長谷川千雨の過負荷(マイナス)な日々 (蛇遣い座)
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プロローグ、あるいは0時間目

時刻は夕方六時くらいだろうか。逢魔時とも呼ばれる頃、傷だらけの少女がとぼとぼと通学路を歩いていた。夕暮れの薄暗い道路のアスファルトには一人分の影だけが落ちている。ランドセルを背負ったその少女の服はびしょ濡れで、泥塗れの汚れ放題。そして、手足にはおびただしい数の切り傷や打撲の跡が痛々しく残っていた。学校帰りの小学生とは思えないほどに重苦しく沈んだ表情が浮かんでおり、その瞳はヘドロのようにどろどろに濁っていた。

 

――端的に言えば、その少女は迫害されていた。

 

 

 

 

 

きっかけは些細なことだった。小学二年生のときに転校してきた少女。彼女は学園で起こる様々な非現実的な出来事を認められず、クラスメイトと言い争いになったのだ。誰もが常識だと思っている事象。それをいちいち必死になって大声で叫び回るのだ。そんな、クラスメイトにしてみれば言い掛かりでしかない文句を毎日垂れ流され続ければ、誰だって関わるのが嫌になるだろう。小学校低学年の子供達ならばなおさら。つまり、それが彼女がいじめに遭った原因であった。

 

不幸だったのは、それが言い掛かりではないことか。彼女の言葉はすべて正しかった。この学園は異常な人間で溢れ返っていたし、異常な出来事に満ち溢れていた。しかし、いくら真実ではあろうと、学校と言う狭いコミュニティにおいては多数派の意見こそが正義なのだ。

 

それでも、彼女は不可思議な出来事を従順に認めることができなかった。陸上部の生徒が徒競走で世界新を遥かに超えるタイムを叩き出したとき。空を飛ぶ教師の姿を見かけたとき。殴られた人間が十数メートルの距離を吹き飛ばされたとき。少女は周囲の人々に大声でわめき散らした。しかし、この学園においてはこれらの超常現象こそが常識なのだ。誰も疑問に思うことなどない。この学園では異常性による差別はなかったが、一般の小学生と同様のいじめは存在した。彼女がクラスの中で狂人としていじめの標的となるのは当然の帰結だろう。

 

そして、何よりも彼女を傷つけたのは、自分に様々なことを教えてくれた両親であった。女子寮に入った娘と離れ、学園都市へと転勤することになった両親は社員用のアパートに住んでいる。優しかった父と母。寂しくなった少女は両親の元へ向かったのだ。訳が分からないと頭を抱えながら、最後の頼りとして。しかし、そこで数週間振りに会った両親からは信じられない言葉を聞く。

 

――何を言っているんだい?そんなのは当たり前のことじゃないか

 

少女は自分の頭がおかしくなったのかと絶望した。目の前が真っ暗になったかのような感覚。自身の疑問を吐露した少女に向かって返されたのは、これまでに自分に教えてくれたことを真っ向から否定する言葉だった。自分のこれまでの人生がガラガラと音を立てて足元から崩れていく錯覚。少女の疑問は誰一人として疑問に思っていないのだ。世界が丸ごと変質してしまったかのような違和感。しかし、客観的に見れば少女こそが異端なのだ。

 

考えてもみて欲しい。狼の群れが近付いてくるのを発見し、大声で村中に危機を知らせる少年。大切な村の仲間たちを守ろうと必死になって叫ぶ。しかし、その狼が村人には見えないものであったならば。そして、それが毎日のように続くとしたら。彼はオオカミ少年と呼ばれるしかない。もしくは異常者と――

 

 

 

 

 

 

――それから四年。小学六年生になった彼女に対する迫害や虐待は続いていた。四年間、それは小学生のいじめの期間としては長すぎるものだろう。大抵はそれまでに転校するか、引き篭もるか、あるいは子供たちが飽きるか。しかし、彼女は例外だった。精神病院へと通わせようとする両親を味方だとは思えなくなっていた少女にとって、学校へ行くという行為こそが失われた日常へ回帰する唯一の道だったのだ。しかし、彼女は気付かなかった。暴力と屈辱こそが日常だったためか。少女を迫害するクラスメイトの顔が、愉悦や歓喜ではなく、恐怖と苦渋に歪んでいたことに――

 

今日もまたいつも通りの日常。放課後、集団にどぶに突き落とされ、ヘドロのような泥水を飲まされ、夕暮れの通学路を帰宅していた。とぼとぼと下を向いて歩いていたのが良くなかったのだろう。

 

「きゃっ!」

 

ドンッと前方不注意で正面を歩いていた人にぶつかってしまった。慌てて前を向いて謝ろうとして――その瞬間、全身に怖気が走った。

 

『ごめんごめん。ぶつかっちゃったね。僕は悪くないけど、お互い運が悪かったみたいだ』

 

「……っ!」

 

目の前に幽鬼のように佇んでいたのは、学ランを着た中高生くらいの男子だった。黒髪黒眼、中肉中背で童顔のかわいらしい顔立ち。しかし、そんな普通の外見など全く目には入って来なかった。むしろ、一見すると普通に見えることすら恐ろしい。この世すべての負の要素を煮詰めて濃縮したかのような、圧倒的なマイナスの存在感。一瞬にして、背筋に氷を突っ込まれたような悪寒に襲われた。反射的にその男から目を背ける。そして、そんな自分の行動に一番衝撃を受けたのは他ならぬ少女自身だった。驚愕の形に顔面の筋肉が引き攣る。

 

――私よりも最低(マイナス)な人間なんて存在していたのか

 

彼こそが世界で最もマイナスな人間だと、強制的に悟らされた。全ての負の感情が無理矢理心の底から呼び起こされる。そんな男を前にして、少女の肉体は戦慄で小刻みに震えていた。

 

『へぇ、君ってこの学園の生徒?道端で女の子とぶつかるなんて少年ジャンプの恋愛モノみたいだね。まさか、僕にそんな漫画みたいな出来事が起こるなんて思わなかったよ。だって、大抵の女の子は僕とぶつかるどころか、近寄ることすら絶対にないからさ』

 

無邪気な笑みを浮かべて男は少女に話しかける。少女自身の意志に反して、手足は極寒の雪山にいるかのようにガクガクと揺れ、鳥肌が立っていた。しかし、それは不気味な雰囲気や気持ち悪さだけのせいではないのも理解する。自分の感情がうまく掴めなかったのは少女にとって初めてのことだった。震える声で目の前の男に対して声を発する。

 

「あ、あんたは……」

 

『うん?僕?僕は球磨川禊。よろしくねっ』

 

「球磨川……禊」

 

その名前を心に刻み込むようにつぶやく少女。球磨川と名乗った男は泥だらけの制服や傷だらけの手足には目もくれず、覗きこむように顔を近づけて少女の瞳を見つめた。

 

『それにしても、ずいぶん素敵な瞳をしているね』

 

「……そんなこと初めて言われたよ」

 

『いやいや。謙遜しなくてもいいよ。世界そのものを憎んでいるかのような、どろどろに濁った瞳。とっても素敵だぜ』

 

罵倒しているとしか思えない言葉だが、少女にはそれを本心から褒めているだろうと理解できた。そして、少女から見た球磨川の瞳も、墨汁のように黒く濁った暗黒の渦を彷彿とさせる深淵だった。同時に、腐った死体のような不気味さと気持ち悪さも兼ね備えている。とても人間の瞳だとは思えなかった。

 

「あ、あのさ……」

 

意を決したように少女は球磨川に声を掛けた。その顔はわずかに上気しているように見える。この不気味な男と言葉を交わしてみて、ようやく少女も自身の胸に湧き上がってくる感情を言語化することに成功していた。それは、自分よりも最低(マイナス)な人間が存在するという安心感。そして、もうひとつは――

 

 

 

 

 

気が付けば、少女は自身に起きた出来事について相談していた。

 

『なるほどね。きみの話は分かったよ。大変だったね』

 

「信じて……くれるんですか?」

 

『当たり前じゃないか。正直な話、僕もきみの言うところの非現実的な出来事を、不思議だとは全く思えないんだけどね。だけど、きみの感覚を信じるよ。間違いなく、きみの言うことが正しいんだ。きみは悪くなんてない。正しくないのは世界の方なんだよ』

 

初めて自分の言うことが肯定された。それは、少女が最も望んでいたことだった。先生にも友達にも、両親にすら信じてもらえなかったことを、初めて会ったこの男だけが信じてくれたのだ。目頭が熱くなり、嬉しさの余り自然と目尻から涙が零れ落ちる。ニコニコと変わらぬ笑みを浮かべながら、球磨川は言葉を続けた。

 

『だけど、正しさなんてどうでもいいじゃないか。世界との不和を気にすることなんかないんだよ』

 

「え?」

 

『だって、世界は正しくなんてないし、人間は美しくなんてないんだから』

 

なぜか、その言葉は少女の胸に染み入るように侵食する。

 

『そんな理不尽な世界には、きみが求めるような真実も常識も正解も存在しない。――受け入れることだよ』

 

両腕を大きく広げ、大見得を切るように言葉を続ける。

 

『不条理を』『理不尽を』『堕落を』『混雑を』『嘘泣きを』『言い訳を』『偽善を』『偽悪を』『いかがわしさを』『インチキを』『不都合を』『不幸せを』『冤罪を』『流れ弾を』『見苦しさを』『みっともなさを』『風評を』『密告を』『嫉妬を』『格差を』『裏切りを』『虐待を』『巻き添えを』『二次被害を』

 

 

――愛しい恋人のように受け入れることだ

 

 

戦慄を覚えるほどに気味の悪い言葉の奔流。それらの負の要素をかき集めたものが、球磨川禊という存在なのだと納得させられる。そして、一拍置いて一言を付け足した。

 

『そして、――空想を』

 

カチリ、と彼女は自身の中の何かが音を立てて噛み合うのを感じた。それと同時に、少女から目の前の男と同種の負のオーラが噴き出したかのようだった。もし、この場に他人が居たならば、二人の周囲に空間が歪んで見えるほどの不気味な凶兆を感じ取ったことだろう。少女の口元はいびつに歪んで吊り上がり、その表情は死に顔のように不吉な気配を漂わせていた。

 

『うん。きみは将来有望な過負荷(マイナス)だね。めだかちゃんに中学を追い出されちゃったから、新しい転入先を探してたんだけど。最初にこの学校に来たのは当たりだったみたいだ。ま、この学園の人たちの異常性(アブノーマル)は僕の興味の範囲外なんだけどね』

 

常人なら足が竦むような凶々しい存在を前にしても、男の表情には一片の恐れすらなかった。どころか喜色満面の笑みを浮かべている。そして、少女はそれを自明のこととして受け入れていた。球磨川禊という存在の絶対性、いや負完全性。その虜になっていた。直後、少女の纏っていた寒気のするようなマイナスな雰囲気は消失する。

 

『さーて。面白いものも見れたし、そろそろ帰ろっかな。帰りに週刊少年ジャンプ買ってかないと』

 

「ま、待ってください!」

 

何事もなかったかのように背を向けて歩き出した球磨川を、少女はとっさに大声で引きとめた。少女の瞳はわずかに潤んでいて、その頬は熟れたトマトのように真っ赤に染まっていた。

 

『なんだい?』

 

「あの……ええと……また、会えませんか?」

 

何とかひねり出した言葉は、そんな唐突なものだった。しかし、対人関係のスキルが幼稚園時代までしかない少女には、それが精一杯の引きとめの言葉。

 

『うーん。この学園の異常者(アブノーマル)や異常性(アブノーマル)は僕らのそれとは違う感じがするんだよなー。何ていうか異常(アブノーマル)でも過負荷(マイナス)でもなくて、別世界の法則みたいな。週刊少年ジャンプで言えば、別の作品って感じかな。だから僕の目的には関係ないし、ここに転入するつもりはないよ』

 

「そうですか……」

 

俯いて暗い表情になる少女。その頭の上にポンと掌が乗せられる。ハッとした様子で顔を上げる少女の前には、笑顔を浮かべた球磨川の顔があった。

 

『そんな顔しなくても、またいつか会えるさ。だって、今日は一緒におしゃべりしただろう?だったら、僕ときみは友達だ。きみの名前は?』

 

優しげに微笑む球磨川に、少女は服の袖で零れかけた涙をゴシゴシと拭きとって答える。

 

「は、はいっ!長谷川千雨です!」

 

『かわいらしい名前だね。それじゃ、また』

 

「いつかまた!絶対っ!」

 

軽く手を上げて去っていく球磨川。少女は大きく手を振って別れの挨拶を投げる。再会の約束を信じて、球磨川の姿が見えなくなっても手を振り続けた。

 

 

 

――それが、長谷川千雨の初恋だった



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1時間目「担任になったネギ・スプリングフィールドです」

あれから二年が経ち、中学二年生になった私こと長谷川千雨はいつも通りに学校へと登校していた。球磨川さんに出会うことで発現した異能――過負荷(マイナス)は私の生活を一変させた。この学園の空想としか思えない異常を認められるようになったからだろう。日常生活を送れる程度には、心の中にマイナス性を抑えることができるようになったのだ。今にして思えば、小学校時代における迫害や虐待は、私が自然と撒き散らしていた世界への憎しみや破壊衝動が原因だったのだろう。だけど、球磨川さんの言葉で救われた。世界は正しくなんてないし、人間は美しくなんて無いのだ。そのおかげで、現在は流されるまま、全てを受け入れて堕落した学園生活を送れている。

 

麻帆良学園中等部二年A組、そこが私の通う教室である。その教室の扉を前にして、いつも通りの軽い溜息を吐く。この瞬間だけはどうしても慣れないんだよな……

 

「うっ……」

 

ガラッと扉を開けて教室へと入る。それと同時に頭の中に大量の情報が叩き込まれた。その非現実的な情報の奔流に小さく呻く。目を閉じ、視界からクラス内の光景を消去し、再びまぶたを開く。

 

――なんつー異常度だよ

 

自分の掛けている眼鏡のつるを指先で握り、そう心中でつぶやいた。視界にはいつも通り騒々しい女子中学生たちの姿。普通とは到底言えない面々だが、それはすでに受け入れていた。自身の過負荷(マイナス)によって、知りたくもないことも知ってしまうのは困りものだが、問題といえばそれくらいで、つまりは平穏な学園生活と言えるだろう。ちなみに『過負荷(マイナス)』とは、私や球磨川さんのような人間の底辺を這い蹲る連中の総称だ。私たちの発現する異能力、スキルを指す場合もあるらしい。詳しいことは私もよく知らない。図書館島に収められている埒外な量の蔵書ですら見つけられなかったほどなのだから。

 

「千雨さん、おはようございます」

 

「綾瀬か。おはよう」

 

自分の席に着いて鞄を降ろすと、近くの席に座っていた綾瀬夕映に声を掛けられた。マイナス性を隠せるようになったため、クラスに溶け込んでクラスメイトと会話することもできる。私は綾瀬に挨拶を返した。

 

「にしても、この騒ぎはなんだよ。いつにも増してはしゃいでるみてーだけど」

 

「それなんですけど、千雨さん。どうやら今日から担任の先生が変わるそうですよ。朝倉さんが言ってました」

 

「ああ、なるほどな。そりゃ、うちのクラスは大騒ぎにもなるか」

 

やれやれと首を左右に振った。私の配属されたこのクラスが異常であることは受け入れたが、それに同調するかは別だ。というか、迫害され、虐待され続けてきた私にこのノリで騒げと言う方が無茶だろう。

 

「相変わらず興味薄そうですね。私ですら内心では新しい先生には興味津々なのですが」

 

「あんまりそうは見えねーけどな」

 

無表情で淡々と話す綾瀬に苦笑する。だけど、この異常なクラスをまともな教師が担当するとは思えない。おそらくは高畑と同等の異常度の奴が来るに違いない。あまり期待しない方がよさそうだ。

 

 

 

始業のチャイムが鳴り、私たちは自分の席に着席して静かに先生を待つ。しかし、ほとんどの生徒が興奮を抑えきれていないようで、そわそわそしているのが丸分かりだった。コツコツと廊下から足音が聞こえ、扉の前に立った気配がする。その直後、教室へ入ってきたのは、小学生くらいの男の子だった。

 

「うわぁあああああ!」

 

扉に仕掛けられたトラップに引っかかり、黒板消し、水の入ったバケツ、おもちゃの矢の雨という連続技を受けてすっ転ぶ少年。先ほどクラスメイトが仕掛けたいたずらだ。

 

「ちょ、ちょっと大丈夫!?」

 

「何で子供が来てるのよー」

 

慌てて駆け寄るクラスメイトたち。それを横目に見ながら、私はまたしても軽く溜息を吐いた。問答無用で他人のプライバシーを蹂躙する瞳。『世界の不具合を見抜く』という性質を、球磨川さんによってデチューンされることで生まれたのが――

 

 

――『他人の隠し事を暴く』という私の過負荷(マイナス)である。

 

 

それによって私は、目の前の少年が一般人ではないことに気付いていた。というか魔法使いだった。それもかなりの異常度。もはやクセとなった眼鏡のつるを抑える動作をしながら、やれやれと首を左右に振る。またか……、と多少うんざりするのも仕方がないだろう。このクラスには重大な隠し事をもつ者が多すぎる。もし口が滑ろうものなら、即刻首が飛ばされかねない。それも物理的に……。

この異常度の高すぎるクラスに配属しやがったのは嫌がらせとしか思えないぜ。ま、嫌がらせなら慣れっこだけど……。それに実際のところは、隔離クラスに配属されたのは私が過負荷(マイナス)だからだろう。

 

そんなことを考えている間に、少年はしずな先生に連れられて教壇へと上がっていた。

 

「今日からこのクラスの担任になったネギ・スプリングフィールドです!よろしくお願いします!」

 

「「「かわいい~!」」」

 

外国人とは思えない流暢な日本語で少年が挨拶した瞬間、教室が甲高い悲鳴で埋め尽くされた。群がるように子供先生、ネギ・スプリングフィールドの元へと殺到する生徒たち。

 

「ねえねえ、歳はいくつ?」

 

「何で子供なのに先生なの?」

 

「お姉さんに興味とかない?」

 

「あ、あわわ……」

 

群がる女子たちに、子供先生はパニクったような顔で呻き声を漏らしている。私はその流れに乗らずに自分の席に座ったままだ。子供が教師になるなど本来なら有り得ない。かつての私ならそう叫んだだろうけど、今の私にはそんなことはどうでもいい。あっさりと教壇へ向けていた視線を反らし、普段通りに鞄から教科書とノートを取り出すのだった。

 

 

 

 

 

――授業は特に問題なく終了した。と言っても、私は隠れて机の下でネトゲをしてたんだけどな。

 

そして放課後、私たちはネギ先生の歓迎パーティーの準備にいそしんでいた。あまり興味はなかったが、誘われた以上は仕方がない。言われるがままに飲み物の準備を行っていた。教室ではクラスメイトたちが、わいわいとはしゃぎながら思い思いに準備をしている。コップにジュースを注ぎながら、辺りをゆっくりと見回した。

 

『翼人のハーフ』『吸血鬼』『アンドロイド』『幽霊』……。

 

脳内に強制的に叩き込まれてくるこれらの単語は、とても現実のものとは思えない。学園そのものが異常の塊だけど、特にこのクラスは群を抜いている。それはこの子供先生、英雄の息子とやらのためなのか、それとも……?

 

「や、千雨サン。この間渡したPCの調子はどうヨ?」

 

「超か……ああ、動作が軽すぎて驚いたぜ。携帯ゲーム機サイズなのに、私のデスクトップよりもサクサクってどういうことだよ。あんな高スペック機もらっちゃってよかったのか?」

 

「構わないヨ。私たちの実験で使ってたやつのおさがりだからネ」

 

「これより高性能PCを使ってんのかよ!スパコン並だぞ、これ……」

 

私に声を掛けてきたのは中国人風の少女、超鈴音。趣味がネトゲだと話したらPCを贈呈してくれたのだ。しかも超絶高スペック。どうやら自作の物らしい。一見すると普通の少女だが、その実態はこの世界でも随一の異常度を誇る未来人である。何だよ、この生年月日は……。しかも魔法使いでもあるという、秘守義務の塊のような女子である。

 

「それより、授業中にネトゲなんて感心しないネ。成績落とすくらいなら返してもらうヨ」

 

「あんたは私のお母さんか!だけど、携帯サイズでデスクトップ以上の性能なんだから、普段から使わないともったいないだろ?テストしてたんだよ」

 

「相変わらず適当なことばっかりネ」

 

呆れたように肩を竦める超。

 

「新しく担任になった子供先生はどうカナ?」

 

「授業は問題なかったみたいだよな。ま、エスカレーターだからテスト前に少し勉強すれば進学くらいはできるだろ」

 

「ハァ……千雨サンはもう少し目標を持って生きたほうがいいと思うネ。放課後も休日もネトゲ三昧なんて廃人生活は脱却しないとダメヨ」

 

「そういうのはもう聞き飽きたぜ」

 

あーあー、と耳を塞ぐフリをしてみる。超も諦めたように小さく笑った。

 

「じゃあ、私は料理の準備に戻るネ。だけど覚えておいて欲しいヨ。――あなた達のような人間でも、きっと改心することはできるはずネ」

 

「……!?」

 

反射的に視線を戻すが、すでに超は同じく料理の準備をしていた四葉の元へと去ってしまっていた。……あいつ、私の過負荷(マイナス)のことを知っていたのか。

 

 

 

 

 

そして、とうとうネギ先生が教室へと現れた。全員でクラッカーを鳴らして歓迎パーティーが開始される。もみくちゃにされる子供先生を眺めながら、私は離れた場所で超包子の中華料理をパクついていた。相変わらずとても一般生徒が作っているとは思えない味だ。

 

「おかわりはどうかナ?千雨サン」

 

そう言って超が新しい皿をこちらの机の上へと運ぶ。

 

「せっかくのパーティーだからネ。料理はたくさんあるヨ」

 

「ありがたいけど、これ以上食べたら太っちまうから遠慮しとく。ただでさえ帰宅部で運動しないんだしな」

 

「なら次の機会には、もう少しヘルシーな料理を出すことにするヨ」

 

料理を置いて戻ろうとする超の腕を掴んで引き止める。先ほどの疑問に答えてもらわないと。私は眼鏡越しに睨みつけるように詰問する。

 

「お前、私ら過負荷(マイナス)のことを知ってんのか?」

 

私の言葉に超は口元を吊り上げ、楽しそうな笑みを作った。あごで外へ出ろと要求され、教室を離れていく超の跡を追って廊下へと出る。

 

「知ってるヨ。低劣にして劣悪、虚弱にして脆弱。ありとあらゆる負の要素の塊。それがあなたたち過負荷(マイナス)ヨ。この学園では知っている人なんてほとんどいないだろうけどネ。魔法世界にはいないという事情もある」

 

「私のことは誰から?」

 

「ふふっ……見れば分かるヨ。『麻帆良の最強頭脳』なんて大層な二つ名で呼ばれてるけど、私も負け組の人間だからネ。時折見せるその気持ち悪さは間違いなく過負荷(マイナス)ヨ」

 

その指摘に私は軽く肩を竦めるフリをしてみせる。ま、別に知られてたからって問題はなかったんだけどな。ただ気になったから尋ねただけだし。

 

「だけど、その中でも千雨サンの過負荷(マイナス)はかなり高い絶対値を感じるネ。ぜひ見てみたいものだヨ。奇想天外にして摩訶不思議、空前絶後にして驚天動地。魔法とは違う理屈を超越したスキルを――」

 

「……見せてやってもいいぜ?」

 

私の周囲に漂う雰囲気が暗く冷たくなっていく。背筋が凍るような不気味な予感を覚えたのか。不吉で凶々しい気配に超の表情がわずかに曇った。

 

「フフ……絶対にごめんネ。魔法とは違う法則の出鱈目な現象を起こすと聞いてるヨ。そして、それらのスキルは例外なく最低で最悪なものだともネ」

 

ひらひらと両手を上げて降参の姿勢を見せる超。その表情に余裕が窺えるのは、戦えば自分が勝つと確信しているからだろう。その瞳には面白いものを見たという興味が浮かんでいる。実際、超の隠された能力を見る限りにおいて、過負荷(マイナス)を使ったところで私じゃ手も足も出ないだろうしな。

 

「あれ?超さんと……千雨ちゃん?」

 

「……神楽坂とネギ先生か。どうしたんだ?主役が出て来ちゃっていいのか?」

 

子供教師とクラスメイトの神楽坂が階下からこちらへと上ってきた。子供先生と二人きりで何の話をしていたのかと尋ねると、神楽坂はあははとわざとらしい笑い声で誤魔化した。

 

「そ、そっちこそ超さんと千雨ちゃんなんて、珍しい組み合わせじゃない」

 

「千雨サンはパソコンが趣味なのでネ。たまに試作品のソフトとか使ってもらったりしてるヨ」

 

「へー、そうなんだ」

 

「えと、長谷川さんと超さん、ですよね。明日からもよろしくお願いします」

 

そう言ってペコリとお辞儀をする子供先生。一見すると普通の礼儀正しい子供だ。……いや、それはないか。背中にしょっている馬鹿でかい杖が異質すぎる……。

 

「こちらこそよろしくお願いします。ネギ先生」

 

「よろしくネ。あと、私が出している『超包子』って店も是非来て欲しいヨ」

 

こうして、子供先生の就任初日は無事に終了したのだった。



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2時間目「麻帆良ドッジ部『黒百合』!」

子供先生が私達のクラスの担任になってから数日が過ぎた。授業内容は特に問題なく、普通に教師を勤めることができている。ただ、たまに子供だからという理由で面倒事が起こることがあり、今日のこれもそうだった。

 

「私達が勝ったら子供先生を頂くわ!」

 

「上等よ!その代わり、私たちが勝ったら二度とくだらないちょっかい掛けてこないでよね!」

 

授業時間を利用したレクリエーションで、私たちのクラスはバレーボールを行う予定だった。しかし、中等部校舎の屋上には嫌がらせをするように高等部の先輩方が陣取っていた。聖ウルスラ女子高等学校2-D。最近、うちのクラスにちょっかいを掛けてくる連中だ。わざわざ中等部に喧嘩を売ってくる理由が――子供先生を自分のクラスに欲しい、というもの。さすがに呆れて言葉も出ない。

 

勝負の方法はドッジボール。ハンデとして高校生側が11人対中学生側が22人。ドッジボールでは人数はあまりハンデにならないと思うのは私だけだろうか。ま、戦力的にはこちらが圧倒的に上なんだけど……。

 

「それじゃ、行くわよー!」

 

神楽坂が凄まじい威力のボールを投げつける。一般人の枠内としては強烈な一撃。それを相手の高校生は軽々と片手で掴んでいた。

 

「なっ!」

 

へえ、と感嘆の声が漏れる。神楽坂の運動神経はかなりのものだ。そのボールをあっさりと受け止めるとは、この先輩方も並ではない。ま、私にはその理由が分かっているけど……

 

「千雨ちゃん!」

 

「え?……ぐべっ!」

 

相手の投げつけたボールが私の顔面にぶつかり、情けない声と共にぶっ倒された。

 

「ちょっと大丈夫!?」

 

「うぐぅ……だ、大丈夫だ」

 

無様に仰向けに倒れた私に駆け寄ってくるクラスメイトたち。手をひらひらと振って無事を示しながら、外野へとふらつきながら出て行く。

 

「ほほほっ!私たちは関東大会優勝チーム!麻帆良ドッジ部『黒百合』!あなたたちに勝ち目なんてないわ!」

 

自慢げな高笑いをする先輩たち。彼女たちはドッジボール部員。そもそもが自分たちに有利な勝負だったのだ。当然、帰宅部員で半ばネトゲ廃人の私が太刀打ちできるはずもない。顔面は反則だろ、なんて言うこともなく素直に外野へと移動する。それからは、意外にも順当にうちのクラスが当てられる展開だった。

 

「きゃん!」

 

「うわぁ~です」

 

見る見る内に減っていく内野陣。異能力者や超人連中は手を出さないようだ。適当にぶつかって外野へと移っている。そのため、神楽坂などの『気』の使えない面々が主力。ま、負けたからって本当に担任が代わるはずもない。せいぜいが一日ネギが愛でられる程度だろう。はっきり言って中高生のじゃれあいだ。おかげでレクリエーションとして成り立つ程度には試合は白熱していた。

 

「どう?ぶつけられた顔の具合は」

 

「ん?ああ、傷ひとつ付いてないよ」

 

「そりゃよかった」

 

座り込んで休んでいる私に声を掛けてきたのは、早乙女ハルナだった。いつも一緒にいる綾瀬と宮崎の姿もある。三人は試合を観戦しようと私の隣へと腰掛けた。早乙女は漫画を描くのが趣味という陽気なオタク女子だ。ときおり訳の分からない台詞を垂れ流すのが困りモノである。

 

「にしても、千雨ちゃんが一番だよねー。このクラス、ラブ臭が全然だしさ。恋バナ聞かせてよ」

 

「何だよ、そのラブ臭ってのは……」

 

「またハルナの病気がはじまったです」

 

何やら鼻息を荒くして詰め寄ってくる早乙女と、それを呆れたように眺めている綾瀬と本屋。早乙女はキラキラした瞳で私の顔を覗きこんできた。

 

「ほら、噂の千雨ちゃんの片思い相手のこと!どうなったの?」

 

「ん?聞きたいのか?」

 

「うんうん!」

 

食い入るように顔を近づけてくる早乙女。綾瀬と宮崎も少し顔を赤らめながら、聞き耳を立てているのが分かる。興味津々みたいだし、三人に少し私の恋を教えてやるか。私としても球磨川さんのことを話すのはやぶさかではない。というか誇らしい気分だ。

 

「ええと、球磨川さん……だったかな。どこに通ってるの?たしか高校生だったよね」

 

「今月からは球磨川さんは水槽学園に転校してるぜ」

 

「へー、水槽学園っていったら全国有数の名門校じゃん。頭いいんだね」

 

「ですが、転校というと、御両親の都合か何かですか?」

 

「いやいや、そうじゃねーよ。そんな幸せ(プラス)な理由のはずないだろ?」

 

笑いながら手をひらひらと左右に振る。むしろ、球磨川さんに親が存在しているということが想像できないくらいだ。それほどにあの人は存在として完結している。

 

「もちろん、通っていた学校を完膚なきまでに廃校にしちゃったからだよ」

 

笑顔で誇らしげに口にする私の姿を、三人は理解できないといった風な表情で見つめていた。目を丸くして絶句している。

 

「球磨川さんは定期的に通う高校を潰しちゃってさ」

 

「は、廃校というと……」

 

「ん?文字通りだよ。何もかも、教師も生徒も、校舎も校庭も、規律も自由も、すべてを根こそぎに破壊しつくした」

 

球磨川さんの通っていたいくつかの学校の名を答えてやると、綾瀬の顔が見る見るうちに曇っていった。それらは、どれも日本有数の名門校でありながら、ここ数年の内に廃校となっていたのだから。その有様は、マスコミどころか噂ですら流れないほどに悲惨なものだったという。

 

「……これ、ですよね」

 

綾瀬が携帯電話から開いた画面には、廃墟としか言いようのない風景が映っていた。そこはかつて球磨川さんの通っていた高校のひとつ。どんな異常な出来事が起こればそうなるのかというほどに、荒れ果てて朽ち果てた校舎の姿であった。

 

「やっぱり球磨川さんは凄いよな。本当に憧れるぜ」

 

「ち、千雨さん……」

 

その画像を見て、私は晴れ晴れとした表情で明るい声を漏らす。さすがは球磨川さん。私程度では到底真似のできない最低(マイナス)な行為だ。しかし、そんな陶酔した表情を浮かべる私に、三人は得体の知れない何かを見るような視線を向けていた。

 

「そうだ。せっかく素敵な写真見せてもらったことだし、お返しに球磨川さんの写真見せてやるよ。携帯に保存してるからちょっと待ってな」

 

パカリと携帯を開いて待ち受け画面を見せてやる。そこには、パジャマ姿の男子高校生が写っていた。黒髪黒眼、中肉中背の一般的な男子である。むしろ童顔で年の割にはかわいらしい容姿といえるかもしれない。それを見た三人は拍子抜けしたように安堵の息を吐いた。もしかしたら、悪魔のような恐ろしい男を想像していたのかもしれない。ま、私にはこの映像からでも、球磨川さんの埒外なまでの不気味さや気持ち悪さを感じることができるんだけど。しかし、綾瀬が何かに気付いた風に疑問の声とともに首を傾げた。

 

「あれ?この写真、おかしくないですか?」

 

「夕映、おかしいって?」

 

「いえ、この写真の角度というか……。格好もそうですし……」

 

それを聞いて私には綾瀬の疑問に気が付いた。ポンと自分の手を叩く。

 

「ああ、それは隠しカメラの映像だからだよ」

 

「え?」

 

「だからカメラ目線でもないし、私室でのパジャマ姿なんだよ。さすがにヌード写真は、私だけの秘蔵品だから見せられないけどな」

 

球磨川さんの風呂に入るときの映像とかマジで最高。垂涎モノの一品だぜ。そう、球磨川さんの部屋にはいくつもの隠しカメラが仕掛けてある。当然、盗聴器も仕掛けてあるので、部屋での背筋の凍えるような気持ち悪い声もしっかり録音済みなのだ。そこまで話したところで、三人の顔は未知の化物にでも直面したかのように引き攣った。

 

「ほら、こういうの作ったりとかな」

 

『千雨ちゃん、最高に、かわいいよ』

 

盗聴した音声を加工して作成したファイルを再生する。何度聞いても心がときめいてしまった。私の顔は真っ赤に上気し、うっとりと表情が緩んでしまう。この発想を思いついたとき、私は自画自賛してはしゃいだものだ。おかげで毎日球磨川さんの声を聞いて過ごせるんだから。

 

「ス、ストーカー……」

 

青ざめた顔で震えた声を漏らす早乙女。

 

「ストーカー?それを恋に生きる一途な女、という意味で言っているのならその通りだな」

 

「……その行為から一途な恋を連想するのは、本物のストーカーだけなのです」

 

「ひどいこと言うなよ、綾瀬。私は球磨川さんに迷惑なんて掛けてないぜ。それどころか、私の存在を一切知られないようにしてるし。だって、球磨川さんとの再会は運命的に決まってるんだから――」

 

かつて約束した球磨川さんとの再会。それは、やっぱり運命的であってほしいというのが乙女心である。球磨川さんの方から会いに来て欲しいというのもある。

 

「宮崎なら分かるんじゃないか?」

 

「え……そ、そんな…」

 

同じく恋する乙女である宮崎になら私の気持ちが――

 

いびつに歪んだ口元に笑みを浮かべ、瞳を覗き込むように顔を寄せる。恋をしているなら理解できるはずじゃないか。しかし、宮崎の瞳には醜悪な怪物を目の当たりにしたような恐怖に怯えだけが写っていた。

 

「わ、私の想いはそんなのじゃ……」

 

「本当に?」

 

「ひっ……い、嫌……」

 

蛇に睨まれたかのように身を竦め、恐怖に息を呑んだ。隣にいる綾瀬と早乙女も完全に負の感情に呑み込まれてしまう。それを救ったのはポンと宮崎の肩に置かれた掌だった。

 

「ほら、もうすぐ試合が終わるネ。応援してあげるよろし」

 

「超…さん……」

 

はっとした様子で我に帰る宮崎。その顔は死人のように青ざめ、憔悴しきっていた。他の二人も似たような有様だ。どうやら怖がらせてしまったらしい。自身のマイナス性を抑え、元の空気に戻す。冷え切った周囲の温度が一気に上がったように感じただろう。三人は私から離れるように立ち上がり、ドッジボールの応援に戻っていった。そして、この場には超と二人だけが残される。

 

「あんなに過負荷(マイナス)を撒き散らして、クラスメイトを恐がらせるのは関心しないヨ」

 

「いや、恐がらせるつもりはなかったんだが……。恋について語ってたら熱くなっちまってな」

 

「ひどい寒気と吐き気を催したネ。死体安置所(モルグ)にでもぶち込まれたかと思たヨ」

 

やれやれと超は困ったように肩を竦めた。そして、小さくつぶやく。

 

「これが過負荷(マイナス)――やはり、私の目的には関わって欲しくない人種のようネ」

 

 

 

そんなことを話している間に、ドッジボールの試合は決着がついたようだ。勝者は私達2-A。最後にネギが派手に魔法をぶっ放してたみたいだが、それは見てみぬ振りをしておこう。



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3時間目「それが『事故申告(リップ・ザ・リップ)』」

――あれから様々なことがありつつも、私は無事に三年生へと進級していた。

 

成績については……ま、学年の平均くらい。三学期の期末試験はネギの課題のために勉強合宿があったので、テスト勉強も結構やったし。そして、クラスの成績を学年トップにするという課題を達成したネギは、今年から私達のクラスの正式な担任となったのだった。

 

 

 

 

 

そして、新学期初日――昏睡した佐々木まき絵が桜通りで発見された。

 

気を失っているだけで命に別状は無いそうだが、校内では桜通りの吸血鬼の仕業だと騒がれていた。佐々木の他にも襲われた生徒がいるらしい。情報の流れに意図的なものを感じた。

 

その日の放課後、私は桜通りで待っていた。空が薄暗くなり、街灯に電気が点き始める時刻。生徒達はほとんどが寮へと帰っただろうか。街灯の鉄柱に寄り掛かりながら、私はただその場に佇んでいた。待っている相手はもちろん――桜通りの吸血鬼。

 

「――来たか」

 

隠れている気配を感じて振り返ると、そこには身体をすっぽりと覆うほどのサイズのローブに身を包んだ人影があった。影になってその顔を見ることは出来ない。しかし、それが私の待ち人であると理解できた。

 

「待ってたよ。桜通りの吸血鬼さん」

 

「ほぅ……気付いていたか。私に何の用だ?と言っても決まっているか。私を止めに来たのか」

 

その小柄な人物からは少女のようなかわいらしい声が発せられた。ローブで表情を隠しながらも、その口元が薄く笑みを浮かべているのが分かる。

 

「とりあえず、そのフード取ってくれよ。何か話しづらい。そうだろ?――マクダウェル」

 

「そのくらいは知っていたか、長谷川千雨」

 

フードを外すと、黄金のような長くきれいな金髪が風に揺れた。美しい金色が闇夜に映える。そこには見慣れた顔があった。クラスメイトのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。小学生にも見紛うほどの体躯の少女は、その実、封印されし伝説の吸血鬼であった。

 

「私の吸血行為を止めに来たか。貴様がクラスメイトを心配するような殊勝な心を持っていたというのは意外だが……。しかし、悪の魔法使いたる私の前に立つとは無謀な――」

 

「おい、ちょっと待て!私はあんたの邪魔をしに来た訳じゃない」

 

「ならば、どうして私を待ち伏せていた」

 

鋭い瞳で睨みつけてくるマクダウェルに両手を振って敵意がないことを示す。私は吸血鬼退治をするために待っていた訳じゃない。むしろ逆だ。正面の吸血鬼は懐から試験管らしき物を取り出した姿勢で動きを止めていた。私の口元が吊り上がり歪んだ笑みが浮かぶ。

 

「――私の血を吸わせてやろうと思ってな」

 

驚愕に目を見開くマクダウェル。自身の制服のタイを緩めて首元を露出する。訝しげにこちらを見つめてくるのを感じるも、私は気にせずに歩み寄っていく。

 

「それに『悪の魔法使い』?何を言ってるんだ。あんたは何も悪くなんてない」

 

マクダウェルとの距離が一歩ずつ縮んでいく。その顔には苦虫を噛み潰したような表情が張り付いていた。汚物を見るような目で気持ち悪そうに唇を噛んでいる。

 

「だって、――恋のための行動に間違いなんてないんだから」

 

「……何を言っている」

 

「好きなんだろ?その、ナギ・スプリングフィールドって男が……」

 

「なっ、何を言っている!貴様!なぜ私があんなやつのこと!」

 

その言葉に急激に顔を赤くしたマクダウェル。あわあわと狼狽したように両手を振って叫ぶ。それはスキルなどなくとも図星だとわかる有様だった。しかし、すぐにスッと表情が鋭く冷たいものに変わる。

 

「なぜ、貴様がそれを知っている」

 

「どうしてって、見れば分かるとしか言えないな」

 

はぐらかす私の返答に、しかし、マクダウェルは得心したように頷いた。

 

「そうか……いや、なるほど。――それが貴様の『事故申告(リップ・ザ・リップ)』か」

 

「へえ、知ってたのか。私の過負荷(マイナス)を――」

 

私のような強さの欠片もない人間のことを、最強種である真祖の吸血鬼が知っていたというのは多少意外なことだった。力を封印された今の状態ですら、私など歯牙にかけないほどの実力を持っているんだし。いや、そもそも私は戦闘スキルなんて持ち合わせてないんだけどな。そう、私のスキルは彼女の言うとおりだ。

 

――『事故申告(リップ・ザ・リップ)』

 

その過負荷(マイナス)の効果は――『他人の隠し事を暴くこと』

 

私の前ではすべての隠し事は意味を成さない。心の中に秘めた恋心も、破滅をもたらす犯罪の証拠も関係なく、そのことごとくを暴いてしまうのだ。

 

「三年振りか……。嫌なことを思い出させてくれる。やはり、あの男を野放しにしておくべきではなかったか……」

 

マクダウェルは唾棄するように言い捨てる。心底忌々しそうな口振りには、言いようのない負の感情が込められていた。

 

「球磨川禊とか言ったか……。あの男を学園に入れるべきではなかった。そのせいで、貴様のような人間が生まれてしまったのだからな」

 

「球磨川さんを知ってるのか!?」

 

「あの男が学園に侵入したのが三年前。そして、まともな人間ではないことを一目で理解させられた。ジジイも同じ判断をした。当然だろう。人間とはあれほどまでにおぞましくなれるのかと思ったよ。本当の意味で私が戦慄したのは何百年前だったか……。その感覚を一瞬にして思い出させられた。関わることすらしたくないと思ったのは初めてだったよ。世界中からありとあらゆる負の要素をかき集めて凝縮したような存在だった」

 

球磨川さんへの賛辞の言葉に私は嬉しさを隠しきれない。どうしても、だらしなく表情が緩んでしまう。そんな私に顔をしかめながら、マクダウェルは昔話を続けていく。私の運命を変えた三年前の出来事を――

 

「当時、ジジイは球磨川禊の学園都市への侵入を阻止しようとした。そのメンバーの中には警備員を任されている私もいた。総動員された学園の魔法使い連中。その戦力はこの旧世界でも屈指のものだったろう。だが、結果的に球磨川禊は、好き勝手に学校見学をして帰っていっただけだった」

 

薄気味悪そうに吐き捨てる。その顔にはおぞましさや薄気味悪さがまざまざと浮かんでいた。

「私達の警備の隙を縫うようにして、悠々と学園の敷地内を闊歩していた。魔法も気も使えない中学生に、当時の学園都市はしっちゃかめっちゃかにされたのだ。そして、その学校見学ツアーの最後にあの男が出会ったのが貴様だ」

 

警戒と戦慄を込めて指し示したのは私だった。

 

「会話の内容は聞き取れなかったが、それ以来、学園都市内での貴様の行動には注意を払っていた」

 

「それはご苦労なことだな」

 

「そして、――貴様がWEB上に作ったサイトのこともな」

 

その瞬間、マクダウェルから受ける威圧が強くなった。重苦しく今にも押し潰されそうな空気。捕食者が天敵に会ったかのような危機感。冷たく暗い敵意が突き刺さる。一体なぜそんなに怒っているんだ?ただ、球磨川さんを見習っただけなのに。

 

「サイト名『事故申告(リップ・ザ・リップ)』。ま、私の過負荷(マイナス)の名前なんだけどな。それがどうかしたのか?ただの情報サイトだぜ」

 

「ただの?笑わせてくれる。あれが情報サイトなんて有意義なものか」

 

「ま、それは仕方ないさ。私の作るサイトが有意義(プラス)なはずないだろ」

 

私が開設したのは負の情報を集めたサイト。動機は球磨川さんへのリスペクトだ。結果的にそのサイトは爆発的な大成功を収めた。いや、大失敗を収めたというべきか。

 

「『結界中学』、『檻舎第二中学』、『酒甕中学』……。知っているだろう?――貴様が廃校にしてきた学校だ」

 

「そうだな。この辺りでは割と有名な中学を狙ってみたんだが。で、それがどうしたんだ?」

 

その言葉にいっそう私への威圧感が高まった。偽悪的なことを言っても、中身は意外と人道的なようだ。別に関係ない中学校がどうなろうと構わないだろうに……。私としては、球磨川さんを真似ていくつかの中学を廃校にしてみようという、ただの興味本位のものだ。おかげで過負荷(マイナス)の使用法がよく分かったので、その点では有意義だった。

 

「真実は劇薬ってのは本当だったみたいだな。隠された心の中身をネット上にぶちまけてやっただけで、あんなひどい有様になるなんてさ」

 

私がやったのは単純なことだ。まず、休日を利用して標的となる中学校を回る。全校生徒を探して近付き、隠された秘密を奪い去っていく。そして、その秘密をネット上の私のサイトに本名を添えてすべて暴露するのだ。早朝の中学に忍び込み、すべての教室の黒板にペンキでホームページのアドレスを書いておけば、すぐに崩壊が始まる。

 

友人しか知らないことが次々とサイトに書き込まれているのだ。それも、後ろ暗いことばかり。疑心暗鬼が広がっていくのは当然の帰結である。これが第一段階。醜い犯人探しが始まり、心の底では誰も信じられなくなる。

 

次の段階として、本人しか知らない出来事を書き込んでいく。全校生徒の後ろ暗い情報を暴露するのだ。誰しもがひとつくらいは、他人に知られたら破滅だという秘密を抱えているもの。この段階でサイトの情報の精度の高さを実感する。ここに書かれていることは全て事実だと確信させられるのだ。自分の情報が正しいのだから、当然他人の情報も正しいと思うはず。リークではなく、超常的な何かによる悪意だと気付くだろう。しかし、もはや疑心暗鬼を繰り返した彼らに再び団結などできるはずもない。信頼し合うこともできず、サイトを見るのをやめることもできない。誰もが他人の秘密は知りたいのだ。全校生徒がすべての悪い秘密を晒されることになる。

 

そして、最終段階。学校全体に恐怖と不安が覆っている。サイトに書き込まれる情報を戦々恐々しながら覗く日々。すでにクラスメイトからの視線には、自身への糾弾と軽蔑しか感じられないほどに疑心が根付いてしまっている。そこで最後の一押し。嘘を混ぜるのだ。例えば、相田と飯田と上田が、同級生の女子の小田を卒業までに輪姦しようと計画しているとか。いじめられっこの岡田が自分をいじめていた菊田を殺害しようとしているとか。本人が否定しようと誰も信じない。もはや、私の情報を疑うことは出来ないのだ。サイトに書かれた情報は共通認識として真実にされる。予告された被害者は恐怖するだろう。その恐怖は容易に殺意へと転換する。

 

――学園は地獄絵図と化した。

 

 

 

 

「ま、そんな感じだ。一番上手くできた学校で確か……生徒と教師合わせて半数以上が病院送りになったかな。死人の数は覚えてないが」

 

「貴様……!」

 

「整合性や力関係を考慮するのがコツだな。慣れてくれば情報だけで人は操れる」

 

楽しそうに自慢話を語る私を憎々しげな表情で睨みつけている。いや、これは私に非があるか。他人の自慢話なんて退屈なだけだからな。心の中で反省の言葉をつぶやきながら、マクダウェルの目の前にひざまずく。抱き締めるように首元を彼女へと近付けた。

 

「ま、いいや。それよりほら、血を吸えよ。必要なんだろ?」

 

「……それで貴様に何のメリットがある」

 

疑っているようで、マクダウェルはなかなか口を付けない。不気味な雰囲気に罠を感じてしまったのか。しかし、誓って言うが私に他意なんて無い。純粋に彼女の恋を応援しているだけなのだ。

 

「恋に生きる女はすべて私の同類だ。仲間の恋路を応援するのは当然だろう?悲恋にしちゃうこともあるけど、それでも恋には違いない」

 

「……狂人め。それだけの数の人間を地獄に落としておいてよく言う。しかし、魔法的・呪術的な仕掛けも感じられない。罠ではない、か……」

 

「だから、言ってるじゃねーか。私はあんたの手助けをしたいだけだって。それに、あんただって心の底では、関係ない他人から血を吸うのに罪悪感を覚えているんだし」

 

しばらく考えたのち、吸血鬼は私の首元に牙を突き立てた。その顔は苦渋に歪んでいる。勢いよく血が減少していく感覚。次第に私の意識は遠くなり、視界が黒に覆われるのだった。



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4時間目「ちゃんと私を助けてくださいね?」

――麻帆良大停電の当日。電灯の明かりが消え去り、辺りは闇に包まれている。今夜こそがマクダウェルとネギの決戦であった。そして、私はマクダウェルからある仕事を任されている。

 

「よ、ネギ先生。準備はOKかい?じゃ、マクダウェルの元へと案内するぜ」

 

「ま、待ってください!どうして長谷川さんが!?」

 

「あん?決まってんだろ。私はマクダウェル側の人間だからだよ。いいから来いって。停電はいつまでも続くもんじゃねーんだからよ」

 

困惑するネギを連れて夜の街道を進んでいく。学園全域に渡って電気の供給が停止しているため、外には人の姿は無い。私とネギの二人だけがマクダウェルの待つ場所へと向かって歩いていた。といっても、それほど距離がある訳でもない。案内なんて面倒な手順を踏むのには大した理由はない。自分からネギの元へ赴くのは吸血鬼としてのプライドが許さないらしいというだけだ。弱者の方が挑んでくるべき、だとか。とはいえ、待ちに待った全力を出せる決戦だ。おそらく今か今かと待ちわびていることだろう。しかし、指定された場所まであと数百メートルという地点で、私は足を止めた。そのまま振り向かずにネギに声を掛ける。

 

「なぁ、私が命令されてんのは、あんたをマクダウェルの待つ地点まで案内することだ。その場所はこの先を突き当たり右に行ったところになる」

 

「え?は、はい。わかりました。あとは僕だけでという訳ですね」

 

「いいや、違う」

 

私を置いて先へ進もうとするネギの腕を掴む。不思議そうな顔をするネギに言葉を続ける。

 

「あんたの記憶から考えると、ナギとやらはまだ生きてるんだろ?マクダウェルの恋を成就させるためにはあんたの血が必要だ。学園を出るためにもな」

 

「でも僕は!」

 

「マクダウェルはあんたとの決闘で勝負を着けるつもりだ。だけどさ、その前に――」

 

私の口元に薄気味悪い笑みが浮かぶ。さりげなく右手を自分のポケットへと潜らせた。

 

「――あんたの腕一本くらいは貰っとこうと思ってさ」

 

右手に握ったナイフを突き出した。月明かりを反射して白刃が闇夜に踊る。虚を突かれたネギは呆然とした表情を浮かべたままだ。完璧な奇襲。

 

――喰らえ!

 

「危ねぇ!旦那!」

 

しかし、その奇襲はどこからか聞こえた叫び声によって失敗に終わってしまった。無難に肩を狙ったのが悪かったのか。反射的に身体を捻ったネギに間一髪で回避されてしまう。奇襲を感知した存在はというと、ネギの肩に座っていたマスコットのオコジョだった。そのネギの顔には驚愕と恐怖の感情が浮かび上がっている。

 

「だがっ!」

 

避けたはいいが、ネギの体勢は大きく崩れている。手首を回し、返す刀でネギの二の腕を切り裂こうとナイフを振るった。無防備な身体に一刺しできると思ったが、しかし、それは魔法使いというものを甘く見過ぎだった。

 

「風花(フランス)……風障壁(バリエース・アエリアーリス)!」

 

「ぐっ……」

 

呪文と共にネギの前方に生じた風の塊が、あっさりと私の斬撃を弾き返す。逆に自分の腕を後方に吹っ飛ばされた私の体勢が崩れてしまう。

 

「旦那!今だ!やっちまえ!」

 

「で、でも……」

 

「じゃあ拘束魔法でもいいから!早く!」

 

再び呪文を唱え始めるネギ。崩れた体勢を立て直し、ネギへ向かって突撃を掛ける。呪文詠唱前に届くか……?

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル……」

 

「はあっ!」

 

「風花武装解除(フランス・エクサルマティオー)!」

 

わずかに私の方が遅い。呪文詠唱が完了した瞬間、私の全身が木っ端微塵に破裂した。いや、それは私の勘違いで、着ていた衣服と手にしていたナイフが弾け飛んでしまっていた。衣服がバラバラに千切れ、風に流される。全裸に剥かれた私に戦闘を続けることはできなかった。やれやれと溜息を吐いて両手を挙げる。

 

「降参だ、降参。これ以上はただの無駄死にだ。さっさと先に行けよ」

 

「え?あの……服……」

 

野外で全裸のまま両手を挙げている私に、ネギは顔を赤くしてあわあわと慌てていた。裸の女子を外に放り出していくことに危険を覚えているのだろうか。だけど、別に私にとっては慣れたものだ。この程度で屈辱を感じるほど幸せな人生を送ってない。

 

それにしても、格闘経験すらない小学生に襲い掛かって傷ひとつ負わせられないとは……。さすがに自分の不甲斐なさに反省せざるを得ない。

 

「停電が終わっちまうだろうが。さっさと行ってくれないと困るんだが」

 

「でも……そんな格好のままで」

 

ネギが急いで自分のローブを脱ごうとするが、ハッと気付いたようにその動作をやめた。そのローブの内側には、今回の決戦のために買い揃えた魔法道具が詰め込まれていたからだ。いいから、先に行けと言おうとしたとき、私の頭上からヒラヒラと黒い布が降ってきた。

 

「どうも遅いと思ったら、やはり余計な真似をしていたか。くだらん横槍を入れるなと言っただろうが」

 

「エヴァンジェリンさん!?」

 

私の頭上には宙空に佇んでいるマクダウェルの姿があった。黒衣に包まれ、その圧倒的な風格はまさに人間の上位種族というに相応しい。そして、私は降ってきた黒衣のローブを身体に巻きつけて裸身を隠す。

 

「長谷川千雨。貴様はもう決闘には関わるな。あとは追っ手や邪魔者が来た場合に足止めをするだけでいい」

 

「わかった」

 

マクダウェルの言葉に首肯し、この周辺に隠された気配を探知する。そして、私から注意を外したマクダウェルは、愉しそうにネギへと目を向けた。ネギも決意を込めた瞳で目の前の絶対者を見つめ返す。

 

「さて、ようやく待ち望んだ機会が訪れたか。ククッ……始めようか」

 

「はい!行きます!」

 

その言葉と同時にネギは杖にまたがり、闇夜の空へと高速で飛び上がった。そのまま距離を取るように後方へと飛翔する。

 

「ほぅ、何か考えがあるようだな。乗ってやろう」

 

逃げるネギを追って空中を疾駆するマクダウェル。二人は学園内での空中戦に突入した。すぐに私の視界内から消え去ってしまう。その高速戦闘を見物したいところだったが、私にはその様子を眺めることはできそうもない。なぜなら――

 

「来たか、神楽坂」

 

「え?千雨ちゃん?」

 

走ってきた神楽坂がこの場に現れたからだ。神楽坂明日菜がネギと契約したことはすでに掴んでいる。正確には仮契約らしいが……。ちなみに、仮契約とは魔法使いの従者となる契約のことで、魔力による身体強化や固有のアーティファクトを得られるなどの様々な利点がある。しかし、今のところは身体強化を行っていない素の状態のようだ。

 

「どうして千雨ちゃんが……。もしかしてエヴァちゃんの仲間なの!?」

 

「そういうことだ。あと、二人はもういないぜ。どっかに飛んで行っちまった」

 

ときおり夜空に光点が見えるので、大体の居場所は分かるけどな。しかし、私の仕事はここで神楽坂を足止めすることだ。落ちていたナイフを拾い、冷静に彼我の戦力差を測る。

 

こちらは、何の格闘経験もない子供にあっさりとナイフを避けられた運動不足の女子。もう一方は運動神経抜群の元気娘。子供の喧嘩とはいえ、殴り合いの経験も豊富だ。武器有りのハンデ戦だけど、戦力差は……

 

「とりあえず仕掛けてみるか」

 

軽い調子でつぶやくと、神楽坂の懐へと飛び込み、ナイフで胴を薙ぎ払った。

 

「きゃっ!千雨ちゃん!危ないって!」

 

「チッ……」

 

首、心臓、太股、手首。続けざまに斬りつけていく私だったが、それを後ろに下がりながら全て回避されてしまう。完全に見切られている。やはり武器有りでも戦闘力は相手の方が勝っていた。

 

「危ないって言ってんでしょ~!」

 

「ごふっ……」

 

堪忍袋の緒が切れたのか、神楽坂が大声で叫びながら放った蹴りが私の腹に突き刺さった。一瞬、息が止まる。あまりの威力に肺の中の空気が強制的に吐き出された。蹴り飛ばされた私は、そのまま地面をゴロゴロと転がっていく。とても素人とは思えない威力。腹に鈍い痛みが走る。しかし、私は何事も無かったようにあっさりと立ち上がった。痛みなんて私にとっては隣人にすぎない。ましてや殴られたり蹴られたりなんて、かつては日常の出来事だったのだ。しかし、神楽坂は立ち上がった私を心配そうな目で見つめていた。

 

「あ、ごめんね。つい思いっきり蹴っちゃった」

 

「いや、いいぜ。痛くもかゆくもないさ」

 

すまなそうに謝る神楽坂に、平静を装ったまま軽く言葉を返す。

 

「そう、じゃあいいけど。千雨ちゃんも魔法使いって奴なの?」

 

「いいや。だけど、遠慮はしなくていいぜ。全力で来いよ」

 

まるで苦痛を感じさせない表情に、私が何らかの不思議な力で身を守ったのだと信じたのだろう。ほっとした風に息を吐いた。さすがに一般人である神楽坂は、他人を全力で攻撃することなんてめったに無い。しかし、私が魔法っぽい力を持つ超人だと思っているいま、次の一撃は本当の全力で来るはず。それが私の狙いだった。

 

「いっくわよぉ~!」

 

私に向かって走ってくる神楽坂。それに対して私は腰を落とし、両腕をだらりと下へ降ろした。無防備な顔面。そこへ向かって神楽坂は全力の跳び蹴りを放つ。肉食獣のようなバネのあるしなやかな動作。

 

――速い

 

目の前に靴の踵が迫ってくる。相当な威力を予感させる蹴りだった。このタイミングでは回避することもできない。しかし、そもそも私には回避するつもりなんてなかった。私の目的は神楽坂をネギの元へと向かわせないこと。そのためには、必ずしも勝利する必要なんてないのだ。特に、過負荷(マイナス)の私にとっては敗北こそが日常。負け方については知り尽くしている。私は眼前に迫る靴の裏を前にして――

 

 

――自分の顔面を前に突き出した

 

 

「えっ?」

 

神楽坂の口から声が漏れる。強烈な蹴りをモロに受けて勢いよく吹き飛ぶ私の身体。グチャリと自分の顔面から鈍い音が響く。わざとカウンターで喰らった渾身の跳び蹴りは、私の顔面に相当の被害を与えていた。想像以上の手ごたえならぬ足ごたえに、神楽坂が驚きの表情を浮かべているのが視界に映る。

 

「うぐぅぅぅ……ひどい。ひどすぎるぜ、神楽坂ぁ」

 

倒れた状態からよろよろと立ち上がる。ぐにゃりと気持ち悪い動きで上体を戻していく。その幽鬼のような雰囲気に神楽坂の血の気が引く。

 

眼鏡のレンズは割れ、フレームも半ばからへし折れていた。そして、私の鼻骨は折れ、潰れた鼻からはドボドボと血が流れ出る。怪我を大きく見せるためにあえて出しておいた舌も半ばから噛み切られ、大量の血液が口元からゴポリと溢れ出している。自分で言うのも何だが、端正な顔がぐちゃぐちゃに潰れた顔は、普段とのギャップもあって見るに耐えない無惨なものとなっていた。

 

「痛い……痛いよ…どうして…」

 

「ひっ……!ご、ごめんなさい……」

 

「許さない。私の顔を、こんな滅茶苦茶に壊して」

 

恨みと憎しみの篭った瞳で神楽坂を下から覗き込む。目を背ける神楽坂に強制的に目を合わせてやる。その瞳は恐怖と嫌悪に染まっていた。隠された記憶はともかく、一般の世界に暮らしている現在の神楽坂にとっては暴力は禁忌である。大怪我を負って血塗れにも関わらず、平然と自分を見つめてくる負の存在に、神楽坂は得体の知れない暗黒を感じていた。

 

「あ……うあぁぁ……」

 

全身に鳥肌が立ち、膝がガクガクと震えている。あまりにも不気味な存在に神楽坂の脳は真っ白になってしまっていた。しかし、それも無理からぬ話。私も過負荷(マイナス)と呼ばれるほどのマイナスな存在である。正面から向き合って、過負荷(マイナス)の気持ち悪さに耐えるというのは至難の業。歪みきった精神を目の当たりにした神楽坂の脳内には、すでにこの場から逃げ出したいという思考だけが渦巻いていた。

 

ただし、私にはここで逃がすつもりは無い。さらに、私はキスできるほどの距離にまで顔を近付けていく。神楽坂は怯えたようにビクリと身体を跳ねさせた。無理矢理にお互いの目と目を合わせて、私の醜悪で無様な姿を直視させてやる。神楽坂の瞳に映る私の姿は、我ながら腐敗しきった死体のように気持ち悪かった。もう少し。あと一歩で神楽坂の戦意は粉々に砕かれるという確信があった。しかし、それは男の声によって遮られる。

 

「これ以上、彼女に手を出すのはやめてくれないか」

 

それと同時に、私の頭部が衝撃を受けて激しく揺さぶられた。思わずガクリと地面に膝を着いてしまう。脳がかき混ぜられた感覚に小さく呻く。

 

「ぐっ……これは」

 

気力で立ち上がろうとするも、その瞬間、さらに二度三度と衝撃が脳天に伝播させられた。身体の支配権を失った私は地面に倒れ伏す。ピクリとも動けずにうつ伏せのまま、神楽坂の逃亡を見逃すしかなかった。そして、神楽坂が去ったのを見計らって物陰から現れたのは、元担任教師の高畑。魔法世界では英雄と謳われる戦士である。当然、私のような貧弱な人間では勝負にすらならない。

 

「生徒に向かって、ずいぶんと非道いことするんですね」

 

「……立ち上がれるのか。そのまま寝ていなさい」

 

再び顎先に衝撃。結構距離が空いていたんだけど、高畑にとっては関係ないのだろう。それほどに実力に天と地ほどの差があった。今の攻撃も卵に触れるように優しく、壊れ物を扱うような力加減だったに違いない。的確な打撃により一撃で脳震盪を引き起こされた。しかし、それでも私は立ち上がる。執念とも怨念とも呼べるそれに、わずかに高畑の顔が歪んだ。

 

「女の子の顔をこんな無惨に破壊しちゃったんですよ?どうして加害者の神楽坂を庇うんです……。私だって同じ生徒じゃないですか。特別扱いされない生徒は泣き寝入りするしかないんですか?」

 

「……そうだね。明日菜くんに代わって謝るよ。すまない。君の怪我については、僕達で責任もって治療させてもらう」

 

「高畑先生に謝られてもね。神楽坂を呼び戻してもらえませんか?」

 

「悪いが明日菜くんにはやってもらうことがあるんだ」

 

会話をしながら、高畑の隠し事を読み取っていく。そして、予想通りの結果に心の中で舌打ちをした。現在、マクダウェルとネギとの決闘は学園長の監視下に置かれているらしい。数人の魔法先生によって見られており、高畑もそこへ向かう途中であった。神楽坂も無事に合流し、すでに二対二の戦闘が行われている。

 

――だったら、高畑だけでも足止めしておくか

 

他の魔法先生はマクダウェルにとって物の数ではない。しかし、高畑だけは別格。マクダウェルが全盛期の力を維持できるのは、停電中という時間制限付きなのだ。こいつを向かわせてしまうと、さすがにマクダウェルの勝利は危うくなってしまう。戦闘スキルを有しない私が学園でもトップクラスの高畑を足止めする方法。それが一つだけある。

 

「女子中等部の保健室に行ってくれれば、怪我を治せる先生がいるはずだから。エヴァに聞いたのか?とにかく、魔法についてはすでに知っているようだし、魔法先生に治療を頼んでくれ」

 

「そうですか。わざわざありがとうございます」

 

そう言いながら私は手にしていたナイフを逆手に持ち替える。その様子を視界に捉えていた高畑の緊張感がわずかに高まった。しかし、私が気も扱えない素人だというのも知っているし、距離が空いているのもあって、特に向こうから動きを見せる様子は無さそうだ。襲い掛かっても容易に無力化できるという確信からだろう。そして、それは私にとっては好都合だった。

 

「高畑先生って魔法使えないんですよね?」

 

「ん?そうだよ」

 

「それはよかった」

 

 

――ズブリと自分の腹へとナイフを突き立てた。

 

 

直後、全身に走る激痛。さすがの高畑も予想外の出来事に一瞬、虚を突かれて動きが止まった。これは千載一遇の好機。呻き声を上げながらも、力を込めて腹に刺したその刃で左右にぐりぐりとかき混ぜる。内臓がぐちゅりと損傷する感触が手に残った。

 

「なっ!?何をしているんだ!」

 

私の目の前に瞬間移動した高畑が、ナイフを握っていた両手を振り払った。しかし、もう遅い。腹の中を蹂躙したナイフの根元からはどくどくと大量の血液が溢れ出している。私の足元には真っ赤な鮮血による水溜りができ、刻々とその面積が広がっていた。魔法の使えない高畑が応急処置をできる限度を超えている。それを確信した私は口元を吊り上げ、薄気味悪い笑みを浮かべた。

 

「ねえ、高畑先生。ちゃんと私を助けてくださいね?まさか、教え子を見殺しになんてしませんよね?大丈夫です。人命救助のためなんだから、マクダウェルの元へ向かうのが遅れたって誰も咎めたりしませんよ」

 

高畑の表情がゾッとしたように凍りついたのが、霞んでいく視界に映った。『自分を保健室へと運ばせるため』。それだけのために、私は自分の腹をナイフで刺し貫いたのだ。下手すれば死ぬかもしれないほどの重傷。内臓もいくつか裂けただろうし、出血多量でこの瞬間にも死ぬかもしれない。しかし、そんなマイナス要素を恐れないのが私たち過負荷(マイナス)なのだ。

 

 

 

 

 

 

そして、そこまでして成し遂げた高畑の足止めも虚しく、マクダウェルはネギに敗北したと知らされたのは、保健室のベッドで目を覚ました翌日の昼過ぎのことであった。



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5時間目「同性愛とか興味ある?」

この麻帆良学園中等部の修学旅行は四月に行われる。今年の行き先は京都。マクダウェルは例の呪いのせいで学園でお留守番だが、それ以外は全員参加である。私としても、ひさしぶりの麻帆良の外なので楽しみにしていたのだが……

 

「きゃああああ!蛙がたくさんいるぅ~!」

 

電車の中で蛙が大量発生したり――

 

「ってこの水、お酒じゃないのよ~!」

 

清水寺の水がアルコールに変わっていて、生徒達が酔いつぶれたり――

 

せっかくの外なのに非常識を持ち出すんじゃねーよ!おかげで初日から騒がしさで疲れてしまった。こいつらのテンションの高さには慣れてるけど、今日は普段以上にはしゃいでるからな……。そして、その夜にはネギと明日菜に呼び出されていた。……厄介事の予感しかしない。

 

「ということで、千雨さん!僕に協力してくれませんか?」

 

人気の無いロビーでネギから聞かされたのは、この修学旅行を妨害している者の存在についてだ。相手は関西呪術協会の手の者で、どうやらネギの持っている関東魔法協会からの親書を奪おうとしているらしい。その話をおおげさに驚いた振りをしながら聞いていた。ま、すでに知ってた内容だし。

 

来る途中の新幹線の中に、素性を隠した女がいたから調べてみたら、そいつが妨害を仕掛けている張本人だったのだ。狙いが私じゃなかったから放っておいたが……

 

「ちょっとネギ!本当に千雨ちゃんを仲間に入れるつもりなの?やめた方がいいと思うわよ」

 

「大丈夫だって!何たってあのエヴァンジェリンが仲間にしていた奴だぜ!こっちの戦力も二人だけじゃ足りねぇしよ」

 

「そうだよ。魔法のことを知ってる人なんて、クラスで他には千雨さんだけだし」

 

ネギの耳元に小声で囁く神楽坂。その固い表情に気付くことなく、オコジョとネギが賛成の言葉を示していた。過負荷(マイナス)相手には神楽坂の言うことが正しい。二人が楽観的なのは、私と接した時間と密度が少ないからだろう。そして、私の選択はもちろん決まっている。

 

「それで、どうですか?千雨さん」

 

「ああ、いいぜ」

 

「本当ですか!?ありがとうございます!」

 

嬉しそうな声で大きくお辞儀をするネギ。

 

「それで譲ちゃん。戦闘力はどれくらいなんだい?以前の戦いを見た限りじゃあ、あまり強くはなさそうだけどよ。よければ兄貴と仮契約してくんねぇか?」

 

「仮契約ってキスのことか?断固拒否に決まってんだろ。たしかに私は一切の戦闘スキルを有していないが、非戦闘スキルに関しては劣等感(じしん)があるんでな。直接戦闘以外でなら役に立てると思うぜ」

 

「たしかに全然弱かったもんね。……ナイフは怖かったけど」

 

私の返答に呆れたように神楽坂が笑う。しかし、その笑みは自身のトラウマを隠そうと少し引き攣ったものだった。

 

「それで、私たちは関西呪術協会とやらの刺客を倒せばいいんだな?」

 

「はい。千雨さんには、今日みたいに妨害があったときに、クラスの生徒達のことを頼みたいんです。僕と明日菜さんで襲ってきた敵の相手をしますから」

 

真剣な表情で決意を固めるように拳を握るネギ。すでに私が敵の情報をもっていることは黙っておく。この事件について、私がどういった立場を取るかが自分の中で明確には決まっていないからだ。相手の目的はネギの親書とはわずかにズレていることだし。

 

「だがよ、兄貴。敵は内部にもいるのかもしれねぇぜ。ほら、桜咲刹那って言ったろ?電車の中で怪しい動きをしてたやつ」

 

そこで、ネギの肩の上でオコジョが面白いことを言い始めた。これだ、と直感した私は自身の口元に薄く笑みを浮かべた。あとは情報の断片をどうやって組み合わせて嵌め込むか……。

 

「たしかに危険そうだな。これ見よがしに武器なんて持ち込んでるし。修学旅行に刀を持ってくる必要なんて無いだろ?」

 

「で、でも……桜咲さんは剣道部ですし……それで」

 

「他のクラスにも剣道部は何人かいるけど、他に刀を持っている奴なんていないぜ。これは、いざというときにあんたを襲うためじゃないのか?」

 

自分の生徒を疑いたくないのか、消極的な意見を出すネギにすぐさま反論する。そして、予想通りにオコジョは私の意見に乗ってきた。

 

「そうだぜ!やっぱりあの桜咲って女は敵のスパイだったに違いねぇ!さっさと囲んで倒しちまおうぜ!」

 

「いや、それはやめた方がいい」

 

積極的な意見を出すオコジョだが、それをされては私の方が困る。議論の方向性を修正しておこう。

 

「桜咲の実力は未知数なんだろ?私は戦闘には使えないし、二人だけで確実に勝てる相手なのか?もしかしたら任務はあんたらの監視だけなのかもしれないし。戦力が二人しかいない以上、避けられる戦闘は避けるべきだ」

 

「だけどよ、野放しにしておいて肝心な場面で邪魔されちゃたまんねぇぜ」

 

「分かってる。だけど、偶然にも桜咲とは同じ班だ。明日から私があいつの動きを監視しておいて、何かあったら連絡する。それでどうだ?」

 

「……嬢ちゃんの案が無難そうだな。実際に妨害行為を行ってるのは外部の連中だし。兄貴たちはそっちに集中した方がいいか」

 

その作戦案にネギと明日菜も揃って頷いた。二人とも明日からの指針が決まって安堵したような表情を浮かべている。当面は私が桜咲の監視、ネギと明日菜が外部からの妨害への対応ということになった。これで二人を桜咲から引き離すことに成功。内心で予定調和にほくそ笑みながら、今夜は二人と別れたのだった。

 

 

 

 

 

しばらく旅館の中を散策していた私は、目的の人物を見つけ、薄笑いを浮かべる。それは、客室の通路を掃除用具を手に歩いている女性だった。一見すると、ただの従業員だが、私には彼女が別の目的でこの場にいることが分かる。

 

「コソコソと変装して素性を隠して、目的を隠して……。それは私の過負荷(マイナス)にとっては完全に逆効果だぜ」

 

相手に聞こえないように、小声で嘲るように言い放つ。隠し事とは、つまりは負い目や弱み。この過負荷(マイナス)は、それらのことごとくを感知して看破できるのだ。誰にも知られてはならない計画なのだろう。その気持ちは、私にとってはマイナスに作用する。やはり、新幹線の中で妨害行為を仕掛けていた女と同一人物だ。あとは、これらの情報をどうやって当てはめていくか……。この場を去っていく私の顔には、気持ち悪い笑みを浮かんでいた。

 

 

 

 

 

旅館の部屋の一室を訪れた私は、入浴の準備をしていた桜咲に声を掛けた。

 

「よ、桜咲。ちょっといいか?明日の班行動のことで話があるんだが……」

 

「はい。大丈夫ですよ」

 

「じゃあ、外で話そうぜ。部屋はちょっと騒がしいしな」

 

呼び出した桜咲を連れ出して廊下をゆっくりと歩いていく。しばらく歩いていると怪訝そうに尋ねてきた。

 

「あの、どこまで行くのですか?あまり遅くなると入浴の時間に間に合わなくなってしまいますが」

 

「ああ、ちょっと人に聞かれたくない話でな。ええと……この辺でいいか」

 

そう言って、私は旅館の裏口の扉の前で進むのを止めた。疑問符を頭に浮かべた桜咲はじっと私の顔を見つめている。といっても、別に桜咲に話なんてない。ただ、この場に呼び出す口実として言っただけの口から出任せだ。しかし、そんなことを言えるはずもない。とりあえず、桜咲が喰い付きそうな話題と言えば……

 

「桜咲って同性愛とか興味ある?」

 

ぶふっと桜咲が吹き出した。慌てた様子で両手を正面でひらひらと振り回す。

 

「なななっ、何を言い出すんですか!?ま、まさか長谷川さんっ!」

 

「いや~、桜咲ってそっちの気があるのかなって思ってさ。あ、いや別に否定してる訳じゃないぜ。恋愛であれば私はどんなものでも応援するつもりだし」

 

「ありませんよ!……はぁ、どうしてそんな話が」

 

頭痛を抑えるように片手を額に当てて溜息を吐く桜咲。しかし、次の私の言葉によってさらに盛大に頭を抱えることになる。

 

「だって、いつも隠れて近衛のこと眺めてるじゃん」

 

「うぇええええっ!気付いてたんですか!?」

 

一度落ち着いた桜咲は再び大声で絶叫した。その狼狽振りには、普段の物静かな面影は微塵も残っていない。耳まで真っ赤にして恥ずかしそうに身体をよじっている。少しの間、私はその様子を楽しく観察していた。

 

そして、ようやく準備が整ったようだ。通りの向こう側から、こちらへ走ってくる人影が視界に映った。いや、それは人影というよりは猿の着ぐるみだったのだが……

 

「あれって近衛じゃねーか」

 

「え?お嬢様が!?」

 

私が指をさした先には、猿の着ぐるみに抱えられた近衛の姿があった。近衛は着ぐるみの腕の中で眠っているようだ。一心不乱に人間を抱えて走る姿は、何か切羽詰ったものを感じさせる。というか近衛が誘拐されていた。即座にそれを察知した桜咲が怒りの形相で刀の鞘に手を掛ける。そして、次の瞬間――

 

「貴様ぁああああああ!」

 

――剣閃

 

瞬間移動したように猿の懐に潜り込んでいた桜咲。その日本刀による強烈な一撃が、すれちがい様に猿のきぐるみを斬り裂いていた。バタリとその場に倒れ伏す女。そして、桜咲の腕には近衛が抱かれている。

 

「うぐぅぅ……何や、あんたは」

 

桜咲に受けたダメージでうずくまっていた女は、フラフラと足元のおぼつかない様子でこちらへ歩き出した。あの一撃を受けて立っていられるのは、身に纏っていた猿の着ぐるみのおかげだろう。しかし、その着ぐるみも先ほどの剣を受けて消え去っている。

 

「ぐっ……神鳴流の剣士が護衛についてたんかい。この場は引いて作戦立て直しや」

 

「貴様っ!逃がすか!」

 

激昂した桜咲は再び女へ斬り掛かろうと刀を握り締めた。しかし、腕に抱えている近衛に気付き、それを一瞬躊躇ってしまった。そして、その隙に裏口から逃げようと私の元へと女が走ってくる。

 

「邪魔や!さっさと失せや!」

 

「うわっ……!」

 

扉の前にいた私がドンッと女に突き飛ばされた。強く押されてあっけなく床へと倒される。転倒した私を見て桜咲が心配そうに声を上げた。

 

「長谷川さん!」

 

「次こそは、近衛お嬢様の身柄を確保させて頂きますわ」

 

女は捨て台詞を残して裏口から逃げ出そうとする。しかし、握ったドアノブからはガチャリという硬い感触。

 

「なっ……ちゃんと鍵は開けておいたはず!?」

 

「貴様はここで仕留める!」

 

ガチャガチャと必死にドアノブを動かすも、扉は一向に開く気配は無い。それも当然。さっき私が逃げられないように扉に鍵を掛けておいたのだ。予定犯行時刻と逃走ルートを知っていれば、この場に桜咲を配置しておくだけで阻止できる。慌てて鍵を外そうとするが、桜咲相手にそんな時間の余裕はない。すでに桜咲は疾風のごとき速度で誘拐犯の元へと跳び掛っていた。

 

「ちっ……なら!お出でませ!猿鬼!熊鬼!……ってあれ?」

 

自身の内ポケットへと手を入れた女は、その顔を驚愕に歪ませた。

 

「探し物はこれかい?」

 

床に倒れながら、私は手に持った紙の束をひらひらと振ってみせる。それは、女の内ポケットに隠されていたお札の束。さっき押し倒されたとき、こっそりと手を伸ばして盗み取っていたのだ。注意が完全に桜咲に向いていたため、私は無警戒で相手の切り札を奪うことができた。失態を悟った誘拐犯は私を憎々しげに睨み付けるが、もはや札を取り戻すことはできない。なぜなら、目の前には日本刀を振り上げる桜咲の姿があったからだ。

 

「神鳴流奥義――百烈桜華斬!」

 

 

――桜吹雪のように吹き荒れる無数の斬撃に、女の全身から血飛沫が花弁のように舞い散った。

 

 

身体中を斬り刻まれ、血の海に沈んだ誘拐犯。しかし、どうやら息はあるようだ。近衛を床に寝かせた桜咲は、片手で握った鞘に刀を収める。そして、倒れている私に手を差し出した。

 

「大丈夫ですか?」

 

「ああ、ちょっと押されただけだよ」

 

桜咲の手に掴まり、勢いよく立ち上がる。近衛は無事に取り返せたようだけど、この血達磨はどうしたもんか……

 

「お嬢様を救出を手伝ってくれてありがとうございました。それで長谷川さんは……ええと、魔法生徒なのですか?」

 

「いや、違うぜ。だけど魔法のことは知ってる。っと、それはともかく、この誘拐犯を連れて行ってくれよ。こんなの放置しておけないだろ?私の力じゃ運べないしな」

 

床に倒れた女を視界に入れると、得心したように桜咲が頷いた。真っ赤に染まった物体と血溜りは思いのほか目立っている。

 

「そうですね。彼女からお嬢様を狙った連中についての情報を引き出さないといけませんし」

 

「近衛のことは、起きるまで私がここにいるから安心しろよ。詳しい話はあとにしようぜ。人が来ると面倒だ」

 

「わかりました。では、お嬢様をよろしくお願いします」

 

シュッと消えるように桜咲と誘拐犯の姿が消え去った。それにしても、二人分の重量でこんな速く動けるのか。本当に同じ人間なのかと呆れてしまう。私には近衛を背負って運ぶほどの筋力も体力もないので、隣に座って起きるのを待つとしよう。とりあえず、血の跡だけは拭いておかないと……

 

 

 

 

 

「千雨ちゃん!大変なの!このかが誘拐され……ってこのか!?」

 

「え?千雨さんが取り戻してくれたんですか?」

 

ドタドタと走ってきたのはネギと神楽坂。二人は私の隣に寝ている近衛を見つけてに驚きの声を上げた。どうやら近衛を追ってきたらしい。無事を確認した二人は安心したようにホッと息を吐き出した。

 

「千雨ちゃん、ありがと。でも、このかを誘拐したあの女はどうしたの?」

 

「ここらを散歩してたら、急に近衛を抱えて猿の着ぐるみが走ってきてな。何とか取り返したんだが、犯人の方は捕まえられなかったよ。悪いな」

 

「ううん!全然!このかを取り返せただけで十分よ」

 

「そうですね。でも、どうしてこのかさんを狙ったんでしょうか……」

 

ネギが考え込むように唸っている。それを横目に見ながら、私は展開が思い通りになっていることに一安心していた。

 

「あんたに対する牽制なのかもな。生徒が誘拐されたら修学旅行どころじゃないだろ?」

 

「そんな……だからって関係ない生徒達を巻き込むなんて!」

 

怒りに燃えるネギ。そこにもうひとつ火種を放り込んでやる。

 

「それと誘拐犯の女なんだが、実は桜咲が連れて行っちまった」

 

「「ええっ!?」」

 

「たぶん二人は一緒に動いてるぞ」

 

いかにも桜咲が敵側の人間だと言う風に言葉を選んで話してやる。これでネギと桜咲が協調路線を取ることはないだろう。そして、これは桜咲のためなのだ。

 

彼女の望みは『近衛をあらゆる敵から守ること』。それは確かにその通りなのだろう。だが、その裏に隠された本音に私は気付いていた。

 

 

――このちゃんに感謝されたい。愛されたい。

 

 

その願いを私は応援する。ネギと神楽坂が近衛の護衛に回ってしまえば、戦力外の私を抜いたとしても人数は三人。感謝の度合いが三分の一に減ってしまうのだ。近衛の安全は桜咲だけで守らなければならない。安心しろよ、桜咲。

 

 

「お前の恋は、私が叶えてやるからさ」



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6時間目「ただのしがない悪平等(ノットイコール)さ」

修学旅行二日目が無事に終了した。何事もなく旅館に戻った私と桜咲は、今後の打ち合わせのために人気の無い一室に集まっていた。

 

「今日は襲撃がなくて助かったな」

 

「ええ、昨日の女が首謀者だったようですから。おそらくは今後の方策を考えていたのでしょう。自身が不在でも計画は続くように命令してあるようですし。今夜辺りからは仕掛けてくる可能性があります。それにしても……」

 

ちらりと横を向いた桜咲の視線の先には、クラスメイトの朝倉和美がいた。それに気付いた彼女は軽く手を振って返す。朝倉は今回のために協力を要請した助っ人である。

 

「朝倉には、私と同じく索敵を担当してもらってる。今日も一日中、周囲に不審な目が無いか確認してくれてたんだぜ」

 

「そうですか。ありがとうございます。朝倉さんも魔法使いだったのですか?」

 

桜咲の質問に、いやいやと軽く手を振って答えた。

 

「魔法も気も使えない、ただの普通(ノーマル)な一般生徒だよ。ただのしがない悪平等(ノットイコール)さ」

 

「悪平等(ノットイコール)、ですか?」

 

「気にしなくていいよ。たぶん桜咲が関わることはないと思うしね」

 

そう言って笑う朝倉。その笑みは強者のような凄みもなく、弱者のような醜悪さもない、普通のものだった。

 

――悪平等(ノットイコール)、安心院なじみ

 

一京のスキルをもつ人外。朝倉は彼女の端末として、麻帆良学園の調査を行っていた。今回の協力も、私のもっている麻帆良大停電時の情報と引き換えの取引によるものだ。そんな私と朝倉との間には一つだけ条件が結ばれている。互いの情報を誰にも流さないこと。麻帆良は魔法使いのお膝元だ。魔法や気によらない能力者の存在は秘匿しておきたい、というのは二人の共通認識であった。

 

「そういや桜咲のアドレス知らなかったな。教えてくれよ。別行動してるときに襲撃掛けられると困るからな」

 

「わかりました。はい……どうぞ」

 

携帯電話を取り出し、赤外線で互いのアドレスを交換する。朝倉はすでに知っているようなので、交換しないようだ。全校生徒のアドレスを網羅していると噂の朝倉だ。学園の表の情報量については麻帆良随一だろう。私の過負荷(マイナス)は隠し事という制約があるためか、周知の情報には疎い面がある。そもそも、情報屋をやっているわけでもないし、他人の情報なんてわざわざ調べたいとは思わないしな。

 

「それで、明日の予定は……」

 

「それより!ちょっと千雨には私のイベントに付き合ってもらうよ!」

 

「ちょ、ちょっと待て。何だそれは?」

 

困惑する私を引っ張っていこうとする朝倉。嫌な予感しかしない。そのまま面白がるように満面の笑顔で口を開いた。

 

「『修学旅行でネギ先生とラブラブキッス大作戦!』。千雨もエントリーしてあるから」

 

「ふざけんな!ガキに興味ねー、ってかそれ仮契約目的だろ!お前もあいつらと接触してたのかよ!」

 

「はいはい、いいから参加しなって。修学旅行中は最大限に協力してやるからさ」

 

そのまま押し切られ、無理矢理参加させられたのだった。

 

 

 

 

 

 

朝倉の企画したイベント『修学旅行でネギ先生とラブラブキッス大作戦!』とは、ネギの唇を奪うことを目的とした、誰が一番にネギとキスできるかという勝負である。イベントは旅館に仕掛けられた監視カメラによって中継されており、一位を予想して賭けまで行われるそうだ。

 

……あまりにもくだらないゲームだ。こんな企画に参加していると思うだけで頭が痛くなってくるぜ。とはいえ、参加するからには一位を狙う……はずもなく。開始と同時に、私は監視カメラの死角に潜り込み、呆れ交じりの溜息を吐きながら歩いていた。

 

「ネギ先生の唇はわたくしが頂きますわ!」

 

「ここは拙者が時間を稼ぐでござる。二人は先へ……」

 

遠くの方からドタバタと音が響いている。音源から離れるように、うろうろと旅館内をさまよっていた。

 

「ったく……騒がしいやつらだな。見回りの教師に見つかるじゃねーか」

 

こういうのは遠くから眺めてるだけで十分だってのに。館内に散らばっている教師たちの位置を感じ取り、それらを避けるように散歩を続けていく。しかし、その瞬間、周囲に異分子の反応がひとつ現れた。

 

「……ちっ、早くも来やがったか」

 

敵は一人、か……。即座に携帯を朝倉へと繋ぐ。

 

「朝倉!敵だ!正門から百メートルくらいの位置。堂々とこの旅館に近付いてきてる」

 

「了~解。正門なら人がいるね。ちょっと待ってて……見えたよ!同調完了!」

 

「なら、桜咲に連絡を取って誘導してくれ。携帯いくつか持ってたろ?この電話は通話状態のままにしといてくれ」

 

「わかってるって。あんたはどうすんの?」

 

「私も行くからルート上の監視カメラは切っといて」

 

そう言って私は走り出した。私の過負荷(マイナス)、『事故申告(リップ・ザ・リップ)』の発動には条件がある。周辺の違和感を読み取る程度ならまだしも、他人の思考や記憶を暴くには本人を一度視認する必要があるのだ。そのせいで、いまだに侵入者の容姿も目的もまったく不明という状態である。現在の状況を読み取るためにも、侵入者の元へ急がないと……

 

 

 

 

 

一京のスキルをもつ人外、安心院なじみ。三年前、朝倉は彼女から一つのスキルを借り受けていた。

 

 

――『欲視力(パラサイトシーイング)』

 

 

その効果は『他人の視界を乗っ取る』という荒唐無稽なものである。他人の視界を共有できるという方が正確か。すなわち、この旅館に存在する全ての人間が朝倉の『目』というわけだ。処理能力の問題もあるが、数百個の監視カメラを掌握しているようなもの。この旅館内で彼女の『目』から逃れるのは困難だろう。そして、このスキルこそが朝倉の異常なまでの情報収集能力の根源なのだ。

 

麻帆良学園に所属する悪平等(ノットイコール)は、実のところ結構な数がいるようだが、それでも能力所有者(スキルホルダー)は数えるほどしかいない。しかし、そのスキルはどれもこれも、私の過負荷(マイナス)に匹敵するほどの厄介さである。『欲視力(パラサイトシーイング)』は朝倉の性分に完全にフィットしており、三年前に借り受けて以来、このスキルを十二分に使いこなしていた。

 

「朝倉、相手の容姿を教えてくれ」

 

「ええと、眼鏡を掛けたゴスロリの女だよ。年齢は……私らと同じくらいかな?刀を二本腰に下げてる」

 

「分かった。たぶん月詠ってやつだ。桜咲と同じく神鳴流の剣士らしい。桜咲を予想ルート上の空き部屋に配置してくれ。奇襲を仕掛ける」

 

「はーい。すでに対象は玄関に来てるから気をつけて」

 

息を殺して玄関に通じる廊下の奥に潜む。昨日の誘拐犯、天ヶ崎千草からすでに情報は読み取ってある。相手は裏の世界では結構有名な剣士らしい。昨日の女は桜咲が尋問したのち、結界を張って探知されないように隠したはず。おそらくは雇い主の奪還ではなく、近衛の拉致が目的だろう。

 

「ちょっと千雨~。桜咲が奇襲は嫌だって言ってるんだけど。闇討ちは剣士としての誇りがとか」

 

「近衛の安全のためだって言って説得してくれ」

 

まったく、これだから強者(プラス)の連中は困る。何で戦力未知数の相手にわざわざ勝率を減らさなきゃならないんだよ。明日のためにも、ここで敵を減らしておかないと。曲がり角の陰から通りの奥へと視線を向けた。

 

「……隠された心の中、全て暴いてやるよ」

 

情報の奔流が私の脳内を駆け巡る。現在のアジトの場所から仲間の動向まで。おかげで十分な情報を得られた。満足げな笑みが浮かぶ。あとは、集められた情報を元に今後の予定を組み上げるとするか。

 

「千雨、もうすぐ対象が予定地点に到着するから巻き込まれないようにね」

 

了解、と小さく答えて壁の陰に隠れる。こちらの方向へと歩いてくる月詠が、空き部屋の一室の前を通り過ぎようとした瞬間――

 

 

――月詠のいた場所が木っ端微塵に吹き飛んだ

 

 

「……すげー威力だな」

 

轟音が響き渡る。空き部屋に隠れていた桜咲による、扉越しに放たれた強烈な一撃。

 

――斬空閃

 

その奔流は部屋の扉はおろか、延長線上の壁までをも粉々に破壊して月詠の身体を吹き飛ばしていた。神鳴流の技の一つ。衝撃波と共に飛来する斬撃は回避不能の突風である。視界の動きからも計算して、最も無防備な瞬間に月詠の側面から真空波が襲っていた。さらに、刀を構えた桜咲が、追撃のために壁の大穴から外へ飛び出していくのが見えた。直後、連続で響く金属音。

 

「朝倉、どうだ?」

 

「押してるよ。さっきの不意打ちで左腕に深手を負ったみたい。たぶん、桜咲なら勝てると思う」

 

「そうか、わかった」

 

そう言って私はこの場を離れる。これ以上、私にできることはない。不本意だがイベントに戻るとするか。人気の多い場所へと足を向ける。そのとき、曲がり角の向こうにネギの反応があった。おそらく桜咲の起こした騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。

 

「足止めしておくか」

 

慌てて走っているのだろう。急激に距離が縮まっているのを感じる。ネギが曲がり角にやってきたタイミングに合わせて、私も陰から飛び出した。

 

「わぁああああ!」

 

「うわっ!」

 

ドンッと目論見どおりにお互いが激突した。勢いよくぶつかった私達は、もつれ合うように床に倒れこむ。よし、これで少しは時間が稼げる。内心でほくそ笑んだ私だったが、しかし、ひとつだけ忘れていることがあった。このガキは、呪いでも掛かっているのかというほどに女運が良いということを――

 

「んむぅっ!?」

 

床に倒れた私の口からくぐもった声が漏れた。それと同時に床に描かれた魔方陣が光を放つ。反射的に事態を悟り、全身から血の気が引いた。

 

 

――倒れ込んだ拍子に、私の唇にネギの唇が押し付けられていた。

 

 

キスされた。ファーストキスがこんなガキに奪われた。半泣きになった私の口元がヒクヒクと震える。呆然と魂が抜けたように放心するしかない。球磨川さんに捧げるはずだったファーストキスが……

 

「ご、ごめんなさい!千雨さん!あの……!」

 

「いい。何も言うな」

 

静かに私はネギの顔の前に掌を出して押し留める。安堵したようにネギが息を吐いた。しかし、私の心の奥からは静かに怒りの炎が湧き上がっていた。殺意と憎悪が渦を巻いて凝縮される。やっぱり負の感情に満たされるのは心地いいな。何気なく右手をポケットへと入れた。その顔には気持ち悪い笑みが浮かんでいたことだろう。ナイフを振り上げ、ネギに突き刺そうと襲い掛かる。

 

「死ねクソガキがぁあああああああああああ!」

 

「うわぁああああああ!」

 

 

 

 

 

それからしばらく命がけの追いかけっこは続き、最悪なことに『修学旅行でネギ先生とラブラブキッス大作戦!』は私の優勝となったのだった。

 



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7時間目「化物だろうと劣等だろうと」

翌朝、私の前には泣きそうな顔のネギが挨拶に来ていた。ぺこぺこと頭を下げて恐ろしそうにこちらを窺っている。昨日、殺そうとしたのがトラウマになったのだろうか。だけど、トラウマはこちらの方である。人のファーストキスを奪いやがって……。

 

「あ、あの……これ、仮契約カードです」

 

「ああ、これが……。わかった。あと、昨日のことはなかったことにしろよ」

 

その手からカードを手荒に受け取る。恨みを込めて睨みつけてやるとネギはビクリと身体を震わせた。怒りの表情を浮かべる私に怯えながら返事をする。

 

「はい!わかりました!じ、じゃあ僕は関西呪術協会の本部に行ってきます!」

 

逃げるように去っていくネギ。それを横目に見ながら、自分の仮契約カードを手の中でくるくると弄ぶ。そこに描かれているのは、コスプレ衣装を着て、チープなステッキを持つ自分の姿。

 

「アデアット」

 

その言葉と共に自分の手に魔法のステッキが現れた。同時に出現した取扱説明書をパラパラと流し読みし、自身のアーティファクトの性能をおおまかに理解する。名称は『力の王笏』。電脳戦特化タイプのアーティファクトか……。これならペンタゴンにでもハッキングを掛けられそうだ。そんな万能感を覚えるほどに高性能である。

 

「ま、こんな長所(プラス)みたいな道具は使わないんだけどな」

 

ステッキを消去すると、カードを適当にポケットへと突っ込んだ。こういう長所みたいなのは私の性に合わない。ましてや、あのガキとキスして得た力だなんて、こっちから願い下げだぜ。思い出すだけでも殺意が湧いてくる。

 

「もったいないじゃん。せっかくだから使ったら?そのアーティファクト」

 

「冗談じゃねーよ。ったく、元はと言えばお前がゲームに参加させたのが原因だろうが」

 

背後から朝倉が私の首に腕を回して話しかけてきた。恨みがましくジト目でそちらを見つめるが、しれっと知らん顔をしている。原因ではあっても、こいつに責任がないのは分かってるけど……。

 

「それで、どうしたんだ?」

 

「ああ、桜咲が近衛の監視に回ったってさ。他のメンバーにも別行動って話は付けといたよ」

 

三日目の今日は班行動である。そのため、桜咲には離れたところから近衛を監視させていた。近くで護衛させないのは、敵の尾行者を秘密裏に消すためと言っておいたが、実際のところは同じ班で行動しているネギと神楽坂に見つからないためである。あいつらには、私が桜咲を抑えておくって説明してあるし。ま、桜咲自身も表立って近衛の護衛はしたくないようだし、ネギに見つかる心配もないだろう。ネギと神楽坂はいずれ別行動で関西呪術協会へ行くはずだ。そのときがイベントの開始となるだろう。

 

「それにしても、やっぱりあんたって最低だよね」

 

「ん?何だよ、急に……」

 

朝倉が溜息を吐きつつ、言葉を漏らした。しかし、その顔には面白がるような笑みが浮かんでいる。

 

「見てたよ。首謀者の女を逃がしてたの」

 

「そうかよ。だったら止めればよかったじゃねーか」

 

悪びれない様子で言い返す私に、朝倉は左右に首を振って答えた。

 

「私が協力してるのは、あくまであんただからね。それに、どうせロクでもないことなんだろうけど、一応考えがあるんでしょ?」

 

「秘密裏に解決されちゃあ、桜咲の願いは叶わないからな。首謀者のあの女がいないと、実際のところ計画は進まない」

 

「はぁ~、手伝うと言ったからには最後まで協力はするよ。どうせ悪い方向にしかいかなそうだけど」

 

不吉なことを言うなよ、と軽く笑って私達は班での自由行動に向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

近衛の襲撃を企てている連中の戦力は、月詠という剣士が抜けたいま、三人しかいない。月詠の感情を覗いたところ、もう一人は未知数だが、犬神という少年は月詠よりもだいぶ格下の戦闘者らしい。そして、首謀者の天ヶ崎の動向は、朝倉の『欲視力(パラサイトシーイング)』で把握できる。一対三でも、桜咲ならば十分に勝てる戦いだろうと計算していた。だが、相手の目的は戦闘ではない。三人もいれば隙を突いて近衛を奪い取ることは可能だろう。

 

――さらわれたお姫様を助け出す王子様

 

それを近衛に見せ付けることが今回の目的である。吊り橋効果も合わさって、近衛が桜咲に並々ならぬ感情を抱くに違いない。

 

予想通り、ネギと神楽坂が別行動をとって離れた途端、近衛へと襲撃が掛けられた。しかし、残念ながら展開は私の想像とはまったく逆のものとなる。

 

 

 

 

 

「まさか、ここまで白髪のガキが強かったなんてな……」

 

慌てて裏路地へと駆けてきた私が見たものは、手足を石の槍で貫かれ、磔にされた桜咲の姿だった。石柱の乱立した裏路地は桜咲の鮮血でどす黒く染められている。近寄って呼び掛けると、口元から血を零しながらもかろうじて意識を取り戻した。

 

「ごほっ……お、お嬢様……」

 

「おい!大丈夫か!?」

 

うわごとのようにつぶやく桜咲に大声で呼びかけると、ようやく私のことを認識したようだ。朦朧とした意識でコクリと小さく頷く。そして、最後の力を振り絞って自身を串刺しにしている石柱を砕いた。

 

戒めが解けた途端、桜咲の身体は地面へと崩れ落ちてしまう。その身体をとっさに抱きかかえるようにして重みを支えてやる。コンクリートの地面には大量の血液で真っ赤な血溜まりができていた。

 

「ちょっとどいて!治療できるやつ連れてきたから!」

 

「いきなり呼びつけて何なんすか……って、ええ!?大怪我すぎる!」

 

切羽詰った風に叫ぶ朝倉が連れてきたのはクラスメイトの春日美空だった。本人は隠しているが、魔法使いである。魔法の腕前は知らないが、シスターだから治癒魔法くらい覚えているだろう。いや、偏見だが……。

 

しかし、幸いにも治療は出来るようで、できなかったら朝倉が連れてくるはずがないが、桜咲の傷が見る見る癒えていく。意外にも見事な腕前。治療が終わると、ぷはっと息を吐いて地面に腰を着いた。

 

「まったく……朝倉も人使い荒いよ。私の正体は秘密だってのに、なぜか二人とも普通に受け入れてるしさ」

 

「まぁまぁ、もうちょっとだけ手伝ってよ。何でもひとつだけ、好きな情報を教えてあげるからさ」

 

気を失っている桜咲を地面に寝かせると、春日は疲れたような表情で口を尖らせた。なだめるように声を掛ける朝倉をジト目で見つめている。

 

「助かったよ、春日。おかげで桜咲も無事に済んだし」

 

「言っとくけど、あんな大怪我だし、表面的に治しただけで暴れたらすぐに傷が開いちゃうんすから注意してよ」

 

「そうか。にしても、これはまずい状況だな」

 

まさか、桜咲を一対一で一蹴できるほどの実力者が敵にいたなんて……。完全にこちらの想定外だ。桜咲はこの怪我だし、戦えるとしてもあと一戦だろう。誘拐された近衛の救出に向かおうにも、こっちの戦力が皆無じゃどうしようもない。少し考えたのち、私は携帯電話を手に取った。番号を呼び出し、通話ボタンに指を掛ける。仕方ない、こうなったら手段を選んでられないよな。

 

 

 

 

 

 

 

太陽が天に昇った昼過ぎ。山中を高速で移動する物体があった。春日に抱えられて、目にも止まらぬ速度で運ばれている私と桜咲である。春日のアーティファクトの効果は『脚力を強化すること』。二人を抱えているにもかかわらず、自動車以上の速度で林の中を易々と踏破していく。

 

「はぁ…はぁ……春日さん、ありがとうございます」

 

「まぁ、乗りかかった船だし。だけど!危なくなったらすぐに帰るからね!」

 

「そこまでは期待してねーよ。運んでくれるだけでも感謝してるぜ」

 

怪我で息も絶え絶えの桜咲。戦闘にはまるで期待できない春日。仕事は終わったと班行動に戻ってしまった朝倉。はっきり言って敗北濃厚の布陣である。しかし、すでに近衛が誘拐されてしまった以上、一刻を争う事態なのだ。誘拐犯の目的は、近衛の強大な魔力により大鬼人『リョウメンスクナノカミ』の封印を解き、関西呪術協会に対する武力とすることである。その儀式が終わるまでに近衛を奪還しなければならない。

 

「しっかし、こんな戦力でやるなんてマジっすか……?」

 

「劣勢なのはいつものことだ。あの白いのが出てきたら、桜咲は先行して近衛を取り戻してくれ。私は足止めしとくから」

 

さっき姿を現さなかった犬神ってガキが出てきたら諦めるしかない。しかし、それを聞いて桜咲は慌てたように振り向いた。

 

「ちょっと待ってください!白髪の少年は長谷川さんに太刀打ちできるような相手では……!」

 

「実力差は承知してるって。だけど安心しろよ。勝ちを狙わない勝負なら、私の得意分野なんだからさ」

 

雑木林の中を跳び回りながら、私は周囲に隠された敵の気配を探る。そろそろ儀式場が近付いてきている。もう敵が出てきてもおかしくない。そんなことを考えていると、押し殺した殺意が脳内へと流れ込んできた。とっさに大声を上げる。

 

「春日!右に跳べ!」

 

「え?うおぉっ!?」

 

私の声に慌てて方向転換をした春日。その直後、先ほどまでいた位置には無数の巨大な石の槍が生えていた。地面から突き出されている石柱の針の山に、春日の顔色が一気に蒼白になる。ギリッと桜咲が唇を噛み締めた。

 

「やぁ」

 

そう言って無表情に片手を上げて挨拶をしたのが、白髪の少年、フェイト・アーウェルンクスである。正面から相対するのは初めてだが、確かにこれは桜咲を瞬殺したというのも頷ける。まるでガラス玉を覗き込んでいるかのような、無機質な底知れない強さを感じていた。球磨川さんとは正逆の意味での非人間的な存在感。

 

「あ、あのさ……もう帰ってもいいかな?」

 

声を震わせて怯えたように問い掛ける春日。それに私は、いいよと言葉を返す。

 

「ま、下手に関わっても死ぬだけだしな。ここまで運んでくれて助かったよ」

 

「あ、うん……ご、ごめんっ!じゃあ!」

 

後ろめたさを声に滲ませながらも、それでも死の恐怖には抗えなかったのだろう。逃げるように去っていった。残されたのは私と桜咲の二人。

 

「君達も逃げて構わないよ。僕の仕事はここから先に誰も通さないことだからね」

 

「残念だが、私達の目的はここから先に行くことなんだよな」

 

「そう」

 

それと同時に、少年から感じる圧迫感が物理的な重さを持つまでに変化する。ちらりと桜咲に目をやると、怪我の影響でおぼつかない手足を震わせながらも、必死に刀を握り締めていた。想像以上に怪我が治っていないようだ……

 

「無理はしない方がいい。君ほどの使い手なら、僕との実力差は十分に理解できたはずだよ」

 

「それでも、お嬢様だけは……!」

 

「ちょ、ちょっと待て!」

 

激昂して襲い掛かろうとする桜咲の手を掴み、寸前のところで特攻をやめさせる。思わず冷や汗をかいたぜ。計画が台無しになるところだったじゃねーか。こいつ、本当に近衛のこととなると考え無しだな……

 

「いいから、こいつは私に任せて先に行けよ」

 

「……本当にいいんですか?」

 

小声で囁く私を心配そうに見つめてくる。しかし、近衛を救出するにはその方法しかないのも事実。私じゃこんな山の中を山頂付近まで走りきることはできないし。苦虫を噛み潰したかのような苦渋を滲ませる。そして、意を決したようにその顔に悲壮な表情を浮かべた。不安に揺れる瞳。

 

「長谷川さん、ありがとうございます。私も出し惜しみはしません。誰にも見られたくはなかったのですが、この醜い姿を晒しましょう」

 

「桜咲……?」

 

突如、桜咲の背後に翼が出現した。神々しいまでに美しい純白の翼。その翼が一度はばたくと、その身体は地面を離れ、宙へと舞い上がる。

 

「私は人間ではありません。人間と翼人のハーフ。混血の化物なんです」

 

今にも泣きそうな顔で告白する桜咲。過去の迫害により、人間ではないという劣等感と恐怖心が心の奥深くに根付いているのだろう。しかし、彼女に言える言葉は一つだけだ。

 

「空を飛べるのか。ずいぶんと便利そうだな」

 

「え?それだけ……ですか?」

 

「その能力があれば、近衛のところまで飛んでいけるんだろ?化物には化物の特性がある。だったら、お前の翼の意味なんてそれで十分だろ。化物が他人の顔色を窺うなんて馬鹿げてると思わないか?」

 

呆然とした表情を浮かべる桜咲に言い放つ。私たち過負荷(マイナス)にとっては疎外と迫害こそが日常。だからこそ、私は彼女の劣等感を肯定する。人間じゃなくても、迫害されても、化物は化物のままでよいのだと。

おそらく私に拒絶されると思っていたのだろう。安心した桜咲の目尻には涙が浮かんでいた。

 

「私たち過負荷(マイナス)は、欠点を、劣等感を、そのままマイナスに伸ばしてきた。お前が化物だろうと劣等だろうと関係ねーよ」

 

「長谷川さん……」

 

「ほら、さっさと行けよ。時間が押してるぜ」

 

はい、と吹っ切れたように清々しい表情で桜咲は上空へと飛翔する。それと同時に、私はポケットから仮契約カードを取り出して念じていた。このカードには主と従者での通信機能がある。

 

「おいネギ!聞こえるか!?」

 

――千雨さんですか!?は、はい!聞こえます。あの……ごめんなさい!じつは僕たち、結界で鳥居に封じられちゃったみたいで……

 

「そっちの話はいい!緊急事態だ!急いでこっちに魔力を送ってくれ!敵との戦闘に突入する!」

 

――ええっ!?いえ、分かりました。すぐに魔力供給を行います。

 

ネギの呪文詠唱が終わると同時に、全身に力がみなぎってくるのを感じた。これが契約執行による魔力強化か。仮契約カードは使わないつもりだったが、早くも前言撤回してしまった。

私の肉体が魔力強化されたのを確認すると、桜咲は凄まじい速度で儀式場へと飛び立った。しかし、それを阻むように呪文詠唱を完了していたフェイトから、強力な魔法が放たれる。

 

「先へ進むというなら容赦はしない。――『石化の邪眼』」

 

「させるかよっ!」

 

放たれる瞬間に割って入った私の蹴りで、石化効果をもつレーザーは標的を外してしまう。攻撃自体は魔力障壁で止められてしまったが、狙いを逸らすには十分だったようだ。そして、その隙に桜咲はフェイトの攻撃範囲外へと飛び去っていた。それを確認し、やれやれと首を左右に振ってこちらを向くフェイト。その目からは、私のことなど歯牙にもかけていないことが窺える。

 

「仕方ない。君を倒したあとで儀式場へと向かうとしよう」

 

「そう簡単にいくと思うなよ」

 

そして、ナイフを構えた過負荷(マイナス)と白髪の魔法使いは激突した。

 

 

 

 

 

 

 

それから十数秒後、この場に立っているのは一人だけだった。無様に仰向けで地面に倒れている私を見下ろして悠然と佇む少年。

 

「……まさか、この程度の実力で僕の前に立ちふさがっていたなんて。ちょっとした驚きだね」

 

「ごほっ……これでも、弱いことが自慢でね」

 

かろうじて上体を起こすが、膝が震えて立ち上がることができない。やっぱり正攻法で太刀打ちできる相手ではなかった。その様子を眺めながら、フェイトは呆れたように溜息を吐く。

 

「たしかに、いま君が生きているのは僕が手加減しても勝てるほどに弱かったからだ。その点では、自身の脆弱さに感謝すべきだろうね。しかし、目的は果たせなかった」

 

そう言って、フェイトは踵を返して去っていこうとする。これだけの時間では近衛の救出には足りないだろう。万全の体勢で待ち構えている陰陽師相手に、満身創痍の桜咲だ。瞬殺とはいかないはず。もっと時間を稼がないと……。しかし、すでにフェイトの意識からは私のことなど消え去っている。会話で時間稼ぎできる相手ではない。

 

そのとき、この雑木林にかわいらしい声が響き渡った。

 

 

――契約に従い我に従え炎の覇王

 

 

無表情を崩さなかったフェイトの顔に、わずかに驚きの色が混じる。反射的に上空へと視線を向けた。

 

 

――来たれ、浄化の炎、燃え盛る大剣

 

 

「呪文詠唱……。この詠唱は高等呪文か」

 

声の方向を探るが、そこには何も存在しない虚空があるだけだ。

 

 

――ほとばしれよ、ソドムを焼きし火と硫黄

 

 

「凄まじい魔力量だけど、来るとわかっていれば防げないものではないよ」

 

ガウンと火薬の音が響く。その瞬間、フェイトの頭がガクリと勢いよく揺さぶられた。

 

 

――罪ありし者を死の塵に

 

 

「ぐぅっ……銃撃!?しかも、僕の魔力障壁を破るほどの……」

 

反射的にフェイトの意識が狙撃主へと向かってしまう。それを後悔する時間はない。詠唱が完了する。

 

 

――『燃える天空』

 

 

視界が業火に包まれた。遅れて届く轟音と焼け付くような熱気。タンカーでも爆破炎上したかのような想像の限度を超えた爆発に、私の認識が追いつかない。しかし、ひとつだけ理解できることがある。

 

「助かったよ、超」

 

トンッと軽い靴音を立てて私の横に降り立ったのは、超鈴音だった。その身体にはボディアーマーらしき装甲と、光学迷彩のマントを纏っている。私が援軍として呼んでいたのが、『麻帆良の最強頭脳』こと、この少女だった。フェイトの意識を探ってみるが、すでに感じられないということは倒したということだろう。全力を出した超の実力は、麻帆良でも五指に数えられるほどの最強クラス。危機が去ったことを確認し、ホッと安堵の息を吐いた。

 

「久し振りに魔法を使ったせいで、身体中がバラバラになりそうだヨ」

 

軽そうな口調で話しているが、超が魔法を使う代償は大きい。すでに全身を絶え間ない激痛が襲っていることだろう。そこまでして助けに来てくれたこと対して、素直に感謝の言葉を告げた。

 

「ここが麻帆良だったら助けには来なかったけどネ。ま、報酬ってことでもないけど、私のことは他言無用にして欲しいヨ。機会があれば頼みごとをさせてもらうネ」

 

「そうか。情報提供くらいならしてやるさ」

 

同じくクラスメイトの龍宮が、木の陰からこちらへ歩いてやってきた。援軍として呼んだもう一人である。フェイトの注意を逸らした銃撃はこいつのおかげだ。傭兵だけあって、あとで料金を請求されるのだろうが、そのくらいは甘んじて受けてやるさ。どうやら、桜咲が近衛の救出に成功したようだし。

 

「さてと、じゃあ私達は修学旅行に戻るとするヨ。班のみんなに黙って抜けてきたからネ」

 

「そうだな。では、また仕事の依頼があれば」

 

去っていく二人と入れ替わるように、近衛をお姫様のように抱えて飛んでくる桜咲の姿が視界に映った。彼女達の顔には笑みが浮かんでおり、私には珍しく大団円に終わった物語だった。こうして、修学旅行は無事に終了を迎えることとなる。

 

 

 

 

 

ちなみに、ネギと神楽坂は何とか結界から脱出できたらしい。



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8時間目「私の弟子になるというのは」

修学旅行が終わり、午前中に京都から帰ってきた私は、疲れを癒す間もなく自室でPCの置かれた机の前にかじりついていた。旅行中に撮り溜めていた盗撮映像のチェックである。自然と口元には気持ち悪い笑みが浮んでいた。球磨川さんの自宅の部屋から送られてくる映像と音声が、画面上に余すことなく投影される。大型のヘッドフォンを装着し、視線は様々な角度から撮影された複数のウィンドウを高速で行き来していた。

 

「あぁ……球磨川さん…」

 

視覚と聴覚をフル稼働させてPC内へと没入する。その緩みきった恍惚の表情は、普段の無愛想な私からは想像もつかないものだろう。堪えきれずに艶やかな吐息が漏れる。しかし、その至福のひとときは無遠慮に叩かれたノックの音で中断された。

 

「ったく、何だよ……」

 

上気した顔をそのままに、ヘッドフォンを外して部屋のドアを開ける。そこには、ネギと神楽坂の姿があった。……またかよ。一気に興奮が醒めた。おそらく厄介事だろう。何か話したそうな顔をしていたので、立ち話も何だし、二人を室内へと案内してやる。

 

「あの、千雨さんに相談があって……うわっ!?」

 

「ひっ!……こ、これはひどいわね」

 

部屋に入った途端、二人は顔を青ざめさせて口元を引き攣らせた。失礼なやつらだ。こんな素晴らしい空間は存在しないってのに。二人の反応の理由は、私の部屋の内装にあった。壁一面には球磨川さんの盗撮写真が隙間なく張り付けられており、家具にまでシールとして印刷したものが所狭しと密着していたのだから。ちなみに、身につけている部屋着はゴミ捨て場を漁って拾ってきた、球磨川さんのお下がりのスウェットである。これを着ているだけで、私は球磨川さんと一つになっている感覚が味わえるのだ。まさに楽園。同室のザジが滅多に部屋に帰ってこないからこそできることである。

 

「ま、他人に理解できるとは思わねーからいいけど。それで、いったい何の用なんだ?」

 

「そ、そうでした。僕、修学旅行ではあまり役に立たなかったので、修行しなきゃと思いまして」

 

私の言葉に、ネギが気を取り直したように答える。ふむ、と口に手を当てて考えるが、しかし私の元へ来た理由がよくわからない。

 

「それで、誰か魔法を教えてくれる師匠がいないかと、千雨さんに相談しようと思ったんです。他に魔法のことを相談できそうな人がいなかったので」

 

「そうなのよ。私たちって、他の魔法使いのこと全然知らないし」

 

はぁ、と溜息を吐いた。こいつら、勘違いしてやがるな。たしかにエヴァとはつるんでたけど、だからって魔法に詳しいわけじゃないのに……。ネギは学園の魔法先生や魔法生徒のことを知らされてないし、当てにできる人が少ないのは分かるけど。だからって私に聞くのはあまりにも筋違いだ。ま、相談を求められたなら乗ってやるのはやぶさかではない。

 

「あぁ~。高畑先生にでも頼んだらどうだ?旧知の仲なんだろ、師匠には打ってつけじゃないのか?」

 

「それは僕も考えたんですが……。タカミチは海外に出張したりで麻帆良にはあまり居ないので。それに、僕がこのクラスの担任になったのも、元はといえばタカミチが出張が多いからなんです」

 

「それじゃあ本末転倒ってことか」

 

それ以前に、ネギは知らないが、魔法を使えない高畑には魔法使いの師匠は務まらないだろう。いや、戦闘力を上げたいって意味なら役に立つか。

 

「じゃあ古菲はどうだ?中国拳法の腕は学園でも随一だし、担任だから教えてもらいやすいだろ」

 

ネギは少し考え込む素振りを見せたが、やはり却下された。

 

「うーん。たしかに目的は強くなることなんですけど……。魔法使いとしてはどうなんでしょう」

 

「じゃあ私がくーふぇに拳法教えてもらおうかな。部活やってないけど身体動かしたいし」

 

なぜか神楽坂の方が乗り気だった。部活でやれよと思ったが、別に私には関係ないからいいか。しかし、そうなると選択肢はほとんど限られてきたな。私の口から他の魔法使いについての情報を漏らしたくないし、エヴァはこの間までネギと敵対してたしな。

 

「学園長に師匠探してもらえよ。ここら一帯を統括してる魔法使いなんだろ?」

 

「そういえばそうね。近衛のおじいちゃんってイメージだったから忘れてたけど」

 

「はい!学園長に相談してみます。千雨さん、相談に乗ってくれてありがとうございました!」

 

そう言って二人は清々しい顔で部屋から去っていった。修行ねぇ……修学旅行では、私と別行動のときに敵の犬神とかいうガキと戦ったって話だけど。それで何か心境の変化でもあったのだろうか。相手を弱体化するという発想が第一に思いつく過負荷(マイナス)にとっては、自身の強化なんて発想はむしろ新鮮に感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

それから数時間後、私とネギと神楽坂の三人は図書館島にいた。

 

「おい、どういうことだよ」

 

「はい。学園長に尋ねたんですが、この図書館島の地下で司書をしている人がいるそうです。その人が僕の魔法の師匠に相応しいだろうと」

 

「いや、だから!何で私が一緒に付いて行かなきゃなんねーんだよ!私はあんたの保護者かよ!」

 

たしかに形式上はネギと仮契約をした従者だけど!神楽坂はいいとして、私は同意してこのガキと契約したわけじゃねーんだぞ!

 

渋面を浮かべながら口を尖らせる。言われるがままに図書館島まで着いてきた私も私だけど……。それに、別に断る理由もないし構わないといえば構わないんだけど。しかし、ネギはすまなそうな声音で謝った。

 

「すみません。でも、僕が千雨さんの話をしたら、学園長が一緒に連れて行きなさいって」

 

「学園長が……?」

 

その言葉を聞いて、私は口の中に苦いものを感じた。小さく表情を歪めて舌打ちをする。学園長にマークされてしまったことに対して内心で反省せざるを得ない。

ここ最近、下手に動きすぎたか……。麻帆良の中では過負荷(マイナス)という存在はほとんど知られていないが、永い年月を生きるマクダウェルは知っていたし、おそらく学園長も知っているだろう。高畑は微妙なところだが。

しかし、それでも私が見逃されてきたのは、単純に学園で問題を起こしていないからだ。麻帆良の外ではともかく、学内ではマイナス性を抑えていたから無害と判断されていただけなのだ。敵対すれば脆弱な過負荷(マイナス)など簡単に排除されてしまうだろう。

 

「……マクダウェルが許されてるんだから、私も大丈夫なんだろうけどな」

 

小声でつぶやく。おそらくは様子見だろう。万年人手不足の麻帆良である。修学旅行の際には監視の目はなかったはず。だとすれば、ネギと絡ませて私の性質を見極めようとしているのかもしれないな。

 

「わかった。行くよ。さっさと案内してくれ」

 

「ありがとうございます!最下層までは直通路を使わせてもらえるそうです」

 

「それは助かるわね。図書館島の地下は罠だらけだったし」

 

そう言って神楽坂は安堵の溜息を吐いた。貴重な蔵書を守るため、図書館島の地下フロアには無数の罠が仕掛けられているのだ。とても私の身体能力で突破できるような容易い仕掛けではない。おかげで、いまだ私も地下フロアには足を踏み入れたことがなかった。

 

そして、学園長の計らいで最下層まで罠に遭遇することなく辿り着いた私たち。そこで見たものは、巨大なドラゴンの鎮座する広大な空間であった。幻想上の猛獣の迫力には、さすがの私も戦慄を抑えきれない。ひさしぶりに足の竦む感覚を覚えていた。これは番犬のようなもので、学園長の許可を持った私たちには無害だそうだが……。

 

ドラゴンの居る広場を抜けると、一瞬にして周囲が人の生活の気配のする空間へと変化した。西欧風の部屋のような。そこには、白いローブを全身に纏った男が静かに佇んでいた。

 

「こんにちは、みなさん。学園長から聞いていますよ。私はこの図書館島の司書を務めているアルビレオ・イマと言います」

 

爽やかな声音が響き渡る。どうやら、彼こそが目的の人物らしい。慌てて挨拶を返すネギに、私と神楽坂も続く。

 

「僕はネギ・スプリングフィールドと言います。学園長から紹介されて来ました」

 

「神楽坂明日菜です」

 

「……長谷川千雨です」

 

アルビレオと名乗った男は、私たちに視線を向けると面白そうに笑みを浮かべた……ように感じた。どういうことだ?正面に立っているのに、相手の内面が一切入ってこないのだ。私の脳内を最大級の警鐘が鳴り響く。

 

「ふふっ……ナギにそっくりですね。礼儀正しいところは似ても似つかないですが」

 

「えっ?もしかして、アルビレオさんは……」

 

「アルで結構ですよ。ナギもそう呼んでいました。あなたのお父さんと私は『紅き翼』のメンバーでしたから」

 

ネギの目が驚愕に見開かれる。『紅き翼』とは、ナギ・スプリングフィールドの率いた伝説の英雄達の名前なのだ。しかし、私にはそんな会話は耳に入っていなかった。目を凝らせば凝らすほど、逆に相手がぼやけるような、どうしてもアルビレオに意識をあわせることができない。

 

「長谷川千雨さんと言いましたか。失礼ですが、あなたが私を視認できないように魔法で介入させて頂きました。幻術での変装なら暴かれるのでしょうが、やはりあなた自身の意識を操作すれば過負荷(マイナス)は発動できないようですね」

 

「……あんた、私の過負荷(マイナス)を!?」

 

「それにしても恐ろしい過負荷(マイナス)ですね。魔法による精神防壁を完全に無視できるとは……。しかし逆に言えば、あなた自身も魔法に対する対抗手段はないということ」

 

駄目だ……。どうしても男を直視できない。霞がかったように焦点が合わせられないのだ。それによって、相手を視認するという過負荷(マイナス)発動のプロセスが満たせない。魔法の効果によって、私の過負荷(マイナス)の脆弱性が露呈されてしまったのだ。学園全域に張られている認識阻害結界程度ならまだしも、私個人の、しかもピンポイントで視覚に効果を集中されては対抗は難しい。

 

「あの~、何の話をしてるんですか?」

 

「いえいえ、お二人には関係の無い話ですよ。特にこの麻帆良ではね」

 

神楽坂の疑問に、男はパラパラと手に持った本のページをめくりながら答えた。こうなると、学園長に私の弱点が伝わっているのは間違いない。完全に首輪を付けられた形だ。過負荷(マイナス)の対策を取られてしまえば、私なんて所詮は一般人に過ぎないのだから。射殺すように男を睨みつけ、ギリッと悔しさに歯噛みする。そんな私に対して、男は飄々とした笑みを見せた。

 

「そんなに警戒しないでください。タカミチと違って、私は教員ではないのですから。別に更正させようなんて思っていませんよ」

 

その瞬間、ローブの中の顔が女のものに変化した。身長や体格も一回り縮んだように見える。いや、その顔は私のものと全く同じであった。思わず驚きの声を上げるネギたち。

 

「これが私のアーティファクト――『イノチノシヘン』。その効力は特定人物の身体能力と外見的特徴の再生。しかし……やはり過負荷(マイナス)の使用は不可のようですね。悪平等(かのじょ)たちのスキルと同様に」

 

悪平等(ノットイコール)まで把握してるのかよ。予想以上にこちらの事情に精通しているらしい。本来なら秘密のはずのアーティファクトの説明までしてくれるのは、単純に私が敵になり得ないからだろう。私との間にはそれほどに隔絶した実力差があった。

 

「過負荷(マイナス)が麻帆良に来るのは何人目でしょうか。かなりレアな事象なのですよ。ましてや、魔法使いの地である麻帆良で生まれた過負荷(マイナス)など、おそらくは史上初でしょう。あなたがどのようなマイナス成長を遂げるのか。とても興味深いですね」

 

私の顔をしたアルビレオは、口元を歪めて意地の悪そうな笑みを作った。話の流れが分からずに困惑した風なネギと神楽坂。しかし、私には目の前の男のこと少しだけ理解できたような気がした。敵対さえしなければ、この男は好奇心や楽しみを優先させるだろう。

 

「だけど、学園長はどう考えてるんだ?」

 

「あなたの過負荷(マイナス)への対策が通用することが確認できましたから。脅威なしとの判断をするでしょうね」

 

「そうかよ」

 

屈辱的な評価に私は唇を噛み締めながら短く答えた。話は終わったという風に、姿を元に戻すと、アルビレオはネギの方へと顔を向けた。

 

「それで、魔法の師匠を探しているということでしたね。どうですか?私の弟子になるというのは」

 

「え、いいんですか!?ありがとうございます!」

 

「ええ、時間だけは有り余っていますから。魔法の練習は異空間で行うことになるでしょうが」

 

瞳をキラキラと輝かせ、大喜びするネギ。父親であるナギ・スプリングフィールドの仲間である彼は、師匠としてはうってつけだろう。魔法学校以外では独学で学んできたネギは、師匠をもつことで飛躍的に実力を伸ばしていくはずだ。

 

強度を増していく彼らに対して、過負荷(マイナス)たる私にできるのは――



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9時間目「ストーカー行為は嫌われるぜ」

休日の私の日課はハッキングである。つい先ほども、制作会社に入り込んで、放送前のアニメやドラマの動画を無断でネット上に大量に貼り付けてネタバレしてきてやったところだ。アーティファクトである『力の王笏』を使えば、一般の会社のセキュリティなど素通り同然。一通り遊び終わった私は、外へ出掛けるために着替え始める。今日はひさしぶりに遠出の予定があった。

 

「さーて、行くとするか」

 

私が向かったのは世界樹の前の広場。憩いの場として様々な人の集まるそこには、演舞のように流麗な組み手を行う少女たちの姿があった。チャイナ服に身を包んだ褐色の少女とツインテールの少女が鋭い突きを交わし合っている。

 

「神楽坂、古菲 !そろそろ時間だぜ!」

 

集中していたためか、声を掛けると驚いたように二人が振り向いた。組み手を中断してその場へ腰を降ろす。タオルで汗を拭きながらこちらへ声を返した。

 

「千雨ちゃん!もうそんな時間?」

 

「ちょっと待ってて欲しいアルヨ」

 

最近、神楽坂は暇を見つけては古菲に中国拳法の指導を受けていた。ネギがあの男に師事するようになってから、その影響を受けたのか格闘技の稽古に励んでいるようだ。元々、運動神経抜群の神楽坂である。格闘技にも天稟があったのか、メキメキと中国拳法の腕前も上達していった。と言っても、私には格闘技のことなんて分からないんだけどな……。

 

「ほら、そろそろ行くぞ」

 

「はーい。わざわざ迎えに来てくれてありがとね」

 

「……通り道だったから、ついでに寄っただけだよ」

 

「もう、千雨ちゃんったら素直じゃないんだから」

 

「本当だって!私をそんな安いツンデレキャラにしようとするな!」

 

馴れ馴れしく頬を指で突く神楽坂の手を、邪魔そうな表情で振り払う。どうもこいつら、私のことを根は善良だと勘違いしている節があるな。それはマイナス性を抑えているのだから当然かもしれないが、だけど一度正面から敵対したことがあったはずだろーが。これがプラス思考ってやつなのか、と呆れと共に首を横に振った。

 

 

 

 

 

それから数分後、私たち三人が到着したのは図書館島。例のアルビレオとやらの住まう地下空間である。しかし、そこには誰もおらず、無人の部屋だけが出迎えてくれた。

 

「んーと、誰もいないけどどうすればいいアルか?」

 

呼び出されたにもかかわらず、呼び出した主であるネギが居ないという事態に古菲が困惑の声を上げた。そういえば、こいつがここに来るのは初めてなのか。しかし、私達はすでにネギの元へ行く方法を知っていた。古菲を案内するように私と神楽坂はある地点へ向かって歩を進めていく。床に視線を落とすと、そこには幾何学模様を描いた魔方陣が光り輝いていた。

 

「これは何アルか?」

 

「転移魔方陣だ。異空間へと繋がってる。ここは魔法の練習には不便だからな」

 

魔方陣の中心に足を踏み入れた瞬間、私達の身体が光に包まれた。視界に映る光景が一変し、鮮烈な青色が飛び込んできた。スカイブルーの青空とエメラルドグリーンの海。ここは黄金の砂浜の広がる真夏の海岸であった。

 

「はー、これが魔法アルか」

 

「何回来てもすごい場所よね」

 

雄大な自然を前に二人とも感嘆の溜息を漏らす。そこへ背後から声が掛けられた。

 

「ようこそ。お待ちしていました」

 

「アルさん!こんにちは!」

 

真夏にも関わらず、分厚いローブに身を包んだアルビレオがこちらへ挨拶してきた。例によって、この男の精神を覗くことはできない。

 

「この人がネギ先生の師匠アルか。あんまり強そうには見えないネ」

 

「ふふっ……私は体術は専門ではありませんので」

 

微妙に失望したような表情を見せた古菲に苦笑するアルビレオ。戦闘狂として、彼女は以前から魔法使いと戦いたがっていたのだ。しかし、目の前の男から『気』の強さを受けなかったことから、隠された実力を見抜けないようだ。……もちろん、私も理解なんてできていないんだけど。

 

「他の方はもういらっしゃってますよ」

 

先導されて向かった先には、肩で息を吐きながら浜辺に寝転んでいるネギと、その周りで世話を焼いている数人の水着姿の少女たちがいた。

 

「あ!待ってたよ、みんな……ってあれ?くーちゃんも魔法知ってたんだ~」

 

「ハルナも来てたアルか。私は最近仮契約ってのをしたばかりなんだけどネ」

 

こちらに手を振って挨拶をする早乙女ハルナと、一緒にいる綾瀬と宮崎。いつもの三人組である。彼女達もいつの間にかネギと仮契約していたそうで、そのため今日は呼ばれたのだった。「南の島でのバカンスを楽しんで欲しい」という名目だが、実際のところはネギの従者を見ることがアルビレオの目的だろう。

 

「個人的には海よりは山派なのですがね。せっかくなので夏に先駆けて海水浴を楽しんでください」

 

「は、はい。ありがとうございます」

 

「ありがとうございますです」

 

外見からは分かりにくいが、宮崎と綾瀬も結構楽しんでいるようだ。ちなみに宮崎の水着は、誰かの入れ知恵でもあったのか、ある意味では本人にお似合いの白いスクール水着だった。

 

「ほら、千雨ちゃんもくーふぇいも着替えて遊ぼ!」

 

「そうアルね!」

 

「お、おい。引っ張るなって……」

 

待ちきれないといった風に、神楽坂が私の手を引いて海辺の別荘へと走っていく。この異空間では時間の流れが遅いんだから、そんな急がなくたっていいのに。そんな言葉は誰にも届かずに西洋風の屋敷へと連れ込まれるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

降り注ぐ太陽の光の下、青のビキニに着替えた私だったが、海へは行かずにビーチで再開したネギの修行を観戦することにした。体力馬鹿のあいつらに最初から最後まで付き合ってたら、筋肉痛になること請け合いだからな。遠くの方ではしゃいでいる連中の声が耳に届く。砂浜に刺したパラソルの下、ベンチに寝転がると、視線を対峙した二人へと向けた。

 

「さて、それでは修行を再開しましょう。今回は実戦形式です。私を倒せたら合格とします」

 

「はい!」

 

「今回の対戦相手は――」

 

数メートルの距離を置いて告げられる言葉に、ネギは真剣な声で返す。そして、ローブの男の手に出現した本を開いた瞬間――

 

「なっ……!?」

 

――ローブの中の顔がクラスメイトの古菲のものへと変化した。

 

これはアルビレオのアーティファクトの効果だ。特定の人物の外見的特徴および身体能力の再生。ローブの中の彼女の顔には、似つかわしくない柔和な笑みが浮かんでいる。そのまま両足を前後に軽く開き、先ほど広場で見たものと同じ中国拳法の構えを取った。

 

「行きますよ」

 

直後、その場からかき消える古菲。いや、これは中国拳法における高速移動術であるところの活歩だ。たしか前にそんなことを話していた気がする。この男は身体能力だけではなく、身体に染み付いた技までもを模倣できるのか……!一瞬にして懐に潜り込んだ彼女から、流れるようにしなやかな突きが繰り出される。

 

――馬蹄崩拳

 

あまりに鋭い突きにネギは反応すら出来ない。呆然とそれを見つめるだけだ。小柄な少女の姿からは想像もできないほどの重さの拳が、ネギの鳩尾へと突き刺さり――

 

――感触もなくその身体を貫いた

 

「これは……幻惑魔法ですか」

 

離れた場所にネギの姿が現れる。幻覚を見せられたのだ。それを認識し、冷静に少女の口からつぶやきが漏れる。直後、その身体がぐしゃりと地面に叩きつけられた。凄まじい勢いで砂浜が円形に潰される。

 

「ぐっ……そして、無詠唱の重力魔法、ですか……。覚えが、早くて…結構ですね」

 

その身体が高重力で潰れ、捩じれ、軋む。苦悶の声を漏らす少女に容赦なく掛けられる魔法は数秒間ほど続き、その効果を終わらせた。もはや戦闘不能だろう、と思われた少女だったが――

 

「ごほっ……!」

 

再び瞬間移動でもしたかのようにネギの前に出現した少女は、その拳を深々と腹へと突き刺していた。重すぎる一撃にドサリと膝から砂浜に崩れ落ちる。そこで勝負は決着となった。ローブの中の顔が男のものへと戻る。

 

「中国拳法には『硬気功』という肉体を強化する技があります。彼女の防御を貫くには、無詠唱では連射性と威力がわずかに足りませんでしたね」

 

「……はい」

 

アルビレオは落ち込んだような表情で俯くネギの頭に手を置いた。

 

「落ち込むことはありませんよ。無詠唱の重力魔法と幻惑魔法の使いどころは見事でした。古菲さんは接近戦の専門家です。彼女を相手にここまで出来れば、魔法使いの弱点である近接戦闘もある程度克服できたと言えるでしょうね」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「明日からは魔法使いの本分である大威力魔法の講義を始めます。ナギの使っていた魔法も教えてあげますよ」

 

それを聞いて、嬉しそうに年相応の笑みを浮かべるネギ。それにしても、実力の上昇率がハンパじゃない。師匠が優秀というのももちろんあるのだろうが、ネギ自身の天才性、プラスの絶対値は測り知れない。

 

「はぁ~、あいかわらず滅茶苦茶だね。CGでも見てるみたい。こんなの見せ付けられて、創作意欲が湧き上がってこなきゃ嘘だよ」

 

「そうかい。ま、この空間は時間の流れが遅いから、向こうじゃほとんど時間経過ないしな。夏コミ用の原稿でも書いてたらいいんじゃねーの?」

 

「そうだね~。修羅場になったら使わせてもらおっと」

 

早乙女がパラソルの下の影に潜り込んできた。いつの間にか休憩に入ったようで、私の横たわるベンチに連中が集まってくる。優雅な時を過ごしていた空間が、騒がしい女子校の教室の雰囲気に変わる。どうやって用意したのか、かき氷や焼きソバまで準備されており、まさに一足早い夏といった感じだ。私もトロピカルドリンクのグラスのストローに口を付ける。

 

「ふぅ……平和だな」

 

「そうですか?」

 

私の口から漏れたつぶやきに反応したのは、黒のワンピース型の水着に身を包んだ綾瀬だった。先ほどまでとは違って、その表情はわずかに暗い影を孕んでいる。何事かと思って聞き返すと、少し躊躇うような素振りを見せたのち、重苦しそうに口を開いた。

 

「先日、日本屈指の名門校のひとつ、水槽学園が廃校になったそうです」

 

「へー、ってあれ?水槽学園って確か千雨ちゃんの……」

 

以前、球磨川さんのことを話したのを覚えていたのだろう。神楽坂が驚いたような表情を見せる。それを聞いて、周囲から気遣わしげな視線が向けられた。しかし、それはまったくの見当外れだ。私は誇らしげな笑みを浮かべるのを堪えるのに苦労しながら、そっけなく答えてやる。

 

「球磨川さんが通っていた高校だよ。ああ、知ってるよ。むしろ、よくその情報が入ってきたな」

 

「ええ。私の祖父の友人が、その高校で教員をやっていたそうなので。搬送された精神病院にお見舞いに行ったときに聞きましたです。いえ、とても話を聞ける状態ではなかったので、その家族の方からなのですが」

 

「ど、どういうこと……?というか廃校って?」

 

ようやく事の重大さに気付き始めたのか、早乙女の上げた疑問の声もわずかに震えている。そして、それに答える綾瀬の顔は、血の気が引いて青白くなっていた。話すと言う形でさえ関わりたくないとでも言いたげな暗い表情。

 

「地獄ですよ。その高校の全校生徒が残らず心を壊されたそうです。伝統ある水槽学園が廃校になったというのに、どこもニュースになっていないでしょう?それは、誰一人としてその学園で起こった事実を話すことができないからなのです。そして、それほどの大惨事だということです」

 

場が静寂に包まれた。伝聞だけでも分かる。あまりに不気味で理解不能な出来事に、抑えようもない恐怖と不安を感じていた。ただ一人、私を除いては……。球磨川さんの制圧した水槽学園。さぞや地獄の具現とも言うべき、この世のあらゆる不幸を煮込んで混ぜたような学校だったのだろう。残念ながら中学生なので無理だったが、ぜひとも在学してみたかったな。

 

「じゃあ、その千雨ちゃんの片思いの先輩も……」

 

「あ、で、でも……不幸中の幸いというべきか、怪我人はいないようなのです。……いえ、幸いなんて口が裂けても言えないような惨状だったそうですが」

 

私に向けられる、まるで遺族でも見るかのような同情に満ちた眼差し。慌ててフォローをしようとした綾瀬だったが、慰めの言葉を掛けることさえも躊躇われるほどの悪夢だったのだ。

 

「そうだな。幸いなんて絶対に言えないはずだぜ。不幸中の不幸と言うべきだ。怪我人無しで廃校にするなんて、どれだけの偉業なのかお前らはわかっていない」

 

え?と呆気に取られたような視線が集まり、直後にその表情が凍りついた。

 

「はははははっ!マジで素晴らしいぜ!さすが球磨川さん!暴力という最もお手軽で効果の高い手段を使わず、しかも一人の取りこぼしもなく全員を不幸のどん底に突き落とすなんて――!」

 

両手を左右に大きく広げて天を仰ぐ。もはや我慢の限界だ。球磨川さんの偉業を讃えて薄気味悪い声を張り上げ、哄笑する。三日月のように薄く吊りあがった口元には、醜悪で気持ち悪い笑みが張り付いていた。

 

中学を廃校にする際、私は最後の一押しとして、同士討ちという形で生徒同士で傷つけ合わせた。球磨川さんに憧れて始めた学校崩壊という災厄。しかし、強制的に廃校にするにあたっては、生徒達の大半を入院させるという荒業しか思い浮かばなかったのだ。しかし、暴力とは強者(プラス)の専売特許。本来は過負荷(マイナス)の取るべき手段ではない。まさに役者の違いを見せ付けられた気分だった。最低にして最弱。球磨川さんの絶対性、負完全性を改めて教えられたのだ。そして、同時に心の中の恋心が燃え上がる。

 

――私も球磨川さんに滅茶苦茶に壊し尽くされたい。

 

 

 

 

 

 

 

私のマイナス性に当てられて気分が悪くなったらしく、すぐに本日の海水浴はお開きになってしまった。青い顔をしてとぼとぼと帰る彼女達の足取りはおぼつかない。宮崎などは悪寒に震える手足のせいでしばらく歩けなかったほどだった。

 

「悪いことしちまったな。だけど、過負荷(マイナス)の雰囲気だけであそこまで怯えるとは……。小学生の頃はあそこまでじゃなかったはずなんだけどな」

 

だとすれば、この数年間で私もマイナス成長を遂げているのかもしれない。強く、賢く、勇敢になるような正(プラス)方向への成長とは真逆。弱く、醜く、卑怯になるようなそれは、球磨川さんの隣に立つのに相応しいものだろう。

 

「球磨川さんの隣に立てるような立派な過負荷(マイナス)にならねーとな」

 

すっかり日が沈んだ夕方の空を眺めながら、女子寮への帰り道をひとりで歩いていく。休日であるためか、時間のせいか、周囲には人の姿はない。しかし、隠れている気配があった。足をピタリと止める。

 

「出て来いよ。ストーカー行為は嫌われるぜ」

 

そう言って振り向いた瞬間、格好付けた言葉も虚しく――私の全身があっさりと大量の液体に包まれたのだった。



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10時間目「千雨さんに仇なす者には」

「……さん…長谷川さん!」

 

「ん……ここは?」

 

目を覚ました私の視界に映ったのは綾瀬の顔だった。頭を振って、ぼやけた意識を戻しながら周囲を見回すと、裸の少女達が所狭しと詰め込まれていた。綾瀬、宮崎、早乙女、古菲。どれもクラスメイトで、先ほどまで一緒だったメンバーである。

 

「一体どういう状況だ?」

 

「どうやら私達は拉致されてしまったみたいなのです。おそらくはメンバーから考えて、ネギ先生がらみかと」

 

拉致か……。確かに、私の最後の記憶も大量の液体に飲み込まれたところで終わっている。よく見ると私達が囚われているているのは、液体に満たされた球形の檻のようだ。明らかに魔法的な防壁。殺されてないということは、人質か情報源ってところか?とりあえず、現状はそんなところだろう。

 

「ふーん、なるほどな。ってか、何でお前ら服着てないんだ?」

 

「そ、それはですね……」

 

「お風呂に入っているときに捕まってしまったアル。変な液体に纏わり付かれたと思ったら、ここにワープして……油断したアルよ」

 

古菲が悔しそうに答える。苛立ちと共に拳を壁面に叩きつけるが、私達を囲む液体の檻はびくともしない。周囲が液体であるため、突きの威力は相当落ちてしまっているし。しかし、古菲で破壊できないのならば、檻の破壊による脱出は不可能だろう。

 

「にしても神楽坂がいないみたいだけど、あいつは無事なのか?」

 

ネギ関連のメンバーのうち、ひとりだけ姿の見えない彼女のことを尋ねるが、綾瀬は首を横に向けることで答える。檻の外に視線を移すと、両手を頭の上で縛られ、立ったまま拘束された神楽坂の姿があった。なぜかエロい下着を身につけている。野外であんな露出プレイをさせられているあいつの心情を思うと泣けてくるぜ。いや、こんな透明度の高い液体の中で全裸を晒しているこいつらに比べたらマシか。とにかく、これでネギの従者は全員が囚われたってことだな……。

 

「こうなると、ネギの救援を待つしかねーか」

 

おそらく敵の狙いはネギだろう。そして、ネギの頭には他の魔法先生に救援を求めるという発想はない。アルビレオには相談するかもしれないが、あいつは学園長に報告するだろうか……?修行の成果を試す機会として、ネギが敗北してから報告しそうな気もする。実際にはどうなるか。やっぱり過負荷(マイナス)で相手の内面を読めないと予測がつかないな。仕方なく、左右に大きく頭を振って考えを中断した。人任せはやめて、打てる手は打っておくべきだろう。

 

「古菲、どうにかこの壁壊せないか?」

 

「こういう魔法の壁は初めてだから確信はできないアル。とりあえず、全力の寸勁を試してみるアルよ」

 

そう言って右拳を監獄の奥へと伸ばし、液体と外界と間の壁に貼り付ける。そのまま目を閉じて呼吸を整えると、気の扱えない私にも分かるほどに古菲から感じる圧力が大きくなった。その増大した気を一点にて放出しようとして――

 

「何をしようとしているのかね、お嬢さん方」

 

「っ……!?」

 

外界から声が掛けられ、中断させられてしまう。ビクリと反射的に振り向くと、そこには全身を黒のロングコートで覆った老年の紳士らしき男が立っていた。平然としたその表情から、この人物こそが自分たちを拉致した犯人であると悟る。

 

「ははは、そんなに硬くならなくとも結構。私の目的はネギくんだけでね。君達に

危害を加える気はないよ」

 

「そうかい。そりゃ助かるな」

 

気さくに話しかけてくる老人に返事をする。その間に私は過負荷(マイナス)を発動させた。何の障害もなく相手の精神に侵入することができ、心中でほっと安堵の溜息を漏らす。そして、同時に自分の心の動きに驚いていた。アルビレオに出会って以来、自身の過負荷(マイナス)に対する劣等感(じしん)がこれほど薄れていたなんて……。

 

「あんた!何で私たちを浚ったのよー!さっさと放しなさいよ!」

 

「おやおや、元気の良いお嬢さんだ」

 

外で拘束されている神楽坂は、じたばたと手首に巻きついた鎖を振り回しながら暴れていた。それを微笑ましそうに見つめる男。しかし、その平和そうな光景に騙されてはならない。

 

――上位悪魔、ねぇ

 

人間の姿を取っているが、この男の正体は悪魔で名前はヘルマンというらしい。そして、私を捕らえているこの水球の檻はスライムで出来ている。ヘルマンという男、こちらに害意はありませんといった様子だし、目的はネギと戦うことのようだが、実際は私達を処分する可能性も考えていた。この男は才能のある少年以外には興味がないのだ。依頼の目的である神楽坂は誘拐していく予定だが、利用価値の無い私達を生かしておく理由はないとのことだろう。最悪、このスライムの成分を強酸の溶解液に変化させ、消化して証拠隠滅を図ろうとまで考えていた。

 

「おい、古菲。奴の注意を引くから、その隙にこの檻を叩き壊してくれ」

 

「えっ……いや、わかったアル」

 

耳元で囁いた私の言葉に古菲は小さく頷いた。さりげなく壁面に拳を置き、静かに気を練り上げる。気付かれているだろうか。暴れる神楽坂と会話をしながらもヘルマンの注意はこちらへと注がれていた。先ほども気の高まりを感知してこちらへと声を掛けたのだろう。

 

「なあ、あんた私たちを生かして返す気なんてないんだろ?」

 

「なぜだね。それは誤解だよ。目的はネギくんだと言っただろう?無関係な君達を手に掛ける意味なんてないさ」

 

「生憎、私にはそんなプラスな発想はできなくてね。無関係ってのは殺されない理由がないってことだろ?」

 

ポケットからナイフを取り出し、刃を露にする。他の連中と違って入浴中に転移された訳ではないため、衣服と持ち物は没収されずにいたのだ。しかし、それを確認したヘルマンは呆れたように溜息を吐いた。

 

「その檻はナイフで斬れるような甘いものではないよ。ましてや、気も魔力も使えない無力な人間にはね」

 

「お見通しみたいだな。ま、無力で非力なのが私たち過負荷(マイナス)の特徴だしな。だけど、力が無いからといって、勝てないからといって、――無害なわけじゃないんだぜ」

 

 

そう言って私は鋭く研がれたナイフで、――自分の左腕を斬りつけた。

 

 

「何だとっ!?」

 

動脈を切り裂かれた私の腕から、勢いよく赤い液体が噴き出していく。明らかに致死性の傷だが、そんなことは私には関係ない。周囲の液体と鮮血が混ざり合って真っ赤に染まる。本命である古菲への視界が遮られていく。しかし、そんなことは些事であろう。一切の躊躇も無く、笑顔を浮かべて自身の動脈を深々と切り裂いた人間を前に、明らかにヘルマンは硬直してしまっていた。理解できない存在を目の当たりにしたその表情がおかしくて笑ってしまう。自分が悪魔よりも最低な存在であるということに、満たされるような嬉しさがあった。

 

「おい、古菲。まだかよ?」

 

いつまで待っても壊れない深紅の檻に、怪訝に思って私は小さく声を掛ける。視界が真っ赤に染まっているため、他の連中の様子が分からないのだ。しかし、返ってきた言葉は予想外のものだった。

 

「ご、ごめんアル。集中が解けて……も、もう無理アルよ」

 

「くっ……早く浄化するのだ!」

 

ヘルマンの怒声によって周囲の赤色が透明に戻っていく。私の腕もスライムが強く巻きついて止血を行っていた。そして、透明になった檻の内部は凄惨な状況だった。全員が死人のように青ざめた表情で、寒気を覚えたように両手で自身を抱き締めている。頼みの古菲も、私のマイナスに当てられて、とても技を放てる状態ではなさそうだ。

 

「……ミスったな。なるほど。プラスとマイナスが共闘しようとすると、こうなるのか」

 

「いやはや。何ともおぞましい存在だ。君のような人間は初めてだよ。しかし、そのおぞましさゆえ、他人と共闘することはできないようだ」

 

「そうみてーだな」

 

やれやれと首を横に振って答える。だけど、これでも構わない。ヘルマンは先ほどの急激な緊張の反動でわずかに気が緩んでいる。だったら、私の本命が届くはず。

 

「無駄なあがきはもうやめておくのだね」

 

「そうするよ。私にできるのは他人の足を引っ張ることだけだからな」

 

その瞬間、ヘルマンの背後に跳び掛かってくる人影が見えた。背後からの奇襲。恐ろしいほどの速度で接近するそれに、私は一切の反応を表さずに会話を続ける。それにより、ヘルマンの反射がわずかに遅れてしまった。

 

「そのようだ……ぬっ!?」

 

人影が振り下ろした日本刀がとっさに振り向いて伸ばした右腕に衝突した。ガキィンと鈍い金属音が響き渡る。しかし、それで体勢が崩れたヘルマンは、続く斬り上げの一撃をバックステップによって回避する。しかし――

 

「ぐっ……」

 

 

――避けたはずの一撃によって縦一文字に血液が噴出した。

 

 

「――斬魔剣弐の太刀」

 

凍えるような冷たい声が響く。

 

「桜咲さん!?」

 

そこには一人の少女の姿。桜咲刹那だった。私が携帯で救援のメールを送っていたのだ。

 

「き、君は……」

 

「仕留めそこないましたか。ですが、神鳴流は退魔の剣。確実に滅させてもらいます」

 

鋭い眼光で手傷を負ったヘルマンを睨みつける。その瞳には暗く燃え滾る炎が浮かんでいた。膝を着いて掌で傷口を押さえるヘルマンに再び相対する桜咲。その視線がちらりとこちらに向いた。

 

「よくも千雨さんを……!貴様には送還など生ぬるい」

 

そう怨嗟の言葉を吐くやいなや、一瞬で距離を詰めた桜咲は目にも止まらぬ速さで刀を振り下ろす。ヘルマンも必死に魔力強化した身体で対抗しようとするが、無数の斬撃を前にしてはとても捌ききることができない。乱反射する閃光のように、剣閃が走るたびに浅い傷が生じていく。

 

「死ね!死ね!死ね!死ね!」

 

鬼気迫るとはこのことだろう。悪鬼のような形相で恨みと憎しみを込めて刀を振るい続ける桜咲。その姿はあまりにマイナスで、醜悪なものだった。

 

「千雨さんに仇なす者には死を!」

 

あまりに狂信的な叫び。周りのやつらが訝しげな視線を私に向けるのを感じた。ドン引きしたような表情が浮かんでいる。いや、まあ確かに私のせいではあるんだが……。

 

修学旅行以降、私は休日に桜咲と出掛けることが多くなった。どうも人外としての自分を受け入れてくれたのがよほど嬉しかったらしく、やけに懐かれたようだった。近衛との仲を取り持とうとしたはずだったのだが、予想外の結果である。そして、放課後も私の部屋で過ごすようになり。たびたび一緒に行動をすることで、ついにはマイナスな精神性までもが伝播してしまったようだった。

 

 

 

 

 

「ぐぅぅぅっ……!」

 

「はあっ!」

 

鈍い金属音が鳴り響くたび、ヘルマンの身体が右へ左へとピンボールのように跳ね飛ばされる。一撃ごとに苦悶の表情が浮かぶ。上位悪魔をこれほど圧倒するとは、桜咲の人外としての潜在能力は並ではない。人間を超えた種族としての潜在能力を惜しげもなく発揮した剣戟は、あまりにも重く、鋭かった。

 

「しまっ……」

 

「隙ありっ!」

 

あまりにも強烈な斬撃に、とうとうヘルマンの防御が崩された。両腕が弾き飛ばされ、身体が強制的にのけぞらされてしまう。完全にがら空きの体勢。それを見た桜咲は殺意に歪んだ笑顔を浮かべながら、両腕で刀を上段に振りかぶった。

 

「貴様はこの世に塵一つ残さない。千雨さんに歯向かったことを、後悔しながら死んで逝け」

 

桜咲の愛刀『夕凪』からバチリと雷光が迸る。その輝きは次第に光度を増し、プラズマのごとく青白く変化していく。

 

「極!大!」

 

上段に構えた刀身に、指数関数的に気の純度が増大していくのを感じる。極大化した稲妻は刀を媒介に再び圧縮されていく。これが桜咲の全力にして最大の一撃。これが炸裂すれば周囲一帯が更地と化すだろうという確信すら覚える。しかし、気の練り上げと圧縮に時間を掛けすぎた。相手も覚悟を決めたように表情を厳しく引き締めている。ヘルマンは拳をギュッと固く握り締め、腰溜めに構えた。

 

「雷鳴剣!」

 

「悪魔パンチ!」

 

 

――互いの剣と拳が交錯する。

 

 

雷鳴と轟音が炸裂する。まばゆい光と土煙が視界を埋め尽くした。私達の視界が晴れた頃、そこに立っていたのは――左肩から先の消滅したヘルマンだけであった。

 

「桜咲っ!?」

 

あの凄まじい拳の一撃を腹に受けた桜咲は、気を失ってその場に崩れ落ちる。しかし、ヘルマンも無事ではいられず、左肩の付け根は焼け焦げ、その先は消滅させられていた。

 

「はぁ……はぁ…恐ろしい一撃だった。しかし、私への憎しみゆえか、威力だけにこだわっていたために何とかカウンターを合わせられたがね」

 

紙一重の勝敗を分けたのは、私から学んでしまったマイナスの感情だった。先ほどの激突で生じたクレーターの中央で、一人は倒れ、一人は立っている。決着はこれ以上なく桜咲の敗北だった。救援に来た桜咲の敗北に、他の連中も沈んだ面持ちで黙り込んでしまっている。かく言う私も、これで万策尽きたと言わざるを得ない。先ほどのドタバタで携帯電話はスライムに奪われてしまったのだ。

 

「さて、彼女は君が呼んだ仲間だね?長谷川くんと言ったかね。君だけは先に殺しておくとしよう」

 

「おいおい、私達に危害は加えないんじゃなかったのか?」

 

「君は危険すぎる。前言は撤回させてもらおう。召還されただけの私とて、死にたいわけではないのでね。君に関わっていては、無事に送還されるという確証すら覆されそうだ」

 

死の予感に私の背筋に悪寒が走る。こいつ、スライムに命じて私を殺す気だ。どろどろに溶解させられた自分自身の姿を幻視する。ヘルマンが命令を発しようとして――

 

「僕の生徒を返してください!」

 

「おっさん!リベンジや!」

 

――箒に乗って現れた二人の子供に遮られた

 

私達の担任であるネギと修学旅行で敵側についていた犬神小太郎だった。そういえば、ヘルマンの本来の目的はネギだったか……。だけど、犬神はどうして?いや、二人は共闘するようだし、救援の戦力は高いのは歓迎すべきか。実力では桜咲に圧倒的に劣るネギだが、敵は満身創痍の上に隻腕、しかも二対一ならば勝ち目はある。

 

「ふふ……待っていたよ。私に勝てたら彼女達は解放してあげよう」

 

「ネギ、合わせろや」

 

「分かったよ。僕が後衛をやるから、前衛をお願い」

 

手負いの魔物であるヘルマンから滾る全力の魔力の奔流に、ネギと犬神は最大級の警戒態勢を敷く。軽い打ち合わせの後、二人は戦闘を開始しようとして――

 

 

――突然、ヘルマンが口から血を吐いて地面に倒れ伏した。

 

 

「えっ!?」

 

うつ伏せに倒れたその背中には、巨大な杭のような物が何本も突き刺さっていた。ピクリとも動かないヘルマン。深々と心臓を貫かれ、明らかに死んでいた。

 

「な、なんや……。何が起きたんや……!?」

 

「わからないよ。僕達が来る前にも戦ってたみたいだし、それが原因じゃ……」

 

ヘルマンの死体に突き刺さっているこれは……巨大な、ネジ?

 

 

『いいや、違うね。さっき戦っていた女の子はそこに倒れているし、この傷は明らかに即死させられたものだよ。何の目的があってこんなネジで串刺しにしたのかは分からないけれど、これは彼女の仕業ではないだろうね』

 

 

「誰っ!?」

 

「あんた何者や!」

 

血を吐いて倒れたヘルマンに視線が集中していて気付かなかったが、死体のすぐそばには一人の男が立っていた。いや、私達には死体との区別が付かなかったのかもしれない。中肉中背、黒髪黒眼、学ランを着ており、一見して普通の学生に思えることこそが驚きだった。なぜなら、その身体から発する気配は、あまりにも不気味で醜悪でおぞましい。全身に返り血を浴び、その両手には死体に螺子込まれたのと同じ巨大なネジが握られていた。

 

 

『おっと、そんな目で見ないでおくれよ。僕が来たときにはすでにこうなっていたんだ。だから――』

 

 

見違えることも勘違いすることもない。まるでこの世の全ての負の要素をかき集めて凝縮したかのようなこの感じ。声も仕草も、存在そのものがマイナス。間違いなくこの気持ち悪さはあの人のものだ。私が恋焦がれていたあの――

 

 

『僕は悪くない』

 

 

「球磨川さんっ!」

 

感極まって涙声になりながら、その名前を呼ぶ。感動の再会。長年待ち焦がれた瞬間だった。そして、球磨川さんはこちらを振り向いて首を傾げる。

 

『えーと、誰?』

 

 

 



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11時間目『それじゃ、また』

『なーんてねっ。嘘嘘っ、騙されたー?』

 

無邪気な笑顔を浮かべる球磨川さん。それを聞いて、ようやく私の硬直した身体と心がほぐれる。先ほどの『えーと、誰?』というのは冗談だったらしい。他の連中はただならぬ気配を放つ球磨川さんを前に、緊張したように押し黙っている。

 

「じ、じゃあ私のことを覚えてくれていたんですね!」

 

『うん。兄さんから聞いてるよ。確か、長谷川さん……だったよね』

 

「お兄さん?え、じゃああなたは……」

 

『僕は球磨川禊の双子の弟で、球磨川雪って言います!』

 

「え、マジですか……?」

 

球磨川さんと瓜二つ、っていうか違う部分が見えないんだが。カメラ越しとはいえ、毎日観察している私にも分からないなんて……。困惑した表情を浮かべる私に、球磨川さんが満足したように笑う。

 

『あは!というこれも冗談でしたー』

 

「はは……相変わらずですね、球磨川さん」

 

『ひさしぶりだね。千雨ちゃん、元気だった?』

 

「はい。球磨川さんのおかげです」

 

知らないうちに私の顔にも笑みが浮かんでいた。なごやかに再会を喜び合う私達に、周りから何とも形容しがたい視線が集まる。しかし、夢見心地の私にはそんなものは全く気にならない。視界は球磨川さんのみで占められていた。自分でも表情が蕩けきっているのが分かる。

 

『それにしても、お友達はずいぶんと過激な格好だね。目の遣り場に困るよ』

 

「え?きゃああああっ!」

 

「きゃっ!見ないでください~!」

 

困ったように首を傾けながら発した球磨川さんの言葉に、私以外の全員がはっとしたように自分の格好を思い出し、一斉に悲鳴を上げた。そういえば他の連中は全裸だったな。顔を真っ赤にして恥ずかしそうに身体をよじっている。両手で胸と股間を隠そうとしているが、焼け石に水。あごに手を当て、球磨川さんはじっくりとその天国のような光景を眺めていた。

 

『もう少し眺めていたい気分だけど、嫌がる女子中学生を視姦する趣味はないからね』

 

「って、こっちに近寄らないでくださいです」

 

こちらへ歩み寄ってくる球磨川さん。そのまま私達を捕らえている水球の表面に手をかざすと――

 

「えっ?」

 

――水球が消滅していた

 

「あれ?何で私たち制服を着てるの?」

 

「え……どうなってるアル」

 

何事もなかったかのように周囲を覆っていた液体が消え去っていた。同時に他の連中が全裸からいつもの制服姿に変わる。狐に化かされたかのような感覚。

 

「千雨さん、腕……」

 

「なっ……!?」

 

いつの間にか自傷したはずの左腕が治っている。傷の跡すら残らずに、まるで怪我なんてしなかったかのように。そんな馬鹿な!何の感触もなかったのに……。でも間違いない。物理法則を無視したかのようなこの現象。

 

 

――これこそが球磨川さんの過負荷(マイナス)

 

 

唖然とした表情で固まる私の顔を、球磨川さんはニヤニヤと楽しそうに見つめている。

 

『その顔が見たかったんだ。満足したよ。わざわざ監視カメラの前では過負荷(マイナス)を隠してた甲斐があったぜ』

 

「き、気付いてたんですか?」

 

『上手く隠してたけどね。でも僕みたいな弱者は、他人の視線には敏感なんだ』

 

「すみませんでした。失礼なことをしてしまって」

 

惹き付けられ、引き込まれるような錯覚。底知れない闇の深淵に魅入られるようなマイナスのカリスマ性を感じていた。これを知ってしまえば何かが終わってしまうという確信。初めての感覚だった。他人の隠された内面を知りたくないと思うのは――。しかし、夢のようなひと時は背後で立ち上がったヘルマンによって覚まされる。

 

「……これは一体どういうことかね」

 

無傷のヘルマンが頬を引き攣らせ、困惑した様子で自分の左腕を眺めている。ネギ達からも驚愕の声を上がった。それも当然だろう。

 

――即死したはずのヘルマンが生きているのだから。

 

しかも、桜咲に消滅させられたはずの左腕が元通りに戻っている。球磨川さんの過負荷(マイナス)は治癒能力なのか……?いや、過負荷(マイナス)とは自身の内面が反映されるもの。球磨川さんからそんなスキルが生まれるはずはない。

 

『うん?怪我してたみたいだったからさ。元に戻(なお)しておいてあげたんだよ』

 

「いいのかね。私は彼女達の敵なのだが」

 

『あはは、何か勘違いしてるみたいだね。まさか僕が、囚われのお姫様を助けに来た王子様にでも見えるてるの?』

 

ヘルマンの疑問を面白そうに笑い飛ばす。

 

『学校見学をしてたんだけど、道に迷っちゃってさ。途方に暮れていたところなんだよ。いやー、やっぱりこの学校すごく広いね』

 

「ちょっと待ってください!あなた、いったい何をしたんですか!?」

 

とうとう我慢できなくなったのかネギが大声で叫ぶ。その顔には得体の知れないものを見たかのように歪んでいた。

 

「あなたからは魔力を全く感じません。それなのに結界の解除や治癒まで……」

 

「えっ……どういうことや。あいつの使った能力は西洋魔術やないのか?気や東洋呪術でもないで!」

 

ネギと犬神の顔に警戒の色が浮かび上がる。物理法則を覆す魔法や気を知るがゆえに、過負荷(マイナス)へ対する警戒や困惑は大きかった。

 

『魔法に呪術に気、ねぇ。まるで漫画の世界に入り込んじゃったみたいだね。ま、でも取り込み中だったみたいだし、僕はもう帰らせてもらうよ』

 

「あっ!そういえば!」

 

慌てて復活したヘルマンへと振り向くネギと犬神。ここまでしっちゃかめっちゃかにかき回されて、すでに戦う気分など消え失せていたようだが、かろうじて互いに構える様子だけは見せることに成功した。しかし、それに割り込むように男の声が響く。

 

「悪いけど、――この件はもうお開きで頼むよ」

 

「ぬっ……ぐがぁああああああ!」

 

突如、ヘルマンの身体がベキベキと鈍い音を立てながら吹き飛ばされた。暴風のような衝撃が通り過ぎる。強烈すぎる不可視の一撃にヘルマンが瀕死の重傷を負わされてしまった。十数メートルほど先に着弾すると、ゴロゴロと転がり、そのまま無慈悲に活動を停止した。次第に身体が薄くなっていき、術者の元へと送還される。

 

「な、何が……」

 

トンッと靴音が鳴る。そこには両手を白スーツのポケットに入れた元担任教師、高畑の姿があった。その瞳に普段の優しげな色はなく、ただ鋭く球磨川さんを見据えていた。

 

『あれあれ?一体どうしたの……うぐっ!』

 

「止まりなさい」

 

「動かないでください。逆らえば折ります」

 

現れた高畑に気を取られたその瞬間、球磨川さんが地面に組み伏せられた。背中で腕を極められ、首筋には日本刀の刃を突きつけられている。空繰と葛葉先生だ。それを合図に、周囲に大勢の人々が現れはじめる。数十人を超えるスーツや制服やシスター姿の人間達。

 

「なんやこいつら!?」

 

「タカミチに茶々丸さん!?それに他の先生たちも……。一体どうなってるの?」

 

「ネギくん。悪いけど説明は後にしてほしい」

 

「それに……学園長まで……」

 

球磨川さんを囲むように出現した魔法先生、生徒たち。その輪の中から歩み出てきたのは、この麻帆良学園の長である学園長だった。そして、同時に学園最強の魔法使いでもある。

 

「さて、球磨川禊くん。三年前は言葉を交わすことすらできなかったのでな。改めてお願いさせてもらおうかね。今後、この学園の敷地に足を踏み入れないでもらいたいのじゃ」

 

『それはお願いじゃなくて脅迫っていうんじゃないの?』

 

「ほっほっ……その通りじゃよ。三度目は無いと警告しておる」

 

好々爺然とした態度だが、その瞳は老人とは思えないほどに鋭い。多人数で囲み、拘束し、暴力を背景に脅しを掛ける。さすがは魔法界の重鎮。平和ボケした教師連中とはまるで別物だ。

 

『うーん。どうしよっかなー』

 

しかし、相手は球磨川禊。暴力や迫害は慣れっこである。この絶体絶命の状況でもニヤニヤと笑顔は崩さない。

 

『ねえ、あなたが学園長なんでしょ?僕のポケットから取って欲しいものがあるんだけど。取ってもらえないかな』

 

「ほぅ……構わんぞ」

 

ツカツカと靴音を立てながら近寄っていく学園長。その距離が数メートルほどに縮まった瞬間、いつの間にか拘束から逃れていた球磨川さんが襲い掛かった。

 

『なーんてね!』

 

「学園長!下がってください!」

 

意識の隙をついた攻撃に学園長は反応することができない。巨大なネジが顔面に迫る。しかし、その寸前に球磨川さんの身体が膝から崩れ落ちてしまった。ガクリと地面に倒れこむ。慌てて球磨川さんは周囲を見回した。

 

『ぐっ……狙撃!?膝を撃ち抜かれた!?』

 

よろよろと片足だけで立ち上がろうとする球磨川さん。しかし、もう片方の膝も撃ち抜かれ、今度こそ地面を舐めさせられることとなる。両膝を潰され、みじめに地を這う球磨川さんに私の怒りの限界が沸点を超えた。ナイフを構えて学園長に殺意と共に斬り掛かる。

 

「てめぇら!球磨川さんに何してやがん……なっ!?」

 

強制的に全身の動きが止められた。手足を拘束され、地面に引き倒されてしまう。私の手足に絡まるこれは……糸、か?

 

「貴様も動くな。ただでさえこの男相手に気は抜けないんだ。これ以上、過負荷(マイナス)は関わるな」

 

「……マクダウェル!」

 

「それにしても、貴様相手で過負荷(マイナス)には慣れたと思っていたが……。やはりこの男は別格か」

 

拘束から逃れようと暴れるも、やはり簡単に解けるものではなさそうだ。悔しさに唇を噛み締める。頼みの過負荷(マイナス)も、すでに私の認識を弄られ発動することが出来ない。こんなときに球磨川さんの役に立てないなんて……!

 

『ひどいなー。ただの高校生に実弾をぶち込むなんて、人間のやることとは思えないよ。そうは思わないかい?』

 

両足から血を流しながら、球磨川さんは笑顔で周囲の教師達へ声を掛ける。しかし、同情を誘うはずのその言葉は虚しく響くだけだった。この場にいる全員が、ずりずりと腕だけで地を這いずる球磨川さんの姿に言葉を失っている。あまりにも醜悪で見るに耐えない光景。混沌よりも這い寄る過負荷(マイナス)に、教師陣でさえ思わず短い悲鳴と共に後ずさっていた。

 

『いったーい。これ一生歩けなくなっちゃうかなー。膝の腱が切れちゃってるよ。骨も砕けちゃってるし。あ、でも少し痛くなくなってきたかも。治ってきたのかなー?それとも壊死する兆候かなー』

 

動作も声も、その全てが気持ち悪い。凍りついたような沈黙がこの場を支配する。再び球磨川さんと学園長の距離が詰まり、手を伸ばせば届く距離になったとき、ついにその両腕までもが撃ち抜かれてしまった。

 

『うぐっ……』

 

両手両足を撃ち抜かれ、とうとう沈黙する球磨川さん。しかし、その顔には変わらずに笑みが浮かんでいた。まるで銃撃されることなど日常の出来事に過ぎないという風に。はじめは高校生を多人数で囲んで銃撃することに拒否反応を示していた者も、いまでは納得せざるを得なかった。これはただの人間ではない。常識どころか非常識ですら超えるマイナスだと。

 

『ねえ学園長。僕のポケットから取って欲しいものがあるんだけど』

 

「……」

 

『僕を信じてよ。ねえ、お願いだからさ』

 

「……いいじゃろ」

 

「が、学園長……!?」

 

再び球磨川さんに近付いていく学園長に、周りの教員達が悲鳴を上げる。そのまま球磨川さんの前に座り、学ランの上着のポケットに手を入れた。そこから取り出されたのは、白い封筒だった。

 

『開けていいですよ』

 

「これは……!? 麻帆良学園への転入許可証、じゃと!?」

 

驚愕の声と共に顔を引き攣らせる学園長。それが示す事実に、この場の全員の顔が歪み、不安の渦に突き落とされることとなった。

 

『はい。つい先日、僕の通っていた水槽学園が廃校になってしまいましてね』

 

「しかし、誰がこんなものを……」

 

『過負荷(マイナス)のことを周囲に隠してきたのは失敗でしたね。何も知らない高等部の教頭先生が書類を受理してくれましたよ。すでに僕は正式にこの学園の生徒ということです。まさか、侵入者でもない自分の学園の生徒に、これ以上の暴行を加えたりはしませんよね?』

 

そう言葉を発した途端、地面にぶちまけられていた血の海が消失した。同時に、手足に負った怪我までもが完治する。何事もなかったかのように立ち上がった球磨川さんは、踵を返して去っていこうとする。

 

「なっ!?一瞬で傷が消えて……それにボロボロの制服までもが!?」

 

『明日からご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしますね。先生方』

 

ゆっくりと去っていくその姿を止めようとする者は誰もいなかった。道端に捨てられた猫の死体に遭遇したときのように、これほど最低(マイナス)な人間と関わってしまった自身の不幸を嘆いていた。明日からの悲惨な未来を想像し、誰もが渋面を浮かべている。例外は蕩けたように表情を緩ませている私くらいのものだろうか。そんな他人の気も知らず、球磨川さんは去り際に手を上げて無邪気に微笑む。

 

 

『それじゃ、また』

 

 

 

――これが負完全、球磨川禊の壮絶すぎる初登校の顛末であった。

 

 

 



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12時間目「私が成敗して差し上げます!」

翌日、球磨川さんの事情を尋ねるため、様々な生徒が私に接触を図ってきた。まず、登校した私を待っていたのは神楽坂や綾瀬などのネギ陣営。

 

「ちょっと千雨ちゃん!どうなってんのよ、あの人!」

 

「あれが噂の球磨川禊!?いや、やばすぎでしょ、あれ!」

 

「というか、水槽学園にいたと聞いたのですが。どうして無事に転校してきてるです!」

 

教室に足を踏み入れるやいなや、掴み掛かるように迫ってきたクラスメイト達を何とかなだめようと手を前で振ってみせる。

 

「おいおい、落ち着けって。球磨川さんのことを私に聞かれてもわかんねーよ。実際に会ったのは、これがまだ二回目なんだから」

 

しかし、この返答は不満らしい。疑わしそうな瞳で見つめてくる。

 

「でも、千雨ちゃんなら何か知ってるんじゃない?だって……」

 

「ストーカーだったんだし、か?知らねーよ。あんなトンデモな能力は隠されてたみてーだし」

 

「本当に~?」

 

「本当だって。私が嘘吐いたことなんてねーだろ」

 

「その言葉が一番嘘くさいけどね」

 

とりあえず、こいつらには誤魔化しておいた。

 

 

 

昼休みに現れたのは悪平等(ノットイコール)である朝倉だった。

 

「でさ、『負完全』球磨川禊のこと、教えて欲しいんだけど」

 

「情報料は?」

 

「そうねぇ……。学園長の動向ってのはどう?」

 

その条件を聞き、あごに手を当てて少しだけ考え込む。私の知っている情報なんてたかが知れている。教えても問題ないか?いや、と首を左右に振った。

 

「やっぱりその取引は呑めないな。球磨川さんから何かあったら連絡するよ」

 

悪平等(ノットイコール)と過負荷(マイナス)の関係を考えると、あまり軽々しく情報は与えない方がいいだろう。罠情報を掴まされるかもしれないしな。球磨川さんの転入によって、この学園の悪平等(ノットイコール)の態度がどう変化するのかが分からないうちは信用することはできない。

 

 

 

最後に現れたのは、放課後の下駄箱で待っていた超だった。彼女が告げたのは短い一言。その顔に普段の大胆不敵な笑みは浮かんでおらず、苦々しく歪んでいた。

 

「私達の計画に関わらないでもらいたいネ。そう伝えて欲しいヨ」

 

「……わかった。って言っても球磨川さんがどうするかはわかんねーけどな」

 

「構わないヨ。それに確約されたとしても、彼の言葉を鵜呑みにはできないしネ。まったく……ここにきて最悪のイレギュラーが発生したヨ」

 

わずかに憔悴した風に溜息を吐く超。

 

「過負荷(マイナス)の連中は、敵に回すには醜悪すぎるし、味方に回すには最悪すぎるヨ。距離をとって第三者として眺めるくらいが限界ネ」

 

 

 

 

 

 

 

「というのが今日の顛末です。球磨川さん」

 

放課後、そんな感じで今日の出来事を球磨川さんに報告していた。ついでに校舎の案内をしながら麻帆良を歩く。これってもしかして初デート!?なんてテンションを上げていたが、球磨川さんの顔はまるで普段通りだった。

 

『なるほどね。だいたいの情勢は理解できたよ』

 

「それと、学園側からは特に接触はありませんでした。球磨川さんの方はどうでした?」

 

『僕のところには誰も来なかったよ。とりあえずは様子見ってところかな』

 

こうしている現在も監視の目は感じられない。あれだけ球磨川さんを警戒していた学園長だ。いつまでも野放しってことはないだろうが……。

 

『話を聞く限り、この麻帆良における勢力は三つだね。まずは魔法先生、魔法生徒による学園治安維持組織。二つ目が学園内の悪平等(ノットイコール)。そして、三つ目が超鈴音を始めとしたクーデター組』

 

「そうですね。ちなみに、ネギ先生の一派は学園側と見ていいでしょう」

 

『まず学園治安維持組織についてだけど。これは戦闘力における最大派閥だね。学園の上層部を占めているというのもあって権力的にもそう。僕たちにとって、当面の敵はここだね』

 

楽しそうに話す球磨川さんに小さく頷く。目下の脅威はここだ。すでに宣戦布告されている立場だし。ただし、正式な組織であるがゆえに、学園の生徒である私達の排除は簡単ではないだろう。腐っても教育機関だということだ。

 

『二つ目の悪平等(ノットイコール)については……考えなくていいよ』

 

「なぜです?数は少ないとはいえ、誰も彼も厄介なスキルを保有している能力保有者(スキルホルダー)ですよ?」

 

『安心院さんが封印されている今、彼女たちは組織立った活動はしていないからだよ。どこの勢力に付くにせよ、それは群体としてではないからね。個々の動きならそれほど脅威ではないよ。その朝倉さんって娘だってそうだろ?』

 

「そうですね。あいつなら学園の悪平等(ノットイコール)の情報を統括できているはずですが、特に連絡を取っている様子はないですし」

 

そして、一般生徒の大半も悪平等(ノットイコール)のはずだが、それは考慮する必要はないだろう。普通(ノーマル)の生徒が障害になるとは思えない。

 

「じゃあ、最後のクーデター組についてですが……。いいんですか?超の計画について話さなくても」

 

『うん。僕が下手に知っちゃうと、逆に邪魔しちゃうかもしれないしね。千雨ちゃんがお世話になった人なんでしょ?エリートなのか負け犬なのか判断しづらいけど、千雨ちゃんに免じて彼女の条件を呑んであげるよ』

 

「そうですか。ありがとうございます」

 

 

 

一通りの話が終わり、最後に着いたのは世界樹の前だった。そこには屋久島の杉なんて相手にもならないほどの大樹がそびえ立っている。そして、広場には誰もいない。人払いの結界か……。いや、そこには二人の少女がいた。

 

「お待ちしておりましたわ!球磨川禊さん!長谷川千雨さん!事情は分かりませんが、とにかくあなた方は学園の敵らしいですわね!」

 

「ちょ、ちょっと……。まずいですよ~。先生たちからも関わらないように厳命されてるのに~」

 

「お黙りなさい!教師陣が手を出せないのなら、私が成敗して差し上げます!」

 

高飛車そうな声を上げる金髪の先輩を、気弱そうな少女が困ったように止めている様子だ。片方の金髪は聖ウルスラ女子高の制服。もう片方は私の中学の後輩の二年。読み取ってみると、どちらも魔法生徒のようだ。同時に、すべての魔法関係者が私の認識に干渉してくるわけではないと知れて安堵する。

 

『まあまあ、喧嘩はやめなよ。取り込み中みたいだし、僕たちは席を外すからさ』

 

「お待ちなさい!私の目の黒い内はあなた方の好き勝手にはさせませんわ!」

 

金髪は頭に血が上ったように顔を赤くして、球磨川さんの言葉に突っ込みを入れる。

 

「おいおい、一体何が問題だって言うんだ?今のところ、私達に問題を起こしたつもりはないぜ。それとも、ここは素行に問題のない生徒を無理矢理退学にするような横暴な学園なのか?」

 

「そ、それは……」

 

「そうですよ~。だからお姉様も帰りましょうって」

 

私の正論に金髪がたじろぐ様子を見せた。ま、実際には排除すべきなんだけどな。過負荷(マイナス)を内部に置いておくなんて、治療せずにガン細胞を放っておくようなものなんだから。この金髪はそれを本能的に感じ取っているのだろう。それでも一向にこの場を離れようとはしない。それどころか、呪文を詠唱し、周囲に影でできたらしい人間大の人形を大量に出現させた。

 

「お姉様~!使い魔なんて出しちゃダメですよ~」

 

「いえ、彼らはここで倒しておかないといけませんわ。そんな嫌な予感がしますの。悪く思わないでくださいね」

 

そして、手を前に振り出すと、同時に十数体もの仮面の影が襲い来る。幸いにも動きの速さは人間相当。とりあえず私でも何とか初撃を回避することができた。しかし――

 

『ぐえっ!』

 

潰れた蛙のような呻き声を上げて、あっさりと球磨川さんが殴り飛ばされていた。運動不足の中学生女子よりも弱いのか……。

 

『いったー。千雨ちゃん、何とかしてよ』

 

「そうしたいのは山々なんですが……。私の過負荷(マイナス)は戦闘には全く役立たずで」

 

『そういえば、まだ千雨ちゃんの過負荷(マイナス)ってどんなのか聞いてないよね?教えてよ』

 

敵襲の最中とは思えないほどの落ち着きようだが、私もそれほど切迫感はなかった。飛んでくる拳を地面を転がり、間一髪で回避する。そして、球磨川さんのそばに近寄り、耳元で囁いた。

 

「私の過負荷(マイナス)『事故申告(リップ・ザ・リップ)』の効力は――『他人の隠し事を読み取ること』です。申し訳ないですけど、戦闘では使えません」

 

どうやって逃げましょう、と続けた私の言葉は、しかし球磨川さんには届いていないようだった。呆気に取られたような表情を浮かべたあと、すぐに楽しそうに声を上げて笑いだす。

 

『あはははははっ!なるほどね。過負荷(マイナス)のスキルは生まれつきじゃなく、環境で決まるとは言うけど。あはっ、こうなるのか』

 

「ええと……どうしました?」

 

『いやいや、何でもないよ。やっぱり僕がこの学園に来たのは意味のあることだったみたいだ。千雨ちゃん、僕を見ててよ』

 

「え?あ、はい」

 

「……話は終わりですか?」

 

律儀な性格なのか、金髪は私達の内緒話が終わるのを待っていてくれたようだ。いや、それとも強者の余裕なのかもしれない。先ほどから防戦一方だし。

 

「どうします?この学園から出て行ってくださるのなら、これ以上の手は出さないことを誓いますわ。学園長も推薦状くらいなら書いてくださるでしょう」

 

『うーん。でも、転校してすぐにまた転校じゃ、両親が心配するしなー。とにかく、これは反論の余地ないよね。――僕は悪くない』

 

金髪が呆然と立ち竦むのが見える。なぜなら、いつの間にか――

 

「なっ……!?め、愛衣っ!」

 

 

――隣にいたはずの後輩が、全身をネジで貫かれて磔にされていたのだから。

 

 

「あ、あなた何を……。まるで……時間がなかったことにされたみたいに……!」

 

当事者には何が起きたのか分からなかっただろうが、私には見えた。二人の弱点、意識の隙を突いて走り寄る姿を。そして、ネジを肉体的・精神的な死角に螺子込んだのだ。

 

「あなたたち!許しませんわ!」

 

後輩の少女に駆け寄って涙を流していた金髪は、怒りと共に影に号令を発した。多数の影の使い魔が私達に向かって再び襲い掛かる。

 

『じゃ、あとは頼んだよ』

 

「え?ちょ、ちょっと球磨川さん!?……ごふっ」

 

そう言って球磨川さんは私の後方へと逃げてしまった。先ほどよりも速度を増した影の攻撃が、容赦なく私の身体を捉え、打ちつける。殴られ、ふらついたところに加えられる追撃。為す術なくその場から弾き飛ばされた。

 

「く、球磨川さん……」

 

後ろを振り向くと何も言わずにこちらを見つめている球磨川さんの姿があった。その瞳には何か期待するような色が映っている。長年、球磨川さんを見てきた私にはそれが分かる。だったら、その期待には応えないと。

 

『僕を見ててよ』

 

さっき球磨川さんが私に伝えてくれた言葉を思い出す。球磨川さんがネジで磔にしたことも。そして、ふと疑問を感じた。どうして自分は球磨川さんの動きを理解できたのか……。

 

「ぼうっとしている暇があるのですか!」

 

「くっ……」

 

左右から迫る二人の攻撃を背後に跳ぶことで回避する。さらに繰り出される一撃を、今度は右へステップして紙一重でかわす。前髪が拳圧で揺れる。四方八方からの攻撃はやむことはない。

 

「ぐぅぅ……さっきから、ちょこまかと!」

 

その暴風のような攻撃を回避しながら、私は困惑していた。どうして回避できているんだ?さっきまでボコボコに殴られていたっていうのに、今では余裕をもって避けられている。

 

『どうやら掴んだようだね』

 

聞こえた声の方向に視線を向けると、そこには満足気な笑みを浮かべた球磨川さんの姿があった。

 

『それが、きみのスキルの戦闘への活用法だ。千雨ちゃんは昔から固定観念が強かったからね。気付かなかったのも無理はないかな』

 

「あなた達!おしゃべりしている余裕なんてあるんですか!」

 

『でも、面白いよ。確かに有り得ない話じゃない。あの状況ではこんな過負荷(マイナス)が生まれるのか』

 

私の心が誇らしい気持ちで満たされる。これは確かに私にとって最高で最低の過負荷(マイナス)だ。カチリと懐から取り出したナイフの刃を外気に晒した。これをどう突き立てれば良いかも感覚的に理解する。軌道とタイミングも体が勝手に動いてくれるはずだ。すべては一瞬の出来事。

 

「これで終わりで――かはっ!」

 

 

――金髪ののどにナイフが突き刺さっていた。

 

 

「これが私の過負荷(マイナス)の本当の効果。――『相手の弱さを見抜くスキル』」

 

『そう。僕と出会ったことで生まれたのなら、確かにそれがふさわしい』

 

この世の弱さという弱さを知り尽くした球磨川さん。その固有スキルを私は手にしていたのだ。圧倒的な歓喜に満たされ、自身の顔に気持ちの悪い笑みが浮かび上がるのを感じる。

 

のどを切り裂かれた金髪は、呪文詠唱をすることもできずに噴水のように鮮血を撒き散らしながら地面に倒れ伏した。魔法使いの弱点はのどなのだ。

 

『でも、彼女たちに手を出してしまった以上は僕たちの負けだよね。これからは大手を振って僕たちを排除しにくるはずさ』

 

苦々しく自分の唇を噛み締めた。確かにそうだ。どちらが先に手を出したかなんて水掛け論になるだけ。こちらを処分する建前を作ってしまった形だ。

 

『ま、この娘はあとで生き返らせるとして。はい、千雨ちゃん。きみになら計画を託せそうだ』

 

「……何です、その紙?」

 

球磨川さんは鞄からクリップで留められた分厚い紙の束を取り出した。それを私へと差し出す。

 

『千雨ちゃん、この学園で次に行われるイベントって何か知ってる?』

 

「麻帆良学園祭ですよね?」

 

『違うよ。その前に行われるイベント。まーでも、千雨ちゃんは興味なさそうだしね』

 

渡された紙の束に視線を落とす。その表紙に書かれていたのは『生徒会選挙立候補要覧』の文字。

 

――生徒会選挙?

 

「ええと、これが何か?もしかして、生徒会役員に立候補するつもりなんですか?」

 

『惜しい。訂正が二つあるね。一つは生徒会役員じゃなくて生徒会長に立候補するつもりだってこと。そして、もう一つは――』

 

――千雨ちゃんも立候補してもらうってこと

 

「ええっ!?どういうことですか。というか、私達すでに三年じゃないですか!?」

 

『この学園は半期ごとに選挙を行うんだから、三年でも立候補可能だよ。僕は麻帆良本校男子高等学校、きみには本校女子中等学校で生徒会長になってほしい』

 

「球磨川さんの頼みでしたら是非もありません。でも、どうして生徒会長になんか……?」

 

困惑を隠しきれずに尋ねる。それに対して球磨川さんは、私の持っている紙の束を指して答えた。

 

『読んでみなよ。その29枚目の学園則第二十条十三項。まさに襲撃されるのが日常茶飯事のこの学園ならではだよね。生徒会が乗っ取られたときのことまで考えて学園則が作られてるなんてさ』

 

「これは……!」

 

『第二十条十三項「麻帆良学園における二名以上の生徒会長の連名により、他校の生徒会業務を停止し、これを引き継ぐことができる」』

 

そうか!この麻帆良には多数の学校が存在している。先ほどの金髪の聖ウルスラ女子高等学校や麻帆良工科大学や麻帆良芸術大学、それに伴う付属校など十や二十では済まない数なのだ。本来は生徒会業務を行えなくなった学校や問題のある学校の業務を、他校が引き継いで運営するというものだが。それを逆用して麻帆良を掌握しようという計画なんて!

 

『とはいえ、問題も多いけどね。最終的には学校間の勢力争いになるし。でも、まずは生徒会長にならないと』

 

「わかりました!必ずや当選してみせます!」

 

決意を込めて球磨川さんに宣言した。正直、自信なんて無い。だけど、球磨川さんの計画は成就させると決めたのだ。

 

 

『ありがとう。じゃあ、始めようか――生徒会選挙を』

 

 

そして、これが麻帆良学園を二分する学園間抗争。学園を震撼させる恐怖の始まりだった。



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13時間目「立候補してくれ」

翌日のクラスは大騒ぎだった。普段は全く生徒会選挙なんて興味の無い連中だが、クラスメイトが立候補したとなれば気になるものらしい。たとえそれが、クラスで特に目立つ訳でもない私であっても。

 

「ねえねえ、千雨ちゃん!生徒会長に立候補したんだって?」

 

「はー、そういうの興味なさそうに見えて、意外と熱血なんだねー」

 

「私達も投票するからね!」

 

中学校の選挙なんてのは、大抵がクラスからやりたくもない奴が無理矢理出馬させられるか、あるいは内申点狙いの連中である。受験生である三年を除いた各クラスから、それぞれ一名ずつ役員に出馬させられるのが通例であった。しかし、それでも学園をより良くしようという志の高い生徒も少なからずおり、そういった真剣に選挙に取り組む連中こそが私の敵となるだろう。とにかく、まずは選挙活動だ。

 

「千雨さん、生徒会長に立候補したそうですね。正直、あまり想像付きませんが」

 

「ははっ、自分でもそう思うぜ」

 

「ですが、もちろん応援しますよ。とりあえず、剣道部の部員は千雨さんに投票させますのでご安心を」

 

「手荒な真似はよしてくれよ」

 

目の前の桜咲に苦笑しながら答えた。マジで強制的に投票させそうな凶々しい瞳である。

 

「それより、桜咲に頼みたいことがあるんだが……」

 

「何ですか?私にできることなら何でもしますが」

 

「お前も生徒会に入ってくれないか?私だけだと今後が大変そうだし」

 

私の言葉を聞いた桜咲の顔に困惑の色が浮かぶ。しかし、すぐに喜色満面の笑みへと変化した。私の肩を掴んで嬉しそうに顔を近付ける。こちらが引くほどの喜びようだ。

 

「もちろんです!千雨さんと一緒に過ごせるなら喜んで!部活なんてクソくらえです!」

 

「そ、そうか……助かるよ。役職はどうする?字も上手いし『書記』にするか?」

 

「役職なんて何でも構いません!さっそく立候補の書類を貰ってきます!」

 

そう言うやいなや、凄まじいスピードで桜咲は教室から走り去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

自身の選挙活動と平行して、私は生徒会役員の選定を始めていた。負完全に完成している球磨川さんならば、メンバー集めなんて必要ないのだろう。しかし、私には弱さを補う仲間が必要だった。スケジュールを考えれば、わざわざ時間を掛けて生徒会役員を掌握していられないというのもある。そのため、私は生徒会役員の候補者たちに声を掛けていた。

 

「へえ、面白そうな話だね」

 

「お断りさせてもらうネ」

 

朝倉と超。呼び出した二人の反応は対照的なものだった。

 

「んーと。じゃあ、朝倉は了承ってことでいいか?」

 

「いいよ。これからの騒動を観察するには絶好のポジションだしね。役職は『会計』でお願い」

 

「わかった。助かるぜ、朝倉。私達の行動の邪魔をしない生徒ってのは少なくてな」

 

「立候補するからって当選できるかは保証しないけどね。じゃ、詳しい話はまた明日にしてよ」

 

話は済んだという風に、手を振って去っていく朝倉。そして、残された超はやれやれと首を左右に振った。

 

「言ったはずネ。過負荷(マイナス)の味方は必要ないヨ。特に学園祭の差し迫ったこの時期にはネ。プラスにマイナスを加えたら、マイナスになるだけヨ」

 

やはりと言うべきか、にべもなく断られてしまう。それでも説得するしかない。これから私達が巻き起こすクーデターに与する、もしくは傍観してくれそうな人はほとんどいないのだ。

 

「別に味方になってくれなんて言わねーよ。ただ、生徒会役員に敵対者が入っちゃうと話が進まねーんだよ。こっちはこっちで好きにやるからさ。敵対さえしなければ、お前は傍観者でもいいぜ」

 

「距離が近すぎるネ。球磨川禊の影響下にいやおうなく置かれそうだヨ」

 

説得を試みるが、やはり超は難色を示している。元々、過負荷(マイナス)の敗北のジンクスを気にしていたしな。

 

「……いや、もう遅いカ」

 

少しの間あごに手を当てて考え込んだ後、超はポツリとつぶやいた。苦虫を噛み潰したような渋い表情を浮かべている。

 

「すでに過負荷(マイナス)の勢力は動き出しているし、麻帆良にいる限りは球磨川禊を無視することはできないカ。すでに、マイナス要素の使い方を考えないとならない展開に入っているのかもしれないネ」

 

球磨川さんが学園に侵入してしまった以上、災厄としてのマイナスから無関係でいることなど不可能なのだ。あとは、どう関わるかだけ。これから麻帆良には嵐が巻き起こるだろう。もはや、暴風圏外に逃げることはできないのだ。

 

「出馬の件、承諾するネ。役職はどうすればいいカ?」

 

「『副会長』をお願いするぜ」

 

「仕方ないネ。せいぜい第三勢力として有効に活用させてもらうヨ」

 

 

 

 

 

 

 

生徒会メンバー集めと同時に、当然ながら選挙活動もしなければならない。というか、こっちの方が本来なら問題だろう。たいして目立たない生徒である私は、普通に選挙を行っても当選することが困難なのだ。

 

しかも現在の私達は、ある程度は正攻法で臨まなければならないのだ。権力で勝る学園側が手を出してこないのは、あくまで正式な学校行事であるからに他ならない。魔法使いには、不法な魔法使用を防ぐための厳格なルールというしがらみがあるのだ。暴力で無理矢理に票を集めるなど論外。即刻、立候補取り消しにされてしまうだろう。こうしている今も監視の目が突き刺さっていた。ま、それもやり方次第だ。

 

「あ、ちょっといいかな?私は三年の長谷川千雨っていうんだけど」

 

「はい。長谷川先輩、ですね。それで話というのは……?」

 

「ああ、これを見て貰いたくてね」

 

がらんと人気の無い空き教室。そこへ呼び出したのは元生徒副会長にして、今回の生徒会長に立候補している後輩である。人望も厚く、今期は生徒会長当選は確実ともっぱらの噂だ。そんな彼女に見せたのは一枚の携帯の画像。

 

「なっ……!?」

 

――そこにはベッド上で撮影されたと思われる裸の男女の姿があった。

 

「駄目だぜー。中学生がこんな不純異性交遊してちゃあさ」

 

「そ、そんな…何で……」

 

手を口元に当て、顔を青ざめさせる少女。怯えたように震える後輩に向けて、薄笑いを浮かべながら声を掛ける。

 

「PC内にこんなハメ撮り画像を保存しちゃ危険なんだよね。ネットを通して侵入するなんて簡単」

 

「か、返してください!」

 

「そうだよなー。そんな画像が出回ったら大変だよなー。もし騒ぎになったら最悪、退学かも」

 

「な、何が目的なんですか……?私の家に……お金なんてありませんよ」

 

「話が早くて結構。じつは私、今期の生徒会長に立候補しててね。ま、単刀直入に言うと――立候補を取り消してくれないか?」

 

涙を浮かべ、絶望的な表情で懇願する少女に対して、私は脅迫の言葉を返してやった。想定外の条件に一瞬だけ呆気に取られた風に口を開ける。しかし、すぐに訝しげな視線が向けられた。生徒会長にこだわる理由が分からないのだろう。本来、生徒会長になったところで実利的なメリットなんてほとんどないのだから。

 

「これは親切で言ってるんだぜ?別にこの画像をばらまいて強制的に支持率を下げてもいいんだから」

 

「す、すみません……言うとおりにします。ですから、どうかその画像だけは……」

 

それを聞いた途端、自分の立場を思い出したのか、再び自殺しそうなほどに顔面を蒼白にさせてしまった。そんな彼女に対して、私は安心させるようにほがらかに笑い掛けてやる。

 

「そうか、ありがとう。ははっ、そんな怖がるなよ。鞭ばっかりじゃ気の毒だし、あんたにもメリットの飴をあげるからさ」

 

しかし、甘い言葉にも目の前の少女の固い表情はまるでほぐれない。恐怖と薄気味悪さに襲われ、手足が震えてしまっている。まるで、私のマイナスで心まで凍りついてしまったかのようだ。そんな彼女に顔を近付け、下から覗き込むように瞳を見つめる。

 

「ほら、一緒に映ってる彼氏に付き纏っている女いるだろ?去年、生徒会で書記やってたさ」

 

「……っ!?」

 

「邪魔だって思ってたろ?もうそんな苛立ちに心を痛める必要はないぜ。私はそいつの弱味握っててさ。教えてやるよ。彼氏を寝取られる前にどうにかしたいって思ってただろ?」

 

少女は怯えを瞳に映しながら、コクリと頷くしかなかった。完全に心を折られ、その場に立ち竦む少女の耳元で一言二言を囁いた。これで用事は済んだ。ちょうど休み時間終了のチャイムが鳴り、私は踵を返して去っていった。教室への帰り際、私は懐から手帳を取り出すと、書き並べられた名前の内の二つをペンで塗り潰した。気持ち悪い笑みを浮かべ、つぶやく。

 

「これで二人が辞退、と」

 

選挙とは立候補者の中で一位になれば当選するという制度。だとすれば、自分よりも人気のある生徒を減らしていけば、普通の選挙活動をして、そこそこの支持率の私が当選することになるのだ。誰がどの程度の支持率を持っているかは、学園を歩き回っていれば自然と読み取れる。こういった立候補者を減らす作業は得意分野。脅迫と誘惑ならば学園で私の右に出るものなどいないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕方、学園から離れた林の中に建てられたログハウスを訪れていた。そこに住んでいるのはエヴァンジェリン・マクダウェルと絡繰茶々丸の二人。いや、正確には吸血鬼とアンドロイドなので人ではないが。そんな二人の家を訪れた私は、単刀直入に用件を切り出していた。

 

「マクダウェル、生徒会役員に立候補してくれないか?」

 

「断る」

 

マクダウェルはあっさりと拒否の言葉を吐き、ズズ…と紅茶に口を付けた。考える素振りも見せずに断られてしまった。ま、想定内の話ではあるが。

 

「一応、理由を聞かせてくれないか?」

 

「フン……そもそも承諾する理由が無いだろうが。なぜわざわざ面倒事を引き受けねばならんのだ。過負荷(マイナス)に関わるとロクなことがない。それに、私が学園の警備員だということを忘れたのか?」

 

「警備員だからって何の問題があるんだ?これは正式な学園の行事じゃねーか」

 

「何か企んでいるというのが透けて見えるぞ。あの男、球磨川禊に関わってメリットなんて一つもないだろうが」

 

忌々しげな渋面を浮かべるマクダウェルの言葉に、首を横に振ることで答える。

 

「いやいや、もちろんメリットは提供するつもりだぜ」

 

「ほぅ……言ってみろ。この場で叩き出したいところだが、聞くだけ聞いてやろう」

 

「それは助かるぜ。ナギ・スプリングフィールドが生きている、ってのは知ってるな?」

 

「ああ、そのようだな」

 

「――会いに行きたくはないか?」

 

ゴクリと目の前の少女が息を呑んだ。空気が変わる。マクダウェルの目付きがわずかに鋭くなった。相手の魔力が少ないがゆえに私の過負荷(マイナス)は十分に発動できている。心の隙を突いた一言に反論の言葉はない。現在のマクダウェルの生きる指針は、学園の治安維持でも吸血鬼としての力を取り戻すことでもない。

 

 

――自身の恋焦がれるナギ・スプリングフィールドに再会すること

 

 

それ以外は彼女にとっては些事に過ぎない。私の言葉でそれを自覚したようだった。だるそうな表情は一変し、目的を思い出した彼女の顔には肉食獣のごとき獰猛な笑みが浮かんでいた。

 

「人間の寿命を吸血鬼のあんたと一緒にしちゃいけないぜ。こんな学園でのんびりしてる暇なんてないんじゃねーか?」

 

「……この身体は『登校地獄』の呪いと学園結界に縛られている。それをどうにかできるというのか?」

 

「そうだ。学園から離れられない呪いと学園内で力を封印する術式。この二つを無効化すれば、あんたは晴れて自由の身となる」

 

それが出来れば苦労はしない、とマクダウェルの瞳が懐疑的に向けられる。英雄ナギ・スプリングフィールドの施した呪い。麻帆良の科学技術と魔法技術の粋を結集した学園結界。どちらも門外漢の私達に解呪も解除もできる代物ではない。いや、球磨川さんなら可能かもしれないが、その必要もないだろう。なぜなら――

 

「――麻帆良学園都市そのものを壊滅させる」

 

「何だと……!?」

 

「球磨川さんの目的は麻帆良に在籍するエリートを抹殺すること。抹殺といっても精神性をマイナスにするだけだから安心していいぜ。廃校に通うことはできないし、電力が通わなくなれば結界も解かれるだろうよ」

 

何でもない風に話す私を前にして、少女の顔に戦慄が浮かぶ。しかし、すぐにその顔には愉しそうな笑みが戻っていた。嗜虐的に笑うマクダウェルの様からはマイナスの雰囲気が漂っている。そう、恋に綺麗ごとは必要ない。

 

だって――恋は戦争なのだから。

 

「面白い。たしかに、私らしくもなく飼い慣らされていたようだな。くくっ……悪の魔法使いとして、最悪の吸血鬼として、――再び麻帆良に反旗を翻すとしよう」

 

「感謝するぜ。役職は『庶務』で立候補してくれ」

 

「ああ、そうだ。ひとつ言い忘れていたが、仕事は茶々丸にやらせるぞ。雑用なら得意分野だしな」

 

「はいはい。まったく……怠惰な吸血鬼様だぜ」

 

完全に仕事をする気のない少女に小さく苦笑する。いや、私も実務は超と朝倉に任せようと思ってたんだけどな。にしても、これで生徒会役員への根回しは済んだ。あとは選挙活動を行うだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

それから一週間後、生徒会選挙の投票結果が発表された。半数近くの立候補者が棄権したが、無事に生徒会役員の選抜は終了したのだった。その内訳がこちらである。

 

 

『生徒会長』三年A組――長谷川千雨

 

『副会長』三年A組――超鈴音

 

『会計』三年A組――朝倉和美

 

『書記』三年A組――桜咲刹那

 

『庶務』三年A組――エヴァンジェリン・マクダウェル

 

 

 

――こうして、麻帆良学園女子中等部史上、最低の生徒会が発足した。

 

 

 



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14時間目『強さに絶対はなくとも』

生徒会選挙が終了してから一週間後。放課後の私達は生徒会室で黙々と仕事に励んでいた。間近に控えた学園祭の準備に関する書類に目を通している所である。生徒会長としての通常の業務。他のメンバーもそれぞれの書類仕事に精を出していた。いや、一人だけ例外がいるけれど……

 

「おい、茶々丸。のどが渇いた」

 

「はい。紅茶でよろしいですか、マスター?」

 

「……人が働いてるってのに、お前はずいぶんと優雅な身分だな」

 

生徒会室のソファに寝転んで携帯ゲームをやっているマクダウェルに向けて声を投げる。皆が仕事をしている中、一人だけお菓子を片手に遊んでいるとなるとさすがにこっちもテンションが下がるというもの。しかし、マクダウェルの方はしれっと言い返す。

 

「仕事は茶々丸がやっているだろうが。それに、私が生徒会に入る条件に、仕事をしなくてよいというのがあったはずだぞ」

 

だったら自分の家で遊んでろよ、と思ったが口には出さない。私達の使命はこんな書類仕事ではないというのには同意だからだ。

 

「貴様こそ、本命は進んでいるのだろうな?」

 

「……それを言われるとな。何とかするよ」

 

「あまり私を待たせるな。今の私には無駄にできる時間などないのだからな」

 

「千雨さんもどうぞ、コーヒーでよろしかったですか?」

 

戻ってきた絡繰は、私達全員分の飲み物を用意してくれたようだ。礼を言ってカップを手に取った。ズズ…と温かいコーヒーに口を付ける。たしかに、この現状は私の力不足としか言えない。一瞬だけ浮かんだ苦渋の表情を隠し、視線を離れた机でPCに向かっている男へと向けた。

 

「ん?どうかしたのかい?何か分からないところでもあった?」

 

「いえ、何でもありません。先生も冷めない内にどうですか?」

 

「おっと、そうだったね。絡繰さんも、わざわざありがとう」

 

この若い男は生徒会の顧問を務めている瀬流彦先生という。若輩ながら防衛・補助系統の魔法においては優れたものをもっているようだ。そして、厄介なのが私の過負荷(マイナス)を遮れるということ。麻帆良の認識阻害結界すら効かない私の認識を弄るというのは、実は簡単ではないそうだ。熟練の魔法使いであるアルビレオや学園長を含めて数名。瀬流彦という教師もその一人だった。

 

「先生、これが各クラスの学園祭の出し物の希望ネ。それと、こっちが火を使うクラスや部の一覧。問題はないカ?」

 

「ええと……うん。大丈夫だよ。これで各クラスに通達お願い。ちょっと待ってて、今サインするから」

 

そう言って瀬流彦先生は超の差し出した書類にサインをする。そう、問題はこれなのだ。中学生である私達は、学園に関する書類を好き勝手に作成できるわけではない。必ず顧問の先生の許可を得なければ提出することができないのだ。当然、例の球磨川さんの計画に関する書類など真っ先に握りつぶされてしまうだろう。どうにかして瀬流彦先生を調略しなければ計画は先に進められないのだ。

 

「ふぅ……ちょっと休憩にしようぜ」

 

「そうだね~。さすがにちょっと疲れたよ」

 

「私は先に抜けさせてもらうヨ。出し物の方でも学園祭の準備をしなければならなくてネ」

 

「そうか、お疲れ」

 

それにしても超も多忙だな。学園祭の出し物と生徒会の仕事に加え、本命のクーデターの準備もこなさなければならないのだから。はっきり言って呆れるレベルだ。しかし、それだけの量の仕事をこなせているのは麻帆良の最強頭脳の看板に偽り無しということなのだろう。

 

机の上には茶々丸の作ってきたクッキーなどのお菓子が並べられる。瀬流彦先生も加わって、しばしの談笑が始まった。実質的には弱味を探るための時間なのだが。とはいえ、毎日のように瀬流彦先生の言動から糸口を探っているが、過負荷(マイナス)を使えないために成果は芳しくない。

 

「ねえねえ、瀬流彦先生って休みの日は何やってんの?」

 

「部屋に篭って読書したりしてるよ。というか休みの日にまで出歩きたくないって感じかな」

 

「ええー!寂しい生活送ってますね~」

 

「はは、仕方ないだろ。新米教師は忙しいのさ」

 

「彼女とかいないんですか?イケメンだし、モテそうなのに……」

 

「全然だよ。出会いもないしね」

 

いつものテンションの高い朝倉の質問攻めに、先生は軽く苦笑しながら付き合っている。その間、私はさりげなくその表情を観察していた。しかし、その顔や仕草に不自然な部分は見当たらない。チッと内心で舌打ちする。瀬流彦先生とは授業も学年も違ったため、情報を持っていないのだ。弱みを探るにはこうやって直接相手の反応を観察するしかない。おそらくは大丈夫だとは思うが、魔法先生用のPCには電子精霊がいて侵入にはリスクが伴うしな。

 

「出会いならたくさんあるじゃないですか。ほら、今この場にだって四人の美少女が並んでるんですよ」

 

「おいおい、さすがに中学生は恋愛対象外だよ」

 

「あははっ!冗談ですよ。そんなことしたら大問題ですもんね」

 

ビクリと私の身体が反応した。朝倉の軽口に対する瀬流彦先生の言動が心に引っ掛かったのだ。目線が一瞬ブレ、わずかに返答の間が空き、最初の一音の音程が半オクターブほど高かった。私が経験的に理解している隠し事の兆候。何だ……何を隠してる?

 

相手の心を暴くことのできる私の過負荷(マイナス)――『事故申告(リップ・ザ・リップ)』。それによって鍛え上げられた第六感が働いたのだ。弱点を突かれたときの反応にはいくつかのタイプがある。知られたくないことに触れられたとき、どんな仕草をして言動はどうなるか。無数の実例をこれまで解答付きで見ているのだ。スキルが使えなくとも、私になら相手の心の隙を見抜くことは可能なはず。

 

……仕掛けてみるか。

 

「瀬流彦先生は、この中だったら誰が一番好みですか?」

 

「みんな魅力的すぎて選べないよ。ほら、この話はもうおしまい」

 

「へー、じゃあ私と付き合っちゃいます?」

 

「コラコラ、からかうのはやめてくれよ」

 

反応有り。この話題になってから顔がわずかに紅潮し始めている。恥ずかしさからではない。この反応は羞恥ではなく、困惑や焦燥に近い感情。視線をそらし、無意識に唇を舐めた。微細な反射行動を観察する。このサインが表す感情は……。そして、一瞬だけ確かにマクダウェルの方へと視線が向かうのが見えた。

 

「あれ?マクダウェルが好みなんですか?」

 

「な、何を言ってるんだ!そんなはずないだろう!」

 

ビクリと身体を震わせて大声を出す瀬流彦先生。過剰すぎる反応。ハッと気付いたように瀬流彦先生はいつもの柔和な笑顔へと表情を戻した。まさかマクダウェルに好意を持っているのか?いや、それはない。自身の思いつきを即座に脳内で否定する。普段のマクダウェルへの対応から隠し事の気配は無かった。だとすると、まさか……

 

「先生って幼児体型が好きなんですねー。意外でしたよ、へー」

 

「ち、違うって!冗談でも問題になっちゃうからよしてくれよ」

 

「はいはい。わかりました」

 

あまりの愉快さにニヤリと口元が歪むのを必死に押し隠す。呼吸の乱れと発汗、唇の震え。間違いなさそうだ。完全に図星を突かれた反応。いや、なるほど。確かに学校の先生を志望するなら可能性としてはあるよな。そして、それは誰にも知られてはならない秘密。バラされれば社会的に抹殺され、評判は地に落ちてしまうだろう。

 

――中学校の教師がロリコンだなんて

 

 

 

 

 

 

 

「ということで、生徒会の顧問は操れそうです。罠に掛けて脅せば言いなりでしょう」

 

『ハニートラップねー。同じ男として同情せずにはいられないよ……。ま、とはいえ。よくやったね、千雨ちゃん』

 

ようやく計画遂行の目処がたった私は球磨川さんの元へと報告に訪れていた。待ち合わせ場所は超の経営する中華料理店『超包子』である。相変わらず学生の味とは思えない美味しさの料理に舌鼓を打つ。ちなみに球磨川さんは真っ赤なエビチリをぐちゅぐちゅとかき混ぜており、周囲から奇異の目で見られていた。

 

「球磨川さんの方は、生徒会長としての仕事は順調ですか?」

 

『うん。みんな優しい人たちだからさ。快く手伝ってくれているよ』

 

「そうですか。なら、計画は予定通りに進みそうですね」

 

球磨川さんの通う男子高等部は、すでにマイナスな様相を呈してきているそうだ。支持率0%で当選した脅威の生徒会長。校内の雰囲気は暗く、早くも麻帆良を崩壊へと導く台風の目となりつつあった。

 

「……ひとつ聞きたいんですが、球磨川さん。今回の計画、どの程度成功すると思いますか?」

 

『どういうこと?』

 

少し逡巡したのち、私は重苦しく口を開いた。

 

「いえ、私も数々の中学校を廃校にしてきましたけど……。この学園は異常です。強さという点において他を隔絶しています。スキルではない、魔法や気による純粋な強度の高さ。私達に勝ち目はあるんでしょうか。すみません。こんな時期に弱気なことを言ってしまって……」

 

私が負けるのは構わないが、そのせいで球磨川さんにまで迷惑を掛けてしまうのではないか。役に立てずに捨てられてしまうのではないか。魔法によって自身の過負荷(マイナス)を無効化されてしまうことも影響していただろう。私の心は、そんなマイナス思考に襲われていた。目を伏せ、ちらりと球磨川さんに視線を向ける。しかし、その顔にはいつもと変わらぬ無邪気な笑みが浮かんでいた。

 

『なーんだ。そんなこと気にしなくていいのに』

 

「え?」

 

『いいじゃん。そしたら別の学校に転校すればさ。千雨ちゃんも一緒に来てくれるでしょ?』

 

「……は、はい!もちろんです!」

 

何でもない風に口にしたその言葉で、私の心は晴れ渡ったような爽快な気分に変わっていく。自然と口元が綻ぶのが分かる。笑顔で球磨川さんに返事をする。そうだ、負けたっていい。勝っても負けても球磨川さんの側にいられるなら、せいぜい学園をかき乱してやろうじゃないか。結果なんて考えなくていいのだ。敗北を前提に物事を考えるのが私達のマイナス思考なのだから。

 

『それに強さなんて、僕達にとってはたいして致命的な要素じゃないんだよ。ねえ、千雨ちゃん。弱点を見抜くきみに質問だ。弱点の無い人間っていうのはどんな人間だと思う?』

 

「それは……最強の人間じゃないんですか?弱さの対義語は強さでしょう」

 

『いいや、違う。答えは「完全な人間」だよ』

 

「完全な人間……フラスコ計画ですか」

 

悪平等(ノットイコール)安心院なじみが目指しているのが「完全なる人間」の製作だと聞いたことがある。強度一点張りの専門家(スペシャリスト)ではなく、全てにおいて勝る万能家(ジェネラリスト)。

 

『無理な話だと思うけどね。だって、「完全」の条件には「最強」も含まれているはずなんだから』

 

「最強ですか。どんな人間なんでしょうね。英雄と呼ばれるナギ・スプリングフィールドが最も近い一人なんですかね」

 

しかし、私の言葉を否定するように、球磨川さんは首を左右に振った。

 

『そんなレベルじゃないと思うよ。ドラゴンボールだってそうだろ?強さなんてのは際限無くインフレするものなんだ。魔法で山を吹っ飛ばすとか、周囲を更地にするとかじゃ足りない。閾値を超えて針が振り切ってる。最強っていうのは、僕らの認識を遥かに超えた先にあるんだよ、きっと』

 

「そんなにですか」

 

『でも、強さなんてある程度を超えたら互角みたいなものだと思うけどね。拳銃も核ミサイルも、人を殺せるのには変わりない。温度みたいなものさ。高温に上限がないように』

 

「そうですか。でも、たしか低温には限度がありませんでしたか?」

 

『うん。絶対零度』

 

「……なるほど。そういうことですか」

 

その結論は私の心の中にストンと違和感無く落ち着いた。口元が歪み、自分の顔に気持ち悪い笑みが浮かび上がる。同時に、球磨川さんが両手を左右に広げ、楽しそうに笑った。

 

 

「強さに限度はなくとも、弱さに限度はある」

 

『強さに絶対はなくとも、弱さに絶対はある』

 

 

――そして、人間に完全はなくとも、負完全はある



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15時間目「会議を始めるか」

放課後の生徒会室。そこに全生徒会役員が集結していた。それぞれが長机の前の椅子に腰掛け、絡繰は主人の背後に控えている。

 

「それじゃあ、会議を始めるか」

 

この場に集まる四人の役員と絡繰に視線を向けてから宣言した。

 

「とその前に、この部屋に監視の目はあるか?」

 

「いえ。式を用いて調査しましたが、魔法的な仕掛けはありません」

 

「同じく、各種センサー類にも反応はないようようです」

 

桜咲と絡繰が答える。魔法的・科学的な監視は無しか。幸いにもこちらにはあまり注目されていないようだ。おそらくは球磨川さんの方に集中しているのだろう。おかげで安心して会議を行うことができる。

 

「そうか。監視は瀬流彦先生に一任したってことかな。よかったですね。大任ですよ?」

 

「……」

 

視線を生徒会室の隅の席へ向けると、そこには瀬流彦先生が重苦しい表情で俯いていた。無言のまま目を伏せて黙り込んでいる。その顔は恐怖と悔恨で苦々しく歪んでいた。

 

「どうしたんですか?もしかして私を恨んでるんですか?だとしたら見当違いとしか言えませんね。悪いのは小学生と関係を持っちゃった先生なんですから」

 

「ぐっ……君は!」

 

「無理しなくていいじゃないですか……。自分の心に素直になった方がいいですよ?先生が望むなら他にも女子を斡旋しても構わないんですから」

 

憎々しげにこちらを睨みつける瀬流彦先生だが、私の誘惑にわずかに瞳が揺れるのが感じられた。一度堕落を知ってしまえば、その欲望には抗えない。心はマイナスな思考に埋め尽くされており、もはや逆らうことはできないだろう。

 

「そうそう。そうやって私達に協力してくれれば、ちゃんとご褒美を上げますから。それに、魔法を使って小学生女子を使い捨てにしたなんて、ご家族が聞いたらきっと嘆きますよ?」

 

ニコリと気持ち悪い笑みを見せてやる。血の気の引いた顔で瀬流彦先生は前後に首をコクコクと振って頷いてくれた。

 

「さて、じゃあ今回の議題だけど。つい先ほど、瀬流彦先生に例の宣戦布告の書類を提出させてきた。初戦の相手は聖ウルスラ女子高等学校。本日をもって、――私達麻帆良女子中学校生徒会は、麻帆良の全住人に対して反旗を翻したことになる」

 

堂々と宣言する。戦力差は考えるのが馬鹿馬鹿しくなるほどだ。しかし、この場にいる面々には楽しそうな笑みが浮かんでいた。

 

「ククッ……待ちわびたぞ。ようやくこの忌々しい封印ともおさらばできる」

 

「はい。十五年と二ヶ月振りです、マスター」

 

好戦的に瞳をギラつかせるマクダウェルと、無表情で背後に佇む絡繰。

 

「私は味方じゃないけどネ。だけど、どちらの計画も成就することを願っているヨ」

 

「こんな面白そうなこと、やっぱり最前列で観察しなくちゃ。今の私は、歴史的な大事件を記録できる喜びに満ち溢れてるよ。こんな楽しい舞台に参加させてもらってありがとね」

 

不敵な笑みを浮かべる超と好奇心という麻薬にどっぷり漬かった朝倉。どちらも麻帆良すべてを敵に回すことに何の躊躇いも無い。

 

「もちろん、千雨さんが望むのならどこまでも付いて行くのみです」

 

瞳に狂信的な輝きを宿す桜咲。彼女達を見回して、私には珍しく安心感のようなものを覚えていた。このメンバーならば何とかなる。そして何より球磨川さんがいるのだ。球磨川さんにすべてを委ねればいい。そうすれば勝手に最低な結末まで導いてくれるはずだ。

 

「それで質問なのですが。なぜ聖ウルスラを最初の標的に選んだのですか?」

 

「球磨川さんの意志だよ。このあいだ、聖ウルスラの生徒会役員のひとりを掌握したそうだから。投票の仕組みは覚えているよね?」

 

私の問いに桜咲が確認するように言葉を返す。

 

「はい。球磨川禊の本校男子高等部と私たち本校女子中等部、そして聖ウルスラ女子高等学校の三校による投票が行われます。内容は聖ウルスラの生徒会の信任を問うものです。三校の全生徒による信任投票により、過半数の票を集めることで聖ウルスラの生徒会の実権を奪い取ることができます。逆に、過半数を取ることができなければ私達の生徒会の実権が奪い取られます」

 

「その通り。で、重要なのは投票が全生徒強制参加じゃないってことだ。生徒会同士の争いだから、学校側も授業時間を削ってまで選挙とはいかない」

 

「つまり、投票率によっては学校の数が多くても敗北する可能性が出るということネ」

 

しかも、わざわざ休み時間や放課後に投票しにくる連中だ。信任投票のようなものとはいえ、自分の学校に適当に丸を付けたりはしないだろう。言い掛かりレベルの口実ではなおさら。しかし、それでも関係ない。

 

「球磨川さんが聖ウルスラの生徒会役員のひとりを懐柔したらしい。その女子を使って聖ウルスラの投票率を下げに掛かるそうだ。そして、男子本校はすでに球磨川さんの支配下にある」

 

「なるほどねー。たしか男子高等部と聖ウルスラの生徒数はほぼ同じ。だったら投票率100%支配できれば磐石って訳だね」

 

「ならば、こちらは投票率を下げるように動くべきだな。まぎれが起きないよう一対一に持ち込むか。投票を行うという公表もしなくてよいだろう」

 

マクダウェルの言葉に頷いてみせる。純粋な投票をすれば勝ち目が薄くなるだけだ。数の論理による利点(プラス)を使えないというのは、いかにも私達マイナスらしい。

 

「初戦はそれでいいとして、問題はその後の展開ネ。聖ウルスラを奪えば、麻帆良学園都市はこちらの生徒会の実権を取り上げようとしてくるはずヨ。当然、同じ制度を用いてくるはずネ」

 

「麻帆良に存在する全ての学校が連名で潰しにくるでしょうね。数の論理による正攻法の得票では圧倒的に不利です」

 

「それで構わない。その選挙でこちらも、全ての学校による決選投票へと持ち込むことにする。私達と麻帆良学園都市。この選挙に勝利することで、――麻帆良に存在する全ての学校を支配することが可能となる」

 

これは学園における公式の選挙活動だ。学園長も権力を盾に横槍を入れるのは難しいはず。そして、麻帆良の魔法使い達も強硬手段に出ることはできない。表の人間同士の争いに下手に介入すれば、魔法の秘匿を怠ったどころの問題ではなく、魔法の不法使用で逮捕されてしまうからだ。

 

「だが、その投票の勝利こそが難関すぎるぞ?麻帆良学園の生徒総数は、付属小等部から関連大学院まで含めればおよそ十万人に及ぶ。はっきり言って、地方自治体の選挙で当選することとやることは変わらん」

 

「その通りです。ましてや、純粋にこちらに非があるのですから。それだけの人数を相手に小細工は通用しないでしょう」

 

その疑問に私は首を横に振ることで答える。

 

「ま、その辺はおいおい考えるとして」

 

「肝心なところがまだなのか……」

 

朝倉の呆れたような声を無視して次に進む。

 

「それで決選投票の日取りだが、おそらくは学園祭当日になるだろうとのことだ。球磨川さんの話では、急いでもそれより前倒しされることはないと」

 

「その辺りだろうネ。書類や告知のことを考えると最終日が妥当カナ」

 

ニヤリと笑みを浮かべる超。自身の計画に利用する方法を考えているのか、その瞳は鋭く光っている。

 

「先に謝っておくけど、学園祭では私もやることが多くてネ。手伝いをする時間はなさそうだヨ」

 

「わかってる。学園祭の後に行われる可能性もあるけどな」

 

「いや。聖ウルスラの奪取が終わった後なのだろう?ジジイなら投票率を上げるために学園祭期間中にねじ込んでくるはずだ。平日に比べて告知も投票への参加も圧倒的にしやすいからな」

 

聖ウルスラと同じく投票率を下げる方法は使えないか……。いや、勢力差があり過ぎてどちらにしろ無駄だろうけど。

 

「とにかく何か良い方法が思いついたら教えてくれ」

 

そう言って締めたところで朝倉が手を上げた。

 

「選挙とは関係ないんだけどさ。学園祭でうちのクラスってお化け屋敷やるでしょ。あれ、生徒会で資金増やしてもっと盛大にしない?」

 

「……本当に関係ない話じゃねーか」

 

「どうせ私ら、長々と生徒会やるつもりないわけじゃん。だったら資金流用とかしちゃってさ。ほら、クラスの連中からも頼まれちゃって」

 

いきなり身近な話になったせいか、緊張した空気が弛緩して皆の表情が和らいだ。ま、別に構わないだろう。財源の配分は生徒会が決めることだ。3-Aの連中のことだし、さぞかし派手に……

 

「そうだな。それも使えるか……。わかった、朝倉。好きに使っていいぜ。ただし、少しお化け屋敷の設計に手を加えて欲しい」

 

「へえ、何か面白そうなこと考えてるみたいだね。了解したよ。資金調達するのはこっちだし、条件は呑ませられると思う」

 

「じゃあ、今日のところはこれで終わりにしとくか。明日までに今後の策を考えてきてくれ」

 

そう言って本日の会議を終わらせた。皆が帰る仕度をはじめる。超や朝倉は部活で忙しいしな。桜咲も今日はひさしぶりに総本山へ戻るそうだし。生徒会の机に頬杖をついていると、その桜咲がこちらへ声を掛けてきた。

 

「あの、千雨さん。これから総本山へ行ってきます。護衛を離れることになってしまい申し訳ありません」

 

「気にしなくていいよ。必要なことなんだろ?」

 

「はい。前回の悪魔襲撃の際は無様な姿をお見せしてしまいました。二度と千雨さんに危険が及ばぬよう、総本山で忘れ物を取り戻してきます。明日には帰ってきますので、それまではどうかお気を付けて」

 

 

 

 

 

 

 

「……とは言ったものの、さっそく襲撃かよ」

 

放課後の帰り道、誰もいない通学路で私は毒づいた。監視の目から隠れた敵意がひしひしと伝わってくる。周りに人の姿がないのは結界の仕業か。対応を考えるために、気付かない振りをして歩き続ける。

 

「遠すぎる……この気配は向こうの学校の屋上からか?」

 

距離にして数百メートル。とても走って向かえるとは思えない。意識の隙を突くにも限度があるのだ。その瞬間、監視者から漏れる敵意が膨れ上がった。

 

「ちっ……!」

 

慌てて左へ跳び退く。直後、先ほどまで私のいた空間を、不可視の何かが通り過ぎていくのを感じた。

 

――風の魔法か!?

 

しかもかなりの弾速だ。敵意に反応して左右へステップを踏むようにして、続く二射、三射と避けていく。

 

「連射性まであるのかよ……!」

 

周囲に障害物はない。近くにあるのは細い電柱のみ。一本道に誘導されていたようだ。必死に動き回るが、あまりの速射に回避しきれず、肩口に一撃が加えられてしまう。

 

「ぐうっ……ごほぉっ!」

 

動きの止まった隙に、さらに数発の風の弾丸が突き刺さった。一撃が鉄球でもぶつけられたかのような威力。それを連続して当てられた衝撃で、身体の中で骨の折れる鈍い音が響き渡った。次に、腹に受けた衝撃で内臓がシェイクされたような不快な痛みが駆け抜ける。駄目押しで放たれた数発が私の全身を吹き飛ばし、コンクリートの地面に崩れ落ちたところでようやく攻撃は終了した。

 

「……容赦ねーな。ってまだ終わってないのかよ」

 

視線を建物の屋上へと向けると、こちらに腕を伸ばした姿勢で立つグラサンにスーツ姿の男が見えた。そこから感じる敵意はまだ消えていない。完全に気絶するまでは油断することはなさそうだ。とどめの一撃が放たれる。

 

まさか、直接襲撃されるとはな。こっちの想像以上に学園長はマイナスに危機感を覚えていたようだ。ここは私の負けか……。だけど、いくらぶちのめされようと、球磨川さんの計画を諦めることはない。

 

気持ち悪い笑みを浮かべながら、私の意識を断ち切ろうとする風の塊を見つめていた。痛めつけられた肉体は意志に反してピクリとも動かない。走馬灯のようにコマ送りで流れる景色。その暴力の塊が私の眼前に迫り――

 

 

――突然現れた影に遮られた

 

 

「えっ?」

 

「危ないところでしたね、長谷川千雨さん」

 

目の前に現れたのは見覚えのある金髪。

 

――かつて私がのどをナイフで突いて殺した女だった。

 

「あ、あんた……たしか心を折られて精神病院にぶち込まれたはずじゃ……」

 

「ええ。ですが球磨川さんに救われ、無事に退院することができました。以前の件は申し訳ありませんでした。なぜ、私はあれほどあなた方を敵視していたのか……。今回は球磨川さんの指示で長谷川さんの護衛に参りました」

 

「なるほどな。球磨川さんに調略されたのか」

 

――さすが、弱い人間や弱っている人間に対するカリスマ性は常軌を逸している。

 

ならば、もう一人の後輩の魔法使いも仲間に引き入れたはずだ。そして、同時に今はいない桜咲に感謝の言葉をつぶやく。助かったぜ。おそらく桜咲が球磨川さんに私の護衛を頼んだのだろう。

 

「どうやら、あちらも決着がついたようですね」

 

「あれは……!」

 

視線を屋上へと戻す。そこにはフェンスに多数のネジで無惨に磔にされたグラサンの姿があった。球磨川さんも来てくれていたのか!

 

ふらつきながら何とか立ち上がると、ホッと安堵の溜息を吐いた。球磨川さんの姿を見て安心した。

 

――油断して、しまった。

 

「うっ……」

 

意識が遠のく。脳内をぐちゃぐちゃにかき混ぜられる不快な感覚。これは魔法による精神支配か!いつの間にか護衛に来た金髪が意識を失って地面に倒れ伏していた。この一瞬でここまでできるなんて相当な実力者だ。私も指一本動かせずにガクリと膝を地面に着かされる。崩れ落ちる最中、かろうじて振り向いた私の視界に映ったのは、――似つかわしくないほどに鋭い目付きをした学園長の姿だった。



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16時間目「何でここで寝てるんだ?」

目を覚ました私の視界を埋め尽くしてたのは真っ白な天井だった。

 

「知らない天井だ……じゃなくて。ここは保健室か……?」

 

なぜか私はベッドの上に横たわっていた。身体に掛かっていた布団をどける。首を振って周囲を見回そうとしたところで――

 

「千雨さん!目を覚ましたんですか!大丈夫ですか!無事ですか!痛いところはありませんか!」

 

「うおっ!……さ、桜咲か」

 

タックルするように抱き着いてきたのは、泣きそうな顔をした桜咲だった。起こした上半身が再びベッドへと押し戻される。大声で叫びながら私の胸の中に顔を埋めていた。

 

「ええと……私って、何でここで寝てるんだ?」

 

記憶を辿ってみるが、どうにも意識を失う前のことが思い出せない。窓から入る光を見るに、どうやら昼頃のようだけど。

 

「……覚えてないんですか?昨日の放課後に、学園側の襲撃を受けたと聞いたのですが。今はちょうど昼休みになったところです」

 

「襲撃?いや、それよりも半日以上眠ってたのか……」

 

「申し訳ありません。やはり千雨さんの護衛を離れるべきではありませんでした。球磨川先輩に頼んだのが間違いでした。……あの役立たずが」

 

ギリッと憎々しげに歯軋りをする桜咲。地の底から聞こえてくるような呪詛の声。その凶々しい雰囲気にゾクリと背筋に寒気が走った。

 

「おい、それよりもだ。さっさと状況説明と今後の展開について話せ」

 

「マクダウェル……」

 

慌てて振り向く。声を掛けてきたのはマクダウェルだった。保健室の隅のパイプ椅子に座ったまま、こちらへ鋭いまなざしを向けていた。反射的に身体が竦む。猛禽類を思わせる捕食者の瞳に、のどの奥が詰まったように痙攣した。

 

「ん?どうした……様子がおかしいようだが」

 

「そうですね。顔が青いですよ?まさか奴らに何かされたんですか!?」

 

詰め寄ってくる桜咲に思わずたじろいでしまう。記憶にある二人とは受ける感覚がまるで違う。異界に閉じ込められたかのような形容しがたい不気味さを感じていた。そんな様子を不審に思ったのか、マクダウェルが私の頭に手を伸ばしてきた。軽く置かれた手にゾワリと全身の皮膚に鳥肌が立つ。

 

「……何を怯えている。いや、調べれば分かることか」

 

脳内に侵入する異物感。次第にマクダウェルの表情が曇っていく。そして、数分ほどそんな状態が続き、頭を振ってやれやれといった風につぶやいた。

 

「やられたな……。人格を書き換えられている。ここまで精密に、となるとジジイの仕業だろう」

 

「人格を書き換え……。学園側に洗脳されたということですか!?」

 

「おい、記憶を失う前のことを思い出してみろ。できるか?」

 

「はっ?何を言って……」

 

何を訳の分からないことを……。とはいえ、マクダウェルに逆らうのはマズイと本能的に感じていた。仕方なく気を失う前のことを思い出してみる。

 

ええと、たしか生徒会室で会議を行ったんだよな……。会議の内容は麻帆良学園を滅ぼすための計画。……なぜあんなイカレタ話をしていたんだ?自分でも信じられない。まさか、あんな吐き気を催すような計画を練っていただなんて。

 

「どうですか、千雨さん?」

 

心配そうに見つめる桜咲のその瞳からは、狂気と気持ち悪さしか感じ取れなかった。目を背けるように視線を布団へと動かす。その後は思い出せない。いや、そんなことはどうでもいいか。思い出せないからって、実際に問題が起きてるわけでもないしな。

 

「いや、そんなことより!何をやってんだよ、あんな計画を立てて!」

 

「ふむ……計画とは、学園を崩壊させる例の件か?」

 

「そうだ!私もどうしてあんなのに乗ったのか覚えてねーけど、何考えてやがんだ!頭イカれてんぜ!」

 

そうだ。麻帆良の学生すべてを破滅させるための計画だなんて、完全に狂っている。怒りを込めて睨みつけると、桜咲は困惑したような、マクダウェルは納得したような表情を浮かべた。

 

「だが、その計画を始めたのは貴様だぞ?その辺りはどう思っているのだ」

 

「私のことは関係ねーだろ!今はあんたらのことを……!」

 

「なるほど、自身の記憶の齟齬を疑問にも思わんか。思考誘導も完璧とみえる。正攻法での回復は難しいな」

 

マクダウェルは私から視線を外すと、あごに手を当てて考え込むような仕草を見せた。桜咲が泣きそうな顔で少女に詰め寄る。私はというと、急に話を終えられ、呆然と成り行きを見守るだけだった。

 

「これは……。エヴァンジェリンさん、どうにかできませんか!?」

 

「これだけ精密かつ強力に精神操作を掛けられていてはな。残念だが、魔力を封じられている私には手を出せん。精神操作の類の解呪は専門外だしな」

 

「くっ……私も戦闘用以外の術式に関しては人並み程度にしか。魔法の技量においては、学園長とは比べ物になりませんし」

 

「そもそも、精神に影響する魔法は高難度。未熟な術者の使用はご法度だ。それに、解呪ともなれば熟練の魔法使いか、専用のアーティファクトがなければ困難を極める。天然で認識阻害に抵抗力のあるこいつなら尚更だ」

 

腕を組んで答えるマクダウェル。しかし、その顔は苦々しく歪んでいる。桜咲の方はというと、刀を携えながら視覚化しそうなほどに濃密な死の気配を放っており、反射的に悲鳴を上げそうになるのを口元を手で押さえて飲み込んだほどだ。暗く沈んだ声が保健室に響く。

 

「……殺す。千雨さんにこんな真似をした連中は全員殺す。生徒も教師も男も女も大人も子供も魔法使いも一般人も関係者も無関係者も――殺し尽くしてやる」

 

「ひいっ!」

 

「落ち着け。いや、殺意と憎悪は忘れなくていいが、無謀に暴れるのはよせ。貴様ひとりではただ潰されるのがオチだ。数少ない戦力をむざむざと減らすわけにはいかん」

 

今にも飛び出しそうな桜咲をなだめる。殺気を撒き散らしながら桜咲はマクダウェルへと憎悪に塗れた視線を向ける。まるで猛獣の前に裸で出されたかのような戦慄を感じていた。

 

「こいつはリタイアさせるしかない。過負荷(マイナス)を無効化されなくとも、マイナスな人格を消すことで無力化されてしまったのだ。もはや計画に参加する意志などないだろう。しかし、私は計画を諦めるつもりはない」

 

「それに関しては私も同意見ですよ。人格が変わろうと千雨さんは千雨さんです。千雨さんへの想いが変わることはありません。ですが、千雨さんの人格を殺した麻帆良の連中には復讐せずにはいられませんよ」

 

「ことここに至っては、球磨川禊と完全に協調するしかないだろうな。奴と一蓮托生というのは勝ちの目を捨てた最低の手段だが、しかしそれだけに、間違いなく学園を崩壊させられるはずだ」

 

「はい。それが一番重要ですから。復讐が果たせるのなら、――私は勝てなくたっていい」

 

桜咲も頷いて同意を示す。二人の顔には壮絶な笑みが浮かんでいた。見ているだけで怖気の走る光景だった。息を吐く音を漏らすことすら憚られるような。そんな緊迫した空気は携帯の電子音によって遮られる。ポケットから携帯を取り出し、桜咲が電話に出た。

 

「はい。……ええ…それは、どういうことですか?」

 

 

 

数分ほど会話が続き、電話を切った桜咲の顔には困惑の色が浮かんでいた。

 

「朝倉さんから連絡です」

 

「ほう……早いな。私達の視界を覗いていたのか。それで、用件は何だ?」

 

「はい。たった今、球磨川先輩に今後の指示を仰いできたそうです」

 

「そうか。私や超が動くよりはマシだろう。すぐに球磨川禊が救出したという話なら、おそらく時間的に、ジジイはこいつの記憶を覗いてはいないはずだがな。しかし、警備員として生徒会に潜伏しているという言い訳は、もう無理と考えるべきか」

 

冷静にマクダウェルがつぶやく。そして、ちらりと私へ視線を向けると、離れるように部屋の端の方へと歩いていった。それに桜咲も続き、電話の内容を小声で話し合っているようだ。作戦に協力しない私には教えられないということなのだろう。それに少しほっとしている自分がいた。

 

「ハハハハハッ!なるほど……たしかにジジイなら有り得る」

 

静かな保健室に突如上がった哄笑。驚いて視線を向けた先には、愉しそうな表情のマクダウェル。

 

「しかし、それには前提条件があるが……ククッ…まぁいい」

 

「……私にはよく意味が分からないのですが」

 

「すぐに分かる。予定通りに進めば麻帆良学園祭は面白いことになるな。長谷川千雨、お前は好きに動くといい。無理に計画には加えようとは思わん」

 

そう言ってマクダウェルは扉に手を掛けた。そして、首だけ振り向くと桜咲へ向けて言葉を残した。

 

「私は警備員を抜ける。貴様もメンバーから抜けておけ。すでに疑われている私達が参加しても何のメリットもない。こちらの時間と動きを縛られるだけだ」

 

「わかりました。学園祭までは生徒会の方に専念します」

 

保健室には私と桜咲の二人だけが残された。そして、こちらへ向き直ると、申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「おそらく今の千雨さんに護衛の必要はないでしょう。再び学園側が狙うとも思えませんし。ですが、一応連絡用の札を渡しておきます。何かあればすぐに念話で呼んで頂いて構いませんので」

 

私の手に札を握らせると、桜咲は踵を返して外へと歩き出した。

 

「かつての千雨さんの願いを叶えてきます」

 

悪夢でも見てしまったかのような悪い気分を切り替えるために、私は布団に潜って二度寝するのだった。

 

 

 

 

 

 

結局、放課後まで睡眠を取った私は、仕方なく自室へと帰ることにした。鞄を持って下駄箱へと歩き出す。正直に言えば、もうあの恐ろしい連中に関わりたくなかった。まるで車に轢かれた猫の死体に遭遇してしまったかのような後味の悪さである。すべて忘れて夢の国に没入していたい気分だ。

 

「けど、放っておくわけにもいかないよな……」

 

あんなイカレタ計画を立てている連中だ。もし成功してしまえば私もただじゃ済まない。麻帆良に暮らしている以上、他人事ではないのだ。重苦しい溜息が漏れる。

 

「あっ!千雨ちゃん!」

 

大きな声に振り向くと、神楽坂とネギ先生の姿があった。

 

「ん?神楽坂とネギ先生か……。どうしました?」

 

「はい。ちょっと学園長が探していて……。一緒に来てもらっていいですか?」

 

「ああ、それは構わないが……」

 

鞄を持ったまま、私達は理事長室へと向かう。倒れてしまった私を心配して、二人とも道中に色々と話し掛けてくれたが、正直それどころではない状況だった。さっきまでは桜咲やマクダウェルへの脅威で気付かなかったが――

 

 

――視界が最悪だ。

 

 

「大丈夫ですか?気分が悪そうですが……。やっぱり保健室に戻りますか?」

 

「いや、大丈夫だ」

 

片手で頭を抑える私に心配そうな声が掛けられる。それに手をひらひらと振って答えるが、さすがに曇った表情は隠せない。これまで、よくもこんな気持ち悪い視界に耐えられたもんだぜ。

 

――廊下を歩くすべての生徒の弱点が見える

 

意識の隙も、身体の脆弱さも、心の傷も、すべてが晒け出されているのだ。どうすれば肉体を壊せるか、どう言えば精神を壊せるかが常に見せ付けられている。こんな過負荷(マイナス)なんて、百害あって一利なしだぜ。断崖絶壁の淵に立つ人間を背中から押すように、自分の気分次第で他人を地獄に突き落とせるのだ。こんな状況で過ごすにはどれだけ強靭な自制を必要とされるのだろうか。その自制を失えば、先ほどの連中と同類になるのだろうという確信もあった。

 

「失礼します」

 

コンコンと扉をノックして理事長室へと入った。それにしても、人間離れした容貌の学園長である。ネギ先生と神楽坂は帰るのかと思いきや、二人も呼ばれていたようで、私の隣に立った。穏やかな声が掛けられる。

 

「長谷川くん。昨日の帰りに倒れたとのことだが、具合はどうかね?」

 

「ええ、大丈夫です。身体に異常はなさそうです」

 

「そうかね。それはよかった。とはいえ、長話をするのも悪いのでな。単刀直入に言わせてもらおうかの」

 

好々爺然とした柔和な笑みを浮かべる学園長。記憶にある姿はなぜか恐い顔ばかりだったので、わずかに緊張していたのだが、その必要はなさそうだ。軽く安堵の息を吐く。

 

「過負荷(マイナス)はまだ残っておるかね?」

 

「っ……!?」

 

「残っているのであれば、君に頼みたいことがあるのじゃ。もうじき学園祭シーズンなんじゃが、どうにも人手が足りなくてのぅ」

 

ハッと目を見開いて眼前の老人を見つめる。緩んでいた緊張の糸が再び張り詰められた。しかし、学園長の表情からは危険なものは感じられない。敵意も殺気も隠されてはいないようだ。少し安心した私は警戒のレベルを下げる。そして、一拍置いて学園長は声を発した。

 

 

「――麻帆良学園の警備員になって欲しいんじゃ」



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17時間目「――『脆弱退化(オールジャンクション)』」

――麻帆良学園祭初日。

 

騒がしい学園の敷地内を、私は周囲を見回しながら歩いていた。学園長から私に課せられた仕事は、球磨川禊、及び麻帆良女子中等部生徒会メンバーの探索である。

 

あれから、彼女達が私の前に姿を現すことはなかった。超だけは普通に授業に出ていたが、他の連中の消息は不明。生徒会業務は超に任せて、学園内に潜伏しているというのがおおよその見解だった。しかし、超からは断片的な計画しか読み取れず、裏で動いているだろうことは明白。聖ウルスラ女子高等学校の掌握が完了し、最終日に行われる総選挙こそが学園の運命を決めることになるだろう。

 

「ったく……あいつらどこに隠れてやがる」

 

「そう簡単に見つかるものでもないだろう。今のきみと球磨川先輩では、過負荷(マイナス)としての格が違う。学園の死角に隠れている彼らを見つけ出すのは容易ではないさ」

 

隣を歩く褐色のクラスメイトが苛立つ私に慰めの声を掛けてきた。彼女の名前は龍宮真名。修学旅行でも戦闘を見たが相当な実力者である。そして、学園側に属する魔法生徒であり警備員でもある。……表向きはだが。

 

その実態は、超に与してクーデターを起こそうとする、完全な反学園派だ。しかし、それをバラそうものなら即座に無力化されてしまうだろう。その覚悟が伝わってくる以上、私にはどうすることもできない。いや、そもそも関わるつもりもない。魔法をバラすのが善か悪かなんて魔法使いでもない私には判断できるはずもないのだ。学園を破壊するという球磨川禊たちを止めることにだけ集中するべきだろう。この学園に住むひとりの生徒として。

 

「誰かひとりでも見つかれば、私が作戦を読み取れるってのに……」

 

大通りは学外からも押し寄せた大量の人間でごった返している。視界を埋め尽くす人の群れ。ディズニーランドのパレードを思わせる光景に、捜索を行っても見つけ出すのは困難だろうと内心で諦めざるを得なかった。しかし、一縷の望みに賭けて歩を進め続ける。

 

「しかし悪かったね。こちらの仕事にも付き合わせてしまって」

 

「いや、別にいいぜ。学園祭を楽しむって気分でもねーし」

 

「そうか?だが、中学最後の学園祭だ。せっかくだから楽しんだ方がいいと思うよ」

 

そんな会話をしながらも、ときおり龍宮の右腕が残像を残して翻り、高速の抜き打ちで銃弾を射出していた。そのたびに低い呻き声が耳に届く。彼女の任務は私とは別のものだ。世界樹周辺での告白行為を阻止すること。たった今も、告白しようとしていた男の脳天に、ゴム弾を撃ち込んで昏倒させていた。勇気を出して告白しようとした彼らにはご愁傷様としか言えないが。

 

しかし、学園祭期間中は世界樹の埒外の魔力により、告白が無条件で成功してしまうのだ。洗脳ともいえる行為には学園側も対処を取らなければならないという訳だ。人手不足でパートナーのいない龍宮と一緒に、私もその仕事を手伝っている。とはいえ、ほとんど龍宮が片付けてしまうんだけどな。

 

不意に携帯の振動音が聞こえた。建物の陰に陣取った龍宮は周囲に視線を送りながら、片手で携帯を耳に当てる。そして、一言二言話した後、私にその携帯を投げ渡した。

 

「……もしもし?」

 

「ひさしぶりだネ、千雨サン」

 

「超!?」

 

電話の先から聞こえてきたのは超の声だった。姿を見せずに電話を掛けてきたということは、すでに超の計画は実行段階に入っているということか?

 

「盗聴の心配があったのでネ。真名の携帯から失礼させてもらったヨ」

 

「……わざわざ何の用だ?」

 

「まずはお礼を言おうと思ってネ。私達の計画と彼女達の個人情報を漏らさなかったことについてネ」

 

「……礼を言われることじゃねーよ。あんたの計画については、勝手にやってくれってだけだ。関わりの無い世界の話に首は突っ込まねーよ。それに、あいつらの情報を教えなかったのは、単にプライベートな秘密をバラしたくないってだけだ。誰であろうとな」

 

私が学園長に教えたのは、球磨川禊の立てた最低の計画の詳細についてだけだった。桜咲たちが計画に乗った理由やらは黙秘した。それは他人の秘密を扱うものとしての自制であり、それを破ってはかつてのマイナスに戻ってしまうという恐れでもあった。

 

「当日の衛星からのカメラ映像は消されていて、人格改変の証拠は掴めなかったヨ。だけど、生徒の人格改変なんて完全に違法行為ネ。さすがにもう危険な橋は渡らないはずだから、これ以上は無理に記憶を探られることはないはずヨ。こちらも少し安心しているヨ」

 

「またその話かよ……。仮にその人格改変とやらを施されていたとしても関係ねーよ。球磨川禊の計画が許せるものだと思ってんのかよ」

 

「ま、千雨サンはそうなるだろうネ。その議論をするつもりはないヨ。そして、千雨サンにはもう一つ話があってネ。私の主催する武道大会に参加してもらいたいんだヨ」

 

「武道大会?」

 

私の口から訝しげな声が漏れた。

 

「学園祭期間中に魔法使いも含めた来場者を集めた格闘大会を行うヨ。学園祭初日の今日は予選、二日目の明日は本選ネ。その大会には彼女達も参加するはずヨ。申し込みは済ませておいたネ。私も明日の本選で待っているヨ」

 

「おい、待て!私は参加するとは一言も……!」

 

「千雨サンも参加せざるをえないはずネ」

 

球磨川禊たちの捜索がまるで進んでいない以上、その可能性に賭けるしかないのも事実、か。だけど、計画と武道大会に何の関係が……?

 

「敵を削り味方を増やすという学園長の策。プラスらしい考えだけど、はっきり言って下策ネ。学園長も過負荷(マイナス)については門外漢ということカナ?めったに過負荷(マイナス)が学園で表立つことはないから当然といえば当然ネ。ま、その結果はすぐに分かるはずヨ。過負荷(マイナス)を仲間に引き入れるなんて、ただ自陣営の負荷を増大させるだけだということにネ」

 

そんな言葉を残し、超からの通話が終わった。超の主催する武道大会。その目的は知っているが、それに過負荷(マイナス)も絡んでくるとはな……。だとすれば、私もその場に行くしかない。たとえ、超の思惑通りの動きであろうとも。

 

 

 

 

 

 

 

仕事の終わった私と龍宮は武道大会の会場を訪れていた。これから予選が行われるためだ。龍宮は超に用があるらしく、さっさと消えてしまった。どうやら優勝賞金が1000万円という大金らしく、会場周辺は参加希望者でごった返している。ってか学生のイベントの額じゃねーよ。賞金には惹かれるものがあるが、勝てる可能性は万に一つもないだろうな。

 

「それにしても呪文詠唱禁止、か。超の予定通りの映像になりそうだな」

 

大々的な宣伝と高額賞金で、この大会は学園祭二日目の目玉イベントになることだろう。球磨川禊たちが行動を起こすにはもってこいの舞台だ。大会を利用して何かを企んでいるのならば、見過ごす訳には行かない。

 

「あれ?千雨さんも大会に参加するんですか?」

 

「あ、本当だ。千雨ちゃんじゃない」

 

ネギ先生と神楽坂のいつものコンビが手を振って近付いてくる。

 

「あんたらも出場するのか?」

 

「そりゃそうよ。なんたって賞金1000万円よ!優勝すれば学費返済できるしね!」

 

「ネギ先生もか。魔法有りのガチ戦闘なら先生も出てくるか」

 

「はい。師匠から力試ししてきなさい、と」

 

二人とも試合への興奮でうずうずしているのが丸分かりだ。周囲を見回すと参加者らしき群衆の中に古菲や長瀬、高畑先生の姿もある。ちらほらと数少ない能力保持者(スキルホルダー)までもが現れているようだった。この場には学園の上位ランカーが揃っている。私にすら誰が勝つのか予想もつかないほどの混沌ぶりだ。

 

「うわー。ずいぶんと凄いメンバーが揃ってるわね」

 

「あ、小太郎くんも出場するの!?」

 

「おう、ネギか。当たり前や。こんな面白そうな大会、出るに決まってるやろ」

 

ヘルマン戦以降、学園に留まっていた犬神も大会に出場するようだ。性格的にもこういった大会には出るだろうとは思っていたが。こうなると、私には予選すら通過できるか怪しくなってきたな。球磨川禊たちも出場すると言っていたが、それが本当ならこの会場のどこかにいるはず。

 

「おい、神楽坂。予選開始までちょっとぶらついてくる」

 

 

 

 

 

私はこの場を離れ、会場の見回りをすることにした。注意を会場に引き付けるための超のブラフの可能性もあったが、とにかく探さなければ始まらない。しかし、――その心配は杞憂だった。

 

『やあ、ひさしぶりだね。千雨ちゃん』

 

「っ!?」

 

控え室でも探そうと室内へと足を踏み入れた瞬間、背筋に凍えるような寒気が走った。背後から聞こえてきた気持ち悪い声。確認するまでもない。それは間違いなく球磨川禊のものだった。慌てて振り返ろうとするが、意思に反して身体がピクリとも動かない。本能がこの男と関わりたくないと大音量で叫んでいた。

 

「ア、アデアット……」

 

どうにか全身を支配する怖気を振り払って一言だけつぶやいた。必死に自身を守る武器を握り締め、硬直する心と身体を鼓舞するが、その覚悟は振り向いて男の顔を見た瞬間に雲散霧消してしまう。引き攣ったような悲鳴がのどの奥から漏れた。

 

『そんな顔しないでおくれよ。傷付くじゃないか』

 

「ひっ……」

 

『なーんてねっ。そういう視線には慣れっこだよ。だけど驚いたなあ。本当に別人みたいだ』

 

気持ち悪い。まるでこの世の全ての負の要素をかき集めて凝縮したかのような人間だった。いや、人間とはとても思えない。声を聞くだけで背中に氷柱を突っ込まれたかのような寒気を、姿を見るだけで腐った人間の死体を連想するような不気味さを、一瞬にして感じ取らされた。強制的に、暴力的に。

 

『それにしても、少しは僕の方を見てくれないかなあ。そんなに目をそらされちゃ悲しいじゃないか』

 

こんな最低(マイナス)と目を合わせるなんて、できるはずがない。崖の上から真っ暗な深淵の底を覗き込むような得体の知れない恐怖。正対するだけで私という存在そのものが汚染されていくような不安感。今にも背を向けて逃げ出したい。しかし、それすらできないほどに足が竦んでしまっていた。

 

『無視するなんて非道いなあ。とても生徒の模範たる生徒会長とは思えないよ。情けないなあ』

 

「てめえ……!」

 

『うん?ごめんごめん。怒っちゃったー?』

 

私の瞳に怒りの火が灯る。そうだ。私には生徒会長としての責任がある。一人の生徒として、学生の代表として、この男を野放しにすることはできないのだ。挑発された怒りに任せて球磨川禊を睨みつける。そんな強い感情によって、ようやく目の前の男に視線を合わせることができたのだ。この衝動のままに自身のスキルを発動させる。

 

「あんたの計画、その全てを覗かせてもらうぜ!」

 

ニヤリと球磨川禊が気持ち悪い笑みを浮かべるのを感じながら、私はその内心へと這入り込む。そして、同時に自身の失策を直感した。どうして、かつての最低(マイナス)な私ですら、目の前の男の内心を絶対に覗こうとしなかったのか。その理由を確信させられた。

 

――この世で最も弱い生物、球磨川禊。

 

地球上で最も弱い生き物の境遇など、生涯で一度たりとも勝てない人間の気持ちなど――理解しては、共感してはならなかったのだ。

 

「ああああああああああああっ!」

 

自身の頭を両手で抑え付け、心の奥底から湧き上がるままの絶叫が迸る。強烈な絶望と恐怖と悔恨に今にも発狂しそうだった。感情が負の要素に塗りつぶされ、侵食されていくのを感じる。涙を流しながら絶叫する私の耳に愉しそうな声がかすかに響いた。

 

『知ることは変わることなんだ。サンタクロースの不在から夢の儚さを知るように、身近な人の死から避けられぬ滅びを知るように。負完全な僕から、千雨ちゃんはいったい何を知るんだろうね』

 

――こんな『闇』を知ったら、もう以前の私になんて戻れるはずがない

 

私の精神が変質していく。より最低に、より脆弱に。かつてのマイナス性が呼び起こされ、さらにデチューンされる。私自身の慟哭に共鳴するように、握り締めていたアーティファクト『力の王笏』のステッキも凶々しく変化していた。見る見るうちにパステルカラーの安っぽいステッキが、毒々しい色合いの金属質へと。その形状はまるで鍵のようだった。本能的にそのアーティファクトの使用法を理解する。そして、その1mほどの長さの鍵を私は――自分の胸に突き立てた。

 

「ぐうっ……この過負荷(マイナス)は!?」

 

その瞬間、私の脳内を大量の情報が駆け抜け、かつての人格が回帰した。いや、以前よりもマイナス性の増した人格だろうか。涙と涎をハンカチで拭き取ると、爽快な気分で天を仰いだ。気持ち悪い笑みで口元を歪めながら、球磨川さんへと向き直る。

 

「ご心配をお掛けしました。長谷川千雨、ただいま戻りました」

 

『うん。ひさしぶり、千雨ちゃん。見違えたよ』

 

私の手には過負荷(マイナス)を練り上げることで変質させたアーティファクトが握られていた。球磨川さんはその巨大な鍵を興味深そうに眺めている。

 

『このあいだ箱庭学園って学校から転入の誘いがあってね。中学時代に色々あっためだかちゃんの通っている学園なんだけどさ。その誘いを断っちゃったんだよね』

 

めだかちゃんとは、かつて球磨川さんが辛酸を舐めさせられた憎き相手だったか。球磨川さんは嬉しそうに言葉を続ける。

 

『僕自身でもどうして断ったのか不思議に思ってたんだけどさ。今のきみを見てようやく分かったよ。それは「事故申告(リップ・ザ・リップ)」を元に作り上げたきみの過負荷(マイナス)だね』

 

「はい。これが私の獲得した、失った新たな過負荷(マイナス)です」

 

新たなスキルの作製。これこそが『事故申告(リップ・ザ・リップ)』と『力の王笏』を混ぜ合わせて作製した、スキルと魔法を材料に合成した新たな過負荷(マイナス)である。

 

『懐かしい気分だよ。何年振りくらいかな。まるで昔の僕を見ているみたいだよ。――僕は、きみを育てるためにこの学園に留まっていたんだね』

 

先ほどまで気持ち悪いとしか思えなかった球磨川さんの姿が、今はまったく違って見える。尊敬と恋心――そして、親近感と安心感と覚えていた。

 

『それが千雨ちゃんの「弱点を広げるスキル」――まさに僕の後継者にふさわしい過負荷(マイナス)だよ』

 

恋心とは相手とひとつになりたいという感情だ。だとすれば、発現したこのスキルは私の恋の具現だろう。他人をマイナスにしたいという球磨川さんの願いの顕現。球磨川さんの大嘘憑き(オールフィクション)にちなんでこう名付けることにした。アーティファクトを媒介に変質させた新たな過負荷(マイナス)――

 

 

――『脆弱退化(オールジャンクション)』

 



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18時間目「まほら武道会、予選を開始します!」

「それではこれより!まほら武道会、予選を開始します!」

 

大音量のマイク越しに朝倉の声が響き、直後に歓声が上がった。これから始まるのは武道大会の本選出場者を決める予選である。実況は朝倉が務めている。お尋ね者の自覚があるのか、と言いたいところだが、すでに私の人格が元に戻っている以上は何の問題も無い。精神性が戻った私は、いまだに警備員のフリをして学園側の情報を集めていた。すでに明日以降の警備員の動向は球磨川さんに教えてある。今回の大会参加も偵察ということにしており、今のところ誰にも怪しまれていないはずだ。

 

「で、私はAブロック……初戦か」

 

予選はA~Hの8ブロックに分かれて行われ、それぞれ参加者20人から本選出場者2人を選別するという仕組みだ。多人数での乱戦は私の得意分野。明日のためにも本選出場を決めておきたい。

 

「大会本部からお知らせです。Aブロックに参加する方は会場へ集まってください」

 

アナウンスの指示通りに会場へと足を踏み入れる。15メートル四方の会場には筋骨隆々な男達の姿。中には木刀などの武器を構えた参加者までいた。

 

「上位二名が予選突破だから、とにかく対戦相手に強いのがいると困るんだが……」

 

つぶやきながら人の増えてきた試合会場を見回す。いかにも武道家然とした連中は私の相手ではない。厄介そうなのは、あの辺の奴らか……。

 

片手に文庫本を持った文学青年風の眼鏡の高校生とドレス姿の女子高生、両目に眼帯をした女子大生。とても戦闘者とは思えない風貌だ。ゆえに一般人の参加者ではなく、彼女達は学園でも数少ない能力保持者(スキルホルダー)だった。やっぱり賞金1000万円ともなると、目立つのを嫌う悪平等(ノットイコール)の連中も表に出てくるか……。そんなことを考えているうちに、参加者が揃ったようだ。

 

「それでは予選Aブロック!始め!」

 

朝倉の開始の合図と共に、20人の参加者が入り乱れるように殴り合いを始めた。さすがに女子中学生の私を真っ先に襲う奴はいないようだ。代わりに例の3人がこちらへと歩いてくる。能力保持者(スキルホルダー)同士で面識はあったのだろう。私を囲むように立ちはだかった。そして、文学青年が片手に本を持ったまま口を開く。

 

「長谷川千雨さん、だね」

 

「そうだけど、何か用か?」

 

「あなたは危険だ。学園にいてはならない」

 

男が手に持った本がパラパラと勝手にめくれていく。

 

「僕のスキルは『紙を操るスキル』。明日まであなたには病院にいてもらう」

 

それに対応するようにドレス姿の女子高生と眼帯の女性も自信満々に口上を述べた。

 

「お聞きなさい。わたくしの『音声を操るスキル』の効果を」

 

「これが私の『他人の視覚を操るスキル』だよ」

 

三人が同時にスキルを発動させようと目線でタイミングを合わせる。それを見て私は溜息を吐いた。右手に巨大な鍵を現出させる。

 

 

「隙だらけだぜ」

 

 

何が起こったのか理解する暇もなかっただろう。一瞬の意識の隙を突かれ、三人は同時に叩き伏せられていた。鍵を叩きつけられ、瞬時に昏倒する。これが『脆弱退化(オールジャンクション)』による効果。ハッキングの要領で打撃と同時に相手の情報にアクセスし、打撃部位を弱点にしてやったのだ。元々の強度が一般人(ノーマル)の彼女達にはこれで十分。あっさりとリタイアさせることに成功していた。

 

大会に出場するだけあって、彼女達のスキルは決して弱くはない。今の私はその長所を使わせない術に長けていたというだけだ。

 

「Aブロック勝者は!長谷川千雨選手!そして、高音・D・グッドマン選手です!」

 

振り向くと、いつの間にか残りの参加者全員を叩きのめしていた高音さんの余裕そうな顔が見えた。そして、本選出場のアナウンスを聞きながら、私は観客席へと戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

――Cブロック予選。

 

このブロック、注目すべき選手は桜咲と神楽坂の二人だけだろう。魔法使いの姿は見当たらない。せいぜいが気を扱える武道家程度のようだ。桜咲の手には剣道部で用いていた竹刀。しかし、気を纏わせることで真剣に匹敵する切れ味を可能とするはずだ。こんな予選でその必要はなさそうだが。開始の合図が響く。

 

「いっくわよー!右手に気を……左手に魔力を!」

 

開始早々に襲い掛かってきた空手部らしき男の拳を、神楽坂は内側へ半歩ずれながら前に出ることでかわす。同時に突き出した腕の袖を掴み、トンッと右肩を相手の胸に触れさせた。

 

――鉄山靠

 

轟音。ピーンボールのように凄まじい勢いで跳ね飛ばされる男の身体。爆発音にも間違うような鈍い音と共に、相手は場外へと吹き飛ばされた。唖然とする会場内。

 

「え?」

 

これには私も度肝を抜かれたが、一番驚いているのは当の神楽坂のようだった。瞳に焦りを滲ませて困惑の声を漏らす。

 

「神楽坂さん。一般人相手に咸卦法は、命の危険があるのでやめた方がいいかと……」

 

「だ、だよね。こんな強い技だったんだ……。本当に大丈夫かな……さっきの人」

 

「神楽坂さんならば、中国拳法と気のみで十分通用するはずですよ」

 

たらりと冷や汗を垂らす神楽坂に静かに告げる桜咲。幸い空手着の男は気絶しながらもピクピクと震えており、命に別状はなさそうだ。それを見て神楽坂は安堵の溜息を吐く。周囲も気を取り直したように戦闘を再開させていた。そして、桜咲も竹刀を構え――

 

「では、行きます」

 

 

――直後、半径数メートルの範囲内の男達が全員昏倒した。

 

 

わずかに遅れて連続した破裂音が耳に届く。あまりに隔絶した剣速に、私の目ではとても捉えることはできなかったのだ。まるで敵対者を射殺すかのような、鋭く凄絶な瞳。その凶悪なオーラには、観客ですらゴクリと唾を飲み込まざるを得ない。数秒後にはその場に立っていられるのは桜咲と神楽坂の二人だけだった。

 

 

 

 

 

――Fブロック予選

 

試合会場では、マクダウェルと高畑が正面からにらみ合っていた。マクダウェルの顔には不敵な、高畑の顔には軽薄な笑みがそれぞれ浮かんでいる。二人の周囲には十人近くの参加者達が倒れており、その数は次第に増加する一方だ。この瞬間にも、離れた場所に立っていた男が前触れも無く意識を奪われて昏倒していた。

 

「さて、間引くのはこれくらいにしておこうか。あまり減らしすぎないようにしないとね」

 

両手をポケットに入れたまま、余裕の表情で高畑が告げる。その言葉から、この男が会場の参加者達を倒していたのだとようやく観客が悟った。しかし、目の前の真っ白なゴスロリを身に纏った金髪の少女からは怯む様子はまるで感じられない。

 

「エヴァ、君にはここで大会からは脱落してもらう」

 

「ククッ……あの小僧が偉そうな口を叩くようになったな」

 

笑みを消した高畑の警告に、しかしマクダウェルは愉しそうな表情を崩さない。少女が懐から鉄の棒を取り出す。それは鉄扇だった。しかし、魔力を封印されている彼女には純粋な体術しか扱えないはず。学園どころか魔法世界でもトップクラスの戦闘力を誇る高畑を相手にするには、あまりにも頼りない武器だ。はっきり言って勝負になるとは思えない。それを高畑も理解しているため、少女を見る目にはわずかな哀れみが映っていた。ポケットからゆっくりと右手を引き抜く。

 

「君達の企みは知らないが、この大会で何かをしでかす気なんだろう?悪いけど、その計画は止めさせてもらうよ」

 

「できるものならばな」

 

「手加減するつもりはないよ。さっさと終わらせる」

 

――ギィン

 

鈍い金属音が響き渡る。時間でも切り取ったかのように、刹那の後にはマクダウェルの頬の横を高畑の拳が通過していた。

 

「あいかわらずの馬鹿力だな」

 

カツンとマクダウェルの背後に壊れた鉄扇が落ちる音がした。金属製の鉄扇が見事にへし折れている。同じ体勢のまま、二人は静かに見つめ合う。

 

「威力の九割九分を殺しておいてこれか。やはり魔力封印状態ではこれが限界のようだな」

 

「いや、見事だよ。エヴァ。こうも綺麗に受け流されるとはね」

 

感嘆した風な表情を見せる高畑。拳を引き戻し、再びゆっくりとポケットへと収納する。ポケットに手を入れたこの体勢こそが高畑の構え。それを眺めながら、マクダウェルは先ほどまで鉄扇を握っていた左手をぶらぶらと振ってみせた。

 

「貴様と戦うのはもうやめておこう。今の私の状態でそれを受けたら数ヶ月は回復できまい」

 

「それは助かるよ。できるだけ怪我はさせたくなかったからね。今の僕達は手段を選んでいられないんだ」

 

「ククッ……何を勘違いしている。私は計画を諦めた訳ではないし、本選出場を諦めたわけでもない」

 

「何を……」

 

「いい加減、貴様も知るべきだな。――マイナスの流儀というものを」

 

訝しげな表情を浮かべる高畑だったが、その顔は直後に聞こえた声によって一変する。それは彼にとっては聞き慣れた一節だった。

 

「メイプル・ネイプル・アラモード……」

 

「これは、呪文詠唱!?」

 

反射的に振り向き、戦闘態勢を整える高畑。これは間違いなく呪文による攻撃。しかし、不意打ちであろうとも対応できるという自信が彼にはあった。当然、背後に控えるマクダウェルへの警戒も怠ることもない。高い身体能力とそれを支える経験。まぎれもなく高畑は魔法世界でもトップクラスの戦闘者であった。

 

「魔法の射手・火の十三矢」

 

「っ……!?」

 

しかし、狙いは高畑ではなく他の参加者たちだった。魔法の射手が残っていた参加者すべてを薙ぎ払う。爆発と共に場外へと吹き飛ばされる男達。残ったのは高畑とマクダウェル、そして魔法を放った佐倉愛衣だけだった。以前、私に襲撃を仕掛けてきた少女である。

 

「佐倉くん……どうして…?」

 

魔法生徒である彼女の暴挙に困惑の表情を浮かべる高畑。しかし、佐倉はそれを無視して手を上げた。会場中の注目が集まる中、にこやかに宣言する。

 

「ごめんなさい。呪文詠唱をしてしまいました。反則負けですね」

 

そう言って場外へと飛び降りる。残されたのは二人だけだった。呆然とする観客達。しかし、堪えきれずに口元を歪めて笑うマクダウェルの姿に、高畑は即座に意図を悟った。すでに佐倉愛衣も球磨川さんが調略済みなのだ。高畑の顔が苦々しげな渋面へと変わる。

 

「Fブロックからの本選出場者が決定いたしました!高畑・T・タカミチ選手と!エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル選手です!」

 

アナウンスを背後に、マクダウェルは悠々と踵を返して試合会場を後にする。

 

「ま、待つんだ!エヴァ!」

 

「今度は本選で会おう」

 

こうして、私達は無事に本選出場の切符を手に入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

予選が終わった後、私達は2-Aの出し物であるお化け屋敷の中に集まっていた。ここは以前、朝倉に頼んで作ってもらったデッドスペース。誰も立ち入ることのない物置である。灯台下暗し。ここが学園祭期間中の作戦本部である。そこで私達はジュースを片手にお菓子をつまんでいた。

 

「うぅぅ……おひさしぶりです。千雨さん。ようやく人格が戻ったんですね……」

 

「おい、抱きつくなって」

 

「よかったです。本当によかった……」

 

この場で再開を果たしてからというもの、桜咲はずっとこの調子である。涙目のまま、きつく抱き締められていた。悪い気はしないが、この狭い空間では少しばかり暑苦しい。

 

「だが、私も驚いたぞ。まさか、さらにマイナス性を増して帰ってくるとはな」

 

「球磨川さんのおかげですよ」

 

「そうだな。私は『大嘘憑き(オールフィクション)』で精神操作の魔法をなかったことにするのだと思っていたが……。まさか、さらにマイナス成長をさせるチャンスに変えるとはな」

 

愉しそうにつぶやきながら、マクダウェルは私の腕から血液を吸い取っている。明日のための魔力供給だそうだ。

 

「新たな過負荷(マイナス)を得ることもできたしな。いや、『事故申告(リップ・ザ・リップ)』と『力の王笏』を失ったことを考えるとどうかな」

 

「だが、その割にはずいぶんと嬉しそうな顔じゃないか」

 

言われて初めて自分の顔がニヤけていたことに気付く。

 

「私達マイナスにとって、スキルってのはただの便利な道具じゃないんだよ。言うならば自分そのもの」

 

だから『脆弱退化(オールジャンクション)』の発現は、私が球磨川さんに染められていることの、球磨川さんとひとつになっていることの証明なのだ。

 

「ふーん。ま、その球磨川先輩が来てないけど、そろそろ明日の話でもしよっか」

 

「そうだな。あの男もあの男で別の仕事があるだろうからな」

 

朝倉がポッキーを咥えながらバッグから一枚の紙を取り出した。それは、明日のまほら武道会本選のトーナメント表である。そこには明日の対戦相手が書かれていた。

 

「にしても、あんたらクジ運が悪すぎでしょ」

 

――第五試合、桜咲刹那vs葛葉刀子

 

――第六試合、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルvs高畑・T・タカミチ

 

二人とも武闘派の教員が相手である。間違いなくマイナスを潰すことを目的とした大会への派遣だろう。しかも、どちらも勝ったとしても次の対戦で潰し合うことになる。この二連戦は正直かなりキツイ。死のブロックと言えるだろう。高畑の二タテだけは避けたいところだが……

 

「好都合です。学園祭最終日に出張れないよう、病院送りにしてあげますよ」

 

「当然だ。タカミチの奴に舐められたままで終われるか。私の恐ろしさを刻み付けてやる」

 

私の心配は杞憂だったようだ。桜咲の顔には凄絶な、マクダウェルの顔には陰惨な笑みがそれぞれ浮かんでいた。

 

「ま、私も他人の心配をしてる場合じゃねーか」

 

紙面に目を落とす。そこには、マイナスらしい絶望的な対戦カードが示されていた。こんなふざけた偽名を使うのはあいつしかいない。

 

 

――第二試合、長谷川千雨vsクウネル・サンダース

 



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19時間目「私は悪くない」

学園祭二日目、まほら武道会本選に出場するために、私は会場へと足を運んでいた。まだ試合開始前だというのに、すでに客席は埋まっており、この大会の注目度を感じさせる。しかし、対照的にこの選手控え室には私の姿しか無かった。他の選手は観客席で試合観戦をするのだろう。第一試合の対戦カードであるネギと犬神、それと付き添いの神楽坂も、つい先ほど会場へと向かってしまった。

 

「さて、やっぱりまだか……」

 

一人きりの控え室で、私は試合に向けて精神を集中――するはずもなく。持ち込んだノートPCを立ち上げて、昨日ブックマークしておいたサイトを巡回していた。日本最大の大規模掲示板に動画投稿サイト、そして海外の数十を超える同様の掲示板や動画投稿サイトに目を通す。どこのサイトも通常営業のようだ。

 

「ふふっ……数時間後が楽しみだぜ。朝倉なんかは大歓喜だろうな――世界の変わるところを間近で見れるんだから」

 

超の目的は『全世界に魔法の存在をバラすこと』。この大会で行われるであろう超常の戦いを公開し、翌日の強制認識魔法によって魔法の存在を世界中の人間の意識に刷り込むのだ。試合内容は非公開と謳っているが、もちろん嘘である。超の予想では、慌てふためくだろう魔法使い達との情報戦が第一の関門。本来なら私にも情報戦専用アーティファクト『力の王笏』での参戦を期待していたようだが、残念ながらそのスキルは失ってしまったのでノータッチ。アーティファクトを失った私は、情報戦に関しては無力な女子中学生に過ぎないのだ。

 

「すごい歓声だな。試合も終わったか……?」

 

遠くから響く歓声が耳に届く。ネギと犬神はどちらが勝っただろうか。しかし、すぐに考えるのをやめてしまった。次に当たる相手のことなんて考えても仕方ない。なにせ、私の一回戦の対戦相手は大戦の英雄、アルビレオ・イマなのだから。

 

「長谷川千雨選手!試合の準備が整いましたので、会場の方までお越しください」

 

呼びに来た係の生徒の指示に従い、会場へと向かう。隔絶した戦力差。しかし、私だって無策ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

会場は割れんばかりの歓声が怒号のように鳴り響いていた。先ほどの試合の余韻が残っており、周囲は熱気に包まれている。どうやら第一試合はネギが勝利したようだ。巨大ディスプレイの画面に映されているトーナメント表には、一本の線が引かれている。

 

「いやはや、ネギ君が勝つとは思いませんでしたよ」

 

「意外ですね。自分の弟子に自信がなかったんですか?」

 

いつの間にか目の前に現れていたフード姿の男から声が掛けられた。魔法界では有名人であるため顔を隠しているが、アルビレオに間違いない。私はいつも通りを装って返事をした。

 

「実力はともかく呪文詠唱禁止のルールですからね。格闘戦主体の犬神君の方が有利だと思っていたのですが、嬉しい誤算でした。成長というよりは進化といった方がいいでしょうね。『千の呪文の男(サウザンドマスター)』を彷彿とさせるほどの。やはり血は争えない、ということですか」

 

そんな会話をしながら、私達は互いに開始線まで歩を進めていた。第一試合に当てられたかのような観客の熱気がこちらまで伝わってくる。しかし、内心で私は気持ち悪い笑みを浮かべていた。

 

――すぐに凍りつかせてやるよ

 

「それでは第二試合!長谷川千雨選手対クウネル・サンダース選手!の、試合を始めます!」

 

朝倉の声が響き渡った。しかし、試合開始にも関わらず、どちらも開始線から動かない。静かな立ち上がり。観客達からは当てが外れたといった空気が伝わってくる。観客の期待なんて知ったことじゃない。私はアルビレオの表情を窺っていた。その挙動からは、わずかな警戒が感じられる。こちらから仕掛けてみるか。アルビレオだけに聞こえるような小声で話し掛ける。

 

「アルビレオさん。この試合、私が負けましょうか?」

 

「それはそれは。一体どうしてですか?」

 

「私の目的はマイナスの計画を止めることですから。それなら、私が勝ち残るよりはあなたが残った方がいいんじゃないかと」

 

現在の私の身分は学園の警備員のままなのだ。昨日も学園長に虚偽の計画を密告してきたところ。長年、マイナスを隠してきた私ならではの騙り。誰も私の精神性が戻っていることには気付いていないはずだ。だというのに、アルビレオがこちらを警戒している理由。それは、これのせいだろう。

 

「……何ですか、そのアーティファクトは」

 

私の手に握られた巨大な鍵を、アルビレオは鋭く見つめていた。ポンポンと自分の掌を鍵で叩く。そのまま自分自身にハッキングして欠点を探し出した。あとは、仕掛けられた認識誤認の魔法の綻びを突くだけ。

 

「私にもよくわからないんですけど、どうもアーティファクトの形状が変化したみたいで」

 

「……そうですか」

 

「正面から突きますから、それに合わせる形で迎撃してください」

 

そう言って私は襲い掛かった。アルビレオの顔からは警戒と迷いが混ざったような色が窺える。しかし、魔法で過負荷(マイナス)を無力化していることが要因となったのだろうか。突き出された鍵を左に避け、カウンターの掌底を放ってきた。

 

「――それは悪手だぜ」

 

直前に魔法を無効化していた私には、そんなバレバレの攻撃は通用しない。あっさりと迎撃の掌底を回避すると、その隙を突いて、アルビレオの胸に鍵を突き刺すことに成功していた。沈み込むように鍵の先端が身体の中に埋まってしまう。

 

「ぐっ……!」

 

アルビレオの存在にハッキングし、干渉して全身を弱点に変える。魔法世界でも五指に入るほどに強力な魔法使い、アルビレオ・イマ。本来なら弱者たる私にそうそう隙など見せる男ではない。しかし、スキルを無効化しているという油断と、相手が学園側の人間だという迷いが隙をわずかに広げてしまっていた。その結果がこれである。

 

「今のあんたからは強さの欠片も感じねーよ」

 

「ち、千雨さん……あなたは…!」

 

「そして、もう終わりだぜ」

 

最低限まで強さを落としたが、それでもアルビレオは私より強い。というより、『脆弱退化(オールジャンクション)』は相手を自分自身よりも弱くはできないし、プラスをマイナスにすることもできないのだ。しかし、それでいい。私の仕事は最初からアルビレオに隙を作ることだったのだから――

 

 

『その弱点、突かせてもらうよ』

 

 

「がはあっ!」

 

ズブリ、と真上から落下してきた球磨川さんのネジが相手の両肩に突き刺さった。膝から崩れ落ちるアルビレオ。空を見上げると、純白の翼を生やした人影が高速で去っていくのが視界の端に映った。これが私達の策。すべてはアルビレオを『大嘘憑き(オールフィクション)』で封印するための――。

 

『これが「すべてをなかったことにする」僕の過負荷(マイナス)――「大嘘憑き(オールフィクション)」だよ』

 

両手を大きく広げ、堂々と宣言する球磨川さん。突然の侵入者に観客も水を打ったように静まり返る。一見しただけでこの場の全員が、目の前の高校生のおぞましきマイナス性に戦慄を覚えていた。まるで、この世のありとあらゆる負の要素を凝縮して煮詰めたかのような。そんな得体の知れない不気味さを心の奥底に無理矢理に植えつけられていた。

 

『アルビレオさん、だったかな。――あなたが魔法を使えるという現実をなかったことにしました』

 

「何を言って……いえ、本当に魔法が……!?」

 

球磨川さんに向けて掲げた両手を震わせるアルビレオ。無邪気な笑顔を浮かべる球磨川さんとは対照的に、その顔は驚愕に歪んでいた。しかし、すぐに冷静な表情に戻る。

 

「……球磨川禊くんと言いましたね。このスキルは危険すぎます。いえ、それよりもあなたの存在自体、でしょうか。これ以上、野放しにしておく訳にはいきませんね」

 

『うん?ずいぶんと余裕だね。魔法使いじゃなくなったっていうのにさ』

 

「本当に助かりました。私自身が喰らっていたらと思うと、戦慄せざるを得ませんよ」

 

アルビレオの身体が次第に薄く、消失していく。情報を読み取った私の顔が歪んだ。

 

「人形のようなものです。コピーというべきでしょうか。おかげで本体の方は被害を免れたようですね」

 

『……なるほどね。端末が魔法を使えなくなっただけってことかな』

 

「そういうことです。残念ですが、この辺りで退却するとしましょう」

 

捨て台詞を残してアルビレオは消え去った。静寂に満ちた会場で球磨川さんは溜息を吐き、やれやれと首を振る。

 

『やられたよ。ここは僕の負けだね』

 

「クウネル選手?いませんかー?部外者の乱入による負傷ですので、治療後に再試合を行いますが」

 

アルビレオを倒せず、しかも球磨川さんの『大嘘憑き(オールフィクション)』の効果を学園の魔法使い達に教えてしまったのだ。とても勝利とは言えない。

 

「クウネル選手はいなくなってしまったようですので、不戦勝により第二試合の勝者は長谷川千雨選手となります!」

 

気持ち悪い笑みを浮かべて会場を後にする私と球磨川さん。しかし、拍手の音は聞こえず、会場内は凍りついたかのように静まり返っていた。

 

 

 

 

 

 

 

控え室へ戻った私は苦虫を噛み潰したように顔を歪めていた。

 

「接触したときに読み取ってみましたが、確かに本人ではなく複製だったようです。もう少し早く気付くべきでした。作製には入念な準備と儀式が必要なようで、明日までにもう一体の人形を作るのは難しそうだというのが唯一の幸いでしょうか」

 

『構わないよ。僕も「大嘘憑き(オールフィクション)」を返してくるつもりだったしね』

 

「返す、ですか……?」

 

何でもない風に言い放った球磨川さんの言葉に、思わず疑問の声が漏れる。

 

『千雨ちゃんには本当の僕を見せなくちゃと思ってさ。これから僕は、はじまりの過負荷(マイナス)を取ってくるよ』

 

「取ってくるって、どこにですか?」

 

『夢の中だよ。ただ、今の彼女は意地悪でさ。一週間くらい掛かると思うから、死体は過去に送っといてね』

 

困ったように笑う球磨川さん。しかし、その顔からはわずかに嬉しさが感じられた。そして、球磨川さんはこちらに巨大なネジを手渡してきた。

 

『だからさ、夢の中に行くために、――千雨ちゃんには僕を殺して欲しいんだ』

 

「え?い、嫌ですよ……!っていうか、どういうことなんですか!?」

 

『お願いだよ。千雨ちゃんにしか頼めないんだ』

 

球磨川さんのお願い。抗弁しようとする気持ちが冷水を浴びせられたかのように沈静化する。……球磨川さんに頼まれたら仕方ない。断ることなんてできるはずもない。躊躇い無くネジを掴んでいる右手を大きく振りかぶった。

 

「さよなら」

 

 

 

 

 

 

 

控え室に多数の足音が近づいてくる。勢いよく開かれた扉から、何人もの教師がこの部屋へとなだれ込んだ。試合のために会場に来ていた高畑先生や葛葉先生の姿もある。そして、その全員の表情が私を見た瞬間に凍りついた。

 

「遅かったな」

 

「こ、これは……」

 

返り血を浴びて血塗れの私と、床に倒れ伏す学ランの男子生徒の姿。うつ伏せに倒れている球磨川さんは、目を見開いたまま事切れている。床には真っ赤な流血で血溜まりができており、むせ返るような鉄の匂いが充満していた。目の眩むような赤い世界。タラリと赤い雫が私の頬を流れ落ちる。この髪もべったりと鮮血が付着しており、帰ったらすぐに風呂に入りたいと頭の片隅で考えていた。

 

「のどを一突き。まったく非道いことしますよね。何の目的でこんな凄惨な殺し方をしたのか理解に苦しみます」

 

両手を大きく左右に広げる、気持ち悪い笑みを浮かべた。右手に握られた巨大なネジが、赤黒い血に濡れて照り返しの鈍い光を放つ。

 

「ああ、勘違いしないでください。私は偶然この控え室にいただけです。試合が終わったんだから当然ですよね。だから――」

 

罪悪感と絶望感、そして得体の知れない高揚感に襲われていた。何だろう、この……まるで自分の親兄弟を殺してしまったかのような言いようの無い感覚は……。心が空っぽになったような満たされたような、躁と鬱が交互に訪れて自分の気持ちが滅茶苦茶にかき回される。

 

いや、これは自殺と言った方が正確であろう。鏡写しの自分に刃を突き立てたような倒錯的な気分。自殺未遂ではなく、自殺を完遂してしまった以上、私はこれまでと同じではいられない。マイナスにならざるを得ない。だから、自然と口を突いて出た言葉に最も驚いたのは私自身だった。

 

 

「――私は悪くない」



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20時間目「格闘戦に付き合え」

球磨川さんの殺害現場を目撃されてから十数分後、私は何事もなかったかのように観客席で試合を観戦していた。詰め掛けた魔法先生達の隙を見て、私は一週間前に死体を転移させたのだ。超が開発した、対象を強制的に時空間移動させる弾丸。その効果である。それによってこの時間軸から消失した球磨川さんの死体。マイナス側だというのは学園にバレただろうが、おかげで証拠不十分で逃げてこられたのだ。

 

「にしても、これは予想外だったな……」

 

第三試合の龍宮vs古菲は、観客達の期待に応えて古菲の勝利であった。続いて行われた第四試合。現在行われている試合だが。その舞台上では、麻帆良でも上位クラスの戦闘者である長瀬が――ボロボロになって倒れていた。

 

「勝者!月詠選手!」

 

まさかこいつが麻帆良に来てるとはな……。修学旅行で敵対していた二刀の剣士。桜咲と同じく神鳴流の使い手であり、その戦闘力は彼女と同等以上である。来訪の目的は仕事か桜咲への復讐か、あるいはその両方。どちらにせよ厄介な敵が増えたことには変わりない。

 

しかし、長瀬もただでやられたわけではなく、舞台上には数々の破壊跡が残されていた。月詠の方も二刀の木刀の内、一本は半ばからへし折れており、肋骨の辺りが陥没させられている。にもかかわらず、痛みなど感じていないかのように、頬を上気させて無邪気に笑う月詠。その異様な光景に観客は声を失っていた。

 

 

 

 

 

 

「それでは気を取り直して!第五試合!桜咲刹那選手vs葛葉刀子選手の試合を始めます!」

 

桜咲と葛葉先生は互いに木刀を構え、対峙している。奇しくも同武術、同流派での対決である。二人の剣士の間に流れるピリピリとした空気に観客までもが強制的に無言にさせられた。

 

「刹那、あなたには何度か麻帆良で稽古を付けたことがありましたね」

 

「はい。未熟な私のために時間を割いて頂き、感謝しています」

 

「いえ、構いません。ですが、それならば分かるでしょう。私に勝てないことも」

 

「さて、それはどうで――」

 

言葉の途中で鼓膜を叩く連続した破裂音。一瞬のうちに二人の位置は入れ替わっており、数合の剣撃が交わされたことを理解する。何でもなかったように会話を続ける二人。意表を突いた奇襲を受けたというのに、葛葉先生の表情は涼しげなままだ。

 

「そんな邪道で私をどうにかできるとでも思ったのですか?だとすれば、ずいぶんと見くびられたものです。そして、見下げ果てました。邪を滅する神鳴流の剣士とは思えない体たらくですよ」

 

「……寂しいものですね、刀子さん」

 

「何がですか?」

 

無表情に返した桜咲の言葉と共に、カツリと葛葉先生の木刀の刀身が、音を立てて床に落ちた。葛葉先生の手元には柄だけが残される。認識すらできずに剣士の魂である刀が折られたのだ。

 

「彼我の力量差すら読み取れないほどに、――あなたと差がついてしまったことにですよ」

 

刀が折れれば負け、というルールはない。しかし、二人の間には厳然たる強さの格付けができてしまっていた。呆然と折れた刀身を見つめる葛葉先生。予備の木刀を構えるも、先ほどよりも剣気が薄れていることは私にさえ見て取れる。

 

「……いつの間にこんな力を手に入れたのですか。どんな修行をすれば、短期間にこれほどの強さを」

 

それに対して桜咲は首を横に振ることで答える。

 

「枷を外したんですよ。全力を尽くしているつもりでも、どこか私は力をセーブしていたのでしょう。人外としての能力は封印して、人間としての能力だけで戦ってきました。それをやめたというだけのことですよ」

 

次の瞬間、桜咲は葛葉先生の目の前へと踏み込んでいた。視認不可能な速度で剣が振るわれる。かろうじて木刀で受けるものの、圧倒的なパワーを前に葛葉先生は堪えきれずに吹き飛ばされた。

 

「ぐうっ……!」

 

「無駄です。技量は同程度でも、パワー、スピード、スタミナ。それらで私の性能(スペック)はあなたを圧倒しています」

 

ピーンボールのように前後左右に会場中を弾き飛ばされる葛葉先生。純粋に生物としての性能が異なっていた。神鳴流は魔を討つために生み出された剣である。逆に言えば、――人間が魔を討つのはそれほどに困難なことなのだ。

 

「斬岩剣!」

 

「しまっ……」

 

埒外の威力が込められた上段からの斬り下ろしによる一撃。それは防御した葛葉先生の木刀を右腕ごと後方に弾き飛ばした。正面ががら空きの無防備な体勢。全力でバックステップするが、それを追いかけるように桜咲の姿も一瞬にしてかき消える。無理な体勢での強引な跳躍は、葛葉先生に致命的な隙を生んだ――ように見えた。

 

「覚悟っ!」

 

――しかし、それは擬態。私の目には葛葉先生に隙など見当たらなかった。数え切れないほどに繰り返された人外との戦闘経験の賜物。桜咲は攻撃を誘われたのだ。

 

「桜咲!その隙は……!」

 

私の声は間に合わない。瞬動による高速機動の弱点。それは発動させたが最後、軌道修正が不可能なことだった。言うなれば撃ち放たれた弾丸のようなもの。桜咲は一筋の閃光となって相手へ向けて真っ直ぐに跳躍してしまっている。

 

「甘いですよ!」

 

いくら速く重い一撃だろうと、軌道の読めた攻撃が通用する相手ではない。瞬時に体勢を整えた葛葉先生は予測軌道地点に剣を合わせた。その結果――

 

「なっ……!?」

 

――斬り落とされたのは葛葉先生の木刀の方だった。

 

直線で向かっていく桜咲の軌道が、わずかにズレたのが見えた。それが葛葉先生の意表を突いたのだ。軌道の先には、剣を振り抜き――背中に純白の翼を広げた桜咲の姿があった。

 

「桜咲選手の背中から翼が生えています!これは一体どういうことなのか!」

 

実況の朝倉の声が響く。現実離れした光景に観客がどよめいた。そんな中、振り返った桜咲は、ゆっくりと無手となった葛葉先生の元へと歩み寄っていく。

 

「その翼……それで軌道を強引に変更したのですね」

 

葛葉先生は諦めたように嘆息する。勝負はついた。しかし、対照的に桜咲の方は冷徹な表情を崩さない。

 

「私の負け、ですか」

 

「ええ、刀子さん。勝負はつきました。しかし、この試合における私の目的は、あなたに勝つことではありません。あなたを戦闘不能にすることです」

 

――神鳴流奥義、百烈桜華斬

 

剣を持たない丸腰の相手に放たれたのは無数の斬撃。数秒後に残されたのは、全身を斬り裂かれて血塗れで倒れる葛葉先生と、返り血に濡れた桜咲だけであった。

 

 

 

 

 

 

 

続いて行われた第六試合。マクダウェルvs高畑の戦いである。マクダウェルは黒のゴスロリ姿、高畑はいつものスーツで向かい合っていた。まるでお姫様のようなドレスの少女が現れるも、桜咲の試合での惨劇に会場の雰囲気はお通夜のようだった。身体中から血を噴き出した葛葉先生の姿はあまりに凄惨なもので、気の弱い生徒などは気を失ってしまう者までいたのだ。だからといって超が中止になどさせるはずもない。何事も無かったかのように滞りなく進行していた。

 

「第六試合……始め!」

 

開始の合図と同時に、マクダウェルと高畑の身体が何かに引っ張られるかのように急激に近付いた。磁石が引き合うかのように互いに衝突する。

 

「これは……糸?」

 

「ご明察」

 

二人の身体が密着し、その全身に絡みつくように無数の糸が巻き付いていく。細い糸が繭を生成する。お互いが重なったまま拘束される。しかし、高畑は溜息を零すのみだ。

 

「ふぅ……エヴァ、どういうつもりかな。まさか零距離ならば勝ち目があるとでも?」

 

「いいや、そこまで私もプラス思考ではないさ」

 

気も魔法も使えない封印状態。たとえマクダウェルが全力で金的を喰らわせたとしても、高畑は何の痛痒も感じないに違いない。関節技で骨を折ることもできないだろう。それほどに二人の間には埋められない力の差があった。

 

「貴様の強さは認めている。だからこそ――ここでリタイアしてもらうぞ」

 

マクダウェルはヒラヒラのドレス姿の死角に隠して、銃弾を高畑に押し付けた。ニヤリと陰惨な笑みを浮かべる。その不吉な気配に気付いた高畑は本能的に自身の危機を直感した。

 

「うおぉおおおおおお!」

 

二人を中心に球状の異空間が形成される。転移の兆候だ。これこそが超の開発した対魔法使い用の切り札。

 

――強制時間跳躍弾

 

世界樹の魔力の満ちる学園祭期間しか使用できないが、その効果は絶大。これこそが高畑を無効化するマクダウェルの策だった。相討ち狙い。共に二日後へと時間移動することで、学園祭最終日における学園トップクラスの戦闘者の介入を阻止しようとしたのだ。しかし――

 

「チッ……まさか、あのタイミングで逃れるとはな」

 

いつの間にか、二人は舞台の隅に移動していた。互いを拘束していたはずの糸は、あっさりと千切られてしまっている。

 

「そう簡単には千切れない特殊繊維の糸だったなのだがな。貴様相手ではタコ糸も同然か」

 

「今のは転移魔方陣を埋め込んだ魔法具かい?確かに重火器は禁止だけど、魔法具の使用について特に禁止はなかったか。お互いに場外(リングアウト)で負けようって算段かな」

 

「残念ながらまともに戦っても勝ち目はないのでな」

 

実際には空間移動ではなく時間移動なのだが、もちろん高畑に分かるはずもない。強制時間跳躍弾の秘密がバレなかったことだけが救いだろう。しかし、もはやマクダウェルに打つ手はない。諦めたように溜息を吐くと、手元に鉄扇を取り出して構えをとった。

 

「おい、格闘戦に付き合え。もはや貴様の勝利は揺るがないだろうが、せめて武道大会に相応しい決着にしたいのでな」

 

「わかったよ」

 

そう言って高畑は両手をポケットから抜き、左足を前に出して半身に構えた。武道に関しては互いに達人級。数メートルの距離を置いて鋭い視線で見詰め合う。そして、私はマクダウェルの意図を悟った。舞台上で少女の口元が三日月状に歪む。

 

「ククッ……やはり貴様の目には、私がただの少女に映っているようだ。真祖の吸血鬼と目を合わせることの意味を忘れたと見える」

 

「……っ!しまった……幻想空間に引きずり込まれ……!?」

 

「学園祭二日目ともなれば、私の魔力も少しは回復していてな。これは魔法なしでの解呪は不可能だ。唯一、幻想空間内で私を倒す以外にはな」

 

驚愕に目を見開く高畑だが、もう遅い。ガクリと糸が切れたかのように高畑の身体から力が抜け落ちた。同時にマクダウェルも意識を失い、その場に立ち尽くす。二人の戦闘は幻想空間内に移行したのだ。しかし、勝敗が決まるのにそれほどの時間は掛からなかった。

 

 

 

「…9…10!勝者、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル選手!」

 

朝倉のアナウンスが終わると、意識を取り戻した高畑がむくりと身体を起こした。頭を振って意識をはっきりさせる。

 

「ぐっ…うぅ……」

 

「起きたか。礼を言っておくぞ。全力状態での戦闘はひさしぶりだったが、おかげでブランクはだいぶ埋められた」

 

「……エヴァ、君はどうして球磨川禊に付いたんだ?」

 

「ナギに会うためだ。生きていることが分かった以上、こんなところで時間を潰していることなどできんよ。私と違って、奴には寿命があるのだから」

 

そして、興味無さそうにつぶやく。

 

「ま、球磨川禊の方は死んだわけだが」

 

「そ、そうだ!球磨川禊!長谷川くんはなぜ彼を殺したんだ!?」

 

「さてな、理由など何でもいいだろう。腹が減ったからだとか、何となくイラつくだとか。私にも分からんよ。なにせ、理解不能もマイナスの一要素なのだから」

 

そう言ってマクダウェルは誤魔化した。

 

――球磨川さんの死

 

それを学園側に知らしめることこそが、学園祭二日目における球磨川さんの目的なのだ。どうやら他にも死ぬ理由があったようだが、ここまでは計画通り。これで肝心の最終日には球磨川さんへの警戒が緩むだろう。死体は空間転移で隠したかのように見せたし、もはや武道会での私達の仕事は半ば終わったようなものだ。

 

しかし、私にとっては予想外だったが、すべての生徒会役員の二回戦進出を果たしている。第八試合で高音さんが神楽坂に敗れてしまったのは残念だが、思いっきり派手な魔法戦を繰り広げてくれたので良しとしよう。ほぼ目的を達したとはいえ、明日の選挙戦のためにやるべきことはまだあるのだ。

 

 

――こうして、まほら武道会二回戦の幕が上がる。



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21時間目「ギブアップしてください」

――まほら武道会二回戦。その直前、控え室で私とネギは準備を整えていた。とはいえ、私もネギも準備するのは自身の着替えくらいなので、係員に呼び出されるのを待っている状況である。私はゆったりと椅子に座りながらネットサーフィンを楽しんでいた。しかし、なぜか試合前とはいえ、ネギの表情が固い。青白い顔で掌を握ったり閉じたりと落ち着かない様子だ。

 

「あ、あの!千雨さん!ちょっと聞きたいことが……!」

 

意を決したようにこちらへ振り向いたネギは、迷ったように口を開く。

 

「他の先生に聞いたんです……千雨さんが…あの……人を殺したって」

 

「はぁ?え、何だよそれは……?」

 

今にも泣き出しそうな顔で見つめるネギに、私は意味が分からないという風に肩を竦めてみせた。予想外の私の反応に、ネギの表情は驚いた形のまま固まってしまった。

 

「おいおい、何言ってんだよ。どうして私が人を殺さなきゃならねーんだ。ってか、誰を殺したことになってんだよ」

 

「え、だって……さっきガンドルフィーニ先生が…球磨川さんが千雨さんに殺されたって……」

 

「する訳ねーだろ!ったく、デマに踊らされやがって。球磨川さんをどうして私が殺すんだよ!死体でも見たのか?さっき球磨川さんとは電話で話したところだぜ」

 

もちろん嘘だ。だが、こいつの性格からして私が潔白を訴えれば、こちらの方を信じるだろう。それに、今の時間軸では実際に生きている訳だし。

 

「そ、そうですか。安心しました。でも、どうして先生方はそんな嘘を……」

 

「信じてくれて嬉しいぜ。たぶん、教師連中は私達が選挙に勝つのが嫌なんだろうよ。だから、くだらない風評をばら撒いているんだ」

 

選挙という言葉に困惑の表情を浮かべるネギ。どうやら選挙について詳しく知らされていないようだ。いや、この学校間の総選挙の規則など教師ですらほとんど知らないだろう。

 

「この麻帆良学園都市には、ひとつの独特な規則があってな。それは、他校の生徒会執行部の乗っ取れるというものなんだ。敵対者が侵入してきたときに対応するための、魔法学園らしい規則だろ?その規則を利用して、私達の生徒会は麻帆良のすべての学校のトップに立とうとしている。それが気に入らないんだろ」

 

「そ、そんな……駄目ですよ!千雨さんの方が悪いです!」

 

「この麻帆良学園をよりよくするためには、改革が必要なんだよ。『麻帆良の最強頭脳』たる超が考案した計画。それを実現させたいんだ」

 

「超さんが……?」

 

真剣な表情で説得する私の言葉を受けて、ネギは驚いたように目を見開いた。視線がわずかにブレ、逡巡しているのが分かる。どちらが正しいのか決めかねているのだろう。

 

「ほら、もう試合の時間だ。行こうぜ」

 

「ちょっと待ってください。まだ聞きたいことが……」

 

「試合が終わったらな」

 

まだまだ聞き足りないといった風に詰め寄るネギをはぐらかし、私は会場へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

「まほら武道会第二回戦!ネギ・スプリングフィールド選手対長谷川千雨選手!奇しくも師弟対決となったぁあああ!と言いたいところですが、一回戦突破したベスト8に女子本校の生徒が五人!しかもその全員が2-A!一体どういうクラスなんだぁあああ!って、私も2-Aの生徒ですが。そんな訳で第二試合、開始します!」

 

互いに前の試合での負傷の影響はなく、万全の体調。しかし、開始の合図と共に私は、あえて正面からネギへと襲い掛かった。最短距離を駆け寄り、手の中に出現させた鍵を振り上げる。無防備な脳天を叩き割るつもりで力を込めた私だったが――

 

「がはあっ」

 

――一瞬にして無様に地面へと叩きつけられた。

 

感覚としては、まるで巨大なベッドに押し潰されたかのような圧倒的な重圧だった。ゴキリと骨の砕ける音が体内で響き渡る。今の私の姿は床の上に磔にされた、潰れた蛙のような惨状だろう。チッ……いまので肋骨が数本へし折れたか……。

 

――これが重力魔法。

 

想像を遥かに超えた威力だった。しかも、これでも手加減をしているのだろう。観客から感嘆の息が漏れる。しかし、あまりにも呆気なく倒れた私の姿に、最も驚いているのは魔法を放った当のネギ本人であった。おろおろと困惑したように視線を泳がせている。

 

「え?ち、千雨さん……?」

 

どうもこいつは、私のことを実力者だと勘違いしていた節があるからな。魔法障壁どころか気での強化すらしていないとは思っていなかったのだろう。小手調べのつもりで撃った重力魔法で、ここまでの重傷を負うとは予想外だったに違いない。しかし、その過大評価は私にとっては好都合だ。

 

「すみません!丈夫ですか!?」

 

「なに言ってんだ?大丈夫に決まってんだろーが」

 

何事も無かったかのように立ち上がる私の姿に、ネギはほっと安心したような表情を浮かべた。動くたびに折れた肋骨から走る痺れるような激痛。それを無視して、軽く嘆息して肩を竦めて見せた。

 

「どんなもんかと思ってわざと受けてみたが……。このくらいで倒せると思われちゃ心外だぜ」

 

制服に隠れて見えないが、先ほどの攻撃で私の胸の辺りは大きく陥没していた。だが、痛みなんてマイナスにとっては日常のように慣れたもの。余裕ぶった笑みを浮かべながら、再びネギへと向かって走り出した。その瞬間、ネギから受ける敵意が一気に膨れ上がった。

 

「甘いぜっ!」

 

反射的に右へ跳躍する。直後、先ほどまで私のいた場所が圧壊し、押し潰された。それを視界の端に捉えながら疾走する。回避されたことに驚きの表情を浮かべるネギだったが、すぐにその口元が引き締められた。

 

「だったら魔法の射手だ!」

 

連続して放たれる光線。これは攻撃魔法の基礎である魔法の射手。連続して無詠唱で飛んでくるそれらを、私はタイミングを計って左右に身体を揺らすことで回避する。発射の瞬間さえ分かれば、直線的に向かってくるだけの攻撃を避けるのは容易い。懐に潜り込み、そのまま手にした鍵を振り下ろした。

 

「おらあっ!」

 

「ぐっ……」

 

巨大な鍵をネギの顔面に叩きつける。わずかにのけぞった隙に追撃を仕掛けるため、足を踏み出そうとするが――

 

「おっと、危ない」

 

攻撃の気配を感じてその場を飛び退く。その直後、またしても過重力によって空間が潰れてしまうのが見えた。全力でネギの周りを回るように走り出す。激しい歓声が耳に届いた。朝倉の実況がエキサイトし始める。予想外の激戦に観客達も熱狂したように騒ぎ出した。

 

「おおっと!ネギ選手対長谷川選手!打って変わって白熱の試合展開に突入したぁああああああ!」

 

会場内を光線と重力魔法が吹き荒れる。それを掻い潜ってネギに打撃を加える私。暴風域に足を踏み入れた私に襲い掛かる嵐を紙一重で避けていく。幾度目になるだろうか。暴風圏内に潜り込んだ私はネギの額に勢いよく鍵の先端を突き立てた。

 

「喰らえっ!」

 

全力の突きで頭が後方へ跳ね飛ばされる。反撃を警戒して再びバックステップで距離を取った。ネギの表情が歪む。しかし、それは衝撃や苦痛によるものではなかった。悲しそうな瞳、曇った表情がこちらへ向けられる。

 

「千雨さん……あなたは…」

 

――ネギは無傷だった。

 

何の痛痒も感じていないといった表情だ。度重なる打撃を受けたにもかかわらず、その顔にはわずかな打撲跡すらない。一見すると熱戦だったが、その実、こちらの攻撃は一切届いていなかったのだ。魔法使いが常時展開している魔法障壁、それをたった一撃ですら超えることができていない。全くの徒労。ノーダメージ。これは、私に勝ち目など存在していないことを知ったゆえの、ネギの哀れみの表情だった。

 

「はぁ…はぁ……おいおい、どうした?休憩かよ。ガキは体力が無くてかわいそうだな」

 

一方、満身創痍の私は足元をふらつかせながらも、不敵な笑みを浮かべて強がりの言葉を吐いた。タイミングを計って紙一重で回避。しかし、私の体力ではこの激しい魔法の渦を掻い潜り続けるのは至難であった。わずかずつ当たり始めた魔法の雨によって、私の身体はダメージを蓄積させていく。いまや、制服はボロボロに破け、全身から無事な箇所を探す方が難しい有様である。激戦に酔っていた観客達も、ようやく彼我の戦力差に気付いたようだった。会場が一気に静まり返る。

 

「千雨さん。もう勝負は着きました。ギブアップしてください」

 

「なに言ってんだ?ずいぶんと余裕だな。まだまだこれからじゃねーか」

 

圧倒的に優位な状況で生徒を傷つけることに罪悪感を覚えたのだろう。泣きそうな顔で懇願するネギだったが、それに私は鍵を両手で握り締めることで返答する。会場内も私に対して同情的な空気が漂い出していた。だけど、まだまだ、こんなもんじゃ足りない。

 

「あんたは逆の立場だったら、ギブアップするのかよ?」

 

「……そうですね。わかりました。ごめんなさい、千雨さん。次で終わりにします」

 

意を決したように顔を上げ、まっすぐな瞳でこちらを見つめるネギ。それに対応して数え切れないほどに繰り返した突撃をもう一度仕掛ける。この試合、私を知る人間は驚くだろうが、あえて正面からの戦闘に終始していた。最後の突撃も例に漏れず、奇をてらうことなく真っ直ぐに駆け抜ける。ネギから発せられる気配が変質するのを感じた。反射的に左にステップした。しかし、疲労で鉛のように重くなった身体はもはや言うことを利いてくれない。

 

「があっ!?」

 

右腕の関節がゴキリと鈍い音を立ててへし折れる。右腕が強烈な重力魔法に飲み込まれた。が、それを意識の上では無視すると、握っていた鍵を左手一本で支えなおす。一切の躊躇すらなく走り続ける私の姿に、ネギの顔に動揺が浮かぶのが見えた。

 

――その隙を、私は見逃さない

 

虚を突く形でネギとの距離を瞬時に詰めると、目の前のネギの身体に向かって左手を叩きつけた。魔法障壁で身を守っているネギは悲しそうな瞳でそれを眺めている。しかし、その表情は障壁が呆気なく割られたことで、固まったように凍りつく。

 

「え?」

 

「これだけ接触しといて、――魔法障壁の弱点くらい見抜けないとでも思ったか?」

 

ガラスのように割れた魔法障壁。守りを失って無防備となったネギの身体に、返す刀で追撃を掛けた。もはや無詠唱であろうが間に合わないタイミング。しかし――

 

「解放(エーミッタム)」

 

――私の全身を数条の閃光が貫いた。

 

カウンターで魔法の射手を受けた身体は、意志とは無関係に崩れ落ちようとする。それを震える膝を必死に押さえながら、どうにか倒れるのだけは防いだ。しかし、戦闘不能であることは自分自身で感じていた。

 

「――遅延魔法です。まさか使うことになるとは思っていませんでしたが」

 

「チッ……油断はしてなかったってことかよ」

 

「やっぱり千雨さんはすごいです。だから、いまの僕が無詠唱で使える最大の魔法で決着させてもらいます」

 

そう言ってネギは目を閉じて精神を集中させる。その隙を突くだけの力は残っていなかった。甘んじて受け入れるしかない。ギブアップする必要も無い。なぜなら、これこそが私の望むところだからだ。

 

「やれよ」

 

ツカツカと歩み寄ってくるその姿を眺めながら、気持ち悪い笑みが浮かぶのを抑え切れなかった。ネギの掌が胸に添えられる。

 

「――白き雷」

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ますと、そこは見慣れない天井。保健室のベッドの上だった。すでに陽が落ちたのか、辺りは暗闇に包まれている。私は薄暗い室内で上体を起こした。引き攣るような痛みを感じ、すぐにベッドへと再び倒れこむ。

 

「無理はしないことね」

 

聞こえてきた声に驚き、部屋の隅へと視線を向ける。同時に部屋の明かりが点いた。そこには赤色のナース服を着た高校生くらいの女性の姿があった。

 

「右腕と肋骨の粉砕骨折、右の鎖骨にもひび、両足のふくらはぎの肉離れ、それに全身打撲。魔法による治療でも動けるまでに四、五日は掛かるそうよ。本当に魔法ってすごいわね。普通なら最低でも一ヶ月は入院するコースのはずよ」

 

無表情で淡々と話すその女性とはまぎれもなく初対面だ。しかし、私は彼女のことを知っている。朝倉のおかげで万事計画通りだ。

 

「赤青黄さん、ですね?」

 

「ええ、私のことは知っているようね。箱庭学園二年十一組、赤青黄よ。よろしくね」

 

悪平等(ノットイコール)であり、さらに能力所有者(スキルホルダー)でもある彼女。その特徴は異常に長く伸びた右手の五本の爪である。朝倉が探し出した彼女こそが、世界中でも数少ないレアなスキルホルダー、治療系能力者なのだ。

 

「朝倉ちゃんはこの地域の能力所有者(スキルホルダー)の名簿を独力で作っていてね。それで私のところを訪ねてきたのよ。ま、彼女に貸しを作っておくのも悪くないと思ってね」

 

「助かります。何かあれば私も手伝いますよ」

 

「気持ちだけ受け取っておくわ。過負荷(マイナス)に手伝われるなんて、まさにマイナスにしかならないから」

 

「そうですか。では、治療をお願いしていいですか?」

 

「ええ、私も明日は学校があるからね。早く終わらせましょうか。安心院さんの使命があるから、学校は休めないのよ」

 

そう言って赤先輩は右手を前に構えた。その長く伸びた爪でカリッと私の腕を引っ掻く。これが彼女が借り受けた『病を操るスキル』――『五本の病爪(ファイブフォーカス)』。それを応用することであらゆる怪我を治すことが可能なのだ。

 

「さて、これであなたの怪我は完治したはずよ。どうかしら、痛みはない?」

 

「……すごいですね。魔法ですら完治できなかった怪我を一瞬で――」

 

腕を動かしてみるが、何の痛みも感じない。骨折が完全に治っていた。思わず感嘆の声が漏れる。やはり異常性(アブノーマル)や過負荷(マイナス)などのスキルの効力は魔法に全く劣るものではない。用事は済んだとばかりに無表情で去っていく赤先輩を見送りながら、私は満足して笑みを浮かべていた。

 

「赤先輩、ありがとうございました」

 

ふと隣の机を見ると、まほら武道会のトーナメント表が置かれていた。誰かが置いていってくれたのか。優勝者の欄に『ネギ・スプリングフィールド』と記されている。超の計画としては理想的な結末だろう。私が無理に勝ちに行かなかった甲斐があったようだ。今回、生徒会役員が全員でまほら武道会に参加した理由。それは――

 

――私達が壊滅する様を見せるためだった。

 

一番の目的は衆目の前で球磨川さんを死なせること。次は私たちが一日二日では再起不能の大怪我を負うこと。三番目が超の計画を順調に進めること。学園側の魔法先生に手傷を負わせることなんてのは、正直に言えばついでに過ぎなかった。その意味では今日のところは十分な成果だと言える。

 

「学園側はこう考えているはずだ。球磨川さんは死亡。生徒会長である私も深手を負っている。過負荷(マイナス)の脅威は半減している、ってな」

 

そんなことをつぶやきながら、私は携帯電話を取り出して番号を押していく。だとすれば、もしも他の脅威が現れれば、私達への対応は手薄になるはずだ。しばらくの間コール音が鳴り響き、留守番電話へと切り替わる。気持ち悪い笑みを浮かべながら、私は電話先に向かって口を開いた。

 

「もしもし、学園長ですか?長谷川千雨です。実は超鈴音が企てている計画について話そうかと思いまして……」

 

――超には強力な囮になってもらうとしよう。

 



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22時間目「私達のマニフェストを」

「皆様、はじめまして。長谷川千雨です。私は麻帆良学園本校中等部、生徒会長を務めています。これより麻帆良総選挙の所信表明を行いたいと思います」

 

これは、麻帆良全域において放送されている映像である。本日は麻帆良総選挙の本番当日。学園の命運を掛けた決戦の始まりだった。しかし、そんなことは露も知らず、生徒達はお祭りの一つといった風な気楽な表情でこの放送を眺めていた。麻帆良のあらゆるテレビやPCの画面上に映される中、私は淡々と言葉を紡いでいく。

 

「本来でしたら、今日の昼過ぎに演説をさせていただく予定だったのですけどね。このように強制的に麻帆良中のディスプレイをジャックすることにしました。なぜかと言うと、演説会場へ行けば私達を嫌う先生方によって止められてしまうことが予想されるからです。ひどい話ですね。旧体制に固執する悪しき大人たちは、改革に燃える善良なる生徒を捕まえようとしているのですから」

 

両腕を左右に広げ、首を竦めて見せた。顔色ひとつ変えずに続ける。

 

「それでは、私達のマニフェストを発表します」

 

そして、一拍置いて声を発した。公約の発表。しかし、それはあまりにも醜悪で理解不能のものである。ただし、それを知らない生徒達の表情は楽しげだ。十数秒後の光景を想像して内心でほくそ笑む。

 

「授業及び部活動の廃止」

 

「直立二足歩行の禁止」

 

「生徒間における会話の防止」

 

「衣服着用の厳罰化」

 

「手及び食器等を用いる飲食の取り締まり」

 

「不順異性交遊の努力義務化」

 

「奉仕活動の無理強い」

 

「永久留年制度の試験的導入」

 

 

「以上八点の実現をここに宣言します。みなさん、ご協力お願いします」

 

あまりにもマイナス。私が改めて視線を周囲に動かすと、会場中が凍り付いていた。得体の知れない生き物に出会ってしまったかのように、彼女らの全身を戦慄が襲っていた。気持ちの悪い笑みを浮かべる私を呆然と立ち尽くしたまま、怯えた表情で顔を引き攣らせている。しかし、私はそれを眺めながらカメラへと視線を向ける。ハッキングによって麻帆良のすべての画面に映し出されたこれらの映像は流れている。お祭り気分で眺めていた生徒達の心が絶望と危機感に塗れるのを感じていた。

 

「こちらのホームページをご覧ください。麻帆良に在籍する全校生徒の名簿です。そうですね……まず、適当に誰かの名前をクリックしてみましょう」

 

背後にある講堂の壁にPC画面が映し出される。放映される映像にも、指定のアドレスと私の操作しているディスプレイの画面が同様に示されていた。そこには生徒の学校名と学年、名前の羅列されたリスト。そこから、無作為に一人の生徒をクリックした。すると、生徒手帳に張られるような写真と共に短い文章が示される。

 

「へえ、真面目そうな顔して悪い女だね。万引き経験があるのか」

 

さらにクリックすると、防犯カメラらしき映像が流れ出した。女子中学生の万引きする決定的な瞬間。黒い目線が入れられているが、この映像が本人のものであることは自明である。これがネットに流れれば終わりだ。当事者である少女は自殺するほどの絶望を覚えたことだろう。

 

「じゃあ、もう一人だけ見てみますね」

 

次に名前をクリックすると、彼氏らしき男と裸で抱き合っている女子高生の盗撮画像が現れた。同じく目元と局部は隠されていたが、名前を示された当人であることは明らか。先ほどの得体の知れない恐怖とは別物。この脅迫は具体的な戦慄を生徒全員に与えていた。

 

ちなみに、今の映像や画像は全て合成写真である。昔の防犯カメラの映像なんて残っていないし、裸の写真なんて盗撮されていない。しかし、それでも本人が気付くことはない。なぜなら、これは彼女達自身の弱味の記憶を映像化したものであり、事実との齟齬は脳内で勝手に修正してくれるからだ。バレたら終わるという恐怖の前では理性的な判断などできはしない。ここで私は口調を普段通りに戻し、挑むように周囲を睨みつけた。

 

「私達に投票しろ。そうすれば、てめーらの秘密は公表しないでやるよ。麻帆良本校女子中等部、本校男子高等部、ウルスラ女学院。この三つの投票所で私達に投票した奴らだけを助けてやる。それ以外は敵だ。私達に敵対するというのなら、全世界にこれらの映像を流すことになるからな」

 

そう言って私は言葉を終えた。学園中が重く暗い沈黙に押し潰される。もはや悪意を隠すことのなくなった目の前の少女に対して、怯えを堪えた瞳のまま硬直する。強烈なマイナス性を受け、極寒の地に裸で放り出されたかのような震えが襲っていた。しかし、その沈黙は突如現れた乱入者によって破られる。

 

「そんなことはさせないっ!」

 

群衆が一斉に振り向いた。その声の主を探し当てると、途端にざわざわと声が零れ出す。演説を見守る聴衆の上。空中に発生した魔法陣の上に人影があった。そこにいるのは瀬流彦である。手に持った杖をこちらへ向け、大声で宣言する。

 

「君達の悪行はここまでだ!僕達、魔法使いがそんな計画は止めてやる!」

 

「やってみろよ、瀬流彦先生」

 

「言われなくとも!」

 

魔法陣の上に立ったまま、その場で十条ほどの光線が私に向けて放たれた。魔法の射手だ。しかし、それを横に跳ぶことで回避する。外れるのを確認した瀬流彦は再び詠唱を始めた。当然と言うべきか、私が対応することの出来る地上に降りることは無さそうだ。

 

「君に近付くことの危険性は、僕が一番知っている!」

 

空中に留まり、強力な魔法を放とうとする瀬流彦。一方的に空中から攻め滅ぼすつもりか。だが、その目論見は呆気なく破られた。彼の横を純白の閃光が通り抜けた直後、瀬流彦の身体は肩口から腰に掛けて斬られていた。胴体から鮮血が勢いよく噴き出す。

 

「がはっ!?」

 

「忘れたのか?空は誰のフィールドなのかをさ」

 

瀬流彦のすぐ背後には――刀を振りぬいた姿勢の桜咲の姿があった。

 

その背中には純白の翼が輝いている。しかし、その神々しい翼とは対照的に、桜咲の表情は鋭く、憎々しげに歪んでいた。吐き捨てるようにつぶやく。

 

「千雨さんに手を出すなど。殺されなかっただけありがたいと思ってください」

 

足場の魔法陣が消失したことで、瀬流彦は空中から血飛沫を撒き散らしながら落下する。ドサリと鈍い音を立てて地面へと墜落した。血飛沫が飛び、押し殺したような悲鳴が周囲に木霊する。そこへ返り血に塗れた桜咲が静かに降り立った。動かない瀬流彦の襟元を掴み上げると、私の足元へと放り投げる。ゴミのように投げつけられたそれを見下ろすと、かろうじて息はあるようだった。視線だけをこちらへ向けながら、途切れ途切れに小さく口を動かす。

 

「あ…ありが…とうござい…ます」

 

「ご苦労」

 

これで瀬流彦はマイナス側ではないと万人に示せたことだろう。元々この教師はマイナスではないからな。弱味を握ることで協力させてきたが、さすがに魔法界や学園の存亡を掛けた戦いの立役者にはなりたくないそうだ。そのために考案されたのが、この茶番である。学園側に寝返られるくらいならば、こうして無力化することで中立にした方がいい。本人としても汚名を被るよりは全然マシらしい。

 

「さて、私達に逆らった者の末路は彼がわかりやすく示せたと思う。それじゃあ、これにて演説を終わらせてもらう。私達に投票しなかった奴はどうなるかは分かってくれただろうからな。賢明な判断を期待するぜ」

 

そう言うと、私は踵を返してカメラの前から姿を消した。その場に残ったのは、恐怖と不安に震える生徒達だけであった。一切の声も漏れない、押し潰されるような重苦しい沈黙に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

麻帆良女子中の校内へと這入った私の耳に、パチパチと乾いた拍手の音が届く。振り向くと、そこには超が物陰に隠れるようにして立っていた。

 

「お疲れ様アル。面白い演説だったヨ」

 

「……超か」

 

「見事な演出だったネ。醜悪すぎる演説に卑怯な脅迫、凄惨な暴力。不安感を煽ってから、最後に救いの手を差し伸べている点も良いネ。自分達に投票すれば助けるト。考えたものネ。これで麻帆良の全生徒はマイナスを心の中に叩き込まれたはずヨ。なるほど、確かにアナタは球磨川禊の後継者のようネ」

 

感心した風に頷く超だが、それは買いかぶりすぎだ。

 

「いいや、球磨川さんにはこんな演出は必要ない。そんな小細工をしなくとも、言葉と雰囲気だけで観客全員にマイナスを伝えられたはずだぜ。存在そのものが『負完全』な球磨川さんは、正対しただけでそのマイナス性を強制的に納得させられたはずなんだから」

 

一目見ただけで寒気を覚えるほどの負の塊。おそらく演説をしただけで恐怖と絶望を覚えたことだろう。なぜ球磨川さんではなく、私が演説を行ったかと言うと、今回の戦いは麻帆良女子中生徒会が中心となるからだ。この戦いには球磨川さんが参戦していない。結局、この選挙は私達の生徒会が統括することになっていた。その事実に私は内心では不安を感じていた。やはり私はリーダーという柄ではない。生徒会長になったのは、あくまで球磨川さんの力になるためだ。球磨川さんの野望の懸かった総選挙をリーダーとして率いることのできる器ではない。

 

そんなマイナス思考を振り払って超の方へと視線を戻す。

 

「それにしても、私のところに来る余裕なんてあるのか?学園側からマークされてるだろーに」

 

「おかげさまでネ。こちらの計画をバラすとは、やってくれたヨ」

 

責めるような口調に私は肩を竦めて見せることで答えた。それを見て超も笑みを浮かべる。やれやれと呆れたように息を吐いた。

 

「ま、予想はしていたヨ。過負荷(マイナス)と組めばこうなるということくらいはネ。これで千雨サンとは関係が切れたと思えば安いものヨ」

 

「こっからはお互い別勢力だ。学園を打倒できるよう頑張ろうぜ」

 

 

 

「――そうはさせない。超鈴音、長谷川千雨」

 

その声に振り向いた私と超。視界に映ったのは銃をこちらへ向けているスーツ姿の黒人の男だった。銃口から銃弾が放たれる。いや、銃弾の代わりに撃ち出されたのは水球だった。魔法による攻撃。それを直感した瞬間には、すでに超にその水球が直撃し、爆音と共に破裂していた。

 

「超っ!」

 

爆発によって生じた水飛沫で視界が塞がれる。高威力の攻撃魔法。まともに喰らえば超といえどただでは済まないだろう。しかし、まともに喰らっていないことも分かっていた。だが、あえて切羽詰った風を装って、超のいた方向へ向かって大声で叫ぶ。

 

「悪いが手段を選んでいられる状況ではないのでね。あとは君だけだ。長谷川千雨さん」

 

「……ガンドルフィーニ先生」

 

不意打ちを仕掛けてきたのは、魔法先生の一人であるガンドルフィーニ先生だった。今の魔法攻撃を見ても分かるように、戦闘用の魔法使いである。敵意の込められた瞳でこちらを睨みつけていた。片手に拳銃、もう片手に日本刀を携えており、そのまま私の方へと足を進める。再びこちらへ銃口を向け、引き金を引こうとした瞬間――

 

「ずいぶんと強力な魔法ネ。だけど、――時を越えるほどじゃないヨ」

 

「なっ!?」

 

すぐ隣に出現していた超から発せられた声に、驚愕の表情を浮かべるガンドルフィーニ。手甲に覆われた拳が、彼の脇腹へと突き刺さっていた。中国拳法による突き。苦悶の声を上げて殴り飛ばされる男。それを眺めながら、超は軽く嘆息した。

 

「いやはや、さすがは戦闘用の魔法使いネ。思いのほか硬い魔法障壁みたいヨ」

 

「ぐっ…超鈴音……い、今のは何だ!?」

 

「さてね、転移魔法なんて安い技術じゃないことは確かヨ」

 

「君を相手にするには、こちらも全力を尽くさなければならないようだね」

 

苦々しげな表情を浮かべるガンドルフィーニに対し、超の方はニヤニヤと不敵な笑みを崩さない。未知の技術に対して最大限の警戒を行いながら、銃と剣を攻撃的に構える。

 

「一つ聞きたい。君達が魔法の存在を世界にバラそうとしているというのは、事実かい?」

 

「それは嘘だ、と答えたら手を引いてくれるのカナ?」

 

「少なくとも学園祭最終日の今日は身柄を拘束させてもらう」

 

「それなら正直に話しても同じカ。そうネ、私達は世界樹の大発光に合わせて、全世界に強制認識魔法を掛けるつもりヨ」

 

その言葉にガンドルフィーニの顔が苦々しく歪んだ。ギリッと唇を噛み締めると、武器を握っている腕に力を込めた。

 

「やはり君は野放しにしておけない。ここで拘束させてもらう」

 

「フフッ……使命感に燃えるのは結構だけどネ。ひとつ、忠告させてもらうヨ」

 

小さく笑みを浮かべる超を前に、わずかにガンドルフィーニの顔から困惑の感情が漏れる。

 

「先生との面談は楽しかったけどネ。私に集中しすぎヨ。何が言いたいかというと――」

 

超はおかしそうに笑った。

 

 

「――隙だらけネ」

 

 

――ガラスの割れるような音が響いた。

 

「なっ!?」

 

一瞬遅れて振り向いたガンドルフィーニの視界に映ったのは、巨大な鍵を振り下ろした私の姿だった。

 

「魔法障壁の弱点を突かせてもらったぜ」

 

「長谷川……千雨!」

 

魔法使いの命綱ともいえる魔法障壁。その障壁を破壊された今の彼は無防備だった。しかし、それでも戦闘力においては私よりも上位者であることは間違いない。さすがは歴戦の魔法使い。恐るべき速度で、反射的にこちらへと銃口を向ける。しかし、それが発砲されることはなかった。

 

「隙を見せちゃダメと忠告したはずネ」

 

コマ送りでもしたかのように、一瞬にして空間を移動してきた超の拳が男に突き刺さっていた。

 

――馬蹄崩拳

 

魔法障壁の消えた無防備な胴体への強烈な一撃。それは正確に内臓の急所を捉えた。気で強化された拳を生身の魔法使いが耐えられる道理はない。追加効果として、手甲に装備されたスタンガンの高圧電流が全身を駆け巡る。今度こそ完全にガンドルフィーニは沈黙せざるを得なかった。

 

マイナスの基本戦術は奇襲である。マイナス同士の連携とは、つまり相手の虚を突くことなのだ。

 

「じゃあ私は選挙会場に戻るから」

 

「そうネ。こっちも計画に戻るとするカナ」

 

高圧電流を浴び、肉の焦げた臭いのする人体。それを軽く蹴っ飛ばしながら、私達は別れの挨拶を交わした。ここからは別行動だが、互いに魔法使いからの防衛戦に移行するはずだ。私達は指定した選挙会場を、超は儀式に必要な世界樹周辺を――

 

 

 

演説で私は麻帆良女子中、麻帆良男子高、聖ウルスラで投票した生徒を見逃すと発言している。しかし、もしも指定の投票所で投票ができなければ、誰も救済をすることができなくなってしまう。救済されるという希望がなければ、飴と鞭が機能しなくなる。鞭だけの恐怖政治で選挙に勝つのは私には不可能だ。だからこそ、指定した選挙会場だけは守りぬかなければならない。それこそが、私達の選挙での勝利に結びつくはずだ。

 

ここからが本当の戦い。長い一日が始まる。

 



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23時間目「斬り殺す方がもっと」

投票開始から数時間が経過して、ただいまの選挙会場はガラガラの状態だった。重苦しく嫌な沈黙が投票所に流れている。そんな女子中等部の体育館を覗きながら、私と朝倉は予定通りといった風に頷いた。

 

「今のところ、この投票所を訪れた生徒は皆無だよ。ま、それも当然だね。あんな派手で醜悪なパフォーマンスをやったんだし。どんな馬鹿な生徒でも、たとえ小学生でさえ、私達に投票することの危険性は理解させられたはずだよ」

 

「つっても、時間の問題だぜ。秘密を握られている以上、最終的にはこちらに投票せざるを得ないんだからな」

 

「そうだね。だから、これは時間が問題なんだよ。選挙演説を観た連中は、わずかな希望を待っているだけ。つまりは――」

 

私の口元が歪み、気持ち悪い笑みが顔に浮かぶ。

 

「私達が誰かに潰されるのを待っている」

 

放送中に私達に攻撃を仕掛けてきた連中。魔法使いに期待しているのだ。それゆえの静観。それが、私達に投票する決断もできず、かといって学園側に投票する勇気も持たない一般人(ノーマル)の結論だった。どちらにも投票せずに、ただ成り行きを待つという消極策。

 

「つまり、選挙終了までこの場を死守すればいいって訳だね」

 

「そうだな。学園側からの刺客はどうだ?」

 

「来てないよ。やっぱり学園の危機よりも魔法界全体の危機の方が重要みたいだね。ほとんどの魔法先生は超の対応に回ってる」

 

「そうか」

 

「二人とも……言っておくけど、敵が来たら私は逃げるからね」

 

春日がうんざりしたように口を尖らせる。選挙管理委員である彼女は、この麻帆良本校女子中等部の選挙を取り仕切っていた。というよりも、他の選挙管理委員が逃げ出してしまったせいで、一人しか残っていないとも言った方が正しい。

 

「シスターシャークティがどうしてもって言うから来たけど。まったく逃げ遅れたよ。一人でこんな重労働させられるなんて、本当に貧乏くじだって。選挙管理委員がいないんだし、中止でいいじゃん」

 

「そういう訳には行かねーよ。学園側としてもな。麻帆良学園都市ってのは学生の裁量が強いのを売りにしてるんだ。公式の選挙結果がそんな恣意的な不備によって決まるなんて、かなりの不祥事だぜ。ましてや、明らかに学園に都合の悪い生徒が相手なら余計にな」

 

だからこそ、私達は選挙という学園のルールに則った戦いを挑んだのだ。これで表立って排除することはできなくなる。先ほどのように裏ではこちらを潰そうと動いているのだが、その戦力の大部分は超のアンドロイド部隊との交戦に割かれていた。

 

「あんたを襲撃したガンドルフィーニ先生だって、たぶん超の方を狙ってたみたいだしね。私らのことは放置してくれるとありがたいんだけど」

 

「そのために昨日の武道会で戦力を減らそうとしたんだけどな。ただ、高畑が残ってるのが少し怖いな。魔法使いなだけに、超の相手に回って欲しいところだぜ」

 

「うわー。やっぱり私も逃げておけばよかった。今からでも帰宅していい?」

 

頬を引き攣らせて背中を向ける春日の襟首を掴んで引き止める。こいつがいなくなったら選挙活動自体ができなくなってしまう。

 

「ってか、何で私しか残ってないんだよー!」

 

「お前だけハブられたんじゃねーの?みんなで示し合わせて逃げたっぽいし」

 

私の言葉に、しかし朝倉はやれやれと深い溜息を吐いた。

 

「違うよ。どうも自分では気付いてないみたいだけど、今のあんたのマイナス性は並大抵のレベルじゃないよ。マイナス成長したせいで、正直あんたを見てるだけで寒気がするくらい」

 

「……そこまでかよ。ま、お前は厳密にはマイナスじゃないしな」

 

「今のあんたと正対して正気を保っていられるのは、たぶん魔法使いの中でも一握りの猛者くらいだろうね。一般人なんて論外だよ」

 

「そうか?コイツだって別に平気そうじゃねーか」

 

そう言って春日の方をあごで示す。しかし、当の春日はというと青白い表情で首を振った。

 

「いやいや、……実は結構限界近いっす」

 

「例外は長年あんたと同じクラスで過ごしてきた私達3-Aの生徒くらいだろうね。それでも、過負荷に対応するのは厳しいはず」

 

「奇人変人の吹き溜まり。学園の異常者を選抜した3-Aの連中よりもかよ……」

 

「あんたの固有スキルであり、弱さを司る過負荷(マイナス)――『脆弱退化(オールジャンクション)』。私の感想としては、すべてをなかったことにする球磨川先輩の『大嘘憑き(オールフィクション)』よりもマイナスを体現しているように思うよ」

 

「買いかぶるなよ。ったく、まぁいいや。それにしても他の会場の様子はどうなってる?」

 

そう言って苦笑しながら問い返す。朝倉は数秒間だけ目を閉じると、すぐに答えを返してくれた。

 

「ウルスラも男子本校も問題はなさそうだよ。いまだ敵影無しって感じかな」

 

『欲視力(パラサイトシーイング)』で状況を確認すると、朝倉は安心した様子で息を吐いた。現在、防衛戦力としてウルスラ女学院には高音先輩と佐倉が、男子高等部には桜咲とマクダウェルが、それぞれ控えている。並の魔法使いならば撃退できるだけの戦力はどの拠点も備えていた。

 

「じゃあ、私はちょっと気分転換に歩いてくる」

 

そう言って私は会場を出た。

 

 

 

 

 

 

 

人気の無い廊下へと離れた私は、虚空へ向かって一人つぶやいた。

 

「そろそろ出て来いよ」

 

誰もいない空間、しかし、そこから声が返ってきた。

 

「あら~、気付かれてましたか」

 

「隠れてるつもりかよ。あんなに濃い殺気を撒き散らしておいて」

 

「うふふ、刹那センパイを探してたら我慢できなくなってしまいましたわ」

 

白のゴスロリに身を包んだ小柄な少女。以前、修学旅行で襲撃を仕掛けてきた月詠がそこにいた。おっとりとした口調ながら、その顔には凄惨で狂気に満ちた笑みが浮かんでいる。間違いなくこちらを潰しに来た刺客だろう。

 

「で、あんたは?まさか投票に来てくれた訳じゃねーんだろ?」

 

「簡単に言えば学園側に雇われた刺客ですよ。傷が癒えたらこの麻帆良には来ようと思ってましたから、渡りに船ってやつですね~」

 

とりあえず、非戦闘員である朝倉と春日から引き離すことは成功した。あとはこいつをどうやって撃退するべきか。私は一方的にこいつを知っているが、月詠とは直接の面識はない。この情報量の差をどうやって生かすべきか。

 

「さっき刹那センパイって言ってたな。桜咲の友人か?だとしたら、友達は選べとあいつに忠告したい気分だが」

 

「そんな軽い関係じゃないですよ~。刹那センパイのおかげでこんな気持ちになってしまったんですから、私のこの衝動を収めてもらわんと。あの斬られた感覚、堪りませんでしたわ~」

 

「なんだ、ただの変態マゾ女かよ」

 

「いえいえ、斬られるのも好きですけど、それよりも斬り殺す方がもっと好きなんですよ。刹那センパイの死に顔や末期の叫びが楽しみで、おかげで昨日も寝不足になってまいました」

 

かつて、私が『事故申告(リップ・ザ・リップ)』で心を覗いたときよりも、さらに深く重いマイナス性を感じていた。強烈な殺人衝動。他人を殺すこと、自身が死へ近付くことに快感を覚えるタイプ。しかし、常人ならば震えるほどの狂気を前にしても、私にはかすかな動揺さえ浮かばない。色濃く漂う狂気をそよ風のように受け流していた。

 

「でも、長谷川千雨センパイ。あなたも結構斬り殺し甲斐がありそうですよ。観ましたよ、昨日の試合。刹那センパイの主人とも聞いてはりますし、楽しませてくださいね~」

 

神鳴流剣士、月詠。その実力は非常に高い。かつて桜咲が勝利できたのも、死角から奇襲を行ったためである。逆に言えば、正面から戦えず、不意打ちを仕掛けねばならないほどの強者なのだ。その月詠が二刀の小太刀を構え、自然体でこちらへ歩を進めてくる。その陰惨な笑みを眺めながら、こちらも気持ち悪い笑みを返してやった。

 

「悪いが楽しませてやることはできそうにないぜ。過負荷(マイナス)を正面から相手取って、ロクな目に合うことはねーんだからよ」

 

こうして、人知れず狂者と弱者の戦いは始まった。

 

 

 

 

 

 

 

――そして数分後、辺りは廃墟のような有様へと変貌していた。

 

綺麗な廊下は斬撃や打撃の跡がそこら中に刻まれており、窓ガラスは粉々、むせ返りそうな血の臭いが充満していた。そこに立っているのは一人の少女だけ。

 

「……驚きましたわ~。まさか、――こんなにも弱いなんて」

 

「ぐっ……うぅ…」

 

血塗れでうずくまる私の姿を、つまらないものでも見るような蔑んだ視線で見下ろしている。冷たく醒めた瞳。しかし、そこにはわずかに困惑の色が浮かんでいた。

 

「どうして本気で来はらないんですか~?」

 

私に問うその言葉に対して、息も絶え絶えな様子で見つめ返す。

 

「全然勝つ気が感じられませんわ~。一見、激しく戦っているようで、その実、牽制以上の攻撃はしてきませんし。ただ逃げ回っているだけ」

 

「……だったら…どうだってんだ…」

 

「本気でやってくださいよ~。過負荷(マイナス)と呼ばれるあなたの実力をすべて見ないことには、もったいなくて殺せませんわ~」

 

――予想通り。

 

全身を斬り刻まれ、意識も朦朧としているが、それでも私は生きている。この隔絶した実力差を前にして、明らかに殺す気で掛かって来た殺人鬼を前にして。どうにか生き延びることに成功していた。

 

格下を相手に殺さないという選択肢は本来、殺人狂である彼女には存在しない。しかし、相手が強者ならば話は別。実力の底を見ないまま殺すことは、戦闘狂としての一面が許さないのだ。あえて殺し合いの場で手を抜くことによって、自分自身を実力を隠した強者と偽装していた。

 

「あんた程度の相手に本気になれるほど、安い女じゃねーんだよ」

 

「へえ、そうですか~。楽しみですわ。どこまで実力を隠しとおせるのか。これでも、相手を嬲るのは得意なんですよ~」

 

嗜虐的な表情で刀を掲げる月詠。そして、私は内心で安堵の溜息を吐いた。拷問でもするつもりらしいが、つまりは当分の間は殺すつもりがないと白状しているようなもの。そんな私の安心した顔が気に障ったのか、わずかに苛立ちが表情に現れた。

 

「やっぱり手早く行きましょうか。まずは眼球を抉られるのと、鼻を切り落とされるの、どっちがお好きですか~?」

 

「うーん、目が見えないのは嫌だから鼻を先にして欲しいかな」

 

「そうですか~。じゃあ眼球の方を先ということで。その目玉をぐちゃぐちゃに切り刻んであげましょうか」

 

恐怖心を煽るようにゆっくりと眼球に刃先を突き出してくる。しかし、身体は出血のためか重く、手足がピクリとも動かない。眼前には自分の瞳を刺し貫こうとしている刃が迫ってくろ。それでも、私の顔には気持ちの悪い笑みが浮かんだままだった。眼球の一個や二個で、この圧倒的強者を相手に数十秒の時間が稼げるなら安いもの。負傷(マイナス)を恐れるほどに私の精神はプラスではない。さすがに、自身の死すらどうでもいいとする球磨川さんほどには達観できないが。

 

「……ようやく理解しましたよ。あなたがマイナスと呼ばれる理由を――」

 

この状況にも関わらず、安堵の笑みを浮かべる私の姿を前にして、さらに苦々しげに表情を歪める月詠。もはや苛立ちを隠すこともなく、勢いよく眼球へ向けて鋭い切っ先を突き出した。しかし、その刃は――

 

「なっ!?」

 

 

――一瞬の内に眼前に現れた桜咲の刀身によって受け止められていた。

 

 

反射的に後方へと跳び退く月詠。目の前には息を切らした桜咲の姿があった。それを認めて私は安堵の溜息を吐く。

 

「助かったぜ、桜咲」

 

朝倉が欲視力(パラサイトシーイング)でこの光景を見て、応援に呼んでくれたのだろう。最初から私はそれを信じて時間を稼いでいたのだ。彼女こそが生徒会における最強の切り札。神鳴流剣士、桜咲刹那。

 

「千雨さん……遅れて申し訳ありません」

 

泣きそうな顔でこちらを見つめる桜咲。懐から取り出した札を全身に貼り付けると、途端に痛みが和らいでいく。治癒の術式だろう。それを確認するやいなや、すぐに月詠の方へと視線を向けた。殺意を込めた視線。瞬間、周囲の空気が凍りつくような寒気に襲われた。

 

「月詠、貴様だけは殺す」

 

一言。それだけで月詠の身体がビクリと跳ねた。濃密すぎる殺意。おぞましき恐怖を前に彼女の全身が総毛立っていた。まるで殺意が形を持って存在しているかのような、強烈な死の気配が渦巻いている。何とか手足の震えを抑え込めたのは、彼女の狂気ゆえだろう。引き攣ってはいるものの、興奮した風に上気した顔に笑みを浮かべていた。

 

「は、はは……これは最高ですわ。刹那センパイ」

 

二刀小太刀を握り直し、視認不能な速度で桜咲へと襲い掛かる。まほら武道会で見せた葛葉先生の高速機動よりもさらに速い。

 

「二刀連撃斬岩剣~」

 

双方向から放たれる岩をも砕く強力な斬撃。私では対応どころか反応すらできなかった連撃だ。それは修学旅行での桜咲も同様だっただろう。しかし――

 

「……邪魔だ」

 

――キィンと甲高い音を立てて、二刀の小太刀はそれぞれ真っ二つにへし折れた。

 

「え?」

 

呆然と立ち竦む月詠。理解できないといった様子で桜咲と二刀を交互に視線を動かす。そして、同じく私の方もあまりの圧倒的な実力差に驚愕を覚えていた。修学旅行時の戦闘力は月詠によりも劣っていたはず。いくら全力を発揮したとはいえ、葛葉先生と比較してもは強者であろう彼女に対して、ここまで一方的にできるのか……?

 

「な、なぜ……京都では本気を出していなかったとでも……いや!そ、その刀は!?」

 

月詠が目を見開いた。その視線は桜咲の持つ刀に釘付けになっている。私もようやく気付いた。これまで愛刀としていた「夕凪」ではない。刀身自体が憎悪を発しているかのような禍々しい負の気配。それは、人間なら誰しも抱いている殺意を増幅させたものなのか。桜咲の心の芯から殺意が無限に吐き出されているかのようだ。周囲が異界に変貌したと言われても信じるほどの、濃密な殺意の権化と化していた。

 

「桜咲、その刀は……?凄まじいマイナス性を感じるぜ」

 

「――妖刀『ひな』。京都から奪ってきたこれが、私の新たな愛刀です」

 

以前、桜咲から聞いたことがある。持ち主の実力を飛躍的に上昇させる刀があると。使い手の気の総量を数倍から数十倍に跳ね上げさせるという埒外の日本刀。しかし、その代償として持ち主の理性を奪い、殺意と狂気に溺れさせるといういわくつきの妖刀だと。

 

「それがこの妖刀『ひな』か……。確かに、怖気を覚えるほどに凶々しい」

 

「はははははははっ!刹那センパイ!まさか妖刀を持ち出してくるとは!最高です!さあ、もっと私と一緒に斬り合いましょう!」

 

狂ったような笑い声を上げる月詠の姿に、もはや狂気を感じることはできなかった。桜咲を前にしては常人も同然のマイナス性である。しかし、最後の気力を振り絞って予備の二刀小太刀を抜いた彼女は、不規則な軌道を描いて斬り掛かる。

 

「喰らってください、刹那センパイ!二刀連撃――」

 

「遅い」

 

二刀を振り上げた瞬間、すでに眼前に移動していた桜咲の刀が両方の刀身を粉々に砕いていた。反応すらできずに武器を破壊され、無手となった月詠。死の気配を直感したその顔には引き攣った笑みだけが張り付いていた。

 

「千雨さんに傷を付けた罪、一度殺すだけでは到底足りない」

 

爆発的に増加した桜咲の気によって、重力異常でも起こしたかのように周囲の空間が歪む。

 

「一瞬千撃・黒刀斬岩剣!」

 

 

 

この日、歴史ある麻帆良本校女子中等部の校舎は消滅した。

 



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24時間目「君達と話をするつもりは」

土埃の煙る、穴だらけの教室。半壊した校舎の教室の隅で、月詠からの襲撃を撃退した私達は怪我の治療を行っていた。

 

「ふぅ……。助かったぜ、桜咲」

 

「いえ、当然のことです。むしろ、千雨さんの身体に傷を負わせてしまい、申し訳ありませんでした」

 

「いや、あの殺人狂を相手に生きてるんだから御の字だぜ」

 

話しながら桜咲は上半身の服を脱いだ私の身体に包帯を巻きつける。同時に、肌に直接札を貼り付け、回復魔法っぽいことをしてくれていた。その表情は真剣そのもので、しかし――

 

「……やけにベタベタと触ってるみたいだが」

 

「ふぇっ!?な、何を言っているんですか!そんな訳ありません!これは純粋な医療行為です!」

 

「……そうか。悪かったな、疑って」

 

「いえ、誤解が解けたようで何よりです」

 

荒い息遣いのまま早口に答える桜咲。しかし、この女は本当に気付かれないと思っているのだろうか。興奮で脳みそが焼き付いたとしか思えない。撫で回し方がどう考えても普通じゃないし、そもそも下着の中に手を入れるのがどんな医療行為になるんだよ。もはや理性が吹っ飛び掛けているのか、さっきからどんどん手付きがいやらしくなっており、左右の掌の位置が胸と局部に固定されていた。指が激しく這い回る。

 

桜咲のおかげで助かったのは事実だし、ご褒美として私の身体を好きにさせてたんだが、そろそろ身の危険を感じるレベルになってきたな。もはや戦闘中よりも息が荒いし、目が血走っていて恐いくらいだ。それを中断したのは、携帯電話の着信音だった。

 

「どうした、朝倉?」

 

「どうしたじゃないって!何を二人でエロいことしてんのよ!」

 

「エ、エロいことなんてしてません!」

 

隣で桜咲が往生際悪く叫んでいる声を無視して、私は問い掛ける。わざわざ朝倉から連絡があるなんて、嫌な予感しかしねー。

 

「緊急事態よ!ついさっき、ウルスラの投票所が破壊されたわ」

 

「……やってくれる。魔法使いの襲撃だな。だが、ウルスラには高音と佐倉が防衛に回っていたはず。あの二人を撃破するとなると、かなりの数の奴らが押し寄せてきたのか……?」

 

「違うよ、敵は一人。高畑先生が単独で私達を潰しに来たんだ」

 

その言葉に私は思わず舌打ちする。戦闘力ならば学園随一と目される男が攻め込んできたのだ。

 

「まずいな……。すぐにマクダウェルに連絡して男子高から退避させてくれ。魔力のないあいつに勝ち目は無い」

 

「だね。桜咲も合わせて全員で掛からないと相手にならないだろうし」

 

私と桜咲とマクダウェルの三人で何とかできるか?空繰を別件で動かしたのは悪手だったかもしれないな。とにかく、戦力を一点集中してしのぐしかない。

 

「高音先輩と佐倉さんの消息は不明だよ。おそらくは捕まったんだと思うけど」

 

「そうか。じゃあ、すぐにそっちに向かう。準備を整えておいてくれ」

 

「了解……っと、あれ?あ、ヤバっ!」

 

直後、受話器の向こう側に轟音が響き渡った。いや、同時に電話の外からも。慌てて振り向くと、視界の先、麻帆良女子中の選挙会場が跡形もなく崩壊させられていた。

 

「千雨さん!」

 

「わかってる!行くぞ!」

 

慌てて駆けつけた私達の目に映ったのは、全壊した選挙会場の跡地だった。まるで上から何度も執拗に押し潰されたように、まっさらな更地となっていた。こんな芸当が可能なのは、奴しかいない。瓦礫だらけの更地と化した中学校の敷地に、ひとりの男が立っていた。上下白のスーツを身に纏い、その両手をポケットへ突っ込んでいる。

 

彼こそが学園最強の警備員、高畑・T・タカミチ。かつて、私も煮え湯を飲まされたことのある天敵。やはり、正義の魔法使いを体現するこの男を倒さなければ、私達に勝利は訪れないのか……。

 

「こんにちは、高畑先生。一体こんなところへ何の御用ですか?確か、先生は選挙の担当じゃなかったと思いますけど」

 

私の声を聞いて、ゆっくりと振り返る高畑。その顔は張り付いたような無表情だった。無言で佇んでいる男を、ニヤニヤと気持ち悪い視線で眺めてやる。直後――

 

「千雨さんっ!?」

 

私の身体はガクリと膝から地面へと崩れ落ちた。頭がぐらぐらする。視界が回転する錯覚。完全に脳震盪の症状だった。以前も喰らったことのある高畑の戦闘技法、居合い拳。

 

まさか、問答無用で生徒の顔面に叩き込んでくるとは……!

 

「悪いが、君達と話をするつもりはない」

 

「……へえ、非道い先生ですね。生徒との対話こそが教師の本分でしょうに」

 

ガクガクと震える膝に鞭打って、何とか立ち上がる。生まれたての小鹿のような脚の震えだが、どうにか平静を装って相手へと声を発していた。かつて一度喰らったことで、脳震盪への慣れがあったおかげだろう。しかし、私では高畑と勝負にすらならないだろうことを確信させられていた。超高速で迫る無音拳に気付くことができなかったのだから。しかし、そもそも直接戦闘など私の本領ではない。

 

「ごめんなさい、高畑先生」

 

突然、私の目から涙が溢れ出した。地面に膝を着き、頭を床に擦り付ける。それは土下座の姿勢だった。泣きながら高畑に懇願する。桜咲は呆然とした表情を浮かべるが、しかし、これが弱者の手段。

 

――泣き落とし

 

高畑の性格ならば、これは効果的なはずだ。弱さを曝け出した相手に暴力を振るうなど、善人にはできない。

 

「本当は球磨川先輩に脅されていたんです。こんなことはしたくなかったのに……。ですが、あの人は――」

 

しかし、涙を流しながら顔を上げたその先には、変わらず無表情の高畑の姿があった。それを理解した瞬間、再び私のあごが跳ね飛ばされていた。

 

「言ったはずだよ。君達と話をするつもりはないと」

 

マジかよ……。本当に容赦無しじゃねーか。

 

薄れゆく意識の中で悪態を吐いた。が、自身の舌を思いっきり噛むことで、どうにか気絶だけは免れるのに成功する。だが、それだけだ。立ち上がったとしても、また一撃で倒されるだけ。

 

「さて、投票箱は破壊できたようだね。校則にある通り、投票箱を紛失した会場では選挙を行うことができない。残りの男子高等部の物を壊せば、君達は終わりだ」

 

私は見誤っていた……。高畑は教師である前に魔法使いなのだ。それも、大戦を生き抜いた精鋭中の精鋭。敵対者に同情を向けるなんて、甘すぎる見通しだった。

 

与えるべきは憐憫ではなく恐怖だったのだ。それを確信した瞬間、私の全身から凶々しいまでの負の空気が漂い出す。気持ち悪い笑みを浮かべて、私はゆっくりと立ち上がった。高畑との間に立ち塞がるようにしていた桜咲を、肩に手を置いて横へどかす。心配そうな表情の桜咲だが、負の塊と化した私を認識するやいなや、口元を吊り上げて嬉しそうな笑みを作った。どろどろに濁った瞳を高畑へと向ける。

 

「女子生徒の顔面を殴るなんて、まったく非道い教師もいたもんだぜ。まったく、痛みで気が狂いそうだぜ。何度も殴られたせいで顎が痛いし、歯も折れたかもな、こりゃ」

 

「君と話し合う気は……」

 

「ない、って言うんだろ?分かってるよ、会話をする気はない。それに、敵対する気もねーよ。勝てないってのは身に染みて理解したからな」

 

ガラリと雰囲気の変わった目の前の生徒に対して、わずかに高畑の顔に警戒が浮かぶ。そして、その表情は私が言葉を重ねるに連れて険しさを増していった。だが、言葉の通りに私には高畑と戦う気はない。もはや武器や拳を交わすつもりもない。ただ、――言葉を交わすだけだ。

 

「つまり、降伏するということかい?」

 

微塵も信じていないといった風に声を出す高畑。まったく失礼な教師だぜ。

 

「いいや。こんな甚大な被害を受けて、あっさりと降伏できるほど私は寛大じゃないぜ。だけど、あんたには逆立ちしたって敵わない。だから、顔面を二回殴られた痛みは、顔を傷つけられた恨みは、――あんたの大事な誰かに対して晴らさせてもらうことにするぜ」

 

気持ち悪い笑みを浮かべて発せられたその言葉に、高畑の顔面が引き攣った。

 

「どうぞ。好きなだけ殴ってくれて構わないぜ?目を潰してもいいし、骨を砕いてもいい。レイプしても一向に構わないぜ。あんたの大切な人が同じ目に遭うだけだ」

 

両手を大きく左右に広げ、胸を張って宣言する。完全に高畑の瞳には異形の化物を見るような恐怖が映っていた。得体の知れない怯えにより、気圧された男は無意識に一歩後ずさる。あまりにも醜悪な脅迫。これこそが私のマイナスの真骨頂であった。

 

「誰の顔面をぐちゃぐちゃにして欲しい?やっぱり女の顔を殴ったんだから、恨みは女の顔を滅茶苦茶にすることで晴らすべきだよな。同僚のしずな先生か?それとも大切な教え子か?それとも――」

 

血の気が引いたかのように青ざめる高畑の表情。それを眺めながら私は愉しげに口元を歪める。

 

 

「――ようやく人並みの幸せを取り戻した、神楽坂にしようかな?」

 

 

高畑の心が折れたのを感じた。

 

「ああああああああああああっ!」

 

一瞬の思考停止。歴戦の英雄でさえ、私と向き合うのを放棄せざるを得なかったのだ。高畑の脳内が殺意のみに埋め尽くされる。一瞬にして相手の全身から感じる圧迫感が増加。それと同時に弾けんばかりの強烈な殺意が叩きつけられる。

 

究極技法、――咸卦法。

 

それは高畑の無音拳を圧倒的ともいえるほどの攻撃力へと昇華させる。打ち出されるであろう殺意を込めた一撃。当たれば私の脆弱な肉体など弾け飛ぶだろう。しかし、高畑の瞳に私は映っていない。恐怖と怯えに支配された心は、私と向き合うことを拒絶したのだ。そんな理性を失ったやぶれかぶれの攻撃なんて、私にとっては隙でしかない。

 

「――隙だらけだぜ」

 

丸見えのタイミングに、フェイントも何もない殺意のみの一撃。それを回避してカウンターの打撃を加える。それを夢想していた私の表情が一瞬にして凍りついた。

 

――千条閃鏃(せんじょうせんぞく)無音拳

 

危機を悟って肥大した知覚が捉えたのは、一面に広がる無音拳の壁だった。視界を埋め尽くす無数の打撃を前に、回避することなど物理的に不可能。しかし、これは明らかに大軍を相手にした際に使用する大技である。こんな技をたった一人の無力な女子相手に使うなんて……!

 

ここにきて、またしても自身が見誤っていたことを理解した。私は高畑を追い詰め過ぎたのだ。相手の理性を奪い過ぎた。恐怖を与え過ぎた。つまり、自身のマイナス性の増大に無頓着だったツケが回ってきたのだ。

 

圧倒的な力の奔流。魔法界屈指の実力をもつ高畑の、全力の殺意を込めた致死性の弾幕。広範囲を殲滅するためのこの技を前に、気での防御すら不可能な脆弱な私に生き残る術はない。呆然と迫り来る拳の壁を眺め、数瞬後の死を確信した。しかし――

 

 

「一瞬千撃・黒刀斬空閃」

 

 

――その全てが無数の斬撃によって打ち落とされた。

 

「これ以上、千雨さんには指一本触れさせません」

 

禍々しい負の空気を纏って、桜咲が高畑の前に立ち塞がった。その瞳は濃密な殺意に彩られている。驚いた表情を受かべる高畑。全力での攻撃を防がれたのは予想外だったのだろう。しかし、妖刀『ひな』の狂気は、潜在能力を限界まで引き出して増幅する。現在の桜咲の力は高畑にさえ届くのかもしれない。

 

「千雨さん。高畑先生は私が受け持ちます。ここは私に任せて千雨さんは男子本校へ向かってください」

 

「わかった。ここにいても私じゃ足手まといになるだけだしな」

 

「護衛を離れることになって申し訳ありません。ですが、必ずや高畑先生に、千雨さんに殺意を向けた報いを受けさせますので」

 

頼んだ、と言い残して私は瓦礫に埋もれた選挙会場跡を見回した。そして、ある地点へとまっすぐに駆け寄り、目的の人物の頭を思いっきり踏みつける。

 

「痛っ!ちょっ……何するんすか!」

 

「どさくさに紛れて死んだフリしてんじゃねーよ!いいから、さっさと私を男子本校に連れて行け!」

 

瓦礫の陰に隠れていたのは、かろうじて選挙会場の破壊から逃れたらしい春日だった。私達の戦闘も、我関せずで無視を決め込んでいたらしい。

 

「いやー。これ以上あんたらに関わると命の危険がありそうで……」

 

「この激戦区に留まるつもりなら止めねーぜ。たぶん、中東の戦場に居合わせるよりも危険だと思うけどな」

 

視線で示した先には尋常でない密度の気を纏った二人の姿があった。桜咲は刀を構え、高畑は両手をポケットに入れたいつもの体勢。二人の激突による被害が、選挙会場の崩壊程度で済まないことは明らかだ。それほどに埒外な戦闘力を双方が所持していた。春日の顔色が一変する。

 

「おっと、一人で逃げられると思うなよ?」

 

がっしりと春日の肩を強く握り締める。すると、彼女は諦めたように嘆息した。

 

「……わかったよ。口論している時間の余裕はなさそうだし。早く背中に乗って」

 

「やはり持つべきものは親友だな」

 

「……さっきまで私を脅迫してた同級生の台詞とは思えないって」

 

諦念の篭った声音でつぶやく春日だった。自動車並みの加速でこの場を離れる私達。直後、背後の二人の間で張り詰めていた緊張が炸裂した。

 

――七条大槍無音拳

 

――真・黒刀雷光剣

 

麻帆良史上最強の対戦カードがここに成立した。

 



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25時間目「てめーらの正義感(プラス)なんざ」

高畑先生の襲撃を逃げ延び、命からがら男子本校へと辿り着いた私と春日。マクダウェルの守るこの選挙会場こそが、最後の砦である。しかし、その最後の砦たる男子本校は危機に陥っており、残念ながら安住の地とはかけ離れていた。率直に言うと、多数の生徒達に包囲されている。

 

「ちょっ!おい!どうなってんだよ!?」

 

「……貴様か。どうもこうもない、見ての通りだ」

 

切羽詰った声に静かに返答するマクダウェル。その顔は苦虫を噛み潰したように歪んでいる。包囲していた人混みの隙間を、私達は身を隠しながら何とか抜けてきたのだが、その人の数は尋常ではなかった。選挙会場である体育館に入った私と、移動手段である春日。逃げ出せる雰囲気ではないことを悟り、彼女は諦念の滲んだ表情で隅の方に座り込んでいる。そんな春日を無視して、私達は窓の外へと視線を向けた。

 

「先ほどまでは散発的に攻めてきていたのだがな。人数と武器を集結させるようだな」

 

「学園祭が開催中だからって楽しみすぎだろ、あいつら」

 

無論、遊び半分の者など一人もいない。全員が覚悟を決めて集結している。この体育館に続く唯一の扉の前は、殺気だった若者たちがごった返していた。私達は天窓から内部に侵入した訳だが、地上では分厚い扉の向こうに数百を超える人の群れが形成されている。そして、彼らの手には金属バットやハサミなど、思い思いの凶器が握られていた。悪の組織の連中を滅ぼさんと敵意と害意を全身から漂わせており、その怒りは体育館のドアの叩かれる音からも感じ取れた。ドアは今にも破られそうな軋んだ悲鳴の声を上げる。

 

「外の人数も増えてきた。そろそろ雪崩れ込んでくるだろう」

 

「……だけど、なぜ急に攻め込んできたんだ?私の脅迫(マイナス)を克服したとでも言うのかよ」

 

「いや、そうではない。これのせいだ」

 

苛立たしげにつぶやく私の言葉に、マクダウェルはPCの画面を表示することで答えた。それは麻帆良全域において繋がっているローカルネット。麻帆良の学生のよく利用する掲示板だった。そこに大量に貼り付けられていたのは、無惨に崩壊させられた私達の校舎とウルスラの選挙会場の画像だった。

 

「チッ……なるほどな。魔法使いの襲撃で、私達が落ち目なのを知ったのか。弱い者に強気な一般人(ノーマル)らしいぜ」

 

「この映像を流したのが誰かは知らんが、私達にとっては盲点だったな。魔法使いは魔法世界の危機を優先するという読み。確かにこの推測は正しかったが、同時に考えておくべきだったな――」

 

 

――学園の危機に立ち向かうのは、やはり学生なのだと。

 

 

「ただの学生の喧嘩自慢など、本来なら何の戦力にもならん。だが、防衛戦力が私と貴様の二人となれば、かなり効果的と言わざるを得ない」

 

「だな。桜咲や高音先輩がいれば、人数差なんてモノともしなかったろうが。ま、そんなこと言ったってしょうがねーよ。不利な状況なんてマイナスにとっては本拠地(ホーム)みたいなもんだろ?」

 

肩を竦めて答えた私の台詞に同調するように、けたたましい音を立てて体育館の分厚い扉が破られた。とうとう最後のバリケードが破壊されたのだ。凄まじい音量の怒号を響かせながら館内に雪崩れ込む人の群れ。それは堤防の決壊した濁流のように私達を飲み込んでいく。

 

「エヴァンジェリン!覚悟っ!」

 

「死ね!長谷川千雨!」

 

叫び声には殺意すら込められている。私達へ向けて凶器を振り下ろす生徒達。その瞳は底知れない恐怖に濁り切っていた。結局のところ、彼らは私のマイナスを克服してなどいないのだ。ただ、高畑の起こした奇跡(プラス)によって一時的に精神が希望(プラス)に傾いただけ。私達に対する恐怖に目を瞑って、現実から目を背けているだけなのだ。そんな状態で襲い掛かるなんて――

 

「――隙だらけだぜ」

 

連続して鍵による打撃を受け、私の周囲の生徒達は一斉に昏倒した。鍵を突き立て、叩きつけ、意識を刈り取る。極限まで弱体化させ、一撃の下に屠ったのだ。さらに、集団心理の死角を突き、瞬時に多数の男女に鍵を叩きつける。

 

「消え失せろ、貴様達」

 

直後、マクダウェルに殴りかかっていた男女が地面へと叩き落とされた。合気による体術だ。続いて迫る背後からの金属バットを、相手の手首に触れるだけで無効化する。すぐに空中へと投げ飛ばされ横転する男の身体。直後、鈍い音を立てて体育館の床に後頭部から墜落していた。しかし、その惨状を見ても生徒達の暴力の渦は途切れることは無い。波のように間断なく押し寄せる。だが、こちらも伊達に防衛戦力をしている訳ではない。

 

「……邪魔だ」

 

意識の隙や死角を突いて一瞬の内に数人を薙ぎ倒す。私にとっては一対多の乱戦は得意分野だ。そして、マクダウェルの方も賞金首だけあって、同様に多数を相手するのは苦にならないらしい。見る見るうちに周囲に人間の肉体による人垣ができあがっていく。

 

「ここは通さねーよ」

 

気持ち悪い笑みを浮かべながら、私はそう宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

――それから十数分後。

 

残念ながら、濁流のような人の渦は、無情にも二人を押し流そうとしていた。

 

「ハァ……ハァ…しつこすぎるぜ」

 

死角や隙の生まれやすい混戦は私の得意分野だ。せいぜいが部活レベルの一般人と比べれば、この状況においてのみ、彼我の戦闘力は雲泥の差である。周囲には二桁もの人間が積まれていた。万全な状態であれば、この場の数百もの生徒達ですら打倒しえただろう。しかし、逆に時間は私達の体力を急速に奪っていた。

 

「消えろや、長谷川ぁああああああ!」

 

殺意を感じて振り返ると、背後には工具の鋸を振りかぶる男子生徒。何の技巧もない、ただ勢い任せに振り下ろされる凶器。普段ならば悠々と避けられるものだが、すでに私の手足は疲労で鉛のように重くなっていた。

 

「ぐうっ!」

 

ズブリと抉られる左腕。筋肉の削られる感覚に思わず呻き声を上げる。全身を駆け巡る激痛。それを無視して、反射的に右手のみで男の胸に鍵を叩きつけた。すると、口元から血を吐いて白目を剥いた。肋骨をへし追り、昏倒させる。しかし、敵の数はまるで減った様子がない。

 

「これはキツイな……。特に体力的に。」

 

左腕から血を流しながら、忌々さを込めてつぶやいた。四方からの猛攻をしのぎながら横目で見ると、マクダウェルも同様の有様だった。息を切らしており、顔も青白い。しかし、それでもここまで耐えられたのは上出来だろう。小学生女子レベルの体力でこれだけの相手をできたのは、マクダウェルの卓越した技量の賜物と言える。

 

ボクシングの試合では3分ごとに休憩が必要とされている。それほどに戦闘行為というものは体力や精神力をごっそりと消費するのだ。ましてや、私はインドア派の帰宅部中学生。『気』によって人体の限界をあっさりと超えるような連中とは違うのだ。私達の疲労は限界に達していた。

 

「……減る気配がないどころか、どんどん増えてきてるじゃねーか」

 

その気付きにげんなりと溜息を吐く。先ほどから、この選挙会場内に押し寄せてくる人の群れは増える一方だ。私達が押されているという情報を得た奴らが大挙してやってきているのだ。選挙の規則を知らないので、投票箱の破壊をされないのは不幸中の幸いだが、悪の首領たる私が負けてしまえば、これまでの脅迫は意味を為さないものに堕ちてしまうだろう。

 

そんな思考に囚われたとき、タイミングを見計らっていたかのように着信音が響いた。

 

――発信者は『球磨川禊』

 

『ああ、千雨ちゃん。一週間ぶりだね。って言ってもきみにとっては昨日振りかな?』

 

「球磨川さん、お久し振りです」

 

耳にするだけで凍えそうな気持ち悪い声。しかし、私にとっては安らぎに満ちたものであった。片手で携帯電話を耳に当てながら、四方からの猛攻を回避する。戦闘中にもかかわらず、私の顔には微笑が浮かんでいた。

 

『千雨ちゃん、こっち来てくれない?』

 

「わかりました」

 

即答する。詳しい話を聞くまでも無い。その言葉を聞くやいなや、私の身体は即座に走り出していた。球磨川さんの指示に従えば、必ず状況は変わるという確信。走りながらマクダウェルに大声で叫ぶ。

 

「ちょっと行ってくる!あとは任せた!」

 

今の状況はまさしく敗北寸前。そこで私がこの場を離れるというのは自殺行為と同義である。マクダウェルの立場としては、見捨てられたと考えられてもおかしくはない。しかし、彼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべて堂々と言い放った。

 

「誰に物を言っている。この私が何の力も無いガキ共に敗れるとでも思ったのか?責任をもって負かしてやるさ」

 

疲労で肩で息をしながらも、誇らしげに謳うように口ずさむ。その様子はあまりにも超然としていて一瞬だが見惚れてしまうほどだった。冷静に考えれば、間違いなく虚勢だろう。しかし、逆境で折れるような心など私達マイナスは持ち合わせていないのだ。今頃になって、ようやくこいつも同類なのだと理解して嬉しさに笑みが漏れた。

 

「じゃあ、これは餞別だ!」

 

マクダウェルの胸に一度だけ鍵を突き立てると、私はこの場を全速力で立ち去った。『脆弱退化(オールジャンクション)』を発動し、こいつを縛る枷である学園都市結界を弱体化させる。正確には、マクダウェルが結界から受ける封印の効力を弱めたのだ。

 

「ま、実際の魔法陣に触れた訳じゃないから効果は雀の涙程度だし、さらに一時的だけどな」

 

「これは……。ククッ、十分だ。ありがたく受け取っておいてやる」

 

肉体の芯から力が漲ってくる感覚。充実した魔力に、彼女の瞳の色が攻撃的に豹変する。封印が弱まったとはいえ、学園祭期間中は世界樹の魔力の満ちているとはいえ、それでも現在の保有魔力は一般魔法使いの半分もない。一般人とはいえ、この人数の暴徒を相手にするのは難しいはずだ。しかし、彼女は『闇の福音(ダークエヴァンジェル)』――魔法界で恐れられた真祖の吸血鬼にして、最強クラスの魔法使いである。

 

 

「――震え上がれ、凡俗共!そして、真祖の吸血鬼にして最強の魔法使いたる、この私の前にひれ伏すがいい!」

 

 

 

 

 

 

 

球磨川さんが潜伏先として指定した場所は、男子本校の端にひっそりと佇む用具室だった。周囲に人影は無く、生徒や教師から忘れ去られたデッドスポットとでも言うべき場所である。しかし、そんなところに隠れていなくとも、たとえ堂々と教室に陣取っていたところで、誰一人近付かなかったことは明白だ。

 

――ザワリと私の背筋に寒気が走った。

 

全身の皮膚が粟立つ感覚。扉の内側に一歩足を踏み入れた瞬間、異界へと侵入したかのような怖気に襲われた。まるで暗闇の密林で生き物の吐息を感じるような、得体の知れない恐怖。もしくは、目隠しで爬虫類を撫で回したときの未知の不快感。そんな気持ち悪さを、極限まで凝縮して脳内にぶち込まれたかのような、今まで生きてきた中で最低のマイナスをこの身に感じていた。

 

『やあ、待ってたよ』

 

「……球磨川さん」

 

室内には椅子に座って漫画を読んでいる球磨川さんの姿があった。『負完全』球磨川禊。まるで負の要素をかき集めて煮詰めたかのような、暗黒にも似たおぞましさである。

 

周囲を見回すと、別行動を取っていた空繰が隅の方に陣取っている。マイナスの支配するこの空間において平静を保っていられるのはアンドロイド故だろう。私でさえ戦慄するほどの過負荷(マイナス)の気配に耐えられる人間がいるとは思えない。冷や汗を垂らしながら、球磨川さんの様子を観察する。明らかにマイナス性が増大していた。いや、これこそが本来の姿であるかのような負完全性である。

 

『千雨ちゃんにやって欲しいことは、これを見ればわかるよね?』 

 

確かに、見れば分かる。まさか、私の生涯で目にすることなどないと思っていたが、しかし、これは本当におぞましい。

 

「ええ、了解しました。……ですが、正直かなり驚いています。こんな荒唐無稽な奇策ができるのは、世界中を探しても有史以来、球磨川さんをおいて他にいないでしょう」

 

『茶々丸ちゃんの用意はできてるからさ。あとはお願いするよ。僕は死んだことになってるから。それに、こういったことは千雨ちゃんの得意分野でしょ?』

 

そこで、球磨川さんは口を閉じた。そのまま、首を回して窓の外へと視線を向ける。私の方も外部からの気配を感じ、自らの失態に顔をしかめた。

 

「すみません。どうやら尾行されていたみたいです」

 

『モテモテだね、千雨ちゃん。でも、悪いけどお断りしてきてくれない?ストーカーなんて螺子伏せてきてよ』

 

「はい。家にまで着いてくる悪質なストーカーには、キツイお仕置きをしないといけませんね」

 

そう宣言して私は、扉を開けて小屋の外へと足を踏み出した。そこに待ち受けていたのは、見慣れた敵対者達。やはり、最後の相手はこうなるのか。忌々しくも運命的な因縁に小さく顔を歪めた。

 

「よお、ネギ先生。こんなところに何の用だい?」

 

「……千雨さん」

 

「学園祭の見回りか?ずいぶんと仕事熱心だな」

 

 

――英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドがそこにいた。

 

 

そして、周りにはその従者たちが控えている。『黄昏の姫巫女』、神楽坂明日菜。『中国拳法の達人』、古菲。『忍者』長瀬楓。『百科事典』綾瀬夕映。『図書委員』宮崎のどか。『漫画家』早乙女ハルナ。

 

その全員がアーティファクトを携えており、従者であることを示していた。いつの間にこんなに契約したんだよ……。もはや魔法バレなんてレベルじゃねーよ。

 

ネギの無謀な行動に内心で苦笑する。おそらくは私達の計画を阻止するために仮契約をしたのだろうが。しかし、それだけ本気だということでもある。

 

「あなたの計画は僕達が止めます」

 

決意を込めた瞳で宣言するネギ。まっすぐにこちらを見据え、いつも通りの巨大な杖を構えていた。周囲の連中も同様の強い光を瞳に灯しており、それぞれが戦闘態勢に入る。しかし、私は軽く肩を竦めることで答えた。

 

「それにしても意外だな、ネギ先生。魔法使いであるアンタは、超の討伐の方に向かうと思っていたんだが」

 

「超さんの計画も阻止しなければとは思います。けれど、それよりも千雨さんの野望だけは絶対に許せません」

 

魔法使いの責務よりも教師としての責務を取ったのか。そして、背後に控える従者達も、学園の危機だからこそ、ネギと契約してまで私を潰しに来たのだろう。学園の敵たる私は、学園の生徒達にこそ憎まれるのだ。

 

「いいぜ。はじめようか、最後の戦いを――」

 

気持ち悪く口元を笑みの形に歪めて宣言した。それにしても、おあつらえ向きのステージではある。やはり、悪の組織の首領に最後に立ち塞がるのは正義の味方なのだ。あるいは学園の敵にとっては、学園の人間こそが天敵なのだとも言える。いや、それよりも単純に、生徒の悪行を止めるのは教師の仕事なのだという当然の帰結なのかもしれないな。

 

英雄の息子にして天才魔法使いであるネギ、さらに強力な仲間達までもが揃い踏み。まさしく学園最強のパーティといっても過言ではなかろう。しかも、それに加えて多勢に無勢。あまりにも不公平な戦力差である。それでも、圧倒的に不利な状況でさえ、あえて私は愉しげに笑い飛ばすのだ。

 

 

――それこそがマイナスの、敗北者の生き様なのだから

 

 

「てめーらの正義感(プラス)なんざ、私の過負荷(マイナス)で打ち消してやるよ」

 

 



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26時間目「光(プラス)でも闇(マイナス)でもない」

「てめーらの正義感(プラス)なんざ、私の過負荷(マイナス)で打ち消してやるよ」

 

学園祭期間中とは思えないほどに音も無く、人の姿も見えない校舎裏。そこには一人の女子生徒が、ネギを中心とした学園屈指の戦闘者集団に囲まれているという光景があった。学園の敵である私と、学園の希望たるネギ。対照的なこの二人は、やはり戦うことでしか決着をつけられない。私が言い放った挑発の言葉をきっかけにして、臨戦態勢の両者が激突する。と思ったのだが……。

 

「千雨さん。どうしてこんなことを……?」

 

ネギは哀れむような表情で私に問い掛けてきた。おいおい……ここにきて説得かよ、本気で興醒めさせてくれるぜ。

 

生徒の無実を信じようと、すがるように見つめるネギ。周りの連中も一縷の望みを信じているのか、瞳には迷いが浮かんでいる。そんなくだらない光景に内心で舌打ちした。昂揚した自身の心が次第に冷え切っていくのを感じる。完全にバトルパートに入った流れだったのに、こんな茶番に付き合わせやがって……

 

だが、と思い直す。茶番は茶番なりに役立つこともあるのだ。気を取り直してネギへと向き直り、表情を悲壮なものへと切り替える。

 

「先生、実は……。私、球磨川先輩に脅されて……逆らったら酷い目に合わせるって……」

 

「え?そ、そんな……千雨さん」

 

「千雨ちゃん……」

 

涙を流しながら地にひざまずく私の哀れな姿に、同情の視線が集まる。内心を押し隠しながら、目を伏せて笑いを堪えていた。こいつら、ちょろすぎだろ……。

 

このまま会話で味方につけることを考え始めるが、しかし、そこまで甘い展開など私にはありえない。

 

 

「――嘘です!」

 

 

咎めるような強い声。それを発したのは、普段は無口な宮崎のどかだった。分厚い装丁の本を開きながら、怒りを込めた瞳でこちらを見つめている。

 

「……どうしてそんなことを言うんだ?信じてくれよ、宮崎。クラスメイトだろう?」

 

哀願する私の言葉に、むしろ宮崎の表情はさらに固くなった。そして、それによって周囲の連中の顔には不信がありありと浮かび始める。……どうやら、私の言葉よりも宮崎の方に信頼を置いているようだ。

 

「千雨ちゃん……どういうことよ」

 

怒りを押し殺すような神楽坂の重い声。明らかに私が嘘を言っていることを見破っている。あまりにも高い宮崎の言葉への信頼性。それに対して私の心中に、わずかな疑惑が生じていた。

 

反応を見る限り、宮崎が虚言を看破するまでは、ネギ達は完全に私のことを信じていたはずだ。それを一瞬にして覆せるほどの信用とは……。

 

――アーティファクトの能力

 

即座にその理由に思い至る。宮崎の手に開かれている本。それが彼女のアーティファクトなのだろう。最近、取得したであろうそのアーティファクトの情報を、まだ私は持ち合わせていない。未知の効力だ。だが、ある程度は予測できる。なぜ、ネギ達が宮崎の言葉に全幅の信頼を置いているのか。

 

「言葉の真贋を見抜く能力、あるいは――」

 

宮崎の反応を見るために鎌を掛けてみるが、正解の反応ではなさそうだ。やはり、本というアーティファクトの形状を考えると、もう一つの可能性の方が高いか。宮崎の表情や仕草を仔細に観察しながら言葉を続ける。

 

「――他人の心を読み取る能力か」

 

ビクリと宮崎の表情が驚愕に引き攣った。あまりに分かりやすい反応に内心で苦笑する。この内心も彼女には読み取られているわけだが。それにしても――

 

――同系統の能力

 

「いや、意外とイラつくもんだな。いざ自分がやられてみると」

 

ま、どちらかと言うと、心の中を覗き込まれることよりも、自身の特権を奪われた感覚にイラついてるんだが。しかし、そんな平和そうな顔で私の内面を読み取られるというのは癪に障るのも確か。それに、私のような弱者にとって、戦略を読まれるというのは圧倒的なデメリットなのだ。すべての策を見透かされては勝ち目などあるはずもない。

 

「諦めてください。あなたの考えはすべて読めています」

 

「ずいぶんと自信満々だな。他人の心を読むのがそんなに愉しいか?」

 

「挑発には乗りませんよ。心に隙を作ろうとしても無駄です」

 

いつもの気弱な表情でなく、真剣な表情で言い放つ宮崎。だが、こいつは分かっていない。心を読むアーティファクト。それは確かに恐ろしい能力だが、その危険性にまだ気付いていない。この世には、――読むことすら憚られる内心が存在するということに。

 

「ひっ……!な、何なんですか、これは……!?」

 

短い悲鳴と共に宮崎の表情が恐怖に引き攣った。得体の知れないものを見るような怯えた瞳で、バタンと本を閉じる。

 

「どうしたんだ?好きなだけ私の内心を覗き見していいんだぜ?」

 

「……あ、あぁ……こんな…人間が…」

 

「どうしたのです!のどか!」

 

死人のように青ざめた表情で呻き声を漏らす宮崎と、慌ててそれを支える綾瀬。涙を流し、恐慌する彼女は、小刻みに震える全身を自身の両腕で抱き締めていた。

 

「……何をしたでござる」

 

「何も」

 

鋭い視線で詰問する長瀬の言葉に、そ知らぬ風に肩を竦めることで返事とする。

 

「プラスらしい勘違いだぜ。心を読むことを長所だと思ってやがるからだ。他人の心ってのは、他人の暗部ってのは、見るに耐えないものがほとんどだってのに。特にマイナスの内心なんてな」

 

宮崎はアーティファクトを手にしてからの経験が浅い上に、過負荷(マイナス)の心を読むなんて初めてのことだろう。それが災いした。ありとあらゆる負の要素をかき集めて凝縮した球磨川さんとは比較できないが、それでも私は過負荷(マイナス)の中でも特に強烈なマイナス性を秘めているのだ。それも負完全に近いほどに。一般人が耐えられる道理はない。

 

宮崎の敗因は他人の内心を善性のものと誤解していたこと。負の感情を知り尽くした私でなければ、そもそも心の奥底に隠した内心など見るべきではないのだ。

 

「自業自得だぜ。過負荷(マイナス)の心を正面から直視して、心が折れないはずないだろーが。だから――」

 

両手を大きく左右に広げる。

 

 

「私は悪くない」

 

 

そう、嘲るように白々しく口元を歪める。悪びれない私の言葉に、とうとうネギ達の我慢が限界を突破した。急激にこいつらから発せられる気配が敵意に傾く。同時に強烈な圧迫感が襲い来る。私ですら感じるほどの膨大な気の奔流。

 

「許さないわよ……!」

 

正面には怒りの表情を浮かべた神楽坂が。咸卦法によって、爆発的に上昇したエネルギーの影響で周囲の空間が歪んでいる。それほどの莫大なエネルギー。手にはアーティファクトである『ハマノツルギ』が握られている。

 

「悪いけど倒させてもらうアル」

 

「やはり千雨殿の悪行は見逃せぬでござるよ」

 

左側には古菲、右側には長瀬が、それぞれ私を囲むように瞬時に陣取った。古菲の方は中国拳法の構え、長瀬の方は自然体だが、どちらからも鳥肌が立つほどの威圧感が伝わってくる。

 

この三人に囲まれた今の状況は絶体絶命のピンチと言っていい。この内の全員が、一対一であろうと容易に勝ち目がないほどの強者である。それが三人。しかも、さらに駄目押しのように周囲を埋め尽くさんほどの軍勢が出現する。

 

「あんた……よくも、のどかに非道いことしてくれたわね」

 

――早乙女ハルナのアーティファクトである『落書帝国』

 

後に知ったことだが、こいつのアーティファクトの効果はスケッチブックに描いた絵をゴーレムとして生成し、操ること。私達の周囲には数十体の屈強な化物の群れが出現し、逃げ場を塞ぐように四方八方に散りばめられた。人外の化物が所狭しとひしめき合い、その全てが獰猛な瞳でこちらを睨みつけていた。

 

「これで終わりよ」

 

「お前ら、魔法も気も使えない一般人相手に大人気ないぜ」

 

あまりにも不利な状況に軽く溜息を吐く。

 

「だったら諦めて降参しなさいよ!」

 

勝ち誇った表情の神楽坂の言葉に、しかし私は小さく肩を竦めるのみ。一対一ならば、この場の連中に勝つことはできないだろう。しかし、この多対一の状況は別。有利な状況こそが勝利への最善策だと考えるプラスの思考では私は縛れない。

 

「ひとつだけ教えてやるよ。有利であるという事実こそが、てめーらの弱点だ」

 

直後、私を囲んだやつらは糸が切れたように地面に倒れ伏した。

 

 

「――隙だらけなんだよ」

 

 

口の中で小さくつぶやいた。本来ならば触れることもできないほどに実力差のある長瀬や古菲でさえ、隙を突けばこんなもの。なぜ、こうも容易く隙を突けたのかと言うと――

 

――多対一という数の利による慢心、相手が魔法も気も扱えない弱者であるという油断。

 

それらは私から見れば格好の弱点なのだ。一瞬にして大勢を打ち倒した私は、しかし溜息を漏らしながら背後へと振り向いた。

 

「千雨さん……」

 

「やっぱ、最後にはあんたが残るか……先生」

 

唯一この場に無傷で立っているのが、このネギ・スプリングフィールドだった。杖を構え、決意の炎を灯した瞳でこちらに視線を向けている。

 

「魔法障壁か……面倒だな」

 

魔法使いが常時展開している魔法障壁。本人の意思とは無関係に発動する障壁だけは、隙を突いても抜くことはできないのだ。障壁の弱点を突いて破壊する。その余分なワンアクションの遅れが、ネギに攻撃の回避を可能とさせていた。

 

「チッ……やっぱ最後に立ち塞がるのはアンタってことかよ。なるほど、英雄の息子ね……。英雄の資格があるとするならば、それはこんな風に運命を決する場面に遭遇できるということなんだろうな」

 

納得と共に見据えた先には、今度こそ迷いを振り切り、戦闘態勢に移行したネギの姿があった。もはや言葉では終わらない。互いの魔法と過負荷(マイナス)を交えることでしか止まることはないだろう。真剣な表情で杖を握る手に力を込めるのが見えた。

 

「これで終わりにしましょう、千雨さん。僕の生徒達のためにも、あなたの野望はここで止めます」

 

仲間がやられたことで甘さが消えたのか。その瞳には油断も慢心も窺えない。こういった場合は会話で隙を作るのが常套手段だが、あいにくそんな時間の余裕はなさそうだ。ネギの小さな体躯から発せられる圧迫感、魔力の渦は私にすら体感できるほどになっていた。

 

「上等だぜ。魔法の才能に溢れて、英雄の血統で、偉大な師匠の弟子で、強い仲間に恵まれる。確かにアンタは持つ者(プラス)の代名詞みたいな存在だ。だけど、そんなプラスな連中を倒すことこそが、私達マイナスの悲願なんだよ」

 

「プラスだとかマイナスだとか、そんなことは関係ありません。あなたは僕の生徒です。だから、こんなことを続けさせる訳にはいきません」

 

「そうかい。好きにすればいいさ。だが、そう簡単に改心させられると思うなよ」

 

嘲るように口元を歪め、両手を左右に広げる。不敵な笑みを浮かべる私を前にして、しかし意外にも悠然とした態度を崩さないネギ。怒りのままに仕掛けてくると思ったが、思ったよりも冷静だな……。アルビレオの指導のおかげだろうか。アイツも魔法使いにふさわしく、自身の精神を制御するのが得意そうだったからな……。同じ魔法使いでもマクダウェルなんかは感情のままに戦うタイプだが、ネギは逆に戦闘時にも平静を保つタイプの魔法使いのようだ。

 

むしろ、そういうタイプの方が厄介なんだよな……。特に私のような相手の隙を突くタイプには。感情の昂ぶりで普段以上の力を出すというのは、言い換えれば通常時に比べて意識や感情のバランスが崩れているということ。つまりは隙があるということだ。私にとっては今のネギのような平静な状態の方がよほど怖い。

 

「皮肉なもんだな。たび重なる過負荷(マイナス)との遭遇が、何事にも動じない心を作り上げたなんてさ。いや、それにしても異常なほどに落ち着いてるみたいだが」

 

「師匠から、あなたたち過負荷(マイナス)への対抗策として授けられた魔法。今になって、ようやく完成しました。これが精神を制御する自己操作魔法です」

 

「へえ……精神に耐性を作ったんじゃなく、自分の精神を操ってんのかよ。言うほど簡単なことじゃねーはずなんだがな。――私達のおぞましさを受け流すってのは」

 

普通の人間ならむしろ心が折れるってのに、見事というしかないぜ。この逆境(マイナス)を利用して、私達の過負荷(マイナス)に対応するとはな。だが、と私は内心で疑問を感じていた。熟練の魔法使いである学園長や、術式を教えたというアルビレオでさえ、球磨川さんから見れば弱点が見えていたはずだ。だというのに、このネギからはまるで隙が見えない。

 

「いや、元々あんたの強さの根源は、村を滅ぼされたという負の記憶だったな……。光も闇も経験しているアンタならば、魔法でとはいえマイナスの恐怖に対抗することも可能、か」

 

もちろん、前提として魔法に対する埒外なまでの天才性があってこその話だが。

 

「不思議ですね、千雨さん」

 

「何がだ?ネギ先生」

 

「あれほど恐ろしかったあなたが――今はまるで怖くない」

 

「はっ!言うようになったじゃねーか」

 

凍えるほどのマイナス性を前にしても、ネギは眉一つ動かさない。確かにこいつは過負荷(マイナス)を克服していた。内心の忌々しさを隠さずに自身の口元を醜く歪める。しかし、全開のマイナス性でさえ、目の前の少年の心を揺らすことはできなかった。

 

「もう諦めてください。今の僕にはわかります。過負荷(マイナス)のおぞましさから目を背けずに、正面から見据えれば一目瞭然。千雨さん――あなたは弱すぎる」

 

「油断は禁物だぜ。それが原因でやられた奴らが、そこに無様に転がってるだろ?それとも、こんな足手纏いなんざ天才少年には不要だったかな?」

 

「事実を言っただけですよ。それに、油断があるかどうかは、あなた自身が一番よくわかっているでしょう?」

 

憎らしいほど冷静に言葉を返してくるネギ。挑発気味の発言にもまるで心の隙が生まれない。こいつの精神を崩すのは正攻法じゃ無理そうだ。仕方ないか……。私は両手を軽く上に上げると、やれやれと諦めるように首を振った。

 

「わかった。私の負けだ。降参するよ」

 

「……本当ですか?」

 

「もちろんだ。勝てない勝負を挑むほど私は無謀じゃねーよ。それとも、自分の生徒の言葉を信じてくれないのか?」

 

「いえ。わかりました。信じます」

 

諦めた風に溜息を吐く私の姿を訝しげに見つめるネギだったが、すぐにその敗北宣言を受け入れた。やはり甘い……。

 

「助かるぜ。情けない限りだが、アンタのようなガキにすら、虫けらのように潰されちまう弱さなんでな」

 

両手を上げた無防備な姿勢のまま、目の前の少年へと哀願する。頷くネギ。学園の敵である私にまで寛大な処置を約束してくれるとは、まさに教育者の鏡だな。

 

「ありがとう、先生。あんたの生徒でよかったと心から思って――」

 

 

――パリンと何かが割れる音が響いた。

 

 

一瞬の内に私はネギの背後へと回り込んでいた。奇襲による不意打ち。障壁を破壊する初太刀に続き、無防備な身体に打ちだされるニ撃目。しかし、隙を突いたはずの攻撃は――

 

「見えてますよ」

 

――こちらへ首すらも向けずに、あっさりと巨大な杖によって防がれていた。

 

「チッ……生徒のことを信じてくれたんじゃなかったのかよ」

 

「信じていましたよ。ですが、それと油断することとは無関係でしょう?」

 

「ずいぶんと可愛げのねーガキになりやがって」

 

鍵と杖での鍔迫り合い。ギリギリと至近距離で押し合う私達。だが、いくらインドア派の女子中学生の私といえども、9歳の子供に腕力で負けることはない。この手ごたえなら押し切れる!

 

無理矢理にでも押し込んで追撃を掛けようとする私だったが、そのタイミングでネギは小さくつぶやいた。

 

「戦いの歌(カントゥス・ベラークス)」

 

直後、杖越しにネギから伝わる力が増大する。

 

――自己強化魔法か!

 

「んおっ!」

 

まるで爆発したかのような圧倒的な力を前に、私の身体はあっさりと弾き飛ばされてしまった。完全な力負けである。自身への魔力供給によってネギの身体能力が飛躍的に増大しており、もはや純粋な腕力ではまるで勝負にならなかった。忌々しく呪詛を込めて吐き捨てる。

 

「こりゃ、近接戦闘は無理だな」

 

弾き飛ばされたのを利用して、さらに背後へと一足だけ跳びのく。と見せかけて、むしろ一切の躊躇無しで全力で相手の懐へと跳び込んだ。正攻法で勝てる相手ではない。最大限に鋭敏にした自身の感覚をネギに集中させ、生じたわずかな隙に賭けたのだ。

 

「もらった!」

 

下段からネギの無防備な脇腹めがけて鍵を振り上げる。しかしインパクトの直前、私は反射的に身体を捻っていた。攻撃意志をかなぐり捨てて、転がるように地面へと倒れこむ。それと同時に、先ほどまでいた空間を数条の光線が貫いた。制服の胸の辺りをわずかに光線がかすっており、黒ずんだ部分が焦げた臭いを漂わせる。

 

「失敗、ですか」

 

命からがら回避に成功し、そのまま逃げるように距離を取った私だったが、その顔は驚愕に引き攣っていた。この数秒にも満たない攻防における異常性に、戦慄を覚えずにはいられない。最大限の警戒によって、私の感覚器官は研ぎ澄まされていたはず。だというのに全く攻撃の気配を読めなかったのだ。他人の感情を読むという私の特性が通じない。あまりにも恐ろしい事態を前に、私は呆然自失の表情で立ち尽くしていた。

 

「……攻撃に感情がまったく乗ってないだと!?」

 

「いえ、攻撃の瞬間だけ少し感情が出てしまいました。そのせいで寸前に察知されてしまいましたね」

 

淡々とした調子で話すネギ。その顔には、次は修正できるという確信が表れていた。消えかかっている意志の希薄を感じながら、私は球磨川さんが以前話してくれた言葉を思い出していた。

 

――『完全なる人間』

 

つまりは弱点や欠点の存在しない人間のことだ。特に私のような人間にとっての天敵。心の底から漏れ出てくる絶望を内心で笑いながら、小さく溜息を吐いた。これが運命なのだろうか。奇しくもこの時期だったはずだ。球磨川さんが『完全』を体現する黒神めだかに敗北したのは――

 

「精神面を『完全』な状態に制御する魔法――」

 

目の前の少年から、ありとあらゆる感情が消えていく。

 

「これが、光(プラス)でも闇(マイナス)でもない無(ゼロ)――『無の魔法』です」

 

あ、これは負けたかも……。

 



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27時間目「あんたの『完全性』と私の『負完全性』」

――『無の魔法』

 

仰々しい名前で呼んでいたが、本質的にはそれほど恐ろしいものではない。精神を完全に制御する自己操作魔法。とはいえ、それは決して自己強化のための魔法ではない。短所をなくすと言えば聞こえは良いが、代わりに長所を犠牲にしており、むしろ戦闘力自体は下がっているはずだ。本来ならば欠陥魔法と言われてもおかしくはない。

 

『無の魔法』使用時のネギ、仮に『無神モード』とでも名付けるとしよう。その無神モードのネギと通常時のネギが戦ったならば、間違いなく通常時の方が勝利するだろう。なぜなら、ネギの天才性の発現たる戦闘中における進化やひらめきを捨ててしまうことになるからだ。『完全』とは極まっているということ。つまりは変化しないということなのだ。だというのに――

 

「ごほっ……くっ…ここまで近づけねーとはな」

 

荒い息を吐き、地面に膝を着きながら、私は忌々しげに吐き捨てた。まるで近付く隙が無い。ひたすらに距離を取って遠距離から魔法を撃ち込むことに専念されていた。それにより私の身体は度重なる猛攻によって傷だらけの満身創痍。あまりにも一方的な展開。この間にも、殺到する魔法の矢の雨を避けきれずに数発の魔弾が身体に突き刺さっていた。

 

「魔法の射手(サギタマギカ)光の十三矢、闇の十三矢」

 

「がっ……!」

 

恒星のごとき光弾と暗黒のごとき闇の魔弾。それらがまるで流星群のように襲い掛かる。前後左右に身体を揺らすが、その回避ですら相手の予想の範囲内。砲丸がぶち当たったかのような強烈な衝撃が左肩と脇腹に走った。と同時に軽々と弾き飛ばされる身体。生身の肉体に容赦なく撃ち込まれる魔法の雨。それは甘さなど一切を切り捨てた凄絶なものだった。

 

「諦めてください。あなたの身体能力では勝ち目はありません」

 

ゴロゴロと地面を転がる私に対してネギは言い放つ。あまりにも無慈悲な魔法の嵐に、肉体はもはや無事な部分を探す方が難しい有様だった。しかし、全身を走る激痛を無視して、私はよろよろと立ち上がる。制服というよりもボロ布と言った方がもはや正確だろう。その破れかけた制服の隙間から見える肌は、骨折による陥没や打撲跡で赤や青に痛々しく染まっていた。もちろん、そんな風に女子生徒をボコボコにしている当の本人は涼しげな顔である。

 

「千雨さん。確かにあなたのスキルは素晴らしい。『相手の意識の隙を突く』というのは本当に脅威です。日本風に言えば、タンスの角に足の指をぶつけてしまうようなものでしょうか。意識外からの攻撃。――本当に見事な技術です」

 

そう言って賞賛するネギだったが、無論、その感情すら読み取ることはできなかった。

 

「意識の隙さえ突けば、力も速さも、技術すらも不要なんですね……。ですが、逆に言うと本来のあなたは――力も速さも技術もない、ただの一般人に過ぎないということです」

 

「ご名答。やっぱ、純粋なスペック勝負じゃ相手にならねーか」

 

ネギとの間には十数メートルの距離が開いている。校舎と校舎に囲まれた裏庭。そこは学園のデッドスポットでありながら、障害物も無く、細長いという袋小路だった。遠距離から狙い撃つネギには非常に有利な地形。

 

「つっても、前に行くしかねーのが私の悲しいところなんだよな」

 

精神を完全に制御したネギの心には、油断や慢心といった感情は存在しない。もはや彼我の戦力差は、通常の魔法使いと一般生徒の比較と同義だ。いや、一般人のクラスメイトの方が運動能力的には上かもしれない。それでも、瞬動に比べれば明らかに遅い走りでもって、私は前進する。それが勇気でもなんでもなく、ただの無謀であることを知りながら。

 

「あああああっ!」

 

「ただの的ですよ」

 

連続して放たれる魔法の矢。右、左、右とステップし、わずかに空いたスペースに身体を捻りながら潜り込む。が、その回避もそこで打ち止め。

 

――重力魔法!?

 

読みきったように目の前の空間に生じた重力異常を、私は後方に跳び退くことでしか避けられない。続けて足元に飛来する数発の矢により、さらに強制的にバックステップして逃げさせられる。完全にこちらの動きを読みきられ、誘導された。今の位置は先ほどまで立っていたのと同じ地点である。そして――

 

「ぐあっ!」

 

背中に突き刺さる衝撃。慌てて背後へと目をやると、そこには先ほど回避した魔法の矢が向きを変えて飛来していた。

 

――追尾式の誘導弾。

 

無警戒で魔法の直撃を受け、激しく吹き飛ばされる。身体の内部で骨の軋む音が響いた。地面を転がりながら、内心で呪詛の言葉を吐き捨てる。

くっ、完全にガキの掌の上で踊らされた。

 

「ごほっ……背後から攻撃とはな。ずいぶんと卑怯な真似するじゃねーか」

 

挑発には反応すらせずに、ネギは無表情で次の魔法の詠唱を始める。この戦闘の間にも次第に感情が消えているようだ。戦闘における美意識など欠片も無く、ただ合理性を追求しただけの無機質な魔法戦へと変化していく。まるで詰め将棋のような戦術。冷静に私の回避行動を予測し、それを制限していくだけ。一切の感情の関与しない機械的な戦闘に移行した。

 

「……まるでプログラムを相手にしてる気分だぜ」

 

野球で例えるなら、決まった球種を決まったコースにひたすら投げ込まれる気分と言えばいいだろうか。対戦打者にとって最適な配球を、指示通りにミス無しで投げ込まれるような。どんな罵声も駆け引きも無視して、ただ機械的にミットへと投げるだけ。しかし、それこそが私達マイナスにとっては最も脅威なのだ。四球や失投を狙うしかない弱者にとっては、ただセオリー通りのゲームを展開されるのが一番困るのだから。

 

「戦力差がありすぎるぜ……ごふっ」

 

内臓を痛めたのか、食道からせり上がってきた血液が口元からあふれ出す。ごぷり、と口の中に充満する液体を再び飲み込むと、動きの鈍くなった右腕に力を込めて巨大な鍵を握り締めた。同時にネギの詠唱が終了する。それから発射までの数瞬を、自分自身への覚悟のために費やした。おそらく、この交錯が最初で最後のチャンス。

 

「魔法の射手(サギタマギカ)光の十三矢、闇の十三矢」

 

全身に蓄積した損傷から考えて、この身体がまともに動くことができるのはこれが最後の機会だろう。内心で静かに認識した。これ以上のダメージを受ければ、痛みは耐えられても、身体の機能が強制的に停止してしまうだろう。

 

「その攻めはさっき見たぜ!」

 

正面から襲い来る数十もの魔法の雨。しかし、その配置は先ほどの攻撃と全くの同一だった。

 

完全に精神の制御された『無神モード』。冷静さを極めた現在のネギの行動はあまりに機械的すぎた。簡単に言えば、気まぐれやランダム性だろうか。感情のブレが行動に反映されないがゆえに、同じ状況では同じ攻撃を必ずしてくることは分かっていた。

 

「ははっ……わざわざ場所や体勢、精神状態まで、さっきの状態に近付けた甲斐があったぜ」

 

ただ無意味にやられていた訳じゃない。選択する戦術に、それほどのパターンがないことはすでに分析済みだ。

 

右、左、右とステップを踏んで回避しながら、ネギの元へと走り出す。攻撃予測ができている分だけ、わずかに先ほどよりも体勢の崩れが小さくなっている。次に放たれる魔法は、範囲指定された重力魔法。しかも、数瞬後にいるであろう地点が効果範囲なので、回避するには足を止めるしかない。

 

左右に避ければ……チッ、魔法の矢に撃ち抜かれるか。

 

時間差で放たれている魔法の矢が重力魔法の範囲外をくまなくカバーする形だ。横から迂回するのは、わざわざ自分から矢面に立つようなもの。後方にしか逃げ場が無いように誘導されているのだ。

 

だが、知らなかったみてーだな。過負荷(マイナス)を理解しようだなんて元から無理な話だってことを――

 

「あああああああっ!」

 

重力魔法の発動する前に効果範囲を走り抜けようと、躊躇無く前方へと飛び出した。直後、空間が歪み、異常重力によって地面が圧壊する。しかし、それを間一髪で潜り抜けた私は、そのまま残りの距離を詰めようと全力で疾走する。目の前の少年の顔がわずかに引き攣った気がした。それは、必中の確信を持って放った重力魔法を回避されたからではなく、――重力異常に巻き込まれ、右膝がへし折れているのに平然と走ってくる姿に恐怖を覚えたからだろうか。

 

あらぬ方向にねじ曲がった右脚で地を踏みしめ、あまりにも不気味に走り寄った。後遺症の残りそうな危険な行為だが、笑いながら走るその姿には言いようのない気持ち悪さが現れている。冷静に導き出したネギの予測を超えることはできないと、私は初めから理解していた。万全の体調でも回避できないだろう地点に誘導され、重力魔法が発動されるだろうと。だから、元より完全に回避することなど考えていなかった。

 

「痛みだとか損傷を恐れるなんて普通(ノーマル)な感性は持ち合わせて無くてな!」

 

結果、自身の右脚が圧壊させられたが、対価として時間を手に入れた。

 

――背後から襲ってくるであろう誘導弾が届くまでの時間を

 

「ですが!片足が潰れたおかげで速度は落ちています!」

 

右膝の関節から破壊されたことにより、速力は低下している。ネギとの距離は残り数メートルほど。この間合いではこちらの攻撃は届かない。身をわずかに低くしたネギは自身の両足に魔力を収束させる。瞬動で再び距離を取って魔法の掃射を行うつもりだろう。その前に動きを縛る。

 

「空繰!後ろから撃て!」

 

ネギの後方に視点を合わせて叫ぶ。前後からの挟撃。私の声に対し、わずかに相手の動作が停止した。しかし、それは一瞬だけのこと。隙ができたわけでもないし、接敵までの時間稼ぎにも足りない。冷静に状況を判断し、瞬動による高速移動で場を離脱されてしまう。完全に精神を制御されたネギを相手に、虚を突くことなどできはしないのだ。そして、当然ながら――

 

――空繰の増援なんて来ていない

 

本当に増援がいるならば、自分からバラすはずがない。これは過負荷(マイナス)のお家芸であるただの虚言である。私がどんな人間かを理解していれば、これが嘘であることは明白だったろう。しかし、無神モードのネギの思考からはそういった決め付けは排除されていた。空繰が私達の仲間であることも、そして彼女の行方が分からないことも知っているのだから警戒は当然。両足の裏に収束した魔力を一気に爆発させ、回避と逃走を図った。

 

精神が完全に制御された『無心モード』の弱点――

 

 

――それは、行動原理から一切の感情を排し、論理(ロジック)にのみ特化させたがゆえの『合理性』にこそあった。

 

 

「読んでたぜ」

 

ネギが避難した先は、右側に建っていた校舎の中であった。魔法障壁を破壊できる私を前にして、その場に留まることは愚策中の愚策。当然、逃走を選択する。しかし、直後に挟撃を示唆する発言、さらに「撃て」という言葉で狙撃を匂わせた。その結果、逃走方向から後方と、同じく遮蔽物のない上空も消去される。逃走場所に選んだのはコンクリートに囲まれ、窓に面している隣の校舎の内部。最短距離で辿りつくために一階に飛び込んだのだ。

 

「心を読めないなら、行動を読むまで」

 

ギィンと、ネギの足元に私が直前に投げ放っていた巨大な鍵が突き刺さった。続いて数本の鍵が周囲に立ち並ぶ。突き刺さった地点にはひびが割れ、廊下から天井へと加速度的に割れ目が増大する。一秒にも満たない間にその裂け目は校舎全体を覆い尽くした。校舎が崩壊する。

 

「これは……!?」

 

「校舎の弱点を突いた。そこがあんたの棺桶だぜ。教師らしく、学校に骨を埋めろよ」

 

「そんな……こんな芸当…。千雨さんにこれほどの強度があるはずが……」

 

「なめんなよ。弱さを見抜く能力なら、私は球磨川さんにすら負ける気はないぜ」

 

退路を塞ぐように、窓の外から崩壊する校舎内へと声を掛けた。三階建ての校舎に押し潰されれば、魔法使いといえど死は免れないはず。天井が瓦礫となって降り注ぐのを横目に、私は愉しそうに笑った。しかし、会話の最中にもネギは状況を冷静に観察している。

 

「しかし、安心しましたよ。茶々丸さんが加勢に来たというのは嘘だったようですね」

 

「あんな見え見えの嘘、騙される方が悪いぜ?だから、――私は悪くない」

 

両手を左右に大きく広げ、勝ち誇った気分で笑みを浮かべる。だが、ネギは余裕の表情を崩さない。なぜならば――

 

「この程度の質量、僕にとっては何の障害にもなりません」

 

ついに支柱の一つにまで亀裂が達した。天井が崩落し、ネギを押し潰すように落下する。ネギは杖を上へ向けて構えると、魔法を発動させようと口を開いた。濃密な魔力の奔流。高威力魔法で、天井どころか校舎丸ごと吹き飛ばすつもりだ。

 

「雷の暴……っ!?」

 

しかし、その寸前、ネギの表情が今度こそ完全に引き攣った。

 

ガラスの割れたような音が廊下に響き渡る。ネギの目の前へと跳び込んできた私による障壁破壊攻撃だ。今にも倒壊せんとする校舎に飛び込んでくるとは、ネギにとっては理解不能な現象だろう。まるで死にに来たようなもの。

 

「どうしてこんな危険な場所に……。あなた、死ぬ気ですか?」

 

天井から巨大な瓦礫が迫る。叫びながらもネギは瞬時に魔法障壁を張りなおす。が、私はそれを許さない。

 

「させるかよっ!」

 

二度、三度とネギが障壁を張り直すたびに腕を振るい守りを叩き割る。あとコンマ数秒で天井が私達を押し潰すのを直感し、狂気を孕んだ瞳で目を合わせてやる。私の顔には気持ち悪い笑みが浮かんでいた。自身の命をあっさりと天秤に掛け、自滅を誘う最低(マイナス)な駆け引き。

 

「選べよ。このまま潰されて一緒に死ぬか、私に隙を見せるかをさ」

 

「……か、『雷の暴風』!」

 

隙を見せる方を選ぶしかなかった。手を掲げて放つは破壊の奔流。ハリケーンのごとき巨大竜巻が真上に向けて発生した。瓦礫はおろか、三階建ての校舎が丸ごと吹き飛ばされる。まさに戦術兵器級の威力。しかし、その代償として――

 

「ようやく隙を見せてくれたな」

 

ドスリ、とネギの胸に鈍く輝く金属製の鍵が突き刺さっていた。

 

「ぐっ……ですが!自己強化魔法は続いています!」

 

精神的な隙が無かった分だけ、ネギは意識を飛ばされずに済んでいたのだ。しかし、この状況に持ち込むことこそが、校舎内への誘導から始まる一連の策の本当の狙い。

 

「接続完了――ハッキング開始」

 

――『脆弱退化(オールジャンクション)』

 

 

「あんたの『完全性』が上か、私の『負完全性』が下か――こっからは純粋な絶対値の勝負だぜ!」

 

 

完全に制御されたネギの精神を、私の過負荷(マイナス)で崩すことができるのか。『無神モード』と『脆弱退化(オールジャンクション)』。互いに精神の制御権の奪い合いだ。この対決にだけは小細工は必要ない。片手で握った鍵を全力で右に回す。拮抗は一瞬――

 

「うわあああああああああああ!」

 

カチリと心の鍵の決壊した音を感じた。濃密で濁りきった負の感情の渦が無垢な少年に襲い掛かる。悪意と害意の奔流。まるで地獄を見たかのように目を大きく見開いたネギは、絶叫と共に意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

青ざめた表情で気絶し、倒れ伏した少年に向けて、私はつぶやいた。

 

「あんたの資質は完全性にはねーんだよ」

 

勝敗を分けたのは、本物の『負完全』である球磨川さんを知っていたこと。確かにナギ・スプリングフィールドは最強の存在の一人だろう。しかし、『完全』ではない。本当の完全を知る私の目から見れば、『無神モード』は完全ではなかったのだ。

 

英雄の資質は強さにある。英雄の後継者であるネギも同じく。そのネギが自身で強さを封じてしまった以上、この結果は必然であったのかもしれない。いくら天才であろうとも、無の魔法であろうとも、『完全』を体現するのは容易ではないのだ。『負完全』の後継者でもない限りは――

 

「ま、全然自覚はないんだけどな……」

 

正直、負完全に最も近いと言われてもピンと来ないものがあるが……。とはいえこの戦い。私の負完全性の勝利と言っていいだろう。まさに負完全勝利。

 

晴れ晴れとした顔で校外へ向けて足を踏み出した。倒れたネギと、半壊した校舎を上空まで貫く大穴。それらを無感動に眺めると、最後の仕掛けのためにガラスが吹き飛ばされ、窓枠だけになった隙間から降りようと足を伸ばす。

 

 

――過負荷(マイナス)である私が勝利だなんて、そんな美味い話がある訳なかったか。

 

 

校舎全体が軋む音を感じた。上を見上げた私の目には今度こそ三階建ての校舎が丸ごと崩れ落ちる光景が映っている。皮肉にも屋上までぶち抜きで大穴を開けたネギの倒れる場所だけは、一切の被害が無さそうだった。スローモーションの視界の中、私の肉体を押し潰そうと迫ってくる天井。

 

「なるほど……試合に勝って、勝負に負ける、か」

 

私の身体能力では逃げられない。諦念を込めて目を閉じた。しかし、その瞬間、無機質で機械的な声が耳に届く。

 

「遅くなってすみません、千雨さん」

 

全身を引っ張られ、危険地域から飛ばされた私が振り向くと、そこには空繰の姿があった。予想外の増援に驚きを隠せない。

 

「……空繰か。助かったぜ。ピンチに味方が助けに来るなんて王道展開が、私みたいなマイナスにあるとは驚きだな」

 

「先ほどからずっと戦闘の様子は観察していましたので」

 

「偶然じゃなく、ピンチを見計らって助けに来たのかよ……。ま、いいや。これ以上の邪魔が入る前に最後の仕掛けに入ろうぜ」

 

これこそが選挙戦における最後の仕事である。空繰は自身の瞳の機能をビデオモードへと変更した。

 

「システム異常ありません。麻帆良全域に映像を放映する準備ができました」

 

「そうか、わかった。では、お願いします――」

 

本当に寒気がするほどのマイナス性だ。球磨川さんがこの場にいないだけマシだが、それでも常人ならばおぞましさに背筋を凍らせるに違いない。視線を空繰の隣の二人へと移した。

 

「――安心院さん」

 

「了解したぜ、千雨ちゃん」

 

――安心院なじみ

 

彼女こそが悪平等(ノットイコール)にして、一京のスキルを持つ人外である。真っ白な長髪に、同じく白の和装。異彩を放っているのは、まるで封印のように全身を貫かれている七本の螺子。このネジこそが、球磨川さんの『はじまりの過負荷(マイナス)』――『却本作り(ブックメイカー)』である。

 

「安心してくれていいぜ。安心院さんだけに。今回の僕は、きみ達の企みに乗ってあげるよ。もちろん球磨川くんの頼みではあるんだけど、『大嘘憑き(オールフィクション)』による一段階目の封印を解いてくれたお礼ではあるんだけど、それだけじゃなく。きみにも興味があるんだよ。球磨川くんがめだかちゃんとの対戦よりも優先した、新たなる負完全の育成の結果に――」

 

「それは光栄ですね」

 

「きみは、ちゃんと僕のことを親しみを込めて安心院さんと呼んでくれているみたいだね。感心安心」

 

封印されていたはずの安心院さんがこの場に存在できるのは、球磨川さんの『大嘘憑き(オールフィクション)』で存在が『なかったことにされた』効果が消失したからだ。ただし、二段階目の封印であるところの『却本作り(ブックメイカー)』の効果は続いているため、現在の彼女は球磨川さんと同じく、すべてのスキルを封じられ無能力者(マイナス)へと堕ちている。

 

「魔法使いの地で生まれた過負荷(マイナス)――なるほど、たしかに興味深い。『完全なる人間』の製作に魔法は不純物だと思っていたけど、考え直す必要があるかもしれないね」

 

嬉しそうに笑う安心院さん。その背後にはもう一人の悪平等(ノットイコール)である不知火半纏が控えている。ま、今回の仕掛けには安心院さんだけがいればいいので、声を掛けたりせずに放置しておく。空繰の前に立った彼女は全校生徒へ向けて、麻帆良学園に所属する自身の端末に向けて、声を発した。

 

「こんにちは。僕は悪平等(ノットイコール)、安心院なじみ。親しみを込めて安心院さん、と呼びたまえ。それで、さっそくだけど麻帆良学園に所属する端末(ぼく)にお願いがあるんだ」

 

世界の全人口の十分の一、七億人という膨大な数を有する安心院さんの端末である。過負荷(マイナス)の存在や度重なる戦闘によって相当投票率が低下するだろうこの選挙において、人口の十分の一という数はあまりにも大きい。

 

 

「彼女達に投票してあげてよ」

 



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28時間目「負荷の行き過ぎた私達には」

とある空き教室の一室。そこに、一人の少年が倒れていた。

 

「う、うぅん……ここは?」

 

「よお、起きたか?ネギ先生」

 

「……っ!千雨さん!?」

 

一瞬の沈黙。そして、私の顔を見るやいなや、ハッとした表情で飛び起きるネギ。慌てて周囲を見回すと、すでに空は薄紫に染まっている。時刻は夕方の五時。精神薄弱の状態で気絶してから、すでに数時間が経過していた。

 

「やめとけ。もう投票期間は終わってる。戦う理由なんてないだろ?」

 

杖を構えてこちらを睨みつけるネギに対して、両手を挙げて降参のポーズを取る。余裕の表情を浮かべて笑いかける。先ほど死の一歩手前まで追いやられた相手だが、もはやこのガキに脅威は無い。なぜなら――

 

「足が震えてるぜ」

 

「そ、そんなことは……」

 

青ざめた表情で膝をガクガクと震わせるネギ。視線すらまともに合わせられない。今にも逃げ出しそうなほどに、目の前の私に怯えていた。

 

――完全に心が折られている

 

「どうした?戦いたいなら、好きに襲い掛かっていいんだぜ?」

 

「う、うぅ……」

 

「ほら、早く来いよ」

 

無意識の内に一歩後退る。この世の地獄を前にしたかのような戦慄と、爬虫類の群れに投げ込まれたかのような嫌悪感が、瞳に色濃く映っていた。抵抗の意志など粉々に砕け散る。ニヤニヤと気持ち悪い笑みを作りながら、目の前の少年の恐怖の表情を楽しんでいたのだが、それは背後からの声によって中断させられた。

 

「子供をいじめるのは感心しないぜ」

 

「くくっ……悪い悪い。あんまりにも怯えるもんだからつい、ね」

 

ネギの背後に現れたのは長い白髪に白装束に身を包んだ女だった。突然、現れた人間に警戒感を表すネギ。しかし、その顔には私に相対していたときよりも、さらに深い恐怖が浮かび上がっていた。それもそのはず。彼女と、さらにその背後に無言で佇む彼こそが、球磨川さんに匹敵する絶対値を持つ過負荷(マイナス)なのだから。

 

「あなたは……」

 

「はじめまして、ネギくん。僕は安心院なじみ。親しみを込めて、安心院さんと呼びたまえ」

 

異様な雰囲気を漂わせる女に訝しげな視線を送るネギ。しかし、それを気にした風もなく、安心院さんは親しげに少年へと笑いかける。

 

「とても興味深い戦いだったぜ。特にあのオリジナル魔法は面白かった。精神の振れ幅を完全(ゼロ)に制御する『無の魔法』。ただ、あまりにも主人公的でなかったせいで、きみの主人公度が大幅に打ち消されるという結果になっちゃったみたいだけどね」

 

「主人公度……ですか?」

 

「ああ、本来なら千雨ちゃんがきみに勝つことは不可能だったはずなんだけどね。物語で例えるとわかりやすいかな。主人公って存在がいるだろう?まさにきみはそれだった。勝利という結果が確定している人間、とでも言うべきかな。三年前にもひとり見つけたんだけどね。本当に珍しいんだぜ?千年に一人のレベルの逸材が同じ時代に二人も同時に存在するなんて、純粋に驚きだよ」

 

――主人公

 

安心院さんの言うもう一人の主人公とは、黒神めだかのことだろう。世界が漫画であると仮定した場合の比喩だと言っていたが、要するに勝利を運命付けられた存在、ということらしい。敗北を運命付けられた球磨川さんとは対極の存在。そう考えれば理解しやすい。黒神めだかに会ったことはないが、球磨川さんの反対の人間ならば、その存在のデタラメさは想像できる。もちろん、想像を遥かに超えた異常度なんだろうが。

 

「主人公というのはわかりませんけど……。さっきの戦いを見ていたんですか?」

 

「まあね。光(プラス)でも闇(マイナス)でもない無(ゼロ)――それを体現したきみの魔法は確かに興味深かったけど、しかし、あまりにも反主人公的な魔法でありすぎた。これを、例えば千雨ちゃんあたりが使うのなら有効だったかもしれないけど、主人公が使うには向かないぜ」

 

「で、ですが……!」

 

過負荷(マイナス)の恐怖を克服するために、その魔法は必須だったのだろう。精神を制御することこそが本気のマイナスと戦うための最低条件だったはず。しかし、それでも精神を殺して機械的に身体を動かすのは悪手だった、と安心院さんは答えた。

 

「その考え方が間違ってるのさ。強さとか弱さじゃない。主人公は運命的に勝つことが決まってるんだよ」

 

「何を言って……。運命で勝敗が決まっているなんて、そんな話あるはずないでしょう」

 

やはりネギには受け入れがたい話だったらしく、うさん臭そうに眉根を寄せて口を尖らせた。そして、そんな反論を気にした風もなく、安心院さんは小さく溜息を吐く。

 

「それにしても残念だぜ。せっかく主人公を見つけたっていうのに、もはや再起不能にされちゃったなんてね……。そこまで心を折られたら、もう過負荷(マイナス)の相手はできないだろう?」

 

「……っ!?そ、そんなことは……」

 

「さっき千雨ちゃんに凄まれて顔面蒼白だったくせによく言うぜ。ま、それでなくとも今のきみからは主人公性がほとんど感じられないからさ。本当に残念だけど、諦めるとするよ。フラスコ計画に使うには最良の実験体だったのに」

 

……聞き捨てなら無い台詞があったような。

 

耳を疑ったのは人間を実験体呼ばわりしたことではない。この人外にとっては人間など取るに足らない物なんだろうし。気になったのは当然、主人公性の喪失についてだ。そんなことが有り得るのか?

 

「もう物語に必要とされなくなったのかもね。ま、そもそもスピンオフの外伝じゃあるまいし、同じ世界に主人公が二人も存在するなんておかしな話だったんだよ。球磨川くんの封印がもう少し早く解けていれば、きみにアドバイスしてやることもできたんだけどね」

 

「……さすがにそんな事態は考えたくないですね」

 

「ま、でも千雨ちゃん。きみという『負完全』の可能性を見られただけで良しとしておくぜ。それに、過性能(プラス)でも過負荷(マイナス)でもない『持たざるもの(ゼロ)』。結局は失敗したとはいえ、考え方自体は悪くない。今後の参考にさせてもらうぜ」

 

「あなたにとっては私達も等しく観察対象ですか……。っと、そろそろ集計結果が始まる頃ですね」

 

時計に視線をやると投票箱の回収からすでに数時間が経過していた。先ほど空繰が持ってきてくれたPCを開き、学園のHPへとアクセスする。開票結果はこの麻帆良全域に無数に設置されたテレビやPCのモニタに表示される訳だが、空き教室へと隠れている私達の周囲にはテレビが無かったのだ。それに対して安心院さんは無関心のようで――

 

「やはり、本当の主人公は彼女だったか」

 

そんな風に彼女は口元を歪め、冷たい声でつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

――時刻は午後六時頃

 

学園祭も終わりに近付き、最終日の麻帆良はきらびやかな光に彩られている。私達の不吉な選挙活動の影響で例年ほどの活気はないが、それでも今年最大のお祭りは選挙とは無関係に行われ続けていた。そんな賑やかさと騒がしさに満ちた窓の外とは対照的に、この教室は緊張感に包まれていた。主にネギの。

 

「そんな怖い顔するなよ、ネギ先生。今更どうこうできるもんでもないし、落ち着いて結果を見ようぜ」

 

画面の向こうには選挙管理委員長の男の顔が映っていた。これより開票され、学園の支配者の発表となる。投票に勝利すれば、麻帆良に存在するすべての学校の生徒会業務を統括できるようになる。過負荷(マイナス)である私達が勝利すれば学園は負の巣窟に変貌するはずだ。その最悪の事態を想像して、ネギは今にも吐きそうなほどに胸を抑えて震えていた。

 

「そんなに怯えなくてもいいじゃないか。まだ結果は出ていないんだぜ?僕の端末の数だって所詮、比率では一割程度。大幅な投票率の低下を考えたとしても、まるで安心できない数字なんだからさ」

 

「そ、そうですね……。学園のみんなだって、投票なんてしないはずですから」

 

『端末』という意味は分かっていないのだろうが、それでも希望を見出したようで、土気色だった顔にわずかに色が戻ってきた。

 

「さてね、それはどうかな?ま、すぐに結果は分かるさ」

 

余裕ぶってはみたものの、正直なところ、自分達が勝てると断言することはできなかった。マクダウェルが投票所を守り通したことは朝倉から聞いていたが、得票数に関しては尋ねなかったからだ。発表を見れば十分だし、何より私のやるべきことはもう終わっている。

 

「ようやく始まるみたいだぜ。これほど選挙をこれほど楽しみにできるのは何十年ぶりかな」

 

安心院さんが嬉しそうにPCの画面を見つめる。私とネギも決着を前にして黙り込んだ。

 

「そ、それでは、これより開票結果についてお知らせします」

 

麻帆良大学の選挙管理委員長が画面中央の壇上に現れた。過負荷(マイナス)や魔法使いとは無関係の一般人だが、それでも今回の選挙の尋常ならざる雰囲気を感じており、わずかに声が震えていた。

 

「本日、行われました決戦投票の結果を発表致します。麻帆良女子中等部、男子高等部、聖ウルスラ女学院の連名による、その他の全校舎に対する不信任決議。その結果は――」

 

ゴクリと隣でネギが息を呑むのがわかった。先ほどまで外から響いていた喧騒が嘘のように静まり返っている。信任多数なら学園側、不信任ならばマイナスの勝利。その結果は――

 

 

「――信任98%、不信任2%!これにより!要請は棄却されました!」

 

 

「「やったああああああああ!」」

 

窓の外から響く大音量の歓声。空気の震え。怒号のように歓喜の叫びが麻帆良中を駆け巡る。隣に座るネギは緊張の糸が途切れたのか、ぺたりと緩んだ表情で背中から床へ倒れこんだ。

 

「……得票率が2%って、悪平等(ノットイコール)の連中はどうしたんだよ」

 

「決まってるだろう?ほぼ全員が反対票を投じたのさ。彼女達は僕の端末ではあるけれど、僕の意志に絶対服従なんかじゃ決してない。『自由であること』『僕である以前に自分であること』。それが僕の与えた最初の使命なんだから――」

 

安心院さんは肩を竦める。つまり人質など通じないということだ。

 

「とはいえ、ここまで圧倒的な票差になるとは思わなかったけどね。あれだけ脅されて、それでも信任に投票する生徒がこれほどいたなんて。はっきり言って予想以上だぜ」

 

敗北。

 

しかし、想像したほどの衝撃は受けなかった。策を練り、準備を整え、計画を遂行し、万全を尽くし、それでも及ばない。そんな敗北の予感は確かにあった。運命から敗北を決められているかのような、そんなマイナス思考が頭から離れなくなったのはいつからだろう。これが負完全に近づくということならば、球磨川さんの心中はいかほどのものか。世界で最も弱い生き物の気持ちなんて、この世の負の要素をすべて押し付けられるなんて、とても人間に耐えられるものじゃない。

 

「不可、ね……。負荷の行き過ぎた私達にはお似合いの結末だな」

 

小さく溜息を吐いた。心のどこかで確信していた。正攻法の勝負では負けるだろうと。だからこそ――

 

「皆様、これより理事長より挨拶がございます」

 

画面の向こうで、選挙管理委員長の言葉と共に理事長が壇上へと上っていた。好々爺然とした姿でマイクを手に取る。

 

「生徒諸君、学園祭は楽しんでおるかね?そんな中でも投票所に足を運んでくれた皆のことを、理事長として誇らしく思うぞい」

 

穏やかな声で全校生徒に向けて声を発する理事長。魔法使いであり、教育者でもある老人は、いつものように講和をはじめる。だが、私には一目瞭然。計画は成功した。

 

「選挙の結果はどうあれ、学園の未来を思案し、これだけ多くの生徒が投票したことはとても喜ばしいものじゃ。今後も麻帆良全体のために各々が尽力してもらいたい。そうすることで、この麻帆良学園都市はより住みよい街となることじゃろう。不信任を要請した三校の生徒会業務の代行については、後日、決定がなされるはずじゃ。じゃが、学園祭というめでたい席でもあるしの、難しい話はやめておこうかの」

 

「……理事長、ですよね?」

 

淡々と言葉を紡ぐ理事長。しかし、どこかに違和感を覚えたのかネギが小さく首を傾げた。安心院さんはニヤニヤと愉しげに口元を歪めている。私は画面上の理事長を指差し、醜悪に笑った。

 

「そうさ、私達が負けることなんて初めから分かっていた。投票でなんて勝てるはずがない。だからこそ正道ではなく外道。マイナスな策――勝敗なんて最初から度外視してたんだよ」

 

 

――老人の胸には一本のネジが突き刺さっていた。

 

 

「突然じゃが、重大な発表がある」

 

コホンと軽く咳払いし、一拍置いたあと、理事長はおごそかに口を開いた。

 

 

「本日より、わしは麻帆良学園理事長、ならびに関東魔法協会の代表の地位を辞することにした。ついては、全ての権限を彼――球磨川禊くんに譲ることとする」

 

 

一瞬、空気が淀む。しかし、そのどよめきは怒号や絶叫には変化しなかった。壇上に現れた男子生徒、そのあまりのおぞましさに沈黙させられたのだ。埒外なまでの負の容量に、画面越しでさえ、底なしの崖下を眺めるかのような戦慄を強制される。

 

『やあ、みんな初めまして!近衛理事長の隠し子の球磨川禊ですっ!』

 

『な~んてね。嘘嘘っ!まさか騙された馬鹿はいないよね』

 

重苦しい沈黙。対照的に無邪気にしゃべる球磨川さんの姿。得体の知れない理解不能さ、犬の死体を素手で触れたような気持ち悪さを見る者すべての心に叩きつける。

 

『ま、いいや。本日現時刻より、麻帆良学園理事長および関東魔法協会の代表になりました球磨川禊です!よろしくね!』

 

軽く手を挙げて挨拶する。だが、その親しげな姿ですら、鳥肌の立つほどの寒気しか与えない。

 

『せっかくだし、マニフェストを発表しようかな。えっとね――「魔法使い、および気の使い手の抹殺」!を、学園の皆さんに約束します!マニフェストを守らない政治家は最低だけど、僕は政策は必ず守りますので安心してください!』

 

隣のネギの顔が異様なほどに蒼白になる。過負荷(マイナス)への恐怖(トラウマ)で嘔吐せんばかりに口元を抑えていた。

 

『学園が住みよい場所になるように頑張りますので、皆さんご協力をお願いします!』

 

 

 

「こ、これが……千雨さんの計画、なんですか?」

 

「ああ、そうさ。学園を巻き込んだ決戦投票も、超の魔法世界に対するクーデターも、ただの視線を逸らすための目くらましに過ぎない。武道大会の目的だって、――ただ、球磨川さんの死亡を知らせて警戒を緩めること」

 

ただ、それだけ。命を賭けた戦いの目的は、ただの陽動だった。

 

球磨川さんの取り戻した、禁断(はじまり)の過負荷(マイナス)――『却本作り(ブックメーカー)』

 

その効果は『対象を球磨川さんと全く同じにすること』。つまり、この世の負の要素をすべて押し付けられた人間の精神性を共有することになるのだ。その絶望は強者(プラス)にはとても耐えられるものではない。長年の経験を積んだ理事長の心ですら、呆気なくへし折られていた。

 

両手を左右に大きく広げる。その顔には気持ち悪い笑みが浮かんでいた。

 

「私達の策はただ一点、大将首狙い。不意討ち、闇討ち、騙まし討ち。球磨川さんが『却本作り(ブックメーカー)』で理事長の心を折り、あとは書類で申請と承認を受理させれば成功だ。陽動が必要なのはそのためだけ。私達と超の計画は、学園長の周囲の守りを薄くし、どさくさ紛れに書類チェックをすり抜けさせた。種明かしは以上だぜ。賞賛の拍手はあるかい?」

 

パチパチ、と一人分の拍手の音が響く。

 

「見事だよ。勝敗を度外視した策といい、奇襲一発でひっくり返すやり方といい。楽しませてもらったよ」

 

「そうですか。だったら、あとで赤先輩を呼んでもらっていいですか?ネギにぶち込まれた魔法のせいで、全身の骨が折れてまして。治療してもらいたいんですよ」

 

「そのくらいならお安いご用さ。これから千雨ちゃんは仕事が増えるだろうからね。――球磨川くんの望む学園にするために、さ」

 

ネギは目を伏せて動かない。この先の絶望的な未来を想像して、俯き加減で口元を固く閉じた。

 

 

 

 

 

夕闇に染まった周囲が一際鮮やかな光に彩られた。ふと、窓の外を覗き込む。夜空を見上げると、そこには巨大な魔法陣が描かれていた。

 

「どうやら超の計画も完遂したみてーだな」

 

 

 

――この日、世界は塗り替わり、麻帆良学園は終わった。

 



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29時間目「さあ、世界を終わらせに行こう」

――数ヵ月後、麻帆良のとある森にて

 

陽の光も届かない漆黒の闇に包まれた森の中。天蓋は高くそびえ立つ木々の葉で覆われている。そんな広大な森に、地を踏みしめて走る一人の男の姿があった。

 

「はぁ……はぁ…どうなってんだ!この街は!」

 

息を切らせながら走る男の手には、一本の杖が握られていた。いかにも魔法使い然としたローブ姿。しかし、その顔は苦々しく歪んでいる。男は敗残者だった。一心不乱に逃げ惑いながら、焦燥感に支配された風に唾棄するように吐き捨てる。

 

「……イカれてやがる。これなら奴隷闘技場の方がよっぽどマシだろうぜ」

 

「そりゃどうも。褒め言葉だぜ」

 

――ガラスの割れるような甲高い音が男の耳に届いた

 

慌てて振り向くがもう遅い。声の届いた直後、脇腹に鈍い痛みを感じていた。全身に強烈な衝撃が走り抜ける。崩れゆく身体。その刹那、視線だけを右に向けると、そこには学生服の少女が巨大な鍵を突き込んでいた。

 

「ごはあっ……!」

 

急所を打ち抜かれ、その場に昏倒する。抵抗の余地は無い。強制的に作られた弱点に打ち据えられ、あっさりと意識を手放していた。侵入者の末路は決まっている。今後の未来を想像して、私は気絶した男を哀れむように見下していた。

 

「ま、自業自得だな。学園内は部外者立ち入り禁止だぜ」

 

おそらくは魔法世界からのスパイだろう。いつものように拷問に掛けられるはずだ。他人への嫌がらせにおいては人後に落ちないのがマイナスの連中。この男もすぐに精神崩壊するだろう。もちろん同情の気持ちなど欠片も無い。ただ、遊びすぎて情報を吐かせる前に壊してしまう奴が多いことに頭を悩ませているだけだ……。

 

これで数十人目だろうか。いい加減、侵入者を捕獲することにも慣れてしまった。なにしろ、毎日のようにどこかしらの刺客が侵入、または強襲してくるのだ。昨日は関西呪術協会からの監視員、その前はマクダウェル狙いの賞金稼ぎ。この麻帆良学園は魔法関係における火薬庫となっていた。

 

「お待たせしました、千雨さん。残りの侵入者はすべて消しておきました」

 

「ご苦労さん。じゃ、あとはこいつを頼むぜ」

 

「はい。わかりました」

 

無音で私の目の前に降り立った桜咲。全身は真っ赤な返り血に塗れ、純白の翼をどす黒くに染め上げる。その瞳は凍えるほどに冷たく、強烈な殺意に黒く濁っていた。いまや私の忠実な下僕であり、脇に携えた妖刀『ひな』と同等の凶々しさを漂わせている。

 

「それで……その…今夜なのですが……」

 

もじもじと自分の腕をさすりながら、言い淀む桜咲。先ほどまでの冷徹な表情を一変させ、真っ赤に頬を染めながら上目遣いにこちらを見上げてくる。私は仕方ないと言わんばかりに肩を竦めて見せた。

 

「わかったよ。ご褒美をやるから、終わったら部屋に来いよ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

尻尾を振る犬のごとく満面の嬉しげな笑みをこぼした。天にも昇らんばかりに恍惚の表情を浮かべる桜咲に対し、私は小さく苦笑する。ま、いつもベッドで犬扱いしてやると興奮するしるみたいだしな。今の桜咲は完全に私の所有物と化していた。身体も精神も全てを私に捧げ、心酔して依存しきっている姿は、あまりにも狂信的で、マイナスに相応しいおぞましさである。

 

「愛しています、千雨さん。私をあなたの所有物にしてください」

 

無垢な少女のように頬を赤らめてつぶやいた。私の命令ならば喜んで世界を壊し、自分の命を投げ出すだろう。それは恋と呼ぶには醜悪すぎて、献身と呼ぶにはおぞましすぎる。だが、過負荷(マイナス)である私にとっては慣れ親しんだ感情だった。安心しろよ。望み通りに堕落させてやるさ。

 

 

 

 

 

 

 

翌日、私は生徒会室で机に突っ伏していた。ぐったりと全身を弛緩させる。隣にはマクダウェルが椅子に座り、優雅なティータイムを楽しんでいた。

 

「……眠すぎる」

 

「毎晩毎晩、侵入者の迎撃などしているからだ。とても過負荷(マイナス)とは思えんほどの勤勉ぶりだな」

 

眠気を耐えて、顔だけを上げてマクダウェルへと視線を向ける。現在の彼女は魔力封印状態から脱しており、全盛期の反則的な強さを取り戻していた。ただし、その力を学園の防衛に使うことは滅多にないが……。

 

「昨日も夜遅くまでやってたからな……。学校にいるときはいるときで、生徒会長として忙しいし。確かに怠惰と堕落が信条のマイナスとは思えないぜ」

 

「マニフェスト通り、授業を廃止にすればいいだろうが。登校義務なんて邪魔な制度もだ」

 

「そういう訳にはいかねーよ。学園をなくしたって、精神が停滞するだけだろ?それじゃ足りない。全校生徒を不幸にすることこそが球磨川さんの悲願なんだからさ。だから、積極的にマイナスにしてやんねーと」

 

「それであの腐りきった授業か……。精神をズタズタに切り刻むような悪辣さ。さすがは過負荷(マイナス)の考案したカリキュラムだった」

 

呆れたように首を左右に振るマクダウェル。背後に控えている空繰がティーカップに紅茶を注ぐ。

 

「だけど、普通に授業受けてたじゃねーか」

 

「当然だ。人間の醜い部分など、飽きるほど見尽くしておるわ。だが、それでも毎日あんな授業というのは気分が滅入る」

 

「それは諦めてもらうしかねーな。学園に通う生徒の義務なんでね。ってか、嫌なら退学すればいいじゃねーか。そもそも、封印が解けたらナギ・スプリングフィールドを探しに行くって話だったし」

 

「べ、別に構わんだろう……!当ても無く魔法世界を放浪するよりも、息子の側で待っていた方が効率的だと思っただけだ」

 

拗ねたように口を尖らせるマクダウェルに対して、背後に控える空繰が軽い溜息を吐いた。

 

「あまり気にしないでください。これは、ただのマスターの照れ隠しですから。友達と一緒に学園生活を送りたいようです」

 

「ふ、ふざけるな!何を訳の分からんことを……!」

 

「これからもマスターのことを宜しくお願いします」

 

顔を真っ赤にして叱りつける少女を無視して、空繰は丁寧に頭を下げた。ツンデレ少女はというと、視線を外してそっぽを向いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくの間、お茶会を楽しんでいると、仕事終わりの朝倉が途中参加してきた。鞄を机の隣に投げ捨てると、慣れ親しんだ自分の席に腰掛ける。

 

「いやー、ようやく抵抗勢力の尻尾を捕まえたよ。集会場所を見つけるのが面倒でさ」

 

テーブルの上のクッキーを手に取り、晴れ晴れとした表情で笑う。現在、魔法使い達は麻帆良のどこかに潜伏していると推測していた。全開状態のマクダウェルの張った新・学園結界によって魔力や気を扱う人間の逃亡が禁止されている。学園を逃れようとした一部の人間は従順にして学園で働かせているが、残りの連中は粛清を恐れて姿を消したのだ。朝倉はその残党の調査を行っていた。

 

「潜伏場所は他の連中に教えておいたから、今頃は殲滅されてるんじゃないかな?」

 

「だったらいいんだけどな。いまだに心が折れない連中だぜ?相手は生粋の戦闘者も多いだろうし。奇襲とはいえ、そう簡単に勝てるかどうか……」

 

「心配性だねえ。ま、そう言うんなら、私のスキルで確認してみるよ」

 

そう言って、朝倉は呆れたように肩を竦めて見せた。自身の視界を他者のものへと切り替えるのだ。スキルを発動させるため、口を閉じて集中しようとするが……

 

「必要ありませんよ」

 

突如、部屋に響く子供の声。その声に反応して、全員がとっさにドアの方へと振り向いた。そこに佇むは一人の少年。現在、生徒会顧問を務めているネギ・スプリングフィールドだった。しかし、その容貌は以前とは正反対。純真で理知的なプラスの雰囲気は雲散霧消しており、まるで怨念や執念といった負の感情の凝縮したような、おぞましい姿へと変貌していた。

 

「もう終わりました」

 

軽く杖を振るネギ。すると、目の前の空間が軋みを上げて歪み始める。

 

――ドサリ、とボロ雑巾のように壊されつくした、無惨な人体の塊が落とされた。

 

「ちょっ、これってマジなの……?」

 

「へえ、長瀬と古菲、神楽坂……かつてのパーティメンバー勢揃いだな。この数を一人でやったのか?」

 

内心の驚愕を隠して尋ねると、ネギはあっさりと言い放つ。それは甘いガキの理想論とは真逆の、最低な手段だった。

 

「ええ、僕が仲間になりたいと話したら、無警戒で接触できました。あとは油断させて不意を討てば簡単でしたよ」

 

淡々と無表情でつぶやくネギ。その瞳にはどろどろに濁りきった暗黒に染まっていた。思わず私も感嘆の溜息を漏らす。卑怯で最低な手段もそうだが、それでも打倒するのは容易ではなかったはず。だというのに、ネギの身体はおろか、服にすら傷一つ見当たらない。

 

「なるほど、早くも修得したようだな。私の得意魔法――『闇の魔法』を」

 

「ええ。ありがとうございます、師匠。とても清々しい気分でしたよ。負の感情を受け入れるのが、これほど安心感を与えてくれるだなんて」

 

口元を歪め、その濁った瞳を暗く輝かせるネギ。自身の魔法を扱える稀有な存在を前に、マクダウェルも満足気に笑みを浮かべる。愛する男の息子を自分色に染め上げることに歪んだ快楽を覚えていた。

 

「ククッ……皮肉なものだな。アルビレオの奴が教えた精神制御魔法。それが、闇の魔法の制御に役立つとは」

 

心の暗黒面を表出する魔法。この世でマクダウェルのみが扱えると思われていた究極魔法である。その要訣は負の感情の制御にこそあった。限界まで噴出した負の感情の爆発により、もはや人格は別物だが……。

 

「反抗勢力はあらかた片付いたとして、学園の統治の方はどうなってるんだ?」

 

「順調だよ。例の密告システムが機能してるからね。疑心暗鬼が学園中に満ちてるよ」

 

「これまで廃校にしてきた学校で効果は証明済みだしな。他人の秘密を暴く、この掲示板は疑心を育むには最適だぜ」

 

絶対にバレないように隠している秘密が毎日書き込まれるネット掲示板。親友に対する嫉妬、恋人への裏切り、過去の汚点、異常性癖、犯罪歴に至るまで、破滅に至る隠し事が万人の目の前に晒されるのだ。しかも、通常なら知り得ない情報がほとんど。ネット上の匿名性により、自身の近しい信頼する人間から疑わざるを得なくなる。そして、そうなるように計算して秘密を書き込んでいた。学園は疑念と不安、恐怖によって支配されていた。

 

「全校生徒を過負荷(マイナス)にするための計画は予定通りに進んでるみてーだな」

 

「まったく酷い学園になったもんだよね。本当にあんたと組んでてよかったよ。もし、何も知らずにこんな学園生活を送らされたらと思うとゾッとする」

 

「ずいぶんな言い様だな」

 

「ま、他人事として見れば面白いけどね。せっかくだから、この麻帆良の行く末を観察させてもらうよ」

 

愉しげに声を上げて笑い、朝倉は新しいお菓子に手を伸ばした。同じ学園に通う生徒のことを、ただの取材対象としか思っていない。そんな朝倉は確かにマイナスであった

 

朝倉のスキルと私の過負荷(マイナス)を使えば、本人しか知り得ない情報を集めることなど容易である。あとは、それをさも親しい人間が裏切ったように書き込むだけ。それが続くことで、実際に密告をする生徒も現れてくる。そうなれば私の目論見はほぼ達成されたも同然だ。

 

 

――自分の弱味、隠し事、破滅を受け入れること

 

 

それこそが最低なマイナスになるための第一歩なのだ。

 

 

 

 

 

『やあ。みんな集まってるかな』

 

扉の開く音と共に、生徒会室の内部へと入ってきた球磨川さん。そのあまりにも醜悪な声が私達の聴覚を侵食する。しかし、伊達にこいつらも過負荷(マイナス)の仲間をやっていない。歴戦の勇士ですら震えるほどの負完全の圧力の前でも、平然とした表情を崩さない。

 

『それじゃあ幹部会を始めようか。って言っても、今日の議題は一つだけだよ』

 

私達の様子に満足したのか、球磨川さんは両手を左右に大きく広げ、楽しそうに宣言した。

 

 

『魔法世界の悪役集団「完全なる世界」を乗っ取る』

 

 

その言葉に唯一、反応を見せたのはマクダウェルだけだった。驚愕の表情を浮かべ、球磨川さんに鋭い視線を向けた。

 

「……どういう意味だ?貴様と奴らに何の関係がある」

 

『うーん。別に関係なんてないよ。ただ、彼女の言う魔法とやらに興味があってさ』

 

「彼女、だと?」

 

詰問するように声を上げるマクダウェルに首を傾けながら答える球磨川さん。この計画の無謀さに危惧を覚えたのだろう。しかし、マクダウェルの懸念は負け戦しか経験したことの無い球磨川さんには無用の長物。勝率の低い勝負など、私達にとっては慣れたものなのだ。そんな二人の間の緊張を感じ、朝倉の顔には困惑の色が浮かぶ。

 

「えーと、話が見えないんだけど」

 

「詳しい話は本人から聞いた方が早いぜ。ま、話ができればの話だがな」

 

合図と共に生徒会室の扉が開いた。視線が集まる。そこには桜咲が一人の少女を背負いながら立っていた。

 

「お待たせしました」

 

相変わらずの冷徹な瞳のまま、その場で小さく頭を下げた。この少女は私が連れてくるように命じたのだ。背中の人間を床へと放り捨てる。その褐色の肌をもつ少女にクラスメイト達は見覚えがあった。

 

「――ザジ・レイニーデイ」

 

「え?ザジ、あんた一体何をやらかしたのよ!?」

 

その正体は謎のクラスメイト、ザジであった。しかし、その様子は異様の一言で、普段の無表情が現在は欠片も無く、恐怖に引き攣ったように大粒の涙を零していた。床にうずくまり、私達に怯えの篭った視線を向ける。そして、何よりも異彩を放っているのは、彼女の胸に刺さっている――

 

 

――巨大な鍵であった

 

 

「桜咲、ご苦労さん」

 

「え、ちょっ……何これ?」

 

突然の登場人物に困惑する朝倉に説明してやろう。彼女から引き出した知識こそが、今回の議題の発端である。すなわち、魔法世界侵攻構想の第一歩。

 

「まず、こいつの正体なんだが……」

 

「魔族、だな。しかも相当に高位の」

 

「へえ、分かるのか。さすがはマクダウェル」

 

もちろん、私も会った瞬間に気付いてたけど。かつて、『事故申告(リップ・ザ・リップ)』が健在だったときに、全校生徒の秘密はすでに把握してあった。暴き出した秘密の中に、『完全なる世界』という組織の名前もあったのだ。そして、彼らの扱う脅威の魔法についても――

 

「…魔法「完全なる世界」とは……人々を『楽園』へと…送還するもの…」

 

「楽園とは何だ?」

 

「個々の記憶……から読み取った…願望や後悔…から計算して創られた……最も幸福な世界…」

 

膝を抱えて震えながらつぶやくザジ。肉体も精神も最弱の状態にされ、トラウマを引き出された彼女は私の言いなりだ。たとえラスボス級の魔族であろうと、私達に歯向かうことなどできやしない。言われるがままに『完全なる世界』という組織と魔法について報告する。

 

「聞いた話じゃ、ずいぶん夢みたいな魔法みたいね。現実逃避の最上級(ハイエンド)ってところかな?」

 

朝倉は感嘆するように息を吐いた。自分の最も幸福な世界に没頭できる。確かに夢のような魔法だろう。

 

『だけど、そんな幸せな世界なんて許せないぜ』

 

球磨川さんは残念そうに肩を竦めて見せた。それはそうだろう。人類を不幸にすることを至上の命題と置いている球磨川さんにとっては、幸福にするための魔法なんて許容できるはずも無い。だから、私達の目的は正反対。

 

「私達の目的は魔法『完全なる世界』の使用者たる、創造主と呼ばれる存在の確保。その後、「完全なる世界」を――」

 

『――幸福に満ち溢れた理想郷を、絶望に侵された地獄へと作り変えるのさ』

 

極寒の大地に放り出されたかのような錯覚。その過負荷(マイナス)な気迫に背筋が凍りつく。しかし、その変化は一瞬で消える。すぐに気を取り直して普段の顔へと戻っていた。これが学園の生徒会役員。幸福よりも不幸を尊ぶ狂気の集団である。球磨川さんは全員を見回すと、無邪気な表情でおぞましい言葉を口にした。

 

『全人類を不幸にする。それが僕の夢なんだ』

 

世界中のありとあらゆる負の要素をかき集めて、人形に煮詰めたようなマイナスの概念の具現。地球上で最も弱い生き物であり、おぞましき過負荷(マイナス)の最底辺に立つ存在。まさに重力を飲み込むブラックホールを思わせた。

 

『脆弱に貧弱に虚弱に惰弱に怠惰に惰性に劣勢に愚劣に低劣に劣悪に害悪に巨悪に低脳に卑怯に卑劣に卑小に矮小に――』

 

球磨川さんは両手を広げて嬉しそうに笑った。

 

『僕達はそうなるべきだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

「例の魔法バレ騒動で、現在の魔法界はガタガタだ。超は対策を取ってあると言ってたが、それでもこの短期間で完全に安定させるのは不可能らしい」

 

学園祭で超の巻き起こした強制認識魔法。それによる全世界の人間への魔法の公開。これまで秘してきた魔法の存在により、世界は空前絶後の激震を迎えている。ただし、例外としてこの学園だけは特に影響は無い。過負荷(マイナス)の脅威によりそれどころではない、というべきか。

 

「魔法世界へ侵入するルートに関しては、超の方で用意してくれるそうだ。『完全なる世界』の連中と潰し合ってくれるのを内心では願ってるんだろーがな」

 

現在、超の一派は学園を離れ、世界中のネット回線に対して情報統制による世論の誘導を仕掛けていた。どこに潜伏しているのかは知らないが、空繰を通して連絡を取ったところ、このような返事が戻ってきたのだ。おそらくは厄介者を魔法世界に追いやっておきたいのだろう。魔法バレによって生じた、こっちの世界の動乱を安定させるのに全力を注ぎたいみてーだし。

 

「これが私達の方針だ。学園の治安維持は高音先輩たちに任せて、麻帆良女子中等部生徒会+球磨川さんのメンバーで、魔法世界へと乗り込もうと思う」

 

そう宣言しながらも、この無謀すぎる魔法世界侵攻に賛同する奴はいないと思っていた。おそらくは命知らずの馬鹿共だけで行くことになるだろうと。

 

たとえ私と球磨川さんの二人だけでも構わない。球磨川さんが望むならば地獄だろうと付いていくだけだ。この気持ちは恋でも憧れでもない、と自分で結論を下していた。恋心と呼ぶには醜悪すぎるし、憧れと呼ぶにはどす黒すぎる。あえて呼ぶならば愛、それも強烈な自己愛。全体を生かすために臓器が動き続けるような、そんな当然すぎる献身。私の存在を、球磨川さんの一部として認識する。そんな自己の同一化こそが私のマイナスであった。

 

 

――負完全に至るほどの。

 

 

「私は世界を終わらせる」

 

静まり返る室内。一拍置いて私は口を開いた。

 

「手伝ってくれるか?」

 

世界中の人々を不幸にするためだけの戦い。何も得るものは無いし、どころか失うものしかない。自暴自棄という言葉すら生ぬるい。そんな無謀で無意味な戦いに参加する人間などいるとは思えない。しかし――

 

「当然です。この世の地獄がご所望ならば、全身全霊を持って叶えてみせましょう」

 

さも当然といった風に口を開く桜咲。脇には禍々しい瘴気を放つ妖刀。瞳に狂信的な色を湛えて桜咲が――

 

 

「構わんぞ。世界の敵など慣れたものだ。今更、厭うものでもない。魔法界を滅ぼすほどの悪ともなれば、わざわざ探さずともナギの方から会いに来るだろうしな」

 

「私はマスターの命令に従うまでです」

 

従者である空繰を背後に控えさせ、マクダウェルは悪役じみた様子でティーカップに口を付けた。以前のように偽悪的なものではなく、心底愉しそうに口元を歪め――

 

 

「魔法世界の破壊、ですか。名案ですね。あんな腐った世界は滅べばいい」

 

生徒会顧問となったネギ。少年は魔法世界での負の記憶(トラウマ)を思い浮かべながら、鬱屈した暗い夢想と共に――

 

 

「あらら……我ながら、ずいぶん危ないところまで踏み込んできちゃったねえ。ま、でもここまで来たら最後まで付き合わせてもらうよ。それこそ世界の終わりまで、さ」

 

元は一般人(ノーマル)だった朝倉は、世界の敵というスケールの大きさに溜息を吐いた。しかし、それでも好奇心を止められない辺りはやはりマイナスと呼ぶしかない。そんな自身の性分に諦めたように首を左右に振り――

 

 

『負完全な僕に対して「完全」を冠するなんて片腹痛いぜ』

 

寒気がするほどに恐ろしく、直視できないほどにおぞましい。混沌よりも這い寄る過負荷(マイナス)。球磨川さんは無邪気に、それでいて醜悪に――

 

 

「……本当にてめーらはイカレてるぜ」

 

喜んで世界の敵になる狂人たち。しかし、それでこそこの最低(マイナス)な学園に相応しい。頼もしい仲間を見回し、気持ち悪い微笑を浮かべながら――

 

 

「さあ、世界を終わらせに行こう」

 

 

――私達は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

これにて物語は終わり、世界は終わる。

 

――『負完全なる世界』の製作が始まる

 

 

 



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