鴉天狗達と撮った写真 (ニア2124)
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10月27日 寒空の公園にて

どうも、ニアです

人間賛美じゃなくて新しく書いちゃいました
だけどあっちの方も書くんで大丈夫です!!
二日に一回は投稿したいな~って感じですね
妄想が爆発した結果がこれ、現代入りです
前から現代入りが少し憧れでして………
それでは今回から!!


 

俺が彼女と出会ったのは必然だ、だけど彼女は奇跡だと言った。

「なんで?」と聞くと彼女は「この世界には多くの人間が居るんですよ?」と笑いながら言った。

確かにそうかもな、俺と彼女は何十億分の一という気が遠くなる様な確率で出会ったんだ。

1年に6千万人が亡くなり、1億3千万人が産まれるこの地球で。

 

だけど俺は誰からなんと言われようが必然だと言い張る。喉が枯れるまで、喉が潰れて声が掠れたとしても言い続ける。

何でかって? そりゃあ運命だからさ。

彼女とあの寒空の下、人も通らなさそうな公園で俺が出会うのは運命であって必然なんだから、例え神でさえも妖怪でさえも

 

 

……………例え鴉天狗でも変えられない運命だったんだから。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

十月の下旬、辺りもすっかり赤く染まっていた。

様々なお惣菜が入ったレジ袋を片手に持ちながら道の端をポツンと独り寂しく歩く。そんな俺を笑う様に道のど真ん中を車が排気ガスをまき散らしながら通っていく。

明るいヘットライトを灯す色々な種類の車が俺の孤独な様を照らし出す。

硬いコンクリートの上をゆったりとした足並みで一歩、また一歩と歩く度に地に落ちた枯葉が乾いた音を立て粉々になっていくそんな中俺は非常に焦っていた。

 

家まではこの足並みだと着くのに十分程かかる、かと言って走れもしない。

辺りにコンビニ等は無くあるのは明かりの灯っていない定食屋か大量の木々が生い茂ている小さな山。

十分も我慢出来るのか? この限界にまで溜まりきった尿意を。やはりスーパーでトイレに行っとけば良かったのだ、かと言っても最早後の祭り。

 

 

「くそ…………ヤバイ」

 

冷や汗を流しながら必死に我慢する。

この場で漏らしでもしたら道行く通行人に引かれた様な目線を送られるのは絶対だ。それだけは避けたい、絶対に。

ならどうする? 明かりの消えた定食屋の扉を叩いて無理矢理にでもお手洗いを貸して貰うか? いやきっと中には誰もいない、こんな時間だ、店員は今頃温もりのある自宅で温温と過ごしているのだろう。

ならどうする? この木々の生い茂った森の中に入り野外で事を済ますのか? いやそれは俺のプライドに関わる。それだけは絶対に嫌だ。

ならどうする? 選択肢は三つ、この場でするか、イチかバチかで定食屋の扉を叩くか、森の中で済ますか。

 

どれも嫌だ、かと言ってもそんな我が儘が許される訳が無い。

段々と足に力が失われていく、くっそ………この場で俺の人生は終わってしまうのか………?

どれを選んでもバットエンド、どうにかしてハッピーエンド、通常では考えられない様な選択肢を見つけなければ。

時間は持ってあと五分、それまでに………っと待て。

 

 

「……………あれはまさかーーーーーーー」

 

神は俺を見捨ててはいなかった、視界の端に映ったあれは……………公園だ。

子供が遊ぶには充分過ぎる広さ、多くの遊具が揃っている大きな公園。ということはきっとあるだろう、俺の探している物が。

よろめく足並みで必死に公園へと向かう、何本か点いている街灯がゴール地点を知らせてくれている。

残り時間はあと四分、あの場までは残り四分で着かなければならない。

 

目測だが二分もあれば公園に着くだろう、だがあれは神が用意したゴール地点。当然行く途中に様々な障害物が出てくるに違いない。

車の事故現場を目撃するのか? それとも連続殺人を起こした通り魔が出てくるのか? 下腹部を両手で抑えながらあらゆる障害について考える。

さぁ、何が出てくる、何が出てきても俺は動じない、例え髪が伸びきったテレビの中から出てくる女の悪霊だとしても、仮面を被り狂気に満ちた殺人犯でも動じない、乗り切ってやる。

 

 

…………だが、そんな物は起こる事なく無事に公園に到着した。何だが独りで盛り上がっていて馬鹿みたいだ。

だけどまだ勝負は終わっていない、この公園に目的の物が無ければバットエンドは違いない。頼む、あってくれ…………!!!

 

そんな俺の祈りが天に通じたのか、公衆トイレ(神の王国)は公園の入口付近に置いてあったーーーーー。

心が一気に躍り始める。すかさずレジ袋を落とす様にして公園の入口に置く。

すり足で公衆トイレに向かい男性のロゴが書かれた方へとゴキブリの如くカサカサとした足並みで中に入る。

中に入り最初に目に入った物は俺が探していた物、縦に長い構造の壁掛け型小便器TOTOだった。

 

TOTOの前に立ちズボンのファスナーを0.5秒程の速さで開ける。一気にくる開放感、我慢していた物が無くなっていく快感。

下腹部が軽くなっていく中俺は外国B級ホラー映画の脇役警察官の様に口笛を吹きながら済ましていた。歌の内容はこの間聞いたばかりのラデツキー行進曲。明るいリズムが俺のモチベーションを上げてくれる。

今ならなんだって出来るそんな気分だった。

 

事を済まし灰色のジーパンの硬いファスナーを閉めた後一直線に無駄ない動きで洗面器に付いている水道の蛇口を捻り手を洗う。

トイレから出た俺は先程とは違うすり足の様な足並みでは無くスキップの様な華やかなリズムで足を進める。

今の俺ならなんだって出来る、木の棒でラスボスを倒せる、素手で時速180/㌔の暴走スポーツカーを止められるそんな気分だ。

 

 

それが例え………………俺が地面に落とす様にして置いたレジ袋を漁っている女性がいたとしても……………………。

思わず目の前に起きている光景に驚きトイレの影に隠れてしまう。どういう状況だこれは? トイレから出てきたら女性が俺の汗水流して買ったお惣菜を荒らしている? 何なんだこの現状は。

見間違いかと思い両目を強く擦ってからもう一度見る。だがそこには先程と変わらずフリル付きの黒スカートと白の半袖シャツを着た女性がレジ袋を漁っていた。

 

良く見たら赤色の小さな帽子を被っている、顔は暗くて良く見えない。

今の時刻は夜の十時だぞ? こんな時間に女性が? それもレジ袋を漁りながら? いやいや意味がわからない。きっと危ない奴に違いない。

かと言ってここであの女性が俺の遅めの晩飯を盗みでもしたら今晩のおかずは無しになり家にあるキムチと白米だけで我慢しなければならない。ここは男らしくガツンと言ってやろう。

ハッキリと、男らしく大きな声でだ、いくぞ。

 

 

「あ、あのぉ………これ僕のぉなんでぇすが………」

 

もうやだ死にたい。穴があったら入りたい、思いっきり噛んだ上に何だこのヘノヘノとした言葉は、男らしく? ガツンと? もうやだ死にたい。

だが意外にも俺の弱々しい覇気の無い言葉が届いたのかレジ袋を漁る手をピタリと止める彼女。今日は良く声が届くな。

彼女は腹を両腕で抱えながら俺と同じ様な弱々しい口調でこう言った。

 

 

「すみません………お腹が減って…………」

 

これが俺と彼女が出会って最初に交わした言葉だった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

座った状態から中腰の状態へと変わる女性、公園を明るく照らす青白い街灯が暗くて見えなかった彼女の顔を照らし出す。

意外にも顔は整っており可愛い、浮浪者の様な真似をしている自分が恥ずかしいと気づいたのか少しだけ顔を赤らめ照れくさく笑っていた。

肩にまで掛かった絹の様になびやかなセミロングヘアの黒髪、左側とスカートの右足側に派手なもみじ柄の線が入ったものを着ている、頭の上にポツンと乗った小さい赤色の帽子、天狗が履いている様な底の厚い赤色の靴。

そして列記とした日本人顔だと言うのにカラーコンタクトを付けているのかと疑いたくなる程の赤色の瞳をした少女が立っていた。見た目は十六歳程、俺より少し背が低い。

 

訝しげな目で俺は少女の事を眺めていたのか苦笑いをしながら困った表情を浮かべながら少女は言った。

 

 

「あやややや…………別に変な事をしてた訳じゃ………ただほんの少しお腹が減って………」

 

両手の人差し指をくっつける様にして俯きながら曲げては伸ばす仕草をする。お腹が減ったって………家出少女か?

こんな時間帯に公園なんて行くもんじゃないな…………やっぱりこれは神が授けた試練だとでも言うのか?

ともかくこのままだんまりも良くないだろうな、何か喋らなければ。

 

 

「う~ん…………とにかくお腹が減ったんなら何かあげましょうか? 少し買いすぎちゃいましたし」

「ええ!? いいんですか!! ありがとうございます、それではあそこのベンチで食べましょう!!」

「え、ああ………はいわかりました」

 

元々貰う気満々だったのか彼女はレジ袋を片手に持って指さしたベンチへと笑みを浮かべ上がら歩いていく。

変な奴と関わり持っちゃったな~………なんて考えながら俺もその後を小走りで追いかけていった。だけど何故か………悪い気分はしなかった。

やっぱり可愛いからか………? 可愛い女の子と会話をして悪く思う男なんていない訳で…………これが切っ掛けで彼女出来たりして………ぐふ。

 

 

「何気持ち悪い顔してるんですか?」

「…………………………」

 

彼女の隣に座る俺の顔を見て少しひいた様な顔を浮かべる。気持ち悪いは余計だろ…………。

だがすぐに興味を失い目線を机の上に置かれたレジ袋へと変え涎が垂れるのではないかと思う程口を開け目を輝かせる。

「う~ん………迷いますね」と険しい顔をしながらレジ袋の中身を眺める、きっと俺が彼女を見る目は変人を見る様な目なのだろう。

 

少しして「よし!!」と食べる物を決めたのか声を上げ手を突っ込む。

出てきたのは紙製包装容器に丁寧に包まれた三角掬び、シーチキンマヨネーズだった…………中々やりおる。

まるで見たことも無い様な顔をしてシーチキンをあらゆる方向から眺める彼女、傍から見るとかなり変人だったりする。

更にはシーチキンを恐る恐ると言った感じに優しく丁寧に木製に作られた机の上に置き何処から出したのかわからない、急に手元に現れた古ぼけた写真機を手に持ち二、三枚シャッターを切る。

 

俺の痛い人を見る様な目線に気づいたのかハッとした様にわざとらしく一度咳払いをした後おむすびを手に取る。

②と③と書かれた左右の端っこを掴み力任せに開けようとする……………って、「馬鹿!!」

俺が注意しようと声を上げた頃にはシーチキンの中身は飛び散り見るも無残な形に変わって地面に落ちていった、手に残ったのは紙製包装容器と少し残ったご飯粒。

 

 

「…………………」

 

頬をヒクヒクとさせながら無残な形になったシーチキンを眺める彼女。立って服に付いたご飯粒を手でポンポンと叩き地面に落とした後再チャレンジすべく今度は紅鮭を手に取る。

 

 

「って、待て待て!!」

 

このままだと俺の晩飯がなくなりかねない、彼女から紅鮭を奪い取り慣れた手つきで紙製包装容器を剥がす。

ゴミはちゃんとレジ袋に戻しちゃんとした形を保った紅鮭を彼女に渡した。

 

 

「はいどーぞ、開け方もわからないなんてどんだけ不器用なんですか………」

「こんな物幻想郷には無かったんで開け方がわからなかったんですよ」

 

ジト目で紅鮭を両手に持ちまじまじと眺める、幻想郷…………? 田舎の名前かな?

パクリと頂辺から海苔と一緒に食べる、何度か咀嚼した後彼女はおにぎりを地面に落とした…………。何してるんだろうか。

口を片手で抑えながらパタパタともう片方の手で上下に振る仕草をしてみせる彼女、気管にでも入ったのだろうか?しょうがなくレジ袋に入っている「お~うお茶」のペットボトルキャップを外してから渡す。

涙目になりながら乱暴に俺からペットボトルを奪い取るとほぼ垂直にしながら一気にお茶の二分の一を飲み干すと彼女は苦しそうに言った。

 

 

「何なんですかこれ!? 油っこくて食べれませんよ!!」

 

今にも吐きそうな顔をしながら肩で息をしながら大声で言う。まずい………? 紅鮭をまずいと言ったのか?

 

 

「なんでこんな物買ったんですか!? 詐欺も良い所ですよ!!」

 

こんな物…………流石に堪忍袋の尾が切れたぞ。

 

 

「紅鮭を馬鹿にしたな貴様ァ!!!!!」

 

立ち上がりながら公園全体に轟く様な、近所迷惑になるだろう程の大きな声を上げた。

今まで俺を支えてきてくれたシーチキンを無残な形にした上に紅鮭を地に落としまずい? 食べられない? 何様だこいつは!!!

 

 

「紅鮭やシーチキンはなぁ!! お手軽な価格で安くうまい!! 今までどんな物を食べてきたお嬢様かわからないけどなぁ!! こいつは俺を支えてきてくれた戦友なんだよ!! それを侮辱するとは貴様何様だ!!!」

 

大声で怒鳴りつける俺をキョトンとした顔で見上げる彼女、だが相手も黙って俺の怒り言葉を聞く程出来ていないらしく彼女までもが勢い良く立ち上がりながら怒号を上げる。

 

 

「貴方の舌は腐っているんですか!? こんな油100%で出来ている様なおにぎりを食べられる訳ないでしょうが!!」

「な、なんだと…………!!」

 

火花を散らしながら睨み合う二人、これからもっと激しくなるであろう思われた議論のしあいは天から舞い降りた者によって終戦を告げる。

 

 

「は~い君達ちょっといいかな~」

 

青色の服に身を包む警官の活動服を着た見た目40~50辺りの年寄りが話しかける、言わずもがな警察の方だ。

昔から警察は苦手だ、あの威圧感、お前らの事を見張っているぞと言わんばかりに監視する様。昔と違い今の警察官の制服は威圧感を和らげているらしいがそうは思えない、怖い者は怖い。

顔色が青くなるのを感じる中俺の隣に居る彼女はと言うと

 

 

「はい!? 邪魔しないでください!!」

 

と警察官にまで怒鳴り散らしていた。頼むからやめてくれ、お願いだ。

 

 

「ごめんね~近所から苦情が来てるんだ、夜中に怒鳴り声がうるさいって、痴話喧嘩もいいけど他所でやってくれないかな?」

「はい!? 余計なお世話で……ゴモッ」

 

まだ警官を怒鳴り散らそうとする彼女の口を手で塞ぐ、これ以上威嚇するのはやめてくれ。だが俺の女性の口を塞ぐという悪党がする様な行動を見て怪しく思ったのか警官は訝しげな顔をする。

これは俺の長年の勘が囁いている、この二人は犯罪に関わっているぞと言わんばかりの表情で。

 

 

「あ~…………ちょっとお話伺ってもいいかな?」

 

最悪だ…………やっぱり神は残酷だった、これ以上俺にトラウマを植え付けないでくれ。

彼女の口から手を放し愛想笑いを浮かべる事しか出来ない俺に怒りがこみ上げる、かと言ってこの人を彼女みたいに怒鳴り散らす事なんてもっと出来ない。

だから俺が出来る事といえば。

 

 

「あ、はい大丈夫です…………」

 

警官の命令に従う事しか出来なかった。

 

 

「ごめんね~それじゃあ………ってあれ、あれ? 彼女は?」

「え? ここに………ってあれ?」

 

彼女が居たであろう場所を見るとまるで最初から存在なんてしていなかったかの様に影も無く姿を消していた。

疑問の声を上げながら二人で不思議そうな顔を浮かべる。なんだってさっきまで居た者が綺麗さっぱりいなくなっていたのだから。

その場にあったのは白黒写真、被写体は三角の形をして机の上に乗っかっていたシーチキンマヨネーズだった………………。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「ああ…………何だったんだ一体」

 

やっと警官から開放された俺は家の帰路に付いていた。

一体彼女は何だったのだろうか、俺の妄想? いや、警官とも話していたぞあいつは。それじゃあ幽霊? この線が一番有力な気がする。

今まで俺は幽霊と会話していたのか? そう思うと背筋が凍える。出来るのならもう少し早くに現れて俺を怯えさせてくれ、こんな寒い十月の下旬などではなく。

 

まぁいい、警官も驚いていたが行方不明だとかそんな大事にならなかったのは助かった。結果二人で「見間違い」という結果に終わらせた。

そして俺は厳重注意と自宅の電話番号を聞かれ今こうして大人しく家に帰っている。

あの子が最初からいなかったと考えるのなら俺は独りで誰に向かって怒鳴りつけていたって話になるな…………精神科今度行ってみようかな。

 

だとしても写真の事やおにぎりの件は………もうこの事は考えない事にしよう。このままだと風呂に入れなくなる。

ゼブラカラーのパーカーに付いているポケットから携帯を取り出し時間を確認するとアナログ時計で十一時を指していた、幽霊が出てもおかしくは無い時間だよな。

紅鮭とシーチキンのゴミが入ったレジ袋を片手に曲がり角を曲がると家が見えてくる。

 

 

明かりの灯っていない一軒家、二階建てで八人は住めそうに大きい家。

インターホンを押さずに門扉を開け、鍵の挿入口に銀色に輝く鍵を差し込む。左に180°回すとガチャリと小気味良い音を発して扉のロックが解除される。

茶色の玄関ドアを引く様にして開けるとそこは何時もと同じ暗闇が広がっていた。物音もしないそんな真っ暗闇の中俺は呟く様に言う。

 

 

「………………ただいま」

 

返ってくるのは静寂のみーーーーーだと思ったが今回は違った、声がした、それも………………………………すぐ真横から。

 

 

「おお~意外に広いですね~」

 

声のする方にを驚いた様に勢い良く振り向くと先程公園で出会った彼女が悪戯な笑みを浮かべながら立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




どうでしたでしょうか

まさか主人公が尿意を我慢する所を二千文字近く書くだなんて想像しませんでした
今回は現代入りという事で………ほのぼのを目指したいと思います
至らない点多々あると思いますが宜しくお願いしますm(_ _)m
それでは次回まで!!ドゥワッチ

(招かれる者ー人間賛美の方がネタ切れなんて言えない、絶対に)


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夜十一時 自宅での邂逅

どうも、ニアです

なんだかまたこれ投稿しちゃいました
あっち(人間賛美)の方どうしましょ………
もしかしたらこれを連続で投稿するかもしれません><
それでは今回も!!


 暗闇、唯一光が差し込むのは開いた玄関から漏れる月夜の光ぐらいだった。だがそれも鈍い音を立て俺と彼女を暗闇に閉じ込める。

俺を逃がさんと言わんばかりに分厚い玄関ドアが完全に閉まる、暗闇の中に取り残された俺は壁に背をやりズルズルと地面にへたり込んだ。

 

 暗闇…………月夜の光も絶たれ最早見えるのは公園で出会った彼女の輪郭のみ。

馬鹿な、家に入るまで人の気配はなかった、だったら俺を見下ろしている彼女は何なんだ? 

人間ではない、幽霊? 化物? 「お前は誰だ」と聞きたいが恐怖で口を閉じたり開いたりすることしか出来ない。

 

 

「真っ暗ですね…………えーと………これでいいのかな?」

 

 電気スイッチを押したのか土間の照明器具が冷たい外装床に身を震わせながら腰を降ろしている俺とついさっき公園で会った時と変わらない服装をした彼女(幽霊)を照らし出す。

ガタガタと身を震わせる俺を見て彼女が困った様に苦笑いを零す。

 

 

「えっと………何もそこまで怯えなくてもいいんじゃないですかね?」

「く、来るなぁ…………」

 

 床に這いつくばりながら彼女から一ミリでも遠く離れようと努力する俺はかなり滑稽だ。だけどそんなものはどうだっていい、彼女から少しでも逃げなければ。

 

 実際には土間の段差すら登りきれていない、白い壁に全く動かない手を掛けて立ち上がろうとするも足は全然動いてくれない。16帖程の大きさの玄関から逃げ出す事も出来ない。

そんな滑稽な状態の俺を見飽きたのか溜息を吐きながら俺の顔位置まで身を降ろすと悟らせる様な口調で彼女が口を開く。

 

 

「別に私は貴方を傷つける為に来たんじゃないから安心してください、そんな状態じゃ会話も出来やしませんよ…………」

 

 震える俺の肩に優しく手を掛けながら「大丈夫ですから」と笑ってみせる彼女。

その暖かい笑みは凍りついた心を溶けさせ俺を安心させた。笑う彼女を見て二つの理由で顔が赤くなるのを感じる。

身の震えが溶けた俺を見てもう一度ニコリとした笑顔を浮かべながら両手を叩く。

 

 

「それじゃあ少し話がしたいんで居間でお話しましょう!!」

「あ、は…はい」

 

 まるで自分の家の様に話を進める。随分積極的だなぁ………と思いながら彼女を居間へと案内する。

 

 

「妹を思い出すなぁ………」

 

 レバーハンドル型の取っ手に手をやり扉を開けながら小さく言った俺の言葉は彼女の耳に届くこと無く虚空へと吸い込まれていったーーーーー。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「おお~やっぱり広いですね~…………」

「そうでもないですよ」

 

 大人が四人横に大の字で寝っ転がれる程のリビングを見回しながら彼女は驚いた様にして声を上げる。

先程よりは俺も彼女に警戒を緩め会話していた。キッチンへと行き食器棚からプラスチック製の派手な色をしたコップを二つ手に持ち冷蔵庫の中を確認する。

 

 冷蔵庫の中にはパック型のオレンジジュースが一本、ペットボトル型のコカ・コーラが一本しまってあった。どちらにしようか、炭酸苦手かもしれないしここは無難にオレンジジュースを選択するかな。

緑色のコップにコカ・コーラを注ぎ、ピンク色のコップにオレンジジュースを注ぐ。

 落とさない様に手にしっかり掴み青色のカーペットの上に座る彼女に手渡す。

 

 

「オレンジジュースで良かったですか?」

「あ、ありがとうございます~全然大丈夫ですよ」

 

 そのままグビリと一口飲むと微妙な顔をしてミニテーブルの上にそっと置く、味が合わなかったのかな?

顎に手をやりう~んと考える仕草をして彼女がポツリと呟く。

 

 

「42点かな」

「……………? 42点とは?」

 

 まさか俺に聞こえたとは思っていなかったらしく焦った様に「えっと」や「その」等と顔を逸らしはぐらかす。

オレンジジュースの採点とか? この人味とかにうるさそうだな…………。

思いっきり話題を逸らす様に「それはそうと!!」と愛想笑いを浮かべる彼女。その必死ぶりが面白くてつい頬が緩んでしまう。

 

 

「無駄話は置いとき、本題に入りたいんですが…………」

 

 急に顔つきを変えキリッとした顔付きに変わる、そもそも何故この人は俺と話がしたいだのと言ったのだろうか。この人と俺は先程公園で会ったばかりの赤の他人、何者なのだろうか、此方としても色々と聞きたい事が沢山ありそうだ。

あの積極的な彼女が言いづらそうに口をモゴモゴさせる、それ程までに次の言葉は大事な物なのだろうと察せた。

 

一時の静寂………………………その静寂を打ち破る様にして彼女は重たい口を開いた。

 

 

「私違う世界から来たんです!!」

 

 表面がガラスで出来た机に強く手の平を叩き部屋全体に乾いた音が響く。違う……………世界?

本来なら有り得ない様な話だろう、だけど彼女は少し人間の域を超えている様な気がする。あの場から姿を消し、音も無く俺の背後に忍び寄る。

 黄泉の国から来たとか? だが彼女は実体を持っていた、少なくとも俺の肩を叩いていたし………。もしかしたら、もしかしたらあるのではないのか? 異世界人、地底人更には宇宙人。

 

 普通ならば常識人は「有り得ない」と一蹴するだろう、だけど俺は違う。

幽霊、悪霊更には妖怪と言った人外に興味を持っているオカルト好きな人間、公園での出来事や先程の出来事では怯えてしまったが何度こう言ったアニメ、小説のでしか体験できない出来事を夢見た事か。

インターネット越し、文章越しにしかわからない出来事、それを今実体験しているんだ。やはりあの場で公園に行ったのは吉に出たみたい…………。

 

 

「あの~………何か反応して貰わないと困るんですが」

 

 待てど暮らせど返ってこないリアクションに困り果てた表情を浮かべる彼女。相手が違う世界から来た、この世界以外の住民だとしたら此方としても色々話したい事が出てくる。

俺は机に腕を立て両手を組みながら声色を変え口を開く。

 

 

「違う世界から………ですか、信じた訳では無いですがもしそうだと仮定で話を進めましょう、貴方は違う世界の何処から、何の為に来たのですか?」

 

 相手に威圧感を与える様な口調で、仕草で事を進める。次の言葉を慎重に選ぶ彼女、ここで失敗したら今までの事の意味が無くなると言わんばかりの表情で。

一体どのような言葉が返ってくるのか、成り行きに固唾を呑んで見守っていると少しした静寂の後彼女が口を開く。

 

 

「一つ一つ答えていきますね、私は幻想郷。この世界とはまた違う世界の住民だったんです、ですが妖怪の山、私の住んでいた所でもあるのですがそこでネタを探しに散策していたらいつの間にかこの世界に来てしまったらしくて………」

 

 彼女が口を開く度に増えていく疑問、そしてただの妄想にしては綿密に作られた出来事。益々好奇心が湧いてくるのを感じる。

 

 

「成る程成る程………その妖怪の山という場所で散策していたらいつの間にかこの世界に来てしまった…………と、ところでネタというのは?」

「ああ、私こう見えても新聞記者なんです」

 

 そう言って見せる様に手帖とペンを取り出して見せる彼女、さっき公園で出てきた写真機は新聞記者だったからなのか。

ということは幻想郷には新聞記者、新聞が発行されているということ。それ程までに栄えているって事か。

 

 

「新聞記者ですか、成る程どうりで物腰が柔らかいと思いましたよ」

「い、いやぁそれほどでも」

 

 頬を人差し指で掻きながら照れた様な仕草をする。首を傾けると柔らかい髪がしなやかに動く。

 

 

「まぁそれはさて置き、単刀直入に聞きますね、貴方は人間ですか? それとも人外ですか?」

 

 俺の言葉を聞くとピタリと頬を掻く仕草をやめ「わかっちゃいました?」と軽く笑う彼女。これに彼女がどう答えるかで俺の反応も違ってくるぞ…………。

またも何処から取り出したのかわからない途端に手元に現れた紅葉の様な形をした扇子。まさか赤い下駄靴に葉団扇、まさかだとは思うが。

 

 

「私、鴉天狗と言う種族なんです」

 

 葉団扇を胸元にまで上げ立てたまま左右にヒラヒラと振ってみせる彼女、振る度に微風が顔に当たる様な気がした。

鴉天狗…………天狗の様な山伏装束に身を纏鳥の様な嘴をして体中に黒い羽毛に覆われた伝説上の妖怪…………小天狗とも呼ばれている。まさか鴉天狗だとは…………はやる気持ちを抑えながら口を開く。

 

 

「鴉天狗ですか、これまた面妖な…………まぁ信じましょう」

「え、信じてくれるんですか!?」

 

 こんな簡単に信じてくれるとは思ってなかったらしく驚いた声を上げる彼女、信じる、というより俺にとっては信じたい、って感じだな。

 

 

「はい、公園でいきなり姿を消したり俺の背後に音も無く忍び寄ったり………人間では難しい出来事ですから人外だ、と言われた方が真実味があるんですよ」

「そうなんですか…………まぁありがたいんですけど」

 

 あっさり過ぎるのか逆に訝しげな目で見られる。確かに少しあっさり過ぎるもんな…………。

相変わらず葉団扇を横に小さくメトロノームの様に振り続ける彼女、何をしているのだろうか? 

 

 

「ま、信じてくれるのはありがたいんですけどね…………さっきまで質問に答えてあげたんですから今度はこっちのお願い聞いて貰いましょうかね~」

「は…………はい、いいですけど………」

 

 ニンマリと悪意の篭った様な笑みをする彼女(鴉天狗)。俺は先程までの勢いを失い無意識に声色を弱めてしまう、なんだか嫌な予感がする………。

その嫌な予感は的中どころか大当たりする。嫌らしい口調でまさに悪意が具現化した様な言葉を口にした。

 

 

「お願いと言うのはですね~…………私が向こう(幻想郷)に帰れるまでこの家に匿って欲しいんですよ!」

「……………………はい?」

 

 思わず間抜けな声が漏れてしまった。匿う? 鴉天狗を?

 別に女性と言う点ではいいんだ、可愛いしそこは別にいい、だけどこの人は少女と書き鴉天狗と読む。同居した所で何をされるかわかった物じゃない。

俺はただ人外と会話がしたかっただけだ、流石に自らの命を賭けてまで天狗と共に住む度胸などは無い。住んだ所で最悪命を奪われてしまうかもしれない。

 

 

「ダメですか?」

 

 左手の人差し指を頬に突き刺しながら色気アピールをする彼女、一見可愛らしく見えるが中身は化物。天狗と言ったら山の神とも言われているのだから。

惑わされてはいけない、目の前の女の子は可愛らしい女性の皮を被った鴉天狗なのだから。ダメだ、許可してしまったら何かが大きく変わってしまう、多分悪い方向に。ここは流石に拒否しなければ。

 

 

「………………申し訳ないですかそれは流石にーーーーーースパァン…………え?」

 

 頭上にいきなり吹いた強風、窓は閉めてあるし外からの風は有り得ない。ヒラヒラと幾つかの髪の毛が俺の目の前をゆっくりと重力に従い落ちていく。

恐る恐る後ろを向くとーーーーー50インチの薄型テレビが斜めに一線綺麗にずり落ちていく瞬間だった。

 

 斜めに切れたテレビが大きな音を立て茶色のフローリングに落ちる。その現状に頭の中の整理が追いつかない。

ゆっくりと彼女がいるだろう机の向こう側を向くが誰もいない、あるのは空になったピンク色のコップ。一気に恐怖がこみ上げてくる、彼女はどこだと辺りを見回そうとすると後ろから声がした。

 

 

「貴方もこんな風にはなりたくないでしょう……………? 大人しく許可しちゃいなさいな」

 

 物腰の柔らかくもない敬語でもない覇気のある口調。青くなった顔で後ろを向くと……………………真っ二つに切れた薄型テレビの表面を優しく撫で片手に葉団扇を持つ鴉天狗(彼女)が俺を見下ろす様に立っていたーーーーーーー。

ニッコリと恐ろしい笑みを浮かべる彼女に俺は………………。

 

 

「……………ね? 許可」

「…………………………はい」

 

 大人しく言うことを聞くしかなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「それじゃあこの部屋使ってください、何かわからない事があれば俺に聞いてもいいんで」

「ありがとうございます~いやほんっと助かりますよ!!!」

 

 脅したくせに何を言う。だがそんな事は言えず乾いた笑い声を上げるしか出来なかった。

テレビが犠牲になった後二人でスーパーで買ったお惣菜を食べていた。まぁ先程の出来事が恐ろし過ぎて俺は殆ど喉を通らなかったけど彼女は彼女で渋い顔をしながらしょうがないと言った感じに冷たくなった秋刀魚をつまんでいた。

さっきの彼女がトラウマ過ぎて顔を見れない、食事中に彼女は色々と話していたが生返事しか返せず何とも言えない雰囲気が流れるだけだった。

 

 

「それじゃあお休みなさい~」

「はい………お休みなさい」

 

 そう言って俺が紹介した部屋の扉を優しく閉める彼女。風呂は明日の朝でいっか………なんだか色々と疲れたよ今日は。

くたびれた様に自分の部屋の電気を点け白色のベットに倒れる込む。辺りは勉強机に置かれたノートパソコン、白色の本棚には様々な小説や漫画が置かれている。そして外の世界から俺を隔離するかの様に外の景色を漏らさない赤茶白の三色カーテン。

 

 何時もは開けないカーテンだったが今日は何となくと言った感じにカーテンを開ける。

特別綺麗な景色が眺める訳でもなく目の前にはウチと同じ二階建ての家がぞろりと建っていた。今日俺の人生は大きく変わったと言うのに辺りは何も変わっちゃいない。

 

 相も変わらず様々な形をした一軒家が建っていて、俺の部屋も何も変わっちゃいない。

隣の家に住んでる住民は今日一日何も起こらなかっただろうか? 少なくとも俺の周りは……………………大きく変わりました。

 

 

唯一大潮から中潮へと形を変えた月を眺めながら俺はーーーーーー意識を手放した。どうかこれが夢でありますように……………。

 

 

 

 




まだ主人公の名前すら出てないという

( 'ω')ゴメンチョットナニイッテルカワカンナイ
ペースは多分こんな感じです
そして依存系は文の方を目指したいと思います
依存系ヤンデレいいですよね(´゜∀。`)
主人公のヤンデレとか誰得ですかそれ

それでは次回まで!!ドゥワッチ
(夜ご飯食べずに書いてるんで毎回お腹減ってます(涙)


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10月28日 朝ごはんと自己紹介

どうもニアです。

最近は6000文字を維持出来る様になりました。
それでは今回も!!


 

 

暗闇は嫌いだ、何も見えないから。

 

 掛け布団を頭までかけている俺。隣の部屋からわしがれた声色をした二人程の老人が話し合っていた。

この部屋と隣の部屋を阻める薄い壁の向こうからは容易に自分の親族の声が聞こえてくる、布団を頭まで被っても防ぎきれない話し声。

 

 

「ねぇ真ちゃん、あの子の事どうするの?」

 

 六十代前半といった所か、萎びた声色の女性が声をあげる。その言葉にもうひとりの老けた声色の男が「そんな物はどうでもいい」と少し声を荒らげた。

 

 

「そんな事よりあの親子二人がかけた保険金、あれを手に入れられればあんな子供路上にでも放り出しておけ」

「ちょっと、それは流石に酷いんじゃない?」

「ふん、保険金を盗ろうなんて提案したのはお前だろうがこのアバズレが」

 

 激しくなっていく怒鳴り声。布団を被っても、耳を強く塞いでも薄い壁の向こう側から聞こえてくる怒号。

人が怖い、人の心が怖い。身を震わせながら過ごす夜、誰か俺を救ってくれ。誰でもいい、誰でもいいんだ………………………。

 

 

 

「は~~い起きてください!! 寝すぎは体に毒ですよ!!」

 

 部屋中に鳴り響くフライパンとお玉を殴りつける様な高音。その不快感を煽らせる高音に耐え兼ねなくなり布団を蹴飛ばす勢いで俺は体を跳ね起こした。

 いきなり鳴り響く不快音と共に部屋の丸型蛍光灯が眩しい光を放つ、眩しすぎる光に顔をすぐに逸らしゆっくりと時間をかけ慣れさせてゆく。ボヤける視界に段々と周りが色づき始めてきた。

 

 ドアの前には片手に少し焦げ付いた鉄フライパン、片手に先が丸っこいお玉を持った彼女がいたーーーーーーやっぱり昨日の出来事は夢でも何でもない、現実だったのか。

 昨日と同じ服装をした変わらない彼女を見て落胆する俺に「ご飯が出来ましたから早く一階に降りてください」と元気良く言った彼女はさっさと部屋から出ていった。

 

 

 ご飯…………? 作ってくれたのか、それはありがたい。やっぱりそこまで悪い奴でもーーーーいや、気を抜いたら終わりだ、何だって相手は鴉天狗なんだから。

一階のリビングではきっと鼻歌を歌いながら皿を並べている彼女がいるんだろうなぁ………なんてポジティブな事を考えながらギシギシと音を立てる階段から降りる。

 

 

「あ、やっと来ましたね。ちょっと待ってください、今ご飯をよそっているんで」

 

 扉を開けリビングに着くなり彼女が発した第一声。まるで夫妻の様な関係だな、だのと一瞬でも考えてしまった五秒前の俺を殴り倒したい。

気を取り直す様にして目線をミニテーブルの方へと向けるとそこには色とりどりの美味しそうなおかずが並んであった。

 

 皮の付いた柔らかそうな鮭やわかめの入った味噌汁。そして小皿に盛り付けられた漬物に納豆のパックが置いてあるのを見て思わず感嘆深い溜息を漏らしてしまった。

 

 

「どうです? 美味しそうでしょう。幻想郷とは大分違う物も多かったんでそこは少し手間取りましたがね」

 

 そんな俺を一目見るなり得意げな表情を浮かべながら大きめの茶碗にたっぷり入ったふっくら温かそうなご飯を両手に持つ彼女がやってくる。

 

「これ全部君が?」

「私以外に誰がいるんですか」

 

 「よいしょ」とかけ声を掛けながらカーペットの上に座る彼女、それに釣られ俺も彼女の反対側に座り込むと先程とはまた違う視点だからなのか机の上に置かれている料理が更に魅力的に感じられた。

 白色のご飯や味噌汁から上がる白色の湯気が出来立てだよ、と優しく語りかけてくれる。やはりもう一度見て思うが健康的なおかずが多い。

 

 

「それじゃあ、頂きます」

「はいどーぞ、召し上がれ」

 

 手を合わせ箸を親指と人差し指の間に挟むポーズを取る。一番最初に箸が向ったのは薄赤色をした鮭だった。

 身を綺麗にほぐし箸に一掴みして口の中に放り込む。

 

 

 …………………うまい。

一番最初に思い浮かんだ感想はこれだった、いやこれ以外に思いつく感想が無かった。ちょうどいい焼き加減なのか噛む度にパリッと口の中に広がる少し甘い風味。

 塩を適量かけてあるのか舌に鮭の身を転がすとジュワリと溶ける様な感覚。気付けば一掴みの後二掴み、どんどん箸が進んでいく。そして鮭と一緒にふっくらと炊き上がったご飯を放り込む。

 

 ハムスターの様に頬一杯にご飯を詰め込んだ俺を見るなり彼女が「なんですかそれ」とクスクスと笑ってくれる。最近となっては感じた事の無い雰囲気に少し戸惑ってしまうがご飯が美味しいので良しとしよう。

 

 

「どうです? 美味しいですか?」

 

 漬物に箸を伸ばしたら唐突に笑いながら彼女が聞いてきた、頬杖を立てながらその手で箸を持ち俺を眺める様な感じに。

 

 

「はい…………凄く美味しいですよ」

「えへへ~ありがとうございます」

 

 素直な意見を捻じ曲げる必要も無いので思ったままの事を言うと嬉しそうに顔をにやけさせる彼女。やっぱり褒められる、というのは人妖平等嬉しい事らしい。

 美味しいご飯の事もあってか昨日の出来事など忘れ二人で笑い合いながらおかずを摘む、昨日の夜とは大違いと言った感じに。鮭の身が半分胃の中に入り込んだ辺りに彼女が話題を振ってくる。

 

 

「そういえば自己紹介とかしてませんでしたね。私は射命丸 文(しゃめいまる あや)と言います、射るって漢字に命という漢字、そして丸いって字と”あや”は文章の文って言います~宜しくお願いしますね」

 

 

 空中に漢字を書きながら説明してみせる。射命丸 文か………現代人にはいなさそうな名前だなやっぱり………。

文の真似をする様に俺も空中に漢字を書く仕草をしてみせる。

 

 

「僕の名前は天田 真(あまた まこと)って言います、天国の天に田んぼの田、そして”まこと”は真実の真って部分ですね、宜しくお願いします」

「変な名前ですね~」

「ありがとうございます~」

 

 少しカチンと来たが怒っても仕方がない。額に青色の血管を浮かべながら少し引きつった笑いを見せるとケラケラと文がからかう様にして笑ってくる、平常心を保たなければ。

 落ち着く為に冷えた水が汲まれたコップを一気飲みしてみせる、キーンと来る頭痛に頭を押さえているとまたも笑う彼女を見て笑顔が絶えない人だなぁ、とつくづく思った。

 

 だけどその笑みが異常に心地よくて何故か安心感を覚える、心が落ち着く様な感じだ……………だけど彼女の笑顔を見るとーーーーーー。

 

 

「真さん? 大丈夫ですか?」

 

 どんな顔をしていたのかわからないが心配そうに顔を覗かせる彼女、そんな彼女の顔を見ると心が痛む。君がしていい表情はそんなのじゃないんだ、理由はわからないが焦りを覚えた俺は自然と早口で答えてしまう。

 

 

「大丈夫ですよ、少し考え事をしていただけです」

 

 そう言うと「ならいいんですが」と言った後笑顔に戻る彼女を見てどこかホッとする。何故だろうか、彼女と会ってからというものまだ一日も経っていないが調子を狂わされる、考えても出てこない疑問に諦めがつき話題を彼女へと振る。

 

 

「そういえば服昨日と一緒なんですね」

 

 相手の箸を進める手が唐突に止まる。どうしたのか不思議そうに眺めると少しして俺は察した、いくらなんでもデリカシーが無さ過ぎると。口から出た言葉を戻したいが既に出てしまった言葉はもう元には戻らない、相手の心を抉ってしまったのだ。

 顔は少し俯かせてあって表情が見れない、どうしようか考えるも打開案は見つからず相手は相変わらず顔を俯かせたまま。少しすると「バン!!」と箸を強く机に叩き顔を勢いよく上げる彼女。

 

 

「ええそうですよ!! 汚い女ですみませんね!!」

 

 家中に鳴り響く様な怒号に思わず耳を塞いでしまう、よく見ると赤い目には透明の涙が溜まっていた。

 

 

「そうよねこんなのだから長い間生きても彼氏の一つも手に入れられないのよね!! わかってるわよそんなのもう子供じゃないんだから!! 女子力の低い女で申し訳ございませんでしたぁ!!!」

 

 敬語も消え机に突っ伏しながらぐちぐちと愚痴を零し始めた彼女、しまったトラウマを起こしてしまったのか? 彼女を宥めるべく「そんなことないですよ」や「充分可愛いですよ」と褒めるも泣き声を上げる彼女。このままだと俺が彼女の泣き声でノイローゼになってしまう。

 どうする、どうすると考えていると机に突っ伏す彼女から手紙が渡される、手帖から破ったのか内容はこうだ。

 

 

 「新しい服を買ってくれたら泣き止む」と。

 

 可愛らしい文字で書かれてあったそれを見て少しゲンナリとした、しょうがないと言った感じに渡された(カンペ)通りに彼女へ優しく声をかける。

 

 

「新しい服を買ってあげますから泣き止んでください、お願いします」

 

 するとピタリと止む泣き声、なんと単純なものか。

だが一向に顔を上げない、訝しげに思うと二枚目のカンペが渡される。内容は可愛らしい文字で「アイスもお願いします」と。

 

 まるでバックを欲しがり男に縋る女だな。「いい加減にしてください」と頭をポンと強めに叩くとまたも鳴り響く”鳴き声”に自棄糞になりながら口を開く。

 

 

「ああもうアイスも買ってあげますから!! ですから泣き止んでくださいお願いします!!」

 

 頼む様に両手を合わせながら言うと輝いた目をした彼女が顔を上げていた。

 

 

「絶対ですからね!! 約束しましたから!!」

 

 涙も嘘だったのか目を赤くするどころか涙の跡すら付いていない泣き真似っぷりに感動すら覚えた。溜息を一つ吐きながら水を一口飲みコップを机に置くと彼女が「あ、それと」と付け加える様にして口を開く。

 なんだよもうこれ以上はーーーーー。いきなり目の前を通る強い風、まるで”昨日”俺が体験した時の様に強い風。風が吹いた右の方を向くと彼女が恐ろしい笑みを浮かべしゃがんでいた…………。

 

 

「次、あんなこと言ったら首を貰いますから」

 

 彼女の七つ道具、葉団扇を俺へと向けながら微笑む彼女を見て再び恐怖を覚えたーーーーーー。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 多くの人が行き通う大きめの交差点、その人々の様子を彼女はじっくりと興味深そうに見ていた。やはり十月の下旬だからなのか明るくもなんでも無い曇った空から吹かれる風に身を震わせる人々。この中で薄着なのは恐らく隣で写真機を手に持つ彼女ぐらいだろう。

 赤で皆一斉に止まり青になると共に一斉に交差点を渡り出す人々。今の時刻は朝の八時程、学校や仕事に間に合う為に人混みを縫うようにして走るサラリーマンや学生がチラホラと見えるそんな中、俺と彼女は信号が青になっても交差点をスタート出来ずにいた。

 

 

「おい、次で絶対に決めるぞ」

「わ、わかってますよ!! 急かさないでください!!」

 

 もう四回程青になってもスタートダッシュをしない彼女を見て深い溜息が零れる。何故こいつが青になっても進まないのか、それは多過ぎる人の数を見て怯えきっているからである。鳩天狗ともあろう方が。

 彼女曰く「こんなに人が通るなんて思いませんよ!! 絶対これ人混みに押されて倒された挙句踏み潰されてしまいます!!」との事。そんなに日本人は心の無い人間ではありません。

 

 車道用信号が黄色へと変わり彼女の表情が険しくなる、そして赤へと変わると目付きを鋭くさせてくる。何故交差点を渡るだけでこんな事に付き合わなくちゃいけないんだ………と心の中で愚痴を零すと歩行者信号が青へと変わった。

 もうこれで最後だ、これで彼女が渡れなかったら帰ってやる。案の定一向に進まない文、冷や汗が流れ出ている様な気がした。

 

 足を上げてもすぐに臆したのか地面へと戻す。青信号が点滅し始める、やっぱりダメか……………。と思った矢先険しい顔をした彼女が消えていた。

 気付くと共に強く吹く風、その風に他の歩行者がよろめく。急いで視点を向こう側に戻すと”やってやったぜ”と言わんばかりの表情を浮かべピースサインをしている彼女がいたーーーーー。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「は~なんだか物凄く疲れました」

「もう疲れてどうするんだよ」

 

 五階建ての大きなデパートの中に入ると緊張が解けたのか、ぎぐしゃぐしていた体を滑らかに動かし始める。まだ帰りがあるって言うのにどうするんだ?

 

 

「それにしてもやっぱり口調、そっちの方が似合っていますよ」

「ん? ああ、俺もやっぱりこっちの方がやりやすいわ」

 

 敬語からタメ口へと変えた俺をニコリと笑いながら指摘する。外を出る前に彼女が突然「タメ口でオッケーですよ?」と言ったのには少し驚いた…………。

 デパートに入ってから輝いた目線を其処ら中に向ける彼女を引きずる様にして三階にある洋服店へと向かう。

 

 エスカレーターに乗るや否や、はしゃぐように写真機を取り出しシャッターを切ろうとする彼女を必死に止めながら何とか洋服店へと付く。何故エスカレーターに乗るだけでこんなにも疲れなければいけないのか理不尽に思う。

 俺の隣を歩きながらクンクンと自分の服を嗅いでいる彼女を不思議に思い口を開く。

 

 

「どしたの?」

「いや…………その臭わないかな………なんて」

 

 食事の時にした俺の発言を気にしているのか萎れた声色で問いかけてくる。やっぱり彼女にその顔は似合わないと心の底から大量の言葉が湧いてくる。だから俺は安心させるすべくこう言った。

 

 

「気にするな、いい匂いだから」

「………………もしかして真さん汗フェチとかですか?」

 

 俺が彼女を安心させるべく言ったとしてもこの結果に心に深い穴が開く、来世はイケメンに生まれ変わりますようお願いします神様。だが精神ダメージを受けた俺から顔を逸らしながら口を開く文。

 

 

「まぁ…………安心しました、ありがとうございます」

 

 突然の感謝の言葉に少し照れくさくなり「どういたしまして」とぶっきらぼうに答えてしまった、今の彼女の顔を見てみたいが顔を逸らされているせいで表情が見れない。そんな気恥ずかしい雰囲気をぶち壊すべく彼女が声を上げる。

 

 

「あ!! 真さんこれとかいいと思いません!?」

 

 文が指を差した方向を向くとそこには、白い肌をしたマネキンが着ている花柄のワンピースにデニムジャケットを上に羽織った冬には絶対に着ないであろう物だった。

 

 

「流石にこの時期にあれは寒いと思うんだけど?」

「嫌ですあれ買うんです!!」

 

 駄々を捏ねる子供の様に引かない彼女を見て諦めが付き、マネキンの近くにまで寄ると更に彼女は興奮した様に目を輝かせる。

 

 

「こんな衣装幻想郷になんてないですから一旦着てみたいんですよね~」

「別にいいけど流石にこれじゃあ寒いんじゃ………」

「じゃあ他の洋服も買っちゃいましょう!!」

「え…………」

 

 彼女から告げられる唐突過ぎる死刑宣告、そんな彼女を止めようとするが既に手に持った葉団扇のせいで容易に声をかけられない。「すいませーん」と定員を呼びかける彼女を俺はハシビロコウの様に大人しく見ていた。

 

 

「ほら真さん試着するんで似合うかどうか見てくださいよ!!」

「ああ………わかった」

 

 手を引っ張られ一体どれくらいの金が文の為に消し飛ぶんだろうか、と考えながら手を引っ張られていく。だけどそれがーーーーーーーどこか心地よく、悲しかった。

 

 

 

 

 

 




文の汗のついた洋服をゲフンゲフン。

なんでもないです。
この小説は一人称が基本になるかもしれません。
三人称も書きますが。
そして最近視力が落ちてきた気がします、やっぱ活字は暗闇の中で見る物じゃありませんね。

それでは次回まで!!
(主人公の名前を一分でかんがえゲフンゲフン)


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午後五時 夕暮れと暇つぶし

どうもニアです。

最近忙しくなるかもなんで一日一話投稿が難しくなるかもしれませんがご了承下さい。
二日に一回は頑張って投稿したいと思います。

それでは今回も!!


街全体が茜色に染まっていく。その光景は美しく、どこか儚かった。

 

 太陽が沈みゆく中隣の少女は呑気にもカラーチョコがトッピングされたダブルアイスクリームを舌で味わっている。

 以前の白と黒色の服装ではなくデパートの洋服店で買った花柄のワンピースに薄い青色のデニムジャケットを羽織った格好で。アイスクリームが垂れて洋服を汚さないか、それだけが気がかりで仕方がない。

 

 夕暮れは以前まで嫌いだった。今日は何をしたかな、と思い出に耽るも出てくるのは”無”の一文字のみ。なにも達成していない一日を、自堕落に過ごした一日を思い出してしまうから。

 

 だけど今は違う、隣に座っている人外の彼女が笑っている。それが無性に堪らなく嬉しくなってしまう。

 何故だろうか、考えても考えてもわからない。だけど今はそれでいい気がする、隣で笑ってくれる彼女がいて。そしてどんどんと西に沈んでいく太陽。今はそれだけでいい気がするんだ。

 

 

「どうしたんです真さん? 遠い目なんかしちゃって」

「いや……………太陽が沈んじゃうなぁって」

「当たり前じゃないですか」

 

 喋りながらもアイスを味わう事をやめない彼女、どうやらこの世界のアイスクリームはお気に召した様だ。

 ベンチに肩を並べて夕日を拝む俺と文、場所はデパート近くのアイス屋さん前と言ったロマンチックでも何でもない場所。冷たく、少し寒い風が俺の体を凍えさせようと努力していた。

 

 吹かれる度に身を震わせ短めの黒髪が靡く。普段愛用しているゼブラカラーの、収容者の様なパーカーでは風を受け止める事なんて出来なくて、ただ身を震わせながら早く彼女がアイスを完食する事を願うばかりだった。

 

 何故彼女はこんな寒風に吹かれていると言うのに平気な顔をしてアイスを舐めているのだろうか、それどころか風にセミロングの黒髪を靡かせてもいない。”まるで彼女の周りだけ風が寄り付かない”様な。

 訝しげな目で彼女を見る俺に気付いたのかジト目で彼女が口を開く。

 

 

「なにをジロジロ見てるんですか?」

 

 相も変わらず一向に靡かない黒髪、はぐらかす意味もないだろうし疑問に思った事をそのまま言ってみる。

 

 

「いや、なんで文はこんな寒風の中アイスを食べている上そんな薄着なのに寒くないのか、って不思議に思って」

「ああ、そのことですか」

 

 アイスを味わいながら納得した表情を浮かべると俺に左腕を突き出し手の平と俺を合わし始める。

 赤色の目が俺を見据えなんとも言えない感覚になる中突然に風が止んだ。風の音も、俺を凍えさせようと努力していた冷風も。まるで俺の前を風から阻む大きな壁が出来上がった様な。

 

 

「風を操ったんですよ」

 

 驚いた表情を浮かべる俺を尻目にコーンをリスの様にサクサクと齧りながら口を開く。

 

 

「風を操った?」

「はい、私の能力は風を操る程度の能力って名前なので、まぁほとんど自己申告みたいなもんですがね」

 

 風、か…………ていうことは昨日テレビを切ったのは”かまいたち”のおかげなのかな? 

 

 彼女の言った能力に然程驚いた様子も無しに彼女から目線を夕暮れへと戻すと先程と変わらず辺りを茜色に染めていた。

 体を少しだらけさせると目の前を中学生辺りの背丈をした子供らがアイスクリーム店へと入っていった。表情は笑顔に染まりきり、きっとポケットに入っている小銭を店員に渡すのだろう。

 

 数分後にはアイスを片手に下らないことを話しながら帰路へと付く。そんな在り来たりな事を考えるのが俺は好きだった。

 ”どうでもいい事”に想像を膨らませて、その”どうでもいい事”の予想が当たると少し嬉しくなってしまう、そんなちっぽけな人間なんだ。

 

 案の定と言った所か、ストロベリーアイスとチョコレートアイスを手に持ち笑顔で二人は別れていった。予想が当たった事に小さく拳をグッと握る。

 

 隣を見てみるとコーンを食べ終えた彼女が見える。きっと立ち上がり「では帰りましょうか、真さん」なんて言いながら女物の洋服が入った紙袋と今晩の夜飯になるであろう食材に写真雑誌が入ったレジ袋を俺に無理矢理持たせるんだろう。

 少しすると彼女は口を開かず立ちながら俺の目の前に立ってこう言った。

 

 

「今日はとても楽しかったですよ真さん、私が幻想郷に戻れるまで明日も楽しいことしましょうね」

 

 にっこり、と夕日に照らされた彼女が笑う。茜色に染められた街と夕日をバックに映し出される彼女は何よりも美しく思えた。

 予想が外れた、そんな物はどうでもいい。秋頃には似合わないワンピースを着た目の前の彼女から目を離せなくなる。他全ての景色がボヤける様に、目の前が”彼女で埋め尽くされた”そんな気がした。

 

 我に返り顔を急いで彼女から逸らす。目線は彼女から斜め横のアイスクリーム店へと変わりぶっきらぼうに俺は答えた。

 

 

「……………また金が消えるのは勘弁願いたいんだけどね」

 

 俺の前に立つ彼女はどんな顔をしているんだろうか、きっと相変わらずと言ったところか笑顔を浮かべていると思う。

 証拠に前からケラケラと、風鈴の鈴の様な透き通った笑い声が聞こえてくる。ベンチの下に置いてある、洋服が入った紙袋へと彼女は手を伸ばすと力強く掴んだ。

 

 

 「では、帰りましょうか。真さんはご飯の袋持ってください」

 

 言われた通りに腰を浮かしながらレジ袋を手に持つと彼女は少し微笑んだ。

 ああ…………予想の全てが外れてしまった。だけどーーーーーーー嬉しいものだな、意外にも。

 

 彼女の後を追うようにして俺は足を進めた。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 一階では文が今日の晩御飯を作っているのだろう。そこは全く問題ない、それよりも問題なのはこの暇な時間を如何にどうして過ごすかだった。

 どうやら彼女は調理に結構な時間をかけるらしく帰ってきてからすぐにキッチンへと行ってしまった。彼女がいたら向こうの世界の話とか色々聞けるのにな……………。

 

 白いシーツのベットに寝転がりながら携帯を弄ってみる。自分は携帯のアプリなどにあまり興味がなく、ホーム画面には綺麗な緑色の山が映った壁紙と元から携帯に入れてあった電話やメールのみ。

 かと言ってメールで時間を潰す友人なんてものもいなくて…………はぁ。どうしようか。

 

 携帯を弄りながら時間を潰してみるが数分後に携帯をベットの端に放り投げた。小さくバウンドすると役目を終えた様に画面にはなにも映さない。

 現時刻五時三十四分也。四分しか経っていないのか。

 

 次にチャレンジすべく今度は勉強机の上にあるノートパソコンの電源をつけると同時に出てくるロックパスワード。ロックパスワードを慣れた手つきで解除し華やかな起動音が聞こえてくる。

 

 さぁ、どうする。株投資でもしてみようか、いや今の時間はあまり調子が良くない。ではどうする? 

 目に映ったのはインターネットブラウザ、少しの時間でも暇を潰せればそれでいいと思いダブルクリック。検索欄には「鴉天狗」と入力しエンターキー。

 

 出てきたのは鴉天狗に対するウィキペディア、何か有力な情報を探してみるもわかったことは鴉天狗についての参考文献に烏天狗が祀られている神社があるらしいとの事。

 黒い色をしたワークチェアに背中をかけ期待していたものが出てこなかった事に溜息が一つ零れる。彼女と会ってから何回溜息を零した事だろうか、少なくとも以前よりは増した気がする。

 

 ホイールを上に回しカーソルを検索欄に合わしクリック、次に入力した言葉は”異世界について”だった。

 何故自分はこんな事を調べているのだろうか、彼女の為かもしれない。いや、ただ自然と無意識に入力していただけだ、そうに違いない。

 

 だが出てくるのはオカルト版や「異世界に行ってきたんだが………」などと在り来りな題名をした物ばかり。”幻想郷”なんて言葉は一つも見えなかった。

 試しに幻想郷について調べてみるも出てきたのは旅館や喫茶店、幻想郷なんて異世界は見当たらない。

 

 調べるも期待していた検索結果は出てこない、もう諦めようかと思った矢先に”それ”は現れた。

 

 「幻想郷」で調べてみた11ページ目、ポツンと下の方には”幻想郷”とだけ書かれたサイトが見つかる。

 何故こんな後ろのページにあるのだろうか。疑問に思うもその事については後回しだ、恐る恐ると言った感じにマウスのカーソルはそのサイトにゆっくりと近づいていく。

 ワークチェアに倒していた体を起こし「クリックしたら何が起こるのだろう」と俺は固唾を呑む。少なくとも何かが変わってしまう、そんな気がしてならない。

 

 ”見てみたい”、と囁く俺と”見てはならない”と囁く俺がいる、理性が「見ろ」と囁くが本能が「見るな」と囁く。

 頭がこんがらがる中、カーソルはゆっくりとそのサイトに近づき無意識に人差し指が力を強める。このままだと左クリックが押されてしまう。

 

 ダメだ、ダメだと脳にアラームを鳴りつける本能を無視して俺はそのサイトをクリックするーーーーーーーーーーーが。

 

 

「真さん!! 御飯ですよ!!」

 

 どこか険しい表情を浮かべる彼女がノックもせずに思いっきり強くドアを開く、それはもう本棚に飾ってある漫画が倒れるぐらいに強く。

 突然の乱入者にマウスを下に落としてしまう。

 

 

「な、なんだよ文!! ノックぐらいしろよ!!」

 

 少し声の震えた俺が彼女に弱々しく怒鳴りつけると「すみません」と笑いながら返した。

 

 

「と~に~か~く、御飯冷めちゃうんで早く食べちゃってください!!」

「わ、わかったから引っ張るなよ!!」

 

 半ば無理矢理連れてかれる様にして文に引っ張られる。

 まぁいいか、あのサイトは後で調べればいいし。今は一階から漂う美味しそうな匂いをした晩御飯を味わうことにするかな……………。

 

 この時俺は三つの事に気づかなかった。

 一つ、文が小さく不愉快そうに舌鼓を打った事。二つ、そのサイトは俺が部屋に戻る頃には消えていた事。そして三つ、外には何匹もの鴉が鳴いていた事。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ーーーーーーーーーーーおまけ、デパートでの小さな出来事。

 

 

 様々な電化製品が並んでいる中、射命丸文は輝いた赤い瞳で一眼レフカメラを眺めていた。そしてその隣には気怠そうな目をして天田真が彼女を見ている。

 ずっしりと重そうな形をした黒光りするカメラ。それを彼女は触っては戻しあらゆる方向に眺めている、その異常な行動に真は疎か道行く通行人にも変な目で見られていた。

 異常な光景に店員は声を掛けようか掛けまいか悩む輩さえ出てくる。

 

 チラリと期待に満ちた目線を真に送る、一度では飽き足らず二度三度とやめる事を知らない。

 価格には大きく「大安売り!!」と書かれているにも関わらず十八万円と財布にかなり厳しい値段。実際はこれほどの高機能で十八万は安いのだろう、普通ならば二十万と降らない代物だった。

 

 何度も期待した眼差しを真に送る彼女、果てには「これいいと思いませんか真さん?」とカメラに向き合いながら尻目に真を見据える。

 そんな彼女にうんざりしたのか一度溜息を吐いた後彼は重たい口調で言った。

 

 

「…………買わないからな、それ」

 

 ピタリと彼女のカメラを持つ手が止まる、彼女の動きに連動して花柄のワンピースやセミロングの髪までもが止まり、まるで彼女だけの時が止まったのかと錯覚する程の硬直ぶりを見せてくれる。

 なにもかもに絶望した表情を浮かべ手を震わせながら彼女までも重い口調で口を開いた。

 

 

「……………本当にですか」

 

 自分の愛娘と最愛の夫を失ったらこんな顔が出来るのか、ハリウッドの俳優顔負けの表情を浮かべる彼女をばっさりと切り捨てる様に強く、ハッキリと彼は答えた。

 

 

「本当だ」

 

 たった三文字、三文字の言葉だが彼女を絶望の底に落とすには充分過ぎる様で、証拠に彼女はカメラを両手に持ったままがくりと膝を冷たいタイルに落とす。

 文は彼を見上げる様に、真は彼女を見下す様な形が出来上がる中、文は震えた口調で、信じられないと言った口調で返した。

 

 

「嘘…………ですよね?」

 

 赤い瞳には透明の涙が溜まりきり、今にもこぼれ落ちそうだ。そんな文を見下す形で無慈悲にも彼はゆったりと口を開く。

 

 「本当だーーーーー」と。

 文の瞳から涙がこぼれ落ちる、静かに涙を流しながら「嘘ですよ……嘘と言ってください」と手に持つカメラを眺め、黒い一眼レフカメラには彼女から流れ出る水滴が幾つか付着する。

 

 にも関わらず真は無表情の顔持ちで無言を貫き通す。修羅場の様な光景に店員や通行人が少しずつ好奇心と言った所か、少量の野次馬が出来上がった。

 子連れからサラリーマンの様な黒スーツを身に包む男性まで年齢層は幅広く。野次馬に気付いていないのかその中心に居る二人の間に静寂が訪れる。

 

 少しの静寂、野次馬達も何が起きるのかわからないと言った表情で二人を固唾を呑みながら見守っているとーーーーーーー文が一眼レフカメラを大きく振り上げた。

 その文の行動に周りが”ザワッ”と喧しくなりはじめる。口を両手で押さえる子持ちの女性に子供の目を片手に「見ちゃダメ!!」と塞ぐ女性まで。

 

 一気に周りが喧騒に鳴り響く中……………真は落ち着いていた。

 

 

「買ってくれなきゃこの場でカメラを地面に叩きつけます!!」

 

 鳴り響く大きな叫び声にも似た声にどんどん野次馬が集まっていく。

 肩で息をしながら何十万といったカメラを人質に取った文、形勢は彼女に傾いていると誰もが思う中真は静かに一冊の雑誌を彼女に手渡した。

 

 涙を拭い雑誌を手に取る文、カメラを冷たいタイルの床に優しく置くと中身をペラリと一枚捲る。

 目次には綺麗に撮られた秋冬夏春の景色が見られる。秋には紅葉に染まる木々が何本も、冬には雪の積もった山が青空の下綺麗に写っている、夏には大きな果てしない海が、春にはピンク色に染まった桜が写っていた。

 

 その綺麗な光景に目を奪われてしまう文、一ページ目、二ページ目、三ページ目と読み進める手は止まる事を知らない。

 そんな文をどこか悲しい表情で見下ろしながら彼はずっと閉ざしていた口をポツリと開く。

 

 

「文、その写真、綺麗か?」

 

 彼の言葉に我に返る彼女、雑誌から一旦目を外し真を見上げ答えた。

 

 

「…………綺麗ですけど」

 

 「そうか」と嬉しそうに口元をにやけさせる彼はすぐにキリッとした表情に変わり諭す口調で。

 

 

「だけどそれは皆…………カメラが笑っているんだ」

 

 文の傍に寄り三十二ページ目を捲るとそこにはーーーーーー一つの一眼レフを被写体にした写真が写っていた。

 石の上に乗ったただのカメラ、バックには緑色に染まる草原が撮されている”それ”を見て彼女は信じられないと言わんばかりの表情を浮かべる。

 

 

「お前も長い間写真機と過ごしているんだろう? それならお前もわかる筈だ、その床に置かれた一眼レフは笑ってはいないって事が」

 

 彼女はゆっくりと冷たいタイルの上に置かれたカメラへと目線を移す。先程とは変わらない一眼レフカメラ、だけどそれはどこか悲しげな表情を浮かべている気がする。

 黒く、重たいカメラをしっかりと大事そうに手に掴むと彼女はカメラに小さく呟いた。「ごめんなさい」と。

 

 元の場所にカメラを戻すと真は雑誌を手に掴み「これだけは買ってやる」とレジに向かう。最早レジ店員までもがレジを放棄し野次馬と化していたが急いでレジ元に駆け寄り感動した顔持ちで彼の到着を待っている。

 

 野次馬…………いや、観客が一人拍手する。それに釣られどんどん大きくなっていく拍手喝采に彼こと天田 真十八歳は強く思った。

 

 ………………もうこのデパートは使えない、と

 

 

 

 

 




何故だろうか。

何故おまけに三千文字近く使ったのだろうか。
そしておまけに感動した自分が居る。
少しおかしくなってるかも私………。
最近疲れたからな(ボソ

それでは次回まで!!ドゥワッチ

(もしかしたらバイトの時間22時まで入るかもなんで投稿難しくなるかもです涙)


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十月三十一日 鴉天狗だけど吸血鬼

お久しぶりです、と言っても三日しか経っていませんが笑。

やっぱり二日に一階投稿も難しいです………出来て三日に一回って感じになっちゃいそうですすいません><
それでは今回も!!


 

 

ハロウィーン、それは十月三十一日に行われる伝統行事。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが現代では特にアメリカで民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。

 カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習。

 

 今日は十月三十一日、いわばそのハロウィンの日なのだ。

 当然こんな年だし近所を歩き回って「トリックオアトリート!!」だなんて元気いっぱいに言えるお年頃でもない、そもそも周る友人がいない。

 

 さて、何故このようなハロウィンの伝統行事について語っているかと言うと……………。

 

 

「真さん!! トリックオアトリートですよ!!」

 

 トイレットペーパーを体中に巻きつけた鴉天狗に頭を悩ませているからである。

 

 

 

     ♥     ▲     ♠     ✿

 

 

 真っ黒色のカットソーを上に着て、下に濃い青のミニスカート、脚に黒ニーソを付けた彼女が現れる。

 だがその女性らしさ満載のファッションの上に白のトイレットペーパーを体中に巻きつけているのだから台無しだ、それはもう大いに。

 

 恐らくその仮装はミイラ男のつもりだろうが彼女が「これはなんの仮装だ?」と聞いてくれと言わんばかりの表情を浮かべているのだから困ったものだ。

 折角リビングにある茶色の弾力性満載のソファでうたた寝していたというのに…………全く面倒臭い。

 溜息を一つ零しながら疑問の言葉を待ち続けている彼女に向かって口を開いてみる。

 

 

「………………なんの仮装だよそれ」

 

 すると彼女は見下す様に鼻笑いをしながら「やっぱり真さんじゃわかりませんよね~」とニタニタ笑ってみせた。

 勿体付ける様に少しの間を空けた後自信有りげに彼女が答えた。

 

 

「雪男です!!」

 

 その斜め上どころか外郭カーブ四十五度の野球ボールに思わず絶句する。言葉が出ない、どんな反応をすればいいのかわからない。

 何時まで経っても言葉を返さない俺を不思議に思ったのか彼女が何度も俺の名を呼ぶが反応出来ずにいた。五回目の少し強めに、不機嫌そうな彼女の声で我に返る。

 

 これは突っ込んでいいのだろうか、ここでスルーし受け流すのが大人のやり方。だが俺はお生憎様にそんな良い奴じゃない、目の前で浮かれている鴉天狗を馬鹿にしてやりたい気持ちに駆られてしまう。

 そんな気持ちと葛藤する中どんどん不機嫌そうな声色に変えていく彼女が我慢の限界と言ったところか赤い顔で声を荒げた。

 

 

「もういいです!! 真さんは変わってしまったんですね!? もういいですよ!!」

「あ、ちょっと待て文!!」

 

 呼び止めようと声をかけるも彼女は目の前から消え、その場には白いトイレットペーパーが大量に積もっていた。

 また面倒臭い事になってしまった…………と頭を悩ませる。何故こうも彼女は面倒臭いのか、些細な出来事ですぐに拗ねてしまう。いちいち言葉を選ばなきゃいけないのだから更に面倒事が増える、そう、例えるならちょっとした衝撃で爆発する不発弾だろう。

 

 かと言ってこのままほっといても彼女が更に拗ねるだけ、この四日間で痛い程わかった。

 ソファに座る重たい腰を上げトイレットペーパーを回収した後二階にある彼女の部屋のドアをノックする、それは誰にも変えられない俺の未来だった。

 

 

 

 階段を上る度に”ギシリ”床が鈍い音を立て軋む。一段、二段と彼女に階段を上っている俺を悟られない様にゆっくりと。もしこれでバレてでもしてみろ、数秒後に彼女の怒号が聞こえるぞ。「来ないで下さい!!」って。

 一直線に続く階段が果てしなく遠く感じてしまう。全部で十三階段の筈、なのに俺は一段を一分かけて上っているのだから余計遠く感じる。

 

 そろりそろりと泥棒の様な忍び足でようやく二階についた。達成感やらに浸りたいがまだここは戦場、だがステルスゲームで鍛えられた俺の腕や技術はなめられた物ではない。このまま任務を続行する。

 

 少しずつだが変わっていく景色。文の部屋の前に立ってみるも物凄い威圧感に押されてしまう、この扉の向こう側に機嫌を損ねた鴉天狗が居るのかもしれないのだから。

 早くなっていく鼓動を深呼吸をして落ち着かせてみるが一向にも収まる気配は無い。人という字を手の平に書き飲み込んでみるも緊張は解けず扉の前に立ち尽くすしかなかった。

 

 最早時が解決する術しかなく更に何分も呼吸を整え胸を押さえている、その様子はまるで恋を告げようと緊張する初心な少年そのものだった。だがそれは違う、現実では命を賭けて人食い妖怪が住み着く部屋に突撃しようとする命知らずな少年だ。

 

 意を決し扉をノックする、一回目…………反応無し。二回目…………またも反応無し。三回目、四回目と少し強めにノックするも反応は無い。何故だろうか? 

 

 

「おーい、文いるか? さっきは俺が悪かった。だから出てこいって」

 

 五回目のノックと共に声をかけてみるも相手側は静寂を保つのみ。物音一つしない、まるで部屋の中には誰もいないような。

 そんな考えを頭を横に振って追い払う。まさか…………文に限ってそんな事ある訳がない。そんな”家を出ていった”事なんてあるはずがない。

 

 そうだよある訳がない。彼女はこの家でしかいれないんだから、この家から出ていったら元の野宿生活に戻ってしまうのだから。だが頭の中に思い浮かぶのはあるはずのないifのお話。

 恐る恐ると言った感じに扉を開けてみる、きっと不貞寝してるだけだろう。

 

 

 部屋の中は光を失った丸型蛍光灯に光の少し差し込んだ窓、あまり散らかった様子も無い良く言えば綺麗な、悪く言えば個性の無い小ざっぱりとした部屋。

 隣にある俺の部屋と然程変わらない構造をした部屋室には本当に何も無い、”彼女が俺と会う前と同じ必要最低限の物しか置いてない”八畳半程の部屋。膨らんでもないベットに誰も座っていないワークチェア、広々とした誰もいない部屋が見えた。

 

 頭が真っ白になる。だけど体は勝手に動いて自分の部屋に足を走らせる、数秒後にはクローゼットの中に入った愛用のパーカーを手に取り外を駆け回りながら彼女を血眼になって探す俺がいるのだろう。

 

 だがやっぱり俺の未来予言は彼女の事になると尽く外れてしまうらしくーーーーーーーーーーーーーー俺の部屋の白いベットシーツの上で花柄の付いた青色模様の掛け布団に埋もれながら幸せそうに眠る彼女が居た。

 もう彼女が居た安堵や嬉しさよりも怒りと憎しみが込み上げてしまう。俺がこうも心配してやったのに見事に空振りと来る、スタスタと早足で安らかそうに眠る彼女に近づくと一定のリズムを保った寝息が聞こえてくる。

 

 我慢の限界だ、俺は大きく口から息を吸い込むと肺に溜め込みそっと耳元に顔を近づけると腹に力を入れ大声で怒鳴った。「ああああああああ!!!!!!」と溜め込んだ怒りを全て彼女に吐き出す勢いで。

 言わずもがな、飛び起きた涙目の彼女にグーパンチを貰い扉近くにまで吹っ飛んだのは、別のお話。

 

 

 

     ♠     ▲     ♥     ✿

 

 

「はぁ~お陰さまでまだ耳が痛いですよ………」

「俺は頬が痛いです」

 

 赤く腫れ鈍い痛みがやってくる頬を氷の詰まった袋で冷やし続け痛みを緩和するもやはり痛いものは痛い、そんな俺を睨むような目付きで悪びれた様子も無い目の前の彼女に怒りが溜まる。ストレス性胃腸炎にでもなったらこいつのせいだ。

 

 溜息で怒りを逃がしてやると未だ不貞腐れた彼女が見える。まだ昼の出来事を根に持っているのか、どこか悲しそうな顔をしたような彼女が。

 何故この表情を見ると心が痛むのだろうか、さっきの出来事だってそうだ。彼女がいなくなったらもう俺は命を脅かされる生活なんてしなくていい訳で、俺にとって彼女が家から出ていく事はメリットしかないのに。

 

 彼女と過ごしてから段々と増えていく悩み事、解決する事も出来ずただ降り積もっていくばかりで箒で掃く事も出来ない。唯一わかるのはこの悩みの種が隣に座っている鴉天狗だという事だけ。

 白色のベットに腰掛けこの場が静寂の色に染まっていくそんな中彼女が突然に透き通った綺麗な声色で口を開く。

 

 

「ハロウィン……………やりたかったなぁ」

 

 その言葉は虚空へと消え去る事なく俺の耳へとしっかり入っていった。すくりと音も無く静かに立ち上がり氷の詰まった袋を床に放り投げるとクローゼットの中を漁り始める、そんな俺を見た彼女が疑問半分訝しげ半分が入った声で俺の名を呼ぶが意にも介さずクローゼットを漁り続ける。

 

 左右に何度ハンガーに掛けてある洋服を往復させた事か、左のハンガーから数えて六番目、探していた物は見つかった。

 白のシャツに黒のウェストコート、そしてその上を羽織る様な形をした黒のジャケットの後ろに付いた外側黒の内側赤色の洋服、所謂ドラキュアが着るような衣装だった。

 

 彼女はそれを見るなり輝いた表情に期待を孕ませた声色で言った。「これはなんですか!?」と。それに対し俺は得意げな表情を浮かべながら答える、「ハロウィン衣装だ」って。

 それを聞いた彼女は飛びつく勢いで俺から衣装を奪い取った後部屋から恐るべき速さで出ていった。そんな彼女を見てつくづく思う、”ほんっと単純だなーーーーって”

 

 俺一人になった部屋のベットに寝転ぶと無意識に頬が緩んでしまう。彼女のあの笑顔を見ると嬉しくなってしまう、またも降り積もった悩みに困惑しながらも頬を緩ませ続ける。彼女の匂いが少しだけ付いたベットの上で。

 

 そういえば何で彼女は………………俺の部屋で寝ていたのだろうか?

 

 

 

     ♥     ♠     ▲     ✿

 

 

「真さん!! トリックオアトリートですよ!!」

 

 その言葉に既視感を覚える、だが目の前に立つのは昼と違いトイレットペーパーを体中に包んだ雪男などではなく立派な衣装を着た吸血鬼。今の彼女にいちゃもんを付ける要素なんて無く、素直にその言葉を聞き入れる事にした。

 

 

「それじゃあお菓子あげるから悪戯はしないでくれ」

 

 リビングに戻り予め用意していた板チョコレートを渡そうとする前に俺の手の上からチョコレートは消え去り吸血鬼の手に奪い取られる。

 どうやら彼女はこの世界の甘い食べ物は全般好きらしく、お菓子をタダで貰えるハロウィーンは彼女にとって嬉しい物だと思う。満足そうな顔ですぐにチョコレートを頬張り終わると口の隅にチョコの破片を残しながら口を開く。

 

 

「それでは………トリックオアトリートです!!」

 

 またも覚える既視感、それもついさっきに。試しにもう一度チョコレートを手渡すと光のような速さで食べ終わり一息ついた後壊れたラジカセの如くまた口を開く。

 

 

「じゃあ………トリックオアトリートですよ!!!」

「いい加減にしろよ」

 

 彼女はこの家のチョコレートを食い尽くす気だろうか、それとも天然なのかわからないがこれ以上あげる訳にもいかなかった。金銭的な面でも、夕飯的な面でも。

 そんな俺の気持ちを読み取ったのか目付きを鋭くさせ口元をニヤリと歪ませる彼女。こういう表情を浮かべた彼女は大抵俺への嫌がらせなのだが。

 

 

「ほうほう、お菓子を献上しないと言うことは悪戯を希望するという事ですね、いい覚悟です」

 

 威嚇する様に歯を見せ笑ってみせる彼女。目が赤いのだからこれで八重歯が突き出ていたら本物の吸血鬼と間違えてしまうかもしれない、だけどここで俺が折れてしまったら今日の晩御飯を彼女は作ってはくれないだろう。それは俺にとっても色々と辛い。

 

 彼女と勝負する事に決めた俺は沈黙を突き通す。勝負場所は一階リビングの間、対戦相手は鴉天狗兼吸血鬼。辺りが闘争の雰囲気に染まりきった頃……………ラウンド開始のコングは鳴らされた。

 身を屈め今にも驚くべき速さで俺の手から紙製包装容器に包まれたチョコレートを盗み取ろうとする彼女を見据え俺はチョコレートを見せる様に少し強めに握り締めながら不敵な笑みを浮かべ口を開く。

 

 

「もしこれ以上近づいてみろ………お前の愛しのブラックチョコレート様は粉々に砕け散るぞ」

 

 走り出そうと身を屈めていた体をピタリと止める。それはそうだ、チョコレートを人質に取られたのだから。歯を軋めながら俺を睨みつける彼女、それに俺は臆さず不敵な笑みを保ったまま更に言葉を続ける。

 

 

「そうだ、いい子だ………それじゃあそのまま地面に伏せをしろ、ちょっとでも変な真似してみろこいつがカラーチョコよりも小さなサイズになってゴミになるぞ!!」

「くっ………この卑怯者め!!」

 

 何とでも言え、俺は今までお前のせいでストレスを溜めてきたんだ。この場でストレス解消させて貰うぞ………。

 チョコレートを手にしっかりと掴みながら彼女の元へと一歩一歩近づいていく。さてどんな事をしてもらおうか、鼻からワサビの入ったチューブでも食べてもらおうか?

 

 だがどんな場でも慢心は隙になるのか、状況の有利さに俺は思わずチョコレートを床に落としてしまう。すかさず拾おうとするが彼女がそんな隙を見逃す訳も無く突如前方から吹いた強い風に体制をよろめてしまう。

 

 強く尻餅をつき涙目で顔を上げるがもう床に伏せていた彼女の姿は無く、チョコレートを手にとった彼女が俺を見下ろしながらにどこか怒気の篭った口調で言った。

 

 

「形勢逆転ですね~それじゃあ、悪戯の時間といきましょうか」

 

 冷ややかな目線に思わず体までもが凍りついてしまう。やはりただの人間が人外なんかに喧嘩を売る物ではないな、と十八年間生きてきてようやくわかりましたーーーーーーー。

 

 

 

 




う~ん、やっぱり久々に書いたせいかおかしいですね

それに文字数も少ないし………。
申し訳ございません涙
それでは次回まで!!ドゥワッチ


おまけ

文「がおー食べちゃうぞー」

ってのを書きたかったですが書けませんでした涙


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十一月四日 気まぐれな彼女に青い海

どうも、ニアです。

なんとか二日に一回投稿出来ました!!
疲れました。
今回からようやく本編、と言った感じですねこの小説は。

それでは今回も!!


 

 

ガタンガタン、と一定のリズムを保ち車内が小刻みに揺れる。

 車窓の外から見る景色は緑が多く、都会の様に何台もの車が走ったり高層ビルが立ち並んだりはしていなかった。

 

 どちらかと言うと俺は自然が好きだ、排気ガスを撒き散らし大量の人が道を往復し、様々な娯楽に囲まれた都会も都会でまた違った魅力がある。

 だが田舎は心を休ませてくれる。俺は都会と田舎をこう区別していた、都会は”欲を満たさせてくれる場所”そして田舎は”心を満たさせてくれる場所”ってな。

 

 しかも空気は美味しいし静かだしで至れり尽くせりではないか。都会では体験の出来ない違った場所に俺は惹かれるんだ。

 電車の車内は人が全く少なく、通勤ラッシュ時の午前八時新宿行き電車とはまるで比べ物にならない。ガランとした車内を見回すとまるで俺一人しかいない気分になってしまう。

 

 まぁそんな気分も隣でソワソワしながら慣れない顔持ちで車窓の外を眺めて、はしゃいでいる彼女にぶち壊されるんだが。

 

 

「真さん見てください!! 辺りが真っ暗ですよ真っ暗!!」

「トンネルの中だからだろ、てかはしゃぐなうるさい座ってくれ」

 

 そう言っても彼女が聞き入れてくれる筈もなく、まるで初めて電車に乗ったと言わんばかりのリアクションではしゃぐ彼女を尻目に見て溜息が零れる。

 行くんだったら一人が良かったなぁ、なんて考えるも後の祭り。とりあえず興奮する彼女を落ち着かせないと他の乗客に迷惑だ。

 

 車窓の外を眺める彼女を見て二度目の溜息が零れた。

 

 

 

     ♥     ♠     ▲     ✿

 

 

 十一月の四日、今日日も快晴なり。

 

 やはり雨の後は快晴で相場は決まっているのか今日も見事な快晴だった。

 こんないいお天気だ、二度寝を決め込まなければ太陽に申し訳ない。三色のカーテンを開けて窓近くに枕を置くとおもむろに目を瞑り暖かい日差しに包まれながら微睡む。

 

 ああ………暖かいな、今日は昼間近くまで惰眠を貪ってやる。だけどそんな事を例の如く彼女が許してくれない訳らしく。

 

 

「真さん真さん!!!」

 

 勢いよくドアを開けた彼女によって邪魔されてしまう。

 

 

「ほら真さん真さん起きてください真さん!!」

 

 何度俺の名を呼ぶのだろうか、胸ぐらを掴まれ上下に振られ続けながら惰眠を貪る事なんて当然の事ながら出来なく、起きる事を余儀なくされてしまった。

 

 上体だけ起こし欠伸をしながら右目だけを擦っていると左目から興奮した顔持ちの彼女が見える。

 紺色のホットパンツに少し透明のシースルーを上に着た彼女、男の朝に起こる生理現象なのか彼女のせいなのかはわからないが下半身を掛け布団から出せずにいた。

 

 そんな俺を不思議な目で見る彼女だがすぐにそんなものはどうでもいい、と思ったのか更に興奮した顔つきで、輝いた目でじりじりと距離を詰めていく。

 

 一体どうしたのだろうか、彼女の気迫に少し押されたのか下半身を布団で隠しながら片手に持ち、思わず後ずさりをして距離を離してしまう。それが気に入らなかったのか”ムッと”頬を膨らませ彼女はつまらなさそうにベットの中央に腰掛ける。

 

 ベットの隅っこ、という安全地帯を確保した俺は一先ず生理現象をなんとかしなければ、と思いふくらはぎを強くつまむ。その痛みに顔を歪ませるがそれも一瞬、心身共に落ち着かせぎこちない口調で彼女に問うた。

 

 

「一体何の騒ぎだよ文………いきなり俺の部屋に突入しやがって」

 

 ただ俺は疑問を口にしただけだったが彼女はそれが嬉しいらしく表情を明るくさせると小さな声で答える。

 

 

「ちょっとお願いがあるのですが………」

「お願い?」

 

 彼女の言葉を聞いて俺は苦虫を噛み締めた様な表情を浮かべた。彼女のお願いに今までいい思いをした覚えが無い、ある時は大量の洋服を買わされ、またある時はデパートの電化製品売り場で見世物にされた。

 

 言いづらそうに顔を俺から逸らし頬を薄赤く染める。まるで紅化粧の様な、初対面の男が見たら心を動かされる程の表情。だが俺は生憎初対面では無く同棲までしている、その彼女と親しい俺から言わせてもらおう。俺にとっては心を動かされるどころか恐怖すら覚えるとな。

 

 嫌な予感しかしない、耳を塞ぎ………いや耳を削ぎ落としてまで彼女の次の言葉を聞きたくない。だが聞かざるを得ない。なんとも理不尽な関係に小さく舌を打つ。

 少しでも嫌がらせを、と思い彼女へと布団を蹴飛ばす。花柄の美しい掛け布団が彼女に当たると同時に文は”わぶ”などと可愛らしい反応をする。大きな布団に覆われた彼女はベットの外へと投げ捨てると舞い散った埃に咳を零す。

 

 三度咳をした後苦しそうに口を開く。

 

 

「ちょっと何するんですか」

 

 負の感情の篭った目線、所謂ジト目を送る彼女に俺は沈黙を返す。ここで「嫌がらせ」だとか「何となく」だとか下手に言葉を零して言い争いになるのは真っ平御免だ。返ってこない言葉に溜息を零し「まぁいいですが」とその場を濁す様に咳払いを一つする。

 

 

「その代わりにお願いを聞いてもらいますからね」

 

 やはりふりだしに戻るか。言葉を続けようとする彼女を止める為に手元にあった枕を顔面に向かって投げ込むも前方から吹いた強い風に勢いを失い呆気なくも撃墜されてしまう。

 手を伸ばし彼女の一歩手前に落ちた枕を文は抱き抱えると可愛らしくちょこんと顎を乗っけながら言った。

 

 

「海と言う場所に行きましょう真さん」

 

 そんな綺麗な笑顔を浮かべる彼女に対して俺は頬を引きつらせた苦笑いを浮かべた。

 

 

 

     ♥     ✿     ♠     ▲

 

 

「そして今に至る、という訳か」

「………?何が今に至るんです真さん?」

 

 可愛げに顔を少し傾けてわからない、と言った表情をする。小さく小刻みに揺れる車内と同時にその艶やかな絹糸にも似た綺麗な黒髪が靡く。

 「なんでもない」と在り来りな返し言葉を言葉にし、目線を車窓へと戻す。相も変わらず、と言ったところか先程と変わらない眺めが続いていた。

 

 普通の電車の様な横に長い座席では無く新幹線の様な対する形に作られた座席。二人して外を眺めるが残念な事にトンネルの中、暗闇が続く長い長い道を彼女は期待の篭った目で窓に手を掛けながら見ていた。

 

 きっと彼女はこのトンネルが終わった先に何が見えるのか、それが楽しみで楽しみで堪らないのだろう。証拠に手元にはがっちり握られた古ぼけた写真機がある、あからさまな様子に思わず柔らかい笑みが零れてしまう。

 

 

「まもなく~幻駅(まぼろえき)、幻駅でございます~ご降車の方々は忘れ物の無い様に~」

 

 車内に響くアナウンス。俺達の降りる場所でもあり、今回の目的地でもある。

 俺の住んでいる街、荘橋町から五駅進んだ後乗り換えを一回。そしてそこから更に六駅進んだ先にある自然が多く、言ってしまえば田舎だ。

 

 やはり道には絶対終わりがあるのか、無限に続く暗いトンネルもアナウンスが終わると共にようやく終わりが見えてくる。唇を嬉しそうに噛み締める彼女を一目見たあと車窓を眺める。

 外は未だトンネルの中。それも終わりを告げた。

 

 

 トンネルを抜けた先、車窓の外には綺麗な緑と広々とした海が見える。

 

 輝く太陽が海と緑を照らし出し、道端には追いかけっこを始める子供達に低い背をした一軒家が立ち並ぶ。そんな光景を俺と彼女は眺めていた。

 写真を撮る余裕も無いのか、写真機を胸元に構え目を見開いた彼女が尻目に見えた。前、と言っても数時間程前だが幻想郷と言う場所には海が無いと聞いた。あるのは底の浅い川と、湖と、雲に届く様に大きな山だと。

 

 そんな彼女が海を見たのは初めてなのか、太陽の光が反射し散り眩い光を返す海の存在に目を奪われていた。

 

 電車が段々と減速していく事に気づき黒色に白の英語の柄が書かれた肩掛けバックを手に持つ。未だ海に目を奪われている彼女を我に返す為、バックを右肩に掛け立ち上がった後彼女の脳天を右手で軽く叩く。

 

 

「ほら、もうすぐ付くぞ文」

 

 頭を叩くと肩をビクリと震わせ俺の方へと顔を動かす。そんな彼女に右手をヒラヒラと小さく振って見せ、電車が駅に付いたのか停車する。

 まだ俺の方に顔を向けポカンとする彼女を見飽き、腕を掴んで無理矢理立たせる。やっと我に帰ったのか「ちょ、ちょっと待って」などと口にするが華麗に無視し駅員に切符を渡し降車ボタンを押すとドアが開いた。

 

 駅のホームに足を付けると硬いコンクリートの地面と少し寂れた”幻駅”、という看板が俺達二人をお出迎えする。日差しを凌げる屋根も無いホームに残った二人を残して出発する電車、そこで文の腕から手を離す。

 

 

「それじゃあ海、行くんだろ? さっさと行こうぜ」

 

 そう言い先に進む俺の後を彼女は無言で追いかけた。

 

 

 顔を赤く染め掴まれた腕に小さく口づけをしながら。

 

 

 

     ☛     ☚     ☟     ☝

 

 

 塗装されたコンクリート、その中央には長く書かれた白線、辺りには何も無く定食屋やコンビニと言った便利な建物は一つも立っていなかった。

 道の外れには田んぼや屋根の低い一軒家。車などは全く通らず地平線の向こう側まで続く様に長い一本道の中央を人間こと天田 真、鴉天狗こと射命丸 文は同じ歩調で離れる事なく歩いていた。

 

 やはり昼時で尚且つ綺麗に輝く太陽が出ているにも関わらず、吹かれる風は妙に肌寒かった。

 彼が手に持つパーカーを着るほどの寒さでは無いが、半袖では流石に寒いのか風が吹く度体を小さく震わせる。

 

 肩を竦めながら彼女の短い丈をしたホットパンツと同じ色をしたジーパンのポケットに両手を突っ込むが底が浅く、手首までは入らなく防寒の意味はあまり無かった。

 

 吹いた風に一度小さく体を震わせ、手に持つパーカーを着ようか着まいか悩み、何とはなしに彼女を見ると風に全く吹かれていない姿が見える、少し透けたシースルーの上に可愛らしい青色のパーカーが羽織られた彼女が。

 

 ”ドキリ”と彼の鼓動が少し早まる。だがそれもほんの一瞬で、顔を長く続く地平線の向こうへ向けると会話を試みる。

 

 

「またその能力使ってるのかよ」

 

 半ば呆れ、半ば羨ましいと言った表情でそう言うと彼女は得意げな顔で。

 

 

「ええ、まぁこのくらいの風だったら別に寒くもなんでもないですけど」

 

 指をパチン、と鳴らすと彼女のセミロングヘアーが風に靡かれる。だが冷風を平気な顔で受け止めている彼女を見て彼から感嘆にも似た深い息が零れた。

 その様子を悪戯な笑みで、小さな子供がその友達に側転を見せ得意げに笑う様な笑みを口元に浮かべる。

 

 このまま黙っていればその純粋な感情で彼の心境は変わる事は無かったと言うのに、諺には”天狗になる”と言う諺がある。それを実践するかの様に彼女の口から自慢話が始まった。

 

 

「まぁこれくらい余裕ですがね~やっぱり鴉天狗は貧弱な人間とは違うんですよ、このくらいの風、椛でも平気ですよ~」

 

 人格が変わったかと錯覚する程のお喋り具合に彼の額に一本の青色の血管が浮かび上がる。そんなものはお構いなしに、と言った所か減らず口を叩き続ける彼女。

 彼は肩掛けバックのホックを外すと彼女の自慢話をBGMにバックを漁り、中から薄状の”meiji”と書かれた板チョコを出す。

 

 それを彼女の顔の前に上下に振り、誘う様に食欲を刺激させる。目前のチョコレートの存在に気付いたのか彼が上にチョコを上げたら彼女の目線までも上に上がり、下に下げたら同じく目線も下に下がる。

 

 気付けば彼女の自慢話も終わり。四、五回上下に振った後彼は満足したのか一度頷き、まるで野球ボールを投げるピッチャーの様にチョコを手に掴み大きく振りかぶる。

 

 

「ほら投げるぞ…………取ってこい!!」

 

 空に響いた声と共に空高く放り投げられたチョコレートを全速力で取りに行った鴉天狗が一匹、その場では見られたと言う。

 

 

 

 

 なんて事をして時間は刻々と刻まれていく。

 

 段々と聞こえてくる波のさざめき。聞きなれないその音に彼女は期待が篭った目線を真に送っていた。

 その目線を手で防御していると鼻についたのは磯と潮風の匂い、もう我慢出来ないと言わんばかりに彼女は足を踏み出し大きく飛んだ。

 

 助走も無しに何メートルも先に、何メートルも上に飛んだ。幸いに辺りに人はいなく、太陽の光に当たった鴉天狗が見える。

 ”やれやれ”と言った溜息を吐き彼女の後を彼もが走って追いかける。実際に彼も久しぶりに嗅いだこの匂いに期待を隠せず、一刻も早く見たいという気持ちに駆られてしまう。

 

 久々に走ったせいか、太ももが少し痛むがそれを無視し大きな歩幅で彼女の後を追う。走る反動で肩掛けバックが大きく揺れ、ずり落ちそうになったら走りながら肩に戻す。

 足を進める事をやめない。十字路を右に曲がった先にそれはあった。

 

 

 広々と広がる太陽に照らされた大きな水たまり、”海”が見つかる。

 

 遠目に見ると木で出来たボロボロの階段に彼女は立っていた。大きく手を横に振りながら。

 それを見て無意識なのか、それとも故意となのかわからないが彼の顔が綻ぶ。全速力でその場まで走る、汗が頬を伝うが関係なしに地を思いっきり蹴り続ける。

 

 階段まで凡そ数十メートルまで迫った辺りに彼女は階段から笑いながら階段を駆け下りる。風鈴の様な涼しい笑い声に彼の火照った体が涼しんだ。

 砂浜をはしゃぐ様に駆け回る彼女を見て彼の表情が更に嬉しそうに綻ぶ。

 

 階段を駆け下りた彼女に対し、彼は階段を使わずそのまま飛んだ。

 

 空に、海に響き渡る程の大きな声を上げ飛んだ。足場を失った彼はそのまま重力に従い地面へと落下していく。

 柔らかい砂浜に足を付け、衝撃を受け流す様に一回転する。

 

 息の切れたそんな彼を覗き込む彼女、熱い砂浜に身を転ばせた彼を笑い、風に靡く髪を片手で押さえながら彼女は手を伸ばした。

 

 

「無茶しすぎですよ、人間の癖に」

 

 嬉しそうな彼女のその言葉に声を上げ笑いながら彼は答えた。

 

 

「人間を馬鹿にするなよ…………天狗の癖に」

 

 彼女の伸ばされた手を力強く掴みながら。

 

 

 

 

 

 




主人公羨ましい………。

ま、まぁ別にいいし一人でする旅も楽しいし、女いなくても楽しいし、男だけでも楽しいし!!

はぁ………。
私だって可愛い女の子とこんな事したいですよ。
だけど機会が……ねぇ?

それでは次回まで涙ドゥワッチ

(えっとえっと………縄どこやったっけな、人がぶら下がってもちぎれない奴)


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午後二時 小波の音に大きな怒声

なんとか投稿出来た……。

今回は少しだけ書き方を変えてみました、見づらかったら言ってください><


 

俺と彼女の二人しかいない寂しげな砂浜。

 

 案の定と言ったところか、やはりこんな寒い季節に海なんて行く奴は釣り目的の人ぐらいしかいないだろう。更に今は平日の真昼間、ということも合わさってか本当に誰もいなかった。

 

 この現状に少し寂しさを覚えるが彼女が居るだけまだマシだ、その彼女も俺の隣に青色のスニーカーを脱いで海へ突撃した訳だが。広々とした砂浜には足を抱えながら座る、俗に言う体育座りをしている俺と靴ひもの解けた何の柄もない水色一色のスニーカーだけが残された。やることも無い、海をただ寂しく眺めているだけの俺。

 

 さざ波の音を聞きながら足を崩しあぐらに変えてみる。だが現状は何も変わらず、相も変わらず俺一人。両手を後ろの地面に付けそれを支えに目を閉じながらどうやって時間を潰そうかを考える。

 

 彼女の様に底の浅い場所で靴と靴下を脱ぎ太もも辺りまで海に浸かりながらキャッキャと楽しそうに遊ぶのもいいのかもしれない、だが俺はもう十八歳。それはもう立派な大人だ。そんな立派な大人が子供みたいに、数人連れて海に出掛けた女子高生みたいにそんな事が出来る筈もなく即却下。

 

 第二に出てきた案、砂浜で砂のお城を作ろうかという案も出てくるが手を汚したくはないし却下。

 

 次々と出てくる案を却下し続ける中心の奥底で”自分は酷くマイナス思考だな”という気持ちが湧いてくる。しょうがないだろうに、このネガティブ思考は後天的でもなく無理矢理植え込まれた物でもない、天性的なものなのだから治す手立てが無い、というか治そうとも思わない。

 

 そして最終的にたどり着いたのはこの広い水色の海と白い雲を眺めながら物事に耽る事。如何にも暗い性格の奴がやりそうな事だな、と自虐的な笑みが思わず零れてしまう。

 

 広い海を眺めると大量の水と戯れる彼女が自然と視野に入ってしまう、短い丈の太ももを露出させたホットパンツを着る彼女が。何秒かその姿に見惚れてしまう、ダメだ、これじゃあただの変態だ。すぐに彼女から視野を外し海の向こうを眺めるが気付けば目線は彼女を捉えていた。

 

 捉えては外し、捉えては外すの繰り返し。彼女とあの場所で水を掛け合いながら遊ぶ事はどれほど魅力的な事か、だがそれは俺のプライドが許さない。「そんな安いプライドなんて捨ててしまえ」ともうひとりの自分が囁いてくるも理性で無理矢理押さえつけ無視する。だけども飽きることなく彼女を視点に入れてしまう自分の愚かしさに耐えかね、一つ深い溜息を吐いてから肩掛けバックを枕代わりにしてその場に寝転がる。

 

 視点は彼女から白い雲が幾つか浮かぶ青空へと変わった。

 

 寝転がると同時に聞こえる砂を踏んだ乾いた音。そして小さな波が寄せては他の波を連れ返し、一定のリズムを保った心を安らげる音。それらを聞き流す事なく一つ一つ大事に耳の中へ留めながら空を眺める。服越しに感じる熱い砂の温度に段々と体を適させながら少しだけ欝になる。

 

 空は広いなぁ、とか戦争はどうして起こるんだろうなぁ、とかどうしようもないこと、どうでもいいことに考えを巡らせ頭の中で議論してみる。当然こんな俺に、理系よりも文系派な俺に到底完璧な答えなんて出てくる筈もなくわからない問題に頭を悩ませるのみ。だけどそれが妙に心地良くてにやけた笑みが零れる。この世には俺のわからない問題が数多く存在していて、尚且つ何十年も考えたってわからない出来事がある。

 

 それが俺にとっては物凄く面白くて、楽しくて堪らない。だから俺はオカルト関係が大好きなんだ、人外から幽霊に異世界という存在まで、それらを考えるだけで胸が熱くなるって言うのに俺はその”それら”を今現在に体験しているときた。よくよく考えると今、俺は物凄い奴に関わりを持っているんだなと(つくづく)と感じてしまう。

 

 大の字になった体その身で風を一心に受ける、彼女の能力による風ではなく空から吹いてくる風に。

 

 首だけを上げ彼女を見ると先程と変わってしゃがみながら海水を両手一杯に掬ってはそれを浴びるように飲む彼女が見られる。やはり人外でも海水を美味しく飲む事は出来ないらしく塩っぽすぎるのか喉を抑えながら苦しそうにむせる彼女。その行動に思わず小さく声を上げ笑ってしまう。自分特有のクツクツと嫌らしそうに笑う笑い声。彼女はそれに気づいていないのか、それとも気にかける必要も無いのかもう一度懲りずに海水を掬ってみせる。

 

 そこで俺は枕代わりのカバンにへと頭を下ろしもう一度気づかれない様に笑う。彼女と会ってからというもの色々と変わった気がしてならない、例えば俺の溜息が増えたり俺の笑みが増えたり。殆どの事が俺に関してのことだ、本当彼女と居ると調子を狂わされる上に全く飽きない。それだからなのか、気づけば彼女へと目線を追っているのは。

 

 先程だって俺は彼女ではなく海に視線を動かした筈だ、だというのに視点は彼女を捉えた。無意識に彼女を追っている。不可解な出来事が好きな俺だがこれに関してはどうも好きになれない、好奇心は全く誘われず、微妙なむずかゆさだけが残ってしまう。

 

 悩ましい溜息を一度吐き空を眺める。先程と違ったソフトクリームの様な形をした雲、その雲に腕を上に突き上げ掴む様にしてみせるが距離は遠すぎて掴む事は疎か触れる事さえ出来ない。今の俺と彼女の心の距離感はこれ程までに遠いものなのか、もしかしたら彼女は俺を単なる金づるとでしか見ていないのかもしれない。そう考えると心の奥底が酷く震える。

 

 何故だろうか、彼女が俺へと向けている気持ちどころか俺は俺が彼女へと向けている気持ちすらわからない。ある時はうざったく思い、だけど彼女が姿を消したら俺の心は氷みたいに冷たくなる、体全体の血の気が引き震える。他人に向ける感情でも友人に向ける感情でも悪友に向ける感情にも当てはまらない。なんなのだろうかこれは?

 

 

 だけど俺はこの感情を昔誰かに向けていた気がする、それがわかれば苦労はしないのだが。

 

 誰だった、よく考えろ、これで全てがわかるんだ。だけども考える度にその”人物”は深い記憶という名の濃霧の奥底へと逃げ込んでしまう、まるで俺に知られたくないような。追いかけても追いかけても逃げ続け、終わりの見えない追いかけっこ。考えろ、考えろ、簡単に捕まえられるなんて鼻から思っていない。必死に考えるんだ。

 

 あと一歩、手を伸ばせば届く距離に見えたのは黒髪の。

 

 

「なにしてるんですか真さん?」

 

 空をバックに俺を上から覗き込む彼女の顔が見える。訝しげな、どこか心配そうな表情の彼女が。突然の乱入者に呆気に取られてしまうこと僅か五秒、だがその五秒は追いかけっこの逃走者に大きなチャンスになった様で目的の人物は奥底へと逃げ隠れてしまった。呆気に取られる時間五秒間、相手を逃してしまった後悔の時間十秒間で計十五秒間押し黙る俺と俺を上から見下す彼女。もう目の前の彼女に怒りをぶつける余裕もなくなり俺は悩ましい深く長い溜息を吐いてから彼女の問いをただ平淡に返した。

 

 

「別に、追いかけっこしてただけ」

 

 

 

     ✿     ☂     ♠     ♥

 

 

 服の裏側に付いた砂粒を俺と彼女の二人がかりで叩き落としながら俺は内心「結局汚れたな」なんてどうでもいいことを考えていた。その後はただ無心に叩くだけ、ふと後ろを振り返ると面倒臭そうな表情を浮かべた彼女が俺の服を優しくひと叩きする。ただ服を叩いている、それだけなのに一つ大きく鼓動が高まる。面倒臭い、そしてわからない。

 

 せめてさっきの人を思い出せれば何かが変わったのかもしれないのに、だが最早後悔先に立たず、いや後の祭りか? まぁどっちでもいいしどっちも違くてもいい。今は付いた砂を叩くのが仕事だ、それ以前もこれからもどうでもいい。

 

 後ろで砂粒を叩く彼女が最後に一回強めに背中を叩くと「よし」とやりきった様な短い言葉を口にする。

 

 

「大体は落とせたんで後は我慢してください、それよりもお腹減ったんで御飯にしましょう!!」

 

 両方の手の平を強く叩き小気味良い音を発しながらニコリと笑う彼女に釣られ無意識なのか俺の頬までもが弛んでしまう。これだ、彼女の笑顔が好きなんだ俺は。心までも溶かしてくれる暖かい笑み、だがそれを彼女に察せられてはいけない。何故かわからないけどそんな気がしてならなくなるんだ。

 

 弛む頬を必死に押さえつけながらいつも面倒くさそうな表情を浮かべ彼女の言葉に”しょうがない”と言った感じに許可する俺。本当は内心嬉しいのかもしれない、彼女が俺を頼ってくれるのだから。だから俺はこの彼女の提案に気怠そうな感じにしてこう言うんだ。

 

 

「わかったよ、レジャーシート出すからそこどけ」

 

 枕がわりにしていた肩掛けカバンを広いながらそう言うと彼女は物腰の良い笑みを浮かべながら軍人の敬礼の様に肘を曲げ、手のひらを左下方に向けて人差し指を頭の前部にあてながら「了解!!」と元気一杯に言ってみせる。またも無意識に笑みを一瞬作ってしまうが平常心を装いカバンの中から赤と水色の縞々模様で作られたレジャーシートをその場に敷く。

 

 風の速さで彼女がレジャーシートの真ん中を陣取ると口元を手の平で抑えながら今度はいやらしそうに笑う、「早いもの勝ちですよ」なんて言いながら。彼女のお陰で笑みにも様々な種類があることを学んだよ。楽しく笑う時は頬を弛ませながら、嫌らしそうに笑う時は口元を歪ませながら、冷たく笑う時は目元だけ笑っていない事とか様々。

 

 彼女と出会うまであまり人と触れ合った事が無いせいもあるが、それでも彼女と一緒に居ると色々な表情を見られる事が強くわかった。少なくとも人間の俺よりは表情のバリエーションに富んでる、人外に負けて悔しい気もするが。

 

 しょうがなく彼女の隣に、とは言っても彼女が陣取りすぎて左足が砂浜に出てしまうがそこに座ると今度は勝ち誇った笑みを浮かべて俺を嘲笑う。内心嬉しくもカチンと頭にきたせいか手でもう少し詰める様にシッシと会話するがそんな俺から目を逸らす彼女を見て諦め深い溜息を零す。

 

 大の字に寝転がったら余裕で体がはみ出る小さなレジャーシート、それなのにその殆どを取った彼女に向ける感情は今やうざったさ半分、嬉しさ半分と言ったなんとも言えない複雑な感情。そんな中空き腹を抱える彼女の前にバックから出したのは水玉模様の風呂敷に包まれた二段弁当。それを一目見た彼女は待っていた物が来た様な輝いた表情を浮かべハイエナの如く素早い手つきで解く。

 

 それほどまでに腹が減っていたのか、そもそも天狗でも腹が減るのかと脳に一つの疑問が浮かぶが彼女と初めて出会ってした会話を思い出して小さな笑いと共に玉砕される。一つの疑問符が玉砕されると同時に動きが固まった文。どうしたのだろうと思い訝しげな表情を浮かべながら彼女の手元にある弁当を見ると共に俺の動きまでもが一瞬だけ止まる。

 

 

 砂浜には小波を聞きながら動きを止めた俺達二人と青色のスニーカーの横に並んだ赤色のスニーカー、そしてレジャーシートの上に置かれた二段弁当の中身は俺が海に向かう道中全速力で走ったせいなのか何が何のおかずだったのか判別不可能になるまでにミックスされた昼食があった。

 

 

 

     ☂     ♥     ▼     ▲

 

 

 弁当についての口論を少しした後しょうがないと言った感じに何とか原型の留めているウィンナーやオニギリを彼女は虚しく頬張った。あれ程にまで混ざったにも関わらず美味しさを失わない彼女の料理の腕には素直に感心するが見た目が酷かった、ほぼ俺のせいなのだがマカロニサラダの混じった伊達巻玉子なんてもう………。

 

 そして今こうして弁当をレジャーシートの隅っこに寄せた後夕日の昇る海空を眺めている、勿論弁当の中身は全部俺が責任持って食べました。

 

 彼女の心中には一体今何が渦巻いているのだろうか、俺に対する憎悪なのかそれとも殺意なのか。少なくともいいものでは無いのは確かだった、その証拠に彼女だけ夕日を眺めず体育座りで俺の事を負の篭った目線で睨んでいる。謝れよと言わんばかりの表情で。

 

 確かに悪いとは思っている、十中八九誰もが見ても悪いのは俺なのだから。だけども何度謝っても許してくれない彼女も彼女だと思うんだ、何度謝罪しても返ってくる言葉は「嫌です」だとか「絶対許しません」だとか。それなのにこんな表情を浮かべてくる彼女に流石に嫌気が差してきた。

 

 

 そんな重たい雰囲気の中彼女が長い沈黙を破る。

 

 

「真さんは私の作った手料理をぐちゃぐちゃにしても平気な顔をする嫌な人だったんですね~」

 

 如何にも嫌味を言ってるんだよ、という口調で。女は感情論で話す奴と理論的に話す奴が居るなんて事を聞いたがこいつは絶対に感情論で話すタイプだ、俺が強く宣言する。

 

 別に平気な顔をしている訳ではない、一応はこれでも罪悪感を感じているのだが彼女にとって俺は今平気な顔をしているらしい。ここで彼女の言葉を聞き流すのは楽だろう、だけど無視を決め込むでもしたら更に機嫌が悪くなるのは目に見えている。だから俺はしょうがなくと言った感じに自然と声のトーンが低くなった声色で返した。

 

 

「別に平気な顔はしていないよ、一応罪悪感は感じているし………さっきまで謝ってたじゃん」

「どうでしょうかね~私にはそうは見えませんが」

 

 相も変わらずツンの態度を見せる彼女、それを尻目に見て深い溜息が零れる。それが彼女には気に食わなかったらしく俺の真似事の様に彼女までもが強く、深く長い溜息を吐いた。

 

 またも訪れる静寂、波の音だけが聞こえて、昼と同じく人っ子一人来ない寂しい砂浜。夕日だけが俺達を無視し、眺めながら西へと沈んでいく太陽。どうやら彼女は沈黙と言った気まずい雰囲気は好まないらしくまたも険悪な雰囲気を曝け出す中、口を開く。

 

 

「あっそーですか、黙りですか。自分の都合が悪くなった時だけ黙るんですね~はぁ………」

 

 目くじらを立てた目付きで俺を強気に睨む彼女がまた溜息を零す。今にも堪忍袋の尾が切れそうだ、強く握りすぎて青白く変色した拳に歯軋りを小さくしてみせるが彼女は気付いた素振りも無しに減らず口を叩き続ける。

 

 最早無視を決め込み続ける俺だったが限界の一歩手前にまで訪れていく。そんな俺を追い込み続ける彼女、歯軋りが強くなっていく中少し強めの口調で彼女が言った。

 

 

「こんなのだったら他の家に取り憑いた方がマシかもしれませんね」

 

 我慢の限界と言わんばかりに俺の体は無意識に大きく舌打ちをした後立ち上がりながら座っている彼女の胸ぐらを掴んだ。砂浜の砂がレジャーシート越しに潰され、肺に大きく息を吸い込み波の音なんかに負けない程の大きな声で怒鳴り上げる。

 

 

「だったら他の家に出て行け!!!」

 

 胸ぐらを掴み小柄な彼女の体が少し宙に浮く、顔の距離は息が当たりそうな程の近さ。怒りに歪みきった俺の顔を彼女だけが呆然と。

 

 

 嬉しそうに口元を少しだけ伸ばしていた。

 

 

 

 

 

 

 




会話の少なさが異常ですねこれ。

殆ど主人公視点で見づらいかも………。
申し訳ありません><
それでは………


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午後四時 些細な争いと少しの狂い

 

 嗚呼、昔はあんなにも小さかったのに、大きくなりましたね。

 

 貴方との生活は楽しく、驚きの毎日でした。

 

 笑い合い、口論をしあい、いがみ合い、遊び合い。楽しい毎日ですよね。

 

 だけどそれじゃあ駄目、まだ貴方の全てを知った事にはならない。まだまだ、まだまだまだ、まだまだまだまだ。

 

 私は貴方の全てを独占したいんです。笑顔も、涙も、感情も、体も。貴方の脳から血の一滴残らず、全てを独占し続けたい。

 

 だけどそれには、貴方の感情全てを体験しなければ、叶わない。怒りや悲しみ、楽しみや嬉しみ、興奮状態の貴方から殺意に満ち溢れた貴方まで、全部を。

 

 だから、わかってくれますよね。

 

 だから、貴方の周りの人間が死んじゃっても、わかってくれますよね。

 

 だって貴方は優しいから。―――――真さん。

 

 

 

     ☛     ☟     ☂     ☼

 

 潮風の匂いが鼻腔を付く。だがそんなものはお構いなしに、真は目の前の彼女を睨み続ける。鋭い目付き、荒い呼吸、胸ぐらを掴む拳が力みすぎて赤く染まる。そんな真に対し、文は無表情で、冷ややかな目付きを真に送っていた。

 

 さざ波だけが一定のリズムを保ち、二人の静寂を度々破ってくる。少しすると、落ち着いたのか真が文の胸ぐらを乱暴に放し、早口で言った。

 

 

「確かに今回は珍しく俺に非がある。だけど、何度も謝っているのにその態度は、如何なものだと思うぞ」

 

 珍しく、の部分を強調したのは気のせいではない筈。

 

 真の言葉に文は、何かしらのアクションを返すだろう。少なくとも彼はそう考えていたが、文は言葉を返さずに、俯き加減で顔を伏せるだけだった。どうしたのだろう。顔をいつまで経っても上げない文に、不思議そうな顔付きで顔を覗き込もうとする。

 

 膝を曲げ、屈もうとすると突然に視点が青空に変わった。

 

 なんだ、一体何が起きているんだ。喉の奥に何かが詰まった息苦しさと共に目の前を見ると、真は目を見開き驚愕する。

 

 文が、冷ややかな表情で自分の襟元を強い力で掴み上げている。その状況を把握するのに真は三秒程の時間を要した。馬鹿な、有り得ないだろう。彼女と俺とは体格差が違う。なのに、片手一本で俺を持ち上げるだなんて。

 

 真が困惑した表情をして見せると、文がうっすらと笑う。彼女の見下すような薄ら笑いに、恐怖を覚える。口を固く閉ざしていた文だったが、ようやくゆったりと、小馬鹿にするような口調で口を開いた。

 

 

「人間如きが私に歯向かうだなんて、真さんいい度胸してますね。いや、本当に」

 

 挑発するような物言いに真はむっとした。だが、息苦しさからか言葉が出ない。両手で文の腕を捻ってみせるがぴくともしない、彼女は相も変わらず、冷たい薄ら笑いを浮かべ続けるのみ。振り子のように両足を振ってみるが、つま先は空を蹴るのみ。

 

 二度目の静寂が訪れる。聞こえてくるのはさざ波の寄せては返す波音と、赤ん坊の泣き声のような声で茜色の空を駆け回る鴎達。海の辺りは平和でも、砂浜の辺りでは射命丸文と天田真の睨み合いが続く。

 

 この場に他に人が居たら、自分達の存在はとんだ迷惑だな。真は怒りからか、それとも息苦しさからか息を荒げ、文を睨みながら悠長に考える。

 

 真の襟元に伸ばされた文の右腕は、まるで溶接されたかのように離れない。小柄な体格の彼女のどこから、こんな強い握力が出てくるのか不思議でならない。

 

 これが、人外のなせる力なのか。いや、人外とて弱点はある。真は目だけを動かし、視野の効く範囲を見渡した。どこか、どこかに―――――。

 

 ふいに浮遊感を感じた。空を飛ぶようなそれでなく、落ちていくような。

 

 

「っは、はぁ、はぁ、文ぁ………」

 

 地に足が着くなりかがみ込みながら咳を零す。真の喘ぐように言葉を聞き、文は恍惚とした表情を浮かべる。

 

 

「いいですね、その顔。その顔が見たかったんです」

 

 膝に地を付け、喉元を苦しそうに片手で押さえ込みながら必死に息をただそうとする真の方頬に、白く、柔らかい手の平がなぞるように触れた。

 

 ぞくり。背筋に悪寒とも言える寒気が走った。なんだこいつは。文の手が触覚のように、真の頬を舐めまわすようになぞる。なんなんだこいつは。両膝を付けたまま文の顔を見上げる。

 

 文の表情は笑顔だった。ただ、目元だけが笑っていない笑顔。

 

 

「やめろ!」

 

 乾いた音が空に響く。鳴く鴎達がその音に驚いたのか、飛び散るように空を駆け、姿を消した。

 

 

「痛いですね、痛いですよ真さん」

 

 一部分が赤く染まった手首の辺りを摩りながら文が言って見せる。表情からは笑顔が消え、先程の無表情に変わっていた。

 

 冷ややかな目線が送られる。少しの狂気や怒りを孕ませたような目線が。それに真は、蛇に睨まれた蛙の如く指先一本すら動かせずにいる。冷たい潮風が彼の思考までをも邪魔し、恐怖からか脂汗が額に滲むのを感じた。

 

 辺りが静まり返る。さざ波の音が度々沈黙を破るが、全ての意識が文へと向けられている為、真には何も聞こえなかった。今までに体験したことのない恐怖に困惑する。が、彼女のその表情をどこかで見た、そう訴える自分がいる。

 

 鼓動が早くなるのを感じる。自分のうるさすぎる鼓動が、文へと聞こえるのではないかと思えるほどに。

 

 ふと視界の端に黒い何かが横切った。黒いソレは文の辺りを二、三回回った後、まるで羽を休める休憩所のように文の肩に止まる。次は二匹目、両肩に止まった。次は三匹目、地に舞い降りた。

 

 ゴキブリのように姿を増やすソレに恐怖を覚える。気付けば二十匹はいそうな、黒い羽毛を身に纏うカラス(・・・)が文を中心点に舞い降りる。

 

 鳴きもせず、瞬きもせず、ただ真を睨みつけるカラスに恐怖を覚える。黒い瞳が威嚇するように。その光景に思わず息を呑んだ、美しさではなく、恐怖によって。

 

 もう、息をするので精一杯だった。今、目の前で立っているのは笑顔を振りまく彼女ではなく、今にも自分を捕食しようと企む鴉なのだから。今もなお姿を増やすカラスの群れを、真は息を荒げながら目を見開き、ただ見ていた。

 

 何十のカラスが集まった時だろうか、最早レジャーシートはカラス達によって埋め尽くされ、黒色に染まっている。文は鳴かないカラスの群れを首を回し見渡すと、口角を僅かに釣り上げながら口を開く。

 

 

「さっきまでは白色の鴎が飛んでいたのに、今では黒色のカラスが飛んでいますね。どう思いますこの状況?」

 

 どうもこうもあるか。真は心中で呟いた、声に出すことは叶わない。せめて身振り手振りで表現しようと思うが、腕は疎か指先すら動かせず、出来ることと言えば目を細めることぐらいだった。

 

 

「そうですか、気に入らないみたいですね」

 

 どうやら文は真の目を細める仕草を不満そう、と解釈したらしく、小首を傾げて腕を組んで見せる。彼女の少しだけ赤みがかった頬にカラスの黒い羽が触れた。夕日をバックに考えるような仕草をする文を見て、僅かな安心感を覚える。

 

 真は足に力を入れ、膝に手を掛けながら立ち上がる。いや、立ち上がろうとした。

 

 何故か中腰のまま、それ以上立ち上がることが出来ない。そして両肩に感じる手の平の感触。ねっとりとした温もりを持つそれは、気持ち悪く、不快だった。恐る恐ると上を向いてみる、本当は見たくなんかなかった。だが、状況を把握しなければ。

 

 額に滲む脂汗を感じながら、ソレを見上げる。本来ならば茜色の空が見える筈だ、だけども上空は黒に染まり、不気味なソレが自分を見下ろしていた。

 

 両肩に乗せるカラスと同じ、黒色の瞳をした(彼女)が。

 

 視界が黒く染まる。体の自由が効かなくなる。意識が遠のくのを感じる。真は、糸の切れた操り人形のように砂浜へと身を降ろした。

 

 

 

     ☛     ☝     ✿    ☼

 

 

 体を揺り動かされ、真はぱっと目を開ける。

 

 ゆったりと身を起こし、前方を見渡す。茜色の太陽に光を当てられ、反射していた扇状に広がる海は暗闇に染まり、一部分だけが月光に照らし出されていた。

 

 冷たい海風が身を包み、火照った体を冷やしてくれる。寝起きだからか頭が痛い。両目の内側を人差し指と親指で挟むように摘む。酷い悪夢を見ていたようだ、真は深い溜息を吐くと暗く染まった海を眺める。

 

 月光に照らし出される海はまるで、神秘的な何かを持っている。そんな気がした。少し上を見上げると満天の星空、都会では見られない光景に感嘆の息を漏らす。

 

 夜の海も捨てたものじゃないな。満足そうに真は頷くと、不意に肩を強く叩かれる。

 

 右の方を向くと月夜の光に照らされた文の顔が見えた。毎日のように見て馴染んだ彼女の顔だが、計り知れない恐怖を感じる。無意識に文から身を逸らし、息を呑んだ。

 

 

「どうしたんです真さん、怖い夢でも見ましたか?」

 

 おちゃらけるように笑って見せる文、だが、どこかぎこちない感じがする。

 

 

「ああ、カラス達が群れになって俺を睨んでくる夢を見たよ」僅かだが震えた声で真が言った。

「それは怖い、正夢にならないといいですね」

 

 温かい笑みでそう言う文に、真は何を恐れていたんだ、と恥ずかしくなり自らを一喝する。

 

 少しの溜息を零し文の方を見やる。先程と変わらない柔らかい笑みが見えた、月夜をバックにして笑ってみせる彼女は美しく、どこか儚い。ぽん、と押してしまえば積み上げたトランプの城のように簡単に崩れてしまいそうな。

 

 妖怪は精神面に弱い。この間彼女がポツリと零した言葉が真の脳裏に浮かび上がった。

 

 文は何年も、何十年も何百年も生きている。その長い長いストーリーはどんな構成をしているのだろうか。真は視線を海へと向け考えた。

 

 きっと、十八年間しか生きていない自分には、到底理解出来ないんだろう。だけど、こんな俺でも彼女を支えることは出来る。自分はこんなに優しかったかと疑問に思い苦笑いがこぼれる。

 

 本当、コイツと居ると調子狂わされるな。小さくそう呟き、海を眺めたまま口を開く。

 

 

「そろそろ帰るか」

 

 楽しい時間はすぐに過ぎていく。真はそれを理不尽に思い、嬉しく感じた。

 

 

「そうですね、ああ少し待ってください」

「ん? なんだ?」

 

 文の言葉を疑問に思い、真が尻目に彼女を見やる。能力を使っていないのか、文の髪は風によって綺麗に靡いている。

 

 

「写真を撮ろうと思いましてね」

 

 文にとってお馴染みの写真機を掲げながら、悪戯そうに笑って見せる。真はポカン、と呆けた表情を浮かべると、文の提案に肯定し頬を緩めた。

 

 

「いいじゃん、それ。早速撮ろうぜ」

「それじゃあ海と一緒に撮るので、真さん立ってください」

 

 腰を上げ、真が扇状に広がる海をバックに立ち上がる。どこか態度はソワソワとしていた。文が親指と人差し指で丸を作り、オーケーサインを送ると真は左手を腰に掛け、右手でピースサインを作ってみせる。

 

 表情が少し堅いことを不満に思ったのか、文が少し顔を顰めるが、しょうがないと言った感じに苦笑いを浮かべシャッターを切る合図を送る。

 

 

「いきますよ~はい、笑ってください」

 

 カシャリ、と古臭いシャッター音をきる音が空に響いた。

 

 

 

     ☛     ⇒     →     ☂

 

 

 一定のリズムで揺れる電車内で文は一枚の写真を眺めていた。

 

 暗く、月光の反射する海と数々の星空をバックに、照れくさそうな表情を浮かべながらぎこちない笑顔をこちらに向ける真の姿。

 

 正面からたっぷり視姦するように眺めた後、今度はその写真を上に掲げ眺める。電車内には人は少なく、居たとしても眠っている者が殆どの為、人の目を気にしないで写真を眺められていた。

 

 最後にもう一度正面からじっとり眺めた後、隣の座席に優しく置き、リラックスするように椅子の背もたれを倒す。電車の揺れに半拍遅れて体が揺れる。

 

 文は正面で眠っている真の姿を見て小さな笑いを零した。

 

 さっき砂浜で寝たばっかりなのに、いやあの時は寝た、と言うより意識を失った(・・・・・・)と言った方が正しいのか。小さな笑いが知らず知らずに苦笑いに変わる。

 

 それにしても、あんな風に怒るんだ。胸ぐらを掴まれた場所を文は嬉しそうに摩ってみせる。

 

 文は何気なく車窓の外を眺めてみた。行きは明るく、何もかもが眩しく見えたのに、帰りは暗く、何も見えない。見えるとしたらたまに街灯に照らされた道端ぐらいだった。

 

 明るく見えるそれも、時が経てば暗く染まる。まるで自分の心境じゃないか。と自虐にも似た笑みを零した。

 

 自分は、彼にとってどう見えているのだろうか。私は四六時中それを考えてばっかりだ。どういった自分を振る舞えば彼に喜んでもらえるのだろう、どんなことをすれば彼に喜んでもらえるのだろう。

 

 肘掛けに肘を立てながら頬杖を作る。目の前には安らかそうに眠る真の姿、文はそれを眺めると無意識に隣の座席にある写真機へと手を伸ばした。古臭いシャッター音が電車内に響く、真が起きないかヒヤヒヤとしたが、その心配は無いようだ。

 

 すぐに現像された写真を手に取る。写真には目の前にいる真の姿を完璧に真似た絵が写っていた。

 

 つくづく自分はおかしいな、と思う。まさか隠し撮りが趣味だなんて、目の前で眠る彼にバレたらなんて言われるだろうか。罵られる? 殴られる? それならそれでいい、ただ嫌われさえしなければ。

 

 自分が狂っているなんてことはわかっている。だけど、私はただ、彼に愛されたいだけなんだ。

 

 真の寝顔が写った写真を隣の座席に投げ込み、外を見やる。外は先程と変わらない、真っ黒い風景が変わらず映っていた。

 

 

 

 




まじかるー。

最近ほんと咳が酷い。苦しいです。
というかこっちの小説全く投稿してなくて色々と忘れてました。設定とか。
恐らく明日もこっちを投稿すると思います。


(まじかるー)


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十一月二十三日 遊園地のジェットコースター

 

 

 秋のそよ風は冷たく、身体を冷やすにはちょうどよかった。額からは汗が滲み出ており、背中に張り付いた洋服がなんとも言えない不快感を感じさせる。

 

 まさか、こんな季節に大汗をかくとは思わなかった。真は道の端にあるベンチでぐったりと体をだらけさせながら洋服の胸元をパタパタと仰いでみせる。ベンチの背もたれで片腕を掛けながら溜息を吐き、目線は遥か上空へと向けられた。

 

 雲は見えるが淀み一つない青空、ジェット機から作られたのか、一直線に伸びる飛行機雲が見られた。遠くから聞こえるざわめき声に顔を顰める。全く、静かに出来ないのか。心の中でそう悪態を吐き、頭をわしゃわしゃと片手で強く掻いてみる。

 

 それでも絶えないざわめきに、更なる怒りが蓄積された。少しでも怒りを発散しなければ、そう思い片足を上下に細かく揺すってみせる。が、余り効果は無いようで、数十回程一定のリズムで揺すった後動きを止め、深く長い溜息を零した。

 

 

「そう何度も溜息を零すと、幸せが逃げちゃいますよ?」

 

 不意に後ろから聞こえた、聞き慣れた彼女の声。背もたれにだらりとだらけさせながら、顔だけを後ろに倒すと文の顔が見える。

 

 

「疲れたんだよ、お前のせいで」

「ちょっとしたランニングになったでしょう? それならそれでいいじゃないですか」

「お前のポジティブ思考が羨ましいよ」

 

 自然な流れで真の隣に座る文、両手には冷えた缶ジュースが握られていた。真はそれを手を伸ばし奪い取るなり、慣れた手つきでタブを押し、スコアを開けるとほぼ垂直に立てた状態でジュースを喉に流し込んだ。

 

 炭酸飲料などではなく、果汁四十パーセントのオレンジジュースはやや刺激に欠けるも、それを補う何かがあった。250mlの縦に長い缶ジュースの約半分を一気に飲み干すと満足そうな溜息を零す。続けてもう一度喉に流し込むと、中身は空になった。

 

 長いランニングによって乾いた喉は殆ど癒えた。もう少し無いかと缶を横に軽く振ってみせるが、液体がぶつかる軽めな音は鳴らなかった。しょうがないと言った感じに空になった空き缶をそっとベンチの左隣に置くと、何気なく文の方を見やる。

 

 文は真の飲みっぷりとは比べ物にならなく、苦そうにチビチビと缶ジュースを口に付けては離していた。その表情はまるで罰ゲームを受けているのか、と思える程の顰めっ面。

 

 

「………なに、苦いの?」あまりの顰めっ面に真自身の表情までもが歪む。

「いや、苦いと言うか、味が薄いんですよね」

 

 文は参った感じに苦笑いを浮かべる。彼女がこの世界に来て結構な日にちが経つが、まだこの世界で作られた飲料水や既に出来上がった食べ物(チョコレートは除く)は好まないようだ。

 

 

「それよりも、遊園地楽しみですね」

 

 目を輝かせながら楽しみそうに言ってみせる。その言葉に釣られ真はふと後ろを向いてみた。

 

 後ろに見えた景色の先には様々な乗り物などの遊具。雲の向こうまで付きそうに高いジェットコースターや大きな車輪状のフレームの周囲にゴンドラを取り付けた観覧車。入口にある大きな看板には『山々(やまやま)テーマパーク』と書かれている。名前の由来は周辺に山が連なっていることから来ているらしい。なんとも単純な由来だろうと思う。

 

 

「確かに楽しみだけど、俺は道中でもう疲れたよ」頭を片手で支えながら俯き加減で真が言った。

「結構走りましたもんね真さん」

「誰のせいだと――――はぁ、怒る気も失せた」

 

 反省の色無しの文を見て、真は諦めたように溜息を零した。まさか、遊園地に行く途中であの警官を見るとは思わなかった。更に、向こうも文の顔を覚えてるときたのだから、面倒臭い。おかげで、逃げる羽目になったじゃないか。真は心中で舌を打った。

 

 それにしても、と思う。まさか、自分の住んでいる家からこんなに近い場所に遊園地があったなんて、知らなかった。普段自分の行動範囲が狭い為かはわからないが、文に一矢報われたようで、悔しい気持ちになる。

 

 

「まぁ、遊園地に早く行きたければ、手に持つそのジュースを全部飲み干してからだな」

 

 文に笑顔を向け真が言うと、彼女は縦に長いオレンジジュースをげんなりとした表情で見つめた。

 

 

 

     →     ⇒     ☝     ↑

 

 

 実際に遊園地の中に入ってみると、意外にも広いものだと思う。入口に入ったばかりだと言うのに、楽しそうに話す人々の姿がチラホラと見え、左右には早速遊具が見えた。真は何気なく手に持つパンフレットに目を通してみる。紙製のパンフレットには1から35辺りまでの数が振られており、全てを回るには中々の時間が必要そうだ。

 

 一応今回に買ったチケットは『乗り物乗り放題チケット』という訳で、全ての乗り物を回ることは出来るには出来るのだが。夏にはプールもやっているらしいが、やはりこの季節では案の定やっていないようで、惜しい気もする。

 

 

「いや~遊園地、一度行ってみたかったんですよね」

 

 真がパンフレットに目を通していると、文がこれでもか、と思える程に目を輝かせ辺りを見回す。

 

 

「俺も遊園地行ったのは久しぶりだな、最初に乗りたいのとかあんの?」

「それじゃあ、やはり定番のあれでしょう!」

 

 はしゃぎながら指を指した先には、歪曲したレールの先を物凄い速さで駆け巡るコースターの姿があった。一番最初から、飛ばしすぎじゃないかと真は思う。だが、最早文はジェットコースターに乗る気満々らしく、気付けば多くの人が並ぶ列の最後尾に並んでいた。

 

 どうやら、自分の意見は聞かないらしい。仕方がないと言った感じに真は溜息を吐きながら文の横に並ぶ。

 

 

「楽しみですね、―――にしても人多すぎやしませんか」

「確かにな、これじゃああと二十分はかかるぞ」

 

 左右二つに掛かった銀色のチェーンが道案内をするように、チェーンの間には多くの人が並んでいた。真達は未だ、階段にも登れずに少しずつ前に進むだけ。五分経った辺りで文が腕を組みながら人差し指をトントンと、一定のリズムで動かしていた。

 

 いくらなんでも、苛つくのが早すぎるだろう。その様子を見て真はただ、早く付いてくれと願うばかりだった。

 

 

「…………遅すぎやしませんかねぇ」

 

 十分程が経った辺りでやっと鉄製の階段に登れた。すると文が怒気を含めた声色で言ってくる。

 

 

「まぁ、待つ時間も楽しむものだぞ。次どこ行くか今のうちに決めておこうか」

 

 ここで愚図られても困るだけだ、そう思ったのか真は笑顔で文の面倒をする。パンフレットを広げると、目の端で足を細かく揺する光景が見られた。彼女が足を揺すると共に、半拍遅れで文の着ている桃色のミニスカートが揺れる。

 

 ようやく階段の中腹辺りに来た頃に、文が小さな声で呟いた。

 

 

「前に居る人間吹き飛ばそうかしら」

「いや、絶対にやめてくれ」

「冗談に決まってるじゃないですか真さん」

 

 文の言葉に真は言葉を返せず、苦笑いに似た笑いを見せつける。冗談だと、いいんだけどな。彼は彼女の瞳が笑っていなことに気づき、脂汗が滲むのを感じる。真のパンフレットを持つ指が僅かに震えた辺りに、ようやく順番が来たらしく従業員に案内される。

 

 やっと、文から開放される。真は内心でほっとすると、緑色の服と立派な大樹のロゴが書かれた帽子を被る従業員に言われた通りに、上にあげられた赤色のレバーを下に降ろすと、隣に座る彼女が口を開く。

 

 

「なんだがドキドキしてきましたよ、緊張って奴ですかね」

 

 笑顔でそう言う彼女に真は共感を覚えた。実際に彼も久々に来る遊園地に、逸る気持ちを抑えられなかった。早く動け、早く動けと心の中で何度も念じる。無意識に体にがっちりと固定されたレバーを握り締める手が強まった。

 

 従業員の安全点検の為レバーがちゃんと固定されているか確かめられる。だが、真はそんなものは意にも返さず視点は真正面を捉えていた。

 

 

「それじゃあ出発進行三秒前!!」

 

 不意に聞こえたマイクで拡散された女性の大きな声が空に響き渡る。来た、真は心の中で歓喜した。何気なく文の方を見やる。彼女もこれから起こる出来事を楽しみに思っているのか、頬を緩ませていた。

 

 二、一。刻々と刻まれるカウントダウン。ゼロ――――。ガタン、そんな音がした。

 

 

「それじゃあ、お空の世界に行ってらっしゃ~い」

 

 女性の悠長な声が聞こえると共にコースターがゆったりとした動きで上にあがる。下方の方から聞こえてくる高いチェーンリフトの音が、真の心中を盛り上がらせた。ゆったりと焦らすように上がるコースターは、気付けば中腹の辺りにまで来ており、自分らを見上げる人々が小さく見える。

 

 もうすぐ来るぞ、緊張と笑みが混ざったような表情を浮かべ、小さく呟いた。顔を横にずらし隣を見ると、小柄な体をがっしりと掴んだレバーを握り締め、文が嬉しそうに口元を噛み締めていた。

 

 視線を前方に戻す。前方に見えたのは青空、もうすぐでこのコースターは物凄いスピードで落下するぞ。そう思うと息が荒くなるのを感じる。コースターが頂点に達するも束の間、キャラメルバックの登りを超え、浮遊感(エアタイム)を感じる。

 

 物凄い速さで下方へと身を降ろすコースターに乗客の絶叫が聞こえた。落下と共に生じる後方への強いGによって体がふわり、と浮いた気がする。次々と変わる景色を楽しみ、ジェットコースター本来にあるスリルを楽しんだ。

 

 キャラメルバックを超えた先には螺旋状に360度回転するコークスクリューを、次には構造物にぶち当たりそうなサイクロンを。様々な工夫がこなされたそれらは、全く真を飽きさせなかった。

 

 ガコン、と何かに引っかかる音を発し、コースターの速度が落ちる。二分かそこいらの短い時間だったが、真には多大なスリルを与えたようで、荒い呼吸を漏らしながら顔を横に強く振って見せる。

 

 コースターの動きが完全に止まり、お馴染みの女性の悠長な声が聞こえた。

 

 

「足元にお気をつけて下さい」

 

 その声と共にレバーが自動で上にあがる。よろめいた歩調で荷物置き場に移動された、肩掛けカバンを肩に掛け、階段を降りる。

 

 未だあの浮遊感が拭い取れていないのか、頭を何度も横に振り、感覚を取り戻そうと努力するも、中々に取り戻せない。真は、半ば興奮した感じに文の方を振り向くとおや、と思う。

 

 

「どうしたんだよ、そんな浮かない顔して」

 

 期待外れだ、と言わんばかりに眉間に皺を寄せ、溜息を零す文の仕草を不思議に思い、声をかける。

 

 

「いやぁ、普段は私もっと早く飛んでいるので、あのコースターが物凄く遅く感じるんですよね」

 

 頬を人差し指で掻きながら苦笑いを浮かべる文。ならば、何故ジェットコースターを選択したんだ。その言葉が喉まで出てくるが飲み込んだ。

 

 そんなことを言ったら、この遊園地にある絶叫系全部駄目じゃないか。真は呟いた。折角、フリーフォールも楽しみにしていたのに、と。

 

 

 

 

 



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正午 疑問に思う違和感

 

 次に何を乗るか決めるべく、真は道を歩きながら遊園地のパンフレットを広げ、頭を悩ましていた。

 

 絶叫系が駄目になってしまった今、候補に挙がったのは犬屋敷というお化け屋敷、迷宮迷路という脱出系アトラクション、エイリアンシューターと言った射撃アトラクションの三つ。観覧車も挙げられたが、やはり最後に乗らないとあまり味気ないと思い、没になった。

 

 どれも魅力的な物ばかりで、真の頭を更に悩ませた。何とはなしに隣を同じ歩調で歩きながら、幸せそうにチョコレートアイスクリームを頬張る文の姿を見やる。

 

 相変わらず、アイスクリームは好きなんだな。知らず知らずに真の頬が緩んだのが見えた。買ったばかりで溶ける心配はまだ無いとは思うが、文が上に着る白色のロング丈Tシャツに零したらと思うと、ゾッとする。

 

 

「なぁ文、この三つの中で何が乗りたい?」

 

 自分一人では決められないと悟ったのか、パンフレットを文の方に寄せそう言うと、さして興味も無さげに目線だけを真の手元に向けた。通行人の邪魔にならないように、自動販売機が置いてある道の端に移動すると、彼女は壁に寄りかかりながらアイスクリームをひと舐めして、口の周りを濃い茶色に染め上げながら言った。

 

 

「どれでもいいですよ」

 

 興味が無いと言わんばかりのその表情に、真から溜息が零れた。どうやら今現在文は、手に持つチョコレートアイスクリーム以外の森羅万象は興味が全く無いようだ。しょうがないと言った感じに頭を掻き、一人でパンフレットに目を通す。

 

 挙げられた候補の中でこの場から一番近いアトラクションは、迷宮迷路だった。このままうじうじと優柔不断に考えたって致し方がない、真は白の線が入った黒色のチェックチノパンの後ろポケットから長財布を取り出すと、右隣にある自動販売機と向かい合い、小銭を入れる。

 

 抵抗もせずに小銭を飲み込んだ自販機は、嬉しそうに各種ドリンクのボタンを点灯させた。三十種類程のドリンクの中、迷わず真は上段にあるボタンの一つを押す。ガコン、と何かが落下するような音が聞こえた。

 

 取り出し口に手を入れると目的の物を掴む。真はペットボトル容器のスポーツドリンクを肩掛けカバンの中に入れると、無我夢中に壁に寄りかかりコーンを頬張る文を手招きする。

 

 文は小走りで真の隣に寄ると、コーンを口に咥えながら、頭を前後に振って見せた。鳥の真似事か? 彼は心中で微笑むと「食べ物で遊ぶな」とだけ言い空を見上げる。

 

 空はベンチで見上げた時と変わらない、雲が浮かぶ淀み一つない青空だった。

 

 

 

    

 

 

 十五分も並んだのに、さして面白くもなかったな。古びれた建物の退出口を歩きながら、真は言葉にせず、心中で呟いた。

 

 並ぶときに見えた、舞台である古びれた古城を目の当たりにした時は大いに期待をしたが、その期待を裏切るように迷路の構造は単純で、五分程でクリアしてしまった。肩掛けカバンの中からスポーツドリンクを手に取るとペットボトルキャップを外し、口の中に流し込む。

 

 

「楽しかったですね迷路」

 

 ペットボトルをカバンの中に仕舞うと文が笑顔で話しかけてくる。

 

 

「そうか? すぐに出口にたどり着いたから、あまり面白くはなかったな」

「道中にあったクイズ出題とか、面白かったじゃないですか」

「まぁ、楽しかったかどうかなんて人それぞれだしな。お前が面白かったと思うんだったら、それでいいんじゃないか?」

 

 少なくとも俺は、楽しくなかった。そう心中で呟くと文は腕を組み、片手だけを顎に添え「そうですよね」と何度か頷いてみせる。

 

 さて、お次は何にしようか。最早見慣れてしまったパンフレットを大きく開き、お化け屋敷と射撃アトラクションを交互に見やる。この場から一番近いのは犬屋敷、まずは近い所から潰そうと思い、目的地をお化け屋敷に決め、文を方を向くとおや、と思う。

 

 

「なに見てるんだ文?」

 

 一点をじっと見る文を不思議に思い、真が声をかける。外に出たとはいえまだここはアトラクションの退出口、こんな場所で止まっては邪魔だろう。

 

 

「真さん、あれ」

「え? お、なんだあれ」

 

 文が指を指した先には青空の下、赤色や青色の全身タイツを着た人が、黒色の、これまた全身タイツを着る数十名の人と舞台上で戦っている光景が見られた。恐らく、何かのイベントだろう。そう考えると文が好奇心を含んだ声色で言った。

 

 

「真さん、あれ見に行きましょうよ」

「いや、でもあれって子供向けのイベントじゃん」

 

 流石に子供が興奮しながら声を上げるあの群衆の中、自分が行くのは恥ずかしいのだが。そう口にしようとするも、気付けば文の姿は消え失せていた。

 

 まさかと思い、舞台の方へと目を向けると案の定、文が笑顔で真に向かい、大きく手を振って見せる。有無を言わさぬこの行動に彼は、少しの感動を覚える。

 

 

「はぁ、本当に、振り回されっぱなしだな、俺」

 

 だけど、それも悪くない。そう呟いた自分が居る。真は面倒そうに溜息を吐くと、目的地をお化け屋敷から大きく手を振る文へと移した。

 

 

    

 

 

 物語はもう中盤に差し掛かっているのか、既に舞台の辺りを囲んでいた子供達は様々な歓声を舞台上へと投げ込んでいた。そのうるさすぎる歓声をうざったく思うも、昔の自分もこんな感じだったのか、と思う。一先ず文が座るパイプ椅子の隣にそっと腰を降ろすと、それに気付き文が笑った。

 

 

「結局来るんじゃないですか、実は真さんも気になっていたんでしょう」

「お前が有無も言わさず突っ走ったから、来る羽目になったんじゃねぇか」

 

 手に持つパンフレットを丸めコツン、と文の頭を叩く。

 

 

「これが俗に言う戦隊物って奴ですよね、真さんと一緒に見てみたかったんですよ」

「戦隊物、なんて言葉どこから拾ったんだよ」

「さぁ、どこでしょうかね」

 

 何かを含むその物言いに真は違和感を感じた。文の笑顔が少し曇った、ということもあるが、何よりも自分の中の何かがその言葉を訴えるような、妙な感覚。文の言葉の真意を追求しようと試みるが、彼が口を開くと同時に聞こえた子供らの声に、真の声はかき消された。

 

 少しは静かに出来ないのかと思い、眉に皺を寄せながら目線を舞台の方へ移すと、舞台の上にはラスボスと言わんばかりの風体をした人型の怪獣が現れる。その姿を見るなり更なる違和感が真の頭を襲いかかった。

 

 頭が少し痛む。もう一度舞台へと目をやると、先程と変わらない風体をした怪獣が、野太い声で何かを叫んでいた。この光景をどこかで見たことがある、デジャブにも似た違和感に、真が更に深く、眉間に皺を寄せる。

 

 茶色のゴツゴツとした体、黄色に黒い横の線が入った瞳、二本の尖った角、ハサミのような両手。自分はこの怪獣をどこかで、一度ではなく何度も見たことがあるぞ。悩むように頭を両手で抱えながら記憶の中を探るが、目的の物は出てこない。どこかで、どこかで見たことがあるんだ。どこかで――――。

 

 

「真さん、大丈夫ですか?」

 

 その言葉にふと我に帰る。頭を上げ辺りを見渡すと、歓声を上げていた子供らの幼い声はパタリと聞こえなくなり、パイプ椅子に座る人物は真と、その隣を心配そうな顔持ちでじっと見つめる文だけだった。

 

 どうやら自分は、長い時間頭を悩ませていたらしい。そう気付くのに数秒の時間を要した。時間を確認すべく、文の言葉を後回しにし、愛用のゼブラパーカーのポケットから携帯を取り出す。ホームボタンを押すとロック画面には緑の立派な山と共に、デジタルで12;30分と表記される。

 

 自分は十分近く頭を抱えていたのか。溜息を零すと小腹が空いたことに気づく。携帯をポケットの中に仕舞い、腰を上げると共に真が言った。

 

 

「なんでもない、丁度いい時間だし昼ご飯を食べよう」

 

 真の言葉に文が賛成したように勢いよく立ち上がる。パンフレットを開き、彼は違和感について考えるのをやめた。

 

 

     

 

 

 ガヤガヤとざわめく店内の中、真はラーメンを、文は八個入りのたこ焼きを食していた。

 

 やはり日曜だからか、遊園地の直に属したファミレスはかなり混んでおり、席は全て埋まっている。早めに来ておいて正解だったな、と真は内心ほくそ笑んだ。

 

 テーブル席に腰を降ろしながら、次には何を乗ろうか考えるべく、パンフレットを見ながら麺を一啜りすると白色の手がぬっと伸ばされ、白色の机に広げられたパンフレットを奪われる。

 

 

「見ながら食べるのは行儀が悪いですよ」

 

 腕を組みながらパンフレットを片手に持ち、文が言った。奪われたことに真がむっした表情を浮かべるが、正論だと思い、縦に長いグラスに注がれたオレンジジュースをストローから飲み込む。

 

 

「それはそうと、それ(たこ焼き)、美味しいの?」

「うーん、まぁまぁですかね。私が作った方が美味しいですけど」

 

 そう言いながら三つ目のたこ焼きを口の中に投げ込む文を見て、真が笑った。声に出すようなものではなく、幸せそうな微笑みを。麺を啜りながら他愛ない話をする中、彼はふと一つの疑問に囚われた。彼女にとっては至極どうでもいいことかもしれない、だが、真にとってはまた一つの疑問が増えたことを快くは思わない。

 

 何故だろう。真はスープをれんげに汲み、飲み干した。考えてもわからない疑問がまた一つ増える。ここで文に聞いた方がいいだろうか、そう思い彼は机の上で肘を立て、れんげを盆の上に乗せ頬杖を立てながら口を開く。

 

 

「なぁ、文ってさ、どうして俺の家庭事情とか聞かないの?」

 

 そう言うとファミレスの店内がしんと静まり返った気がした。

 

 

 

 

 ”文”。私の名前を呼ぶ彼の声色は真剣そのものだった。なんだと思い顔を上げると一つの質問が投げられる。

 

 ああ、それか――――心中で不快そうに舌打ちを打ってしまう。いつかその質問を投げられる時は来るだろうな、と一応の心構えはしておいたけど、いざとなって聞くとなると結構来るものがある。

 

 折角彼と楽しんでいたのに、その話題が出されるとなると興醒めだ。グラスに入った味の薄いオレンジジュースを一飲みすると、溜息を吐きたい気持ちを押さえ込み、笑顔(・・)で言葉を返す。

 

 

「別に聞くものでもないでしょう、私は居候の身なんですから、真さんの辛い事情なんて聞きませんよ」

 

 これが一番の返し方の筈だ。そう思ったが、彼の表情は更に険しくなった。眉間に皺を寄せるその仕草に少し焦ってしまう。もしかしたら気分を害してしまったのかと。

 

 暫しの沈黙。彼は口を開かずに、聞いていいのか迷っている素振りをして見せる。数秒間の沈黙だったが、自分にとっては数時間程の長い沈黙に感じられた。店内から聞こえてくる笑い声が耳に障った。自然に拳を強く握り締めてしまう。少しすると彼が癖にもなった溜息を零し、言った。

 

 

「なんで、辛い出来事だってわかるんだ」

 

 彼の重い口振りにしまった、と思う。単純なミス程しやすい物はない、自分でもそれはわかっていたが、このタイミングでしてしまうとは。自分の愚かさを呪うしかない。

 

 ここは茶化してやり過ごすべきか、それともちゃんと対応してやり過ごすべきなのか。この秘密だけは彼にバレでもしたらいけないのだから、慎重に考えないと。

 

 

「勘って奴ですかね、ほら、私伊達に長い時間生きていないんで」

 

 やはり茶化しながらやり過ごすべきだろう、そう思い笑顔を作りながら言って見せるが、頬がヒクヒクと引きつってしまうのを感じる。彼はまたも頬杖を立てながら考えてみるが、これ以上追求しても仕方がない、とでも思ったのか両目をぎゅっと瞑ってから口を開く。

 

 

「勘、か。そうだな、やっぱり長い時間生きているだけあるな、文」

 

 長い時間生きている、という言葉にむっとするが、彼の”文”という言葉が軽くなったのを感じ取り、許すことにする。これ以上ボロを出さない為に彼の言葉を笑顔で返し、箸でたこ焼きを取ろうとするが、木製の濃い茶色の箸はたこ焼きではなく空を取った。

 

 疑問に思い、たこ焼きがあった皿を覗き込むと自分はいつの間にか完食していたことに気付く。焦りすぎね。心中で小さくそう呟いてから彼の方を見やると彼も完食し終わったのか、暇そうに氷だけが入ったグラスをストローでかき回していた。

 

 子供のような仕草に昔と全く変わっていないな、と内心嬉しくなってしまう。それにしても、と思う。先程は危なかった、これからはもう少し慎重に言葉選びをしなければ。もしこのことが彼に悟られでもしたら、彼は絶対に私を見捨てるだろう。そう考えると体の芯が震えてしまう。

 

 本当にバレなくてよかったと思う。私が彼の家族を殺した(・・・・・・)ことがバレなくて。

 

 

 

 

 




やっとこさ掛け布団が届きました。

今まで寝袋に包まり寝ていた私にとっては冬はとても寒いものでして……。
掛け布団が物凄く暖かいです。


(更新速度が早まった私を誰か褒めて、次回の更新結構先になりそうですけど)


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午後四時四十五分 白い世界と眩い世界

 

 

 楽しい時間程過ぎるのは早いもの。時刻はもう四時を過ぎ、最早冬ということも相まってか、辺りはすっかり薄暗くなってしまった。

 

 数時間前までは青空だったと言うのに、早すぎる日の沈みに真はぼんやりと歩を進めながら空を見上げる。口で息をする度に水蒸気化した吐息が白くなり、空へ昇っていった。

 

 寒いな。小さく真は呟いた。自分らの少し前には街灯に照らされた、マフラーを首に巻いた男女や、六歳程の子供をその母と父が挟むように手を繋ぐ光景が見られる。どの人物も悩みがまるで無いような、幸せな表情を浮かべている。

 

 道の端に生えた幾つかの木が、冬の訪れを感じさせるように冷風に吹かれ、枝の先に生やす元の色を脱色した葉を舞い散らせた。最後に一つだけ乗っていこうとでも思ったのか、どのアトラクション遊具も人が並んでおり、白い息を漏らしながら連れに笑顔を向けている。

 

 ゼプラパーカーからタッチ式携帯を取り出す。時刻は4:45分を指しており、どこからともなく懐かしのメロディを鳴らしてくる。ふと子供の頃を思い浮かべた。

 

 小さい頃はどこかしらの山で友人達と秘密基地を作っていたっけな。その秘密基地も今では恐らく、悪ふざけが好きな子供やホームレス辺りに壊されていると思うが。白い息を吐きながら昔の友人を思い出そうとするが、やはり昔のことだからかあやふやとしか覚えていない。

 

 確か小学生の頃はガキ大将気質がある坊主頭の男と、どうでもいいうんちく話が大好きな面倒臭い男と、あと一人居た気がするのだが忘れてしまった。しみじみと感慨深い表情を浮かべながら真は、手に持った携帯をポケットに仕舞う。

 

 まだ、帰るには早いだろう。そもそも、帰ろうと言っても十中八九文が駄々を捏ねることはわかりきっている。右隣を向くと、彼女がゆったりとしたペースで真の隣を歩いていた。風に吹かれる度、冬には似つかない文の桃色のミニスカートや黒の髪が風に靡く。寒くはないのだろうか、そう心配になるがとんだ杞憂だったようで、案外にも本人はケロリとした表情を浮かべている。

 

 寒くはないのに、吐く息は白いのな。鴉天狗(彼女)の構造はどうなっているのだと不思議に思うと、真の視線に気付いたのか文が目を合わせた。

 

 

「どうしたんです真さん?」

「いや、なんでもない」

 

 貴方の体の構造はどうなっているのですか? なんてことを聞ける筈もなく、真は誤魔化すように首を横に振って見せる。

 

 このままただ歩いているだけなのは些か面白味に欠ける。どこか面白そうなものはないかと、辺りを見回すように探し見るそんな中、ふと視線は一箇所に注がれた。遠目で良くは見えないが、ポツンと寂しく立った一本の街灯に照らされているそれは、安っぽいホラーゲームに出てきそうな気さえする。

 

 冷たく吹く冬風はまるで、自分らをその建物に近づかせない為に吹かれるようだった。風に舞い、薄い闇の中をヒラヒラと落ち行く落葉を見てまたも既視感を覚える。一体、どうなっているんだ。真は困惑しながらも一本の街灯に寂しく照らされる建物へ、着実に歩を進めていく。

 

 段々と近づくに連れ顕になっていくそれは、少しだけ寂れたゲームセンターだった。周りにはアトラクション遊具等はなく、あるのは左右対称にゲームセンターよりも少し背の高い木が横に並んでいるのみ。何故こんな辺境の地に寂しく立っているのか、真は疑問を表すように首を傾げた。

 

 

「真さん、こんな寂れた建物に何か用でもあるんですか?」

 

 隣に居る文が訝しげな表情を浮かべながら言ってくる。腰を曲げ、真の顔を覗き込むようにして見せる彼女の赤い瞳には、呆然と立ち尽くす彼の姿が映った。

 

 

「………真さん?」

「あ、ああ。すまんボーっとしてた。なんだ文?」

「だからこんな場所に………ああもういいです。二度言うことでも無いですし」

 

 腰に手をやり、文は肩を竦めながら呆れた表情で首を横に振る。ズキリ。その仕草を見るなり頭に鈍痛が走った。どこかで俺は、先程の一連のやり取りを、したことがある。

 

 自分の頭の中に甲高い音のアラートが鳴り響き始めた。これより先は立ち入り禁止、と言わんばかりの警報に思わず顔を顰める。鼓膜の真隣で鳴り響くソレは耳を塞いでも防ぎきれず、自然と耳を押さえる指元に強い力が入った。

 

 痛い。まるで金属製のバットで頭を殴られているようだ。止まない鈍痛に堪らず真は、耳元を強く塞ぎながら膝下から崩れ落ちる。膝を強くコンクリートにぶつけたせいか、膝元にも鈍い痛みがやってきた。だが、頭の中を走り回る痛みと比べれば優しいもので、膝の痛みには一瞥もくれず彼は耳元を握り締める。

 

 うるさい、痛い。いっそ耳を削ぎ落とした方が楽になれるかもしれない。そう思える程の痛みが走り回る中、風鈴にも似た綺麗な声が聞こえてくる。聞き慣れた彼女()の声だ。彼女の優しい声が耳に入るなり、忽ちに頭をガンガンと強く鳴らす耳障りなアラート音をかき消してくれた。

 

 助かった。息を荒げながら真は、文に礼を言おうと顔を上げる。が、目の前に彼女の姿は無かった。

 

 彼女の姿は疎か、先程まで広がっていた薄い闇と寂れたゲームセンターまでもが姿を消し、周りは色を失ったのかと錯覚する程の白色が広がっている。

 

 右を向いてみる、白だ。左を向いてみる、白だ。後ろを向いてみる、白だ。体全体を動かし辺りを見回すも、白色以外の色は見つからない。一体何が起きているんだ、ここから出してくれ。非現実的な目の前に、真は叫ぼうと腹に力を込め、鋭い声を喉から出そうと試みるが、彼の心中とは裏腹に、喉からは何も出なかった。

 

 何度叫ぼうとも、声は聞こえない。不意に真は苦しそうに咳き込む。だが、音は聞こえない。そこで彼は気付いた、喉は最も、自分の嗅覚や聴覚、触覚すらも使い物にならないことを。

 

 指先に唾を付け、嗅いでみるも何も臭わない。手を強く叩いてみるも何も聞こえない。自分が立っているであろう地に手を擦ってみるも何も感じられない。使い物になるのは”目”と自らの”感情”のみ。唐突な、いきなりの出来事に真は両腕で自らを抱き、体を震わせる。

 

 怖い、助けてくれ。身に襲いかかる絶大なる恐怖に思わず腰が抜ける。足が竦み、一歩も踏み出すことが出来ない。自分は、永遠にこの意味のわからない空間を彷徨うことになるのか? そう考えると気が狂いそうになった。

 

 どれくらいこの状態が続いたのだろう。実際には数十秒の筈だが、真には数日経ったのかと思える程だった。しゃがみ込み、震える身を押さえつけふと上を向く。もしかしたら何かが変わっているのかもしれない、そんな淡い期待を込めるが、目の前は相も変わらず白色が続く。

 

 恐怖と落胆が混ざったような表情を浮かべると、真の頭上に影が差した。思わず身を跳ねさせ、前方にヘッドスライディングのようなダイブを決め込む、痛みは全く感じられなかった。

 

 恐る恐ると言った感じに後ろを向くと、白い景色をバックに、『Keep Out』と黒い文字で書かれた黄色いビニールテープが、何重にも張り巡らされた茶色い扉が見える。どこか年季を感じさせる古臭い木製の扉を前に、真は腰を地に付けながらただ呆然としていた。

 

 警官が現場を隔離する時に使うようなビニールテープに張り巡らされた扉は、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。無意識に一歩後退すると、またも脳内にアラートが鳴り響いた。ちくしょう。そう悪態を吐き、一歩前に踏み出すとアラートは止んだ。

 

 チャレンジ オア フィアー(挑戦 か 恐怖)、どちらを選ぶ。野太い声が脳内に響いた。ちくしょう。真は心の中でもう一回そう叫ぶと、黄色のビニールテープに手を掛け、無我夢中に剥がし続ける。

 

 どけ、邪魔をするな。扉を塞いでいたビニールテープは姿を消し、無残に地へと舞い散った。荒い呼吸を吐きながら、金色のドアノブに手を掛ける。

 

 もう、どうなってもいい。そんな気持ちで自棄糞にドアノブを回し、扉を開け――――

 

 

「真さん!!」

 

 目の前には、真の名前を呼ぶ文の姿があった。

 

 

 

 

 息苦しい。目の前が滲み、コンクリートの地面には幾つかの水滴が滴り、ポツポツと鼠色の地面を黒く染めていた。頬に手をやると、自分が泣いていることに気付く。

 

 文の後ろを通る通行人の大体は、真の姿を奇異の目や好奇の目で見ており、少しだけ彼らに目をやると、興味を失ったように道の向こうへと消えていった。先程に見た白色の世界は消えてなくなり、目の前には心配そうな、今にも泣き出しそうな文の姿に、薄暗い闇と、闇を照らし出す街灯と、寂れたゲームセンターが見える。

 

 ああ、自分はこの世界に帰ってこれたのか。そう気付くまで数十秒掛かった。

 

 

「大丈夫ですか、真さん」

 

 心配そうな表情を浮かべ、文がしゃがみこんでいる真の顔を覗く。

 

 

「ああ、大丈夫。心配かけてごめん」

「そう………ですか。ならいいんですが」

 

 真の言葉が見栄を張っていることは一目瞭然だった。顔は青白く染まり、手は震え、肩を震わせ何度もしゃくり上げ、彼の黒い瞳には大量の涙が流れ落ちているのだから。

 

 余計な詮索はせず、そっとしておく。それが文の出した結論なのか、少しの溜めを作りそう言った。文の適切な気遣いを感謝しつつ真は目元を手で拭う。

 

 色を取り戻した世界は美しく、思わず見入ってしまう。数分の出来事だと言うのに、白以外の色を見るのは酷く久しぶりに感じられた。呆然と地に膝を付けたまま、辺りをじっと見つめる真を、文は何も言わずに目を細めている。

 

 ひんやりと冷たい風が頬をなぞる。自分の体を冷やそうと努力するその風は、心地が良かった。空を眺めると薄らと雲が見え、今にも闇の中へと消えて行きそうだ。

 

 あの世界はなんだったのだろう。雲も風も色も人も何もない空間。あったものは自分と、ビニールテープが張り巡らされた茶色い扉。突然の非現実的な世界は、自分の何かを示しているのかもしれない。

 

 流石にそれはないな、と思う。恐らくあの世界は自分の見間違いだったんだ、きっともう出てこない。今はそう信じたかった。

 

 本日で最大級の溜息を零すと、真は頭を掻きながら立ち上がった。涙はもう流れない。赤く腫れ上がった瞳をうざったそうに手で拭くと、肩掛けカバンの中からポケットティッシュを取り出し鼻をかんだ。

 

 

「最後に観覧車でも行くか、行こうぜ文」

 

 真がそう笑顔で言うと、文は安心したような笑顔を咲かせる。

 

 

「観覧車ですか、いいですね。それじゃあ今すぐ行きましょう」

 

 本当は礼を言いたかった。でも、どこか気恥ずかしくて言えない。真は礼の代わりに文の頭を優しく叩くと、彼女は少しだけ驚いた表情を浮かべ、また笑った。

 

 嬉しそうなその笑顔に、思わず顔を背けてしまう。今の自分の顔はどうなっているのだろうか、きっと赤くなっているのだろう。バレなければいいのだが。

 

 恥ずかしそうに顔を背けると、一本の街灯に照らされ、シャッターの降りているゲームセンターが見えた。

 

 それにしても、と思う。一つだけ気がかりなことがあった。その疑問は小さな物だが、小さな物なだけに気になり始める。まるで歯の間に挟まった小骨のような。

 

 もし、あの扉を開いていたら(・・・・ ・・・・)どうなっていたのだろう。それだけが、酷く気がかりだった。

 

 

 

 

 中点の辺りにまで上がったゴンドラは、大体の建物を見渡せた。地面がゆっくりと離れていくその面白さは、ジェットコースターと似た面白さがあるかもしれない。

 

 遊園地の離れに見える高層マンションは、殆どの明かりが灯りとても綺麗だった。自分の家は見えないかと探してみるが、一軒家の二階建てなど多くの数があり、途中で挫折してしまう。

 

 ゴンドラの中に取り付けられた小さな机に真は頬杖を立てながら、何気なく文の方を見てみる。すると、彼とは反対側の窓にべったりと体を密着させ、外の世界を眺める彼女の姿が見える。その姿は物凄く滑稽だった。

 

 

「文、何もそこまでくっつく必要はないんじゃないか?」

「なにを言っているんです。こうまでしないと、良く見えないでしょうが」

 

 嗜めるようにそう言うと、文は真の方を向き、逆に注意するように人差し指を立てながら顔を近づけた。何故、俺が怒られるんだ。そう理不尽に感じるも、どこか懐かしい気分がする。

 

 またも窓にくっつき始める文の姿を見て、苦笑いが零れた。ゼブラパーカーのポケットから携帯を取り出すと、ホームボタンを押す。ロック画面の上辺りには4:49分を指しており、それを見てそろそろか、と思う。

 

 ゴンドラが頂点に着きそうな辺りに、それは起こった。

 

 パァ、と一斉に遊園地から眩い光が放たれる。この遊園地での醍醐味である、五時に起きる一斉ライトアップだ。パンフレットをよく見といて良かった、と心底思う。

 

 蛍光灯から発せられる小さな灯火などではなく、様々な色の明かりが遊園地全体を照らし出す。だが、真が遊園地全体のライトアップに目をくれたのはほんの少しで、すぐに目を離すと文の方に目線を移した。

 

 さて、どんな表情をしているかな。そう気になり、密かな笑みを作りながら見やると、文は窓に体をくっつけさせ、付けられた机に膝を乗せながら呆けた表情を浮かべる、何ともシュールな彼女の姿が見えた。

 

 思わず真は口に手をやりながら吹き出してしまう。やばい、予想以上だ。本当は今にも大笑いしたい所だが、流石に失礼だろうと思い、心の中で笑い声を上げ、忍び笑いをして見せる。

 

 ゴンドラが頂点に着き、右へ落ちようとする辺りに文は、圧倒されたような表情を浮かべながら大人しく席を着く。この表情が見たかった。真は心中でそう呟き、嬉しそうな笑みを浮かべながら口を開く。

 

 

「只今の心境はどのような感じで?」

「…………何とも言えない、ノーコメントで」

 

 そんな言葉を呆けた表情で言うものだから笑ってしまう。右手で口に手をやり、左手で太ももをつまみ笑い声を抑制する。最近では彼女に振り回されっぱなしだからな、たまには仕返しでもしないと、損ってものだろう。

 

 写真を撮りたい気持ちを抑え込み、視点を遊園地の方に戻す。そこには、先程と変わらない綺麗な光景が映っていた。

 

 

「真さん」

 

 ポツリと文が真の名前を呼ぶ。なんだろう、と気になり彼女へと顔を向けると、外の世界とは比べ物にならない程の笑みを浮かべていた。

 

 

「物凄く綺麗でした、本当にありがとうございます。あの日(・・・)真さんと出会って、心底良かったと思えますよ、これからも一緒に、どこか出かけましょうね」

 

 ―――――反則だろうが。

 

 そんな笑みを浮かべられても、困るんだが。真は顔を恥ずかしげに俯かせ、そう思った。今の自分の顔は、彼女には見せられない。顔を両手で押さえながら心中で弱々しげに、そう呟く。

 

 このままダンマリというのも悪いと思い、目だけを上げ、震える口調で真は言った。

 

 

「…………そうですか、まぁ、俺も少しはそう思うかも」

 

 最後の方は恥ずかし過ぎて、殆ど聞こえなかったと思う。だが、文は真の言葉を一言一句聞き逃さなかったらしく、ポカンとした表情を浮かべると、酷く嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

 

「ありがとうございます、嬉しいですよ、真さん」

 

 ―――――反則だろうが。真はもう一度、心中でそう呟いた。

 

 

 

 



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十一月三十日 日常編① インターネット越しでの恐怖

 

 冷たい空気に体を震わせ、ぼんやりと意識を覚醒させる。目の前には、白い天井が広がっていた。

 

 まだ眠い。うとうととしながら心中で小さく呟くと、寝心地が悪いように体を横向けに倒す。ふかふかのベットと、羽毛布団が強い眠気を誘うが、喉の渇きと部屋の中をひんやりと凍えさせる空気に邪魔をされ、中々寝付けなかった。

 

 愛用の枕の下に手を入れ、再び微睡み始めるも羽毛布団の隙間から入り込む凍えた空気に体を震わせ、しょうがないと言った感じに瞳を半分だけ開く。

 

 もっそりと布団の中から這い出ると、刃の如く鋭い空気が身を突き刺す。その攻撃的な冷たさに、一度だけ体を震わせると窓の外を眺めた。

 

 ガラス製の窓は少しだけ曇り、黒いジャージを上に着る真の姿をうっすらと写した。間抜けそうに瞳を半分だけ開き、寝癖の立ったその姿を。

 

 二階の窓から見る景色は、それ程いいものではなく心は全く躍らない。辺りを青白く染める空は薄い墨汁を零したように薄く濁り、今にも雨が振り出しそうな嫌な天気だった。

 

 窓に指先をそっと触れると、部屋の中に外の風を入れさせないよう努力してくれていたのか、窓はひんやりと氷のように冷たく、指先まで凍えつきそうだ。

 

 すぐに窓から指先を放し、軽く二度三度振ってみせる。空の色の具合から見て今は六時辺りだろうか、青と薄い鼠色が混ざったような空から目を離し、フローリングの床の上に置いてあったタッチ式携帯を手に取る。

 

 手に取った携帯は冷蔵庫に入れてあったのかと思うほど冷たく、携帯の裏側を覆っているプラスチック製の黒い携帯カバーまでもが冷えていた。今日は大分冷え込んでいるな、寒いのは苦手なのに。顔を顰めながらそう言うと、ホームボタンを押す。

 

 予想通り液晶越しの画面は6:20分を指しており、予想が当たったことを少しだけ嬉しく思った。

 

 部屋の中は薄暗く、ドアも締め切っているため光の元は窓から差し込んでくる青白い光しかない。その薄暗闇の中、真はこれから何をしようか、上半身だけを起こし目線を虚空へ向けながら考えていた。

 

 早く起きてしまったせいか、文はきっとまだ起きていないだろう。かと言ってまた寝る気にはならないし………。寝起きで余り纏まらなかった意識も大凡覚醒してきたのか、部屋の中を占める冷たい空気も手伝い、段々と思考がちゃんとした物へと変わっていく。

 

 一先ず、喉を潤してから考えよう。そう思ったのか羽毛布団を片手で剥がし、ベットの向こうへと追いやってから、その重い腰を上げようとした瞬間だった。

 

 金色に輝くレバーハンドルがゆっくりと下に下ろされる。ベットに腰を掛けたまま、訝しげな表情を浮かべ真は扉へと目線を向けた。

 

 ゆっくりと音もなく、静かにレバーが下へと落ち行く。されるがままに少しだけ下方へと下がると、ゆっくりとした動作で今度は、扉が開き始める。

 

 少しの音も立てないその一連の動作には、酷く鍛え上げられたようにも感じられた。扉が半分ほど開くと、一本の白い手がにょきりと現れる。その光景を見て真はただ、ホラー映画の一部始終みたいだな、とだけ思った。

 

 廊下は暗闇に染まり、光の元は先程と変わらず、窓から差し込まれる青白い光しかない。その淡い光は当然、遠く離れる扉までもを照らし出すことは出来なく、暗闇の中その黒色をかき回すように白い腕がわたわたと動いている。

 

 真はその非現実的な光景を、まるで映画を見る観客のような澄ました顔付きで見ながら携帯のホームボタンを押す。慣れた手つきで出てきたロック画面を横にスライドし、パスワードを入力した後ホーム画面へと移った。

 

 その中にある一つのアプリをタップする頃には、扉を静かに開けようと苦戦する主の足までもが扉からはみ出ていた。扉を開けるのにどれだけの時間を費やすんだ。携帯を片手に握り締め、アプリを開いたまま強くそう思う。

 

 やっとこさ扉を音も無く全開すると、扉を開けようとしていた主の姿が、シルエットで映る。その影で大体は誰かわかったが、真は追い打ちをかけるように携帯を扉へと向け、”LED機能を搭載した”アプリのスイッチを押した。

 

 画面に映る、電気スイッチのような赤く妖しく光るスイッチを押すと、携帯の裏側から強い光が発せられた。窓から漏れる淡い光とは比にならない、閃光のような強い光はいとも容易く全開した扉の前に立つ者の正体を晒し出す。

 

 その人物は眩しそうに目元を手で覆い隠した。露になったその人物の正体は、上下花柄のパジャマに身を包んだ”射命丸文”だった。寝起きからあまり時間は経っていないのか、絹のような髪が逆さに立っており、足元は少しだけ宙に浮き、何故か片手には古ぼけた写真機を掴んでいる。

 

 

「何してんの文?」

 

 怪訝な目線を送りながら真がそう言うと、文は目元を手で覆い隠しながら体をビクリと震わせた。

 

 ――――少しの静寂が訪れる。部屋のひんやりとした空気は、廊下の空気と一体化し、更に部屋の中の温度を下げたような気がした。時間が止まったような静寂の中、文は真の言葉には答えず。

 

 ――――そっと、扉を閉めた。

 

 

 

 

 あの後、真は文の後ろを追いかけず、部屋の電気を付けるとどうでもいいと言わんばかりにパソコンの電源を付けた。

 

 黒色のワークチェアにゆったりと、居心地が良さそうに背中を預け凹凸の激しいキーボードに手を掛けると、気の済むがままにネットサーフィンを始める。

 

 その殆どはオカルト系の、「友達の友達から聞いたんだけど」なんて文章から始まる与太話だった。創作だと分かっていても、眠気覚ましには丁度いいぐらいの怖さで真の背筋を凍らせる。

 

 人間の怖い話から、異世界の怖い話、メジャーな幽霊から祟られた、や心霊スポットでの恐怖体験等と、時間を潰すために目に付いた物を片っ端から漁り、読んだ。

 

 部屋のひんやりとした温度と、真の背筋を逆撫でするような、気味の悪い何処ぞの誰かが作った恐怖体験は、彼の乾いた喉までもを凍えつかせた。

 

 ふと一つのページに目がいった。何気なくそのページを面白半分でクリックすると、パソコンの画面が黒く染まり、白い文字が浮かび出てくる。

 

 中々、雰囲気が出ているじゃないか。最も、贅沢を言うなら画面の端に写る広告も消して欲しいけどね。真は嫌な笑みを浮かべながら画面と向かい合う。

 

 文章の一番初めの上段に赤色の文字で書かれてあるのは、恐怖体験の題名らしき一文だった。

 

 その題名は―――――天狗の悪戯。

 

 

 

 

 このお話は、私が実際に体験した出来事のお話です。ショックも大きく、小さな頃に体験した出来事なので曖昧な部分もあると思いますが、宜しくお願いします。

 

 私が小さな頃住んでいた場所は、本当に何もなくて、コンビニに行くだけで徒歩で一時間程掛かりそうな田舎でした。

 

 見渡す限り緑ばかりで、空気も美味しい場所です。だけども、本当に自然ばかりで若い人達の殆どは都会に出て行ってしまいます。そのせいか老人ばかりで子供も少なく、いつも遊ぶメンバーは決まっているような物でした。

 

 その頃小学生だった私が良く遊んでいた友達は、同じ年のAちゃん、私の三つ年下の弟のB、そして二つ年上の中学生、C君と遊んでいました。私の行っていた学校は子供が少ない為か、それとも予算の為か小中学生一緒の学校です。

 

 自然が多いだけあって、都会での遊びとは少し違ってきます。沢での水かけ合いや、神社での鬼ごっこ、山での探検などと言った遊びを毎日のようにしていました。

 

 だけど、田舎の常か、色々と迷信じみた話もあります。雨の日に沢へ行くと下流の方にある深い池に誘われ、溺死する。夜に神社へ行き、その鳥居を潜ると呪われる。特に山の奥の方へは絶対に行くな、と大人達から耳にたこが出来る程言われました。

 

 中学生のC君は、どうせ大人達が危ないから行くな、って言っているだけだろ? とその噂を一笑していました。自分達より年上なC君がそう言うなら、それくらいの物だろう。と私達も噂をその程度にしか見ていませんでした。

 

 だからでしょう、私達がその噂を蔑ろにしてしまったから――――私の弟は死に、Aちゃんは連れて行かれてしまったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 辺りも肌寒く、緑の自然が赤く染まる辺りの頃です。何時もの学校の放課後、小さな子供らがランドセルやカバンを持ち、木製の廊下を音を立て楽しそうに走り回っていました。

 

 今日は何をして遊ぼう。そんな事を頭の中に思い浮かべながら教材をランドセルに入れていると、毎日のように聞き慣れたC君の低めな声が聞こえてきました。

 

 

「私ちゃん、今日暇?」

「うん、暇だけど。何? なにか面白そうな物見つけたの?」

 

 C君の後ろには、弟のBとAちゃんが楽しそうに会話をしていました。何時もよりも高いテンションの二人を見て、自分までもが目を輝かせたことを覚えています。

 

 

「うん、山で探索でもしようかな、ってね」

「え? 何時もと変わらないじゃん、何か隠してるでしょ?」

「いや、何も隠してないよ」

 

 歯切れの悪いその物言いに、私はすぐに何かを隠していると感じ取りました。私がじっとC君を見つめると、観念したように口を開きます。

 

 

「少し……森の奥の方に行こうと思って、さ」

「やっぱ私行かない」

「いいじゃん、面白そうだしさ」

 

 怖い話を私が嫌いなのを知っていて、わざと言葉を濁したな。そう思い少しだけむっとしました。ぷい、と私が顔を背け、話を聞かない体制をとっても、C君は頭を下げてきます。

 

 流石にしつこいと思った私は、渋々と言った感じに首を縦に降りました。すると、C君AちゃんBは手を上げ喜ぶ物ですから、私も少しだけ嬉しくなってしまいます。

 

 ですが、今思えばその選択は間違っていた。と心の底から悔やんでいます、今でも、ずっと。私が泣きでもして山に行くことを拒否したら、きっと何も起きなかったに違いません。

 

 触らぬ神に祟りなし。ですが、好奇心が旺盛な私達はその神に触れてしまいました。天狗と言う名の山の神に。

 

 

 

 

 何時ものように自宅へは帰らず、四人で山に一直線でした。先生からは山の奥に入るなよ、と言われましたが。今日その約束を破るのです、少なからず、怖い話が嫌いな私までもが胸を躍らせました。

 

 きっと、喜々として犯罪を犯す人もこのような気持ちなんでしょう。自分は法律を破る、自分は特別だ、と。

 

 いざとなってその、目的の山を目の前にすると流石に息を呑みました。何時も見る山のその景色は、違うものに見えましたから。

 

 三人を見回すと、三人も同じく私同様山を目の前にして、一歩も踏み出しません。今ならまだ間に合う、ここで帰ろう、今日は神社でかくれんぼをしようよ。と言っておけば、きっと三人は頷いたでしょう。ですが、私はその言葉を口にしませんでした。

 

 生ぬるい嫌な風が頬を過ぎりました。ごくり、と生唾を飲み込むとC君が覚悟を決めたように声を上げます。

 

 

「よし、こんな所で立ち止まってないで、さっさと山に行こう!!」

 

 やはり、C君は自分達よりも年上だな。と思いました。私達も強く首を縦に振ると、山の中へと歩を進めます。

 

 その山は、それ程高くはなく多くの登山を経験した人なら朝飯前だろう、と思える程の低い山です。ですが、まだ子供の自分達にはキツく、何度も休憩を挟み、柔らかい土の上に座り水筒の中のお茶を飲みました。

 

 山の奥の方――――どれほどの時間を登ったのか、日は既に傾き、あと数十分程で辺りを闇に染めようとしていました。流石に今日は諦めよう。そう思った矢先にソレは現れました。

 

 山の奥をまるで隔離するように張られたしめ縄。それは小さな自分達よりもよっぽど高い場所で、木の端から木の端へと長く横に張られていました。

 

 日は西に沈み、しめ縄の向こうをオレンジ色に染めています。生ぬるい風が吹き、木の枝が自分達をおいでおいで、と手招きするように大きく揺れていました。

 

 酷く不気味に思った、ですがそれと同時に美しい、とも思いました。木々の隙間を漏れるオレンジ色の日色はいとも容易く、私達の心に溶け込みました。

 

 もうすぐ日が暮れ夜が来る。何時もならこの辺りで解散になっていたのですが、きっと自分、いや、自分達は魅了されていたのでしょう。何に、とは言いませんが。

 

 C君を初め、同じ年のAちゃん、弟のBがしめ縄を潜ります。それに釣られ、私も無意識的にしめ縄を潜りました。

 

 皆の表情に浮かんだ色は喜色。その赤にも似た色は西に沈む夕暮れの色と交わり、明るい色に変えています。私はその時、その顔に浮かぶ明るい色は自分らの心境を表すウキウキとした色なんだろう、と解釈していました。

 

 だけど、今になって考えると違います。その色は、自分らの―――――鮮血を表した朱色だったのですから。

 

 

 

 真はそこで一旦ノートパソコンの画面から目を外した。

 

 思いっきり、創作話じゃないか。もう少し頑張れよ。心中でそう呟くとワークチェアに背を預け、後頭部を抱えた体制を取る。

 

 なんで、曖昧だと思いますが、とか言っているのにそんなハッキリと覚えているんだ。物語を批判するようにニタリと、いやらしい笑みを浮かべ、悪態を吐く。

 

 まぁ、面白そうだからもう少し見てやるか。上から目線な態度を取り、画面に目を通す。

 

 ザー、と音量の小さい砂嵐のような音が外から聞こえてくる。そこに目をやると、結構な雨が天から地へと降ってきていた。

 

 ひんやりとした部屋の空気は、湿ったようなじめじめとした空気へと変わっている。その嫌な空気に顔を少しだけ顰めると、真は思う。

 

 ああ、自分は雨音にも気づかない程、この話に夢中になっていたのか、と。

 

 

 

 

 

 



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日常編② 僅かな警戒心

 

 おいで、おいで――――

 

 空を吹く生ぬるい風が木の葉を舞わせます。それはまるで、一種の舞いを見せつけられているようで、私の心を魅了させました。

 

 しめ縄を潜り、歩を進めます。土の地面は、雨が降っていないと言うのに少しだけぬかるみ、私の歩を進める足を止めるように邪魔をしてきます。だけど、私はただひたすらに、どこへ行こうともなく山の奥の奥の方へ進んでいました。

 

 オレンジ色だった日は既に落ち、森を闇に染めます。それでも闇の中へ歩んで行きました。今思えば正気の沙汰ではなかったと思います。

 

 歩く次第に、目も闇に慣れたのか辺りが薄らとだけ見えてきました。それは皆も同じようで、歩を進めるのが些かスムーズになってきます。道幅の狭い獣道のような道をただ、縦に並び五人で歩みます。

 

 汗が背中に滲み、洋服が背中に引っ付き何とも不快な気分でした。ですが、それと同時に心拍数は期待によって上昇します。一体この先には、自分達の行く先には何が待ち受けているのだろうと。

 

 ふと酷く冷たい風が顔にかかります。その冷たい風は、冷えた水を顔に掛けるように私の意識を段々正気に戻しました。

 

 一番後ろに並んでいた私は一旦歩を止め、辺りを焦ったように見渡します。嘘、もうこんなに暗くなっていたの? 私が泣きそうな顔で辺りを見渡しても、前の四人は構わず歩を進めます。

 

 ゾクリ。嫌な違和感に見舞われました。心拍数は期待ではなく、恐怖によって上昇し始め、私の頬に一筋の冷や汗が垂れます。

 

 ちょっと待って、何かがおかしい。既に私を置いて遠くを歩むC君らをもう一度見ます。やっぱり。予感は的中し、心中を恐怖と焦りで染め上げました。

 

 なんで、なんで人が一人増えてるの(・・・・・・・・・)。最初は私含め同い年のAちゃん、弟のB、中学生のCの四人だけだったのに。

 

 黒色の恐怖が私の心中を染め上げます。恐怖の”黒”は日が落ちた闇に染まる”黒”と混じり合い、井戸の底のような暗さを表しました。

 

 一体、一番前に並ぶ”五人目”は私達をどこに連れて行く気なのか。連れて行ってどうする気なのか。恐ろしい疑問だけが脳裏を掠めます。

 

 一先ずC君達を助けなければ。私を置いて先を進む彼らを私は走って追いかけ、追いつくなり後ろに並ぶ弟のBの両肩に手をやり、強く揺さぶります。だけど、Bはこれまでに無い強い力で私の手を叩きました。

 

 どれだけ揺さぶっても、頬を目覚めさせるように叩いても歩を止めず、Bはぽっかりと大きく口を開いた闇の先へと進みます。Bの横を抜け、Aちゃんに声を掛け揺さぶっても瞳は私でなく、虚空を覗いています。

 

 もう、どうすればいいのかわからなかった。最後の望みでC君の頬を思いっきり抓ると、C君は痛みに呻き声を上げながら目を覚ましました。

 

 やった、C君が居ればなんとかなるかもしれない。私は唯一の頼みの綱であるC君に、叫ぶような声をあげます。

 

 

「C君! AちゃんとBがおかしいの、どうすればいいの助けて!」

「ちょ、ちょっと待てよ、なんだよこれ」

 

 私と同じく目の前の現状に混乱しているのか、困惑した表情を浮かべながら疑問の言葉を口にしました。ですが、私にはそんな言葉を聞いて答える程の余裕はありません。

 

 

「とにかくAちゃんとBがおかしいの、早く二人を助けてあげて!」

 

 金切り声のような声をあげると、C君は改めて二人の表情を確認します。二人は生気を失ったような顔色で、空に浮かび上がる月の光を無視してただ目の前に広がる闇を取り込んでいました。

 

 

「おい、Aちゃん、B君どうしちゃったんだよ!!」

 

 二人の道を阻むようにして立ちふさがると、C君はAちゃんに両手で突き飛ばされました。ぬかるんだ土の地面に腰を勢いよく落とし、痛みに悶えながら後ろを振り向くと、C君は暗い闇の中から見てもわかるような、恐怖に染まった顔を浮かべます。

 

 

「おい、誰だよコイツ」

 

 きっと、私達の中に突然入り込んだ”五人目”の事を言っているのでしょう。私と同じぐらいの背丈の、”五人目”を。

 

 ぱくぱくと、地にいる魚のような仕草をC君はして見せると、恐怖で腰が抜けたのかいつまでも地に腰を降ろしていました。それでも歩を進めるAちゃんとBを見て、焦燥感が自分の心を蝕みます。

 

 それは、まるで段々と人の体を蝕むガンのように、あっとゆう間に私の心を焦りと怒りに染め上げました。焦りは歩を進める三人に対して、怒りは不甲斐ないC君に対して。

 

 私はC君の胸ぐらを掴むなり、強く揺さぶりました。

 

 

「C君がこんなんでどうするの、年上なんだからなんとかしてよ!!」

 

 私の悲鳴は夜の闇に吸い込まれていきました。C君は私の声を無視し、胸ぐらを掴む私を手で押し倒すと、勢いよく立ち上がり来た道を逆走します。

 

 情けない悲鳴をあげながら走り出すC君に待て、と言わんばかりに手を伸ばしますが、既にC君は闇の向こうへと消え去り、悲鳴までもが聞こえなくなりました。

 

 私も逃げ出したい気持ちでいっぱいです。ですが、友人と弟を放っておくなんてことも出来ず、慌てて三人の後を追うとまたも飽きずに、二人の両肩を強く揺さぶります。それでも二人は心ここにあらず、と言った感じに唯唯歩を進めました。

 

 どうすれば――――。もう泣き出してくなりました。解決法なんてものは見つからず、二人を助けることも出来ず。雲が晴れた太陽を隠すように、絶望が私の心を覆い隠します。

 

 ぬかるんだ地に膝を付け、ただ私は肩を震わせしゃくり上げました。それでもAちゃんとBは前に進み、私を置いていきます。もう、三人の後を私も追った方がいいのかもしれない。それ程までに私の心は疲労しきり、水分を含んだ気持ちの悪い土を払いながらゆったりと立ち上がりました。

 

 ばさばさばさ。木の枝の先から鳥が羽ばたくような音が聞こえました。その音に釣られ思わず上を見上げると、月夜に照らされ一つの影が私の頭上を飛び回るのが見えます。

 

 その影の正体は、漆黒に染まる鴉でした。月夜に照らされても、目の前に広がる闇のように黒い鴉。よく見ると普通の鴉とは比べ物にならないぐらい大きかったことを覚えています。

 

 影を見上げるなり、強い風が吹きました。その風の強さに目を強く瞑り、身を小さく抱え込みます。

 

 ――――風が止んだ。ゆっくりと目を開けると、目の前には私が登っていた筈の山が見えました。後ろを振り返ると、開けた地に田んぼが転々と耕されています。

 

 頭の中が疑問と恐怖でいっぱいになります。魔王城のようにそびえ立つ山を見上げ、背筋が凍えつきます。もう一度山を登る体力と根性なんて無い。そう悟り私は勢いよく田んぼの方を振り返り、走り出しました。

 

 誰か、大人の人に助けてもらおう。走った少し先にある、古びれた年季の感じられる家の扉を強く叩きました。

 

 

「誰か、誰か助けてください! 友達が、弟が!!」

 

 全速力で走ったせいか息を荒げ、恐怖からか呂律の回らない口調でそう言うと、五十代程の薄い髪をしたおじいさんが扉を開けました。

 

 強い恐怖に見舞われていた私は思わずおじいさんのお腹辺りを強く両手で掴むと、悲鳴のような声でおじいさんの白いシャツを思いっきり揺さぶります。

 

 

「山の奥に行ったら友達と弟が、おかしくなって、それで………」

 

 おじいさんの表情がみるみると青白く染まっていきます。それはAちゃんとBに対する心配の念で染まったのではなく、恐怖で。

 

 顔を強ばらせながら身を屈め、私の両肩を手で掴むとおじいさんは強く私を揺さぶります。どこまで行って、いつ頃、なにをしに行ったんだ。声を荒げながらそう言うおじいさんを見て怖くなり、またも涙が溢れ出ます。

 

 出来る限り知っていることを口にすると、何度も舌打ちを吐きながら私を家の中に招き入れました。

 

 広い座敷に座らせるなり、おじいさんはここで待っていろ。とだけ言い襖を開け隣の部屋に入って行きます。

 

 私はただ体を震わせるしかなくて、ガタガタと身を屈めながら震えていました。すると隣の部屋からしがれた話し声が聞こえてきます。

 

 

「あの子が天狗様の敷地に入りおった」

「今から出来るだけ人を集めて、集会を開くしかない」

「今の時間帯に山には入れない。明日、日の出に若いもんを出来るだけ連れてあの子の友達を探すしかない」

 

 天狗? 集会? 明日? 天狗とは何だ。集会を開くまでの大事なのかこれは。何故明日なんだ。私の頭の中で様々な疑問が右から左へ飛び交います。今もこうしている間に、AちゃんとBは怖い目に会っているかもしれないのに。自分の無力さに唯唯嫌気が差します。

 

 その後は、襖からおばあさんが出てきて、震える私に優しい声を掛けながら強く抱きしめてくれました。だけど、その優しさが私の心を鋭く抉ってきます。

 

 明日になろうかならまいか、それぐらいの時間帯に息を荒げた両親がやってきました。普段は頑固で恐いお父さんまでもが涙を流し、私を抱きしめるものだから余計に心が痛みます。

 

 私は何も出来なかったんだ。そんなに優しくしないでくれ、むしろ私の頬を思いっきり殴り、罵詈雑言を浴びせてくれた方が良かったかもしれない。弟と友人を見捨てた自分の罪悪感と、拭いきれない恐怖に板挟みにされいつまでも涙を流していました。

 

 結局私はその晩、何も口にせず体を震わせていたら寝ていました。目覚めた時には既に時刻は昼時を回り、傍らには涙を流す私の両親が立っています。

 

 その悲痛な光景を見て、嫌な予感が過ぎりました。一体、どうしたのだろう。まさかAちゃんとBは。寝ている時に掛けられたのか、重い掛け布団を勢いよく跳ね飛ばし、両親に事を聞きました。

 

 母はただ涙を流し、父は一度鼻を啜ると真っ赤に腫れた瞳で「お前は悪くないからな」と言って私の顔を覗き込みます。

 

 

「Bは山の頂点にある大樹で死んでいた、Aちゃんはまだ見つかっていないらしいんだ」

 

 目の前が真っ暗になりました。当時小学生だった私にとってはショックが大きすぎて、涙すら出ません。自分は夢を見ているのか、そんな感覚に陥ります。

 

 父はただ、私を強く抱きしめました。母は――――私を憎らしげ目で睨んでいました。

 

 

 

 

 その後、Aちゃんは結局見つからず、Bのお葬式を開きました。随分装飾のされた棺桶に眠るBの顔は、生気を全く感じられない真っ白な顔で、思わず人形を連想させます。

 

 C君は二日後、山の麓で見つかりました。かなり衰弱しきっており、生命の危機にまで陥りましたがその二週間後、学校に行けるまでに回復しました。ですが、精神に異常をきたしたのか学校に来てもずっと上の空でした。

 

 そのうちC君の姿を見る機会はなくなり、私に残ったのは山での事件を愉快そうに聞いてくるクラスメイトと、奇異の目で私を見る田舎の連中と、私のことを憎らしい瞳で睨む母親だけでした。

 

 そんな居心地の悪い場所で一生を過ごせる訳もなく、父に無理を言って高校は都会のを選び、寮で暮らすに連れ事件のことも、田舎での暮らしも忘れてきました。

 

 ですが、最近になって妙な夢を見るんです。内容は一羽の、大きく黒い鴉が私の周りを飛び回る夢。気味の悪い声を出しながら飛び回り、隙あらば私の喉仏を食いちぎろうと狙う鴉。

 

 きっと、あの時私を助けてくれた鴉でしょう。ですが、あの時助けてくれたのはきっと気まぐれで、今度は私を連れ去ろうとしているのでしょう。

 

 その証拠に、私の周りには必ずと言っていいほど鴉が群がる(・・・・・)のですから。恐らく私を監視しているのです。どこへ行っても逃げても、見失わないように。

 

 貴方がこの話を読んでいる時、私はこの世界にいないかもしれません。ですが、これだけは覚えていて下さい。

 

 ―――――好奇心は、自分を殺すことを。

 

 

 

 

 ぎぃ、ワークチェアに背を預けると、軋むような音が聞こえた。

 

 好奇心は自分を殺す、か。最後に書いてあった文を反芻するように口にした。確かに、その通りかもな。

 

 湿ったような空気を強く吸う。その空気は酷く不味く、吸った分だけを吐き出すように深い溜息を吐いた。

 

 自分は、文に関して知らない事が多すぎる。もしかしたらアイツは、この話に出てきた天狗よりもずっと怖く、平気で人を殺すような奴かもしれない。実際に、彼女はその気になれば俺を片手だけで殺すことが出来るのだから。

 

 チカチカと俺の顔を照らすノートパソコンから、ザーザーと勢いよく雨を降らす外へと目線を向けた。空は嫌に濁り、雨は止む気配を一向に見せない。

 

 俺は、天狗に対する事も、彼女に関する事も何も知らない。言わば俺は今、彼女に生かされている状態なのだから。一抹の不安が脳裏を過る。

 

 文が俺に殺意を向けたとして、俺は果たして生きられるのか? きっと彼女に包丁を向けたとしても、強い風に吹かれ吹き飛ばされるだろう。俺は、彼女に対して油断しきっていないか?

 

 あの、人の良い笑みが酷く歪んだ怒りの表情に変わる日も訪れるかも知れない。俺の心と言う水たまりに落ちた一つの水滴(不安)は、水たまり全体に小さな波紋(疑心)を広げた。

 

 少しは、警戒しなければ。一階から匂う、美味しそうな朝食の匂いを嗅ぎながら俺は、腹を鳴らした。

 

 

 

 




只今あるフリーホラーゲームに熱中しております::

ノベルゲームなんですけど………感動して感動して
もしかしたら小説で書いちゃうかも涙


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日常編③ 心に空いた空白

 

 リビングにあるミニテーブルの上には既に様々なおかずが並んでいた。

 

 その光景を見て満足げに頷くと、ミニテーブルの傍にあるソファに腰掛ける。何か面白い番組はやっていないか、つい一昨日届いたばかりの薄型テレビのリモコンを手に取り、電源を付ける。

 

 文によって真っ二つに切れたテレビの替えであるソレは、この家にやってきてから二日程しか経っていないと言うのに、もうこの家に馴染んでいた。

 

 チカチカとした光がミニテーブル上を薄く照らす。この時間帯ではやはりニュースやらなんやらでどの番組も埋め尽くされており、ソファに深く腰を掛けると、しょうがないと言った感じに溜息を吐いてから、手元に持つ黒光りするリモコンをソファの端に投げ込んだ。

 

 渋々ニュースに目を向けるも、どれも現実味の無い、他人事で済ませられるような報道ばかりで思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 

 政治家のスキャンダルやら誘拐やら殺人やらで気が滅入る。何故朝からこんな番組を見て、気持ちを沈めなければいけないのだと。

 

 世間の事情を知っとけ、ってことだろうが余計なお世話だ。自分の周りでの出来事だけで精一杯なのに、世間全体の事情まで手が回る筈がない。結局俺がこんなニュースを見ても「怖いね」の三文字で済ませてしまうのだから。

 

 自分が住んでいる地域で無差別殺人が起きている訳でもない。行ったこともない地域で勝手に殺人が起きているだけなのだから。

 

 妙に滑舌の良いニュースキャスターを見て、俺はだけど、と思う。

 

 所詮ニュース上で話されている事を俺は他人事で捉えてしまう。だけど、自分の身近になると話はまた別だ。

 

 自分の身近で怪しい事や恐ろしい事が起きたら、それは警戒するだろう。膝元に肘を立てながら頬杖を作り、チラリと俺はリビングの向こう側に属したL字型キッチンに目をやる。

 

 明るい光を灯したキッチンには、鼻歌交じりに炊飯器からご飯を装う彼女が見えた。長方形の白く光る炊飯器からは湯気が放たれ、哀れにもその湯気達はコンロの上に取り付けられた換気扇によって吸い込まれていった。

 

 流し台には全くと言っていいほど汚れがなく、木製の食器棚には皿やコップが縦横綺麗に並ばれており、彼女の几帳面ぶりが伺える。そんな彼女が目を上げようとした瞬間に、俺は思わず目を地面に伏せた。

 

 視点を変えた瞬間景色はキッチンから青色のカーペットへと変わる。頬杖を立てる仕草を崩し、ゆっくりとベットに寝転んでみるも彼女に対する恐怖は止まない。

 

 これじゃあ、彼女と会った時と変わらないじゃないか。心の中で自らを一喝するも、吹雪のように吹き荒れる恐怖は止みそうになかった。

 

 俺は今までに彼女と出会ってから、人外と言うものを甘く見すぎていた。よくよく考えてみれば天狗である彼女にとって人間である俺は赤子のような物だ。俺のうるさすぎる泣き声に気がうんざりでもしたら、すぐに首元へと手を掛け、ゆっくり指先に力を込めながら絞め殺すだろう。

 

 朝にチラリと見たあの恐怖体験は、きっと創作物だ。だけど、人外が気まぐれな存在で、その気になればいとも容易く殺すことが出来るのは、間違っていない。

 

 これから俺は、どうやって彼女に接すればいいんだ。気づけばオーバーに実況するニュースキャスターに関心など全く向いておらず、目線は絶えず白色の天井に向かれていた。

 

 種族の違いと言うものは大きく違ってくるものだ。言わば人間と豚、そんな物。

 

 人間である俺が毎日のように食べている豚と、仲良く出来る筈がない。俺と彼女とで出来るコミュニケーションは所詮言葉の交わし合いぐらい。長い年月を生きてきた彼女と俺とでは、物の価値観なんて全く違ってくるのだから。

 

 手を伸ばせど伸ばせど縮まらない距離。例え俺が全速力で走り、腕を目一杯伸ばしても彼女は蜃気楼のように、気づけば遠くへ消えていってしまう。

 

 ソファを仰向けに寝転がりながら腕を伸ばしてみる。俺の短い腕は白色の天井を掴むことは疎か、手に触れることも出来ずにただ虚しく空を切った。

 

 天と地。所詮俺と彼女の距離感なんてそれ程までに遠いんだ。上空を浮かぶ白い雲よりも遠い距離感。天井を掴むことすら出来ない俺に、そんな遠い距離を見渡すことだって出来ない。

 

 ふと痛む俺の胸。鋭く尖った針の先端で刺されたような鋭い痛み、そんな痛みに思わず表情を歪めてしまう。これだ。彼女のことを思うと、彼女の心に届かないとを悟ると、この痛みが必ずと言っていいほどやってくるんだ。

 

 彼女のあの笑顔が、明るい笑顔がまやかしだと思うと体が震える。彼女は俺の事なんてなんとも思っていない。そう思うと目頭が熱くなる。

 

 怒りでも恐怖でもない。胸を裂かれるような悲しみ。何故悲しみを覚えるんだ、俺は別に”一人でも生きていける”。そう悟った筈じゃないか。

 

 なのに、なんで俺の心は寂しいと感じるんだ。俺が人間だからなのか、ならば機械に姿を変えればいいのか。暗闇が恐い、一人が恐い、夜の訪れが恐い。どうすればいいんだ、どうすれば――。

 

 

「大丈夫ですか、真さん」

 

 腕を上空に伸ばしていると、彼女の顔が見える。ソファの裏側から俺のことを覗き込んでいるのか、心配そうな表情で、両手には白い湯気を放つご飯が装われた茶碗を掴んでいた。

 

 それだ、それなんだよ。優しい声で俺を心配してくれる。土足でずかずかと、俺の心の中に入ってくるんだ。そして部屋の端で屈みながら泣いている俺の背中に優しく手を掛けるんだ。「大丈夫?」って、そう心配するんだ。

 

 俺のことなんて、どうとも思っていないのに。勝手に不貞腐れているのは自覚している。なのに、そんな彼女に怒りが湧いてしまう。

 

 彼女に対する恐怖は霧のように消え去り、その心の空白を埋めるように今度は怒りがこみ上げる。ソファから身をゆっくりと上げると、彼女に背を向け「別に」とぶっきらぼうに返してしまう。

 

 どうせ彼女と俺は分かり合えないんだ。ならば、無愛想に物事を返し、ただの知り合いと言う関係で済ませばいいじゃないか。自虐のような笑みを浮かべ、腰を浅く下ろし直すと、勢いよく顔を掴まれた。

 

 

「ちゃんと私のことを見てください!!」

 

 いつの間にか前に回り込んだ彼女が、陶器のように白い手のひらで俺の両頬を挟む。調理後の彼女の手のひらからは調味料の香ばしい香りが匂い、朝に見た花柄のパジャマに身を包む彼女が見える。

 

 何故か表情は決死じみており、彼女の大きな声は、テレビに映るニュースキャスターのか細い声をかき消した。

 

 

「ちゃんと私の顔を見ながら、何で泣いているかを教えてください」

 

 彼女の言葉で俺は、頬を伝う雫の存在に気付く。目元から零れた俺の小さな涙は、暖かく、大きな彼女の手のひらに伝った。

 

 

「どうでもいいだろ、俺の涙なんて」

「どうでもよくありません」

 

 きっぱりと、すぐに俺の言葉を否定した彼女。声色は真剣そのもので、俺は彼女のバックに映り込むテレビの音なんて、全く気にならなかった。

 

 何で彼女は俺のことを気にかけるんだ、いっそのこと、突き飛ばしてしまえば気は楽になるのに。

 

 

「私は、真さんの力になりたいんです。悩んでいたらその思いの丈をぶつけて欲しいし、悲しかったら―――」

「それなんだよ!!」

 

 彼女の言葉を遮り、思わず俺は叫んでしまう。彼女の表情が少しだけ驚きに変わるも、すぐに話を聞く体制をとり始めた。

 

 

「それなんだよ、どうせ俺のことなんてどうでも思っていないんだろ。上辺だけの優しさなんていらない、それならいっそのこと突き飛ばして欲しいんだよ!」

「上辺だけなんて―――」

「上辺だけだろうが!!」

 

 彼女に言葉なんて喋らせない。両頬に掛かった暖かい手のひらを腕で叩き、ソファから勢いよく立ち上がりながら怒鳴り散らす。

 

 

「妖怪と人間の価値観なんて全然違う! お前が俺を慰める理由は、この家から追い出されたら困るからだろ。だから心配するふりして、あっちの世界に戻る時は何も言わずに、感謝の言葉もせずに立ち去るつもりだろ!?」

 

 自分はなにを言っているんだ。今すぐこの生意気な口調を直さないと殺される。だけど、俺の積もりに積もった不安や不満は雪崩のように留まる事を知らない。一度崩れた雪崩は、満足がいくまで止まらないのだから。

 

 

「だから俺は、俺はッッ!」

 

 次の言葉を口にしようとした瞬間、首元に五本の指が絡まった。ああ、俺はここで死ぬのか。このまま強い力で、首を絞められ殺されるんだ。そう悟ったが次の瞬間、ぐいと力強く体を前に倒された。

 

 首元に絡まる、人間と変わらない形をした天狗の指。その両手十本の指は妙に暖かく、心を安らげた。そんな中ふと顔元に柔らかい感触が伝わる。

 

 

「少し、落ち着いてください真さん」

 

 後頭部辺りと背中に彼女の暖かい手のひらが重なる。――抱きとめられた。そう思うと同時に心の奥底から羞恥心が湧く。

 

 口を開こうとも、顔元に感じる柔らかい感触のせいで呼吸すら出来ない。藻掻くように彼女から離れようと腕を振り回すが、あまり効果はないようで、ただ強く抱きとめられる。堪らず苦しそうな呻き声上げると、後頭部と背中に回された腕が離される。

 

 

「な、何するんだよ」

 

 羞恥心と苦しさが混じり合い、肩で息をしながら小さな声でそう問うと。目の前に白い人差し指が俺へと差された。

 

 

「真さんが勝手に暴走するからです!」

 

 右手で俺を指差し、左手で腰に手をやる彼女。表情は先程と打って変わり、おちゃらけた表情へと変わっている。

 

 

「全く一人でぎゃーぎゃー叫んで。恥ずかしくないんですか? 十八歳ともあろう男性が」

 

 彼女の表情と言動に少しむっとし、反論しようするも不意に彼女の人差し指が唇へと当てられ、口を開くことが出来なくなってしまった。

 

 

「おおっと、真さんに発言の許可は許していません。散々私の言葉を遮ったのですから、今度はこっちの番です」

 

 俺の唇に彼女は人差し指を重ね、腰をくの字に曲げながら彼女はそう言った。一つ一つの仕草全てに懐かしさを感じ、不思議な感覚に囚われてしまう。

 

 

「男の癖にメソメソしすぎです、真さんはそんなに女々しかったのですか?」

 

 悪戯げに微笑みながら彼女は言葉を紡ぐ。

 

 

「全く、変な所で泣いてしまうのですから。弱虫ですね」

 

 だけど、その言葉は心に突き刺さるどころか優しく溶け込み。

 

 

「そんな弱虫さんだったら、放っとくことが出来なくなりますね」

 

 俺の氷のように冷えた心を、人工的な暖かさではなく、優しい、母親のような温もりで溶かした。

 

 

「その弱虫、治すまで私は帰りませんよ。この世界から、この家から」

 

 テレビから聞こえてくる、淡々と口を開くニュースキャスターとは比べ物にならない、その優しい声色によって、俺は無意識に涙を流した。

 

 

「あー……。また泣いちゃいましたね。本当に弱虫なんですから」

 

 変わらず茶化すように言ってみせる彼女。だけど、どこかに嬉しさや優しさを孕ましていた。

 

 外で勢いよく降り続ける雨と同じで、俺の涙は止む気配が見えない。拭っても拭っても溢れる涙に、俺はただ困惑する。透明の涙は、床に敷かれた青色のカーペットをポツポツと、小さくだが確実に濡らしていった。

 

 またも感じる温もり。膝を地に付けながら涙する俺を、彼女が優しく抱きとめたのだ。まるで赤子をあやすように、彼女は俺の背中を優しく叩く。

 

 

「思いっきり泣いちゃいなさい。涙が枯れ果てるぐらい、ずっとずっと」

 

 その彼女の暖かい温もりに、俺はただ涙を流すしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 買い物かごを片腕にぶら下げながら、俺は適当に商品を投げ込み続ける。

 

 昼時を回ったスーパーの店内は、多くも少なくもない主婦達が商品を値定めし、選ばれた商品は嬉しそうにカゴの中に放り込まれ、選ばれなかった商品は哀れにもそのまま、商品棚に戻されていく。その研ぎ澄まされた目利きに俺は、唯唯感服していた。

 

 商品を取っては裏面を眺め、また取っては眺めの主婦達。その一連の動作は、コイツら本当は機械なんじゃないか? と疑問に思う程だった。

 

 当然自分にそんな研ぎ澄まされた能力なんてなく、俺は適当に良さそうな物を手に取り、カゴの中に投げ込む。

 

 いつもだったら文が買い物当番の筈なのに。そんな愚痴を心中で呟きながら、俺はラインテーブルにきつきつと並べられたジャガイモをカゴの中に放り込んだ。

 

 朝に起きたあの一件の後、俺が泣き止んだと見るや否や自分の胸から俺を引き剥がし、弱虫を克服する為。と言う名のパシリに使わされた。一瞬でもいい奴だな、と思った俺が馬鹿だったとつくづく思う。

 

 だけど彼女のあの言葉、”家から離れない”と言う言葉は嫌にストン、と俺の心の空白を埋めてくれた。そんな気がする。

 

 気づけば俺は、上機嫌の時にリズムを刻む、ラデツキー行進曲を鼻歌交じりに歌っていた。無意識にだが、自分の足取りが軽い気がする。

 

 カゴの中に今度は豚肉を入れようとすると、そこでハッした。もしかしたら、自分も頑張れば商品の目利きが出来るのではないか、と。

 

 いや、出来る筈だ。意味のわからない確信が自分の心中を渦巻き、買い物カゴをワックスの効いた肌色のフローリングの上に置くと、俺は豚肉をじっと見つめる。

 

 肉の色合い、賞味期限等を細かく眺め、ダメだと感じ取ったらすぐに冷房の効いたショーケースの中に戻す。手に取っていく内に俺はコツを掴みとり、気づけば奥の方に並ぶ豚肉を手に取っていた。

 

 やはり、奥の方にある商品は賞味期限が他と比べて少しだが長い。何度も豚肉とにらめっこを続けていると、背後から迷惑そうな声が掛かった。

 

 

「ちょっと、邪魔なんだけど」

 

 風鈴のように透き通った女性の声。若いな、そう感じ取るとカゴを手に持ち、後ろを振り向く。

 

 自分の後ろには、髪が腰元にまで伸ばされた黒のロングヘアーの女性が迷惑そうな表情で佇んでいた。身には白のニットワンピースを身に付けており、膝元まで伸ばされた黒いニーソが目に付いてしまう。

 

 

「あ、すみません。邪魔でしたね」

 

 綺麗だな。心中で小さくそう呟きながら俺は小さくガッツポーズを決めた。浅く頭を下げ、片手をパーカーのポケットの中に入れると、不意に肩を掴まれる。

 

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 またも聞こえる、風鈴のように透き通った彼女の声。後ろを振り向くと、その彼女は表情を喜色に染め、どこか落ち着かない仕草で俺を呼び止めた。

 

 

「なんですか、俺万引きなんてしてませんよ?」

 

 ゼブラパーカーの両ポケットを裏返し、俺は無実の証明をして見せる。正直、彼女のような綺麗な女性に呼び止められるのは嬉しいことだが、万引き犯と間違われたら溜まったものじゃない。

 

 

「違うわよ、貴方が万引きしようがしまいがどうだっていい」

 

 ならばなんなんだ。喉まで出かかったその言葉を飲み込み、代わりに小さな溜息をこぼす。裏返したポケットを中に入れ込むと、彼女は獲物を目にした蛇のように、目を細めながら言った。

 

 

「貴方―――天狗と一緒に暮らしてるでしょ?」

 

 俺の思考は驚愕を飛び越え、その機能をストップさせた。

 

 

 

 

 

 

 



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午後三時 小さな公園に天狗憑きの彼女

 

 目の前に居る彼女の言葉は、自分の頭の中に嫌に響いた。

 

 しん、と店内の中が静まり返った気がする。主婦達のしがれた声は疎か、ワックスのかかったフローリングの床を踏む、小高い音までもが聞こえなくなった。そんな気さえする。

 

 彼女の茶色がかった黒い二つの瞳が、俺の何もかもを見通す。表情は何故か確信染みており、彼女は薄いピンク色の唇を、少しだけ釣り上げさせた。

 

 向かい合う俺と彼女の顔。俺の表情はどのような感じで彼女に見えているだろうか。少なくとも、余裕たっぷりと言った表情には見えていないだろう。

 

 背中に一つの冷や汗が垂れるのを感じる。この女に文の存在をわからせてはいけない。そう自分の本能が訴えかけてきていた。

 

 彼女にバレたら最後、自分の何かが大きく変わってしまう。乾いた喉を小さく鳴らすと、か細い、消え掛かりそうな声色で俺は言った。

 

 

「天狗……? すいません、何を言っているのかさっぱり」

 

 出来る限りの笑顔を作り、そう言ってみせるが対する彼女は小さな溜息を零すと、喜色と嫌味が混ざったような声色で、俺の言葉を返す。

 

 

「知ってる? 人間って嘘を吐いている時、無意識に右下を見てしまうんだって」

 

 その言葉と同時に俺は、ハッとしたように彼女の顔へと視線を戻す。そんな俺の行動が面白かったのか、口元を手で軽く押さえながら、上品そうにクスクスと笑ってみせた。

 

 

「それと、他にも足をやたら組み替えるらしいわよ?」

 

 俺は片手に掴む買い物かごの持ち手を強く握り締めた。コイツに嘘は通じない。俺が嘘を吐くのが苦手、ってのもあるのかもしれないが、少なくともコイツは、文の存在を知っている。

 

 ―――沈黙。彼女の言葉を返さずに俺は、精一杯彼女を睨みつけた。この女は、俺の敵だ。コイツと関わると恐らく、俺の未来は碌でもないことになる。生唾を飲み込み、俺は大きく息を吐いた。

 

 早くこの場から立ち去りたい。出来ることなら俺は、買い物かごを地面に放り投げて全速力でこの場から逃げたかった。だけども、足は硬直したように動かず、一歩すら足を進めることも出来ない。

 

 彼女は好物を目の前にした、蛇のように嬉しく目を細めると、一歩ずつゆっくり俺へと近づいてくる。

 

 カツン。彼女のフローリングを踏む音だけが聞こえた。彼女が近づいてくる度に、死神が歩むような不気味な足音が耳の奥底に響く。

 

 動けよ、動いてくれよ俺の足。瞼を強く閉じ、その呪縛から解かれようと試みるが俺の足は全く動かない。まるで足そのものが鉛に変化したようだった。

 

 目を開けたくない。辺りが静まり返り、目の前には闇が広がる。目を開けたら最後、そこで何かが終わってしまうような気がするから。

 

 ふと、頬に暖かい感触が伝わった。熱くも冷たくもない。人の温もりが。

 

 さらさらとした髪の毛が鼻先をくすぐり、向日葵のような明るい香りが俺の鼻腔を刺激する。

 

 文か? 俺は心の中で弱々しげに、そう呟く。すると、聞き慣れた文の、明るい声が聞こえたような気がした。

 

 俺は意を決したように、ゆっくりと瞼を開く。目の前には明るい店内の光景は広がっておらず、”女性の顔が目の前に見えた”。

 

 俺の両頬に、彼女は手を優しく添える。お互いの息が掛かりそうな距離まで近づいた彼女が、艶やかな表情でその口を開く。

 

 

「やっと捕まえた」

 

 俺の意識は、彼女の赤色の瞳(・・・・)に段々と囚われていった――。

 

 

 

 

 冷たい風が俺の頬を撫でる。

 

 ぼんやりと目を開けると、目の前にはオレンジ色がかかった空が見えた。辺りからはカラスの泣き声が鮮明に聞こえ、排気ガスの嫌な匂いが鼻の奥を突く。

 

 これほどまでに最悪な目覚めは無い。痛む頭を手で押さえながら、ゆっくりと起き上がる。

 

 

「あら、おはよう」

 

 不意に隣から声が掛かった。頭が痛むので、ゆっくりとそこを振り返ると髪の長い、スーパーで会ったばかりの女性が俺の隣を座っている。

 

 ああ、最悪だ。今日が厄日と言うものだろう。心中でそう呟くと、隣に座る彼女は知らん顔で片手に持つ缶コーヒーを俺に渡してくる。買って間もないのか、アルミ製の容器はまだ暖かかった。

 

 

「はいどーぞ、体冷えてるだろうから、買っといたわ」

 

 妙に優しい素振りを見せる彼女に、俺は不信感を募らせる。毒は入っていないだろうか。そう思い、中々にブルタブを開けられない。

 

 意を決し、隣に座る彼女を一目見てから勢いよくブルタブを開ける。カシュ、と空気の漏れるような音が聞こえ、恐る恐る口元へと飲み口を近づけさせると――。

 

 

「別に、普通の味だな」

 

 誰に言うでもなく、一人でにそう呟く。一気に飲み込んだせいか舌先を少し火傷しそうになったが、コーヒー特有の程良い苦みがそれをカバーする。

 

 余程俺の体は暖かさを欲していたのか、口に含んだホットコーヒーを飲み込むと同時に、冷えた体は歓喜したかのように内側から体を温めた。満足げに俺は体の熱を外に放出するように、口から白い息を吐く。

 

 ふと隣から綺麗な笑い声が聞こえてきた。俺は硬いベンチの背もたれに深くもたれながら、隣に座る彼女の姿を見やる。彼女は口元を手で押さえながら優雅そうに笑っていた。

 

 

「本当、貴方の一挙一動全てが面白いわ。あっちの自動販売機で買った缶コーヒーなんだから、毒なんて入ってないわよ」

 

 彼女の指さした先を見ると、少し離れた道の端に赤色に輝く自動販売機が設置されてあった。目を細めながらその自動販売機を良く良く見ると、確かに下段の方には俺が飲んだらしき、缶コーヒーが見える。

 

 

「誰だって不審者から飲み物手渡されたら、不信に思うよ。というかここ何処だよ?」

「見てわからない? 公園よ。というか不審者じゃないし」

 

 遊具が何も置かれていなくて気付かなかったが、どうやらここは公園らしい。公園と言うよりかは、少し小さめの空き地に見えるが。状況確認の為、辺りをしっかりと見渡すと何故か俺が座るベンチの隣には、ショッピングカートが見えた。

 

 

「不審者じゃなかったら、誘拐犯だ。俺をこんな辺境な地に連れてきて何をするかわからんが、金なら払わないぞ」

 

 濃い茶色のベンチで、俺は偉そうに腕を組む。不思議と彼女に対しては、何故か接しやすかった。かと言って、接しやすいだけでまだ彼女に対する敵意は消えていないが。

 

 

「お金なんていらないわよ。それより、貴方には色々と聞きたいことがあるの」

 

 そう言いながら彼女は、嬉しそうに目を細める。少しだけ釣り上がった口の端は、彼女の整った顔を不気味な色で染め上げた。

 

 ゾクリと俺の背筋が震える。冬の訪れを感じさせる冷たい風と、彼女の捕食者を連想させるような不気味な笑顔が混ざり合い、俺の心までもを凍えさせる。

 

 

「奇遇だな、俺もお前に色々と聞きたいことがある。俺も出来る限りの質問は答えるから、お前も俺の質問に答えろ」

 

 俺は精一杯の不敵な笑みを作り上げる。ここで彼女に流れを持って行かれてはいけない、出来る限りの反撃はしなければ。

 

 彼女は相も変わらず、不気味な笑みを浮かべている。黒い瞳は少しだけ濁り、よく見ると目の下には隈が出来ていた。

 

 

「ええ、わかったわ。そうじゃないと平等じゃないものね」

 

 薄い茜色の日が、彼女の黒く長い髪を薄く染め上げる。その光景に、少しだけ俺は目を奪われると突然に彼女は立ち上がった。

 

 

「こんな寒空の下だと、ちゃんと話し合いも出来ないしね。どこか暖かい場所で話しましょう」

 

 名案だな。素直に俺はそう思う。正直俺も、こんな寒い風に吹かれながら話し合いなんてしたくなかった。ベンチの端に置いた缶コーヒーを手に掴み、中身を一気に飲み干すと俺は勢いよく立ち上がる。

 

 

「そうするか。ここらへんに喫茶店とかあるかな」

「喫茶店もいいけど、貴方の家がいいわね。そっちの方が手っ取り早く話すことが出来るし」

「……俺の家?」

 

 彼女の言葉を疑問に思い、俺は反芻するようにそう言う。すると彼女は小さく頷き、二、三歩足を進めると俺が後を追っていない事に気づいたのか、長い髪を大きく揺らしながら俺の方を振り向いた。

 

 

「何を呆けているの、貴方の家なんて私は知らないんだから、早く案内しなさいよ」

「いや、それはないんじゃねぇの!? お前何様だよ」

 

 俺の少し前を立つ彼女の言動に、多少の苛つきを覚える。人差し指を彼女に突き差し、怒りを孕ませた俺の言葉を聞くなり彼女は短い溜息を吐きながら、俺と向かい合う。

 

 白のニットワンピースに浅く手を突っ込みながら、彼女は茜色の夕日に照らされる。彼女の長い黒髪は、夕日の色を吸収し漆黒のような黒を俺に見せつけた。

 

 

「何、不満なの?」

「いや、不満も何も……」

 

 俺のことを責め立てるような鋭い瞳に、多少怯んでしまう。お互いの間に静かな静寂が訪れ、風の音や葉の揺らめき、車のエンジン音が嫌に良く聞こえてくる。

 

 張り詰める空気に、俺はただ沈黙するしかなかった。何故俺がこんな目で見られなければいけないのだ、と心中で小さく呟きながら。

 

 少しの時が流れると、彼女の鋭い瞳が和らいだ。それと同時に俺は深い息を吐く。

 

 

「わかったよ、俺の家で話しましょうか」

「ええ、悪いわね」

 

 悪いなんてちっとも思っていない癖に、と俺は小さく悪態を吐く。そんな俺の言葉を彼女の地獄耳は聞き逃さなかったのか、またも鋭い目つきで睨まれた。

 

 

「じゃあ、貴方はそこのカートとレジ袋を持って。私は何も持たないけど」

「あのさぁ……。というかなんでこんな所にショッピングカートがあんだよ」

「貴方の質問は歩くついでに答える。私の質問は貴方の家で答えてもらうわね」

 

 ああ、そうかい。俺は小さくそう返すと、彼女は口元を釣り上げ笑ってみせる。その笑みからは不気味さなんて感じられず、純粋な暖かい笑みを感じられた。

 

 どうして、人と関わりを持つのはこう突然なのだろうか。事前にそのお知らせがあってもいいじゃないか。俺はそんな、心にも思っていない言葉を小さく呟いてみせた――。

 

 

 

 どうやら俺が眠っていた公園から、俺の家までは余り遠くもないようで、歩きで二十分もあれば着く距離だった。

 

 俺と彼女は、ガードレールも何もない道の端をゆっくりと歩く。俺が手に掴むショッピングカートと、取っ手にぶら下がるレジ袋が小石を踏む度小さく、音を立て揺れている。

 

 彼女に聞きたい事は山ほどあった。夕日は既に傾き始め、辺りを薄い闇に広げていく中俺はゆっくりと頭の中を整理させる。

 

 一先ずは、一番気になる質問から潰していこう。道の真ん中を時々通り、排気ガスを撒き散らして行く車を邪魔ったらしく思いながら、俺は口を開く。

 

 

「それじゃあ、一番気になる質問から聞いていくぞ。なんで、俺が天狗と一緒に住んでいる事を、お前は気付いたんだ?」

 

 俺の隣を歩く彼女は、俺の質問にすぐには答えず道の先を遠目に眺めながら答える。

 

 

「私と同じ匂いがしたからよ」

「……ちゃんとした答えで頼む」

 

 巫山戯ているのか? そう思うが、横から見る彼女の表情は真剣そのもので、とても嘘を吐いているようには見えなかった。

 

 

「詳しく言うと、私には妖しや幽霊に取り憑かれている人が匂いでわかるの。種類や性別、詳しいこと全部」

「へぇ、そりゃあ凄い」

 

 全くの感情を込めず、そう言うと彼女は横目に俺を睨みつける。俺はその鋭い瞳から逃げるように目を逸らすと、隣から深い溜息が零れた。

 

 

「そして、貴方からは天狗の、それもかなり強い力を持ったね。そんな強烈で、濃い匂いが漂ってきたの。これほどまでに強い匂いを持っているってことは、長い間一緒にいないとそうそう漂ってこない。それこそ、一緒に同棲でもしない限りね」

「同棲って言うな。じゃあ私と同じ匂いがするから、って何なんだよ」

 

 俺がそう言うと、彼女は目を地面に伏せる。触れてはいけない話題だったのか、そう後悔するも、然程気にもしていないらしく、彼女はすぐに視線を道の先に戻す。

 

 

「私も、天狗憑きなの」

 

 彼女のもの悲しげなその声色は、過去に起こった悲痛な出来事を表しているようだった。

 

 あまり余計な言葉は返さず、俺は深く息を吐く。ショッピングカートが小石を踏むような、ガタガタとうるさい音が空に響いている。本格的に日も、その姿を隠し始めゆっくりと辺りは闇に覆われていった。

 

 

「過去に色々なことが起きて、そのせいで私は天狗に取り憑かれた。最近では夢の中でその大きな鴉が飛び回って――」

「ちょっと待て」

 

 話の腰を折られたことを、快く思わなかったのか、首をガクンと傾け、溜息をこぼす。俺はそんな彼女の仕草を無視し、辺りを見回す。

 

 ――やはり、居る。

 

 こんな偶然、ありえない。だが、一つ一つの事象が結び合い、その偶然を物語る。俺が見回した視線の先には、パッ見で七羽のカラスの姿が見えた。

 

 七羽。流石に数が多すぎる。黒く、太い電線コードの上で羽を休めるカラス。葉の少ない、寂しい枝の先で羽を休めるカラス。ブロック塀や家の屋根の上で羽を休めるカラス。ソイツらは全員俺と彼女のことを、鳴きもせずじっと、黒い二つの瞳で眺めていた。

 

 

「もしかしてお前、怖い話とかネットに投稿したか? 題名は、天狗の悪戯って奴で」

 

 目の前の異常な光景を目の当たりにして、思わず小声でそっとそう呟く。すると彼女は少しだけ照れくさそうに言った。

 

 

「ええ、隠す必要もないしね。投稿したわよ、それ」

 

 やっぱりか。偶然にしては良く出来すぎているが、考えたって仕方がない。俺が今日の朝、あの恐怖体験に目を通したのも、スーパーの店内でコイツと出会うのも、なにかに仕組まれていたのではないか? そう思う程の、気味の悪い偶然だった。

 

 

「そうか、じゃあ何で俺に話かけたんだ、同じ天狗憑きだからなのか?」

「少し違うわね。貴方に話しかけた理由は――――」

 

 彼女の言葉は、後ろから響く大きな落下音によって遮られる。何だ、と不思議に思い俺と彼女が後ろを振り向くと、液体の漏れ出た缶のコカ・コーラが見えた。

 

 

「空から降ってきたのか? 危ないな」

 

 俺は余りそれを気にもせず、ショッピングカートを両手で掴み前へ進もうとするが、彼女に右腕を強い力で引っ張られ、そのまま俺は彼女の方に倒れこむ。

 

 

「痛った……。何するんだよ」

 

 俺のその言葉を共に、ショッピングカートが大きな音と共に真っ二つになった(・・・・・・・・)

 

 

「――は?」

 

 刃物で切られたように切断面は綺麗ではなく、ショッピングカートの先端部分は遠くに吹き飛び、切断面がグチャグチャになっていた。

 

 音のした地面に目を向ける。アスファルトの地面には、大小様々な石が入ったビニール袋が散乱していた。最も、強く地面に叩きつけられた為殆どが粉々になっているが。

 

 恐る恐ると上空に目をやる。日の沈みきった薄い闇には、その闇に負けない程の黒をした、何匹ものカラスが上空を飛び回っていた。

 

 ――それぞれの足には、俺を殺そうと言わんばかりの凶器を持ちながら。

 

 

 

 

 

 




少しだけ皆様に聞きたいことがあります><

活動報告にも記した通り、メインオリジナルキャラクターを二人程増やしたいと思っていまして。
ですが、そうすると殆どオリジナル小説になってしまう上、オリキャラを好まない方々に良くは思われないと思うのです。

ですから、皆様にこのままオリキャラを増やして欲しいか、増やして欲しくないかを聞きたいと思います><
身勝手な質問で申し訳ございません、どうか、お力をお添え下さい。









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薄い闇の中に輝く赤い瞳

 俺が彼女と出会ったのは偶然だ。

 

 たまたま俺は、その日の朝彼女の昔話をネットで探し見て、その日の昼頃偶然出会ったんだ。

 

 様々な事象が絡み合い、偶然の出会いを果たした。だが、彼女は俺と出会った事を必然であり、運命と言った。

 

 「こんな必然ないだろう?」俺がそう言うと、彼女は頬を少しだけ膨らませ、言った。「貴方と言う人に出会ったのは、必然よ。だって人と人は、お互いに頑丈な、絶対に切れない糸で繋がっているのだもの。そのお互いの糸が運命によって巻かれ、最終的にお互いが出会うの」と。

 

 あまり何を言っているかはわからなかった。彼女は遠回しに物を言うから、苦手なんだ。

 

 だけど、伝えたいことは少しだけわかる。俺が彼女の言葉に、頭を抱えその言葉の真意を考えると、決まってクスリと口元を軽く押さえ笑うんだ。

 

 「考えなさい少年。人は考えれば考えるほど、熟成したワインのように、中身が濃くなるのだから」

 

 俺はその言葉を無視し、頭を悩ませた。彼女はそんな俺を見て、もう一度腰元まで伸ばされた長い黒髪を小さく揺らし、また笑った。

 

 ――赤い二つの瞳を、嬉しそうに燦々と輝かせながら。

 

 

 

 

 薄い闇が広がる空を、その黒い羽を広げ飛び回るカラス達。

 

 鉛筆のように細い足や、黒く鋭い嘴には石の詰まったビニール袋、鈍く光るナイフ、空き瓶などカラスの飛び回るあの高さから落とされ、当たりでもしたら怪我では済まないだろう物が掴まれていた。

 

 闇夜に溶け込み、隙あらば俺の命を刈り取ろうとするカラス達のその姿はまるで、死神のようだった。そんな中、一匹の空を駆け回るカラスが足に掴む空き瓶を放す。

 

 

「――危ない!」

 

 彼女が俺の腕を強く引っ張る。我に帰った俺は勢いよく体を立ち上がらせ、すぐにその場から離れた。

 

 割れるような、嫌に耳の奥に響き渡る音が聞こえる。恐らく俺の倒れていた場所に瓶が落とされたのだろう。あのまま呆けていたらどうなっていただろうか、そう思うと背筋に寒気が走った。

 

 俺と彼女は、後ろを振り返らずにそのまま走り続ける。飛び散る破片にも注意しながら、取り憑かれたように全速力で地を蹴っていく。

 

 連続で響き渡る落下音。石が地に叩きつけられる鈍い音や、瓶の割れる高い音。ジグザグに道を走り続け、終わりの見えない鬼ごっこが始まった。長距離が得意ではない俺は、すぐに息が切れ始める。

 

 このままだとマズイ。そう呟きながら隣の彼女を見やると、体力には自信があるのかただ涼しい表情を浮かべていた。

 

 女に負けるのは何か癪だ。俺は少しだけ嘔吐きながら、気力だけで走る。だが、それがいけなかったのか俺の足は言う事を聞かなくなり始め、力が弱まった左足が右足に縺れてしまいコンクリートへとダイブした。

 

 

「くっそ、痛ってぇな。何なんだよもう――」

 

 急いで体を起こそうとすると、俺の左頬に何かが過る。一の字に薄く切れた俺の頬からは、朱色の血がゆっくりと流れ出た。

 

 俺の数センチ左側へと恐る恐る視線を動かす。鼠色のコンクリートの地面には一本の、鋭く銀色に輝く刺身包丁が垂直に生えていた。

 

 ゾクリと背筋が震える。鋭く研ぎ澄まされた刺身包丁の刃には、頬から血を滴らせ、恐怖に染まる俺の顔が見えている。このカラス達、俺達を本気で殺しにかかってきていやがる。

 

 

「早く立ちなさい! 死にたいの!?」

 

 鋭い声を俺に浴びせる彼女が、襟筋を力強く引っ張り上げる。それに俺は少し感謝をしながら、もっと優しく立ち上がらせて欲しかったな、と咳込みながら呑気に考えた。人間、死に直面するとどうでもいいことを考えるのだとわかった瞬間である。

 

 多少よろめきながらも俺は、彼女の手に引っ張られ地を蹴った。それから少し走ると、彼女がやり切れないと言わんばかりの怒声を上げる。

 

 

「もう、キリがない!」

 

 そうとだけ言うと、彼女は進める足を止め、空を黒色で覆い隠す程の群れを成すカラス達へと向かい合った。

 

 

「おい、何してんだよ死にたいのか!?」

「足手まといは黙りなさい」

 

 俺の悪口だけを言い、深く息を吐いてから目を見開く彼女。何をするのだろうと思い、隣から見る彼女の瞳は、文に負けない程の真紅色に染まっていた。

 

 薄い闇の中、真っ赤に染まるその瞳だけが浮かび上がる。彼女はその瞳をゆっくりと空へ上げ、カラスの群れを視野に入れると、数十匹もののカラスがピタリと”動きを止めた”。

 

 羽を動かすのをやめたカラス達は、重力に従い鈍い音を立てながらその命を引き取っていく。

 

 

「なに……が起きたんだ」

「説明は後、他のカラスが来ない間にあそこの空家に逃げ込むわよ」

 

 呆然とそう言う俺に、彼女は嗜めるような口調でそう言った。血のようなその赤い瞳を浮かべながら――。

 

 

 

 

 

 入った空家の中は酷く散らかっており、まるで借金取りから逃げてきたのかと思う程の、散らかり具合だった。

 

 古ぼけた茶色いタンスや、畳の上に散らかった一升瓶。調味料や灯油のポリタンク、大量のタバコが其処らじゅうに散らばり、この家の主は碌でもない奴であろう事が、容易に伺える。だが、時の止まったようなこの空間だけには、どこか好意を持てた。

 

 

「……酷い散らかり様だな」

 

 俺は床に落ちた新聞紙の束を手に取り、一人でにそう呟く。新聞に書かれている年月を見てみると、半年前の新聞だと言う事がわかった。

 

 

「どうやらこの家の主さんは、半年前までこの家に住んでいたようね。誰もいなくて助かったわ」

「そうだな、もし誰かいたら俺達は、この家の庭窓から窓を割って侵入した強盗だ」

 

 俺が両手に広げた新聞紙を肩口から眺める彼女に、責め立てるような口調で、俺はそう言った。玄関が空いていなかったからって、もう少しマトモな侵入方法があったものだろうと、俺は思う。

 

 

「何よ、文句あるの?」

「別に、ただ少し野蛮だな、って思っただけ」

 

 そう言うと同時に俺の体はピクリとも動かなくなる。まさかと思い、目だけを動かし彼女を見やると、薄暗いリビングの中、瞳を赤色に染め上げながら彼女は俺を睨んでいた。

 

 腰元まで伸ばされた艶やかな黒髪が、どこから入ったのかもわからない風に揺れ動く。その姿はまさに、目を合わせた人間を石に変える伝説上の化物、ゴーゴンそっくりだった。

 

 

「貴方の動きを止めてから、ゆっくりと痛めつけるのは楽しそうね」

「本当ごめんなさい、反省してますからその赤い瞳をお納めくださいませ」

 

 そう言うと、まるで巨大な蛇に巻き付かれたかのように動かなかった俺の体は、その呪縛から解き放たれた。

 

 本当に、どうなっているんだ。誰に言うでもなく心中でそう呟くと、目の前に居る彼女は俺の心を読み取ったかのように、相変わらずの優雅そうな微笑みを作り上げながら、俺の疑問に答える。

 

 

「私のこの瞳はね、視界に入れた物を一定時間、動きを止める事が出来るの」

 

 人妖誰でも、例え物でも水の流れでもね。そう言葉を紡ぐ彼女の表情は、どこか悲嘆に満ちている。俺はその言葉に、深く追求はせずただ短く、そうか。とだけ呟いた。

 

 俺と彼女の間に、気まずい沈黙が訪れる。辺りからは風に吹かれ、葉の戦ぐような音と、カラスの鳴き声が鮮明に聞こえてくる。

 

 ――何かがおかしい。

 

 最初のその違和感は、崖を転がる小石のようなものだったが、段々とその石は大きく、辺りの石達を巻き込み土砂崩れを起こしていた。

 

 ふと彼女の方を見やる。彼女もその違和感に気づいたのか、深刻そうな表情を浮かべながら小さく頷いて見せる。俺はお互いに感じる違和感を確認し合うように、口を開いた。

 

 

「なぁ……いくらなんでも、静か過ぎないか?」

 

 そう、車のエンジン音は疎か、人のアスファルトを踏む音、話し声、気配までもが感じられない。まるで、俺と彼女以外の人間が消え去った(・・・・・・)のかと錯覚する程の静けさだった。

 

 

「何かがおかしいわね、少し外の様子を見るから、そこで待ってなさい」

 

 何故彼女はこうも上から目線なのだろうか。俺はそう思い、リビングに取り付けられた庭窓へと移動する彼女の後ろ姿に、小さく舌を出して見せた。

 

 窓の割れた庭窓から、外へと彼女が顔を覗かせる。その瞬間に、思いなしか彼女の表情が段々と青ざめていったような気がした。どうしたのだろうと思い、彼女の傍に近寄り庭窓から顔を覗かせると、異様な光景が目に付く。

 

 

「な、なんだよ――これ」

「私が聞きたいわよ」

 

 お互いの声が震えているのがわかる。目を擦り、もう一度外を見やっても、異様な光景は変わらなかった。

 

 自分が住む街には、人の影が無く。薄い闇が広がる空が一箇所だけ、漆黒に染まっていた。その漆黒の黒は、段々と移動しているように見える。――――俺達が居る空家へと。

 

 足が震え始めるのがわかる。その”黒”達は、うるさすぎる羽音を立てながら、しっかりと、確実に空家へと進んでいく。

 

 まるで、闇そのものが動いているようだ。だが、それは違う。その動く闇の正体は、夥しい量で群れを成す――鴉の集団だった。

 

 思考よりも足が動く。この場から一刻も早く離れようと動くが、そんな俺に対し、彼女は鴉の集団を穴が開くほど眺めながらこう言った。

 

 

「――――綺麗」

 

 ポツリと言ったその一言で、俺は彼女が正気でないことがわかった。この場から逃げようと、はやる気持ちを押さえつけ俺は彼女の元へと駆け戻る。

 

 

「おい、どうしたんだよ大丈夫か!?」

 

 肩を揺さぶり、そう問いかける。だが、彼女の黒い瞳は古井戸のように黒く濁りきり、俺の言葉を無視して虚空を眺めていた。

 

 

「――綺麗、綺麗、綺麗、綺麗、綺麗、綺麗、綺麗、綺麗――」

 

 彼女は何かに取り憑かれたかのように、ただ虚空を見据え、綺麗。と呟いている。そんな彼女を見て、俺は多大なる恐怖に見舞われた。

 

 ダメだ、コイツは使い物にならない。かと言って置いていくのも出来ない。――クソッッ! どうすればいいんだ。

 

 この状況を打破するべく、俺は思考を巡らせる。空家の中を見回し、極力外へは目をやらないようにした。

 

 彼女の瞳は使い物にならない。鴉達がこの庭窓をブチ割り、俺達を嬲り殺すまで持って五分と言った所だろう。それまでにどうにかしなければ、俺と彼女は無残な死に方を遂げるだろう事は目に見えている。

 

 冬だと言うのに、空気は嫌に生ぬるい。額には脂汗がにじみ出ており、俺は首が契れそうになる程、空家の中を見回した。

 

 ――イチかバチか、これしかない。

 

 俺は上の空の彼女を庭窓の傍からリビングの端へと避難させ、必要な物をかき集める。

 

 一升瓶を手に掴み、灯油の入ったポリタンクを台所から窓際へと移動させた。灯油ポンプを一升瓶の中に突っ込み、自分の手に灯油が掛からないように、慎重に灯油を注ぎ込む。

 

 次に床に落ちている新聞紙を、灯油の入る一升瓶の中へ、新聞の中身がはみ出るように中途半端に入れ込んだ。

 

 ――あとは、新聞紙(導火線)に火を付ける物が必要だ。タバコが散らばっている事から、ライターがある事は想定出来たが、中々にその目的の物は姿を現さない。

 

 その間にも近づいてくる真っ黒い()。俺は息を切らしながら荒らし回るようにライターを、無我夢中に探し続ける。

 

 ――どこだ、どこにあるんだ。俺が動くたびに、物が大きな音を立て、床に崩れ落ちる。俺はやり場の無い怒りを発散させるように、タンスを蹴り飛ばした。

 

 ガタン。大きな音を立て、タンスが横向きに倒れこむ。そんな中、人差し指程の大きさをした物が、タンスから弾き出た。それは、百円ショップでよく見かける、使い捨てライターだった。

 

 

「よし!」

 

 俺は床を転がる使い捨てライターを素早く手に掴み取った。逸る気持ちを必死になって押さえつけ、電子式型のライターの火を点けようと試みる。

 

 スイッチを押すが、パチ。とライターは空回りするのみ。だが、俺は頼みの綱を離さないと言わんばかりに、膝を床に付けながら必死に点火させる。傍から見る俺の姿は酷く滑稽だろう。

 

 親指が赤くなり始め、それは十二回程目の点火の時だった。シュボ、と空気が燃えるような音を発し、ライターの火口ノズルからオレンジ色の火が放たれる。すぐさま俺は、それを一升瓶の呑み口からはみ出た新聞紙に燃え移し、視点を庭窓の外へと向ける。既に鴉の群れは、夥しい羽音と共に俺へと突進しようとしていた。

 

 

「これでも食らってろ、この害鳥共が!!」

 

 空家に突進しようと、鴉の集団は高度を一気に低くさせる。庭を囲むブロック塀を乗り越えようとした瞬間、俺は火の点いた火炎瓶を鴉達に投げつけた。

 

 ブロック塀に当たると共に、新聞紙に点いた淡い炎は灯油と交わり、一気に炎の手を広げさせる。高度を低くさせ、ブロック塀のスレスレ辺りにまで低空させた鴉達は、いとも容易く炎の壁に遮られた。

 

 よし、と心の中で歓喜するのも束の間。オレンジの炎を体に纏う鴉の群れは速度を落とさず、悲鳴を上げながらそのまま――――空家の庭窓へと突っ込んだ。

 

 

 

 辺りは地獄絵図だった。

 

 庭窓から離れ、危機一髪で燃えるカラスの突進を避けたが、空家の家の中で苦しそうに暴れまわる夥しいカラスの群れは、辺りを容易く燃え移した。

 

 羽を上下に振り回し、苦しそうにその場でカラスはダンスを踊る。踊り疲れた者は、はしゃぎ疲れ、眠る子供のように、静かにその身を床へと落とす。段々と燃え上がる炎の手を、俺は部屋の端で気を失った彼女の体を抱き寄せ、呆然とただ見ている。

 

 まさか、コイツと心中なんてするとは思わなかった。空気までもを燃やす炎が、俺の目の前をゆっくりと忍び寄る蛇のように近づいてくる。

 

 段々と、息がしづらくなって行く中、俺は天井を見上げ過去を振り返る。だが、やはり過去の記憶は思い出せなかった。出てくるものは、自分の家族であろう存在や性格。どんなに思い悩んでも家族と過ごした過去の記憶と、名前はまるで鍵のかかった部屋に守られているように、思い出せなかった。

 

 せめて、最後くらいは思い出したかったな。俺はそんな事を考えながら、ゆっくりと瞳を閉じた。

 

 ――――瞬間、心地の良い。体を冷やすような風が俺を包み込む。

 

 

 

 

 



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午後七時 傷心の彼女と儚い月

 暗く、深い闇の中。

 

 遊園地の場所で見た、白い世界とは正反対の黒い世界。だけども、何故か恐怖は感じられなかった。何故だろうか、俺は皺の少ない脳みそで考える。

 

 白い世界と同じく、この世界では音も感覚も痛みも匂いも何も感じられなかった。まるで深い深い海の底へ突き進んで行くような感覚。だが、冷たさは感じられず、暖かい温もりを感じられる。それだけが唯一感じられて、俺の心までもを暖かく染め上げるのであった。

 

 炎のような燃える熱さではない。お湯の中で体を休めながら寛ぐ熱さでもない。誰かに抱きしめられる、そんな優しい温もり。

 

 俺はその場でリラックスするように寝転がる。暗い闇の中、地面があるかもわからない。もしかしたら俺は高い場所から地面へと急降下しているのかもしれない。

 

 だけど――それならそれでいいと思った。今はこの、暖かい温もりを感じる。それが最優先だ。目線を上空に向けると、ふと何かが目に付く。それはよく玄関を開ける時に使う、銀色に妖しく輝く鍵だった。上部分の丸には、COALと大きく書かれてある。

 

 何でこんな所に鍵があるんだ。そう疑問に思い、一度立ち上がりながら俺は何気なくその鍵を手で掴み取った。暗い暗い世界の中、反射する光も無いのにその銀色だけが、妖しく煌めいている。

 

 俺はその鍵を一通り眺め終わったあと、ゼブラパーカーのポケットに入れた。ポケットに入れた鍵の重みは、ちょうどいいぐらいで俺の心を少しだけ満たす。

 

 満足げに息を吐き、俺はもう一度寝転がり直す。突然に感じられなかった睡魔が俺を襲い、俺はされるがままにそのまま――――瞳を閉じた。

 

 

 

 

 瞳を開けて見えるのは、白い天井。嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔を突き、瞬時に俺は自分が何処にいるかがわかった。上体を起こして辺りを見回すと、案の定と言った所か、毎日のように見慣れた自分の部屋が見える。

 

 

「遅いお目覚めね」

「デジャブを感じられるんだけど、気のせいかな?」

 

 風鈴のような透き通った声。声のする方を向くと、ニットワンピースを着ている彼女がワークチェアに腰を下ろし、さぞ自分の部屋に居るかのように難しい本を片手に、ハートの柄が書かれたマグカップを手に掴んでいた。

 

 彼女は分厚いその本を閉じると、ノートパソコンが置いてあるデスクの上にポン、と優しく置き、俺と向かい合う。二つの瞳から血のような朱は感じられず、少しだけ濁った黒が見られた。

 

 

「その様子を見ると、大した怪我は無いみたいね」

「俺達は……助かったのか?」

「ええ、貴方の所の、鴉天狗さんのおかげで」

 

 ――文の事か。後で礼でも言わなきゃな。そう思ったが、多分調子に乗るからやめておこう。俺は掛け布団を剥ぎ、体を起こしながらベットに腰を掛ける。そうすると、一気に部屋の中の凍えた空気が俺の身を刺した。思わず一度だけ大きく身震いをする。

 

 

「――ねぇ」

 

 そんな俺に、彼女から声を掛けられる。その声にはあまり感情を感じられず、まるで古井戸の奥底に溜まる濁った水のような冷たさを感じられた。顔を俯かせ、絹糸のように細く、美しい長髪は丸型蛍光灯の淡い光を吸い取り、儚げに輝いている。

 

 

「どうして、私を助けたの?」

 

 相も変わらず冷たい声色。だが、その声はどこか震え気味だった。俺はその質問に少しだけ疑問に思いながらも、仕方なさげにゆっくりと答えていく。

 

 

「人を助けるのに、理由なんてないだろ」

 

 彼女の肩が少しだけ震えた。自分の言っているこの言葉は、所詮綺麗事だと思う。だけど、俺は純粋に、人を助けるのは当たり前の行為だと思っているんだ。それが例え子供でも、老人でも。

 

 

「人が死ぬって事は、悲しい事だ。それも、下らない理由で死ぬって事は物凄く、悲しい事なんだ」

 

 何故か俺のこの言葉達は、するりと喉を通して、口から零れる。何が俺をそうさせているのかわからないが、自然と零れてしまう。それこそ、まるで滝を流れる水のように。そんな俺に対し、彼女はただ黙って顔を俯かせていた。

 

 俺は自然と零れゆく言葉を飲み込み、口を閉ざす。この場を沈黙が支配する。流れる空気は冷たく、体に纏わり付くように重かった。外は完全に闇に覆われ、街全体を照らすのは儚げで弱々しい月光だけ。そんな月を見るなり、俺の心境は不安に見舞われた。

 

 この弱々しく、頼りになりそうもない月の光が消えてしまったらどうなるのだろう。街全体を照らす光はなくなり、人工的な光でしか街を照らせなくなってしまう。俺は窓から空を見て、唯唯この月光が消えてしまわないかが心配になった。

 

 

「……と、まぁそんな訳だ。もうこんな時間だし、飯だけでも食ってくか?」

 

 俺は不安に見舞われる空から目を離し、彼女の方へ向き直る。彼女は先程と変わらず、未だ顔を俯かせていた。重たい腰を上げ、冷たい空気に身を震わせながら俺はゆっくりと立ち上がろうとする。

 

 

「――――私は誰も救えなかった」

 

 ポツリと零した、彼女のその言葉。声色は悲しみと罪悪感に満ち溢れており、酷く痛々しかった。

 

 

「弟も友人もいなくなったのに、私だけが生きている。私は、皆を見捨てて、一人だけ生き残ったんだ。私……だけが」

 

 彼女は自分の着ているニットワンピースを、両手で強く握り締めた。気の強い彼女は消えていなくなり、ポン、とでも押せば崩れ落ちそうな彼女が現れる。その、今にも消えそうな彼女は空に浮かび上がる月のように、儚く、弱々しかった。

 

 肩が小刻みに震えている。そんな彼女に俺は――掛けていい言葉が見つからなかった。俺が悔しそうに唇を噛むと、彼女はハッとしたように声を紡ぐ。

 

 

「ごめんなさい。こんな事言われても、困るわよね。ご飯は遠慮しておく。貴方の所の天狗さんに、迷惑は掛けられないもの」

 

 そう言いながら元気そうに顔を上げ、彼女は唇の端を不敵そうに釣り上げた。だが、僅かにそれは震えており、見栄を張っているであろう事は、目に見えている。

 

 彼女は過去の出来事に囚われているんだ。自分の友人と、弟を助けられなくて、無力などうしようもない自分をいつまでも攻めている。だから俺は立ち上がり、消え入りそうな、空に浮かぶ月のように弱々しい彼女の肩を強く掴んだ。

 

 

「ちょっと、何触っているの――」

 

 彼女の言葉を、俺は全て喋らせなかった。これ以上彼女に喋らせてはいけない。何故なら、近いうちに消えていなくなってしまうかもしれないから。だから俺は彼女が逃げて消えてしまわないように肩を掴み、彼女が元に戻ってくれるよう――――脳天に強くチョップをかます。

 

 

「ほら、元に戻れ。面倒臭いぞ今のお前」

 

 壊れかけたテレビを直すように、俺は少し斜めよりに乱暴なチョップをかます。彼女は小さく痛みに呻きながら、段々と表情を怒りに赤く染め上げていった。

 

 

「……ハエが私にチョップするだなんて、いい度胸してるじゃない。平手で潰されたいのかしら」

 

 重力を無視して逆さに釣り上がる彼女の髪の毛。それらが意思を持つように小さく蠢いている気さえする。彼女が俺の動きを封じ、嬲り殺してしまう前に俺は、早めに言葉を紡ぐようにした。

 

 

「記憶って奴は、酷い奴だ。楽しい出来事ばかりすぐ忘れる(食べる)癖に、苦い出来事はまずいからって、全く食べやしてくれない」

 

 彼女の長く、淡い光を放つ髪が重力に従い、元に戻る。表情は苦虫を噛むような、顰めっ面。俺は脆い、壊れかけの陶器を扱うように彼女の髪を、優しく、諭すように撫でた。

 

 ビクリと、彼女の体が一度震える。数時間前までは、敵やらなんやらと認識していたが、彼女は過去の傷が原因でただ、感情の表し方や話し方が苦手なだけなんだ。本当の彼女は優しく、人より少し脆いだけ。俺をなんやかんやで助けてくれたり、友人を救えなかった罪悪感に今も悩まされているのが、その証拠だ。

 

 絹糸のように細かい髪が少しだけ揺れる。粉雪のように儚く、滑らかな髪の感触が俺の手の平を通じ、心の奥底にまで届いた。俺はまるで、赤ん坊をあやすような口調で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

 

「だけど――それでいいと思うんだ。楽しい思い出ばっかり覚えていたら、これから起きる楽しい思い出が、つまらなく、物足りなく感じてしまう。人はつらい思い出を忘れて元に戻るんじゃない、つらい思い出を乗り越えて、吹っ切れて元に戻るんだ」

 

 家族の記憶を、名前を忘れてしまった自分が、何を言っているんだとつくづく思う。だけど、過去の出来事にいつまでも、ウジウジ考えて、悩まされるってのも、何かおかしいと思うんだ。

 

 外の景色は、先程と変わらず闇に覆われている。だが、月の淡い光のおかげで、これ以上は酷くならない。だから俺は、彼女のそのかろうじで心を繋いでいる糸を、離さない。離してしまうと、彼女の心に月が消え、暗い暗い闇に覆われてしまうから。

 

 糸を手操り寄せるように、俺は彼女の長い髪を撫で続ける。彼女はまたも顔を俯かせ、どんな表情をしているのか、俺にはわからない。いや、わからなくていい。

 

 

「だから、お前も過去の出来事引っ張らないで吹っ切れちまえよ。そうした方が楽だぞ」

 

 そう言って、俺は彼女の頭をポン、と優しく叩き、リビングに行くべく彼女に背を向けた。すると、後ろから小さな、押し殺せきれないような、嗚咽が聞こえる。泣いているのだろうか、少しだけ気になり、後ろを振り向くと彼女は顔を俯かせ、手で俺をしっしと払う。

 

 いつまでも、強気だな。心中でそう呟き、俺は彼女から背を向けなおすと、思い出したかのように言葉を紡ぐ。

 

 

「遅れてもいいから、飯食ってけよ」

 

 そして俺は、レバーハンドルを下に倒し、後ろ手で扉を閉めた。

 

 

 リビングへ足を運ぶなり、何かを炒めるような音と、香ばしい匂いが鼻先をくすぐった。俺は上に羽織るゼブラパーカーのファスナーを下ろし、ソファに座ると同時に背もたれに掛ける。

 

 ミニテーブルの上に丁寧に置かれたテレビのリモコンを掴み、徐に電源のスイッチを押した。瞬間チカチカとした弱々しい光が目に付き、辺りを照らし出す。番組表を開き、何時かを確認すると、午後の七時ちょうどだと言うことがわかった。

 

 何か面白そうな番組はないかと探してみるが、やはり七時だと言うこともあり、魅力的な番組ばかりが目に付く。俺はその中でも一番に興味を持った、面白映像百連発、と言う何とも在り来りな題名のコメディ番組のチャンネルに合わす。

 

 

「今日は、災難でしたね」

 

 可愛らしい犬が変顔をしている辺りで、文がミニテーブルの上に山なりに炒飯が盛り付けられた皿を置く。炒飯は早く食べてくれ、と言わんばかりに狼煙のような真っ白い湯気を上げていた。

 

 

「ああ、文が助けてくれたんだっけな、ありがとう」

 

 やはり、礼を言わないと失礼だろうと思い、俺は素直に頭を下げた。そうすると文は鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべ、俺の額に手を合わせる。

 

 

「……熱は無いようですが、一応風邪薬飲んどきましょうか」

「なに、そんなに俺が礼を言うのっておかしい訳?」

 

 文の手の温もりは暖かく、彼女とはまた違った優しさを感じられた。

 

 

「そうですね、真さんが礼を言うと噴火や地震が起きます」

「成る程。俺が礼を言うと天変地異が起きるのか」

「はい、そりゃあもう。夏の季節に雪が降り、秋の季節に年間最高気温が予測され、冬の季節に向日葵が咲き誇り、春の季節に紅葉が咲き乱れるぐらいに珍しいですね」

「長い説明ご苦労様。一発殴っていいですか?」

 

 何故俺が礼を言うと生態系がおかしくなるのか。俺が強く握り締めた拳を文に見せると、文は両手をぶんぶんと勢いよく振りながら「冗談ですよ」と笑って見せた。その間にも淡々と、料理をミニテーブルの上に乗せる彼女の手際の良さに、俺は少しだけ関心する。

 

 

「ああ、そうだ。夜飯三人分用意してくれない?」

「え、何でですか? まさかあの人も一緒に食べるんですか?」

「ああ、俺が誘っておいた……って。なんだよ、その露骨に嫌そうな顔」

 

 眉を寄せ、文はこれでもか。と思う程の顰めっ面を俺に見せた。その表情を見て、俺は何か問題でもあるのか、と慌てながら言葉を紡ぐ。

 

 そう言うと彼女は、深く溜息を吐きながら物凄く嫌そうな表情を浮かべ、ありませんよ。とだけ言いキッチンへもう一人分の夜飯を作りに行った。何故か後ろ姿は悲しげに見え、足付きはフラフラと危なげない。

 

 変な奴。俺は小さくそう呟いて、淡い光を放つテレビへと目を向けた――――。

 

 

 

 ガチャリと、リビングのドアが音を立てながら開いた。

 

 テレビから目を離し、俺はそこへ目を向けると、やはりと言った所か彼女が現れる。ただ、あまり人の家にお邪魔した事がないのか、態度はどこか落ち着きがない。

 

 キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回す彼女に、俺はソファに腰を下ろしながら手を振って見せた。そんな俺の存在に気づくと、彼女はまたも落ち着きなさげな、ぎぐしゃぐとした動きで俺が座るソファへと歩みを進める。

 

 そのロボットのような歩き方に、俺は苦笑いを零すしかなかった。そして、やっとソファに座ると思ったら、今度は俺から一定の距離を取り、ソファの一番端に腰を降ろす。

 

 

「……お前友達いないだろ」

「なっ――――何言ってるの。居るに決まってるじゃない」

 

 そう言いながら彼女は腕を組み、頻りに頷いて見せる。最早その妙な仕草から、私は友達がいません。と言っているようなものだった。

 

 ソファに座りながら、彼女は辺りをキョロキョロと、ソワソワと見回している。顔を振るたびに、彼女の長い黒髪が大きく靡く。あからさま過ぎるだろう。俺は言葉にはせず、心中で小さくそう呟いた。

 

 

「まぁ、それはそうと」

 

 ごほんと、彼女はわざとらしそうに咳をする。本当に、忙しい奴だな。俺はそう思いながらそっぽを向く彼女に耳を傾けることにした。

 

 

「さっきは、ありがとう。おかげで少しは楽になった」

 

 そっぽを向く彼女の表情は見えなかった。だが、素直に礼を言うのに彼女は慣れていないのか、声は少しだけ小さめで聞き取りづらい。俺はテレビの音量を少しだけ小さくしながら、どう致しまして。とだけ短く返す。

 

 リビングの空気は、俺の部屋と比べて比較的暖かいものだった。俺は氷の入ったプラスチックカップにお茶を注ぎ、徐に一飲みする。やはりあの騒動の後だったからか喉は乾ききっており、いっぱいに入れたお茶はすぐになくなっていた。

 

 音量の少しだけ小さいテレビ番組に、嗅げば嗅ぐほど腹の虫が鳴き始める、香ばしい匂いを漂わせた夜飯。暖かい空気がこの場を支配した。

 

 

「ねぇ、貴方って――――」

 

 突然に隣に座る彼女から声が掛かった。だが、彼女のその言葉は途中で強制的に区切られる。俺が理由ではない、もう一人分の夜飯を手に掴んだ文が、わざわざソファの裏側から体を乗り出しミニテーブルに料理を置いたからだ。

 

 

「夜ご飯出来ましたよ、二人共」

 

 俺と彼女の顔を交互に見やり、何故か二人、という言葉を強調した文。不機嫌そうに頬を膨らませながら、ドスンと音を立てミニテーブルの傍に座った。

 

 

「何むくれてんだよ、文」

「むくれてなんかいません。真さんが浮気者だから怒っているだけです」

「意味わかんねぇ」

 

 やれやれと言った感じに俺は頭を掻く。隣の彼女に目をやると、彼女までもが仕方が無いと言ったような表情で、苦笑いを浮かべていた。俺は銀色に輝くスプーンを手に取ると、彼女の言葉の続きが気になり、口を開く。

 

 

「さっきの続き、何なんだ?」

「二度も言うことじゃないし、もういいわよ。それより自己紹介がまだだったわね」

「ああ、そうだったな。俺は天田 真(あまた まこと)って名前。宜しく」

「変な名前ね」

 

 彼女の言葉に俺の心は、刃で切り刻まれたように痛んだ。そんなに俺の名前は、珍しいのか。そう呟き、俺は名前も知らない名付け親を、唯唯呪った。

 

 そんな涙目な俺を見てか、彼女はクスリと微笑む。その微笑みには、不気味さやら冷たさなんてものは感じられず、心の底からの暖かい微笑みのように見えた。彼女の長い髪は、天井に取り付けられた丸型蛍光灯の光を吸い取り、儚くも力強く輝いている。

 

 

「私の名前は茅ヶ崎 刹那(ちがさき せつな)。忘れたら、殺すから」

 

 

 

 

 




やばい……他の小説の内容忘れた。

次回は恐らく、もう一つの方を書くと思います(多分)


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嫌な空気と夜の闇

 

文と俺の、二人きりではない食卓は、酷く新鮮なものだった。

 

 何故か文は、顰めっ面を浮かべながら丁寧に炒飯をテーブルスプーンで掬い、頬張っている。何時もなら彼女から話題を振ってくるくせに、今日に限っては無言を貫き通していた。

 

 そんな文の表情に気づいているのか、気づいていないのか刹那は、上品そうに口に手を当てながら熱そうに餃子を頬張っていた。なんで少し空気が重いのだろう。俺は疑問に思いながら、餃子にタレを付ける。

 

 

「――――なぁ、夕方のカラス達は、なんだったんだ?」

 

 俺は沈黙を破るように、そう言った。すると、二人が顔を上げる。

 

 

「あのカラスはですね――――」

「あのカラスの群れは、私に取り憑いてる天狗の仕業でしょうね」

 

 文の言葉を無視して、刹那が言葉を重ねてくる。恐らく偶然だろうとは思うが、得意げに口を開いていた文は、口を開きながら数秒固まって見せた。文の後ろで映るテレビの映像と、文の姿が一致し、哀れみの念が俺の心の奥底から湧き出てくる。

 

 

「なんで、刹那に憑いてる天狗が俺達に危害を加えてくるんだよ」

「”俺達”じゃなくて、恐らく貴方だけね。カラスが上空から落としていった凶器、貴方の近くでしか落とされてないもの」

 

 そう言われると、そんな気がしてきた。確かに石の入った袋も、空き瓶も刺身包丁も、俺の近くでしか落とされていなかった気がする。

 

 

「そうか……それじゃあ空家で、お前なんかおかしくなってたけど、あれってなに?」

「天狗の魅了の力、と言った所かしら」

 

 流石に、憑かれているだけあって詳しいのか、刹那は俺の質問に間を開けず淡々と答えていく。卓球のラリーのような言葉の返しに、俺は感服の念を表すような溜息を吐いて見せた。

 

 

「じゃあ――――」

 

 パキリ。そんな小気味良い、何かが折れるような音が聞こえてきた。次に、何か鉄製の物が落ちるような高い音が聞こえる。

 

 何の音だろうか。そう思い音のした方を向いてみると、文がテーブルスプーン”だったもの”を握り締めながら、ワナワナと震えていた。ミニテーブルの上へと視線を落とすと、スプーンの丸い部分が無残な形になって落ちている。

 

 俺と刹那、二人の視線に気づいたのか、俯かせ気味のその顔を上げ、笑顔を浮かべた。

 

 

「スプーンが壊れちゃったので、変えてきますね」

 

 笑顔でそう言い、テーブルスプーンの残骸を手に持ちながら文はキッチンへと向かう。それにしても何故だろうか、先程の文の笑顔を見て、俺は恐怖心を抱いている。訳はわからないが、体が震えて仕方が無い。

 

 

「貴方も、大変そうね」

 

 体を震わせる俺を見て、刹那が初めて、俺に同情の目を向けた。その言葉の意味を、俺は余り深く考えないようにする。

 

 嫌に重たくなった空気は、体を震わせる俺を見て嘲笑うかのように、体に纏わり付いてきた。そんな空気から逃げるように、俺は首を横に、勢いよく振る。

 

 

「ま、まぁ。文の事は放っておいてさ、まだお前に聞きたい事があるんだ。例えば――」

「私が代わりに答えますよ」

 

 不意に背後から言葉を投げかけられる。刹那じゃない。後ろを勢いよく振り向くと、いつの間に俺の背後に回り込んだのか、カラスの濡れ羽色のような、美しい黒の髪が肩に掛かる程の長さの、射命丸文がくの字に腰を曲げ、立っていた。

 

 

「ビビらせるなよ……後ろに居るんなら居るって言ってくれ……」

「すみません、真さんの驚いた顔が見たくて」

 

 悪趣味だな。その言葉を投げ込もうとしたが、悲しくも喉からは空気の漏れるような音しか聞こえない。俺は代わりに、ごくりと唾を飲み込み、そうか。と震えた声で言うのが精一杯だった。

 

 そんな余所余所しい態度を見せた俺が不服だったのか、新しく手に持ったテーブルスプーンを軽く噛みながら、文は腰を持ち上げ、小さく舌打ちをして見せる。俺はその舌打ちに、ビクリと体を震わせていた。

 

 

「さて、聞きたい事があれば、私に聞いちゃってください。何でも答えますから」

 

 文は元の座っていた場所にゆっくりと腰を下ろすと、またも笑顔を浮かべ、得意げな表情で頬杖をして見せる。だが、俺にとってはその文の仕草が、恐ろしくて堪らない。チラリと、尻目に刹那の表情を見ると、居心地の悪そうな顔を浮かべていた。

 

 妙な沈黙が、場を支配する。テレビから聞こえてくる、お調子者の芸能人の声が、酷くうざったく思えた。何か喋らなければ。そう強く思うも、喉はただ震えるのみ。

 

 何秒、何分沈黙が続いただろうか。それでも文は、笑顔を浮かべ続けている。俺は、文のその笑顔が、いつものように見ている、その眩しい笑顔が酷く不気味に思えてきた。

 

 

「――――少し、貴方にお願いをしたいのだけれど」

 

 凛とした、我を貫き通すような女性の声。その声に、俺は我に返ることが出来た。心中で、刹那に礼を呟くと、文が笑顔で言う。

 

 

「……お前じゃないんだけどな」

 

 ゾクリと、冷たいその言葉に俺は大きく身震いをした。空気が嫌に重たい。俺は文のその言葉と、空気の重さに耐え切れず吐き気を催す。口に手を当て、小さく嘔吐く。

 

 肩で息をしながら、隣に居る刹那の表情を伺う。文にあんな事を言われたにも関わらず、意外にも刹那は無表情だった。またの沈黙が辺りを支配する。俺には、もうどうする事も出来ない。

 

 

「……わかりましたよ、その――刹那さん、でしたっけ? お願いって、何ですか」

 

 ぶっきらぼうにそう答える文。対する刹那は、言葉が返ってきた事に小さく頷くと、ゆったりと言葉を紡いだ。

 

 

「貴方に、私に取り憑いている天狗を退治して貰いたいのだけれど」

 

 懇願するようにそう言ってみせる刹那。確かに、夕方に退治したのはただのカラス達だ。刹那に取り憑く天狗とやらを、退治した訳ではない。

 

 妖しを倒すには、妖しを。そっちの方が手っ取り早いと思ったのだろう。だから、昼時に俺に話しかけた。俺はただ彼女に利用されているだけのようで、いい気分ではなかった。文はそんな俺の表情を一目見てから、徐に口を開く。

 

 

「え、嫌ですよ」

 

 文から出た言葉は、拒否の念だった。

 

 せめて、詳しい話だけでも聞いとけばいいのではないか。俺はそう思う。が、文は彼女の説明を聞くのも面倒そうに、早くこの話題を終わらせたいと言うような表情で、更に言葉を紡いだ。

 

 

「私が何故、貴方に憑いている天狗の退治をしなければならないのですか。私も天狗、貴方に憑いている者も、天狗。同族殺しなんて、溜まったものじゃない」

 

 文は吐き捨てるようにそう言った。彼女の言うことは正論だ。だが、もう少し言い包める事も出来るだろうに。いや、もしかしたらわざと、ハッキリ物を言ったのかもしれない。俺は荒い呼吸で、深く息を吐きながらそう考えた。

 

 チラリと、刹那を見る。この時、刹那の表情を見なかったら、俺は行動しなかっただろう。だが、見てしまった。刹那の浮かべていた表情は、先程の無表情と比べ、痛々しい表情だった。

 

 悲しげな彼女のその表情を見てか、俺はズキリと、切り裂かれるような鋭い痛みが胸に走る。普段、と言っても今日一日だけだったが、彼女が浮かべていた表情は殆どが、不敵な笑みか、無表情だった。そんな強い彼女が見せた、悲しげなその表情。ソレのせいで、俺の胸は鋭く痛む。

 

 

「…………そう、わかったわ。それじゃあ、今日はここいらでお邪魔させて貰う。聞きたい事は、聞いたからね」

 

 そう言って、彼女は儚いその黒髪を靡かせ、踵を返した。後ろ姿は酷く痛ましく、見るに堪えない程小さい。刹那は俺達の方を向かず、レバーハンドルに手を掛けながら、震えた声で言った。

 

 

「それと、夜ご飯、ありがとうね。美味しかった」

「――――ッッ刹那!」

 

 俺が立ち上がると同時に、刹那は大きく音を立て――――扉を閉めた。

 

 

 

 俺は、刹那を呼び止める事が出来なかった。彼女の、最後に言った声と後ろ姿は、酷く痛ましく、悲しい、唯一の望みを断ち切らされた者の姿だった。

 

 ――――こんな自分が悔しい。刹那の心の糸を手繰り寄せる、と言っていた自分の言葉が恥ずかしい。結局、自分は何も出来なかったじゃないか。俺は、彼女に何も――いや、むしろ、傷つけたんだ。彼女の脆いその心を。

 

 俺は立ち上がったその状態で、自分を責めていた。空気は弱い俺を攻撃してくるかのように、冷たく。食前に感じられた暖かい空気が嘘のようだった。

 

 青白い人工的な光を発するテレビ画面から、陽気な笑い声が聞こえてくる。それが酷く苛ついた。何も出来なかった俺を嘲笑うかのような、その笑い声に。俺は強く歯ぎしりをした。やり場のないこの悲しみを、怒りをどこにぶつければいいのだと。

 

 

「……折角の夜ご飯が、冷めてしまいましたね。真さん」

 

 俺はその声の主を睨みつけた。何故こうも、いけしゃあしゃあとしているんだコイツは。刹那の後ろ姿を見て、何も感じなかったのか。心中でそう呟いたつもりだったが、どうやら声に出ていたようで、文は少しだけ驚いたような表情を浮かべた。

 

 

「確かに、刹那さんの姿は、痛ましかったですね。ですが、私は思っただけの事を言ったまでです。同族を殺すなんて、私には出来ませんから」

 

 ――――嘘だ。俺はそう思った。何の根拠もないが、俺は心から強くそう思った。

 

 何で、文は平然と嘘を吐けるのだろうか。彼女は、俺に何度も嘘を吐き、隠し事をしている。今まではその事実に目を逸らし続けていたが、目の当たりにした今、そうはいかない。俺は変わらず、文の事を鋭く睨みつける。

 

 

「……真さん、座ってください。料理が冷めてしまいます」

 

 文が少しの怒気を孕ませ、そう言った。先程までの俺だったら、きっと黙って席に着いただろう。だが、今は違う。彼女の悲しげな、寂しげな声を聞いてしまった瞬間から、俺がすべき行動は、もう決まっているんだ。文の言葉に、ゆっくりと言葉を返す。

 

 

「――――少し、夜の散歩に行ってくる」

 

 そう言って、俺は踵を返す。閉まっているリビングのドアを乱暴に開け、玄関にある靴を急いで履いた。彼女に、刹那に追いつく為に。

 

 意外と言った所か、それとも、既に俺が刹那の後を追う事を予想していたのか、文は何も言わなかった。追いかけもしなかった。俺は、玄関の重い扉を開ける。

 

 開けた瞬間に、冷たい夜の風が俺の体を冷やす。せめて、パーカーだけでも着ておけばよかったと思うが、一刻も早く彼女の元へ走らないといけなかった。俺は勢いよく玄関から飛び出て、地を蹴り続ける。

 

 闇に染まる夜の街は、俺を歓迎するかのように冷たく出迎え、静かに俺の事を奥の方へ、招き入れた――――。

 

 

 

 

 



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闇夜に染まった彼女

 夜の世界は、何時もと違った雰囲気だった。

 

 七時辺りと言うこともあり、まだ人通りもあるが、昼と比べると些か少ない。何時ものように通るこの道も、闇に包まれているせいか違和感を覚える。

 

 だけども、立ち止まる余裕なんて無い。刹那を見つけなければならないのだから。

 

 刹那が俺の家を出てから、余り時間は立っていない。走れば、恐らく簡単に見つかるだろう。だが、俺のその予想に反して、刹那の後ろ姿は中々に見つからなかった。

 

 走りながら俺は、色々な事を考える。刹那は何処へ行ったのか、文の雰囲気がおかしかったのは、何故か、そして――――俺は刹那に会って、何を言うべきなのか。

 

 答えは見つからない。走っているせいか、それとも夜風が俺の思考を遮ってしまうせいか、中々に考えは纏まらない。

 

 視界はぐんぐんと変わっていく。頬を過って行く夜風が、非常に心地悪かった。それでも、俺は刹那を見つけるべく、コンクリートを蹴り続ける。

 

 走り続けたせいか、肺が痛い。足は鉛が詰まっているかのように、重く感じられる。冷たい空気を口から吸う度に、喉から鋭い痛みがやってくる。そんな痛みに耐えながらも、半ば自棄糞になりながら走っていた。

 

 一体、この短時間で彼女は何処まで行ったんだ。気が付けば俺は、刹那と会ったスーパーマーケットにまで足を運んでいた。

 

 ――――一旦引き返すか。その思考とは裏腹に、俺は踵を返さず、足を運んでスーパーマーケットを素通りする。まるで自分の足が意思に反し、勝手に動いているようだ。

 

 誘われるかのように、俺は歩を始める。走らず、ゆっくりと。俺の足は、一体何処へと向かっているのだろうか。その答えはすぐにわかった。

 

 ピタリと、俺は進める足を止める。風や空気は相も変わらず冷たくて、どこか不気味だった。闇はその力を増して行き、思いなしか月の光が弱まっている気がする。ゆっくりと視線を前へ落とすと、遊具も何も無い、小さな空き地のような公園が目に入る。

 

 ――――その公園の中に、人影が映った。公園内は暗い闇に覆われており、その人影は、まるで闇と同化しているかのように黒い。月光の届かない、暗い公園の中へと、俺は徐に足を踏み込んだ。

 

 なるべく、足音を立てずに人影へと向かって歩む。

 

 ――一歩踏み込んだ。人影は変わらず、奥の方に配置されているベンチに腰を降ろしている。――今度は二歩進んだ。辺りを覆う闇が強まる。まるで自分の心を段々と覆っていく恐怖を反映しているようだ。……今度は一気に、三歩進んだ。思い切ったその行動のせいか、ベンチに腰を降ろす人影が、俺の気配に気づき顔を上げる。

 

 人影が顔を上げるのを見計らったかのように、空に浮かぶ月の光が、人影を照らし出す。

 

 桃色と赤が混じったような唇に、赤く腫れ上がった眼。闇よりも黒いその長髪、闇を照らすかのように赤く、眩しい瞳。焦燥しきったような表情の、茅ヶ崎刹那がじっと俺の姿を睨んでいた。

 

 

「なんだよ、こんな所にまで行っていたのか。さっきは悪かった、文もきっと悪気は――――」

「来ないでッッ!!」

 

 刹那の方へ歩もうと、踵を浮かせた瞬間彼女の悲鳴にも似た声が、闇夜に響き渡った。劈くようなその悲鳴に、思わず一歩だけ後退してしまう。

 

 

「来ないで、来ないでよ。何で私を狙うのよ」

 

 震えた声で、懇願するように刹那は言葉を紡ぐ。淡い光に照らされた彼女の赤い瞳からは、今にも零れ落ちそうな量の涙が溜まっている。落ち着きの無いその声色に、俺はただ戸惑った。

 

 

「私の友人と弟を殺した挙句、私まで殺す気なの!? 言い伝えを破った事は、禁足地に足を踏み込んでしまった事は謝ります。ですから、許して下さい」

 

 何を言っているんだ彼女は。きっと、彼女は俺を別の奴として捉えている。恐らく、彼女に取り憑いている鴉天狗にだろう。理由は判らないが。俺は、成るべく相手を刺激させないように、ゆっくりと歩始める。

 

 

「大丈夫だ。俺はお前の言っている奴とは違う。だから、落ち着け。俺は天田真だ」

 

 一歩一歩、足を踏みしめる度に辺りの闇の濃さが、強まってくる感覚に陥る。淡い月の光は、舞台上の登場人物を照らし出すスポットライトのように、刹那だけを照らしていた。奇妙なその光景に、ひっそりとながら、俺は小さく息を呑む。

 

 あと二、三歩程で、手を伸ばせば刹那に触れられるぐらいの距離を詰められた。冷たい夜風が彼女の長い黒髪を靡かせて行く。華奢なその身体は、死者のように白く、彼女の二つの赤い瞳だけが情熱的に燃えている。

 

 

「刹那、もう大丈夫だから。お前を傷付ける奴なんて何処にも――――」

 

 俺の言葉を、刹那は最後まで聞いてはくれなかった。彼女へと手を伸ばそうとした瞬間、突然に俺の手のひらが真一文字に切れたのだ。

 

 鋭い痛みに、思わず顔を顰め呻いてしまう。自分の手のひらを恐る恐るに見てみると、人差し指から薬指の辺りの長さまで浅く切れている。朱色の液体が、たらりとゆっくり、手のひらから手首へと流れ行く。

 

 

「こ、殺されるぐらいなら――――」

 

 ――――殺してやる。刹那の右手に持つタガーナイフが、彼女の絶叫を吸い込み、銀色に鈍く輝いていた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 凡そ見先端部6センチ、刃渡り五・五センチメートルを優に超えるであろう、銀色のタガーナイフ。どこから持ってきたのかは判らないが、刹那が扱うであろうには、少し大きいのではないか。彼女の、そのナイフをぼんやりと見つめながら、俺は呑気に呟いて見る。どうやら俺には、危機管理能力と言うものが無いようだ。

 

 一先ず、刹那から離れなければならない。このまま彼女に近づきでもしたら、細切れにされる自信があるからだ。俺は、手のひらに出来た切り傷を舌で軽く舐め取りながら、後ろにステップバックする。

 

 

「お前、一体どうしたんだ。ナイフを降ろせって、危ないから」

 

 優しく、諭すようにそう言ってみるも、刹那は体を細かく震わせながら、目を血走らせるだけだった。冷静沈着と言う四文字熟語がお似合いの彼女からは、とても想像出来ない姿だ。

 

 

「うるさいうるさいうるさいうるさいッッ!! 殺してやる――――殺してやる」

 

 ダメだ、刹那は正気じゃない。その証拠に――――俺にナイフ向けながら突進して来てるもん。

 

 

「危ないから――って、聞いてないよな」

 

 猛牛のように、銀に輝くそのナイフを構えながら俺へと突進してくる刹那。距離があまり開いてなかったせいか、すぐに俺の目の前に走り寄ると、ナイフを胴体目掛けて突き出して来る。だが、ナイフが大きすぎるせいか、使い慣れていないせいかは判らないが、突き刺すスピードはそこまで早くもなかった。

 

 上半身を軽く捻らせ、突き出して来たナイフを脇の間に挟み込む。本当はここで、鳩尾を殴りつけたかったのだが、女性を殴るのに些か躊躇ってしまう。その隙を狙ったのか、刹那の赤い瞳が俺の方にと向けられた。

 

 ――やばい。そう思うも、時既に遅しと言った所か、俺の身体は石になったかのように固まり、指先一本動かなくなってしまった。ゆらりと、刹那の手に持つタガーナイフがゆっくり抜かれる。俺の眼前にまで持ってかれた彼女のナイフは、闇を取り込み暗く染まる。

 

 絶体絶命とは、この事を言うのだろう。腕に力を入れてみるも、ピクリとも動かない。俺は刹那のすることを、固唾を呑んで見ている事しか出来なかった。

 

 

「どう痛めつけようかしら。私の友人と弟を奪ったのだから、簡単に死ぬことは許されないわよ」

 

 刹那は、猛獣のようにその赤い瞳を燃やしながら、タガーナイフの腹で俺の頬を妖しく叩く。ナイフは彼女の瞳とは対照的に、心までもを凍らせるような冷たさと、恐怖の二つを併せ持っていた。俺の心は、恐怖と言う雲に覆われていると言うのに、それを嘲笑うかのように身体は動かず、震える事すら叶わない。

 

 

「――刹那。お前が今の俺を殺す事は簡単だ。だけど、ここで俺を殺したら、お前は壊れてしまう。ただの人格破綻者。人を殺しても、何とも思わない人間になる。それで、いいのか? 本当のお前は、優しくて、冷静な奴だろ? そんな奴に成り下がっても、いいのか」

 

 声が震えてしまうのを、抑えられない。怖い。彼女が怖い。だけど、ここで俺が刹那に殺されたら、絶対に彼女は元に戻れなくなってしまう。人を殺す事でしか、自分の気持ちを表せなくなるような殺人鬼になってしまう。そんな彼女を見るのは、絶対に嫌だ。だから俺は、彼女が元に戻るように、半ば懇願するように言葉を紡ぐ。

 

 

「本当はお前だって、俺がお前に取り憑いている天狗じゃないって事ぐらい、判ってるだろう。お前は、天狗に操られてるだけだ。お前の弟と友人を殺して、挙句の果てにお前まで殺そうとしている、最低な奴に」

 

 頬を叩く彼女の動きが、ピタリと止まる。闇に慣れた俺の瞳が、彼女の暗い表情を映し出した。

 

 ――――まだ、刹那は糸を離していない。片手一本でだが、力強く、助かるべくその弱々しい糸を離していない。だから俺は、刹那が手を離して闇の世界に落ちてしまう前に、銀の糸を必死に手繰り寄せる。もし彼女を助けられなかったら、その時は俺までもが道連れになるだけだ。

 

 

「それでいいのかよ。その最低な奴に負けて、操られて。友人を助けられなかったんだから、自分を助ける事ぐらいの努力ぐらい、してみろよ」

 

 夜風に揺られて、長い髪が小さく靡く。光の全く届かないこの場所で、僅かな夜風が届けられる。瞬間、彼女のタガーナイフが銀の一線を作って見せた。

 

 

「貴方になにが判るって言うのよ、今日会ったばかりの他人が知ったような口を叩くな!! もう私は助からないんだ。なら、なら貴方も道連れにしてやる。私に優しい言葉を吐いた癖して、結局私を助けられない貴方を」

 

 鋭い睨みが俺の身を貫く。銀の一線が過ぎった頬からは、ぬるりとした液体が零れ落ちた。それと同時に、俺と彼女の周りを強い風が囲む。

 

 ――まだだ、まだ、お前は出てくるな。俺のそんな心中の呟きを読み取ったのか、冷たい風は止んだ。

 

 

「所詮人なんて、誰も助けられないんだ。助けられなくて、その罪に溺れながら生涯を過ごす。ハイリスクノーリターンって言うのかしらね、自分の損害がこんなに大きいのに、利益なんてちっとも出てこない。出てくるどころか、マイナスよ。本当に滑稽よね」

 

 口角を歪ませながら、彼女はそう言った。だが、赤い瞳は悲しそうに、波を打っている。俺は死を覚悟しながら、生唾を飲み、吐き捨てるように言葉を零す。

 

 

「――――悲劇のヒロイン気取りかよ」

「……は?」

 

 俺の言葉が刹那の耳に届くと同時に、彼女は眉を顰めた。

 

 

「なに達観しているような口叩いてんだよ。それに、まだお前は助かっていない訳でもないのに」

「じゃあ何? 貴方が助けてくれるの?」

 

 嘲笑するような笑みでそう言う刹那。辺りの闇は引きを知らず、何時までも暗く染まっている。だけど、真っ暗闇って訳じゃない。月の光が、淡く照らし出してくれているのだから――――。

 

 

「何度も、そう言っているだろ」

 

 彼女の整った顔が、少しだけ崩れた。赤い瞳が揺らぎ、彼女の心に迷いが生じる。

 

 

「まだお前は死んでいないし、殺してもいない。まだ引き返せるんだ。お前に取り憑いている天狗は俺がなんとかする、絶対に」

 

 絶対に。その言葉を聞いた途端、刹那の表情が曇る。月の光は段々と力を強めていって、闇はそれに釣られながらゆっくりと、後退していく。街の喧騒も気が付けば薄れ、今ではアスファルトを踏む音すらも朧げになっていた。

 

 

「だけど、私が助かったとしても、友人達を見捨てた罪は付きまとってくる。捕まえられた時、私は正気でいられるか――」

「なら、俺がそれを許す」

「……え?」

 

 俺の言葉に、呆気に取られる彼女。無表情や取り澄ましたような表情ばかり見てきたから、中々に見ものだった。

 

 

「だから、お前が友人を見捨てた事を、俺が許すって言っているんだ。お前は散々罪悪感に悩まされてきた、もう、悩むのは充分だ。そうだろ」

 

 ドスンと、何かに当たる衝撃を受ける。見なくても判るが、一応見てみると刹那が俺を抱きしめている姿が見られる。女性特有の華やかな匂いが鼻先をくすぐり、脳にまで漂った。

 

 泣いているのか、ゆっくりと俺のシャツが濡れていく。優しく、温かい彼女の涙が薄いシャツを通して肌で感じられた。身体が動かないので、慰める事は出来ないが、代わりに優しい言葉を投げ込む。辺りを染めていた闇は消えてなくなり、強い月の光が俺と彼女を照らし出す。

 

 瞬間、カラスの鳴き声が響き渡った。数匹、数十匹と数を増やしていくカラスの群れは、俺の目の前で混ざり合い、一つの人影を作り出した。

 

 黒く、光を失ったその人影。月の光に照らされたとしても、決して浄化される事は無い哀れな存在。そのヒトカゲは、徐に俺へと手を伸ばして来る。

 

 刹那が後ろに居る者の存在を感じ取ったのか、ビクリと身体を震わせた。だが、決して前は見ずに、顔は俺の胸へと埋め込まれている。そんな彼女に対して、俺は落ち着いていた。目を瞑りながら、ゆっくりと口を開く。

 

 

「じゃあ、後は任せた――――文」

 

 仕方ないですね。聞こえてきたその言葉と共に、俺と彼女を優しい風が取り込んだ。

 

 

 

 

 

 




もうすぐクリスマスですね。僕は今回も、家でチキン食べながらホームアローン観てそうです。
コンビニで買う一人用のショートケーキを頬張りながら、リモコンを手に取って録画ボタンを押すのです。

十六歳なのに何してるんでしょうか、どうやら『青春』なんて文字は幻想の世界に飛び立ってしまったようです。

(女性って困った時物凄く面倒くさいと言われてますが、本当なのでしょうか。いないので判りません)


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天狗の本心

長い間投稿出来ず、申し訳ありません。
二ヶ月程の期間が空いてしまった次第で……弁明のしようも無い次第です。

これからは、出来るだけ早くに次話投稿をしようと思います。期間を開けてしまったことを、ここにお詫び申し上げます。


 

 俺の瞳に捉えられたのは、黒同士の影が美しく舞う姿だけだった。

 

 文が葉団扇を構えたと思ったら、身を維持出来ない程の強い風が吹かれ。月夜の淡い光に照らされ、空を舞う彼女は一つの絵にも成りえそうだ。

 恐るべき移動速度を持って、黒の残像だけを残しヒトカゲを蹴散らしてゆく文。圧倒的な強者を前に、黒のヒトカゲは蹂躙され、為すすべもなくその身を散らしてゆく。

 

 最早畏怖や恐怖までもを俺に覚えさせ、無意識に身体が震える。俺の(かたわ)らに佇む刹那でさえ、息を呑む雰囲気が見られた。

 これは妖怪同士の戦い。人間がしゃしゃり出た所で、瞬間も持たず肉塊になっているだろう。思わず自虐にも似た苦笑を浮かべ、俺と刹那は唯唯、暗闇の公園を二人で静かに佇んでいた――。

 

 

  ♥

 

 

 最後の最後にヒトカゲは、身を儚く発光させたかと思うと、夜の闇と同化し消え去っていた。

 公園の惨状は凄まじいものだった。幾つかの地面は抉りに抉れ、木々の多くは伐倒され粉状になり、木屑として風に攫われ闇の彼方へと飛んでいった。

 

 やり過ぎじゃないかと胸の中で小さく思うも、仕方ないと一言で無理矢理自身を納得させる。文は葉団扇を一の字に振ったかと思うと身を翻させ、俺に可憐な笑顔を向けた。

 とてもじゃないが、先程まで圧倒的力を持って刹那に憑いていた烏天狗を退治させた者とは思えない。もう一度、小さく口元に苦笑を貼りつけながら、俺は文に大きく手を振った。

 

「お疲れ様」

「退治料一千万となります」

 

 俺の傍らまで近づいた文に声を掛けるなり、彼女は嫌らしそうに手をすりすりと擦りながら、突然に退治料を請求してきた。

 多少の脱力を覚えながらも、何時も通りの彼女だと安心している俺が居る。癖になりかけている溜息を小さく吐きながら、文の言葉を一蹴する。

 

「居候の分際で何を言うか。帰りにコンビニのアイスクリームくらいは奢ってやるから、それで我慢しろ」

「本当ですか!? チョコソフトクリームを希望します!!」

「チョコソフトクリーム……有ったかなコンビニに。まぁ無かったら他の選びなさい。今日だけ特別、どんなに高くても一個だけなら許してやる」

 

 そう言うと、文はまるで俺のことを信者がイエス・キリストを見つめるように潤んだ、そして信愛なる瞳を向けてきた。たかがアイスクリーム如きでオーバな、と思うも口には出さず胸の中だけに押し留める。

 すると、俺と文のやり取りを眺めていた刹那が一歩足を踏み出すと、黒い髪を美しく舞わせながら、文に頭を下げた。

 

「有難うございます。本当に、この礼は何時か精神的に必ず」

 

 どこか慣れない感じに礼を口にする刹那。それでも、文は礼を言われるのが満更でも無いのか、文字通り天狗になりながら胸を張っている。偉そうにしているが為か、多少カチンと来るのは仕方が無い事だとは思う。

 

「それにしても、何が同族は殺さないだよ。あっさりする程気楽に手に掛けてんじゃん」

「しょうがないですよ、真さんが危なかったんですから。それにしても、何で私が付いて来ているのに気付いたんですか?」

「なんかお前の気配を感じ取ったから」

 

 そう返すと、文は意外そうに目を丸くさせた。

 詳しく言うと、俺が刹那を探し回っている所で文の気配を感じ取れたのだ。鴉の羽が大きく羽ばたく羽音。それを聴くなり、即座に文が付いて来ている事を理解出来た。

 

「そうですか……。う~ん、長い間(天狗)と一緒に居ますからね、もしかしたら怪異等の存在を敏感に捉えられるようになったのでしょうか。刹那さんに憑いていた者の存在も捉えられていたようですし」

「え、何それ凄く迷惑。それに、長い間って言ってもまだ一ヶ月ちょっとだろ。お前ら怪異ってそんな短い時間を長い時間って捉えているのか」

 

 文は俺の言葉に対して焦るような素振りを少し見せると、咳払いを小さくして見せとにかく、と話題を逸らした。

 

「怪異の殆どは人と馴れ合わない、又は人を食料としか見ない連中ばかりですから、極力関わらないようにして下さいね。見えても、決して好奇心で話しかけたりしないように」

「分かってるよ。好奇心猫をも殺す、って言うしな」

 

 俺の言葉に、文は満足げに頷く。そんな折、一際強く吹いた風に俺は身を震わせた。

 辺りを覆う闇は一層濃くなり、人の気配すらも感じられない静かな街。昼間の人通りとは似ても似つかない、まるで深海の奥底にでも眠っているかのような街の静けさを少し不気味に思う。そんな俺の思いを知ってか知らずか、小さく息を吐くと文は言った。

 

「それじゃあ、そろそろ帰りますか。人の身であるお二人にとっては、この冷たい風は毒ですから」

 

 風邪でもひいたら、大変です。そう言葉を付け加え、文は笑った。

 彼女の言葉に、特に文句は無く頷こうとした瞬間――意外にも、刹那が待ったを掛ける。

 

 一体、なんだろうと疑問に満ちた俺と、文の眼差しが刹那を捉えた。当の本人は、闇夜に負けない程に赤くなった頬を押さえつけながら、意気込むように深呼吸を三回程繰り返す。

 刹那の謎の行動に、俺は兎も角文は何かを理解したのか――苦笑を口元に貼り付かせ、俺の腕をハシっと掴んだ。

 

「さ、さぁ帰りましょう!! 刹那さんはお一人でも大丈夫ですよね、こんな寒い季節に変質者が出るわけも無いですし――あ、出てくれても私的には構わないんですがねッッ!!」

 

 何をそんなに焦っているのか、妙に早口になった口調で、俺の腕を引っ張りながら公園の外へと出ようとしている。戸惑いと怪訝が混ざった声色で、俺は文に状況を教えてくれ、と問うが見事に無視され、華奢なその腕には似合わない強烈な腕力を持って、俺の身体を引きずり続ける。

 刹那の姿が小さくなっていくのを感じながら――途端に、()()の動きが止まった。

 

「少し待ってくれないかしら、天狗さん。夜はまだまだ長いのよ?」

「嫌です。こんな薄ら寒い星空の下、何時間何分も待てる程、私の気は長くありませんから」

 

 気付けば赤い瞳を浮かべ、俺のもう片方の腕を掴んだ刹那が、文に挑発的な笑みを浮かべながら言った。それに対し反対側の、俺の腕を掴み取った文が僅かにその身に力を滲ませ――きっぱりと、断る。

 ――一難去ってまた一難。ギスギスとした空気の中、最早戸惑いよりも呆れが浮かんだ胸中には、そんな諺が人知れず浮かんだ。尚も笑顔だが――俺の心の臓をも鷲掴むような、圧力を感じさせる笑みを貼り付ける二人組が和解する時は――永遠に訪れないのかもしれない。

 

「先程に『お礼は精神的に』と貴方申しましたよね? 今貴方が取っている行動と言動が一致しないのは、気のせいでしょうか」

「私は『少し待て』と言っているだけよ。何処ぞの天狗さんはこれくらいのお願いも聞き入れてくれないの? 長寿の割にはケチなのね」

 

 ギリギリと、俺の両腕からは気のせいか骨の軋む音が聞こえてくる。文句の一つや二つ、この場でこの二人に言ってやりたいが――俺の本能が囁いている。『この状況に口出ししたら死ぬぞ』――と。

 死に比べたら、両腕の骨の破損など安いものか。腕からやって来る鈍痛に顔を顰めながらも、俺はたった一つの生を失わない為に、そっと口を閉ざした。

 

 

 ☼

 

 空は暗く、うっすらと見える雲達は何処へでも行くのか、それともそうしなければいけない役目でもあるのか、空中を浮かび続ける。

 街の喧騒は鳴りを潜め、昼間は人通りの激しいマーケットの目の前にある交差点にすら、人の姿は俺達ぐらいしか無かった。昼間には見られない風景をぼんやりと眺めながら、家路へと足を進める。

 

 時折吹く冷ややかな風に身を震わせながらも、俺は懸命に、無心に家路に帰る。吐く度に昇る白い吐息は、虚空にと現れては消え、現れては消えるを繰り返す。静寂に満ち溢れた街は、自分の出した靴音すらも、空間を伝って街中に響き渡っている気がした。

 そんな静かすぎる静寂に我慢ならず――俺は声を文と()()に掛けてやる。

 

「なぁ、何時までもお互いに、そんなツンケンなさらず少しは仲良くしたらどうだ?」

 

 俺の良心的な言葉に、まるで壁でお互いの心を阻め合うように――俺の両隣を歩く女性二人は、即答した。

 

「無理ですね」

「無理ね」

 

 お互い息を合わせ、たった短い一言――だが、その一言が、お互いの心の近寄りは有り得ない事を、証明している。大きな大きな溜息を吐き出し、俺は嗜めるような口調でお互いを諭す。

 

「人と人は同種族なんだから、何時かは分かり合える筈だ。今すぐにとは言わないが、仲良くしてくれ」

「私、人じゃありませんし」

 

 文の放った言葉に、堪忍袋の尾が切れる。生意気を言われた事に対して、ではなく俺の理論を完全論破されたが故に。

 

「そうか、なら約束のアイスクリームの件は無しだな」

「ちょっと真さん!? 約束が違いますよ!!」

 

 まるでこの世の終わりだと言わんばかりに、情けない顔で抗議してくる文。何が彼女をそうさせるのか、アイスクリームは天狗を堕落させる魅力でもあるのか、と本気で疑いたくなる。

 家と家に挟まれた路地道は、防犯灯が点々と青白い光を灯していた。その悲しげな、寂しげな防犯灯の光に文が照らされ、悲劇のヒロインも真っ青の悲痛さが、犇々(ひしひし)と俺に伝わってくる。そんな彼女から目を背き、心を鬼にして俺は言葉を紡いだ。

 

「仲直りしないと、今日どころか今後一切にアイスクリームを食す機会はなくなるな。それでも良いなら、刹那と何時までもツンケンしてるといいや」

「刹那さん、先程は申し訳ありませんでした。これからは良き友好関係を保っていきましょう」

 

 態度を百八十度変え、文は刹那の一歩前に出る。人当たりの良い笑みを浮かべているが、その笑みはどこか引きつっていた。

 対する刹那は、多少間を開け溜息を吐くと、俺を一瞥した。仕方無いと言った感じに、刹那も可憐な笑みを浮かべる。刹那の笑顔はあまり見たことが無いからか、その笑みが本物か偽物か、判断の仕様が無かった。

 

「ええ、此方こそ宜しく、天狗さん」

 

 刹那の差し出した右手を、文は快く握り返す。思いなしか、彼女達の互の握手はぎりぎりと何かが軋む音がしている。

 止めていた足を再び再開して、そういえば、と文は不思議そうに口を開いた。

 

「そういえば刹那さん。先程私と真さんの動きを止めた時、瞳が紅くなってましたけど、あれって何ですか?」

「天狗さんには言ってなかったわね。一日に二度も言うのは少し恥ずかしいのだけれど、私の瞳は視界に入れた物を一定時間、止める事が出来るの。」

 

 文の言葉を返す刹那の言葉は、気楽そのものだった。その事を少しだけ嬉しく思い、密かに頬を緩ませる。だが、文は未だ納得出来ていないのか、疑問そうに首を傾げていた。やがて、疑問をブツブツと言葉に表し始める。

 

「可笑しいですね……ただの人間が、そんな力を扱えるなんて。その能力、先天性だったりします?」

「いいえ、多分後天性よ。生まれつきそんな面倒な能力持ってたら、嫌でも力の有無が分かるわよ」

「そうですか……初めて能力を使ったのって、いつです?」

 

 その小さな疑問を解消しなければ、文は気が済まないのか刹那を質問攻めにする。声は真剣そのもので、俺は黙って二人のやり取りを見やる事にした。刹那も、文の表情を見るなり、更に更にと出てくる質問を嫌な顔一つせずに、回答していった。

 

「そうね……確か十二歳の頃よ。うろ覚えだけど、私と目の合った同級生の子が不思議そうな顔して固まってたもの」

「その十二の頃、何か可笑しな出来事とかありませんでしたか?」

 

 文の言葉に、刹那は薄く顔を顰める。大丈夫だろうか、と心配に思い顔を覗き込むが、刹那は小さく息を吐き出すとぎゅっと目を瞑り、大きく頷いて見せた。多少声は震えているが、それでも健気にポツリポツリと言葉を紡ぐ。

 

「十二の頃の、可笑しな出来事と言えば――友人と弟が天狗に連れ去られて、私だけ助かった事ぐらいかしらね」

「それです」

 

 疑問が解消したのか、文はスッキリした笑みで短く言った。俺と刹那はそんな彼女を疑問に思い、頭の中がハテナで埋め尽くされる。この世界がもしゲームの世界だったりしたら、今頃本当に二人の頭上には、クエスチョンマークのロゴが浮かんでいるだろう。

 

「恐らくに、友人と弟を連れ去った、って言う天狗が原因ですね。刹那さんだけ助かったって事は、天狗が気まぐれで貴方を見逃したか――天狗が貴方を()()で無事に帰してやりたいと思ったから、ですかね」

 

 それにしても――と文は言葉を紡ぎ、饒舌に言ってみせる。

 

「天狗が人の子を連れ去るなんて、余程の事をしなければしませんよ。私達天狗はこれでも、守り神なんですから。ただ、少しイタズラ好きってのは認めますが、連れ去る程天狗が怒り狂うなんて――どうせ、刹那さん達禁足地とかに踏み入れたんでしょう? そりゃあ生きて帰れませんよ」

 

 流石同じ種族――鴉天狗だが――なだけあって、的を得ている。俺と刹那は、彼女の鋭さに感服してか、互いに顔を見合わせる。気付けば足は止まっており、普段なら二十分程で到着する家路が、酷く長く感じられた。

 多少の間を作り、刹那が文の言葉を返す。その声には震えは混じっておらず、ただ純粋たる疑問を言葉に表しているかのように思えた。

 

「当たってるけど……さっき言った『私を本気で、無事に返してやりたいと思ったから』って、どういう事よ」

「そのまんまの意味ですよ。もし、前者ではなく後者が答えだった場合――私としても、目覚めが悪い気がしますね」

 

 僅かな憔悴を、整ったその顔に刻み、苦々しく文は言ってみせる。その際に――彼女の言っている事を理解して、俺の鼓動は早まった。

 

 もし、刹那の友人や弟を奪った天狗が、刹那に取り憑いた――刹那を助けた天狗と()()だった場合。

 憶測に過ぎないが、友人達を奪った天狗は、刹那に取り憑いた天狗と全く別の者だったとする。その別の天狗は、刹那を同情心か、何かしらの情念によって彼女を助けた。その天狗は刹那の安否を思い、夢の中で姿を現した。それか――

 

 刹那の身に、何かしらの危険が迫っている事に気付き、姿を現した。後者の場合だと、彼女の周りにカラスが寄り集まっていた事も説明つくかもしれない。安否を気遣っての――カラス達を使った監視。

 もし、夕方に起こったカラス達の攻撃が、()()俺だけに向けられていたものだとしたら。空家での出来事は、全て俺だけに向けられていたものだとしたら――。

 

 冷や汗が一つ垂れる。刹那と俺は、被害妄想が過ぎたんだ。いや、ただ単に、俺がプラス思考に捉えすぎているせいかもしれない。だが、俺の仮説が正解だとしたら、俺はこの手で、刹那の命の恩人を殺した事になる。

 そもそも、彼女が動きを止められる力を受け貰った年月は、先程の刹那の話が寸分狂わず正しかった場合――十二の頃。友人を連れ去られ、天狗に助けられた出来事の後辺り、と考えるのが妥当だろう。

 

 突飛しすぎな憶測に過ぎないが、刹那の能力が、もし天狗に授けられた物だとしたら――?

 天狗は刹那を助け、尚且つ彼女が安全に過ごせる為に、一定時間動きを止められる能力を授けた。だが、そんなちっぽけな能力だけでは、刹那の完璧な安全は取れないと踏んだ。だから、次に自分が彼女を守れる為に姿を現した。

 

 俺の憶測は穴だらけだ。自分で何を言っているかすら、完璧に捉えられていない。だが、文の何ともやり切れないような表情が、俺を堪らなく不安にさせる。

 もし、俺の考えた最悪な仮説が――真実だとしたら、俺は刹那にどう弁明すれば良い。彼女の恩人を悪人扱いして、挙句の果てには文を使って殺させた。そんな最悪の結果がもし真実だとすれば、俺はどうすれば――

 

「ちょっと真、聞いてるの?」

 

 その言葉に我に返ると、目の前には寂れたアパートが建っていた。怪訝そうに俺を見やる刹那を一瞥して、平常心を保つように息を大きく吐いて見せる。

 

「ああ、すまん聞いてなかった」

「やっぱり。上の空みたいな顔して……まぁいいわ。ここが私の家だから――ここでお別れね」

「へ? 意外に俺の自宅から近いじゃん」

 

 いつの間に移動していたのか、辺りを見回しながら言う。恐らくこの場所から俺の自宅までは、数十分も掛からないだろう。

 俺の言った言葉のどこに、満足点があったのかわからないが、刹那は満足げに頷いて見せると、腕を組みながら頬を人差し指で掻いた。すると気恥ずかしそうに、ぎこちない口調で流し目に言葉を紡ぐ。

 

「まぁ、それはそうと……。単刀直入に言うわ、貴方のメールアドレス寄越しなさい」

「はあ? どうしてまた急に」

 

 突然の展開について行けず、俺はただ疑問そうに言ってみせる。文は”メールアドレス”と言う単語が分からないのか、怪訝そうな表情を浮かべていた。幻想郷とやらの、異国出身が故に知らないのは仕方が無いと思う。

 そんな俺と文に対して、刹那は右腕を伸ばし携帯のメールアドレスを催促してくる。一応自分のメアドぐらいは暗記していたが、生憎携帯が今、手持ちには無い。

 

「俺いま、携帯持ってないぞ」

「ならメールアドレスだけでも寄越しなさい。早く」

「嫌に高圧的ですね」

 

 俺の言葉を無視して、刹那は自分のニットワンピースのポケットから薄型の携帯を取り出した。俺と同じ機種の携帯を、少なからず嬉しく思い、ホームボタンを押すと――

 華やかで、可愛らしいホーム画像がバックの、ホーム画面が現れる。

 

「な、何だこのホーム画像」

 

 抑えきれない笑い声を含みながら、言ってみせる。刹那のホーム画像は白のウサギが、華やかな向日葵に囲まれた何とも可愛らしい――だが、刹那には合わない――画像だった。

 俺の隣から覗き込んだ文が、刹那の設定したホーム画像を見やり、吹き出す。腹を抱えながら、似合わないだの可愛いですねだのと、笑い声混じりに言ってみせる。

 

「いや……俺としても、予想外だな。てっきり刹那のホーム画像は頭蓋骨の目の辺りから、毒々しいムカデが這い出ている画像だと思ったんだが。まぁ、これはこれであ――」

 

 有りだな、と言おうとした俺の言葉を、刹那は最後まで待ってくれなかった。彼女は俺の顳かみを小さな手のひらで鷲掴むと、何処からそんな力が溢れ出るのかと疑問に思うほどの腕力で、俺の頭を潰す勢いに――強く握る。

 

「そうね。グロ画像も私、嫌いじゃないわよ。貴方に二つの選択肢を、一つだけ選ばせる権利をあげる」

「……その選択肢とは」

「私にこのまま頭を握りつぶされるのと、一旦貴方を殺害して土に埋葬して――風化した貴方の頭蓋骨を使って、貴方の言葉を実現させるの」

「デットorデットじゃん。三つ目の選択肢は無いのか?」

 

 俺のこめかみを鷲掴みながら、刹那はただ短く。無いとだけ応えた。彼女の表情は明るい笑顔そのもので、苦悩など無いものに見える――まるで、俺のことを殺すことに対して、一切の恐怖や苦悩が無いように。

 それはそれで困ると。文に助けを求めるも、俺の命を救える筈の、唯一無二のヒーローは未だ、腹を抱え笑い転げていた。

 

「それで、どっちがいいかしら?」

 

 刹那の威圧的な言動に、明るいその笑顔に対して――俺は、デジャブを感じながらまたも、口を閉ざし彼女から目を背けた。

 

 

 




実際久々で……話の構成を忘れてたり(小声)
挙句の果てには登場キャラの名前も(ボソリ)

これからは出来る限り早く――と言っても、一週間に一話か二話程を目指そうと思います。
本当に投稿が遅れて、申し訳ありません。


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十二月二十五日 クリスマス①

 

 日は変わるに変わり、気付けばテレビニュース等はクリスマス特集で溢れかえっていた。

 インタビュアーは何が楽しいのか、チキンやケーキを買うリア充ばかりに、今宵のクリスマスをどう過ごすか、と言う質問を度々行っている。そんな笑顔を絶えず浮かべる彼らに、俺は思うのだ――正気では無いと。

 

 そもそもクリスマスは、キリスト信者がイエス・キリストの降臨を祝う祭の筈だ。なのに、なのに何故このリア充達はケーキやシャンパンを買って、パーティーをするのだろう。彼らは全員キリスト信者なのだろうか?

 独り身の俺がクリスマスに、どれだけスーパーに行きづらいか彼らには分からないだろう。今の俺は最早、クリスマス曲を聴くだけで全身に鳥肌が立つ程、クリスマスイベントに対して拒否反応を起こしてしまう。そんな俺の苦悩を彼らは知らない。知る由も無い。

 

 だから俺がクリスマス、なんて邪道なものに対抗する手段は――インターネットの掲示板でリア充達を呪う事だけだ。

 今年もきっと、非リア充達が一同でサンタやキリストに怨念を掛けるのだろう。さぁ、集え皆の衆。今宵も人生を謳歌している者らを呪う仕事が――

 

「真さんクリスマスですよ!! ――って、何か何時もと雰囲気違いますね」

「邪魔をするな文。俺は藁人形を作らないといけないんだ。憎き敵を呪い殺す為、今年こそはリア充共が食中毒で倒れる呪いを完成させてみせる――」

 

 俺の部屋の扉を勢いよく開ける文に、落ち着き払った口調で言葉を返す。何時もなら突然に俺の部屋を入ってきた彼女を叱るべきだが、今は生憎それどころじゃ無かった。

 ただ無心に藁人形を作り続ける。自分の怨念を人形に掛けるのは完成してからで良い。藁を束ね、それなりに形を保ち始めた人形に小さく笑みを浮かばせてやると――突然に、俺の完成間近の藁人形が強烈な風に吹かれ、部屋の片隅へと砕け散った。

 

「ああああああああッッ!! 何するんだ文貴様返答次第では消し炭にしてくれるッッ」

「ですから、クリスマスですよ。楽しいパーティーを開きましょうよ!!」

「嫌だね。何でキリスト教より仏教派の俺がクリスマスパーティーなん、て……」

 

 俺の言葉は尻つぼみに消えてゆく。目の先には笑みを失くした無表情で、葉団扇(凶器)を手に掴む文が居た。その彼女の表情がこう語っている――『四の五の言わずにさっさとパーティーの準備をしろ』と。

 

「脅迫良くない」

「脅迫じゃありません。分かりの悪い真さんを武力行使で納得させるのも良いと思っただけです」

「成る程、実行に移すのか。脅すよりもタチが悪いな」

 

 尚も葉団扇を掴む腕に力を滲ませる文に、俺は命欲しさに言った。出掛ける準備をするから、一階で待ってくれと――。

 やはり、人間如きが鴉天狗には勝てないようだ。

 

 

 

 ♥

 

 

 お気に入りである黒の長シャツと、ジーパンを着用してダウンジャケットを肩に掛け階段を降りる。

 少し前ならゼブラカラーのパーカーを羽織っていたが、本格的に寒くなってきた十二月にパーカーとシャツだけでは、流石に寒すぎる。やはり環境の変化を臨機応変に対応するのは苦手だ。

 

 階段を降りて一階のリビングに戻ると、文の姿はまだ見えていなかった。まだ支度に手間取っているのか、と溜息が溢れそうになるが、文はあれでも性別的には女だ。準備に手間取るのも仕方無いだろう。

 時間を潰すために、キッチンに入ると戸棚を開け、ココアパウダーを手に取る。次に片手鍋に牛乳を注ぎ込み、電気コンロに置くなり強火で熱した。牛乳が沸騰するまでにリビングに戻り、ダウンジャケットを上に羽織って更には、ソファーの上に掛かっていたネックウォーマーを被る。

 

 まだ少し防寒対策には心もとないが、普段こんな寒い日には引きこもっている日が殆どだったので、お生憎様に他の防寒グッズは手持ちには無かった。これも全て、あの射命丸文(疫病神)のせいだと密かに呪いを捧げる。

 ミニテーブルに綺麗に陳列されたテレビリモコンを手に取り、徐に電源を付けると薄型液晶テレビは、昼のニュース番組放送をモニターに映した。案の定と言ったところか、テレビスタジオ内は季節に沿って、如何にもクリスマスシーズンを連想させる数々のグッズがテーブルや窓際に並べられてある。

 

 そんなニュース番組を横目に、またもキッチンに戻り、火によって熱されグツグツと沸騰する牛乳を一瞥した。スイッチを回し火を切ると、食器棚に陳列されたマグカップを()()用意して、ココアパウダーと牛乳を注ぎテーブルスプーンで掻き混ぜる。

 すると、丁度良いタイミングで扉のレバーハンドルが下に傾き、リビングの中に文が入ってきた。格好は長のオーバーパンツと、桃色のウィンドブレーカー。首にはうす茶色のマフラーが巻かれており、防寒対策もバッチリの上動きやすさも追求されているように見える。

 

 ウィンドブレーカーなんて買ったかと、少し疑問に思うも深くは考えないようにして、ソファに浅く座りながらテレビモニターを眺める文に、ココア入りのマグカップを彼女の目の先にあるミニテーブルの上に置いてやる。

 少し呆けた表情で、俺とココア入りマグカップを交互に見つめたと思うと、にへらと嬉しそうに笑みを浮かべ俺に礼を返した。ソファの傍らで立ちながら、ココアを無表情に飲む俺と幸せそうにココアを飲む文の姿が出来上がる。そんな光景が堪らなく嬉しくて、平和で、何時までも続けば良いのにと、ひっそり胸中で呟く。

 

 ココア特有の甘い匂いが鼻腔を付き、滑らかな味わいが口の中いっぱいに広がる。マグカップの中身を三分の二程飲み干した辺りにふと――インターホンが鳴った。

 機械的なその音色に二人して気付くと、文は何を勘づいたのか、先程の幸せそうな笑みから一変。鋭い目つきで俺を睨んだ。その、人も殺せるような目線に恐縮しながらも、リビングに設置されたテレビドアホンに目をやると、モニターには見慣れた少女が寒そうに身を震わせ、ドア前に立っていた。

 

「お、もう来たのか。早いな」

「……何で刹那さんが玄関扉の前に立っているんですか?」

 

 じろりと、俺に憎悪すらも混じった目線を送ってくる。俺は無言を保ち続けるが、文の鋭い目付きに耐えられなくなり正直に暴露した。

 

「えっと……。やっぱりクリスマスパーティーするなら人多い方が良いかなー……って思ったから、刹那さんを誘っちゃいました」

「――真さん。さっき作っていた藁人形って、まだ有りますか?」

「残念。突如吹いた強風によって吹き飛ばされました」

 

 文は何を残念がっているのか、溜息を続けて三回零した。少しは悪いと思っているが、これも文と刹那の為だ――許してくれと胸中で謝罪する。

 今回刹那を誘った訳は、人を増やしたいからと言うのも理由の一つだが、本当の目的はこの二人の仲を、少しでも深めようと思ったからだ。文が、刹那に取り憑いていた天狗を退治したあの日に、二人は()()()だけ仲良くなった。そう、表面上だけ――。

 

 恐らくにこの二人は、心中で互いの悪態を吐いている筈。先程の文の態度が、それを明白にしていた。

 刹那と文の関係を本物の友人にしない限り、俺の胃は痛む一方――。今回のクリスマスケーキをアイスケーキにしてやるから、許してくれと胸中でもう一度、深い反省を孕ませた謝罪をつぶやき、玄関へと向かった。

 

「待たせたな……って、あれ?」

「遅いわよ。これからはインターホンが鳴ったら三秒以内に扉を開けなさい」

 

 彼女の無理難題を華麗に聞き流し、俺は目を疑った。

 何回も瞬きを繰り返す俺を不思議に思ったのか、刹那が怪訝そうな表情を浮かべながら疑問そうに口を開いた。

 

「どうしたのよ、そんな変な顔して」

「いや、何で()()姿なの?」

 

 ――そう。刹那は今、何処の学校指定の制服かは分からないが、黒一色の制服を身に包んでいた。

 上に羽織るブレザーが黒一色の為か、胸元に付いている白いリボンが一層目立つ。スカートもこれまた、黒を基色に赤のラインが縦に横にと引かれてあった。見慣れない彼女の姿に――と言っても数回程度しか会ってはいないが――俺は更にと目を丸くさせる。

 

 俺の問いに、何を当たり前の事を。と言わんばかりの目線を投げ掛け、つんと無愛想に応えた。

 

「高校生なんだから、当たり前じゃない。冬休みは明後日からよ」

 

 ――高校生。

 その言葉はエコーするように、俺の心中を何回も何回も響き渡った。俺は自分の動揺を悟られないように、精一杯の威厳を持って言葉を返す。

 

「そ、そうだよな――刹那高校生だもんな……」

 

 誤魔化すように、乾いた笑みを作る俺を見てか、刹那の表情は更に怪訝そうなものへと変わった。

 引きつってきた笑みを見せながら、俺は必死に別の言葉を探す。鼓動は緊張からか早鐘のように圧縮を繰り返している。そんな微妙な雰囲気の中、刹那は俺の心中での焦りの理由を悟ったのか、意外そうに言ってみせる。

 

「もしかして――真、学校行ってないの?」

 

 俺は、心の中で絶叫した――。

 

 

 

 ♠

 

 

 まだ昼の一時辺りだと言うのに、空は鈍色に濁り太陽の姿は灰色の雲達に覆い隠されていた。攻撃的な寒風をその身に受けながら、俺は何度目かの溜息をこぼす。

 街中に響き渡る雑多の音が何時もより煩く感じられた。俺達の横を通り抜けて行く人達の言葉は、思いなしか俺の事を罵倒しているように思える。今はもう、何もかもから目を逸らしたい気分だった。

 

「真さん。元気出して下さいよ!! 折角のクリスマスだと言うのに、そんな辛気臭い顔してたら近寄る幸福も近寄りませんよ!!」

「良いんだよ……無職のニート野郎に近寄る幸福なんて無いから。近寄るのは不幸と天狗(疫病神)だけだから」

「あの、真さん? 天狗と書いて何故疫病神と読むんですか?」

 

 文の適切なツッコミを街の雑多と共に聞き流して、遠くを見渡した。が、駅近くの為か幾つも連なる高層ビルのせいで、視界は途中で途切れてしまう。何故だか広い筈の世界が酷く狭く感じられた。

 無意識に、自分の口から溢れる不気味な笑い声。それを聞いてか、俺の隣をゆっくりとした歩調で歩く刹那と文は顔を互いに見合わせ、苦い笑みを口元に貼り付ける。

 

「まぁ、別に私は真が学校を行ってなくても、別にどうも思わないわよ。そりゃあ世間体からは良い目で見られないかもしれないけど、私はそういうの気にしないもの」

「そ、そうですよ真さん!! 私も気にしません――と言うか、私は真さんに養われているのだから、文句を付けるどころか感謝してますよ」

 

 文の『養われている』と言う言葉にはツッコミを入れたかったが、今は彼女達の海よりも広い御心に感謝する他無かった。偏見で物事を見据えないで、俺に微笑みを向けている彼女達に――。

 そんな俺の思いを露知らずか、刹那は疑問そうな表情を突然に浮かべてきた。

 

「そう言えば、真って何処から生活費を入手しているの? 自分一人なら兎も角、そこの天狗さんまで養っているのでしょう? それなりの収入が無ければ出来ないと思うのだけれど」

「そ、それは……」

 

 俺は言葉を詰まらせた。刹那にとっては素朴な疑問だろうが、俺にとっては自分の墓穴を掘るような。そんな行為だった。

 少しの逡巡のあと、諦めたかのように、溜息混じりで言葉を返す。

 

「親の……遺産で」

 

 世界から、音が奪い去られた。数秒程の、二人の沈黙が何時間何日何年とも長く感じられ、俺の心は崩壊する一歩手前。そんな傷心の俺に追い打ちを掛けるように、刹那は口を開く。

 

「――屑ね」

「あは、あははは」

 

 乾いた笑い声を上げる俺を、刹那は白い目で眺める。文も最早、俺をフォローする気が無いのか無難に、苦笑にも似た笑みを作っていた。涙腺が崩壊する手前、俺はそれをグッと堪えて吹っ切れたように声を上げる。

 

「あ、ああそうだよ。俺はクズだ、誰の目にも当てられないようなクズなんだよ……」

 

 気付けば歩を止めて、その場に立ち尽くしていた。大声を上げるつもりだったのだか、自分の喉を通った言葉はこれでもか、と思うほど震えており、か細かった。

 鼻がツンとするのを感じる。目頭が熱くなっていく最中、震えて立ち尽くす俺を通行人達は他人事のように、それどころか邪魔げにしながら隣を素通りしてきた。自分一人が酷く孤独に感じられて、情けなく思える。こんな状況を作り出した当の本人は、小さく純粋たる笑みを作ると、くすりと可憐に笑って見せた。

 

「屑って自覚しているなら、それでいいわよ」

 

 意外たる彼女の言葉を耳にして、顔を上げる。呆けた俺の表情を見てか、更に笑って見せると彼女は、言葉を紡いだ。

 

「屑って自覚してない屑より、屑って自覚している屑の方がまだ、可愛げがあるもの。もし、私の言葉に貴方が逆上でもしたら、縁を切っていたわね」

 

 珍しく、色々な感情を混ぜ合わせて笑う刹那が、俺を見据えていた。彼女の言葉に少しだけ救われながら、心中を結んでいた緊張の糸が解けた気がする。苦い笑みを貼り付けていた文も、俺の手のひらを取るなり笑顔を作って、突然に道を駆け出す。

 

「時間は直ぐに過ぎ去ってしまいますよ。メソメソしている暇があったら、早くプレゼント買っちゃいましょうよ!!」

 

 不意に手を取り駆け出され、転びそうになるも体制を何とか整える。目の先には――()()そうな表情を浮かべた、文が居た。

 

 

 



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午後二時 クリスマス②

 

 駅前のショッピングモールは、案の定と言った所か、大勢の人で溢れかえっていた。

 数年前に在来線が開通したこの街は、目眩く勢いで発展し始めた。大型マーケットが出来上がり。ゲームセンターが出来上がり。数多のビルが立ち並び、自然の多かったこの街も段々と、コンクリートで埋め尽くされて来たのだ。

 

 きっと、この街がこうなるのも運命だったのだろう。エスカレーターで下の階に降りながら、柄にもなく感慨に耽る。

 

「それにしても、凄い人混みね」

「クリスマスシーズンなんだから、当たり前だろ。ああ、もう帰りたい」

「真さんはもう少し胸を張ってください!! こんな可愛い女の子二人に囲まれているんですから、両手に花なんですよ、分かっていますか!?」

「どちらかと言うと、両手に毒花って言った方が正しい気がする」

 

 ピシリと――刹那と文の動きが止まる。地雷を踏んだかと後悔するも遅し、二人はにこやかな――それでいて、恐ろしい笑みを――俺に向けた。

 冷や汗が背中を滴り、蛇に睨まれた蛙は、こんな気持ちなのだろうと納得する。

 

「海洋のど真ん中に置いてきぼりにされるのと、火山の噴火口に放り込まれるの――どっちがいいですか、真さん?」

「どちらも遠慮願いたい」

「それじゃあ、棺桶に閉じ込めたまま、地中に埋めましょうか。段々と酸素がなくなっていき、棺桶の中で窒息死する真は酷く苦しむでしょうね」

「謝るからさ、怖いこと言わないでくれない、二人共?」

 

 一体、彼女達と付き合うには、何れ程の残機が必要なのだろう。きっと、無限1UPでもしない限りゲームオーバーになるのは必然な気がする。

 尚も恐ろしい笑みを湛える彼女達から、逃げるように視線を逸らし。酷く長いと思えたエスカレーターの道のりも、終わりが見えてきた。

 

 漸くに、エスカレーターで地上一階から、地下一階に辿り着く。地下一階には、オモチャ売り場や雑貨店。果てには靴屋までもが遠目に見える。クリスマスプレゼント狙いの、主婦学生達が、これでもかと言うほどに群がっていた。

 その人混みに、思わず俺と刹那は苦笑を浮かべる。対する文は反対に、この人混みなど全く気にしていないのか、輝く瞳で辺りを見渡す。

 

「……天狗さんは、どうしてそんな笑顔で居られるのかしら」

「さぁ、俺にも分からないが――天狗だからじゃないか?」

 

 『天狗』と言う単語を、差別用語のように扱う俺を無視して、文は一目散にオモチャ売り場へと走っていった。

 

 

 ★

 

 

「それじゃあ、各自でプレゼントを選びましょう!!」

 

 文はさぞ楽しそうな表情で、そう言った。やや興奮気味の彼女は、忙しなく辺りをキョロキョロと見渡している。

 

「成る程、プレゼント交換をする気か。それで――文は何処から金を仕入れる気だ?」

「それは……真さん、お願いします」

「結局、文のプレゼント代は、俺が出すのね」

 

 仕方なさげに、ズボンの後ろポケットから長財布を取り出す。その中から諭吉さんを手渡すと、太陽のような笑みで礼を口にする。

 

「それで――刹那。その金をせびるような手は何だ?」

「その……父親からの仕送りが遅れているから、今月厳しいのよ。来月に必ず返すから、お金貸してくれない?」

「はぁ!? て事はなに、三人分のプレゼント代金、俺が全部出すの!?」

「月頭に必ず返すから!!」

 

 申し訳なさそうに、手の平を合わせ、拝むような姿勢を取る刹那。俺は悩むように、一瞬の逡巡を作った後、またもや長財布から諭吉さんを取り出す。

 絶対に、返せよと念を押す俺に対して、刹那は珍しく真面目そうな表情を作り、頷いた。

 

「はぁ、何だか父親になった気分だ」

「真お父さん。有難う!!」

「やめなさい文っっ!! 天狗の子なんて育てた覚え、有りません!!」

「お、お父さん……有難う」

「なぁ、刹那。そういうの慣れてないなら、無理に悪ノリする必要ないぞ?」

 

 自分のボケが外れた事を悔いているのか、俺から顔を背け、項垂れる刹那。そんな彼女を見て、俺が引きつった笑みを浮かべるのと、文が天真爛漫な笑みを作って、元気そうに声を上げるのは同じタイミングだった。

 

「では、プレゼントを買ったら、あの場所に集合と言う事にしましょう!!」

 

 エスカレーター付近に立つバーガー店を指差し、やや興奮気味な文を一瞥すると、俺と刹那は小さく頷いた。

 

 

 ♥

 

 

 クリスマスを誰かと過ごすなんて、何時ぶりだろうか。この長い間、一人で過ごした記憶しか無い。

 胸中から溢れ出る、そわそわとした感情に、やや困惑する。一先ずは、彼女らが喜ぶであろうプレゼントを、血眼に探すしかない。

 

 男の俺は、女性がプレゼントされて喜ぶであろう物が、全く予想出来なかった。況してや、今日一夜を過ごすお相手は、不気味な能力を持つ刹那と、鴉天狗の文だ。前者は兎も角、後者は人ですら無いじゃないか。

 オモチャ売り場で、頭を悩ませる事しか出来ない俺は、適当に傍に置いてあった、大型のジープラジコンカーに目をやってみる。

 

 ――ダメだ。彼女達に、ラジコンカーをプレゼントした所で、喜ぶ様子が全く想像出来ない。もし、下手な物をプレゼントして、気分でも害してしまったら、俺の残機は一つ減って、ゲームオーバーになるだろう。

 鴉の好物は何だろうと、首を傾げてみるが、彼らは生ゴミを漁っているイメージしか脳裏に浮かばなかった。いっそのこと、街の指定ゴミ袋に包まれた生ゴミをラッピングして、文にプレゼントしようか。そんな考えに至ってしまうほど、俺の頭の中は段々と限界に達していった。

 

 そんな折に、ふと視界の端に映った店。あそこなら、彼女らの満足いく品物が売っているかもしれない。そう思った俺は、光に魅入られた虫のようにふらふらと、歩みを進めた。

 

 

 ☼

 

 

 集合場所に戻ると、そこには既に紙袋を手に掴んだ刹那が立っていた。

 俺が彼女に気づくのと、彼女が俺に気づいたのは同じタイミングだったらしく、目配せをした後に小さく手の平を掲げると、刹那も俺の動作を真似る。

 

「随分と早いな。どれくらい待ったんだ?」

「そんなに待ってないわよ。それに、貴方達と別れてからもう、三十分は経っているのよ? 遅い方だと思うけど」

 

 刹那は制服のポケットから携帯を取り出すと、ホームボタンを押して現時刻を俺に見せた。相も変わらず可愛げのあるホーム画像に目が行ってしまうが、確かに携帯のデジタル時計は、午後の二時程を指していた。

 

「もうそんなに経ってたのか。早いな」

「楽しい時間程、早く流れるって言うしね。貴方、ひょっとして楽しんでるの?」

「なっ――そんな訳ないだろうが!!」

 

 我知らず、無意識に声が大きくなってしまったのを恥ずかしく思うが、刹那は微塵も気にしていないらしく、にやにやと厭らしい笑みを浮かべていた。

 

「そう? 私は楽しんでいるつもりだけど」

「え――?」

 

 おおよそ、彼女には似合わないその言葉に驚いてしまう。てっきり、楽しんでいたとしても、隠し通すようなキャラだと思っていたのだが。

 そんな、俺の複雑な心境を露知らず、刹那はにこやかな笑みを浮かべてくる。普段は、ただの笑顔すら見せない彼女が見せた、可憐なその表情に不覚にも、胸が高まってしまった。

 

 そんな気持ちを誤魔化すように、俺は腹を撫でながらバーガー店を指差す。

 

「ま、まぁそれはそうと。俺昼飯も食べてないんだわ。いい年した俺らが立ち話ってのも何だし、昼飯食べながら話そうぜ」

「それもそうね。思えば、私も昼ご飯食べてなかったわ」

 

 昼飯を食べてない事すら、忘れる程楽しんでいたのか。喉にまで出かかったその言葉を、俺はそっと飲み込む。

 ダウンジャケットのファスナーを開けて、適当な椅子に腰を掛けた。クリスマスと言っても、流石にこの時間帯に物を食うような連中はそこまで多くはないのか、テーブル席はちらほらと空いていた。

 

 机の上に、刹那は手に掴んでいた紙袋を。対する俺は、箱型に小さくラッピングされた、クリスマスプレゼントを置いた。

 

「プレゼント代奢ってもらったんだし、昼ごはん代ぐらいは奢ってあげる。何が良い?」

「おい待て。プレゼント代を奢った覚えは無いぞ? 絶対に月頭には返せよ」

「分かってるわよ。それで、何が良い?」

 

 適当に流す刹那に対して、多少の不安を覚えるが、うじうじしていても仕方が無い。数あるメニューの中から、王道のハンバーガーセットを頼む。

 

「分かった。ハンバーガーセットね。それと、紙袋の中身を覗きでもしたら――鮫の餌にするから」

「いちいち怖いんだよ、お前らは。もっと穏便に行こうぜ」

「もしもの話よ。まぁ、貴方なら覗かないと思うけど」

 

 俺の何を信頼しているのか、そんな言葉を残して、身を翻す刹那。店内は暖房が効いているのか、少しだけ蒸し暑く、着ていたダウンジャケットとネックウォーマーを脱ぐ。

 店内はがやがやと騒がしく、中には何の悩みも無さそうな学生が、チョコアイスクリームにフライドポテトを合わせ口に運んでいる。もし、この場に文が居たら、アイスクリームとフライドポテトが追加注文されているだろう。

 

 それにしても文の奴遅いなと、訝しげに思う。やはり、異国の地出身故か、このようなショッピングモールで、一人で買い物をさせるのは難しいかもしれないと、少しだけ心配になる。

 何とはなしに、集合場所であるバーガー店の近くを見渡すが、文の姿は見えなかった。

 

「何をきょろきょろしているの?」

 

 不意に声を掛けられる。後ろを振り返ると、刹那が疑問そうな表情を浮かべながら、二つのお盆の上に乗ったバーガーセットを、それぞれ両手に掴んでいた。

 

「いや、何でもない。ただ文の奴が遅いなって思っただけだ」

「なに? 私と二人っきりで会話するのは、つまらないのかしら?」

「深く考えすぎだよ。ただ単に、疑問に思っただけだ」

 

 ふぅんと、興味なさげに返す刹那は、二つのお盆を机の両側に置いた。フライドポテトは出来立てなのか、白い湯気が立ち上っている。

 先に冷ました方がいいだろう、と思った俺は、丁寧に包まれたバーガー袋からハンバーガーを取り出す。そんな俺の一定の動きを見てか、刹那が口を開いた。

 

「なに、貴方ってハンバーガーから先に食べるタイプなの?」

「いいや、普段は飲み物の中に入った氷から食すタイプだ」

「初めて聞いたわよ。そんな人……」

 

 冗談を真面目に受け取ったのか、それとも軽く流したのか分からない、微妙な反応をする刹那。取り敢えずはハンバーガーを齧りながら、他愛ない話を繰り広げることにした。

 

「それにしても、大きな紙袋だな。中には何が入っているんだ?」

「それは、後でのお楽しみよ。先に言っちゃったら、つまらないじゃない」

 

 ご尤もな正論を口にする刹那は、フライドポテトを一つ齧った。案の定熱かったらしく、口の中でコロコロとポテトを転がしている。

 ストローを咥え、ジュースと一緒に飲み込んだ刹那の瞳には、涙が溜まっていた。

 

「そんなに熱かったのか」

「……舌を火傷する所だったわよ。店員に文句言ってくる」

「待て、待て待て待て。クレーマーかお前は!!」

「だって、普通は先に注意するべきじゃない!? 『出来立てなので、お気をつけください』って。なのに、あの店員ったら何も言わなかったのよ!?」

「確かに、店員の不注意が招いた事故かもしれない。だけどな、争いは何も生まないんだ。だから、どうかその怒りを鎮めて欲しい」

 

 少しズレたことを口にする俺だが、刹那はそれに納得したらしく、渋々げに席に着く。これで、一つの無駄な争いを避けれた事に自己満足しながら、ハンバーガーをもう一齧りした。

 

「……私達は、機械とあまり変わらないのかもしれないわね」

「――はい?」

 

 突然に、訳の分からない事を口にする刹那。遂にバグったのかと思う最中、妙に神妙そうな表情を浮かべて、刹那は言葉を紡ぐ。

 

「私達は――大量の血を流したら死んで、少しの細胞が配列を崩したら、大きな病を抱える事になる。そんなの、オイルを失った自動車やパーツの欠けたロボットと同じじゃない?」

「――そうだな。これからはお前と鉄格子越しでしか会話が出来なくなるんだ。残念だ」

「別に、精神病を患わっているとかじゃないわよ、私は」

 

 じゃあ何なんだ、と口にしたくなるのは山々だが、余計な口を挟んだら、きっと彼女は逆上するに違いない。本当は耳にも入れたくないが、仕方無く刹那の言葉を聞くために、俺は耳をそばたてる。

 

「私達が生きる為には、息をしなきゃいけないし、食料を適度に口にしなければいけない。水だって飲まなきゃいけないし、魚のように長時間水中に居続ける事も出来ない。まだ、ロボットの方が頑丈な気がするわよ」

「で、なに? 俺達はロボットに負けているとでも、言いたい訳?」

「脆いって言いたいだけよ」

 

 最初から、そう言えば良いのに。何故、彼女はこんな、回りくどい言い方をしたのだろうか。中学生じゃあるまいし。

 そして、刹那は俺がどのような反応をするのか気になっているらしく、チラチラと俺を見つめる。ハッキリ言って――物凄く、鬱陶しい。

 

 無視するのも、礼儀がなっていないと思い、面倒ながらも、溜息を一つ零し、口を開く。

 

「ロボットなんて、あんなの歩く踊るぐらいしか出来ないだろ。それに対して俺らは、如何に怪我を負わないか、どうやって生き続ける事が出来るか、考える事が出来る。俺らがロボットに負けているなんて、勘違いも甚だしいだろ」

 

 俺の回答が気に入ったのか、満足げに頷く刹那。もしかしたら、理由は分からないが、俺の事を試していたのかもしれない。

 彼女なりの質問の仕方を、些か面倒に思うも、丁寧に答えてしまう、俺が居る。自分の人の良さに、心中でひっそりと――もう一人の俺が、苦々しげな表情を浮かべた――気がした。

 

 



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午後五時 夕闇

 

 太陽も沈み、辺りは夕闇に覆われていた。

 遥か彼方に見えるオレンジ色の空は、時が経つに連れ、その姿を隠し始めている。あと数十分程度で、闇夜には月が浮かび上がる事だろう。背の低い()の頂点を立ち尽くしながら、ぼんやりと空を見上げる。

 

 こんな背の低い山では、当たり前と言ったところか、空に自分の手が届く事は無い。それを少しだけ悔しく思いながら、俺の傍らを立つ文に、言葉を投げかけた。

 

「――なぁ、折角のクリスマスだって言うのに、どうして俺達は山の頂点なんかに、立ってるんだ?」

「私も、真と全くの同意見ね。詳しい理由を話してくれない、天狗さん?」

 

 背の低い山と言っても、ビル四階程の高さは有る。冬場の寒い風に吹かれ、身を屈めながら刹那は、白い息を吐いて面倒そうに言ってみせた。

 天狗の文は別として、人間である俺と刹那にとっては、夜が来る前の凍えるようなこの寒さは身体に毒でしかない。寒そうに身を震わす俺達を知ってか知らずか、文は遠くを見渡し、思い出に耽るような表情を作る。

 

「……懐かしいですね。数年前だと言うのに、こんなにも懐かしく感じられるのは、何故でしょう」

「ダメだ、どうやら文は自分の世界に逃げ込んでいるらしい」

 

 刹那の言葉にぴくりとも反応せず、ただただ遠くを見渡している文。こんな彼女を目にするのは久しぶりだ、と胸中で呟き、俺も文を見習って、遠くを見渡してみる。

 この山は、この間に文と遊びに行った『山々テーマパーク』付近に立つ山である。幾ら駅前がコンクリートに覆われていたとしても、駅から少し離れたこの場所には、自然がまだ多くあった。

 

 遠目には、この山とは比べ物にならない程に大きく聳え立つ、他の山が見える。夕暮れ時に来たら良い絵になったと思うのだが、何故天狗である彼女は、この時間帯に、こんな辺鄙な場所に行きたがったのだろうか。

 俺の隣で身を屈ませる刹那は、さぞ面倒そうな表情を浮かべながら、低く呟いている。

 

「全く……傍迷惑(はためいわく)だわ。天狗さんが『行きたい場所が在る』とか言ったから着いていったものの……。本当面倒」

「まぁ、そう言うなよ。文だって、何も考えずにここに来た訳じゃないだろ――なぁ、文」

 

 茫然と彼方を見渡す文の方を向いて、もう一度言葉を投げ掛ける、が、対する彼女は俺の言葉に反応すらしなくなった。

 

「反応が無い。ただの屍のようだ」

「はぁ……寒い、帰りたい」

 

 俺のギャグを受け流し、珍しく駄々をこねる刹那。膝に顔を埋める彼女の耳は、寒さによって少しだけ赤くなっていた。

 本当は、俺だって早く帰りたい。だが、文をこんな状態のまま放って帰る事も出来ない。今は辛抱強く、時が流れるのを待つしか無いだろう。ほんの少しのお詫びを兼ねて、俺は上に羽織るダウンジャケットを脱いで刹那に渡す。

 

「……なによ、これ着ろって言うの?」

「ああ、フードも付いてるし、被れば多少寒さも紛れるだろ」

「貴方は大丈夫なの?」

「男は寒さに強いんだよ。着ないってなら別に良いけど」

 

 煮え切らない素振りを見せる刹那に、ダウンジャケットを上から被せた。口元を尖らせた彼女はそこで、大人しく俺のジャケットを羽織る。

 俺より背の少し低い彼女は、サイズが少しだけ大きいようだ。

 

「……ありがと」

「お前が礼を言うなんて、珍しいな。明日は雹が降るんじゃないか?」

「なによ、私が礼を言うのが、そんなに珍しいって言うの?」

「ああ、お前が礼を言うと――……ちょっと待って、今凄いデジャブった」

 

 彼女とのやり取りに、強い既視感に見舞われながら、もう一度遠くを見渡す。遥か彼方に見えていたオレンジ色の空は、既にその姿を隠し、辺りを覆う闇はより一層濃くなった。

 こんなに暗くて、山の中で迷子にならないかと思うが、俺の傍らに立つのは山の神様(天狗)だ。余程の事が遭っても、迷子になる事はないだろう。

 

 ダウンジャケットを脱いだことにより、長シャツ一枚になってしまった俺は、根気で身が震えるのを抑え、自分の身体を抱くようにしながら寒さから逃げる。

 文が漸く、自我を取り戻したのはそんな折だった。

 

「あ、あやや~。少しだけ、呆けてしまったようです。迷惑掛けましたね、二人共」

「本当だよ。何話しても反応しねぇんだから」

「もう少しで凍え死ぬ所だったわ」

 

 自分に非がある事を彼女は自覚しているのか、少しだけバツの悪そうな表情を浮かべた。刹那と俺も、そんな彼女に言いたい事はまだ沢山あったが、今はただただ、早く帰りたかった。

 俺は地面に置かれた、自分のクリスマスプレゼントと、クリスマスパーティー用のグッズを手に取る。文は今日の夜飯の材料と、大きな箱型にラッピングされたクリスマスプレゼントを手に掴む。刹那は、自分のクリスマスプレゼントだけを手に掴んだ。この中では、刹那が一番、手に持っている物が少ない。

 

 それにしても、今日一日で何れ程の出費をしただろうか。三人分のプレゼント代金に、夜飯の材料。果ては、文の我が儘によって買わされた、長靴下とクリスマスリース。合計で四、五万は下らないだろう。

 予想以上の出費に、思わず濃い溜息が溢れた。そんな俺の思いを知ってか、文は俺の背中を力強く叩く。原因の七割程が彼女だと言うのに、この馴れ馴れしさは何だろうか。

 

 もう一度溜息を零したい気分になるも、折角のクリスマスにこんなブルーになっては、彼女達に申し訳ない。出そうになった濃い溜息をグッと堪え、飲み込んだ。

 文が先陣を切り、俺と刹那の二人が彼女の背中を追う。すると――不意に、誰かの声が俺を呼び止める。

 

「――まさか、真君?」

 

 聞いたことの無い、少女の声。その声は小鳥の囀りのように、可愛げのあるものだった。

 声の聞こえてきた、自分の後ろを振り返る。そこには――背の低い少女が、有り得ないと言わんばかりの表情で、俺を見据えていた。

 

 どうやら、まだ自宅には帰れないらしい。

 

 

 ★

 

 

 木々が生い茂り、月の光までもが当たらない、真っ暗なこの空間に、幼げの残る少女はじっと俺を見据えていた。

 暗闇の中、ぼんやりとだけ見える少女。刹那とはまた違うが、少女も制服に身を包んでいる所から、中高生辺りである事が分かる。顔は美人、と言うより可愛いだろうか。暗闇に覆われ、髪の色までは分からないが、肩まで伸ばされたショートヘアのその少女は、俺の顔を見つめた後に、目を大きく見開き、口元を両手で抑えながら、目を細めた。

 

「ああ、私の願いが叶ったんだ、嬉しいッッ!! 本当に嬉しいよ!!」

 

 涙声で、見たことの無い少女は喜びに満ちたかのような表情で――俺に抱きついてきた。

 俺の隣で、刹那が茫然とする中、俺より背の低い少女は俺の胸に顔を埋めて、柔らかいその身体を密着させる。涙を流す少女に対して俺は、突然の状況に頭が追いつかず、ただ動悸だけが早まっていった。

 

 少女はその華奢な外見に反して力強く、俺の背中からはミシミシと、嫌な音が聞こえていた。それでも少女は、俺の背中に回した腕により一層の力を込める。

 遂に息苦しさまでもを覚える最中、刹那が我を取り戻したのか、焦り口調で俺と少女を引き剥がした。

 

「ちょっ、ちょっと。何よこの状況。真、貴方この人の知り合いなの!?」

「い、いや、知らないぞこんな奴」

 

 自由を取り戻した俺は、急いで空気を口から吸い込んだ為に咳き込んだ。苦しげに刹那の言葉を返す俺を、少女はキョトンと首を傾げながら、笑う。

 

「またまた~何言ってるの真君。()()()を忘れたなんて、冗談でも言っちゃいけないよ」

「は、はぁ!? 君が俺の幼馴染!?」

「うん。年は少し違うけどね~……って、本当に、私の事忘れちゃったの?」

 

 少女の言葉に、俺は首がもげる程の勢いで頷く。悪いが、俺はこの女の子を知らない。そもそも、俺にこんな可愛い幼馴染が居たなんて、記憶に無い。

 対する少女は、酷く傷ついたような表情を浮かべた。目を細め、眉を悲しげに刻み、今にも泣き出しそうな表情を。

 

「――本当に忘れたの!? あんなに仲良くしてたじゃない!!」

「い、いや本当に俺は、君のことを知らないんだ。他の人と間違えているんじゃないか?」

「……え、でも――。すみませんが、貴方のお名前って……」

 

 急に畏まる少女。これで俺が、名も知れぬ他人だったらこの子は酷く恥ずかしい思いをする事になるだろう。

 ――あれ、でもこの子、俺のことを『真』って、名前で呼んでいたような――。俺の心中に浮かんだ、嫌な予感が的中しない事を神に祈りながら、俺は自分の名前を口にする。

 

「俺は、天田 真(あまた まこと)って言います――」

「ほらやっぱり!! 真君じゃない、今年十八歳になる真君でしょ!?」

「え、はぁ、まぁそうですけど」

 

 何故、目の前の少女はそこまでに俺の事を知っているのだろうか。もしかしたら、この子は本当に俺の事を知っていて、俺はこの子を忘れてしまったのか。だとしたら、俺は何処まで酷い奴なんだ。

 眉を八の字に刻む俺に、またも抱きつこうとする少女。それを俺は手で制す。

 

「……すみませんが、私は本当に貴方の事を知らないんです」

「――本当に? 私のこと、本当に忘れたの?」

 

 酷く痛々しげなその表情に、俺は兎も角部外者で在る刹那までもが、困惑の混じった、それでいてやり切れないような表情を浮かべた。本当に、目の前の少女は俺と関わりを持っているのか。俺はそんな疑念に囚われる。

 この子は、俺の知らない誰かを、俺と照らし合わしているのかも知れない。けれど、だとしたらこの少女は俺の名前を何故知っているのか。名は兎も角、俺の実年齢まで。

 

 突然の状況に、俺は眉を八の字に刻む他無かった。様々な疑念や怪訝が交差する中、辺りを覆う闇は更に濃くなってきている。少女はその顔を悲痛に刻みながら、震えた口調で話し掛けてきた。

 

「私だよ、――朽木 彼方(くちき かなた)だよ? 本当に忘れちゃったの?」

「くちき――かなた?」

 

 少女の口から出た人の名前を聞いた途端、頭の中に鈍痛が走った。

 ズキン――と、脳を揺さぶられる感覚。先程よりも動悸はずっと早く打ち始め、早鐘のように圧縮を始めた。

 

 俺は――少女の名前を、何処かで聞いた事が有る。そして、次に放たれた少女の言葉は――俺の頭を、()()を強く刺激させた。

 

「そう、朽木彼方だよッッ!! 本当に忘れたの? 夜空(よぞら)ちゃんの事も忘れちゃったの!?」

「よ、ぞら――」

 

 瞬間、雷に打たれたかのような衝撃が身を襲った。次に氷水を頭の頂辺から被ったかのような、鳥肌が全身を覆う。その気持ち悪さに思わず、その場で俺は嘔吐した。

 昼に食べた物が土の地面に零れ、僅かな酸が俺の喉を焼く。頭の中はミキサーで掻き混ぜられたかのように、ごちゃごちゃと散らかっている。まるで、忘れ去られていた記憶を無理矢理、脳の中に挿入されるような不快感が俺を襲った。

 

「ちょっと!! 大丈夫なの真!?」

 

 俺の身を案じてか、刹那が今にも倒れ伏せそうになる俺を、抱き上げた。それでも、身を襲う不快感は収まる気配が無い。

 白と黒色が目の前をチカチカと点滅する。出来の悪いフラッシュビデオを見ているような感覚に陥り、それが更に俺の吐き気を催した。だが、少女は何処まで俺を刺激させれば気が済むのか、彼方と言う少女は――今まで、一言も発さなかった、俺の後ろに立つ少女の名前を呼んだ。

 

「まさか、貴方――文さん?」

 

 そこで、俺の思考は完全にフリーズした。

 

 




クリスマス回を単なるほんわかイベントだと思った者、大人しく挙手。


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午後七時 プレゼント交換

 先程の、喜びに満ち溢れたような表情から打って変わり、親の仇でも見るかのような苦々しげな表情を作る少女。

 彼女の口からは、確かに俺の友人で有り天狗で有る、文の名前が出ていた。

 

 一体、この少女は何処まで俺の事を知っているのだろう。恐らく、俺の知らない事までもを知っているに違いない。ぐちゃぐちゃに散らかった思考で、俺はそう考える。

 俺の後ろに立つ、朽木 彼方と名乗る少女が現れてからは一言も喋らなかった文は――俺が今まで見たことも無いくらいに、歪んだ表情を作り上げていた。

 

 困惑と、焦燥と、殺気が混ざったような、酷く歪んだ表情。一日の殆どを笑顔で過ごしている文からは、とても想像出来ないような恐ろしい顔。刹那の注意が俺に向いていて良かったと思う。

 もし、刹那が今の文の表情を見てしまったら、彼女は恐怖に打ちひしがれていただろうから。文は、俺の視線に気付いたのか笑顔仮面を被る。俺は、文の本当の表情が分からなくなっていった。

 

「貴方は、私の名前を知っているようですが――私は貴方を知りませんね。どなたでしょうか?」

「へぇ、知らない振りするんだ。全く、あの後何処へ行ったかと思えば、真君と一緒に行動してたなんて――本当、ずる賢いよね」

 

 俺や、刹那までもが困惑に満ちた表情を浮かべる。対する二人は、笑顔を浮かべていた。

 ――一人は作り物の笑みを。そしてもう一人は、酷く恐ろしい、底無し沼のように濁った笑みを。暫くの間沈黙が場を制す。最早風の音までもが良く聞こえる静寂に満ちた山の中、意外にも沈黙を破ったのは文だった。

 

「それはそうと、流石に寒くなってきましたね。まだ話したい事が有るのなら――どうです、何処かお店の中で話しませんか?」

「そうだね。()()さんは兎も角、真君が風邪でも引いちゃったら大変だもんね」

 

 天狗。その言葉が少女の口から零れた時、確信した。

 ――彼女は文の存在を知っている、と。霧が段々と晴れてきた頭の中は、未だ少しだけ散らかっているも一人で立てる程にはなり、俺を抱き抱えていた刹那の腕を優しく解いた後、地面を力強く踏みつける。

 

「かと言っても、ここら辺喫茶店なんて便利な物は無いし――何処行くんだ?」

「あ、真さん真さん。私もう一度遊園地行きたいです」

「そろそろ家に帰らないと、食材が傷むだろ。そうだな――俺達これからクリスマスパーティーするつもりなんだけど、どうです彼方さん? 貴方も一緒に来ますか?」

 

 俺の言葉に――痛い程鋭い目線が幾つも刺さる。後ろを向くと刹那と文の二人が、殺せる程に鋭い目線で俺と彼方を睨みつけていた。

 ――しまった、地雷を踏んだか。冷や汗を垂らす俺とは対し、彼方は恍惚やら興奮やらが混ぜ合わさったような表情で、俺を見つめている。暗闇の中、少しだけ潤んだその瞳が綺麗で――思わず一歩後ずさってしまう。

 

「本当に、本当に良いの!? と言うか真君の家この辺から近いの!!? ああもうッッ死んでも良いッッッ!!」

「なら死にますか? 良いですよ、私が手伝ってあげましょう」

「真君に殺されるのなら本望だけど、文さんには殺されたくないな~。と言うか触られたくも無い、バイ菌持ってそう」

 

 俺は葉団扇を構える文の腕を押さえ、当たり障りない適当な笑顔を作っていた。笑顔と言うよりかは、頬が少し引きつっただけだと思うが。

 どうか、面倒臭い事が起きませんように。俺はそんな叶わなそうな願いを、神様に祈った。

 

 ――そして、騒がしい俺達を、刹那がじっと見据えている。目線は――彼方の方を向いていた。

 

 

 ★

 

 

「……うっわ、予想以上に近かった」

 

 防犯灯に照らされた彼方が、半ば呆れ顔のような表情で、自宅を見据えている。

 山では辺りが暗すぎて分からなかったが、青白い光に照らされた少女は様々な所を顕にしていた。

 

 彼方の制服は黒色のブレザーに、白色のスカートには薄茶色の線が縦横に伸びる、タッターソール・チェック柄で、見慣れないそのスカートの柄には少し驚いたが、何よりも彼女の髪の色が血のような赤色だった事には大層驚いた。

 日本人離れした、目立つその髪色にどうしても目が行ってしまう。彼女曰く生まれつきだと言うから、余計驚きを隠せない。

 

 そもそも、黒色の瞳に生まれつき赤色の髪の毛が生える事は無いのだが、その言葉を俺はそっと飲み込む。人には一つや二つ、聞いて欲しく無いものが有るものだ。文が――俺に何かを隠しているように。

 上空には珍しく星が見えており、ペガスス座がくっきりと見て取れた。結局、星や月が頭上に昇るまでに帰る事は出来なかったな、と感慨に浸る。

 

「彼方の予想はどれくらい遠かったんだよ」

「う~んとね、最低四駅は通るかと思ってた。まぁ、例え真君の住居が地球の裏側でも、私は追ってたけどね」

「悪質過ぎるストーカーだな」

 

 敬語を使わず、親しみを込めた口調で話す俺と彼方。どうやら俺が彼女に敬語を使う事は、彼女にとって酷く傷つく事らしい。

 それにしても、先程会ったばかりの少女を、俺は家に連れ込むなんて――今になってはどうかしていると思えてならない。何時から自分はこんな、平気で女の子を家に連れ込むような奴になったのだろう。

 

 俺は玄関扉の鍵穴に鍵を刺して、百八十度回した。がちゃり、と小気味良い音が聞こえて、家は主の帰宅を快く歓迎する。尤も、この家の主である俺の他に三人の少女が居るが。

 刹那は俺の家に訪れた事が有るからか、玄関を潜って特別何かを言うことは無いが、彼方は別のようで。俺の傍らで彼方は、これでもかと言うほどにテンションが上がっていた。

 

「うわぁ、広い広い。こんな広い一軒家で真君は暮らしてるのかぁ……。あ、真君の匂いがする~」

「おい、俺の服に顔を埋めるな。って言うかおいッッ!! 俺の服を食べるなッッ!?」

「うへへ。ちょっとしたマーキングなのですよ」

 

 そう言って俺の長シャツを口に含む彼方。ハッキリ言って嬉しいのだが――後ろの女性陣から発せられる雰囲気が恐ろしく、俺は後ろを振り向けなかった。

 

「ちょ~っと調子に乗りすぎじゃありませんか、彼方さん? それとも彼方さんの主食は布全般なんですか?」

「違うよ、私の主食は真君だよ。いずれは真君を食べたいな~って」

 

 もぐもぐと俺の服を噛みながら会話をする二人。何故、文までもが俺の洋服を噛んでいるのだろうか。むず痒い感覚になりながらも――何処か、懐かしい気分になった。

 流石に刹那は俺の洋服を噛むようなキャラでは無いようで、苦笑混じりに俺達を眺めている。普通ならば、刹那のような反応が正しいのだが、文はそこまで大人では無いらしい。長い間を生きると精神が逆に幼くなるのだろうか、美味そうに俺の服を噛む文を一瞥しながら、そう思う。

 

 服が伸びないように気をつけながら、何とかリビングまで到着する。唾液に濡れ、よれよれになった服の袖を捲りながら、各々で買ったクリスマスプレゼントをミニテーブルの上に置いた。

 

「それじゃあ気を取り直して……プレゼント交換しましょうか。あら、彼方さんは渡すプレゼントが有りませんね。非常に残念です、指を加えて眺めていて下さい」

「え~ちゃんと有るよ。渡すプレゼント」

 

 文から発せられたハブ宣言に少しだけひやりとするが、どうやら彼方には人に渡すプレゼントが有るらしい。少しだけ胸を撫で下ろしながら、手ぶらの彼方が渡せるプレゼントを何となく予想してみる。

 だが、彼方が渡そうとしているクリスマスプレゼントは――俺の予想斜め上を行った。

 

「私は真君に、私の初めてをプレゼントするつもりだよ」

「いい加減にしませんかね、彼方さん。流石に私の堪忍袋の尾も切れそうなんですが」

 

 彼方の爆弾発言に、文が額に青色の血管を浮かべる。俺は心中でこれ以上、彼方が文を刺激してくれないよう願うばかりであった。

 どうやらこの場に、常識人は俺と刹那しかいないようだ。だが、その内の一人で有る刹那は、ただじっと彼方の顔を凝視している。よって、常識人は俺一人になってしまったようだ。

 

 妙なこの雰囲気の中、彼方は厭らしく笑う。俺には何故、この状況化に笑顔を作れるのか疑問でならない。

 

「冗談だよ冗談。いや、半分本気だったけど――ちゃんと渡せるプレゼントは有るよ」

「そうですか。下らない代物だったら地面に叩きつけますね」

「大丈夫。きっと真君は喜んでくれる筈だから」

「俺が貰う前提かよ」

 

 別に、彼方が最初に言ったプレゼントでも充分嬉しいが、文がそれを許してくれそうには無かった。何故か彼女は、俺が他の女性と関わるのを嫌うらしい。

 気を取り直して、俺達は各々に綺麗に包装されたプレゼントを手に取る。俺は小さな箱型のプレゼントを。刹那は大きな紙袋を。文は大きな箱にラッピングされたプレゼントを。そして彼方はブレザーのポケットに手を突っ込んだと思うと――銀色に輝くロケットペンダントを取り出した。

 

 部屋の明かりに照らされて、美しく輝くロケットの中には何が入っているのだろう。高価そうな彼方のプレゼントを眺めながら、心中で首を傾げた。

 刹那は携帯を手に取ると、インターネットを開いた。すると何処かで聞いたことのあるクリスマスソングが携帯から流れてくる。どうやら、この音楽が終わると同時に手元にある物が、今年のクリスマスプレゼントのようだ。

 

 俺達は円状に広がると、それぞれのプレゼントを抱き抱える。刹那が停止していたクリスマスソングを再生すると同時に、俺は自分のプレゼントを、右隣に立つ刹那に渡す。

 明るめなクリスマスソングがリビングに響き、俺のプレゼントは刹那へ、そして文へ、最後に彼方へと送られ行く。

 

 彼方や、先程まで仏頂面だった文までもが笑顔を作る。刹那は無表情を湛たたえるも、その表情の中には喜色が混じっている事が容易に伺えた。俺もはしゃぐ事は何となく気恥ずかしい為に、笑顔を必死に堪こらえる。

 一分ほどの短い時を得て、音楽が止まった。途中で何故か逆回りになったりと言ったハプニングが起きたが、無事各々の手元にはプレゼントが行き渡ったようだ。

 

 俺は彼方のクリスマスプレゼント、ロケットペンダントを。刹那は文のクリスマスプレゼントを。文は俺のクリスマスプレゼントを、そして彼方は、刹那のクリスマスプレゼントを。

 

「あ、文さんずるい!! 真君のプレゼント貰ってるじゃん!!」

「いや~運が良かったです。彼方さんは刹那さんのプレゼントですか、また来年期待して下さい――まぁ、貴方に来年が有るかどうか、分かりませんが」

「ねぇ、どうして私のプレゼントがハズレみたいに言っているの?」

 

 さぞ嬉しそうな笑顔を浮かべる文に対して、刹那は頬を引きつらせながら言った。確かに失礼ではあるが、俺も紙袋の中に入ったクリスマスプレゼントが良き物だとは、あまり予想出来ない。

 

「それじゃあどんな物か見てみよっと。きっと豪華で綺麗な物なんだろうな~……って、なにこれ」

 

 彼方が紙袋から出した物は、有名なボードゲーム――人生ゲームだった。

 無意識にか、彼方が苦笑を顔に貼り付ける中、それを知らずに刹那は目を輝かせながら言う。

 

「ふふふ――一目見た時からこれしかない、って思ったわね。ボードゲームの他にゲーム用DvDまで付いているのよ。そして価格は二千六百円とお手軽。これを超えられるであろうプレゼントを、私は見つけられないわ」

「ああ、うん。まぁセンスが無いって事だけは分かったよ」

「確かに、悔しいですが……これは刹那さんをフォロー出来ませんね」

「うん、確かにないわこれ」

 

 余りにも酷いクリスマスプレゼントに、最早彼方に同情の念すら向けたくなる。俺達のオブラートに包まない、辛辣なその言葉は次々と刹那に刺さって行き、遂に彼女は目の端に涙さえ浮かべた。

 そして、逆上した刹那は――文にその牙を向く。

 

「なによ、皆して!! それじゃあ天狗さんのプレゼントをご拝見と行きましょうか!! さぞ大層な物が入っているのでしょうね!!」

 

 キャラを忘れた刹那が、長いその黒の髪を激しく靡かせ、丁寧に包まれた包装紙を無闇に破く。その結果、散りばめられた紙吹雪はカーペットの上にひらひらと舞い落ち、リビングを汚す。

 段々と顕になって行く彼女に向けられたプレゼントは、俺がオモチャ売り場で最初に目を付けた、ジープラジコンカーだった。

 

「……流石にこれは、予想外」

「あやや~。真さんに渡すつもりだったのですが……刹那さんの手に渡っちゃいましたか」

「だから何で、俺が貰う前提なんだよ」

 

 流石に拍子抜けだと言わんばかりに、刹那は呆れた表情を作る。目元がピクピクと震えているのは、気のせいでは無い筈だ。

 最後に、文が俺のプレゼントの包装紙に手を掛ける。彼女の表情は酷く喜びに満ち溢れており、見ているこっちまでもが笑顔になりそうだ。

 

 ビリビリと、紙の破かれる音が耳に届く。包装紙から現れた代物は――淵の赤い、手鏡。文はそれを物珍しそうに眺めている。

 

「手鏡――ですか」

「なんだよ、いらないのか?」

「いいえ、真さんからのプレゼントなら、例え生ゴミでも大切にしますよ。ありがとうございます」

 

 頭を浅く下げ、嘘偽りの無い笑顔を作る文。その表情が仮面ではないことは、俺にも分かった。

 何となく気恥ずかしく思い、彼女から顔を背け頬を人差し指で掻く。いけない、このままでは俺までもが笑顔を浮かべてしまいそうだ。

 

「いいな~真君の手鏡……まぁ、私のプレゼントが真君に渡っただけ、マシとしますか。それよりもさ、真君。そのロケットペンダント、首に掛けてみてよ」

「別に良いけど……これって本来、女が掛ける物じゃないか?」

「いいからいいから」

 

 彼女の言われるがままに、俺はペンダントの鎖を首に掛けた。ひんやりとした、冷たい感触がうなじ辺りに感じられる。

 普段ネックレス等を付けた事の無い俺は、何だか慣れない感じがしてならない。ただ、何故だろうか――俺の身近な人が、良くペンダントを掛けていたような――。そんな不思議な気分に、一瞬だけ浸った。

 

 何とはなしに、俺はハート型のチャームを開ける。観音開きに開いたロケットの中には――一枚の、写真が嵌ってある。

 小さい頃の俺と、見知らぬ少女。黒色のセミショートヘアの女の子は、俺の腕を取ってピースサインをカメラに向け、笑っていた。

 

 見覚えの無いその写真を不思議に思いながら――目の前が、黒色に染まった。

 

 




久々の一日一話投稿。


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夢の世界

 

 穏やかな風が木の枝を揺らす。

 じりじりと俺の身を照りつける太陽の光りは、ゆっくりながらも俺の身を確実に火照らせていく。緩やかな小風に吹かれ、新緑の艶やかな葉は美しくその身を靡かせた。

 

 背中越しに感じる、柔らかな土のクッションは空に浮かぶ太陽とは真逆に、ひんやりと冷たい。ぼんやりと霞む目の前の光景を不思議に思いながら、ゆっくりと上半身を起こそうとする。

 が、不意に声を掛けられた。覇気のある、可愛らしい女の子の声。その方向を向くと、小学生程だろうか、それ程に小さな少女が俺を指差し、言った。

 

「真君見っけ!!」

 

 俺の名前を呼んだ少女は、左右にゴムで結ばれ、束ねられた髪の先を揺らしながら踵を返し、木々が生い茂るその奥の方へと駆けて行ってしまった。

 何事かと声を上げた時には、もう少女の姿は見えない。怪我をしたら、もしくは迷子にでもなったら大変だ、と柄にも無い事を思った俺は、小柄な体躯をした少女の後を追いかけてしまう。

 

 仰向けに寝かせていた身体を起こし、靴で土の地面を踏みしめながら背中を追いかける。三十メートル程走った辺りで俺は速度を落とす。

 ちょっとした疑問――いや、違和感に囚われたのだ。進めていた足を止め、自分の手の平を広げて視界の中央に捉える。すると、自分の手の平が小さすぎる事が分かった。

 

 普段の俺の手の平は、これよりも一回り大きくて、そしてか細い五本の指が繋がっている筈だ。だが、今の俺の手の平は――ふっくらと膨らんでいる。

 そこで、更なる違和感に気づくことになった。周りに生い茂る木々の高さが尋常ではないのだ。

 

 俺の身長は180手前か、ちょっと。だが、俺の周りを囲むように生い茂るこの木々達は、例え俺が空を見上げても頂辺が見える事は無い。首が痛くなる程に空を見上げて、やっと頂辺が見える程の身長をしている。

 何かが可笑しい。そもそも、俺の身体が軽すぎる。長年親の遺産で生きてきた俺の身体はとっくに腐っており、逆上がりすら出来ないのが現状だと言うのに――自分の今の身体は、羽が生えたかのように軽い。

 

 その代償と言ったところか、筋力が衰えたように感じられる。証拠に俺の腕や足はモヤシのように細いのだ。

 頭の中に疑問が思い浮かばれる中、先程に聞いた少女の声が林の奥の方から聞こえてきた。その少女の声を目印に、俺はもう一度走り出す。

 

 妙に背の高い木々の間を縫うようにして走り、漸く開けた所に出れた。

 丁寧に刈られた芝生の中央には、三人の子供らが見える。

 

 一人の少年は尻を土の地面にぴったりと着け合わし、その両足の膝に両腕を抱えるように座り――詰まるところ、体育座りをしながら無表情に俺を見据え。

 もう一人の少年は詰まらなさそうな表情を浮かべ、胡座をかいている。上には白Tシャツ一枚を着用しており、下は短パンだけという――どこか昭和の雰囲気を匂わせる、坊主頭。

 

 最後の一人は土の上に立ったコーヒー缶を可愛らしい桃色のラソックで踏みしめ、無邪気な笑顔で俺を指差す少女。良く良く見ると、先程に林の奥へと駆けていった少女だった。

 俺の姿を見るや否や、坊主頭の少年はがっかりだ、と言わんばかりの失望の念を混ぜた表情で言ってみせる。

 

「やっぱり捕まったか。真なんかに期待した、俺が馬鹿だったよ」

「ちょっとちょっと。その言い草は無いんじゃないの? 真君だって頑張ったよ。ね、真君!!」

 

 突然に少女に話題を振られ、戸惑う。そもそもここは何処だ。と言うか君らは誰だ。言いたい事は山ほどとあったが、取り敢えずは少女の言葉を返すことにする。

 

「あ、ああ。まぁ、俺も頑張ったよな……。てか、何のゲームしてるんだっけ」

「はぁ? 何言ってるんだ真は。冗談のつもりか? ったく……詰まらない冗談言ってんじゃねぇよ。ケイドロだよケイドロ」

 

 坊主頭の下町生まれ風の少年は、怪訝そうな表情で言った。何故、俺はこんな薄汚いガキに呼び捨てにされているのだろうと、多少の憤怒を覚えながらも押さえつける。

 だが、何だろう。この薄汚い少年に暴言を吐かれると――懐かしい感覚に陥ってしまうのは。坊主頭の言葉一つ一つが、俺の記憶を刺激させる。所々穴の空いた俺の記憶を――。

 

「まぁまぁ、落ち着いて下さいよ慶太(けいた)くん。長い間ここに座りっぱなしで、イライラしてしまうのは分かりますが――八つ当たりは良くないですよ」

「うるせぇよ。ガリ勉が一番最初に捕まったくせに」

「私はガリ勉って名前じゃなくて……列記とした海斗(かいと)って名前が有るんですが……」

「うっせぇ。お前なんたガリ勉だ。毎度毎度難しい本開いてるくせに」

 

 やや大人しめの少年は、坊主頭に散々な事を言われている。けれど、坊主頭の言い分には俺も一理あった。

 体育座りのポーズを崩さない少年は、何処か秀才君を匂わせる者だったからだ。青色の、新幹線の模様が刻まれた半袖シャツは黒の半ズボンにインされているし、背筋だってピンと垂直に伸ばされている。更には少年の髪型は七三分けと言う、秀才君オーラが俺にも漂ってきていた。

 

 下町生まれ風の少年と、名門校に通っていそうな少年は些細な言い争いをしている。その光景を微笑ましく、それでいて懐かしく感じながら、俺は彼らの傍らに腰を下ろす事にした。

 すると突然に、俺の横腹から衝撃が走る。鈍痛に顔を顰めながらも、衝撃を感じられた箇所に目をやると――小柄な体躯をした少女が、俺に抱きついているのが否応なく理解できた。

 

「真君~」

「な、な、な……」

 

 小柄な少女は俺の背中に腕を回しながら、上目遣いに俺を見据えた。これでは完璧に警察の御用になると踏んだ俺は、堪らず少女を引き剥がす。

 意外にもあっさりと俺に剥がされた少女は、何が気に食わないのか可愛らしく頬を膨らました。

 

「やっと真君を捕まえられたから、甘えられると思ったのに……私を引き剥がすなんて酷いよ!!」

「い、いや……俺は」

 

 可愛げのある少女の気迫に押され、しどろもどろになる十八歳俺。情けないと感じながらも、俺は小さな女の子から目を背ける事しか出来なかった。

 そんな折に、俺の隣から横槍が入る。

 

「お? なんだなんだ、夫婦喧嘩か?」

「痴話喧嘩ですか。微笑ましいですね」

 

 明らかにはやし立てるような口調で、俺の隣を座る少年二人ら。彼らの言葉に少女は反応し、ちろりと小さな紅色の舌を出す。

 

「そうだよー。真君は私のお嫁さんになる人だもん」

「熱いね~」

 

 ヒューヒューと俺と少女二人を挑発する坊主頭。そこで、ズキンと頭の奥が酷く痛んだ。

 強いデジャブ(既視感)。俺は――こいつらを知っている。

 

 欠けていたパズルのピースが埋まるように、俺の脳に欠けていた記憶が呼び戻った。そうだ。俺は小学生の頃、この連中と毎回遊んでいた。

 ガキ大将気質の坊主頭(慶太)薀蓄(うんちく)好きな秀才君(海斗)。そして――ムードメイカー風の少女。夏頃に親戚の方に泊まっていた俺は、毎日毎日判を押したように決まって、彼らと遊んでいたじゃないか。

 

 だけれど、何故に先程まで文達とクリスマスを満喫していたと言うのに、俺は過去に、ガキの頃に戻っているのだろう。その答えは直ぐに見つかった。

 これは――()だ。痛みもそよ風も太陽の光りの温度も感じられるが、これは夢だ。直感がそう告げる。

 

 明晰夢と言うものだろうか。今の現状を不思議に思いながらも、一先ずはこの状況を心から楽しむ事にした。

 少年時代の頃から、俺には苦悩が多くあったが――彼らと共に過ごす時は掛け替えの無い物だったのだ。ある日は皆で野原を駆け回り、またある日は山奥にまで登ったり、ある日は背の高い木々の頂点にまでよじ登ったり。そんな掛け替えの無い日々。

 

 俺は何時から、彼らと離れ離れになったのだろうか。そして、彼らは今、何をしているのだろうか。そんな思考に更けていた俺を、再度いつの間にか俺の横腹に抱きついていた少女が呼ぶ。

 

「どうしたの真君。ボーとしちゃって」

「……いや、何でもないよ。少し熱いなーって」

「えぇ!? 大丈夫真君。私の水筒飲む!? 熱中症なんかになったら大変だよ!!」

 

 どうやら俺の横腹に抱きつく彼女には、君が俺に抱きついているから俺が迷惑している。と言う遠回しな皮肉が通用しないようだった。穢れなき純粋なその瞳で見据えられると、俺としても色々――来るものがある。

 そんな邪念が心中に湧き出てくる中、海斗――またの名を秀才君は、少女に言った。

 

「真さんには自分の水筒があるでしょ……。ただ()()さんが真さんに、自分の水筒を飲ませたいだけなんじゃないですか?」

「あ、あ~……。えへ」

 

 又もやちろりと舌を出す少女。誤魔化しているつもりなのだろうか。あざといなと思いながらも――秀才君がこの少女を、今何て呼んだのか果てしなく気になった。

 

「ま、待って。今……この子の事彼方(かなた)って呼んだ?」

「え、そうですが……。大丈夫ですか真さん? 暑さに頭をやられましたか?」

 

 彼方。彼方。彼方……。

 今、俺に抱きついている小さな黒髪の少女が、彼方だと?

 

 有り得ない。そうだ、この子は俺の自宅にてプレゼント交換をした彼方とは、別人だ。

 けれど、彼方なんて名前の少女――そう多く居る筈は無いし……。そもそも、赤髪の方の彼方は俺を幼馴染と呼んでいた。

 

 言われてみれば、俺に抱きついている方の彼方は、赤髪の方の彼方と顔が少し似て……。あれ、彼方って単語がゲシュタルト崩壊を起こし始めたぞ。

 考える事を放棄した俺は、赤髪の少女、彼方イコール、現在俺の横腹に抱きついている黒髪のビックテールの少女は、同一人物という事にした。それにしても何故、年少時代この三人らと遊んでいたと言う事は思い出したのに、都合のいいように少女の名前だけを忘れていたのだろう。

 

 未だぽっかりと穴が空いている記憶を邪険に感じながら、取り敢えずは俺の横腹に抱きつく少女改め、彼方の頭を撫でる事にした。最早、考える事すら億劫に思えた俺に今出来る事は、これくらいしか無いように思える。

 小さな小柄の少女は、身体を一度びくりと震わせる。その後身体の力を抜き、俺の横腹にしがみつきながら身を休めるその姿はまるで、飼い主の膝元に包まる犬のようだった。

 

 そう言えば、赤髪の彼方の方も――俺の腕に抱きついていたな。やはり、彼女らは同一人物なのだろうと思うと同時に、俺の心中はちくりと罪悪感に痛んだ。

 俺は、彼方の存在をすっかり忘れていたから。俺の腹に抱きつきながら、子犬のように身を休める少女の存在を、綺麗さっぱり忘れていたから。針先で刺されたように痛む俺の心は、罪悪感でいっぱいだった。

 

 せめて、この夢の世界で少女に安らぎを与え――夢から覚めたら、赤髪の少女に一度謝ろう。忘れてしまってごめんと。

 俺の左隣に座る男性陣から嫉妬のような視線を感じながら、俺は少女の髪をなぞるように撫で続けた。じりじりと身を焦がすように照りつける太陽を、その身に受けながら。

 

 すると不意に、俺の背後に生い茂る木々の葉がざわざわと揺れた。小鳥でも飛び立ったのだろうかと、後ろを振り向いた瞬間――。

 木の頂辺から、もう一人の()()が降ってきた。

 

「――へ?」

 

 俺がそんな、間抜けな声を漏らすのも束の間。猫のように軽やかな身のこなしで地面に着地した華奢な体躯の少女は、力強く地を蹴った後、猛牛の如く突進で俺の方へと走り寄る。

 ――やばい。あんな速度で突進させられたら、俺は死ぬ。けれども、身体は彼方に拘束され動かない。

 

 詰んだ。諦めが胸中を占める中――少女は俺の三歩手前辺りにまで駆け寄ると、そこで地面を特別強く踏んで――飛んだ。

 少女の跳躍力は凄まじいもので、俺の半身をハードルのように飛び越えると、また走った。

 

 ふと目に入った、見覚えのあるロケットペンダントを俺は眺めながら、自我を忘れたかのように呆ける。人間、突然に出来事には頭が追いつかないものだ。

 風の如くスピードで走り去った少女は、勢いに任せ地面に置いてあるコーヒー缶を遥か遠くの方へと蹴った。カーンと耳に響く金属音を聞きながら、少女は呆ける俺を無視して大声を上げる。

 

「皆、逃げろー!!」

 

 その声が合図になったのか、黒のセミショートヘアの少女含め、俺を除いた男二人組は林の方へと逃げ隠れる。それに対して俺に抱きついていた少女、彼方は俺の背中に回していた腕を離し、さぞ悔しそうに吠えた。

 

「あぁぁぁ!! 蹴られたぁぁぁ!!! 真君のせいでもう一度初めっからになっちゃったじゃん!!」

「えぇ!? 俺のせい!?」

 

 それはいくら何でも理不尽ではないか、と言う言葉を飲み込む。彼方は遠くの方へと蹴り飛ばされた空き缶を探しに、少女や慶太達が逃げた逆方向へと走り去っていった。

 ポツンと、一人寂しく広場に残された俺は、あの少女の存在を必死に思い出そうとしている。だが、どんなに思い出そうと記憶を巡らせても、ショートヘアの少女の姿が見える事は無い。

 

 小学生の頃、俺が共に遊んでいたのは慶太、海斗、彼方の三人だった筈だ。あんな少女は知らない。

 多少の時を費やし、記憶を巡らすも少女の姿が映る事は無かった。溜息混じりに俺は立ち上がり、結局は逃げ隠れに行った少女達の方向へと駆けて行く事にする。

 

 今俺が見ているこの夢は、俺の過去をそのまま映し出したものの筈だ。だが、俺はあの少女の存在なんて知らない。

 可能ならば、あの少女に話しかけよう。君は誰だ、と。そう考え至った俺は、地面を強く蹴ろ――うとした。

 

「真君、捕まえた~」

「…………」

 

 恐る恐る後ろを振り向くと、恐ろしい笑みを湛える彼方が俺の肩を掴んでいた。

 小柄な少女は俺の肩に掛けていた腕を伸ばし、俺の首元を両腕で捕まえるように捕らえる。小さな少女だとは思えない程の艶やかさと、恐ろしさを兼ね備えた声色で、彼方はもう一度言う。

 

「真君。つ~かま~えた」

「……誰か、助けて」

 

 俺の助けを乞うか細い声は、緩やかな小風にかき消された。

 

 




ちょっとした過去編。今話で終わらそうと思ったのに終われなかった(涙)


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夢の続き

投稿遅くなって申し訳ありません(涙)


日は暮れ始め、辺りをオレンジ色に染め上げる。

 

 オレンジ色の日が沈むに比例して、木々の影はその背を伸ばせていく。何処からともなく鳴り始めた、子供達の帰宅を促す懐かしのチャイムが耳に染み込んだ。

 

 結局俺が彼方に捕まった後、その他誰ひとりとして鬼に捕まる事は無かった。

 ――いや、捕まえる気が無かった、と記述しておいた方がいだろうか。俺の背中に平らな胸を押し付けながら抱きつく少女に、何度目だろうか、嗜めるような口調で言ってみせる。

 

「……なぁ、そろそろ皆を呼ばないとヤバイんじゃないか? もうすぐ太陽も沈むだろうし」

「んー。あともうちょっと」

「それ言うの何度目だろうな」

 

 じゃれつく猫のように、彼方は俺の首に手を回しながら耳に、肩に甘噛みをしてくる。少女の柔らかな吐息が首筋に掛かり、くすぐったい事極まりない。

 まるで妹のようだと、家族との過去の思い出を全て忘れ去ってしまった最低な俺が、心中でそう呟いてしまう。

 

 家族の存在や性格しか覚えていない薄情な俺が、自分の妹と彼方の存在を照らし合わせていい権利なんてない。不甲斐ない自分に自己嫌悪する中、俺の背中に抱きつく少女は腕に力を込めた。

 離すまいと、俺の首に回す腕に更なる力を。だが、少女の力は酷く非力なもので、俺がちょっとばかし首に回された腕を払いのければすぐ外れてしまうような、そんな非力さ。

 

 文達と登ったあの山で抱きつかれた彼方の腕力は凄まじいものだったのにも関わらず、俺の後ろに抱きつく小さな少女(彼方)は弱かった。

 多少の違和感を覚えながらも、俺は回された首をそのままに放っておく。あまりに彼方が俺の背に身体を密着させるものだから、ただでさえ暑い夏の夕暮れが、更に暑く思えた。

 

 懐かしいチャイムと共に鳴る蝉達の合唱の中、俺と彼方はお互い無言を貫き通している。なのに全く気まずさなんて感じられない。

 ――しばらく二人で黙っているといい。 その沈黙に耐えられる関係かどうか――。そんな名言があったな、と何気なく空を仰ぐ。

 

 オレンジ色に染まる空。耳に染み込む高らかなチャイムと蝉の合唱。それら全てが俺の記憶を刺激して、忘れ去られたものを呼び戻してくれる気がした。

 背中を垂れる汗が服を引っ付かせる。最早俺と彼方の間には何もなく、肌で触れ合っているような気さえする中、ガサガサと林の中から三人の少年少女が広間に飛び出てきた。

 

「な――ッッ彼方!! どうして俺らの事探さないんだよ!?」

「本当ですよ、全く。何時間木の頂辺で待ちぼうけたか……」

 

 慶太はその表情にイラつきを。海斗はその表情に色濃い苦悩を貼り付けた。彼方はそんな彼らの鋭い目線から逃げるように、俺の背中に隠れる。

 これは誰がどう見ても彼方が悪い。いや、俺にも罪はあるだろうが、きっと二割程だろう。

 

 夏だと言うのに彼らから漏れる雰囲気故か、冷ややかな空気が俺の肌に突き刺さる。するとふと、黒髪の少女が肩まで伸びたショートヘアを揺らして、俺達の方まで歩み寄った。

 その小さな背丈からは感じられない、大人びた少女の雰囲気に些か困惑する。俺にとっては名も存在も知れない少女は、俺の目の前まで歩み寄って――立ち止まる。

 

「……彼方さん」

「――は、はひ」

 

 少女の重苦しい雰囲気に押されてか、彼方は身を縮こませる。

 まぁ、当然の報いだろう。何時間も待ちぼうけされた挙句、その理由が男とイチャイチャしていたからなんて事言われたら、そりゃあ怒れる。

 

 さて、どんな罵声が飛んでくるのか。そんな俺の思いに反して――華奢な少女はさっと俺の背後に回り込むと、彼方の小柄な身体を抱きしめた。

 

「ああもうッッ!! 怯える彼方んの表情唆る!! 可愛いよ彼方ん!!!」

「ちょ、ちょっと……苦しい」

 

 抱きしめる側から抱きしめられる側へとチェンジされた彼方は、目を回しながら苦しげに言ってみせた。だがそれに意をも返さず、少女は彼方を抱きしめ続ける。

 ――この子、そんなキャラだったのか。弛緩した空気の中、下町生まれの風貌をした慶太は苦笑を一つ。

 

「なぁ。五時も過ぎたし家に帰らないか? 日が沈んで迷子になるのも嫌だし」

「えーッッ彼方んともっと遊びたい!!」

「く、苦しいよ……死んじゃう」

 

 少女、またの名を百合っ子は彼方の頬を自分の頬で擦り合わせている。それはもう、摩擦によって火でも生まれるような勢いだった。

 が、そこで一頻り満足したのか、ふぅと溜息を一つ。艶やかになった肌が夕日によって美しく照らされている少女は、俺の方を向いた。

 

「仕方無いなぁ。じゃあ帰ろうか、皆」

「そうですね。これ以上遊んだら門限に間に合わなくなってしまいますし」

「あれ? 海斗君の門限って五時までじゃなかった? もう五時過ぎてるよ」

「いえ、もう夏ですので五時半までは遊べるようになったのですよ」

 

 やっと少女から開放された彼方はげんなりとした表情を見せながら、海斗と会話を繰り広げる。

 

 門限――か。

 恐らくに門限を過ぎてしまったら、海斗は親から拳骨を貰う事だろう。それが少しだけ羨ましくもあった。

 

 俺に親は居ない。何故いないのか、理由すら忘れてしまった。そして、何時からいなくなってしまったのかも、忘れてしまった。

 親戚の連中が保険金がどうとか言っていた事から察するに、多分強盗か通り魔辺りに殺されてしまったのだと思う。気が付けば俺の元には、家族の代わりに多額の保険会社から払われた保険金だけが残っていたのだ。

 

 そしてその多額の保険金を狙って、言い寄ってくる親戚の連中。家族を失くした俺を慰めるどころか、彼らは金欲に忠実なまでに従って、俺を陥れようとした。

 忘れたくとも、忘れられない記憶。何故人間の脳は嫌な出来事だけを鮮明に記録するのか。

 

 ふと、手を握られた。 

 隣を向くと、名前も知れない黒髪の少女が、俺の手の平を握っているのが分かる。

 

「ほら、何してるの真。帰るよ」

「――あ、ああ」

 

 夜空のように美しい黒の瞳が、俺を見据える。

 ――よぞら?

 

 目の前の光景が徐々に歪んでいくのを感じられた。強い不快感が俺を襲い、堪らず少女の手の平を振りほどいて、地面にしゃがみ込む。

 まただ。何度目だろうか、この感覚を体験するのは。

 

 忘れ去られた記憶が、無理矢理に俺の脳の奥へと入っていくかのような不快感。曖昧模糊とした過去の記憶が、段々と再構築されていく。

 それはまるで、散らばったジグゾーパズルのピースをハメこむような。だけど、どうしても最後の1ピースが見つからない。作為的と思えるほどに。

 

 再び視界が歪曲する。そして、プツン――と電源を切るような電子音と共に、俺の意識は再び刈り取られた。

 

 

 ★

 

 

「――はぁ。やっと起きましたか、真さん」

 

 目が覚めるなり、文の第一声はそれだった。

 

「ん……ああ。どれくらい寝てた?」

「三十分程度ですよ。いきなり倒れるんですから驚きましたよ」

 

 痛む頭を手で抑えながら、寝転がっていた身を起こした。ソファに腰掛ける俺を、文は心配そうに見下ろす。

 

「本当に、大丈夫ですか真さん」

「ああ。大丈夫だよ、心配かけたな。それにしても、わざわざ倒れた俺をソファに寝かしてくれるなんて、意外に優しいじゃん」

「いやいや……流石にそのまま放置なんて事はしませんよ。私とてそこまで人の心を無くしていません」

「いや、お前人じゃないから」

「そこは突っ込んだら負けですよ」

 

 どうやら文は、本当に俺の身を案じていたようで、軽口こそ言ってみせているものの、その表情は決して穏やかではなかった。

 彼女の顔を視界の端に捉えながら、周りを見回す。不自然な体制で寝ていたせいか首を回す度に骨の鳴る音が聞こえてくる。

 

「……で、あれはなんだよ」

 

 椅子に縄で縛られ、身動きの取れない彼方と、その傍らで彼方の顔を凝視する刹那を指差しながら、文に言った。

 理解できない状況を前に、文は恐ろしい笑みを浮かべる。

 

「いえ、彼方さんにはお仕置きが必要だな……と」

「ま、真君~助けて……」

 

 懇願するような目線を送る彼方を一瞥して、俺は思わず苦笑した。

 重い腰を上げ、立ち上がる。その際に瞳を輝かせた彼方を瞬間程眺め、俺はゆっくりと踵を返し、扉のレバーハンドルを手に掛けた。後方から少女の疑問そうな言葉に呼応するように、後ろを振り返る。

 

「……あんまりはしゃぎすぎるなよ。ご近所に迷惑だから」

「分かりました。さて、彼方さん。楽しみましょうか」

「ま、待って真君!! 彼方汚されちゃう、汚されちゃうのッッ!!」

 

 少女の悲痛な叫びを背に、リビングを後にした。

 

 

 

 ☼

 

 

 数十分程経った後、再度リビングに入ると文がとても楽しそうな笑顔で俺に寄り添ってきた。

 

「ふふふ……彼方汚された。汚されちゃったよ」

「いや~彼方さん良いリアクションしますね。楽しかったですよ」

 

 どんよりと項垂れる彼方とは対照的に、文はオモチャで遊ぶ子供のような笑顔だった。その絵面に見覚えを感じながら、苦笑する。

 何度目の既視感だろうか。頭が痛むのを他所に、未だ椅子に縛られている彼方の傍らに寄った。神妙な表情を作る俺を疑問に思ったのか、ソファに移動した刹那と椅子に縛られたままの彼方は不思議そうに目を丸くした。

 

「思い出したよ、彼方の事。仲の良かった幼馴染を忘れるなんて、最低だ。……ごめん」

 

 気付けば謝罪が口から溢れていた。視界の隅に映る刹那は、然程興味が無いのか携帯を弄っている。

 俺の真正面に位置する小さな少女は、見開いた瞳から透明の涙を頬に流していたけれど。

 

「……思い出してくれたんだ、彼方の事。嬉しいよ、真君」

「まだ、ほんの一部しか思い出していないけどさ。これからどうにかして、昔の思い出を思い出してみるよ」

 

 そう言うと、彼方は小さく首を振った。目の前の華奢な少女とは正反対の、灼熱のような赤い髪が少しだけ靡く。

 

「いいよ。大丈夫。真君が私の名前を思い出してくれただけで、私はもう満足だよ。それに……夜空ちゃんの事を思い出して、昔のトラウマが再発したら大変だし」

「トラウマ……? 何の話だ」

「ううん。何でもない。まぁそれは兎も角、早く縄を解いてくれないかな、真君。それとも真君は、縛られている女の子を眺めて興奮する変態なのかな?」

「へぇ。言うようになったじゃん。分かったよ、今解いてやる」

 

 未だ少し潤んだ彼女の瞳を見据え、ミニテーブルに置いてあった鋏で彼方を縛る縄を切ってやる。

 頑丈に結ばれたナイロンロープは、案外簡単に鋏で切れた。自由の身になった彼方は腕を回し、ゆっくりと立ち上がる。

 

「う~ん。痕になってないといいけど」

 

 スクールブラウスを捲って確認する彼方。何故かそれは、俺に見せつけるように捲られ、白色の露出した肌がチラリと見えた。

 赤くなった顔で反射的に目を逸らすと、今度は目の笑っていない文の笑顔が目に付く。面倒臭い事になってきたぞ。痛んできた頭を抱えたくなるもグッと堪え、その文からも目を逸らそうとするが――。

 

「ダメですよ、真さん。私から目を逸らしちゃあ」

「うん。何でキレてるのか知らないけど、落ち着こうな文」

 

 いつの間に俺の傍へと移動した彼女が、両手で俺の頬を掴み上げる。冷や汗が背中を垂れゆくのを感じながら、文の赤い瞳を見つめ返す。いや、見つめ返す事しか出来なかった。

 そんな折、途端にぐぅと間抜けに腹が鳴る。今日は色々な事が起きすぎて、未だ夜飯も食べていないのだ。腹が鳴ってしまうのも仕方ないだろう。

 

 俺は鳴った自分の腹に目配せをやって、文に言い放った。

 

「イラつく暇あったら、飯作ってくれないか?」

 

 



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午前九時 生意気少女

 彼と私は赤い糸で結ばれている。

 別れても再度出会う関係。切っても切れない、運命的な赤。情熱的な赤。最終的には私と結ばれるに違いない。

 

 ラブロマンスにバッドエンドなんか無い。いや、ハッピーエンド以外認めない。

 なんだって、ヒロインと結ばれない悲劇的なラブロマンスは、誰も幸せになれないのだから。誰もが後ろめたさ、後悔を背負いながら生きていくなんて悲しすぎる。寂しすぎる。

 

 もし、もしもだけど、彼の小指から赤い糸が解けてしまったら。その場合は多少手荒な方法を取る他ない。私の大切な人が、パッと出の女に奪われるなんて我慢ならないから。

 彼は悲しむだろう。嘆き悲しみ、心にぽっかりと空いた穴に私が溢れる程の愛情を注いであげよう。溺れる程の、盲目的な愛。

 

 彼が私以外の人間を見ないように、監視しよう。束縛しよう。依存させよう。その為には多少の犠牲だって必要だ。十、百、千、万、例え億でも、地球人口数を超えてしまうけれど、兆の位でも人を排除して見せる。

 地球から彼と私以外の人が消え失せた場合は、私が七十二億人分相応の愛を注いであげる。

 

 狂気的だと言うなら言えばいい。非人道的だと言いたいなら何度だって言えばいい。恋は盲目なのだから。

 彼がアダムで、私がイブ。少しポエムみたいだけれど、彼と私は言わばそんな関係なんだ。禁忌を犯してしまえど構わない。大切な彼の為ならばリンゴを齧っても良い。楽園から追い出されたって構うものか。

 

 盲目的な愛情。素敵。彼が私を好きになって、楽しい記憶を、思い出を沢山作ったら、最後には食べてあげる。

 どんな味がするのかな。楽しみだな。

 

 

 

 ♥♥♥

 

 

「どーも、お待たせしました彼方です。真君を引取りに来ました」

「待ってません引き取らせません、帰ってください今すぐに」

 

 十二月の後半。あと数日で今年が終わる程の日時にインターホンが鳴ったかと思うと、スピーカー越しに彼方が開口一番にそう言い放った。

 文はテレビドアホンの通話ボタンを押しながら、液晶モニター越しに映る彼方の顔を睨みつける。好きじゃないなら居留守を使えば良かったのにと思うのは、俺だけだろうか。

 

「えー開けてよ。じゃないと何時間でもドアの前に立ち続ける事になっちゃうじゃん」

「絶対開けません。風邪引いてしまえざまぁ」

 

 文。口調可笑しいよ。恐らくこの前見せてしまった、パソコン掲示板の書き込みが伝染ってしまったのだろう。

 別にここで、俺が出てしまえば火は消えるだろうが、面白そうなのでこのまま二人のやり取りを見やる事にしよう。ソファに浅く腰掛け、キッチンで作ったミルクココアを一飲み。そしてミニテーブルに置かれた、少し遅めの朝食であるカリカリのトーストを一齧り。

 

 やっぱり美味い。ここ最近朝食は和食ばかりだったので、洋食であるバタートーストがやけに美味しく感じられる。

 いい感じに焼かれたトーストの歯応えは抜群だし、バターのまろやかな味が口いっぱいに広がっていく。更に、ぎゃーぎゃーと喚き合う、正確には文が一方的に騒ぎ立てる言い争いは見ていて新鮮だ。

 

「分かりますか? 私と真さんはたった今朝食中だったんですよ? それを邪魔されて……この気持ちが貴方に分かりますか?」

「まぁ、人の不幸は蜜の味って言うからね。仕方ないよ」

「ほんっと性格悪いですね!!」

 

 ここいらが潮時か。ご近所にも迷惑が掛かるし、止めにかかろう。

 フォークにスクランブルエッグを刺して、口の中に放り投げる。そして一緒にトーストも放り込んで、俺は玄関へと向かった。

 

 玄関扉のサムターンを回して、扉を開ける。すると一番最初に彼方の姿が目に飛び込んできた。

 寒さに弱いのか、結構な厚着だ。ダスティブルーのニットを上に着て、更にその上にトレンチコートを羽織っている。下は色素の薄いスキニーデニムで、腕にはダスティパステルのバックが掛かっている。妙に大人びた服装だなと言うのが、第一印象だ。

 

「あ、やっと開けてくれた!! それじゃあ早く出掛けようよ真君」

「いや、いきなりそう言われても困るんだけど……。せめて支度くらいはさせてくれ」

「はーい。何時間でも待ちますね!!」

 

 バタンと玄関扉を閉めて、突然の来訪者の為に支度を始める事になった。後ろを振り返るとむくれた態度の文が俺を睨みつけている。

 

「……なんだよ」

「別になんでもありませーん。真さんが最近私にあまり構ってくれなくて寂しくなんて、思ってませーん」

「なんだそれ」

 

 妖怪は皆寂しがり屋なのだろうか。思えば最近、文と二人きりで何処か出掛けた事が無かったかもしれない。

 別に彼女彼氏と言う関係でもないが、俺と文は親しい仲なのだ。たまには二人きりで何処か出かけるのも、楽しいかもしれないが――。

 

「よし、分かった。今度何処か出掛けようか。良さそうな心霊スポット見つけたんだ」

「いやいやいや。チョイス可笑しいでしょう!? 私行ってみたい所が有るので、今度()()で行ってみましょうよ」

「分かったよ。それじゃあ今日は出かけるから、留守番宜しくな」

 

 はーい、と間の抜けた返事を返す文。どうやら損なわれかけた機嫌は治ったようだ。

 俺はそのまま二階に上がると、今日着る服装を決める事にする。仮にも女性の隣を歩くのだ、ファッションには気をつけなければならない。

 

 タンスの下から二番目の所を開けて、ダメージジーンズを取り出した。

 多分年下である、彼方があんな大人びた服装なんだ。俺も少しだけ派手な服装にしようかな――。

 

 

 ☼

 

 

 二階から一階へと降り、リビングに戻ると文がソファに腰掛けながらテレビを見ていた。

 随分とこの世界の生活にも慣れてきたものだと思う。幻想郷たる世界がどのような世界観なのか、俺は知らないが――文から聞いた話によると、この世界より大分科学の進歩やらが著しく遅れているそうだ。

 

 科学の進歩が遅いと言うことは、戦争が滅多に起こらないと言う事。向こうの世界、幻想郷に住んでる人らはどのような生活を、構造をしているのだろうかと気になって仕方無い。

 俺の存在に気付いたのか、文が俺の方を振り向いた。

 

「あ、真さん。なるべく早めに帰ってきてくださいね。暇なん……で――」

 

 後ろの方の語気が不意に弱まり、すると物珍しいものでも見るかのような表情を、文は作った。

 口は半開きだし、目は少し見開いている。文が愛用している花柄のパジャマ姿も相まってか、非常に間抜けな光景だった。

 

「なんだよ。そんな変な格好か? 今の俺」

 

 滅多に着たことの無い、新品同様のダメージジーンズと髑髏(どくろ)の柄が描かれた黒色の長シャツ、そしてファスナーの開いたグレーのダウンジャケットに目を落とす。首元には、最早記憶に忌々しい思い出として記されているクリスマス時に貰った、ロケットペンダントが掛かっている。

 格好付けた、言うならば少しだけチャラい服装。ワックスもかけてみようと思ったが、流石にキャラじゃないので止めといた。

 

「いえ、別に格好良いとは思いますけど……。そんな格好の真さん見たこと無かったので。多少面食らっただけですよ」

「本当か? 心の奥底で笑ってるんじゃないだろうな?」

「どうしてそう後ろ向きな思考なんですか。似合ってますよ、本当に」

 

 なら良いんだが……。道行く通行人に奇異の目で見られるのは耐えられないからな。ぶっちゃけ半引きこもりに、このような格好つけた服装で街中を歩き回るのは、難易度高いかもしれない。

 綺麗さっぱりと食器の片付けられたミニテーブルに目をやって、ついこの間一ダース程衝動買いしたドクターペッパー(文の口には合わなかったようで、俺専用と化した)を飲み干す。

 

 その後に口臭を気をつけて、ミンティアを半分程貪り食った所で、リビングに置かれた財布と肩掛け鞄を持ち上げる。ここまで実に十分程。男の支度は早いのだ。

 

「それじゃあ、留守番宜しくな。空き巣が来たら退治しといてくれよ」

「ええ。空き巣は兎も角、()()なんかも必ず排除してみせますから。安心してください」

「おお。頼もしいな。それじゃあ頼んだぞー」

 

 文の作った偽物の笑顔を悲しく見つめながら、俺はそっと踵を返した。

 

 

 ☼

 

 

 駅のホーム内は、がやがやと賑わっていた。

 通勤ラッシュが通り過ぎたとは言え、京王線やらJR線やらが開通した駅のホームには、まだ人が大勢居る。多少の息苦しさや肩身の狭さを体験しながら、ニコニコ顔の彼方は俺の腕を掴んだ。

 

「くっつくな。暑苦しい」

「えーいいじゃん、恋人なんだからさ」

「誰が恋人だ、誰が」

 

 暑苦しいし、なにより気恥ずかしい。これじゃあある意味、好奇や奇異の目で見られてしまうじゃないか。

 いや、と言うより、割合的に表すと二割が好奇の目線。一割が奇異の目線。そして残りの七割が怨念やら憎悪の篭った目線だ。非リア充共、見苦しいぞ。

 

 確かに、彼方は可愛らしい顔の持ち主だ。そこいらの安っぽいアイドル顔負けの、渋谷や池袋の駅前を歩いていたら即スカウトされるような少女。

 けれど、性格が恐ろしい。あの文ですら手に余るような、悪魔のような少女なのだ。諸君、勘違いをするな。コイツは外見こそ可愛らしいが、蓋を開ければその中には多くの毒虫が蠢いているのだ。

 

 重苦しいあのクリスマスの日を忘れてはいけない。だが思い出してもいけない。あの日の記憶は鍵の付いた扉に仕舞っておこう。

 

「それにしても、クリスマス楽しかったよね~」

「はぁ!? 何処が!? 重苦しいったらありゃあしなかったぞ。お通やかよって感じだったぞ。と言うか思い出させるなあの忌々しい日の記憶を!!」

 

 夜飯なんて、殆ど喉を通らなかった。文は暗く澱んだ瞳でケンタッキー(共食いとは言わせない)を齧っていたし、刹那に至ってはずっと彼方の顔を見つめていた始末。だと言うのに、俺の隣に立つ女は彼女ら二人の気力やらを全て吸い取ったかの如く、和やか顔だったのだ。

 溜息が無意識に溢れる。もう一度言おうか。この女は可愛らしい少女の皮を身に纏った、悪魔なのだ。その内に角やらが生えるに違いない。

 

 悶々と考え事をしていると、電車が耳の中に響くような音を立てやって来た。各停行きの車両の中には、あまり人が乗っておらず、所々座席も空いてる。

 二人して六両目の車両に乗ると、暫く経ってから電車が発車した。長椅子(カウチ)には俺と彼方の他に、二名程の人が腰を下ろしている。彼方は未だ、俺の腕を取っている状況であるから、車両中に居る人の視線がチラチラと、自分らに集まっているのが感じられた。

 

 俺は格好の付けた服装だ。更に、彼方の髪色は鮮やかな赤。これじゃあまるで、人生を舐めきったチンピラカップルのようじゃないか。

 どうにか腕だけは開放されたい。それに、ついさっきから肘の辺りに柔らかいものが当たっているんだ。

 

「さ、流石にそろそろ腕組むのやめないか? 恥ずかしいからさ」

「やだ」

 

 簡潔かつ、即決で拒否された。だが、ここで諦めたら男が廃るというものだ。

 

「頼むよ。あとで好きなもの奢ってやるからさ」

「それじゃあ、私真君が欲しいな」

「残念ながら、非売品です」

 

 じゃあ離さない。と彼方は更に深く腕を絡めた。最早二の腕全体に柔らかいものが当たっている気がする。女の子って、柔らかいんだね。

 頭の中に巣食う雑念を必死に振り払うと、彼方は何を思ったのか突然に、絡めていた腕を解けさせた。どうしたんだと戸惑う俺を尻目に、少女は意地の悪い笑みを作って見せる。

 

「なんでも奢ってくれるんだよね」

「ああ。だけど、余りにも高いものと天田真君は買ってあげないからな」

「うん。それでいいよ。私ロケットペンダントが欲しいな」

 

 予想斜め上の注文に少し戸惑う。と言うより、ロケットペンダントって高い気がしてならないのだが。

 

「高くないか? ペンダント」

「骨董品でいいからさ。ね、その代わりに私も何か奢るからさ」

「まぁ、別にいいけど」

 

 やった、と彼方は小さくガッツポーズをした。可愛い、と思ってしまったのは、俺だけでは無いはず。

 やはり彼方は、小さな女の子なんだなと思う。小さな女の子と言っても、俺とほんの何歳か違いなのだが。

 

 ここで会話を絶やしてしまうのは勿体ないので、俺は更に更にと質問を彼女の投げかけることにした。

 

「そういえば。俺の記憶によると、小さい頃の彼方の髪色黒だったんだけど、そこの所どうなの?」

「ノーコメントで」

「えっ。じゃあさ、文のこと知ってたみたいだけど、どんな関係なのお前ら二人」

「それもノーコメントで」

「…………」

 

 前言撤回。可愛らしい、小さな少女では無くコイツは――人をからかうのが好きな、生意気少女だったんだ。この悪魔め。

 

 

 



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解離性健忘

投稿遅くなった上文字数が足りない始末……申し訳有りません。

次回は六千文字以上を目指します(`Д´)ゞラジャー!!


 

 電車に乗ってから十五分後。電車内のアナウンスが七回目の駅の到着を知らせた辺りで彼方は突然立ち上がると、俺の手を引いてプラットホームに降り立った。

 

 駅のホームから空を見ると、曇りである事が分かる。鈍色の雲が厚く垂れ込めており、今にも一雨来そうな天気だ。

 傘、持ってきてないな。こんな事なら、天気予報でも見ておけば良かった。軽い後悔を胸に、がらんと空いたホーム内も一緒に見渡す。

 

「それにしても、何処に行く気なんだ? 行きたい場所が在るって聞いたから、付いてきたけど」

「まぁまぁ。その内分かるよ」

 

 階段を上がり、改札口を出る。肌寒い風が身を突き刺して、思わずぶるりと震えた。

 目の前に広がるのは、装飾過多なパチンコ店と、無駄に広いくせに車が全く止まっていない駐車場。あとは道を制限するように、これでもかと言う程の緑が生い茂っている。

 

「なんか、中途半端な田舎だな。で、こんな所で何する気なんだよ。パチスロでもするのか?」

 

 俺の言葉に、彼方は小さく首を振る。質問の答えは、「その内分かるから」だった。一体、俺を何処に連れて行く気なのだろうか。疑問に思うも大人しく、彼方の小さな背中を追いかける事にする。

 妙に静かな町だ。聞こえてくる音と言えば、たまに車道を通る車の走行音と、風に吹かれて鳴り響く葉擦りの音。雨が降りそうな曇り空のせいか、人気すらも感じられない。

 

 何故か、あれ程にもウザったいと感じていた群衆の靴音が恋しくなってくる。マーケット前のスクランブル交差点。特急電車を待ち侘びる人々。甲州街道を右往左往する乗用車が。

 静かなのは良いが、不気味な程静かなのは頂けない。この静けさは前に体験した事がある。そう、確か刹那と二人で空家に忍び込んだ時以来だ。まるで、世界から自分以外の人間が攫われたような静けさが――

 

「真君。顔色悪いけど大丈夫?」

 

 意識が呼び戻される。ハッと俯かせていた顔を前に上げると、彼方が心配そうな表情で俺を眺めていた。

 

「ああ。大丈夫。ただ、少しばかり静かすぎやしないかって思ってさ」

「確かにね。まぁ、寒いし雨も降りそうだし……人気が無いのも納得いくんじゃない?」

「その天気の悪い日に、彼方は俺の事を遊びに誘ったのか」

「いいじゃんいいじゃん。真君と遊びたくなったんだもん。思い立ったが吉日って言うでしょ?」

 

 俺にとっては、とんだ迷惑でしかない。クリスマスの日、電話番号やメールアドレスを交換したんだから、事前に連絡を入れて欲しい限りだ。

 内心辟易としながら、彼方の後ろを金魚のフンのように付いていく。やがて周りの景色は緑色一色になっていき、地面もコンクリートから土に変わっている事に気づいた。

 

 どうやら、いつの間にか森の中に入っていたらしい。天に向かって伸び上がる木々の隙間から、相変わらずの灰色の空が見える。

 冬の日に、それもこんな所に入り込んで、何を見せたいのだろう。ただ単にこの道が、目的地への近道なだけかもしれないが。

 

 不意に、自分の鼻先を生温い何かが触れた。それを合図に、森全体が途端にざわめきだす。

 

「うわっ。雨降ってきた。傘持ってきてないし……」

「あちゃー。このタイミングで……少し先行った所に、雨宿り出来る場所が在るから、そこまでダッシュだ真君!!」

 

 俺の有無も聞かずに、彼方は自分のダスティパステルカラーのトートバックを大事そうに腕で抱き抱えながら、走り出す。面倒臭いと心中で呟きながらも、仕方無く俺は靴の裏で地面を強く蹴り上げる。

 走り続ける間、俺の事など知ったことかと言わんばかりに、天空から降り出す雨水は洋服や肌を濡らしてくる。本降りになった雨は木の葉を震わせ、木々と雨水の合唱は空にまで響き渡った。

 

 それにしても、彼方の運動神経はどうなっているのだろうと思う。足場の悪い土の地面を跳ね上がるように駆け上がり、俺から段々と距離を離していく。既に小さくなった彼方の後ろ姿を、転びそうになりながら追いかけるのが俺の精一杯だった。

 やがて、彼方はある大樹の下に駆け寄ると、遠く離れた俺に手を振った。どうやらここまで来い、と言う事らしい。

 

 大樹の下に漸く付いたと思えば、走り疲れた俺の背中を彼方が楽しそうに叩いた。殴られた場所がハリセンで叩かれたかのようにヒリヒリと痛む。

 

「もう、真君体力無さすぎ。普段から運動もせずにぐーたらしてるから、こんな事になっちゃうんだよ」

「うる、さい。そもそもっお前がっ早すぎるんだよ……」

 

 咳こみ、荒く息を吐き出しながら弱々しく言った。クリスマス時に、彼方には俺が無職だって事は暴露しているが、別にその事を弄る必要なんて無いだろうに。

 そんな俺とは対照的に、彼方は息すら乱れていない。一体小柄なその体躯には、どれほどの筋力と体力が漲っているのか。不思議に思う俺なんて知らん振りで、彼方はトートバックの中からレジャーシートを取り出した。

 

「じゃーん。どうせだから、雨止むまでお話しようよ。ここなら雨も凌げるし」

「それはいいけど……何て言うか、その」

 

 天真爛漫と言ったような表情を浮かべる彼方に、なんて表現すれば良いのだろうか悩む。俺は小さな女の子から目を背け、成るべく平常心を取り繕いながら、単刀直入に言った。

 

「さっきから、服が透けてる。それをどうにかしてくれ」

 

 トレンチコートはまだしも、ダスティブルーのニットが濡れて肌に密着しているのだ。夏場のような薄着なら、下着も見えた事だが……無念。

 それは兎も角。彼方は自分の洋服に目を落とすと、ニットを脱ぎだしながら、今日何度目かの和やか顔で言った。顔が羞恥に赤くなっていたらプラス得点なのだが、顔色はあまり変わっていない。

 

「真君カワイイ~。やっぱりお年頃だから、女の子のエッチな姿見ると、恥ずかしくなっちゃうんだね」

「っは。誰が。お前のような貧相な身体を見たとしても、これっぽっちも欲情なんかしない――」

 

 そこまで言って、しまったと思う。彼方は肩を震わせ、和やか顔から一転。般若のような表情になった。やはり発言には気をつけなければ。

 

「そういう事言わないの。結構気にしてる子も多いんだから……ね?」

「はい。すいませんでした」

 

 地面スレスレに頭を下げる俺を見て、彼方は鼻で笑った。何故か物凄く、その態度が癪に触った。

 水玉模様の描かれたレジャーシートを地面に敷いて、彼方は腰を降ろした。その後自分の右隣を手の平で叩き始める。

 

 小柄な少女の右隣に、自分も座る。この森の主にも見える立派な大樹は、天空から降ってくる傍迷惑な雨水を、一身に受けていた。

 暫く止むことは無さそうだ。青空を覆い隠している雲達を見据えながら、嫌々とそう思う。洋服は濡れるし、風は冷たいしでもう散々だ。身体が小刻みで揺れるのを止められないでいると、突然に頭から何かが覆いかぶさった。

 

 妙な温もりを持つそれを手に取ってみる。自分の頭に覆いかぶさった物の正体は、彼方の着ていたトレンチコートだった。

 左隣を見ると、ニットとトレンチコートを脱いで、ゼブラカラーのカットソー一枚姿の彼方が目に入る。炎のように情熱的で、艶美な赤色のショートヘアが風によって靡いていた。

 

「寒くないのか?」

「全然。こう見えても身体は丈夫だからね」

「本当かよ。風邪引かれたら困るんだけど……」

 

 心配する俺を他所に、彼方はケタケタと笑って見せた。向日葵のような明るいその笑顔を見せられ、不覚にも胸が高まってしまったような気がした。

 

「なんだか、嬉しいな……真君と、こんな他愛ないお話がまた出来るだなんて」

 

 目を細めながら、嬉しそうに笑った。

 その笑顔に、突然の既視感を感じて――なんだか、懐かしい気分に陥る。

 

「……実際さ、彼方と俺が離れてから、どれくらい経つんだ?」

 

 そう聞くと、彼方は悩むように顎に手を添えた。

 俺の過去を知っているのは、今関係を持っている中で朽木彼方しかいない。もしかしたら、所々欠如している記憶を、彼方は教えてくれるかも知れない。

 

 そんな希望を胸に、意を決して聞いてみたのだが……。

 

「ノーコメントで」

「そろそろ俺、泣いていいかな」

 

 頼みの綱で在る朽木彼方は、自分の唇の手前に人差し指を立てると、ウィンクしながら可愛げに言ってみせた。

 なんなんだ、コイツは。秘密主義者かなんかなのか? 政府のエージェントでもやってんの?

 

 胡乱げな目で俺は彼方を見つめると、目の前の彼女は苦笑混じりに口を開いた。

 

「真君って、記憶が一部欠如してるんだよね。それも、綺麗さっぱり親戚に居た頃の人間関係と、思い出だけを」

「ああ。まぁ他にも、家族の関係とかも忘れたんだけどさ。その頃友人だった奴らの事が、あまり思い出せなくて……」

 

 慶太、海斗、彼方の名前と存在は思い出したのだが――どうやって離れ離れになってしまったのかは、覚えていない。

 更に言えば、彼方が口にする『夜空』なんて人物は、存在すらも覚えていない。いや、確かにクリスマスの日、それらしき人物を夢の世界で目にしたのだが……。

 

「―ー解離性健忘(かいりせいけんぼう)って、知ってる?」

「……ああ、聞いたことある」

 

 解離性健忘とは、一種の記憶障害である。

 過度のトラウマやストレスによって引き起こされる、防衛反応。自分にとっての重要な情報を思い出せない状態を言うらしい。

 

「それが、どうかしたのか?」

 

 彼方の質問の意図を察する事が出来ず、聞いてしまう。

 対する彼方は、顔を俯かせ、一言一言を強く噛み締めるように、苦しそうに、俺の言葉にゆっくりと応えた。

 

「真君……。思い出す必要なんて無いんだよ、別に。わざわざ、辛いことを思い出す必要なんて」

「辛いこと……って、なんだよ」

 

 彼方は、不意に俯かせていた顔を上げた。

 二つの瞳が俺を覗き込む。能面のように無機質で、無表情な彼方の顔が、目に飛び込んできた。

 

「ねぇ。これ以上、とやかく言わないで欲しいな。折角真君と出会えたのに、まだ真君が壊れて、何処か遠くに行ったら、私耐えられない」

 

 底なし沼のように深く、暗くて、虚ろな瞳が俺を覗き込む。

 彼方はレジャーシートに手を付いて、俺に擦り寄ってきた。左手の爪先で自分の首筋を狂ったように掻き続け、右手の腕が俺の首裏に回る。

 

 突然変わってしまった彼方の表情は、兎に角虚ろだった。ぶるりと背筋が震えるのを感じる。彼方は更に顔を近づけると、囁くように言葉を紡いだ。

 

「ねぇ。思い出さなくても良い記憶が在る。そう、思うでしょ?」

 

 二つの虚ろな瞳が、俺を覗き込んで――。

 俺は、彼方の問いに頷く事しか出来なかった。

 

 

 

 『人生はクローズアップで見れば悲劇。ロングショットで見れば喜劇』

 イギリスの映画俳優、チャールズ・チャップリンがこの世に残した名言だ。

 

 果たして、俺の人生は、ロングショットから見たら喜劇に思えるのだろうか。

 少なくとも、人生をクローズアップから見てきた俺にとっては、喜劇とはとても思えない。

 

 ならば、俺の人生を一番近くから見てきた、彼方や刹那、そして文は俺の人生をどう捉えたのだろう。

 喜劇か、それとも悲劇なのか。そんなもの、俺には知る由も無かった。

 

 

 

 



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