【妄想】AKIBA'S TRIP1.5 (ナナシ@ストリップ)
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一章
01. 帰って来た秋葉原


※注意※
このSSはAKIBA'S TRIP本編の瑠衣トゥルーエンド後の世界の続編を妄想で書いております。なのでゲームAKIBA'S TRIP本編のネタバレあり。
2のキャラも微妙に出るものの、基本的には1がメインです。




NIRO・カゲヤシ・秋葉原連合の三つ巴の戦いの結果……NIROとカゲヤシの長き争いは終わりを告げ、秋葉原に再び平和が訪れた。そして時は過ぎ━━

 

 

━━ナナシの自宅

 

変わらないいつもの一日、ナナシはベッドから起き上がる。

今日も例に漏れず遅寝遅起きを遵守していたナナシは、寝覚めも良く穏やかな気分で昼を迎えた……

それに今日は秋葉原に行く日だ。彼はすこぶる気分が良い━━ナナシはにこにこしながらリビングへ続く自室の扉を開けた。

「おはよー」と言うと、リビングに居た妹が実に刺々しい返事を返した。

 

「いつまで寝てんのよ」

 

と。

一日の始まりはさっそく出鼻を挫かれた気分である。

妹がリビングのソファでふんぞり返っている。テレビを見たまま、こちらに視線を向けようともせずにそう言い放ったのだ。

━━相変わらずムスっとした表情で可愛げがない奴だった。そのついでに胸もない……まぁ、言ったら殺される。そう思いながらナナシは心中で溜息をついた。

 

「もう冬だし布団からなかなか出れないんだって。てか今日日曜だし別に寝てたってだな……」

 

「お兄ちゃんはいつも日曜日みたいなもんでしょ」

 

「やめろ」

 

彼女の一撃にナナシは顔を青くした。図星だった。

やはり何やかんやで己の妹、兄については把握しているということだ。いや、こうも毎日昼起きでは嫌でも兄がどんな状態か分かるだろう。

しかしいつも日曜日みたいなもんでしょ、などとは言うが、こいつもこいつで大した違いがあるワケでも無かった。なにせ高校一年生の彼女も今は冬休み。

そのおかげで妹とのエンカウント率は平日においても急上昇しており、それが余計に彼女との衝突を生むのである。

最近はこのように言い合いが一日のスケジュールから外せない状態なのだった。

 

「……こんな奴が俺と血の繋がった人間とは思えん」

 

ボソッと呟く……しかし妹の方も興味ないような癖して、しっかりと聞いていたらしい。ばっと立ち上がったかと思えば怒りに拳震わせ、まくし立てる様に言い返し始めた。

 

「余計なお世話! そしてこっちの台詞! こんのクソニートがぁ!」

 

煽り耐性0、彼女に対戦ゲームやネット掲示板を与えてはならないだろう。彼女がそれらのコンテンツをオタクっぽいと毛嫌いしているのは被害が抑えられたという点で幸運だと言える。……なんにせよ、どこかの下僕の様に「おっと、言葉攻めとは嬉しいね」くらい軽妙に言って欲しいもの。というかニートじゃねぇ、とナナシは思った。

ナナシもこのまま妹に好き放題言わせられるかと反論する。

 

「な、なんだと。お金貰ったらお兄ちゃんだーいすき(はあと)とか言うくせに。ツンデレ、マジツンデレ」

 

「ふん! 今更あんたのはした金なんていらないわよ。給料良いバイト見つけたから」

 

「なっ! ……援助○際か…………」

 

金に魅せられた末ついにそこまで堕ちたのねと、ナナシは妹へ哀れむ目を向けた━━

 

「違うから!」

 

「兄は悲しいぞ。……さてと、秋葉原行ってきまーす」

 

ナナシはさっさと話を切り上げる事にした。そもそも今日は秋葉原に行く日で妹と争う日じゃないしそんな時間もない。この言い合いがあったとはいえ、これから秋葉原でたっぷり遊べるのだからと考えるナナシは気が楽だった。玄関で出支度する彼の耳に後ろから「帰ってくんな」と罵声が聞こえたがそんなのも苦じゃない。

さっさと秋葉原に逃げるのは良いが、それでも一応後々面倒なので……ナナシはとりあえず、即席万能なご機嫌取りアイテムである『諭吉』(一万円)で機嫌を取っておく事にした。金が無い中断腸の思い、一万円も主から有意義に使われず悲しかろう……ナナシにはこれから悪魔に手にされる諭吉がさも悲しげに見えた。しかし仕方が無い。

 

「……1万円置いとくぞ」

 

「お兄ちゃん大好き! 行ってらっしゃい!」

 

「情緒不安定か!」

 

あまりの変わり身に、ナナシは反射的にツッコんでいた。

 

 

 

 

━━秋葉原駅

 

 

(着いた……変わらないな、ここは)

 

日曜ともなればその人の数はかなりの多さであり、秋葉原がそれ程人を惹きつける場所である事を物語っている。

そして、この見慣れた広告群……その内容のほとんどが二次元美少女の写っているコンテンツだ。

 

(まさに、これぞ秋葉原といったところか)

 

意気揚々と歩き出し、改札を抜ける。

今日は駅前で、ノブ・ゴンと13時に待ち合わせをしているのだ。ナナシは駅前の広場へ出て二人を探すと、ゴンが先に到着しているのが見えた。ナナシはおぅい、と彼へ駆け寄る。

 

「あっ、ナナシ」

 

ゴンがイヤホンを外し、こちらに振り向いた。ノブはまだ来ていないように見えるが……どうせ遅刻だろうとナナシは思いながらも、ゴンに訊く。

 

「ノブは?」

 

「まだ来ていないみたい」

 

やっぱりかと思い、同時にゴンのイヤホンから流れる音楽に気が留まった。

彼が聴く楽曲は、無論ダブプリのものが殆ど。ファン即売会でnewシングルが出た時にはそりゃもう嬉しくて、大音量でのセルフライブに四六時中浸るほどのダブプリジャンキー……それほどダブプリ愛に溢れた人物なのだ。

 

「……待ってる間ダブプリの曲聴いてたのか? ゴンちゃんはほんと好きだな」

 

「う、うん。あれ以降どうなるかと心配したけど、活動を再開したみたいでほっとしたよ」

 

「これからもファンとして、ダブプリを応援していくんだ!」

 

「健気だ……」

 

横から、おーっす、とお馴染みの声が聞こえる。そちらへ振り向けば、ノブだ。彼が白い息を弾ませながら駆けて来た。

 

「ノブ……今日はギリギリ遅刻じゃないみたいだな」

 

「……第一声がそれか!? もっと友との再会を、分かち合うつもりはないのか!?」

 

「ついこの間も会ったけど」

 

「まぁ、そうだな」

 

「……というかだいたいだな、日本人は時間を気にしすぎなんじゃないのか」

 

「わ、分かった分かった」

 

ノブは油断するとすぐ一人語るのが困り所だった。……しかしそれがいつも通りのノブであり、変わらぬ様子に逆に安心させられる所もある。ゴンもそんな様子に心地よさを覚えるのか、楽しそうに笑っていた。

秋葉原があれほど大きな事件に巻き込まれた後も人々は変わらず生活をしている。勿論良い意味で、だ。秋葉原もかつての状態を取り戻し、争いの喧騒に包まれた事など無かったかのようにその息を吹き返していた。

 

「まぁ細かいこと気にせず、今日は楽しめばよし!」

 

ノブがそう言うと、ナナシもそれに「違いない」と返した。

 

 

 

 

━━中央通り南西

 

 

「いやー買った買った」

 

ノブはソフマップにとらのあな等、両手に一杯の紙袋を吊り下げて満足そうに言った……彼は我慢とは無縁であり買いたいものは全て買うのだ。さすがブルジョア御曹司といったところか。

 

「買いすぎだろ」

 

ナナシは嫉妬に満ち満ちた様子で文句を言う。以前まで懐事情で困ることのなかったナナシも、ひょんな気まぐれで恵まれない子供達に全財産をつぎ込んだ今となっては、やはり羨ましいことこの上ない。なぜ彼が全額寄付という奇行に走ったのかは甚だ疑問であるが、恐らくは瑠衣とのイチャイチャで調子に乗っていた為と思われる。

 

「問題ない、一旦自警団のとこに置いて行けばいいさ」

 

いやそういうことじゃなくてね、と言って羨ましがるナナシを知ってか知らずか、ノブはすまし顔だ。

 

「ノブ君の家、結構お金持ちだからね……」

 

ゴンも、その圧倒的財力に恐ろしさすら感じている。そんなゴンの様子にノブは高笑いし、それがまたナナシの額をピキリといわせる原因になるのだった……そんな中、ノブが提案した。

 

「……まぁそれより、腹へらね? メシどうする?」

 

「グーグーカレーにしよう。ノブのおごりで」

 

提案を返しつつキレ気味にナナシは毒を吐くが、それが彼に効く事は無く、

 

「おごる話はともかく、カレーか。いいな」

 

あくまでナナシの案には賛成の様だった。ゴンも異論は無さそうで、「そこにしようか」と口を揃えて言った。

そんなこんなでカレー屋へ向かおうとする三人だったが、ナナシはそこへ歩いて来る"ヤツ"に気がついた━━

 

━━安倍野優だ。不機嫌そうな面持ちで、周囲に睨みを利かせながらこちらへ通りを歩いてくる。睨みを利かせるパンクロッカーin秋葉原……その姿周囲とは明らかに異質。

何がそんなに面白くないのかは分からないが、優という男はいつだってこんな感じなのだ。とりあえず、

 

「おっ優じゃーん」

 

ナナシは声を掛けてみたものの……

彼には聞こえていないのか、不機嫌そうに歩くまま何も反応はない。

 

「うげっコイツは!?」

 

優に気付いたのか、ノブは驚きの声をあげ、ゴンも少し怯えている。無理も無い、かつては戦う相手だったのだから……優はそのまま目もくれずに三人の間を通り過ぎていく。

しかしナナシは少しも恐れずそして諦めない……というよりは、何も考えていない。かつて因縁の相手であろうが能天気なナナシの気にする所では無かった。

 

「優ー」

 

「おーい優ちーん?」

 

もはや煽りか? と思える程優の周囲をしつこく粘着していると、遂に無視を決め込むにも限界が来たか━━優が口を開いた。

 

「……うるっせェ!!」

 

ようやく立ち止まり、口から牙剥き出しのすごい形相で振り返る。

それに対しつい口が動いてしまったノブは、お前のがうるさくね、と冷静な突っ込みを返すも……優に睨みを向けられるやいなや、神速で頭を下げた。

 

「すいませんでした!」

 

そんな優を恐れたのかゴンも「まずいよ」とナナシへ耳当てて言った。

 

「心配するなって。カゲヤシはもう人を襲わない」

 

「カゲヤシが人を襲わねえ?」

 

「はっ、んなもん瑠衣が勝手に言ったことだろうが! 今この場でなぁ、テメェらをぶっ殺してもいいんだぜ!?」

 

優は悪役顔負けの外道顔で言う。心なしか生き生きとした様子で……おそらく優としては恐怖に怯える人間共を想像したろうが、ナナシは違う。彼は真顔のまま言った━━

 

「優もグーグーカレー行かね?」

 

「聞けよ……」

 

優はそんなナナシにただただ、唖然呆然とするのみだった。

 

 

 

 

━━グーグーカレー

 

ここは秋葉原中央通りのグーグーカレー。秋葉原住民が腹を満たしにやってくる。

がっつり食ってさっと出る……そこには飾り気などない。秋葉原に生きる男達、いや戦士達の食事所だ。

そんな中周囲とは妙に浮いた男がいた。しかし彼もまた、自らを満たす為にカレーを待っているのである。

 

男の名は瀬嶋隆二。かつて最前線で手腕を発揮していたNIRO指揮官としての面影は消え、牙は抜け落ち、そこにはただ、一人、くたびれた年配の男が居るのみ……

夢や欲を抱く者が集い、その望みを叶える街、秋葉原。彼もまた例外なく、自らの夢を叶える為に街を訪れた。

彼の願いは至上の力を手に入れる事。何十年越しかの長い長い夢……

しかし、この街が男の願いを叶える事は無かった。なぜならこの街は、街を愛する一人の少女の望みへ応えたのだから━━

夢破れた男は黙々と、目の前のカレーで飢えた己を満たすのであった。

 

(今となっては、生きる理由はこの食事のひと時だけだ)

 

(私も落ちたものだな)

 

そんな事を男が考えていた……その時だ。店員が新しく入店した団体客に挨拶をしていた。いや、そんなことはどうでもいいのだ。今はお昼時だし大勢客が来るのは珍しくもない。特に人の多いここ秋葉原では尚更。

重要なのはぞろぞろと入ってきた客が"やつら"(自警団)だったという事だ。彼らに着いて、何故か安倍野までもが居る事に驚きを隠せないでいる。

 

(……なん、だと……!?)

 

「あいつらは、バカな、こんな所で」

 

「いかん」

 

彼は椅子をがたがたと鳴らせて慌しく立ち上がった。帽子を目深に被ると、足早に店を出ようとする。

そんな瀬嶋の姿に気付き、ノブは言った。

 

「お、おい、あれ」

 

ノブの言葉にゴンとナナシもその視線の先を見る。

 

「……瀬嶋…………?」

 

ナナシは驚愕した。ゴンも思わず驚きの声をあげている。

塵となったはずのNIRO指揮官が、目の前でカレー食っていたのだから当然だ。

 

「ったく……」と吐き捨てながら優も遅れて入店する。ガラの悪い不良よろしく両ポケットに手を突っ込み、気だるそうなヤンキー歩きで……けれども彼も律儀に着いて来ていた。

突如として、そんな優の横を素早く瀬嶋が通り過ぎて、店を出て行ったのである。最初何事か分からなかった優も事態を把握するとその目の色はみるみる変わっていく。

 

「アイツ、生きてやがったのか!」

 

「お、おい! 待て……」

 

ナナシの制止も聞かず、血気盛んな性格の彼はすぐに店を飛び出していった。

 

 

 

 

━━中央通り南西

 

 

待ちやがれと吠えながら追うのは優。そんな様子に動揺する人々を縫っては掻き分け逃げるのは瀬嶋。

尚も執拗に追いかける優に瀬嶋は舌を鳴らす。

 

「しつこい奴だ」

 

観念した瀬嶋は立ち止まり、優の方へと振り向いた……

 

「……なんだね。まだ、私に何か用でもあるか?」

 

「ったりめーだ……さんざカゲヤシを狩った償い、受けてもらうぜ」

 

一触即発、空気が張り詰める。

ナイトスティンガーを構えた優の元に三人が駆け寄った。

 

「優!」

 

ナナシが呼び止める。

 

「……あ、あんた生きてたのか!?」

 

ノブも息を切らしながら瀬嶋に問うた。

「見ての通りだが」━━彼が放ったその言葉をナナシは信じられなかった。

 

(そんな……あの時、止めを刺せてなかったのか……!?)

 

ビルでの最後の死闘。確かに、最初は瀬嶋の圧倒的な力によって苦戦を余儀なくされていたのは事実だった。しかし瑠衣の血によってそれをも上回ったナナシは━━奴を陽光の差し込む窓辺まで押し返し━━逃げ場を失ったその身は四方から光の刃に貫かれた。それがナナシ自身の知っていた"終わり"、エンディングなのだと、信じて疑わなかったのだ。

 

「ともかくだ。今の私には、争うつもりは毛頭ない」

 

瀬嶋のそんな言葉に「嘘つけ」とナナシは言う。彼のような人物がそう簡単に己の野望を諦めるはずはないと思っていた。

神の気まぐれか誰かの仕業かは分からないが、どうやら瀬嶋をまだ死なせたくはないらしい。つくづく、しぶとい男だ。

 

「もう何もかも諦めたさ……今は残った金で、ひっそりと暮らしている。ただそれだけだ」

 

「んなもんどうでもいいんだよ。俺はテメーを殺るだけだ」

 

「そう焦るな、私は腹が減っているだけなんだ」

 

殺意バリバリの優をからかう様に、瀬嶋はそう言っておどけたような態度を向ける。戦う意志が無いことを示しているのだろうか、あるいは余裕の表れなのかもしれない。

その様子に反応することなく、優はナイトスティンガーを手にジリジリと間合いをはかっている。

 

そこには興味本位のギャラリーも少しずつ集まってきている。両者少しばかりの沈黙を挟み、あきれたように瀬嶋が言った。

 

「聞く耳もたぬか」

 

「……悪いが、逃げさせてもらうぞ」

 

━━再び瀬嶋は身を翻した。

 

「待ちやがれ!」

 

優が後を追い、ナナシ達も続いた━━やがて人の多い大通りから袋小路へと進んでいく。━━瀬嶋が角を曲がる。

 

「クソッ、路地裏に入られた!」

 

優が叫び、ナナシが優と共に曲がり角へ折り返した時には、既に瀬嶋の姿は消えていたのだった。

 

「……遅かったみたいだな」

 

ナナシはため息混じりに優へ言いながら腕を組んだ。だが、優はただ消えた路地の先を見つめるばかりで彼に見向きもしない。少しして優は言葉もなく舌打ちで答えた。

まだ諦めきれないのか、逃がした事が余程悔しかったらしい。同胞の仇にしろ個人的な因縁にしろ、瀬嶋に一矢報いたい気持ちは大きかったものと見えた。

 

「こうなりゃ追跡は無理だな……相手がカゲヤシなら尚更だ」

 

優はようやく諦めた様子でナイトスティンガーを背負った。

遅れてノブとゴンが、息を切らせながらも到着。さすがに人間の脚力ではキツかったに違いない。

 

「はぁ、はぁ……お、お前等……速すぎだ。と、というか荷物が」

 

ノブは紙袋をガサガサいわせて走り着くなり、がくりと頭を垂らし息を弾ませた。その横ではゴンもひぃひぃ言いながら額を首のタオルで拭っている。

 

「まぁ俺達はカゲヤシだからね、仕方ないね。ノブは買いすぎ」

 

「はぁ、なぁ、あいつ、本当に改心したのか?」

 

息も切れ切れにノブはそう言うと、ナナシはふと考え込んだ。

しばし沈黙して一言。

 

「そう、なのかな」

 

その表情は懐疑の念と不安を表していた。ナナシにもはたしてそれが真実なのかは分からない。しかし、信じたいという気持ちよりも嫌な予感の方がどうしても大きかったのだ。

 

「どうだかな……」

 

優もそれに疑問の声を上げた時だった。突然、ポケットに入っていたナナシのスマートフォンが震える。

着信表示━━発信相手を見た。ヤタベさんだ。

 

「はい、もしもし?」

 

《ナナシ君かい!? 大変だ、今、駅前で乱闘……カゲヤシが襲われてるんだ!》

 

声は明らかに憔悴していて、電話越しに駅前が騒がしくなっている様子も何となくではあるが察することができた。

 

「な、何故に!?」

 

《それが分からないんだ……、けどこのまま見ている訳にもいかないし、かといって私じゃ何もね》

 

「すぐ行きます」

 

ナナシは険しい顔で電話を切った。

その表情を見たノブがただ事で無いと察したのか、ナナシに電話の内容を訊く。

 

「なんだ?」

 

「事件みたいだぞ。駅前」

 

「おぉ、久々の出番だね~」

 

ゴンはそう言って喜ぶが、

 

「まじかぁ。けど、喜ぶに喜べないよな。事件だし」

 

ノブの言葉にすぐにしゅんとする。

 

「そ、そうだね。ごめん」

 

そんなやりとりの中、くだらねぇ、と優は吐き捨てた。

 

「俺は帰るぜ」

 

彼はヒュッと軽く跳び上がり……風の如き身軽さで路地奥の壁を右へ左へ飛び移って、その姿は日も差し込まぬ、暗い闇の向こうへと溶けていくのだった。

 

「カレー食えなかった……結局優は何しに来たんだ?」

 

「まあいいや━━秋葉原自警団、出動だ」

 

ナナシの言葉を聞いた二人はそれぞれに頷いた。



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02. 友人との再会

━━駅前 

 

遠巻きに様子を見守る秋葉原市民と、その視線の先では人々が入り乱れ混戦といった様相。そんな中、まずナナシの目についたのは黒服の存在だった。

黒服姿━━それはまさしくかつてのNIROエージェントそのものの━━そんな連中。そして、奇しくもその相手はバンドマン。バンドマンと黒服が拳を交わし、秋葉原で戦っている……

 

「なんだこれ、何があったんだよ!?」

 

ノブにも、それは理解し難いようだった。ナナシは短く、分からん、とだけ答えた。

まるで時を遡ったかのようだ。かつてナナシがカゲヤシと初めて戦った場━━言うなれば、長い戦いの始まりの地とも言えるこの秋葉原駅前。ナナシとしてもここでまた戦う事になろうとは思ってもいなかった。

当然だがバンドマンの特徴的な姿はナナシも見慣れていて、その服装と人間を超越した動きから、彼等がカゲヤシの末端人員であろうことは容易に分かることだった。確かにカゲヤシだけが意図的に襲われている……ヤタベの言っていた通りだ。

彼等は人間と和解し、今では人を襲う事などない。妖主が和解の意思を示している以上、末端たる彼等もそれに必ず従う。つまり、先に手を出すとは考えにくいし、ヤタベもカゲヤシが"襲われている"と言っていた。とすれば、排除すべきは黒服の方ということだ。

そして一方の黒服達、にわかには信じられない事だがこちらも動きを見るに、明らかに"人"の動きではなかった。バンドマンを襲うその目的、集団が何なのかすらナナシには見当もつかない所だが……今は理解よりも事態の収拾が先だった。

 

「……ナナシ君!」

 

ゴンがもう見ていられないといった様子で声を上げた。

彼も秋葉原を守りたい気持ちは人一倍ある。しかし残念ながら、力はない。この場ではこうしてナナシに頼らざるを得ないのだ。

 

「おうよ!」

 

ナナシもその事は分かっていて、それを断るワケにはいかないし断る気もない。ナナシは自警団にとっての実行力、力なのだから。

 

「そこのお前ら、やめろ!」

 

はなから言って聞くとは思えなかったが、やはり制止に意味は無い。であれば、方法は一つだった。

 

「ええい、やめないなら……こうだ!」

 

ナナシは暴走集団の中心に飛び込み、彼等黒服の不意を突いた。

 

『何だ…!?』

 

『!? ふ、服が!』

 

次々と黒服の姿が半裸と変わる……同時に、日の元に晒されたその肌は塵となり体全体が焼けていった。

……やはりこの男達もカゲヤシ。カゲヤシがカゲヤシを脱がしていたのか? ━━ナナシはそう疑問を抱きつつも敵の排除を急ぐ。

 

「……ナナシさんだ!」

 

危機を救われた形のバンドマンは、ナナシに安堵の表情を向けた。さながら救世主だが、かつて戦っていた相手をこうして救うのはなんとも奇妙な光景だ。

 

「今の内に全員逃げておけ!」

 

「次……!」

 

ナナシが周囲を脱がし尽くして行く様……それはまるで一人、二人と流れるように、踊るように……もしくは、人と人とを最短で経由し走る稲妻のように。彼の脱衣は止まらない、止められない。

 

『ぐぁぁ!?』

 

『あ、熱い……!』

 

次々と霧散していく。そんな中、1人がナナシの背後をとっていた。

 

『この……!』

 

ナナシは焦らずに男の右ストレートを、自らの体を捻りかわしつつ、逆にその右袖を掴んだ━━

見事、カウンターストリップが鮮やかに決まる。

 

「これで全員……」

 

脱がしきった……と、そこへすかさずノブとゴンが駆け寄ってきた。

 

「いやー、いつ見ても爽快だな!」

 

「うん、あの集団を一瞬で。あんなに颯爽と動いてみたいよね……」

 

うんうんと二人で頷きあっている所に、ヤタベもやってきた。

 

「三人とも、ありがとう。なんとかおさまったみたいだ」

 

「いやぁ、ほとんどやったのはナナシ君で。僕らは……」

 

「まぁ悔しいが、認めざるを得ないな」

 

ゴンは申し訳なさげに、ノブは腕組みをしながら、それぞれ言う。そこでノブがふと、戦いの後となった駅前広場を見渡した。まだ周囲の住民が新しいパフォーマンスかとザワついてはいたが、徐々に落ち着きは取り戻されている……今となっては脱衣の後に残ったものが散乱しているのみだ。

 

「……しかし残ったのは衣服のみか。なんだったんだろうな?」

 

「さぁ……?」

 

ノブの問いにナナシも首を傾げたところで、ヤタベが言った。

 

「彼等かい? あのスーツ姿は、まるでNIROを思わせるね……嫌な予感だ」

 

その言葉にゴンが少し怯えた様な態度を見せる。

 

「NIROが無くなったとはいえ……なんだか嫌な予感には変わりないですよね」

 

皆一様にうーむ、と、空気が重くなる。尚も訝しんだ様子のノブは、そんな中で言った。

 

「ところでさ、服を脱がした時のあの音、なんなんだ?」

 

「え?」

 

急にそんな事を訊き始めたので、ナナシは驚く。しかも質問のそれが、どういう意味なのかすらもさっぱり分からなかったのだ。

 

「ほら、シャキーンって」

 

「……何が?」

 

「……なんだいそれ?」

 

ナナシは相変わらず困っているし、ヤタベに至っては、少し心配しているかのような様子さえ感じさせる態度だった……

 

(えっ……? 聞こえてるの俺だけなのか……?)

 

 

 

 

それから一同、あれこれと話していた中……そこへ拍手が聞こえ、皆は音のする方向を見やる。ぱちぱちと手を叩きながら、グレーカラーでピッチリなスーツを纏う女性が一人、悠々とした身のこなしで近づいてきていた。

 

「……素晴らしい」

 

「非常にすばらしい! 今の! 見させてもらったわ!」

 

「スタイリッシュ! それでいてエキサイティング! そして、そこはかとなくエロチシズムさえも感じさせる……」

 

「最高ねあなた!」

 

彼女は長く艶めいた髪を躍らせて、まるで訓練されたようなキレのある無駄な動きを見せつけつつ、熱い賞賛の内に自警団へ歩み寄ると。

最高ねと、非情に興奮した様子で━━赤紫のマニキュアに塗られた爪先はビシッとナナシを指したのだった。

……これは相手にしない方がいい。そう一同が無言の内に察しあっていた。

 

「疲れたー。ヤタベさん、マスターのカフェ行かないっすか?」

 

「おっ、ナナシ君、いいねー」

 

「俺は今日も積んでたエロゲ消化する仕事だな~」

 

「あの、ちょっと待ってくれる?」

 

依然指を差したままで止まっている女性を尻目に、ノブが近所のおばちゃんばりにあからさまなヒソヒソでゴンに言った。

 

(……知り合いか?)

 

(さ、さぁ……少なくとも僕は知らないけど)

 

そうこう言っている内に、ナナシが謎の女性に一人歩み寄る。すらっとした長身の美人で、近くで見るとナナシより背が高いし、そして胸がでかい━━つまるところモデル体型とも言えば話が早い。それになにやら、主張の強い甘い香も漂ってくる。どうやらこれも彼女のものらしい。

 

「誰?」

 

「あら。名乗ってなかったわね、これは失礼。戦いぶりについ興奮しちゃったのよぉ……、私は霞会志遠。志遠、でいいわよ」

 

「うふふ……」

 

さっきからあざといにも程があるくらい無駄に色気をアピールしてくるし、今も組んだ腕にわざとらしく胸を寄せて微笑んでいる。

やっぱりこの人おかしい、とナナシは思った。

 

「では急用があるのでこれで」

 

「ちょっちょっと、待ちなさい!」

 

志遠は慌てて、強引に立ち去ろうとするナナシの襟首をがしりと掴んだ……ナナシはあからさまに嫌そうな顔で振り向く。

 

「……なんすか」

 

「酷いわ! 話くらい聞いてくれてもいいじゃない!?」

 

「怪しいからだよ!」

 

「あのね」

 

そう言うのならと、志遠は慣れた手つきで胸内ポケットから名刺を取り出す。

 

「……ホラ」

 

指に挟んだそれをナナシに、ピッと差し出した。と同時にまた、焼いたマシュマロみたいに甘ったる~い香りが漂ってきた。こんなの、嗅いでるだけで血糖値が上がりそうだとナナシは辟易した。しまいには倒れてしまうかもしれない。

 

「なになに……」

 

受け取ったナナシは早速その名刺の匂いを嗅ぐ事から始めた━━やはり甘い匂い。この匂いは彼女のものと考えて間違いないだろうと彼は確信した。

 

「嗅ぐな。というか、何故名刺の匂いを嗅いだ……」

 

彼女が何か言っていたが、ナナシは気にせずに名刺の字面を読んだ。

 

「大師本製薬CEO……これは」

 

「詐欺会社?」

 

「……違う」

 

そこまで疑うかと彼女も眉を疲弊にひそませる。けれども、ヤタベは言った。

 

「大師本製薬と言ったら、近年急成長しているというあの会社じゃないかい……!?」

 

その言葉に自警団一同は驚き、その反応を見て彼女も満足気である。

 

「ご存知の方もいらっしゃるようで、安心したわ。私はそこのCEOを務めさせて頂いているのよ」

 

皆がへぇーと感嘆している時、ヤタベが言った。

 

「まぁ、とりあえずこちらも自己紹介しようか。名乗って頂いて返さないのも、失礼というものだ」

 

「あら、これはご親切に……」

 

四人はそれぞれ自分達について、ざっと自己紹介をした。

そして反応を見る限り、案外彼女はドン引きしている訳でもなく、非常に楽しそうに紹介を聞いていた。どうやら頭のお固い人という事でもないらしい。まぁ登場時の変人っぷりから察すれば、それは言わずもがななのかもしれない。

そんな前置きを済ませた後、ノブが単刀直入に本題へ切り込んだ。

 

「で。そのCEOさんが、俺らみたいに価値のない、ただのオタクに何の用なんだ? あ、ヤタベさんとかは別だけど」

 

「なんかそれ、ちょっと悲しくなる」

 

ゴンの一言に、何気ないつもりで言っていたノブもハッとした。

 

「すまん……」

 

しかしノブの言う事が特段、的を外れているということでもない。とりあえずスカウトでないことは確かかなと、ナナシも考える。しかしそんな自警団の反応に、志遠は声を荒げた。

 

「価値がないなんてとんでもない! ……あなた達、秋葉原自警団でしょ?」

 

「……噂には聞いていたわ、そして戦いぶりを見て確信した……この件を任せられるのはあなた達しかいないッ!」

 

再び志遠はびしりと指差した。「な、何の話だぁッ!?」とたまらずナナシも声を上げた。

 

「さっき暴れていた奴等。見たでしょ? あの人達、よく分からないんだけど、私達の会社に嫌がらせをしてくるのよ」

 

「嫌がらせ?」

 

「我が社の社員を脱がしたり……会社の変な噂を流したり。というか、どうやら連中は秋葉原で、無差別に人を襲っているようね」

 

「ひ、ひでぇ」

 

「……、まさか、その集団の排除を依頼したいと?」

 

黙ったまま聞いていたノブは、真面目な顔になって問うた。

 

「話が早いわね。助かるわ、そういうこと」

 

「自警団か。確かに自警団は秋葉原の治安維持が目的ではあるけど、とはいえ、警察に頼んだらまずいのか?」

 

「警察に頼んだら大事になっちゃうでしょ? それはあなた達も望まないはず。それにね……」

 

「私もちょっとそいつらのことが気になってるから、色々調べてみたいの」

 

「何故私達の悪い噂をたてるのか……もしかして他の企業も関係してる? なんてね」

 

「お願いできるかしら? 報酬は弾むわよー」

 

「報酬……! 仕方ない、やるか。ナナシ後は任せた」

 

そうして肩をポンと叩くが、彼は完全に金の目に変わっている。大企業と聞いて目が眩んだか……そもそもお前金持ちじゃないか。と言いはしないけれども、ナナシの文句は絶えない。

 

「さすが秋葉原自警団ね! それじゃあ」

 

「いや俺まだ何も言ってないです」

 

ノブのまりあ語りに負けない程の早口でナナシが制止した。

 

「というか、秋葉原自警団に頼まれてるんだから当然ノブも手伝うんだぞ」

 

「もちろん手伝うさ。戦闘以外は。俺戦えないし」

 

「ぐっ……それは実質俺だけじゃないのか」

 

ここぞという所に爆発的な行動力を発揮するナナシも、今回は気乗りしていない。そんな彼をヤタベは諭す……

 

「まぁ、困っている人を助けるのも、我々秋葉原自警団の仕事だ」

 

「どちらにせよ秋葉原で暴れている集団を放ってはおけない。ここで彼女の頼みを聞いても聞かなくても、結局はやるべきことだというのもある」

 

ヤタベさんは人が良い。というより自警団はそもそもがそういう者達の集まりではある。"放っておけない"という熱意と正義感の下結成された集団なのだから……しかし、ナナシは引っかかる。治安維持の為に自警団自ら活動開始を宣言するのならともかく……このような形はまるで、企業による雇用みたいでなんだか社会のしがらみを感じさせる。そこがナナシの意欲を削いでいた。

 

「そうそう。ならご褒美つきの方を選んだほうが得だって」

 

そういうノブは不純な動機でしかないが、まぁ言っていることももっともか……そうナナシは考えた。

 

「ぼ、僕はどっちでも……」

 

もじもじとするゴンを尻目に、ナナシはよし、と決意を固めるなり二つ返事で答えた。「分かりました、やります」と。

 

「そう言ってくれると信じてたわ! 頼りにしてるわよー」

 

それを聞いて、ただでさえ明るい女社長の顔はひときわ明るくなる。期待のウィンクを送る社長の隣に、ぱたぱたと駆け寄る者がいた。

くたびれた中年のサラリーマンと言ったところだろうか? はぁ、はぁ、と息を切らせ、少々よろけながらも、やっとこさ頭を上げると、額の汗拭く間もなく志遠に喋りかけた。

 

「社長! こんなところに……次の会議まで時間がありません!」

 

「あら。紹介するわ! こちら我が社の専務の坂口くん」

 

すがりつくような困り顔の男性をよそに、社長は尚もニコニコしていて……この坂口という人も苦労しているに違いない。

 

「紹介してる場合じゃあありませんから! ささ、早く! 社長をお連れしなさい!」

 

「みんなー、また来るわねー」

 

言いつつ両側からSPらしき人間に肩を担がれて、ズルズルとそのまま路駐したリムジンまで持って行かれていた……

そして彼女本人は、のんきに引きずられながらも手を振っているのだった。

 

 

 

 

「……な、なんかすごい人だったな」

 

と、呆然としているのはノブ。嵐が過ぎ去ったような感覚であろうか……実際すごい人だしね、と言うのはゴン。

 

「それじゃあ、これからは私達で定期的にパトロールしようか」

 

「そして、何かあったらナナシ君に対処してもらう。というのはどうかな?」

 

ヤタベの提案に、一同は同意する。

 

「異議なし。んじゃ一旦アジトに戻って、その後カフェ、行くか!」

 

ノブの一声で自警団は駅前を後にした……

 

 

 

━━ジャンク通り カフェ 

 

 

「ここは相変わらず賑わっているねぇ」

 

ヤタベは盛況な店内を見渡すなり言った。

木製の床タイルに一歩足を踏み入れると、そこに広がるのは明るくゆったりとした店内。店外でも存在感を放つガラス張りの大きな窓からは日の光が良く差し込んで、白く清潔感ある部屋の内装、随所に置かれた観葉植物やシーリングファンが演出するお洒落で温もりのある雰囲気は、来店した者の心を癒してくれる。ニスの輝きが映える濃い木目のテーブル席とカウンター席には多くの秋葉原住民が掛けている。

あの秋葉原の戦い以来、このカフェも有名になった。連日人で賑わっており、マスターのコーヒーを気に入って来る人や、ウェイトレス目当てに来る人も……

当時のひっそりとした空気のカフェも良いものだったし、ヤタベさんもそれを気に入っていた部分もあったろうが、とはいえ、こうして盛況であるのもまた嬉しいものであるだろう。

 

「いらっしゃい。おっ、ヤタベさんじゃないか。皆も一緒かい」

 

カウンターで作業をしていたマスターが振り返り、コーヒーカップ片手に手を挙げて一同を歓迎した。

 

「今日はこの後将棋……やるかい?」

 

「ええもちろん。負けませんよ」

 

ヤタベの問いにマスターはナイスガイな笑顔で答えていた。

仲の良い、こうした人の繋がりはナナシ自身をもどこか幸せな気分にさせてくれる……

やっぱり秋葉原っていいなとナナシは再確認する。誰でも受け入れ馴染み易い、そんな所が気に入っているのだ。一同はカウンターではなく、窓際のテーブル席にそれぞれ腰掛けた。

 

「さてさて、ノートPCも持ってきたしエロゲを……」

 

「こ、ここでやるんだ」

 

ノブは今朝早速購入してきたエロゲに胸躍らせる。ゴンの困惑する視線などどこ吹く風だ……

ナナシもリラックスした様子でオムライスを三つ、マスターに注文する。コーヒーもお願いするよ、とヤタベが付け足した。

 

「了解」

 

マスターは気さくに答えて、再び背を向けて準備に取り掛かった━━

 

 

 

 

 

 

━━コーヒー、お待たせしました!

此方へ来たウェイトレス姿の瑠衣が、生き生きとした笑顔で銀色のトレーからコーヒーをテーブルへと運ぶ。その姿、まさに天使。それは営業スマイルではない。心からの元気な笑み、純度100%、不純物なし。

コップ一杯につき天使様を一回拝めるんだからこのカフェに来た連中は果てしなくラッキーだな、いや、元よりそれが目的で入っているのかもしれないがと、つくづくナナシは思うのだった。

自警団の面々も、おっす、お邪魔してるよ、と口々に瑠衣へ笑顔を返す。

 

「皆来ていたんだね。言ってくれればいいのに……あっ。ごめん、また後でね!」

 

今来たところさ、なんて言う間もなく。瑠衣は笑顔で手を振り、忙しそうにカウンターに戻っていった。

 

「あの笑顔は……俺には眩しすぎる……」

 

そんなことを呟いたナナシに「全くだ」と、誰かが耳元でふと、喋りかけた。ここのテーブルに座る他の誰でもない、青年の声で……

 

「ほんとにな。っつぅおぁ!?」

 

一瞬肯定しかけたナナシが、イス共々ドガァッ! と跳ねた。突然の物音に皆目を丸くするばかりだが、もっともヤタベだけは冷静にコーヒーブレイクを楽しんでいた。

 

「な!? なんだよ。びっくりさせるなって、……お? ……ヒロじゃないか!」

 

ノブがノートPCの画面越しに文句を言ったら、ほどなくしてナナシが驚いた原因を理解したようだった。ナナシの隣に、いつの間にかヒロが居たからである。

ヒロと言えば、秋葉原自警団、そしてナナシ自身がカゲヤシとNIROの争いに深く入り込んだきっかけにして、ナナシの親友。ヒロ自身の都市伝説好きが高じ、結果として安倍野優の手により路地裏で血を吸われ、引き篭もり化してしまった不幸者である。

音信不通のヒロを救う為、一人駆け出したナナシは優によって半殺しの目に合い、瑠衣に救われ、最終的には瑠衣を救う。……なんていう、一連の事柄の始まりはある意味ヒロが居なければ、別の形になっていたか━━さもなくば━━始まってすらいなかったのかもしれない。とはいえ、ヒロにとっては災難でしかないのだが……

画面に釘付けのノブはともかくとして、他の二人はヒロに気付いていたものの、気弱なゴンは特になんとも言い出す事もなく。ヤタベはただマイペースにコーヒーを飲んでいたらしい。というか、彼に関してはナナシが驚く様をちょっと期待していたかもしれない。

 

「久しぶり」

 

ヒロは言葉数も少なく、ぶっきらぼうに言った。

相変わらず雑な振る舞いと、だるそうな眼差し。かといって、変に情熱的な部分とか、無謀な所もあったりして、良く分からない……路地裏で血を吸われた時もそうだった。

 

「お、お前……よくここが分かったな」

 

ナナシは周囲の目を気にしつつも、恥ずかしげにイスへ掛け直す。

 

「偶然お前達を見かけたから」

 

「本当に久しぶりだねぇ。体の方は、大丈夫なのかい?」

 

ヤタベの言う通り、皆、ヒロを心配していた。当のヒロは、

 

「ばっちり。……かな。まさか女子の写真を撮ったがために襲われるとは、不覚だったぜ」

 

どこ見てるんだか分からないくらいにぼうっとしながら、のんきにそんな事を言っている。

 

「まぁ、普通そうなるなんて思わないわな」

 

ノブはノートPCを閉じて、言った。それにゴンが付け加える。

 

「というか……、普通は撮らないかもね」

 

「欲望に忠実すぎる奴……」

 

ナナシの蔑む目に、悪びれずに持論を持ち出す。

 

「秋葉原の住人なんて皆そんなもんだ」

 

「しかし、引きこもってる間に事件が起こるとは……俺としたことが、祭りに参加できないなんて!」

 

彼の握り拳が机を軽く打った……悔しさを露にする。彼は元々そういう騒ぎみたいなものが好きな人間だったし、経験していない人間にとっては面白そうかもしれないが、それは経験が無いから羨ましく感じるだけ……

確かに新たな出会いもあったし、ナナシに関しては瑠衣とも会えた。悪いことだけではなかったものの、もう一度やれと言われたら結構キツいものがあるかもしれない。

ヤタベもふと当時を思い出したか、苦い顔をしていた。

 

「とはいえ、そうは言ってもなかなか大変だったよ。色々と、ね」

 

「うん。祭りと言えば聞こえはいいけど、色々あったからなあ」

 

ゴンが遠い目をすると、皆一様にうん、うん、と。当時の感傷にしばし浸りだす━━

 

「━━でも俺は非日常を味わいたかったんだよぉ!」

 

そんな様子を羨ましいと見てか、机に突っ伏した彼は泣くかという勢いすら感じさせる。そんなところをノブはなだめた。

 

「気にするなってヒロ。俺なんてその場にいながらフラグを立て損ねたんだぞ」

 

「……ノブ君、気にしてたの?」

 

「え? そ、そんなわけないじゃないか。うん」

 

ゴンの一言にぎくりとしつつも、ノブは爽やかな笑顔で誤魔化した。軽いなだめのつもりが思わぬ地雷だったようだ。

 

「ヒロ、欲に負けて写真なんか撮るから……」

 

ヒロの言う"祭り"に参加できなかったのは自分のせいだぞと、ナナシは暗に言いげだった。

 

「何言ってるんだよ。お前だって欲くらいある、そうだろ?」

 

「だとしても道行く他人の写真を撮ったりしないから!」

 

「いやそうだな、俺も撮らない。撮らないが……何故か彼女だけは無性に撮りたくなったというか……、記憶に焼き付けたかったというか」

 

「それだけかわいいってことだな……」

 

もちろんその"彼女"というのは文月瑠衣のことであって、それを知っているナナシは鼻が高い。今となってはかなり親密な仲であり、それをヒロは知らない。知らないからこそ、その不可解な反応に眉をひそめるばかりだ。いや、彼女がナナシと仲がいいだなんて分かれば、眉をひそめるどころの話ではないのかもしれない。

 

「オムライス、お待たせしました!」

 

しかし噂をすればやって来るもの。オムライスを運んできたのは文月瑠衣、その本人。ヒロは突然の出来事に石化する。因果な二人はついに出会ってしまったのだ━━

 

 

 

 

「あれ、君は……。あの時の!」

 

あまりの興奮にがばっと食い入るものの、彼女はきょとんとした顔をするばかり。

 

「やっぱりだ。間違いなくかわいい」

 

「えっ!? えっと……」

 

突然の事に瑠衣も身を固まらせる。……だがヒロはそんな彼女の、不思議そうにぱちりと開いた目を至極真面目な様子でじっ、とその瞳の奥底までを見つめている。たまらず目を泳がせてその視線を受け流す。……あたふたとした彼女の白く透き通る頬はすっと赤みを差している。かなり動揺しているらしい。

そんな様子を見かねてナナシは言った。

 

「瑠衣。こいついつもこんな事言ってるから。気にしないでいいよ」

 

「……そうなの?」

 

一転、じと……っとした不審げな眼差しに変わる。

 

「勝手な事言うな。俺は本気だし、他の奴だって同じハズだ。こんな美人は見たことないって思ってる」

 

「もう……、褒めてくれるのは嬉しいけど。あの、なんというか。どんな顔をすれば良いのか困るかも」

 

気恥ずかしいのか縮こまって、耳もほんのりと色づいているのが分かった。

 

「はは。瑠衣ちゃんを困らすものではないよ。しかしなんというか、いいね……若いって」

 

ヤタベは微笑ましそうに笑いつつも、しんみりと息を吐く。

 

「ったく、オムライス食えないじゃないか。ヒロも、瑠衣はバイト中なんだからその辺にしときなって」

 

イスに深くもたれかかって、はいはい、とつまらなそうに2つ返事をするヒロなんか気にせずに、ナナシはすました顔でオムライスを口に運ぶ。自然と、うまい、と意図せずして言葉が零れ落ちた。そんな彼を見てかヒロもまた、彼女に"1"のハンドサインを示して言う。

 

「あ、俺もオムライス一つ」

 

「ぁうん、……じゃなくて。かしこまりましたー」

 

瑠衣は気恥ずかしさから逃げるように、そそくさと小走りで去っていった……

 

 

 

 

「お、やっぱうまいな。サラさんが作り方を教えただけあって」

 

オムライスを一口食べてノブは言う。

 

「どさくさまぎれに、そのままメイドカフェにしようとしたみたいだけど……」

 

しかし、その何気ないゴンの一言に皆の動きが一瞬、凍った。ヒロだけは相変わらず気だるい目で片肘をつきながら、暇そうに自分のオムライスを待っている。

ナナシはサラのそんなしたたかさに少々身を冷やしながらも、気を紛らわすように黙々とオムライスをスプーンですくっては飲み込む。

 

「で、なんであの()と知り合いなんだ?」

 

ヒロはぐいと顔を寄せて追求する。不満らしい……懐疑の意思を隠そうともしていないどころか、むしろあからさまにひけらかしているとさえ思える。

 

「うん? ……まぁ、話せば長くなるけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

「━━というわけさ」

 

ナナシは行方不明のヒロを助けに行った時から最後の戦いまで、事のあらましを全て説明した。ゴンとヤタベは2人で談笑しているようだ。ノブはというと、ノートPCと延々お見合い状態。

 

「ふっ。羨ましいか? そうだろうなぁ……」

 

自慢げな顔をするものの、存外ヒロからの反応が来ない。先程のあの悔しがり方を見る限り、絶対に怒り狂うと楽しみにしていただけに、彼は拍子抜けした。

 

「……おい?」

 

「あ、あぁ」

 

「どうしたー? ショックすぎて声も出なかったか」

 

ふん、と自慢げに鼻を鳴らす。

 

「うるせぇ。くっそぅ、謎の特務機関との胸アツな対決、人外の力、その上あんなかわいい子とデートするなどと……!」

 

「そんな中俺は引きこもりだったのかよ! 俺にだって主人公になれるチャンスはあったはずなんだ……!」

 

「主人公て。んな大げさな」

 

「お待たせしましたー」

 

オムライスを運んできた瑠衣に、ヒロは片手を挙げて応えた。

 

「お……ありがと、瑠衣ちゃん」

 

「いえいえ」

 

「瑠衣、今日は何時まで働くの?」

 

それとないナナシの尋ねに彼女はしばしきょとんしてから、言った。

 

「うーんと、特に決まっていないよ。なんとなくお手伝いしているだけ……かな」

 

「じゃあさ、お客さんもだいぶ落ち着いてきたし……ちょっと外に行かない?」

 

「うん! いいよ」

 

「……なんだと!? 俺も━━」

 

ヒロがガタリと立ち上がる。しかしナナシとしてもそうなるのは分かっていた、だからこそこのタイミングで瑠衣を誘ったのだ。してやったり、にやりと笑って言った。

 

「おっと……頼んだオムライスはちゃんと食べてからにするんだなぁ」

 

「グッ、謀ったか!」

 

「いや自分で頼んだんだよね」

 

「さ、こんな奴無視して行こ行こ」

 

「う、うん。着替えてくるね」

 

瑠衣はヒロの方を少し気にかけつつも、店の裏へ向かった……ナナシも席を立ち、それじゃあと店を後にする。皆は行ってらっしゃいと見送るものの、当のヒロは悔しさを滲ませていた……

 

「見せつけやがって……」

 

煮え切らない様子にゴンはまぁ、まぁ、と声をかけて━━仲が良くていいじゃないかとヤタベも笑うのだった。




元ネタ
AKIBA'S TRIP
ナナシの友人(ヒロ)
原作ストーリーの導入部分にて、優によって既に吸血された状態で発見され、その後引き篭もり状態となってしまったナナシの友人。この小説ではヒロという名で進めていきます。

AKIBA'S TRIP2
霞会志遠
若いながら、大師本製薬CEOというポストにつく才女。原作とは多少性格が変わっています。
坂口
大師本製薬の専務。


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03. 瑠衣と遊びに

[豆知識]
ゲームAKIBA'S TRIP "瑠衣とデート" にて、屋上でのデートのお誘いをあえて断ると文月瑠衣の超絶かわいいおねだりを聞く事が出来る。

[デメリット]
ちょっと良心が痛む。


━━ジャンク通り━━カフェ前

 

 

「お待たせ。それじゃあ、行こっか」

 

瑠衣は背を曲げてナナシの顔を覗きこむと、嬉しそうに言った……例えるならば、丁度猫が背伸びをして甘えるような具合だろうか。無邪気でふわりとした仕草には、思わず冬である事も忘れさせるような温かさを持っていた。

 

 

「いつものゲームセンターでいいか?」

 

「うん! サムライ☆キッチンの新しいやつ、出たの知ってる? ナナシ」

 

二人は歩き出す。

彼女はサムライ☆キッチンの事を言いたくてうずうずしていたらしく、待ってましたとばかりに興奮気味だった。

「それは知らなかった」なんてちょっとオーバー気味に驚いてやると、彼女の澄んだ瞳はますます輝きを増していって、それで……それでねと、アレコレその新作の情報を得意げに喋っていった。久々にナナシとゲームセンターに行くということもあってか、その様子は至極楽しそうで━━

 

「へへ……結構練習して、強くなったんだよー。私への挑戦者が後を絶たないぐらいに!」

 

……えへん、と胸をはる。一瞬どや顔かわいい、なんてナナシは思いつつも。挑戦者……別の不純な目的があるような気がしないでもなくて、嫌な予感に襲われる。

 

「瑠衣、ゲームセンターに1人で行くのはあんまり……」

 

「……だめ、なの?」

 

それを聞いた瑠衣は、少しつまらなそうな様子で言葉を返した。

 

「ああ、まぁ、危ないからさ」

 

……とはいえ彼女はカゲヤシだから、暴漢に襲われようとへっちゃらだろう。どちらかと言えば変なファンでも出来たら鬱陶しいからというのがナナシの本音である。アジトやらなんやら、そこかしこつきまとわれたらやりきれない。考えすぎなのかもしれないが、実際"挑戦者が後を絶たない"っていうのはなんだか引っ掛かる所だし。

それにヒロもカフェで言っていた、"他の奴だってこんな美人は見たことないって思ってる"って━━実際瑠衣は昔ナンパもされてたし━━考えは堂々巡りする。それにカゲヤシだから安全と言っても、今朝の様にカゲヤシ狩りに会うかもしれないのだ。

 

ナナシは頭を悩ませる。

しかし瑠衣はそれが自身の身を案じての事だと分かるなり、嬉しそうに小首を傾けて笑顔を向けた。

 

「えー、心配してくれたの? 大丈夫だよ。いつも鈴と一緒に遊びに行ってるから」

 

鈴と聞き、ナナシははて、と考えた。

 

「……そういえば鈴ちゃん、店で見なかったけど」

 

「鈴? 鈴は普段、本屋さんでアルバイトをしているから。それにさ」

 

瑠衣はふと言葉を詰まらせて……、ナナシは「それに?」と、彼女の言葉を待っている。

彼女は一拍置いて、戸惑いながらも言葉を紡いだ。

 

「鈴がカフェで働いたら、食べ物につられちゃって働くどころじゃなさそう……」

 

そう、良く考えてみれば森泉鈴は大喰らいなのだ……あの喰いっぷりを想像したのか、彼女は少々引き気味である。

 

「た、確かに……」

 

そういえばそうだったなとナナシも理解した。森泉鈴があの場に居たとなれば、最悪経営崩壊の危機に立たされる可能性がある。

 

「ねぇ。そういえばさ、あのカフェにいた人……ナナシの友達? どこかで見たような気がするんだけど」

 

思案に軽く握られた右手が顔へ近づいて、彼女のか細い人差し指が上唇にそっと触れた。言うまでもなく女性に対する免疫皆無なナナシという男は、思いがけなくその仕草にドキリとしてしまうと共に、こんなカワイイ女子と二人でデートとかリア充すぎんだろ……なんて冷静に自分自身を実況するハメになってしまう。

━━ナナシ? 瑠衣は再度呼びかける。

 

「どしたの?」

 

「え!? あ! あぁヒロか? ほら、前に瑠衣にも話したことあると思うけど、優に血を吸われて今まで療養中だった俺の友人だよ」

 

「恐らく……写真を撮った口封じのために吸われたんだろうけど。あいつとは自警団の皆と同じで、秋葉原で偶然会って仲良くなったんだ」

 

「あっ、あの時の路地裏で、ナナシが助けに行った友達……」

 

ナナシはああ、と肯定した。瑠衣は少し落ち込んで、……ごめん、と謝る。それを見て少々焦りつつも、

 

「いや。仕方なかったんだ、あの時は。瑠衣は悪くない」

 

そうやってすぐにフォローした。実際瑠衣は何も悪くは無い。責任感が強いから、そう思ってしまう所があるだけでだ。文月瑠衣は責任感が強く、他人の痛みを自分のものの様に感じられる繊細で優しい女の子である。素晴らしいと言わざるを得ない。

 

「でも元気になってくれて、良かった」

 

安堵した笑顔。

ナナシもこういった優しい所を好いている。彼としては妹にも見習って欲しい位だ。

 

「全く、元気すぎるぐらいだけどな。さ、話は後にして、ゲームセンターだ!」

 

「うん。そうだね!」

 

「ふっ、まぁ……俺に勝てたら……、肉まんでも奢ってやろう。勝てたら、な」

 

「言ったなー」

 

二人は和気藹々と笑いあって、ゲームセンターの店内へと足を踏み入れるのだった。

 

 

 

━━ゲームセンター

 

 

「ね、ナナシ。君とこうやってゲームセンターに来るのさ、なんだか久しぶりかもしれないね」

 

嬉しそうに言う。ナナシもそれに「かもな」と返した。

彼等は秋葉原での争いが終結した後、それまでの縛られた自分達を解放するように秋葉原の様々な場所へ行った。二人で細路地を探索する事もあれば、皆で一つの場所へ集うこともあった。カフェ・エディンバラ前に自警団で集合したり、だ。サラが店先で、笑顔で迎えてくれたりもしていたか。

秋葉原での争いの当時は暫くそういった遊び方ができなかったのもあって、最近はそのような事が多かっただろう。だからあえて原点回帰し、ゲームセンターにこうして行くのは久々だ……もっとも瑠衣は足しげく通っていたみたいだが。

賑やかな様子に、色々な景品の入ったあのクレーンゲーム。当時休まらぬ争いの渦中に居た瑠衣としては、人々が見る何倍も素晴らしい世界に見えたはず━━ナナシはそんな事を考えながら、あの頃と変わらない空気、当時を思い出す懐かしい気分に襲われていた。

 

「よーし、やるぞー」

 

両腕を突き上げていよいよやる気のみなぎる瑠衣。しかしさすがにこんな美少女を連れているとなれば、周りの視線が痛い。昔行った時よりもそれが大分酷い気もしたが。それでも、彼女は気付いていないのだから良いんだろうかと……ナナシが考えていた時だった。

 

『ひ、姫!』

 

『今日も麗しい!』

 

『まさか会えるとは……! 今日はなんて良い日なんだ!』

 

急に声が掛かったと思えば、そこかしこから暑苦しい男達が湧いてきて。機動隊の制圧陣形ばりの密度で彼等が言うところの姫、すなわち文月瑠衣の下へと詰め寄ってくる。その言動から察すると、どうやらナナシの知らぬ所で瑠衣に入れ込んでいたらしい。彼等が彼女の言う絶えない対戦相手という訳だ。

 

「あっ、みんな。久しぶりだね」

 

なんと言ってそいつらへ笑顔を向ければたちまち、男達は歓喜の声調で鳴き出した。ここはゲームセンターで合ってるんだよな? と思わずナナシは従業員の兄ちゃんに尋ねそうになったところで踏みとどまる。それから彼は面倒そうに、ぐしゃと頭を掻いた。

尚も男達は食いついて止まらない。

 

『今日は私がお相手しまつ』

 

『いや拙者が』

 

「んじゃ瑠衣、一緒にやろうか!」

 

ざわざわと騒いでいる中ナナシはひときわ大きく聞こえるように言うと、瑠衣の手を引いてその場から足早に立ち去った。姫に群がった親衛隊達を、はいはいどいてくださいね、とでも言うように掻き分けていくと、傍から男が口々に不満を発しているのが聞こえた。

 

『は? なんであいつ手繋いだの?』

 

『え? なんなの? あいつなんなの? 知ってる?』

 

ナナシはうぜぇ、と時たま殺意に襲われることがありながら……そんなこんなを無視してようやく筐体にたどり着いた二人。

 

「ナナシ、これこれ!」

 

画面を指して、そこにはゲームタイトル。"サムライ☆キッチン~ファイナルクッキング~"

え、最終作なの!? ……衝撃を受けている場合ではない。そう、背後から危機が迫っている今、初代サムライキッチンに思いを馳せて感傷に浸っている余裕はないのだ。

 

「面白いんだよ~。さっ、早くやろうよ!」

 

瑠衣は無邪気に、繋いだ手をぐいと引っ張った。

 

「ゲームは逃げないんだから、そう急かすなって」

 

ナナシは笑顔を向けるものの、とはいえ、彼女の言う通りナナシも早くやりたいのは事実。そして可及的速やかにこのゲームセンターという空間を出たいと彼は切に願うところだった。この会話も普通に考えれば仲睦まじい二人。……きっと今俺は幸せだと幸せを噛み締めたことだろう。

しかし今の彼は、背後から殺意の波動を送るギャラリーに気が気では無かった。

 

「そう……邪悪な気を放つあいつらさえいなければな!」

 

瑠衣は首を傾げていた……

 

━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

姫目当てのギャラリーに見守られながらも勝負は始まった。

 

「ぐぬ……」

 

瑠衣はびたりと筐体にかじりつくあまり肩に力が入りまくりで……画面に取り憑かれたのかよと思うくらいにぷるぷると身体を震わせながら前のめっているものだから、思わず横目に見たナナシも絶対それ目に良くないって、と困惑しきりの冷や汗モノである。

 

「あの、目を近づけすぎなんじゃないの瑠衣……」

 

……そんな言葉など届かない程に真剣そのもの。

しかし瑠衣にとってこれは待ちに待った大切な一戦。戦う前にも謎の準備体操をして、頬をぺしぺしと叩いて━━ちょっと涙ぐんで白い頬をヒリヒリ赤くさせながらも━━尋常ならざる気迫で着席して、このサムライ☆キッチンに臨んだぐらいである……ナナシも諦めて対戦に励む事にしたのだが━━

 

 

 

 

「━━やった! 勝ったぁ!」

 

ナナシの眼前に大きく表示される"YOU LOSE"の文字。

……しかし負けて良い。瑠衣と遊んでいるということが、そして瑠衣が喜んでいることが何よりも重要。そこに勝敗は関係ないからなと、先程まで勝つ気しか無かった自称"ゲーマー"な男は無理矢理ちっぽけなプライドを癒すのだった。

とはいえ、彼女の喜んで飛び跳ねる姿は実際問題己の勝利には変えがたいものがある。それによくよく考えると、勝ったりなんかした日には後ろの親衛隊に何をされるか分かったものではないのだ。改めて嬉々とした彼女を見れば、負けて良かったかな……なんて思えてくる。そこで、わざと悔しがるような素振りを見せてあげた。

 

「……負けたか」

 

「へへーんだ」

 

とても生き生きとした笑顔を向けて来る……かわいい。思わずぼそっとナナシの口に出てしまう程、かわいい。

 

「よーし、好きなだけ肉まん奢るぞ!」

 

「やったね♪ ……もうちょっと、やりたかったけど」

 

「今度のお楽しみ。さ、行こう」

 

「うん」

 

『……』

 

(ま、まぁ、早くこの場を切り抜けたいだけなんだけど)

 

 

 

 

━━芳林公園

 

 

「はふ、はふ……、おいしー♪」

 

二人は公園のベンチに腰掛けていた。

ようやっと親衛隊の捜索網を抜け出して、気の滅入るナナシを傍らに彼女は紙袋一杯の肉まんを抱えながらご機嫌にパクつく……といってもその食べる様はやはりどこかお上品というか、育ちの良さを感じさせるものであったが。とにかく楽しんでくれたみたいだし、ひとまずは成功だなと……瑠衣の様子を見て、ナナシは思う。

そして、意を決して切り出した。

 

「……なぁ、瑠衣。実は今日誘ったのは、言う事があったからなんだが」

 

「言うこと? 何?」

 

「瀬嶋が生きてたんだ」

 

 

 

 

「…………えっ!?」

 

「……そんな、嘘だよ」

 

先程まで和んでいた瑠衣の様子は一転して、その表情に影を落とす……

遊ぶ前に言ってしまった方が良かったかと、ナナシは少しばかり後悔した。

 

「……ううんごめん。キミが言うなら本当なんだね。でも、なんで……?」

 

思案に拳はまた自然と唇へ近づいて、ゲームセンターに行く道中と同じ様な仕草を見せる。けれどその時とは比較にならない程神妙に考え込んでいる事が分かった。よく探偵が頭を悩ませ推理をしている時に見せるような、気難しい様子だ。

……ナナシは首を横に振った。

 

「分からない。けど、あの時あの場にいた俺達は全員が消耗しきっていた……」

 

「自分も力を使い果たして気絶してしまったし、瑠衣も瑠衣のお母さんだってそうだ。血を急激に吸われて、消耗してただろ? 御堂さんだって━━」

 

「もしかしたら……自分達が気付いていないだけで。実はとどめを刺しきれていなかったのかもしれない」

 

瑠衣はただじっと、黙って言葉を聞いている。視線はどこに向かう訳でもなく。ただただ、遊具も何も無く中央にぽっかりと空いた園庭を見つめて。けれども一字一句、しっかりと噛み締めるように言葉を聞いている。そんな様子だった。

 

「で、今日、その生きている瀬嶋に偶然会ったんだ、結果見失ってしまったけど。彼自身は、もうカゲヤシ狩りは諦めたって言ってた」

 

「実際、今瀬嶋には何も残されていないし……大したことは出来ないと思う」

 

「うん……」

 

ぎゅっ、と彼女が抱えた紙袋に力が入る。

 

「えーと。な、なんかごめん」

 

しまった気まずい……彼は心の内で嘆いた。

……どうする? とりあえず何か喋らないと! でもこの状況でどういう話をするのが正解なんだ!? むしろもう選択を誤ってしまった!?

とうら若きナナシは思い悩むのである。これがゲームならばこうも苦労はしない。会話の選択技はいくつかに絞って提示されるし、相手はいくらだって待ってくれるのだ。まぁ選択技に回答時間が設定されるくらい多少捻ったゲームはあろうが、それでもリアルというゲームに比べればベリーイージー。

会話一つ取っても現実は回答時間なんてほんのお情け程度しかない、選択技は無限大。昨今の手とり足とりクリアまで連れて行ってくれる親切和ゲーも真っ青の、下手糞noob(弱者)に全く考慮されていない鬼畜ゲー。ノブが現実とかクソゲーなんて言うのも頷けるというもの━━━━!

……瑠衣が口を開いた。

 

「あの、さ」

 

「はい!?」

 

「実はね? 秋葉原でまたカゲヤシが狩られているらしいんだ……」

 

「兄さんが巡回して、怪しい奴がいないか今、探してる。誰の仕業かは分からないんだけど……もしかしたら、関係してるんじゃないかなって」

 

「……思ったんだけど」

 

「瀬嶋が……か」

 

ナナシはふと今朝の駅前の事件が思い浮かんだ。秋葉原でカゲヤシが狩られる……それは瑠衣の言った事と一致する。あの黒服は当時のNIROエージェントを想起させることもあって、瀬嶋との関連を疑わずにはいられない。

 

「もしかしたらそのカゲヤシ狩り、今自警団で警戒しているのと同じ奴らかもしれない。そいつらを調べていけば、あるいは」

 

「また、秋葉原で争いが始まっちゃうのかな」

 

「まさか。きっと大丈夫だよ」

 

その言葉に何の根拠もありはしなかったが、ナナシは不安げに呟いた瑠衣を励ます様に言うと、彼女は安心したようにいつもの眩しい笑顔を向けてくれた。

 

「……そうだよね。ナナシも、いるし」

 

「その自警団の仕事、出来るだけ私も手伝うよ。ナナシにはエージェントの時色々助けてもらったから」

 

「ありがとう、瑠衣」

 

「ううん。それじゃあ今度は私から話、していいかな?」

 

勿論、という返事を聞くなり彼女は話し始めた。

 

「……母さんが帰ってきたの。瀬嶋との戦いの後……けじめをつけるとかで、どこかへ行っていたんだけどね。それで帰って早々、次期妖主の引継ぎの儀をやりたいって言ってて」

 

「へぇ、そんなのやるんだ」

 

「カゲヤシの、古い慣わしみたいなものらしいんだけど。あの、それでさ……良かったらナナシも来ない? なんかその、ちょっと緊張してて。ナナシが来たら少し違うかなって」

 

「それでその後ね。母さんの主催で、秋葉原の人達と交流会をやるんだよ。自警団の皆にも来て欲しいな」

 

交流会。

もしかしたら、それを狙ってあの集団が来るかもしれない。奴等の狙いがカゲヤシだとするのなら……

そんな考えを巡らす様子を見た彼女はというと、返事を渋っているのだと勘違いしたようで……恐る恐るにもう一度尋ねた。

 

「ど、どうかな?」

 

「お、おう! もちろん」

 

「良かった……ねぇ、ナナシ。これからどうする?」

 

「そうだな……」

 

ナナシは考える。俺達が今行くべき所……ゲーセンは終わったから遊んでデートの後行くとこか。今瑠衣が俺に求めている事……俺がすべき事。

ナナシは考える。

 

━━そうか! 分かったぞ! 

ナナシは自信に満ち溢れる顔を向け、高らかに宣言した。

 

「瑠衣! エログッズ店へ行くぞ!」

 

「何で!?」

 

「違うのか?」

 

ちょっとしんみりしていた空気はどこへやら、この男は全身全霊を込めた何で!? に心底意外そうな顔をしている。

 

「何がどう違うのかも私には分からないよ……ナナシ、私にも分かるように説明して欲しいな」

 

「えっここで? いいの?」

 

「や、やっぱいい……」

 

何故かちょっと引いた顔をされている━━やっぱり引いた顔もかわいいなとナナシは思う。

心なしか身を強張らせ、顔も赤くさせている。

 

「もしかして怒ってるのか?」

 

「お、怒ってはいないけど……」

 

口ごもりながら、指を突き合わせてもじもじしている。

 

「あー、では嬉しい?」

 

「嬉しくないっ!」

 

(怒ってるじゃないか……ん? 怒ってる顔もかわいいな)

 

瑠衣の頬はますます紅潮していって、このナナシという男は相も変わらない。

 

「ナナシって、たまに良く分からないことを言うよね……」

 

「か、母さんの前であんなこと言うし」

 

「あんなこと……あ━━━━(自主規制)したいってやつ?」

 

「な、何故それを真顔で言えるの……」

 

彼女は心底恥ずかしそうに、赤くなった顔を手で覆ってしまう。

 

「と、とにかく。あの時も結構恥ずかしかったんだよ」

 

「……違うぞ! 俺はそれだけ瑠衣を本心から守りたかったという事だッ! あの時は母君にそれを伝えたかった! ちょっと気持ちが高ぶりすぎて━━━━(自主規制)とか言っちゃっただけでッ!」

 

妖主、姉小路怜はナナシと瑠衣が惹かれあっている原因について、カゲヤシの血に起因するものだと言った。次期妖主である瑠衣を守るために、ナナシの中のカゲヤシの血が無意識下でそうさせているのだと……

しかしそうではないということを妖主に説得する為には仕方がなかったんだと論ずる。熱弁に力が入るあまり、ナナシはいつの間にかベンチから立って弁論に拳を振るっていた。

一方の文月瑠衣はいたって冷めたモノである。

 

「ふ~ん……」

 

「信用してないね」

 

 

 

 

「ううん、信じてる」

 

「お?」

 

「たまに、かっこいいことも言ってくれるしさ」

 

瑠衣は恥ずかしそうに頬を染める。そう表現すれば先程の様子と似ているが、しかし違う。その恥ずかしがる仕草は拒絶するようでもなく、まんざらでもない様子なのだから。

「━━たまに、だけどね?」

けれども彼女は、一応にそう言って念を押していたが。

 

「前に、言ってくれたでしょ。ナナシは私を、守ってくれるって」

 

「あ……」

 

『君は俺が守る、だから━━!』

そうだ、あの時の。

正直あの時は必死で、自分でも何がなんだか分からないまま言ってしまったのだとナナシは思い出した。

 

「あの言葉、嬉しかったんだ。だからキミの言葉はいつでも信じてるよ、ナナシ」

 

いつでも信じてる。

言動の端々からも受け取れるように、文月瑠衣はナナシに惹かれていた。

ナナシが好き━━

けれどもそれはいわゆる恋ではない。恋の衝動に突き動かされ、恥ずかしくてとてもナナシという男を見ていられないという訳じゃない。他の誰よりも最大級にライクなだけで、ラブではない。

そもそもこのあまりにも純粋すぎるお嬢様は恋というものがなんなのかを知らない。年頃の女子であれば身の周りの恋話や漫画やドラマ色々あっても、母の怜から人を拒絶する事だけを教えられ、子供の頃から箱入りで育てられた文月瑠衣は違う。惹かれている彼女自身も、ナナシとの関係に親しい以上の何かがある事に気付けていないでいる。

たとえナナシが好きだーなんてのたうちまわった所で、彼女の純粋フィルターは"友達として"好きだーか、あるいはただのからかっている冗談にしか聞こえないのである。

 

「ま、まぁ。俺は最強のカゲヤシだし。余裕で誰も敵わないからな!」

 

瑠衣の言葉を聞いたナナシは虚勢気味に威張る。でも本当はそうやって、茶化して自分の気恥ずかしさを紛らわしたかっただけだ。その上でナナシは、……瀬嶋には割と苦戦したが。と、最後にぼそりと付け足した。

 

「とにかく、頼りにしてもらってかまわんぞ。はっはっは」

 

「ほんとに? 嬉しいな」

 

「えへへ、頼りにしてるぞ♪ なーんて」

 

 

ナナシはフリーズした。

流石に瑠衣の、この無邪気な笑顔は破壊力がありすぎた。彼の論理的思考を破壊するには充分すぎる程度のもので……

この無垢な振る舞いこそがかわいさの真骨頂であり、でありながら、かつ彼女の生き生きとした純真さは危険性をもはらんでいる。白く(けが)れが無いからこそ、何色にも染まる危うさを同時に持ち合わせている。危うさは華奢な身体と相まって、そんな儚さに惹かれて守ってやりたくなる。

人が彼女の一番美しい部分はなんだと問われれば、白く澄んだ肌、さらさらの黒髪と━━美貌を一見して褒め称える者が多いに違いない。だがナナシの一番はそのどれでもない彼女の内面、正に文月瑠衣そのものである。文月瑠衣そのものが好き過ぎて、時にそれは歯止めが効かなくなる程に好き過ぎるのである。

 

……動かないナナシを見て瑠衣は立ち上がる。

そして、訝しげに覗きこんだ。

 

「……ど、どうしたの?」

 

心配そうな声だ。

 

「かわいすぎるだろおおおおお!!」

 

すると突然、跳ね上がるかというほどの勢いでナナシは飛びついた。

瑠衣も突然の事に身体を固まらせ、ひゃあ! と、素っ頓狂な声を上げた。反動で瑠衣はベンチに推し戻されて、丁度着席したベンチの上でナナシに覆いかぶられる様な形になっている。

 

「も、もう……びっくりしたよ……」

 

そう言いつつもあはは、と笑う。どこかほっとしたような様子を見せる瑠衣。

 

「かわいいぞ瑠衣、俺はペロペロしたい!」

 

「……へ?」

 

今度は瑠衣が固まった。目が点になっている。

 

「いいか瑠衣。かわいい子にはペロペロさせよということわざがある!」

 

ぐぐっと神妙な顔をこれでもかと近づけると、指を立てて必死にナナシは説いた。しかし瑠衣は首を横にぶんぶん振るうだけ。

 

「え、知らない? いやそれがあるんだよいいね?」

 

「だ、だめだめ! ちょッ、だめ!」

 

両手でナナシの顔を押しのける。ぐにーっと変な顔になりながらも、

 

「イヤよイヤよも好きの内ってなぁ!」

 

「ひああああっ!?」

 

ついには必死に抵抗して押しのけるか細い両腕をがしりとそれぞれ掴み止めると、ぐふふ……と気味の悪い笑いがナナシの口からこぼれ出た。瑠衣もいよいよとんでもないことになったと見て、必死に呼び止めた。

 

「な、ナナシ……まずいってば!」

 

「ヒャッハーもう誰も俺を止められねえ!」

 

「うへへそれでは……たわべ!?」

 

 

世紀末のモヒカン野郎みたいな台詞を吐いた所だった。突如ナナシが何者かに鉄拳制裁されて瑠衣の眼前から吹っ飛んだかと思えば、

━━カシャ

 

何か、金属を噛み合わせるような音が聞こえた。現れたのは神拳伝承者のあの男では無かったが、その時のナナシには同じ程恐ろしい人間に見えた。

それは手錠の音だった。

警官である。

 

「署で話を聞こうか……」

 

気付けば、ナナシの両手には手錠が掛けられていたのだ。

 

「えっ」

 

「えっちょっちょっと待ってくださいえっ何これマズイこれマズイってあっ……」

 

「ナナシ……」

 

彼女は哀れむような目を向けながらも。

 

(……ちょっと面白いから見ていようかな?)

 

純粋な好奇心から、暴れて引きずられていく様を少しだけ見ていることにしていた。

 

「公共の場で少女になんてことを!」

 

「待ってくれ違う! 俺の身体が勝手に!」

 

警官は鬼のような形相のまま聞く耳持たない。言うだけ無駄と分かるなり……ナナシは情けなくも、今度は瑠衣にその助けを求めた。

 

「瑠衣~! 嫌だ助けてくれ! 無実なんだよ! 無実のprpr(ペロペロ)なのにぃ!」

 

「何が無実のprpr(ペロペロ)だ! 大人しくしろこのエロオタ!」

 

ナナシの頭頂部に法の鉄拳制裁が下る。

 

「ぐはぁっ!?」

 

見ていて自分まで恥ずかしくなってきた瑠衣は、そろそろ事情を説明することにした━━

 

「そ、そうでしたか」

 

警官もどん引きしている……当然だった。

漂う気まずい空気。

瑠衣はただただ顔を赤く染めたままうつむいて、それ以上何も言うことはなかった……

 

「ア、ほ、本官はこれで……」

 

 

 

 

「た、助かった」

 

去っていく警官を尻目にほっ、と安堵のため息を漏らすナナシに次なる脅威が差し迫っていた。

 

「……恥ずかしかった」

 

……瑠衣の声だ。

背後から殺気を感じ、はっとナナシは気付く。みるみる内に身体は焦りに火照って、一筋の冷や汗が頬を流れ落ちた。恐る恐る後ろを振り向くと瑠衣が……顔は俯いていて見えないが、ぷるぷると身体を震わせている。怒りに力がこもるあまり身体を震わせているに違いない。

 

「説明するの……すごく恥ずかしかった」

 

「ナナシ」

 

「あっいやその、これは、不可抗力的なものであってなんかそういう」

 

これは怒っている。絶対怒ってる。

焦って言い訳をしようと試みるものの、あまりに焦りすぎて言葉にもなっていない。というか、どう考えても時既に遅しというやつだろう。ナナシは死を……覚悟する。

 

 

 

と……思ったら、だ。

彼女はおもむろに口に手を当てると……くすくすと押し殺した様な笑い声が聞こえてきた。ついにはもう我慢できないと顔をあげて、思い切り楽しそうに笑っている。

 

「ふふっ、あはは」

 

「る、瑠衣が壊れた!?」

 

「ご、ごめん。やっぱり君は面白いなって」

 

まだ笑みに口元がほころんでいるままに、笑い涙を拭いながら彼女はそう言った。

 

「なんだか、妖主の引継ぎとか、カゲヤシが襲われていることとか……色々悩んでいたけど、全部吹っ飛んじゃった」

 

「……ありがとう、ナナシ」

 

今度は先程の快活な笑顔ではなく、じわりと心温まるような優しい笑みを返した。ナナシはあぁと返事をしながらも、その言葉に少し照れているようだった。

 

……文月瑠衣は実のところ、彼に心配をさせてしまったのではないかと反省していた。瀬嶋の話を聞いた後、久々にあんな様子を見せてしまったからだ。

最近は笑ってしかいなかった気がするのに。

ナナシにも責任感があって、そんな自分を元気付けようとしたというか、必要以上にナナシはふざけていたのかもしれない。

 

……まぁそんなこと考えすぎで、本当にナナシはそうしたかっただけかな……そうして瑠衣はまた、ふっと密かに笑う。

 

「……あ、……雨、降ってきたね」

 

瑠衣はふいに手の平を広げ、ぱたり、ぱたりと降り落ちる雨粒に空を見上げた。先程まで青空に輝いていた太陽はいつの間にか薄黒い雲に所々を遮られて、雨雲の隙間から漏れ出す様に少しばかりの日光が差し込んでいた。

 

「ホントだーって、うお、結構降ってきたな。くそ! せっかく色々行こうと思ったのに邪魔しおって!」

 

雨脚は少しずつ少しずつ勢いを増していく。不揃いなリズムで零れ落ちるように弱々しかった雨の雫も、まだ本降りまでとは行かないまでも次第にその勢力を増やして、サーッと薄い霧の雨となり規則的な降り方へと変わっていった。斑点の様に濡れている地面も、その内にすっかりと塗りつぶしてしまうだろう。

 

「残念でしたっ! ……仕方ないし、帰ろっか」

 

「そうだな……」

 

ナナシは雨空を見上げて言った……



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Ex:追跡 (阿倍野優)

秋葉原を哨戒していた優は、多数の末端が襲撃を受けたとの報告を聞き、その場へ急行した。
追跡中だった末端三名と合流の後、情報の人物と接敵し戦闘を開始する。


瑠衣とナナシが別れ、少し経った頃。

雨の中の秋葉原……人気の無い路地で、複数の足音が慌しく何かを追っていた。

 

灰色の空の下、建屋の立ち並ぶ細路地には、光も満足に差し込まず。暗い道の中、色もそこでは一様にくすんで、モノクロの世界に迷い込んだかと錯覚させる。

その中を走り抜ける複数の闘争意思。苛立つ様にバシャバシャと音を立てて行くその主は、狂犬の如く執拗に"何者か"を追い立てる四人。

先頭切って駆ける追っ手、安倍野優が吠えた。

 

「お前ら、逃がすんじゃねえ!」

 

『くそ……! 見失うぞ!』

 

それに続きバンドマンの格好をした末端が、後続二名の末端にそう言った。

優は左右の建物を素早く飛び移っていく。末端達は了解と、それに呼応しながら優の軌道に追随した。

 

「やっと見つけたぜ……クソ野郎が!」

 

優は末端三名と共に、フルスピードで標的を追跡する。だが、標的は速い。特に直線でのスピード差は顕著なものだった。

相手からの距離は少しずつ離されていく。

 

「逃がさねぇぞ……! ま、ち、や、が、れ……!」

 

「ふん。いつから追う側になったと錯覚していたんだ?」

 

突然、追っていた存在が優の眼前に現れ、続けて驚愕したその顔目掛けて蹴りをお見舞いした。

 

「なッ!?」

 

優はとっさに後ろへ退き、男の蹴りは優の頬のあたりをかすめた……受け止めず、とっさに避けたのは正解だった。

鋭利な蹴りは、その足先を掠めただけで右頬を細く裂き、切れ目からは鮮血が垂れていた。もし前腕を盾に受けようものなら、むしろ深手を負っていた事だろう。

下手に防げば、逆にそのまま多大なダメージを負いかねないほどに、それ程に凄まじい蹴りだった。

優は、気に入らない、と言いたげに舌を打った。

 

「全く、余計な戦いでスーツを濡らしたくはなかったというのに」

 

「バカな奴らだ。大人しく、見て見ぬふりをしておけばいいというものを……」

 

「そうすれば、この"天羽 禅夜"に逃げてもらえたんだぞ?」

 

「命を、奪われずにねぇ……!」

 

禅夜と名乗ったスーツの青年は両腕を広げて、残忍な笑みを見せる。

優は頬からの出血を拭い、敵意に顔を歪ませた。

 

「てめぇ……!」

 

『優さんっ!』

 

正面から一人の末端がギターを構え突進する。しかしいとも簡単に避けられ、蹴り飛ばされてしまう。その様を禅夜が鼻で笑った時だった。

 

間髪入れずに左右両端から、二人の末端がギターによる同時攻撃を掛けた。正面から攻撃し、それに気を取られた隙に左右から襲う、二段構えの攻撃━━だが禅夜はその場から一歩も動かずに、余裕の元、それぞれを左右の手で掴み止めてみせた。

 

「……なんだそれは?」

 

『こ、こいつ……!?』

 

一方の末端がその腕力に驚愕する。

もう一人の末端が全力でギターを押そうが、掴み止めたその腕はびくともしない。

 

『力が……強すぎる……!』

 

「小賢しい限りだな。そんな真似をしても無駄だよ!」

 

末端はギターを掴まれたまま、それぞれ禅夜の頭上を交差するような形で投げ飛ばされ……雨に濡れた路地に打ち付けられた。

 

「ふん、非力すぎる!」

 

(どうなってんだ、一体……!)

 

薄ら笑いを浮かべる相手を見て、優は戦慄した。

驚いているのはなにも脱衣の技術や戦い方のことではなく、その身体能力。まるで別世界から来たかと思わせるほどの、予期しない規格外の強さ……

それも、わざと舐めた動きで遊んでいるのかは分からないが……ろくに動きもせず、戦い方としてはまるでなっていない、荒削りで素人のような動き……それでもなお強引に相手をねじ伏せる様は、今まで見たことのないタイプだった。

優は一時撤退を決断した。

 

「お前ら、一旦退くぞ!」

 

『はい!』

 

「馬鹿め、最初からそうしておくべきだったな! ……今更逃がさん!」

 

路地を走り抜け禅夜を振り切ろうとするが、振り切れない。

それどころか、差は縮まっていくばかりだった。ついに末端の一人が禅夜の蹴りに捉えられ、彼の面前に倒れ込む形となる。

 

「捕まえたぞ」

 

『ぐッ……!』

 

(ちっ……! 捕まりやがったか)

 

倒れた末端を助ける為、他二人の末端は逃走を中止し応戦する姿が見えた。

 

「……ッ」

 

「…………関係ねぇ……!」

 

それを見、優は一瞬迷った……だが、自分に言い聞かせるように呟き、そのまま逃走する。今までなら、末端を囮にして逃げるなどやっていたことだ……

……今までなら。

だが今になって、優は内心葛藤していた。優は人間という心の底から忌み嫌っていた存在に、命を助けられたことを思い出していた。

その人間の名は、ナナシ。

 

優はかつてUD+で、ナナシとの最後の決闘を挑んだ。

己の全てを掛けた勝負。生き残る為に立ち回ってきたそれまでとは違う。もう己の存在理由は、ナナシに勝つかどうか、それだけだった。親からも失望され、自らに残っていたのは"奴"に対する、ちっぽけなプライド……

誇り高きカゲヤシとして強さを証明し、己だけでも納得させなければ、もはや何も生きる意味はない。ここで負ければ、自分は死ぬ。

そして優は決闘の結果━━━━━━負けた。

 

 

 

だが、彼は言った。

 

『━━優、ここまでだ。早くどこかへ行くんだな』

 

己にとっては文字通り、最後の決闘のはずだった。

本当なら自分は死んでいた……その寸前で、ヒトに情けをかけられたのだ。しかしその時、不思議とそれを不快には思わなかった。それは何故か初めて己という存在を、誰かに許された気がしたからだった。

そして今。情けで助けられておきながら、また自らは過去と同じように同族の部下を犠牲にし━━自分だけが助かろうとしている。

 

(全く情けねえ、それでいいのか? こんなんじゃ俺がクソみてぇに嫌っていた人間以下じゃねえのか?)

 

(どうせ救われた命なら……)

 

「クソッ、何を迷ってる……俺は……」

 

(見捨てるなんざ、今まで散々やってきたことだろ……!)

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

『う、うう……』

 

アスファルトに倒れこんだカゲヤシ三人を禅夜は見下ろす━━

 

「土産にこいつらは連れて行くとするか……」

 

━━その時。

 

禅夜はとっさに何者かからの攻撃をかわした。

彼の代わりに自販機が攻撃を喰らい、ドゴン、という音と共に"く"の字にひしゃげたそれは、飲料を吐き出しながら豪快にふっ飛んで行った。

 

「……チィ! 避けやがったか」

 

そこにはナイトスティンガーを構える、優の姿があった。

 

「何……」

 

「カゲヤシは末端など助けないと聞いていたが……」

 

『優さん、なんで……!?』

 

「わりーな。ついさっきその考えはやめたんでなあ」

 

「……それによォ、末端かどうかなんて関係ねぇぜ? それ以前に俺の部下だ」

 

「パシレる手下いねーと、色々メンドくせぇからよぉ!」

 

いつもの悪者顔で優は言った。

 

『優さん』

 

━━さっさと逃げろ。

短く優が言うと、末端達は駆けていく。見送った後、顔を禅夜に向き戻した。

 

「ふん、自分から死にに戻るとは。予想以上の馬鹿だな」

 

「……だからなんだ? 元々俺は一回死んだようなもんだしな」

 

「今更……どうってことねぇ!」

 

優は突っ込み、ナイトスティンガーをがむしゃらに振り回す。

その攻撃は、禅夜にはかすりもしていない。

 

「クソッ……なんで当たらねぇ!?」

 

「ふん……」

 

「遅すぎてあくびがでる、よッ!」

 

優の腹に重い蹴りが入る。

 

「ぐぶっ……!?」

 

「ぉ……」

 

苦痛に身を屈め、よろよろと禅夜にの足へよりかかった。

 

「……もう終わりか? なら攻守交替……、こちらの番……うっ!?」

 

「バァーカ」

 

顔を下げたまま優が言った。それを聞き禅夜は気付く。よりかかったふりをして、スーツの下端を掴んでいたことに。

 

「こいつ……! 効いていないのか!?」

 

「へっ、あぁ。いや効いてるさ……しっかりな。お前の体の強靭さと比べりゃ、割かし打たれ弱ぇみてーだが……」

 

「テメーの身体に肉薄するぐらいには、役に立ってくれたぜ……!」

 

「殴るしか脳のねぇテメーが勝てるほど……脱衣は甘くねぇんだよ!」

 

禅夜のスーツは破け、上半身のYシャツが露になる。優は立ち上がり、ナイトスティンガーによる追撃をかけた。

━━とっさに禅夜は腰に下げていたロッドを持ち、剣で言う鍔の部分から伸縮式の刃が展開する。上半身を守るように伸びた刃はそのままナイトスティンガーを受け止めた。

 

「貴様……!」

 

「私に剣を抜かせたな……私にぃ!」

 

禅夜は激昂しながらナイトスティンガーを剣で払い、次いで高速の突きを繰り出す。

 

「ッ!」

 

優はその切っ先を避け、時にナイトスティンガーで切っ先の軌道を払うものの、反撃の機会を見出せずにいた。

 

「そらそらァ! いつまで避けられるかな!?」

 

「クソ!」

 

「おっと、足元注意だ!」

 

「……!?」

 

突如足を引っ掛けられ、優は転倒しそうになる。だが、ナイトスティンガーを足代わりに地面に突き立て、素早く体を立て直した。

しかし……優が顔を上げた時、既に眼前には禅夜の剣先が突きつけられていた。

だが、優も咄嗟に剣先を突きつける腕の袖口を掴んでいる。

 

「掴んでそれで勝ったつもりか? 今は雨だ。そのまま私を脱がしても……この剣が君を貫いて終わり……だ」

 

「どっちにしろ、上を脱がしただけでは灰にはならないけどね。普通に戦った所で、結果は私が君を灰にするだけなんですよ」

 

「それじゃそろそろ終わらせよう……さて先程も言ったように。灰にしてあげたいところだが、生憎の雨だからね」

 

「心臓でも貫いてやろうか?」

 

禅夜はその剣先を、顔から、胸部に移動させる。

 

「ちっ……」

 

「ふん。正直私としては、殺してしまいたいところなのだが。まぁ、いい」

 

禅夜は剣を下げ、空いた手で小型銃の様なものを取り出した。

 

「一応眷属には捕獲命令が出てるからね……従っておくのも悪くはない」

 

「テ、テメェ……何を」

 

「少し眠っていてもらうよ」

 

(ッ! 麻酔……!?)

 

優の意識が遠のき、視界は揺れる。

そのまま倒れこむ優を見下ろしながら、禅夜は不気味な笑みを浮かべる。降りしきる雨の中、その両目は妖しく光っていた。




元ネタ
AKIBA'S TRIP2
天羽禅夜
自信過剰で神経質。他を見下している節があり、カゲヤシを下等と決め付ける。


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04. いざ、交流会へ(前)

━━朝 ナナシの自宅

 

 

大口を開けてあくびを一つ。そんな仕草で今日もまた、ナナシはベッドから起き上がる。珍しくまだ時間は早朝で、久々の早起きだった。

ぼうっと天井を見た。今日は瑠衣が妖主を受け継ぐ日……そして、交流会の当日。

早起きをしたと言っても時間はぎりぎりだった。急がなければ。

ナナシは、自室の扉を開けた。

 

「おはよ」

 

開口一番、それだけ言う。それから眠そうに腫れた目で、すぐに来るであろう言葉を待った。

さて、いつも通り妹の暴言が━━

 

(━━あれ?)

 

……しかし不思議と、一向にそれが来ることはなく。

 

それどころかそもそも妹が居ない。テレビも点いていない、しんと静まり返ったリビング。罵声に身構えていたというのに、ナナシは拍子抜けして……首を捻る。

 

「いつまで寝てんのよ、がない。いやまぁ、今日は早朝だけども? とにかく罵声がない」

 

「もう出かけたのか。まぁいいや、朝から疲れずに済んだし……」

 

「それじゃ、俺も早速秋葉原行くか!」

 

そうして意気揚々と出かけようとしたものの、「おっと」━━ふいにナナシは歩みを止めた。

そういえば、今日はまた戦うかもしれないのだ。であれば勿論武器は用意しておきたい。

 

「えぇと、」彼はUターンで自室に戻り、がさごそとタンスを漁っていく。

秋葉原の一件以来自室に変なものばかり増えてしまった。女ものの洋服とか……謎の募金箱一式セット等々。

人には絶対見せられたもんじゃない……

そうして顔を歪ませつつ、これでもないあれでもないと、次々ガラクタを放っていった。そこでようやく、

 

「これこれ」

 

と言って彼が手にしたのは、"えくすかりばー"。

闘技場を制覇した際に受け取った━━正しくは強奪した、伝説の性剣。

……いや、聖剣。

剣と言うには、いささか切れ味は悪いが……それも不殺剣かと思う程のなまくら加減だ。

しかしだとしても、持っていたのが変態下僕だとしても、れっきとした由緒正しき、勝利を約束する聖なる(つるぎ)なのである。

 

ナナシは刀身のきらめきを目にしながら、あの頃にしばし思いをはせる━━

下僕━━師匠━━今どうしてるのかな、と。

 

「なんて今考えてる場合じゃないッ! さっさと行かなければ!」

 

約束した時間まであまり余裕のなかったナナシは、ばたばたと忙しなく家を出て行った。

 

 

 

 

━━カゲヤシのアジト

 

中々行く機会も無く、このオフィスビルを尋ねるのも久々。

とはいえ今の彼には、ゆっくりとしている暇も無く。

 

(やばい、もう始まってるみたいだ!)

 

やばいやばい、と焦りながら、小走りで受付へ駆け込んでいく。そして、カウンター奥に受付嬢が佇んでいるのが見えた。

 

「すみませんが今、来客のご対応が出来かねまして……」

 

「ナナシです」

 

「あっ、ナナシ様でしたか! 承っております」

 

……幸いまだ間に合うのか、受付嬢の案内で奥へ通されたナナシ。

 

「どうぞこちらへ……既に始まっております」

 

受付嬢が和室の入り口を手で示して案内し、ペコリ、と一礼する。そこへ「うぃーっす」とでも言うように、ごく軽い気持ちで入室したナナシは激しく後悔することとなった。

……部屋の中は足を踏み入れただけで分かる、凄まじく、重い空気。

周囲は見る人見る人皆和服だ。加えて、正座をしている各々の手前には何に使うのやら、刀を携えている物々しい装い。ナナシは動揺を隠せない。

 

(えっみんな和服!? 正装!? こ、これは……いけない!)

 

「私達はこれから━━人々との共存を━━」

 

ふと瑠衣の声が聞こえてきた。

比較的限られたスペースの和室奥では、和服姿の彼女が何やら演説の真っ最中のようで、その横には妖主……戦った時以来だ。手前では少数の末端達が正座なんかして、ありがたそうに演説を聴いている。取り合えずナナシも端っこで、座ってそれを聞くことにしたのだが……

俺だけオタファッションイェーイ、とか心の中でふざけて誤魔化してみたりするが、一向に動悸も冷や汗も止まない。

俺完全に部外者じゃないっすか! ナナシはうろたえたものの、しかし……

 

そんな己を静めつつ、冷静になって見てみると、優とダブプリの姿は見当たらず。ここに居るのは、選ばれた小数の末端だけの様だった。眷属のあの三人は、瑠衣を次期妖主だって認めたくないのかなー。ナナシは、ぼんやりと考えたりもしてみる。

とはいえ、その後の彼が思うことといえば……やっぱ瑠衣は自分とは違って、すごい立場で大変だなー……だとか、和服の瑠衣かわいいなーなどと、なんてこともない思いを垂れ流すに止まって、肝心の演説などほぼ聞き流していたのだが……

 

「さぁ、瑠衣。この刀を受け取り、新たな妖主として宣言するのよ」

 

怜は(さや)に納められた一振りの日本刀を、すっと両手で差し出した。それは薄い赤紫の布地と白銀の装飾。

きっと素晴らしい名品に違いない。ヤタベさんならモノの良し悪しも詳しく分かるかもしれないが、しかしそれは素人目に見ても美しいもの。少なくともヤ○オクに出せば高く売れそうな事くらいは、ナナシにも分かった。無論そんな事を言ったら、妖主に八つ裂きにされかねない事も……

 

……と、いつの間にか瑠衣は刀を受け取り、緊張の面持ちでこちらへ向いている。

 

陰陽子(カゲヤシ)の民よ、今ここに宣言する。我こそが妖主として……そなた等を導かん!」

 

『はっ、我ら陰陽子の民、新しき妖主様に忠誠を誓います』

 

……なんて瑠衣と末端との掛け合いを眺めていたナナシは、芯から酷く火照るような、むず痒くてその場に居ても立ってもいられないような、そんな気分に襲われた。

なんだろう。なんだか良く分からないけど、このやり取り……恥ずかしい。

そんな感覚が決して自分だけの気のせい、という事でも無さそうだった。実際、壇上の瑠衣も表情から見るに、とても気恥ずかしそうなのだから。

むしろ言っている本人の方が恥ずかしいに決まっているわけで。

 

「……き、金打(きんちょう)!」

 

ちょっとやけくそ気味に彼女は告げた。刀を床に立てて持ち、少しばかり刃を抜く。末端達もそれに習い、刀を持って同じ動作をする。

静寂を挟み、続けて一同は抜いた刃を(さや)に戻し、刀の(つば)(さや)の金属部分をぶつけると、部屋の中で軽い金属音が響いた。

これは遠い昔、武士が約束ごとの際に誓約の証として行っていた動作だ。もっとも、それを知らない彼は不思議そうな目で、手持ち無沙汰にそれを眺めていた……

 

「おめでとう、瑠衣。これであなたが新しい妖主になったのよ」

 

「……うん」

 

娘の晴れ舞台を満足げに見る前妖主、姉小路怜。

瑠衣を見るとまだ緊張しているのか、妖主になったという実感もないのか。その面持ちは固いままだった。

それからは皆、解散していく。

がやがやと撤収の騒がしさに包まれる中、ナナシは瑠衣の元へ歩み寄った。

 

「瑠衣、お疲れ様」

 

労いの言葉を聞いた途端、彼女は緊張の糸が切れたのか、がくりと視線を落とした。今この場をやりきったという脱力感で、今にもへたれ込みそうだ。正直ナナシの方も、見ているだけで疲れていた位だった。

 

「ナナシ。疲れた……恥ずかしかったし。台詞とか特に」

 

「仕方ないじゃない。こういう場である以上は」

 

「そうだけど」

 

怜の言葉に、それでも不満げに頬を膨らませていた。……かわいい。

 

「今日までに用意するのも大変だったんだから。その刀だってわざわざ里に戻って、私が探してきたのよ」

 

「母さん……そうなの?」

 

「こんな何十、何百年に一度の大切な儀式に、模造刀やそこらの刀を使うわけにいかないわよ。ちゃんと一族に伝わるものじゃないとね」

 

けじめをつける為にどこかへ行った、と瑠衣から聞いていたが、そういった諸々の事もする必要があったからかなと、ふとナナシは考えた。

更に怜が言うには、この刀、カゲヤシの血で焼き入れたとすら伝えられる、いわくつきの妖刀らしい。妖主の血縁を持つ者にしか手に取る事を許されず、一族で反乱があった際には、妖主自らこの一振りと共に不届き者を次々と塵にしていき鎮め、再び皆を纏め上げたという。妖主の力とカリスマを象徴する伝説の刀。

けれど勿論ナナシには、歴史とかそんな事はどうでもいいのだ。 重要なことじゃない。

 

「そうそう。やっぱ、黒髪ロングに刀は似合うよなー! 分かる~」

 

「そうね。ナナシ、私の話は聞いていた?」

 

「……何にしてもお疲れ様、瑠衣。ナナシも来てくれてありがとう。疲れただろうから、この後の交流会で疲れを癒して頂戴」

 

と、声を掛ける怜の隣にナナシは居ず。忽然に姿を消したかと二人が見回せば、先程まで瑠衣の居た壇上で何やらやっている。

 

「ほう? これがカゲヤシに伝わる名刀ってヤツか……」

 

ナナシは呟いた。好奇心に沸き立つ彼の手には、怜の語っていた刀が握られていた。床に置いて暫し眺めてから、そのまま……そーっと鞘から一寸程引き抜いた。

少しばかり抜き身の刀身を覗いてみると、それは美しく、(あお)くきらめいた。

なんと艶めかしい。不思議な光が、鞘と鍔の間から漏れ出している。見る程に深い輝き……ついうっとりと眺めてしまうような魅力があった。

さて、そろそろ鞘に収めるか……そんな事を思った瞬間、

 

「━━ッ!?」

 

突然鋭い刺激が走って、指先が熱を帯びてじんじんと疼く。

ドジにもうっかり指を切ってしまったらしい。とはいえ幸い血が出るほどの傷でもなかったらしく、刀を置いて慌てて指を見た頃には傷はすっかり塞がって、いつの間にか痛みも過ぎ去っていた。表皮を軽く割いた程度だったのだろう。

 

つくづくカゲヤシは便利な生き物だとほっとしたのも束の間、この後めちゃくちゃ叱られるナナシだった……

 

 

 

 

━━UD+

 

ビルから出たナナシを襲って来たのは強い日差し。やはり吸血鬼体質である以上太陽光には慣れるもんでもなく、じりじりとした感覚は未だに辛い。とはいえカゲヤシは暑さ寒さにある程度強い事もあって、冬の辛さを我慢できる事がまだせめてもの救いだった。

彼は、ポケットから取り出したスマホを見た。今はまだ午前1時……丁度お昼時で、日光の強さも納得できる。

が、横から歩いてきた瑠衣は余程息が詰まっていたのだろうか……そんな日差しの下であろうと、それでも開放された様にぐっと背伸びをしていた。

 

組織の長にこの年でなるなんて、普通ならば重圧で押しつぶされてしまうだろう、とても考えられたものじゃない……なんて、横目に彼は思った。

アルバイトとかいう身分ですら億劫なのに。そんな己程軟弱でないだろうとはいえ、ナナシなりに彼女の身を案じていた。

 

「もう妖主とは大変だな……」

 

そうして気遣ってみると、彼女は微笑み返した。

 

「ううん、そうは言っても建前的なもので、やっぱり当分の指揮は母さんが執ると思う」

 

やっぱりそうだよな、二十にも満たない少女に組織の指揮を突然任せるなんて。

……ナナシは安心しつつも、一つ疑問が浮かぶ。

 

「ん、でもそうなると妖主引継ぎはやらなくても良かったんじゃ? お母さんまだまだ健在だろうし……」

 

「引きこもり化計画の失敗とか、人間との共存への方針転換とか、色々あったから」

 

「母さんとしても、色々けじめはつけないといけない」

 

「そうか。色々難しいな」

 

瑠衣も複雑な表情で、うん、と頷いた。

 

と、そこへノブの声。

 

「ナナシ~! 来てやったぞ! 喜べ!」

 

ヒロと共に駆けてやって来た。ゴンもその後ろから歩いてくるのが見える。

三人とも交流会に参加しようと駆け付けて来た……というのも、ナナシは今日の為に、自警団の面々に誘いをかけていたのだ。

 

━━いつものメンバーですな。

ナナシは三人を一瞥(いちべつ)して言った。

 

「サラさんとヤタベさんはなぁ」

 

ノブも一転、渋い顔をしてゴンと顔を見合わせると、残念そうに首を振る。

どちらも忙しい事は容易に想像がつくし、仕方のない事だ。

 

「瑠衣ちゃん今日もかわいいね。どのお店行こうか」

 

「あ、えっと……」

 

そんな三人をよそにヒロは、この前行きそびれた遅れを取り戻そうと瑠衣に必死。

無駄なことを。せいぜい無駄な足掻きを続けるが良い、既にフラグは立ててあるのさ。……なんて、ナナシは高みの見物を気取ろうとするが。

しかし命がけで助けようとした親友を差し置いて、彼女に無我夢中とは……薄情というか、つくづく欲に忠実な野郎だ、と思う所もある……ナナシは蔑む目を向けるものの、お構い無しに彼女と喋っていた。

 

「それじゃあ、皆行こう! 今日はUD+の会場を特別に借りてるんだ」

 

「へぇ、楽しみだなぁ瑠衣ちゃん!」

 

「そうだね、ヒロ君」

 

(ヒロこいつ……、もういいや……)

 

 

 

 

 

━━UD+ 会場内

 

会場内は活気に溢れていた。自警団一同も物珍しそうに見渡しながら、どやどやと足を踏み入れた。

まず、その人の多さに圧倒される。広いホールの中に様々な露店が立ち並んでいて、お祭りを丸ごと大きな部屋に押し込んだみたいな、そんな、摩訶不思議な空間だった。

ナナシが眺めていた前を、瑠衣が屈託のない笑顔で駆け出していった。そしてそんな、楽しそうに振舞う彼女の横で手招きする男……ヒロ。それにつられて歩み寄った彼女としては、何か面白いものがあったのだろう、と軽い好奇心で行っただけ、なのだが……

 

「さっ、瑠衣ちゃんはこっち行こうぜ!」

 

「あっ……ヒ、ヒロ君?」

 

人混みの中、彼女の指にヒロの手が掛かかり、引き寄せられる。

あくまで皆と周るつもりだった彼女とは違い、ヒロは初めっから二人で周る腹積もりだった。

当惑の声を上げつつも、心優しい瑠衣はされるがまま。ここぞとばかりに、ヒロは雑踏の向こうへと消えてしまう。

 

「あっ、ヒロお前……!」

 

ナナシの声などもはや何の意味も成さない。完全にしてやられてしまった。

文月瑠衣の手を気安く握るなど到底許されない行為……でありながら、それに加えあろう事か彼女を連れ去るなど。なんて奴だと憤慨する。

この間prprしようとして逮捕されかけた事など、関係ない。そう自分は良い━━だって恋仲だから!

でもヒロは許されない! 断じて! ぐぬぬと歯を軋ませるナナシを見て、ノブは肩を叩いた。

 

「ナナシ元気出せって。今まで美少女に好かれるのがおかしかった、夢だったんだ」

 

その言葉、元気出せと激励されたはずなのだが……爽やかな笑顔と相まって、何故か無性に腹が立つ。……むしろ、なんだか貶されている気さえもした。

 

「へこむなよ昔に戻っただけさ。エロゲはお前のこと見捨てたりなんかしないぞ?」

 

「なんでふられたみたいになってるんだ。お前は大量のエロゲに溺れて窒息しろ!」

 

怨念に塗れた目で見たが、言葉を聞いた彼は鼻を高くしていた。それは本望だな、と満足げな面持ちで言い放ったノブ。

もう末期だ、とナナシは思い……そしてゴンもさぞどん引きしているんだろうな、とそちらを見ると、何故かガッツポーズをして彼は言った。

 

「おおノブ君、格好いい」

 

……のか? ナナシは首を捻っていた。

 

それから。

三人はとりあえず歩き出したものの、一向にナナシの面持ちは晴れない。

先程から彼のため息が続く。まぁまぁ、なんてゴンの言葉も、残念ながら耳には入っていないようで……

 

「はぁ、何故瑠衣抜きで周らなきゃならん」

 

ふて腐れ、口から出るのはそんな文句事ばかり。そんな彼の態度が気に食わなかったのか、立ち止まって熱く諭し始めるノブだったが、

 

「俺らだけで何が悪い! ナナシ、いつからお前はそんな男になっちまったんだ!?」

 

「全部ヒロのせいだ……」

 

けれどもやっぱり言葉は届いていない。ぶつぶつと言いながら素通りするのみ。

もはや瑠衣以外、誰の声もナナシは望んでいない。

彼の目は下一点を見つめたまま動かず、虚ろな表情をするばかりだった。まるで、株に有り金全部溶かしてしまった者の末路のようだと、後ろからノブが言った。

 

「ほら、あの店おいしそうだよ」

 

気を利かせてゴンが通りの店の一つを指差すも、

 

「えー瑠衣と食べたい」

 

返事はするが、子供みたいに駄々を捏ねるだけ。とまぁ、こんなやり取りが延々続くかと思われたが……そんな時だった。

 

「おいおい! 二次グッズ売ってるとこもあるのか!」

 

ノブの嬉しそうな悲鳴が聞こえてくる。彼は、とある一つの店に興味津々で食いついていた。

少年の様に目を輝かせながら眺め関心していたノブだったが、一瞬、疑問を浮かべるような表情と共に"何か"を凝視して、動きがぴたりと静止した。そしてそれは……みるみる内に鬼気迫る表情へと変わっていく。

 

「ITウィッチまりあの伝説の限定フィギュア!? こんなところに……! バカなッッ!」

 

その"何か"は彼が愛してやまないITウィッチまりあのグッズだったらしく、あまりの興奮に目の血走るノブ。

まさに今、彼の恋焦がれていたそのモノが目の前にあるのだ……なんて言えば聞こえは良いものの、彼の様子にロマンチックさはいかほども感じさせない。そこには狂気という二文字の方が合っているのではないかとさえ思わせ。

 

「欲しいッ……! 欲しいぞ!」

 

唸るノブは拳を強く握り締めた。まさに手に汗握る、といったところ。

 

「えー」

 

勿論そんな事ナナシにはどうでもいい。口を半開きにしながら、えー、しか言わない壊れた機械人形と化している。が、そんな魂の抜け殻は放っておいて、物欲は尚も加速していく。

 

「店主! こいつはいくらだ!?」

 

「おっそいつに目をつけるとはお目が高いね。展示品だから、値段はつけられないなぁ」

 

「いくらでも出す! 言ってくれ!」

 

「ノブ落ち着けって。……ゴンちゃん?」

 

横を見てみれば、当人はレイヤーに無我夢中でシャッターを切っている。

 

「おお、コスプレイヤー! 被写体がいっぱいだ!」

 

気付けば皆、この祭りを楽しんでいた。だがナナシは、そんな気には到底なれなかった……まるで心に穴が開いた気分だ。

……彼の背中には、言い知れぬ悲壮感が漂っていた。

 

「お前ら……もうほっとこう」

 

ナナシが気付いたのは……ぽつりと、そんな事を言った時。

 

 

 

 

「ふんっ。この焼きそば、なかなか美味しいじゃない」

 

それは舞那。

つまらなそうな面持ちとは裏腹に……透明のトレーを持って、ぱくぱく、ぱくぱく、忙しく割り箸を動かしている。

そして━━

 

隣でも焼きそばのプラトレーを持ち、無表情なままもーぐもーぐ口を動かしている━━それは瀬那。

……美味しいのだろうか? 謎だった。

 

二人とも見たとこオフの様だが、いつも通りの見慣れた姿。お忍びという感じではない。その昔、熱心なダブプリファンにプライベートシーンの写真を撮ってくれ、なんて頼まれた事もあったが、その時も特に変装もせず堂々としていたか……

ダブプリの二人も交流会に参加しているとは……さしずめ舞那が行きたがったとか、そんな所だろうか。なんて推測しながら、とりあえずナナシは暇だった事もあって、声を掛けてみようと思い立つのだった。

とはいえ、普通に声を掛ける訳では無い。……ただでさえ心は荒んでいるのだ。少し位脅かして楽しんだって罰は当たるまい。とか自己中心的すぎる考えを巡らせつつ、意地の悪いナナシは彼女の後ろへ回り込んで……背後霊みたいに薄気味の悪い笑みを浮かべて、ぬっ、と背後に立つと、これまた気味悪く耳元で「やぁ」と囁いた。

 

「ぎゃぁあ!?」

 

一心不乱に箸を進めていた舞那は飛び上がった。焼きそばに集中するあまり、視野が狭まっていたと思われる。

しかし、アイドルらしからぬ悲鳴である。持っていた割り箸を、へし折ってそうな勢いすら感じる絶叫。ナナシは腹を抱えて盛大に笑いだした。

 

「ぶわっはっはっは! なんだその驚き方! ぶわっはっはっは━━うわぁ!?」

 

突如ナナシの顔に、プラトレーごと焼そばが飛来してきた。

けれどもナナシは冷静に飛んで来る箸を指で挟み止め、空中のトレーを、器用に蓋を閉めつつ受け止めた。そう、カゲヤシ動体視力を持つ者にとってはこの程度容易い事……朝飯前なのである!

 

……それから見ると、彼女は顔を真っ赤にさせていた。

 

「ふんっ、もうそんなのいらない!」

 

「なにすんだよ!? 焼きそばが勿体無いだろ!?」

 

「うるっさいわねッ! このバカバカバカ人間! 今のは愛情表現じゃない!」

 

「何をこの小娘ーーーッ! 丹精込めて作られた焼きそばをーーーーッ!」

 

「ど、どんだけ焼きそばの方が大切なのよこいつぅ!」

 

「くっ、勿体無い事しやがって……! なら俺が食うッ!」

 

食べ物のありがたみを知らない、何と罰当たりな娘であることか。

……と、半べそをかきつつも……焼きそばを口へ運ぼうとするナナシ。

 

「ちょっ食べるなよ!?」

 

「何故だよ!?」

 

「そ、それはあれだろ……私が食べてたヤツだから……ほらその」

 

「やっぱり食べたいんじゃないか。食い意地はりすぎだろ。仕方ねーなほら食え」

 

「そんなの要らないわよ!」

 

「何故だよ!?」

 

「舞那、食べることに集中しすぎ」

 

恥ずかしさやら、怒りやらで真っ赤な舞那に対し、特に表情を変える事もなく言う。

その言葉を聞く限り……やっぱり注意深い瀬那は気づいていたんだなぁ、とナナシは関心する。

そして勝気な舞那も、その瀬那の前では口篭ってしまう。姉にイマイチ頭が上がらないのだ。

 

「う。だ、だっておいしいから……」

 

「はっはっはっ、舞那は食いしん坊だなぁ!」

 

「お前は会話に入ってくるな!」

 

そこへ、舞那とナナシの間を割いて来た問い掛け……

 

「ナナシ、何故ここに?」

 

言う瀬那の表情こそ変わらないが、その目には少しばかり警戒の色があった。ナナシは誤解を解く為にも、笑顔を二人へ向けた。

 

「愚問だな。祭りを楽しみに来たでござる。瀬那と舞那もいざ共に周ろうぞ!」

 

……っていかん。拙者これではナンパみたい。

 

「え? なんだあんたも? って、あんたと行くわけ━━」

 

舞那も声を荒げる。考えてみればからかった矢先……というか例えそうでなくとも。断られて然るべき。暇つぶしに友達とつるむか、みたいな感じで気安く話しかけてしまったのが間違い。

そりゃそーだ、と、ナナシも思っていた。

が。

 

「いいよ」

 

言い終わる前に、瀬那が無表情のまま、そうして静かに答えた。

舞那は驚いて……彼女の方を見た。

 

「……えッ」

 

予想外の言葉。

戸惑いながら、瀬那の顔を見て固まっている。

 

「ちょっと姉さん何言って」

 

またも言い終わる前に、

 

━━なんとなく。

ぶっきらぼうな答えで断ち切られた。

 

「なんとなく……」

 

その返答に姉の言う事とはいえ、舞那も目をぱちくりさせて困惑していた。

それから瀬那は、少し退屈だったから、と静かに付け加えた。

結局の所……姉には逆らえないのか、舞那も渋々納得する。

 

「し、仕方ないわね。姉さんが良いって言うからよ」

 

彼女は腕組みして。つんと顔を背けさせ。

しかしなんでか顔を赤らめる。

それから舞那はぬっとナナシに近づき、彼の顔に人差し指の腹を向けるなり、念を押すように姉さんがね、とまた言う。その様子には必死ささえ感じた。

しつこい。

 

「わ、分かったから」

 

手を上げてなだめるナナシ。こんな事では、行く前から疲れてしまいそうだった。

 

 

 

 

 

 

「あめおいっしー♪ ねえ次あっち行こ!」

 

りんご飴を持って快活に駆けていく舞那。

どこか子供じみた悪戯っぽい笑みを見せ、心底楽しそうに笑った口から八重歯を覗かせて。そうして急かす彼女に、瀬那は珍しくたじたじになっていた。

 

「ま、舞那待って」

 

言いながら追いかけていく更に後を、大量の荷物を抱えたナナシがよろよろと通っていった。物の量が多すぎて顎近くまで積み上がっている。……主に舞那の食べ物ばかり。これじゃ周るというよりか、振り回されている。

結局ノリノリじゃねえか! ……ナナシは、心の中で一人毒づいていた。

 

「こーんなカワイイ女の子と一緒に周れるんだから、感謝しなさいよね!」

 

こいつ最初はあんな嫌がってた癖に……今は子供のようにはしゃいでいる。考えてることと言動が良く分からん。塔になった荷物を鬱陶しく思いながら、顔をしかめた。

 

しかし元々、二度あるかも分からない催しである事も確かだった。

まぁ楽しそうだからいいか。はいはい、とナナシは言って……とことん付き合ってやることにしたのだった。

それからはもうあれやこれやと、出店に転々と食いついていき、ナナシの手荷物も増え。

 

「━━姉さん、あのぬいぐるみ欲しい!」

 

そして彼女の次なる興味は射的屋らしい。

舞那は射的屋の景品である大きなテディベアを指差した。瀬那はほとほと呆れる。

 

「ぬいぐるみなら舞那の部屋にいっぱいあるじゃないか」

 

「新しいのが欲しいんだもん」

 

射的か。お祭りって感じだな。

ナナシはひとまず手荷物を置いて、はたと眺めていた。

 

「舞那様!?」

 

すると店員が声を上げた。

眷属である舞那が、急に店の前へ駆け寄ったものだから……店員も仰天していた。もっとも店を訪ねて行く道中も毎度こんな反応が続いていて、ナナシとしてはまたか、くらいのものだ。

 

「ほら、やるんだから貸しなさい!」

 

舞那は意気揚々とおもちゃの銃をぶん取って、若干木の台へ乗り上げ気味に賞品を狙う。

台に乗り上げて、それ反則なんじゃ。なんて眉をひそめている内に、

 

「あ、危ないです舞那様!」

 

店員がまた声を上げた。末端の部下も大変である。

というか、彼女はまだお金を払っていないわけだが、とナナシは思いながら……彼は未だに慌しい様子の二人の間を割って入った。

━━はい五百円。

 

言って、店員に手を差し出した。もちろん言うまでもなく自分のマイマネーだった。いいんだ。二度あるかも分からない、付き合ってやるって決めたんだ、だからいいんだ……と、自分に必死に言い聞かせるナナシ。

店員も当惑していて、料金の事など頭の片隅にも無かったらしい。どうも……、と彼は呆然としながら、手の内にある五百円を見つめていた。

 

 

 

「うぅぅ……そこだっ!」

 

片目を(つむ )ってよーく狙いをつけてから、彼女は引き金を引いた。

ぱん、と射的銃の発砲音が鳴る。

が、当たらない。

 

「とぉ! そりゃあ!」

 

そしてまた……威勢の良い掛け声に合わせて、次々と破裂音が鳴っていく。

散々騒ぐおかげで周りの目が気になって、ナナシとしては非常にむず痒い。そしてその内聞きつけたダブプリファンが大量にやって来そうで、戦々恐々だった。

 

「いちいち撃つ時声出さなくていいから!」

 

彼が悲痛に叫んでも、意味は無い。

しかもやはり当たらない……一発も、掠りもしていない。

 

「ちょっとこれ、ズルしてるんじゃないの!?」

 

「ち、違います!」

 

今度は文句を言い出して、店員に詰め寄った。

言いがかりにも程があるとナナシは同情した。どう考えても彼女がノーコンなだけなのだが。彼女には自動散弾銃(フルオートショットガン)……位の業物を渡してあげないと、もはや、最後まで一撃すら当てられないかもしれない。

片や瀬那は……ぼーっとしているのかしていないのか、ただそれを見つめていた。もしかしたら暇しているのだろうか。

 

「……瀬那、やらないのか?」

 

どちらにせよ、このまま舞那にやらせると色々マズイ━━と思ったナナシは、瀬那にバトンタッチを図った。それに瀬那は少し意外そうな顔をして、

 

「やってもいいけど?」

 

そう言うと、文句言いたげに頬を膨らませている舞那から、銃を受け取り、片手で構えた。なんだか、舞那と違ってそれが結構様になっている。

 

パン、という音と共に放たれたコルク栓の弾は、テディベアの眉間をビシッと見事に、そして確実に捉らえていた。

ワンショットワンキル……良い腕だ。ナナシは感心しつつ、終わらせてくれたことに胸を撫で下ろした。

 

「姉さん……!? 一発で!?」

 

驚きながらも、姉を見た目はそのまま店員の方へ……尚も納得できないと言いたげな、疑るような表情を向けていた。

 

「……ズルじゃなかったのか」

 

「だから違います」

 

疑り深い奴……ナナシはそんなやり取りを見ていた。

無論、そんな事を口に出すとまたうるさいだろうから、決して口には出さないのだが。

 

屋台の奥から、どうぞ、と瀬那へテディベアを持ってきた店員。不満げだった舞那の顔も明るくなる。

上半身を覆う程の特大テディベアを抱きかかえて、瀬那はナナシの方へ向いた。

 

「やった」

 

……しかし、その言葉とは裏腹に無表情。そして声も冷たく、抑揚などなく。

 

…………どう反応すれば良いのか、彼はうろたえた。

 

「それ……喜んでるのか?」

 

恐る恐るそうして尋ねると、じっとこちらを見たままに「うん」と……頷くわけでもなく言った。

そして何も言わずに、じっと見つめている。

えーっ、と、……ナナシは再び返しに困る。なんて言えば良いのだろう。それは良かった、とか? しかし微塵も喜んでいない様な気がするけど━━? また困り果てる。

そんな様子を見ていた彼女は、テディベアを抱きかかえたまま、不思議そうに首を傾げている。

少しして、

 

「……もっと激しく喜んだ方が良い?」

 

真面目な顔でそんな事を言う。

 

「い、いやいいです」

 

ナナシは思わず後ずさり。

 

「でーもー、それアタシのだからね、姉さん!」

 

はいはい、とまた呆れた様に言う瀬那の様子は、無邪気な子供でもあやす様だった。

そして、ナナシの荷物はまた増えた……それも特大のやつが。

 

 

 

 

一通り周った後、三人は休憩場所にある、白い丸テーブルを囲って一息つくことにした。

舞那は買って彼に持たせていた大量の食べ物をここで食べるようで。右腕に熊人形、左手に食べ物、頭の上にも更に食べ物。そんな、雑技団みたいな事をしていたナナシもようやく解放されたのだ。

 

「ぎょうざおいひぃー。でもこれ太っちゃうかも……」

 

とか言いつつ、自制の様子も無くご満悦でもぐついている舞那。

特に何も言わずに隣でジュースのカップを持つ瀬那は、そこから伸びるストローを咥えて一息ついている。そんな二人を片肘つきながら、ナナシは眺めていた。

こうやって見ると人もカゲヤシも本当に変わらないな、と思えた。

……それと同時に。

瑠衣と周るつもりが……いいのかなこれ、なんて後ろめたい気持ちもじわじわと己を襲ってくる。

もやもやに苛まれている時だった……突然、女性の叫び声が聞こえた。

ナナシはがたりと立ち上がり、舞那は餃子を喉に詰まらせかけた。

 

「あっちだ!」

 

ナナシは険しい表情で声の方向を見た。入り口の方だ。

驚く双子姉妹や、それから自身の掛けていた椅子が、テーブルから乱雑に投げ出されたままだろうが目はくれずに━━彼は一直線に走り出した。



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04. いざ、交流会へ(後)

店舗の無い、ある程度開けた空間であるUD+会場入り口付近━━ナナシはその場に素早く駆けつけた。それに半ば振り回される形になったダブプリの二人も。

そして、面前では謎の集団が服を求め、暴れまわっていた。

しかし秋葉原駅前の騒ぎがあった時と同じ奴らかと言えば、そうではない……秋葉原の街中で普通に見かけるようなオタク達。

どういうことかと思っていた時、ポケットのスマートフォンが振動している事に気がついた。

 

(着信?)

 

「━━はい」

 

取り出し、応答した。コール相手は志遠だ。

 

《ナナシ君? 私、志遠よ。例の集団がUD+に向かってるらしいの。私も向かうから、迎撃をお願いできるかしら》

 

了解。

言って電話を切る。やはり駅前で戦った集団と彼等に、何らかの関わりがありそうだった。

と、ふいに自身の横へ駆けて来た瑠衣に気付き、彼女の名を呼ぶ。

瑠衣もまた彼の名を呼び、どうなってるの? と問う。

うーん、と彼は頭を悩ませた。てっきりこの間の黒服が来るものと身構えていたナナシとしても、何がどうなっているのやら見当もつかない。

 

それから……一人駆け出す瑠衣を追いかける形になったヒロが、もっと周りたかった、とか未練がましくぶつくさ言いながら現れ、そして他、自警団の面々も次々と到着する。声を聞きつけてすっ飛んで来た様だ。

 

「なんだなんだ!? くそ、限定品の交渉中だったのに!」

 

と、言いながらも律儀に来ているノブ。騒ぎを見過ごせないのは自警団の定め。

隣に同行していたゴンは、図らずもダブプリに接近できて大興奮している。

そして、その中にはサラの姿もあった。ナナシが驚いていると、彼女はにこやかに微笑みかけた。

 

「ナナシさん、お久しぶりでございます」

 

「私もここで出店していたんですよ。カゲヤシと人間の交流会とお聞きして、是非そのお手伝いをしたかったものですから」

 

騒々しい中、しっとりと気品あるサラの立ち振る舞い。彼女を取り巻く周囲の空気だけは……ゆったりと流れている様に錯覚してしまいそうになる、カリスマメイドオーラ。

最近は中々予定が合わず、久々の再会とあれば、それを感じるのも尚更だった。

私がサラさんを誘ったんだ、と瑠衣が彼女に続けて言った。なるほどそれなら今日の予定が合わない訳だと納得するナナシ。

 

「やぁ皆。急に声が聞こえたが?」

 

イケメンボイスでそう言うのは、ちゃっかり交流会に参加していたマスター。

横では焼きそば滝の如く、一心不乱に口へ流し込んでいる鈴。瑠衣は哀れみの様な表情を向けていた。

 

「とにかく、彼等を止めましょう」

 

お馴染みの顔ぶれでわちゃわちゃしていた中。

そんなサラのびしっとした一声で、ついに一同は謎の脱衣集団と対峙した……!

 

「おい、やめろ!」

 

ナナシが止めに入ろうかと思えば、そこにはいつの間にか暴走行為をやめ、仁王立ちする謎の六人衆が!

来たな! と威勢も良く腕を組み、先頭に立ったやせ型の男。黒ジャケットを羽織り、ボタンを留めずに開いた胸からは、ITウィッチまりあのシャツが顔を覗かせている。

男は続けて言う。

 

『お前ら、俺達を知って止めてるのか……?』

 

「知らん! お前らは何者だ!?」

 

『ふん……聞いて……驚くなよ……! では早速自己紹介させて貰おうか!』

 

「は?」

 

ナナシはぽかんと口を開けた。

六人衆はいそいそと横に整列し始めて━━その様子にナナシ含め一同固まる。

 

六人衆は各々に、そして勝手に自己紹介を始めていった。

迷彩服を着用し、かつて米軍特殊部隊(コマンドー)に所属していたと語る、辺根斗という小太りの男。

燃える拳を持つと言う、赤ハチマキに漆黒のライダースーツがトレードマークの青年、土門。

ガン○ムっぽいダンボールに全身を包み、最強のNTを自称する男(?)安村。

某北斗っぽい衣装を着る中年男性の北戸野。

橙色に染められた胴着を着る、若き格闘家のまごごそら。

そして最後の一人は先頭に立っていたリーダー格、オタク界のカリスマと(うそぶ)く秋賀原という男……

 

そして紹介が終わるやいなや、

 

『我等は脱衣戦闘部隊! 雇い主に選ばれた伝説の傭兵!』

 

急に端っこの辺根斗が宣言し、

 

『そしてそして━━!』

 

その隣の赤ハチマキ、土門が畳み掛ける。

それから最後に、彼等はタイミングを合わせて全員で宣言した。

 

『我等はッ! 機動精鋭部隊、秋葉原特選隊なのだーッ!』

 

各々にポーズを取った六人衆。

大丈夫かこいつら……とナナシが見ていたら、

 

「な、なんだってー!」

 

舞那の驚き叫ぶ声が聞こえてきた。

どうやら舞那は大真面目らしく。おいおい嘘だろ、なんて呆れていたナナシだったが、彼の隣では瑠衣が、六人衆に圧倒され息を呑んでいる。

 

「強そう……!」

 

彼女も本気らしい。

やれやれといった具合で額に手を当てるマスターや、瀬那から送られる懐疑の視線が痛い。

 

(きた)るべき秋葉原すっぽんぽん作戦のため! お前達にもその身捧げてもらうッ!』

 

引きこもり化計画よりもだいぶ名前が酷いが、内容の方は果たしてマトモなのだろうかと、疑わしく思えるその作戦名。

が、何にせよ売られた戦いは買わなければなるまい。

ナナシは剣を構える。

そしてそれと同時に、直前までうずうずしていた舞那が、じっとしていられない様子で先頭へ踏み出した。

 

「良く分かんないけど! 倒せばいいんでしょ!」

 

「舞那、待って」

 

例の如く、彼女の暴走制御役である瀬那が引き止める。へ? とふいに豆鉄砲でも食らったような顔で振り向く舞那。

 

「カゲヤシではない、人間のはず。だとしたら……カゲヤシの私達がまともに戦えば、怪我をさせてしまう」

 

「あー、それもそうね。姉さん」

 

会話を聞くとダブプリもあの頃から、なんだかんだで優しくなっている気が。

とにもかくにもナナシは、ならばとミラースナップで六人を撮影した。

……結果は、やはりただの人間。

 

人間だな、と構えたスマホを下ろして、彼は皆の方へと振り向く。

そんな中、脱衣だけならば傷つけず、かつ戦意を奪えるだろうとマスターが提案し、その援護に名乗りをあげる。舞那も脱衣は面倒、とは言いながらも、瀬那に説得される形で参戦する事となり。

 

この室内ならばカゲヤシであっても、例え脱がされようが塵となる心配は無い。日の元に己の生命を掛けて……全力で脱がし合わなければならない状況なら兎も角、ここでは相手を傷つけないよう、余裕を持って脱衣する事が充分に可能なのだ。

 

「ナナシ、私も手伝うよ」

 

「瑠衣……すまん!」

 

いえいえ、と微笑む彼女をばっ、と凝視したヒロ。そしてなんでか、彼までもが立候補する。

続々とナナシの援護に名乗りを上げる中、俺もやるぞ! と力強く宣言するのは良いが……

この脱衣慣れしたメンツの中で急にヒロが来るのは、どう考えても場違い。以前優に散々な目に会わされた無謀さを発揮しておきながら、懲りていない奴。

そしてその実ヒロの頭にあるのはナナシの手助けではなく、ただ瑠衣に良いとこ見せたいという個人的な思いだけ。

 

「あ、そう」

 

ヒロをじとりと一瞥したきり、歯牙にも掛けないナナシはそんな腹心を見透かしていた。

 

そして。

見守り役であるノブ、ゴン、鈴の三人の激励と共に……ついに戦いの火蓋は切って落とされる。

一戦目サラのハイキックが辺根斗の額を容赦なく突き刺して、エアガンで天井を虚しく撃ちながら崩れ落ち。

二戦目、ダブプリが二人がかりで脱がすというご褒美に安村が大興奮し、ゴンは嫉妬し。

それから三戦目、「お前と倒せと轟き叫ぶ!」なんて決め台詞を言っている内に、マスターにさっさと脱がされる土門。

 

一瞬の内に勝負がついていく。

が、ナナシとしては勿論、この後に戦いが控えている瑠衣が心配。それと、そのついでにヒロもだ。まず彼は文月瑠衣と北戸野の戦いに目を傾ける。するとなにやら二人は話し込んでいて━━

 

 

 

「ふふふ……、私の神拳は敵を触れずに脱衣させることができるのだ」

 

「えぇっ……!? すごい……! そんな技が!」

 

瑠衣はそれを聞いて、相手であるにも関わらず目をきらきら輝かせている。北戸野も嬉しいのか、得意げに高笑い。それはどこか、娘に褒められる父親を思わせた。

それから、北戸野は拳を構えて言った。

 

「貴様はここで脱げて社会的に死ぬのだ! くらえ! 野球神拳!」

 

「アウト! セーフ! よよいの……よい!」

 

北戸野はジャンケンのグーを出し、瑠衣はそれに怯み、きゃあ……、という控えめな叫びと共に、とっさに目を瞑る。

しかし、北戸野はそこから微動だにもしない……

それから、しばし二人の時間は止まった。先に瑠衣が恐る恐る目を開いて、自らの身体を見た。

 

「……脱げないけど?」

 

そう言って、少々がっかりした様子を見せる瑠衣。

 

「いやほら、君も出してくれないと」

 

北戸野のそんな言葉にきょとんとして、首を傾げる。

 

「何を?」

 

「何ってパーとかグーとか、よよいのよい! の所で━━」

 

「ごめん、良く分からないや!」

 

良く分からないので、瑠衣は取り合えず突っ込んで北戸野を脱がした。

彼女は野球神拳を破ったのである。

 

「野球神拳が効かないだとォ!?」

 

そんな負け台詞と共に彼は走り去っていった。

 

……一部始終を見たナナシは、瑠衣も無事に勝ったかと、安堵に口元を緩めた。

すると。やい無視するな、と言葉が飛んできた。ナナシはそちらへ首を戻す。指を差しているのは自身の相手である、まごごそらだ。

 

「俺はあいつらとは一味違うぞ……我こそはあらゆるオタク文化を吸収し育った、オタク完全体!」

 

「さあ、どこからでもかかって来い!」

 

「何が?」

 

「何がじゃない! かかって来い!」

 

「自分の体を見てみろ」

 

「体━━ハッ、裸ァ!? イヤァァ恥ずかしいい!」

 

「つまらぬものを脱がしてしまった……」

 

全力ダッシュで出口まで走り抜けていった彼を見送りつつ、思わずそんな事を口からこぼしたナナシは……あまりの弱さに放心状態と化していた。

弱そう……そうは思ったものの、取り合えず迎撃してみれば……やはり弱い。

しかし相手が弱いとはいえ、ナナシ自身の脱衣技術自体が凄まじいのも事実。そんな彼の妙技にノブ達は目を見張り、さすがにナナシは違うなと関心していた。

 

 

 

 

「残りはお前だけだぞ?」

 

威勢良く秋賀原を指すのはヒロである。

秋賀原はどうやら曲りなりにも部隊のリーダーとして、戦いの殿を務める役目があると思ったのだろうか、自ら最後を選んで律儀に待っていた。

ナナシは二人を遠巻きに見守っていた。そしてもし何かあれば、自ら割り行って救援に行く事も辞さないつもりではあるが……しかし今までの戦いを見る限り、心配も無さそうだった。

 

出来れば手助けをしたくはないしなと、そんな事を考えていた。決してそれは瑠衣との楽しいひと時を奪われた恨みだとか、そんな理由からではない。

だって瑠衣の目の前で、自分が助けなんかしたらヒロは赤っ恥。彼にもプライドってものがあるもの……ナナシはうんうんと、一人頷いた。

さてそろそろ、戦いはじきに始まりそうな所だ。

 

「ふ、奴らは秋葉原特選隊の中でも最弱……」

 

「いや、だから残りはお前しかいないって」

 

「るさいっ! きぇぇぇ!」

 

奇声と共に繰り出されたのは、人間とは思えない程の凄まじいスピード。驚異的な脚力で周囲を走り回り、動揺するヒロ。

動揺したのはなにも彼だけではない。遠巻きに見守っていた一同もそうだし、他ならぬナナシもそうだ。

 

……どういうことだ? ミラースナップでは人間しかいなかったはず。

ナナシは目を細めて考えを巡らせる。

考えても出てくる答えはミラースナップの故障、だとか、それが答えであるという確実性に欠けるようなものばかり。

と、そんな時。

 

「バカめ。私は服の下にスペシャルなギアを身に着けているのさ! これこそが人外の力を引き出す特殊スーツの性能!」

 

秋賀原が高笑いと共に盛大なネタバレを披露していた。

「そんなもんあるわけないだろ!?」というヒロの返しの通り……ナナシにも、それがにわかには信じられなかった。身体能力を増幅させる特殊スーツ(強化骨格)、それも実用に耐えうるものなど、未だ空想の世界にしか存在し得ない。

しかし、秋賀原の身体能力は、間違いなくカゲヤシのそれに匹敵していた。

 

「私の力を認め、これを授けてくださったのだ! さぁ、二度と立てない程度に痛めつけてやろう!」

 

もらったぞ、という一声と共に秋賀原はかく乱を中止し、地面を蹴り、たじろぐヒロへ向かって、真っ直ぐに己の身を打ち出した。

とにかく、原因が何にせよ危険には違いない。

そうしてナナシが意志を固めたは良いが、肝心の行動が遅れてしまった。ナナシは慌てて身を乗り出すも、時すでに遅し。

 

秋賀原が右拳を繰り出した。

う……、と声を漏らして、ヒロは思わず目を閉じる。

その様子を見て、しまったと後悔するナナシだったが……

だったのだが。

秋賀原の拳は確かにヒロの右肩に直撃している。……しかし、さしたる外傷はない。

それもそのはず、秋賀原は裸だった。特殊スーツの衣を引き剥がされた、か細い腕の右ストレートでは……威力的に大した意味も成さなかったということだ。

そして何故裸なのか……それはヒロが直撃する一瞬の間に全てを脱がしきっていたからで、大多数にそれは見えなかったものの、ナナシにはそれが見えていた。

ヒロの背後へ、特殊スーツの細かな部品がガラガラと零れ落ちていく。そして恐る恐る目蓋を開いた当人(ヒロ)は、あれ、俺生きてる、なんていったように……動揺を隠せないでいた。

 

皆何が起こったのかも分からずに、唖然と固まっていた中……最初に声を上げたのは秋賀原だった。

 

「何!? 裸!? ……私が!? スーツも、そ、そんな……!」

 

それを皮切りに、ようやく周囲もざわざわと喋り始める。

 

「い、今、ヒロが脱がしたのか?」

 

「ノブ君……えっと、うん。速すぎてよく見えなかったけど」

 

ゴンとノブの、そんなやり取りをしている声が……ナナシの背後から聞こえてくる。何故ヒロが脱がせたのか? それは彼としても気になる所ではあったのだが。

それに関しては後でヒロ本人にでも尋ねてみるとして、ナナシは、秋賀原を問い詰める事にした。

 

「……おい、観念したか!? 目的が何なのか、もっと詳しく教えてもらうぞ」

 

「待て、ち、違うんだ! 最近、バイトの募集してて。服を脱がすっていう!」

 

「なにそれ……」

 

瑠衣はぽかんとした。多分、皆同じ気持ちだっただろう。

何言ってんだこいつ、状態である。あるいはダメだこいつ早くなんとかしないと、という様な。

反応を見た秋賀原は、それはもう必死に弁解する。

 

「ほ、ほら、少し前に人外の力を持つ者が服を脱がして戦う……って事が秋葉原であったろ!?」

 

「そ、それで俺達も憧れて……!」

 

「それでそんなんに応募したのか……」

 

ノブはほとほと呆れた調子で言った。それも多分、皆同じ気持ちだった。

 

「給料も結構よくてね。特にお尋ね者のあんたらを倒せばその報酬は高い。騒ぎを起こせば、あんたらが来ると思ったからな……」

 

そうだとして、室内でどうやって倒すんだあほめ、と思うナナシ。

 

「それに俺が着ていたあの装甲、さ」

 

「あれを一般人が使ってどれほど戦えるか……それを試す為に……金はやるからって……言われてさ」

 

「これが初仕事だったんだ。あ、雇い主の事は何も知らないよ。僕達はただの駒ってわけなのだ! ふははは!」

 

勝てないと分かるや、開き直ってべらべらと良く喋る。

お前金に踊らされすぎだろ、というナナシの一言に、いやまぁかわいい女の子も脱がせると思って━━なんて言いながら、秋賀原は少年の様に顔を輝かせて笑う。

あ、そっちが本音かと、一同は悟った。

 

「最ッ低の大馬鹿ね……」

 

腐ったものを見つめる様な舞那。瀬那も今回ばかりは注意しないどころか、うん、と肯定する始末だった。

更にそこへ来たのは、騒ぎを聞きつけた警官。

 

━━ピピーッ!

笛の音。

そして怒号。

 

「ゴラァ! 公然わいせつ罪じゃコラ!」

 

「えぇぇ!? ちょっ、僕だけ!? あいつら逃げやがって! ああ~っ! 嫌だ嫌だ!」

 

秋賀原は往生際も悪くじたばたしながら、腕を引っ張られ、ズルズルと出口まで連れ行かてしまった。残念だが仕方が無い。冬に真っ裸で警察に連れて行かれたとあれば、彼も深く反省する事だろう。

どこが精鋭だったのだろうか、やれやれと皆その様を見届けた。

 

「瑠衣の言ってたカゲヤシが狩られてるって話は、また別の人達がやってるのかな」

 

ナナシが彼女の方を見ると、瑠衣はう~ん、と言葉を詰まらせた。

あの程度の実力では、とてもカゲヤシと戦えたものではないと踏んでのことだった。だが、バイトの募集だったというのがナナシには引っかかる。もしかして、もしかすると……その募集と黒服は、何か繋がりがあったとしても不思議ではない。

 

「その様な話は……私、初めて聞きましたが」

 

サラが瑠衣に対して目を光らせた。効果音でも聞こえて来そうな程の眼光。

「え、ぁ」瑠衣があたふたと言葉にならない声を上げている時、ノブが「いや待ってくれ」と声を挟む。

 

「でも秋賀原とかいう奴はカゲヤシ並の速さだったじゃないか? あんな奴が何人もいれば狩ることも可能だろう」

 

「まぁスーツがどうとか……」

 

ナナシは言いかけて、何気なくヒロの方を見る。

放心状態で、未だにその場で立ち尽くしたままだ。まさかやっぱり怪我をしていたのではと慌てるナナシ。

 

「ヒロ、大丈夫か!? ……ヒロ? 怪我はないか?」

 

「ぁ、ああ。あいつ、本当にまりあシャツの下に妙なもんを仕込んでやがった……」

 

「お前、何で脱衣が使えたんだ? しかも服と、下に着た装甲を一瞬で脱がすなんて。並の……」

 

「分からない。気づいたらとっさに体が動いてた」

 

……が、そう答えたヒロは、自分自身のその返答に違和感を持った。何とない返しのつもりだった。

そして彼は無意識の内に"脱衣"という単語、それに何の疑問も持たず返答していた事に、はっとした。

 

「……脱衣か。脱衣?」

 

脱衣。

考えてみればみるほど、その単語の意味するところが分からなくなってくる。

考えるまでもなく、当然の如く知っているつもりだったのに、いざじっと見つめてみると、意味が見えない。

 

いつもとは違う様子にナナシは訝しんでいた。そんな彼が持つ"えくすかりばー"が目に入り、

 

「そういえば、なぁ、それ」

 

そうして、持っていた"それ"を指差すヒロ。

 

「え? これか?」

 

「それ、俺のじゃないのか?」

 

「なっ、違うわ! これは自分で手に入れたんだよ。こいつはこの世に一振りしか存在しない、伝説の剣だぞ!」

 

得意げに言うものの、

 

「その伝説というのは本当なのでしょうか」

 

……なんてサラが済ました顔をしながら、エグい突っ込みを入れる。

うっ、と言葉を詰まらせるナナシだったが、「サラさん、この際そこは気にしない方向で」とノブがフォローして話は進んでいった。

 

「一つ? いや、俺も持ってる。間違いない」

 

言い張るヒロは、依然として納得などしていない。そんなわけないって、とナナシは言うが、彼は譲らなかった。ならどうやって手に入れたのかと、ナナシに訊かれれば。

━━何処で手に入れたのかは思い出せない。それどころか、触れた記憶さえはっきりしない。

そんな、あやふやな答えが返ってくるのみだった。

 

「思い出せない。すごく大切な事だった気がするんだよ」

 

「そう言われても。だったら忘れないと思うけどさ」

 

「ちょっとその剣、貸してくれ。少し持つだけだ」

 

「べつにいいけどー」と、どこか不満げに手渡された(つるぎ)

ヒロは柄つかを握る。そして、ようやく確信した。

この感触、確かに握ったことがあると。

そうだ、そして脱衣も……どこかで学んだような。ヒロは思考の泥沼を当ても無く掻き分け、掻き分け、ひたすらに黙考する。

剣をどこで手に入れた、どこで脱衣を覚えたのか……と。そんな時ふと、カフェでナナシから聞いた説明事がフラッシュバックした。

 

『それでさー、NIROに脱衣の師匠がいて、その人に脱衣を習って戦ったんだよね』

 

それからまた、ヒロの頭に声が響く。今度はナナシではない。

女性の声だ。

 

『いいわ、素質があるかどうか分からないけれど、やったげる』

 

 

 

 

『人々は日々、襲われているのです』

 

『そういった事件を防ぐのが我々、そしてあなたのこれからの仕事なのです』

 

「な、なんだ……これ。誰の声だよ」

 

金属の乾いた音がした。それはヒロが、剣を落とした音だった。

その場にしゃがみ込んでいたヒロを、心配そうに見守る自警団。

なんだか分からず、不思議そうに顔を見合わせる他一同。

 

「脱衣、師匠……?」

 

「ヒロ君……大丈夫?」

 

心配したのか、瑠衣が声を掛けた。

瑠衣ちゃん……瑠衣。不思議とそのワードも、ヒロにはどこか引っ掛かった。

キーワードを手掛かりにヒロが考え込んでいると、ふいに彼女の言葉が響いた。

 

『人間なら……死ぬ。けれど、私達なら』

 

『行こう。一緒に!』

 

その声は、酷く懐かしい気がした。実際は、ごく最近知り合ったばかりだというのに。

出会った事自体は最近ではなく、写真を撮った時があるのは分かっている。しかし彼女と知り合ったのは、声を、言葉を交わしたのは、あの時のカフェが初めての"はず"だった。

 

いや。

 

実際にそれが初めてなのかもしれない。この懐かしい感覚はデジャヴで、単なる気のせいなのかもしれない。

 

しかし、何かが引っ掛かる。

 

"気のせい"では済ませられない何かが。

写真を撮った時なんかより更に、もっともっと昔に、"彼女の声を聞いた"という、その感覚が。

自ら過去の曖昧な記憶を辿って、現在の脳内で復元し再現したような、色ぼけた思い出ではない。文月瑠衣という声から直接感じられる、かつての鮮明な感覚。

 

「なん、なんだ……これ……?」

 

「ヒロ君……?」

 

心配そうに覗き込む瑠衣に気付いて、ハッと我に返る。気がつけば皆揃ってヒロを見ていた。

ふと目に違和感を感じた。

手を触れれば、そこから何故か涙が出ている事に気付いて、慌てて袖で拭ってから、水粒を吹き飛ばす犬みたいに、がむしゃらに首を振るって誤魔化した。

 

「ふっ、どうしたヒロ。頭でも打ったか?」

 

するとナナシが冗談交じりにからかう。いつも通りのヒロに対する反応だった。

 

「う、うるせー。ったく」

 

そう言ってみるが、なんだかいつもの調子にはなれない。語尾が力なく萎んで口から出てくる。とてもじゃないが言い合える程の元気は無かった。

しゅんと頭を垂れて、口をつぐむ。まっさらなタイルの床を見つめて、何だったのだろうと思いつめた。まるで、自分の止まった思考を見ている様だった。急に喪失感みたいなものまで胸を襲ってくる。

一体何だというのか。

 

「はぁ、疲れたな。俺はもう帰ろっかな」

 

「何、これからITウィッチまりあについて語り明かそうと思ったところを!」

 

ノブは明るく言うが、やはり、ヒロの気は晴れない。

 

「また今度な」

 

「そうか? うーむ、残念だな……」

 

ノブも調子崩れに腕を組む。

自警団一同がヒロに挨拶をして見送る中、サラは一人心配そうな顔をしていた。彼女はヒロの様子を見て、妙な胸騒ぎに襲われていたのだった。

 

それから少しして。

息を切らせて此方へ走ってきたのは、霞会志遠。

 

「お待たせ! 奴らは!?」

 

「お、名物社長さんじゃないか」

 

ノブは嬉しそうにガッツポーズを見せて迎えた。結構彼女を気に入っているらしい。

名物社長の方はというと、顎に手を当てて周囲を見渡しながら、んー、と残念そうに唸っていた。

 

「どうやら、一足遅かった……みたいね。何があったのか、詳しく聞かせてくれるかしら?」

 

「んじゃあ話ついでに、志遠さんも一緒に店でも周ります?」

 

「あら、いいわね。そうしましょうか!」

 

ノブの一言を快諾する社長。

ナナシは密かに、いいんだ、とか思っていた。またタイムオーバーして、SPに引きずられていく未来が見える。

 

「この人って……?」

 

「あ、ナナシ君のお友達? 私は霞会志遠っていうの。よろしくね~」

 

首を捻った鈴の、低い背丈に合わせるようしゃがみ込んで……にこやかに微笑み掛ける志遠。

丁度隣に居た瑠衣も、文月瑠衣です、と笑顔でぺこりとお辞儀をする……志遠はその姿を見て、目を光らせた。

彼女のか細い肩をがしぃっ、とがっちり両手でロックして見つめる志遠。

 

「あらぁ!? あらあら!? なんてかわいい子なの!」

 

「ぅえぇ!?」

 

「すごーいスベスベの白い肌……、美白乳液とかつけてる?」

 

いつのまにか、にこやかに瑠衣の頬を両手ですりすり触る志遠。彼女も突然の事に動揺して、口をあわあわさせていた。瑠衣はこの目に似たものを以前見たことがあった。

……サラさんだ。彼女の様に、にこやかに獲物を狙っている目。

 

「にゅうえき? そ、そういうのは特には……」

 

「かわいいわ~なんてかわいいのかしら! さっきのあなたもかわいい!」

 

鈴にビシッと指を差す。

 

「えぇ! 私ですか!?」

 

「そこのお二人も!」

 

バッ! と急に身を反転させて、ダブプリの方を向く志遠。

ダブプリの二人が叫んだ頃にはまた場所を変えていた。

 

「あらぁこちらはダンディなオ・ジ・サ・マ」

 

今度はマスターに肉薄して、マスターは居場所が悪そうに一つ咳払いをした。

 

「すごいわぁーこんなに美しい方々とお友達なのね! 私美しいって大好きなの!」

 

ナナシがふと視線を移すと、瑠衣がぶるぶると身体を震わせていた。

やはり、女社長とあの時、関わりを持ったのが運の尽きだったかと……後悔の念にさいなまれながら、なんなんだ、と小さく呟いた。

 

「なんなのかっていうと、CEOだね……」

 

それは聞かれていたようで、ゴンのマジレスが飛んできた。そうには違いないのだが……

 

「メイド姿のあなた! 高貴な気品が溢れ出ているわね!」

 

「はぁ、そうでしょうか」

 

未だ暴走し、息巻く姿を見る限りやはりCEOとは、にわかには信じがたい。

彼女はしばらく止まりそうにはなかった。

 

━━そんな一同から距離を離し、人影から彼等の様子を伺っている者が一人。

瀬嶋隆二。

 

「ふん、なるほどな……なかなか面白い。この機会、最大限に利用させて貰うとしよう」

 

「私はまだ夢を諦めずに済むようだよ……北田」

 

不敵な笑みを浮かばせ身を翻した瀬嶋は、羽織ったコートを悠然とたなびかせ。屋台で買ったアメリカンドッグ片手に、その場を後にしていった。



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05.覚醒する力

交流会は終わった。

瑠衣とナナシを除き、皆既にUD+を後にしていた。今頃、自警団メンバーはアジトでお茶でもしているに違いない。それ以外の人達は皆忙しいのだろう。鈴はどうだか、微妙な所だが……

 

夕焼けの下、UD+は人通りも無く、そこに居るのは文月瑠衣とナナシの二人だけ。

歩道橋にたたずむナナシはそれとなく、日の落ちかける空を見ていた。

そうして柔らかな夕の日差しに包まれていた中、

 

「……もう、クリスマスなんだね」

 

ふとそんな瑠衣の声が聞こえて、そちらへ振り向いた。

彼女が白い息を吐いて、感傷に眺めていた視線の先。UD+ビル入り口の、丁度手前。高さ10m程のクリスマスツリーを感慨深く見上げていた。

まだツリーのライトアップというには時間が早すぎるのもあって、何も光を放ってはいない。が、それでもクリスマスシーズンなんだという実感は充分にさせてくれる。

クリスマスイブまで、あとほんの数日。

 

俺にはクリスマスイブなんて関係無い話だったなぁ、なんてツリーを見ながらにナナシは漏らす。

とはいえ……それも今までの話。今年は違う。全然違う。

何故ならば文月瑠衣、彼女が居る!

……のだが、

 

「クリスマスなんて中止だ中止」

 

といつもの癖か、口を突いてそんな言葉が出てしまう。

いや、癖というのもあるが、彼女が居るとはいえそこからどう誘えば良いのか分からないあまり、何時もの決まり文句(テンプレ)を言ってしまった、といったところ。

 

「クリスマスはあんまり、って感じなのかな? ナナシって、冬自体は好き?」

 

「冬なんてそんなにいいもんじゃないさ。ゲームは手が冷えて実力を思った程出せないしね! あとプラモデルは塗装する時塗料がすぐ乾かないし!」

 

「そっか……そうすると夏が良いのかな?」

 

「夏なんてそんなにいいもんじゃないさ。PCの廃熱がえらいことになるし! ヘッドホン蒸れるし!」

 

「えっと」

 

言ったっきり、彼女は困り顔。

少しして、

 

「ごめん、良く分からなかった……かも」

 

「……いいんだ瑠衣。何も悪くない」

 

そう? と彼女はぽかんとして見ていた。

またいつもの自警団のノリで話してしまった。悪い癖である。

こういった話をするより、もっと別の話題があるはずだった。というか、まずクリスマスの話に戻さなければならない。

 

「そ、そういやクリスマスの話だったかな~なんて」

 

「あ。……そうだったね」

 

「クリスマスか……。ナナシはクリスマスなんて関係無い話だったって、言ったよね。……実はさ。私クリスマスなんて、まともに祝えた事無くて。だから私ナナシと一緒かも」

 

全然一緒じゃないよ、と思うナナシ。

口には出さないけど。

 

「だから今年は自警団の皆と過ごそうかなって。鈴達も呼んで、さ。きっと楽しいと思うんだ! あ、……中止じゃなければ、だけど」

 

彼女にそんな事を言われたら、中止だなんて言える訳が無い。それに、なんだかんだ中止だーと言いつつ、毎年聖夜で中止決起という名のお祭り騒ぎをするのが……自警団流。ならば今年は全力で彼女の楽しい思い出作りに尽力するのみだ。ただ本当は━━

 

リア充よろしく聖夜デートに誘いたい。

しかし。

瑠衣、クリスマスは二人で過ごそう! なんて真面目な顔で言えるたちじゃなかった。

瑠衣をからかったりはするけれども、どうもそういうのは弱い。

 

……ならば! さりげなく言って彼女を気付かせるのみ!

 

「瑠衣、クリスマスは恋人とデートする日でもあるらしいぜ!」

 

……と、爽やかに親指を立てて言った。なんて自然な導入なんだ。

 

「そうなんだ。ナナシってやっぱり物知りだね!」

 

「そうかな!?」

 

と言って、それからナナシはじっと次の言葉を待ったが、その分だけ沈黙が続いた。

……自分から次の言葉を言うべきなのかもしれない。…………いやでも、言えない。

それがどうしたの? みたいな顔で首を傾げながら、にこにことこっちを見ているのだから……言えない。

 

「うぁああぁあああああ!」

 

「えぇ!? な、ナナシ!? どうしたの!?」

 

「……なんでもない」

 

「……なんでもないの? ……そんなことはないよね?」

 

「ほんとだよ。なんでもないんだ。俺には何も無い。何も無いんだ」

 

「ナナシ……? どしたの……?」

 

勿論、自警団で過ごす事自体が不本意というわけじゃない。

しかし、もしかして未だに瑠衣は……自身を"ただの友達"としか……認識していないのでは? という疑念が今湧き上がって来ているわけで。

……だとしたら少ーし残念。

 

否、戦慄せずにいられないだろう。

今まで彼女を追っかけ回してきた結果がこれだなんて。全く、彼女は掴み所がない。

もしかしたら文月瑠衣は、恋人の定義を知らないのかもしれない。きっとそうだ。定義を知れば、あらやだ私達って恋人同士だったのね!? と……ならないだろうか。

スマホを取り出し、"恋人 定義"でググりながらも、途中でナナシは諦めた。なんでこんな事をしなきゃならないんだ。ショックのあまり、意味不明な行動に出ているじゃないか。

 

……ナナシは納得した。今まで通り自警団で騒いでいた方が、自分の性に合っているよな、と。

ツリーなんてもう目もくれずに、素っ気無くその場を離れようとした時……

 

「いやぁ、お二人さん」

 

野太い声を突然掛けられたかと思えば、そこには一人黒いスーツ姿の男が佇んでいた。

その見た目は筋骨たくましく、スキンヘッドに、それと伸びた口ひげ。スーツはまともに着ているわけではなく、かなり着崩している。

一瞬、某玉集め格闘アニメのナ○パみてえなヤツだ、とナナシは思いかけたが、このような出で立ちはSPやシークレットサービスでも良く見そうなイメージだ……スーツを着崩している以外は。

ともあれこの秋葉原では、かなり浮いている出で立ちである事は間違いない。

 

「……何か?」

 

「お前を始末しに来た、のさ」

 

「さいですか」

 

 

 

 

「変な冗談を━━」

 

丁度それは瑠衣が言いかけた時だった。

黒服はおもむろに何かを持ち出した━━それは、刃部分だけが全く無い剣。と思えば、金属音と共に、鍔から瞬く間に刃が伸びてきた。

 

(なんだあれ? 展開式の……剣?)

 

ナナシとしても見たことはない装備だが、武器である事は一目瞭然。そしてそれが、男がこれから何を成そうとしているのか、その意思を示す何よりの証左。

 

「ふぅん。本気みたいだな」

 

ナナシは面白くなさそうに腕を組んだ。

思えば、先程からこのUD+には人通りもない。意図的に封鎖されているのだろうかと、ナナシの頭に疑念がよぎる。

だが、そんなことをたらたらと考えている暇も、無さそうだった。

 

「やるしかないようだ。俺に任せて、瑠衣は下がっててくれ」

 

「……うん、分かった」

 

瑠衣は従いつつも、彼女の慈悲深さ故か、怪訝の面持ちで大男へ尋ねた。

 

「本当に、戦うつもりですか?」

 

「そりゃこっちのセリフだ……。逃げなくていいのか?」

 

男は余裕綽々といった様子で口元を歪めている。その挑発を受けたナナシは、特にこれといった反応を示す訳でもなく━━ただ淡々として、大した自信だな、と言うに留まった。

すると尚、男は訊いてもいないのに得意げに語りだした。

 

「当たり前だ。俺はお前とは全く別次元のパワーを手にしている━━」

 

しかしナナシに遮られ。

 

「あまり語るな、弱く見えるぞ?」

 

「そうかい。……なら力を持って分からせてやるよ!」

 

 

━━来た。

 

男が跳躍し、剣をナナシに振り下ろした。それを避けるも、次に男の足蹴りが来る。

とっさに剣で防ぎ、大きな金属音が響いた。

剣で防いだはいいものの、防いだ剣を通って身体に、打撃の強い衝撃が伝わってくる程のパワーだった。

二人は一旦距離を取り合い、互いに構えて見合う。

 

「反応は良いじゃねぇか? そのまませいぜい楽しませろよ!」

 

「なんて力だこのおっさん!? どうやら強いのは加齢臭だけではないという事か……」

 

「ほっとけ!」という男の言葉が飛んできた。男は気を取り直して、にやりと自信を滲ませながらに言った。

 

「…………驚いたか? これが"紛い者"の力だ。カゲヤシってのを戦闘用として強化した、新しい力さ」

 

それを聞いて、悪戯に笑みを浮かべる。

 

「カゲヤシ? ならあんたも脱がせば灰になるな」

 

強化だろうがなんだろうが、服を脱がせば結果は同じ。灰になる。

ナナシは臆する事なく、そうしてからかってみせた。

 

「脱がせられればな━━!」男のその言葉を聞いて、今度はナナシが地面を蹴って襲い掛かった。

 

それから二人の剣と剣は絶え間なくぶつかり続けて、金属音が連続してUD+に響き渡っていった。

仕掛かけたのはナナシ。だが結局の所、押されていたのはそのナナシ自身。

 

強い、こんなはずは。

剣を交えながらも……男が持つ未知の力に、ナナシは思わず舌を巻いていた。

 

「さっきまでの余裕はどうしたぁ!?」

 

大男の煽りが飛ぶ中。

ナナシは焦る意識を持ち直すと、これまでの形勢を押し返す様に、力強く、右足を踏み込んだ。

 

「確かに強い……だが!」

 

ナナシは男のわずかな隙を見た。その一瞬の内にズボンを脱がし、さらに腕は上服を捉えた。

その全てを脱がすことは叶わなかったものの、スーツの上着は引き剥がされ、Yシャツが露出した。慌てて大男は剣を振り乱し、また互いの斬り合いに発展する。

男を守るものはシャツ残り一枚。

 

「ええい! いい加減もう脱がされとけよな! ━━っと!?」

 

男の斬撃が首元に襲い掛かる。

ナナシは咄嗟に、それを剣で捌いた。それからも容赦なく剣が次々に振るわれ、ナナシはそれを辛くもかわしていくが、次第にそれは苦しくなっていった。

 

「っらァ!」

 

大男は吠えて、力任せに剣を振り上げた。ナナシはどうにかこれを剣で受けたものの。

男のとんでもない怪力によって、鋭い金属音と共に剣は退き払われ━━そして衝撃によってナナシの身体は後ろへ押し飛ばされた。

彼は自らの脚を地面に叩きつけ接地し、ブレーキをかけると共に体勢を立て直そうとする。

 

「こんのぉ……!」

 

いくら歯を食いしばろうが、その意に反して足元は摩擦音を上げながら滑っていった。

馬鹿力、それも渾身の一撃をもろに受けてしまっただけに、急には止まれないほどの力が身体にかかってしまっていた。

 

━━俺の血の効果が切れ掛かってるのか? いや、そんなんじゃない……

男の圧倒的なパワーに思わず自問自答する。己の力が著しく劣化しているのかと、勘繰りたくなってしまう。

だがナナシには薄々分かっていた。これこそが、カゲヤシを超える力なのかもしれないと。

って、だとしたらめちゃくちゃ強いじゃないか! いい加減にしろ! と心中で嘆かずにはいられない。

 

ただでさえ瑠衣の目の前で"俺に任せろ"とかカッコつけたのに、ここで負けたらただのヤムチャしやがって状態に終わるじゃないか、なんて……彼の脳裏に、瑠衣の冷めた視線が浮かび上がる。考え様によってはご褒美だけども、この状況に限って言えば、それは御免被る。

 

「ふん、やるじゃねーかおっさん! だがその強さ、俺の勝利に華を添えるだけだと気付━━━━!」

 

自信に満ちた表情で剣を握りなおすナナシ。

……が。

 

「ぐわぁ!?」

 

それはすぐに、叫びと共に向こう側へぶっ飛んで行った。

先程の足をとられた硬直を狙って飛び蹴りが入り、今度は体勢を立て直せないほどの勢いで吹っ飛ばされたのだ。

 

「ナナシっ? 大丈夫!?」

 

心配する瑠衣の声が聞こえた。

……よろりとなんとか立ち上がれはしたものの、痛みはナナシの己が身に響き渡っていた。

驚異的な回復力を備えるカゲヤシだってスーパーマンではなく、痛いものは痛い。

それでも、再び立ち上がる程度の根性を彼は持ち合わせていた。最初路地裏で、優に脚蹴りにされた時だってそうだ。

とはいえそんな彼でさえ、

 

「いっ……いってぇ~……」

 

と、ついつい泣きの一声が口を突いて出てしまう程、強烈な一撃。

 

「タフだな」と、大男はあくまでそんな頑丈さに目を見張っていたが、そんな言葉を聞いて、全くもって不快感を露にさせながら、あのなぁ、と不満を熱く爆発させた。

 

「当たり前だろう!? 間違っても加齢臭のおっさんになんてやられたくないだろ……!」

 

「こ、こいつ……いちいち一言多いヤツだな……」

 

が、ついに糸の切れた人形よろしく、どさり、とその場に倒れこんだナナシ。

 

「っておい、結局倒れてるじゃねーか。へっ」

 

「これで"全力"とは。つまらん。つまらんぜ……もう少し楽しめるかと、思ったんだがよ。へへへ」

 

「ナナシ……!」

 

瑠衣は駆け寄るなり、その場で身をかがめ、うずくまっていたナナシを抱きかかえた。

彼女が仰向けになっていたナナシの顔を上げ、心配そうに見つめると、彼は息も絶え絶えながら口を開いた。

 

「る、瑠衣……逃げろ……。こいつめっちゃ強いすぎる……あ、まてよ? もしかしてこれって負けイベントなのかも……」

 

とかなんとか。

朦朧とゲーム脳思考を展開させている内も、彼女は必死だった。

 

「嫌だよ。……ナナシを置いて逃げるなんて事、できない!」

 

「それなら、私が戦って灰になったほうがマシ……!」

 

「ば、馬鹿言え。それじゃもうprprできないじゃんか……」

 

「君を見捨てるくらいなら、馬鹿でもいい」

 

凛々しい声だった。

そして彼を見つめる真っ直ぐな瞳。なんて出来た優しい娘なのだろうと、父並の感動をナナシは抱いた。それはともかく……

彼女はそれから抱きかかえたまま、何かを思いついた様にはっとすると、意を決して提案した。

 

「ナナシ、私の血を使って。あの時の……瀬嶋の時みたいに!」

 

つまり、自らの血を吸えと。無論彼女の負担もあろうが、それで上手く行くのなら、という彼女らしい提案だった。

それを聞いたナナシは目を細めて、静かに彼女の名を呼ぶ。瑠衣はきっと快諾してくれるのだろうと思ってか、嬉しそうにうん、と返事をした━━そんな彼女を見据えたナナシは、

 

「……そいつは駄目だ瑠衣」

 

諭すように真面目な声で言うものの。

瑠衣はそんな彼を心配しているからこそ、納得などはしない。人を想う力の強い瑠衣だからこそ、それが誰かの為ならば尚更……だからこそ、彼女は必死に説き伏せようとする。

 

「確かにまた血を飲んだりしたら、今度こそ本当にカゲヤシになってしまうかもしれない。でも、もうそんなこと言っている場合じゃないよ」

 

人が血を多量に摂取すると、カゲヤシの状態が定着し、人間には戻れなくなる……

彼女はそのせいで渋っているのだと勘違いしていた。違うんだ、とナナシは否定する。

 

「瑠衣の負担が大きいからだ。やるわけにはいかない」

 

「私は平気!」

 

瑠衣は胸に手を当てて、そう、すがる様に語りかけた。

しかしそれから…………

 

彼女は何を思ったか、少し考えた様子を見せてから……今度はあっけかんとして言った。

 

「━━あー分かった! それともっ……ナナシ、やるのが恐いんだね?」

 

なんとかして説得しようとするあまり、彼女は手段なんてもう、なんでもいいやと思った━━のかは定かではないが━━とにかく瑠衣は、そうやってわざとらしくはやし立て始めた。

 

「……なにィ!? んなわけあるか!」

 

急に何を言い出すんだと、ナナシも案外簡単に食って掛かる。そしてこれを見て手応えを実感した彼女。

もしかしてナナシって結構単純なのでは、と思った瑠衣はもう止まらずに、人差し指を天に突き立てながら、どんどんと煽っていく。

 

「ほらやっぱり恐いんだ。キミってば、弱虫なんだ! 意気地なしだったんだねっ!?」

 

「な、なんだと!? もっと言ってくれ━━じゃなかった俺は怒ったぞ!」

 

「き、キミが怒っても全然恐くない! 恐がり屋なナナシなんて大大大嫌い!」

 

つんのめるように身体を強張らせて言うと、ちょっと言いすぎたかな、なんて後悔の念が差してきた瑠衣だった。

しかし彼女が謝る暇も無く、ナナシはナナシで瑠衣の両頬を引っ張っていた。彼女はほんのりと涙目になった。

 

さっきから何やってんだこいつら、と傍観していた大男もほとほと待ちきれなくなる。あのー、と男が控えめに声を掛けた時だった。

 

「やってやる! 見せてやるぜ俺の力をなァ!」

 

ナナシが立ち上がって拳を振り上げ、力震るわせながら大男へやけくそに叫んだのだ。

彼がそんな少々小物臭い台詞を叫んだ所で……横から瑠衣が背を低くして、小恥ずかしげに覗き込んでいた。

 

「な、ナナシ……」

 

「なんだよ?」

 

そのポーズのままに、あくまで彼女の側へ振り向く事は無い。それはまるで子供がふて腐れたみたいな態度だった。

瑠衣は先程とは打って変わって優しく、ありがとう、と小さくささやいた。

そうすると彼は相も変わらず、ぷいと顔を背けたままだったが━━少し照れ混じりに、じれったくこう言った。

 

「ええい、はよ血を飲まさんか!」

 

 

 

 

それから少しして、

 

「ったく……はやくしろよ……俺は子供の喧嘩を見に来たんじゃ……」

 

大男がやり切れないといった様子で俯きながら、毛のない頭を世話しなく掻いていた所だった。

 

「……お!?」

 

不意に顔を上げた男は二人を見て驚愕し、直後、閃光に目を細めた。それから光は徐々に収まり、少しづつナナシの姿が見えていく。

疲弊から思わず崩れ落ちた瑠衣は、ナナシの姿を見上げて嬉しそうに言った。

 

「ナナシ……! ついになったんだね……!」

 

彼の身体の周囲を青白い稲妻が走り抜け、閉じていた目をゆっくりと開いた。青く光るその瞳が、普段のナナシのそれとは違う……鋭い目つきで男を捉えていた。何も言葉は発さず無言であろうとも、その姿は確実に、対峙する男を静かに威圧する程の気迫であった。

 

(俺は……あの時と同じようになったのか)

 

瞬間的に血を多量摂取することにより、一時的に手に入る莫大な力……

手にするのは……それは"あの時"、オフィスビルでの戦い以来。

 

今ナナシは、様々な感覚に襲われていた。

莫大な力を手に入れた安心感と、高揚感。そして、不思議なほどの自我の落ち着きと、それに反して血の本能か、腹の底から湧き上がる怒りにも似た闘争心。感覚が複雑に混ざり合い、自分でも何がなんだか分からない。

ただ、一つ……負ける気はしないということが、はっきりと自分でも分かることだった。

 

 



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06. その名は紛い者

「待たせたな……これが俺の"全力"だ!」

 

「へ、へへ……こいつは派手な見掛け倒しだな坊主。どんな子供だましか知らねーが……!」

 

「ふん……分かるまい。お前には……この俺の、身体を通して出る力が!」

 

「身体を通して出る力……? そんなもので、この俺が倒せるかよ!」

 

男はナナシへ走り、大雑把に剣を振り下ろした。が、しかしその豪速の刃はナナシの頭上で急に大人しく、ピタリとその勢いを失った。振り下ろした丸太の如き前腕がいとも簡単に、ナナシに掴み止められていたのだ。

 

「!? くそっ、離せっ……!」

 

驚異的な握力に掴まれた腕がメキメキと音を上げ、たまらず男は剣を落としてその場にしゃがみ込む。

 

「ぐおぉぉ!?」

 

「ぬふふ。どや、この力伊達ではあるまい」

 

ぱっと手を離したナナシは自然と口角が緩み上がり、非常に満足げなドヤ顔で男を見た。

ナナシ自身としてもやはり見違える程のパワーアップに、先程自身が追い詰められた相手と戦っているにも関わらず自然と余裕の笑みがこぼれてしまう。元々血の相性がこの上なく良いのもあってか……大量摂取によって、身体能力は尋常ならざる上がり幅で強化されている。

 

この力、"あの戦いの時"と同じ。

 

妖主の血を得た、あの瀬嶋を。

更にNIROの科学技術によってコーディネートされ、手に入れた血の力を最大限引き出していた、あの瀬嶋隆二を。

更に更に上回った、凌駕した、この力。

 

「ふ、ふざけんな。こいつ……!」

 

余裕の表情を見た男は威圧と受け取ったのか、冷や汗を垂らしながらもそうして吠え、立ち上がると、今度は全身に漲る力を右腕に集中させ、文字通り全力の元に殴りかかる。ナナシもあえて力を試す為に拳で答え、双方の拳と拳はぶつかり合った。

 

━━結果的にナナシの側が僅かに力負けをして、拳で壁まで押し飛ばされる事となった。これでも純粋な力では、まだ相手が少しばかり上の様だった。

しかし吹き飛ばされる中、ナナシは冷静に相手を見据えていた。

男がミサイルの如く一直線に迫ってきている。壁に叩きつけられた所を追撃するつもりだ。

 

「死ねぇ!」

 

唸りを上げた拳がコンクリートの壁をいとも容易く粉々にし、粉塵が舞い上がった。実は内心焦っていた男もようやくほっとして、思い切りに高笑いを挙げた。

 

「わはは! 見たかァ! この俺の力こそパワー……」

 

「あのー……満足?」

 

そんな中、唐突に耳元で呟かれる。それは他でもない、壁ごと粉砕したハズだったナナシの声。

 

「何ィ!?」

 

と、思わず飛び上がる程に驚愕し、絶叫する大男。

さっきからここに居ますけど、とジト目で睨みつけるナナシを見て……男の顔はみるみる青ざめ、戦慄し、恐怖した。ナナシは壁を蹴り、男の拳をすれすれで避けていたのだ。

 

「おらおらぁぁぁぁぁぁ! 脱がすぞおぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

「ひいぃぃ!? 来るなぁぁ!」

 

男が追い掛け回される様を、突っ伏した瑠衣が困惑しながら見つめていたのは言うまでもない。

 

 

 

 

ナナシは見事勝利した。とはいえうっかりあの男を逃がしてしまったのは、手痛いところであった……あの様子では、次来る事もなさそうなのだが。

 

「さて帰るか瑠衣……む?」

 

とナナシの元に新手が三人、現れていた。黒いスーツに身を包んでいて、彼等が先ほどの男の仲間である事、そして、であれば今すぐにでも襲い掛かって来るであろう事は明らかだった。

まずは一人だけ向かわせ、実力の程を試していたのだろうか。

 

新手の三人は言葉も無く、防刃グローブをつけた拳を静かに構えた━━と、その直後、一人の黒服が脱げ、その身が炭化していった。

 

『うわぁぁ!? 熱いィィ……!』

 

それを見た仲間の二人は見回し、当惑の声を上げた。

 

『な、何だ?』

 

先程までナナシが居たはずの場に彼は居ない。高速の一撃離脱でナナシが仕掛けたのだ。

敵である事がほぼ確定な上、拳を構えるという戦闘意思を示した以上、それならばさっさと先制をするに限るというわけで━━尚も動揺している二人に再度、間髪いれずに接近する。

ナナシは超速の元、ジェット機の如く鋭く空を切り裂いて肉薄したのち、通り過ぎざまに片割れの男の上服を剥がした。

 

『くっ!? な、なんなんだ!? どこ行きやがった!』

 

『おい、よく見ろ! 撹乱されるんじゃない!』

 

Uターンし、再度半裸の男の下服を狙うが、今度は避けられ、もう片方の男の蹴りを食らう。その信じられない程重い蹴りにナナシは苦痛の声を漏らし、口元を歪ませた。

一旦、間合いを取って仕切り直すナナシ。

 

(こいつらも……強化されたカゲヤシって奴か……!)

 

「ナナシっ! 大丈夫!?」

 

「大丈夫だ瑠衣! 任せろ!」

 

『油断するな! 仕掛けるぞ!』

 

『いや待て、俺がやる! 服の借りを返してやる……!』

 

ナナシが体勢を立て直す前に二人は迫る。半裸の男がナナシの上着に手をかける。バックステップでその手から逃れようとするが、逃げ切れない。上着が脱がされる。続いてシャツが脱がされ、日の下に晒された上半身が熱くなった。

覚醒した瀬嶋との戦いを思い出す程、今まで戦ってきたどの相手よりも大分強い上に……既に彼の増幅されていた身体能力のピークが過ぎようとしていた。早くも余剰に手に入れた力のツケが、疲労が、回ってきていたのだ。

くそ、とナナシは吐き捨てた。

残りの下服に手が掛けられた。ナナシは苦し紛れのカウンターストリップで、逆に半裸の男の下服を脱がし返す。

 

『嘘だろ? 畜生……! こんな……! ガキにぃ!』

 

これで一人は塵となり無力化したが、カウンター直後のナナシは隙だらけだった。続いて来るもう一人の脱衣は、どうしようと避けることは出来ない。

 

『死ねぇ!』

 

まずい! 終わる……! こんなところで━━

南無三。ナナシが天に祈った、そんな時だった。

 

突如、男が驚きの声を上げたかと思えば、その上半身は裸になっていた。

そして男の背後から上服を持ち躍り出た、見覚えのあるあの男━━それは、安倍野優。

一瞬思考が遅れたナナシだったが、今だナナシ、という優の声にはっと気を持ち直すと、すぐさまナナシは男の足を払い、一瞬の内に下服を脱がした。

 

『な、そんな。こんな……下位互換というべき存在に、やられるとは……!』

 

『襲撃は失敗だ。封鎖に当たっていたものは撤収しろ……!』

 

男は耳の通信機に手を当ててそう言うと、その言葉を最後に彼の身体は塵となり、消えていった。

ナナシが「下位互換で悪かったな」と立腹して、ふと気付けば、自らの身体から青白い閃光は消えていた。時間ギリギリだったらしい。

それからナナシが自身の衣服とえくすかりばーを回収していると、優が言った。

 

「おい、早いとこ俺らも逃げた方が良さそうだぜ?」

 

「ん、ああ。ところで優」

 

「あ?」

 

「……、その、なんだ。ありがとな」

 

「けっ、んなこと言ってる場合じゃねえよ」

 

優は言いながら、周囲を警戒するように辺りを見回していた。照れやがって、とナナシは静かに笑った。

 

「瑠衣、立てるか?」

 

「う、うん」

 

ナナシは肩車で瑠衣を立たせる。瑠衣も、立ち上がるのがやっとといった様子だ。

 

「兄さん……無事だったんだね。良かった」

 

「ほんと優お前、死んだかと思ったぞ?」

 

「勝手に殺すんじゃねえ……! つか、こんなことしてる場合じゃねぇだろ。さっさと逃げんぞ!」

 

 

辺りはもう暗くなっていた。三人は、夜道の冷えたアスファルトを蹴っていく。

ナナシ自身が秋葉原の事件に巻き込まれることの発端となった、瑠衣と優、この二人。ナナシと深い繋がり、因縁を持つ二人だ。

それが今では三人で共同の目的の元、こうして動いていることにナナシは奇妙な感覚にとらわれつつも、とにかく今は逃走と周囲の警戒に集中することにした━━

 

 

 

 

━━UD+

 

『飴渡チーフ、逃げられたようです』

 

黒服に"チーフ"と呼ばれたオールバックの男。

スーツにオールバック……とは言えば聞こえは良いが、彼も戦闘員であり、きっちり身なりを固めた紳士というわけでは無い。額の生え際から二、三の前髪が飛び出ていて、あくまでとりあえず邪魔だから、まとめただけ……といった所であろうか。整えられていない顎ひげもそれを示していた。

チーフは黒いレザーの手袋に挟まれた安煙草を吹かし……そうか、とドスの利いた声で短く言いながら、サングラス越しに歩道橋の向こうを睨んでいた。

 

「まだ標的がいるかもしれん。周囲を封鎖し、俺達で可能な限り捜索するぞ。ここにあるカゲヤシの本拠は引き続き、他の者に見張らせろ」

 

『ハッ!』

 

敬礼と共に締まった返事を返して、黒服達は一斉に捜索へ走り去って行く。

チーフは見送って安煙草を捨てた……そして、それは間もなく革靴の底にじりじりと、にじり潰された。

 

「……次は俺が相手をしてやる」

 

チーフは恨めしげに目を細めた。

 

 

━━駅前

 

逃げていく最中、ふとして瑠衣は、優へ尋ねた。

 

「兄さん、捕まって……連れて行かれたの?」

 

「あ? あぁ……気が付いたら変な実験室みてぇな所に……」

 

「ハハ、無事なようでなによりさ……」

 

そう言うナナシは、フルパワーで戦った反動か酷くげっそりとしていた。

少なくとも、あの優が珍しく「お前、大丈夫か?」なんて声を掛けるくらいには。

 

「余裕、余裕……」

 

そんな言葉とは裏はらに、明らかに力ない声だった。

ナナシとしても、がくりと頭を垂れればそのまま液状にでもなってどこかへ流れ行ってしまいそうな程に、ああ重だるいというのが正直な心境。

なんと繕おうとばればれなのか、顔を覗き込んで見た瑠衣が「……大丈夫じゃないよね?」なんて疑るような眼差しと共に突っ込んでいた……

 

それから少しして、三人が秋葉原駅の高架下に差し掛かった時だ。先頭の優が物陰に走り込み、壁に背を叩きつけて張り付いた。向かいの様子を伺っている……何かを察知したようだった。

 

「ちっ、やべぇな。追っ手が俺らを探してやがる」

 

そっと……後の二人もくっ着いて、そちらへ覗き込んでみると……なるほど優の言う通り、目の前のそこかしこを黒服が巡回している。そして恐らく、自分達の後ろから追っ手が来るのも時間の問題。

三人の逃走経路は潰されていたのだ。

瑠衣とナナシが疲弊している今、頼りになりそうなのは優しか居ないというのに、相手は何人も居る上にそれも強化カゲヤシだったりしたら、正攻法ではどうあがいても勝てっこない。

「なんとか突破できないかな……」そんな言葉を漏らした瑠衣を見て、ナナシは得意げに告げた。

 

「まぁ、まだ希望は残されてそうだぞ」

 

ふふん、なんて鼻息が聞こえて来そうな面だった。優は、何だコイツ、といったみたいに奇妙なものを見る目で訝しみながらも、「何か考えでもあんのか?」と━━問い掛けた丁度その時だった。

高架下の道路を通って、三人の目の前に白いミニバンが止まった。運転席のドアが開く……顔を出したのはヤタベだ。

ナナシが逃げる途中に、予め逃走の足としてメールで呼び出していたのである。勿論タネ明かしは自分の見せ場の為に取っておいた……これにより優は一目置くし瑠衣はきっと自分に惚れ込む。これには我ながら天才かもしれない、とナナシは自画自賛した。まぁただの人頼みなのだが。

 

「こういうことか。少しは役立つじゃねぇか」

 

(君達! 早く乗るんだ!)

 

ヤタベが小声でそう急かした。

三人はすぐさま後部座席に乗り込み、ミニバンは発進した。

 

「ひぃ~、危なかったねぇ君達。いや、まだ全然油断はできないね」

 

「このまま大通りの車列に紛れ込もう。うっ、赤信号とはまたこんな時に……」

 

車内が緊張に包まれる中、ヤタベは言う。

 

「皆身を屈めて、窓から見えないようにしていなさい。……おぉ。いるいる……いるねぇ。こんなにひやひやするのも久々だ」

 

とはいえ少年のようにどこか楽しげなご様子。しかし他一同は気が気でないわけで、その発言にむしろひやひやするぞヤタベさん! とナナシも胸の内で嘆きながら、ひたすら見つからない様に俯き続ける。それから車は再び発進し……

しばらくしてヤタベがもう大丈夫だ、と伝える。三人はひょっこりとウィンドウ越しに顔を出した。━━場所はマスターのカフェだ。

 

ナナシと瑠衣はヤタベに礼を言いながら、カフェ前に降り立った。

 

「ここまで来れば大丈夫だろ……」

 

ナナシより一足先に降りていた優は、心底だるそうな様子で頭を掻いた。元々こんな感じの奴だからな、などと言えば殴られそうだが、幽閉の後ようやく開放されたのだからと思えば、無理もない。

 

「悪いことは言わないよ。念のため、マスターのカフェに泊まっていくといい」

 

三人は見送るヤタベに改めて感謝しつつ、カフェへ向かう。

 

「しかし、こいつはやべぇぞ……またいつ何が起こるか分からねェ。お袋にも連絡して、身を隠すように言わねえと」

 

「優、一体何なんだあいつら」

 

「俺が知るかよ。とりあえずとんでもなくつええ……」

 

「……んなことよりよ、ナナシ」

 

「うん?」

 

「お前は昔俺達を狩る側だったが、これで同じ狩られる側になったって訳だ。今までのようにはいかねェぞ」

 

「……気をつけな」

 

捨て台詞を最後に優は瑠衣から鍵を拝借し、一人さっさとカフェの中へ入って行った。

 

 

 

 

「狩る側から狩られる側へ……か」

 

カゲヤシ末端の最精鋭と言われる親衛隊、眷属の中で単体では恐らく最強クラスであろう優、規格外の力を持つ覚醒した瀬嶋……ナナシはその全てを倒し、打ち勝って来た。

が、ここに来て新たな強敵。それも人数は数多く。

今回はなんとか瑠衣の力を借りて勝ったが、次からはどうするのか。どうやって瑠衣を守るのか。ナナシは考えた。

 

……やはり、自分自身を今一度見直さなければならない。

己の壁を破る時が来たのだ!

 

「なぁ、瑠衣」

 

「なぁに?」

 

「俺、師匠に会ってみる」

 

「そんでもっと強くなってやる。つまるところ、だ……俺はネトゲで例えると、アプデのせいで思う様に戦えてない……みたいな状態だからな! 新しい環境には慣れる必要がある!」

 

「……えーっと……ごめん、分からない」

 

「そっか……いいんだ瑠衣」

 

 

━━次の日の朝

 

優が連れて行かれたと前日言っていた例の場所に、彼の案内で来ていた。

何故かそこへはヒロも勝手について来ていたが。まぁとにかく、何か奴らの手がかりがあるかもしれない、そう思い、危険を顧みず来たわけだが……

 

その一部屋だけの空間は四方をコンクリートで塞がれ、窓もなく、なんだか息苦しくなってくる。

まるで手術室を思わせるような小部屋だった。明かりは必要最低限の赤い非常灯しかないせいで、一面全てのモノが赤く染められていた。

 

「うええ……なんだこれ」

 

ナナシが思わず不気味がって声を上げてしまう程、お化け屋敷みたいに気味悪く、おどろおどろしい。

部屋の中心にはベッドが置かれていて、その上には医療ドラマやマンガでよく見る、丸い手術用のライトが備え付けられている。

 

「不気味すぎる! ……なぁヒロ、お前は好奇心旺盛すぎなんだ。こんなとこ来てまたなんかあっても知らないぞ!?」

 

返事はない。

おーい、と呼んでもそれは変わらず、ヒロはまたもやじっと考え込んで、固まっている。

 

「……もうもぬけの殻かよ」

 

代わりに優の声が聞こえた。

周囲をきょろきょろと見回し、辺りを手当たり次第に漁っていた。

そんな様子を見ているだけでも、この部屋に大した物は残されていない事が分かる。綺麗さっぱり引越し済みらしい。

無駄な徒労だったと、ナナシがため息をついてこの場を去ろうとした。

その時だった。

 

「やっと思い出したぞ……! 俺は何度も繰り返してる!」

 

「……はい? ヒロさん?」

 

「俺は文月瑠衣に会って、瀬嶋を倒すまでの一連を何度も経験してる!」

 

「なんだと!? …………そうか、ヒロ!」

 

「さぞショックだろう。今は家に帰ってゆっくり休め。それから病院に行くんだ。頭の病院にな」

 

「ってナナシお前、本気にしてねーな……まぁいいさ! 思い出せて幸運だった。カフェでナナシ……お前の話を聞いた時の、どこか他人事ではないような、あの違和感」

 

「お前は俺なんだ!」

 

ヒロはナナシの肩をがしりと掴んで、そう熱弁している。

しかし、ナナシには少しも伝わっていないようで……

 

「なにそれ哲学的な話? 男と合体するとかほんと勘弁━━」

 

「━━って優!? 勝手に帰りやがったあいつ! どいつもこいつも訳分からんぞ!」

 

と、ここでナナシは携帯が振動している事に気付く。

 

「んあ? 今度はなんだよ……」

 

ナナシは、志遠からメールが来ていることに気付いた━━中央通りにて黒服の部隊が来る。すぐに来て! ━━という文面。

 

(……なるほど。今日も忙しいな)

 

「悪い、ちょっと中央通りに行ってくる。ちゃんと帰って休めよ」

 

「……ああ。またな、ナナシ」

 

「秋葉原、またここに来ちまったのか。……またな、か。ナナシ、次に会う時は……」

 

━━中央通り南西

 

 

「来たわねナナシ! レディを待たせるなんて、私じゃなかったら怒ってるところだぞ!」

 

ナナシを見た彼女はにっ、と笑い、いつぞやかと同様にびしっと指差した。そしてナナシは負けじと指を差し返して言う。

 

「出たなマシュマロのお化け! というか、そもそもそんなに待たせてないはずだぞ……」

 

「マシュッ……失礼な! すごい失礼!」

 

彼女の叫びを華麗にスルーしたナナシは、早速本題に入った。

 

「……それで、黒服の部隊とは?」

 

それが今回脱衣を依頼された標的の概要だった。

企業の社長からの依頼とは、やはりいささか自警団らしくない……が、しかしいっそ街を暗躍する脱衣屋として活動するのも、それはそれでクールじゃないか? と我ながら惚れ惚れしていたのも束の間。

そこから返ってきたのは、彼女の思わせぶりな言葉。

 

「それは今から来る"予定"」

 

……ナナシは首を傾げた。

 

「実は偽情報を流して釣ってみたの……おいしい情報だからきっと来るはず。待ち伏せ作戦よ」

 

「そこに敵のお偉いさんでも来れば万々歳、確保して色々聞き出しちゃいましょう。来なくても、敵の殲滅は成し遂げられる」

 

「ただ、虚を突けるとはいえ相手も手強いわよナナシ君。今回に限らず、これから厳しい戦いになるかもしれない。あなたは敵についてもっと知っておく必要があるわ」

 

「それで、なんだけど。"紛い者"……って聞いたことあるかしら。そう呼ばれる奴等が居てね……こいつらはヒトがデザイン(設計)した"自称"次世代のカゲヤシの事なのよ。少しは知ってる?」

 

ナナシは頷く……確かナ○パみたいな黒服もそう自称していた。

 

「紛い者っていうのはね、簡単に言えば特殊な血で、カゲヤシよりも更に上の身体能力を手にした者の総称なの。混じり気のない純血種のカゲヤシとは違い……より良いパフォーマンスを得る為に故意に手を加えられ、造られた血をその身に宿す。ある意味不純物的な側面を持つ偽りのカゲヤシ……」

 

だから、"紛い者"と……彼らの間でそう俗称されているのだと、志遠は言う。説明によれば、黒服達の下位戦力は主にカゲヤシ、そして上位戦力に紛い者という構成のようだ。

そして彼女が言うには、紛い者の比率は近頃急速にその数を増やしつつあるっぽい、とのこと。

どこかいいかげんだが、とにかく詳細なデータはないものの志遠自身の体感ではそう感じているようだ。本当であればこの上ない危機であり、あんなのが何人も出てきたら流石に捌ききれないのは戦ったナナシが一番良く分かっている。

しかし何故紛い者の固体が増えていると体感であれ分かるのか。それが分かる、という事は……少なくともカゲヤシと紛い者の判別が出来ている、という事。ナナシがそんな疑問を浮かべた時、丁度それを読んでいたように彼女は言った。

 

「それで、問題はどうやって紛い者と判断するか、よね? そこで取り出しますは━━あなたのスマホ。ミラースナップだっけ?」

 

「良く知ってますね?」

 

「まっ、そこそこは。そ、れ、よ、り、も」

 

志遠は腰に手を当てたまま言って後ろへ振り向くと、通りの向こうを指差した。

標的の黒服だった。見たところ人数は三人、小走りながら苛立つように周囲を警戒している。明らかに観光客や住人、ビジネスマンのそれとは異質。

 

「来たわ。……奴等ね」

 

「奴等の特徴は見ての通り黒服の集団であるということ。紛い者は現状あの集団に全て所属していると見ていい。加えて、近頃は特徴的な剣を装備している場合が多い。これが大体の目印になるわよ」

 

「さぁ、撮ってみて!」

 

彼女はナナシのスマホを覗き込んで言った。言われるがままにシャッターを押してみる。

……結果は、今まで見たことのないパターン。

ただ普通に写るんでも、カゲヤシの様に全く写らないという訳でもない。ただ撮影した三人の身体が、少し薄く透けたかとは思わせる。それに加えて……

 

「被写体にノイズがかかっている……?」

 

「ビンゴみたいね! それこそが紛い者……混じり気があるからか、カゲヤシみたいに完璧に消えるわけじゃない。そんなわけで偶然だけど、写り方は違うから。分けて判別できるわ!」

 

「……あの、三人全員紛い者なんですが」

 

ナナシは引きつった顔で言った。

 

 

 

「作戦は急襲。紛い者と言えど、不意打ちに即応はできない。一瞬の内に脱がす。あなたならそれが可能よ」

 

どうやら、ナナシが駅前で集団を脱がせて見せた際の手際を踏まえ、太鼓判を押してくれているようだった。

しかし当のナナシは自信無さげだった。無理もなく、既に彼は紛い者との戦いにおいて苦戦を経験しているからである。

 

「あの時は相手が弱かったからで……」

 

「大丈夫! なにかあったら私もこのケースで戦うから! 私、こう見えて体術には自信があるの!」

 

大きなスーツケースを構えてみせた。よほど自信があるのか、鼻息荒く志遠は自負している。

しかしスーツケースを使った体術なんてナナシ自身聞いたことも無い上に、どのみちただの人間じゃ速攻でやられるのがオチ。

けれど恐いもの知らずすぎる彼女は今更説得を聞きそうもない。ナナシはなんとか社長に援護させない内に終わらせるよう、覚悟を決めたのだった。

 

二人は店の柱の影に身を隠す。三人が通り過ぎるタイミング━━

 

━━今だ。

一瞬でカタをつけるには、あの秘奥義しかないッ!

ナナシは彼等目掛けて飛び出し━━歩いている内の一人に向かって、合わせた手を突き出した!

 

「かめはめ砲ッ!」

 

それは名こそ奇天烈だが、これは中国拳法の"冷勁"から発想を得た、れっきとした脱衣術。

身体からの気を己が腕に経由し、筋力と融合させ……掌が相手の身体に触れた刹那、それを一気に爆発させる。内部から破裂させる様に衣服へ強烈な衝撃を与える奥技なのだ!

 

かめはめ砲をもろに喰らった男の服は見事に全て破け散り、炭化。

あと二人。

そこからナナシは迅雷の如く怒涛の連続脱衣を披露した。残り二人の内、片方を速攻で塵へ帰す。

残り一人。

上服を脱がす。相手はとっさに回避機動を取ろうとするが、それをナナシは読んでいて、上服を脱がすと同時に相手の足をすくい、逃亡手段を絶つ。

 

「終わりだ!」

 

が、突如背後から聞こえた「お前がな」という言葉に、ナナシは驚き目を見開いた。

四人目のエージェントが接近していたのだ。

ナナシは一瞬戸惑うも新たな黒服の剣撃をかわし、とっさのカウンターで四人目の上服を脱がしつつ、バックステップで距離を取った。

 

「ちっ! 小僧やるな……」

 

「くそっ、これで終わりかと思えば……!」

 

吐き捨てて対峙するナナシの眼前で「久しぶりだな」と笑う四人目の男、飴渡。

かつてエージェントだったナナシの脱衣人数に応じて、裏通りで報酬を渡していた男だ。そして前日UD+にて急襲をかけた、襲撃部隊の"チーフ"。

 

「久しぶりだと!? ……お前は……!」

 

「誰?」

 

けれどもナナシは、その事を覚えていなかった。

 

「ふざけるな! 俺だ、忘れたのか!? 飴渡だ!」

 

「誰だよ!」

 

「黙れ! お前が忘れても、俺は忘れもしねぇぜ……。あの時の恨みをな! 俺を失墜させたお前への恨みを忘れたことはない!」

 

「そう、かつて俺はその戦闘技能を買われ、NIROの精鋭部隊に配属された……」

 

「あの、急に語りださないで」

 

「るさい! 黙って聞け」

 

「暗殺誘拐、超法規的な活動……汚れ仕事も何でもやった。それが俺達の役目だからだ。だがそれもいつかは報われる。俺は功績を認められ、しかるべきポストが用意されるはずだった……」

 

「へー、はずだったのか……」

 

「それが! 脱衣やらなんやら、それにあの強化エージェントとかいう奴らが現れやがって。それまでの組織のパワーバランスは一気に塗り替えられた。銃器の扱いと格闘術に秀でた俺達に取って代わり、血の力を持つエージェントと、脱衣術に秀でた奴らに優れた権限を与えられた」

 

「新しい環境に適応できない奴らは、一気にお払い箱だ……俺も例外ではない。妖主追撃の任を外され、秋葉原に飛ばされた。だがめげる俺じゃねえ、そこで新しい居場所を見つけようと思ったさ」

 

「……そしたら今度はお前だ。眷属の血を持つ期待の新人だとよ……! お前みたいな小僧が!」

 

「長年、汚れ仕事をやって、ようやっと地位を掴むかと思えば……! 異動させられ……お前のようなぽっと出の……小僧の、世話係にィッ……!」

 

「おいおい! ただの逆恨みじゃないか!」

 

「うるせぇ! 俺はそれでも文句一つ言わなかったあげく、お前にNIROを解体され、一時は行き場をも失いかけたんだ。この時を待っていた……償いは受けて貰うぜ……?」

 

……確かに雇用先を潰しちゃ恨まれるわな。

そこは彼の言い分ももっともだと思いつつ、とはいえ大人しく灰にされるわけにもいかないのは当然。

飴渡の構えを見て、ナナシもすっと拳を構えた。

なんにせよ戦うしかない。

先程脱がし損なった黒服も立ち上がり、飴渡と共に剣を構え、自身を狙っている……もはやこの状況では圧倒的不利。もし飴渡も紛い者だとすれば、勝てる見込みは残念ながら絶望的だが。

ナナシ自身も忘れていたもう一人が飛び出して来たのは、そんな時だった。

 

「うりゃあああ! ナナシくーん! 逃げなさーい!」

 

「何っ!? なんだこの女!?」

 

エージェント二人は一瞬気を取られる。

今しかない。刹那、まずナナシは脱がし損ないの黒服を脱衣した。そこから更に飴渡へと振り向こうとするも、背後から服が掴まれるのを感じた。とっさに飴渡が背を狙い、脱衣を仕掛けたのだ━━だが、ナナシはそのままに振り向く。

飴渡が脱がそうと服を掴んだまでは良かったものの……あえて強引に振り向かれたことにより、掴んだ部分だけがそのまま破けて、拳には少しの切れ端が残るのみだった。

そのまま振り向き様にズボンを脱がされた飴渡は……通りの地面に倒れ込んだ。

 

「あんた、話の通り脱衣は苦手みたいだな」

 

「グ……ッ、くそ! こ、この俺がぁぁぁ」

 

「あら? 私が華麗に脱がすハズが……」

 

『隊長!』

 

そこへ新たに一人の黒服が飴渡へ駆け寄る。さらなる増援が駆けつけていたのだ。

 

(えっ? ……まだ居るのか……!?)

 

思わず顔を引きつらせ、冷や汗を垂らすナナシ。

 

「増援!? いや、先程のは先遣、これが本隊というワケね!」

 

志遠は手持ちのスマホでパシャリ、と追っ手に向かって写真を撮った後に……顔色を変えた。

 

「紛い者……! まずい、これは普通に死ねるわ!」

 

志遠は酷く焦燥した様子の下、ナナシの手を引いた。

 

「志遠さんっ!?」

 

「━━逃げましょう!」

 

「お、追えー! さっさと追え!」

 

仲間によって応急措置的にスーツ(日よけ )を被せられていた飴渡が、倒れたまま吼えていた。

そこへ、杖をついたスーツ姿の男性が悠々と歩いてくる。

 

「全く。さすがにうますぎる話だと思えば。しかし私が出向いた価値はありましたよ。お陰で確信が持てた」

 

「あなただったんですねェ。……志遠め。余計な事を……」

 

杖の男は、追跡する黒い群れを見ながら呟いていた。

 

━━━━━━━━━━━━

 

 

「ナナシ君、ちょッ速い……」

 

走る内に、いつの間にやら引っ張られる側になっていた志遠。ぜぇぜぇ身を屈ませ、ふらつく足でばたばたと駆ける程度がやっと……といった所で、もはやまともには走れていない。

 

「なんでこんなに敵がいるんだよ!?」

 

「だって! できるだけおいしい情報流したほうが食いついてくれると思ったんですもの!」

 

ナナシはそれを聞き、いくらなんでも食いつき過ぎだと嘆いた。

今は入り組んだ路地を右へ左へ縫っているからまだ良いものの、いずれ大きな通りに出れば、人間の脚力しか持たない志遠が居る以上、即座に捕まるのは確実━━

 

逃げ道を探しながら走っていた、その時だった。丁度眼前の廃ビルがナナシの目に留まる。

二人は足を止めた。

 

「ほらあたし見ての通りだけど、胸のせいで走るの苦手だから……うふ」

 

ナナシは色仕掛け交じりの弁解をよそに、目の前にそびえる廃ビルを見上げた。

 

「早くしなきゃ追っ手が来る……! この廃ビルなら、あるいは……」

 

「ナナシ君、無視!?」

 

ナナシは廃ビル入り口のシャッターを掴む。

無論シャッターには鍵が掛かっていたが、カゲヤシパワーに物を言わせ無理矢理押し上げた。バキン、と鍵の壊れる音がした後、シャッターの抵抗は手の平を返した様に軽くなる。

二人はシャッターの間から中へと滑り込み、暗い室内の中でナナシがスマホのライトを点灯させた。

ホコリっぽく、コンクリートの地がむき出したままの室内……隅にはオフィス机が積まれているのが見えた。

志遠はそれを見て、念のためここに潜んでいましょう、と提案する。

 

それから机の下へと身を隠し、息を潜める二人━━

二人の面前は机の、丁度机に向かえばつま先が当たる板部分によって隠されており、万が一でも気付かれにくいだろう。しかし、その代わりに酷く窮屈ではあったが。

 

(来ても声出しちゃダメよ!)

 

小声で言う志遠。分かってます、と言うナナシ。……直後、彼の表情が曇る。

あの社長から発せられる甘い匂いが、机の中にこれでもかと充満していた。ここはマシュマロ工場だったのか? と思わず錯覚し、この狭い空間に隠れるという自殺行為を選んだ自らの行いに恐怖した。

ガス室送りとなった彼はもがき苦しんだ。苦しくて息を吸えばあいつが入ってくる。白くてふわふわした悪魔。

朦朧とする頭の中で、もはや何度その悪魔の名を呼んだか分からない。鼻をつまみ、錯乱しながら叫ぶ。

 

「よくもずけずけと人の中に入る……恥を知れ!」

 

「落ち着きなさいナナシ! 追い詰められて焦燥しているのは分かるけど……!」

 

あだッ……と志遠の声が聞こえた。エキサイトした彼女が机上に頭をぶつけたらしい。

 

……直後、シャッターを叩く音が室内に響き渡った。ナナシは心臓を凍りつかせる。

 

「くそっ……やっぱり見られてたか……!?」

 

『誰か居るのかー!?』

 

『警察だー。ここで何をしているんだ? 大人しく出てきなさーい』

 

勿論警察なんてのは見え透いた嘘で、実際は……

 

『すぐに出てくれば何も咎めはしない。だから━━』

 

ガシャ、ガシャ━━

 

━━ガシャア!!

 

突然の大きな音に二人揃ってびくり、と身体を震わせた。

部屋に日が差し込んだのが分かった。奴らが無理矢理シャッターをぶっ飛ばしたようだ。

それからどかどか慌しく、黒服が流れ込んでくる事を音で感じた。

 

『こっちに行ったような気がしたんだがな』

 

『……そもそもシャッターが下がっていただろう。見間違いじゃないんだろうな?』

 

『言う暇あったら、上も探せ!』

 

そんなやり取りを口々に投げ交っている。二人はただただじっ……と息を潜め。

ほどなくして男達が撤収したのを確認すると、恐る恐る机の下から身を乗り出した。

 

「や、やった~……! 私達生きてる、生きてるのよね!」

 

「そすね、まぁなんとか~……」

 

「ちょ、ちょ~っと無理しすぎたわね……でも生きてるし、いいんじゃないかしら」

 

「次はもっと上手くやりましょ!」

 

「はぁ、はい」

 

ナナシはこりごりと言った様子で生返事をする。

志遠は変わらず、にこにこした様子で去り際に手を振っていた。

 

 




元ネタ
AKIBA'S TRIP
飴渡
原作でナナシに、カゲヤシの炭化数に応じてご褒美をくれてた人。ゲームでは裏通りの情報屋が居る通路奥にいつもいる。


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07. えくすかりばー

ヒロの武器… R 疼く俺の右腕 / L えくすかりばー
立ち絵は準備予定


この時点だとヒロの行動がまさしく意味不明かと思うのですが、そういった部分は後の話でまた説明を入れるつもりです。


紛い者の脅威を目の当たりにしたナナシは、更に強くなるべく再修行を決意した!

……極簡単にまとめると、そんな経緯で彼は今に至っている。

 

再修業。……しかれども決意のみなら易し、行なうは難し。

まずもって、以前お世話になっていた脱衣の師匠を探す必要があった。

今回は特殊な衣服の脱がし方……などという次元ではなく、カゲヤシに取って代わる、全く新しい相手に対策する為のもの。その修行は恐らく容易いものではなく、道筋を指し示してくれる師匠の存在は不可欠であるからだ。

とはいえ、既に師匠は以前居た商業ビルの屋上にはおらず、ナナシとしてもその後の所在には見当もつかない。

……しかし、あてはある。

師匠の事なら御堂さんだろうという事で、事前に彼女へ連絡を取っていたのだ。

 

当初御堂は師匠を捕まえるつもりだったようだが、どうやらそれはやめたようだ。本人は「大人しくしているようだから」などと言っていたが、恐らく弱みでも握られているんじゃなかろうか、というのが彼にとって正直な所である……ともかく、未だ師匠は健在ということだ。

ナナシは志遠と別れた後、今、秋葉原駅へその足を進めていた。

御堂さんによると師匠は新しい隠れ家を購入し、隠居生活をしているとのこと。そして詳しい場所については、自ら案内してくれるという話だった。そんな訳で待ち合わせの約束をしているのだが……

 

着いたのは人々でごった返す秋葉原駅の電気街口。その駅中で柱に背を預けているスーツ姿の女性が見えた。御堂聡子、彼女である。

 

「来ましたか、ナナシさん。……ふふ。どうやら、変わっていないようですね」

 

お久しぶりですと言って頭を下げるナナシを見て、顎に手を当てながら再会を嬉しそうに微笑んでいた。

彼としても変わっていない御堂の姿に安心感を覚えていた……むしろこれからは、あくまでNIROの人員として接されていた時よりも、お互い気軽に話せそうな気もしていたのだった。

 

「御堂さん、今は個人探偵さんなんでしたっけ」

 

「ええそうよ。今は依頼を受け、秋葉原でとある件の調査しているんです」

 

「えっ」

 

「……どうかしたんですか?」

 

秋葉原での調査という彼女の言葉に、疑問がよぎっていた。

もしかしたら、その依頼主とは。……霞会志遠なのではなかろうかと。

 

というのも霞会志遠は元々、秋葉原自警団に興味を持っていて……偶然そのトラブル解決の現場を見て手際を確信し、期待を込めて自警団へ依頼した……という経緯だったはず。

が……とはいえ、所詮は一般人の集まりである。

とすれば、そんな自警団に調査の全てを一任するだろうか。保険としてその道のプロたる探偵、近頃秋葉原で評判を上げる探偵であった御堂に、別口で依頼していたとしてもおかしくはない。

仮にもし同じ依頼主だとしたら。共同で調査がやり易くなったりしたり、しなかったり……どうなのか? いやもう、とりあえず訊ねてみればいいや。ナナシは思考をそこで止めた。

彼はちょっと自信あり気に、鼻を高くして言った。

 

「その依頼主ってもしかして、志遠さんでは?」

 

「志遠さん……? 誰、ですか?」

 

(……っておい、違うのかよぉ!?)

 

「いや……やっぱなんでもないです」

 

自分が馬鹿らしくなった。

神妙に首を傾げる御堂の目線に、気恥ずかしさを感じながらも……身振り手振り誤魔化すナナシ。

疑問顔だった彼女は、癖だろうか眼鏡のツルを指でくいと押し上げた後に、気を取り直して言った。

 

「あなたの言う新しいタイプのカゲヤシですが……。私も戦う時が来ないとは言い切れません。丁度いいですし、自分にも新たな技を指南してもらおうかと思っています」

 

彼女は一呼吸置いて、スマホをズボンのポケットに仕舞い込み……それから「さて、」と切り出した。

 

「ここで立ち話もなんですし。早速行きましょうか」

 

 

 

 

━━師匠の隠れ家

 

 

ここは秋葉原から少し外れた場所。

眼前の"隠れ家"に圧倒されるあまり、ほえーと見上げていたナナシ。門構えからして立派な、和風な趣のお屋敷だ。まさに豪邸、と言って差し支えない。

NIROに協力していた際の報酬で購入したのか、下僕の援助があったのか、はたまた……とナナシは考えつつ、下僕の案内によりほどなくして庭園に到着。

そして面前、そこには屋敷のふすま越しに身体をくねくねクネらせる、お馴染みな師匠のシルエットが!

 

「……御堂に、ナナシ。久しぶりねぇ」

 

やはり、その纏わりつくようにねっとりとした口調は紛れも無く師匠。

軽い感動を覚えていたナナシだったが、その前へ立っていた御堂は対照的に「どうも」と短く返事をしたきりで、かつての師とはいえあくまでも余所余所しい様子。

勿論師匠がそんな様子を見逃すはずも無く、からかうような声色で御堂へ返した。

 

「あら御堂ったら、素っ気無いのね」

 

「それはそうです。もうNIROとの契約関係でもないんですから」

 

「そういう態度も好きよ。いじめがいがあるから……」

 

「ふっ、ふざけないで!」

 

「あらいいのかしら? 教えたくなくなっちゃうわよ?」

 

「~ッ……!」

 

途中までは毅然とした態度だったはずが、悔しそうに唇を噛んで声にならない呻きをあげていた。ちょっと師匠に反撃してやろうと思ったのだろうか……?

ついには顔を赤くして「勝手にしてください!」とそっぽを向いてしまう御堂。

 

「うふふ、いいわ。鍛錬が終わったら私の部屋にくるのよ」

 

介入する訳にもいかず、複雑な面持ちでナナシは見守っていた。ただただ、うわぁ……と思うばかりである。

 

「それじゃ、早速始めようかしら。とはいえ二人とも……もはや最高域にまで技術は磨かれている。……ここからさらに上を行くのは難しいわよ」

 

「私は構いません」

 

「俺も承知の上だ」

 

「よろしい。あなた達、カゲヤシの新しいタイプっていうのに苦戦していることは聞いたから」

 

「今日はその新しいタイプを連れてきたの」

 

「さすがししょ━━連れてこられるのかよ!」 

 

「私の下僕は何でもいるわ。肩書きのフルコースよ。逆に言えば、どんな者であれ肉欲には等しく抗えないのぉ」

 

……いやぁー、恐い。

心中に仕舞い込んだ感想のつもりが、実際のところ、ぼそりと口から発されていたようだった。

御堂に至ってはそんな余裕すらなく、戦慄の面持ちで絶句していた。調子を崩されまくりだが、そんな二人を師匠は、そして修行は待ってくれはしない。

 

「では、特設闘技場へ」

 

早速決闘の場へと促す師匠。物腰丁寧な下僕に案内されるがまま、二人は奥へと向かっていった。

 

 

 

 

━━闘技場

 

 

御堂はもう一方の、別の闘技場へ案内されたようだ。ナナシ自らも、下僕に室内庭園のような場所へ通された。道石が続いてゆき、その先を行くと……石畳で出来た円形状のフィールドを木製の柵が囲む、闘技区画に着いた。

ナナシは照明の光る天井を見上げる。これは師匠いわく開閉稼動式で、開いて日光を取り入れるかどうかを選べるようだった。今は訓練の為、天井は閉鎖され室内照明に切り替えられているというわけだ。

ほどなくして……相手役である黒スーツ姿の下僕が対面から歩いてくる。

室内放送で師匠の声が響いた。

 

《さぁ、その裸体を存分に見せあうのよッ!》

 

(言い方が……)

 

しかもこれ御堂さんにも聞こえてるんだよね……?

彼が多くを考える間も無く、気付けば下僕が眼前まで迫る。そしてその時にはナナシもすっかり戦闘モードに切り替わり。

下僕が右手を挙げ、気さくに「やぁ、始めようか」と挨拶するも、あくまで戦いの眼で見つめ返すナナシ。

 

「……あんたが本当に紛い者、人造カゲヤシなのか?」

 

「そうとも。戦ってみれば分かるさ」

 

その一言から、下僕は深く腰を落とし。それから両脚をじりりと広げて姿勢を低く保った後、今にも食い掛かろうかという虎の如くその両拳を構えてみせた。

……構えへ応じるように剣を抜き、息を呑んで対峙するナナシ。いざ二人は見合った。

 

それから時は経ち…………

ナナシはこれで三戦目。そして分かってはいたものの、やはり勝ちに手が届かず。

 

「━━どうしたナナシ君!」

 

(くそっ……! もっと速く動けよ!)

 

今までそんな事を不満に思った事も無かったが、急に己が身体の遅さへ腹が立つ……それほどに苦戦していた。

かつてはここまでの苦戦も殆ど無く、こと末端相手に関しては無双にも等しい、一騎当千の実力だったのだ。勿論眷属相手ではそう上手くも運ばないが、それでもその全てで勝ってきた。それが今になってこれだ━━

追って追われてといった息つかせぬ格闘戦の中、邪魔をするように湧き出たそんな雑念。彼に生じたわずかな動作の揺らぎを、下僕は見逃さなかった。

 

「もらった!」

 

恐ろしく重いワンツーパンチの衝撃が腹部を突き抜けて、追い討ちをかける様に回し蹴りが襲った。

吹っ飛ばされつつも必死に空中で態勢を立て直し、へたり込むようになんとか着地するも、既に遅い。

己の衣服へ手が掛けられていたのだ。

 

「フフ、これが実戦ならナナシ君……君は三度も灰になっている」

 

「ぐぬぬ……!」

 

「くそっ、力が欲しい。もっと力さえあれば……!」

 

「さぁ、ギブアップかい!?」

 

「……もう一度だ!」

 

「その意気やよし! 行くぞ!」

 

二人は再び突進し、夜が更けようともひたすらにぶつかり合うのだった。

 

 

 

 

その次の日、クリスマスイブ。ナナシが師匠の屋敷に泊まり込みで修行をしていたところ、早朝に優から連絡を受ける。

 

今まさに敵に襲われている━━至急UD+まで救援に向かってくれ━━そんな連絡内容。

……全く、最近の秋葉原はどうなってるんだ。呆れと胸騒ぎを抱えつつ、ナナシはUD+へ急行した。

 

 

 

 

━━UD+

 

 

ナナシがざっと見たところ、黒いスーツ姿の人員とそれ以外とが入り乱れている。敵はやはりあの黒服の集団と見て良いようだ。ミラースナップを試みた結果、敵の部隊は通常のカゲヤシのみで構成されている様だった。

と、彼の前へ偶然舞那が着地する。スタンドマイクを構える彼女は、息を弾ませながら振り向いた。

 

「あ、ナナシ!」

 

「……取り込み中すまないが、優は居ないのか?」

 

「あのバカ? あいつはママの護衛だから、ジャンク通りに行ったはずよ!」

 

『貰った!』

 

会話を遮り、黒服が警棒で舞那に殴りかかった。

彼女はそれをなんとか避け、横から現れた瀬那がその男を脱がし塵にした。舞那は無理な回避行動を取った結果、危うくバランスを崩しかけ……そこへ更に瀬那の叱責が飛ぶ。

 

「舞那、ちゃんと警戒!」

 

「……姉さん! 今のはナナシが悪いの」

 

「数名来るぞ!」

 

「……分かった! おりゃあー!」

 

舞那はスタンドマイクをさながら薙刀(なぎなた)の如く振り回して突撃し、襲い掛かる敵を怯ませていった。隙を見逃さずに瀬那が死角から確実な一撃で襲っていく。さすが双子の姉妹といったところか、抜群のコンビネーションを見せていた。

 

……俺も負けてられん! 

ナナシが剣を構えようとした時……戦闘機動の途中だった瀬那が、すたりと面前に降り立った。

 

「待って」

 

「っはい?」

 

「ここは私達に任せて、ママの援護を。場所なら優に訊いて」

 

「む……分かった。やられるなよ」

 

「もちろんだ!」

 

互いに頷き、ナナシはその場を後にしていった。

そして……彼の姿が見えなくなったかという直後、末端の一人が絶叫した。

 

『何かが突っ込んできます! ちょ、超高速で━━ああぁ!?』

 

悲鳴を最後に塵となる。何事かと見やる双子姉妹は、敵の新手と分かるなりすぐにその場で立ち塞がった。

突如韋駄天の如く現れたのは天羽禅夜。着地姿勢からゆらりと身体を引き起こし、そして見下ろすように嗜虐的な笑みを見せていた。

 

「待たせたな、劣等種ども!」

 

「な!? なんだとぉバカにして!」

 

舞那は食って掛かるが、彼はふてぶてしいまでに涼しい表情で一蹴した。

 

「当然の事を言ったまでですよ! ……私はオリジナルだ。ヒトを超え、カゲヤシを超え……その遥か高み。貴様ら如きの相手など本来不相応なぐらいなのだからな」

 

さて、と禅夜は一呼吸入れてから、自身の持つ剣を鋭く突きつけた。依然黒服と末端がその傍ら乱闘にせめぎあう中で、瀬那と舞那の二人は彼を相手取って抗戦の意思を見せていた。

対して受け立つ禅夜は間近に迫る戦いへ打ち震え、口元に狂喜を滲ませた。そして瞳だけは、決して彼女らを逃さぬよう獰猛に睨みつけた。

それが対決の目配せであったかのように、双方は無言の内、弾かれたような突進を経て交差していたのだった。

 

 

 

 

━━ジャンク通り

 

 

「ナナシ! 来やがったか!」

 

ナナシが駆け寄る先には……心なしか待ってましたと、純粋に嬉しそうな反応の優。

隣には姉小路怜の姿もあった。

 

「来てくれたのね、ナナシ」

 

「お安い御用だ」

 

「……まさか拠点を変える為にビルを出た瞬間、襲われるとは思わなかったわ……、奴ら、ずっと張り込んでいたとはね」

 

「おい、ここは任せる。俺とお袋は新しいアジトへ行く。この間の借りは返してもらうぜ」

 

「……分かった。気をつけろよ!」

 

去る二人と護衛の末端達を見送ったナナシは身を翻し、そして今まさに到着した追っ手である黒服の一団と対峙した。

 

「さぁ、こっからは俺が相手だ」

 

『ナナシさん、お供します!』

 

更にそこへはバンドマン姿の末端達が、幾人か援護の為に集まって来てくれていて……これで双方、人数的にはそう変わらないものとなったが、しかし彼等へ向いてナナシは警戒を促した。

 

「気をつけろ。もし奴らが紛い者なら━━」

 

「安心しろよ。カゲヤシだ」

 

言い終わる前に、前方から気だるそうな声が聞こえてきた。声の先に視線を走らせるとそこには……こちらへ歩いて来るヒロの姿。

彼は右手をかったるそうに上げて「ようナナシ」━━なんて、今まさに戦闘が勃発しようというこの場で、危機感も無さそうに振舞っていた。

 

「ヒロ……? なんでお前ここに?」

 

「末端を頼む。こいつの相手は俺だ」

 

『了解』

 

彼が質問に答える事は無く、代わりに出したひと指示で、黒服達がそれぞれ一斉に末端へ襲い掛かった。狙われた末端達も散開しその場から離れて行く。

この場には、二人だけが残されていた。

 

「ヒロ、どういうつもりだ……?」

 

またも、答えようという素振りは見せない。ただヒロは「お前に提案がある」と、淡々として投げかけて来た。

……何を言ってる? ナナシが不審げに目を細めようが、彼は顔色一つ変えない。それどころかおかまいなしに人差し指をこちらへ突き立てて、「まず教えてやる」……と、ナナシの疑問を制止するようにその一言だけを放った。彼は一拍置いてから、その後再び言葉を進めていった。

 

「このまま行けば近い未来、お前らは狩りつくされる。紛い者によってだ。もう残された時間は少ない……俺はここで、この争いを終わらせてみせる」

 

「ナナシ、お前は皆を連れて秋葉原から逃げろ」

 

「急に何を。……逃げろって? 秋葉原はどうする?」

 

「街自体はもう……どの道救えたもんじゃない。だから瑠衣達だけでも助けてやれって言ってんだ」

 

「秋葉原を無視してか? そんな事出来る訳あるか。瑠衣も皆も、それで納得なんてしないはずだぞ」

 

「二つに一つなんだよナナシ。抵抗して打ちのめされるか逃げて生き延びるか、どちらかだけだ。あいつらの強さは知ってるだろ? ……やるだけ無駄だ。だから俺は、お前らだけは助けてやろうとしてる」

 

「そうかい。……それでヒロはどうするつもりだ? まさかあいつらの味方をするんじゃないだろうな」

 

……ヒロはその追求に押し黙っていたが、しかしそれでは肯定をしているようなもので。実際あの黒服達に指示を出していた所といい、味方をしている事はほぼ確実だろう。

しかし彼は友人なのだ。そうですか、で引き下がる訳にも行かないナナシは、語気を強めた。

 

「……ヒロ! 馬鹿な事はやめて戻るぞ。何をやってるか、分かって味方してるのか?」

 

「あぁ分かってるさ。分かってて俺は、最善と思うからこうしてるだけだ!」

 

「何を言い出すかと思えば……!」

 

「まぁ聞けよナナシ。このまま抵抗を進めれば、あいつらはなりふり構わず本気でやり合いに来るはずだ……その前に逃げる必要がある。いいか? お前がやられて、ここがボロボロになればじきに皆気付く。お前なんか頼りにしなきゃ良かったってな……だがそれじゃ遅い! 手遅れなんだよ!」

 

必死の様相にも……しかれどナナシとっては、彼が出任せに嘘吹いているとしか思えなかった。どう聞いても、お前は未来予知者(エスパー)気取りですか、なんと言って突っ込みたくなるだけだ。しかし、そうして軽く構えていた心情を読み取ったのか……ヒロは更に畳み掛けた。

 

「お前はあの駅前で、瑠衣を守るって、そう言ったはずだよな……! 嘘だったのか?」

 

それはヒロの言う通り、確かに自らが瑠衣へ約束した……あの言葉。

カフェで説明もしていない、ヒロが知り得るはずも無い言葉。

ナナシは態度こそ静かだったものの、その表情は明らかに険しくなっていた。

 

場に静寂が降りた。

張り詰めた空間で時たま聞こえるのは、冬の風が両者の間を吹き抜けていく音……あるいは、少し離れた場所から響いてくる戦いの喧騒程度しか無い。

最中。ナナシは風に髪を揺らがせ、そしてただヒロと視線を交わらせ。

それから少しして、彼はゆっくりと重い口を開いた。

 

「……何故、それを知ってる?」

 

「…………言っただろ。お前は俺なんだ」

 

「ナナシ、俺は……一度、いや何度もお前と同じ道を歩んだ。そして俺はこの先紛い者共に苦戦し、最悪な終わりも既に経験してるんだよ」

 

けれども依然信じていないナナシの様子を見止め、……昨日あの赤い部屋を見て全てを思い出したのだと、今度は丁寧に語りかけた。

言うには、ヒロもナナシと同じく瀬嶋を打ち破り、住民と共に秋葉原を救った事があるのだという。

……だがその後、ナナシが今置かれている状況と同様の問題が起きた。

"紛い者"と呼ばれる新たな存在が趣都に蔓延り、カゲヤシはそれに苦戦を余儀なくされたのだ。ヒロ自身は戦い抜いたものの遂には追い詰められてしまい、そして捉えられた先があの赤い手術室だったのだと。

そして間近に迫る死を悟ったヒロは、目蓋を閉じた後……意識はそこで途切れたのだと語った。

ふと気付くと、居たはずの部屋ではなくそこはまた以前の秋葉原。以前というのはまだカゲヤシとNIROが争っていて、瑠衣と知りあってもいない頃の、だ。

最初はやり直せる好機と思ったものの。しかし戻されてからどう足掻いても、「結局紛い者に支配される未来は変えられなかった」……そう彼は言うのだ。

そしてまた、以前の秋葉原へ戻され足掻く。それを何度繰り返したか━━

 

「━━最後は戦う事をやめて、クリスマスにも思い切り遊んだ。そしてその結末も……同じ」

 

「赤い手術室、ベッドの上。何度目か? いつもならそこで、次こそはと思うところを……俺はその時、もう未来を諦めた」

 

「それでも次に気付いた時には、また秋葉原だった。残酷な事してくれるよな? だが……」

 

「今までとは少し違っていた。それは俺が記憶を失ってた事と、優に血を吸われ引き篭もり状態となり、それに代わる別の人間が瑠衣を助けた事」

 

「……それがナナシ、お前だったんだ」

 

「このまま進めばお前らも同じような目に合う。ナナシ、お前は瑠衣を守るって約束したんだろ。だったら━━」

 

そこでようやくナナシが、遮るようにして口を開いた。

……開きはした、のだが。

 

「なるほど分かった! ……あー、なんというかヒロ、お前の噂好きが高じてだとは思うけど、妄想し過ぎるのも身体に毒だぞ? どんな名医にも治せない病気ってあるからな。突然右腕が暴れだしたりする類の病とかな……あっお前、病院行けっつったのに行ってないだろ」

 

「お、お前は……あれだけ説明して何も聞いていないのか……!?」

 

「失敬な、聞いてただろうが……結構手の込んだ空想だなって思ったよ。いや俺も分かるぞ、学生時代、学校にテロリストが乗り込んで来た時~とか良く考えたりするよな!」

 

「この歴史的馬鹿野郎が! お前みたいな妄想癖と一緒にするな! 大体お前なんか即射殺がオチなんだよ!」

 

「な、なんだと!? 言いたい放題言いすぎだろお前……」

 

……ふと見ると、ヒロは心底がっかりした様子で。

良かれと言ったつもりのナナシも、彼が耳を傾けようとしない事に呆れて困り果てていた。

二人の会話は噛み合わないまま、ヒロが観念したように喋りだした。

 

「そうかよ、……そうだな。いきなりこんな話をして理解される方がおかしいさ」

 

「……だが、俺は覚えてる。師匠に初めて脱衣を習ったことも、瑠衣と一緒に遊びに行ったことも、それに━━」

 

懐かしそうに、どこか悲しげに目を細め。それからヒロは、精神を研ぎ澄ますかのように深く息を吐いた。

 

「まぁいい。ナナシ、お前が秋葉原から身を引かないなら話は単純だ」

 

反論など待たぬように、ヒロは矢継ぎ早に言葉を続けていく。

 

「はなからお前の力を信用なんてしてない、結末を変えられるとも思ってない……お前は邪魔なだけだ。お前の半端な力のせいで皆勘違いして、望みを捨てきれないまま最悪の結果で終わるだけだ!」

 

「だから俺は俺のしたいようにする。それを邪魔するってんなら……!」

 

ヒロはおもむろに、腰の後ろへ手を回した。ベルトの間に差していた短剣、ナナシの持つ"えくすかりばー"に酷く似た外形を持つ剣を引き抜き、吠えた。

 

「……力ずくで従わせてやる! 黙ったまま全て灰になるよりは、いっそこの俺が……!」

 

声を荒げる彼は、普段の無気力そうに構える様子はない。曇りの晴れたその瞳は恐ろしく真剣だった。血の滾る獣の様な視線をこちら突き刺していたのだ。

実力行使でねじ伏せてやるまでという、容赦なく差し向けられた敵意に、ナナシは動揺を隠せずたじろいだ。少し前までは、自警団メンバーと場を同じくして語り合う友人だったというのに。当然その言動が本心からだとは思えないし、思いたくもなかった。

 

「ヒロ、本気なのか!?」

 

「そう見えないか? 言っとくが今の俺は、優の血でカゲヤシ化している。……相手にする覚悟はできてんだろうな」

 

剣を投げては掴んで弄びながら、しかし依然獲物を狙う眼差しで━━ヒロは答えた。

またほどなくして空を回転していた剣を左手で掴むと、そのままナナシへその剣先を突きつけた。剣を見、やはりナナシは確信した。それは、奇しくも自分が持つものと同じ。

何故自分と同じ剣を持っているのか。その驚きを予知していたように、ヒロは言った。

 

「お前もこいつについては知ってたな? あの時お前が説明した物と同じ、世界に一つのみ存在する(つるぎ)……」

 

「……ああその通りだヒロ。お前の言う通り……それならおかしい。そのたった一振りは俺が持つもの。お前のそれは……!?」

 

「そうだ、そして俺が持つ剣もその"たった一振り"。…………俺は、別の世界からここに来た!」

 

━━別の世界? そんなめちゃくちゃな話があるか。

動揺するナナシを、しかしヒロは待つことなく踏み込んでいた。

 

「行くぞ、ナナシ!」

 

放たれた横斬りを見て、咄嗟に後ずさった。直後剣先がわずかに頬を掠る。

本当にやりあうつもりらしく、その太刀筋には一分の容赦も無い。

 

「━━ッ! お前、嘘だろ!? ……えぇい! どうせ奴もカゲヤシ、少しの傷なら問題ない!」

 

「ヒロ! お前の頭を冷やしてやる!」

 

ナナシは後ずさりした足を踏み込んで、身体を前へと押し出した。次いで繰り出した複数の斬撃を、ヒロは姿勢を低くし……左右のステップでかわしつつ怯まず突っ込む。懐に入り込み、腹に右拳を打ち込んだ。衝撃にナナシの口から、ぐぶ、と呼気が漏れる。

 

「今のが本当なら脱がされてるぜ、ナナシ。……情けなんて掛けようとしてんのか!? 灰にしちまうぞ!」

 

「ぐ……!」

 

ナナシは跳び退きつつ斬り払う。

ヒロはそれを剣の腹で防ぎ、後退するナナシを追い上げた。そして旋風の様に突進しては執拗に噛みつく、攻勢に次ぐ攻勢。

 

「おいおい、追いかけっこじゃねぇんだ……本気出してくれよ!」

 

「くっそ……! 調子に乗りやがって!」

 

挑発に悪態で返そうが劣勢は覆りそうもない。ヒロが左右の建物を利用した三次元機動を開始し、多方向からヒット&アウェイの斬撃、そしてそれに織り交ぜ抜け目なく脱衣を狙ってくる。攻め返す隙がなく後退一方のナナシ……そしてそれ尚も喰らいつくヒロ。

 

(強い……それも紛い者みたいな、身体に頼るデタラメな強さじゃない。純粋に強い……洗練されている!)

 

(しかも左利き(サウスポー)とは。ただでさえ強いのにやりずらい……、こいつ……!)

 

不用意に反撃して空ぶれば、その隙を逃さず狙われて脱がされるだろう……剣を交える最中で、彼はヒロに対しそれだけの実力があると見込んでいた。

しかしここで防戦一方ではいずれ脱がされる。どちらにせよこのままでは分が悪そうだった。一旦仕切りなおす為、ナナシは回避と防御に専念しながら周囲の建物を蹴って、上を目指していった。

 

二人は建物の屋上に着地し、距離をとったまま互いに剣を構え直す。

 

「覚悟はできたか? 妄言野郎め」

 

ナナシの息も絶え絶えな挑発に動じず、鋭い目と剣を重ねて言い放った。

 

「こっちのセリフだ、俺の偽者が」

 

「いや、俺の偽者にしては随分弱いんだな?」

 

「……言わせておけば!」 

 

両者突撃。

互いに振り合った剣と剣が重なり交差する。先じてナナシが刃を受け流した━━突進の勢い止まらず、転倒寸前まで前のめるヒロ。

好機と見たナナシは、身体がすれ違う寸前に腹めがけて蹴りを繰り出す。が、それはそのまま前方へ飛び込んでかわされてしまい……されど逃すまいと、空を浮くヒロへ振り向きざまに剣撃を放つ。

とっさにヒロは地に右片手をついた。逆立ち状態の彼へ襲い掛かった刃を剣で打ち返すと、そのまま右腕のバネを利用し大きく飛んで、屋上から離脱していった。

 

「逃がすか!」

 

地上へ落ちていった後を追いナナシも続いた。

ナナシが路地に着地した瞬間を狙って、ヒロが顔面に飛び蹴りを仕掛けるも……剣の腹で防がれる。

しかし計算の内。剣に着地した一瞬で、ヒロはズボンの留め具部分を斬りつけたのち、宙返りで離脱していたのだ。

 

「くっ……!?」

 

ナナシは自身のズボンを見た。ずり落ちそうになる手前、まともに動ける状態ではない。そう、今もし相手に仕掛けられれば━━

 

「終わりだ。ナナシ!」

 

すかさず剣を仕舞ったヒロが再度接近し、袖口に左手が伸ばされた。しかしその指先が掠めるかというギリギリでナナシは身を翻し、見事にカウンターストリップを仕掛け返していた。

 

「終わるのはお前だ……ヒロ!」

 

瞬間。ヒロが目を見開く。

彼の驚異的な動体視力が覚醒し、周囲はその動きを止めた。まるで、その場が停止(ポーズ)画面になったかのように……

そして次の刹那━━ヒロの、まるでコマ飛ばしのような動きから繰り出される、神速の脱衣。彼はカウンターに反応し回避した上で、更に返したのだ。

上服を脱がされたナナシは何が起こったのかも分からず驚愕する。ヒロの右手にしっかりと握られたその服を見て、ようやく状況を理解した。

 

「な……!? ありえないだろ……!?」

 

「下っ手くそだなぁお前……そんなんでこの先戦えると思ってたのか? 笑わせんなよ」

 

事実彼の頭を冷やす為剣を交えたはずが、逆に圧倒されてしまったのだから……ナナシとしてはその言葉に黙るしかなかった。

 

『ナナシさんっ!』

 

そこへ、先程の戦闘に勝利したのだろうか、末端が再び駆け寄って来るのをぼうっとヒロは見た。

 

「やられやがったか……まぁいい。ナナシ、これで懲りたら皆連れてさっさとここから失せろ。……今はこれで見逃してやる。だが━━」

 

「次は灰にする」

脱がした服を投げ返し、その場を去っていくヒロ。ナナシは、戦おうとする末端を手で制止する。

追う事はできない。

今は……止められなかった己の悔しさを噛み締める事しか、できないのだった。



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08. 一人で駄目なら

━━自警団アジト

 

 

久々の集合が叶った自警団一同。惜しくもナナシが欠席してしまったものの、そこではメンバーが楽しそうに場を囲んで、立ち話に興じている。パトロールの任があるはずだったが、しかし大いにお祭りムードな彼等。そう、クリスマスイブという……こと今日に関しては、例外的に任務もお休みなのである。

 

「今日は集まれて良かったなぁゴンちゃん」

 

「う、うん、ノブくん。折角の日だからね……明日はダブプリのクリスマスライブもあるし!」

 

盛り上がる二人をよそに、サラは人数分のオムライスをテーブルへ置きながら、残念そうに視線を落としていた。「ナナシさんは来れませんでしたが……」呟く彼女に、けれどもヤタベが明るく言う。

 

「やだなぁサラさん。ナナシ君が来れない理由は決まっているさ」

 

配膳を終えた彼女はテーブルに置いてあった銀のトレーを抱えた。それから言葉は無かったものの、一応の納得を得たように沈んでいた面持ちを元へ戻し、鼻で息をついていた。

傍ら……明日のライブへ向けてカメラレンズの手入れをしていたゴンが、手を止めて代わりに言葉を発した。

 

「そ、そうですよね。ナナシ君の為にも、クリスマスが中止だなんて言えないですよ」

 

「俺は中止でもどっちでもいいが……こうやって変わらず集まれてさえいればさ」

 

言いつつも、未だ不満そうな面持ちなのはノブである。

それから……彼は胸ポケットから取り出したスマホ画面をつついて、一人毒づいている。

 

「にしてもナナシ(あいつ)、ちょっとくらい顔出したって良いのにな。……メールにも反応ねぇし」

 

「まぁまぁ仕方ないさ。ナナシ君だって今日は大一番だろうからね」

 

そしてなだめるヤタベ……彼が言った大一番、というのはクリスマスデートの事。

……というのも。ナナシと文月瑠衣の仲の良さは、周知の事実であり……自警団も密かにではあるものの、二人に対してカップル同然の扱いをしている節があった。……本人達の心情が実際どうなのかはともかく。

そして今日はクリスマスイブ。それなら彼から連絡が無いのも言うに及ばずじゃないか、という事である。

 

「瑠衣さんに笑顔が戻られたのも、ナナシさんのお陰ですから」

 

そうしてサラも二人の仲の良さには太鼓判を押している程。ただ実際の所、今彼は仲良くデートをしている訳では全くなく、独り闘いに明け暮れている最中であるのだが。

 

「あいつのお陰かぁ」

 

どこか思う所があるような表情でスマホを仕舞ってから、ノブは腕を組んでテーブル近くの椅子へ座った。

少し会話に間が空いてから、

 

「でも正直、瑠衣ちゃんと付き合えるなんてすごく羨ましい事だと」

 

そう、ゴンが言いかけた時だった。

アジトの入り口から、こんにちわー……と、今にも消え入りそうで申し訳なさげな、まさにその文月瑠衣、彼女の声が聞こえてきたのだ。

 

彼女はなぜだか恐る恐るといった様子。

まさかまさか本人が来るとは思わず、ゴンは仰天の叫びと共に飛び上がっていた。

彼女の名を呼ぼうにもそれすら動転して言葉を噛むゴンと、「大丈夫かゴンちゃん!?」だとか、血相変えるノブの二人組はさておく事にして……。ヤタベが持ち前の柔和な笑顔を携え、快く彼女を出迎えていた。

 

「おぉこんにちわ瑠衣ちゃん。ナナシ君なら、ここにはいないよ」

 

「……はい。知っています」

 

…………予想外の返答に目を丸くする自警団一同。

そんな様子を見た瑠衣は、経緯を説明し始めた。

 

「あ、その。実はナナシは修行の予定が入って、今日会えそうに無いらしくて」

 

「元々は自警団の皆さんと……それに鈴とマスター(叔父さん)も一緒に呼んで過ごせたら良いなって思っていたんです。だからナナシには会えないけど、このまま他の皆と過ごそうかなって、その時は。……けど」

 

「鈴と叔父さんはナナシと二人で遊ぶと思ってて、なんだか張り切っちゃって。それで今更ナナシに断られたなんて言えなくて……二人にはナナシと遊んでくるって、嘘を言っちゃったから。……だから、できれば自警団の皆さんとだけでも、その……」

 

なんて彼女は改まって言い出せず、もじもじと視線を泳がせていた。

 

「瑠衣ちゃんっ!」

 

いつの間にか、ノブがもの凄い形相で瑠衣の両肩を掴んでいた。俯きがちだった瑠衣は直前まで気付かなかったらしく、

 

「ひゃい!?」

 

裏返った返事と共に身体を跳ねさせる程にびっくりとしている。

思わず縮こまる彼女を気にせず、というか気付きもせず「何言ってるんだ」と熱苦しくノブは続けた。どうやらスイッチが入ったようだった。こうなると彼はなかなか止まらない。自警団最年長のヤタベですら手を焼く位には……

 

「ここはナナシをぶっ飛ばさなきゃ駄目だ。ナナシの彼女として!」

 

「かっ、彼女……!? わ、私はただナナシとも遊びたかっただけで」

 

「クリスマスに遊ぶならそりゃもう恋人だよ恋人!」

 

「えぇええ!?」

 

その理論だと場合によっては……自警団全員恋人という意味の分からない状況にもなりかねないが、まぁ、細かい事はもはやいいのである。顔真っ赤っ赤な瑠衣から手を離したノブは、演劇でもやってるみたいにその場で大立ち回りした。 

 

「最近のナナシの忙しそうな素振り……まさか、まさか!」

 

「俺はあいつを男と見込んでいたのに! ITウィッチまりあを語り合う同じ男として!」

 

「あの地獄のコミケで夜を明かしたりもした! エロゲーを語り合った!」

 

「同じエロゲー趣味を持つアイツの」

 

しかし一同を置いてけぼりにしつつ熱くまくし立てる流れは、ついにヤタベによって断ち切られる事になり。

 

「ノブ君? 話が脱線しているから。落ち着こう、分かったからね」

 

「と、とにかくだな。アイツがそんなことする奴だったなんて見損なったぜ!」

 

と、そこへ思わずゴンが口を挟んだ。

 

「そそ、そんなことって……修行じゃなくて?」

 

「言うなゴンちゃん!」

 

(もしかしてノブくん、浮気って言いたいんだね?)

 

ゴンはひっそりと耳打ち、すると彼は小声で、そうだ、と真面目な顔で頷く。さすがにそれは無いんじゃないかな…………一人思うゴンだった。

 

「ですが、ナナシさんが瑠衣さんとの約束を断ってまでということは、その修行はよほど重要なのでしょう」

 

「だから(うわ)

 

サラへ爽やかな笑顔を向けた彼に「ストーップ!」とゴンが絶叫しつつ、飛び込むように手で制止していた。

ノブはハッと気付いて冷や汗を垂らし、あぶねー……なんて思いながら顔を強張らせる。

そんなやり取りに驚いた瑠衣は、ノブとゴンの二人へどうしたの? と問い掛けるも、笑顔で言葉を濁されるだけ……

どう見ても不自然だった。

 

「む……嘘ついてる?」

 

懐疑の念を持って、ノブの顔をじっと覗き込んだ……けれども彼は、自信に満ち溢れた表情でこう言い切る。

 

「俺は嘘なんてつかないぞ」

 

そうしてふっと笑う様は、世の女性なら漏れなく騙されてしまいそうな甘いマスク。もしナナシがこの場に居れば、このすけこまし野郎が……とか野次を飛ばしている所。

ともあれこれでやり過ごした……かと思いきや、

 

「ぅう嘘つくなんてそんなぁあぁぁ!?」

 

その横ではゴンが大慌てでうろたえていて。

 

(焦りすぎだゴンちゃん……ッ!)

 

ノブはたまらず拳を握り締め、先程の爽やかな笑顔は跡形もなく消えていた。何をやっているんですかと、サラの冷めた視線が送られる。

けれども、瑠衣はにっこりとした笑顔を向けていた。

 

「……そうだよね。疑ったりしてごめんね」

 

逆にノブが衝撃にビビらされる程の純真さ。……ナナシが普段の彼女を心配して気にかける訳だった。

 

「ぃ、いや……大丈夫だよ」

 

あたふたするゴンを傍目に、ノブは罪悪感に苛まれていた。こんな子を一瞬とはいえ騙すなどと……そんな良心の呵責と共に、ナナシに対しても一層の怒りが湧いてきてしまい。

 

「決まりだ。瑠衣ちゃん、ナナシに殴りこみを掛けるぞ!」

 

「えぇえ!? ノブくん、そんなダメだよ、喧嘩なんて!」

 

「これは必要な戦いなんだ。瑠衣ちゃんの為にも、ナナシの為にも!」

 

「は、はいっ!?」

 

ノブの力説に瑠衣も思わず姿勢を正す。

ヤタベは、和やかに「なんだか楽しそうだねぇ」なんて平和的に見守っていた。

 

「ヤタベさん、これは戦いなんです!」

 

「おっとそうだったね。ごめんごめん」

 

それからノブによる「よし、秋葉原自警団出動!」の宣言で、ゴンとヤタベもとりあえず雰囲気に任せて、掛け声と共に右腕を突き上げた。ノブに圧倒されつつも、なんだかんだ彼等もノリノリである。

 

「居場所も分かりませんのに、どうなさるおつもりなんです?」

 

すました顔でぴしゃりと放ったサラは、しかしそんな空気をすっぱりと切ってしまう。

あっ、と固まったノブとゴンに、「はは、私はついノリでー」と笑うヤタベ。

そんな彼等に、彼女はまた困った様子かと思えば。

 

「とはいえ私も、そんな皆さんが好きなのですけれど」

 

小首を傾げ、日照りの様に暖かな笑顔を向けていた。

 

 

 

 

━━師匠の屋敷 

 

 

場は転じて屋敷の闘技場。

そこにあったのは、ひたすら修行に打ち込み続けるナナシの姿。

彼はヒロとの対決の後……新しい代えのズボンも購入し、その後真っ先に師匠の屋敷へ向かっていたのだ。

結局のところ、ヒロ達の襲撃作戦は反撃により、失敗に終わったようではあった。しかし彼は一安心する間もなく、こうして鍛錬に励んでいる。

一刻も早く、強くならなければという思いの下に。

 

「また私の勝ちだね。だけど今のは惜しかった。さてと、そろそろ休憩にしようか」

 

「……くっ、分かった」 

 

準備が出来たら呼んでくれと言い残し、下僕は去っていく。それを見送ってからナナシは悔しげに腕組みし、どかりとその場にあぐらを組んだ。ため息がつのるばかりだ。

このまま経験値を積んで地道に強くなっていくしかないのか……"修行に早道なし"であろうが、脅威は待たずにすぐそこにある。後悔はしたくない。その為には……

ナナシが視線を落とすと、丁度、踏み割れた地面が視界に入ってきた。

 

(下僕が地面を踏み蹴って出来たヒビか……)

 

「とんだ怪力だな……」

 

恨めしそうに愚痴るものの、しかしながらナナシには、紛い者の短所についてもある程度の把握は出来ていた。

それは彼らが怪力、その突進力ゆえ細やかな機動は苦手としており、直線的な動きをしがちということ。突進してから方向転換する際も、力ずくで無理やりブレーキをかけている……地を踏み割る程にだ。

ならばこちらが柔軟な動きで回避し、相手の力を受け流せば……動きの硬い彼らに隙を作れるのではないかと、彼は考えていた。しかし理論はそうでも、それを実現するのが中々難しい所。その為の修行という訳なのだが。

 

さておいて先程、ノブから送信されたメールが気がかりでもあった。

『ナナシ! 今どこだ! 今すぐ教えろ!』━━という鬼気迫るような内容に返信はしたものの、その後が返って来ないのだ。

 

(大丈夫なのか……? 何かあったんだろうか)

 

「ナナシぃーーーー!」

 

その時、後ろからノブの声が聞こえた。立ち上がって振り返れば彼を先頭に、自警団の皆が駆け足で迫って来る。

 

「ノブ! 皆! どうし━━」

 

ほっとしたナナシだったが……その両肩を突然ノブにがしりと掴まれて、問いただすように前後に揺すられていた。

 

「瑠衣ちゃんほっぽって何してやがったぁぁぁ!」

 

「ああぁああ」……質問に答えようにも揺らされすぎて言葉にならず、口から間抜けな声しか出てこない。そして答えないから揺すられ続けるという拷問がナナシを襲った。何がなんだか、それからノブが少し落ち着いてようやっと拘束を解かれた。

お互いにしばらく肩で息をし合った所で……お見合い状態から気を取り直したナナシが、半ギレ気味に拳へ力を込めて言った。

 

「修行だよ! 修行!」

 

「なんで修行なんかしてるんだお前はっ!?」

 

「決まってる。このままじゃ瑠衣を守れない。俺は強くならないといけないんだよ! ……瑠衣を守るって、約束したんだよッ!」

 

俺が守らなきゃ誰が瑠衣を守るのかという、懸命な、そしてもはや愛の告白じみた主張であった。

文月瑠衣自身は、未だ恋愛関係にあると思ってはいないが……それでもその宣言は彼女にとって純粋に嬉しく、かつ恥ずかしいやらで遠巻きに赤く顔を染めていた。というか、言った本人と聞くノブ以外全員何かしら驚いている。

しかし彼等二人は至極真面目。ノブは口を挟む事も無くひととおり聞き終わると……それから初めとは一転して、落ち着いた声色で言った。

 

「……なるほどな。お前も生半可な理由じゃないことは分かった。まぁそれに、約束を守ろうって気持ちも分かる」

 

「ただ、こう言っちゃなんだが心配したんだぜ? あんまり一人で突っ走るなよな。自警団は俺達で自警団だ。ここを救った時だって、皆で協力して進んで来たんだからな! ……だったら今回だって、これからだって同じことさ。だろ?」

 

「ノブ……! …………たまには良いこと言うじゃないか」

 

「だろう? たまには、は余計だけどな」

 

(……まぁ実は浮気の心配だったんだが、この流れだと言えねーな……)

 

「ともかく、お前の修行に望む覚悟は分かった。俺が受け取った! ITウィッチを愛する同志として!」

 

「頑張れよナナシ!」

 

「……ああ。勿論だ!」

 

同意からまもなく。硬い誓いを示すようにがしっと互いの腕を組んだ、その二人を遠目にして、不可思議な超常現象へ立ち会ったみたいにゴンが覗き込んでいた。

 

「……仲直ったんですかね」

 

サラを横目に言った。彼女もいつものすました顔ながら、小さくため息を吐く。

 

「喧嘩をしたと思えば。良く分かりませんね」

 

「サラさん、それが男の子というものさ」

 

ヤタベは嬉しそうにガッツポーズをした。……けれどサラはともかく、ゴンまでもあまりピンとはきていない様子ではあったが。

それから瑠衣がナナシへ駆け寄っていった。自らの名を呼ぶ彼女を目の前にして、申し訳無さそうにするナナシ。

瑠衣の為を思って修行に打ち込んでいたハズが……、一年に一度の今日ぐらい、修行なんて考えずに彼女の近くに居てやるべきだったのではないかと。そういった思いも彼には勿論あった。けれども苦戦が続き、それからヒロとの戦いによって……いよいよ焦る思いが強くなってしまったのである。

そんな彼が謝ろうとした矢先、瑠衣は言った。

 

「……ねぇ、ナナシ。私も出来る事をするからさ。キミは私を助けてくれる……だから、私にもキミを助けさせて欲しい」

 

……なんて優しいのだろう。この世にこんな娘が居て良いのか?

修行疲れも手伝って無性な感激に抱き付きたくなったが、流石にここでそれは色々まずい。

場面的にも倫理的にも。珍しく空気を呼んだナナシは……ほころびそうになっていた表情を無理矢理固め正した。

 

「瑠衣。……そうだよな。それにありがとう、皆」

 

(ナナシ、なんかヘンな顔になってる……)

 

「俺は言いたいことを言っただけさ」

 

そんなノブの後ろで、ヤタベとゴンは申し訳無さそうに頭を掻きながら、縮こまっていた。

 

「私は着いてきただけだよね」

 

「僕も……」

 

「それじゃナナシ、修行がんばろう。私に何か手伝えるかな?」

 

「よし任せろ、俺も手伝うぞ!」

 

「ノ、ノブ君は何するの?」

 

「……やべ、何も思いつかね」

 

「あはは。ノブ君らしいや」

 

笑いが溢れ。ヤタベはやれやれだね、と困惑ながらに微笑んで、サラは全くです、と言いながらも涼しい顔。

うーん、いつもの自警団だ。安心する━━っていや待て。

 

「おいおい待ってくれ、皆クリスマスは?」

 

動揺するナナシの言葉に「クリスマスは中止」と優しく微笑む瑠衣。

……どうしたものか、自分だけが出席できないならともかく、まさか全員を巻き込んでしまうとは。

改めて身勝手を呪うナナシだった。というか瑠衣、クリスマス中止なんてワードどこで覚えたんだ。まぁた彼女に変な事吹き込む輩が居るみたいだな……と思ったらそれも自分だった。

色々と罪深い男だ……そんな事を思い、そしてその罪深き男を前に、ヤタベは朗らかに笑いかけるのである。

 

「あはは。瑠衣ちゃんの言う通り、今となっては中止せざるを得ないね。いやはや、元々我々が行なう予定だった今日の会だって……中止決起だしね? 本当に中止した所で問題はないよ」

 

「そうそう。瑠衣ちゃんを守る為の修行があるんだろ?」

 

「ぼ、僕に何が出来るか分からないけど……」

 

「皆さんそう仰っておりますし。頑張りましょう、ナナシさん」

 

(みんな……! ……こんな優しい空間に居て良いのか!?)

 

しかし感動もそこそこに、ぞわっとする気配を感じた。後ろではいつの間にやら戻ってきた下僕がガッツポーズをしながら、すごく変な━━舐め回す様に変態的な━━動きをしながらこの場を観賞していた。感動が台無しである。 

そんな下僕に目尻をひくつかせながらも、ともかく、こうも言われたらその想いに応えるしかない。でなければこの手前、今度こそ本当に男が廃るというものだ。修行をとにかく頑張って、再び強くならなければ!

紛い者だって、弱点である小回りの利かなさを突けば、きっと突破口は開けるはず━━

 

(━━まてよ? 良い事思いついたかもしれない)

 

「……瑠衣、俺を助けてくれるか」

 

「うん。勿論!」

 

「よし! それなら……」

 

その言葉を最後にして、ナナシは下僕の待つ方へと振り向いていた。

 

 

 

 

闘技場でナナシに対峙し。そして威勢も良く両拳を構えたのは、修行相手の下僕。

 

「良いとも。一人増えたところで、この圧倒的なパワーの前には無意味!」

 

下僕は余裕そうに含み笑いを見せていた。

あれから改めて修行を再開した所だ。ただ前までの修行風景とは少し毛色が違う。というのも下僕に対するのは、ナナシに加えてそれから文月瑠衣の二人タッグになっていたからで。

一人増えたところで、というのはそれを指しての事だった。

 

……ナナシが瑠衣に軽く耳打ちした後、戦いの火蓋は切って落とされる。

しかし。

いざ始まったはいいものの、二人は下僕の様子を伺いながら動き回るのみで、一向に攻撃を仕掛ける気配は無い。

下僕は動きを視線で追いながら訝しんでいた。しばらくして━━

 

「何のつもりかは分からないが……私は受け待つよりも脱がしに行く性でね。……仕掛けさせて貰おう!」

 

━━宣言と共に突撃したものの、攻撃は軽やかに身をかわされるばかり。そして避けられる度、また直線的に二人を追っていく。力強く地を一蹴りして迅速に距離を詰めるも、そこからまたひらりと逃げられては、急制動による方向転換を試みる。

 

……その挙動はナナシの予想通りだった。そして踏み込んだ際に一瞬ではあるが、その足を取られ、滑らせている事も見て取れた。やはり、自らの脚力に振り回されていたのだ。

 

対する二人は、以心伝心で完璧に隙をカバーし合い、相手を翻弄する。急な本番でこれ程の連携とは、誰が見ても驚きであったし……それは協力を提案したナナシ自身でさえもそうだった。

有利になるとは思ってたが、ここまでとは。……そんな彼自身の驚愕。

それに加えて。

戦いの最中……それもあの紛い者を前にしているというのに……今まで感じていた脅威と焦りもどこかに忘れて、それどころか、なんでか悪くない気分にすらなってくる。そんな感覚に襲われていた。

不思議に思って彼女を見れば、彼女も嬉しそうに生き生きと動いている。

 

……もしかしたら、互いに気持ちは同じなのかもしれない。

 

そして、そんな彼の思いは当たっていた。そう文月瑠衣も、同じなのである。

協同し、こうして心合わせつつ動くという事に……どこか充足感、安心感さえも覚えていたのだ。

もはや今の二人には、今更戦う相手が何だろうと脅威を感じる余地も無く、そこにあるのは共に戦える事の心強さだけ。たとえどんな敵が立ち塞がって来ようと、今の二人なら必ず一糸まとわぬ姿に出来ると、互いに信じて疑わない。

そう、勿論それが……紛い者相手だったとしても!

 

「行くぞ瑠衣!」

 

「うん、ナナシ!」

 

翻弄される下僕に隙を見た二人は、それぞれ互いの名を呼び交わした。次の瞬間には下僕が瑠衣の足払いで浮かされ、ナナシの蹴り上げによって打ち上げられ。互いは左右から同時に跳び上がって、瑠衣が上服を、ナナシが下服を、見事に脱衣していたのだった。

 

新たな連携技の下で、遂に彼等は……その手に勝利を掴んだのである。

 

 

 

 

「私を負かすとは。ナナシ君、見事」

 

いそいそと脱がされたスーツを再び着込みながら、下僕はその技術を賞賛していた。

 

彼等が編み出した新技、協同脱衣(ユニゾンストリップ)は翻弄に弱い紛い者へ特に有効な脱衣技。ナナシとしても今までは正攻法だけで、この様な戦い方をしたことは無かったが……試みは上出来だった。相手の隙を突いて一気に脱がしきるというシビアさを要求される連携も、瑠衣となら問題は無い事も証明されている。

対紛い者に有効な脱衣技として、一応の完成を見たのだ。

 

(翻弄し、相手の隙を突く……か)

 

柔よく剛を制すとは、こういうことか? ナナシはそんなことを思っていた。

そこへ、師匠が闘技場の奥から現れる。ナナシは師匠の生の姿を見るのは初めての事であり、メガネを掛けていて清楚さを感じさせるその意外な出で立ちに驚いた。しかしだからこそ、その秘められた本性はより恐ろしく感じられる……というのもまた事実。

 

「……エクセレント。遂につかんだようね、ナナシ」

 

そんな師匠は妖艶な笑顔の元、健闘を褒め称えた。

囲んでいた自警団の面々も一眼レフ片手に喜んだり、いつもの気品あるメイドスマイルで優しく微笑んだり。はたまた場を離れていたノブとヤタベは、差し入れの缶飲料を片手に不思議そうな顔をしていたり。

 

「やったねナナシ!」

 

「瑠衣のおかげさ」

 

人々の中で喜びを分かち合うナナシと瑠衣の二人だったが、しかし師匠は釘を刺すように忠告するのだ。

 

「それでも、所詮は二対一よ。いつも二人居るとは限らない。いつかは、必ず一人で脱がさなきゃいけない時もあるわ。それもきっと少なからずね……だからこれで満足しちゃダメ。あなたには、まだ伸びしろがあるのよ」

 

言う通り、これはあくまでその場凌ぎのアイデアだった。ナナシ自身がこれから強くなる必要性に迫られている。その為にはこれに満足せず、修行、修行あるのみだ。

己の握り拳を見つめ決意も新たにした時。御堂もいつの間にやら師匠とその場を共にして、彼女も素直な喜びを向けてくれていた。

 

「おめでとうございます、ナナシさん。新しい脱衣技を閃いたようですね」

 

「御堂さん! 御堂さんはどうでした?」

 

「ええ。私も閃きましたとも。私にしかできない、特別な"脱衣"を」

 

確かな自信があるように胸を張る彼女に、ナナシと瑠衣は首を傾げた。御堂はそんな二人の様子を見止めて、それもそうか、と反応に納得した様な目。

 

「説明するより、見たほうが早いでしょうね」

 

言うと、御堂はスーツの裏側に仕込んでいた胸ホルスターから、手慣れたさばきで9mm拳銃(P220TB)を引き抜いた。「それはっ!?」……思わずびっくり仰天するナナシ。

 

「御堂さん……実はエアガン趣味?」

 

尚当惑する彼に、しかし御堂は至極真面目な表情でただ一言、

 

「ホンモノです」

 

また恐る恐る聞き返す。

 

「御堂さんそれはマジ?」

 

「はい。それでは……失礼します」

 

彼女は真面目な顔色を変える事も無く、丁度服を着終わったところの下僕へ向けて拳銃を構えた。次の瞬間……

銃口から発された発砲炎。それと共に、断続するけたたましい銃声が周囲に響き渡った。音からして恐らく、数連射はしたものと思われた。

ゴンはその轟音に思わず、ひぃ、と怯えながら耳を塞ぎ、身をすくませた。

 

「耳鳴りかな? もう年だね~」

 

なんて、あはは、と朗らかに笑うヤタベに「違います」とサラが突っ込む。

ナナシと瑠衣はその場で呆然と固まり、目を点にして立ち尽くすばかり。誰もが呆気に取られている中で、いち早く変化に気付いたのはノブだった。

 

「脱がされてる……!? こいつはどんな手品だ!?」

 

「フフフ、変態は二度脱がされる……」

 

下僕も言う通り、確かに脱がされている。今まさに感無量の面持ちで言葉を零した下僕は、パンツ一丁の姿に逆戻りさせられていた。誰もが目を背ける、あられもない姿が再び公然と晒された。それは下僕にとってかわいそうなのか……しかし光悦に満ちた表情なのだから、本人的には良かったのか。救いようがないのか。

 

「こんなところでしょうか」

 

御堂は構えた姿勢から流れるように、拳銃を胸のホルスターに仕舞った。

 

「そうか……いや意味が分からんわ!」

 

突っ込むナナシに、真面目な顔で御堂は解説し始めた。いや、意味が分からないとは言ったけど……、であった。

 

「敵のウィークポイント……ボタン、ベルト等々(とうとう)を銃弾で弾き取り、弾丸を自らの拳と見立て敵を脱がす。脱衣術と銃術の融合……」

 

「これこそ新たな技、遠距離から放つ"脱衣"です」

 

そして、さも満足そうな顔で褒め称える師匠。

 

「脱衣は極至近距離で仕掛けるもの……その前提を覆した素晴らしい脱衣方法だわ」

 

なるほどさすがだな。……みたいな空気になってるけど、いやもう色々おかしいって、おかしいよね? と俄然抗議したくなるナナシ。が、師匠は尚続ける。

 

「警視庁の射撃大会で常にトップの成績だった、御堂にしかできない荒業よ……まぁそれだけじゃなく、柔道剣道の方も優秀なのよね? 御堂は」

 

……そんな凄い人だったのか。と、一時感嘆。いや、国の特務機関に引き抜かれるのだから……かなりの経歴であろう事はナナシも分かっていたのだが、それにしても、だった。

なるほどそれならば、瀬嶋がプロフェッショナルの集いたる"NIRO"の人員として、優秀な実績を持つ彼女を引き抜いたのも頷けた。そもそも人間でありながら、カゲヤシとの戦いに二年程身を置き生き残ったほどの実力者である。

 

「な、そんな事を師匠(あなた)に言った覚えは……!?」

 

その実力者は、大層焦った様子で取り乱していたが。

 

「御堂の事なら何でも知っている」

 

それは不意に、ぞくりと悪寒を感じさせるような声色。師匠は彼女をご満悦で見つめていた。まるで獲物を前に舌なめずりをしているかのように。

 

「何者なんですか!」

 

「そんなことは重要ではないわ。重要なのは、後であなたが私の部屋に来なくてはならないということ」

 

「行きません」

 

また熾烈な攻防が発生していた……最も、御堂は防戦一方であったが。

こんなだから師匠に瑠衣は会わせたくなかった。まさか瑠衣も餌食になったりしないよなと、ナナシは不安な心情にかられて瑠衣を見た。これがあるからこそ、修行中は彼女と会おうとしなかった、そんな節もあったのだ。

瑠衣は師匠と御堂のやり取りを見ながらも、相変わらず無垢な表情を浮かべていた。ますます心配だった。視線に気付くと不思議そうな顔で「どうしたの?」と問う彼女に、いや、と慌てて目を逸らす。

まぁ、師匠は御堂さんの方へお熱みたいだし、大丈夫かと一安心するナナシだった。もっともその御堂さんが危ないから複雑な心境ではあるのだが━━

当の御堂は半ば強引に、自らの脱衣技に話題を変えていた。

 

「ともかく、これはかなり優位に立てます。目立つのが最大の難点ですが……」

 

それが致命的なんじゃ? と率直に投げかけたノブだったが、銃声を隠すために消音装置を着ければ、ある程度は弱点を抑えられるはずだと彼女が答えた。

 

「━━その場合銃が大きくなりかさばるのが少々問題ですが。銃弾に関しては無薬莢式の、陽光分解性ゴム弾を使っていますので、雑踏の中で発砲でもしない限りは怪しまれないでしょう」

 

彼女の言う陽光なんとか━━弾とは、カゲヤシが日の下に晒されると炭化する特性を利用・応用した、着弾後ほどなくして塵となって消える、かつてNIROが開発した非殺傷弾丸である。お陰で証拠の隠滅に役立つ、という代物だった。

この新機軸の弾丸は一見革新的ではあるが、その実、無用の長物と化して眠っていたそうで……そして解体直後のNIROから、勿体無いからとどさくさまぎれに彼女が拝借したらしい。

その抜け目のなさに思わず、乾いた笑いを上げるナナシだった。

 

それから……師匠が頃合を見て、締めくくる様に労った。

 

「二人共、良くやったと思うわ。……今回は一段落ね。また来なさい……脱衣に身を捧ぐ者達よ」

 

御堂を連れ行く事は断念したのだろうか?

とりあえず、今回の修行は無事に実を結んだかと皆が胸を撫で下ろし、帰り支度を始めようとした時に……師匠は付け加えて言った。

 

「ただし御堂だけは残りなさい」

 

「イヤです」

 

一同隠れ家からそそくさと撤収する中、御堂の戦いだけはもう暫く続きそうであった。

 

 

 

 

━━自警団アジト

 

 

一旦修行を終え、アジトへと戻った自警団メンバー。彼等は輪を作り、そこでは今後についての会議が始まろうとしていた。

 

そこでまず第一声をあげたのは、ナナシだ。

 

「……まずは、自分から色々と話すべきことがあると思う。俺はつい最近、紛い者とかいう人造カゲヤシと戦って、一度負けかけた。それで修行を始めたわけだけど。あいつらは筋力に関して俺達、通常のカゲヤシを軽く超えてる。まさに、戦いに特化したカゲヤシってやつ……」

 

「けどそれだけに全体のバランスは悪そうなんだ。お得意の力も上手く制御しきれてなかったりして、色々持て余し気味の結果、上手く動けなかったり……さ。それ以外にも弱点はあるのかもしれない」

 

「その分はこちらが有利……ということかな」

 

と言うのは、神妙な様子のヤタベの言葉。そして今度はノブが、転じて神妙どころか軽妙ぐらいな様子で続ける。

 

「所詮は人が造ったモノ、どこかしらボロはあるってことか」

 

とはいえ軽いノリなのは彼くらいで、ナナシが見渡せば皆どこか浮かない顔をしていた。いや、この状況で浮かれられる方がおかしいけれども。

瑠衣に至っては、悲しそうに俯いている程だった。

 

「私達カゲヤシは、戦いの道具なんかじゃ……」

 

彼女の呟きを、サラはやるせなさそうに一瞥してから言った。

 

「一体、それで何をするつもりなのでしょう。……そして、どうそれを造り出したのでしょう」

 

「そのような技術を持っている組織……あるのでしょうか」

 

「どうかなぁ。ぱっとは思いつかないよね」

 

ヤタベが首を捻りながら、顎をさすっていた。答えが出ずに沈黙が生じかけた所で、またノブが発言した。

 

「で、ナナシはそれに勝てそうか?」

 

「一応さっきは勝ったけど。紛い者は言うなれば、筋肉増やしすぎて小回りの利かなくなった……トラ○クスみたいなもんさ。ほら、ドラ○ンボールのセル戦」

 

ノブだけはピンと来ていたようだったが、他は良く分かっていないようで。自信満々に提示してみせたナナシは思わずずっこけそうになる。

ならば全員が分かる例えを探そうと、皆口々にあれじゃね、これじゃないか、と次々それとなく例を挙げていった。しかし……誰もがマニアな知識に基づいた例えを挙げるせいで、むしろそれは難解になっていき、どの道サラと瑠衣だけはその意味するところが分からなかった。

遂にはアニメの話題に傾きつつあるところを……サラが咳払いによって静かに牽制した所で、ナナシはテイク2とばかりに、真面目な調子を作って話を持ち直した。

 

「……つまり、その弱点さえ分かった今となっては脅威じゃない」

 

「ふむ、なるほどな……」

 

と、こちらも真剣に頷くノブ……彼は演技でもなく本当に真剣であって、つくづく切り替わりが早い男である。

そして取り残されていたのは、一人ぽかんとする瑠衣。

 

(あれ……? 話が進むのかな? 結局私にはどういう事なのか、分からなかったけど……)

 

「……というかナナシ、脅威じゃないってそれ本当か?」

 

「えーっといや悪い、それは調子乗って言いすぎた。正直やっぱ強いじゃん? やばいじゃん?」

 

「おいおいナナシ頼むぜ! ま、お前なら心配ないとは思うけどな」

 

「うん、ナナシなら大丈夫だよね!」

 

「おう瑠衣! 任せとけって!」

 

「おっナナシ君、心強いねぇ」

 

メンバーは楽しそうに笑っていた。少しその場から距離を置いていた、ゴンとサラ以外は。

 

「さ、サラさん?」

 

「ゴンさん。どうかされましたか?」

 

「い、ぃやその。なんだか顔色が悪いなと思って」

 

「いえ、ご心配なく」

 

言葉とは裏腹に、サラは頭が痛むように額へ手を当てた。頭痛のタネは勿論言うまでも無い。

この雰囲気を好んではいるとはいえ……

 

(大丈夫なのでしょうか……私達……)

 

 

 

 

……自警団アジトでは気を取り直して、ナナシによるテイク3が行なわれていた。

 

 

「紛い者は弱点があるとはいえ、それでも俺が戦った中では相当強い。とにかく多少対抗はできそうだけど、これから俺も修行して、もっと強くなる必要がある」

 

「それと問題はもう一つある……ヒロだ」

 

そう、彼の事もメンバーへ伝えなければならない。

しかし自らがヒロと戦ったあの場をどう伝えたものか? 憂いの表情でうろうろと歩き思案していると、ノブが目の色を変えて身構えた。

 

「ヒロ? あいつがどうかしたのか?」

 

「ああ、問題はヒロなんだ……ヒロ……」

 

ぴたりと歩み止めて、しばし黙り考え込んだ。周囲は静かに見守っていたのだが。

なんだかあの場面を思い出して考えるあまり、ナナシは無性に腹が立ってきた。

 

「ヒロ……あいつ……絶対許さねぇぇぇ……!」

 

どう料理してやろうか……ぶつぶつ物騒な事を一人呟く背中からは、どす黒いオーラが湧き出ていた……ノブは身構えた矢先、動けないまま。

 

「いや……何が問題なのか言ってくれ……」

 

ようやく彼は、ヒロについてあらかたを説明した……

 

 

 

 

「……あのヒロ君がかい?」

 

「それは、本当なのですね……?」

 

「そう、確かに俺はヒロと戦った。あの集団に味方してるんだろうと思う」

 

「どうして……? ヒロ君はそんな悪い人には……見えなかったよ」

 

「そうだねぇ。ヒロ君については、私らもよく知っている。そんな子じゃあ……」

 

予想はしていたものの、やはり誰もがその説明を理解しがたい様子で。しかしナナシはその目で見て、確かに知っているのだ。

あの時の、別人のようなヒロを。

 

「普段の無気力な感じでも、ふざけてるヒロでもない。背筋が凍るような目つきだった」

 

(……いや。あいつ、普段のだるそうな目……どこか冷たさがあるような気もしたが)

 

「とにかくあの時は完全に……いつものあいつじゃなかった」

 

うーん、と唸ったり、首を捻ったりでそれぞれは一様に言葉を詰まらせていた。しかし少ししてヤタベが、未だ疑問を拭えない様子を見せながらも切り出した。

 

「とにかく今はまだ……分からないことだらけのようだね」

 

 

 

 

(……今はまだ、か)

 

そう、今はまだ。

だがいずれは分かる。霞会志遠、彼女の依頼をこなし、奴らを追えば。

 

「その先にきっと……」

 

「しかしよナナシ、やばいんじゃないか」

 

「ん?」

 

「ヒロが敵に回ったなら、このアジトも、瑠衣ちゃんの居たカフェも、全部バレてるだろ?」

 

ノブ本人としてはまだ軽い面持ちをしていたが、ナナシは凍りついた。確かに、彼が言うその通りだった。

他の面々も盲点だったのか……メイドスマイル以外は基本ポーカーフェイスなサラ以外、あっと面食らう反応をしていた。

 

「いつ直接襲ってくるか……」

 

「やばいいぃ! なんでそれを早く言わないんだぁぁ!?」

 

「おいおい、俺を責めるのはおかしいだろう!?」

 

どうする? とナナシは瑠衣に問う。瑠衣も目をぱちぱちさせて、二人は顔を見合わせた。はたから見るといちゃついてるだけであったが、周りももはやそれに構っている場合ではない。

ゴンも今まさに、酷く焦った様子で「急がないと」と皆を急かしていた。いつ襲撃をかけられるか知れないのだから、当然の反応と言えば当然の反応だった。しかし年長のヤタベはさすがに落ち着いた様子で、皆へ提案した。

 

「じゃあ……念の為に移動しとくかい? 新アジトの方に」

 

「アレがまた使われる日が来るとは」

 

ノブは感慨深げだった。

残念です、とサラだけは視線を落としている。折角彼女好みにデコレーションしたここを、また放棄せねばならないからだった。サラさんはそうだろうね、とヤタベは乾いた笑いと共に、心なしか恐れも感じさせる面持ちで言っていた。

 

「やれやれ、忙しくなるぞ。色々備品を調達しなければ」

 

やれやれと言いつつ、ノブはどこかわくわくと胸躍らせる様を見せ。……ゴンも同じような心境であるのか、

 

「でもこういう慌しさ、嫌いじゃないかも」

 

先程の焦燥もどこへやら、楽しげにしているようにすら見える。新アジト移行にまんざらでもない反応の男性陣としては、こういった展開に特有のロマンを感じ、心躍らせている節があるのだ。

メンバーは慌しく移動への支度に追われる。というより、自分達の私物の持ち出しに追われると言った方が適切か。前回移動した時に関しては、何も持ち出さなかった事もあり、新アジトは物一つ無いがらんどうの状態だった。けれどもあれは決戦直前だったからまだ良かったものの、今回は少し新アジトへ滞在する期間が長引くかもしれないのだ。という事で……皆ヤタベのミニバンに積み込める範囲で、思い思いに自らの大切な物を移動させようとしているのである。

そして、特に私物を置いていなかった瑠衣とナナシは他の邪魔にならないようアジトから出て、裏通りのアジト前通路まで移動し。そこでイチャイチャ━━ではなく、今後の行動について話し合っていた。

 

「ナナシ、私達のカフェ……どうしよう?」

 

「マスターに話しに行かないとな……ヤタベさんも行った方が話が早いかな」

 

「それとさ、ナナシ……」

 

「……どうした?」

 

「ヒロ君……大丈夫かな?」

 

「……ああ。何であろうと、俺の友人に変わりは無い。……全く。助けた恩も忘れやがって」

 

「あの馬鹿を連れ戻す」

 

彼女の手前、ちょっと決め顔でかっこよく言ってみた。

━━といっても、今どこにいるんだ?

目を細めてナナシは青空を仰ぐ。作り顔はすぐに緩んでいた。横で丁度日傘を差した瑠衣が、つられて不思議そうに見上げ。それからタワーPCを重そうに運び歩いて来たノブを筆頭に、後ろからぞろぞろとやってきた自警団メンバーもそれにならっていた。

 

今はどこか分からない。けど必ず探し出して。今度は止めて、あいつを連れ戻す。

果敢な思いが満ちかける矢先に…………しかし脳裏を不気味によぎるのは、あの時の不穏なワード。

 

『最悪の結果で終わるだけだ』

 

ヒロが投げかけたその言葉。

果たして、これから"結果(それ)"は変えられるのか? ……いやいや、あんなのは悪い冗談、ヒロの出任せに決まっているだろうと、ナナシは思い直す。そんな未来があるなんて言葉を信じてはいない。

それにたとえ言葉通り……次々と試練が自分達を襲い、その先にどんな望まない未来が待っているとしても。

それでも自分と瑠衣の二人なら、そして自警団で力を合わせれば突き進めると信じていた。

俺達で突き進んで、いくらだって夢のような未来に変えてやる。

その後に……思いつめたような顔してたヒロを、思い切り笑い飛ばしてやるだけさと。

 

「……待ってろヒロ」

 

そうナナシは、力強く決意を固めるのだった。

 

秋葉原自警団。

果たして一団は、秋葉原を再び救えるのだろうか?

前途多難な彼等は団結の下、この街を奔走していくのである……




(師匠が何かアドバイスする場面を入れた方が良いと思いつつ、もはや書き込む気力が足りず)

元ネタ
AKIBA'S TRIP2……ユニゾンストリップ
必殺技的な要素として、2から新たに実装された脱衣技。


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二章
09. 目覚め


メインキャラの装備一覧

妹:素手/妹の私服(上・下)

安倍野 藍:ブランドエレキギター/ライダースジャケット/チェックフレアスカート/マフラー
瞳は蒼眼、左目が少し濁っている。目つきが悪い、金髪に少し黒髪の混じった少女。
(モデルは原作のパンクガール)

【挿絵表示】


サカイ:素手/赤い鉢巻/パチモノパーカー/タンカラーチノパン/リュック
目が開けてるんだか分からないくらい細目。茶の短髪。
(原作ぽつりのahoNosakai)

瀬島 隆二:素手/瀬島のハット・スーツ(上・下)

※二章は妹の視点です。


これはナナシが瑠衣の妖主引継ぎの儀に向かっている頃……その同時刻に始まる、ナナシの妹のお話。

 

 

 

 

どうやら眠っていたようだ……

 

目覚め━━そこは見慣れない場所。まるで手術室のようで、部屋一面が赤い照明によって染められている……不快な趣の場所だった。

 

彼女は起き上がろうとするが、妙な抵抗があって身体がビクともしない。

そして、すぐに危機的状況であると気付く。

 

……彼女は手術台に、革ベルトで四肢の全てを拘束されていたのである。

 

慌てて見回せばそこには黒いスーツ服の男が三人。それと金髪が特徴的な、こちらもスーツ姿の男……"天羽禅夜"。

 

彼が様子に気付き、歩み寄った。

 

「やぁお目覚めかい……お嬢さん?」

 

そいつが視界を覗き込んで言った。気味が悪い程に不自然な作り笑いで、紳士ぶった口調も鼻につく。

真っ赤な部屋も拘束ベッドも、この薄気味悪い金髪も。どれも普通じゃなく、常軌を逸している。嫌悪を露にさせて身を左右に暴れさせるも、固い結束は肩を揺する以上の動きを許さない。

 

「ちょっと……これどういうこと!? ほどいてくれる!?」

 

金髪の作り物みたいな笑顔が一転して崩れ、忌まわしそうに生々しく歪んだ。

 

「解く訳ないだろう。自分の状況を理解しろ」

 

「理解できるかぁ!」

 

じたばたしながら必死に訴える様を、さも哀れそうに見返してくる。

 

「全く、金に釣られてこの様とは、貴様自身にも責任はあるぞ」

 

お金……そうだ。

おかしい、ただのバイトだった。面接をして……それで……

 

けれども美咲は、それ以上の事柄を思い出せない。

 

「うまい話には裏がある。そんな事も分からないのか?」

 

もしかしたら殺される……?

逃げたい。逃げないと、どうなるか分からない……

 

そんな思いが彼女を支配する。この状況で恐怖を感じない方が異常だ。これから何をされるのか、考えるだけで身の毛がよだつ。

だが、それで弱気を見せるような肝ではない。

 

「良いから離してよこの……ッ変態!」

 

一瞬面食らう男だったが……すぐにクールぶり、平静を装った。

 

「ふん……貴様の命は私が握っているということも分からないらしい」

 

「いいかい?」と彼は得意顔になって、ベッドの周囲を回り歩く。

 

「君は非常に幸運だ。他の候補は残念ながら適応できなかったんでね……処分させてもらったよ」

 

「君が最後の一人だった」、男は立ち止まり、頭上から囁きかけた。「そう、成功だ」と。

 

「君は晴れて紛い者となった。金なんかよりもずっといい報酬を手に入れたんだぞ」

 

そう言われるものの、先程から話が全く見えない。疑問顔で見ていると、彼はしたり顔で言葉を続けた。

 

「――力だ。シンプルだが魅力的だろう?」

 

は? いらないしそんなもの。というのが彼女の率直な感想だった。

 

「そんなものいらないから、さっさとお金寄越して帰しなさいよ!」

 

尚も吼えると遂に……

男の気取った振る舞いが、舌打ちと共に破られる。

 

「……また失敗なのか! 新型は記憶も消えるという話だったろうが……! ……おい薬を追加だ!」

 

「な、何すんの……!?」

 

「少しイラついたんでね……大人しくさせてやる。狂ったら狂ったで、実験材料にして廃棄処分にでもしてやるさ……!」

 

先程までのキザさは何処へ行ったのか、紳士風を演じていた割にどうやら血は上り易いらしい。

一転して残忍な笑みが剥き出す……こちらが男の本性だろう。それに後ろでは黒服達が何かを準備している。それを見て、彼女はいよいよ焦りだした。

 

「ちょ……っと! 何……!? 何なの!?」

 

「ちょッ分かった! お金いらないから! 帰してよ! 帰して……!」

 

「帰せー!」……彼女があらん限りの力を振り絞り、叫んだ時だ。

ふいに拘束が外れる。

 

……そこには今まで居なかった一人の少女。

 

誰、と美咲は問いかける。彼女は自らを『安倍野藍』だと、そう名乗った。

 

「もう大丈夫だ」

 

彼女の言葉を聞いて辺りを見ると、いつの間にか先程の男達は一様に、頭を押さえながら悶えていた。藍が急襲し、男達を一瞬の内に無力化していたのだ。

 

「実験だなんだと、ゴミのように扱いやがって」

 

言いながらギターを手の内で一回転させた後、背負っていた布製ギターケースに"納刀"した。そして藍は自身を横目に見る。

 

「お前を助けに来た」

 

「貴様ァ……!」

 

強靭にも先程の金髪、天羽禅夜が意識を持ち直し、剣による突きを仕掛けてきた。

すると藍は向かってきた右手首を掴んで引き寄せ、その鼻っ柱に頭突きをかました。

 

「ぶっ!?」

 

禅夜は反射的に顔を抑えて仰け反っている……その硬直を狙って腹付近の布地を藍の右手が掴んだ。

 

「くそッ!? 離せぇぇッ……!」

 

彼女は近くの壁まで駆け、壁を蹴り上がった後、そのまま天井を蹴って今度は急降下した。

 

コンクリートの地面に、猛烈な勢いで禅夜が叩きつけられる。

藍が叩きつけた姿勢からゆっくり立ち上がり、美咲自身へと歩み寄ってきた。

 

男はぴくりとも動かない。もはや起こっている事の何もかもが信じられなかった。

 

「ぇえぇぇぇ!? そ、そんな……し、死んだ……?」

 

「死んではいない。だが、今のはこいつでも効いただろ……」

 

(何これ!? 夢? 夢なの!?)

 

(考えてみればさっきから、訳の分からないことが突拍子もなく……)

 

「これは夢だったのね!?」

 

「……現実だ」

 

「夢!」

 

「現実だ」

 

現実……??

 

もしこれが現実だとしたら、今まで過ごして来た現実は一体なんなんだと、美咲は心の中で激しくツッコむ。こうなるともはや何が正しくて、何が正しくないのかも今の彼女には分からなかった。

 

「夢だったらどれだけ幸せだっただろうな。お前も私も」

 

「だが残念ながら、これは現実なんだ」

 

そう言って藍は厳しい表情の下、瞳を伏せる。

しかしすぐにハッとして、今度は冗談交じりに美咲の頬をつねった。

 

「ほれ。痛いだろ?」

 

「いたたた」

 

「――って何すんのっ!?」

 

不意の痛みが引き金になって、この不条理に巻き込まれた悲しさやらの感情が、今になって一気に爆発した。涙目で見られた藍は焦っている様だ……

 

「す、すまない……! そういうつもりでは……」

 

それから数秒硬直して、藍は素に戻る。

 

「……こんなことをしている場合ではなかった」

 

「とにかく長居は無用だ。逃げるぞ」――美咲の手を引っ張り、建物の外へと駆け出した。

 

 

 

 

一方、手術室に面したもう一つの部屋の隅で、何者かの影が動いた。何も無い独房のような部屋で寝転がっていた一人の男。

起き上がったその男は手錠をしていて、片方の腕には数珠の様なものもはめられている。風貌はパンクロッカー……優である。

優は外の騒がしい様子に気付き……鋼鉄製ドアの小さな窓越しに向かいの手術室を見る。

そこでは黒服達が倒れ伏し、おまけに鍵が掛かっていたはずのこのドアも、今ではなんの抵抗もなく開けられる。

 

「良く分からねぇが、チャンスだ。逃げさせてもらうとするか……」

 

優は誰にともなく呟いた。

 

 

 

 

「こっちだ!」

 

藍と美咲は路地を走り抜ける。先程の戦闘で見せたパワーに恥じず、およそ人間とは思えない脚力で駆ける藍に手を引かれ、こけそうになりながらも追従する美咲。

周囲に人の気配はあまりない……彼女等としては安全の為、人の多い通りに出たい所だ。

 

「こっちだと言っても、ここの地理は良く分からないが」

 

「うっ、駄目じゃん……」

 

美咲がガクリと肩を落とす。

 

「秋葉原……というらしい」

 

「げぇ。よりによって秋葉原って、あのバカ兄の……」

 

苦々しい表情をしていると……後ろから、男の叫ぶ声が聞こえた。

 

「待てぇ!」

 

振り向くと先程の黒服達の一人が、こちらを追っていたようだった。

 

「ちっ。もう追っ手が来やがった」

 

追っ手の男が美咲の手に掴みかかる。

 

「きゃぁ!?」

 

「触わん……なっ! キモイ!」

 

男の胸部に後ろ蹴りを当てた。追っ手は吹っ飛ぶ……勢いからしてろっ骨が何本か逝っていそうだ。蹴りを入れた美咲自身が、予想外のその力に困惑していた。

 

「えっ……!? ご、ごめん……」

 

「驚くのも無理はないが、それが今のお前の力だ」

 

藍の言葉を受け入れられず、そして更に驚いたのは、蹴った男がゾンビの如きタフさでゆらりと立ち直した事だ。

 

「やりやがったな……!」

 

「……って起き上がったぁ! 嘘!?」

 

「どうやら戦いは避けられないか……」

 

藍が足を止め、戦闘態勢に入った時だった━━━━相手の男が、突如として崩れ落ちる。

 

「やぁお嬢さん方。……もう大丈夫ですぜ」

 

黒服の背後から現れた茶髪の男……右手にはスタンガン。恐らくそれで攻撃したのだろう。

一瞬気が緩む美咲であったが……

 

しかし信じられない事に、黒服はまだ起き上がろうとしている。

 

「……危ない!」

 

藍が咄嗟に上下のスーツを脱がした。すると、脱がされた男はその場でもがきながら霧散していく。

 

(どういう事……!? 身体が塵になって……!)

 

美咲はその様に驚き、たじろぐものの……藍どころかスタンガンを持ったあの茶髪さえも、あまり驚いては居なかった。

 

「炭化した……? カゲヤシだったのか? ……色々事情がありそうだね。だがもう心配はいらない」

 

爽やかに歯を見せる茶髪に、そもそも誰なのよ、と美咲。

少なくとも敵ではなさそうだが……

 

「俺かい? 俺はサカイ。見たとこ君らは誰かに追われているようだが……」

 

わざとらしくもきりりとした表情でそう言いながら、周囲警戒に勤しむ……フリをしている。

 

「お前、何故こんなところにいる?」

 

藍の質問、というよりは問い詰めに対して、空を仰ぎながら笑うサカイとやら。

 

「ただの通りすがりさ……そうだな、あえて助けた理由を挙げるとすれば……」

 

「ただ、ピンチの女の子を放ってはおけなくてね……」

 

なんだこいつ……と思わず渋い顔をする美咲。

こんな人気の無い路地を通りすがるわけないだろ、と言いたくなるが、実際の所彼女の指摘は当たっていた。

 

(かわいい女の子がいたからストーキングしてた、なんて言えねぇ……)

 

サカイがその密かな呟きを胸に仕舞いつつ、引き続き空を仰いでいたところ……藍が突如として叫んだ。

 

「おい! 避けろ!」

 

三人を目掛け、背後からミニバンが突っ込んで来ていた。おそらくは他の追っ手……始末するのにもはや手を選ばないという訳だ。

 

「死ぬゥゥゥ!?」

 

車に気付いたサカイが腰を抜かして尻餅をつく中、自らが前へ出て盾になる形をとった藍。彼女はなんと右の片手だけで、ミニバンを正面から受け止めた。

大きな音を上げミニバンが跳ねたのちに、ドライバー共々沈黙した。

 

驚くべき事に、藍は衝撃で少し後ろに押された程度だ。

 

「……バカめ、そんなもので私を殺れると思ったか」

 

笑みを滲ませる藍の後ろでは、サカイが未だ状況を飲み込めていない様だった。

 

「お、俺は……死んだ? 生きてる? な、何が起こってるんだぁ!?」

 

藍は振り向いて、呆れた様子で叱責した。

 

「……実際死んでいたところだぞ、お前は」

 

が、サカイにその言葉は届いていない。

 

「これは夢なのか……? そうか、夢か! いや待て自我がある……!? もしやこれは明晰夢というヤツでは!?」

 

「イィヤッホウゥゥー! 今の俺は何でもし放題だぜぇぇぇ!」

 

藍がきょとんとして見ていた次の瞬間、唐突にサカイは彼女の板みたいな胸にセクハラを仕掛けた。

 

「フゥゥウー! はっはっは! 俺は自由……」

 

「何を……しているんだ貴様はァッ!」

 

振り下ろされたギターがサカイの左肩をかすめ、その部分の衣服が破り取れる。ギターはそのまま大きな音と共に、地面のアスファルトをブチ割った……そこで完全に我に返る。

 

「いかん。力を出しすぎた。とっさに外したからいいものの……」

 

「ひぃい!? 痛い!? 夢じゃない……!?」

 

ヒリヒリと痛む肩を触り、ようやく夢ではないと理解したようだった……藍も面倒くさそうに彼を追い払う。

 

「ああ、もううるさいヤツだな! さっさと消えろ」

 

「はっ、はひ! ただ今そうしますです!」

 

色々と着いていけない美咲は「なんなんだ」とポツリと呟くのみだった。

 

さて変態を追い払った後、二人は再び歩き出した。

 

「それでお前、これからどうするつもりだ?」

 

「どうって言っても……こっちが聞きたい」

 

「お前も感じている筈だ。自分の身の変化を。そのまま元の生活には戻れん」

 

「じゃあどうすれっての……」

 

「そうだな……奴らによってお前の身体には今、特殊な血が流れている。身体能力を跳ね上げる特異なモノだ」

 

それまでふくれ顔でいた美咲がふと考えた。

━━そういえば、自身が力を手に入れたとあの金髪に説明された気がする。つまりそれが、この血の事という訳か。

 

「通常の場合それは時間経過と共に薄まり、元の人間の状態へと戻る」

 

「な、なんかもう既に意味が分からないんだけど……」

 

困惑に顔を歪ませるも……藍は構わず、話を進める。

 

「だがお前の血は特別。別モノだ。その濃すぎる血は薄まることなど無く、逆に己の身を支配してゆく。まさに呪いのようなものさ……確実に、刻一刻と、今もお前の身体を侵食している。あと何日持つか」

 

「そんな……!? う、嘘言わないでよ!」

 

必死な様子を見せたからか、藍が、はは、と意地悪くも笑う。けれど、藍はこうも言った。

 

「諦めるにはまだ……少しばかり早いかもしれん」

 

「……あなたは何が目的なの? 戻る方法は……無いの?」

 

「戻る方法か。奴らしか知らないだろうそんな方法は。奴らに訊くんだな」

 

素っ気無い返事に、妹の面持ちは暗くなる。

 

「あいつらにまた会えって……んな無茶な」

 

「それ以外に無い。……私の目的は奴ら、紛い者共を一つ残らず灰にすること」

 

「それだけだ」藍はその一言を最後に、黙ってすたすたと歩みを進める。

 

つまり人間に戻りたい自身と藍の目的は別。関係ないからそちらで勝手にしろ、といったニュアンスにも聞こえる。助けてくれたのは承知しているが、それにしてもドライな態度だ。

 

美咲が拗ねて黙りこくっていると、それから間を置いて藍がまた口を開いた。

 

「……なぁ」

 

「……何よっ」

 

「もしお前が奴らを追うのなら。狩る為に奴らを追う私と、戻る為に奴らを追うお前。お前と私……良いコンビになれる。そう思わないか?」

 

「全ッ然」

 

「……そうか。まぁ私の話は信じるも信じないも勝手、お前がどうするかはお前が決めるべきだろう」

 

「ここでお別れだ。じゃあな」――藍は後ろ手に別れの挨拶を済まし、歩き去っていく。

 

「えっ……あ。……う」

 

提案を拒否したとはいえ、取り残された美咲はわなわなと困惑するばかりだった。

 

「ちょ、ちょっとぉ! 分かった……! 分かったわよ! 着いてけばいいんでしょ!?」

 

藍は背を向けたまま、その言葉を聞き……ふっと笑ってから振り向いた。

 

「そうか、なら……協力なんて馴れ馴れしいことは言わない。お互いに利用し合おうか。何せ奴らと対等に戦えるのは、奴らと同じ力を持つ者のみ」

 

「……そしてそれが、私達というわけだ」そう藍は告げた。

 

"私達"? それって、この人も……

 

美咲の内に生じた疑念は、続く言葉に遮られる。

 

「だがこれからどうしたいのか、それを叶えられるか。それは全てお前次第だ。気張れよ」

 

「……そう言われたって」

 

美咲は立ち尽くす。一体どうなってんの、と当惑の念に襲われながら。

 

どうやらこの街……秋葉原では、何かが起こっている。そしてそれに自分は巻き込まれてしまった。

 

……最悪。

 

せっかくの冬休みが台無しだ。……いや、そんな場合じゃなかった。心中愚痴を垂れ流している所に、藍が言う。

 

「とりあえず今のお前は体調も優れないだろうし……一休みして、奴らを追うのはそれからにしよう。これから楽しみだろ?」

 

「どこが……」

 

藍は意地悪く笑い、美咲は露骨に疲れ顔をする。

そんなやりとりの最中、背後からはあの望まれぬ変態も着いて来ていた。

 

先程のサカイと名乗るヤツである。

 

カサカサと次々電柱の影に身を乗り移らせて、それで隠れているつもりなのかは甚だ疑問だが……

 

「あの、アイツ着いて来てるけど……」

 

「知ってる」

 

藍は、いかにも興味が無さそうな様子でそう答えた。

 

……突如現れた紛い者狩りの女、安倍野藍。

 

彼女は果たして敵か味方か。

 



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10. 初めての秋葉原

「あのさ」

 

藍「なんだ?」

 

「訊きたいこと、あるんだけどさ」

 

藍「訊きたいこと……まぁ、それもそうか」

 

藍「分かる範囲で答える」

 

サカイ「甘いな……彼女から簡単に何かを教えてもらえるなんて思わないことだ」

 

サカイ「ということで、まずはスリーサイズを頼む」

 

いつの間にやら、その望まれぬ変態は彼女等と歩みを共にしていた。……そして、サカイの言葉に藍はうんざりそうな面持ちで黙り込んでいる。

 

藍「…………」

 

サカイ「…………」

 

サカイ「スリーサイズを」

 

藍「いい加減にしろ……っ!」

 

藍はサカイを殴り飛ばした……悲鳴を上げて吹っ飛んで行った彼を妹は一瞥しつつ、気にせず話を続けた。

 

「あいつら、何者なの?」

 

藍「……それを説明するにはまず、カゲヤシという存在の説明をしなければならないだろう。いいか?」

 

……妹は頷く。藍もそれに分かった、と返し、彼女は話し始めた。

 

藍「遠い昔からこの日本にはカゲヤシと呼ばれる、人間に良く似た者達が人々の間に紛れ、密かに暮していた」

 

藍「その者たちは、外観では人間と寸分違わず、見分けはつかない」

 

藍「ただ、決定的に違うことがあった……それは人間を軽く超える身体能力、そして、多くの生物の中でも類稀な程の回復能力」

 

藍「人間は一度深い傷を負えば、自然治癒は難しいと聞く」

 

藍「それゆえに医療技術は発達したようだが……」

 

「そ、そんなの聞いたことない……、カゲヤシなんて」

 

藍「現在はこの国の政府によって秘匿されているんだろう」

 

藍「存在が一般に知れ渡れば、大きな混乱を招くことになる」

 

「本当の事とは思えないけど」

 

尚もそれらの話に対して、懐疑の面持ちは晴れない。しかし今の妹には、とりあえず藍へ確かめたい事が一つあった。彼女は、率直に尋ねた━━

 

「もしかして、あなたもカゲヤシなの?」

 

━━と。一呼吸置いて、藍は問いに答えた。

 

藍「まぁ、そんなところかな」

 

その返答は半ば予想通りではあった……あんな動き、人間じゃ有り得ない。

カゲヤシという者達の存在……それは急に信じられるような話ではなかったものの、それでもやはり……藍という、人間とはかけ離れた能力の持ち主が存在している事実が、そして今自らの身に起こっている異変が……その話があながち嘘ではないのだと思わせる。

 

━━藍は、再び話し始めた。

 

藍「……話を戻す。昔そのカゲヤシ達は、人の社会に紛れ暮らしていた。それは先ほど言った通りだ」

 

藍「しかしばれるのは時間の問題だった。外見は同じでも、その異質さに人間達は徐々に気付き始めたんだ」

 

藍「そして人々の間である感情が生まれた……カゲヤシを有害とし、気味悪がる者達が出始めた」

 

藍「そしてどうなったか……起こったのはカゲヤシと人間の、大規模な争い」

 

藍「カゲヤシを追い回す人間と、それに反発するカゲヤシ達……現代まで続く争い」

 

藍「……全てはここから始まった。今もそれは続いているだろう」

 

サカイ「それ知ってるぞ!」

 

横から、鼻血を垂らしたサカイが嬉しそうに声を上げた。

 

サカイ「ついこの前のことさ。カゲヤシを排除するエージェント組織? 的な奴らと、カゲヤシ共存派の人間軍とカゲヤシ軍が協力して秋葉原で戦ったんだ」

 

サカイ「細かく言うと人間敵対派のカゲヤシも居て、もっと事態はややこしかったけど」

 

サカイ「ちなみに俺も共存派として参加してたぞ、スゲーだろ? ……ただそこら辺をぶらぶらしてただけだけどな!」

 

「デタラメでしょ」

 

妹は冷ややかに切り捨てた。

 

サカイ「違うわ!」

 

サカイ「で、結果は排除派の負け。だったかな? とりあえず、もうカゲヤシは平和さ」

 

藍「……そうだったのか。本当かは知らないが」

 

藍「まぁ、その争いはカゲヤシ側が勝ったようだが、それとは別に、今度はカゲヤシの力を自分達で利用できないかと考える人間が現れた」

 

藍「それがお前を騙した奴等」

 

藍「スーツ姿の集団さ」

 

「なるほど」

 

藍「人間もカゲヤシの血を摂取すれば、カゲヤシ化することができる」

 

藍「つまり人間でも、カゲヤシの力は利用できるということ」

 

藍「しかし彼らはそれで満足しなかった」

 

藍「彼らはカゲヤシの血を使い、カゲヤシを超えるカゲヤシ、紛い者を生み出した」

 

藍「自然の摂理を無視し、戦いの為だけに生み出された兵士」

 

藍「それが紛い者」

 

藍「紛い者は人を土台とし、そこにカゲヤシを超える戦闘能力を与えようという試み」

 

藍「結果的にその試みは成功した。だが」

 

藍「そもそも、土台は人間。与えられた力の負担に耐え切れなければ死ぬだけ……割合としては恐らく、適応者よりも死亡者が上回っているだろうな」

 

藍「このように紛い者とは問題の多い、不安定な存在……だからこそ、今の紛い者の数はさほど多くはないと見ている」

 

藍「その証左に今の奴らの戦力は全てが紛い者ではない。未だ多くは通常のカゲヤシ化を施した人員で組織の穴を補っているのだから」

 

藍「私が知っているのはこれくらいだ」

 

藍「紛い者の技術を根絶やしにするには、紛い者が少数である今、速攻で勝負を仕掛けるしかない」

 

藍「そうしなければ、次々と生みだされていく……お前のような存在が」

 

自分のような存在……つまり自分は紛い者にされたということか。紛い者……その存在の中の一人に自身はなってしまったということだ。

 

藍「それを止めなければ」

 

「あなたは何故止めようとするの? 正義感?」

 

藍「単に個人的な事さ……そんな褒められた信念じゃない」

 

「……そうなんだ」

 

「やっぱり戦うんだよね……あいつらと」

 

藍「そうなるだろう」

 

藍「……明日は戦う事も考えて、何かしら武器を持ってきた方がいい」

 

「武器?」

 

……妹は聞き返した。

 

藍「紛い者はカゲヤシよりも高パワーな分、重武装も可能となる」

 

藍「今のお前なら、人間どころかカゲヤシでも扱いきれないような重い武器も、容易に扱えるだろう」

 

藍「戦うかもしれないんだから、良さそうなものを適当に準備してこい」

 

藍「徒手格闘が得意なら素手でもいいが」

 

「そう言われても」

 

「まぁ、準備するあてはあるけど」

 

「ウチのお兄ちゃん、何故か警棒とかそういうの、色々持ってるんだよねー」

 

サカイ「どんな兄貴だよそれ」

 

それまで暇そうに聞いていたサカイが、会話に割り入った。

 

「バカ兄かな」

 

妹は、思い切り憎悪に顔を歪ませた。

その尋常ならぬ様子に……こいつの家庭環境やばすぎないかとうろたえたサカイは、それ以上その話で何かを訊こうとすることは無かった。

 

「でも素手でいいや。多分その方が得意だし!」

 

「藍ちゃんはさ、なんでギターが武器なの?」

 

「というかギターって武器として使えるの?」

 

藍「ちゃんはやめろ」

 

藍「……? 音楽機器は我が一族でも愛されし武器だぞ」

 

藍にはそれが至極当然だと言いたいのか、心底不思議そうな顔をしている。

 

「ええっ……どんな一族だそれは」

 

藍「カゲヤシ一族だが……」

 

そんなこんなで、気付けば一同は駅前に到着していた。

 

藍「さぁ、ここらで解散しよう。明日から本格的に動くぞ」

 

藍「明日は駅前集合だ」

 

サカイ「うぃーす」

 

「まだ着いて来る気なの?」

 

……妹は性懲りも無く着いて来る変態野次馬を割とウザがっていたものの、サカイも物好きなのか余程暇なのであろうかは分からないが、それを断固不服といった様子で反発した。

 

サカイ「いいじゃないか別に! なんで俺は駄目なんだよ!」

 

「セクハラ男だし役に立たないからだよ分かれ!」

 

サカイ「うるさい黙れ黙れ、連れてかないと今に後悔するぞお前ら!」

 

サカイは妹を指差しそう宣言した。

 

「何に後悔するんだ……」

 

━━翌日 駅前 

 

 

藍「さて早速行動を開始しよう、と言いたいところだが、問題は奴らの所在をどう突き止めるかだ」

 

藍「元々お前の捕まっていた場所が拠点だと思ったんだが……」

 

藍「奴が出入りしているのを見てそう思ったが、いつもと変わらない即席の施設だったようだ」

 

サカイ「奴とは?」

 

藍「天羽禅夜……あの金髪だ」

 

藍「恐らく奴は集団の幹部」

 

「あの嫌ーな奴でしょ」

 

と、顔をしかめる。無論その人物について知る由も無いサカイは、誰だ……? 思うばかり。

それから妹は申し訳無さそうな顔をして、

 

「ごめん……私を逃がす為に、戦えなかったよね」

 

「せっかく敵の幹部だったのに」

 

そう言う。藍は気さくにそれをなだめた。

 

藍「気にするな。いずれあいつ等にはまた会うだろう」

 

藍「むしろ、私達は追われる身だ。奴等の方から来るさ」

 

内容の掴めぬ話を黙って聞いていたサカイが、分からないなりに要約して自らの提案を切り出した。

 

サカイ「まぁとにかく、秋葉原の地理が分からんのだろ?」

 

サカイ「そんなのは秋葉原自警団にお任せさ」

 

藍「自警団?」

 

首を捻る藍に、サカイは得意げだ。

 

サカイ「知らないのかぁ? 有名だぞ!」

 

━━裏通り、自警団アジト 

 

 

サカイ「ここが自警団のアジト」

 

秋葉原の"自称"自警団……そしてこの妙な空間。変な人達じゃなきゃいいけど、と妹には不安が募る。

 

サカイ「なんだ、誰もいな……いた」

 

ノブ「ん? 誰だ!?」

 

ノブ「このアジトに入り込むとは……まさか、敵かっ!?」

 

「違うっつの」

 

やっぱり変な人達じゃないかと思いつつ、妹は冷静に突っ込んだ。

 

ノブ「おっと! 信じられないね」

 

ノブ「では敵かどうか……見極めさせてもらうぞ!」

 

藍(……!?)

 

藍が身構えた。

 

ノブ「ITうぃっちまりあの声優は?」

 

……その一言に妹と藍の二人は拍子抜けし、間の抜けた顔をする。

 

サカイ「ふっ、新谷光子」

 

謎のやり取りに妹は動揺を隠せない。

 

ノブ「で……あるが、その出身地を答えよ!」

 

サカイ「青森県!」

 

ノブ「素晴らしい! ようこそ我が同志達!」

 

良く分からないが、妹達は男にガッツポーズで迎えられた。

 

「なにこれ」

 

藍「知るか」

 

藍「とりあえず本当に敵だったら、質問の途中で殴りかかっていると思うんだが」

 

藍「すまない、私達は」

 

藍がノブに声を掛けようとするが、それは前に出てきたサカイに遮られた。

 

サカイ「こいつら、秋葉原初めてらしいんだ」

 

ノブ「お、そうか。案内してやろう!」

 

藍「ッ! 違う……!」

 

藍はサカイに殺意の篭った目を向ける……元々キツめな目が完全に怒りに染まっている。妹はひやひやするものの、男二人は気に留めて無いのか、気づいて無いのかなんにせよ、楽しそうだ。

 

ノブ「待て待てみなまで言うな。分かってる。全部俺に任せろって」

 

ノブ「ではさっそく出発!」

 

サカイ「イェーイ!」

 

 

━━ラジオ会館前

 

ノブ「さぁここがあの有名なラジ館だ!」

 

ノブ「ただ今は工事中なんだよな~、残念だけど。今度新しくなる予定なんだ」

 

ノブ「また今度だな。取り合えず場所の確認ってことで! 秋葉原と言えばここ、みたいなとこもあるしな!」

 

藍「ラジ館? 知らん」

 

「知らない」

 

ノブ「知らない!? こいつは案内し甲斐があるぞ……じゃあ次行こう!」

 

藍「いや、ちょっと!」

 

藍は困惑の面持ちで慌てて引き止めようとするが、もう無理だ。ノブを完全にやる気にさせてしまったのだから。

 

 

━━中央通り北東 とらのあな

 

ノブ「ここがとらのあな! 同人誌ならここ!」

 

藍「…………」

 

「うぇぇ……人口密度ハンパない……」

 

そして何か変な匂いもする……何よりこの騒がしいBGMは何? 物買う店としてありえない。落ち着いて見れないじゃん……妹の文句は尽きない。隣の藍に至っては完全に顔が死んでいる。

 

サカイ「オススメはITウィッチまりあ」

 

ノブ「俺もITウィッチまりあはイチオシだ」

 

ノブ「興味があったら買うのが吉! 変な絵画売りに搾り取られる前にな!」

 

サカイ「搾り取られたんですな?」

 

ノブ「もちろんな! 舐めてたらいかついオッサンが出てきて最悪だったぜ!」

 

(なんでこんなに楽しそうなの……)

 

ノブ「次はメイド喫茶に~……」

 

藍「ま、待て。もういい。食事なら他でする」

 

藍は青ざめた顔で伝えた。

 

ノブ「何!? じゃあ他のオススメの……」

 

藍「時間がないんだ!」

 

意を決したのか強い口調で言った……これはさすがに効くか。

 

ノブ「そうか……残念だな」

 

(ほっ……)

 

ノブ「ならちょうどいい食事場所があるぞ!」

 

藍「…………」

 

「…………」

 

ノブ「HAHAHA! 着いて来い!」

 

サカイ「一生付いてきます!」

 

 

━━駅前

 

ケバブ屋の移動販売車の前。ここに向かう途中から、藍は既に不満たらたらだ……というか、楽しそうなのはノブとサカイの二人だけだ。妹も途中まで藍と同じ心境ではあったものの、販売車から漂う肉の香ばしい匂いには中々そそられるものがある。彼女はケバブという食べ物は初めてだったが、大きな肉の塊を削ぐというインパクトにも興味心身だった。

 

ノブ「さぁこれが秋葉原名物ケバブだ! 奢るから食え食え!」

 

「うわー、これが……」

 

妹は手に持ったケバブをまじまじと見つめる。見るからに重たそうな見た目、女性よりも男性向けといった気がしないでもない……そこはやはり女子、カロリーは気になる。しかし、不思議と今の彼女には抵抗は無かった。猛烈にお腹がすいていたのである……恐る恐る、一口。

 

(……!)

 

(おいしい……! 明らかにこれ太っちゃうけど!)

 

サカイ「うむ、やはり秋葉原での食事はケバブに限りますな」

 

サカイはそう言ってかぶりつく。

 

サカイ「片手で食べられながらこの満足感……この肉の量……最高!」

 

ノブ「日々戦う秋葉原住人の、手軽かつワイルドな食事手段って感じだよな」

 

「……戦うって何と?」

 

ノブ「そりゃアレだろ。限定セットに並んだり大量の戦利品の重さと戦ったり」

 

ノブ「あと秋葉原を一日練り歩いたり」

 

(それ遊んでるだけじゃ)

 

と思ったが、とりあえずケバブはおいしいからいいか、と許した。割と妹は単純だった。

 

藍「なんでこんなことをしなくては……」

 

藍「……久々にシャレたものを食うな」

 

あまり気乗りしない様子でもぐり、と食べた瞬間、彼女の目の色は変わった……

 

藍「うまいッッッ! なんだこれはッッ!」

 

妹が色んな意味で驚く。突然の歓喜の声と、一瞬で機嫌が直る手の平くるくるっぷりに。彼女も割と単純なのか、それとも食べ物に弱いのか。そのナイスな反応っぷりにノブも満足げである。

 

ノブ「いやーそうだろ!? 好きに頼んでいいぞ!」

 

藍「本当か!?」

 

彼女、心の底から嬉しそうな反応をしている。

 

(藍ちゃん……もしかしてまともなもの食べてないんじゃ……)

 

そんな中、一人の少女がふらふらとこちらに寄ってきた。

 

鈴「あうーおいしそーな匂いがしますぅ~」

 

ノブ「鈴ちゃんっ!?」

 

鈴「あ、ノブさんっ!?」

 

鈴「…………」

 

ノブ「……」

 

先ほどまでのハイテンションはどこに行ったのか、蛇に睨まれた蛙の様に黙り込むノブ……鈴も物欲しそうな目はしつつも何も言わず、そのまま二人の時間はしばらく止まっていた…………が、耐え切れなくなったのか鈴は虚ろな目で涎をたらし始めた。

 

鈴「……おいしそう……」

 

ノブ「わ、分かったよほら! 好きに頼んでいいよ!」

 

鈴「やったぁ! いただきますぅ! おじさんケバブ十個!」

 

ノブ「十個!?」

 

サカイ「十個!?」

 

藍「なぁ、もう一個食べさせてもらえないか?」

 

サカイ「今持ってたのは……?」

 

藍「食った」

 

じゅるり、と口を鳴らして言った。その目はまるで獲物を狙っているようだ……

 

ノブ「ううう! 何てことだ!」

 

鈴「あぁおいしぃ~」

 

パクつく鈴を見て藍が驚く。

 

藍「お前、何て食べっぷりだ……紛い者ではないようだが」

 

藍「お前も腹が空くだろう。紛い者は力と引き換えに、エネルギー消費が激しいからな」

 

「わ、私は別に……!」

 

「……自分で買うからいいの」

 

サカイ「食うんかい……」

 

それまでとは打って変わって、立場は逆転していた。

猛烈に食べる女性陣をよそに、サカイとノブは顔を青くしていたそうな……

 

藍「ふぅ……腹も膨れてきたことだし、本題に入るが」

 

満足そうにペロリと舌なめずりをした後に、藍は話を持ち出した。

 

藍「そこの阿呆はともかく、私達は決して遊びに来たわけではない」

 

ノブ「えっ」

 

ノブ(それ先に言ってくれ……)

 

サカイ「阿呆って俺の事なのか……」

 

藍「私達は今秋葉原で暴れている、黒服の武装集団について調べている」

 

ノブ「あ! 俺それ知ってるー! 知ってるわ!」

 

サカイ「マジですか! さすが兄貴!」

 

「大丈夫かこいつら……」

 

妹は二人を心配するというより、呆れたような様子だ。

 

鈴「きっと大丈夫です! 私、何の話か分かりませんけど!」

 

(この子も大丈夫かな……)

 

藍「知っているなら話が早い」

 

藍「それについて情報が欲しい。奴らの所在や勢力の詳細、なんでもいい」

 

ノブ「情報? 俺らは特に……見回りと社長さんの依頼をこなすだけだしな……」

 

ノブ「もしかしたら、情報屋に行けば何か教えてもらえるかもな!」

 

藍「情報屋?」

 

サカイ「あーそういえば、前に俺もアルバイトの斡旋をしてもらったことがあったっけ」

 

ノブ「案内するぞ! ……と言いたいが、生憎俺はこれからITウィッチスペシャル変身抱き枕リミテッドエディションを買いに走らなきゃいけねぇ」

 

「ええ!? なんだそれは!?」

 

サカイ「仕方ありませんな。俺も情報屋は知ってるから、代わりに案内しませう」

 

ノブ「すまん! 任せた! また秋葉原周ろうぜ!」

 

ノブはそそくさと駆けて行った……

 

鈴「ノブさん、ごちそうさまですー」

 

「そいえばあなたは?」

 

鈴「あっ、すみません! 私は森泉鈴と言います。ノブさんのお友達ですよね?」

 

「違うよ全然、全く」

 

鈴「ええっ!?」

 

藍「ケバブは感謝するが、他はもうこりごりだ」



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11. 趣都に潜む闇

ここは裏通り。自警団の一人に教えてもらったその情報屋とやらに、接触しに来ていた。

薄暗い路地に佇む人影……情報屋、その男はいた。

 

藍「どこかと思えば、さっきと同じ場所じゃないか」

 

「あんなとこアジトなんか行かずに最初からここに行ってれば……」

 

「あんたも知ってるならさっさと言いなさいよ」

 

サカイ「そんなこと言われてもな」

 

情報屋「見ない顔だな……仕事が必要か?」

 

情報屋と言う名といいこの場所といい、マスクにサングラスというその見た目といい、彼は凄まじく怪しい雰囲気を放っていて、見るからに"普通の世界"の住人ではない。恐らくこの男が行ってきた情報取引は、その殆どがアンダーグラウンドなモノ……非合法なのだろうと感じさせた。

 

藍「仕事は必要ない……必要なのは情報だ」

 

藍「今秋葉原を騒がせているであろう、黒服集団のな」

 

藍は禅夜の写真を情報屋に見せた。

 

情報屋「なるほど」

 

情報屋「ただ者ではないとお見受けするが……」

 

情報屋「しかし情報もタダではない」

 

情報屋「…………」

 

(なんだか変な空気……一体これからどうなるんだろう……)

 

ゴクリと唾を飲み込んだ、その時だ……緊張渦巻く静寂の中、情報屋が重い口を開いた。

 

情報屋「ただ者とタダを掛けた高度なシャレだ……君たちには少し早かったかな?」

 

「は?」

 

サカイ「ん?」

 

一同その発言に目を丸くして、しばし先程とはまた違った意味の静寂が流れた。

 

「あの、そういうのいいです」

 

情報屋「…………」

 

顔は全く見えないが、多分、情報屋は少し落ち込んでいた。この持ちギャグは来る客全てに言っているのか?

妹は、毎回それを見えないドヤ顔で言っているのかと思うと、少し笑えた……彼女の緊張は、すっかり解れていた。

 

(緊張して損したわ)

 

情報屋は気を持ち直し、テイク・ツーと言った具合にまた喋りだした。

 

情報屋「情報もタダではない」

 

情報屋「ギブ・アンド・テイク……世の常だ」

 

情報屋「俺もボランティアではないんだからな」

 

サカイ「あっ、笑うとこだったのか」

 

サカイが今更納得したように手を打った。

 

藍「ならさっさと情報の対価を言え……金か?」

 

情報屋「そうだな、こうしよう。指定する標的を排除することだ」

 

情報屋「ただしそのかわり、報酬としてお前達にお望みの情報をやる」

 

「標的?」

 

情報屋「秋葉原で好き放題にしている輩がいるのだ」

 

情報屋「ここは多種多様な趣味を持つ人々が自由に暮らす、一見夢のような世界」

 

情報屋「しかし裏では……その影で暗躍している者がいる」

 

情報屋「俺としても目に余る。依頼者は俺自身」

 

情報屋「その標的というのもお前達の言う武装集団の関係者だ……君達にとって悪くない相手だ。どうだ?」

 

藍「いいだろう」

 

藍「お前達もいいよな?」

 

「まぁ別に」

 

サカイ「望むところ」

 

情報屋「よし。標的の場所は━━」

 

 

 

 

━━電気街口広場

 

「ここが言っていた場所ね」

 

藍「……あいつか」

 

目線の先にはスーツを着た……仏頂面のいかにも胡散臭そうな男が立っていた。妹とサカイが近づこうか戸惑っていると……そんな様子は気にも留めず、先に藍がづかづかと男に歩み寄った。

 

藍「あんなのが何か知っているとは思えないが、一応排除前に情報を聞き出しておくか……」

 

藍「おい、ちょっといいか?」

 

勧誘員「なんです?」

 

藍「バイトの勧誘をしているらしいな」

 

勧誘員「おおそれは、よくご存知で」

 

藍「私もそれに興味があるんだ。だから、貴方達が普段その仕事で何をやっているのかを、詳しく教えて欲しい」

 

勧誘員「すみませんが、ちょうど先ほど募集人数が定員になりましてね……受付は終了しました。教えることも、できません」

 

藍はそんな都合の良い事があるか、と心で毒づきながら、

 

藍「そうか、ならもう用はない」

 

と言った。すると男は薄ら笑いを浮かべる。

 

勧誘員「死ね……そう仰るのですね?」

 

藍の後ろに着いていた二人が驚く。

 

「え?」

 

サカイ「何と?」

 

勧誘員「分かっていますよ、あなたの正体は」

 

勧誘員「失敗作……大人しく隠れていればいいものを」

 

勧誘員「にもかかわらず、あなたは各所で同志を狩っている。狙いは、秋葉原禁書か?」

 

藍「何? 知らんなそんなモノは……」

 

勧誘員「知らぬフリ、ですか。近頃はこいつを狙う輩が多くて困りますよ」

 

勧誘員「申し訳ないが、ここで死んでもらう」

 

藍「なるほど……ようやく化けの皮を剥がしたか」

 

藍「私もお前の正体を知っているぞ。お前は勧誘員をやりながら」

 

藍「私達カゲヤシの血をここの住民に密売している」

 

藍「そして見たところ、お前もカゲヤシの血をすすっているな」

 

藍「違うか?」

 

勧誘員「良く知っているじゃないですか」

 

藍「情報屋とかいう奴が言っていた」

 

勧誘員「カゲヤシの血を薄めて高値で売れば、飛びついて来るんですよ……愚か者がな」

 

勧誘員「こいつはヤクのようなもの……一時的な力を得るが、血が切れれば猛烈な倦怠感脱力感に襲われる」

 

勧誘員「一度買えば、二度目も買いに来る」

 

藍「良い商売だな」

 

勧誘員「金は全部組織行きだ……だが対価として私は高純度の血を得ることが出来る」

 

勧誘員「カゲヤシの、血を。この力を!」

 

藍「残念だったな……それが無ければ灰になることもなかっただろうに!」

 

勧誘員「灰になるのはあなた方ですよ!」

 

勧誘員が言い、藍達三人の周囲に五人の黒服が現れた。手には武器……剣を持っている者も居る。

 

『増援の知らせを受けた、敵は?』

 

勧誘員「こいつを殺れ。例の失敗作だ!」

 

藍「カゲヤシ化戦闘員が計六人……」

 

「うわぁ!?」

 

『ここで終わりだ』

 

サカイ「ま、待ってくれ! 俺は秋葉原に遊びに来た善良な市民でー!」

 

サカイが慌てる中、藍が表情を崩さずにただ一言、

 

「これだけか」

 

そう言い放った。その言葉に、男の一人が聞き返す。

 

『ぁん?』

 

藍は同じ様子で、もう一度言った。

 

藍「これだけかと聞いている」

 

━━黒服の一人は笑った。他の黒服もつられて笑う。

 

『気でも狂ったか』

 

藍「気狂いにそう言われるとはお笑いだな」

 

『何……!』

 

その挑発で、空気は一変した。笑い声は止み、男達の頭に血が上っているのは妹にも容易く判断できた。いつ襲われてもおかしくない状況だ。

 

藍「やるぞ。ちょっとしたウォーミングアップだ」

 

「ええ!? いきなりこんなに!?」

 

藍「良い練習台だろ」

 

尚も余裕そうな態度を見せる。それが黒服達の怒りを余計に駆り立てた。

 

『こいつ……! 余裕こきやがって!』

 

激高した男が拳を構え、それを機に一斉に各々が構えた。

 

藍「構えろ! どの道避けては通れんぞ!」

 

「そんな……!」

 

藍「お前がここで死ぬならそういう事だ。私は言ったはずだ。全ては自分次第だと!」

 

「……分かったわよ!」

 

そう言って妹は構えた。藍は言葉を続ける。

 

藍「いいか」

 

藍「上段は△、中段は□、下段は○」

 

藍「服が赤く点滅したら……」

 

「えー、……え?」

 

藍「はっ!?」

 

藍は我に返る。

 

藍「な、何を言っているんだ、私は……」

 

藍「とにかくだな。暴れればいいんだ……そう! 習うより慣れろと言うしな!」

 

などと適当な事を言って藍がお茶を濁し、妹は「あのね……」と、それに少し呆れ顔だった。

 

『なめるなぁ!』

 

(来たっ!)

 

「ぶっ飛べ!」

 

妹が正面から来た相手を回し蹴る。男はふっ飛ばされ、ヨロヨロとまた立ち上がりだした。

 

『ごほっ! チッ、今のは効いたぜ……』

 

(立ち上がった? あの時と同じだ……! 前に私が男を蹴った時……)

 

「なんなのこいつら! 攻撃しても……!」

 

藍「そうだ。奴らに致命的なダメージを与える方法……それは」

 

「それは?」

 

藍「脱がす」

 

「へ?」

 

藍「脱がす」

 

「変態! そういう趣味だったのね!?」

 

藍「へ、変態じゃない! 変態というのはこいつのことだ!」

 

藍は若干頬を赤らめながら、遠くで見ていたサカイを指差した。

 

サカイ「俺かよ!」

 

何故かこの状況下で内輪の争いが始まった。

黒服たちは、そんな状況にいつしか呆れ果てていた……

 

『あの~……』

 

藍「もらったッ!」

 

突如そんな中、藍が凄まじいスピード突進し……一人を灰にした。

 

『ぬわぁぁぁ!? あついぃぃ!』

 

藍「雑魚め、注意を怠るからそうなる」

 

サカイ「あ……照れを誤魔化したね?」

 

藍「と、とにかくこういうことだ……」

 

「消えた……!? どういう」

 

藍「後で説明する。今は理解する前に戦え!」

 

藍「間違っても脱がされるなよ。それはお前が死ぬ時だ」

 

藍「いいな!」

 

「もう! 訳分からないけど!」

 

「うりゃぁ!」

 

妹は一人の男に向かって駆け出した……しかし、勢いが付きすぎてよろけてしまう。

 

「っと! と……」

 

(なんだこれ……? 結構動きにくいなぁ……)

 

『はは! なんだこいつ、一人で踊ってやがる!』

 

一人が妹を指差してあざ笑う。妹は悔しそうに拳を握り締めて言い返した。

 

「るさい!」

 

「み、見てなさいよ! あんたなんか今にボッコボコだから!」

 

『おらぁ、今度はこっちの番よ!』

 

黒服が藍に向かい一直線に駆ける。それをひらりと受け流し、上下の衣服を剥ぎ取った。

 

藍「お前、目見えてるのか?」

 

『何……!?』

 

男は塵となる。剣を握った次の黒服が、藍の正面から襲い掛かった。

 

『喰らえ!』

 

男が、目にも止まらぬ速さで剣を振り回した。しかし虚しくも空を切る音がするばかり……攻撃は彼女に、かすりもしていなかった。男は戦慄するが、すぐに虚勢の言葉を吐いた。

 

『ふん、避けるしかできないのか、臆病者め!』

 

その言葉を聞いた藍は、周囲を煩く飛び回っていた刃を片手指で掴み止めた。

 

藍「寄せ集めの雑兵が……」

 

藍は歯を食いしばって己の力を開放した……刃は、その驚異的な腕力の元にゆっくりと捻じ曲がった。

 

『何!?』

 

『な……なんだこれは……化け物……!』

 

化け物に化け物扱いされるとは、世話が無い。恐怖に駆られた男は思わず獲物から手を放し、後ずさるも……時既に遅し。脱がされた彼の身体は日に晒され、塵となった。

 

藍「次……!」

 

藍は次の標的に向かう……一方、妹は一人の敵と悪戦苦闘していた。

 

「今だ!」

 

妹が黒服へ駆ける……手が黒服のスーツを掴んだ。

 

(脱がすってどういう……こういうこと!?)

 

『くそ! 放せ!』

 

妹は上服を引き裂く。続いて下服を掴み、力ずくで引き千切る。すると立所に、相手の身体はその場で霧散した。

 

「やった……倒せた!」

 

勧誘員「それは良かった」

 

妹の死角を取った勧誘員がそう呟き、背後からの一撃を仕掛けようと接近する。

 

勧誘員「我々は全ての種を超え、どこまでも進化の道を突き進む! その為の力……!」

 

サカイ「おーい! 後ろだ!」

 

「……え?」

 

(さっきの勧誘員……!)

 

勧誘員「死ねェ!」

 

「うわ……!」

 

勧誘員「━━んがっ!?」

 

突然横からギターが飛来し、男が間抜けな声を上げる。ギターは男のこめかみ辺りにヒットしていた。横から救援に来た藍がよろける勧誘員……最後の一人を脱がす。次いで藍は空に浮くギターを掴み、背負った。

 

勧誘員「私が……燃える!? 何故だ!? 私の進化は……!」

 

 

 

 

サカイ「終わったみたいだな」

 

「強い……」

 

藍「嫌でもこうなる」

 

藍「……こんな強さ、欲しくなかった」

 

藍「私はただ平穏に生きたい……それだけだったのに」

 

藍は俯いた。彼女に何があったのかは分からないが、それについて深く訊く事もできない。妹は「藍ちゃん……」とただ呟く。彼女は悲しげに藍を見守ることしか出来なかった。

そしてサカイも「藍ちゃん……」とただ呟く。彼は少しにやけていた。単にちゃん付けでからかっているだけだった。

 

藍「藍ちゃんて呼ぶな!」

 

恥ずかしそうに彼女は怒る。

 

「阿倍野ちゃんじゃ呼びにくいし」

 

そういう問題じゃない、とサカイは思った。

 

藍「阿倍野でいいだろ」

 

「なんかそれも……まぁいいや」

 

サカイ「いやーしかしすごかったなぁ!」

 

サカイ「俺らヒーロー! 悪を砕く! 燃えるぜ!」

 

彼はかなり楽しそうだ。黒服が脅威ではないと判断して後回しにしたからいいものの、一歩間違えれば死んでいたかもしれないというのに。しかも"俺ら"と言う割には、お前は何の役にも立っていないのに。

 

「何もしてないくせに」

 

藍「そんなのはお前だけで十分だ、間抜け」

 

瞬時に二人の冷ややかな言葉がサカイを貫く。

 

サカイ「んなぁ!?」

 

藍「燃えるのだけは御免だ……」

 

藍「それに、戦いに正義も悪もないのだから」

 

藍「さ、行くぞ」

 

「うん」

 

サカイ「はいよー」

 

 

 

 

━━裏通り

 

情報屋「フ、もう標的をやったか。貴様らの力、計り知れんな」

 

わざとらしく物々しい物言い。しかしもはやこいつが何と言おうと、くだらない洒落の前科がある以上それは薄っぺらい言葉にしか聞こえない。案の定藍もそんな情報屋の様子に呆れていた。

 

藍「そういうのはいいから、さっさと情報を寄越せ」

 

情報屋「いいだろう」

 

藍「ったく……」

 

情報屋「最近この秋葉原にある情報通が出没するそうだ」

 

「情報通?」

 

情報屋「この情報通、かつてその手の組織にいたらしく、情報収集の達人との噂」

 

情報屋「加えて今……お前達と時を同じくして、黒い集団の情報を調査しているらしいのだ」

 

情報屋「そして私は今彼の動向を掴んでいる……これがその男だ」

 

情報屋は写真を見せた。スーツ姿の男が写っている……

 

情報屋「彼に気に入られれば、重要な情報が手に入るかもしれんぞ」

 

情報屋「以上だ。行け」

 

藍「…………」

 

「…………」

 

情報屋「ん? どうした?」

 

「なにが行け。だ! なんだこのメガネ!」

 

藍「ただのたらい回しじゃないか!」

 

彼女等の不満は一気に爆発した。彼は情報屋とか何とかもっともらしい事をいって、その実ただのペテン師だったということだ。

 

情報屋「ま、待て落ち着け! 俺も結構大変なんだぞこう見えて……」

 

「この街って変な人ばっかり」

 

藍「そうかもしれない……」

 

文句を言いつつ、三人は向かった……



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12.人を訪ねて

二章の新キャラですがやはりあれだけでは分かりにくいだろうということで、まずは安倍野藍の挿絵描きました(二章09話のキャラ紹介の所に絵を貼っておきます)



━━駅前

 

 

「あの人で間違いないよね」

 

目の前に居る、スーツに上着を羽織っている出で立ちの男。帽子で顔は良く見えないが、特徴は全て情報屋が自分達に見せた写真のものと一致していた。

 

サカイ「……そうっぽいな」

 

藍「……? なんだ? カゲヤシなのか? あいつは……」

 

「えっ?」

 

藍「いや、なんでもない。行こう」

 

藍が男に近づき、話しかけようとした時だ。

 

 

 

 

飴渡「はは、見つけたぞ。お前が奴の妹か」

 

サカイ「……誰だ?」

 

「えっ? ……知らない」

 

飴渡「それに瀬嶋も一緒とはな」

 

瀬嶋「貴様は……? 久しいな」

 

「何で私を……」

 

それにこの声をかけてきた男、自分達が入用だった男性とも様子を見る限り、知り合いのようである。

男は妹へ一枚の写真を提示して見せた。それを見て彼女は驚く……そこには制服姿の自身が確かに写っている。

 

飴渡「奴に妹が居るのは知っていたからな。ちょっとした人尋ねに、君の写真を使わせて貰ったよ……」

 

飴渡「こいつを手に入れるにも中々苦労した。今こそ奴が俺をコケにした代償を支払わせてやるのさ」

 

飴渡「おまけに瀬嶋。貴様、のこのこと生き永らえていたか」

 

飴渡「今回のターゲットはこの女のつもりだったが……ちょうどいい一石二鳥だ。事が手軽に済む」

 

飴渡「情報屋とやらを頼って正解だったぜ」

 

(あ、アイツ~! 私らの情報を売りやがったな!!)

 

飴渡「どちらから殺すか迷うなぁ……非常に、迷う」

 

「ぐっ……!」

 

こいつは普通じゃない。それに今しがた男が取り出した、手に持っているあの長剣……言葉は嘘じゃなく、本当に自分を殺める気なんだと妹は思った。

同時に、自身の防衛本能が働き……それが先制攻撃をすべく、自身の身体を反射的に動かした。

だがその行動が男を挑発してしまう事となる。

 

飴渡「おっと動くなよ。よし、逃げる前にお前からやってやろうか……」

 

サカイ「いいっ!?」

 

サカイが真っ青になって妹の方を見る。こいつ人を爆弾みたいに恐ろしがって、と妹は思った。

 

瀬嶋「まぁ待て」

 

飴渡「あんたが一番を所望か? ……まぁいい。お前、動くなよ。動けば殺す。おいお前、見張っとけ」

 

飴渡「こいつは二人で来て正解だったか」

 

どうやら最初のターゲットからは外れた様だった……しかし状況はそこまで変わらない。

彼の仲間と思われる……黒服の男が一人、見張りを任されてこちらに寄って来る。サカイが真っ青な顔のまま、妹を見て言う。

 

サカイ「おいおいお前……何やらかしたんだよ」

 

藍「何かあの男と関係があるのか?」

 

「知らんわ」

 

こっちが聞きたい、と妹は思った……同時にもしかして、うちの兄が何かバカをしでかしたんじゃないかとも。

藍は意外にも焦燥した様子は無い……元々戦闘以外の会話では物静かな感じだとは思っていたが、それにしてもこの状況。冷静すぎるというか、大したことはないと思っているのだろうか。

つい先程、颯爽と敵を倒していた彼女ならそう思っても不思議ではないが……

そんなことは放っておいて目の前の、二人の男の話は進んでいった。

 

瀬嶋「その剣は……貴様、それを何処で手に入れた」

 

飴渡「アンタは良く知ってるよなぁ、これが何なのかを」

 

飴渡「NIRO次期主力装備として開発されていた、対カゲヤシ戦用武装」

 

飴渡「俺も良く活用させてもらってるぜ。既に俺達の間ではこいつが普及している」

 

瀬嶋は男の剣を見る。先程彼が剣を取り出した際、瀬嶋は目を疑っていた。あの男、飴渡が手に持つ剣は間違いなく、自身が居たNIROで開発が進められていたものだった。

その昔、脱衣術が確立されなかった場合のプランBとしてNIROで発案されていた、対カゲヤシ用の格闘兵装……

脱がすのではなく衣服を斬り破る事に戦闘の主眼を置いた刀剣であったが、脱衣格闘が採用された為開発は一度中止されたものだった。

 

その後瀬嶋自らのロッドをベースに、己を含めた強化エージェント専用の新武装として開発は再開される……

しかし、日の目を見る前にNIROは壊滅することとなったのだ。

それが今、瀬嶋の目の前に存在する。無いはずのものが、だ……

 

瀬嶋「貴様、バックに何がいる」

 

飴渡「NIRO……と言ったら驚くか?」

 

 

 

 

藍「NIRO? 解体されたはずでは」

 

藍が疑問げに呟いた。

 

サカイ「残念だったなぁ、トリックだよ」

 

妙なイケメンボイスでサカイは言う。

 

黒服「おい、黙ってろ」

 

サカイ「はいスミマセンッ!」

 

 

 

 

瀬嶋「戯言と思いたいが……貴様のその剣を見る限り、あながちそうでは無いようだな」

 

飴渡「確かにNIROは一度解体された。そして行き場を失った俺達は、とある人間に拾われた」

 

飴渡「そいつは言った。俺達に居場所を用意してやると」

 

飴渡「別の組織に吸収され……そしてNIROは生まれ変わったのさ」

 

飴渡「変わらない、カゲヤシ撲滅の名の下に」

 

瀬嶋「愚かだな。首輪をはめられている事に気付かんのか」

 

飴渡「自分の好きにやれるってんなら、飼い犬も悪くねぇ」

 

飴渡「それにだ。元々俺達はNIROの犬だった。昔と何が違うってんだ?」

 

飴渡「"元"飼い主さんよォ」

 

瀬嶋「その飼い主を殺しに来た……ということか」

 

瀬嶋「"元"飼い犬に手を噛まれる様な事をした覚えは、無いのだがね」

 

飴渡「とぼけんじゃねぇ。俺をポストから外し、好き勝手した挙句NIROを終わらせた罪はでかいぜ」

 

瀬嶋「能力に相応しい地位が与えられ、時として失権も有り得るというのは組織として当然のことだ。それを逆恨みというのだ、飴渡君」

 

瀬嶋「君は犬でも、噛み付き癖のある狂犬のようだな」

 

飴渡「ふん、そんな連中を集めてたんだろぉ、はなからよ!」

 

 

 

 

サカイ「意味が分からん、何の話なんだ」

 

藍「どうでもいい。私達はあの男から情報を聞ければそれでいい」

 

サカイ「これ、目の前で見てなきゃいけないパターン?」

 

「どうせお前は何もできないだろ」

 

サカイ「確かに」

 

黒服「黙ってろ!」

 

サカイ「スミマセンッ!」

 

 

 

 

飴渡「さて、と、だ。……まぁなんだ、死ねやッ!」

 

飴渡が鋭い矢となって突進する。

 

飴渡「俺はカゲヤシを超える力を手に入れた。このスピードについてこられるか!?」

 

言って剣を構え、斜め上に斬り上げる。その切っ先は先程瀬嶋が居たはずの場所を捉えていた、だが。

瀬嶋は頭を下げてかわし、飴渡の懐に入り込んでいた。

 

瀬嶋「確かに、素晴らしい身体能力だ。しかし」

 

飴渡「何……!?」

 

瀬嶋「当たらなければ何の意味も成さんな」

 

飴渡「ぉ!?」

 

瀬嶋の右拳が飴渡の腹に直撃した……その威力たるもの、飴渡自らの自慢の突進力と合わさり凄まじいものである。

思わず怯み、剣を握った拳が緩む。瀬嶋はそれを見逃さなかった……次の瞬間、鮮やかに瀬嶋に剣を奪われ、服という服を斬り刻まれていた。

 

瀬嶋「なるほど……これは良い武器だ」

 

飴渡「ぐぁ!? 何故だ!? 能力の差は歴然のはず……!」

 

衣服をビリビリに破かれた飴渡は、破れた服の切れ端を空に舞わせながら、よろよろと仰け反り後退しつつそう言った。

 

瀬嶋「私自身、元々このような手合いは慣れているのでね。日々能力に劣る末端の血で、眷属共と相容れて来た」

 

瀬嶋「力の差がある場合の立ち回りは織り込み済みだ」

 

瀬嶋「加えて君は能力に反して、戦い方はからきしな様に見える」

 

瀬嶋「折角の力が勿体無いというものだ」

 

飴渡「グッ……」

 

瀬嶋「しかし興味深いな……その力は何だ?」

 

飴渡「こんなはずじゃ……おい! 早く加勢してくれ!」

 

黒服「了解! ……あっ!?」

 

駆け寄ろうとした黒服の背後を狙い、藍が脱衣する。

 

藍「なんだ、敵に身を背けるのか? だからそうなるんだ。少し考えろ」

 

塵になった男が持っていたサーベル……飴渡の持つ剣と同じものだ。

それが地面に落ち、見た飴渡は驚愕する。彼女が脱衣の使い手とは思っていなかったのだろう。

 

飴渡「じょ、冗談じゃ……」

 

瀬嶋「良い働きだ」

 

姿勢を低くした瀬嶋は地面を一蹴りし……即座に落ちたサーベルまで近づくと、その剣先を蹴りつける。反動でくるくると宙へ跳ね上がったそれを空いている左手で受け取り、勢い良く威圧的に振り下ろした。

かつかつと地を革靴で響かせながら歩み寄り、瀬嶋は飴渡に問う。

 

瀬嶋「さぁ、君はどうするね!」

 

飴渡「クソッ……!」

 

飴渡「……こうなりゃ、コイツだけでもやってやる!」

 

やぶれかぶれになった飴渡は瀬嶋を無視して突進し、妹へと一直線に向かってきた。

 

「私!?」

 

瀬嶋「む!?」

 

サカイ「おい! よけ━━」

 

「うぉりゃあああああ!」

 

言い終わる前に、妹の右ストレートが飴渡の顔面に直撃していた……丁度その先にあった街宣トラック、"ITウィッチまりあ"の荷台コンテナまで吹っ飛ばされた飴渡は、

 

飴渡「バ、バカな……こいつは……」

 

飴渡「ただの……人間の……はず……」

 

そう呻き声を上げてコンテナからずるずると崩れ落ち、気絶してしまった。

 

サカイ「終わったか……ほんと無茶苦茶な世界だぜ」

 

サカイ「ま、楽しいけど」

 

「これが楽しいとか正気か」

 

サカイ「代わり映えしない日常に飽きればそうも感じるさ」

 

「ついさっきぶるってたのは誰なのよ」

 

サカイ「最近耳が遠くなった気が……」

 

━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

瀬嶋「情報だと」

 

藍「私達は、この秋葉原で今暴れている黒服達の組織の大本を追っている」

 

藍「追っている途中でな、情報屋という奴に言われたんだ。今同じ事を調査している情報通が居ると」

 

瀬嶋「それがこの私だと言うのか」

 

藍「……違うのか?」

 

瀬嶋「はっはっは!」

 

瀬嶋「いや、すまんな。なかなか思い切りの良い若者だと思ってね」

 

瀬嶋「得体も知れぬ、私などと接触を試みるのだからな」

 

瀬嶋「しかし君は良い目をしているな。気に入った、いいだろう」

 

「それでさ、おじさんは何か知ってるの?」

 

瀬嶋「あぁ知っているとも。そしてそれを君達に分け与えても良い」

 

瀬嶋「ただし条件はつけるがね」

 

サカイ「条件?」

 

瀬嶋「かくいう私も人手が足りなくてな、少々動きにくかったのだよ」

 

瀬嶋「先の様子を見る限り、君達は中々頼りがいがありそうだからね」

 

瀬嶋「調査に協力してくれるなら助かるが?」

 

(自分に協力するなら対価として教えてやっても良いってことか……)

 

藍「……する他ないな」

 

瀬嶋「ははは、そうだろう。今更後にも引けまい。だがこれで、派手に動けそうだぞ」

 

瀬嶋「私はその連中が秘密裏に営業している地下カジノの情報を持っている」

 

瀬嶋「この場所は連中の資金調達拠点だ。彼らにとってしても、重要度は高いものと言えるだろう」

 

瀬嶋「施設内にカジノ営業を取り仕切る幹部が居る。これを確保したい」

 

瀬嶋「……願えるか?」

 

サカイ「行くほかねーのなら」

 

「あんたは危ないから外で待ってた方が良いんじゃない?」

 

サカイ「おいおい、俺だけがか」

 

藍「その方が良い。お前はただの人間なんだからな」

 

サカイ「そりゃ、俺はあんたらみたいな紛い者みたいには戦えないけどよ」

 

妹は、その言葉に一瞬瀬嶋が反応したような気がした……

 

瀬嶋「では、ここらで話を終わろうか。詳しい話は追って伝えよう」

 

瀬嶋「好奇心旺盛なギャラリーもいるようだからな」

 

「え?」

 

瀬嶋「次に会う時は現場だ」

 

瀬嶋「準備を怠らぬように」

 

藍「……一つ聞きたい」

 

瀬嶋「なんだ?」

 

藍「あんた、NIROと繋がりがあるのか?」

 

瀬嶋「…………」

 

瀬嶋「まぁ、な。昔の話だ」

 

瀬嶋「……何故NIROを知っている」

 

瀬嶋は鋭く質問を切り返した。それに対して、藍は言葉を詰まらせる……

 

藍「いや……」

 

 

 

 

サカイ「秋葉原住民ならそりゃ知ってるさ。秋葉原でデカイ事件があっただろー?」

 

サカイ「あれ公にされちゃいないみたいだが、NIROがなんとかって噂は秋葉原でよく聞くぜ」

 

藍はこっそりサカイの方へ、笑顔を向ける。その意味するところは多分ナイスフォローとか、そんな感じだろう。こいつもたまには役に立つんだな、と妹は思った。

 

瀬嶋「……まぁいいさ。お互い色々とあるだろうが、今の我々の利害は一致している。余計な詮索は無しとしよう」

 

瀬嶋「ただチームとして、行動するだけだ」

 

藍「ああ、了解した」

 

そして彼は自身の名を瀬嶋だと、そう名乗って去っていった……さっきの戦闘によって痛む腰を叩きながら。

 

 

 

 

「……なーんか、嫌な感じ」

 

瀬嶋という男……快く情報を提供してくれたものの、妹に一抹の不安が残る。

良く分からないが、不気味なのだ……これでまた一歩、あの禅夜とかいう奴に近づけるのかもしれない。

人間に戻る手がかりを得られるのなら、なりふり構っていられる状況ではないのは分かっていたが……

 

藍「まぁ、確かにあまり信用できる奴じゃあなさそうだ」

 

藍「だが」

 

藍「こちらとしてもようやくこぎつけた情報源だ。悪いが信じるしかないだろう」

 

藍の言うことももっともだ。それに、自分の言う嫌な感じも、何ら根拠は無い……妹は何も言わずに頷いた。

 

藍「私も失礼させてもらう」

 

藍「明日、駅前に集合だ」

 

「うん」

 

藍「……良い目をしている、か」

 

 

 

 

瑠衣「あ……」

 

「え?」

 

藍が去った直後、一人の少女と目が合った。そして隣にはあの男。

 

ノブ「うぃーす! 元気してたか?」

 

「あ、あんたは……ケバブの人!」

 

サカイ「ノブ先輩じゃないっすか!」

 

ノブ「おう! また会ったな!」

 

瑠衣「あの……ちょっといいですか?」

 

「はい?」

 

サカイ「なんだ道案内? 君はラッキーだなー俺は秋葉原に詳しいんだ!」

 

サカイ「ついでに手取り足取り他の案内も……」

 

瑠衣「えっ、あっ、えっ?」

 

「おい……いい加減にしろ?」

 

構えた拳を見てサカイは青くなり、冷や汗を垂らす。

 

サカイ「わ、分かってるさ……もちろんな。何せ聡明な俺だ」

 

その割には酷く焦ってるじゃん、とは思ったものの、取り合えず妹は拳を下ろしてやることにした。

 

「ならいい」

 

ノブ「相変わらず仲が良いな」

 

「良くない」

 

瑠衣「え、えっと……あ。そうだった」

 

瑠衣「あの黒服の人と、あなた達は知り合い?」

 

「ううん」

 

サカイ「いや別にだな」

 

瑠衣「そうなんだ、今話している所を偶然見ていて。……ごめん、盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど」

 

瑠衣「なんとなく……だけど、あなた達は悪い人には見えないから」

 

瑠衣「ってノブ君も言ってたし」

 

ノブ「そりゃそうだ! 俺と心を通じ合った仲だからな!」

 

「そうだっけ?」

 

瑠衣「けどあの男は……」

 

サカイ「何かあるのか?」

 

瑠衣は、瀬嶋について、そして自身の境遇についてを一通り話した。

 

サカイ「なるほど。まぁぶっちゃけ知ってたけどね。最後の防衛戦もリアルタイムで参加してたし!」

 

瑠衣「あ、そうだったんだね」

 

サカイ「しかしそうか思い出したわ~、あのオッサン何か見覚えあると思ったらNIROのリーダーだったな! あの時、皆に配られた重要人物リストで見たわ」

 

「知ってたのかよ」

 

「かつてのカゲヤシ狩り組織指揮官……あの人がね」

 

瑠衣「そう。私達は、あの人が率いる組織と、長い間戦っていた」

 

ノブ「でも実際は人間の為平和の為なんて掲げ事はどこ吹く風でさ。結局自分の欲で動いてたんだよな、瀬嶋は」

 

瑠衣「もう改心したって話も聞いたんだけど」

 

サカイ「しかし、あのオッサンと今さっき協力しようって話したばっかだったな」

 

「まさかそんな人だったなんてね。まぁ、胡散臭いオーラは出てたけど」

 

ノブ「改心か、口ではなんとでも言えるさ。ホントにそうだとは思えねーな」

 

瑠衣「でも、そう言うのなら、少し信じてみたい気もするんだ……あの人の良心を」

 

ノブ「瑠衣ちゃんは人が良すぎるのさ」

 

言って、ノブは慌てて付け足した。

 

ノブ「ああ違う違う、悪く言ってる訳じゃないぞ」

 

ノブ「瑠衣ちゃんのそういう所を、皆は気に入ってるだろうしな」

 

瑠衣「ありがとう。大丈夫だよ」

 

瑠衣「確かに難しいよね……」

 

「でも、自分の自己満足の為に長年そこまでやるなんてね。ろくでもないというか、ある意味執念深いというか」

 

顎に手を当て、理解できないと言いたげに神妙な顔をする。

 

ノブ「全くだ。地位も捨ていやそれどころか、人として生きることさえも捨てただ力を得る為だけに……良く分からんよな」

 

ノブもそう言って首を横に振った。

 

瑠衣「うん……」

 

瑠衣「……あの人の目、なんだか恐ろしいけど……ふと、さ。疑問に思う時があるんだ」

 

瑠衣「何を考えていて何が目的で……見据える先には何があるんだろう、って」

 

瑠衣「ううん、それも含めて恐ろしかったのかもしれない。あの人からは何も分からない、何も感じられないから」

 

瑠衣「なんだか気味が悪いというか……そんな感じ」

 

サカイ「さー、本当に何もないんじゃねーのかな?」

 

……彼には心底どうでもいいらしい。多分早く話題を切りたいのだ。

 

「テキトーだなお前……」

 

サカイ「それよりさぁ瑠衣ちゃんって彼氏とかいるの?」

 

瑠衣「!?」

 

ノブ「ん?」

 

「は!?」

 

サカイ「いないなら俺と結婚前提ごっぁ!?」

 

全て言う間もなく妹の足払いですっ転んだ。

 

瑠衣「だ、大丈夫?」

 

「あ、気にしなくていいよ」

 

瑠衣「えーと、うん。……いいのかな」

 

瑠衣は困惑しつつ、心配そうな顔をしている。

 

「まったく……」

 

サカイ「良くない! 瑠衣ちゃん傷を診てくれ~!」

 

倒れこんだサカイはオーバーリアクションも甚だしく、そう喚いた。

 

「どこに傷があんのよ! お前は本当に大丈夫みたいだな……それより」

 

「やっぱりカレシとかいるんだよね? いいなー!」

 

ノブ「結局君も興味あるんじゃないのか……」

 

瑠衣「か、彼氏?」

 

「やっぱりお相手はカゲヤシなの? お姫様だと良さげな人とお見合いって感じ? いやいや、もう親が頭脳明晰超絶イケメンの候補を見つけてて……」

 

サカイ「何を一人で盛り上がってんだ」

 

いつの間にか立ち上がっていたサカイが、やれやれといった様子で言った。

 

「……うるさいわね」

 

それに対し腕を組んでムッとする……彼女はそういうこと話したいお年頃なのだ。

と、そこに、瑠衣が割って入った。

 

瑠衣「ま、待って待って。お見合い? もしないし、彼氏なんていないよ……」

 

「そんなにかわいいのに? まさかー、男が放っておかないでしょ!」

 

サカイ「いや待て彼女はカゲヤシだ。しかもプリンセス。男に免疫がなくても不自然ではあるまいて」

 

「そうね、私は人間の、しがない女子高生だからね」

 

サカイ「そんなことは言ってねーんだよな……」

 

ノブ「バカ言え、もう恋人なら居るじゃないかナナシが━━」

 

瑠衣「ノノノノブ君っ!?」

 

ノブ「━━なんだ、違うのか? てっきり俺はそうだと……」

 

ノブはからかってるのか、はたまた素で言ってるんだか妹には良く分からなかった。というか、もっと重大な問題がある。

 

「ナナ……え? いや……」

 

ナナシなんて名前は珍しい。そうは居ない。しかも男……同姓同名……アキバ通い……

 

「気のせいだな……有り得ない」

 

妹は考えることをやめた。

 

サカイ「は? 何か言ったか?」

 

「なんでも」

 

瑠衣「もう……ノブ君……」

 

サカイ「顔赤くね?」

 

瑠衣「えっ!?」

 

うつむく瑠衣をサカイが覗き込むと、ギクゥっと身を反らせる。更に顔が赤くなってる気がする。

 

瑠衣「あ、えと」

 

瑠衣「あぁっ、ごめんね。こんなに話しちゃって」

 

少し声が裏返ってる気がする。

 

「全然大丈夫だよー」

 

気がしたが、妹はあえて触れないことにした。

 

サカイ「ええってことよ」

 

瑠衣「あ、秋葉原には良く来るの?」

 

「さっぱりだよ。でも、最近は秋葉原に通いづめかな。私の意志とは全く反してね、全く」

 

妹は恨みがましい様子で、力をこめそう言った。

 

瑠衣「そ、そう? あなたも色々あるんだ……でもそれなら、また会えるかもしれないね」

 

瑠衣「また、会えると良いね」

 

「うん」

 

瑠衣「……また喋ってくれる?」

 

「うん。もちろん」

 

サカイ「いつでも瑠衣さんの喋り相手になりますッ!」

 

瑠衣「良かった……やっぱりニンゲンって、優しい……」

 

そういって満面の笑顔を向ける。

妹としては、それが優しいというよりかはごく当たり前な事だと思ったが……いや、妹でなくても、誰もがそう思う事だろう。

 

「そうかな?」

 

ノブ「良かったな、瑠衣ちゃん」

 

瑠衣「うん」

 

サカイ「カワイイ……」

 

サカイはボーっとした様子でボソッと呟き、瑠衣の、彼女の笑顔にすっかり魅了されていた。

 

サカイ「カゲヤシって、カワイイ……」

 

「やかましい」

 

無論彼女、瑠衣自身に悪気も何もないのだが、しかし罪な女の子である……妹にはその魅力がちょっと羨ましかったりした。

 

瑠衣「それに何故だか……初めて会った気がしないんだ」

 

「へ?」

 

瑠衣「ううん、なんだかあの人に似ている気がしたの、それだけ」

 

それから瑠衣は、ほんの少し険しい顔をして

 

瑠衣「それと。あの瀬嶋っていう人には気をつけて。あの人は、目的の為ならどんな手段でも使う人だったから。もしかしたら……」

 

……すぐに元の笑顔に戻り

 

瑠衣「でもそれは昔の話! きっと大丈夫だとは思うけど、一応……ね」

 

ノブ「俺からも言っとくよ、気をつけな。あ、一応、な」

 

「うん!」

 

瑠衣「……じゃぁまたね!」

 

「またね~」

 

ノブ「またな~」

 

サカイ「うぅぅ……なんて可愛いんだ」

 

サカイが去っていく二人に、いつまでも手を振りながら言う。

 

「あんたには高嶺の花だね」

 

ふふん、と腕組みしながら、哀れむように言った。

 

サカイ「あー可愛げのない奴だ。今すぐにでも瑠衣ちゃんと交換したい」

 

「だったらさっさと離れろ……離れないなら私が!」

 

再び構えた拳を見てサカイは青くなった。事あるごとに顔色変えて、忙しい奴だ。

 

サカイ「まてよジョークだろ! 君ったら早とちりし過ぎなんだからぁー」

 

「…………」

 

サカイ「へへへ……」

 

「ったく」

 

「帰る!」

 

サカイ「お、おーい! 明日も秋葉原駅だよなー俺待ってるぞー」

 

「ほんと調子の良いヤツだな……」

 

━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

ノブ「どうだ? 結構良い奴らだったろ?」

 

瑠衣「うん。ノブ君の言うとおりだった」

 

瑠衣「…………」

 

瑠衣は少し上の空だった。というのも、さっきの事が頭から離れないからだ。

 

瑠衣(自分では気にしてないつもりだったけど)

 

瑠衣(何故だろう……ナナシの事を言われた時、何故かヘンな気分になって、それって、つまり……)

 

瑠衣(やっぱり私は……ナナシが……)

 

瑠衣(好き、なの? この気持ちが……何よりの証拠なのかな)

 

それぞれは駅前から去っていった。




アサルトサーベル 

飴渡やモブが持っていた剣。外観は細身の両刃を持つ西洋直剣。
半自動展開式で折りたためる構造になっており、収納時は警棒にも劣らないコンパクトさを持ち合わせている。
純粋な切れ味は用途が用途の為そこらの包丁よりも劣るが、カゲヤシの怪力にも耐えうる耐久性を持ち、特殊加工により衣服を容易に斬り破る威力を持つ。
超重量であり、通常の人間ではまともに扱いきれない。禅夜が持っているものは彼専用に強化されている。


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13.藍の過去

AKIBA'S BEAT、AKIBA'S TRIP Festa!、AKIBA'S TRIPアニメーション
ここにきて続々とAKIBA'Sシリーズが発表されていますね
ファンとして嬉しく思う反面…しかし、瑠衣ちゃんは?初代自警団は?
もう永遠に会えないのか。どこに行ってしまったのでしょうか…懐古と言えばそれまでかもしれない、けども

ところで妹の一人称が妹なのは厳しい。無理矢理にでも名前つければ良かった(今更)
以上チラ裏


━━駅前

 

もうお決まりとなった秋葉原駅前での集合。

まだ集合場所には誰も来ていない。妹は、UD+へ続く近くの階段へ腰掛けた━━

秋葉原駅前では絶えず人々が行き交っている。誰もが目的を持ち、そして秋葉原という街に心躍らせる者の多くで溢れている。

しかし彼女はといえば違う。無論遊びに来たわけでもないし、手持ち無沙汰で、ちょっとした暇つぶしのあてがあるわけでもない。慣れないここ秋葉原なら、尚の事━━

そんな事もあって、つい彼女はあれこれと思案にふけってしまう。冬休み、……それも今日はクリスマスイブなのに何をやっているんだろうと考えでも巡らせれば、それは自然と白いため息となって漏れた。

 

だがそもそも、こうなったのは彼女自身の愚かさ故でもあった……高給バイトに引っかかったばかりに。

募集の際掲げられていた報酬が貰えないどころか、逆に高すぎる勉強代を払ってしまった。彼女にとっては甚だ信じられない話ではあるが、人間であるということさえも、彼女は手放してしまったのだ。

妹はがっくりと肩を落とし、俯いた。

 

そんな彼女に近づいてくる足音。それに何やら漂ってきた美味しそうな香りに気がつき━━顔を上げた。

藍だ。その匂いを漂わせる根源、ケバブを左腕一杯にかかえ持っている。藍は相当気に入っていたらしい……この量ではケバブ屋の兄ちゃんも驚いたに違いないなと、妹は苦笑いした。

 

「ケバブ。食うか?」

 

ケバブをもぐつきながら、自身に目も向けずぶっきらぼうに言った。

 

「ありがとう」

 

彼女は一つを受けとった……朝御飯は食べたが、一応お腹は減空いていたからだ。

 

「今集合でも、あれは日の落ちた頃集合って話でしょ?」

 

妹はケバブをついばみながら、隣に腰掛けた藍へつまらなそうに言った。

あれ、というのはカジノ襲撃作戦のこと。日の落ちた頃集合というか、決行自体は話では大分遅い。

……どれ程遅いのか? 端的に言うと真夜中だ。真夜中の秋葉原なんてほぼ店は開いてないし人だって殆ど居ない。昼の賑やかな雰囲気は一変してその表情を変えてしまうのだ……もっとも、彼女はそんな秋葉原という街の特性など知りもしないのだが……

ともかくそんな時間に行くらしい。逆にそんな時間でもなければ、裏カジノの操業などできはしないのかもしれないが。それに来るのは金持ち連中だろうから、夜中でもどうせちゃんとお迎えが来て、帰る足に困ることもない。

 

「決行まで休んでいる暇は無い。時間ある限りそれは使っていく」

 

藍は前を向いたままに答えた後、唐突にスマホをポケットから取り出し、何やら真剣な表情で画面を見つめている。

どうしたの、と妹は顔を覗きこんで問い掛けた。藍は最後のケバブを食べると慌しく立ち上がり、

 

「やはり早めに来て正解だった。行くぞ」

 

突然にそんな事を言い出した。急な事に妹も座ったまま彼女を見上げ、何があったのか困惑である━━それにサカイも、まだ来ていないというのに。

 

「え、え? サカイは?」

 

「あいつは集合前に秋葉原周辺を警戒していた」

 

「そのあいつからのメールだ。場所はUD+!」

 

━━UD+

 

 

「誰かが戦ってる? 黒服と……あいつは禅夜! やっぱりあいつらが……もう一方は?」

 

遠巻きに様子を観察しながら妹が言った。彼女なりに予想はしていたが、やはり禅夜達が暴れている。幹部の禅夜がいるあたり、奴等としては重要な作戦かもしれない。

どちらにせよ、これほど早く遭遇するのは好都合だった。もう一方の勢力に関して、現地で合流したサカイが言う。

 

「ダブプリがいるからな。恐らくカゲヤシの集団だ。あっちは、カゲヤシは悪い奴等じゃない。ダブプリを助けるぞ!」

 

答えるなり、戦っている"ダブプリ"とやらを指差した。

そんなサカイとは違い彼女等の素性は知らないものの、敵の敵は味方とはよく言ったものだ……妹もそれに、分かった、と頷いた。

 

「助けたらサインとかもらえるかもだしな~。いやむしろ、助けに駆けつけた俺はアイドルとの禁断の恋に悩むのだった……いやなんでも。とにかく早く行こうぜ!」

 

サカイの呼びかけに、さっきまでやる気だった藍は何故か苦い顔で腕を組んでいる。藍は、ああ……、と気乗りしないように答えた。

 

 

 

『━━行くぞ!』

 

複数のカゲヤシが飛び交う乱戦の中、一人の末端が吠えて禅夜に仕掛けた。バンドマン姿の末端はギターを大降り気味に振りかぶるも、禅夜はすかさず末端の腹に強烈な蹴りを打ち込んだ。それを禅夜の頭に振り下ろすまでもなく、がら空きになった腹部に重い蹴りの一撃が深くめり込んだ。

 

『ぐはぁ!?』

 

末端が反吐を吐いて吹っ飛び、それから禅夜はすぐに地面を━━杭でも打ち込むかの如き驚異的な脚力で踏み込む━━すると彼の身は高速で飛翔し、他の末端が各々に飛び掛るも、既にそこに禅夜は居ない。

 

『クソッ、奴を捉えられない!』

 

末端が次々と陽光の下に炭化されていく中、次いで禅夜は舞那へと向かった。

 

「……くっ!?」

 

━━舞那は禅夜の手をすれすれの所でかわす。

 

「つくづく情けないですね。ここまで振り回されるとは」

 

禅夜は砕けた態度で挑発すると、余裕の滲む表情を見せながら舞那へゆっくりと歩み寄る。対する自身は剣を構えもせず。

始末を急ぐ必要もない、どの道時間の問題だ、とでも言いたげに━━

だが。

舞那は静かに笑みを浮かべていた。禅夜の余裕が一瞬、固まる。そして次の瞬間……

……己の背後から飛び掛る瀬那の存在に禅夜は気付いた。滲んでいた余裕は姿を消し、焦燥に目を見開いた。

振り向きざまに禅夜は剣を走らせ、そのまま上空から振り下ろされた瀬那のスピーカーを迎撃した。

火花が走る。

一瞬瀬那はバランスを崩したもののバク転で立て直し、そのまま危なげなく着地した。禅夜が慢心し戯れている間、彼の部下である黒服は瀬那と末端がその全てを始末して、残るは禅夜のみとなっていたのだ。

瀬那は、舞那の傍に駆け寄って構えた。

 

「やっぱり一筋縄じゃいかないみたいね。でも勝つのは私達……舞那、行くぞ!」

 

舞那はうん、と応じそれに準じてスタンドマイクを禅夜に突きつけた。

 

「この期に及んで逃げないとは良い度胸ですよ」

 

「無駄な抵抗だといい加減気付くべきなんだ。目で追うのが精一杯の……癖に!」

 

「━━死ねェ!」

 

彼が剣を振り抜き、突進したその時━━

 

「そぉい!」

 

間に割って入ったのは、妹だ。彼女の蹴り上げが顔面を襲い、慌てて禅夜は顔を逸らした。

 

「ぬぁっ!? なんだ!?」

 

「…………貴様は……! ッ!?」

 

意識が妹へ逸れたのを幸いと、すかさず禅夜の背後に走った舞那の手がスーツを一気に引きちぎった。白いワイシャツが露となった禅夜は、身を逸らしつつ咄嗟の一閃……刃は舞那の下腹部に命中しその部分の衣服が破れ散る。彼女は後退し脱がしきることは叶わぬも、ダメージは確かに与えていた。

他の末端も、各々禅夜に対して構える。第三の介入もあり、彼が形勢不利なのは明らかだった。

 

「こ、この私の……服を! 貴様!」

 

「良い気になるなよ……! もうお遊びは終わ━━━━」

 

まだ殲滅を諦めていないようで、禅夜が怒りに声を荒げる。頭に血が上っているのか自信過剰なのか、人数差など気にする様子も無い。

そんな時だった。

 

「何だ?」

 

禅夜は疑問の声を上げる。

腰後ろに装着していた通信機ホルダーから、おもむろに無線通信機を取り出した。

 

《こちら第3班。妖主追跡は失敗だ。見失った。繰り返す、失敗》

 

無線の向こうから、青年が作戦の失敗を淡々と報告した。ただでさえイラついていた禅夜はますます激昂する。

 

「ど、どいつもこいつも……! 役立たずがぁ! どこの馬の骨かも知れない、貴様の腕を買ってやったんだぞ!」

 

無線を聞いた禅夜は通信機にこれでもかと怒鳴ると、通信相手の男は悪びれもないように冷めた声で応答した。

 

《予定より多く邪魔が入った、損害が出ている。じゃあ聞くけどあんたはどうなんだ?》

 

逆に聞き返されてしまうと、とたんに禅夜は苦虫を噛み潰す様子で押し黙った。

 

《必要なら加勢に向かう》

 

「黙れ! 今回は撤収だ……!」

 

怒りのあまり身を震わせて、彼の額には血管が浮き上がっていた。

 

「貴様ら……! 覚えたぞ……! それに、そこの失敗作共もだ……次は……脱がす!」

 

怒りに息を切らせながら、言葉の一つ一つに怨みを込めるように忠告する。だからこそ妹は、脱がす! の部分だけがただの変態的宣言というか、なんだか酷く場違いに感じられて、ちょっと脱力していたが。

禅夜は通信機を床に叩きつけ、バックステップで離脱して行く。

 

「逃がすか!」

 

舞那は追跡を試みるも、黒い群れに阻まれてしまう。

それは増援の黒服だった。

 

「えぇい、こいつらまだ━━━━!」

 

再び構える舞那に妹が駆け寄った。

 

「私達も手伝う!」

 

「誰だか知らないけどまぁいいわ。よぅし、行くよ!」

 

 

 

敵は全滅していた。

末端は禅夜を追跡しに行っているようだが、とはいえ今このUD+に居る者の中で、禅夜を追おうとする者は皆無。皆、時すでに遅しと諦めているようだった。

瀬那は妹に歩み寄った。

 

「ありがとう。キミ、なかなかやるね。それにしても……」

 

そうやって礼を言われるのもつかの間。

同時に藍の方を見、急に険しい顔でこう言われた。

 

「あなた、あいつと知り合いなの?」

 

「え? うん……」

 

妹は困惑して、口ごもる。

何故だか彼女等は……安倍野藍という存在を、敵意を持って見ている気がしたからだ。

 

「アイツ、生きてたんだ」

 

ダブプリの片割れ、舞那も唇を尖らせて、どこか面白くなさそうに藍を見る。

 

「お前達こそまだ秋葉原に居たんだな。てっきりもう、別の場所に居るのかと思っていた」

 

そんな藍本人の言葉を聞き流したのかは定かではないが……舞那は相変わらず睨んでいるだけだし、瀬那も特に何も言う事はなく、

 

「藍、来てもらうよ。良いでしょ?」

 

ただ淡々とそれだけを促して、瀬那はUD+から離れていった。

藍もそれに黙って着いて行く。

 

「あのぅ、私達は?」

 

妹は言った。このままでは置いてけぼりだ。

サカイも口を揃える。

 

「着いてっても?」

 

「好きにすれば」

 

舞那はぷいと顔を背けて、彼女もUD+の外へ歩いて行った━━

 

━━カゲヤシの新アジト

 

 

デスクから慌しく末端に指示を出していた女性━━妖主は驚きの声を上げた。

 

「藍……!? あなた……」

 

藍は妖主へ近づきながら言う。

 

「久々に親の顔を見に来た。どんな顔をして私を迎え入れるのかと思ってね」

 

歩いて行く彼女とダブプリの二人を、妹とサカイは少し離れて見守っていた。

妹は妖主について何も知らないところではあったが、

 

「あの人はカゲヤシで一番偉い妖主って人だな。俺も生では初めて見た……」

 

そんなサカイの言葉を聞いて彼女は理解した。そして藍の発言を聞くにあの妖主という女性が、安倍野藍の母親に当たる存在ということだ。

妖主はデスクに座ったまま藍の方を見、暗く言葉を紡いだ。

 

「……今更、許してもらおうなどと都合の良い事は思っていないわ。ただ、あの時はエージェントに唆されて寝返ったようにしか見えなかったのよ」

 

━━寝返った? エージェントって一体……? 妹の口から自然と疑問が漏れる。

するとまた横に居るサカイが小声で応えた。

 

「エージェントってのは、恐らくNIROの黒服の事で間違いない。当時のな」

 

妹が藍から聞いた話では、カゲヤシはNIROに追われ迫害されていたはず。"寝返ったようにしか見えなかった"とはどういうことなのか。しかし同族である藍が来たにも関わらず歓迎ムードとは程遠いのは、やはり良くない事には違いない━━のだろうか。

妖主は、話を続けていた。

 

「もし、こちらの情報を漏らされれば全体に危険が及んだ。だから……」

 

弁解を最後まで聞く気もないと、藍は遮った。

 

「部下に始末させようとした……か。それが同族同士で、自分の娘であろうとそんなのは関係ない。大方、組織の1単位としてしか見ていない」

 

「……ごめんなさい藍。だけど、その考え方こそがカゲヤシの特徴でもあった……それはあなたも分かっているはず」

 

「そうなのかもしれない。だがそれは、私には非情な行いの正当化にしか聞こえない…………そうやって古い考えをいつまでも押し通していたんだ。カゲヤシとはこうあるものだと」

 

「本当にそうなのか?」

 

「私も追跡するあんたの部下と、同族の仲間とはいえ戦わざるを得なかった」

 

舞那が横から突っ掛かる。

 

「ちょっと、黙って聞いてれば! 元はと言えば、あんたの裏切りが原因でしょ! それを偉そうに……!」

 

やはりそうなった理由はどうあれ……藍が一族を離れ、NIROへ組した事は事実の様だった。本当に裏切りなのかどうかは、妹にもサカイにも分からないが。

瀬那も藍に対して冷たく切り捨てる。

 

「あなたが異常なのよ藍。カゲヤシの多くはその考えに疑問を持たず、ただ従う」

 

「あなたはカゲヤシらしくない」

 

藍はあざ笑うように冷笑し、そうだろう、と言って、言葉を続けた。

 

「分からないだろうな。操り人形のお前達には」

 

その一言に、ダブプリの二人は言葉も出ない程驚愕した。

 

「末端ならそれでもいいのかもしれない、しかし眷属なら己の考えを持って然るべきだ。自分達が戦いの道具にされているとも知らずに。それこそNIROと何が違うものか……」

 

「藍、争いは終わったわ」

 

怜の優しげな言葉も、彼女は意に介さずに跳ね除けた。

 

「終わった。だが再び始まる事だってある」

 

「この血の周りでは必ず争いが起こる。そうさせるのは血の魅力ゆえか……それとも、血を持つ者の好戦さなのか」

 

「もし再び戦いが始まったとすれば、また子を、家族を犠牲にして安全圏で傍観するのだろう」

 

「何も変わらない。何も」

 

うんざりした様子で首を振る。妖主はそれに何か返す訳でもなくただ黙っていた。

妹には藍の言っている事が分からなかった。確かに親である妖主の手によって殺されかけたというのは、恨みを持つには仕方のない事なのかもしれない。しかしそもそも何故、藍は同胞の元を離れたのか? 何故よりによって、カゲヤシの根絶を掲げていたNIROに組するような行動に出てしまったのか? その時の藍の口からは語られることは無かった。

 

「そういうことだ……」

 

藍は背を向ける。

 

「いっその事、人かカゲヤシか……どちらか一方が消えて無くなってしまえば、幸せだったのかもしれないのに」

 

彼女は呟いて、一人アジトの出口へと歩き出した。

妹はハッとして声を掛けようとするが、思う傍から藍は自身を通り過ぎて、結局、何を言えば良いのかも分からずただ暗く俯いた。

怜は胸の辺りをぎゅっと握り締める。

 

「カゲヤシだって変われるわ……戦いから学んで平和を願う事だってあるもの……」

 

藍が去っていく様子を悲しげに見送っていた━━

 

 

 

「藍ちゃんは……なんでNIROに?」

 

三人が新アジトのビルを出た矢先、妹は意を決して問う。

━━先頭の藍が立ち止まったのをきっかけに、皆の歩みが止まる━━彼女はしばらく黙り込んでいたが、前を向いたままやがて重い口を開いた。声は先ほどの言い争いの時とは違い、不思議とどこか穏やかなものだった。

 

「……私はな。元々人間との争いなんて馬鹿げていると思っていた。眷属の中でも年長だった私は人間に慈悲深さ、優しさがある事を知っていた……だが妖主であり私の母、姉小路怜はそんな中で豹変し人間達を嫌い始めて。いつしかNIROにも追われる身になって……それからは終わらない争いの始まりだ」

 

「当然私もカゲヤシの為に戦わなければならない。でも私は戦いの中で、一人のNIROエージェントに惹かれてしまった。彼も私と同じ、当時の争いに疑問を持っていた者の一人だった。それから私は━━」

 

そこで、彼女の言葉が詰まる。一拍置いて、またゆっくりと言葉を紡ぎだした。

 

「怜に人間全てが敵ではない事を必死に説いた。けど聞く耳持たなかった。今後戦いに参加するつもりは無いと言っても、何も聞き入れない……だから私は、密かに出て行く事にしたんだ」

 

「戦いたい奴等だけで戦えばいい。もうこんな事やめたい、せめて自分達だけでもどこか安全な場所で、ひっそりと暮らそうってさ……」

 

「私と意見を同じくするカゲヤシも集めて、最初はすぐに身を隠すつもりだった。……けど」

 

「怜に感づかれた私達は、妖主の追跡部隊と戦わざるを得なくなった。結局、いつしか残ったのは私と彼のたった二人で……私達が追跡を倒しきる頃にはもはや、消耗しきっていた」

 

「あれ以来私は怜とその取り巻きを仲間だなんて思っちゃいない……それでも奴等と違って、復讐してやる程怨んでいるわけじゃない」

 

「奴等……? 禅夜達?」

 

妹の言葉に藍は頷く。

彼女は腕を組んで通路の壁に寄りかかると、再び喋り始めた。

 

「話はこれで終わりじゃない。続きがある。弱っていた私達二人はそこで"奴等"に目をつけられたのさ。目ざとく……な」

 

「はぐれのカゲヤシだ、それも眷属の……格好の標的を彼らが見逃すはずも無い」

 

「奴等は強い。その時の私達ではろくに抵抗はできなかった。情けないがすぐに捕まってしまって……」

 

「私は紛い者になった。初の、眷属を元にした紛い者として」

 

安倍野藍はカゲヤシではなく、精確にはカゲヤシと紛い者のハーフだったのだ。

同じ紛い者という境遇だったからこそ、捕まっていた自身を助け、人間に戻る為の手助けをしてくれているのだろうかと妹は考えた。

そして妹には気掛かりな事があった。それは藍と一緒に居た元エージェントも、紛い者になってしまったのかという事……恐る恐る、彼女は藍へ尋ねた。

 

「そんな……あ、その……藍ちゃんと一緒にいた人も?」

 

「彼は紛い者化を逃れて、私は処置室にいるところを彼に助けられた」

 

「だが彼は死んだ」

 

思わず顔を背ける彼女を見て、妹は背筋がぞくりと凍りつくのを感じた。

 

「そして殺したのは……紛い者の私だ…………」

 

藍は思い切り歯を食いしばった。組んだ腕は解かれて、握られた拳は力に震えているのが見えた。

それから少し間を置いて、再び彼女は言った。

 

「私が、やった」

 

「正気を失っていたとはいえ……助けに来た彼を、自分の手で、殺めてしまうなんて……」

 

「私は恨んだ。弄られたこの身体を……あいつらを……!」

 

「奇跡的に助かった身だが……それでも自ら彼の後を追おうと思ったこともあった。でもやめた……そんな情けないことをしたら私は、本当に彼に顔向けできなくなってしまうから」

 

「だから私は復讐を、って?」

 

サカイが尋ねる。

 

「そう……私を突き動かすものはもうそれだけ……でも、それでも時々なんだか……だんだん自分という者の存在すら良く解らなくなっていって……自分自身のことなのに」

 

「自分が今何処に向かって何処を歩いているのか……何もかも……解らなく……なって」

 

妹は何も言えず、俯く藍の吐露をただ聞いているしかなかった。

初めて生の心の声を聞いた気がした。それまでの立ち振る舞い……外面の壁に隠れた、悲痛で今にも崩れてしまいそうな感情。

だがそれも内面を垣間見る一瞬の出来事。藍の顔は再び決意に満ちた硬い表情に変わって、元の凛々しい様子へ戻っていた。

 

「だが、この先で解る気がする。私はこの戦いの先に答えがあると信じているから」

 

「復讐すると決めたんだ。……いや」

 

彼女はふいにまた俯いた。

 

「復讐ではなく罪滅ぼしなのかもしれない。私がしてしまった過ちの……せめてもの彼への」

 

呟いて、顔を上げる。

 

「まだ行動開始まで時間があるな。奴等も作戦が失敗した直後だ……今日の所はもう恐らく、動きを見せる事も無さそうだ。解散して……時間に再度集合しよう」

 

藍の言葉に、まだ心の整理がついていないのだと妹は思った。簡単に整理がつくようなものでもないのは、容易に想像できる事だ……過去の事を語るのも相応の苦痛を伴ったに違いない。

酷いトラウマを思い出させてしまったのだから、今は一人にさせてあげるのが気遣いというもの━━ここで良かれとあれこれ声を掛けるのは野暮という奴だろう。

彼女は素直に、藍の言葉に従った。

 

 

その場に、妹とサカイだけが取り残されていた。

サカイは頭の後ろに手を回して、気だるそうに言った。

 

「なんだか色々ややこしいことになってますなぁ」

 

「ほんと……」

 

妹の方は疲労困憊といった様子だ。体力的にというよりは、主に精神的な面で。

 

「それで」

 

彼女はサカイの方を見た。

 

「はいよ」

 

「解散だよね」

 

「ですな」

 

「なんでいるの?」

 

疲れ切った彼女としては、すぐ横に居る疲れの元も早くどかしたい所。やかましくて、とても落ち着けたものじゃなくて、邪魔でしかない。

彼女は今、静かな所で一人ぼーっとして、この現実から逃避でもしたい気分なのだから。

 

「何故ここに居るのか? こいつは哲学的な問いだ」

 

相も変わらない能天気さに、彼女も痺れを切らして罵倒する。

 

「いいからさっさと離れろっての! このストーカー変態!」

 

「変態!? 安心しろ、変態にも相手を選ぶ権利がある! 君は安全だ!」

 

「何を!」

 

思わず拳を振り上げる。

 

「わぁ! 分かったやめろって!」

 

慌ててサカイも後ずさった。この怪力少女に殴られては生存の線は確実に無い。

そんな彼を無視して、妹はさっさと歩きだした。しかしやはりサカイもそそくさと着いて来て、悪びれずに言った。

 

「まぁおいらも暇なんだ。君だって地理の分からぬこの秋葉原、一人では心細かろう?」

 

「変質者を横に連れるよりマシよ」

 

妹はイライラしながら言った。とはいえそんな強がりを言おうとも実際は、歩き出したは良いものの、彼女本人もどこへ向かうのやら何も見当がつかない。実に間抜けだなと自分でも思っていたところで……

そしてどうやら、サカイにもそれは分かっていたらしい。

 

「なんて言い草だこいつ……。まぁさ、とにかく。自警団の方へでも行こうぜ。行くアテなんてないんだろーどうせさ」

 

彼女の暴言に少し眉をひそめながらも、自警団のアジトへ行く事を提案した━━と、そんな時、妹はこちらを伺う人影に気付く。

 

「……分かった、じゃあ先に行っててよ。私、その前に"アテ"があるから」

 

「ほんとかよ……まぁいいや、了解」

 

 

「……見てたんだ。いつから居たの?」

 

追求する妹の眼前には影の主、瀬嶋隆二が佇んでいた。こう並んで立つと身長差も甚だしくて、彼女が見上げるような形になっている。

 

「はて、いつからだったかな」

 

糾問する彼女をからかう様に、ひょうきんな素振りを見せた。勿論笑うわけも無く彼女の表情は変わらない。

瀬嶋はそんな彼女の懐疑に染まる瞳を見て、言う。

 

「……そう疑うな。我々はチームだろう? もっと私に協力を仰いでくれても良いと思うがね」

 

「老いぼれだからとのけ者にされるのは……悲しいものだな、うん?」

 

「そんな訳じゃないけど……」

 

単純に怪しいから信用できないんだよ、なんて言えるわけがない。

今まさに彼のコートへ仕込んだサーベルで一閃されるかもしれないし、それは分からない。何せついこの間までカゲヤシを殲滅していた、元NIROの指揮官なのだから。紛い者だって狩る側からしたら、カゲヤシの親戚みたいなモノだ。

 

「彼女は思い悩んでいるようだな」

 

瀬嶋の言葉に、彼女というのは藍を差していると妹はすぐに理解した。やはり会話の一部を聞かれていたらしい。

それがどうしたの、と彼女は興味の無い様な受け答えで受け流そうとする。

 

「藍……と言ったか。彼女を支えてやれ。さもなくば……」

 

「さもなくば?」

 

「復讐に翻弄された殺戮機械となるだろうな。紛い者だからという意味ではない、心まで血も涙も無くなる、本当の意味での、だ」

 

「……まさか!」

 

彼女はそんな事ありえるハズが無い、と言いたげだった。

藍は自分を助けてくれた。

確かに今の彼女は少し思いつめてるとこもあるかもしれない。でも、絶対にまだ良心は残っている。いたずらにこの瀬嶋はからかっているだけだ……彼女がそんな事を望む訳がない。

そう己に言い聞かせる。

 

「彼女の心の闇はそれを望んでいるかもしれない、ということだよ」

 

「自暴自棄になり、周囲を呪う。元より彼女は全てを失った身だ。家族も、愛する者も。復讐し惨めな最期を遂げる事こそが相応しき己の末路、そう考えているかもしれん」

 

忠告のつもりか知らないが、余計なお世話だというのが妹の正直な思いだった。

 

「そう……教えてくれてありがとうおじさん。それじゃ私、別の用事があるから」

 

言葉とは裏腹で、この男の下種な発言に納得などしていない。

彼女はすました顔で走り去った。勝手に言っていれば良いさ、そう思いながら━━

 

━━自警団のアジト

 

妹は自警団のアジトに立ち寄っていた。これで二回目だ。

入り口をくぐると、同時に初老の帽子を被った男性、ヤタベが通り過ぎて、慌しく荷物を持って出て行った。

アジトの中にはサカイと━━太った男の人━━つまりゴンである、彼女はまだ知らないが━━その二人が談笑している。

 

彼女は中へ歩いて行くと、偶然壁に掛けてあるポスターに目が移った。それに写っているのは、あの時に会った金髪ツインテールの可愛らしい二人だ。

 

(何故ここに……?)

 

疑問を持っていると、先ほどの太った男性が嬉しそうに喋りかけてきた。

 

「ああそれはね、通称ダブプリ、Dirty Bloody Princessだよ」

 

よく見ると大事そうに一眼レフを抱えて持っている。カメラ趣味なのだろうか? と彼女は思いつつ、"ダブプリ"という名称に首を傾げる。

 

「……それは?」

 

精確にはダブプリという単語はつい先ほど、サカイから聞いたばかりなのだが……その単語の意味する所を彼女はまだ知らないのだ。

ゴンはその反応を見て、少しがっかりした様子で言った。

 

「そっか……女性ファンだなんて珍しいなと思ったんだけれど。ううん知らないのも無理ないよね、ダブプリっていうのはアイドルの事で。ここ秋葉原を拠点に活動をしているんだ」

 

「秋葉原では超有名で知らない人はいないくらい。でも、メジャーデビューはしていないから、世間にはまだあまり知られていないんだ」

 

「へー、どうりで……すごくかわいいもんね。あの二人。お人形みたいで人間じゃないみたい」

 

「まぁ人間じゃないのは確かだ……いやぁなんでも! もしかして生で見たことあるのかい!?」

 

まーね、と彼女が言うと、男は興味津々で何処に居たのかしつこく訊いて来るものだから、今日に会ったんじゃないんだ、なんて誤魔化す。

 

「そうなんだ今日じゃないのかぁ……」

 

彼は虚しく天井を見上げると、はっと我に返った。

 

「あぁごめん! 自己紹介がまだだったね、僕はゴンって呼ばれてるんだ。ダブプリの話になるとつい……ごめん」

 

「よろしく、ゴンちゃん」

 

「ダブプリ、話じゃ確かメジャーデビューするって噂じゃろ?」

 

サカイが話に入る。彼もまたダブプリの事は知っているらしい。

 

「人気に目をつけた企業が、是非スポンサーになりたい……なんて申し出たって話だよね。ダブプリの人気はすごいからそれも、時間の問題だったのかな」

 

メジャーデビューと聞けば普通は喜びそうなもの。しかしゴンはどこか悲しそうだった。

 

「これで地道なアイドル活動も実を結び、大成するってわけだ。良かった良かっ━━」

 

「良くないよッ!」

 

「ホァァ!?」

 

サカイの言葉にゴンが鬼気迫る顔をこれでもかと近づけた。

その凄まじい勢いにサカイも変な絶叫を上げる。

一見気弱そうなゴンがこうなるのだから、よほどダブプリ熱が凄いのだなと妹は思う。それもダブプリの美貌なら仕方ないのかも知れないが。……カゲヤシには美人が多いらしい。

 

「明日のクリスマスライブがメジャーデビュー前の、秋葉原最後のライブになるかもしれないんだよ!?」

 

「クリスマスライブはもちろんすごく楽しみだけど、でも!」

 

「い、いいじゃまいか。一ファンとして二人の巣立ちを応援してやれよ」

 

「うう……そうかもしれないけれど……確かにそうだね……うん」

 

「大きな舞台で活躍するのは嬉しいんだけど、少し寂しさみたいなものもあるんだ。なんだか自分達の手の届かない、遠い存在になってしまうようでさ。それに少し心配なんだ。カゲヤシであるっていうことが……」

 

「もし世間にカゲヤシの存在を気付かれた時……どうなってしまうんだろうって。それこそ、余計なお世話なのかも知れないけれど……」

 

「とかなんとか言って手元から離れさせたくないだけでしょー?」

 

サカイの言葉にゴンは崩れ落ちる。

 

「そうだよぉ! ダブプリー! 行かないでー!」

 

溢れる愛を叫ぶゴンに妹は困惑しきりで、頭を掻いた。

 

「なんなの……」

 

「ははは、ウチらはこれで平常運転さー」

 

先ほどの初老の男性が笑っていた━━いつの間にか戻ってきていたらしい。

 

「ところでなんだか慌しいですけど、これは?」

 

彼女の問いに、ヤタベは額の汗を拭いながら答えた。

 

「新アジトへの移転作業、って所かな」

 

どこまでも慌しい所だなぁと、彼女は思う。なんだかここに居ては作業の邪魔になってしまいそうだし、当初の静かな場所で落ち着きたい、なんていう考えはどこへやらで━━そうだネットカフェにでも行って時間潰そう、と━━妹は密かに心に決めるのである。



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14.あの巨人を脱がせ

ここは秋葉原。

秋葉原の裏通りにある、とある店の前。

時間は既に深夜をまわっている━━

 

「お前達は私の子息、ということにでもしておこう。その方がやりやすい」

 

闇に紛れていた瀬嶋を街灯が淡く照らした。

妹、藍、サカイの三人は何も言わず、薄暗い闇の中、瀬嶋の横でただじっと待機している。

妹は藍の方を見やるが、昼間の様に思いつめた様子は感じられなかった。心配は少し晴れたものの、まだ気にしているのだろうか、なんて少しばかり気を掛けていた。

 

周りを見渡す限り、店舗は全て閉まっている……物音は何もせず、住民の気配など微かにも感じられない。冬独特の冷えて鋭く研ぎ澄まされた空気が、人一人居ない異様な程の静けさを助長している。息一つするのもはばかってしまうような、張り詰めた、独特の息苦しさのようなものがこの裏通りを支配していた。

瀬嶋の情報によれば、彼らは資金調達の為密かに秋葉原で地下カジノを経営しているという。彼らの基本的な行動拠点がここ秋葉原なのだろう。

 

"ここに組織のトップがいるという情報も掴んでいる"

 

加えて瀬嶋は作戦前にそうも言った。事実ならば組織について何かしらの手がかりになるかもしれない。妹はなかなか順調でいい傾向だと思ったが、であるからこそ、不安でもあった。このまま何事もなく進めばいいのだけど……と。

根拠は無い……理屈ではなく、肌でそう感じ取った、という感じで。

 

真夜中。漆黒のコートに身を包んだこの男、瀬嶋隆二がスーツケースを持って店の裏口へ向かう。その後ろを静かに着いて行くのは妹、藍、サカイの三人……

金属製で、緑のペンキを乱雑に塗りたくった飾り気の無いドア。瀬嶋が裏口のノブを回すと、鍵が掛かっている様子も無く。金属のきしむ音が鳴って、ドアは怪しく一同を招き入れた。中も年季が入ったアパートのような、小汚く、そして味気ないコンクリートの内装。

……瀬嶋を先頭に、階段を下っていく。

 

一番下まで行き着くと、正面に透明ガラスの自動ドア。……部屋の入り口がある。

入ると、その部屋の趣は今までとは打って変わって、高級感を感じる内装━━黒を基調とするシックで落ち着いた部屋の雰囲気。ロビーだろうか? 観葉植物や壁面上に仕込まれた温色のライトアップによるほのかな明かりがより一層高級感を漂わせていた。

ただ彼女等が部屋の端々をよく見ていく暇もなく、先頭の瀬嶋は足早に先を歩いて行く。

妹はもっとこう、派手派手なイメージをしていた為に拍子抜けした。カジノ=ラスベガス……みたいな、電飾の主張のきつい華やかさや、目に強く訴える赤いシートなんていうのを想像していたからだ。とはいえ、こういうカジノもありかなというのも彼女の思うところで、なによりこういった空気の方が"人目を避けた地下カジノ"っていう気がしてきてなんだかそれらしい。先ほどからいやに物音が静かなのも、そう感じさせる。

 

……最奥の大きな両扉を開けた瀬嶋は、持っていたスーツケースを手放した。

 

「入場にはそれなりの金が必要という話を聞いていたが、どうにも必要はないらしい。無駄な用意だったな」

 

察するに、相当の現金が入っていたらしい。……妹は少々それへ手を伸ばしたくなる衝動にかられながらも、ぐっとこらえて部屋の奥を覗き込んだ。

 

すると、彼女は瀬嶋の言っている意味を理解した。

閑散としたカジノブース……人自体は居る。そこかしこに、恐らくガードマンだったのであろう黒服が、緑色のカーペットにへたばって、転がっているのである。さらにはテーブルは引き裂かれ、スロットはべこべこの無残な姿になり、シャンデリアは地に落ちている。

そしてカジノの賭け事に興じていたと思えるような見てくれの人々が、一人も見当たらないのだ。

 

「なんだ……? どういうことだ?」

 

藍もその様子を見、唖然としていた。

 

「……先客、らしいな。急げ」

 

瀬嶋はさらに奥の扉へ向かった。カジノの管理者が控える部屋だろうか。

……先に何者かの襲撃があったということなのか。倒れたガードマン以外に人が見当たらないのは、恐らく逃げてしまったのだろうか?

 

「奥に話し声が聞こえる。二人だ。今の内に突入するぞ」

 

扉に耳を当てた瀬嶋が言って、素早く扉を押し開ける。ばん、と扉が勢い良く開き、彼は部屋へと駆け込んだ。

 

「……今宵は来客が多いですねェ」

 

妹達も瀬嶋に続いて部屋へ入ると、そこにはスーツ姿の男、坂口がステッキを持ち、佇ずんで出迎えた。

 

「どうも夜分遅くに。私は坂口と言う者でしてねェ……このカジノも私が取り仕切っているんですよ」

 

「貴様か……、この連中の雇い主は」

 

瀬嶋の問いに坂口という男は「いかにも」と短く答えるなり、部屋の奥隅にある通路へ視線を流した。

 

「あの狐め……逃げ足だけは速いな」

 

再び男は瀬嶋の方を見、緩慢な態度で問うた。

 

「私に何か用かね? 瀬嶋、隆二君」

 

「ご存知とはね。私もそれなりに有名らしい。……まぁ知っているのも当然か。私の部下を自らの下へ取り込んだ張本人ならば、な……さぞ高崇な言葉に理念、そんなものでも並べ立てたか?」

 

瀬嶋は坂口が自らの部下を引き込んだのだろうと、当たりをつけていた。実際の所、それは図星だったのだが━━

けれども坂口は指摘に焦る事もなく、そんな問いに開き直ってみせた。

 

「我々の指標は前NIRO同様、カゲヤシの殲滅による治安の確保。表向きはです。ま、カゲヤシ撲滅なんて嘘っぱちですよ。飼い慣らし、縛りつける為には信義があった方がやりやすいですからねぇ。捕虜と称してカゲヤシを捕縛すれば、血も手に入る」

 

「まァカゲヤシが絶滅しようともそれはそれで、我が社の製品のプレミアはより高いものとなるのですからホント、NIRO様様ですなァ」

 

「なるほどな。そうか……私の居ぬ内に随分と好き勝手をしてくれる」

 

「……この代償、高くつくぞ」

 

ハットから覗かせた紅い眼光は、切れるように鋭い睨みを利かせている。

そこらの人間ならたちまち震え立ってしまう程、凄みのある様相にもあくまで坂口は余裕を崩さない。彼はふん、と鼻で軽く笑い飛ばした。

 

「しかし良かったですよ。丁度私も貴方と喋りたかった所だ……」

 

「突然だが、秋葉原禁書、という書物を知っているかね?」

 

秋葉原禁書━━妹は反応する。それには聞き覚えがあった。以前会った仏頂面の黒服が言っていたことだ。

その時は名前からして胡散臭すぎて、興味など何も抱かない程度のことだった……

そして瀬嶋も、やはり同じような反応を示していた。

 

「知らんな。遠い昔に聞いたやもしれんが、どちらにせよそんな代物に興味はない」

 

しかしそんな言動にステッキの男は驚く。どうも、彼の反応が予想とは違ったらしい。

 

「これは驚いた。貴方が存じないとは全く予想外ですよ……それに興味もないと。しかし果たして内容を見ても、そう言えますかな」

 

「……どういうことだ?」

 

ようやく、瀬嶋の顔色がわずかに変わる。とはいえその目は未だ本気ではないもので、あくまで疑いかかっているものだった。

……坂口は、話を続けた。

 

「秋葉原禁書。仰々しい名称ではあるがオカルト本等そういう類のものではない。実態はごく細々と記された、ある人物の遺した研究ノートなのだよ」

 

「そのとある人物とは……NIROの最高権力者。北田清原の手によるものなのです」

 

━━北田?

NIROについてはそれなりに知っているつもりであった妹にも、それが誰なのかは分からなかった。それは隣に居る藍も同じなのか、彼女は相も変わらず無表情だし、サカイも良く分からなそうに眉をしかめている。

しかしその中でただ一人、瀬嶋だけは違ったのだ。

 

「……何?」

 

坂口はその反応を見るや嬉しそうに、ふっと笑みをこぼして言った。

 

「……少しは、興味を持って頂けましたかな?」

 

「戦前設立された秋葉原研究所での研究レポート。"禁書"とはこの研究を部外秘とする、北田本人の意向によってつけられたもの」

 

「しかし、にも関わらず北田は生前これを秘密裏に処分しなかった。何故か? それは最期までこれを最愛の人、姉小路怜という人物へ渡したがっていたからです。それが何故かは知りませんし……実際の所、禁書は私の手の内にあるわけですがねぇ」

 

姉小路怜というその名を聞いて、今度はぴくりと藍が反応した。姉小路怜、その名には妹も聞き覚えがある。確か昼間、藍が自身の母の名をそう言っていたはず。NIROの最高権力者とカゲヤシの親玉の間に関係があったとは、妹にしてみれば衝撃の事実。

とはいえそれでも、たとえ今までの話を真面目に聞いていようが、結局は細かい事などついぞ分からない。ただ、言葉の端々から何やら危険な臭いがすることは分かっていた。

 

「彼が最期に遺した何かがあるはずだ。……しかし、この手記には重要な事が書かれていない」

 

「雑多な研究レポートだけで、肝心の研究施設の場所が書かれていない! 手掛かりは地下研究所という記述のみ……その施設さえ探し出せば、多くの未知の技術を手にする事ができるのだ。それで私は……!」

 

坂口は苛立ちを隠せないように声を荒げたが、しかし一方の瀬嶋は尚、冷静なものであった。

 

「書かれていようとも、それ程昔の研究施設が今もまだ現存しているはずはない。……それは火を見るよりも明らかなはずだが? よしんば、今尚秘密裏にそれが政府によって保護、隠匿されていたとしても、その情報はNIRO幹部である私の耳には入っていたはずだ」

 

坂口は笑った。

 

「確かにそうだ。普通に考えれば、な。……そんなものはない、と笑うもよし。しかしだ」

 

「これには北田自身が生きながらえている間に限り、研究所を自らの手の者に維持させるよう命じている、そう本人の記述が残っているんですよ」

 

「つまりつい最近までこの場所は稼動していた……それと秋葉原について色々調べてみたんですけどねぇ。ご存知かもしれないが、ここ秋葉原には様々な都市伝説がある」

 

「その中にこんなものがあります。"秋葉原には戦前からの地下施設が存在する"━━」

 

「━━とね。所詮眉唾な都市伝説ですよ……しかしおかしいですねェ? 秋葉原禁書の内容と酷似しているじゃありませんか」

 

「禁書はある人間から拝借したモノですが……その持ち主が血眼になって取り替えそうとしてくるのも、尚おかしい。その者もこの施設の存在を確信し、探していたに違いないのです」

 

「北田の遺産は……今我々の足元にある!」

 

坂口は興奮に立ち上がり、ステッキを地面へ突き立てた。

事情をある程度知っているような瀬嶋はともかくとして、蚊帳の外の他からしてみれば何のことやらではあったが……

 

「存在を確信する理由(わけ)は他にもあります……どうでしょう。思い出す気になりましたかな? 北田の記憶を」

 

「貴様は、私が嘘をついているとでも思っているらしいな」

 

「そう頑なにせず、私に着くのが一番賢いやり方だと思うがな……瀬嶋隆二。宝探しを手伝ってもらう代わりに、無論君にも旨みは分け与える。悪い話ではない」

 

「そこまでして、あんたはそれを見つけて何をするつもりだ?」

 

今まで黙っていたサカイが尋ねた。

 

「勿論その研究成果を頂く。地下で腐らせるには勿体無い……ノートには興味深いカゲヤシについての新理論が、いくつも記述されていた」

 

「その蓄積されたカゲヤシ研究を利用し、新たな兵器として……いや兵器だけではない。カゲヤシの理論はその他兵器以外においても多大な進化を与えうる」

 

どうやら北田の研究とはカゲヤシに関連した研究らしい。

おっさん話が長いよ、校長先生みたいだね。……なんて思いながら今まで聞き流していた妹としても、人間に戻る為の手がかりがもしかしたら? と期待せずにはいられないものだ。

 

「売り出せば世界は必ず欲しがるはずだ。新たな時代の交渉の切り札となりえる。これがあれば、全世界を座冠するのも夢ではない!」

 

するとサカイが言った。

 

「全世界を座冠……? フィクションにありそうだなぁ。おっさんゲーマーですか? あ、それとも洋画とか好きなタイプだろー?」

 

坂口はそんな彼の軽口を無言で受け流し、いたずらににやり、と不気味な笑みを見せた。そして手に持っていたステッキでサカイを指すと、こう言った。

 

「まさにそれだよ。フィクション、と言うそれが現実になることの恐ろしさ……想像に難くないだろう!」

 

「遡ればNIROエージェントという国の特務機関が暗躍し、人ならざる者と戦う。この時点で……既に何かがおかしかったと思わないのかね?」

 

「それをお前達は楽観的に、いや能天気にカゲヤシとの共存などとのたまい……さぞ騒ぎの当時は楽しかったのだろう? お笑いだった」

 

坂口の口から笑いがこぼれた。

それから彼はまた背後の高級そうな椅子にどかっと座るなり、再び喋り続けた。

 

「しかし、人は狡猾だ。貪欲だ。人は"それ"(カゲヤシ)を利用したがるのだ」

 

「間違っても共存ではない……そしてその結果」

 

「有り得ないと嘲笑っていた虚構がそのものとなる世界がもう近くへ来てしまったのだ……それまでの古い常識で保たれていた世界の旋律が狂い始める。カゲヤシという新たな存在によってな」

 

お前達は幼稚で、カゲヤシという存在の深刻さに気付けなかったのだと。

NIROを打倒してもなお忍び寄る危険な未来を予想できずに、笑っていたのだと……彼は足を組み、教鞭でも垂れるようにステッキを振り回す。

 

「そしてその記念すべき最初の地は、フィクションを日々楽しむような連中が闊歩する街からそれは、現実となる……皮肉だな!」

 

サカイは、マジみたいだなと、ぼそりと、言った。その顔に先ほどまでの軽妙さは無かった。恐怖に染まっている訳でもない。明らかに身体は強張って身構えていたし、その表情には坂口への敵意すら感じられるものだった。

妹もまた唇を尖らせて、坂口の言動に対し理解できない様子を見せた。

 

「人は利用したがる、間違っても共存じゃないとか……全部あなたがこれからしようとしてることでしょ。人事みたいに……まるで人の総意のように……言ってるけどさ」

 

「人とはそういう生き物ですからねェ。私は人の本質を言ったにすぎません」

 

「私の意見をどう思うかは貴方達の勝手ですよ。しかし、止められない運命(さだめ)です」

 

「正義の味方気取り達の反論は、まだあるかね? 他に言いたい事は?」

 

坂口は皆を一瞥(いちべつ)し何も反論が来ない事を確認すると、ゆっくりと腰を上げて椅子から立ち上がった。

皆、黙っていた……しかしそのまま逃がす訳もないのは明白だ。あくまでも彼女等の目は敵意に染まっているのだから。

 

「それでは、そろそろ失礼させてもらいますよ。あなた達と違って私は、暇じゃありませんからねぇ」

 

「黙れハゲ」

 

とサカイが言うと、先ほどまでの涼しい顔はどこへやら、

 

「ハゲてねぇだろ!」

 

逆鱗に触れたようだった。

だ、誰がハゲだこのガキ……とぼそぼそ言いながら……けれども彼は一息ついて、今度は落ち着いた様子で言った。

 

「こほん。ふん、なかなか愉快な人ですよ貴方は。その減らず口がどこまで続くか見物ですね……」

 

「おおそうだ瀬嶋君、貴様にも消えてもらう。生かしておくのは厄介そうですから━━元NIRO指令が敵とあればこちらのエージェントの士気を崩しかねませんからな。……それでは」

 

あくまでも上から見下ろす様な態度を崩さないスタンスの坂口は、そのまま悠々と演じる足並みで部屋奥の通路へ去ろうとした。

……けれど彼は自分が先ほどまで座っていた椅子の足につまづいて、猿みたいな叫びを上げてそれを蹴った。どう見ても余裕の無さが滲み出ている立ち振る舞いに、ああやっぱり髪の事気にしてるんだな……と妹は思うのだった。

そんな事はともかくである。

 

「子供には付き合っていられないってさ」

 

妹が去って行くステッキの男を見て言うと、サカイは返した。

 

「その子供に倒されるんだぜ、あいつは」

 

「そんな簡単に行くかな……」

 

彼女の弱気な発言はともかくとして、坂口を追おうとした一行だったが━━奥からなだれ込んで来た数人の、黒いスーツ姿の護衛にその行く手を阻まれた。まさに言ったそばから、である。

まだ護衛を隠していたらしい。とはいえでも無ければ、あれ程余裕で居られるはずも無いというもの。

 

「う。ほらやっぱり」

 

彼女はほれみろと顔を歪ませた。予想通り簡単には行かないようだ。

 

「ここは私一人で片付ける。必ず、捕まえろ」

 

瀬嶋がおもむろにコートの奥へ両腕を突っ込み振り抜くと、ジャキン、という音と共にたちまち二振りのサーベルが現れた。

飴渡とかいうエージェント達が使っていたサーベルだ。

 

「追うぞ!」

 

藍は阻む黒服を殴り飛ばして隙間を掻い潜った。

二人もその隙間に続き、瀬嶋は黒服を切り結んでいく。

 

「……北田め……なぜそのようなことを」

 

突破し走り抜ける彼女達を見送りながら、瀬嶋はぼそりと呟いていた。

 

 

━━裏通り 駐車場

 

妹は通路奥にあった階段を駆け上がり、マンホールに偽装されていた出入り口から地上へ出た。

 

「こいつを用意しといて正解だったよってね。おい、乗れよ!」

 

サカイは一足先に、最寄のパーキングへ駐輪していたスポーツバイクに乗っていた。

エンジン音は周囲の静寂を吹き飛ばす。ガラスのように繊細で堅かった空気は震えて重く鳴り響き、手で"乗れ"の合図をしたサカイ。妹の後ろからは黒服数名が追いかけてきて、それを藍が迎え討つ。恐らく坂口が乗り込んだと思われる黒塗りの高級車は裏通りから走り去っていった。

急いで走り寄った妹は、焦燥しながらもサカイに尋ねた。

 

「いつの間にこんなの!?」

 

「ホラ、乗り物()が要るだろうなと思ってさ! とにかく乗れよ! 必要だろ!?」

 

それは彼が予め用意しておいたものだった。万が一の逃走の際役に立つし、そうでなくてもこの深夜に帰るには何かしらの足が必要となる。

そんな訳でバイク好きの親父に頼み込み、今日一日だけという約束で借りていた物だった。

 

「ありがとう!」

 

そうして慌しく幾つかやりとりをしてから、彼女はバイク後部へまたがると、それを横目に確認したサカイがエンジンを吹かせた。

幸い免許は取っている。以前にも何度か父に乗せて貰っていた彼が、運転に困る事は無かった。

 

その時、不意に彼女が声を上げた。

 

「━━うわぁ!?」

 

突如飛び出して来た大きな影。

巨大な━━ロボット?

ディープブルーの基本塗装、そして左肩には斜めに並んだ白い"K R"の文字が塗装されている。足は四本、その末端にはタイヤがついていて、上はずんぐりして四角い箱状の胴体と、首のない頭には蜘蛛を思わせるような赤く光る複眼のカメラアイ。胴体からは人間の様に二本の両腕が生えている……まるで蜘蛛と人間の、キメラの様な見た目で━━

 

「おいおいありゃあ、アキバのベルサールで展示されてた"クラテス"ってヤツじゃねーか!?」

 

サカイは恐怖の様な、高揚の様な、入り混じった興奮気味の感情で……機体に気を取られその足を止めていた。

藍が叫ぶ。

 

「私に任せて先に行け! 最重要は坂口の身柄の確保だ!」

 

ハッとした。

この際そんな事は気にもしていられない。早く発進しなければ作戦の全てが手遅れになる。

 

「うっしゃあ! かっ飛ばすぞ!」

 

サカイのフルスロットルでエンジンが唸り、前輪が浮くほどの急な加速でバイクは走り出した━━

 

 

━━中央通り 車道

 

信号の光さえも解さず、文字通りどこまでも風を切って進むバイクはスピードも相まってその風量は凄まじいものがあり、妹もサカイの背の後ろに乗っているとは言え顔をしかめっぱなしである。とはいえ一向に坂口の乗る高級車は見えそうもない。

 

だが、しばらくしてサカイは叫んだ。

 

「見えたぞ!!」

 

……妹は薄目を片方開けて確認する。あの時と同じような黒塗りの車だった。さすがスポーツタイプのバイクか、彼女の知らぬ内にぐんぐんと坂口の乗る車を追い上げていたようだ。高速域に達したエンジンの甲高い音はそのまま、バイクは更に相手の車へと近づいていく。

 

「もう少しでアプローチだ! もう少し。もう少し……!」

 

彼のその言葉から少しして、遂にバイクは黒い高級車に追いついた。

 

「サカイ! 横につけて! 私があのアホをぶっ飛ばして来る!」

 

彼の任せた! の一言と共にスポーツバイクは車の左横を併走した。

サカイが合図に声を張り上げる。

 

「よし、飛び込めぇー!」

 

「うっりゃああああーー!!」

 

妹は絶叫と共に、飛び蹴りの要領で足から運転席のサイドガラスに突っ込む。

……成功。

運転席に侵入すると彼女はコントロールを乗っ取って、乗用車はスピンし、タイヤが甲高い悲鳴を上げながらガードレールを破り。中央通りの歩道に少しばかり乗り上げて、ついには停車した━━

 

 

 

 

━━裏通り

 

藍は巨大なロボットを見上げていた。

 

「さて、問題はこのデカブツをどう片付けるかだ」

 

坂口の護衛は全滅し、彼女の傍らには瀬嶋も居る……既に地下の始末は終わった後だ。

ロボットは瀬嶋の方をターゲットにしたようだった。腕を振り抜き、殴りかかろうとする"それ"に瀬嶋はにやりとする。

 

「……ほう、来るか!」

 

向かって来たロボットの右ストレートを最低限の動きで身を逸らし、かわす。瀬嶋はそのまま相手へ飛び込むなり身を横回転させ、スピードを乗らせた刃で回転斬りをお見舞いした……狙いは、右腕の肘関節部。

 

━━ジャリン! と、金属の擦れる音が響いた。

 

正面きって一太刀加えた後、敵の背後へ着地した瀬嶋はもう一足跳んで距離を取った。

彼は相手へ向き直り、機体を見上げる。ロボットは独特の駆動音を鳴らしながら胴体を旋回させ、瀬嶋を再びそのカメラアイに捉えた。腕も問題なく動いていて、どうやら有効打は与えられていないようだった。

 

「駆動部を狙ってはみたが……やはり、この程度の牙では歯が立たんか。お手上げだな」

 

そう言ってまたひらりと前方へ飛び上がり、機体の頭部に着地した。

すると機体は両腕を振り上げて、蚊でも叩き潰すみたいに、彼目掛けて両方の掌を思い切り叩きつけた。ガキン、と大きな金属音が鳴るものの━━既にそこには彼の姿は無い━━瀬嶋は再び藍の隣へと舞い戻った。

このロボット、見た目は派手なもののやはり図体ゆえか、動きは良くないようだった。とはいえ、いくら鈍重であろうとこちらの攻撃が通らないのでは仕方がない。それでは弄ぶ事が精々だろう。

そんな時、藍が一歩前へ出た。

 

「私にやらせて貰おう」

 

「何か策がある、ということか? ……まぁ良い、任せる。私はまだ地下の調査があるのでな」

 

歩き去る瀬嶋を背に、藍は機体を見上げたまま言った。

 

「策などない。力でねじ伏せてやる……」

 

 

 

 

━━中央通り

 

妹が襲撃した高級車内に居た黒服の二人は、通りの向こうへ逃げ去っていく。

よほど恐怖を感じたのか、脱げ落ちた革靴など気にもせず必死に走る様は滑稽で、それを妹はやれやれといった面持ちで見送っていた。

彼等は逃げた。しかし不可解な事に坂口の姿が見当たらない。

彼女は高級車の車内を再度見回した。

……やはり、坂口の姿はどこにもない。サカイも悔しそうに頭を掻いた。

 

「車は囮だったのか……やられた」

 

「じゃあ坂口はどこに……?」

 

「徒歩で逃げたか……あるいはあのロボットに乗ってる、とか」

 

「……うん。一旦裏通りに戻った方が良いかな」

 

「…………あ、ところでさ。良く分かったよね、車がどっちへ逃げてるかって」

 

「ああ、実はこんなこともあろうかと発信機をいつも持ち歩いてるんだぁ。スマホのGPSアプリと連動して追跡できるロマンガジェットってわけ! かっこいいだろ? ソレを駐車場で走ってく車にポイっと。もしもの時の為に、リュックの中は常に色々入れてあるけどね」

 

ド○えもんか、お前は。彼女はふっと笑いそうになるのを堪えて言った。

 

「……戻ろう。裏通りに」

 

 

 

二人を乗せたバイクが道路を疾走していく中、サカイが言った。

 

「もうすぐ裏通りに着くぜ」

 

その時、妹の装着するインカム通信機のコール音が鳴った。

連絡用として瀬嶋から人数分を渡された物だった。その通信の先に居たのは瀬嶋だ。

 

《坂口の確保はどうか?》

 

「それが見失ったみたい……私達は今裏通りに戻ってる」

 

ノイズ混じりの声に彼女が答えると、

 

《なんだと……!?》

 

瀬嶋の舌打ちが聞こえた。━━とそこで通信が入れ変わり、藍の声が聞こえる。

 

《だが良い所に来た……》

 

《あのでかい奴に手を焼いている。加勢してもらえると助かる》

 

言った傍からバイクは裏通りの路地に差し掛かっていた。

一直線状にその"でかい奴"が見えた。遠い先からでも大きな図体のロボットが居るということが分かる。

 

「どうするんだ……!?」

 

サカイの問いに彼女は答えた。

 

「近づいて! 倒そう、このまま……暴れさせる訳にはいかないから!」

 

「あんたにとっても大事な街なんでしょ、秋葉原」

 

あれほどばかでかいロボットが店舗の密集する場で暴れようものなら、どうなるかは容易に想像できる。

なんだかんだで彼女には心配する節があったのだ。

 

「……驚いた。街の事なんて微塵も気にしてないかと思ったのに」

 

ほっとけ、という彼女の照れくさそうな一言に、サカイはどこか満足気な笑みを浮かべると、言った。

 

「…………まぁいいや、俺はあのロボットについて多少だが知ってる!」

 

「……胴体だ! 胴体のハッチをなんとかできれば……! ヤツの制御は胴体にあるんだよ!」

 

「あいつの殻を━━ハッチ部分を脱がせれば━━パイロットを覆う外殻を脱がすことができれば!」

 

そうは言うものの……あんな鉄の巨人を脱がせというのは。

暴れているヤツの胴体まで接近しコックピットを襲うとなると、到底簡単な事ではない。

 

「一筋縄じゃいかなそうだね」

 

しかし彼女の言葉は簡単ではないと分かりながら、諦める気が無い事も示していた。

 

「やるしかないのは確かだ!」

 

彼も同じ。

同じく、難しいのは承知でやるしかないと思っている。

 

「うん……!」

 

サカイの言葉に頷く……覚悟は既に決めた。

今更何が恐かろうか。ここまで来れば、毒を喰らわば皿まで。最後まで恐れずに戦い抜くのみ。

バイクは尚も走り続けて、徐々にヤツへと近づいていく。

通信機から再び藍の声がした。

 

《こいつを使え!》

 

言葉と共に藍から投げられたギターは、彼女等が乗るバイク目掛け車輪の様に路面を疾走してくる。

妹は腕を伸ばして"それ"をはしと掴み止めると、藍から再び通信が入った。

 

《今のお前ならこいつの背後から一撃を加えられる!》

 

《そいつでお見舞いしてやれ! お前にならできるはずだ!》

 

《━━ぐぁッ!?》

 

「藍ちゃん!?」

 

《大丈夫だ、はぁ、私に両手を振り下ろしてきやがったが、なんとか受け止めた……だが、はぁっ、こいつ、このまま……押し潰そうとしてやがる……!》

 

苦しむ声。

藍といえども、あれ程の図体の攻撃をまともに押さえ込むのは負担が大きすぎる━━妹の瞳は焦燥に染まっていく。

 

「くそ……急いで!」

 

焦る声にサカイはおう、と返した。既にアクセルは全開だ。

 

《ぐ、ぬぅぎぎぎぎ……》

 

《こんなモノでぇ━━勝った気にィ━━》

 

《なるなぁッッ!》

 

馬鹿力もそれが人外のものとあれば、尚とんでもなく凄まじいもので━━

押しつぶそうとした両腕は上方へ勢い良く振り払われて、機体がバランスを崩していた。

 

「奴の動きが止まった……! やれるぞ!」

 

サカイは言った。

バイクももはや、あのロボットまで十数メートルの距離もない、千載一遇のチャンス。

 

《今だ! 思いっきりやってやれ!》

 

「行くぞ!」

 

サカイの言葉と共に、妹はバイクの後部座席を蹴った。

バイクはバランスを崩しスライディングのように路面に外装を擦りつけながらも、彼は上手く機体の股下を縫って行く。次いで彼女は叫んだ。

 

「く、ら、えぇぇぇぇぇぇ!!」

 

限界まで身を捻らせ、思い切りギターを振り抜いた全身全霊、渾身の一撃。

━━ガァン!

さながら人間砲弾といった勢いでぶつかる。

大きな金属音が鳴り僅かながら衝撃に機体が浮いた。元々隙の出来ていたロボットは、背後からの急な一撃に対応できず姿勢を崩した。倒れこんだ機体はアスファルトをガリガリ引っかきながら、そのまま数メートル滑った所で摩擦の白煙を上げ停止した。

 

すかさず妹は走り、機体上部へよじ登る。丁度人間であれば頭に相当するであろうカメラアイのある部分、そこへ掴みかかり、それからその前方部分に取り付けられていたハッチ部分の取っ手へ、おもむろに腕を伸ばした。

 

「……これ? これなの!? えぇいままよ!」

 

「ぬぅおりゃあああ!!」

 

ミキメキバキ。

丁度、四角い箱にある面の中の一つが剥離していくようだった。

驚異的な腕力でハッチ部分の板金を引き剥がしていく。やがてそれは端まで全て剥がれて一枚の板となり、力任せにやった勢いで吹っ飛んでいったハッチはガラン、という音と共にアスファルトの道路へ落ちた。

中には気絶した、白いパイロットスーツ姿の男が鎮座していた。そいつを座席から引きずり出すと、彼女はようやく安堵の息を吐いた。

 

「ふぅ……これじゃほんと、あの 坂 口 (おっさん)の言うとおりかもね」

 

有り得ないとあざ笑っていた世界が現実となる。

もはや現時点で大分おかしな状態になっているのだから、坂口の言うそんな世界もあながち妄言ではない有様だと━━

彼女は吐き捨てずには居られないのである。

 

しかしこのデカイロボットの後始末はどうしよう、というかこれはもしかしなくても私、犯罪者入りでは? なんて考え、彼女が何気なく機体を眺めていると……妙な点に気がついた。

瀬嶋が一撃を加えた関節からアスファルトの地面まで、液体の様なものが流れ出ていた。最初それは恐らく機械油か何かであろうと彼女は思ったが、良く見てみればそれはあるものと似通っている事に気がついた。

 

「………………血?」

 

その液体に手を近づけようとした時だ。眩い白光が彼女を襲い視界は遮られた。それは警察車両のヘッドランプから発されたものだった。ああやっぱり捕まるんだな、と思いつつ、しかしその車は不思議とサイレンも赤いランプも、オフの状態であった。

 

「全員、そこから動かないで!」

 

車両から降りたスーツ姿の女性、御堂が声を張り上げた……

しかし調査を終え、丁度地上に戻っていた瀬嶋が彼女を制止する。

 

「待て、御堂」

 

「あなたは……!? 瀬嶋さん!?」

 

「その子達は……? あなたが何か唆したのですか?」

 

「人聞きの悪い事を言う。偶然の目的の一致さ。手伝いをしてもらい、そして私も彼女等を手伝ったまでだ。もっともこの答えが不満ならば、彼女等に直接訊けば良い事だ」

 

御堂が黙っていると、もう一人の警官の男が彼女の乗っていた警察車両からづかづかと歩いてきた。

 

「さぁ大人しくしろ! お前達は━━」

 

警官の男が車両から出た所で、御堂が言った。

 

「待って。彼女達はこの件とは関係ないわ、偶然居合わせただけ。私と彼女達は知り合いなのよ」

 

「そ、そう言われたって━━この状況じゃどう見ても━━」

 

「いや待ってくれ。怪しい奴ならあっちへ逃げてったのを俺は見たぞ? 犯人探しならそっちへ急ぐべきだ」

 

そんなサカイの言葉を警官はあからさまに訝しんでいる。まぁ、当たり前か……

 

「御堂さん、これを信じろと?」

 

「お願い、巡査」

 

彼女の懇願に警官の男は困り顔だった。

 

「全く……いくら昔のご恩があるとはいえ、警察車両にあなたを乗せてまでいるというのに……仮に彼女等が犯人だったりなんかした時には、私は……」

 

ぐずぐずと言っても御堂の意志は変わりそうもない。もうどうにでもなれといった様子で、男は言う。

 

「全く、分かりましたよ。分かりました」

 

「……助かったわ。今度、食事にでも行きましょう」

 

彼女の答えを聞いてから、巡査はまたきりっとした声に戻った。

 

「ええ。ではすみませんが今は、服務中ですので……これで失礼致します」

 

「そうね。分かったわ……ありがとう巡査」

 

「ああ、ちなみに……犯人の特徴は?」

 

巡査はメモを取り出して、サカイに問う。

あっちへ逃げてった、なんててきとうな事言うからだと妹は思ったが、それを上回るてきとうぶりで、

 

「犯人? 全身メイド服、筋肉モリモリマッチョマンの変態だったよ」

 

「そ、そうですか……」

 

巡査も分かったと言った手前、今更文句も言えないだろう。こんな事をいとも真顔で言うのだから、困った奴。

妹はひと段落ついてほっとすると共に、巡査に心底同情するのだった。

そんな彼女が明日重大な決断を迫られる事になろうとは、本人も知る由は無く━━

 

 

━━屋上

 

それから時は少しして。

瀬嶋は柵の向こう側に広がる夜景を眺め、一人佇んでいた。

そんな彼の後ろから、静かに歩み寄る者が一人……

 

「……瀬嶋さん」

 

それは御堂の声だった。NIRO時代に話し掛けていた時とは違い、ぴしりと姿勢を正すような様子は見られなかった。

右手を腰の後ろへ当てゆったりと歩み寄る様は、NIROという堅苦しい囲いを抜け久々の再開を果たした者同士━━であるからか、どこか砕けた振る舞いでリラックスしているような━━それとも、部下として今更彼に正す礼儀は無いということなのか。

……少しばかり距離を置いて、立ち止まる。

 

瀬嶋は振り向かずに、黒く染まった空を眺めながら言った。

 

「……御堂か。なんだ?」

 

「……立ち寄っただけ、……いや、」

 

彼女は煮え切らない返しをするだけで口ごもっている。

すると、瀬嶋が尋ねた。

 

「よく私達が居ると勘付いたな。あの、裏通りに」

 

「……それは。騒ぎがあったと、聞きつけましたので……」

 

「そうか……御堂は優秀だな」

 

「今更おだてたって」

 

御堂は思わず瀬嶋から視線を外す。複雑な面持ちで、そしてどこか拒絶するような言い振る舞いだった。

……今度は、御堂が追及した。

 

「まだ、この秋葉原で何か企んでいるのですか? ……まだ妖主の血を、身柄を……狙っているというのですか、瀬嶋さん」

 

「そうするのなら、私も容赦はしませんから。私は貴方の部下では無くなった人間……」

 

「それでも、私は貴方に訊きたい事があるのです。訊いて、納得したい」

 

「そこまでさせる理由は何なのです? 地位も同僚も、全て失ったというのに。貴方は尚━━」

 

「御堂、少し昔話にでも付き合ってくれるか」

 

畳み掛けるような御堂の追求を瀬嶋は遮った。

そしてコートから安煙草のケースを取り出し、その中の一本を口に咥えると、白銀に光るオイルライターの蓋を指で弾いた。

キンッ、という音と共に暫くして、瀬嶋の頭上から紫煙が上がる。一息ついてから、瀬嶋は喋りだした。

 

「私にも、愛人とでも言うか……そう呼べる人間が生涯で一人だけ居た。遠い昔の古ぼけた話だ。聞け、というわけじゃない。話を気に入らんなら、立ち去ってくれてもいい」

 

御堂がその場から動くことはなかった。

瀬嶋は立ち去るつもりが無いと知るや、ゆっくりと喋りだした。

 

「……続けよう。彼女はNIROの同僚、私の部下だった。そして……職務中に、死んだ。何が原因か分かるか?」

 

「襲撃だ、カゲヤシのな。私が傍に居たにも関わらず、彼女は死んだ……悔やんでも悔やみきれん。力さえあったならと、己を呪ったものだ……」

 

「それからだ。私がカゲヤシ狩りと、血の力に執着し始めたのは」

 

煙草を指に挟み、ふーっと口から煙を吐き出した。

瀬嶋は夜景の向こうへ溶けて行く紫煙を見送りながら呟いた。

 

「私は狂っていたのかもしれん」

 

彼女は黙って聞いていたが、彼が妖主の血に固執し続ける事をどうしても解せなかった。

 

「しかし、今更力を手に入れて何になるというのです? 瀬嶋さん。あなたが守りたかった者はもう……それともカゲヤシ狩りにその力を使おうと? ……いえ、解せません」

 

「あのオフィスビルで妖主を追い詰めたにも関わらずあなたは……まだ力を、血を欲していた。カゲヤシの殲滅という大義を投げ捨ててまで」

 

「命や単純な力の為に何十年もカゲヤシを追い続けていたのですか……? 何故です、瀬嶋さん」

 

「……確かに化け物狩りよりも、いつしか力を手にする事こそが目的となっていたか」

 

「何故だったかな……その理由(わけ)さえも置いてきてしまったよ。長い長い、月日の間にな」

 

「私には思い出せんのだよ。さもなくば、思い出すことを拒んでいるのかもしれん」

 

「そんな臆病者だ……私は」

 

「瀬嶋さん……」

 

「しかし命や力、それらは考える余地もなく極単純に、何十年もかけるほど魅力的な要素と思うがね」

 

そうは言うが。

永い命という目的だけなら、何も末端の血を少量摂取しては、中途半端に己の寿命を食い繋いでまで……妖主の血に拘らなくとも良かったはず。半カゲヤシ状態を長らく続けた結果、彼は妖主よりもよほど老いてしまったというのに。

血で寿命を延ばすことはできても、若返る事等できはしない……当然彼は知っていながらそれを続けてきたのだろう。であれば、単なる自己満足の為に身体能力を求めたというのだろうか。

御堂は答えの出ない問いを巡らせていた……

 

そんな中、瀬嶋は低く笑いながら言う。

 

「……これでいいさ」

 

「このままの、狂ったままの私でいい。カゲヤシ狩りも更なる力の入手も、何者にも邪魔はさせん。まだ満足など、していない」

 

ようやく振り返るものの、御堂の事など気にも留めずに屋上の出口へ向かい、足を踏み出した。彼女も何ら言葉を発する事はなく、堅い表情で自身の横を通り過ぎるのを待っている。

だがいよいよ横切ろうかという瞬間、ふいに彼は足を止めた。

 

「私は、諦めはしないさ」

 

硬く執念に満ちた言葉を最後に、彼は秋葉原の闇に消えていく。

彼女は決して振り返らず。見送るわけでもなく……ただその場に立っていた。

 

しばらくして彼女は腰に当てていた右手を下ろした。

手には、鈍く光る拳銃が握られていた。

いつでも発砲できるよう、解除の位置にセットされていた安全装置を再び発砲不可(ロック)部分へ合わせると、御堂は静かに、胸のホルスターへ拳銃を仕舞う。

 

「瀬嶋さん。今、分かりました……」

 

「あなたの大切な人になろうなどという想いは、最初から無理な願いだったのですね」

 

「もう今のあなたは、そんな者など必要としていない……」

 

彼女は複雑な面持ちのまま悲しげに目蓋を閉じると、また、ゆっくりとその瞳を開いた……表情に先程までの曇りはない。

眼差しはどこか強い決意を感じさせるものだった。




都市伝説の件は実際の秋葉原にある(らしい)都市伝説を使わせてもらいました。


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15.司令官の帰還

※妹の名前を"美咲"(AKIBA'S TRIP漫画版における妹の名前)にしました。……とんでもなく今更ですが。すみません。
それにあたって既に投稿済みの文章も"美咲"に修正します。二章を非台本化する作業の際に、順次該当箇所を置き換えていこうと思います。

それから今後は生存報告及び進捗状況などのお知らせを、活動報告欄にて定期的に載せていこうと思います。また、この小説に関するお礼などもそちらでさせて頂きます。
以上、よろしくお願い致します!


あの裏通りにおける戦いも、既に昨日の話。

翌日……瀬嶋から新たにメールで言い渡されたのは、秋葉原の人気アイドル"Dirty Bloody Princesses"……通称ダブプリとして活動する北田舞那及び北田瀬那、両名の捕縛作戦を行なうという知らせだった。

このアイドルによって今日開催されるというクリスマスライブ。それを、瀬嶋が好機と狙っての事だった。美咲がメールでやりとりをした限り、藍は瀬嶋に協力するつもりのようだ。

そして藍は……勿論メンバー全員が作戦へ参加するだろうと思っている。

しかし、美咲は作戦にあまり乗り気ではなかった。今までは、自らを紛い者に仕立てた組織を相手取って戦っていたはず……瀬嶋や藍の腹積もりがどうなれど、少なくとも美咲自身にとってはそうだ。

 

それが今回、相手は秋葉原で活動するアイドル。

坂口や天羽禅夜等と同じく、彼女達が組織の構成員だったのかと問えば……藍も瀬嶋もそれには答えずに、今後の活動の為に必要な作戦だと返した。というのも坂口は瀬那・舞那の身柄を欲し、狙っているから、先に二人を捕らえれば坂口ら組織との交渉材料になり得る、と言うのだ。

しかし……である。

美咲としては、今更自分達が正しい行いをしてきた……なんて言うつもりはないが。それでもアイドルの二人は、自分達と明確に敵対している訳ではない存在のはず。それを自分達が襲撃、なんて事は目的からズレているとしか思えなかった。それに藍に至っては、同じカゲヤシの仲間だったはずなのにだ。

瀬嶋も瀬嶋である。そういえば瀬嶋へメールで異を唱えた際、彼は「我々は協力関係のはずだが」とも言っていた。……どうだか、"協力関係"を一方的に押し付けられているだけな気がしてくる。

 

やはり納得がいかない。

なんでこんな事に巻き込まれなきゃ、というのが率直な本音だが、このまま瀬嶋達の行いを見過ごすわけにもいかない、という正義感も彼女にはあった。しかし見過ごさずに阻止する、という事は勿論……瀬嶋と藍に対する裏切り行為となるだろう。その場合サカイは、果たしてどちらの味方をするのか分からないが。

彼女は、決断を迫られていた。

 

━━裏通り

 

 

そんな葛藤もどこ吹く風か。お昼時、ここ秋葉原の裏通りは活気に溢れていた。通りの住民達はカゴへ無造作につめ込まれた、良く分からないパーツ群を興味深そうに眺めているし……そして、頭上からは女性の声。

おいしくなーれ、おいしくなーれ……呪文の様にまた聞こえてきた。恐らくメイド喫茶の勧誘……? 渋い顔になる美咲。

平和さにほっとするような、とはいえ本当にここで戦ったのだろうかと、眩暈がするような。

なんだか言い知れぬ倦怠感に襲われた美咲は、通りの端っこでしゃがみ込み。それから、ぼうっと道行く人々を眺める。

 

「いつも通り……か。昨日の騒ぎが嘘みたい……」

 

疲れたような様子で呟く彼女の隣には、サカイの姿。

 

「ほんと。嘘みたいだよ。……いや、気味悪いぜ実際」

 

あんな騒ぎを起こしたのに、ネットでは何一つ話題にもなっていないんだと、サカイは疑問を漏らしていた。

というのも、何か情報が出るんじゃないかと、彼はずっとスマホにかじりついていたのだ。

美咲の方は……何自然に、そして当然のように居るんだよお前、なんて突っ込む気も失せていた。

しかし何も情報が出ていないというのは……確かに気になる所。彼女は変わらずぼーっとしながらも、言葉を返した。

 

「昨日警察の人が居たでしょ。そんな筈…………うーん。どうなのかな」

 

昨夜裏通りに倒れこんでいた機体の姿も、今は綺麗さっぱり存在しない。通りへ視線を流してもそこには一箇所━━あのロボットが倒れていた箇所が━━ばっくりヒビ割れているアスファルトと、その周囲を規制するように置かれたいくつかの赤いコーンがあるのみだ。

幸か不幸か騒ぎにはなっていない。騒ぎになったらなったで、当事者であった自分達もただで済むわけは無いのだから、複雑な心境だった。

それに加えて。一番今彼女が心配しているのは、なにを隠そう今日の作戦。

自然と美咲からは悩みの声が出てしまう。

 

「ねぇ、これから私達……どうなっちゃうんだろう」

 

「なにさ。やぶからぼうに」

 

「私最初は、人間に戻る為には仕方の無い事なんだって思ってた。だけどさ」

 

「なんだか、変な方向へ向かっているような気がしてきて……」

 

「思ったんだよね。私達、このままでいいのかな…………」

 

彼は空を仰いで、あー、と短く声を上げてから、言った。

 

「それなら今一番正しいと思った事をすりゃいいんじゃねーのかな? その方が後くされないだろ、その選択がなんだろうがさ。……まぁ、俺はあんたについてくよ。どーせ暇だし!」

 

サカイは身にあり余る退屈さを示すように、両手を首へ回して朗らかに言った。

そんな様子に美咲も自然と、面持ちの陰りは引いていき。ぼうっとしていた表情を引き締めて、彼女は立ち上がった。

 

「……そだね。私なりに考えてみる」

 

「おうさ。何かやるときは俺にも連絡くれよな。なんたって、暇だし!」

 

分かった分かった、と美咲は飛んでくる言葉を手で押しやっていると、ふとサカイが「そうだ、」という一言から、ズボンのポケットをがさごそと漁って……そこから一枚、札状の紙を取って差し出してきた。「ほら、コレ」と言ってヒラヒラさせているそれは。

「なにこれ……? チケット?」……彼女の言葉にサカイはにかっと笑った。

彼の握るチケットには"Dirty Bloody Princesses クリスマスライブ"と書かれていて、あの双子姉妹の姿もあった。

 

「ダブプリライブのチケット。そろそろ始まる時間だろ。勿論あのおっさんと藍ちゃんは持ってないであろう、完全なる私物」

 

「これ使えよ。俺がライブ見に行くより、今お前の方が必要……だろ?」

 

「いや別に必要じゃなくても良いんだ。考え、まとまると良いな!」

 

本当に貰っちゃって良いの? と内心で一瞬戸惑う美咲だったが、ここで彼の好意を無駄にしないためにも、そして自分が後悔しない為にも。彼女はチケットを受け取り……覚悟を決めた。

 

「……ありがとう。……うん。私、行って来る!」

 

━━UD+ ライブ会場

 

 

寒空に震えるような冬の様子とはうって変わり、会場はまるで別世界の様に熱狂の渦。

人々の荒波に揉まれながら、迷い猫のように独りきょろきょろとさ迷うのは……美咲。

 

(どうしよう……結局何も良い考えが思いつかなかったぁぁ……!)

 

それどころかあれから誰にも会ってないし、勿論作戦召集はすっぽかしたし。

……でも居ても立ってもいられなくて、結局ライブには何となく来ちゃうし。

 

……どうすれば。

いや。どうすればいいかなんて決まっていた……瀬嶋達を止める。その為に来たんだ。

彼女は無理矢理自身を奮い立たせるも、すぐにそれはしぼんでいってしまう。

いやいや、やっぱり自分一人で止めるなんて到底無理な気が━━

 

「うぐぐ、どうしよう」

 

むずがゆく唸っていた時、自身と同じようにきょろきょろと周囲を見渡す、黒髪の少女を見かけた。

見覚えがある。それもつい最近、駅前で会ったばかりの。

あの時の、瑠衣と名乗る少女だった。

 

「あれ……? 瑠衣ちゃん?」

 

その一言に、視線の先に居た文月瑠衣が、はっとこちらを向いた。

あっ、キミは……! そんな事を口にして、さも呆気に取られた顔をしていた。

また喋る約束をしていたとはいえ、まさかこんな早くに……それも切迫した今会う事になろうとは。

 

「やぁ、瑠衣ちゃん。あはは……」

 

乾いた笑いをあげた美咲。そんな彼女の浮かない顔に、瑠衣は不思議そうな様子。

 

「どうしたの? ライブを楽しみに来たにしては……やけに暗い顔をしているけど」

 

「うーん、楽しみに来たというよりは……考えに来た。って感じ」

 

気恥ずかしそうに言った美咲へ、瑠衣は尚更不思議そうに首を捻っていた。

それから美咲はここへ来ることとなった、事のあらましを話していった。

 

 

 

 

「……そうだったんだね。瀬嶋がそんな事を……やっぱり、あの人は……」

 

「うん。それで、さっきサカイからメールで聞いたんだけどさ、ライブ終了後に外で襲撃を掛けるつもりみたい。入場チケットは、簡単に手に入るものでもないみたいだから……」

 

……とはいえ、瀬嶋達がチケットを持っていたにしても、堂々と正面からこんにちわでは流石に怪し過ぎるというもの。

それか入り口の警備員を倒し、ライブ最中に強行突入という手も考えられたが、さすがにそこまで目立つ手は打ちたくなかったのだろう。

何にせよ遅かれ早かれ、襲撃がかけられる事には違いないのだが……

 

「にしても、クリスマスだから夜開演かと思ってた」

 

ふと美咲は、それとなく瑠衣へ零した。

 

「夜? そういえば姉さん達はライブを、決まって昼に行なっていたはず」

 

「あ、そうなんだ? なんでだろ」

 

……っていうかあの娘達って瑠衣ちゃんの姉だったんだ。

そんな驚きはともかく、瑠衣の説明は続いていく。

 

「ライブ後はいつも慣例的にファン交流会がセットにされているから、夜開演だと終わるのが遅くなりすぎるんだって。そうすると遠くの地方から観に来ようとしてた人達が、次の日仕事だから行くのを諦めよう……だとか、そういう事になりかねないからって」

 

「へー、ファンの事を考えてくれてるんだね!」

 

「そ……そう、かな? うん、そうかも」

 

(でも元々はそうして、最大限人を集めて吸血する為、だったみたいなんだけど……)

 

少し苦い表情を見せてから、彼女はまた喋り出す。

 

「それと今回に関しては、一番大きな理由は別にある」

 

「と、言うと……?」

 

「今私達を狙っている相手の中に、人間は殆ど居ない……だから夜を選んでも私達に優位性がある訳じゃないって、姉さんが。おまけに、紛い者? っていうのが出てきて、それも含めると夜は脱衣が使えない分……むしろ私達の方が、昼間より苦戦する可能性が出てきた。これも姉さんの言っていた事だけどね」

 

「なるほど。確かに言われればそうかも」

 

「うん。……それにしても」

 

瑠衣は会場を見渡すと。それから唐突に、嬉しそうに表情を綻ばせた。

 

「なんだか思い出す。あの時の事」

 

そうして今彼女が思い馳せていたのは……昔、ライブの吸血作戦を阻止すべく、初めてナナシと協力した懐かしい思い出……

 

当然ぽかんとする美咲。

心ここにあらず状態の瑠衣も、まもなくそれに気付いたのか慌てて謝った。

 

「あっ! ごめんね。私ぼうっとしちゃって……えっと、それで……私も狙われる可能性があると思って、ここを警戒してたんだ。でも、まさか瀬嶋が動いているなんて」

 

「瑠衣ちゃんもダブプリを守る為に……か。でもあなたも、カゲヤシの中では重要な立ち位置なんでしょ?」

 

「……それは、分かっているつもり。でも、誰かが襲われるかもしれない時に、自分だけ隠れているなんて……私にはできないよ」

 

「そっか……うん、そうだよね。実際瑠衣ちゃんが居たらきっと頼もしいし!」

 

「そ、そんな事は……えへへ、そうかな?」

 

そうしてしばし笑顔を向けていた瑠衣は、ふいにステージの向こうを見つめた。

 

「瑠衣ちゃん?」

 

小さく呼ぶ美咲。

瑠衣はその先を見つめたまま「曲が終わる……」と、きっ、とした表情で零した。優しげな面しか見ていなかった美咲としては、初めて見た彼女の真剣な表情だった。

美咲は事の重要さを再確認し、息を呑んだ。拳に力が走る。

それから瑠衣はスマートフォンを取り出した。じっと画面を見つめる彼女に、美咲は言葉を切り出した。

 

「瑠衣ちゃん、私も手伝うよ。何か出来れば……だけど」

 

言葉を聞いた瑠衣は、スマホをパーカーのポケットに仕舞い、美咲の方へ振り向く。

 

「……良いの? でも、危険だと思う」

 

そう言うものの、美咲としてはここでまた一人にはされたくない。連れていって貰う為にも、彼女はわざとらしく腕をまくって。

そして駄目押しにドヤ顔で主張してみた。

 

「大丈夫。こう見えても私、脱衣でずっと戦ってきたの!」

 

自信満々なように演じるも、大丈夫かなぁと一瞬冷や汗が出た。まぁ嘘は言っていない……はず。

片や瑠衣は困惑顔で、その大きな瞳を瞬かせていた。

 

「本当? それなら大丈夫、なのかな。でも危なくなったらすぐに言ってね? …………それじゃあ、着いてきて欲しい。手伝って……くれるなら」

 

それから瑠衣は舞台の方へ小走りで向かいつつ、また言葉を続けていった。

 

「仲間から報告があったんだ。怪しい人が近づいている、って」

 

「見たところカゲヤシ、らしい━━でも、私達の仲間ではない━━って」

 

━━舞台裏

 

 

ライブを無事終えたばかりの、瀬那・舞那の両名はなにやら話し込んでいる。

 

「姉さん、メジャーデビューって……」

 

「舞那。またそれ?」

 

「で、でも姉さん。メジャーデビューしたら、忙しくなるだろうし……殆ど秋葉原に戻ってこれなくなったりしちゃうかも、って」

 

「舞那だって同意の上だった。もっと大勢の人の前で歌ってみたいって、言っていたじゃない」

 

「そ、そりゃそーだけどぉ……ここでもう活動できないのは、ちょ~っと勿体無いなって思っただけだもん」

 

「舞那、きっとライブでたまには戻れる。折角のスポンサー契約なんだから、断るのはそれこそ勿体無い。……違う?」

 

「うっ。ま、まぁ……そうかも」

 

「どの道騒ぎのせいで、今すぐ秋葉原を離れる訳にはいかない。だけど近い内に……」

 

そこへ、美咲と瑠衣の二人が慌しく入る。

気付いた双子姉妹の内、舞那の方がづかづかとやってきた。

 

「ちょっと、何よ瑠衣。何しに来たの? それにアンタも一緒なんてね」

 

「……姉さん。念の為、逃げて欲しい。もしかしたら、追っ手が来ているかもしれないの」

 

「へ? 瑠衣、アンタ何言って━━」

 

変わらず突っ掛かろうとする舞那だったが、片や瀬那はすぐに覚悟の表情に変わっていた。

 

「舞那、行くよ!」

 

「あれっ!? ちょ、ちょっと姉さん!?」

 

彼女は舞那の手を強引に引っ張って行く。

とりあえず、美咲と瑠衣は二人の護衛として着いていき。四人は裏口を経てUD+近くのスペースへ出るも、既にそこではライブ警備員のカゲヤシ四人と、それより倍は居る黒服達が双方で睨み合っている状況。

って相手方が多すぎる。いや、それよりおかしいのは。

美咲は疑問の声を上げた。

 

「あれ? 違う、瀬嶋達じゃない……!?」

 

しかも。

 

『飴渡チーフ、命令を』

 

「ってまたお前かよ!」

 

美咲が突っ込みを入れる先には。あの時殴り飛ばしたアイツ、飴渡。

部下に飴渡と呼ばれている、どこからどう見ても飴渡なそいつ。やはりこれは間違いない……あの時ボコされたにもかかわらず、のこのことまたやって来たのだろう。

こんなことなら脱衣までしておくべきだったと後悔する美咲だったが、次に飴渡の言葉を聞いて、そんな気はすぐに晴れる事となる。

 

「命令? ああそうだったな命令する。撤収だ」

 

しどろもどろ、うろたえる部下が尋ねた。

 

『チ、チーフ。それは一体……』

 

「撤収と言ったら撤収だ。お前、上司の命令が聞けねぇのか?」

 

そいつが飴渡の問いに口ごもっていると、別の部下の一人が拳を構え、声を上げた。

 

『……貴様。裏切るつもりか? ならば上司でもなんでもないな。ついでに我々で対処にするまでだ』

 

「……上等だ。かかってきな」

 

いやいや、何してんのこのおっさんら?

勝手に話進めんなと、美咲が口を挟む。

 

「ちょっと待ってよあんた……どういうつもりなの?」

 

「姉御! ここは俺に任せてくれや!」

 

「姉ぇ!?」

 

「……俺ぁ気が変わったのさ。あの時あんたの拳に惚れたんだ。素直に痺れたぜ……!」

 

「し、シビレた?」

 

「あぁ目が覚めた。なんつぅかこう……痺れちまったんだよ。そう言うしかねぇんだ……そう、あんたの拳にな……!」

 

美咲と瀬那・舞那の冷ややかな「は?」が重なり、瑠衣はなんだか分からず首を捻っていた。

飴渡はふっ、と笑う。

 

「強い女ってのも悪くねぇと思った……俺の気紛れさ」

 

飴渡は以前あった戦いの直後、気絶から目覚め……改めて、美咲にぶん殴られて熱く疼いていた頬に触れ。そして鉄拳のぶち当たった瞬間に思いを馳せた彼はハッと気づいたのだ。己の胸を突き動かす情熱的なときめきに。

今この場でもそれを思い出したのか、感無量といった表情。反して露骨に嫌な顔をする美咲は、思わず「何言ってんだこいつ」と口走る。

 

「ネェちゃんみてぇなのがここでやられるべきじゃねぇ! ここは俺に任せな……!」

 

そう言って身体を背け。先程まで部下だった男達相手に拳を構えると、振り返らずに叫んだ。

 

「お嬢さん方! 直ちに!」

 

瀬那・舞那の部下に加えて飴渡……奇妙な共同戦線で相手を抑え込む中、少女達は駆け出していった。

 

 

 

 

━━芳林公園

 

 

新たな追っ手をも次々撒いていった一同は、ここ、若林公園に足を踏み入れる事となる。

しかし今、一同の逃避行は虚しく追い詰められ……いよいよその決着が告げられようとしていた。

 

「くそぅ、ここまでだっての……!?」

 

苦々しく言ったのは、舞那。その周囲をずらりと囲んで整列するエージェント達と、それから彼女達の真ん前に歩み出てきたのは、エージェントの雇い主である坂口。

追っ手から公園へ逃げ込んだ所を、あらかじめ待機していた彼等に挟み込まれてしまったのだ。

坂口は満足げに彼女等を見た。

 

「……双子の娘だけでなく、文月瑠衣も一緒とは! これはいい。小娘らを使って姉小路怜を脅し、研究所の所在を吐かせられれば完璧。奴の元愛人が手掛かりすらも知らないとは、思いたくないが……。最悪でも血は手に入る。……ようやく捕まえましたよォ」

 

うふっ。うふふふふ。坂口の不気味な笑いに、追い詰められて一同苦々しかった顔が、更に苦々しくなった。

ふと、追い詰められた少女達の中で誰かが声を上げた。それは美咲のようだった。

 

「ハゲ、あんたまだ居るの?」

 

あー、またこいつか。みたいな調子で淡々と言った美咲。

「ハゲじゃねぇっつってんだろ!」と金切声を上げる坂口。

 

「失礼な小娘ですね……。まァこの機を狙って全戦力を投入した甲斐があったというものです。さすがにこの物量では逃げ道など……」

 

そして隙あらば自分語りをする。

ともかく……瀬那がどの道話し合う余地は無いと言いたげに、愛用のラジカセを坂口達へ向け振り抜いた。

 

「この感じ……久々ね。舞那、行くよ」

 

そんな姉の一声に応えて、舞那もスタンドマイクを構えた。対する坂口揮下の部隊も次々に剣を構え、あちこちから刃を展開する金属音が聞こえてきた。

坂口は圧倒的な数の部下達を、満足そうに流し見てから言った。

 

「見上げた根性ですねぇ……まだ諦めようとはしないと。しかしお仲間が助けに来る事はありませんよ? 別動隊で足止めをしていますとも、ええ」

 

「足止めどころか、やっちゃってるかも知れませんけどねェ」

 

ぐふふ、と意地悪い笑みを見た瑠衣は、ナナシの名を呼んで青ざめた。ナナシはライブ会場の場外警備に当たっていたはず。本当であれば、助けに来てもいい頃のはずだった。

 

「……ですので降伏するのが身の為と思いますが……こちらもちゃちゃっと確保して撤収したいので。抵抗するならぁ~ぁ……分かっていますよね?」

 

勝利を確信するニヤケ顔を張り飛ばす様に、舞那は気丈に叫ぶ。

 

「誰が降伏するか!」

 

美咲も無言の内に構えて、瞳を左右に睨ませて周囲を見回した。

黒服、黒服、黒服。

嫌気が差すほどにずらっと並んでいる。彼女の顔が尚険しくなった所で、瑠衣も日傘を構えて言った。

 

「やるしかない!」

 

「満場一致で抵抗ですか。……手荒く扱われるのがお望みとあらば。我々の力に屈するがいい!」

 

そこへ丁度、どこからか黒服が忍者の如く跳んで来て、坂口の下へひざまづく。

興の削がれた坂口は興奮に鼻息荒く、杖を振り乱した。

 

「なんだねこの大事な時に! 後にしたまえ後に!」

 

『は! しかし』

 

坂口は暴れたせいでずれた眼鏡をかけ直し、しどろもどろな黒服へまた声を荒げた。

 

「……なんだ!」

 

『そ、それが。何者かが防衛網を突破しています!』

 

「何ぃ!? そんな馬鹿な。奴等の仲間は完全にマークして足を止めていたはず……くぅ、マズイ! さっさと確保しなさい! 確保だぁ!」

 

しかし叫びは虚しく抜けていく。杖を突き上げたポーズのまま固まる彼に応えたのは、嘲笑うように吹き付けた冬の風だけ。

 

「おいコルァ!? 何してるんだ!? 確保だ確保!」

 

懸命なシャウトにもエージェント達はざわつくのみだった。

 

……何故ならば。

彼等の目の前には。

 

━━貴様は!?

坂口が驚きの声を上げる。

囲まれていた彼女達には何が何やらで、その目線の先へ振り返ってみた。

 

するとその先に居た者は。

囲んでいた黒い群れは、切り込みを入れられたように割れていて。その間から悠々と闊歩してきたのは……

彼女等がその名を呼ぶ前に、坂口がまたも声を上げた。

 

「貴様は瀬嶋隆二……! やはり生きていたのか!?」

 

「あの程度で私を始末できたと思ったか? 老いた身とはいえ、なめてもらっては困るな」

 

瀬嶋隆二その男と、それからやはり藍の姿もあった。加えて、瀬嶋の側に与していると思しき黒服も幾人か居るようである。

 

「……生きているだろうとは思ったが、このタイミングで再び現れるとは。本当に厄介ですよあなたは……! それにだ! お前達は周辺封鎖の任に就いていたはず……何をやってる!?」

 

瀬嶋の隣についていた黒服達は、まるで坂口の追求が何も聞こえていないかのように、無反応だった。

坂口が激昂しながら杖で指し突く先の彼等は、元は坂口の部下だったようだが……今はすました顔で瀬嶋の側についていたのだ。

 

「裏切るというのか! 大方その男にそそのかされたのだろうが……単純な奴等めが……!」

 

そこへ余裕綽々、といった瀬嶋の言葉。

 

「では、追い立てご苦労。後は我々がやる」

 

……坂口はさも忌々しそうに歯を軋らせた。

 

「何を~……偉そうに……そんな戦力がそちらにあるのかね? 構わん、ゴミが一つ二つ増えただけだ! おいお前達、任務を続行しなさい!」

 

『瀬嶋部長……生きておられたのか?』

 

『やはり不死身の名は伊達ではなかったんだ……!』

 

しかしどこ吹く風か、口々に交わすエージェント達。そして驚愕するその声、その表情は次第に歓喜のものへと塗り替えられていく。もはやエージェント達の関心は目の前に居るかつての上司、瀬嶋隆二だった。

 

「私が現場を退いた結果、NIROは解体された……それに関しては、申し訳ない事をしたと思っている。……すまなかった。しかし未だ任務が完了していないのは、君達の知るところだろう。この国は依然化け物共の脅威に晒され、その活動を許したままだ……政府は駆逐を諦めた。だが我々はどうする?」

 

「その先の未来を鑑みれば、我々人間がどうすべきかは明らかのはずだ。その為に今一度私の元へ就き、君達に再びその手腕を振るって欲しいと考えている。私が再び、君達を雇おう。迎え入れる用意ならばある」

 

押し殺したような、坂口の笑い声が聞こえてきた。

 

「戯言を……化け物狩りのその意志は我々が継いだのだよ。未だにかつての地位へすがりつこうとする姿は、滑稽極まりないですな。今更貴様に部下が戻ってくる事はない!」

 

それは言葉通りとも思えた。エージェント達は最初、歓喜に浮き足立っていたものの……けれど徐々に、瀬嶋に対する疑問の声も上がってきていたのだ。

しかし瀬嶋は、動じない。

 

「違うな。それを決めるのは私でも、君でもない。彼等が決めることだ。これを聞いた上で、な」

 

何を、と坂口が言い終わるのを待たずに、瀬嶋がコートの奥から取り出した録音装置。

そして……先程瀬嶋と共に現れた黒服の内一人が、おもむろにトランシーバーを取り出す。坂口の部隊全員へ通達出来るよう設定されている"それ"を、録音装置の近くへ持っていった。

瀬嶋は「聞け」という一言と共に、録音装置の再生ボタンを押した。

ほどなくして、黒服達が片耳にかける通信機から聞こえてきた声は。録音された坂口の━━

 

《━━カゲヤシ撲滅なんて嘘っぱちですよ》

 

《縛りつける為には信義があった方が、やりやすいですからねぇ》

 

エージェント達が耳掛けしている通信機へ流れた音声は、昨日のカジノにおける坂口の独白。

あの時瀬嶋は坂口に対して、まず組織の理念を尋ねた。そしてそれに乗った坂口がさも得意げに語った、その独白だった。

 

「……これが、諸君等の雇い主の声だ」

 

瀬嶋はそれを利用した。

加えて彼は、この場でなし崩し的に音声を公開した訳ではない。この場だからこそ狙ってやったのである。

瀬嶋は……坂口が眷属の身柄を欲している事、それに加え前回、捕縛作戦を失敗している事も知っていた。次は失敗しない為に全力で作戦にかかるであろう事も、瀬嶋には察しがついていたし……カジノで黒服に尋問した結果、その予想の裏付けも粗方取れていた。

 

そして坂口は予想に違わず、「この機を狙って全戦力を投入した」という先の言葉通り、ありったけの部下を動員する。

一見坂口側が圧倒的有利とも言えるこの状況を、だが瀬嶋はそれこそを狙っていた。

ほぼ全ての部下が集うこの瞬間を……戦力を乗っ取る最高の機会を。

瀬嶋は雄弁と語る。

 

「君達の信念、全霊を捧げる身は今……坂口という人間の、利欲に汚れた掌が上に居る。分かるだろう。偽りの正義に踊らされていたのだ」

 

「裏切られた無念さは分かっている……やり場のない怒りもだ。私がその思いの全てを受けよう。その為に私はこの街へ帰還した」

 

「志が残る者は私につけ。……この瀬嶋隆二に」

 

坂口が大慌てで怒鳴る。

 

「全員無視しろ、あんなのは戯言だ! 近くの数名でいい、さっさと奴、瀬嶋を止めんか! 他は至急確保に移れ!」

 

しかし沸き立つ者達の歯止めは利かなくなっていた。

ついにエージェントの中には瀬嶋側につくと言い出す者が現れ。主張の言い合いからそれはやがて、互いに剣を向ける行為にまで発展した。

それを見た周囲のエージェントも重しが取れたように、坂口派と瀬嶋派のそれぞれが一斉に剣を向け始める。

 

互いの敵味方の判別も満足につかない中、とりあえず言い争っていた近くの者同士が相手取り、それぞれが刃を交える事もいとわず睨み合っているものの。

ここで手を出すと乱戦へ発展しかねないのは、誰の目にも明らか。

その後の同士討ちの危険を考えれば、迂闊に手出しも出来ず膠着状態となった。

瀬那は、この機に逃げの一手を打つのが得策と考えた。「今の内だ」と仲間へ促して、その場から駆けて行き━━それに追走する舞那。

様子を見た瑠衣も、美咲の手を取った。

 

「私達も行こう!」

 

間を縫って逃げていく、その様子を見た坂口が叫ぶ。

 

「おい! 誰でもいい! あいつらを取り押さえろ!」

 

一連の睨み合いから取り残され、遠巻きに途方に暮れていた幾人かの黒服が、坂口の指示を聞くや慌てて確保に向かう。

逃げながら、その様子を見て焦る舞那。

 

「姉さん姉さん! 敵が来てる!」

 

「舞那、とにかく逃げるよ。仲間も来てくれている!」

 

「えっ? 姉さん、どこどこ?」

 

『ご無事ですか!?』

 

逃げる彼女達に走り寄って、新たに随伴してきたのは、親衛隊所属の末端カゲヤシ数人。

瀬嶋の登場により、坂口の部下が張っていた警戒網に穴が出来た。それによって親衛隊もこの場に参じる事ができたという訳だ。

 

「まったくぅ! あんたたち遅いのよ!」

 

「安心している暇は無いよ、舞那!」

 

双子はいつもの調子で掛け合いながら、公園を突破していく。

そして護衛の親衛隊員は何人かが公園入り口に残り、追っ手である坂口の部下に立ちはだかる。

……だが当然、狙っているのは坂口だけではない。

瀬嶋が吠えた。

 

「藍! 追跡しろ。逃がすな!」

 

その一言で藍はギターを手に急行した。親衛隊は坂口の部下を抑える事で精一杯であったものの、内一人がなんとか藍の阻止に向かった。が、彼女は走るままギターを横薙ぎにお見舞いし、その親衛隊員を強引に押し退け……追跡対象が逃げた先の路地へと彼女は消えていった。

 

 

 

 

エージェント達の通信網は錯綜し、彼等の統制は完全に崩れていた。ある者は耳の通信機に手を当てながら声を上げ、またある者は落ち着き無く街を右往左往している。その中を一人、親衛隊員のカゲヤシが後ろ飛びの要領で次々と後退しながら、エージェント達の間を高速で飛び抜けていった。

瑠衣達が逃げ切るまでの時間稼ぎ役を担っていた、親衛隊員中の一人である。

 

『くそっ! なんなんだあいつは……!? やたらに速い!?』

 

忌々しく吐き捨てる彼は今まさに、脅威と呼べる相手に追い立てられていた。仲間は恐らく殆どがやられ、一人撤退している最中。加えて最悪にも、男はその相手を見失ってしまっている。

次にどこから襲ってくるのかも分からない。装着していたゴーグル越しに、視線を世話しなく周囲へと働かせた。

次々と眼前を流れていく構造物。その林立する間、間に目を凝らす。どこから"あいつ"は襲ってくるのかと、汗を滲ませながら。

……そこへ不意に、女性の声が聞こえた。

 

『お前、生きていたか!』

 

偶然にも此方へ跳んで来た、仲間の親衛隊員だった。

男は立ち止まって尋ねる。

 

『どうなっている? 親衛隊がこうも……!』

 

男の言葉へ答える気配も無く、呼吸荒く周囲を見渡していた。どうやら、自分に向けて問い掛けられたと気付いていないようだ。彼女も酷く焦っていた。

だがひとまず、仲間の一人と合流は出来た……相手が来る様子もない。

 

━━仲間と連絡を取り、ここから態勢を立て直すとしよう。

男は道の途中にあった、己の背丈より幾分かの高さを持つ、コンクリート製の塀にひとまず身を預けた。

丁度日陰でもあるし、ここで陽を避けて小休止するには悪くない。

そうして息を吐いて、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。眼前に飛躍して来た"あいつ"━━安倍野藍に頭を掴まれ、背後の塀へ凄まじい力の元に打ち付けられる。塀は音を立てて瓦解し、男は悶絶した。

隣の女隊員は驚愕し声ならぬ叫びを上げた。瞳は戦慄に染まり……何かを発するように口を開きながらも、喉が潰れたみたいに言葉が出ない。その様に、藍の視線が移される。差し向けられた冷徹な眼差しに、自身の終わりを覚悟した時……声が聞こえた。

 

「待って!」という、美咲の強い呼びかけだった。藍が視線を前へ戻すと、その先には彼女の姿があった。

 

「その人を離して……!」

 

美咲が続けた言葉を受けて、藍は元より微塵の興味も無かったように、掴んでいた男の頭を離した。

男はどさりとその場にくずれ落ちた。既に藍は美咲の方へと足を踏み出していて、親衛隊には用もなさそうに視線を外している。

一瞬女隊員は行動を迷っていたものの、自分達を逃がそうとする美咲の意思を汲み取り、へたばった男の身を背負ってその場から離脱していった。

藍はそんな様子も気にする事無く、ゆっくりと美咲の元へ歩み進んでいく。鋭い視線の先に居るのは、美咲一人のみ。瀬那、舞那と瑠衣の姿は無かった。

 

何故彼女だけが逃げずにここに居るのか……それには、他三人を逃がす為に時間稼ぎをしようという美咲の思いもあったが、それ以上に、藍をもしかしたら説得できるのではないかという思いが、彼女をその場に留まらせたのだった。

留まる事を瑠衣達には伝えずに、そっと離れた。瑠衣との会話、特にライブ会場での会話を思い出す限り、彼女が他人を置いていくような性格とは考え辛かった。もし留まると言えば、瑠衣も留まると言ったかもしれない。美咲としてはそれは避けたかった。

 

美咲は、胸に手を当てた。内心いくら落ち着こうとした所で、そんな事はおかまいなしに心臓が鼓動を激しく打ち鳴らしていた。いよいよ、手を伸ばせば掴まれそうな距離まで近づいたところで、藍は言葉も無く歩を止める。

美咲は震えた声で恐る恐る問いかけた。言うまでも無かったかもしれない、その問いを……

 

「藍ちゃん……私を……灰にするの……?」

 

藍は問い返した。

 

「お前はどうだ……? 私を邪魔するのか?」

 

「わ、私は……」

 

握り締めた手は震えていた。しかし、今一度ぎゅっとその拳に力を入れる。

 

「私……今の藍ちゃんには着いていけない……!」

 

「助けてもらったことは感謝してる。でも今やろうとしていることは、どうしても私……おかしいとしか思えない。間違ってると、その、思う。でも今ならまだ藍ちゃんも、考え……直せるんじゃないかなって。あはは……」

 

「なんだ、説教のつもりか?」

 

目元を歪ませた藍へ、美咲は困惑しつつも答えた。

 

「そ、そんな訳じゃないんだけど~……」

 

「お前には死んでもらう。……結局は紛い者。存在を根絶やしにする為に、お前も始末しなければならない事は必然だった」

 

「……でも藍ちゃんは、私を助けてくれたじゃん!」

 

「それは気の迷いというやつだ。事実に目を背いていた……目の届く所に居させれば問題ない、まだ、お前を人間に戻せるかもしれないと」

 

「私の行いに間違いがあったとすれば、……お前を助けた事がそもそもの間違いだったな?」

 

ギターを構えた。

まさか。彼女はやはり━━

 

「あ、藍ちゃん! 私を灰にする……灰にするんだよね!? ホンキ……なんだね!?」

 

「くどい!」

 

声を遮るように振るわれたギターの一撃。美咲が恐怖に身をかがめた結果、偶然ではあったがそれを辛くもかわす事が出来た。

━━偶然だけど、当たらなかった。逃げるなら今しかない。

急いで身を翻す。表情を焦りに染めながら、美咲はすぐにその場から走り去った。

 

……戦うか? 無理だ。自分は説得をしに来ただけで……いや、戦うにしたって、藍は紛い者である上にかなりの手練れ。自分も紛い者とはいえ、同じなのはそれだけだ。共に戦う中で、実力の差はまざまざと見せられてきた……抵抗したところで、遅かれ早かれどの道やられるだけ。

なら大人しくやられろ? ……無理に決まってんだろうがァ! まだ高校一年生なんだよ! 輝く未来が待ってる若者なんだよ!

じゃあもう逃げるしかないじゃん……!

とりあえず逃げよう。って、大して時間稼ぎと説得もしてない。ならなんで最初から瑠衣ちゃん達と逃げなかった……!?

 

「分からない! 分からないからとりあえず逃げる! 後の事は逃げてから考えるっ!」

 

言い聞かせながら彼女は疾走した。脱兎のように。と、何かにつまづいて派手に転んでしまった。突っ伏した状態から顔だけ起き上がらせると、すぐ目の前には冷ややかにこちらを見つめる藍の姿があった。

美咲は凍りついた。そして、藍に転ばせられたんだとすぐに理解した。

 

もしかして…………

……死ぬ?

 

そんな思考が、すぐに駆け巡る。

 

「諦めが悪いなお前? ……お別れだ。覚悟決めろ!」

 

運命を悟り、目蓋を閉じようとした時……近づいてくる人影に気付いた美咲は、改めてその瞳を見開いた。

 

「お兄ちゃん……!」

 

思考するより早く、自らの口が反射的にその正体を答え、

 

「……お兄ちゃんなの!?」

 

そして口走りながらも、彼女は驚きを隠せないように、再び確認するように叫んでいた。

 

 




強引な場面が多々あったかもしれませんが、とりあえず二章はこれで終わりです。
次回から三章が始まります。ナナシが主役に戻り、以後小説完結までほぼナナシ視点のままお送りする予定です……


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三章
16.三つ巴の開戦(前)


超絶書くの遅いマン。
長くなったので前後編二分割にしました。近い内に後編も投稿する予定です(予定です。)
16話に合わせて15話ラストをほんの少し修正。

視点がナナシに変わり、妹と出会う少し前から話は始まります……


NIROの実働部隊リーダー、瀬嶋隆二は秋葉原に帰還した。

坂口率いるエージェント部隊と対立し、両者はここ秋葉原で睨み合いを続けている。

けれど、この街で戦っている者は勿論彼等だけではない。

それは瀬嶋隆二の宿敵、ナナシもまた同じ……

 

 

…………それでその"宿敵"はというと、アキバの通りを現在進行形で爆走していた。

 

(あぁくそ……馬鹿ばか俺の馬鹿!)

 

とか嘆きながらだ。

彼には嘆きたい事が山ほどあった。なんせ今も軽く見渡しただけで、エージェント連中が隅々幅を利かせるカオスなこの状況。

それもその上、致命的にデカイ問題が一つ。

 

問題は瑠衣達が追われ、今も危険に晒されている事。なのだが━━

 

せめて自身が瑠衣と共にしていたならと、ナナシは後悔していた。

元々手分けをした方が良いだろうと瑠衣本人から提案を受け、自分が場外警備の任に着いたのだが……思えばそれが失敗だった。

……自分が外でエージェントと戯れている内に、瑠衣達と大分引き離されてしまうとは。

運悪くか、最初から狙われていたのか。いずれにせよまんまと時間を稼がれた━━

 

━━まぁともかく、それで、俺の馬鹿ァー! とか思いながら走るはめになった。

そう言えばなかなか変態的行為に思えるが、別に声に出していないから問題はない。声にならない叫びというやつだ。いや、

 

……あれやこれや考えていると、不意に一人の青年と衝突しそうになった。

間一髪避けたものの、走り抜けた後方から咎める声が聞こえた気がした。

 

「すまん、今は許せ……!」

 

瑠衣達の下へ向かう為、そして事態を収める為にも、今だけは足を止める訳にいかない。

エージェントが目的である彼女達を見失えば、連中も手を引き、混乱もひとまずは収まるはず……だから今だけは急がせてくれ、と。

 

……甚だ一方的な言い逃れだと思った。

だが嘘をついているという訳じゃない。現状を見れば一目瞭然だろうが、秋葉原が危機的状況というのは事実なのだ。

 

この街の終わりが近づいている。

それは、少し前まで悪い冗談と思っていた。

 

今視界に度々映るのは、慌しく行動するエージェントと……その光景に動揺する街の人々。

確かに、この状況はタダ事じゃない。

そして近い内、この街は更に酷い状況になる。……そうヒロは大真面目に言っていた。

 

……ナナシは気に入らなかった。あのふざけた予言が、現実味を帯びてきてるっていうのか?

そんなのは認めたくもない━━その意地が、自然と彼の瞳を険しくさせた。

 

この街で普段通りに過ごしていたい……文月瑠衣の、彼女の望みは叶ったと思っていたのに。

だが今の状況は、まるで逆戻りだ。

 

『また、秋葉原で争いが起こっちゃうのかな』

 

あの時の、不安を口にした瑠衣の姿が目に浮かんだ。

彼女の想いとは裏腹に、秋葉原は今、あの頃へ戻ってしまっている。

だが……

 

(……だが、まだ終わりじゃないはずだ)

 

街は再び危機に立たされている。それでも、まだ終わったわけじゃない。

 

ナナシは通りを疾走した。だからこそ急がなければならない。全てが手遅れにならない内に、後悔に変わらない内に……

彼は住民達の間を縫っていき、エージェント達の視線を掻い潜り。

白い息を吐きながら、混迷の中を手早く駆け抜ける。

 

だいたいなんだ。今日はクリスマスだろ? とふて腐れ。

こいつらは本当に中止にしちまうつもりかと、半ば冗談交じりに勘ぐりながら。

それでもナナシは駆け抜けた。

街はこの上なく危機だし、クリスマスのプランも見事に白紙。嗚呼全くそれもこれも、我が物顔で蔓延っているエージェント、連中のおかげで━━

 

「ええい、好き勝手しやがって……!」

 

そう考えると腹立たしさに、思わず歯が噛み締められる。

それから邪念を払うようにナナシは首を振るう。今は目の前の状況に集中しろと、己に語りかけた。

 

……そうだ。瑠衣からのメールによれば、彼女達はこの道を抜けて少し先のはず。

不幸中の幸いか、エージェントは何故か慌てふためいている。それどころか警戒の持ち場を離れ、どこかへ行っている様にさえ見えた。

妙だが、ナナシとしては好都合。危なげなく連中をかわし、順調に突破していく。

 

しかし、だ。

その一連の流れの中で……異変があった。

路地先で彼の目に留まり、立ち止まらざるを得なかったその光景。

一人の少女が歩道に倒れこんでいた。その横ではギターを手に少女を見下す、パンクロッカー風の女も一人。

 

(これは……なるほど)

 

……勘弁してくれと率直に思った。

一難も去ってないのにまた一難。打ち切り直前の連載みたいにぽんぽん出してきやがる……ッ!

思わず眩暈がしそうになりつつも、気付けば突き動かされるように倒れた少女へ走り寄っていた。

 

少女の服装には見覚えがあった。

自身の妹である美咲のものと良く似ている。しかしそれは偶然の一致だろう。本当に"少女"が美咲本人とは夢にも思わなかった、のだが……

 

彼女は倒れ伏せたまま、自身に気付いたのだろうか、顔をこちらへ上げてきた。

その"少女"は━━思わずナナシは目を疑ったものの。

 

「お兄ちゃん……! ……お兄ちゃんなの!?」

 

彼女の肉声を聞いてそんな疑いも吹っ飛んだ。目の前に居る少女は、紛れもなく自身の妹。

どうしてこうなった!? と思い切り叫びたい気分だった。

いやいや、何て日だ! も捨て難い……

伏し目ながらに悩んでいると、ふと前から視線を感じそちらを見返した。

 

「お兄ちゃん?」と業を煮やした美咲が不信な目に変わっている。

……うるさいな。今お前のせいで悩んでるんだよ。

仕方なくナナシは思案を中断し、そして美咲を問い詰めたい気分もかなぐり捨て、それよりもスマートフォンの画面を見た。

走り寄る際に予め行なっていたミラースナップ、その結果を確認する為だ。

 

……画面には紛い者の反応が示されていた。薄々予想はついていたが、生憎にもそれを裏付ける結果に歯噛みする。

ダブプリ姉妹と瑠衣の状況も当然気になるが、まずは目の前の状況をなんとかしなければならない。

ナナシは剣を抜き、その切っ先がパンクロッカー風の女に向けられる。

美咲の名を呼び、空いた手で彼女を立ち上がらせながら、その間も目線は常に対面の女を睨み続けた……

動くなよ、動いた瞬間に攻撃する、という威嚇を込めて。

 

それでも、女は涼しい顔でこちらを眺めている。美咲を背後に庇いながらじりじりと後退する間も、女はふてぶてしい程顔色一つ変えない。

距離を取る事には成功しつつも尚、張り詰めたような緊張が走っていた。

 

「俺の妹に手ぇ出すとは……あんた、塵にされたいらしいな」

 

と、3、4メートル程距離を取った所で言った。

……逃げ腰で言う台詞じゃないだろ、と美咲がささやき、確かに……とナナシも苦笑いした。妹もたまには正しい事を言う。

正直虚勢でしかなかったのだが、その言葉に、対面の女が初めて表情を変えた。

 

「塵にする? 紛い者の私を、単なるカゲヤシのお前が」

 

女は聞き違いかとでも言いたげに眉を歪ませていた。

それからそのしかめ面を益々むすっとさせて差し向ける。

 

「身の程知らずも大概にしな」

 

と。緩慢な態度だが、しかし腹は立たなかった。むしろ、いかにも紛い者らしい。

今まで相対してきた紛い者達も、同じ様に強い自信を持っていた。目の前の女もその例に漏れず……というだけだ。

 

だがそれは決して根拠の無い自信過剰ではなく、カゲヤシの能力を超えている、確たる自負が紛い者にはあるのだろう。

それこそ、負けるはずがない……という絶対の自信が。ナナシが駆け寄ろうと歯牙にも掛けず眺めていた事からも、その余裕は見て取れる。

……だが「それがどうした」と冷ややかに一蹴したナナシは、そして続けた。

 

「カゲヤシが勝てないって誰が決めた? ……あんたか? なら勘違いだったな」

 

「脱がすか脱がされるか、それだけのはずだろ。あんたを脱がすだけだ」

 

言葉通り、最後に勝負を決するのは、あくまで脱衣の技量差だという気概が彼にはあった。

紛い者に苦戦した過去も以前の話。あれから師匠の元で修行をし、己の業を磨いたのだから。

 

……無論、それも十分な時間ではない。まだ、対策が万全とは言えないのかもしれない。

 

しかし、今回の様に一対一なら……そして彼女に、優位だという慢心があるなら。

その油断から生まれた隙を突き━━脱衣のスピードを活かして速攻を仕掛ければ━━必ず勝機はある。

そう信じ、固く剣を握っていた。

対する藍もいよいよギターを構える。その様子を、美咲は動揺しながら見守っていた。

 

(脱がすって、お兄ちゃんも戦えるって事……? 分からないけど……けど戦ったら、きっと殺されちゃう)

 

「━━待ってよ藍ちゃん、こんな事するべきじゃ……!」

 

その言葉を聞いたナナシは美咲を一瞥した。どうやら美咲は相手を知っているらしい。

ナナシは、藍と呼ばれた女に視線を戻し問い掛けた。

 

「……エージェントってカッコでもないが、アキバに何しに来た? ここじゃ素直にならないと楽しめないぞ」

 

「お前に言う必要があるのか?」

 

威圧的な藍を見るや、ううむ、とナナシは神妙に顎を撫でる。

 

「なるほど、セール目当てでは無いようだ」

 

「お兄ちゃん、もう口閉じてて」

 

「クリスマスセールだぞ!?」

 

美咲が「どうでもいい」と顔を曇らせた、その直後だった。

藍が前傾姿勢ののち、地を一蹴りして突進した。

凄まじい脚力。踏み蹴ったアスファルトは容易くヘコみ、それによって生じた衝撃さえも置き去る程の突進力。それを以って彼女は小細工なく、正面から一気に間合いを詰めた。

 

(速い!? マジか……!?)

 

ナナシはその速度に驚愕しながらも、彼女が振り下ろしたギターを咄嗟に避けた。

それから女は尚も怯まず攻撃を掛けてくるが、ナナシは確実にその一撃を避け続ける。時折自身も剣によるカウンターを仕掛けながら、常に相手の死角へ回り込もうと試みる。

とにかく、相手が紛い者ならまともに打ち合う訳にはいかない。冷静に翻弄し続け隙を突く……それが、修行で得た対紛い者のセオリーだからだ。

 

しかし実戦はそう上手くも行かないもので、彼女はなかなか隙を見せないどころか、今も自身の動きへ確実に追従してきている。

思った以上に女の身のこなしは軽く、いつの間にか互いに横や裏を取っては切って切り合い、そしてそれを避け。

もはやそこに、翻弄などという余裕も無い。

 

ナナシとてその動きは研ぎ澄まされている。食い下がり、渡り合っていくその姿は、多くの戦いを経てきた者として伊達ではない。

しかし避け続ける疲れからか、それでもほんの僅かに遅れが見え始めていた。

僅かな遅れは次第に明確な遅れとなり、それは致命的な差にまで広がってしまった。

遂に藍がナナシの動きを捉えたのである。

 

しまったと後悔した時には、ギターの重い一撃を腹へもろに喰らってしまう。

強烈な衝撃に肺から空気が一気に吐き出され、ナナシの身体はくの字に折れ曲がったまま、後方へ吹っ飛ばされた。

 

「ぐっ……!」

 

ギターとにわかには信じ難い威力だった。正直電柱でブン殴られたかと思ったレベルだ。

思わず苦痛に顔を歪めたものの、けれどナナシはすぐに空中で体勢を立て直し、改めて瞳を見開いた。

 

今は身体の痛みなんか気にしていられない。

すぐ傍で助けを求めている美咲が居て、今も逃げている瑠居達、そして危機に瀕しているアキバの人達が居る。

そう打ち切り直前の如くポンポン来やがってる。

以前までならここで炭化して終わりなんじゃ、なんて思考がチラついたかもしれないが、そんな事考える暇もない。

だからこそその眼は、真っ直ぐと向かいのパンクガールを捉えていた。

 

彼女はこちらへ一直線に向かっている……そして、気付いた。

この状況に覚えがある事、紛い者と最初に戦った時、あの大男にやられた状況と同じ事を。

あの時も同じく吹っ飛ばされ、そして足を取られている隙に肉薄され、二撃目を叩き込まれたはず。

 

あの時と同じ事になる、そう直感した。だとすれば……

 

「……同じ轍踏むかよ!」

 

歩道へ着地する同時、剣を火花が散るほどに思い切り突き立てた。肉薄される前に、意地でも己の身体を食いとめる為に。

まもなく止めることに成功した直後、既に振り上げられたギターが目前に見えた。

身が凍る思いだった……紛い者の全力の一撃、あれをまともに貰えばタダでは済まない。

 

(ちッくしょう! 間に合えぇ……!)

 

極限の状況にアドレナリンが放出したのか、その一撃は嫌味な程ゆっくりと見えた。

右方向へ全身全霊、歯を食い縛って回避の舵を取ると、迫る一撃は幸運にも、身を掠めるかという所ですれ違った。

 

「何!?」

 

大振りの攻撃を外した藍が思わず驚愕の声を発し、それから違和感に気付いた彼女は自身の身体へ目を向け、絶句した。

いつの間にか上半身の服は完全に脱がされていて、下着が露になっていた。

 

彼女は咄嗟に地を蹴飛ばして退こうとしたものの、思考よりも先に反応したナナシが素早く足元をすくった。

脱がし、次いで逃れようとした相手の足を取って動きを封じる、ナナシの常套手段だった。

後ろ崩れた藍は慌てて立て直そうと、何歩か地を蹴ったものの……いよいよ尻餅をついてしまう。

 

「この……ッ!」

 

それでも強気な彼女は、きっ、と顔を上げた。尚も戦闘の意思を見せたものの、がきん、という金属音に起き上がろうとする動きを止める。

突如そちらへ飛来した剣"えくすかりばー"が、倒れこんだ両脚のちょうど間……スカートの布地を巻き込む形で地面に突き刺さり、さしずめ縫い付ける形になっていた。

 

彼女が驚愕に見開いた瞳の先には、既に迫るナナシの姿があった。

 

「貰った」

 

ナナシが素早くスカートへ手が伸ばした直前、藍が強引に後ろへ飛び退いた。

スカートは一部破けてしまったものの、まだ脱げてはいない。

とはいえ首の皮一枚繋がった程には違いないだろう。二人が再び構え相対する中で、藍はいつになく焦っていた。

 

(あの脱衣の手際といい、普通じゃない……! こいつ何者だ?)

 

しかし焦燥を隠すように、あくまで気丈な(てい)で吠えた。

 

「ふん、あんな小手先で縫い止めたつもりだったのか……笑わせやがる」

 

けれども、返された一言に彼女は拍子抜けした。

 

「まぁな」

 

そして「避けに動くと思った」……ナナシはあっけらかんと放ち、藍を指差して言った。

 

「だが今のお前は動けない……だろ」

 

拍子抜けしていた女の表情が、一転して険しいものに変わった。彼女は押し黙り、狼の様に牙をむき出して、威嚇する表情で睨みつけていた。

対するナナシはそんな事も気に留めず、そのまま続けた。

 

「見えてるぞ。スカートの裏に手を回しているのが」

 

彼の文言はからかうようで、その実淡々と言った。

実際ナナシの言う通り、彼女は後ろ手に、今にもずり落ちそうなスカートを押さえていた……スカートのホックが、逃れた衝撃で壊れていたのだ。

 

「あの状態で無理矢理動けば、ホックへダメージが行くようにしたからな。悪いがここまでだ」

 

図星を突かれた藍は忌々しそうに顔を一瞬背けたものの、

 

「お前、本当にただのカゲヤシか?」

 

結果がよほど理解し難かったのか、苦渋の様子でそう問い掛けた。

 

「うん? まぁ……元人間の」

 

「……カゲヤシだと? そんな事あり得るか!」

 

「それがあり得るかも。死ねないんだよ、彼女と添い遂げ、セールのグラボを買うまでは」

 

「お兄ちゃん、私の為じゃなかったわけ?」

 

「一応それもある」

 

美咲の追及を飄々と交わしていると、悔しそうに唸る藍の声が聞こえてきた。

彼女はまだ負けを認めたくない……らしかった。

 

「そもそもスカートでなければ私が勝っていた……! だから嫌なんだ! 無駄にひらひらしているし脆いから……!」

 

(この期に及んで言い訳するのか……)

 

……子供みたいな負け惜しみに渋い顔しつつも、ナナシはじりじりと彼女を追い詰め、そこへ今度は我が妹の叫びが飛んでくる。

 

「ちょ! ちょっと待ってお兄ちゃん! やめて! 一旦やめて!」

 

揃いも揃ってなんなんだと、いよいよ脱力した表情でナナシは振り向いた。

 

「うっさいなぁ……なんだよ? 腹でも減ったの?」

 

「な訳あるか! とにかく駄目、ちょっとだけ待って!」

 

「待てない! 後でおでん缶買ってやるから我慢しろ!」

 

「お腹は減ってないっつの!」

 

なんて言い争っている間に、藍は舌打ちと共に跳躍してその場を離れていた。

二人が気付いた時には既に遅く、ナナシが大口を開けて妹へ詰め寄った。

 

「あぁ~馬鹿っ! お前のせいで逃がしちまったろ!?」

 

「あっ……えぇ~っとぉ~……仕方ないよ! うん、仕方ない。それより馬鹿兄に馬鹿って言われたくないんですけど!」

 

馬鹿兄呼ばわりされたナナシは、俺はお前を助けたんだよな……とモヤモヤしてきた。

本当に兄妹なのか? というのは自分の中で永遠のテーマだが、まぁ、湧き上がる不満を溜め息で吐き出して……気を取り直して再び美咲を見た。

 

「……んで。知り合いだったのか?」

 

問いに、「それは……」と視線を落とす。

 

「……うん。あの人は、私を助けてくれたの」

 

俯いたまま、物案じた表情で告白する妹。

 

「助けた? さっき殺意ばりばりだったけどな。助けて今度は始末に掛かるとは、おかしな奴」

 

なんて、酷使した身体を労う様に肩を撫でつつ、彼は軽い調子で言うのだが……当の美咲は何も言葉を返さない。

 

…………反応が予想と違う。

まるで借りてきた猫。ナナシは調子崩れだと言わんばかりに、しばらく眉を曲げていた。

けれど尚口をつぐむ妹を遂に見かねて、静かに語った。

 

「……あいつ、お前に手を下す事を少しためらってた」

 

美咲が思わず、その言葉にはっと顔を上げた。彼に先程の軽さは無く、今までの軽口とは線引きされたものだと分かった。

 

「俺が走り寄っても、それをすぐに阻もうともしない……違和感があった。素直な行動じゃないと思ったんだ」

 

美咲は何も言わなかったが、構わず「事情は後で聞く。けどな」とナナシは続ける。

 

「あいつが向かってくるなら、先にこっちが塵にするしかない。それは分かって欲しい」

 

……やはり彼女は何も言わない。

が、決して納得している訳ではないはず。ナナシとしても、決して己が正しい事を言っているとは思わなかった。

 

(う~む……困ったな)

 

だからこそ彼は悩んだ。

頭を掻きつつ、ともかく、美咲を守る事に成功したのは違いないと、意識を現状へ引き戻した。

……瑠衣達の下へ急がなければ。あの藍という紛い者も、抵抗せずにさっさと逃げてくれて良かったかもしれない。逃がしたせいで後々面倒になる可能性もあるが……

 

(……メールだ)

 

スマートフォンを確認すると、瑠衣からのメールが一通あった。

内容に気が気ではなかったが、ナナシはホッとした……どうやら瑠衣達は、追跡の手を振り切れたらしい。

自分は何もしていないのが少し情けないが。次からは離れない様にしよう、と反省もそこそこに、とりあえず妹にも訊きたい事があった。

 

「まぁいい……それよりだ、お前……もう人間じゃないな?」

 

と言うのも、先程のミラースナップ……紛い者の反応があったのは一人ではなかった。美咲も含めた二人だったからだ。

美咲はばつが悪そうに、うん、と頷いた。

 

「…………お兄ちゃんもさ、人間じゃないの?」

 

「……だな。まぁさっきのを見れば分かるだろうけど……よし、細かい話は後にして行くぞ」

 

「行くってどこへ?」

 

「お前には一人で帰れと言いたいとこだが、さっきの様子を見るにそれは危険だしな……。自警団の仲間と合流するから着いてきてくれ」

 

「……自警団!?」

 

「どうした?」

 

(自警団ってまさか……じゃあ瑠衣ちゃんの言ってた"ナナシ"ってぇ……!?)

 

……突如として鬼気迫る表情の美咲にナナシは青ざめた。

いや表情のせいもあるが、一番の原因は今にも殴り掛かりそうな拳を見たからである。

 

「待てぇ! 兄に拳を向ける妹があるか……! しかも助けたのに」

 

必死の制止に、美咲はハッと意識を戻した。

そうだ、待て、落ち着けと彼女は己に言い聞かせる。

そもそも自警団が一つだと誰が決めたか。一つとは限らない、そう多分三つ四つ位ある。そして瑠衣ちゃんの言っていたナナシはきっと別の自警団の、好青年なイケメンに違いない。

間違っても"こんな奴"では……

 

一方、その"こんな奴"呼ばわりされたナナシは命の危機を感じ、遠巻きに様子を伺っていた。

すると美咲が割とすまなそうにして、「ごめん」と見る。

 

「いつもの癖で……えへへ」

 

いやえへへじゃねぇよ、とナナシは顔を歪ませた。……珍しくしおらしいなあとか、少しでも思った自分を呪いたい。

美咲は今も応急措置的なはにかみで凌ごうとしているが、誤魔化せてない、全然誤魔化しきれてない。それにいつもの癖とか、単にますます物騒なだけだ。

 

「兄を殴り殺す動作の癖がついてるってどういう事なの? 鬼かよお前……!」

 

「違うって! ちょっと手を握る癖があるだけだし! ……でもさ、お兄ちゃんが"普通"で良かったなって思うよ」

 

はにかみながら話題を逸らすと、「……どういうことだ?」と食い付くナナシ。

 

「エージェントの人でね、私に殴られて喜んでる人が居たの。正直恐かった……嫌がるお兄ちゃんはその点マシなんだなって」

 

「末期患者だな。……マシってなんだよ」

 

彼女の物言いに顔を曇らせるナナシだったが、ふと最近の訓練を思い出したナナシ。

それは師匠に、ヒロとの闘いで防戦一方だった旨を伝えた時の事……

 

 

 

「ナナシ。あなたはドMになりなさい」

 

……それが師匠の御言葉だった。

 

その時は聞き間違いかな、と思った。

 

「……もう一度いいですか?」

 

むしろ聞き間違いであってくれ。そう思い聞き返すと、しかし師匠は変わらず言った。

 

「ドMになりなさい」

 

……と。

 

「えっ?」

 

「てことではい。目隠しと、手錠。つけなさい」

 

師匠の言葉の後、下僕が差し出した"それ"をまじまじと見た。言葉通りのシロモノが入っている。……師匠は本気のようだ。

赤い内張りのスーツケースに仰々しく入っているのから察するに、高級品かもしれない。

……それはどうでもいい。

 

「これっていわゆるSMプレイのあれですよね……」

 

それよりも気になった事を直球で聞いてみると、師匠は得意げに返してきた。

 

「言ったでしょう? あなたはMになる必要がある」

 

「どういう事なんだ……?!」

 

素でうろたえるナナシにつべこべ言わない、とぴしゃりと放つ師匠。

そんな無茶苦茶すぎる……という思いとは裏腹に、師匠は整然と説明し始めた。

 

「……よいこと? SとMは対を成しながら、お互いに深く関連しあうの。脱衣のやりとりというものを極める為には、そのどちらをもより深く理解し身に着ける必要がある」

 

「そしてナナシ、あなたにはMの理解が足りていない!」

 

と、言われたが、疑問だった。

それもかなりだ。

しかれど今は師匠の面前、場を弁え……たかったがやはり、つい言葉となって漏れてしまう。

 

「それってほんとに必要……?」

 

対する師匠は確固たる自信があるように、「必要よ」と放つ。

 

「相反する二つの要素を巧みに使いこなす事は、己の業を磨く上でとても重要な事。陰陽、快慢、鋼軟、そしてSM」

 

「あの、失礼ながらテキトーな事を言っているのでは」

 

「言ってないわ」

 

それでもまさに有無を言わさずといった勢いで、食い気味にそう言い放たれた━━

 

 

 

その顛末をナナシは思い返していた。

つまり妹から殴られる事を嫌がる自分は、Mに成りきれてないという事。まだ修行が足りていない。

そういう意味では、妹の言う"殴られて喜ぶ"は素晴らしい戦闘素質の持ち主なのかもしれない。

……いや、

 

はたと考えるなり、「なるほど」と呟くナナシ。

それに疑問顔の美咲。

 

「なるほどって何が?」

 

「NIROエージェントが次々下僕に堕ちていた訳、何となく分かった気がするって事さ……」

 

それはかねてから疑問だった。

もしかしたらああいった訓練のせいで、エージェントは日々潜在的にその……特殊な嗜好を植えつけられていたのでは。

美咲の言う末期患者もその犠牲というわけだ。いや、むしろNIROは元々そういう人選だったのでは?

 

(まさか御堂さんも……!? いやっ駄目だ、それ以上いけない!)

 

首を捻る妹を傍らに、彼は狂気に満ちた答えへたどり着いていた。

……何故か鼻息を荒くしながら。




(もうおでん缶ってアキバに無いらしいですね。悲しい)


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16.三つ巴の開戦(後)

投稿スピードを上げる為にも、今後はサクッと軽めに書いていきたいです
しかし、ぎっちりじっくり書いた方が読み手側としては良いのだろうか……?
分からない。


瑠衣達は追跡の手から逃れる事に成功し、エージェント達は撤退。

仮初めではあるものの、街はある程度の落ち着きを取り戻し━━そしてすぐに、ヤタベさんからアジトへの集結を促す連絡が来た。

 

お互いの安否の確認と、そして情報の交換の為に。そしてまずは落ち着いて、現状をまとめよう……と。

連絡を受けたナナシは美咲を連れて、早速向かう事にした。

 

 

 

 

ナナシと美咲は地下通路を渡り、固く閉ざされた鉄門前へと立つ。

通路横にある、このいかつい鋼鉄製の門を潜った先。そこに我らが第二秘密基地は存在するのだが……

用心の為か門は閉じられている。ナナシが開けて欲しい旨を伝えるも、けれど門は開かず、

 

「では第1問」

 

向こう側から、どこかノリノリなノブの声が返ってきた。どうやらこの回答の成否によって仲間か判断するつもりらしい。

……声で誰か分かるだろ、と言ってはいけない。……いや言っても、声色を真似る輩が居るかもしれないだろう!? と返されるだけなのだが。

 

引き続き「ITウィッチまりあの━━」とノブが出題する途中、サラが声を挟む様子が伺えた。

 

「ノブさん、開けましょう?」

 

「……くっ」

 

悔しそうな唸りが聞こえてから、門は擦れる音を立ててゆっくりと開かれる。

 

…………久々に見てもやはり、隠れ家……というよりか、一つの大きな倉庫。

広い空間の隅にはPCやモニターが置かれていたり、メイド服が立て掛けられていたり。各々持ち込んだ物が申し訳程度で点在しているものの……テーブルやら座椅子やらの家具類は何も無く、相変わらずのがらんどう。

控えめなサイズの第一秘密基地(旧アジト)と違って、こちらはいささかオーバースケール気味。

 

「よっ戦友! 遅かったじゃないか」

 

調子の良い挨拶と共に、開いた門の端からひらりと乗り出したノブ。隣には、深々としたお辞儀で出迎えるサラさん。

瑠衣は奥でヤタベさん・ゴンと共に居るのが見えた。心配そうに待っていた彼女も、こちらを見るなり駆け寄って、それまでの陰りが晴れたように顔をぱっと明るくさせた。

 

「二人とも良かった、無事だったんだね」

 

頬を緩ませる瑠衣へナナシは頷きつつ、再開にほっと胸を撫で下ろす。どうやら到着は自分達が最後のようだ。

皆が温かく出迎えてくれる中、美咲はなんだか、身を置き辛そうにきょろきょろとしていた。

はて、とナナシは首を傾げる。既に自警団とは顔見知り、と道中で美咲に言われたのだが。

……どうやらまだ慣れた間柄という訳でもないようである。

 

それからお互いに一通り再開の喜びを分かち合った所で、やがてヤタベが柔和な笑みを刻みつつ……皆へ呼びかけた。

 

「確かに全員集まったようだ。こうして無事に会えた事を、とても嬉しく思う」

 

しかしそれもすぐに物案じるような表情に変わる。「本当ならゆっくり、再開の喜びを分かち合いたいところではあるんだけど……」と。

そして彼は続ける。

 

「早速ですまないけれども、本題に入るべきだろう。…………周知の通り、今の秋葉原は予断を許さない状況にある。ただ現在は、態勢を立て直す為か一時休戦といった状況のようだ。おまけに日も落ちかけているし、恐らく再開は早くとも明日の朝……少しばかり時間がある。そこで、だ━━」

 

「━━丁度良い機会かもしれないし、今の内に色々と話し合っておくべきかと思う。どうかな?」

 

ノブが提案に「異議無し」と肯定する。

 

「また戦闘が始まれば、話し合う時間も取れるか分からねぇしな」

 

と、そうして、話し合いが行なわれる運びとなった訳だが……

さて何から話したものか……ヤタベは顎をさすった。今後を話し合うとは言ったものの、いまいち漠然としている。

 

そこで、ふと思い立つナナシ。

 

(丁度良い、これを機に色々質問してみるのも悪くなさそうだ)

 

その方が話の進みだって早いかもしれない。

という事で、今訊きたい事を思い浮かべてみたナナシ。

 

これまでの流れは?

相手の目的は?

今の状況は?

そして、今後どうすればいいか?

 

思いついたのはそんな所だった。とりあえず、順にこれらを訊いていく事にした。

では早速まず一つ目、ということで━━

 

「━━じゃあ、これまでの流れを再確認したいんだけど」

 

……ノブが一瞬、面喰らっていた。……なんでだ?

その反応が不可解だったものの、けれどノブはすぐ得心がいった様に頷いた。

 

「あぁ。確かに今一度、全員で再確認した方が良いかもな。…………ナナシ、単純に忘れてるわけじゃないよな?」

 

どうやら、今までの顛末を忘却したのかと驚いたらしい。

……面食らってたのはそういう訳か。

ナナシが慌てて首を横に振って、傍らその様子を見たヤタベが笑いながらも、気を取り直して本題に取り掛かった。

 

「そうだね。おさらいになるけれども、今回美咲ちゃんも居る事だ。私も今一度、最初から話をするべきと思うよ」

 

一同は無言で頷き、ナナシは場の空気を察した。

……これは恐らくシリアスってやつだ。

 

(こういう時は黙ってた方が良さそうだ)

 

今は、調子に乗って下手な事は言いたくない。

……というのもナナシは、行く先で美咲から「真面目にして」と釘を刺されたばかりなのである。

 

今回は聞き手に徹しあくまで静かにしておこう。

彼は黙って、ヤタベの話に耳を傾けた……

 

 

 

 

「まず私達は、大師本製薬の霞会さんに依頼されて活動を始めたんだったね。頼みの内容としては~……」

 

言葉詰まると、すかさずノブが付け足した。

 

「秋葉原で暴れている妙な連中の調査と、その撃退。だっけ」

 

「そうそう。それで我々は動き出した訳だけど、思った以上に厄介な事態になった。…………具体的に言おう。一つは暴れている者達の中に"紛い者"という存在が居た事。二つ目は私達と同じ自警団メンバーだったヒロ君が、その暴れている側へ加担してしまった事だ」

 

……厄介な点として挙げられた"紛い者"という存在。

カゲヤシ以上の身体能力を持ち、それも"次世代のカゲヤシ"……とまで言わしめるその力。

それは、ナナシでさえも苦戦を強いられるものだった。

 

第二に、ヒロの離反。

ナナシの親友であり自警団の一員だった彼が、言わば敵側についてしまった事……それは自警団メンバーを驚かせ、また同時に頭を悩ませた。

離反という事実は、自警団の情報を暴露される恐れも生じさせてしまったのだから。

 

「結果として私達は、こうして移動までも余儀なくされた……という事ですね」

 

サラが、アジトの広い空間を見渡しながら言った。

 

その言葉を受けたメンバーは、思い思いの反応を示した。

施設を仰ぎながら感慨深そうにする者。

やれやれ、そんな具合に辟易する者……

そして、悲しそうに瞳を伏せる者も。

 

反応は様々だが、ここへ戻って来た事にそれぞれ思う所がある。

 

何せこの場を使うのは、かつての秋葉原防衛戦で使った時以来。

皆"あの時"へ思い馳せている。話が止んだのはそのせいだろう。

 

今回この場へ移動した理由は、ヒロが旧秘密基地の所在を知っているからだ。

であれば、直接攻め込まれる危険も考えられた。それを回避する為の移動……

この新しいアジトなら、ヒロにも所在を知られてはいない。こうして集うには、この場がひとまずは安全なのだ。

 

会話はしばし停滞していたものの、やがてノブが再開させた。

 

「ま、それで今に至るって訳だ。おさらいとしてはこんなもんか? ナナシ的にはどうよ」

 

つまり今の説明で不足はあるかな? という事だが、ナナシへそう問うてきたのは、元々彼から"再確認したい"と提案したからであろう。

ナナシは「十分理解した」と頷きつつ、

 

「だけど、他にも話し合いたい事は色々ある。例えば……"相手の目的"とか」

 

 

━━そう二つ目の質問、"相手の目的"だ。

 

「相手……なぁ。結局いまいち良く分からないよな、それ」

 

「それについては、私が多少は……」

 

「美咲ちゃん、知っているのかい?」

 

「全てを知ってる訳ではないんですけど……」

 

と、美咲は今まで知り得て来た事を全て話していった。

相手が元NIROエージェントである事、坂口の存在、それに対する瀬嶋の行動。そしてついでに、自身がそれに関わった成り行きも。

……ただ、高額バイトに釣られた事だけは言えないが。口が裂けてもだ。

 

ともあれ大方は喋り終えた。

それにヤタベが礼をしつつ、彼女の災難を気の毒と案じたのだろうか、「……美咲ちゃんも随分大変だったようだね」と労わる。

……元々は高額バイトに釣られたんだけど、と思うのは美咲。

 

傍らノブは「しっかし、相手の黒服が本当に元NIROとはなあ」と嘆く。

 

「━━最初見た時から、NIROのエージェントと妙に似てる……ってか、寧ろ全く同じじゃないかとは思ったけどな」

 

ヤタベも、未だ信じられない様子で首を捻った。

 

「まさか本当にそうだとは思わないよねぇ。元NIROの人員が再び集められたなんていうのは…………とはいえ、政府がまたNIROを復活させたとも思えないんだけど」

 

「ま、"NIROが解体される"ってのは、前に御堂さんが言っていた事だ。それは事実のはずだし。国の奴らも、解体してから連中を雇い直すなんて真似はしないだろ……カゲヤシ狩り組織がまだ必要だったなら、わざわざ解体なんてせずに存続させてるはずだ」

 

そこまで言って、「いやあるいは……そうか!」

気付きを得た様にノブの目の色が変わり、

 

「かつての俺達がそうだったように、表向きは解散、裏で再結成というパターンじゃないのか!? ……NIROは秋葉原で派手に暴れすぎた。その責任を取って表向きは解散、だが裏でカゲヤシ狩りの計画は依然進行していた……そして再結成という事なら辻褄も合う!」

 

彼は興奮まじりに主張するのだが……けれども、朗らかに笑うヤタベにいなされてしまう。

 

「私らにはそんな時があったねぇ。しかし、NIROが解体された理由は秋葉原での騒ぎの件もあるけれど、加えて出資者が亡くなった事の部分が大きいという話だったはずだ。それならば、やはり組織をもう一度立ち上げるのは難しいんじゃないかなぁ」

 

(……やべぇ、そういや出資者が亡くなった話すっかり忘れてた)

 

硬直したノブを置いておきつつ、しかしそれでは腑に落ちない点もあるとサラが言う。

 

「仮にこの件へ国が関わっていないとすればですが。その現状で警察があまり動いていないというのは……大きな疑問です」

 

サラの呈した疑問に、ノブはますます思考がこんがらがったやら、頭を抱えてしまった。

 

「確かにそこだよな。くそ、不可解な点が多すぎるんだよな……」

 

「うむむ、そうだよねぇ。……ええと、美咲ちゃん、訊いても良いかな?」

 

「は、はい! 大丈夫ですけど」

 

「……確か美咲ちゃんの話しでは、相手はエージェントだけど、カゲヤシ狩りが目的では無い……って事だったよね」

 

「……それは、はい。目的はカゲヤシ狩りじゃない、って確かに言っていたから。"新しいカゲヤシの技術を手に入れたい"んだって。それが嘘か本当かまでは、分からないですけど……」

 

「技術を手に入れて、か。……そいつが何者かは分からないんだっけか?」

 

ノブの問いにしばらくは「え~っと、色々あって」と口を濁していたものの、改めて言葉を進めた。 

 

「そのぉ、結論から言うとその人が何者なのか、そこまでは分からなくて。捕まえようとしたんだけど、逃げられちゃったんですよね~……確か坂口とか言ってたけど」

 

「ごめんなさい」……髪をくりくりと指で弄びながら、えへへと苦笑う。

美咲の発言に合わせて瑠衣も「私も公園で姿だけは見たけど、それ以外は……」そう言うに留まり、ノブはうぅむと唸るばかり。

 

 

 

 

……そして、丁度その時だった!

ハイヒールの音と共に、堂々とその場に現れたのは霞会志遠。かの女社長だった。

仁王立ちの後、「話は聞かせてもらったわッ!」━━広い空間に快活な声が響いた。

 

「坂口ってそれウチの専務ね! ほんと信じられない!」

 

口々に志遠さん!? と驚きの声が上がり、「えっ?!」と彼女も驚いた。

「いけね、また門閉めるの忘れてた」と爽やかに笑うノブ。

 

「っつーか、まさかあの時ペコペコしてたおっさんがか? 信じられねー……」

 

改めてノブが坂口の件に触れると、……本当よ、と志遠は重い表情で頷いた。

 

「自警団の皆さんに全て任せっきりじゃあ悪いから、私も色々調べてて……ウチの坂口が悪さしてるのは間違いないわ。私の所の社員が襲われてたのも、そういう事かって感じ」

 

「と、言いますと?」

 

「恐らく彼は勤めている大師本製薬に不満を持っていて、そして野心も秘めていた。……そこで偶然目に付いたのがカゲヤシの技術。それを手に入れて利用すれば、今居るこの会社なんて目じゃない……そう思ったはずよ」

 

それで、妨害目的で社員に対する嫌がらせもしていたんじゃないか、と。彼女の言う通りだとすればなんとも陰湿だが……

 

「なるほどなぁ。とはいえ今の会社を捨てるとは、思い切った行動に出たな」

 

「そうね……だからこそ、確実な儲けの保証もなく見切り発車をするとは思えない。これは私の予想だけど、恐らく、坂口に出資している者が別で存在する。でないとそもそもの活動資金だって馬鹿にならないじゃない?」

 

そこで、「……すみませんが、質問よろしいでしょうか?」とサラが切り出す。

どうやら彼女の中で引っ掛かるものがあったらしく、タイミングを伺っていたようだった。

「美咲さんにお聞きしたい事が」と彼女は神妙な顔をして言った。

 

「"新しいカゲヤシの技術"というものの、具体的な内容を聞かせて頂けますか」

 

「それは……」

 

美咲の言葉が途切れた。サラの真剣な表情に気圧されたのだろうか、けれどすぐに再び喋り始める。

 

「今は秋葉原の地下に眠っているんだって、力説してたんです。地下に研究所があるから、だからそれを手に入れてやるって。……でもそれ都市伝説らしくて。私には信じられなかったけど、その人は本気みたいで~……」

 

ノブは興味深そうに、「へぇ、都市伝説ね」と溜め息混じりに呟く。

 

「ヒロでも居てくれたらすぐ分かったんだけどな。……よし」

 

ちょっと待っててくれ、という一言から、彼は部屋の隅に置いてあったノートPCを持ち出して……どかりとあぐらをかくと、キーボード上の指を走らせていった。

間もなく彼の言葉が返ってきた。

 

「━━おっ、あったぞ! これか? "秋葉原駅周辺に、戦前からの地下構造物の都市伝説"」

 

ノブの手招きに誘われて、皆が彼の横から後ろから、PCの画面を覗き込む。

個人で運営しているサイトだろうか、"都市伝説全集!" と謳われるそこには確かに、言った通りのものが書かれているが……

 

「……秋葉原駅かい? とはいえ、駅にあったら気付かれそうなものだけどねぇ」

 

画面を見つめながらヤタベは顎をさする。けれど、所詮都市伝説と無視は出来ない。

この秋葉原で囁かれる都市伝説の数々……それが時として事実である例は、決して少なく無いのだから。

 

美男美女のオタク狩り。血を吸う人ならぬ者の噂。痴女が童貞を襲うアレは……どうだったかな。……ともかく本当なものも少なくない、PCをぱたりと閉じたノブは、腕を組んで考えを巡らせた。

 

「カゲヤシの技術が眠る研究所、と来れば怪しいのは当然NIROが出てくるが……元NIROの人員を囲ってるなら、とっくに見つけていてもおかしく無いはずだけどな。そこらへんはやっぱ、御堂さんに聞くしかねぇか」

 

「その研究所、実在するのかがそもそも怪しい所です」とサラ。

確かに眉唾な話ではある、とノブは言いつつも、

 

「もしその地下研究所が政府の手によるものであれば、って仮定だが、それだったら研究所を隠す為に政府が手をまわして、駅を建てた……とかか?」

 

「どうでしょう。余計に人の目が多くなってしまう気もしますが」

 

「……だよな。何にせよ、未だに探してるからには存在する確信があるはずさ……ま、"駅周辺"って所がミソかもな。あくまで周辺だから、実際は駅より少し離れた場所にって可能性はあるだろ? まあ都市伝説、その辺の細かいところも怪しい部分ではあるよな!」

 

ノブは陽気に笑っていたものの、

 

「結局は分からない、という事ですね」

 

サラの無慈悲な切り捨てに「まぁ要約するとそうなるな……」と凍りつく。

 

……今更だがノブって熱く語るか、凍って固まるかのどっちかなのだろうか。

極端だなとナナシは思いつつ、彼の為にも話題を変えることにした。

 

━━三つ目の質問、"今の状況"についてである。

 

ノブは我に返ってナナシを見た。

 

「……ん? ああ、今の状況か。んじゃ話を戻さしてもらうけど。いわば新生NIROとも言える部隊がアキバに出てきた訳だろ? かと思えばあの瀬嶋が出てきて掻き乱した結果、その新生NIROも早々に分裂、組織は二分した━━」

 

「━━簡単に言っちまえば坂口派と瀬嶋派に。確か瑠衣ちゃんの話じゃそうだったよな?」

 

ノブが瑠衣の方を見やると、彼女は静かに頷いた。

 

「……そうなると瀬嶋の方も気になるよな、また妖主を狙ってるのか、とかさ。ともかく、今アキバじゃエージェント同士が睨み合ってる。目まぐるしいにも程があるが、何にせよ厄介だな……」

 

ノブは少し考え込む様な仕草を見せてから、一拍して再び喋りだした。

 

「で、だ。どちらの派閥も、収拾をつける為に一旦その場では互いに矛を収めた。態勢を立て直してから改めて活動ってとこかね」

 

「恐らくはね。私らとしては、今の内に対策を練っておきたい所な訳だけど……正直現状だと分からない事だらけでねぇ」

 

あははは、とヤタベにつられてノブもしばらく笑っていたものの、

 

「…………お二人方」

 

嘆息と共に放たれたサラの叱責に、二人揃ってがっくりとうな垂れた。

……もはやお約束の光景を経た後、ナナシによって話は最後の議題へ移った。

 

つまり、今後どうすれば良いか、である。

 

 

 

 

「形としては"あの頃"と同じ三つ巴だよな。ただ、俺らには以前と違ってカゲヤシのバックがある。戦おうと思えばそこそこいけそうじゃないか」

 

先程サラに叱責されたのもどこへやら、すっかり立ち直ったノブに対して、ゴンは不安を口にした。

 

「け、けど相手には紛い者が沢山居るはずで……。相手にはヒロ君も、それにあの瀬嶋って人も居るから……」

 

「そこは……なぁ」

 

一転、饒舌だった様子から口ごもる。

 

ヒロは取り巻く状況のややこしさもさる事ながら、実力もあのナナシをして"あれ程速い脱衣は見た事が無い"と言わせるまでの神業。

瀬嶋も、あの優でさえ軽くいなす指折りの実力者……おまけに今では、妖主の血をその身に宿している。

 

それから紛い者の強力さは言うに及ばず、更にその中でも秀でた実力を持つ者が存在する。それは美咲を襲っていた女しかり、それに美咲の話にあった紛い者の"オリジナル"、天羽禅夜という男の存在もだ。

 

それぞれの陣営にトップクラスのカゲヤシである瀬嶋とヒロ、そして紛い者の安倍野藍と天羽禅夜。

こちらにもナナシ、そして紛い者の美咲も居るのだが、やはり戦いは厳しいものになるだろう。そこでノブが提案した。

 

「……どうする? また前みたいにネットで募って、他の人達の手を借りるか? それで上手くいけば━━」

 

しかし、

 

「駄目よ!」

 

突如として声を荒げたのは、それまで静聴していた志遠だった。

彼女の初めて見る一面に、ノブは意外そうな顔で志遠を見た。

 

「……初めに会った時も言ったけれど、事態が大きくなる事は望まないはずでしょう?」

 

彼女は先程と打って変わり、落ち着いた様子で説くものの……しかしそれに満場一致で納得という空気でもない。

━━既に街は大騒ぎとも言える状態だ。ナナシとしても、ここで協力を仰ごうがそうでなかろうが、どの道事態の拡大は防げないようにも思えた。

 

そして反論したのは、以外にもそれまで口数の少なかったゴンだった。

 

「で、でも。ネットじゃあ"またあの事件の再来か"、なんて言われているし、このままじゃ秋葉原が……」

 

続いて「そうそう」と口を合わせるノブ。

 

「それに俺達は一度、その方法で上手くやれた経験があるしな」

 

「一度は上手くって……以前にそれをやったの!? 無茶な事をするわねぇ」

 

呆気に取られたのだろうか、志遠は目を丸くして息を吐いた。

……社長も結構無茶な所ある気がするけど。しかし彼女が驚くのも無理はないとナナシは納得できた。

かつて住民との協力を提案したのは何を隠そうナナシ自身であったが、あの当時もいちかばちかの起死回生、無茶な行いだったには違いないからだ。

 

志遠は「秋葉原は秋葉原の人間で守る、それは心情としてとても分かる事だわ」と理解は示した。

しかし、「それでも」と続ける。

 

「以前の相手とは違うわ、多くの紛い者が居る。もはや一般人が介入してどうにかなる問題じゃない……むしろ、余計に被害を増やす事にもなりかねない。今考えるべきは、私達の手でいかに素早く終結させるか、だと思うの」

 

"私達の手で"と言うが、実質それが指すのはカゲヤシであるナナシ達の事であろう。

人間であるゴンや他の自警団員が戦力のカウントに含まれていない事は、言われずとも察する事が出来た。

 

ゴンはそれが悔しかった。

同じアキバが好きな者だ、それは何も変わらないはず。人間だからと言って、何もせずに傍観など耐えられなかった。

 

だからこそ、いの一番にゴンは志遠へ反論して食い下がったのだが……

「確かにな」とノブの呟きが聞こえてきた。ゴンは、そちらへ不思議そうに振り向いた。

 

「……ノブくん?」

 

「有志に協力を募って住民全員で守ろうなんてのは、聞こえは良いが結局は苦肉の策だったじゃないか」

 

「それは……」

 

「あの時はそうせざるを得ない事情があった。アキバの被害を抑えようにも、自警団だけじゃ人手が無い……アキバに来る大勢の人を退避させる、なんてのも現実的じゃない。なら全員で戦ってやれ、そういう経緯さ。けどさ、今は瑠衣ちゃんの仲間だってついてる。それでも苦戦するかもしれないが、かといって今回は人間が出て行ったところでな」

 

「それは……そうかも、しれないけど」

 

「残念だけれどノブ君の言う通りだわ。以前はそれで上手く収まったからといって、次も成功するという保証にはならないもの」

 

人間が力になろうと息を巻いても、却って迷惑が掛かるだけか……ナナシ達の華々しい活躍とは程遠いと、ゴンはがくりと肩を落とした。

そんな様子を気遣ってか、ヤタベが言った。

 

「そう落ち込まずとも、僕らに全く役割が無いという訳じゃないよ。ちょっとしたサポートなら僕達でもいけるはずさ」

 

「メイドの教え子達にも、また逐一情報を伝えるようにと私から言っておきましょう」

 

「頑張ろうぜ。ピンチには違いないがやれるはずさ」

 

ノブのそれは、自分達に言い聞かせる意味もあっただろう。事態はどう転ぶのか……明確な答えなどない。

 

「きっと坂口は早く事を済ませたがっているはずだわ。今日なんて目立つ事も気にしないで、あんなに大量の人員を動かしてた位ですもの。きっとご執心の研究所が見つからないせいで、相当焦っているんじゃないかしら」

 

ヤタベも志遠に頷きつつ「瀬嶋という男も、早期に決着をつけたがっているはずだ」と付け加えた。

何しろ大量の人員を長期間動かすには、相応の資金が必要になるのだから、と。

 

(すぐに動きはある……か)

 

ふと、ナナシは瑠衣の事が心配になった。以前の様に気負いすぎているのではないかと……思えば、この会議の最中口数も少なかった。

 

「瑠衣。辛いだろうけど……やるしかない」

 

「……ナナシ? ありがとう。ううん、でも辛く無いよ。皆がいるから」

 

(もうなんかナチュラルにいい子すぎて、逆に心配になってくる……)

 

「それよりナナシこそ、元気が無いのかなって心配だったよ?」

 

「いや元気しか無いが。なんでだ?」

 

「えっと……そう? なんだか口数が少なかったから」

 

「ああ、あれ? 会議の邪魔にならない様にしてただけだぞ」

 

言うと、突然口を押さえてくすくすと笑い出した瑠衣。

 

「ふふ、そうなんだ。ナナシって私と似ているね。私もその……あんまり話を遮ったらダメかなって思ってた」

 

「なんだ、それで瑠衣も静かだったのか……そういう気配り出来る優しさが素敵です」

 

(……対して俺が口閉じてたのは、単に妹が恐かっただけです)

 

「ナナシ……」

 

「おう」

 

「……面と向かって言われると、少し恥ずかしい」

 

「あ……すまん」

 

困り顔でナナシは頭を掻いた。それにしても今度は赤くなったり、本当に表情豊かな子だなあと思う。初対面の時よりもそれが随分顕著に……

と、ナナシは急に殺気を感じた。

美咲だ。やばいと悟ったナナシは、早急に話を本題へ戻した。

 

「と、とにかく! すぐに動きはあるだろうな……」

 

「……うん。それに、時間に余裕が無いのは私達も変わらない。この街で、戦いを長引かせるわけにはいかないから」

 

「だから、一緒に頑張ろう」と瑠衣が微笑みかけ、ナナシは頷いた。

三つ巴の戦い、衝突の時は刻一刻と迫っている!



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17.今までと、そしてこれから

夜空を眺めると自然とほっとした。

襲われてもリスクが少ないというのもあるし、何より肌がジリジリとしないのが快適だった。慣れ親しむアキバの街並みを歩きながら、すっかり吸血鬼が板についてしまったとナナシは思う。

もう過去の自分――己が人間で、"カゲヤシ"という存在などまだ知りもしなかった頃が――遠い過去に思えた。今となっては懐かしいとさえ感じる程に……

 

今更こんな事を考えさせられるのは、あの頃使って以来だった第二秘密基地に再び戻ったからだろうか。

 

("俺達の街"……か)

 

今となってはあの場所もがらんどうだが、かつては広い空間が人々で埋め尽くされ、団結し、一丸となった。あの時だけは窮屈で暑苦しささえ覚えた場所だ。

再び戻ってきたとはいえ、あの独特のお祭り騒ぎとでも言うか……良くも悪くもそんな感覚に襲われた当時と現在では、また毛色が変わった。

 

過去の思い出に目を細めていたところ、不思議そうに自分を見る瑠衣にはっとした。

ナナシは個人的な用事を済ませる為に秋葉原駅前へ向かっているのだが、それに瑠衣もこっそり同行している。折角の二人きりなのだが、ところ状況構わず不意にぼやっとしてしまうのがナナシの悪い癖だった。

 

「あ……すまん。ちょっと昔の事を」

 

「……昔?」

 

「まだカゲヤシと人間が争っていた頃の事。色々懐かしくて」

 

「……あの頃かぁ、キミには色々と助けられちゃったね。今こうして懐かしいって思えるのも、ナナシが助けてくれたお陰だし。……うん。本当に、色々と感謝してる」

 

「いや単に俺が……俺達が放っておけなかっただけさ。だから大した事をしたつもりもない。俺は瑠衣の境遇を話でしか知り得なかったけど、それでも辛い思いをしてきたのは分かった。だから助けたいと思った、ってそれだけの話だ」

 

「ううん、感謝してもし足りない位だよ。それに私は最初、エージェントになって狩りに来たんじゃないかって勘違いしてたから、キミには嫌な思いもさせたと思う。それにあの頃は周りに隙を見せてはダメだって思ってて、少しピリピリもしてたし。それでも嫌な顔一つせず助けてくれたんだから」

 

「……そうだったのか? 確かにそう言われればそんな気もするけど」

 

「うん。……ってアレ、気付いてなかったの? むしろ私は意識的にそうしていた。自分の立場がそうさせたんだと思う……。兄弟の仲は悪いし、末端は私に付き従う。それから常にNIROには狙われている。毎日がそうで、いつも気を緩められなかった」

 

「――でもさ、キミと会う時は違ったんだけどね。不思議と緊張が解けたっていうか……気がついたら自然体で話せてたというか……こう、こういうのってなんて言うんだろ?」

 

「……波長が合うとか?」

 

「かな? そう、だからキミは私の中で特別な――」

 

と、思わぬ言葉にナナシは驚愕した。

特別、特別? 特別……!?

脳内で単語が渦巻いていた所で、瑠衣が頬を赤くしながら慌てて訂正した。

 

「――あっ! ううん、えぇっと、とく、特殊な……人なんだと思う」

 

(特殊!? 大分意味が変わってるんだけど……)

 

という事で今度は"特殊"が頭を駆け巡るのだが、どう好意的に解釈しようとしても疑問しか浮かばない。

 

「そ、そうか。それは嬉しい…………のか?」

 

自分の台詞に我ながら首を捻っていると、傍らの瑠衣は不意に立ち止まっていた。

彼女の視線の先にあったものは、前にUD+で目にしたあのクリスマスツリーだ。以前と違い電飾も光り輝いている。

眩いライトアップがとても華やかで……だが瑠衣はその光景に感動するというより、どこか切なげに見えた。

 

「……ねぇ、ナナシ。……そういえばあのツリー、今日までだね」

 

「……悪い。クリスマスなのに」

 

ナナシは彼女の様子のそれが酷く胸に来て、申し訳なさそうに頭を垂れて言うのだが、瑠衣は「ううん」と首を横に振るった。

 

「ナナシのせいじゃないよ。それに私こそ、色々謝りたいって思うし……」

 

「謝りたい事?」

 

「うん。なんていうかその、最近……ナナシに色々と迷惑掛けちゃってると思う。私がどうしたいのか、どうすれば良いのか……自分にも分からない様な、その迷いのせいで」

 

「何言ってんだよ。そんな事ないし、悩みなら幾らでも聞くし。とにかく今まで通りの瑠衣で良いと思うが」

 

「……ナナシは……ナナシはそれで良いの?」

 

「え?」

 

真剣な眼差しに思わず呆気に取られたナナシは、「あ、あぁ」と気の抜けた返事で応じた。

すると彼女は一転ほっとして、

 

「そっか……うん。そうだよね」

 

と、彼女なりにどうやら納得がいった様だった。

厄介な事が重なっていたし気疲れしていたのかもしれない。ならこうして出歩く事が少しでもリフレッシュになっていれば良いのだが、とナナシは思いつつ……

とはいえ情勢が情勢だ。正直、瑠衣を出歩かせるのが結構なリスクと分かってはいる。既に陽は落ちている事、エージェント同士の衝突から互いに一旦手を引いた事を考慮に入れても、秋葉原の各要所には最低限の人員も配置されているだろう。

それでもナナシが居れば大丈夫だろうと二人をそっと行かせた、ノブの気配りには感謝しなければならない。

今頃サラさんの質問攻めにあっているかもしれないと思うと中々気の毒だし、かくいうナナシ自身、帰ったら何を言われるんだかと思うと気が気ではなかったが。

 

 

 

 

秋葉原駅前に到着した二人は周囲を念入りに警戒しながら、お目当ての洋服屋に立ち入った。とはいえ、傍からは洋服屋だという認識どころか、ここが店舗とすらも気付かない様な建物だ。

裏口から入り先頭を行くナナシこそ慣れているが、瑠衣が想像していた一般的な服屋のそれとはかけ離れていて、彼女は物珍しそうに店内を眺めていた。

というのもまだこの店は開店準備中。今は在庫を整理している途中でシャッターも閉まっているのだが、ナナシだけは特別で、事前の連絡一つで入る事が出来た。

 

「お店っていうより倉庫みたい……ここって洋服屋さんだったんだね。閉まっているから分からなかったけど」

 

「色々と事情があるようで、今の所はネット販売しかやってないらしい」

 

二人が服の積まれた商品棚の迷路を潜り抜けていると、今度はその棚に入りきらなかったのであろう雑多に山盛りされた洋服が迎える。

 

「ったく、もう少し整理しとけよな」

 

掻き分ける様に奥へ進む最中、押し退けられた衣類の中で瑠衣の目につくものがあった。

 

「え、これって……姉さんの……?」

 

手に取ったものは、自身の姉がアイドル活動中に着ている衣装そのもの。

……しかしおかしい。

姉が着ているあの衣装は正真証明一点モノ。ファン向けに販売などしていないし、着ている者など姉の他に見たこともない。と、そこで先を行っていたナナシが、迷路の曲がり角から顔を覗かせた。

 

「ん、そうそう」

 

拍子抜けするほど軽い一言だった。

自身とはギャップのありすぎる反応に、瑠衣はますます首を捻る。

 

「やっぱり? これって姉さんが見たら……この服がどうしてここに……?」

 

瑠衣はダブプリが着ているものと同じアイドル服、その上着を一枚手に取ってまじまじと見ていた。

その表情は複雑だ。

 

「まぁ本人には言えないな」と、隣に立ったナナシが苦い口調で話し始めた。

 

「……ここの店長に、洋服屋の再建を手伝って欲しいって頼まれた事があった。その時から俺が洋服を持ち寄る様になってさ。当時は脱がした服の処分にも困ってたし、助けになるならと思って。だからここにある洋服の殆ど、自分が脱がしてきたものなんだが――」

 

それは良かれと思ってやった事なのだが、ある時ナナシは気付いてしまう。

持ち寄った服が増殖していたのだ。

日常で着る服なら気付かなかったかもしれない。しかし彼は多種多様な服を脱がしてきて、その中には世に中々出回らず入手困難なものもあった。ITウィッチまりあのコスプレ衣装なんかがそうだったし、まぁ、それは百歩譲って店主が仕入れたと無理矢理解釈もできたが、決定的な出来事があった。

 

それが今瑠衣が手にしているダブプリの服だった。これが何セットにも増えていた。ナナシの知る限り世には流通していないので、どう考えても店主が複製しているとしか思えないのだ。

その瞬間のナナシの戦慄たるや……、というわけである。

 

「姉さんの服がここにあるって……いいのかな」

 

「……それは」

 

ナナシは口詰まってしまう。

 

「そうだ! こんな事している場合じゃない! 先行くぞ!」

 

と、強引に話題を切って、瑠衣の手を引っ張った矢先だった。

 

「あ、どうも」

 

真横にあった一際大き衣類の山からもぐらの様に出てきたのが、何を隠そうここの店主であった。

ナナシは断末魔的な叫びを上げながら仰け反って、そのまま反対側の山に背中から突っ込んだ。

 

「ナナシ……大丈夫?」

 

瑠衣は特に驚いていないようで、それよりも服に埋まるナナシの心配をしていた。

 

「いやーすまん……」

 

ナナシは照れたようにへらへら笑いつつ、ちらと店主の方を見た。ナナシは身体に被さった服も構わずその両肩へ掴みかかった。

 

「驚かすなよ!」

 

「心外ですね。驚かせたつもりはありません」

 

ナナシは逃れるように「それよりだ」と話題を変えた。

 

「頼みたい事があって来た」

 

「頼みたいこと?」店主が首を傾げる。

 

ナナシの用件を掻い摘んで言えば"今着ているこの服をもっと強靭にしたい"というもの。それを説明すると店主はなるほど、と唸る。

 

「自分に生み出せない服は無いという自負はありますよ。ただ、その服は……」

 

「既にケブラー繊維で強化しまくってある。けど念の為それ以上が欲しい」

 

「さすがにそれ以上となると。それこそゴツゴツの防護服でも仕立てれば実現できるのでしょうが、そういう話でもないんでしょう?」

 

「だな、あまり動き辛そうなのは勘弁して欲しい。それにできれば目立ちたくないしこの私服のままで……無理か」

 

店主はいいえ、とナナシを制止した。

 

「考えてはみます。恩がありますから。追ってご連絡しますよ」

 

「マジか! ありがとう、頼む!」

 

「良かったねナナシ」

 

「おう! 後は~……いや、なんでもない」

 

「どうしたの?」

 

「ああすまん、本当になんでもない……」

 

(ついでに瑠衣に色々着せてみたいとか思ったが、そんな余裕は無いか流石に……)

 

 

 

 

服屋を後にした二人が次に向かったのは、裏通りにひっそり構える5階建ての古い建物だった。

両隣の大きな店舗に今にも押し潰されそうな印象を受けるそこは、様々な模造刀を扱っているという噂の武器屋。なんでもあるを体言した街アキバで、名所の一つにも数えられる有名な店である。

 

狭い急階段を上りきって店の入り口を潜った矢先、武器屋の名に違わず数多くの刀剣が並んで出迎えた。  

外から見た建物の印象に違わない限られたスペースだが、棚と壁に飾られた武器のおかげで益々窮屈だった。

壮観に圧倒された瑠衣は目を丸くする。 

 

「ここが武器屋?」

 

「そう。これは全部切れない刃だから、安全で誰でも入れるお店だよ」

 

「そうなんだ……私、この街についてもまだまだ知らない事だらけだね」

 

ここには"ひのきのぼう"なんていうどこかで聞いたような代物もあるし、ぐにゃぐにゃと蛇の様に波打った刀身の剣(ナナシの目にはわかめにしか見えない)だとか、これは本当に安全なのか? と問いたくなるトゲ付きのエグい鉄球なんかもある。(こっちはモーニングスターと札に書かれているが、新手のアイドルグループにしか思えない)

といった具合にナナシの感想はともかく、そのレパートリーは広かった。

 

「でもさナナシ、これって誰がどういう理由で買っていくんだろう?」

 

屈みながら眺める瑠衣が訪ねると、ナナシは吠えた。

 

「いいや瑠衣、これは理由とかじゃないんだ。理屈じゃない!」

 

「理屈じゃない!?」

 

「男子っていうのはどこかで闘争を求めているものだ」

 

「闘争……兄さんみたいな?」

 

「う~ん……彼はまぁ……彼として」

 

「どういう事?」

 

「とにかく! 人によって形違えど、ヒーローだったりメカだったり……闘う何かに憧れるものさ。女子がおままごとやっている中、木の枝やなんかで闘う様な生き物なんだ。だから意味もなくお土産で木刀を買ったりもする! つまりは生まれながらに武闘派なんだ」

 

良く分からないと言いたげに数秒首を傾げてから、瑠衣は言った。

 

「でもナナシは穏健派だった」

 

「それはそれだ」

 

「やっぱり良く分からないなぁ」と瑠衣は呟いたきり商品を眺めていたのだが、しばらくして突拍子もなくクスクスと笑い始めた。

 

「なぜ笑うんだ!?」と問い詰めると「キミだって笑ってる」と返されて、そこで初めてナナシはニヤついている己を認識した。自分の事ではあるがキメェ、と思った。

 

「……なんだか、こんな時間がずっと続けば良いのにって思っちゃった」

 

「ぁ、ああそうだな……」

 

はにかむ瑠衣を見て何故か自分まで照れ臭くなってきたナナシは、意味も無くスマートフォンを取り出した。

 

「あ、メールだ」

 

メールの主であるノブからは"上手く行ってんのか?"という文面。

 

(あいつめ……)

 

恥ずかしさの追い討ちを掛けられた様な気分で、ナナシは思わず唇を噛んだ。

 

「メール? もしかして心配されてる?」

 

「まぁそんな感じ……もう早く行った方が良いわこれ!」

 

 

 

 

 

 

本来の目的を果たすべく二人はカウンターへ向かった。

何故なら気恥ずかしさで居ても立ってもいられなくなった。……それもあるが、今は戦いを間近に控えているのも事実。あまり道草を食うのもマズイだろう。

 

聞く所によれば、顔見知りの常連客はオーダーメイドで商品を打ってもらうだとか、はたまた持ち寄った真剣を鍛えてもらうだとか――そんな裏のサービスがある、なんて専らの噂だった。なんでも元々は腕に覚えのある刀工が趣味で店を開いたのだという。

その裏サービスが本来の目的だ。

 

……とはいえ、単なる都市伝説の可能性もある。

真偽を確かめるべく奥へ向かったナナシだが、それを待ち構える様に一人の老人がカウンターで腕を組んでいた。バンダナにサングラス姿のちょっと威圧的な風貌で、いかにも気難しそうである。

 

「まさか出待ちされているとは……暇なのか?」

 

「違う!! お前らがうるさいから裏から出て来たんだ!」

 

老いを感じさせぬ声量にじいさんも大概だぞと思うナナシだが、冷やかし扱いされる前に剣の強化を依頼しに来た旨を伝えた。

噂は本当らしく、拒まれることは無かった。ふくれ面を変えず「見せてみろ」と言う老店主に、早速"えくすかりばー"を手渡す。

老人はサングラスを額へ上げ、目を丸くして、目の前のカウンターへ置かれた剣をまじまじと眺めた。伝説の聖剣、と聞いているナナシは鼻を高くして待っている。

 

「まっ、じいさんは鑑定人じゃないから分からんだろうが……」

 

「ナナシ。失礼だよ」

 

「ごめんなさい」

 

老人は二人のやりとりなど意に介さず。老人はしばらく光を放つ刃を凝視していたものの、確信を得たように、静かに言葉を漏らした。

 

「こいつはまだ若かった頃に自ら打った剣だ。かなりガタは来ているが間違い無い! 小僧これをどこで……?」

 

「え? え~っと、友人から譲ってもらったというか……うん。しかし伝説の剣と思ってたら、じいさんがつくった趣味の品とは……なるほどそれなら切れないのも、複数あるのも納得だ」

 

露骨にがっかりしていると、人聞きの悪い事を言うな、と老人は憤慨した。

 

「私は常々、現代の技術で至高の剣を造りたいと思っとった。そこで完成したのが、マルエージングの芯にβチタンを張り━━」

 

「あ~良く分からんけど……普通じゃないという事は分かった」

 

「とにかくだ。こいつは疑いようも無く最高の剛剣。エクスカリバー……ハッタリだが、最高の剣に頂く名として悪くないだろうよ。だからこそ商品として創ったモノではない。一振り限りの渾身の作品だった……」

 

「一振り? いやそんなハズは……。まぁいいや、何にせよなら話は早いな。じいさん、こいつを打ち直してくれないか? もっとリーチが欲しいんだけど、倍ぐらいは。大急ぎで頼む。明日とか……」

 

ナナシの要求に「馴れ馴れしい奴め」と老人は首を左右に振るった後、

 

「それもだ、打ち直せだと?」

 

……老人がサングラス越しにも、ぎろりと睨みつけているのが分かった。しわくちゃな顔に一層しわを寄せ、忌々しそうな表情で「無理だな」と一蹴してしまう。

そこをなんとか、と食い下がるナナシと共に、瑠衣もぺこりと頭を下げた。

 

「おじいさん、私からもお願いします」

 

老人はしばし考え込んで、おもむろに電卓を手に取った。

 

「ふむ……娘にまでそう言われちゃ弱いがな」

 

(こ、このじいさん瑠衣なら良いってのか……!? このスケベジジイがぁ!)

 

「ならば大急ぎ特別料金コース……これでやってやろう!」

 

さながら紋所の様に掲げられた電卓を、ナナシはまじまじと見た。

 

━━\1,000,000━━

 

「え~っと、ジンバブエドルかな?」

 

「な訳あるか! 日本円で持って来い馬鹿!」

 

じいさんはカウンターに身を乗り出して叫ぶが、ナナシも負けじと乗り込んだ。

 

「高ぇよ!? 払えるか!」

 

……無駄に金を持っていた頃のナナシでもこれは払えるかというと厳しい。しかも今に至っては、分相応な持ち合わせしかないというのに。

経費を入れたって、いくらなんでも法外な値段に思えた。

ただでさえ有り金の殆どを寄付したナナシには、とてもじゃないが無理な額。だが、だからといって易々と引き下がる訳にもいかない……

暫くカウンター越しに睨み合う二人だったが、先に老人が下がりナナシも引っ込んだ。

ナナシは身の置き所にしばし困るが、財布からあるだけの資金を提示した。

 

「今はこれで全財産」

 

と言ってカウンターに置いたのは諭吉五枚。5万円である。けれども、勿論店主は首を縦に振らない。

 

「たったそれでは足りんな」

 

「たった? あんたの目は節穴か?」

 

「何……?」

 

「こいつは単なる5万円じゃない! グラボを買うためだった涙の滲む諭吉さんだぞ!?」

 

今日はクリスマスセールなのに! と言いたかったが、知るか! で一蹴されてしまった。

 

「提示した金持って来い!」

 

「ぐらぼって?」

 

「瑠衣、グラボというのはだな」

 

「説明せんでいい!」

 

(一々うるさいじいさんだな……)

 

「いいか、冷やかしなら結構。帰ってくれるか。店の邪魔だ」

 

「冷やかしじゃないっ!」

 

「冷やかしだろうが!」

 

またヒートアップしかけるじいさんだったが、こほん、と一息ついて仕切り直した。

 

「……いいか小僧。こいつはいわば私の一生を掛けた腕の値打ち。それを払う価値なしとするその態度、仕事人に対する侮辱と知っての事か?」

 

「それは……! そんな事思っちゃいない。ただ、今は持ち合わせが無いだけなんだ」

 

「なら出直して来い」

 

「……時間が無いんだよ!」

 

切迫した顔をカウンターの向こうへのめり込ませて、その両腕がカウンターをばん、と叩いた。

 

「さっきも言った通り、急ぎで必要なんだ」

 

必死の訴えにも老人は応じず睨みを利かせるだけだったが、ナナシは引き下がらない。

 

 

「頼むじいさん。アルバイトでもなんでもして、料金は必ずここに持ってくる。必ず! けど今は……頼む! いやごめんなさいお願いします! この通りッ!」

 

言って、最後の駄目押しとばかりに頭を下げた。

 

終始顎を摩っていた老人の顔色が、心なしか変わったような気がした。

次の瞬間サングラスをカウンターに置いた老人はううむ、と気難しそうに目を瞑って唸り、やがて瞳を見開いて問い掛けてきた。

 

「……若者よ、そうまでして何を?」

 

「秋葉原で良くない事が起きてる。俺達で止めなきゃならない。俺の友人も……その良くない事に加担してる」

 

「おじいさん。私達は、ただ取り戻したいだけなんです」

 

老人はしばらく無言になり、ただ静かにこちらを見つめていた。

まるで瞳を覗き込まれているようだったが、ナナシは負けじと、老人の瞳を祈るように注視し続けた。

根負けした老人はやがて口を開き、

 

「しかしなぁ、君達は一体……」

 

「俺達は自警団の……えぇっと、ヤタベさんとかって分かります?」

 

「……おぉ! ヤタベさんか。おぉ、なんだ、そうかそうか。話をたまに聞くよ。少し前も騒ぎの収束に大変だったそうだな。ようやるもんだと思ったよ」

 

「知り合いだったんスね……やっぱヤタベさんってすごい人なんだな」

 

「彼の集まりなら信用できるだろう。……なに、それでなくとも君達の熱意は十分に伝わってきた。嘘をついているとは思いたくないな。ただ、私の仕事が何の役に立つのかはさっぱりだが……当然、剣の刃は落とさせて貰うからな」

 

「問題ない」

 

「良いだろ、料金はツケでこうしてやる」

 

再び提示された電卓には、\100と表示されていた。

――って、いくらなんでも安すぎるだろ、と思うナナシ。極端ではあるが、とてもありがたい事である。

二人が喜びに沸くのも束の間、だが心しろ、と老人は釘を打つ。

 

「これは小僧、お前の覚悟を汲んでのもの。いわば金の代わりに、覚悟で本来額の殆どを払ってもらうようなもの……無論その覚悟が偽りと分かれば」

 

「━━つまり"取り戻す"という約束を果たせん場合には、違約金含め、最初に提示した倍額を請求してやるからな!」

 

「……分かったよ。ありがとじいさん」

 

「分かったなら早よ行け。今日は店を閉める」

 

ナナシ達が出て行った後、物陰で恐る恐る様子を伺っていた弟子の店番が歩み寄って問い掛けた。

 

「……あ、あの~、良かったんですか?」

 

老人は店の出口を見送りながら、似ている、と静かに呟いた。

 

「はい?」

 

「わしの若い頃に……」

 

老人の満足気な表情に、また始まったと思いながら肩をすくめた。

 

 

約束を守れなければ倍額請求。借金の危機も新たに背負い、ナナシは戦い続ける!







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18.因縁の邂逅

師匠に夜通しドMのなんたるかを引き続き叩き込まれていたナナシは、翌朝斥候役のゴンの報告を受けて起床した。いよいよ秋葉原駅前で戦闘の兆候があったらしい。

NIRO指揮官"瀬嶋隆二"は悲願の復活を果たし、秋葉原に再び舞い降りた。対して、迎撃を画策する坂口……

両者が秋葉原駅前にて対峙する中、そこへ駆けつける自警団。

 

エージェントの黒い群れが蝙蝠の如くアキバを舞っている。配置に着いた黒服達の中央を瀬嶋隆二が闊歩し、その反対には坂口、そして迷彩の戦闘服に身を包んだ坂口の手の者達が隊列を組んで迎えた。

かつて平和に賑わっていた秋葉原は今や右も左も敵だらけ。

もうそんな光景に慣れてしまったのか、

 

「おーこれこれ、これが秋葉原だよな」なんて呑気に笑うノブを見て、完全に感覚が毒されている……とナナシは呆れる。

他方、先にエージェント部隊を警戒していた優とダブプリ率いるカゲヤシの部隊もおり、あくまで自警団と距離を置いて控えていた。

 

組織規模的に蚊帳の外感の拭えない自警団だが、瀬嶋揮下のエージェントしかり坂口の傭兵達しかり、きっちりと睨みは利かせて牽制してきている。

その中にはヒロの姿も見えた。ナナシは覚悟を決める様に特殊警棒(デッドストック)――かつてエージェントから支給された装備品である――を静かに抜いた。

 

因縁の相手はそれだけではない。

藍と美咲もまた互いの存在に気付いているし、それから天羽禅夜と瀬嶋隆二の両人。こちらは直接関係など無さそうな二人だが、禅夜は瀬嶋へ意味深な笑みを向けており……それに瀬嶋は穏やかでない眼つきで応じている。気が付いた藍は、不可解そうに瀬嶋へ問い掛けた。

 

「……何か不都合な事が?」

 

いいや、と短く答えてから瀬嶋は静かに笑う。

 

「不都合などあるものか。見つけたんだよ」

 

「……見つ、けた?」

 

「そうだ。とうに死んだものと思っていたが……なるほどあのカゲヤシが、そう簡単にくたばる筈もない――」

 

「――しかし奇妙なものだな。エージェントに与するカゲヤシなど……何にも例外は存在するという事か」

 

「例外、例外か」と一人呟いては、愉快そうに笑った。藍は気味が悪くなり、その様子を黙って見ていた。

 

「そうさ……奴は例外だった」

 

「どういう事だ? 何が……」

 

「お前には関係のない事だ。指示された事をやれ。万が一それ以外に余計な事をしてみろ」

 

その時は貴様から殺してやる……瀬嶋は静かに、そして冷徹に吐き捨てる。

ただならぬ様子にあまり表情を変えない藍もぎょっとして、顔を背けてしまった。

 

「……勝手にしろ!」

 

「それでいい……では早速行くとしよう。――戦闘班聞こえるか。私は単独で当たる、私の周囲に一匹も邪魔を入れるな! 監視班、引き続き状況の警戒!」

 

瀬嶋の無線による号令で一斉に動いた。

瀬嶋は発言通り天羽禅夜に接近し、禅夜もまた同じように彼へ向かった。周辺を護衛する配下のエージェント達のおかげで、そこは二人だけの奇妙な場が形成された。剣を抜いた瀬島は静かに語りかけた。

 

「久しぶりだな。……お前を忘れていたつもりだった。いいや事実、忘れていた」

 

「そうですか、私はこれほど期待に胸を膨らませて来たというのに。残念なことです」

 

「仕方ないだろう。なにぶん殺す為に追っていた相手だ。どこかで既に死んでいるだろうと思ってからはそれ以来だが……記憶から消し去ったつもりでも、この目には焼きついていたという訳だ」

 

「……今の今まで私が死んだと?」

 

「思ったさ。お前程の力を持つ者が腐っている訳はない、生き永らえているならば、必ず姿を現すと思っていた。だが何十年もの間お前は姿を表さなかった。探す為数え切れない程のカゲヤシを狩ったが、お前は忽然と姿を消した。……何故だ?」

 

「別に何も。そうですね……寝ていた。これで納得しますか?」

 

「……ふん、もう一つ訊きたい事がある。何故私を生かした?」

 

「気まぐれです。生かすも殺すも私が選ぶだけの事、私にはそれだけの力がある」

 

「……それだけの力、か。ハハ、そうだな、決めるのは常に力だ。生死も善悪も歴史さえそうだ。思えばだからこそ私も欲した。この力を異端と見なし、"化け物"と呼ぶ者も居るが――」

 

「――それはあくまで"人"から見た光景に過ぎん。その化け物に人々が駆逐されれば、化け物が新しい正義に成り変わる。化け物という呼び名は所詮、弱い側の畏怖の表れでしか無い。力こそが"正しさ"という訳だ」

 

カゲヤシというものの特異性は、かつて瀬嶋自身が散々語った事だ。

老いを忘れる程の長寿、致命傷以外はけろりと治す生命力、人間では考えられぬ身体能力。

確かに全てが"化け物"だった。部下の御堂がカゲヤシをそう呼んでいた様に、それは間違った認識ではない。あくまで"人"から見れば、の話だが……

 

禅夜は「ええ、そうでしょう」と下卑た笑みで肯定した。

 

「化け物、紛い物……弱者がそう呼ぶのはつくづく滑稽ですよ」

 

瀬嶋も低い笑い声で応じた後、満足そうに口角を上げて禅夜を見た。

 

「……そうだな。しかし、今こうして会えたことがとても嬉しいよ」

 

「嬉しい?」

 

「ああ嬉しいとも。"夢"が叶うのだからな。……私も年甲斐なくわくわくしてしまってね。お前が叫び塵になる瞬間を早く拝みたくて堪らないんだよ。私はその為だけに生きてきた――」

 

「――カゲヤシの力を喰らい、肉体だけはしぶとく生きながらえてきた。肉体だけは……それ以外は死んだも同然だがな。復讐以外先の見えぬ中を歩き、闇として動いた。苦痛を伴いながら……しぶとく貴様を探した。寿命を伸ばし、愚かにも自ら苦痛を引き伸ばして……な」

 

禅夜は歯牙にも掛けず、涼しい顔で手袋の裾を引っ張っている。

 

「復讐……ね。その割には忘れていたようだが」

 

「それが誤算だった。いつしか無意識の内に、血の力を得る事こそ目的と思い込んでいた。……完遂の保障などない復讐以外に光明を欲しがったのだろう。痛みに対する麻酔と言っても良い。便利だが副作用に襲われたという事さ。危うく本来の目的を見失うとはな」

 

禅夜はゆっくりと笑みに口元を歪ませてから、瀬嶋を見た。

 

「ふん。黙って聞いていたが、下らない」

 

「何だと……? 貴様……もう一度言ってみろ!」

 

怒りに染まった目が見開いて禅夜を捉えた。瀬嶋が珍しく感情を露にした瞬間に、禅夜は嘲るような微笑で応えた。

 

「何度でも下らんと言ってやりましょう。その程度の損失、その程度の道を苦痛と評する脆弱さ……人間はつくづく弱く下らない存在だよ」

 

「……分かっていないな。脆弱だからこそ私は力を手にしたんだよ。下らんと言っている存在に今から殺される事実が、まだ見えていないのか」

 

その言葉に禅屋から笑みが消え、苦々しい睨みに変わった。

 

「……私を殺せる、とでも?」

 

「殺せるさ。お前は眠りすぎたという事だ……今更戻ってきた事を塵になりながら呪うといい」

 

両者が剣を構えたその一方――

ナナシとヒロは既に衝突し戦っていた。

 

「ナナシ、何故瀬嶋が生きてる!? 俺の時の状況とは違うぞ、それも悪い方向に……!」

 

「知るかっつの! お前が戻ってくりゃあ、いくらか良い方へ向かうんだけどなぁ!」

 

二人の戦闘は以前よりも拮抗したものになっていた。

四方から襲い掛かるヒロの戦法にかつては押され気味だったナナシも、今は対応できる様になっている。目の届かぬ死角からの攻撃を、空を切る音で把握出来ていた。

 

ナナシ自身も何故把握できるのか疑問だったが、どうやらあの目隠しされ散々ムチで襲われる修行が活きているようだ。

 

これまでのナナシはなまじ強いせいで、ただ攻め続けるだけで勝つ事が出来ていた。それが災いし、守りの動きが上達しなかった訳だが――

 

しかし現在の彼は違う。

師匠曰く、『熾烈な攻めをものともせず、それを快楽とさえ捉らえてしまうような動き』

今、それが完璧に出来ていた。

 

 

まさか最初から師匠はそれを狙って? とも思ったが、あくまでそこは武術の師匠でなくエロの師匠。修行自体は単に師匠の嗜好から来たものの可能性もあるが、無駄ではなかったという事だ。

 

ナナシは背後から襲うヒロの刃を、まるで見えていたかのように警棒で防いだ。

 

 

「どういう事だ、動きが読まれてる……!? ふざけやがって!」

 

確かにこの秋葉原駅前は、以前の裏通りより圧倒的に開けた場所だ。ヒロ自身も十分な動きが出来ない事は理解している。しかしそれにしても異常だと、ヒロは唇を噛んだ。

 

(なぜあの時ボロ負けした奴がこれについて来れる!?)

 

彼の理解を待たずして戦いは加速していく。時に互いの額が接触する程激しさを増し、武器が鍔迫り合う。

ヒロがナナシの上服を脱がし笑みを滲ませても、次の瞬間には彼の上着も同様に脱がされている。咄嗟に服を奪い返すと、此方も同じく脱がした服を奪われ振り出しに戻る。

思わずヒロが後退するとナナシも跳躍して距離を取り、二人は再び見合った。

 

「……少しはやる様になったな偽者。褒めてやってもいい。けどなぁ、そんなへし折れたオモチャでお前、まだ勝つ気があるのか?」

 

指差されたナナシの武器は激しい戦いで破損していた。ナナシはデッドストックを捨て、拳を構えた。

 

「これで十分だ」

 

「へぇ、虚勢だけは一人前だな。だがいいか、俺はまだちっとも本気じゃねぇ……!」

 

そう言ってえくすかりばーを逆手に持ち、身を屈めた前傾姿勢の構えで対峙したヒロ。

 

「生憎もう手加減して見逃すのはやめだ……今度は前に言った通り塵に――!」

 

再びぶつかり合おうかというその時、予想外の邪魔が入る。

突然耳をつんざく様な高音が二人を襲ったのだ。

ヒロは不快音に思わず耳を塞ぎながらも周囲を確認すると、見たところ他の者も同じ症状に襲われているようだった。

 

「くそ、あいつ何かやりやがったな!? 所詮俺達は捨て駒って訳かよ……!」

 

「口聞きの悪い。お前達が苦戦しているから已む無く札を切ったまでだ!」

 

他と違い涼しい顔で言い放ったのは雇い主、坂口である。

ヒロは舌を打ち忌々しそうに睨む。

 

「なんだその目は? 逃げ道を確保してやったのだから寧ろ感謝して欲しいのだがね。いいか、分かったらさっさと撤退せんか!」

 

ヒロは睨みつけながらも、他の部下達と共によろよろと下がっていく。

 

「お前ら……! 逃がすと思ってるのか……!?」

 

顔をしかめながらも食い下がろうとするナナシを坂口は鼻で笑った後、片手にて合図を出した。

 

「逃げる? 何を言い出すかと思えばその言葉、君達に返してやりたい」

 

坂口の後ろからは部下が新たに幾人も出てきて、なぜか彼等は坂口と同様苦しむ様子がない。

 

ナナシの後ろから志遠が駆け寄った。

 

「ナナシ君ッ! 一体どうしたの!?」

 

「変な音で具合が……志遠さんこそ大丈夫ですか?」

 

「音……!? そんなの特に感じないけど……」

 

志遠がハッとして坂口を見た。

 

「……あなたの仕業ね」

 

「そうだ。確かに血の力は強大な兵器たりえる。だからこそ確実な停止ボタンが必要だ……あなたもそう思うはずでしょう」

 

「何を言って……!」

 

「ふん。様子を見るに装置は有効に働いた。後は収穫あるのみ!」

 

「坂口! 待ちなさいッ!」

 

ずい、と迷彩の戦闘服に身をつつんだ部下の男達が列を成して踏み込んだ。

志遠は気圧されながらも、ナナシを庇うように引き下がらなかった。

 

「……何よ、あなた達」

 

「ナナシっ! 志遠さん!」

 

瑠衣が血相を変えて駆け、今まさに志遠を退けようとする男へ踏み込んだ。

 

「来ないでっ!」

 

瑠衣は相手の顔面に全力によって裏拳をお見舞いした。

 

べちっ、と気の抜けた音がした。

 

目の前の男は吹っ飛ぶ訳でもなく、倒れる訳でもなく。それどころか僅かに顔が傾いたのみで、頬に当たっていた彼女の手を涼しい顔で退けてしまう。

ナナシは一瞬何が起きたのか理解が追いつかず、瑠衣の凛々しい瞳は一転して丸くなってしまった。

男は冷ややかに問い掛ける。

 

『……終わりか? お嬢さん』

 

「あ、あれ? ……えと――」

 

「――えと、ごめんなさい」

 

あまりの動揺に謝罪してしまう瑠衣の横を、ノブが走り抜けた。

 

「喰らえ! ITウィッチまりあ限定等身大ポスタぁー!」

 

今度はでかいポスターが男の顔面に直撃した。広がった状態で叩きつけられたポスターは巻き癖がついていたらしく、蛇の様に男の顔へ取り付いた。

男が被さったポスター相手にわたわたしている隙に、ノブは号令を掛けた。

 

「おい、皆逃げるぞ! くっ……大切なポスターとナナシの命……惜しい選択だった……!」

 

ノブは泣きながらナナシ達を連れて逃走した。ノブが未練たらたら言ってる間にも、他の部下がカゲヤシクオリティなスピードで追い立てる。

突然のポスター攻撃に男達が動揺し出遅れたとはいえ、これではすぐに追いつかれてしまう。

 

「くっそぅナナシ! もう俺は良いから走って逃げろ!」

 

でないとポスターの犠牲が無駄になる! と涙ながらに叫んだ。

 

「ノブ、ダメだ!」

 

「いいから俺は放っておけナナシ! あいつらの狙いはカゲヤシだろ!?」

 

「だからダメなんだよ!」

 

「何がだ!?」

 

「ダメなんだ、これ以上早く走れない……!」

 

「な、な、何言ってんだお前カゲヤシだろう!?」

 

「そう言われても痺れて力入らないんです!」

 

ちくしょう、と後ろ手にミラースナップしてナナシは画面を確認する。結果は奇妙にも人間という判定。

 

(おかしい、なら何故あいつらにカゲヤシ並の身体能力がある!?)

 

人間なのにカゲヤシの身体能力……ナナシはピンと来た。つい最近交流会で襲ってきた奴が着ていた、身体能力をカゲヤシ並みまで強化するギアだ。

もし今、この奇妙な音でカゲヤシが力を発揮できないのだとしたら……そしてそれが人間には影響がないとしたら。

 

「じゃああの装備を着て……? 嘘だろ!?」

 

すぐ背後まで坂口の部下が追いつき、観念したナナシ達は足を止めて再び対峙した。

 

「ちょっとぉなんなの!? ……そうだ何が欲しいかしら? お金?」

 

志遠が錯乱している傍ら、ノブは覚悟を決めた。

 

「……皆、ここは任せろ」

 

「ノブ君? そんな、ダメだよ!」

 

「今力が出ないんだろ? 人間の俺が死んだり捕まったって特に損害はねえんだ、やらせてくれ!」

 

「……いや、お前そのフィギュア一つでどうするつもりだ?」

 

と、ナナシはノブが硬く握っているITウィッチまりあのフィギュアを指差した。

 

「ナナシ! ツッコんでる場合じゃないよ!」

 

「構うか、まりあと共に死ねるなら本望さ! 行くぞ!」

 

「ノブ君も待って!」

 

「喰らえ! 俺のフィギュアー!」

 

このままでは確実にノブが死ぬ。しかしこれまではカゲヤシの力を使ってどうにか出来たが、今は文字通り無力なのだ。

絶望に襲われていたが、ここでナナシに一つの閃きが舞い降りた。

 

(……もう他に選択の余地は無い!)

 

やぶれかぶれになって、閃きに従いノブのリュックを指差した。

 

「や、やめろノブ! その爆弾で自爆するなんて無茶だ!」

 

……両隣にいた社長と瑠衣の顔が固まった。

同時に坂口の部下達もびたりと動きが止まり、今度はノブの前進に合わせて一斉に引き下がり始めた。

連中の脂汗を滲ませた顔を見るに、自分の言ったでたらめに動揺している気がした。

 

我ながらマジでか、と思うナナシだったが……確かに単なる人間がフィギュアを高く掲げて、叫びながら走ってくる狂気だとか――そして奇妙な程ぱんぱんにつめ込まれたリュックだとか――理屈を寄せ付けない恐怖はある。

スイッチが入れば止まらなくなるノブ故、猪突猛進で向かう彼に対し蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

秋葉原のオタクは化け物か、あいつに触れるなと阿鼻叫喚であったが、その中の一人が叫んだ。

 

『待て落ち着け! 爆弾などあるはずもない!』

 

『し、しかしここは秋葉原。話じゃなんでも揃うと言いますし……!』

 

『馬鹿! つべこべ言わずに奴をどかせろ!』

 

攻勢に転じた連中を見てノブは怯んだものの、次の瞬間、連中は見えない何かに弾き倒されていた。

 

「――なんだっ!?」

 

思わず声を上げたノブだが、驚いているのは彼だけではない。坂口の傭兵達もその状況を理解出来ずにうろたえ、今度はそいつらの顔面に見えない拳がお見舞いされて、次々ノックアウトしていった。

唖然とするノブの背後から女性の声が聞こえた。

 

「怪我はありませんか?」

 

そこに拳銃を構える御堂の姿があった。弾が切れた拳銃を再装填しようとした瞬間、倒れていた者の一人が御堂に跳びかかった。

 

「御堂さん危ない!」

 

ナナシの声で御堂は胸元からもう一丁の拳銃を左手で取り出し、放たれたゴム弾が見事に眉間へ撃ち込まれた。

 

「尚気絶せずに襲いかかるなんて、大した根性ですが……」

 

御堂は倒れた男を確認し、落ち着いたように軽く息を吐く。

 

(御堂さん、いつの間にこんな強く……?)

 

ナナシは困惑しながら、これがインフレってやつか……とか考えていた。

 



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19.無力の陰妖子、人間の意地

祝アキバズトリップファーストメモリー発売決定!
モチベーションが空になって苦悩していたのですが、これでもう少し頑張れるかもしれない…


ゴンは片腹を庇い、よろけながらに叫んだ。

 

「こ、この娘達に手を出そうとするなら……! 僕を倒してから行くんだ!」

 

足元には、彼の愛用していたカメラが無残に破損し、地面に転がっている。

全てはゴン自身が坂口の傭兵達に立ち向かった結果だ。

 

彼には、そうしなければならない理由があった。

 

「バカ! 死んじゃうでしょ!? 人間の癖に!」

 

舞那が酷く破れた服装を腕で庇っている。傍らの瀬那もそうだ。同じく坂口の部下にやられたもので、それがゴンを突き動かした"理由"だった。

彼女に背後から何と言われようが、ゴンがその場を退く事はない。

 

「そ、そうさ。僕は人間だ。確かに人は弱くて……カゲヤシとは全然比べ物にもならないよ。特に僕なんて武道の心得も何もない――」

 

「――でも僕は僕だ。自分でも自慢できる事なんてあんまり無いけど……ダブプリが何よりも好きで、それだけは自信を持って言える事なんだ。だからこの状況を黙って見て見ぬふりなんて……出来る訳がないよ。そんなの自分自身を否定するのと同じで……僕は、僕は」

 

「僕は嫌なんだ」

立つ事もやっとという中で、声を振り絞る。舞那が思わず固唾を呑んで見守っている。

 

「――嫌だ。自分にそんな嘘をつく位なら死んだって構わない……! 死んでも……! さ、最期まで、ファンとして……!」

 

人間でも気弱でも脱衣が使えなくても、彼は確かに戦う者としてそこに居た。

そして、ただの人間による決死の行動を前に、傭兵達は未だ排除の一手を下せずにいる。

 

『一般人相手に手荒な真似はしたくないんだ。どけ!』

 

「ど、どくもんか! 意地でも離れないぞ……!」

 

押し問答に、最初に痺れを切らしたのは瀬那だった。

 

「もういい。舞那、私がどける」

 

「ね、姉さん……でも」

 

「いい。人間が居ても、邪魔なだけ――」

 

「ダブプリはこれからメジャーデビューも待ってるんだ」

 

その言葉を聞いた瞬間、瀬那までも割って入ろうとする動きを止める。険しかった眼差しが驚き、そして和らいでいた。

彼女は静かにゴンの言葉へ耳を傾けた。

 

「もっと大きな舞台でライブができて、ファンだって……けど、これじゃアキバを安心して出て行く事なんてできない。だから秋葉原の、人間の僕達が、ファンの僕達がやらなきゃならない! これは僕が……僕達がやらなきゃいけない事なんだ!」

 

坂口の傭兵が舌を打つ。

 

『あまり一般に被害を出すと面倒なんだが……仕方ない。少し手荒に行く!』

 

と、拳を構えた瞬間、迷彩の衣服が破け辺りを舞った。

その下に装着していた身体強化ギアも残らず脱がされ、いつの間にか下着だけの裸一貫になった己の姿に男はわなわなと震えた。

いつの間にか能面を着けた怪しげなスーツ姿の男性が、自身の戦闘服の切れ端を持って対峙している。

 

「おっと、住民に手を上げるとは野暮な事だね……大人しく手を引くがいい」

 

その提案を聞く気は無いと、残った他の傭兵達が一斉に跳びかかった。

謎の能面ヒーローが傭兵集団の激流に飲み込まれたかと思えば、次の瞬間、半裸となって立つ能面を残して傭兵達は散開した。

 

『やったか!?』

 

距離を取った傭兵達は、包囲しつつニヤリと笑みを零す。まさか、相手も能面越しに爽やかな笑顔を浮かばせているとは知らずに……

 

「良いぞ、もっとだ! 内なる高まりを感じる!」

 

『バ、バカな一般人か!? 炭化してないぞ! それどころか……』

 

『興奮している!?』

 

「カゲヤシではないからね。それともう一つ、僕は一般人ではない。その向こう側へと到達せし者、人呼んで逸般人(アブノーマル)!」

 

『……ふざけるな!』

 

「遅いッ!」

 

一人が威勢良く跳びかかったものの、呆気なく避わされて逆に脱がされてしまった。

残りの者達は呆気に取られ、ただその様子を驚愕する事しか出来ない。

動揺が広がる中、一人が取り乱すように言った。

 

『動きが急に速く……!? 服が重しだったとでも言うのか!?』

 

「君、良い質問だ。服を脱がされる快感によって、僕の感覚は研ぎ澄まされるのさ」

 

『い、意味が分からな』

 

男達が言葉を発せたのは、そこまでだった。

 

 

 

 

「ふぅ。君達、あぶない所だったね」

 

「ぁ、ありがとうございます……で良いのかな。とにかく、助かりました。結局僕は何も出来なかったのが情けないけど。あはは……」

 

能面の彼は、良い汗を掻いたと言わんばかりの余裕だった。彼を見たのは、秋葉原防衛戦の際が初めてであったか……特にゴン自身は直接関わりが無いのだが、あの時の衝撃は忘れようもない。

そして、あの時に戦闘役として進み出た事も納得の強さだ。やっぱり住む世界が違うんだな、とゴンは思うばかりだった。

はぁ、と溜め息をついたところへ、舞那の叱責が飛んでくる。

 

「ちょっとあんた、無茶しすぎ!」

 

……ごめんなさい、とゴンは申し訳なさそうに頭を垂れた。

 

「その……ぼ、僕、自分の気持ちに背きたく無くて……本当にごめんなさい。僕はただ大好きなダブプリを守りたい、……勝てなくても良い、それでも僕の命で時間を稼げるならと思って。その一心で僕は……僕は、ナナシみたいにヒーローにはなれないけど……」

 

自分で説明する内になんだか情けなくなって、目頭が熱くなった。

 

「ば……バカね、誰とか関係ない。あんたはあんたでしょ!」

 

暗く俯いていたゴンは、そんな舞那の言葉にますます目頭が熱くなるのを感じた。

……涙を拭う様子を見た舞那はおろおろと慌てている。

 

「……あ、これ愛情表現だから。勘違いするなよ!」

 

瀬那が口に手を当てて、くすりと笑う。

 

「ふふっ。舞那でもたまには良い事言うね」

 

「どういうことよ姉さん」

 

「そのままの意味」

 

「えっ……」と表情を曇らせた舞那は放っておいて、今度は瀬那が小首を傾げて、ゴンの目を覗き込んだ。

 

「君、あの公園でも守ってくれたよね」

 

「えっは、はい。そ、そうなのか自信ないけど……」

 

「ありがとう。私達にとって、君は十分ヒーローだった」

 

「ちょちょっと! 私は別に……えーっと……ま、まぁ、そういうことにしておいてもいいけどねー」

 

にひひ、と笑う舞那つられて笑うゴンに瀬那が釘を刺した。

 

「でもキミ、流石に無茶しすぎだよ」

 

……すみません。と頭を垂れてしゅんとするゴンへ「まったく」と口を尖らす舞那。

 

「やっぱりメジャーデビューの話は無しにすべきよ。こんな危なっかしいバカが居たら、アキバを離れられないじゃない。……そうするのが当然。でしょ、姉さん?」

 

「それが良い。やっぱり舞那でも、たまには良い事を言う」

 

「また? どういうことよ姉さん……」

 

「そのままの意味」

 

「えぇ……!? メジャーデビューは? え……?」

 

「だからその話はもう断るの!」

 

「そ、そんなぁぁ……」

 

がっくり肩を落とすゴンの下へ、今度はサラがスカートをなびかせながら駆け寄ってきた。

 

「ゴンさんっ! お怪我は?」

 

肩で息をするその様子を見るに焦っているのか、それとも派手に動いたのだろうか。いずれにせよ、普段の彼女からは想像出来なかったが……

 

「サラさん。えっと少し転んだだけで……大丈夫です」

 

「けれど、そのカメラは……?」

 

と言って、口に手を当てて訝しげな目を地面へ向けた。首を捻る彼女の見つめる先には、カメラ……というかカメラだったもの、が地面にある。

どう見ても、ただ転んだにしては派手に壊れすぎだ。ゴンは思わずぎくりとして、慌てて服の汚れを(はた)いてから、手早く"それ"を回収した。

 

「こ、これは気付いたらこうなってたというか……はは……」

 

笑って誤魔化そうとしたものの、サラは溜め息をついていた。

 

「……理由はなんとなく分かります。あまり無茶、なさらないでください」

 

「……ごめんなさい」

 

「あ……いえ。怒っている訳では……ただ心配でしたから。それと他の方とははぐれてしまって。申し訳ございません、私の方でも手一杯でしたので……。私達も急いで合流しましょう」

 

「は、はい。ただ……」

 

ゴンが不安そうにちらとダブプリを見ると、

 

「ふむ、二人が気掛かりかい? それなら大丈夫だ。僕に任せると良い」

 

気付かれたらしく、快くガッツポーズで応じた下僕。

 

「ぁあ、ありがとうございます」

 

ちょっと、いや正直ちょっとどころじゃなく変わった人だけど……良い人だ。

ファンとしてダブプリに着いていけないのは残念ではあるけど、この人の言う通りに任せよう……と、離れようとした矢先、舞那の叫び声が聞こえた。

 

「寄るな変態!」

 

「おお、言葉攻めとは嬉しいね!」

 

(だ、大丈夫なのかな……)

 

……ゴンは別の意味で心配になりながらも、壊れたカメラを(いだ)きつつサラの後へ着いて行った。

 

 

 

 

 

 

秋葉原駅前広場が良く見渡せる建物の屋上。がばりと上半身を起こしたエージェント━━瀬嶋の手の者である━━が、突然錯乱した様子で叫んだ。

 

『アイエエエ!? メイド!?』

 

同じく隣で地面に伸びていた仲間の一人が、『うわぁ!?』と飛び起きて言った。

 

『なんだお前か、びっくりさせるなよ』

 

錯乱していた男は、仲間の顔を見て我に返るなり、地べたに座ったままうなだれる。

 

『す、すまねぇ。……少し気を失ってたみたいだな』

 

『ああ……なんだ、ハンカチを口元に当てられて…………』

 

しばし二人共、途方に暮れるやら眠いやらでぼやっとしていたが……それから一息ついて、男は『なぁ』と言って再び切り出した。

 

『見たよなお前、メイドがこっちに一人で乗り込んで来たの』

 

スカート内に秘める異空間からともなくハンカチを取り出して、迷わずこちらの懐へ跳躍してきた。

恐ろしい光景だったと男は嘆いた。

 

『お前も見たのか!? 夢じゃなかったんだ……あんな場面、最近録画したドラマで見たぐらいだぞ』

 

『ああ。メイドは空だって飛ぶ。夢じゃない』

 

ぼうっと見上げながら絵空事を呟く同僚に、苦言を呈する。

 

『冗談よせよ……』

 

暫く立ち直りそうもない仲間は放っておいて、他の人員へ通信を入れようとした途端、男の顔色が変わる。

耳に掛けていた通信機が無くなっていた。

慌てた手つきで自身の胸ポケット類をしらみつぶしに(はた)いたものの、何も無い。それからせわしなくズボンのポケットを(まさぐ)ると、探していたものの代わりに一枚のチケットがそこから顔を出した。

それをつまみ出した男は、まじまじとそれを眺めた。

 

カフェ・エディンバラ特別優待券━━

 

そう書かれているチケットを思わず凝視した。

まさかここに行けば"あのメイド"に会えるのか?

空からメイドが降ってきたあの光景に魅了されてか、はたまた眠気が抜けないせいか、ぼうっとした様子で呟いた。

 

『今度行ってみよ……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――第二アジト

 

 

冷えた地面に、ナナシはどかりとあぐらをかいた。

 

「やれやれ。ここならもうあの音も聞こえないな……」

 

どうやら自分達以外にはまだ誰も来て居ないようだ。

アジトに戻った旨の携帯メールをナナシが送っている最中、志遠が言った。

 

「これじゃ、あなた達が外に出るのは危険ね……私が外で情報を集めてくるわ。音の出所が特定できれば良いんだけど」

 

う~ん、と瑠衣は首を捻る。

 

「カゲヤシにだけ聞こえる音、か……あ、紛い者もなのかな?」

 

「ええ、恐らくは。それでどこかに装置があるはずだけど……周辺に音を伝えるって事を考えれば、高い場所の方が効果的でしょうね。それでいて人目につかず、駅前に程近い場所っていうのが手がかりかしら。けど、それだけね」

 

そう言って足早に立ち去ろうとした志遠を、ナナシは立ち上がって呼び止めた。

 

「あ、志遠さん」

 

「何かしら?」

――きょとんとして振り向く志遠。

 

「アキバなら専門的な音の測定機器も手に入るはず……利用できれば、少しは楽になるかも」

 

「なるほど。探してみるわ。それじゃ、また後で」

 

手をひらひらとさせて出て行った志遠の姿を見送り、「上手く行くと良いけど」と不安そうな瑠衣。

 

「今は、志遠さんを信じるしかないな」

 

……それから少しして、今度は御堂とノブが到着した。

念の為、ナナシ達とは別のルートでこちらへ向かったのだ。

 

「おう! 待たせたな!」

 

変わらない様子のノブを見て顔を綻ばせたナナシ。

 

「ノブ! 心配したぞ!」

 

「俺だって! うおお~会えて良かった~」

 

二人が感動の再開に抱きついている所、御堂がこほんと咳払いした。

 

「話は今しがた志遠さんから聞かせて頂きました。すみません、少し遅くなりまして」

 

……ノブが苦い顔して腕を組んでいる。

 

「ってか、あの社長さん一人でってのはちょっと不安だよな。今更なんだけど」

 

「うーん、志遠さんには悪いけど確かにな……」

 

「よし、こうしちゃいられないな。やっぱ俺も行ってくる!」

 

と威勢良く飛び出そうとするノブに続き、御堂も出発しようとする。

 

「待ってください。ノブさん一人では危険です、せめて私も――」

 

その時であった。

入り口から聞こえたのは師匠の声。

 

「……賽は投げられたようね」

 

当然一同は驚愕するが、一際驚いていたのが御堂だ。

 

「師匠!? 何故この場所が……つけられていたというの!?」

 

露骨に焦る御堂。

まさか、と師匠は妖艶に笑う。

 

「あなたにそんな事をしても気付かれるでしょう? 前にここで下僕がお世話になったようだから、場所を知っているというだけ。それに今あなた達が、私のテクを欲しているというコトも知っている」

 

「いいえ、必要ありません」

 

「そんな事はないわ。必要でしょう? 私の、テクが」

 

「ノブさんの護衛の話なら、私一人で十分です!」

 

そうですね? という顔でノブを見るが、彼は顔を輝かせて言った。

 

「あのナナシのお師匠さんだろ? 心強いじゃないか!」

 

「ぐっ……!」

 

苦虫を噛み潰した様な顔の御堂に、師匠は「言いなさい」と詰め寄った。

 

「……ひ、必要です……師匠の……テクが……!」

 

「よろしい。向かうわよ」

 

毎度のこのやり取り……なんなんだろうと、ナナシは居たたまれない気持ちになる。

 

「おし、ナナシはどうする?」

 

「え? う~む、ずっとここで(くすぶ)ってるのもなぁ……やっぱり俺も行かせてくれないか? 戦闘では役に立たないかもしれないけど、良い店を知ってるんだ。何か役立つものがあるかも」

 

「とか言って、単純に居ても立ってもいられないだけだろ?」

 

「う……まぁそうだ。けど瑠衣は悪いけどここで……」

 

「私は……我がままかもしれないけど、私も着いて行きたい。駄目かな……」

 

まぁ、この流れならそうなるよなと思う。しかし彼女は妖主であり最重要人物なのだが……

「流石にそれは――」御堂が瑠衣の要望を断ろうとした時、ナナシは提案する。

 

「でも下手にここで一人待機するより、全員で固まった方が安全って考え方もあるっちゃあるよね?」

 

……まぁ予想通りと言うか、御堂さんが唸るだけで首を縦に振らない。

 

「しかし……」

 

「それに師匠も来てくれるんだし! ですよね!?」

 

「そうよ御堂。私が信じられない?」

 

(し、師匠まで……絶対に面白がって便乗してるだけでしょう……!?)

 

「わ、分かりました! 分かりました……はい」

 

……あからさまに師匠の呪縛に辟易している。

 

「やっぱり我がままだったかな」とコッソリ、複雑そうな顔をナナシに向ける瑠衣……

 

「い、いえ。いいんです。ナナシさんの言う通り師匠のテ……護衛もありますから」

 

どうやら御堂さんにも聞こえていたようで、気を取り直してスーツの襟を正していた。

なんていうか苦労人タイプだよな、この人……なんて感想は胸の内に仕舞い込み、ナナシは余計な事を口走らないよう努めた。

 



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20.怪音の源

戻ってきました……!投稿再開しようと思います。
御堂さん便利キャラすぎて使い過ぎちゃう……


――駅前 ラジオセンター内

 

 

秋葉原駅ほど近くにある"ラジオセンター"。中は細い通路の両側に、小さな商店がぎっしりと寿司詰めになっている。

品揃えは電子機器が主だが、アキバらしく他では見ないような代物ばかり――

その中を一直線にナナシ達は突き進んでいる。来た理由は買い物でも観光でもなく、霞会志遠と合流する為である。

 

人混みを抜けた先に居た彼女は、こちらを見るなり「待ってたわ」と、ニヤりと白い歯を見せてきた。

……また何を企んでいるんだろうか。ナナシが訝しげな視線を送っていると、彼女は自信たっぷりな笑みを携えつつ続けた。

 

「リサーチ済みよ! 私は既に目星を着けていた……そう、ここよッ!」

 

志遠が勢いよく指し示したその一角にはこじんまりとしたお店がある。

古ぼけた大きな機械やスピーカーが奥に山ほど積まれていて、小さなレジスペースが今にも飲み込まれそうだ。量販店の様な整然さとは無縁だが……文字通り、良い掘り出し物のありそうなお店であった。しかし、ここがなんだというのか? そう思った矢先、志遠は続けた。

 

「――ここにあるのよ。音の出所を探る為にぴったりのものが……!」

 

ナナシの返答を待たずして、彼女は熱弁しながら店頭に向かう。

「出してくださるかしら」の一声で、店員が奥から何かを持ってレジに置いた。

ナナシが見てみると……商品らしい化粧箱ではなく、無骨な黒いケースがそこにある。

 

ケース内にはこれまた黒い、マイク付きのハンディカメラが収められていた。これが音の可視化を可能にする魔法の機器なのだと、志遠は得意になって説明している。

本来一般には流れない特殊な検査機器。素人が全てを使いこなす事は難しいが、それでも基本的な使い方は店側の親切で教えてくれるらしい。

別途PCが必要との事で、ノブの持っているノートPCを使う事となるのだが…………何やらノブの表情が曇っていた。

 

「なんだ、PCを使われるのが不満か?」

 

ナナシの問いかけに、ノブは顔を曇らせたまま首を振るう。

 

「……違う。そういう事じゃねえ」

 

「……あ~、大丈夫だって。傍目には個人配信してるとしか思われないだろ。多分」

 

「そういう事でもねえ。たださあ……」

 

「……歯切れが悪いな。何なんだ一体?」

 

「あの商品。見てみろよ、どこ見ても値札なんか無い。そもそも陳列じゃなく、わざわざ奥から持ってきただろ? それにあのゴツい見た目だ。やばいんじゃないかと思ったって訳。つまり値段がさ。……んで、幾らなんすかね実際?」

 

それを受けて、店員は長々と唱え始めた。機器本体が――それからオプションが――ソフトウェアのライセンスがなんたら……

半ば聞き流していたナナシの意識に、「全て込みで553万円です」という言葉が強烈に殴り込んできた。

精神的ショックのあまり、息が詰まりかけて咳き込んだ。……先端技術とはいえあんまりだ。店の方も、まさかそれほどの物を取り扱っているとは……

 

「サムライ☆キッチンが5万5千回もっ!?」

 

と、驚く瑠衣の声が背後から聞こえる。……その表現自体はどうかと思うが、確かにそうなる。それより、意外と少ないかも……と彼女が落胆している方がナナシとしてはどうかと思う。どんだけやるつもりなんだ……

 

今はサムライ☆キッチンの事を考えている場合ではない。

まさかまた金銭問題にぶち当たるとは。とナナシが苦悩していた所で、「あの店員を下僕にしましょう」と師匠が平然と言い放つ。

すぐさま御堂が割り込んできた。

 

「師匠、いけません! ここは公共の場です! 下界ですッ!」

 

とまあ色々騒いで周囲のご迷惑になっていた所で、鼻息荒く一歩前に出た霞会志遠。

 

「私に任せなさい!」

 

何やら自信満々に胸を張っている。……でかい。ではなく、

 

(今度は一体何だ……?)

 

ナナシが恐る恐る見守っていたところ、志遠は「そぉい!」と何かをレジに叩きつけた。

一瞬目を疑ったものの……近づいて見るとそれは間違いなく、あの言わずと知れたブラックカードであった。

 

「神のカードを攻撃表示だと!? この社長、出来る……!」

 

思わず漆黒のカードが放つ威圧感にたじろぎ、更にはあのノブまでもが資金力に戦慄していた。

 

「これがCEOってやつなのか!? 平民とはパワーが段違い(ダンチ)だぜ……!」

 

二人して興奮に沸き立っていたものの、ふとナナシは素へ戻った。

 

「……いやしかし、志遠さんに払って貰うワケには」

 

「いいのよ」と志遠は涼しい顔をしている。

 

「この騒動の解決の為ならね。これは私自身の為でもある……だって元々は、私が依頼した事でしょう?」

 

彼女は得意になって、そしてやはりまた胸を張っていた。……わざとなんだろうか。ナナシのモヤモヤは晴れなかった。

 

 

 

 

購入から使用準備までは完了した。いよいよ探し当てるだけだ。

音が直接カゲヤシに作用しているのか、それともこれは装置の稼動音というだけで、単なる副産物に過ぎないのか? 仕組みは分からないがいずれにせよ、この怪音が頼りになる……

 

店を出て、早速お目当ての音の絞り込みを行っていたところ、他の環境音とは明らかにかけ離れた数値が見つかる。ナナシ達はその音を追ってみる事にした。

ナナシはカメラを手に、機器の示す通りに進んでいく。――しばらくして、ふいに足を止める。

 

「……この建物から強く反応している」

 

いつしか、カメラはラジオ会館の前へ一同を導いていた。ラジ館か、とノブの呟き。

 

「ラジカン……って何かしら」

 

志遠の疑問に、ノブより先に瑠衣が答えた。

 

「ラジオ会館っていう、あの大きな建物の事です……今は工事しているみたいだけど」

 

彼女が指差す先を見て、志遠はへぇ、と息を漏らす。

言葉通り、現在は一面を灰色の工事用シートに覆われている。最上階はまだ壁も出来ていない吹き抜けのようだが、けれどブルーシートがカーテンの様に掛けられている。風に揺られているそれが、外壁代わりに地上からの目を遮っていた。

ノブは持っていたノートPCをリュックに仕舞いこみ、それから用済みになった探知カメラをナナシから受け取った。

 

「あ~、カメラは入りそうにねぇ。ま、俺が持っとくわ。……それより、ここが当たりで違いないのか? 今言ったように工事中だろあれ。いや、だからこそ怪しいか……?」

 

「ノブ君が言うように、だからこそ、かも。それにあの建物なら、条件は揃っている――ですよね、えと……霞会さん」

 

「そうね。ならもう、後は確かめてみるしかないわ!」

 

……そこへ師匠が名残惜しそうな顔で歩いてきた。その手には脱がしたのであろう迷彩服……そう、彼女と御堂さんは絶賛戦闘中であり、ナナシ達が音源の捜索に集中できているのもこの護衛があるおかげだった。

 

「もう着きそうなのかしら? もっと宴を愉しみたかったわ」

 

――と言っている()に、次のおかわりが背後から襲い掛かって来るのだが……彼女はひらりとかわし、またあれよと言う間にすっぽんぽんへ変えてしまう。

「もう、せっかちなのね」と光悦の笑みを浮かべる師匠。

 

片や御堂さんも、消音装置付きの拳銃をぶっ放しまくっている。……やはり、カゲヤシ並の力をスーツで得ているとはいえ身体はただの人間、顔面にゴム弾の直接攻撃をキメるエグいやり方にたまらず次々と倒れ伏していく。

 

しかし尚、周辺から恐れ知らずにも坂口の手勢が次々襲い掛かってくる。しかもその量が結構なものだ。

それでも師匠は涼しい顔で捌いているものの、御堂さんの負担が大きい。丁度駅前を巡回していた下僕などの有志も近くで戦ってくれてはいるのだが、連中の優先ターゲットはナナシ達のようだった。

 

これ以上はまずい――そう思ったのはナナシだけでなく、志遠も同じだったのだろう……彼女は急かすようにラジオ会館を指差した。

 

「皆! 早く行きましょう! ――ラジオ会館へ!」

 

 

 

 

 

――ラジオ会館

 

 

ラジオ会館の入り口は下僕達に任せ、一同は建物内を進んでいた。中は清々しい程何も無い。ガラガラだ。……本当にここに、現象の根源があるのだろうか?

 

ぐいぐい先陣を切る志遠と、それを守るように警戒を絶やさぬ御堂。すぐ後ろでは、御堂に構って貰えず退屈そうな師匠が続く。後の三人――自警団組はまとめて最後尾だ。

階を次々と登っていく最中、ノブはナナシに問い掛ける。

 

「ナナシ、本当に着いてきて良かったのか? カゲヤシは今戦えないんだろ?」

 

「――ま、それ言い出したら、俺だって何の役にも立たないんだが。結局いても立ってもいられない、俺達自警団魂ってとこか。なぁナナシ。……おい、ナナシ?」

 

ナナシは先ほどから何も会話が聞こえなかった。

突入前、耳栓代わりに着けてみた防音仕様のイヤホンのせいか? と思って外してみるも変わらない。

あの不快な音が、他の全てを掻き消している。明らかにこの建物に入ってから"あの音"が強まっていた。

次第に視界がぐらぐらと揺さぶられ、冷や汗が顎を伝った。

おぼつかない足取りのナナシはとても立っていられなくなり、とうとう膝から崩れ落ちた。

 

「ナナシ君!? 大丈夫!?」

 

うずくまった所を志遠が介抱しようと歩み寄るが、そんな彼女に気を回す余裕もない。耐え難い不快感に襲われ、落ち着いて息をする事も困難なナナシは、ただ苦しそうに背中を丸めるだけだった。

瑠衣もまた、具合が悪そうにしゃがみ込んでいる。

志遠はナナシの身体を支えながら、御堂へ切迫した表情を向けた。

 

「やっぱり連れてくるべきじゃ――! 二人を外の安全な場所へ。私は念の為、ここで警戒しておくわ」

 

彼女の言葉を受け、御堂らはその場を離れていく。

…………見送った後、志遠は上層へ続く階段を静かに見据えた。

 

「今なら私だけ、か……」

 

 

 

 

 

――ラジオ会館 最上階

 

 

他の者達に先駆け、その場へ一人足を踏み入れた霞会志遠。見立ては正解だったようで、やはり装置はここ、建物の最上階に鎮座していた。

志遠の二倍以上はあろうかという巨大な鉄塊……階の四方に沿って張られた工事用カーテンによって、その存在は外から秘匿されていた。

それは大樹の様に配線の根を張り巡らせ、運び込まれたのであろうモニター類を始めとする、大小様々な機器へ接続されて成っている。

機器をモニタリングしていた傭兵達は立ち上がり、志遠の動向を警戒していた。

 

 

 

「――なるほどここで指揮していたわけ。確かにここ、即席の拠点として悪くないわね」

 

志遠は殺気立つ傭兵達の視線の中を平然と抜け、かつかつとヒールを打ち鳴らしながら、大掛かりな設備を見物しつつその"鉄塊"へ進んでいく。

だが、彼女は突如として歩を止めた。その面前には、苦々しい面持ちで出迎える坂口の姿……

 

「……来たようだな。のこのこと」

 

合間見えた両者だったが……更にその裏で思いがけず、二人の会話を盗み聞く者が居た。

積み上げられた建築用鋼材の裏に身を屈め、向かい側の様子を静かに伺う。それは、先程降りていった筈の御堂聡子だった。

 

(何か様子がおかしいと思えば……どういう事なの?)

 

経歴柄、人の機微を察知する事に長けていた彼女は……ナナシ達を師匠に預けて一人、志遠の後をつけていた。

御堂は息を殺し、坂口と志遠……二人の会話へ耳を傾ける。

 

「はぁーい坂口君。また会うなんて、私達気が合うみたい」

 

「白々しい事を……あなたからしつこく会いに来ているだけでしょう。いい加減、うんざりですよ」

 

「……あら、うんざりなのはこっちよ。随分となりふり構わずみたいだけど。昨日からの大規模な人員の動かし方といい、そいつらが物々しい戦闘服で行動している事もそう。もう周囲の目なんか構う気も無し。極めつけはこの装置……って所かしら」

 

「もうこれ以上時間を掛けたくないのでな。是が非でも研究所の在り処をつきとめる為に……急ぎ、紛い者に更なる改良を施す為にも」

 

「……改良、か」

 

「そうとも。カゲヤシより優れた能力を持つのは良いが、適応できず暴れ出す様な個体が出てくるのは問題だ。毎回処分するのもいい加減効率が悪い、これから商品として売るにも問題がある。そもそもあの"オリジナル"自体御し難いという点を考えれば……紛い者の血に根本的な改良が必要という事だよ」

 

「知っているわ。その問題が邪魔をして、なかなか部下全員を紛い者へ更新する事が難しかった。……だから下位戦力としてカゲヤシまで使わざるを得ないという事も」

 

志遠は例の巨大な装置へ目を向けて、からかう様に笑みをつくる。

 

「でも、こんな"奥の手"を早々に使うなんてね。坂口君らしいわ。結局人ならぬ者達は信用せずに、あなたは確実に信頼の置けるこの装置と、人間の部下達を率いて最後の事を成す道を選んだ。……カゲヤシの血を持つ者だけを無力化し、制圧する。……人間からしてみれば、とても都合の良い装置。ミラースナップという判別技術といい、カゲヤシの特異さゆえの弱点か」

 

「――けど誤算だったわね。カゲヤシを封じても、彼らには脱衣術に長けた者が大勢居る。人間のね」

 

坂口の沈黙を見て、彼女は再び言葉を進めた。

 

「――まぁでも、それはそれ。……むしろ、この機械に関してはすごいと思っていたのよ。禁書(テキスト)の情報があるとはいえ、こんな装置を一から造り出す事が可能だなんて」

 

顔をしかめたまま、坂口は答えた。

 

「これに禁書は関係ない。ある筋から、血の力を抑制する奇妙な試料の提供を受けた……その周波を参考にした装置というだけでな……」

 

「ふーん、そういうことか」

 

「……まさかとは思うが、上手く聞き出したつもりなのか? 馬鹿馬鹿しい……」

 

「別にそういう訳じゃないわ。良いじゃない、少し位お喋りをしたって。それで資金源もそこから?」

 

「それはまた別だ。私は禁書を持っているんですよ、これほどの餌をチラつかせれば、言う事を聞く者など容易く集められる……それくらいお分かりでしょう」

 

「……まさか! あれの存在を明かしたっていうの……!? やりかねないとは思っていたけど、つくづく余計な事ばかり……!」

 

「背に腹は変えられんでしょうが。そうでもしなければ、私の計画そのものが立ち行かなくなる。それこそ禁書の価値を無下にしてしまうというもの……価値ある手札は切ってこそ意味があるんじゃありませんか」

 

自信満々に語る坂口へ「馬鹿な人ね」と志遠は忌々しそうに吐き捨てた。

坂口は眉をぴくりと動かし、傭兵達に向け片手を挙げて合図をした。――傭兵達が、次々に剣を抜いていく。

 

「……ここを特定した事は褒めてやる。しかし追い詰めた気になっている様だが、追い詰められたのはあなたの方なんだ」

 

(禁書? それにある筋というのは……ともかく、この事を伝えなければ――!)

 

疑問顔だった御堂は次の瞬間……自身の背後に気配を感じハッとした。

咄嗟に銃を構えたその先には、奇妙なものを見る眼差しの師匠の姿があった。

 

「御堂。アナタ何しているのかしら?」

 

(――師匠ぉ!? 見つかる! こ、こうなったら――!)

 

これ以上は危険と判断した御堂は、志遠に振り向かれる前に素早く立ち上がった。

 

「――そこまでです! 我々が到着したからには、これ以上好きにはさせない!」

 

 

迷彩服の傭兵――勿論例外なく、カゲヤシ並の力を得る特殊ギアを着込んだ者達――が、追加でぞろぞろと坂口の裏から湧き出てきた。

志遠は味方がこの屋上へ到着した事に気付き、その二人を尻目に見て告げた。

 

「――あらお二人とも、ちょうど良かった。今偶然、相手の親玉を見つけたとこ。……さぁ、やってやりましょう!」

 

 

 

 

 

 

秋葉原駅構内。

打ちひしがれていたナナシは、あの不快音が止んだ事をきっかけに無気力から舞い戻る。

頭痛の種が止んだ。まだ身体はあちこち痺れるけれど、さっきまで腐り落ちそうに重かった身体が、反して羽のように軽い。

――これだよこれ。この感覚だ。

すっかり我に返ったナナシは嬉々として、戻ってきた身体感覚を確かめる様に腰を捻ったり、その場で軽く跳ねたりしてみる。

……瑠衣の方もどうやら調子が戻ったようだ。

ナナシ達が護衛の下僕と外に出てみると、既に駅前の戦闘は落ち着いており、坂口の部下達が撤退しているのが見えた。

今なら行けそうだ、とナナシがラジオ会館の頂上を見定めた時だった。――漆黒に塗装されたヘリコプターが、低空飛行で会館の屋上に接近している。

 

(……なんだ!? 何かあったのか……?)

 

瑠衣、そしてノブにアイコンタクトを送ったナナシは、再びラジオ会館へ駆け込んだ。

三人が最上階への階段を上りきったその先――

 

累々と意識を失い、地に倒れ伏せている者達の中で、師匠と御堂がただ悠然と立っている。

それから志遠が何やらご立腹のようで、子供の様に拳を振り回して駄々をこねていた。

 

「ちょっと~! 今回こそ私が華麗に戦うハズだったのに! 私の活躍シーン……あら?」

 

……志遠がこちらに振り向いた。

 

「丁度良いとこに! かるーく制圧しちゃたわよ。このお二人と……そうっ! 私がね」

 

ウィンクをする志遠を背に、いそいそと御堂は拳銃を胸元に仕舞い込んでいる。

 

「――しかし、彼は取り逃がしてしまいました」

 

「坂口君ね。部下を捨てて一人脱出するなんて、どうせそんな事だろうとは思ったけど」

 

「すみません。ヘリで逃げられては……無理な阻止は危険が及ぶと判断しました」

 

「……仕方がないわ。でも装置は無事制圧した。……手間取った状況で、焦る彼にとってはまさに起死回生の一手だったのでしょうけど。まさか結果がこうとは思っていなかったでしょうね」

 

傍ら師匠が退屈そうに溜め息をついて、迷彩服を飽きた玩具の如く放り捨てた。

 

「残念。もっと燃える様なひと時を過ごしたかったのに……仕方ないし、この子達はお持ち帰りして楽しもうかしら」

 

妖艶に微笑むお師匠に苦々しい視線を投げかける御堂だったが、「当然、御堂も来るのよ」と釘を刺される。

 

「師匠……すみませんが……」

 

「私はまだ欲求不満なの。分かるでしょう?」

 

このやりとり、ナナシとしてはまたか、といった所だ。

あれだけ頑なに拒まれると、逆にそれが師匠にとって物珍しいのかも……しれない。まぁ、あまり深く詮索したくはない事だ。

 

……ナナシと同じく両者を遠巻きに見守る形だった志遠は、そのままじりじりと距離を取っている。

 

「え~っと、私は早いとこ失礼しちゃおっかな~」

 

いよいよ、志遠が困ったような笑みを携えてそそくさと退散していった。

志遠の動きを追っていたナナシの首が、今度は瑠衣の方を見た。

 

「……俺達もここを出ようか」

 

「うん。……でも御堂さんが……困ってない?」

 

「いやあれが本来の御堂さんで、いつも通りだ。何もおかしい事はないだろ」

 

「そうかなぁ……」

 

懐疑の眼差しを向ける瑠衣だったが、その両肩をがっちり掴んだナナシの顔が迫る。

 

「俺の言葉を信じてるって言っていたじゃないか!? あれは嘘だったのかッ!?」

 

「わッ!? 嘘じゃないよ……! うん。確かになんで私、キミの事疑ったんだろう」

 

(おい……そう言われると罪悪感が湧いて来るんだが)

 

思いつつ、しかしさっさとこの場を離れる為に仕方のない事だと――

 

「その、そろそろ離して欲しいかな……」

 

目を逸らしながら照れ笑う瑠衣にナナシはハッとして、すぐに身を戻した。

 

「あ。すまんすまん……」

 

「ううん。べ、別に嫌じゃないんだけど。少し恥ずかしかっただけでさ……そう、嫌ではなくて……」

 

俯いた彼女が何やらごにょごにょ口篭っている所で、ノブが二人に口を挟んだ。

 

「おいおい、空間を作るな空間を! 俺が居辛いだろ……!?」

 

「空間……?」不思議そうに返す瑠衣を見て、彼は慌てて取り繕う。

 

「ああいや、違うんだ瑠衣ちゃんその~……そう、ナナシが全部悪いんだよこいつが!」

 

「何故俺のせいになるんだ……!?」

 

あれこれ争っている所に、今度は御堂がぬっと現れた。

 

「ナナシさんッ! お伝えしたい事がッ!」

 

「うわぁ!? びっくりした……な、なんでしょーか……」

 

「詳細は後ほど。とりあえず、まずはここを出ましょう」

 

「……師匠は?」

 

「置いていきます!」

 



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21.前途多難

 

――屋上

 

 

 

かつて、師匠の屋敷があったオフィスビルの最上層。ナナシ自身結構気に入っている場所だが、御堂さんにとっても良く来る場所なのだろうか?

 

彼らは屋上の出入り口を抜けて、突き当たりにあるベンチや灰皿が設置された休憩スペースに向かう。今は、屋上を訪れる者の大半はここが目当てであろう……。ここでは座って一息つくも良し、あるいは、フェンス越しに眼下の街並みを堪能するのも悪くない。

――まぁ今のナナシ達にとってはそのどちらでもなく、ただ落ち着いて話す為に都合の良い場所というだけだ。

 

屋上フェンスの手前で足を止めた御堂は、ナナシらの方へ振り向き本題を切り出した。

 

「……実は先程、気になる事がありまして。ナナシさん達を退避させる時、霞会さんは私達に先んじて最上階へ向かっていた……彼女は坂口と接触し、色々と話し込んでいたのですが」

 

「まぁあの社長さんって、一人で突っ走り気味な所あるもんなぁ」

 

ノブはいつも通り明るく笑っているものの、御堂さんの表情は何やら曇っている。「その内容なのですが」と彼女は聞き得た全てを話した。

禁書の事、紛い者を改良しようとしている事、坂口に試料や資金を提供する者達が裏に居る事……

最初は興味津々で耳を傾けていたナナシだったが、

 

「まぁーだあのおっさん以外に何か居るのか」

 

いつの間にやら渋い顔で愚痴っていた。……正直もうお腹一杯だから、これ以上ややこしくなるのはやめて欲しい所だ。

それにしても、志遠さんも何か事情を知っているという事か……? いや、彼女は"自警団に任せっきりじゃ悪いし、独自に調べている"と言っていた。それで得た情報を元に坂口と喋っていたのだろう。とはいえ御堂さんは彼女の素振りを見て、何か怪しいと警戒しているようだ。

 

それから禁書に関しては、むしろ自分達の方がより良く知っている事だ。

逆にナナシが禁書の詳しい話を伝えると……彼女は驚きながらも、その真偽を疑っているようだった。

 

「NIROの出資者が裏で研究を……? 噂にも聞いた事がありませんし、本当と俄かには信じがたいですが……しかし亡き今となっては真偽も分からずじまい、という訳ですか……」

 

「まぁこれで仮にガセだとしたら、坂口のおっさんが阿呆すぎる。――そうだ! それより禁書といえば訊きたい事が」

 

「……何でしょうか?」

 

「実は秋葉原の地下に、カゲヤシに関係した研究施設があるって噂が……もしかしたら、それに関して御堂さんが何か知っているんじゃないかと」

 

「地下にですか……? それも聞いた事がありません。ごめんなさい、お力になれそうもありません」

 

「ああいや、単なる噂で一応訊いてみたっていうか。まぁそしたら、後は特に何もないな……」

 

「すみません、私からもう一つ。話という訳ではないのですが……その、この場を借りて瑠衣さんに」

 

「私ですか?」

 

「……はい。私がかつて、エージェントとして行ってきた事を、改めて謝罪をしたかったのです。……私にはその責任がありますから」

 

謝るなんて、と瑠衣は首を振るう。

 

「――あの時はただお互いが正しいと思っていて、お互いを恨んでいた……それだけだと思います」

 

「正しい、ですか」御堂は重い表情で、静かに言葉をこぼした。

 

「……カゲヤシは、国家を脅かす危機的な存在。それがNIROの"正しさ"でした。我々がこの国の未来の……唯一の希望というそれを、私は信じて疑わなかった。組織の意志の下、必ず歯車としてやり遂げる。そう思っていた。けれど、現実は……」

 

「すみません」

その一言を最後に、やりきれない様な表情で御堂は瞳を伏せた。申し訳なさからだろうか、言葉を詰まらせてしまった。

少しの静寂の後、今度はナナシが話題を変えた。

 

「むしろ目的が分からないのは瀬嶋だ……もう妖主の血は手に入れたはず。これ以上何の必要がある?」

 

「彼とは……最近、話す機会がありました。大切な者をカゲヤシの襲撃によって失ってからというもの、自分は復讐の為に生き永らえ、復讐の為にただ力を追ったのだと。しかし復讐……それがいつしか、己の苦しみを紛らわす為の行為に変わっていた。だとすれば、今の彼には明確な目的などない。……今はただ、己の衝動に突き動かされている」

 

「失う……、それが奴を変えたと?」

 

「ええ、当然その言葉も真実とは限らない。単なる欺瞞なのかもしれません。いずれにせよ、私も今更擁護するつもりはないですが……ただ」

 

そこで御堂は言葉詰まるが、再び重い口を開く。

 

「ただ、彼の執着は普通じゃない。まるで何かに取り憑かれている様で……」

 

その言葉に、ナナシ自身も他人事ではないような恐ろしさを感じた。己にも少しだが思い当たる節がある、と。

 

――もっと力さえあればと思い詰めた時、紛い者に苦戦した時の自分だ。

もし紛い者との戦いの中で瑠衣の身に何かあったとしたら、自分もなりふり構わなくなっていた可能性はある。力というものは、時として酷く人を狂わせる――ナナシ自身もそれは実感していた。

 

「力に執着……か」

 

「……これまで通り、彼は手段を選ばないでしょう。それからあの霞会志遠という人物……どこか不自然な点が多い。皆さんも、くれぐれも気をつけてください。……それでは私はこれで。先程のビルに何か残されているか、調べる必要があります」

 

…………御堂さんを見送った後、「ここで解散にしようぜ」とノブ。

 

「――俺も一足先にアジトに戻る。ナナシ的にもその方が良いだろ」

 

「……その方が良い? 別に俺はどっちでも――」

 

「言わせんなって、二人きりの方が攻略できるだろ?」

 

ノブの言わんとする事を察したナナシは、嬉しいと思うよりも余計なお世話だ! という感想が先に来た。

「お膳立てはしたからなー」と満足気に走り去っていく彼を見送りながら、ただただ、やりづらい……と目を細めるナナシ。

 

「攻略ってどういう意味だろう?」と瑠衣の質問が飛んできたので、ナナシは屋上の出入り口を細目で見つめながら応じる。

 

「ノブはな、エロゲのやり過ぎでたまに変な事言うんだ。気にしちゃいけないよ」

 

「事情が色々あるんだね…………エロゲ?」

 

「あっ……まあ、それも気にしないでくれ」

 

瑠衣は何かおかしいと感づいたのか、恐る恐るといった表情で訊ねた。

 

「……何故?」

 

「語れば長くなる、それに刺激も強い。そういう意味ではかなり危険なものだ。瑠衣にはまだ早い……」

 

子供扱いされたと思ったのか、瑠衣は不満そうに唸っている。

 

「むぅ……まぁ、いいけどさ。それじゃいつか聞かせてね」

 

「おうよ」

 

 

 

 

 

 

御堂がラジオ会館の調査に向かった後も、ナナシらは屋上に留まり続けていた。

瀬嶋という男についての謎。その疑問を晴らそうと話し込む内に、いつしか二人の議論は白熱していた。

奴はあくまでも倒すべき敵だ――というナナシと、瀬嶋にも何か理由があったのかもしれない――という瑠衣。

 

中々相容れず、ナナシは腕組みをして頭を悩ませる。

 

 

「――復讐か。しかし、分からないな。確かにカゲヤシが先に攻撃を仕掛けたなら、恨むのも分かるんだが……。けど、先にエージェント達の方から狩りを始めたのに……それに対してカゲヤシが反撃して、結果エージェント側に被害が出たからってさ……言い方は悪いかもしれないが、それは仕方のない事なんじゃないか?」

 

カゲヤシ狩り組織の実質トップである瀬嶋も、それを承知の上で任務に身を投じていたはずだ。勿論、憎しみに理屈など通用しないと言えばそうなのかもしれないが……

 

「――俺から見れば自業自得で、とても許されるような事じゃない」

 

「……ナナシの言う事は正しいと思う。昔の私も、きっと同じ考えだった……ううん、今もそこは同じで、あの人の事はやっぱり許せないよ。ただ……」

 

思い悩む瑠衣の素振りに、ナナシはかける言葉を見つけられずにいた。

――瀬嶋には瀬嶋なりの理由がある。そう思えるのは、彼女の優しさ故か。しかしそれにしても、拘りすぎじゃないか? と彼は思う。なぜ瑠衣は、そこまでわけを知りたがるのか……

 

瑠衣は今一度、ゆっくりと語り始めた。

 

「……母さんにも、理由があった」

 

「――昔は母さんの事を分からずやだと思っていたし、結局私と母さんは、直接戦う事にまでなってしまった。けど本当の事を知って後悔したんだ。母さんは酷く人間を嫌っていたけど、それにだってきっかけがあったんだって。ずっと誰にも言わなかったきっかけが……」

 

「だから、あの人にも理由があるのなら……すごく……悲しい事で……。けど」

 

「――けど、やっぱり母さんの血を狙って、私達カゲヤシをずっと狩りたてていたのも事実で……」

 

苦悩し、彼女自身答えを出せていない事が痛いほど分かったが、ナナシは沈黙する他なかった。

 

(まあ瑠衣の言う事だって分かるんだ。俺にとっては優だってそうだった……純粋な敵同士だったが、俺はあの時とどめを刺さなかった。今は、そうして良かったと思ってる……だが瀬嶋はどうだ?)

 

瀬嶋は目的の為ならどんな手であっても使うという男だ。

先の御堂さんの言う通り、その復讐という口実自体が欺瞞かもしれない。同情を惹き、あわよくば味方に引き入れる為の嘘とも考えられる。

むしろ、その方が自然だろう……それがナナシの結論だった。

 

「瑠衣、あまり瀬嶋の言う事を真に受けるべきじゃない。実は嘘で単にまだ血が欲しいだけ、それも理由になり得るだろ? もう何が事実かそうでないか……それを確かめる術はないんだ」

 

「――それにもう、何もかもが遅すぎる。今更奴に情けを掛けた所で、皆が納得するはずもない……」

 

彼女は静かに頷く。

 

「ナナシ。やっぱり終わらせる為には、いずれ倒すしかない……んだよね」

 

「……それ以外、道はないはずだ」

 

 

瑠衣は、彼のその言葉を噛み締める。後は自分の覚悟だけなんだと――空を仰ぎながら心に言い聞かせた。

 

 

 

――第二アジト

 

 

ビル屋上を後にしたナナシと瑠衣の二人は、アジトにてヤタベと談笑していた。

 

「いやあ、良かった良かった。ナナシ君達とはぐれてしまったから一時はどうなる事かと思ったよ」

 

ヤタベは胸をなで下ろし……続いて出迎えてくれたマスターこと姉小路瞬も頷いた。

 

「どうやら私達とは入れ違いだったようだ。しばらく連絡も取れなかったから、本当に心配した」

 

「ごめんなさい叔父さん。色々と余裕がなくて……」

 

少々申し訳なさ気な瑠衣に、「大丈夫だよ瑠衣ちゃん!」と鈴の声。

優しく微笑みかける、ゆるふわマスコットガールこと森泉鈴。癒されそうな光景だが――

 

「私なんてヤタベさんのお手伝い以外、なんにもしてないから! あ、カレーパンは食べてましたッ!」

 

眩しい笑顔の下、今もおかわり分のカレーパンを抱えている鈴が、ハムスター並にばかすか頬張っている。やはりと言うべきか狂気じみた大喰らいに、瑠衣は困った様な笑顔で応じた。

 

「鈴、ありがとう……。お手伝いって?」

 

その疑問に、ヤタベが部屋の奥へ視線を流した。その先に、パイプイスや折り畳み式のミニテーブルが新しく置かれている。

 

「私らにも何か出来ないかと思って、車から少し荷物を運び入れていたんだ。一緒に居た鈴ちゃんも手伝うと言ってくれてね。本来女の子に手伝わせるなんて、するべきじゃないんだけど……」

 

「いいんですッ! それに、お礼を沢山頂きました!」

 

と、鈴が引き続き"お礼"を次々口へ放り込みながら、顔を輝かせている。

マスターは皆へ向けて微笑んだ。

 

「皆お疲れ様、ヤタベさんもお疲れでしょう。みんな何より無事で良かった。今はしっかり身体を休めなくては。そうだコーヒーでも――あぁ、それだと眠れなくなってしまうな」

 

決まりが悪そうな照れ笑いに、ヤタベさんが朗笑で返すと、他の者もつられて笑った。

 

「まぁでも私は一杯貰っておこうかな? 一息つきたいしね」

 

奥で談笑していたゴンとノブが笑い声に反応してか、ナナシ達の方を見、お互いに平手を挙げて応じた。ついさっきまでの情勢が嘘に思えるような穏やかさだ。

早速コーヒーの用意に取り掛かったマスターを後ろに見やってか、「それでしたらご一緒に、お食事の用意でも」とサラがヤタベらに微笑む。

 

「サラさん、いいのかい? いつもすまないね」

 

「いえ。メイドとして当然の嗜みでございます」

 

マスターがコーヒーの用意を始め、周囲も食事や菓子の用意などをし始めている。

そんな中……テーブル席に腰掛けて一息つくナナシに、美咲がすすっと歩み寄る。

 

「……お兄ちゃん、無事で良かったよ」

 

気恥ずかしそうに言葉を掛ける彼女に、ナナシは立て肘をついて明後日の方向を見ている。

 

「なんだ改まって。金か? ないぞ」

 

「お金じゃなああああいッ! 折角真面目に人が心配してんのに~……」

 

「日頃の行いだぞ。……ところで、藍って子はどうだった?」

 

「え? ……っと、それが全然説得できなかったよ。むしろ危うくやられる所だったというか、あの変な音に救われたけど」

 

「駄目だったか……どれも上手く行かないな」

 

「う~、優って人も一緒に説得してくれたんだけど。結局駄目でさ」

 

「あ、あいつがぁ? そんな奴だったっけあいつ……」

 

 

 

 

 

 

ちょっとした慰労パーティがお開きになり、しばらくして、皆が寝静まった頃……いまいち寝付けずにいたナナシは人の気配に気が付いた。

起き上がり、その気配の主を見た瞬間……

最悪の事態にナナシの目の色が変わり、その巡り合わせの無慈悲さを呪う事となる。

 

……人影があのヒロだったからだ。

 

「ヒロ、なんでここが分かった」

 

「まだ寝ぼけてるのか? ……言ったろナナシ。"お前は俺"なんだ」

 



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22.闇夜の決闘

スピード重視で書いてってます。ここはこうした方が良い、ここおかしいんじゃないの? などありましたら指摘頂ければぁ……と言いつつ、そもそも読んでいる方がおられるのかどうか。


「ま、正確に言えばお前は偽者か……。この状況がどういう事かは分かるよな?」

 

「どっからどう見ても攻めて来た。だろ?」

 

「まぁ……そういう事だ、だがチャンスをやってもいい。……着いてこい。妙な真似するなよ」

 

 

 

 

二人が去ったのを見計らったノブが、そっと起き上がる。

 

(ヒロの声だったよな……あいつ、どういうつもりだ? そもそもなんでこの場所を……)

 

出口の向こうを見つめながら、一人静かに思案を巡らせていた時だった。横からゴンがそろりと現れる。

 

「ノ、ノブ君……」

 

「ゴンちゃん。起きてたのか……ってこれ、いつかの時と同じだな。ハハハ」

 

「だね。あはは……ってそれどころじゃないよッ!」

 

「うぉッ!? お、おう、そうだったな……って、皆起きちまうぞ……!?」

 

「あっ。そ、そうだった。ごめん」

 

「いやすまん、俺こそつい現実逃避しちまってた。こうしてる場合じゃない、早いとこ追いかけようぜ」

 

「うん。けど、無事に行けるかな……もしも出口に見張りでも居たら……」

 

「……確かに。可能性あるな」

 

「でしたら私の教え子に、まず外から様子を伺わせましょうか」

 

「サラさん……!? サラさんまで起きてたとは……」

 

 

 

 

――若林公園

 

 

夜、それも店舗の並びから離れた場所とあって、周囲には何の人影もない……

暗く染まる広場に立つ者はナナシとヒロの両名のみだ。

 

「……ナナシ。一つ訊いておくが、本当にこの街から離れる気はないんだな?」

 

「勿論。そんな気はさらさらない」

 

「なら話はシンプル。俺が勝った場合……残念だがアジトを襲撃する事になる。隠れる場所はないと思え。……ただしお前が勝ったら、好きにするといい。いいか。それ以上意地を通すというなら、俺を倒してみろ。……やれるものならな」

 

ヒロは、えくすかりばーを逆手に持って構えた……この前と同じ姿勢だ。

 

(またあのスタイルか……それにあのやりずらい左持ちの構え。……おまけにこちらは素手、面倒な事になりそうだな……)

 

 

 

 

遅れて公園前にノブとゴンが到着した。サラはアジト周辺の警戒を引き受け、ナナシを追ったのは彼ら二人だけだ。

 

ただ、駆けつけたはいいものの特に手の打ちようもなく、ただ草むらの影からしばらく戦闘を見守るしか出来なかった彼らは、徐々に焦りが募っていく。

ナナシはかなり苦戦しており、仲間である自分達が何も出来ない事実にもどかしさを感じていた。

 

「こ、これってさ。やっぱりマズイ……マズイんだよね。まさか、このままじゃ……」

 

「冗談よせって。ナナシが負ける訳ないだろ……!? あいつは今までもずっと勝ってきたじゃないか。それを今更……!」

 

ナナシは秋葉原の危機をその身で救ってきた。今まで幾度となく助けられておきながら、それを今更疑う様な言葉を吐く事などノブには出来ない。

だから、負ける事はないんだと彼は信じたい。それでも不安は確かにあって、その葛藤にノブは焦り、苦しめられていた。

 

「い、今ならまだ間に合うよ。止めに行こう!」

 

「待つんだ、ゴンちゃん!」

 

「で、でも! はやくしないと……」

 

「あいつは一人で行ったんだ。俺達が覚悟を無駄にする訳にいかないだろう……!?」

 

「け……けど」

 

「分かってる、分かってるんだが~……」

 

(どうすれば良いんだ!? 俺にはナナシを信じて見ている事しか――!)

 

……その時、ノブは後ろから近づく足音にハッとした。振り向くと、そこには心苦しそうに胸を抑え、戦闘を不安げに見つめる瑠衣の姿があった。

 

「瑠衣ちゃん……!?」

 

「ナナシ……!」――すぐに身を翻し、彼女は駆け出す。

 

「瑠衣ちゃん、どこへ――」

 

ノブが咄嗟に手を伸ばして制止しようとするも、そのまま暗闇の向こうへと消えていく。

 

彼女は意を決し、秋葉原の夜の通りを走り抜けていた。

 

(きっと……私に出来る事があるはず……!)

 

「待ってて、ナナシ!」

 

 

 

 

瑠衣が向かったのは、以前ナナシと訪れた武器屋の前。

もう夜分遅くにも関わらず、武器屋の入り口からは未だ明かりが漏れていた。

 

(他のお店は殆ど閉まっているけど……まだここは開いてる……?)

 

(お願い……間に合って!)

 

店の入り口へ駆け込むなり、大きな声で店主を呼んだ。

 

「おじさんっ!」

 

祈る様な心境だった彼女にとって幸運にも、レジ奥から店主の老人が出てきた。

 

「なんだ全く……こんな遅くに――」

 

老人が不満を言い終えるよりも早く駆け寄って、前のめり気味に問う。

 

「剣、出来ていますか……!?」

 

「あんたか。なんとか出来てるがこんな時間に――」

 

「お願いします! このままじゃナナシが……! 時間がないんですっ!」

 

悲痛な表情の訴えを見てか、先ほどまで文句たらたらだった店主はふっ、と優しく口元を緩ませた。

 

「……お前さん、あの男と似てるよ。……そう焦るんじゃない。用意なら出来てるからな」

 

布に包まれた長剣を手渡して、にかりと銀歯を見せる。目元は相変わらずサングラスで見えないが、以前の様な偏屈さとは無縁の笑顔だった。

 

「泣きそうな顔してる場合じゃないんだろう。しっかりやりな」

 

瑠衣が力強く頷いたのを見た老店主は、それでいい、と満足気だった。

 

 

 

 

引き続き戦闘を傍観していたものの、やはりどうする事も出来ずにいたノブとゴン。ただただ時間だけが過ぎていた。

もはや二人の会話も途絶え、戦闘の様子に彼らは釘付けで、その行方を固唾を呑んで見守っていた。

 

そんな静寂を破るのは携帯の着信。ノブは咄嗟の藁にすがるように、訳もわからないまま反射的に電話に出ていた。

 

「俺だ、どうしたんだ瑠衣ちゃん!?」

 

《剣があります! この剣があれば……!》

 

「おぉ! 武器か、よし! ……あ~、……ただ、どうやって渡すんだ?」

 

《……それは》

 

「とにかく、分かった。公園近くになったらまた教えてくれ!」

 

携帯をポケットにしまうなり、すぐにゴンの方を見た。

 

「瑠衣ちゃんがナナシの剣を持ってきたらしい。……ただ決闘の中、俺達が出て行く事は避けたい……そうだ、投げ入れてやれば良いか? 俺ら人間の肩じゃムズいかもしれねーけど、瑠衣ちゃんの協力があればさ」

 

「……それなら確かに。けど、ナナシは気付くかな……? ただでさえ意識を集中してて、あんな目まぐるしく動き回ってるのに……」

 

「そうか、そうだよな……戦ってる中で、丁度足元へ投げ落とせるかどうか――それにナナシがすぐ気づけば良いが。……くそっ、剣はあるんだ。賭けだがそうするしか――」

 

ノブはふと、ゴンが手に持つカメラを見た。

 

「――それだ!」

 

「これ? やっぱり手に持っていないと落ち着かなくて。はは……」

 

「それだ。それを使うんだよ」

 

「こ、これを? でもこれ壊れてて、写真は……」

 

「それでも良いんだ。フラッシュは焚けるか?」

 

「フラッシュは生きてるからまぁ……そっか!」

 

ゴンは早速カメラを構えた。ノブがそちらへ顔を寄せて訊ねる。

 

「あいつがこっちを向いた一瞬を狙えるか?」

 

「分からない……けど、やるしかないんだ……!」

 

咄嗟の機転によって作戦は決行された。

一瞬の場面を切り抜くシャッターチャンス、ゴンはその瞬間をじっと待っている……

 

 

……一方公園広場では以前激しい戦闘が続く。いささか一方的ではあるが。

 

ヒロは容赦ない攻撃を止める事のないまま、ナナシに言葉を投げる。

 

「正直な所、お前にはがっかりした。拍子抜けだ」

 

ただ攻撃を避ける事に集中するナナシに、分かっているのか、とヒロは癪に障っている様な様子で問い詰める。

 

「わざわざ俺はこの公園を指定したんだ。本来ここは俺の戦い方を、立体的な動きを行うには不向きな場所……」

 

ナナシは息を弾ませながら、挑発的な笑みを返した。

 

「確かに、お前の妙に変わった戦い方には合っていないかもな。どこで学んだんだか」

 

「我流さ。紛い者は空中戦が苦手だからな。お前も何度か戦っているはずだ。奴等の筋力は驚異的だが、身軽に飛びまわるような戦いには向いてない」

 

「確かに、あの馬鹿力じゃあ向いてないかも、な」

 

「……だから奴等の苦手な空中戦主体で戦うようになった。紛い者狩りの戦い方とはいえ、こいつはカゲヤシにも応用できる。俺はいつしかそれが得意な戦法になった」

 

「――それでもあえてその戦法を活かせないここにしたのは、フェアな状況で戦いたかったからだ。俺だけ有利じゃ決闘とは言えない」

 

「――なのにこのザマだ。……俺は実力もない癖に粋がる奴が嫌いでね」

 

「……そうかよ、勝敗も着いてないのにペラペラご苦労な事で……! それとも口喧嘩に変える?」

 

「こいつ、相変わらず調子に乗りやがって……! そのくせ防戦一方か!?」

 

――ナナシは襲い掛かる刃をすれすれの所でかわす。

 

(っと! ……煽ってしまったものの流石にやばいな、正直このままじゃ時間の問題か。何か糸口はないのか……!?)

 

なんでもいい、何か使えそうなものは……ナナシが引き続き回避機動を取りつつ、周囲を見渡した時だった。

 

(光……!?)

 

フラッシュが焚かれた事に反応し、首をそちらに向けた。野次馬に見られていたのか、とその先を凝視した時。ナナシは――

 

(――あれは!)

 

こちらへ飛来する剣をナナシは視認した。

 

「どこを余所見してやがる!」

 

彼方から空を斬り裂いて届けられた"えくすかりばー"。ナナシは咄嗟にそれを受け取り、ギリギリの所でヒロの剣撃を捌ききる。

 

ヒロは警戒したのか一度距離を取り、剣が飛来した方向をちらと見ている。その間、ナナシは新しくなった相棒の感触を確かめるように、その場で何度か剣を振るった。

 

――軽い。

カゲヤシの腕力があるとはいえ、それでもこれほど……元の倍ほどは刃が長くなったというのに、気にならない。

刃渡りが伸びていながらも、少しも持て余す事がない。以前までの様に片手でも難なく扱え、手になじむ。

一通り手応えを確認した後、握る剣を振り上げ、斜めに下ろした剣先に左手を添えて構える。

元来の相棒を取り戻し、研ぎ澄まされた剣と同調するように、ナナシの意識には一糸の乱れもなくなった。

 

「なるほどね」――周囲を練り歩くヒロは、剣を投げて弄びながら、品定めするようにそちらを見る。

 

「……それがお前の本気ってワケか」

 

ヒロの眼光が一層鋭くなった。

 

「……望むところだ」

 

 

 

 

ついに本当の戦いが始まった。ナナシは冷静に相手を見据え、自問自答する。

 

(……さて、今一度整理しなきゃならないな。何故ヒロがわざわざリーチの短くなる逆手持ちに変えたのか、そもそも、何故あいつが剣を左手で握っているのか)

 

――ヒロと一回目、二回目の戦いを経てから今まで、それをずっと考えていた。

そしてヒロの普段の仕草、カフェで久しぶりに会ったときの仕草。それらを良く思い返してみれば、彼は右利きのはずだった。それでもあえてあの構えを取っている理由……

 

(――恐らくあいつの本命は剣を持たない側の右腕、そしてそこから繰り出される脱衣。剣はあくまでそれに繋ぐ為の牽制に過ぎず、逆手持ちに変えたのもお得意の高速脱衣をやりやすくする為……と仮定すれば)

 

前から薄々察していた事だが、早い話、あの右腕の射程圏内に入った時が一巻の終わりという事だ。

であるならば、この長剣を仕立てたのは正解だったとナナシは確信する。彼はヒロの間合いに付き合わず、剣のリーチ差を最大源活かす戦いを展開した。

 

思惑通り、先程とは変わりナナシが優勢となっている。ヒロもまだまだ負けていないものの、今までの余裕さは既に失せていた。

 

「ナナシ! 何故お前はそれ程の力がありながら……! いや、どれほど強かった所で結局は無意味なんだ、それに気づかずに……!」

 

「何度も言わせるな、そんなのやってみないと分からんだろ!」

 

「お前だけが強くても無意味なんだよ! お前一人だけじゃ……考えが甘すぎる!」

 

「甘い? お前の甘さは棚に上げるつもりか」

 

「何……!?」

 

「なんで正々堂々と、しかも塵にもできないこの夜に決闘を仕掛けた? いや、そもそも何故最初の戦いで俺を見逃した? ……簡単さ、お前は俺と同じ類の馬鹿野郎って事だよ」

 

「それは……」

 

「さっさと秘密裏に俺や邪魔な奴だけ始末すれば、事はもっとお前の思惑通りに運んだかもしれない。……なぜ無慈悲になりきれない? ……お前だって諦めきれてないんだ。本当は分かってるんだろ……?」

 

「違う……! お前が塵になれば瑠衣が悲しむ。そうは……させたくなかっただけだ」

 

「ヒロ! だったら――」

 

「……俺は! もう瑠衣が悲しむ所を見たくなかった。塵になっていく仲間も! それを何回繰り返してきたと思ってる!? ……お前には分からないだろ。お前は何も知らないで……! お前に俺の何が分かるんだよ!」

 

「……それくらい分かるさ」

 

「分かるだと!? 何様のつもりで……!」

 

「"お前は俺"だからだ。……だから分かる。お前が良心に苦しんでいる事も、まだこの街を諦め切れていない事も、同じ俺には理解できる」

 

「――ヒロ、未来はもう変わったんだ。お前が俺だと言うのなら……今ここには同じ俺が居る、お前一人じゃない。お前の戦いはもう孤独じゃないんだ」

 

「黙れ、その減らず口を――!」

 

ヒロは感情に身を任せ一直線に突っ込んでくる。その隙を逃す訳もなく、ナナシの冷静な剣戟が彼を捉えた。――その一閃をすんでの所でかわしたものの、彼が身に着けていた腕時計に剣先が掠り千切れる。

 

しかしたかが腕時計、何の支障にもならない。

 

……誰もがそう思う所、何故かヒロは、己の腕から離れていくそれに反応した。反射的に庇おうとして、空を舞う時計を掴みに行ったのだ。

 

――腕時計が手中に届こうかという時、ようやく戦闘に意識が引き戻る。

慌ててヒロはその行動を中断したものの、既に脱衣を繰り出さんとするナナシの腕がそこまで迫っていた。

 

(まずい! 脱がされる……! 俺が!? ――いや!)

 

咄嗟にヒロはカウンターを試み、逆にナナシの袖口を掴もうとする。最初に戦った時も、神速とも言える脱衣返しによって彼は勝利した。

それがまた繰り返されるだけだと笑みを浮かべる。

 

(まだ脱衣の腕は俺が上……! 俺なら――勝てる、脱がし返せる!)

 

己のスピードなら、ここからでもカウンターを決められる。脱がしに来た奴の袖口を掴めば――

しかし彼の予想は裏切られる。

 

ナナシが伸ばした腕はフェイントで、代わりに剣の切っ先が襲い掛かる事となる。

それは完全に予想の裏、虚を突く形となり、ナナシはこれが最大にして最後のチャンスだと確信した。

 

(――実戦では初めてだが、やるしかない!)

 

次の瞬間、ナナシは剣先で衣服を掠め取る離れ技をやってのける。それは剣の間合いの長さを最大源に活かすため、剣による脱衣を密かに修業していた成果だった。

 

 

 

(嘘、だろ……!? 俺は……負けたのか……?)

 

驚愕し、放心状態となっている所へナナシは告げた。

 

「……俺の勝ちだ。ヒロ」

 

 

 

 

 

 

「……なんだ。アジトを襲撃するって嘘だったのか?」

 

ナナシが問うと、ヒロは服を着直しながら「全部が嘘じゃないが、そんな所だ」と相変わらずダルそうに応じた。

 

「――そもそも今、俺が指示を出せる人員なんて居ない。単にそう脅して、街から追い出そうと思っていた。……最悪抵抗するなら、俺が瑠衣だけでもどこかへ退避させるつもりだったけどな。現妖主を秋葉原に置いておくのは危険すぎる」

 

「……けど、もう俺達の好きにして良いんだろ?」

 

「ああ。仕方ないからもう諦める……俺は、残された最後の仕事を完遂させるだけだ」

 

「……なんだよそれ」

 

「後で説明する。それより教えてくれるか。どうして俺の言う事を信じた」

 

「言う事?」

 

「お前は俺だっていうあの言葉だよ。最初、お前は妄言だと相手にもしなかった。それをなんで今になって信じた? ……知るはずのないアジトの場所を、俺が知っていたからか」

 

「アジト? そんなの些細な事だよ。正直説得する為に必死で、お前の言う事が嘘か本当かなんてどうでも良かった」

 

「……そうか」

 

「最初はな」

 

「――けど説得している途中に、お前の訴える姿を見て、聞いている内に……嘘だとは思えなくなった。なんだかんだ言ってもお前は親友で、その親友がああまでして言った言葉を……嘘だと切り捨てる事は俺には出来なかった」

 

俺は甘いからな、とナナシは意地悪くニヤニヤしている。

 

「……馬鹿が」

 

ヒロは悔しそうに吐き捨て、続けた。

 

「お前は何か勘違いしてる」

 

「……何が?」

 

「まず、親友になった覚えはねぇ」

 

「……昔助けられといてそれを言うか」

 

「あれで助けたつもりかよ! とっくに血を吸われた後だっただろが!」

 

「ふん。そこまで面倒見きれるかよ」

 

「……ちっ、もう良い。それよりさっさと行かなくていいのか」

 

そう言って、えくすかりばーが飛来してきた草陰に指を向けた。

……当然かもしれないが、ヒロも自警団の誰かが居ると察していたのだろう。

 

ナナシが離れていくのを見て、ヒロはそっと地面に手を伸ばす。その手中には紅い文字盤の腕時計が握られていた。

時を刻まない秒針を見つめながら、感傷に目を細める。

 

「お前なら本当に変えられるかもしれないな。未来を、この先の結末を……」

 



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23.本部攻略

\ソウダソウダー/ いいから出せよ!アキバズトリップ3の抱き枕&おっぱいマウスパッド限定セットをよ! \ハヤクダセェー/

ファーストメモリーはノブパイセンの流儀に則り保存用・使用用・観賞用で買いました。
しかし結局保存用・保存用・保存用になってしまっている現実よ。


小説の方は……とりあえず駆け足ですがこれで三章終わりっ! 勝ったなガハハ!

秋葉原の勝利である。(大本営)


「皆さん。……ナナシさんは?」

 

サラが後ろから問うと、立ち上がったノブが満足そうに答えた。

 

「……勝ったよ、あいつは」

 

当のナナシが、ちょっと照れくさそうに歩み寄る。

 

「ノブ、皆。……来てたのか」

 

「ナナシ! 当然だろ。ったくひやひやさせやがって、けど信じてたぜ」

 

「い、一時はどうなるかと思ったけどね」

 

ゴンが笑い、「ホントに心配したんだよ?」と安堵する瑠衣。

 

「急に一人で出て行っちゃうんだからさ――はぁ、良かった。ヒロ君とはどうなったの?」

 

「それが、どうやら協力してくれるみたいだ。まだ話の途中なんだけど……皆にはアジトへ戻っていて欲しい。もしかしたら、すぐに自警団で動く事になるかもしれない」

 

「オイオイこの時間にかよ。……この時間だからこそ都合が良いって事か?」

 

「ヤ、ヤタベさんとかキツいんじゃないかな。流石に」

 

ノブ・ゴンの会話に「それより」とサラが割り入って、ナナシに問いかけた。

 

「疑う訳ではないのですが、ヒロさんは本当に大丈夫なのでしょうか?」

 

「無論。順風満帆、大丈夫すぎて逆に不安を覚えている」

 

「……失礼しました。それなら安心ですね」

 

「いやサラさん、本当に今の答えで良いのか」

 

ノブの突っ込みに、サラはにっこりと答えた。

 

「ナナシさんなら、そしてヒロさんなら大丈夫でしょうと、私の判断です」

 

しばしの談笑中、ヒロの手招きに気付いたナナシは「悪い、また後で」とその場を離れていった。

 

 

 

 

「ヒロ、どうした?」

 

「悪い。話の続きをしたかったんだ。……実は今、坂口から召集命令が出ている。思うに奴は部隊を再編し、明け方に今度こそ最後の戦いを仕掛けるつもりだ。俺はこの短い準備期間にチャンス、つまり付け入る隙があると思ってる」

 

「再編してまた動かれる前に、先にこっちから潰す……か?」

 

「そういう事になる。俺はそこへ味方のフリをしたまま再編活動に紛れ、捨て身の暗殺で坂口の首を取ろうと思っていた。念の為、お前達を秋葉原から逃がした後で」

 

「結構大変そうだねそれ」

 

真剣なヒロとは対照的に、談笑モードでどこか他人事みたいな振る舞いで返した。

言い訳するとすれば、決闘の緊張感から開放された安堵のせいもあったのだが……そんな気の抜けた態度が気に食わなかったのか、ヒロは眉間にしわを寄せ、わなわな身体を震わせる。

 

「バカ! もうここまで来たら、お前らにも手伝って貰うからな!」

 

「分かってるって、勿論そうする。……今バカって言ったよね? まあいい、そうなると早速行かないとなのか……? あの、寝てないんだけど」

 

恨めしそうな顔でヒロを見たものの、彼はいよいよ呆れた様な声色で諭した。

 

「おい、最後のチャンスかもしれないんだ。それくらい我慢しろつの」

 

マジかよ……としばし、やつれ顔でぼけっとしていたナナシだったものの、ようやくスイッチが切り替わったのか真面目な調子になる。

 

「しかしなるほど、スパイの為に敵に与してたって事か……敵を騙すにはまず味方からとは言うが」

 

……素直に賞賛したつもりだったが、何故か口を曲げてそっぽを向いてしまう。

 

「ふん、ただ気が変わっただけだ。分かったらさっさと協力しろ」

 

不機嫌そうに腕を組む様を見て思わず、やれやれと乾いた笑いが出た。

不器用な奴……と視線を送るナナシに対して、これまた不器用な照れ隠しの怒りを向けてくる。

 

「……聞いてるのか!? 他の皆にも今の内に準備して貰うからな!」

 

「はいはい」

 

 

 

 

午前四時頃。

 

まだ周囲は薄暗いが、まもなく日の出も近い頃。ヒロの先導により二人は目的地に到着した。

ナナシは冷えたコンクリート壁に背を這わせ、商業ビルの暗がりから向かいの通りを観察する。

 

話の通り、確かに坂口の兵隊がいる。

道路脇には黒い外国製SUV、大型の七人乗りタイプ……その車列が停車していた。ドアの窓ガラスには車体カラーと同じ、漆黒のカーテンが張られている。

 

それぞれ車の運転席横には人が立っている。恐らくドライバー役だろう。後部座席からは兵隊達が次々と乗り込んでいる。様子を見るに、出発はまもなくのようだ。

様子を伺っていると、そこへヒロが身を寄せてきた――「あれで間違いないな」と共に車列を見据えている。

 

「――なるほど真の目的地はここじゃない。ここから更に移動する……もしかすれば、行き先は活動本部かもしれない」

 

「……活動本部? なるほど分からん。説明しろヒロ」

 

「つまりだ」……半ば呆れながらも律儀に説明を続ける。

 

「言い換えれば奴らの本丸、拠点、アジトって事だ。それを直接攻撃できるかもしれない。俺達も本部の存在は耳に挟むが、良くは知らないんだ。恐らく限られた人員にしかその所在は伝えず、人知れず存在を隠していた。つくづく用心深い男だ。……だが今の奴は余裕を失っている。リスク覚悟で全員を召集させたかもしれない」

 

「とりあえずチャンスなのは分かったが……ここからどうするんだ」

 

ナナシは「……まさか」とそこで言葉詰まってから、今度は必死に訴えた。

 

「このまま追うのか? 生身で走って?」

 

「それ以外に何がある」とヒロは警戒の目を車に向けたまま、素っ気無く返してくる。

 

「あ、悪魔たん……!? 無理に決まってるだろ! 鬼! 外道!」

 

正気じゃねえ、と文句たらたらで引き続き愚痴っている。そもそも彼は今機嫌が悪いのだ。

色々振り回されて眠れなかったそれが、ここに来てボディーブローの如くジワジワ効いている。……世界で二番目に好きなのは寝る事、な彼としては虫の居所が悪い。

 

今この怒りを収められるのは瑠衣くらいのものだ。そう睡眠より尊いのは彼女くらいなんだよ!

ふざけやがって! 野郎ぶっ殺してやらあ! と意味もなくナナシのボルテージは高まっていく。

恐らく寝ていないのがかなり効いてきている。

 

そろそろ暴走しそうな所で、はあ、とヒロは軽くため息をついてから一喝した。

 

「ったく、つべこべ言うんじゃないバカ!」

 

「なんだァ? テメェ……」

 

お前の方がバカだバーカ、とナナシがヤジを飛ばしていたが、ヒロは構わず話を進めた。

 

「いいか、聞け! こっちも車やらで追うのは目立ちすぎるだろ。……それより、奴らが出発する前にミラースナップをかけておくべきだ」

 

(くそっ……悲しいけどこいつは瑠衣じゃない……ヒロなんだな)

 

ナナシは急に物悲しくなり、あれ程沸騰していた感情が静まってようやく大人しくなった。……ヒロに従い、パシャリとシャッターを押す。

 

「思った以上に殆どカゲヤシだな……紛い者はほぼ居ないぞ?」

 

カゲヤシの方が圧倒的に多い、それは本来喜ばしい事であったものの……ナナシはビミョーな顔で画面を見つめている。きたる決戦に向けた最後の戦力が、こんなにも絞りカス……と言っちゃあんまりだが、こんなものなのか?

ヒロも撮影結果にいまいち納得出来ていないようで、首を捻るばかり。

 

「おかしいな……俺の時はもっと大量の紛い者が居て苦戦してたんだ。それこそ、坂口が居る本部なんて特定してる余裕もない程に」

 

「さぁ、今までの戦闘で損耗したとかじゃないのか。それか坂口に嫌気が差して、離反してった線もありうる。あのおっさんのやり方じゃ、不満を持って離れる奴も居るでしょ多分。恐らく、知らんけど」

 

ヒロはスマホを仕舞い、腕を組んでなるほど、と応じた。

 

「そういえば、瀬嶋に人員を奪われたんだったか。……まだ瀬嶋が生きてるの忘れてたよ、ったく。…………そろそろ出発時刻だ。ここで二手に分れるぞ。俺は味方のフリをして、あの車に乗り込む」

 

「……なん、だと? 待て、思ってたのと違う気がしてきた。じゃあ俺はどうするって――」

 

「お前だけが走って後を追うんだ」

 

「それはギャグか?」

 

 

 

 

――執務室

 

 

シックに纏められた、高級感漂うとある洋室。

入り口の向かい壁には、掲げられたN.I.R.O.のエンブレムが威圧を放っている。その下に一つだけ、見るからに高級そうな木材仕上げの大きなデスクがある。

 

それには不釣合いな小柄の男……坂口が座して、資料に黙々と目を通していた。

 

対面には、来客用の白い布製ソファが平行に二つ並べられている。その一つに座っていた恰幅の良い、六十代程に見える風貌の男。何やら我慢ならなそうに立ち上がって、彼の怒鳴り声が閑静な部屋に響き渡った。

 

「一体何をやっている! 秋葉原で派手にやりおって……揉み消すのにどれだけ苦労したと思っているんだ! 秘密裏の活動という話だっただろう!?」

 

坂口は手元のコピー用紙を眺めながら冷ややかに応じた。

 

「そりゃ出来る限りそうする努力はしてますとも。しかし想定外の事態というのもありましてな」

 

上の空な態度に、「何が想定外だァ!?」と火を噴く勢いの男は静まるどころか、ますます感情を酷く露にしていった。

 

「――その為にNIROの人員を回してやったというに! それがこの体たらくで~……!」

 

「別にNIROはあなたのものではない。ただ解体されて行き場を失った者達を紹介した、というだけですな……それにそちらこそ、旨みあっての事でしょう」

 

坂口はいくつもの写真を手に取って眺め、時々眉を動かしては凝視している。

 

ばん、と突如机が音を立てた――怒りに任せて両手を叩きつけた小太りの男が、挑発的な笑みを浮かばせる。

 

「ふん、貴様の言う研究所も眉唾に思えてきたというもんだ。事実まだ見つかっていないんだろう」

 

「私は禁書という、確かな情報を見せたはずですがなァ。あなたはそれで承知したと思っていましたが~……今更信じられないというならご勝手に」

 

「いい加減にしろ……なら今までの投資金を返して貰おうか。逃げても無駄だ。私を敵に回せば最悪、大師本製薬も無事では済まんだろうな?」

 

「ですからご勝手にどうぞ。しかし逃げられないのはあなたの方では……逆にあなたの黒い政治生命が潰える事になる、ですかな」

 

「ふざけるのも大概にしろ!」

 

「……そう怒らずとも、悪い様にはしませんとも。む、失礼」

 

机に置かれていた携帯無線のコール音に反応して、坂口はそれを手に取った。

 

 

 

 

どれ程の時間が経ったか……ヒロは車内で手持ち無沙汰なまま、他に着席している傭兵達と共に揺られている。

当然だが気の知れた間柄ではないどころか、初めて顔を見る様な連中が殆ど……無論、会話の一つもなく、走行音をバックにしてただピリついた空気が流れている。

 

乗り込む前に視認した通り、黒いカーテンによって外の様子は分からず……おまけに携帯は運転手に一律回収され、外部への連絡も、GPSによる現在地の確認もとれずときた。

 

この余程の警戒の入りよう……期待と不安が入り混じり、真一文字に閉じたヒロの唇に更に力が入る。

ナナシは上手くやっているだろうか……

 

 

 

 

他方、ナナシもなんとか車列を追い続けていた。どんどんと生活圏を離れていっている様な……今となってはうっそうと茂る木々の中、荒れた道を駆け走る始末。いくらカゲヤシとはいえ、そろそろ本気で体力がキツいぞ……そう思う矢先の事だった。

ようやく施設らしきものが見えてきた。遂に苦労も報われるか……しかしパッと見ではかなりデカイ。言うまでもなく立ち入り禁止区域の様で、周りは強固なフェンスで囲まれている。

正面ゲートから長い車列が吸い込まれていく様子を見るに、ここで間違いないと思えた。

 

(後はヒロからの連絡を待つか。今の内に皆にも場所を連絡しておこう……ここ電波通ってるよな?)

 

 

 

 

ナナシはせわしなく、スマホの時刻表示を何度も確認する。既に日の出も過ぎているのだが……

 

(おっかしいな……一向にヒロから連絡がないぞ……)

 

暇を持て余すあまり、こっそりと基地へ接近し、フェンスの向こうの様子を伺ってみる。

……結構な広い敷地だ。しっかりと舗装され、奥に横長の大きな建物が見える。見た所十階建て程度の……あれが本部ってヤツだろう。

まさか一からここを立てたのだろうか? いや、不要になった建物を利用していると思える……

 

……眠い。

 

それにしても待てど暮らせど、一向に動きが見えず連絡もない。ここからでは車列がどうなったのかも確認が出来なかった。もういっそ自分も乗り込むかとフェンスを跳び越え、見つからないように気をつけながら奥の様子を伺ってみる……

 

その時ナナシは初めて気づく。何やら敷地内で戦闘が起こっているようだ。

迷彩服に身を包んだ坂口の戦闘部隊と、スーツ姿のエージェントが戦っている。

 

エージェント……恐らく瀬嶋達だ。

まさか、ここに来て瀬嶋も嗅ぎ付けていた可能性が出てくるとは……

 

(なら奴らが潰し合った後に介入すれば、かなり優位に立てる。……だが待ちすぎる訳にもいかないんだよな)

 

出遅れて坂口を取り逃がす訳にはいかない。そしてそれ以上に、ヒロは無事なのかが気になる。

自らも突入するしかない、とナナシはいよいよ覚悟を決めた。

 

それから少し遅れて自警団、そして味方のカゲヤシ達……選りすぐりの末端達と、眷属達から成る精鋭が到着した。

 

その他大勢の末端達に関しては、秋葉原で引き続き姉小路怜の護衛と、街の警戒の為に残っているが……カゲヤシ全員を大移動させるのは色々な意味で無茶があるから、そこは仕方がない。

その分、こちらへ来れる者達は漏れなく来て貰っている。ヤタベさんの持つ複数台の車もフル稼働、師匠も馳せ参じるというフルメンバーだ。

 

事態の終結を図る為に、かくして本部攻略は決行された――

 

作戦は阿倍野優をトップとする、建物周辺の戦闘を担当する部隊……

そして瀬那・舞那をトップとする、本部建物へ進攻する部隊に分かれた。

自警団の戦闘メンバーはカゲヤシ達とは独立した遊撃として、自由に動く事になっている。ナナシは瑠衣と合流してすぐに、ダブプリ達とは別の箇所から本部内に突入した。

 

既に瀬嶋達の破壊工作が始まっているのか、本部内の窓ガラスが一面割られ、日が差し込んでいる。まだ坂口の身柄が、瀬嶋達に確保されていなければ良いが……

先を急ぐナナシだったが、強固な防衛体制が阻もうとする。

 

坂口お抱えのカゲヤシ部隊だ。

 

彼らはいつもの軍用迷彩服は勿論、更に強固なボディアーマーを重ね着して迎え撃つ。

武装においても一味違う。衣服を刈り取る特殊サーベル、その装備はさる事ながら……加えて金属製の黒い鎮圧盾を添えた、かなりの重武装である。

 

……しかし見てくれは派手で一見強そうだが、ナナシからすれば絶好のカモと言えた。

 

過剰な装いはむしろ一定の脱衣技量を持つ者の前では、単なる足枷にしかならない。

ましてやその相手がナナシなど……彼は防護服の最高峰、宇宙服すらその一瞬の内に脱がしきってしまう男だ。手にかかれば身を包む衣服が何であろうと、大した違いはない。

 

そして時折紛い者が相手となれば、今度は瑠衣との連携が発揮される。ユニゾンストリップによって、紛い者の対応策も既に完璧。

扉から、エレベーターから、果ては窓から――続々と突入してくる敵を蹴散らし、電子ロックされた扉だろうと関係なく蹴破る。通路に敷かれた防衛線をことごとく突破した。

所々で瀬嶋派のエージェントが混ざろうがもはやお構いなし。

 

ナナシは瑠衣と連携して確実に相手を倒していく。時折スマートフォンでダブプリと情報交換をしながら、本部内をしらみ潰しに進攻していった。

 

 

 

 

――本部、執務室

 

 

執務室のドアが勢い良く開け放たれ、ヒロが部屋に押し入った。坂口達が居るはずだろう、と事前に予測していた彼は目を疑う事となる。

 

部屋に居たのは坂口ではなく、よく分からない太ったオッサンだった。

 

反射的に、ヒロの脱衣が繰り出される。有無を言わさぬ間にそいつを脱がすが、ここに窓は無い。炭化せずにそのまま絨毯へ尻餅をついた。

露になったビール腹にうげっ、と顔を歪ませるヒロだったが、すぐに容赦なく首先へ剣を突き立てた。

 

「……坂口はどこだ? ここに居たはずだ」

 

「い、い、いや違うんですぅ! わ、私はただ!」

 

情けなく怯える様子、そして見てくれから察する限り、戦闘員ではないようだ。……カゲヤシですらないかもしれない。パンツ一丁でばたばたと廊下を走り去っていったオヤジを尻目に、ヒロは舌を打った。

 

(坂口)とは入れ違いか……!)

 

ヒロは執務室を軽く見渡す。何か置いてありそうなものだが、案外そういったものは殆どなくすっきりとしている。どの道ここで油を売る暇もないが――

 

そう思い部屋を出ようとした時、机の影に落ちているノートへ目が行った。だいぶ古ぼけていて、よれている。

表紙にはクリップ留めでコピー用紙が添付されている……こちらはノートと違って真新しいものだ。

 

なんだ? とヒロは眉を歪ませ、内容に目を通すと、コピー用紙にはワードソフトの類で活字が整然と綴られている。

 

――テキストを参考に、件の実験を行ったものの再現に失敗。

然れども筋組織は正常に機能しており、電気刺激による反応も認められる。

 

所々、数値のグラフが挿入されている。……ヒロは読み飛ばした。

 

――商業用ロボットへの筋移植により、擬似的な運動データ収集が実現した。

他方、実験内容の再現は未だ難航しており、参考資料の不足している現状では、更なる期間及び資金が必要と予想される。

 

……この施設の重要情報でも書いてあるかと思ったが、特に今使えそうな情報はない。ヒロは無表情なまま、次はノートの内容へ目を通した。

 

手書きの字がかすれかかっているが、なんとか判読はできる。何者かによる日記のようだ。

細く神経質な文字で、実験のレポートが日付ごとにただ延々と書き綴られている。

筆者の所見と、それに添えられて図や科学式らしきものの記述、その繰り返し。

 

特に時間を割く価値もないだろうと、流し読みしようとした所でとある一文が視界に入った。

そこには、こう書かれている。

 

――報告を聞いて私は柄にもなく狂喜した。実験は成功したようだ。カゲヤシと人間、それに固執していたのが間違いだったらしい。こんな簡単な事を見落としていたとは盲点だが、自省しなければならない。

色々と試してみる事とする。

 

カゲヤシという言葉のせいか、他の実験文より居心地の悪さをヒロは感じていた。

そして、何より最後の意味深な言葉に目が留まる。

 

『怜、あと少しだ』

 

(……?)

 

まさか妖主を指しているのか、同姓同名の別人か。……俄然、他ページの内容にも興味が沸いてきたヒロは、貪るように読んでいく。

モルモットを始めとする実験用のネズミ科動物、トカゲ等の爬虫類……いくつか貼り付けられている、それらの白黒写真。ヒロは目を背け、余り詳しくは見なかった。ページを進めれば進める程、気味の悪さが増していく様な気がする。……そして、記述されている最後のページに行き着いた。

 

「これは……」

 

固まって、まじまじと内容を見つめる。

まさか、これがあの秋葉原禁書だというのか? そしてこの内容は――しばし呆気に取られていたものの……次第に瞳が鋭くなっていく。

 

その時だった。

 

何かの気配に気付いたヒロは、部屋の扉へ向けて剣を引き抜き、素早く構える。……部屋に入ってきたのはダブプリの二人。

瀬那が敵の一人から坂口の居場所を尋問し、最優先でそちらに向かっていたのである。

 

「姉さん、敵が!」

 

「分かってる」

 

戦闘体勢をとる二人を見て、ヒロは慌てて弁明した。

 

「ちょっと待てって! 違う、味方だ! 秋葉原自警団の……その……ナナシの友人で~……!」

 

こんな事を言っても味方と伝わらないか……と他の解決方法を模索しようとするも、なかなか浮かばない。

 

(くそっ……マズイ、こんなとこで時間を取られてる場合じゃないんだぞ……!?)

 

それまで禁書に執心していたヒロは我に返り、坂口確保を優先しなければ、と思い直す。

しかしこの場を脱するにはどうしたものか……追い詰められたヒロの脳裏に一つ、窮地を脱する為の案が舞い降りた。

形振り構っている暇はない……と、ヒロは大げさに天を仰いで一芝居を打った。

 

「……それよりダブプリに会えるなんて! すげえ、幸運すぎて死にそうだよ! こりゃ自警団の皆とはぐれてラッキーだった」

 

「えっ、もしかしてファンとか?」

 

突然過ぎたのか舞那がぽかんとして見ている……一方、瀬那は全く油断していないようだ。

 

「本当にファンなら嬉しい……けど、流石にこの状況で信じると思う?」

 

睨みをヒロは作り笑いで受け流しながら、じりじりと、少しずつ距離を詰めようとする。

 

「いいや? 本当に自分はただのファンでさぁ……そうだ、サイン貰えないですか? ほら、これに」

 

と、二人へ見せたのは古ぼけたノート、先程の禁書だった。

ダブプリからの返答はない。彼のにこやかさとは裏腹に、息が詰まるような沈黙が部屋を支配している……構わず歩を進め、密かに間合いをはかるヒロ。

 

次の瞬間、瀬那がラジカセによる攻撃を仕掛けた。

ヒロは前傾姿勢からそれをかわしつつ、一気に舞那の方へ肉薄し、驚き仰け反った彼女の胸元に禁書を押し付けた。

 

「……姉小路怜に渡してくれ!」

 

「あっ!?」

 

反射的に禁書を受け取りつつも、急いで部屋を出て行ていくヒロを止めようとした。が、時すでに遅し。

事態もよく飲み込めぬまま、今度は姉に泣きついた。

 

「ちょと、姉さん……!」

 

「……あいつ、ただものじゃない。何故母さんの名前を……それにその本は何?」

 

舞那はようやく、腕の中に抱え込まれたノートへ目を向けた。

 

「ん……なんだろこれ……?」

 

 

 

 

――本部基地、建物外

 

 

「ここらの大勢は決したみたいだぜ。そろそろ白旗揚げちまったらどうだ、それとも引っ込みつかねえってか? あぁ?」

 

優がナイトスティンガーを片手に、いつも通り嘲笑うように瞳を歪め、煽り調子でまくし立てている。そんなパンクロッカーの相手は、同じくしてギターを構えたパンクガール。

 

自身の姉、阿倍野藍。……彼女がその煽りを受けて、あくまでこちらもいつも通り、冷淡に応じた。

 

「ハイエナどもが、漁夫の利を狙っておいて良く言えたものだ……しかし優、仮にもそれが姉に対する言葉遣いか? カゲヤシとはいえ、年上に対する敬意は払って貰おうか」

 

優は冷ややかに鼻で笑った。「同族とすら元から思っちゃいねえよ」、と。

 

「――裏切り者に払う敬意なんざねえ。……そうだろ? 藍サンよ。……気付いた時には姿を消し、お袋からは俺達を裏切ったと聞いた、それがどうして姉だと思えるってんだよ? 当時は親衛隊としてお袋の護衛に当たっていたお前を、俺はすげえと思っていた。いつか俺も手柄立ててやるってな。それが裏切りを知った時、信じていた自分がどれだけバカバカしく思えたか、分からねえよ」

 

「お前はただの、人間に唆された甘ったれだろうが」……その言葉を、藍は黙って受け止める。言い返すつもりがないと見るや、優は更に喋り続けた。

 

「それがきっかけで、あの腹違いの甘いアネキ共にも瑠衣にも、益々嫌気が差すようになった。ケッ……思い出したくもねえ。……まあ今じゃ感謝してるぜ? おかげさまで俺は随分カゲヤシらしくなれた。反面教師ってヤツでなァ」

 

「それで、この退屈な長話が"カゲヤシらしさ"か。……牙を抜かれたか、優」

 

「ああそうだカゲヤシらしさだ。俺はカゲヤシなんだよ、獣じゃねえ。犬共のように首輪付けられて生きるつもりもなければ、考えなしに誰彼構わず噛み付くつもりもねえ」

 

「……牙の使い方は俺が決めんだ、カゲヤシとしてな。俺には俺なりのルールってもんがある」

 

それを貫くだけなんだよ、そう今までとは打って変わり……真剣に、そしてどこか凄むような様子で告げた。

 

「つまり今は牙を剥きたくはねえ。出来ればな」

 

これ以上のやり取りが無意味だと判断した藍は、無視してエレキギターを振るおうとする――

 

「――確かミサキ、っつったか」

 

彼女はその名に目を細め、ぴたりと動きが止まる。

 

「借り貸してる奴の妹でよ、詳しい話は聞いている。どうしてもお前を死なせたくないらしいぜ」

 

そこまで言うと、一転して面白くなさそうに優は舌を打った。

 

「――馬鹿げてやがる、もう殺し合う相手だってのによ。兄共々人間は情けねえ」

 

どこか思う所がある様に、伏目ながら優は呟き、そして再び藍を見る。

 

「だが借りは借りだ。俺は貸し借りなんて、しみったれたモンをいつまでも引きずるのは御免でね。……そのままにしとくのは気持ち悪くて仕方がねえ」

 

「だから借りを返す為、他人の力になろうというのか。……お前も変わったな」

 

「…………かもな」

 

そうだ、と断言せず濁したのは、何かの迷いか。

……しかし実際の所は彼自身にすら分からなかった。

 

優は話題を変えた。

 

「それにどの道、丁度お袋からも伝言を頼まれてんだ。アネキ宛にな」

 

 

――それは少し前、アジトで怜から呼び出しが掛かった時の事だ。優の他に、瀬那と舞那も同じ場に呼ばれていた。

怜がデスク越しに三人を確認すると、丁寧に言葉を進め始めた。

 

『少し昔の話になるけれど、よく聞いて。藍について、話しておかなければならない。これからあなた達と相対する事になるかもしれない相手。最悪……潰し合う様な事態になってしまうかもしれない。だからせめて、今から言う事を伝えて頂戴』

 

『私は表向き、阿倍野藍の裏切りであると皆に伝え、強硬手段を打った事は知っているでしょう。人間に対する不信感と、妖主としての威厳と……そんなつまらない事を優先した結果、そう宣言してしまったの。……あの時の私の真意は、我が子を取り戻すという思いしか無かったというのに。そのせいで、益々関係がこじれてしまった事を後悔していると……殺し合うつもりはないと、それだけ伝えて』

 

『私が直接伝えられれば良かったのだけど……情勢がそれを許してくれそうにないわ。だからお願いね……』

 

 

優はその時、正直言って真面目に取り組もうとはしていなかった。実際単なる裏切り者で、説得などバカバカしいと思っていた。

だがその後、美咲という少女が同じく藍を助けたがっていると知る。なんでも、彼女に"命を救われた借り"があるというのだ――

 

 

 

 

――そして今に至り、優は我ながら自嘲したくなる程に律儀に、怜の言葉を藍へ伝えていた。

 

 

「これで全部だ、俺は伝えたぜ。……後をどう思うかは、アネキ次第だよ」

 

藍は言葉を解さず、踵を返してその場を離れようとする。

 

「それと一つ言っておく」

 

優の忠告に動きを止めて、彼女は首を向けた。

 

「今のアネキは、恨んでた昔のお袋と大して変わらねえよ」

 

無言のまま前へ向き直し、基地の外へ跳び去っていく。優は追わずにしばしその先を見つめた後、本部ビルへ向けて歩き始めた。

 

 

 

 

――本部屋上、ヘリポート

 

 

部下達を囮にした坂口は、脂汗を垂らし……ズレた眼鏡も構わずに一心不乱、階段を上った末……この本部屋上に到達した。

独り俯き息を切らせつつも、助かった、と笑みを滲ませる。しかし――

 

ちらと顔を上げた瞬間、ぎょっとする。

 

「ヒィッ!?」

 

その先に瀬嶋と、その護衛につく五、六人のエージェント。

恐怖に固まっている所をエージェント達に取り囲まれ、手錠によって身柄を拘束された。

 

「や、やめろ! くそ、くそぉぉ!」

 

振りほどこうと往生際悪く暴れる坂口を、両側から抑える黒服。その様を無表情で眺めながら瀬嶋は言った。

 

「遅かったな。待ちくたびれていた所だ」

 

――しかし次の瞬間、冷淡としていた瀬嶋の様子が変わる。坂口を追って、瑠衣とナナシが到着したのだ。

 

「これはこれは、揃いも揃って。全く勢揃いじゃないか……!」

 

邪悪さ滲むその眼光を、ナナシは一身に受け止める。

 

「瀬嶋……!」

 

……まだ瑠衣には迷いが残っているかもしれない。共に瀬嶋の相手をさせるのは酷だろう。

そう考えたナナシは、瑠衣へ目配せを送った。

 

「――護衛のエージェントを!」

 

「うん!」

 

「都合が良いものだね……私にも運が向いてきた様だ……! だが、奴の姿は――」

 

悦に入る瀬嶋を狙い、瞬間、ナナシの持つ剣の刀身が煌いた。

殺気を感じた瀬嶋は一瞬で二刀を抜き、斬りかかる剣と激しくぶつかり合う。

 

交差された構えの二振りのサーベルが、正面から急襲した刃を受け止めている……

 

「フン。今の目的は、貴様ではないのだがね……しかしまずは君を殺すのも一興か」

 

ギリギリと鍔迫り合いをする両者の睨みがぶつかる中、憎しみにも似た執念で臨むナナシを瀬嶋は嘲笑った。

 

「やはりこの時が一番性に合っていると感じるよ。理屈などなく全てを忘れる事が出来る」

 

まるで戦いを満喫するその振る舞いが、ますますナナシの神経を逆なでする。

 

「それであんたは満たされるのか?」

 

「貴様もじきに分かる!」

 

えくすかりばーが力づくで払われる。

そこから二振りの剣で素早く追い立てていくものの、ナナシは完全にその剣筋を捉え、時に避け、時に刃を打ち返した。

 

「……分かるわけないだろ!」

 

「剣を交えている貴様と私に何の違いがある?」

 

「俺を戦闘狂と一緒にされちゃ困るな。自分の欲に従うお前とは違う!」

 

「志の下に戦っている己は違う、そうか。立派な事だ。その為に力を望む様になると君はまだ分かっていない。いいや、既に心当たりがあるのかな?」

 

瀬嶋は嘲笑う。

 

唐突に凍てつく手で心臓を握られる様な、そんな気味の悪い寒気がナナシを襲う。まるで見透かされているような態度を前にして……言葉詰まってしまう。

 

「ナナシ君、キミも分かっているはずだろう。……結局、己を通す為には力が必要という事を。だから私は欲望のままそれを求めた。何らおかしくはあるまい!」

 

「――私は貴様を殺そうとし、貴様もまた私を殺そうとする。結局はお互い同じ事だ。それに理屈が必要か? その為の力を求める事に理屈が必要なのか? 答えろ!」

 

その間も容赦なく瀬嶋は剣を振るう。

……ナナシは意識を切り替えた。これ以上深入りして応じるのは、話術のペースに飲まれるだけだ……瀬嶋の追求を黙殺して、今はただ、襲い来る刃一つ一つを後退しつつ丁寧に裁く……その動作に意識を集中させた。

 

疑いようもなく、奴の二刀流から自在に繰り出される剣技は素早く、鋭く隙がない。それでいて、ヒロのそれとも一線を画す重い太刀筋。

今までの理屈で考えれば、かなり厄介な相手だ。

 

しかしそのはずなのに、瀬嶋の攻撃の全てが想像の範囲内で、互角以上に対応出来ている。

……いや、"出来てしまっている"と言うべきか?

 

最早自分が思っている以上に、戦闘に手慣れすぎている。一心不乱に戦い、多くの経験を積み……更に言えば、多くを灰にしてきた結果だろう。

今まで疑問にも抱かなかったそれは、喜ぶべき事なのか? 狂気を滲ませる男が言う通り、自分も力に溺れかけているというのか。

 

(瀬嶋、あんたもこうして自問自答する時があったのか? ……きっとあんたは長い時代の中で歪んでしまった、それは事実なんだろう)

 

そして奴の言葉通り、自分もそう変わらないのかもしれない。お互いを分かつのは、たまたま狂気に染まる機会があったのか、そうでないか。ただそれだけの違い、かもしれない。

 

……だがそれは奴を赦す免罪符にならない。現実として、このまま瀬嶋を野放しにしておく訳にはいかない。事実彼は既に、巻き戻しが効かない程にどうしようもなく、狂ってしまっているのだから。

 

そう、だからこそ、せめて自分の手で……

お互い元人間として、カゲヤシの力を享受し、その血を取り巻く戦いに身を投じた者として。

 

悪いが――

 

(――ここで塵にする!)

 

 

ナナシが攻めに転じようと、一歩踏み込んだ瞬間だった。

 

突如、坂口の悲鳴が響く。両者の動きが止まった。

二人が悲鳴の先を見ると、坂口が怯えてしゃがみこんでいる。周囲のエージェントは既に塵と消えており、そして瑠衣までも地面に倒れ伏していた。

 

その元凶は、新たに屋上へ参じた天羽禅夜によるものだった。

いつものスーツ姿ではなく、あの傭兵達が身に付けていた迷彩服を着込んでいる。

 

「お前か。天羽、禅夜なのか。……見つけたぞ。ようやくだ私の夢、私の全てよ」

 

瀬嶋が呟き、ゆっくりと禅夜へ向け歩を進めた。もはやナナシなど興味も失った様に、素通りしていく……不意に、瀬嶋と目が合った。

 

「命拾いしたな。……失せろ」

 

その刹那、瀬嶋の瞳から狂気が晴れた様に思えた。

眼差しはまるで全てを失った様に悲し気であり、全てが救われたかの様に穏やかでもある。咀嚼しきれぬ万感の想いを携えているような……だがそれは見間違いかと思う程に、まさしくほんの瞬間の出来事だった。

 

「どういうつもりだ……?」

 

ぽっと口を突いて出た疑問に「どういうつもりでもないさ」と瀬嶋はいつもの様な黒い笑みを返し、

 

「今だけは貴様などどうでもいいと思えてね。いや邪魔と言って良い」

 

彼は捨て台詞と共に去っていく。

ナナシが振り返り、厳しい表情で動向を引き続き見守ろうとした――そのタイミングで倒れている瑠衣に目が移り、すぐに駆け寄った。

 

「瑠衣!? 大丈夫か!?」

 

上体を起こして必死に呼びかけると、うぅ、と嗚咽を上げて反応した。

 

「……大丈夫。突き飛ばされただけだから……」

 

「うおぉ……! 俺はなんて事を……!」

 

「……あの、聞いてる? もう、大した事ないってば。あの人、私にはそこまで興味なかったみたい……」

 

彼女の視線の先では、禅夜は何やら話し込んでいる。

 

「坂口だな?」

 

禅夜の問いに慌てて坂口が立ち上がり、手錠を掛けられた両腕を差し出した。

 

「そ、そうだ私だ! 良くやった、私の脱出を手伝いなさい!」

 

「脱出? 何を言っているんだ――」

 

「僕は殺しに来たんだ、あなたを」

 

残虐さ滲む含み笑いを見て、坂口はぎょっとする。

 

「な、何を!? 私は味方ですよ!」

 

「知らないな。僕はただ、あなたを殺す為に来ただけなんですから」

 

「な、私が雇い主であると忘れたか!? あの恩を忘れたのか!」

 

「……むしろあなたは裏切ったんでしょう天羽禅夜を。知っていますよ、捨て駒同然の扱いをしたという事を」

 

「あの音の事を言っているのか……? あ、あれは……違う、むしろ劣勢の君達を助けようとしてですな……!」

 

「裏切り者には死を――!」

 

「ま、待つんだ、やめなさい!」

 

次の瞬間、意識外の攻撃が禅夜を襲った。彼の胸を突如、瀬嶋のサーベルが貫いたのだ。

仰け反った所を、更に容赦なく深く突き入れ、引き抜いた。

禅夜が力なくその場で崩れ落ちる。

 

「貴様だけは……塵にしてやる資格もない」

 

瀬嶋は仰向けに倒れた禅夜の前で、両手に握っていた剣の片方を心臓に突き立てた。ごふ、と口から血反吐が漏れる。それを見て、また坂口の悲鳴が上がった。

突き立てられた剣の墓標を背に、瀬島は踵を返し立ち去ろうとする……

 

しかし、急に足を止めた。

彼の背後から、聞こえてはならないハズの笑い声が微かに聞こえたからだ。

声の主、天羽禅夜は自分で胸に突き刺さった剣を引き抜き、ゆらりと起き上がった。

 

「殺せた、と思っていたんですか……この程度で」

 

袖で荒く口元の血を拭い、顔が不気味に笑みを形作る。

 

致命傷の筈だった。その筈が、文字通り死の淵から自力で這い上がり、一瞬にして身体は元通りとなったのだ。

禅夜は一歩、また一歩と近づき、途中、床に転がっていた茶色いガラスの小瓶を踏み割った。

 

「危ない危ない。これを飲んでおいて正解だった……」

 

身体からパリパリと稲妻が走り、禅夜は愉快そうに笑う。

 

咄嗟に瀬嶋が振り向く頃には、既に肉薄されていた。

瀬嶋の持つ剣が蹴り上げられ、次いで打ち込まれた蹴りが腹をえぐる様に襲った。もろに喰らったせいか、さしもの彼も一つ二つと後ろへよろけている。

 

そこへ更に、禅夜の持つサーベルがスーツジャケットを斬り破る。それだけに留まらない。先程の意向返しとばかりに、胸部を刃が穿ち貫いた。

そのまま禅夜は一歩、また一歩と今度は串刺しにしたまま押し歩いていく。

 

屋上端の、すんでのところで踏みとどまった。フェンスのない最上階。眼下の地上は遠く、風が吹き荒れている。

禅夜が足蹴りに剣を胸から引き抜くと、あっけなくもそれが最期となった。そのまま糸が切れたようにビル下へ瀬嶋は……崩れ落ちる。

 

「軽く押したつもりだったんですが……この程度でねをあげないで貰いたいな」

 

(瀬嶋――!)

 

その成り行きに、ナナシは息を呑んだ。

 

「さァて」――天羽禅夜の視線は、ゆっくりとナナシらの方へ移された。瑠衣と共に、構えて迎え撃つ体制に移る。

 

「坂口の前に次はキサマら――」

 

言いかけた所で禅夜は頭を抑え、よろけた。

 

「う……頭が!? い、痛い……! くそ……!」

 

突然、頭を抑える禅夜に瑠衣はたじろいでしまうものの、ナナシがそのチャンスを逃す事はなかった。

 

「瑠衣! やるなら今だ!」

 

「……うん!」

 

我に返り、彼女も一転して戦いの顔になる。

セオリー通り、二人は紛い者用の動きで襲い掛かる。禅夜も身の自由が利かないなりに抵抗したものの、その末にあっさりと脱がされてしまう……

 

「くそ! ふざけるなぁ……! 許さない、全員、殺し……!」

 

だが脱がされて尚、執念を露にし抗おうとする。しかし遂に身体は爆発の光に――対陽光性の高い者に発現する、急激な炭化とその拒絶反応による爆発現象――に包まれて、姿は消失した。

 

「勝った……? あの人、一体……」

 

瑠衣はそれ以上の言葉はなく、塵と消えた空間を見つめている。

 

「分からないが……酷く憎悪に塗れた奴だった」

 

言いつつそれとなく後ろへ目をやると、片や腰を抜かし、もはやこれまでと降伏する坂口。

 

 

 

(……終わったんだな、これで)

 

 

 

戦いの渦中で滾っていた血も冷め、ナナシの身にやり遂げた実感が押し寄せてくる。

 

そう、終わったのだ。

 

存在を噂されていた地下の研究施設は、ついに坂口の手に渡る事は無かった。都市伝説は伝説のまま終わるのである。

 

見事、ナナシ達は騒乱を解決した。

 

しかして一部始終はアキバ住民達の知るところではないものの、遠い地で密かに、そして確かに彼等は取り戻したのだ。趣都の未来を、その平穏な行く末を。

 

「わ、私の全てがァァ~……」

 

まぁ、納得できていない奴もいるようだが。

 

「ナナシ、私達やったんだよね」

 

「ああ。ようやくな」

 

瑠衣の安堵した様な微笑みに頷き返すと、そこへようやく遅れて雪崩れ込んで来た仲間達。

 

「ったく、今更か?」

 

どこか嬉しそうなやれやれ顔の後、彼らに向けてナナシは満足気にサムズアップで応える。

全て解決したさと、最高のドヤ顔を添えて。

 

 

 

 

―――アキバの平和は今、取り戻された!

 




※終わりません(無慈悲)

……なんか解決出来た風で、実際は殆ど問題も謎も解決出来てないという。
このままだと事件の真相に迫れなかったEND。

てことで次回からやっと最後の章です。やっと。もう炭化しそう。


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