちょっかいをかけているのだから筋金入りだ。

 

「…………というか、え? 始末?」

「では、失礼します」

 

 その言葉を最後に、溶けてなくなるみたいに虚の姿が掻き消える。多分、普通に移動していったのだろうが…………相変わらず、IS学園は素で化け物の巣窟だった。

 

***

 

「まったく……自分から買って出たのですから、せめて自分の役割くらいは果たしてください」

 

 それからややあって。

 虚と楯無は会場の隅の方に二人で移動していた。実況解説の方は一回戦で箒に負けたセシリアの方に移っている。流石に遠距離射撃戦が専門のセシリアに水着相撲は分が悪かったようだ。

 

「それで、接触してみた感想は?」

 

 コキャられた首の調子を確認しながら、楯無は虚に問いかける。虚は頷いて、

 

「少々、危険なのではないかと」

 

 そう、あっさりと答えた。

 

「軽く世間話をしてみたところ、私を『TSF愛好者(クラスタ)』ではないと誤解して、TSした少女についてどう思うか、と問いかけて来ました」

「ああ……なるほど」

「はい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 虚の言葉を受けて、楯無は先程と同じように首に手を当てる。しかしそれは、首の調子を確認する為のものではない。思案する時の彼女の癖のようなものだった。

 ややあって、楯無は手に持った扇子を広げて口元を抑える。その扇子には、『弾君ね?』と書いてあった。

 

「無意識ではあるんでしょうけど、TSした自分に対しておかしな反応を示さない男性――つまり五反田弾君から見て、自分がどう思われているか気にしている、と」

「しかし彼がTSっ()に忌避感を抱いていないことは既に分かっているのでは?」

「それでも、長く付き合っていくにつれて潜在的な嫌悪感が表出するリスクがある。……確証を得ないことには安心できないものよ、乙女心って」

「…………それは、つまり」

「ええ、虚の言う通り、少々――――いえ、大分マズイ兆候かもしれないわね」

 

 はぁ、と嘆息し、楯無は口元を覆っていた扇子を閉じる。

 

「もちろん、今のイチカちゃんは弾君に恋愛感情を持っているわけじゃない。彼の性自認は男だからね。でも、着々と惹かれつつはある。だから()()()()()()()()()()()()()()()()()()。無意識だけど、ね。…………でも、このまま状況が進めば」

「何かの拍子に自身の『兆候』を理解してしまう」

「そうなればあとは文字通り、大岩が坂を転がるようなものよ。イチカちゃんは自分が弾君に惹かれていることに葛藤するでしょうけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あとは自分がそれを認めるか認めないかの問題になるんだから」

 

 たとえば――――誰それのことが好きかも、という感情があるとして、好き()()と思った時には、既に感情のバイアスは『好き』と思う方向に向かうものだ。あとはその感情を補強する為の材料を、自分の方で勝手に用意してしまう。

 つまり、恋愛感情というのは、よほど冷静にあらゆる材料を整理できる人間でない限り、考えれば考えるだけ深まってしまう性質を持つのだ。

 

「タイムリミットは?」

「分からないわ。でも、長くはないわね」

 

 そう言って、しかし楯無は口元に浮かんだ不敵な笑みを隠すように、もう一度扇子を広げる。そこには、『ただし』という言葉が浮かび上がっていた。

 そこから言葉を続けて、

 

「延ばすことは、できる」



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第二九話「唐突な女の子回」

 そしてそんな感じでトーナメントが終わったその日の夕方――――。

 イチカは、今までで最大の問題に直面していた。

 

「…………どうしよう、鈴」

 

 イチカは当惑しながら、鈴音に縋りつくように言う。

 二人は現在、イチカの私室にいる。変態一同は此処にはいない。つまり、()()()()()()()()()()()ということだ。

 

「あー…………はいはい」

 

 対する鈴音は、なんか全体的に力の抜けた感じになっていた。

 

「なんでそんな適当なんだよ! 俺今めっちゃ困ってるんだぞ!?」

「困ってるっつっても、お風呂に入るのに身体が女の子ってだけでしょーが」

 

 そう言って、鈴音は詰め寄るように顔を近づけていたイチカのおでこを人差し指でピンと突く。思わずのけぞったイチカは、両手で額を抑えながらむっとした。

 

()()じゃないだろ! 死活問題だ死活問題! 女の子の身体だぞ!? 自分のものとはいえ、女の子の身体を洗わないといけないんだぞ! 見なくちゃいけないし触らなくちゃいけないし…………そんなのごめんだ!」

 

 なお、イチカがこんなに焦っているのは、当然ながら今日が女の子の状態で迎えるお風呂初回だからだ。

 …………これまでの経過イベント的にもう一日以上経ってない? と思うかもしれないが、朝五時ごろに起きて女体化に気付き、その後会議してそのまま『レゾナント』に直行、戻って来て水着相撲というハードスケジュールなので時間的矛盾は存在しないのだった。

 

「じゃあお風呂入らなければ?」

「死んじゃう! 色んな意味でダメになっちゃう!」

 

 思い切り汗をかいたので、入らないと匂い的にもお風呂好き的にも致命傷を負ってしまう。

 

「はぁ…………じゃあ我慢しなさいよ。どうせ入らないといけないんだから」

 

 鈴音はそう言って、ひらひらと手を振る。

 実際のところ、鈴音はあまり機嫌がよくない。というのも……原因は今日の水着相撲にあった。トーナメントのイチカ以外のエントリー人数は六人。つまり、二回戦わないと決勝に行けない山が一つあるということになる。

 鈴音は運悪く二人と戦わないと決勝に行けない山だった為、消耗した状態でイチカと激突した。その上イチカは暴走しているせいで常に零落白夜が発動しており、ISの補助機能を前提としているハイレベル水着相撲において鈴音は素の怪力だけで戦わねばならず…………。

 相撲というルールもあって、イチカに押し出しを喰らって敗北していたのだった。

 もっとも、イチカはそんな条件をきちんと把握するだけの頭はあるのでそれを自分の勝利と思っておらず、鈴音の方はそれだけのハンデがあってもイチカに勝てなければ面目が立たないと思っていた為、誰も勝者がいない雰囲気になっているのだが。

 …………そんな雰囲気の中でも誰一人腐らず『もっと上を目指さなければ』という流れになっているあたりに、束の殺人的な企画力が潜んでいる気がしないでもない鈴音だったが。

 

 ともあれ、いくら鈴音の機嫌がよろしくなかろうと、イチカには退けない事情というものがある。それが――、

 

「だから鈴に助けてほしいんだ! 俺に体の洗い方とか教えてくれ!」

「はぁ!?!?!?」

 

 思わず目を剥いた鈴音に、イチカはもじもじと恥ずかしそうに顔を赤らめながら続ける。

 

「だってさ……女の子の身体をどう洗えばいいのかなんて分かんないし……じっくり見ながらとか多分俺死ぬし…………他に頼めるようなヤツなんていないしさ…………」

「う、でも、だって…………」

 

 イチカに体の洗い方を教える――――それ自体は、いいとしよう。だが、それを実際にするとなると、大きな大きな問題が生まれる。

 そう。

 電話で教えるとかでない限り、洗い方を教える場合、鈴音もその場に一緒にいて、文字通り手取り足取り教えることになるからだ。そして、風呂場という水気の多い環境で制服だのを着ることはできない。全裸は論外としても、バスタオルか水着…………どちらにせよ、殆ど『裸のふれあい』と言っても良い装備だ。

 イチカは少女だが…………内面は男であり、鈴音の想い人である。

 そんな人物と一緒に、お風呂? ……ちょっと段階をスッ飛ばし過ぎじゃないか? もうちょっとこう、そこに来るまでに水着を見たり着替えを見たりして露出度のレベルを調整すべきではないか? ……いや、その前に絆創膏を挟んだが、アレは正気じゃなかったのでノーカンだ。

 わりと()()()()()()()()では気にせずやってたりしてそうな感じだが、それはイチカ――もとい一夏に多くのライバルがいるせいでなりふり構っていられないからである。少なくともこの世界の鈴音はそこまで切羽詰っていないし、そこで踏み止まる程度の恥じらいは持っている。

 だが…………。

 

(ここでイチカの申し出を断ったりすれば、確実にこの話は変態どもに漏れる……!)

 

 ひとまず鈴音の恋路を応援する方向な変態集団だが、それは別に不干渉を掲げたというわけではない。まして鈴音の方から『イチカの身体を洗う』という特等席を放棄したりすれば、その瞬間変態達は与えられたチケットを奪い合って骨肉の争いを繰り広げることに違いない。もちろん、鈴音はそんな展開を許容できない。

 となれば、選択肢は一つしかないのだが…………。

 

(でも、でも、一緒にお風呂なんてそんなこと……! 裸を見られちゃうのよ!? いや、それは水着を着て誤魔化すとして、洗い方を教えるってことは、イチカの裸をじっくり見るってことで…………女の子の身体だけども、女の子の身体だけども!! あたしにはそんな趣味はないけども!!!!)

 

 そこで、鈴音の羞恥心が行く手を阻む。

 だが………………。

 

(……いや。ここで諦めてたら、いつまで経っても前に進めないわよ。お風呂に入るくらい、何よ……! あたしは将来、イチカとの間に一二人の子供を作るのよ…………!!!!)

 

 黄金のごとき気高い決意(?)を目に灯した鈴音は、ついに腹をくくった。……腹のくくり方が色々と飛躍している気がしないでもないが、ある意味鈴音らしい発想なのかもしれない。要求のレベルが既に肝っ玉母ちゃんか王族の領域にあるのだ。

 

「――――分かったわ!!」

 

 ダン! と、壁に拳を叩きつけて、鈴音は言う。そのあまりの轟音に、イチカはびくんと飛び跳ねるが、鈴音は気にせずにさらに続けた。

 

「ちょっ、鈴、声……」

「あんたの『はじめてのお風呂』……あたしが責任もって見てやろうじゃない!!」

 

 清々しい程の断言だった。

 ちょっと全校に声が聞こえちゃうんじゃない? と思うくらいの叫び声だったが……、

 

「心配しないの。あたしには『龍砲』があるのを忘れたの? 空間に圧力をかければ防音なんて余裕なんだから」

「お、おう…………」

 

 なんか能力バトルモノみたいなことを言い出した鈴音はさておき、とりあえず盗聴の心配はない……ということだった。

 ともあれ、そういうことならイチカとしては安心である。

 

「えっと、よろしく頼むな、鈴」

 

 安心したのか、肩の力を抜いてにっこりと微笑むイチカ。

 男の状態であれば、きっとそれはただの人懐こい笑みで、鈴音のことを悩殺するイケメンスマイルだったのだろうが…………。

 

「え、ええ。任しときなさい。このくらいお安い御用よ」

 

 残念ながら、今の鈴音にとっては『放っておけない女友達』という印象以外の何物でもなかった。

 

***

 

 イチカの入浴は、慎重を期して彼女の自室で行われることになった。

 学生浴場の利用が解禁となってからは自室での入浴はしていなかったイチカだったが、流石にセキュリティ面で自室以外の使用は憚られたのであった。

 

「……………………えっと」

「何でこの土壇場で恥ずかしがってるのよ、あんたは」

 

 そして、そのイチカは鈴音を目の前にして仄かに頬を赤らめていた。

 鈴音の格好は、いつものような制服ではない。昼間に見せた、オレンジ色のツーピース水着だ。身体を洗うにしても、必ずしも全裸でなくてはならないわけではない。むしろ、洗い方を教えるだけなら水着でも良いわけで、鈴音の選択は当然といえば当然だった。

 …………ただ、イチカがそれで全く気にしなくなるかといえば、それはそうでもないのだが。

 

「だ、だってさ。水着だからって女の子と一緒にお風呂だぜ? 恥ずかしくならない方がおかしいだろ…………」

「………………、……そう、ね。そうよね。恥ずかしくなるものよね」

 

 その言葉に、鈴音は確認するような調子で頷くだけだった。その声に少しだけ、上擦ったような喜色があるのは――朴念仁であるイチカには気付けなかったが。

 

「一応言っておくけど、あたしだって恥ずかしいのよ。だからちゃっちゃと済ませちゃいましょ。身体を洗うことなんて、ぶっちゃけ些事よ、些事。あんたにはそれ以上に覚えてもらわないといけないことがあるんだから」

 

 そう言って、鈴音は風呂場に続くスモークガラスが張られたドアを開ける。

 

「覚えてもらわないといけないこと?」

 

 首を傾げるイチカに、鈴音は顔だけ振り向いて答えた。

 

「お肌と、髪のケアよ」

 

 ――――鈴音による、『女の子』の授業。

 その第二幕が、今始まろうとしていた。

 

***

 

「まず、頭を洗うわよ。あんたは頭を洗う時、いつもどうしてる?」

 

 一人用としては破格の広さ(一〇人入っても窮屈じゃない)の風呂場に、鈴音の声が響く。

 清潔そうな白さのバスチェアに腰掛けたイチカの後ろには、水着姿の鈴音が立っていた。ちなみに彼女達の目の前にある大きな姿見には、体の前面をがっちりとバスタオルで防御したイチカの姿が映っている。流石にまだ全裸でお風呂に挑めるほどのレベルは持っていなかったようだ。

 

「ええと……まずシャワーで全身を流して、そのあとシャンプーつけてわしゃわしゃーっと洗って、ぬめりがとれるまで水でもう一度流して終わり」

「それをその身体でやってみなさい。その髪の毛全部あたしがむしり取ってやるわ」

「ひいっ!?」

 

 突然のハゲ化警告に、イチカの身体が大きく震える。

 

「…………というのは流石に冗談だけど、女の身体でそれをやるのはNGよ。理由は分かるかしら?」

「……………………………………オシャレじゃないから?」

「あんたがあたしの言ってることをどう受け止めてるのかが良く分かったわ……」

 

 鈴音は頭が痛そうに額に手をやり、

 

「そうじゃなくて。男の時と今のあんたじゃ、根本的に髪質が違うでしょうが」

「え? …………あ、そういえば」

 

 そう言いながら、イチカは自分の髪を指で()く。男の時はゴワゴワしていて硬かった髪が、今は気持ち長くなり、指で梳いてもするりと流れるような指通りだった。

 

「よく知ってるな、俺でも気付かなかったのに」

「まっ…………まぁ、伊達に近くにいないってことよ。当人よりも近くにいる人の方が、顔を見る機会は多いんだしね」

 

 鏡の中から鈴音の方を見るイチカの視線から逃れるように顔を逸らし、鈴音は少し照れくさそうに言い添えた。

 気を取り直して、

 

「まず、髪を水でぬらす『前』にやることがあるのよ」

「前? ……何もできなくないか? シャンプー二度漬けとかするのか?」

「串カツじゃあるまいししないわよ! あと二度漬けはマナーじゃなくてルール違反だからね!」

 

 カッ! と目を光らせたあと、鈴音はこほんと咳払いをする。

 

「……ったく。そうじゃなくて、水でぬらす前にブラシで髪を()かすのよ。はいこれ」

「おう。分かったけど……」

「あ! それじゃ髪が傷んじゃうわ! もっとゆっくりやさしく梳かすのよ」

 

 徐にブラシを頭にやったイチカの手首をがっちりと掴み、鈴音はその手を動かしていく。後頭部から全体へ流れるように、ゆっくりと絡まった髪をほぐすようにブラッシングしていくのがコツらしい。

 

「今のあんたの髪質は大分繊細なんだから、そうやって乱暴に扱っていたらすぐボロボロになっちゃうわよ。髪ってのは絡まったまま引っ張るだけでもダメージを受けるもんなんだから、こうやって少しでもダメージを和らげてやるの」

「はー…………なるほどな」

 

 イチカはぼんやりと頷きながら、髪を梳く手を止めて次の鈴音の指示を待つ。鏡越しに目が合った鈴音は、少し照れくさそうに視線を逸らしながらも、

 

「次は髪を軽くすすぐわよ。…………思いっきり熱いお湯じゃなくて、ぬるめのお湯でね」

「オーケーオーケー」

 

 言いながら、イチカはシャワーの根元にある温度調節用のメモリを三七度くらいに合わせる。そしてそのまま、頭にお湯をかけた。

 

「よし、これでオーケー」

「ちょっとちょっと待ちなさい」

 

 さっと水をくぐらせたイチカはそのままシャンプーを出そうと手を伸ばすが、その手を鈴音がガッシリ掴む。まるで万力でとらえられたようにピクリとも動かない右手に、イチカは頬をひきつらせながらも鏡の中の鈴音を見た。

 鈴音の方も、鏡の中のイチカと視線を合わせて首を振る。

 

「それじゃダメ。軽くって言ったけど、それはお湯の量を軽くってことじゃないの。髪の根本から毛先までちゃんとすすがないと。『濡らす』んじゃなくて『すすぐ』のよ」

「えぇ~……面倒臭いなあ」

「文句言ってんじゃないわよ! ここですすがなかったらシャンプーの効果は半減どころの話じゃないわよ!」

「はぁい」

 

 言いながら、イチカは渋々シャワー片手に左手で髪を揉むようにやさしく洗っていく。が、慣れていないからかどことなくぎこちない。

 

「ああもう、そうじゃないわよ。こうやんの」

 

 見かねた鈴音が、シャワーをとって代わりにイチカの髪を洗い出す。流石に女子歴=年齢(当然だが)なだけに、その手つきは実に慣れていた。

 イチカの方も、

 

「どう?」

「ん…………んぅ…………」

 

 と、目をつむりながらも気持ちよさげにしていた。…………たまに漏れる吐息が実に可愛らしいことにツッコミを入れてくれる変態は、この場にはいない。

 

「こうやって、このくらいの力加減で髪を揉みながらお湯をかけていけば、それだけで髪の汚れは大分落ちるからね。んで、次はシャンプーよ」

 

 シャワーヘッドを戻した鈴音は、そう言って目の前にあるシャンプーを指差す。

 

「さてここで問題。シャンプーを使う量はどのくらい?」

「え? ワンプッシュ」

「違ァァあああああうッッ!!!!」

「ひっすみません!」

 

 まるで白亜紀の肉食恐竜かと思うほどの咆哮に、イチカは思わず身を縮こまらせる。極めてシンプルな弱肉強食の生態系ピラミッドがここに成立していた。

 

「いい? 髪を洗うのは押すか押さないか、1か0かなんて大雑把でデジタルな問題じゃないの。シャンプーの量はロングなら五〇〇円玉二枚分、ミディアムなら五〇〇円玉一枚分、ショートなら一〇円玉一枚分よ。覚えておきなさい。あんたはミディアムだから、大体五〇〇円玉一枚分くらいのシャンプーを使えばいいの。伸ばす時は――――いや、あんたに伸ばす時なんか訪れないからこれは別にいいわね」

 

 後半は自分に言い聞かせるようにして、鈴音は早口でそこまで言い切った。

 

「もちろん製品によっては泡立ち具合とかpH値とかで話が変わってくるから一概には言えないけど、これが基本にして極致よ。覚えておきなさい。ちなみにあたしのおすすめは頭皮と同じ弱酸性ね」

「お、オーケー」

 

 上目遣いで鈴音を見ながら頷いたイチカは、言われた通り五〇〇円玉一枚分のシャンプーを掌に出す。そのまま自分の判断で動かず鈴音の指示を待ち始めるあたり、そろそろイチカも自分の持っている常識が女の子基準では全部おかしいということに気付き始めているのかもしれない。

 …………イチカも別に男の中ではガサツな方ではないのだが、そのくらい『可愛い女の子』を維持する為には必要な工程はたくさんあるということなのだ。知りたくなかった美少女の裏側である。

 

「次は――――どうすると思う?」

「…………とりあえず、最初にシャンプーを泡立たせてみる?」

「……………………」

 

 自信なさげに首をかしげたイチカに、鈴音は胡乱げなまなざしを送っていたが――、

 

「……正解よ! あんたも分かってきたじゃない!」

「あ、あははは…………」

 

『適当にオシャレっぽくなりそうな選択肢を選んだだけなんだけどな……』と考えるイチカである。

 

「考え方はさっきまでと同じ。髪や頭皮へのダメージを抑えるためには、シャンプーを髪につけてわしゃわしゃするのはご法度ってことね。あと、それだとシャンプーの行き届き方にムラが出ちゃうし」

「あー、なるほど」

 

 つまり、女の子のシャンプーというのは『いかに髪にダメージを与えないようにするか』が肝ということなのかもしれない。髪は女の命とはよく言ったものだ、とイチカは思う。

 

「鈴の髪は、俺のと違って長いから洗うの大変だろうな……」

「ん、まぁ、そりゃ、ね……」

 

 軽くぼやいた程度のつもりだったが、鈴音は目に見えて照れて、

 

「…………あんたに、綺麗って言ってもらったから」

 

 と、小さく呟いた。

 

「え……?」

「じっ、自信がついたって話よ! あんたに髪が綺麗って言ってもらったから、それで『なんだあたしって意外とイケるんじゃん』ってね!! だったら少しは自分磨きにも力が入るのが女ってもんよ!」

「そ、そうなのか……」

 

 鈴音のテンションの乱高下に若干ついていけなくなりながらも、イチカは頷く。殆ど語るに落ちていたが、案の定気づけないイチカはやっぱり朴念仁である。

 

「んで! 次は頭のてっぺんから毛先まで順に、なじませるように軽く洗うのよ。特に毛先は傷みやすいから、とにかくやさしく、こすらないようにね」

「はーい」

 

 切り替えるような鈴音の指示通りに、イチカは髪に泡をなじませていく。

 このあたりは、そこまで難しいことではない。イチカとしても『シャンプーは髪の毛を大事に』という女の子の髪の洗い方の極意にたどり着いたため、このへんの指示はなんとなく予想できていた。

 

「あんた、要領いいわよねぇ」

 

 そんな様子を見ながら、鈴音はぼんやりと呟く。まぁ、ある程度の要領のよさがなければ入学してから三か月で、疲労しているうえにISの補助もろくになく、相撲というルールの上でとはいえ次期代表に土をつけることなどできなかっただろう。

 …………ハンデありすぎじゃないか、ということなかれ。ISの補助がなくても、次期代表レベルになると素で熊並みの膂力を誇るのだから。相撲だったとしても下手をすれば死にかねない。イチカはすでに手負いの熊なら素手で倒せるレベルなのだ――といえば、凄さの一端が分かるだろう。

 

「で、それが終わったら泡を落とすわけだな」

「ノウッ!!!!!!」

「ひっ?」

 

 余裕ぶったイチカに、鈴音の鋭い否定が入る。

 

「むしろこっからが本番よ。髪についた汚れなんか氷山の一角もいいところ。頭の汚れのラスボスは、頭皮についた皮脂汚れなんだから!」

「あー……あー! シャンプーのCMで見たことある!」

「見たことあるなら察しなさいよ」

 

 なんてことを言いつつ、

 

「髪全体に泡がなじんだら、今度は頭皮のマッサージをして汚れを落としつつツボを刺激して血行を良くするの。最初はあたしがやるから、体で覚えなさいね」

「おう」

 

 頷いたイチカの耳元に、鈴音のほっそりとした指先が添えられる。そして――

 

「あだだだだだ!?!?!?」

 

 そのほっそりとした指先からは信じられない膂力で、イチカの頭が万力のように締め付けられる。イチカは一瞬にして金輪で頭を締め付けられる孫悟空の気持ちを理解した。

 

「あっ、ごめん。力入れすぎたわ」

「まったく、加減してくれよ……」

 

 気を取り直して、

 

「マッサージの方向は、こうやって耳元から頭のてっぺんまで、グーッと頭皮を引っ張るように持っていくの。これを何度か繰り返して……」

「んぁ、んぅ…………きもちい……」

「………………、……で、こう」

「あいだだだだだだだ!?!?!? なんでだよ! 加減しろよ!」

 

 とろーりと気持ちよさそうにとろけていた眼が、激痛によって一気にシャキッと引き締められる。

 

「このツボは百会って言って、頭皮の血行がよくなって頭がすっきりするの。快眠にも効果的らしいから」

「うう…………せっかく快眠できそうな気分だったのに、眠気全部吹っ飛んだよ…………」

「当然でしょ、うとうとしてて話聞いてなかったら困るもの」

 

 なぜか若干機嫌が悪くなりつつも、鈴音はイチカの頭から手を離して、

 

「最後はもう一度髪の中間から毛先を洗って、終わりよ」

「分かった」

 

 言われたイチカは、先ほど鈴音に教えられたように髪を揉むようにしてやさしく洗っていく。

 それが大体終わったところで、

 

「そしたら、あとはさっきと同じようにぬるいお湯で全体をすすぐわよ。洗い残しがないように気を付けてね」

「あーい」

 

 やっと流せる、とばかりにイチカは自分の髪に水を当てて泡を落としていく。ちなみにここまで、普段のイチカなら三回は頭を洗えるくらいの時間がかかっている。女のアレコレに時間がかかるというのは、こういうことがあるからなのだなぁ……とイチカはしみじみ思っていた。

 

「んでー……この次はリンスだろ? 流石に分かるぜ俺も。いつもはリンスインシャンプーを使ってたけどさー」

「ちょっと待って、待ちなさい。何してんの?」

 

 しっかり髪や頭皮についた泡を流したイチカは、そのままリンスに手を伸ばそうとして――鈴音に手を止められる。

 

「何って、リンスだけど」

「おバカ! そんな髪が濡れてる状態でリンスつけても、水気が邪魔で殆ど無駄になるわよ! ちゃんと髪を絞って水気をとらないと!」

「でも……大丈夫か? 髪が傷まない?」

「だから傷まないように軽く絞るの。雑巾みたいなのじゃなくて、こう、押す感じで」

「こ、こう……?」

「そうそう。…………やっぱあんた要領いいわね」

 

 言われた通り、イチカは髪全体を軽く絞っていく。絞り出された水分が、イチカの前腕を通って肘のあたりからポツポツと垂れていく。

 変態あたりなら、『イチカ汁じゃー』などと言って集めてそうだな……と思い、鈴音は思わず頭を振った。そういう発想をするのは、毒されている証拠だ。

 

「軽くでいいからね。で、それが終わったらリンスよ。両手に軽く伸ばせるくらい出せばいいから」

「オッケー」

「リンスをなじませるときは、毛先からやるのよ。地肌にはつけないように気を付けてね。フケとかかゆみの原因になるから」

「リンス、意外とヤバいんだな……」

 

 地肌につけたらフケとかゆみ、ということだけ覚えて、イチカは戦々恐々とする。実際にはついたからって確実にフケやらかゆみやらが発生するというわけではないのだが、まぁイチカに対しては大雑把に教えたほうが効果があるだろう――という鈴音の判断だった。

 

「全部終わった?じゃあ、次はさっさと洗い流しちゃって。頭のてっぺんからじゃーっと、手ぐしとかも使ってね。終わったら水気を切って、毛先を整えて終わり」

「ふぅ…………やっと頭も終わりか…………」

 

 あらかたのリンスを洗い流し、水気を切ったイチカはようやく肩の力を抜く。…………いや、まだ半分しか終わっていないのだが、まぁひとまず終わったといってもいいだろう。

 しかし――――終わったのは、まだ『半分』だ。

 つまり、もう半分は依然として残っている。

 そう、身体だ。

 

 ちなみにイチカはここまで身体の全面をボディタオルで覆い隠しながら洗っていた。そのため水を吸ったボディタオルはイチカの身体に張り付き、非常に艶めかしい感じになっている。

 

「………………………………………………………………」

「………………………………………………………………」

 

 二人の間に、重い沈黙が横たわる。

 ぶんぶんという虫の羽音が、いやに耳障りな音を立てる。

 

 …………虫?

 

「は? いや待ちなさいよ。ここはIS学園よ? 室内に虫が入り込めるわけないじゃない!」

 

 現実逃避の意味もあるのだろうが、違和感に目ざとく気づいた鈴音はISのハイパーセンサーを用いて羽音の源を注視する。

 そこには…………、

 

『たばねんたばねんたばねんたばねん』

 

 ……羽虫ではなく『たばねん』という音を連呼することでその音波により飛行しているという意味不明な飛行方式の人参型ナノマシンがあった。

 

「あッ、あの女ァァァ~~~~~~~ッッ!!!!」

 

 見たところカメラ設備はないようだが――おそらく、音波系で使う技術を統一しているのだろう。そういう無駄な統一性が好きな変人なのだ――この分だと今までの一連のやりとりを盗聴していたのは間違いないだろう。

 そもそも、最初からおかしいといえばおかしかったのだ。

 あの水着相撲大会を企画したのは、ほかでもない束である。あの束が、望む望まないに拘らず行動の結果がすべて混沌を生み出し、なおかつ当人自身がその性質を喜んで振るっている混沌の権化が、『イチカがいっぱい汗をかいたのでお風呂イベントが誘発されます』…………程度の混乱で収まるようなイベントを企画するか?

 そして、その混乱が『鈴音とイチカの間だけで留まる』などという良心的な展開を許容するか?

 否。

 答えは断じて否、である。

 

 …………だって既に、脱衣所の方から声が聞こえているし。

 

『鈴さんとイチカさんが詰まったら私たちが乱入してうやむやのうちに身体の洗い方を教えるってことでいいんですわよね?』

『私たちはすでに盗撮とかでバツがついてるから、流石に尻込みしてしまうんだが……』

『大丈夫じゃない? なんだかんだ言ってイチカのためにもなるわけだし』

『そもそも、あの恥ずかしがり屋が自分の手だけでイチカに洗い方を教えるとか無理に決まっているだろう』

『…………「女の子講座」って形にすることで、恥ずかしさを軽減してたみたいだけどね……』

 

 というわけで、すでにフルメンバーが準備完了なのであった。

 

「あ、あんたら…………!」

 

 わなわなと震える鈴音の前で、バン! と扉が開く。そこには(一応)バスタオル装備の美少女達が勢ぞろいしていた。

 

「というわけで、基本に立ち返りましょう鈴さん! イチカさんはわたくし達の共有財産。つまりこういうイベントは一緒に楽しむ。OK?」

「その前に、あたしとの防衛戦(イベント)を楽しみなさい!!!!」

 

 ――――そんな感じで、いつも通りドタバタの騒がしい流れになったものの。

 一応、身体の洗い方をマスターすることができたことは、付記しておく。

 

***

 

 その後。

 血みどろの浴場戦が終わったイチカの自室で、イチカ&鈴音+変態たちは待機させられていた。ギャーギャーという騒ぎがうるさかったためお説教…………ではなく(いや、たぶんそれもこの後にあるだろうが)、生徒会長の更識楯無による招集があったためだ。

 

「やぁやぁ、よく集まってくれたわねみんな」

「……ここ、俺の部屋なんですけどね。一応」

 

 全員を集めた楯無は、満足そうにうなずきながら全員を一瞥する。

 その口元は、『満員御礼』と書かれた扇で覆われていた。気分はすでに自分が主催(ホスト)である。いや、招集をかけたのは楯無の方なのだが。

 

「で、あたし達を集めた理由は? あたし達このあと千冬さんに絞られないといけないから忙しいんだけど」

「まぁそう言わないで。………………実は、イチカちゃんの女性化について、分かったことがあるのよ」

「それ本当!?」

「マジですか会長!」

 

 ちょっとご機嫌斜めだった鈴音だったが、予想外のセリフにイチカともども前のめりになる。

 

「……ああ、特効薬を見つけたってわけじゃないわ。むしろ、これは悪いニュースよ。……期待させたようで悪かったわ」

「いえ……早とちりしてすみません……」

「ううん…………」

 

 目に見えて肩を落とす哀れな二人組であった。

 それはともかく、

 

「分かったことというのはね、女体化解除のタイムリミットなの」

「…………タイムリミット?」

「そう。調べて分かったことなんだけどね…………イチカちゃんの女体化は、まだ今の時点では完成していないの」

「……どういうことだ? イチカの身体は、私の目から見てもすでに完全な女性だが……、…………」

 

 その道のスペシャリストである箒が言いかけるが、すぐに意図を理解したのか口をつぐむ。

 

「外面的にはそうでしょうね。ただ、内面的なことまでは分からないでしょう? …………そう、今も、イチカちゃんの内臓――特に生殖器官は、女性化を進行させているのよ」

「なん、だって…………?」

「そして、女性化の進行が完了したと同時に、変化した生殖器官も正常に機能するようになる。言い換えれば、月経が訪れるようになるのね。そうなったらもう手遅れ。今回分かったのは、それよ」

「………………えっと、つまりどういうことですか?」

 

 楯無のセリフの意味が分からなかったのか――――はたまた分かりたくなかったのか、イチカは首をかしげる。

 そんな彼女に対し、楯無はあくまで無情な宣言を突きつける。

 

「つまりね、イチカちゃん。……キミは、生理が来たらもう男には戻れないの。…………ちなみに、基礎体温から見てイチカちゃんの生理がやってくるのは…………再来週の日曜。つまり、臨海学校の二日目、ということになるわ」

 

***

 

「会長」

 

 それから。

 イチカの部屋を辞した楯無達は、一旦廊下に集まっていた。

 というより、箒に楯無が呼び止められ、それを見ていたほかの面子も足を止めた、というべきだろうか。

 

「…………何かしら?」

「先ほどの話は、あれは嘘だな?」

「………………、」

 

 無言のままに、楯無は自分の口元を扇子で覆い隠す。普段は本音が書かれている扇子の表面には、今は何も書かれていない。

 

「篠ノ之をあまり舐めるな。次期代表ではないが、これでも私は篠ノ之束の妹だ。人体の構造くらいなら熟知している。それが、TSっ娘のものならなおさらな」

「…………なるほど、お見通しというわけ」

「お前の意図は分からないがな。なぜ嘘のタイムリミットを教えたりした? しかも二週間後の日曜などと……何の意図がある?」

「私がしたのは、延命作業」

 

 殆ど詰問する勢いの箒に、楯無は肩をすくめて応じた。

 

「この間の水着相撲。手の空いている虚にイチカちゃんの精神状態を確認させていたの。……結果は想像以上に悪かったわ。今はキミ達の尽力で『気を紛らわせている』けど、無意識に例の少年……弾君の影を追ってる節がある」

「…………!」

「……ああ、勘違いしないでね。イチカちゃんの心が弾君に傾いてるって言っているわけじゃないから。今のイチカちゃんは気づいていないだけでキミにも弾君にも特別な想いを抱えているように見えるもの。ただ、直近にいろいろあったから……意識しやすくなってるってこと。外堀を埋められたのはマズかったわね。弾君の妹さん、なかなかの策士じゃない」

「あんのマセガキ…………!」

 

 鈴音が憎々しく呟くが、それで状況が変わるわけでもない。実際にイチカの心が惹かれているというのであれば、それは蘭のやり方がよかったということだ。

 

「だから、ちょっと荒療治だけどイチカちゃんには軽めに絶望してもらおうと思ってね」

「…………どういうこと? なんでそこであの宣告に繋がるのよ?」

「だって、男に戻れるか戻れないかって瀬戸際に立たされたら、弾君への思いとかどうとかっていうのは一旦棚上げになって、必死に『戻るための方法』を探すようになるでしょう?」

「…………、」

「イチカちゃんの性格なら、早々に諦めて絶望して弾君に靡く~……なんて展開にはならなそうだし。こうすれば少なくとも臨海学校までは持つでしょ?」

 

 そこまで言って、楯無は一度扇子を振るう。もう一度広げた扇子には、『それに!』という文字がでかでかと書かれていた。

 

「…………たぶん、このままいけばイチカちゃんは臨海学校の前に『気づく』。鈴ちゃん、キミへの想いに気づく前にね」

 

 もちろん――――ISは想いの力で動くものだ。イチカの中に無意識であるにせよ『女性でいたい』と思う気持ちがあるせいで女性化が解除されてくれないのなら、タイムリミットの思い込みが本当のタイムリミットになるリスクは存在する。

 だが、だとしても恋愛感情を意識することによるタイムリミットは、おそらく仮のタイムリミットよりもずっと早い。

 

「設定したタイムリミットは、臨海学校二日目」

 

 口元を隠していた扇子をぴっと閉じた楯無は、閉じた扇子をそのまま鈴音に突きつける。

 

「それまでに、キミが決着をつけなさい。これが、生徒会長である私にできる、最大限の協力よ」



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第三〇話「織斑イチカの日常」

 織斑イチカの朝は、やはり早い。

 

 朝、日が上る前に目を覚ましたイチカは、まずISの機能を使って体温を測る。

 楯無も言っていたが、朝目を覚ました後、身体を動かす前の体温というのを『基礎体温』と言い、女性の基礎体温は排卵前と後で〇・三~〇・五度ほどの体温差が生じる。この体温差の周期によって生理がいつ来るかといったことが分かるのだ。

 …………本来は一度一周してみないと周期は分からないのだが、そこはIS。操縦者保護機能などによるデータも勘案して周期の『予測』ができてしまうのである。

 なお、これらのデータは束の手によって改竄され、臨海学校の二日目に排卵日が来るように調整されている。実は生理はもうちょっと後なのだが、イベントに合わせることで鈴音やイチカ達を焦らせる意味合いもあったりする。

 

 そうして基礎体温を記録した後は、お風呂に入る。男だった頃はランニングの前と後にシャワーを軽く浴びるくらいの習慣だったが、今は身嗜みと併せて一緒にしっかり済ませるようになっていた。女の子として生活するようになってから――というのもあるが、夏が近づいてきているのもあり、寝ている間にかいた汗の匂いが気になるようになったせいだ。

 

(俺が入学してから、もう三か月かぁ……)

 

 思えば四月から五月まで一か月間ほどは殆ど女として過ごしていたし、イチカが女体化してから戻れなくなってそろそろ二週間が経過する。そう考えると、入学してから殆ど半分の時間を女として過ごして来たということになる。

 入学当初は女体化を回避する為に『在学中絶対ISに乗らない』とまで宣言し、なおかつIS学園から逃げようとさえしたにも拘わらず、今はわりと女の子として過ごすことに抵抗感をおぼえていなかった。

 

(慣れか……慣れって怖いなぁ…………)

 

 そんなことを内心で言いながら、イチカはシャワーの蛇口をひねる。ひんやりと冷たい水が、雨のようにイチカの身体に降り注ぐ。寝ている間にかいていた汗が洗い流される感覚に、イチカは目を細めた。

 シャワーの水を止めると、イチカはスポンジを泡立たせて全身を撫でるようにして洗っていく。一糸纏わぬ――いや、薄く泡のみを纏った裸体が姿見に映し出されるが、そこにイチカの動揺は存在しない。…………もちろん目は完璧に姿見から逸らされているし、絶対にそちらの方を見ようとはしないが、少なくとも身体を洗うにも四苦八苦、というほどの動揺はなかった。

 慣れ。

 そう、これも慣れと言えば慣れだ。だが、そこにはもちろん『慣れる前』があり、一騒動あったことは言うまでもないだろう。

 イチカとしては、あまり思い出したくないカテゴリに入る記憶だが。

 

 思い出したくない記憶と言えば、その後の楯無による絶望の宣告もそうだったか。

 あれは、イチカにとっては余命宣告にも等しい衝撃を与えた。何せ、修学旅行の二日目までいったら男に戻れなくなる、とまで言われてしまったのだ。流石のイチカもビビった。

 なんだかんだ言ってイチカも今までの騒動のように、ちょっと気が抜けてきていたのは否めない。そこにきての宣告だから、イチカの緩んできた気持ちを引き締めるには十分な出来事だった。

 …………そう、イチカの方だが、実は特に堪えていたりはしていなかった。

 焦ってはいるが、絶望はしていない。『男らしさを磨く』という目標は定まっているのだから、それをしっかりとこなすだけだ、と思っているのである。良くも悪くも一度こうと決めたら曲げない性格が幸いしていた。

 

 一通り教えられたとおりに身体を洗い終えると、しっかりとタオルで水気をとってドライヤーで髪を乾かした後、化粧に入る。最低限のスキンケアだのしか教えてもらっていないが、やらないと鈴音が怒るのでしっかりとやらなくてはならないところだ。

 そうして一通りの身嗜みが終わった後、イチカはジャージに着替える。女性化解除ができなくなったせいで前のものはサイズが合わなくなったので、女性用のかわいらしいデザインのジャージだ。

 近頃のイチカは、トレーニングの内容も大幅に変化した。

 女の姿だが、ISによるサポートが機能している以上身体能力は数倍以上に跳ね上がっている。なので単にランニングだけでなく校舎の上を飛び跳ねるように動き回っていた。立体的な移動の方がISの慣れを養うことができる為だ。

 既に軽く人間を超えているが、突然できるようになったわけではなく、イチカ的には今までの訓練の延長線上なので自分がどこまで人間離れしているかについては自覚がない――が、一般人の弾あたりならなんとなく遠い目になるだろう。

 だが、一般人の範疇を超えたことで初めて見えるものもある。

 たとえば――――級友の努力の跡とか。

 

「よ、セシリアか」

 

 校舎の上を飛び跳ねていると、その一角にセシリアが佇んでいるのを発見した。

 セシリアは扇情的なネグリジェ姿のまま手で指鉄砲を作っている。

 

「あら、イチカさんおはようございます。精が出ますわ――――」

 

 その、指の先から、

 

「――――ねッ!!」

 

 ゴォ! と、レーザーが放たれる。BTレーザーであるためか、白熱の光条はセシリアの指先の向きに応じてその流れを変え、それから急加速して雲に風穴を空ける。

 

「…………千冬姉みたいなことしてるな」

 

 呆れたようにつぶやくイチカ。

 この間の鈴音の圧力防音もそうだが、級友たちの成長速度がさりげなく速すぎる。

 

「そのミス千冬からやり方を教わりましたの。…………もっとも、ISなしで行っているミス千冬と違い、わたくしはISを起動だけしてサポートシステムのみ利用する形ですが」

 

 恥じ入るように肩を竦めるセシリアだが、イチカ的にはどこに恥ずかしがる要素があるのかさっぱりである。

 そんなイチカに、セシリアはにっこりと笑って、

 

「他の次期代表もISなしで能力を使うメカニズムは模索しておりますのよ。それが貴方を戻す方策に繋がるかもしれませんから」

「…………ありがとう」

 

 そう、イチカは照れ臭そうに言った。

 彼女がそこまで絶望していないのには、こういった部分があるのも大きい。頑張っているのは、自分だけではない。そう思えるからこそ、イチカもひた向きに頑張れるのだ。

 

「…………と・は・い・え、流石に慣れない方式でBT制御を行うのは、少々生身の演算機能に負荷がかかりすぎますわね……」

 

 そう言って、セシリアはわざとらしく頭に手を当ててよろめく。どう考えても演技だったが、直前のやりとりでちょっといい雰囲気になっていたイチカは気づかないままよろめいたセシリアを抱き留める。

 

「大丈夫か、セシリア。あんまり無理しないでくれよ、助けてくれるのはうれしいけど、お前がそれで身体を壊してたら何の意味もないんだから」

「ああ…………イチカさん…………もったいないお言葉ですわぁ……」

 

 完全に目がハートになっているセシリア@今回は誘い受けで頑張りますわは、そのままイチカの胸に顔をうずめる。近くに蛮族はいない為、セシリアは今こそとばかりにぐりぐりと顔をイチカの胸元にこすりつける。

 

「ちょっ……セシリア、くすぐったいって、もう良いだろ離れ……ハッ!? いつの間にか腕ごと抱きしめられてて身動きが取れなくなってる!」

 

 見ると、セシリアはイチカの腕ごと抱きしめるように腕を回した上で胸に顔を埋めていたのだった。イチカもこの体勢からブレイクするほどの膂力は持ち合わせていない。そのままセシリアは自らの独壇場となった空間でにんまりと邪悪な笑みを浮かべる。

 

「ぐふふふ……甘いですわ、甘いですわよ、甘いですわねイチカさん! 直接的なセクハラには慣れたようですが、まだまだ誘い受けには慣れていないご様子! こうやって弱い一面を見せることで逆にイチカさんの隙を生み出していたのですわ!」

「(いや、そのわりにはわりと本気で疲れている気がするんだけど……照れ隠し?)」

「おおっと手が滑ってジャージの中にーッ!?」

「わー馬鹿馬鹿やめろ!!」

 

「あんたは朝っぱらから何してんのよ―――――ッ!!」

 

 照れ隠し(なのか?)にセシリアが直接ぱいタッチを敢行しようとした瞬間、イチカの身体が不自然に歪み、直後にセシリアがブッ飛ばされる。

 …………言うまでもない。鈴音の龍砲だ。

 どうやらイチカの身体の薄皮一枚を覆うようにして防護膜を展開し、それに接触したセシリアにのみ衝撃をぶつけるという意味の分からない境地に到達した応用を発揮したようだ。

 

「ば、馬鹿な鈴さん、貴女は普段ここでトレーニングをしている人物では……」

「嫌な予感がしたから来てみたのよ! 案の定来てみて正解だったわ!」

「なんかもうこの人別種のチートと化してますわ!?」

 

 吹っ飛んだセシリアは、そのまま空中でなんか良く分からない体操の技みたいな回転をキメて、隣の校舎の屋上に着地する。

 

「いきなり何をしますの! 危ないではありませんの! わたくしの身体が、ではなく、絵面的に!」

 

 セシリアはネグリジェなのでちょっとした拍子にポロってしまいそうなのだった。

 

「知らないわよ! っていうかあんたがそんな格好のままで歩いてるからいけないのよ! ジャージを着てるあたしやイチカを見習いなさい!」

「お黙りなさい抉れ胸!! 背に胸が代えられる貴女と違って、英国ではこれがスタンダードなのですわ!」

「背に腹は代えられないって言葉の意味、体感させてあげましょうか?」

 

 そんなこんなで、今日もIS学園名物セシリアのお手玉が開始される。

 ちなみにセシリアのお手玉とは、全部が終了すると、セシリアがほんとにお手玉みたいに丸く収まっているのが特徴の名物である。

 

***

 

 そんな賑やかなIS学園であるが、いつもいがみ合いが勃発しているわけではない。

 特に、変態達のTS議論はともすれば銃火が飛び交う血なまぐさい様相を呈しかねないが、時にはそうではないこともある。

 その日の朝は、まさにそんな『平和な一幕』を象徴する出来事だった。

 

「このアニメ」

 

 食事をさっさと(五秒で)終わらせたラウラは、懐からタブレット端末を取り出す。

 画面の中には、こけしみたいなデフォルメされた少女と白髪の女顔狐耳青年、背広の黒髪青年、和服の飄々としたおっさんが不敵な笑みを浮かべて佇んでいる。

 

「…………この白髪の狐耳青年が女体化する回があると、風の噂で聞いたのだが…………『該当』か?」

 

『該当』。

 それはすなわち、TSF要素を主として構成されているということである。

 そんなラウラの問いかけに答えたのは、ラウラの横で食事をとっているシャルロットだった。

 

「ああ、それね。僕はリアタイで見てたよ。それなら狐耳の子がTSする回は単体だから該当ってほどじゃないけど、こっちの黒犬の子は可逆で、けっこう女性体の出番も多いよ。あと、何と言ってもやっぱり問題の回だね……あそこの為だけに全話見る価値があると言っても過言ではないね」

「あ、そのアニメはわたくしもちょっと見てましたわ。黒犬の子がTSした後、こけしみたいな子に絡む時のアレが実にすばらっ! でしたわ!」

 

 シャルロットの紹介に、先程お手玉状態から復帰したばかりのセシリアが応じる。変態達からは『流石に箱化は業が深すぎるよなぁ……』なんて若干引かれているのは秘密だ。

 ちなみに、初心者の方向けに翻訳すると、『狐耳の子がTSするのは一回だけだからTSメインの作品ではないが、黒犬の子は男女の性別が入れ替わる設定で、女性の姿での出番もそこそこある』とシャルは言っていたりする。

 

「ふむ…………サブキャラTSか…………一応買っておこう。問題の回とやらも気になるしな……」

 

 言いながら、ラウラは画面を操作する。画面いっぱいに表示されていた画像は通販サイトの画像を拡大表示していたものだったらしく、ラウラはそのままそのアニメのBDをポチった。流石に軍人だけあって、BD全巻一気買いくらいは出費の内にも入らないらしい。

 そんなラウラを横目に、箒は微妙そうな顔をしながら呟く。

 

「…………ラウラ、お前の場合はシャルが紹介している時点で護身発動しておくべきだと思うが…………」

 

 主にBL系TS的な意味で。

 実際、問題の回のオチにはとんでもない爆弾が仕込まれていたりいなかったりなのだが……それについてはのちほどの展開で読者諸氏の目で確かめてもらおう。ちなみに今の話題全部、グーグル推奨な実在のアニメについての話です。

 

 とまぁそんな感じで、彼女達TSFクラスタの間では、話題の作品がTSF『該当』かどうかの情共有が毎日行われている。

 

「ジャンプの保健室マンガの作者が書いたTSFが面白くってさー……」

「それを言ったら子連れオーガマンガの作者が書いたTSFもなかなか……」

「サンデーでそれっぽいマンガが始まったって聞いたけどあれ該当?」

「あー、該当該当。TSFって言ってたし。宣伝RTしたら作者さんにフォローされたよ(実話)」

 

 よく見ると、そこかしこで似たようなやりとりが繰り広げられていた。該当の漫画が出てこようものなら一瞬でクラスタ全体に広がるレベルだ。毎度思うけどあの情報拡散力はなんなんだろうか。本当に。

 

「んで、イチカ、トレーニングの調子はどうなの? 臨海学校はもう今週末だけどさ」

 

 肉まんを頬張りながら、鈴音はイチカの方に水を向ける。

 

「あんまり実感湧かないな……。トレーニングしてるけど、身体が変わってるって感じはないんだよ。まぁでも、女から戻れなくなった時も唐突だったし、戻るときも突然なんじゃないか」

「………………随分落ち着いてるみたいね?」

 

 鈴音としてはイチカの精神状態の悪化を危惧していた節もあるが、意外にもイチカは冷静そのものだった。逆に、鈴音の方に焦りがあると言った方がいいかもしれない。

 

「まぁ、俺はお前らのことを信頼してるからな」

 

 もっとも、そんな鈴音の焦りも、イチカの笑顔によって吹っ飛んだが。

 

「俺だけだったら不安に押し潰されてたと思う。でも、鈴が、鈴達が俺のことを支えてくれてるからさ。…………だから不思議と、なんとかなる気がするんだ。根拠もないのに、おかしいかもしれないけど…………」

「おかしくなんか、ないわよ」

 

 苦笑するイチカに、鈴音ははっきりと断言した。一緒にいる他の面子も、この時ばかりは穏やかな笑みを浮かべてこくりと頷く。さらに食堂中の生徒も何故かこくりと頷いていた。生徒会長の情報統制&情報歪曲によってイチカの恒常女性化については誤解させられているはずなのに、無駄にノリがいいモブ達であった。

 

 そんなツッコミどころがあったから、だろうか。

 

 直後にイチカの脳裏に去来した()()()()は、呆れと嬉しさに塗り潰されてしまう。

 その思考は、こんなものだった。

 

 ――――――――それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

***

 

「貴様シャルロットォォォおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」

 

 その夜。

 ここ最近始めた夜の筋トレに精を出していたイチカの部屋に、ラウラの怒号が響き渡る。

 なお、この筋トレは『男らしさ』を磨く為の試みの一環である。実際に筋トレすると男性ホルモンが増加するという話はよく聞くし、『男らしさを増すことで男性化を目指す』という目的の為には理に適っていると言えるだろう。

 で、ラウラの怒号だが。

 

「どうしたのラウラ? あ、例のアニメどうだった?」

「それだッッ!!」

 

 ベッドから身体を起こしかけたシャルロットに、ラウラはズビシィ! と指を突きつける。ちなみに、彼女が寝転がっている来客用のキングサイズベッドには、他の変態達も既に転がっている。なんかもうイチカの部屋に屯するのが当然という感じになっている変態一同であった。

 その横で黙々と筋トレしているイチカもイチカだが。

 

 ともあれ、鼻息荒くしていたラウラは、そのまままくしたてていく。

 ラウラはこの日、珍しくイチカの部屋ではなく自室でアニメを鑑賞していたのだった。見ていたのは朝にポチったアニメのBDである。視聴完了するの早くね? と思うかもしれないが、ISの超高性能モニターと早送りを駆使して倍速視聴でもしていたのだろう。便利である。

 

「見始めたらなんか全体的にうっすらホモホモしい感じだったのは百歩譲って呑み込むとして…………肝心の回になったら、途中まで良い感じだったのにキスした瞬間TS解除ってなんだお前!! ふざけんな! あんなのただのBLじゃねーか! BLのネタにTSを使うんじゃねーよ!!!!」

 

 これはラウラ個人の感想であり、実在する人物の思想とは一切関係ありません。念の為。

 

「また始まりましたわ……。ラウラさんはTSについて狭量すぎではなくて?」

「ラウラの心のおちんぽは、すこし繊細すぎるな」

「え? 男に戻るの? 何それあたしも興味ある」

「……鈴ちゃん、現実とアニメを一緒にしては駄目よ…………」

「あたしが!! いつ!! 現実とアニメを一緒にしたってのよ!!!! いつ!!!!」

「ひえっ…………命だけはぁ…………お助け~~……」

 

 ガックンガックンと揺さぶられて命乞いを始めた簪の横で、やはり微妙な顔をした箒が注釈する。

 

「確かに戻るが……その後男同士でキスするぞ」

「ふざっけんなシャルあんたブチ殺すわよ!?!?!?」

「うわっ、鈴それは流石に八つ当たりすぎるうおうおうおうおう!?」

 

 完全に地雷を踏んだ鈴音にぐるんぐるんと振り回されるシャルロット。確かに八つ当たりだったが、タイミングがタイミングなのである意味仕方ない面もある。

 男に戻った後男とキスなんて鈴音的には万難を乗り越えた先に絶望が待っていた的な話だし。

 

「でも、犬の子の可逆TSはよかったでしょう?」

「あれは…………まぁ良かったが、あの回のショックがでかすぎて……。なんか全部吹っ飛んだんだ……。……はぁ…………TSした狐の子が狸の人とイチャコラするエロ同人探す…………なんか渋で調べた時、よさげな絵柄のがあったんだよ…………」

 

 めそめそと泣きながら、ラウラはベッドに倒れ込みスマートフォンを操作する。そんな彼女に、筋トレしながらのイチカが目を細めた。

 

「おいラウラ、エロ漫画は一八歳未満は読んじゃいけないんだぞ」

「え??? イチカまさかその歳になるまでエロ漫画読んだことないの???」

「ブフォッ!!!!」

「おい! セシリアが萌えすぎて血を噴いたぞ! 雑巾!」

「ちょっと! ベッドにかけてないでしょうね!?」

「いや~…………僕的にはエロ本読んでないのは純粋過ぎて逆に萎え……でもまぁイチカの鈍感さなら分からなくもない、かな?」

「……多分、千冬さんが統制してたんだと思うけど…………あの人ならやりかねないわ……」

 

 イチカの爆弾純情発言に、変態達は各々リビドーを盛り上げ始める。

 実際イチカの朴念仁っぷりが醸成された背景には、過剰なまでに一八禁要素を排除されたとしか思えない節があるのも事実だが。

 

「そういえば、イチカに下ネタ振られたことはなかったかも。弾の馬鹿は事あるごとに言ってたけど」

「たとえばどんな風にですか?」

「いつものあんたみたいなことよ」

「それはまた…………弾とやら、よく今日まで生きて来られたな」

「あの頃のあたしはまだ未熟だったからね………………」

「アイツはちょっと下品なところがあるからなぁ」

「イチカさんが純粋すぎるだけではなくて?」

「いやいや、そんなことないって!」

 

 イチカは顔の前で手を振って、真顔で言う。

 

「中学生の懐事情なんて限られてるんだって。まして俺はバイト代を家に入れてたからさ、無駄遣いなんてできなかったんだよ。クラスで回し読みされてたグラビア雑誌は流石に見てたし」

「何それ、あたし初耳なんだけど。そんなの見てたの?」

「女子にそんなこと言うわけないだろ! だから下ネタをぶっこむ弾が下品すぎるだけなんだって!」

「落ち着け鈴。私もイチカ――一夏がそういうのを見ていた事実に興味がなくもないが、男子たるもの劣情の一つもなかったら逆に不安になるだろう」

「うっ、まぁ、そうね……」

 

 鈴音が矛を収めたのを見計らって、イチカは話を逸らす意味も兼ねて話題を切り替える。

 

「そういえば、さっきBL系TSがどうのって言ってたけど……」

「……ん? ああ、あれのことなら、仲の良い我々の間だからまかり通っているが、知らない人――特にネット上の掲示板とかで同じことをしたらIP開示からの住所晒しまであるから気を付けろよ」

「やらねーよ! っていうかそこまでヤバいことなのかよ!?」

「冗談だ、冗談」

 

 悪戯っぽく笑ったラウラに、イチカは呆れながらも、

 

「…………でも、やっぱ冗談なんだな。よかった。この間虚さんと話してさ……」

「ああ、虚さんはTS転生好きでしたわね」

「なんで知ってるの…………」

 

 変態達的には、仲間の属性は知っていて当然の情報なのだろうか。

 

「なるほどな。イチカが不安に思った気持ちも分かる。……TS転生にはTSの意味がない――――正しくは『TSFフェチ要素が少ない』作品が多いのは事実だが、それで叩かれる作品も少なからずある」

「ただ、誤解はするなよ、イチカ。別にTS転生モノ全体が無条件に叩かれたり、不当に差別されていたりするわけではない。TS転生したにも拘わらず、序盤で『いや、今は女だから「私」か』なんて思考で片付けられて以降内心の一人称も私、恋愛要素も殆どない、前世の話も全くしない――――そういった作品になって初めて『TSFフェチ要素がない』といった批判が生まれるのだ。少なくとも、我々を含めた大多数の良識あるTSFクラスタはそうだ」

 

 真剣に言う箒に、ラウラも真面目な表情で言い添える。

 イチカはTSFのきまりごとなんて良く分からないが、スポ根モノなのに練習の描写とか熱血要素もない作品……みたいなものだろうか? などともやもや考えてみる。

 

「あと、物語開始時点で完璧に精神の女性化が完了していたり…………男だった頃の要素が見られないと、そういう風に言われることがあるわ…………」

「まぁ、TSしたという事実がある時点で『TS属性が付加される』という点で意味は生まれているから、『TSした意味がない』というのは否定の為に強い言葉を使った、乱暴な批判であることは否定できないがな。……だから私は身内以外には『TSFフェチ要素がない・足りない』と言うようにしている」

「それに、この手の批判が生まれるのはTS転生作品が多いけど、たま~に普通のTSFでも起こるからねぇ。別に差別、というわけでもないんだよね」

「確かに、TSFクラスタからすれば物足りないかもしれませんわね――――ただ、そもそもTS転生モノが純粋なTSFに分類されるか、というところからして、わたくしは疑問ですけど」

 

 そこに、セシリアは落ち着いた声で割り込む。

 実のところ、TS転生モノはTS百合が結構な割合で混じっているのでセシリアとしては植民地的な感じでもあるのだった。

 

「どういうことだよ?」

「言うなれば、TFとTSFの関係――のようなものでしょうか。TFとTSFが『肉体変化』というフェチを共有しているもののその楽しみ方は全く異なるように、TSFとTS転生は『女体変化』というフェチを共有しているものの、その楽しみ方は大きく変わるのですわ」

「…………似て非なるモノ、ってことか?」

「然り、ですわ」

 

 セシリアは我が意を得たりとばかりに笑い、

 

「そもそもTS転生モノはかなりの割合で一般受けしています。まぁ、フェチ要素が女体確認程度で、恋愛まで発展しているものは稀ですので当然といえば当然ですが。そもそも向いている層が違うのです。当然楽しみ方も変わってくるわけで、そんなものに自分達の価値基準を押し付けるのは馬鹿らしくなくって?」

「いや…………それは違うんじゃない? TS転生の中でもきっちりフェチ要素を満たしている作品はあるし、恋愛で揺れ動く作品もある……。完全にジャンルが別れているとは言い難いわ……」

「うーん、僕としてはセシリアに同意かな。確かにフェチ要素があるのもあるけど、結局少数派であるのは変わりないんだし。ジャンル全体の傾向としてはやっぱり一般向けだよね」

「だったらタグで分かるようにしろと言うのだ! なんだあのガールズラブとボーイズタグを両方つけてるくせに恋愛のれの字もない作品群は!」

「それはわかる」

「わかる」

「わかる」

「わかる」

「いったい皆誰と戦ってるんだ…………」

 

 この手の話で特定の作品を挙げずに各々自分の頭の中で思い描いた作品相手に殴りかかるエア乱闘が勃発するのはよくあることである。

 

「そうだ。イチカも我々と同じようにネット小説を読んでTSFへの理解を深めてみてはどうだ? そうすれば私達の話していることも分かるんじゃないか?」

「あんた達ほどまでになるまでにはかなり時間がかかりそうな気がするけど…………」

「あら、それならわたくしの珠玉のブックマークリストをお送りしますわ」

「それならドイツ軍の総力を挙げたpixivTSF作品群をだな…………」

「個人サイトも忘れないで……TSFは投稿サイトだけの文化ではないわ…………」

「それなら僕は商業の名作TSFを紹介することにするよ」

「え、別にいいんだけど…………」

 

 イチカの呟きなど無視して、彼女の端末に無数のURL群がタイトルと一言レビューを添えて送られてくる。

 要らないと言っておきながら、一流レビュアーさながらの紹介文に、活字が苦手なイチカもちょっと読みたくなってくるのであった。

 

***

 

 同時刻――――どこでもない場所にて。

 暗がりの中に複数の人間の気配があった。よく目を凝らせば――あるいは人外の、たとえば()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()ならば、そこが闘技場のような円形の『議会』であったことが分かるだろう。

 そして、その中心には何人かの男女が佇んでいた。ここでは、『実働部隊』――などと呼ばれている人員の一人である。

 人の群れの中の一人が、そんな『実働部隊』の一人に向けて、端的に問いかける。

 

「――首尾は?」

「上々だ」

 

 問われた男もまた、それに対して端的に答えた。

 男は脇にガラガラを携え、何かのスーパーのエプロンを身に纏った風体をしている。簡単に彼の外見を表するならば――――『商店街でガラガラを回させてくれるおじさん』、だろうか。

 

「セキュリティの方も完全にクリアーしている。流石に試験区域への侵入は、学園側のガードが固すぎて不可能だったが…………生徒の宿泊する宿、『花月荘』については防備が手薄だったのが幸いしたな」

「向こうの油断か」

「そう言うな。織斑千冬に始末されたデコイの同志の犠牲が此処に来て活きた、ともいえるだろう。それにしても、そこまでしなくては我々に尻尾すら掴ませない学園側のセキュリティも大したものだがな」

「ああ。向こうにも大したハッカーがいるらしい」

「大したヤツだ……」

 

 おそらくそれは一年一組副担任の報われないロリ巨乳眼鏡の仕事である。あの人もあの人で、昔は代表候補生として頑張っていた程度には凄い人材なのだ。

 

「払った犠牲は大きかったが……それだけに、ここ一番で最大の油断を誘うことができた」

 

 そう言い切ったスーパーの店員風の男の言葉を最後に、『議会』側の人員達はその場にいるもう一人――黒髪の、鋭く荒々しい印象の少女に目を向ける。

 

「『トリガー』は?」

「誘導完了だ。既に()()()()()()()()

「…………上々だな」

 

 直後、『議会』側からざわめきが聞こえてくる。…………いや、これは正確にはざわめきではない。無数の人間が一斉にほくそ笑む――その音である。

 その喜色を総括するように、一人の男が決意を込めた声色で言う。

 

「では――――始めるぞ、()()

「ああ、分かっている」

 

 少女は――――エムと呼ばれた『そいつ』は、確殺の意志を込め、呟くように、嘲るように、あるいは――叫ぶようにこう宣言した。

 

「『次姉誕生(ミドルシスター)計画』――――執行だ」



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第三一話「仁義なきビーチバレー」

 そうして、その週の土曜日、臨海学校は開幕した。

 本来は金曜日からの開始だったらしいが、イチカ関係で何かあったらしく、その準備の為に一日日程を遅らせてからのスタートとなった。ちなみに、その為一日目に箒の誕生日がブッキングである。

 

『え~、右手に見えるのがこれから私達がお世話になる「花月荘」だよ~。今追い越しちゃったけど、一旦下る道に入ってからUターンする感じだから気にしないでね~。ややこしいね~』

 

 バスに乗り込むのはクラスごと、ということなので鈴音がこの場にいないのはいいとして――何故か、本音がバスガイドの真似ごとをしていた。それがしっかり(?)様になっているあたりは、流石に更識に仕えるメイドの家系ということなのだろうか。

 

「イチカさん、海が見えましたわよ」

「はしゃぐなセシリア。貴様、島国の出身だろうが」

「だまらっしゃいドイツ人! 貴女こそさきほどからそわそわしっぱなしじゃありませんの!」

「まぁまぁ、喧嘩しないで……」

 

 イチカは、前の席でぎゃあぎゃあ騒ぐ二人を宥めながら苦笑していた。

 とはいえ、今日のイチカはそれ以上の被害を受けてはいなかった。鈴音もいないので、いざとなれば腹をくくる――と思っていたのだが、それはどうやら杞憂らしい。……もっとも、

 

「……………………」

 

 その理由は、彼女達の自制心というよりは一〇〇%織斑先生のプレッシャーによるものだろうが。なんというか、『動かば殺す』みたいなオーラがバスの最後尾座席まで届いて来ているのである。

 ただ、どんな理由であろうとも変態達が大人しいのはいいことだ。ただでさえ――――

 

「簪ちゃんと同じバスがよかったよぉ……しくしく……」

「はいはい、静かにしていてください。下級生がしっかりしているのに生徒会長がその有様でどうしますか」

「ねぇねぇちーちゃんちーちゃん、ちょっと良いこと思いついちゃったんだけどさ、これって――――」

「織斑先生だ。それと、その発明は人類史の存続の為にもあと二〇世紀は寝かせておけ」

 

 このバスには、騒がしい珍客(イレギュラー)が紛れ込んでいるのだから。

 

「…………っていうか何でだよ! 何で一年生の臨海学校に生徒会の役員だの完全部外者の科学者が混じってるんだよ!! っていうか束さんは何をさらっと世界がひっくり返るような発明を思いついちゃってんの!?」

「いやぁ、天井知らずの天井だからねぇ、束さんは」

「説明になってない上に結局自分を知らないだけの天井になってる!!」

「乗る前に言ったでしょう?」

 

 楯無が『忘れんぼさん(はぁと)』と書かれた扇子で口元を隠しながらにっこりと微笑む。

 

「この楯無さんが色々したとはいえ、色々と――不安定なわけだし。やっぱり、学園生徒の最高戦力を投入せざるを得ないのよ。学園側としても」

 

 そんな事情が、IS学園にもあるのだった。イチカとしては、千冬がいるだけでセキュリティについては完璧ではないかとも思うのだが――それでも楯無を出さなくてはならない事情というのがあるのだろう。

 政治的判断については疎いイチカなので、そういう話になると納得できずとも矛を収めるしかない。……正直なところ、イチカとしては未だにかなりの割合で『簪と離ればなれになるのが嫌だっただけ』というのがあると睨んでいるのだが。

 

「更識(姉)。最初に説明したが、それは建前だ」

 

 そんなイチカの予想を後押しするように――というわけではないが、束を天井の染みに変えていた千冬が注釈する。きっとまたぞろ何かやらかそうとしたのだろう。

 

「危険な事には私達教師が対処する。生徒はただ守られていればいい。お前も、今回の事は羽を伸ばしに来たと思え」

「肝に銘じておきますわ、織斑先生」

 

 千冬の言葉に、楯無はちっとも承服していなさそうな笑みを浮かべて答える。

 どうやら、本当に警備の為に楯無を起用したということらしい。もっとも、そのあたりの『子どもと大人』の役割に厳しい千冬は楯無にそういった役割を与えるつもりは毛頭ないらしい。

 子どもはのびのびと、面倒で危険なことは全て大人が。全く教育者の鑑だと思うイチカだが、その姿勢に自分が反発してちょっとした諍いが起きたことを考えると、なんとなく手放しで称賛は出来ないのだった。

 

「諸君、そろそろ花月荘だ。すぐに降りられるように手持ちの荷物はまとめておけ」

 

 そんなイチカの思考を打ち切るように、千冬の号令がバス中に響き、直後に全員が一斉に返事をした。

 

***

 

 旅館についた後は、仲居さんに挨拶したり部屋割りの確認をしたり――イチカは千冬と同室という処理だった。変態防止とのことで、イチカも大いに同意した――して、一日自由時間ということになった。

 臨海学校の日程は、一日目が自由時間、二日目がISの集団試験運用という形になっている。これは本来のカリキュラム通りの進行だが、今回に関してはイチカを男に戻す為のイベントを一日目に集中させようという思惑も少なからずあるはずだ。

 ちなみに、イチカ達専用機持ちの面々は荷物を自室に置き次第、旅館の隣にあるプライベートビーチに集合、ということになっていた。何故か楯無や虚、千冬、束までやってくることになっていたのが、イチカにとってはそこはかとなく不安だが…………。

 

「あっつ…………」

 

 イチカは、この日の為に買った黒地に白く縁取りされたビキニ――の上に、太腿までを覆う丈の長い白のパーカーを身に纏って砂浜にやって来ていた。肩に背負ったナップザックの中には水着とタオル、替えの下着が入っている。

 なお、ナップザックには千冬の謎エネルギーがエンチャントされている為、下着に干渉しようものなら束でさえ五秒でサイコロサイズに圧縮されてしまうのが実証()()だった。

 …………尊い犠牲だった。

 

「あれ、イチカ早いわね」

 

 そこにやってきたのは、バスが違った為この日は朝食の時に顔を合わせて以来な鈴音だった。

 そんな彼女は、先日の水着相撲とはまた違った装いでやって来ていた。

 

「鈴こそ。……っていうか、水着変えたんだな」

「まーね。なんか変態どもがエンタメ的に既出の水着を出すのはありえないとかなんとかって……あたしは知らないんだけど、まぁ連中の中であたしだけビキニ着ないのも、なんか癪だしね」

 

 恥ずかしそうに視線を逸らす鈴音は、クリームとオレンジのチェック模様が施されたビキニを着ていた。扇情的――というよりは、随所にあしらわれたピンクのフリルのせいで少女趣味を連想するデザインである。

 ただ、ボトムスの方はちょっと大丈夫かと思う程のローライズ(股上の布地がない水着のこと)っぷりだったが。

 

(アイツらに圧されて、つい着ちゃったけど…………)

 

 恥ずかしそうにしながら――しかし鈴音は内心、わりと冷静に状況を見ていた。イチカを先頭にし、次に鈴音を単体で合流させるという流れも、実は計算通りである。鈴音の珍しく扇情的な姿をイチカに一対一で鑑賞させることで、イチカの反応を引き出そうという作戦だ。

 

(ここまでしたんだから、アイツも何かしらのリアクションがあるでしょ――――!!)

 

 そんな、恥じらいとも期待ともつかない感情を載せ、鈴音は意を決してイチカの方へ顔を向ける。

 

「うわー、鈴、かわいいじゃんその水着!」

「………………」

 

 …………が、イチカは鈴音の服装に対し恥じらうどころか、普通に近づいて肩に手をポンと置いたりする始末だった。

 そうだった。イチカはそういうヤツだった。『水着? 千冬姉の下着姿で慣れたよ。水着も下着も変わらないだろ?』とか真顔で言うのが『織斑いちか』なのだ。男だろうと女だろうとそこは変わらないのだ。

 

「……諦めなさい、鈴さん。今回のフェイズではもう無理ですわ」

 

 鈴音の失敗を察したからだろうか、次から次へと、物陰から後続の生徒達が合流していく。

 セシリアは青のビキニに、パレオを纏っている。原色の青一色というのはなかなか難しいコーディネートなんじゃないかなーとオシャレ一年生のイチカはぼんやり思ったりしたが、見た感じセシリアの高貴さを引き立たせているようにしか見えない。流石に美少女は違う、といったところだろうか。

 あと、おっぱいがデカい。

 

「まぁ一日は長いよ。気を落とさないでね、鈴」

 

 次に現れたのはシャルロットだった。

 彼女が身に纏っているのは、オレンジと黒を基調としたモノキニだ。トップはビキニだが、ボトムはスカートのようになっている。それだけでなく、上下を黒いヒモのようなパーツで繋いでいる――という形状をしている。全体的に、虎か蜂のような印象を抱く格好だ。

 あと、待機状態の『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』(ネックレス)が挟まっている谷間が凄い。

 

「…………イチカちゃん、あっちのビーチパラソルの下で私と遊ばない……?」

 

 三番目にやって来たのは簪だ。

 彼女の水着は正統派なゴスロリ風で、黒地にフリルの意匠が目を引くデザインとなっている。ボトムはフリルのスカートになっており、ところどころに入った白のリボンがアクセントになっている。……どこからともなく楯無の雄叫びが聞こえて来るのは、気にしてはいけない。

 あと、彼女も前二人と比べれば小ぶりながらも、しっかりとした谷間がゴスロリ水着からしっかりと覗いている。

 

「おい、抜け駆けしようとするなよ、簪」

 

 そんな簪を諌めるようにして、ラウラが現れる。

 ラウラの服装は、やはり他の面子と同じように過日の水着相撲大会とは異なり、白地にフリルという少女らしさ溢れるものになっていた。…………ただし、その布面積がほとんど乳首と局所しか隠していない超絶モノクロツーピース水着でなければ、だが。端的に言って、自分に包装用のリボンを巻いたのと殆ど大差ない感じだった。それでも右太ももにアーミーナイフをつけることを忘れないキャラづけの徹底っぷりにはある意味感服するが。

 あと、こちらは流石に全体的にちんまりとしたおっぱいなのだった。これには鈴音もにっこりアルカイックスマイルだ。

 

「お前ら、今日という日の主役が誰だか分かっているんだろうな?」

 

 そして、最後に拗ね気味の箒が到着した。

 赤いビキニには余計な飾り気などなく、随所に白のラインが施されている程度だ。ボトムのローライズ具合と併せて、彼女の『女』としての自信のほどが伺えそうな、シンプルだがセクシーな格好だった。

 あと、胸はやっぱりデカい。すごいデカい。日本人離れしてデカい。

 

「えー、イチカちゃんなんでパーカー着てるの? 脱ごうよー海だよー泳ごうよー」

「ちょとsYレにならんしょこれは……? パーカー着るなら本人に断ってやれよ」

「むしろ一周回ってえっちじゃないですかね……」

 

 箒がやってきた後は待機していたのだろうか、生徒達がぞろぞろやってきてはイチカにボディタッチをしたりして鈴音に吹っ飛ばされていたりした。

 そうして、イチカを間近で護衛していたからだろうか。

 その白い太腿を見た鈴音は一瞬ぎょっとして、ついうっかりこう言ってしまった。

 

「…………イチカあんた、もしかして日焼け止め塗ってないの?」

 

 ――――――それはまさしく、戦争の始まりだった。

 箒の誕生日は完全に忘れ去られていた。

 

***

 

「ちょっと待ちなさいよ。イチカにオイルを塗るって? オイルくらいイチカ一人で濡れるでしょ」

「でも背中は塗れないでしょう? だからわたくしがお手伝いするのですわ」

「いや、セシリアがではなく、私がだ。こればかりは譲らんぞ」

「はぁ…………頭が痛いなこの色ボケども。ここは一番絵的に幼くてエロさ控えめな私が行くべきだろう」

「いや、ラウラは水着が一歩間違えばR指定な代物だからダメだよ。っていうかどうやってそんなエロゲみたいな水着取り寄せたんだか……」

「この間、ラウラちゃんの部下の人が持って来たのを見たわ……。それはさておき、ここは私が…………」

「それなら、あたしがやるからあんたらは引っ込んでなさいよっ!!」

 

 ドガシ! と群がる変態どもを蹴り飛ばす鈴音。まぁ、イチカにオイルを塗る役と言えば変態達が群がるのも当然といえば当然であった。

 ()()()()()()()()ではセシリアの方から『塗ってくださいまし』って感じだったのに、立場がまるで逆転しているのは多分この世界の仕様なのだろう。

 

「横暴ですわよ鈴さん! こういうときは平等にじゃんけんというのがこの国の文化ではなくて!?」

「誰がセクハラ魔にみすみす平等な条件を渡すもんですか! 素行を治して来世に出直して来なさい!」

「何を……! ベニヤ板みたいな胸をしているくせに、貴女はイチカさんの日焼け止めオイルよりも自分の滑り止めワックスを気に掛けるべきではなくて!?」

「…………あんた、おっぱいの谷間のオイルが汗で流れてるわよ。あたしが、ちょっと、塗ってあげる!!!!」

 

 ドゴォ!! と不用意な発言をしてしまったセシリアが、少し早目のビーチバレー(ボール役)に興じ始める。

 …………当然ながら鈴音もセシリア・ビーチバレーにかかりきりになってしまう訳で、その間イチカの守りは失われることになる。

 そして、それこそがセシリアのわが身を犠牲にした策であった。

 

「正攻法であの蛮族に勝つことはできない…………だからこそ、自ら敗北することで、ヤツを盤上から降ろした……そういうわけか」

 

 悲しげに目を伏せた箒が呟く横で、シャルロットが無言のまま十字を切る。

 ともあれ、これで邪魔者はいなくなったわけである。セシリアという尊い犠牲は出たが。

 

「さあイチカ。サンオイルを塗ろう。それはもう全身に塗りたくろう。パラソルとビニールシートは既に用意してあるから」

 

 と、箒は一部始終を黙って見守っていたイチカに、にっこりと優し気に笑いかけて言う。

 それに対し、今まで沈黙を保っていたイチカは、

 

「え? いや、塗らないけど?」

 

 ――――と、あっさりそんなことを言った。

 変態にちょっかいをかけられるのが嫌とか、そういう雰囲気は一切感じさせず、普通に、面倒臭いことを断るようなノリで、だ。

 

「ん? 待て待てイチカ…………今はサンオイルを『誰が塗るか』が問題であって、『塗るか塗らないか』は問題じゃない。っていうか、イチカも塗り忘れただけなんだろう?」

「違うけど。っていうか、海に来たら日焼けしてナンボじゃないか。なんでわざわざ日焼け止めなんて塗るんだよ。不健康だぞ、お前ら」

「えっ、あっ、鈴っ…………しまったアイツはセシリア・ビーチバレー中だ!」

「……セシリア・ビーチバレー…………?」

 

 なんか特有の競技名みたいになってしまっているが、それはともかく。

 女の子にとって、紫外線は大敵である。それこそUVは女の子にとって致命的なダメージになりうるのだが、ISの操縦者保護機能は文字通り致命的なダメージにしか効いてくれない為、肌はしっかり傷んでしまうのだった。

 ここにきてイチカの『女の子音痴』が発動してしまったが、そういう時にイチカを諌めるポジションにいる鈴音は変態達自身が追いやってしまっている。

 

(私達の言葉に、イチカが耳を傾けてくれるか…………!?)

 

 箒は内心考えてみるが、それは難しいだろう。イチカも彼女達の女子力がそれなりに高いことは理解しているだろうが、彼女の場合『変態の言っていることは一見まともに見えても何か裏があると思え』みたいに思っているに違いない。実際サンオイルにかこつけてセクハラする気満々だったので間違いではない。

 だが、こうなってしまってはもはやセクハラとか以前にイチカにオイルを塗らないことには然る後の日焼け&イチカのひりひり地獄は免れない。あと、その監督責任とかで絶対鈴音が変態一同に折檻を始める。セクハラのおしおきならともかく、そういう不手際で折檻を喰らうのは避けたいのであった。

 

「イチカ! この間の髪を洗った時の話は覚えているよね……?」

 

 そこで出たのがシャルロットだった。彼女はまだ変態達の中では比較的弁が立つ方である。

 

「髪にはなるべくダメージを与えないこと。そしてそれは肌も同じなんだよ。UVを直接浴びると、肌にダメージがきちゃってね…………」

「だから、日焼けはそれが醍醐味なんじゃないのかよ?」

「ううううう、価値基準が違いすぎるよう…………!」

 

 シャルロット、撃沈。

 お前本当に内面の女性化が進んで女体化が解除できなくなってんの? って感じのイチカだったが、別に『女の子のままでいたい』のと『細かいところの感性が男のまま』なのは相反しない。むしろそこがTSっ娘(中期~後期)の醍醐味だったりするので、変態淑女的にも痛し痒しなのだった。

 

「おー、なんだか面白そうなことになってるねー」

 

 そこで、能天気そうな田村ゆかりボイスが聞こえてきた。

 

「束、余計なことはするなよ。前に砂浜を泳ぐ怪物サメを放流したことはまだ忘れていないからな」

「まーまーちーちゃんそう言わずに。あの時はちーちゃんが速攻で片付けてくれたから被害者ゼロだったじゃない。あと、篠ノ之(姉)じゃなくて良いの?」

「今日一日は自由時間だからな。今の私は織斑先生ではなくただの千冬だ」

 

 声の主は、遅れてやってきた千冬と束だった。束はいつもと同じ不思議の国のアリスの服をカジュアルにした感じの格好だが、千冬の方はトップの中央のヒモ部分にサングラスをひっかけているだけのスタンダードな黒ビキニ――なのだが、やたらとボトムがローライズだったり、下腹の部分が微妙に肉抜きされてたりで『これちょっとギリギリじゃないの?』って感じの露出度を攻めていたりしている。

 ともすると痴女一直線なのだが、それでも平然としているあたりは大人の余裕なのだろうか。さしもの変態達も、一人の女として一瞬気圧されざるを得なかった。

 

「それと、イチカ――――」

 

 全員を一瞥した千冬は、そこでイチカの姿を目に留める。太腿までを白のパーカーで覆った姿に千冬は眉を顰め、

 

「…………そのパーカー、脱がないのか?」

 

 ちょっと残念そうに言った。

 なんかもう威厳とかそういうのは全部どこかに置いて来たようなセリフだった。

 

「あ、あれ……? 織斑先生、いつもとちょっと雰囲気違うような」

「教官から…………『死』のイメージが感じられない、だと……?」

「ラウラは一体、千冬さんにどんなイメージを抱いているんだ?」

「なっはっはー! IS学園に来てからの子達は知らないかもしれないけどね」

 

 そんな千冬に動揺する変態達を見て、束はどこか誇らしげに笑いながら、

 

「ちーちゃんはこう見えて意外とお茶目なんだよ。学園じゃ私がいつもボコボコにされてるけど、プライベートじゃわりと私がやりこめたりすることもぐりんっ!?」

「生徒の前で余計なことを言うな、篠ノ之(姉)」

「ぐ、ぶぶう……今日はただのちーちゃんなんじゃ…………」

 

 若干理不尽だった。

 さておきもうすっかり慣れっこなのか、首を半回転捻りさせた束には一瞥もくれずイチカが答える。

 

「脱がないも何も、水着恥ずかしいしな」

「だが泳いだりしないと、海に来た意味がないだろう。どうだ、少しでいいから泳いで来い。夢中になって遊べば恥ずかしさなど忘れるぞ」

「う、うーん…………」

 

 姉の言葉ともなると、流石に変態といえど無下にできないのがイチカである。あと、この千冬の言葉には劣情というより本当に姉として弟を気遣う気持ちがあったりするのも大きいだろう。

 

「それに、せっかく海に出たというのに浜辺で一日過ごすというのももったいないだろう。行って来い」

「そうだな…………うん、分かった」

「あと、オイルなら私が塗ってやる」

「ちょっ!?」

 

 さらっと重要ポジションに自分を捻じ込ませる千冬なのだった。変態達も思わず目を剥くが……、

 

「なんだ? 何か問題でもあるか? 姉が弟のサンオイルを塗ってやるというだけの話だ。むしろそこに家族以外の誰かが入り込む余地があるか?」

「くっ、諦めるしかないというのか…………」

「教官…………教官がイチカときゃっきゃうふふ………………」

「あぁ! ラウラがなんか凄い至福っぽい顔でトリップしてる!」

「…………ラウラちゃんって、TS百合もいけるタイプだったっけ…………?」

 

 そんなこんなで、サンオイルは千冬担当になったのだった。

 

***

 

 サンオイルのくだりは、意外にも千冬が特にセクハラをしなかったためカットされました。

 

***

 

「ビーチバレーをしますわよ!」

 

 きっかけは、生傷の絶えない貴族令嬢ことセシリア=オルコットのそんな宣言だったか。

『いや、俺遠泳したい』『イチカ、そこで横になってよ。砂で埋めるから』『ジャパニーズ・砂風呂か……』『……ラウラちゃん、色々ごっちゃにしてない……?』などなど、好き勝手に騒ぐ一同を抑えての、セシリア魂の決定であった。

 多分、よほど自分を犠牲にした作戦がこたえたのだろう。

 

 なお、チーム分けは、

 

 イチカ・鈴音・セシリア・簪。

 箒・ラウラ・シャルロット・束。

 

 というラインナップになっていた。

 なお、ルールの方は人数が多いのでコートの広さ含めて通常の室内バレーと同じ、三回までボールに触って良い、という感じになっている。

 

「いや、待て待て! なんで束さんが加わってるんだ!?」

 

 さらっと束が入っていることに、イチカは思わずツッコミを入れる。

 なお、現在のイチカは白パーカーを脱ぎ去ってその下にある白地に黒い縁取りのビキニを着ていた。変態的にはイチカがビキニ(しかもけっこうエロめ)とかすぐさまフィーバーに入りたいところだったが、それやっちゃうとイチカが恥ずかしがってパーカーを着てしまうので心の中でフィーバーに留めているのであった。

 

「え? だって人数足りないじゃん」

 

 けろっと当然のような顔をして言う束だったが、千冬が抑えに入っていないところを見ると大丈夫…………なのかもしれない。いや、本当にそうか?

 

「まぁ人数は少ないのは確かだし、あたしは別にいいわよ。っていうか、自陣にいる二人の方があたしとしては心配なんだけど」

「それはわたくしの台詞ですわ。鈴さんなんか引っかかる部分がないからスライディングの拍子にビキニがズレそうですし」

「あんたの方がスライディングしたときズレそうじゃないちょっと試してみなさいよホラ!!」

 

 ズザザザザ!! と余計なことを言ったお馬鹿が砂を巻き上げながら砂上を滑走していく。

 

「さて、始めるか」

「…………いや、セシリアが戻って来るの待たなくていいのか?」

「始めたら適当に戻って来てるよ」

「それもそうか…………」

 

 なんか信頼感のようなものが生まれていた。

 

「さて、じゃあまずはこっち側からだね。いっちゃん、サーブよろしく~」

「おっけ」

 

 束に放り投げられたビーチボールを手に取ったイチカは、そのままぱこーんと相手コートにボールを打つ。ボールは緩やかな放物線を描き、コートの隅の方へと吸い込まれて行った。

 これを、箒が転がりながら拾い上げる。

 

「くっ、イチカのヤツめ。最初からエグいコースを攻めてくるな……!」

「はいはい、ラウラ行くよー」

フォイアー(Feuer)!」

 

 そして上がったボールを、ラウラが打つ。一応ラウラは茶道部に、他の面子も箒は剣道部、セシリアはテニス部、鈴音はラクロス部、シャルロットは料理部、簪はパソコン部に所属していて、ビーチバレーひいてはバレーボールも初心者のはずなのだが、彼女達は基本的に完璧超人のケがあるのでそこのところはあまり気にしてはいけない。

 

「思い出したようにドイツ人要素ツッコむのやめてくださるかしら!?」

 

 唐突なドイツ語にツッコミを入れたセシリアを筆頭として、全員がスパイクに備える――――ボールが向かった先は、イチカだった。

 

「俺だったら落とせるとでも思ったかよっ!!」

 

 が、イチカもさるもの。時速一〇〇キロ以上は出ているのではないかというくらいの剛速球を前に少しも臆さず、レシーブの構えをとる。なお、イチカは帰宅部だがバレーもしっかりできるようだ。この面子の中ではおそらく唯一まともに中学校の授業を受けているのでバレーの経験値はある意味一番高いのかもしれないが。

 しかし――――、

 

「――!! ダメ! イチカ躱して!」

「はぁ? 躱したらボールが地面に、」

 

 と、イチカが言いかけたその瞬間だった。

 ぱん、と。

 ビーチボールが、空中で突如破裂した。否――――そのあまりの速度に、ビニール質のボールが空気抵抗で熱され、強度の限界を超えて爆発四散したのだ。

 だが、だからといってビーチボールがそのまま消滅する訳ではない。むしろ、内部にたまっていた空気はそのままの勢いで、虚を突かれたイチカに殺到し――、

 

「――チィ!!」

 

 運び込まれた暴風によりイチカの水着がまくれなかったのは、それを予期した鈴音が一瞬早くイチカの水着を抑えていたからに他ならない。でなければイチカの黒ビキニは今頃べりんとめくれて、その下にある桜色の小さな突起(婉曲表現)を晒していたことだろう。

 その横で、割れたビーチボールを律儀に相手コースに弾き飛ばしていた簪がドヤ顔していたが、全員が全員総スルーだった。……いや、遠いところから誰かさんの黄色い声援が響いてはいるが。

 

「くっ、流石に鈴か。一筋縄ではいかんな」

「ドンマイラウラ、次があるよ」

「ちょっと待ちなさいよ!!!!」

 

 何事もなかったかのようにボールを調達して続きを始めようとするラウラチームに、鈴音は声を荒げて待ったをかける。

 

「今の何!? 風圧でイチカの水着を吹っ飛ばそうとしたの!?」

「何を言う。偶然だ偶然。我々の全力でボールを叩けばそれは破裂するだろうし、その際加速した内部の空気が暴風となってイチカの水着を吹っ飛ばしてもそれは不幸な事故というものだ」

「事故じゃないでしょ! 明らかにわざとでしょ!」

 

 鈴音が問い詰めるが、決定的な証拠がないのでラウラチームはぴゅうぴゅうと口笛を吹いて追及を誤魔化す。

 

「………………気に入りませんわね」

「……そうだね……私も、気に入らないわ……」

 

 これに対し、意外にも批判的なのがセシリアと簪だった。

 やっと真人間的側面の発露か、と期待した鈴音に対し――――、

 

「水着があるからエロいんですわ! わざわざ脱がすなど愚の骨頂!」

「日本にはこういう格言があるわ…………『脱がすエロより着る非エロ』。時として、脱がないエロスは下手な一八禁より威力が高いの…………」

「主義主張の問題かよ!」

 

 変態は所詮変態だった。

 

「ふん、純情気取りめ! 脱がせてこそのラブコメ、脱いでこそのエロスよ! こう、水着を抑えて恥ずかしがる姿が良いんだろうが!」

「やっぱり、裸になって初めて真の付き合いが生まれると思うんだよね」

「というかビーチバレーの流れになった時点でなんかやらなきゃって思ってたし……」

「今日は箒ちゃんの誕生日なんだよ! 少しくらい良い思いさせてあげてもいいじゃん! ぷんぷごはぁっ!? すみません大人しくしてます……」

 

 ぶりっ子全開にしていた次の瞬間、突如虚空から発生した拳型のエネルギーにブン殴られた束はともかくとして、脱衣エロ派と着衣エロ派に分かれたことで、ビーチバレーは混沌の様相を呈した。

 

「喰らえイチカ! スイングの風圧で水着をめくるアタック!」

「させない……! 偶然通りすがったお姉ちゃんが風圧に対する盾になってくれたガード!」

「それならこれでどうだい!? スライディングした砂で下から水着を押し流すレシーブ!」

「残念それは私の水着ですわ!」

「着なさい! あんたが脱げても色々アレなのよ!!」

 

 仁義なき攻防はその後も続いていき、ビーチバレーは白熱したままマッチポイントを迎えていた。

 …………ラウラチームの方が。

 そう、意外と彼女達もセクハラの傍らガチでプレーしているのであった。セシリアや簪達『着衣エロ派』も脱がせないというだけで折に触れてボディタッチしていたので、そこの隙を突かれていたともいう。

 

「チッ、どうせなら負けた方が勝った方の言うことを聞くとかそういうルールを設定しておけばよかったな……」

 

 ぼやきながら、ラウラがボールを構える。これを落とせばイチカチームの敗北なので、イチカ達もここばかりは真面目な面持ちだ。

 …………だからだろうか。その横で、束がにんまりと笑みを浮かべたのに気付けなかったのは。

 

「! 待てラウラ、()()()()()!! 束が何か企んで――、」

「……と思わせてゲームを中断させるのが目的かも?」

「っ!」

「なんちゃってはいスイッチオぐぶぶぅ!?」

 

 束は不可視の攻撃で叩き潰されたが、コンマ数秒早くスイッチが入ったのか、砂浜の砂が不気味に流動し、そして隆起していく。それだけでなく、イチカもそれに巻き込まれて行ってしまう。

 

「う、うわああ!?」

「ふははははー!! 流石のちーちゃんも砂の中に放流どころか砂全体を支配する能力までは読めなかったでしょー! 束さん謹製のナノマシン操作だよ!」

「こ、この能力…………お姉ちゃんと同じタイプの……?」

「そ、そういうノリいいから! 早く助けて! ってうわあああ中の砂が思いっきり俺の水着を持って行こうとしてる! ヤバいヤバい!」

 

 既に半泣きのイチカが悲鳴を上げるが、頼みの綱の鈴音もまた砂に足を取られて動けない状態だった。ちなみに変態達は『うんうん、それもまた丸呑みだね』とか言って日和っていた。

 

「くっくっく! ちーちゃんもこういうときは役得とか考えてけっこうスルーしてくれるし! これは勝った! いっちゃんの全裸写真いただいたよ! その子は武装を全排除して単一仕様能力(ワンオフアビリティ)によって機体アーマーを構成するタイプだからねぇ! いくら破壊されてもすぐに修復されていくから、コアを機能停止させない限り止まらないんだよ!!」

 

 勝ち誇る束。

 もはや、勝機はないのか…………そう思われたその時だった。

 

 というか、賢明な読者諸氏なら今頃こう思っていることだろう。『でもイチカって常に「零落白夜」が暴走している状態だから、ISの力を使って襲ってもすぐ無効化されるんじゃね?』と。

 その点に関しては解除されてもすぐまた別の砂が押し寄せてきているということで決着がつくのだが、それはそれとして、ISのアーマーがコアを中心に構成されるという関係上、当然その中にイチカを巻き込めば、コアとイチカの距離は近づく訳で…………。

 

「え? コアってこれのこと?」

 

 そんな感じで勝ち誇った瞬間、イチカの足がコアに触れ、隆起していた砂が一気に崩れてしまった。まさしく砂上の楼閣のようなはかなさである。

 

「………………あー…………」

「……イチカ。いい機会だから、ちょっとそこの万年発情兎を抑えててくれない? 今のあんたが抑えてれば、得体のしれない科学力とか全部無効できるでしょ」

「えっあっちょっと待って!? 束さんってばちーちゃんと違ってタネのある超人さんだからそういうことされるとわりとガチに洒落にならないことになりそうなんだけど!?」

 

 慌てふためく束だったが、イチカはにっこり笑って束を羽交い絞めにすることで答えた。

 

「待って待っていっちゃん束さんが悪かったよ反省してるよちょっとした出来心だったんだよ箒ちゃんに対するプレゼントだったんだよ!」

「悪いけど、執行猶予は初犯じゃないとつかないのよ!!!!」

 

 ゴッ!!!!!!!! と。

 強烈な音が響き、鈴音はツッコミストとして一段上の位階に到達したとかなんとか。



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第三二話「本編(1)」

 昼過ぎ。

 

「はぁ…………」

 

 そんな変態達の騒動を終え、イチカは他の面々より一足早く旅館に戻っていた。

 変態達はイチカというブースターがあるから今も余裕綽々だが、イチカの体力は通常と同じなのであんなテンションで騒いでいればやっぱり疲れるのである。鈴音? 知らない蛮族ですね……。

 

「千冬姉には言って来たけど、流石に一日ずっと遊び倒しは疲れるよな……ちょっと休憩しよう」

 

 言いながら、イチカはナップザックを肩に引っ掛け、曲がり角を曲がる。

 どん、という衝撃を感じたのは、その直後のことだった。

 

「う、お!」

 

 色気の欠片もない声を上げてよろめいたイチカだったが、IS操縦者として鍛えに鍛えた身体が不意の衝突だけで転ぶほど脆い体幹をしているわけがない。とっ、と軽いステップで後退したイチカは、そのまま体勢を安定させた。

 

「とっ、と、すみません」

「いや、こっちこそ」

 

 咄嗟に謝ったイチカに応じた声は、少年の声だった。

 

(…………? おかしいな、花月荘は貸し切りのはず……)

 

 後退した、ということは彼女がぶつかった相手を視界に収めることができるという意味でもある。怪訝に思ったイチカは、そのまま顔を上げて相手の顔を見る。

 そこにいたのは――――、

 

「あれ、弾?」

「え? イチカか?」

 

 ――五反田弾、その人だった。

 

「弾……? …………いや、それはないだろ。この旅館は貸し切りだ。一般の人は入れないって千冬姉も言ってた……お前、何者だ?」

 

 そう言って、イチカは構える。なんだかんだ鈍感なイチカだが、それは愚鈍という意味とは違う。彼女もここまでそれなりの場数を経験している立派な戦士だ。

 が、

 

「いや…………普通に町内会のガラガラでチケット引いたって蘭が言ってたんだけどよ」

 

 弾の方は、むしろ警戒しているイチカに困惑しているようなリアクションだった。敵ならここまで警戒されておいてこんな能天気なことは言わない――というかここまで精巧に弾に変装できているのもおかしい。いくらISがなんでもありとはいえ――と考え、イチカは若干警戒を緩める。

 

「……って、蘭が? ってことは蘭も来てるのか?」

「おう。今日は家族で来てるよ。なんか団体さんも一緒らしいけどなー」

「………………………………?」

 

 弾だけでなく五反田家全員となると、流石になりすましの可能性は薄いだろう。となると、何かの手違いでやって来てしまっていることになるのだが……。

 

「……そうか……。そりゃ困ったな。明日、この旅館のすぐ近くでISの集団運転試験みたいなのがあって、一般人は立ち入り禁止なんだよ」

「テストってことか?」

「んにゃ、ISの方の試験だな。集団運用することによるコアネットワークの影響の確認……だったかな」

「ごめん、全っ然内容が頭に入って来ないわ」

「まぁ、素人には言っても分かんない内容だったかもな」

 

 と、イチカはちょっと偉そうに胸を張ってみる。弾のツッコミを期待しての言動だったが、弾はちょっと微妙な表情をするだけだった。

 ……ちょっとイヤミすぎたか? いやでもそんな大したことは言ってないし――と、ちょっと怪訝な表情をしたイチカは、そこで()()()()()()()()に気付いた。

 

 …………弾の目線は、明らかにイチカの胸元、つまり白いビキニに覆われた小さな丘へと向けられていた。

 

「…………どこ見てんだ馬鹿」

「え、えっ!? 分かったのか今ので!」

「ガン見しておいてよく言うなお前」

「が、ガン見…………」

 

 弾的にはチラ見だったのだろうが、男のチラ見は女のガン見とはよく言ったものである。

 

「……でもさ、仕方ねえだろ。そんな露出度高いビキニなんて着てたら、そりゃ俺だって男なんだし目が行くって」

「……………………露出度、高い?」

「いやまぁ、ビキニだからな」

 

 少し恥ずかしそうに言うイチカに、弾は頬を掻きながらそっぽを向く。

 イチカは少し照れながら、そんな弾に問いかけた。

 

「変…………か?」

「…………その姿には似合ってると思うけどよ」

「……………………そ、そうか。うんまぁ、せっかくの美少女ボディだからな!」

 

 そう言って、イチカはどんと自分の胸元を叩く。

 自信満々な表情を作ってはいるが、如何せん頬が上気しているので空元気の感が否めなかった。

 

「ま……とりあえず外行こうぜ。弾もその格好だと、元々外に行く予定だったんだろ?」

 

 気を取り直して、イチカは弾に呼びかける。

 おそらく弾については何らかの手違いがあったのだろう。警備の問題もあるので、弾達はすぐに別の旅館に移動ということになるだろうが、だからといってせっかくの旅行なのにすぐに帰されるのを黙って見ているのは友人として忍びないし、外出に付き合ってやるくらいのことはしよう――そう思ったのだ。

 

「お、いいのか? お前も学校の仲間と一緒に来たんだろ」

「あー、まぁな。でもちょっと疲れたから先に旅館に戻ってきてたんだ。ちょうどいいタイミングだったよ」

 

 イチカは苦笑しながら、弾の横に並び立つ。その苦笑だけでもうイチカがどんな目に遭ったのかなんとなく分かってしまうのが、弾としては少し物悲しかった。

 

「…………いつもあの試合みたいな感じなのか、イチカは。いや、その前のクラスマッチも見てたけどよ」

「大体あんな感じ」

「Oh...」

 

 弾は思わず片手で目を覆い天を仰ぐ。以前イチカの境遇を『妬ましい』とさえ感じていた弾だったが、さすがに触手プレイやら疑似時間停止プレイやらが日常茶飯事な世界というのは彼の守備範囲外である。

 あくまで彼がしたかったのは、『女の立場を生かして女子更衣室に潜入』とかそういうラブコメの範疇のスケベであり、凌辱ゲーのヒロイン的なアレではないのだ。

 それはさておき、弾の横を歩きながら、イチカは白のパーカーをどこからともなく引っ張り出す。使わなかったパーカーはISの格納領域に収納していたのだ。

 ちなみに、これは千冬特製のものなので、着ることでイチカの身元をわからなくする効果()存在する。

 

「あ、一応上に一枚羽織るのな」

 

 羽織ったパーカーのチャックを上まできっちり締め、砂浜に来た当初と同じような太ももから上を完全にパーカーで覆った完全防御モードになったイチカを見て、弾はぽつりと呟く。

 

「そりゃそうだろ。あんな格好で人前に出るのは恥ずかしすぎる。っていうか、旅館には関係者しかいないからあの格好でいたわけで……、…………」

 

 そこまで言って、先ほどのことを思い出したのか、イチカはかあっと顔を赤らめた。完全に地雷を踏んでいた。

 

「あっ、あー…………あ、そうだ。あれから、蘭がイチカを遊びに誘えってうるさくてさー。俺は、『アイツは忙しいからそう簡単には会えないんだ』って言ってるけど……」

「ははは……、迷惑かけてごめんな」

「迷惑ってほどじゃねえよ。でも、実際のところ忙しいのか?」

「んー……まぁ、平日はけっこう忙しいことが多いかな。タッグトーナメントの後は少し休みがあったけど、……色々と大変で、それどころじゃなかったし」

「そうだよなぁ」

 

 色々と――というのは女体化のことだったが、イチカはあえてそれを濁して笑った。弾はそんなイチカには気付かず、釣られて笑いながら頷くだけだ。

 

「そういえば、今俺特に何も考えずにお前について行ってるけど、今どこに向かってるんだ?」

「あー、ちょうど街のほうでイベントをやってるんだよ。知らないか?」

 

 そう言って、弾は手持ちのタブレット端末を操作し、イチカのほうに見せてくる。

 そこに書いてあったのは、フリーマーケットの告知――のようなものだった。どうやら、このあたりの町内会が運営しているポータルサイトのようだ。このご時世、町内会の催しも電子化されてこうしてタブレット端末から閲覧できるのである。

 

「鳥風町フリーマーケットだと。お前らは気付いてないかもしれねえけど、IS学園の生徒が臨海学校に来るって言うから周りは結構盛り上がってるらしいぞ。こんな調子でイベントがいくつか開催されてるし」

「そ、そうだったのか…………」

 

 驚くイチカだが、ISというものの性質を考えればある意味当然かもしれない。

 出版の様式を塗り替えたように、サブカルチャーに新たなジャンルを作り出したように、女性の地位を向上させたように――――ISというものは、ただ動くだけでも広範囲に影響を及ぼす。まるで、作り主である束の行動がいかなるものであっても大なり小なり混沌を齎すという性質を継承しているかのように、だ。

 だからその前提で言えば、IS関係で何かのイベントが起こった時点で、何か別の物事が追加で発生するのは当然の帰結とも言えるのである。

 

「で、フリマに行って何を買うつもりなんだ?」

「特に決めてねえけど、なんかゲームがあったら買おうかなってくらいだ。あと、蘭にお土産だな」

「妹思いの兄貴だなぁ」

「俺だけ掘り出し物を手に入れたら、機嫌悪くなるんだよアイツ…………」

 

 と思いきや、弾の家庭内でのヒエラルキーが低いだけであった。兄というのは悲しいものである。妹でよかった、とちょっぴり思ったイチカだった。

 

「…………いや、俺は弟だよ!! 妹じゃないよ!!」

「……知ってるけど」

 

 危うくモノローグレベルで妹になりかけていたイチカだったが、寸前のところで我に返り首を振る。傍から見ていた弾はちょっと不審そうにしていたが、やがて気を取り直して、

 

「イチカはなんかほしいものあるのか? このフリマ、何でもあるってふれこみだけどさ」

「んー……そうだな。少し小物類がほしいかな? 湯呑とか」

「あれ、お前ってマイ湯呑持ってなかったっけ」

「あれは家に置いて行ったんだよ。だから、学園で使う用のがほしいなって」

「どうでもいいけど、湯呑ってセンスがもうじじくさいよな…………」

「そうか?」

 

 あきれている弾に、イチカはきょとんとして首を傾げた。…………おそらく素でやっているのだろうが、ちょっと元男とは思えないかわいさだった。

 弾は無言で視線を前に戻す。

 

(なるほど、これで男だったときは数多のお姉さまをバッサバッサとなぎ倒していったわけか……。天然ジゴロって称号の意味を今理解したぜ)

 

 元が男だとわかっていても、ちょっとくらっときてしまった弾なのだった。

 

***

 

「わー、意外としっかりしてるなぁ!」

 

 会場に到着したイチカは、そこに並んだ店の数々を見て思わず感嘆の声を漏らす。

 彼女の反応も無理はない。フリーマーケットといえば大概はビニールシートの上に品物を並べる程度のいわゆる『露店』、設備があっても精々『屋台』程度が限度だが、ここはどういうわけか簡易的ではあるものの、きちんとした『店舗』が並んでいる。

 

「企業が参入してるとかなのか? っていうか、よくこれだけ建てれたなぁ……。ここ、多分元々は公園だっただろうに」

「あー、これって基本的にコンテナらしいぞ。それっぽく装飾してるだけで」

「コンテナ!?」

「おう。コンテナを並べて、子供が遊ぶブロックの玩具みたいに店の形をデザインしてるんだと。なんかIS関連の技術が使われてるらしいぞ。なんだっけ、パッケージがなんとかって書いてあるけど」

「へ、へぇ……」

 

 初耳な情報に、イチカは思わずたじたじとなってしまう。ものの一日でこれだけの『街並み』を作れる技術がIS関連とくれば、なるほど確かに『世界のありようを変えた』という触れ込みは少しも大袈裟ではないだろう。

 単純な戦闘力に限っても、決して大袈裟ではないのだが。

 

「しかし、けっこう混んでるなぁ」

 

 弾の横を歩きながら、イチカはあたりを見渡して言う。IS関連技術を使う――なんて仰々しさからも分かるように、フリーマーケットの規模はかなりのものだった。

 こうして歩いている間も人の行き交いは止まらず、身体を傾けないと向かってくる人の肩とぶつかってしまいそうになるほどだ。千冬特製のパーカーがなければ、今頃とんでもないパニック状態になっていたに違いない。

 

「はぐれないようにしろよ?」

「そんなに頼りなく見えるか?」

「見えるから言ってるんだけど……」

「……………………」

 

 申し訳なさそうに、しかしストレートに言った弾に、イチカは急速にむすっとしながら先を急ぐ。弾の歩調を完璧に無視したその動きに、弾は笑いながら後を追う。

 

「ごめん! 今の冗談! イッツジョーク!」

「おらおら早くついて来いよ。頼りないイチカちゃんは目を離したらすぐはぐれちまうぞ。勝手に自分で自分の買い物済ませて旅館に帰るぞ。俺のことを探してる弾だけが置いてけぼり食らうはめになるぞ」

「それ迷子じゃなくてただ俺を振り切ってるだけじゃねーか!」

 

 実は両者ともに『イチカとはぐれたら弾が一生懸命探してくれる』という前提で話を進めているあたりたぶんラウラあたりが見ていたら萌死していただろうが、あいにく二人ともそのことにはまるで気付いていないのであった。

 と、何だかんだですぐ歩調を緩めたイチカに追いついた弾が、前方にある吊り看板に気付く。

 

「お、ここじゃないか? 和風小物売ってますって書いてあるぞ」

「入ってみるか」

 

 適当に言い合って、二人はコンテナを積み上げられて作られたとは到底思えない外観の店舗の中に入っていく。

 店舗の中は、コンテナの壁をぶち抜いているのか、明らかに積み上げられたにしては天井が高く設計されていた。弾の上にイチカが肩車して手を伸ばしても天井には全然手が届かないくらいの高さである。

 内装も和風のインテリアで整えられているせいで、コンテナの無機質な印象は全くない。イチカは『鈴が見ても文句言わないだろうな』――なんて思ったりしていたが。

 

「んで、どの湯呑がいいんだよ?」

「待てよ、今ちょっと見てるから」

 

 入店後数秒で結論を求めだす待てない男五反田弾を制止するように言って、イチカは売り場に近づいていく。待て、と言ったものの、大体ぱっと見でどの売り場に自分がほしそうなものがあるかというのはイチカにも分かる。イチカはキャラクターが描かれている小物売り場にやってきて、

 

「これとかよくないか?」

 

 子猫のデザインの箸置きを手に取った。

 

「湯呑じゃねーじゃねーか!」

「いやでも、この箸置きよくないか?」

「お前……センスが女…………いや、そもそも箸置きをわざわざ買おうとしている時点で女っぽくはないのか…………?」

 

 箸置きを手に取ってきゃーこれかわいーい、なんて言っているのは、弾的には女子と老人の境界線上でうろちょろしている存在にしか見えなかった。

 

「いや、それにしたって子猫はないだろ」

「そうか? けっこうかわいいと思うんだけどなぁ」

「…………お前、女だろ」

「なんでだよ! 男だよ!」

 

 自分のお土産の判断基準に可愛いかどうかを持ち出しちゃうのは、弾的には女の子なのだった。

 

「そうじゃなくて、湯呑だろ湯呑。関係ないもん見ても時間の無駄じゃね? 買うんなら別だけど」

「いや、うーん……。買わないけど、一応見ておきたくない?」

「お前、女だろ」

「なんでだよ! 男だってば!」

 

 買いもしない品物を延々と眺めては品評したりしちゃうのは、弾的には女の子なのだった。

 

「そうだ。この湯呑とかどうだよ? 魚の難読漢字がずらっと書いてあるやつ。面白くね?」

「えー……ないわー……」

「な…………ないか…………?」

「ああ。だってこれ全然かわいくないし」

「やっぱお前女だろ!!!!!!」

「だからなんでだよ! 俺は男だ!!」

 

 自分のお土産の判断基準に可愛いかどうかを持ち出しちゃうのは、弾的には女の子なのだった(数十秒ぶり・二回目)。

 

「こういうところのお土産なんだしちょっとくらいかわいいやつ選ぶだろ! 何も女物じゃなくてもさ……こう、かわいげがあるものっていうの? 分かりやすい女向けじゃなくて、なんかこう……そういうのだよ! あと魚の漢字が書いてある湯呑は単純にダサい!!」

「ださっ…………ダサいか……。………………うん、俺は女と縁がないからな、そういうセンスとか全然ないからな………………」

 

 イチカにダサいと断言されてしまった女に縁がない非モテ童貞こと五反田弾は、意気消沈しながら矛を収めた。

 確かに、言われてみればお土産にちょっとかわいいものを選んだりすること自体は、男でも普通なのかもしれない。弾は思春期ボーイなのでそういうのを避けがちだが、女の園で暮らすイチカはそういった判断に忌避感がないのだろう。中学の時は同じような思春期ボーイだったはずなのに……と弾は時の流れの残酷さに遠い目をした。

 

(イチカが女みたいなかっこしてるからって、ちょっと考えすぎてたか…………)

 

 冷静になろうと、弾は少し深呼吸する。

 イチカの方はというと、呆れた調子で溜息を吐きながら、

 

「んじゃ、これ買って来るよ。蘭へのお土産に箸置きも買おうかな」

「いや、うち別に箸置きとか使わないから……」

 

 そう言う弾だったが、イチカは特に気にせず箸置きも持って行ってしまった。イチカからのプレゼントだと知れば後生大事に使いそうなので無駄にはならないだろうが。

 

「しかしお土産っつーかプレゼントに箸置きはないだろ……。…………まぁそのへんはイチカらしい、か」

 

 そんな彼女の背中を見送りながら、弾は少しだけ安心したように苦笑した。

 

***

 

「……大分混んできたな」

「もうそろそろ日も暮れて来て、外に出やすくなったからなぁ」

 

 流石に日中は太陽が照っているので人も少なかったが、日が傾いてくると気温も下がってくる。とはいえ下がりすぎると今度は寒くなるから――ちょうどこの時間に、人が多く集まってくるというわけなのだ。

 

「弾のお土産も見ないといけないし、さっさとしないとな」

 

 イチカはそう言って、弾の前を歩き出す。弾も慌ててイチカを追うが、やはり人の多さは如何ともし難かった。

 

「っつか、先に行くなってイチカ!」

「なんでだよ? ゲームが売ってるところに行くんだろ。さっき売り場の場所なら調べておいたから、はぐれたってどうせすぐ合流できるよ」

「そういう……問題じゃ……ねえだろうがっ」

 

 そう言って、弾は必死の思いでイチカを掴む。

 ぐい、とそのまま腕の力でイチカを引き寄せた弾は、そのままイチカに言う。

 

「今のお前、よく分かんないけど、騒ぎになってないってことはまたこの前みたいに正体を隠すなんかをしてるんだろ? そんな状態で人ごみに突っ込んで行ったら、厄介事に巻き込まれるかもしんないだろうが」

 

 具体的に言うと、悪い男の人に目を付けられる的なアレである。ただでさえ水着姿で傍から見たら大分隙が多めなのだし、イチカという『侵しがたい聖域』の認識がない状態で、しかも弾とはぐれた状態だったなら…………誰かにちょっかいかけられるくらいはする可能性が高い。

 男の時は、顔は『そこそこ』というレベルだったので鈍感でも特に問題はなかったが――今は紛れもなく『美少女』だ。イチカも自分が美少女であるという自覚はあるらしいが、やはりそこは鈍感朴念仁唐変木。『美少女である』ということが分かっていても『だから周りがこう反応する』ということにまで考えが回らないからこその織斑イチカである。

 

「わ、分かったから……! 分かったから、悪かったからお前もちょっと落ち着け……!」

 

 イチカは気持ち焦りながら、弾を伴って道の脇に移動し、足を止める。顔を赤くして妙に慌てているイチカに怪訝な表情を浮かべた弾は、そこで自分がイチカの腰に腕を回して引き寄せていたことに気付いた。

 …………端的に言って、かなりの密着度である。

 

「っ……! スマン!」

「ほんっと……! いきなりはやめろ……!」

「……………………何でちょっと照れてんの? 男同士なのに」

「あ? なんだ変態、このタイミングで俺が悲鳴あげたらどうなるか分かってんの?」

「すまん俺が悪かった」

 

 平身低頭である。

 それはそれとして、照れてることを否定しないあたりなんだかなーと思う弾であった。

 

「はぁ……こういう接触みたいなのは学園のセクハラで散々慣れたつもりだったけど、まさか男に抱き寄せられる日が来るとは思ってなかったぞ……」

「面目ない……」

 

 イチカはげんなりとした様子で溜息を吐いて、

 

「それに、そもそも俺はこう見えて手負いの熊程度なら倒せるくらいには強いぞ? それともナンパ男にビビるようなタマに見えたかよ?」

「そうじゃなくて、騒ぎを起こすなっつってんだ。学校の用事で来てるんだろ、暴力沙汰になったら面倒じゃねーか。お前、男相手だとカッとなったらすぐ手が出るだろ」

 

 弾はイチカの額を軽く突く。思わず『うっ……』と呻いたイチカに、弾は思わず苦笑した。

 

「…………お前は変わんねーな」

「……何がだよ?」

「修学旅行の時を思い出してな。そういえばあの時も、お前はナンパされてたウチの学校の女子を助ける為に後先考えず突っ込んで行ってたっけ」

「……あの時は悪いことしたよ」

「ほんとだからな! あれをどうにかこうにか丸く収めるのに俺がどんだけ苦労したことか……! 鈴も一緒になって暴れやがるから大変だったんだぞ!」

「すみませんでした…………」

 

 語気を強める弾に、イチカはただただ恐縮するばかりだった。

 

「…………ま、そん時は鈴が転校する前に、最後に良い思い出ができたけどな」

 

 そんなイチカに、弾は照れくさそうに付け加える。すると、イチカの方もにやりと笑い返した。

 

「それに、いくら追い返すっつったって、お前も男にナンパされるってだけで気分悪いだろ」

「あー…………そりゃ、なぁ……」

 

 そう言われて、初めてイチカは自分がナンパされたときの生理的嫌悪感に思い至ったらしく、若干眉を顰めて見せる。弾はそんなイチカの表情を横目に見ながら、

 

「なんつーか」

「?」

「いや、なんでもない」

「なんだよ、気になるじゃんか」

「なんでもねーって」

 

 ――――お前、今は『どっち』なんだ?

 なんてことを今のイチカに面と向かって聞けるほど、弾は勇気を持っていなかった。

 趣味嗜好、ふとした反応は明らかに女性的な色が滲み出ている。少なくとも今までの『織斑一夏』では全くない。だが一方で――――こうした負けん気の強さや、根底に感じられる精神性は、寸分たがわず『織斑一夏』のままのようでもある。

 ……弾自身、目の前の()()をどう見れば良いのか分からなくなってきていた。

 が、そんな気持ちはおくびにも出さず、

 

「ただちょっと前に会った時よりおっぱい増量したか? と思って」

「…………え、まじ?」

 

 …………適当なセクハラをかまして誤魔化そうとして、自分が致命的な墓穴を掘ったことに気付いた。

 

「いや、冗談だよ。短時間で胸がでかくなったりするわけないだろ」

「………………そ、そうだよな! このやろう、性質の悪い冗談かましやがって!」

 

 イチカはそう言って声を明るくしたが、その笑みは完全に引き攣っていた。

 それ以前に。

 なんで胸が大きくなったなんて荒唐無稽な冗談を真に受けたのか。

 なんでそんな冗談が『性質の悪い』ものになっているのか。

 

 イチカは、嘘が吐けない少女である。

 

「………………………………」

「………………………………」

 

 流石に、もうそこを無視して話を進めることはできなくなっていた。

 

「そういえばさ」

 

 ふと、弾は呟くように言った。

 イチカはその横で、ただ黙って弾の顔を見上げる。その表情は、まるで弾が次に何を言うのか分かっているかのようだった。

 弾はそんなイチカを横目で見て、それから上まで上げられたチャックで今は完全に覆われている胸元に視線を落とし――それから前へ向き直した。

 

「なんで、ビキニなんだよ?」

「変か?」

「そうじゃなくて!」

 

 この期に及んでしらを切ろうと努力しているのだろうか、きょとんと首を傾げるイチカに、弾は首を振る。

 

「そうじゃなくて……何で女の格好でいるんだよ? 男の状態で水着を着ればいいじゃん。…………、……ま、眼福だけどな」

 

 拝みながらそう言って、少し茶化そうとした弾だったが…………やはりどこかその笑みはぎこちない。

 ()()()友人に、イチカは苦笑しながら、

 

「あー…………」

 

 一瞬、どう答えようか迷った。

 素直に『戻れなくなった』なんて言ったら、きっと弾は心配するだろう。そんな心配をかけたくはなかった。

 ただ、一方で今更しらを切り通そうとしたところで、そう上手くは誤魔化されてくれないことくらい、イチカにも分かった。

 

「……どうしたんだ?」

「いやまぁ、これには深い理由が、ね」

 

 誤魔化すように、曖昧な笑みを浮かべるイチカだったが、弾の真剣なまなざしが変わらないのを見て取ると、観念したように目を伏せた。

 

「……実は、戻れなくなったんだ」

「…………え?」

「男にさ、戻れなくなったんだ。理由はよく分かんないけど。さっき、熊を素手で倒せるって話しただろ? あれは俺の地力もあるけど、コイツも関係してる」

「は……、なんだそれ。大丈夫なのか?」

 

 困惑する弾に、イチカは頬を掻きながら、

 

「明日までに戻れなかったら、一生このままらしい」

「はぁ!?!?!?」

 

 弾が思わず素っ頓狂な声を上げて、それから慌てて自分の口を抑える。周りの人達は、歩きながらも弾達に怪訝そうな視線を向けていた。

 弾はコンテナ群の奥の方へイチカの手を引っ張りながら、

 

「どうすんだよ、それ。ヤバいんじゃねーのか?」

「もしも戻れなかったら、弾に嫁にでももらってもらうかなぁ」

「馬鹿野郎! 冗談でもそんなこと言うんじゃねえ!」

 

 のほほんと、いっそ呑気にと言っても良いくらいの調子で言い切ったイチカに、弾は喝を入れるように言う。

 イチカは、別に諦めたわけでもなければ本気でそうしようと思っているわけでもないのだろう――――だが、常の勝気な彼女であれば、間違ってもそんな言葉は決して出てこないはずだった。

 諦めた訳ではない。だが、全く不安を感じていないわけでもない。

 そんなイチカの心情が、弾には感じられた。

 

(こいつ、本当に『鈍感』だからな…………)

 

 弾は、自分が困っている自覚にすら気付けないという、世話の焼ける親友に内心で溜息を吐きながら、

 

「満更知らない仲って訳でもねえ。もしも本当にダメで、お前が女として生きていくしかなくなったら、その時は俺だって考えてやる。だがな、結果が出る前から弱音を吐くなんて、お前らしくねえ。そうだろ」

 

 そう言って、弾はイチカの肩を掴み、その瞳の奥を覗き込むようにして言う。

 

 結局、弾は根本的な部分でただの一般人だ。ISの知識なんかさっぱりだし、技術もないからいざってときにイチカを守ることだってできない。むしろ、弾の方が守られる側だろう。彼がイチカの為にしてやれることなんか、殆どない。

 でも、だからこそ。

 こういうときに、友人が弱っているときに、その背中を支えて、きっちり立たせてやるのが、せめてもの協力だろう。

 

「どんな絶望的な状況でも、諦めない。無鉄砲でも何でも、自分の理想をもぎ取る為に突っ込んでいく。そんでもって最後に憎たらしいほどの成功を掴んでみせるのが、『織斑一夏』だろうが!」

 

 それに対し、イチカは、

 

「…………………………何が、成功なんだろうな」

 

 そう呟いた瞬間のイチカの表情が、あまりにも美しすぎて――――弾の心臓が、大きく高鳴った。

 

「お前、」

「――――なんて、冗談だよ。………………おかげで目が覚めた。そうだよな。最近すっかり甘やかされっぱなしだったから、忘れてたよ。最後まで泥臭く足掻いてこその俺だよな」

 

 呆然と手を離した弾の前で頷くイチカの横顔には、やはり輝かしい意志の光があるように感じられる。一瞬前の美貌なんて、弾の見た幻だったとでも言うみたいに。

 そんな風にあっけにとられている弾に、イチカは悪戯っぽく笑いかけ、

 

「…………だから、精一杯頑張って、それでもだめだった時は……責任とれよ?」

「……………………ごめん、さっきの台詞は取り消しで」

 

 今度はからかう為の冗談だと分かった。

 

「この薄情者ー! だからお前はモテないんだよ!」

「モテないのは今関係ねぇ――だろうがッ!」

 

 二人はそうやって、ただの友達みたいな馬鹿話に興じていく。

 どっちが()()()なのか、何が成功なのか――――。

 

 それは、今の弾には分からなかった。



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第三三話「本編(2)」

「いや、お食事もいいんだけどさー、その前にちょっとイベント挟ませてね?」

 

 相変わらずのメタ発言を交えながら、束(浴衣姿)がそんなことを言ったのは、ちょうど夕食前のことだった。

 

「なんでもいいですが、さっさとしてくださいます? わたくしはイチカさんにお刺身をあーんするというスーパー大イベントを前にお預けを喰らっているのですから」

「へいへいそいつは野暮だぜイギリスガールA! っていうか一大イベントならこっちも超ウルトラハイパー一大イベントなんだからね!!」

「頭悪いイベントの予感がする…………」

「だまらっしゃいっちゃん!」

 

 不機嫌そうなセシリア(浴衣姿)の横で、ごくごく常識的な見解を言ったイチカ(浴衣姿)。束はそんなイチカをその一言で黙らせ、パチン、と指を鳴らす。

 すると、そこらで各々好き勝手遊んでいた学生達(浴衣姿)が一斉に集まり、イチカの向かいで食事をしていた箒(浴衣姿)を取り囲む。それだけでなく、どこからともなくじゃじゃじゃじゃーん、じゃじゃじゃーんというBGMが流れてきた。

 イチカは、困惑を多分に含んだ表情で首を傾げる。

 

「なんで結婚式のBGMが……」

「いやぁ、こういうときどんなBGMを流せばいいのか分からなくって。まぁ、ある意味箒ちゃんと私の結婚みたいなところあるし?」

「それはないぞ、姉さん」

 

 きっぱり断言する箒をよそに、まるでモーセの伝説のように人の波が横に割れていく。

 人の波の向こうにあったのは、一機のISだった。

 深紅のカラーリングの、先鋭的なデザイン。エンジン音だけ聞いてブルドーザーだと分かるように、ISの機構についてまだそこまで詳しくない一年生でもそれが凄まじい技術によるものだと分かった。

 

「――――はいっ! というわけで、束さん謹製の箒ちゃん専用第四世代IS、その名も『紅椿』だよ! 箒ちゃん、お誕生日おめでとうっ!!」

「え、」

 

 それに対し、困惑を示したのは箒だった。

 ()()()()()()()()では箒専用ISの開発は箒の要望だった節があるが、この世界の箒はイチカのセクハラに大忙しだったのでそういうことを考える余裕がなかったのである。

 

「いや、姉さん、いくら身内でもその、コアを一つ増やしたりしちゃうのは条約的にマズイのでは……?」

 

 わりに常識人なところもある箒は、顔色をうかがうように千冬の方を見てみるが、呆れこそしているものの特に止めようとしている様子はない。OKということらしかった。まぁイチカの存在からして色々フレキシブルなので、ここのところを気にするだけ無駄なのかもしれない。

 そして、それを目の当たりにしていた一般生徒はというと――――

 

「おめでとう、篠ノ之さん!」

「イチカちゃんの白と箒ちゃんの赤で紅白だね、めでたいね」

「おっ一箒CP復活か?」

「もうルート固定されてるよ」

「弾ルートで?」

「鈴ルートに決まってんじゃん」

「もうハーレムルートでよくない?」

「あ?」「お?」「は?」

 

 そんな感じで、概ね歓迎なのだった。

 そこかしこでCP論争に発展しているのはいつものことなので気にしてはいけない。

 

「……みんな、いいのか? 卑怯とかずるいとか、そのへんのくだりやらなくても」

「いや~、というかね」

 

 一部始終をみんなと一緒にわいわいしていた本音は笑いながら、

 

「いい加減、次期代表とか専用機持ちとかでレギュラーメンバーを一言で言い表せないのが面倒でね~。モッピーが専用機ゲットしたら、晴れてレギュラーメンバーを『専用機持ち』でひとくくりにできるから」

「ああ……それで…………」

 

 大歓迎の理由が果てしなくメタいのだった。

 

「でも、ありがとう姉さん。大切にするよ」

「いやー束さんとしては秒でブッ壊すくらい乱暴に扱ってほしいんだけどもね。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 なんか良く分からないことを嘯く束はさておき、それを受けて素知らぬ振りをしていたイチカはじめその他の面々も動き出す。

 

「――――やれやれ、束さんが新型ISなんてモン出したから霞んじゃったけどな」

「お誕生日、おめでとうございます、箒さん」

 

 そう言ってセシリアは、虚空から一つの箱を取り出す。

 そこに載っていたのは、真っ赤なリボンだった。

 

 直後、急に旅館の照明が消される。

 

「…………ライトアップの準備は、完璧……」

「フン、この程度軍事作戦に比べればなんてことない」

 

 いつの間にか宴会場の隅に移動して照明を操作していた二人の活躍なんかもありつつ。

 

「そして、やっぱり誕生日にはこれがないとね!」

 

 ボッと、呆然としている箒の目の前に、一六個の明かりが現れる。いや、それはただ独立した明かりではなかった。

 正確には、ケーキに灯された一六本の蝋燭。

 

「お前達…………」

「あたし達なりに、一生懸命選んだから、きっちり喜ばないと許さないんだからね」

 

 そう、鈴音は照れくさそうに付け加える。なんてことなさそうに言っている鈴音だが、隣でリボンを差し出しているセシリアは知っている。彼女こそ、最後の最後までどんなものを贈ろうかでずっと悩んでいた張本人だと言うことを。

 ちなみに、送るものはリボンにしよう、というのはイチカの発案だった。曰く、よく使うからたくさんあっても困らないだろうし、気持ちが伝わりやすいだろうから――とのこと。こういうところで無駄に最適解を叩き出すからお前は天然ジゴロなんだ、と鈴音に詰られるハメになっていたのはちょっと可哀想だったが。

 

「せっかくの誕生日に、怒られるのは御免だ、なっ……!」

 

 箒は、目に涙すら浮かべながら、渡されたリボンを受け取り、早速新しいものに付け替える。

 

「…………どうだ、……似合う、か?」

 

 少し背中を逸らして、ポニーテールを周囲に見せる箒に対し、イチカは迷わずこう返した。

 

「――ああ、めちゃくちゃ似合ってる」

 

 

「……だーかーらーよ――――おぉ…………」(注・鈴音です)

「ひいっ!?」

「そぉぉぉやって無意識にイケメンかますから誰彼かまわず引っ掛ける天然ジゴロが出来上がるんだろうがよぉぉぉ」(注・鈴音です)

「えっ、えっ!? 今俺何か悪いことしたか!? 普通のやりとりだったよな!?」

「う、うむ…………正直、一瞬かなりきゅんときてしまった……」

「おぉぉぉらぁぁぁああああああああ!!!!」(注・鈴音です)

「り、理不尽だあ――っ!!」

 

 ………………ちょっと前の辺りで終わっておけば、良い話で済んだのだが。

 しかしまぁ、そこで終われないのが、彼女達のいいところなのかもしれない。

 

***

 

 そんな感じで、わちゃわちゃとした食事前のイベントなどがありつつ。

 大宴会場では、束が箒に紅椿の仕様を説明している真っ最中であった。……まぁ、外野のイチカは聞く気など皆無なのだが。

 なんか『世界の壁をブチ破って』とか聞こえてはいけないワードが聞こえたような気がしたが、イチカは気にしないことにした。世界の壁くらい、千冬ならその気になればいくらでも破れる。

 

「やー、改めて見ても壮観だなぁ、この風景」

 

 そう言いながら、イチカは胡坐をかいて辺りを見渡す。流石に大宴会場というだけあり、総勢で二〇〇人近いIS学園一年生がまるまる入っていても息苦しさは一切感じられない。これだけの大人数の料理を作る旅館の方に、イチカは素直に感謝と『どうやって大人数の料理を作る工夫をしてるんだろう?』という主婦的好奇心を抑えられなかった。

 

「…………ってイチカ、あんたなんてカッコしてんのよ」

 

 と、そんなイチカの姿を見咎めたのは、セシリアの隣に座っている鈴音だった。

 そう、イチカは現在絶賛胡坐中である。浴衣姿で。流石にラノベ的お約束に則って和服の時はノーブラノーパンという感じにはなっていないので、下着はちゃんと着ているのだが、胡坐をかくということは足回りが肌蹴やすくなるということでかなり危険な状態なのだった。あと、単純に見栄えが悪い。

 

「別に公式な場でもないから足を崩すなとは言わないけど、胡坐はないでしょ、胡坐は」

「そういう鈴はどうやって座って……、……って」

 

 そう言ってイチカは少し身を逸らして鈴音の座り方を確認する。

 鈴音は、いわゆる女の子座りだった。確かに足を崩してはいるが、浴衣は崩れていない。翻ってイチカの座り方だと、浴衣はぐちゃぐちゃになっていた。

 

「あーもー、乱れちゃってるじゃん。ちょっと立って。直したげるから。……ったく、せっかくあたしが着付けしてやったのに…………」

「いや、でも俺男だし」

「それとこれとは話が別よ! こういうのにはお作法ってもんがあるの!」

「うー…………」

 

 見かねた鈴音がイチカを立たせ、着物を整えてやる。

 

「座るときには、膝を立てて座るのではなく全身を曲げるようにして座るとお着物がずれたりしませんわよ」

 

 横に座るセシリアが助言を与えてくれる。というか、欧米人のセシリアはじめ他変態集団まで浴衣の扱いが完璧なのは一体どういうことだろうか、とイチカは思った。

 イチカは知らない。イチカのへっぽこ具合を楽しむのに自分がへっぽこだったら意味がないということで、彼女達が本気で着物の着付けを勉強していたのを。

 

「はい、これでよし」

「ありがと」

「いいのよ、こんくらい」

 

 適当に言い合って、鈴音はあっさりと自分の席に戻って行った。

 イチカも、他の面々を見習って着物が崩れないように座る。……なんだか女の子みたいな座り方で、どことなくむずがゆい気分だった。

 

「さてイチカさん。これで前準備は完了、これからはお夕飯の時間(ショータイム)ですわよ!」

「いやあの、セシリアさん……」

「はい! あーんしてくださいまし!! あーん!! あーん!!!!」

「セシリアさん、後ろ…………」

 

 よほど楽しみにしていたのだろうか、執拗なまでに刺身をイチカに食わせようとしているセシリアの背後を指差すイチカ。その表情は、明らかに強張りまくっていた。気になったセシリアは、何の気なしに振り向いてみる。

 

「は……? 後ろがどうかしたのですか? このポジションはきちんとじゃんけんで勝ち取ったものですので鈴さんにボコボコにされる謂れはありませんが、」

「ほう、では今の貴様の行動が何の問題もないというのか? オルコット」

 

 そこには、織斑先生(浴衣姿)が佇んでいた。

 

「箸の扱いの上達は認めるが、『いただきます』の前に箸を掴んだ者は始末するのが決まりなんだ」

「なっ、そんな決まりがどこに……、」

「さっき私が決めた」

「でっ、ですわ――――っ!?!?!?」

 

 そしてツッコミは、未知の領域に突入する。

 …………ツッコミというか、八割がた教育的指導(しつけ)のような気がしないでもないが。

 

 そんなわけで、お座敷の大宴会場でお夕飯なのであった。

 

 どうも花月荘では館内浴衣着用が推奨されている(着用しないと旅館の人が悲しい顔をする。あとウサ耳お姉さん型UAVがどこからともなく表れて全裸に剥かれてしまう)らしい。楯無や虚だけでなく、千冬も浴衣を着ているのだからほぼ強制のようなものだが。

 ちなみに座る場所については、戦争が起きないようにという配慮でイチカが一番隅に配置され、仁義なきじゃんけん大会を制したセシリアがその隣に座る栄誉を獲得していた。

 そのさらに隣には鈴音がいるので、セシリアが何かしようとした瞬間、走行車両をくの字にひしゃげさせる肘鉄が炸裂するのだが。

 

 なお、弾については身元が分かっているとか千冬じきじきに安全を確認したとか変態達の熱い推薦があったとかで結局旅館に留まることが許されたりなんだりなのであった。それでいいのか、IS学園。

 流石にこの大宴会場にやってきたりはしていないが、夕飯が終わったらイチカは弾と合流するつもりでいた。弾と一緒に遊べる機会は少ないので、会える時に遊んでおこうという考えだ。

 …………変態達から見たら遠距離恋愛中のカップルみたいな雰囲気なのだが、当人にその自覚は全くなかった。それでこそ鈍感の権化である。

 

「うう……酷い目に遭いましたわ……」

 

 横で座るセシリアは、頭を抑えながらそんなことを呟く。

 流石に千冬も、普段束にやっているようなトンデモ攻撃を生徒にしかけることはないらしく、やったことは出席簿で軽く頭を叩く程度で、軽い注意に留めたようだ。

 それでも、出席簿アタックはそれなりに痛かったが。

 

「しかし、千冬姉も言ってたけど、セシリア、箸の扱い上手いなぁ」

「まぁ、このくらいは」

 

 イチカの言葉に、セシリアは少し照れくさそうに微笑んだ。

 

「箸で豆をつまむ訓練をしておりましたが、もともと豆をつまむのはそれなりに得意でしたので」

「は? へぇ……良く分かんないけど」

「セシリア。そっち方向のネタは私達以外には通じないと思うよ?」

「え? ああ、ボケてたの? ごめん」

「ツッコミが雑ですわごぶぅ!?」

 

 ぞんざいに吹っ飛ばされたセシリアは、起き上がると憤慨して、

 

「ちょっとお待ちくださいまし! どういうことですの今のは! ボケに気付いたならツッコむ、気付かないならツッコまない、どちらかにしてくださらない!? そういう風に扱われるのは悲しいのですわ!!」

「面倒臭いわねこの変態…………」

 

 変態というより構ってもらいたいだけなのかもしれない。

 

「はぁ……。まぁいいですわ。せっかくイチカさんの隣に座れたのですもの。あまりギャースカ喚くのも淑女としてみっともないというもの」

「既にみっともないんじゃないか……?」

「今までのは淑女の嗜みというヤツですわ」

 

 呆れるイチカに、セシリアは澄ました顔で言う。イギリスの淑女というのは随分アグレッシブらしいな、と思うイチカである。

 

「では、あーんいたしますわよ」

「待てセシリア」

「…………なんですの? ラウラさん。早くしないとせっかくのお刺身が酸化して味が落ちてしまいますわ」

 

 刺身を箸で器用につまんだまま、セシリアはラウラの方に視線を向ける。

 ラウラは真剣な表情で、セシリアにこう言った。

 

「…………それ、なんかもう普通の学園ラブコメでやるようなことになってないか? 別にここでやらなくてもよくないか?」

「かぁ――ッ!! これだからテンプレばかり与えられてきた甘ちゃんは!!」

 

 エレガントで淑女に相応しいリアクションをとったセシリアは、真剣な表情のラウラに向かって、

 

「いいですかラウラさん。イベントが同じでも、そこに介在している属性がTSならそれは立派なTSFイベントなのです。TSっ娘に女の子があーんする。男の時ならカップルでないとやらないようなやりとりなのに、女同士だから友達のスキンシップで片付く。しかし自分の意識の中では男女…………そんなモヤモヤが良いのではありませんか!! 貴女はもっと別のTSFも勉強なさい!!」

「……そういうセシリアも、TSっ娘が男に靡きだした途端タブごと消すタイプだけどね…………」

「わたくしはもうTSの酸いも甘いも知った上での取捨選択ですから問題ないのですわ!」

 

 セシリアはあらゆるラブコメを経由した上で『もうラブコメに男なんか必要ないんだよ』と言っちゃうタイプのオタクなのであった。どっちにしろ面倒臭いオタクである。

 そんな風にギャースカ喚いているセシリアの横で、イチカは彼女の持つ箸と彼女自身の顔を交互に見て、

 

「…………えっと、別に俺、今更あーんくらい恥ずかしくないけど」

「なん………………ですって………………!?!?!?」

「うんうん、それもまたTSFだね」

 

 戦慄するセシリアの真向いで、シャルロットはうんうんと頷いていた。

 

「ま、まぁいいですわ! 恥ずかしくなくともそこにイチカさんがいればその時点で世界はT・S・F! さぁあーんいたしますわよ! あーん! あーん!!」

「必死だなー……」

 

 言いながらも、特に実害がある訳ではないので、イチカも素直にあーんと口を開ける。

 目いっぱい大きく開けているはずなのに、その口はやはり男のそれよりも小さい。

 小さく白い歯に、その外側に見える、桜色に色づいた唇――思わず、あらゆるものを投げ捨ててむしゃぶりつきたくなる衝動に駆られるセシリアだったが、鋼の精神力でそれをねじ伏せ、そして手に持った刺身をイチカの口の中に運んでいく。

 英国人で箸の扱いがそこまで上手くなかったセシリアがここまで上等な箸使いをモノにしたのも、全てはこの時の為だった。

 ちなみに、()()()()()()()()では正座も無理だし箸も使えないし魚は匂いからしてダメなのであった。文化の違いとはかくも恐ろしい。

 

 そして――、

 

「あむっ」

 

 刺身を運ばれたイチカの唇が、無事に閉じられる。

 直後、イチカの顔が、分かりやすくほころんだ。

 

「んぐ、んぐ……んっ。これ、カワハギか!?」

 

 ゆっくりと、味わうように咀嚼したイチカは、目を丸くして刺身の種類に気付く。

 

「しかも肝つき! いやぁ凄いなあ! 噛んだ瞬間に現れる独特な歯ごたえ、クセのない味だからいくらでも何度でも食べられるぞ、これは! 肝も臭みや苦みは全くしないし……それでいて、うまみとコクがある! ちなみにこれ、肝をといた醤油で食べるとさらに美味いらしいんだけど……お、ちゃんと用意されてる!」

 

 イチカは目を輝かせながら、自分の皿の刺身をとり、肝醤油――セシリアにはそれが何か分からないが――にさっとつけ、自分で食べてしまう。

 

「むう~~っ……! んまい! 肝のうまみが刺身のクセのない味と上手く絡み合って、味の相乗作用(シナジー)が計り知れないことになってるぞ! 日本人に生まれてよかった……!」

「なんかここだけ料理小説みたいですわねぇ」

 

 とんでもなく雑な解説だったが、セシリアはニコニコしながらそんなイチカの横顔を見ていた。彼女的にはイチカが舌つづみを打っている部分もまたオカズなのかもしれない。

 

「…………そういえば……部屋割り、イチカちゃんは千冬さんと同室って、本当……?」

 

 そんなイチカの斜向かいに座る簪は、ほどほどのところで話題を切り替える。

 イチカはそんな簪に頷き、

 

「まぁ……千冬姉の言うことだしな」

「(チッ…………あの人、イチカちゃんを独占したいだけなんじゃないの……?)」

「何か言ったか、更識(妹)」

「ヒィッなんでも…………、……ってあれ、どこから聞こえてきたの……?」

 

 濃密な殺気に思わずあたりの様子を伺う簪だったが、あたりに千冬らしい姿はない。というか、千冬ははるか向こうで楯無と同じ卓を囲って食事をしていた。まぁ、またぞろ意味の分からないチート技で座標情報を誤魔化したりしていたのだろう。

 

(私は、何も聞かなかった…………)

 

 でも、織斑先生の悪口は言わないようにしよう、と優等生簪ちゃんは思ったのであった。

 

「しかし、今回ばかりは千冬さんも英断だったんじゃないか? 正直、私はイチカが泊まっている部屋なんて聞いたら自制できる気がしないぞ」

「そうですわね。…………それに、時間もないことですし、ミス千冬の力を借りざるを得ないという部分もありますでしょう」

 

 セシリアの言葉に、専用機持ちの面々は沈鬱な面持ちとなる。

 結局、ここまでやって、残り一日というところまで来たが、イチカが男に戻る兆しは全く見られなかった。方法論が間違っていたのか、そもそもイチカが男らしくなっていないのか――どちらかは分からないが、タイムリミットはもうすぐそこまで迫って来ている。

 こうなれば、千冬に一晩預けて、最後の望みを託す――というくらいしか手は残されていない。

 

「…………気にするなよ。まだ望みがゼロってわけじゃないだろ? それに、みんなが必死になって頑張ってくれたってことは、俺が一番よく分かってる。…………もしもダメだったら、それは俺の責任でもある。だから、気負わないでくれ」

 

 そう言って笑うイチカの表情には、悲壮感はない。だが、彼女だって当然、内心では不安に思っているはずだ。いくら無意識のうちに女性のままでいたいと思っていたとしても、それはあくまで無意識の願望であって、彼女の表層意識では、もちろん男に戻りたいと思っているはずなのだから。

 それに、そうした願望を抜きにしても、今までの自分の人生が大幅に変わってしまうという事態になって、全く不安に思わないことなどありえない。

 そんなイチカを見て、鈴音はイチカには聞こえないくらいの声で呟く。

 

「…………ったく、あんたはこんな時まで、他人の心配ばっかり…………」

「ん? 何か言ったか?」

「あんたの方が気負ってんじゃないかって、そう言ったのよ」

 

 いつも通り首を傾げたイチカに、鈴音はそう言って肩を竦める。

 肝心なところで難聴なのも、どんな逆境でも折れないところも、やはりイチカは、根元の部分では変わっていない――鈴音はそう思う。確かにところどころ女の子っぽい嗜好があるのは否定できないだろう。弾との恋人ごっこを経て、無意識にしても何か思うところがあった――という可能性は確かにある。だが、それにしたって『イチカが男に戻れない』という部分から原因を類推しただけで、確たる証拠が転がっている訳ではない。

 だが、それよりもっと重要な部分で、織斑イチカは織斑一夏のままだ。

 では、何故イチカは男に戻れないのか。

 いや。

 そもそもの問題として。

 

 …………何故、女のままになってしまったのか?

 

「…………………………………………」

 

 鈴音は、刺身を食べてほころんだ可愛らしい表情を見せるイチカに視線を向ける。

 

 ――イチカ、なんであんた女のままなの?

 

 一番聞きたい言葉は、絶対に喉から出ようとはしなかった。

 これじゃあイチカの難聴を責められないな――と、鈴は一人苦笑した。

 

***

 

「よーす」

「おう、おまたせ」

「こうしてちゃんと会うの、久しぶりなんじゃない?」

 

 食後。

 イチカと弾、それに鈴音の三人は、旅館の遊興室で合流していた。

 何気に、弾と鈴音が会うのはかなり久しぶりである。例のタッグトーナメントの時も、鈴音はいつも弾と入れ違いになっていたし。

 

「おう、そうだな。久しぶり」

「この三人で集まると、中学時代のことを思い出すなぁ」

「主にお前ら二人の暴走の尻拭いを俺がしてたって関係だけどな」

「何言ってんのよ。男二人の無茶をあたしがどうにか制御してた関係でしょ」

「いやいや、何だかんだ言って俺がお前らの無謀に振り回されていただけのような……」

「お前が言うなトラブルメーカー!!」

 

 控えめに言ったイチカだったが、直後に両脇から鋭いツッコミを入れられてしまう。あまりの剣幕に、イチカも思わずたじたじだった。(たじたじなのはいつものことだが)

 

「んで、集まったのはいいけど何するん?」

「んー……卓球とかか? 三人しかいないけど」

「あたし一人対あんた達二人でも別に良いわよ」

「俺がよくねーよ! 女相手に二人がかりなんて男が廃る!」

「今はお前も女だけどな…………」

 

 ナメくさった鈴音に憤慨するイチカだが、その横で弾は徐に歩き、

 

「特に良い案がないなら、これやろうぜ」

 

 ばん、とゲームセンターにありそうな筐体を叩く。

 

「IS/VS。アーケード版だよ」

 

 ――IS/VSといえば、今でこそコンシューマに移植されているが、その前はアーケード版のゲームとして売り出されていた。イチカがアーケードスティック(ゲーセンによくある方向スティックとボタンで構成されたコントローラだ)でプレイしていたりもしたのは、そういった由来からである。

 そしてこのIS/VS、基本は世界大会(モンドグロッソ)のルールを踏襲している為1vs1が基本だが、タッグトーナメントなど変則ルールにも対応しているので設定によっては四人対戦もできるのである。

 

「…………って、やっぱり一人足りないじゃない」

「CPUを設定できるんだよ。俺がそいつと組めばちょうどいいハンデになるだろ?」

「なに? ってことは、このゲームのCPUって超強いの? 面白いわね」

「や、そんなに強くなかったと思うけど……」

 

 不安そうに言うイチカに、弾は首を振って、

 

「違う違う。そんなに強くねーよ。ハンデってのは、()()()()()()だ」

「………………は?」

 

 その言葉に、鈴音のこめかみが、ひくりと震えた。

 

「実際のISじゃそっちの方が段違いだろうけど、一応俺だってこのゲームやり込んでるんだぜ? そっちはゲームの中じゃ素人同然だし、このくらいのハンデがねーとな」

「………………へーそう…………ふーん………………」

 

 と、得意げに言う弾だったが、その言動は完全に鈴音の負けん気を刺激しまくっていた。イチカは『やれやれ……』と思いながら頭を振ったが、弾の方もそれは承知済みらしい。いかにも天狗っぽい角度に顎を上げたまま、イチカの方に小憎らしいウインクをしてきたからだ。

 とりあえず、うげーと吐く真似をして返すイチカ。散々な対応だった。

 

「面白いじゃない。やりましょうイチカ。この釈迦に説法天狗童貞を叩きのめしてやるわよ」

「ひどくないかそれ!? あと童貞とか関係ねえし!」

「黙りなさい童貞!」

「ついに童貞だけになった!?」

 

 それを言ったら鈴音だって処女じゃんみたいな部分はあるのだが、男が童貞って罵られるのはまぁOKとしても、女子に処女って言ったらそれはセクハラなのであった。多分、捨てようと思えばいつでも捨てられるものと、いずれ捧げる為に大事にとっておいてあるものの差なのだろう。

 

「まぁまぁ、始めようぜ。俺はラファール・リヴァイヴ選ぶから」

「んじゃー俺は打鉄にしようかね」

「じゃああたしは甲龍で――――ってこれ、グラフィックもあたしになってるじゃん!」

「そりゃそうだろ、量産機以外基本的に操縦者のグラフィックも一つ一つ個別になってるのがウリの一つなんだからな」

「しかも凄いリアルだわ……鏡見てるみたい」

 

 手が凝っている、といえばそれまでだが、逆に言えばそれをウリにできてしまうほど、消費者が()()()()()()に実在の人物の再現性を求めている、ということでもある。それはもう、ただのゲームではなく、ゲームの販売自体がISのアイドル産業的側面の一部に組み込まれていると言っても過言ではないのだ。

 

「……なんつーか、IS産業の歪みってやつね…………」

「そうか? ゲームがよくできてんならこんなの関係ねーと思うけど」

 

 が、ヘヴィユーザーでもある弾はそんなこと気にせずにぽんぽんと設定を進めていく。

『精巧に再現されている』張本人である鈴音としてはまた別の想いがあるのかもしれないが、やがて気にしても仕方ないと思ったのか、はたまた割り切ることにしたのか、持ち前の切り替えの早さでパッパとキャラクター選択を進めはじめた。もちろん選ぶのは甲龍である。

 

「んじゃ、始めるぞー」

 

 日本製の量産機、打鉄を選択した弾がそう言うと同時に、戦闘が開始した。

 

***

 

「ちょっと何これ!! 操作範囲狭すぎでしょ!! 前後左右上下+斜めの一四方向にしか動かせないのよ!? もうちょっと微妙な方向転換とか上体逸らしとかできないわけ!? あんな見え見えの射撃も躱せないとかポンコツ以前の問題よ!?」

「いや鈴、それこのゲームの仕様だから……」

「大体、何よこの甲龍の性能は!! 不可視の弾丸がウリなのに半透明レベルに落とされてるからいちいち打つのに周りのオブジェクト利用して目つぶし併用しないといけないし、エネルギー消費も実物の一〇倍近くデカいわよ!? こんなの詐欺よ詐欺!!」

「いや、国威発揚も兼ねてるから国によって強さが調整されてるんだよ……」

 

 …………とまぁ、こんな感じでゲームは散々なのであった。弾は日本製の打鉄でイチカはフランス製のラファール、鈴音は中国製の甲龍なのもあり、勝負はここまで弾優勢で進んでいた。

 CPUが明らかにイチカより弱いのに、だ。勝負事、ことISの絡むものに関しては人一倍プライドの高い鈴音としては、もう忸怩たる思いすぎた。

 

「まぁまぁ……そろそろ時間も時間だし、戻ろうぜ」

「えー……。……うう、負けっぱなしは性に合わないけど、仕方ないわね」

「へっへっへ、次に会う時までに少しは強くなっておけよ、次期代表さん」

「一週間後にまた会いましょう。ボッコボコのズッタズタにしてやるから」

 

 今にも中指を立てそうな勢いの鈴音を宥めながら、イチカは思いっきり天狗っ鼻を伸ばしている弾に振り返って、

 

「あ、そうそう。千冬姉が言ってたけど、この後俺の部屋に弾も集合だって。何か話があるって言ってたぞ」

「え? 千冬さんが? …………うおお、俺あの人苦手なんだよな……嫌いじゃないし人間的にはむしろ尊敬する部類なんだけど、重圧みたいなのがあってさー……」

「あー、ね。千冬さん、基本身内にはキツイところ隠さない人だし」

 

 あたしも未だに肩に力が入っちゃうわー、と笑う鈴音に、弾は本気で首を傾げた。

 

「え? 俺身内に含まれてたの?」

「そりゃそうでしょ、イチカの親友やってんだし」

「千冬姉、今でもたまに弾のこと話題にするぞ。五反田の兄の方とは最近どうだ、とか」

「うわー……初めて知った。そう言や俺、何だかんだであの人とももう四年の付き合いになるのか…………」

「あとイチカ、その話については後でもうちょっと詳しくね?」

 

 なんてことを言い合いながら、三人は遊興場を出て、一路イチカの部屋に向かっていく。

 その途中で、弾はふと気付いた。

 

「……あれ? そういえばこの後って、お前ら消灯だよな? 一応臨海学校って話だし」

「ああ、そうだな。それがどうかしたか?」

「………………だったら、なんで鈴もお前の部屋に行くのについて来てるの?」

「そりゃ、あたしもイチカの部屋に呼ばれてるからね」

 

 弾の問いかけに、鈴音はさらりと答えた。

 は、と口から不意に呼吸の音ともつかない何かが漏れた弾に、鈴音はさらに言う。

 

「あと、あたし以外の代表候補生もね。…………弾、あんたも知ってるんでしょ、イチカのこと」

 

 先程までの、穏やかな空気は全て投げ捨て、鈴音は弾に、こう切り出した。

 

「今夜が正念場なの。…………あんたにも、付き合ってもらうからね」



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第三四話「本編(3)」

「えー……と、ご、五反田弾、です。よろしくお願いします…………」

 

 と、いつもの威勢はどこへやらといった自己紹介をした弾の目の前には、複数の美少女が鎮座していた。

 篠ノ之箒、セシリア=オルコット、シャルロット=デュノア、ラウラ=ボーデヴィッヒ、更識簪。

 それだけでなく、織斑千冬、篠ノ之束、更識楯無、布仏虚。

 そして横に座っている、織斑イチカと凰鈴音。

 どれをとっても、世界レベルの有名人であり、イチカと鈴音はともかくとして、一般人である弾では一対一でも会うことが難しいほどの存在だった。

 そんな美少女(美女)が目の前に勢ぞろいしているのだから、彼が固まってしまうのも仕方がないと言えるだろう。

 

「篠ノ之箒だ。私がいなくなってから、イチカが――いや、一夏が世話になったようだな」

「セシリア=オルコットです。お噂はかねがね伺っておりますわ――――『親友』さん」

「シャルロット=デュノアです。まぁまぁ、そんなに硬くならなくて良いから。気楽にね」

「ラウラ=ボーデヴィッヒ。…………お前が五反田弾、か。なかなか悪くない面構えだ」

「……更識、簪です…………。……そういえば私、男の人とまともに会話するの初めてかも」

 

 軽く頬に手を当てる簪を窘めるように、少し離れたところに座る楯無が続ける。バッ、と広げられた扇子には、『初めてって言うけど……』と書かれていた。

 

「簪ちゃん、一応イチカちゃんも男の子なのよ。……ああ、私は更識楯無。よろしくね」

「楯無お嬢様の従者を務めております、布仏虚と申します。以後、よろしくお願いします」

「そして我なるは世界最高の頭脳と名高き天才科学者、篠ノ之束さんなのであった!!」

「――――そして私と、鈴とイチカで、今ここにいる全員になる」

 

 最後に締めくくるように言った千冬の近くには、既にビールの空き缶が転がっていた。どっかりと、着物が肌蹴るくらいの勢いで片膝を立てて座っている体勢と言い、普段の彼女――『織斑先生』のイメージからは程遠い有様だったが、周りの少女達は特に気にした様子もない。

 というか、諦めの境地が見えていた。ここに至るまでに一通りリアクションは済ませてきたといったところだろうか。

 

「今日、お前達に此処に来てもらったのは、他でもない」

 

 千冬は、その女性とは思えないほどに豪快な姿勢のまま、

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――――当たり前のように。

 みんなの悲願を、口にした。

 

***

 

「………………ちーちゃん、それ、本当?」

 

 最初に口を開いたのは、世界最高の頭脳を持っている束だった。

 

「この束さんが四方八方手を尽くしても見つからなかったんだよ? それを、見つけた? ちーちゃんが一人で? …………私人としては大歓迎だけど、世界最高の頭脳としては『何かの勘違い』あるいは『致命的なエラーに気付いていない』という可能性を考えちゃうね。戻るは戻るけど()()()()()でピンポン玉サイズまで肉体が圧縮されちゃうとか」

「私を侮るなよ、束」

 

 珍しくおふざけなしの真面目な雰囲気で、怪訝そうな表情を浮かべる束に、千冬はあくまで不敵な笑みを返した。

 

「この織斑千冬は万能だ。ようは、条件(フラグ)が成立していないからイチカは男に戻れないのだからな。そして、条件(フラグ)の成立には恐ろしく手間がかかる。なら、私の力で条件(フラグ)に必要なイベントをスキップさせてしまえばいいわけだ」

 

 ………………なんかもう因果論を無視した、哲学的な領域にまで首を突っ込んだ話になっているが、気にしてはいけない。元より彼女のいる世界とはそういうものであるからして。

 

「……でも、だとしたら何で俺らを呼んだんです?」

 

 そこで、弾が真っ当な疑問に気付く。

 千冬が自分一人の力で解決できてしまうなら、彼女達や弾を呼んだ理由がなくなってしまう。

 そんな疑問に答えるように、千冬は肩を竦めた。

 

「私は万能だ。だが、全能でもないんだよ」

「いや、全能だったら困るけども」

「つまり、だ。いくら私の力で因果を捻じ曲げたとして、イベントをこなすのに必要なアイテムが手元になかったら、どう頑張っても話を進めることはできないのだ」

「…………まさか」

 

 そこまで話が進んだところで、専用機持ちの面々の表情が変わる。

 

「その『アイテム』が、あたし達…………ってことですか?」

「その通りだ。イチカの周辺人物と言えばお前達だからな。イチカを元に戻すのには、お前達の存在が必要不可欠となる。あとは、私の力で必要な因果を省略してしまえば、後には『男に戻れるようになった』という結果が残るわけだ」

「………………、………………ふぅん。なるほど、ね」

 

 何やら訳知り顔になった束は、そうやって頷くと、ぱっと顔を明るくする。

 

「さっすがちーちゃん! 束さんとは()()()の天災なだけあるね! いやーそうくるとは、流石の束さんも想像できなかったよ! うん!」

「お、おお……姉さんが笑ってる……ということは!」

「イチカさんが戻れる目途が、これで立ったってことですわね!」

 

 それを見て、ようやっと専用機持ち達の表情も明るくなる。なんだかんだいって、彼女達もかなり気を遣っていた、ということだ。今までの努力があんまり報われなかったというのは少し複雑でもあるが、イチカが戻れるのが彼女達にとっての第一条件。それに比べれば、ゲームの救済措置みたいな解決の仕方でもどうということはない。

 

 このまま千冬が『因果の省略』とやらを済ませれば、イチカは元通りに戻ることができ、

 

「させると、思うかァ………………!!!!!!」

 

 ――ると、その場の殆どの人間が思った、その瞬間だった。

 ゴバッ!!!! と壁が破壊され、漆黒のISアーマーを身に纏った少女が部屋の中に乱入してきたのだ。

 

「やはり来たか。束」

「あいさー☆ まったくこんなコソ泥一つ捕まえるのに束さんを使うなんて、なんてオーバーキルなんだろうねっ」

 

 欠片だけでも三回は死ねるであろう壁の礫をその場で残らず消し飛ばしながら、千冬は落ち着き払って束に指示を下す。直後、破壊されたはずの壁が一瞬にして修復され、部屋全体に淡い光が充満する。いったいどんな科学に基づいて行われているのかも不明な現象を前にしても、乱入者の少女は止まらなかった。

 

「やっとここまで辿り着いたのだッ!! イチカちゃんが完全に『定着』するまであと数時間というところまで! 今更、こんなところで、意味不明な反則技なんかに一番おいしいところをかっさらわれて、たまるかッッッ!!!!」

 

 乱入者の少女はそう叫ぶと同時、イチカに銃口を向ける。

 少女達が動いた、次の瞬間だった。

 

 ゴッッッ!!!! と、コンマ数秒のうちにISを部分展開し、乱入者の少女に正確に狙いを定めていた専用機持ちの面々は、全く同じ瞬間に地面に叩き伏せられる。()()()()()()()()()()()()()()乱入者の少女だったが、しかし邪魔者が全員動けなくなったというのは、現状に置いて致命的な隙だった。

 

 乱入者の少女が構えた銃身から、光の矢が放たれ、

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 そして、その矢は過たず、イチカの胸を貫いた。

 

****

 

「――――く、く」

 

 倒れ伏したイチカを見下ろし、その少女は――――マドカは、ただひたすら昏い笑みを浮かべる。

 もちろん、殺した訳ではない。イチカを愛する者である彼女に、殺すどころかイチカに対してキズ一つつけることは不可能だ。

 であれば、彼女はいったい何をしたのか。

 

「『自分と向き合わせる為のお膳立て』だよ」

 

 笑いながら――哂いながら、マドカは勝ち誇った。

 

「既に織斑イチカは()()()()()()()()!! その状況で自分と向き合うことになったら、確実に天秤は傾く! これ以上ないほどにな! もう、イベントだの省略だのといった小細工ではどうにもならなくなるほど、決定的に!!!! 精々祈れ! イチカちゃんがお前達側(おとこ)に縋ってくれるのをなぁ!!」

 

 それは、狂笑だった。

 まるで、勝ちが分かっているとでも言うかのように。

 

「……フン。貴様はそれに加えて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を施していただろう? ――――マドカ」

 

 馬鹿らしいものを見たとでも言いたげに、千冬は笑う。

 

「……っ!? ………………いや、今はいい。あらゆることは、イチカちゃんの『再誕』に比べればどうということはない!! そうだ! 私は確かに()()イチカちゃんが女を選び取りやすくなるような細工を施した! だからどうした? お前達だって、今まで散々イチカが男を選び取るように仕向けていたじゃないか! 私がやっていることは、それと全く同、」

「別物だ、馬鹿者が」

 

 ゴッッッ!!!!!! と。

 瞬間、マドカが地面に叩き伏せられる。

 

 まるで、その場の支配者が切り替わるかのように。

 

「この私が。この織斑千冬が、貴様の――いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 しん、と――――その一言で、その場が静寂に包まれる。

 いや、確かにおかしくはあったのだ。

 IS学園のセキュリティを超えて、旅館に捻じ込まれた弾を確認したにも拘わらず、『問題なし』とした判断。

 そんなことができるならば最初からしておけよと言わんばかりの、前提を完全に無視した無理やりな解決方法。

 突然の敵襲だったにも拘わらず、『やはり』などと言って最初から分かっていたかのような、手際の良い対応。

 叩き伏せられた専用機持ちに何故か怪訝な表情を浮かべたマドカ、そして想定していたのに動かない千冬と束。

 それらが導き出す真実は、ただ一つ。

 

「私は、織斑千冬は、根本的に全能でもなければ万能でもない――ただの人間だ」

 

 そこについては大いに異論の余地が残るところだが。

 

「弾を旅館に捻じ込んできた時点で、貴様らの組織が暗躍していることは容易に想像がついた。だが、ただの人間である私はこの時点で動くことができなかった――イチカが男に戻る手段が全く見つからなかったからだ」

 

 千冬はそう言って手を振る。ズガガガガガガッ!! と不可視の力場がマドカの全身六四カ所に突き刺さり、彼女の身動きを完全に封じる。

 人間とやらの可能性を強く感じさせる光景だった。

 

「そこで私は一計を案じた。この状況で貴様らが動くとすれば、それはイチカの女性化を確実にする為のものだ。ゆえに――――私が『イチカを元に戻す方法を見つけた』という()()()をバラ撒けば、焦った貴様らは慌ててイチカの女性化を確実にする為の『策』を使いに来るだろう、とな」

「な…………!?」

 

 つまり。

 最初から、『イチカを元に戻す方法』なんてものはなかった。

 そう吹聴すること自体が、マドカをおびき寄せる為の餌だった。

 

『………………、………………ふぅん。なるほど、ね』

 

 そのことが理解できたから、束もあっさり引き下がったりしたのだ。

 たったあれだけのやりとりでそこまで理解できてしまう束も束で、相当のバケモノだが。

 

「何を驚いているのやら。考えてみればすぐに分かることだろう。大体、私はただの人間だぞ。因果の省略なんて化け物じみた真似ができるわけないだろうが」

「いや、そこに関しては千冬さんならもしかしたらって思っちゃうのよ…………」

 

 やれやれと呆れる千冬に、鈴音は疲れたように笑った。『この人なら何ができてもおかしくない』という印象は、ある意味最強のブラフである。

 

「そして、貴様がその『策』をイチカに叩き込む寸前にその技術を解析し、こちらの目的の為に逆用させてもらった。……『イチカが女に傾きやすくなる』効果だけを取り払い、『イチカに自分を見直させる』効果だけを残す、とかな」

「な、そんなめちゃくちゃな…………!?」

 

 思わずマドカは悲鳴のような声を上げるが、千冬は全く気にしない。

 

「もっとも、その策を成功させる為に専用機持ち五人を叩き伏せ、イチカの動きを止めるのは――少々骨が折れたがな。…………全く、どいつもこいつも成長したものだ」

「あ、ぁ、…………」

 

 桁が違う。

 マドカのたくらみなど、その気になれば小指一つ動かさずに阻止できただろう。あるいは、ここまで作戦が続いていた()()()()()()のも、彼女に泳がされていた結果だった。

 それだけにとどまらず、千冬はマドカの渾身の策を、今度は自分の為に逆用までしてみせた。

 

 ――最初から、見据える先のスケールが違いすぎていたのだ。

 

「つまり、ここから先は正真正銘、誰の影響もない。イチカ個人の心の中で選んだ、ヤツ自身の決断で全てが決まる」

 

 千冬は、地面に縫い止められたマドカを一瞥すると、適当そうに言う。

 

「……精々祈れ。無理やりは好かんが、願いを込める程度なら許してやるさ」

 

***

 

 波の音が、遠くから聞こえて来るようだった。

 

「………………ここ、は?」

 

 ざくり、と足元が少しだけ、砂に沈む音。

 気付けば、イチカはどこともつかぬ砂浜の上を、一人で歩いていた。目覚めたとかではなく、本当に唐突に、気付けば『そこにいた』という感じだった。

 あたりを見渡しても、意識的に歩いた数歩以外に自分の足跡はおろか他人の足跡すらなかった。ひょっとしてここは死後の世界なんだろうか――と、直前の記憶を思い出しながら、イチカは思う。

 

 最後の記憶――自分の心臓に、光の矢が突き立った瞬間。

 

「俺、死んだのかぁ……」

 

 証拠に、イチカの今の格好は浴衣ではなく、白地のビキニにパーカーという昼間のスタイルだ。パーカーも羽織っているだけで、前を閉じていたりはしていないが。

 

「ははは、死んでも女か。なんだかなぁ……」

 

 イチカは苦笑しながら、それでも立ち止まっているわけにはいかないので、すたすたとあてどなく砂浜を歩いて行く。

 歌が聞こえたのは、そんなときだった。

 

「――――、――――――――。―――――」

 

 端的に言うと、綺麗な歌声だった。

 別に上手いというわけではない。きっと、歌の上手さだけなら彼女の友人の専用機持ちの中にもっと上手い者がいる――その程度でしかない。

 だが、その歌声はとても無邪気で――何故だか、イチカは無性にその声が気になった。

 

 足裏で感じる砂の熱さなんかも気にせず、イチカは先へ進み――――、

 

「ラ、ラ、ラララ、ラララ――――」

 

 その少女を、見つけた。

 波打ち際。

 つま先を僅かに濡らすくらいのところで、その少女は軽快なステップで踊っていた。

 真っ白いワンピースと同じ色の、純白の長い髪が風に舞い上げられ――――、

 

「………………へ?」

 

 気付けば、イチカも同じ格好をしていた。

 

「…………はい、これで貴方は『私』になった」

 

 そして、歌も終わっていた。

 

「本当は、もうちょっと後にお話しするつもりだったんだけど」

 

 真っ白の少女は、肩を竦めて苦笑する。

 

「本当に、()()()()は思った通りにならなくって。だから、ちょうどいいし、出て来ちゃった」

 

 真っ白の少女は、イチカに額がくっつくくらい近づいて、

 

「ね、()?」

 

 そう、にっこりほほ笑んだ。

 

「………………は?」

「私は私だよ。分かるでしょ、もう。……、……()()()()鈍感なんだから」

 

 そう言われて、イチカは、ふっと表情から力が抜けたようだった。

 すべてに納得したような、そんな表情だ。

 それを見て、少女は優しく微笑んで、こう付け加えた。

 

「私は、弾と一緒になりたいと思っているよ――()

「…………そうか、俺は――いや、()はそう考えてるんだな」

 

 イチカは、ただ頷く。

 

「いやに素直に受け入れるんだね?」

「受け入れるも何も、事実だしな。俺の中に、()()()()、女のままでいたい気持ちがあるのは――もう否定できない」

 

 そう。

 イチカ自身が、何度となく思ってきたことだ。女の身体でいるとみんな優しい。女の身体だとみんなと仲良くできる。――それだけじゃない。弾や蘭との触れ合いを通じて、女としての未来も存外悪くないということを知ってしまった。

 それをあっさりと認めたイチカに、真っ白な少女は少し慌てた調子で言う。

 

「ならどうして今も()()していられるの? 男みたいな喋り方で……女の子でいたいって気持ちがあるのに、何で男の子のようにしていられるの?」

「逆に聞くけど」

 

 イチカはそう言って、少女の背後を指差す。

 正確には――――背後にいる、一人の女性を。

 

「『お前』だけが俺の中にいるんだとしたら――お前の後ろにいる、騎士さんは一体誰だよ?」

「っ!」

 

 弾かれたように少女が振り向くと、そこにいたのは白く輝く騎士甲冑を身に纏った女性だった。

 大きな剣を自らの前に突き立て、柄の先を杖でも持つみたいにして、両手で押さえている。その表情は、顔の上半分を覆っているガードに隠され、口元から推しはかるしかできない。

 その上、その口元にも、いかなる感情すら浮かび上がっていなかった。

 騎士甲冑の女性は、簡潔に全てを伝える。

 

「…………私は、強制はしません。選ぶのは貴方です」

 

 騎士甲冑の女性がそう言うのを見て、イチカはまっすぐ二人を見据えて言う。

 

「お前は、女になりたい――新たな世界に踏み出したい()。お前は、男に戻りたい――元の世界で踏み止まりたい()

 

 つまり、今、イチカは自分の相反する欲望、その象徴を目の前にしている、

 

「…………な、わけないよな」

 

 というわけでは、()()()()()()

 

 「わざわざ出て来てもらって、()()()もらって悪かったな。お前らは俺じゃない。()でもない。…………鈍感な俺だって分かるよ、お前達は、俺の迷いを聞いてお節介を焼いてくれた、『白式』なんだろ?」

 「………………」

 

 肩の力を思い切り抜いたイチカは、そう言って二人を指差す。少女と女性は何も言わなかったが、少女の気まずそうな表情が全てを物語っていた。

 

「でもさ――――別に俺、そういうんじゃないんだ。鈴達や弾は、俺の心が女になっちゃったんじゃないかって心配してたり、俺に男らしさが足りないからこうなったんじゃないかって言ってたけど…………俺、自分で気付いてなかったけど、多分そんなんじゃないって、最初から分かってたんだ」

 

 イチカは詫びるように、俯いてそんなことを言い出した。

 

「違うんだよ。男として誰かと付き合いたいとか、女として誰かと付き合いたいとか、そういうことじゃないんだ」

 

 思い返すのは、弾との恋人ごっこのとき。

 確かにイチカは、弾との恋人ごっこを通じて、『それも悪くないな』と思った。冗談とはいえ、元に戻れなかったら弾の嫁になるのもいいかもな、なんてことを言ってみたりもしていた。

 でもそれは、心が女になったから、男を恋愛対象にしていた――ということとは、少し違う。

 

「俺は今まで、二つの生活を体験してきた」

 

 彼にとって、彼女にとって、これまでの学校生活は、まさしく二種類の人生といっても過言ではないだろう。

 

「男として、鈴や弾と親友で、セシリアからは邪険に扱われて、箒は理解者で……そんな男としての生活」

 

 男と、

 

「女として、弾と恋人で、鈴と女友達で、セシリアや箒達に猫可愛がりされて……そんな女としての生活」

 

 女。

 

「これはさ、今まで『お試し』で体験してきた女としての生活と、これまでずっと経験してきた男としての生活、どっちがいいかって話なんだ」

 

 恋愛感情――というのも、もちろん判断基準の一つではあるだろう。だが、必ずしも必要なものじゃない。イチカはそれをひっくるめた『もう一つの人生の可能性』を見て、それでどちらを選べばいいのか、どちらを選ぶこともできてしまうから悩んでいたのだ。

 

 もしも、男の人生と女の人生、どちらか一つを選ぶことができるとすれば――――どちらを選ぶだろうか?

 多分、多くの人は、元の自分の性別のまま過ごす人生を選ぶのではないだろうか。現状の性に特別不満を抱いていなければ、勝手の分からない人生よりも、今まで生きてきたという実績のある人生の方を選びたくなるに決まっている。

 

 …………では、もう片方の人生の勝手が事前に()()()()()()()ことができたら?

 

「女の子って大変だよ。ファッションも、化粧も、体の手入れも、やることはいっぱいある。所作一つとっても気を付けないと顰蹙買うしさ。……体験してみて初めて分かった。でも、それでも、鈴に一から教えてもらって、他のヤツらと馬鹿やって、弾と一緒にいて、蘭にお姉って呼ばれて…………そんな生活も、悪くないかなって思ったんだ」

 

 それが、今のイチカの状態だ。

 女の人生でも、楽しい未来が待っているということを知ってしまった。賑やかな家族に囲まれて、愛する人と一緒にいて、頼もしい女友達と一緒に笑い合って――――そんな未来を実現することができると、知ってしまったから。

 結局のところ、今回の騒動の原因は『それ』だ。

 弾への恋心でも、男らしさの欠如でもない。

 溢れんばかりの、未来への希望。可能性の爆発。

 それをイチカ自身が制御しきれなくなって、一つの選択肢に収斂できなかったという、たったそれだけのことだったのだ。

 

 だから、イチカには分からなかった。

 どちらの未来が『成功』なのか。

 

「どっちが成功か、なんて弾と話したけどさ。俺にしてみたら、どっちでもよかったんだ。男の未来も、女の未来も――俺の友達は、どっちにしたって最高だからさ。だから、柄にもなく悩んじまった」

 

 だが、そんなことを言うイチカの表情に、もう迷いはなかった。

 少女が、女性が、『白式』の二人が、そんなイチカを不安そうに見る。まるで過保護な姉を彷彿とさせるようなそんな態度。

 

(そういえば、白式の唯一仕様能力(ワンオフアビリティ)は千冬姉のものだったっけ。……まったく…………)

 

 分かりやすい二人に内心で苦笑して、そしてイチカは迷いのないまっすぐな瞳で、二人に相対する。

 

「ありがとう。俺は、鈍感で、唐変木で、朴念仁だからさ――ここまでしてくれなきゃ、きっと自分の気持ちに気付けなかったと思う」

 

 気付けば、砂浜のど真ん中に、不釣り合い極まりない木製の簡素な扉が置いてあった。イチカは、きっとそれが出口なんだろうな――と思いながら、ドアノブを掴む。

 その先にある未来を、少女は――――あるいは少年は、掴みとる。

 

「でも――――もう、決めたよ」




次回  エンディングです


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第三五話「この世は一夜の夢」

「ねえー、私のネックレスどこにやったか知らないー?」

 

 ある休日の午後。

 一人の女性の声が、ごく普通の一軒屋に響き渡る。

 

「あーん? こないだ、今日の同窓会のときすぐ出せるようにってクローゼットから出してなかったかー?」

「あー、そういえばそうだった。ごめんありがとー」

 

 女性はそう言いながら、ぱたぱたと廊下を走る。

 二〇代半ばくらいの女性だった。

 黒髪はまるで漆を塗ったみたいな艶やかさで、それが背中の中ほどくらいまで伸びている。透き通るように白い肌や美しい目鼻立ちは、その胸の大きさも含めて現役時代の織斑千冬を彷彿とさせたが、いかんせんこちらはそれよりも覇気がない。

 その代わり、見る者全ての警戒心を優しく溶かしてしまうような、そんな暖かさがあった。

 

「…………ったく。ホントお前は昔っから、肝心なところでそそっかしいところだけは変わってねーよな。ほら、ハンカチ」

「…………あ、ありがと」

 

 そんな彼女に、呆れたように言いながら歩み寄る青年。

 特徴的な赤髪を短く切り、灰色のバンダナで髪の毛を持ち上げているという風貌だった。

 

「楽しんで来いよ。連中と会うの、去年以来なんだろ?」

「…………まあね。鈴とはこないだも会ったけどさ」

「アイツ、未だに昔のこと引きずってんのか?」

「いや、なんかセシリアとどーのこーのって言ってた…………」

 

 なんかよく分かってない微妙そうな彼女の顔を見るに、多分聞いてはいけない大人の事情的な何かがあるのだろう。

 

「んじゃ、いってくるね」

 

 話を逸らすように、女性は玄関へぱたぱたと移動する。バンダナの青年はその後を追って、

 

「おいおい、待てよ。…………旦那様にいってきますのチューは?」

「………………バーカ」

 

 一瞬しらーっという顔になった女性は、呆れ顔でドヤ顔の青年に返し、

 

「いってきます、あなた」

 

 そう言って、啄むようなキスをした。

 

 五反田イチカ――旧姓織斑、二六歳。

 現在、結婚一年目の新婚夫婦である。

 

***

 

「やあーっと来たわねぇ! ノンケ女めぇ!!」

 

 同窓会――と言っても、IS学園の同級生全員が集まっているわけではない。そういうのは一〇年に一回あるくらいだ。ちょうどもうすぐそんな時期ではあるが。

 だから、女性らしいおめかしをして居酒屋に現れたイチカを出迎えたのは、いわゆる専用機持ちの面々であった。

 

 もうすっかり出来上がった鈴音は、赤ら顔でイチカを睨みつけながら、腕の中で締めている金髪碧眼の女性――セシリアの首をさらにギリギリと締める。

 

「ちょっ…………鈴さん、ギブ、ギブですわ! なんでイチカさんに対する怒りをわたくしにぶつけるのです!?」

「あんたが『イチカさんはあの後も順調に大きくなったというのに、鈴さんときたら……ぷぷっ』とか言うからでしょぉー!!」

「その後ちゃんと『でもそこが可愛いんですけどね』って付け加えたじゃありませんのー!」

「それ、褒め言葉じゃ、ないっ!!」

「ひぎぃっ!?」

 

 そんないつも通りのやりとりに、イチカは思わず苦笑した。色々と変わったこともあるが、それでも彼女達の関係性は一〇年前のあのときのままだ。

 …………実はやりとりの構造自体は同じでも、貧乳を馬鹿にした後にフォローを入れていたり、そのフォローの入れ方が()()()()()()()()()()だったり、なんだかんだで二人とも深爪だったり、変わっているところはいっぱいなのだが、イチカはそれには気付けない。やっぱり鈍感はどこまでいっても鈍感なのである。

 

 変わったといえば――――簪だろうか。

 

「あ、簪、またお腹大きくなってきたねー。もうすぐ八か月だっけ?」

「うん……。…………まさか、お姉ちゃんに三人も孕まされるとは思ってなかったわ……」

 

 細胞かなんかの色々な研究の結果、今では女性同士で子供を作ることができる。簪は楯無の猛烈アタックから逃げ切ることができず、既に第三子をお腹に宿していた。…………いいのか、いいのか日本。近親相姦で。

 

「フフ……まさか簪が肝っ玉母さん枠になるとはな。そういうのは鈴のポジションだと思っていたが」

 

 なんて笑うのは、どこか千冬を彷彿とさせるスーツ姿の箒だ。

 彼女はこの年齢になるまで独身貴族を貫いている。姉の後を追い研究者になった彼女は、今や束と千冬のあいのこのような感じの人外へと成長を遂げていた。その長い髪をまとめているリボンは、大学時代にみんなで買ってやったものになっている。

 最近はIS学園の教師にと招聘を打診されており、受けようかなーどうしよっかなーと答えを渋って交渉中なんだとか。こういうところのやり方は姉に似てきた彼女である。

 

「私からしてみれば、みんな変わったよ。っていうか安定しすぎでしょ! なんで対暗部の家系の簪ちゃんが家庭に入ってるのに私が女スパイなんてことになってるのさ!」

 

 そう言ってがん! と空のジョッキをテーブルに叩きつけたのは、金髪を三つ編みにしたシャルロットだ。彼女の一人称は、時系列が飛んだのを機に――なのかどうかは知らないが――『私』になっていた。

 彼女は今、女スパイをやっている。IS学園潜入はTSFに厳しい変態達が多かったから即バレだったが、そうでなければ彼女の隠密能力や対人能力は凄まじいものがある。それを買われているのだろう。

 その為、彼女はこの中では一、二を争う程多忙だ。

 

「――――フン、だから軍属になっておけとあの時あれほど言っただろう。下手に民間に身を置くから安く使われるのだ」

 

 ――――もっとも、同じように多忙な人間といえば、この()()()()()()()もいるが。

 

「…………ラウラもあれからだいぶ変わったよねぇ……」

 

 ラウラ=ボーデヴィッヒの体型は、高校卒業後に激変した。

 というのも、どうも彼女の幼女体型は何かしらの遺伝的異常が原因だったらしく、体調不良を治療する一環で遺伝子治療を施したところ、急速に成長が再開したのだ。ラウラとしては喜びの極みだったが、イチカが順調に成長していく中で唯一の貧乳仲間が育って行ったのをみて、鈴音は大荒れだった。割りを食ったセシリアが不憫なほどに。

 

「今じゃ、貧乳はあたしだけ、かぁ…………フフ……いいわよ、貧乳は希少価値だもんね、ステイタスだもんね…………」

「鈴さん、そのネタもう一〇年近く前ですわよ」

 

 ぽんぽん、と平たい胸を撫でるセシリア。直後バギィ! と殴られるが、長年のコンビでもうすっかり慣れたものなのか、あっさりと立ち直った上で、

 

「一番変わったのはイチカさんですわよねぇ。ああ、あんなに純真無垢だったのに今となっては結婚一年目だなんて…………」

「私はもともと純真無垢でもないし……」

 

 苦笑するイチカだが、昔はもちろん今も純真であるのは疑いないところではある。

 彼女に関しては、一人称の他に口調も変化した。なんでも『女として生きることに決めたからには、やはり女性的にならなくては』――――とのこと。別にどうでもいいんじゃない? と弾以下全員が言ったのだが、こういうところではどうにも頑固なイチカは今の口調を遵守していた。…………と言っても、わりと抜けているイチカなので、けっこう頻繁にボロが出るのだが。

 席に座ったイチカは、そのままカシスオレンジ(女子力の塊だ)を注文する。そんなイチカに、既に顔が赤い鈴音はいやらしい笑みを浮かべながら顔を近づけ、

 

「で、イチカ。子供の方はどうなのよ」

「なっ…………!?」

 

 その言葉に、まだお酒も飲んでいないのに、イチカの顔が真っ赤に染まった。

 

「なぁーにカマトトぶっちゃってんのよ。弾ともよろしくやってんでしょ? えーと、高一の頃からだから……もう一〇年になるじゃない!! え、一〇年、マジで? 時間経つの速すぎない?」

「鈴さん、脇道に逸れてますわよ」

 

 ついでに言うと、さっき一〇年前であることは言われていた。まぁお酒が入ると直前の話の内容もぽろっと忘れてしまうのはよくあることなのでしょうがない。話を聞いていないわけではないのだ。

 

「あーそうだった。とにかく、一〇年も一緒にいるんだから、そりゃヤることやってんでしょ?」

「え…………、あーと…………」

「鈴ーイチカは純真なんだから、人前でそういうこと言えるタイプじゃないってば。お酒呑ませてべろんべろんにしないと。ただでさえ元男なのに妙に古式ゆかしいところあるし」

「シャル、古式ゆかしいなんて言葉よく知っているな……」

「職業の関係上、お年寄りがよく使う言葉は勉強しないとねっ☆」

「………………悪女だ…………」

「何人も人を殺している顔をしている……」

「対暗部の家の人とバリバリ軍属の人に言われたくないんだけどっ!?」

「だから! 別に減るもんじゃないんだしいいでしょ! あたしたちだっていつまでもガキってわけじゃないんだから…………子供のこと、考えてるの?」

 

 ギャーギャーといつもの――――一〇年前のように騒がしくなったその場をなだめ、鈴音はイチカの目を見据える。イチカは少し恥ずかしそうにしていたが、

 

「…………一応、今年中にできたらいいな、とは思ってるけどさ…………」

 

 そう、ぽつりとつぶやいた。

 直後、

 

「きゃ――――!! 聞いた!? あのイチカが!!」

「やったぜ。」

「ああ……完全にメス堕ちしてしまったんですのね…………」

「っていうか、一〇年前の時点でイチカは女の子みたいなものだったし」

「初恋の男の子がいつの間にか男と結婚して子供のこと考えてるのか……私は独身…………」

「…………今から妊娠時のためになる話とかしておく……?」

 

 そんな感じで、その場はさらに騒がしくなった。いつもはなだめるべき鈴音が率先して騒いでいるのでなおさらである。イチカは恥ずかしそうに顔を赤らめていたが、

 

「し、しっかし、鈴もずいぶん変わったよな~。当時はとんでもないことになってたのに」

 

 と、若干無理やりな感じで話題の方向転換を狙う。テンパっているので男口調に戻ってしまっているのはご愛嬌だ。変態達はそういうところでもニヨニヨしている。

 しかし、そんな無理やりな感じでも鈴音にとっては効果があったらしく、

 

「あっ……あのときのあたしは、まだ乙女だったからよ!」

「あやうく世界がぶっ壊れるところでしたけどね」

 

 恨み言のようにぽつりというセシリアに、鈴音は眉を八の字にしてしなだれかかる。

 そんな鈴音の頭をセシリアはぽんぽんと撫でながら、

 

「とはいえ、今はきちんとこうして丸く収まっているわけですし」

「俺としては、そこがどうやってそう収まったのかのほうが気になるんだけどなー……」

「色々とあったのだ、色々とな」

「これが丸く収まったと言っていいのかちょっと良く分からないがな……」

「イチカ、ちょっとボロ出すぎじゃない? 酔ってるの? 来る前にお酒入れてきたの?」

「イチカちゃんは酔っぱらうとすぐ男のときの口調が出まくるからね…………」

「あっやべっ……じゃなかった、いけない」

「ブフォッ!!」

「ちょっと! セシリアがまた鼻血噴いたわよ!」

「…………完全にメス堕ちしたTSっ娘がちょくちょく男口調出すの尊すぎない……?」

「ほんと、こういうところは変わらないなぁ…………」

 

 そんなことを話していると、ちょうどイチカのもとにカシスオレンジが届いてくる。

 

「しかしあの時は、まさか教官を倒せるレベルにまで強制的に成長するとは思ってなかったぞ」

「なんかそれ、年齢にレベルってルビ振りそうだからやめようね」

「姉さん曰く軽めに世界が終わっていたらしいからな」

「なにそれ…………こわい…………」

「あの時はなんかこう…………目の前でイチカと弾がカップル成立した絶望というか、フラれたショックとかで…………茫然自失としてただけで、何をしたかったとかそういうわけじゃないんだから!」

 

 一応注釈しておくと、当時の鈴音はフラれたショックで自身の秘めていた力を暴走させていただけで、その力がたまたますさまじすぎたせいで抑えようと動いた千冬を地平線の彼方までフッ飛ばしたことや、世界の組成そのものに亀裂を入れて世界の外側から得体のしれないエネルギーを大量に流れ込ませて世界を崩壊させかけたことには悪意も何もあったわけじゃない。なのでリンさんと化してFIRST COMES ROCKしたわけではないのである。

 ともあれそんな超絶修羅場な過去もすでに彼女たちの中では完全に消化されてしまっているので、鈴音はビールジョッキ片手に首をかしげ、

 

「あの時って結局どうなったんだっけ?」

「イチカさんが『責任とる』って言って突撃していったんではなくって?」

「いや、そのあと弾君が『俺を置いてくな』ってついていったんだよ」

「確か、それを見て鈴がなんかもういろいろと馬鹿馬鹿しくなって落ち着いたんじゃなかったか?」

「あー……そうだったねー……」

「最終的に惚気で世界が救われたというのが私的には最高の展開だったな」

 

 などと、適当な感じで言い合う。青春の思い出ってもっと尊いものじゃないの? と思うかもしれないが、しょせん実態なんてこんなものである。お酒の席で話されたら、酒の肴になるのがせいぜいなのだ。

 

「…………ごめんね、鈴」

 

 ちなみに、イチカはその時になって初めて鈴音の気持ちに気づいた。彼女はわりと今でもそのことを引け目に思っている節があるが、肝心の鈴音はあっけらかんとしている。

 

「だからもう一〇〇回くらい言ってるけど気にすんじゃないわよ。一〇年前の失恋でフラれた相手に詫びられるとか、むしろ惨めすぎるわ」

「実際惨めだったからなんとも言えませんわねぇ」

「乳をもぐ」

「もはや報復の宣言に脈絡がありませんわっ!?」

 

 もがれそうになりながら喚くセシリアを肴に、()()の女性達はまた別の思い出話に花を咲かせる。

 ――――少なくとも、彼女たちの未来は幸せなものになったようである。

 

***

 

「ただいまぁ~~……あなたのイチカちゃんが帰ってきたぞぉ~~…………」

 

 夜。

 旧交を温めすぎてもはや熱する領域までやっていたイチカは、どろどろに酔っぱらって自宅に帰ってきていた。ちなみにここまでは箒に送り届けられている。

 出迎えた弾は、そんなイチカを見て呆れたように笑う。

 

「……ったく。あんまり強くないのに、なんであいつらと一緒のときはそんなになるまで呑んじまうのかねぇ」

 

 ふらふらよろめくイチカを支え、そのままリビングへと連れて行く。イチカはふにゃりと笑いながら、そんな弾によりかかっていた。

 

「うふふふふ」

「なんだよそんな笑って」

「なぁーんでもなぁーい」

「酔っぱらいめ…………」

 

 弾は嘆息し、体の中身がどろどろに溶けているんじゃないかと思うくらいになっているイチカをそのままソファに横たわらせる。

 イチカが彼女たち専用機持ちと全員一緒に飲みに行くのは年に一回あるかないかくらいだが(個別に会う機会は何回かある)、そのときはいつもこんな感じなのであった。といっても変態達がこぞってイチカにお酒を飲ませて酔わせている、という側面もあるのだろうが――おそらく、彼女たちと一緒にいると、イチカも童心に返ってしまうのだろう。

 

(まぁ、イチカが一番素の自分でいられる場所は俺の隣だろうけども)

 

 なんて張り合ってしまう弾だが、やはり彼一人でイチカの心の栄養すべてをまかなうことはできない。こうしてぐでぐでになるまでお酒を飲んで友人と幸せなひと時を過ごしているイチカを見ると、やはりそう思ってしまう。

 結局のところ、ただ彼女の友人に対して嫉妬しているというだけのことなのだが。

 

「………………んふー」

 

 そんな弾をソファに横たわりながら、イチカはにんまりと見上げていた。

 

「……なんだよ?」

「なーんにもー」

 

 言いながら、イチカは上体を起こし、横にいた弾の首をぎゅっと抱きすくめる。

 

「女の子になってから、こういうのかわいいなーって気持ちが分かるようになったんだー」

「なんだそれ」

「弾もきっと、女の子になれば分かると思うよ?」

「もう女の子って歳じゃないだろ…………」

 

 首をかしげるイチカに、弾は思わず苦笑した。その答えが不服だったのか、ぎりり、と抱きすくめた腕の力が強まる。しかしそれは、二人の結びつきを強くするような感覚だった。

 相変わらず、いつもは鈍感な癖にこういうときだけは鋭い。大事なところでの人間的直感の鋭さは、男だったころから何一つ変わっていなかった。それに、そうして気づいた相手の気持ちを気遣う優しさも。

 

「……今にしてみたら、男のままでも巡り合わせが違ってればイチカのことを好きになってたんじゃないかなぁって、思うんだよ」

「え……それ、ホモってこと?」

「そりゃーお前のことだろうが!」

「私は女の子になったしー、心も女の子だしー」

 

 へらへら笑いながら、イチカは目をそらす。完全に棒読みであった。

 

「…………ったく。そうじゃねぇよ。そういうことじゃなくて…………なんだ……その、俺はお前っていう人間の、そういうとこが好きになったって話をしてんだよ。男とか女とか関係なく。惚れ込んでるんだ」

「………………なにー? いきなり。弾がそういうのなんか珍しいー」

 

 言いながらも、イチカは満面の笑みを浮かべている。酔いでとろんとした瞳の中には、確かな喜色が泳いでいた。

 

「………………」

 

 少々、沈黙が続く。

 

「…………で、お前はなんかないの?」

「え?」

「『え?』じゃねーよ! 旦那が愛の告白をしたんだよ! ふつうそこでなんか返すだろ! 『私もあなたのことが好きです』とかさー! それでいちゃついてさー! なんでここ一番のときは鋭くなれるのに、こういうところでそれを発揮できないかなお前は!」

「うわーん…………弾が怒ったー…………」

 

 ばったりとソファに倒れこんだイチカは、そう言ってふて寝の構えを見せる。弾が呆れてため息を()きかけると、

 

「私も、弾が大好きだよ」

 

 と、ぽつりとつぶやきが聞こえた。

 少々、沈黙が続く。

 

「だぁ――っ!! 恥ずい! 恥ずかしい! 夫婦の営みをやるにはまだお酒が足りない!!」

「お前十分飲んでるだろ! っつか、そういうセリフ言った後に照れ隠しで男口調出すのやめろ! なんかムードが壊れる!」

「ムードのこと言うなら弾があそこですぐに俺のこと抱きしめればよかったじゃん! そしたら俺もスイッチ入ったよ! あの流れで何もしないって男としてどうなんだよ!」

「頼むから男口調で夫婦の営みのことを匂わせるのはやめるんだマイハニー!!」

 

 ギャーギャーと、先ほどまでの夫婦の蜜月が嘘のように騒がしい室内となったが、弾は知っている。

 イチカは酔うとすぐ、女口調ではなく男口調で話してしまう、というのを。

 別に普段女口調を無理に取り繕っているというわけではないらしいのだが、お酒を飲んで気分が大きくなると、そうなってしまうのだとか。

 だが、実際に酔いつぶれたとしても、イチカは弾の前で男口調に戻ることは殆どない。それは『作っている』のではなく、自然とそうなっているのだ。それくらい、彼女の中で『弾の伴侶である自分』というのが根付いている、ということ。

 だからこれは、単なる照れ隠し。

 

「まったく……ほんと面倒な嫁だよ」

 

 それが分かっている弾は、ひょいとイチカを横抱きに抱きかかえる。

 

「わっ…………弾?」

「こんなところで寝てたら、夏でも風邪ひくぞ。布団まで連れて行ってやるよ」

「わおー…………なんか王子様みたい」

「これでも俺は、いつだってお前だけの王子様のつもりなんだぜ?」

「…………今のはないなー」

「……………………」

「しかも言った後自分で照れてるし」

 

 散々な言われようだったが、弾はめげずにイチカを運ぶと、二人の寝室までやって来る。結婚祝いに『ドッタンバッタンやっても大丈夫だぞ』と言って千冬から贈られたキングサイズのベッドは、イチカが大の字になってもまだまだ弾が転がる余裕を持っていた。

 

「…………覚悟はいいな?」

「なんかそう言うと、まるでトドメを刺す前みたいだね」

「俺的には、そのつもりなんだよ」

 

 その言葉を最後に、弾は寝転がったイチカの上に覆いかぶさる。

 あまりにも不恰好な誘いの言葉に、イチカは思わず苦笑して、しかし目の前の愛しい人に、満面の笑みで笑いかけた。

 

「いいよ。かかって来な」

「……………………なんで押し倒されてる側がそんな男前なのかねぇ」

 

 ――――そうして。

 

 どこかの世界の、どこかの夫婦の幸せな夜は、静かに更けていくのだった。




A()n()o()t()h()e()r() Ending:
 正直NL展開よりトンデモ百合展開の方がヤバい


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第三六話「本編(終)」

「ハッ!?」

 

 目を覚ましたイチカは、ばっと自分の頭に手をやる。さらりとした指通り――は変わらないが、その髪の長さは肩にかかる程度まで短くなっていた。

 

「………………夢、か…………」

 

 ぽつりと呟くと、途端にそれまで見ていたはずの夢の記憶がうすぼんやりとした霧で覆われるように不確かになっていく。まるで、そんなものは()()()()の記憶ではないとでも言うかのように。

 だが、それでいい、とイチカは思う。それが、()()()()の自分の選択なのだから――――、

 

「…………ん?」

 

 そこまで考え、イチカの思考はピタリと止まった。

 ちょっと待て? 今なんて考えた?

『自分の選択』? それってつまり――――『男としての未来』を選んだってことだよな?

 

 では、

 

「……なんで」

 

 ()()()は、

 

「男に戻ってないんだ…………!?」

 

 ………………………………。

 エンディングまで、もう少しだけ続くんじゃ。

 

***

 

 前略、『銀の福音(シルバリオゴスペル)』はそもそも束さんが暴走させなかったので今日も元気に軍事訓練に勤しんでいます。

 当然といえば当然の結果ですね。

 

「……で?」

 

 女性のままのイチカを前に、鈴音がイチカに先を促す。

 イチカが目覚めたという報を受けた専用機持ち及び弾とか楯無とか虚とかは、こうして一堂に会していた。

 ちなみに、マドカは別室で待機中ということになっている。拘束されているわけではないので逃げ出そうと思えば逃げ出せるのだが、祈ることしかできない彼女にもはや危険は存在しない、という判断である。まぁ、また暴れたところでコンマ数秒で千冬が退治できるというのもあるだろうが。

 

「いや違うんだよ」

 

 イチカは当惑しつつも、結論を急ぎそうな感じの面々に弁解を始める。

 

「なんかもう精神世界的なので結論は出てるから。俺、男に戻るって決めたから」

「でもあんた、男に戻れてないじゃない」

「やっぱり、弾とやらとイチャイチャしたかったのか……?」

「おいポニテのあんた!! ふざけたこと言ってんじゃ……」

「だから違うって言ってるだろー!!」

 

 なんだか二秒で切り返しそうな弾を遮り、ごおっ!! とイチカは叫ぶ。

 イチカ的には、もう自分は男としての人生を歩んでいくと決めたのだ。拒絶するのではなく、どちらも素晴らしい未来が待っていると認めた上で、それでも男のままがいいと決めたのだ。もう意識・無意識にかかわらずイチカの中で意思統一は済ませている。

 というか、エンタメ的にああいう演出をやっておいて実は心の中が定まってませんでしたというのでは筋が通らないのである。

 

「普通なら、男に戻れるはずなんだよ。白式の二人だって最後は納得してる感じだったし。よく読んだら違う風にとれます的な描写はもうないはずなんだよ…………。なのにいったいなんで…………」

 

 なまじイチカ自身がそんな感じだったので疑心暗鬼になっているが、やっぱりそういうこともない。

 そんなイチカに、『やっぱり』という文字が浮かび上がった扇子で口元を覆った楯無が言う。

 

「もう一回同じことをやってみたらどう? 織斑先生に頼めばできると思うけど」

「ですがお嬢様、前回は成功しましたが、今回も同じ結果が齎されるとは限りませんよ」

 

 楯無の提案に、虚がもっともらしい懸念を言う。確かに、今回はイチカが男を選んだが、今の状態でもう一度同じことをすれば、今度は女を選びましたというような可能性だって考えられる。

 ……………………実際にはそんなことはないと思われるが、それでも懸念を表明しなくてはならないのが虚の役どころである。

 とはいえ、このままでは埒が明かないのも事実。

 わけがわからないよ的なムーブのまま、イチカは藁にも縋るような思いでISの運転状況モニタを表示する。

 

「…………ん? なんだこれ?」

 

 そこには、管制人格(サポートAI)からの通知、というタブが新しくできていた。今までサポートAIなんてなかったよな……? と思いつつ、昨日のこともあるのでイチカはそのタブをタップし、内容を表示させる。

 そこには、こんなことが書いてあった。

 

『いちかの気持ちは分かったけど、なんか対話で問題解決っていうのは展開が地味だから、ついでに自分の限界とか色々越えてみてね☆ by白式の二人より』

 

 要するに。

 

「……………………………………」

 

 戻るなら、一発男を見せてみろや、というわけである。

 

「うがァァあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 イチカが怒りの雄叫びをあげるのも、無理はなかった。

 

***

 

「どんまい、イチカ…………」

「まあ、こんなこともあるよな……」

 

 ぽん、と打ちひしがれるイチカの肩に鈴音と弾の手が置かれる。

 なんというか、全体的に理不尽すぎるのであった。やはりISコア――束の被造物、ということであろうか。創造主の理不尽さまで引き継がなくても、と思わないでもないイチカである。

 

「はっはっは、だが、いつも通りの感じになってきたではないか」

 

 そんなイチカに、箒は気楽そうに笑う。

 他の面々も、昨夜のように緊張しきった色はない。イチカは男を選んだ。……それなら、この状況は、イチカが必死に男たらんとして、でも結局周りに引っ掻き回され振り回される――そんな今までの流れと、何ら変わらない。

 それなら彼女達も、同じように動くだけだ。

 

「どうせ戻れるのでしたら、別に急がなくてもよくありませんか? ちゃっちゃとISの合同演習を終わらせて海で遊びましょう」

「いいね。僕スイカ割りやりたかったんだよ」

「スイカ割りとは何だ?」

「……目隠しをして…………みんなの野次を聞きながらスイカを棒で叩いて割る遊び…………」

「め、目隠しをした人間に周りの人間が野次を飛ばすプレイだと……!?」

「その曲解…………さてはラウラ、スイカ割り本当は知っているな?」

 

 まぁ、いつも通りということはこういうことなのだが。

 すぐに話が脱線する変態である。

 

「そんなことより、今はイチカをどう元に戻すでしょ! っていうか何よ、男を見せるって! 無茶振りにもほどがあるわよ!」

「っていうか、今の時代、男を見せるって言ったら女の子に優しくするってことだからなぁ……。イチカはもう達成してないっすか?」

「イチカのそれは、優しいというよりは消極的というだけの気がしないでもないが」

 

 ぽつりと漏らした箒の呟きに反応したのは、セシリアだった。

 

「え??? 『そういう』話なんですの??? ならわたくし協力するのはちょっと……」

 

 そこまで言いかけたところで、セシリアの手首を鈴音ががっしりと掴む。

 

「は? 何セシリア、いきなり掌返して。あたしがもう一度半回転させてあげよっか?」

「くっ、屈しませんわ! 蛮族の恫喝には屈しませ…………あぎゃあー!!」

 

 度重なる掌返し(物理)に、セシリアの手首はボロボロ(物理)であった。

 

「いや、そうではなくて。女性関係に『消極的』だからダメ……という話でしたら、逆はどうなんだという話ではありませんか。わたくし流石にそこまで面倒見きれねーぞ、と言いますか……恋愛沙汰はよそでやれと言いますか…………」

「あっ………………」

 

 そこまで言われて、やっと鈴音も思い至った。

 確かに、『男を見せる』のがイチカが女性との恋愛に積極的でないから――とすれば、イチカの女体化解除は鈴音との恋愛成就が一番の近道になる。

 もっとも、それが正しければ、の話だが。

 

「いや、そうとも限らないんじゃないかな?」

 

 セシリアの見解に疑義を出したのはシャルロットだ。

 

「結局、イチカの女体化原因も恋愛感情かと思ったらそうじゃなかったっぽいしね。……っていうか、僕達は多分恋愛関係に物事を考え過ぎてたんじゃないかな……。女体化って結局イチカの精神に起因するんでしょ? なら、あの朴念仁が恋愛事で心を揺らすとは…………」

「………………それもそうだな」

 

 シャルロットの見解に、ラウラも頷いた。というか、今回の暴挙に関してはサポートAIの独断専行なので、イチカの心とか関係なくイベントを起こしたくてやっている感がある。

 

「じゃあ、とりあえず今日の演習はイチカ放置して、俺と一緒に遊んで回るってのはどうっすか? 男同士で馬鹿やってたらそのサポートAIっていうののイベント的にも十分じゃないか?」

「は? 弾あんたふざけてんなら去勢するわよ?」

「それでイチカさんがまた女の未来に靡いたらどう責任とってくれますの?」

「僕的には、完全に精神が男性な状態で男友達と……っていうのは最高のシチュではある」

「………………や、やめときます…………」

 

 ボロクソに言われた弾は、すごすごと引き下がった。ちなみに決めてはシャルロットの腐った視線である。

 なお、イチカはセシリアが話し始めてからここまで何の話かさっぱり分からずポカーンとしていた。

 そのタイミングで、簪が提案する。

 

「…………じゃあ、イチカちゃんを元に戻すのは棚に上げて、ひとまず演習に集中するっていうのは……どう…………?」

「いいんじゃないかしら? 何すればいいのかも分かんないし」

「俺も、良く分かんねーけどそれで良いんじゃないっすかね。特に問題があるわけでもなし」

「制限時間も特にありませんしね」

「私も異議なしだ。姉さんたちの意見を聞く時間も必要だろうしな」

「それに、そろそろ演習まで時間ないしねー」

「じゃー、私達は一旦戻っておくわー。また後でね、簪ちゃん」

「失礼します」

「というか、タイムリミットがないなら戻る前に色々研究しておいた方が今後の為ではないか?」

「待って!! ちょっと待って!! よくない!!!! 全然よくないぞ!!!! っていうかこのまま男に戻れないなら演習ボイコットまであるぞ!!」

「ほう? それは聞き捨てならないが」

 

 と、ギャーギャー騒いでいると、いつの間にかイチカの背後に千冬が佇んでいた。

 

「ちっ、千冬姉!?」

「織斑先生、だ」

 

 ごん、とイチカの脳天に出席簿を落とした(何気に女状態では初である)千冬は、そうして肩を竦めた。その横には、束も一緒にいる。

 

「タイムリミットの問題が解決したのなら、お前の問題は二の次だ。まずは学生の本分に集中しろ」

「ぷくくー、ちーちゃんってばいっちゃんが起きるまで滅茶苦茶不安そうにしてたくせにちびゃっ!?」

「織斑先生、だ」

 

 余計なことを言った束を始末した千冬は、少々顔を赤らめながらも気を取り直す。

 

「お前も聞き分けろ。どのみちISを起動すれば女のままだ。それに『男を見せる』という条件も、何のイベントもなければ達成できないだろう」

「それはそうだけどさ…………」

「ようはお前のISの管制人格(サポートAI)を満足させればいいのだ。やはり何かしらのイベントは必要じゃないか」

「う、うん…………。……っていうか、千冬ね、織斑先生はISの管制人格(サポートAI)のこと聞いても驚かないんだな」

「ん? ……ああ…………。まぁ、それは、な」

 

 何か含みのある千冬だったが、イチカとしてもこれ以上の抗弁は無意味だと悟りつつあった。それに、合同演習の中で『男を見せる』ことが一番の近道、という千冬の意見ももっともである。

 

「分かった。じゃあ、準備するよ。合同演習は確か三〇分後だったよな?」

 

 頷いたイチカに、千冬は満足げに笑い、

 

「よろしい。…………貴様らも急げよ。遅れはしないだろうが、専用機持ちとして模範的な行動がとれていなければ他の学生に示しがつかないからな」

「……………………模範的?」

 

 イチカは首を傾げたが、それについては全員に黙殺された。

 案外、『模範的な変態』という意味では間違っていないのかもしれない。

 

***

 

 というわけで、合同演習である。

 

 この演習の目的は簡単で、ISの各種装備の試験運用とデータ取り――そして、数十台にも及ぶISコアの並列通信の実験だ。例年は試験運用とデータ取りに留められるのだが、今年の一年生は第三世代や第四世代といった次世代装備を備えたISである。コアネットワークの在り方にも変容が生まれている可能性があるので、一応の確認をしておくのだ。

 

 とはいえ、それは学園側の目的であり、生徒達が特別な挙動をするというわけではない。精々、ISの動かし方を勉強する、という感じだろうか。

 というわけで、専用機持ちは全員バラバラに散らばり、ISの操縦に不慣れな生徒達に教導を行っていた。楯無や虚もその中に加わっている。

 イチカのグループでは――――、

 

「えぇ!? ってことはイチカちゃん、男に戻れなくなってたの!?」

「いっちーも隅に置けないよね~。私も生徒会にいなかったら気付けなかったし~」

「っていうかのほほんさんは何しれっと俺の秘密をリークしてくれちゃってるんだよ!」

 

 こんな感じで、イチカの問題があらかた解決したのを受けて、楯無が隠匿していたイチカ女体化問題を本音がリークしてくれていた。

 おかげで、一応授業のプログラムは(怒られないために)進められているものの、その内実はちょっとした騒ぎになっていた。

 笑いごとで済むようになったタイミングになった瞬間に全バラしするところといい、なんとなく本音のしたたかさを感じずにはいられないイチカである。

 

「え~だって~。もう終わったことなのに、いつまでも蚊帳の外って悲しいし~」

「一応、まだ終わってないんだけどさ………………」

「イチカちゃん、元に戻れないならちょっと私試したいことがあるんだけどさ…………」

「ちょっと待ちなよ! そうやって思う存分いちゃつこうってハラでしょ! モブのくせに生意気よ!」

「あぁ!? テメェもモブだろうが! やんのかコラ!」

「まぁまぁ待ちたまえよここはモブ同士仲良くイチカちゃんをいぢめ……、」

「うるせぇ!」

「あの~………………」

 

 そんな感じでギャーギャー騒ぎ始めてしまった変態達に、たじたじとなってしまうイチカ。

 早く訓練の方に戻ってくれないと、千冬姉に俺までまとめて怒られるんだけどな――――と苦笑しながら思っていると、

 

「さてイチカさん、『イベント』を始めましょうか」

 

 そんな感じで、変態達がぞろぞろ集まって来た。

 

「…………あん? 他のヤツらの演習を手伝わなくていいのか?」

「既に指示は出し終えているさ」

「というか、今回はコアネットワークの並立稼働実験でもあるのだから、我々が教導に終始していては無意味も良いところだろう」

「確かに…………」

 

 ラウラの真っ当な弁に頷くイチカ。しかし、セシリアの『イベント』という言葉が気になる。

 

「イチカが自分の限界を超えればいいわけなんだからね」

 

 そう言って、シャルロットはどんっ! と装備を展開して、その場に置く。

 それは、巨大な風呂桶――――のようなものだった。中からは、湯気が立ち上っている。

 

「…………これは?」

「チキチキ☆熱湯地獄で何秒耐えられるかゲーム…………」

「いや、待て待て待て」

 

 ダウナー気味にタイトルコールをした簪に、イチカは首を振りながら制止に入る。

 

「なんでいきなりバラエティ色が強くなったんだよ!? しかも相当昔のお笑い番組みたいな!」

「限界までお風呂に浸かって、限界を超えるという寸法だ」

「…………鈴っ!」

 

 あまりの話の通じなさに、思わず鈴音の方にヘルプを求めるイチカだが――鈴音の方は、特に何もしそうな感じではなかった。

 

「別にいいんじゃない? 変態系でもなければ色仕掛け系でもないし……。確かに限界を超えているわけではあるし、可能性は十分でしょ」

「そうじゃなくて!! これ!! コアネットワークの並立稼働実験!!!!」

「もちろんそれはやるわよ。やりながらこれもやるの。別にコア動かすだけなら熱湯風呂地獄でもできるでしょ?」

「やだー!! 熱いのやだー!!」

 

 鈴音まで敵に回ってしまったイチカは、その場でじたばたして駄々をこね始める。その微笑ましさに、変態達もにっこりアルカイックスマイルだ。

 とはいえ、皆忘れているかもしれないが、現在は教導の真っ最中である。専用機持ちが指示をしておいたとはいえ、その肝心の専用機持ちが教導もせずただ揉めているとあれば見とがめられるのも当然で――、

 

「お前達!!」

 

 案の定、千冬からの檄が飛んだ。

 これで少しはマシな方向にまとまるか――という期待を込めて千冬の方を見たイチカは、その瞬間自分の予想が全く間違っていたことに気付いた。

 千冬の表情は、怒りというものを感じさせない厳然とした――『警戒』の色に染まっていたのだから。

 

「専用機持ち以外は下がれ――――()()()()だ、」

 

 直後。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「………………は?」

 

 イチカの脳裏に、奇妙な既視感が呼び覚まされる。

 忘れていたハズの、異なる未来の記憶。そこにおいて織斑千冬は、なすすべもなく地平線の彼方まで吹き飛ばされている。

 誰に? 怒り狂った鈴音に。

 

「――――」

 

 咄嗟に鈴音の方を見遣ったイチカだが、その鈴音は現在進行形で吹っ飛ばされた千冬に動揺しているようだった。それでも既に龍砲を展開して周囲を警戒しているあたり、流石にプロと言わざるを得ないが。

 では、たった今、千冬を地平線の彼方まで吹っ飛ばすという離れ業を炸裂させた者は、一体だれか。

 

 上空から、ぽつりと、呟きが聞こえる。

 

「……………………………………………………認めない」

 

 それは、一人の少女だった。

 

 黒い装甲に包まれたISを展開した、真っ黒な少女。

 マドカ。

 しかし――彼女の装いは、既にサイレントゼフィルスのそれとはまったく異なっていた。

 

「こんな展開(TSF)、認めてなるものか!! こんな世界(TSF)、認めてなるものか!!」

 

 黒の装甲は(ゼフィルス)のように優美な姿ではなく、武骨な騎士甲冑のような構成に。()()()()()()()()に誕生したそれよりも、あるいは忠実に――――()()()()()()()のごとき威容を顕現する。

 即ち――――『黒騎士』。

 

「馬鹿な――――この土壇場で二次移行(セカンドシフト)ですって!?」

 

 セシリアが叫ぶが、事態はそれだけで終わらなかった。

 ミシ、ミシリ、と。

 

 世界に、ヒビが入る音が聞こえる。

 

「まさか――――『世界の外殻』を…………」

「待て箒! ちょっと待て! いきなり話を進めるな! 世界の外殻だのセカンドシフトだの、どういうことだよ!? っつーか何で千冬姉が飛ばされてんだ!」

 

 その既視感(デジャヴ)を誤魔化す為に、イチカは思わず首を振る。彼女は、これを知っている。一つの恋の終わりの激情の結果、世界を滅ぼしかけた少女を知っている。

 つまり、これは。

 

「いやー…………どうやら、ちょっと軽めに世界が終わりそうだね」

 

 あの世界の鈴音と、同じ状態。

 

「あのマドカって子、どうやら世界の外殻を破壊して、ISが用いているエネルギー――世界の外側にある力を引っ張り出そうとしてるっぽいね。紅椿と同じ仕組みで」

「だから箒が何か分かったような感じだったのか…………」

 

 束の状況説明に、イチカは呻くように言った。

 イチカは話を聞いていなかったのでちんぷんかんぷんだったが、説明を聞いていた箒からすれば既知の技術ということなのだろう。

 

「って、それヤバいんじゃないか!? そんな力が流れてきたら、世界が滅んじゃうだろ!?」

「いや、そうでもないっぽいよ?」

 

 そう言って、束は空を指差す。

 碧い空の中心には禍々しい亀裂が入り、力場の関係か空間そのものが歪んでいるような有様だったが――しかし、そこまでだ。どういうわけか、世界が壊滅するような被害はもたらされていない。

 時間がかかるのか、あるいは向こうが思いとどまっているのか――どちらかは分からないが、まだ猶予はあるということらしい。

 

「…………でも、龍砲とかいう空間操作能力を持っているチャイナガールAならともかく、そうじゃないあの子が力技で世界の外殻を砕くことは……、ってことは、まさか」

「なんだよ束さん! こちとらいつもと違うおかしな展開になってるから頭がパンクしそうなんだけど!?」

「あの子多分、()()()()()()()使()()()()()

「!!」

 

 弾かれるように、イチカは上空のマドカを見る。

 その挙動。引き裂いた世界の狭間から引っ張り出した力を振るう姿には――――確かに、千冬の面影があった。

 千冬の力――それさえあれば、世界を滅ぼすことくらいは容易だろう。

 …………千冬だけの、千冬の努力の結晶、千冬の名誉の全てを悪用していれば。

 

「あ、の、や、ろっ…………!」

 

 瞬間的に頭に血が上ったイチカは、即座にISを展開し、上空へと飛び立つ。

 

「ちょっとイチカ!?」

「あの馬鹿野郎、千冬姉の猿真似なんぞしやがって、ふざけんな!」

 

 イチカは、鈴音の制止も聞かず、雪片弐型を手に生まれた亀裂目掛けて突っ込む。

 とはいえ、彼女に勝算がなかったというわけではない。束はマドカが引っ張り出している力を『ISが用いているエネルギー』と説明していた。つまり、零落白夜ならば相殺できるということでもある。

 そして、現在のイチカは男に戻れなくなった副作用で常に零落白夜が暴走している状態。つまり――零落白夜の一対一エネルギー相殺という燃費の悪さを無視できる状態にある。

 その条件を勘案して、まだ完全にあの力を引き出しきれていない状態でなら、マドカを抑えることができると判断したのだ。

 

 果たして、そのイチカの即断は――功を奏した。

 

「っらァァァああああああああああああああああッッ!!!!」

 

 ズバン! と。

 イチカの一閃が、びきびきと音を立てて広がっていた亀裂を一刀両断し、霧散させてしまう。そのまま、イチカは目の前のマドカを睨みつけ――――、

 

「馬鹿イチカ!!」

 

 鈴音のタックルを喰らい、即座にそこから強制移動させられる。

 エネルギーの損耗を回避する為か、蹴っ飛ばしてイチカから離れた鈴音に、イチカは思わず目を剥く。

 

「何しやがる鈴! あともう少しでトドメを刺せたのに!」

「冷静になりなさい馬鹿! あれ見て!」

 

 そう言って、鈴音は上空を指差す。

 マドカよりも、更に上。

 先程の亀裂の、さらに上空――――成層圏にあたると思われるところに見える、それを。

 

 ………………先程一夏が斬り飛ばした亀裂などとは比較にならないほど巨大な、世界の亀裂を。

 

 おそらく、あのまま深追いしていれば亀裂から放たれた力に、イチカはあっけなく墜とされていただろう。

 

「……………………なんだ、あれ……………………?」

「先程の亀裂は、単なるデモンストレーションだ」

 

 呆然とするイチカに、マドカはさらりと言ってのけた。

 亀裂からは、得体のしれない歪みの塊が千々に散って、そして新たな形を生み出しているところだった。

 

「この世には、様々な可能性が存在する。――いや、あるいはこの世界の外側にも」

「………………、」

「イチカちゃん、貴様も考え方くらいは聞いたことがあるだろう。世界は、選択肢によって幾重にも分岐する、と。そしてその数だけ、()()()()が存在する、と。…………たとえば、イチカちゃんがISに乗ってもTSせず、そこにいる変態ども全員に好意を寄せられている世界、とかな」

「…………それって選択肢どうのこうので変わるような変化じゃない気がするんだけど…………」

 

 それは気にしてはいけない。

 

「そして――ISというのは、そんな世界の可能性を力にしていると言っても過言ではない。新たな選択によって生まれた世界の余波……それがISの力の正体だ。だから、世界の外側に力が溜まっているのだがな」

 

 というのは、余談だが――とマドカは嘯き、

 

「そして! 私はVTシステムと自身の激情を応用し、世界の外側からISエネルギーを引き出す力を手に入れた! その総数は――――無数の並行世界と同じく、無量大数!! 分かるかイチカちゃん! このパワーが! 世界の一切合財を改変し、法則を捻じ曲げ、イチカちゃんを男に戻すという法則そのものを消し飛ばすのに十分なパワーだ!!」

「ここまでやって、やることがそれかよ…………」

「それが、私にとっては大事なことなのだッ!!」

 

 そう叫ぶマドカの背後に、イチカは無数の人々の姿を見た気がした。

 いや、幻覚ではない。

 成層圏に浮かぶ亀裂から、無数の歪みが、人の形をとって生まれ出ているのだ。

 つまり――――ISの形を。

 

「鶏が先か、卵が先か――というところか。コアとISエネルギーが不可分なものであるならば、エネルギーがあればコアを形作り、そしてISを形作るというのも道理! そして残数は『無量大数』。分かるか? 私が単騎で此処に来た意味が! 貴様らがどれほどの成長を遂げようと! どれほどの数で挑もうと! この私一人で事足りると、そう判断したからだッ!!」

 

 軋む世界の中で、マドカの哄笑が響き渡る。

 彼女の背後には、文字通り無数のIS。おそらくその一つ一つが一線級の戦力を誇っているのだろう。そんなものが群れを成して襲い掛かって来たら――――勝敗など、一目瞭然だ。いくら零落白夜を無制限で使えるとしても、すぐに物量に押し流されるに決まっている。

 しかも、そんな圧倒的な戦力でさえ、マドカにとっては時間稼ぎ以外の何物でもない。そうやって時間を稼ぎ、さらなる力を引き出し、イチカの女体化を固定する。それが、彼女の目的なのだから。

 

「さあイチカちゃん、男の未来なんて捨てろ! 男の未来を捨て、過去を捨て、そうしてこそイチカちゃんは女の子として完成、」

「――――戯け者が」

 

 ――――直後。

 彼女が従えていたISの残像の半分が、一瞬にして消し飛ばされた。

 

「……………………TSに貴賤はないと、何度言わせれば分かるのだ」

 

 そして、そんな偉業を成し遂げたのは、織斑千冬その人だった。

 

「ば、馬鹿な……姉さん、貴様は確かに吹っ飛ばしたはずじゃ」

「いくつか教えておいてやる。一つ、VTシステムは単なる私の劣化コピーであり、どんな状況であれ、たとえ一部であろうと私自身を上回ることはない。二つ、そもそも私をISで倒すことはできない」

 

 千冬は肩を竦め、

 

「……さっきのは、私と同じ領域に踏み込んだものには、記念として一発入れさせておくことにしていた、ただそれだけのことだ。………………これが妹分のお茶目だったなら、その後の推移も見守るくらいのことはしていただろうがな」

 

 そんな、化け物じみた余裕を見せていた。

 

「…………だ、だが! 今消し飛ばされたのはほんの数百! まだまだ残弾は残っている! 貴様だって人間だ、スタミナには限りがあるはずだ! このまま消耗戦を続けていれば私は……」

 

 そんな、希望ともいえない希望的観測を叫びながら、マドカは亀裂から更なるISの残像を引き出そうとして――気付く。

 亀裂の周辺の空間が、動かないことに。

 

唯一仕様能力(ワンオフアビリティ)――――『沈む床(セックヴァベック)』」

 

 パッ! と、扇子を開く音が聞こえた。

 気が付くと、上空には左手だけISを展開した、IS学園生徒会長更識楯無が佇んでいた。

 

「まぁ、効果は空間全体に波及するAIC、ってところかしら。巨大なトリモチみたいなものだから、技術的な伸びしろはないんだけど…………まぁこの程度には十分よね。それと」

 

 そして、さらなる異変は、今度は地上――――いや、海上からもたらされる。

 

「本来、霧纒の淑女(ミステリアスレイディ)は海上戦特化型ISなのよね。…………知らなかった?」

 

 ミステリアスレイディの専用武装、ナノマシン入りの水。

 それを海中に拡散することで、全地表の七割にもなる『海』を支配する――――それこそが、ミステリアスレイディの真価である。

 

「手駒は動かせず、補充してもすぐに削り殺される。………………これって客観的になんて言うか知ってる?」

「…………詰み、だな。やれやれ、教師に任せろと言い含めておいたはずだが?」

「姉として、妹の前でいいところを見せたかったんですよ。()()()()()()

「…………ククク、なかなか言うじゃないか」

 

 それに何より。

 手駒の無量大数にも及ぶISの残像を指揮できないとなれば、後に残るのはマドカ一人のみ。

 そして目の前には、完全にフリーとなった七人の少女達がいる。

 

「う、うう、ううううううううううううう!!!!!!!! 認めるか…………認めるものか……!! そんな、ただのラブコメみたいな顛末を認めるものか!」

 

 目に涙すら浮かべながら、マドカはさらなる力を行使する。虚空から半透明の刃が無数に展開されていく――――が、それらはイチカを除く六人の専用機持ちの少女によって相殺されていく。

 耐えきれないとばかりに、マドカは首を振りながら叫ぶ。

 

「だって、だってだってだって! せっかく女の子になれたのに、男に戻っちゃったら()()()()()()()()()()()()()()!!!!」

「――それは違うぜ、マドカ」

 

 それに対し、イチカははっきりと断言してみせる。

 そう言っている間にも、マドカは相殺されている刃とは別に、さらなる槍を形成していくが――それでも、イチカは物怖じしたりしない。

 ただ純粋に、前だけを見据えている。

 仲間達にその先を譲るように、イチカは小さく呟いた。

 

「…………何故なら、」

「――私が」

「わたくしが」

「僕が」

「私がッ!」

「……私が…………」

「――あたし達が、男に戻ろうと頑張るイチカにこんなにも心を動かされてんだからッ!!!!」

 

 直後、それぞれが無数の刃を受け止めている真っ最中にも拘わらず、全員がマドカに向けて援護射撃を送る。ダメージを受けたマドカの身体が、一瞬だが確かにぶれる。

 

「――――――!!!!」

 

 そしてイチカは、その瞬間を見逃さなかった。

 

「…………俺が女にならなかったら、きっとコイツらとの今の関係はありえない。だから多分、俺が辿った道っていうのは、お前が引っ張り出した並行世界の無数の可能性の中にも存在しない、俺だけの可能性なんだ」

「この…………っ」

「だからさ、教えてやるよ()()()。望まぬまま女になって、勘違いで女の親友と仲良くなって、些細な嘘で男の親友と良い雰囲気になって、男に戻れなくなって…………それでも、男であることを選び取った」

 

 言いながら、イチカは自分の身体から力が湧き上がるのを感じていた。

 体全体が熱い。

 全身が拡張するような感覚を抱きながら、それでもイチカは前進する。

 

 繰り出された半透明の槍を、零落白夜でいなす。直後、あまりの反動に雪片弐型を取り落してしまう――――が、イチカは一瞬も迷わずに拳を握りしめていた。

 

 そしてイチカは――――いや、一夏は、元の姿のまま、マドカに肉薄する。

 

()()が良いんだ。誰が何と言おうと――――」

 

 もちろん、だからといって『それ』が万人の納得する正解であるなんて、イチカにはとても言えない。他に綺麗な結末なんてものはいくらでもあるに決まっている。これは()()イチカが自分で選び取った、()()イチカだけの正解なのだから。

 でも。

 少なくとも、否定させることだけはしない。

 その答えに行き着いた、イチカ達の道筋を、苦悩を、努力を。

 いきなり現れただけの外野に、その正解を否定させることだけは絶対にしない!!

 

「――――それが俺の、『TSF』だ!!!!」

 

 …………そして、一つの物語に決着がついた。

 

***

 

 波の音が聞こえる。

 

 それは、幻想でもなければ空想でもない――現実の波の音だった。

 

「……………………」

 

 マドカは、ISの展開状態を解除して、そんな波打ち際で大の字に倒れていた。

 既に日は傾き、夕暮れ時の砂浜には彼女の他に、誰一人として残っていない。

 そのはずだった。

 

「元気出せよ」

 

 いつしか、彼女の周りには一夏をはじめとした専用機持ちの面々が集まっていた。

 彼は、マドカに手を差し伸べていた。

 

「…………私なんかに、そんな資格があるのか? お前の性を否定した、この私に…………」

「あー、それもまたTSF、なんじゃないのか?」

 

 一夏は困ったようにしながら、そう肩を竦める。

 

「この間さ、こいつらに色んなTSFの作品を紹介されてな……。一応、読めるやつは読んでみたんだ。…………色々あったよ。まぁ俺は特に好きになれそうという感じじゃなかったんだけど、本当に、色んな種類があったんだ」

「…………………………、」

「創作と現実を一緒にするつもりはないけどな。その中で、俺の選択はこうだった。それは間違ってないことだから、否定すんな――――そういう話だったってだけでさ。別に、俺はお前の考えそのものを否定したいわけじゃないんだ」

 

 たとえばTS転生など、『男だった過去』を殆ど省く物語もある。エロ系のTSFでは、『実用性』の観点から男だった頃の描写を省くのが正道とされているという指摘も存在しているほどである。

 TSっ娘の過去を省くことをよしとする価値観というのは、TSFの界隈の中にもしっかりと存在している。

 だからこれは、他者との関わり合いの問題。

 

「なんていうかな、一緒に楽しめればいいじゃないか。無理やりじゃなければ、俺も気にしないし」

「だからテメェはそういうところでよぉぉぉおおおおおおおおお…………」(注・鈴音です)

「織斑はもう無理やりが慣れてしまいましたものね」

「一夏、そういうことなら私も気にせず無理やり女体化させるが構わないか?」

「えっと………………あの………………」

「あっ簪ちゃんが初めてまともに対面する一夏モードにきょどってるよ」

「流石はコミュ障だな。あ、そうだ。織斑一夏、それはそれとして、女に戻れ。私も落ち着かん」

「お前らほんとブレないな…………」

 

 その上、男に戻った分甘えがなくなったせいでどことなく辛辣な面々である。

 一夏は苦笑しながらも、気を取り直してマドカに向き直る。

 

「……な? こんな連中なんだよ。今更一人変態が増えたところで、誰も気にしない」

「…………………………どうやら、その通りのようだな」

 

 マドカも肩の力を抜き、イチカの手を取る。

 

「これからよろしくな、マドカ」

「ああ……()()()()()

 

 

 

「……………………………………………………ゑ?」

 

 そのあとまたひと悶着あったが、それはまた別のお話。




◆隠された真実(三四話あとがき)
次回ウソエンディングです
   ̄ ̄
そして、次回は本当の本当にエピローグです。


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最終話「いつもの」

「はい、というわけで、満場一致で織斑のお風呂奉仕が決定しましたわ」

 

 ………………その日の夜。

 全員集合した変態達は、一夏を囲ってそんな話をしていた。一夏含め全員が浴衣姿なのが妙にオリエントな雰囲気を醸し出している。

 

「待て! 俺は承服してないぞ! こんなの無効だ! なんだって男に戻れたのにまた女にならなくちゃいけないんだ!!」

 

 一夏は本当に不服そうに、そう申し立てる。

 

 …………マドカの襲撃の結果、なんかノリで自分の限界を超えた一夏は、そのまま勢いで二次移行(セカンドシフト)を迎え、そのまま男に戻ることができていた。

 それだけならめでたしめでたしで終われたのだが、そこで終わらないのが変態達である。彼女達は『今回一夏が元に戻れたのは、自分達の協力もあったからだし、っていうかめっちゃ頑張ったし、なんかご褒美くらいあってもよくない?』と訴え始めたのだ。一夏が『何かお礼したいな』なんて言ったのがいけなかったのかもしれない。

 もっとも一夏としても、確かに彼女達には頑張ってもらっていたと思うし、何かしらのご褒美くらいあげたいとは思っていた。――――彼女達が要求したご褒美が『イチカになって一緒にお風呂』でなければ。

 

「大体、なんでお風呂なんだよ! もっと別のでいいじゃん! 俺が女の姿でマッサージするとかそういうのでも!」

「マッサージ(意味深)になるぞ?」

「やっぱり嫌だー!」

 

 ()()()()()()()()では(意味深)にはならなかったというのに、改めてこの世界の業の深さを痛感する一夏である。

 

「っていうか、マドカが俺のことお兄ちゃんって呼ぶ問題も解決できてないぞ! あれどういうことなんだよ!」

「詳しいことはネタバレになるから言えん」

「ネタバレって何だよ!!」

 

 果てしなくメタっぽい事情により、マドカから待ったがかかる。ネタバレなら仕方ないね。

 

「でも一夏、これまでこいつら、結構頑張って来たじゃない。…………お風呂に一緒に入るくらい、別によくない?」

 

 そこで、変態達に援護射撃をしたのは、あろうことか鈴音であった。

 鈴音はここまで大分(メンタル的に)変態達に世話になっていたので、この件については大分変態寄りである。

 

「いや、お風呂に一緒に入るくらいって……それで済むんならそれでいいけどさ。十中八九済まないじゃないか」

「でも一夏、僕達もう既に一夏と一緒にお風呂に入ってるんだけど、忘れてない? ほら、鈴に洗い方教えてもらってる時に」

「あー…………」

「あーじゃないですわよ織斑。貴方あの時、わたくしの裸を見ていますわよね?」

「ひょえっ!?」

 

 想定外のツッコミに、一夏は思わず動揺する。…………そう、あのあと色々わちゃわちゃしていたこともあり、ラキスケの一回や二回くらいは受けているのであった。…………イチカとしては不本意だったし、それにそれ以上の回数セクハラされているので、ノーカンといえばノーカンではあるのだが。

 

「わたくし達の裸を見ておいて、自分はタオルで隠していましたわよね? それで良いと思っておりますの? 男として申し訳なさを感じませんの?」

「まぁまぁセシリア、そう問い詰めるな。……だが一夏、お前には『誠意』というものを見せてもらいたいな?」

「ヤクザみたいなやり方だね……」

 

 恫喝係と宥め係がいるあたりが余計にあくどい。

 それに、そこまで言われてしまっては一夏としても引けなかった。

 

「…………良いだろう、それならやってやる! お前らへのご褒美に、女の姿で一緒にお風呂に入ってやるよ!!」

 

 バーン! という文字を背負う勢いで、一夏は胸を張る。

 

 というわけで、悲願のお風呂回(フルパワー)の始まりである。

 

***

 

「あ……お姉…………じゃなかった、一夏、さん…………」

 

 ということで話がまとまった後。

 いつものメンバーを伴って更衣室まで向かっていると、そこで一夏は蘭とばったり出くわした。

 一応、一夏が男に戻れるようになったことは、弾を通して蘭には伝えてある。…………蘭はたいそうショックを受けていたらしいが、こればっかりは『フッた』張本人である一夏にはどうしようもない、と鈴音に言い含められていた。

 その蘭は、一夏を一目見ると、悲しそうに目を伏せてしまう。

 

「蘭…………」

「あの……えっと、お兄から話聞きました。色々大変だったって…………私のせいで、色々ややこしくなったそうで、すみません」

 

 イチカではなく――元の一夏に対する話し方で、蘭は頭を下げる。

 それは、蘭なりのけじめのつもりなのだろう。だが、一夏にはひどく痛々しいものに見えた。

 

「…………一夏」

「ごめん鈴。でも俺、やっぱ駄目だ」

 

 小声で制止する鈴音を振り切って、一夏は頭を下げたままの蘭に近寄る。

 

「蘭、顔を上げてくれ」

「でも…………」

()()()()

 

 一夏の声には、迷いがなかった。

 

「お前…………俺が男に戻れなくなったことに、自分の責任があるなんて、そこまで思ってないだろ?」

「そ、そんなこと……!」

「いいんだよ、事実だから。男に戻れなくなったのは俺個人の問題で、蘭が悪いわけないじゃんか。…………蘭が謝ってるのは多分…………『戻らなかったらいいのに』って、その話を瞬間に思ったことじゃないのか?」

「!!」

 

 妙に鋭い一夏の言葉に、蘭は思わず息を呑んだ。

 

「…………なんで……」

「分かったのかって? ……いやまぁ、普段の俺なら分かんなかったと思うよ。女の子の気持ちなんて分かんないしさ。でも――――」

 

 そこまで言ったところで、一夏の身体が眩い光に包まれる。

 光に包まれたシルエットの変化は劇的だった。

 一七〇センチ以上ある身長は一瞬にして二〇センチ以上縮み、その分の体積がスライドするように胸部や臀部へと移っていく。

 見る見るうちに女性的な体つきとなったシルエットから、光が徐々に解放され、その下の()()()の姿が露わになって行く。

 そうして――――現れ出たのは、黒髪の美少女。日焼けのせいか、少し肌が赤いイチカそのものだった。

 

「――――妹の気持ちくらい、鈍感な俺にも分かる」

 

 そう言って、イチカは蘭のことを抱きしめた。

 

「ごめんな。『男』としては、蘭と向き合えない。でも……弾とは、親友どころじゃない。もう、兄弟みたいなモンだって思ってる。そんな弾の妹なら、俺にとっても妹と同じだ。これからも、ずっと」

 

 多分、彼女にとっての最適解はそうじゃないだろう。姉として慕っていたのも、好きな人と一緒にい続ける為の次善としてのことで、最善はもっと――別のところにあったのだろう。

 …………だが、ここで鈴音の言う通りにしていては、きっと蘭は『次善』すら掴めず、この先もずっと苦しい思いをし続けるに違いない。イチカのことを思い出すたびに、辛い思いをすることになっていただろう。

 お節介でも、酷でも、イチカはそれが許せなかった。

 

 蘭から身体を離したイチカに、背後から鈴音が声をかける。その声色は、明らかに呆れの色を伴っていた。

 

「………………はぁ、あんた分かってる? それ、きっと凄い残酷なことよ」

「分かってるよ。自分でも最低のクソ野郎だって思ってる。フッた女の子にこんなこと言うなんてな」

()()()()()()()()()。…………まぁいいけど」

 

 鈴音の言葉の真意を図りかねて首を傾げるイチカ。だが、どっちにしろ自分の不徳の数々を受け止める覚悟はある。

 それに対し、蘭は…………、

 

「お、お姉ぇ~~…………」

 

 涙を流しながら、それでもイチカに縋ってくれた。

 それが、二人の関係値の全てだったのだろう――とイチカは思う。フッたフラれたの気まずい関係性よりも、姉妹としての関係性が勝った。それがすべてだ。

 

「…………あ、でも、そうしたら男の時はなんて呼べばいいんだろう?」

「お兄ちゃんって呼んでくれていいぞ。ちょうど今日、別に妹もできたことだしな」

「どうも、妹だ」

「……………………お姉、デリカシーない」

 

 まだまだ複雑な乙女心が分からないイチカは、そう言って蘭のくすぐられ地獄に突入する。

 

「…………あたし、あの娘が妹になるのはちょっとやなんだけど」

「鈴さんはその前に、織斑を夫にするところから怪しいのではなくて?」

「……………………」

 

 辛い現実を突きつけてしまったセシリアが、蛮族の八つ当たりを喰らう。

 そう、何だかんだでそこのところは何も解決していないのであった。

 

***

 

 というわけで、更衣室を前に女体化変身を遂げたイチカは、そのまま更衣室に辿り着いていた。ちなみに蘭の方もちょうど温泉を利用する為に移動中だったらしく、合流して一緒に行動中だ。

 変態達とうまいこと話を合わせて、可愛い後輩ポジションにつくことに成功している(が、自分はヨゴレっぽい立ち位置ではない)あたりに彼女の要領の良さが見え隠れしている。

 

「私、卒業したらIS学園を目指します!」

「ほう。IS学園は難関だぞ? まぁ私は姉さんのこともあって強制入学だったが」

「まともな試験受けてるの、セシリアと簪くらいじゃない?」

「いち国家の政府の意向で試験免除捻じ込みとか、ちょっと冗談じゃありませんわよね……。IS学園の中立性どこ行ったんですの………………」

「フン、我々ほどの実力者ならば試験は必要ないというだけの話だろう」

「ちなみに、私もこの臨海学校の後にIS学園に編入することが決まったそうだぞ」

「テロリスト!! 国防上の問題ッッ!!!!」

 

 と、そんな風に可愛らしく拳を握りしめている蘭に、専用機持ちの面々は呵々と笑いながら言い合う(約一名激怒)。が、この調子だと蘭の受験勉強には専用機持ち達の充実したサポートがあるのは目に見えていた。こうして魔改造というのは生まれていくのだなぁ、とイチカはしみじみ思う。

 

(ともあれ、あっちが盛り上がってるうちにさっさと脱いじゃお…………)

 

 イチカが妹分の進路の話に入り込んでいないのは、彼女達が絶賛着替え中だからである。イチカのことを女性としてしか認識していないのか、するすると適当に浴衣を脱いでは全裸で雑談に興じているのだ。

 自分に対してのセクハラが行われるのも十分に困ったものだが、それ以上に裸の少女達がイチカに襲い掛かってきそうなことの方がよっぽど恐ろしい。彼女の性自認はやっぱり男なので、そういうエロイベントが起こるとちょっと申し訳なくなってしまうのだ。役得過ぎて。

 

「あれ、イチカ、もう脱ぎ終わったの?」

 

 と、そこに目ざとく反応してきたのは、彼女自身も既に浴衣を脱ぎ終えているシャルロットであった。一応前部分はタオルで隠されているので大事なところは見えていないが、イチカとしてはそれでも十分に刺激的な格好である。

 バッ! と逸らした首の動きは、おそらく音速をマークしていた。

 

「そ、そりゃ、浴衣だし……すぐ脱げるし……」

 

 言いながら、イチカは自分自身の身体の前面を隠すタオルを、ぎゅっと強く握る。目線が泳ぎきっているのが実に愛らしかった。

 

「フフ……そっかぁ、そうだよねぇ…………」

 

 特に意味のない言葉を吐きながら、シャルロットはイチカの方へとゆっくり接近していく。イチカは思わず後ろに下がろうとして――衣装入れに踵がぶつかった。

 

「う…………!?」

「イチカ、僕ねぇ、今のタイミングが一番……興奮するんだよね。男としての道を選んだ後の、揺るがない『精神的男性性』。そして、イチカは未だに僕のことをシャルルって言うだろう? それってつまり、僕の事を男として見ているってことだもんねぇ」

 

 にっこりと、優しげな笑みを浮かべているシャルロットだったが、その表情はちょうど照明を背後から浴びていて、少し影が懸って見えている。タオルで前面を覆っているとはいえ豊満な胸や腰つきは明らかに肉感的だったが、シャルロットの言う通り彼女のことを若干以上男性として見ているイチカとしては、どうにも恐怖の方が先に立つ。

 

「結局鈴も手は出せなかったみたいだし………………僕がつまみ食いしても、いいよね…………?」

 

 そして、気のせいか、彼女の身体の前面を覆うタオルの、股間にあたる部分が、

 

 持ち上が、

 

「ヒッ」

「………………まあ待って、シャル…………」

 

 なんかしょうもないホラー演出に待ったをかけたのは、人見知りゆえにコミュ力高そうな蘭の会話に混じれなかった簪だった。

 ああいうイケイケなリア充がいると、普段仲の良い集団でもどことなく居心地が悪くなってしまうのがコミュ障だ。そうして居心地のいい集団から自発的に逃げ出して、そのことでリア充に恨みを募らせるところまでがテンプレである。

 

「なに? 今面白いところだったのに」

「シャルのセクハラは、ほんとに洒落にならないセクハラだから…………」

「まだこのくらいは大丈夫でしょ? だってこれ、手だし」

 

 そう言うと同時、シャルの股間にある持ち上がっている部分がスライドし、タオルのはしから手となって出て来る。

 要するに、拳を突き出すことで勃起を演出したというだけの話だったようだ。ISがあるとそのへんのこととか再現できそうな雰囲気があるので、冗談が冗談にならない。

 

「び、ビビったあ…………」

「織斑先生じゃないんだから、ちんちん生やすなんて僕にはできないよ」

「いや、シャルルならなんかできそうな気がして……、…………あっ、シャル、の」

「ぐっ!!」

 

 未だにシャルルって呼んでいるだろう――というシャルロットの指摘をどう捉えたのか、そう言い直したイチカに、シャルロットは思わず顔を背ける。鼻血を噴出するセシリアの気持ちがなんとなく分かったシャルロットであった。

 

「それに…………鈴ちゃんに関しては、もう少し時間をあげても…………」

「……そう? 僕は、なんか発破をかけない限りずっとこのままなんじゃないかなって気がするんだけどな」

「それもまた、よし…………」

「お前ら、何の話してんだ?」

 

 二人の間で繰り広げられる話に、イチカはきょとんと首を傾げる。

 シャルロットと簪は二人で目を合わせると、溜息を吐いて、

 

「鈴の恋愛の話だよ」

「ああ、中国にいるっていうヤツのことか。今度会ってみたいよなぁ」

「………………それが…………問題…………」

 

 そういえばそんな話もあったよな、と思う二人であった。

 

***

 

 かぽーん、という音が浴場(源泉かけ流し)内に響き渡った。

 そそくさと逃げるように浴場に入ったイチカを追って変態達も浴場に入り、滑って転んだのを装ってイチカに飛びかかったラウラが鈴音に空中でキャッチ&リリースされたりする一幕もあったが、ひとまず全員無事である。

 

「お姉、頭の洗い方とか分かる?」

 

 もちろん銭湯のマナーとして湯船に入る前に全身を洗い清めることをモットーとしているイチカほか全員は水道の方に移動したのだが、そこで蘭が心配そうに首を傾げる。

 

「ハハハ、一応俺、これでも二週間くらい女として生活してたんだぞ。もうすっかり慣れたもんだよ」

 

 慣れたくなかったけどな、と心の中で呟き、イチカは教えられたとおりにシャワーに手を伸ばす。

 

「そっか…………。…………ってことは、他にも色々経験したの?」

「色々ってなんだ?」

「それはほら…………えっちなこととか」

「ぶっ!?」

 

 突然の猥談に、イチカは思わず手元が狂ってシャワーを掴む手が空振りした。

 

「やるな蘭……セクハラ色を滲ませない、鋭い猥談だ……」

「鋭い猥談 #とは」

「簪、シャープっていちいち発音するんだ……」

 

 その手腕にラウラが戦慄したり、その他がハッシュタグの読み方で見解が別れたりしつつ。

 

「す、するわけないだろ!? っていうか、それはやっちゃダメなヤツだろ!」

「え? 別によくない? 減るものでもないんだし」

「そこんところ兄貴とそっくりだなお前!!」

 

 そういえば弾もイチカが自分の女体を味わうことについては別にいいじゃん的なポジションをとっていたのだった。このあたりの倫理観は、やはり兄妹ということで似通りやすいのかもしれない。

 

「まぁまぁ、お姉、頭洗ってあげるよ。そっち向いて」

「…………話を逸らそうとしてないか…………?」

「違うよ~、姉妹のふれあいがしたいの!」

「………………、まぁ、いいけど」

 

 言いながら、イチカは蘭に背中を向ける。何だかんだで蘭とは会う機会もあまりないので、こういうところで望みをかなえてやりたいのであった。

 

「いいな。私もお姉ちゃんの頭を洗いたいが」

「ダメー。マドカは学園に帰ったらいくらでもできるでしょ?」

「…………というか、お姉ちゃんがお前の姉なら同い年の私はお前の姉でもあると思うのだが」

「お姉を頂点にさくらんぼみたいに姉妹分岐が発生してるから、あたし達は対等じゃない?」

「うむう…………」

「姉妹分岐ってなんだよ…………」

 

 なんか勝手に唸られているが、そもそも二人ともイチカの実の妹ではないあたりがさらにややこしかった。

 

「というわけで! お姉、頭洗うからね~」

 

 言いながら、蘭はイチカの頭にシャワーをかける。ざぁぁぁ…………という水が弾ける音が、二人を包んだ。

 …………というのも、イチカの頭にシャワーをかけた瞬間、蘭の頭にもシャワーがかけられたからなのだが。

 

「わぶっ!? なっ、何!?」

「何じゃないわよ。せっかくだし、あたしもあんたの頭洗ったげる」

 

 下手人は、鈴音だった。

 

「ちょっ、それは……っていうかお姉の頭洗ってる最中だし」

「前が見えなくても頭を洗うくらいできるでしょ。っていうか、二人で完結させてんじゃないわよ水臭い。もうじき、あたしもあんたの『お姉』になるんだからさぁ…………」

 

 多分、本音は『二人で完結させてんじゃないわよ』というところだろう。吐息を吐くような暖かさでの牽制に、思わず蘭は命の危険を感じて委縮した。

 

「二人とも、仲いいなぁ」

 

 ドロドロな恋愛事情を知らないのは、頭を洗ってもらってご満悦のイチカばかりであった。

 しかしそんなイチカだったが、彼女の極楽もそこまで長続きしない。

 

「今がチャンスだぞ」

 

 わしゃわしゃと頭をあらわれているイチカ(なお、水を吸ったタオルが身体の前面に張り付いているので危険ながらも駄目なポイントは露出していない)をよそに、箒がそんなことを呟く。

 今はイチカは頭を洗われているので目を瞑っているし、鈴音も蘭の頭を洗うのに集中しているから周囲の確認が疎かになっている。この状況であれば…………思う存分セクハラしても、誰にも気づかれない。

 

「分かっておりますわ、箒さん。…………我々も、そろそろ新たな一歩を踏み出す必要性を感じております」

「新たな一歩っていうのがイチカを突っつき回して遊ぶことなのはちょっとどうかと思うんだけど」

「さきほどはシャルもイチカの前でバスタオルを突きあげて勃起ーとか親父ギャグみたいなことをしていたらしいではないか。それよりはまだ良質だ」

「良質なセクハラって……いったいなんだろう…………?」

「振り返らないことだ」

 

 振り返らないことに関しては全員良質だと言ってもいいかもしれないが。

 

「まぁとりあえずジャブから始めようではないか」

 

 そう言うと、マドカは躊躇うことなくイチカの足先をつんつん、と指でつつく。

 

「んっ?」

 

 くすぐったさに、イチカは一瞬だけ身をこわばらせるが、すぐに変態達のちょっかいだと気付いたらしく、足を軽く振ることで追い返すような仕草をする。しかし、その程度で変態達の攻勢を乗り切れるはずもなかった。

 

「んひゃっ!?」

 

 イチカは次に、脇腹に感じたくすぐったさに思わず悲鳴をあげてしまう。これも、マドカの仕業だった。特殊部隊で活動していた彼女は、イチカの体を陰とすることで鈴音の目を欺きつつ、イチカに対するセクハラを可能としていた。

 

「どしたのお姉?」

「(この状況をバラせばタオルをめくる)」

「!!!! …………な、なんでもない。ちょっとくすぐったかっただけだ」

 

 しょうもない脅しに屈したイチカは、そう言って平常を保ってみせる。

 

「(どういうつもりだよ……!)」

「(どうやらこうするのが我々のルールのようだからな。それに――)」

 

 マドカは少しだけ照れくさそうにしながら、

 

「(私も、お姉ちゃんに甘えたいのだ…………)」

「(マドカ…………)」

「でもそれとセクハラは無関係よね?」

「えっ」

「あっ」

 

 ちょっと良い雰囲気になりかけたところで聞こえた声にマドカが振り向くと、そこにはマドカのセクハラを隠蔽しようと動いていた変態を屠り終えた鈴音の姿があった。

 

「馬鹿な、隠蔽は完璧だったはず――」

「残念ながら、あたしも成長してんのよ――この程度は子ども騙しと呼べるくらいにね!!」

 

『アオオ――ッ』と悲鳴をあげるマドカの横で、順当な方の姉妹の交流はスムーズに進んでいく。

 鈴音(バスタオル装備)が逆エビ反り固めを極めている頃には、既に身体を洗い流す段階になっていた。

 

「結局鈴さんは頭洗ったあとマドカとかにかかりきりになっちゃってたし…………」

「ははは……、じゃあ俺はこのまま露天風呂に行ってるよ。ここだと巻き添え食いそうだし」

「そだね。後でそっちに行くからー!」

 

 手を振る蘭と別れ、露天風呂へ移動する。露天風呂はだいぶ広いつくりになっていて、湯船は男湯と共有なのか、湯船の途中で三メートルほどの木製の敷居が立っていた。

 変態相手だとなぎ倒されそうな心許ない敷居だったが――――それ以上にイチカの目を惹いたのは、むしろ露天風呂の外側にあるものだった。

 

「おお…………」

 

 それは、景色。夜空に瞬く無数の星々が、イチカのことを明るく照らし出してくれていた。すうっと流れるような潮風が、浴場でのひと悶着で火照ったイチカの身体に涼しい。

 

「いいなぁ…………こういうの」

 

 学園の浴場もなかなかのものだったが、これはまた別格の素晴らしさだった。特に露天というのがいい、とイチカは思う。

 

「…………その声、イチカか?」

 

 と、そんな風に露天風呂を満喫していると、敷居の向こうから声が聞こえてきた。イチカとしても、この声を聞き間違えることはない。

 

「あれ、弾か。お前も風呂来てたんだな」

「まぁな。蘭とまとめて風呂行っとけって部屋から追い出された。親父達は未だに仲良いからなぁ…………」

 

 遠い目をしているのが丸分かりな声の弾はそう言って、

 

「っつかイチカ、お前何で女湯入ってんの? 戻れるようになったんだろ?」

 

「いや…………なんか頑張ったご褒美とかでこんな感じに…………」

「はぁ!? うらやまけしからん死ね!!」

 

 どことなく困った感じで言うイチカに、敷居の向こうから速攻で罵倒が返ってきた。

 

「こっちは困ってんだよ! ゆっくり風呂を楽しみたいのに落ち着かないしさ…………!」

「アホが! 風呂はいつでも楽しめるだろうが! そこは思う存分役得を楽しむもんだろ!!」

 

 あまりにも健全すぎるイチカに、男の浪漫を説く弾。ここまでやっておいて(相手が対象の)ラキスケが一度も発生していないというところからも、イチカの身持ちの堅さがわかるというものだ。

 

「はぁ…………ったく。せっかく男として生きることにしたってのに、それじゃ今までと何も変わんないんじゃねえか?」

 

 敷居の向こうの弾は、呆れているようだった。しかし、そこについてはイチカも断言できる。

 

「変わるよ」

 

 女としての未来は、もう存在しない。ここにいるイチカの未来は、もう既に選択された後なのだから。

 イチカの言葉を聞いた弾は少しだけ黙っていたが、

 

「そうだな」

 

 やがて、そう呟いた。

 

「…………あー! 勿体ないことしたな。どうせならイチカに一回くらいおっぱい揉ませてもらえばよかったぜ」

「それはどっちにしろやらせないから」

「何でだ? 減るもんじゃないだろ」

「減るよ! 俺の羞恥心とかが!」

「またまたーエロRPGとかじゃあるまいし」

「えろあーるぴーじー?」

「純情かよ!!」

 

 エロRPGはだいぶ業界に精通していないと分からないような気もするが。

 

「やっぱ兄妹だなぁ、蘭も同じようなこと言ってたし」

「え、アイツもそんなこと言ってたのか?」

「減るものじゃないしって、そのまんまだったな」

「おう…………」

 

 弾はなんか微妙そうな声をあげていた。

 

「大体お前は純情すぎるんだよ。男として生きることに決めたんなら、あわよくば相手の裸を覗き見るくらいのスケベ心はあっていいと思うぞ?」

「……いや、そんなことしたらそれを口実に一〇〇倍返しくらいされそうだし……。それに、鈴は中国に好きな人がいるんだよ。好きな人がいるのに裸を見たりするのは……不義理だろ」

「は? 鈴に好きな人? 中国に? そりゃねーだろ」

 

 イチカの言葉に、弾はバッサリと切り捨てた。

 

「何を言うかと思えば…………鈍感の上に勘違いまで併発させてたのかよ? 救われねーなー……」

「いや、お前こそ何言ってるんだよ。鈴の口からはっきり聞いたんだぞ。『今は遠いところにいるけど、好きな人がいる』って。それって、たぶん中国にいたときにできたってことだろ」

「…………いやそれ、本当に中国にいるのかよ?」

 

 弾の言葉に、イチカはふと自分の言った言葉について考え直してみる。

 今は遠いところに――とは言ったが、そういえば確かに鈴音は『中国にいる』とは一言も言っていなかった。弾の言いたいことから察するに、鈴音の好きな人は中国にはいない、ということになるが、そうすると日本にいたときにできたということだろうか?

 

(いや、あいつ日本じゃ俺と弾くらいしかまともに交流してなかったよな……日本にいるときのあいつが好きになった相手なら、俺も知っているだろうし……)

 

 となると、当然ながら残るのはイチカと弾くらいのものだが…………それはない、だろう。鈴音は今まで、イチカに対していつもつんけんした態度をとっていた。蘭のように遠慮していた様子もなかった。もっとも、蘭と同じく、『イチカが一夏だと気付いていない』状態のときは大分穏やかな対応ではあったが。

 

「…………………………………………んんん???」

 

 そこまで考えて、イチカは何か頭の奥に引っかかるものを感じた。何か重大な見落としをしているような気がする。しかし…………それが何かわからない。

 

「まぁ、じっくり考えれば答えは出ると思うけど、蘭みたいなのをこれ以上増やさないでくれよ」

 

 そう言ってきた弾の声には、どこか暖かい色が滲んでいた。

 イチカは、その真意がわからず首をひねるだけだったが。

 

***

 

「待たせたわね!」

 

 鈴音の快活な声が、露天風呂に響き渡る。

 変態達との戦闘で軽く一汗流したせいでまたシャワーを浴びなくてはならなくなった為にちょっとだけ遅くなったが、ようやく合流だ。ちなみに変態達も血を流す必要があったので同じくらい遅くなった。

 

「…………こ、これがIS学園の日常なんですか……?」

「そうよ。入りたくなくなった?」

「おい鈴! ライバルを削りたいからって脅すのはやめろ!」

「大丈夫ですわよーこの蛮族は蘭さんが入学するまでに去勢しておとなしくしておきますからねー」

「あたしは! 女よ!!」

 

 ドゴォ!! と乳に蹴りを叩き込まれたセシリアが勢いよく露天風呂に飛び込んだりもしたが(お行儀が悪い)、おおむね全員楽しそうで何よりだと思うイチカである。

 

「いや……でもあたし、それでもIS学園に入りたいです! お姉と少しでも一緒にいたいですから!」

「……そ。それならいいわ」

 

 蘭の熱意に、鈴音はふっと笑ってそれ以上言うのをやめた。先ほどのこともあって鈴音の様子を見ていたイチカは、そのちょっとした言動にふとした疑問を抱く。

 

(なんで、鈴は蘭がIS学園に入ることをそんなに気にしてるんだろう……? 入れるかどうかじゃなくて、入ることに……。そのわりに、蘭の熱意を見たらすぐに矛を収めてるし)

 

 悶々と考えてみるが、イチカの頭では一向に答えが出ない。と、

 

「なに辛気臭い顔してんのよ、イチカ。なんか問題でもあった?」

「いや、別に問題はないぞ? ちょっと気になることがあってな」

「何よ、相談なら乗るわよ?」

 

 すすっと、イチカの隣に移動する鈴音。もちろん風呂の中にタオルを入れてはいけないので、タオルは風呂のふちにかけてある状態だ。お湯が濁っていなければ即死だった、と思いながら、イチカは視線を鈴音からずらす。

 

「そんなに意識しないでいいのに」

「いや……意識するだろ。っていうか、やっぱ親友とはいえ、悪いよ。お前が好きだっていう人にさ……」

「へ? あ、あぁ……」

 

 イチカの言葉に、鈴音は意外そうな声をあげる。というか彼女自身、そのくだりを忘れかけていた――と言ったほうがいいかもしれない。ここ最近はとにかくイチカのことを男に戻すことばかり考えていたから、それ以外のことは頭から抜け落ちていたのだ。

 そんな他人事のような鈴音の声を聞いた瞬間、不意にイチカは自分が感じていた違和感の片鱗に気付いた。

 

「………………そういえば鈴ってさ、『遠くにいる』っていう好きな人に、一度も連絡とってないよな?」

 

 そう。

 鈴音の性格からして、好きになる人とはそれなりに密に連絡をとるはずだ――とイチカは思う。だって、親友のイチカに対してすらそうだったのだから。それより上位の『好きな人』に対してはなおさら、と考えるのが普通だろう。

 …………というのは鈍感なイチカの常識であり、実際には『好きだからこそ気軽に連絡できない』という乙女心があったりするのだが、それは彼女にはわからないことである。

 それに、そういった事情を抜きにしても『まったく連絡をとっていない』のはやはり不自然だった。

 

 まぁ、そもそもそんなヤツはおらず、そもそも好きな人というのはイチカのことなのだから当然なのだが。

 

「え?」

 

 そんなイチカに、鈴音はものすごく焦ったような表情で首をかしげる。そこも、やはりおかしい。なぜはぐらかすのだろうか。そこにも、イチカには言えない事情があるようにしか思えない。

 ただ中国に好きな人がいるだけで、そんな複雑な事情が生まれるだろうか? 何か問題を抱えているような様子には、見えない。鈴音はけっこう単純な性質だから、いくら鈍感なイチカでもそういうものを抱えていればすぐにわかってしまうだろう。

 だとすると――――、

 

『まぁ、じっくり考えれば答えは出ると思うけど、蘭みたいなのをこれ以上増やさないでくれよ』

 

 蘭みたいなの――というのは、何か。蘭は一夏のことが好きで、でも諦めて、()()()()()()()()()()()()()()()()()少女だ。

 そしてイチカは、そんな蘭のあり方を『鈴音と同じ』と表現したことがある。だとすると――鈴音の、イチカに対する強烈な親愛の行動。あれも、一種の代償行動ということにならないだろうか? それも、()()()()()()()()()()()()()、という形で。

 

 つまり。

 

 つまり。

 

 つまり。

 

「…………………………鈴って、俺のことが好きなのか?」

 

 という、一つの答え。

 

 考えてみれば、その可能性は考えられた。『今は遠い場所にいる好きな人』という発言の際、鈴音はイチカが一夏とは思っていなかった。後から聞いた話だが、当時の鈴音は一夏が『遠い研究施設に幽閉されていた』と誤解していたらしかったのだから当然だ。

 その場合――遠い場所にいる好きな人とは、その研究施設に幽閉されている一夏のことを指していても不自然ではない。

 そう考えてしまえば、今まではまらなかったピースの数々が、一気に埋まっていくのだ。

 

 それに――――そうだ。

 

 あの夢の世界で、答えを見ていたはずだ。

 すっかり忘れていたが――鈴音は、イチカへの恋慕が破れた為に、世界を滅ぼしかけていたのではないか。

 

「………………………………………………………………へ?」

 

 その瞬間、イチカは世界が凍ったのではないかという錯覚をおぼえた。

 というのも、鈴音だけでなく、その周囲にいた変態達、蘭、敷居の向こう側にいた弾まで絶句しているのが、感覚で分かったのである。

 まずい、とイチカはとっさに思った。自分がとんでもない思い違いをしたのではないかと思い、何か言おうとした、その瞬間――――――。

 

「そうだと言ったら、どうする?」

 

 すでに、鈴音の眼は据わっていた。覚悟を決めていた、と言い換えても良いかもしれない。

 

「どう、って…………」

「あのね、あんた気付くのが遅すぎんのよ! いや、それが分かってて言わなかったあたしもあたしなんだけどさ………………。…………そ、そうよ! あ、あ、あたしは…………あんたのことが好きだったのよ!!」

 

 ザバァ! と、勢いよく立ち上がる鈴音。イチカは思わず顔を横にそむけた。

 

「あんたは、どうなの? あたしのこと、どう思ってるの? 男として! あたしのことを、好き!?」

「いやあの、鈴さん、なんでキレ気味……」

「良いから答えて!」

 

 ザバ! と水をかき分け、鈴音はイチカの視線の先に回り込む。一応タオルで体の全面は隠しているようだが、イチカとしてはもうテンパりすぎて何が何やらさっぱりだった。

 ただ、そんな状況でも、イチカは自分の気持ちに正直でいることはできた。

 

「分かんねえよ!」

 

 その『正直な自分の気持ち』は、あまりにもどっちつかずだったが。

 

「今まで、鈴のことは友達としてしか見たことなかったし…………それで男として好きかどうかとか聞かれても、まだ分かんない」

「じゃあ……」

「でも!」

 

 さらに言い募ろうとした鈴音を遮るように、イチカは叫ぶ。

 それだけじゃいけないということは、イチカも学習している。自分の答えが、女性の心を大きく傷つけてしまうかもしれないという可能性を、イチカは身を以て体感している。

 

「それは、これからも鈴のことを女として見れないってことではない…………と思う」

 

 煮え切らない答えだったが、それがイチカの偽らざる本音だった。

 

「俺だって男だ。……いろいろあったけど、今ははっきりと断言できる。だからさ……やっぱり、自分のことが好きなんだって分かってる女の子のことは、意識するよ。今は、いきなりだから戸惑ってるけど…………………………」

 

 冷静に、鈴音が恋人になるなら、自分はうれしいか? ということを、イチカは考えてみる。この意地っ張りだが純情な少女が、頼もしいくせにどこか抜けている女の子が、自分の彼女になる、という未来を。

 

「…………多分、嬉しい、っていうのが本音だと思う」

 

 そこまで言って、イチカはふと、自分の気持ちが腑に落ちた。

 人間的に好きか嫌いかで言われれば、間違いなく好きだ。女の子として意識したことはあんまりないが。そんな少女に、男性として好いている――と言われたこと。彼女と一緒の未来を歩める選択肢が提示されたこと。それが、イチカにとっては純粋に嬉しいのだ。

 そして、それさえ分かっていれば。いくら鈍感でも、言うべき言葉は分かる。

 それに、こういうのは女のほうから言わせるものじゃない――――と、イチカは思う。

 

 そんな気持ちに正直になって、イチカは叫ぶ。

 

 

「だから鈴。俺と――――付き合ってくれ!」

 

 

 そんなイチカに、鈴音は一瞬涙が零れそうな笑みを浮かべ……そして、それを上書きするように勝気に笑い、イチカに抱き着いた。

 

「――――良いに、決まってるでしょ!!」

 

 その直後。

 

 浴場内が、歓喜に沸いた。

 

「宴だー! ついにイチカが鈍感卒業したぞ――!! 宴をするぞー!!」

「いや、鈍感卒業はしていないのではなくって? 結局恋愛感情抜きのと部分が決め手っぽいですし……」

「まぁともかく喜ばしいことだよね。あ、鈴おめでとう! ようやく長年の努力が実ったね……!」

「…………ま、悪くない展開ではあったがな」

「………………ちょっと泣いた…………」

「なあ、なんで全員号泣しながらも茶化そうと頑張ってるんだ?」

 

 全員がワイワイやっている横で、マドカは首をかしげる。まぁ変態達の存在意義として茶化しがあるゆえに。いろいろあったので、協力していた彼女たちとしては感慨もひとしおなのだろう。

 ともあれ、マドカも含めて全員がイチカと鈴音を取り囲んで二人のことを祝う。

 

「…………鈴さん」

 

 その輪から少し離れたところから、蘭が近づいてくる。

 

「…………そういうわけだから」

「分かってますよ、鈴さん。…………あ、これからはお姉って呼んだ方がいいかな?」

「好きにしときなさい」

 

 相変わらず、鈴の受け答えはつっけんどんだったが。

 そこには、どこか暖かさがあるようだった。

 

「まったく、イチカさんは本当に鈍感なんですから……わたくし達がどれほど気を揉んでいたかも知らずに」

 

 と、一通りわちゃくちゃとイチカと鈴音を祝福した後で、セシリアは肩をすくめてそんなことを言った。そういわれても、イチカはセクハラされていた記憶しかないが……。

 

「…………気を揉んでたの?」

「ん? いや……よく考えたら揉んでたのは胸だけだったな」

「あははは! 箒に一本取られたね」

「いや上手くねーから!」

 

 おやじギャグ一直線である。

 

「っていうかイチカと洗いっこ、僕たちもしたかったんだよねぇ」

「えー、でも、あたしお姉と接する機会ないじゃないですか! しゃーなししゃーなし!」

「それもそうなのですわ。だからここは代わりに、温泉回特有の胸揉み百合シーンとしゃれ込みましょう!」

「…………あれ、現実の女友達同士じゃまずありえないよね…………」

「いや、軍ではわりとあったぞ?」

「そういえばスコール達がいつもやってたな…………」

「それは多分本職の人たちだと思うが」

 

 なんてこともありつつ、変態達は一斉にイチカと乳比べを敢行すべく、一斉に突撃する。

 

「だからあんたら、せめて今日くらいイチカとあたしを自由にさせなさいよッッッ!!!!」

 

 で、そうなればやっぱり鈴音が止めに入るわけで。

 

「やかましいですわこの見切れ乳! 湯気隠しが必要なサイズになってから出直してきなさい!」

「どうやらあんたはこの世から見切れたいらしいわね?」

 

 いつものごとく蛮族の逆鱗に触れたセシリアが、嬉しいことがあって元気一〇〇倍な鈴音の蹴りを食らって敷居に衝突する。

 ぐらり、と敷居が傾いた。

 

「えっ!? おい! なんか敷居傾いてんぞ! お前ら何してたんだ!?」

「わっ! ちょっと待て弾! 目をつぶ――――、」

 

 結果。

 どばしゃーん、という音とともに、混浴が完成する。

 

「あー…………くそ、いったい何が…………」

 

 はたして、敷居の外からやっとの思いで這い出した弾を待ち受けていたのは、

 全裸美少女の桃源郷――――ではなく。

 

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「あ、ああ…………」

 

 敷居に叩き付けられたセシリア含め、全員タオル装備の美少女達が真顔で自分を見下しているという、なんかドMだったら嬉しいかもね? って感じの世界だった。

 なお、その中でもイチカはタオルで自分の体を隠すのが間に合わなくなってアレな感じになっているが。

 

「ひ、ひ…………」

 

 羞恥心の臨界点を突破した(さすがに女の状態で裸を見られるのは恥ずかしい)イチカは、

 

「ひゃああああああああ――――っ!?!?!?!?」

 

 その場で、女の子みたいな(女の子だ)悲鳴を上げざるを得なかった。

 

「なになにー? なんか面白そうなことになってそうな気配がビンビンなんだけどー」

「おい束、鑑賞は許すが干渉は許さないと言ったはずだぞ」

「感じる…………簪ちゃんのお風呂失禁の匂い!」

「さすがに脈絡なさすぎませんか、お嬢様」

「やっほ~、かんちゃん、みんなもつれてきたよ~」

 

 そこに、騒ぎを聞きつけてきたのか、ぞろぞろとほかの面々もやってくる。ちょっと前まで甘酸っぱい世界が展開されていた浴場は、もはや見る影もなく混沌の坩堝となっていた。

 

「やはり鈴さん×イチカさんの絡みは素敵すぎませんか?」

「セシリア、興奮するのはいいがまずは鼻血を止めろ。そろそろ危険域だと思うぞ……」

「ねえねえ、次は鈴の方が男体化してみない? よければ肉襦袢貸すよ?」

「やめろシャル! イチカに新たなトラウマが植えつけられるぞ!」

「…………私、別にお風呂失禁なんてしてないし……………………!」

「ククク、なかなか面白いところだなぁ、IS学園というのも」

 

 いつものように常識はずれで、変態で、でも賑やかで面白いことになっている浴場を見て、鈴音とイチカは顔を見合わせて笑う。

 

「…………やれやれ。なんか、そういう雰囲気じゃなくなっちゃったわね。……いつものことだけど」

「でも、いいだろ? この世界は、これだからいいんだよ」

 

 人が聞けば、思わず眉を顰めてしまうような、そんなとんでもない世界。

 でも、イチカはそのことをもはや引け目に思うことはない。

 他の世界を見ても、そんな順当に綺麗な物語を紡いでいる世界に対して、逆に胸を張ってこう言えるだろう。

 

 

 ――どうして()()ならなかった? と。




ご愛読ありがとうございました。
あとがきを投稿していますので、気が向いたら活動報告をご覧くださいまし。


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番外編「TSっ娘×女はまだ黎明期のジャンルです」

「ふざけんなこのセシリア! レズ!!」

「だァからわたくし個人はレズじゃないと言っているでしょうホモ好き崩れ!」

「そっちこそTS娘×親友はホモじゃねぇって一億年前から言ってんだろ何万回言わせりゃ気が済むんだジャンル汚染女!!」

「じゃ、ジャンル汚染!?!? おまっ、GL系TS愛好者に一番言ってはならないことを言いましたわね!! ()()()! そこは流石にアナタでも許せませんわよ!!」

「先に手ェ出してきたのはお前だかんな!!」

 

 その日は、なんだか朝から騒がしかった。今世界は宇宙から押し寄せてきた新たなる脅威『絶対天敵(イマージュ・オリジス)』の対応に追われ、さしもの変態国家たちも最近はめっきり戦時中ムードなのだが、対絶対天敵(イマージュ・オリジス)戦線の最前線たるIS学園では、相も変わらず変態達が日夜しのぎを削っている。(申し訳程度のISAB要素)

 ただ──それにしても、今日は騒がしい。

 

「おい、どうしたんだ?」

 

 授業終わりだった為少女状態だったイチカは、今にもつかみかからんばかりのセシリアとラウラの間に割って入る。この世の女神の仲裁を受けた二人の変態達は、そのことによって冷静さを取り戻したらしく、とりあえず人語で話す程度の理性でイチカに説明を開始する。

 

「実は先日、ハーメルンでTSF──正確には性転換が必須タグになったのですわ」

「はぁ」

 

 初っ端からメタメタのメタなのであった。

 

「それで、必須タグになったのがどうしたんだ? 自分たちのジャンルが隅っこに追いやられてるー……みたいな話か?」

「いえ、TSFは特殊性癖ですので、ゾーニングは大切ですわ」

「性転換要素のあるなしとかタグをつけるつけないで諍いになることはハーメルン以前からあったからな。古のオタクである我々からすれば、『必須タグだから』という言い訳を作者と読者の両方に与えてくれた今回の運営の判断はむしろ大英断だ」

「はぇー……」

 

 一応特殊性癖である自覚はあるんだな、となんとなく感心するイチカ。最近メジャー作品でもTSF要素のある作品がぽつぽつ出始めてきたので調子に乗っているかと思いきや、意外にもそこのあたりのネジはしっかりとしめられているようだ。それならもう少しイチカに対する変態行動のネジもしっかりしめてほしいと思わないでもないのだが。

 

「ただ……」

 

 そこで、セシリアが視線を落とす。

 

「ただ?」

「ただ、その時他にも必須タグのない作品に必須タグをつける運動が行われていたのですが、わたくしの好きな作品にガールズラブタグがつけられておりまして……」

「……? よく分からんけど、その『ガールズラブ』ってタグも必須タグなのか?」

「ええ、まぁ。一応同性愛タグですからね。同性愛に抵抗を持つ方はいるので、棲み分けですわ、棲み分け」

 

 ポリコレ的には同性愛に抵抗を持つとか相当アレな言動だが、そこはそれ。現実と創作は別なので、見たくない創作を自分の視界から隠す権利くらいは保障されていてもよいのである。大事なのはその矛先を現実に向けないこと、あと必要以上に創作を弾圧しないことだ。

 それはさておき。

 

「でも、それならそれでいいんじゃないか? 棲み分けがしっかりできて……」

「まぁそうなんだけどな。ただ、セシリアの方がな」

「ひどいものですわ!」

 

 セシリアは憤慨したように顔真っ赤にして、

 

「確かに! 確かにゾーニングは大事ですわ! というか大前提! ゾーニングなくして二次創作なし! 『いやこのタグつけるとネタバレだから』は甘え! ですわ! しかし……しかし! それによって生じるのは何か。ガールズラブ要素があればすぐにタグを取り付けた結果…………純粋な百合作品が読みたいときに……圧倒的に検索がしづらい!!」

 

 ばばーん! とセシリアは虚空に黒板を発現してバン! と叩く。なんだかやり口が束や千冬に似てきた変態である。小ネタに必要な小道具を脈絡もなく出すところとか。

 さらにセシリアは黒板に幾つかのキーワードと数字を書いていく。

 

「1/6現在、『ガールズラブ』タグがついている作品は全部で四〇〇〇作品以上。しかしそれらの中には必須タグ化によって『保険として』ガールズラブタグを設定している作品が少なくありません」

「まぁそうだよね、ゾーニングだし」

「一方! 『ガールズラブ』と『百合』をタグとして設定している作品を見てみると……全部で五〇〇作品足らず! これが何を意味しているか分かりますか!?」

「分からん……」

 

 突然の理論展開に思わず後頭部を掻いてしまうイチカ。だが、イチカでなくとも多くの人間が全然分からんだろう。

 話が進まないのにもどかしさを覚えたのか、セシリアは頭を振りながら言う。

 

「つーまり! この『ガールズラブ』しか設定していない作品群の中に! 『ゾーニングとしてのタグ』であるガールズラブタグだけつけていて、『検索用としてのタグ』である百合タグ等を使わず、埋もれている作品が間違いなく存在している! ということですわ!!!!」

「あっ、そっか」

 

 そこまで言われて、イチカもようやく理解する。要するに、タグにはゾーニングと検索性という二つの用途があるという概念が周知されていない為、後者の用途でタグを運用していない作者が存在している──ということをセシリアは訴えたいのだろう。

 

「まぁ、ここまで色々文句を言うのはセシリアがアレなのもあると思うけどね」

「シャルさん!?」

 

 と、そこで。

 ぬっとシャルロットが三人の話していた空間にやってきた。ちなみに、三人が今まで話していたのはIS戦闘用アリーナ前の廊下である。

 

「確かに検索用のタグがないから埋もれている作品は少なからずあると思うけど、そんなの百合に限った話じゃないしね。それこそ必須タグが警告タグだった頃からあった話だし、今更声高に言うほどのことかなぁ。そもそも『ガールズラブ』タグ自体は警告タグの頃からあったし」

「私としては、TSFとふたなりがいっしょくたに『性転換』タグに入れられていることの方がな……いや部分男体化と言われればそれまでなんだが……でもTSとふたなりは全然違ってて……」

「あっ、めんどくさいオタクモードの箒だ」

 

 さらにぬるっと現れた箒に、イチカの無邪気な暴言が飛び出す。いくらIS学園の廊下が広いといっても、そろそろ固まって話していると邪魔になってくる人数だ。

 

「それよりシャル、埋もれている作品って……?」

「ハーメルンだと、タグづけは必須タグ以外は文字通り『必須じゃない』からね。必須タグ以外のタグはろくに設定しなかったり、検索には関係ないお遊びタグを設定していたり……もともと、タグを検索用として積極的に活用している作者さんなんかそんなにいないんじゃないかな? たいていの人は好きな作品の名前とかで検索してるでしょ。あとはランキング見たり」

「それもそれでかなり偏見に満ちた見解のような……」

 

 確かにハーメルンはランキングの種類がかなり充実しているので、そこまでタグ検索に比重を置いていないというのは特性の分析としてあるかもしれない。それがいいとか悪いとかではなく、サイトとしての方向性の問題なのだ。

 

「で、ここまでだと別にラウラとセシリアが言い争う理由がないと思うんだけど、二人とも一体どうしたんだよ?」

「ああ。今のような感じでセシリアがオーバーに嘆いていたのだが……」

「必須タグ化もう半年以上前なのに今更じゃない?」

「シャル、そういう茶々を入れると話が進まないからやめておこう」

 

 ともかく。

 

「その話の流れで、この貧乳軍人がこんなことを言ったのですわ! 『それを言うならお前らGL系TS派だって「TS百合」とか言って純粋な百合が見たい人の検索妨害してない?』と!」

 

 よっぽどご立腹だったらしい。セシリアは顔を茹蛸のように真っ赤にしながら、ラウラに言い募る。

 

「それを言うなら貴女だって精神的ホモを身体が女性だからノーマルだのと強弁して散々検索妨害してきたではありませんの!」

「だってそうじゃん! 最終的に心も女の子相応になるんだし!」

「まぁまぁ」

 

 これ以上は口喧嘩が再燃すると判断したイチカは、そこで待ったを入れる。

 

「まぁどうして喧嘩してるのかは分かったけどさ……。そこまで揉めるほどのことか? 除外検索とかもあるんだし、別に気にしなくていいと思うんだけど」

「そんなことはありませんわ!」

 

 セシリアは身振り手振りで重大さをアピールする。これについてはラウラも同意見であるらしく、その横で腕を組んでしきりに頷いていた。

 

「TSFというのは、その成り立ちからして検索性の戦いだから……このへんは譲れないんだよね……」

 

 そこで現れたのは簪である。もうすっかり廊下は通行止めの様相を呈してしまっていた。

 

「検索性の戦い?」

「ええ……。もともと、TSFという言葉はこの界隈では使われていなかった──らしいの。私は、そこまで黎明期からいたわけじゃないから、これは又聞きだけどね……」

「へぇー」

 

 つまり与太話ということである。

 

「なんでも、もともとは女体化とか性転換といった言葉を使われていたんだけどね、女性向けジャンルの『もしも〇〇が女の子だったらIF』と検索でかち合うことが多くなり始めてしまって、それで仕方がなく作られた言葉が『TSF』というわけ……」

「そうなんだ」

 

 このへんの経緯についてはtogetterなどで詳細にまとめられているので参照されたし。

 ※流石に作者も現役でその時代にいたわけではないので、この説は現状完全に一個人の証言を基にしたものです。話半分くらいに聞いておく程度が健全なとらえ方だと思います。

 

「そういう経緯と、一口にTSFといっても私達みたいにたくさんの派閥があることから……TSFクラスタというのは、ジャンルの定義や検索妨害問題にうるさい人が多いのよ……かくいう私もその一人……」

「うんまぁ、お前らを見てればそのへんはなんとなく分かるよ」

 

 つまり、検索妨害にうるさい人が『自ジャンルの存在が検索妨害になっている』と言われて怒っている……ということなのだろうか。

 そう考えるとなんとなく今の構図がすっきり見えるようになった気がする。

 

「確かに! 確かにGL系TS派作品の多くは『TS百合』という呼称で呼ばれています。これでは通常の百合の検索でもTS百合が引っかかってしまい、純粋に百合を楽しみたい人からすれば検索妨害! 一応、一部ではTGL(トランスセクシャル・ガールズラブ)という呼称も推奨しておりますが、アルファベットの羅列であることから検索性はよくなく……定着はあまり望めません」

 

 しゅん、と珍しくセシリアは落ち込んだ様子で俯いていた。自分の好きなジャンルがほかのジャンルの愛好者に迷惑をかけてしまっているというのは、悲しいものなのだろう。

 

「ですが! ですがどうすればいいというのですか……一度定着してしまった呼び方を変えるなど、個人の力では不可能ではありませんの……」

「そもそもTS百合もそこまで定着した呼び方ではないと思うけど……」

 

 イチカも一応ツッコんでみるが、変態的には既にTS百合という用語は定着してしまっているらしく、誰も彼も鎮痛な面持ちである。

 

「ふふん。そんなに落ち込んじゃって──キミ達らしくないわよ?」

「あ! 君の名は。が大ヒットしたことで入れ替わりが市民権を得たと勘違いしてる盾無会長!」

「色々と辛辣ねキミ達」

 

 実際君の名は。以前から入れ替わりモノは普通にラブコメの題材として使われていたので、市民権は元々あったと言ってもいいだろう。

 それはさておき。

 

「やる前から諦めているなんて、そんなのキミ達の流儀じゃないでしょう? 現状が誰かの検索の邪魔をするなら……新しく、ジャンル名を作ればいいじゃない! 検索性のいい、新たなるTGLの名称を!」

「ですが……」

 

 それで新たなジャンル名が完成し、定着するのであれば──誰も苦労はしない。一個人が『これからはこのジャンルはこう呼びます!』と言ったところで、影響力のある人物でなければついてくる人はおらず、結果としてジャンルの表記ゆれが加速するだけ。それではジャンルにとって百害あって一利なしである。セシリアが考えているのは、その危険性だった。

 だが。

 

「何もしなければ……このまま他ジャンルとの戦争よ?」

 

 今まさに絶対天敵(イマージュ・オリジス)との戦争中だというのに、そっちの方はどうでもいいとでも言うかのごとく、盾無は深刻な響きを持ってそう告げた。

 

「君の名は。だけじゃない……。幼女戦記の大ヒット。『中身がおじさんな幼女』がヒットしたのはまだ『可愛げのない悪性を幼女というヴィジュアルでマスコット化する』要素が大きい──つまり純然たるフェチ要素が受けたわけではないでしょう。でも、カリおっさん擁するグラブル、ダヴィンチちゃん哪吒北斎ちゃんなどTSFゲーとして有名なFGOのヒット、バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberねこますさんの台頭を考えても、もう『男性が美少女のアバターを得る』ことへの忌避感は薄れている……TSFがメジャージャンルになる時代は近づきつつあるのよ」

「それはどうかなぁ?」

 

 どうなのかは神のみぞ知るのだが。

 

「そしてもしブームになって、TGL作品が大量に生産され……百合の検索妨害が本格化してからでは、何もかも遅いのよ」

「……、」

 

 無論、百合というのは強力なジャンルである。TSFがリヒテンシュタイン公国くらいだとすれば、アメリカくらい強いジャンルだ。いくらTSFがブームになりTGL作品が大量に生み出されたとしても、そこまで大きな混乱をもたらすとは考え難い。しかし……。

 

「人様に迷惑をかける可能性があると知りつつ、それを坐して眺める──変態淑女にあるまじき受け身の精神!!」

 

 セシリアの瞳が、かっと見開かれる。普段もそのくらい俺に対する迷惑を忌避してほしい──イチカは切にそう思った。

 

「と、いうわけで!」

 

 バッ! と、そこで盾無は口元を覆い隠すように扇子を広げる。

 そこには『大道具さんよろしく』という文字が達筆な字でしたためられていた。

 そして、その合図に従うかのように。

 

 周囲の景色が板のセットみたいにばたばたと倒れ、あっという間に周囲はどこかのスタジオのような様相を呈していた。

 気づけばイチカ達は何かの回答席に座らされており、さっきまでいなかったはずの鈴音もすっかり回答席に座っていた。

 

「え!? 何、どういうこと!? ショッピングは!? 乱と蘭は!?」

「あ。そういえばあの二人名前の読み同じだったなぁ……」

 

 ちなみに乱というのは凰乱音。台湾の代表候補生にして鈴音の従妹である。例の絶対天敵(イマージュ・オリジス)騒ぎで戦力集中のため集められた代表候補生の一人であり、当初は憧れだった姉の彼氏となっていた一夏を敵対視していたのだが、一夏がイチカとなった場面に出くわしたことで変態淑女に覚醒してしまったのであった。ちなみに変態淑女として司る属性は『妹の妹化』であり、何気に変態達の中でもトップクラスにやべーヤツなのであった。

 閑話休題。

 

「ちょっと! これどういうこと!? 何が起こってるの! 説明しなさ……あぇ!? イチカぁ!?」

「うん、俺もちょっと状況がよく分かってない……」

「はい! 新春チキチキ☆TSっ娘が女の子と恋愛する話のジャンル名を考えよう大会~~~~!!!!」

 

 困惑しているイチカと鈴音をさらに混乱の坩堝に叩き込むかの如く、盾無がタイトルコールをする。

 言われて改めて周囲を眺めてみると、回答席はイチカを含め七席。その前方にマイクが先端についた盾無がおり、その傍らの司会席にアシスタントとして女子アナ風の虚が、その横に『審査員席』と称して千冬と束が座っていた。

 さらに観客席には本音やら乱音やら蘭やらマドカやら……色々な人たちが集まっている。

 

「ルール説明をいたします。皆さんにはこれから『TSっ娘が女の子と恋愛する話のジャンル』──仮称・TGLの新たなジャンル名を考えて頂きます。その出来によって篠ノ之博士と織斑先生からポイントが与えられ、最もポイントが高かった方の勝利となります」

「でも、そのルールだと結局ジャンル名はどうやって決めるんだ?」

「その人の考えたジャンル名を適当に採用すればいいんじゃないでしょうか」

 

 肝心のところが投げやりなのであった。

 

「ポイントが最下位の方は罰ゲームですので、皆さん頑張ってください」

「えぇ!? いきなり召喚されて罰ゲームなんて、聞いてないわよ!」

「そうだぞ! 俺はTSFとかあんまり興味ないから今回は棄権ということで……」

「イチカさんについては存在がTSFですので。あと鈴音さんはその彼女ですし」

「え、えー……」

「ま、まぁ? 彼女だし……。彼女、うん、彼女……うふふ。イチカ! さあ頑張るわよ!!」

「ああっ!? 彼女発言に乗せられた鈴が敵に回った!」

 

 鈴音テイマーの資格でも持っているのかと思うくらい鮮やかに鈴音を乗せた虚の手腕に、イチカは思わず舌を巻く。ともあれ、唯一の味方である鈴音が敵に回った以上、イチカもやるしかない。要するにいいアイデアを出しまくればいいのである。それならTSFクラスタでなくてもできることだ。

 

「よし、頑張るぞ!」

 

 というわけで、企画スタート。

 

「はい! 整いましたわ!」

「そういう企画じゃないわよセシリアちゃん~」

 

 どことなく落語チックなセシリアは、ボードを小脇に抱えながら不敵に笑う。

 

「ふふ……百合も薔薇も、両方とも花。つまりCPのジャンル名をあらわすなら、花になぞらえるのが常道!」

「おお」

「わたくしの答えはこれですわ!」

 

 まるで火炎瓶でも投げつけるかのように、セシリアはボードを翻す。そこにあったのは──、

 

「『牡丹一華(アネモネ)』ッ!」

「そんな能力名を叫ぶみたいな」

 

 イチカはじめIS乗りには必殺技とかけっこうあるし、能力名を叫ぶのもけっこうあるので分からない感覚ではないのだが。

 そんなわけで、セシリアは理由を説明する。

 

「まずアネモネの花言葉ですわ! 花言葉は『純真無垢』『無邪気』『はかない恋』! これこそまさしくTGLをあらわすのにふさわしい花でしょう! さらに和名の牡丹一華! イチカさんの言葉が入っていますわ! つまり牡丹一華はイチカさんでありイチカさんはTGLの申し子。Q.E.D.(証明終了)ですわ!」

「さらっと俺をTGLに巻き込むのやめろよ!」

「私は別にイチカが相手なら女の子でもいいけど?」

「おいっ……! おい鈴音、今はちょっとそういう……ちょっと!」

 

 なんかそのへんの話は踏み込むとプライベートなアレがアレしそうなので閑話休題。

 

「ふむ……ジャンルの名称における類似性を指摘した点はよかったが……チョイスした花が野暮ったすぎるな。そもそも長い時間かけて定着した百合や薔薇の命名法則を安易に真似ようとしてもジャンルと名称が結びつかん。あとジャンルの名前にイチカの名前を使っては普遍性がなくなるだろう。〇点」

「いやー束さんはけっこう好きだけどね? 一点で~」

 

 というわけで、セシリアの点数は一点である。

 ちなみに、当の本人はイチカと鈴音ののろけによって死亡していた。

 

「しょうがないな……ならば次は私が行こう」

「箒院」

 

 ちなみに、今返事を返したのはラウラである。

 

「私の考えた名称は──これだ! 『首合(TGL)』!」

 

 ボードを返しながら、箒は名称を提示する。百合ではなく──首合。その名称の理由についても、箒は語っていく。

 

「要するに、TGLとは百合のようであって百合ではないナニカ。既存の『百合』という漢字にプラスアルファされたものということだ。だから漢字にちょい足しした」

「そんな料理のアレンジみたいな」

「アレンジャーは身を亡ぼすわよ」

 

 箒は料理下手だからなおさらである。

 

「変換がしづらいな。タグ設定するのにわざわざ辞書登録しないといけないのは利便性の面では悪いだろう。ただ、検索性の面では悪くない。五点」

「そもそも百合にプラスアルファした概念ではないよねってツッコミどころはあるけど、そこそこって感じかなー一点」

 

 けっこう甘い採点に感じるかもしれないが、持ち点は一人一〇〇点なので実は超辛辣なのであった。

 

「じゃあ次はボクだね。セシリアに若干被るけれど、薔薇も百合も実は聖母マリア様の象徴する花なんだよ。つまり花をイメージソースにするなら、聖母マリア様由来の花を選ぶべきだよねってことで──」

 

 どん、とフリップを翻すシャル。そこに描かれていたのは、

 

「雛菊! 菊という男の子要素に雛という女の子要素がくっついてるところとか、TGLらしくないかな?」

「菊=男の子って発想が既に怖いわシャル……」

 

 菊門ということなんだろうか。簪も戦くおぞましさであった。簪はわりと常識人だが。

 

「発想は悪くない。選択した花のマイナーさ加減もいい塩梅だろう。ただ、雛菊というとBL系TSか、男の娘×男の娘……どちらにせよBL系のイメージの方が掻き立てられる気がするな。TGLとは若干乖離するだろう。一〇点」

「束さんはけっこういい線いってたと思うよ。一点」

 

 続いては、

 

「じゃあ次は私だな──見るがいい、これが模範解答だ!」

 

 バッ! とラウラが一息にフリップを展開する。そこに描かれていたのは──、

 

「『手裏剣』!!」

「もはや原型がないのではなくて?」

 

 冷ややかな反応のセシリアだが、ラウラはめげずに続ける。

 

「そんなことはない。これは『TSYURI』をそのまま入力した『tしゅり』からきているのだ!」

「一昔前のネットでよく見た命名ルールだな」

「箒さん、実年齢が割れましてよ」

「実年齢!?」

 

 無論、彼女達はIS学園の一年生なので一五~一六才に決まっているのである。

 

「命名ルールは私好みだが、これでは一般の手裏剣と検索がかち合ってしまいかねない。ジャンル名としてはあまりよくないな。三点」

「手裏剣、束さんはいいと思うよ。一点」

 

 撃沈するラウラである。

 憧れの教官に一言つきで低評価を食らってメンタルが折れてしまったラウラの敵討ちをするように、次は簪が立ち上がる。

 

「私が考えたネーミングは……これ」

 

 どん、と。

 フリップを豪快に翻した簪は、同時にそこに描かれている文字を読み上げる。

 

「──『仮面舞踏会(マスカレード)』」

「えっなんて?」

 

 仮面舞踏会(マスカレード)(笑)である。

 

「ふふ……理由も説明してあげる……。あのね、TSっ娘が女の子と恋愛するって、傍目から見たら百合だよね……でも実はそうじゃない。つまり二人の恋は仮面越しの舞踏会なんだよ……」

「お、おう」

 

 なんか超熱く語っちゃってる簪であるが、目の前にいるイチカと鈴音は仮面どころか素性知りまくりの上で恋人同士なのでなんかもう既に前提が破綻しているのであった。

 そんなわけで結果も、

 

「五点。これはスベリ芸の芸術点だ」

「束さんはカッコいいと思うけどな~一点」

「っていうか束さんはさっきからコメントが適当すぎないか!?」

 

 そのへんはやはり腐っても人格破綻者篠ノ之束ということなのだろうか。

 

「さて、残るはイチカちゃんだけれど──」

「はぁ、なんかよく分からなくてばかばかしいんだけど……普通にTS女同士恋愛とかでいいんじゃないの? 下手に俗称とかつけたら内容が分かりづらいでしょ、内容が」

「それではロマンがないのですわ!! わたくしは! ジャンル名がほしいのですわ! ジャンル名が!!」

 

 結局、自分の帰属するジャンルに名前があるというのが重要という部分も大いにあるのだろう。実際、『〇〇いいよね』とつぶやくのに決まった名称がないと、愛情を迸らせるのにもいちいち頭を使わなくてはならず、かなりストレスになるのである。

 

「えー……」

 

 とはいえ、全く関係ない(関係ないわけではない)鈴音からしたらどうでもいい話なのだが。

 そんなやりとりを見ていたイチカは、思わずジャンル名の亡者となっているセシリアに同情して、仏心を出してしまう。

 

「んー……じゃあ、『内容に由来していて』『検索しやすくて』『入力しやすい』ワードがいいんだよな? 『とせがら』とかどう? 『トランスセクシャル・ガールズラブ』でとせがら」

「ざ、雑ですわ……」

 

 イチカの無邪気な回答に、セシリアは思わず脱力してしまう。そして、千冬達の評価は──、

 

「……フム。盲点だったな、ひらがな四文字で来るとは。由来を知っていれば覚えやすいし、検索妨害にもなりづらく、かつ検索性も高い。ジャンル名としては悪くないだろう。一〇〇点」

「束さんもいいと思うな~一〇〇点」

「ちょ、ちょっとお待ちあそばせ!? 完全に身内びいきでは!? いやイチカさんが最高に可愛いのは同意しますが!」

 

 疑惑の判定であったが、答えは決した。

 

「じゃあ、順位を発表するわよ~」

 

 ほどほどのタイミングで再度現れた盾無が、虚にランキングボードを発現させる。順位の方は、以下の通りになった。

 

 一位 織斑イチカ

 二位 シャルロット・デュノア

 三位 篠ノ之箒

 三位 更識簪

 五位 ラウラ・ボーデヴィッヒ

 六位 セシリア・オルコット

 

「最下位はセシリアちゃんね~はいじゃあ罰ゲー、」

「お、お待ちを! ま、まだですわ! まだ参加していないパネラーがいるはず! そう、鈴さんですわ! まだ彼女が……」

「何言ってるの?」

 

 ばがん、と。

 食い下がろうとしたセシリアを断ち切るように、鈴の回答席がバラバラに崩れ去る。そしてその下から現れたのは──『仕置き人』の文字が記された席であった。

 

「なん………………ですって…………?」

「アンタ、いつからあたしがこの企画の仕掛けじゃないと錯覚してたの?」

 

 鈴の口から、すべての答えが放たれていく。

 

「おかしいとは思わなかった? 束さんでもないのに、盾無会長がこれほど大掛かりなセットを生み出して、あまつさえあたしだけでなく他のメンバーまでそろえていることに」

 

 つまり。

 すべては計算づくだった。

 会長・更識盾無はあくまで人間である。千冬のようにこの世の節理を捻じ曲げることも、束のように新たな節理を差し込むこともできない。だが、彼女はあくまで人間としての工夫で、『その域に到達しているように見せかけることができる』プロだ。

 その彼女が見せたあからさまな超常現象──まして、登場した瞬間に『それまで何をしていたのか』を説明するように吐き出されたセリフ……。トリックがあると考えるべきだった。

 

 まぁ要するに。

 

「セシリア…………罰ゲェェェム」

「よ、世の中、世知辛いのですわー!」

 

***

 

「……はっ」

 

 そんなところまで話が進んだところで、一夏はふと目が覚めた。

 そして隣のベッドでコブラツイストされながら寝ているセシリアと鈴を見て、気付く。そういえば昨日はTSF談義に花が咲きすぎて、最終的に鈴にセシリアが折檻されたあたりで寝落ちしてしまっていたのだった。

 思い返せば、あの夢はおかしなところがたくさんだった。

 変態達の行動が常識外れだった……のはいつものことだが、それはそれとして。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、すべてが唐突すぎたのだ。

 まるで、とってつけた蛇の足のように。

 

「…………それこそ、泡沫の夢、か」

 

 おそらくあれも、あの時と同じ──こことは違う、()()()()()()()()の出来事だったのだろう。そう思うと、早くも一夏の脳裏にある夢の思い出に霞がかかり始めた。

 

「……んぅ……。……あぇ!? 何この状況!?」

「そういえばコブラツイストしながら寝落ちってかなり凄い状況だよなぁ」

 

 そこのところは気にしてはいけないのだが、

 

「皆も起きろよ。早く支度して食堂行っちゃおうぜ」

「うーい、分かったわ」

 

 言いながら、鈴音は何気なくスマートフォンを取り出し、そこで表情を硬くする。

 

「………………なにこれ、絶対天敵(イマージュ・オリジス)…………?」

 

 あるいは、泡沫の夢ではなく────明日の断片か。




ネタっぽくしましたが『とせがら』を使っていくのと会長の危惧はマジです。
ハヤラセテ(*´ω`*)


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