東京喰種〜喰種の残種者〜 (カエサル)
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01.日常
“東京”には、“絶望”が潜んでいる。
人間の暮らす世界に紛れこみ、人間の肉を喰らう怪人がいる。
人は彼らを“
世界とは、“醜く”、“理不尽”で、“不条理”なものだ。
そうでないのならこの世界の過去に戦争など起きなかった。貧困で苦しむ者もいなかった。略奪や強姦などの犯罪が起きることもなかった。
それを起こさぬために人間は、ルールという文字の羅列が記された紙を見せつけ縛り付けようとする。
だが、そんなもの形だけの空っぽなものに過ぎなかった。人間とは弱い生き物なのだから、死の危機に直面するとそんなルールなど御構いなしに破るのだ。
そして破ったあとに酷く後悔する者もいれば、快楽に促される者もいる。
つまり、ルールとはあってないようなものだ。
それもそうであろう。
人間とは、小さな頃からそういう風に出来ている生き物なのだからだ。
小さな頃に知らずにやったことが実はやってはいけないことで大人に怒られたという経験が皆あるのではないのか。
そんな小さな頃から人はルールを破るということを知ってしまうのだ。
そしてそのときに感じてしまうのだ。
───なぜ、これをしてはいけないのか?
おかしなルールに小さな子供は疑問を持つことしか出来ない。
無知であるからこそ疑問を感じるのかもしれない。小さな頃は、無知であっても問題などなにもないのだ。
しかし、成長した人間が無知であることは“罪”なのだ。
目の前で人が苦しんでいる。それを知らずに通りすぎればその人を見捨てたことになってしまう。そして皆から咎まれる。
おかしなことだ。ただ、知らなかっただけでその人は“敵”とされてしまう。
だからこそ、知らなければいけないのだ。多くのルールを。
それを護れなければ、人間の世界では生きていくことはできない。
いや、違う。見方を変えてみればこのルールというものにも引っかかる点もあるのだ。
───なぜこんなルールがあるんだ?
主人の命令に背いた執事はクビになる。
これを例にあげるのが適切かどうかはわからないが、例にみてみよう。
表向きでみれば、主人の命令に背く者はいらない、邪魔だ、という意味で捉えることができる。
それでは、裏向きでみればどう見える。主人が質の高い執事を見つけだすために邪魔者を排除しているのではないだろうか。
そう。見方を変えれば、答えも変わる。
ルールとは、人間の平和を護るための正義ではなく、邪魔な人間をこの世界から消し去るための悪なのだ。
前者の見方で見るか、後者の見方で見るかは人それぞれだが、どちらも理にかなっている。
だから───
『この世界は、間違っている』
大きな鐘の音が鳴り響いた。
近隣の地域には、毎日五十分と十分おきに鳴り響くこの鐘の音がうるさくないわけがない。
それでもこの変わることのない無機質な音に“絶望”と“希望”を抱くものたちもいるのであった。
教室はうるさいくらいに賑やかだった。各々の生徒たちが気の合う仲間たちと昼食を囲んでわいわい楽しそうにはしゃいでいる。
この空間は、あまり好きではなかった。
食事は静かに食べたいというのが俺の考えだったからだ。
しかし、人によって価値観というものは違う。自分の価値観を押し付けるのは、傲慢だ。
それは“罪”だ。七つの大罪と呼ばれる人間の罪の一つでもある。
だからこそ、俺はそんなことはしない。
平和こそが一番なのだからだ。
そうだ。俺、
「……うるせぇな」
購買で買ってきたあんパンを一口頬張りながら窓の外を無気力に見続けた。
本日の昼食はあんパン一つだけだ。空腹をわずかでも紛らわすためにいつも以上に噛む量を増量させる。
噛むことによって脳の視床下部の内側の領域満腹中枢が活発になり、反対に外側の領域摂食中枢の活動が抑制される……らしい。
そんな理論的なことが嘘でも本当でもこの際、どうでもよかった。
人は思いこみでどうとでもなるいい加減な生き物なのだ。
はぁ〜、と深いため息が漏れる。
「そんなに腹減ってるなら俺の飯も食うか?」
俺の前の席で昼食を食べていた少年が購買で買ってきたサンドイッチを差し出してくる。
窓から目線を前の席へと向ける。黒髪の中にストレスなのか白髪が所々混じっている少年。どこか無気力さが顔からにじみ出ている俺の友人、
「いいのか?」
「別にいいよ。俺は少食だからな」
自販機で買ってきたであろう缶コーヒーを一口啜りながら答えた。
「それならありがたくいただかせてもらいます」
伊吹に両手を合わせて感謝しながら差し出されたサンドイッチを一口頬張る。
「おまえっていっつもパン一つで飯足りてるのか?」
不意に気になったことを口にしてみる。
伊吹とは、基本的に昼飯を一緒に食べているがいつもパン系のものを一つと缶コーヒーを飲んでいるところしか見たことがない。しかし彼は別に痩せすぎているなどのことはない。なんなら普通の人よりも筋肉はあるほうだ。朝と夜によほど飯をとっているのだろうか。
「だから俺は少食なんだっつうの」
「まさかおまえ……」
一拍開けて口を開いた。
「……“
“
ならば彼らはなにから栄養を取り入れているのであろう。それは人間の肉だ。
彼らは人間の肉からしか栄養を取り込むことができない。なんとも効率の悪い身体なのだ。
その瞬間、空気が変わった気がした。殺気のような気配が伊吹から溢れ出してくる。
数秒立ってもなにも口に出さない伊吹に徐々に不穏感が募っていく。
まずいことに触れてしまったのか?
“
もしくは……本人が───
「……よく気づいたな」
地の底から響き渡るような悪意の塊のような声に俺は身を震わせる。
伊吹が深く目を瞑る。そして再び開けられた瞳は……右眼だけが赤く染まっていた。
それは人間の眼の充血とは違っていた。
禍々しさが感じられるその瞳に睨みつけられた俺は悲鳴をあげて立ち上がった。
殺される。喰われる。そう思った俺だったが、伊吹から発せられた声は気の抜けた声だった。
「悪い悪い。ちょっと脅かしてみただけだ」
倒れた俺に手を差し伸べながら、伊吹はやりすぎたか、というような顔をしている。
その手をとり立ち上がる。
しかし彼の右眼はいまだ赤く染まっている。
「たくっ! ふざけんじゃねぇよ」
「悪い悪い。まさかここまで驚くとは思わなかった」
伊吹が右眼に手をかける。そして赤色のコンタクトレンズを取り外した。
どうやらそれで
「用意周到だな。テ・メ・ェ・は!」
半分きれた状態で伊吹を睨みつけた。
「まあな。やるからには抜かりなくやるのが俺のモットーだからな」
いたずらをし終わった子供のような笑みを浮かべる伊吹にどうしもうもないくらいの殺意が湧いてくる。
「おまえはどう思うんだ?」
「なにがだよ?」
何秒かの間が空いたあとに伊吹は重々しく口を開いた。
「“
唐突で脈絡がなにもない話題に動揺する。だが、伊吹のなんとも言えない表情にまともな答えを出すべきなのだろうと感じとった。
「俺は別に普通のことだと思うぞ」
俺の回答にわずかに眉が反応したのを見逃さなかった。
伊吹はなにも話さない。つまり話を続けろということなのだ。
「“
「意外な回答だな」
「そうか? “
国の行政機関。「Commission of Counter Ghoul」の頭文字から通称《CCG》と呼ばれている。主な活動内容は喰種の捜索および駆逐で、捕食殺害事件で身寄りを失った児童の保護なども行っている組織だ。
確かに“
それなのに罪のない“
「家族を《CCG》に殺された“
「つまり、おまえは“
いつにもなく真剣な顔で伊吹は答える。
大きなため息をつき、俺は窓の外を見た。
「世界つうのはそういうもんだろ。“醜く”、“理不尽”で……“不条理”なものだ」
そうだ。世界は歪みきっている。
空には雲ひとつない快晴だった。しかし、こんな気持ちのいい日の裏側では、くだらない復讐劇が繰り広げられている。
「───だから世界は間違ってんだよ」
サンドイッチを一口頬張った。
外気に触れすぎたせいか、カピカピになったパンの部分がなんとも不味く感じたのだった。
いかがだったでしょうか?
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02.襲来
五十×六の三〇〇分。時間にしておよそ五時間。放課やST、掃除などといった時間なども入れれば約七時間の長く辛い戦いの終わりを告げる鐘の音が響いた。
毎日毎日行かされる学校にも春の初旬というこの時期から嫌気がさしている慎矢であった。
そもそも義務教育が終わり、それぞれの進路に向けて自ら選んで高校へ進んだと偽善を語る教師は言うが、そんな希望を抱くのは、ごく一部の者か、どこか非日常的な世界に憧れる漫画の主人公と相場が決まっている。
さらに言うならば、高校という義務教育を終えた場では、「自分で考えて行動しろ」と言うがそんなことができない社会人も多くいるのではないだろうか。
それに自分で考えて行動した結果が間違いで教師に叱られるなど多々あることだ。それが正しいことならまだ道理にあっている。しかし理不尽なことは、生徒たちを非行に走ってしまうだけなのではないか。
そういう怒鳴りつける教師に限って自分の意見しか持っておらずこちらの意見など聞く耳も持たない。聞く耳を持たない人間にはなにを言っても無駄だ。それならそいつの言う通りにことをすませてしまったほうがすぐに話が終わってくれて時間の無駄にならない。
「時は金なり」───そんな言葉を残したのは誰だったのだろう?
時間と金の価値は等しく、時間を無駄にするなという意味だった気がする。しかし時間と金は決してイコールではない。どれほどの大金を積もうと過ぎ去った時間を取り戻す方法が現時点で無い時点でどれほどの金を積もうが時間=金になることはないのだ。
そんな感じでかなり話がずれたが、ようは俺が言いたいことは───
「怒られるくらいなら逃げた方が楽つうことだ」
そんな話をしていたのが学校の校門をくぐった直前くらいだった。
隣を歩いていた少年が呆れたように俺の話を聞いてくる。
「つまり先生からの呼び出しをおまえはすっぽかしてきたというわけか」
「そりゃあな。授業中の居眠りごときで職員室に呼び出すような教師の言うことなんて聞いてられるかよ。それに授業つうのは如何に生徒たちに興味を持ってもらうかってのが教師の義務だろ」
俺の屁理屈に伊吹は呆れたを通りすぎでもはやどうでもいいらしい。
屁理屈だって理屈のうちだ。“屁”という言葉には、“不”、“未”、“非”、“無"などといった後ろの言葉を打ち消したりすることはできない。つまり屁理屈の理屈として通ってもいいだろう。
「そうだ、伊吹?」
返事をせずに、隣の少年は顔をこちらへと向けた。
「おまえってコーヒーよく飲んでじゃんかよ。美味しいコーヒーの店とか知らねぇか?」
「よく飲んでるからって知ってるわけねえだろが」
「じゃあ、行きつけの店とかは?」
続けて質問をする。
一度目線を上に向ける。人がよくなにかを思い出そうとするときに行う行動だ。多分、上を見ることで少しでも視界に入る情報を少なくしているのであろう。
再び視線をこちらに戻し、伊吹が答える。
「行きつけなのかはわからんがよく行ってる店ならあるが」
「その店ってここから近いか?」
「ボチボチってとこかな」
少し思案したのちに俺は口を開いた。
「今から行こうぜ」
あからさまに嫌な顔をしているのが見えたがそんなことお構いなしにその店へと向けて歩きだした。
あまり乗り気ではないようだが、渋々案内する気になったようだ。
歩くこと数十分。伊吹が一つの店の前で足を止めた。
どうやらこの店がオススメの店らしい。外観からは東京には珍しいがごく普通の喫茶店のようだ。店の前には植物や店のオススメやモーニングセットなどを知らせるメニューなどが置かれている。
そしてひらがなで店の名前が記された看板に目がいく。
「……あんていく」
好印象の外観に俺の気持ちは昂ぶった。
「それじゃあ入ろうぜ、伊吹」
「いや、俺は帰るぞ」
はぁ!、と声が漏れた。予想だにしなかった伊吹の回答の真意がわからなかった。
「俺は一度も行くとは言ってないからな。それに……」
そこで言葉を切る。よほど会いたくないやつでもいるのか伊吹は脱兎のごとく去っていく。
「おい、テメェ! 待てや、コラァ!」
走り去っていく伊吹の背中に向けて罵声を飛ばす。だが、彼が止まることはなかった。
一人置いていかれた。しかしここまで来て帰るのもシャクだし、とりあえず店内へと向けて歩きだした。
木製の古風な扉の前で一度息を整える。
初めて入る店というのはどこか緊張してしまうもの。それが自分で開閉するような扉ならなおさらそうだ。
やはり初めてというのはどんなことでも緊張してしまう。それを紛らわすために友人などの自分ではない誰かという存在が必要なのだ。
すると再び、伊吹への怒りが湧き上がってくるのを抑えて、俺は扉を開いた。
喫茶店らしいカランカランというという扉についた小さな鐘が鳴り響く。その音色はどこか懐かしいような響きにとても心地よい。
カウンター席と決して多くはないテーブル席、喋っている人はあまりおらず、テレビの音が大きく聞こえる。その雰囲気がとてもいい感じだった。
店内には数人の客。決して繁盛しているような感じではないがそこがまたいい。
カウンターの中では、従業員服を着た小太りのリーゼントっぽい髪型の男性がコーヒーカップを拭いていた。
その店員の正面の席に座った。
「いらっしゃい。あまり見かけない顔だね。初めてかな?」
突然話しかけてきた男性に少し驚いた。
「はい。友人のオススメの店でして」
あまり知らない人と喋るのは得意な方ではないが、この男性の気さくな感じのおかげで普通に話すことができる。
「注文は決まってるかな?」
メニューを見ようと思ったが、伊吹の言葉を思いだした。
「コーヒーをお願いします」
「かしこまりました」
気さくな雰囲気の男性はコーヒーを入れる準備をしだした。
その間に伊吹へと文句の連絡でもしようと携帯をブレザーのポケットから取り出した。
「こんにちわ、古間さん」
どこかで聞いたことのある声に俺はわずかに身体をそらせてその方角を見た。
女性の従業員服を着た右眼を前髪で隠している可愛らしい顔立ちの少女が奥から現れた。
「……霧嶋?」
声に反応した少女がこちらを向く。
「げっ!? なんであんたが!」
「それはこっちの台詞だっつうの。バイトか?」
俺の眼前で明らかにやばいやつに見つかったというような顔をしているのは、
確かにクラスメイトにバイト先を見つかるというのは、面倒なことではあるがそこまで嫌な顔をしなくてもいいではないだろうか。
「別にアンタには関係ねぇだろ」
「まぁ、確かに関係はねぇな。別に人のプライベートにずかずかと踏み込むような趣味もねぇしな」
「だったら早く帰んな。ここはあんたが来るような場所じゃないよ」
その発言には、イラつき言い返そうとした。しかし気さくそうな男性が割って口をだした。
「トーカちゃん。お客さんに対してその言い方はダメだよ」
董香は無言でその場から立ち去って行った。その足音から不機嫌なのだということが伝わってきた。
「……なんであいつが不機嫌になってんだよ。わっかんねぇなー」
女心ほどわからないものはない。そこまで親しいわけでもない董香がなぜあそこまでムキになるのか俺はどう考えても答えを出すことはできない。
「ゴメンね。トーカちゃんも悪い子ではないんだけどね」
気さくそうな男性は、淹れたてのコーヒーが入ったカップとミックスサンドが乗った皿を俺の前に置いてくる。
俺が頼んだのはコーヒーだけだ、と言いかけたがそれよりも先に男性が説明した。
「君には迷惑をかけちゃったからね。これはボクからだよ」
どこまで親切な人なんだ。
そう思いながらも淹れたてのいい香りがするコーヒーを口に含んだ。
口内から鼻腔へと一気に突き抜けるような芳醇な香り。
「……美味いな」
「それはありがとうございます」
俺はコーヒーの味を楽しみながらも少しでも早くこの店から立ち去りたかった。
先ほどから店のバックヤードよ呼ばれる場所から早く消えろ、というような視線を感じるからだ。
俺は少し慌てながらサンドイッチとコーヒーを食べて、お勘定を払い立ち上がる。
すると気さくそうな男性が去り際に、
「またいらしてください」
「はい。またコーヒー飲みにきますね」
そう言い残して俺は「あんていく」を後にした。
時刻は五時を少し回ったところだった。太陽もそろそろ沈もうとしており、真っ赤に染まっている。
だが、そんな陽の光さえも届かないような道を俺は一人歩いていた。
それは単純にこの道が家への近道だからだ。
その過程で不良に絡まれたりしても、少しくらいなら運動神経に自信のあったので別に問題はない。
───その考えが間違いだった。
ここは平和な世界ではなかった。不良など別に会ってもどうってことない。それは相手が同じ人間だからだ。
暗い裏路地を歩いていると人影が俺の前に立ちはだかった。
「なんだよ、おまえ?」
その人影は、顔まで全身をマントで覆っており性別の判別さえもできない。だが、その異様な雰囲気だけは俺の身体が感じとる。別にマントで全身を覆っていることが異様なのではない。異様なのは、こいつがまとっている気配だ。
明らかに正常な人間に気配ではない。
「誰だよ、テメェは!?」
同じような問いを再びかける。するとマントの人間から掠れたような笑い声が聞こえてくる。
それはなにかに笑い声が阻まれているような聞こえ方だ。
そいつは自らの手で顔を覆っていたフードをめくりあげる。そして素顔があらわになる……はずだった。
マントの人間の顔は真っ黒な仮面。笑みを浮かべたような大きな口が描かれている。
「死んでいく、おまえに、知る必要、などない」
くぐもったような声でかろうじてマントが男だということがわかった。
その声がさらに俺の中の恐怖心を増量させていく。
逃げなくては───
しかし考えに反して身体は石のように動かない。
圧倒的な恐怖は人の身体を硬直させるだけの要因になりえる。マントの男はそれだけの威圧感を持っている。
「さらばだ……少年」
黒いマスクが赤く染まる。それはちょうど眼のあたりだ。外界を見るために空けられた穴から男の眼が赤く染まっている。
瞳が赤く染まる。
───それは
「……“
脳が一瞬間で電気信号を足へと送っていく。0.何秒といわずかな時間に俺の頭へと信号は帰っていく。
そのときにはもう走りだしていた。
先ほどまで動かなかった身体が嘘みたいに走りだしていた。
圧倒的な恐怖は身体を硬直させる。だが、それは一つでも背中を押してくれるような力があれば嘘みたいに動き出すのだ。
今回の力は、相手が
俺は走り続けた。
大通りまで行けば、こいつも諦めるはずだ。まだ日が落ちたような時間じゃない。それなら人のいる場所に行けばこいつも追って来れない。
そんなわずかな希望は一瞬のうちに砕け散る。
「希望を持ってはいけない」
俺がなにかをするときにいつも考えている言葉だ。希望を持ったままそのまま絶望すれば、その絶望感は計り知れない。だから、希望は持ってはいけない。
しかしこのときの俺にそんなことを考えれるような余裕があるわけもなかった。
俺は必死に走った。それを嘲笑うかのようにゆっくりと足音が近づいてくる。
その刹那。
身体中の毛が逆立つほどの悪寒が走った。
一瞬間のうちに俺の脳は足へと膝を曲げるように命令する。前へと進もうとする力が急に消失するわけもなく慣性の法則に従って身体のみが前に行こうとしてバランスを崩す。
半ば転倒したような形になると俺の上を物体が通り過ぎていく。
路地裏のわずかな光に照らされた物体は禍々しい輝きを放っていた。それはまるで蠍の尻尾のように鋭く先端が尖っている。
尻尾のようなものは先ほどまで俺の腰があった辺りを通り過ぎていった。そのまま逃げていたら今頃、上半身と下半身は真っ二つだったであろう。
「なかなかの反応速度だな」
くぐもった死神の声が聞こえてくる。
先ほどまでかなりあった距離もあと二メートルくらいしかなくなっていた。それは俺の死ぬまでを示す目安の距離でもあった。
「常人よりは運動神経はいいほうなんでな」
それは人間の中ではということだ。相手が
そもそもこの状況などライオンが飢えを満たすために草食動物を襲っているのと変わらない。
所詮この世は弱肉強食だ。弱者は生きることすらできず、抗うこともできずに強者に喰われるだけだ。
生きているだけで生物は罪を犯し続ける。
───それがこの世の理である。
「おまえに、罪はない……しかし俺はおまえを、殺す」
そうだよな。別に
しかしいざ自分の身に降りかかったとあれば、必死でもがこうとする。
結局、人なんて自分勝手で、哀れで、愚かで、無力で、無価値なものだ。
「さらばだ……人間」
ゆっくりと近づいてきた死神は俺の目の前まで来ていた。
死を感じた俺は眼を瞑る。
ただの暗闇が視界を覆い尽くした。
死にかけた人間が走馬灯を見るというが、そんなことは一切俺には訪れない。だが、無駄なほどに時間が長く感じた。
「───ッ!?」
空気が変わった。それは卒然で一瞬なにが起きたか理解することはできなかった。
驚きで閉じていた眼を再び、開いた。すると俺の目の前にいる死神の姿はなかった。
死の危機が過ぎた俺の身体は酷く疲れていた。この場合、一度姿を消しといて再び襲ってくるというようなホラー展開があるかもしれないが、それはないと確信できた。
あの
そういうが全て俺の憶測に過ぎないのだがな。
立ち上がろうと足に力をいれる。しかし先ほどの恐怖のせいで力がはいらない。
はぁ〜、と大きなため息が漏れる。
しばらくは動けそうにないな。
苦笑いを浮かべる俺の視界は動くものをわずかに捉えた。陽光があまり届かない路地裏には同化するようその人影はいた。
漆黒のロングコートをまとい手には銀色のアタッシュケースを持っている。
この路地裏には、変な格好をした奴が集まるのかと疑いたくなるくらいだ。
「………」
思わず言葉を失う。
「一難去ってまた一難」ということわざがある。一つの災難が過ぎてほっとする間もなく、また次の災難が起きること。
これはただ不幸ということだ。人の運の量は生まれたときから決まっており、そこから減らされていく“減算”。運とは徐々に増えていくという“加算”。運など存在せずに全ては必然という“必然”などがある。だが、どれをとっても一難去ってまた一難とは、不公平にもほどがある。
公平なんて存在しない、平等なんてただの偽りだと俺は理解しているつもりだった。
だが、それは平和な人間が口にする戯れ言に過ぎなかったのかもしれない。
漆黒のコートは、こちらを一瞥してから大通りの方へと消えていった。
まるでこの場で
完全に腰の抜けた俺はその場から動くことができなかった。
「なんなんだよ……あいつ」
先ほどの人影が脳裏に焼き付いて消えない。
漆黒のコートが振り向いたとき俺は見てしまったのだ。
骸骨を模したような仮面。その所々砕けている。相当使いこんでいるものらしい。特に右側の欠損が酷く右眼が完全に露わになっている。
そしてその眼は………
───赤く染まっていた。
やっぱり思ったように言葉が出ずに進まないものです。
全然話が進んでいませんがまた読んでいただければ幸いです。
感想や意見などがありましたら気軽に書いてください。
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