煌きは白く (バルボロッサ)
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第1章 和国王子編
第1話


アニメ化したマギのOPに出てくる白瑛の姿があまりに好みだったので妄想し始めたマギの二次創作です。原作主人公は今の所、登場せず、原作開始前から、原作の地域から遠く離れた地域での物語です。しかし、基本的には原作14巻(10月26日時点)までの内容を元にしており、アニメのみの方にとってはネタバレが含まれます。また今後の原作展開次第では原作CP無視や、ジンに関するところで矛盾が生じることもありえます。ご覧になられる際は、ご注意ください。感想、ご指摘などお待ちしております。



「我が王になるのは誰ぞ?」

 5年前、とある海底より突如として謎の巨塔が出現した。以来、この世界には古代王朝の遺跡群が出現し始めた。

 通称‘迷宮’。遥か昔の文明の建築様式、傷つくことのない不思議な建築材料。

 

 多くの人が塔の不可思議な魅力にとりつかれ、畏れた。幾万もの挑戦者、調査団が迷宮の攻略に挑み、姿を消した。誰一人として塔からの帰還者はなかった。

やがて、不思議な塔が死への入り口として恐れられるようになったころ、閉ざされていた塔の中より現れた者がいた。

 

 眩い光を放つ山のような宝物と青の巨人。そして塔へと挑んだ一人の少年が。

 

 

 迷宮の攻略は巨万の富をもたらすと共に、強力な力をその攻略者にもたらした。

 

 

 ジンの金属器

 

 そして迷宮道具。

 

 

 以来、強大な力を求めて強者たち、世界の覇権を目指す者たちが迷宮の攻略へと挑んだ。

 

 

 そして極東の島国に数年前出現した第4迷宮と呼ばれる迷宮を進む一人の少年がいた。

 

 

 

 魑魅魍魎が如き怪物、数多の罠。幾千もの挑戦者が命を落した難攻不落の迷宮を少年は己が力をもって切り伏せた。

 

 

「ふむ。童。貴様一人か」

 

 どこまでも続くかに思える迷宮を越えた先にあったのは見知らぬ古代の街並み。そしてその街並みの中で黒い風のようなものが渦を巻き、気づいた時には天を衝くほどの青い巨人が目の前に顕現していた。

 

 

「そうだ」

 

 見上げる者はただ一人。巨人と比べて、いや、人に於いても小さく、まだ未熟な身体。だが難攻不落の迷宮を踏破した少年の眼差しは強く巨人を見上げていた。

 

「ここまでは熊か平屋くらいのデカさの化け物だったが、ようやく、デカブツの登場か」

 

 少年は迷宮の主を前にして今までと同様、己が信じる愛刀に、腰に帯びている刀に手を掛けた。

 

 

「待て待て。お主、迷宮挑戦者であろう? ならばそれは達成された」

「? そうなのか?」

 

 しゃがれた声で話しかける巨人の言葉に、鞘に納められた刀に手を当てたまま、少年は不思議そうに首を傾げた。

 

 

「我は迷宮の主、ガミジン。罪業と呪怨から作られしジン」

 

 城よりも大きいほどの巨人は自らをガミジンと名乗り、少年を見下ろした。

 

「お前が主ならお前を倒さないといけないんじゃないのか?」

「必要ない。ここまで辿りついたのがぬし一人なら、お主が我の王だ」

「…………なんだそれは?」

 

 戦の在りようすら変えるほどに強力なジンを前にして、戦う気満々だった少年は心底不思議そうに尋ねた。

 

 

「……お主は迷宮を攻略しに来たのではないのか?」

「? あぁ、そういえばここはそういう所だったな」

「……何をしに来たのだ、お主?」

 

 5年前、世界各地に出現し、数多の挑戦者を飲み込んだ迷宮。その一つを攻略した少年の、今思い出したと言わんばかりの態度に巨人は呆れた表情となった。

 ここは間違えて入ってきてしまいました、という程度で攻略できるほどの難易度の迷宮ではない。万を超える規模の軍団ですら呑み込む、挑戦者に応じて難易度を変える迷宮なのだ。

 

意思の疎通をはかるためか、城よりも大きかった巨人は大樹ほどの大きさに縮んだ。

 

 

「いやいや、久方ぶりに暴れたもんだから、すっかり忘れてた。なぁ、お前がここの主で俺はここを攻略したんだよな。攻略したらどうなるんだ?」

「……ここは王を選定する迷宮。攻略したお主を王とするため、これより我が力となろう」

 

 敵対する意思がないことを見て取ったのか、警戒心を残しつつも少年は刀から手を離し、ガミジンと向き合った。

 

 帰還成功率の低さを知ってなお迷宮に挑む者のほとんどは、強い目的をもって足を踏み入れるのだ。

 強き力を求める者。富を求めるもの。名声を求める者。

 少年にも無論、叶えるべき願いがあって足を踏み入れたのだ。

 

「なるほど……ふむ。力を貸してくれるならちょうどいい、早速一つ力を貸してくれ」

「せっかちな契約者だな。心配せずとも迷宮からの出口は我が用意する」

 

 ゆえに力の貸与を望まれるのは想定していた。だが、早速という言葉にガミジンは苦戦しただろう迷宮からの出口のことを口にした。しかし

 

「ん? なんだ、帰りはあれと戦えないのか?」

「……戦いたいのか?」

 

 その身を危ぶむほどの迷宮をもう一度、通りたいとばかりの態度にガミジンはわずかばかり反応が遅れた。

 

「久々に面白かったからな。っとそれはいいが、一つ力、というより知恵を貸してもらいたい」

「? なんだ?」

 

 巨人、ガミジンを始めとしたジンは力の具現として世に知られつつある。この世界で初めて、迷宮の一つを攻略したシンドバッドしかり、古の昔話に語られる王たちしかり。

 故に力ではなく知恵を貸せと頼む少年にガミジンは訝しげな眼差しをむけた。

 

 

「女というのはなにを貰うと喜ぶんだ?」

 

 だからこそ、自らの主となる男の問いにガミジンは沈黙した。

 しばし二人の間に沈黙が流れた。

 

 

「……ここにある財は攻略者たるお主の物だ。迷宮の宝物ならば人は喜ぶのだろ? 好きなものを持って行け」

 

 ガミジンは知らず落胆を感じた。たった一人でこの迷宮を、しかも少年と言ってよい年頃の子供が攻略したことに、たしかな王の器を期待していたのだろう。

 

 

「いや、たしかにここのは凄そうだが、それだけじゃなくて女の子が喜びそうな、珍しいもんを聞きたいんだ」

「……お主はよもや、女子に差し出す貢物のために我が迷宮を踏破したのか?」

 

 ガミジンの眼差しは冷たい。あきれ果てたとばかりの眼差しと口調で少年を見下ろしている。

 

 

「いやまあ、それだけでもない……こともないな」

「……」

 

 少年の身なりは迷宮の踏破の所為か、ところどころ汚れが見られるものの、決して身分の低い出自ではない身なりだ。

 

「来るのが異国の娘なもんで、どうせなら珍しいもので驚かせてやりたくてな。なにせ最近勢いのある煌の姫君だからな」

「……」

 

 なめられるわけにはいかん。ともっともらしく語る少年だがガミジンの視線は変わらず冷たい。

 

「未踏破の迷宮の宝物なら、見たこともない珍しい物があると思ってな。難攻不落って評判の迷宮自体にも興味があったし」

 

 命の原始と終焉をあらわすルフより作られたジンは虚偽に敏感だ。特に罪より作られしガミジンはとりわけ嘘を見抜く。だが少年の言葉に、小賢しく取り繕う気配は感じられなかった。

 

遠方から来る少女を驚かす珍しい物の獲得と自らの力を試すこと。二つの目的をもって少年は迷宮へと足を踏み入れた。

 その無謀さを浅慮と感じるか、自らの力を信じ、たしかな力をもつ大きな器の現れととるか。

 

 ガミジンは諦めたようにため息をつき口を開いた。

 

「その娘は許嫁か恋人か?」

「ん? ふむ。どうだろうな、会ったこともないが……年も近いし、なくはないかも知れんが、今のところそんな話は聞いてない」

 

 少年の年はおそらく14、5といったところだろう。どうやらこの年で許嫁がなくはないという少年は、それなりの身分の者なのだろう。

 

「…………はぁ。ここにあるのはどれも人の世界では珍しいものだが……あそこの箱を開けてみよ」

 

 溜息をついてばかりのことに自体に溜息をつきたくなったガミジンだが召喚者の質問に対しては明瞭に答えを与えるという性状ゆえにだろう、しばし黙考してからぞんざいに部屋の一角を指差した。

 

「あの箱か?」

「お主くらいの年でそこらの宝物とは違うものが良いのだろう?」

 

 少年にとってはガミジンが律儀に答えてくれたことがわずかばかり意外だったようで僅かに驚いた表情となるが、かすかに微笑むと示された箱に近づいた。

 

 ガミジンがそこらのものと言った宝物は、おそらく街並みにあるように古代の宝物なのだろう。たしかにそれらは珍しく、高価なものゆえ、贈り物とすれば大層なものとなろうが、少年ほどの年の女子に贈るものには似つかわしくないものばかりだ。

 ガミジンが示した箱は螺鈿の細工が施された、これだけでも相当に価値あるものと判る逸品だが、手に取ると中になにか入っていることに気づき、蓋を開けた。

 

「? なんだこれ?」

「扇だ」

「俺の知っているものと少し違うぞ?」

 

 中に入っていたのは手元部分に黄金と宝玉による決して華美ではない宝飾がなされ、白い羽毛らしきものが付けられた扇。少年が知っている木の骨組みに紙や布の扇を取り付けたものとは全く違った形をしていた。

 

「白羽扇というものだ。大陸の方で貴族とやらに好まれていた扇の一種だ」

 

 何年も保管されていたものだろうに、それは他の宝物同様、まったくくたびれたところがなく、真新しさがあった。

 

「白羽扇、か……」

 

 少年はしばし手にとって眺めた。この迷宮のある島国とは違い煌は大陸の国家だ。もしかしたら白羽扇など珍しくはないかもしれない。だが、

 

「気に入った。名も少し似てるしな」

 

 己にとって目新しさがあったからか、扇にしても品格の高そうなその扇が満足いくものだったのか少年は嬉しそうに笑みを浮かべるとそれを箱に戻した。

 

「名?」

「あぁ、その娘の名だ。確か白……白瑛だ」

 

迷宮で手に入れた物ならば珍しいし、その名の一字、白を冠している。これならきっと喜ぶだろう。まだ見ぬ少女が目を丸くする光景を思い浮かべて、少年はフッと笑みをこぼした。

 

「少女の名は分かった。だがここを出る前に我が王となる者の名を教えよ」

 

 そのまま何処かへ立ち去りそうな少年にガミジンは呆れたように声をかけた。

 

「ん? なんだ? 外にまで来るのか?」

 

 要件が済んだことでこの迷宮の用も済んだとばかりの少年に、迷宮の主である巨人はもう諦めたとばかりに溜息をついた。

 

「言ったはずだ。我は王を選定する者で、ここは王を選定する場。お主はたしかな力と度量を示し、一人でここを踏破した。ゆえにお主が我が王だ」

「……なるほど」

 

 遍く人には罪のない者などいない。魂の故郷から分けられたジンは、それを知っている。そう、遠く理想郷の彼方からそれは変わらない。

 だからこそ、自らの問いに虚偽なく答えた少年に関心を抱いた。人の器を見るガミジンが感じた少年の持つ気質は、彼を生み出した性情をも飲み込むほどの王の資質をもっているように思えたのだ。

 いささか外れたところはあるが、たしかに主と認めるだけの器量を持っているのだ。

 

 少年は少し考えるように自らのジンを見上げた。

 強大な力であることは知っている。世界で最初の攻略者たるシンドバッドを例にとっても、目の前のこの存在が個人の武力としては破格のものであるのだ。

 人は力を求め、力を恐れる。

 

 強大な力を前に少年は

 

 

「ふむ……俺の名は、皇光(すめらぎひかる)だ。よろしく頼む、ガミジン」

 

 手を差し伸べて応えた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「・・・というのが、それを手に入れた顛末だ」

「あなたが、迷宮攻略者だったのですか!?」

 

 数日後、自らの父が治める国へと訪れた隣国の王族兄妹を父や兄は歓待した。光は比較的年の近い -といっても3歳ほど年下だが― 少女の相手をしていた。

 

「攻略者というなら、そうだろうな。なかなかに面白い所だった」

 

 光が踏破した第4迷宮は、それからすぐに跡形もなく消失してしまった。つまり、国内において第4の迷宮を踏破したのは、名実ともに光しかいないのだ。

 第1の迷宮の攻略者たるシンドバッドを含めて、まだ世界に散在する迷宮のほとんどは攻略されておらず、むしろ出現する数の方が多い程だ。

 

 少女 –海を隔てた隣国の姫君ー 練白瑛は先程、出会いの贈り物だといって渡された扇を口元に当てて目を丸くしている。

 贈り物自体も喜んでくれたが、なにより迷宮でのことを語るととても驚いて、光は目的を達せられたことに少しだけ笑みを浮かべた。

 

「そうなのですか? かのシンドバッドのお話では、迷宮とは大層恐ろしい所だとうかがいましたが」

「まぁ……なかなかに悪趣味な玩具が敷き詰められていたな」

 

 普通、命の危機にさらされるほどの罠を玩具とは称さない。だが、それでも少年は迷宮の外にも、いや、外にこそ恐ろしいものがありふれていることを知っている。

 

「強いのですね、光殿は」

「まだまだ兄にも敵わぬし、金属器の力も使いこなせてはいない未熟者さ」

 

 光の兄も白瑛の兄も、どちらも二人とは年が離れており、彼らは今、国の王である父と国事に関わる話をしていた。二人はたしかに兄たちに比べて幼いが、それでもいずれは国政にかかわる者として彼らがどのような立場で話し合いをしているのか薄らと察するほどに聡明だった。

 

「私も、あなたのように強くならなければなりませんね」

「…………煌は随分と版図を拡大しているようだな」

「…………」

 

 煌と海を隔て隣国同士の和という国 -光の父が治める国- は、周りを海に囲まれたという立地、そして他に類を見ない特殊な刀剣技術、身体の魔力を操り剣技となす技術、そして優れた航海術による海洋貿易によって大陸でも知られた小さな強国だ。

 

 対して煌は数年前まで大陸の極東における小さな国だったが、ここ最近勢いに乗って隣国に侵略を始めているのだ。

 今回の話し合い、煌の王族の来訪はおそらく、大陸を侵攻していくにあたり、後顧の憂いを断つために、後方に位置する和の国となんらかの協定を結ぶ目的があるのだろう。

 

「なぜ、父は戦争を始めるのでしょう……」

「さて、な」

 

 光の武に憧れるという姫らしからぬ一面を見せつつも、争いに対して心を痛める優しさこそが彼女の本質なのだろう。瞳を曇らせる白瑛に光は空を見上げた。

 

「争うことが、人の本質であるから、かもしれんな」

「!」

 

 ポツリと呟くように言った言葉に、白瑛は伏していた顔をあげて、光の顔を見た。

 

「光殿は、争う事をよしとするのですか!?」

「……白瑛殿は争いが嫌いか?」

 

 光は空に向けていた視線をおろし、挑むように見つめてくる白瑛へと視線を向けた。

 

「私は……私は、ここに、和に来るまでは、和という国を恐ろしく思っておりました」

 

 問われた白瑛は少し申し訳なさそうに自らの思いを口にし出した。

 

「海を隔てた隣国。私たちの知らない力を持ち、かの昔、小さな島国でありながら大黄牙帝国の侵略にも屈しなかった強国。ここに来るまで、私は和という国が恐ろしかった……」

 

 かつて大陸はある一族によって席捲されかかった。強大な大王を頂き、無敵の騎馬軍団を操る帝国。

 

「それでも、ここに来て、あなたのお父上である王にお会いし、あなたとお話をさせていただき、あなたを知ることができた」

 

 だが、極東の小さな島国は、それに屈しなかった。大陸とは地続きでなかったこともあるが、なにより当時、大陸ではまだ知られていなかった独自の刀剣技術や戦闘技術はかの帝国を大いに苦しめ、さらには大王が授かったという魔神のごとき力に匹敵する力によって軍団を撤退にまで追い込んだという未知の国。

 

「人は、ちゃんとお話をすることで、人と分かり合うことができると思います」

「…………それも一つだろう。だが」

 

 すべからく時は流れる。かの帝国ももはや見る影もなく、国どころか辺境の一民族にまでその勢力は萎み、統一された国々は乱立する国に分裂。広大な中原は今なお戦乱が絶えない。

 戦火に見舞われた国を思っているのか、白瑛は瞳に悲しげな色を灯して自らの思いを述べた。光は否定することなく、しかし、最近になって手に入れてしまった強大な力を、一人で軍にも匹敵するであろう力、ジンの宿る自らの刀を思った。

 

「それでも俺は武を磨く。この国とて、今でこそ平和が続いているが戦乱がなかったわけではない。それを治めた武があったのだ。争いを治めるのに力が必要な事もたしかにある」

「それは……」

 

 大陸に比べ小さな国土の和だが、戦乱が無かったわけではない。大黄牙帝国の襲来以降も、いくつか支配者が変わったこともあるし、今の和という形になるほんの数代前には国土全域で大きな争いがあった。そして今でも全てが平穏というわけではないのだ。

 

「それに、煌が三国を統一しつつあるからこそ、争いが収まり、安堵している民がいることもたしかだ」

「……」

 

 それは暴力的な意見だろう。争いがなくならぬからこそ、争いでそれを収める。どこまでいっても矛盾する人の業。

 煌の位置する極東は、比較的小国が乱立し、戦乱が絶えなかった地域でもある。煌がそれらを統一すれば、たしかに統一された土地では平穏が訪れるのだ。

 

 口にしたい思いは白瑛にもあるのだろう。だが、何を言ったところで自国の王が、ほかならぬ父が侵略の戦争を起こしている以上、その娘が語る争いのない世というのは綺麗ごとにほかならない。

 まだ幼い白瑛は思いを口にし、貫くほどに強くはなく、しかし納得できるほどの強さは無い。

 言葉にならぬ思いに白瑛は再び顔を伏せた。

 光も場に合わぬ話題であったことを自覚しているのだろう。少し困ったような表情となった。

 

「それでも、やはり平穏に過ごせれば、それが一番いいな」

「……」

 

 戦を肯定している武人の顔とは異なる、その言葉に白瑛は顔を上げた。

 

「煌が白瑛殿たちを和に遣わしたのは、白瑛殿の言う話し合いによる和平のためだろう。煌王も全て力で解決しようとしている訳ではないのだろ?」

「それは……」

 

 来訪理由は一応は知らされているのだろう。ただ、それを口にしていいのか悩み、結局白瑛はこくんと頷いた。

 

「少なくとも、和は煌とは争わない。だから……また、来ればいい。それまでにどこぞを冒険して、話のタネでも作っておくから」

「…………ふふ」

 

 少し驚いたような顔をした白瑛は、光の言葉に口元を扇で隠して微笑んだ。

 

「今度は……今度は、弟も一緒に来てもよろしいですか?」

「弟御もいるのか?」

「はい。白龍といって5歳年下の弟です。白龍にも光殿のお話を聞かせてあげたいので」

 

 光の話は面白かった。

 出てくる怪物はどれも個性的なものばかりで、罠の数々はまるで広大な遊び場に仕掛けられた悪戯のような語り方だった。

 もちろんそれは、光の武や罠を潜り抜ける機知があればだからこそだが、それでも光の冒険譚は面白かった。

 

「兄弟が多いのは羨ましい。是非来るといい。武芸をなさるのなら、一緒に稽古をするのも面白いかもしれんな」

「あら。私も武芸は嗜んでおりますよ」

 

 光は年の離れた兄と二人兄弟だ。だから単純に家族の多さを楽しそうに羨んだ。光が鍛練をする相手は大抵、年の離れた兄や師である年嵩の武人ばかりで、人に教えることはほとんどなかった。

 

「ほう。それはそれは。では明日は白瑛殿と遠乗りに出るのも楽しそうだ。馬の方は?」

「馬術には自信があります。光殿にも負けませんよ」

 

 自信に満ちたように胸を張る白瑛に、光はにやりと笑みを向け、白瑛も可憐な微笑を向け視線を絡めた。

 

 

 

 それはまだ、極東における小国、吾、凱、煌の三国が平定される前の話。戦火に苦しむ三国が、帝国となる前の煌によって徐々に統一されつつある頃の、島国における穏やかな日のこと。

 

 徐々に、この世界に生じた異変が、世界中へと広がりつつあるころの話だった。

 

 

 彼らはまだ知らなかった。光ですらまだ本当の意味で理解してはおらず、語ることもなかった。

 

 彼の得たジンの力を

 その本質を……

 

 罪業と呪怨

 

 遥か遠き昔より、変わることなく渦を巻く、人の咎により生まれたジンの力を

 



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第2話

「ふっ!」

 

 黒い髪をたなびかせて放たれた斬撃は、彼女の持つ模造剣に比べて細身の木刀にいなされるようにして防がれた。

 剣先が流れ、わずかに体勢が崩れる。その隙を見逃さず、相手は素早い動きで木刀を振り下ろした。鋭い奇跡を描いたその斬撃はしかし、彼女の体にあたる直前で止められた。

 

「一本、だな」

「……参りました」

 

 木刀を収めるように引いた光が告げると、白瑛はわずかに悔しそうに負けを認めた。

 

 

 光が第4の迷宮を攻略し、白瑛と出会ってから、そろそろ2年が経とうとしていた。その間に煌は三国を平定し、煌は煌帝国となり、ついには広大な中原にまでその手を伸ばしつつあった。

 

 最初に白瑛とその兄たちが国使として訪れた要件は、やはり大陸の制覇に乗り出した煌と和との友好条約の締結のためだった。

 広大な中原を東方から西方に向かう陸と南方の海から攻める。そのために煌の東の海上に位置する和は、煌の後背を狙えるところに位置していた。

 

 武力をもって攻めるには、和の国の力は侮りがたく、しかも大陸とは陸続きになっていない島国ゆえ、大兵団の投入による制圧は難しい。

 ゆえに煌は、和と盟を結ぶことを選んだようだ。そのため、煌の皇帝唯一の娘であり、第1皇女である白瑛と和の王族 –現国王の第2子である、皇光 との婚姻関係を望んだのだ。それはかつてガミジンが問いかけたように光と白瑛とが許嫁となることだった。

 

 というのも現在、和の国の国王は光の父だが、実質的政務はその後継である嫡男の(せん)が担っている。そして彼にはすでに妃がおり、その子はまだほんの赤ん坊。それゆえ、年が近い未婚の王族で、ちょうどよく迷宮攻略者となった光が皇女と将来を誓うこととなった。

 すでに光は17歳。王族という身分を考えれば、そろそろ妃がいてもおかしくはない年齢だ。しかし一方の白瑛はまだ先日14歳になったばかり。皇族の結婚適齢期が早く、政治的な思惑があるとはいえ、当人たちにとって王族の責務としての自覚はあっても、あまり実感のわかぬことでも無理からぬことだろう。

 特に白瑛は最近武術の鍛練に入れ込んでいるらしく、国内ではお付きの女官を嘆かせているらしい。それゆえ、二人の婚姻も現在は許嫁という形をとり、輿入れはまだ数年先の予定となっている。

 

「随分と鍛練を積まれているようだな、白瑛殿」

「それでも光殿にかすりもしなかったではありませんか」

 

 幾度かの立会い。白瑛の剣技は、力こそ弱いが並みの兵のそれと比べると十分に才あるものだった。ただ3つ年上の、しかも迷宮を単独で攻略するほどの光の力には遠く及ばなかったようで、すねたように光を見上げた。

 

「さすがに馬術に続いて、剣でまで遅れをとるわけにはいかんからな」

「ふふ。それでは明日は遠乗りでも参りましょうか」

 

 おどけて言う光だが、もちろん馬術であからさまに劣っていたわけではないし、下手なわけでもない。しかし先日披露した白瑛のそれはまるで、馬と会話するかのように見事に馬と息の合った手綱さばきだったのだ。

 

「む。あまり白瑛殿を男勝りにしてしまうと女官殿から睨まれてしまうやも知れんな」

「あら。これでも裁縫という女性らしい特技も持っているのですよ?」

 

 少しむくれてみせる白瑛だが、その姿は2年前と比べると随分と女性らしさが増しており、黒い髪は腰ほどまで伸びつつある。

 

 政治的思惑から許嫁となった二人だが、その関係は冷たいものではなく、穏やかなものだ。ただ、少なくとも白瑛にとって、和の国の光は、来るたびに面白い話をしてくれ、武芸にも優れたお兄さんといった感じではあった。それは、彼以上に年の離れた兄に向ける感情とはいささか異なるものの、兄に比べ年の近い従兄に向ける感情と似ている。

 光と白瑛の従兄が、ともに武芸に優れている点や普段どことなくぼんやりとしている点がよく似ているのもそれに拍車をかけているのかもしれない。

 

「ほほう。つい先日、振る舞っていただいたお茶はなかなかの味だったが、料理の方もお得意なのですかな」

「あ、あれはっ! この国のお茶にはまだ慣れていなかったのです」

 

 年の割に武芸に優れ、聡明で長じれば誰もが羨む美人となるであろう白瑛だが、残念ながら女性らしい料理の腕にはあまり自信がないようだ。先日も光の家の者と親しくなって和の国のお茶を入れる練習をして、光に振る舞ったのだが、その味は味覚には煩くない光も思わず顔を顰めてしまうほどのものだった。

 落ち着いた雰囲気のある白瑛だが、料理の腕を指摘され、少し顔を赤くして抗議する姿は、年相応の少女らしさもあり、光は笑みをこぼした。

 

 

「はっは。そういえば、今回はご兄弟はともにいらしていないが、白龍殿の調子はどうですか?」

 

 からかうだけからかって話題をそらした光に白瑛は少し膨れたような顔を向けるが、弟の話となったことで、その話題に乗ることにしたようだ。

 

「まだまだ、幼い子供です。ただ、光殿の冒険譚に影響を受けてか、以前よりも鍛練に励むようになりました」

「ほう。それはそれは。今度来られた時が楽しみだ。白龍殿はたしか9歳になられたのだったかな」

 

 出会いから2年。半年に一度ほどの間隔で白瑛は和の国を訪れていた。約束通り、一度は弟の白龍を伴ってきたのだが、白龍は姉の傍から離れず、光に対して恐々とした、というよりも敵意にも似た眼差しを向けて、白瑛を困らせていた。

 ただ、白瑛から迷宮攻略の話を聞くことに思うことがあったのか、はたまた実際に姉の許嫁に会い、剣の稽古を受けたことになにかあったのか、国に戻ってからの白龍は、以前よりもしっかりと槍剣の鍛練に励んでいた。

 

「はい。友人の青舜も、白龍とともによく剣の稽古をしていて、最近ではどちらの腕が上かといったことから、どちらの背が高いかといったことまで競っております」

「はっはっは。白龍殿ならまだまだ大きくなられよう。いずれはご友人の青舜殿ともお会いしたいな」

 

 以前会った時の白龍はまだまだ背丈も小さく、おどおどと姉の後ろに隠れてしまうような少年だったが、友人と共に切磋するほど武を磨いているのであれば、光にとって楽しみが増えるというものだった。

 

「さて、少し中に入ってお茶にでもしようか」

「お入れしましょうか?」

 

 鍛練を行ったことによる喉の渇きもあるし、時間的にも休憩の頃合いだ。光が白瑛を誘うと白瑛は、少し前の意趣返しとばかりに答えた。

 

「ふむ。では、白瑛殿のお手並みを……なんだ? 少しおもての方が騒がしいな」

 

 あれから幾度か練習しているようでもあったので、切り返そうとした光だが、屋敷の表通りの方から慌ただしく駆けてくる人の音に、訝しげに言葉を途切らせた。

 白瑛とともに、視線を向けると、慌ただしく、光の兄である閃の秘書のような役柄の家臣が血相を変えて入ってきた。

 

「どうした、達臣(たつおみ)?」

「殿下、火急の用です! すぐに参内されてください!!」

 

 国政を担う兄の秘書らしく普段は理知的で穏やかな風貌の壮年の男 ―達臣―は、いつになく息を切らして、急いで膝をつき礼を失するほどの慌ただしさで用件のみを伝えた。あまりの雰囲気に光は眉根を寄せた。

 

「参内? ふむ……すまん、白瑛殿。なにやら急な要件が入ったらしい。悪いが」

「いえ! 練皇女様もどうか御同行ください!」

「えっ?」 

 

 要件は不明だが、尋常でない事態が起きたことを察した光が、中座することを白瑛に告げようとすると、それを遮って達臣は同行を促した。事態の推移に白瑛が驚きを示した。

 

「あ。では、支度を……」

「皇女様、一刻を争います。無礼は承知ですが、なにとぞお急ぎください!」

 

 先程まで中庭で鍛練を行っていたため、白瑛も光も城へ赴くには不釣り合いな様相となっている。白瑛が急いで支度をしようとするが、それすら時間が惜しいとばかりに、達臣は促した。

 だがいくら火急の用とはいえ、他国の皇女に強いる仕打ちではない。光が厳しい表情で家臣を睨み付けた。

 

「達臣。いかに火急の用とはいえ、内容も告げず、他国の姫にそのような無礼が通るはずなかろう! 呼び出しの要件を申せ!」

 

 ぼんやりとした雰囲気のある光だが、それでもこの国の王子の一人にして、迷宮の主ジンに認められる王の器の持ち主なのだ。叱責を受けた達臣は、膝をつき、顔を伏せたまま、肩を震わせた。

 

「も、申し訳ありません。で、ですが……」

「なんだ」

 

 今まで一度も見たことのない光の、王族としての姿に、白瑛は身支度をととのえることも忘れて、事態を見守った。

 

「私の口から申し上げられる内容では……なにとぞ、至急参内し、王と閃王子から……」

「……」

 

 苛烈に睨み付ける光の眼差しを受けながらも、それでも達臣は呼び出しの内容を告げなかった。

 それは光が見くびられているからではない。その証に彼よりもずっと年嵩で、国政において王からも兄からも信頼の厚い忠臣が伝令にされるほどで、その彼が蒼白になりながら告げることができない要件なのだ。

 そのことが分かっただけに、光は一層顔を険しくして、白瑛に向き直った。

 

「白瑛殿、重ね重ね申し訳ない。ですが、尋常ならざるほどの事態が起きているようです。無礼を承知でこのままともに城の方に来てはいただけないでしょうか」

「構いません。私の同行も、というなら、私が関わる要件でもあるのでしょう」

 

 他国の皇女の身繕いを蔑にしてまでの要請は、普通の事態ではない。そのことが事態の深刻さを物語っている。

 二人は顔を見合わせ、達臣を伴って慌ただしく城へと向かった。

 

 

 そして、そこで聞かされたのは、まさしく尋常ではない事態が、‘起きてしまった’という報告。いつまでも続けばいい。そう思っていた島国における穏やかな時間は、この時をもって終わりを告げたのだった。

 

 

   ✡✡✡

 

 

 

「煌皇帝が暗殺された!?」

 

 城についた二人は、そのまま慌ただしく王と兄の前へと通され、驚くべき報告を受けた。それは白瑛の祖国の皇帝。三国を統一した彼女の実の父親が、暗殺されたという報告だった。

 さしもの光も驚愕に声を上げ、白瑛は驚きのあまり口元に手をあてて、息を詰めた。

 

「間違いないのですか!? 父上、兄上!」

「……ああ。帝国に遣わしている魔導師からの連絡だ。数日前、煌皇帝が暗殺され、かなりの混乱が広がっているらしい」

 

 公の場ではほとんど父とは呼ばない光が、思わずそう呼んでしまうほど取り乱しており、兄はそれを咎めることなく受けた連絡を再度告げた。

 それを聞いて光はハッとしたように隣の白瑛を見た。その顔はいつもの肌の白さに加え、蒼白としており、なんとか跳ね回る動悸を抑えようと胸元に手を当てていた。

 

「白瑛殿」

「……だい、大丈夫です。申し訳ありません。取り乱しました」

 

 光に呼びかけられ、なんとか体裁を取り繕った白瑛は、血の気の引いた表情で王たちに頭を下げた。それを受けて、しかし王と閃は険しい表情のままだ。

 

「では、私に帰還命令が出ているのですね」

「……はい。皇女殿下の帰還要請は下っており、わが国にも送還要請が来ております。しかし……」 

 

 自国の王、実父が亡くなられたのだ。当然白瑛に帰国命令は出ているだろう。だが、それを認める閃の口調は鈍く、光が視線を向けるとふっと目を逸らした。

 

「事態はそれだけではないのです、姫」

 

 なにかを思案するように眼を閉じていた王が口を開くと共に、険しい表情で告げた。

 

「それだけではない、とは? 皇帝が暗殺されたほかに何かあったのですか!?」

「……皇帝の暗殺はおそらく、敗残国の兵士の仕業ではないかと宮中で話されているそうです。そして」

 

 急き立てるような光の言葉に閃は躊躇いがちに報告の続きを口にした。

 

「先程報告をしてきた魔導師によると、昨晩、宮殿で大火があったそうです」

 

 

 ドクン、と凍えた心臓が跳ね上がった音がした。

 この話の続きは、先の知らせと同等に、いやそれ以上に事態を、運命を変えていく。そんな予感があった。

 

 

「その火事で、練白雄皇子、白蓮皇子の両皇子が亡くなられたそうです」

「!!?」「なっ!? 白瑛っ!」

 

 皇帝である父が暗殺され、皇位継承権第1位と2位である皇子の兄二人が火災に遭う。まさしく尋常でない事態に白瑛は地面が揺らいだようによろめいた。驚愕した光だが、隣の白瑛が倒れそうになることに寸でのところで気付き、その体を支えた。

 

「お兄様たちが、そんな……」

 

 あまりの報告に白瑛は信じがたい思いで数瞬、自失した。しかし、報告にない二人の家族の名を思い出してはっと顔を上げた。

 

「白龍は! 弟の白龍と母上はご無事なのですか!?」

 

 王に対して声を荒げて詰問するというらしからぬ態度だが、光も閃もそれを咎めようとはしない。それほどまでにこの報告は白瑛にとって重大かつ過酷で、光たちにとっても重い意味を持っていた。

 

「玉艶皇后は幸いにも宮殿を離れておられたらしく、難を逃れたそうだ。そして白龍皇子は……」

 

 腕の中の白瑛の体が凍えるように冷えており、震えているのに気づいた光だが、差し伸べる自身の手もまた震えていることに気づいていた。閃は二人の様子に何も言わず、ただ報告の続きを述べた。

 

「なんとか火災より逃れたが、かなりの火傷を負われたらしく、報告のあった段階では治療中とのことだ」

 

 白瑛はなんとか気持ちを静めようと胸元でギュッと両手を握りしめ、光は気遣わしげな眼差しを白瑛に向けた。

 

「大丈夫です。すいません光殿」

 

 なんとか持ち直したのか白瑛はすっと光から身を離し、未だ蒼白な顔ながらも皇族としての顔で王へと向き直った。

 

「お見苦しいところを、申し訳ありません、王」

「いや、無理からぬことだ。私とて信じがたい」

 

 報せが報せだけに、取り乱した白瑛の態度を王は咎めず、険しい表情のまま、わずかに気を遣う眼差しを向けた。

 

「皇女殿下。このような状況下で申し訳ありませんが、こちらとしても直ちにあなたを煌国に送らねばなりません」

「はい」

 

 今の白瑛の精神状態は非常に危うい。卒倒してもおかしくはない顔色をしているのだ。だが、事態はそうのんびりとしていられる状況ではない。

 まだ成人前の女性とはいえ、白瑛も皇位継承者の一人なのだ。ましてそのトップ二人が亡くなった以上、国内に彼女がいない時間が長引けば長引くほど立場は悪化するだろう。

 

「至急用意を整えます。2、3日……いえ、明日までには煌への船を整えます。皇女殿下もご出立の用意を」

「はい、ありがとうございます」

 

 漁船を出すのではない。他国へ渡る船を用意するのだ。通常であれば1日どころか3日程度で準備を終えられるはずもない。しかも現状での白瑛の立場を考えれば、万に一つもあってはならないし、非礼な船を準備するわけにもいかない。だが、それでも、急がねばならないほど事態は切迫していた。

 

 眼前に両手を掲げる煌国式の礼をとって辞去する白瑛に、光も随行しようと踵を返す。だが

 

「光は少し残りなさい」

 

 その足は父である王の一言で止められた。光は苛立たしげな表情を隠そうともせず、王へと振り向いた。

 

「申し訳ありませんが、白瑛殿をお送りせねばなりません」

 

 普段の穏やかな態度や父王に対する礼など微塵も想定しないかのような言葉に、閃は少し顔を暗くする。

 

「光、残りなさい」

「彼女の護衛のためです。すぐにまた参内します」

 

 国内で皇族が立て続けに亡くなったのだ。しかも皇子二人も他殺である可能性が非常に高い。まさかとは思うが和の国内に、白瑛の命を狙う刺客が放たれていないとも限らない。いや、もしかするとお付きの中に紛れ込んでいる可能性すらあるのだ。

 

 現状、白瑛は皇位を継ぐ可能性のある有力人物なのだ。国内で万一のことがあれば、両国にとって致命的な事態になりかねない。だからこそ、彼女の許嫁であり、迷宮攻略者である光自身が護衛につくのが、最も安全な方法であり、なにより今の彼女を置いておくことなどできない。しかし

 

「残りなさいっ!!」

 

 兄の声は、先の事態にも劣らぬ切迫感をもっていた。その声に光は忌々しげに足を止め、控えていた達臣に振り向いた。

 

「達臣。直ちに白瑛殿に護衛をつれていけ」

 

 苛立ちを隠そうともしない声で命じ、耳元に顔を寄せた。

 

「女官や白瑛殿からもなるべく目を離すな。屋敷までの道、屋敷。俺が行くまで誰も近づけるな」

 

 国内の臣下や護衛の者が信頼できないわけではない。だが、それだけ、光にとって白瑛の身は大切なものとなっていた。

 光の命に、達臣は頷きを返すと、一礼して王の前を辞した。白瑛はすでに辞去しており、急いでその後を追ったのだろう。

 

 

「…………」

 

 告げられる要件がなんのことか察していた光は、睨みつけるような眼差しを兄と父にぶつけていた。

 閃や王にとって、兄と父として、そして国にとって、白瑛と光が仲睦まじいことは歓迎すべきことだった……つい先ほどまでは。

 それが分かるだけに、閃はこれから告げなければならない内容に陰惨たる思いを抱いていた。

 

「光、現状は認識しているね」

「……はい」

 

 それはただの確認だった。王子として、光は閃に劣らぬ聡明さを持っているし、なにより、ジンに認められるほどの者だ。

 

「彼女の皇位継承権は高い。だが、今この瞬間に、彼女が煌国内にいないことは、致命的だ……何者かの意思が介入していたとしか思えないほどに」

「…………」

 

 皇帝、そして二人の皇子が立て続けに亡くなり、もう一人の皇子は現在安否不明。国内や宮廷の混乱は未曽有のものだろう。わずかでも皇帝の座を空席にする予断などない。

 

「おそらく、皇帝には皇太弟、紅徳が就くはず」

 

 現皇帝、いや前皇帝には弟が一人いる。武勇に優れ、機智に富む兄とは異なり、暗愚とも言われているが、拠り所となるものが不在の状況ではほかに道はない。

 まだ幼いものの白瑛が国内に居れば、事態は異なったかもしれない。もっともその場合は、白瑛自身の命が危ぶまれていたのだが。

 

「現皇太弟には、子息が多い。特に嫡男の紅炎は、戦略に優れ、お前と同じく迷宮攻略者となったという報告もある」

「紅炎殿……」

 

 白瑛から彼の話は幾度か聞いていた。従兄に光とよく似た人がいる、と。そして、最近になってだが、煌に出現した迷宮を攻略し、その力をもって戦場に立っていると。

 

「またご息女も多い。煌と和との関係を考慮すれば」

「兄上。私は、一刻も早く、白瑛の護衛に就かねばなりません。迂遠な言い回しは時間の無駄です」

 

 ゆっくりと現状を整理するように告げる閃の言葉を、光は強引に遮った。その言葉に閃の顔からすっと表情が消えた。そして、

 

「光、皇女が煌に帰国され次第。通達があると思うが、お前と皇女の婚姻関係は白紙となる」

 

 白瑛と光の婚姻を進めていたのは煌における前皇帝の勢力だ。なるべく対等の協定を結ぶための条件として、未婚の皇族、王族で最も格のある二人が姻戚を結ぶことになっていたのだ。協定はともかく、両国の対等な関係を崩さないようにするためには、少なくとも次の皇帝の直系の皇女が和の王子と結婚する必要がある。

 

「……要件は以上ですか?」

 

 そんな現状ならば、混乱した今の状態でも察することができるほどに、光は聡明で、しかし頑迷でもあった。

 

「光」

「それまでならば、護衛に就きます」

 

 感情を消したような顔で返答した光に、兄が呼びかけるが光は聞く必要がないとばかりに、踵を返そうとした。

 

「光、もう少し待ちなさい」

 

 それを留めたのは、父の深みのある声だった。その声に光は振り返り、苛烈な色を灯した眼差しを向けた。

 

「国王。たしかに俺は、国の思惑から彼女と許嫁となった。そのことに不満はないし、両国の関係も分かる」

 

 初めて会ったときはまだ、小さな妹のような娘だった。来訪の理由はなんとなく分かっていたから、きっと不安な思いや怖い思いをしているだろう。だから少しでもそれを和らげてあげようといろいろ考えた。

 親密な国交を結ぶのなら、この国を好きになってもらいたい。そう思っていた。

 

 だが、

 

「それでも、俺は彼女自身を見て、道を選んだ。他者から示された道だろうと、ほかに選択肢がなかったといえど、選んだのは俺だ!」

 

 出会った彼女は聡明な娘だった。痛いほどにまっすぐで、強くあろうとして、それでもその本質は優しい娘だ。

 冒険や和の国の話に面白そうに眼を輝かせ、

煌の国の話に、戦争の話に瞳を曇らせ、

 

 世界の、民の平穏を望む、優しい人だ。

 

「選んだからには違えない。彼女の立場が弱くなるというなら、その分俺が強くなる。相手が人だろうと、迷宮攻略者だろうと、この思いは変わらない!」

 

 直系ではない皇族との婚姻をそのままにすれば、煌と和との対等な関係は崩れるかもしれない。和が格下とされるかもしれない。

 いや、もしも前皇帝の親族を暗殺したのが、外部の者ではなく、国内の政情からなら、白瑛の立場は一層危うく、両国の関係悪化につながるかも知れない。

 

 

 それでも、

 

 彼女を見放すことだけはできない。

 

 あの優しさを隣で見て居たいと思った。

 あの真っ直ぐな姿を支えたいと思った。

 

 彼女を、選んだのだ。

 

 

 光の激高した様子に、閃は冷たい眼差しを向け、二人の間に一触即発の空気が流れ、父王は深々と息を吐いた。

 

 最近では政務に関わることが多くなったとはいえ、閃も国内では指折りの剣士だ。光との実力差はほとんどない。もっとも、光がジンの力を -今まで一度も、だれにも見せたことがない迷宮攻略者としての力を- 見せるのならば別かもしれないが、その場合、ここはまさしく戦場となるだろう。

 

「光、それが、お前が選んだ決断なのなら。それを最大限尊重しよう」

「国王!」

 

 今まさに、二人の王子がぶつかりそうなほどに緊迫感を高めている中、それを鎮めたのは父の一言だった。光はわずかに驚いたように目を見開き、閃は咎めるように声を上げた。その閃に対して父である王は、軽く手を上げて言葉を制した。

 

「光は迷宮攻略者だ。こちらが望めば、煌もそう悪いようには扱えまい」

「……」

 

 最も無難な選択肢は、一度婚姻関係を白紙に戻し、協定を結ぶのであれば改めて煌側から縁談の話を受ければいいのだ。

 元々、協定自体、持ちかけてきたのは煌の方だ。ここで協定がなくなれば、戦線を西に移行し、国土が肥大化している煌の方がむしろ困るだろう。

 

「だが、その道を選ぶのなら、光にも伝えておかねばなるまい」

「?」「父上っ!」

 

 王の話が、わずかにずれたことに光は訝しげな眼差しを向け、閃は堪えきれず咎めるような声を上げた。

 

「光。先ほどは姫の手前。姫の身の安全のため、敗残兵の仕業という風に言ったが、一連の流れを見るに、我々は事態をそうは見てはいない」

「……」

 

 暗殺の件に関して、父王は、いや兄もまたなんらかの答えを得ているのだろう。そのことに、そしてそのことを白瑛に伝えなかったことに光の顔は険しさを増した。

 

「いや、そもそも、私は煌の……帝国の建国の件についてもそうと睨んでおる」

「父上?」

 

 なにか、おかしな言い回しだった気がした。今、父王は煌という国を、あえて帝国の建国の件と言い直したのだ。

 

「帝国の建国と、大陸の中原における戦乱の拡大。そして迷宮攻略者の出現と世界に起き始めた異変。私は、これをある組織が絡んだ出来事ではないかと見ておる」

「ある組織、とは?」

 

 国の成長から大陸の戦火、そして人ならざる力の迷宮に関してまで、それを一手に操っているとした途方もない規模と力をもつ組織だろう。重々しく語る父王の言葉に、光も激高した頭を冷やし、促した。

 

「名は分からん。ただ私は八芒星の組織と呼んでおる」

「八芒星……」

 

 その文様には覚えがあった。あの日、迷宮を攻略し、強大な力を宿した愛刀に刻まれていた文様が8つの頂点を持つ星の印だったのだ。

 

「お前が攻略した迷宮との関係は不明だ。それが、組織の手によるものだとは思っていない。だが……まったくの無関係ではないだろう」

 

 白瑛の隣に立つことを決めたのと同様、あの迷宮を攻略し、そのジンを従えることを決めたのもまた、光自身の決断だ。国のためならいざしらず、それが何者か分からぬ輩たちの、しかも平穏を乱そうとしている者たちの誘導によるものだとしたら、気分のいいはずがない。

 

「それゆえ、私はあえて煌との協定を結んだ……かの組織のことを知るために。光、あの組織は、あらゆる姿をもって、国へと近づき、なんらかの方向へ、争いを起こす方向へと導いてくる」

 

 

 この時はまだ、父王の語る、その強大な力に挑むだろうことを感じていながらも、翻弄する運命を、その逆流する流れを、知る由もなかった。

 ただ、

 気をつけなさい、と忠告するその言葉を聞きながらも、胸に抱いた思いは違う方向へと進んでいた。

 



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第3話

 初めてここに来た時は、これからに対する不安と恐怖が大きかった。

 

 海を隔てた隣国。大陸よりも小さな、でもとても強い人たちがいる島国。

 

 大陸の歴史を学ぶ中で必ず教わる大黄牙帝国のお話。その物語の中で出てくる国。本の中で、この国はまるで鬼が住んでいる国のように描かれていた。

 

 2年前、まだ幼かった自分は、しかしなぜ自分がこの国に遣わされるのか、大体分かっていた。

 父の ―その時はまだ帝国ではない― 煌の国の王には、娘は自分しかいないから。

 

 だから、特に必要な国に自分が嫁ぐことになるだろうことは分かっていた。そしてそんな自分が、政治的な話をしに行く兄二人に、煌の王子二人に連れられていくことの意味は分かっていた。

 

 自分が嫁ぐことになる国。

 この国の王家で、最も自分と年齢が近く、3歳年上の人。

 

 初めて会ったとき、やはりあの人も怖かった。

 

 煌の宮殿とちょっと似ている宮中に着くと、兄たちはこの国の王と兄よりも少し年上くらいの二人と大事な話があるから、と自分はあの人と共に逗留する屋敷に案内された。

 

 

 その道すがら、

 

「姫。出会いの贈り物を持ってきたのだが、受け取ってはいただけないか」

 

 そう言って差し出してくれたのは、見たことのある、けれども今までに見たどれよりも綺麗な白い羽を持つ羽扇だった。

 白羽扇ですね。と答えたら、少しだけ面白くなさそうにして、

 

「む。やはり大陸の姫には見慣れたものだったのか」

 

 昔はともかく、今はこの国の方が使われている扇と同じものを大陸でも使っていることが多い。それでも時折羽扇を好んで使う貴族がいることは知っていた。

 だから目新しさはなく、むしろこの国独特のものの方が驚くのに、と思ったのは内緒だ。ただ、続けられた言葉には、とても驚いた。

 

「いきなり現れたり消えたりした‘迷宮’とかいうところで手に入れたものなのだが」

 

 

 

 あの人は迷宮攻略者。

 かのシンドバッドと同じく、何万人もの人が命を落したと言われる死の穴の一つから戻ってきた方。

 しかも聞けばお一人でそれを成し遂げたという。

 

 

 その語り方は、鍛練と勉強に嫌気がさした弟がちょっと脱走して冒険に行ってきました、と言うのと同じような話しぶりで、でも語られる内容はシンドバッドのお話にも劣らぬ物語。

 

 それ以外にも色々な話をした。

 戦争のこと、平和のこと、国のこと、世界のこと

 武芸のこと、馬術のこと、料理のこと、兄弟のこと

 

 和の国のことを聞くのは楽しかった。大陸のどの国とも違う独自の文化を継承しているからだろう、どことなく煌のものに似ているようで、しかし聞く話、見るものそのほとんどが、大陸のものとは違っていた。

 

 

 いつの間にか、怖さはなくなっていた。

 

 煌へと帰る船の中で、私は兄から私があの方の許嫁となるだろうことを伝えられた。それを聞いても、私の中には不安はなかった。

 

 

 普段ぼんやりとしていて、けれどもその瞳の奥には理性と知性を備えているところなど従兄によく似ていた。

 武勇に優れているところもよく似ており、煌に居る時に従兄と手合せしたときには、どちらが強いのだろうと、まだ自分の力では分からないことを考えたりしていた。

 

 

 2年の間に数度、私はこの国を訪れた。

 その度に語ってくれるお話は、嘘か本当か分からないほどで、まるで絵物語を読んでいるような気にさせてくれた。

 

 一度だけ弟の白龍を連れてきたが、その時のことを思いだすと苦笑が零れる。あの子は昔からよく泣く子だった。あの方とお会いした時も、私の影からおっかなびっくり顔を出しては引っ込めていた。

 

 あの子も決して、愚鈍な子ではないから、あの方がどのような方なのか分ったのだろう。

 

 私の夫となる方。煌から、あの子のもとから私を奪っていく方。

 

 だからだろう、会うたびに顔をそむけて、けれどもあの方の語るお話に興味を引かれて、鍛練につき合って頂いた際には、ムキになって挑みかかっていた。

 

 国に帰ると、青舜と ―あの子より1歳年上の私たちの友人と― よく鍛練するようになった。

 

 

 あの方に頂いた白羽扇は、今も肌身離さず持っている。

 粗末に扱っているわけではないが、それでも白い羽というのは汚れたり羽が落ちたりするものだろうに、あの扇は迷宮のものだからか、不思議なことに痛むことなく、2年たった今も、真っ白なままだ。

 

 

 …………もしあれが、いずれあの方の妻になる人へと渡したものだとしたら、お返しした方がいいのかもしれない。

 

 おそらく自分は、もうあの方の妻になることはないだろう。

 

 閃王子も和の国王も普通では到底できないほどの早さで帰国の船を手配してくれたが、それでも、国内の情勢を思えば、自分が今までと同様の立場で居られるとは思えない。

 

 あの時、国王があの方だけを呼び止めたのは、その話をするためだったのだろう。

 あの後、私の警護のために来てくれたあの人の表情は、いつにもまして厳しく、初めてお会いした時以来の怖さを感じた。

 

 いや、怖かったのは変わってしまうこれからだったのかもしれない。

 

 今の煌の情勢はまったく分からない。

 治療中と言っていたが、火傷をおった弟の安否が分からない。

 

 父が殺されたのは、戦を起こしたからだろうか。

 例え平和を作るためという大義を掲げようと、結局やっていたのは侵略の戦争だったのだから。

 

 きっと自分とあの方の婚姻関係は白紙に戻るだろう。

 

 和と煌の同盟のためには、対等な条件で盟を結ぶためには、どちらも直系の王族、皇族がその立場に立つ必要がある。

 でなければ、例えば、一方が傍系の女性を、一方が直系の王族を出せるとしたら、それは傍系の女性を差し出した方が、立場としては強い場合がほとんどだから。

 対外的に、対等であることを主張するためには、互いに直系であることが必要なのだ。

 

 閃王子たちは言わなかったが、気づいていたはずだ。

 今の状況であれば、おそらく煌の宮中ではすでに、叔父が、紅徳叔父上が次の皇帝に即位することがほぼ決定しているであろう。

 

 叔父上には多くの姫がおられるから、直系の女性を差し出すという条件はさして難しくは無い。

 

 涙は、流れない。

 

 色々なことが一度に起こり過ぎて、感情が追いつかないのかもしれない。ただ、頭の中の冷静な部分が、現状だけを他人事のように考察していた。

 

 そうであるならば、その方がよかった。

 

 だって、もし感情が追いついていれば、きっと自分は一歩も動けない。

 

 一刻も早く残された母と弟のもとに帰らなければならない。二人の無事な姿をすぐにでも見たいはずなのに……

 この地を離れたら、もう自分がこの地を踏むことはなくなってしまうだろうから。

 

 こんなにも、この国を離れがたく感じてしまうほどに、この国が好きになったのだから。

 

 いや…………

 好きになってしまったのは、国だけではなく……

 

 

「皇女殿下」

 

 

 

 この国の王との景色を、最後となるだろう景色を惜しんでいた白瑛に声がかけられた。

 

 

「閃王子。光、王子……」

 

 国の要となる二人がわざわざ見送りに来たのは、それだけ和にとっても煌との関係を気にしているのだろう。

 白瑛は癖というほどに慣れてしまった呼び方、‘光殿’と言う親しげな呼び方をついつい口にしようとして、慌てて呼び方を変えた。

 すでに心を切り換えておかねば、立ち去れない程に別れが惜しくなってしまうかもしれないから。

 

 白瑛の考えていたことは、やはり話題に上がっていたのだろう。そのことに気づいた光の眉がわずかにしかめられた。

 一方の閃は、敢えてそれに気付かなかったかのように、スッと両手を胸元に掲げ、煌式の礼をとった。

 

「急な出立となり申し訳ありません。船は可能な限りのものを用意いたしました、海の天候もおそらく問題はないものと思います」

「いえ……こちらこそ、ご厚意感謝します」

 

 わずかに動揺した白瑛だが、なんとか取り繕って礼を返した。

 

「皇帝が崩御され、国内の情勢が不安定かと思いますが、和の外交官も僭越ながら同行させていただきます」

 

 変わらぬ両国の友好のために。そう告げる閃の言葉は、少しだけ棘となって白瑛の胸を刺した。

 中原へと進行中の煌が今更、後方の友好国、和と敵対して得るメリットは少ない。むしろ和の国力などの条件を鑑みればデメリットの方がはるかに大きいのだ。

 だからこそ、両国の関係はさして変わらないだろう。変わるとすれば、白瑛自身の立ち位置だけだ。

 

「僭越など。重ね重ねのご厚意、感謝してもしきれません」

 

 儀礼的なやりとりを済ますと、閃はちらりと光を見て、身を引いた。閃が引いた代わり、それよりも近く、光が憮然とした面持ちで白瑛の前に立った。

 

「白瑛殿」

 

 その声はいつもよりも固いものだったが、いつもと変わらぬ呼び方を -白瑛が最大限の自制心で抑えた呼び方を― 聞いて、流れなかったはずの涙が出そうになった。

 ただ、ここで零れ落ちてしまえば、きっともう立ち上がれない。

 だからこそ、白瑛は毅然と光に視線を返した。

 

「光王子。これまでの格別のご配慮、深く感謝します」

 

 “これまでの”

 その言葉には、拒絶と別れが込めていたはずだ。白瑛は手に持っていた白羽扇を、大切な宝物を光へと差し出した。

 

「……これは?」

 

 眼前に差し出された白羽扇に、それを差し出す白瑛の両手を見て、光は感情を消したような眼差しを白瑛に向けた。

 

「これは私などが持っていて良いものではなかったのです。どうか、王子の……あなたの妻となる方に、差し上げて下さい」

 

 差し出した両手が震えていなかっただろうか

 あの方を見る目は、真っ直ぐに見つめ返せていただろうか

 

「不要な、ものだったか」

 

 ひどく寂しそうな声が、白瑛の耳に届いた。

 

「そのようなことは……この2年で、いえ、今までで、これに勝る宝物はありませんでした」

 

 本当は手放したくない。

 これから先、自分は女としてではなく、練白瑛として、弟を、母を、国を守るために身を尽くさねばならない。

 もう会う事がないと分かっても、彼の色の残るものをずっと手元に置いておきたい。

 

 でも

 

 それをすれば

 

 きっと先には進めない

 

 

 

 光はすっと手を差し出し、

 

「えっ?」 

 

 白羽扇を持つ白瑛の腕をとった。

 気づいた時には腕を引かれ、白瑛の体は光に抱きしめられていた。

 

「光殿っ!」

「……その呼び方の方がいいな」

 

 咄嗟の事に、改めたはずの呼び方が戻ってしまい、指摘されて白瑛はハッとなった。

 

「宝物だというのなら、持っていてくれ」

「で、ですがっ!」

 

 耳元で語りかけられる言葉に、白瑛は今までにないほど動転し、なんとか離れようと身をよじった。

 

「俺が選んだのはあなただ」

「!」

 

 抱きとめられた腕から逃れることはできず、告げられた言葉に抵抗すら止められてしまった。

 

「この2年。あなたと居られた時間は、私には大切な時間だった。あなたを見て、あなたと共に歩むことを選んだ」

 

 語りかけられる言葉は、毒のように心へと染みこんできた。

 すぐにでも拒絶の言葉を告げなければ、きっとこの毒は、心を捉えて放さなくなってしまう。

 頭の中の、段々と小さくなりゆく冷静な部分が抵抗をしようと告げている。

 だが、それでも体はもう、その腕から逃れることはできなかった。

 

「例え始まりが国同士の思惑だったとしても、私はあなたを選び、守ることを誓った。ならば、それを違えることはしない」

 

 いや、きっと冷静な部分などではなかったのだろう。

 

 ただ、諦めていただけだ。

 この人を信じ切ることができていなくて、この関係が終わってしまうのだと決めつけて

 国同士の思惑で始まったのだから、この結末も仕方ないと受け入れようとしていただけだ。

 

「あなたの意志で、私を拒むのならば仕方がない。だが、そうでないのなら……持っていてほしい。その扇を」

 

 望んでもよいのだろうか。

 信じてもよいのだろうか。

 

 それは、今まで語ってもらったどの物語よりも、夢のような言葉だった。

 

「私は必ずあなたのところに行く。今度は私の方から。何があろうとも、あなたを守るために」

 

 

 今度こそ、信じよう。

 

 例え今、離れることになろうとも

 繋がりを示す関係が白紙に戻ろうとも

 

 

 この誓いを、この方を

 

 いつか、またともに歩ける道を、信じよう。

 

 

「ありがとう、ございます、光殿……」

 

 

 

 

 抱き留めていた腕を放し、自分よりも低い位置にあるその瞳を見つめた。

 泣いているかと思ったその顔には、しかし震えるような声に反して、涙の痕は流れていなかった。

 

「私も、あなたに約束します」

 

 白瑛は、少しだけ潤んだ瞳で光を見上げ、言葉を紡いだ。

 

「今度お会いする時。その時の私が、守られてばかりの私ではないことを、約束します」

「ほう」

 

 強気な言葉、ただお淑やかなだけの女性ではない、いつもの白瑛。

 そのことに、光は、ほんの少しだけ寂しさを混じえながらも、いつものように笑いかけた。

 

「あなたの隣を歩くにふさわしい力をつけて、お会いします」

「ふっ。言ってくれる」

 

 今は、互いの立場があやふやで、不確かな物となってしまった。

 光は、すっと右腕を差し出した。

 

「次は、俺が煌に行く。その時まで、しばらくお別れだ」

「……はい」

 

 

 

 

 遠くなっていく姫の一団を見送る光に、兄は不安げな眼差しを向けた。

 

「光。姫との関係は、こちらから外交的に交渉しておくから、くれぐれも早まった真似はするな」

「……たとえば……このまま一団に紛れて煌に直談判に行く、とか」

「光」

 

 姫の一団には和国からの使者、護衛も随行している。

 和-煌の航路は比較的海賊などが少ないが、それでも万一のことがあってはならないし、和からの使者が随行していれば、よもやいきなり政変で姫が捕えられるといったことも起きにくいだろう。

 

 それが、現状とることができる唯一の方法だった。

 思いつめたように言う光の方法は、効果としては大きいが、混乱している他国に、この国の王子を、しかも軍事力としても破格の迷宮攻略者を派遣することなどできるはずもなかった。

 

 優秀な弟だが、突飛なく迷宮攻略に赴くなど、予想しづらい行動をとる弟だけに、閃は咎めるような声をかけた。

 

 

「心配なさらずとも行きませんよ。こちらも、そして煌もまだその時期ではないでしょう」

「…………」

 

 自重するという弟の言葉だが、閃の眼差しは鋭い。

 たしかに光の力は強い。剣の腕前だけならば、まだわずかに自分の方が上であると閃は見ていた。しかし、光には金属器の力もあるのだ。

 だからこそ、不安になる。

 

「やれることは、ある」

 

 光は決意を秘めた面持ちで、既に見えなくなった一団から背を向けた。

 

「光」

 

 去り行こうとする弟の背に、閃は声をかけた。

 予測しづらくとも、それでも分かることはある。

 

「踏み込みすぎてはいけないよ。あの組織のことも、まだどれほどの力を持っているのか、その片鱗すら分かっていないのだから」

「…………」

 

 煌に対して打てる手は、現状全て打ってある。

 外交を通じての白瑛との婚姻関係継続の意志。同盟に関すること。

 

 ならば、光が打つべき手は、

 

「光」

「言ったはずです。何があろうと、俺は白瑛を守る。そのためにできることはまだあります」

 

 沈黙を返した光に、閃はもう一度その名を呼ぶ。

 返ってきたのは、昨日と同様、曲げられぬ固い思いの言葉だった。

 

 決して浅慮ではない。しかし、それでも弟の決意に、閃は危ういものを感じずにはいられなかった。

 

 光の瞳には、先程まで愛しい人に向けていた温かみは欠片もなく、ただ、影に潜む敵を見据えた冷たい焔を宿していた。

 

 

 

 

 

 

    ✡✡✡✡✡

    

    ✡✡✡✡✡

 

 

 

  始まりの物語が、終わる

 

 

 

 

 そこはまるで幾千、幾万の軍が激突したような戦場跡だった。

 

 先程まで戦いが繰り広げられていたそこには、しかしたった一人の男しかいなかった。あたりには達磨のような形の小さな人形が無数に落ちており、たった一人の男は、半ばから折れた木にもたれかかり、血にまみれていた。

 

 体中に無数の傷を負い、左の腹部はなにかの魔法を受けたのだろうか、大きく抉れ、その衣裳を赤黒く染めていた。

 右手にはなんとか彼の武器である刀が握られているが、その腕は力なく垂れている。見れば腕の付け根、右の胸元にも風穴が空いており、止めどなく血が流れ出ている。

 まだ息があるのだろう、震える唇から息を吐こうとすると、その口からは血泡がごぽりと落ちた。胸元の風穴は心臓を避けてはいるものの、重要な血管だけでなく、肺腑にまで穴を空けているのだろう。

 左の腕は、なにかで呪われたかのように黒いあざが広がっていた。

 

 

 

 とある組織があるのだ。

 

 その名は知らない。その目的も知らない。

 

 だが、許せなかった。

 

 それの起こした行動がもたらした結果を

 それのもたらす結果を

 

 

 

 ゆるせなかった

 

 誓いを守れなくなる自分が

 

 このような結末を迎えてしまう運命が

 

 

 だが、運命とやらを恨みはしない

 

 その運命のおかげで、あの娘と出逢えたのだから

 

 運命を呪えば、それすらも否定してしまうから

 

 

 

 約束したのだ。必ず彼女のもとに行くと。何があっても彼女を守ると

 

 

 体の傷は致命傷だらけだ。助かる見込みなどないだろう。

 赤く染まった男の口元が震えるように言葉を紡いだ。

 

 その呟きは途切れ途切れで、例え口元に耳を当てたとしても聞こえる声量ではなかっただろう。

 

「罪、業と、呪、怨……精、霊よ。汝と、なん、じの眷、属に、命ず……」

 

 これが運命だというなら、そのようなもの乗り越えてみせる。

 

「我が、いの、ち、を糧とし、我が、意……志のち、からとな、れ」

 

 例え人から外れようと、

 

「な、ん、じに、命、ず……我が、身を贄、に、わ、が、身を、喰ら、え……」

 

 どのようなものになろうとも、

 

「我が、魂、を、大いな、る罪と、し、ここ、に顕、現せよ」

 

 

 それでも、俺は誓いを違えることだけはしない。

 

 

「ガミジン」

 

 

 それは、愚かな選択なのかもしれない。ただ、それでも選んだのは自分だ。

 この力を受けいれることを決めたのも、

 この道を選んだのも、 

 禁忌と言えるだろう、この力を使うことを選んだのも

 

 だから、

 

 その咎を受けるのは自分だ。

 

 

 




今回の話でひとまず最初の区切りとなります。

ご意見、ご感想などよろしくお願いします。


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第4話

 私が殿下と初めてお会いした時のことは、実はよく覚えていない。

 

 物心ついてから聞かされた話によると国の重臣である父が、現国王の第2子である殿下と引き合わせてくれたそうだ。

 どうも現国王と父とは、国王が国王になる前からの付き合いで、年の近い子供がお互いにでき、それが男女であったなら、許嫁としないかという話をその昔、若かりし頃に戯れにされたそうだ。

 

 とんでもない話だ。

 

 おそらく幸いにも、国王の息子は二人とも男児で、第2王子は私と同い年だが、私も男子だ。

 

 そんな縁で幼少期からあの方と親しくさせていただいており、まだ国の事など分からぬ頃は、今にしてみれば不敬にあたることを数多くしでかしていたし、殿下の冒険につきあって後で父と国王から説教をいただくなどということもよくあった。

 

 すでに私も殿下も15となり、私は国の武官として身を置く立場となった。

 

 私にはどうやらそこそこに剣の才があったらしく、この年にして剣技においては将軍職を賜る方に匹敵するという評価を頂いている。もっとも、近年では殿下と試合をしても一本もとることはできない、というよりも、剣技において近い年の者で殿下に勝てるのは、国内では皆無と言っていいだろう。国全体を見れば居ないわけではないが宮中においても殿下に勝てる者は少ない。その数少ない一人は殿下の兄君、数年前から現国王の補佐として政務に携わっておられる兄王だろう。

 

 もう一度言おう。私の力は、(政治的にも実際の力関係においても)殿下に遠く及ばない。

 だが、今日この日ばかりは、不敬を承知で諫言しなくてはならないだろう。

 

 

「よっ、(とおる)、今日もよろしく頼む」

「……よろしくお願いします、殿下」

 

 鍛練場にやってきた殿下とあいさつを交わした。

 近々、大陸の国家、煌から使者が来るらしい。そのため、警務を取り仕切る上役たちは鍛練場や軍部には顔を出さず、宮中での話し合いにかかりきりになっている。

 この方もそういった立場のはずなのだが、ここにやってきたのは鍛練を欠かすことはできないという、いつもの習性ゆえだろうか。

 

 馴染みの家臣たちと気さくに挨拶をかわし、殿下は練習用の木刀を手に取った。今、鍛練場に来ている中で、殿下の剣の相手になる程の者は正直いない。

 

「殿下、手合せ願います」

 

 その地位ゆえにではなく、単純に力量差から尻込みする者の多い中、私は殿下に手合せを申し出た。

 

「ん。やっぱお前が言ってくるよな」

 

 すると殿下は苦笑交じりに、予想していたとばかりの反応を返してきた。

 軽く体を動かしてから、互いに木刀を交えた。私も殿下も、まだ本気ではない。まずは体を温めるように、挨拶のように軽く撃ち合う。

 もっとも、それを取り巻く周囲は、二人の剣技を感嘆の思いで見ていた。

 

「殿下、一つお尋ねしてもよろしいですか?」

「ん? 別にいいが、一つでいいのか?」

 

 撃ち合っている最中、鍔迫り合いに持ち込んで顔を近づけ、尋ねた。

 

「では、幾つか」

「……いいぞ」

 

 一つでなど足りるはずはない。殿下もそれを分かっているのだろう、苦笑を浮かべながら軽く返してくる。

 鍔迫り合う状態から力を込めて、距離をとった。

 

「近々、煌の使者が来られるそうですね」

「ああ。父王も兄王も忙しそうだな。っとお前の父上もか」

 

 2撃、3撃。話す最中にも斬撃を放つが、それは殿下の木刀によって軽く軌道を逸らされた。

 他人事のように言うが、忙しいのはあなたも同じだろう。そうツッコミたくなるのを、ひとまずぐっとこらえた。

 

「殿下のご準備は整われたのですか?」

「ん。なんか知らんが、兄王から今日は鍛練場の方に顔を出せと言われたんだ。まあ、外交の話しやらは、あのお二人が行なわれるし、俺がやるのは同行してくる姫の子守りくらいだからな」

 

 準備はもう終わったと、にこやかに告げる殿下。その顔面に一撃打ち込みたくなった。いや、実際に打ち込んで、しかしその剣は見事に殿下の木刀に撃ち落とされた。

 

「そうですか……ところで、殿下。巷で噂の迷宮のことをご存知ですか」

「やっぱり一つじゃないじゃないか。全然話が変わったぞ」

 

 撃ち落とされて構えが崩されたところに、殿下から横なぎの斬撃が放たれるが、それは距離をとることで躱し、詰められる前に構え直した。

 

「まあ、知ってるが……」

「では、数年の間、聳え立っていたあの不思議な塔が昨日、忽然と姿を消したという話はご存じですか?」

 

 これは単なる確認作業だ。

 殿下がこのような回りくどいやり方を嫌っているのは知っているが、こうでもしなければ、抑えきれない感情が暴発しかねないのだ。

 離れた距離から瞬時に詰め寄り、突きの2連撃を放つ。

 

「っ。おい」

 

 その突きの鋭さが会話をしながらのものでは、まだ準備運動の段階でやるものではなかったからだろう。殿下から少し驚いたような声が上がった気がした。

 突きが躱され、殿下から近接での斬撃が飛んでくるがそれに木刀を合わして受け止めた。

 

「現れた時と同様、消え去るときも突然だったようですが、今回は前触れがあったそうです」

 

 ご存じですか。とジト目で伺うと、殿下の頬に一筋、汗が流れ落ちていた。

 まだ、この程度の準備体操で汗をかかれるお方ではないのに不思議なことだ。

 

「……それは、知ってる」

「そうですか……ではもう一つ。昨日何をされていたのですか、殿下」

 

 距離をとり、正眼に構えた状態でようやくの本題を口にした。

 

「うん、聞いて驚け。昨日はお前の言う、その迷宮に行ってきてたんだ」

 

 すごいだろ。と開き直ったように、にこやかに言い放つ馬鹿を前に、私は渾身の力を込めて木刀を振り下ろした。

 その打ち下ろしは鋭く、自己最高レベルの斬撃と評することもできただろう。

 

ド、ゴッッ!!

 

 と木刀によるものとは思えない破壊音が鍛練場に響き渡り、観戦していた兵士はいつの間にか遠くに避難していた。

 

「…………」

「…………おいおい。鍛練場に穴を開けるな」

 

 殿下の立っているところから、わずか数10㎝ほどの位置に叩き込まれた斬撃は、鍛練場の地面に穴を開けていた。気のせいでなくば、殿下の持っている木刀が最初に比べて少し短くなっているような気がするし、離れたところにこつん、と音を立てて木刀の切っ先のような物が落ちた気がしたが、そんな些細なことは脇に置いておこう。

 

「行ってきたんだ、じゃねえよっ! あんた、あの迷宮がどういうところか知ってて行ったのかよ!?」 

「おう、知ってたぞ」

 

 かのシンドバッドが攻略したのと同じ、万の軍勢ですら飲み込む凶悪な黄泉路へと続く入り口だ。

 

「なら、ほいほいとそんなところに行くなよ! しかも誰にも言わずに!」

 

 おそらく国の外交に関わる一大事を前にしてわざわざ閃王子が殿下を鍛練場に来させたのは、私に説教をさせるためだったのだろう……

 

「言ったらお前、止めるだろ。危ないからって」

「分かってるなら行くなよっ!」

 

 先ほどから言葉遣いが昔の頃のに戻っている気がするが、仕方ないだろう。閃王子のお墨付きを頂いたということにして、とりあえず不敬罪とかうっちゃって、今は馬鹿の説教の方が大事だ。

 

「昔ならお前を誘って行ってもよかったんだが、流石にその年で達臣に説教くらうとかわいそうだからな」

「だれも、俺が行きたかったなんて言ってないだろ! 話し通じねえな、おい!」

 

 勝手に迷宮になど行けば、誰かしらから怒られるのは分かっていたのだろう。

 怒りの声をあげて、ふと我に返る。なんだか、殿下のペースに嵌りつつあることを自覚して、少し激高していた感情を抑えた。

 

「こほん。殿下、迷宮の攻略、あるいは魔物の討伐などをなさるのであれば、しかるべき人員をもって臨まれるのが基本です。そしてあなたの役目は、その人員の選抜と統率でしょう。あなた自らが先頭にたって、しかも単独で乗り出してもしものことがあれば、どうなさるのですか」

 

 殿下は決して馬鹿ではない。冷静さを以て滔々と話さなければ、あのペースに振り回されてしまう。そんな風に考えていた冷静さは、

 

「どうなさるって……そのまま兄王が、国王の跡を継ぐだけだろ」

 

 続けられた殿下の言葉によってどこかに吹き飛んでしまった。

 

「そういうことじゃねえよっ!!」

 

 落ち着けたはずの精神は、殿下の、自らの選んだ主君の一言で一瞬で沸騰した。

 

「そういうことだろ。すでに兄王は政務もちゃんとこなしているし、子もいる。せいぜい軍務を司るやつが一人いなくなるくらいだろ」

「あんたは、俺の選んだ主君だ!」

 

 まるで自分のことなど、どうとも思っていないかのような言葉にキッと睨み付けた。それに対して殿下は感情の見えない眼差しを向けた。

 

「融」

「あんたに王になってほしいわけじゃない。ただ、俺が仕えることを選んだのはあんたなんだよ!」

 

 一歩間違えれば反逆の罪に問われかねないほどの暴言だ。

 もっとも、あの閃王子のことだ、私の考えなどずっと昔にお見通しであろう。だからこそ、今日、この場に殿下を来させたのだから。

 

「わざわざ出世の見込みのないやつにつこうとするなんて、バカなやつだな」

「…………バカで構わん。あなたと似たようなものだ」

 

 別に国王にも閃王子にも不満があるわけではない。ただ、幼いころから見てきた殿下に仕えたいという気持ちの方が強いだけだ。

 

「そういうやつだから、置いて行ったんだよ」

 

 いざとなったら勝手に死にそうな奴だからな。

 溜息交じりに告げる殿下を苦々しく思う。

 どうということのない所へと行くのならば、きっとこの人は自分にもちゃんと話してくださっただろう。

 

 

「なにも言わなかったのは悪かった。今回のはなんとなく、俺が自分の力でやらなきゃいけない気がしたんだよ」

 

 迷宮を攻略した。聞くところによるとそれは、ジンという強大な力に選ばれたことを意味するらしい。

 おそらく、なんらかの直感的なもので、その巡り合いを感じ取ったのだろう。

 勝手に死にそう。この人にそんなことは言われたくはない。この人こそ、自分で勝手に決めたことに従って、無茶をして、気づいたら死んでましたなんてことになりかねないと思ってるのだから。

 忸怩たる思いで言い返そうとすると、

 

「異国の姫君を驚かす秘宝でも手に入れようとか思ってな。なんとなく、今度来る姫の子守りは長く続きそうだからな」

「そっちかよ!!」

 

 先ほどの流れはなんだったのかと思うほどの、ほのぼのとした理由に思わず返した。

私の感動を返せ! そう叫びたくなった私を誰が咎められるだろう。

 

「それに、迷宮は挑戦者に応じて難易度が変わるらしいからな。下手に人を連れて行っても犠牲者が増えるだけだろ?」

「…………はぁ」

 

 なんだかんだ言って、この人は強いのだ。

 ともに行っても無駄に犠牲が増えるだけなら自ら単独で赴くことも辞さない。

 今回の事もちゃんと殿下なりに、考えがあってのことだったのだろう……たぶん。

 

「今度行くときはちゃんとお前には声をかけるようにするよ」

「……ほどほどになさってください」

 

 バカな子ほど可愛い、というのはこういう心境なのだろうか。まだまだ子をつくる予定のない私には分からないことだが、きっと違う気がする。

 

「それじゃあ、だいぶ慣れてきたし。そろそろ本気で行くぞ」

「…………」

 

 構えとしては八双に近いだろうか、ただ構えと共に声音まで変わった。準備体操は終わりということなのだろう、殿下の持つ木刀にうっすらと気が纏わりついている。自分も木刀に気を纏わせてそれに応じる。

 

 

 操気術。大陸では魔力操作能力と呼ばれているものらしい。

 誰もが多かれ少なかれ持っている自分の体内の気を繰り、洗練して武器に宿すそれは、優れた使い手ならば紙で木刀を断つこともできる。そして融が先ほど炸裂させた一撃にも同様の力が込められていたのだ。

 

 世界的に見て、わずかな人間しか操ることができないその技術を体系化しているのは、和の国の武人と大陸の流浪の一民族くらいらしい。

和の国の武人でも、一角の剣客のみが身につけているものだが、殿下のそれはその中でも別格だ。

 

 爆ぜるように距離を詰めた二人の剣が激突して、融の木刀から剥がれ落ちた気の残滓が零れ落ちる。

 

「っ!」

 

 剣の質が異なるため一概には言えないのだろうが、やはり純粋な激突においては融の剣は光の剣に劣るようで融の口からこらえきれないように声がもれた。

 気は体内を巡る血のようなものだ。あまり使い過ぎたり、留めきれずに漏れ出ると疲労も早いし、場合によっては命を削る。ゆえに戦闘に用いる場合は鋭く、先鋭化して無駄を失くす必要がある。

 今のは剣の技術もそうだが、操気術の面で光の方が、硬度、先鋭化の面で優れていたため、纏わせた気が剥がれそうになったのだ。

 

 剣戟を重ねるために融は先程よりも鋭く気を収束させていく。

 何気なく振るう武器にそれを為せる者は、そう多くない。

 

 

 国の未来を担う二人の剣士の剣戟を、鍛練場の兵士たちは感嘆の思いで見つめた。

 

 

 激しさを増す剣。苛烈に攻め立てる融のそれを、光は捌きながら剣閃を走らせる。

 

 剣を振るう。その事のみに心を集中させ、二人は剣を交わせる。互いの立場や先程のことなど無関係に、ただ剣を以て会話する。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……」 

「ふー、腕あげたじゃないか、融」

 

 しばらく剣をぶつけていると、やはり先に力尽きたのは融だった。

 

「……あっさり、砕いてくれた人に、言われたくありません」

「当たり前だ。それに、昨日化け物と暴れて結構気が昂ぶってるのもあるんだろうな」

 

 気が昂ぶる。通常なら気分が高揚するという意味だが、操気術を用いる者にとって気が昂ぶるというのは直接的に戦闘力に関わるものだ。

 幾度かの撃ち合いの後、捌くのではなく鋭く放った光の剣閃によって融の木刀は、纏わせた気ごと断ち切られたのだ。

 

「くそっ。やっぱり実践か」

「こらこら、言葉遣い。それとお前は止める立場だろうが」

 

 先程もそうだが、あまりに親しくしていた時期が長すぎて、ついつい立場を忘れてしまうことがある。それではいけないと思い、普段は殊更丁寧な対応を心がけているのだが、操気術を使い、さらにはそれを断ち割られたことで精神にぶれが出ているのだろうか。

 

「すいません……そういえば、ジンという力を手に入れたのですよね?」

「ああ。なんかでっかくて青いやつがついて来たな。しかも勝手に刀に模様を刻みやがった」

 

 光は空に二つの四角を重ねて八芒星を描いて、こんなやつ、と示した。

 

「そちらの鍛練はなさらないのですか?」

「んー。昨日帰りに少し試したが……まぁ、おいおい慣らしていくさ」

 

 伝承によるとその昔、異国に侵略されそうになった国を救った王の力が、ジンという精霊による力だったらしい。

 その力は、凪の海を大荒れの海に、風を嵐に、万の船団すら海の藻屑に帰すほどの強大な力だったらしい。

 だが、そんな強大な力を手に入れた殿下は、なぜかあまり気が乗らないような反応をした。

 

「? あまりお気に召さない力だったのですか?」

「そういうわけでも……あるのかもしれんな、うん」

 

 力を得たからといって、それがすぐにどうこうなるわけではない。その力をどう使うか、なにを為すかが重要なのだ。そのためには力に慣れて、自在に操れるようにしなければならない。にもかかわらず、それをよく知る殿下の反応に少しだけ、訝しさを覚えた。

 

「まぁ、必要な時に何もできない。なんてことにはならんようにするさ」

「……できれば、殿下が先頭に立って、そんな事態に直面しないことを祈ります」

 

 ただ続けられた言葉に、できれば、そんな力をふるう場面になど直面してほしくないと思い直した。

 ジンという力がなくても、個人としての殿下の力は強い。にもかかわらず、強大な力に頼らざるを得ない事態などというと、それは小規模な争いを超えて、国家間の戦争クラスになるだろう。

 もしくは、今回のように殿下が宮中を抜け出してどこかに冒険まがいのことをしでかしているとき。

 

「分かった、分かった。今度からは自重する」

 

 少しジト目でにらみつけると、ひらひらと手を振ってそんなことないとアピールしている。

 

 殿下との鍛練は、ためになるし、楽しいのだが、いつまでも鍛練場の真ん中を占拠しているわけにもいくまい。殿下が真ん中を占拠していると尻込みして(突発的な試合相手に選ばれることを恐れて)人が近寄りづらくなってしまうのだ。

 殿下とともに鍛練場の端の方に移動していると、殿下はふと思い立ったように、

 

「ところで融。外交使節が帰ったら、東の方で話題になってる帰らずの洞窟ってとこに二人で行ってみないか?」

 

 と楽しそうに語ってくださった。ただ、殿下の楽しそうな気配とは裏腹に私は脱力感に襲われていた。そして

 

「全然分かってねーじゃねーか!」

 

 鍛練場に怒号が響き渡った。

 

 

 穏やかな和の国における1日。

 特殊な島国だなんだと言われても、そこに住まう人の営みに大きな違いなどあるはずもない。

 

    

 

 

   ✡✡✡

 

 

 

 煌の国使を迎える行事は滞りなく行われ、大きな混乱もなく、無事に国使を送り返すことができた。

 

 融も都の警務を担う者として、常よりもさらに厳格な警備を敷くこととなり、この一週間ほど警務にかかりきりとなって自分の鍛練の量が落ちていた。そのため鍛練場に足を運んでいた。

 

 

「姫君とのご婚約おめでとうございます」

「なんだ、その話か。達臣にでも聞いたのか?」

 

 煌からの国使、そして姫君が帰国して数日。融がすでに鍛練の遅れを取り戻そうと努めている中、殿下もまた鍛練場に足を運ばれるようになった。

 

「はい。正式に煌と条約を結ぶとか。今日の朝議でも話題に上ったと、先ほど将軍の間でも話されておりましたよ」

 

 数年前までは国王の、今は兄王の秘書のような立ち位置になっている私の父から聞いた話でもあるし、今朝の朝議においてのぼった話でもあるため、武官の休憩所ではその話でもちきりだった。

 

「煌との同盟はともかく、婚約はまだだ。正確には許嫁になっただけだ」

 

 もちきりだったのは同盟の話が、というよりも光王子の婚約の話が、だ。

 殿下も御年15。私のようなまだまだ下っ端の役人ならいざ知らず、王族であれば、そろそろ責務として、そういう話があってもおかしくはない。

 兄王に子がおられ、王位を継承するのは兄王、閃王子だということが、ほとんど決まっているものの、それはそれ。第2王子にも妃の話はあったはずだ、にもかかわらず、そういう話が少ないのは、

 

「いえいえ。兵たちの間では、これで暴れ馬のような殿下も大人しくなってくださるだろうと専らの噂です」

「はっはっは。言ったやつ誰だ。今日の鍛練の相手に指名してやるから大人しく吐け」

 

 近隣どころか、少し離れた村や邑において、怪異とされる化け物騒動が起こるたびに飛び回る殿下に手を焼いていたり、会う女性会う女性、大人しすぎてつまらん、と酷評する殿下についていけるお方がいなかったためだ。

 

「ははは。それゆえ、今日の殿下の相手は私一人に押し付けられましたよ、こんちくしょう」

「ちっ」

 

 不本意ながら殿下を御せる数少ない人物の一人と目されているらしい私は、興味津々の武官たちに事の成り行きを伺ってくるようにと、早い話が人身御供のように殿下の前に放り投げられたのだ。

 

「煌の姫君はいかがでしたか?」

 

 ちらりと宮中でまみえた姿は、まだ幼くはあれど、流石に一国の姫だと納得させられる気品があり、白い肌と黒い髪、そして長じれば類稀とも評されるだろう容姿の方だった。ただ、容姿に優れているだけだったり、単に気位の高いだけの女性では、殿下の性格には合わないだろう。

 

「なかなか聡明で興味深い姫だったぞ」

「それはそれは」

 

 出てきた言葉にわずかに感心した。殿下が女性を褒めるのは珍しい。決して初対面の女性に対して粗野な振る舞いをなさるお方ではないが、付き合い続けられる方は少ない。

 よもや他国の姫に、武芸に付き合えなどという誘いをかけたり、貴族の女性を慄かした生々しい冒険譚など聞かせたりはしなかっただろうが、それでも殿下から“聡明で興味深い”といった言葉を女性を評する言葉として聞いたのは初めてだ。しかし、

 

「剣の方も年の割になかなかの使い手だったし、見かけによらず負けん気が強いところが面白い」

「ふむふ……ん?」

 

 なにか、聞き捨てならない会話がさらっと流されたような気がした。

 

「あの年で、厩舎の暴れ馬もうまく乗りこなしたし」

「おい」

 

 おかしい。数日前、殿下が用意したという歓迎の品とやらを拝見したが、この国では珍しい白い羽毛の扇だった。扇を好んで使う女性は多いから、あれなら大丈夫だろうと安堵したのを覚えている。

 女性によっては、生々しい冒険譚を嫌う方も居られるだろうから、迷宮の話は慎むようにと念を押したのも覚えている。

 

「戦の話に物怖じしない女子は初めてだったな」

「あんた他国の姫になにしたんだよ!」

 

 手に持っていた木刀を落とし、殿下の襟首を締め上げて問いただした。

 

「なにって、剣の鍛練と遠乗り。あっ! お前は怖がるかもって言ってた冒険の話はすごく面白かったらしいぞ」

 

 ちらりと垣間見たあの箱入りのような少女の経験したであろう壮絶な数日を思って、融はくらりとよろめいた。

 

「なにやっちゃってんの、殿下!? あの方まだ12だろ!? なにさせてんの!?」

 

 おかしい。こんな常識知らずではなかったはずだ。

 いささかぶっ飛んだところはあれど、まさか碌に男と話したこともないのではないかと思えるほど可憐な少女に剣を持たして、暴れ馬に乗せたとでも言うのだろうか。

 

「人聞き悪いこと言うなよ。迷宮の話はあっちから聞きたいって言ってきたんだよ。……ん? 初めに口を滑らしのは俺だったかな?」

「そっちじゃねえよ! なに剣とか握らしちゃったの!? 暴れ馬って!? あの殿下くらいにしか懐かない暴走馬!?」

 

 馬とは慣れていない者にとって、大変危険な生き物だ。特に暴れ馬となると近づけば蹴飛ばすは、踏みつけるはで少女にとっては命を脅かしかねないものだろう。とりわけ、厩舎には殿下と閃王子くらいしか乗りこなせない暴れ馬がいたりするのだが

 

「あれには俺も驚いた。どうも和の馬よりも大陸の馬は大きいらしいな。そこらの放蕩貴族よりもよっぽど上手く乗りこなしたぞ」

 

 どうやら姫君は馬の扱いに長けているらしい。私の中の姫君像が音を立てて崩れていっているのだが、ひとまずはそれよりも他国の姫に対する無礼な振る舞いを咎める方が先だろう。

 

「剣、というのはどういう意味ですか。まさか、無理やり鍛練に付き合わせたんじゃないでしょうね?」

「お前、俺のことなんだと思ってるんだ? 向こうの方から武芸には自信があるから見てくれって言ってきたんだよ」 

 

 あんな可憐な方がそんなことするか! そうツッコミたくなったものの、たしかにそれは殿下の興味を買っただろう。奇妙に納得を覚えてしまい、激しい脱力感に襲われた。

 

「あの年であれだけの腕前なら、もう数年経てば、そこらの兵士にも引けはとらんだろうな」

「……それはよかったですね」

 

 殿下の立場を考えれば、好みが婚約相手に反映するかと言えば、なかなか難しいだろう。それでもその巡り合わせが良いものであるのならば、良いことだ。

 姫君に対する理想を壊されたことをそう慰めた融は遠い眼差しで自らの主君を見た。

 

「うむ。次に来るときは、弟君も一緒に来るらしくてな」

「はあ……」

 

 楽しそうに話す殿下を見るに、二人の関係は良縁と思ってもいいのだろう。ほっとした反面、運命が違えばともに歩いていたのは自分だったかと思うと奇妙な感慨を抱かざるを得ない。

 

「冒険の話が好きらしいから次来る時までに色々と見て回らないか?」

「…………分かりました。」

 

 まあ目の届く範囲でのことなら、多少割を食うが、仕方ない。ため息交じりに頷きを返した。

 

 昔からわけのわからぬ怪物や噂になっているところなどを冒険させられていた。覚えている最初の記憶では、まだ5歳にもならなかったころ、殿下に連れられてわけのわからぬうちに宮中をうろつき、気が付くと閃王子の寝室だったということだ。

 あの時の閃王子の笑顔が大変恐ろしいものだったのが、印象的だ。

 

 長じるに従って、殿下も私も武芸を身につけたからか、段々と冒険の難易度も上がっていった気がする。殿下はそこら辺の選定が実に絶妙だ。無茶はするが決して達成不可能なところには私を誘うことはなかった。

 ただ、都の外の森の主とされる猪を仕留めに行ったり、近くの村を荒らす熊退治などは比較的マシだったが、熊が盗人に変わり、盗賊団に変わったあたりから、流石に達成可能といえども、諫言をするようになった。聞き入れられたことはほとんどないが。

 相手が実体をもっているのならまだいいが、怨霊の憑りついた廃寺とか訪れたものが変死する謎の祠とかの冒険は正直勘弁していただきたい。 

 

「それじゃあ、まずは東の方の帰らずの洞窟から行くとするか」

「頼みますから、もうちょっと得体の知れるものにして下さい!」

 

 はてさて、今回の冒険で待つものはどういうものなのか。

 まあ、殿下が‘誘ってくださる場合は’、なんだかんだで上手くいくこと大体なので、その後の心配だけをしておこう。

 

 

 本当に怖いのは、

 

 誘ってくださらないとき、この方の手にすら余る事態に、お一人で挑んでしまわれることだ。

 

 

 




アニメ5話の白瑛がよかったです……


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第2章 煌帝国編
第5話


「白雄兄上、白蓮兄上、姉上、おかえりなさい」

「ただいま、白龍。ただいま戻りました母上」

 

 その時のことは、よく覚えている。

隣の国に使者として赴いていた兄上、姉上たちが戻ってきたときのことを。

 

「おかえりなさい。白雄、白蓮、白瑛。無事戻られてなによりです」

 

 あの時の母上は……あの女はどんな顔で兄上たちを出迎えていたのだろう。

 

「はい。和との条約、つつがなく結ぶことができそうです」

「そう、ですか……白瑛。和の国はどうでしたか?」

 

 当時の自分にとって、海を隔てたところにある隣国は、大陸で隣り合う国とは違う印象だった。それは薄まりこそしたが、今もまだ微かに抱いているものではある。

 

 鬼の住む国

 

 そんな島国に使者として遣わされた兄上たちを大変心配していたものだ。

 

「はい、良い国でした。王子も優しくしてくださりましたし、都の民にも活気がありました」

「よい方なのですね、和の王子は」

 姉上の言葉に母上はにこりと微笑を返した。しかしほのぼのと話す姉上たちにどうしても聞いておきたいことがあり、つい、口を開いた。

 

「姉上! 鬼に恐ろしいことはされませんでしたか?」

 

 

 ほんのりと笑う姉上を心底案じる言葉をかけると、姉上、兄上はぽかんとした表情で自分を見た。兄たちの様子に首を傾げると、

 

「白龍?」

「はっはっは! 白龍、お前俺たちが鬼の住処にでも行ったと思ってたのか?」

「白龍。隣国の人間をそんな風にいうもんじゃないぞ」

 

 おかしそうに笑いながら二人の兄上が頭をぐしゃぐしゃとかき乱した。訳が分からず姉上を見ると、姉上は口元を綺麗な白羽扇で隠しながら、その目元は楽しげに笑っていた。

 

「姉上?」

「ふふふ。そうですね。では白龍には後で、鬼の国の王子様から伺った物語を聞かせてあげます」

 

 国事に関わる要件で行ったはずの姉上が、その時、‘王子’のことばかり言っていた事の意味を知るのはしばらく後のことだった。

 

「? 白瑛、その羽扇は……?」

 

 楽しそうに笑う兄上たちを見ていた母上は、ふと何かに気づいたかのように姉上の扇をじっと見つめた。たしか姉上はあんな白羽扇は持っていなかったはずだが……

 母上に問われた姉上は、少し照れたように微笑むと

 

「鬼の王子様に、いえ、光王子に頂きました。出会いの贈り物だと」

 

 扇を見つめる姉上の眼差しはとても優しく、いつもは自分に向けてくれる微笑のようで、ただどこかそれとは違うような気がした。

 

 

 

 母上への報告が終わり、友人の青舜を呼んで、姉上から土産話を聞いた。姉上が語ってくれた和の国の話、王子の話はまさしく物語だった。

 

 何千人もの挑戦者が命を落した迷宮に、城を抜け出した王子様が挑むお話。熊や家ほどの大きさの化け物を、王子様は持っていた細身の剣で切り裂き、襲い掛かる数々の罠を機転で切り抜け、ついにはその迷宮を攻略した。

 

 初めて聞いた時、それはシンドバッドの冒険のお話を真似たものでしょう、と返した。

その当時、迷宮攻略者として名を馳せたシンドバッドの話は男子ならだれでも憧れを抱くほどのもので、自分も聞いた時には興奮を覚えたものだから。だから、姉上もそれを聞いた島国の王子とやらが、自慢げに語ったものを真に受けたに違いない、そう思っていたのだ。

 

だが、

 

「ふふふ。そうですね。でも、この羽扇……これは、王子様がその迷宮で手に入れたものだそうですよ」

 

 まただ。

 

扇を見るとき、姉上の目は、すごく優しそうになる。その目が、いつも大好きだったその目が、扇を見ているのは無性に心を粟立たせた。

 

「滞在中、剣の稽古をつけていただきましたが、見たこともない剣術で、私では一太刀も入れることはできませんでしたよ」

 

 使者として訪れた煌の姫を剣の稽古に誘うなど、なんという常識知らずの王子だ。そう思って抗議したのだが、どうも剣の稽古を申し出たのは姉上らしく、なんとも言えなくなってしまった。何とも言えなくて

 

「では、姉上! その王子と、兄上や紅炎殿では、どちらが強いと思われますか!」

 

 普段、あまり好きではない従兄の名まで出してしまった。従兄はその時、姉上よりも7歳年上で、武勇に優れ、国内の将軍でも武芸において彼の右に出る者はいないと言われるほどの人だった。兄上たちもその力を認めているのが癪で、あまり好きではなかった人だが、なぜだか、その王子のことを否定したくて名前を出した。

 

「紅炎殿、とですか……」

 

 姉上はうーんと考え込んで小首を傾げた。

 

「私程度の腕前では到底どちらが上か、など測れるものではないですね」

「紅炎殿の方が上に決まってます!」

 

 なぜだか認めたくなくていつもは敵意を向けている従兄に勝手に軍配を上げていた。

 

「あら、白龍。いつの間に紅炎殿と親しくなられたのですか?」

「う……そ、そのようなことは。あ、兄上なら紅炎殿にも負けません!」

 

 長兄である白雄兄上はたしかに強い。しかし、本当は兄上が紅炎殿に打ち負かされる姿を見たことがあるから知っていた。宮中の者も、紅炎殿はいずれ最強の将軍になるだろうと噂していた。

 

「王子、そこは、自分なら負けない、って言わないと」

「う、うるさい、青舜!」

 

 一緒に話を聞いていた青舜が呆れたように言うが、その時の自分が勝てる相手でないことは簡単に分かっていた。

 

「ふふ。王子に白龍の話をしたら、今度はあなたとも剣の稽古をしたいとおっしゃってましたよ」

「なっ! 姉上!?」

 

 城での剣の稽古すらおっかないのに、鬼の住むような国に自分を連れて行くことを前提に話していることに驚き姉上を見た。

 

「白龍もあの方と同じ、王子なのですから。いつまでも剣の稽古から逃げてはいけませんよ?」

「そうですよ、王子。明日は私と一勝負しましょう!」

「うっ……」

 

 

 それはまだ、あの人と実際に会う前の話。

 王子の物語以外にも、王子と共に城下町を散策したときの話も聞かせてくれた。そこにもそいつの影が見えていて少し嫌だったが、大陸とは異なる島国の話を聞くのは目新しく、青舜とともにワクワクしながら聞いていた。

 

 鬼と思っていた島国の人が、少しだけ近く感じた。

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「お久しぶりです、光殿」

「ふむ。白瑛殿も息災のようでなによりだ。半年は早いものだ、随分と成長されたな」

 

 初めて自分が和の国を訪れたのは、姉上が訪れてから半年遅れのことだった。外交使節として兄の白蓮、そして姉である白瑛と共に船旅を経て和の国についた。

 

 数日間海の上で生活するのは生まれて初めてで、そのせいか陸地についても少し揺れている感じがしたし、和の国の気候は煌に比べて随分と湿った感じがした。

 兄が和の国の王たちと話をしている間、白龍は白瑛と共に件の‘鬼の王子様’と会いまみえていた。

 

 その人は白龍からすると随分と大きく、ただ紅炎や長兄ほどは大きくなかった。といっても白龍と同じくまだ成長期の途中といった感じだ。そして白瑛や白龍と同じ黒い髪を後ろで束ねており、なんとなく紅炎に似ているように白龍は感じていた。 

 

「ふふふ。光殿は早く感じたのですか? 私は随分と長く感じましたよ?」

「ん? そういうわけでもないが、見違えるほどに美しくなられたように思えたのでな」

 

 白瑛のからかうような言葉に、光が特に顔色を変えることもなく切り返すと、白瑛はぱちくりと目を瞬かせて、そして楽しそうに微笑んだ。

 

 白瑛が扇で口元を隠しながら少し面白そうに光を見つめていた。

 

 姉上が言っていることは本当のことだった。煌に居る間、特にこの日程が決まってからの姉上は、目に見えて嬉しそうで、和の国に訪れるのが待ち遠しいといた感じだった。そしてそんな姉上を見ていると胸のもやもやが重くなる日々だった。

 

 

「そちらが……?」

 

白瑛が楽しそうに笑っているのを収まるのを微笑みながら待っていた光は、ふと白瑛の影に隠れて見つめていた白龍に気づいたようで、温かみのある眼差しを向けた。

 

「はい。弟の白龍です」

 

 白瑛はすっと白龍の肩に手を当てて、弟を紹介した。

 

その人は、思っていたような異形ではなく、とてもではないが姉上が語って下さったような冒険をしてきた人には見えなかった。

 

「初めまして、白龍王子。和国第2王子、皇光だ」

 

 今まで白瑛に向けていた声が自分に向けられたことで少し体が強張ったのだろう、だが、白龍がちらりと姉を見上げるといつものように微笑んでおり、それに安心したのかすっと両手を胸元に掲げ、煌式の礼を返した。

 

「初めまして。練、白龍です」

 

 少しおどおどとしながら挨拶を返すと、光はなにか見えているものと違うものを見極めるかのように目を少し細めた。

 

「ふむ……やはり、似てる、か? 気の感じが真っ直ぐなところは白瑛殿にそっくりだな」

「?」

 

 面差しが似ている、という風に言われたことは幾度かあったが、気が似ている、という風に言われたのは初めてで、この時はまだ、気というものを、魔力操作というもののことを知らなかったから、意味がわからず、首をかしげていた。

 

「見て分かるものなのですか?」

「なんとなく、だな。それこそ気の問題だから、勘みたいなもんだ」

 

 どうやら白瑛はこの時すでに、島国における特殊な技法について知っていたらしく、少しだけ不思議そうに光と話していた。

 

「今度の鍛練では“操気術”というものを見せていただきたいですね」

「あー、鍛練は……ま、いいか。まあ、今日は旅や宮中でのやりとりでお疲れだろう、滞在中、いずれの日にか、半年の成果をお見せいただきたいな」

 

 少しバツが悪そうに言葉に詰まったが、結局光は鍛練の約束を受けた。白龍は、くすくすと楽しそうに会話する白瑛を見ていて、その笑みが向けられるのは自分ではないことに、やはり、どこか鬱々とした気がしていた。

 

「はい、ぜひ」

 

 

 その日は、和の国の菓子をお茶うけに、光の話を特に聞かせてもらっていた。

 

 帰らずの洞窟に居た盗賊の話。血濡れの森に棲んでいた大きな吸血蝙蝠の話。友人とこっそりお祭りにでかけて、踊ったという話。

 

 

「お祭り、ですか?」

「ああ。灯桜の祭りがあってな、融という友人と出かけたんだが、いつの間にかはぐれてしまったんだ。仕方ないから、目立つところで待ってたら、なぜだか街の連中と一緒に踊る羽目になった」

 

 白瑛も白龍も、もちろん煌でも祭りくらいあるのは知っている。ただ、その時の国内は戦争があってのんびりとお祭りをしている時期ではなかった。そして、それでなくとも王族の人間が、民とともに踊るなどというのはない。

 

「トウオウの祭り、というのはどのような祭りなのですか?」

 

 白龍にとってなんとなく癪なところはあったが、それでも光の話は面白く、白瑛から聞いていて少しだけ、楽しみにしていたのもあって、いつの間にか、光へと話しかけることに戸惑いはなくなっていた。

 

「桜の灯りとかいて灯桜という名なんだが、夏の終わりごろの祭りでな、先祖に感謝して安らかな眠りを祈願するのが元々の目的だった、かな?」

「夏の終わりなのに、桜なのですか?」

 

 鎮魂の儀式で踊る、というのは、まあ分からなくもない。ただ、聞いた感じだと、厳かな祭りというよりも、どんちゃんと騒いでいる印象で、とてもではないが、鎮魂とは装いが異なる気がした。ただ、それよりも名前の季節感がまるで違うことに不思議な感じがした。それは姉上も同じだったようで、質問を返した。

 

「俺たち、というか、もとは和の魔道士がつけたんだが、桜にはいくつか特別な意味があってな」

 

 煌にも桜という木はある。春ごろに薄桃色の花をつけ、春の終わりとともに盛大に花を散らしていく樹花だ。だが、それに特別な意味がある、というのは初耳だった。煌の二人は、どちらも興味深げな眼差しで続きを促した。

 

「桜は命の象徴なんだそうだ」

「命、ですか?」

 

 どことなく影を帯びたような、優しい瞳で桜の意味を教えてくれた。

 

「春というのはいろんな木とか花とかが咲き始める季節だろ? 和では桜がその象徴のようなものでな。満開の桜となると、薄桃色の吹雪のようになって、なかなかに見事なもんなんだが……」

 

 思い描いているのは、春の盛りに咲く満開の桜だろうか。煌にある桜が咲く様を思い描くが、吹雪のような花というのは、よく分からない。

 

「春に草木が美しいのは冬の間に土にかえった動物や虫の命が、新たな息吹となって巡るからなんだそうだ」

「新しい息吹、ですか?」

 

 宮中で教わるようなものと異なる考え方に、白龍は戸惑い気味に、白瑛は興味深げに問い返した。

 

「うむ。大陸の魔道士は命の還るべき場所して、ルフ、というものを呼称するのだそうだがその考え方に近い、と俺は考えている」

 

 東洋では、あまり魔道士の考え方は定着していないが、それでも王侯貴族くらいになれば、教養として、そして宮中に仕える魔道士とも関わるためその知識にも触れる機会はある。

 白龍も聞きかじり程度にルフという言葉に覚えがあった。

 

 

「……っと、話が少し逸れたが、鎮魂の儀式として、祭りの最後に巫女の役目を負った魔道士がそのルフを桜の花びらに似せて、満開の桜吹雪を吹かせるんだ。その花弁が、ルフの色で淡く灯るから灯桜の祭り、というらしい」

「満開の桜吹雪……いつか、見られるのでしょうか」

 

 まだ見ぬその光景を思い浮かべたのか、白瑛は淡く微笑むと光へと眼差しを向けた。

 

「見られるさ。今は季節がずれてるが……ふむ。なら約束しよう」

 

 なんでもないことのように光は微笑みを返し、約束を告げた。

 

「約束、ですか?」

「ああ。いつか、桜を見に行こう。満開の桜を」

 

 仲睦まじい二人の様子に白龍は少し面白くなさそうに姉の姿を見るが、その姉の微笑みが、今までに見たことがないほど淡く華やかなものに見え、ただ、その唇が肯定の言葉を返すのを見ていた。

 

 

 その約束が、遠い過去のものになるなど、この時はまだ知る由もなかった。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 

「白龍、お前は生きて、俺たちの代わりに使命を果たせ……」

「あ、兄、上……?」

 

 周りを囲んでいるのは燃え盛る大火だった。

 いつも自分を包んでくれていた母は、近くには居らず、大好きな姉も今は海を隔てた国へと赴いている。

 

「意志を引き継ぐのは、お前だ。戦い抜くことを、誓え。我らの、この国の仇敵を、討て」

 

 傍にいてくれた国の兵士は突然に牙を剥き、白蓮は既にその身を朱に染めて地に伏し、最後まで白龍を守ろうとした白雄もその全身を猛火に炙られて、精悍だった顔つきはもはや見る影もない。

 

 だが、その眼に映る灯火は消えゆくその瞬間まで、白龍を見据えていた。

 

 命の尽きるその間際、白雄はこの国を奪った敵について語り、思いを託した白雄はその血を以て、燃え盛る業火から白龍の命を守る役目を果たした。

 

 泣きながら火の中を走る彼の胸の内はいかばかりなのだろうか。

 信じていた者こそが、敵であると告げられ、今まで自分を庇護してくれた二人の兄は、志半ばでその意志を自分に託して果てた。

 ただ一人、信じられる姉は、今は海の向こうへと赴いており、そしていずれは自分の前からいなくなるのだから…………

 

 

 

「白龍っ!」

 

 大火から逃れた白龍が、その体を癒し、なんとか動けるほどにまでなったころ、訃報を受けた白瑛は、尋常ならざる速さで帰国した。しかし、それはすでに遅きに失していた。

 

「白瑛、白龍。あなたたちだけでも無事でよかった……」

「母上……母上も、よくぞご無事で」

 

 ぎゅっと自分を抱きしめる白瑛の腕は振るえていた。次いで難を逃れた母の姿を見た白瑛の瞳には安堵からだろうか、涙が滲んでいた。

 

「ごめんなさい、白瑛。あれほど和の王子がよくしてくださったというのに、今のあなたは……」

 

 白瑛の肩に手をあてて苦渋ににじんだ表情で告げる母の声は震えていた。

 この一連の事件において、和の国と同盟を結ぶという方針はともかく、白瑛と王子との婚姻は白紙となったのだ。そのことが宮中において決定してしまったのだろう。

 

 予想していたことなのだろう、白瑛はぎゅっと胸元の白羽扇を握り締め、瞳を閉じた。

 そして思いを確かめるように手の中の感触を確かめ、目を開いた。

 

「大丈夫です、母上」

 

 開かれたその目には微塵も揺らがぬ決意が宿っていた。その目を見た玉艶はわずかに意外そうな表情となったが、刹那の間にそれは消え去ってしまった。

 

「姉上?」

 

 白龍にとっても、姉のその姿は意外なものであった。

 たしかに普段からのほほんとしながらも芯の強さを感じさせる気品にあふれている白瑛だが、和の王子の話の時だけはそれが崩れ、年相応の少女らしさがにじむことをこの数年で知っていたから。

 

 白龍のわずかに驚いた声と眼差しに、白瑛はそっと白龍の肩に手をおいた。

 

「たとえどのような立場になろうとも、私の父は煌の初代皇帝です。必ず力をつけます。国のために……平和な世のために」

 

 

 目を見張って驚いた表情となった母の驚きは、幼くして国の都合で振り回される我が娘の不遇を慮ってか。いつのまにか心に宿した強い心が故か。

 

 それが、全くの的外れだということを白龍が知るのは、この数日後、姉弟が新皇帝練紅徳の養子として迎えられ、母が妃となってから、さらに数日後のことであった。

 

 

 

「何かの間違い、ですよね。母上?」

 

 信じられなかった。あの人が、この国を奪う事件を起こした張本人だなどということは。

 

「白龍……真実よ、と言ったらあなたはどうするのですか?」

「母、上……?」

 

 きっと父上の陰に隠れていることを妬ましく思った叔父上の謀略に、父から国を、そして優しい母をも奪い取るための謀略に違いないと、そう、思っていた。

 

「白瑛に言う? できないわよね。あの子の立場は結局あやふやなまま。あなたの言葉であの子の支えは砕けるかも知れない」

 

 叔父上に養子として迎えられ、肩書だけは以前と大差ない状態になった。だが、その内実はただ籠の鳥となっただけであることは分かっていた。

 白瑛とて、なぜか婚姻の話は白紙にこそなっていないが、それでもその話は現在、国内の混乱を理由に無期限の延期となっている。いつ代わりの姫が送られるか分からないし、もしかすると和が心変わりをしてもおかしくない。

 

 国に戻って以来、白瑛が気丈に振舞っているのを知っている。決して弱みを見せず、以前にもまして鍛練を積み、学ぼうとしている。

 だが、ふとした時に -白瑛と王子の婚姻が破談になった、王子が別の姫の輿入れを受けるなどという口さがない噂を耳にしたとき― ぎゅっと白羽扇を握り締めているのを知っている。

 

 姉に頼ることはできない。

 

 今までに見たことのない歪んだ笑みを浮かべる母が手を握りながら言葉を続けた。

 

「それともこの手で私を殺しますか? この小さく、なにもできない手で」

 

 炎に焼かれ、そして自らの体を裂いてまで白龍を守った兄の言葉が白龍の脳裏に木霊した。

 

 仇敵を討て、と

 

 かつては泣く度に自身あやしてくれた、この手を掴むことはできない。

 

「あなたは今まで通り、いい子でいればいいのよ、白龍」

 

 

 思いは……

 

 裏切られた。

 

 

 ただ一人、信じられるのは、守るべきは血を分けた姉上だけだ。

 この国の皇帝を、父を、そして実の息子である兄たちをも手にかけた魔女。

 

 

 組織の魔女

 

 練玉艶を討つことを、誓ったのだ。

 

 

 

 ✡✡✡

 

 

 

「皇子、今日の招集は……?」

「……和からの特使の出迎えだそうだ」

 

あの日から3年の月日が流れた。煌帝国はいよいよ中原における勢いを増していた。

結局、和との同盟は当初の予定通り結ばれた。もっとも、紅徳皇帝は新たに自分の娘を和へと嫁がせるつもりだったらしいが、どうも和からの提案により、婚姻関係も元のままで行われることとなったらしい。

ただ、やはり皇帝の養子となったとはいえ、前皇帝の実子という立場ゆえ、あまり不穏な行動をとらせたくないのだろう。白瑛は和へと赴くことはなくなり、また和の王子も煌へと来訪することは無かった。

 

「和から、ですか……姫様も行かれるのですか?」

「ああ……」

 

 話を聞いて不安を覚えたのだろう。青舜が不安げな眼差しで白龍へと問いかけた。

 青舜が不安に覚えるのも無理は無かろう。この3年間、一度も和の王子から白瑛に便りが届くことは無かった。何度か訪れてきた和の国と外交官との接触は、不穏な行動ととられたのか皇帝の命を受けた監視者によって阻まれた。

 

 二人から見ても気丈に振舞っている白瑛だが、それでも和からの外交官が訪れるたびに、期待と不安とが ―光からの便りが届く期待と誰かを娶った、あるいは光になにかおこったのではないかという不安とが溢れているのを知っている。

 

「今までは全く和との接触を許さなかったのに、ですか?」

「……なんらかの動きがあった、ということなのだろうな」

 

 今年で17歳となった白瑛は、昨年から武官としても国のために働き始め、古くからの友人である青舜は最近、そんな白瑛付きの従者見習いとなった。

 

 他国の正式な特使の謁見。その場に白瑛と白龍が呼ばれることは今までにないことだった。そのための礼装を整えた白龍は、同様に身繕いを行い、そして動揺した心を鎮めているだろう白瑛を待つ傍ら、動揺が目に見える青舜と話をしていた。

「和の王子は、姫様のことを、忘れてしまわれたのでしょうか……」

「…………」

 

 かつては悔しい思いを抱いていた和の王子。だが、白瑛を、姉をこの魔の国から連れ出せる可能性があるのはあの人だけなのだ。

 誰も信じることができないこの国から……実の母の魔の手から確実に白瑛を守ってくれる可能性があるのは。

 

 

 そこまで期待していた白龍には、この3年間の光の態度が許せなかった。

 

 だが、ふと、思ってしまった。

 

 誰も信じることができないのなら、それは……

 

 あの男とて同じではないのか?

 

 なぜ他国の者だから、信用できるのだ?

 

 たしかに、和との友好関係を進めたのは兄上や父上、前皇帝の勢力だ。だが、すでにその勢力はほぼ壊滅した以上、和が現皇帝に取り入っていてもなんらおかしくは無い。

 

 そもそも……だれがあの魔女と通じ、敵対しているのかすら分からないのだから。

 

 

 その考えにぞっとした。

 自分が頼ろうとしていたのは、もしかしたら……敵なのかも知れないのだから。

 

 

「お待たせしました、白龍、青舜」

 

 そんな思考を遮ったのは、常のように凛とした姉の声だった。

 

「いえ。姉上……」

 

 そんな内心を告げるべきか否か。逡巡した白龍の様子に白瑛は首を傾げた。

 

 

 告げることは、できない。

 

 兄を、父を殺したのは敗残兵などではないことを

 

 彼らを殺したのは、実の母なのだということを

 

 あなたが待ち望む人は、もうすでに、敵の仲間なのかもしれないということを

 

 

 そんなことは言えない。

 

 たった一人の家族を守ると誓ったのだから。戦い抜くことを誓ったのだから。

 

 

「行きましょう、姉上」

「ええ」

 

 言えないことが、多すぎる。

 

 なによりも守りたいからこそ、真実を告げることはできない。

 

 知れば危険にさらしてしまうから。余計な責務を負わしてしまうから。

 

 

 

 

 謁見の間には多くの人が集まっていた。

 第2皇子の紅明、第3皇子紅覇を始め、異母姉妹たち、国の武官、文官。これだけそろっているのは、今回来る特使とやらが、普段にも増して重要人物ということだろうか。

 

 だが、

 

「紅炎殿下が居られませんね」

「そうですね」

 

 青舜と白瑛も気づいたのだろう。小さく会話しているが、それはまさに白龍も気にかかったことだ。

 

「おそらく、特使の迎えに行かれてるのでは?」

「紅炎殿自ら、ですか?」

 

 白瑛が口にした予想に白龍が意外感を覚えて小さく声を上げた。第1皇子である紅炎は文武に優れ、前皇帝以上の戦巧者、そしてかのシンドバッドや和の王子と同様、迷宮攻略者として名を馳せていた。

 それだけ力ある紅炎は、24歳にして、すでに暗愚な現皇帝の後の皇帝と目されており、特に戦がらみのことは事実上の総大将となっていた。そんな人物が外交官を出迎えるなどよほど和を威圧したいのか、それともよほどの賓客なのだろうか。

 

「今日来ている方々を見るに、今回の来訪はよほど重要事項なのでしょう」

 

 真剣みの帯びた表情となった白瑛が口にした瞬間、扉が開き、件の人物、紅炎が堂々と入ってきた。

 常ならば他者を威圧する威風を放つその顔は、どことなく楽しそうで、なにか愉快なことでもあったかのようにも見えた。同じ印象を抱いたのか紅覇や異母姉妹の紅玉などかわずかにささやき合っている。

 まっすぐに紅炎の立ち位置、最も玉座に近い場所に歩んでいた紅炎だが、ふと白瑛、白龍の前で足を止めて、笑みを向けた。

 

「? 紅炎殿?」

 

 白瑛が訝しげな眼差しとなり、周りの武官たちも少しざわめいている。

 

「白瑛。今回の特使殿は随分と面白い方だな。機会があれば、連れてきてくれ」

「?」

 

 妙な言い回しだった。だが、それを問いかける前に紅炎はすたすたと歩みを進めて自分の立ち位置へとおさまった。

 

 そして、場が静まり、来訪を告げる文官の格式ばった言葉とともに、あの人が入ってきた。

 

「!」

「なっ!」

 

 隣に立つ姉が息をのんだのが白龍には分かり、同時に別の意味で白龍も驚愕していた。来訪者の顔を知っている幾人かが驚いた表情となり、それを知らない青舜などは場の空気に戸惑っているようだ。

 

 自分たちと同じ黒い髪を後ろで結い、その佇まいは以前見た時と変わりないように見える。その歩みには微塵も臆したところがなく、ただ自分たちの前を通り過ぎた時、ちらりと、微笑みを向けたようにも見えた。

 だが、その歩みに乱れはなく、気のせいかと思えるほど凛とした歩みで玉座の前までつき、煌式の礼をとった。 

 

 

「此度の謁見をお許しいただけたこと感謝します。和国特使、皇光です」

 



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第6話

 大陸の中原において戦火を徐々に西へ西へと進めている煌帝国。その第一皇子、練紅炎は現在、同盟国の使者を出迎えるため大陸の東の港へと向かっていた。

 

「和の王子、か……」

「興味があるのですか、若?」

「なにも若自らが出迎える必要はなかったのでは?」

 

 赤みがかった髪に180cmを優に超えるだろう長身、その体躯は引き締められた筋肉で覆われており、皇子というよりも武人のようにも見えた。だが、その身から発する雰囲気は皇子よりもむしろ王と称されるべきだろう。

 

 出迎えの任についたとはいえ、もちろん国の皇族たる彼一人というわけではなく、“彼に”忠誠を誓う多くの臣下とともにだ。中でも彼に従う4人の眷属は今回の出迎えの任に対していささか顔をしかめている。

 

 眷属。それは臣下であるとともに、迷宮攻略者としての確かな証の一つ。

 王の器に惹かれ、その恩恵を受ける強力な戦士。

 つまり国よりも彼 ―練紅炎― にこそ忠誠を誓ったのが彼ら4人の眷属だ。

 

「そう言うな。相手はあの和国の王族だ。しかも迷宮攻略者としては俺よりも先輩にあたるようなものだからな」

 

 言葉は謙虚だが、その顔には余裕ともとれる色が灯っている。

 

 それは過信でも驕りでもない。

 

 東の大陸において強国となった国の皇子として、そして実際に幾つもの戦地を潜り抜けてきた将軍としての確かな自信によるものだ。まして、彼自身も迷宮攻略者として名を知られ、しかもこれから出迎える和の王子とは違い、二つの迷宮を攻略した世に二人しかいない複数迷宮攻略者だ。

 

 それでもなお、これから出迎える賓客が警戒に値するのは、相手があの和の王族だからだ。いかに煌帝国が強大になったとはいえ、いかに王の器たる力を備えているとはいえ、かの国はかつてあの大黄牙帝国を退けた歴史と武を今なお受け継ぐ国だ。軽視してよい相手ではない。

 

「それに義理とはいえ俺の弟になるやつでもあるのだからな」

「それは……失礼しました」

 

 軽く付け足された言葉に異形の眷属たちは謝罪を口にした。

 義理という言葉には、いくつかの意味合いがある。

 直接的には、これから出迎える和の王子は彼の妹、練白瑛と婚姻関係を結ぶ予定になっているため、後々には義理の弟となるということだ。

 だがそれとは別に、白瑛自身も紅炎とは義理の兄妹なのだ。

 

 前皇帝の長女と現皇帝の嫡男

 ともすれば危険な火種となりかねない関係ながら、二人の関係はおおむね良好だ。

 

 それは紅炎の器と才覚の大きさゆえというのもあるが、白瑛自身の気立てのよさと争いを好まない性格というのも大きいだろう。もっともだからといって白瑛がお淑やかな淑女、深窓の令嬢といったものではないことは、前皇帝が健在の頃からの武術の鍛練とその成果から誰もが知っていた。そしてそんな白瑛を紅炎がさほど嫌っているわけではないことも知っている。

 

 眷属たる彼らは、そんな二人の良好な兄妹関係を知っているからこそ、第1皇女の夫となるだろう和の王子を軽視していたことを一応謝罪した。

 内心の警戒心とは別に……

 

 

    ✡✡✡

 

 

「ようこそ煌帝国へ、特使殿」

「お初にお目にかかります、和国特使の皇光です。歓迎感謝します」 

 

 出迎えの街で会ったその男は、果たして紅炎の想像していた姿を裏切らなかったのか。眷属の彼らにはうかがい知ることができなかったが、紅炎よりも低い背丈のその男は、しかしたしかに紅炎同様、王の器を感じさせる存在だった。

 

 礼に則り幾つかの挨拶を交わした彼らは、本来の要件、煌帝国皇帝への謁見を果たすべく、帝都へと移動した。

 

 どちらも教養としてのレベルは低くはなく、雑談を兼ねて二人は様々なことを話の種にした。

 国の特産に関すること、歴史に関すること。だが、その会話の中に核心に至るものは含まれていなかった。

 

 白瑛のこと、白龍のこと

 戦のこと

 

 名もなき組織のこと……

 

 どちらもがそれらを口にすることを避けていた。

 

 

 話は迷宮の話から、互いの金属器についての話にも多少及んでいた。

 

「・・・・なるほど、それが光殿の金属器ですか。こちらでは見たことのない剣だ」

「和刀。私たちは刀と呼んでおりますが、これはそのころからの愛刀です」

 

 王子と皇子の話は互いの立場もあり丁寧な口調ながら、一見すると穏やかに進んでいた。

 特に戦事や歴史に造詣の深い紅炎は光の帯びていた刀に興味を抱いたようだ。

 

「こちらでよく見る剣よりも細いな……その刀は和では一般的な武器なのですか?」

「一般的、といえるほどに皆が武装しているわけではありませんが。一角の武芸者、武人であれば、まあ、よく用いられている武器ですね」

 

 大陸において武器は槍や矛、偃月刀といったものもあるが、剣といえば多くは両刃で片刃の物も相応の厚みのある物ばかりだ。西方の国の中には片刃で細身の刀とよく似た武器があると聞いたこともあるが、馴染みの薄い武器であることに違いは無い。

 

「ふむ。なるほど……それが、和の強さの秘密。大黄牙帝国の兵たちを切り捨てたと言われる物かな?」

 

 黒い鉄製の鞘に鍔のない拵え。僅かに曲線を描いたその形状は刀身こそ鞘の中に収められているものの、その馴染み方からして、ただ腰に下げる飾りではなく、使い込まれたものであることはうかがい知ることができた。

感心したような紅炎の言葉はついで、わずかに空気を尖らせた。

 

少し、話が踏み込まれたように感じた。

 

 今までは単純な世間話の延長線上にあるような話だったのが、ここにきて、武器というとっかかりを経て軍事の話にまで内容が進んでいる。

 それに気づいたのは光だけでなく、周りいる紅炎の眷属たちも同様だろう。

 

「さて。その頃を見てきたわけではないので、同じかどうかは……時代によって製法が異なる、というのは聞いたことがありますが、詳しくは……」

「そうか……だがそうだな。例えば、和と煌が敵対することとなったら、どうなると思う?」

 

 続く会話に空気が痛いほどに張りつめた。

 

 光の眼も鋭く紅炎を見据え、眷属たちも臨戦態勢とまではいかなくとも、すぐにでも動けるように気を張り詰めた。

相手の方が人数が少ないとはいえ、光は金属器使い。

 和の剣術の脅威は話に聞くほどでしかないが、近接戦において油断できる要素ではなく、加えて金属器使いとしての脅威もある。

 

 紅炎のみが事態がどのように動くのかを愉しそうに口元に笑みを浮かべていた。

 

 戦好きの第1皇子。

 軍略に長けた第2皇子とは異なり、戦争自体を特技とする紅炎は、自身の力、金属器使いということを除いても秀でた武を秘めている。

 

 幾度もの戦場を経ているとはいえ、彼らにも金属器使い同士の戦闘の経験はない。

 ただ、紅炎のもつ圧倒的な金属器の力を覚えているだけに、ここでその戦端が開かれた場合、外交問題を考慮の外においても、その成り行きが読めず、ただ甚大な被害が広がることだけは理解できた。

 

 わずかな時間。それでも周囲の者にとって永く感じられる中、光はふっと口元に笑みを形作った。

 

「それは困るな。俺は白瑛を守るために来たのだから」

「ほぉ。それはつまり、和を捨て煌につく、ということか?」

 

 警戒を解くわけにはいかないが、明らかに風向きは変わっていた。

 二人の口調も王族、皇族という立場を省みないものになっているが、周囲の者にとってそれを気遣うゆとりはまだない。

 紅炎の言葉は、聞きようによっては同盟国の使者に対する宣戦布告ともとれるし、臣従を迫るものともとれる。

 だが、

 

「いや。白瑛の味方になる、ということだ。それ以外は知らん」

 

 光の明確な答えに問いかけた紅炎が呆気にとられたのか、珍しく目を丸くして相手を見ている。

 

 光は迷いなく自分のただ一つの目的を告げた。

 なんの戸惑いもなく、

自らの国と敵対するかもしれない未来など白瑛が選ぶことなどないことを疑いもせず。

 

 白瑛は煌帝国の第1皇女で、今は武官として国に仕えてもいる。立場を考えればいずれは将軍の一人にもなるかもしれない。そして煌の国力が増し、和との対等な同盟が不要になれば、臣従を迫る軍団を率いる将になるかもしれないのだ。

 そうでなくとも、紅炎自身が率いて攻め込むことすらありうる。

 

 見据える先に居る男の顔には虚飾も偽りもない。

 ただ、紅炎にとって義妹にあたる者の傍に立つことだけを目的にしていることを隠す気もなく晒していた。

 しばしまじまじと光を見据えた紅炎は、

 

「ふ。はは、ははは! 和でも煌でもなく、一人の女のためにお前は大陸の侵略国家に出向いてきたというのか?」

「まあ、そうだな」

 

 飾ることなく笑った。

試すような問いかけをした紅炎だが、相手のそんなものになど全く興味がないとばかりの返答に、心底おかしそうに笑った。

 

迷宮攻略者とは、王の器となるものだ。

 王とは上に立つ者。並び立つ者などない。

 

 紅炎はひとしきり笑うと、光の笑みをたたえた眼差しを受けて表情を戻して、再び光に視線を向けた。

 

「白瑛の味方、か。なら白瑛が和に攻め入ったら、お前はどうするんだ?」

 

 そして問いを繰り返した。

 敵対か否か。敵か味方か。

 灰色の存在など許しはしない。

 

 臣下がよく知る普段の紅炎であれば、その問いかけの裏に込められた意味をそう解釈しただろう。だが、

 

「そんなことにはならんさ」

「ほう。なぜ言い切れる?」

 

 紅炎が抱いていたのは、純粋な興味と愉悦だった。

 目の前のこの男が平和ボケした非戦主義者でも、楽観的な思考の持ち主でもないことはこれまでの会話や身に纏う武人としての雰囲気から分かる。

 

 この男は紛れもなく王の器を持つ、ジンに選ばれた男で

 間違いなく自分にも比肩し得る存在だと。

 

 だが、なんなのだろう、出した答えのこの違いは

 

「煌のことや紅炎殿のことはよくは知らんが、白瑛のことなら多少は分かる」

「3年近く音信不通で変わっていないと?」

 

 この男は明確に敵対する気が無いと示したわけではない。

 あまり知られた事ではないが、国内の情勢は完全には鎮静化したわけではない。

 

 練白瑛、白龍という前皇帝の一派。

 ほとんど居なくなっているが滅ぼした国の刺客。

 そして、国に巣食うかの組織の者……

 

 白瑛の味方ということが、=紅炎の味方というわけではない。

 敵対すれば脅威となるのは間違いない。

 

 だが、抱いた思いは恐怖や怒りでもなければ敵対心でもない。

 

 自らに比肩し得る者が、誰かの下に甘んじることを良しとすることに対する失望感でもない。

 

「変わっているだろうさ。だが、白瑛が白瑛であることは変わっていない、と俺は信じている」

 

 単純に、面白いと思った。

 

「迷宮攻略者、いや魔力操作を使う者は予知でもできるのか?」

 

 問いかけに最早意味は無い。

 ただこの男の考えを知りたいと興味を抱いただけだ。

 

 それが戦争に使えるかどうかではなく、

 王の器を張り合うためでもなく

 

「いや、ただの勘だ」

「勘か……」

 

 ただ面白いと思った。

 

 白瑛がそのような性格でないことは勿論知っているが、この男がこれほど確信を抱いている理由がなんなのか、少しいじってみたと思えた。

 

「なら、変わっていたら、どうする?」

 

 先程までの試すような言葉とは気が異なっていた。

 

 この男なら何と答えるのか、単純にそれが知りたかった。

 

「……ふむ。さっきまでは実は根拠は無かったが、今ので確信できたかな。白瑛は白瑛のまま、だろう?」

「なぜ分かる?」

 

 戦事の方が性にあっているという自覚はあるが、それでも権謀術数ひしめく宮廷で暮らしている以上、自分を見てなにかを掴んだということはないと思っていたのだが、

 

「あなたの気を見れば分かる」

「ほう。それはどのように見えるのだ?」

 

 自分の知らない力、魔力操作能力。

 その扱いに長けた和の国の王子らしい意見だが、果たしてそれは和の者だからか、それとも皇光という人物だからか。

 

 おそらく後者だと思ったのは…………やはりただの勘だ。

 

「そうだな、今は……面白がってる感じかな」

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

「いや、中々面白い話が聞けた。他国の使者の歓待などと思っていたが、存外有意義だったな。機会があればまたいずれ酒でも酌み交わしながら話したいものだ」

「光栄なことだ。まぁ、機会があれば、な」

 

 港から帝都への短い旅は終わった。

 両国の、同盟国の王族、皇族同士、絆を深めれたのは良いことなのだろう。

 

「では、その機会は作るとしよう。そうだな、戦地に赴く前がいいな」

「随分と気に入られたものだ。戦好きと評判の貴殿に気に入られたのが幸か不幸かは判然としかねるがな」

 

 紅炎の権力は皇帝やある特定の一部を除いて実質的に国のトップだ。外交部門、もしくは(光の思惑通り運べば)白瑛の近辺に配置されるだろう光に対して、宴の席にでも招けば光に拒否権はないだろう。

 光の言葉にやや毒が混ざっているのは、それだけこの道中において親しくなれたということだろう……両者の、特に紅炎の巧妙に隠された思惑はともかく……

 

 

 神経の図太い光や煽っている張本人の紅炎はともかく、周りの眷属や伴をするはめになった者たちにとって、すわ外交問題、金属器使い同士の激突かと肝を冷やすような場面の連続だった道程がようやく終わりを迎えようとしていた。

 

 まもなく特使を迎える準備の整った禁城に到達する。

 周りの者がほっと息を吐こうとしたのも無理はない、そんな巡り合わせで、

 

「よう、紅炎。なにしてんだ、お前?」

 

 皇族に対して敬意の全く感じられない軽い声がかけられた。

 

「ジュダル」

「神官っ! 何をしているのはそちらだ! 禁城への招集はそなたらにもかかっておろう!」

 

 声をかけてきたのは黒く長い髪を三つ編みに垂らした男だ。その装いは光はもとより紅炎など煌帝国の服装とも違う、露出の多い軽装の男だ。

 

 見知った顔なのだろう、紅炎は軽く眼を細めて男の名を呼び、眷属の男はジュダルと呼ばれたその男に怒鳴った。

 

「あー。めんどくせーし、俺ああいうの興味ねーんだよ。知ってんだろ、紅炎?」

「貴様っ!?」

 気安く呼びかけるジュダルだが、眷属にとってそれはあまり看過できることではないのか、顔を険しくして身を乗り出しかかっている。

 だが、それを制するように紅炎は片手を挙げて、前へとでた。

 

「いい。だがここで会ったのならちょうどいいだろう。光殿、こちら、我が国の神官だ」

「神官?」

 鷹揚に言い、ジュダルを光に紹介した。

 

「マギと言ってな、まあ、おいおい話もあるだろうが、煌帝国の武力顧問とでも思っておいてくれ」

「……お初にお目にかかります、神官殿。この度特使として参りました皇光と申します」

 

 わずかに、ジュダルも気付かないほどほんの刹那、光の眼に今までとは異なる色の光が宿ったが、それは一人を除いて気づくことはなかった。

 気づいたその一人、紅炎は、それでもなにもないかのように光とジュダルを対面させ、光は礼に則り、目を伏せて煌式の礼を神官に向けた。

 

「? …………」

「どうかしたか、ジュダル?」

 

 だが、様子がおかしかったのは光だけではなく、むしろジュダルの方こそ訝しげに光をじろじろと観察していた。

 

「おい、お前……なんかルフの感じが……変。いや、気のせいか?」

「ああ。光も俺と同じ、迷宮攻略者だ」

「はい。もっとも紅炎殿のように二つも攻略したわけではありませんが……」

 

 どこか納得いかなそうに首を傾げるジュダルに紅炎が付け足すように言い、光はすっと自分が帯びていた刀を掲げ、八芒星が刻まれているのを見せた。

 

「ふーん……俺の迷宮を勝手に攻略したやつは、バカ殿くらいのはずだから。大方、ユナンあたりがどっかに出しやがったのか。ま、いいや」

 

 わずかに奇妙さを感じつつも、光自身にはあまり興味がわかなかったのか、玩具に飽きた子供の様に軽く光から視線を外し、踵を返した。

 

「なんだ、式には出ないのか?」

「もう顔も見たし、興味ねーって言っただろ。」

 

 ひらひらと手を振りながら背を向けるジュダル。紅炎も引き留めるつもりはあまりないのか、笑みを浮かべたままの表情を崩しはしなかった。

 

「変わったお方だな」

「まあ変わったやつではあるが……この国の神官、マギだからな。」

 

 感情の読めない、ただ先ほどまでより僅かに目を細めてジュダルを見送った光の呟きに紅炎は肩を竦めて返した。

 

「紅炎殿は彼に導かれて?」

「ああ……ん? なんだマギのことは知っていたのか?」

 

 光の問いかけに紅炎は肯定の意を返し、だが少し違和感を感じて首を傾げた。

 

「一応、迷宮攻略者だからな。自分が持っているモノの出自くらい調べようとするさ」

「それもそうだな」

 

 紅炎の問いに、今度は光が肩を竦めて返した。西洋における魔導士の概念が東方においてはあまり発達していないことを紅炎は知っているため、魔導に関しては特に閉鎖的な和国の光がマギそのものについて詳しく知っているかのような口ぶりに違和感を覚えたのだろう。

 

 

 マギとは、大いなるルフの加護を得る者。

 魔導の位の頂点に立つものにして王を導く者。

 

 光や紅炎が攻略した迷宮。それを出現させる術を持つ者たちでもあり、マギは王の器を選定して迷宮へと誘うのだ。 

 もっとも、かの有名なシンドバッドや光のように、誘われずに迷宮を攻略したイレギュラーもいないではないが……

 

「っと、あまり止まっているわけにもいかんな。もう皆の準備はできているはずだ。」

 

 ジュダルとの遭遇で話が逸れてしまったが、紅炎は本来の目的 ―外交特使の歓待の任― を思い出した。今回の歓待において皇帝練紅徳が謁見するため、すでに禁城には主だった将官が集っているのだ。

 

「しかしジュダルにまで変わったやつと言われるとはな」

「俺がではなく、俺のルフが、だろ。どう違うのか自分でも知りたいくらいだ」

 

 止めていた歩みを再開し、紅炎が笑みをたたえて言うと、光はふぅ。と息を吐きながら答えた。

 

「ははは。いずれお前の金属器の力や魔力操作というものをみせてもらいたいな」

「あまり見せびらかすのは好きじゃないんだが……まあ、それも機会があれば、と答えておくとするさ」

 

 話すうちに控えの間の近くまで来たためか、二人はキリよく雑談を終わらせた。

 

「ひとまずここで俺の任は終わりだ、と言ってもすぐに謁見の間で会うことになるが……」

「ああ……ここまでの案内、感謝します。紅炎殿」

 

 立場を忘れた会話はここまで、

 紅炎が光に向き直ったのを区切りとしたように、光は口調を元の特使のものへと戻した。

 

「では、またの機会を楽しみにさせていただく」

「はい」

 

 

 凛として翻った紅炎に、光はここまでの道案内に対してもう一度礼を掲げ、二人はそれぞれの立場へと戻った。

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「…………」

「なにか言いたいことでもありそうだな?」

 

 光を置いてきた控えの間から一足早く謁見室に向かう紅炎は、後ろに控える眷属たちの沈黙に、自らへの問いかけを堪えているような気配を察して先に問いかけた。

 

「若、随分とあの者を気に入られたようですな」

「まあ、な。自分にはない力を持つものには敬意を払うさ」

 

 紅炎の才、特に戦に関連した事柄においては、現在の煌帝国の中において、比類ない物と評されている。そしてそれを裏付けるように二人のジンに、その資質を認められているのだ。

 だが、それでも知らないもの、持っていないものはある。

 

「魔力操作能力、ですか……」

 

 東方においては気と呼ばれる魔力。それを自在に操る術は大別すると2種類。外へと放出するのを得手とする魔法。内へと向けて操ることを得手とする魔力操作能力。

 どちらも紅炎自身は持っていないものだ。

 

 むろん、紅炎自身、この世にあるすべての資質を持ちうるとは思っていない。しかし、自分が持たないものを受け入れ、以て統べるのも王としての資質だ。

 

 だが、

 

「それもある、が……あいつ、何か隠してるな」

「は?」

 

 それだけではない。紅炎の言葉に眷属たちは一瞬反応が遅れた。

 

「あいつの金属器だ。ジュダルもルフの方から気づいたようだが、あいつはどこか違和感があった」

「……我々は気づきませんでしたが……」 

「攻略者にしか分からぬもの、ということですか?」

 

 あの場でのジュダルとの遭遇は予定外ではあったが、想定外の出来事ではなかった。マギとしての特性から魔力操作能力についてなにか知ることができないかとも考えたのだ。だからいずれは対面させてみるつもりではあった。

 

 実際に話している中、抱いたほんの小さな、言葉にできない靄のようなもの。それがジュダルも感じ取ったようで、そのことで紅炎は光がなにか隠していることを確信したのだ。

 

「いや、ただの勘だ。そうだな、あいつ風に言うなら、どこか気が妙に感じた、というところか」

「和がなにかしかけてくる、ということですか?」

 

 紅炎の言葉に眷属たちの面持ちが変わる。

 たしかに和と煌は先代皇帝の頃からの友好国、同盟国ではあるが、言い換えればそれは前皇帝の一派とも言えるのだ。

 そして国内における一派の代表格、練白瑛や白龍と結んでなにか仕掛けようとしていると言い切れないはずがなかった。だが、

 

「いや、それはないな。嘘を言っている感じではなかった。白瑛を担ぎ上げるバカでもいなければあいつ自身は動かんだろう」

 

 戦に関しては苛烈さをもって知られる紅炎。それは現皇帝紅徳よりもむしろ前皇帝のそれに近い。

 

 そして、苛烈さだけが戦の全てではないことを紅炎自身が知っている。

 

「白瑛自身がすぐにどうこうするということもあるまい。時期が来れば、直接釘を打ちこむ必要はあるかも知れんが、今はいい」

「はっ」

 

 そう、今はまだ。時期ではない。

 

まだ調べるべきことが残っている。

 

あの組織とことを構えるための力も十分ではない。

 

 

 今の世界のありようではなく、高みへと昇るために

 

 

「むしろ……いや、なんでもない」

 



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第7話

 和国からの外交特使を出迎える歓待の式典は特に問題もなく終わった。

 

 近年では外交よりも戦争による交渉が中心となっている現皇帝だが、流石に和国の特使にして迷宮攻略者相手に迂闊な真似はせず、式典は表面上終始和やかな式となった。

 もっとも、紅徳皇帝の実子である姫君を婚約者として勧めるような言動がちらほらとみられたが……

 

「こちらです、皇殿」

 

 式が終わり、光は第二皇子の練紅明、そしてその側近と思われる男に案内されて用意された滞在場所へと向かっていた。

 

 第一皇子に続いて直系の皇子と面通しすることは外交という観点においてはたしかに大切なことだ。だが本来、光は白瑛の許嫁。白瑛自身が第一皇女という身分であることを考えれば白瑛が案内する方が自然とも言えるだろう。

 

「和からの旅と歓迎の式典。皇殿もお疲れでしょう。警備は万全ですのでゆっくりとお休みください」

「ありがとうございます、紅明殿」

 

 やや苛烈な性格をしている長兄と比べ、比較的穏やかな佇まいの紅明の気遣いに、光は表面上、穏やかな笑みを浮かべて答えた。

 紅明の案内により禁城からの道行を軽く紹介されながら歩く二人の会話は先の紅炎とのやりとりとは違って和やかなものだった。

 

「しかし、流石ですね皇殿」

「なにがでしょうか?」

 

 蔵書室や練兵場などを軽く案内し終え、主要なところが見終えたのだろう、黒い羽扇を携える紅明は、先程の紅炎の楽しげな姿や皇帝との謁見を思い返して微笑んだ。

 

「兄上があれほど楽しげに人のことを語っていたのは久しぶりです」

「ははは。どこがお目にかかったのか、随分と気に入られたようです」

 

 近年の紅炎は、特に戦がらみのことばかりを仕事としており、生来の苛烈さに磨きがかかってしまったかのようだった。だが、今日の紅炎は久方ぶりに楽しそうに笑っていた。

 もっとも評価された光が苦笑気味なのは謙遜だけではなく、戦争好きと評される紅炎に評価されたことに思うところがあるのだろう。

 

「いえいえ。気になるのは兄上だけではないようですよ」

「……みたい、ですね」

 

 表面上笑いながら言う紅明は今しがた潜り抜けた背後の門の柱へちらりと視線をやり、そこに隠れている赤い髪の少年を見やった。視線を向けられたことに気づいたのだろう、少年はビクっと肩を震わせた。光も気づいていたのだろう、視線を向けることなく、フッと笑みをこぼした。

 

「なにをしているのですか、紅覇?」

「別にぃ~。明兄だけだと心配だったから見に来ただけだよ~」

 

 呆れたように紅明が問いかけるとなんでもなかったかのように少年は姿を見せた。

 

 礼装をだぶつかせて着ている紅明に対して、紅覇と呼ばれた少年はひらひらとした可愛らしいとも形容できる服装をしている。その容姿も、長身で肌のがさつきが少々目立つ紅明と比べ、小柄できめ細かな肌をしている。ただその顔は特に悪意があるわけではなさそうだが、どこか小ばかにしたような笑みを浮かべている。

 

「ふぅ……皇殿、こちら弟の紅覇です」

「どうもね~」

 

 彼よりも年少の頃の白龍でももっと礼節を重んじた挨拶を交わしていたが、紅覇の砕けた態度は彼の基本状態なのだろう。光に向けてひらひらと手を振っている。

 

「皇光です。紅覇殿、よろしくお願いします」

「それでどうしたのです、紅覇?」

 

 紅覇の態度には特に気をとめず、光はすっと両手を掲げて挨拶を交わした。紅明は先程の紅覇の言葉を鵜呑みにせず訝しげに視線を向けた。

 

「やだな~。心配で来てみただけだって、明兄。あっ、それが和刀ってやつ?」

「……はぁ」

 

 本人も自覚していることだが、色々とだらしないところがある紅明だけに、紅覇もお節介を焼きに来た、といったところか、はたまた誰かの差し金か、紅明は溜息をついて異母弟をみやった。

 

 見せて見せて~。と光にすり寄る紅覇に紅明はいよいよ訝しげな眼差しを向ける。

 

 もしくは、慕っている異母兄の紅炎が評価している風な和国の王子に紅覇もまた興味を抱き、自分も見てみたいと思ったのだろう。そう当たりをつけて紅明は伺うように光を見た。

 

 

 皇子二人の対照的な姿に光は苦笑しつつ、紅覇に刀を見せようと刀を鞘ごと腰から外して、刀身を見せようとした瞬間、

 

「っ!!」「えっ!?」「!?」

 

 なにかの気配を感じたのか。光はバッと二人から距離をとり、紅明たちに半身を向ける形をとって紅覇の背後に鋭い視線を向けた。

 突如として臨戦態勢に入った光に紅明と紅覇も瞬時に気を張り詰め、光の眼差しが自分たちの背後に向けられているのに気付いて振り返る。

 

 そこにいたのは

 

「あら、ちょうどよかったわ。紅明、紅覇。そして……お会いするのは初めてね、光殿?」

 

「玉艶皇后」「…………」

 

 にっこりと笑みを浮かべた女性、煌帝国皇后の練玉艶だった。その姿を見た紅覇は先程までの笑みをすっと消し、紅明も穏やかな佇まいから少し緊張感を増したような態度となった。

 あわや抜刀しかねない体勢となっていた光も紅明が女性を皇后と呼んだことで構えを解き、すっと片膝をついた。

 

「失礼しました、練皇后。お初にお目にかかります」

「どうなされたのですか、皇后。このようなところに?」

 

 紅明が固くなった態度をとったのはほんのわずかな間だった。光が頭を下げたのと同じく、紅明も先ほどまでの愛想笑いを浮かべた態度に戻り、紅覇も同様の態度になっている。

 

「一度お会いしたかったのですよ、私の娘の、白瑛の許嫁の方に」

 

 なんの裏もなく微笑むように見える玉艶の笑顔は血の繋がった母娘というだけあってやはり白瑛によく似ていた。

 

「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません」

「いいのですよ。それよりも白瑛とはもう会いましたか?」

 

 片膝をつき顔を下に向かせている光に玉艶は鷹揚に告げ、許嫁同士の挨拶を交わしたのかを問いかけた。

 光の旅程を考えればこれ以上早いタイミングでの謁見は叶わなかったのだから遜りの意味もあるのだろうが、それとは別に3年近く白瑛との音信不通であることもあったのだろう。

 

「いえ、それは……」

「これからご案内するところなのですよ、皇后」

 

 顔を上げようとしない光の言葉を継ぐように紅明が助け船を出した。

 義理の息子と叔母にして継母。紅明、紅覇と玉艶の関係を言葉にすればそれだが、微妙な関係にも関わらず、紅明と玉艶はどちらも表面上はにこやかな顔を向けている。

 

「そうですか」

「一度滞在場所へご案内して、その後にお会いするそうです」

「はい。これより一の姫にお会いし、お許しいただければその後はお傍にありたいと思います」

 

 紅明の言葉に玉艶はにこりと微笑を深くし、光は玉艶に ―皇后であり、白瑛の母に― 自らのこれからを告げた。

 

 継母である玉艶と紅明たちとの関係とは異なり、実子である白瑛との関係は玉艶にとっても特別な意味があるのか、実娘の許嫁にあたる人物に向ける玉艶の視線はどこか窺うような眼差しであった。

 

 しばらくじっと足元の光を見ていた玉艶は、瞼を閉じ、困ったような顔となって口を開いた。

 

「……あなたには申し訳なく思っています。あの娘があなたとともに過ごしていたあのころから色々なことが変わってしまった。それが他国の王族であるあなたまで縛ることになってしまうとは…………紅徳皇帝から他の姫を勧めるお言葉もあったと聞きます。あなたさえよければ……」 

 

 他国の王族に申し訳ないとは皇后ほどの立場ある者の言葉ではない。だがそれは白瑛の母らしく、玉艶の言葉は身内の立場よりも国同士のそうした不安定な状況を重んじる言葉らしく皇帝の心情を重んじるようなものだ。

 

 本来であれば直系の姫の許嫁として立場ある者だった。しかし現状、白瑛は肩書こそ以前と変わらぬものの前皇帝の実子としてその立場は非常に危うい。そしてそんな姫と関係の深い光もまた微妙な立場だ。

 煌帝国の国力が以前とは比べるべくもなく増していることも光の立場を危うくする要素ではある。

 

 煌帝国の国内にも、皇族であればともかく、将軍の中にはもはや小さな島国一つ取るに足らぬと和国を軽視する空気が流れ始めているのは紅明たちも知っていた。

 だが、特に紅炎に近しい者たちでは、迷宮攻略者の強大さが身に染みているからか、逆に警戒するような空気がある。

 

 ゆえに両国の関係も一部では不安定化しそうな気配が漂っている。光が白瑛を見離して他の姫と関係を結べば、そういった緊張関係は修復される可能性は大きい。

 

「皇后」

「もったいないお言葉です。ですが、私は自らの意志で煌帝国へとやってきました。むしろ私の方こそ、我を通しております。一の姫をお守りする、それこそが私の望みです」

 

 それに対して、“現皇帝に”立場の近い紅明が玉艶の失言を嗜めるように口を挟もうとし、しかし光は玉艶の申し出を一顧だにせずに答えた。

 

「そう、ですか……白瑛をよろしくお願いしますね。皇、光」

「はっ」

 

 決意の固い声音で返した光に、それ以上の気遣いは不要と断じたのか玉艶はやや残念そうな眼差しとなり、表情をすっと冷徹なものにして光の名を呼んだ。

 

 玉艶はくるりと踵を返し、光たちに背を向けて歩み去った。

 光は片膝をついたまま、紅明と紅覇もじっと見透すように玉艶の背を見送った。

 

「……それでは皇殿。参りましょうか」

「はい」

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 光を滞在場所へと案内した後、紅覇と紅明は兄である紅炎のもとへと赴いていた。

 

「あの男はどうだ、紅明、紅覇?」

「おもしろそうなんじゃないかな~、炎兄。まあ随分とあのババァに気をつかってるみたいですけど」

 

 現皇帝の息子、そして紅炎とは同母兄弟の紅明。異母兄弟の紅覇。二人はともに紅炎を慕う者として宮中においても知られている。

 

 紅炎は愉しげな玩具の感想を兄弟に尋ねるように笑いながら問いかけ、紅覇は率直に自らの好悪の感情を答えた。一方の紅明は、

 

「……判断がつきかねます。随分と白瑛殿にいれこんでいるように見えますが、なにか……違和感を感じました」

「ほぅ」

 

 目元に剣を宿して思慮中であることを告げた。

 

 まだ情報が少なすぎる。特に光の人となりを断じるには紅明はまださほど光と話したわけではないのだ。

 戦場での直感や判断にも長けた紅炎とは異なり、軍略のように深く考えることを得手とする紅明にとって光が敵か味方か判じるには情報が少なすぎるのだ。

 

 ただ、それでもなにか違和感といえるものを直感で感じ取ったのだ。兄や光と同じ、迷宮攻略者として。

 

「お前もか……ふむ。皇后の方になにか動きがあったのか?」

「対面しました。言葉では臣従的でしたが警戒しているようにも思えました。」

 

 対面中、光は一度も顔を上げようとしなかった。

 

 初めは和の王族とはいえ、和の特使として煌帝国の皇后に対しての畏怖を抱いているものゆえにだと思ったが、光は玉艶の皇后としての立場を知る前、その気配に過剰なほどの警戒を示していたのだ。

 そして一度も目を合わせようとはしなかった。それは見方を変えれば、なにかを見透かされることを忌避したようにも見えた。

 

「皇后も、意図的に光殿と白瑛の関係を分断しているようにも見えました」

 

 娘たちの立場を重んじ、身柄を守るために前皇帝から現皇帝へと取り入った妃。

 血の繋がった娘のことよりも現皇帝と光との関係を気にかけた。

 

 だが、それでも紅明は、紅炎たちは玉艶がそのパフォーマンスどおりの人物ではないと見定めていた。

 

「ふん。意味は無かったのだろう?」

「はい。即答していました。」

 

 光と白瑛の関係の分断。

それはある意味では現皇帝の派閥にとっては好都合だ。行き過ぎれば和との関係悪化につながるやもしれぬが、前皇帝の派閥の力を無力化し、不安要素が取り除かれるという意味では利が有る。

 

 だが紅炎はやりとりを見ていなかったにもかかわらず光の人となりをよく知っているかのように言った。

 

「あのババァもなにを企んでるんだか」

「和の動向も今一つ読めませんね」

 

 継母である練玉艶。その存在は大きな益をもたらすとともに非常に危険なものであることを紅炎たちは掴んでいた。

 

 堕ちたマギ、ジュダル

 魔女、練玉艶

 

 そして宮中に巣食う神官たち

 

「紅覇。たしかお前もジュダルから迷宮に誘われていたな?」

「はい。すぐにと言うわけではありませんが、数年内には」

 

 とある『組織』と関係の深い一派。その『組織』の力によって煌帝国は強大な力を手に入れつつある。紅炎、紅明が手に入れた金属器、そして眷属もその一つだ。

 

 中原における戦火の拡大。それはかの『組織』が誘導し、紅炎たちが実際に引き起こしている事態だ。

 

だが、両者の思惑はずれている。

 

「王の器。それについてもまだ謎が残っていますね」

「ああ。だが、あいつについてはひとまず心配いるまい」

 

 ジュダルの導きにより近々迷宮へと赴くという紅覇。その話題に触れたことでそれに付随するもう一つの調査項目を紅明が口にし、紅炎はそれを持つ来訪者について触れた。

 

「? どういうことですか?」

 

 王とはただ一人立つ者。この国において、この世界において。

 王が並び立てば争いは収まらず、まさしく『組織』の思惑通りになってしまうだろう。ゆえに煌帝国は戦力としての迷宮攻略者を欲していながら、紅炎は王の器の乱立を危惧していた。

 

 ただ一人の王を戴き、ただ一つの世界の高みへと至る。

 

 まだ漠然とした青写真。だがそれこそが紅炎が描く世界の行く末なのだ。だからこそ王の器の一人として選ばれながらも、紅明は紅炎を支える道を選び、多くの将軍が彼を“王”として戴くことを決めている。

 

 だが、その一人として彼らの前に立った者を紅炎は危惧の必要がないと断じたのだ。紅明は声に出し、紅覇もまた不思議そうに紅炎を見た。そして、

 

「あいつ自身は白瑛の方に注意していれば問題あるまい。それに……アレは王の器ではない」

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「……あれが、練玉艶皇后、か」   

 

 紅明たちと別れた光は先程まみえた玉艶 ―白瑛の母について思いを巡らしていた。

 

 たしかに面立ちは白瑛によく似ていた。

 気遣いのかけ方もどことなく白瑛を思い出させるような言葉で、その端々から感じられた物腰は柔らかく、理性的なものだった。

 

 だが、自分はあの時、あの人の気配を感じて、背筋を冷手で撫でられるようなゾッとした感覚を抱いたのだ。思わず抜刀の構えをとってしいそうになるほどに。

 

 

 煌帝国がその建国からあの八芒星の組織となんらかのつながりがあるのではないかということは、光をはじめ父と兄も疑念を抱いていた。

 

3年。その間に煌帝国はさらに2つの迷宮を攻略し、3つの金属器を手に入れていた。

 

 戦争好きで炎帝とも称される複数迷宮攻略者の練紅炎

 軍略に通じ長兄を支える練紅明

 

 一か所でこれほどの迷宮攻略者が乱立するというのは、調べた限りにおいて普通ではありえない。しかもそれだけではなく、この近隣にはまだ手つかずの迷宮が確認されているようなのだ。

 和の国内においても攻略者は光一人だし、煌帝国を除く近隣の国々においても攻略者は居ないのだ。

 かのシンドバッドも最近になって7つ目の迷宮を攻略するという偉業を成し遂げたが、それにしても七海の覇者と称されるように世界各地を巡って為し得たことだ。

 

これほど近場に迷宮が乱立することこそがありえないはず。

 

 だがその疑問は今日氷塊した。同時に先の疑念は確信に変わった。

 

 迷宮を生み出し、そこに王の器を導くマギの存在。

 

 それだけなら確信にまでは至らなかった。だが、あのマギの気は明らかにおかしかった。

 

 “あの時”と同じように、色を付けるとしたら黒だと思えるほどに淀んだ気の色。暗く堕転した存在。

 

「まったく。誰がどう繋がってるのか、分からん国だな」

 

 誰が敵か、誰が味方か

 誰を信頼すればいいのか、誰が襲い掛かってくるのか

 

 この国では、他国からの余所者ということを除いても関係性がまったくつかめない。一応は事前にある程度調べていたし覚悟してきてはいる。だが、予想以上に手強い存在が多すぎる。

 そして

 

「だが、ようやく来た」

 

 そんな国で奮闘してきた彼女を想い、光はぐっと拳を握った。

 

 禁城で一目彼女を見たとき、その気の頑なさを見たとき、やはり紅炎に問いかけたことは間違っていなかったことが分かった。

 

 白瑛は、白瑛のままなのだ、と。

 

 痛々しい程にまっすぐで、折れることなく気高い白

 

 

 だからこそ、誰が命を狙ってくるかまるで分らない国で ―実際父と兄とを失った世界で― 残された弟と母を守るために強くあろうと、真っ直ぐであろうとしてきた彼女の戦いは如何ほどのものだったのだろう。

 

 彼女を守る。彼女の傍に居る。それこそが、決して曲げないと決めた誓いなのだ。

 

 

 周りを囲むのは強大な存在。

 

 黒い気を放つマギ

 

 膨大な魔力と二つの金属器を持つ炎帝

 

 まだ全貌を見せぬ八芒星の組織の存在

 

 そして…………

 

 

「さて。行くか」

 

 とりあえず、まずやっておかねばならないのは3年間音信不通だった白瑛、そして傍にいた白龍への挨拶だろう。 

 特に白龍の方は歓迎の式典にもかかわらず、まるで射殺さんばかりの眼差しで光を見ていたのだ。

 

 

 




感想の返信にも書きましたが、アニメのOP、EDが変わりましたね。
とてもいい感じで、モルさんや紅玉がすごくかわいかったです。ですが……白瑛どこいった?
白瑛成分が補給できないので、妄想でカバーしていきたいと思います


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第8話

 なにやら最近姫の様子がおかしい

 妙にわくわくとした様子の日々が続いたかと思えば、ここ数日は非常に苛立たしげなご様子だ

 

「夏黄文、ちょっと稽古に行くわよ」

「……かしこまりました、お供します」

 

 私が仕えるのは皇族の姫君。

 

 元々私は寒村の出で本来であればさして出世できるはずもなく終えるはずだった。

 だが私には野心があった。

 そして優秀だった。国の官吏を選抜するための科選試験を優秀な成績で突破できるほどに。

 

 そう、私は選ばれた一握りの者しか通過することのできない科選を突破し、その成績が皇族の方々の目に留まったのか現皇帝の直系の姫君の従者としてとりたてるまでに出世したのだ。

 

 ただ、予定外だったのは……その姫君が第8皇女という皇位継承権の低い、かつ市井の遊女であった母君を持つ次期皇帝など望むべくもない、政治的発言力の低い姫君であったことだ。

 そして姫君はそんな出自ゆえに宮中において孤独な方でもある。

 

 第1皇子の従者となるなどと高望みは抱いていなかったものの、正直これは予想外だった。せめて私と同年の生まれだという第2皇子や姫君と同じお年であるなら第3皇子であれば、まだやりようはあったかもしれないが……

 

 とはいえ第1皇女あたりでなかったのは幸いかもしれない。

 第1皇女は位階こそ高いもの現皇帝の直系ではなく、前皇帝の娘。母君であられる皇后が現皇帝に嫁がれた際に養女となられたそうだ。

 いかに位が高くともそんな経緯をもっていれば出世は望めない。加えて第1皇女は聡明で武勇にも優れると評判が高く、すでに古くからの従者も居る。そこに新参の私が入ってもさして重宝されずに終わるだろう。

 それならば姫君の信を得て、姫君に重宝されれば、いずれはなんらかの目があるかもしれない。

 

 実際、姫君の才が第1皇子と神官と呼ばれる男の目に留まり姫君は武の道を歩かれることを決められたようだ。そして姫君は鍛練を重ねられ、中々の武を身につけられている。

 仕えて数年になられる姫君のご様子が明るくなられたのはいいが、武官として歩かれることに心配がないわけではない……だが、幸いにも私は多少であれば武の心得もある。姫君のお相手として稽古をするくらいはなんの問題もない。

 

 

 話は変わるが、信を得るために必要なのは能力はもちろんのこと、心の機微を鋭敏に読みとり、きめ細やかな心配りを積み重ねていくことだと私は考える。

 

 実際、私は今の環境においてもそれによって周囲から一目置かれる存在となっている。

 私の出自は低い。そのため、なにもしなければ周囲からも冷遇されるだろう。だが私は繊細な心配りによって多くの味方を作っているのだ。言いかえればもはやそれは人心操作術と言っても過言ではないのではないかと考えている。

 

 

 姫君の様子がおかしい

 

 それは憂慮すべき事だが、同時にチャンスでもある。

 心の揺れ動きが大きい時にこそ、私の力は発揮され、大きな信を得ることができる時なのだから。

 そう、これは飛躍のための天佑かもしれないのだ。

 

 こういう時こそ、その優秀な頭脳を活かす時。ここ最近の出来事を、姫様の周囲から広げていって思い返すのだ。

 

 いつものような姫の我儘

 いつものような剣の稽古

 

 いつもの様な宮廷での毎日……

 

 いや、決してそんなことは無いはず。例えば皇族の方々となにかあったのではないか?

 他の皇女たちからは低く見られ、引いてしまう姫君だが、第1皇子である紅炎様を非常にお慕いしている。

 そこでなにかあった……?

 

 いや! いつもの様な、ではない。ここ数日で比較的大きな出来事があった!

 

 皇帝が他国の特使を歓待するための式典を開かれたことだ。

 その時、特使を出迎える任に当たられていたのが第1皇子ということで、少々話題になっていた。

 そう! 兄王とも言われ、姫君が慕われている紅炎様が、だ

 

 

「あっ、白龍ちゃんと……うっ……」

 

 思案しながら姫の後ろを供しているといつのまにやら鍛練場へと着いていたようだ。辿り着いたそこには、すでに先客が鍛練していたようで姫が嫌そうに声を上げている。

 

 練白龍

 第4皇子にして第1皇女の弟君だ。そう、あの方もまたその出自は前皇帝の子息だった方だ。昔、大火に見舞われ、奇跡的に生き延びられた際に負ったとかで、顔の左側に火傷の痕がある方。

 姫と彼の姉君とはあまり良好な関係ではない(といっても姫の一方的な思いのようにも見えるが)。だが、白龍皇子と姫とは、第1皇子を除く他の皇族の方と比べるとまだ良好な関係のほうだろう。

 おそらく姫が武の稽古を為さる際に、きちんと相手をできる者が限られているからだろう。

 

 位が低いとはいえ姫は皇女だ。加えて可憐な容姿をされている。

 

 そんな姫君に、一般の兵などが、本人に頼まれたからとはいえ本気で稽古をつけるというのは、おいそれとはできまい。

 かといって姫に物怖じしないほどの位の将軍職の者に稽古を頼むには、(そうとは見えないが)姫の押しの弱さが邪魔をしている。

 私が姫の稽古のお相手をよく務めるのはそういった経緯もあるのだが、正直私も本気で打ち込むのは気が引ける……

 

 だが、白龍皇子となれば話が違う。位は劣るものではないし、槍術ではあるのだが、しっかりと鍛練を積まれており、才ある姫君と比べてもなかなかに武を修められている。年も近く稽古の相手として適任に近い。

 

……の、だが。

 

 

「くっ! もう1本、お願いします」

「ふぅむ。よし」

 

 なにやら今は土埃に塗れて悔しげに目の前の相手を睨み付けていた。

 その相手は黒い髪を1本後ろに束ね、細身の木でできた剣を肩にあてて白龍皇子を見下ろしており、皇子の威勢のいい声を受けて切っ先を向けた。

 

 その男には見覚えがあった。

 和国特使、皇光

 海を隔てた隣国和の国の第2王子であり、迷宮攻略者と言われている男。

 

 和国と煌帝国の関係は、煌が帝国になる前からの関係で、そのころから良好な同盟関係となっていると聞いている。

 ただ近年、宮中においては、中原に勢いを増す煌帝国からすると東洋の島国ひとつ、恐れるに足りない小国。和国からの貢物として迷宮攻略者が献上された。などと噂されている。

 もっとも皇族の中では第1皇子を筆頭に、随分とあの男を評価しているという話も聞くが……

 

「ん? これは、姫君。っと、たしか……紅玉皇女でしたね」

「……こんにちはぁ、特使さん」

 

 白龍皇子と向き合っていた男は姫君に気づいたようで、片手をあげて立会いを中断し、挨拶をしてきた。

 姫君も挨拶を返したのだが……なにやら機嫌の悪さが悪化しているように見えるのは気のせいだろうか。

 

「皇光ですよ。皇女」

「えぇ、うかがってます、特使さん」

 

 ……どうにもこれが初対面ではなさそうなのだが、一体なんなのだろう、この空気は。特使の方もなにやら困ったように頬を掻いている。

 

「……たしか皇女も武芸を嗜まれるとか。鍛練にこられたのですか?」

「えぇ。どなたも居られないと思っていたら白龍ちゃんが、居たので驚いたわぁ」

 

 常のような高圧的な態度に輪をかけて威圧的なお言葉だ。しかもあからさまに特使 ―光殿― の名を避けている。

 

「紅炎殿からうかがったことですが、なかなかの腕前とか。よろしければ1本お相手いたしましょうか」

「……大きなお世話です。お暇なのですね。特使さんは」

 

 第1皇子の名前が出た瞬間、姫君がぴくりと反応したのは気のせいだろうか。それにしてもこの空気は一体なんなのだ。

 和国の王子、というのがなにか姫君の気に障るところでもあったのだろうか?

 

 首を傾げてお二人の会話を横で聞いていて、やはり姫君のぎこちない言葉に訝しみが増していく。

 

 

 そのどこかぎこちないやり取りを見ていてヒヤヒヤした思いを抱いていたのだが、ふっと思い出したことがあった。以前ふとした時に姫がこぼしていた言葉だ。

 

 お友達がほしい

 

 その出自ゆえにほかの皇女たちとうまくいかず、しかし皇女という身分のために年の近い親しい者もいない。

 宮中で楽しく話す下女などを見て、自分も話したい。と思って近づけば、彼女たちは恐れおののいて頭を下げ、走り去ってしまう。

 

 姫君は我がままを言い周りの者を困らせ、時に高圧的な態度に出られることもあるが、それは皇女という身分と親しく話せる友人がいないということも影響しているのだろう。年の近い同性にどのように声をかけたらいいのかわからない。

 だが、その心根は優しいものであることを数年間仕えた私は知っている。

 

 親しくなりたいと思いながら、そのなりかたを知らないがゆえに、逆の行動を、口調をとってしまう。そんな年頃にありがちなことが、いささか強くでてしまうのが姫君だ。

 

 以前女官に話しかけた際にも、高圧的な口調で怯えさせてしまったが、後になって「仲よくなりたかったのに……」と寂しげにこぼしているのを聞いている。

 

 そう、姫君の機微を察するには言動や態度とは裏腹の口調をとってしまうということを考慮しなければならないのだ。

 つまり、今の姫君の思惑は、態度とは逆。親しくなりたいという裏返しかもしれない!

 

 いや、まて……

 少ない情報だけでことを決めるのは愚かなこと。本当に裏返しで良いのだろうか……

 

 たしかに姫君は心優しい方で、(お一人ほど例外はいるが)理由なく人を嫌いになられるお方ではない。会って間もない人物に威圧的な態度をとられるのはいつものことだが、今回のこのよそよそしさはいつもとは違う。

 もしかしたらなにがしらの出来事があって、本当に嫌われておられるのかもしれない。

 

 もっとよく思い返すのだ、姫の心情を察する手がかりを。

 

 和国の王子。第1皇子に出迎えられ、皇帝と謁見した特使。

 貢物と揶揄される迷宮攻略者。

 

 ……そういえば、和国の王子は、件の第1皇女、白瑛皇女と婚約関係を結ばれているという話だが……

 

 それを思い出したとき、はっと閃光が脳裏を走ったように感じられた。

 

 

 武官を志すようになって、姫君は迷宮攻略についての物語をよく読まれるようになられた。

 なんでも神官は姫君に王の器を見たとかで、そのためいずれ迷宮に誘うのだとか。姫君になんという無茶をさせる奴だと、憤慨したのは記憶に新しいが、まあ今はそれは脇においておこう。

 

 迷宮攻略の冒険譚、シンドバッドの冒険を読まれた姫君がうっとりとした顔でおっしゃられていたではないか。

 

【こんな素敵な方と出会いたいわぁ】

 

 と。

 そう、姫君は純粋なお方で、年頃の姫だ。素敵な男性との恋に憧れを抱いてもおかしくはない。

 

 妙にわくわく、そわそわとしていた数日前。あれはこれから出会う他国の王子に憧れを抱いていたのではないだろうか?

 私のような一介の従者ではどのような方が特使として来るのかは知らなかったが、姫君であればもしかしたら第1皇子あたりからうかがっていた可能性がある。

 

 文武に優れ、シンドバッドの冒険の1節のように迷宮を攻略した王子。その容姿は同性の自分から見ても、なかなかに優れている。2代の皇帝に嫁いだ皇后と面影のよく似た白瑛皇女と並び立てば、一角の絵になりそうなほどだ。

 少しのんびりとした感じがするものの、そんな雰囲気もよくよく見れば姫君がお慕いしている兄君、紅炎殿下ともどことなく似ている気がしなくもない。そう思ってみれば、姫君があの男に惹かれることがないとも言い切れないのではないだろうか!!

 

 すでに婚約者がいる相手に恋心を抱いてしまった姫君。

 そう考えれば姫君の一連の不審な行動にも納得がいく。

 

 憧れを抱いて出会った王子。彼は期待通り、姫の意中の者となったが、すでに婚約者がいる。その煩悶に囚われた姫は、行き場のない想いを苛立ちにぶつけていたのではなかろうか!?

 このよそよそしい態度も、親しくなりたい、けれど婚約者の居る相手に対する遠慮なのでは!

 

 

 冴えわたる我が頭脳は、この瞬間、私に壮大な計画をもたらした。

 

 第1皇女の政治的権力は高くない。姫君と比べてもさして違いはないかもしれない。

 特使の歓迎の式典においても、皇帝は第1皇女との婚約よりもほかの皇女を勧めるくらいであったのだから、もしかしたら皇帝としては自分の直系の皇女を娶らしたいのかもしれない。

 それならば姫君が特使と結ばれる可能性は0ではない。

 

 そして特使は第1皇子に随分と評価されている。

 

 これは……もしかすると姫君の婚姻を利用して、出世への道が開けるかもしれない!

 姫君にしても慕わしい相手と結ばれるのであれば、姫のためになることであるし、第1皇女は政略結婚から解放される。白龍皇子の様子を見れば、彼の姉の婚約者をあまりよく思っていないのは、その敵意のこもった眼差しから明らか。

 誰もが得をし、私は第1皇子に近づける。天啓ともいえる計画なのではないか!

 

 素直になれない姫君のためにも、ここは私が間をうまく取り持たねば

 

 

    ✡✡✡

 

 

 苛立たしい。

 今の気分を言葉にすれば、それがぴったりだろう。

 

 数日前異国からの特使が来訪すると聞いたときは心待ちにしていた。

 和からの外交の使者が訪れるとき、大体にして彼らは比較的若いものが多かった。あまりおおっぴらには言えることではないが、彼らが来たときには女官などが彼らに異国の話を聞いたりして、それを話題に楽しそうに話しているのを幾度か見たことがある。だから、今回こそ、そういったお話の中に入れるのではないか、あるいは特使の方と直接お話ししたりする機会はないか、と。

 なにせ今回の特使は、今までとは異なり、留学のように長期滞在するという話なのだ。年若い使者でなければそれはできないだろうから、もしかすると年の近しい方でお友達になれるかもしれない……

 

 なんの自慢にもならないが、私は友達を作るのが苦手だ。

 

 作りたくない。孤独がいい、などと思ったことは一度もない。ただ、宮中における立場や皇女としての身分、それらに相応しい態度などから引かれてしまう。

 いえ、それはきっと言い訳、女官の方たちに話しかけるときの私は、肩肘を張りすぎてどう見ても高飛車にしか思われていないのだから……

 

 国内の方とは身分の関係もありうまく話せない。でも国外の方なら?

 

 もしかしたら身分のことなど、気になさらないかもしれない。

 

 

 期待に胸を膨らませた式典当日。謁見の間には大勢の人がいた。

 幾人か嫁いでしまったものの、まだ年齢的な関係から国内にいた異母姉様方。異母兄様方。比較的仲のいい白龍ちゃん。どことなく気に食わない白瑛。その他大勢の武官、文官が紅炎兄様と特使の到着を待っていた。

 

 式典の出だしはちょっとしたざわつきと共に始まった。

 特使より先に入室されたお兄様があの白瑛なんかにお声をかけられたのだ。

 

 

「白瑛。今回の特使殿は随分と面白い方だな。機会があれば、連れてきてくれ」

 

 

 その時は、その言葉の意味が分からなかったが、特使が顔を見せると一部でざわつきが生じた。どことなくお兄様に似ているように思えたけど、お兄様の方がずっと素敵でお強そうに見える、いやきっと強いはずだ。

 後になって知ったことだが、その特使は和国の王子様で迷宮攻略者らしい。

 

 しかも白瑛の許嫁!

 それを知ったのはお兄様のもとを訪れていた時だった。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 歓迎の式典から数日後のこと

 

「あの……お兄様」

 

 煌帝国でも屈指の将軍でもあるお兄様が帝都に居られる期間はそう長くはない。いずれまた戦地へと赴かれてしまう。

 お兄様とジュダルちゃんに見込まれて武の道を志した私も、今はまだ研鑽の途中。共に戦場を駆けることは許されていない。

 それゆえ、お兄様とお話したくて、ご迷惑かと思いつつ訪れたのだ。だが、

 

 

「なんだ。白瑛に聞いたときはまさかと思ったが、本当にあいつへの贈り物のために迷宮に挑んだのか!」

 

 聞こえてきたのは愉しげに話されるお兄様の声だった。

 

「別にそれだけではないが、まあ、そうだな……まったく、この話をするたびに同じ言葉を返してくるやつばかりだ」

「そうだろうさ。俺ですらそんな真似はせんな」

 

 そっと柱の影から覗くとそこに居たのは件の特使だった。なぜお兄様と!? それもあんなにも親しげに! 

 話す口調も式典の時の様な礼儀に則ったものよりも砕けたモノだ。おまけに話の中にまであの女が出ているのが余計に癪に障る。

 

「といっても紅炎殿は二つ目の迷宮を攻略されたのだろ? それこそ俺には真似できんことだ」

「ほう。そうは見えんな。機会さえあれば攻略できそうに見えるが?」

 

 この世界において迷宮攻略者は限られている。

 10年前に攻略されたという第1迷宮では1万人を超える死者を出したと言われており、一つの迷宮を攻略するのにも相当な難易度だからだ。

 まして複数の迷宮を攻略した者ともなれば7つの迷宮を攻略したというシンドバッド。そして先年、2つ目の迷宮を攻略したお兄様のみだ。

 

 私もジュダルちゃんから迷宮挑戦を勧められてはいるものの、お兄様もそして私自身もまだその時ではないと思っている。

 

「遠慮しておく。あんなデカいの一ついれば十分だ」

「ふっ、十分、か……」

 金属器の力、というものを私はまだ直に見たことがないけれど、その力が強大であることは伺っている。

 

 苦笑している特使にお兄様は見惚れてしまうような、すっとした眼差しを向けている。

 

 ええ、やはり、お兄様の方が断然上に違いない。

 あの方も今、それを認めた。複数の金属器を持つお兄様に対して、一つの金属器で手一杯のあの方。どちらが上かは明らかなはず!

 

「ところで」

 

 うっとりとした思いでお兄様を眺めていると不意に会話の流れが切り替わり、

 

「あちらの方はどなたなんだ?」

「ああ、妹の紅玉だ」

「え?」

 

 気づけば二人ともが私の方に視線を向けていた。

 

「紅玉、こちらに来てちゃんと挨拶をしておけよ」

「あっ、はい」

 

 お兄様に呼ばれて小走りに近寄ってみれば、特使の方の身長はお兄様よりも低く、それでも私よりは遥かに長身だった。髪は長く、背中で1本に括られており、その色は白龍ちゃんを思わせる黒だった。

 

「は、初めまして。練、紅玉ともうします」

「あなたが、紅玉皇女でしたか。皇光です」

 

 お兄様の手前無礼なマネや無様なところは見せられない。緊張しながら挨拶をするとまるで知っているかのような反応が返ってきて下げていた頭を上げた。

 

「白瑛殿や紅炎殿からお話はうかがっております。可愛らしく武にも優れた妹御がおられるとか」

「いえ、そんな……白瑛?」

 

 お兄様が私のことをそう評してくれていた。そのことにほんわかとした気持ちになったが、その前になにやら気に入らない名前がついた気がして思わず聞き返した。

 

「ああ。光は白瑛の婚約者だからな。今日は白瑛に無理を言ってよこしてもらったんだ」

「紅炎殿、一応まだ婚約はしていないが……」

 

 面白そうに特使のことを紹介するお兄様の言葉に、なぜだかガンっと衝撃を受けた気分になった。

 

 お友達になれるかもと期待していた方がよりにもよってあの女の婚約者!?

 しかもなぜこんなにお兄様と親しげに!

 あの女に無理を言ってということは、私の知らない間にお兄様はあの女と親しげに話されていたということ!?

 

 

 

 などなどという出来事があり・・・・

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 今に至る。

 

 光の口から紅炎の名前が出てきたことにイラっとしたのか、紅玉は感情のままに返答してしまい、光が頬を掻いている。紅玉も大声を出してしまったことにはっとしており話題が止まる。

 

「ふむ……皇女、そちらの方は?」

「供の者です」

 

 ふと、光の視界の隅にいた紅玉の従者 ―夏黄文-がわずかに動きを見せ、話題を転換するように夏黄文の方へと視線を向けた。

 

「夏黄文と申します」

「皇光です」

 

 尖ったような紅玉の言葉に促されたわけではないが、あまり外交特使と関係悪化させるのも不味いと思ったのか、夏黄文はすっと前へと進み出て名を名乗った。

 

「先ほどは姫君が失礼しました」

「ん? 別になんでもありませんよ。こちらこそいきなり稽古にお誘いしてしまい非礼でした」

 

 夏黄文は先ほど紅玉が大声で拒絶を示したことに謝罪した。

 

「いえ。王子の腕前や武勇については私もお聞きしています。姫、どうでしょうか。ここは一つ、お相手いただくのも悪くはないのではないでしょう?」

「嫌よ」

 

 間をとりもつような夏黄文の勧めに紅玉はぷぅと頬を膨らませてそっぽを向いた。その様子に夏黄文がため息をつきたくなったかのような表情となるが、くすりと笑う音が聞こえて振り向いた。

 

「いや失礼。白瑛殿から聞いていたとおりの妹さんだと思いまして」

 

 楽しそうに微笑む光だが、一方の紅玉の頬は一層膨れたようになっていた。

 

「義姉上、夏黄文失礼します。光殿、稽古の続きをお願いします」

 

 妹を見るような眼差しを向ける光に対して膨れている紅玉。息を整えていた白龍がその間に割って入るように声をかけた。

 

「うん? ああ、鍛練の途中だったな。よし」

「光殿、白龍」

 

 白龍の鍛練再開を促す声によって状況を思い出した光だが、その腰を折るように横からたおやかな声がかけられた。

 

「姉上」

「どうした白瑛殿?」

 

 声をかけてきた白瑛に白龍は少し弾んだ声を返し、光は歩み寄って尋ねた。白瑛の背後にはなにやら顔を青くした彼女の従者 ―青舜―がつき従っている。白瑛は紅玉と夏黄文の姿に気づくとぺこりと軽く会釈し、つんとそっぽを向いた紅玉にも微笑みを向けた。

 

「いえ、そろそろいい頃合いかと思いまして、休憩にいたしませんか?」

「ふむ。たしかにいい頃合いではあるか。どうする白龍殿?」

 

 にっこりとほほ笑む白瑛の言葉に光は木刀を腰にさしながら白龍に問いかけた。尋ねるような言葉だが、木刀を帯に戻したのだから光の行動はすでに鍛練を切り上げる方向に入っている。

 とある事情で姉とこの男をあまり一緒にいさせたくない白龍は、ため息をつきつつ自身も鍛練を切り上げようとして、

 

「実は作っていたお菓子がちょうど焼き上がったところなので、光殿にどうかと思いまして。よければ紅玉もどうかしら?」

 

 友人兼姉の従者が青い顔をしている理由を察して、刻みつけられた本能から顔を青くした。

 

 脳裏をよぎった、ナニカ。

 腹痛と吐気に苦しめられ、数日間彷徨った生死の境。

 

 瞬時に顔色の変わった白龍とは異なり、事情を知らぬ光はなんだかにこやかな顔をしており、一方の紅玉は少し不機嫌さが増したようになった。

 

「結構「ひ、姫様!」よ……?」

 

 誘いをかけられた紅玉は目も合わせようとせずそっぽを向いたまま拒否しようとして、その声を遮るように白瑛の背後に控えていた青舜が声を上げた。

 

「見れば紅玉皇女も鍛練のご様子。せっかくですから私もここで鍛練をしていこうかと……」

「なっ、青舜!」

 

 なにやら慌てたよう青舜が鍛練を申し出て、それに釣られたように白龍が驚きの声を上げた。

 

「どうした、青舜殿、白龍殿?」

「?」

 

 光と白瑛が首を傾げて見守る先で二人はなにやらこそこそと顔を寄せて密談をしており、「あの男から目を離すなと言ったろう」とか「そんなこと言うなら皇子がなされればいいじゃないですか。絶対心配いりませんって!」とか聞こえてきたりする。

 

 なにやら二人の密談が長くなりそうな状態になってきたことに焦れたのか

 

「ちょっとぉ、私は剣の鍛練をしたいのだけれど、よろしくて?」

「す、すいません紅玉皇女!」

 

 紅玉が少し尖った声で告げ、青舜が慌てたように密談を中断して謝った。そしてはっとなにか良いことを思いついたとばかりに

 

「か、夏黄文さん! よければ私と手合せなさいませんか! ほら、ここは従者同士!」

「えっ!?」

 

 夏黄文の方へと向き直り、提案をしてきた。一方の夏黄文はなにやら慌てたように口を開こうとしたのだが、

 

「いいんじゃなくて。私は白龍ちゃんと鍛練できるし。」

「姫様!?」

 

 当の主である紅玉があっさりと許可を出したことで反論を封じられた。もしもここで紅玉の相手が居なければ反論のしようもあったが、紅玉は稽古の相手を本気でつとめてくれる白龍との練習に乗り気だ。従者同士の鞘当、特に白瑛の従者との、ということでそれを楽しんでいるのもあるのかもしれない。

 

「なっ! 青舜!?」

「おいおい、せっかく白瑛殿が菓子を作られたのだから、後でもいいんじゃないか?」

 

 不意をついて一気に話を進展させた青舜に白龍が睨み付けるような眼差しを向け、光は暗に稽古の終了を促すように口を挟んだ。だが、

 

「いえいえ! 積もる話もあるでしょうし。ここはお二人でごゆっくり! 是非!」

「あらあら、ふふふ」

「ん? ふーむ、そう言うなら……白龍殿。あまり無茶はなさるなよ」

 

 許嫁同士、そう言って勧める青舜に白瑛は微笑を浮かべている。少々気を張り詰めすぎな弟とつんつんとした義妹との比較的良好な関係が微笑ましいのだろう。

 光も白瑛古参の従者をそう蔑にする気はないのか、妙な迫力とともに勧めてくる青舜にちらりと白瑛に視線を向けて、そこにある微笑を見て、少し納得いかなそうに白龍に声をかけた。

 

「…………」

「気、気を付けます! さ、殿下!」

 

 光から無茶な鍛練を抑えるように声をかけられた白龍はふいっと顔を逸らし、青舜が慌てたように白龍の背を押した。

 

「それでは紅玉皇女、失礼します」

「白龍のことよろしくお願いしますね、紅玉」

「……ええ」

 

 白龍と青舜はまだなにか二人で話し合いをしているが、光と白瑛は紅玉に軽く声をかけて鍛練場を後にした。

 去りゆく二人はなにやら親しげに話しており、白瑛の微笑もいつにも増して花の咲いた様となっていた。

 それをじっと見送る紅玉の視線に気づいたのだろう、夏黄文が訝しげな眼差しを紅玉に向けた。

 

「姫様……?」

「素敵な王子様、か……いいなぁ……」

 

 紅玉はぽつりと呟き、それを聞いた夏黄文は、ぎょっとした表情となり、紅玉と光を見比べていた。

 

 

 それは唯の呟きだっただろう。

 

 政略結婚が始まりとは言え、どのような立場となっても、国許から離れても、やってきた人。武勇に優れ、ジンを従える王子様。

 それと寄り添うあの女は国の思惑とは別に嬉しそうに見える。

 

 いつか自分もあんな風に素敵な人と出逢えるのだろうか……

 

 あんな風に微笑みあえる方と寄り添えるだろうか……

 

 そんな思いが零れた小さな呟きだった。

 

 

 

 

 ちなみに翌日。光は腹痛で倒れ、数日間姿を現さなかった……

 

 

 



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第9話

 帝都から離れた地方都市。その一つの県令(地方都市の行政官)の邸宅。

 

戦によって潤っている煌の帝都とは異なり、この地方は平定されしばらくたっているものの、地方都市にはまだ十分に経済が発展しているとは言い難い状態だ。

だが、この邸宅には十分以上の財が蓄えられているようで、それを象徴するように、その主も豊満な身体つきをしている。その県令は今、

 

「き、貴様ら! こ、こんなことをしてただで済むと思っているのか! わしは、煌帝国の県令だぞ!」 

 

 見るからにみすぼらしい一団によって縄を打たれ、床に転がされていた。一団の服装は基本ばらばらだが、帯に鈴の付いた羽のようなものが飾られている。

屈辱に顔を歪め、吠え叫ぶ県令ににやにやとした笑みを向ける者もいるが、周りの者に指示を出している男はそれを一瞥して蔑んだような眼差しを向けた。

 

「誰のおかげで、生きてこられたと思っているのだ! この賊めが!! 今に」

「今になんだ。次は帝国軍でも来るか?」

「ひっ……」

 

 威勢よく叫んでいた県令だが、頭領らしき男に冷酷な声を浴びせられて一瞬で顔を青ざめた。

 

「誰のおかげで生きて来られた? 誰のせいで多くの民が苦しんでいると思っている」

「き、く、来るな!」

 

 続けられた言葉に県令の男はなおも反論しようとするが、頭領の男はすらりと大剣を抜き歩み寄った。

 

 農村では戦火の痕、田畑の荒廃などが残り、加えて徴税としてわずかな蓄えが毟り取られていく。多くの民が苦しんでいる現状の上で、しかしこの地方役人は肥え太り、まるで別の世界のような邸宅を構えている。

 戦費に充てるためだか、中央への上納のためだか、はたまたこの役人の脂肪のためだか、そんなことは彼らには一切関係がない。事実としてあるのは、戦乱を終えたはずのこの地方の農民は未だ苦しめられているという事実だけだ。

 

「お頭。あらかた運び終えましたぜ」

「またいつものように、ですかぃ?」

 

 県令の邸宅から蓄財を運びだした配下の者が頭領に声をかけた。

 

「ああ。こっちも片付け終えたらすぐに行く」

「ひ、あっ。ま、待て。く、来るな……」

 

 脅える県令の言葉を無視して頭領の男は近づき、手にしていた大剣を・・・

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

帝都から離れた野営地。仮に築かれた幕舎にて議論が重ねられていた。 

 

「なりません。まずは対話を試みるべきです」

「なにをいまさら! 相手はただの盗賊崩れ。鎮圧することが任務でありましょう。後の憂いを断ち、今後このような反乱を起こす気を起こさせないためにも殲滅すべき! それをいきなり交渉などと、皇帝陛下の威光が疑われかねませんぞ」

 

 煌帝国第一皇女、練白瑛は皇女という身分でありながら、武の才に恵まれていたこともあって ―そして立場の危うさゆえに― 武官として戦地に赴いていた。

 

「今は盗賊に身をやつしていたとしても、彼らも煌帝国の民。戦火に苦しんでいたからこそのはずです。それをいきなり武をもって治めるなどというやり方はできません」

「っはぁ。甘いですなぁ、姫様は! まるで戦のことをお分かりでない」

 

 度重なる戦争により生活が立ち行かなくなったのか、国に対する不満が高まったのか、農民の中には農地を捨てて盗賊に身を落す者もいた。

今回白瑛たちが派遣されたのは地方の都市から離れた位置で活動している中規模な盗賊集団の鎮圧。地方の県令からの討伐要請によって国軍が派遣されたのだが、どうやら県令自体が襲われたらしい。

 

賊軍自体は義賊を名乗っているらしく、狙っているのは主に地方の富豪や豪族などで、館を強襲して、そこから富を強奪し、民に配っているという者たちである。

 そのような賊軍の経緯ゆえに、白瑛は兵を預かる者の一人としてそもそもの反乱についての話し合いを

 千人長として、そして前皇帝の娘の監視役として派遣された男、呂斎は攻撃を

 それぞれ軍議の場において行軍方針として提案していた。

 

「……どう思われますか、光殿は?」

「俺が口を出してもいいのか、これ?」

 

 軍議の場の一角に席を宛がわれた白瑛の従者、李青舜は武勇においても名を知られている今回の同行者、光に意見を求めた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 青舜と白瑛の付き合いは相当に長い。

 白瑛の父が存命の頃、光との出会いよりもずっと古く、幼いころからの顔なじみであった。青舜自身は白龍よりも1歳年上で白瑛よりも4歳年下だ。

 

 白瑛に許嫁ができたころ、青舜はまだ8歳。二人とは違い王族ではなかったがゆえに、それはまだ分からぬ頃であった。

 

 親しくしている友人が時折海の向こうの国を訪れ、楽しげな話や土産を持ち帰ってくるのを楽しみにしていた頃もあった。

 

 白瑛の父が亡くなり、白瑛が武官を志すようになった頃も、その主君を変えようとはせず、逆に白瑛につき従う従者として志願したのだ。それは大きな変革だった。

国の統治者が変わったこともあるが、白瑛はなにか凛とした印象が強くなり、白龍はなにか張り詰めた糸のように、ともすれば切れてしまいそうな雰囲気となった。だからそんな彼女たちを支えて行こうと思ったのだ。

 

 そんな日々の中で現れた白瑛の許嫁、皇光は青舜の想像とは少し違っていた。いや、期待通りだったのかもしれない……

 

 歓迎の式典があったあの日・・・

 

 

    ✡✡✡

 

 

「あの方が姫様の許嫁の方なのですか!?」

「ええ。皇光殿……変わりがないようでほっとしました」

 

 式典が終わり、件の特使は第2皇子が案内し、青舜たちは別行動で私室へと戻っていた。道すがら特使について尋ねると青舜にとっては驚きに値する内容の言葉を白瑛はほんわりと答えた。

 

「ええと、それは……よかったですね?」

「…………」

 

 それに対して青舜はちらりと白龍を見ながら引き気味に祝辞を述べた。述べるべきかどうかは判然としなかったが、少なくとも白瑛にとっては待ち望んでいた人の元気な姿が見られて嬉しそうである。

 

式典の最中、皇帝陛下が他の皇女を勧める場面もあったが、かの人は特に揺れることなくするりと躱していた。

ただ式の前に件の許嫁に関して白龍と話していたこともあって白龍も青舜も微妙な面持ちがぬぐえていなかった。というよりも白龍に関してはあからさまに不満そうだ。

白龍の数歩前を歩く白瑛は弟のなにやら不満そうな顔には気づいていないかのようにニコニコ顔だ。

 

「たしか紅明皇子が案内されてから、こちらに来るということでしたよね?」

「ええ……お茶でも用意しておこうかしら?」

 

 まだ人となりのよくわからない和国の王子といきなり行動を共にしなくてもよかったのは、心づもりのできていなかった青舜にとっては好都合だった。だが、案内役が許嫁の白瑛でなく、第2皇子というのはどこか気にかからないでもない。

出迎えたのが第1皇子というのに加えて、式典中の皇帝の態度も光を彼らの派閥に組み込もうという意図が透けて見えるようでもある。

 だが、そんな思惑を感じ取っているのかいないのか。はたまた絶対的な信頼をあの王子に寄せているのか、白瑛はどこかピントのボケた心配をしている。

 

「お茶はともかく……姫様。数年間何の連絡もなかった王子がなぜ今になって我が国に現れたのでしょう?」

 

 率直に言って不審だった。

 幼いころからお傍にいるからこそ、姫様たちの今の立場の危うさは分かっている。

 

「さあ? それでもあの方は、約束を違えることはしませんよ?」

 

 不安に思う、そして警戒心を抱いている弟と従者をよそに、当の姫は笑みをたたえて返した。

 

「姉上はあの男を信用しすぎです! 数年間もお会いになっていなければ、どのように変わっているか!」 

「ふふふ。たしかに、随分とたくましくなられたように見えましたね」

 

 警戒心、というよりもむしろ敵意に近い感情ではないだろうか、というほどに感情を露わにしている白龍に対して、白瑛はわざととぼけているのではないかという反応であり、

 

 

「おっと。まだ一言も会話していない内からそのように言われるとは、大した評価の高さだな」

「あなたの言い方をお借りすれば、気の問題、といったところでしょうか」

「なっ!?」「えっ!?」

 

 いつの間にか、白瑛の視線は白龍と青舜の背後の扉へと向いており、そこからかけられた声にくすくすとした微笑を扇で隠すように笑顔を向けた。白瑛たちも驚きの表情で振り向いた。

 

 その時が、青舜にとって、等身大の光を見た初めての瞬間だった。

 

 その人は式の時に皇帝と対面していた特使の顔ではなく、どこか楽しそうに、飄々としたところのある、そして優しげな眼を姫に向けている人だった。

 

「遅くなった、かな?」

「いえ? お元気そうでなによりです」

 

 会話を聞いていたのだろうか、ちらりと白龍に視線を向けた光は少し申し訳なさそうな表情となっているが、白瑛の嬉しそうな笑みが変わることはなった。

 

「……約束を果たしに来た」

「はい」

 

 不機嫌そうな白龍に困ったようになっていた光だが、すっと眼を閉じ、表情を改めると、真剣な顔を白瑛へと向けた。

 

 光と白瑛、二人の視線が無言で交わされる。

 

 紡がれる言葉はなく、光の言った約束を青舜は知らない。

 だが、それでも、きっとこの人は姫様の味方だと、そう確信できるほどに一途な瞳で姫様だけを見ていた。

 

 それが分かるのか、白龍もふいっと機嫌悪そうにしつつも、なにも言うことなく、視線をそらした。

 

 しばらく沈黙の中で視線を交わしていた光は不意にふっと微笑んだ。

 

「これから、よろしく頼む」

「こちらこそ。よろしくお願いします……光殿。白龍と、こちら従者の青舜です」

 

 改めて挨拶を交わした白瑛は室内の二人を紹介した。

 

「あ、李青舜です」

「……お久しぶりです」

 

 一応君臣の序列を考えて白龍の言葉を少し待ったが、唇を尖らせている白龍が切り出そうとしないため、青舜から挨拶を返すと、白龍もしぶしぶ挨拶を返した。

 

「おお! 白龍殿か。随分と大きくなられたが……ふぅむ……」

「光殿?」

 

 どこか考え込むように白龍をまじまじと見ている光に、白瑛が首を傾げた。

 

「ん? ああ、それでこちらが青舜殿か」

「え? あ、はい」

 

 白瑛の言葉に見つめていた視線をきって、青舜へと振り向いた。青舜とは初めて会うにもかかわらず既知の人物のような口ぶりに今度は青舜が少し首を傾げた。

 

「白瑛殿の友人で、白龍殿の武術の好敵手なのだろ?」

「なっ!」

「え!? あ、いえ……」

 

 どこか人が悪いような笑みを向ける光に、そして従者という紹介とは全く異なる認識に白龍も青舜も驚いたように声を上げた。

 

「これからよろしく頼む、皇光だ」

「よろしくお願いします」

 

 しばし青舜を見定めるようにまじまじと見た光はなにやら嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「そういえば、紅炎殿となにか話されたのですか? 随分と気にされていましたよ?」

 

 微笑ましげに従者と許嫁のやりとりを眺めていた白瑛は、ふと式典でご機嫌だった第1皇子を思い出して問いかけた。

 

「ああ。何しに来たかと聞かれたから答えたら爆笑されたな」

「何と答えたんですか」

 

 白瑛の問いに光は肩を竦めて答え、紅炎の話題に白龍はすっと表情を冷たいものへと変えた。その声音に光はちらりと白龍に視線を向けた。

 

「白瑛のために来たと答えた。そうしたら大爆笑だ」

「えーっと、それは……」

 

 嘘か真か分からず返答に困る青舜と、凍えるような眼差しを向ける白龍に対し、白瑛は眼を丸くしている。

 白瑛は少し驚いたのち、扇を口元にあてて楽しそうにくすくすと笑った。

 

「変わりませんね。光殿は」

「む?」

 

 初めて会った時も、なんでもないことのように、びっくりするような事を言っていた。その変わらぬ姿に、白瑛は微笑みを向けた。

 

 

 姫様の話にでてくる破天荒な冒険をした王子。

 

実際に見てみると、たしかにどことなく第1皇子に似ている気もするし、ただ、その眼は、自らの主を見つめるその眼は、優しさに満ちているように思えた。

 

きっとこの人は、姫様を裏切ることはない。不思議とそう予感させてくれる人だった。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 未だに白龍が光に向ける眼差しは敵対的な色があるものの、よく剣の稽古をつけられていたし、青舜もまた稽古の相手として立ち会った。

 実際に剣を交えると、その強さは従者である青舜のものよりも、白龍のものよりも数段強かった。

 ただ、白龍が興味を示した操気術という力に関しては、危険な技術だからと教えてはくれなかった。そういった子ども扱いのような言葉のかけかたが、また白龍の気に障って三白眼でにらむこととなったりしているのだが、そんなやり取りを白瑛は楽しそうに、微笑ましげな眼差しで見ていた。

 

 

 白瑛は武官として、青舜はその従者として、国に仕えている。

 

 しばらくして、白瑛は国内の暴徒の鎮圧のために、兵を率いて戦場へと派遣された。てっきり特使は同行しないものだと思っていたが、どうも第1皇子や皇后の口利きがあったようで、特使は第1皇女直属という扱いになるらしく、戦場へと同行した。

 

 兵を率いて、と言ったが、前皇帝の派閥の筆頭と目される姫様に手放しで戦力をつけることはできないらしく、呂斎という男がつけられた。

 なんでも、近く編成される征西軍の中の一団の将軍候補として有力視されている有能な人物だが、青舜は彼が好きではなかった。

 

 たしかに実力はあるのだろう。兵法や用兵術にも通じている。だが、青舜の主である姫にたいしてあからさまに侮りの視線を向け、その発言も口を開けば甘いだの、なにも分かっていないだのばかりだから。

 

 

 

 青舜が光に意見を求めたことを耳聡く聞きとめたのだろう。白瑛と議論していた呂斎が光に視線を向けた。

 

「なにか意見がおありですかな、皇殿?」

「なかなか議論がまとまらんようなので、少し口を挟まさせてもらおうかと思っていたところだ」

 

 言葉こそ丁寧だが、その口調は嘲っているようにも聞こえて光よりも青舜がむっとした表情となる。だが、光は気にした風もなく、特使の顔で答えた。

 

「ああ。あなたはたしか、迷宮攻略者。戦のことにも多少は詳しいのでしたな」

 

 迷宮を攻略するということは、単純に力に優れているだけではない。そして和国の王子である光は和において戦巧者であったという評判があり、呂斎もそれを聞きかじっていたのだろう。

 

「勘違いされては困りますぞ。第1皇子殿下の口利きで同行しているとは言え、あなたは所詮他国の人間。我が国の戦のことに口出しできる立場にはありませんぞ」

 

 光の立場は外交特使ではあるのだが、紅炎と玉艶の差配によって白瑛旗下となり、今回の行軍にも席を設けられていた。

 とはいえそれですべての者が納得して受け入れられるかというと、無論そんなことはなく、呂斎の侮るような眼差しは変わらず、冷たい目で突き放すように言い切った。

 

「もっともだな」

「それとも、ご自慢のジンの金属器とやらで賊を殲滅なさるおつもりですかな?」

 

煌帝国においても練紅炎という強大な迷宮攻略者が知られており、戦における絶大な破壊力が知られている。

 

「いいや。この国の民相手に使う気はない」

 

 呂斎の問いに光はあっさりと否定の言葉を返した。

 金属器の力の強大さは、その主である光自身がよく知っている。そして、光のジンは内乱の鎮圧に使うようなものではないということも。

 

「相手はこの国の民だ。皇帝の威厳どうこう言うのなら、それを無闇に弑するのことの方が威厳を損ねかねんと思うがな」

「ふん。御大層なことで……そこまでおっしゃるのならご意見を伺いましょうか」

 

 先程呂斎が述べた言葉を返すように言い返した光に、呂斎はむっとしたように問いかけた。

 

 

    ✡✡✡

 

 

「はぁ……」

「陣中ではため息をついている暇はないぞ、白瑛殿」

 

 軍議は光の意見を汲んで一応のまとまりをみた。だが、呂斎を満足に説得することができなかったことが響いているのだろう、白瑛は重たい息を吐き、光が苦笑気味に苦言を呈した。

 

「駄目ですね。軍一つまとめることができないなんて」

「仕方ないさ。戦場を渡り歩いてきただけあって軍の指揮能力では向こうの方に一日の長がある」

 

 光の意見は両者の折衷案であった。

 白瑛の主張する交渉のカードは、勢いに乗る賊軍相手に最初に繰り出すには、あまりに低姿勢であり、使者の命というリスクが高すぎため、いきなり出すことはできないだろう。だが呂斎の主張するような殲滅戦では今後の民の反感を買いかねない。

 

 そこでひとまず一当てして、賊軍を指揮している大将首を獲るか、士気を挫くかしてから降伏を促してはどうかというところに落ち着いた。

 

 戦を起こして命を奪ってしまってはそれこそ交渉はまとまらないと主張する白瑛

 交渉などで纏めてしまっては、またいつ反旗を翻すかしれないと主張する呂斎

 

 双方からの反論を受けた光だが、なんらかの事情があろうとも賊として、安らかに暮らしている民の生活を脅かしたのは事実。いずれにしても処罰は必要だという点。

一部隊の長として戦術に多少通じていたとしても、大局的な政治眼に乏しい呂斎には、反旗を翻すことを恐れていては国など纏めれないという大局的な意見によって反論した。

 

 なおも不服そうにしていた呂斎だが、交渉失敗後の軍の指揮を呂斎に一任するという形をとることで落ち着きを見せた。

 

「呂斎はたしかに部隊の指揮に関しては将軍からも認められていると聞きます。しかし、姦計を好み戦場での振る舞いが酷いとも……」

 

 軍の方針を決めて、その後戦術を詰めていく際にもいろいろと白瑛と呂斎は揉めていたのだが、それは真っ向からの戦と交渉を好む白瑛と奇襲などを好む呂斎の戦運びの主旨の違いが明確に浮かび上がっていた。

 

「兵は詭道とも言う。ああいった戦い方をするのも味方の犠牲を減らすという意味では大切なことだ」

 

 清流のようなたたずまいと心を持つ白瑛にとって、光の呂斎寄りの言葉はむっと来るものがあったのか、拗ねたように瞼を閉じた。

 

「光殿はあのような戦の仕方を好むのですか?」

「好みの問題ではなく、人の上に立つ者ならば、様々な意見を受けて、最善の方法を選ばなければならないということだ。常に自分の好みが最善とは限らん」

 

 今でこそ特使として、白瑛の旗下に収まっているが本来は光も軍を指揮する者。将としての経験は白瑛のそれよりもずっと長い。

 

「……」

「光殿は随分とあの男を買っているのですね」

 

 白瑛の沈黙に青舜も少し怒ったような視線を光に向けた。

 

「あの手の奴は上手く手綱を握らんと毒になりかねん、が戦にはああいった毒も必要だ」

「戦に勝つためならばすべてを皆殺しにする、そのような事では……」

 

 呂斎の作戦である殲滅を前提とした方針は白瑛にとって到底受け入れられるものではない。

 苛烈なやり方こそが、自らの父を、そして兄を殺したのかも知れないのだから……

 

だが、戦において犠牲を少なくするために策を弄して攻めることも必要な事だ。人の死を受け入れた策を認めた光に、白瑛は瞳を悲しみに染める。

 

「そうならんために、お前の戦い方がある。心配するな、今は俺がいる」

「ジンの力を、使うのですか?」

 

 光の頼もしげな態度に青舜は意外そうな声を上げた。呂斎との会話では使わないと言っていたが、それでも強大なジンの力を用いれば、例えそれが威圧であっても絶大な効果がある。

 

「いや、使わん」

「大丈夫なのですか?」

 

 ジンの力を前提にしないその態度に青舜は改めて問いかけた。

 

「俺の力はジンだけじゃないんだがな」

「あ、いえ。そういうことでは……」

 

 迷宮を攻略したその力そのものも、迷宮攻略者の大きな力とはいえ、ジンの力はあまりに誘惑を含む。苦笑したような光の言葉に青舜は戸惑いを見せた。

 

「世を変えたいと、弱き民を救いたいと願うほどの気持ちがあるのなら、できうることなら同じ道を歩けないものでしょうか」

 

 今回の討伐対象が単なる賊ではなく、民を救うために立ち上がった義賊であるためだろう。白瑛は犠牲者を出すこともそうだが、自らの思いと夢のためにも、極力戦にはしたくないようだ。

 

「さて、な……それは、向こう次第だな」

 

 

    ✡✡✡

 

 

「姫様。賊軍の拠点が目視されるところまで進軍しました」 

 

 斥候を放ちながら進軍した一行がようやく賊の本拠地と思われる近くへと到達した。拠点は山間の渓谷に築かれており、奇襲のかけにくい、言いかえれば真正面からしか攻め込むことができない天然の要害に築かれていた。

 

「さて、賊どもも気づいてでてきたようですが……戦の時間ですかな?」

 

 こちらの接近はすでに悟られており、しかし攻め込みにくい土地故に逃走はしにくかったようだ。要塞に籠っての籠城ではなく、野戦を選択した賊軍を見て呂斎が嬉しげに顔を歪ませた。

 

「いや。将が一人、出てきたようだぞ」

 

 陣を展開した賊の中から一人、馬に乗った人物が国軍へと進み出ており、光がそれを指さした。

 

「なにか主張があるのでしょうか?」

「……聴いてみましょう」

 

 青舜が白瑛に振り向いて問いかけ、白瑛は一人出てきた人物を注視した。

 

「おや、まずは一当てするのではないのですかな?」

「ただの話し合い、という気ではないようだが……別に状況次第でいいだろう?」

 

 白瑛の決定に呂斎は不服そうに声を上げるが、光は肩を竦めて戦の始まりを一旦保留するように進言した。

 

 進み出てきた馬上の人物は白瑛たちを国軍の将と見定めたようでキッと視線を固定すると大きく息を吸った。

 

「煌帝国の軍だな!! 俺は当方の大将! 無駄な犠牲を出す気はない! 一騎打ちを所望する! 武人としての誇りがあるのなら受けよ!!」

 

 大音声での言葉は、距離を隔てても届いていた。

 

「だ、そうだが?」

「ふん。我が軍との兵力差に真っ向から挑んでは勝ち目がないと見ての苦しまぎれの戯言でしょう。受ける必要を感じませんなぁ。弓兵隊に仕留めさせましょう」

 

 最終決定権のない光はどうするか問いかけるように振り返り、呂斎は彼我の戦力差を押し出して先制攻撃を進言した。

 

「……受けましょう」

「姫様!?」

「なにを戯言を! 兵力差は明らか! しかも大将が一人のこのこと出てきているのですぞ!」

 

 しかし、白瑛の決定は元々の戦術方針とも呂斎の進言とも異なるものであり、その選択に青舜も驚きの声をあげ、呂斎は強硬な反論をした。驚いたような二人に対して、凛とした瞳を敵将に向ける白瑛を見て光は愉快そうに口元に笑みを浮かべた。

 

「俺が行こう」

「光殿!?」

 

 呂斎と白瑛、二人の口論の始まりそうな様子に光は腕を上げて機先を制した。その腕に握られているのは納刀したままの刀。その様子に青舜や白瑛も驚きの声を上げた。

 

「一騎打ちで解決するなら安いものだろう」

「策であった場合はどうするのですかな?」

 

 慎重そうに見えた光の言葉に、呂斎も驚きの表情となっていたが、キッと眼差しを強張らせて問いかけた。

 単騎のみがでてきての一騎打ちの所望だが、賊軍とはえてして統率がとれていないもの。あの男が本当に大将であるかは分からないし、よしんば大将であったとしても後方の賊軍が奇襲を仕掛ける可能性は十分にある。

 

「その場合は弓兵隊で一斉掃射すればいいだろう」

「そんなっ! その場合は光殿は!?」

 

 その可能性は光も考慮はしているのだろう。だが、返した言葉は現実的なもので、青舜は眼を剥いて声を荒げた。

 

「俺ならまあ、なんとかなるだろ」

 

 それに対して光はあっさりと返し、ちらりと白瑛に視線を向けた。白瑛は驚いたような表情となっていたが、光の頼もしげな様子にこくりと頷きを返した。

 

 

 

 一騎打ちの所望に応え、一人馬を進めた光と賊軍の大将が両軍の中間地点で向かい合った。馬上の男は抜身の大剣を右手に持ち、近づいてくる光を睨み付けている。

 

「煌帝国の将か?」

「厳密には違うがな。煌帝国第1皇女の練白瑛旗下、皇光だ」

 

 十分に互いの距離が近く、しかし一足では接近できない距離まで近づくと相手は警戒の眼差しのまま問いかけてきて、光はあえてこの国において自身の最も低い肩書を述べた。

 

「……羽鈴団、大将菅光雲(かんこううん)だ。一兵卒では相手にならん。将を連れてこい」

「懸念せずとも俺を一騎打ちで破れば、交渉材料くらいにはなるぞ?」

 

 一騎打ちの目的は士気の高揚などではないようで、光の肩書の低さに素っ気なく答えた。それに対して光は自身の価値を売りつけた。

 

「…………」

「煌では一家臣だが、一応和国からの特使だ」

「ならいい。この戦、俺がけりをつける」

 

 和国の名前を出すと、却って尻込みしかねないかと懸念して低い肩書を告げたのだが、むしろ戦の命数を直接的に左右する将ならば誰でもいいようで、馬上を降りて促すように光に視線を向けた。

 おそらく馬上戦が得意ではないのだろう。光はそれに合わせるようにひらりと馬を降りて、納刀したまま視線に応えた。

 構えようとしない光にピクリと眉根を動かしたのは、賊と言えども武に自信があるがゆえに癇に障ったのだろう。

 

「来い」

「……菅光雲。参る!!」

 

 それでも挑発するような光の声に、怒声と共に名乗りを上げて賊軍の大将、光雲は大剣を振りかぶって一気に光に襲い掛かった。

 

 

 

「大丈夫なのでしょうか?」

「ふん。攻略者殿のお手並み拝見、といったところですな」

「……」

 

 離れた位置から見守る白瑛たち。青舜は不安げに白瑛の方をちらちらと見ており、呂斎は相変わらず侮るような視線を光に向けている。そして白瑛はただ信じて待つように凛とした眼差しを向けている。

 

 敵将は離れた距離を一気に詰め、気迫と共に振り下ろした。その動き、斬撃は正規軍の将にも勝るとも劣らぬ、たしかに一軍の大将を名乗るだけあるものであった。

 

 納刀したままの光に鋭い斬撃を撃ち下ろし、

 

キンッ

 

という金属音とともに二人がすれ違った。

 

「光殿……?」

 

 勢いのまま通り過ぎた光雲と軽やかに数歩を歩いた光。ただすれ違っただけに見えた二人の様子に青舜が訝しげな声を上げた。

 通り過ぎた前後での違いは二人の立ち位置。そして納刀されていた刀がいつの間にか抜き放たれていること。

 

 次の瞬間

 

「ぬ、がっっ!!!」

「なっ!!」「光雲様!!」

 

 光雲の大剣は真っ二つに断ち割られ、左肩から腹部にかけて鮮血を噴き上げた。

 一瞬の出来事に賊軍から驚きの声が上がり、ざわめきとともに殺気立ったように全軍が前のめりになった。

 軍気の動きに光は無形の位におろしていた刀の切っ先を動かそうとし、白瑛や青舜たちも応戦するように身を乗り出すが、

 

「待てっ!!」

 

 膝をついた光雲の叫び声に双方の動きが止まる。その姿は血に濡れており、胸元に当てている手も鮮血に染まっている。

 大将の叫びに賊軍はびくりと動きを止めて、歯を食いしばるように国軍を睨み付けた。光は地に蹲る賊将に眼をやり、白瑛たちは賊軍の思わぬ統率に驚きの表情となった。

 

「俺の、負けだ。大将が一騎打ちで負けたのだ。貴様らは、手を、だすな」

「光雲様……」 

 

 途切れ途切れの声で配下を制止する光雲。賊軍だがその上下関係はしっかりしているのか、光雲の言葉に上げかけた武器を下ろした。配下を抑えていたのが力による恐怖からではこうはいかないだろうが、大将がやられて咄嗟に進軍しようとしたことやその制止に素直に従ったところを見るとよほどの信頼関係があるのか。

 

「聞いての通り、この、戦は、俺たちの、負けだ」

「……軍の規模を見て、無用な戦を避けて、自分一人で事を終わらせる、といったところか」

「…………俺一人が起こし、俺だけが戦ったものだ。あの連中に咎は、ない」

 

 傷の深さは即死に至らないものとはいえ、明らかにこれ以上の戦闘継続は不可能なレベルであり、潔く敗戦を認める光雲に、光はその思惑を読み取って視線を向けた。

 羽鈴団は賊としてはなかなかの規模の大きさで、砦も天然の要害を改造したものではあるのだが、正規の討伐軍は彼らを殲滅するに足る規模を、羽鈴団の数倍の規模を擁しているのだ。

 勝敗が明らか故に無用な犠牲を出すことなく終わらせようとした策だったのだろう。

 

「残念だが貴様らが起こした罪は今日の戦だけではないだろう。県令の襲撃、強盗。それらすべてがお前一人の罪で収められるものではない」

 

 だが、今回の戦においてはたった一人しか戦っておらずとも、そもそもこの討伐軍が派遣されるに至った経緯の中で、地方の豪族や県令には数多の犠牲が出ている。それらすべてをこの男一人がやったとは思えないし、当然そんなことはない。

 

「強盗、か……それは、貴様ら国軍とて同じことだろう」

「ほぅ?」

 

 羽鈴団全体の罪を指摘した光に対して光雲はそれまでの受け入れたかのような表情から、侮辱されたことを憤る険しい表情を向けた。

 

「戦、戦で土地を荒し、それが終われば重税を課す。家族を失った俺たちの、生きていく糧すら奪っていく貴様らの行いと、どこが違う!」

 

 傷の痛みはかなりのものだろうに、光雲の顔には今自身が感じている痛みではなく、今までにみんなが受けたであろう痛みを思って声を荒げた。

 

「世界とはそんなものだ。今の俺にはそれに対する答えなど持ってはいない。ただ、この世界の先に進むためには国の中で争っている暇はない」

 

 思いを込めた光雲の叫びに、光はすっと視線を凍てつかせて光雲を見下ろした。光の答えに光雲はギリッと歯を砕かんばかりに噛み締めて睨み付けた。

 その眼差しを受けて、一国の王子であった男は、手にしている刀を地に伏す男の首筋に突きつけた。その切っ先はまったくぶれることがなく、自らの行いの是非に揺れる気はない。

 そして、

 

 

「待って下さい!」

 

 その切っ先は首を刎ねるその直前に、制止の叫びが自軍からかけられた。

 

「なんだ?」

 

 注意は足元の光雲に向けたまま、光は声の主、白瑛に問い返した。

 

「光殿。少し待っていただけませんか。話をしたいのです」

「……」

 

 白瑛の真剣の眼差しを受けて光は見上げてくる光雲としばし睨み付ける様な視線を交えた。かなりの深手は負わせているものの、それでも追いつめられた獣の怖さがあるだけに、光は刃こそ下げたものの、いつでも切り捨てられるように、抜身のまま距離を置いた。

 

「菅、光雲殿とおっしゃいましたね。あなた方は襲撃で得た富を民に配っていると聞きました。それは真ですか?」

 

 傍に控える青舜は心配そうに白瑛を止めようとするが、白瑛はそれを片手で制して光の横まで進み出た。

 

「……それを知って、どうする。貴様らに言ったところでなにも変わらんし、どのみち俺の運命は変わりはしない」

「それを変えたいと願うのです。この争いの世界を変えて、誰も死なぬ世の中を創りたい。それが我らの願いです」

 

 燃えるような瞳に宿るのは不信と憎悪。世界のあちこちで渦巻く、運命を恨んでいく麩の流れ。

 だが、それに対して白瑛はその名の通り、黒き流れを恐れぬ言葉を口にした。

 

 「県令からはあなた方が凶悪な賊軍であると聞きました。しかし、もし彼の言う通りだとしたら、彼は生きてはいないでしょう」

「……」

 

 ここに来るまでにいくつもの農村を通ってきた。開墾されているはずの農地も民たちも痩せ細り、通過する軍を見る民の視線は恐々としたもの、あるいは彼らの味方に仇なす敵を見るようなものだった。

 襲われた県令。彼の邸宅からは、数多の財が奪われたそうだが、そもそもそんな山上にある地方都市の県令が大量の蓄財をしていることがおかしい。

 十分に調べられてはいないが、強奪された財の量と都市の収支を考えれば一目でおかしな流れがあることは白瑛にも分かっていた。

 

 生きていく糧すら、と光雲は言った。だが、本来であればそれはある程度考慮されているハズなのだ。

 普通の国では戦費に税の増加を行うとしても、煌帝国ではそうとは限らないのだから。

 

 あの神官たちがもたらす迷宮攻略。その恩恵によって、多大な財宝が手に入る煌帝国は、それだけで国庫を潤しているのだ。

 ならばなぜ彼らは重税に苦しんで、強大な戦大国である帝国に反旗を翻したのか。

 

「この地域における税の不正な流れに関しては、中央にも伝え、適切な処置を行い、保護することを約束します」

 

 地方役人の不正。

 戦、戦で外にしか目が向いていなかった武官も、政争にあけくれ中央にしか目が向いていなかった文官にも等しく罪はある。

 だが、

 

「あなたに世界を変えたいと思うほどの気持ちと、多くの人を動かしていく力があるのなら、私たちと来て下さい」

 




前回から投稿間隔があいてしまいましたが、お読みいただいていた方にはお待たせしました。アニメの方でアラジンが白瑛を思い出すシーンがカットされてがっくりきたり、幼い白瑛がでてきてテンションが上がったりと紆余曲折を経てようやく書きあがりました。


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第10話

 幾つかの地方の反乱を、ある時は武力を以て、ある時は交渉を以て鎮めてきた白瑛や光たちは、再び帝都へと戻っていた。

 

 

鍛練場

 

「っおお!!」

「ふっ」

 

 鍛練用の大剣を鋭く振るう男、菅光雲の一撃は細身の木刀を持つ光によって受け止められた。模造剣とはいえ明らかに重量のありそうなその大剣から繰り出される一撃は、直撃すれば容易く骨を砕いて殴殺できそうな一撃だが、光は技量によって一撃の軸をずらしていなした。

 

「っ! くっ! ぬぁあ!!」

「おお?」

 

 いつもであればいなされた勢いを立ち直らせることができずに追撃の一撃を受けて終わっていたが、光雲は膂力をもって強引にいなされた剣の軌道を薙ぎに切り替えて光の追撃を阻んだ。

 思わぬ反撃に光は右手に持っていた木刀の腹に左手を当ててその一撃をしのぎ、合わせて吹きとばされることでその威力を軽減させた。

 

「おおぉお!!」

「!」

 

 着地した光の体勢を整えまいと、光雲は強引に踏み込んで撃ち下ろしの斬撃を放った。体勢を崩していた光は相手に視線を向けた瞬間、追撃が迫っていることを見て取り、驚きに顔を染めた。

 崩れた体勢では先程のように斬撃をいなすことはできない。しかし彼我の武器の差を考えれば防ぐことは危険。そのため光は、踏み込まれた一歩からさらに内側に踏み込んだ。

 

「! がっ!」

 

 木刀を振る暇はない。そのため光は右手で持っていた木刀の柄を光雲の右手首に打ち込んだ。

 振り下ろしのスピードを交差法で受けた光雲は手首から走る激痛に苦悶の声を漏らし、しかしその大剣は振り切っていた。

 痛む手のままに振り下ろされた大剣の一撃は、光の残像を切り裂くようにその真横を通過して地面を穿った。

 

「づっ! おおぉ!」

「ぬっ!?」

 

 大剣の威力を出す利き手を封じられた光雲はしかし、雄叫びと共に左手一本で大剣を切り上げに振るった。さしもの光も近接からの強引なその一撃に驚いた表情となり、

 

「あ、しまっ……」

 

 気づいた瞬間には光は、振るわれた左手を掴んで円の軌道で合わせてそのままの流れで光雲を投げ飛ばしていた。

 投げ飛ばされた、というよりも地面に叩きつけられた光雲が潰れた蛙のようなうめき声をあげたことでハッと我に返った光だが、地面に伸びている光雲は完全に目を回している感じだった。

 

「……さて。次」

 

 些かばかりやり過ぎてしまった気はしたが、鍛練の場でのことだからと、さらりと流して光は次の稽古の相手に視線を向けた。

 そこには前回の遠征における討伐対象だった者たちの内の、いくらか武に自信のある者がいたが、大将だった者が眼を回している姿に、たじろいでいた。

 

「ん? いないのか?」

 

遠征先で白瑛との“交渉”によって降伏した元賊軍の将である光雲は、兵役という罰を受けることによって一団の者たちと共に軍属へとなっていた。

 

 呂斎は色々と諫言をいれてきたが、テコでも聞き入れそうにない白瑛の様子に、ひとまず賊軍は帝都での判断を仰ぐということ、つまりは実質的に軍務を取り仕切っている紅炎(もしくは紅明)に委ねることに決まった。

 

 現皇帝の派閥であり、白瑛の勢力を牽制する目的らしい呂斎の思惑とは逆に、紅炎は白瑛の意見を聞き入れて、光雲たち鈴羽団をその旗下に置くことを了承した。

 

 もっとも、つい先日までただの賊だったのだから、当然軍の訓練は必要であり、専ら光や光雲および、武に自信のある面々を叩きのめし、そこからさらに下に下にと教育していく形となっていた。

 

 この数日、散々叩きのめした成果からか、光の武力はかなり知れ渡り始めており、今も目を回している光雲を見て、及び腰になっており、光は志願する者がいないかとぐるりと見渡し、

 

 

「では、私もお願いします」

「……白瑛殿か。報告書の方はまとまったのか?」

 

 たじろぐ配下の者たちをよそに、志願してきたのは白瑛だった。

 討伐の報告もだが、新たに軍属となった者たちの書類もまとめなければならず、少しばかり鍛練場から足が遠ざかりかけていたのだが、どうやらそちらは一段落ついたようだ。

 

「はい」

「ふむ。光雲、起きれるか?」

 

 書類仕事続きで疲れているかとも思ったが、揺るがぬ微笑を向ける白瑛。光はその様子に頷くと倒れている光雲へと声をかけた。

 

「……ああ、なんとか」

「よし。それじゃあ、各自鍛練を再開してくれ」

 

 むくりと起き上がった光雲を見て、光は周囲の面々に声をかけてから、白瑛との稽古へと移った。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 練白瑛、そして皇光。その二人は菅光雲にとって、今でこそ主になっているが、初めは討伐対象と討伐軍という関係だった。

 

 元々光雲が居たのは中原の東部、戦乱の絶えない地域ではあった。だが、近年煌、吾、凱の三国を統一した煌が、光雲の故郷もわずかな期間で支配下に収めた。

 

 度重なる戦乱に田畑は荒れ、多くの民はその日の食料もなんとか確保するのでやっとという暮らしだった。

 故郷が煌に支配されたが、今までにも何度も支配者は変わっていたから、光雲たちにとってそれはあまり実感のわかない事だった。

 強いて言うならば、強大な帝国となった煌ならば今までのように戦で田畑が荒らされることが無くなるかもしれないという期待はあった。

 

 その期待は長くは続かなかった。

 煌帝国の支配領域に組み込まれ、帝国から派遣された県令は民に重税をかけた。

 お題目はいくらでもあった。

 

 度重なる徴税に光雲たちの我慢は決壊し、彼らは立ち上がった。

 

 苦しむ民の惨状を少しでも知らせるためにと赴いた統治者の館は、光雲たちの想像とはまるで違った。

 食うや食わずの者であふれる農村。痩せ細った者ばかりの農民の、みすぼらしい村の暮らしとは異なり、同じく煌に支配されたばかりのはずのそこは、すでに別世界に変わってしまっていた。

 

 民の窮状を聞いたはずの統治者は、それに対して碌に関心を抱かず、ただ己が蓄財にしか興味を抱かなかった。 

 民の暮らしなど、生き死になど興味が無い。ただ、税を収めよ。

 その扱いに、彼らは決意した。

 

 支配者が民を救わぬのなら、彼らが民を救うと。

 

 光雲は他の者よりも力があった。ある程度知恵も回った。だが、なにも帝国を打倒しようだなんて大それたことは思っていなかったし、そんなことを夢想するほど愚かではなかった。

 

 だが、光雲たちの行動によって救われた民、志を抱いて集った仲間たちの膨れ上がった期待は止められなかった。 

 県令の館を襲撃すれば、もう後には引けないことは分かっていた。

 

 だから、本国から討伐軍が来ることを知って、驚きはなかった。

 

 

 自分たちの行いが正義であるとは思っていなかった。

 ただ、生きていくために必要なことだと割り切っていた。

 

 居城にしていた砦に注進してきた見張りから、討伐軍の規模が自分たちの数倍であり、掲げられた旗からそれを率いているのが、練の字を持つ、皇帝の血縁の者だと知った。

 戦となれば負けなしである煌帝国。その皇帝の血族が来ているからには、この討伐軍は様子見などではなく、殲滅目的の軍であるという事だ。

 

 

 軍の規模を考えても勝つ目は無い。

 少しでも多くの者が生き残るための戦い。

 その可能性があるのは……

 

「お頭が一騎打ち!?」

「そうだ」

 

 戦の前に、玉砕覚悟で突撃を仕掛けるべきだという主張が出る中、団の者たちに戦の方針を、たった一人で戦を行うことを告げた。返ってきたのは騒然とした困惑と、無謀を引き留めようとする声だった。

 

「受けるはずねえ! 出てった所を弓矢で打たれて終わりだぜ!」

「お頭!」

 

 団とは言っても、無法者でしかない。それでも団員の者たちは光雲を慕っていた。

 

「皇帝の血族の者が来ている以上、相手は本気だ。だが、だからこそ武人としての矜持に訴えればそう無下にはできまい」

「しかし……」

「勝つことができればそれを足掛かりに、民の窮状を訴える。それがこの羽鈴団の意義だ」

 

 負けたとしても、戦をするのが自分一人ならば、もしかすると……

 

 

 

 一騎打ちに持ち込むところまでは上手く行った。

 だが、出てきた相手は、自分の想像をはるかに超える力量の男だった。

 

 細身の武器を、その刀身すら見せずに光雲の持っていた鉄の大剣を両断し、光雲自身にも一撃で深手を負わせた。

 致命傷に至らなかったのは、光雲の頑丈さなどのためではなく、ただ相手が加減していただけなのがありありと分かった。

 

 

 血に塗れた光雲に対して男は容赦ない刃を向け、しかしその刃が振り下ろされることはなかった。

 

 

「あなたに世界を変えたいと思うほどの気持ちと、多くの人を動かしていく力があるのなら、私たちと来て下さい」

 

 そう言って手を差し伸べたのは、煌帝国の皇女だった。

 初めは憤った。

 自分はもちろん、その皇女とともに軍を率いてきていたらしい呂斎という男も。

 

 戦争を起こしている帝国のありように不満を持って反乱を起こしたのに、その自分たちを戦争に用いるというのだから。

 呂斎もまた、独断で反乱軍の者たちの処罰を決めてしまおうとしている皇女に怒りを露わにしていた。

 

 それに対して、皇女はだからこそ罰になるということを告げた。そして少しでも早く、このようなことが繰り返されない世界にするためにこそ力を振るえと

 

 綺麗事にしか聞こえなかった。上に立ち、のうのうと暮らし、戦争を起こす。そんな立場の者の世間を知らない綺麗事。そう、言い切ってしまいたかったのに……

 

 そいつの瞳はあまりにまっすぐで、その在り様はただただ気高かった。

 

 

    ✡✡✡

 

 

 結局、光雲を始め、多くの者は軍に編属することを選んだ。

 

 意外だったのは、皇女とやらの立ち場の悪さだ。下っ端軍属の光雲たちにはさして気にするようなものではないが、それでよくあんな独断行動をとれるものだと、後で聞いて感心したものだ。

 呂斎が憤っていたが、あれはともすれば皇女にとってもそうとうに危うい橋だったのではないだろうか。

 

 意外と言えばもう一人

 

「はっ!」

 

 その皇女殿と剣を交えている皇光。和の特使と名乗ったあの男の立場もなかなかに奇妙なものだった。

 

 これも後になって聞いたのだが、どうやらあの時名乗った肩書は、あの男が持っているいくつかの中でもっとも低い立場の肩書らしい。

 特使とは言ったが、本来は和国の王族。しかも第1皇女の婚約者。さらには迷宮攻略者。

 一番ぞっとしたのは最後のものだ。もしもあの時、出会いがしらにその力を振るわれていたら、誇張でもなく全滅もありえたとのことだ。

 

 もっとも剣の力だけとっても、あの男は大したものではある。

 あれほど細身の剣だというのに、大剣も戦斧も偃月刀も、どのような武器相手にも弾かれることも砕かれることもなく、技量で受け流し、一度として攻撃を受けていない。

 

 剣が砕かれないのは気という力を微かに纏わせているかららしいのだが……それでもその剣技がずば抜けているのは分かる。

 

ちなみに

 

 呂斎という男と、皇女の確執は、帝都に戻って収まることはなく、続いていたりする。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 光が煌に来てからしばらくたち、白瑛や光たちは幾度か軍属として派遣されたり、帝都に戻り日々を過ごしていた。

 だが、帝都における日々も必ずしも平穏ではなく、時に気まぐれな神官の言葉により、時に皇帝の命により騒動は起きる。

 

 

「私は反対です」

「従者風情は黙っていろ。白瑛殿、これは陛下の命でもあるのですぞ」

 

 この日、煌帝国第一皇女、練白瑛は神官ジュダルの誘いにより帝国領内に出現した第9迷宮“パイモン”の攻略に赴くことになった。

 迷宮攻略は、金属器という強大な戦力を得ることも目的の一つだが、迷宮内にある数多の財宝や迷宮道具による軍備の増強も重要な目的となる。

 

 得てして戦には金がかかる。

 兵の常備にも金がかかるし、軍備を整えるのにも必要となる。煌帝国の軍費は主に迷宮攻略による財宝と貿易、そして外貨の獲得によって準備されている。

 

和国との同盟が重要だったのは、征西にあたり後方の憂いを取り除くのが目的だったことの他に、貿易ルートと貿易品の獲得が重要だったというのもある。

 和国は、優れた航海術を持っているだけでなく、優れた工芸技術ももっており、和国の品は西方において高値で取引されているのだ。

 

 そして、なによりも重要な軍費獲得手段である迷宮攻略は、光のように個人の思惑で行われるものでなく、煌帝国においてはもはや国事とも言えるものとなっているのだ。

 そこには神官たちの判断だけでなく、皇帝の意図も汲まれている。

 

 白瑛は神官ジュダルに見込まれた王の器ではあるが、政争に興味のないジュダルはともかく、呂斎を始め、現皇帝もあまり白瑛に自由に動かせる力を持たせたくないという思いはある。

 とはいえ、そろそろ戦費獲得のために迷宮を攻略する必要があるし、ジュダルに見込まれた者の中で、今適任なのは唯一白瑛のみだ。

 そこで皇帝は、お目付け役である呂斎を迷宮攻略につけることを命じたのだが、白瑛の従者である青舜はそれに反対していた。

 

「私としては、古くからの従者である青舜を同行させたいのですが……」

 

 そして、白瑛自身、あからさまに侮蔑感を抱いている相手と命がけの迷宮に行きたいとは思わないだろう。だが、皇帝の命も含まれている以上、明確に断ることはできない。ちらりと光に意見を求めるように視線を向けた。

 

「経験者として言わせてもらえば、白瑛と青舜で行った方がいいと見るがな」

「私では力不足と?」

 

 助言をいれた光の言葉に、呂斎がじろりと視線を向けた。

 たしかに迷宮攻略者としての意見は貴重だが、光が白瑛寄りなのは明らか。

 

「まさか。呂斎殿の力が優れているからこそ、だ」

「? どういうことですか?」

 

 不機嫌そうな呂斎に対して光は肩を竦めて答えた。光の答えに、侮られたと感じたのか呂斎はますます眉根をよせ、白瑛は逆に、呂斎を評価する光の言葉に尋ねた。

 

「迷宮は挑戦者の実力に応じて姿を変える。無闇に人が増えれば逆に難度が増すだけだ。挑戦する人数は最小かつ連携と信頼のある者だけで行くべきだな」

 

 白瑛と呂斎の間に信頼も連携もないのはお互いに明らか。そして迷宮の実態についてはたしかに帝国内における経験者から漏れ聞く話とも一致している。

 

「ですが、姫様に従者一人つけて、死なれでもしたら我が国にとって大いに損失。先達であるあなたが案内でもして下さるのですかな」

 

 呂斎の抗弁に、青舜はどの口がほざくかと言いたげに睨んでいるが、光は呂斎の返しに少し困ったような顔になる。たしかにそういう風にも聞いているが、煌帝国の迷宮攻略者、紅炎は多数の部下とともに迷宮に赴いて攻略してきたという事実がるからだ。ただし、“信頼のおける”多数の部下ではあるのだが。

 

 

「残念ながら」

「そいつは連れて行ってもらってはこちらが困るな」

 

 呂斎の挑発めいた問いに光が拒否を口にしようとしたところで、後ろから聞き覚えのある男の声が拒否を述べた。その男の姿を見とめた呂斎が慌てて膝をついた。

 

「だ、第1皇子殿下!」

「紅炎殿?」

 

 征西軍の将軍候補である呂斎にとって、紅炎は直属の上司にあたる。それでなくとも現皇帝の長子であり、炎帝とも称されるほどに戦好きの性格と噂される紅炎は恐れ多い存在だ。青舜もまた、慌てて膝をついて礼をとっており、白瑛と光も膝をつこうとしたが、紅炎はそれに手を振って制した。

 

「迷宮の前までは同行すればいいが、中には白瑛と、光殿以外に選んだ者で入ればいい」

「し、しかし皇子殿下……」

 

 通りがかったというよりも、このことをどこかから聞いて伝えに来たというところもあるのかもしれない。光の見立てでは、意外にきょうだいに対しては情け深いのではないかと見ていた。

 だが、皇帝の命がある以上、呂斎としてもはいそうですかとすんなり了承するのにも抵抗があるのだろう。青い顔で言葉を続けようとするが、

 

「そこの男と同じく迷宮攻略者としての意見だ。皇帝には俺から伝えておく」

「わ、分かりました」

 

 すっと眼差しを変えて見下ろす紅炎の威圧感に呂斎は了承する外の選択肢をもたなかった。

 

 

 紅炎の王気に追い出されるように呂斎がその場を離れると白瑛は、先程の採決で気にかかっていた点について紅炎に問いかけた。

 

「ありがとうございます、紅炎殿。しかし」

「光殿も迷宮攻略者だからな。お前が遅れをとるとは思わんが、ジンの判断によっては、ジンが白瑛ではなく、光殿を選ぶ可能性があるからな」

 

 白瑛の問いを遮り、紅炎は光の挑戦不許可の理由を告げた。

 迷宮攻略者は、狭義には迷宮内の宝物庫に到達したものに与えられる称号ではなく、迷宮の主、ジンに選ばれた者のことをさす。

 

 ジンはそれぞれの性情に応じて、己が従うに相応しい王を選ぶ。

 純粋に白瑛と光の力比べではなく、ジンの性情によっては、パイモンが光を選ばないとも限らない。

 

「そういうことだ。すまんな。一緒に行けなくて」

「いいえ。あの時の約束。私はまだ果たしておりませんから」

 

 紅炎の言葉は、光が拒否しようとした理由でもあるのだろう。申し訳なさそうに謝罪する光に、白瑛は自らを守ると約束してくれた男を見上げて答えた。

 

「この迷宮攻略で、守られてばかりの私ではないことを証明します」

「ふっ。そうだったな」

 

 いつか交わした約束。

 それを証明するために、白瑛は光と同じ力へと手を伸ばした。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「意外だな」

「何がだ?」

 

 白瑛の部屋を出た光は、紅炎に連れられて、ともに書庫を訪れていた。

 

「てっきり止めるか、あるいは無理にでもついて行こうとするかと思ったんだがな」

 

 紅炎は先程のやりとりを思い返して微かに笑みを浮かべながら光に問いかけていた。

 迷宮攻略に死はつきものだ。というよりも生きて帰ってくることが奇跡的なものなのだ。白瑛を守るためにやってきたと言い切るからには、到底その白瑛の迷宮行きなど賛同するはずはないと思うのが普通だからだ。

 ただ、問いかける紅炎の顔は、そういう事態も予想していたと言わんばかりの表情だが。

 

「迷宮攻略か……白瑛が選んだことなら止めはせんし、マギに選ばれた器なのだろう? なら簡単には死なんさ」

「大した信用だ」

 

 マギは自らが選んだ王の器を持つ者を迷宮に誘う。迷宮で命を落とす大部分は選ばれなかった者なのだ。

 ただ、煌帝国のマギ、ジュダルの選んだ器の一人である、ということもあるが、それ以上に光自身が白瑛を信頼しているのが大きいのだろう。

 

「それで、こんな所に連れてきて何の用だ?」

「なに。お前も気になると思ってな……トラン語は読めるか?」

 

 紅炎が連れてきたのは、書庫の一角の中でも光一人では立ち入りを禁じられている区域。皇子としての権力でも使ったのか、紅炎は光を連れてそこに立ち入り、いくつかの巻物を広げて見せた。

 紅炎が広げた巻物には、普段光や紅炎が使う言語とは全く異なる文字で書かれた碑文を記したモノがあった。

 

「……残念ながら」

「そうか……俺もまだ調べている途中なのだが、お前ならあるいはとも思ったのだが……」 

 

 この世界言語は基本的に一つの民族を除いて一つの言語で統一されている。そこから派生した文字に違いはあれど、その一つを除いて同じ言葉を話し、どれだけ遠くにいる国の者とも同じ言葉で会話することができるのだ。

 

 その一つの例外こそがトラン語。

 トランの民と呼ばれる種族のみが使う言語だ。

 

「みかけによらず歴史好きなのか、紅炎殿は?」

「趣味と実益を兼ねて、だ。誰が作ったかも分からん強大な力を放置しておくわけないだろう」

 

 戦争好きの炎帝

 それが他国で知られる紅炎の姿だ。それは間違いではなく、自国に居る間、戦のないときの紅炎はボーっとしていることが多い。だが、それでもなすべきことはなしている。この場に光を連れてきたのも、得体のしれない強大な力を持つ他国の王子を知るためなのだろう。

 

「もっともだ。それで、どういう風にとらえているんだ?」

「……マギが選ぶ王の器とはなにか。王ならばなぜ複数の王が必要なのか。なぜ俺たちは一つの言語を有しているのか。そのあたりに鍵があると思っているが……まだ分からん、が為すべきことは分かっている」

 

 和国の王子には、読めないトラン語で書かれた巻物。其れに眼を落す紅炎の気には、確たる思いがあり、揺るがぬ信念が感じられた。

 光の抱いた願い。たった一人を守ると……それだけを願った光とは異なり、その目は遥かな高みをのみ見据えていた。

 

「それは?」

 

 二つの王の器が、その器に満たした願い。光の尋ねる問いに紅炎は試すような眼差しを向けた。

 

「そのうち教えてやる」

「そのうち?」

「お前が敵ではないと確信できたとき、だ」

 



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第11話

今回の話は幕間的な位置づけのため短めです。


「?」

 

 城の一角、異相の従者たちを連れて歩いていた第3皇子、練紅覇は眼の端に写った光景に興味をひかれた。

 

「どうされたのですか、紅覇様?」

「ん~? なにやってんの、あれ?」

 

 間延びした独特の声とともに指さした先、窓の外には城内の一つの木があった。その木陰には、

 

「あれは……和国の特使ですね」

「昼寝?」

 

 紅覇の警戒する第一皇女、練白瑛の許嫁、和国王子、皇光が胡坐をかいてうたた寝していた。木にもたれかかり、愛刀を抱いてはいるものの、あまりに隙だらけな様子。

 

「…………」

「紅覇様?」

 

 なにが興味を惹いたのか、紅覇は少し面白そうに窓に頬杖をついて観察し始めた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 煌帝国第2皇子、練紅明は陰気だと言われる。誰にと問われれば、主に煌帝国の神官、ジュダルにだ。

 否定はしない。

 できることなら部屋に閉じこもって、日がな一日本でも読んでいたいほどだ。だが、それはできない。

 

 皇帝の、いや、兄の目指す世界のためには紅明もまた力をつける必要がある。

 

 とはいっても、紅明自身には、紅炎や白瑛などと違って戦闘力はない。ついでに生活力もない。

 だが、完全にひきこもりかと言われれば、その趣味は屋外的だ。

 

もっともそれは、鳩の餌やりというまったく非活動的なものだが。

だが、その心温まる和やかな時間、というよりそのためのいつもの場所には先客がいた。

 

「…………」

 

 紅明の視線の先に居るのは皇光。彼の兄である紅炎が警戒している和国の迷宮攻略者だ。

 よく彼の義弟である白龍や兵士たちと鍛練を行っている姿を見かけるが、紅明とは異なり武に長けた男だ。

 持っている武器は細身の剣で、煌帝国の武人の中では非常に軽量に見える。だがその戦闘力は非常に高く、白龍やそこらの兵士相手では全く相手にもならないというのは紅明にも分かる。

 しかし武に通じていない紅明には、具体的にどの程度の強さなのかは分からない。

 ただ、その男は今、目の前で無防備そうに胡坐をかいて、眼を閉じている。

 

 疲れているのだろう。

 白龍や青舜、白瑛との稽古。兵士たちの稽古。特使としての仕事……煌帝国を探る夜仕事。

 

 煌帝国が急激に力をつけてきた秘密をこそこそと嗅ぎまわっているようにも見えるその動きぶりには、感心するほどだ……嗅ぎまわられているのが自分事でなければ。

 

 今の所、外交官としての立場と白瑛の立場を考えてか、線引きは弁えているようだが、あまりいい感じはしない。

 警戒すべきその男が、目の前で無防備をさらしている今、紅明は

 

 

「くるっくー」「ぽっぽー」

 

 

 鳩の餌やりをした。

 

 元々、光が胡坐をかいているこの場所は、紅明お気に入りの鳩とのふれあいの場所なのだ。紅明は光の隣に、適当に距離を開けて腰掛け、餌を撒いた。

 

 どのみちこの距離関係では光が害意を持って紅明に襲い掛かれば、紅明にできることはない。それにこの状況下で手を出してくるほど愚かではないだろうし、頼りになる紅明の従者がどこかで控えてくれているはずだ。

 

 なぜだか鳩はこの男の周りに集まっている。居心地がいいのかなんなのか、持ってきた鳩の餌を適当に撒いているときも、数羽の鳩は光にたむろして首を傾げたりしている。

 

「くるっく?」

「…………」

 

 むしろ光が表立ってなんらかの動きを見せてくれたほうが、与し易い。それが紅明にとって危険を伴うことでも、紅炎にとっては益となるものとなる。

 そんな紅明の思惑とは裏腹に、光の体には徐々に鳩が纏わりつき始めている。

 

 しばらく鳩の鳴き声と、時々羽音だけが聞こえる中で、不意に鳩の動きが一方向に向き始めた。

 気になってその元に視線を向けてみれば、

 

「…………」

「…………」

 

 いつの間にか隣の男は目を開けていた。

 少し細められたその視線は紅明の手元を見ており、距離をとった鳩を見ていた。

 

 和の第2王子と煌帝国の第2皇子。二人の視線が無言で交わされる。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

「……なにをされているのでしょうか?」

「あっ、餌やりだした」

 

 遠く離れたところから二人の様子を観察していた紅覇と従者たちは、紅明が餌袋を光に手渡し、光が餌を撒き始めたのを見ていた。

 

「紅覇様?」

「うーん。明兄も扱いづらそうだな……」

 

 奇特な行動の多いことで知られる紅覇だが、その内に秘められた王の器を従者たちは信じている。

 だが、今日、この行動を当てはめる言葉は一つしか思い浮かばなかった。

 

 暇潰し

 

 昼寝をしている王子と鳩の餌やりをしている皇子を観察する皇子。

 この様子を暇潰しと言わずになんと言うのだろう。

 あまり過剰に干渉しすぎると主の癇癪玉がすぐに爆発して手をあげられる。ゆえに……

 

「紅覇様。そのような所におられますとお肌が荒れますよ」

「…………」

 

 “それを期待して”言葉をかけたのだが、期待していたご褒美はいただけずに紅覇は二人を眺めている。

 ここからでは二人がどのような会話をしているのか聞こえないが、なにか紅明が探りを入れているのだろうか。あるいは信用を得るための一手をうっているのだろうか。

 

 しばし餌やりを楽しんでいるように見える二人だが、手持ちの餌が切れたのか、ようやく餌を撒く手が止まった。そのあとしばらく、落ちている餌を鳩が啄んでいたが、次第にそれもなくなり、鳩は三々五々に散って行った。

 最後の一羽が飛び去って行くのを眺めていた二人。その姿が見えなくなると紅明は腰を上げて立ち去って行った。

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 私には目下、構想している計画がある。

 

 寒村の出として卑しまれていた私だが、現在、第8皇女のもと、順調にその信頼を勝ち得ていた。思い起こせば初めて姫君にお会いしたとき。今でこそファッションが趣味になられた姫君だが、初めてお会いしたときは、暗くいじけた幽鬼のような姫だった。

 だが、そんな姫に皇女としての自覚を植え付け、自信を与えた。

 それにより姫は私を信頼し、重用するようになった。

 

 そして密かに私は身の回りの者たちにも手を伸ばし始めた。まだ完全とは言い難いが、徐々に私を心酔する部下すらも現れ始めた!

 

 だがまだ足りない。

 

 たかだか第8皇女のお付き筆頭などと小さい位ではない。もっともっと上に、権力の頂点まで登り詰めるのだ!!

 

 そのためにもっとも効果的な方法はなんなのかを私は考えた。そしてその答えを得た。

 

 貧しい身分の生れである私が権力をてに入れる術。それは次代の権力者の信を得ることだ!

 

 いくらなんでも私が皇帝や王になることはできない。

 だが、皇帝や王の信頼を得ることはできる(ハズだ)。とはいえ、今の皇帝には取り巻きがすでに大勢いるし、神官などという訳のわからぬ者たちが幅を利かせていて私の入り込む余地はほぼない。

 次に偉い第1皇子にもすでに信頼をおく眷属がいるし、あまりに頭が回る主では私の思惑が上手く運ばない。

 

 そう、私の計画に必要なのは優秀な主ではない。私に全幅の信頼をよせ、私に権力の行使を委託することをよしとする主だ。

 まさに姫のような小娘こそ我が主!

 

 かつてはみすぼらしかった姫も、私の植え付けた自身と持ち前の容姿で着飾れば一角に見られるようになってきている。まだ幼いが、その方が好都合だ。

 

 現在煌帝国は中原の天華統一に動き、それを目前にしている。

 その基本戦略は二つ。戦によるものと外交によるもの。

 

 第1皇子をはじめとした迷宮攻略者、そして圧倒的な軍事力を背景にした軍事的侵略。

 もう一つは、経済的な侵略からの政略結婚による支配。

 

 姫ならば遠からず、政略結婚の道具としてどこかの王族に嫁ぐだろう。そして子をなす。

 将来の王となる子を

 

 となれば、姫の信用篤く、有能な私がその子の後見人になることも不可能ではないのではなかろうか。

 私の教育によって育った、姫の子。その子はやがて王となり、私はその王に信頼され私は権力を手に入れる。

 

 完璧な流れだ。

 

 候補はついている。

 姫が心を寄せている(ハズの)和国の王子だ。

 

 たしかにいくつかの懸案事項はある。

 一つ、その王子は王になれるかどうか分からない。

 和国第2王子、皇光。そう彼は第2王子なのだ。だからこそ彼は煌帝国にやってきた。第1皇女、練白瑛の許嫁として。

 それが二つ目の問題だ。

 

 だが、いずれの問題も、私の冴えわたる頭脳をもってすれば解を導くことなどたやすいことだ。

 

 彼はたしかに第2王子。だが迷宮攻略者だ。聞いた話によると迷宮攻略者とは王の器だという。

 王の器。そう、王となる運命を背負った者なのだ。ならば一つ目の問題ははじめから問題にもなっていないのだ。

 二つ目の問題にしても、たしかに王子は第1皇女の許嫁だが、それを決めたのは前皇帝だ。そして現皇帝はむしろ、自身の直系の姫を嫁がせたがっている。

 

 和国と言えば、煌帝国の東方に位置する小さな島国。

 だが小国とは言えその影響力は侮れないものがある。戦乱渦巻く三国を統一した前皇帝ですら和平を結ぶことを選んだほどだ。

 

 条件は悪くない。問題もほぼない。あとは

 

「…………」

 

 目の前の木陰で寝ているように見えるこの男と姫とをくっつける策をどのように練るか、だ。書物によると和国の武人とやらは実直で警戒心が強いとのことだが、他国の城内、屋外でうたた寝するなど無警戒にもほどがある。

 治安の悪い街中や街道などであれば、身ぐるみを剥がれて放り出されるところだろう。

 全裸で無一文、金属器すら失う王子など笑い話にしかならないだろう。

 

 だがむしろ警戒心の薄い、ただ武力一辺倒な者の方が後々操りやすい。これは私にとってこれは、好機以外なにものでもない。

 

 少し離れた位置から一歩足を踏み込み近寄った。その瞬間、

 

 ぞわりっ、と悪寒が背筋を駆けのぼった。

 

「ひっ!」

 

 抜身の剣を首筋にあてられたような錯覚。

 気づけば、うたた寝していたはずの男は、射るような視線をこちらに向けていた。持っている刀は抜いてはいない。だが、一瞬あればそれを抜き放ち、私の首は次の瞬間には胴から離れていることを予感させるような威圧感。

 

 先ほどまで寝ていたはずでは? 警戒心の薄い? そんな疑問が浮かぶ隙すらなく、放たれる威圧感は夏黄文に呼吸の仕方すら忘れさせるほどだ。

 

 不意に

 

「夏黄文殿、だったな?」

「え? あ」

「どうされた?」

「え。いえ……あの」

 

 

 息詰るような圧力は、どこかへと消え去っており、以前にも話したような雰囲気へと戻っていた。そのあまり変化に戸惑いの声を上げた。

戸惑う夏黄文をよそに、光は伸びをするように背筋を伸ばし、腰を上げた。そこに

 

「夏黄文さん、どうしたんですか? あ! 光殿。姫が探されていましたよ」

「ん? 青舜殿か」

 

 光の許嫁である白瑛の従者、青舜が小走りにやってきた。青舜はなにやら居心地悪そうにしている夏黄文と普段通りの光を見比べて首を傾げた。

 二人が会ったことはあるが、それほど親しげな間柄でもなかったし、なにか話していたのかと少し気になったのだろう。

 

「どうされたんですか?」

「いや、少し休みながら釣りの計画を立てていたところだ」

「? お二人でですか?」

 

 青舜の問いに対する光の回答はどこかずれたようにも感じる答えで青舜は疑問顔で夏黄文を見てみた。夏黄文はどこかたじろぐように汗をかいており、光は明後日の方向を向いていた。

 

「いや。当分先の予定だったんだが、思ったより早まりそうだな」

「? はぁ? えーっと、とりあえず姫様がお探しでしたけど」

 

 会話の流れが今一つ分からないが、ひとまず青舜は自分が光を探していた目的を果たすために要件を告げた。

 

「ああ。金属器の鍛練だったな。すぐ行く……と、夏黄文殿、それではな」

「! え、あ、はい……」

 

 光は青舜が、というよりも白瑛が自分を探していた要件がなんだったのかおおよそのあたりがついていたのか、青舜とともに歩き始めた。去り際、夏黄文にかけた一声はさして普段と変わりない一言だったが、それでも夏黄文にはなにかの圧力のように感じたのか、びくりと反応を示した。

 

 

 去りゆく光の背を見ながら、夏黄文が計画の再考を考えたかは……定かではない……

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 禁城の頂上。城壁の上よりもさらに上の、尖塔の上に一人の男が胡坐をかいていた。

 

「ふーん。この距離で気付いた、か……」 

 

 後ろで纏められた黒髪は長く、腰どころか足元まで届きそうなほどだ

 

「魔導師じゃねえのに、よく気づきやがる」

 

 その場所は本来人が立ち入れる場所でもないし、なにより男は尖塔の上に直に座っている訳ではない。

 宙に浮いているのだ。

 

「“あれ”の影響か……?」 

 

 男の名はジュダル。煌帝国の神官、マギだ。

 好きなタイプは強い者。だが……

 

「まっ、どっちでもいいか」

 

 視線の先の人物。迷宮攻略者、皇光を見ながら、その食指はまったく働かなかった。

 

 魔力量は多い。マギたるジュダルの眼には、その内包量が白瑛や紅覇よりも多いものであると写っている。流石に紅炎ほどではないにしろ、その内包量は破格だ。

 戦闘力は高い。金属器を使わない戦闘技能では煌帝国でも1,2を争うかもしれない。

 

 だが、それでも……

 

 あの男は違う。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 一方

 

「それで……どうだ?」

「余計に分からなくなりました」

 

 皇光を認める皇子は、弟二人と話していた。

 幾度かの内乱鎮圧の成果を見て、そして実際に光と接しての感想を尋ねたのだが、紅明から返ってきたのは残念な返答だった。

 

「でも明兄、結構楽しそうに、一緒に餌やりしてなかった~?」

「なんらかの動きを見せるかと思ったのですが、あれは……」

「なにかを誘い出すつもりだった、か」

「……はい」

 

 とはいえ失望には至らない。紅覇は先だって見ていた紅明と光のやりとりに間延びした声で尋ねた。対して紅炎は、相手の不気味さに笑みをこぼした。

 

「誘い出そうとしていたのは、俺達か、あるいは……」

「どちらかと言うと、敵意を向けてくる者すべてを釣り上げようとしているように見えました」

 

 皇光の目的は白瑛を守ることだ。だが、その白瑛には敵が多い。直接的に害してくる動きを見せている者はそういないが、彼女の父や兄たちを殺した者の一派が潜んでいる。あるいはそう考えているのかもしれない。

 

「釣られてやるのも一興だが……さて、どうしたものかな」

 

 今の所、白瑛とともに動いている、というよりは、その白瑛に無断で敵味方を明確にしようと動いているように見える。

 “戦好きと評判の”紅炎ならば、それにつき合って一戦やらかすのもやぶさかではないが、一応相手は将来の義弟になるかもしれない男だ。加えて、金属器使い同士がやり合うと被害が大きい。

 

 そして光とやり合えば、白瑛の動きも予測しづらくなる恐れがある。

 やり合うにはデメリットが多いが、それでも餌をぶら下げられて、これ見よがしにうろちょろされているのは気分のいいものではない。

 

 

 互いに打つ次の一手は………… 

 

 

 

 



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第12話

風が吹いていた。

 

「っ……ふっ!」

 

 それはただの風ではない。明確な指向性をもった風。魔力によってルフに命じられて起きる風。

 

 混沌と狂愛の精霊、パイモン

 白瑛に力を与えるジンの金属器。それにより生み出される風が今、吹き荒れていた。

 

 離れた間合いから始められたその模擬戦は、白瑛の間合いだった。 

 

 風の巨人。

 その腕はさながら大嵐の如くに、しかし明確な意図をもって光に押し寄せる。それに対して光は素早い動きで殺到してくる風の猛威を避けながらその距離を詰めていた。

 

「! パイモン!」

「ちっ」

 

 大きな一撃を避けた光は、わずかにタメをつくって一足飛びに白瑛の懐へと潜り込もうとするも、寸前で気付いた白瑛が金属器である白羽扇を振るいそれを阻止した。

 白羽扇が紡ぎ出した風は、パイモンの加護により敵を寄せ付けぬ風壁となって光を包み込もうとする。

 速さによる正面突破が阻まれたと見るや、光は詰めてきた距離を捨てるように前方へのベクトルを後方に変換して距離をとった。

 

「桜花……」

 

 腰を落し、光が素早く刀身に指を走らせると、その指の軌跡に沿うようにして刀身に気が集中した。

 

 そして

 

「一閃!」

「っ!?」

 

 光は渾身の脚力で地を蹴り、白瑛へと接近するように跳躍。己を押し潰すだろう暴風の奔流へと突っ込んだ。

 だが、その侵攻を阻むはずの風壁は気の込められた和刀の一薙ぎによって断ち切られ、白瑛は驚きに眼を見開いた。

 

「くっ!」

「ぬっ」

 

 返す刀で白瑛へと白刃を煌かせるも、その刃は白瑛を取り巻く風の障壁にわずかに阻まれた。

 

 和刀を金属器にしている光とは異なり、攻撃力のない白羽扇を金属器としている白瑛は、ジンを操っている間は本人の攻防力が落ちる。

 

 これまでの幾度かの鍛練で何度もそこを突かれた白瑛は、自らの周囲に薄く風の防壁を張り巡らせることで最低限の防御力を得た。

 だが、それは風壁すら切り裂いた光の刃の速度をわずかに鈍らせる程度の働きしかない。しかし、そのわずかな差で白瑛は帯にさした剣を抜いていた。

 

「っぅ!!」

「……」

 

 ギンッ!! と刀と剣が打ち合い、拮抗が生まれる。

苦悶の声を漏らしたのは白瑛。

 

 障壁により威力を落したとはいえ、両手持ちの光の刀に対して、白瑛は片手に白羽扇を持っているため、片手で剣を操っているのだ。

 だが、わずかな拮抗があれば十分。白瑛のパイモン、その操る風は懐に潜り込まれようとも攻撃できないわけではない。

 

 狙うは光の胴。空塊によって弾き飛ばして距離をとる。

 白羽扇に魔力をこめて、風を操ろうとした白瑛は、

 

「えっ!?」

 

 白羽扇を持つその手を光に掴まれ、驚きの声を上げた。それは刀を両手で持っていたはずの光が片手持ちに切り替えていたこと以上に、自らに起こった異変、込めた魔力が霧散したことによる。そして

 

「あっ、きゃっ!!」

 

 ぐるん。と体が宙を舞い、白瑛は短く悲鳴を上げた。集中していた意識が魔力を霧散された驚きによって途切れたが故だろう。

 片手で投げ飛ばされた白瑛だが、墜落直前で光が衝撃を和らげるように調整し、とすん……と草むらに身を横たえた。

 

「1本、だな」

「はぁ、はぁ……」

 

 空を見上げる白瑛に光は勝敗の決着を告げた。

 白瑛は弾む息に胸を上下させ、光は抜いていた刀を納めた。

 

「風の使い方はかなり上手くなったな。接近された時の切り替えもまずまずといったところだが」

「……なんですか、今のは?」

 

 白瑛が迷宮を攻略し、金属器使いとなってから、時間を見つけてはその扱いの鍛練をしていた。

 白瑛は魔法も操気術も使ったことのない武人だ。それゆえいきなり金属器の超常的な扱いになれることはできない。特に風という直接的な攻撃力に乏しい現象、しかし込める魔力によっては非常に大きな現象をもたらすこの金属器の扱いにかなり戸惑ったところはある。

 だが、流石にその武を認められるだけはあり、数度の練習で風の扱いに関してはかなり上達していた。

 

「操気術の一種だ。自然の風は無理だが、魔力によって引き起こされた現象ならある程度は斬れる」

「金属器が使えなくなったのですが」

「そっちもだ」

「…………」

 

 上達したとはいえ、未だに白瑛は光の金属器使いとしての顔を引き出すには至らなかった。光の剣術の技量が優れているのは知っていたが、こちらだけ金属器の力を使ってもこれだけの差があるのは悔しさを覚えずにいられない。

 

 少し拗ねたように顔をむっとさせている白瑛に、光はくすりと微笑み、その隣に腰を下ろした。

 

 思い出すのはまだ白瑛が和国を訪れていたころ。剣の稽古やちょっとしたことでむくれた時の顔は今とそっくりだった。

 凛とした眼差しも。強い意志と理性を感じさせる瞳も。痛いほどに真っ直ぐな想いの強さも。壊れそうなほどに固く、脆い理想を抱くところも。

 守りたいと願った白瑛がすぐ手を伸ばせば届くところにいた。

 

「……光殿。子ども扱いされているように感じるのですが」

「む? そうか?」 

 

 気づけば光は白瑛の黒く艶やかな髪を撫でていた。白瑛は光に投げ飛ばされた体勢のまま、つまりは地面に身を横たえた状態であり、腰まで届く長い髪は流れるように広がっていた。

 

 白瑛はむっとした様子のまま光を見上げ、光は愉しそうに白瑛を見つめた。

 

「今の白瑛殿を子どもだと思った事はないのだがな」

「そうですか?」

 

 光の言葉に嘘はない。

 出会ったころはまだ少女と呼べる年齢だった白瑛も、今では既に立派な皇女。たとえそれが、如何なる政治的思惑の上に立つものであっても、それでも白瑛の在りようは紛れもなく気高く咲き誇る華だった。

 

 二人の迷宮攻略者。

 すでにどちらの親とも対面した許嫁同士。

 

 二人の視線が絡み合い、互いの瞳に、互いの黒い瞳を写した。

 

 子どもではない。そう告げるような白瑛の瞳に悪戯心が宿っているようにも見えた。

 

 今回、白瑛の金属器の鍛練のために二人は従者をおいてきて出てきている。そして今、白瑛は無防備に横たわっている。

 

 海を隔て、触れ合うこともできなかった二人が今、その温もりを確かめられる距離にいる。

 

 すっと光が体を寄せ、その瞳が白瑛の中で大きく映り、

 

 

「姉上!」

 

 

 聞こえてきた声にピタリと光の動きが止まった。

 少し離れたところから徐々に近づいてくる馬の足音が二頭分。

 光は溜息をつき、白瑛はくすりと笑みを零した。

 

 変わったと言えば、白龍の光に向けてくる警戒の色は少し変化の兆しを見せている。

 初めはどこか疑うような猜疑心を伴った警戒の色だったが、今はそれが薄れた代わりに警戒のレベルが上がってきているように感じられる。

 

 頭を掻きながら何とも言えない表情で立ち上がった光は、白瑛にも手を差し伸ばして立たせ、先程から叫んでいる義弟の方へと向いた。

 

「白龍」

「! ご無事でしたか、姉上!」

 

 予想通りやってきたのは白龍と青舜。

 白瑛の声に白龍はぱぁっと顔を明るくしており、青舜はどこか気まずそうに光の方を見ている。

 

「一応、俺が護衛代わりなのだが……誰が手出ししてくるというんだ」

 

 軽く愚痴をこぼした光をスルーして、白龍は馬を降りて姉のもとへと駆け寄っており、青舜は「皇子は貴方が姫に手出ししないかと警戒しているんです」という言葉を飲み込んで誤魔化すような笑みを浮かべた。

 

 そちらのやりとりにはまったく頓着せずに白龍は白瑛と話している。

 

「金属器の方はどうですか?」

「ようやく光殿の操気術を引き出せる、といったところです」

 

 弟の問いに白瑛はいつものにこにことした笑みを浮かべて、ただ少し悔しそうな色を滲ませて答えた。それを聞いていた青舜は意見を伺うように光を見上げた。

 

「金属器は使われないのですか?」

「使う必要があれば使うが、基本的に俺のは近距離型だ。今とさして変わらん」

 

 使うほどの機会がない、というのもあるが、煌帝国に来てから光は一度も自らの金属器としての力を見せてはいなかった。

 

「風を扱うことに集中するとどうしても剣に対する意識がおろそかになってしまうのですよね……」

 

 遠距離戦では光はあまり攻撃手段がない。だが和国特有と思われる歩法と体捌き、剣技によってその距離を詰められてしまうとどうしても反応が遅れてしまう。

 

「ジンを宿した金属器がまずかったのではないでしょうか」

 

 少し困ったように自らの金属器、白羽扇を見る白瑛に、白龍はジト目で言葉をかけた。

 白瑛の持つその白羽扇。それは昔、光が白瑛に贈った物だということは白龍も知っていた。そこには大好きな姉を盗られたという嫉妬も混じっているのだろう。

 

「金属器は自分の思い入れの深い物に宿る。そうほいほいとは変えられんし、宿すにしてもかなり時間がかかる。武器に宿すことよりも対処方法を考えた方がいいぞ」

「はい。それにこれは……大切な物ですから」

 

 白龍の言葉に光が金属器の特性を告げ、白瑛はその“思い入れの深い”白羽扇を握り締めた。

 

 出会いの証

 再会を誓う証

 そして……

 

 

「いっそのこと、接近戦は眷属に任せる、というのもアリだと思うがな」

「眷属、ですか……」

 

 白瑛自身が剣技に疎いというわけではない。たしかに、光や紅炎ほど武に長けているわけではないが、並の兵士に比べれば格段にその腕前は優れているし、光もそれは知っている。ただ、片手に扇を持ち、風の操作に集中した状態ではいかに白瑛でもその腕前を存分には発揮できない。

 

 戦いにおける風の扱いはかなり難しい。

 火や雷のようにエネルギー量の高い性質を持っているわけでも、水や土のように質量を持っているわけでもない分、直接的な攻撃力は低い。またそれらのように視覚的に見ることができない分、それを制御する難易度も高いのだ。

 

「金属器の使い手がともに戦うことも認めた者のことだ。主が力を与える眷属器の担い手だ」

「……」

 

 ただ、それを認めて剣を抜くことを止めるのは、武人としての生き方を選んだ矜持にも、白瑛自身の矜持にも反する。ゆえに、すぐに光の言葉に飛びつくことはできずに白瑛は黙りこんだ。

 一方で、彼女の従者として、ともに迷宮を攻略した青舜は、

 

「すでに居るだろ?」

「えっ?」

 

 続けられた言葉と、光が指さす人物を見て、

 

「わ、私、ですか!?」

 

 つまりは自分がその眷属だと指摘されて驚きの声を上げた。たしかに主である姫の力になれたらと願ってはいるものの、光の言うような金属器から力を与えられた覚えは特になかったからだ。だが、青舜の驚きに対して光は頷きを返して青舜の腰に帯びている双剣を指さした。

 

「その双剣。それから白瑛の白羽扇と同じ気を感じるぞ」

「私が、眷属……」

 

 光は魔導士ではない。そのため世界を流れるルフとやらを見ることはできない。ただ、光は長年操気術を使ってきた経験もあり、気の流れには敏いのだろう。

 指摘を受けた青舜は、自らの双剣をじっと見つめた。

 

 たしかにこの双剣は、姫の従者となったころからの、思い入れのある物だ。青舜が白瑛を敬愛するように、白瑛も青舜を信頼してくれていると思っている。

 そしてこの手に、白瑛の盾となり、剣となるための武器があるのであれば、

 

「光殿。どうすればこの眷属器は使えるのですか?」

 

 それを使わないという選択肢など存在しない。

 青舜はキッと光に視線を向け、自らに与えられた力の使い方を問うた。それに対する光の答えは、

 

「知らん」

「えっ?」

 

 至極あっさりしたものだった。

 

「俺には眷属がいない。どうやらこいつは眷属を作らんジンらしくてな」

 

 思わず目を点にして問い返した青舜に光は、愛刀を軽く持ち上げて答えた。

 

 金属器に関する情報は、煌帝国に来る前にある程度は調べていた。

昔々の話だが、和国にも金属器使いはいたのだ。いくつかの文献に記述されたそれによると、かつての王には4人の眷属がいたということなのだが、光の金属器にはそれらしい者はいない。

 嘘ではない。だがそれは光のジンの本来の性質がゆえに、ではない。その理由を光も知っているのだが、それを白瑛に語ることはないし、そのつもりもない。

 

「まあ眷属というくらいだ。金属器と同じ風の力を秘めているだろうから、白瑛殿に聞いてみた方がいい」

「…………」

 

 ただ告げるのは、白瑛の身を守るための術をより確かなものにすることだけだ。

 実際、光のジンと白瑛のパイモンとの、ルフ的な性質は実は悪かったりするのだが……

 

 困ったように白瑛に振り向く青舜だが、白瑛とてようやく風の扱いになれてきたところなのだ。すぐに的確な指摘を送ることはできまい。

 

「あとは……魔装化だな」

「魔装化?」

 

 青舜が眷属器使いとして白瑛の前衛を務める、というのは後々の形としてはありそうだが、ひとまず別の方法もある。それを告げると、青舜に加えて白瑛もまた首を傾げた。

 

「ん? なんだ紅炎殿か、あのマギから聞いてないのか?」

「?」

 

 その様子に光は少し不思議そうな顔をした。

 煌帝国にはすでに金属器使いがいるし、その金属器使いは戦争好きで知られている。てっきり、一度や二度はその使い方を見たことがあると思っていたし、なによりジンへと導く張本人たるマギがすぐ近くにいるのだ。その使い方を聞くことはできるだろう……と思ったが、思い返してみれば、あのテキトーそうなマギがそこまできっちり世話を焼いてくれるとも思えなかった。

 

「ジンの使い方の本領は魔法を使う事じゃない。自身にジンを宿すことがその本領だ」

「ジンを、宿す……?」

 

 そのため一応の使い方を指導するようにジンの本質的な使い方を説明した。

 

「ジン次第だが、武装を持っている可能性もあると思うが……やってみるか?」

「はい」

 

 訓練で消費した分の魔力はすでに多少回復してきている。光の問いかけに、白瑛は頷きをもって答えた。

 

 

    ✡✡✡

 

 

「混沌と狂愛の精霊よ。汝と汝の眷属に命ず。我が魔力を糧として、我が意志に大いなる力を与えよ……出でよ! パイモン!!」

 

 白瑛のジン、パイモンを呼び出す詞とともに吹き荒れる風が顕現する。それはさながら風の巨人の如くに、そして白瑛を守る聖母の如くに。

 

 だがそれは本来の金属器の使い方からはみ出したものにすぎない。

 風が吹き荒れる度に白瑛の魔力は消費されていく、燃費の悪い方法。

 

 

「風を収束するんだ。金属器を持つ手を基点にジンの力を薄く纏うように魔力をコントロールしろ」

「……くっ」

 

 光の指摘を受けて白瑛は集中力を強めて、手に持つ白羽扇に意識を集中させる。

 大きくうねるように吹き荒れていた風の巨人が少しずつ小さく、白瑛の体を覆うように収束を始め、

 

「っぁ!」

 

 その収束が金属器に集中し始めた瞬間、抑え込んだ風が暴発するように弾けた。

 

「ふむ。流石にそうそう簡単にはいかんか……」

 

 収束させる訓練を始めて、これで幾度目かの失敗。

 なんとか手元近くに風を集めることができるようにはなってきたが、流石に精神力と体力、魔力に限界が来たのか、白瑛は大粒の汗をその頬からしたたらせ、荒い息をついていた。

 

 元々、白瑛は風を制御する能力の練習中であったのだが、それは例えば風の壁をつくったり、風の弾丸や斬撃を生み出すもので、放射させるような使い方が中心だった。

 金属器の力を1点に収束させるというのは、特に風のように本来留まる性質を持たないものを収束させるのはかなり難しいのだろう。

 

「光殿が一度実演するというのはどうでしょう?」

 

 手探り状態が続く白瑛を見かねて青舜が口を挟んだ。それに対して光は少し困ったように首筋を掻いて答えた。

 

「魔装化はそれぞれのジンの特性を纏うものだ。俺のを見てもあまり参考にはならんし、どちらかというと変な先入観が植え付きかねん」

 

 光のジンと白瑛のジンは、その得意とするルフの系統からしてそもそも異なる。

 

「どういう形になるのですか?」

「慣れてくれば多少形状もコントロールできるが、基本的にはジンの持っている武器に似た形をとる」

 

 白瑛が息を整えている間に、青舜が少しでもヒントを引き出そうと質問を重ねていた。

 魔装化というのはジンそのものを纏うものだ。ゆえにその形状は金属器とルフが担い手に直接教えてくれるものなのだ。だが、そこに先入観が組み込まれると指向が定まらずに上手くできなくなる可能性がある。

 

 白瑛は深呼吸をしながら迷宮で出会ったジンの姿を、パイモンの姿を思い浮かべていた。

 その時の姿には武装との関連性は思い浮かばなかったが、不思議と何かの形が頭の中に流れ込んできていた。

 

 まだ明瞭な形にはならないそれは、しかしそれこそが自分の形作る第1歩なのだと確信させるものだった。

 

「……行きます」

 

 思い浮かぶは白い姿。

 

 風を纏い、風とともに舞い……

 

「む?」

 

 何かを掴みかけているのか、白瑛の風が白羽扇を覆い、それを掴む腕を露わにしかけ

 

「っっ!」

 

 しかし、明確な形に留まる前に風が収束を破って吹き荒れた。

 その風に小柄な青舜などは吹き飛ばされかけてなんとか踏みとどまり、白龍も片腕をあげて猛烈な突風から目を隠すようにして耐えた。

 

 暴風の中心地では白瑛が息を荒くして、地に両手をつけていた。

 

「むぅ……まあ、これも一朝一夕になんとかなるものではないが、鍛練しておいた方がいい。ただ消耗には気をつけろ」

「?」

 

 大きく肩を上下させる白瑛に光は近づき、手を差し伸べながら注意を促すように言葉をかけた。

 なんとか息を整えて光の手を借り立ち上がった白瑛はその言葉に小首を傾げて問うような視線を向けた。

 

「魔装化すれば強大な魔法を使うこともできるが、その分消耗も大きくなる。急激に魔力を消費すれば場合によっては命を削ることもありうるからな」

 

 操気術、魔力操作にも言えることだが、魔力というものは生命力と同義だ。ルフが生み出すそれを使って人間は生きている。言ってみれば人が生きることもルフが引き起こす自然現象の一つと言えるのだ。

 

「光殿は魔装の習得にどのくらいかかったのですか?」

「直接比較はできんな。俺の場合は操気術である程度は気のコントロール、魔力の制御ができていたからな。気も魔力も扱った経験のない白瑛殿とは土台が違う」

 

 青舜の問いに光は直接的な明言を避けて比較できないことを告げた。

 

「あと白瑛殿の魔力量は人よりも多少多い位だ。大技を一度出すのが限度だろう」

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 鍛練が終わり、宮中での仕事が終わり、白瑛も光も私室へと戻っていた。

 

 最近白龍は煌帝国に滞在している流浪の民とやらに稽古をつけてもらっているらしく、許嫁同士、二人きりになる時間が増えていた。

 もっとも、いつ従者や白龍がやってくるかもわからないところでは滅多な事もできないが……

 

 二人にしても会話を楽しむこともあるが、おしゃべりな性格というわけではなく、会話もなく、ただ共に居るという時間もままある。

 

 話したこと、まだ話していないこと、そして話さないこと……会話の内容に困るということはないが、今二人の居る部屋は衣が擦れる音と開け放たれた窓から風のそよぐ音が聞こえていた。

 

 今も白瑛は繕い物に集中しているのか、手元に視線を落して作業しており、光はただその傍で瞳を閉じていた。

 その真っ直ぐな白い気の流れが心地よく、言葉を交わさなくても一緒に居られることが自然な様子で……

 

 不意に光は何かを感じ取ったように眼を開けて扉に視線を向けた。

 

「光殿?」

「……」

 

 微睡んでいた猫が人の接近を感じて警戒した瞳を向けるような光の姿に白瑛は視線を向けた。

 

 扉の先に現れた者が誘う先。

 その先に得るのは……

 



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第13話

帝都、禁城の一室。

 

「なー、紅炎。暇じゃね?」

 

 煌帝国の神官ジュダルと第1皇子の練紅炎が話していた。煌帝国において皇帝を除けば名実ともに重鎮クラスの重要人物二人だが、一方のジュダルは暇を持て余したように気だるげな様相を見せており、しゃくりと手に持っていた桃を口にした。

 

「んー。暇ではないが……次の戦争までまだやることがあるからな」

 

 他方紅炎は、皇族筆頭であるとともに有力な将軍であるので平時においてもいろいろと書類仕事をこなしているが、口調もいまいち覇気に欠け、ぼーっとしたように書類に眼を落していた。

 軍務、実務ともに有能な皇子ではあるのだが、戦争好きの噂通り、戦時に於いては鮮烈な覇気を放つものの、平時に於いてはぼーっとしていることが多い。

 

「暇なら迷宮行こうぜ」

「迷宮か……この間、白瑛が第9迷宮を攻略したところだろう」

 

 ジュダルの神官としての務め、マギとしての役割は、これと見込んだ煌帝国の将を迷宮に誘い、王の器、ジンの金属器の担い手とすることだ。また、迷宮の攻略は、迷宮内に存在する数多の財宝や迷宮道具、迷宮生物など様々な恩恵を攻略者にもたらす。戦争国家である煌帝国にとって迷宮攻略は重要な財源であるとともに、戦略上重要な戦力を得るためのものでもある。

 もっともジュダルが迷宮攻略に誘うのは半ば趣味のようなものでもあり、娯楽のようなものでもあるようだが……

 

「いいじゃねえか。お前なら3つ目もいけるって。バカ殿は7つ。器ならお前も負けちゃいねえって」

 

 現在煌帝国には4体のジンと3人の王の器。そして加えて1体のジンとその担い手が存在している。そのうち2体のジンが紅炎に力を与えている。

 

 世にも稀な複数迷宮攻略者

 現在確認されているのは七海の覇王・シンドバッドと炎帝・練紅炎の二人のみだ。ただし、ジュダルの言うように、7体のジンを従えるシンドバッドに対して紅炎はまだ2体。

 そしてジュダルの見立てでは、紅炎にはまだ先があると見ていた。

 

「3つ目の迷宮攻略か……そうだな」

 

 ジュダルの誘いに紅炎は手にしていた書類から視線を上げて外を見た。

 紅炎の私室からは見えないが、外ではジンの担い手の一人が義妹に稽古をつけているはずだ。

 紅炎や白瑛とはまた違う王の器を持つはずの男。

 

 剣技は優れている。魔力操作能力と組み合わせたそれは、一騎打ちでは煌帝国の将の中でも抜きんでているかもしれない。

 そのほかの能力を見ても紅炎自身にそうそう引けをとらないだろうことが分かる。

 強いて言うならば内包する魔力の量が紅炎に比べて少ないことだ。だがそれは紅炎の量が規格外なのであって、他の者と比べれば、例えば白瑛や紅覇に比べれば圧倒的に上回っている。

 

 だが器ではない。

 なぜだかそんな予感がするのだ。

 

 紅炎の視線の向く先を察したのか、ジュダルはにやりと笑みを浮かべて身を起こした。

 

「攻略者っつたら、白瑛のとこのやつだけど、あいつは器じゃねーぞ」

「ほう……なぜ分かる?」

 

 まさに紅炎が抱いていた予感を裏付ける答えをジュダルは言い、紅炎はジュダルに視線を向けた。

 マギであるジュダルが王の器ではない。と言えば、それは単なる予感では済まない。もしかすると他のマギにとっては違うのかもしれないが、少なくとも煌帝国においては王の器ではない。

 

「おいおい、俺はマギだぜ? 漂ってるルフを見ればだいたい予想はつくさ。なんせあいつから漂うルフは―――――」

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 煌帝国領土の一角

 

 聳え立つ古代王朝の遺跡。ジュダルによって世界に現出させられた迷宮の一つに、今二人の挑戦者が挑んでいた。

 

 

「行ったぞ」

「ふっ!」

 

 襲い掛かってきた猿のような迷宮生物は外見通りの素早さをもって侵入者を翻弄するのだろう。だが、二人の侵入者はその格というものがまるで違った。

 二人のうちの一人、両刃の剣を持つ赤い髪の男、紅炎が平静のような声音でもう一人に注意を促し、もう一人の男、光は一瞬の抜刀で迷宮生物を両断した。

 

 二人の周りには無数の迷宮生物のなれの果てが転がっており、見渡せる範囲に於いて最後の1匹を切り捨てた光は残心しつつも息をついた。

 

「迷宮は久方ぶりだが……一人より二人の方がしんどいというのも難儀な話だ」

「踏み込むものの力量に応じて難易度が変わるんだ。仕方ないだろう」

 

 紅炎も持っていた剣を一振りして、汚れを払った。

 紅炎と光。二人の迷宮攻略者が、マギを伴わず、そして眷属などを伴わずに迷宮に踏み込んでいた。

 

「なるほど。ならこれは紅炎殿のせいということだな」

「ふん。それほど苦労しているようにも見えんが?」

 

 紅炎の眷属や彼を慕う部下たちに睨まれながら迷宮に入った光だが、それは彼自身が立候補したわけでも希望したわけでもなく、唐突に白瑛の元から駆り出されたのだ。

 

「紅炎殿の眷属やら煌の将軍やらに睨まれてまで入りたくはなかったな。眷属も配下も連れずに二人っきりで入るなんて、どういうつもりだ?」

「なに。暇を持て余しながら報告を仕上げるくらいなら、今後うまくやっていくためにも義弟と共同作業をする方が益があると思っただけのことだ」

 

 迷宮に入る前の紅炎の眷属の眼差しと言ったら、主と二人きりで迷宮に挑むという光に警戒心を露わにして見ており、冷ややかな眼で紅炎を見やると、当人は知れっとした顔で、要はヒマつぶしだと言わんばかりに嘯いていた。

 

「バカだと言われないか?」

「特に覚えはないな」

 

 暇を持て余して、という訳でも……完全には無いわけではないが、部下に無断で迷宮攻略をしたり、盗賊退治をやっていたりした過去を考えて光は、彼の幼馴染に散々言われた言葉を問いかけてみた。

 

「なんだ。幼馴染とかいないのか?」

「なるほど。言われたな?」

「……」

 

 だが、どうやら紅炎には光にとっての融のような者は居なかったようで、あるいは居なくなったようでしれっと返した挙句に図星をつかれて光は沈黙した。

 

 昔幼馴染に口を酸っぱくして言われたことを思いだしてか、それともその時のことを懐かしんでか、光はむすっとしたまま迷宮を進んだ。その表情にくっくっ、と笑っていた紅炎は不意に表情を真剣なモノにして口を開いた。 

 

「ここに来たのは、お前と話したかったからだ」

 

 変わった声音と雰囲気に光は振り向いて真剣な眼差しを紅炎に向けた。紅炎と光、二人のジンの担い手がしばし互いを探るような視線を交わし、次に口を開いたのは紅炎だった。 

 

「近く俺は征西軍の総督として戦にでる」

「ほぅ」

 

 出てきた言葉は、これからのこと。戦争のことだった。大陸の極東に位置する煌帝国からすると東にある和国とは同盟関係。世界の覇権を握るために進出していくならば当然西に征進するものだし、白瑛の迷宮攻略によって戦力の増強や軍費をまかなうあてができた以上、戦を始めるのは ―それを厭う白瑛には皮肉なことに― 流れとも言える。

 

「西に征くルートはいくつかあるのだが、その中でも北方兵団の将を誰にするかで意見が分かれていてな」

「おいおい。それで他国の人間に意見を求めるのか?」

 

 光の頭に浮かんだ皮肉を無視するように紅炎は言葉を続けた。だがその内容は本来軍議や閣議、国内の重要案件として禁城で話すべき内容であり、光は呆れたような表情をしてみせた。

 

「まぁ聞け。お前にも関係のあることだ」

 

 相手が呆れたようなフリをしてみせていることを分かっていながら、紅炎はそれを片手を挙げて制して続けた。

 西に赴くなら東の島国である和国とはまあ関係が薄い。しかし関係があるということは、“増強された戦力”が光と関係が強いからだろう。

 

「候補者の一人は呂斎。お前も何度か会ったことがあるだろ?」

「ああ」

 

 まず出てきたのは、あまり関係のない名前。

 

 呂斎

 その思想はまさに、侵略国家の煌帝国の将というに相応しいもので、光が(名目上)仕えている白瑛とは折り合いが悪い。ただ、戦に関しては有能で、目に見える戦果をあげてきているだけに今の将軍の中ではなかなかに覚えのめでたい男だ。

 

「皇帝の近くでうろついていた昔からの幕僚のやつらが主に推していてな」

「用兵術には長けているし、皇帝陛下の信任もあるのなら別に問題ないだろ」

 

 呂斎の戦術面での有能さは光も目にしたことがあるし、宮中に於いては、危険分子である白瑛たちの監視を任されるほどに信任されている。配置によっては監視役を変える必要が出るかもしれないが、それはまさに宮中で決めることで光や白瑛がとやかく言えるものではない。

 

「まあそうなんだが、ここにきてもう一人候補者がでてきてな」

「……」

 

 だが、それだけで終わるではなく紅炎は、試すような眼差しを光に向けた。紅炎の試すような眼差しの意図、次にあげられる名前を予測しているかと言えば、予測はできていた。

 ここまでの話の流れと、わざわざ白瑛を守ると宣言している光に話すことからも、そして増強された戦力であることを考えれば、自ずと分かる。

 

「予想はついているようだが、白瑛だ」

「迷宮を攻略したからか?」

 

 出てきた名前は予想通り、もっとも出て欲しくない言葉ではあった。分かっていながら、一応光は足掻いてみた。

 迷宮の攻略は煌帝国の意志であり、また白瑛自身の望んだことでもある。

 

 正しい力と心を持つ、唯一の王が世界を一つに治めるために、

 誰も死なぬ世の中を創るために

 

 志半ばで死んでしまった先王、父の意志を継ぐために

 

「そういうことだ。主に神官たちが推していてな。そのせいでいい顔はされていないが、意見としては大きくなっているんだよ」

 

 白瑛自身が世界の王になる望を抱いているとは光も思っていない。彼女はただ、その世界を統べるに相応しい者の助力になりたいと願っているのだ。そしてそれを紅炎に向けられるかもしれないとも。

 

「……問題があるようには感じんな。総督が紅炎殿だというなら紅炎殿次第だろう。貴方が悩んでいるようには見えんな」

 

 そんな白瑛の思いも知っているだけに光は答えた。事実目の前に立つこの男が他人に判断を依拠する男には見えないし、それを求めているとも思っていない。

 

 そして、世界の覇権争いなどに乗り出す気のない和国に比べて、煌帝国の、その中でも練紅炎という男は、光から見ても王の器の大きな男だと見ていた。

 白瑛が自らの道として、この男を王に立て、自らは武人としての道を歩くというのなら、光はただ、その傍らで彼女を守るために力を尽くすだけだ。

 

 それが――――――

 

「そうでもない。北方には異民族が多くてな。ああ、そういえば大黄牙帝国の末裔も北方に居るな。そういう意味でもお前とは縁があるな?」

 

 思考が別の方向に逸れかけていた光だが、紅炎の話は続いており、一応は悩んでいるふりをしてみせた。というよりも悩んでいるのは紅炎ではなく、周りの、白瑛を危険視したい連中を大人しくする口実を求めている、といったところかもしれない。

 

「どれだけ昔の話だと思っている。そんな身に覚えもないような昔の縁など、縁になるか」

「それもそうだな。まあ、それはいいとして、他にも少数ながら屈強な民族の抵抗が多数予想されていてな。できるだけ犠牲少なく進めたい。そのためには金属器の力を持つ白瑛を将とした方がいいという意見があってな。お前ならばどちらを選ぶ?」

 

 わざわざ関係性を強調して、試すための意見を求めてくる紅炎にバッサリと言い返すと、紅炎はあっさりと質問に移った。

 

 征西軍の一方面団の将としてどちらを選ぶか

 

 彼らと同じジンの金属器使いである白瑛か

 宮中における信任のある呂斎か

 

 光が口にした名前は

 

「……白瑛だ」

「ほぅ」

 

 自らが守ると約した女の名だった。

 

「意外か?」

「意外だな。お前は金属器の力など考慮に入れんと思っていたし、むしろ白瑛を戦から遠ざけると思っていたがな」

 

 紅炎はあまり意外に思っていなさそうな声音で、ただ演技のつもりかわずかばかり顔には驚きのようなものを張り付けている。

 

「俺が紅炎殿の立場なら、だろう? それならば金属器が無くとも白瑛を選ぶ」

「理由を伺いたいところだな」

 

 それに対して光は、迷宮攻略者としての練白瑛ではなく、皇女・練白瑛としての資質をこそ見ていることを告げた。それは単なる戦術的なものや、個人の持つ武力が故にではない。

 

「呂斎は用兵術には長けているが、統治力がない。戦の犠牲を減らせても、統治した地域からの協力が得られん。そういったところでは白瑛の方が長けている。戦局だけ見るなら兵団の将に据える必要はない。方面軍の将として任じるなら呂斎は選べん」

 

 戦に関しては呂斎の腕前はたしかに中々のものがある。だが、他者を侮り、無闇と戦闘を好む呂斎では将には向かない。将ならば、特に異民族平定の任を帯びる方面軍の将は、その地域の一時的な統治や異民族からの信用を得て、そこからの戦線維持を行わなければならない。

 それを考えると、他国の者や目下の者を侮ることを隠そうともしない呂斎は不適格と言わざるを得ない。対して白瑛は戦運びにこそ若干の不安はあるものの、賊軍ですら配下に組み込んだという実績と度量の大きさがある。戦運びに関しては、周りの者が補うことができても、トップに魅力がなければついてはこない。呂斎にはそこが致命的に欠けている。 

 

「ほーぅ」

「意外そうな顔をするな。どうせ紅炎殿も同じ考えだったのだろう」

 

 戦争好きという点では、呂斎は紅炎と通じる所があるかもしれないが、その中身は大きく異なる。

 

「そうかな? 俺は戦好きだからな。むしろ呂斎を推しているかもしれんぞ?」

「いや。貴方は白瑛を推している」

 

 戦争で人を殺すことを、人と人とが争うことを楽しむ呂斎とは異なり、紅炎は戦争好きではあっても目的のためのものとしての戦であり無闇とは起こさない。収められるものならば、無傷で収める。

 

「ふん。相変わらず感が鋭いな」

 

 見透かされているようで不快に思うかと思いきや、鼻を鳴らす紅炎は、存外に面白そうだとでも言いたげな表情を浮かべていた。話が一区切りついたことで光は迷宮を進む歩みを再開し、視線を外した。

 

「それで、話したいことというのは今のか?」

「いいや? むしろここからが本題だな」

「……」

 

 だが、今までの話は、これから始まる本題のための単なる前菜にすぎなかった。続いた言葉に光は再開した歩みを止めて紅炎に振り向いた。その顔からはすでに笑みが消えており、指すような視線が向けられていた。

 

「今から話すのは煌帝国でも限られた者しか知らん機密だ」

「そんな話を他国の人間に聞かせるべきではないだろう」

 

 炎帝・練紅炎。その通り名の如くに、苛烈な燃えるような瞳が向けられており、光はこちらも一応足掻いてみた。

 

「中から色々と調べられるのは正直鬱陶しくてな。しかもお前ほどの相手だ。立ち位置をはっきりさせておこうかと思ったまでだ」

「……」

 

 だが、返ってきた言葉は、その体から発せられる威圧感と共に光を沈黙させるには十分だった。

 

「自分を餌にしてたヤツがそんな驚いた顔をするなよ」

「かかった獲物が大きすぎてな」

 

 バレていないなどと甘い期待は抱いてはいなかった。むしろ誰が敵か分からないため、どのように動くかを誘っていたところはある。

 資料探し、鍛練場、何気ない風な日常。

 

 練紅明、練紅覇、練紅玉、ジュダル、練紅徳

 呂斎、李青舜、練白龍、練玉艶……

 

 様々な相手に隙を見せつつ、接触してみた。どのみち敵の懐に飛び込む以上、そしてその懐に白瑛がいる以上、隠れてこそこそし続けることなど不可能だ。

 

「これでも、お前のことは気に入ってはいる。敵にし、味方にしろ、どちらの位置でも楽しめそうだが、はっきりせんことにはやりづらい。」

 

 気に入っているというのは、本当なのだろう。そして、それ以上に、気になっている、というのもあるのかもしれない。

 

「そうだな。最初から話すのも面倒だ。どこまで調べた?」

 

 紅炎のなんでもないような口調の問いかけに、光はその内面を見透かすように眼を細めた。

話すと言っているのは、なにも自分を味方と見定めたからとは限らない。むしろ敵と見定めてのことの可能性の方が大きい。そのことは紅炎の瞳が雄弁に語っていた。光が紅炎を見透かそうとしているのと同様、紅炎もまた光を見定めようという眼差しを向けている。

 

 下手なことを口にするとこの場が戦場となるかもしれない。迷宮攻略者同士の戦場に。

 

 

 しばしためらった光は、意を決して口を開いた。

 もとより覚悟の上で煌帝国に足を踏み入れているのだ。

 

「……はっきり分かっているのは煌帝国の建国にある組織が絡んでいることくらいだな」

「ほぅ」

 

 煌帝国が魔窟のような状況になっているのは、当の昔に知っていた。

 だからこそ、そこに無防備に飛び込んできたなどということは、いくら光でもしない。そんなことではなにも守れない。

 

 だが外から調べるだけでは限度がある。そのため、特使が来たのだ。

 結果、わかったことは、誰が白瑛の味方で、誰が敵でもおかしくはないという事だ。

 

「……父王や兄王が八芒星の組織と呼んでいる集団がなにやら煌帝国の影でやっているというのは知っている。あの神官は間違いなく当たりだろうが、ほかに誰が繋がっているのかはまだ分かっていない」

「八芒星の組織、か……俺達は単に『組織』と呼んでいるが……ふむ。そこまでは分かっているか」

 

 仇敵を指す、光の -和の- 呼び方に対して返した紅炎の答えは、笑みを象る口元とまったく笑っていない瞳とによって、敵なのか味方なのか、判然としかねるものであった。

 

 『組織』

 歴史の裏に、影に、闇に巣食い、操ろうとする組織。決して一つの名を名乗ろうとはしない、謎の目的をもった集団。

 

 

 そして

 

 

「なら叔父上、前皇帝が亡くなられたのは亡国の敗残兵の仕業などではない、というのは?」

 

 続けられた紅炎の言葉に光の気が、すっと冷たさを増した。

 

「……確信は持ててなかった。だが後の状況を見ればその可能性は大きいとは思っている」

「では、誰が、というのは?」

 

 話の流れを解せないほど鈍感ではない。

 組織の話をわざわざ初代皇帝暗殺の話に捻じ曲げたのだ。その意味するところは、明白だった。

 

 静けさがあたりを覆った。

 

「……」

「……そこまでは掴めなかった。来る前は迷宮攻略者のどちらかかと思ったんだがな」

 

 しばらくの沈黙の後、言葉になったのは、目の前の男か、その弟こそが真犯人だと推測していたという事実だ。

 

 紅炎と紅明。

 

 初代皇帝暗殺の前後に力をつけた、前皇帝の下では皇位継承権のほぼない下位の皇族。現皇帝勢力では継承権筆頭の二人。

 

 敵とあたりをつけた相手に、それを答えたのは

 

「ほぅ。それで、のこのことついて来たのはどういうわけだ?」

「……なんとなく違う気がした、といったところだ」

 

 実際に紅炎を見ての勘だった。

 それで外れていたとして、別に困りはしない。

 

 迷宮というのは外界から隔絶し、死者がでてもなんらおかしくない。むしろ生還できる方が奇跡的な場所。

 つまり暗殺が公然と行える所なのだ。

 

 もっとも、

 

「俺だ、と言ったらどうする?」

「…………」

 

 それは逆のことも言える。

 暗殺することを主眼に置いていたからこそ、光をここに誘い込んだ。

 

 紅炎の一言に、場の空気が凍てついていた。

 光の表情から色が消え、紅炎の纏う空気も好戦的なそれへと変わる。

 

「白瑛の父と兄とを殺し、今なお白瑛たちの命を狙うのが俺だ、と言ったら?」

 

 裂帛の気迫が大気を満たし、ピシリ、ピシリと壁や床に亀裂を作っていく。

 不意に重圧のような気配が薄れ、

 

 

「ギャあああ!!!!」

 

 一瞬の内に光の姿が消え、次の瞬間、断末魔の叫びが上がる。納刀していた状態からの一刀は剣閃どころか身のこなしすら目に映ることが無く、

 

「ほぅ」

「斬る」

 

 紅炎の背後に忍び寄ろうとしていた化け物を両断した。

 

 背後の存在に気づいていながら、紅炎は対応の素振りを見せなかった。強圧な殺気を放つ光が、今、自分を斬ることはなく、話の途中で死なせるはずはないという計算というなの信用の上で。

 もっとも、それはすなわち信頼関係があるというものではなく、紅炎の打算通り、事の真偽を、少なくとも紅炎が知り、光が知らない情報を聞き出すまではというものだ。

 

 二人を取り巻く空気が濃密な剣気に覆われていく。

 

 

 眼差しだけで、そこに込められた気だけで人を殺さんばかりの視線を受けている紅炎は、不意に笑みを浮かべ、緊迫を解いた。

 

「ふっ」

「……知っているのか?」

 

 そこに込められた笑みの意味を理解した光は、眼差しは鋭いままに、剣気を緩めた。

 この男が、少なくとも、この状況でそんなことを暴露する男ではない。

 やるとすれば、真実を交渉材料とすること

 

「ああ……」

 

 光の眼差しを受け、紅炎は頷きを返した。

 

「前皇帝、白瑛の父、練白徳を殺し。大火に見せて白雄、白蓮の二人を殺したのは」

 

 煌帝国に深く深く根付く闇の大樹。その母体となる名。

 

「練玉艶。白瑛の母だ」

 

 紅炎の口から紡がれたその名に、光は一度眼を閉じ、再び開いた時には内に秘めた激情を隠しきっていた。

 

 何人の人間が紅炎の持つ真実に辿り着いているかは分からない。だが恐らくこの真実を白瑛は知らないだろう。知ればいかに真っ直ぐな気を持つ白瑛と言えど、否、真っ直ぐだからこそ、変わらずにはいられなかっただろう。

 

「思ったより驚いたようには見えんな」

「全く予想していなかった訳ではない。ただ、それを答えにはしたくなかった」

 

 感情を制御しきった光の様子に紅炎は、少しだけ感心したように言った。あるいはこの男ならこの結論に達しているかもしれないという期待があったのかもしれない。そして光の反応は、紅炎が予想していた中では最良の反応だったのだ。

 

「答えを知ってお前はどうする?」

「……別に変りはせん。前にも言ったように、白瑛を守る。それだけだ」

「できるのか?」

 

 そもそも、紅炎がこれをわざわざ光に告げたのは、他の者以上にこの男が信頼できるからでは決してない。ただ、この男が敵に回った時の厄介さを考えれば、まだ御しやすい白瑛のもとに縛り付けて置いた方が得策であり、そのための一手として最善だったからだ。

 探していた答えを知って、それでも以前と変わらぬ言葉を口にする光に紅炎は鋭い視線を向けた。

 

「……どういう意味だ?」

「ヤツラの力は強大だ。その力を利用して力を得る算段だが、知れば知る程ヤツラの深さは底が知れなくなる」

 

 外からでは探りきれなかったと光は言外に言ったが、それは間違いだ。紅炎を以てしても、内部からでもその実態を掴みきるには至っていないのだ。

 どこまで手を伸ばしているのか、どこまで奴らの思惑の内なのか

 

「協力でもするのか?」

「さて、な。ともかく俺は話した。歩み寄りたければお前も話せ。お前の隠す秘密を。お前の違和感の正体を」

 

 そして、この交渉の意義はもう一つ。

 感じていた違和感。マギ・ジュダルの語ったことの真偽。

 

 それを確かめること。

 

 この男が本当に(・・・)王の器たる皇光なのか

 

「…………」

 

 紅炎の一手に光の眼に剣呑な色が宿る。

 

 たしかに先に差し出された情報の価値は大きい。事の真偽を確かめることはできないが、警戒すべき相手であったことには違いないし、少なくとも紅炎は光、そして白瑛を自陣営に取り込もうとしているということは分かる。

 そして紅炎ほどの男が味方につけば、それは宮中における立ち回り的にも大きくメリットがある。

 

 厄介なのは

 

 この男に多大な力を授けているマギは真っ黒だということだ。

 

 ただ、いずれにしてもマギに眼をつけられた時点で、この(・・)光の隠したいことはすでに露見していると見ていいだろう。

 

 だから 

 

「俺は――――――」

 

 白瑛にすら告げていない真実を、告げてはいけない言葉を紡いだ。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 早馬から紅炎たちが帰還しているという報告を受けて、紅炎を慕う者たち -彼の配下、紅明や紅覇たちが城外を見守っていた。一応、もう一人の挑戦者である和の特使の帰還を待ち望む者もいないではないが、それは9:1にもならない比率差、9割9分9厘ほどが紅炎の方のみに関心を抱いていた。

 

 数少ない少数派。光のことも気にかけている白瑛や光雲たちもまた少し遅れて報せを受けて集っていた。

 

 やがて数人の眷属を伴って、空飛ぶ絨毯が遠くの空に姿を見せた。

 迷宮道具であるその絨毯には、迷宮攻略の証である数多の財宝とともに、無事な二人の姿もあった。

 紅炎と光。どちらも全くの無傷のように見える姿だ。

 

 二人の、といっても大多数は紅炎の無事な姿に安堵の息をもらし、気の早い数人は歓声をあげている。

 白瑛もまた光の帰還にほっと安堵の息をついた。

 

 光の強さは知ってはいても、それでも迷宮に挑んだ彼に対する心配はあった。  

 

 空飛ぶ絨毯は段々とその姿を大きくし、待ち受ける者たちの下へと無事に着陸した。

 

「炎兄!」

 

 紅炎を慕う紅覇を筆頭に、紅明や配下の者たちが降りてきた紅炎を取り囲み、期待に満ちた眼差しを向けた。

 その輪から外れたところでは光が、軽く手をあげて白瑛に無事な帰還をアピールしている。

 

「おかえりなさい、光殿」

「ああ」

 

 いつも通りの笑みを向ける白瑛に、光はふっと微笑を返す。そのやり取りを見ている白龍はむっとした様子になり、その横で青舜が苦笑いを浮かべる。

 

 そして

 

「それで、紅炎様! ジンは……」

 

 紅炎を囲む輪の一部から遠慮がちに問いが為された。

 絶対的な信頼をおく紅炎に対するものだからこそ、その問いは、問いかけてもいいものか不安を抱えたような声音だった。だが、その声音とはよそに、あたりはその質問によってシンと返答を求める間を作った。

 

自らの答えに期待に満ちた眼差しを受け、紅炎はちらりと光に視線を向けた。

光は紅炎の方を見ようとはせず、その態度は結果報告を紅炎に任せているようだ。

白瑛や白龍も二人の迷宮攻略者の優劣とも言える今回の挑戦の結果を聞こうと紅炎に視線を向けた。

 

紅炎の答えは、

 

「俺だ」

 

 明瞭なたった一言だった。

 だがその一言に、紅明は安堵の息を漏らし、紅覇や眷属たちは喜びの声を上げた。

 

「流石炎兄!」

「紅炎さま!!」

 

 紅炎と光。迷宮に挑んだ二人は、ついっと互いに視線を外し、紅炎は城内へと、光は白瑛の方に体を向けた。

 

「今度は選ばれなかったのか」

「二つあっても使わん。必要ないと思っているのに選ばれるはずなかろう」

 

 選ばれた紅炎には配下の者たちが喝采とともに付き従い、選ばれなかった光には光雲が問いかけた。

 それに対して光はあっさりと答え、すっと白瑛に向けて手を差し向けた。なにかを手渡すような素振りに白瑛は反射的に手を胸の前に差し出してそれを受け取った。

 

「光殿、これは?」

「迷宮土産だ。攻略者殿には許可をとってある。手伝った報酬代わりだ」

 

手渡されたのは円筒状の金細工の髪飾り。筒の中ほどに紅玉だろうか、赤い宝石がはめ込まれておりそれほど白瑛の黒い髪によく映えるだろう。

少し驚いたようにきょとんとしていた白瑛は、光の向けてくる微笑ににこりと笑みを返した。

 

「ふふ。ありがとうございます」

 

 ちなみに、微笑む白瑛のその横では、白龍がなんだか血でも吐きそうな顔で光を睨んでいたりする。

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 皇帝への報告を終え、迷宮攻略に関わる雑事を終えた紅炎は、ようやく一息ついて自室へと戻った。

 その部屋の中では、

 

「よう」

 

 暇を持て余したジュダルが気だるげに桃を食べていた。

 本来であれば神官と言えど、紅炎の私室に無断で立ち入ることなど許されるはずもない。だが、

 

「言ったとおりだったろ?」

「……ああ。たいしたものだなマギの眼は」

 

 今回は紅炎もまたジュダルと話したいことがあった。

 

 皇光

 

 和国に現れた迷宮を攻略した王の器……だったはずのもの

 

 だがこの男は言った。

 

 あの男は王の器ではない、と

 

なんせあいつから漂うルフは―――――

 

 

紫色だからな―――

 



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追憶の雨

 あれはいつのことだっただろう……

 

「トオル。はやくこいよ」

「ひかる。まずいよ。」

 

 小さな声で急かしながら先を行くあの方を追っていた。

 

「だいじょうぶ。まかせろ」

「まかせろって……ここどこだよ……?」

 

 父上によって引き合わされた皇光という同い年の、この時はまだ小さな少年と自分はよく一緒に遊んでいた。

 たしかこの時は、中庭あたりで遊んでいたはずが、いつの間にか気がついたら建物の中をこそこそと動き回っていた。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

「どこに行くんだよ……?」

 

 自信満々に言う光の様子に、嫌な予感が募るのだが、放ってはおけず、言われるがままに光の後を追っていた。

 

「剣のしゅぎょうをみたいって言ってただろ、トオル」

「言ったけど……おれたちにはまだはやいって言われただろ」

 

 当時の自分たちはただ強くなりたいという男子の憧れのような思いを漠然と抱いていた。

 しかしまだ小さく、幼かったがゆえに剣の修行を受けたいという申し出は二人そろって却下され、その前に体を鍛えておきなさいとやんわり言われたころだった。

 

 遊んでいるうちに、その時の愚痴をこぼしてしまい、それなら剣の修行を見に行こうという話になったのだった。

 そしてどうせなら強い師匠が教えているところを見に行こうと、兵舎の鍛錬場ではなく、閃王子の練習を見に行こうと光に連れられてしまい……

 

「よし。たしかここだ」

「ここ?」

「たんれん場だよ」

 

 二人そろってこそこそと閃王子が鍛錬をつけてもらっている道場を覗き見ていた。

 

「よいしょ。よし。やってる」

「えぃ、っしょ。うわぁ……」

 

 鍛錬をつけている師範は、壮年の域に達したくらいの人で、しかし弟子たちを叱り飛ばす声や覇気は幼心にすごく感じた。

 

「あの人が、和国きってのけんごうなんだって」

「あのおししょうさん?」

 

 今しがた立ち合いをしているのは、光の兄である閃王子と師匠を思しき人だ。

 閃王子の息はすでに大きく乱れており、それでも凛と伸ばした背筋揺るぐことなく、その剣先は相手に向いていた。

 

 

「……うーん、やっぱり。なんだろ? 兄上の剣、なんかぼんやりとしてないか?」

「どれ?」

「剣だよ。あっちの人の剣はすっとしてるのに、兄上の剣はなんかかげろうがゆらいでるみたいだ」

「?」

 

 その時の自分たちはまだ、気のことや操気術ことは知らず、自分の目にはただの木刀にしか見えなかったのだが、光の目には薄ぼんやりと気の揺らめきが感じ取れていたのだろう。

 だが、ついつい見ることに集中してしまい、二人そろって身を乗り出した瞬間

 

「むっ! 誰だ!!」

 

「あっ。やっべ」

 

 怒鳴り声が届いてからの光の対応は素早かった。

 ちょうど、閃王子をたたき伏せた師匠さんが残身の姿勢から臨戦の構えに移行し、二人の方をにらみつけて怒鳴り声を上げたのだ。

 

「え? ぐぇっ」

 

 身を翻した光はすぐさま融の襟首を引っ掴んで、駆け出していた。

 

「こっちだ」

「えっ。ひかる」

 

 背後からどたどたと駆けてくる足音が聞こえるのに混じって、「また殿下だ!」「今日こそ逃がすな!!」などと聞こえるのは、普段から色々やっていたことのせいだったということに、融はこの数年後身に染みて体験することとなった。

 剣の修行も始められない小さな子供と修行中の剣士見習い。どちらの脚力が優れているかと聞かれれば圧倒的に後者で、逃げ切れるはずもないのだが

 

「ここだ。かくれるぞ」

「えっ!? ここ……?」

「いいから」

 

 どこをどう駆けてきたのか、曲がり角を折れた直後、とある部屋の扉の前にたどり着いており、ここがどこなのか確認する前に融は光に部屋の中に押し込まれた。

 廊下からはどたどたと数人の駆けてくる足音が聞こえたが、不思議と部屋の中を気にかけた様子はなく通り過ぎた。

 

「気づかなかった……?」

 

 曲がり角から先は隠れるところはこの部屋くらいだったはずだ。詰められつつあった速力の差を考えれば、不意に消えたことに、どこかに隠れた、もっとピンポイントにこの部屋に隠れたと訝しんでもおかしくはない気がして首を傾げ光を見た。その視線に不思議そうな色を見つけたのか光は面白そうな話を教えるような顔になった。

 

「ふなのりに聞いたんだ。とうだいの下が一番暗いって」

「?」

 

 和国には船乗りが多い。それがどこに行く船だったのかは当時まだ知らなかったし、光にその話をしたのが、漁師だったのか貿易船の船長だったのかは知らない。

 ただよくわからない説明に再び首をかしげていると光は得意そうに付け加えた。

 

「一番身近なところにかくれるのが、まさかっ!? て思ってこうかてきなんだよ」

「身近なところ?」

 

 言われてあたりを見回してみると、部屋の中は、生活感のある、しかし綺麗に整えられた部屋で、誰かが寝起きしている私室のように見えた。

 

「ここ……なんの部屋なんだ?」

 

 この建物内にこういった寝所がないとは言わないが、数は少ない。礼儀としてそいういった部屋に無断で入るのいけないと思うし、それ以上に猛烈に嫌な予感がよぎっていた。

 

「兄上の寝床だ」

「!!?」

 

 今しがたその閃王子の鍛錬場から逃れてきたところだからたしかにそれは盲点かも。とかお兄さんの部屋なんだからまあ、まだいいよね。とかそういうことはまったく思い浮かばず、ただただまずい気配が漂っていた。

 

「あまり長居すると、ここもあぶないな。早目ににげるぞ」

「ひ、ひかる……」

「次はどこに隠れるんだい、光?」

 

 廊下ではなく窓から外に脱出しようというのか、外をキョロキョロと伺っている光。その光にこわごわ声をかけた融の背後から、穏やかそうに聞こえる声がかけられた。

 ぎょっとして振り向くとそこにはこの部屋の主、閃王子が笑顔で屹立しており、流石の光も虚をつかれたようで驚いた表情をしている。

 

「……どうして分かったんだ?」

「さあ? 気のおかげじゃないか?」

 

 驚いた顔をしていた光も、兄のにこやかな笑顔とともに放たれる強烈な圧力に憮然とした表情となっている。

 

「気のせい?」

「さて。とりあえず……」

 

 微妙におかしな言い回しを感じて光が首を傾げるが、それをさらっと流した閃王子は、にこやかな笑顔のまま腕を振りかぶり、

 

ボカリ

 

 という音が室内に2度響き渡った。

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 

 あれは……まだ殿下が居られたころだ。

 

「ダメです」

「……なあ。一応、俺ってお前の主君でいいんだよな?」

 

 武官に席を置いていた自分は、殿下制御装置としていつのまにやら殿下の秘書のような立場に対外的にはなってしまっていた。大方、兄王あたりが手を回したのだろう。真面目そうに見えて(実際すごく真面目な方なのだが)、しっかりと殿下の兄君として似たような性質を時折覗かせることがあるから。

 

「そうです。ですからお供します」

「俺とお前、二人揃って煌に行ったら国内の軍務が滞るだろ!」

 

 ただそれでも公的には一軍の副将としての立場もちゃんと残されていた。ちなみに同部隊の将は目の前で呆れた顔をしているこの人だ。

 

「あなた一人行かせてなにか有った時の方がよほど恐ろしいことになります」

「なにかってなんだ!?」

 

 隣国、煌帝国の内部の混乱が一応おさまり、前皇帝の弟、練紅徳が皇帝の座についたという報告がもたらされてから一月ほど。

 和の国内においても姻戚関係を予定していたり、同盟目前だったりとしたためそこそこの騒ぎにはなったが、それもようやく収まりだしたころだ。

 

 慌ただしく動かれていた殿下もまた少し落ち着きを取り戻されて、珍しく殿下の私室で飲み交わしていた時、殿下から今後の予定を語られたのだ。

 

「たとえばあちらの皇子と意気投合して迷宮攻略に二人で挑む、とかです」

「なるほど。つまり、お前の俺に対する信頼はほぼない、ということだな?」

 

 その予定とは、1,2年の内に調べものに一区切りついたら煌帝国へと行くということ。

 数週間程度赴くのではなく、帰国日程不明の長期滞在のご予定だそうだ。特使として派遣されるそれに、副将として、殿下を支える者として当然の如く着いて行くだろうと思っていた私に対して、殿下は「あっ。多分、俺一人だと思うぞ」と、極あっさりとした雰囲気を装って告げてきたのだ。

 

 もちろん本当に一人で隣国に行くというわけではないが、将官クラスの人間は連れて行かないという意味だ。

 そんな恐ろしいこと(和的にも外交的にも)諫言せずにはいられまい。

 

「あるとお思いですか?」

「…………」

 

 指を立てて言わずもがなの確認をとる殿下に、氷点下の眼差しを差し上げながら返すと沈黙が返ってきた。

 今は部屋の一角に架けられている殿下の愛刀。そこに刻まれた八芒星が雄弁に殿下への信頼度を物語っていると言ってもいいだろう。

 

「せめて訳をおっしゃられて下さい。近々外交貿易で出る外交船にも、私の乗船を許可されませんでしたよね?」

 

 本来、殿下の統率される一軍は外交船に乗艦する一団だ。

 和国の国益は海洋貿易を主軸にしている。そのため通常の商船だけでなく、国の一団も赴くのだ。とりわけ軍務に秀で、政務にも精通し、位も文句なく高い王族の殿下に不足がある訳はなく、今までも幾度かは乗船していた。

 

 だが、次回の、もう出航まで一月をきった航海の予定に副将である私は含まれていなかったのだ。最終決定権があるのは国王とは言え、そこにいくまでの間になんらかの思惑が阻んだとしか思えない。そう、目の前にいる直属の上司とか。

 

「……何も言わずに外したのは悪かった。お前にはちょっと頼みたいことがあって同行してほしくないんだよ」

「…………なんですか」

 

 同行してほしくない。

 その言葉に衝撃を受けなかったと言えば嘘になる。だが、今更諫言が気に食わずに遠ざけたなどという間柄ではないと思っているし、そんなことをする方ではない。

 

「…………もし」

 

 じっと殿下の言葉を待つと、しばらくの沈黙の後、ようやく殿下は口を開いた。

 

「もし俺が、今の俺でなくなったら。お前どうする?」

 

 とても奇妙な。考えたくもない言葉を

 

「……意味がわかりません」

「今、ちょっとばっかし厄介なものを調べててな。場合によってはやばいことになるかもしれん。そうなったとき、お前が一緒だと、お前、真っ先に死ににいきそうだからな」

 

 殿下が何に首を突っ込もうとしているのか、明言されてはいないが分かっている。

 煌帝国に起きた異変の解明。

 融にとっては隣国の事変でしかないそれは、殿下にとって大きな出来事だったのだろう。その渦中にあるのは殿下の許嫁となっていた練白瑛。そして皇族たる彼女の肉親たちなのだ。

 だが、だからといって融にとってむざむざと主を、一人危地に赴かせていい道理にはならない。

 

「それが、俺の仕事です。何を置いてもあなたを守る。そのための剣です」

「お前はそういうやつだよな……」

 

 決めたのだ。

幼いころからともにあったこの方のために、自分の剣を振ろうと。

 

 自分の返しに淡く苦笑を漏らした殿下は、一度視線をそらした。再び視線を交わしたその時に、その瞳を見て、圧されるような感覚を覚えた。

 

「だから、頼みがあるんだ」

 

 今までにも独断で危ういことに首を突っ込んだことはあった。

 死への入り口と言われた迷宮攻略などその最たるものだろう。だが、その時でも殿下は自分に何かを託すようなことは言わなかった。

 

 自分が死んでもその代りはいるからと、いつかこの方は言ったが、融にとって、国にとって、殿下は欠けてはいけない、重要な存在なのだ。

 

「…………」

「もし―――――――」

 

 紡がれた言葉は、あの方が予想されたできごとは、自分の中でもっとも起こってほしくない未来を予見していて、それがたまらなく嫌だった。

 

「…………」

「頼む」

 

 言葉を失い、責めるように殿下を見つめる。 

 だが、その視線に対して殿下は、自分が認めた、支えていきたいと願ったそのままの姿で願いを口にした。

 

「……聞けません」

「融」

 

 それでも……その願いを聞きたくはなかった。

 

「そんなにあの姫が気に入ったのですか、殿下?」

 

 口をついて出てきたのは嫉妬の混じった、いや、憎悪の混じったものだったのかも知れない。

 

 たしかに容姿に優れた方だった。

 最初に垣間見たときは、まだ幼い少女だった姫は、年に数度、和国を訪れるたびに愛らしい容姿を変えていった。

 凛として強く。咲き誇るように美しく。

 皇族としての責務を、立場を忘れることなく、民のために、国のために、世界のために、心を痛めることができる方だった。

 

「さて、な……」

 

 なにかが掛け違えていれば、自分が歩くはずだった殿下の隣。それに相応しい方だと、たしかに思った。

 

それでも……

 

「そんな頼みは聞けません。俺は……」

「分かってるよ、お前の性格は……そんなお前だからこそ、頼みたいんだ」

 

 できるのならば……そんな時が歩み寄ろうとしてしまうのならば

 

 自分の持てる全霊をもってそんな未来を阻みたかった。

 たとえ、殿下の意に沿わぬことだとしても

 

 ただ、それはできない。

 

「そんな頼みは、聞けません……命じて、下さい。あなたの命があるならそれを守ります」

 

 自分はこの方に仕えることを決めたのだから。

 この方が、あの姫を守ると決めたように、この方に仕えることを決めたのは自分なのだから。

 

 だから

 

「――――――――――――――――」

 

 願いではなく、命として

 聞きたくもないその言葉を、受けよう。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「……朝?」

 

 眼を開けるとそこはいつもの私室だった。夢を見ていたせいかいつもに比べて頭がぼうっとする。あたりを見回し、溜息を一つついた。

 

「まったく、厄介な頼みごとをしやがって……」

 

 ぽつりと出てきた呟きは昔を回顧していたためにか、普段よりもぞんざいな口調だった。

その呟きを聞きとがめる者はいない。

その呟きを聞かせたい相手はこの部屋にはいない。

 

 聞きたくもない頼みごとを残した挙句、宣言通り自分を置いてけぼりにしてしまった。

 頭をがしがしと掻きながら体を起こし、寝台から身を下ろした。手早く身支度を済ませ、出仕の準備を整える。

 

 今日の仕事は部下の鍛練。治水工事の進捗確認。そしていくつかの書類仕事…… 

 

「……と、書類は昨日仕上げたんだったな」

 

 仕事の確認をした融は、予定よりも今日の仕事量が少ないことを確認し、することを見繕おうとした。

 書類は閃皇子に提出すれば終了だ。それだけならばかなり時間が空く。

 

「……殿下の部屋でも掃除するか」

 

 早急に片付ける仕事も、たまっている仕事もないため、結局選んだのは、実質融の仕事になってしまった雑務だった。

 

 第2王子の私室は現在、理由あって人の出入りが厳しく制限されている。

 当人である第2王子が不在である、というのが一応の理由であるが、それだけならば別に融の仕事になる理由にはならない。

 理由とは、別の理由。

 

 現在部屋にあるものを知る人間を増やすわけにいかないという理由からだ。

 その存在を知っているのは、国王と兄王、そして融と父である達臣の4人だけだ。それが外部に漏れれば、国内に大きな混乱を招きかねない。

 

「バカ殿下め……」

 

 特使として赴いたあいつはしっかりできているのだろうか。

 闇の中枢に飛び込むかのような暴挙。あいつの力を信じないわけではないが、煌帝国には光と同じ金属器使いがいる。

 大陸きっての英傑。炎帝、練紅炎。光の従えるジン、ガミジンと同じジンを従える存在。

 

 融がヤツに望むのは、せめてその願いを貫き通すことだけだ。

 せめて光が望んだ、大切なものを守るという誓いを守り続けること。それだけが、融が主君と仰いだ光が唯一融に命じ、残したモノなのだから。

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 あれは、雨の日だった。

 

「立花副長! 宝物庫に賊が!」

「聞いている。現在の状況は?」

 

 その日の都の空は、朝から曇天で、昼ごろからは耐えきれなくなったように徐々に徐々に雨足が強くなり始めていた。

 夕方になるころには雨足は一層強くなり、都の人々は外に出ることを諦め家へと逃げ込むように大路から姿を消した。

 

 都の警備を任されている融は、強い雨に打たれながらも警邏を終え、びしょ濡れになって家路へとついた。

 濡れ鼠となって冷え切った体を拭い、温めようかとしていた矢先に融は再び城へと呼び戻された。

 

 

 宝物庫に襲撃者が侵入した

 

 

 現在、都には融の主である光はいない。和国の貿易船の責任者として国外へと赴いており、その留守を守るように託されているのだ。

 ゆえに届けられた報せに融は荒れ狂う感情を押し殺して登城した。

 

 

「すでに警護の兵が30人ほど……」

「っ」

 

 城に詰めていた兵は、名のある剣客クラスとまではいかなくとも、兵の中では指折りの者が詰めているはずだ。王が住まう城の警護兵、それは言いかえれば近衛兵であるのだから。

 報せが融のもとに届けられるまでに時間がかかっていたとしても、そして融が再登城するまでにいくばくかの時間がかかったとはいえ、それほどの兵が犠牲になったことに融は歯軋りして、腰に帯びた刀を確認した。

 

 

「賊が……あの方というのは?」

「信じがたいことですが」

 

 襲撃者の正体はすでに融にも伝えられていた。

 信じがたいという思いは、多数の兵がわずかな時間で切り殺されたということ以上に、あの剣客が賊となったことに対するものが大きい。

 

 “あの男”はたしかに和国でもきっての剣客。

 すでに老齢に差し掛かる年のはずだがそれでもなお、主である光や閃皇子ならばともかく、融が勝てるかと問われれば、すぐには頷くことができない相手だ。

 険しい顔のまま足早に進んでいた融は、不意に濃密になった血の匂いに気づいた。

 

「! ちっ!」

「副長!?」

 

 舌打ちと共にダッ! と駆けだした融に隣を歩いていた兵が驚いた声を上げた。

 駆け出した融が血の匂い、そして死の気配漂うその場に着いた時、すでに立っていたのはただ一人だけだった。

 

「…………」

「立花ふ……なっ! これは……」

 

 遅れてきた兵たちが見たのは、浴びた血を洗い流すかのように雨の中に立つ狂気の剣客だった。

 融は隙なく警戒しつつ、その男の姿を睨んだ。

 

「ほぅ。思ったよりも早かったな、立花。今は副長の位だったか?」

「なんのつもりですか……師匠」

 

 血に濡れた剣を持つ男こそ、融の、そして光の師でもある剣客。かつては和国きっての武人として知られた男だった。

 

「なぁに。少し世の無情さを考えていたのだよ」

「どういうことですか?」

 

 にぃ、という禍々しさを感じさせる笑みを象るその男の言葉に、融の気が鋭さを増した。

 男の気に当てられたのか、随行してきた兵たちがカタカタと震えるように剣を構えようとしているのに気づいて融は、兵を制した。

 

「この世とは無情だと思わぬか? これだけの力を持ちながら! 数多の剣士たちを斬り捨てるだけの力を有しながら、なぜ儂は王ではない!?  貴様の飼い主のごとき小童が王の器などというものに選ばれながら、なぜ儂は王ではない!? 儂こそ、剣士の中の王であったのだ!」

 

 一足飛びに切りかかって来られてもいいように警戒していた融だが、予想に反して男は饒舌に己が秘めたる野望を語り始めた。

 満たされぬ思い。果たされぬ野心。認められぬ虚栄心。

 

 吹き出る気は、かつて融や光が師事した師のものではなく、凶々しい黒を帯びていた。

 

「儂はなぁ。口惜しいのだよ。なにもなすことなく老いていずれ消えゆく我が身が。このような小さな世界に閉じこもることを是とするこの国が! 腹立たしいのだよ! 世界の広きを望まぬ矮小な王族どもが崇められる今が!!」

 

「つまり。殿下の敵になられた、ということですね」

 

 男の言葉に、しかし融は小揺るぎもせず、冷たい瞳のままで刀を抜いた。

 

「ふん。そのようなことは些事だが、まあそうだ」

 

 自らが小童と、矮小だと断じたものをこそ信じるものの筆頭であるかのようなその佇まいに男は失望したように鼻で笑った。

 

「あんたにとって些事でも、俺にとってはそれで十分だ。あんたを斬る理由にはな」

「くだらぬ王族の狗め」

 

 何と呼ばれようと構いはしない。

 己が信じるもののために剣を捧げる。それこそが融にとっての誇りの形なのだから

 

 すでに目の前のこの剣士は光や融の師匠ではなく、和国の剣士の尊敬を集める剣豪でもない。ただ、主に害為す賊。斬り捨てるのになんの逡巡も湧くことはない。

 

 

 肩を引くように剣を水平に構える刺突の構え。

 赤がしたたり落ちる剣を無行の位で構える男。

 

 降りしきる雨を切り裂く剣が、互いの気を纏って激突した。

 

 

 

 



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第14話

 夜の闇よりも深い漆黒の中に、淡く薄紫に色づく花が咲いていた。

 桜の大樹。

 闇に浮かぶそれは、今まさに絶頂期を迎えているのだろう、満開に咲き誇り、時折その花を散らしていた。

 

 大樹の根元に一人の男が立っている。

 

 漆黒の髪を結い、見上げるその顔は強い意志を内包したように凛としている。

 

 男は大樹の幹に手を当て、その命動を感じ取るように瞳を閉じた。

 脈打つそれは力強い息吹を伝えている。

 

 

 静寂が支配する闇の中で声が聞こえた気がした。

 この大樹が咲いた時の言葉だ。

 

 

    忘れるな。我が王よ。これがお主の―――――

   

 

 後悔はしていない。

 

 約束があるのだ。

 決して違えることはない。

 

 たとえどのような形になろうとも、それでも守ると誓ったのだ。

 

 

 いつの間にか、差し伸べた手は抜身の刀を握りしめていた。

 

 和刀・桜花

 

 この景色と同じ名を冠する、皇光の愛刀の名。

 大切な者を守るために、運命を切り開くための力の形。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 禁城、謁見の間にて……

 

「和国の剣士? 帝国領内にですか?」

 

 征西軍総督練紅炎、その眷属。紅炎配下の軍師練紅明、紅覇。北方兵団将軍白瑛。ほかにも幾人かの将が集まる中、白瑛旗下としてではなく、和国特使として光も呼ばれていた。

 

「ええ。帰還した兵の話では光殿の持っている和刀とよく似た剣を振るい、取り囲んだ兵たちを両断したということです」

「…………」

 

 将の他に来ているのは、煌帝国皇帝の妻である玉艶。白瑛の実母である后妃の言葉に光はちらりと自分の愛刀に視線を落した。

 

「基本的に和国の剣士が国外に出ている、という話は聞いていないのですが……」

 

 玉艶の言葉を補完するように紅明が手元の資料を見ながら発言した。

 

 煌帝国の東に位置する島国、和国。小国ながら、秀でた工業。航海技術で貿易国として知られているが、その国民が他国に流れるということは実はあまりない。

 同じ貿易国であれば、例えば西方のバルバッドなどは海洋の要所である立地条件を活かして貿易を盛んにしているが、大陸と陸続きであるため、国民の流入、流出もある程度ある。

 だが、和国では陸続きの国がなく、唯一の近隣国が煌帝国ということもあって、あまり国民が出て行かないのだ。それは和国の国民性にも関係した事なのかも知れないが、いずれにしても和国の剣士が謎に包まれている理由の一端として、国民があまり外に出ないという理由がある。

 

「近くの県令が派遣した討伐隊にもある程度の被害がでています。賊に紛れ込んでいるその男の正体は不明ながらかなりの力を有していると見て、賊軍討伐のため、国軍として討伐軍の編制を行っています」

 

 被害が出ているという言葉に白瑛はその柳眉を潜め、光は玉艶の方に視線を向けた。その表情はどこか底の知れない、その心の内を読むこと危険を感じさせるようなものだった。

 

「……目撃されたその剣士の外見はどのようなものだったのでしょう?」

「老人の男だった、という事ですが……それを伝えた者も詳しく述べる前に事切れたそうです」

 

 光の問いに紅明はほとんど情報がないことを告げた。

 相手はそれほどの大きくない規模の賊たちだったそうだが、その中にいた一人の老剣士によって甚大な被害を受けたのだという。

 老人の男、という言葉に光は考え込むように険しい表情をして、それに気づいた紅炎が問いかけた。

 

「心当たりがある、か?」

「……なくはない、のですが予想通りだとしたら下手に軍を編成しても犠牲を増やすだけかもしれません」

 

 考え込んでいた光の発した返答に広間に集っていた将軍の幾人かが顔を顰めた。

 

 他国の者、しかも前皇帝の影響力の強い白瑛と親しい光が軍議の場にいること自体、気に入らないのに、それに加えて自分たちの軍が脆弱だとも聞こえる発言をされては面白いはずもない。

 だが、そんな将軍たちよりも高位で、かつ忠を捧げている主、練紅炎がそれに感心した風な態度をとっている以上、文句を述べるのはなかなかに難しい。

 

「それは困りましたね。賊を放っておけば、国の民たちにもいつ被害が出るか分かりません。……そうですね。光殿ならば、その心当たりとやらであっても討伐することができますか?」 

 

 光の言葉を受けてだろう、その秀麗な顔に自国の民を憂慮する色を滲ませて、后妃である玉艶が光に視線を向けた。

 

 なにかを読み取ろうとするかのように光は玉艶と視線を交じわらせ、

 

「……身内であった者の不始末やも知れぬ、とあらばこちらから望みたいほどです」

 

 不敬に当たらないほどの短さで受領の意を返した。

 交わらせた視線から読み取れたのは、光をもってしても、底知れない深淵だけだった。

 そこには、言葉にのせられているように、民を慮る心情があるのかないのか。他国の者を自国の案件に巻き込んでしまうことに対する思惑があるのかないのか。

 読み取ることはできなかった。

 

「賊軍の討伐には、そうですね……白瑛。あなたが指揮する軍が出征できたわね?」

「はい」

「では、光殿にはあなたの軍に同行していただきましょう」

 

 光の返答に頷いた玉艶は、次いで少し考え込むようなそぶりを見せてから、自分の娘に —先だって征西軍北方兵団の将に任じられた白瑛に― 討伐の任を下した。

 

 両手を胸元に掲げて、拝任の礼をとる白瑛。

 

 白瑛と玉艶のやりとりの際、光と紅明、紅覇の瞳に訝しげな光が宿っていたことに、白瑛は気付かなかった。

 

 いかに后妃であり白瑛の母であったとしても、白瑛のその直属の司令官は、征西軍総督に任命されている紅炎であり、玉艶の命で白瑛の軍の動向を決める権限はない。

 紅炎の権限を侵すようなそぶりに紅覇は瞳に剣を宿していたのだが、その当人である紅炎は口を挟まず、黙然としたたたずまいのまま軍議を終えた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

「どういうことでしょう?」

 

 軍議が終わり、紅炎の私室へと集った紅明と紅覇は先程の軍議における不審さに顔を顰めていた。

 

「あのババア。勝手に軍の指揮権に口を挟みやがって」

 

 特に紅炎に対して絶大な信を寄せている紅覇にとって先程の玉艶の行いは癇に障るところがあったのか、いらだった様子で吐き捨てた。

 

「紅覇。そちらも気になりますが、どちらかというと……」

「皇光、か……」

「はい」

 

 だがむしろ、紅明が気にかかっていたのは玉艶の意図した方向にすんなりと従った光の方であった。そしてそれを予想していたのか紅炎は、平常状態の覇気の薄い顔で呟いた。

 紅覇は物問いたげな視線を兄たちに向け、紅明は後ろ髪を掻いた。

 

「あの方には例の件についてはお伝えしているのですよね?」

「まあな」

 

 紅炎にとって3つ目の迷宮攻略。

 その際に、眷属も連れずに二人だけで迷宮に挑んだのは、情報を交換するためであったと紅明は察しており、事実、それは的を得ていた。

 そしてだとすれば、あの男はすでに煌帝国に巣食う組織について知っているハズ。彼にとって、彼の守るものにとって敵となる者の存在についても。

 

 玉艶がどのような目的で光を賊討伐に組み込みたかったのかは分からないが、軍議に光を呼んだのが他ならぬ玉艶の意図が込められてのものだとしたら、今回の出征は危険が大きいハズだ。

 

「どういうつもりでしょうか?」

「大方、こちらもまだ完全には信用されてはいない、ということだろう」 

 

 紅明の疑問に紅炎は苦笑しながら答えた。

 紅炎自身、今は白瑛を害するつもりはない。ならば白瑛を守護しようとしている光ともまた同様だ。

 光の母国、和国にしても、煌帝国と敵対する意図も意志もなく、むしろ協力的であることを考えれば、そちらの方面から敵となる理由もない。

 

 ただ、紅炎たちのバックには、黒いマギ、組織の神官、ジュダルがいるのだ。

 

 光にとってそれは看過しがたい要素であり、そのために完全に紅炎たちを信頼することができないのだろう。だからこそ、白瑛の心情を、残された身内を大切にしたいという心を気遣って、白瑛に情報を伝えていないのだろう。

 

「それに、どうやら本当に心当たりがありそうでもあったしな」

 

 いかに光が和国の王族だとしても、だからといって自国の剣士すべてを、ましてや異国の地においてそれを把握しているなどということは端から予想していなかった。 

 あの場で光に心当たりがあったからこそ、光に同行を命ずる流れができてしまったのだ。知らなくてもおかしくないことであれば、知らないと述べておけば、それを確かめるすべはないし、あの流れは作りづらくなっていたはずだ。

 

 あの男ならそれを察していてもおかしくないし、玉艶に向けた探るような視線はそれを瞬時に考えてもいたからだろう。

 

 だが、それでも受けた。

 

 受けなければ白瑛の軍がそのまま派遣される可能性があったから。

 そして、その読み通り、彼の心当たりが居た場合、白瑛の身に危険が迫る恐れがあったから。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 煌帝国内に渦巻く思惑の中、派遣された光たちはある程度の兵数を連れて賊出現の報告があった地域に向かっていた。

 

 光を含めた白瑛旗下の兵。

 それは近々出陣するはずの征西軍北方兵団の一部を連れてきていた。

 

 主だった者としては白瑛の従者にして眷属となった青舜。大剣を持つ菅光雲。

 白瑛が将に任じられたため、千人長として兵団に配属された呂斎。

 そして、本人の希望により練白龍がその愛槍をもって参陣していた。

 

「心当たり、というのはどういう者なのですか?」

 

 馬上で揺られながら、白瑛は光に問いかけた。

 結局、軍議の後、出兵準備で忙しく、聞きそびれていたのだが、もしも光が敵に関して何らかの情報を持っているというのなら、それを共有しておくことは必要なことだ。

 

「……さすがに可能性としてはそう高くはないが」

 

 問いかけられた光は少し躊躇うように、しかし白瑛だけでなく、青舜や白龍からも同様の視線を向けられているために、そう前置きをして心当たりについて話し始めた。

 

「……数年前、城の宝物庫から一つの刀が強奪された」

「刀、ですか?」

 

 あまり関連性の見えない話の導入に、青舜がわずかに首を傾げた。だが、光の語る口調は苦々しげで、事件のことを忌々しく思っていることが見てとれた。

 

「単独で軍の相手をできるほどの剣客は和でもそうはいない。その男は当時、50人の衛兵を一人で斬り捨て、さらには追手を返り討ちにして国外逃亡した」

 

 和国の剣士、特に気を操る者たちの強さは大陸でも語られるほどの強さとして知られている。

 

「その者が件の剣士だと?」

「流石に可能性としてはそう高くはないと思いたいところだが……」

「可能性はある、と光殿は考えておられるのですね?」

 

 白龍の問いに、光は顔を顰めた。

 高くはない。と言いながらも、どこか直感のようなもので、何かを感じ取っているのだろう。光の顔は険しく、青舜は深刻な眼差しで問いかけた。

 

「和国の剣士、と思われるという情報があるのなら、そいつが出てくる状況が一番厄介だからな」

 

 光の言葉は単なる注意喚起以上の深刻さを物語っており、白龍は無意識に唾をのみ込んだ。

 

「それは皇殿よりもその男の方が強い、ということですかな? 強奪の事件があり、その男が国外に逃亡していることを踏まえましても」

 

 一方、光の言葉を真剣に受け止めているのか、見くびっているのか、鼻で笑うような口調で呂斎が問いかけた。

 白瑛との将軍任官での争い -といっても白瑛にとっては与り知らぬところで行われた駆け引きだったのだが- に敗れた呂斎は肩書上、白瑛の旗下に収まっていた。征西軍の千人長。位官としては高くはない。だが、現皇帝より白瑛、白龍、つまりは前皇帝の勢力の監視を言い遣っており、折り合いの悪さが深刻度を増しつつあった。

 

「さあな。強奪事件の時、俺は別件で国外に出ていたし、今どうなっているか分からん以上、確実に勝てる保証はない。ただ……」

 

 あからさまな呂斎の様子に青舜や光雲はむっとしたような顔つきになるが、一方の光はさして気にした風もなく自分の刀に目を落した。

 

 あの事件で倒れた兵の中には光が調練に関わった兵たちもいた。もし光が国内に居たら、おそらく対処は光が行なっていたはずだ。

 代理として指揮権を委任していた幼馴染は、一命を取り留めたものの深手を負い、追討の任を継続することはできなかった。

 だからこそ

 

「もしもその男が、俺の前に姿を見せるのならば、なんとしても斬り捨てる」

 

 光の眼に確かな意思が宿った。

 

 予感があるのだ。

 この戦いはきっと簡単には終わらない。

 いつかのように、そう囁きかける何かを光は感じ取っていた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 討伐隊を派遣した県令から改めて情報を受け取り、賊軍が潜伏していると思われる森まで辿り着いた白瑛たち。

 

「森、か……」

「賊が逃げ込むとすれば、常道ですね」

 

 その森を前に光と白瑛は言葉を交わした。

 

「なにか懸念でもあるのか?」

 

 何かを懸念するような光の呟きに光雲が近寄ってきて問いかけた。

 元賊軍の光雲からしても、森に逃げ込むというのは、ゲリラ的な戦闘を常とする少数軍の常套手段だが、白瑛たちはそんな光雲たちをあっさりと打倒した前歴があるのだ。

 同じような状況に、しかし懸念を強めているような光の顔つきに光雲は訝しげな視線を向けた。

 

「……先の討伐軍は、奇襲を受けたということだそうだ。森林での戦闘は人数の多いこちらには厄介だ」

 

 光雲の問いに、光は得た情報から導いた懸念を口にした。

 光雲たちもゲリラ的な襲撃を行っていたが、それは相手の練度が低いときにのみ成功しており、国軍や正規の討伐軍相手には逃避という手段をとることが基本だった。

 だが、今回の相手は違う。

 地方軍とは言え、しっかりと組織された討伐軍を打ち倒したのだ。

 特に件の剣士の奇襲を警戒するにはこの森林は条件が悪い。

 

「森での戦闘が厄介ならば、火を放ち燻し出すという手もあると進言しますが?」

 

 悪いのだが

 その行為をどこか嬉しそうに進言する呂斎の言葉に光は感情を見せずに白瑛に視線を向けた。

 

「……近くに村もあります。火の勢いが大きくなればそちらに飛び火しかねません。警戒しつつ、進軍しましょう」

 

 呂斎の進言を、白瑛は眉根を寄せて顰め却下した。

 森に火を放つ。その行動を是としない白瑛に光は少しだけ口元に笑みを浮かべ、呂斎は逆に唾棄すべきもののように顔を歪ませた。

 

 対照的な思惑。

 将と配下の溝。

 

 ともあれ方針は決まり、白瑛軍は索敵進軍へと軍を割り直した。

 奇襲による全滅を防ぐため、そして索敵のためにいくつかの小隊に分け、それぞれに行動方針を部隊長と話す。

 

 作業を行っている間、光は光雲へと近寄り話しかけた。

 

「……光雲」

「なんだ?」

 

 光はちらりと視線を呂斎へも向けた。

 警戒の瞳。

 

 たしかにあれも警戒すべきことだ。

 白瑛と呂斎の不協和。同じ部隊の中で別系統の派閥の者が高位についていることはあまりよくはない。

 特にあの二人は方針からして、決して互いに歩み寄ることはないだろうから。

 ただ、今最も警戒すべきはそちらではない。

 

「なるべく白瑛の近くで警戒していろ」

「どうかしたのか?」

 

 光が口にしたのは彼が大切にしている者のことだった。

 

「森での集団戦、しかもこちらの数が多い状況では、白瑛の力が充分に発揮できんからだ。奇襲で一気に踏み込まれて、いきなり将が討たれてはそのまま潰走しかねんからな」

 

 口にしたのは懸念の一つ。

 

「俺なら大軍を相手するなら森林戦で頭を狙う。実際今までの討伐隊も真っ先に頭を狙われて統率を失っている」

 

 奇襲を行う相手。しかも光と同じく操気術を扱う和国の剣士かも知れない。

 そのことに警戒を抱いていたのは光雲も同じだ。 

 

「……分かった」

 

 だからこそ頷きを返した。

 

 もうひとつ、警戒するべき対象があることをおいて。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 情報によると賊の数自体はそれほど多くはない。

 ただ、例の剣士が圧倒的に強いということから、白瑛たちは隊の内少数を率いて森の中に踏み入ることとし、残りの兵は森林の入り口で待機させ、万一白瑛たちとすれ違うように賊が出てきた時に知らせる手はずを整えた。

 

 生い茂る木々の影は、ともすればそこに人が隠れているような錯覚を覚える中、一行は進軍していた。

 

「まったく。本当に情報は確かなのですかな」

 

 視界の悪い森の中を警戒しながらの行軍。疲労に加えて、精神力の消耗は普段のそれよりも跳ね上がっており、呂斎は不満そうに愚痴をこぼした。

 その愚痴が軍団の将である白瑛への不満にそもそもの端を発していることを知っている青舜や白龍はむっとした表情で呂斎を睨み付けるが、光はそちらには視線を向けず、あたりを警戒しながら口を開いた。

 

「賊の本体がいるかどうかはともかく。本命の剣士とやらはいそうだ」

「!」

「なぜ、分かるのですかな?」

 

 光の直感とも言える勘の鋭さを知っているだけに、白瑛や青舜の警戒レベルが跳ね上がるが、それを胡散臭く見る呂斎は視線にその感情をそのままのせて問いかけた。

 

「剣気を隠していないからだ。どうやら、高くはない可能性を引き当てたようだ」

「それは……」

 

 返す言葉と共に、光の眼差しは臨戦態勢のそれへと移行しており、白瑛たちには感じない何かを感じ取っているかのように目を細めた。

 

 気、あるいは魔力。

 それを感じ取り、見ることのできる者はあまり多くはなく、特に東方と呼ばれる煌帝国などの地方に於いては、それは怪しげな術などと一括りにされて、侮蔑的な評価を受けている。

 

「はぁ? 剣気?」

 

 そのため呂斎は、光の言葉に胡散臭いものを聞いたといった反応を返し、嘲るような表情となった。

 侮るような口調を聞く光は呂斎へは視線を向けず、すっと自らの刀に手を伸ばした。

 

「一体、それのなにが根拠に」「!」

 

 呂斎が言葉を続けようとした瞬間。

突如、光が抜刀して一足飛びに呂斎へと迫った。身体能力のみならず、和国剣士が戦闘で用いる独特の歩法をもって一瞬で呂斎との距離を詰めた。

 

「ひっ!」「光殿!?」

 

 抜き放たれた白刃。煌く銀閃。

 弾けるように跳び、その刀を振るおうとする光の姿に、最早回避などできよう筈もない距離に迫られた呂斎は引きつった悲鳴を上げ、白瑛たちが驚きの声を上げた。

その瞬間

 

 

「えっ!?」「なっ!?」

 

 

 ガキンッ!! と金属がぶつかり合う、刀と刀打ちあう音が森の中に響いた。

 音の出どころは呂斎の首元。

 

「な、なにが……」

「っ!」「ほう。一人くらいは始末しておくつもりだったのだがな」

 

 驚愕する呂斎のすぐそばで、光と何者かが刀を交えており、舌を打つ光に対して襲撃者はわずかに驚いたような言葉を、特に心を乱したようでもない声音で呟いた。

 

 男の持つ武器は情報通り和刀。ただし光の持つ和刀・桜花の白銀の刀身とは対照的に、その刀身は黒。

 

 ギシギシと互いの剣が拮抗し、どちらからともなく、剣が弾け、互いに距離をとった。

 刀を操る馬手を振り抜き、弓手では呂斎の着物を引っ張って強引に距離をとらせた。

 

「お出ましだ」

「姫様! 周りが!!」

 

 一足で間合いを開けた光が抜刀した状態のまま構え直し、注意を促すのと同時。青舜の声が響き、それまで姿を見せなかった賊たちが湧いて出たかのように散在していた。

 

「いつの間に!?」

「なっ!」「ちっ!」

 

 囲むように存在する賊に、白瑛が驚きの声を上げ、白龍と光雲もそれぞれの剣を構えて、体勢を整えた。

 包囲陣を敷かれた白瑛たちは、自然円陣をとって、全方位に対する防御態勢を敷いた。

 

 視線を巡らす白瑛たちに対して、光はただ自身と同じ和刀を携える老剣士へと剣呑な眼差しを向けていた。

 

 踏み込む気ならば一気に切り込める距離。

 その距離は互いの剣界のギリギリ外に位置しているのだろう。

 光の遮られる森の中。温かみのない木漏れ日が互いの顔を確認し合った二人は、口を開いた。

 

「これはこれは……王子ではないか」

「やはりあなたか……お久しぶりです」

 

 一方は愉悦を伴う口調で

 他方、当たってほしくない可能性が当たったことに、そして懐かしき剣士の顔を見て

 

「……師匠」

 

 失われたはずの呼び方を口にした。

 



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第15話

 操気術

 身体に流れる力を繰る力。自らの体内の流れを操れば、身体能力を高めることが出来、扱いに慣れたものであれば針などを介して治療を施すこともできる。その一方、敵意をもって他者に流せば、その敵を傷つける力。

 大陸で見られる鋳型の直刀とは異なる独自の鍛練法によって鍛え上げられた曲刀・和刀。操気術と和刀。その二つをもって独特の戦闘技法となすのが和国の剣客の戦闘方法だ。

 その戦闘技法があまり世界に知られていないのは和国の剣客たちの性質に依るものが大きい。

 

 和国の剣客は兵士とは異なる。

 己が武技に誇りを持ち、自らの刀を振るう場所を自らの誇りにかけて選ぶ。

 

 彼らは選んだ主に忠義を尽くし、そのためにその使い手が国外に出てその技術を伝えることは少ない。

 島国という和国の領土的特徴故、彼らは戦禍の絶えない大陸に出ることはあまりない。

 

 ゆえに、和国の地から離れ、操気術の遣い手同士が、剣客同士が敵同士として刀を交えることは極めて稀だ。

 

 

    ✡✡✡

 

 

 戦気立ち上る森の中。賊に囲まれた白瑛たちから離れた位置に、二人の剣客が向かい合っていた。

 

 白刃と黒刃

 

 対照的な二つの和刀を抜身にしていた。

 

「師匠!?」

「幻斎。俺の剣の師だ。和国きっての刀匠にして剣客、だった」

 

 光の言葉に白龍が驚きの声を上げた。

 白龍からしてみれば、光の強さは完成された強さだ。刀を自在に操る技術。隙のない体術。未だ掴めない操気術という未踏の力。

 

 そしてあの練紅炎と同じく、しかし未だ一度たりとも見せてはいない金属器の力。

 

 だからこそ、光の師だったという存在が目の前に居ることに驚きの声を上げた。

 驚きは白瑛も同様だった。

 光の言葉の違和感。

 

「師、だった?」

 

 “だった”

 

 白瑛が光の全てを知っている訳ではない。だが、それでも光の志操の固さを知っている。その光が生きている師を前にして過去形で語ったのだ。

 

「国宝である和刀・鬼童丸の強奪犯。近衛兵50人を斬り、逃亡したのがこの男だ」

 

 道行に語った一人の男の物語。

 

 守るべき主と離れた将が、血の雨の降る中切り結んだ男。

 

 友が討ち果たすことができなかった朝敵。

 

 切るべき相手が、そこに居た。その手にある黒い刃は数多に啜った血の色か、それもと別の何かによって変色させられたものなのか。

 

「ああ……あの夜は剣客としての魂が震えた。お主が居なかったのは残念だった」

 

 光の語る過去に、男は懐かしい歓喜を思い出すかのように打ち震えた。

 雨の降るあの日。

 光はあの場には居なかった。光もまた、己が戦いの中でその刀を振るっていたのだ。

 

「いない時を狙って、だろう」

「何と言ったか。たしか立花――そう、立花融。お主の狗だったか。やつは死んだか?」

 

 周囲を警戒しながらも、耳に届いたその言葉に白瑛は反応した。

 

 立花融。

 光が友と呼んだ人だ。

 

 ―――アイツが女だったらもしかしたら伴侶になってたかもしれなかったヤツ―――

 

 いつか光が白瑛に冗談交じりに語ったことがあった。

 

 

 主従を超えて誰よりも信頼をおく光の友。

 

 その彼が、死んだ?

 

「死ぬかよ」

 

 彼が死ぬはずがない。

 大切な約束が、命令があるから。

 最も信をおく彼にこそ、託したものがあるから。

 

 光の視線の剣が増し、身体に満ちる気が仇敵へと向ける刃を尖らせた。

 

「ふっふっふ。お主の気が怒りに満ちておるのが分かるな。貴様の狗には手を焼かされたが、肝心のお主はあの時……ん~ん? 妙だのぅ。たしかお主は」

 

 黒い笑みを浮かべて嗤う幻斎。

 その言葉が言い切られる前に、光の姿が消えた。次の瞬間、幻斎の刀が胸元に引き上げられ、金属の撃ち合う音が森に響いた。

 無形の位からの一撃。

 和国の武人特有の歩法を用いて、離れた間合いを一気に縮めたのだ。

 互いの刃に纏わせた気が、ぶつかり合って風刃となって爆ぜた。

 

「昔のあんたはもう少し寡黙だったはずだが。ぐだぐだとよく喋るようになったな」

「いきなり斬りかかるとは。しばらく見ぬ間に師に対する敬意をどこかへ置き忘れたようだな」

 

 一足飛びに放たれた光の斬撃。

 受け止められはしたものの、鋭いその斬撃は空気を震わせ、青舜たちのみならず、賊軍をも怯ませた。

 鍔競り合う二つの和刀。

 互いの眼差しは次の瞬間には目の前の相手を斬り捨てるべくその先を見据えた。

 

「敬意が欲しければ、墓でも作ってやるさ。その首撥ね飛ばす前に墓碑銘くらいは聞いておいてやる」

「大言を吐くようになったものだ、小僧!」

 

 切り結ぶ音が森の中に響いた。

 競り合いから刀を弾き、間合いをとった。

 

「白瑛。そっちは頼む。俺は―――こいつを斬る」

「光殿!」

 

 敵は狂気の剣士だけではない。

 だが、他を援護しているゆとりはない。

 光はほかの雑兵を白瑛たちに任せ、仇敵へと剣気を叩き付けた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 磨き抜かれた互いの剣技がぶつかり合う。

 和刀の強さは遣い手の力ではなく、その技量に左右される。

 重みで叩き潰す大剣や刺突だけではなく曲刀特有の技で物を斬る。

 

 互いの気と気がぶつかり合う。

 和刀の斬れ味を増大させるべく、細く鋭く、その気を研ぎ澄ましていた。

 

 

 雑兵との戦いを白瑛や青舜、菅光たちに任せ、一騎打ちへと臨んだ光。幾度かの剣戟が続き、距離をとった。

 幻斎と光の力がほぼ互角。剣技ではむしろ幻斎の方が上。だが、速さと魔力の量は光の方が上……だったはずだ。

 

「貴様……なにをした?」

「なんのことだ?」

 

 刀を交えることで分かることもある。

 光は刀を通して感じた違和感を口にした。それに対して幻斎はその意図を知りながらも敢えて尋ね返す形をとり、口元を歪ませた。

 

「操気術は生命力を削る。操れる気の量、時間は個人が内包する気の量に左右される。剣技はともかく、あんたの気の容量はそれほど多くはなかったはずだ」

 

 目の前の老剣士は確かに剣客としては超一流。

 その技は紛れもなく和国随一と謳われるに値するものであった。

 

 だが、それと魔力容量とは別の話だ。

 魔力の容量、質は生まれながらに決まっている。

 

 その点で言えば、光の容量、王の器は飛び抜けていた(・・)

 いずれは和国の王となる兄をも超える内包魔力。それはジンに選ばれるに相応しく器であった。

 

 幻斎のそれは、剣技の冴えとは逆にさして大きなものではなかったはずだ。

 だが、今、目の前に立つ男の魔力容量は“今の”光のそれと比べても引けを取らないほどに強大だ。

 

「増えたのさ」

「……奪ったのか」

 

 光はその直感から、敵の気に濁りを読み取っていた。本来澄んだ、鮮烈な光を放つような気の色は、苦痛と憎悪、叫喚あらゆる負の感情で濁っていた。

 嘯く幻斎の口元がニィッっと歪んだ。

 

 光は魔導士ではない。ゆえに他者の気を奪い取るという方法が実際に可能かどうかは分からない。だが、だからこそ、その可能性を直感した。

 光のその直感は正鵠を射ていたのか、幻斎は可笑しそうに笑った。

 

「あのような小さな国に囚われている者どもには分かるまい! この色こそが世界の気の赴く果てだ! これこそが、世界を統べる力だ!!」

「堕ちるところまで堕ちたな。もはや貴様は師でもなければ、剣士でもない」

 

 忠義を尽くすはずの国に刃を向けた時点ですでにこの男はかつての師ではなかった。

 だが、それよりも深い業。 

 目の前の男がもはや和の武人・剣士とすら呼べないことを知った。

 

「そうだ。私はもはや貴様のようなただの剣客ではない。それを超えた存在だ! これが、その力だ!」

 

 咆える幻斎の言葉に呼応するように、その黒刀から黒雷が迸り、幻斎の周囲に雷の飛槍を形作った。

 

「雷刃!?」

「そうだ! これが王の力! 闇の金属器の力だ!」

 

 操気術は魔法とは異なる。

 魔力を介してルフに命令式を送り現象を引き起こす魔法とは違い、操気術にできるのはあくまでも体内の魔力を操ることだけ。

 物理的接触を介して対象に魔力、気を流し込んだり、無形のまま強引に放出したりするのならともかく、雷のような形にして刃を飛ばすことはできない。

 

 次々に襲い来る雷の飛槍を躱す光。

 ただの斬撃や無形の気の塊ならいざ知らず、雷の形態をとっている以上、無暗と触れれば四肢の動きを鈍らされる恐れがある。

 

「そら! 逃げてばかりでよいのか?」

「くっ!」

 

 弾雨のように放たれる飛槍を躱し続けるが、飛来する数と速度は光をもってしても躱しきれるものではなく、光は桜花に纏わせる気の密度を上げて切り捨てた。

 

 雷を弾いた、その隙を逃さず幻斎が踏み込んだ。

 光と同様、操気術を駆使した歩法。鋭い踏み込みの速さは老体とは到底ほど遠く、凶刃を煌かせた。

 

 振りぬいた刀は防御に間に合わない

 光は左手を腰の鞘に滑らせて引き上げた。

 

 ギンッ。と甲高い音が響き、黒刀と鞘とがぶつかり合った。

 

「ほぅ、流石だな。体内の魔力容量ならば兄をも凌ぎ、冴えわたる武技はわが弟子の中でも抜きん出ていたな」

「……」

 

 類まれな直感とそれを信ずる決断力。

 剣士と言っても、その武技は剣のみに非ず。剣を始めとして、気を操作することで己が肉体も武器と化すことができるのだ。

 

「刀を振るう際の集中力も目を見張るものがあったが……だが、迂闊なところは変わらぬな!」

「ちっ!」

 

 競り合いの状態から弾き飛ばされ、体勢が崩れたところに雷の斬撃が襲い掛かった。即座に体を整えようとした光だが、力を込めようとした四肢の腱にビリっとした違和感を生じた。

 

「なっ!? ぐっ!」

 

 違和感は手足の力が入らないという形で顕著となり、体勢を整えられなかった光は幻斎の蹴撃を受けて吹きとばされた。

 気を込めた蹴撃。

 防御したものの巨木を薙ぎ払うその一撃を受けて飛ばされた光。幻斎はその後を追撃するではなく、笑みを浮かべ樹上へと跳んだ。

 

 ここで止めをさすのも悪くはないが、どうせなら絶望する顔がみたい。

 

 

    ✡✡✡

 

 

 光の危惧した通り、この森の中の乱戦ではパイモンの力を十全には使えなかった。大規模な暴風を生み出せば、巻き上げられた樹木が味方を傷つける恐れがある。

 だが金属器としての絶大な力を奮えずとも、白瑛は繊細に風を操り、味方を援護していた。

 

「青舜! 白龍、なるべく私から離れないで―――パイモン!」

「はっ!」

 

 首魁を光に任せ、賊軍の捕縛にあたる白瑛は部下に命令を飛ばしつつ、白龍を庇っていた。

 小柄な体躯ながら素早い動きで双剣を奮いながら応える青舜。

 白瑛の意を汲み取って致命傷に至らないように、しかし行動不能に追いやるほどの傷を与えていく青舜は白瑛の眷属として恥じない動きを見せていた。

 

「くっ」

 

 白瑛の傍にある白龍は場馴れしていないのか青竜偃月刀をどこか間合いを測りかねているように振るっていた。

 技量は十分にあるのだろう。賊軍の雑兵はおろか周りの兵士と比べても抜きん出た腕前ではあるのだが、如何せん実戦経験の浅さが目立っていた。

 そのため時折隙を作って白瑛の援護を受けていた。

 

「ぬあっ!!」

「ぐあぁ!!」

 

 そして光の命を受けていた光雲は白瑛の身を気遣いながらも、乱戦の中、そして白瑛の命令により徐々にその距離を離れて大剣を振るっていた。

 地方軍を破った賊軍といえどもその力の大部分は光が引き受けた幻斎の力に依るものが大きかったのか、国軍の練度の高さとは比べるべくもなく徐々に戦力を削られていった。

 

 油断なく警戒し、風を操る白瑛。光雲も油断していた訳ではなかった。

 だが、ふと守護すべき白瑛の位置を確認しようと振り返った光雲は

 

「皇女、上だっ!!」

「!!」

 

 樹上から飛び降りる黒い影を見た。

 黒い斬撃に光雲は大声を上げ、その声に反応した白瑛は反射的に風の防壁を築いた。

 

「姫様っ!」「姉上!」

 

 樹上から現れた幻斎の一閃。迫る凶刃に青舜と白龍が悲鳴のような声をあげ、白瑛は反応早く発動した風の防壁は外敵の侵入を遮ろうとした。

 

「ふん。その、程度!」

「っ!」

 

 だが白瑛の纏った風の防壁は、光同様、操気術による一太刀により、切り裂かれた。

 

 剣の腕前自体は他の将軍にも引けはとらない。だが白羽扇を金属器として、風を操っている時の白瑛は咄嗟の接近戦に弱い。

 それは光との鍛錬で幾度も指摘され、衝かれてきたところだ。ゆえにその反応は早かった。

 風の防壁によってわずかに鈍った剣閃。その間に体を捌いてわずかに距離をとる白瑛。

 だが着地した敵は、老齢を感じさせない身のこなしで再び白瑛に迫った。

 

「! しまっ」

「これで―――ぬっ!」

 

 返す刀で白瑛の首を狙った剣士。だがその刀が届く直前、地面を蹴って方向を変えた。刹那。二人の間を銀閃が奔った。

 

「ふっ!!」

「光殿!」

 

 一瞬で距離をとる幻斎。その周囲に居た兵をついでとばかりに無造作に斬り捨てた。

 兵を斬り捨て、そして白瑛に刃を向けた敵に光は今まで以上の剣気を向けた。

 

「ふん。相変わらず、ムラのあるやつだ。そんなにその女が大切か?」

「お前の相手は俺だろう。こいつには手を出すな」

 

 気によるぶつかり合いでは光が上だったのかその体に目立った傷はない。だがその瞳は見慣れた光のモノではなく、敵を斬る、その目的だけを宿した瞳だった。

 

「ほう。それはそれは。貴様がそれほど執着するとは。煌の皇女になど興味はなかったが。見てみたくなったな。その女の血に塗れた体をなぁ」

 

 歪む笑み。下卑たもの、と呼ぶのも悍ましい眼差しに白瑛は険のある顔つきを濃くした。

 第1皇女という身分でありながら、その容姿と堕ちた前皇帝の娘という立場から気分を害する視線を受けたことは幾度もある。

 だが、幻斎のそれは、女としての白瑛を見る瞳ではなく、まるで好みの餌を見るようなものだった。

 男の言葉に青舜は怒気を上げて双剣を握り締め、白龍も斬りかからんばかりの体勢になった。

 

 そして、白瑛を守護する光は

 

「…………桜花」

 

 ぽつりと口を開いた。

 短いその言葉には何の感情も乗っていないように感じられた。

 

 次の瞬間、光の姿が消えた。

 

 移動の入り、どころか身のこなしすら見せない、まさに目にも映らない速さで接敵した光は、同時に桜花の刀身に指を滑らせていた。

 気によって輝きを放つ刃紋。

 切り上げの構え、からの斬撃。気付いた瞬間には幻斎の間近で必殺の体勢が作られていた。

 

「一閃!!」

 

 迫る銀閃。光の操気剣。あらゆるものを断ち切るその一太刀。

 いかに同じ操気術の使い手といえども、魔力量とその扱いに長けた光のその太刀を真っ向から受けることは難しい。

 

 幻斎はそれを防ぐように刀を立てた。

 その流れを見切ることができるものがいれば、それは悪手だと断じることができただろう。

 

 だが

 

「!」

「甘、いっ!」

 

 互いの剣が触れた瞬間。幻斎は風になびく柳のように刀で円弧を描いた。

 光の剣閃の軌道をわずかな力で変えつつ、その一撃を受けるのではなく、受け流した。

 

 振り抜いた腕が右に流れ、同じく幻斎の左手が刀を持ったまま流れる。

 互いに剣がその軌道と重みによって流れる。

 だが、幻斎は気を右手に集中させた。

 

 ―――しまった

 

 致命的な隙、自らの胴を眼前の敵に晒した状態での技後硬直。

 操気術は身体を流れる気を操る術だ。ゆえにその感情の影響をもろに受ける。感情を乗せすぎた一撃は威力が増大する反面その隙も大きくなる。

 

 誘い込まれた光は咄嗟に腰の鞘で防御しようと手を伸ばすが、それよりも無手で繰り出される幻斎の攻撃の方が早い。

 幻斎の気を込めた掌底が光の腹部を捉え、衝撃が突き抜けた。

 

「ふっ!!」

「が、はっ!!!」

 

 気の扱いは刀に込めるだけではない。

 害意を込めた気を掌底に乗せて敵に打ち込むことで相手の気の流れを狂わせる内に届く攻撃。更には掌底に込めた気だけでなく金属器の力である雷撃纏わせた一撃を腹部に叩きつけられた。

 

 流し込まれた気によって張り詰めていた気の流れが乱され、内腑へと衝撃を伝えた。 

 同時に放たれた雷撃が光の体から自由を奪った。

 

 内臓への一撃。血を吐き、動きを止められた光はその視界、目の前で振りかぶられた刀が自らへと振り下ろされるのを見た。

 

「光殿!!」

 

 悲鳴が上がった。

 白瑛の悲鳴。聴覚はそれを捉えるが応えることはできない。

 

 命脈を絶つ一閃が防御の間に合わない光の体に吸い込まれた。

 右肩から左下腹に流れる軌跡。

 

 血飛沫が舞った。

 光の鮮血が、袈裟切り流れた剣閃の軌道に沿うように吹き上がった。

 

 

 




戦闘シーンに関して、あまり描きなれていないので、こうした方がいい、ここがわかりにくい、といったご指摘、批評がございましたら、是非ともよろしくお願いします。


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第16話

 舞い散る鮮血。

 和刀の鋭さと気によって強化された一太刀を防御の間に合わなかった体に受けた光。

 崩れ落ちるその体の横を幻斎は通り過ぎた。

 

「気による防御は多少間に合ったか。だが、即死は免れても、もはや立ち上がれまい」

 

 血の海に沈む光を白瑛は信じがたい思いで見つめた。

 賊軍の討伐の時も、迷宮攻略に駆り出されたときも、傷一つ負わずに帰還した。

 その強さは幾度も剣を交えた彼女がよく知っている。

 

 白瑛よりも、紅明よりも、紅炎よりも早くに迷宮を攻略した王子。

 その彼が、地に倒れ伏した。

 

「光殿!!」

 

 悲鳴のように声を上げた白瑛。

 駆け寄らなかったのは彼女の前に光雲と青舜が立ち塞がったからだ。青舜もまた驚愕を受けて光の名を呼んだが、瞬時に己が守るべき主の存在を思い出してその前に立ったのだ。

 

「心配いらん。お前の大切な女は、お前がくたばる前に綺麗に首を落しておいてやろう。愛しい首を眺めながら逝けるようになぁ」

 

 光の血に濡れた黒刀を一度振るい、光雲たちの前に歩を進めた。近づいてくる敵の首魁を前に光雲はギシリと歯を噛み砕いた。

 光の強さはかつて一撃で切り伏せられた光雲自身がよく知っている。鍛練の場を見る限りにおいて、他の兵や呂斎、青舜や白龍もまた光には及んでいない。

 唯一対抗できる可能性があるのは金属器を持つ白瑛だが、味方が多く、その本領を発揮できない上に近接戦においては遥かに格上の相手を前には分が悪い。

 

「くっ……!」

 

 我が身を盾にしてなんとか活路を見出そうとした光雲は、その背後から猛烈な風が吹き荒れるのに気がついた。

 

「っ、貴様ぁっ!!」

「姫様!!」

 

 吹き荒れる風は唯一つの扇から放たれ、そして集約しようとしていた。

 白瑛の怒声とともに高まる魔力が風となり荒れ狂い、しかしその確かな精神力をもって白羽扇へと集約していく。

 

「混沌と狂愛の精霊よ。汝と汝の眷属に命ず。我が魔力を糧として、我が意志に大いなる力を与えよ!! 出でよ! パイモン!!」

 

 極限まで風の奔流が集約したとき、白く色づくまでに高められたルフが白羽扇を取り巻き、その形を変えた。

 白羽は三叉へ、持ち柄は長く、その姿は白と金とに輝く三つ又の槍となった。

 

「ほぅ。先ほどの風はもしやと思ったが、やはり、金属器使いか、小娘」

「ハァッ!!!」

 

 パイモンの槍。風を操る魔装を振るう白瑛。

 巻き上げた風は鎌鼬となって幻斎へと襲い掛かった。

 襲い来る鎌鼬を横に跳ねることで避けた幻斎は雷の飛槍を招雷し、追撃に来た風を迎撃した。

 

 風と雷

 魔力によって生み出された二つの自然ならざる刃が激突した。

 敵を睨み付ける白瑛。幻斎はその眼差しを受け、目の前の女を単なる餌ではなく、敵対者として認識した。

 

「くっ」

「……ふん」

 

 扇状態での暴風よりも繊細な風を武具として扱う力。幻斎の素早い動きに苦悶の声を漏らしながら、距離を近寄らせないようにしていた白瑛だが、幻斎は愉悦を浮かべていた表情をすっと冷酷なモノへと変えた。

 

 瞬間、回避するように動いていた幻斎の姿が白瑛たちの前から消えた。

 

「鬼刃―――」

 

 今までで最大の警鐘が白瑛の脳裏に鳴り響く。一瞬で間合いを詰めた幻斎が腰だめの構えで、至近距離に姿を現していた。

 その構え、刃紋に鋭く気を集中した操気剣。

 

「一閃!!」

「ぐっ!!!」

 

 あらゆるものを断ち切るその一刀を前に、白瑛の判断は素早かった。

 

「むっ?」

 

 真正面から受け止めれば、金属器といえども断ち切られる。それこそ白瑛もろともに。先に幻斎が見せたような受け流しは彼我の技量差では難しい。故に白瑛は自らの方法で幻斎の一刀の威力を受け流した。

 

「風か」

「—―っっ」

 

 瞬時に高密度の風をパイモンの槍に纏わせた。

 槍に沿うように旋風を生み出し威力を受け流し、幻斎の刀を弾く、そのつもりだった。

 

 たしかに幻斎の一閃は止められた。

 だが、弾くことができずにもろに受け止める状態となって白瑛は顔を苦悶に歪めた。

 

「儂の一閃を防ぐとは大したものだが。こちらは知らなかったのかな?」

 

 気と風

 拮抗する力はしかし突如として揺らぎを見せる。

 

「っ!!? 魔装が!!」

 

 槍を保護する旋風が急激に乱れた。どころか突如としてパイモンの槍を形成する風すらも揺らいでいった。

 

 ――魔装の強制解除!――

 

 幾度か光が見せた、気による他者の魔力への強制干渉。

 魔装によって作り出された拮抗状態。それが剥がされてしまえば、剣技においては圧倒的な差が生じてしまう。

 

「姉上!」「姫様!」

 

 切り飛ばされる、その寸前、動きの止まった幻斎に、介入の機会をはかっていた青舜と白龍が斬りかかり、幻斎は左右からの攻撃に間合いを開けた。

 

 後方に跳び下がりながら、幻斎は敵の位置を素早く把握した。

 

 遠巻きに見る兵士とそれを指揮する者。

 戦闘に関わる気があるのは目の前の4人のみ。

 先程の金属器使い。斬りかかってきた青竜偃月刀使いと双剣使い。そしてその前に立った大剣持ちの男。

 

 いずれにしても先程斬り捨てたかつての弟子には遠く及ばぬ技量。

 着地と同時に再度斬りかかる。最も近い大剣使いを斬り捨てそのまますれ違いざまに二人を仕留め、金属器使いの首を落す。

 巡らせた戦闘思考は、

 

「!!」

 

「えっ!?」「なにっ!」

 

 背筋を悪寒が駆けのぼり、瞬時に跳躍の方向を変えた。

 背後から目にもとまらぬ速さで翔けてきた影によって放たれた斬撃。

 狙われたのは首。死角からの一撃に幻斎は神業的な反射を見せて回避行動をとり、跳躍したが、着地のタイミングがわずかに遅く、完全には避けきれず、老剣士の右腕が半ばから宙を舞った。

 

「貴様……」

 

 距離を開け、地に降りた幻斎が眼光鋭く自らの体に刃を通した敵を睨み付けた。

 

 血の海に沈んだはずだった。

 かろうじて即死しないというレベルの傷。しかも雷撃の追加効果まであるのだ、身体は麻痺している筈だった。

 

「首を狙ったんだがな」

「光殿!」

 

 守護者の復活と奇襲に、決死の覚悟を決めんとしていた青舜が声を上げた。

 一度は倒れ伏した姿に、激高していた白瑛もその無事な姿にほっと胸を撫で下ろした。

 

 そう

 刀を振るったその姿はまったくの無傷だった。

 

 

 右腕を斬り飛ばされた幻斎は、身体内部の気の流れを制御して出血を抑えつつ、冷静に敵の姿を見えた。

 

 

 ――ぎりぎりで致命傷を避けた? ……いや、確実につけたはずの傷がない。あれは――

 

 斬撃の感触は確かにあった。

 だが、今の光の姿はまるで紙一重でそれを躱したかのように、ただ上半身の衣服のみが切り裂かれており、その奥に覗く肌には古い傷跡しか見られなかった。

 

「……再生か回復か。それが貴様の金属器の力か」

 

 致命傷クラスの傷を一瞬で回復。いかに身体の能力を操る操気術でもそんな治癒力はない。

 ならばその治癒力はそれ以外の要因。もっとも合致するのは光の持つ金属器。 

 一系統のみとはいえ驚異的な力を発揮する金属器の力ならば、即死でもなければ傷を回復させることも不可能ではないだろう。

 

 

 光は修復(・・)が間に合ったこと、白瑛の無事な姿をちらりと確認してから眼前の敵に向き直った。

 

「どうだかな。それで、右腕の次は左の腕でも切り飛ばすか?」

「…………」

 

 光の挑発に幻斎は射るような眼差しを向けた。

 光の剣技を上回っていた幻斎の技量。だが、腕一つ失ってもその優位を保てるかと言えば、最早すでに趨勢は見えているだろう。

 幻斎はちらりと周囲を窺った。隙を作り出そうにも連れてきた賊は国軍の兵に阻まれており、役立ちそうにない。

 

「そうだな……では、こうするとしようか」

 

 役立ちそうにない駒。幻斎は周りにいた者たちをそうみなし、着地の際に受け止めた右腕から黒刀をもぎ取ると、残る左腕で刀を逆手に持ち直した

 その動きに光は警戒心を上げた。白瑛たちも身構え、幻斎の動きを注視した。

 幻斎は歪んだ笑みを浮かべると、ただ一言だけ告げた。

 

 ――宿れ――

 

「なっ!!?」

 

 ただ一言と共に幻斎は逆手に持った黒刀を自らの胸に突き刺した。

 溢れ出る血。

 

 死地を悟っての自害。

 そうとも見える状況に、しかし光たちはその周囲に沸いた黒い靄のようなものが幻斎の体に流れ込むのを見た。

 流れ込む黒い靄が全身を覆い、徐々に洗練された形をとっていく。

 

「それは……」

「魔装……?」

 

 黒い魔装。

 失われた腕は生成の過程で黒い靄を取り込んだためか、再生されていた。

 

 ――闇の全身魔装――

 

 闇の金属器と堕転した力とを自らに取り込む狂気の力。

 その狂気のままに、黒い姿となった幻斎は嗤った。

 

 

 剣士としての矜持を完全にどこかへとやってしまった老いぼれ。

 変わり果てた姿を光は見据え、腰に差していた鞘を左手で引き抜いた。そして

 

「……白瑛」

 

 ただその名だけを呼び、無言でその背を彼女の前に見せた。

 

 守るべきものとしてだけでなく、一人の武人としてあろうとする彼女だからこそ、それだけで分かってくれると信じて。いや、信じることすらなく、ただ当然のように。

 

「…………青舜! 呂斎! 先に残りの兵を討ちます!」

 

 光の無言の言葉を白瑛はたしかに受け、その武運を祈りながら頷いた。

 

 援護をすることを考えなかったわけではない。だが、先の攻防を見る限り、そして先の幻斎の瞳を見る限り、下手に近くに自分が居れば、光の集中力を乱してしまう恐れがあるとの判断だ。

 そして白瑛にも、まだ残党の捕縛という、為すべきことが残っているのだ。

 

 白瑛が青舜や光雲たちに指示を飛ばす中、光は言霊を紡いだ。

 

「罪と呪に依りし眷属よ」

 

 紡がれる言の葉は呼び覚ますための呼び水。高まる魔力。身体内部、そして桜花のみに纏わせていた気ではなく、桜花を通じてルフへと命じた。

 

「汝が主が命ず。我が魔力を糧として、我が意志に大いなる力を与えよ」

 

 眼に見えるほどに濃密な紫色の煌きが光の右手、和刀を覆った。そして。 

 

「出でよ」

 

 ――『サミジナ(・・・・)』――

 

 力を引き出す言霊とともに、和刀を覆っていたルフが光の右手を伝い、紫色の軌跡を描きながら左腕へと絡み付いた

 紫色の煌きは左手にもった鞘を覆い、その形を変えていく。

 現れたその姿は、

 

「武器化魔装……」

 

 光を援護すべきか、それとも姉とともに賊の掃討をすべきか逡巡した白龍が、光の姿を見て呟いた。

 光の左手にあった鞘は薄く紫色の輝きを放つ和刀へと姿を変えていた。

 

 ――『風花・叢雲(サミジル・サイカ)』――

 

「なるほど、それがお主の魔装か」

「二刀……」

 

 左右に構える二つの和刀。白瑛たちすら初めて見る双刀の姿。

 

「だが、ただの武器化魔装程度とは……儂を見縊っているのか? それとも、全身に纏わせることができないのか?」

 

 剣気を昂ぶらせる光に対し、黒衣を纏う幻斎は冷徹な眼差しを向けた。

 

「いずれにしても、そんな臆病者の力でこの王の力に対抗できると思っているのか?」

 

 回復の金属器

 たとえ魔装としての力を有していたとしても、自身を守る盾としての力しかない。

 主を守る力しかない臆病な王の力。

 光の金属器をそう評した幻斎はその力諸共、王を斬り殺すために刀を構えた。

 

「さぁ、どうだかな」

 

 姿を変えて再び向かい合う二人。

 黒衣の狂人と紫炎纏う剣客。

 

 数多の雷の飛槍が宙に顕在し牙を剥く、双刀を携える剣士は身を貫かんとする牙を掻い潜り狂人の懐へと潜り込んだ。

 振るわれる右腕の刃を躱した幻斎は再生した右腕に黒雷を纏わりつかせ、雷刃を生み出した。

 例え直撃せずとも、金属という伝導体である刀で受ければそれが腕を通って腱を麻痺させる。最初の攻防で切り結んでいた光が動きを鈍らせたのはその麻痺効果が故だ。

 振り抜かれる雷刀。

 だがその刀はただ空のみを薙いだ。目の前に居た筈の光が一瞬で消え、背後に強烈な殺気が現れた。

 

「! 後ろかっ!!」

「遅い」

 

 振り向きざまに左腕の黒刀を振るった。

 だがそこに光の姿はなく、遠い間合いへと距離をとっていた。

 

 ――速い……――

 

 空を切った左腕から血が吹き出る。一撃離脱、その際に斬りつけられた傷。

 

 先の攻防以上の速度。

 操気術でいかに身体機能を強化しようとも器である体には限度がある。気とは血と同様、体内を流れる命そのもの。使い過ぎれば血管は破れ、生命力を損なう。

 その狭間を見極め、操る気を洗練させるのが操気術。

 今までの光と幻斎は、その極限状態で戦っていた。

 そこに余分はなく、それ以上に積み上げれば破綻する。そんな領域だったのだ。

 

 つまり今の光の状態はその破綻状態。

 戦い続けるほどに体を傷つける。通常であれば瞬く間に溢れた気の奔流により体内から食い破られ、何もせずとも血の海に沈んだだろう。

 

 それを繋ぎ止めるなにか

 

「なるほど金属器の回復力で暴走させた操気術を無理やり抑え込んでいるのか」 

 

 再生(・・)の能力

 光の力。その危うい均衡はジンの力あってこそだと、幻斎は見ていた。

 暴走した気が身体を傷つけるのならば、その傷を瞬時に再生させていけばいい。戦いながら傷つく行為。

 

「愚かな。傷は治ろうとも気は減っていく。いかに貴様の気の内包量が膨大だろうと、あっという間に底をつく。貴様のそれは自らの命を削る行為だ」 

 

「命を、削る……?」

 

 幻斎の言葉に離れつつあった白龍は唖然とした眼差しを和国の王子に向けた。

 あの方は何をしているのだ?

 王族の一人でありながら他国へと赴き、他国の賊軍鎮圧のために命を削っている?

 

「愚か者は貴様だろう、幻斎。命を削ろうがなんだろうが、俺には守るものがある。そのために、今は―――貴様を斬る」

 

 その心に通した鋼の意志は、一体何のために……?

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 雷と黒。白銀と紫。振るわれる四色の剣閃を互いだけが認識していた。

 速さで接近と回避とを繰り返す光に対して、幻斎は雷の力を操り、牽制しながら自らも刃を突き立てていた。

 

「洗練さのない戦い方だ。王が傷を負うことも厭わず、ただ速さのみの無理押し」

「自分で腹を斬りながら借り物の力を振るう老いぼれに洗練さを口にされたくないな」

 

 飛来する無数の刃を全て躱しきることは難しい。光は四肢末端の、麻痺の影響の強く残る部分と即死狙いの刃のみを避けていた。

 傷を受けようともある程度であれば超速の修復力がある。

 

 その戦い方を幻斎は鼻で笑い、爆ぜるように駆けた。

 飛槍で移動方向を限定して強引に距離を詰める。すれ違いざまに互いに一刀を振るう一瞬の交錯。

 四肢を蝕まんとする痺れを気の流れによって強引に振り払う。地に足をつけ、すぐさま弾ぜ近接へと持ち込んだ。

 幻斎の刃を躱し、あるいは弾き、刀を振るう。光のその速度は幻斎のそれを上回り、一筋、二筋とその体を朱に染めていく。

 

「ちぃっ!」

 

 雷を纏う右の刃を躱し、右腕で銀閃を繰り出す。その一太刀は幻斎の左上腕に斬撃を刻んだ。焦れたように舌を打った幻斎は宙空に現出させた雷槍を投射し、目の前の敵を射殺さんとした。

 槍がその体を貫くよりも一瞬早く離脱した光。だがそこには数多の飛槍が狙いを定めており、体勢を整えるよりも早く襲い掛かった。

 

「くっ!」

 

 着地の体勢が悪く、即座に離脱できない。判断は早く、その双刀を振るって飛槍を掻き消していく。

 目の前の脅威。それを薙ぎ払っていた光だが、その背後に狂気を感じ、傷つくのを承知で離脱を選んだ。

 左肩に灼熱が奔る。

 血飛沫が舞い、だが光は顔色を変えず、瞬く間にその傷が無かったことのように修復した。 

 その様に幻斎は冷徹な瞳を向けた。

 

 ――創傷による動きの鈍化はなし。傷の修復はほぼ一瞬、か……鬱陶しい。だが……――

 

 先ほどまでの状態ならばいざ知らず、武器化魔装により金属器の力を強く引き出した光の修復速度は先までの比ではない。

 だが、すでに布石は打ってある。目に見える傷ではない。身体の傷は見た通り即座に修復される。だが、数多の雷撃を防いだその愛刀が貴様を弑する楔となる。

 蜘蛛の巣へとかかった極上の獲物。

 堕ちた老剣士は闘いの局面を詰みへとすべく手を進めた。

 

 

 ――白瑛の方は……無事だな――

 

 光は離れた位置にある彼女の、その無事を確かめた(・・・・)光もまた戦闘思考の局面を一段階推し進めた。

 

――気の方はともかく、残量(・・)の方はもうかなり削られてるな……――

 

 光の内包する生命力は、和はおろか煌帝国においても極めて高い。

 だが、幻斎が修復能力と見做した力をすでにかなり使った。この戦いで尽きるほどではないが、それでも使い切る訳にはいかない。

 隣に立つべき、護るべき者が、守るべき約束があるから。

 

 ――だらだらと削り合いを続けるよりは……――

 

「そろそろ、極めるとするか」

「!」

 

 先に動いたのは幻斎だった。

 顕現させた雷の飛槍を光とは無関係に見える周囲にばら撒くように投擲した。二人を囲む四方八方。

 雷槍による結界。

 看破した光だが、手を打つ前にそれは発動した。

 

 飛槍よりも大型の雷の戟。

 無数に飛ばしていた今までとは異なり数は一つ。だがそれは形状からも今までの飛槍の比ではない攻撃力を有していることが見て取れたし、光の直感も、直撃を受ければただでは済まないと告げていた。

 

 投擲された雷戟。

 放電を警戒し、接近されるよりも早くに飛ぶように回避した。

 

 はずだった。

 

「っ!!」

 

 躱したはずだった。

 だが、明後日の方向に向かったはずの雷戟が、直線を捻じ曲げて向きを変え、光の方向へとその軌道を修正して飛来した。

 寸でのところで瞬発力を発揮して再度回避した。

 

 無理な体勢からの連続移動。

 光は僅かに羽を休めるように拍をとった。だが、先の奇襲を思い出して意識を雷戟に向けると、そこには懸念通り再度軌道を修正し、光を追尾する雷戟があった。

 

「追尾!!?」

 

 大きく距離をとる回避行動をとるには体勢が悪い。

 光は雷戟の放電を覚悟しながら体捌きのみで追尾してきた雷戟を躱した。崩れた体のすぐ脇を通過する雷戟。

 懸念していた放電はなく、麻痺の効果もなかった。

 だがそれはこの状況では安心できる要素ではなかった。

 放電がないということは、力が集約されたままだということ。しかも雷戟はしぶとく光めがけて軌道修正をしてきていた。

 

 ――! 先に放った雷槍を支点に軌道修正しているのか!?――

 

 躱しながら雷戟の軌道を眼で追うと、雷戟は先程あちこちにばら撒かれた雷槍を取り込んで威力と速さを増し、そこを支点に方向を変えていた。

 槍を取り込むごとに速さを増す雷戟。

 光は負担を度外視して操気術の気を強引に引き上げ、なんとか速さで対抗するが、それでも雷戟の速度は、最早光をもってしても視認できる限界に達しようとしていた。

 

「よもや軌道修正している、などと思っているのではないだろうなぁ」

「っ!」

 

 速度だけではない。戟の大きさも巨人が振るうのかと見紛うばかりの超大さへと変貌していた。

 幻斎の言葉に、光は自らの致命的な勘違いに気づいた。

 

 ――コレの目標は、桜花かっ!!――

 

 数多の雷を斬り、帯電している金属器。和刀・桜花。それこそが雷戟が目印にしているものなのだ。

 たしかに雷槍も目印に違いはない。

 だが、雷戟自身は雷の特性として、金属めがけて、幻斎本人の気と電気を帯びた桜花目掛けて落ちようとしているだけなのだ。

 

 気づいてからの切り替えは早かった。

 

「罪と呪の精霊よ。汝に命ず!!」

 

 消耗は激しい。

 残された刻を一気に縮めてしまうだろう。

 それでもここで敵を倒さなければ先はない。

 

 だが

 

「遅いっ!」

 

 

 森の中、今までで最大の雷鳴が響き、周囲を焦がした。雷戟は金属器へと落ち、その担い手ごと貫いた。

 集約された雷は、蓄えられた力を叩きつけるように一瞬で球形にその形を変えて、獲物を捕らえ内部へと激しい放電を続けた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 神鳴る轟音は、離れた位置に居た白瑛たちのもとにも届いていた。

 

「今のは……」

「雷鳴。先ほどの男と皇光の方だな」

 

 戦いが始まって最大の雷鳴。戦いの趨勢を決めるであろう轟音に光雲は伺うように白瑛を見た。

 武器化魔装した白瑛の風は的確に敵を討ち、その指揮もあって見る間に賊の数を減らしていた。分散していた兵も集結しており、掃討ももう間もなく終えるだろう。

 

「姫様、こちらの方は私たちだけでも大丈夫です。姫様は光殿の援護を!」

 

 双刀を振るい、一人また一人と賊を行動不能にしていた青舜は、戦闘の終結が見え始めたことと、己が主が気にかける戦いは未だ終わっていないことを案じて告げた。

 

「……分かりました。お願いします、青舜」

「皇子、光雲殿もお行き下さい!」

 

 青舜の言葉に身を翻した白瑛。姉の動きに反応した白龍とその護衛を言い遣った光雲にも青舜は援護に向かうように告げた。

 白瑛はパイモンの槍を一振りして残敵の一部を薙ぎ払い森の中を駆けた。

 白龍は青舜と数瞬、視線を交わしてから、その視線に込められた意志を読み取って白瑛を追いかけた。

 

 

「姉上。先ほどの雷音、もしや光殿が……」 

「…………」

 

 白龍の言葉に光雲は別れる前の戦いを思い返した。

 回復の力を持つであろう光の金属器に対して相手は直接的な攻撃力を持つ雷の武具を操る闇の金属器。

 二人が剣士としてどちらが上であるかは光雲にも分からない。だがこと戦闘においては直接攻撃力のある闇の金属器を有する老剣士の方が明らかに上。

 あの回復速度があるからにはちょっとやそっとで死ぬとは思えないが、それでも雷という暴虐な力を前にどこまで耐えきることができるのだろうか。

 懸念する二人に白瑛は前を見ながら告げた。

 

「大丈夫です」

 

 迷いのないその言葉に二人は先を進む白瑛を見つめた。

 

「光殿は、決して約束を違えません」 

 

 

 

 薙ぎ払われた大木。圧し折られ、切り倒され、焼け焦げた戦場。激戦を物語るその中、戦いは決着を見ようとしていた。

 

 辿り着いたそこで白瑛たちが見たのは

 

 片腕を斬り飛ばされた剣士と雷を剣に纏わせた剣士。

 

 二人の剣客が互いの刃を相手の胸へと突き立てている姿だった。

 



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第17話

 桜が咲いている。

 大樹に色づいていた薄紫の花弁は吹雪の如くに勢いよく舞い散っていた。

 

 大樹の根元立つ一人の男がその舞い散る花吹雪を見ていた。

 

「使うのか――――」

 

 見る間に桜の散り行く勢いは増していく。

 

 ―――桜は命の象徴なんだそうだ―――

 

 かつて彼女に告げた言葉を思い出す。

 その言葉と共に大切な約束があった。

 

 約束の光景。

 満開の桜が散るこの景色。だが、これは約束のものではない。

 

 ともに見るべき、隣にいる人が居ないのだから。

 

 約束は守る。

 必ず彼女を守る。その約束だけは守る。

 

 だが

 

 

 

 

 もう一つの約束は――

 

   ――守れそうにない…………

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 紫電覆う雷の牢獄。

 そこに捕えたのは滅ぼすべき王族の男。

 回復の力を有しているのであれば回復の暇を与えなければいい。致命傷で足りぬのであれば回復できぬまでに斬ればいい。

 

 捕らえたまま生命力を削っていくその牢獄が

 

「―――我が身を大いなる魔神と化せ! サミジナ!!」

 

 強引に内部より切り裂かれた。

 和刀のみに纏わせていた金属器の力が全身を覆い、その主の姿を変えていた。

 罪と呪を司り、命の根源を操る姿。額には第3の瞳が開き、敵を見据えていた。

 

「全身魔装かっ!!」

 

 罪と呪に依る精霊《サミジナ》

 雷を切り裂き姿を現したその姿に、幻斎は自らの気を高めて応戦した。

 だが振るわれるその武器に幻斎は眉を寄せた。

 

 ――武器が和刀のまま……?――

 

 魔装はジン本来の姿に近づく、つまり武装もジン固有のモノに近づいてしまうのだ。それは武器化魔装よりも強く引き付けられる。

 武装をある程度己が意のままに武器の形状を変えることも不可能ではない。だが武器化魔装ならいざ知らず、魔装状態でまで和刀が通常状態であることに幻斎は違和感を覚えた。

 

 だが違和感の正体を突き止めている暇はない。

 呼吸の間すら惜しむかのように攻め立てる光の攻めは、幻斎を以てしてもその姿も斬撃も捉えることが難しい程だ。

 

 雷槍を生成する間もなく、振るわれる刃の内、致命傷を狙ってくるもののみを防御する幻斎の体は見る間に朱に染まっていった。

 

「おの、れっ! 」

 

 四方八方、速さを活かして空間的に手数で攻める光に対し、幻斎は数度斬りつけられつつも強引に刀を弾き、光の体勢を崩した。

 

「縛雷縄!!」

 

 わずかに離れた間合い。幻斎は雷を右手に纏わりつかせ、鞭のように振るった。

 直線軌道の投射ではなく、振るわれる右腕に操られ、そして光の金属器に反応して追尾してくる捕縛の鞭。

 捕まれば内包された雷力が身体を麻痺させ、致命的な隙を作りだし、今度こそ再生できない一撃を光の体に刻みつけようとするだろう。

 

 操気術で身体能力を底上げし、魔装の力も借りた光の脚力は雷鞭の速度を上回り、回避し続けた。

 捉えきれない幻斎と一気には距離を詰められない光、どちらもが顔を歪めた。だが、回避行動をとりつつも光は徐々にその距離を詰めた。

 

 雷鞭を操りながら、雷槍を現出させ 近づけまいとする幻斎の防御態勢に、光は意を決した。

 

 長時間の魔装はできない。

 

「はぁっ!!!」

 

 被弾覚悟で一気に距離を詰めた光の体を雷が貫く。

 肩に、腿に、脇腹に

 

 それらの傷を無視し、ただ修復能力だけに身を委ねた光が間合いへと踏み込んだ。 

 

「甘、いわぁ!!」

 

 近まった距離。その距離では幻斎の縛雷縄を回避することはできない。振るわれた右腕に縛雷縄がうねり、光の右手の桜花へと絡み付いた。

 

 刺突の構えを見せる幻斎の左腕。

 右腕をとられた光は二刀の片割れ、左の和刀を切り上げた。

 

「っぅのれっ!!」

「おぉあっ!!」

 

 桜花を通じて雷が侵食する。

 紫の輝きを纏った和刀が幻斎の右腕を斬り飛ばす。

 

「死に、損ないがぁっ!!」

 

 右腕が自由になり、しかし斬撃を放った左腕が無防備な胴を晒す。

 そこに咆哮とともに幻斎の左腕の刺突が突き刺さった。

 胸に刺さり、肺腑を貫く黒い和刀。

 腕を斬り飛ばされながらもその光景を目にした幻斎は勝利を確信し、

 

 次の瞬間、

 

    砕かれた刀身を見た。

 

「!!!」

 

 頭上に上がった左腕を勢いよく振りおろし、柄尻で黒刀を砕いた光の一撃。

 自らの力の象徴たる和刀を砕かれた幻斎は、その奥、縛雷縄を絡み付かせた光が先ほどと立場を変えるように刺突を突き入れてくるのを見た。

 

 胸に黒刀を突き立てられたまま、それでもその動きは寸毫も鈍ることなく、雷を纏う桜花は幻斎の右胸を貫いた。

 

「貴、様ぁぁっっ!!」

「オァアアア!!!」

 

 互いの刃を互いの胸に突き立てた剣客たちは、渾身の咆哮を上げた。

 

 そして

 

「光殿!!!」

 

 胸に突き刺した桜花を、右に振り抜いた。

 

 血が吹き出た。

 闇の力を得た、堕ちた剣聖の黒い血がまるで吹雪のように吹き上がった。

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「光殿!」

「おいっ!!」

 

 離れた位置からでもその光景はスローモーションのように映った。

 再び右腕を失った幻斎の黒刀が光の胸元に突き刺さり、しかしその魂の緒は断ち切られず、光は深々と突き立て返した和刀を振り抜いた。

 

 体の半身を斬り裂き、残っていた左腕を刎ね落した。

 

 金属器使いと闇の金属器の使い手。二人の和国の武人の戦いは決着した。

 

 崩れ落ちたかつての師を見下ろしていた光は、自らの体を貫いた刃を無造作に外し、捨てた。傷口から血が吹き出るも、その傷は瞬く間に消え去った。

 

 駆けてくる白瑛たちの声に気づいたのか、光は桜花を一度軽く振るった。

 体を覆っていた魔装が、舞い散る花のように紫色の光の粒となって淡く消え去り、光は振るった刀を鞘へと納めた。

 

 立っているのはボロボロの装いの光。

 上衣は肌蹴、戦闘を物語るように血でその肌を濡らしてはいるものの、そこには一つの傷もなかった。

 

「呆れたものだ、不死身かあいつは」

 

 周囲の様子からここで繰り広げられた激戦の様子はうかがえるが、にもかかわらず、刀を納め、白瑛のもとへ歩み寄ってくる光の歩調に乱れはない。

 

 残敵もほどなく制圧できるだろう。もっとも厄介だった闇の金属器使いである剣士は刀を振るう両腕を失い、血の海に沈んだ。

 光の姿にほっと安堵の息を漏らしたとした白瑛。

 

 守ってくれるという約束が続くこと大事なのではない。

 ただ、大切な人が、人たちが自分の眼の前から居なくならなかったことに安堵したのだ。

 

 光が強いのは知っている。

 自分よりもよほど強いだろう。剣も、金属器使いとしても、将としても。

 それでも、自分よりもよほど強かった兄たちが、父が、居なくなってしまった過去があるだけに、不安は消えなかった。

 

 それでも、光は、白瑛との約束を守ってくれる。

 

  ――よかった…………――

 

 

 安堵した白瑛のみならず、白龍や光雲も戦場の機運が終結へと向かったことに気を緩めたとしても仕方のない事だろう。

 来る間際の青舜たちの様子ではさして時間もかからずに終わるだろうから。

 

 

 

 白瑛の許へと近づく光、その背後で

 

 

 強大な雷鳴が轟いた。

 

「!!?」

「なんだ!」

 

 振り向いた光、そして気づいた白瑛たちが見たのは空に浮かぶ巨大な八芒星。それを囲む円が雷のルフにより黄色く染まる。

 

 魔方陣の下には体を断ち切られ、両腕を失い、最早立ち上がることもできない体でありながら、膝立ちのままで悪鬼の形相を見せる老いた剣客の姿があった。

 

「が、ぁああああっ!!!」

 

 刀を握る腕はない。だが、血を吐きながらもその口元には半ばで折られた黒刀があった。

 黒いルフが視覚化されるほどに集い、黄色の輝きを伴いながら円を侵食する。

 

「あれは! 極大魔法!?」

「いけない!」

 

 金属器が強大な力を誇る理由。

 それは、金属器の持つ属性。そのルフの力を集めて、何者にも防ぐことができない大魔法を放つことができるところにある。

 

 軍団ですら壊滅においやることができるほどの一撃。

 光の魔装にも無論、極大魔法はある。

 だが

 

「ちぃっ!! サミジナ!」

 

 明らかに後手。

 納刀していた刀を振り向き様に抜刀し、一度は解除した魔装を呼び戻した。

 再び紫色の花弁が集い、二刀へと姿を変える。二刀を持った腕を輝きが覆い、全身が姿を変えていく。

 

 極大魔法を通常の状態や武器化魔装で対処するのは不可能。

 

 全身に魔装を纏い、魔力を高めた。

 

「くっ!!!」

「極大魔法・雷爪奉天牙戟――――」

 

 しかし、光の最大威力の魔法を放つ間もなく、黒い雷撃が極大の戟の形をとって宙より堕ちた。

 

 その長大さは、光一人を標的にするどころではなく、白瑛や白龍、それどころか、ここから離れた位置にいる自軍の味方、そして賊の残党をも巻き込むほどの大きさ。

 戟が森へと堕ちるのに対抗するように、魔装サミジナとなって天を翔けた光は、二刀を振るい斬り裂こうとした。

 

 風花・叢雲、その二つの斬撃が極大魔法と衝突した。

 全てを斬り裂くその斬撃は、しかし戟を斬り裂くことはできずに拮抗する。

 

 いや

 

 ――これが、極大魔法、かっ!! ――

 

 拮抗ではない。

 

 操気術で全身の細胞を活性化させ、サミジナの力も引き出している、にもかかわらず、眼前に迫る暴力は光の体を見る間に圧し込んでいく。

 一秒ごとに光を黄泉へと引きずり込む骸手が身体を覆っていく。

 

 呼吸が、できない。

 わずかにでも力を緩めれば、たちどころに極大の爪牙が森に落ち、光のみならず、森にいる全ての生物を飲み込むだろう。

 

 骨が軋みを上げ、全身の筋線維が千切れ飛びそうなほどに膨隆する。

 

 雷爪はたしかにその轟墜の速度を遅らせている。だが、その内包する膨大な熱量が気と魔装で防御された桜花を徐々に侵食していく。

 

 こちらにも切り札はある。

 だが、それを発動させるために力を溜める暇はない。

 ただもがき苦しむだけのように、その先に終わりしかないと分かりながらも力を緩めることができない。

 

 光と桜花が限界を迎える。その瀬戸際

 

「はぁぁああ!!」

「白瑛!!」

 

 背後から膨大な風が大旋風となって雷の極大魔法にぶつかった。白瑛の魔力がパイモンの槍に注がれ、その腕が白く風を纏い羽を持つ。

 極大魔法には及ばない、だがそれでもたしかにその風は光にとって追い風となった。圧し掛かる圧力がわずかばかり軽減し、詰まっていた呼吸をとる拍が作られた。

 

「今です! 光殿!!」

 

「鬼哭啾々!!」

 

 息をつき、吐く。そのわずかな間で光は己が金属器に魔力を叩き込んだ。

 白瑛に呼応する光の言葉とともに、紫の花弁が吹き荒れ、煌きが和刀に宿る。

 

「穢れを纏いし屍の花よ! 対価を贄に、咲き乱れろ!!」

 

 数多の思念が集い、刃となって主に意志に応えた。

 二つの和刀が紫色の双翼の如き威容となる。

 

「スメラギィッ!!」

 

 天を割る紫の斬撃。

 紫垣の刃が轟墜の雷爪奉天牙戟を斬り裂いた。

 

「なっ! 雷を、斬り裂いた!!」

 

 斬り裂いた刃は、空へと舞い、舞い散る花弁の如くに地上に降り注ぐ。満開の桜が風によって吹き散るように。

 

尸桜(シオウ)―――』

 

 降り注いだ花弁は意志を持つ。

 

 捧げた忠義にかけて主を守る。誇りにかけて刃を振るう。

 

 黒き力に屈した己が許せない。

 ただ一度だけでも、今ひとたび、その刃を届かせたい。

 

「花……?」 

 

 その花弁を吹き散らした時、花弁は罪と呪を得た。

 罪あるルフが言霊の力を受けて怨みを纏い刃となる。

 

「なっ! がっっ!!!」

 

 風に吹かれて舞い上がる花弁の如くに   

 血が吹き上がった。

 

 鬼面となって呪詛をはく幻斎の体に無数の刃が走り、血風が舞う。全身に刻まれた傷から血が吹き上がり、幻斎は信じがたいものを見た。

 

 己が斬り殺した数多の剣士たち。

 己が欲望のために踏み越えてきた故国の武人たち。

 それらが、今、幽鬼のごとくに自らに刃を振るった。

 

「貴、様()はァあぁぁ!!」

 

 見誤っていた。

 あの力は回復の力などではない。

 

 罪と呪から成る精霊

 

 数多の幻影の果て、紫の輝きを纏った和刀を構える光が斬撃の構えを見せる。

 

 その斬撃を受ける腕は最早ない。

 その斬撃を回避するだけの動きは最早ない。

 

 その斬撃は

 

『―――終閃(ツイセン)』 

 

 剣士を斬り裂き、大地を裂いた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 今度こそ息の絶えた幻斎を見下ろしていた。

 

 かつての師であり、憧れた剣士であり…………斬るべき敵となった。

 剣聖とまで称された剣を振るった両の腕は無く、血だらけのその体は、最後の言葉を発することもなく、見る間に黒く黒檀のように無残な姿へと変貌している。

 

 

 なにが狂ったのだろうか……

 世界を覆う異変。それがこの方を狂わせてしまったのか

 それとも元々、違えていたものの箍が外れてしまっただけだったのだろうか

 

 もはや真っ当な人としての死に様からも逸れてしまった男の姿。

 

 “あの時”の選択次第では、もしかすると光も師と同じ道を歩むことになっていたのかも知れない。

 だが、光は選んだ。

 咎を負おうとも、罪に塗れようとも、足掻きながらも運命を乗り越えていくことを。

 

 光は砕けた黒刀に視線を移し、その残骸へと手を伸ばした。

 

「光殿……」

「……向こうも、あらかた終えたのか?」

 

 声をかけてきた白瑛に問い返しながら、黒刀を鞘に納めた。

 かつて偉大なる王の力の加護を受けた宝刀の紛い物。

 

 光の問いに対する答えを白瑛が答える前に、ぐらりと光の体がよろめき、近くまで寄っていた光雲に支えられた。

 

「見た目ほど無事、というわけではなさそうだな」

「……少し、使い過ぎただけだ。片付けるものをやり終えたら休ませてもらうさ」

 

 大幅な魔力の消費と生命力の消耗。

 崩れかけた光だが、なんとか気力で押しとどめるように光雲から体を離した。だがその顔には普段の生彩は欠けており、荒く息を吐いていた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 その後、賊軍の掃討はさして時間かからずに終えた。

 

 賊の強さの大部分は、幻斎の個人的な力とあの金属器の魔法力によるものに依存していたらしく、統率もなく散り散りになった残党を刈るのはそう困難な戦闘ではなかった。

 

 

 先の戦闘、黒の金属器の使い手たる幻斎という敵との戦いは白瑛にとっても思うところのある戦となった。

 運命を呪う黒い流れ。

 それこそがあの気の正体だと光は語った。

 

 父を失い、兄たちを失った。

 もしも母と弟が、そして光が居なければ、自分もあるいはあの黒に取り込まれていたのではないか。運命を呪っていたのではないか。

 そんな懸念が白瑛にもあった。

 

 だが、それでも道を違えたくはない。

 混沌へと向かいつつある世界を納めるために。嘆き溢れる民草に安寧の世をもたらすために。

 それこそが亡き父が志し、兄たちが引き継ごうとしたものなのだから。

 

 正直、未だに戦争というものがその手段として正しいものなのかは分からない。

 きっと間違っているのだとは思う。

 

 だとしても、自分に為すべきことがあり、守るべきものがあるから。

 剣を執ることを止めはしない。

 

 例え自分がどれほど傷ついたとしても―――――

 

 

 

「姫様、光殿のお体の方は大丈夫なのですか?」

「ええ。傷自体はかなり早くに治られたようです。ただ、魔力の消耗が大きかったようで、まだ大事をとってもらっています」

 

 廊下を歩きながら、青舜と白瑛が過日の戦いで傷ついた特使の話をしていた。

 煌帝国に来てから初めての魔装を用いた戦い。その中で受けた傷は通常であれば致命傷に至る程の傷であったが、魔装の能力ゆえにか、傷自体は修復にさして時間がかからなかった。

 だが、金属器の連続使用のせいか、極大魔法を防いだ反動故にか、魔力の消耗が著しかった。

 戦闘後しばらくの間、光は精神的な意味での気力で持ち堪えたが、その後、白瑛の看病の下、強制的に休養に入った。

 

 今も光の看病のために白瑛自ら見舞いの果物を届けている  の、だが……

 

「失礼します」

「光殿、具合の方は…………」

 

 光が休んでいる部屋の扉を開けて目にしたのは、もぬけの殻と化した主の居ない部屋だった。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 

 劫火が全てを舐めつくしている。

 

 次兄の皇子は数多の傷を負い倒れた。未だ息のある長兄は燃え盛る焔によって全身を焼かれ、もう間もなく死の時を迎えるだろう。

 

 間もなくルフへと還る彼らの命が、心残りを語っている。

 

 無念だと。

 

 父の仇を討つことも、志を継ぐことも

 大切な弟、妹を守りきることもできずに、この命が尽きようとしていることが

 

 分かっているのだ。

 敵の正体が

 父を亡き者にし、世界に混乱をもたらし、破滅をもたらそうとする仇敵

 

 彼の者は、残してしまう大切な妹弟にまで、いずれ牙を剥くと

 その時誰が、あの子たちを守ってくれると言うのだろう。

 破滅へと向かうこの世界の行く末に光をもたらしてくれるというのだろう。

 

 

 ――ならば、力を貸して欲しい――

 

 ――貴方たちの願いを叶えよう――

 

 ――守るために、討つために――

 

 ――死してなお、その思いがあるのなら――

 

 ――罪業と呪怨に縛られてなお、その願いを叶えたいという意志があるのなら――

 

 ――我が力の一つとして――――――

 

 ―――――――

 ―――――――

 

 

「用は済んだのか?」

「……ああ」

 

 煌帝国、その礎を築いた者たちの墓所へと光は足を運んでいた。

 何かを語らうように霊廟に黙祷を捧げていた光は、その祈りが終わると同時に同行者に声をかけられた。

 同行者は現皇帝の第一皇子、練紅炎。光が名目上、指揮下に入っている白瑛の上司にもあたる西征軍総督だ。

 

 先人たち、白瑛の父親、そして兄たちがその命を散らした証の墓標。

 そこに詣でたのはとある目的があったからだ。

 

「碌な死に方をしないだろうな。俺は……」

 

 悔恨を感じさせる言葉とは裏腹に、何の感情も見せない表情の光に対し、紅炎はただ視線をのみ向けた。

 許嫁である白瑛ではなく、紅炎に墓所への立ち入りを求めたのは、彼が白瑛よりも上位の権力者であり、皇族の中でも比較的接しやすい位置関係にあり、光の能力について知らせているからだ。

 

「……確かに、碌でもない力ではあるな。白瑛や白龍には知らせられない、か?」

「討つべき時に、その相手を違えないためだよ」

 

 光の金属器は命を司る力。魔導師たちが言うところの8型に属するルフの支配者だ。

 

 “だからこそ”そのルフが最も集うここに来たのだ。

 

「どうやらまだ信じられていないようだな」 

「そうでもないが……俺は紅炎殿ほど魔力もないし、ジンの力も強大ではないんでな。打てる手はどんなものでも打っておきたいんだよ」

「ジュダルが居ない間に、か」

 

 たとえそれが、どれほど罪深い咎だろうと

 大切なモノを守れるのなら……

 

 白瑛の兄や父に対する思いはたしかにある。だが、それを押し殺しても、必要な力として、本国を離れる前にここを訪れたのだ。

 煌帝国の神官ジュダル。明確な敵であり世界で三人しかいないと言われるマギである彼が“居ない”間に。

 

「彼はどこに行ったんだ?」

「西の方に組織が目をつけていた“黒の”王の器が居るそうだ。そこに向かったのだろう」

 

 今回の参拝。見舞いがてらに和国の特使のもとにやってきた紅炎からジュダルの不在を聞かされて急遽行うことになったのは、それだけ光にとってジュダルが天敵たる存在だからだ。

 

 その“能力”も、その背後にある存在も

 

 黒の王、という紅炎の言葉に光の表情がぴくりと動いた。

 思い出すのは先だって光に重傷を負わせた闇の金属器使い。

 

 それに組織がかかわっているのかは明言できない。だが、それでもジュダルに寄り添う気の色と、黒の気と同じものを纏わりつかせていた幻斎の金属器には何らかの関連があるのは間違いない。

 八芒星の組織。白瑛の父と兄とを弑し、世界を破滅と混迷へと向かう流れを生み出そうとする組織。やつらと繋がる流れがある。

光の直感はそう告げていた。

 

「それで」

「光殿!!」

 

 答えた代わりに質問しようとしていた紅炎だが、少し遠間からかけられた怒り気味の声に遮られた。見ると前方からやや慌てたように白瑛が青舜を伴って足早に近づいてきていた。

 

「光殿! 一体どこに行かれていたので……紅炎殿!?」

「…………」

 

 こっそりと私室を抜け出したことによほど慌てていたのだろう。光の姿しか目に映らなかったらしく、白瑛は声を上げてから紅炎に気づいて、慌てて拱手して膝をつこうとした。

 光は一応、目上である紅炎をちらりと伺った。紅炎がいつもの平常運転の表情となっているのを確認して光は口を開いた。

 

「紅炎殿が見舞いに来られたんで、散策していたんだよ。傷が治っても寝てばかりでは体が鈍るのでな」

「一声かけてください、光殿」

 

 いつも通りの光の様子に白瑛はほっとしたように息を吐いた。戦闘後の光の消耗具合は、それだけ深刻な状態だったのだ。

 だが今の光の様子は以前どおりのように見える。そのことに白瑛は安堵したのだろう。

 

 

 紅炎は自身の従妹にして義妹と光のやりとりをじっと見つめた。

 

 紅炎の他の妹たちは、末の一人を除いて政略結婚として既に他国へと嫁いだ。武の道とは関わりもなく生き、国の方針として自身の意とは無関係に伴侶を持った。

 残る末の一人も西方進出の要となる国へと嫁ぐことが決まりつつある。

 

 皇女の身には、個人の意志など無用。

 それが侵略国家の皇女として生まれた娘の在り方だ。白瑛もまたそれは変わらなかったはずだ。

 むしろより過酷な立場となってもおかしくはなかった。

 それでも白瑛は微笑んでいる。

 国の意志でありながらも、そのほかに選択肢のない道を自身で選んで。

 途切れそうになった道を確かな信頼で繋ぎ止めて。

 

 それで、いいと、そう思った。

 感情の見えない表情の奥に、言葉にはしない思いを秘めて紅炎は白瑛たちを見た。

 

「青舜殿も眷属器に目覚めたのだろう? そろそろ体を動かしていきたいので鍛練の方をお願いできるか?」

「えーっと……はい」

「私もおつきあいさせていただきます」

 

 もうすっかり心配いらないという事を主張しているのか、光が鍛練を申し出て青舜は戸惑ったように頷き、白瑛はにこにことした表情で同行を申し出た。

 

 一戦終えたところではあるが、元々今回の賊軍討伐は、征西前の突発事態だったのだ。本来の予定ではもうじき白瑛たちは、彼女を将軍として北天山高原方面へと向かうこととなっている。

 来たる次の戦。そのためになるべく早く体を動かして慣らしておきたいといったところなのだろう。

 

 

 そのまま一礼して去って行きそうな光の様子に紅炎は口を開いた。

 

「待て、光。もう一つ答えろ。持ち出された和刀はなんだったんだ?」 

 

 先程途切れた言葉の続きなのだろう。紅炎の質問に青舜は首を傾げた。白瑛は持ち出された和刀、というのが先の老剣士が強奪したものであるというのを関連付けたのかハッとしたように光を見た。

 光は紅炎の問いに、答えるべきか悩むようにしばし言葉を噤んだ。

 

 幻斎が持ち出した和刀は本来、和国の王族が保管していた秘物とも言えるものなのだ。

 秘物である国宝の伝来を他国の皇族に伝えることに抵抗はあるが、先程光の質問に答えてもらったこともあるし、今回の参拝の礼もある。

 光は礼に応えるように口を開いた。

 

「……昔々の眷属器だ」

 

 光の答えに白瑛は驚いたような表情となり、紅炎の顔もピクリと興味をひかれたように動いた。

 

「ほう。あの大黄牙帝国の頃のモノか?」

「ああ。和に伝わる伝承によると、当時の王には4人の眷属が居たそうだ。幻斎が盗み出したのは唯一残存していた眷属器だ」

 

 遥か昔。この大陸はある大帝国によって席捲された。大王が授けられたという偉大なる力。

 だが、それに従うことなく、大王と同じ力をもってその侵略を跳ね返した小さな島国があった。

 それが和国。

 歴史に造詣の深い紅炎のみならず、白瑛も、そしてある程度教養のある者であれば、いずれも聞き覚えのあることだ。

 

 “王の器”について関心のある紅炎は少し興味があるのか、やる気のない顔に少し覇気が戻っている。

 

「もっとも、とうの昔に主を失って、今ではもうただの刀になっていたが、あれでも国宝だ」

「……そうか」

 

 だが続けられた光の言葉にあっという間にやる気が萎んだようで平常運転の覇気のない表情へと戻った。

 

 一礼をして紅炎のもとを辞去した3人は、鍛練場へと足を運んだ。

 

 

 その途中、白瑛が光を見上げながら先程の会話について口を開いた。

 

「光殿、先程の話……」

「む?」

「国宝であることの他に、なにかあったのですか?」

「……どうしてそう思った?」

 

 白瑛の問いに、光は虚をつかれたように問い返した。

 嫌な感じではないが、ちょっとした私事がバレた気まずさのようなものを感じているような表情となっている。

 

「勘、でしょうか。なんとなくあの黒刀を手に取った時の光殿の様子が、気になったもので」

「鋭いな」

 

 光の様子ににこりと微笑を向けた白瑛。光はポリポリと頬を掻いて、空を眺めた。海を隔てた東方。彼の故郷のある島の空を見上げるように。

 

「まあたいしたことじゃないんだが……あの眷属器を使っていた眷属の名は立花道真という者だったそうだ」

「立花? それはたしか……」

 

 別に古びた骨董品が盗まれたことを気にかけていたわけではない。

 ただ、自分の前にそれが転がってきたから斬り捨て、物のついでに思い出した、その程度のものだ。

 

 気にしていたとすれば、

 

「幼馴染の御先祖様だ」 

 

 その正当な持ち主が、気に病んでいないかという程度のことだったのだ。

 

 望まぬ命を押し付けてしまった友の負担を少しでも減らせたことを祈るように。

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 かつての三国が一つ煌。

 今や強大な軍事帝国となった煌帝国は、金属器と迷宮道具、そして圧倒的な軍事力をもって極東平原を統一した。

 その行く道は覇道。歴史の深淵、真実をつまびらかにするために。

 その身の内に闇を抱えつつも、未来の歴史を紡ぐために。

 

5人の金属器使いの皇族と1人の王子を擁し、西へとその道を伸ばす。

 

 

 

 




今回の話で第2章・煌帝国編は終了となります。
ようやく次話から北天山高原編へと突入予定です

感想・ご指摘などございましたら是非よろしくお願いします。


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第3章 北天山高原編
第18話


今話から第3章 天山高原編 となります。


 雄大なる大草原。

 見渡す限り低い背丈の草木と地平線。

 煌帝国の帝都から遥か西方。

 

 天山という峻嶮な山々を超えたその先に、白瑛たちは訪れていた。

 

 他国を侵略する帝国軍として。

 

「伝令! 本陣営より西方50里に異民族の集落を発見。人口百余名ほどの規模と見られます。我が隊の進軍経路上となりますが、如何致しましょう…………」

 

 軍備に身を包む兵たちの中で、白桃の衣裳を纏う白瑛が報告を受けていた。

 その横には彼女を守護するように和国の特使と眷属たる李青舜が控えている。

 

「……私が参りましょう」

 

 西征軍北方兵団の将、練白瑛自らの出立の言葉に兵の顔には驚きが浮かび、千人長の呂斎は忌々しげな顔となった。

 

 本国から白瑛たち北方兵団に下された戦略は、西方侵略に際して、北方の山岳地帯を制圧することにあった。

 煌帝国の西方進軍経路は大きく分けて山岳路と海路の2種類。平路もあるにはあるが、そこには中央砂漠という広大で不毛、過酷な大地が広がっており、軍を進めるには難しい。

 白瑛が預かったのは、その内の一つである山岳路、北天山高原の制圧とうい任務であった。

 一方の海路には東方を盟友国 和を要とし、西方には大陸から大きく尖り出たバルバッド王国という海洋国家を拠点候補としている。

 

 バルバッドは今現在、サルージャという王族が支配する王政国家とはなっているが、王の才覚の問題もあって、今現在その経済状況は破綻寸前。数年前から煌帝国が介入を行い、資金を援助しており、引き換えにその国政権利の一部を譲り受けていた。

 その権利の中には、海洋国家として要の海洋権と通商権も含まれている。

 徐々に国政の権利を譲渡され、最終的にはバルバッドの王族には未婚の皇女である第8皇女 練紅玉が王妃として宛がい、名実ともに国を併合、戦略拠点として総督の練紅炎が駐屯する計画が進められている。

 

 百戦百勝は善の善にあらず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。

 

 戦好きという評判にもかかわらず、いや、炎帝とも称される戦巧者の紅炎だからこそ、戦による武力統合だけではなく、外交手段、内政手段をもって、徒に兵を動かす事無く国を併呑することを紅炎は狙っており、それを実行していた。

 その意を受けた白瑛もまた、天山の村々を兵をもって統合するのではなく、積極的に交渉を行って自国に取り込んでいた。

 

 だが、その戦術は必ずしも北方兵団の総意とは言い難かった。

 

「百余名程度の少数民族など、姫様自ら赴くまでもないのでは?」

「いいえ。数の大小ではありません。一つの民族を、煌帝国の民としてあずかろうというのです。礼を尽くすのは当然のことです。……何か集落の特徴で気付いたことはありますか?」

 

 白瑛のとる説得戦略にあからさまに異を唱えるのは、千人長である以上に、第1皇女にして“前”皇帝の娘である白瑛の監視役として軍に派遣されている呂斎である。

 白瑛の説得路線では平定までに時間がかかり過ぎる。それでは世界統一が遠のいてしまうと言って、呂斎は常々武力統合を訴えていたのだが、白瑛はそれを意に介さず、偵察に行っていた兵から説得の手掛かりを得ようと情報を収集していた。

 

 武功を上げること、いや、戦争をすることこそが望みである呂斎からすれば、極力戦争を回避しようとする白瑛の路線は忌々しい限りであり、これまでもたびたび衝突していた二人は、天山を超えたこの地においても対立を見せていた。

 

 異民族の村を訪れる白瑛と青舜、そして光。 

 監視役たる呂斎ではあるが、軍を預かるという役目もあり、また白瑛子飼いの光雲たちという存在もある以上、無闇と動くことはできなかった。

 

 護衛、という名分をつけようとも、武人としての戦闘力では煌帝国内でもトップクラスに相当するだろう光が居ては、“もう一つの思惑的にも”分が悪かった。

 

 

 

 物見の兵からの報告をまとめたところ、白瑛たちはこれから赴く集落の民の正体についてある程度予測を立てていた。多数の馬を飼育している点、その扱い。着ている衣裳から見て……

 

「黄牙の民の集落か……」

 

 馬に乗り村へと向かう白瑛たちだが、光は集落の民について呟いた。

 

「光殿は残られた方がよかったのでは……?」

 

 かつて世界統一目前に迫った大黄牙帝国。それは阻む一助となったのは他ならぬ光の故国である和だ。 

 野望を阻まれた黄牙の民。

 自国を侵略されかけた和国の民。

 どちらにとっても遺恨のある間柄だけに、青舜は不安そうに懸念を述べた。これから行くのは降伏勧告という相手を逆撫でしかねない行為でもあるのだから、それだけに光の存在は危険な札となる恐れがあるのだ。

 

「遅かれ早かれ煌帝国と和国の関係は分かることです。交渉の場に光殿が居なくとも、そのあと、遺恨を掘り返してしまうのであれば意味がありません」

「ということだ」

 

 武をもって併呑すれば遺恨を残す。

 志を違えたまま治めてもいずれは破綻を招く。

 

 白瑛も和も、望むのは平穏なる世界。その志を説くためにこそ白瑛は自ら赴いているのだ。

 もしも黄牙の民が和国への恨みを今もなお継いでいるというのなら、それを晴らす事無く抱き込めばやがてはその恨みの暴発を生むだろう。

 だからこそ、それを確かめる意味でも光を連れて行くことを白瑛は反対しなかった。

 

「俺の方は心配いらん。何代も前の、それこそ伝説になるほど昔の戦のしこりなんぞ俺も和国も引きずってはおらんさ」

 

 一方の光の方は、侵略されたと言っても遥か昔、それも撃退したことだと言い切った。

 

「? 何かほかに懸念事でもあるのですか」

 

 光の答えに青舜はわずかに違和感を覚えて問いかけた。

 先程の光の呟きは何も心配がないとは思えない呟き方であったのだ。それが分かるくらいには青舜は光と顔をあわせているのだから。

 

「……以前貿易で訪れていた国での噂だが……黄牙の民というのは、ある特殊な体質を持っているそうだ」

「特殊な体質、ですか?」

 

 青舜の問いに光は少し考えるように言い淀み、結局口を開いた。

 白瑛に聞かせるにはあまり耳心地の良いものではないのだが、上に立つ者として、これから赴く先の情報として白瑛は知っておく必要があることだから。

 

「異常に死ににくく、頑強な体をもつ一族、だそうだ」

「それは、光殿のような、ですか?」

 

 光の言葉に、思い浮かべたのは当の光が持つ、和国特有の武術 操気術だ。

 加えて以前の賊軍との戦いでも、体を貫かれても反撃していた光の体の再生力を思い出して青舜は尋ねた。

 

「あれは俺の金属器としての力だ。操気術も鍛練法こそ和国特有だが、本来は誰しもが持つモノだ。そうじゃなくて単純に肉体的な頑丈さが並外れている、というのを聞いたことがある」

 

 操気術、西方では魔力操作と呼ばれる術法は、和国の剣客と魔力操作の民と呼ばれる者たちのみが操る術と言われているが、厳密にはその会得が難しいために中々広まらないだけだ。

 実際、白瑛や光が煌帝国内を駆けまわっている間に、帝都にいた白龍は、帝都を訪れた魔力操作の民 “ヤンバラの民”から魔力操作を教わったそうだ。

 

 下手に操ると危険だからと教えなかった光の態度に業を煮やしてのことだそうだが、白龍自身には才があったのか、未熟ながら一応魔力操作をある程度覚えたようだった。

 ただ、その術法は光の眼から見て非常に危うく、命を削る危険がある、ということを言い含めてはいたのだが、光を敵視している白龍だけにどこまで聞いているのかというのが白瑛たちにとっての不安事となっている。

 

 魔力操作は決して民族固有のものではなく、また光の修復力も生来のものに起因するモノではない。そのようなものではなく、黄牙の民はただ頑強なのだ。

 剣で刺されようと火で炙られようとも耐えきる頑丈な体を持ち、大草原に生きて馬と共に生きる。

 それが黄牙の民だ。

 

「そしてその稀少さゆえに、」

「近年では奴隷狩りの被害にまで遭っている」

 

 光の言葉に白瑛の表情が沈鬱なものとなり、硬い声音で続きを喋った。

 

「奴隷、ですか……」

「知っていたか」

「はい……」

 

 二人の会話に青舜の表情に影を宿した。

 

 和国は主に工芸加工品などを貿易品として取り扱っているが、国や商人によっては奴隷を取り扱う者もいる。

 光は貿易船の護衛として外洋に出ていた光もそのことを商人伝いに聞いていたのだ。白瑛もまた、和国との関わり、そして西征軍の将となり北天山に派遣されることが決まってから、あるいはその前から、いずれは遭遇するだろう黄牙の民について調べていたのだろう。

 

「それが……見えてきたな」 

 

 光がもう一つ、持っている情報を伝えようとした時、小高い丘が開け、視界に放牧民特有のテントのような家屋が目に映った。

 世に名だたる騎馬の民らしく、集落には人口比にすると多くの馬が放し飼いにされており、馬を囲う柵も、厩舎もないというのに逃げる様子もなく人に慣れている。

 

 馬の乳を搾る女性。狩りの準備だろうか、大きな剣を手入れする男性。狩りに行く馬上の男性を見上げる子供。

 

「あれが黄牙の民の…… !」

「姫様!?」

 

 争いの気配のない、のどやかな集落。その中の一つの光景を見た瞬間、白瑛は馬を駆けさせた。

 厚手の衣裳を着ている村人の中で、長い三つ編みにターバン、袖のない薄手の衣裳を着た子供が一人。馬に慣れていない様子で近くの大人が目を離した隙に不用意に馬によじ登ろうとしている。

 人に触られていることに慣れているからか、馬は無闇とは騒ごうとはしないがそれが災いして子供は中途半端に馬によじ登れてしまっている。

 だが、

 

「うわぁあああああ!!!」

 

 馬術に長けた白瑛だからこそ、それを予見したのだろう。果たして予見通り、馬に不慣れな小さな子供を半端に乗せた馬は、流石に不快感を覚えたのか前脚を高く上げて嘶き、暴れるように駆けだした。

 

「誰か馬を止めろ!!」「落ちるぞっ!!」

「危ない!!!」

 

 馬の暴走と子供の危機に気づいた周りの者が慌てるが、馬はかなり興奮しているのか慣れている筈の大人の制止も振り切って駆けている。

 

「アラジン!!!   !!?」

 

 馬を追っていた大人の一人が自分の脇を駆けて行った馬と見慣れない女性、白瑛の姿に気づいた。

 白瑛は自身の馬で暴走馬に追走し、暴走馬以上の速度で追い抜いた。追い抜きざま、小柄な子供の体を片手で抱き上げ、自分の馬に移した。

 

「流石の馬捌きだな」

「言ってる場合ですか。行きますよ、光殿!」

 

 馬上の重量を変化させながらも、片手で見事に手綱を操る白瑛。

 しがみついていた馬の速度が緩やかになり、止まったことに気づいたのだろう。恐怖で馬の鬣にしがみついている少年の叫び声が小さくなり、収まった。

 着いて早々に起こりそうになった惨事が一つ、無事に収めることができたことに青舜は安堵の息を漏らし、光は卓越した白瑛の馬術に感心したように呟いた。

 とはいえ、護るべき白瑛が一人、まだ味方とはなっていない、というよりも侵略対象であるのだから戦闘状態でないとはいえ、敵の只中に突っ込んでいった状況はあまりよろしくない。青舜は感心している光に一声かけて自身の馬も駆けさせた。

 見れば子供の無事を確認しようとしてか、集落の大人たちが続々と白瑛を取り囲むように駆け寄ってしまっている。

 

 

 

「私は煌帝国初代皇帝が第三子 練白瑛。貴方たちと外交のお話をしに参りました」

 

 落馬しかかった少年を地上に下ろした後、白瑛たちは集落の長という老婆と対面していた。白瑛が光と青舜を護衛のように引き連れているのと相対するように二人の屈強な男を脇に控えさせている小さな老婆。

 

「……ようこそ姫君。私は黄牙一族、第155代大王が孫娘 チャガン・シャマンと申します」

 

 杖をつき、近くで見るとその目は盲しているように見える。だが、まるで見えているように白瑛を見上げている。

 3人を取り囲む集落民の顔は、野次馬的に取り囲んでいるというよりも、警戒心を露わにしている。

 子供を助け、先程名乗ったように皇帝の娘という高貴な身分の来訪者ゆえか、いきなり襲い掛かってくるような流れではないが、それでも長の言葉とは真逆に集落の雰囲気は歓迎的な様子ではない。

 

「存じております。我が国でも、そして海を隔てた国でも、あなた方の伝説は伝え聞いております。かつて最も栄えた騎馬の民族。魔神のごとき力を手に入れた初代大王が築き、世界統一まであと一歩に迫った歴史上最大の帝国、大黄牙帝国」

 

 周囲の雰囲気を察しつつも、白瑛は拱手のまま頭を下げて一礼し、相手方の来歴を述べていく。その言葉に黄牙の民の顔つきが鋭くにらみ上げるようになっていく。

 白瑛の言葉は過去を表しているからだ。

 

 貴方たちは高潔な一族、だった、と。

 

「しかし、近年では奴隷狩りの被害にまで遭っていると伺っております」

 

 ちらりと周囲を窺う白瑛の言葉を現すように、民の眼には猜疑心と、その奥に見え隠れする卑屈さとが陰っていた。

 穏やかな今の暮らしを美としつつも、彼らの血に宿る誇り高さと、肉体に宿る強さがあるからこそ、そしてかつては覇を馳せた民族だからこそ、心のどこかに、過去の偉人に対する申し訳なさがあり、今に対するいら立ちがあるのかもしれない。

 

 だが、白瑛は彼らの表情を見ても、自らの役目を果たすべくチャガン・シャマンへと言葉を続けた。

 

「ですが、その苦労も今日までです。黄牙の皆さん、我々煌帝国の傘下にお入りなさい」

 

「傘下だと!?」「なんだそりゃ」「ありえねぇ……」

 

 白瑛の言葉に、遠巻きに見ていた黄牙の民から動揺の声が湧きたつ。己が出自に誇りがあるからこそ、今を走る強国相手だろうとも膝を屈するをよしとはできないのだろう。

 

「我々煌帝国は先日、極東平原を統一致しました。今後は西のレーム、西南のパルテビアらの統一、つまりは世界統一を志しています!」

 

 煌帝国のある東の大陸とは別の、西の海を隔てた大陸にあるレーム。そしてかの七海連合に属するパルテビア。

 現在の世界は大きく分けて煌帝国、レーム、七海連合が強大な3大勢力が君臨しているのだから二つの勢力にしかけることはまさに世界の覇権へと挑む所業だ。

 

「かつてはそれを是としなかった、和国の方もその志に賛同し、お力をお貸しくださっております」

「和国!!?」

 

 かつては黄牙の民も夢見た世界統一。それを阻んだ因縁の和国が協力しているという言葉に再び驚きの声が上がった。

 

 さすがに150代以上も世代が変わり、和国のある海に接しない内陸の天山高原にあっては和刀のことは伝わってはいないだろう。しかし、黄牙の者の視線は見慣れない武器を腰に帯びる光へと向いた。

 あるいは色濃く残る狩猟の民族としての直感が光の気を見抜いたのかもしれない。

 

「黄牙の御先祖様方と同じ夢を、今は私たちが追っているのです。どうか、どうかお力添えを!」

 

 真摯な白瑛の言葉。

 再び掌と拳を合わせて拱手し自らの理念をもって協力を願った。

 

「おい!」

 

 だが、ざわめく周りの者の中から、黄牙の民特有の赤茶けた髪の中でもとりわけ赤の色が濃い男性が声を上げた。

 

「体のいい言い方をするなよ。傘下に入れってのはつまり、俺たちの村を侵略するってことだろ?」

「そうだ!!」

 

 睨み付けるように声をあげる男性の意見に周りの者たちも賛同するように声が上がった。

 男性が背に負う大剣こそ抜いてはいないが、ざわめきは先程よりも殺気立ちつつあり、白瑛は表情をこわばらせ、光と青舜は対応できるように警戒心を上げた。

 四方を囲まれた状態。襲い掛かられた時切り抜けられなくはないだろうがその後を考えると戦闘状態になるのはあまり好ましくはない。

 次の言葉をどうすべきか。

 

「ええい、静まれっ!!」 

 

 だが、長が一喝したことで、周りの者のいきり立つ声はざわめきにまで落ち着いた。かなりの高齢にもかかわらず、いや、齢を重ねているからこその重みが長の言葉にはあるのだろう。血気に逸る若者たちが不承不詳といった顔ながらも静かになった。

 

「姫君よ、時間をくだされ。そのお話、急には受け入れがたい。我々は、先祖代々、独立を守り抜いてきたゆえに。それに……思うところもありますので」

「そうですか……」

 

 とはいえ長としても民の心情を無視して話を決めかねているのか、加えて彼女自身にも思うところがあるらしく、決断を保留するように答えた。

 先程の反応からすると決裂にならなかっただけでもましといったところだろうが白瑛としてはできればこの場での決断が返ってくれば望ましかったのだろう。秀麗な顔をわずかに曇らせた。

 北方兵団の将は穏健派の白瑛だが、軍内部においてその白瑛の監視役という役職ゆえに好戦派呂斎が大きな発言力を持つからだ。

 一度で説得できればよかったのだが、ここで引くと降伏の説得に加えて軍を宥める仕事まで圧し掛かってしまうのだ。

 

 言葉の端々から戦争を引き起こそうという意志が感じられる呂斎のことを思うと白瑛の顔が陰るのも無理からぬことだった。

 

「あの……馬乳酒をお入れしましたので、中でゆっくりおはなししませんか?」

「トーヤ」

 

 そんな白瑛に黄牙の女性の一人が椀を載せた盆をもって近づいてきた。

 白い湯気を漂わせた白乳色の馬乳酒が注がれているようだ。周りの女性からはその女性を止めるような声がかけられるが、トーヤと呼ばれた女性は微笑を向けながら白瑛に近づいて椀を渡してきた。

 

「まあ、ありがとう」

「…………」

 

 一瞬、毒を警戒した光と青舜だが、白瑛はなんの警戒もしていないかのように微笑を返してその椀を受け取った。

 普段から無警戒というわけではないが、女性の様子から、そんな警戒など必要ないと微笑んだのだろう。

 

 

 

 トーヤという女性の言葉により、そのまま物別れとなりそうだった交渉は場所をテントのような家の中に移して行うことになった。

 テント内で会談するババと白瑛。数人の黄牙の民と青舜が互いの護衛として中に入り、光は周囲の警戒としてテントの外、入口の正面に立っていた。

 中に入れば外の様子が分からない。

 白瑛の来訪を侵略と捉え、殺気だっている黄牙の民が血気逸って、武装を揃え襲撃してこないとも限らない。

 その時にテントの中に居ては即座に反応できない。それゆえの警戒だったのだが

 

「…………」

「あ、アラジン……」

 

 先ほど白瑛に危ういところを助けられた子供が、なにか不思議なモノを見るように光をじーっと見上げていた。

 少し前まで、遠巻きに見ているだけだったのが、いつのまにやらその距離を縮め、今は光の和刀の殺傷圏内、すぐ足元近くにまで来ており、心配しているのか周りの大人が恐々と声をかけた。

 

 まだ10代前半といった幼い容姿。村の大人以外の人間が珍しいのかとも思えるが、着ている衣服や顔立ちなどから、当の少年自体がこの村の人間とは見えなかった。

 なによりも

 

貴方(・・)は……いや。何か用でも、童?」

 

 彼の本能がそれを告げていた。

 この少年は違う、と。

 

 それが言葉に表れかけ、言い直した光に、アラジンと呼ばれた少年は口を開いた。

 

「おにいさん。おにいさんのルフは、不思議な色をしているね。なんなんだい、それは?」

 

 子供の言葉に、光は驚いたように眼を開いた。

 光のそれは操気術を応用して体内の気の流れを操り巧妙に隠している。例えルフを見ることができる魔導師でも、並みの者であれば見抜くことはできないはず。

 

 だが、以前にもそれを見抜いた者がいた。

 

 煌帝国の神官 ジュダル。

 生命の根源たるルフと共にある魔導師の頂点たる存在だ。

 

「…………流石は―――っと言ったところか」

 

 小さな呟き。光の直感以上に、彼の本能がアラジンを知っているから。

 その呟きは小さく、アラジンには聞き取れなかったのだろう、首を傾げて見上げるアラジン。

 

「おにいさんは……」

「和国の特使 皇光。今は将軍旗下の剣客だよ、童」

 

 言いかけた言葉を遮るように、自らの名を明かした。その言葉にアラジンは納得したわけではないだろうが、興味が逸れたようで首を傾げた。

 

「ワ国? どこにある国なんだい?」

 

 素っ気なくしたつもりが、無邪気そうに見上げてくるアラジンに、光は溜息をついた。

 話をしていて警戒を怠る、というほど気が鈍ってはいないが、テントの中で白瑛が大事な話をしているのに、子供とおしゃべりをしている訳にはいかないのだ。

 

「ここから東。山の向こう、海の向こうにある国だ」

「へえ……海の向こうにある国か。見てみたいな」

 

 だが光は“アラジン”を無視するわけにはいかず、東の方を指さして答えた。

 遠く海を隔てた光の故郷。

 子供らしく冒険にでも興味あるのか、アラジンは遠い国に思いを馳せるように眼を輝かせた。

 まだ話したりないかのように口を開こうとしたアラジンだが、言葉を発する前にテントの幕が開き、中から白瑛と青舜が出てきたことで遮られた。

 光はアラジンから視線を外し、白瑛へと視線を向けた。見送りだろうか、白瑛たちに続くように長老たちも中から出てきた。

 

「白瑛」

「光殿。一度、軍に戻ります」

 

 決裂、というには酋長とその周りの者の顔には迷いが浮かんでいた。

 傘下に入ることに対し、はっきりと拒否という結論をだしたのであれば、流石に武力衝突になる公算が大きい。だが、明確に戦意を見せているようには見えなかった。

 

「チャガン殿。我らの志にどうかご協力を。貴公の賢明なご判断を願います」

 

 拱手し、礼を尽くす白瑛の様子から、どうやら話し合いは一度持越し、という形になったのだろう。

 黄牙の民の厳しい視線を受けながらその場を去ろうとする白瑛に光も続こうとし、

 

「お待ちくだされ。和国の王子殿よ」

「……今は特使ですが……何か? 黄牙の酋長」

 

 長に話しかけられて振り向いた。中の話し合いの際に白瑛から身分を聞いたのだろう。王子という肩書を口にした長に光は訂正を加えて返した。

 長の後ろでは大柄の黄牙の戦士が光を睨み付けるように見据えていた。そして長自身の眼差しもなにかを測るように厳しいものだった。

 

 見えぬはずの盲いた瞳は、常人には見えない世界の理を見つめているようにも思える。

 光の人となりを見測るように見上げた長の口が開いた。

 

「かつて世界統一を前に立ち塞がった貴国が、なぜ今になって帝国の世界統一に協力する気になったのでしょうか? よければお教え願いたい」

 

 問われた質問は、黄牙と和。二つの国家の昔と今とを問うものだった。

 変わらぬ伝統を守る国と盛衰を露わにする国。

 黄牙の者たちの眼差しを受けて、光は体を向きなおして答えた。凛とした眼差しを向けて。

 

「……今になってもなにも、遥か昔の先祖の意志など知ったことではありません。剣をもって襲い掛かってくれば剣をとるが、手を差し伸べてきたからその手をとったまでです」

「…………」

「それに、今はただ己が信念を貫くためにここにいるだけです」

 

 和の剣客としての生き方を。

 過去の栄光などではなく、ただ今を生きる者として、その意思と矜持を守るために。何があっても、自分の信念を曲げないために。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 結局、交渉は物別れに終わった。

 だが、長には長の考えがあるらしく、しばらく話し合う時間を設けるということで白瑛たちは集落を去った。

 

「黄牙の方は、降るでしょうか?」

「そう、願います……」

 

 軍営へと戻る馬上での青舜の問いかけに白瑛は祈るように答えた。

 話し合いで纏めねば兵を用いての平定になりかねない。例え今、血を流させたとしてもその先にある世界を築かなければ、異変が起きつつあるこの世界をまとめることなどできないのだから。

 

 だが、それ以上に、白瑛は先程の会談で黄牙の長に告げられた言葉に顔を暗くしていた。

 

「何か気になることでもあったのか?」

「…………」

 

 それを察していたのか、隣で馬を走らせている光が問いかけた。心配して、というよりも、懸念事項を全て吐き出させるための光の問いかけ。

 白瑛は、光の言葉にしない思いをくんで、数瞬目を閉じた。

 

「光殿。黄牙の集落に入る前に、奴隷狩りの件で何か言いかけていたことがありましたね」 

 

 瞳を開き、口を開いた。

 交渉の前、子供が暴れ馬から落馬するという惨状を防ぐためにうやむやになってしまったが、光は貿易中に得た情報で、黄牙に対する奴隷狩りに関して何らかの情報を得ているようだったのだ。

 

「聞いたか」

 

 まっすぐに向けてくる白瑛の瞳。そこに何か許しがたいものを知ってしまった覚悟のようなものを見て取り、光は短く問いかけた。

 内容を省いたその問いに、白瑛はしっかりと理解して悲しげに頷いた。

 

「……チャガン殿は直接には言いませんでしたが、光殿。あなたの様子からすると、その奴隷商人と通じているのは……」

「煌の者、か」

 

 黄牙の民、のみならず東方の奴隷を取り扱っているのは煌帝国の人間である、という情報。

 光の様子からそれを察することができるほどに白瑛は鋭く聡明だった。

 

「なっ! まさか! 信じがたいことです。そのような、陛下の威信を傷つける行為!」

 

 二人の会話に青舜が激したように声を上げた。青舜とて、幼いころから白瑛の傍に侍る従者だ。当然宮中において綺麗なモノばかりを見てきたわけではない。

 数日前まで阿るような態度をとっていた者たちが、あっという間に掌を返したように蔑む眼差しを送ってきたこともある。いや、今なお彼の姫である白瑛にそういった眼差しを向け、侮蔑の言葉を吐いてきている。

 

 それでも、理想をもって臨む自国の者が、その誇りを自ら傷つけるような行為を行っているというのは耳に快いものではない。

 

「だが、他国の方ではそういう噂が流れている。あの紅炎殿がそれに関与しているとは思わんが、一部の者が関与しているところまでは否定しきれん。もしもそれが真実で、軍内部に手引きしている者がいるのならば今の状況は好都合だろう」

「……好戦派の中に、手引きしている者がいる!?」

「可能性はなくはない」

 

 今の状況。大軍を率いて黄牙の村の近くまで来ているというこの状況で、奴隷狩りというのは好戦派にとって非常に好都合な状況だ。

 好戦派としては自分たちから仕掛けたくとも、将軍である白瑛がそれを容易くは認めない。だが向こうから仕掛けてくれば、防戦のためと、戦を始める名分が立つ。

 元々奴隷狩りに関与しているかどうかは別においておいたとしても、好戦派の者が、奴隷狩りを行う輩を利用するというのは事態を動かす一手としては十分にありえた。

 

 白瑛としては自軍を信じたいのだろう。だが、光の提示したことが事実であれば、彼女の信ずるものに対する大きな裏切りとなる。それは放置できない。 

 白瑛は秀麗な眉目を歪めて黙然とし、青舜は憤りの表情を浮かべた。

 

「そちらの方は、俺と光雲たちで調べておこう」

「当てがあるのですか? 軍が駐屯しているこの近隣で奴隷狩りが軽々に動くとも思えませんが」

 

 光の言葉に青舜はわずかに驚いた顔を向けた。

 

「協議に入っているということは軍全体に知れているだろう。何かが動くとすればなるべく早く動かざるを得ん」

「…………」

 

 たしかに青舜が懸念するように、動きを止める可能性もある。だが、今の状況は、“どちらにも”転ぶ可能性はあった。

 

 黄牙の民を傘下に収めるのを目前に、隠れる可能性。

 黄牙の民に牙を剥かせるためにあえて挑発する可能性。

 

 今までの少数民族に対してもその可能性がなかったわけではないが、黄牙の民は挑発の対象としては別格だろう。

 かつて世界に覇を唱えたという自負。そして因縁の和国の武人という存在。

 

 白瑛の掲げた理念を汚したい者にすれば絶好の標的となれる可能性がある。逆に黄牙の民が大人しく傘下に下り、状況を白瑛が知ればその保護に傾注することは容易に想像がつく。そしてそうなれば奴隷狩りを生業として黄牙の民を狙う者にとっては非常にやりにくいこととなる。

 

「黄牙の民の心には私たちに対する猜疑心が根付いています。それを何とかしなければ……」

「白瑛殿の方は、交渉が纏まるにせよ、決裂するにせよ、向こう方が出す結論に対して備えておいた方がいい」

 

 とはいえ、奴隷狩りの件と黄牙の一族が降ることとは、イコールではない。奴隷狩りの横行が黄牙を頑なにすることはあっても、奴隷狩りを止めたからといって彼らが降るとは限らないのだ。

 そしてその場合、どちらにしろ武力衝突という未来が待っているのが現状だ。

 血の流れる戦など起こしたくはない。

 だが、それでも将として、自身が選んだ理念のために、血を流すことを厭うことはもはやできないのだ。

 

「はい。よろしくお願いします、光殿」

 

 キッと顔を上げた白瑛の表情は先を見つめる将だった。

 

 凛とした眼差し。まっすぐな気の流れ。

 信念の揺らぎはなく、ただ、如何にして血が流れるのを防ぐかのみを見据えていた。

 

 

 

 



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第19話

煌帝国北方兵団駐屯地

 

 交渉から帰った白瑛たちは部隊の主だった者を集めて今後のことを話していた。

 こちらの要望は伝え、3日の猶予の後、再度会談を行う。その方針を知らされた部隊長の反応は概ね2つに分かれていた。 

 

「体の頑丈さと、馬と戯れるしか能のない蛮族風情に、猶予を与えなさるとは。っはぁ~。やはり姫様には戦事は御向きになられないのでは?」

 

「慎まれよ! 呂斎殿!!」

 

 一つは呂斎を筆頭に好戦的な者たち。もう片方は比較的白瑛の、ひいては紅炎の意を組む者たち。

 

 圧倒的な武力背景を持ちながらも、一度の交渉で降伏させることができず、そして戦端を開くこともできない白瑛を侮るような呂斎たち。それは彼らが本来この北方兵団の将軍は呂斎であったという自負からきているものも多少なりあった。

 もともと呂斎を推していたのは純粋に戦果によって武功を上げた者たち、そして現皇帝に取り入っていた者たちだ。

 対して白瑛の後ろ盾になっているのは第1皇子である紅炎や金属器使いとして評価している神官たち。

 西征軍総督でもある紅炎に面と向かって抗することはできないが、遠く離れその威光の届かない陣地にあっては、白瑛の監視役として皇帝の意を受ける呂斎が増長するのも無理からぬことだった。 

 

「……再交渉は3日後。これは決定です。その後の方針については明朝までに決め、追って通達します……今日は兵に食事と休憩を取らせなさい」

 

 揺らがぬよう、纏められるよう、毅然とした態度を崩さず、白瑛は通達を告げて集めた部隊長たちを解散させた。

 幕舎の中には白瑛と光のみが残った。

 皆の足音が遠のき、声が小さくなっていく。

 白瑛は長く深いため息をついた。その顔には先程の毅然とした様子が崩れ、張り詰めていた糸が緩んだ姿が見えた。

 

 その様子に光は歩み寄って肩に手を置いた。置かれた手のぬくもりに、白瑛は淡く微笑を向けた。

 

「揺れては、いけませんよね」

 

 平定軍の将として、毅然と皆を纏め上げる皇族。期待されている姿は分かっている。だが、それでも自身の思い描く理想と、現実に向けられる思いとの隔絶は白瑛の気丈な精神をすり減らしていた。

 

 戦争などはしたくはない。ただ傷を創り、怨恨を生むだけの、悲しみを生むだけの戦いなどしたくはない。

 兵の期待に応えて将軍としてあらなければならない。時に戦争を始める決断を行い、命を奪う命を下さなければならない。

 

 揺れ動きそうになる思いを、白瑛はなんとか見せまいとしている。

 

「心を殺そうとするな。将だろうと王だろうと心はあるのだから」

 

 光は白瑛の肩においた手に少しだけ力を込めて、自身に引き寄せた。

 とすんと白瑛の体が、預けるように光の体に寄りかかり、白瑛は一瞬、身をこわばらせ、だが、すっと力を抜いて瞳を閉じた。

 

「心配するな。白瑛殿の信念は誰もが願うはずの綺麗な理念だ」

 

 誰も悲しまない世界を作りたい。

 そのためには崇高なる心と理念をもった王が世界を統一するべきだ。

 

 その道が大きな矛盾を孕んでいるのはちゃんと分かっている。悲しまない世界、戦のない世界を創ろうとして、やっていることは侵略のそれなのだから。

 

「光殿や……紅炎殿も、思い悩むことはあるのですか……?」

 

 不安に潰されそうになる。

 自分はなぜこんなにも弱いのかと。

 

 強く、凛とありたいと願っている。

 決して揺れない芯を持つ光のように、絶大な器を見せつける紅炎のように。

 

「あるさ。自分の無力を歯がゆく思うことも、ままならぬことをもどかしく思うことも」

 

 光の答えに、白瑛は昔を思い返した。わずかな痛みを伴う過去。今はもう喪ってしまった家族たち。

 

苛烈な征服者として突き進み続けた先代の皇帝はどうだったのだろうか。

 その父の後継者として、そして兄としてあり続けた白雄。兄を輔けるために励みながらも、自分たちには優しさを見せてくれた白蓮。

 最期の姿を看ること叶わなかった彼らにも、自分の弱さを悩み、揺れそうになったことはあったのだろうか。

 

「将として、王として、時には人を殺すことも必要だろう。その数に思い悩んでいては潰されそうになる。心を殺してしまった方が楽になる」

 

 自分の言葉で、振るう力で命が散っていく。守りたいと思うはずの命のなんと軽いことだろう。自分のせいで散らしてしまう命の重みを考えたとき、心はその罪の重さに囚われそうになる。

 

 他国へと戦争を続け、靡かぬ国を滅ぼしていった先代。世界を統一する必要があると言って戦争をしていたあの人も、そうだったのだろうか。

 炎帝として戦争好きと噂される紅炎殿もそうなのだろうか。

 

「だが、心無い王に人はついては来ない。綺麗なだけでやっていくことはできんだろう。だが、それでも俺は貴女のその思いを守っていきたいと思う」

 

 だが、だからこそ、忘れてはいけないと、光は白瑛に告げた。

 強き心こそが、王に、将に、必要なことであり、ジンに選ばれた証左なのだから。

 そして、そんな白瑛だからこそ、光は守りたいと、選んだ道に誤りはなかったと信じているのだから。

 

「貴方のその思いは、きっと間違ってなどいない」

「……はい」

 

 絶対に守る。

 強い意志と心。それこそが光が持つ強さの一つなのだ。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 白瑛の許を辞去した光は光雲とその部下たちとともに幕舎の一つで秘密裏に地図を広げていた。

 

「奴隷狩りか……動くとすれば直近というのは分からんでもないが、この広い高原では闇雲に探すのも限度があるぞ」

 

 話しているのは白瑛が懸念していたものの一つ。黄牙の民を襲っている奴隷狩りについてだ。

 付近の大まかな地形図の上には軍の陣地、黄牙の集落に見立てた駒が置いてあり、襲撃ルートを想定していた。

 光が白瑛たちに告げたのと同じ理由を光雲に告げ、その部下たちとともに奴隷狩りに通じている軍の者の対策を練っているのだが、幾分かの理屈と大部分が光の“勘”により方策を組み立てるのは難しい。

 光雲は顔を顰めて地図を睨んだ。

 

元々光雲は国の在り方に不満を抱いて反乱を起こしたこともある男だ。国軍の一部が非道な行動に通じているとなれば許せない思いは強い。

なんとかしたいという思いはあるが、どうにかできるのかという問題が光雲を悩ませていた。

 

「闇雲じゃない。いくつか想定はできる」

「なに?」

 

 顰め顔で地図を睨み付けている光雲に光は流れを読むように目を細めて告げた。

 

「奴隷狩りが軍の内部か外部の者かはともかく、戦の大義名分を作ろうとするのなら、好戦派としては向こうがこちらに手を出してきたという状況を作りたいはずだ」

 

 それは仮の前提ではあったのだが、光は先程の軍議での“あの男”の様子からその確信を高めていた。

 罪業から生まれ、欺瞞と虚偽とを見抜くジンの主としての直感。そして運命の流れを漠然と読み取る光の直感が告げていた。

 クロだ、と

 ゆえに光は、直感通り、奴隷狩りに通じている者の思考を好戦派の者と関連させて読んだ。

 

「だが、白瑛やその直参の者たちには見つかってはマズイ」

「皇女の直参が全体の数として非常に少ないから、あまり絞れていない気も……いや……」

 

ここが街道の整備された国内であればある程度的を絞ることもできるが、しかしここは天山の高原。整備された街道というものがそもそも少ないし、馬を使えばかなり行動ルートは増える。

 

 地形図にある西征軍の布陣範囲はその軍容そのままにかなり広い。

 そして元々軍を取り仕切ることを推されていた呂斎の派閥の者も居るため、白瑛の支配下に置かれた勢力範囲は決して多くをカバーしている訳ではない。

 

 だが、それでも絞り込むキーがないわけではない。

 

「見つかってはマズイのだから、白瑛の耳に入らないルートで自分たちの警邏範囲に入れられる最短ルート。黄牙の集落の位置と合わせれば……」

 

 軍の中でも皇帝よりも紅炎の派閥に与し、比較的白瑛を将として認識している者たちは奴隷狩りからすれば味方ではない。つまりそのルートは完全に白瑛の味方ではなくとも、相手にとっても通ることのできないルートだ。

 

 そして運搬しているモノからするとなるべく早く人目のつかないルートを通りたい、ともなれば、西征軍と黄牙の集落の位置関係と併せて考えれば……

 

「なるほど。たしかに大分絞られはするな。問題は何時かだが」

 

 浮かび上がるルートに光雲は得心したようにもう一つの問題を口にした。

 再交渉まで3日。

 好戦派はそれまでに火種を撒く必要があるが、 自分たちの警邏範囲外をそう頻繁うろついていては、こちらの動きを知って相手も警戒してしまうだろう。

 こちらへの警戒心が最大にならない内に現場を取り押さえたい。

 

 そう思って口にした光雲だが、

 

「今から行くぞ」

「なに!?」

 

 その次に光が出した言葉は流石に予想外だった。

 たしかに遅れるよりは早い方がまだいいが、早すぎては相手の警戒を招くだけなのだ。そのことが分かっていないはずはないのだが。

 

「勘が告げている。急ぐぞ。恐らく相手も奇襲部隊だ。数は少なくていい」

 

数は少なくていい。ただ、信頼できて腕の立つ者を選べと。

 流れを視る光の言葉に光雲は反論を封じた。ただ、その代わりに苦言を呈するように口を開いた。

 

「……お前は王族のくせにいつもそんなにほいほい動き回っているのか?」

「俺が覚えた兵法では兵は拙速を貴ぶというんでな。身軽なやつが動くのが一番いいんだよ」

 

 光の足回りの軽さに光雲は呆れたように尋ね、その答えに光雲は呆れの色を濃くした。

 身軽なヤツと嘯く当人は、和国の王子にして皇女の婚約者。2国間の和平のために遣わされた存在なのだ。身軽などという立場とは縁遠い存在なのは光雲ならずとも自明のことだ。

 

「……お前が和国に置いてきた副官とやらの苦労が少しわかった気がするな」

 

 お前のどこが身軽なやつだと言いたくなるのをぐっと堪えて、光雲は移動し始めた光の後を追った。白瑛に従う、今動ける者の中から、光雲はかつて賊軍と呼ばれていた者たちと共に動いた。

 かつてと同じく、不義を犯した国軍を倒すために。

 

 

 

 ✡✡✡

 

 

 

 三日月が上る高原の中、2台の馬車が疾走していた。

 

「へへへ、うまくかっぱらえたぜ」

 

 馬車の中には鎧姿の煌帝国の兵が数人、下卑た表情で収穫を眺めていた。

 嘗め回すような眼差しを向けられているのは黄牙の民の女性たち。男衆が今後の動向について会議を開き、その分の仕事をしていた彼女たちは、忍び寄ってきた男たちによって拘束され、猿轡を噛まされて馬車に乗せられている。

 

「いい値で買ってくださいね、商人さん。なんでもこいつらは剣なんかで刺されてもなかなか死なねえってな丈夫な一族だそうで……ちょっと試してみましょうか?」

 

 獲物の怯えた顔などまったく興味がなく、それが同じ人であることなどという意識は欠片もないのだろう。売捌く相手である商人に値をつり上げるためのデモンストレーションをしようと気軽に言っていた。

 男たちの言葉に囚われの彼女たちの体がびくりと強張った。

 たしかに黄牙の民は比較的強い身体を持っているのは事実だが、痛みを感じないわけではない。血を流さないわけではない。

 

「やめとけ。こいつらはもっと末永い金儲けに使うんだからな」

 

 デモンストレーションの刃が女の一人を傷つけようと揺れたとき、それを止めるように声が上がった。

 肉厚な両刃の剣を手入れしている男。

 

「末永い? こいつらを一体どうするんで、隊長?」

 

 男の言葉からすると制止の言葉をかけたのはこの小隊の隊長なのだろう。部下の問いに隊長と呼ばれた男はニタリと笑みを浮かべた。

 

「延々と子供を創らせるんだよ。大量に繁殖させれば俺たちはずっと儲けられるだろ。永いこと可愛がってやるぜぇ、お嬢ちゃん」

 

 ぺたぺたと剣を胎へと当てられた黄牙の女性は涙を流しながらギュッと瞳を閉じた。

 人ではなく家畜を見る目。だが、それは家畜よりも使い勝手がよかった。高く売れる値。そして女として使える体。

 

「ん~、でもおたくの将軍様は、お許しにならんのでは~?」

 

 商品の使い道を説明する男に対して、違法を尋ねる商人。だが、それは人の倫理観を気にしてのことではない。

 ただ、自分の身の安全が確認できていないことを心配しているのだ。

 奴隷商人などということものに手を出している以上、完全な安全などは求めてはいない。だが、幾らなんでも戦場近くで、正規軍と敵対してまでやりたいとは思わないのだ。

 

「いーんですよぉ。あんなお姫様」

 

 商人の心配を他所に、兵たちは楽観的に自分たちの上官を侮るように笑った。

 だが、

 

「隊長!!」」

「ん~?」

「前にっ!」

 

 前方の御者席から何かを知らせる大声がかけられ、商人との話が遮られた。兵たちにもこれが違法であり、軍法にも叛いているという意識はあった。ゆえに周囲への警戒はしていたし、なるべく人の目につかない経路を選択したのだ。

 

「どうし」

 

 問いかける言葉は途中で途切れた。

 疾走する密室。その匣に一瞬で閃が入り、次の瞬間には真っ二つに斬り裂かれたのだから。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「止まれ」

 

 高原の街道を馬で駆けていた光が光雲たちに合図を送り、馬を止めた。光について来た光雲と元羽鈴団の者たちは合図に従い馬を止め、光に視線を向けた。光はなにやら馬から降りており、光雲たちの見ている前で地面に耳を押し当てた。

 

「なにをしているんだ?」

「ちょっと黙ってろ」

 

 訝しげに問いかける光雲。光はそれに短く返し、何かを聴くのに集中するように目を閉じた。

 

 1秒、2秒……数秒がたち、光雲が再び口を開こうとすると、光は目を開き、すくっ、と身を起こした。

 

「まさか、馬の疾走の音でも聞くつもりだったのか?」

 

 耳を地面に押し付けていたことから、ほんの冗談のつもりで問いかけた光雲だったが、光は真剣な眼差しのまま街道の先を見据えた。

 

「ああ。どうやらこの道で正解だったようだ」

「…………ほんとか?」

 

 返ってきた答えは首肯だった。

 たしかに物見の兵の中には、聴覚で軍馬の駆ける音を探知する者がいないではないが、それはあくまでも軍馬。つまり大勢の馬の集団が駆ける音だからだ。

 視界の広いこの高原で数頭しかいないであろう馬の駆ける音を聞き取れるかと言われれば少なくとも光雲にはできない。

 

「こっちに馬車が向かってきている。が、予想が少し外れていたようだ」

「なんだ?」

 

 話しているうちに光雲にも見えてきた。遠くから荷車を引く2頭立ての馬車。目視できる限りにおいてそれが奴隷狩りをした自軍の兵のものとは限らないが、光の勘を信じるのならばまずあたりだろう。

 ただ、意外にも光は予想が外れたと口にした。

 

「てっきり1台だと思っていたんだが、随分と欲を張ったらしいな」

「2台、か」

 

 人目をはばかる奴隷狩りだけに、光は馬車を使ってもせいぜい一台だけだろうと踏んで、機動性重視の少数で来たのだが、予想外に馬車は2台。

 

「それに……まあいい。とっとと済ませるぞ。1台は俺がやる。光雲は兵ともにもう1台をやれ」

 

「簡単に言ってくれる」

 

 1台の馬車とは言え、疾走して勢いに乗る馬車だ。ましてこちらの人数は少ない。囲んで勢いを止めることは難しいだろう。

 もっとも、それを言うなら一人で、下馬した状態で馬車に向き合おうとしている奴の方が無茶だとも言えるが、そちらに関しては最早諦めのように任せておくことにした。

 

 

 

 疾走してくる馬車。その御者席に座る兵は予想通り煌帝国の鎧に身を包んでいる。

 こちらが馬車を視認したように、どうやらあちらでも光たちを視認したらしく、御者が中に呼びかけている姿が見えた。

 

 光の狙いは2台の内の先を走る1台。

 

 どうやら光が狙う馬車は、下馬している光を轢き殺すつもりらしく、馬に鞭をうって速度を上げた。

 疾駆する馬車の音が高原に響き渡り、見る間に光との距離を縮めていく。

 光は納刀した状態の刀の柄に右手を当て、迫りくる馬車を見据えた。

 馬を操る御者が吐き捨てるように光に何かを喚くが、光はただ斬るべき狙いを定めるために集中を高めた。

 

 馬車の中には、斬ってはいけない者が居る可能性が高い。狙いは馬車の脚を止めること。

 間近に迫る馬車を前に、光は静かに鯉口を切った。

 

「死ねぇ!!! ……え?」

 

 疾駆する馬が光に接触する。その寸前、光の姿が御者の視界から消えるように跳んだ。

 すれ違う御者と光。抜刀の鞘走りで速められた剣閃は一瞬で二筋の煌きを描いた。

 

 一太刀目で御者の手綱を切り、続く二太刀目は音もなく荷台の中央に筋を入れた。

 宙にある光はそのまま馬車に激突……することはなかった。

 

「なっ!!?」「んん――ッ!!!」

 

 斬り裂かれ二つに分かれた馬車が倒れる。その只中を通り過ぎた光は納刀した状態で地に着地した。斬り裂かれた馬車の中から驚きの声とくぐもった悲鳴が上がる。

 予想通り、中には攫われた黄牙の民が ――手を縛られ猿轡を噛まされた数人の女性が居た。

 

「貴様っ! 和国のっ!!」

 

 一方で馬車内にいた兵が光の姿に怒鳴り声を上げた。

 光が白瑛の側の者だというのはすでに明らか。そして今のこの状況からしても、奴隷狩りである自分たちを邪魔しようとしているのも、明らか。

 馬車に乗っていた兵は御者を含めて5人。最初の横転で御者は行動不能になっているが、中にいた4人は意識を保っていた。

いずれも煌帝国軍の鎧に身を包む兵だ。そのうちの一人が体勢を整え、剣を構えようとするが、

 

「がっ!!」

「ひぃっ!」

 

 光は剣を構えようとした兵に一瞬で詰め寄り、納刀した桜花を再び抜刀、勢いそのままに柄で額を打ち付けた。

 一撃を額に受けた兵は潰れたような声を上げて昏倒し、近くにいた男が悲鳴を上げた。

 

 光はちらりとそちらを見た。白い髭を蓄え、一見すると好々爺といった風にも見えなくもない男。着ている衣裳は兵のような軍属の衣裳ではなく、黄牙の民の者とも違う。

 

「商人か……」

 

 腰を抜かしている男を非戦闘員と即断した光は、ひとまずそちらを無視した。一瞬で一人をやられて逃走しようと背を見せている兵に振り向き、その延髄に柄を叩き込んで昏倒させた。

 

「うわぁ! くそがぁ!」

 

 光について来た兵がもう一台に向かっているためにこちらの馬車の相手にいた者を相手取っているのが光独りだということに気がついたのか、それとも瞬く間に二人をやられ恐慌状態に陥ったのか、手にしていた剣をやたら滅多らに振り回して光を近づけまいとした。

 

「来るな、来るなぁっ!!」

 

 光は振り回される剣を脅威とも思わない歩みで近づき、切りつけようとした剣を紙一重で避け、桜花を一閃。振るわれていた剣を手から弾き飛ばした。

 

「ひっ! がっ!!」

 

 当たる気がしないとはいえ、振るっていた暴力の象徴たる剣がその手から消えたことで、一層恐怖に顔を引きつらせる兵に光は掌底を一撃、顎に直撃させて意識を刈り取った。

 

 ―――3人目、あと一人。

 

 次々に兵を無力化していた光が素早く視線を走らせた。残る一人は這う這うの体で逃亡しようとしており、追いつくのはさして難しくない。だが、問題は……

 

「ちっ」

 

 もう一台の馬車。そちらに向かっていた光雲たちは、馬上戦であることを活かしてまず脚を止めようとしたようだが、それがゆえに奇襲戦ではなくがっつりと組みあうように交戦状態に陥っていた。

 

 舌を打ちそちらの援護へ向かおうとした光だが、

 

「! 時間切れか!」

 

もう一つの勢力が怒涛の如くに迫り、馬車に駆けて行くのを目にして大声を上げた。

 

「光雲、兵を下げろ! 黄牙の民だ! やりあうな!!」

 

 自軍の兵と争っている最中に来襲した別の勢力。騎馬としての威力を発揮して駆けてきたそれに光雲は反射的に応戦しようとしたが、光の怒声が聞こえたのか、周りの兵に指示をだして馬車から僅かに距離を置いた。

 

 

 

 黄牙の騎馬の力に、馬車単体では応戦することもできずに瞬く間に奴隷狩りは制圧された。

 黄牙の男たちの何人かは、攫われた仲間の女性たちに駆け寄りその安否確認に回っているようだが、多くは光たちに警戒の眼差しを向けていた。

 

「お前は……あの時、村に来ていた和国のやつだな」

「ああ」

 

 馬を巡らして光の前面に展開する黄牙の民たちが猜疑心に満ちた瞳で光に向け、その中の一人が問いかけた。

 光はここが未だ戦場に準じる場であることを理解しながら、刀を鞘に納め、非戦の意思を示した。

 

 先ほど馬車の存在を認識した際、光はそれを追尾してくる一段の存在も感じていた。馬車よりも遠くに、しかしその馬の数は多く、格段に迅い。

 それゆえに戦闘状態をなるべく早くに終えておきたかったのだが、予想外に彼らが早く到着してしまい、あわやのところで混戦状態となってしまった。

 もっともそれは光たちが手間取った為というよりも、むしろ彼らの騎馬での移動速度が光の想定よりも大きく上回っていたためだ。もしも彼らに攫われた仲間の奪還以上の意図があれば、光雲たちがすばやく手を引いたとはいえ交戦状態に陥っていただろう。

 

「おい、皇。どうするんだ?」

「とりあえずここで交戦するわけにはいかん。全員武器を納めろ」

 

 奴隷狩りを行っていた兵の拘束を終えた光雲が光の傍に来て問いかけ、光は自身がしたのと同じように武器を納めるように指示をだした。

 相手方が殺気立っている前で武器を下すのは難しい。配下の兵は少し逡巡したそぶりを見せて、一応武器を下した。

 

「奴隷狩りをしてきたやつらが、どういうつもりだ?」

 

 黄牙の者も駆けつけた時にはすでに交戦状態で、それが収集するなり武器を下した光たちに戸惑いは覚えているらしく、声音は少し荒くなってはいるが、問答無用で交戦する意思はないようだ。

 

「こちらの軍の一部が奴隷商人と通じていて、それを粛清したところだ。面倒をかけたことは謝罪しよう」

 

 今回の騒動。光たちにとって裏切者がしでかしたことではあるが、黄牙の側からしてみれば、明らかに悪いのは煌の側であり、その点に関して光は謝罪を口にした。

 だが、傘下に下そうという相手を前に、その交渉中に卑屈な態度をとるわけにはいかず、結果的に光の態度は黄牙の側をわずかに煽った形となった。

 

「てめえっ!」

「よせ!」

 

 いきり立つ黄牙の戦士たちだが、リーダー格らしい若い男が、攫われていた女とともに前へ進み出てきた。

 直前まで攫われるという恐怖を受けていた女性だが、今は戦になりそうな雰囲気を察してか心配そうに進み出た男をちらちらと見ており、黄牙の男は強い意志を感じさせる眼差しで光と対面した。

 

「奴隷狩りは一部の者のせいで、自分たちは関係ない。そう言いたいのか?」

「……そうだ。と言いたいところだが、そう言うわけにもいくまい。この件はきっちり片をつける。こちらの将軍にもその旨を伝えよう」

 

 一見冷静そうに見えるリーダー格の男だが、その瞳には紛れもなく怒りの色が潜んでいる。怒りと、それを押し留めようとするなにか、強い意志。

 切り合いになることも覚悟していた光だが、話の余地がありそうな様子に意外感を覚えつつ答えた。

 

「……今さら信じられると思っているのか!?」

 

 “今さら”。それはつまり、信用される余地は、少なくとも奴隷狩りの件がなければ皆無ではなかったのだろう。

 とは言え、この状況になってしまえば、冷静さを残してはいても不信感は拭えない。

 

「もっともだ……光雲。そいつらを白瑛のところまで連行して、首謀者を吐き出させろ」

「……お前は?」

 

 光は拘束した兵たちを連行するように光雲に命令した。だが、まるで自分は戻らないと言っているような口ぶりに光雲は眉を顰めて尋ねた。

 

「このまま引き下がってはあちらの気も治まるまい」

 

 訝しげな視線を向けてくる光雲に光は和刀を納刀したまま腰から外して差し出した。押し付けられるように手渡されたそれを、反射的に受け取ろうとした光雲だが、渡されているものに気づいて顰めていた眉をさらに険しくして光を睨み付けた。

 

「おい」

 

 光雲が知る限りにおいても、光が和刀を誰かに預けたところは見たことが無い。思い入れがあり、代えのきかない武器であるということもあるし、金属器という破格の力でもあるのだ。それこそ肌身離さず持ち歩いているほどのはずだ。

 

「交渉の時まで俺が黄牙の村で事情でも説明しておく。煌がまた何か仕掛けて来た時は、俺の首を落とすなり、人質として押し出すなり好きにしろ」

 

 殺気立つ集団の中に無手で赴く。体術でも十分な強さを持つ光ではあるが、おそらく本気で戦闘の意志はないのだろう。

 

「これでも煌にとっては重要な同盟国の特使だ。将軍も無碍には扱えんぞ?」

 

 いきなりの光の申し出に、殺気だっていた黄牙の戦士も意表をつかれたように戸惑い、顔を見合わせている。

 先程からの様子を見るに、黄牙の戦士としても、奴隷狩りは許せなくとも戦争を起こす意志はないのかもしれない。

 そこまで見越しての申し出なのか、そうでないのかは光雲には分からない。ただ……

 

「だからお前がそんなにひょいひょいと身を危険に晒すな」

「おい」

 

 ただ、自分で守るべきものがあるはずなのに、それから簡単に離れ、立場などお構いなしに命を賭け金にでもしている馬鹿に苛立った。

 光雲は押し付けられた和刀を強引に持ち主に押し返して前に進み出た。

 

「あいつら連れていくのはお前がやれ。置物には俺たちがなる」

 

 羽鈴団だったころの配下の半数を引き連れ、残り半数に連行するように命令した。

 

 かつて自分たちは、何かを正したいと願った。でもそのやり方が分からなくて、ただ生きることしかしようとしなかった。

 そんな自分たちに道を示し、真に世界を変えようと動く奴ら。

 

 それができるかどうかは分からない。ただ、その志の尊さは分かる。だから、その手助けをしたい。

 

「こんな下らんことを仕掛けたやつはきっちり落とし前をつけろ、いいな!」

 

 少しでも世界のためとやらに、自分のできることを役立てたい。そう、思ったのだ。

 



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第20話

 星の輝く夜空が白み始めた払暁。

 煌帝国西征軍北方兵団の駐屯地の一角は俄かに騒ぎ始めていた。

 

「なに!? 我が隊の者が襲われた!?」

 

 待機状態となっていた呂斎のもとに、伝令が来たのだ。その内容は、呂斎指揮下の千人隊の者が何者かに襲撃を受けたということなのだ。

 

「はっ。なんとか陣までたどり着いた者に、練将軍が襲撃の状況を尋ねておられます」

「この状況での襲撃……ふん、なるほど黄牙の者どもか。所詮野蛮な異民族。話し合いなど無意味なのだ!」

 

 伝令の言葉に呂斎はバンッッ! と強く机を叩き激した声で怒鳴り、“予期していた通りの事態”に、呂斎は内心の笑みを怒りの形相で隠した。

 

「将軍より、千人長はすぐに幕舎にとのことです」

「ふんっ。お優しい白瑛将軍も今度のことで目を覚まされたことだろう」

 

 千人長、という呼称にピクリと苛立ったように反応した呂斎だが、すぐにそれを隠して立ち上がった。

 戦争を嫌う将軍に対する侮りを口にしながら、呂斎の顔には隠しきれない笑みが、ほくそ笑むようにこぼれ出ていた。

 

 

 将軍の幕舎に向かいながら、呂斎は次の絵図面を思い描いていた。

 聖者ぶった世間知らずの姫将軍が交渉というものの汚さを味わってどう動くか。蛮族の行いに憤り、戦争の口火を切るか。それとも何かの間違いと信じ、交渉を継続するなどという戯言を口にするか……

 

 いずれにしてもお楽しみの時はすぐ間近まで迫っていた。

 例えあの甘ちゃんが戦争を拒もうとも、もはや放たれた矢が戻ることはない。

 

 もうすぐ見られるのだ。

 口では戦が嫌いだとぬかす馬鹿共が、怒り狂い、醜い本性をむき出しにして殺し合う、大好きな戦争が。

 

 

 あともう僅かの命である仮初の将軍の幕舎へと到着した呂斎は、周りの共の者に幾つか指示を出し、表情を常の仮面に切り替えて幕舎へと入った。

 

 どのように転び、醜い争いを演じるのか、その内心を隠していた呂斎は幕舎の中の光景に目を見開いた。

 軍の者が襲撃を受けたのならば、当然地形図が机の前に広げられ、戦端をどのように展開するのかを決めているはずだ。少なくともその準備はなされている筈だ。だが、呂斎の目の前には、縛られた数人の兵士と冷徹な瞳を向ける和国の特使。そして厳しい顔をしている将軍だった。

 

「なっ! 皇殿! これはなんだ!!?」

 

 驚きの声を上げる呂斎に、光は射る様な視線を向けた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「さて、主だった者が揃ったところで、詮議を始めてもよろしいか、白瑛将軍?」

 

 呂斎の入室に、光は口を開いて白瑛に問いかけた、白瑛は瞳を閉じてこくりと頷いた。

 

「詮議!? なんの真似だ、これは!!?」

 

 自分の知らないところで何かが致命的に食い違ってしまった。それを察した呂斎が慌てて声を上げて事態について尋ねた。

 ここには軍議、もしくは黄牙の者たちの対処について話すために来たのだ。だが、これではまるで身内の者の処罰を行う軍法会議のようではないか。

 ざっと顔を蒼ざめさせた呂斎に光が答えた。

 

「つい先ほど、和平交渉中の黄牙の村に独断で襲撃をかけた不届き者を捕えた。奴隷商人と通じ、煌皇帝の威を汚した愚か者どもだ」

「っっ!!」

 

 光は腰に帯びた刀をすらりと抜くと、微かに怒気の込められた声とともに拘束している兵士、そして商人らしい一般人に刀を突きつけた。

 光の中にあるのは紛れもなく怒りの感情だった。

 それは黄牙の民を奴隷にしようとしたという倫理的なものゆえではなく、ただ白瑛の理想とするものを汚そうとしたことだ。

 

「さて、それでは改めて尋ねよう。誰の命で奴隷狩りを行った」

「ひっ! わ、わしは知らん!! わしは取引を持ちかけられただけだ!」

 

 皇光という男は善者でもなければ、賢人・聖者でもない。その手を血で濡らしてきた武人だ。幾人もの人の血を吸ってきた死神の刃。光の持つ刀を突きつけられ、そして冷酷に見下ろす光の視線を受けて、一介の商人がそれのもたらす恐怖を抑えることなどできようはずもない。

 目の前の刀の鋭さに商人の男は、命乞いするように口を開いた。

 自分ではない。自分はただ商売を持ち掛けられただけだ。

 無論扱おうとしていたのが奴隷というモノであるのだから、幾ばくかの後ろめたさはあるのだろうが、ただ今は自らの命の方が大事だった。

 喚くように助命を乞う男。光は冷たい眼差しのまま、追及の矛先を同じく拘束されている兵士に向けた。

 

「では、襲撃をかけたのはお前らの独断か?」

「…………」

 

 光の詰問を受けた兵は額から大量の汗を流しながら、上目づかいに視線を向けた。

 その先にはぎしりと歯を噛み威しかけるような呂斎の姿があり、その視線を受けては歯に扉を立てるしかなかった。

 

「独断ではない、か。この期に及んで口を閉ざすとは、愚か者ではあっても、ただの不忠者ではないか」

 

 首を刎ねるのは容易い。だが、流石にこの場で彼らを処断する権限は光にはない。嫌な役目を負わせるようではあるが、それでも光は責務として白瑛へと視線を向けた。

 視線を受けた白瑛は、瞳を閉じ、俯かせていた顔を上げた。

 

「黄牙の民との交渉は本国から与えられた任務です。それを私掠をもって蔑にし、皇国の名を汚した罪は重い。口を閉ざすのなら、逆賊として死をもって償うこととなる」

 

 慈愛の心を持つ白瑛。

 だがその在り様は紛れもなく上に立つ者。なによりも志と誇りがあるからこそ、奴隷狩りによって未来の煌帝国の民を苦しめた罪は許しがたい。

 揺れることなく冷徹に告げるその言葉に兵の顔がザッと青ざめた。

 

 戦に踏み切ることもできない甘ちゃんのお姫様。

 賊ですら処断することなく抱え込んだお人好し。

 

 だが今、処断を決めた“将軍”の瞳は、紛れもなく為政者としてのそれだった。

 心を殺し、仇なす者を切り捨てる。その身に流れる高貴な血からくる誇り高さ、それを前にし、その眼差しを受けてまで、口を閉ざすことは一介の兵にはできなかった。

 

「りょ、呂斎殿!! 話が、呂斎殿の命で我々は!!」

「黙れ!!!」

 

 口が回り始めた兵士の言葉を遮るように、呂斎の一喝が轟いた。

 怒気を発する眼差しは呂斎一人のものではなかった。怒りの感情が幕舎に満ちて、軍を指揮する者たちの視線が絡み合う。

 

 何かを喋ろうとしていた兵は呂斎の怒声にビクリと体を震わせて舌を萎縮させた。光は兵に向けていた桜花の切っ先を外し、呂斎に体を向けた。

 

「くくく。まさか、この段階でバレるとは思っていませんでしたよ」

「呂斎。なぜこのような事を?」

 

 怒りの形相の呂斎は、皮肉気に口を歪めると狂気に歪んだ目を“敵”へと向けた。

 その視線に、事の真偽を信じるほかなくなった白瑛は秀麗な表情を曇らせて問いかけた。

 

「なぜ? 好きだからですよ、戦争が。奴隷狩りされ、侮辱された蛮族が怒り狂い、皇女に襲いかかる。あわよくば、不幸な討死を遂げられた姫に代わり、私が、この軍の指揮をとり、蛮族を皆殺しにする! その予定だったのですがねぇ」

「貴様……」

 

 争いを好む性質をしているとは思っていた。だが、仮にも世界統一という志を持つ煌帝国の軍にある以上、最低限の誇りは持っていると思っていた。

 だが、今狂気に満ちた歪んだ笑みを浮かべる男は、明らかに白瑛とは異なる道を歩いている存在だった。

 呂斎の言葉に、白瑛の従者である青舜も、怒りの眼差しを向けた。

 

 思惑とは異なるが、戦端が開かれたことを悟った呂斎は、光や青舜に詰め寄られる前に、身を翻し、背を向けて幕舎から駆けだした。

 

「待て!!」

 

 逃亡をさせまいと白瑛と青舜が追いかけ、光も追って幕舎を出た。

 

 

 幕舎を飛びだした3人は、すぐに呂斎の行方を探そうとしたが、だがそれは探すまでもないことだった。

 呂斎は居た。逃げてはいなかったのだ。

 

「…………」「これは……」

「予定は変わりましたが、結果は変わりませんよ。ご存知ですかな姫様? 前線に居る兵の多くは、私直属の兵なンですよ!」

 

 不敵な笑みを浮かべる呂斎。その周りには彼に付き従う兵がそれぞれの武器を白瑛たちに突きつけていた。

 

 白瑛たちの味方が軍に居ないわけではない。だが、その多くは軍団編制の際に、後続や遊撃、つまりは本陣であるここからは多少距離のある位置に配されていた。

 すぐには援軍は来ない。騒ぎを聞きつければ動く者も居るかもしれないが、こちらから伝令を送れない状況では迅速な動きは望めないだろう。

 今の状況は多勢に無勢。

 白瑛は兵力差よりも、こんなにも呂斎の思考に賛同する者がいることにこそ衝撃を受けているように顔に険を宿した。

 

 怒りの感情を宿していながらも、その怒りは呂斎のものとは出処が真逆、気高い誇りに由来していた。

 この状況にあって、それでもなお、そして怒りを感じていながらなお、凛とした秀麗さを失わない白瑛。

 

 呂斎は白瑛の眼差しに、侮蔑感を覚えた。

 血に宿る気高さか、目指すモノに対する誇りゆえか。まさしく格の違いを見せつけられるようなその眼差し。言葉がなくとも、白瑛の意志が伝わるようだった。

 

 ――愚かな――と……

 

「お前さえ、お前さえ来なければ! この西征部隊の将に抜擢されたのは私だったンだ!!」

 

 白瑛の眼差しに呂斎はカッと血を上らせた。

 

 呂斎を苛む劣等感。

 将としては絶対に自分の方が有能であるはずだった。

 

 幾つもの戦を経験し、勝利を経験してきた。現皇帝に信任されるほどの将になっていたはずだ。にもかかわらず、重要な征西軍の将に選ばれなかった。

 選ばれたのは、自分が監視する前皇帝の娘。堕ちた皇女。どのように取り入ったのか、第1皇子に認められ、神官などというわけの分からぬ者たちに贔屓され、迷宮攻略などという怪しげな功績を上げた女。

 

 憎い。

 自分が得るはずだった栄誉を奪った女。

 

 湧き上がる憎悪を鎮めるには、あの白をどす黒く穢さねば気が済まない。

 反吐のでる綺麗ごとを、現実で砕き、絶望を味あわせ、無様に地に這いつくばらせる。

 

 だが、その計画は阻まれた。

 

「言いたいことはそれだけか?」

「ッッ」

 

 鬼の住む国と噂される和国の特使。

 憎い女の守護者気取りの蛮人。

 

 

 光の剣気に、怯みを見せる呂斎。

 白瑛は戦を忌避する心を封じ、白羽扇を手に前を見据えた。 

 

「逆賊呂斎。皇国の名を汚す者よ。死をもって償えよ」

 

 敵を断じる覚悟。

 将とは認めていなかった皇女の、明確なる将としての意志をその瞳に感じ取って呂斎はたじろぎ、それを覆すために声を上げた。

 

「くたばれ、クソ女!!!」

 

 呂斎の怒号に造反した兵たちが応えて、弓を放った。

 

 雨のごとくに降り注ぐ矢を前に、白瑛は白羽扇に魔力を込めた。

 包み込む風。害意を阻む白き風。

 

「呂斎殿!」「矢が……まったく当たりません!」

 

 白瑛の魔力に反応して顕現した風は、一つたりとも矢を通す事無く、宙で叩き落とした。

 目に映らぬ風が、徐々に強さを増して逆巻いていく。

 

「迷宮攻略者め。怪し気な術を使いおって……構わず討ち取れ! いかな迷宮攻略者でも、この状況、覆せるものか!! 討ち取れば名誉と恩賞を与えてやる!!」

 

 苛立った下知とともに周囲を囲んでいた兵が動きだし、それぞれの武器を手に雄叫びを上げた。

 圧倒的な人数差。

 だが、

 

「眷属器・双月剣!!」

 

 人数差が戦力差につながるとは限らない。

 白瑛の眷属である青舜が迎え撃つように前面に駆け出し、腰に帯びた双剣を引き抜いた。双剣によって切り裂かれた風が、鎌鼬となって襲い来る敵を打つ。

 

「なっ」「がっ!」

 

 練白瑛のジン・パイモンが眷属・李青舜。

 その力は双剣に宿る風の剣。

 

「まったく、気の無駄使いをさせてくれる」

 

 青舜に続いて光も、すらりと桜花を抜いた。

 最初の勢いは青舜の一撃で挫いている。そして光の剣の技量を知る兵は、抜かれたその和刀の脅威に、たじろいだ。

 溜息交じりの光の言葉に、白瑛はちらりと光を見遣った。ただの愚痴ともとれる光の言葉。だが、その言葉に白瑛は見過ごせないなにかを感じ取っていた。

 

 あの和国の老剣士との戦いから既にかなりの時間がたち、早い段階で光の傷は癒えているように見えた。

 だが、白瑛は違和感を覚えていた。

 以前よりも光の覇気とも言える何かが弱っている。

 

 今も、刀を抜きこそしたが、魔装のための魔力を練ろうとはしていない。

 

「いかがいたしますか、姫様?」

「青舜、光殿。時間を稼いでください。私が蹴散らします」

 

 ゆえに白瑛は下知を求める青舜の問いに、冷徹な瞳で二人に命を下した。

 

 あの戦いが、光にとって譲れない戦いだったのなら。

 今回の戦いは白瑛にとって譲れない戦い。

 戦禍を消したいと願う白瑛と戦禍を巻き起こしたいと願う呂斎。今回の戦いが白瑛の願いから招いたものなのだとしたら、白瑛にとって今回の戦いは決して放り投げてはいけないものなのだ。

 どれだけ戦いが嫌でも、平和を望んでも、それでも戦いは起きるのだから。 

 

「狂愛と混沌の精霊よ。汝に命ず。我が身を覆え。我が身に宿れ。我が身を大いなる魔神と化せ!」

 

 ――パイモン!!!

 

 呼び覚ます言霊と共に旋風が白瑛の体を覆っていく。

 

 高貴を現す白き装束。白羽扇は三つ又の槍に。

 

「逆賊呂斎よ。煌帝国第一皇女、練白瑛が刑に処す……覚悟せよ!!!」

 

 混沌より出で、混沌を鎮めるために戦う力となりし精霊。

 戦禍を生み出す者を裁くために、今、ここに練白瑛が魔装 パイモンが顕現した。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 内包されつつも、ここまで絶妙なバランスで保たれていた西征軍の天秤が大きく崩れていたころ、攫われた娘たちを救出した黄牙の戦士たちは、出迎えたババとともに集落へと帰還していた。

 敵兵を殺せば戦争になる。そうなればみなで暮らせなくなる。ババが懸念し、戦士たちに念を押していたことは守られた。

 “戦士たちは”一人も傷つけることなく家族を救いだしてきた。……のだが…………

 

「あくまでも一部の者の仕業であり、あの皇女はそれを止めようとした、ということじゃな……」

「ああ」

 

 黄牙の若者たちはざわざわと囁きあいながら、疑わしそうに光雲たちを見ていた。

 

「信じられるか……」「今更そんなことを……」

 

 ざわめきは不信感に根差していた。ただ昼間とはことなり、敵愾心を声高には叫ぼうとはしない。

 家族が攫われたということがありながら。いや、だからこそ、家族とともに過ごしていくことの大切さを思い出し、実際に奴隷狩りを止めようとしたところを見てしまったから。

 

「……俺たちとて、元は煌帝国に仇なした賊軍だ。地方の役人の不正に苦しみ、生き残るために武器を取って反旗を翻した」

 

 光雲たちは別に黄牙の民の説得を命じられている訳ではない

 ただ、同じには思われたくなかっただけだ。

 

「だが、あの将軍はそんな俺たちを国軍に招き入れた。世界を変えたいと、平和をもたらしたいと思うのならば、今は共に来いと。それがただの綺麗ごとに終わるかは分からん。だが、少なくともあの将軍は、自分で武器を振るい、それとともに傷つけた者の重みを受け止めることのできるヤツだ」

 

 光雲たちにも煌帝国の侵略の仕方が正しいかは分からない。ただ、少なくとも練白瑛という皇女は、信じるに値するだけのものを見せてくれたのだ。

 

 

 チャガンは目の前に居る煌帝国の兵たち。奴隷狩りの兵を倒していた兵の隊長と思われる男の言葉に聴きとめた。

 偽りなき思いの言葉。

 その言葉にチャガンは瞳を閉じた。思いを遠く過去へと馳せた。

 長いチャガンの生の昔。生まれ出よりも昔。先人たちが受け継いできた誇り。

 

 チャガンが決めようとしているのはもしかしたら、彼らの思いを踏みにじる行為かもしれない。

 この選択肢は、もしかしたら愚かな過ちかもしれない。

 それでも、今、チャガンは決断をした。 

 

「分かりました……我々は帝国に降りましょう」

 

「ババさま……」

 

 長の言葉に、黄牙の戦士たちが泣きそうな表情で顔を俯かせた。

 戦士として、矜持を持つがゆえに、剣を交えることもなく屈することは耐えがたい。だが……

 

「一族の誇りを守る戦で、数え切れぬ同胞が命を落した。どんな理由であれ、戦を起こせば人は死ぬ……我々が守るべきは命。国ではなく、一族の誇りでもなく、家族の命。今を生き、そして次代の子らに平和な暮らしをつないでいくことじゃ!! そのために、今は、一族全員で心の戦をせよ!!」

 

「……はいっ!!」

 

 失うための戦いではなく、次を守るための戦い。

 選んだのは、過去ではなく、今、そして未来への決断だった。 

 

 

 

 黄牙の村の勇気ある決断を、人々を導く役目を負った存在が見守っていた。

 この村に来て、自身を子と言ってくれるババと出逢って、マギという存在について聞くことができた。

 

 創世の魔法使い、マギ。

 もしかしたらそれが自分なのかも知れない。アラジンは薄らとそうだと予感していた。

 

 だが、この村で為すことは何もなかった。

 彼らは導かれるのではなく、それぞれが勇気をもって、己が道を、未来のための戦いを選ぶことができる者たちだったから。

 

 ただ見守る。

 それだけで、アラジンの心は、不思議と勇気づけられるようだった。

 村のみんなを見守っていた、アラジン。不意に、その胸に下げられた金の笛から光が奔った。

 

「ウーゴくん……?」

 

 アラジンは光輝く笛からルフの導きによる一本の筋のようなモノが指し示す先を見上げた。

 東の方向。

 “昨夜”訪れた煌帝国の軍が陣を敷いている方角だ。

 

「呼んでいるのかい?」

 

 彼には大切な友達がいる。

 笛の金属器。ジン・ウーゴくん。

 

 今は笛の中にいるけれども、たしかにアラジンの友達として触れ合った大切な、初めての友達なのだ。

 その彼に頼まれたことがある。

 彼と同じジンの金属器を探すこと。

 

 光が導く。この感覚をアラジンは以前にも見知っていた。

 だからなんとなく、分かったのだ。

 

 呼んでいる、と。 

 この光の筋は、彼の仲間であるジンが近くに、そして魔力を高めている証なのだろう。 

 

「そなたには見えておるのだろう、アラジン?」

「おばあちゃん」

 

 光の行く先を見ていたアラジンに、優しげな笑みを浮かべたババが声をかけた。

 

「大丈夫、お主は一人ではない。お主はマギなのじゃろう……伝説にあるように、幾億の生命と共に生き、皆を導いて世界を創るマギ、そして、わしらの子じゃ」

「……うん」

 

 人とは違う出自。自分は他の人とは違う。

 親のいないアラジン。故郷のないアラジン。

 自分が何者なのか分からなかった。

 

「心配はいらんよ。例えどれだけ離れようと、どんな使命を帯びようとも、わしらはそなたとともにある」

 

 それでも、知ってくれる人がいる。

 友達がいる。

 

 たくさんの大好きなもので溢れるこの世界が、アラジンは大好きだから。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 大嵐の風が旋風となり、巨大な魔神を形作って、裏切りの兵たちを薙ぎ払っていた。

 

「ぁああああっ!!!」「呂斎殿、呂斎殿ォ!!」

 

 ただ風を操っていたころよりも格段に向上した風の操作。魔装化した白瑛は、巨大な風の魔神を具現化し、魔神が振るう風の鞭により、大規模な風を意のままに操る風の女王となっていた。

 三つ又の槍により接近戦にも対応できるようになった魔装だが、そもそもこの場においては、どれほどの雑兵が居ようとも白瑛に近づくことすらできなかった。

 

「はぁっ!!」

 

 双月剣を振るい、近づく敵を倒し、あるいは武器を弾く青舜。

 ただの双剣であればその間合いは槍を持つ兵によって押されていただろう。だが、鎌鼬の刃を繰り出して中距離を制覇する青舜に、兵は攻めあぐねていた。

 

 そして

 

「囲め、囲んで討ち取れ!!」「なっ! がぁっ!」

 

 光は繰り出された槍を見切りによって紙一重で躱し、その腕を斬りつけた。緩んだ手元から槍を奪い取ると、薙ぎ払いによって周囲の兵ごと吹き飛ばした。

 左手に槍、右手に和刀を持つ光は、単身突出しながらも雑兵の剣を躱しながら敵を倒し、接近を続けていた。

 白瑛の近くでその身を守る青舜。離れた位置で自身を囲ませて次々に敵を斬り伏せる光。たった3人とは言え、一騎当千の3人を相手に、急ごしらえの陣容で太刀打ち出来るものではない。

 

「なっ、なにをしている! 小さな島国の蛮人! 近づけさせるな!!!」

 

 兵の無力化を図る白瑛とそれを守る青舜に対し、光の狙いはただ一人。

 従うべき主も見失った愚か者に用はない。ただ、進むのに邪魔だから斬り捨てていくだけだ。

 今、本当に許せないのは一人。

 白瑛を亡き者にしようとした。

 ただその一点だけで、光が牙を剥く理由には十分だった。

 

 数を頼りに複数でかかってきた兵を相手に光は桜花を一閃。脚を薙ぎ払うように斬撃を放ち、足元の崩れた兵たちの頭上を越えて槍を振りかぶった。

 左腕を弓のようにしならせ、気を纏わせた槍を呂斎目掛けて投げ放った。弓の如くに飛翔した槍は、狙い違わず呂斎を貫かんとした。

 

「っ!!?」

「呂斎殿っ、がっ!!」

 

 だが、咄嗟に反応した近くの兵が身を呈して呂斎の前に身を躍らせた。気の込められていた槍は、構えていた盾を貫き、兵の体を貫いて呂斎へと迫ったが僅かに届かず、馬上から崩れる兵と共に地に落ちた。

 

「ひっ!」

「ちっ。不忠者には勿体無い忠臣がいたものだな」

 

 着地し、槍を失った光の隙をつくように兵が襲い掛かったが、背後からの奇襲に対して光はそれを一瞥もせずに躱し、右手の桜花を煌かせた。

 本来の光であれば、今の一投、槍に込めた気が充分に練られていれば、例え盾を持った兵に邪魔されたとはいえ、そのまま仕留められたはずだった。

 だが、それができなかった。

 光は舌を打ち、血風を吹き荒させながら呂斎を睨み付けた。

 

 苛立った光の眼光が呂斎を貫く。その気のこもった視線をまともに受けた呂斎は短く悲鳴を上げた。

 

 迷宮攻略者の力の源泉は金属器であり、金属器に溜めておいた魔力さえ使い切れば、無力となる。島国の蛮人が使う操気術なる怪しげな術も、所詮は魔力を使ったまやかし。数で包んで消耗戦を仕掛ければ、すぐに何もできなくなる。

 

 そのはずだった。

 

「く、来るな……来るなぁっ!!!」

 

 だが、今、島国の蛮人は、ほとんど魔力を消耗していない。

 ほとんど周囲の兵から武器を奪い取り、使い捨てるように次々とそれを取り換えて、薙ぎ払っている。

 鬼神のようなその力を前に、迫りくる死の刃を前に、呂斎は悲鳴を上げて背を向けた。

 

「逃がすか」

 

 降り注ぐ刃を躱しながら数人を返り討ちにした光は先程主を失った馬の手綱を掴むと一気に馬上へと跨り呂斎を追った。

 

 一瞬にも満たない刹那、光は守るべき(白瑛)に視線を向けた。

 錯覚かと思えるほど短い時間、視線を交わした二人。

 光は傍にあることを選ぶのではなく、背を向けて馬を走らせた。白瑛はそれを追うのではなく、金属器へと魔力を込めた。

 

 白瑛が求め、力を宿した白羽扇へと

 

 寄り添うだけが二人の形ではない。それぞれに為すべきことをするために。

 

 光の背後で巨大な竜巻が吹き荒れた。地上を裁く大いなる神風の顕現。その風は罪ある者たちに鉄槌を下すかのように。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 全てが狂っていた。

 当初の策略では、蛮族をけしかけ、世間知らずの愚かな姫を適当に葬り、本来あるはずだった軍の全権を自分が掌握するはずだった。

 だが、策略は崩れた。

 けしかける手はずだった一手目を邪魔され、掴まれた尻尾から一気に暴かれた。

 だが、まだ取り戻せるはずだった。

 念のためにと、あらかじめ陣の配置、その中枢を自身の派閥に近い者、あの女の唱える呆けた穏健路線に反発する者で固め、それを持って弑すればいいだけのことだった。

 

 だが、なんなのだこのざまは。

 たった三人を討ち取ることもできず、大将である自身にまで危害が及ぶにまで至った。

 

 だが、まだ終わったわけではない。

 蛮族の村にけしかけた兵。そして近くに配置していなかった部隊の中にも、まだ自分こそが将軍だったと思っている者はいる筈だ。

 あれだけの数の兵。討ち取ることはできずとも掃討するには時間がかかるはずだ。あのような連中でも足止めくらいはできるはず、その間に増援を引き連れて戻れば、魔力を消耗させて、無力となった姿を晒すはず。

 

 

 これは逃亡ではない。そう言い聞かせる呂斎の背後で、轟っ!! と巨大な竜巻が現出した。

 あれほどの風、近くにいれば、一部隊まとめて壊滅していてもおかしくはあるまい。蒼褪める呂斎の顔が、追撃を仕掛けてきた男の姿を認めて恐怖に引きつった。

 

「っ!! くそっ、くそっ!!」

 

 白刃に煌く片刃の刀を片手に、馬を駆る和国の男。たかだが小国からの貢物風情の分際で、第1皇子に取り入った男。忌々しい蛮族の男。

 

 全てを斬り裂くその刃が、今は自分を狙っている。その恐怖から呂斎は馬を叱咤して、逃げる脚を加速させた。

 逃亡者にとって幸いなことに、島国の武人である光は馬を操ることがそれほど得手ではないのか、先行する呂斎との距離はなかなか縮まっていない。

 

 どこまで行けば逃げ切れるのか。その恐怖に押しつぶされそうになりながらも、ただ距離が縮まらないことを希望として駆ける呂斎だが、その前に影が落ちた。

 

「おぉぁわぉ!!! な、なんだこれは!!?」

「……? おじさんは……」

 

 青い体の巨人。首から上が無い筋骨隆々の裸体に、褌だけの巨体が呂斎の目の前に現れ、その行く手を阻んだ。

 いや、巨人にとってはただ、竜巻の起こっていた場所へ向かおうとしていただけなのだろう。“たまたま”道が重なってしまっただけ。

 巨人の上にはターバンを巻いた子供、アラジンが乗っており、慌てた様子の呂斎を見下ろしていた。

 狼狽する呂斎の、馬の脚が止まった。

 先行していたとはいえ、追撃戦の最中での停止。それはまさしく致命的な時となった。

 

「ここまでだ、呂斎」

「くっ! お、おのれぇ!!!!」

 

 光の馬が呂斎へと追いつき、状況が呑み込めずに二人を交互に見るアラジンを他所に、呂斎は光へと振り向いた。

 剣の腕では圧倒的な力量差がある。金属器とやらの力もある。だが、馬上戦で、金属器を使わないのであれば、まだ……

 

 呂斎は剣を振り上げ、光へと迫った。

 馬を駆けさせた光、雄叫びを上げて剣を振りかぶる呂斎。

 

 二人が交差するようにすれ違い、呂斎の剣が砕けると共に馬上から崩れ落ちた。

 

 呂斎が倒れる音を背後に聞き、光は桜花を鞘に納めた。目の前には、異形の青い巨人。それを前に、光は巨人の上に乗っているアラジンへと声をかけた。

 

「…………さて。こんなところまでわざわざご足労いただけるとは痛み入るな……マギよ」

 

「! おにいさんは――――」

 

 光の言葉に、アラジンは僅かに目を見張った。

 自身ですら判然としかねていた、自分がマギであるということ。そのことにただ一度の会合のみで気付いていた。そのことにアラジンは驚いた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

「はぁ、はぁ…………」

「ご無事ですか、姫様?」

 

 広域魔法により敵兵の大半は蹴散らした。首魁であった呂斎が逃亡し、反乱軍も半壊した以上、戦意の喪失は免れず、また巨大旋風を起こしたことにより、離れた位置にいた白瑛傘下の兵たちも気づいて集ってきた。

 

 白瑛の魔力量は、紅炎はもとより光と比べても決して多くはない。極大魔法ほどでないにしろ、かなりの風を使い、さらには大魔法を放ったことにより魔装は解除された。

 荒い息をつき、肩で呼吸をする白瑛に、青舜は無事を確認する声をかけた。青舜の声に白瑛は顔を上げて問いかけた。

 

「呂斎を追った光殿は……?」

「まだ戻られません…………あっ!」

 

 呂斎を追撃した光の姿は今ここにはない。よもや後れをとったということはないだろうが逃げられた可能性はなきにしもあらず。一応、集結した兵の一部をそちらに回しはしたものの、単身であまりに深く追撃していてはよもやの事態も起こりえないとも限らない。

 白瑛の心配に青舜は遠くを見回し、見えた人影に声を上げた。

 青舜の声に白瑛も顔を上げた。

 見たところ傷一つなく馬に跨る光。なぜだかその馬上には小さな子供、アラジンの姿があるのだが、気のせいか追撃する前よりも凛とした感が強くみられる気がした。

 

「光殿! 呂斎は?」

「心配いらん。遅れてきた兵に任せた。こっちも鎮圧できたようだな」 

 

 ほっと息を吐いた白瑛は、将として今回の件の首謀者について尋ね、光は期待に違うことなく片付けたと答えた。

 騒動の鎮圧に一息つく二人。

 

「光殿、そちらは……?」

 

 青舜は光の連れてきた見覚えのある少年のことを問うように視線を向けた。

 

「……マギだそうだ」

「マギ……!!?」

 

 光はアラジンを一瞥し、この少年が魔導師の最高位に位置するその位階にあることを告げた。

 覚えのある呼称。

 白瑛を迷宮へと導いた“あの”神官と同じマギ。白瑛ははっと驚いたように声を上げ、青舜も目を見開いた。

 

「やあ! おにいさんとははじめましてだね。僕はアラジンさ」

 

 少年は朗らかな笑みで自分の名を告げた。長い三つ編み、頭部にはターバンを巻き、そこから額に赤い宝石が飾られている。

 

「こちらの方に探し物があるということだ。白瑛とは昨夜話をしたということだが……」

 

 光が確認するように言い、白瑛が頷いた。アラジンの声に反応したかのように、白瑛の胸元の帯に差しこまれた白羽扇が輝いた。

 

「!? 扇が……」

「! お姉さん。ちょっとそれに触らせてくれないかい?」

 

 アラジンが首にかけている金属の笛に呼応するように光る白羽扇。不思議そうに手に取った白瑛にアラジンは手を伸ばしながら許可をとった。

 恐る恐る、いや、ドキドキとしたように手を伸ばすアラジンは、白羽扇の柄の根元にはめ込まれた宝玉。そこに刻まれた八芒星に触れた。

 その瞬間

 

「なっ!?」「!?」

「…………」

 

 膨大な魔力が溢れた。

 王の器である光や白瑛はもとより、紅炎とも比べ物にならないほど膨大な魔力。草原に小さな太陽が生まれたかのような輝き。

 反射的に瞳を閉じた青舜や白瑛。輝きに加えて、白羽扇から溢れた魔力が、金属器の属性に惹かれて白い輝きとなり、風を生み出す。

 旋風などではない。竜巻と見紛うばかりの風は、しかし誰も傷つけることなく、何かを具現化するように形を作っていく。

 唖然とする白瑛と青舜。金属器を手に入れて以来、このような事態に直面したことなどなかった。

 光はその異常事態に、少し険を深くした顔で実体化していくその姿を睨んでいた。

 

 風が小さくなる。

 呆然とする白瑛たちの視線の先には、2度目となる青い巨人が存在していた。 

 

「ごきげんいかが? みなさん。ワタシはパイモン。狂愛と混沌よりソロモンに作られしジンよ。主は女王、練白瑛」

 

 体のあちこちにピアスによる意匠を施した装い。額には人外の証のように第3の瞳が開いており、全身は青い。

 

 狂愛と混沌の精霊 パイモン

 白瑛に力を与える風の支配者。

 

 異形の女性は“この世界”に自身が実体化したことを僅かに不思議そうにあたりを見回し、一人の少年に目を止めた。

 

「あら? マギじゃない!」

 

 突然の事態とはいえ、現出したのが白瑛や青舜にとっては見覚えのあるジンであったために、呆然とした反応で済んでいるが、周りの兵などは突然謎の巨人が現れたことに恐々としている。

 この事態を引き起こしたアラジンは、こんなことになるとは予想していなかったのか、彼自身驚いたようにパイモンを見上げており、しかしパイモンの視線に反応するかのように、今度はアラジンの胸元の笛が光り輝いた。

 光が薄れた、と思いきや、次の瞬間には笛から青い巨人。筋骨隆々で頭部のない巨人が屹立していた。

 最早驚きに声もでない白瑛たちが成り行きを見守るおうに唖然とする中、パイモンもまた驚いたように口を開いた。

 

「あらまぁ! 珍しいお方に会えたわ!」

 

 その声は本当に懐かしそうで、少し嬉しそうにも聞こえた。

 顔のない巨人は、当然ながら口が無く、話すことはできないし、目もないのだが、パイモンと視線を交じ合わせるように対面し

 

「……」「?」

 

 展開について行けない白瑛たちの前で、パイモンは巨人をからかうように指で弄りだした。全身青一色だった巨人は、パイモンに触れられた瞬間、なぜだか分からないが体を朱くして、たじたじになり、しどろもどろといった様子で何かを身振り手振り、伝えようとしている。

 目を丸くしている白瑛の隣では、目を細めながら真剣な眼差しで光が巨人たちを見上げていた。

 声はないが、時折ちらりちらりと視線を光の方に向けつつも、しばらく何かを話していたが、話は終わったのかパイモンはシュルシュルと巨体を縮め、白瑛よりも二回りくらいの大きさになったところでしだれかかるように白瑛に身を寄せた。

 

「なるほど、事情は分かったわ……世界で異変が起こっているようね。でもそんなの関係ないわ。ワタシは、ワタシが王の器と惚れ込んだ白瑛ちゃんに力を貸すだけ。そのためにワタシは作られたの……ガミジン(・・・・)も同じでしょう?」

「…………」「?」

 

 パイモンの言葉に光はすっと眼を細めた。

 マギと同じように、器を見抜くジンを誤魔化すことができないのは分かっていた。ただ、“昔からの付き合いである”ジンには一段深く、読み取られてしまっているようで、混沌という性ゆえにか、茶目っ気を見せるように余計な一言を付け加えられた。

 

 少しの違和感を覚えた白瑛はスッと光に視線を向けたが、光は何も語る様子はなく、パイモンに視線を向けていた。

 

「? 王の器……?」

 

 パイモンの流し目と光のやりとりに首を傾げたアラジンだが、もう一つ気になる言葉に呟くように疑問を口にした。

 

「ふふ。そうよ。白瑛ちゃんだって、王の候補として煌帝国のマギに選ばれたんだから」

「えっ!? マギ!?」

「…………」

 

 パイモンの言葉にアラジンは驚いたように声を上げた。

 白瑛はどこか厳しい眼差しでパイモンを見ていた。

 

 自身に力を貸すこのジンが世界のことなどどうでもいいと言ったのもあるが、それとともに煌帝国のマギについて口にしたからだ。

 白瑛は決して愚鈍な女性ではない。聡明で、光には幾分劣るものの勘も鋭い。

 自身が信を置く光が煌帝国のマギ ジュダルを警戒していることを白瑛は言われずとも感じていた。そのジュダルを、母である玉艶が幼い頃より可愛がっていたのも知っている。それと前後するように優しかった母が変わってしまった事も知っている。

 

 全てを懸けて自分を守ろうとしてくれる光。

 自身に力を与えてくれたジュダル。

 どこか変わってしまったものの、この世にたった一人しかいない実の母、玉艶。

 

 全てを信じたい。でも……なにかが、狂っている。何か、決定的な何かを、白瑛だけが分かっていない。そんな気がするのだ……

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 争いは終わった。

 

 黄牙の民は過去よりも今を、そして未来を選び煌帝国に降ることを選んだ。そこにどれほどの葛藤があり、どれほど果敢な決断だったのか、国や民族というものに属したことのないアラジンには分からない。

 だが、奴隷狩りの苦渋を味わい、それでもなお平和の為の戦いをすることを選んだババや黄牙の人たちの思いの尊さは分かるつもりだ。

 

 巨人ウーゴの肩に乗り、揺られながら黄牙の集落へと戻っているアラジンは、先程のパイモンとの対面を思い出していた。

 

 頑丈な部屋を出た時、アラジンは友達であるウーゴと約束を交わしたのだ。

 

 ――外に出たら、彼の仲間であるジンの金属器を探して欲しい――

 

 黄牙の集落へと来る前、アラジンはもう一人のジンと会っていた。

 

 第7迷宮のジン、厳格と礼節の精霊、アモン

 

 頑丈な部屋を出て初めてできた友であるアリババと共に攻略した迷宮で、アラジンはジンと会っていたのだ。

 青く、厳めしい表情の老人のようなジン。

 その時にもウーゴは、パイモンの時と同様、何かを相談、あるいは忠告するかのように、アラジンには聞かせないように内緒話をしていた。

 

 気にならないと言えば嘘になる。だが、それでも無理に聞き出そうとは思わない。

 アラジンの友達には、彼には言えないことがたくさんあることを、もう知っているから。ただ、もう一つ気、パイモンとの事以外に気になることもあった。

 

「あれでよかったのかい、ウーゴ君?」

 

 金属器に宿る彼の仲間に会う事。それはアラジンが世界を旅する目的の一つでもあるのだが

 

「パイモンさんとは会えたけど、もう一人のジンには会えなかったね……」

 

 今回、なぜだかウーゴは二つの機会の内の片方としか会話をしなかったのだ。

 少なくとも、アラジンにはしなかったように見えた。

 

「なんであの人の金属器からはでなかったんだろうね?」

 

 紫色のルフを僅かに纏わせた不思議な雰囲気の人。

 海を越えたところにあるワ国というところから来たという人。

 

 無尽蔵の魔力を持つマギたるアラジンが、その魔力を顕現のために注ぎ込んだにもかかわらず、彼は現れなかったのだ。

 

 そして

 

 

 ウーゴはそれを承知していた。

 

 まるで、話しはちゃんと聞いていたと言わんばかりに

 

 



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第21話

本当は今回の更新は別作品の方のつもりだったのですが、アニメで2週続けての白瑛さんの登場に、テンション上がって早目に21話を仕上げました。


 白瑛を将軍とした西征軍北方兵団。その戦略目標である北天山は、幾つかの問題を抱えつつも概ね順調に平定されていた。

 東の大陸のほぼ真ん中に中央砂漠という大規模軍の行軍には不向きな障害が存在する以上、その迂回ルートである北天山と海洋ルートの発掘は煌帝国の西方進出の戦略上重要であり、しかしそこには数多の異民族が割拠しているという要害だ。

 

 駐屯兵団といえども、国許へ帰還するときは当然ある。

 今回、白瑛たちが帰郷したのは、平定の進捗状況を報告するためというのも無論あるが、生じた……というよりも処分した問題の報告という意味合いがある。

 

「呂斎の造反か……」

 

 光の目の前に居るのは西征軍の総督。白瑛の義兄であり、現皇帝の第1皇子、練紅炎だ。

 帰郷してすぐに白瑛からの報告が上げられ、北天山の平定状況などが紅炎のもとに送られた。

 報告の終わった白瑛は、紅炎の許しをえて、その許を辞去し、今は実弟である白龍と久方ぶりに会っているころだろう。

 

「おかげで余計な消耗をさせてもらったものだ」

 

 一方の光は、不在の間の和国の情報を得るため、そして白瑛の将軍としての働きぶりを伝える、という名目で紅炎と私的な時間をもっていた。

 今回、将軍である白瑛の意向に反して、混乱を招いた呂斎は、元々は白瑛を警戒していた者たちが付けた監視役であり、紅炎はどちらかというとそこには関わりを持っていなかった。だからといって、最終的な編成を了承したのが紅炎である以上、余計な戦いを増やされた光にとってはいい迷惑だろう。

 私的な時間であるがゆえに、公的な時間よりも幾らか砕けた語調で不満を述べた光に、紅炎は薄く笑みを返した。

 

「……その割には“戻って”いるようだが?」

 

 紅炎にはルフを見る力はない。だがそれでも、強者特有の気配を察することはできる。

 征西に赴く前に見た光は、老剣士との死闘の後ということもあったが、気配が薄らいでいた。勘も鈍り、おそらく満足に金属器も扱えないほどに気迫を失っていた。

 だが、今の光は初めて会った時に近い位には充溢しているように見えた。

 

「戻ったわけではないが……少しはマシに動けるようにはなっただけだ」

 

 光は苦笑を返して紅炎を見返した。紅炎の読みは当たらずとも遠からず、といったところだ。

 戻ることはない。

 魔力だけなら時間をおけば回復する。特に“あの”出会いのおかげで、あのマギから与えられた規格外の力の影響で、“サミジナ”の力は完全に戻ったと言っていいだろう。

 

「少し、か……いい加減、白瑛には言っておかないのか」

「らしくないな、紅炎殿。あの時言ったはずだ。伝えるつもりはない」

 

 だが、全てが戻ることはない。

 器に入った水が零れれば、その水が元に戻ることはない。一度壊れた器を修理しても、その亀裂は完全には戻らない。

 地に落ちた花弁が再び枝につくことはない。

 

「……俺はアレを妹だと思っている」

 

 妹だから、家族だから、傷つけたくない。白瑛はもう十分に悲しみを知った。父を、二人の兄を失くした。

 残された弟を守るために懸命に戦い続けた。

 そして、皇女の身の上であるから自由に恋という感情を羽ばたかせることもできない。

 だからせめて命を懸けて共に歩いてくれる男を支えとしていくことくらいは“兄”として許したかった。

 

 だが、それは……

 

「黙っていたとしてもいずれ必ず知ることだろう。“貴様”にはそれで良くとも、アレにとっては」

「それは願いに反することだ」

 

 無表情な顔の内に、様々な感情を渦巻かせて告げようとした紅炎の言葉は明確に拒絶された。

 二人の無言の視線がぶつかる。

 

 分かっていた。

 “こいつ”の目的は、ただ練白瑛を守るためだということを。

 それだけ(・・・・)なのだ。

 

 紅炎の瞳に激情のような焔が宿り、光を睨み付ける。

 今ここで、光を叩きのめすことは可能だ。

 この近距離ではたしかに光にも幾ばくかの分があるが、それでも3体のジンの能力を使えば最終的には紅炎に分がある。

 力で圧することはできる。

 だが

 

 この男の強固な意志を曲げることはできないだろう。

 いや、意志ではない。それこそが、この存在の存在理由であるのだから。

 

「……せっかくの休養だ。白瑛の所にいろ」

「せっかくの姉弟水いらずだ。幼馴染の青舜殿と3人で話したいこともあるだろ」

 

 だからせめて、少しでも、ほんのわずかでも一緒に居ればいいという気遣いは、飄々と流された。

 一見やる気なさ気な紅炎の瞳に、紛れもない怒りの感情が浮かび、光を見据えた。

 普段、ともすると感情の起伏の乏しいように見える紅炎だが、その内には溢れる様な思いを秘めている。

 例えば戦が絡んだ時。例えば知的好奇心が揺さぶられた時……例えば、弟妹たちが絡んだ時。

 王の器としての大きさならば、才覚ならば、紅炎は光を遥かに凌駕している。

 

 世界を一つにして、世界の滅びを回避しようと戦う紅炎

 全てを賭けて、たった一人を守り抜こうとする光。

 二人の在り方は真逆のものだろう。そして、だからこそ、紅炎は光を認めていた。

 紅炎の道を遮るのではなく、紅炎の大切なモノを懸命に守ろうとしている男だから。

 

 だが思い違いをしていたのかもしれない。

 

「………俺は、皇光が一番殴りたいのは貴様だと思うがな」 

 

 強すぎるこの男の在りようは、本当は白瑛を苦しめていくだけなのかもしれない。

 この男が、白瑛の全てを守ろうとして、自分を捧げていくほどに、もしかしたら、その結末は白瑛にとって残酷なモノとなってしまうのかもしれない。

 

「……俺も、そう思うさ」

 

 マギでも、まして神でもない紅炎には、果たしてその結末がどのようなモノになるのかは、知る由もなかった。

 

 

 皇光が対価に捧げたモノが、いずれ白瑛にとって、無情なまでの悪夢を生み出してしまうことなど

 例え飛び抜けた王の器を持つ彼といえども、この時の紅炎には、分かるべくもなかったのだ。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 日の暮れた帝都

 

「白龍殿とはゆったりと話せたのか?」

「ええ。しばらく見ぬ間に、随分と大きくなっておりました。明日の朝は久々に青舜と剣の鍛練をすると言っておりましたよ」

 

 白龍との時間をたっぷりと過ごした白瑛は、紅炎との会合を終えた光の居室を訪れていた。

 久方ぶりに会った白龍は、以前からぐんぐんと身長が伸び始めていたが、遂に幼馴染の青舜の身長を超えて随分とたくましく成長していた。

 気づけば白龍は、女性にしては長身な部類の白瑛とも肩を並べるほどの背丈へと成長しており、白瑛は微笑ましそうに話した。

 思えば父兄を失い、叔父へと嫁いだ母とも疎遠となった白龍にとって、白瑛は母親代わりのような存在だった。

 白瑛にとってもかけがえのないただ一人の弟であり、立派な男性となるように、一人でもしっかりと立って行けるようにと厳しく育てた。

 背だけでなく、身体つきの方もすっかりと一人前の武人らしく細身だがしっかりと筋肉のついた身体となっており、明日は久方ぶりに幼馴染同士、青舜と鍛練を行うとはりきっていた。

 

 嬉しそうに語る白瑛の言葉に光も微笑ましげに話を聞いていた。

 

「光殿は紅炎殿と何を話されたのですか?」

「…………」

 

 ゆっくりと弟と過ごせた白瑛は、その間紅炎と会っていた光の方の一日を尋ねた。

 その問いはほんの些細な質問だった。

 だが、ほんのわずか、光は返答に間をおき、その間を誤魔化すようにゆっくりと答えた。

 

「白瑛殿をしっかりと守れと念押しされていたんだよ」

 

 光の答えに白瑛はわずかに目を見張った。

 光はすっと白瑛の頬に手を当て、真っ直ぐに白瑛を見つめた。

 その瞳が揺れることはなく、白瑛は間近に迫った光の瞳をじっと見つめた。

 

 彼は何かを隠している。

 多分それはとても重要なことで知られたくない事なのだろう。だが、それでも光が裏切ることはないと信じている。

 

 目の前の光の瞳はただ、白瑛のみを映している。

 映りこむ白。隠された何かを思い、ほんのわずかの寂しさを胸にしまいながら、白瑛は微笑を返した。

 

「ふふふ。光殿はしっかりとされていますよ?」

 

 白瑛に、ルフを読み取る力や気を感じとる力はない。それでも、この人は約束を違えたりしない。

 初めて会ったその時から、不思議とそう、信じられた。

 

「……そうであればいいと、いつも思っているよ」

 

 自分が抱いている後ろめたさを悟られていることを感じながら、それでも深く追求せずに信じてくれる。光は白瑛の微笑にその信頼を感じ取った。

 絶対に壊したくない大切なモノを抱き寄せるように、光は白瑛の体を引き寄せた。

 胸に抱くその温もりに、この白い煌きを絶対に曇らせないと、そう、自分に言い聞かせた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 朝焼けで染まる明け方の鍛練場

 

「はっ!!」

「く、っ!」

 

 幼馴染二人が手合せをしていた。

 長柄の槍剣を見立ててだろうか、両手持ちの棒で果敢に攻め立てる白龍に対し、双剣の模造刀で防ぐ青舜。

 かつては青舜よりも小さく力でも劣っていた白龍だが、攻めたてるその動きは苛烈で手数に勝るはずの青舜は防戦一方となっていた。

 青舜の双剣はたしかに二つの剣を振るう分、手数は増えるが白龍の棒術に比べて間合いが狭く、両手持ちで振るわれる長柄の棒の威力をいなして間合いを切り込むことができずに押されていた。

 白龍の棒捌きは堅実な鍛練に裏打ちされたように鋭く力強い。徐々に青舜の防御のタイミングが遅れ始めた。

 

「っ!」

「はぁっ!!」

 

 後退しつつ懸命に防御していた青舜の双剣を掻い潜り、腰の入った一撃が青舜の手から剣を弾き飛ばした。

 

「一本、取られましたね」

「…………」

 

 長棒を突きつけられた青舜が降参の言葉を口にし、二人がともに詰めていた息を吐いた。

 

「しばらくお会いせぬ間にお強くなられましたね、皇子」

 

 元々の二人に技量は互角。体格面で青舜が勝っていた際にはわずかに青舜が勝ち越していたが、体格が逆転した今、白龍が面目躍如とばかりに勝ち越していた。

 弾き飛ばされた剣を拾い上げて青舜は今はもう自分よりも大きくなってしまわれた皇子を見上げた。

 

「えっと、皇子? どうされました?」

 

 むすっとした表情で自分を見下ろす白龍の様子に、青舜はちょっと戸惑いがちに問いかけた。

 非常に物言いたげと言うか、イラついているというか、憐れんでいるというか……

 

「いや青舜……お前は変わらないなと思ってな。むしろ縮んだのか?」

「んなっ!? おお、皇子が急に縦にご成長なされたのですよ! 私だってこれから育ちます。ぐんぐん伸びてすぐに追いつくんです!」

 

 かつては小さく泣き虫だった白龍も、今は青舜よりも立派な体躯。流石に紅炎や光ほどの背丈とはいかないまでも、小柄な青舜に比べると10cmほどは大きい。

 皇子のあまといえばあんまりな指摘に青舜は驚愕し、一拍遅れて半笑いで ――ただし目を笑わずに―― 反論した。

 

「追いつくってお前……お前の方が年上じゃないか……もう育つも何も、見込みないんじゃ……」

「あ~~聞こえない、聞こえない!」

 

 反論は冷静そうに憐れみを込めて、致命的な指摘を告げた。

 青舜は成長期を終わりかけている白龍よりも1歳年上。伸びる見込みがないではないが、白龍や主である白瑛と並ぶほどの背丈になるのは最早絶望的ろう。

 しゃがみこんで両耳を閉じる青舜に白龍は滔々と言い募った。

 

「大体な。将軍職を賜る姉上の第一の従者がそんな頼りないなりでどうする! もっと鍛えろ!!」

 

 大切な姉上のただ一人の眷属。

 将軍として前線で戦う彼女の剣となる従者が自分よりも小さく、そしてあっさりと白龍に1本とられるようでは先が思いやられる。

 

 だが小言臭く冷静な説教は長くは続かなかった。その次の青舜の言葉によって

 

「余計なお世話です!! 皇子だって、光殿よりちっさいじゃないですか!」

 

 そう、白瑛の眷属はたしかに今現在青舜一人だ。だが、それ以外にも彼女には優れた守護者がいるのだ。

 白龍自身、あまり認めたくはないが、姉上が奴を信頼し、そして歴然たる事実としてあの男が強いということは認めざるを得ない。

 指摘されたくなかった一言が付け加えられ、互いにボルテージが上がり始める。

 

「何っ!! そこでアイツの話題をだすのか!! このっ! 無礼者め! やるか! もう武芸だってなんだって負けないぞ!」

「なんです! ちょっと昔まで毎日ピーピー泣いてたくせに!」

「なんだと!!」

 

 朝焼けを通り過ぎ、白んできた空の下。鍛練は終了した。

 いや、互いに力を振るうという点においては、まだ継続しているのだが、その様は鍛練とは言えないだろう。

 互いに胸倉をつかみあい、怒気に顔を赤くしての罵り合い

 

 どつきあい……あるいは子供の喧嘩だろう。

 

 ギャーギャーと鍛練からは程遠い取っ組み合いが繰り広げられた。

 

 

 

 

 ぜーぜーと肩で息をして不毛な喧嘩に区切りをつけた頃。

 

「白龍殿、青舜殿。朝から随分と……荒行だな」

 

 様子を見に来た光は、朝の鍛練にしてはなんだかボロボロの姿の二人を見た。

 

「いえ。まあ……」

 

 声をかけてきた光に、白龍はきまり悪げにフイッと視線を逸らし、青舜も喧嘩していましたとは言えずに視線を泳がした。

 そして、ふと自分の主の姿が見えないことを訝った。昨日はたしかゆっくりと白龍と一日過ごしてから、第1皇子に呼ばれていた光を迎えに行き、そのまま話し込んでいたと思ったのだが。

 

「光殿。姫様はどうされました?」

「ああ……白瑛殿はまだ休んでたんでな。起こすのも悪いんでそのまま寝かせておいたが?」

「そう、ですか」

 

 視線を向けてきた青舜に対して光はどう答えるべきかと数瞬思案して、結局そのまま答えることにした。

 戦場でも、宮中でも、気を張り続けなければならない主が、昨日はゆっくりと一日を過ごせたことに青舜は一抹の寂しさと言い表せない感情を覚えつつもほっとしたような顔で返した。

 ただ

 

「青舜? どういうことだ?」

 

 光の言葉に白龍は違和感を覚えたのか青舜に訝しげな視線を向けた。

 

「あれ? あ!! あ~……」

 

 視線の意味するところは、「なぜ姉上の起床に光殿が関わっているのだ?」だろう。なんとも言いように困る状況に青舜は視線を泳がした。

 白龍のジト目を受けている青舜に光も苦笑した。

 

「せっかくだ。俺も手合せ願おうか、白龍殿。それとももうやめにするか?」

 

 光は桜花を腰に差したまま、鍛練用の木刀の切っ先を向けるように構えて白龍を促した。挑発的な言葉に白龍は疑問を放り投げてキッと光を睨み付けた。

 

「そ、そうですよ皇子! せっかくの機会です! 手合せしていただきましょう!」

 

 言葉に困っていた青舜も話題にのっかるように手合せを進めた。

 実際、青舜と白龍ではすでに白龍の方が強いので、白龍にとっては青舜が鍛練の相手として十分とは言い難くなっている。 

 

「……では、手合せ願います。光殿」

 

 釈然としないものの、鍛練中の魔力操作能力を体感する機会だ。

 白瑛たちが西征軍として北天山に向かう前にも、何度も手合せはしたが、その時はまだ白龍も十分に魔力を操作することはできず、結局白龍では満足にその力を引き出すことはできなかった。

 だが、今なら……

 

「シャンバラの魔力操作を身に着けたと言っていたな」

「ええ。俺はもうあなたにも負けません」

 

 青舜との鍛練の疲労はないと言えば嘘になる。

 だが、青舜との鍛練では与えるダメージが大きくなりすぎるので使わなかった魔力操作が、今度は使える。

 疲労を抜きにすれば魔力量は十分。

 

「ほう。それは楽しみだ、が。所詮は鍛練だ。鍛練ごときで無茶はするなよ」

 

 操気術にしても魔力操作にしても、無茶をし過ぎれば命を削る。

 

 まっすぐすぎる白龍の性質は、時に危うい。いずれそれが命取りにならなければいいと……そう、漠然とした予感のようなものを光は感じ、血気に逸る白龍に注意を促した。

 

 

「……行きます」

 

 白龍は距離をとった状態から長棒をくるりと回してから手に馴染ませると下段に構えた。 

 

 間合いの槍術の白龍に対して見切りと捌きに長けた光。実力差的に白龍は自分から切り込むことの不利を覚えつつも戦意を獲物に宿らせた。

 

「ほう……」

 

 白龍の両手が薄ぼんやりと光を纏い、輝きが膜のように棒の打突部を覆った。

 魔力が通う確かな証。光の操気術ほど剣気一体とまではいかずとも確かに魔力が武器に宿っている。

 光も操気術を使えば打ちあうことはできるが、光は打ち込みを誘うように切っ先を下げた。

 

「ふっ!!」

 

 どのみちこれは光の言うように鍛練なのだ。自分から動かなければ何も変わりはしない。白龍は誘い込まれていることを承知で、短く息吹を吐いてから一気に距離を詰めた。

 

「ハァっ!!」

 

 下段から円月を描くように振りかぶり袈裟に切り下ろした。

 魔力の込められた斬撃。

 

「ふっ」

「くっ!」

 

 光はそれを見切りと体捌きによって躱し、魔力で覆われていない柄の側面部へと木刀を振るった。

 長棒の全体を魔力で覆うことはかなりの負荷を伴う。

 本来の獲物である偃月刀を想定して、棒の打突部前面にのみ魔力を通わせたのは、中々の技術だが、それを逆手にとって魔力操作なしに相手取ろうとする光。

 その意図を今の一撃から読み取って白龍はギリッと奥歯を噛み締めた。

 

 見切りと剣の技量、魔力操作。全てにおいて白龍よりも光に長がある。

 だが、武器の差から間合いの広さでは白龍に分がある。白龍は手元での動作を細かくし、手数を増やして斬撃数を増やして光へと攻め立てた。

 

「中々。以前からは見違えるほどだ、な!」

「っ、このっ!!」

 

 棒捌きだけでなく、武器特性の差を活かして間合いをとる白龍を光は褒めるように声をかけた。

 長い棒の遠心力に振り回されることなく、手元で的確に操る力。槍術自体は中々のものだ。

 だがそれに魔力操作が追いついていない。

 光の眼はそのラグを見極めて、躱しと受け流し、そして武器を弾くことを使い分けて白龍の攻撃を捌いた。

 

 当たらない攻撃に焦れる白龍。

 

「はぁあっ!!」

「!」

 

 強く脚を踏み込み、魔力のこもった斬撃を放つ。

 光はそれに木刀を合わせた。

 魔力は込められていない木刀。防御もろとも切り裂ける。そう確信した白龍だが、長棒の振り下ろしに合わせるように木刀が軌跡を描く。

 以前、何度も見た武器の受け流し。

 光雲の大剣だろうとなんだろうと、剣筋の軸をずらす光の防御。そのまま長棒を振り切れば勢いに引きずられて体勢を崩す。

 

「! させ、るかっ!!」

「おっ!?」

 

 白龍は踏み込んだ状態からさらに強く腰を落し、棒の手元を操る左手を押し込んだ。

 白龍の長棒が光の木刀を巻き込むように跳ね上げる。

 互いの武器が上方へと流れ、狙いを外された光が驚いたように目を開いた。

 

 勝機と見た白龍は、振り上げた右腕を振り下ろそうとし

 

「なっ!?」

 

 目の前の光がそのまま木刀を手放して間合いを詰めたことに虚をつかれた。

 強引に踏み込んだ白龍は咄嗟には動けない。対して受け流しを主体としていた光の動きは早い。

 一気に間合いの内側まで距離を詰めた光は、白龍が長棒を手元で操るよりも早くその胸元の襟をつかんだ。

 

「え? わあっ!!!」

「皇子!?」

 

 間近に迫った光が笑みを浮かべ、振り下ろそうとしていた白龍の右腕を掴んだ。次の瞬間、白龍の体は見事に宙を一回転。声を上げて地面にたたき落とされた白龍に、観戦していた青舜が声を上げた。

 

 天地が逆さまにひっくり返り、白龍は空を見上げていた。

 

「かなり腕は上げたようだな、白龍殿」

「くっ! なぜ操気術を使わなかったのですか!」

 

 仰向けの白龍を覗き込むように微笑む光に、白龍は噛みつくように声を上げた。

 先程の手合せ。負けたのは明らかに白龍だが、自分の武技は確かに光の剣を捉えていたし、剣で負けたわけではない。

 だが、それでも地に倒れているのは自分で、しかも光は白龍が使った魔力操作を用いなかったのだ。屈辱感は大きい。

 

「その方が負けた感じがするだろ?」

「っ! 剣では、決して負けていませんでした!」

「かもな……けど、負けてるだろう?」

「…………」

 

 剣では負けなかった。

 それは唯の言い訳。実際には自分よりも光の剣の方が数段上にいることを理解できない白龍ではない。

 それでも負けるわけにはいかない。例え相手が自分よりも遥かに格上の相手だろうと、やらなければならないのだ。 

 

「白龍殿は攻撃に寄りすぎだぞ。もう少し力を抜いてみろ」

 

 いつまでもこの男の下でいいわけがない。

 

「っっ。……何も、知らないくせに」

 

 忠告のように言われた言葉に、白龍はポツリと答えた。小さな呟き。聞き取れなかった言葉。だが、何かに気づいたように光が目を開いた。

 

「白、」

「くそっ!!」

 

 声をかけようとした光だが、白龍はバッと起き上がり、光の腕を振り払い、背を向けて駆けだした。

 

 

「皇子!?」

「…………」

 

 かけ損ねた声とともに振り払われた手が宙を彷徨う。駆けて行った白龍に青舜が驚いたように声を上げた。

 青舜は追いかけるべきかどうか悩み、光の方をちらりと向いた。

 

「むぅ……中々、うまくいかんな」

 

 払われた手をぶらぶらとさせながら珍しく困ったような顔をしている光。

 頑なな義理の弟との関係を良好にしようとでも望み、上手くいかないことに内心がっかりしているのだろうか。

 青舜から見ても“強い人”である皇光という男のそんな顔に、不思議な親しみを覚えて青舜は少しだけ笑みを浮かべた。

 

「皇子は昔から泣き虫な方ですから」

「む……」

 

 今では大分改善されたように見られるが、それでも青舜は知っている。 

 今では主となったあの人同様、ずっと昔から見てきた大切な幼馴染だから。

 

「頑固で融通の利かずにいつも背伸びばっかりしようとしてる方で」

 

 青舜とて光に思うところがないわけではない。ずっと昔から一緒に居てきた大切な姫様が選んだという皇光という男に。

 今でもあの人を守りたいという強い思いはあるし、だからこそその証である眷属器は青舜の誇りだ。

 そしてきっと……慕う心もあった。

 

「責任感が強くて、だからできないことを思い悩んで……」 

 

 皇子もきっと、もうこの方を信じているのだろう。

 ただ、自分が守ろうと背伸びしていた目的の一つが、急に役目を奪われたような感覚になってしまっている。

 

 自分と……同じように

 

「よろしく、お願いします。皇 光さん」

 

 語るうちに、それが誰を指したものなのか青舜自身、最早分からなくなっていた。あるいは感の鋭い光は、青舜の言葉の指しているのがなんなのか、本人以上に分かっていたのかもしれない。

 

「……ああ。こちらこそ、よろしく頼む。李 青舜」

 

 改めた交わされる名前。

 昨日までと同じようで、少し進んだかもしれない関係。

 

「皇子を、見てきますね」

「ああ。すまんな」

 

 駆けて行った幼馴染の背を青舜は追いかけて行った。

 

 自分の見てこなかった関係性。

 

 いずれは失われてしまうものだとしても、今は……

 

 今はただ、この関係を大事にしたいと、改めてそう思った。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 長いようで短い休暇は終わった。

 羽を休めていた鷹たちは、再び戦場という名の大空へと羽ばたく。

 

「さて。またしばらく帝都ともお別れだな」

「はい」

 

 練白瑛たち北方兵団は再び北天山高原へ。そして同時に南方兵団は大船団を編成して海洋国家、バルバッドへと進軍していた。

 前回の派兵では、北天山での拠点づくりが中心だったが、今度の派兵で白瑛たちが求められているのはより戦略の根幹に近い。煌帝国のある東大陸の西端への軍路の確保だ。

 

「白龍殿は……」

「大丈夫ですよ、光殿」

 

 姿の見えない義弟の姿に、光が少し困ったように尋ねようとすると、白瑛はいつもの柔和な笑みを浮かべてそれを遮った。

 白瑛はちらりと自分の頼もしい従者を振り返った。

 

 決して大きな従者ではない。

 第1皇子の4人の眷属と比べれば、戦闘力に於いても十分とは言えないかもしれない。

 

「はい。皇子はあれで強い方ですから」

 

 それでも、心を守ってくれる、白瑛にとってこれ以上にはいない頼もしい従者だ。 

 




数話ぶりに登場の白龍さんと紅炎さんでした。
今回何人かの心情の変化を描きましたので、大まかにその変化をまとめてみると

紅炎さんは いらだちを3上げた。
青舜さんは 嫉妬を2上げた。
青舜さんは 嫉妬を昇華させた。
青舜さんは 信頼を5上げた。
白龍さんは 劣等感を3、嫉妬を4上げた。

選択肢
去った白龍を
1:光が追いかける。
2:無視する。
→3:青舜が追いかける。

白龍さんとの友好イベントを逃した。
白龍さんの進化まであと、劣等感40、嫉妬18、憎悪5。必要なアイテムが足りません。

という感じになります。


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第22話

 舞台は再び北天山高原へと戻る。

 

 高原と一括りに行っても実際、その立地はそこに住まう多数の民族同様、色々な姿を見せる。

 

 黄牙の民が放牧していた野草の豊かな高原の地。

 山を南方に降れば中央砂漠へと連なる低地で不毛な地。

 山を北方に超えれば北の海へと続く、山と海の入り組んだ急峻な海岸線。

 

 そして

 

「…………」

「どうしました、光殿?」

 

 天山の名が示すように切り立った山々に囲まれる地。岩だらけで見通しの悪い渓谷部を白瑛たちは通過していた。

 

「見通しの悪い場所だと思ってな」

「あ、はい。近くの部族の話によると崖崩れが多い場所だとか」

 

 あたりを鋭い眼で見まわす光に、隣で馬を歩かせる青舜が問いかけた答えに、光雲もあたりを見回した。

 

 北天山で最も名を知られる黄牙の民を臣従させたと言っても、元々天山には数多の部族が割拠している地だ。

 黄牙の民のように誇り高く、白瑛の理念に共感して臣従した者たちも居れば、煌帝国の圧倒的な武力背景に屈服した者たちもいる。

 そして当然、それを是とせず、反抗する者たちも

 現在白瑛たちは、降伏勧告に従わない部族の許へ直接交渉を行うべく赴いていた。白瑛の意向もあって北天山の平定は、まず交渉から始めることを基本的な戦術方針としている。

 

 だが、向かう先の部族は、中でもとりわけ反抗的で、近隣の部族に対しても野盗紛いの被害をもたらしているとか。

 そのため黄牙の民の時とは違って、光雲や青舜など数人の兵を率いてきているものの、基本白瑛の意向を重んじて大軍での行軍は行っていない。

 

 見通しが悪く、隠れる所の多い ――奇襲をかけやすい立地と漂う戦気に光は気を昂ぶらせた。

 

「白瑛。念のために、金属器で――」

 

 どうやら反乱軍としてゲリラを行った経験のある光雲も同じ考えのようで警戒心を高めているし、白瑛たちも完全に無防備というわけでもない。

 光は念のためにと、安全を確保するために風の守護壁を張っておくように言おうとして

 

 ヒュッと空気を切り裂く音が谷に小さく響いた。

 

 音が届くよりも早く、言葉を中断して光は腕を素早く動かし、白瑛の顔の前に突き出した。

 

「なっ!!」

「矢っ!!?」

 

 光の手の中で動きを急停止させられた弓矢がビィィンと弾けるように撓っている。青舜と光雲はじめ、供の兵たちが臨戦態勢をとるために剣を抜き、周囲を警戒した。

 

「そうそう何度もこんな真似はしたくはないんでな。できれば風を出しておいてくれるとありがたい」

 

 気配と感を頼りに狙撃を防ぐ。並外れた技量による業だが、さしもの光といえど何度もできることではないのだろう。

 先程の忠告を続けて口にした。

 白瑛のジン・パイモンの風ならば、多少魔力は消耗するが薄く風の防壁を纏えば弓矢程度ならば幾ら浴びせられても徹すことがない。

 安全を期すなら金属器を発動させるべきだが

 

「……いえ」

 

 白瑛は光の言葉を短く拒絶し、崖の上を見上げた。

 青舜と光雲は白瑛を庇おうと前に進み出ようとして、しかし白瑛がすっと上げた右手に遮られた。

 

「姫様」「皇女」

 

 押し留められた二人が顰め顔で白瑛に振り返るが白瑛は凛とした将軍とした顔で見上げていた。

 見上げる先には剣を持った男たちが3人ほど。控えめに言っても友好的とは言い難い雰囲気を放ち、白瑛たちを見下ろしていた。

 二人を下げさせた白瑛は馬から降り、毅然とした態度で声を上げた。

 

「私は煌帝国初代皇帝が第三子。練 白瑛! 私たちにこの場で戦う意志はありません! 貴方たちと」

「黙れ! 貴様らが煌帝国というのはもはや知れ渡っている!!」

 

 一団の首魁だろうか、白瑛の名乗りを聞いた一人が言葉を遮って怒鳴り声を上げた。

 

「皇帝の娘が来たとあれば好都合! 我らは貴様らには屈しない!! これが答えだ!!」

 

 言葉を繋げようとする白瑛だが、それに耳を貸す気もゆとりも与えようともせず、一方的に打ち切って男は右手を前に振った。

 それが合図だったのだろう。頭上の岩陰に隠れていた弓兵が白瑛目掛けて同時に矢を放った。

 

「ちっ!! 下がれ! 白瑛!!」

 

 届くよりも速く、光は白瑛の前に体を割りこませて桜花を抜刀した。

 桜花の剣閃と生み出された風圧が降り注ぐ弓矢を叩き落とし、舌を打ちながら光は白瑛に下がるように促した。

 

 どうやら、煌帝国の侵略行動はすでに北天山の異民族の多くが知るところとなっているようで、将軍たる皇女自らが説得に乗り出すという姿勢は赴く前からすでに読まれていたらしい。

 話の代わりに問答無用で弓を射かけられ白瑛の顔が悲痛に歪む。

 黄牙の村でも敵意を向けられはしたが、あの時はまだ統率者に話し合う意志があった。だが、今は――

 

 鬨の声が上がり、岩陰に隠れていた武装民が剣を手に迫ってきた。その数は白瑛たちよりも圧倒的に多い。幅の狭い渓谷でその人数を最大限有効に活用できる幅と厚みの兵数。

 気配からその存在を感知していた光は、出現と同時にそちらに反応して接近される前に距離を詰めた。

 

「光殿!」

「分かってる! 白瑛!!」

 

 桜花を煌かせた光に、大声で制止の声を叫ぶ白瑛。

 出来る限り斬り合いは避けなければならない。斬り殺してしまえば怨みを生み、それは統一を壁となる。だが、この状態では幾ら白瑛といえども交渉に持ち込むことはできない。

 大声で返す光に白瑛は白羽扇を一閃して答えた。

 

「一度退きます!」

 

 白瑛の生み出した風は歩兵の援護に射かけられた矢を弾き飛ばす。切り込んだ光は峰打ちで敵を打ち倒し、白瑛の下知を受けて近くの敵をもう一人吹きとばして間を空けて身を翻した。

 制約さえなければこの程度の人数、金属器を使って制圧できなくもない。だが一足では跳び上がれない崖上から弓矢を射かけられ、斬り殺してはいけないという制約のある現状では、こちらにも被害がでかねない。

 光は馬の背に手をかけ一気に飛び乗り、白瑛たちの後方につけた。光が追いつき、殿を走っているのを確認した光雲は怒鳴るように声を上げた。

 

「おい、このまま退いていいのか!?」

 

 煌帝国という軍の威厳にも関わるのではないかという問い。

 交渉に行って、矢を射かけられてすごすごと退散では、敵にも味方にも侮られかねない。前回の派兵で内患を取り除いたのにこれではまた別の火種を作ってしまうのではないか?

 

「準備万端、迎撃態勢を整えているところに留まっていたら被害がでるだけだ!」

 

 光雲の問いに答えながら光は振り返らずに桜花を一閃。飛んできた弓矢を切り落とした。

 迎撃しようと気を吐く護衛を諌めるように統率しつつ、白瑛は撤退を指揮した。

 2度目の遠征初回の交渉は矢で射かけられるという結果に終わった。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 陣営への帰陣後、白瑛は主だった将兵を集めて行動方針を話し合っていた。

 

「将軍。未来の煌帝国の民を傷つけまいとする将軍のお心は分かりますが、今回は交戦も致し方ありません」

「…………」

 

 呂斎の造反を経て、改めて西征軍の総督によって編成された北方兵団は、以前よりも将軍としての白瑛の意向を反映しやすくはなっていた。

 だが、それでも今回の交渉。いきなり弓矢を射かけてくるという徹底抗戦の意志表示を前にしては戦も選択肢として仕方ない。

 皆の視線を一身に受ける白瑛もそれは分かっているのか、座した椅子の上で机上に肘をつき、思案するように眼を瞑っていた。

 

 どうすれば最善なのか。どこまで戦えばいいのか。

 

 口を開こうとした白瑛。だが、

 

「将軍!!」

 

それを遮るように幕舎の入り口が乱雑に開かれた。

 

「なんだ! 軍議中だぞ!!」

「どうしました?」

 

 集っていた将兵の一人が入ってきた兵の非礼を咎めるように声を上げた。だが、飛び込んできた兵の表情に白瑛が尋ねた。

 

「我が陣営に向かってくる騎馬の軍団があります! その数、百程!!」

「!!」「なにっ!!?」

 

 伝えられた伝令に一同の顔がざっと変わる。白瑛が席を立ち、光もそれに追従した。

 

 

 

「あれは……」

 

 接近する軍団を見渡せる位置まで出てきた白瑛は、向かってくる一団の姿に我知らず声を漏らした。

 大きな馬体の上に、鎧に身を包んだ戦士たち。

 

「黄牙の民だな」

 

 白瑛の隣に立つ光も、向かってくる一団の姿に見覚えがあった。

卓越した馬術。騎馬という扱いの難しい兵科でありながら、一糸乱れぬ兵容。

 

「どうやら戦意はないようだが……」

「話を、聞いてみましょう」

 

 光は黄牙の騎馬隊を見据え、そこに戦気が立ち上っていないことを見て取った。白瑛もそれを分かっているのか、ただ、その意図を解しかねて神妙な面持ちとなっていた。

 

 間近まで迫った騎馬隊は行軍の速度を落して敵意がない事を示し、戦闘を走っている青年が馬上から降りて白瑛の前へと進み出た。

 

「黄牙の騎馬100名。麾下に加わるべく参じました」 

 

 男の言葉に、幕閣から「おおっ!」と声が上がる。

 侵略軍としてやって来た煌帝国に進んで協力を申し出る一団の登場は、説得交渉がうまく行かなかった流れを変える大きな期待感をもたらしたからだ。

 

 義勇軍の来訪はたしかに喜ばしい。だが、白瑛は秀麗な顔をわずかに曇らせた。

 戦を起こすことを厭い、煌帝国に降った黄牙の民が武装した状態で馳せ参じたことに疑問を抱かずにはいられなかったからだ。

 それは猜疑心からではなく、ただ平穏を約束した誓いに信を置かれていないのかという不安から。

 

「やはり……なぜ。来たのですか? たしか貴方は……」

「ドルジです。現在、黄牙の一族の長となっております」

 

 問いかける白瑛にドルジと名乗った男は、“長”であると告げた。

 

「長? チャガン殿は……?」

 

 ドルジの名乗った肩書に白瑛は首を傾げた。

 黄牙の民が臣従を決めたあの時。決断を下し、一族を説得してくれたのは長であったチャガン・シャマンという盲目の老婆だったのだ。

 訝しげに首を傾げる白瑛に、ドルジは表情を暗くして告げた。

 

「ババ様は亡くなりました」

 

「!! チャガン殿が!?」

 

 告げられた言葉に白瑛は大きく目を開き、驚きを口にした。

 

「寿命、だったのでしょう。将軍が帰国され、アラジンが西方へと向かってから一月ほどで寝て過ごすことが多くなり、そのまま……」

「そう、ですか……」

 

 確かに高齢に見えた。寿命だというのなら不思議ではない。

 だが、もしかしたら……自分たちのとった行動が、あの人の寿命を縮めてしまったのかもしれない……

 自分たちが来なければ、黄牙の一族はあの慎ましくのどやかな生活を今も続けていたのではないだろうか……

 世界を統一するという理想のため、自分たちが招いてしまったのかもしれない負の出来事に白瑛の顔が曇る。

 

 だがそれに気づいたのか、ドルジは暗くなっていた顔を毅然としたものに戻して白瑛を見据えた。

 

「ババ様が残していった意思は、確かに次の子どもたちに戦いのない世界を残すことです。ですがそれはただ与えられるのを待つだけではありません。戦って、自らの意志で掴み取るものだと、そう思うのです」

 

 ドルジのその言葉に、俯こうとしていた白瑛の顔が上がった。

 

「ですから、争いのためではなく、争いを治めるために戦われる貴方に俺たちの力を預けたいのです」

「…………」

 

 争いのない世界を望みながらも、争いを手段として用いる。

 その矛盾した行いは、今まで何度も白瑛が胸に抱えてきたものだ。

 だがそれを被った黄牙の民が、それを認めてくれた。

 

 もちろん全てを水に流して、とまではいかないかもしれない。

 それでも……

 

「俺たちが結んだ覚悟。それが間違いでなかったことを、見せてください」

 

 それでも、自分たちの理想に共感してくれる人たちが確かにいる。

 その事実は、白瑛の細い双肩に重みを与え、その重みが白瑛の心を僅かばかり軽くしてくれた。

 

 

 

 合流した黄牙のドルジも交えて軍議が再開された。

 交渉するためにも一方的に攻め立てられるだけでは話すこともできないということで、ひとまず防衛拠点である渓谷を落すことに方針は決められた。

 

「問題は上からの矢の斉射です」

 

 軍団の数の力で強引に突破することもできる。だが、それをすれば待っているのは徹底抗戦だろう。ゆえに戦うにしても、数を頼りに力攻めをするのではなく、相手を屈服させる形で拠点を落したい。

 その上で問題になるのはやはり崖下と崖上からの連携だった。

 

「黄牙の騎馬は今回はどうされますか、将軍?」

 

 話題に上るのは相手の事だけではなく、味方の陣営についてもだ。降ってわいた今回の増援、黄牙の騎馬隊の扱いにもどうするべきか思案が必要だ。

 彼らを信じるべきか否か。戦力となるべきか否か。

 白瑛はちらりとドルジに視線を向けた。

 彼らを見定めると共に、今回の戦いは彼らに見定められる戦いでもあるのだ。その意味でも蹂躙するような形での征服は望むところではないし、することはできない。

 白瑛の問うような眼差しを受けたドルジはその意を込めたように見返した。

 

「彼らも今回の戦いに参加していただきます。崖上の弓に関しては……」

「崖上に関しては俺が何とかしよう」

 

 黄牙の戦士を信じることに決めた白瑛。だが、騎馬の力が有効に働くのはあくまでも崖下の平面の戦いにおいてだ。いくら卓越した馬術と言えども切り立った崖を登ることはできない。白瑛の言葉を継ぐように光が発言した。

 

「俺達がか? 崖上にはどうやって登る?」

「いや、崖上の弓隊の数はそう多くなかった。単独でも指揮官を潰すことはできるだろう」

 

 光の発言に対して光雲は部隊の動き方として問いかけた。だが、返ってきたのは部隊の戦術ではなかった。

 

「単独?」

「登るのには協力が必要だが、その後は乱戦になる崖下の戦いに加勢しろ」

 

 たしかに崖上の弓隊は厄介だがあくまでも支援部隊。主力は崖下の歩兵隊だ。

 光の意図は分からなくもないし、事実支援部隊である弓隊ならば制圧する自信もあるのだろう。

 だが、なぜか違和感を覚えた。

 

「…………」

 

 白瑛の、光の下で戦ってきたこれまでの戦いから、一つの違和感を光雲は感じ取っていた。

 

 

 

✡✡✡

 

 

 

 黄牙の義勇隊が加わり、新たに白瑛直属の騎馬隊と編制し直しての渓谷の民との再交渉。

 武をもっての説得はなるべくならば行いたくはないが、討たれるままに任せて言葉を交わすこともできないではいられない。

 軍議にて戦術を決めた後、白瑛たちは兵を率いての進撃を行った。

 

 

 

「! 来たぞ! 騎馬の突撃だ!!」 

 

 崖上に布陣している弓隊が煌帝国の進撃を逸早く察知して迎撃態勢を整えた。

 

「射ってくるぞ!」

 

 騎馬での進撃。それに対して渓谷の守備兵は弓矢を射かけた。

 頭上から射かけられる矢。その気先を読んで怒鳴るように叫んだ光の声に反応して騎馬の軍団が速さをそのままに警戒心を上げる。

 

 黄牙の民は馬術に長けている。

 馬と共に生き、強靭な体を持つ黄牙の戦士だ。ちょっとやそっとの弓矢の斉射ではその脚を止めることはできない。黄牙の騎馬兵は頭上からの弓の攻撃をものともせずに人馬一体の動きで躱して進撃する。

 

「くっ! 当たらない!?」「あの馬術。黄牙の民が帝国についたのか!!?」

 

 先頭を走る黄牙部隊が目立ち、白瑛や光の方への攻撃を引き受けてくれている。その隙に白瑛たちは機を見計らっていた。

 

「光殿!」

「ああ。光雲!」

「おおっ!!!」

 

 進撃の機。白瑛の呼び声に反応するが早いか、光は光雲へと怒鳴るように合図を出した。

 光の合図に光雲は持っていた槍を振りかぶり、崖壁に向けて投擲した。

突き刺さる槍。それに続くように光雲配下の者も槍を投擲し、壁へと突き刺していった。

 

 馬を寄せ、最も低い位置にある槍の近くまで来た光はそれを掴み、一気に体を引き上げた。掴んだ槍を支点に体勢を整え、跳躍すると一段高い位置にある槍へと着地し、そこを足場に次々に壁面を駆け上った。

 

「なっ!!? この崖を上ってるだと!?」「射ろ! 射殺せ!」

 

 崖下の兵はまっとうにやれば白瑛たちの敵ではない。ことに黄牙の騎馬の突撃力が合わさった今、平面だけなら圧倒できる。

 問題は頭上から弓を射かけてくる者たち。

 槍を足場に壁面を駆け上ってくる光に弓矢を射かけて迎撃した。次々に飛んでくる弓矢。光はそれを桜花で斬りおとし、踏み込んだ。

 

「跳ん、ぐあっ!!」

 

 一気に跳躍し同じ舞台まで辿りついた光は桜花を振るって敵兵を薙ぎ倒していった。射かけられる矢を見切りによって躱し、斬り落とす。だが

 

「足元だ! 足元を狙え!」

「! ちっ!」

 

 足元を狙われれば桜花では斬り落としづらい。加えてただでさえ狭く不安定な足場。迂闊に避けようと足を動かせ文字通り足を滑らせかねない。

 舌を打って回避行動をとる光。

 弓兵は岩陰に隠れ、巧みに光の接近を阻むように射かけていた。

 ぐらつく足場にもかかわらず舞うように躱す光。眼下の白瑛たちに視線を向けると、光にかき乱されて頭上からの弓の支援が途絶えがちの歩兵をあらかた制圧しようとしていた。

 

「くそっ! 煌帝国め!!」

 

 このまま戦闘を続ければ制圧は可能だ。だがそれは白瑛が望む形ではない。

光は腰に差している鞘を引き抜くとそれを勢いよく投擲し、隠れている弓兵の一人を吹きとばした。

一瞬矢が飛んでくる間隔が開く。期を逃さず光は桜花に指を滑らした。奔る指に呼応するように桜花の刃紋が気によって輝く。

 指示を出している敵首領へと狙いを定めた。

 無傷で届く距離ではない。光の位置からは岩塊に隠れて迂回しなければ接敵はできない。だが――

 

「桜花――」

 

 脚へと溜めた力に耐えきれないように足場の岩に罅が入る。

 その体目掛けて弓矢が飛んでくる。

 

 光はただ、桜花を奔らせる剣閃のみを強く思い描き、足場を蹴った。

 体に弓矢が突き刺さる。左肩、右脇腹、左大腿。

 だが、光の突進は鈍ることなく、遠間から一気に岩塊へと迫った。

 そして

 

「―― 一閃!!」

 

 岩目掛けて桜花を振るった。

 

「な! がっ!!」

 

 振るわれた桜花は、まるで障害などないかのように岩を斬り裂き指揮官の腹に剣閃を刻み込んだ。

 だが浅い。

 いや、意図して致命傷は避けた。

 

 視線が交わる。その瞳にはいまだ消えない戦意が宿っているのが見て取れた。

 

 さらに一歩。右手で桜花を振るった状態から足を踏み込み、左手で顔を掴んだ。

 

「おの、れぇ!!! ――――」

 

 ドウッッ!! という轟音とともに指揮官の体を岩に叩きつけた。

 死んではいない。統率する者を殺してしまえば、禍根が大きく話し合いの余地を奪ってしまうから。

 だが指揮官が倒れたことで、そしてそれが相手の手の内にあることで敵の動きを牽制できる。

 

「討ち取ったぞ!! 白瑛!!」

 

 光に倒された指揮官の姿に弓隊の動きが止まった。隙を逃さず光は周囲に睨みを聞かせた。そして崖下の白瑛に知らせるように大音声の声を上げた。

 白瑛もそれを聞くや手綱を引き、自身の馬と軍の進行とを止める合図を送った。

 

「これ以上無用な戦闘を行う気はこちらにはない! 武器を納めよ!!」

 

 よく通る大音声の声。そしてそれ以上に将としての威圧感をもって行う宣言。

 戦いの目的は殺戮ではない。被害少なく、屈服させることがその目的なのだ。

 

「我々は貴方たちを蹂躙しに来たのではない! これ以上無用な争いを起こすな!」

 

 白瑛の声を聞きながら、光は僅かに自分の脇腹に視線を向けた。

 先程矢傷を受けた箇所。以前であればすぐにでも修復出来た傷。それが――今はまだ修復されていなかった。

 

 一瞥のみを傷に向けた光はすぐに戦場へと視線を向けた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 渓谷の守備を破られた邑はその後、軍の侵攻によって白瑛との交渉の席に着かざるを得なくなった。

 未だ不信感とともに敵意を向けては来るものの、守備兵を無傷で ――敵味方のどちらも―― 抜いてくるほどの戦闘を見せた白瑛たちに対し思うところはあるようで流れは多少変わっていた。

 

「失礼します光殿……何をされてるんですか?」

 

 ひとまず交渉が終わり、陣営に戻った光のもとを訪れた青舜は待機場所で一人白い布を腕に巻きつけようとしている光を見て問いかけた。

  

「青舜殿か……見ての通り治療だ」

「医療班には行かないのですか?」

 

 合流直後、光は数本の矢が刺さった状態だったため、治療を行っているのはおかしなことではない。だが医療班があるにもかかわらず一人で自分の治療をしていることに、青舜は訝しげな視線を光に向けた。 

 

「そこまでする必要はないさ。直に治る」

「……姫様が気にされていましたよ。光殿がまた無茶をされましたから」 

 

 ジッと傷を見つめる青舜の視線に気づいたのか、光は苦笑したように微笑ながら口を開いた。

 太腿の傷口に包帯を巻きつけている光に青舜はジト目を向けて小言がましく告げた。

 

 青舜にとってなにより大切なのは主である姫だ。

 だからこそ、それを支える最も太い柱である彼が簡単に危険に身を晒すのは感心できることではない。

 

「白瑛殿や兵の損耗は?」

「姫様にも多少の傷はありますが、それほどは……兵の損耗も軽微で死者はありません」

 

 守るべき姫と守る者たちのことを気にかけた光に無事であることを告げた。

 白兵戦となった崖下の戦いだが、黄牙の騎馬の力はすさまじく、青舜もたいして創傷をおうことはなかった。

 

「そうか……」

 

 包帯を巻き終えた光は立ち上がり、白瑛の所に向かおうというのか待機所を後にした。

 出ていくその後ろ姿に、青舜はほんのわずか、違和感を覚えた。

 

 ――傷が治っていない……?――

 

 表面だけならば、命を削る程の大怪我をあっという間に治癒していたのに、あの程度の傷に手当てをしていた。

 

 以前と変わらぬように見えて、何かが少しずつ変わろうとしていた…………

 

 

 

 

 陣営内、白瑛のもとへと向かいながら光は今回の収穫を思い浮かべていた。

 

 黄牙の騎馬兵。

 馬術に長け、白瑛の思いにも共感をもったという精強なる彼ら。高原での戦いでは騎馬は大きな力になる。まして黄牙のように巨大な良馬を自在に乗りこなす騎馬隊は非常に心強い。

 光も馬術の心得はあるものの、和刀の扱いを考えるとそれほど馬上戦が得意というわけではない。

きっと彼らの力は白瑛の助けとなるだろう。これからも続いていく戦いのために。

 

 思案していた光だが、視界の端に不機嫌そうな光雲の顔を見つけて、思考を切り換えた。

 

「おい」

「なんだ、光雲?」

 

 どうやら光を待ち伏せていたらしい光雲に話しかけられ、短く返すと光雲は少しだけ尋ねることを躊躇うように間を空けてから口を開いた。

 

「……これから将軍の所に行くのか?」

「ああ」

 

 本題ではないのだろう。言いにくそうに口にしたのは会話のとっかかり。

 問いかけたい話題だが、今の光の雰囲気がその質問を受け付けないように思えるのは、光雲にとってその質問が心にもない質問だと思っているからだろうか。

 

「あの黄牙の連中。お前はどう思っているんだ?」

 

 直前まで考えていたことを話題にさせられたからだろうか、光は少し足を止めて光雲を見据えた。

 

「強い連中だ。力も、心も。白瑛のこれからの戦いにとってきっと大きな力になるだろう」

 

 別に隠すことでもない。

 率直に告げた光の言葉に、光雲は奥歯にものでも挟まったように言葉にしにくい違和感を覚えて眉をしかめた。

 

「……もう一つ聞いてもいいか?」

「なんだ?」

 

 歩みを再開した光の背に光雲はもう一つ問いを発した。

 

 この違和感を放置しておくのはマズイ。

 危機感にも似たなにかが訴えかけ、光雲はそれを尋ねる。

 

 前の戦い。今回の戦い……光の戦い方を見ていて生じた違和感。

 

「なぜお前は戦いのときに意図して皇女から離れようとする?」

 

 その言葉が、届いた瞬間、光はピタリと足を止めた。

 向き直ろうとはせず、その背がピンと張りつめたような雰囲気を発している。

 

「別に意図している訳じゃない。近くにいることだけが守る術ではないというだけだ。白瑛も単に守られているだけの女ではないだろう」

 

 いつになく硬質な声で返ってきた答えは光雲が覚えた違和感を解消する者ではなかった。

 むしろ、この質問は――

 

「嘘だな。俺にはお前が、言うほど皇女を守ろうとしているようには思えん」

「…………」

 

 危険な香りがする。

 

 光は確かに白瑛を守ろうとしている。

 和国の老剣士に襲い掛かられた時も、逆上するほどに怒りの感情を発露させ、恩師でもあった敵を斬り捨てた。

 今回も身軽で、単騎でも弓隊を制圧できるという点から光は行動した。

 それは分かる。だが

 

「むしろ、皇女を守る役を積極的に他のやつに押し付けようとしているようにも見える」

 

 守りたいならなぜ、常に近くに居ようとしない?

 前回も今回も、自ら白瑛の傍を離れている。 

 たしかに一緒にいることだけが守る術ではないが、怖くはないのか?

 傍に居れば届く手が、離れてしまえば届かない。

 全てを断つ剣が届かないところで、護りたい存在に凶刃が迫ることがあり得ないと誰が言える。

 

「……俺一人が気張るよりもその方がいいに決まっているだろう」

 

 正論ではある。

 光一人の力では、いかに強くとも完全ではないのだ。

 まして白瑛は将軍。自ら陣頭に立つことも時には必要で、そんな彼女を支える者は一人でも多い方がいい。

 それならば――

 

「ならばなぜ自分の眷属というものを作ろうとしない?」 

 

 ずっと、思っていたことだった。

 少なくとも自分は、何に於いても大切なモノを守ろうとする光を見て、彼と将軍とに救われた自分は、彼の手助けをしたいと思っている。

 彼と共に戦い、彼らの力になりたいと思っている。

 

 主の器に惹かれ、主の魔力とそのジンの能力の恩恵を受ける戦士。

 幾度も共に戦っている。コイツを支えて、将軍の言う理想の助けとなりたいとも思っている。

 光雲は、光が自分を認めていないように思えてならなかった。

 

「金属器は眷属を作るものなのだろう。お前が認めるのならば俺は――」

「質問は一つだけだろう」

 

 詰め寄ろうとした光雲を押し留めたのは、明確な拒絶の意志のこもった光の言葉だった。

 

「…………」

「俺の金属器は眷属を作らん。結果として白瑛が守られればそれでいい」

 

 ただ、“一応”答えるつもりはあったのか、答えを返した。

 

 光雲が到底納得することはない。

 違和感しか残さない答えを。

 

「お前は……何を隠している……」

 

 呟く光雲の言葉は、供なき偽りの王へとかけられた。

 光はそれに答えることなく、ただ自分が守るモノの許へと足を進めた。

 

 




ちなみに

このころのアラジン君

モルさんと再会した。盗賊団を壊滅させた。
野生の葉王が飛びだしてきた。
アリババさんと再会した。

その頃の白龍さん
ジュダルと会話した。
白龍さんは いらだちを1上げた。



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第23話

マギの20巻の表紙は白瑛さん! 素敵なパイモン魔装姿! キャラ図鑑の方も購入したのですが、白瑛さんの紅炎さんとの関係性がなかなか妄想をかきたてます。
じいさんキャラがいい味出してるといいなぁと思ったりしてます。


 皇 光には血を分けた兄が一人だけ居る

 

 

 ――煌国との同盟が結ばれてまだ一年にもならぬ頃……

 

「皇 光君」

 

 何度か訪れた煌国からの使者。

 許嫁である白瑛が訪れた時こそ忙しくなる光だが、彼女が来ないときは基本的に都の警備隊に配属されていた。

 外交の話は主に国王や兄王たちの仕事だった。

 

 その日の光は稽古のために鍛練場へと訪れていた。

 部下や幼馴染の融と剣を交えて一段落したころ、鍛練場では見ない顔に話しかけられて光は驚きに目を瞠った。

 融をはじめ、鍛練場に居た者は、見慣れない顔に訝しげな視線を向けている。

 黒い髪を頭部でまとめ、左右の耳の前にも一房ずつ肩に垂れるほどの長さでまとめている。左の口元には特徴的な黒子があり、落ち着いた雰囲気の中に苛烈さを秘めた瞳を光に向けていた。

 

「!」「殿下?」

 

 驚いている光の様子に、その人に見覚えのあると察したのか融は問いたげに光を窺った。

 

「これは練 白雄殿。どうされたのですか?」

 

 驚きをしまって煌式の拱手と共に返す光の言葉に、見知らぬ人物に警戒を抱いていた融はぎょっとして慌てて拱手しようと手を合わせた。

 男性。煌の第1王子、練白雄はそれを軽く手を上げて制すると口元に笑みを浮かべ、しかし瞳は真剣に見定めるように光の方を向いた。

 

「いや、礼は不要だ。今回は外交官としてではなく、白瑛の兄として個人的に君に会いに来たんだ」

 

 融や周囲の者たちは、礼は不要と示されても明らかに位階の高い者に対する扱いに困ったように反応しているが、光は拱手を解いて少し考えてから口を開いた。

 

「なるほど。それではお義兄さまと……?」

「いや結構だ」

 

 見定める気満々という雰囲気を察してか、どこか愉快そうな眼差しで返してきた光の言葉に白雄は真剣に即答した。

 

「では白雄殿と……それで、個人的要件とはどういったものでしょうか?」

 

 光も半分くらいは本気ではなかったのか、あっさりと呼び方を戻して改めて要件を尋ねた。

 

「そうだな……」

 

 何と答えたモノか。白雄は考えながらチラリと光の腰に視線を向けた。

 いつもならそこには彼の愛刀が下げられている。

 

 迷宮攻略者の証であるジンの八芒星が刻まれた和刀・桜花。今は、鍛練のため外しており代わりに木刀を手にしている。

 

「よし。鍛練の途中だったようだし、よければ俺も一手願おう」

「えっ!?」

「……分かりました。融、もう一本貸せ」

「ええっ!!?」

 

 手合せを願い出る白雄に、光は少し考えてから隣であたふたとしている融に練習用の木刀を貸し出すように命じた。

 木刀は和刀を模しているために白雄が普段使っている武器とはおそらく形状がことなるだろうが、模擬刀代わりに使う分にはそうそう不足はないだろう。

 融は二人の、自分よりもずっと身分の高い二人の顔を困ったように見比べて、止められそうにないことを悟って渋々木刀を差し出した。

 

「殿下」

「分かってる」

 

 融は木刀を光に手渡しながら一声呼びかけた。

 融の注意するような声音。光は幼馴染の言いたいことを理解して、先回りして止めた。

 

 鍛練を望んでいるとはいえ、相手は年上で他国の王子だ。しかも武勇に優れていると評判の煌王の第1子。

 あまり目立つ真似はするなという意味があるのだろう。

 操気術は和国の秘奥とまではいかないものの、無闇と披露は差し控えたい。

 

 光は受け取った木刀をくるりと反転して柄を白雄に差し出した。

 

「どうぞ。剣でよろしいですか?」

「ああ」

 

 白雄は差し出された木刀の柄を掴んだ。木刀を手渡した光は開始の間合いを開けるべく背を向けて距離をとった。

 その背をじっと見据える白雄。

 煌の国内では彼もまた優れた武人として知られてはいる。そう、ある任務の候補として選ばれるほどには。

 その白雄の眼から見て、目の前の年下の、少年と言っていいだろう年頃の彼はかなりの力量を持っているだろうことが見て取れた。

 遠間ほどに十分距離をとった光は、白雄の方に向き直り、左手を柄尻に当てるようにして眼前に木刀を構えた。

 

「いつでもいいですよ」 

 

 重さを確かめるように木刀を振るって白雄も光の方を睨むように向いた。

 

 ついでのように試合を申し込んだが、白雄にとってこれは今回の目的の一つだ。目の前の彼の兄と父にも許可はとってある。

 

 和国第2王子、皇 光。

 世界でも数少ない迷宮攻略者であり、鬼の住まう国と呼ばれる和国の武人。そして白雄のたった一人の妹である白瑛の許嫁……

 

 たった一人の娘をこの国に嫁がせる決断をした父の ――煌王の――判断を間違いだとは思わない。

 天華の覇権を狙う煌にとって、後背に位置し、比較的友好的なこの国を味方に付けるのは当然の狙いといえる。そして、国の“内部の”問題から見ても、大陸から離れた外部に味方を作っておくことは重要な事だ。

 

 自分や弟はすでに覚悟を決めている。

 民のために、国のために、世界のために命を賭けて、その根源と戦う覚悟を。

 

 だが、敵の力はあまりにも深い。

 どれほど強大であるかも分からないほどに深い。

 だからせめて……もしもの時に妹を守ってくれる存在を……

 

「はあっッ!!」

「ぬ、くっ!!」

 

 両手持ちでの打ち込み。白瑛と同じく、いやそれ以上に苛烈な打ち込みに腕が痺れ、光は顔を歪めた。

 

 次々に打ち込まれる連撃に光が押し込まれ、間合いを外さないように巧みに白雄が詰める。体躯の差から腕力の差が大きい。操気術を使えばその限りではないだろうが、それは相手の体にかかる負担が大きく危険が大きい。

 だからこそ、鍔迫り合いには持ち込みたくなかったのだが、強引に押し切ろうとする白雄に捕まる形で二人の剣が噛み合う。

 

「アレの兄が相手だから顔を立てて適度に流す。などと考えていたのではないだろう、なっ!」

「っ――!!」

 

 木刀の向こうから飛んでくる言葉と炯々に輝く瞳の中の闘志。

 腕にかかる負担が増し、押し込みが強まっていることを知らせてくる。光は木刀の軸をずらして流すように鍔迫り合いを脱した。

 剣を流され体の崩れた白雄だが、体勢が崩れるに任せて足を踏み込み、反動を利用して切り上げに薙いだ。

 鍔迫りをいなして反撃の糸口をするはずだった光は、強引な一撃に目を瞠り

 

「!!」

 

 白雄の薙閃を紙一重で躱した。

 奇襲の形になった一撃を躱されたことに白雄は驚いた。ただ躱されただけではない。眼前を通り抜けるようにギリギリのところを見切って躱されたのだ。

 

 ――反撃が来る!

 

 白雄は振り切った腕の流れに任せるようにして、自ら体勢を崩して光の打ち下ろしを避けた。

 剣閃を躱し、白雄が反撃の体勢を整えようとしたのと同時に光もまた追撃の機を窺っていた。

 

「ハぁッ!」

「ふっ!!」

 

 光の一閃と白雄の剛剣が交わる。

 

 

 

「結局、要件はなんだったのですか白雄殿?」

 

 試合は勝敗つかずの分けとなった。

 延々と続くかに思われた試合だが、周りの者の鍛練の邪魔が著しくなってきたと判断したところで互いに剣を引いたのだった。

 散々に打ち合いをして今さらだが、何の要件で光を訪ねてきたのかを遅ればせながら尋ねた。

 

「要件は……もう果たせたよ」

「?」

 

 白雄の答えに、飲み物を持ってきた融はきょとんとした顔をした。融から水筒を受け取り喉を潤していた光も手を止めて白雄を見返した。

 果たせた、ということは先程の試合が訪れてきた理由なのだろう。

 

「流石は迷宮を攻略するだけあるな」

「それはどうも」

 

 お世辞、というだけではないだろう。

 武名高い煌王の嫡子として鍛練を積んできた自負のある白雄から見て、光の剣の技量は抜きんでており、白瑛よりも正確に光の腕前を見定めることができていた。

 そう――

 

「だが、結局は本気を出してくれなかったな」

 

 本気を出していない事が分かるくらいには

 

「そんなことは……」

「気の操作術を使わなかっただろう?」 

「…………」

 

 口ごもる光に白雄は手加減の証左を突きつけるように言った。

 無論光の剣は操気術を使うことだけではない。だが本気で気を使って攻勢にでていれば刃などなくとも白雄の木刀は断ち切られていただろう。もしくは気の干渉で内部を痛めつけられていただろう。

 純粋に対等な剣技で渡り合いたかったというのもあるが、白瑛の兄に気を使ったというのも大きいだろう。

 見抜かれたことに気まずげにしている光に白雄は口元にかすかな笑みを浮かべた。

 

「剣だけでも敵わない、か……いずれ君を紅炎に会わせたいな」

「どなたですか?」

 

 興味が湧いたのはもう一人の武人と比較したとき果たしてどちらに軍配が上がるのかが興味深かったからだ。

 

「俺の従弟だ。君よりも少し年上で少し無口なところがあるんだが、武人としては俺よりも上だろうな」

「紅炎殿、ですか……」

 

 白雄よりも数歳年下の男。

 寡黙で、だがすでに中原では知勇に優れた勇将の器と言われる従弟。

 

 もしも政略結婚で白瑛が和国に嫁ぐことが決まっていなければ、あるいはアイツが…… もう一人の弟のようにも思っているアイツが、本当に義弟となっていた。そんな運命も、もしかしたらありえたかもしれない。

 もっともそれは、言っても、想像しても詮無きことであり、妹の様子を見る限りにおいて、彼女もこの縁故を本心から大切にしたいと思っているようだ。

 だからこそ、兄として――――確かめたかったのだ。

 

 目の前の男が、大切な妹を託すに相応しいかどうかを。

 

「聞きたいことがあるんだが。迷宮を攻略するというのはどういうものなんだ?」

「迷宮、ですか? 器を計られる場だと感じましたが……どうしてそのような?」

「ああ。実は俺も迷宮に赴くことを求められているんだ」

 

 告げられた言葉に光は目を瞠った。

 それは迷宮攻略者として、迷宮について知っているが故の心配のためか。

 

「知っているだろうが、今大陸では戦乱が続いている。国同士の争い、国内での争い。中原の人口は最盛期の10分の1ほどまで窮しているほどだ。父は、いや俺たちはそれをどうにかしたいと考えている」

 

 煌は今、大きな転機を迎えている。

 長年中原で覇を競う三国の内、煌を除く二国。凱と吾。その二国が近年、内乱と戦争で疲弊していたのだ。

 対して煌はとある組織の力を取り込むことで、急激な発展を遂げようとしている。

 不毛な戦禍に終止符を打つべく、父である煌王は中原の統一に乗り出し、さらに強大な力を得るべく、煌に加護を与えるマギ・ジュダルの導きによって迷宮の攻略に着手しようとしているのだ。

 

「白瑛は戦争なんてと思っているかも知れないが、このまま座していても悲劇は深まるだけだ。例え今、血を流すことになろうとも中原をまとめなければならない」

 

 人の死と涙とを厭う白瑛や白龍は、今の父のやりようを快くは思っていないだろう。だが、それでもやらなければならない。

 

「だがせめてあいつには……白瑛には幸せな生を送ってほしいと思うのは、俺の我儘か……?」

「……そう、ですね」

 

 心配はある。

 戦を嫌う白瑛を、戦禍の只中に巻き込むことになってしまう。それだけだはない。真に恐るべきは国の外にあるのではなく……

 

「私の方からもよろしいですか?」

 

 思考を別のところに向けようとしていた白雄は問いかけられて俯かせようとしていた顔を上げた。

 視線が交わる。従弟よりも年下の、少年と言っていいだろう彼の瞳は、何かを探るように鋭い視線を向けている。

 白雄の表情を首肯ととった光は、質問を続けた。

 

「貴方は、“何”と戦おうとしているのですか? 敵はなんなのですか?」 

「!? それは……」

 

 光の問いに、白雄は顔を強張らせた。

 

 何と戦おうとしているのか。

 それが単なる戦争に関する問いでない事は光の鋭い眼差しが物語っていた。嘘や誤魔化しではなく、真実を見通そうとする瞳。

 

 明確に応えることは……できない。

 それはまだ和国の国王にも、告げていないことだからだ。

 

 確証はない。

 

「皇 光。もしも俺たちが……」

 

 それでも敵の輪郭は、おぼろげながら掴めてきている。

 その想像がもたらすのは、自分たちにとって最悪の展開だ。それを口にしかけた白雄は……

 

「いや。今日はもうこのくらいにしておこう。……光。妹を、白瑛を守ってやってくれ」

 

 しかし告げることなく、もう一つの大切なことを頼んだ。

 

「……言われずとも、白瑛は俺が守ります」

 

 白雄の言葉に、光は明確に答えた。

 見据える先にある瞳は、ただただ誠実なものだ。嘘偽りのない、魂からの言葉を口にした時のもの。

 決して違えない。

 そう自らに刻み込むかのような、誓約にも似た言葉の響き。

 

「そうか……」

 

 その瞳を見て、光の答えを聴いて、白雄は安堵したように口元に笑みを浮かべた。

 きっとこの男は信頼できる。

 何に於いても大切な者を守ってくれるだろう。

 

 

 

 

「よし。やっぱりもう一本やってもらおう」

「ん? いや、なんか殺気が違う気がするんですが。白雄殿? もしもし……?」

 

 だが、それはそれで、ほんの少し、思うところのある兄であった。

 

 

 

 

 あの時、義兄が告げようとしていたことを、光は分かっていた。

 

 ――もしも俺たちが、死んだときは(・・・・・・)――

 

 恐らくそれが、あの人の予感していた未来だったのだろう。

 

 

 光には兄が居る。

 血を分けた兄。血の繋がらぬ義兄。

 どちらも大切な存在だ。

 

 だから――

 

 ――白雄殿、貴方は生きてください。

 

 彼女を、白瑛を、家族を守りたいと、悲しませたくないと思うのならば。

 ほんのわずかな時間でも、どんなに無様な形でも、生きて下さい。死を覚悟して誰かに託すようなことはしないでください。

 幸せな生を送る妹を、見守ってください。

 

 

 願った想いは――

 

 ――届くことはなかった。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 北天山の平定戦はいくつかの異民族の抵抗こそあるものの、概ね順調に進んでいた。

 やはり北天山の中でも名高い黄牙の民が、その騎馬をもって煌帝国に与したという情報が広まったのが功を奏したのだろう。

 本国の方でも南下政策が進められており、そちらは拠点として目星をつけている貿易国家バルバッドを併合すべく、いよいよ本腰を入れるらしい。

 バルバッドでは悪政と内乱によって国内が混乱の極みに達しており、それを経済的に援助するために資金援助を行い、内政的干渉を強めるために第8皇女の練 紅玉をバルバッドの現国王の妃として送り込むとのことだ。

 

 白瑛や他の皇女と同じく、重要国の王族への政略結婚。

 あまり親密に話す間柄ではなく、直接的な血の繋がりはないとはいえ、白瑛にとっても義理の妹。政略結婚とはいえ、その縁が良縁であること願っていたのだが……

 

「第8皇女のバルバッドへの政略結婚が白紙に戻った?」

 

 本国からの需要事項の伝達を白瑛から聞いた光は驚きをもって尋ね返した。

 白瑛率いる北方兵団にとって南下政策は直接的には関わらないとはいえ、煌帝国という枠組みで見れば、かなり大きな問題だ。

 バルバッドは地理的には西征拠点として煌帝国にとっては重要だとはいえ、その国力はもはや煌帝国なしには維持できていない。資金援助と引き換えに通商権や海洋権、国土などの利権を借金の担保として譲渡されているのだ。もはやバルバッドは国として機能を果たしていないのは明白。

 光もバルバッドのそんな情報を得ていたし、そこから見立てたところではバルバッドが煌帝国の干渉をはねのけることは、国力的にも王の器量から見ても無理だったはずだ。

 

 恐らく西征軍総督の紅炎にとっても意外の念を禁じ得ないだろう事態。

 

「はい。まだ情報が纏まり終えてはいないようですが、どうやら七海連合の干渉があったようです」

「七海連合か……」

 

 続けて白瑛から告げられた情報に光は苦々しげに目を鋭くした。今後、煌帝国が覇道を突き進んでいくのならば、おそらく強大な障壁となるであろう二つの勢力の一つ。

 白瑛と光の険しくなった顔を見て、光雲は疑問を浮かべて視線を向けた。

 

「七海連合?」

「七海の覇王シンドバッドが築いたシンドリアを中心にした国の連合体だ。たしかにあれが介入してきたのなら第8皇女には難しい案件だっただろうが……あの連合は不可侵を理念としていたはずだ。それがなぜ介入を……?」

 

 光雲の疑問に答えた光だが、それでも分からないことがあった。

 第8皇女、練紅玉の政治力はそう高くない。強気そうに見える性格とは裏腹に、実は内向的で意見を溜め込みやすい皇女だ。

 七海連合ほどの大物が出張ってくれば、紅玉では対処できないのは納得できるが、そもそも七海連合が介入してくる理由がない。

 

「そのあたりはまだ。国内にいたシンドバッド王が王宮に乗り込んできたとか……状況が複雑化したので案件を皇帝にお伝えすることになり。シンドバッド王とも会談の機を設けることになったとのことです」

 

 介入の理由が分からずに眉根を寄せる光と同様、白瑛も険しい表情となっている。

 今後、統一が進めば衝突は必至の相手とはいえ、目下の攻略対象は煌帝国のある東大陸。そして恐らくは進行してくるだろう西大陸のレーム帝国だ。

 七海連合の中心、シンドリアは未開と呼ばれる極南地域にあるため、戦端を開くまでにはまだ時が必要だ。いくらなんでも、レームと七海連合の二勢力を一度に相手取るのは分が悪い。

 

「シンドバッド王……あの男か」

 

 特に懸念が強いのは、当世において最初に迷宮を攻略し、そして七体ものジンを従えるに至った不世出の英雄。

 

「光殿はシンドバッド王とお会いになったことがあるのですか?」 

 

 光の様子から対面したことがあると察したのか、青舜が問いかけた。

 

「まあな。和もシンドリアも海洋国家だ。国益の主要な収入源は貿易。以前だが、取引をしたいとシンドバッド王直々に和国に来たことがあった」

 

 青舜の問いに光は肯定を返した。

 シンドバッドがその要件として交渉に来たのは光にではなく、国王や兄に対してだが、光もまたシンドバッドを目にする機会はあった。

 

「どんな方なのですか?」

 

 続く青舜が問いかけに光は目を閉じ、シンドバッドと対面した時を思い返しながら答えた。

 圧倒的な潜在力。強烈に人を惹きつける魅力。年配の和国の王を前に一歩も引かぬ胆力。

 直接見えた経験だけでなく、その後の行動をとってみても、彼を評する言葉は端的なものだった。

 

「……英雄、だな。紅炎殿とはまた違うタイプだ。いい意味でも悪い意味でも、な」

「いい意味でも、悪い意味でも?」

 

 光の評に青舜はきょとんとした顔になった。白瑛もまた問いたげな眼差しを向けるが、向けられた光は苦笑するように肩を竦めた。

 

「ただの勘だ。まあシンドバッド王は英雄色を好むという言葉通りの人物ではあるらしいが」

 

 余談だが、煌帝国において世継ぎをつくるのは皇族の義務だ。現皇帝にも幾人もの后がおり、例えば紅玉の母などは遊女であったのを見初められたという経緯があり、後ろ盾がないゆえに宮廷内での権力は弱い。

 

「第1皇子とタイプが違うと言うのは?」

「言葉にしにくいな。紅炎殿が王として人の上に立つタイプだとしたら、シンドバッド王は周りの者から王として立てられるタイプといった感じだ」

「? 違いがよく、分からんのだが……」

 

 青舜の問いに答えた光だが、その評は分かりづらく、質問をした青舜も光雲も首を傾げた。

 

 炎帝・練紅炎。まだ皇太子の身でありながらも、すでに帝を冠する評を受けている紅炎はたしかに王の器として優れているのだろう。能力的にも申し分なく、その彼を支え文武の官僚も多い。

 対してシンドバッドはついていきたいと思わせる何かを持った王と言えた。彼について行けば間違いはないと思わせる何か。

 和国が帝国となる前の煌国と繋がりが無ければ。先にシンドバッドという男に出会っていれば、あるいは和国は七海連合へと与していたやもしれない。そう思わせる男だった。

 だが運命は和国と煌帝国を繋げた。

 そして少なくとも光はそれを悔いてはいない。

 

 それでも思うところはある。

 相手はあまりにも強大。

 シンドバッドと連合の金属器使い。ジンの数の上での不利は否めない。

 

「まあ、あるいは…………いや、なんでもない。どうせただの勘だ。問題は、今後七海連合との関わりをどうするかだ」

 

 言いかけて光はその言葉を途中で取りやめた。

 珍しく自分の勘に重きを置かない姿に白瑛はわずか違和感を覚えた。ただ、ちらりと向けてきた眼差しに、語られなかった言葉を白瑛はうっすらと察した。

 

 

 

 あの時、言いかけてやめた言葉。

 それは、もしも練 白雄が王として居て、紅炎殿がそれを支える将ならば、きっとシンドバッド王を上回ることもできただろう、などという勘にもならないただの感傷であり、あって欲しかった希望だ。

 

 文武に優れ器としても一級品である紅炎だが、それはおそらくシンドバッド王も同じ。だからこそ、上回るためには同等の器の、紅炎自身が認める神輿があって欲しかった。

 

 

 そしてそれ以上に、白瑛の兄に、白雄という男に生きていて欲しかった…………

 




ちなみにこのころ本国では

葉王さんは フラグを建築した。
白龍さんは 留学イベントを発生させた。

となっております。
当初予定していた大きなシーンが近付いてきていて、その前のつなぎと補足話が続いています。そのせいでしょうか、前回更新時に次々にお気に入り数が低下……今回は奮起して2週連続で更新してみました。

是非とも感想、ご指摘などよろしくお願いします。


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第24話

 元義賊、現北方兵団旗下の菅光雲は最近疑っていることがある。

 北方兵団の将軍である白瑛将軍の男である皇光という男についてだ。

 

 あの男の立ち位置が今一つよく分からない。

 

 彼らの将軍である練白瑛と皇光という名の和国の剣士が婚約者であるという話は、元々白瑛将軍の旗下に居た者ならばほとんど知っていることだ。

 

 だからこそ、同じ軍編成でありながら白瑛から離れて戦おうする光に光雲は違和感を覚えた。

 李青舜。黄牙の騎馬隊。羽鈴団、そして菅光雲

 あの男は白瑛を守る役目を自分ではない誰かに託そうとしている……気がしたのだが……

 

 

 その皇 光は今

 

「何をやっているんだ、お前?」

 

 なにやら胡坐をかいて作業をしていた。

 

「見ての通りだ」

「見て分からんから聞いている」

 

 常に腰に佩いている刀という独特な形状の剣、和刀。

 光の手元にあるそれは、柄の部分が取り外され、持ち手の部分の金属が露出している。

 

「和刀の手入れだ」

 

 見られても作業に支障はないようで、手慣れた様子で光は作業を続けている。

 刀身の根元の部分には迷宮攻略の証である八芒星が刻まれている。

 

「やはり剣とは違うんだな」

「まあな……和刀の手入れをすると落ち着くんだよ」

 

 剥きだしの刀身を拭い紙ですぅっと拭う。

 刀身の煌きを確認するように、眼前で傾けて鏡のように映る自分の姿を確認した。刀身に写る自分の姿が落ち着いているのも確認した。

 

「なるほど。落ち着きたいわけか」

「……何が言いたい」

 

 確認したはずの姿が陰る。

 刀身の向こう、草原では彼が守護する大切な女性。練白瑛が馬を駆っていた。武人でもある彼女は馬術に長けており、馬自体もかなり好いている。

 和国の武人である光も馬術はそこそこやる方だが、光の得意とする和刀を活かす剣術を使うためには馬上という制限はかなり大きい。

 騎馬の民である黄牙の民の馬術は明らかに光より上なのだ。

 

 別に彼女が馬を駆っていることが問題なのではない。

 

「いや。お前も自分の姫のことを気にかけるだけの心があったのに安心しただけだ」

「馬鹿言え。元々あれのことは気にかけているだろう」

 

 そう。自分ではない男と楽しげに馬を並べて走っている光景を見たとしても別に問題はない。

 馬術が好きな白瑛が、傘下に収めた黄牙の民の馬術を習おうとしているのだ。位階が下位の者に対してもそれが優れているのならば教えを請う。その勤勉な態度は好ましく、褒められこそすれ別に問題はない。

 

 何でもない事のように言って、拭い終えた刀身を柄に合わせて収めた。茎を柄で包み込み、固定するための目釘を差し込み打ち付けるための小槌を手に取った。

 

「ああそうだったか? ほう。随分と黄牙の連中と親しげになっているな。白瑛殿は」

「…………」

 

 目釘を打ち付けようとする手がピタリと止まった。

 ちらりと顔を上げて光雲の方を見ると、にやにやと愉快なものでも見る様な顔で光を見下ろしていた。しかもわざわざ普段は使わない呼び方をしてまで強調している。

 

 傘下に収めた黄牙の民。彼らは白瑛の理想に共感し、轡を共にしてその力を貸してくれる頼もしい味方だ。当初こそ様子を見ていた黄牙の民だが、白瑛の戦い方が、真実戦乱を抑えるためのものだと確認できたのか、今では中々に良好な信頼関係を築けている。

 今も、何かのアドバイスをしているのか、黄牙の男性 ――たしかバードルといったかが親しげに白瑛に近づいて楽しそうに話している。

 その手が白瑛の手綱の所に伸びて手を取るような仕草になったとしても、それは白瑛が教えを請うたからだろう。

 光は自分の馬術が黄牙の民のそれに及ばぬことを分かっているし、白瑛の馬術とも似たレベルということは分かっている。だから、黄牙の民に頼むことが筋の通ったことだということも。

 

 わざわざ不機嫌を煽るように言ってきた光雲に不機嫌に据わった眼を向けてから苛立ち混ざりに小槌を大きく振りかぶろうとして、肩口まで振り上げてから深く息を吐いた。

 目釘を打つのにそんなに力は要らない。小さく打ち付けようと位置を整え直し

 

「おい。本当に楽しそうだがいいのか、あれ?」

 

 バートルが白瑛に馴れ馴れしくする光景を見たのだろう。尋ねてきた光雲の言葉に光は手元を狂わせて小槌を指に打ち付けた。

 

「…………」

 

 鈍い音が鳴り、光と光雲。二人が押し黙る。

 煽った当人である光雲も光の普段の張り詰めた感じとはうって変わった姿になんと言うべきか考え、とりあえず生暖かい眼を向けた。

 

 光は先程の場面をなかったことにして、コンコンと手早く小槌を振るって目釘を打ちつけた。

 

「おい?」

「…………」

 

 返答することもなく手入れを終えた光は、最後に感触を確かめるように桜花を握ってから立ち上がった。そして妙に爽やかな笑みを光雲に向けた。

 

「よし。暇なら鍛練にでも付き合ってもらおうか、光雲」

「あ、いや。あっちは……」

 

 てっきりそのまま楽しそうにしている白瑛のところに行くかと思いきや、和刀を構えて切っ先を向けてきた光に、光雲はたらりと汗を流して白瑛の方を指さしてみた。

 

「遠慮するな。丁度振るい具合を確かめたかったところだ」

 

 ギラリと輝く刃紋。いつになく好戦的に見える顔は光雲の気のせいだろうか。

 光雲に気を見る力はないはずなのだが、陽炎が和刀を取り巻いているように見えるのは光源の加減だと信じたい。

 八つ当たりをさせろという心の声が聞こえそうなのは何かの間違いだろう。

 

「おや。光殿、鍛練をなさるのですか?」

「ああ。今日は荒行をやりたい気分だそうだ」

「…………」

 

 いつの間にか白瑛もドルジたちを引き連れてやってきており、退路を断たれた。しかもなぜか荒行をやりたいということになっている。

 

 

 

 和国特使にして練白瑛が許嫁。皇 光。

 卓越した剣技と操気術を得意とする迷宮攻略者。

 煌帝国の第1皇子、炎帝が認めるほどの実力を持っているらしい男は、しかしその許嫁を守護する役を誰か別の人に渡したがっているように見えた…………そんなのは気の所為だったと、この日、光雲は知った。

 

 主とも見定めている者が、思った以上に独占欲の強い人物だということを、光雲は骨身に染みて実感したのであった。

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 風の大槍が迫る。

 目に見えぬはずの風が確かな指向性を得て形ある槍となって光へと振るわれた。

 

「はあっ!」

「ふっ!!」

 

 振るわれた大槍を桜花で受け、流水のごとくに体を捌いて流した。

 白瑛は大振りの一撃を流されたとみるや、振るった三つ又の槍を背中を通しで左手から右手に持ち替え、縦に振り下ろした。

 

「ちっ!」

 

 受け流しからの接近を狙っていた光は、しかし回避行動に回らざるを得なくなり、真上から迫る風を避けた。

 離れた距離にいるのは暴風を支配する女王、白瑛。

 開いた距離での戦闘では分の悪い光が接敵を試みるのは定石といえた。

 光は攻撃を躱しつつ、隙をついて桜花の刃紋に気を集中させつつ、身体の気を練った。振り下ろしの一撃を大きく避けた光は、着地した足に力を集約した。

 何度も接近を許した展開に、白瑛は光の足が地を蹴る前に縫い付けるように追撃を放った。

 

「! 桜花、一閃!」

 

 一気に接近するつもりが、許されずその場に押し留められた光は、しかし追撃の風を操気術で切り払った。

 

 以前に比べて風を操る練度が格段に向上し、光の攻撃のパターン。白瑛の隙を衝いた動きを読んできている。

 

「! パイモン!」

 

 今までと同じでは接近できないと踏んだ光は、一気に距離を縮める歩法ではなく、地を駆けて距離を詰めた。

 走り寄る光に対し、白瑛はパイモンの力を行使して旋風を巻き起こして寄せ付けまいとした。

 うねりを上げて薙ぎ払わんとする風。光は腰に差していた鞘を引き抜き、桜花との二刀に見立てて弾き飛ばした。

 右手に桜花、左手に鞘を持ち、接近戦の距離にまで持ちこんだ光。

 ただの金属器だけであった以前であれば、白羽扇から剣へと持ち替えなければならなかったが、武器化した魔装を持つ白瑛は、操気術で金属器を断ち切られないように風で武器を覆ってそれを振るった。

 

「ん。ふむ……」

「はぁっ!」

 

 流石に金属器を割るつもりはなかったが、それでも自身の一閃を阻む風の旋風に光は目を瞠った。だが、感嘆の声は白瑛の鋭く吐いた息に掻き消えた。

 振るう腕力だけでなく、風の威力で底上げされた威力に光が弾き飛ばされた。いや、飛ばされることを察知した光が一瞬早く、飛ばされるに身を任せてダメージを抑えた。空中でくるりトンボをきって着地した光だが、体勢を整える間を与えず白瑛は切り込んだ。

 

 

 

「皇女の金属器。以前よりも上達しているようだが、よく生身で相手ができるなあいつは」

「和刀と鞘に魔力を流して防いでいるようですけど、やっぱり剣の技量はとんでもないですね」

 

 離れた位置から光雲と青舜は二人の試合を見ていた。

 青舜も双刀を使う剣士だ。そして白瑛の魔力にひかれる眷属でもある。ゆえに白瑛の操る暴風の威力はよく分かっている。

 

「しかし、あいつはなんで自分の金属器を使わないんだ?」

「使う必要があれば使うと言っていましたが……」

 

 左手の鞘で受け流しつつ、右手の桜花で攻める。

 光の武器化魔装、風花・叢雲は二刀で苛烈に攻める接近戦主体の武装だ。それに対して疑似二刀の今は光の攻防は左右の手ではっきりと分かれているように見える。

 今の所防いではいるが、今の姫様に対していつまでも魔装なしで相手できるものではあるまい。青舜はそう見ていた。

 

 

「潰せ、パイモン!」 

 

 正面から突っ込む光に対し、白瑛の呼び声とともに放たれた轟風。

 渦を巻きながら殺到する風は、光を押し潰さんばかりに迫り、光は風の流れ、気の流れを読むように瞳をこらして視た。

 以前よりも風に通う気が精緻になっている。

 魔装まで習得したことで完全に風を支配下に置いているのだろう。今であればおそらく密集地帯においても白瑛の識別力の許す限り、複数の敵味方を分けて蹴散らすことも可能なはずだ。

 殺到する風に素早く目を走らせた光は取り囲む風の綻びを探り

 

「はぁっ!!」

「なっ!!」

 

 桜花を奔らせた。

 囲う風が一瞬で切り裂かれ、流石に白瑛も驚きに目を見開いた。だが、光の斬撃の凄まじさはすでに承知済み。振るわれる左腕に白瑛はすぐさま反応した。

 

 ――左!?――

 

 咄嗟に体が反応して防いだが、その瞬間違和感にきづいた。

 右手に桜花、左手に鞘。斬撃が来るとすれば右手だったはずだ。パイモンの槍に噛みついているのは鞘のはず。素早くそれを確認した白瑛は再び驚きを受けた。

 

「桜花!?」

 

 左右の武器を持ち替えている。だが、驚愕はそれだけではなく、噛み合う部分から融けるように白瑛の武器化魔装が解除されていた。

 

 ――武器を通しての魔装解除!!?――

 

「っ!」

 

 気付いた瞬間、反射的に風を操って防御しようとするも、それを貫いて光の右腕から突きが放たれた。

 

「ぐっ!!」

 

 刀では殺傷力の高い刺突。

 それゆえに桜花では今まで使ってこなかったパターンだけに、それを見落としていた。

 鞘のため、殺傷力はないものの、右肩の付け根を打たれた白瑛は苦悶の声を漏らして吹きとばされた。 

 

 

 

「流石に、そろそろキツイな」

「それでも。まだ光殿は魔装を使われないのですね」

 

 試合が終わり、倒れた白瑛に左手を差し伸ばし、引き起こした。

 

「白瑛も魔装は使わなかったからな。使っていればこうはいかなかったさ。っと、肩は大丈夫か?」

「ええ。……っ」

 

 問われて鞘で打ち付けられた右肩の痛みに白瑛は顔を顰めた。鞘であったのをいいことについつい手加減なく打ち込んでしまったために、痣程度にはなっていそうだが、ギリギリで風の防御が働いたのか骨折はしていなさそうだ。光は「治療をしておけよ」と声をかけた。

 白瑛は首肯を返すが、見返すその顔は少しだけ拗ねているようにも見えた。今まで光が刺突を見せてきたのは鍛練ではあまりない。それはつまり今までまだ光の底力を引きだせてはいなかったことでもあり、そのことも白瑛は内心わずかに不満をもたらしていた。

 ただ、1対1の試合という条件下において光は武器化魔装なしで白瑛を倒すことができたがそれは金属器使いとして白瑛が弱いわけではない。

 

「風の使い方が上手くなったな。対軍戦闘ではどういう状況でももう足元にも及ばなそうだ」

「そうですか? では、そういうことにしておきましょう」

 

 不満そうに見上げてくる白瑛に、光は苦笑して彼我の評を述べた。あしらわれたような感はあるが、それでも嘘ではなさそうなので白瑛はひとまず受け入れたように頷いた。そして光と視線が合うとささやかに笑みを浮かべた。

 

 実際、白瑛の戦闘スタイルは光と異なり、というよりも光の戦闘スタイルが金属器使いのそれと違って1対1特化のところがあるのだ。無論光とて集団戦闘が苦手というわけではないが、白瑛のように大軍を一撃で沈黙させるような魔法はそうそう打てない。打てたとしても条件が厳しすぎるのだ。

 むしろ大軍相手や巨大なものを相手として想定した場合、光よりも圧倒的に白瑛の方が優れているだろう。

 

「そうですよ。それに姫様には私が、眷属がいるじゃないですか」

 

 試合が終わり見ていた青舜と光雲も近づいきた。

 白瑛の第一の従者にして眷属器・双月剣を持つ青舜。眷属の言葉に白瑛は淡く微笑んでそうですね。と返した。

 

「そうだな。眷属の規模で言うならパイモンはジンの中でも屈指かもしれんな」

「そうなのか?」

 

 青舜の言葉を受けて光も白瑛の金属器最大の特徴となった眷属の規模を褒めるように言い、光雲が問い返した。

 

 北天山高原に来て数か月が経った。

 その間に多くの部族と交渉を行い時に戦闘を行った。その中で、傘下に下した黄牙の部族は特に白瑛の理想に共感したらしく、今では立派に白瑛旗下の部隊となっていた。平定戦を通じて黄牙の戦士は徐々に白瑛を信頼していき、その証とでもいうように彼らは白瑛のジン・パイモンの加護を受けるに至ったのだ。

 

「第1皇子の眷属ですら4人だからな。一人のジンに対して普通、眷属は多くとも3、4人くらいだと思っていたが」

 

 100余名からなる眷属器部隊。

 3体のジンを有する紅炎ですら2桁に達しないことを考えるとそれは規格外の数といえた。

 二人から褒める言葉をかけられた白瑛は自らに力を貸してくれる者の多さをありがたがるように思い浮かべた。

 紅炎は3人のジンがその器を認め、その覇道を支える者が大勢いる。

 かつての白瑛は皇族直系の血を引く、日の当たる表を堂々と歩く者だったのだ。それがあの事件をきっかけに立場が代わり、多くの者が離れて行った。

 卑屈になることはなかったがそれでも少し前まで兄や自分に優しくしていた者がまるで別の人のようになってしまったこともある。移ろう人の心は悲しいというよりも寂しかったのかもしれない。

流れが変わるようにいつか父や兄の理想としたことまでなかったことになるのではないかという事が。

 大勢の人が自分を認めて、支えようとしてくれる。それは有難かった。

 

「私は、幸せですね。こんなにもたくさんの人が私に力を貸してくれて、進む理想に共感して下さって……」

 

 いつもは将軍として凛としている彼女の幸せをかみしめるような言葉。光たちはその姿に一瞬目を瞠った。

 

「姫様……。姫様、私では力不足かもしれませんが、力の限りお守りします」

 

 嬉しそうに青舜は自らの主に忠義の言葉を述べた。

 たとえ誰が離れようとも決して違えること無き忠義と信頼を持つモノ。それこそが眷属。

 

 主と眷属の揺るがない信頼関係を見守りながら、光もまた思っていた。

 

 

――ああ。守るさ。何があっても、絶対に――

 

 

 違えることなく、心に刻み込んだ誓いを

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

    ✡✡✡

 

 

 

 

 未開と呼ばれる極南地域のとある島の近く。

 夢の都として知られるその国からわずかに離れた海洋の上にその二人はいた。

 

 一人は杖を構える仮面の魔導師。一人は額に第3の眼を開眼させた王。

 

黒と白の鳥のようなものが鳴いていた。

 世界の全てに遍く存在する白いルフ。

 世界の全てを拒むために存在する黒いルフ。

 

 相反するはずのその二つが、大極に収められるように飲み込まれた。

 その光景に、その状況を生み出してしまった魔導師は息をのんだ。

 

「まさかっ……!? まさか、お前っ……!?」

 

 黒白の風が吹き荒れる。

 人の姿を借りた魔神によって生み出される風は、膨大な魔力に操られて収束していく。

 

「すでに、半分……堕……!?」

 

 言葉を遮るように王の口元に笑みが浮かぶ。

 

 

 ――風裂斬(フォラーズゾーラ)!!!――

 

 放たれた風は抵抗する余地なく魔導師を飲み込み、その下にあった小島をも砕き裂いた。

 

 ただの一撃で島の姿を変貌させた魔神の男は、その姿を人のモノへと戻して波打つ砂浜に降り立った。

 腰をかがめてその手で拾い上げたのは達磨のような人形。

 欠けた月が見下ろす中、男は厳しい瞳をその人形に向けていた。

 

「“アル・サーメン”は一人として残してはおかん」

 

 人形を握る手に力がこもり力を込められた人形がグシャリと砕けた。砕けた人形をみやる男の瞳は穏やかで死に行くものを見送るようにも見えた。

 

「“この世界”の未来にお前たちは必要ない」

 

 類まれなる王の器をもつ、大王ともなる身の男は世界の異物を一片の慈悲の心もなく排除した。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 白い鳥たちが羽ばたくような白い世界。

 まるで全てを照らす太陽が燦々と輝くような世界に二人の魔導師が向かい合い、交わらぬ会話を交わしていた。

 

 

 なぜ、“この世界”に仇成すのか、と

 

 

 魔導師は答えた。

 この世界に“暗黒”を作るためだと。

 

 誰かに決められた結末へ向けて勧められる抗えぬ道筋。

 支配された監獄のような世界。その世界から逃れる唯一の術。

 それこそが“堕転”。

 傲慢で残酷な運命の言いなりになることを拒むために。

 

 

 魔導師は悲しそうに答えた。

 運命は言いなりになるものではないと。

 

 乗り越えることで前へと進むためのものなのだと。

 前へと進む力をなくした世界は滅びてしまうのだからと。

 

 

 遥かな昔。断絶された世界から幾億と繰り返されてきた交わらぬ議論。

 

 

「アリババくんから、出ていってくれるかい?」

 

 魔導師は告げた。

 友の体から出て行けと。

 彼を蝕む呪いを消せと

 

「そう念じろ。それだけで私はあとかたもなく消えるだろう。

 シンドバッドに本体を屠られ、もはや私は弱った単なる呪いの核に過ぎん。その上マギの意識にかかればひとたまりもなかろう。

 せっかく植え付けた“別の芽”も枯れることになるが仕方あるまい。あちらの賭けは痛み分け、といったところだろうがな」

 

 魔導師は答えた。

 自らの意志で、私を消せと。

 

 

 そして……………

 

「“―――――――”!!!」

 

 奇蹟を行う全知の力。

 その御業は黒い思いを白へと変えていく。

 

 

 呪いを振り撒く魔導師は消えた。

 二度と顔向けできないと覚悟したあの方の元へ。穏やかな心へと戻されて。

 彼の振り撒いた呪いの全てを浄化されて…………

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

    ✡✡✡

 

 

 

 

「国王! 閃王子!」

「融か」

 

 和国ではとある異変が起きていた。

 

「――――に変事があったと伺いましたが!?」

 

 国にとって大きな変事。だがその存在を知る者は僅かな数だけだった。

 その一人、立花融は、父である達臣から“それ”に異変が起こったという報せを受け、血相を変えて駆け込んだ。

 室内にはすでに“彼”の父である国王と兄である閃が深刻な面差しでやってきており、閃は眉根を寄せ、気を集中させていた。

 

「ああ。今、閃が視ているところだ」

「そんな……魔法的に停滞していたはずでは……」

 

 操気術、魔力操作には自身の気の流れを操るだけでなく、ある程度他者の気に介入することができ、それを応用すれば、多少の診察・治療のようなことも可能であり、閃はそれを使って、その異変を捉えようとしていた。

 

「まさかアレになにかあったのでは?」

「……どうだ、閃?」

 

 “それ”はある力を受けて時を停滞させられていた。

 “それ”を蝕むモノはどうしようもないものだったはずだ。

 ただ“それ”を切り離すことしかできなかった。

 

 診察を終えたのか、閃は訝しげな表情のまま顔を上げ、国王が問いかけた。

 

「こちらからは追いきれませんでしたが、絶えず流れ込んでいた呪いが消えています」

「!!」

 

 父の問いに、閃は固い声で答えた。

 

「ただなぜ消えたのかは探れませんでした」

「むぅ……」

 

 それは呪い。

 器を穢し、闇へと転じる堕転の誘い。

 かけられたそれは、どのような手段を以てしても取り除くことができなかった。

 

 一時的に進行をとめることならば魔力に介入し、直接その流れを操る操気術でできなくはない。だが、外から注がれ続けるそれを取り除くことはできなかった。唯一、強大な力をもって切り離すことで、そして切り離されたそれを魔法で留めておくことで事なきを装っていた。

 

 それが消えた。

 

「ならば、元に、元に戻る。ということですか!?」

 

 興奮を隠せない様子で融が閃に問いかけた。

 呪いが消え、元に戻る。

 それは融だけでなく、閃や国王にとっても喜ばしいことだ。だが、

 

「いや、元には戻らないだろうね」

「! なぜです!?」

 

 元に戻ることはない。それが閃が顔を険しくしている理由だ。

 

「外部からの流れが途絶えたのは、大元が消えたのではないかと推測はできます。ですが、元には戻らないでしょう」

「ガミジンの力、か……」

 

 全てが戻ることはない。

 

「はい。呪いが消えても、変じたものまでは戻らないでしょう」

 

「それでも……それでも……」

 

 それでも、目覚める可能性が生まれた。

 消えゆく運命が一つ、覆されたのが唯一の希望だ。

 

 一度限りの筈だった願いが奇蹟の恩恵を受けて運命を乗り越えた。

 

 だがそれは、本当に幸福への道のりだったのだろうか?

 それがより大きな悲しみを生まないと誰が言えるだろう。

 

 

 




今回、本編部分は日常的な話でしたが、本編と別のところで重大イベント進行中です。ちらりと出てきたあの人たちの方はほぼ原作準拠なのですが、関連のあるところだけ少し変えて描いています。

ちなみに現在から次の話までの白龍さん

白龍さんは 友人を得た。変態仮面レンコン野郎を従えた。左手を失った。
白龍さんは 自信を7上げた。

白龍さんは 劣等感を35上げた、嫉妬を18上げた、憎悪を10思い出した。




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第4章 金属器・ガミジン編
第25話


この作品は基本的に原作の20巻(1月31日時点)を基にしているのですが、最近の本誌での紅炎さんが想像以上に器が大きすぎてヤバいと思っています。
もしかしたらアニメ2期の終わり方次第ではそちらに準拠する形になるかもしれません。


『分かっていたはずだ。気付いていたはずだ』

 

 憎悪の瞳。

 あいつが殺したのだ。

 大切なあの人を。

 

『悲しむことはない。お前たちは、最初から ―――― 愛されていなかった』

 

 見上げてくる瞳の持ち主たちは、自分と同じだ。

 そう。全ては偽り。

 あの温かい手も、優しげな言葉も。全ては偽り。

 

 あの炎の中で、そこから逃れた闇の中で、奴は言ったのだ。

 兄たちを殺したのは自分だと。

 一片の温もりもない、おぞましい瞳を浮かべて。 

 

『白龍!!!』

 

 真実を告げる言葉に、激高した友が咎めるように声を荒げて剣を持つ手を掴みとった。

 その手を乱雑に振り払い背を向けた。

 尊敬する友に。初めてできた心を通わせられる友に。

 

 

 

『俺と一緒に、煌帝国へ来て下さい。――――あなたが、好きです。モルジアナ殿』

 

 言葉を、告げた……

 自分の家族のことを話したあの時から、ずっと気になっていた。

 夕日に染まる浜辺で家族がいるかもと告げた時の彼女の涙と笑顔を見た時から。

 

『…………!?』

 

 きっとその言葉が彼女を困惑させるだろうとことは分かっていた。

 それでも告げずにはいられなかったのだ。

 

『あなたは本当に素晴らしい女性だ! 強く、優しく、美しい……だから!!』

『!!』

 

 短い間に何度も助けられた。

 女性の身でありながら、その細い腕にからは想像もつかないほどに強く。弱く臆病な自分を気にかけてくれた。

 

『俺は! あなたを、妻に迎えたい!』

 

 家族が居ないと言った時の彼女の顔を悲しく思った。

 何にもまして家族を守りたいと思い、何よりも家族を憎む自分だからこそ、残された家族を大切にしてくださいと言ってくれた彼女を眩しく思った。

 

『あなたは……これから俺が作る大帝国の妃になるんだ……!!』

『き、妃!? そんなもの……私は元々……!』

 

 本気だった。

 あの人以上の人なんて居ないと思った。支えて見届けて欲しいと思った。これから巻き起こる騒乱の中、自分の隣で。

 ちらりと彼女は自分の足元に視線を向けた。

 “奴隷”の証である足枷のあった足元を。

 1年ほど前まで彼女が奴隷であったなどということを聞いた時は確かに衝撃を受けた。でもそんなものは関係がなかった。

 

『そんなの俺には関係ありません!!』

『えっ?』

 

 口づけを、かわした。

 戸惑う彼女の腕を強引に引き寄せて、その唇に自らの唇を合わせた。

 呆然とした瞳が驚きに丸く見開かれる。

 

『あなたは俺の――――――!』

 

 

 

「はっ!!?」

 

 思い出したくもない、いや、決して忘れたくない温もりを夢に見て、白龍はガバリと身を起こした。

 

「はっ、は……」

 

 目を覚ましたそこには自分独りだけだった。夢見が悪く魘されていたのだろう、白龍は荒い息をつきあたりを見回した。

 ぱちぱちと燃え盛っているたき火。

 身体に持たれかけさせていた青龍偃月刀をかき抱くように引き寄せると左手がカツンと硬質な音を鳴らした。

 視線を左手にやれば、そこにはあるはずの生身の左手はなかった。代わりにあるのは木質の義手。シンドリアで失い、代わりに得た金属器・ザガンの力で操っている新たな自分の手だ。

 その手に昏い視線を向けて、見ていた光景を思い出した。

 

 アラジン……アリババ……そしてモルジアナ……

 

 姉や幼馴染以外で、もしかしたら初めて心を開くことのできた友だった。

 生まれて初めて……好きになった女性だった。

 

 シンドリアへと赴いたのはシンドバッド王と渡りをつけるためだった。

 煌帝国の、組織の強大な力に対抗できる唯一の勢力、七海連合。あの紅炎を上回ることのできる覇王シンドバッド。

 彼を味方につけることができれば、復讐を遂げることができるだろう。国に巣食う魔を打ち払い、あるべき形に戻すことができるはずだ。

 それが、目的だった……

 

『君はもっと学びなさい。外の世界のことを、そこに住む様々な人々のこともね』

 

 シンドバッド王に言われ、共に行動することなった人。アリババ・サルージャ。

 はじめは不誠実な人だと思った。

 王子でありながら、滅ぼされた故国を捨ててへらへらと笑い過ごし、仇であるはずの自分に笑いかけるような人だった。

 でも違った。

 自分よりもずっと強い人。頑なだった自分の心を解きほぐしてくれた友。

 そんな彼の手を振り払って、自分は戻っている。

 

 そして最後に掴んだあの人のぬくもりを思い出すように生身の右の掌を見た。

 

 ――ごめんなさい……――

 

 告げられた言葉。その奥に秘められた、もしかしたら彼女自身気づいていなかったかもしれない思いに白龍は瞳を閉じた。

 

 これ以上ないほどに、理想の女性だと思ったのだ。

 たとえあの人にどのような経緯があろうとも、自分はそれを受け入れたかった。受け入れて欲しかった。

 復讐など無関係に、自分の傍に居て欲しいと思ったのだ。

 

 もしかしたらそれは幼きころから見ていた姉の姿を無意識に映してしまっていたのかもしれない。

 いつも凛として強く。慈愛に満ちた優しい笑みを向けてくれて。華のように美しい。

 

 ――俺は、いつかあなたをかならずもう一度迎えに来ます――

 

 そう言った言葉に嘘はない。

 いつか必ず。

 あるべき形に国を戻すまで。

 

 心をそこへと置いていく。

 

 今はただ、大切な者だけを守ろう。

 ただ一人残された姉だけを。

 それだけで十分だ。

 

 ただ、それだけで……

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「ふーむ。やはり中々頑強に抵抗しているか……」

 

 光は天山高原の現在の勢力図を見ながら唸るように言った。

 

「はい。好意的な部族や比較的勢力の小さい部族はあらかた傘下に入ったのですが、抵抗の強いところと小競り合いが続いています」

 

 同じく勢力図を見ながら軍団の副官である青舜が説明を加えた。

 軍議の議題にあがっているのは現在抵抗の強い異民族の扱いについてだ。

 白瑛の方針もあって基本的には説得で傘下に収めようとはしているものの、残っている異民族は抵抗が強く、戦闘なしには事が収められそうにはなかった。

 

 だがそれでも、被害少なく ――味方だけでなく、部族にも――  平定したい。

 それが白瑛の戦術方針だった。

 それにあわせて主だった者たちが意見を交わしている中。

 

「白瑛将軍! ご報告があります!」

 

 軍議の場に伝令の兵が入ってきて拱手と共に声を上げた。

 兵の様子から敵兵の強襲などではないようだが、白瑛たちは先を促すように視線を向けた。

 

「第4皇子、練 白龍皇子が参陣されております!」

 

「!」

 

 伝達の言葉に白瑛たちは驚いたように目を瞠った。

 

「白龍はたしか……」

「シンドリアに留学したという話を聞きましたが……」

 

 驚いた様子の白瑛を見て光は確認するように青舜の方に向いた。

 本国からの報告では、シンドバッド王が来訪していた際の会談でシンドリアとはある程度の友好関係を築いたとのことだった。

 シンドバッド王の、引いては七海連合の訴えであるバルバッドの共和国としての自治権の承認、バルバッド王族の処遇などいくつかの事項を取り決めた。その代りに白龍自らが志願したシンドリアへの親善留学を行うことになったという報告を受けていた。

 留学にしては期間が些か短いような気がするし、なにより留学を終えた白龍が本国ではなく北天山高原へと向かってきているのも首を傾げるところだ。

 とはいえ白龍の来訪自体は戦場であるがゆえに喜ばしいとまでは言わないが決して拒絶することではないため白瑛たちは一度軍議に区切りをつけて白龍を出迎えに行った。

 

 

 

 

「お久ぶりです、姉上!」

「白龍!? どうしてここに……?」

 

 久々の姉と弟の再会。

 突然の来訪に驚いた様子の白瑛だがその顔には肉親に会えた嬉しさのようなものが浮かんでいた。

 一方の白龍は以前にあった時よりも随分と男らしい面構えになっているように見える。シンドリアへの留学は何か大きな経験になったのだろう。

 

「シンドリアへの留学を終え、帰還いたしました」

 

 来訪目的を訪ねた白瑛に対して白龍は拱手をして参陣の礼を告げた。だが、拱手しているその腕を見て白瑛たちは驚きに目を瞠ることとなった。

 

「白龍…… ? 白龍、その腕はどうしたのです?」

 

 左眼周囲から顔の半分近くまでにある火傷痕は以前のままだが、白龍の左腕は以前とは異なり人の肌の温かみを失っていた。

 木質な義手がそこには存在しており、だが如何なる法に則っているのかその義手はまるで普通の腕となんら変わらないように動かされている。

 驚く白瑛が問いかけると白龍はわずかに顔に笑みを浮かべて答えた。

 

「……シンドリア滞在中に、俺も迷宮に赴いたのです」

「!!!」

 

 以前にはなかった根拠ある自信が備わっている。

 白瑛の後ろから義弟の様子を伺っていた光はそう思っていた。だが、白龍の言葉に白瑛や青舜には及ばないまでも驚きに目を見開いた。

 迷宮に赴いた。

 白龍はあっさりと告げたが、迷宮へと足を踏み入れるということはその結末は二つしかない。迷宮を攻略するか死ぬかだ。

 そして今、生きてここに居るからには白龍は迷宮を攻略したということだろう。単独攻略ではないだろうが、それでも何万人もの人間を飲み込んできた迷宮を生きて出るという事は、非情に難しいことなのだ。

 

「シンドバッド王の許可を得て赴いた迷宮で、ジンに、ザガンに認められたのです。この腕はその時に失いました」

「なっ! 白龍……」

 

 だが驚きはさらに広がった。迷宮について語りながら背に負っていた包を開いた白龍はその中身、刀身に八芒星の刻まれた青龍偃月刀を見せながら告げた。

 絶句する白瑛の前で白龍は堂々とした様子で金属器を見せつけた。

 

「ですが心配は無用です。ザガンの力で以前と変わりなく使えております」

 

 そう言って動かしてみせる左手はたしかにその人肌とは異なる色を除けばまるで普通の腕と見紛うばかりに滑らかに動いている。

 その腕と金属器を光はじっと見つめた。

 そこから感じ取れる気は“自分と近い”気だ。

 

 白瑛もまた、意気揚々といった様子の白龍を見つめていた。

 自分の知らないところでまたも大きな怪我を負った弟。どれだけ心配しても、その手の届かないところで傷ついていくことに白瑛はわずかに顔を曇らせた。

 そんな主の様子を見かねて青舜が口を明るい調子で口を挟んだ。

 

「なにはともあれ、皇子もここまで来られるの大変だったでしょうし、幕舎で休憩にしませんか?」

 

 

 

 青舜の機転によってひとまず息をついた一同は、将軍の居室としてのテント、つまりは白瑛のテントへと集まって黄牙の民から頂いた酪茶で一息入れた。

 お互いの近況報告など姉弟の会話をお茶うけにして光と青舜もほっこりとしたひと時を過ごしていた。

 白龍のシンドリア留学の話では親しくなった人たちが居たという話も聞けて白瑛は嬉しそうに笑顔を浮かべていた。

 光と白瑛が天山高原で出会ったアラジンと親しくなったという話を聞いた時には白瑛も光も思わず目を丸くして人の縁に感心した。

 なんでもアラジンはあの後、キャラバンと共に黄牙の村を出てから中央砂漠を超えてバルバッドへと向かったらしい。

 そこで件の事件に巻き込まれて渦中のバルバッドの王族、アリババ・サルージャとともにシンドリアへと身を寄せたとのことだ。

 

 煌帝国の皇族とバルバッドの“元”王族が顔を会せたということに白瑛は若干心配したが、どうやら白龍とアリババは因縁をものともせずに親しげな関係性を築くことができたとのことだ。

 ただ、それを語る白龍の中にほんのわずか、不穏なものが混じっていることを白瑛と青舜は見逃していた。

 そして話は白瑛の近況、つまりは戦争についてとなった。

 

「姉上、ここの討伐に随分と時間をかけておられるようですね」

 

 ここに来るまでの間にどこかで情報をしいれたのだろうか、それとも白瑛の遠征期間から判断したのだろうか。未だに終わっていない平定状況に顔を真剣なものにして指摘した。その纏う雰囲気は留学前、本国で最後に会った時のようなものとはまるで違っていた。

 

「意見の違う者同士、理念を共有するのに時間がかかるのは仕方がありませんから」

 

 戦のことに口を挟んできた白龍に白瑛はわずかに驚いた表情となったが、白龍の口調から勇み足のような危うさを感じ取ったのか、姉として、そして将軍としての自分の意見を述べた。

 凄味の出てきた眼差しで姉を見つめる弟と黙然として弟の気勢を受ける姉。

 青舜は白龍の変わりように驚いているのか二人の間に視線を彷徨わせており、光はずずっと間を飲み込むようにお茶をすすった。

 沈黙を破ったのはやはり白龍だった。

 

「……姉上。次の戦、俺に任せて下さい」

 

 戦を任せろ。その言葉は以前の白龍からは到底でてこない言葉だっただろう。

 そのことに白瑛も青舜も驚きを露わにした。だが、この軍の将軍は白瑛、そしてその副官は青舜なのだ。いくら白瑛の弟だからといっていきなりやってきた者にそうそう勝手を許すことはできまい。

 青舜が副官として諭す言葉を出そうとしたが、その前に白瑛が窘めるように口を開いた。

 

「白龍。戦は」

「今の俺はもう姉上に守ってもらうばかりの俺ではないことをお示しします」

 

 だが白瑛の言葉を遮って白龍は昏さのある瞳で自らの武を誇るように言った。

 白龍が姉の言葉を遮って強気に出た。弟の、そして幼馴染の見せる意外な姿に白瑛と青舜が唖然として目を瞠った。

 

「おい、白龍殿。いくらお前が強くても、今は異民族の平定戦だぞ。意味を分かってるのか?」

 

 仕方なく光が窘める言葉を受け継いで口にした。

 

 たしかに、光から見ても白龍の纏う空気は以前の甘さの強いものから死線を知ったかのように凄味のあるものになっている。

 おそらく留学の前から一日たりとも鍛練を欠かすことはなく、それに加えて迷宮を攻略したことで得た金属器の力が大きな自信になっているのだろう。

 だがそれは個人の力だ。

 鍛練や他国への短い留学で軍での戦い方が身につくとは到底思えない。

 

 光にしろ白瑛にしろ、たしかに金属器使いとしての顔を持っているのだからそれを背景にして敵を殲滅することはできるだろう。特に光と違って白瑛のパイモンはそういった対集団戦闘に強い。

 だが二人はこれまで天山高原の平定戦で、一度を除いて金属器の魔装は使っていない。

 それはこの戦が単に敵を殺して終わりという戦ではなく、敵対した相手を臣従させる平定戦だからだ。

 魔装による圧倒的な殺戮能力で戦を進めては間違いなく人の心は得られない。畏怖や恐怖で心を縛ることはできても、共感や心服は得られない。

 だからこそ、白瑛は遅々としていることを承知で話し合いを基本とした交渉戦略を行っており、戦においても人の力を頼みとして金属器の力は被害を減らすために絞って使うようにしているのだ。

 その結果が光雲たちであり、黄牙の騎馬隊であるのだ。

 

 だが光の言葉を受けた白龍はその意を侮りと捉えたのかすっと眼を細めて光へと向いた。

 

「……光殿。俺の力が不安なら、貴方が試してみて下さい」

「なに?」

 

 光が求めたのは武力という回答ではなかった。なのにまるで見当の違う白龍の答えに光はピクリと眉を上げた。

 光に視線を向ける白龍の表情は、それまで姉に向けていた穏やかなものではなかった。

 

「今の俺は、もう、貴方よりも強い」

「…………」

 

 この言葉に、白瑛と青舜の唖然とした思いは高まっていた。そして光は白龍の不穏な様子に眉を顰めた。

 かつても告げたその言葉。

 以前にはなかった明確なる力に自信を得たためとも思えるが、それ以上に光は白龍の瞳に不穏な気を感じていた。以前にも感じ、そして今より強く感じられる黒い(・・)煌き。

 

「姉上は俺が守ります」

 

 その言葉は、非情に危うく感じた。

 同じ女性を守ることを告げているものの、白龍のそれはまるで触れるもの全てを傷つけてしまいそうな危うさを感じたのだ。

 

「白龍!?」

 

 白瑛も弟の不穏な気配を察したのだろう、光に食って掛かる白龍に訝しげな声を上げた。

 以前はまるで弟が義兄に拗ねて突っかかっているような微笑ましさがあった。だが今はそれがない。

 まるで無関係な存在を拒絶するかのような怖さ、いや、敵を見据えるような恐さがある。

 

 視線を交じわせる白龍と光。

 歩み寄る気配など微塵も感じさせない白龍とその内面を伺おうと眼を細める光。

 しばし黙考するように間をあけた後、光はゆっくりと口を開いた。

 

「……いいだろう」

「光さん!?」

 

 今の白龍の危うさは青舜でも分かるのだろう。勝負を受けた光の言葉に青舜は唖然として非難するように声を上げた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 結局、青舜と白瑛の懸念をよそに二人の試合を止めることはできず、二人は広い高原で向き合うように相対していた。

 

 下段に構える白龍の青龍偃月刀。すらりと引き抜かれて白刃を露わにする光の桜花。

 

「どうして皇子はあんなに急に……」

「…………」

 

 見守る青舜が不安げに呟くが、その答えは返ってこない。隣で見守る白瑛も白龍の変貌には戸惑いを隠せないのだろう。その顔には隠し切れない不安が宿っている。

 二人の試合のことを聞きつけたのか、遠目に見つけたのか、なんだなんだと光雲やドルジたちも物見高く見学に集まってきて、そのただなかにいる二人の、特に見慣れない黒髪の青龍偃月刀使いに戸惑っている。

 

 先制は白龍だった。

 得物のリーチの差を活かして和刀の殺傷圏のすぐ外まで接近し斬撃を放った。

 様子を伺うつもりなのか、あえて和刀の距離まで踏み込もうとせず光は白龍の攻撃をかわした。

 連撃で放たれる斬撃。それはたしかな鍛錬に裏付けされ、そして迷宮という過酷な実戦経験を経たことによって土台を固めたのか以前よりも鋭く、力のあるものとなっている。

 その連撃を真っ向から受け止めることはせず見切りと体捌きによって躱していた光は、薙ぎの一閃にわずかに白龍の体が崩れた瞬間、桜花を走らせた。

 

「っ!」

 

 反撃の一閃。受け止めた白龍は、細身の和刀からは想像外の重い一撃に吹き飛ばされるが崩れることなく踏みとどまった。

 離れてしまった距離を詰めようと接近する光。

 白龍はその間合いが詰まる前に青龍偃月刀の柄尻を地面に打ち付け鋭く命じた。

 

「ザガン!」

 

 主の命を受け、魔力が変換されて紫色に輝く。

 柄尻から溢れた紫色のルフはまるで命を分け与えるように地面に生えている草に宿った。

 

「! 草っ!?」

 

 地面に生えていた草が急速に成長し、まるで触手のように光に襲い掛かった。

 ザガンの植物操作。その力に驚きつつも躱す光。

 

 

 

「植物を! あれが皇子の金属器の力!?」

 

 観戦する青舜が白龍の手に入れた新たな力を目の当たりにして声を上げた。白瑛は声にださず、ただ二人の身を案じるようにぐっと胸元で白羽扇を握りしめた。

 

 次々に際限なく襲い来る植物たち、青龍偃月刀の読みやすい軌道とは異なり不規則にうねる触手に、さしもの光も完全には躱しきれなくなっていた。

 躱しきれない触手を光は桜花で薙ぎ払うが、その時を見計らっていたかのように白龍は左手を光に向けた。

 

降龍木蓮衝(ザウグ・モバレーゾ)

 

「!!」

 

 瞬間、白龍の左手の義手がほどけ、一瞬で龍のような姿となって光に襲いかかった。幾つか躱す光だが、指の数だけ降臨した5頭の龍の一つが、頭上から光に襲い掛かった。

 

 失った左手につけられた木製(・・)の義手。

 その滑らかな動きがザガンの力によるものとは聞いてはいたが、よもや完全に植物本来の姿から形を変えた義手ですら、成長を促して操れるとはさしもの光も予想しきれていなかったのだろう。

 

「ちぃっ!!」

 

 躱しきれない光に木龍が直撃……した瞬間、光が斬り上げの一閃で龍を斬り裂いた。

 縦に斬り裂かれた龍は、しかし勢いを失わずに光の左右に堕ちた。そして、渦を巻くように光を取り囲み、圧殺せんばかりに収束した。

 

「なっ! 皇!!」

 

 驚く光雲やドルジたち外野。

 潰されたかに見えた光だが、収束した木檻を一瞬でバラバラに斬り裂いた

 光の無事な姿にほっと一息をついたのもつかぬ間、

 

「はあぁあああ!!」

「っ!!」

 

 出てくることなどお見通しとばかりに接近し、白龍が青龍偃月刀を振りかぶっていた。

 隙の大きい大振りの一撃だが、光といえども木檻を斬り裂くために連閃を繰り出した直後ではその隙をつくことはできない。

 桜花を盾にして防いだ光。気を纏わせた桜花は、いかに偃月刀の重い一撃といえども折られることはない。弾き飛ばして反撃しようとした光だが

 

「ぬっ!!?」

 

 ずんっ!! と予想外に重い一撃に光の体が押される。

 

「シャンバラの、魔力操作か!」

「っぁあ!!!」

 

 さらに力を込めて押し込む白龍に光の顔が歪み、足場となっている地面が陥没する。

 

 気と気のぶつかり合い。

 和国の操気術とシャンバラの魔力操作・気巧剣は、どちらも体内の魔力、気を操る技術だが、操る性質に違いはある。

 技量重視の光の操気術と違い、気巧剣は放出力と力押しを得意とする。

 放出される魔力で他者に干渉し、体内の気の流れを乱す。

 和刀に纏わせた気により干渉されることはない。だが、その放出力による威力に、不十分な体勢で受けた光は押されていた。

 互いの気の干渉で剥がれ落ちた命の紙片が命のように煌く。

 

「ちぃっ!!」

「くっ!」

 

 弾き飛ばすことはできない。判断した光は桜花の刀身をずらし、青龍偃月刀の力点をずらした。勢いを残していた青龍偃月刀が地面にぶつかり、陥没させて礫を弾き飛ばす。

 二人は間合いを切るために距離をとった。

 

「言ったでしょう。今の俺はもう、貴方よりも強い」

「…………」

「金属器の力なしでいつまでも相手できると思っているのですか。使ってはどうですか、あなたもジンを」

「…………」

 

 挑発的な言葉を投げかける白龍。それに対して光はただ、和刀を構え直すことだけで応えた。

 正直、白龍の成長はこの時点においても予想を大きく上回っている。

 シャンバラの魔力操作を完全に己の技術とし、剣気一体と化した武技。手に入れてまだそれほどの時を経ていないというのに見事に操るザガンの力。

 個対個の力であれば、あるいは白瑛すら上回っているやもしれない。

 

 気の収束だけを行う光に白龍は凍えるような冷たい視線を向けた。

 

 

 

「必要ない、ですか……俺は容赦しませんよ。姉上を守るのは、俺だ!」

 

 自分の武技はすでに最低限、十分に示したはずだ。だがこの傲慢な男はそれではまだ足りないと言うのか。

 

 一体この男は自分いつまで上から見下ろしているつもりなのか。

 

 大切な姉の隣で。

 

 無関係な人間が……!!!

 

 

 省みることのない思いの昂ぶりが暴発するように魔力を高めうねらせる。

 総量だけならば白瑛を上回る白龍の魔力が一つの証へと向かう。

 

「我が身に纏え、ザガン!!」

 

 紫色のルフが視覚化されるほどに白龍の青龍偃月刀、その刀身に刻まれた八芒星に集い、輝く。

 

「なっ!! まさか!!?」

「魔装!!」

 

 変貌していく白龍の姿に青舜と白瑛が驚愕の声を上げた。

 力を示すための試合とはいえ、よもや白龍がここまでやるとは思ってもみなかったのだ。

 

 今まで白瑛と光も何度か試合をしたが、真っ向から向き合った状態での魔装は一度もなかった。

 魔装はあまりにも危険で、軽々に出せば周囲への被害も大きく、互いの身の危険すらあるのだから。

 

 白龍の全身が変貌した。纏め上げていた黒髪は黒い尾のように伸び、体の側面が鱗で覆われたように変質する。額にはジンの証である第3の目が開眼しており、その姿は紛れもなく全身魔装であった。

 手にしていた青龍偃月刀も、紫色の輝きに覆われて姿を変え、双頭の槍となって顕現した。

 

 白龍は双頭の槍となった自らの得物を回転させ宙を切った。空中に生じた亀裂。その傷口が膿むように紫色の輝きが“何か”を生みだした。

 

「!!!」

「なんだ、アレは!!?」

 

 何もなかったはずの空中から得体の知れない化け物が現れ光に襲い掛かった。異形の化け物の姿に光雲たちも驚きの声を上げた。

 

 躱す光は宙を自在に翔ける化け物に接近することができなかった。一度躱したはずの怪物が軌道を変えて光を追尾する。

 

「!!」

 

 躱しきれないと判断した光は和刀を薙いで斬り裂いた。だが斬撃を放つためにわずかに足を止めた光。

 白龍は円を描くように魔装となった双頭の槍を振るった。描かれた円から、数多の怪物が出現し、白龍はまるで弓を弾くように魔力を集中させた。

 

「はあぁ!! 操命弓(ザウグ・アルアズラー)!!!」

「っっ!!!」 

 

 先の攻撃以上の速度で降り注ぐ化け物の雨に、足を止めさせられた光は怪物たちの直撃を受けた。

 

「光殿!!」

 

 砂礫が舞い上がり、その中に消えた光の姿に、白瑛は声を上げた。

 

 砂埃が収まり、その中から和刀を握る光が姿を見せた。受けた傷を修復したのか、それとも間一髪で防ぎ切ったのか、片膝を着きながらも光の体に傷は見られない。

 

 

 

「気は済んだか?」

「……なぜ魔装を使わないのですか?」

 

 桜花を体の前に掲げ問いかける光に白龍は冷たい視線を向けた。

 どう考えても魔装の今、金属器の力を使うことなく光が白龍に勝つ目はなかった。それが実際に戦った白龍の感想だ。 

 だがあの時見せた光の魔装であれば、ザガンと同じく紫色の煌きを操るあの力であれば、果たして今、どれほどの力を自分が得ているのかを知る指標になる。

 白龍は光の魔装化を促すように自分の周囲に化け物を呼び出して攻撃の構えをとった。

 

 それに対して光は、掲げていた桜花を下して攻撃も防御の構えも解いた。訝しげに眉を動かす白龍。

 

「この試合はお前の力を見るためのものだろう。なら、もう十分だ」

 

 光から出てきたのは試合の幕引きを告げる言葉だった。

 その言葉に

 

「……次の戦。俺に任せていただきます」

 

 予想以上に自分が見上げていた山は低かったことを白龍は知った。

 

 ――こんな男が、今まで姉上の横に立っていたのか。

 こんな男が、これからも姉上を守るとぬかしていたのか。――

 

 白龍はわずかに失望を感じ、しかしすぐに抱いた思いを消し去って背を向けた。

 

「白龍!」

 

 背を向けて去って行く白龍に、白瑛は声を上げた。白瑛はちらりと心配する眼差しを光に向けたが、光は白龍の方を顎で示すように促した。 

 逡巡していた白瑛だが、光の促しで行く先を決心したのか、白龍を追って駆けて行った。

 

「光殿、ご無事ですか?」

 

 青舜は幼馴染のことは彼の姉である主に任せ、魔装の攻撃を受けた光に駆け寄って具合を確かめた。

 光は桜花を鞘に納め、土埃を払いながら立ち上がった。

 

「ザガン、か……たしかに力は大したものだな」

「なぜお前もそれを使わなかったんだ? 使えば止めることもできただろう?」

 

 光は先程体感した白龍の魔装の力に感心したように呟いた。だがその目は全く感嘆の意がこもっておらず、去って行った白龍を睨むように鋭いものだった。

 光雲はなぜ対等な状態で戦いを継続しなかったと金属器を指さしながらやや責めるように言った。

 彼から見ても、あの皇子に戦を任せるのが良いことだとは思えなかった。あの試合で光が魔装を使って勝てばどうかなったとも言うことはできないが、少なくともあのまま増長することはなかっただろう。

 だが光は光雲に流すような瞳を向けて仕方なさそうに答えた。

 

「俺まで金属器を使えば、試合が殺し合いになりかねなかったからな」

「まさか!」

 

 光の言葉に驚く青舜。

 たしかに先ほどの、というよりも天山高原へとやってきてからの白龍は、どこか青舜の知っている幼馴染の彼とは違うように感じてはいたが、それでも“あの”白龍皇子が、と信じられない様子だ。

 

 それに対して光は、かつて見た白龍の気の流れを思い出していた。

 白瑛に似て痛いほどに真っ直ぐな気の流れ。

 そして、その中にどこか感じた違和感のような小さな淀み。

 

「……どうやら。真っ直ぐすぎて、訳の分からん方向に突っ込んだらしいな」  

 

 今日、剣を交えた白龍は、かつて感じた淀みが、より濁っているように感じたのだ。

 

 

 

 そして――――

 

 

 白龍が戦へと参陣して3日。

 頑強に抵抗を続けていた異民族の姿は天山高原には無かった。

 

 あるのはただ、ザガンによって殲滅されて阿鼻叫喚の地獄図となった戦場跡と怨嗟の声を上げながら死んでいった数多の骸だけだった。

 

 

 

 




白龍さんが合流しました。

オヤ? 白龍の様子が……


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第26話

 それは後になってみれば動乱の激化を告げる号令だったのかもしれない。

 

 ――煌帝国2代皇帝、練紅徳 崩御――

 

 征西の最中に世界に広まった凶報。それは様々な国、組織の思惑をより深く絡ませた。

 

 

 訃報から一月後。

 東大陸に散らばる皇女、皇子は一路帝都への帰還の途についていた。

 

「征西軍北方兵団、練白瑛将軍。間もなく帰還!」

 

 比較的近くの国へと嫁いでいた皇女やシンドリアへの留学から一足早く帰国していた紅玉、留守を任されていた紅明を除いて、将として出払っていた中で最も早く帰還したのは北天山の西端にあった白瑛たちだった。

 

 帝都近郊に生粋の煌帝国国民ではない多数の騎馬隊が出現し、帝都の民は俄かにざわめき立った。

 

「なんだ、この蛮族共は……」

 

 特に大帝国となって帝都から出ずに宮中のみで生活している文官たちは武装した黄牙の民の姿に恐々とした眼差しを向けてひそひそと侮蔑の言葉を呟いていた。

 

 全ての民を纏め上げるという理念。

 だが、白瑛の父が思い、彼女が引き継ぎ、紅炎が為そうとしているその理念は煌帝国の全ての人間に統一されているとは言い難い。

 生まれながらに煌帝国民である者たちはその誇りからか黄牙の民を、ひいてはそれを率いる白瑛や光に蔑んだ視線を投げかけていた。

 そんな只中を歩んでいた白瑛は、驚いた様子で駆け寄ってくる義兄の姿を認めた。

 

「白瑛殿! あまりに早い期間に皆驚いていますよ。それにその者たちは一体?」

 

 第2皇子、練紅明が金属器である黒い羽扇を持ち、眷属である従者を引き連れながら白瑛を出迎えた。

 帰還が遅れていた皇族は白瑛を入れて4人。その中で天山高原という要所に阻まれている白瑛がもっとも早くに帰参できるとは思っていなかったのだろう。白瑛の引き連れる武装兵たちの姿に紅明も驚いたように尋ねた。

 

「はい。彼らは黄牙の騎馬兵……私に力を預けて下さる。私の眷属です」

「これだけの数の眷属器使い!?」

 

 白瑛の答えに紅明は目を丸くした。

 光も驚いたことだが、通常の眷属の数を圧倒的に上回る白瑛の眷属部隊には軍師・紅明も驚きを隠せないのだろう。

 

「私のパイモンは女性のジンだからでしょうか、どうやら多産型のジンだったようで。彼らの力もあって、私は今日まで戦ってこられました」

「すばらしい。白瑛殿は眷属の数と戦力なら煌帝国随一ですね!」

 

 従妹の成果に紅明は隠す事無く笑みを浮かべて賛辞の言葉を述べた。

 その後ろでは紅明の眷属が渋い顔をしているのは、彼女が政治的に見れば内部の敵に相当する可能性もあるからだろう。

 だが、紅明にとっては白瑛はかつては自分よりも位階が高く、美しく聡明で勇敢な身内だ。今でこそ立場は逆転してしまったが、昔抱いた憧れにも似た思いはそう簡単には覆せないのだろう。

 煌帝国の軍師としても、身内(・・)の戦力増強は喜ばしいことだ。

 

「皇殿も壮健なようで。それに半年前、弟君も旗下に加わったとか?」

 

 紅明はもう一人の金属器使いである白瑛の守護者もまた変わらぬことを見て声をかけ、光はそれに一礼して応えた。

 だが付け加えるように言われた言葉に白瑛は顔を曇らせた。

 

「! ……はい。白龍も、じきに到着します……」

「? どうされました……?」

 

 白瑛の顔が沈鬱な表情になったことに紅明は訝しげな表情となり、もの問いたげにちらりと光を見た。だが視線の先の光も憮然とした表情をとっており、答えを得ることはできそうにない。

 ますます訝しむ紅明の背後で眷属がピクリと何かを感じ取って外壁の外を見た。

 

「紅明様。あれを……」

「なんだ……?」

 

 主に呼びかけ、眷属の指さす方向を眺めた紅明は、視線の先の空が何か黒いもので覆われているのを見た。

 

「なんだ!? この化け物共は!?」

 

 驚きの声を上げる紅明。あたりでは黄牙の騎馬隊を目にした時以上に文官や兵たちに動揺が走っており、半ば恐慌状態にもなっている。

 

 煌帝国では迷宮生物を戦争に用いることもある。その多くはたしかに化け物といってもいい姿をしているのだが、紅明の前に現れたそれらは、迷宮生物ともまた違う異形を為していた。

 頭上を覆い尽くす怪物たち。

 その姿が、紫色の輝きを一瞬放ち掻き消える。

 その中から飛び降りるように一人の男が紅明の前に降り立った。

 

 左の腕に異形を宿し、周囲に怪物たちを従える男。

 白瑛や光と同じく黒髪を持ちながらも、その瞳はこの世界を憎むかのように憎悪を宿している。

 その姿に白瑛は痛みを堪えるような表情となりながらも口を開いた。

 

「アレは白龍の眷属です……といっても、ザガンの能力でしもべにした生物たちにすぎないそうですが……」

 

 白瑛の説明に、紅明は黒羽扇で口元を隠し、先程までとはまるで別人のように瞳を険しくしていた。

 

 白瑛たちがわずかな期間で天山越えを為すことができた理由。

 それは黄牙の騎馬の力に加えて、それが活かせない山岳部においてはザガンのしもべたちの飛翔能力を使ったためだ。

 

 ザガンの力は、それを操る白龍の力はたしかに凄まじかった。

 長々と抵抗を続けていた北方の異民族たちが、たったの3日で白龍一人の前に次々と屈服していった。

 

 ただし、そのやりようは白瑛のそれとは対照的とも言えた。

 まずは交渉ありきで、叶わない場合は敵味方の損害を少なくしつつも、人の力で戦おうとした白瑛。

 それに対して白龍は、全てを力でねじ伏せた。金属器という超常の力で、味方の力を必要ともせずに、ただ独り、逆らう者たちを容赦なく殲滅していったのだ。

 白龍の、ザガンの通った跡は戦場というよりももはや虐殺の跡地となるほどに陰惨なものだった。

 

 かつての白龍は心優しい少年だった。

 武芸を嫌い、痛みを厭う、よく泣く少年だった。

 だが知らぬ間に変わってしまっていたのだ。

 

 まるで心をどこかに置き忘れていたかの如くに、冷たい瞳を白瑛にすら向けるほどに。

 

 ――俺たちにはこれから、もっと力が必要になるんです。今はただ、俺に従ってください――

 

 白龍のやり方を咎めようとした白瑛に、彼は血に塗れた顔に冷酷な視線を向けてそう告げた。

 

「征西軍総督閣下! 練紅炎殿! ご帰還!!」

 

 違えてしまったなにかを思い悩む白瑛は物見の告げる総督帰還の報せにビクリと身を震わせた。

 

 居並ぶ武官文官が列を作り、出征から帰還した総督、練紅炎を出向かた。

 その威風が見えた瞬間、先ほどまで白瑛たちに蔑みの視線を向けていた者たちが一斉に膝をつき、首を垂れて拱手を掲げた。

 出迎えの任にあたる紅明は兄王へと近寄り、白瑛と光は部下に指示しながら自分たちも膝をついて礼の形をとった。

 

 だが

 

「! 白龍!!」

 

 隣に“立つ”白龍が膝をつくことも礼に則り拱手することもなく、双頭の槍を手にしたまま紅炎を睨みつけていることに気づき白瑛はざっと顔を青ざめて叱責の声を上げた。

 

 本来膝をつく必要のない光ですら白瑛の立場を鑑みて膝を屈しているのに、その弟である白龍がまるで対立するかのように立ちはだかる姿はまるでこれから起こる対決を暗示するかのようでもあった。

 その姿に紅炎の派閥である諸官が無礼な。と声を上げるがそれに構わず紅炎は白龍の横まで堂々と歩き、ふっと笑いかけた。

 

「片腕を失くしながらも迷宮を攻略したと聞いた……よくやった」

 

 軽く肩に触れるように置かれた手。

 何事もなかったとはいえ第4皇子のあまりな振る舞いにざわめきが起こるが、それに構わず紅炎と紅明は喪の段取りを軽く話しながら歩み去って行った。

 紅炎から叱責がなかったことに白瑛はほっと息を吐くが、光は別の方向から向けられている視線を感じてそれを追うように視線を空へと流した。

 

「光殿?」

 

 光の意識がここから別のところに向いたことを察した白瑛がうかがうように声をかけ、光はそちらから視線を戻した。

 

「嫌な、気が流れているな……」

 

 万魔巣食う伏魔殿の屋根の上から、魔道の頂に立つ男がこれから起こる愉しい出来事を期待するように見守っていた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 結局、その日のうちに参殿するのに皇子の中で第3皇子でありマグノシュタットへと赴いていた紅覇だけ帰還が間に合わず、葬儀の式典は明日執り行うこととなった。

 昼間の件でやはり思うところがあったのか、白瑛と白龍は紅炎からの呼び出しを受けて彼の居所へと赴いており、光は光雲やドルジたちとともに待機していた。

 

「実際、皇帝の崩御というものの影響はどうなんだ?」

「まあ名だたる大国の皇帝の死だ。世界の引き金になるのは間違いないだろう」

 

 出来うるのならば光雲やドルジたちは宮中の政争になど加わりたくはない。だが、それでも彼らの直属の主が皇位継承権を有する第1皇女であるからにはその情報をある程度は知っておく必要がある。

 光雲の問いに現在の、混沌深まりつつある世情を鑑みて光は答えた。

 

「跡継ぎ問題か?」

 

 皇帝 練紅徳には世継ぎが多い。3人の実子、そして1人の養子の皇子。そして多くの皇女。継承権問題で揉める要素はなくはない。

 

「いや。それはあまり問題ではないだろう」

「そうなのか?」

「おそらく次の皇帝は紅炎殿で決まりだ」

 

 あっさりと、光は自らの姫である白瑛には芽がないと告げた。

 

「征西軍の総督。第1皇子か? 皇帝になれば征西が中断するのではないか?」

「紅炎殿なら親征することも可能だろうし名代を置くにしても紅明殿、紅覇殿と将には困らんだろう」

 

 光にしろ白瑛にしろ、そういった権力欲があるとは思ってはいなかったが、こうもあっさり言われると呆気にとられる。光雲は思っている疑問をこの際口にして尋ねた。

 練紅炎は優秀な男だ。

 王の器としても将としても非常に優れている。その総督が皇帝の座に就くということは現在の任である征西を中座するということにもつながりかねない。だが、そのような心配は無用というものだろう。

 紅炎は一人で戦おうとしているわけではない。国内の勢力を出来うる限り己が物にして、それを力に変えて進んでいける男だ。

 

「その第2皇子や第3皇子は?」

「その二人をはじめ、宮中の勢力もほぼ紅炎殿の派閥だ。能力的にも紅炎殿を押しのけてまで他の皇子をたてることはないだろう」

 

 兄弟が多いと言うのは、政争においてはデメリットとして働くことがままある。権力争いに祭り上げられ、互いが互いを蹴落として国力を落とす。

 そのようなことは実際、煌が滅ぼしたかつての小国においても見られたことだ。

 だが紅炎に関してはその心配はしてはいない。

 彼の実弟である紅明はじめ、紅覇やほかの有力な将軍たちは皆、彼を王として見なしているのだから。そしてそれは白瑛も同様であり、光にとっても彼は王として、兄として信頼に足る人物だとみていた。

 

 だが

 

「白龍皇子もか?」

 

 続けられた問いかけに光は言葉を詰まらせた。

 

 小国を帝国にまで押し上げた偉大な白徳皇帝の血を受けるただ一人の男子にして、白瑛とただ一人血を分けた実弟。

 その彼の見る先に、皇帝国の玉座があることは光はもとより紅炎もとっくに承知のことだろう。

 

「白龍は……可能性は0ではないだろうが、皇帝が推しているだろう理由には乏しいし、宮中にも盛り立てようとする勢力はほとんどいないだろう」

 

 確かに初代皇帝の唯一の直系という血筋はあるが、その初代皇帝の派閥はすでに瓦解。後ろ盾はなく、白龍自身政治力には乏しいのも大きい。

 なによりも世界統一を見据えて道を進む紅炎の器は白龍とは比べ物にならないほどだろう。

 

 紅炎以外が皇帝になる芽はない。

 そのはずだ。理屈ではそう分かっている。

 だが帝都に漂う不穏な気配は、なにか不安を掻き立てるように光の心に細波を立たせていた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 その日、煌帝国帝都禁城では大々的な葬儀が開かれていた。

 三国を統一した兄の意思を引き継ぎ、西へ西へと版図を広げていた練紅徳皇帝陛下。その葬儀だった。

 死因は病死だったらしく、生前より後継者に関して遺言を残していたらしく今頃宮中では葬儀とともに遺言の開状、そして皇位の引継ぎが行われていることだろう。

 皇后である練玉艶を実母にもち、先代皇帝の子として、また養子とはいえ現在も皇位継承権を保持する白瑛や白龍、そして昔からの煌帝国の家臣の家系である青舜などは葬儀に参加しているが、元賊軍である光雲や異民族出身の黄牙の者たち、そして他国の王子である光も葬儀には参加できずに外で控えていた。

 もっとも兵卒である光雲たちとは異なり、軍内でも立場のある光は葬儀場にこそ入れなかったものの宮中の一角に控えることは許されていた。

 

 屋外を見晴るかせる廊下のただ中で、世界の行く末を見つめるようにしていた光は不意に感じた気配に向けて言葉をかけた。

 

「話すのは2度目ですね…………マギよ」

 

 荒れ模様の曇天の空の下、煌帝国の民族衣装とは異なる衣装。そして喪中とは思えないほどに礼のない軽装。彼の天敵たるマギ・ジュダルが降り立った。

 

「相変わらず勘だけは鋭いみてーだな、木偶人形」

 

 常よりも敬意を払う光の言葉にジュダルはくっくっと笑いながら言い捨てた。

 

 木偶人形

 マギである彼が光のことをそう呼び捨てる理由が、彼には分かっていた。

 

「愛しの白瑛の傍に居なくてもいいのかよ?」

「生憎と外様なもので。むしろ貴方こそ皇帝陛下の葬儀に参列しなくてもよろしいのですか? 次代皇帝が決まる場に神官不在は都合が悪いのでは?」

 

 にやにやとしながら投げかけられた揶揄の言葉に光はさっくりと返した。

 神官の中でも別格の地位にあるというマギ。その存在は煌帝国にとってなくてはならないものであるからして、皇帝の気紛れな寵ひとつで揺らぐようなものではないだろう。

 だが、彼は神官という肩書とは別に、紅炎たち煌帝国の金属器使いの導き手でもあるのだ。次の皇帝である紅炎の傍に侍るのはむしろ当然の事だろう。

 

「次の皇帝、か……知ってるか? 煌帝国はシンドリアと戦争をする。世界中を巻き込んだ大戦争だ!」

 

 光の問いかけにジュダルは鼻で笑うようにして流し、楽しそうに煌帝国の行く道を、世界の混乱への道を指し示した。

 ジュダルの言葉に光の瞳に険が宿る。

 

 ジュダルがシンドリア ――シンドバッドに宣戦布告した。

 その報せは天山高原に居る時にすでに受けていた。

 白龍がザガン攻略に赴いている間に、煌帝国を抜け出していたジュダルはシンドリアの結界を破壊、組織と動きを同じくしてその領内へと乗り込んだらしい。

 しかも多勢に囲まれ、覇王シンドバッドを前にしながら堂々と「シンドリアを滅ぼす」宣言。

 その報告を聞いた紅炎は笑いながらジュダルの行動を認めたとのことだ。

 

 だが 

 

「そうかもしれませんね。炎帝(・・)殿は戦争好きだ。……ですが、俺は兄としての紅炎(・・)殿を信じている。彼が帝位につけば俺の目的は叶うだろう」

 

 戦好きの炎帝。

 紅炎のその評はおそらく正しい。

 大きな志のためにはどのようなことでもしてみせる。それは正しいとは言えないかもしれない。

 だが、それでも練 紅炎という男は、家族を、弟妹たちを信じようとする男だ。

 

 練 紅炎が為政者となれば、絶対に白瑛に惨劇をもたらすことはない。

 それだけは信じられた。

 

「はっ。あの女を守る、か」

 

 やはりと言うべきか。

 この男には視えている。

 

 皇 光がガミジンに託した想いを。

 

 “何に変えても練 白瑛を守る”

 

 その意味を。

 

「いいこと教えてやるぜ木偶人形。次の皇帝は紅炎じゃねえ」

「なに?」

 

 分かっていながら、ジュダルは愉悦の表情を浮かべて告げた。

 

「次の皇帝は―――――」

 

 この世界がさらなる混迷へと向かおうとしていることを。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 宮中にて、葬儀の最中に開示された紅徳帝の遺言。

 誰もが紅炎こそが次の皇帝だと信じて疑わなかった結末は、神官の口によって悪夢のように否定された。

 

「煌帝国、第三代皇帝は……練玉艶。並びに帝国『神官』一同、是を輔けよ。国事を委す」

 

「はぁぁ!?」「なっ!!?」

 

 ざわつく文武百官。兄王を支えんとしてきた紅覇や白瑛も驚愕に表情を一変させた。

 中でも紅炎に忠義を尽くす4人の眷属は今にも玉艶に襲い掛からんばかりに殺気立ち、前へと進み出た。

 

「やむを得ぬ措置なのです。本来、皇位を継ぐべきは紅炎……しかし。彼は今、征西軍大総督という大任を拝命する見。これを解くは陛下の志しを半ばで踏みにじる愚行。ゆえに、この私が。大陸平定までの間、臨時皇帝の座につくのです」

 

 納得のいかぬ家来(・・)に言い聞かせるように、滔々と理と意志をもってこの顛末を説明する玉艶。

 

「これが、陛下のご意志です」

 

「ほざくな、女狐」

 

 涙を滴らせ、さも悲しげに告げる新皇帝(・・・)の言葉に紅炎の忠臣ともいえる眷属、大柄の武人である楽禁が憤怒の表情を見せて身を乗り出した。

 強大な力を持つ眷属。

 それだけではなく、紅明、紅覇といった金属器使いの皇子たちもすでに戦意を滾らせており、紅炎を盛り立てている家臣団と不気味に統一された神官たちとの対立の構図は最早決定的だ。

 

 このままでは紅炎を推したててきた派閥と神官たちとの派閥で宮中が割れる。

 それは大乱の幕開けともなりかねない、絶対に防がねばならない事態だ。

 

「は、母上! どうかご再考を! 陛下のご意志とはいえ、これでは――」

 

 血の繋がった自分ならあるいは、と白瑛は対立の只中に身を割りこませ膝をついて母である玉艶を仰ぎ見た。

 自分と血を同じくし、天華の統一という志を抱いた父の伴侶であった母であればきっと。

 焦燥を覚えながら口にしようとした諫言は、スッと身を割りこませた白龍に遮られた。

 

 白瑛と同じく、母の血を分けたただ一人の実弟。

 思いを同じくしてくれていると無条件に信じているその弟は

 

「皇太后陛下!」

 

 白瑛と同じく膝をつき拱手して声を上げた。

 だが

 

「玉座にお着きください。あなたの他にはおりませぬ!」

「なっ……!!?」

 

 紡がれた言葉は白瑛の、皆の思いを裏切るものだった。

 驚愕に目を見開き振り返る白瑛や紅覇。

 

 対立の構図とは言え拮抗していた宮中は、白龍の言葉で大勢を決した。

 

  ――玉座にお着きください。皇太后陛下!!――

 

 賛美するように唱えられるその言葉は、この場における、いや世界の流れを決定づけようとするものだった。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「な、に…………」

 

 目の前の男は、明らかに組織と関わりを持つマギだ。

 運命を呪った存在。

 その口から語られた言葉に、光は言葉を失った。

 

 世界の流れが、想定していたものよりもずっと悪い方へと向かおうとしている。

 

 紅炎ならばそれを止められるはずだった。

 やり方はともかく、紅炎は間違いなく、その流れを止めるべく戦おうとしている王なのだ。

 そんな彼だから、王としての器を持ちながらも、白瑛たち弟妹たちを大切に想ってくれる彼だからこそ、任せられると思っていた。

 

 残りわずかな時間。

 それを使ってでも、白瑛の運命を、過酷だった運命が安定へと向かうことを夢見たのだ。

 

 だが

 

 立ったのは紅炎ではない。

 

 世界の流れはより混沌へと向かう。

 白瑛の戦いはより苛烈なものへとなっていく。

 

「それに。どうやらもう一つ、運命が狂う(・・・・・)みたいだぜ」

「!!」

 

 ニヤリと嗤う呪いの子。

 その顔が告げていた。

 

 ――お前も堕ちてしまえと

 

 光は、自分の存在意義(・・・・)に何か亀裂のようなモノが奔ったのを感じ取り、バッと虚空に振り向いた。

 

 背後には隙を見せてはいけない天敵。

 だが、光はそちらを一顧だにすることなく駆けだした。

 

「楽しみだぜ。器の割れた、残り少ない木偶人形がどこまで運命に抗えるかがな」

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 分からない。

 

 なぜこうなってしまったのか。

 

 いや、きっとあの時。父が亡くなり、兄たちが逝ってしまったあの時から、芽吹いていたのだろう。

 自分はそれに気付かなかったのだ。

 その笑顔に騙されて。なんでもないという言葉に目を曇らせ。

 

 ――父上と兄上たちを殺したのは母上です――

 

 “なにか”がおかしいことは白瑛とて察していた。

 急激に乱立する迷宮。

 煌帝国が戦に乗り出す前から世界中で蔓延する憎悪と混乱の嵐。

 

 父から義父へ。そして義兄である紅炎にまで媚び寄ろうとする母の変貌。

 加えて先程の皇太后陛下就任という誰一人として予想だにしなかった波乱。

 

 母のなにかが変わってしまっていたことは分かっていた。

 

 ――その背後にいる神官集団こそ、この国を操る“アル・サーメン”――

 

 そして今、急激に変わってしまった白龍の、その憎悪に満ちた瞳。

 

 ――奴らを滅ぼす。俺と姉上で。そして正常な国を取り戻す……!!! そのためだけに、俺は今日まで生きてきました!!――

 

 かつて父は語った。

 分裂され、争い、滅びようとしていた天華の民を救うため、三国の統一を、と。

 

 そして昨日、義兄は語った。

 分断され、争いの末に死に絶えぬように、世界を一つにする。

 そのためには一人の王が、世界を統べねばならない。この志が正しいかはまだ分からないが、それでも、世界の謎を解き明かし、おまえたちを「ただ一つの世界」の高みへと連れていきたい。

 そのために力を貸して欲しい、と。

 

 それを聞いていたはずだ。

 その言葉を理解したはずだ。

 世界を見て、戦場を見て、父と兄を失って、争いの続く世界の悲しみを知ったはずだ。

 

 なのに

 

 ――あいつのきれいごとは矛盾してますよ。あいつのやってることは結局、力による他国の侵略じゃあないですか――

 

 なぜそのようなことを言うの。

 

 ――姉上だって、黄牙の村を力づくで占領したじゃないですか!!――

 

 言葉が刃となって突き刺さった。

 ずっと同じ方向を向いていると思っていたのに、あの子は私たちと同じ方向など見てはいなかった。

 争うことだけではない、志という思いで道を束ねる。

 そうやって戦ってきたはずだったのに、身近にいてくれるはずの肉親からそれを否定されたくはなかった。

 

 —―恨みは消えない!! 恨んだ相手は、消すしかないんです!!――

 

 なぜそんな目をしているの。

 一体いつから、自分はこの弟の姿を勘違いしてしまっていたのか。

 

 

「白瑛!!!」

 

 悔恨と悲しみと怒りと嘆き。様々な感情が入り乱れてぐちゃぐちゃになっていた白瑛の耳に、切羽詰ったような声が届いた。

 俯いていた顔を上げて前を見るとこちらを心配するような顔で見ている光の姿があった。

 

「なにが、あった?」

 

 どこかに急いでいたのだろうか、その息は乱れており、しかしただ一心に白瑛のことだけを見ていた。

 

「光殿……私、私は……」 

 

 揺れ動いていた心が、その声に反応するかのように決壊した。

 

「白瑛?」

 

 とすん、と近づいてきた光の胸元に顔を隠して身を寄せる白瑛。

 今までに一度しか見たことがないほどに、細く折れてしまいそうな白瑛のその姿に光は伺うように声をかけた。

 

 泣く顔は見せたくはない。

 いつだって凛とありつづけたい。

 それは武人としての生き方を選んだ自分の矜持でもあるし、ただ一つ残った女としての矜持。

 この人の好いてくれる、この人と同じようにまっすぐな自分でいたいから。

 

 だが、それを貫くにはあまりにもいろいろなことが一度に起こりすぎた。

 

 政局的な混乱。

 今まで自分に隠されてきた真実。

 憎悪に歪んだ実弟。

 

 痛いほどにまっすぐだと評されたそのありようが、今はただただ痛々しいほどにキズをつくろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 不安があるのだ。

 

 唯一つ。

 絶対に信じられると思っているこの温もりですら――

 

 

 ――本当はまやかしではないかという…………

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 黒い闇の中、紫弁の花を散らせる桜の大樹が佇んでいる。

 

 ――どうすればいいのか。

 残された時間はあまりにも少ない――

 

 桜の花弁はとうに満開を過ぎ去り、今はもう半分近くまでその花を散らせている。

 

 ――おそらくあと数回。

 それがこの器に満たした願いの残量――

 

 

 

 ずっと見ていたいと願った。あの真っ直ぐな姫の隣で、彼女の笑顔を。

 

 みんなが笑い合う世界で。

 花のような笑顔を向けてくれて語り合う。

 いつか盛りが過ぎ去って、次の子らに世代が渡り、変わっていく世界の中で一緒にそれを見続けたかった。

 

 穏やかなあの時にはもう戻れない。

 花樹は荒れ狂う嵐の中へと放り出されてしまったのだから。

 

 どんなに無様でもいい。どんな形でもいい。

 ただ、いつか折れてしまいそうなほどに、それでも凛と咲き誇ろうとするあの華を護りたかった。

 

 最期まで守りきることももう難しいかもしれない。

 それでも……まだ…………

 

 散り行く花の最後の一欠けらまで足掻き続けてみせる。

 

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。

今回は原作の描写が多めなのとかあって、色々と反応が怖いです。
マギの世界観的に暗くなるのは仕方ないのかもしれませんが、原作のあの絶妙に挟まれるコメディーパートがすごく難しいことを最近痛感しております。

 というわけで、次回、ペース調整も兼ねて番外編となります。
 重めの話から一転、本編とは“ほぼ”かかわりのない所でのラブコメパートです。本当はマギペーパーみたいなのも予定していたのですが、中々上手くまとまらなかったため、別の主人公、ヒロインの物語になります。
 本編主人公の皇光とは全く異なる主人公です。
 ヒロインは最近、私の中で株価高騰中のあの人。女子力(物理)の高い赤髪のあの子!
 おバカな感じのストーリーを考えております。


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番外編 世界は赤く鮮やかに

前話のあとがきにもありましたが、今回は本編の投稿速度調整のためにちょこちょこと書き溜めていた番外編となります。
普段シリアス成分を多めにしているので、今回はコメディ率高めです。


 その赤を知る前

 私には世界の全てが虚ろに見えた。

 

 西大陸最大の版図を誇る大国、レーム帝国。豊かなこの国において貴族という階級に生まれた自分は、生活する上では何不自由なく過ごすことができた。

 高い教養を授かることもでき、また若くしてそれを多方面に活かすことができた。

 レームの文官における重鎮の一人である父。その嫡男である自分ににじり寄る者は多かった。

 恵まれた生活。国民に対しては保障の整ったレームという国にあって、有数の貴族であるのだから、生きていく上では何不自由はない。

 

 だが、不満はあった。それは傍から見れば、どうということもないものだろう。

 例えば人付き合い。

 特に父が心血を注ぐ政治とやらにおける人付き合いなどその最たるものだ。

 あのようなものになぜあれほどまでに感情を傾けられるのか不思議で仕方ない。

 腹の中の黒いイチモツを隠してどいつもこいつも似たような笑顔を貼りつけるやりとり。口からでてくるのは一見綺麗に聞こえて、一皮下には虫が蠢くようなものばかり。

 あんな伏魔殿での人付き合いなど関わりたくもないものだ。

 

 だが、残念ながらそうもいかない。

 とばっちりは私にも容赦なくやってくる。例えば父に連れられて出席した夜会。ひどく退屈だったそれなど、その最たる厄災でしかなかった。

 

 かつての私には……

 

 夜会で出会う人はどれも同じ顔に見えた。

 似たり寄ったりのハリボテの笑顔を張り付けた道化のような人たち。もっとも、そんな道化を演じることが政治の世界で、この世界で生きていく上では都合がよかった。

 見るのもうんざりする笑顔を同じように張り付けて、過ごしていた。

 自分で為したのではない富と権力、そして僅かながら知られはじめてきた私自身の名声に惹かれてくる者たち。適度に相手の自尊心を満足させるような言葉を吐いて、気持ちの悪い笑顔を浮かべていれば、それだけで適当に過ごすことができた。

 咽るほどの花の匂いを身に着けてすり寄る女も多くいた。その顔には、やはり見分けのつかない気持ちの悪い笑顔があった。

 

 

 

 色のない世界。

 その中で僅かながらも楽しみがあるとすれば、研究をしているときだった。

 

「調子はどうかしら、レオルド」

「シェヘラザード様……このようなお見苦しいところに」

 

 レームの最高司祭であるシェヘラザード様の肝いりで進められていた“化学”。

 いずれ来る東大陸の煌帝国や七海連合との戦いのための兵器の開発。

 それをしているときは、わずかながら、自分の“生”を実感できた。

 自分の考えや功績が、国に、世界に爪跡を残す。家名とは無関係に自分の名が世に知られる。

 色の無い世界で、それが唯一、自分が世界に生きていることを告げていた。

 

 乱雑に散らかった研究室に足を踏み入れたのは幼く見える少女。地に着くほどに長い髪。薄手の衣を纏い、手には身長よりも大きな杖がある。彼女こそ、200年にも渡りレームを守護し、導いてきた最高司祭。シェヘラザード様だ。 

 部屋の散らかりようには意に介さず、私の手元にある開発中の兵器の図面を覗き込みに来た。

 

「申し訳ありません。滑空状態であれば利用は可能そうなのですが、どうしても最初に箱体を浮かせることできず……」

 

 シェヘラザード様は、世界でも数人しかいない魔法使いであるにもかかわらず、なぜかその魔法を使わない、人の力による発展とやらを説いておられる。

 私には父譲りの政治の才もあるらしいのだが、どうやら工学に関しても秀でているらしい。

 現在作成しているのは魔法を使わずに空を飛ぶための箱だ。

 なんでも東の煌帝国には迷宮道具という不思議な道具があり、その中には空飛ぶ絨毯などというものもあるそうだ。

 御力を見せることはあまりないためよくは知らないが、200年を生きるというシェヘラザード様の御力をもってすれば、そのような道具を作ることもできるはずなのに、この方はそれをしない。

 曰く「自然に発展するのがいいのだ」とのことだ。

 なんとも回りくどいことだが、おかげで人の顔をうんざりしながら見なければならない政治から少しばかり離れる口実ができるのだから有難いことだ。

 

 だが最近はその研究もあまりうまく行っていない。

 人を乗せ、空を飛ぶことができる箱。

 現在開発中の“爆発を起こす壺”と合わせれば魔法や金属器という限られた者しか使うことのできなかった空からの強力な攻撃が一般の兵士にも可能になるものだ。

 だがこれがなかなかに難しい。

 風を捕まえれば、ある程度浮いていることもできるのだが、浮き続けることは難しい。しかも最初に風を捕まえるのが大きな制約となってしまい、これではとても戦場に出すことなどできないだろう。

 

 机の上の図面と睨めっこして、何か別の方法はないものかと思考していたが、不意に頭を撫でられて思索が中断した。振り返ると少女のような外見の、とっても偉い司祭が手を伸ばして私の頭を撫でていた。

 

「あまり無理をしては駄目よ、レオルド。ずっと研究室に籠りきりと聞いたわ。たまには街に出て楽しんできたらどう?」

「はぁ……しかし、街での娯楽など剣闘士や賭博のような下賤で低俗なものばかりで……」

 

 まるで子供でもあやすかのような口ぶり。

 大人や政治家との付き合いで、対人関係を滑らかにするやりとりは聊かばかり心得ているものの、10歳前半ほどの外見の少女からの慰めに不敬にも間の抜けた返答を返してしまった。

 父などは、彼女の外見と中身のギャップに慣れているだろうが、父たちの半分にも、彼女と比較すれば10分の1ほどしか生きていない身の上では、慣れぬのも仕方ないだろう。

 

「そんな言い方をしてはムーたちが悲しむわ」

「失礼。しかし、シェヘラザード様も剣闘士のような娯楽は御嫌いでしたよね」

 

 思わず本音をこぼしてしまった自分に、シェヘラザード様は窘めるように言った。

 その口ぶりは剣闘士として戦っている人たちが悲しむというよりも、まるでご自身が悲しまれているようにも聞こえた。

 剣闘士、剣奴。奴隷。そうしたものの存在を快くは思っていないのだろう。思っていなくても、発展のためには必要だ。そうした割り切りの中でもがくのも、また必要な葛藤なのだろう。

 

「そう、ね……でも、私は好きよ。この国の子を見るのが。この国で生きる皆の姿を見るのが」

 

 大きな相違。

 人の世を疎ましく思う自分とは異なり、彼女は人の世を、この国を大切に思っているようだ。

 200年も続く生。

 こんな色の無い世界を200年も見続けるなんて苦行。自分には到底できない。

 

 

 

 

 結局、研究室に籠っていてもいい案は浮かばず、気分転換代わりに外へとでた。

 出たはいいが、色褪せた世界で見るモノなどなかった。

 

 たまたま闘技場に行ったのだって、シェヘラザード様の言葉が少しだけ頭に残っていたからだ。

 

 だが、そこで――

 

 ――私は出会ってしまった。

 

 生物種として圧倒的に不利なはずの体躯の差。

 そんなものなど無関係に、ただ狩る者として存在する者があった。

 

 戦いという場において、鮮烈に輝く色は赤。

 

 そのしなやかな脚が地を蹴ると、小さな体は赤い軌跡だけを残していく。

 その細い腕が振るわれると、人を食う猛獣は狩られる立場を明確にしたように赤い血を流す。

 

 戦いが始まる前には、気怠げに色の無い世界を眺めるようだった顔は、戦いの中において眩いばかりの生を実感していた。

 

 赤く輝くその生は、どんなものよりも生きていることを体現していた。

 

 

 

   ✡✡✡

 

 

 

 あれから数日。

 研究の中でも、ふと鮮烈な輝きを思い出すようなことがあった。

 

「……ルド。レオルド!」

 

 父に呼びかけられて、物思いから回帰した。

 

「すいません、父上。どうされましたか?」

「どうされましたか、ではないぞ。今日の夜会、お前ちゃんと分かっているのだろうな?」

 

 話の内容は、いつものくだらない夜会のことだった。

 人付き合いのためにその場で“遊んで”こいということだ。

 

「大丈夫ですよ父上」 

 

 自分としても、くだらないながらもとりあえずやりたいようにするためには、退屈ながらも人間関係とやらを円滑にしておかなければならない。

 心と表情とを切り離して世を渡る。

 それは生きていくうえで当然の行為だ。

 

「まあお前なら心配いらんと思うが。今日の夜会にはアレキウスの子飼いの奴隷が出てくるとも聞いておる。気をつけろよ」

「アレキウス家の奴隷、ですか……?」

「ああ。イグナティウスのやつの息子だ。以前から似たような面の奴隷どもをかき集めていたようだが……忌々しい」

 

 アレキウス家はレームにおいて武門の名家だ。

 現在の当主、イグナティウス・アレキウスもまた数々の武功を上げ、迷宮攻略という華々しい戦果をもって軍最高司令官の位についている。

 イグナティウス様が迷宮攻略したというのもあるが、アレキウス家はシェヘラザード様の覚えが非常にめでたい。なんでも彼の家は昔シェヘラザード様が選んだ初めての王の器の末裔であるそうだ。

 文官を多く輩出する当家とは対照的で、父は一方的に彼を敵視している節がある。

 だが、いくら文官の名家の者が嫌っていても、彼を認める最大の後ろ盾が、彼を迷宮に誘った最高司祭ではたてつくわけにはいかない。

 そのため、研究という功績においてシェヘラザード様の覚えめでたい自分に、父は強く期待しているらしい。

 

「イグナティウス様の子息というと……ムー様ですか?」

「所詮は奴隷の血だ! 野卑な娘も居るそうだが、近づくのならばムー・アレキウスにしておけ。忌々しいがアレはアレで使い道のあるヤツだ」

 

 ガンッと机を叩いて憤る父だが、その様は無様とも言えた。

 奴隷、というのはおそらくムー・アレキウスが貴族の出自でありながらファナリスという少数民族の ――奴隷狩りによって少数になってしまった民族の血を引いているからだろう。

 だが彼には紛れもなく貴族の血が流れているし、若くして重鎮の者たちと渡り合えるだけの聡明さを持ち、歴然たる武功としての功績を残している。

 

 内心で「そんな卑屈な器だからあなたの代で当家は失墜していっているのですよ」と皮肉りながら、表面上では期待に応えるように適当な返答を返していた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 夜会ではやはり、いつもと同じような顔ぶればかりが自分の周りにはいた。

 同じような笑顔を貼り付け、文官の名家という名声にすり寄ろうとする。

 

 だが、少し離れたところで、目を引く人が一人だけ居た。

 

 引き締められた肢体。背中まで届くほどの髪。切れ長の瞳は、今は温和そうな雰囲気をつくっており、丁寧な応対は並み居る貴族と渡り合っており、貴公子然とした振る舞いに暇を持て余した剣闘士好きのご婦人方が熱を帯びたような視線を向けている。

 長い髪。

 その色は、数日前に見た輝きを思わせる赤だった。

 

 数日前見た“彼女”よりも背が大きく、性別も異なるが、彼を見ていると輝きを思い出してか、不思議とそこだけ色づいたように見える。

 少しそちらの方に意識を向けて、聞き耳を立ててみると、どうやら彼こそが、アレキウス家の子息、ムー・アレキウスらしい。

 牽制のつもりか、皮肉でも言いに行ったのか、父が彼に近づき、気持ちの悪い笑顔を浮かべて話しかけている。

 途端に色褪せた視界の中で、ムーは笑顔で父に応対しているが、色が褪せるのと同じように興味も萎んで視線を外した。

 

 

 貴族方やご婦人方の相手を適度にしつつ退屈感が増してきたころ。ふと、視界に赤が映り込んだ。

 

 —―彼女だ――

 

 闘技場では遠目だったが一目でわかった。

 剣闘士として戦っていた彼女がなぜここに。とも思ったが、あのムー・アレキウスも闘技場で戦うことがある、というよりも大人気の剣闘士だそうだ。

 特徴も似ているし、ひょっとしたら彼女が父の言っていたアレキウス家の奴隷なのだろうか……? 

 いや、それとも彼女がイグナティウス様の娘なのだろうか?

 

 今はどこぞの貴族の男性の話し相手をしているが、レーム貴公子ぶりが板についている兄とは異なり、夜会の場には慣れていないのか彼女の笑顔は固い。

 他の婦女と同じように笑顔を貼り付けているが、強張り気味のものだからか不思議と興味がわいて少し眺めてみた。

 

 杯を口に運ぶ手つきには洗練さが乏しく、ぎこちない。

 闘技場で見たときと髪型が違うが、それが気になるようでしきりに頭を掻こうとして、髪が乱れるのを恐れて手が止まるといった行動を何度もしている。

 何を話しかけられているのか、それとも男性の向けてくる視線に混ざる好色なものが気に食わないのか、強張っていながらもなんとか笑みを作っていた口元が、はた目にも微痙攣したようにひくついていっている。

 

 貼り付けた笑顔が剥がれ落ちて、剥き出しの生が現れようとしている気がした。

 

 ――面白い――

 

 失敗はしているが、同じように貼り付けた笑顔なのに、なぜ彼女の笑顔は面白いのだろう……?

 会話の内容を聞いてみたくなって、近づこうとしたその時。

 

 バリン。と彼女が手にしていた金属(・・)製の杯が砕けた。

 

「うわっ! 杯が壊れ、冷たっ!」

 

 中にはまだ葡萄酒が入っていたのだろう。液が飛び散り、彼女の白い装いだけでなく、話していた男性も被ることとなった。

 瞬間、彼女は“しまった”という顔になった。

 

「す、すまないのだ。えっと……」

 

 慌てた彼女は、キョロキョロとあたりを見回し、手近なところにいた給仕の奴隷から布を受け取り、ふき取ろうと手を伸ばした。

 だが

 

「痛だだっ!! なにす、ぐはっ!!」

 

 ごしごしと布を顔面に押し付け、容赦なくふき取ろうとする彼女の力に男性が痛みに悲鳴を上げた。彼女の行動を無礼ととったのか、男性が怒って無理やり彼女の腕に掴みかかり、次の瞬間には吹きとばされた。

 

「うわぁっ!! すまないのだっ!!」

 

 おたおたとして取り繕おうとしようにも、がくがくと男性を揺らす様は、まるで不埒者に止めを刺さんとしているかのようにも見える。

 

「…………」

 

 生きている。

 仮面だらけでまるで色のない世界の中で、彼女はまるで生を体現しているかのように見えた。

 隠そうとしても隠しきれない自己という存在。

 あっさりと隠れてしまう小さな自分とはまるで違うもののように見えた。

 

 気づけば我知らず口元が緩んでいた。

 

 世界が色づいて見える。

 鮮烈な赤が、世界を華やかに見せてくれる。

 

 彼女と話がしてみたい。

 人付き合いなど極力避けたい私が、珍しくそう思った。

 

 

 騒ぎを聞きつけてムーがやってくると、彼は二言三言、彼女に言い聞かせるように話すとがっくりと気落ちした彼女の肩に手をおいてその場を引き受けた。

 

 落ち込んでいるのか彼女は夜会の華やかなところから離れてバルコニーの方へと歩いて行った。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「やってしまったのだ……」

 

 先程の無様を思い出して彼女はしょんぼりと萎れていた。

 

 夜会には今までも数度出たことがある。

 だが、そのいずれも自分は失敗してしまっていたのだ。

 簡単な皮肉に反応し、兄の悪口にムキになり、夜会という場で“お上品に”女性に触れてくる優男を吹きとばす。

 レームの名門・アレキウス家。

 もっと頑張って自分を抑えて、その家名に相応しい上品な態度を心がけなければいけないのに上品に振舞わなければならないというのは分かっているのに、どうしてもそれができない。

 

 アレキウス家の、皇帝やシェヘラザード様の威光のおかげで、同胞たるファナリスを、奴隷となっていた彼ら、彼女たちを解放することができた。そして兄さんはファナリス兵団として同胞たちを纏め上げ、レームの堂々たる軍団として立場を守ろうとしている。

 社交の場での自分の態度如何で、その大切な同胞たちの扱いが変わるかもしれないのだ。

 

 自分の不甲斐無さに彼女はぎゅっとバルコニーの欄干を握り締めた。 

 

「お一人ですか?」

 

 声がかけられた。

 振り向くとそこにはレームの貴族らしく金髪の男がいた。優男で、兄さんやファナリス兵団のたくましい筋肉など微塵もないもやしのような男だ。顔には夜会に出席する男に特徴的なつくったような笑顔が浮かんでいる。

 

「そう……ですわ」

 

 正直なところ。

 先程の件でかなり落ち込んでいるのだからそっとしておいてほしかった。

 だが、落ち込んでいる場合ではないのだ。

 夜会はまだ続いている。アレキウスの娘として恥じない振る舞いを続けなければいけない時間はまだ残されているのだ。

 

 どうやら男は先程の不幸な事故(・・)を目撃していなかったようだ。

 レームの貴族の優男など、どいつもこいつも、ちょっとファナリスとしての力を見てしまうと腰を抜かして離れて行ってしまうから。

 だからこそ、このように話しかけてきた相手を無下に扱うことはできない。

 

 男は彼女の内心に気付いていないのか気付いているのか、貴公子然とした微笑みを浮かべながら彼女の隣までやってきた。

 少し棘々した思いを隠し切れないまま見返すと、男はくすりと笑った。

 

「レオとお呼びください。お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 察しの悪い男だ。

 不機嫌なのだから放っておいてほしいのに。

 ただ、無礼な振る舞いはできないし、どうせやってきたのは向こうからなのだからこの際、貴族の振る舞いの練習台にでもしよう。

 そう割り切って彼女は自らの名前を返した。

 

「みゅ、ミュロン・アレキウスなのだ!」

 

 練習と割り切りはしても、いやある意味、練習だからこそ緊張しているのかミュロンと名乗った彼女は少し噛みながら自分の名前を言い切った。

 

「ミュロンさん、ですか……なるほどイグナティウス様のご息女でしたか」

 

 レオと名乗った男は武門の名家として名高いアレキウス家の子女の名を覚えているほどには政治に詳しいのか、ミュロンの父の名前をだした。

 

「そ、そうなのだ!」

「お噂はかねがね」

 

 つい家名を名乗ってしまったが、いきなりハードルが上がった。

 見知らぬ貴族だからこそ、練習にちょうど良いと思ったのに、アレキウス家という名家の色眼鏡をかけられてしまえば、求められる振る舞いのハードルが断然に跳ね上がる。

 しかも“お噂”とはなんなのか。

 もしや自分の失敗談は、貴族の間で噂に上るほどに知れ渡っているのか。

 

 上がってしまったハードルとは逆に、自らの無様さを思い返してミュロンは頭に血を上らせかけた。

 

 だが

 

「大層美しい方が居られるとお噂をお聞きしたことが。いや、想像していた以上にお美しい」 

「んなっ!!?」

 

 別の意味で顔が真っ赤になった。

 正直、そんな挨拶をかわす夜会に憧れはあった。

 だが、ファナリスの代名詞ともいえる赤毛を見れば、美しさとは別のものを即座に連想されて、夜会でその挨拶がでてきたことは今までなかった。

 しかも普段周りにいるのは、粗野な振る舞いばかりする困りものの脳筋などなど。

 耐性のないところへの不意打ちに、ささくれ立っていた心が変な方向にはね飛んだ。

 

 隠したつもりだったが、驚きが顔にでも出ていたのかレオは面白そうに「ふふ」と笑った。

 

「たしか剣闘の試合にも出場されておられましたよね」

「むぐっ!! そ、そうなのだ。いや、そうですわ! 僕もファナリス兵団の団員ですから」

「いつも出ておられるのですか?」

「そ、そんなこともないのだ! あの時は……偶々、そう偶々団員に勧められて出ただけなのだ!」

 

 嫌なところを見られて、しかも覚えられている。

 ファナリス兵団の団員の一人である脳筋に勧められて出場した剣闘試合。

 夜会の失敗続きに加え、ファナリスとしての力を思うように振るえない鬱屈を晴らすのには少し物足りなかったが、久々に楽しかったあれがまさか今になって足枷になるとは。

 

 兄さんのように強さが象徴として扱われ、レーム貴公子としての振る舞いをこなせれば別だが、基本的に野蛮な赤毛はビビられる。

 お上品に振舞いたい今は、剣闘試合のイメージなど足枷でしかない。

 

「そうですか。それは残念です。あの時の貴女の姿は、今でも目に焼き付いています」

「のぐっ!!」

 

 いちいち嫌なところをついくる男だ。

 むしろ一発ぶち込んでやれば、このもやしの記憶は消えるんじゃないかとも思ったぐらいだ。

 

 黒い気配を漂わせ始めたミュロンをよそに、レオは陶然とした様子で語り始めた。

 

「あの時の貴女は本当に美しかった。躍動するその躰。猛虎を打ち砕く強靭な脚。翔ける宙になびく赤い髪。このようなところでお会いできて光栄です」

「ぬぐぐ……」

 

 ――このようなところで、とはどういう意味なのだ!! あれか、このような上品な場所は野蛮なファナリスには似合わないと言いたいのか!!?――

 

 先程の失敗もあり、なんとか気分を落ち着かせようとするミュロンの手が、握りしめている欄干をべきりと引き千切るが男は全く気にしたふうもなく、よく分からない微笑を向けてきている

 その笑みを涙目になって睨み付けると、男はますます笑顔を深くした。

 

「勿論今もお美しい」

「は?」

 

 続けられた言葉に、間の抜けた声が出た。

 

「あの時と髪型が違いますね。こちらもよくお似合いです」

「……ちょっと待つのだ」

 

 話がおかしな方向に行っている気がする。

 遅まきながらそう気づいたミュロンは話を止めるように呼びかけた。

 

「その赤い瞳もまるでルビーのようで」

「ちょっと待つのだ!!」

「はい?」

 

 止めてもなお続きそうな美辞麗句を今度はちょっと強く押し留めると、レオはきょとんといった顔でミュロンを見た。

 

「何を言っているのかよく分からなくなってきたのだが、結局お前は何をしたいのだ?」

 

 きっとこいつの好きなように口を開かせていては埒があかない。

 そう思ったミュロンは、とりあえずお上品さとか脇に置いて、話をぶった切るようにすぱっと尋ねた。

 本心を隠した長々とした前口上や腹の探りあいを苦手とするミュロンは真っ向から要件を尋ね。

 

「ふむ……貴女に一目惚れしました、ミュロンさん」

「……は?」

 

 直球ど真ん中。聞き間違えようもない真っ直ぐな言葉が返ってきた。

 

「あ。一目惚れというのは少し違うかもしれませんね。ですが闘技場でお見かけして、今日、お話させていただいて貴女を好きになりました」

 

 ぽかん、と呆気にとられた。

 

 あまりにも直球な物言いに、ファナリスとして超人的な反応速度を誇るミュロンの反応が遅れた。

 

 少したって再起動したミュロンは、ぶわっと顔を朱くした。

 

「な、なな、なにを言っているのだオマエは!!!?」

「はい? ですから、ミュロンさんのお美しさに」

「ちょっと黙るのだ!」

 

 どうやら……この男はまともなレーム貴族ではないらしい。

 こいつの語るに任せては、訳の分からない言葉しかでてこない。そう判断したミュロンは掌をレオの口元に押し付けて黙らせた。

 ミュロンにとっては軽く押さえつけたものだが、レオにとってそれはかなりの衝撃だったのか、「がぼっ!」と変な音が口から洩れた。

 とりあえず、バカ貴族の口を黙らせることに成功したミュロンは、掌をレオの口に押し付けたまま、沸騰しかけた頭を働かせた。

 

 このもやしは何を言っているのか?

 自分をからかっているのか?

 いや、自分がどうであれアレキウス家の娘をからかうなどということをおいそれと出来ない筈。

 

「ほ、ほとんど話もしていない相手に向かって何を言っているのだオマエは!」

 

 なんとか気持ちを落ち着けて早口に捲し立てた。

 そうだ。兄さんならいざ知らず。仮に先程の失敗を目撃していなかったとしても、闘技場で戦う姿を観て、今日自己紹介しただけで惚れたなどと言われて誰が信じられるものか。

 どうせレーム貴族の腹の探り合いの一種だろうと、朱くなった顔できっともやし男を睨み付けた。

 睨みつけられた男は、ビビるかと思いきや、ぱあっ嬉しそうな顔になった。

 

「それではもう少しお話しましょう。ミュロンさん!」

「いや、なんでそうなる!」

 

 どういう思考回路をすればそういう言葉を返してくるのか。

 上品な振る舞いなどすでに大峡谷の彼方に殴り飛ばして大声で聞き返すが、もやしは一向に構うことなくお話を続けた。

 

「ミュロンさん。何か悩まれていることでもあるのですか?」

「今! まさに、オマエの対応に悩んでいるのだ!」

 

 安易な回答はどつぼにはまるだけだ。

 ミュロンにもそれが分かり、少々突き放すように言ったのだが、レオの笑顔は曇ることがない。

 

「ふふ。夜会のマナーに不慣れなことを気にされておられるのですか?」

「ぬぐっ! な、なんで分か、い、いや。なんにもないのだ!」

 

 しかもにこにことした顔で痛いところをついてくる。

 

 どこを見て気づいたのか。

 察しの悪いと思っていた男の以外にも機微の細かいところに思わずミュロンは本音がでかかり慌てて首を横に振った。

 手を胸の前にしてぶんぶんと振って否定する。だが、不意にその手が握られた。

 

「美しい貴女の顔が曇るのは私としても心苦しいのです」

「ふぁっ!!?」

 

 掌を優しく包み込まれ、胸元に引き寄せられた。

 ファナリスの男どもや皮肉を言ってくる貴族の男たちとも違う態度に、ミュロンの混乱が高まった。 

 

「是非、ご相談ください、ミュロンさん」

 

 ミュロンの首元にレオの手が伸びる。片手はレオの胸元に抱かれており、手が伸びてくるのに合わせてレオの顔がミュロンの顔を覗き込むように近づいてくる。

 

 妙に艶のある顔がミュロンの瞳の中で大写しになり

 

「っ。っ……――――っ!!」

 

 声にならない悲鳴が上がった。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 気になっていた赤髪の彼女は、自分が思っていた以上に、自分という存在を剥きだしにした人だった。

 だからだろう、いつものように自分を隠すことが少しできなかったように思えた。

 彼女と話していると、まるで自分も素のままを表すことができるのではないかと思えた。

 仮面を貼りつけた笑顔ではなく、剥きだしの笑顔を、彼女になら向けられる気がした。

 

 

 体験談、というものは重要だ。

 机上にて幾ら論を詰めようとも、実際に体感することに勝るものはない。

 

 空を飛ぶ。

 そのことを感じることなく研究室の中だけで事を進めようとしていたことのなんと愚かなことか。

 

 今ならば分かる。

 

 飛ぶために必要なのは自ら飛び立つという源だ。

 

 あの日。

 燃えるように鮮やかに色づいた世界で、私は経験したのだ。

 

 空を翔るということを。

 

 得も言われぬ浮遊感から始まり、一拍遅れて身体を撃ち抜いた衝撃、脳髄を駆け巡る閃光。

 

 衝撃は心臓が、鼓動を止めたかと思うほどだった。

 

 あの日、私は空を飛んだのだ。

 

 

 そして、目覚めたのだ……

 

 

 

   ✡✡✡

 

 

「レオルドの様子が変? どういうことなの?」

「はぁ……それが……」

 

 ミネリウスがアレキウスのムーと顔をあわせて数日後、シェヘラザードは研究チームのホープであるレオルドの様子がおかしいと、彼の父親から聞いて彼の様子を見に研究室にやって来ていた。

 レオルドが夜会で怪我をしてから、体が治る間も惜しんで研究室に籠ったとのことだ。

 

「研究に進捗があったのか、いつにもまして没頭してはいるのですが……」

 

 まるで人が変わったようだ。

 

 人が変わったように研究に没頭するようになったということだろうか?

 

 研究チームからも同様の意見がよせられているのだが、もともと彼は研究室に籠りきりになることも珍しくなく、ここ数日も顔を見ていなかった。

 この前会ったときは行き詰っていたようだったため息抜きを勧めたのだが、行き詰まりから脱したのならばいいことではないのか。いまいち要領を得ないミネリウスの返答にシェヘラザードは首を傾げつつ、研究室の扉を開いた。

 

 そして……

 

「よぅし!! これで熱する量と錘の配置を調整すれば……これなら!!! ……おや! シェヘラザード様!!」

「…………」

 

 研究室の中には妙にテンションの高い、知っているようで知らない誰かがいた。

 

「今日も愛らしいお姿でなによりです! いや、金紗の髪の妙がいつにもましてシェヘラザード様のお可愛らしさを彩っていらっしゃる!! 今日はなんと世界が輝いて見える日だろう!!!」

「………………」

 

 斜め後ろに立つミネリウスは一体この光景をどのような顔で見ているのだろう。

 もしかすると弱った視力のせいで見間違えているのかも知れないが、この声は間違いなくレオルドのものだ。

 ただ、彼の背後にバラのようなものが咲き乱れているのはきっと気のせいだろう。

 

「いえ! お忙しいシェヘラザード様がここにいらしたのは私の世界を輝かせるためなどではないのは勿論存じております! ご懸念の空飛ぶ箱に関しては今しばらくお待ちください!! 有人にて飛ぶ箱を作るには至ったのですがレーム帝国の光たる装飾を今、他の研究者たちに描かせているところです!! レームの人の力の象徴たる赤がよろしいかと思うのですがどうでしょうか!!」

「……………………そうね」

 

 妙に饒舌かつ誰だコレと言いたくなるレオルドの説明。まだ続きそうだったそれを遮るようにシェヘラザードは一言だけ告げてそっと扉を閉めた。

 

「あ、あのシェヘラザードさま……?」

「…………」

 

 閉じられた瞳。

 それはなにか見てはいけないものを見てしまったために閉じられているように思えたのはミネリウスの気の所為だろうか。

 恐々と声をかけるも、とっても偉い司祭様は無言でその場を後にした。

 

 

    ✡✡✡ 

 

 

 

 レーム帝国に新たなる光。

 レームの軍団を増強するための兵器の試作が完成したという報告をムーは受けていた。

 

 魔法の力無しに人を乗せ空に浮く箱船。

 その乗船人数は数人と少ないものの、今後、魔導師の多いマグノシュタットや魔法道具を多数保有する煌帝国と戦う際には大きな力になるだろう。

 

 ファナリス兵団として、そして金属器使いとして圧倒的な個の力を有するムーとはいえ、軍団の増強要因となり得る装備の開発は切実な問題だ。

 ムーを含め、ファナリスたちはたしかに個人戦闘力はずば抜けて高いのだが、持久力がない。

 体力ではなく魔力の持久力。

 この世界に不自然に生まれついた彼らはその身に宿る魔力が少なく、それゆえに金属器や眷属器を使った戦闘時間は極めて短い。

 つまり王手をかけるまでに戦局を動かしていく力が軍団にあるのはレーム軍にとって重要な事なのだ。

 

 そして今日。夜会にてその研究チームの中心人物といわれる男とムーは会っていた。

 レオルド・ミネリウス

 文官の名門、ミネリウス家の時代当主であり、政務だけでなく発明に秀でた人材としてシェヘラザード様の覚えめでたい男だ。

 

 レームはマギ・シェヘラザード様という最高司祭によって一枚岩ともいえる帝国だ。だが、その一枚の中、最高司祭という殻を外してしまうと思惑はばらばらとなる。

 その筆頭とも言えるのが彼の父親だ。

 彼の父、ミネリウス家の現当主はファナリス兵団のことを快く思っていない派閥の主要な人物だ。

 奴隷制度を用いるレーム帝国にあって、奴隷の出であるファナリスを大量に囲いこみ一兵団にまでしたアレキウス家には反発も大きい。今の所、迷宮攻略者であり、軍の最高司令官である父、イグナティウス・アレキウスの力とシェヘラザード様の威光があって表立ってはいないが、やはり団員の多くは元奴隷という誹りを免れていない。

 今、大きく注目されており、いずれはミネリウス家を継ぐであろうこの男のことが分かれば不安の芽も一つ減るのだが……

 

「ミネリウス様の発明された道具には父やネルヴァ様も驚かれておりましたね」

「いえいえ、火薬兵器の発明の方も、上手くいけばいいのですが。あれができれば個人の武に頼らずとも、攻城戦の効率が飛躍的に上がるでしょう」

 

 一見、和やかな笑顔を向け合って話しているムーとレオルド。

 だが、その腹の中には笑顔に隠された思惑が色々と渦巻いているのを二人だけでなく周囲の者も察していた。

 

 攻城戦や都市制圧戦はファナリス兵団の得意とするところだ。

 それが活躍の場を奪われるということは、ファナリス不要論。つまり奴隷は奴隷に戻れという意味にもとれる。

 たしかにたゆまぬ努力を続けるレーム軍は精強だ。

 兵器の開発にも勤しみ、個々の練度も恐らく侵略戦争を続ける煌帝国に引けをとらないだろう。

 それは確かに必要な事だ。

 だが、だからといってファナリスの力を不要と断じられるわけにはいかない。

 

 ファナリスはこの世界の人間たちとは違う。ファナリスが生きる場所は戦場なのだ。

 そう思っているのはムーだけでなく、団員も同じだ。

 だからこそ、戦場におけるファナリス不要論を台頭させるわけにはいかない。

 

 夜会の場が政治的思惑の渦巻く場となりつつあった。

 

 だが

 

「兄さんに何をしているのだ、オマエ!」

 

 その場はいともたやすく崩れ去った。

 

「ミュロンさん!!」「ミュロン!」

 

 ムーの妹、ミュロンの怒ったような声が響き、二人の若きレームの担い手が振り向いた。

 片や喜色を満面にし、片やぎょっとしたように。

 

 相手はアレキウス家の武門とは異なるモノの、決して引けを取らないレームの大貴族。流石に心証を悪くするのはムーといえど避けたい相手だ。

 ぎょっとしたムーだが、相手もまた同じように妹の名前を読んだことに「ん?」と首を傾げて視線を戻した。

 どうやら相手も同じらしく首を傾げるムーとずんずんと近づいてくるミュロンを交差するように指さして見比べている。

 

「ん? 兄さん? お義兄様?」

「おい、今なにか違くなかったか?」

 

 ちょっとしたニュアンスの違い。

 ミュロンはそれを気配で察したのか頬を引き攣らせてレオルドを睨んでいる。

 

 交互に兄妹を見比べていたレオルドは、兄の方に視線を向けてじっと見つめた。

 

 赤い髪。口元には特徴的なピアス。ファナリスに特徴的な切れ長の瞳。

 沈黙してじっとムーを見つめていたレオルドは不意にムーの手を掴みとると胸元に抱き寄せて近寄り、ムーを見上げた。

 

「ムー様。いえ。お義兄様!」

「誰がお義兄様なのだ。誰が」

 

 先ほどまでもにこやかな微笑みを浮かべてはいたが、それは仮面。

 政治の場で本心を偽り隠す鎧だった。

 だが今、見上げてくる瞳は剥き出しの感情が込められたかのように情熱的で……少し引ける……

 

「勿論! 僕のミュロンさんにとってお兄様ならばムー様は私にとってもお義兄様!!」

「誰がお前のなのだ!!!」

 

 どうやら……妹とはすでに旧知の間柄らしい。

 青筋を浮かべているミュロンだが、レオルドはそれを気にせず、というよりもそれを愉しんでいるかのような満面の笑みを浮かべている。

 

「ははは。随分と気に入られたみたいじゃないか、ミュロン」

 

 旧知というよりも好かれていると言うべきか。

 ファナリス嫌いの父をもつというのに、まるでファナリスに脅えたようすもない。

 これならば多少砕けた態度でも大丈夫なのではないか。

 そんな期待をしていたムーの前で、ミュロンがレオルドの襟首をとっ捕まえようとして

 

「団長。なんですかこいつ?」

「うわぁ」

 

 不意に、背後からひょいと襟首を掴まれてレオルドがぶらーんと宙に浮いた。吊り上げられた男は急激に高くなった視点に驚きの声を上げた。

 

「ロゥロゥ! そんなでも一応貴族だ。上品にしろ!」

 

 どうやらミュロンの騒ぎ声に、団員の何人かが物見高く近寄って来たらしい。

 今現在、とっても大貴族の子息であるレオルドを片手で子猫のように持ち上げているのはロゥロゥ。奴隷だったころに手荒に扱われたためだろう、顔の左側の肉が向けており、剥き出しの筋肉が見える大男だ。

 

「あぁ? このひょろいのがか? あれか。テメェに妙に引っ付いてるっていう物好きか、ミュロン」

 

 ムーやミュロンとは異なり純血のファナリスであるロゥロゥの腕力は凄まじい。

 人並み外れた怪力を誇るムーですら軽々と薙ぎ払うほどだ。加えてその顔の迫力の凄まじさ。

 並ではない貴族ですら一目でビビるその容姿と、ぶらーんと摘み上げられた状態で間近に対面することとなったレオルドは

 

「よ、呼び捨て!? ミュロンさん! 誰ですかこいつは!?」

 

 まったくその強面の顔には関心をもっていなかった。

 研究室にこもってばかりというレオルド・ミネリウスが武に長けているという評判は聞いたことがないが、この状況でまったくビビった様子がないのはなかなかに大したものかもしれない。

 

「ははは。インテリファナリスのお前にゃ、このお賢そうなもやしが似合いなんじゃねえの?」

「なにぃっ!?」

 

 ぶらーんぶらーんと揺れている大貴族の子息をよそに、喧嘩するほど仲の良いミュロンとロゥロゥ。

 ちょっと無礼が過ぎるかと思って止めようとしたムーだが

 

「お似合い……ミュロンさんとお似合い……」

 

 ロゥロゥに摘み上げられている当人は思った以上に幸せそうな顔をしていた。「えへへ」という言葉がでてきそうなほどに緩んだその顔を見て、別に何も問題はなさそうだと思った。…………のだが、その横ではミュロンがプルプルと肩を震わせており

 

「ふんぬっ!!」

 

 という力のこもった蹴りをレオルドに見舞い、レオルドは「ごふほぅっ!!」という声を上げて吹き飛ばされた。

 

「ははは。なんだ案外満更でもねえってか?」

「誰があんなもやしと!」

 

 煽り立てるロゥロウにミュロンは見事につっかかり、「くぬっ、くぬっ!」と殴りかかっている。

 

 ちなみに吹き飛ばされた大貴族の子息はぶくぶくと泡を吐きながらも満ち足りたような笑顔を浮かべていたとか。

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 

 最近、闘技場に活きのいい新人が入ったらしい。

 

 ミュロンが出ないのであれば、どうでもいいことだが、そんな情報をレオルドが耳に入れたのは、その“活きのいい新人”が、お義兄さんことムーと戦ったという理由からだ。

 あのお義兄様がどこぞの誰かに負けるはずはないが、善戦したらしいその新人は、闘技場のヒーローにいたく気に入られ、アフタヌーンティーに招かれたとか

 

「ミュロンさん、ミュロンさん!」

「なんなのだ……またお前か」

 

 折しも、件の新人君とともに茶会を催そうという頃合いだったのか金髪で特徴的な髪型の少年がミュロンとムーに帯同していた。

 

「お義兄様が剣闘の試合でお怪我をされたとか!?」

 

 折しも、というよりも話を聞いていても経ってもいられずにやってきたのだ。真剣な様子で問いかけるレオにミュロンは呆れ顔を返した。

 レーム最高の剣士であり、ファナリス兵団の団長でもあるムー・アレキウスが闘技場で怪我を負うなどあるはずがない。

 

「兄さんが怪我? そんなのあるわけないのだ。ちょっと骨のある奴がいただけで」

「そんなことより!」

 

 呆れたように言い返そうとしたミュロンの言葉を遮って、レオはミュロンの肩をガバリと掴んだ。

 

「どこの馬の骨ともしれないやつをアフタヌーンティーに誘われたとか! 私ですらミュロンさんに誘っていただいていないのに!」

 

 余計なことを言うために。

 

「…………ふんっ!」

 

 ドゴリと、容赦ない蹴りがレオに突き刺さった。

 女性とはいえ、ファナリスの蹴りをまともに受けた青年はビクビクと倒れており、覚えのある光景に、アフタヌーンティーに誘われた少年は気の毒そうな視線を向けた。

 

「えーっと、ムーさん。あの人は……」

「ああ。彼はレームの貴族のレオ君といって、ミュロンの恋人だよ」

 

 恐る恐るといった様子で尋ねる少年 —―アリババに、ムーは根気強くアタックをかけ続ける大貴族の次期当主を紹介した。

 

「恋人!?」

「チガウ!!!」

 

 そうは見えなくても、ミュロンはアリババよりも年上の貴族だ。彼氏どころか伴侶がいたとしてもまあ不思議ではないのだが、この強烈な女性に相手がいたことは素直に驚きだ。

 だが残念ながらその説明は妹には不評だったらしく、大声を上げて驚いたアリババの声に、ミュロンが顔を赤くして否定した。

 ちなみにその足元では蹴られたレオが横たわっていたりする。

 ムーの紹介に反応したのか、それともミュロンの否定に反応したのか、レオはがばりと身を起してアリババを指さした。

 

「! お前が馬の骨だな! ミュロンさん手ずからのお茶を飲もうなど、お義兄様が許そうとこの私が許さん!」

「黙れもやし!!」

 

 堂々宣言したレオだが、アリババがなにか反応を返す前に再びミュロンによって蹴り沈められた。

 

「ちょっと待っているのだアリババ。今このバカを黙らせる」

「あっ。ちょっ。ミュロンさ、ごふっ! あっ」

 

 ぐりぐりと踏みつけるミュロンの足元で、件の貴族が嬉しそうな顔をしているのはきっと何かの気のせいだと、アリババはそう思うことにした。

 




というわけで、おそらく大多数の皆様の期待を裏切りミュロンさんヒロイン回でした!!

だって可愛いいんですもん、ミュロンさん! 18巻巻末のしおしおして涙目のミュロンさんとか、ムーとロゥロゥになでなでされて涙目のミュロンさんとか! 巻末に登場するレームの話はすごく面白いです!
勿論モルさんも好きな女の子ですよ。でもあの子にはグレートハンサムとか豆腐さんとか
居るじゃないですか! モルさんの話とか探せば結構ありそうなので、ミュロンさんを愛でたかったんです!
赤くなったミュロンさんにふんっ! と蹴られる一角獣とか爆発しろと思いました!

基本的にモルさんと紅玉ちゃんのように大多数派のところにつっこむことはしないつもりですが、シャル×ヤムとかは興味あります。あとピスティちゃんの話はいずれしたいなぁとは思っています。
ロリビッチなピスティちゃんをハラハラしながら遠くで見守るシンドリアのモブ文官とか。



本編はシリアス中心なのでたまにはこういうお馬鹿な話で息抜きをしたくなりました。書いていていつもとは別の意味で楽しかったです。
次回は(多分)通常運転の「煌きは白く」になります。レオルド君は、本編には“まったく”影響を及ぼさないモブキャラなので滞りなく、和国の王子様と煌のお姫様の話は進んでいきます。


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第27話

 天山高原

 

 練白瑛将軍率いる北方兵団が平定したその地に今、煌帝国の御旗を翻した大軍が集結していた。

 

 総数、約20万。

 

 その目的地は東大陸の西端地、魔導士が支配する国、マグノシュタット。

 元々は王政によって治められていた国だったのだが、10数年ほど前に内乱で王が倒れ、以来魔導学院の長が国を治めている特殊な国だ。

 極東に位置する煌帝国が西端地に進軍する。それはつまり、東大陸のほぼ全てを煌帝国が手中に収め、西大陸を臨む位置に軍を進めるということだ。

 紅徳先帝が崩御される前に紅覇がマグノシュタットに赴いていたのも、降伏勧告を行うためだったのだが、それは残念ながら受け入れられず、今回の出兵となった。

 

 先鋒隊には山岳第3師団。その大将は練紅覇。

 中衛部隊には北天山の北方兵団、練白瑛。

 後方部隊に総督、練紅炎と後詰には練紅明を配するという、紅炎が動かせる限りの金属器使い兼将軍がこの戦に動員されていた。

 無論、白瑛の守護を任とする光も白瑛とともに中衛にて様子をうかがっており、同じく金属器使いである紅玉も本国にて待機している。

 

 ただ一人。

 マギ・ジュダルと行動を共にしていると思われる白龍だけが、その所在を明らかにしていなかった。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 紅徳帝の葬儀の後。

 

 白龍との話し合いが物別れに終わった白瑛は、今にも押し潰されそうな様相を呈しており、しばらくは不安定な状態が続いていた。

 だが、それを意志の力で無理やりに押し隠し、将軍として再び天山高原へと赴くころには、白龍は姿を消していた。

 姿を消したことに心配がないわけではない。だが、今の精神状態で二人が顔を会せることもあまり精神的に良いとは言えない傾向にあった。

 どうも白徳帝と白雄、白蓮皇子の死の原因に玉艶皇太后陛下が関わっているということを白龍が知っており、それを白瑛に告げたことがきっかけだったそうだ。

 

 

 母が父と兄を殺した。

 実弟の言う事だ、信じないわけではないが、すぐには受け入れがたい事実だ。

 真実だとすれば、たしかに近年の母、練玉艶の変貌とも合致する。

 

 だが、だとすればどの道を選べばいいと言うのだ。

 

 白龍の言うように母を討ち、紅炎殿と敵対して国を割る?

 それとも明らかに復讐に囚われている白龍を糺すべき?

 

 今さらながらに紅炎殿が言っていたことが、白瑛の脳裏に浮かんでいた。

 

 ――血を分けた兄弟と争いたくはない――

 

 もしかすると紅炎殿はこのことを知っていたのかもしれない。

 紅炎殿は昔から、志高く戦乱を治めようと三国平定に乗り出した父、白徳帝を尊敬しておられた。白雄、白蓮兄上たちとも親しかった。

 

 もし知っていたのなら

 なぜ自分だけが知らなかったのか。

 なぜ母は父や兄たちを弑したのか。

 

 白龍の行いは正しいのか。

 

 

 ――世界を一つにするために…………――

 

 そう。

 白龍の言う事が真実だとしても、恨みに任せて国を割り、戦乱を逆戻しにすることなどできるはずはない。

 戦乱を治める。そのために自分は今まで戦い続け、多くの人の血を流してきたのだから。

 そのために、黄牙の民や天山の異民族たちの恨みを志という大義によって押し潰してきたのだから。

 たとえ身の内に何を飼おうとも、世界は一つなのだから。

 

 ――それが、白瑛の答えか……――

 

 白龍と別れた後、取り乱した自分を落ち着かせた光。

 数日の後、結論を告げた白瑛に光は驚くことも、異を唱えることもなく答えた。

 

 それが間違っているとは決して言わなかった。

 白瑛もその正悪を尋ねはしなかった。

 

  ――なら、俺はお前を守る。どんなことがあろうとも決して違えない。お前の、お前たちの志を、守る――

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 天山高原を進発した先鋒隊に対して、白瑛たち中衛部隊も北天山にて進発の時を待っていた。

 そして情報が入ったのはそんな時だった。

 

 それはある意味で予想通りであり、今の世界においては自然な流れだったのかもしれない。

 

 西大陸の覇者・レーム帝国、マグノシュタットに侵攻。

 

 マグノシュタットに残してきた紅覇の部下からの連絡が入り、その通達は総督である紅炎を始め、全軍の将にすでに通達されていた。

 

「レームが進行したか」

「どうみますか?」 

 

 遠くマグノシュタットのある西方の空を眺める光と白瑛。

 その地では今、レームとマグノシュタットの戦が始まっていることだろう。

 

「さてな。マグノシュタットのことは俺もそう詳しくはない」

「そうなのか?」

 

 白瑛の問いに対する光の答えに脇に控えていた光雲が意外そうな顔となった。光はそれに苦笑を返して言葉を続けた。

 

「あの国は特殊な国らしくてな。なんでも魔導士が魔導士でない者を差別する国だということだ」

「魔導士が?」

 

 和国では貿易を広く行ってはいるが、東大陸の極東のさらに東の海上に位置する和国にとって、海を挟んだ位置にある西大陸はともかく東大陸のほぼ逆側に位置するマグノシュタット、元ムスタシム王国はあまりに遠すぎて直接の取引は行っていなかったのだ。

 ただ、噂の端にのぼるていどには聞いていた。

 魔導士がすべてを司る国だ、と。それがどの程度かまでは分からないが。 

 

「俺は魔導士のことにも精通してはいないんで、実態がどうかは分からんがな」

「東ではマグノシュタットのような魔導の学院はありませんからね」

 

 和国に魔導士がいないわけではないが、それはやはり少数の特殊技能職。系統だった魔法を扱える者など、光のように操気術を使う武人よりも和国においては少ないだろう。

 それは白瑛も同じようで自らの不明を少し申し訳なさそうに告げた。

 煌帝国において魔導士といえば、真っ先に思い当たるのがジュダルであり、神官たちだ。だが、彼らは非常に特殊すぎておそらく普通の魔導士とは異なる。

 

 ただ

 

「どういう戦い方をするのかは分からんが、レームとの争いということならおそらくレームに分があると俺はみている」

 

 魔導士について分からなくとも、国同士の戦争においての予想ならば立たなくもない。

 光の予想はレーム有利。

 詳しくはないという前提があった上で、そう推測した理由を問うように光雲は視線を向けるが、白瑛や青舜は光と同じ予想といった顔をしている。

 

「レームには3人の金属器使いとそれを統べるマギがいたはずだ。魔導士がどういう戦い方をするにしろ、全軍をあげて落しに来れば流石に数でも圧倒的に劣るマグノシュタットが抗しきることはできんだろう」

 

 その理由は金属器。

 

 金属器の力は絶大だ。光や白瑛は、普段の戦で積極的にその力を使うことをしないが、白龍のザガンを見ればよく分かる。

 単騎で軍を制圧する力。圧倒的な力を持つ極大魔法ともなれば、一撃で大軍を殲滅できるほどだ。

 魔導の力は未知数なものがあるといっても所詮は個人の力でしかない。いくらか集まったところで極大魔法に対抗しきるほどの魔法はないだろう。

 3人もの金属器使いが制圧に乗り出し、無限に魔力を供給できるマギがそのバックアップについてしまえば、一国の防衛陣といえども抗うことはできない。

 

「つまり今回の戦いの相手はマグノシュタットを制圧したレーム軍、ということか」

「多分な。レームがどれほど消耗しているかが一つの分かれ目にはなるだろうがな」

 

 レームとマグノシュタットの開戦。

 その理由はマグノシュタットが開発した魔法武器によってレームの領土を侵したこと、そしてレームの名門アレキウス家の子息を人質にとったためとのことだが、その理由は間違いなく建前だろう。

 地理的に見て、マグノシュタットは煌帝国にとっても、レームにとっても重要な位置にある。

 レームにとっては東大陸に進出するための海洋を渡った橋頭保として。

 煌帝国にとっては西大陸に向かう最前線の拠点として。

 

「…………全面戦争というなら、その間隙を他の勢力。例えば七海連合がついてくる可能性はないのでしょうか?」

 

 ふと疑問に思ったことを青舜が問いかけた。

 元々マグノシュタットの地を煌帝国とレームが狙っていたのだが、レームの方が先に動いたため、結果的に今回の戦はレーム・マグノシュタットの横っ面を煌帝国が狙う形になっている。

 それならばその煌帝国の隙を狙おうとする勢力があっても不思議ではないだろう。

 そして東西の大陸の覇者たるレームと煌帝国の全面戦争。そんな争いに介入できるとすれば、それは七海連合をおいて他にはない。

 多数の金属器使いを抱え、そして7体のジンの主である覇王シンドバッド。

 おそらくあの練 紅炎にも匹敵、いや上回るかもしれないほどの王の器。

 

 だが

 

「ありえなくはない話だが、まずそれはないな」

 

 光はそれを否定した。断定の否定に青舜だけでなく光雲も不思議そうな顔をした。

 

「そうなのか? 七海連合にも宣戦布告しているのだろう。なら向こうにしてみればこちらを叩く絶好の機会じゃないのか?」

 

 煌帝国の神官がシンドリアに宣戦布告したというのはすでに軍内において広く知られた事だ。

 金属器使いの人数ではたしかにレームに比べて煌帝国の方が上回っている。だが、両軍がぶつかれば消耗は必至。その状態でシンドリアとぶつかれば不利は否めまい。

 そしてこちらから宣戦布告したのだから、普通ならば、消耗した状態を狙われたとしても卑怯とは言えまい。

 それでも、七海連合には出て来れない建前があることを光だけでなく、白瑛も承知していた。

 

「七海連合は不侵略を掲げている連合だ。煌帝国との直接戦争ならともかく、マグノシュタットを戦場にした他国同士の争いに介入はできんさ」

 

 そう。今回の戦場はマグノシュタット。

 たしかにシンドバッド王は侮れない相手ではあるが、七海連合の長として不可侵を掲げている以上、攻撃されている訳でもないのに他国の領土を侵すことはできないし、連合に属さない国の戦場に介入する理由も大儀もまたない。

 

「ただ」

 

 だが、それだけでは済まないとも、思っていた。

 世界の流れが最早混沌としたものであることは、皇位継承のあの日に痛感していた。

 

「マグノシュタットが不利を覆す何かを隠し持っているとしたら、あるいは予想もつかん流れに向かう恐れはある」

 

 それが何かは分からないし、そもそも、そんなものがあるかは分からない。

 だが――

 

 ――なんとなく予感はあったのかもしれない。

 

 ちらりと不穏を口にした光の顔を光雲がまじまじと見つめていた。

 

「なんだ?」

「いや。最近のお前の勘は外れることも多いから、今回はどうかと思ってな」

 

 少し冷やかすように光雲は自分の思っていたことを口にした。

 光の勘は鋭い。だが、それが全てを見通すわけではないことを光雲も既に分かっている。皇位継承の件しかり、白龍の件しかり。

 だが、それはあくまでもちょっとした冗談だった。

 

「無礼ですよ光雲」

 

 非礼を咎める青舜の顔がそれほど真剣でないのも、光雲の言葉がただの揶揄だという事を分かっているからだ。

 だが

 

「…………そうだな」

「?」

 

 意外にも、何かを考え込むように真面目な顔で光雲の言葉に頷いた光に二人は怪訝な表情を顔に浮かべた。

 

 

 散って逝く花は段々と皇 光としての力を削いでいく。

 欠けていく自分の力が直感と予測を曇らせていることを彼は把握していた。

 

 

 遠く、マグノシュタットの空では、強大な魔法が発動しているのか炎の柱が立ち上っていた。

 煌帝国の、レーム、もしくはマグノシュタットとの大戦争は、まだ始まってもいない。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 激戦の始まりを告げる角笛は、その日、唐突に鳴り響いた。

 

 

 

 レームとの戦い。

 おそらく世界の行く末を左右する大戦争の戦端となるだろう。

 

 マグノシュタットを戦場とした今回の戦争では、海洋を挟んで西大陸から軍を送ってきている以上、それを壊滅させたとしても、流石にレームの併呑まではできないだろう。だがそれでも、この戦いでレームの金属器の数を減らすことができるか、もしくはそれに匹敵する戦果をあげることが今回の戦略目的となるだろう。

 

 煌帝国では、その領土内において各所に魔導士と魔法道具を配備し、遠隔投資魔法を用いることで、伝達を中継、前線から本国までの情報の行き来を飛躍的に早めているという手法がとられている。

 レームとマグノシュタットの開戦前は、紅覇が送り込んでいた魔導士からの連絡によりその情勢をつぶさに把握することができていたが、戦時にあっては流石に情報を仕入れることは難しい。

 無駄な戦闘に巻き込まれないように紅覇も配下の魔導士たちを撤収させていたのだから、紅覇をはじめ、光や白瑛、紅炎たちも現在の戦況は把握できていなかった。

 

 夜半過ぎには、進軍していた先鋒隊が両国の索敵範囲に入り込んだという状況において、白瑛たちも徐々に兵を動かしはじめようとしていた。

 

 レームとマグノシュタットの開戦から1日後の払暁。その知らせは突如としてやって来た。

 まだ日が昇りそう時間がたたないころ、白瑛、光、ともに陣中にあってその知らせを受けていた。

 

「報告します!! 先鋒隊より遠隔透視魔法による伝達です!」

 

 索敵範囲に入り、進軍が認識されたといってもマグノシュタットまではまだ距離がある。西の海岸線を起点にレームと戦闘を行っているマグノシュタットと衝突するにはまだ早すぎる時間帯だった。

 それゆえに白瑛も光も、慌てたように報告を上げに来た兵士を訝しげに迎えていた。

 

 だが、その情報は二人、だけでなく多くの将兵を驚かし、状況を一気に加速させるには十分すぎる情報だった。

 

「マグノシュタットへと進軍していた先鋒隊! 同方面より飛来した黒い巨人に急襲を受けたとのこと! 部隊の被害は甚大!!」

 

「!!」

 

 知らせを受けた二人はざっと顔色を変えた。

 襲撃したものがどちらの手によるものかは分からない。だが、まだ想定していた戦線まで距離のあるはずのこの時間帯に、すでに甚大な被害がでているというのはただ事ではなかった。

 ともに報告を受けた青舜やほかの将兵もまさかと色を失っている。

 だが、伝達の兵士は、驚く白瑛たちにその先の言葉を告げた。

 

「現在、紅覇将軍が魔装化して応戦しておりますが、どうやら敵は再生能力を有しているらしく、さらに敵はその数を増やし、先鋒隊は極めて劣勢な状況とのことです!!!」

 

 魔装化した練 紅覇が劣勢。

 その意味することはかなり深刻だ。

 

「伝令は本隊に繋いでありますね? 私たちも急いで進発します。青舜! 黄牙眷属部隊と私たちで先行します!!」

 

 急ぎ白瑛も中軍を預かる将として令を下した。

 魔装化した金属器使いは、単騎で戦場を変えることができる。

 白瑛しかり、白龍しかり、得意とする戦場が異なることはあっても、金属器使い一人がいれば、それはまさに一騎当千どころではないのだ。

 

 だが、にもかかわらず“先鋒隊が”劣勢になっている。

 それはつまり、来襲した黒い巨人とやらを、魔装化した紅覇が止め切ることすらできていないということだ。

 白瑛が中軍に配されたのは、単に天山高原を拠点としているからだけではなく、その機動力があるからだ。

 転送の力を有する紅明には及ばずとも、風の金属器をもち、優れた騎馬隊を有する白瑛の眷族部隊ならば、単騎でも部隊規模でも、並外れた機動力で前線まで赴くことができる。

 ゆえに、白瑛の判断は、紅覇の援護、および先鋒隊の救援だ。

 今はとにかく一刻も早く、前線に戦力を送ることが肝要。それも並の兵士では駄目だ。

 

 紅覇ですら食い止めきれないとうのならば、ただの兵士をいくら送ったところで損害が増えるだけ。それならば、数を減らしてでも、眷族たちで赴くべき。

 白瑛の眷族ならば、流石に大軍とまではいかなくとも、百余名という戦力を送り込める。

 残していく軍の指揮は、後軍である総督へと指揮権を委ねる。

 そう判断した白瑛だが伝令の兵士が去ろうとしたのと入れ替わる間もなく、再度の伝令がやってきた。

 

「伝令です!」

 

 続く伝令。それは前線からの要請か、戦況を告げるものかと問いかける視線を向ける白瑛たち。

 

「総督より、白瑛将軍ならびに皇殿は『現状にて待機』とのことです」

 

「なにっ!?」

「どういうことですか!?」

 

 伝えられたのは前線ではなく、後方からの指令。

 しかもただちに急行する構えを見せようとしていた白瑛たちを押し留める指図。

 細かな状況までは分からないが、魔装した紅覇が劣勢になるほどの事態だ。先鋒隊の一般兵士は大混乱だろう。

 すぐにでも救援に向かうべきであり、その判断は白瑛だけでなく、光もまた同じにしていた。

 しかし、総督の指令を伝えた兵士の顔は慌てているのとは別に、どこか上気したように興奮した表情を見せている。

 

「現在、総督御自らが眷属の方々とともに飛行魔道具にて前線へと急行しております!」

 

「!」

「もう紅炎殿が動くのか!?」

 

 伝達の兵の言葉に白瑛は息をのみ、光はこの局面で総督自らが動くという決断をしたことに驚いていた。

 

「……どう思いますか、光殿?」

 

 白瑛も驚きは同じなのだろう。隣に立つ光にちらりと視線を向けた。

 

 白瑛は光よりも将軍としての紅炎をよく知っている。

 紅炎は初代皇帝、白徳大帝が存命の頃から将として戦場を駆けまわっていた優れた将であると同時に強力な眷属を率いる金属器使いだ。

 煌帝国にとっては最も強力な札。軍団の中でも後方に位置する部隊に居た筈だ。

 いかに奇襲を受けたとはいえ、それがこんなにも初手から前線に、それも少数で急行しているなど従来の方式の戦にはない。

 

「さて、な。レームかマグノシュタットか……先だっての火柱といい、どちらかは知らんが、予想以上にやばいものを隠し持っていたらしいな」

 

 だが、そもそも金属器使いを有している時点で従来の戦の方式など、半ば通用しなくなっているのだ。

 たしかに戦術は必要だ。軍略を巡らせる必要もある。

 だが、一般の兵士に対して金属器使いの力はあまりに強大であり、それは逆も言える。つまり強大な敵に対するためには、金属器使いが出張るのが最も被害が少ない。

 おそらく紅炎は、紅覇の危機からそれを察知して前線に乗り込もうというのだろう。

 

 練紅覇は決して弱い金属器使いではない。

 部下に対する度量や向上心に富み、武に敬を払う。破壊力という点においては光や白瑛よりも数段上だ。

 

 その紅覇が窮地に立ち、総督が動く事態。

 

「いずれにしても、第一皇子と眷属の方々なら前線で何が起こっていようとも大丈夫ですよね」

 

 不安視する二人の将の懸念を振り払うように青舜が明るめの声で言った。

 どちらかというと物事を考えて溜め込みすぎる光と白瑛だけに、青舜は主を補う副官として、なるべく明るくふるまうように心がけていた。

 そして、そのために言った言葉は別に偽りではない。

 

 第一皇子、練 紅炎の眷属。

 炎彰、李青秀、楽禁、周黒惇。

 紅炎に加護を与える3体のジンの眷属たちであり、白瑛の眷属たちとは異なる、同化(・・)した眷属だ。

 解放したときのその力は万軍にも匹敵する。同じ眷属として悔しいながらも、同化を進めていない青舜とは圧倒的にその力に隔絶したものがある。

 

「とはいえ総督が動いたのならば、遠からずここにも動きの命が下るだろう」

「ええ。伝令の魔導士のところに移動しておきましょう」

 

 光は白瑛の方を向きながらこの後を想定し、白瑛もそれを考えていたのか頷きながら移動を提案した。

 

 少しの差でしかないが、伝令の兵を走らせるよりも、伝令を受けた魔導士の所に居た方が次の指令を早く受けられる。

 軍事行動中ではそれもできないが、待機を命じられた以上、次の情報を待った方がいいだろう。

 そう思って移動しようとした光だが

 

「!」

 

 ぞわり、と背筋を悪寒が奔った。

 それを感じたのは光だけではなく、白瑛もまた同様だったらしい。

 二人は同じように西の空へと振り向いた。

 

「なんだ!?」

「西の空が、黒い?」

 

 何か黒い柱のようなものが、遠くマグノシュタットの方から立ち上っていた。

 地平線の彼方にも関わらず、空が暗くなり、天を分かつ黒い柱がここからでも見えた。

 

 

 

 ――不意に

 

 黒い太陽が見えた気がした。

 

 全てを穢し、気枯らす、悪意の化身。

 

 ここではないどこか。

 皇 光ではない、何かが見てきた終わりの世界――

 

 

「暗黒点…………」

「えっ?」

 

 ぽつりと、口から漏れ出た言葉に、白瑛が不思議そうに反応した。

 漏れ出たような言葉は白瑛には心当たりがない言葉だ。だが、なぜだか無性に不安を掻き立てる。

 その言葉も、それを知っている彼の事も。

 

 

 遠くの黒い空を見つめる光の眼は険しい。

 アレは不味いモノだ。

 光自身もそれを直感しているし、なにより“ガミジン”がそれを痛いほどに訴えかけていた。

 アレを堕としてはいけないと。

 

 光はくるりと踵を返し、伝令を受ける魔導士のもとへと歩いた。白瑛や青舜たちも足を速めて光に追いつき、伝令所へと向かった。

 

 そして

 

<紅明!!!  紅玉、白龍!! 白瑛……光!!! 今すぐ俺の所へ来いッッ!!!>

 

 伝令所から、幕舎の外まで響く、豪快な伝令が届いていた。

 ビリビリと肌を突き刺すほどの威が遠く、遠隔透視魔法を中継しても伝わってくるほどだ。

 

 煌帝国の金属器使い全ての招集。

 それを命じているのは、先程前線へと向かったはずの紅炎だ。

 

 よもや彼と眷属がいながら、危機に陥っているとは思わないが、先程の黒い柱の件もある。

 想定していたレームとの戦のための戦力を動かしてまで、今ここで紅炎の出せる最大の札を切る状況になっているのだろう。

 

「お呼びだな」

「ええ。承知しました、紅炎殿!」

 

 タイミングよく、指令を受けた光は、しかしニコリとも微笑むことはできなかった。

 続けて前線の魔導士から細かい指示が飛んできていた。

 

 ――煌帝国の全ての金属器使いは、マグノシュタットに魔装にて急行せよ。

 目標は西方の空に浮かぶ“暗黒点”の封鎖。それを降ろすための依り代の破壊――

 

「行くのか?」

「ああ」

 

 白瑛と光へと下った命。

 煌帝国にある全ての金属器をかき集める事態だ。

 紅炎がそう判断したのならば、前線は今、恐るべき状態となっているのは間違いない。

 

「青舜。後は頼みます」

「はっ。姫様、ご武運を」

 

 将軍たる白瑛も、紅炎の命に応じて副官である青舜へと後を託す声をかけた。

 眷属器をもたない光雲は勿論、今回の戦いにおいては青舜や黄牙眷属部隊の眷属器使いですら追従を認めていない。

 

 その意図はどこにあるのかはここからでは分からない。

 だが、眷属器と金属器の使い手の間でも、歴然たる力の差があるのだ。

 

 この戦いが激戦を予感させるものとなることは、金属器使いだけでなく、周囲の者たちにも予想できる。

 

 自らの金属器・白羽扇を両手で持ち、祈るように体の前に捧げた白瑛に、眷属たちが拱手を掲げた。

 

 光も光雲の視線を受けながら自らの金属器である和刀・桜花を抜いた。

 

 あと数回。

 だが、この戦い次第では…………

 

 握りしめる左右の手に力がこもる。

 

 

 白瑛を守る。

 そのためならば、残り少ない時間を使うことなど惜しくはない。

 

「混沌と狂愛の精霊よ」「罪と呪に依りし眷属よ」

 

 二人の金属器使いの祝詞が天山高原の陣中に響く。

 

 彼女を守ることを決めたのは自分だ。

 

 決めたからには違えない。

 約束であり、自らに刻み込み誓いとしたそれは、なにがあっても裏切らない。

 

 だから…………

 

 ――我が身に宿れ――

 

 白いルフが集い、白と紫の輝きとなって二つの金属器に宿る。

 

 白き羽毛を纏う美しき風の女王

 ――魔装・パイモン――

 

 二刀を握る咎の象徴

 ――魔装・サミジナ――

 

 二つの魔神が顕現した。

 

 

 

 同刻。煌帝国本国

 

「はいはい、聞こえてますよ」

 

 眠そうな顔でぼさぼさの髪を掻きながら、軍議を中断した紅明は兄からの命令を受け取っていた。

 

 正直なところ、軍略ならともかく、戦闘は紅明の得意とするところではない。

 だが

 

 兄が呼んでいる。

 

 自分の力を必要としている。

 動く理由はそれで十分だ。

 

 白いルフが集い、黒い輝きとなって今一人の魔神が顕現していた。

 

 ――魔装・ダンダリオン――

 

 全てを飲み込むかのごとく星の夜空が瞬いた。

 

 

 

 そして、さらに同刻

 

「わかりました、お兄様……!!」

 

 髪に挿した簪を手に取り、自らの想いと魔力を込めた。

 悲哀と隔絶。

 それを乗り越えるための導きを与えてくれた、敬慕する兄のために。

 青い輝きが集い、紅玉に力を集わせた。

 

 ――魔装・ヴィネア――

 

 槍持つ水神の乙女が、その力を振るわんと衣を纏った。

 

 

 

 そして、最前線でも、金属器使いたちが、その身に魔神を宿していた。

 

 練 紅炎が魔装・アシュタロス

 練 紅覇が魔装・レラージュ

 バルバッド第三王子、アリババ・サルージャの魔装・アモン

 

 彼らはその強大な力をもって宙へと舞い上がり、同じ西の空へと翔けた。

 

「さぁ、急ごう!!! マグノシュタットへ!!!」

 

 王たちを導くは“4人目のマギ”アラジン。

 

 

 赴く先は戦場。

 おそらく今までで最も過酷な戦いの地

 

 

 

 

 

 そして

 

 

 これが光にとって、和国特使としての、煌帝国の将としての、最後の戦いとなるのだった。

 

 

 

 



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第28話

 ――悪意の化身、“黒の神(イル・イラー)”は、本来この世界に存在するはずのないまったく別次元の高位の存在であるはずだった。

 異なる世界を繋ぐ穴、それこそが暗黒点。

 そしてその悪意をこの世界に引き降ろす“力点”こそが“依り代”。莫大な量の黒ルフと魔力の結晶体。

 それこそが

 アル・サーメン(八芒星の組織)が世界の異変を引き起こし、作ろうとしていたモノ(悲劇)――

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 その光景は、いまだこの世界の誰も見たことが無いほどに壮絶と呼べる戦いとなっていた。

 

 数体だけで煌帝国の先遣隊に壊滅的な打撃を与えた黒いジン。それが無数と呼ぶにふさわしい程に生み出され続ける絶望的な戦い。

 暗黒点近くに位置するマグノシュタットは瞬く間に国自体が半壊の状態に瀕していた。

 

 その上空で7人の金属器使いとマギが戦っていた。

 

 

 風の女王がその旋腕を振るい敵を薙ぎ払う。

 全てを断つ二刀が敵を斬り裂く。

 

 煌く星々が空間を歪ませ敵を欺く。

 阻むもの無き水槍が敵を貫く。

 全てを滅す破壊の鎚が敵を滅ぼす。

 

 敵の数に比してあまりにも小さく少ない勇士たち。

 

 大地に穿たれた穴から噴き上がる溶岩流が炎の魔神に力を与える。

 

 そして

 

 

「どうした? 情けない奴だなぁ、もっと力を出せ!!!」

 

 ――「極大魔法・白閃煉獄竜翔(アシュトル・インケラード)!!」――

 

「うるさいな、わかってるよ!!」

 

 ――「極大魔法・炎宰相の裂斬剣(アモール・アルバトール・サイカ)!!!」――

 

 暗天に輝く二つの魔方陣から白と赤との業火が猛り、終焉の黒球へと振り下ろされた。

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 マグノシュタットとの戦争の最中に突如として現出した暗黒点、そして依り代との戦い。

 シンドリアの客分にしてマグノシュタットに在籍していたマギ・アラジンの要請により、煌帝国征西軍総督、練紅炎は、煌帝国で動かすことのできるすべての金属器使いに召集をかけ、この戦いに臨んでいた。

 帝国の6人の金属器使い。そしてマギであり、友であるというアラジンを救うために駆け付けた元バルバット第三王子、炎の金属器・アモンの王であるアリババ・サルージャ。

 彼らの奮闘により依り代から生み出される無数の黒いジン —―煌帝国の先遣隊に甚大な損害を与え、紅覇を圧倒した黒い巨人—― はその数を些かばかり減らし、蹂躙されつつあったマグノシュタットは完全壊滅を免れた。

 

 

 紅炎とアリババ。二人の極大魔法によって天との繋がりを断たれ、地に堕ちた黒い球。

 

「紅炎殿と二人がかりの極大魔法でも砕けていない!?」

「相当な硬さのようだな」

 

 目の前の光景に白瑛と光が驚きの声を上げた。すでに魔装による戦闘を開始していた。

 

 魔法は同系統のものを同時に使うと威力が増大する。

 その理に則って放たれた炎の金属器、紅炎とアリババ二人がかりの極大魔法はまだ余力を残していた依り代と上空の穴とをつなぐ柱を断つことには成功した。

 だが、それでも依り代の防壁を砕くには至らなかった。

 

 そして

 

「なんだあのやせたでく人形は?」

 

 そこからまるで生まれ出るように大きな人型の何かが出現し紅炎は訝しげに呟いた。

 依り代よりも幾分小さくなったものの、それでも塔のように巨大でまともな人の体に当てはめれば痩せぎすな姿。

 

 その手が紅炎の消えずの白炎を飲み込み大地に触れた。

 

 そしてその掌の下には、

 

「!? なんだ、アレは?」

 

 黒く干からびた木々と動物たちがあった。

 命じぬ限り決して消えないはずの白炎を消された紅炎と、命に敏感な光が訝しげに眼を凝らした。

 同様にその光景を見ていたマギ、アラジンが顔色を変えた。 

 

「あいつを街から離さなきゃ!!!!」

「どうしたのアラジン!?」

 

 突如として大声を上げたアラジンに、いつの間にか彼と親しくなった紅覇が振り向く。

 

「お願いだ!! あいつの掌に触れられたら、炎でも何でも木も鳥も、人々も、ルフを奪われて死んでしまうんだよ!!!」

 

 アラジンの言葉に一同はぎょっと顔色を変え、紅覇が声を上げた。

 

「なんだって!? それは雲の上のあいつのことじゃなかったのかよ!?」

 

 マギの知恵から得た知識だろう。以前よりも凛々しく、全てを見通す風格が増したアラジンが紅炎と紅覇に説明したところによると、この戦いは暗黒点。あの黒い太陽から伸びる手を地上に下ろすのを防ぐか、その依り代を破壊するのが先かという戦いらしい。

 

 空の暗黒点が完全に依り代と繋がり、地に降り立ったとき、この世界のルフはそれが尽き果てるまで吸い尽くされ、この世界は終わる

 

 世界にただ一つ、黒き太陽のみが輝く世界。

 そんな世界にするのを防ぐために7人の金属器使いとマギがその力を尽くしているのだ。

 

 

 生まれたばかりの幼子のように呻く依り代の巨人。

 その頭部が花咲くようにぶわりと無数の手を広げた。

 

 ――「ウオオオオ」――

 

 雄叫びと共に立ち上がった依り代は、頭部から広げた無数の腕を点へと伸ばし、暗黒点から差し伸ばされた手を引き降ろそうとし始めた。

 

「! マズいっ!」

「引き降ろさせるかよっっ!!!」

 

 察知した嫌な感触に光は声を上げ、アモンへと魔装化したアリババが勢いよく空を翔けて依り代へと接敵した。

 

 アリババの接近を察知したのか依り代は空の暗黒点を引き降ろすことを一度中断して迎撃行動へと移った。

 炎の推進力で迫るアリババに依り代が手を差し伸ばす。

 空からアリババへ、注意が移行した隙を衝くように紅炎と光も空を翔けて依り代の背後へと回った。

 

 押し留めるように伸ばされた掌にアリババが二撃、三撃とアモンの剣を振るう。

 だが

 

 ――斬撃が徹っていない……!?――

 

 炎熱の属性を持ち、全てを溶解するアモンの剣による斬撃が掌に一筋の傷すら残していない。

 依り代の脇を抜けながら光はアリババと依り代の様子を見た。

 アリババの剣を防いだ依り代は、その腕からさらに幾筋もの腕を生やしアリババを捉えようと動いた。

 掴まれることに危機感を感じたのか、アリババが炎の推進力を全開にして掌から逃れようとし、しかし勢いよく振り下ろされた一つを避けきれずに掠り、それだけでアリババは吹き飛ばされた。

 

「アリババくん!!」

 

 吹き飛ばされた勢いで地面に叩きつけられたアリババを見てアラジンが声を上げる。

 それには構わず、依り代の後背に回った紅炎がうなじを、光が先ほど振るわれた依り代の腕の付け根を狙った。

 完全に背を向けている依り代。だが、自在に動く無数の腕が即座に反応して二人の前に差し伸ばされる。

 

 風花・叢雲の二連撃。そして斬ったモノを爆破するアシュタロスの剣。

 

「!!」「ちっ」

 

 和刀の鋭い斬撃を叩き込みに加え、紅炎の斬撃と爆破を同時に見舞ったにもかかわらず、やはり二人の攻撃も本体には通らなかった。

 攻撃が通らず、逆に捕獲するように手が伸びてきたことで、光と紅炎は後退した。

 だが二刀により手数を稼いだ光と異なり、両手持ちで大剣を振るった紅炎の離脱が刹那遅れた。

 

「っ゛!!」

 

 光も腕に近かった分、完全には離脱が間に合わず、振るわれた腕が左脇腹を掠めた。そして紅炎は遅くなった刹那の分、襲い掛かってきた腕に掴まれた。

 

「!?」

 

 掴まれた紅炎の体から一気にルフが奪われる。

 即座に喪失感に気づいた紅炎は、身に纏う白い竜炎で掴んできた腕を切り裂いた。

 

「お兄様!」

 

 兄を心配する紅玉の声。

 切り離されて地面に落ちた依り代の腕、その掌の中から現れた紅炎は血を流していた。

 

「光殿! その傷!?」

 

 離脱した光の元に白瑛が翔け寄り声をかけた。

 腕が掠めた光の左脇腹部分からは魔装が解除され、皮膚が剥がされ、筋が剥きだしになっている。アリババも同様に攻撃の掠めた右腕の皮膚が剥がされており、紅炎に至っては掌に掴まれたために四肢のほとんどがやられていた。

 

「俺は……大丈夫だ。紅炎殿は……?」

 

 サミジナの修復能力。

 傷自体もさして大きくなかったために、見る間に傷のあった箇所は皮膚が覆い、光は再び魔装を展開した。

 そのような修復能力はないだろう紅炎の方をちらりと見やる。

 

「魔装が引き剥がされた」

 

 かなりの激痛が生じているだろうに、紅炎の顔に苦悶の色は一見見えない。

 だが紅炎とアリババの痛ましい姿に激高したのか、紅玉が魔装を全開にして依り代に襲い掛かった。

 

「何してくれんのよっっ!! この化け物が!!!!」

 

 水を集めて槍を放つ『水神槍』。

 だがそれはやはり依り代の掌によって阻まれ、

 

「穴だらけにおなりッッ!!! 水神散弾槍(ヴァイネル・アルサーロス)!!!!」

 

 間髪入れずに大量の槍を散弾のように打ち出した。

 アリババ、紅炎、光。三人の斬撃ですら通らなかった依り代の防壁。いかに手数を増やしたところで防壁を破ることはできまい。

 だが

 

「!」「えっ!!??」

「こっ、紅玉!!?」

 

 紅玉の放った散弾は、幾つかを止められながらも、依り代の体に穴を穿った。

 紅玉は決して弱い金属器使いではないが、それでも紅炎ですら傷つけることができなかった相手に傷を負わせられるとは思っていなかった。 

 それだけに攻撃が通ったことに、光や紅覇、そして攻撃を仕掛けたアリババも驚きの声を上げた。

 

「効いたっっ!!? なんで!? さっき三人の剣は効かなかったのに……」

 

 アラジンも驚愕したようにその光景を目の当たりにしている。

 だが、続いて依り代のうなじを狙った紅玉の追撃は大部分が防壁に阻まれ、下半身に幾つかの槍が刺さった。

 

「……! 手だ!! アイツが防壁を張るのもルフを奪う攻撃をするのも掌だけだ!! 他の場所を攻撃すれば効いている」

「なるほど……」

 

 紅玉の攻撃を観察していたアラジンが光明に気がつき声をあげた。

 通った攻撃と通らなかった攻撃。その差は手による防御ができたかどうかにあった。

 

 先程の球体の状態の時、その防壁を破るのに二人がかりの極大魔法を要したのだ。形態が変化したことで全身に防壁を張ることができなくなったのか、それとも単純に弱まったのかは分からないが、少なくとも並みの攻撃では防壁を徹すことができないのは既に分かっている。

 それならば……

 

「一気に倒す!!!」

 

 アラジンがそのマギとしての膨大な魔力を使い、砂の巨人を現出させ、それぞれの掌から魔装の攻撃にも引けをとらない熱閃が放たれた。

 その攻撃の幾つかは依り代の手によって遮られたものの、たしかにそれ以外の場所から依り代へと傷を負わせた。

 しかし、傷を負った依り代はその頭部に咲く花のような手の集団を砂の巨人に伸ばした。

 

「ああっ!! 砂からルフを!!」

 

 損傷した部位を補うように砂からルフを奪い取り、ルフを吸い取られた巨人はただの砂へと戻ってその身を崩してしまった。

 いくらダメージを与えてもルフを吸い取られてしまっては意味がない。

 防壁を避けつつ回復させない攻撃を与えるためには……

 

「闇雲に動くな。紅明! お前が指揮をとれ! 光! お前はこっちだ!」

 

 紅炎が自身の有する三体のジンの内の一つ。癒しの金属器フェニクスの力を発動させながら、信頼する弟へと指示を出した。

 自身が指揮をとれればいいが、彼も先ほどの傷はかなり深い。今はアシュタロスの魔装を解除して怪我を癒している。そして同じように先ほど攻撃を受けた光を癒すつもりなのか大声を張って光の名を呼んだ。

 

「俺はいい! 紅明殿!」

「承知しました。転送します……紅覇、紅玉、白瑛殿、皇殿!!」

 

 紅炎の気づかいを断り、指揮を執る紅明へと呼びかけた。

 紅明はそれを受けてざっと敵味方の位置関係を把握。輝きの宿る指を指示棒のように振るって方陣を放った。

 

 あの依り代を守る防壁はここにいる金属器使いでは2人がかりの極大魔法でかろうじて破れるかどうかというものだ。

 真っ向から突破するには分が悪い。

 だが、依り代が人型となったことで掌からしか防壁を張ることができなくなったのならば、そこにこそ勝機がある。

 

 一気に攻勢をかける。

 あの依り代をここで倒さなければ天に開いた穴から降りる悪意の化身が世界を終わらせる。

 

 なんとしてもここで仕留める。

 

 参謀の指示を受けて即座に応えた4人はその方陣へと身を躍らせた。

 黒い輝きに導かれて一瞬で切り替わる景色。

 

 

「!?」

 

 

 獲物を求めて彷徨う依り代の背後に魔方陣が現出する。

 その輝きは白。

 

「震天動地!! すべてを砂塵に帰す風神の咆哮を聞け……!!!」

 

 白の魔装を纏った公主がその白羽の槍を振りかぶる。

 

 ――極大魔法『轟風旋(パイル・アルハザード)』!!!――

 

 逆巻く巨大な風の柱は天地を分かち、山よりも巨大な依り代の体を刻みながら吹き上げた。巻き起こる大嵐が大地を持ち上げ、その岩塊もまた竜巻の中にあって依り代を攻撃する砕斧となった。

 

 空に浮かびあがり、頂へと持ち上げられて宙に留まる依り代。

 その上空にまた新たな方陣が出現した。

 

 輝きの色は紫。狙うは防壁の起点となる腕、その最も大きな2本。

 

「鬼哭啾々!! 穢れを纏いし屍の花よ! 束なり縒りて御霊を韴せ……!!!」

 

 双刀の刃に命の花弁が集って纏わる。

 捧げた刃に込められた忠義が長大な剣となり、天から地へと走る光が二筋の箒星の如き剣閃を煌かせる。

 

 ――『尸桜・羽々斬(サミジル・ゼルサイカ)』!!!――

 

「!!!」

 

 宙に留められた依り代の胴から左右の腕が付け根から斬り裂かれた。

 依り代が落ちるよりも速く、空を翔けた光。その軌跡から湧き出るかのように今一つの方陣が空に刻まれた。

 

 その色は黒輝。

 

「無情を刻む、圧殺の女王の嘆きに散れ……!!!」

 

 紫水晶の翼を羽ばたかせ練鎚を振りかぶる破壊の皇子。

 

 ――極大魔法『如意練鎚(レラーゾ・マドラーガ)』!!!――

 

 あらゆる物の存在を打ち砕く圧殺の極み。

 真正面からの攻撃。しかしその圧倒的な攻撃力に加え、連携に体勢と防御を狂わされた依り代にその練鎚を防ぐ術はない。

 2本の本腕を失った依り代の胴体に特大の大穴が空き、上下の体を分断した。

 その余波で吹き飛ぶ依り代。

 その体は重なるように海へと落ちる。

 

 そして

 

「我は召っす、怒りをもって其を貫く水神の裁きっっ!!!」

 

 もう一つの方陣が海上に現れる。

 怒りをもって現世を裁く麗しき水神の乙女。

 

 ――極大魔法『水神召海(ヴァイネル・ガネッサ)』!!!――

 

 水神の怒りが大海を槍と為し、災禍の権化を貫いた。

 

 

 ルフを奪い回復する暇を与えぬ波状攻撃。 

 続くようにアラジンが転移してマギとしての膨大な魔力に底上げされた熱魔法を放ちダメージを蓄積させる。

 

 だが

 

「極大魔法を撃ったのに……くそっ! もう、どいつもこいつも魔力が……足りないッ!!!」

 

 苦悶の声を上げる紅覇。

 次々に攻撃を放つも、膨大な黒ルフの加護を受ける依り代は既に体の大部分を再構築し始めており、斬りおとされた腕もまるでそんな事実はなかったかのようにつなぎ直されている。

 まだ完全に再生を終えてはいないものの、それでも苦悶の表情を浮かべる紅覇を始め、白瑛も紅玉も光も、最大威力の魔法を放ったことによりすでに限界ギリギリ。

 皮膚には血管が浮き上がり、眦からは血が滲み流れている。

 

「まだっ……あいつが回復する前にっっ!!! 灼熱の双掌(ハルハール・インフィガール)!!!」

 

 それでもこの機を逸すれば勝機が無くなる。

 アラジンの檄に応じるようにそれぞれが破裂しそうな体に鞭打ちだし得る最大の力を放った。

 そして紅炎のフェニクスによって治癒していたアリババと紅炎が再び魔装を駆って戦線に戻った。

 

アモンの轟炎剣(アモール・ゼルサイカ)!!!」

 

 一度極大魔法「炎宰相の裂斬剣」を放ったアリババの魔力も残り少ない。それでも炎の大剣を召喚し、紅覇たちもそれに合わせるように力を振り絞った。

 そして

 

七星転送方陣(ダンテ・アルタイス)!!!」

 

 紅明の金属器・ダンタリオンその転送魔法が7人の前に方陣を浮かび上がらせる。

 

 アモン(アリババ)アシュタロス(紅炎)サミジナ()パイモン(白瑛)レラージュ(紅覇)ヴィネア(紅玉)マギ(アラジン)

 7つの超常の力が一つに束ねられ、一条の特大魔法を生みだした。

 

 天より堕ちる魔法が依り代の頭を消し飛ばした。

 

 

 

 

「ハアッ、ハアッ―――—―」

「や、やったかっ……!!?」

 

 どの戦士も激しい消耗が見られる。大きく肩を上下させながら息を整えていた。

 特に第一波攻撃からずっと戦闘を継続している紅覇や魔力量のそう多くはない白瑛の消耗は激しい。

 爆散しながら海中に没した依り代。

 警戒を残しながらその行方を見つめていた8人の目の前で、

 

「なっ……」

 

 与えた傷の全てがなかったものとなり、そして倒す前よりもさらに巨大になった依り代が天に聳えるように立ち上がった。

 思わず息をのむ。

 

「こいつ、でかくなったぞ!?」 

「海からルフを奪ったんだ! あいつは、この世界のあらゆるものからルフを奪って強くなれるんだ!!」

 

 悲鳴のようなアリババの声にアラジンが海を指さした。

 依り代の足場となっていた海は大きく陥没し、その周囲には命を吸い取られた生物たちの骸が無数に漂っている。

 

「そんなのに、勝てるのかよ……!? 僕らはもう極大魔法も撃てない。魔装もぎりぎりだ……!!」

 

 絶望的な光景に、紅覇が呻いた。

 すでに魔力は限界ギリギリ。なんとか余力があるのは魔力量の多い紅炎とマギであるアラジンくらいだが、二人にしてもかなりの無茶の連続ですでに体には相当の無理が来ている。

 

「くっ……もう、魔装が……!!」

「っ……!!」

 

 隣に立つ白瑛の、血を流し疲弊する姿に光は歯を噛み締めた。

 光の魔力量もかなり危険域に近づいている。

 消耗の激しさから、すでにかなり時間を削り取られている。これ以上の魔装継続は、文字通り命を削る行為だ。

 

「勝てるはずだ……アルマトランの時みたいに、今度もきっと……」

 

 かつて滅びた世界。

 その滅びに対するために、偉大なる王と72人の戦士が、悲しき力を使い戦った。

 

 だから

 

「ここにいるみんなが力を合わせれば、きっとまたアイツを倒せるはずさ!!!」

 

 力強く鼓舞するように言い切るマギ(導き手)

 だが立ち塞がる敵はあまりに強大で……

 

「!!!」「っ!!」

 

 屹然と佇んでいた依り代が突如としてその大腕を振りおろし白瑛へと襲い掛かる。

 あまりにも突然の強襲。

 疲労の極みにあって、咄嗟の反応が遅れた白瑛。

 

「おぉぁっ!!!!」

「光っ!!」

 

 依り代の拳が届く、その一瞬早く、白瑛の前に飛び出した光が己が身を盾にするように風花・叢雲で拳を受け止めた。

 だが、あまりにも規模の違う一撃に腕と双刀が軋みを上げる。

 真っ向から受け止めては押し切られる。

 魔神の手の突進力に対し、光は体の前を交差するように左の刀で受け流し、勢いに流されるように体を反転させた。

 

「尸桜―― 」

 

 言霊によりサミジナの支配下にあるルフが反応し、右の刀を紫色の花弁が取り巻くように駆け上る。

 

 あの敵を討つために

 大切な彼女を護るために

 

 その願いを受け継ぐために

 

 今一度、その白をここに顕現させる。

 

「―― 白焔刃!!!」

 

 具現化した白い焔が魔装に纏わり、腕を通じて刀を取り巻く。

 

「!!!」

 

 焔の斬撃が魔神の手を斬り裂き、裂閃が白い光を放って爆音を上げた。

 迫りつつあった腕が爆閃によって吹き飛ばし、光も反動を受けて飛び退った。

 

 だが……

 

「光殿!」

「っ!」

 

 斬り落とした魔人の腕は二つ。それがすでに修復されていることを忘れていたわけではない。

 白瑛の声に光は自らの左から裏拳のように迫る魔神の手に一拍遅れて気づいた。

 咄嗟に風花・叢雲を体の左側面で交差させて防御の姿勢をとるが、攻撃に集中しすぎた。

 光は苦悶の声を漏らして依り代の拳を受け止めるが、魔神の掌が和刀を通じて生命力を吸い取っていく。暴力的に叩きつける力が強い。不十分な体勢の上に、生じた隙を衝かれた形になったたまに防御は不完全。

 

「ぐ、がっ!!」

「くっ!!」

 

 魔神の手に押し込まれ、弾き飛ばされた光を白瑛が受け止め、魔神を風で押し戻そうとするも抗いきれずに海面へと叩き落された。

 水中に没した光と白瑛。

 

「—―――っ! 光!!」

 

 追撃が来る前に、白瑛は光を抱えて海面から脱した。だが、自分の前に立ちふさがってあの一撃をもろに受けた光の負傷の程度を確認しようとし、気づいて声を上げた。

 

「くそ……」

 

 咄嗟に利き手を庇ったのだろうか、光の左半身は先の紅炎やアリババと同じように魔神の攻撃を受けて爛れていた。

 

「白瑛殿、皇殿!!」

 

 二人を襲った攻撃を上空から見ていた紅明が二人の安否を確認するように声を上げた。

 海面に没した二人だが、すぐさま白瑛が光を抱えて離脱する姿を確認した。

 光が庇ったためだろう、白瑛は重傷といえる損傷はない。だが彼女の魔力量はそうは多くない。最早限界ギリギリだろう。

 光に至っては行動可能な魔力も底をつきかけており損傷も甚大だ。

 

 

 連撃の攻撃を繰り出した依り代。崩れた体勢の隙を衝くように大海から水を操り、紅玉がその後背を狙った。

 

「おらあああぁっ!!」

 

 防壁の無い箇所を狙う。それがこの化け物との戦い方であり、それは当然紅玉も承知していたし、その個所を狙った。

 だが

 

「!!!?」

 

 海より数多の命を喰らってルフを得た依り代には最早紅玉の水の槍は傷を与えることもできなくなっていた。

 依り代の頭髪が無数の腕となって触手のように紅玉へと襲い掛かる。

 

「きゃあっ!!」

 

 依り代へと接近しすぎた紅玉の脚が腕の一つに掴まれ悲鳴を上げた。

 この手に掴まれればルフを吸い取られる。

 掴まれた箇所から魔装が引き剥がされ皮膚が溶けていく。

 

「紅玉っ!!! これ以上、身内を殺されてたまるかっ!!!」

 

 義妹の危機に紅覇が援護に駆けつけ練鎚を振るって紅玉を捉えていた腕を切り裂いた。

 だが、その紅覇の消耗も激しく、瞳からは過剰負荷を示すように血の滴が零れている。

 だからだろう、周囲への注意が散漫となり、気づいた時には依り代の手が紅覇の間近まで迫っていた。

 

「しまっ―――――――!!!!」

 

 ガシリと全身を掴まれた紅覇。

 声を上げることもできず、全身からルフが吸い取られていく。

 

「紅玉、紅覇!!」

 

 紅炎がアシュタロスの剣を振るい紅覇を救出するも、地に落ちた紅覇の全身からは皮膚という皮膚が剥がされ血だまりへと沈んだ。

 掴まれた直後に救出された紅玉も両の脚の皮膚を剥がされ出血し、その表情に苦痛の色を宿していた。

 

 次々と依り代の手にかかっていく義弟妹たち。

 その姿を見て、キッと魔神を睨み付けた紅明は魔力を集中させた指を振るい、扉を開いた。

 

 星が特大の方陣を描き、大山を囲い込む。囲い込まれた山は頂上からその姿を消していき、消えた頂きは天地を逆にして依り代の頭上へと現出した。

 

 海上に立つ依り代を押し潰すために紅明の七星転送方陣によって転移された山が轟音と共に落下する。

 大気を割り、海に穴を穿ち、炎帝と同等クラスの天変を引き起こした攻撃。

 巨大な質量を伴って落ちた山が海に大波を巻き起こした。

 

 どのような敵でも、軍隊であろうとも、一都市であろうとも滅ぼしかねない特大の攻撃。

 

 巨大な依り代を丸ごと押し潰すその攻撃は、戦闘継続時間を差し引いても負担の大きい一撃だったのだろう。紅明も苦しげに肩で呼吸していた。

 

 だが……

 

「っ。無傷……!!」

 

 荒い息を吐き、魔力の消耗が血管を損傷させる。そのような状態になっても、そしてこれほどの攻撃を受けても、依り代には傷一つなかった。

 

 

 ――ゥオオオォオォオオオ!!!!――

 

 世界を揺るがし、ルフを破滅へと導く咆哮が響く。

 依り代が天に空いた穴から堕ちる糸へと手を伸ばし、黒い太陽から滴り落ちるそれを自らに取り込まんとするかのように腕が引かれる。

 

 

 命の原始であるルフが消えていく

 

 世界が死へと向かっていく

 

 全てが暗黒へと、染まっていく――――

 

 

 

 

 長引く戦闘、傷つかぬ絶望的な敵。

 なによりもサミジナの持ちうる最大の魔法を連続で発動させたことで、魔力がもう底をつきかけている。

 咄嗟に尸桜で防ぎ、白瑛が風で援護してくれたために直撃こそしなかったが、今の一撃で受けた損耗の修復が遅い。

 

 命脈の花が散っていく。

 

 器が万全ならば修復は一瞬だったはずだ。

 それがこんなにも遅いのは魔力が残っていないのに加え、いよいよ時間が終わりを迎えようとしているためだ。

 

「くっ……」

 

 咄嗟に庇ったものの、押し込まれた光を受け止めた白瑛にかなりのダメージが通っていた。そして光同様、いやこの場にいる者全員の消耗が激しい。

 紅覇も紅玉も戦闘継続どころか、紅覇に至っては命が危ぶまれるほどだ。

 魔装・アガレスが噴出させた火山のマグマによる回復を封じられた紅炎とアリババも、最早魔力は限界を迎えようとしていた。

 

 そして……

 

「紅明殿の、あの攻撃でも……無傷……」

 

 サポート役に徹していた紅明が、山一つを転移させ落した攻撃も通じていない。

 紅明の魔力も、もう限界だろう。

 白瑛が己が無力を嘆くように顔を歪ませた。

 

 全ての攻撃が通用しない。どころか時間を追う毎にあの黒い魔神は海から風から、命を吸い上げて育っていく。

 

「…………」

 

 圧倒、という言葉すら生温い相手を見上げ、光は桜花を握り締めた。

 

 依り代は天へと手を伸ばし、破滅を引き寄せようと雄叫びを上げた。

 

 倒す手立てはない。

 

 しかし――時間を稼ぐくらいならば、あるいは……

 光に加護を与えるジンにはアリババや紅炎のような一撃必殺の威力はない。だがあの依り代は命を吸い取って自らの力にしている。それならば同じように命を司る“ガミジン”は、有効打にならずとも、多少の足止め程度にはなるかもしれない。

 

 だが、それをすれば――――

 

「……罪業と呪怨の精霊よ」

 

 器を留めておけなくなる、最期の禁忌。

 

「我が身を解き放つ」

 

 それでもいい。

 

「我が身に纏え、我が身に宿れ」

 

 絶対に白瑛だけは守る。 

 詞うように紡ぐ言の葉。

 

 人から魔神へ。

 偽りの姿から真実の姿へ

 

「我が身を大いなる魔人と化せ」

 

 戻ることのない最後の章。

 

 

 その最後の一節は――

 

 ――「雷光剣(バララークサイカ)!!」――

 

 ――轟きわたる雷鳴に遮られた。

 

 

 

「なんだっ!!?」

 

 紡がれることのなかった最後の一節。

 だが、目の前には天より降り注いだ雷に打ち抜かれ巨体を傾かせる魔神の姿があった。

 

「あれは……」

 

 雷雲の狭間から現れしその男。

 その姿、龍の鱗を纏い、額には第3の瞳を開き、雷纏う剣を手に振りかぶる。

 

 第1級特異点。

 この世界が生み出した奇跡。

 七つの海を制覇し、七体のジンを従える大王の器。

 七海連合の盟主にして、シンドリアの国王。

 

「七海の覇王! シンドバッド!!!」

 

 雲海を切り晴らし、今この戦場に新たなる勢力がその姿を見せた。

 

 覇王に率いられた世界の護り手。七海連合……参陣―――――

 

 

 

 

 



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第29話

 ――優れた者などどこにも存在しない。魔導士だろうとそうでなかろうと……

   たとえどんなに他者より10倍も100倍も勝る力を持った、眩しい誰かがいたとしても。

   委ねてはならない。間違えずに生きられる者などどこにもいないのだから――

 

 

    ✡✡✡

 

 

 一つの小さな白い光をきっかけに崩れていく巨大な依り代。

 

 眷属たちの決死の攻撃、15人の金属器使いの渾身の魔法。そして四人目のマギの、奇蹟の御業によって遂に依り代は跡形もなく消え去り、黒いルフは散り散りとなって去って行った。

 

 

 そして………

 

 

 睨みあう三大勢力。

 

 練 紅炎、シンドバッド、ムー・アレキウス。

 煌帝国、七海連合、レーム帝国。

 

 各勢力を代表する金属器使い達の睨みあい。

 

 世界の命運を賭した戦いの果てに待っていたのは、世界の趨勢を左右する王たちの対面だった。

 

「きょ、共通の敵が消えちまったから……!!」

「やめてよ!! 兵を退くって約束したもんね!! 紅炎おじさん!!」

 

 既に撤退の意志を固めながらも依り代討伐のために駆けつけただけの、そして指導者であるマギ・シェヘラザードの居ないレームはともかく、戦意みなぎる煌帝国と七海連合の間に挟まれる形となったアリババとアラジンが悲痛な表情となっていた。

 

 激戦の連続を終えた煌帝国の将は唯一紅炎のみがかろうじて魔装を継続しており、負傷していた紅覇と紅玉の治癒はなんとか間に合ったが、紅明も白瑛も光もすでに魔装は解けていた。

 対して七海連合にはエリオハプト、アルテミュラ、ササン、イムチャックそれぞれの金属器使いと眷属。覇王シンドバッドとその配下たる八人将。そして動員してきた数多の兵が控えていた。とある人物の働きかけによってこの場に集った王の器とその眷属たち。

 圧倒的な戦力差。

 だがその中にあって、白瑛も紅明も紅覇も光も戦意を保っていた。睨み付ける眼差し。

 

「……いや。元々、俺たちの目的はここ、マグノシュタットだ。そもそも、煌帝国の金属器使いをこれだけ控えさせていたのは、レームの金属器使いに対抗するため。戦う相手がすげ替わっただけの話だ」

「!!! おじさん!!! 話が違うじゃないか!!!」

 

 アシュタロスの魔装を持続させている紅炎の平坦な声にアラジンが悲痛な叫びを上げた。

 

 七海連合は不可侵不可侵略を理念としている。

 今回、この戦場に駆けつけたのは、あくまでもこの世界の“外”からの侵略者、暗黒点との戦いのためだ。

 国家間で正式に宣戦布告を果たした上での戦に介入する理由も権利もない。それはこの戦場に駆けつけたシンドバッドもそう語っていた。

 

 だが、七海連合の王たちはいずれも魔装を解いてはいなかった。

 

(あちら)はマギともう一人の金属器使いが来ておらんぞ。奥の手があるのでは?」

 

 ササンの騎士王の敵を見据える眼差し。

 エリオハプトの女王も挑発的な眼差しを紅炎に向けており、イムチャックの首長に至っては獲物を前にした狩人の如く、自ら戦端を開きかねないほどの気勢を放っている。

 

「…………」

「どうやら、七海連合(あちら)にも考えがあるようですね」 

 

 舌を打つことすら無用なほど当然の展開に光は収めた和刀の鯉口を切った。

 戦う場所と時が予定とは違っただけで、七海連合との戦いなど端から想定済み。紅明はその黒羽扇を胸前に掲げ、白瑛も白羽扇を構えた。

 

 シンドバッドがどう考えているかはともかく、どう見ても連合の意志は煌帝国を敵と見ている。

 この場で討つ敵、と。

 

 

 ならば、一瞬でいい。

 いや、一瞬しかない。

 

 光の残量はほとんど残されていない。最早“サミジナ”の全身魔装はできない。精々武器化魔装が、それも僅かな時間程度だろう。

 

 傲岸不遜なほどに余裕の表情を見せるシンドバッド。

 あの男の強烈な統率力とカリスマがあればこそ、七海連合は連合たり得る。

 ここであの男の首さえ斬り落とせば、世に二人しか存在しない複数金属器の保持者の一人を討ち取れば。紅炎ならば他の七海連合を圧倒することも可能の筈だ。

 

 同盟国の金属器使いを脇に従えるシンドバッド。

 その隙を探るように見つめる光。

 たしかに魔力量や王としての器。金属器使いとしての力量であれば、シンドバッドは光とは、いやこの場にいる紅炎を除いたすべての金属器使いとは隔絶した強さを誇るだろう。

 

 だが、剣の技量であれば、この場に居る誰よりも、自身が上回っているという自負が光にはあった。

 不意を打った接近戦の一刀であれば、操気術による和刀の一閃に斬り落とせぬ首などない。

 

 シンドバッドは余裕の笑みを浮かべたまま、ちらりと、その視線を逸らした。

 

 待ち望んだ一瞬。

 納刀した状態から一足で踏み込み、その首を落す――

 

「こらっ!」

 

 ――ハズだった。

 

 地面を蹴る、その寸前。シンドバッドの背後に突如として湧いて出た男の存在に、光は地面を蹴ることなく、押し留められた。

 木の枝のような釣竿状の杖でぺしりとシンドバッドの男を叩く男。

 

「なにふざけてるの? シンドバッド。せっかく煌帝国とケンカにならないための予防策を講じてきたのに」

 

 その様はまるで隙だらけだった。

 だが……

 

「…………」

 

 機先を制された。

 シンドバッドたちにその意思があったかどうかは分からないが、獲りに行くその直前で急変した事態に、討ち込む気勢を削がれたのだ。 

 

 旧知の知り合いのようにシンドバッドに話しかける男。

 張り詰めていた緊張の糸が緩み、気を取り直すようにしてシンドバッドが再び余裕のある表情を紅炎たちへと向けた。

 

 そして

 

「七海連合はレーム帝国と、正式に同盟を結んだ」

 

「!!?」

 

 この場の流れを一気に掌握する言葉を口にした。

 おそらく先駆けとしてマグノシュタットとレームをそれぞれ訪れていたアラジンとアリババにもそのことは告げられていなかったのだろう。

 驚きの顔でレーム陣営を振り返るアラジン。

 

「……その通りだ。シェヘラザード様が最後の戦いに赴く直前に決断なされた」

 

 依り代打破に貢献したレームの3人の金属器使いたち、殊にムー・アレキウスの顔には、不承不承といった感が色濃く映っている。

 依り代との戦いの終盤。

 戦争によって魔力をほとんど失ったムーと煌帝国の金属器使いのために、シェヘラザードは己の命を投げ打って、最後の魔法を解き放つことで、彼らの魔力を回復させたのだ。

 マグノシュタットとレームの戦いで傷ついた兵を転送魔法で本国へと帰し、同時に金属器使いの召喚と回復を成し遂げたシェヘラザードの功績。

 それがなければ紅覇と紅玉の回復は紅も早くにはいかなかったであろうし、依り代の防御を貫くことも難しかった。

 だが、そのためにレームは今現在マギを失ってしまったのだ。そうでなくとも、レーム200年の母であるシェヘラザードの存在はあまりにも彼らにとって深く心の中に根付いた存在だった。

 そのために“シェヘラザードを失った”レーム帝国では、強固な統率者を欠いており、大局的に見て煌帝国と戦争を継続することを不利と見ているのだろう。

 

「レームと煌の拮抗状態を左右しうる勢力は七海連合の他には一つもない。それがレームと手を組んだ。言いたいことはわかるよな?」

 

 シェヘラザードを失ったといっても、3人の金属器使いとファナリス兵団、そして培ってきた化学兵器は健在だ。

 加えて、レームと煌帝国はこの場では消耗が大きいが、依り代戦の最後に出てきた七海連合は魔力を消耗してはいても、依り代と始めから戦っていた煌帝国の者たちに比べてまだまだ余力が大きい。

 

 不侵略不可侵略という優しげな建前を懐にしまいながら穏やかに告げるシンドバッド。

 しかし、その建前でいくならば、七海連合と同盟を結んだレームもまたマグノシュタットへの進軍を継続できないはず。

 

 大局的にはともかく、今この場において、マグノシュタットを目的とする煌帝国にとっては、レームの介入を排除できる口実でしかない。

 

 だが

 

「さらに俺は、八人将ヤムライハの養父マタル・モガメットが治めていた半壊した国を見捨てても行けない。マグノシュタットの再興に、力は惜しまないつもりだが?」

 

 “今は亡き”マグノシュタット学院の長、マタル・モガメットの名を口にして飄々と言い放つシンドバッドの言葉に、紅覇を始め、白瑛や光の顔に剣呑な光が宿る。

 

「!!!  あ、あいつ! マグノシュタットをぶんどる気だ!!!」

 

 あまりにも強引な介入の口実。

 本来の形として、依り代との戦いは、“シンドリアの”客分であるアラジンの依頼を受けて、“煌帝国が力を貸した”戦いだったのだ。

 だが、煌帝国の金属器使いが極めて劣勢の状況で、シンドバッドと七海連合の“本隊”が間に合ったことによりあたかも、“煌帝国の金属器使いたちの窮地を”七海連合が救ったかのようになってしまった。

 

 シンドバッドと七海連合にしてみれば、依り代との戦いは、彼らにとっての戦いであり、戦場で煌帝国と鉢合わせしたのが余分なのだ。

 それを自国の客分の一人にすぎない者の故国であることを口実に。“たまたま”その場にいたために、統治権に口をだす。

 とりわけマグノシュタットとの交渉から関わってきた紅覇がいきりたつのも無理はないだろう。

 

「そんな理由が通ると思っているのか……!!」

「紅炎殿……まさかあの男、ここまで計算して気を窺っていたのでは?」

 

 ギシリと歯を噛む光。うやむやになりかけた戦闘の気配が再び緊張と共に張り詰めた。

 白瑛が穿つように、今回の戦いは、煌帝国とレームから見て、あまりにも七海連合に都合がよすぎる帰結を迎えようとしている。

 

 七海連合は“彼らの”敵である依り代を、二勢力をいいように使って倒し、二勢力を疲弊させた。特にレームは主柱であったシェヘラザードを失ったこともあって七海連合に与せざるを得なくなった。

 その上、戦争に関係なかったにもかかわらず、漁夫の利を得てマグノシュタットを支配下に置ける。

 

 だが、この展開を読んでいたとすれば、一体あの男はどこまで先を見通していたというのだろう。

 

 レームとマグノシュタット、煌帝国が三つ巴の会合をするところか。

 七海連合が介入できる口実が現れるところか。

 レームが七海連合の誘いを受けざるを得なくなるところか。

 

 あるいは

 

 煌帝国が、アラジンの依頼で七海連合よりも先に依り代と戦い疲弊する状況になるところまでも、この男の手の中だというのだろうか。

 

「…………では、俺は」

 

 戦気高まる中、次の展開の全てを左右するように紅炎が口を開いた。

 その表情はいつものように、その内面を推しはからせないかのようにブレがなく。

 

「このマギをいただく」

 

 いつの間に引き寄せたのか、マギ・アラジンを抱きかかえて告げた。

 

 

 ………………

 

 

「えっっ!!?」

 

 表情とは裏腹に、煌帝国側にとっては明らかにシンドバッドの態度は挑発的なものだった。

 まるで、先に手を出してくれればこの後がやり易いと言わんほどに。

 それに対して飛びだした“戦好きの炎帝”の言葉に、光や弟妹を含め、敵味方すべてが呆気に取られ、一拍遅れて驚きの声を上げた。

 さしものシンドバッドも紅炎のこの言葉には虚をつかれたのか、ピクリと眉を動かし、すぐに動揺を打ち消した。

 

 

 依り代との戦いにあたって、紅炎とアラジンはある約束を交わしていたのだ。

 

 ――紅炎が兵を退いて依り代を破壊するのを手伝う代わりに、マギ・アラジンはその知識の全てを差し出す――

 

 その約束に対し、紅炎は()の撤退と煌帝国すべての金属器使いの参陣命令を下したのだ。

 

 たしかに、アラジンの要望は全て叶えている。その結果として七海連合とレームの勢力の只中に金属器使い6人だけで孤立するという事態に陥ったわけだ。

 

 だが……

 

「約束したもん、なっ」

 

 果たして、魔装の状態で子供にしか見えないアラジンを抱きかかえ、不気味な笑顔を向けているこの状況。

 おそらく、“知的な意味で”興味の対象であるアラジンに、出来うる限り精一杯の、警戒心を抱かせないような笑顔を向けたのだろうが、その顔は弟妹たち以外には、どう見ても脅しているようにしか見えなかった。

 

「う、うん」

 

 間近でその笑顔を向けられているアラジンも、たしかに約束はしたがあまりに不気味な笑顔に顔を青くしている。

 

 

 

 

 今度こそ霧散した戦気。

 アリババは先ほどまでの緊迫を忘れてアラジンを取り戻そうと喚いており、その横では友人の取り合いでもしているのか紅覇がムキになって応答している。

 向こう側でも魔導士らしい女性がシンドバッド相手に何かを切々と訴えかけている。

 

「いいのか、紅炎殿?」

 

 光はシンドバッドを横目で捉えながら紅炎に問いかけた。

 この場において、唯一戦闘継続を示すことができたのが煌帝国の総督である紅炎であった以上、攻撃の意志のない相手を不可侵が信条の七海連合が攻撃することはできず、レームもまた手を出せない。

 “シンドリアの”マギに無理やり手を出すというのならばその限りではないが、確かにアラジンは紅炎と約束を交わし、しかも正確には“シンドリアの”マギではない。

 たしかに疲弊しているが、このまま終わっては煌帝国軍としては七海連合にまんまと漁夫の利を得られたようなものだ。

 たしかに今現在紅炎たちは孤立しているが、それは言いかえればその包囲のさらに外側に煌帝国の戦力、同化した眷属たちを含む数多の兵団が控えているということだ。

 互いに挟撃し合う形。だが、煌帝国側は疲弊しているとは言え、精鋭である金属器使いだけなのだ。眷属たちが駆けつけるまで時間を稼ぐことはできるし、そうなれば七海連合側にも多大な犠牲がでるだろう。

 尋ねる光に紅炎はじっと敵国の大将を見つめた。

 

 いつもの皇 光がそうだったように、“その力を維持できなくなった”光がそうしていたように、見据える先の男を見定めようというかのように。

 

「……あの男が領土や権力を望むだけの男ならば、ここで息の根を止めるのもいい。だが、そうではないはずだ」

「えっ?」

 

 同じようにシンドバッドに不信感を募らせていた白瑛や紅明に言い聞かせるように紅炎は自らの視立てを述べた。

 

 

「存外、扱いづらい男だ」

 

 覇王と炎帝。

 世界でただ二人の複数迷宮攻略者の会合だった。

 

 

 

     ✡✡✡

 

 

 

 いずこかへと去った黒いルフ。

 それに習うかのように両陣営ともに撤退準備が進められていた。といってもマグノシュタットの再興に移行するつもりらしいレームとシンドリアの勢力は一部そのままマグノシュタットへと移動するらしいが。

 一方で紅炎たち煌帝国は、眷属たちが迎えによこした空飛ぶ絨毯にて帰還準備を整えていた。

 

 そして

 

久しぶり(・・・・)。いや、初めまして、というべきかな?」

「お前は……」

 

 途切れかける意識をかろうじてつなぎとめていた光の前に一人の男が柔和な笑みを浮かべて話しかけてきていた。

 ツバの大きな緑色の帽子をかぶった金髪の青年。世捨て人のような厭世的な雰囲気を漂わせた男。

 

「僕の名前はユナン。君を……君のガミジンをこの世界に出現させたマギだよ」

「…………」

 

 先程シンドバッドの頭を釣竿で叩いた男だ。

 マギ・ユナンと名乗った男はにこりと光に微笑みかけた。

 

 いつか、初めてジュダルに会ったときに彼が言っていた。

 

 ――俺の迷宮を勝手に攻略したやつは、バカ殿くらいのはずだから。大方、ユナンあたりがどっかに出しやがったのか……――

 

 シンドバッドが攻略した第1の迷宮をはじめ、光の金属器・ガミジンの迷宮や数多の迷宮をこの世界に現出させたさすらいのマギ。

 

 光は微笑みかけてくるユナンをじっと睨みつけた。

 温和そうな微笑に全てを覆い隠し、“人”とはなにかを隔絶した超越者、それがこの男に抱いた印象だった。

 それはマギとして成長したアラジンと同じく、“何か”が違うと思わせるものだ。

 

「まさか君が、ジュダルの選んだ王の器たちの側に立つとは思わなかったな。君ならシンドバッドの方に来ると思ったんだけどね」

 

 告げるユナンの言葉に光は目を細めて睨み付けた。

 自分に力を与えるきっかけを造った存在。

 その口から語られるのはあの“第4迷宮”を現出させた理由ともとれるものだった。

 

 先刻亡くなったという報告のあったレームの司祭・シェヘラザード

 煌帝国の神官・ジュダル

 そしてシンドリアのアラジンを含めて例外的に、今現在4人のマギが存在しているが、この世界には本来いつの時代にも3人のマギが存在すると言われている。

 

 魔道の頂に立ち、王を導き、国を創る創世の魔法使い マギ。

 

 ジュダルの選んだ王の器たち側、ということはおそらくこのマギの目論見では、皇 光は煌帝国ではなく、七海連合に与する王の器ということだったのだろう。

 

 ありえない話ではなかったかもしれない。

 それほどまでにあのシンドバッドという男はずば抜けている。

 矛盾するモノを抱え込み、受け入れ飲み下す器の大きさ。世界の流れを見定めるかのような眼差し。紅炎をも超えるほどに膨大な魔力量。クセのある七海連合の王の器たちが盟主と見定めるカリスマ性。

 そして他国を下すのではなく、あくまでも“盟友”として手を結んでいくという言葉は、和国としても拒むものではない。

 もしも煌のころからの縁と初代皇帝、練白徳との交わりがなければ和はおそらく煌帝国ではなく七海連合と手を結んでいたかもしれない。

 

 ユナンの思惑通り……

 

「できれば彼の近くで止める側になってほしかったんだけど……」

 

 ほんのわずか、ユナンの顔に懸念という憂いがさしたようにも見えた。

 あまりにも強大すぎるシンドバッドという輝き。

 その強大さを、マギの中でも何かを超越したこの男は察しているのかもしれない。

 

「まあ、結果は変わらないかな。あと……一度、あるかないかってところかな」

 

 見透かすようなユナンの瞳と、正鵠を得ている言葉。

 ユナンの見立てに光は押し黙って睨み付けた。

 

 最初に光が見立てていたよりもずっと早い。

 だが、ユナンの見立てはおそらく間違っていない。

 

 もう、時間は残っていない。

 

「黙れ……」

 

 それが分かっているからこそ、光はぎしりと拳を握った。

 

 捧げた願い。

 そのすべてが、もうじき無くなる……

 

「大丈夫。それが君の歩む運命だよ」

 

 その言葉を最後に、ユナンは背を向けた。

 

 運命の流れを知り、導く創世者。

 その隔絶した存在だけを刻み付けて。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「光殿、帰還の準備が整ったようで……光?」

 

 飛び去って行ったもう一人のマギの背を見つめていた光に白瑛が声をかけた。

 直前までなにか話をしていたようだが、負傷していた紅玉や紅覇を看ていた白瑛だが、撤退準備が整ったことで一人離れていた光を呼びに来たのだ。

 

 何事か思うことがあるのは白瑛も、紅明も、おそらく紅炎ですら同じだろう。

 

 結局。紅炎の望みであるアラジンとの対話は先送りとされた。

 今、この状況で語るにはこの世界の真実はあまりにも長く、軽々しく話せる内容ではないとの理由から、今後の七海連合、煌帝国の関係性も含めて話し合う機会を設けることとなった。

 

 それまでの間、アラジンは七海連合の盟主シンドバッドの王国であるシンドリアが預かることとなったのは、アラジンが元々シンドリアの客分として身分を得ていたことや彼の王であるアリババが現在シンドリアに亡命中であることと併せて考えればたしかに理屈は通っているようにも思える。

 だが結局、全てがシンドバッドの思惑通りに進んだという感がないわけではない。

 もっとも、向こうにしてみれば、今回の件を引き起こそうと望んでいた“組織”との関わりが深い煌帝国に大切なマギを預けることに難色を示したとしても不思議ではない。

 

 光ですら、実際の所、紅炎が組織をどのように位置づけているのかを掴みかねているのだ。

 彼ならば弟妹たちを大切に想うはずという期待と、組織やジュダルと深く繋がっているという事実。

 

 失われていく時間に対して、積み重なっていくモノは世界そのものであるかのように混沌としていた。

 

 白瑛の呼び声に、光はそちらに視線を向けた。

 激戦を潜り抜けた直後の彼女もまた、ひどく疲弊し、傷を負っている。

 

 守りきれなかった…………

 …………守れなくなる

 

 この身に残されたわずかな猶予で為すべき事。出来ること。

 

 それは…………

 

 言葉はなく、光は白瑛の横を過ぎ去り、あの男の許へと向かった。

 

 

 

 いつもとは様子の違う光の姿。一言も言葉をかけることのなかった彼に白瑛は言いようのない不安感と違和感とを覚えた。

 

 ――きっと、ただ疲れているのだ――

 

 白瑛の前に立ち、その身を盾にし、剣となった光。

 以前に魔装した時にもひどく疲弊していたのだ。

 今回の戦いは先の時と同じく、いやそれ以上の激戦だったのだ。応える余力がなくても無理はない。

 

 そう、思いたかった……

 

 

 

 白瑛に背を向けた光は、帰還を指示しながらも名残惜しそうにアラジンを見据えていた紅炎の許へとやってきた。

 

「練紅炎。話したいことがある」

 

 かけた言葉に、敬称の無かったその言葉に合流した眷属がぴくりと反応を示す。

 声をかけられた紅炎は、その礼を失した言葉にではなく、言葉と光自身の瞳を見て、彼へと向き直った。

 

「……いいだろう」

 

 彼が信じるべき男か、それともただの敵なのか。

 

 光に出来ることはただ、信じて賭けることしか、残されてはいないのだ……

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 閉幕した依り代との戦い。

 だがそれは完全なる終結を意味しはしなかった。

 

 一度世界に空いた穴は容易くは塞がらない。

 再び暗黒点がその姿を見せた時、今度こそ“八芒星の組織(アル・サーメン)”の宿願は成就する。

 

 半壊したマグノシュタットにはその再興のためにシンドリアの将兵が入った。

 レームにはシェヘラザード亡き後、彼女の息子であるティトス・アレキウスが“マギとなって”その後を継いだ。

 ユナンは再びその姿を消し、七海連合の金属器使いは再びそれぞれの国へと戻り、元バルバッドの第三王子アリババ・サルージャもシンドリアへと再び身を寄せた。

 

 そして煌帝国。

 

 総督、紅炎とその参謀である紅明は西の拠点、元バルバッドに眷属と共に詰めた。

 それはあたかも、本国から距離を置くようにも、彼らを視界に収めないように、彼らの視界に捉えられないようにしているようにも見える動きだった。

 暗黒点の開いたマグノシュタットの監視として天山高原には紅覇が詰めた。

 

 元々将軍位にはなかった紅玉、そして天山高原に駐在していた北方兵団の将、白瑛も本国への帰還命令を紅炎より受けた。

 それに伴い、和国特使、皇 光もまた天山高原を後にした。

 

 

 白瑛と光が共に轡を並べて駆けぬけ、数多の眷属たちや人々と出会い、平定した天山高原。

 その地を後にした光が、再びこの高原の大地を踏むことは、この後――

 

 ――二度となかった。

 

 

 




前回もそうですが、今回の話も原作と重なる部分が多かった依り代との戦い、特に七海連合やアラジンの活躍は省略しております。
彼らの活躍に関しては原作もしくはアニメの方をご覧ください。
活動報告にも書きましたが次回は時系列から外れる小話的な話を入れます。


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追懐の雪

4月に入って、少々忙しくなっているため投稿間隔が遅れてしまい、お待たせしました。
今回は本編の流れから少し過去に戻って2章と3章の間くらいの物語です。



 ――ある日の煌帝国――

 

 

 和国特使、皇 光。

 白瑛の旗下の一員として有事には武将として戦う光だが、その肩書の示す通り、外交官としての一面も当然ある。どちらかというと和国から煌帝国に将としての側面強く貸し出されているものの、執務室もきちんと与えられていたりする。

 

 その執務室にてさらさらと筆をとっていた光は、同室している男についと視線を向けた。

 

「前々から気になっていたんだが光雲。なんでお前は俺の副官のような真似事をやっているんだ?」

 

 男の名は菅光雲。

 以前には義賊として暴れていた彼だが、今は彼を討伐した白瑛将軍の旗下の一員として煌帝国の組織下において、元義賊の兵たちとともに将兵として働いていた。

 そう、あくまでも彼の直属の上司は光の名目上の上司でもある白瑛だ。たしかに序列的には光の上だが、光自身の部下というわけではない。にもかかわらず、自分の執務所においてまるで副官のように自分の執務を見ている。

 見られているからといって作業が鈍るわけではないが、一人がりがりとやっている横で監視するように見つめられているのも中々に鬱陶しい話だ。

 

「皇女とその副官の青舜様からお前の補佐をするように言われたからだ」

 

 光の問いに光雲は上司からの命をそのまま答えた。

 

「補佐?」

「お前はなかなかに無茶をするから、皇女も気になったのだろう。お前の副官としてつけと言われたんだ」

「…………」

 

 訝しげに眉根を寄せた光に有無を言わさぬように畳みかけた。

 白瑛の命ならば光は断らないだろう。光雲の予想は当たっていたのか光は睥睨したように光雲を見返した。

 

「なんだ皇女の判断に不服か?」

「いや……」

 

 余計なものがついたと言わんばかりの表情なのは分かるが、白瑛が自分の身を案じての事だということが分かるだけに反論できないのだろう。そっぽを向いて手元の作業に戻ろうとした。

 

「ん? いや、俺の副官なのに、お前ほとんど俺の作業を手伝わないじゃないか」

 

 だが、戻ろうとして、しかし先程から副官がぼうっと自分の作業を見ているだけなのに気がづいて不満を述べるように言った。

 

「俺が手を出すよりお前一人でやった方が何倍も早い。早く終われば、鍛練場に顔も出せるだろう?」

 

 光の不満に、光雲はもっともらしく言葉を返した。

 たしかに、光雲は武力一辺倒とまではいかないまでも、彼が光のやっている書類仕事をこなそうとすれば、その倍以上は時間がかかるだろう。

 あまりに量が多すぎれば手伝わせるところだが、どうせ後は兵の鍛練関係の計画書と報告書だ。

 彼が言うように早く終わらせて自分の鍛練に時間を当てたいところではある。

 

 光は不承を顔に浮かべながらも書簡に眼を戻した。

 光もちょっと休憩代わりに話しかけたに過ぎなかったのだろう。

 

 だが……ふと、数日前に鍛練場で耳に挟んだ話を思い出し、窓から外を眺めてみた。数週間前から冷え込みが酷くなった寒空。

 

 ただ、そんな気温にも負けず、帝都ではどこかにぎわいを見せていた。

 戦乱が遠くに退き、迷宮攻略による財や交易などにより得られた財により帝都は活気に満ちていた。

 どこぞの誰かたちの思惑はともかく、愚鈍と揶揄されることもある現皇帝も、そしてなによりも政務を取り仕切る紅炎や代官の紅明などは自国領内に於いては民にとっては善政を敷いている。

 

 そして……

 

「…………よし」

 

 光は手にしていた書簡を机に戻し、顔を上げて光雲を見た。

 

「今日はお前に、俺の副官につくということを教えてやろう」

「?」

 

 首を傾げる光雲。

 この後は鍛練だという予定は、遠く過去のものと決められたことを彼はこの数分後に知ることとなる。

 同時に、和国において彼の幼馴染だったという副将の苦労もまた……

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 城のとある一室。

 質素な調度で仕立てられつつも、部屋の主らしい。慎ましく花の香りのする女性らしい部屋。

 煌帝国第一皇女、練白瑛が執務を行っていた。

 同室の机では副将である青舜が仕上がった書簡をまとめており、もう間もなく本日の必要な作業は終わろうとしていた。

 

 さらさらと筆の音が流れる部屋に

 こんこん

 と、来室を告げる音が響いた。

 特に来客の報せは受けていないが、白瑛と青舜は作業の手を止めて顔を上げ、互いに顔を見合わせた。

 

「はい?」

 

 青舜が部屋の扉を軽く開け、来客の姿を確かめた。

 

「光殿。どうされたんですか? 姫様になにかご用が?」

「そろそろ白瑛殿の仕事が一心地つくころかと思ってな」

 

 扉を開けたところに居た光に来訪の要件を尋ねる青舜。返ってきた答えに、青舜は確認するように室内の主に振り向いた。

 

「ええ。そうですね。少しお待ちいただけますか、これが片付いたら休憩にしようと思っていたころですから」

 

 部屋の主、白瑛の仕事も折よく一段落つく頃合いだったのか、にこりと微笑を返した。

 

「ああ」

 

 部屋の主のお言葉に甘えるように、光は室内に入り、しばしの間白瑛の流れる様な筆蹟を眺めていた。

 淡々と残りの仕事を片付けていく白瑛と終わった書簡を纏めていく青舜。

 

 

 

 …………

 

 

 

 ほどなくして、白瑛はことりと筆をおいた。

 主が「ふぅ」と息を吐くと同時に、青舜は仕上がった書簡を確認して出来上がった分とともに抱えてまとめた。

 

「お疲れさまです、姫様。執務はもう終わりですね。お茶をお持ちします」

 

 青舜は休憩時間に入る白瑛のためと、二人きりの時間を創るためだろう、いつもの朗らかな表情を二人に向けて部屋を後にした。

 室内に残された二人。

 扉から出た青舜の足音が遠ざかり、それを確認したようなタイミングで光が白瑛に問いかけた。

 

「白瑛殿、今日はまだ何か予定があるのか?」

 

 やはりというか、それが来訪の要件だったのだろう。光の問いかけを予想していた白瑛は机の上を片付けていた手を止めて光の方を向いて答えた。

 

「さしあたっての分は片付いたので鍛練に顔を出そうかと思っているのですが」

「よし」

 

 白瑛の返答に満足そうに頷いた光。

 時間があるようならば鍛練を申し出ようと思っていた白瑛は、光の悪戯をしようとしているような顔に小首を傾げた。

 

「白瑛。ちょっと出るぞ」

「はい?」

 

 

 

 …………しばらくして

 

「姫様。光殿。今日は冷え込みますので温かいものを……姫様?」

 

 頃合いを見計らって、温かい飲み物をもって部屋へと戻ってきた青舜が見たのはもぬけのからとなった室内と机の上に置かれたちょっとした言伝。

 

 

<ちょっとでかける。光、白瑛>

 

 

「………………」

 

 こんな走り書きのような言伝一つで皇宮を抜け出す姫と王子に置いてきぼりをくらった青舜は目を点にした。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「青舜に告げなくてよかったのでしょうか?」

「ちゃんと知らせる一筆は残しただろう。街中を見て回るのも仕事のようなものだ」

 

 お忍び、にもなっていないいつも通りの格好で街を歩く白瑛と光。

 比較的簡素な衣服ではあるが、異国風のため目立つ光と一見して身分の良さが分かる白瑛の衣裳は周囲の注目を引いていたが、二人ともそこには特に頓着していなかった。

 光は街の様子をきょろきょろと見ているし、白瑛は幼馴染兼副官に無断で出てきたことを懸念しているようだ。

 ちなみに同じように副官には無断で出てきている光はそちらにも気をかけていない。

 

「それに偶には二人で出かけるというのもいいだろう?」

「ふふ。それでは今日はそうしましょう」

 

 もっとも、光にしろ白瑛にしろ、ただの王子や姫ではなく金属器使いであり、れっきとした武人でもある。殊に剣の腕に関しては並みの兵など足元にも及ばぬ実力なのであるから、護衛の必要は特に感じていないのだろう。

 ここ数日では一番の冷え込みの中、二人連れ立って歩いているが、その街の中はいつもよりも賑やかな装いを見せていた。

 

「それにしても随分街が賑やかですね。たしか今日は……」

 

 あたりから聞こえてくる囃子の音。

 賑やかなそれは楽しげに街を湧き立たせており、白瑛もそちらに興味が湧いたように視線を動かした。

 

「祭りなのだろう? 鍛練場で兵たちが話していたのを思い出してな」

 

 祭りの雰囲気にあてられてか、光の眼差しはいつも以上に優しげで愉しそうだ。

 半歩ほど前を歩く光のその姿に、白瑛は光がいつか語ってくれた思い出を思い出し、在りし日を見た気がした。

 

 ――お祭り、ですか?――

 ――ああ。灯桜の祭りがあってな、融という友人と出かけたんだが……――

 

 今のように前を歩く幼いころの光とその後ろを困り顔で、でもどこか嬉しそうについて行く幼馴染の男の子。

 

 楽しげな思い出として語ってくれたあれも、きっと今のように悪戯心とちょっとした冒険心と、連れ立つ相手を楽しませようという思いだったのだろう。

 くすりと笑う白瑛。

 

「どうした?」

「光殿が以前、幼馴染と祭りに行ったという話を思い出したのです」

「ま、その代りだな。春の祭りではなく、冬の祭りなのがなんだが」

 

 白瑛の微笑ながらの言葉に、光はぽりぽりと頬を掻いた。

 なんだか自分の心がその優しげな眼差しで見透かされているようで、少し気恥ずかしかったのだろう。

 

「このお祭りに来たのは……もう随分と久しぶりです」

「そうか……」

 

 普段はあまり見せない光の子供っぽさを久しぶりに見た気がして、白瑛は連鎖するように懐かしさを思い出していた。

 あの思い出を語ってくれた頃、冒険のようなお話を聞かせてくれた遠い過去。

 大切なものを思い返すような白瑛の顔を光は見つめた。

 

「……かなり冷えるが寒さは大丈夫か、白瑛?」

「はい。ですが、青舜の淹れてくれたお茶を飲み損ねましたから、どこかで温かいものでもとりたい気分ですね」

「そうだな。よし、どこかの店に入るとするか」

 

 にこりと微笑みながら答える白瑛に、光は苦笑して白瑛と連れ立って歩みを再開した。

 

 戦いとは無関係に穏やかに過ぎていく日々。

 皇光が守りたいと、彼女をそこに戻してやりたいと願った一日の物語。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 ほんのりと温かな時間を過ごした光と白瑛。

 街の中では変わらず祭りの陽気な空気が漂っており

 

「ん? あれは……」

「どうされました? ……あれは、紅覇殿?」

 

 そんな中、義弟である紅覇の姿を見かけて二人はそろって不思議そうな表情となった。

 

 別に街中で紅覇を見かけた偶然がおかしなことではない。

 兄弟姉妹の中でも、とりわけ美容とオシャレに気を使う部類の彼は、市井に御用達の店まであるくらいだから、ちょくちょくお忍びをしているのだろう。

 

 不思議なのは彼の行動。

 傾いて見えるほどに自己を表現する彼が、なぜか今はこそこそと何かから隠れるように物陰からどこかを見ている。

 その横では同じようにして彼の従者である魔道士が“二人”、何やら頬を染めて紅覇と同じ方向を注視している。

 

「紅覇殿。このようなところでどうされたのですか?」

「ん? なんだ、白瑛に皇 光じゃん。何、逢引の途中?」

 

 見て見ぬふりをしてもいいのだが、顔を見合わせた二人は紅覇へと近づいて白瑛が声をかけた。

 誰かが近づいて来ているのは気配で察していたのだろう。だが、それが親族であることに声をかけられて気づいた紅覇は連れ立ってあるく許嫁同士の様子に尋ね返してきた。

 

「せっかくのお祭りですので。それで紅覇殿はなにを?」

 

 あっけらかんとした紅覇の問いに、苦笑しながら光は再度尋ね直した。

 するとちょっと気まずそうな様子で先程見ていた方向へとちらりと視線を向けた。どうやら先ほど問いかけに答えずに尋ね返したのもあまり答えたいことではなかったらしい。

 

「ちょっと家来の一人が人生の岐路に立っててねぇ。見守りに来たの」

「岐路?」

 

 ただそれほど重要な隠し事というわけではないのか、溜息をついてから答えを告げた。

 返ってきた答えに光と白瑛が首を傾げると、紅覇は促すように先程隠れ見ていた人物を指さした。

 

 そこには真っ赤な顔をして緊張した面持ちの男性とやや小柄な女性がいた。

 髪を両側で結び、胴回りには呪符のようなものが大量に貼られた包帯を巻いている仏頂面の女性。

 どこかで見た覚えのある姿を思い出そうとしていると、紅覇の近くにいる二人の女性従者を見て思い出した。

 

 紅覇の臣下である魔道士の女性。あの小柄な女性もその一人だ。

 ただ男性の方はちょっと見覚えがなかった。遠巻きに見た雰囲気的に、今しがた出会ったばかりといった様子ではなさそうだが……

 一緒になって様子をうかがっていた光と白瑛に紅覇が今度は男性の方をちょいちょいと指さした。

 

「あっちの男の方。そう、あいつが僕のとこに来てね~。仁々と婚約させてくれって言ってきたんだよ」

「は?」「婚約、ですか?」

 

 仁々、というのはあの小柄な女性の名だろう。

 紅覇の口から出てきた言葉に二人は少し驚きを見せた。

 別に紅覇の家臣の恋愛事情に口を挟むつもりもないが、紅覇が家臣の恋愛事情に首をつっこもうとしているのが意外に感じたのだ。

 

 ただ、それも無理からぬことなのかもしれない。

 あの女性、そして今も紅覇の傍に控えている二人の女性は普通の魔導師ではない。

 胴に巻かれた仰々しい符。他の二人にも同様に、それぞれ両手や頭部を隠すように覆われた符。

 煌帝国の実験によって生み出された異形(・・)の魔導師。

 

「笑っちゃうよね~。仁々は僕の家来っていってもちゃんと一人の女なんだから。僕に言っても仕方ないのにねぇ」

 

 貶したようなことを口にしながら、しぶしぶといった風を装いながらもここに来て、隠れるようにその家来を見守っていることが彼のことを表している。

 そのことに光は呆れるでもなく、ただふっと微笑んだ。

 

 

 練紅覇は皇帝の器ではない。

 宮中の“日向”でそう囁かれているのは光も白瑛も聞いている。

 正気を失った母君の影響で歪んでしまい、歪なものを集めることに執着する変わり種。幼少時より血を見ることを好む性格。

 その配下にはおぞましく汚らわしい者どもばかりを選んでいる。

 卑賤の仕事に携わり続けた一族の剣士、謀反を企てた武将の一族の戦士……そして、人工魔導士実験の失敗作。

 

 日陰で生き続けてきた歪なモノばかりを寄せ集められた紅覇の家来。

 日の下で生きる者たちには選ばれない。

 

 だが、それでも彼は紛れもなく日陰に生きる人たちの王なのだ。

 選ばれぬ者たちが頂く王。

 

 あの紅炎ですら持ち得ない王の器。

 それが練紅覇という男なのだ。

 

 言動や振る舞いから狂皇子ととられることの多い紅覇だが、その心が狂気に染まっているわけではないのは彼の“家来”、そして彼の武を見ればよく分かる。

 

「それで。結果が気になってこっそり後を尾けている、ということですか」

「…………」

「あの方にもそう見えるほど、紅覇殿は彼女を大事にされておられるのですね」

 

 光の言葉と白瑛の言葉。

 二人の指摘に紅覇は無言の視線を返した。

 

 

 

 揃いもそろって見透かしたように言ってくれる。

 紅覇は面白くなさそうに口を尖らせた。ただ……反論する気にはなれなかった。

 家来が大事だなんて彼にとっては至極当然のことだし、そんなのをムキになって否定してみせるのはいかにも子供っぽくて嫌だった。

 

 似たような二人の、似たように温かな視線に紅覇は「はぁ」とため息をついて口を開いた。

 

「まぁ、あいつは僕の家来の中でもとりわけ頑張ってくれてる奴だからね~。……ああ、はいはい。純々、麗々。勿論お前たちもだよ」

 

 言葉の途中で顔を真っ赤にして「紅覇様ぁ~」と抱き着いてきた純々と麗々をあやしながら優しく声をかけた。

 

 普段共に連れている三人の女魔道士。

 その中の一人があの仁々であり、それだけ大事な彼女が幸せを手に入れようとしているのだ。

 実験の失敗だかなんだか知らないが、異形に変じた自らを醜い化け物と蔑んで宮中の影で泣いていたようなやつが、一人の女として見てくれる男と出逢えたのだ。

 そこらの有象無象とは違う、誇れる強さを掴むための生き方をしてきた彼女が、強さとは別に幸せを掴もうとしているのだ。

 その幸せを望まないなど、彼女たちの主がすべきことであろうはずがない。

 紅覇は抱きついている二人をよしよしとあやしながら様子を見るように仁々と男性の方へと顔を向けた。

 

 

 

 仲の良い、という以上に強固な思いで繋がれた主従だ。

 その主である紅覇が見ているのと同じ景色を白瑛と光もちらりと見て、そこに嬉しそうな男性と無表情ながらもどこか頬を染めたように見える女性がいた。

 

 これ以上邪魔をするのも無粋なように感じられて、二人はどちらからともなく離れようとした。

 

「おまえたちの結婚式も、戦地で適当に、とかじゃなくてちゃんと教えなよ~。盛大に祝うんだから」

 

 そんな二人に、特に顔色を変えるでもなく、茶化した様子もなく、当然のことのように紅覇は告げた。

 

 思ってもみなかった義弟の言葉に、白瑛と光は揃って顔を紅覇へと向けた。

 びっくりしたような二人の顔を見て、紅覇は少し気分を害したように顔を顰めた。

 

「な~にぃ、その顔? 身内の幸せも祝えない男だと思われてたの、僕?」

「いえ、そういう訳ではないのですが……」

 

 きょとんとした様子の二人に紅覇は心外そうに不満を言うと白瑛が少し慌てたように否定しようとした。

 白瑛と紅覇は直接的には血の繋がりがない。無縁、ではないのだが、直接の血縁ではなく、義理の姉弟だ。

 しかも元々は白瑛の方が上だった立場が故有って逆転してしまったようなものだ。

 お互いにどこか遠慮のようなものを感じずにはいられない間柄。

 だからだろう、無意識に結婚を祝われるとしても儀礼的な者にしかならないと漠然と予想していたし、そもそも光と白瑛のは恋愛というよりも政略結婚が発端だ。

 当人や近しい者たちならともかく、あまり話していない第3皇子が盛大な祝い事とし扱おうとしていたとは思ってもみなかったというのが正直なところだ。

 まあ国家間同士の政略結婚なのだから盛大な祝事になるのには違いないのだが……

 

「政略結婚、っていってもお互い好き合ってる同士なんでしょぉ? せっかくの良い縁なんだから大事にしなよ~」

 

 紅覇の言葉に今度こそ二人は目を丸くした。

 二人のことを直接祝おうという気持ちを示してくれた親族は、紅覇が初めてだったから。

 

 初代皇帝のことがあってから、和国の王や兄王ですら国のことがあるために純粋には喜びを述べられなくなっていたし、家臣たちにしてもそれは同じだ。

 そして煌帝国では紅徳帝も白瑛の母も、立場を慮ってか、それ以外の理由があるのか純粋な祝いの言葉を述べることはなかったし、姉への思いが強い白龍も心から祝福の言葉は述べてくれなかった。

 

 そもそも二人の関係を思えば、国のことを無関係にした祝い事だなんて思えるはずがない。

 

 それでも

 

 ――政略結婚、っていっても――

 その言葉は、それ以上に大事なことがあると思っているからこそ出てくることができた言葉だ。

 光と白瑛はお互いに顔を見合わせて微笑んだ。

 

「ありがとうございます。そうですね。それでは紅覇殿のご結婚の際も是非お招きください」

「はぁ~~??」

「こ、紅覇様がごご、ごけっこッッ!!?」

 

 返礼のように返した光の言葉に紅覇は顔を歪めてがばっと振り返り、その隣では純々が奇声を上げた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 紅覇と別れて再び二人で祭りを楽しんだ白瑛と光。

 他人のものとはいえ婚約の話を聞いたこともあり、また紅覇の言葉もあって、さしもの二人もどこか気恥ずかしさを覚えはしたが、だからこそこの寒空の下にあって温かなモノを感じていた。

 

「さて……ん?」

 

 次はどこを見て回ろうか。そう言おうとした光の鼻先にはらりと白いものが舞い落ちた。

 空を見上げる光。同じように白瑛も空を見上げた。 

 

 はらりはらりと舞い降りてくる白き華。

 瞬く間に溶けて消えいく淡き冬の精。

 

「冷え込むと思ったら雪、か……」

「ええ。そろそろ降り始める時期でしたが、本格的に降りそうですね」

 

 少しずつ少しずつ、降る量を増していく雪を二人は見つめた。周りでは振ってくる雪に興奮した子供たちが駆けまわったり、目に見えて寒さを増していく季節感に困ったような大人たちもいた。

 

「天山高原は、帝都よりも寒いのだったな」

「はい。山岳部の方は天然の要害で、冬季は通行もままならないとのことです」

 

 平地にある帝都に雪が降る。それならばもうじき赴くという天山ではさらに寒さが厳しく、肌を刺すものとなるだろう。

 

「そうか……雪中は厳しい行軍となるな」

 

 和国でもその王都周りはあまり大量の雪は降らない。

 だからあまり雪中での戦闘は得手とはいえない。特に寒さは触覚を鈍らせるため、それもあって光は少し顔を曇らせた。

 

「そう、ですね…………ただ」

 

 どこか思うところがあるような白瑛の言葉に、光はついとそちらを向いた。

 はらはらと舞い散る雪の中に立つ白の公主。溶けてしまいそうなほどのその白は、しかし凛として咲き誇るように佇み、淡く溶かすような微笑を光へと向けていた。

 

「今この時。貴方と見る雪はどこか特別なもののような気がして、私は好ましいと思いますよ」

 

 その言葉に、そこに込められた思いを感じ取った気がした。

 しんしんと降る雪の向こう側に、愛しく思う白の宝玉を見た。

 

「今日、貴方と見られたこの雪の景色の思い出は、きっと忘れないと私は思います」

 

 黒い髪に、抱えたいほどに細い肩に、降りていく粉雪。

 吐く息は白く、向けられる眼差しは優しい光をたたえている。

 

「そうだな。例え消えるものだとしても、思い出は消えない、か……」

 

 

 少しずつ、少しずつ積もっていく大切な思い出

 

 少しずつ、少しずつ散り溶けていく花

 

 

 あと何度、こうして二人の思い出を胸に刻みつけられるだろう。

 あと何度、この愛しい人に触れられるだろう。

 

 雪になれば、愛しいあの人の肩に止まれるのにと願う歌があった……

 けれど、その雪は決して消えることを望みはしないだろう。

 

 こうして触れ合えるところに居る。

 その手の中で、淡く消えることを望むことなどできるはずがない。

 



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第30話

前回投稿からかなり間があいてしまいましてすいません。
原作の方でアルマトラン編が終了したようなので次話投稿となりました。

間があいたのでざっくり時期を説明しますと、マグノシュタット暗黒点での戦い後、煌帝国に帰還して後の話になります。
原作ではアリババたちがシンドリアに戻ってから、バルバッドへと赴いている頃です。






 剣閃が煌く。

 全てを斬り裂くその太刀筋が、今また一人を一つの人形へと変じさせた。

 

「はぁ、はっ、はっ…………」

 

 一体幾つ、幾十の人形を斬り捨てただろう。

 乱れる息を整える間に、目の前には次々に湧いて出てくる魔道士たち。その姿は見事に統一されたように見える……というよりも全く同一の存在と言ってもいいほどに同じだった。

 その中にあって孤立する二つの存在。

 疲弊しつくしていながらも己が愛刀・桜花を構える皇 光。

 

 そして

 

「ふふふ。やはりもう残されてはいないみたいね、光?」

 

 無数の人形たちの奥で哂うこの国の、いや、今はこの世界の頂に立つ存在。

 

 煌帝国第三代皇帝。

 “アルマトランのマギ(・・)”練 玉艶。

 

 すべてが偽りでしかないこの世界でただ一人、実体を伴った存在。

 

 かつて見たのとも似た遺跡群。

 マギによって創造された異界。

 世界から切り離された玩具箱のような世界で、いつ終わるとも知れぬ戦いが続いていた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 

 あの依り代との激戦の後。

 紅炎たちは帰還の途についていた。その中で光は自ら直訴する形で紅炎と同席していた。

 

「――――……前に言っていたよりも早いな」

「皇光が思っていたよりも、俺は弱かったということだろうさ」

 

 

 激戦のあと、そして落胆してもおかしくない戦果だったにもかかわらず紅炎の様子は表面上には変わらなかった。

 光から告げられた言葉を聞いても、淡々とその鋭い瞳で見つめ返しただけだった。

 

 光は自嘲するような笑みを浮かべた。

 

 

 捧げた願いの重さが軽かったとは思わない。

 皇光が捧げたものは確かに彼にとって魂を賭けるほどに重い誓いだったのだから。

 

 ただ、想定していたよりも、ずっと世界は混沌としていたということだったのだ。

 

 

 組織の闇は想定していたよりもずっと深く。

 世界に満ちた闇は想定していたよりもずっと広くにまで侵食していた。

 

 

 予定ではもっと時間があるはずだった。

 そして、少なくとも彼女の道に見通しだけでも作るつもりだった。

 

 だが、彼にはそれすらもできなかった。

 

 

「紅炎殿は、例の組織をこの世界においてどういう位置づけで捉えているんだ?」

 

 煌帝国に来て、彼女を大切に思っている兄弟がいることが分かった。 

 だから、その彼が帝位につくまでは頑張るつもりだった。

 彼女を守るために、彼女を守ってくれる人を少しでも多く、少しでも先に進めたかった。

 

 けれどその最も要になるだろう紅炎は、帝位に就けなかった。

 就いたのは最もあってはならない人物。

 

 彼女は、彼らはたしかに紅炎を始め煌帝国の諸将に力を与えた。 

 だがそれは決して、情などの為故ではない。

 ただ世界を混沌へと導くため。

 

 あってはならない世界の毒。

 それが光の出したあの“八芒星の組織”に対する見立てだ。

 

 しかしそれに対して紅炎はすっと眼を細めた。

 

「別に奴らが世界に害意を持っていたとしても構わん。例えそうだとしても、その全てを呑込むまでだ。この世界に生きる者としてそれら全てを受け入れることこそが真の王だ」

 

 彼とて“組織”には親族を幾人も手にかけられている。依り代との戦いで紅覇がこれ以上肉親を殺されたくないと叫んだように、紅炎もまた肉親に対しては情があるのだろう。

 そうでなくては、癒しのジン・フェニクスの主に選ばれるはずはないだろう。

 肉親を手にかけられ、国を玩具にされてそれでもなお、世界の毒を身の内に飼い、己が力としようとする。

 それを器の違いと捉えるのかもしれない。

 

 しかし

 

「なるほど、貴方らしい。だが…………」

「なんだ?」

「紅炎殿が気づいていないということは、違う、か……?」

「なにがだ」

 

 言いよどむ光に紅炎は睨み付ける眼差しを向けた。

 それは己の直感に自信がないようにも、それが信じたくない考えのようにも見える苦悩の表情だった。

 煩悶するように瞳を閉じた光が決意したように眼を開き、それを告げた。

 

「確証はないが……本当に玉艶皇帝は白瑛の母親なのか?」

「……どういう意味だ?」

 

 光の言葉に紅炎は眉根を寄せて訝しげな眼差しを向けた。

 

 先帝の妃でありながら、夫の死後、娘息子(白瑛と白龍)の身を守るために自ら紅炎の父、紅徳帝の妃となった美しき皇妃。

 それが仮面であることはすでに分かっている。

 白徳帝から紅徳帝、そして自らへと権力を移していき、“八芒星の組織”と結託して煌帝国を弄ぶ妖妃。

 だが彼女は紛れもなく、白瑛と白龍に血を分けた母であるはずだ。

 

 ぴくりと眉を動かし光と視線を合わせる紅炎。

 二人の会話が聞こえない距離に浮かぶ絨毯からこちらを見ている彼の眷属たちは主の雰囲気が険を帯びていくのを察してか、殺気を帯びた眼差しを向けてきている。

 

 呑込むということは無闇と信頼を置くことではない。

 “組織”が信の置けない怪物たちであることなど紅炎たちとて知っている。だが、全てを疑い、否定するのは王のなすべきことではない。

 それが紅炎の考え方だ。

 

 だが、だからこそ。

 自らの身の内に飼っているものが、実は全くの別物かもしれないというのは、それこそ体の中で蟲が蠢いているようなものだ。

 

 紅炎の突き刺すような眼差しが全力で説明しろと物語っており、光は自分の中で言葉を纏めるように黙してから口を開いた。

 

「……おそらくアラジンの、“あの”マギの知識は、アルマトランの知識に由来するものだろう」

「……おい。なぜお前が滅びた世界のことを知っている」

 

 光の口から出てきた言葉に、先程とは別の意味で紅炎の表情に険が宿る。

 

 ずっと以前。

 紅炎が光に滅びた世界の古文書について問いただした時、光は歴史には詳しくないと自ら言っていたのだ。

 だが今の口ぶりでは、まるで滅びた世界(アルマトラン)のことを知っていたかのように聞こえる。

 探し求めていたものを知る奴が実は近くにいたのだ。なぜ今まで黙っていたと憎々しげにその瞳が語っている。

 本題からずれたところに食いつかれて思わず光はバツ悪そうに苦笑した。

 

「大分、殻が剥がれかけているからな」

「…………」

 

 光がアルマトランの事について知らなかったのは嘘をついていたわけではない。

 知っているのは光本人ではない。皇 光という偽りの器(・・・・)がほとんど壊れかけた今、その知識を有する本来の意識がかなり表に出てきてしまっているのだ。

 だが、語ることはできない。

 

 

「組織のことも幾らかは知っているだろう。だが、推測が正しければ、貴方が呑込もうとしているのは毒どころではないかもしれない」

 

 王とは頂に立つ者だ。

 下の者全てに信を置けなどとは言わない。けれども、それらを受け入れるのが王だ。

 だからこそそれに対処するのは臣下の務めだ。

 紅炎が親族や重臣に信を置き、紅覇や白瑛たちがさらにその下の者たちを束ねる。

 紅明のような男が欺瞞や疑心に対処する。

 

 できるのならば、それを輔ける一つとなるつもりだった。

 

 紅炎や世界のためではなく。

 その世界で彼女が幸せに、穏やかに暮らせる世界のために

 

 だが

 もうそれはできない。

 

 ――「もうすぐ器が壊れる。次に戦場に立つことはもう、ない」――

 

 時間がない。

 

「今の俺の残りの命を全て、貴方に預ける。その時間で、紅炎殿が探している真実の一欠片を掴む。だから――――」

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 煌帝国帝都禁城。

 その箱は初代、先帝が居た時とは変わってはいない。だが、その中身は正真正銘の魔伏殿と化していた。

 

 魑魅魍魎の如き政争などというものではない。

 

 練 玉艶が皇帝に即位し、“組織”の神官たちがその輔佐として中枢を固めるに至って、文字通り、魔の巣食う穴蔵となっているのだ。

 

 皇 光はそこに居た。

 

 紅炎に、そして練家の者には最早ここを探ることはできないだろう。

 だが紅炎が求めているモノの一欠けらは間違いなく“ここ”にあるはずなのだ。

 

 

 潜入した“そこ”はまさに異界だった。

 

 比喩ではなく、まるで誘い込まれたかのように、常の人は誰一人居らず、いつの間にか周囲の景色は見慣れた煌風の様式の屋内から、古代のものへと変わっていた。

 

 “マギ”の力。

 迷宮という名の異界を創り、閉じ込める力。

 

 初めはただ偵察のつもりだった。

 戦闘すれば最後だということは分かっていたから極力戦わず、情報だけを持ち帰るつもりだった。 

 だが、通常の世界から隔絶されたそこに知らぬ間に囚われた光は、無数に湧き出てくる黒の魔導士たちを次々に斬り捨てた。

 

 魔装を使うことなく、最低限の操気術のみで幾人もの魔導士と渡り合っているのは、和国の武人の中でも秀でた力を持つ光だからこそだろう。

 だが、最低限とはいえ徐々に擦り減っていく魔力と体力。対する相手は次から次へと器を変えて湧き出てくる。

 

 

 

 そして

 

 

 

 かつり、かつりと沓の音を響かせて現れたのはこの異界の創造者にして支配者。

 

「魔装する力も残されていないのに、随分とやってくれるわね、光」

「……練 玉艶」

 

 練玉艶が悠々とその姿を見せた。

 艶めかしいほどの笑みを浮かべて光を見下ろす玉艶。その顔は親子だけあって、白瑛の面差しとよく似ている。

 だが、その身から漂う黒い気は、清純でまっすぐな白瑛とは対極。

 全てを呑み込み、全てを黒く染める闇のような黒だ。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 

 ここまで潜り込まれた以上、光を返す気はないのか、それとも既に玉艶にとって光は用済みとなっていたのか、一気に数を増して湧き出たヒトガタ達が光へと襲い掛かった。

 

 魔導士たちの放つ魔法を振るう桜花で薙ぎ払い、距離を詰めては魔導士を人形へと還していた。

 

「まったく、残念だわ。貴方ならいい駒になったでしょうに」

 

 次々に斬られていく人形たち。その一方でこの場の王である皇太后は愉しげに物見高く光が足掻くさまを眺めている。

 

「あいにくと、俺の振るう刀は人形遊びのためにあるのではないのでな」

「人形遊び? ふふ、ふふふ! ほほほほほほほ!!!」

 

 杖を振りかぶっていた一体を躱しざま斬り捨て、皮肉の言葉を投げつけると玉艶は痛烈に愉快なことを聞いたとばかりに哂い声を上げた。

 

 光は刀を振るいながらもその姿を睨み付けるように一瞥し、そして思考を加速させていた。

 あの時、紅炎に告げたあの推測の言葉。

 当たって欲しくなかったその予想。

 

 だが、今この状況において、いや、本当はここに至るまでにすでに分かっていた。

 

 

 昔、まだ幼く、白瑛と笑い合えていたあの頃。

 白瑛は嬉しそうに語ってくれた。

 強い父のことを、兄たちのことを。少し泣き虫で、でも心優しい弟のことを。そして、慈愛に満ちた母のことを。

 

 だが、白瑛の語ってくれたその姿と、この練 玉艶は同じではない。

 

 国に、世界に、全てに混乱と災禍を齎す存在。

 傾城、傾国などというものではない。

 あたかも世界全てを憎むかの如くの振る舞い。

 

「貴方が人形遊びとはよく言えたものね、光。あの娘は知らないのでしょう?―――― 

 

 ――――貴方が皇 光などではないことを。ただの人形でしかないことを?」

 

 その口から、今また、一つの毒が吐き出された。

 白瑛には知られたくないこと。知らせるべきでないこと。

 

 一瞬、光の動きが止まり、その隙を衝くように魔導士が襲い掛かり――――

 

「…………それは貴方も同じだろう。“異世界の亡霊”」

 

 剣閃すら見えない煌きによってその器が断ち斬られた。

 

 光の言葉は、魔女にとって、いや、ヒトガタたちにとっても意外だったのか、玉艶の眉がピクリと動き、魔導士たちの顔が険を帯びた。

 

 狂気の笑みが――――

 

「参考までに、どうして気づいたのか伺いたいわね」

 

 ――――浮かび上がった。

 

 

 

 

 遥かな昔

 最早世界の誰もが覚えていない彼方

 一つの世界があった

 

 その世界にはたくさんの種族が暮らしていた。

 異なる言葉を話し、異なる体を持ち、異種族同士互いに争い合っていた。

 

 だがやがてその世界は一つの転機を迎えた。

 ――大いなる意志――

 運命と呼ばれたその流れが、一つのある弱者を選んだ。

 

 世界は変わり、移ろい――――そしてまた変わった。

 

 

 

 “理想郷”

 そう呼ばれた世界があった。

 かつてある王が求めた世界。

 全ての種族が分かり合い、平等に暮らす世界。

 

 数多の犠牲と嘆きの果てに築き上げられた世界があった。

 

 だが、それを認めぬ者たちがいた。 

 その世界を創るためにこそ抗い続けた者たちが、その世界を否定するために立ち上がったのだ。

 

 

 語り継がれない失われた大戦があった。

 追放された大いなる意志と唯一の王の意志。

 

 ぶつかる思いは大きな悲劇を生みだし。

 そして一つの決着を見た。

 

 

 抗うために立ち上がった者たちは異次元の彼方に封じられ、そして世界の物語は再誕を迎えた筈だった。

 

「聞いていたものと違うのもあるが、白瑛や白龍の母にしては気が違い過ぎる。入れ替わっているのだろう? 白徳帝を殺した時、いや。あの組織を迎え入れる前に」

 

 だが、遥かな歴史の果てに、壁は綻び、意識は再び浮上した。

 異次元の彼方から意識だけの存在となって再び結末を求め蠢き始めたのだ。

 

 これはその大きな蠢きの一欠けら。

 

 壊れた殻から溢れ出た過去の記憶だ。

 

 ここにはない皇 光ではなくアルマトランの王を選定する者。 

 72の種族の一つの長としての。

 

 

 

「ふふふ……ほほほほほ!!! まったく。愚かな存在ね! 皇 光!!」

 

 異世界のマギの意識が宿る瞳は、同じ世界の存在が漏れ出ていることを見抜き、狂ったような哄笑を上げた。

 

 愚かしい限りの行い

 神を追放して意志を捻じ曲げたかつての王の行いも

 それに従った72のけだものたちも

 終わった世界に留まり狂わされた流れを見届け続ける選定者たちも

 

 すべてが愚かしい。

 

 目の前のこの男はその中でも極みつけの愚かしさだった。

 捻じ曲がった流れの中で、さらにはみ出して這いつくばっている。 

 

「正直なところね。私は白瑛と白龍。どちらでもよかったの。むしろ最近では白龍の方がいいかとも思っているくらい。それなら要らないあの娘は処分してしまってもいいと思わない?」

 

 この男の願い

 ――その身を焼き焦がす願いは、与えられたものでしかなく

 

 この男の行い

 ――初めから結末など決まっているものでしかない

 

 

 

 

 光は、玉艶の――白瑛の母であった“モノ”の歪んだ微笑を見つめていた。

 その顔は、まるで母の慈愛に満ちたもののようでありながら、しかし口の端に昇った言葉は真逆だった。

 

 

 白瑛と白龍

 

 練玉艶という器に近しい、新たなる器。

 “アレ”にとって、二人はそんなものでしかなかったのだ。

 

 その身にふりかかった絶望も、嘆きも、全ては黒い意志に馴染ませるためのもの。

 

 だから―――――片方はもういらない

 

「でもそうね……貴方が望むならずっと白瑛の躰の傍に居させてあげてもいいのよ?」

 

 玉艶の言葉は、甘い甘い毒のように光に垂らされた。

 

 あたかも愛を紡ぐ吐息のように。

 あの愛しい白の笑顔を幻視するかのように美しく。

 

「中身は別で、か……」

 

 手にした桜花の柄に力を込めて、光は玉艶を一層睨み付けた。

 

 深い深い、引き込み呑み込むような笑み。

 

「貴方のことはこれでも少しは気に入っているのよ? 世界のことよりも一個の存在に執着するその浅ましさ。貴方も同じ。神の意志を捻じ曲げて定められた運命を呪った。貴方もあの子たちと――私たちと同じなのよ」

 

 

 大きな嘆きがあったのだ。

 

 彼らは全て、唯一の王を戴いていた。

 全ての種族を平等に、世界を一つに――――彼らはその思想に共感していたのだ。

 

 だが、運命は違った。

 傲慢な王の決定により平等と言う名のもとに力は奪い取られた。

 “どうでもいい多種族”のために大切な仲間が、家族が、愛する者たちの命が奪われた。

 

 だから抗ったのだ。

 敬愛する王に。

 その王が望んだ世界を、運命を壊すために。

 

「手を取りなさい、光。貴方の愛するあの娘の躰で存分に貴方を可愛がってあげるわ」

 

 すべてではなく、愛する者のために運命を捻じ曲げる。

 その在り様は、まさに、彼らと同じだ。

 

 美しく、優雅に――――

 歪に、狂愛を帯びて――――

 

 差し伸ばされる掌。

 

 

 すでに人の身ならざるものに変わりつつある王の器はその手に

 

「同じにするな。干乾び果てた唯の亡霊ごときが」

 

 剣を差し向けた。

 互いに向けられる掌と剣。

 

 

「例え躰が同じでも中身が違う。心が違う。俺が守ると誓ったのは、あの白瑛の魂だ!!」

 

 大切なのは彼女の在りよう、その心だ。

 

 痛々しい程にまっすぐで

 身を削る程に優しい彼女の心。

 

 それを愛しいと思った。

 守りたいと思った。

 

 牙を剥く世界の全てから守りたい。

 

 

「そう。なら――――

 

      ――――貴方も要らないわ」

 

 

 紫の輝きが桜花を取り巻き、器の体に纏いつく。

 黒の嵐が吹き荒れて、マギの力によってルフが可視化される。

 

 

 決別は当然で、もとより同じ先を向くことはない。

 

「罪業と呪怨の精霊よ。我が身に纏え――――」

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 舞い散る花風はとうに盛りを過ぎ去り、残りわずかとなった花弁の最期を散らしていた。

 

「…………これで……最期だ」

「ああ」

 

 枯れかけた大樹のもとで二人の影が向かい合っていた。

 

 一人は世界の王。

 

「後悔は、ないか……?」

「あるはずない…………あるとすれば、それは心残りがあるだけだ」

 

 影の問いに、王は答える。

 

 全ては自身が選んだことだ。

 例えそこに他の選択肢がなかったとしても、それでも選び、歩むことを決めたのは自分の意志だ。

 

 彼女を守る

 唯一つ

 それだけが、あの時選んだ想いだったのだ。

 

 

 心残りはある。

 

 だから…………

 

「後は、頼む―――――」

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「――――――――ガミジン」

 

 嘶く命の鳥(ルフ)が、紫の八芒星に集い、王の姿を変えていく。

 

 偽りの姿から真なる姿へ

 

 王の器は壊れ、宝玉の容れ物へと変わる。

 

「そう…………今ここで、あの時の続きを演じるのね――――冥獄のジン」

 

 揺らめく紫の輝きは陽炎のように、疾駆する汗馬の鬣のように

 

「我が王の宝珠をかけた最後の望みだ。堕ちたソロモンのマギよ。これ以上、あの時の続きは繰り返させはしない」

 

 

 もはやここに王の器は存在しない。

 ただ、あの時願った、彼の王の、皇 光という王の器の、望みを叶えるための存在(ガミジン)だ。

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 

 ――――願いを込めろ

 

 ――――お主の器の一部に願いを込めよ。我は対価を糧に、その願いを叶えるモノとなろう。

 

 ――――だが、それがお主の最後だ。

 ――――死せるお主の運命を捻じ曲げる対価に、お主は宝珠を対価に捧げることとなる。

 

 

 望んだのはただ一つ。

 彼女を守ることだ。

 

 ――――ならば

 

 ――――それがお主の対価となろう。

 

 

 



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第31話

 紫の焔が偽りの世界を統べていく。

 

 失われた命に、願いと契約によって仮初の器を与えて力を得る。

 罪業と呪怨

 

 死した命を操るという禁忌による罪。

 死してなお刃を振るわんとする呪い。

 

 ツワモノたちは剣を、矛を、槍を、弓を、刀を手に取り、この魔城に巣食う不浄の者たちと切り結んでいた。

 

「――――こっのッッ! 亡者風情がッッッ!!!!!」

 

 四方から襲い来る紫紺の亡者たちの群れに、玉艶は魔力を“力”に変換して薙ぎ払った。

 その亡者たちは雑兵ばりではない。

 一兵一兵が死してなお、強い妄念を抱き、そして生前は戦い死したツワモノたちだ。

 だが、かのソロモンの三賢者が一人、そしてその同胞すらをも弑した魔導士の力を前にしては、たかだか具現化された怨念程度、蹴散らせぬはずはない。

 

 蹴散らした亡者が紫のルフへと還り、視界が紫紺に染まり、そこから一筋の剣閃が迸った。

 剣閃は玉艶のボルグへとぶつかり、

 

「!!! ちぃっ! 魔力操作!?」

 

 あらゆるものを阻むマギの絶対的な防壁魔法(ボルグ)を、その剣閃はいともたやすく斬り裂き、玉艶は寸でのところでその刃を避けた。

 

 この亡者の軍勢を指揮するジンの手にするものは、すでに皇 光のものだった和刀・桜花とは姿を変えていた。

 

 ジン本来の武装。

 命を刈り取る黒紫の刃。

 

 いかにマギの堅牢なボルグであろうとも、金属器に卓越した魔力操作まで加えられてはそうそう防ぎきることは難しい。

 

 いや、これが白龍の魔力操作であるのならば、まだ防ぐことはできた。

 この世界と、今は亡き世界における魔導士の魔法ならばいかなるものでも防ぐことはできた。

 だが、相手の振るったその刃は、武器の形状こそ違えども、紛れもなく彼の王の器が振るっていたのと同じ、気と剣技の合一による操気術。

 気の練度や密度は些かたりとも衰えておらず、むしろ最期の命を燃やすその雑念の無さが、これまで以上の気の集中をもたらしていた。 

 

 薄く広げるボルグでは防ぎきれない。

 懐深くまで踏み込まれた玉艶は、かつての名残である剣術を思い出すかのようにマギの杖を振るってその刃を受け止めた。

 

「そっちの力は、あの愚か者の力だったと思うのだけれど?」

 

 マギのボルグを無理やり形状変化させ、杖に宿して攻防一致の武器と為せば、ガミジンの振るう操気術の刃と言えども徹すことはできない。

 玉艶はガミジンの剣戟を受けながら、皮肉交じりな笑みを浮かべた。

 

「我が王の望みを叶える力だ。使えぬ道理は――ない!!」

 

 玉艶の、女の細腕からは想像もつかない腕力に、押し込むことはできず、しかしガミジンは、鍔競り合う刃を支点に力を受け流し、長柄による打突を繰り出した。

 

「ぐっ!! ぉ、のれ!!!」

 

 拮抗が崩れ、続けざまにガミジンが斬り裂く刃を振るおうとし、その直前で玉艶は黒ルフを渦のように暴れさせてガミジンを吹きとばした。

 

「ちっ!! 」

 

 黒ルフの奔流によってガミジンの左手は捻じ切られ、吹き飛ばされたガミジンは、刃を前に突き出し魔力を操った。

 

 

 ――――今こそ望みを果たす時

 彼女を守るために

 あの真っ直ぐな白を穢させないために――――

 

「尸桜・白焔刃ッッ!!!」

 

 ――――今、ここにその“白”を顕現させる。

 

 

 

 

 距離さえおけば、ガミジンの攻撃力は大きく低下する。

 少なくとも遠距離からマギのボルグを貫通することはできないはず。

 玉艶はガミジンの斬撃に対処して、マギとしての自身の特性を最大限活かすために距離をとろうとした。

 だが、その瞬間、玉艶は今までにないほどの“憎悪”を感じ、ガミジンから視線をきった。

 

 ――――目にしたのは二つの白。

 

 直刀を雄々しく振りかぶる雄々しく猛き焔

 青龍刀を振るう力強く咲く蓮のごとき焔

 

「それは……ッッ!! 白雄、白蓮――――ッッ!!!」

 

 練白瑛の敬愛した二人の兄。光にとっても義兄であり、練玉艶が産み落とした子。

 その二人の死してなお留まりしルフが、ガミジンの能力で呼び起こされて、かつての母(憎悪の相手)に牙を剥いていた。

 

 生前の黒髪は焔の白に消え、快活な笑みを浮かべていた白蓮の相貌も、皇太子然とした凛々しい白雄の相貌も、今は怨讐ともいえる感情に支配されたかのように憎しみに染まっている。

 

 ガミジンが操る亡者の中でも、別格のような魔力を感じるのは、そこに込められた遺恨が深いためか、主の思いの為せる業か。

 

 

 夢半ばに途絶えたとはいえ、かつて天華を平定するために振るわれた剣技は、まさに往時の鋭さをもって玉艶の体に襲い掛かった。

 

 その剣撃は鋭く、かつて三国を平定した煌帝国の原動力として相応しき将たちの武。

 かつての滅びた世界で屈指の剣技を誇ったマギの残骸は、立て続けに襲い来るその剣技を躱し、奥から見上げてくる敵を見据えた。

 

「ッッ。酷いことをするのね、光。義理とはいえ兄をその死後まで戦わせるなんて。しかもその母となんて」

 

 その行いは外道の所業だろう。

 死者に鞭打ち、あまつさえ家族を殺させようというのだから。

 まるで嘆きの母のごとき台詞を、毒婦が如き歪んだ笑みで吐いた。

 

 

 

 その毒を受けて、しかしガミジンはその面に微塵も陰りを浮かべはしなかった。

 

「咎なら受けるさ。今ここで、為すべき事を為してから!!」

 

 覚悟ならとうの昔にできている。

 今ここで揺らぐことなどありえない。

 全ては望みのために

 皇 光の、白雄の、白蓮の、そして……今また一つ。

 

「――ッッ!!!??」

 

 三つ目の白が呼び起こされ、玉艶がボルグごと吹き飛ばされた

 長大な矛を振り被り、汗血のごとくに命のルフを散らす騎馬に跨る武の王。

 

「これ、はっ! 白徳ッッ!!?」

 

 練玉艶のかつての夫にして、弑した初代皇帝。

 三国を統一した勇猛な大帝――――練白徳の死後の怨念が、今、かつての妻に、皇后に、牙を剥いていた。

 

 無論、白徳の矛だけではない。白雄、白蓮、二人の皇子と合わせ、3人の刃に白焔が宿り、地に叩きつけられた玉艶へと襲い掛かった。

 

「っ、くっ! なめ、るなぁあああッッ!!!!」

 

 吹き飛ばされて地に落ちた玉艶は、しかし堕ちたマギとしての本領、この世界に宿る黒のルフを全開にして八つ首のボルグを展開し、白の亡者どもすらをも吹きとばした。

 

「ふふ、ほほほほほッッ!!! いくらジンの力でも!! 死霊の攻撃ではマギの防御(ボルグ)は破れないようねぇ!!!!」

 

 届かぬ刃を嘲笑う玉艶。

 アルマトランのマギたる彼女のボルグは、同じくマギのアラジンと比べてもなんら遜色がない。どころかその蓄積された経験と魔力に裏打ちされた強靭さを誇っており、無名の将兵たちの斬撃はおろか、白雄や白徳の攻撃すらも防ぎきっている。

 ガミジン本体の斬撃ならば、操気術の剣技によって徹すこともできるかもしれないが、先程のような奇襲はもう成功しないだろう。

 玉艶はガミジンの位置に注意を払っており、再び宙に浮いて巧みに距離をとった。 

 

 なぜなら、攻撃を受けさせしなければ、遠からず、決着はつくのだから――――皇光の、ガミジンの自滅という形で。

 

 

 白徳たちと亡者たちによる波状攻撃を受け続ける玉艶の魔力も、消耗していくとはいえ、マギの魔力とただでさえ残り少ないガミジンの魔力では比較にならない。

 ただ防御している、それだけでガミジンは遠からず消えてなくなる。

 そのことを玉艶もガミジンもよく理解しており、

 

「さぁ、どうだかな?」

 

 しかしガミジンが不敵に口角を吊り上げた。

 距離をとるというのならそれは“好都合”。

 

 ガミジンの力とは炎を操る程度のことだけでは決してないのだから。

 

「? ……!!? なっ!!」

 

 驚愕の声は玉艶のものだった。

 ガミジンの言葉を合図にしたかのように、突如、ボルグに守られていたはずの玉艶の杖を握る右手が膿疱に浸食された。

 瞬く間に右手から腕を這い上がっていく膿疱。

 

「これは、細菌攻撃ッ!?」

 

 それは紅を死へと導く病。

 瞬く間に、自らの美しい手が死病に侵され、腐っていく光景に玉艶は驚愕し、その背後からしだれかかる亡霊に気が付いた。

 

 それは勇猛なる白と比してあまりにも弱く、愚鈍だった。

 白の代わりに、自らの操りの木偶として据えた紅の傀儡。

 

 だが傀儡とはいえ、心はたしかにあった。

 心があるから、亡き“兄”の后を娶り、その皇子たちを養子として保護し、下位とはいえ皇位の継承権まで与える措置を行った。

 そして、愚鈍とは言え、たしかに彼にも練家の血が流れていた。

 偉大なる大志を抱いたかの練の血脈。

 

「貴様ッッ! 紅徳ッッ!!?」  

 

 二代皇帝、練 紅徳。

 紅炎や紅明たちの実父にして、白瑛の継父。

 玉艶を迎え入れ、謀殺されたその怨念が今、病をもたらす御霊となって玉艶の身体を侵す。

 

「くッッ!!? ぐっ!!!」

 

 杖を握る手を侵食され、玉艶のボルグが歪む。

 見逃さず襲い来る雄と蓮の白き剣閃。

 絶対の防御を誇ったそのボルグが切り裂かれ、大帝の一撃が玉艶の身体を赤く染めた。

 

「おのれっ! 皇 光!!!」 

 

 ボルグが破れ、一気呵成に襲い来る亡霊を玉艶は飛翔することで距離をとろうとし、そして放つ魔法で蹴散らしていく。

 

 だが

 

「罪業と呪怨の精霊よ」

「!!?」

 

 距離を稼ごうとしていたのはガミジンとて同じ。

 

「汝が王に力を集わせ、大いなる冥夜を地上にもたらさんことを!!」

 

 最早時間はない。

 ガミジンを発動させ、残存魔力も実体を維持できる限界値を割り込んでいる。

 

 ――ここで決める――

 

 そのために、ガミジンは己が武器を胸前に掲げて最後の魔力を集中させた。

 

「おのれっっ!!!」

 

 紫紺のルフが嘶き集う。

 極大の魔方陣が紫微に彩られて輝きを増し、

 

 ――「極大魔法―――――!!!」――

 

 閉じられた世界に、死出の扉が開かれた。

 

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 風が吹いている。

 穏やかな風。緑の絨毯がしきつめられたかのような草原の只中で幼い二人は空を見上げていた。

 

 なかなか会うことのできない人。

 和国の誇る操船技術といえども島国から大陸に赴くには、また大陸から島国にやってくるのはいろいろと大変だ。

 

 だから会えるのはせいぜい半年に一度。多くても月に一度は無理だ。

 だから会えた時はできるだけ一緒に居るようにしている。

 

 初め会ったときはどこか脅えたところがあった少女。

 

 変わっていく世界、変わり行く世界、そして変わらぬ世界の在りように心痛めていた少女。

 

 約束をした。

 満開の桜を見ようと。吹雪のように散って、桃色に染まる世界を見ようと。

 

 雪が舞い降りるのを一緒に見た。

 儚く降りつもり、溶ける雪に染まった白い世界。

 

 高原を共に駆けた。

 遥か遠くを見晴るかす地平線。

 

 

 勁い心を秘めて、淡く微笑む佳人

 

 

 風は白く、汚れなく、それはこれからも吹いて行くだろう。

 

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 ―――― 早朝。

 煌帝国の将兵の内、天山高原を任務とする者たちは現在、先の戦争の傷跡を癒し、今後の方策を上層部が定めるために帝都に留め置かれていた。

 

 ある者たちは久方ぶりの帰郷で家族の許へと帰って疲れを癒し、ある者たちは次なる戦いに備えて鍛錬に励もうとしていた。

 

 そして、それに気が付いたのは鍛錬を行うために練兵場へと赴いた者たちだった。

 

 

「おいっ! 皇っ! すめらぎっ!!!」

 

 北方兵団旗下の武人、菅光雲が必死に叫んでいた。

 だが、その叫びに、呼ばれた男は応える余力はなく、今にも途絶えそうな弱々しい血霧の呼吸をするのみだった。

 

 応急手当に血止めを試みる、などということを考えるまでもない。

 どこもかしこも血塗れで、それは返り血などではなく、紛れもなく彼の体から流れているように見えた。とりわけ右の腕は二の腕から先がなく、閉じる寸前の眼は右目のない隻眼だ。

 

「くっ! 早く、白瑛皇女に報せをっ!!」

「あ、ああッ!!」

 

 自分の鍛錬と眷属器の練習ためにやってきていた黄牙の眷属に怒鳴るように指示を出すと黄牙の男の一人――ボヤンが慌てて練兵場を飛び出した。

 

 まさかとは思った。

 皇 光という男は、金属器使いで、和国の凄腕の剣士で、白瑛将軍をとりわけ気にかけた婚約者で、不死身じみた回復力をもつ化物のようなやつなのに―――今目の前にいる男は、もはや死に体となっている。

 だが白瑛という名に反応したのか、光の唇が震えるようにわずかに動いた。

 

「ッ! 皇ッ!!」

「ぅ炎に伝え…………あれは、アル…………いしんを…………瑛と、…………」

 

 辛うじて、わななくような唇の震えが言葉を紡いでおり、光雲は手当てを止めて死に体の口元に耳を近づけた。

 

「こ、ぅ炎? ……第一皇子か! 第一皇子に伝えればいいのか!?」

「………………」

 

 手当などでこの状況が改善する見込みはない。

 

 ――せめて白瑛皇女がここに間に合うまで――

 

 光雲は、光の意識を繫ぎ止めるために聞き返すが、それに対する光の応答はなく、目からは力が失せたように澱もうとしており

 

「光殿ッッ!!!」

 

 間に合わないか、と思った直後、白瑛の声が練兵場に響き渡り、光雲は慌てて身を躱し、 その場所に白瑛が滑り込んだ。

 

 

 

 

 かつて白瑛は、その光景を見ることができなかった。

 

 父の死と、二人の兄の死。

 

 それを見ることができたのは弟だけだったのだ。

 その時の衝撃はどれほどだったのだろう。その場に立ち会うこともできなかった自分が、遠い地で受けた衝撃を、その場で目の当たりにしてしまった時の悲しみの深さは。

 

 

 練兵場に足を運んだのは、ここにならいるのではないかと思ったからだった。

 起きてから光の姿が見えなかった。

 青舜にはすぐに会えた。でも彼が居なかった。

 

 もしかしたら光雲や黄牙のみんなと朝から鍛練でも行っているのだろうか。そう考えて白瑛は青舜とともに練兵場に足を運んだのだった。

 

 もうすぐ練兵場、という矢先、中から慌てて出てきたボヤンに慌てて中に引きいれられた。

 

「は、白瑛将軍! 中に、中に来て下さい!!」

 

 ただならぬ様子に、白瑛は駆けだして中に入り、青舜もそれに続いた。

 そして、その光景を見た瞬間、足を止めた。

 

 

「えっ……?」 

 

 誰かを中心にして、自分の眷属たちと旗下の兵が集まっている。

 その中心にいる人物を、血まみれで蹲る人を見た瞬間、声が漏れた。

 目に映る光景を脳が拒む。

 

「光、殿……?」

 

 愛おしそうに自分を支えてくれた右腕が半ばから無かった。

 毅然と伸ばした背は力なく壁に押し付けられていた。

 体のあちこちから血が滲み出ていた。いや、流れ出た跡がどす黒く体を染めていた。

 

 夢ではないその光景を理解した瞬間、白瑛は駆けだした。

 

「光殿ッッ!! ……光!」

 

 血に濡れることなど気にも留めずに白瑛は光に手を伸ばした。

 悲鳴のようにかけられる声。だがそれに応える声はなく、まるで桜が散るように抱いた体が薄らいでいく。

 かつてはあれほどあった存在感が、身近に感じられた空気が薄れていた。まるで――まるでそこにいるのはただの抜け殻であるかのように。

 

 ――そんなことはないッッッ!!!!――

 

 頭が真っ白になっていたけれど、それだけは信じられた。なんでこんなに傷だらけなのか分からないけれども、この人は絶対に死なない。

 どんなに傷だらけでも瞬き一つの間に元通りになるのだから。自分を残して死ぬような人では絶対にないのだから。

 心臓が痛い程に脈を打ち、感情が思考を拒否しようとする。

 腕の中で花弁が散っていくように消えていく。

 

「待って、ひかる……」

 

 ―――傷が治らない。

 きっと魔力が足りないのかもしれない。

 魔力が足りないのなら自分の分を使ってもらってもいいのだ。いくらでも渡すから。

 どれだけでも持っていってほしい。それでこの喪失を防げるのならば。

 また家族を喪うならば。いくらでも使ってほしい。

 

 でも魔力が流れない。気を使って血を止めるなんてことも自分にはできない―――

 

「いやっ……待って……」

 

 ―――でも、まだ手はある。

 傷を治せる魔導士がいる。たしか妹の眷属が治癒の力をもっていたはずだ。紅炎殿だっている。フェニックスの金属器の力ならばきっと…………

 城のどこかにはジュダル殿だっているはずなのだ。魔導士の最高位。創世の魔法使いである彼ならばどんなことだってできるはずだ。

 

 だけど、それが必要なのは今なのだ。

 今ここにはそれがない。

 

 消えていく

 大切な人が

 自分を守ると誓ってくれた人が

 

 

「いや」

 

 

 それに応えてくれる守護者は、もう、居なかった。

 

 最後の花弁が

 

 

 

 

 

      散った…………

 

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 西方――バルバッド。

 

 征西軍総督である練紅炎にはやるべきことが山積していた。

 先のマグノシュタットにおけるイル・イラーとの戦いについての処理、七海連合とレームの同盟に対抗するための処置、その七海連合との会談への備え、バルバッドの統治について、他にもほかにも。

 とりわけ紅炎の関心が大きいのは、戦いの助力の対価として約したマギ・アラジンのもたらすであろう知識と…………

 

「兄王様」

 

 第二皇子である紅明が深刻な表情で姿を現した。

 

「本国の魔導士からの緊急連絡が入りました。皇光が――」

「……逝ったか」

「……はい」

 

 アルマトランの、今は亡き世界の真実の一欠片を得るために最後の命を燃やしただろう“義弟”。

 

「白瑛はどうした」

「……皇帝より天山へと帰還するよう指示を受けたそうです。紅覇とともに守備に就くように、と」

「……そうか」

 

 あれと婚儀を結ぶはずだった|従妹≪義妹≫が、どれほどの悲しみを負ったことか。

 それが例え、もとより叶うはずのない未来であったとしても。

 

「和国の動きはどうだ」

 

 だが今は、感傷に浸っている場合ではない。

 マグノシュタットを奪いそこね、レームが七海連合と盟約を交わしたことで、世界の趨勢は煌帝国に逆風を送りつつある。

 レームに対しては、かの国の思惑もあって七海連合からの切り離しを行っているが、それでも鬼国とも称される和国が、離反することだけは防がねばならない。

 ほかでもない。白瑛のために、すべてを賭けた、家族となるはずだった男のためにも。

 

「かの国の王もまた金属器使い。警戒は密に行っておりますが、信義を重んじる閃王子のことです。白徳帝のころからの盟約を容易くは破らないでしょう」

 

 光の兄であり、国王位を継ぐことになる王子、皇 閃もまた、紅明たちと同じく金属器使い。

 特使であった弟が死んだことを口実に離反する可能性はたしかにある。

 和国が離反して煌帝国の後背を突くようなことになれば、征西により前線が西に傾いている今の帝国には致命傷となる事態が考えられる。

 だが光と同様、和の国の王族は義理堅い。

 彼らの父である王のころから知っているが、煌との関係は深い。

 

 そう易々とは両国の関係が破たんすることはない。そう思えるのだが…………

 

 

 

 

 

 だが事態は、世界は、紅の思惑とは離れた方向へと、突き進んでいくこととなることを、まだ彼らは知らなかった。

 



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第5章 皇 光編
第32話


 枯れた大樹が立っている。

 

 すべての花弁が散り、見守る者もない、使命を終えた大樹。

 

 ただ吹く風に枝を揺り動かされるがままとなっている樹は、何かを懸命に訴えようとしているかのようにも見えた。

 だが落とす葉さえもない樹が何を訴えることもできず、ただただ吹いては去っていく風をたたずんで見守るのみ。

 

 ――――不意に

 

 風が止んだ。

 

 勁く、まっすぐに吹いていた“白い”風が已んだ。

 

 風を受けていた樹は、その風が已んだことに驚愕し、憤り、けれども動くことすらできない樹にはなにもできはしない。

 すでに遠くに去ってしまった風に、枯れた樹ができることなどありはしないのだ…………

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 和国

 煌帝国の東方に位置する島国で、“二人”の金属器使いの王族を抱く小さな強国。

 金属器のない頃から、卓越した剣技と合一した気の操作能力――操気術とで精強な武人が多いことで知られていた。

 

 ゆえに煌帝国は、西に征く際の後背に位置するこの国と盟を古くし、彼の国の第1皇女を和国の第2王子へと嫁がせることを約していた。

 

 そして、今、その国に―――

 

「――――――如何でしょう、和王。そもそも、煌帝国の正統なる後継者は、白徳帝の血を受ける白龍皇子。だからこそ我々、七海連合は白龍皇帝と――白徳帝とその正統な皇子たちを謀殺した“玉艶を打倒した”彼とともに平和な世界を築こうと手を取り合ったのです」

 

 七海の覇王、シンドバッドがその手を伸ばしていた。

 

 遠隔透視魔法の込められた魔導具によりもたらされた情報――煌帝国第三代皇帝 練玉艶 死去。

 その情報をもたらしたのは他でもない、女帝を弑した張本人である練白龍であった。

 そしてその仲介を為したのは、今、和国の王と第1王子である皇 閃の前で熱弁をふるっているシンドバッド。

 

 和国の王にとって、煌帝国で自国の第二王子である皇 光が“消滅”したというのは、実のところ考慮に値する事柄ではない。

 なぜならそれも含めて、光のことは彼の望みのままだったのだから。そして“彼”が消滅したことは、彼の“死”を意味することではないのだから。

 

「都合のよいことをぺらぺらとよく喋る。要は煌帝国から和国を切り離したいだけだろう」

 

 事実、“一人の金属器使い”が辛辣にシンドバッドの熱弁を断じた。

 都合のよいことを言って、その実態はただの離間の策なのだ、と。

 

 欠けた器の金属器使いのその言葉に、シンドバッドはふっと口元に笑みを浮かべた。

 

「とんでもない。私は和国に通すべき信義を思い出していただきたいのですよ」

 

 そして爽やかな笑顔で応えた。

 

「通すべき信義だと?」

 

 その顔には、王には、血筋による威などまるで関係がなく、ただただ覇王としての揺るがぬ自信が溢れていた。

 彼に従いさえすれば、彼に任せさえすればすべてが上手くいくかのような圧倒的な安心感をもたらすかのようであった。

 そしてシンドバッド王はその矛先を再度、和の王へと向けた。

 

「貴方がたが盟約を結んだのはかつての煌国でしょう。終わらぬ戦乱に疲弊し、絶望する民に安寧をもたらすために戦った煌国。その煌を、煌帝国を変質させたのは、アル・サーメン――八芒星の組織です」

 

 かつて中原には様々な国家と思想が混濁し、争いが止むことのない地獄だった。

 過去の屈辱の歴史に執着して恨みをはらすことのみを考える国。

 自国内で派閥争いを行って憎み合い、互いに蹴落とし合うことばかりを考えていた国。

 それらがばらばらの思惑の下で対立し、限りある資源を奪い合って争っていた。

 それにより踏みにじられる民の、人々の嘆きなど顧みることもなく。

 

「それまでの煌も侵略を行ったとはいえ、それは戦乱続く中原に、世界に、平穏をもたらすという理念ゆえ。しかしアル・サーメンによって煌帝国は世界に戦火を巻き起こすただの侵略国家となっている」

 

 かつての煌国には理想があった。

 だが、今の煌帝国はそれとは程遠い。

 

 平穏な国々に軍政両面から圧力をかけて疲弊させ、奴隷狩りを行い、あるいは異民族を奴隷として使役する制度をもたらし、文化を破壊し、思想を強制し、人々からその国の国民という自我意識を消し去ろうとする。

 そこに今の煌帝国皇族のどのような思惑があるのかはともかく、アル・サーメン(八芒星の組織)はそれを利用し、世界中に黒いルフをバラまき、人々の堕転を促し、暗黒点を作り上げようとしている。

 事実、西方の国・マグノシュタットでは煌帝国の侵攻を契機の一つとして暗黒点が作られ、あやうくイル・イラーがこの世界に降臨し、世界が滅びかけたのだ。

 それは紛れもなく世界の害悪。

 

「そのアル・サーメンの首領こそが、先の煌帝国皇帝、練玉艶だったのです。そして煌帝国の中で、ただ一人、その変質を正すために戦ったのは、他でもない、白龍陛下のみ」

 

 アル・サーメンという毒蟲を身の内に飼い、力となして前へと進もうとした練紅炎。

 アル・サーメンへの復讐を糧にして力を得て、過去へと進もうとした練白龍。

 

「征西軍総督の練紅炎は、アル・サーメンと手を組み、煌を私物とし、私欲から戦火を西へ西へと広め続けた!」

 

 果たしてかの大帝の志を継ぎし|皇帝≪王≫の器に相応しきはいずれか。

 

「西方ではすでに我々、七海連合とレーム帝国が同盟を結びました。煌と均衡しうる大国レームと我々との同盟。さらには先の戦いにおいて壊滅したマグノシュタットも、七海連合とレームによって復興を行っている」

 

 金属器の数で劣るとはいえ、世界最大の版図を持つ煌帝国と唯一単独で戦いうる力を持っていたレーム帝国。

 その均衡を唯一崩しうる勢力である七海連合。

 その両者が手を組んだということは、煌帝国の勝率は大きく低下したということ。それに加え、煌帝国が望んでいた高度な魔法技術を持つマグノシュタットも、両国の管理下に置かれたようなものだ。

 

「世界はすでに煌帝国と、それに対する同盟国家とに二分されているのです」

 

 二色に塗り分けられた世界。

 そしてその勝敗は、運命を見通す男の目には、もはや決したように見える。

 だから問題は終わり方。

 

「この状況下で、白龍陛下が煌帝国の皇帝として我々と手を組めば、その瞬間、世界から戦争は無くなります」

 

 ここで白龍皇帝が煌帝国の正統な皇帝となれば、それと手を組んでいる七海連合の勢力が世界の色を塗りつぶすこととなる。

 

「しかしもしも、紅炎が白龍陛下を打倒し皇帝となれば、彼は煌帝国の全ての力を投入して戦争を起こすでしょう。世界を二分する大国との戦争。それは間違いなくかつてない規模の、世界規模の大戦となります」

 

 白龍と紅炎の皇位継承争いによる煌帝国の内紛が、世界の大戦争の序曲となるかいなかの瀬戸際なのだ。

 

 大戦争の果て、憎しみの連鎖の果てに掴む世界の統一か

 少ない犠牲のもと、手を取り合って得られる世界の平和か

 

「さらには金属器の存在もある。繰り広げられるであろう戦火の規模は、文字通り世界を削るほどの争いとなってしまう。我々はそれを止めたいのです――いえ、止めなければならないのですッッ!!」

 

 ただの戦争では、世界大戦ではない。

 今や世界には数多くの金属器が散らばっており、多くの金属器使いがそのどちらかに属しているのだ。

 金属器使いがその王の力を震えば、徒人にとってそれはもはや天災と何ら変わらない。

 それが数多、敵を滅ぼすことに向け合えば世界はどうなるか。

 

 この世界の王の器として、この世界で最も王に“近しい”器として覇王・シンドバッドは今また色を塗り替えるべく、手を差し伸べた。

 

 

 

 

 

  ✡ ✡ ✡ ✡

 

  ✡ ✡ ✡ ✡

 

 

 

 閉じた目蓋の裏に、かつての記憶がよみがえる。

 在りし日の記憶。

 

 それはまだ、復讐こそが、憎悪こそが最も強い思いだと感じていたころの記憶。

 それはまだ、天華が定まらず、凱、吾、煌の三国による凄惨な戦が続いていたころの記憶――――――

 

 ――絶対に―――

 

 当時の煌帝国――煌は三国の中でとりわけ抜きんでた国力を有していた、というわけではなかった。

 まだ八芒星の組織も大きな影響を示しておらず、|マギ≪ジュダル≫もいなかったころ、それゆえ平穏だった……というものではなく、むしろ金属器という強大な力のない煌は、戦争に敗れることも幾度かあった。

 

 

 

「いたぞッ! 敵将だッ! 煌の王族の首を獲れェッ!!!」

 

 その手は、体は、血に塗れていた。

 だがその血の多くは彼自身のものではない。その腕に抱いていた人のもの―――

 

「こう、炎……。俺はいいから、逃げろ。まだ――」

「ダメだッッ!!! 俺は、白雄様ッ! 絶対にッッ!!」

 

 敵兵に囲まれ、腕を負傷して大量の血を流す“あの人”をかばいつつ、憎悪を乗せた剣を凱の敵兵どもに向けていた。

 圧倒的な兵力差。明らかな負け戦。

 自身の命を守るどころか、この国の次代の希望である白雄王子を守ることもできない状況。

 

 だが、その時、

 

「紅炎ッッ!!!!」「!!」

 

 騎馬の軍団が駆ける轟音とともに、自身を呼ぶ声が聞こえ、紅炎は瞬時の反応で背にかばうお方を――白雄王子を背中に乗せて持ち上げた。

 騎兵を率いて向かってきているのは第二王子の白蓮王子だ。

 自身などよりも遥かな貴種である彼のお方が救出に出ているのは、他でもない、彼の兄君がここにいるからだ。

 

 白蓮王子は、配下の騎兵たちとともに凱兵を薙ぎ払って接近し、紅炎たちとすれ違いざまに二人を馬上へと抱え上げようとし

 

「撤退だ、紅炎ッ!」

「――ッッ!!!」

 

 しかし拾い上げられたのは白雄ただ一人だった。

 一度は紅炎も抱え上げたのだが、白蓮の声を無視して紅炎はその腕を逃れ、再び剣を構えて凱兵に向き直ったのだ。

 

 ————全員、殺してやるッ!!!―――

 

 まだ幼い紅炎の、憎悪と憤怒に染まった瞳。

 

「ッ! っの、馬鹿野郎ッッ!!!!」

 

 白蓮の怒声が、凱兵の雄叫びを縫うようにして紅炎の耳に届いた。

 

 

 

 

 

 結局、その戦では紅炎もなんとか戦場を離脱することができた。

 白蓮王子が白雄王子を離脱させた後、白徳王自らが采配した軍団が、紅炎のいた部隊の救出に間に合ったのだ。

 

 そして紅炎は床に臥せった白雄王子と対面していた。

 傷だらけのお姿。

 尊貴な血が大量に流れ、一命はとりとめられたが、大きく斬りつけられた腕は、もしかしたらもう以前のように剣を振るうことができないかもしれないほどに深い傷を負っている。

 

 紅炎は、王子をお守りすることができなかった申し訳無さと自らの無力への悲憤、そして――――

 

「白雄様……凱人は、凱人こそ鬼ですッ!」

 

 かの国への憤怒に燃えていた。

 

「何の罪もない、煌の民衆によくも……よくもっ! あんな惨い仕打ちをッ!!」

 

 思い出すのは身勝手な理由から戦火と惨禍を撒き散らす凱の兵士たちの非道の仕打ち。

 過去の恨みから吾の国への恨みを晴らすことのみを考え、そのための国力を得るために煌の国土に手を伸ばし、民草を蹂躙した凱。

 殺されたのは兵士だけではない。

 凱の侵略を受けた村を訪れた紅炎たちが見たのは、まるで百舌鳥の早贄のごとくに木に括り付けられ、あるいは槍に貫かれ、犯され、殺められ、蹂躙された自国の無力な民たちの姿だった。

 

「絶対に許せないッ! 一人残らず、斬り伏せてやりたかった! やつらは……人間ではありませんッ!」

 

 凱の兵士たちと対峙したときに抱いたのは憤怒。

 凱の兵士たちに負傷され、囲まれていた白雄王子の救援に間に合ったとき、抱いたのは彼を守らんとする意思と、それを上回る凱への恨みと怒りだった。

 

 今、凱の非道を顧み、そして白雄の痛々しい姿を目の当たりにする紅炎はそれにのみ囚われたかのようだった。

 

「…………人間だよ。俺や、お前と同じ、彼らも人間だ」

 

 そんな紅炎に、彼よりも深く民を愛し、慈しみ、そして戦場で深手を負わされた白雄が穏やかに声をかけた。

 自分も、紅炎も、凱の者たちも、同じ人間なのだと。

 

「いいえッッ! あんな奴等が貴方様と同じなど、あるはずがありませんッッ!!」

 

 だがその言葉を、紅炎は激しく拒絶した。

 

 

 思い出すのは過去の白雄様の、敵国の民草への振る舞い。

 

 規律と箍の外れた兵たちによって捕らえられ、裸に剥かれ、献上されようとしている敵国の女たち。それらを献上する兵たちの顔には、自らの行いを恥じるところなどなんらなく、むしろそれらが自身にもたらすであろう分け前や褒美を想像してか醜い笑みを満面に浮かべていた。

 凱人であれば容赦なく女たちを嬲りものにし、殺しただろう。

 吾人であれば女たちを奴隷のように扱っていただろう。

 

 だが白雄様は違った。

 女たちに着るものと食料を与え、村まで送り届けるように兵士に命じた。そればかりでなく、敵国とはいえ民草に害を与えることを禁じる宣言を言い放ったのだ。

 

 ――「我々が戦っているのは吾や凱の兵であって民衆ではない! 女や子供、老人に危害を加えてはならんッ!! 違反した兵は俺の剣で斬り捨てるッ!!」――

 

 そんな行いができるお方と、凱人が、吾人が同じであるなどと、決してそんなこと、あるはずがない。

 

 そんな偉大なお方に比べ、紅炎は己の無力さが、ただただ不甲斐なかった。

 

「私は……殿下の御身一つ、満足に守れませんでした。白雄様の……白雄様の腕が―――」

 

 何に代えても守らなければならなかったのに。

 痛々しい包帯が巻かれた腕が、自身の不甲斐なさを責め立てているようだった。

 

「負け戦だったからな。腕がまだ繋がっているだけ儲けものだ。以前と同じ強さで剣を握れるようになれば……いいが……」

 

 沈む紅炎に対して、白雄は穏やかな口調のままで、ただ、以前とは同じように剣を振るえないかもしれないことにわずかばかり影を落としていた。

 

「とにかく、お前に助けられた。お前が無事で、よかった」

「よくありませんッッ!!!!」

 

 しかし続けられた言葉に、紅炎は激昂して応えた。

 自分などの身を案じる言葉。

 ご自身の負傷よりも、自分などが生きていたことなどを喜ぶような言葉に、紅炎は堪えきれなかった。

 

 そんなふうに激昂する従弟の姿に、白雄の瞳がすぅっと凪いだ。

 

「なぜ?」

「貴方様と私の命の価値は同じではないからです!!!」

 

 紅炎にとって、いや、すべての煌人にとって分かりきった答え。

 

「私が死んでも天華に何の変わりがありましょう! しかし、白徳様とその血を受け継いでおられる貴方様の命は重いのです!! 世界にとって、世界のためにッッ!!!」

 

 人は生まれながらに平等ではない。

 だからこその王族であり、その血は何よりも尊いのだ。それにもまして、このお人は失ってはならないお方。

 偉大なる志、その身に流れる血、文武に秀でた類まれな才覚、将兵もすべての民草も自然に従う卓越したカリスマ性。このお人のすべてが、白徳大帝の覇道をご兄弟である白蓮様と支えるのに不可欠で、それらはどれ一つとっても紅炎(傍系の従弟)のために失われてよいものではないのだ。

 

「…………紅炎。ひとつ、秘密を教えてあげようか」

「秘密……?」

 

 けれども白雄様はおっしゃった。

 

「本当はね。血筋に重いとか、軽いとかないんだよ。俺も、お前も……戦場で誰にも看取られずに、死んでゆく兵ひとりひとりの命も……」

 

 こうしている今も、戦地で負傷して帰還した兵の幾人かは死んでいく。

 その傍には白蓮王子御自らが寄り添い、最期の時を笑ってあるいは泣いて、あるいは希望を託して逝けるように語り合っていた。

 

「受け継ぐのは、受け継いでいくべきは血などではない。志だと、俺は思う」

「こ、ころ、ざし…………」

 

 そのころの紅炎には、それが分からなかった。

 民草を虐殺した敵が許せない。

 白雄様に血を流させた敵が許せない。

 煌を侵略する敵が許せない。

 

「お前にもいつかわかる日が来ると、いいが…………」

 

 白雄の無事な手が、幼く感情に弄ばれる紅炎の頭を優しく撫でた。

 

 

 

 

 今ならば分かるのに。

 今ならばお力になれるのに。

 

 白雄様に頂いた剣に宿るアシュタロス。

 柄飾りに宿るフェニックス。

 肩鎧に宿るアガレス。

 

 自身が王にと望むよりも、あの御方の力になりたかった。

 その身に流れる血、あのお方たちに受け継がれた血。違うそれを比べて、同じ血を継いだ白龍が羨ましかった。

 

 

 けれども、諾するわけにはいかない。

 受け継ぐのは血ではなく、志なのだから。

 たとえ、白龍の体に流れるのが、あのお方と同じ血脈だとしても、志を受け継がれなかった王の器に、煌を託すことはできない。

 

 

 

 

  ✡ ✡ ✡ ✡

 

 

 練白龍、謀反

 

 その報せにもっとも驚愕し、動揺したのは姉である練白瑛であろう。

 

 マグノシュタットでの戦いの後、僅かの休息で天山高原への復帰を要請されたこと。その短い期間に、彼女は将来を誓いあった婚約者を失った。

 悲しみと動揺が癒えぬ間に、母である皇帝によって戦線復帰を命じられ、従兄弟であり義弟でも練紅覇ともに天山に着いて僅か2ヶ月後、母であり練玉艶皇帝が、白龍によって殺害されたとの報せが入ったのだ。

 

 白龍との間に確執があることは知っていた。

 他でもない、弟本人からその手を握られていたのだ。

 だが白瑛はその手を掴み返せず、振り払ってしまった。母に刃を向けることをためらったのもあるが、なによりも煌帝国を割ることなどできなかったし、たとえ身の内に何を飼おうとも世界は、煌帝国は、一つとなるべきであると考えたからだ。

 その考え方は、まさしく紅炎と同じものであり、それは遡れば亡き兄、白雄から受け継がれてきた志なのだ。

 

 大義のために侵略を犯すことに迷いはあった。弟の手を握り返せなかったことに戸惑いと罪悪感がなかったとは言えない。

 けれども白龍とて同じ血を分けた、父 白徳の子なのだ。きっと彼も分かってくれる。身の内に潜む蟲を御し、紅炎殿の輔けとなってくれると、どこかで楽観的に考えていたのがあったのだろう。

 

 寄り添ってくれた伴侶が突如としていなくなり、今、唯一となった実の弟が母を殺害した。

 

 もはや世界の何を信じればよくて、どこに向かえばいいのかも定かではない、そんな混迷とした思考に白瑛は道を失っていた。

 

 眷属である黄牙の者たちや光の配下であった光雲は愚か、長年の友であり最も信頼する眷属である青舜でさえも遠ざけた幕舎で、白瑛は一人は白羽扇を握りしめていた。

 

「光殿…………。私は、どうすれば…………」

 

 その白羽扇は白瑛のジン・パイモンが宿る金属器であると同時に、光から出会いの記念にと渡された大切な扇。

 居なくなってしまった彼の想いをもっとも強く感じることのできる、今や唯一のものでもあり、白瑛は問いかけるように扇を見つめた。

 白龍の居る洛昌に行くのか、紅覇とともに紅炎の居るバルバッドへ行くのか。

 

 進むべき道は、進まなければならない道は、分かっている。

 

 白龍の語る復讐の道は、煌帝国を、父たちの思いを踏みにじるようなものだ。練家の武人として、ただ復讐のみに身を委ねるような、そんな道は選べない。

 それに白龍はもはや復讐だけに囚われているのともまた違ってしまっていた。

 父と、兄たちの復讐相手であった母・玉艶を殺して終わりではない。

 玉艶のもとで力を得た今の煌帝国を、紅炎とそれに付き従う者たちを滅ぼそうとするまでに堕ちてしまっているのだ。

 煌帝国を二つに割り、相争う。

 それこそが紅炎が危惧し、白瑛が憂慮し、避けるために呑み込んだ選択肢なのだ。

 

 だが、その道を選ばないということは、すなわちただ一人残された肉親である弟と戦うということ。

 そして戦えば、白龍が敗れれば、彼は皇帝を弑逆し、皇位を脅かした大罪人として処刑を免れない。

 どちらの道も、選べない。選ぶわけにいかない。選びたくない。

 

 こんな時こそ、光に傍に居てほしかった。

 選ぶ道一つしかなくとも、それでも確固たる意思を示してくれたあの人に、今こそ傍にいて、その温もりを分けてほしかった。

 白羽扇(金属器)を握る手は、知らず知らずに力がこもって冷たくなっており、気づいて力を緩めればカタカタと震えだしてしまった。

 

「私は…………」

 

 ――選べないなら、選んであげるよ――

 

「!」

 

 突然、どこからか耳に聞こえない声が、白瑛の脳裏に飛び込んできた。

 ガタッと椅子を揺らして立ち上がり、当たりを見回すも、自身で遠ざけた者たちは言いつけどおり誰もいない。

 けれど―――

 

 ――戦うのが、選ぶのが、進むのが嫌なら、私が導いてあげるよ――

 

「なっ…何者ッッ!!!」

 

 咄嗟に、握りしめていた白羽扇に魔力を通し、薄い風の防壁を纏おうとしたのは、これまでに鍛えてきた光との鍛錬の成果であり、白瑛自身が歩んできた戦場での直感ゆえにだった。

 

「―――ッッッ!? つッッ!!!」

 

 だが、金属器に魔力が流れた瞬間、白羽扇が突如として白瑛を拒んだ。

 バチリと小さな雷が弾けるように、痛撃が白瑛の手をたたき、白羽扇が彼女の手から離れた。

 

「金属器が!?」

 

 金属器の拒絶。それはパイモンが白瑛を拒絶したのか、それとも光のくれた白羽扇が白瑛を拒絶したのか。

 驚愕が白瑛の思考を白く染め、隙間をつくった。

 その隙間に―――

 

 ――だからその体を――

 

「私に頂戴、白瑛――――――ッッッ!!!!!」

 

 自身の口から、自分以外の言葉が紡がれ、白瑛は悲鳴を上げた。否、上げようとして、それは音にならなかった。

 流れ込んでくる自分以外のナニカ。

 この世界を憎み、この世界に生きる者すべてを憎み、この世界の全てをあるべきに帰すことに執着するあまりにも膨大な憎悪の塊。

 

 ――光 どの……………――

 

 瞬間、練白瑛の自我意識は黒に塗り尽くされて圧し込められた。

 

 



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第33話

「本当に、よろしいのですか?」

「何をいまさら。あの男は信用できんが、煌の連中ほどではあるまい。この戦で大戦が回避できるというのなら、選ぶまでもない」

 

「………………」

「不満そうだな、融」

 

「…………いえ。それが貴方の意思ならば、異議はありません」

「なにが言いたい?」

 

「……それでは。練 紅炎という方は、彼の旗下の将兵たちは信頼できませんか?」

「ふん。聞くまでもあるまい。煌の連中の統べる世界では、和国の行く先は奴隷か、でなくば和としての矜持を失うことになる。俺の剣は和の国を守るためにある。この訳の分からん力も……あるからには、和のために使うのみだ」

 

「不満そうなのは貴方に見えますがね」

「…………」

「武運を祈ります、―――――」

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 練白龍、煌帝国第四代皇帝 即位

 

 練玉艶を討った白龍は、帝都洛昌にて即位の宣言を行った。

 その旗下の兵は、一部の将兵を除くと、ほとんどが白龍の新たに手に入れた力――金属器“ベリアル”の精神操作による影響を受けた結果によるもので、無論のこと正気を保った大多数の兵は、その簒奪劇に異を唱え、煌帝国において実質軍事権力を一手に担っていた練紅炎のもとへと身を寄せた。

 元々、アル・サーメンの強引な横やりによって第三代皇帝に玉艶が即位こそしたものの、煌帝国に仕える文武の官たちにとって、その座は紅炎こそが相応しいと見ていたものが大多数だったのだ。

 そして練紅炎もまた、白龍の即位を良しとしない兵たちの後押しを受けてバルバッドにて皇帝位を宣言。

 

 それにより全兵力の約8割が紅炎の西軍へと帰順し、煌帝国は完全に東西に分断され、互いを討とうと軍備を整えることとなった。

 

 

 先に動いたのは圧倒的な兵力と、多数の金属器使いを擁する西軍であった。

 紅炎とその実弟、紅明・紅覇はもとより、ヴィネアの主である紅玉、さらには白龍の実姉である白瑛までもが西軍に属していた。

 一方で兵数・物資に劣る東軍は、静観の構えを見せ、しかしその兵たちは少数ながらも白龍の金属器の力で強化されることとなった。

 

 西軍皇帝・練紅炎は即位したバルバッドの地にて、北方・西方戦線を含めたすべての指揮を執ることとなり、反乱軍鎮圧のためにとって返した西軍は紅明がその指揮を執ることとなる…………

 

 

 

「もし負けたらどうなるかわかっているのか? これは皇位争奪戦争なんだ。負けた方が歴史上の謀反人になる」

 

 圧倒的な戦力差に、戦いが始まる前から勝利を確信して浮足立つ将兵たちに、練紅覇が冷徹な瞳で語りかけた。

 

「もしも僕たちが負ければ、陛下は反乱軍の首謀者として処刑される。それは、僕たちも、お前たちも同じ……お前たちの部下も、家族も、皆殺されるんだぞ」

「…………」

 

 紅覇の言葉に、浮足立っていた将兵たちが沈黙し、気まずげに顔を伏せた。

 

「それだけじゃない。煌の内部ですらほとんどが白龍に従う意思をもたないのに、占領国の者たちの心はいかばかりか……もし! 陛下がお倒れになり、白龍が皇帝になれば――――」

 

 徐々に徐々に、圧倒的な兵力差のある戦を前にした興奮が恐怖によって冷めさせられていき、興奮していた将兵の誰もが、ごくりと唾を飲み込む自身の音を意識した。

 

「白徳大帝が築き! お前たちが守ってきたこの天華の太平は一気に崩れ! あの、天華の民の多くを死に至らしめた戦乱の時代に逆戻りするんだぞ!! それでもいいのか!!!!」

 

 ここに至って、将兵たちの顔つきが変わった。

 これは圧倒的戦力差があるからといって油断していい戦ではない。

 近年の煌帝国が行ってきた侵略戦争ではない。

 負ければ一転してすべてを、自身の命のみならず、家族も、これまで築いてきたなにもかもをも失うかもしれない決戦なのだと、皆が理解に至ったのだ。

 

「その通りです」

「紅明様…………」

 

 紅覇の演説が、将兵たちに染み込むのを見計らい、この決戦の直接的指揮を本陣で執ることを紅炎皇帝より任された紅明が切り出した。

 

「これは内戦です。他所から見れば、大義のない無駄な戦いに見えるでしょう……しかし、我々は勝たねばならない」

「…………」

 

 これまで煌帝国はたしかに侵略を行ってきた。 

 それはこの世界の思想を統一し、思想の数を減らすことをもって、世界から戦争を失くそうという目的のためだ。

 それが善なる行為とは、その過程に正義だけがあるとは紅明も、そして紅炎も思ってはいない。

 けれども――――

 

「後の世に、お前たちの子供の世代に、戦の火を残さないために」

 

 命が戦で失われる世界は、ここで終わりにする。

 世界から憎しみを受けようとも、ここでどれだけの涙が流れようとも。

 

「戦は我々の世代で終わらせる。そしてこれが最後の大きな戦争です……どうか、勝利を」

 

 紅覇とも、紅炎とも違う、静かなる鼓舞。

 その静かな声に秘められた決意に、数多の将兵たちが一斉に手を打ち鳴らし、礼を示した。

 

 ――「「我らに勝利をッッ!!!!」」――

 

 宣言する言葉、すべての将兵の顔に、もはや恐怖も、油断もなく、ただ覚悟のみを宿していた。

 必ずこの戦に勝利を収める、と。

 

 

 白龍率いる東軍と、紅明率いる西軍が、決戦の地にて両軍が激突することとなった。

 極東の地と西の世界を隔てる土と砂の大海原、華安平原――かつて煌、吾、凱の三国が幾度も激戦を繰り返した決戦地。

 

 煌帝国西軍

 第一軍 軍団長 練 紅覇(兵二十万)

 第二軍 軍団長 練 紅玉(兵二十万)

 第三軍 軍団長 樂禁  (兵十一万)

 第四軍 軍団長 李 青秀(兵 九万)

 本陣 西軍総大将 練 紅明(兵十九万)

 

 煌帝国東軍

 第一軍 軍団長 李 青龍(強化兵五万)

 第二軍 軍団長 周 黒彪(強化兵五万)

 東軍総大将 練 白龍…………ザガン眷属およびベリアル支配下の魔導士――無数

 

 

 西軍においては、姉弟の情愛に悩む白瑛を天山山脈に配置し、本陣背後の守りとしている一方、東軍においては圧倒的な兵数の不利を白龍が金属器の力を全開にすることで補おうとしていた。

 

 

 そして――――

 

「反乱軍全兵に告ぐ!!!! 我は練 白龍!! 皇帝の名の下に汝らに命ずる……反乱軍は直ちに降伏せよ!!! 偽帝・練 紅炎は簒奪者である!!!!! 練 玉艶に組し、白徳大帝と二人の太子を殺害した!!! 反乱軍は練 紅炎の首を差し出し投降せよ!!! さもなくば――殲滅する!!!! 簒奪者に死をォ!!!!!」

 

「「殺せ!!! 殺せぇェええ!!!!!!」」

 

 八型のルフを司り、記憶と精神を操作するベリアルの力をもって、白龍は全兵に偽の記憶を定着させ、ザガンの力と併用することにより、兵士の脳を改造することで人としての恐れや慈悲を削ぎ落し、怒りと興奮を極限まで高めさせていた。

 白龍の宣戦に対して強化兵たちはすでに血走った眼で怒号を上げて応えた。

 

 壮絶なる威圧感。理性を失った、獣に近しく怒りの感情のみに支配された人間の威容は並みの兵士ではそれだけで逃げ出したくなるようなものであっただろう。

 

 だが西軍の兵たちに大きな崩れはない。

 

 彼らには決意があるから。

 精神を壊された者には決して持ちえない強さ。

 この戦いで、不毛な争いを終わらせるという誓い。

 

 

「「全軍――前進ッ!!!!」」

 

 煌帝国のみならず、世界の運命を大きく変えることになる大きな戦の火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 煌帝国第四代皇位争奪戦争――“華安平原の戦い”と呼ばれる内戦は、紅明の戦術が、白龍の東軍を終始上回る形で展開された。

 

 強化、いや狂化された東軍の兵士たちはただただ愚直に正面突破のみを行い、それに対して紅明は紅覇と協力して金属器の力を活用することにより、兵士の大半を隔離して火熱責めを行う戦術に出た。 

 

 主力の兵が足止め隔離されている間に、第1陣および第2陣の紅覇と紅玉が、白龍を討つために敵陣突破を図り、それに対して白龍は同化の強制促進を行った眷属――李 青龍と周 黒彪をぶつけることで魔力の消耗を早めようとした。

 白徳大帝の血筋に准じるために白龍の下に寝返った二人の老将。

 

 紅覇と紅玉は、敵大将の白龍を討つために魔力を温存しなければならず、魔装の力なしに同化眷属との戦いを強いられることとなり、苦戦することとなったが、その作戦は同じく同化眷属である樂禁と李 青秀がぶつかることで対応した。

 

 白龍が繰り出す戦術のすべてを紅明が上回り、あるいは先手を打って封じていく。

 圧倒的な手数の差がそこにはあった。

 

 そもそも、本来の総大将である紅炎が全軍の指揮を執り、前線の大将として紅明が指揮するという系統から始まり、将兵の数も、金属器の数も、圧倒的に紅炎の西軍が上回っているのだ。

 白龍には兵力もなく、助力してくれる軍師もなく、従う将もいない。

 

 開戦を前に、“白龍と同じく”堕転したマギであるジュダルが居なくなってしまったことも大きかった。

 無限の魔力を持つマギ・ジュダルが、当初は白龍についていたのだ。

 かつては組織の手を借りることを拒絶し、そのためにジュダルを拒絶していた白龍だが、自身が黒く染まり、そしてジュダルが組織に反目するようになったがために共に手を取り合っていたのだ。

 

 だがそのジュダルも今はない。

 開戦前に洛昌に白龍の説得に来たアラジンとアリババ、二人の旧友との“戦い”によって、アラジンは王であるアリババを失い、白龍はマギであるジュダルと両脚を失うこととなった。

 失われた両脚は、左手の義手と同じくザガンの力で義足を操作することで対応できていたが、ジュダルの損失は埋めきれはしなかった。

 べリアルの力で精神支配下においた組織の残党たちの魔力を強制徴収することで辛うじてベ補おうとはしていたが、その魔力の絶対量は、無限の魔力を持つマギのそれと比べれば微々たるものでしかない。

 

 ゆえに紅明は甘い判断だとは自覚しつつも、兵を無暗に殺さずに大量の魔力を消費してでも消耗作戦に出たのであった。

 

 結果――紅明の、そして両者の思惑通り、自身の魔力と引き換えに白龍の魔力は尽き、紅覇と紅玉は魔送付可能となった白龍の居る本陣へと魔装の状態で乗り込むことに成功したのであった。

 

 

「白龍ちゃんッッ!」

「これで終わりだッ! 白龍ッッ!!!!」

 

 魔装ヴィネアを纏いし紅玉と魔装レラージュを纏いし紅覇。

 二人の金属器使いが戦を終わらせるべく、温存していた魔力を今や惜しみなく使って極大魔法を放とうとしていた。

 

 力のジンたるレラージュが極大魔法――如意練鎚(レラーゾ・マドラーガ)

 水のジンたるヴィネアが極大魔法――水神召海(ヴァイネル・ガネッサ)

 

「やはり……こうなったか…………」

 

 それは魔力のほとんど尽き、両脚と左手の動かなくなった白龍にはもはや避けようも、まして止めようもない、覆せない結末であり―――

 

「レラーゾ――――ッッ!!!!」

「――えっ!? 紅覇お兄様ッ!!?」

 

 ――――しかし勝者として歴史に名を刻んだのは練 白龍であった。

 

 魔装をもって宙にあった紅覇に、突如として襲いくる紫色の斬撃。

 極大魔法を放とうとしていた紅覇は、大鎌で咄嗟に防御するも、極大魔法陣を切り裂かれて発動を阻害。

 跳ね飛ばされた紅覇の姿に、共に極大魔法を放とうとしていた紅玉も手を止めた。

 

「くッッ! なにが……なッッ!!!」

 

 流石に奇襲一撃で落とされるわけもなく、紅覇は弾き飛ばされはしても空中で制御を取り戻し、新たなる襲撃者を睨み据え――驚きに目を見開いた。

 

 二振りの大鎌を携えた武人。

 八型のルフによる加護を受けて紫色に輝く光を纏い、疾駆する汗馬の鬣が如き姿の魔装。

 

「――――お前ッッ! どういう、ことだよッッ!」

 

 その男は死んだはずの金属器使いであり、紅覇たちの陣営――紅炎に味方しているはずで、生きているのだとしたら―――

 

「応えろッ! 皇 光ッッッ!!!!」

 

 決して裏切ることはない信念を持っていたはずなのだから。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

「バカなッッ!! 彼が……なぜッ!」

 

 前線で紅覇が激昂し、紅玉が驚愕しているころ、紅明は本陣で机を叩いた。

 ありえないはずの金属器使い、和国特使――皇 光の参戦。しかも白龍を庇う形での参戦ともなれば、その意味するところは明白だ。

 

「と、特使が生きていたとはっ! まさか情報が操作されていたというのか!」

「いや、それよりも特使の彼が敵対したということは和国が白龍皇子の側についたのでは……」

 

 動揺が広がるのは、紅明の周りを固める将官たちも同じだった。

 皇 光は元々死んでなどいなかったのではないか。

 特使が西軍に敵対的な行動をとったということは、その本国である和国が西軍ではなく東軍を正当な煌帝国と認めたということなのではないか。

 だが、それよりも―――

 

「……! 天山はっ!? 天山山脈はどうなっていますか!」

 

 一足飛びに、紅明はさらなる展開があることに気づいて声を荒げた。

 今、紅明を除く将官たちの思考は参戦した皇 光と、その背後にあるであろう和国に向いている。

 たしかに和国は小国ではある。だが二つの金属器を保持しており、魔力操作と卓越した剣技による強靭な精兵を数多擁する厄介な国だ。

 それゆえにかつての白徳大帝も、そしてそれ以降も煌は和国と同盟を結んで争わなかった。

 ただそれでも、和国一国では今の戦場を覆す決定打には至らないはずなのだ。

 和国一国、では――――

 

「も、申し上げますッッ!」

 

 紅明の一足飛びの思考についていけない周りだが、ほぼ同時に伝令兵が本陣へと駆けつけ、危機的な状況を知らせようとするかのように膝をついた。

 

「て、天山山脈を越えて敵襲ッ! い、一万の“騎士”の軍勢が、我が軍の背後へと襲来しておりますッッ!!」

「なっ!!!!」

「――ッッッ!!!! 白瑛、殿ッッ! なぜッッ!!!!」

 

 そう、たとえ和国が白龍を正統な皇帝として認めたとしても、白瑛がこちら側にいる限り、皇 光という男は決してこちらを裏切らない。

 つまり光が敵側についたということは、その楔であったはずの白瑛が白龍に味方したということなのだと、今持ちうる限りの情報が紅明に事態の深刻さを教えたのだ。

 

「率いているのは、七海連合、ササン王国国主、ダリオス・レオクセスです!!!」

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 紅明の、そして紅炎の“認識する限りにおいて”、練 白瑛という女性は理性高く、情の勁い女性だ。

 ゆえにこそ黄牙の民や国内の義賊などを旗下に組み込むことができた。

 おそらくこの戦争を前に、弟である白龍と敵対することに苦悩したことは想像に難くない。

 だが理性高い彼女だからこそ、世界から戦を失くすという紅炎たちの理念に納得し、情よりも理念を優先するはずだと思っていた。

 

 

「和国、皇 光。盟約に従い、盟友の内紛へと介入させてもらう」

「同じく、七海連合、ササン王国・国主、ダリオス・レオクセス」

 

 しかし事態は紅明たちのそんな予想を大きく裏切る形で、水面下で進行していたのだ。

 混乱する紅玉を制するように、前に出た紅覇が参入者たちに問いかける。

 

「……そっちの和国のはともかく、七海連合がこの戦争に首を突っ込んでくるのはどういうわけだ。たしか連合には“他国を侵略せず、侵略させず”という大層な信条を掲げていたはずでは? 何故我が帝国領内に軍を率いて進行してきたのか……答えろ!」

 

 魔装アロセスを纏い、半人半馬の槍騎士の姿で戦場へと飛翔してきたダリオスの言葉に、紅覇は剣呑な表情を隠さず、威をもって問うた。

 

 煌帝国と同盟関係にある和国――皇 光の参戦とその理由はまだ分からなくもない。

 

 だが、七海連合には“他国を侵略せず、侵略させず”という信条を掲げているのだ。

 ゆえに煌帝国の領土に軍勢を進めることや、金属器使いが魔装の姿で戦場に現れるなどという事態があっていいはずがない。

 

 しかし―――

 

「そうだ。ゆえにこそこれは盟約の下の参戦なのだ。これは侵略ではない。我らは七海連合の盟約に従い、盟友の内紛を治めに参った」

「なに………?」

 

 七海の覇王、その謀略が

 

「ここにいる煌帝国の正統な皇帝たる『練 白龍帝』の名の下に、煌帝国は七海連合とすでに誓いを交わした、七海連合の一国なのである!!」

「なっ、んだとッッ!!!」

 

 花開き、煌めきの帝国へと襲い掛かった。

 

「これは侵略ではない!! 我らにとっても盟友、練 白龍帝の助太刀である!!!」

 

 魔装姿の騎士、ダリオスの大音声で呼ばわう宣言が、戦場に轟く。

 

「くっ! そういうこと、かっ! 白龍は最初からこのつもりだったのか!」

 

 白龍、いやシンドバッドは初めからこうするつもりだったのだろう。

 治めるべき盟友の国の内紛。

 その口実がありさえすれば、七海連合が大義をもって介入することができる。そのため白龍は独力では勝ち目がないことを知りつつ、兵を起こす必要があったのだ。

 

 それを理解して憤激する紅覇、そしてマグノシュタットに続き、再び他国の戦を利用して漁夫の利を得ようとするシンドバッドたちのやりように涙を滲ませる紅玉。

 

「こんなの、卑怯よ……!!」

 

 七海連合が彼らの大義をいいように利用していることに対して、いかに卑怯と罵ろうとも、すでに戦況は完全に覆っている。

 白龍の戦術は紅明の戦術を上回ることはなかった。けれどもシンドバッドの戦略は、紅炎の戦略を世界単位で上回っていたのだ。

 

「……まだだ」

 

 ただこの計画の綻びがあるとすれば、七海連合と白龍、そして皇 光にはそれぞれに思惑にズレがあるだろうことが、彼らの表情と態度から見て取れることだろう。

 

 このような形ではなく、まっとうな戦で紅炎を打ち破り皇位を奪いたかった白龍。

 そして

 

「宣言はもう十分だ。この胸糞の悪い戦。早々に終わりにさせてもらおう」

 

 魔装ガミジンを纏う光は、この戦への参戦を心よく思っておらず、乗り気ではないことがあからさまなことだ。

 

 だが戦い自体を拒むつもりはないのか、携える金属器に魔力を集中させた。

 

「やらせるか」

 

 意に添わぬそぶりを見せつつも戦気を高める光に対して、紅覇もまた金属器・如意練鎚を構えた。-

 

 皇 光の力は知っている。

 金属器・ガミジンは驚異的な回復能力を誇るジンだが、攻撃能力は金属器の中ではそれほど高くはない。

 攻撃力では圧倒的に紅覇のレラージュが勝り、攻撃範囲では紅玉のヴィネアが勝るはずだ。

 むしろ卓越した魔力操作による接近戦をこそ警戒すべきで、

 

「ガミジン」

「ッッッ!???」

 

 しかし紅覇の予測を裏切って、金属器から放たれた紫色の輝きが戦場全体へと波及した。

 

 

 

 

 

 本陣――――

 

「第三・四軍を先行して黄海に向かわせます。敵の狙いはバルバッド――紅炎陛下です。本陣も動かします。残りの魔力は少ないですが、私も出て早急に白龍を討ち、その後可能な限りの軍勢をバルバッドへ転送します」

 

 一変した戦況に合わせ、遠隔透視魔法によって次々にもたらされる情報は、王手をかけていた西軍が逆王手をかけられつつあるということだった。

 天山山脈に現れたササンの騎士兵団だけではなく、バルバッド近海にはシンドリア・エリオハプト・アルテミュラの連合軍が出現。シンドリアの軍船とアルテミュラの怪鳥を用いた海・空の両面からバルバッドに大軍が迫っている。

 

 この内戦は皇位争奪戦。つまり王の奪い合いだ。

 白龍をいち早く倒せば勝ち、紅炎が倒れれば負け。

 

 だが、ここまでの大軍の動きが紅明たちのもとに入らなかったということは、そもそも戦の前からシンドバッドたちにより高度な諜報戦を仕掛けられていたと考えるべきだろう。

 そしてそこまで巧妙に“戦を”進めていたからには、たとえ白龍という大義名分がなくなっても、連中が紅炎陛下を倒さずに矛を収めるという楽観視はできない。

 むしろ紅炎陛下たちが思い描く世界がシンドバッドの世界と反律するのだとしたら――――この機に白龍も紅炎も、煌帝国そのものを攻略するつもりだと考えてもおかしくはない。

 

 すでに戦術でどうこうできるレベルを超えており、紅明はこの戦場だけでなく、すべての戦場へと戦略眼を展開しなおす必要に迫られているのだ。

 それがために―――紅明は背後から迫る脅威に気づくのが遅れた。

 

「紅明様ッ!!!」

「なっ―――ッッッ!!! がっ!!!」

 

 突如、地面から湧き上がるように鈍紫の姿の兵士――過去に戦死した吾の亡者が気づくのに遅れた紅明の背に剣を振り下ろした。

 

 ――兵士の、亡霊ッッ!? しまっっ――

 

 紅炎や紅覇、紅玉とは異なり、紅明は武人ではない。

 軍師であり、知の面から紅炎を、煌帝国を支える存在だ。その戦闘力は金属器がなければ無きに等しいものである。

 斬りつけられ、背中から血が吹き上がり、その手から金属器である黒羽扇が落ちた。

 

 

 

 

 

「なんだッ!? 戦場がッ!!!」

 

 皇 光との直接対決を覚悟していた紅覇は、しかし眼下に広がる華安の戦域全体に、紫色の亡者が溢れかえるのを目にして驚愕した。

 

「流石は天華の決戦の地だ。随分な数の怨霊どもに恨まれているようじゃないか。侵略国家?」

 

 戦場全体に亡者を溢れ返させ、戦況を混乱させ、兵を、そして大将である紅明にまで血に沈めた金属器使いは、冷めた瞳で眼前の敵を睨みながら皮肉った。

 

 呪怨と罪業の精霊――ガミジン。

 その力は紅覇の知る、再生能力などでは決してない。

 怨念や妄執を残して死した者のルフを、その志向性に沿う形で現実化するのが、本領。

 

 ――いったいどこまで亡者が広がっているんだッ!? まさか本陣まで!? 明兄はッ!?――

 

 植物や細菌を操るザガンと、精神や記憶を操るベリアルを併用することで、兵士を強化・狂化して無理やりに配下とした白龍とは違い、ガミジンのそれはあくまでもルフ自身に宿る記憶と望みを叶えているにすぎない。

 その規模に反して消耗の度合いは、比べるべくもなかった。

 

 ましてここは過去に幾度も煌が戦を行った天華の決戦の地。

 煌に対して恨みを持ったまま死した兵士など、それこそ無数といっていいほどに溢れていた。

 

 ――くっ! ここからじゃ分からない。分かりようもないッ! 金属器使いが3対3……ッッ!? いや、シンドバッドがもっと引き連れてバルバッドへ向かっているとしたら!?――

 

 

 白龍はほぼ戦闘不能になっているものの、新たな金属器使いの敵が二人。

 それもこの場に限ればの話。

 七海連合が参戦し、ダリオスが出てきた以上、シンドバッドやほかの金属器使いが参戦しない理由はない。バルバッド――紅炎のもとに向かっていると考えるのが自然だ。

 

 開戦前に紅覇自らが鼓舞したように、この戦いに敗れれば自分たちは謀反人となり、すべてを失うこととなる。

 これからの未来だけでなく、これまで築いてきたものまでもだ。

 

 ――ッッ!! 終わらせるか……終わらせてたまるかッ!!!! 僕が、止めるッ! ここでッ!命に代えてでもッ!!!!――

 

 果たして本当に白龍を倒せばシンドバッドたちが止まるかは分からない。

 けれども、少なくとも皇位争奪戦争の決着はつく。

 そして紅炎陛下ならば、相手がシンドバッドといえどもそう易々と倒されるわけがない。

 

「まだだ!! 紅玉ッ!!! 僕たちが白龍を倒せば、和国も、七海連合にも、介入の口実はなくなる!! 僕に力を貸してくれ!!!」

 

 白龍さえ討ち取れば―――それだけがこの状況下において、紅覇が描ける最善にして唯一の希望的展開であった。

 

 だが―――

 

「い、いいいいいえ、お、おおお兄様……」

 

 この場で唯一紅覇が頼ることの、背を任せることのできる仲間――妹である紅玉の様子が、突如として一変していた。

 まるでなにかが壊れてしまったかのように、あるいは操り人形が起き始めたかのように、ガクガクと不自然に体を震わせ、首を傾け―――

 

「なッ、何をする……? どうしたんだ? 紅玉…………」

 

 兄であり、背を守るべき紅覇を羽交い絞めにして首に剣を、金属器を突き付けた。

 

 ――事態の、妹の変貌に認識が追い付かない。現状が信じられない。

 

 なんなく捕まり、剣を突きつけられて混乱する紅覇に、絶望の帳を降ろす声が放たれた。

 

「紅覇皇子。武器を収めてもらおう。これ以上の流血は耐え難い」

 

 大切にすべき妹の声ではない。

 その口から出ているのは男の声。聞いたことのある声。

 

「私は七海連合の盟主、シンドバッド王だッ!!!」

 

 紅覇の思考が、戦意が、その宣言によって凍り付いた。

 

 

 

 

 



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第34話

 世界の運命をも決することになった、煌帝国第四代皇位継承戦争。

 

 内紛としては破格の動員数と、結果的に多数の金属器使いが参戦することとなったこの内紛は、しかしその規模に反してわずか1日で決着を見ることとなった。

 

「私は七海連合の盟主、シンドバッド王だ!!! 私は盟友たる練 白龍帝の要請により、煌帝国の内紛を収めに来た!!! 練 白龍帝こそが、練 白徳大帝の血を継ぐ正統な皇帝なのだ!!!」

 

「我が盟友・シンドバッド王の言う通りだ!! 我は練 白龍!! 皆の者聞け!! 煌帝国は長きに渡り、世界の破滅をもくろむ魔導士組織に乗っ取られてきた!! 練 紅炎は彼らに組し、先帝と太子を殺害し、あまつさえ今は偽帝を名乗り、煌帝国そのものを奪おうとしている!! 反乱軍は剣を収めよ!! そして我とともにシンドバッド王が唱える世界の平和を実現させるのだ!!! ――――故に、我は七海連合と共に練 紅炎を討つ!!!! 練 紅炎は偽りの冠を脱ぎ捨て、投降せよ!!!」

 

 ガミジンの生み出した亡霊により、西軍大将の紅明は重傷を負い、戦の趨勢が劣勢となろうとも。

 シンドバッドの金属器の力により金属器使いである将軍・練 紅玉が操られてしまい、紅覇が囚われてしまおうとも。

 

 シンドバッド、そして白龍の宣告に、しかし紅炎の眷属をはじめとした煌帝国西軍の将兵たちは決して諦めはしなかった。

 

 ――この期に及んで旗色を変える者などいない――

 ――まだやれる――

 ――最後まで紅炎陛下と共に、戦いたい――

 

 

 だが――――決断すべき紅炎は投降した。

 すでに勝敗が決したことを、その聡明な頭脳が導き出していたから。

 なによりも自身の無駄な足掻きにより、忠義を示してくれた部下たちや弟妹が死ぬことを避けるために。

 

 それにより内戦は七海連合の調停を受け入れる形で終結した。

 犠牲者は両軍ともに万を超える単位の規模であったが動員された兵の数と、金属器使いの凄惨な攻撃に晒されたことを考えれば少ない数であったのかもしれない。

 そして東軍の主だった将としては、急速な眷属同化を行った李 青龍と周 黒彪とが死亡。

 西軍は反乱軍として歴史に記され、紅明・紅覇の両名は金属器を取り上げられた上で流刑となり、眷属である炎彰・周 黒惇・李 青秀・樂禁たちは投獄、そして首謀者である練 紅炎は―――斬首となった。

 なお、内戦においてシンドバッド王に“協力”し、調停に功労した練 紅玉・白瑛の二名のみは謀反の罪を許されることとなり、煌帝国は練 白龍帝の下で正式に七海連合の一員となったのであった。

 

 

 

 

「今回は我々、七海連合に協力してくれてありがとう、皇 光殿。おかげであの無益な争いを早期に決着させることができましたよ」

 

 練 紅炎の斬首が大々的に執り行われた煌帝国皇都・洛昌において、光は七海連合の盟主・シンドバッドと再び会いまみえていた。

 鷹揚に礼を述べるシンドバッドに、光は最低限の礼のみをもって応え、シンドバッドの斜め後ろに控える“女性”に目を向けた。

 剣も扇も身に帯びぬ、黒髪の麗人。

 

「ああ。こちらの白瑛殿も我々に協力してくれましてね。彼女の協力のおかげでダリオス殿が無傷で天山を超えることができたのですよ」

「“お初にお目にかかります”、皇 光殿。練 白龍帝の姉である、白瑛と申します」

 

 にこやかに“練 白瑛”を紹介するシンドバッド。

 “白瑛”は掌と拳を合わせる煌式の礼で“初見”の挨拶を述べた。

 その言葉を聞いても、シンドバッドのにこやかな笑みは全く揺らぐことはなく、

 

「…………弟可愛さに、仲間と国を売った女か」

 

 対する光は、極寒のような侮蔑の眼差しをもって“白瑛”を見た。

 光の言葉に“白瑛”は、居心地の悪い、申し訳なさそうなそぶりを“して”見せ、シンドバッドはそれを庇うように“白瑛”の前に身をおいて光の視線を遮った。

 

「ともあれ、これで煌帝国も七海連合に入り、この世界から戦争もなくなっていくでしょう。世界の仕組みもきっと変わる」

 

 光と“白瑛”の寒々しい対面の挨拶を強引に押し流して、シンドバッドは確信に満ちた様子でこれからの世界平和についての話に切り替えた。

 それは“練 白瑛”を光から庇ったようでもあり、“都合の悪いもの”を隠したようでもあった。

 

「実は世界同盟という構想がありましてね。しばらくはこの戦争の処理で忙しくなるでしょうから後日になりますが、煌帝国とともに和国にも是非、その常任理事国になってもらいたいと考えているのですよ」

 

 ただその語る内容は紛れもなく、この世界の行く末を考えたものであり、“七海連合”の“一つ”として和国を認めているかのような言葉であった。

 

 

 今、世界は七海連合という色、一色に染まっている。

 シンドバッドという強烈な光が生み出す眩いばかりの色が、すべてを染めているのだ。

 世界の今後を見据えたシンドバッドの脳裏には、もはや“敵国”というものは存在せず、すべてが彼の双肩に集約しているかのように考えているのかもしれない。

 

「和国は、煌との盟約に基づいて参戦しただけだ。七海連合に入った覚えはない」

 

 だが、和国は決してその色に染まるために今回の戦に参戦したわけではない。

 シンドバッドが語った信義が、理に則ったものであるからこそ、煌の正当なる後継である白龍に味方したのであり、和の国としての考え方を放棄したわけでは決してない。

 

「そうですね。ですがいずれこの世界から、国という枠組みは変わることになる。そのときは、ぜひ、手をとりあってこの世界をよくして行きましょう」

 

 その笑みに、男に、運命に、すべてを任せてしまえば、あるいはすべてが上手くいくのかもしれない。

 ただしそれは――――かの男の中で、最善と思われる道を通るということでしかないのだ…………

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 ――「私はあなたを見ている。アラジンと共にあなたをそばでずっと見ている。もし、将来さっきのように……あなたが変な気を起こそうとしているように見えたら――私が止めますから」――

 

 

 “すべて”を終えた白龍は、一人取り戻した国の中心――王宮の一室で、剣を手に途方に暮れたかのように虚脱していた。

 その剣を自らの首にかけようとして、しかしその行為はかつて愛した女性――モルジアナによって止められてしまった。

 

 妻にとまで望んだ美しく、強い女性。

 その女性が好いて、しかし自分が殺した友(アリババ)

 

 自分のこと(怒り)を理解してくれた、失った仲間(ジュダル)

 かつては慕い、しかし憤怒とともに首を落とした(玉艶)

 

 他にも、自分の歩いてきた道の途上で、一体いくつの大切な者を捨ててきたのだろう。

 

 

「兄上…………」

 

 紅炎の金属器である剣――白龍の兄である白雄が生前に紅炎へと賜った剣を手にして、白龍は力なく呟いた。

 

「俺は……復讐を果たしました。なのに……変ですよね。身体に力が入らないんです。以前はあんなに力が満ち溢れていたのに……」

 

 使命を果たせ。今わの際にそう自分に言った兄も、道の初めに失った。

 

「俺は、正しいことをやってきた。自分が信じる“正しさ”の通りにやってやった!!! なのになぜ、こんな虚ろな気分になるのか……考えていました…………」

 

 自ら望んで、この修羅の道を、復讐の道を歩き始めたわけではない。

 だが、生きていく中で最初に目指していた輝かしい未来を絶たれ、目指すことを止め、恨み、葛藤して生きていくことを選んだのは自分だ。

 

 ――「不幸だからと、あなたに生き方を、決められたくはないな」――

 

 戦の前、ジュダルとともにアラジンやアリババと戦った後、堕転を悪だと断じたアラジンに言ったのは、まぎれもなく本心だった。

 その言葉が間違っていたとは思わないし、歩んできた道が間違いだったとは思えない。けれども―――

 

「それは……人間の“正しさ”など、変わるから」

 

 “正しさ”は変わる。

 人の、世界の価値観は一定ではないのだから。

 

「シンドバッド王は、この世界から“国”を消すという。その時、“国”を取り戻すことがすべてだった俺の“正しさ”は揺らぎます」

 

 ――「俺はこれから大きな改革を行おうと考えている。国という垣根はいずれこの世界中から消えてなくなるだろう。その時はまた……頼むよ――

 

 必死になってかつての煌を、自分の居るべきだったはずの国を取り戻そうと足掻き続け、そしてようやくそれを成し遂げた白龍に、シンドバッド王は告げた。

 それがどのような改革なのかは分からない。けれども、本当に国が、煌帝国がなくなるのだとしたら――――自分の成してきたことはなんだったのだろうか?

 

 大勢の人を、友を、仲間を、家族を、殺してきたこれまでの道は、いったいなんの意味をもつのだろう。

 

「何が“正しい”のかは、大勢で考え続ける世界がいいと、言っていた人がいました」

 

 ――「誰かと考えが違うからって、相手が死ぬまで戦って、世界中とそれを繰り返して、それで最後に何が残るっていうんだ? 何も残らねーじゃねぇか!! だから、俺が一番正しいんだって、いろんなやつらが言い合いながら、みっともなく考えをぶつけ合いながら、全員で生きていくのが……正しい道だ!」――

 

「でも、俺が殺した。他にもたくさんの者を、国を取り戻すために斬り捨てた」

 

 あの人(アリババ)は一人ではなにもできない王の器だと、人の心の触れてほしくない大切な部分を暴き出して、抉り出す偽善者だと断じたのは、あの時確かにそう思ったからだ。

 

 でも、復讐を成し遂げ、その意味すらも揺らぎそうになっている今、本当に正しかったのは……

 

「だから……だから、俺―――――紅炎を殺せませんでした…………」

 

 ――ここでお前を殺しては……俺は自分の矛盾に耐えられない。不本意だろうが、俺が生きるために…………生きていてくれ――

 

 あの時――練紅炎を処断する決意をしたあの日、白龍は紅炎と話し合った。

 彼がどのような思いでアル・サーメンを受け入れていたのかを。

 彼がどのような思いで玉艶の下にいたのかを。

 彼がどれほど兄弟たちを大切に想っていたのかを。

 彼が―――白雄の敵をどれほど憎んでいたのかを…………

 

 ――白龍……お前は確かに玉艶を殺した。兄上たちの仇を討ったんだな――

 ――お前には無理だと思っていたぞ――

 ――いいや、俺こそがそれを成し遂げる男だと……思いたかった……白龍……お前がうらやましい――

 ――お前に負けて……俺はすごく、悔しいよ――

 

「あいつのこと、許しているのかどうか、自分でもわかりません」

 

 だから殺せなかった。

 

 重傷を負った紅明の命をとりとめ、紅覇と紅玉の命も見逃したことに対する返礼として、自身の手足を対価に白龍の手足を癒した。

 あれほどに傲慢で、傲岸だと思っていた紅炎が、討つべき仇を討った白龍のことを羨ましいと、負けて悔しいと、ただ、白雄の復讐を成し遂げたのが自分でなかったことを悔しがってうなだれた姿を見てしまった。 

 

「でも、あいつの気持ちはわかってしまった。そんな相手を殺せば、俺はまた空虚になってしまう」

 

 あんな姿は、見たくなかった。 

 あんな思いは、聞きたくなかった。

 

 なぜなら、あれは、復讐という憤怒を押し殺した、白龍が抱いていたかもしれない悔恨の姿、そのものだったから。

 

「憎んだ相手は俺の一部なのだ。殺してもなかったことにはできない。むしろ、復讐した数だけ、その間に必死に生きていた自分の人格が死んでいく……」

 

 母を慕って笑っていたころの白龍はもう死んだ……

 姉を母とも思い、懸命に守ろうと背伸びしていたころの白龍はもう死んだ……

 がむしゃらに力を求め、けれどもアラジンとモルジアナと、アリババとともに冒険して、笑っていたころの白龍は、もう、死んだ……

 玉艶を憎み、紅炎を憎み、世界を憎んで復讐を果たそうとしていたころの練 白龍も、死んで、しまった……

 

 だが、まだ残っているのだ。

 練 白龍はまだ生きているのだ。

 

「俺はもう、この生き方に甘えて空虚になるわけにはいかない」

 

 

 ――「俺は責任をとらねばならん。国を割り、民にいらぬ犠牲を強いた。俺がお前に皇位を譲っていれば死ななかった者たちだ」――

 

 

「この国と共に生きて、前に、進むために」

 

 

 ――「お前が王になるのを妨げるばかりの、ふがいない、兄ですまなかった」――

 

 

 取り戻し、そして“託された国”とともに。

 

 

 ――「さらばだ、白龍」――

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 練 紅炎の“処刑”から十日後、和国領内の小さな群島、そこに煌帝国の帆船が停泊していた。

 

 そしてそこでは、煌帝国における皇位継承戦争に敗れた“罪人”――元皇族の二人と、“死んだ”はずの人物が再会を果たしていた。

 

 もはや金属器はその手にはなく、腰には逃走防止用の縄を打たれた紅覇と紅明。

 白龍の手足の対価として左腕と両脚がザガンの木製の義肢となり、杖がなければ歩くこともままならない紅炎。

 その姿は、わずかひと月前には世界の王となることも不可能ではなかった位にあった者たちの姿とは思えないほどだ。

 

 ―――だがそれでも生きている。

 先帝と太子を謀殺したという汚名を被り、国を割ったという罪を被り、“正統なる”皇帝となった白龍に裁かれ、それでもなお、彼らは生きていた。

 

 すべてを失くし、それでも会えるはずのない兄との再会を交わした弟二人は、見張りの兵士に囲まれながらも、涙を流して兄へと縋りついていた。

 

 

 その様子を、

 

「流刑とはいえ、煌の“罪人”を和国で預かることにするとは……よろしかったのですか、光王子?」

 

 一人の副官と

 

「…………煌帝国の新皇帝の頼みだ。聞いておいても構うまい。それにあれでも“王の器”。死者よりかは何かの利用価値もあるだろう」

 

 一人の王子が遠巻きに見ていた。

 

「七海連合が問題視する可能性はあります」

「だろうな。言い訳にするにはもってこいだ」

 

 皇 光と立花融。

 和国の王子である金属器使いの一人と、その幼馴染にして副官であった男。

 いくら白龍新帝の願いとはいえ、七海連合から危険視されているであろう紅の王の器たちを自国の領内に収監することに、融は言葉では懸念を示し、光は淡々と応えた。

 その“答え”は、シンドバッドと対面した光自身が得た直感に基づくものであり、融が考えていることであり、兄である閃や和王が考えていることでもあった。

 

「どの道、遅かれ早かれシンドバッドはこの国に来ることになる。あの男の目的がなんであれ、違う色をもつこの国は、やつにとって邪魔な存在だからな」

 

 光が対面したシンドバッドという男は、たしかに“王”だ。

 清濁併せ呑む“王”。すべての責務を負う“王”。世界の指針となるべき“王”。

 

 紅炎たちの煌帝国は、戦争によって併合した国々の思想を統一することによって、世界から戦争を失くそうとした。

 シンドバッドはそんな紅炎たちを“悪”だと断じて、白龍に味方したわけだが…………

 

 ――いずれこの世界から、国という枠組みは変わることになる――

 

 それこそがさも、世界にとって最善な道なのだとばかりに告げていたあれは、“悪”だと断じた紅炎たちの結果と何ら変わらない。 

 ただそこに行くまでの過程と方法が異なるだけで、求めるものは、おそらくすべてを彼が最善だと思う思想に染めることだろう。

 

 事実、すでに世界の多くは染まりつつある。

 シンドバッドこそが王だと同調し、彼を盟主と讃える七海連合。

 その影響下におさまった魔法都市マグノシュタット。

 レームと煌帝国は、まだ独自性を保っているかもしれないが、このまま七海連合が世界を主導すれば遠からずその独自性は失われるだろう。

 それは和国も同じ。

 いずれ、煌帝国にも、レームにも、和国にも、七海連合の――シンドバッドの手は伸びてくるだろう。

 

 そのために、煌帝国とのつながりを残しておくくらいは、必要なことであった。

 

「…………彼らに、話はしていかれなくてもよろしいのですか?」

「必要ない。閃の兄王ならともかく、“戦場でしかまみえたことのない”煌帝国の皇族と、話すことなどない」

「…………」

 

 必要だったのは、罪人たちがこの島に収監されたという事実確認。

 それさえ済めば用はないと背を向ける光に、融はもの言いたげな視線を向けた。

 

 ――そんなはずはないでしょう、と告げておきたかった。

 たぶん、戦地でまみえたという皇子は、きっと裏切られたと思っただろう。

 シンドバッド王の隣にいた、白瑛様も、彼の変わりように驚愕しただろう。

 

 でも、それは仕方ないのだ、と。

 

 彼の器はもう、欠けてしまったのだから。

 

 願いの対価に、守護の対価に、そのすべてを捧げてしまったのだから。

 

 罪業と呪怨の精霊・ガミジン。

 主の望みを叶えるその精霊に、彼はその願いの源泉を渡してしまったのだから…………

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

「シンドバッド王よ……ありがとうございました」

 

 煌帝国からシンドリアへの帰国の途についた船団の、その王の居る船の一室で、“練 白瑛”はシンドバッドと二人、話をしていた。

 

「弟の即位にまでお力添えくださって……感謝に、耐えません」

「いいえ、白瑛殿!」

 

 仲間であった紅炎や紅明たちを裏切ったことへの慚愧が苛んでいるのか、はたまた一度は手を振り払った弟とあわす顔がないのか、白瑛はすべてに対して申し訳ないとばかりに、首を垂れていた。

 その姿は美しく、白の大華が朝露に濡れて首をもたげる様にも似て見えた。

 女好きでも知られるシンドバッド王は、そんな“白瑛”の方に手を回し、鷹揚にその感謝を受け入れた。

 

「それに、“世界をひとつに”することが私の夢でした。ぜひこれからも、あなた様のそばで力を尽くしたいのですが……」

 

 懇願するその顔は、かつての婚約者が見たこともないほどに媚を帯びたものであり、しなをつくるその姿も別人かと見まがうことだろう。

 

「ええ、構いませんよ」

 

 にこやかに“白瑛”の申し出を受けるシンドバッド。

 “白瑛”は自身を受け入れてくれたシンドバッドに、煌式の礼を捧げて再び頭を下げた。

 

「ところで…………」

 

 そんな、光も知らなかったであろう“白瑛”に

 

「うまくやったものですね」

 

 思わぬ言葉がかけられた。

 

「えっ?」

「白龍くんもアラジンも、あなたは死んだと思っている。あなたは本当に芝居がお上手ですね! ――――練 玉艶殿」

 

 “白瑛”の表情が、歪む。

 それは身に覚えのないことを告げられた者の顔ではなく、また彼女を知る者が見てきたのとは“別人の練 白瑛”だった。

 

「それともこうお呼びするべきかな? ――――“アルバ”、と」

 

 手を差し伸べられ、確信に満ちた顔で呼ばれたその名に、“白瑛”の、“玉艶”の――いや、アルマトランのマギ・アルバの表情が異形に歪んだ。

 

「あなたは―――ダビデ老……」

 

 そして返される別人の、別人でありながら、同一となった存在の名。

 

 それはかつて滅びた世界の、この世界を創った王の父であり、“神”とならんとした男の名前。

 

「ダビデ様……私は、あなたが憎かった……あなたが“あのお方”から力を奪い続けていたと知った時、私は強大なあなたを殺すために、同じ志を抱くソロモンの元へ下った」

 

 かつて滅びた世界で知った事実。

 かつてあった、この世界とは違う世界での出来事。

 

「でも、ようやくわかったのです……今や、あなたこそが、“イル・イラー(あのお方)”そのものなのですね」

 

 そして、今なお紡がれ行く、破滅の物語。

 

 フラフラと歩み寄った白瑛(アルバ)は、おもむろにシンドバッド(イル・イラー)へと抱き着き、懇願の声を上げた。

 

「お願いです!!! 私の力を使ってください!!!」

 

 艶媚を帯びた女の顔で、その豊満な胸を押し付けて願う女性。

 シンドバッドはそれを乱雑に跳ねのけるように押し飛ばした。

 

「あっ!」

「勘違いしてもらっては困るな」

 

 そして床に倒れた白瑛(アルバ)を見下ろすシンドバッド。

「俺は俺だ。シンドバッドだ。“ダビデ”そのものではないよ。俺はずっと、俺の信念だけに従って動いてきた」

 

 その姿は見上げる白瑛(アルバ)からは、まるで後光が差しているいるかのような()の姿であっただろう。

 

「アルバさん。あなたは確かに魅力的な女性だ。誰よりも知識と力を持っている」

 

 これまで千年に渡って蓄えてきた、耐えてきた自身の存在に、お褒めの言葉をいただけているアルバは、まるで恋い焦がれるお方を見上げるように頬を染め、口元を歪めていた。

 

「だが、“アル・サーメン”としてのあなたには、用はない。これからはすべて、俺のやり方に従ってもらうよ。それでも?」

 

 自身に満ち溢れたシンドバッド王の尊顔。

 あのお方(イル・イラー)が目の前にいるというのに、そのご助力となることができるというのに、一体なぜ、用済みとなった“アル・サーメン(アルマトランの仲間たち)”に固執することがあるというのだろう。

 

「はい、よろこんで!!!」

 

 シンドバッドの手をとった、その顔は、歓喜の涙で崩れ――どこまでもどこまでも、歪んでいた。

 



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第35話

 そこは彼にとって奇妙な――ただし、彼が僅かばかり前に居た場所よりかは普通な場所だった。

 

 彼がよく見られた国の木々よりも幹のしっかりとした、小さめの葉を多く茂らせた樹林。

 どちらかというと海にゆかりがあり、あるいは砂漠とも近い彼の故国ではこのような鬱蒼と茂った樹林にはあまり馴染みがなかった。

 強いて言えば、2つ目の迷宮攻略の際に赴いた島には木々が多かったが、植生が異なるのか、こちらの木々の方が幹が太い。

 

「ガァアアアアアアッッ!!!!」

 

 時折現れる動物には、小さめの虫のほかには熊や狼などが多く、それ以外には角を生やした二足歩行の大男のような今まで見たことのない怪物らしきものがいた。

 

「…………また首が取れた。くそ、まだこの体に馴染んでねーのか」

 

 先ほどその角の生えた怪物にぶん殴られて吹っ飛ばされ、脆い“この体”の首が取れてしまった。

 彼は外れてしまった首を拾い上げてきゅぽっとはめ直し、改めて自分の体を見下ろした。

 

 一色で構成されたまるで人形のような体。

 手に馴染んだ短剣(金属器)はなく、小さな体にお似合いの玩具のような針剣。

 

 以前までの体とは違い、痛みも空腹も感じはしないが、18年も連れ添った(?)自分の体とは違うがためにまだ慣れておらず、動きはぎこちなく、得意なはずの剣術を出すゆとりすらなかった。

 もっとも、彼のもつ玩具のような短剣では、先ほどの怪物相手にどこまで有効に戦えたかは知らないが…………

 

「でも、泣き言なんて言ってらんねーよな」

 

 そう。彼にはやらなければならないことがあるのだ。

 でなければ何のために大勢の人たちの助力を得て戻ってきたのか分からない。

 

 大いなる企みを打ち破るため。この世界の終焉を止めるため。

 それだけではなく、終わった世界の人たちに、大切な人たちと会えるように約束したというのも理由の一つだし、友人や、彼自身の大切な人たちともまた会いたい。 

 殺し合いをしてしまった――両脚を切り落とし、自身を殺した友人とも、今度こそちゃんと話をしたいというのも、大きな理由だ。

 

 たとえここがどこだか分らなくとも。たとえ今があれからどれくらいの時が経ったのか分からなくとも。たとえ人の居住地から遠く離れた森の中に孤立していようとも……たとえその体が埴輪のような人形の体であろうとも……

 

「それにしても、ここはどこら辺なんだ? 人が全然いねー。“あの人”は、アルマトランの魔力が堆積した場所だからきっとつながりやすいはずだって言ってたけど…………ん?」

 

 埴輪のような体でガサガサと茂みをかき分け進んでいた彼は――さきほどの怪物はその音を聞いて襲ってきたのだが――不意に足場がなくなっていることに気が付いた。

 

 周囲からはゴウゴウとした滝の音。

 

 感覚のない体で、しかし浮遊感というものを感じているのかどうかはわからないが、たしかに一つ言えることがあった。

 

「お、ぉおおおおおおおおッッ!!!!????」

 

 短い足を着いたと思ったそこには地面がなく、埴輪の彼は真っ逆さまに崖を転落し、滝つぼへとダイブしているのだということだ。

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 煌帝国皇位争奪戦争から数か月―――――

 

「はぁ……はぁ……」

「お疲れ明兄。あとは僕が運んでおくよ」

 

 敗北者である元皇族の兄弟たちは、和国の島の一角で僅かばかりの配給物資と見張りの兵たちとともに生活していた。

 かつては剣を、金属器を持っていた手には、今は漁で用いた投網と獲得した魚を抱えていた。

 

「いえ。傷ももう痛みませんし、自分でできることはなんでもやっていかなければなりません」

「……そうだね」

 

 武人であった弟の紅覇とは異なり、金属器使いである軍師としての練家の男であった次兄・紅明は、眷属や近侍の者たちに身の回りの世話を――それこそ更衣の手伝いまでされていたほど生活能力に乏しかった。

 それだけにそのような身の回りの世話をする者のいなくなった今、普通の日常生活を送るだけでもかなりの重労働であった。

 しかもあの内紛で紅明は生死をさ迷う程の重傷をその身に受けた。

 治療されこそしたが、それから長い間しばらくは歩くことも困難になり、それが治っても傷の痛みや衰えた手足、体力のなさが身に染みた。

 今でこそ動く分には問題ないが、元々の力のなさは如何ともしがたい。

 ただ、それでも紅明にはやれることは自分でなんとかする必要があった。

 

 生きていくために。

 あの内紛の後、皇帝陛下のために手足を捧げ、武人として死んでしまった兄と共に…………

 

「それじゃ、簡単に仕分けるから、手伝って、明兄」

「ええ」

 

 かつては兄王のためにと率先して剣を振るった紅覇。

 狂気に心を蝕まれ、それとともに堕ちていくしかなかった彼を救い上げてくれた兄たちのためにと。

 だがそれだけではもういられないのだ。

 兄たちと力を合わせて。それは今も変わっていないが、その果たすべき役割は変わっていかざるをえない。

 

 兄・紅明もまた変わっていこうと懸命なのだ。

 まだ息の整わないなかで紅明とともに、彼が持ち運べる量の魚を分けようと手を動かし―――

 

「なんだ、コレ?」

「どうしました、紅覇?」

 

 変なものを見つけた。

 

「埴輪?」

「……埴輪ですね」

 

 一本角の埴輪の人形。

 顔と思しき部分には簡単な三つ穴が逆三角形にあいており、木の棒のような手足が申し訳程度のようについている。

 

 子供ならば玩具にでもできるであろうが、彼らにはそんなもので遊ぶ気も、ましてガラクタにしかならないようなそんな人形を持ち帰るような気もなくて、紅覇は手にした人形をポイッと捨てて―――

 

「…………は?」

「! ここは……よ、ようやく人が……」

 

 ボトっと地面に落ちたその人形は、落ちた衝撃で意識を取り戻したのか、むくりとその玩具のような身を起こし、きょろきょろとあたりを見回した。

 

「あの、つかぬことを聞きますが、ここは和国であっていますか?」

 

 そして身近にいた、紅覇――皇位争奪戦争の時から髪型が変わり、以前よりもなぜか女らしくなりつつある少年へと声をかけた。

 

「………………」

「何者ですか」

 

 声をかけられた紅覇は、この見慣れない人形が喋ることに警戒心を抱いたのか、目を細めて警戒心を警戒心を露わにし、紅明もまた、争いとは無縁のこの生活の中で見せることのなくなっていた凄みのある顔で埴輪に誰何した。

 

 彼らの脳裏をよぎったのは、かつて煌帝国に巣くっていた組織――“アル・サーメン”の魔導士たちだ。

 やつらは人形を依り代にして精神を宿し、あたかも実体のある人物であるかのようにふるまい、乱と黒ルフとを世界にばら撒いていた。

 紅明たちの行いがそれを助長させた側面は否定できないが、それだけに戦争のなくなったこの世界に、世界の害悪たる“アル・サーメン”はもう必要ない。

 彼らが警戒するのはもっともで

 

「え? あの……あれ? その声に、その顔…………あのもしかして紅明さんですか?」

「ッッ!!」

 

 その喋る不審物であるところの埴輪は、少しでも動きやすいようにと、以前の毛むくじゃらのようなもっさい髪型を捨てた紅明を見上げて戸惑いがちに名前を呼んだ。

 それは紅明と紅覇の警戒心をさらに引き上げ――

 

「なんかすごいスッキリしちゃってますけど、紅明さん、ですよね? 俺です。アリババです」

 

 (おそらく)驚いた様子で見上げている“それ”は、自らをアリババだと――内紛を前に白龍に殺されたアリババだと名乗った。

 

「……は? アリババ?」

「……アリババ殿?」

 

 警戒状態から虚を突かれたように呆気にとられ、訝し気な顔をする紅覇と紅明。

 その顔はどう見ても信じられない様子。

 形こそ違うが意思を持つ人形という、アル・サーメンを象徴するかのようなものを前にすれば、無理もないことだろう。

 

「アリババって、死んだんだろ? 生きてるのはまあともかく、なんでそんな人形みたいな恰好で、魚と一緒に網にかかってるのさ」

 

 死人と再会する、というのは紅覇や紅明にとって初めてのことではない。

 戦争直後にも、処刑されて当然である自分たちが生かされたのに加えて、処刑されたはずの兄・紅炎とも再会できたのだ。

 それを思えば、白龍の金属器・ベリアルによって精神と肉体とを断絶されたアリババの生存はまだしも可能性としてはありえただろう。

 

 少女……のような外見の紅覇に胡乱な顔で見下ろされるアリババは、埴輪の体のために表情こそ変わらないものの、いやなところを突かれたようで、がっくりと肩を落とした。

 

「網にかかってたのはともかく……いろいろあったんだよ。でも俺はアリババなんだ。信じられないかもしれないけど、アリババなんです」

「…………」

 

 消沈したように――といっても、埴輪顔ではそれも分からないが、雰囲気的に消沈したように告げる埴輪(アリババ)からは偽りの気配は感じられなかった。

 

 紅覇と紅明は顔を見合わせ、紅明がその口を開いた。

 

「……私たちが知る限りにおいて……アリババ殿は洛昌で白龍陛下と戦い、敗れて死んだと聞きました」

 

 紅明たちの知る、アリババの顛末はアラジンからもたらされたものでしかない。

 彼らは紅炎たちに無断で白龍のもとを訪れ、説得しようとして失敗して戦うに至り、そして白龍側はジュダルを失い、アラジンはアリババを失ったということだった。

 

「実際、私たちも貴方の遺体は目にしました。兄上のフェニックスでも、魔導士たちの治癒魔法でも受け付けなかった貴方の体には、もはや貴方のルフはなく、アラジン殿とて貴方の死を認めざるをえなかったご様子でしたが?」

 

 ただし、顛末は聞き知ったものでも、たしかなこととして紅明たちは物言わぬ状態となったアリババを見た。

 紅炎の金属器の一つであるフェニックス(治癒の力)をもってしても回復することはできず、アラジンの秘儀・ソロモンの知恵でも回復の糸口すら見つけることができなかったアリババ。

 紅明たちが最後に見た時、つまり戦争に突入する前の時点では、辛うじて生命活動のみは続けていたが、その体に宿るルフはアリババのモノとは言えず、ただ自然に在る、草や木に宿るルフと何ら変わらないモノとなっていた。

 

「それは…………俺が覚えているのは、洛昌で白龍と戦って……って、そう言えばなんで紅明さんはこんなところに? それにこちらの女の子はどちら様で……?」

「は? 練 紅覇だけど」

 

 やはり気づいていなかったのか、アリババの間の抜けた質問に紅覇はイラッとした様子で眉をしかめた。

 以前は複雑に結んで帽子の中に纏めていた長い髪を今は下ろしているとはいえ、身長も僅かばかりとはいえ伸びてはいる。

 以前とは少し見た目は変わってきてはいるものの、それでも成長している男子が女子に間違えられたことは、紅覇のプライドをやや刺激したらしい。

 

「えっッッ!!!?」

 

 一方、埴輪姿で表情が変わらないためわかりづらいが、アリババの方はかなり驚いている様子で声を上げた。

 

 紅い髪の美少女にしか見えない紅覇と埴輪人形にしか見えないアリババ(仮)。

 わいわいと言い合いを始めた二人を眺めて紅明は「はぁ」とため息を吐いた。

 

 疑えばきりがないが、紅明の目の前にいる人形の姿ややり取りは、彼らの記憶にあるアル・サーメンのものとはかけ離れている。

 むしろバルバッドでのアリババの――あの紅炎を爆笑させた彼の自然なやり取りを彷彿とさせるものだ。

 

「仕方ありません。兄上にもお聞きいただきましょう」

 

 

 

 

 

 

 紅明と紅覇に案内された彼らの住処は、見るからにみすぼらしく、かつては天華の覇権を握らんとした皇族の住処などとは到底思えないものだった。

 住居に華美さなどどこにもなく、見張りの煌側の兵士の武装は最低限のものでしかない。

 

 

 自称アリババという不審な埴輪を、戦うことのできない兄のところに連れていくことに対して懸念はあったかもしれない。

 だが埴輪(アリババ)が危害を加えてくることはなかったし、やはり紅明たちにとって紅炎こそが長兄なのだ。

 

「お久しぶりです、紅炎さん」

 

 紅明によってアリババと思しき埴輪だと紹介されたアリババの挨拶に、紅炎はなんとも言い難い表情で埴輪を見下ろし――

 

「俺の元へ来いという命令に遅れてきたかと思えば……なんだその為りは?」

 

 ふぅ、とため息交じりに呆れた。

 

「いや、まあ、これは、えーっと、一応死んでた間にいろいろありまして……アルマトランの魔導士の人たちと会ったり、皇 光さんに会ったり…………」

 

 いろいろと、というその中に含まれた名前に紅炎のみならず紅明たちもピクリと反応を示すが、それを問おうとするよりも先に埴輪(アリババ)が質問を返した。

 

「それよりも紅炎さんたちがこんなところで、こんなことになっているのは…………」

 

 ただしそれは最後までは言葉にならなかった。

 

 アリババが知る限りにおいて、白龍の反逆は勝ち目が少なかったはずだ。

 彼自身は白龍に負けて以降のことを知らないので、アラジンとジュダルの戦いの顛末は知らないが、母である玉艶を殺し、組織を敵に回し、兄たちを敵に回し、敬愛していたはずの姉ですらも殺すと言い放った白龍に、ジュダル以外の味方がいるとは思えない。

 彼の周りにいたのは、彼の金属器(ザガンとベリアル)の力により支配下に置かれた傀儡たちばかりであった。

 そんな彼が、5人もの金属器使いたちを相手に勝てるとは思えなかった。

 

「現在の煌帝国の皇帝は白龍陛下です」

 

 だが今の彼らの姿が、事実を物語っていた。彼らの手元に金属器はなく、武器もない。紅炎に至っては手足が義肢となっているのだ。

 そして紅明が語る言葉と敬称――白龍陛下(・・)

 

 彼らは、戦いに敗れたのだ。

 

「煌帝国は七海連合の一角となりましたが、どうやら我々はいくつかの思惑のもと、そして白龍陛下の温情で生かされているようです」

「えっ!? 白龍が……?」

 

 だが、不思議なのは白龍があれほどまでに憎悪を発露させていた紅炎たちを生かしていることだ。

 煌が七海連合に加盟したということは、シンドバッドの思惑が幾分関与している可能性もあるが、本気で白龍が敗者である紅炎たちを殺そうと思ったならば、止めることは難しいはずだ。

 そしてそれは、彼らの流刑地が“この国” であることの理由の一つ。

 シンドバッドの思惑、白龍の思惑、和国の思惑……それらの結果が、戦犯たちの同盟国での流罪刑となっているのかもしれない。

 

 アリババは殺し合いをし、そして自身を殺した白龍が、変わったかもしれないこと、変わっていないかもしれないこと、それらを思い、表情の変えることのできない埴輪の顔を俯かせた。

 

「それで――――」

 

 そのアリババの懊悩を遮ったのは紅炎の声だった。

 手足を木製の義肢とし、以前よりも痩せた姿の紅炎だが、その声の重々しさは変わらず、アリババは伏せていた顔を上げた。

 

「皇 光は何を話していた」

 

 紅覇の、そして紅明の顔が強張り影を帯びたのは、彼らがここに流されて数か月、一度も会うことがなく、そしてあの戦争の直接的な決定打を与えた裏切りの人物であるからなのか。

 だが紅炎の表情からは凪いだものしか浮かんでおらず、恨みや憤慨といった感情があるようには見えなかった。

 

「紅炎さんは、あの人の、あの人の金属器のことを知っていたんですか?」

 

 その様子から、少なくとも紅炎は皇 光のことを――――煌帝国に来ていた彼のことを知っているように感じら、アリババは尋ねた。

 予想通り、紅炎はこくりとうなずきを返し、二人の間に沈黙が流れた。

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 罪業と呪怨の精霊 ガミジンは八型に属する命を司るジンであり、その力は大きく分けて二つある。

 死霊といえるほどに想いを残して死んだ者のルフに働きかけて、その意思の導く方向に死霊を操る力。

 そしてもう一つは、主の“願い”を対価にして、それを叶えるまで具現化させ続けるという力だ。

 

 

 かつて“組織”の襲撃を受け、深手を負った光は、自身の“願い”――――練 白瑛を護るという願いを叶えるために、その最も大切にしている願いを差し出した。

 すなわち――――彼女と歩むはずだった未来。

 

 その願いは、しかし“皇 光”自身が叶えるものであったがために、具現化したガミジンは“彼”になった。

 残されたのは抜け殻であり、だからこそ深手を負った“彼”は命を繋いだ。

 時がたち、襲撃時に受けた呪いから解き放たれても、それでも発動し続けたガミジンの力は解除されなかった。

 

 ガミジンは主の“願い”のままに、その“願い”を喰らって、忠実に彼女を護らんとした。

 その想いの終わりのときまで…………

 

 皇 光が捧げた“願い”という中身が尽きたのが早かったのか、それとも器が壊れたのが早かったのか。

 それは分からないし、意味のないことだ。

 結果として――彼が捧げた“願い”が叶う(終わる)時とはどちらかの死を意味するものでしかなく、残酷なまでにその通りの結末となった。

 願いを叶えていた皇 光(ガミジン)は消滅し、それと引き換えにして彼は目を覚ました。彼のもっとも大事に想っていた“願い”――つまり、白瑛との未来を、彼女への想いを、彼女との関係性のすべてを、失った状態で…………………。

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

「以上が私たちが聞いた、彼にまつわる顛末です」

 

 語る話を終えた紅明。

 彼の話は伝聞でしかなく、そのために淡々としていた。

 それを聞くアリババも、この世界の中では一度だけ戦場を共にした過ぎない相手であっても、死んでいたころに長い時間を共に過ごし、こちらに戻る協力をしてくれた一人なのだ。

 

「光さんはここには来ていないって言いましたよね。だとするとそれを貴方たちに教えたのは誰なんですか?」

 

 アリババにそのことを語ったのは、捧げられた“願い”という想いが形を為した皇 光だった。

 

 炎や水、音といったこの世界に存在する自然を操る1から6型までのルフとは異なり、7型と8型のルフはやや特殊な傾向にある。

 力という概念を操る7型。

 命という概念を操る8型。

 かつてアルマトランの王、ソロモンは力の次元を見ることができたがために、最強の魔導士として最強の魔法を操った。

 一方でジンたちに金属器としての力を託したウーゴは、ソロモン王の力魔法を命の魔法をもって再現しようとし、しかしその行きつく先を理解することはかなわなかった。

 アルマトランの魔導の天才――ウラルトゥーゴですらも理解できなかった魔法の属性。それこそが8型の魔法。

 

 ベリアルの力によって精神を異次元に飛ばされたアリババとガミジンの力によって想いを捧げた光。奇しくもどちらも命を司るジンによって肉体とルフから放たれ、この世界ではないどこかに流れ着いた。

 その世界では長い長い時間が過ぎたにもかかわらず、老いることもなく、こちらの世界に戻ってみれば、森の中をさ迷っていたのを考えればほとんど時間が経っていなかった。

 

 なんども過去を見ること繰り返した。何度も何度も何度も……。それは過去が自身を責め立てているようでもあり、だんだんとだんだんと、己の過去を顧みることしかできず、そのほかに何もする気力がなくなっていく場所であった。

 

 あれが死後の世界というのならそうなのかもしれないが、そこに居たのは滅びた(アルマトラン)で死んだ魔導士たちであり、数少ない例外がジンの能力によって飛ばされたアリババと光。

 

「あいつの幼馴染の副官だ」

 

 アリババの問いかけに紅炎は答えた。

 

「立花融さん…………」

 

 だがそれはアリババも予想していた答えだったのだろう。

 

 それはあの“王の器”の“眷属”になれなかった副官の名前。

 誰よりもあの人の下で、彼を支えたいと願い、しかしそれを許されなかった男。

 

「俺、その人にも伝言を頼まれたんです」

 

 そして彼にとっては幼馴染にして友の名前。

 最も大切な者とのつながりのすべて失うことを予期していたがために、その後事を託したほどに信頼していた友人なのだ。

 

 ――あいつには随分と迷惑かけちまったからな……うまく会えたら伝えておいてもらえないか? ―――――――  ――

 

 そしてそれだけではない。

 

 ――家族に、会いたい…………! ――

 

 ――ママにあいたい……ママに、会いたいっっっ!!!――

 

 ――会えるのか……兄さんに……!――

 

 ――会えるのか、ファーランに。アリババッ!――

 

 沢山の人に協力してもらい、その沢山の人たちのために、願った。

 生きるのも世界を救うのも、もう誰かに理由を求めたりしない。誰にも望まれなくても“自分”の意思で生きる。

 そう決めたのだ。

 

 だからこの伝言を伝えたいと思ったのも、自分の意思だ。

 

 ただ、現状彼の体は小さな埴輪人形でしかなく、和国にあっても海に隔絶された島の一つでしかない。

 彼一人の力では会いに行くことはおろか、この島から出ることもままならない。

 

 感情の見えない人形の顔に、それでも苦悩を乗せているかのようなアリババ(埴輪)の姿に、紅炎はついと紅明に視線を向けた。

 

「…………」

 

 兄の視線の意を受けて、紅明はこくりとうなずきを返した。

 

 以前とは少し変わっているが、目の前の彼はアリババだ。

 バルバッドの王子で“あった”、そしてマギ・アラジンが選んだ“王の器”。

 変化はおそらく覚悟が定まったから。

 誰かが望んでいるからとか、王子だからとか、やらなければならないからとか、周りから与えられるものに自らの意思を委ねていたころと違い、今は自分の意志でやりたいことを決めているから。

 

「その方なら、近々会えるかもしれません」

「えっ! 本当ですか!」

 

 死者たちの世界から、死者からの願いを受けて、自らの意思でこの世界に舞い戻った男――アリババ・サルージャ。

 

 彼の選択が、一色に染まり行くこの世界に再び色を投じようとしていた。

 







というわけで、アリババくんには暗黒大陸ではなく和国でしばし放浪していただきました。原作だと鬼倭国の島は暗黒大陸と同じような性質(アルマトランの魔力の蓄積した地層)だそうなので、じゃあ和国でもいいか、ということになりました。
あとジュダル君に関しては…………まだ一応登場予定はアリマスヨ? 原作でも宇宙の彼方に飛んで行ったはずなのになんでウーゴくんに暗黒大陸に転移させてもらえたのかよく分かりませんし……。なのでジュダル君の飛行魔法がなかったおかげで埴輪状態での放浪時間が長くなり、結果数か月を歩き回ることに……がんばれハニババ!!

ちなみに当初の予定では35話には死んでる時のアリババ君の物語になる予定でした。延々と過去の行いを見ているということで、これまでのアリババ君の物語をピックアップする予定でしたが、完成してから見直したら地の文はともかく「」文が8割以上原作そのままなので、それならまぁいっかということで、1話まるまるカットしました(泣)
おかげでストックがピンチな状態に。しかもこれまで本作で少ししか出番がなかったアリババ君がいきなり主人公状態。本作だけ読んでいるとアリババ?誰だよコイツ?みたいなことになってしまいましたが、まぁ、原作を知っていること前提でも大丈夫かな、ということで36話に投稿する予定だった話を編集して投稿しました。


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第36話

 

「………………………あの、馬鹿が……」

 

 紅明が言った通り、アリババと立花融の会合の時期は遠からずおとずれた。

 

 紅覇たちは基本的に食料に関しては自給自足を旨としているが、それでも決して大きくはない島内では必要な物資に足りない物は幾つもある。

 そのため数か月に一度、生活物資を補給する舟が来るのだが、その舟に乗ってくだんの融もやって来た。

 

 初めは喋る埴輪人形に胡散臭そうな顔をしていた融だが、紅明たちの一応の説明とアリババが受け取ったという伝言を受け取るにあたり、頭痛を堪えるかのように頭を押さえた。

 

 深い深いため息とともに吐き出された言葉には、単なる主従というだけでなく、それを超えた様々な関係が二人にはあったのだと容易に知ることができた。

 

 

「言伝は……感謝します。たしかに貴方は、あの方とお会いしたのですね」

 

 ――あの時の約束を……頼む、融…………――

 

 告げられた言伝は、やはりどこまで行ってもあの馬鹿()のもので、ずっと以前に告げられた命令のこと。

 不吉な未来を示唆したそれは、違うことなくその未来を手繰り寄せ、そして今、その命令を口にした男はそのことを忘却してしまっている。

 いや、忘却というのは正しくないだろう。

 記憶がない。過去がない。その頃の思いは、もはやルフにすら残っていないのだから。

 

 だがそれでもあいつはそれを望んだ。

 もしかしたら、そこに居たのはまさしく残骸であったのかもしれない。

 

 捧げた願いの、その想いだけによって構成された皇 光(過去)

 最も大切にしていた“宝”をそれにまつわるすべてを失い、器の壊れた皇 光()

 果たしてどちらが、彼の副官(立花融)が仕えるべき主なのであろうか。

 

 懊悩は深く、結論が出ることはないだろう。

 ただ、今はそれを切り替える時であり、その伝言を伝えてくれたアリババへと礼を述べ、会話を続けた。

 

「それでアリババ殿。貴方の当面の目的は、アラジン殿という、マギに会うことでしょうか」

 

 今のアリババは自身の身体を失い、仮初の人形に魂を宿しており、おそらく肉体を保護しているであろうアラジンと合流するのは必須事項だ。

 

「ええ。アラジンと、モルジアナ、オルバやトト……それにバルバッドがどうなったかも、実際に見て確かめたいし、あと…………」

 

 それにそんな事務的なことだけでなく、アリババにとってアラジンは友であり、彼以外にも寄り添いたいと思えた唯一の少女や、自身を主として慕ってくれている仲間たち、それに彼が救おうとした彼の故国のことだって気になる。

 そして言葉にならなかったのは、彼を殺した、彼と殺し合った彼の友だちのことだって気になる。

 兄たちを打ち破り、皇帝になったという彼は、果たしてどうなっているのか。

 黒く堕転したまま、憎しみに囚われたあの目のままに皇帝となっているのだろうか。それとも………………

 

「アラジンという方に関しては多少心当たりがあります」

 

 懸念に沈むアリババに、融が探し人の一人に関しては心当たりがあることを告げた。

 

「本当ですか!?」

「はい。煌帝国に、マギと思われる魔導士が滞在しているとのことです」

 

 世界に四人いたマギの一人、白龍のマギ・ジュダルはアラジンとの戦いによりこの世界の彼方、宇宙の彼方へと飛ばされてしまった。

 ソロモン王の使っていた究極の力魔法――世界の物理法則を支配するその力により、だれにも止めることのできない、アラジンにすら止めることのできない彼方へと逝ってしまったのだ。

 そのため白龍帝は正式にジュダルの葬儀まで執り行っており、現在この世界にマギは三人しかいない。

 

「ユナンというマギに関しては分かりませんので確実ではありませんが、レーム帝国では現在もティトスというマギが司祭として君臨しておりますので、確実とは言えませんがおそらくは…………」

 

 ユナンは世界を放浪しているとも言われるマギで、もとよりその所在が明らかではないが、レーム帝国にいるマギ・ティトスについては確かな情報だ。

 前の司祭であるシェヘラザード亡き後、革新的な提案を次々に行い、多くの反発を招きながらもレームの軍事権を担うムー・アレキウスと協力してレームを導いている。 

 ユナンが宗旨替えをして煌帝国に組したという可能性がないわけではないが、それよりも去就不明であったアラジンというマギが、かつての旧友であった白龍と手を組んだとみる方が繋がりという点で可能性が考えられた。

 もっともそれには、白龍皇帝がアラジンの王の器であるアリババを殺害したという点を乗り越えなければならないが……

 

「ただ、バルバッドの方は、煌帝国が現在混乱していることもあり、お連れすることは難しい状況です」

「混乱!? それって……反乱が起きているってことですか?」

 

 その問題点よりもアリババの関心をひいたのは彼の故国であるバルバッドで今まさに起きている問題であった。

 

「……元々、今日ここに来たのはそのことの続報を貴方方にお伝えするためでした」

 

 融にとって、今日ここを訪れたのは予定になかったアリババと会話するためでは当然ない。

 煌帝国で現在勃発している問題、内紛の続発状況について、かつてかの国を治めていた皇族の者たちに伝えるためだ。

 

「煌帝国領内の各地で独立戦争が勃発しておりましたが、バルバッドもその一つです。他にもいくつかの小国が独立を企図し、新たに入った情報では、本国でも杭州、許苅、寿秋、憲業……首都を除く幾つもの地方都市で反乱が同時多発的に発生しました」

 

「杭州や憲業はともかく、寿秋は三国の時からの土地。許苅に至っては白徳大帝の生地! そんなところでまで反乱が!?」

 

 伝えられた情報に紅覇が驚愕の声を上げ、紅明も絶句して目を見開き、紅炎は苦痛を堪えるように顔を顰めた。

 元々煌帝国は侵略によって版図を広げてきた新興の大国だ。

 ゆえに支持者の多かった紅炎が居なくなって以降、その統治に問題が起こるであろうことは早くから予想がついていた。

 しかし白龍皇帝は予想に反して上手くやっていた。

 少なくとも正統な血統である白龍が、その父である白徳大帝の故郷で反乱を起こすことなど予想もつかないほどには、うまく国内を治めていたのだ。

 

「閃王子もこの同時多発的な反乱には何らかの意図――戦略が組み込まれていると睨んでいるようです」

 

 ゆえにこそ、そこには何らかの大きな企図があるのだという予想は、大局観を持つ一国の王族であれば抱いてしかるべきだった。紅炎や紅明しかり、そして和国の王族である和王や第一王子も同様。

 

「七海連合は煌帝国の加入後、名称を国際同盟と改めレーム帝国や和国とも改めて同盟関係を締結し、世界の安定という目的のために動いていました。ですが煌帝国にとってはそれが逆に問題を悪化させたのです」

「悪化?」

 

「煌帝国は同盟への加入とともに、兵役制と奴隷制の廃止を求められ、それを受け入れました。その結果、広大な領土を維持するだけの兵力は失われ、反乱を治めるだけの軍事力がなくなってしまったのです」

「ッッ…………………」

 

 アリババの知る、継承戦争時までの白龍であれば、おそらくどれほどの反乱が起きようとも鎮圧できたであろう。

 ザガンとベリアルの力――圧倒的な金属器の力をもって謀反人を殺し、兵を殺し、民を殺し、鎮圧しただろう。

 だが紅炎の“処刑”を通じて、皇帝としての在り方を、煌帝国の練家の武人としての在り様を見つめなおした今の白龍には、そんな治め方はもうできなかった。

 国を想い、導かんとする皇帝は、しかしそのために続発する反乱に対して乏しい戦力での鎮圧を余儀なくされた。

 

 そのことに紅覇や紅明は険しい顔をしたまま黙然とした。

 白龍の変化はよい変化といえるだろうが、それがために民が乱に巻き込まれて治平を享受できないのは受け入れられない。

 それらは彼らが戦争に負けてしまったからこそ起きた事態であり、予想していたよりも白龍はずっとよくやってくれている。

 

 煩悶とする紅の兄弟たち。アリババもまた、白龍が最後に自分が会った時とは良い方向に変わったことを感じ取ってはいた。

 でなければ戦争に負けた紅炎が生きていることはないだろう。

 母を殺し、兵士たちを傀儡にし、義兄を、確執を抱えた姉をも殺すことを厭わないと宣言していた白龍とは違うのだ。

 そのことにアリババは安堵し、しかしそれゆえに白龍が陥っている苦境に顔をうつむかせた。

 

「続けます。そのため、事態を重く見た七海連合が事態収拾のために派兵し、紛争は沈静化に向かっております。遠からず内紛は終結する見通しとなっております」

「シンドバッドさんたちが!?」

 

 埴輪のアリババの顔が上がる。

 アリババにとってみれば、シンドバッドという人は、死の直前に袂を分かち、シンドリアのために紅玉にゼパルを仕込んだ卑怯な手も使うが、彼に任せれば大丈夫だという絶対的な安心感をもたらしてくらる人だ。

 ただ、それを聞いた紅明たちは顔を暗くした。

 

「ですが、それにより白龍帝の統治はより難しいものとなるでしょう。自国を守るのは皇族の責務。あるいは帝位交代の可能性もあるのではないかと思われます。」

 

 戦争によって継承権を主張した皇帝が自国の内紛を治められず、他国から武力を借り受ける。

 そのことがもたらす意味を理解できてしまったからだ。

 

 アリババもまたサルージャの家名を負った者――バルバッドの王族だ。庶子であり、王政を廃止することを目指していたとはいえ、その責任の重さは理解している。

 一度はそこから逃げ出し、そして戻ったからこそ、なおさらに故国を守りたい、守れる存在でありたいという願いは強かった。

 それはもしかすると白龍も同じ……いや、あるいはアリババよりもずっと強いかもしれない。

 ずっとずっと、国を取り戻そうと心に秘めて耐え続け、力を求めて抗い続け、世界を、姉を、友をも切り捨てる覚悟をもって運命に叛乱した。

 それはアリババが持ちえなかった覚悟であり、堕転を悪だと、悲しいことだとは思いながらも、心のどこかではそれほどの覚悟をもった白龍のことを……

 

「なんとか……なんとか煌帝国に行くことだけでもできませんか!?」

 

 行ってなにかができると思っているわけではない。

 もしかするとまた、あの時説得できると思って洛昌に行った時と同じ結末を招くことだってあり得る。

 けれども、行かなければなににもならない。

 会えなければ、何も伝えられず、何も話し合えず、なにもできない。

 

 友のことを思うアリババの、絞り出すような懇願の問いかけに、融は眉をしかめた。

 

「難しいですね」

 

 融の言葉に、埴輪姿のアリババはがっくりと肩を落とし――肩がないので地面に両手膝をついて沈んだ。

 

「そもそも、紅炎殿たちは和国の客人ではなく、煌帝国の罪人です。私は紅炎殿たちの世話係ではありますが、同時に監視者でもあります。そこから――失礼ながら――不審な物を持ち出して煌帝国に運ぶというのは好ましくありません」

 

 追い打ちをかけるわけではないが、融の説明にさらにアリババは影を落とした。

 一度死んでしまい、“あの”世界から戻ってくるためには仕方なかったとはいえ、今のアリババの体は動く不思議人形そのもの。

 それは間違いなく怪しく、怪しげな組織――“アル・サーメン”が跋扈していた国にそんな人形を運び込むのは余計な厄介を持ち込むことに他ならないことを認めなくとも認めざるを得なかった。

 

「それと…………私の主の状況についてはご存知ですか?」

 

 それに、理由はなにもアリババだけのものではない。

 今度は融の方が影を落とした表情で問いかけた。

 アリババはちらりと紅明に顔を向けて、目を伏せて応えた紅明の反応を見た。

 

「……はい。金属器の影響で、白龍のお姉さんとの記憶がなくなっていると聞きました」

 

 最も大切な想い(願い)を対価に願いを叶えようとした王の器の物語。

 願いの終わりとともに、敵となってしまった男。

 

「それは正確ではありません。代償に捧げたのは記憶ではなく、関係性です」

「?」

 

 だが、アリババの理解はそのすべてではなかった。

 

「私も、おそらく光も、ガミジンの力を見誤っていたのです」

 

 皇 光は、ただあの人のことを忘れてしまったわけではない。

 

「光から失われたのは練白瑛様に関する記憶だけではないのです。彼女と関わることになった経緯に関する記憶も、彼女と関わることで関わった人たちとの記憶も、彼女に関わる全ての過去……そして未来までも」

「未来?」

 

 記憶がなくなったのであれば、再び紡げばいい。

 光の中に記憶がなくとも、彼女の中には、ほかのみんなの中には二人のかかわりの記憶がある。

 

「皇位争奪戦争の際、光が白龍陛下の陣営に組して戦ったのは、たしかに和国としての決定に依るものでもありましたが、それだけではありません。白瑛様が属していた陣営を無意識化、いえ、本人すらも認識する以前から敵と見做していたのです」

 

 けれどもそれは紡げない。

 捧げたモノは記憶ではなく、関係性。

 過去に紡いできたものだけでなく、これから紡いでいくことも、その意思も、もてはしないのだ。

 

「そして今は、白瑛様の弟君である白龍陛下を敵視している」

「それって…………」

 

 戦争時、白瑛将軍は紅炎の陣営から七海連合へと鞍替えをしたことで、奇しくも和国と――光と同じ陣営に属することとはなったが、“本来であれば”紅炎の陣営である白瑛とは敵対関係となるところであった。

 

「白瑛様に連なる関わりすべてを消し去ろうとしているのです。こうして紅炎殿たちの監視役の任に私がつけているのは、すでに紅炎殿たちが白瑛様との繋がりを失っていると見做されているからに過ぎません」

 

 そして今は白瑛が紅炎とは袂を完全に別っているからこそ、光はかろうじて紅炎との繋がりを続けることができている。

 もっともそこに、白瑛との関係から生み出された関係性はなく、彼には紅炎たちと戦場をともにした記憶はない――というよりも、戦場をともにしたのは、光本人ですらなかったのだが…………

 

「それですら、光自身は私の行動を良くは思っていませんから。それに紅炎殿たちの眷属はあの戦争で軒並み収監されました。それ以外の主だった部下とも、光と国際同盟の目をかいくぐって繋ぎをつけることは難しい。ですので、紅炎殿たちの伝手を使って煌帝国に渡りをつけるのは現在ほぼ不可能と思ってください」

 

 加えて紅炎たちは内戦に負けたのだ。

 粛清の嵐こそ吹き荒れはしなかったものの、紅炎に近しい、彼や紅明、紅覇の眷属たちが表舞台に立つことはない。

 少なくとも七海連合の――国際同盟の目がある内は、その繋がりを頼ることはできないだろう。

 

「……そう、ですか…………」

 

 不可能な理由をつきつけられたアリババは、沈思するようにうなだれた。

 なんとかこの世界に戻れさえすれば、アラジンたちと会えて、まだ世界のために何かできるはず。

 無意識にそう思っていたことは否定しようもなく、けれども実際には人形のような体では満足に戦うこともできないし、国を、海を越えることもできない。

 国のためにも、友のためにも、できることはなく、ただ伝言を伝えたことだけが、この世界に帰ってきて為せたこと……………

 

「ただし、それはこちらから繋ぎをつける分に関しては、です」

「え?」

 

 気落ちしていきそうになるアリババに、しかし拾う手を差し伸べるかのように、いわくありげな言葉がかたむけられた。

 

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 シンドリア王国沖の南海上空

 

 一人のマギと一人の王が、大波を荒れさせ、竜巻を起こし、雷鳴が轟かせて、一人のマギに襲い掛かっていた。

 

 一人のマギ――槍のような三日月状の杖を携えた白瑛が、杖を滞空させ、胸元で交差させた両手に魔力を集中させた。

 その魔力はかつての練白瑛のものとは桁どころか、次元の違う領域で、

 

 ――滅葬(メドウン・アルサーム)!!!!!―――

 

 その魔力のままに振るわれた両腕は荒波の海に二筋の極太の裂爪を刻み込んだ。

 

「ぐっ……!!」

 

 

 海を割り、マギであるアラジンのボルグですらも易々と破壊した裂爪撃は、アラジンの体にも深手を刻み付けた。

 傷に手を当てて出血を抑えようとするが、そんなものは気休みにもならず、息はきれ、激痛が魔法への集中を途切れさせる。

 

「終りね、アラジン」

「くっ……」

 

 あまりにも無様。

 ソロモンの写し身であると祀り上げられ、聖宮の番人でありアルマトランの天才魔導士であるウラルトゥーゴが大切に大切に育てた至高のマギ。

 その全知たる“知恵”によりアルマトラン最強の力魔法すらも修得して、ジュダルをすらも倒したはずのマギが、今、血を流し、ただ宙に浮かぶことがやっとという有り様なのだ。

 

「がっかり。ウーゴが大事に育てたあなたも、ソロモンには遠く及ばない使い手か」

 

 まさしくがっかりといったように、白瑛はため息をついた。

 

「私ねぇ、アラジン……あの人のこと、神さまかもしれないって思ってた時期もあったのよ」

 

 懐かしみ、昔日を懐かしむように告げる白瑛(アルバ)

 ウフフと不気味に笑うその顔は、かつてのその人物――練 白瑛とは到底同一人物の顔には見られなかった。

 

 ――もう……白瑛さんじゃない……ッッ――

 

 核心とともに絶望が深まる。

 黄牙の村でアラジンは初めて白瑛と会った。

 初めて見る金属器の使い手で、痛いほどに真っすぐなルフを持った綺麗な人。

 その傍らには守護し、寄り添うように紫色のルフを――命の金属器の力によって現界していた“彼”が居た。

 

「さよなら」

 

 けれどももはや隣にいるのは“彼”ではなく、彼女もまた別人となっている。

 可憐な唇から紡がれるのは、終わりを告げる言葉。

 負った傷は深く、白瑛(アルバ)に加えてもう一人、強大な“王”がいる現状を逃れる術はなく――――

 

「待て!!」

「!?」

 

 しかし白瑛(アルバ)のとどめの手を止めたのはその“王”だった。

 

「シンドバッドおじさん……」

 

 魔装フォカロルを纏ったシンドバッド王。その彼が片手をあげて白瑛を制した。そしてアラジンへと向き直り、その真摯な表情を向けて訴えかけた。

 

「アラジン、わかってくれないか。彼女はすでに“アル・サーメン”ではない。俺たちは敵じゃないんだ。君も俺の“マギ”になってくれ! 彼女のように、アルマトランから来たマギとして! 一緒にこの世界を良くしよう!」

 

 その言葉には偽りなど感じられず、表情にも、ルフにすらも偽りの感情は見られなかった。

 ただただ一途にこの世界を良い方向に導こうとする使命感と正義感、そしてそれができるという自信に満ち満ちていた。

 

 だが、この世界の生んだ偉大なる王にして指導者のその誘いの言葉をアラジンは振り切るように首を横に振った。

 

「…………断るよ。“アル・サーメン”は関係ない。僕は、おじさんがやろうとしていることに賛成できない」

 

 困ったように、しかし顔には面白がるような笑みを浮かべているアルバと、薄々感じていたアラジンからの猜疑の心を明確に受けたシンドバッド。

 

「……アラジン。シンドリアに居た時から、君だけは俺に心を開いてはくれなかったな。俺の国の“マギ”になってくれと誘った時も……」

 

 思い返せば、シンドバッドに任せておけばいいと誰しもが感じていた時にも、アラジンはそれに疑惑を抱き続けていた。

 

「そんなことないよ。おじさんのことは好きだよ。ただ、僕はおじさんがこれからやろうとしていることには賛成できないんだ」

 

 ――シンドバッドのことが怖い――

 

 そうアラジンに語ったのは、シンドバッドを“王の器”に選んだマギ・ユナンであった。

 彼があまりにも“王の器”に近しい存在だから、と。

 

「なぜだ、アラジン? 君は今のこの不完全な世界を救いたいとは思わないのか!」

 

 アラジンの拒絶を、心底から理解できないとばかりにシンドバッドが尋ねた。

 

 戦争、貧困、奴隷、暴君――それ以外にもこの世界には、世界に悲劇をもたらしうる要素が幾つもある。

 それらを無くすことで、世界をよくできる、不完全なこの世界を完全な形にすべきではないか、と。

 

「一人の賢明な王が世界をよくしようとも、その王が倒れた後は同じことの繰り返し。君も世界中で見ただろう!!? だがこの連鎖は止めることができる……“ソロモンの知恵”で“聖宮”へ行けば!」

 

 今ならばそれができる。

 

 シンドバッドも保有する金属器とは、アルマトラン時代の神杖――イル・イラー()からの魔力受信装置を元にしており、聖宮を介してアルマトランにある地下都市に眠るジンたちの下へ導く魔道具だ。

 その機能の中には元々、聖宮へとルフを導く機能がある。

 

 多数の金属器が彼の傘下、手中にあり、アルマトランの知識と力を有しているアルバ、そしてルフシステムを管理している“聖宮”へのアクセス権限をもつ“ソロモンの知恵”を持つアラジンが居れば……

 

「そこで何をするつもりだい?」

 

「ルフシステムの根本を書き換えるんだ!! そうすればいかなる不幸も降りかかることのない永久に幸せな世界を創れる。やる価値があると思わないか!? アラジン!!」

 

 大仰に手を広げ、熱い語調で説得を試みるシンドバッド。

 しかしアラジンの顔色は、痛みと出血以外の理由によっても険しくなっていた。

 

「……………………おじさん。ごまかさないでおくれよ。根本を書き換えるって誰がだい? おじさんがだよね」

 

 アラジンの核心に満ちた問いかけにシンドバッドは沈黙を返して肯定した。

 

「つまりおじさんは……おじさんが良いと思うことを世界中のみんなに、未来永劫やらせようとしている。そして、おじさんが悪いと思うことは永久にやらせない。それがおじさんのやろうとしていることだよね」

 

 それは酷く独善的な正義であろう。

 かつて練紅炎は武力をもって世界を統一し、思想を統一することによって世界から争いを無くそうとした。

 シンドバッドは、それこそが争いの根源だと紅炎を非難し、アル・サーメンともども紅炎たちこそが世界の悪だと定めた。

 

 シンドバッドが行おうとしているのは、武力によるものでこそないが、誰かの許可を得ることもなく、誰に相談するのでもなく、ただただ自分の考えと意思のみによって、彼の“志向”に世界を均一化するというものなのだ。

 

 そこに意見の衝突もなければ、武力の衝突もないであろう。

 

「……………………ああ。それのどこが悪いんだ!?」

 

 ただ一つ。

 

「おじさん。僕はおじさん一人の価値観で、世界中の人たちを永遠に縛っていいとは思えないんだよ。いつか、おじさんが死んだ後の世界の人たちは、その時代に何が良くて、何が悪いのか、自分たちで決めていいはずだ」

 

 今この瞬間、“ソロモンの知恵(聖宮へのアクセス権)”を持つアラジンとの問答だけが、唯一シンドバッドが行う意見の衝突なのだ。

 

「ダメだ」

 

 だがそれも、シンドバッドにとっては意見を変節させうる事柄ではない。

 

「なぜ?」

「俺だけに、“運命”の流れが見えるからだ」

 

 聖宮へと行き“ルフ”を書き換える。

 それは彼にとっては、もはや“シンドバッド”が辿るべき“運命”であり、この世界の終末への必然なのだ。

 

「生まれた時から見えていた。物事がどんな方向へ進むのか、体でわかるんだ。俺以外は持ち得ない力だ。だから俺が導くべきなんだ」

 

 力強く、確信に満ちた言葉。

 それは疑いようのない、この世界の真理を告げるような語調であり、

 

「力を持って生まれたものは責任を果たすべきだ。アラジン、君も“マギ”としてそう生きてきたのではないのか!? その意味で俺は君を尊敬しているんだよ!!」

 

 それがなぜ分からないのか。それこそ、この世界で最も真理に近しいアルマトランのマギ・アラジンならばわかって当然だと言わんばかりの剣幕であった。

 

 激しさを、そして自己への確信を増していくシンドバッドに、アラジンは肉体のではない痛みをこらえるように顔を険しくした。

 

「……運命はただそこにある。誰かが脚本を書いて操っていいものじゃないんじゃないかな?」

 

 かつてアルマトラン(滅びた世界)ではイル・イラーがその脚本を描いていた。

 爪も牙ももたない脆弱なる存在として人を生み出し、しかし魔力と魔法という他種族にはない力を与え、栄え、死に、生きる、その流れを作り出していた創造者(物語の書き手)

 それはソロモン王によって手綱を奪われ、そして希望をもって前に進もうと生きることこそが運命だと決定づけられて世界は様々な思想を持つようになった。

 各々が最善と思う、善かれと思うそれが、争いを生む世界。

 

「ソロモン王の創ったこの、だれも手綱を握らない世界は、憎しみと戦争の繰り返しでボロボロじゃないか!!!! 唯一の指導者は必要だ。ソロモン王は責任を放棄した!!」

 

 彼が創ったこの世界は、この世界の人々の思惑はバラバラだ。

 良かれと思う未来がバラバラで、そのせいで争いが絶えず、大きな希望の代名詞のような王が生まれても、それは長続きせずにまたバラバラになって争い合う。

 そんなものを、もう千年以上も続けている……いや、きっとこの世界はそんな悲惨な“運命”をこのままでは永遠に繰り返していくことになるだろう。

 

「俺は、逃げない。この世界を導いてみせる!」

 

 だから必要なのだ。

 絶対的な指導者。唯一この世界を導く存在――大いなる意思、第一級特異点、シンドバッドが……その責務として運命を書き換えていくことが。

 

「…………おじさんはたしかに世界一すごいのかもしれない。それでも、おじさんが選ぶ道を間違えないとどうして言えるのさ? おじさんの身に、今まで不幸が降りかかったことはないのかい?」

 

 決意を込めたシンドバッドの言葉に、アラジンは息を乱しながらも問いかけた。 

 

「それはあった。だが俺にはわかった――――これは必然だったのだと」

 

 かつてシンドバッドは商会を立ち上げ、そこで取引に失敗して奴隷にされたことがあった。今のシンドリア王国を創る前に、創った国を滅ぼされたことがあった。死に行く民の嘆きを受け継ぎ、堕転したルフをその身に宿すことだってした。

 

「全ては必要なことだったんだ! 今の、そしてこれからの平和な世界を創り上げるために」

 

 全ては運命の流れのままに。

 それらの過酷な運命――不幸な出来事は、彼が選択を誤ったことが原因で起こった出来事ではない。未来の――百年後、千年後の未来を創りあげるシンドバッドに必要な出来事だったのだ。

 

 だが、アルマトランのマギ(アラジン)

 

「違うよ」

 

 それを一言に否定した。

 

「ではなんだ?」

 

 運命を創ったソロモンの息子。そんな神の子とも言えるアラジンの否定に、シンドバッドはわずかに苛立ったように尋ねた。

 

「それはおじさんが失敗した結果だよ。おじさんでも間違えることがあったんだよ」

 

 間違えるはずなんてない――運命の流れが見えているのだから。 

 間違えていいはずなんてない――この世界の全てを背負っているのだから。

 

「――――――ッッッ」

「でも当たり前じゃないか!! おじさんだって普通の人間なんだから!! おじさんひとりで背負わなくてもいいんだよ!! 間違って、苦しんで、他の人たちに助けてもらって! みんなで前に進んでいけばいいじゃないか!!」

 

 痛烈なアラジンの言葉に、ぎしりと歯を咬んだシンドバッド。

 たたみかけるように、アラジンは必死の思いで言葉を紡いだ。

 

 あなた一人が世界を背負っているわけではない。

 あなた一人が特別なのではない。

 あなた一人が、運命を決めていいわけではない。

 

 みんなで――――

 

「俺は、そうは思わない」

 

 アラジンの必死の言葉に、しかしシンドバッドは明確な否定を返した。

 

「だから……僕はおじさんに力は貸せないんだ」

 

 

 

 

 

「…………アラジンが父親と同様に責任から逃げるような器だったとは残念だよ。だが彼の力は必要だ。気が変わるのを待つさ」

 

 アルマトランのマギであるアラジンとの会合は不首尾に終わった。

 しかしシンドバッドは、それに対して焦るでもなく悠然としたように、逃げていくアラジンを見送った。

 

 全ては運命の流れのままに。

 それが“見えている”シンドバッド王だからこそ、今アラジンを見送ったところでなにも問題はないと判断した――わかっているのだ。

 

 

 

 

「シンドバッド様は甘いわ。アラジンの精神を乗っ取ってでも“ソロモンの知恵”を手に入れるべきなのよ。今すぐにでも――――――――アラジンは白龍の元に留まっていたはず」

 

 それを、シンドバッドは分かっていたのかもしれない。

 当然だろう――――運命の流れが見えるのだから。

 

 千年を超える怨讐の亡者と化した脅威が、その牙を剥こうとしていた。

 



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第37話

今回の話ではオリジナル設定が使われております。
原作の鬼倭国の島の設定が、設定だけで終わった感が納得いかなかったので独自解釈してみました。
だんだんと原作から乖離してきているので、ご注意ください。




 

 和国――――

 

「この度は我々を匿っていただき、ありがとうございます、閃王子。治療までしていただき…………」

「その後アラジン殿のご容体はいかがですか……青舜殿?」

 

 和国の第一王子である閃に対して、拱手とともに頭を下げて礼を締めるのは、小柄な体躯の従者にして“眷属”――李青舜であった。

 

「和国の魔導士の方々の助力もあり、安静ではありますが、概ね回復に向かっております。ただ…………」

「白瑛殿……いえ、アルマトランのマギ・アルバ。そしてダビデと同化したシンドバッド王…………」

 

 頭痛を堪えるように憂慮を示す閃の言葉に、青舜はこくりと頷いた。

 

 

 重傷を負ったアラジンを担ぎこんで助けと庇護を求めた青舜。そして煌帝国の()皇帝・練 白龍とファナリスの少女 モルジアナ。

 彼らのもたらした情報は、閃にとってだけでなく、和国にとっても、世界の一員としても看過できることではなかった。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 シンドリア沖でのアラジンとシンドバッドたちとの会合の後、煌帝国へと逃げ戻ったアラジンは、そこから舟で和国の本島へと移送された。

 その移送には叛乱の責を負って皇帝職を辞任した白龍と、共にあることを定めたモルジアナ、そして白龍と縁の深い李 青舜が同行していた。

 先の皇位継承戦争において青舜は当初、主である白瑛とその旗下の眷属たちである黄牙の騎馬部隊、そして菅光雲らとともに紅炎の西軍に与するつもりで天山山脈を守護していた。

 だが突如として、主である白瑛が西軍から離反して失踪。その結果、青舜たち天山山脈の守備隊は指揮官不在で混乱に陥り、加えて突如として“眷属器”までもが使用不可能になってしまった。

 そこに迫ってきたのは強固な信仰心と精強をもって知られるササン王国の騎士たちと騎士王・ダリオス。しかも遠隔透視魔法により白瑛自らがシンドバッド王に与したという情報を掲げての進軍だ。

 防げるはずもなく、そもそもどちらに味方すればいいのかも混乱している状態であった。

 そのため青舜たちは直接的に戦闘に参加することはなく、結果的に白瑛や紅玉と同じく白龍皇帝の治世下においても特別の処罰なく煌帝国に帰属することとなった。

 

 だが平穏であったかというとそうではなかった。

 不自然なほどに勃発する反乱。白龍皇帝の信のおける数少ない配下として、青舜は部隊を率いてその鎮圧に奔走することとなり、自国の民であった者たちを相手に心身を削るような戦を続けた。

 そして何よりも青舜の心をすり減らしたのは、主である白瑛の失踪であった。

 戦争後、白龍の即位式の際にシンドバッド王の近くに控えていたのを目撃したのを最後に、彼女の行方が杳として知れなくなってしまったのだ。

 

 相変わらず眷属器を使うことはできず、それでも煌帝国を守るために兵を率いて転戦し続けた。

 そんな摩耗していく戦いが終わりを告げたのは、白龍の皇帝職辞任と、シンドバッド王とアラジンの会合の結果だった。

 

 自国領土内の反乱多発により収拾のつけられなくなった煌帝国を救うために国際同盟が派兵。その見返りに、シンドバッド王はアラジンとの話し合いの場を設けることを要求した。そしてその結果がシンドリア沖でのアラジンとシンドバッド、そして白瑛との戦いだった。

 アラジンから白瑛の所在と、シンドバッドの目論見を知ることができたのは数少ない僥倖であったが、喜ぶことなどできはしなかった。なにせ青舜たちの主であり、白龍の大切な実姉である白瑛は、その体を異世界の魔導士に乗っ取られ、シンドバッドの目的はこの世界を彼の思い通りの世界に作り替えることなのだから。

 

 深手と引き換えに見逃されたアラジンは、煌帝国の白龍たちのもとになんとか帰り着くことができた。

 だがそこで養生を行うことはできない。

 白龍が皇帝職を辞することになった反乱の勃発は明らかに何らかの意図が介入していた。それは、国という垣根をなくし、世界を作り変えるというシンドバッドの思惑と合わせて鑑みれば、煌帝国にはすでにシンドバッドの手が伸びていると考えるべきだった。

 実際、あの皇位継承戦争においても、決め手になったのは七海連合の参戦とともに、紅玉に仕掛けられたシンドバッドのジン・ゼパルがあった。それを省みれば、今の煌帝国のどこにまでシンドバッドの手が伸びているのかは皇帝である白龍にも分からなかった。

 ゆえに彼らはアラジンの治療よりも煌帝国からの脱出を優先し、その亡命先として和国を選んだ。

 

 和国は今や、レーム帝国と並んで世界でも数少ない、シンドバッドに明確に従っていない、金属器を有した国だからだ。

 国としても和国とはある程度の繋がりが残っていたし、特に青舜は白龍の命と自身の希望から極秘裏に繋ぎをとっていたことも幸いした。

 青舜と白龍は、皇帝即位の時から白瑛の行方を追っており、皇光の豹変の理由も気になっていた。その結果として、青舜は和国の、光の副官であった立花融と接触することができたのだ。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

「“ルフ”の聖宮。そして“ルフ”の改竄ですか…………」

 

 アラジンの、そして青舜たちとの話し合いの場をもつことによって得られた情報に閃は頭痛を堪えるように額を押さえた。

 アラジンから語られたのはシンドバッドの目的、世界平和の訪れたこの世界の今後の行く末として彼が目論んでいる未来。

 

「シンドバッド王がすべてを決める世界。それが彼の、国際連合の行こうとしている世界」

 

 それはすべての命の根源であるルフを改竄し、一つの思想――シンドバッドの思想に共感するように変えることによって世界の永劫の平和をもたらさんとするものだ。

 

「そんな世界を創るためにアラジンを狙っているなんて!」 

 

 堕転しようとも自分の運命を望む白龍と友を狙われたことに憤るモルジアナも、アラジンの語るシンドバッドの未来は許容しがたいものであった。

 

「白瑛殿の体が乗っ取られ、練 玉艶――いや、アルマトランのマギが支配しているとは…………」

 

 そしてこの場には居ない金属器の使い手、皇 光の従者である融が最も頭を抱えたのは、主の命として守らなければならない女性――白瑛がアルマトランのマギ・アルバに支配されていることだった。

 だがどこか腑に落ちることでもあった。

 白瑛との関係性を失った光は、それこそ運命に導かれていくかのように練 白瑛と敵対する。

 白瑛が紅炎を裏切り、白龍の下について煌帝国の将に留まっているのであれば、彼は煌帝国との関係性を残すことをよしとはしないだろう。

 だが実際には、むしろシンドバッドと敵対することも視野に入れて、紅炎たちの配流を引き受けることを受諾している。

 

「 “意識だけの存在になってもソロモン王の世界を滅ぼす”。紅炎が懸念を示していた通り、肉体の死はアルバには無意味だったのか…………」

 

 白龍もまた苦々しい顔をしている。

 一度は切り捨てることを覚悟した実姉だが、堕転から戻ることのできた今となってはやはり大切な姉なのだ。

 その体がよりにもよって憎い仇であった、そして自身がうち滅ぼしたはずの存在に乗っ取られてしまったのだから。間接的に、白瑛の今の状況を白龍が作り出してしまったともいえるだろう。

 

 紅炎たちのことは白龍にとって複雑だ。

 憎んだこともある相手で、継承戦争では殺すことを決めていた。

 けれども結局は殺せなかったし、彼の思いを知ってしまったからには受け入れることは完全にはできないまでも、拒絶することもできない。

 ただ、これまでの色々な経緯や、紅炎があの時、白龍のことを羨ましいと、零したあの言葉を思い返せば、紅炎の懸念通りになってしまったことは残念ですむようなことでもない。

 

「紅炎おじさんたちは今はどうしているんだい?」

 

 思い悩んでいる様子の白龍を見て、アラジンはその紅炎たちのことを尋ねた。

 今のアラジンは、なんとか動ける程度には治療されているが、体中包帯だらけで左目までもが覆われている。

 紅炎たちのことをアラジンは憎く思っているわけではない。

 むしろアラジンが思いもよらなかった形で世界をよくしようと足掻いていた彼らには尊敬の念すらもある。

 そして彼らは、特に紅炎はシンドバッドに対抗可能な王の器かもしれないのだ。

 

「残念ながら彼らは今、大罪人として生活しています。金属器は取り上げられておりますし、政治的にも動かすことはできません。なによりも紅炎殿の手足は、和国の魔導士たちでも治すことはできません」

 

 閃は首を横に振り、彼らが今、戦力として数えることのできない理由を積み上げた。

  シンドバッドの世界中の人間のルフを書き換える計画を止めるためにとはいえ、大罪人を特赦するというのも国の王族として軽々しく決断していいものでもないが、それよりも今の紅炎たちが戦力としてあてにできないということが重大だ。

 白龍が現在も皇帝位にあったとしても、紅明と紅覇はともかく、白徳大帝および皇太子たちの謀殺の大罪のために処刑されたことになっている紅炎を開放することはただでさえ混乱状態が収束しきれていない煌帝国にとって、致命的な火種となりかねない。

 

 それが分かっているだけに、白龍の眉間の皺は一層に深く刻まれるのだろう。アラジンはそんな白龍の葛藤を直に目の当たりにしたことがあるだけに、気遣わしげで、しかし今はそれどころではない。

 

「なんとか、話だけでも伝えることができないかな」

「………………」

 

 アラジンが傷をおしてこの会談の場に出ているのは、そのためでもあるのだ。

 そんな彼の懇願と、白龍元皇帝が苦悩する姿を目にして、閃はちらりと融に視線を向け、確認するように頷くのを見た。

 

「たしかに、ことの大きさを鑑みれば我々だけで議論すべきではありませんね。融、彼をこちらに」

「彼……?」

 

 閃の指示に融は一礼して場を辞した。

 

「実は白龍陛下たちが来られることになる少し前に、紅明殿たちが興味深い物を――あ、いえ、人を拾われまして」

 

 話が中断された上に、奥歯にもののつまったような言い方の閃に、アラジンたちが首を傾げて訝しげになった。

 

 だがそのいぶかしさは、アラジンがぴくりと反応したことで破られた。

 

「――!? このルフは!」

 

 ピィピィと嘶く生命の鳥――ルフを可視化して見ることができる魔導士だからこそ、ルフに愛されたマギだからこそ、初めて出会った友達で、選んだ大好きな王のものだからこそ、そのルフが誰のものなのかがアラジンには分かった。

 

 そのルフは、シンドバッドのように誰もが従いたくなるようなものでもないし、

 紅炎のように力強いルフでは決してない。

 そのルフが宿る器の大きさだって、きっとそれほど大きなものではない。

 けれどもアラジンは知っている。

 そのルフの持ち主の優しさを。楽しさを。

 

「アラジン!」

 

 数か月だというのに、こんなにも懐かしく見えるのは、彼を失ってからのこの数か月があまりにも激動だったからだろうか。それとも彼とともに在る時があまりにも鮮烈な記憶として焼き付いているからだろうか。

 

 自身の名前を呼ぶその声は記憶にあるものと変わりなく、振り返って見たその姿も期待通りの―――

 

「アリババ……くん?」

 

 姿ではなく、埴輪だった。

 それはもう、造り手が手抜きして作ったとしか思えないようなテキトーな感じの埴輪で、アラジンの初めての友人であるアリババ君の面影など、申し訳程度に頭部から伸びている角らしきものにしかない。

 

「アラジン………………」

 

 埴輪の方は、感極まったかのような声を出して、ジーンと感じ入っているのかもしれないが、如何せん埴輪には表情がなく、身振り手振りから読み取ろうにも三頭身程度の人形の体ではなにも読み取れない。

 

「……?? アリババ、さん???」

 

 匂いに敏感なモルジアナも、その声と語調こそ聞き覚えがあるものの、見た目と声とのギャップに戸惑ったように盛大に疑問符を飛ばしているような顔で首を傾げている。

 

「モルジアナ……それに…………」

 

 一方の埴輪の方は、表情に変化がないので全く分からないが、やはり声からするとどうにも感極まっているのかのように声を震わせている。

 

「…………あの、閃王子。この埴輪は一体どういうことでしょうか?」

 

 そして白龍は困惑したように閃の方へと尋ねた。同時に埴輪の体がガクリと傾いた。

 

「本人曰く、あなた方のご友人だ、と。我々も判断と処遇に困っておりましたので、それならば実際に会わせてみようとのことだったのですが……」

「アリババくんだよ」

 

 やはり無理があったかと、申し訳なさそうに言う閃の言葉を、アラジンが遮った。

 アラジンの目は、埴輪の人形をじっと見ていた。

 その瞳が映し出すのは、あの時、失われてしまったと絶望して、嘆き悲しみ、涙したルフ――アリババくんのルフと同じ。

 

「アラジン…………」

 

 そんな友の反応に、アリババは再びジィンと感激していた。

 そんな二人のやり取りを見て、モルジアナと白龍の二人も、今、目の前にいるのは彼らがあの時失ったと思っていた存在、アリババなのだと分かったらしく、一度顔を見合わせるとふっと表情を崩した。

 

「アリババさん……おかえりなさい」

「モルジアナ……ああ!」

 

 それは再会を喜ぶ笑顔のようであり、嬉し涙を浮かべているようでもあり…………

 

「………………アリババ、どの」

 

 自らの思いと思いをかけて激突した親友()との、もう二度と会うことのできない後ろめたさをともなった覚悟の末の、再びの会合に……

 

「なぁ、白龍…………脚、切って、本当にごめんな」

「…………いいんですよ。こっちも悪かったですね。あなたを、殺して」

「いや…………くっ、なんて顔してんだよ、白龍」

「フン」

 

 それでもやはり喜ぶ涙の表情。

 

「それにしても、その体はどうしたんだい、アリババくん」

「ぶふっ。そう、ですね、アリババ殿の、趣味、でしょうか」

「…………」

「うっせー! いろいろあったんだよ! あれ? モルジアナ!? 何その眼差し!? 違うからね!」

 

 そしてやはり突っ込まれるのは、ふざけているとしか思えないデフォルメ体のハニババ人形…………

 

 堕転を悪だと認識し、それを食い止めることに目を向けていたアラジン。

 アリババを好いて、それがゆえにその喪失を悲しみ、それでも彼を殺した白龍を憎まなかったモルジアナ。

 一度は堕転し、かつて愛したモルジアナに振られながらも、堕転から戻ることができた白龍。

 そして体をなくしていても明るさを失わず、友たちと変わらぬやり取りを取り戻せるアリババ。

 

 

 殺し合いをした過去があっても再び友として巡り会い、言葉を交わすことができるアリババの器の美しさ。彼らのやりとりから閃はそれを認め、その楽しげな会話を見続けた。

 

 そしてそんな彼らを、融は切り裂くような激情を堪えた瞳で見据えていた。

 

 

 

 

 

 

「大峡谷の、あのユナンって人のところに俺の体を預けてあるのか?」

「うん」

 

 旧交、というには旧くはないが、失われたと思っていた人との再会を喜んだ彼らは、再び会談の場について話し合っていた。

 まず話題になったのは、当然のことかもしれないが、アリババの元の肉体のことであった。

 

「アリババくんの体の中にあったルフは自然に存在するルフのようなもので、アリババくんのルフはない空っぽの状態だったんだ。そういった肉体はアル・サーメンのような組織にとってすごく利用しやすい器だったから、それが隔絶できるユナンお兄さんのところに預けたんだよ」

 

 皇位継承戦争直前のバルバッドでのアリババ・サルージャの葬儀後、彼の肉体は大峡谷に住まうマギ・ユナンのもとに送られて彼の保護を受けていた。

 それは一つにはアラジンたちがアリババの死を完全には受け入れていなかったことがある。

 “ソロモンの知恵”を使ってアルマトランの知識のルフに潜り込んでもアリババのルフを戻す術が見つからなかった以上、彼らにはアリババを戻す術はなかった。けれども、彼の肉体は死んでしまったわけではなく、心の何処かで、こんなところで彼が死ぬはずないと諦めきれなかった思いもあった。

 ただ、だからといって無防備に彼の肉体を放置すれば、人形に精神体を宿して暗躍していたアル・サーメンのような魔導士たちの、格好の餌食とされていただろう。

 それだけはさせてはならず、そのためにアル・サーメンの魔導士たちが手出しできない大峡谷の、その守り人であるユナンにアリババの体を託したのだ。

 

「それじゃぁ、すぐには取りに行けねぇよな。アラジンもその怪我じゃ…………」

「……うん」

 

 本来であれば、すぐにでもアリババの肉体を元に戻したい。

 アリババ自身も、アラジンたちもそう願いはするが、かといって東の果てともいうべき和国から、西の果てともいうべき大峡谷へと向かうには距離がありすぎる。

 しかも今のアラジンは深手を負った状態。治療こそ受けはしたが、高難度の転送魔法を発動させるには、まだ修練も足りていなければ状態も不安定だ。

 庇護してくれている和国に船を出してもらうにしても、そもそも和国に匿ってもらっているのはアラジンの命を、“ソロモンの知恵”を狙っている白瑛(アルバ)から身を隠すためだ。

 そんな大航海に乗り出して海上での襲撃を誘うようなことはできない。

 

「あれ? けどそれじゃあ光って人の体はどうして大丈夫だったんだ? 何年もの間、意識体が抜け出していたのでは?」

 

 自身がすぐに戻れない理由は、仕方ないとしても、前例があったことを思い出して気になったのだろう。

 アリババが尋ねると閃がその理由を説明した。

 

「厳密には光の体からルフがまるごと抜け出していたわけではありませんから。現界していたのは金属器・ガミジンの力の具現です」

 

 金属器・ベリアルの力によって強制的に身体から精神を、ルフを異次元に飛ばされたアリババと違い、光の場合は自らの意思で“器”を割り、そこに“願い”という中身を満たして発言させていた。

 そこに宿るルフは光のものといわば同位体のようなもの。

 互いの情報をやり取りするほど影響を及ぼしはしないが、全くの無影響というものでもなかった。

 

「ただ、やはり組織にかけられた“呪い”のことがありましたから、国内の中でも“聖域”と呼ばれる場所に安置した上で、魔導士たちが防護しておりました」

 

 それに加えて、和国でも独自に施していた対策があった。

 

「“聖域”?」

 

 閃の説明の中に含まれていた言葉に、アリババが首を傾げた。

 それに答えたのは、閃ではなくこの地を初めて訪れたはずのアラジンであった。

 

「大峡谷――正確にはその奥にある暗黒大陸と呼ばれる土地と、和国はアルマトランの魔力が堆積した特殊な地層でできているんだ」

 

 答えられたのは、それがルフに、アルマトランのことに関わることであったがためだ。この世界で――アルバを除けば――最もルフとアルマトランに詳しいのは、“ソロモンの知恵”を持つ、アルマトラン生まれのマギであるアラジンだ。

 すでに彼は、この国の特殊な――他の大陸の土地とは違うことに気づいていたようであった。

 

「暗黒大陸はこちらの世界が創られたときに、アルマトランから変換できなかった物や人なんかがいる大陸で――だからほら、魔法の影響を受けにくかった赤獅子――ファナリスの人たちなんかが居るんだと思う」

 

 それに加えて、彼はあのユナンとも何度か話をしている。

 アルマトランでは魔法をも跳ね返す強靭な生命力をもった種族、赤獅子。それはこの世界においてはファナリスというある種の“異物”として、この世界に存在を“許されている”。

 ただその存在は、ソロモン王……というよりもこの世界を創造したウラルトゥーゴにとっては都合外のことであって、そのためにファナリスはこちらの世界では魔力の量などに制限を課されている、というのがユナンやアラジンたちの見解であった。

 つまり暗黒大陸とは、ウラルトゥーゴが用意したこの世界の隔離場所、あるいはこちらの世界になりきれなかった場所なのかもしれない。

 

「それで和国の方は…………多分なんだけど、アルマトランからこちらの世界に人々が来た時の、繋橋のような役割をしていた場所みたいなんだ」

 

 それに対して、同じようにアルマトランの魔力の堆積した和国に住まう和国人たちには、そのような制限がなかった。

 むしろ魔導士でもないのに魔力に対する感受性が強く、“気”と呼称する体内魔力を操る術に長けていた。

 

 暗黒大陸に住まうファナリスとは真逆――それは両者の土地が同じ性質を有していながらも、役割が異なることを示唆しているのかもしれない。

 

 この世界の未整理区画(暗黒大陸)この世界の創造の突端(和国島)というような風に…………

 

「だからこの国の土地は、すごくアルマトランに、“聖宮”に近しい場所なのかもしれない」

 

 それは実際に和国を見てのアラジンの所感と推測でしかない。

 

「“聖域”というのはその中でも特に異質な魔力の――おそらくはアラジン殿の言うアルマトランの魔力が蓄積している場所で、和国では灯桜の神事が行われる祭場がある場所でもあります」

「! たしかそれは…………」

 

 アラジンの説明を受けての閃の説明を聞いていたアリババたち。その中で白龍はかすかに記憶の片隅に残っていた言葉に気がついた。

 かつて幼かったころの、まだ兄たちが生きていた頃の白龍と白瑛に、光が語った祭事。

 

「和国に古くから伝わる鎮魂の儀式です。死した先祖の魂――ルフを奉り、世界の大いなる流れを循環させる神事だと言われています」

 

 それはこの世界の根幹――ルフの流れを奉る儀式でもあったのだ。

 それを彼女たちにかつて語った男の従者の瞳が、怜悧な刃のように冷たさを帯びた。

 

 

 



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第38話

 

「…………………」

 

 アリババは彼らを先導して黙々と歩く案内役の彼が、白龍に見せる敵意にも似たまなざしの理由を思い出していた。

 

 ――「正直なところ、私は彼女が、彼女と光を関わらせることになった煌帝国を恨んでいます」――

 

 その理由を問いかけた時、それまで淡々とした素振りだった彼から、まるで刃を突き付けらえたかのような殺気があふれ出した。

 

 

 ――「私には、なぜ閃王子と国王があなた方を迎え入れたのか不思議でなりません」――

 

 

 アリババはそれを聞いていたはずだった。

 この世界に戻ってきて、初めて再会した人――紅明たちに。立花融という従者の主が辿った運命を。

 

 ――「できるのならば、この剣で彼女の首を落したいくらいです」――

 

 

 それは白龍や青舜にとっては理不尽で、

 

 

 ――「光を、私の主を壊した彼女が、憎くて仕方ありません」――

 

 

 けれども、ぶつけどころのないその怒りの行き場は、間近にいた白龍に向かわざるを得なかったのも理解できてしまった。

 

 

 ――「あなたたちさえ、煌さえ、最初からこの国に来なければ……」――

 

 

 ガミジンの力は死と願いを司る。

 死の間際にあった光は、自身の器を割って、片割れの器に中身を込めることで、願いを果たす力を持たせた。

 彼の願いは練 白瑛を守り抜くこと。

 そのために与えた中身とは、もっとも大切なものとの関係性。

 練 白瑛にまつわる全ての記憶を器に込めた。

 

 そして片割れは願いを叶え終えるまで消えず、その間光は眠りにつき、その体は魔法によって維持された。

 

 その願いは終わることが無い。

 その願いが終わるのは、願いが叶わなかったことと同義だから。彼女が死ぬことが、願いの終わりだったから。

 

 だが、それでも限界は訪れる。

 器に罅が入り、やがてその中身が全て漏れ出てしまうように。傷つけば傷つくほど、その力を使えば使うほど、片割れは消滅へと向かっていた。

 

 光が起きた時、それは片割れが消えたことを意味していた。

 そしてその時、光には練 白瑛に関する全ての記憶がなくなっていた。彼女自身の記憶も、あなたと関わったことで得た記憶も全て…………

 

 器が割れたことによる影響も、それが何かは分からないが何らかの形で出ていた。

 

 それは明言化できるほどに明らかではなく、しかし幼馴染でもある融が気づかないほどには小さなものではなかった。

 

 だからこそ彼は練 白瑛たちを憎んでいるのだろう。

 彼の主を、幼いころから共に育った友を、壊してしまったから…………

 

「あの、融さ」「もうじき――――」

 

 だからだったのか、アリババはつい声をかけて沈黙を打破しようとして、けれどもその言葉は途中で遮られた。

 

「森を抜けます。森を抜ければすぐに港に入ります。“彼ら”を幽閉している島への船は準備しておりますが、引見するのは国際同盟の律令から外れた行為です。くれぐれもそのことを念頭において、余計な騒ぎは決して起こさないようにしてください」

 

 相変わらず彼は、感情の見えないような淡々とした態度でアリババや白龍たちを先導している。

 和国内では閃王子たちの統制がとれているとはいえ、国際同盟の目がどこにあるかわからないのは、身に染みて知っている。

 

 彼らは今、煌帝国の、ひいては七海連合と敵対した大罪人――練紅炎、紅明、紅覇たち兄弟と会うために森を歩いていた。

 今は金属器を没収されてはいるが、彼らは優れた金属器使いであり、やり方は違っていたとはいえ大陸で最大の版図を誇った煌帝国の統治者であった。それは世界の趨勢を考えていた人物たちであるともいえる。

 現在の世界の頂点に君臨しているシンドバッドが、この世界の仕組みそのものを破壊しようと企み、それにアラジンたちが反対している今の状況では、シンドバッドとは思想の異なる紅炎たちを味方につけること、少なくともその意見を聴くことには意味があると判断してのことだった。

 

 だがそれはそれとして隠れるようにして行動していることの理由も分かってはいる。

 特に今は、アルバによって深手を負わされたアラジンを匿っている最中での行動でもあるし、目的自体も国際的に決められたルールに違反しようとする行動だ。

 

「…………」

 

 ただ、黙然として道案内を務める彼と、白龍たちの間に漂う冷たい空気は、このまま彼とともに行動していいのかと疑心を抱かざるを得ない。

 

 今のところ、アラジンは融に堕転の兆候を認めていないようだが、恨みなどの負の感情は堕転に誘われ易い。

 アリババもそれを幾度も目の当たりにしてきたし、ほかならぬ白龍も、一度は堕転した身だ。

 

 それに堕転でなくとも、白龍や青舜(練 白瑛の関係者)に敵意を抱いている者が道案内というのは懸念材料でしかない。

 ただ、そうは言ってもこの国に対する土地勘はアリババやアラジン、モルジアナはもとより、白龍や青舜にもそれほどない。

 融の言うように、森の終わりが近づいているのか、木々の影が続いていたこれまでの道から、行く先に光が照らすようになってきており、森を抜ける―――

 

「えっ。融さん?」

「お兄さん?」

 

 その寸前で、融は先導する歩みを止め、片手をあげてアリババたちの歩みも止めさせた。

 突然の停止に訝し気に彼を見て―――――その前方を見て、行く先に一人の剣士が立ちふさがっているのに気がついた。

 

 今はまだ納刀した状態で、逆光になっているがためにその表情が今はどうなっているのかは分からない。

 ただ―――――

 

「…………よく、ここが分かりましたね…………光」

 

 向けられている激烈な敵意だけは、間違えようがなかった。

 

「光、殿……ッッ」

 

 叩きつけられる敵意、戦意――剣気ともいえるそれを受けて、名前を呼んだ青舜の喉が引き攣る。 

 

 主とともに在った時以来の再会に、思わず青舜が呼びかけるが、返ってきたのはいままで青舜が向けられたことのないほどに鋭い眼光だった。

 

「煌帝国の元皇帝にその従者…………融、そいつらをどこに連れていくつもりだ?」

 

 煌帝国で、敵と相対した時――白瑛を害そうとした者たちに向けられていたそのまなざしが今、彼女の従者である青舜と弟である白龍へと向けられていた。

 

「閃王子の命により、金属器使いたちの会合の場へと赴いております」

 

 問う必要のない問いと、答える必要のない答え。

 その会話は、幼馴染で、誰よりも信頼し合っていた主従の関係とは到底思えないほどに冷ややかな会話だった。

 

「ここに居られるのはマギであるアラジン殿です。彼らのもたらしていただいた情報によって、シンドバッド王の企みが明らかになりました。貴方の読み通り、煌の金属器使いたちとのつながりが必要になっているのです」

 

 声音こそ固いものながら、それでも融は微かな期待に働きかけるようにして告げた。

 

「ふん。煌帝国とのつながりか。国を潰しかけた元皇帝と、それに力を与えるマギ(王佐)か。そいつらがこの国に来てから見ていたし、こうして直に見ると、一層よく分かる……練 白龍、そいつは消すべきだ」

「なっ!?」

 

 驚きの声は青舜たちのもの。あまりにも異なる光の態度と、到底彼のモノとは思えない言葉。

 だがそれは融にとっては予想外のことではない。

 

 ――やはり見ていたか……――――

 

 本来であれば、融がアラジンや白龍たちを紅炎たちのもとへと案内し、その間に閃王子が光に対処するはずだった。予定外であったのはそのことだ。

 

「それは貴方の直感ですか?」

「そうだ。閃の兄上の考えと異なったとしても、俺はそいつがこの国の害悪になると見なした」

 

 すらりと引き抜かれた和刀。

 刀身に曇りはなく、刃に宿る剣気は冴え冴えとして冷たい。

 

 止めることはもうできない。

 そのことを光の剣気が雄弁に語っていた。

 融もまたキチリと鯉口を切り―――

 

「待って!!」

 

 それを押し留めたのはアラジンの切羽詰まった声だ。

 

「話を、聞いてくれないかい、お兄さん?」

 

 傷だらけの体に包帯と止痛の符を貼り付けている痛々しい姿。

 年若い魔導士のその姿に、光は目を細めた。

 抜いた和刀はそのままに、けれども斬りかかる様子は今のところなく、それはアラジンの言葉に耳を傾ける気はあるようであった。

 

 融もちらりと視線をアラジンと合わせ、こくりと促した。

 

「今、世界には異変が起こっているんだ」

 

 そして語り始めた。

 世界で起こり続けている異変。

 特異点と繋がり、世界を意のままに改変しようとしている存在がいることを。

 

 

 

 アラジンはかつて光と会ったことがある。

 マグノシュタットでは共に暗黒点と闘ったし、その前にも会話をしたことがある。

 それは今の光ではなく、ガミジンの力によって編まれたものだが、あれは完全なる別存在ではなく、つながりをもった存在。

 

 だからこそ、大切なものを失いはしても、心の在り様までは変わらないと思っていたし、きちんと説明すれば、今彼らが争い合っているような事態ではないことを分かってくれると、思っていた。

 

 

 

「アルバさんの、アルマトランの知識を手に入れたシンドバッドおじさんは、それを使って世界の在り方そのものを変えるつもりなんだ。おじさんにとって都合のいい世界。そんな世界にはしたくないんだ。だから、それを食い止めるために、お兄さんも力を貸しておくれよ」

 

 だが、アラジンが必死の思いで言葉を紡ぐ間も、光の冴え冴えとした冷たいまなざしが揺るぐことはなく。

 

「世界の異変、か」

 

 そしてその反応もまた、アラジンの思いに、期待に反して冷淡なものであった。

 

「そんなものは知ったことか。この国に戦争を持ち込むな」

 

 明確な拒絶の言葉。

 それはシンドバッドの企みに加担する言葉ではなかったけれども、世界のことなど関係ないという言葉は、世界の行く末を思うアラジンからすれば危機的にも思えた。

 

「この国のことだけじゃないんです! 今、シンドバッドさんを止めなければ、この国も、煌帝国も、他の国も、世界すべてが変えられてしまうんですよっ! アナタの大切なものだって!」

「だから? シンドバッドではなく、そこの練白龍を王に抱く世界なら満足か?」

 

 アラジンの言葉を継いで、言い募ろうとするアリババの言葉を遮るように、光は刀を白龍に向けた。

 

「大陸に戦禍をまき散らし、奴隷と悲劇を量産した国の皇帝。それも兄弟を裏切った挙句にジンの力で兵士を壊して傀儡にした王を戴く世界など、さぞや滑稽なものになるだろうな」

「…………」「――ッッ」

 

 嘲弄するように、けれども紛れもない事実を突きつける光の言葉に、白龍は苦痛を堪えるように顔を険しくし、青舜は悲痛に顔を歪めた。

 青舜も認めざるを得なかった。もはや白瑛を愛した、白瑛が愛した皇 光は別者になってしまったのだと。

 

「この国に災禍が来ると言うのなら、この国の者が立ち向かう。俺には貴様らがその災禍を持ち込もうとしているようにしか見えんな」

「光殿。貴方は――――」

「融。そもそもお前は、俺が煌帝国を嫌いなのはお前も知っているだろう」

 

 青舜の、それでも縋りつくような言葉をさえぎって、決裂ともいえる言葉で融に問いかけた。

 なぜこいつらと共にいるのだ、と。

 

「……………そうですね」

 

 立花融は和国の武人であり、光の家臣であり、幼馴染でもある。

 皇帝位にあったとはいえ、他国の元皇帝に付き従う理由はないし、光と戦ってまで守るべきではない。

 

 だが、融はすらりと和刀を抜き、光の前に立ち塞がった。

 

「融さん…………」

「アラジン殿。白龍陛下方も、手を出さないでください。面倒なことになりますので」

 

 金属器の槍を、使えぬ眷属器の双剣を、魔道の杖を構えようとする白龍たちを制して、まるで守らんとするかのように立つ融。

 その姿に、光の眉がピクリと反応を示した。

 

「そこをどけ、融」

「どきません」

 

 断固たる言葉とともにすぅと和刀が引き上げられ、その切っ先が向くはずのない方向()へと向けられる。

 幼馴染の思わぬ拒絶に、光が明確に眉を顰めた。

 諫言が多い間柄ではあるが、それだけ信頼している証左でもあるし、なによりも家臣であるよりも以前からの友なのだ。ほかの誰よりも預ける信頼は重い。

 

 だが、その言葉にも退く様子を見せないとなれば…………

 

「命令だ、融。そこをどけ」

 

 主従という関係であっても、友だからこそ、そこまで言わずとも分かってくれると信じていた。

 ゆえに、あえて命令と断言したことに、それだけ光の怒気が感じられた。

 

 しかしそれでも

 

「……聞けません」

 

 光は主の命令を拒否した。

 右手で構える和刀の峰を左腕に乗せる、融得意の刺突の構え。

 そこに融の本気の意思を感じ取った光は、溜息をついて刀を降ろした。

 

 霧散する戦気。

 強大なプレッシャーが弱まり、アリババたちは怪訝に思いつつも、だが刀を降ろされたことに一息をつこうとした―――――瞬間、視界から光の姿が消えた。

 

「えっ!」

 

 呼吸する一瞬の虚。

 次の瞬間には、光は白龍の至近にまで迫っており、無防備なその首に刀を振るっており

 

 ギンッッ!!

 

「なっ!?」

 

 その刀が、白龍の首を刎ねようとした瞬間、そこに影が割り込んだ。

 

「今の貴方のやりそうなことは、大体予想がつきます」

「……………………お前は」

 

 刃に気を纏わせた光の和刀と拮抗する融の操気剣。

 ギリギリと気刃を迫り合わせながら、にらみ合う光と融。

 

「お前は……俺の味方だと思っていたのだがな」

 

 その言葉には、先ほどまでの憤怒以上に、悲し気な響きが込められていた。

 

 ――――信じていた。

 主従という間柄を超えて、それでも幼きころに約した繋がりは色あせないと。

 決して違えられない、違えられるはずがないと――――

 

 だが、今刃を重ね合わせているのは紛れもなくその友であり、従者であった。

 

「一応、俺はお前の上司でもあるんだがな」

 

 感情を振り払い、吐き出された言葉には先ほどまでの悲し気なものはなくなっていた。

 

「その俺の命令が聞けないのか! 立花融!!」

 

 第1王子である閃の命令は、たしかに第2王子である自身の命令よりも重いかもしれない。けれども融ならば兄よりも自分を優先してくれると信じていた。

 

 

 それが裏切られ、けれど裏切ったはずのその友は、ギシっと苦渋を噛みしめるかのようにして、苦悶の言葉を紡ぎ出した。

 

「俺に命令したのは―――あんただよ、光」

 

「なに?」

 

 

 

 

 ―――――【その時、俺は今の俺じゃなくなっているかもしれない。そのことを覚えていないかもしれない。それでもお前だからこそ頼みたいんだ】

 

 それはまだ光が光であったころ、器が欠ける前の、それを彼が予期して、覚悟していたころの約束。

 

【お前の刀の届く範囲でいい。お前に国を飛びだせと言っているわけじゃない。ただ、もしもお前の近くに彼女が来て、その時お前の刀が届くのならば彼女を守ってくれ。彼女との繋がりを、切らないでくれ】

 

 彼は知っていたのだ。予期していたのだ。

 ガミジンの力を使えば、きっと彼は自身でそれを切ってしまうことを。

 練 白瑛(最愛の人)との繋がりを自身で断ち切ってしまうであろうことを―――――

 

 

 

「【練白瑛を、彼女との繋がりを守れ】 それが貴方が俺に命じた言葉だッッ!!!」

 

 本当はこんなことをしたくなんてない。

 融とて、その刃の向きを変えて練白龍を斬り捨てたい。練白瑛を斬りたい。

 主を変えてしまった、壊してしまった煌帝国の姫と、その縁にまたも縋ろうとしている厚かましい皇帝たちを斬ってしまいたい。

 

「覚えがないな」

「…………でしょうね。でもっ、俺は覚えてる。だから、どきません。あの方との繋がりである、白龍陛下たちを、貴方に斬らせはしません!」

 

 けれどもこれは、光の最後の命令。

 命令なんてほとんど口にしなかった、融が友として、主と仰いだ光の命を懸けた命令で、頼みなのだ。

 

「分かった……命令を撤回してやる。だから―――そこをどけ。立花融」

「どきません」

 

 絶対に、この繋がりは斬らせない。

 他でもない、皇 光の刀では、絶対に。

 

 

 拒絶の言葉と共に、競り合っていた刃が互いを弾き飛ばし、二人は弾けるように跳ねた。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 ポチャン……ポチャン……

 

「なんだ、融。随分と覇気がないな」

「光…………」

 

 在りし日の記憶。まだ子供のころ。

 手近な石ころを無気力な様子で川面に放り投げていた子供に、友達の少年が声をかけた。

 

「この間の猪退治のことで達臣にでも叱られたか?」

 

 からからと笑いながら声をかけてきた少年は、腰に差していた小太刀を外して隣に腰掛けた。

 そして彼の真似をして手近な石ころを手に取り、ひゅっと鞭をしならせるように投擲した。

 石はピッピッと川面を切って跳ね、3回、4回と跳ねて沈んだ。

 

「…………父上から、そろそろいい年頃なのだから、殿下との礼をしっかりしろって、お前はあの方々の部下になるのだからいつまでも殿下のご友人で済ますなって…………」

「……………」

 

 ぽつぽつと、両膝を抱えて拗ねるように告げる友人の言葉を聞いて、2個目の石を選んでいた手が止まった。

 

「……ああ。そう言えば兄上もそんな感じのこと言っていたな」

「………………………」

 

 友人の、第2王子である光の言葉に、王子の遊び相手であった融はむすっとして抱えた膝に顔を沈めた。

 

 そんな友人の拗ねた様子に、光はふっと微笑んで――先ほどよりも大きな石を、両手で抱えるくらいの大石を持ち上げて両手で川面に放り投げた。

 

 ――ド、ボンッッ!!

 

 水のかからないくらいには遠くに、けれども水切りよりは圧倒的近くに放り込まれた石の音。

 融は大きな水音に驚いて顔を上げた。

 顔を上げて、両手を振り切った体勢の光を見た。

 ニッとしたいつもの笑顔。その顔はいつも融を困らせて、わくわくさせる冒険へと誘うときの顔。

 

「心配するな! お前は俺の友達だろ? 俺はお前を単なる部下だとは思わない。友達だ!」

「光……」

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 気を纏い振るわれる二本の和刀。互いの刀身が重なるその度に、一方の気だけが削り取られていく。

 

「ッッ!」

「…………」

 

 光を向こうに回しては、客人たちを気にかける余裕はない。

 彼らに和国内で騒動を起こさせるわけには、まして王族相手に死闘を演じさせるわけにはいかない。

 

 まともに剣と気をぶつけ合わせたのでは、圧倒的に魔力量の少ない融では光の剣気を破ることができないし、力尽きるのは融が先になるのは明らか。

 刀身の刃紋に集中させていた気をさらに研ぎ澄まし、切っ先の一点へと極限集中させて得意の突きを放つ。

 一気三閃。

 一筋の閃光が走る中で、三度の神速の突きが放たれる。

 以前よりも格段に速度の増した突きの三閃は、しかし以前と同じく紙一重で躱され――

 

「ちっ」

「くっ!」

 

 ――光の首筋に一筋の傷を走らせた。

 しかし、切っ先に集中させた分、剣気は分離したも同然。

 気の纏っていない和刀では、斬り払う光の和刀とまともに切り結ぶことはできないため、融は突きの突貫力をそのままにして掻い潜るように避けた。

 

 紙一重の差。

 それはかつてと今と、融と光の間に横たわる歴然の差。

 

 だが今は、その差を前にして膝を屈するわけにはいかない。

 繋がりの絆を、ほかでもない彼に断ち切らせないためには――――

 

「ッ、橘花―――――」

 

 遠間の距離は斬撃主体の光よりもむしろ突撃を得意とする融の距離。

 距離をおいたことで千載一遇の間合いを得た融は、和刀を握る手から渾身の剣気を流し込み

 

「桜花―――――」

 

 同時に、光も剣気を集中させ―――――

 

「「―――― 一閃ッッッ!!!!」」

 

  互いの必殺の一撃が、刎頸の友へと放たれた。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 樹上に一人の少年が腰掛けていた。

 少年は一人前の武人が佩くことのできる和刀を手にしており、抜身の刀身を晒してその刃の鋭さをぼぅっと眺めていた。

 

「よっ、と。どうしたんです、光?」

「ん? 融か……いや……」

 

 そこに下から登ってきた友人が、声をかけてきて、光は刀身を鞘に納めてチャキっと音を鳴らした。

 

 登ってきた少年――融はそれを見て珍しいものを見るような顔になって、光の隣に腰掛けた。

 光の和刀の扱いは同年代では屈指のもので、将軍クラスにも引けをとらないほどだともっぱらの評判だ。

 納刀、抜刀で音を鳴らすような無様をするなど常の彼とは違うと、刀が知らせてくれているようなものだ。

 

 しばし考え込むようにしていた光は、黙ったまま隣に腰掛けている融に、ため息をついて口を開いた。

 

「今日、父王から正式に話があってな。この国の後継者は兄王に決まりだ」

「!」

「まっ、元々そのつもりだったし、俺は王になる気もなかったが。宮中の連中の視線がうざったくてな」

 

 言葉通りうんざりした様子の光。

 この国の第1王子は彼の兄である閃王子であり、文武共に才気煥発と評の高い王子だ。

 光も剣士としての力量は兄にも劣らないし、将兵民草からの人気も高い。

 

「連中からしてみれば、少しでも可能性がある俺を担いでおけば、良い目が見れると思ってたんだろうし、そうでなかった連中も結構いたんだろうが。正式に決まった途端、いきなり顔色変えて、腫物扱いされるのも鬱陶しいもんだな」

「…………」

 

 どちらの王子も王になる可能性があった。だから光王子の後見を自称していた貴族やその気もないのにすり寄ってきた役人は多かった。けれど、正式に国王の後継者が決まった以上、閃王子に不慮の事態がなければ光王が即位することはないだろう。

 なによりも、光自身が閃王子を押しのけてまで王位に就く意思などなかった。

 

「ま、そいういうことだ。後々、主君になるものが決まったんならそっちについてほいた方がいいしな」

 

 ただ、泥船から逃げるが如くあからさまに自身から掌返しをした者たちを見ればため息もつきたくなるというものだ。

 

 友人であり、主君でもある彼が、王位を望んでいないのは、融がよく知っている。

 彼の父である国王様だってよく知っていたからの布告なのだろうが、きっと融だってそれに負けないくらい光のことは知っているつもりだ。

 だから……

 

「俺は……離れないぞ」

「は?」

「俺の主君は、あんただ」

 

 口をついてでてきたのは、彼にとっての宣言。

 

「おいおい。だから、俺は王になる気はないって」

「分かってる。ただ、俺はどんな時でも、光の味方でいたいんだ」

 

 主従である以前に、友人だと、昔宣言してくれた友だからこそ、彼が王族だから従っているのではなく、共にいるのではなく、ただ己が意思をもって融は皇 光に仕えたかった。

 

「……もし俺が兄王に喧嘩売ったら、その時も俺につくのか?」

「あんたが、その時正しいなら」

 

「俺が間違っていたら?」

「その時は、全力でお前の顔をぶん殴る」

 

 ただ追従するだけの存在ではない。

 光の力は、どんな分野でも融の力よりも優れていて、それでも融は光の力になりたかった。

 

「そうか……なら、間違えられんな」

 

 友の言葉に、光はにっと笑った。

 

 

 守りたかったのは誓い。

 

 遠い昔に誓った約束。

 

 絶対にこの人を裏切らない。国の王ではなく、友であるこの人にこそ剣を捧げよう。何が何でもこの思いは曲げない。それが、自分にとっての誇りの形だから。

 だから――――――――――

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

「――――――ッッ!!!」

 

 逆袈裟に振り下ろされた光の斬撃は、融の剣気を込めた刺突の一撃を和刀ごと砕き、その体に剣閃を刻み込んだ。

 砕ける和刀と吹き上がる鮮血。

 

 ――光…………っ――

 

 ガクンと膝から力が抜け、立花融は地に倒れ伏した。

 

 

 

 

 

 友の鮮血が滴る和刀を下げて、光は眼前で倒れ伏した融を見下ろした。 

 

「バカが……」

 

 勝てるはずなどなかったのだ。

 融が光を本気で斬り殺すことなどできるはずがないことは分かっていた。であれば、残るは剣術と操気術の力量の差。

 融のそれが光に及ばないことなど分かり切っていたことだった。

 

 そもそも、融とて思いは同じだと感じていたのに。

 主である光が感じているのと同じく、融からは煌帝国に対する、練白龍元皇帝とその従者と思しき者たちに対する嫌悪の感情が見えていた。

 そしていつだって融は、最終的には光の直感と判断を信じてきてくれた。

 だからきっと今回だって……

 その考えは、最初の攻防で剣を交えた時から無駄な希望なのだと分かっていた。

 和刀を通して、込められた気を通して融が本気で光を止めようとしていることが分かってしまったから。

 決定的に、なにかが違ってしまっているのだと、分かってしまっていた。

 

 それが何かは分からない。

 考える気にもなれない。

 何があれば、あの立花融が自身に反旗を翻すようなことになるのか。

 

 ぴっと和刀を一振りして血糊を弾き飛ばし、融から視線を外した光は、その視線の先にいる敵を見据えた。

 練 白龍 元煌帝国皇帝、そしてその従者である双剣使い。他にも埴輪のような動く人形やマギだという魔導士、そして赤髪の少女。

 

 だが問題となるべきはやはり練白龍だろう。

 彼は金属器を持ってこの国にやって来て、そして大罪人として島流しにしたかつての皇族たちに目論見をもって接近しようとしている。

 

 

 向けられる敵意と殺意を感じ取って、手出しと和国内での騒動を止められていた白龍たちも応戦しようとそれぞれに剣を、杖を構えた。

 

 

 非常に危険な、すぐにでも斬り捨てるべきであり、光は躊躇いなくそれを行動に移すべく、足を進めようとし―――――――――その足がなにかに引き留められた。

 

「?」

 

 足元を見てみると、血の海に沈み、意識を失い、それでもなお融が光の足を掴んでいた。

 左手に光の足を握り、右手には刀身の砕けた和刀を放さない。

 

「離せ、融」

 

 気を失っているのだろう。融はなんの反応も示さず、それでも決して手を離そうとはしなかった。

 その声はゾッとするほどに冷酷な声音。

 

「やめろ……」

 

 アリババが呟いた。

 

 アリババは皇 光という人のことをあまり知らなかった。

 マグノシュタットで共に戦ったことくらいしかこの世界では面識がなかった。けれどもあの世界で思いと言伝を託されて、それで何かが変えられると思っていた。

 母に会いたがっていた幼子、兄に会いたがっていた魔導士、妻に会いたがっていた魔導士。彼らとは少し違っていたけれど、あの世界からの言伝によってたしかにアリババは融と、そして和国の王子たちと繋がりを結ぶことができた。

 

 だが、それによって導かれたこれが運命だというのだろうか。

 

「そうか…………その腕はいらんか」

「!!」

 

 光の瞳が感情を映さない冷たい色を帯び、手に持つ刀を振りかぶった。その腕が足をつかむ融の腕に振り下ろされようとした瞬間、

 

「ヤメロォォッ!!!!!」

 

 絶叫と共にアリババが飛び出した。

 手にするは針のような短剣。それで振り下ろされる和刀を受け止めることはできないだろう。

 止めるためには本人を止めるしかない。

 バルバット流剣術。

 和刀による刺突とは異なる突きを変則的な曲線の突きを主体にした王宮剣術。金属器がなくとも、その剣術は長年鍛え続け、そして幾度もの戦いでアリババを支え続けた力。

 だが―――――

 

 

「ちっ、邪魔だ!」

 

 尋常ではない直感と反応速度によっていち早く襲撃に気づき振るわれた和刀とは間合いが違いすぎた。

 本来の体も、本来の剣もない今、手にしているのは針のような針剣で、使い手もろくなリーチのない埴輪人形。

 それでどうにかできるはずもなく

 

「アリババくん!」

 

 アラジンたちが目にしたのは、アリババの体を和刀の刃が通り過ぎ、彼の体を真っ二つに分断した姿だった。

 



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第39話

 

 何よりも大切にしていた宝物との繋がりを絶たんとする光を止めようとして、血の海に沈んだ融。

 その彼に追撃を放たんとした光を止めようと飛び出し、そして人形の体を真っ二つにされたアリババ。

 

「む。――――!!!」

 

 当然ながら、気も込められていない玩具のような針剣を手にして飛び込んできた人形を迎撃するなど不意を突かれた状態でも光には容易いことで、しかし直後、ゾワリとした悪感が光の左手を動かし、腰元の鞘を引き上げた。

 

「ハぁああああッ!!!!!」

「っづぐッッッ!!」

 

 ド、ゴッッッと重い衝撃が鞘へと直撃。

 咆哮と共に重たい蹴りを放ってきたのは、赤髪の――ファナリスの少女。その一撃は少女の細い脚から放たれたことが到底信じられないほどに重い。

 それもそのはず。その蹴りは、暗黒大陸の覇者である戦闘民族、ファナリスの少女の蹴りが、激怒した状態で放たれたものなのだから。

 

「これが、赤獅子――ファナリスの力か」

 

 片脚を掴まれていたが、残る脚で辛うじて衝撃をいなすように跳び、同時に鞘へも操気術で気を集中。跳んだ衝撃で融の手は離れたが、その分幾割かは衝撃を逃がし切れなかった。

 生身での蹴りであったはずなのに、気で防護した鞘を通しても衝撃が貫いてきて、光の腕を痺れさせ、顔を歪めた。

 

「よくもアリババさんをっ! ――ッッッ!!!? これはッ!!?」

 

 だが追撃はそこまで。

 激昂してなおも跳びかかってこようとしたファナリス――モルジアナだが、蹴りを放った脚から駆け上がってきた違和感に気が付いた。

 血管が浮き上がり不自然に脈動しており、脈動するのに合わせるかのように力が入らなくなっている。

 

「モルジアナ殿!!」「!!」

 

 驚愕し、脚を止めていたモルジアナは、蹴り飛ばした光からの反撃に気づくのが遅れ、それを遮ったのは土中から現れた樹木と白龍の呼ぶ声だった。

 

「魔力操作能力です。モルジアナ殿は下がってください!」

 

 モルジアナの危機を間一髪のところでザガンの植物操作で守った白龍は、自身の金属器を発動させた武器化魔装――双頭の槍に魔力を上乗せして光の前へと躍り出た。

 

 操気術――魔力操作。 

 本来魔力とは一人の体に一つのみ宿るもの。それを操作する術は、武器や打撃の攻撃力を著しく向上させるものでもあるが、それと同時に他者の体内の魔力にも影響を及ぼす。

 魔力の保護なしに魔力操作された攻撃を受ければ、それだけで体内の魔力がかき乱されて深刻なダメージを受ける。

 

「ふん。ようやくやる気になったか、練白龍」

「皇 光ッ! アナタはッ、ッッ!!!」

 

 白龍がザガンへと魔装化したように、光もまた金属器のジンを呼び起こし、左右二刀の武器化魔装へと和刀を変えた。

 

 かつてならば望んでも行われなかった本気の光との戦い。 

 それが今、かつてとは違う彼と望まぬ形で、命のやり取りという形をもって行われ――――

 

「白龍陛下!」

「ッ!」

 

 そこにさらに双剣を抜いた青舜も加勢して光に斬りかかった。

 

「ほう。気も使えん従者風情が、勇ましいことだ」

 

 背後から斬りかかってきたそれをなんなく躱した光は、その剣には気の込められていないただの剣であることを見て取って揶揄するように口にした。

 

「ッ、下がれ、青舜!」

 

 その懸念は当然、魔力操作を使う白龍も抱くものだ。

 モルジアナをかばうように前に出たのも、モルジアナが徒手空拳で剣技に優れる光とは相性が悪いというのもあったが、それ以上に魔力による防護なしには操気剣――魔力操作による攻撃を受けることもできないからだ。

 元々魔力量の少なく、魔力の加護のないモルジアナはとりわけ操気術との相性が悪いが、かといってそれは剣や盾などの武器を持っていても変わらない。

 青舜の持つ眷属器が発動できれば話はまた変わるが、今の青舜は――主である白瑛が金属器を使えない状態であるため、彼もまた眷属器を発動できないのだ。それではモルジアナと同じで光の剣を受けることもできず、斬りかかって受け止められるだけでもダメージを負ってしまう。

 

「いいえっ! せめて援護だけでもさせてください! 」

 

 だが退けないのは青舜も同じだ。

 相手は白瑛の隣に立っていた者で、彼女のために壊れ、その結果として今、彼らの前に立ち塞がり、白龍と自身を斬ろうとしているのだから。

 

 

 

「白龍さん! くっ!」

「モルさん! アリババ君!」

 

 白龍に庇われる形となったモルジアナは悔し気に眼前で繰り広げられている戦いを睨み、怪我のために出遅れたアラジンが駆けてきた。

 そのアラジンの、アリババを呼ぶ声にハッとなったモルジアナは両断されたアリババへと視線を向けた。

 

 彼女たちは一度アリババを失った。

 その彼と再び会って、会話することができるようになったというのに、こんなところで――

 

「くっそ! やっぱりこの体じゃ、満足に戦うこともできねぇのかよ!」

「え…………?」

 

 むくりと、上下に両断されたアリババ(埴輪)が起き上がり、上半分の体が両腕を使って下半分の体をうんしょ、うんしょと苦労しながら合わせようとしていた。

 

「大丈夫なのかい、アリババ君!?」

「ああ。心配いらねぇ。この体、痛みとか感じねぇんだ。けど元の体ほどちゃんと動かせねぇし……くそっ、アモンの剣もなきゃ、戦いに割って入ることもできねぇ!」

 

 この体には“魔力こそあるが”、今のアリババの体ではアモンの剣を振るうどころか持つこともできないだろう。

 アモンの剣を使うことはできない。だがたとえ元の体があったとしても、アモンの剣がなければ太刀打ちできない。

 アリババも魔力操作の修行は行ってはいるが、彼の魔力操作の技量ではせいぜい剣の柄程度までしか覆うことができないのだ。

 彼の魔力操作のレベルは一度死ぬ前のものではあるが、死んでいる時には魔力がなかったのだ。当然魔力操作の修行などできるはずもなく、技量が進歩していることはないだろう。

 それでは到底あのレベルの魔力操作から身を守ることはできない。

 アリババの魔力操作よりも上の技量をもつ白龍の魔力操作。それすらも凌駕する光の操気術。それに対抗するためには、すべてを切り裂く炎熱のアモンの剣が必要なのだ。

 

 今のアリババでは、その人形の体がもつ剣ではダメージを与えるどころか、牽制にも、盾になることもできまい。

 

 そしてそれはモルジアナも同じようなものであった。

 先の攻防では、なんとか不意を打って攻撃を加えることができたが、光の直感力は異常なレベルだ。

 反撃を受ければ怪力を誇るモルジアナの手足でもあっさりと両断されてしまうし、防がれるだけでも接触した魔力からモルジアナの体はダメージを受けてしまうだろう。

 

 そんな二人を見て、傷だらけの体を押してこの場にいるアラジンもまた覚悟を決めて戦いを見据えた。

 

「……モルさん。10秒でいい、眷属器を使ってお兄さんの動きを止めてくれないかい」

 

 今できることをする。

 それが例え自らをさらに追い詰めることだとは分かっていても……

 

「10秒、ですか?」

「うん」

「どうするつもりだ、アラジン?」

 

 アラジンの提案にモルジアナは戸惑いがちに尋ね、アリババも訝し気な声音で尋ねた。

 10秒というアラジンの提案。その時間も意図が読めない上に、提案そのものにも問題があった。

 

「“ソロモンの知恵”を使う」

「アラジン! それは――」

 

 アリババの問いにアラジンは自身が持つ、自分だけが持つ力を行使することを告げた。

 だがその宣言にモルジアナが慌てたように声を上げた。

 今アラジンたちは、“ソロモンの知恵”を狙うアルバ(アルマトランのマギ)から身を隠している状態だ。

 遠からず見つけられてしまいはするかもしれないが、今“ソロモンの知恵”を使えば、確実にアルバに居場所を気づかれてしまうだろう。

 アラジンが重傷を負っている今、再度アルバに見つかればもう逃げることはできないだろう。

 だがアラジンはモルジアナのその心配を力ある瞳で制した。 

 

「アリババ君の時、ベリアルに飛ばされたアリババ君の意識体はこの世界のルフのどこにもなかった。けれどもガミジンの力はそれとは違う」

 

 以前、アリババが“死んだ”時、アラジンの“ソロモンの知恵”はアリババを取り戻すことができなかった。

 

「彼の中から繋がりが消えたとしても、この世界には確かに彼と白瑛お姉さんの繋がりが残っている。白龍君の中に、青舜お兄さんの中に、それに僕の中にも」

 

 だが今の光の状態は、アリババの時とは違う。

 まだ取り戻せるかもしれない。

 運命に翻弄されて、壊れてしまった“王の器”を直せるかもしれない。

 

 それは酷く傲慢な考えなのかもしれない。

 彼が覚悟した思いを踏みにじり、運命の正常な流れに抗い、消えてしまったものを取り戻そうというのだから。

 だが、今は一人でも多くの味方が必要だし、白龍と光が、白龍の姉である白瑛を愛する人とが、殺し合いをするのを諾々と受け入れるなんてできない。

 

 かつてアラジンは白龍に「人が最初に目指していた未来と、真逆の咆哮へ突き進んでいくことが堕転であり、それはとても悲しいことだ」と言った。

 それに対して白龍は「生きていく中で最初に目指していた輝かしい未来を、目指すことを、途中でやめて、恨んだり、葛藤してはいけないのか」と問うた。「不幸だからと、あなた(他人)に生き方を決められたくはない」とも言った。

 

「“ソロモンの知恵”でルフに潜って呼びかければ、繋がりを繋ぎなおすことができるかもしれない。そうすれば…………」

 

 今もアラジンには、その時の答えがない。以前ほど堕転が明確なる“悪”だとは思えなくなっている。 

 けれどもやはり、堕転は悲しい結末の一つだという思いはあるし、できるならば、明るい未来へと進んでほしいではないか。それが神の創った運命だとか、ソロモンの創った運命だとかは関係なく、望んだ未来があって、それに向かって懸命に進もうとしている人がいるのなら、それを手助けしたいと願うことも、きっと“悪”だとは思えない。

 

 なによりもアラジンはすでに覚悟を決めていた。

 それによりアルバに見つかることがあったとしても、今は光を、融を、白龍を――そして白瑛たちの未来を、繋がりを開きたい。

 

「でも眷属器は…………」

 

 ただ、問題があるとすれば青舜と同じく、モルジアナも今は眷属器を使えないということだ。

 眷属器は主が金属器を持っているときにのみ使用できる。

 主があまりにも金属器から離れてしまったり、白瑛のように金属器を使えない状態に陥ってしまったら眷属も眷属器の力を使うことができなくなってしまうのだ。

 

 ただし、その問題のみはすぐに解決ができた。

 アラジンは少し申し訳なさそうに一振りの剣をアリババに差し出した。

 

「アリババ君。これを……」

「これは……俺の剣!」

 

 かつてアリババの父、バルバッド王がシンドバッドへと贈り、シンドバッドがアリババへと贈った繋がりのある剣。

 アラジンに加護を与えるアモンが宿っている金属器。

 

「本当は体と一緒に渡すつもりだったんだ。今のアリババ君の体じゃ、使うどころか、持つこともできないだろうから。けど…………」

「ああ。分かってる。モルジアナ!」

 

 今のアリババの体には、魔力が“ある。”

 体は本来のモノではないが、意思と魔力があれば、たとえ主自身が剣を振るうことができなくとも力は使うことができるだろ。

 

 アリババの手元に、彼の力が戻るのを見届けたモルジアナは、彼女の脚を飾る眷属器にも力が戻っていることを確信し、アリババに力強い頷きを返した。

 

「はい。10秒、なんとかやってみます」

 

 

 

 

 

 光と白龍、青舜の戦闘はいよいよ激しさを増していた。

 剣技と魔力操作で圧倒的に劣る白龍はザガンの植物操作を巧みに取り入れて距離を取ろうとし、青舜は樹木を陰にしてなんとか光の死角を衝こうとする。

 

「くっ」

 

 だが青舜の試みは光の超人的な直感力と反応によって不発に終わるばかりで、むしろ気の込められた斬撃を受けることもできないために、近づいては必死に回避するので精一杯ということを繰り返している。

 ただそれでも光の注意の幾割かを割かせることには成功しており、時折白龍への光の接近を許すものの青舜との連携により辛うじて均衡を保っていた。

 しかし均衡は均衡。

 繰り返し訪れる離脱のチャンスの一つを使って、白龍は自身の肩鎧、もう一つの金属器へと魔力を込めた。

 

「ベリアルッッ!!」

 

 それは世に3人しかいない迷宮複数攻略者の内、かのシンドバッドでも、練紅炎でもできない特異業。

 

「金属器二つの同時発動だと!?」

 

 ザガンの植物操作と同時並行して、肩鎧に刻み付けられた八芒星が魔力と意思を得て光り輝く。

 

 放たれる紫色の輝きが、光へとまとわりつくと、光の脳裏に“覚えのない”優しく(悍ましく)美しい(偽りに満ちた)声が響いた。

 

 

 ――光殿…………――

 

「ッッ!?」

 

 同時に脳裏をよぎる女性の姿。その姿は白磁の肌に濡れたように黒い髪の麗人。

 それは―――――

 

「ちっ! ――――唵ッッ!!」

 

 舌打ちをした光は、武器を持ちつつ咄嗟に片手で刀印を結び、体内の気を一気に駆け巡らせた。荒れるように巡った気が、外から注ぎ込まれていた精神干渉の魔力を浄化し、外部からの魔的干渉を断つ。

 

「精神、いや記憶干渉か。姑息な真似を」

「なにっ! ベリアルの干渉を跳ねのけただとっ!!?」

 

 ザガン、ガミジンと同じく命を司る八型ルフの金属器、ベリアル。

 かつての戦争では兵士の憎悪を植え付け育て、狂化に利用していた力だが、堕転から戻った白龍はその力をもって、光の失われた記憶を取り戻させようと働きかけたのだ。

 

「無駄なことだ。幻術など俺には効かん。貴様のそれは! ただ敵意を煽ったにすぎん!!!」

「ッッッ!!!」

 

 だがベリアルの力はそもそも、生命を操る魔法を脳に作用させて影響を及ぼし、記憶や五感を操作する力。

 完全なる魔装の力によるものならばともかく、魔力を流し込まれた程度であれば、操気術によってその魔力を排除してしまえば無効化できる。

 そしてなにより、“今の”光には、彼が心から大切に想っていたものの記憶などない。繋がりも失ってしまったそれを幻覚によって見せたところで、それは憎しみを向ける相手を見せられたにすぎなかった。

 それは奇しくも、かつて白龍がベリアルの力で自国の兵士たちにやったことと同様でしかなかった。

 

「くっ! 白龍陛下ッ!」

 

 ますます苛烈に白龍を攻め立てる光の猛攻に、ザガンの植物で護られていた青舜が、その盾から飛び出して切り込んだ。

 憎しみを駆り立てられたがゆえに、光の意識が青舜から逸れたのではないかと気づいての動きだったのだが――

 

「――かっ、は」

「青舜ッ!!!!」

 

 憎悪に激してもなお、光の太刀筋と反応は冷徹だった。

 双刀でザガンの植物を斬りつつ白龍と打ち合っていた背後を衝いたにもかかわらず、光は青舜に視線も向けずにその動きに反応し、蹴りをその腹部へと叩き込んだ。

 

 重い一撃に加えて気を無防備な体内へと流し込まれた。

 それは命の危機にも瀕することであり、幼馴染でもある青舜の危機に、白龍が動揺を露わにした。

 

 その動揺は格好の隙。

 

「ッッ――――しまっッッ!!!」

「尸桜―――――」 

 

 光は片手の和刀で白龍の青龍円月刀を跳ね上げ、金属器の八芒星に魔力を集中。

 紫色の魔力が煌き、“白い”焔が顕現。

 

「――― 焔刃!!!!」

「――――――ッッッ」

 

 振り下ろされた焔刃は、避けようもなく必殺の間合いで放たれ、武器を跳ね上げられた白龍にはただその刃を身に受ける以外に選択肢はなかった。

 

 焔を纏った斬撃が白龍の体に直撃し、その体が吹き飛ばされた。

 だが―――

 

「くっ! ――――? これは…………?」

 

 必殺の間合いとタイミングで繰り出された光の一撃は、たしかに白龍の体に直撃していた。しかし数メートルを吹き飛ばされた白龍の体には斬撃の痕はない。

 

 魔力操作で防いだ? ――――彼我の技量差では白龍の鎧など薄紙も同然に引き裂かれる。

 ギリギリで躱した、防がれた? ――――防ぎようも、回避のしようもなく、たしかにその体に斬撃が走った感触があった。

 

 白龍の体には斬撃の痕はなく、代わりのように

 

「なにっ! 焔が!?」

 

 白い焔がまるで白龍を護るかのごとくに纏わりついていた。

 驚愕は光のもの。光の金属器から放たれた“白焔”が、憎悪する敵であるはずの白龍を護っていたのだ。

 

 ―――その“白”は、かつて弟を守るために業火の中で敵を斬り伏せ続けて業火に呑まれた。

 その“白”は、かつて弟を守るために業火の中で自らの腹を裂いて意志を託した。

 なればその意志継ぐ者に、どうしてその白焔が牙を剥こうか…………――――

 

 だがそれを光は“知らなかった”。

 なぜなら彼が気が付いた時、すでに彼の金属器にはその力があったのだから。

 彼にとってそれは単なる“力”でしかなく、そこに込められた“思い”など知るはずもなかったから。

 

 ゆえに、さしもの光も自身の愛刀の翻心ともいえる力の発現に、それまでの俊敏な動きがわずかに止まった。

 

 ――ジャラ ――――

 

「――ッッ!!」

 

 驚愕が、光の反応を一瞬鈍らせ、異音に気づいた光は直感に任せて後ろへと跳び退こうとした。

 

「眷属器――」

 

 しかしそれよりもわずかに早く轟くファナリスの少女の声。

 

炎翼鉄鎖(アモール・セルセイラ)!!!」

 

 光の周囲を囲んだ鉄鎖が光を拘束せんと襲い掛かった。

 

「――クッッッ!!」

 

 回避は不可能。ただの不意打ちであれば拘束狙いの攻撃など受けはしなかっただろう。だがいかに直観力の優れている光といえども、自身の力が敵を守るという不測の事態に加え、眼前には優先的脅威である金属器使いがいたのだ。

 

「ちぃぃっ!!!」

 

 咄嗟にできたのは、二刀の左を盾にして炎熱の拘束鎖から身を守ること。

 包囲から一瞬にして光の体を締めあげんとした炎熱鎖は、光の体を締めあげる寸前の僅かな差で差しはさんだ金属器が完全に締め上げるのを防いだ。

 

 モルジアナの眷属器、炎翼鉄鎖(アモール・セルセイラ)

 それはアモンの主であるアリババとともに在ることを誓い、願った彼女がかつて手にした鉄の翼。

 アラジンが語りかけ、かつての奴隷仲間が断ち切り、アリババが外してくれた奴隷の証から生まれた彼女の空翔ける翼。

 

「っぅッッ!!」

 

 さしもの光も、ファナリスの怪力による締めつけとアモンの眷属器の炎熱の2重攻撃には顔を歪めて苦悶の声を漏らした。

 ファナリスの怪力は鎖による遠隔性を介してなお、光の膂力を圧倒的に上回っているのだ。

 もっとも純血のファナリスであるモルジアナの魔力量は非常に少なく、大熱量を発生させればすぐにでも魔力切れを起こして瀕死の状態に陥ってしまうが、それでも光の動きは固定された。

 そして――――

 

「今です! アラジン!!!」

「!!」

 

 その僅かな拘束こそが必要だった時間。

 光の視界の端に、杖を構えるマギの姿が映る。

 

「行くよ――――“ソロモンの知恵”!!!!!」

 

 

 額に発現するは八芒星の証。

 光輝く鳥のようなルフが翔け、失われた想いを取り戻す願いを込めて、四人目のマギが一縷の望みをかけて切り札を切った。

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 男が一人立っていた。

 

「樹……?」

 

 全ての花を散らし、枯れた木を前に一柱のジンが人型ほどのサイズに身を縮め、見上げるように立っていた。

 

「君は……」

 

 紡がれた願い。

 祈りを胸に舞い降りた闇の中でアラジンが出会ったのは――――

 

「これは唯の残骸。消え損ねた夢の欠片。やがては淡く消えゆくただの泡沫」 

 

 悲し気な声音とともに振り返ったのは、かつて姿を見せてくれなかった光のジン――ガミジン。

 

「……なら、なぜ見つめているんだい。そんな顔で」

 

 奇蹟のマギが見たのは希望か、絶望か

 

「約束があったんじゃないのかい!? おにいさん!」

 

 必死に呼びかけるアラジンの声に、ガミジンの顔に悲しみと憐れみが浮かんだ。

 



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第40話

 

 ――ここに来て、あなたのお父上である王にお会いし、あなたとお話をさせていただき、あなたを知ることができた―――

 

 脳裏でフラッシュバックする“あるはずのない”光景。

 

 ――私も、あなたに約束します。今度お会いする時。その時の私が、守られてばかりの私ではないことを、約束します――

 

 ――ふ。はは、ははは! 和でも煌でもなく、一人の女のためにお前は大陸の侵略国家に出向いてきたというのか? ――

 

 

「なんだッッ――――これはッ!」

 

 波濤のようなフラッシュバックの奔流に、光は額を抑えた。

 練白龍が先ほど仕掛けてきた金属器による精神攻撃とは違う。

 “まるでかつてあった出来事のように”どこかから流れ込んでくるそれを、懸命に体内の気の流れを操作して外部からの干渉を排除しようとするが、止まらない。

 

 ――しかし、流石ですね皇殿。兄上があれほど楽しげに人のことを語っていたのは久しぶりです――

 

 紅い髪の軍師――

 

 ――政略結婚、っていってもお互い好き合ってる同士なんでしょぉ? せっかくの良い縁なんだから大事にしなよ~――

 

 紅い髪の武人の少年――

 

 そんな景色は知らない。

 彼らとそんな言葉を、やり取りを交わしたことなどない。

 彼らは憎悪すべき世界の敵で、大罪人で、自らも参戦した戦の敗北者。

 

 

 ――大きなお世話です。お暇なのですね。特使さんは――

 

 紅い髪の水の乙女――

 

 ――……光殿。俺の力が不安なら、貴方が試してみて下さい。…………今の俺は、もう、貴方よりも強い!!――

 

 彼らは唾棄すべき裏切者たちで、この国に禍をもたらす者たちで、彼が斬り捨てるべき敵で…………

 

 

 ――今この時。貴方と見る雪はどこか特別なもののような気がして、私は好ましいと思いますよ――

 

 

 あの時、何を見ていた?

 舞い降りる雪の景色に、何を垣間見ていた。

 

 ――今日、貴方と見られたこの雪の景色の思い出は、きっと忘れないと私は思います――

 

 舞い降りる雪(舞い散る花弁)は誰の肩にとまっていたのか。

 

 

「俺に、入ってくるなッッッ!!!!」

 

 痛む頭を押さえた掌。指の隙間から覗く視界の先に立つのは、額に八芒星――敵の証(金属器の紋様)を煌かせるマギ。

 

 ――だがせめてあいつには……白瑛には幸せな生を送ってほしいと思うのは、俺の我儘か……?――

 

 

「――――――貴様ぁぁッッッッ!!!!!!!!」

 

 会った覚えのない白き武人の雄々しい顔が浮かび、泣きそうな、あるいは懇願するかのような言葉を紡ぎ、光は絶叫の声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 アラジンが仕掛けたのは、“聖宮”へのアクセス権である“ソロモンの知恵”を使ってこの世界のルフの記憶を探り、光の失われた、そしてガミジンが経験してきた光のもっとも大切な人との“繋がり”の記憶を呼び起こすことだった。

 

 かつてアラジンは、堕転したマギ――ジュダルに対しても、彼の覚えのない赤子のころの記憶、アル・サーメンによって両親と引き裂かれた記憶を見せたことがあった。

 結果、彼は最終的に白龍と手を組んでアル・サーメンに反旗を翻し、その組織の力をほぼ壊滅に追いやった。

 

 たしかに光の中からはその記憶に関するルフはない。

 けれどもこの世界には彼と彼のもっとも大切な人(練白瑛)との関係を知る人、見てきた人が居る。

 そういった繋がりから生まれた記憶を知るルフに呼び掛けて光にそれを見せたのだ。

 

「くっ!」

 

 だが今回は以前(ジュダル)の時とは違い、アラジンの消耗が激しすぎた。

 シンドリア沖でアルバとシンドバッドによって負わされた深手はまだ十分に癒えておらず、歩いて移動しているのでもかなりの疲労を蓄積していたのだ。

 マギたるアラジンには、ほかのどんな魔導士とも違ってルフから無限に魔力を供給を受けることができる。

 特にアラジンにのみ許された“ソロモンの知恵”を使えば、太古のルフから記憶を呼び起こしてその魔法を行使することだって可能だ。

 だがそのためには、流れ込む記憶の奔流を受け止め、処理しきる器と、魔法を行使するための強い肉体が必要であり、著しく体力を消耗する。

 今の彼にはそれはかなり大きな負担であり、アラジンもまた苦悶に顔を歪め、杖を渾身の力を振り絞って握り締めながら“ソロモンの知恵”を発動させていた。

 

 額を抑えた掌の隙間から敵意に満ちた眼差しを向けてくる光。先ほどまでは白龍こそが討ち取るべき第1優先脅威であったのを、今やこのマギこそが最も凶災をもたらす敵であると認識した眼差し。 

 その視線を受けて敢然と対していたアラジンだが、苦悶が漏れ、一瞬注意が途絶えた。

 

「アラジンっ!!」

 

 ―――瞬間、光の姿が消え、同時にモルジアナの叫ぶ声。

 

「!!!!」

 

 “ソロモンの知恵”により自身のルフに変調を来している中、しかし光はその歩法をもってアラジンへと肉薄し、和刀を振りかぶった。

 

 幻術とも違う、この不可思議な業とて、術者が倒れれば続きはしないはず。

 深手の状態のアラジンでは“ソロモンの知恵”の発動で手一杯で、強固なボルグは作り出せず、しかも光の気を纏った和刀はボルグすらも斬り裂く。

 

 しかし―――

 

「!! ――ちぃっ!!!!」

 

 和刀を振るいボルグを斬り裂くその直前、光は“それ”に気が付いて跳び退った。

 

「えっ!? なんだっ!!?」

 

 一瞬遅れて、光がいた場所を飛来した斬撃が襲い掛かった。

 着地した光はすぐさま斬撃が飛来した方角――アラジンたちがやってきた方角へと視線を向けた。

 そしてさらなる斬撃が飛来するのを察知して跳んだ。

 

「くッッ、カイムの斬撃。兄上かっ!」

 

 続けて二撃、三撃と飛来する斬撃を躱しつつ後退する光は、その主である金属器使いである兄、閃が居るであろう方角を睨みつけた。

 

 皇閃を加護するジン――傾聴と鋭絶の精霊 カイム。

 その能力は力を操る7型のルフを司り、あらゆるものを、空間すらも斬り裂く能力。その力の片鱗をもってすれば、空間を斬り裂くことで距離に無関係な斬撃を放つこともできる。

 

 それに加えて閃が操気剣を込めて振るえば、いくら光でも完全に避けることは難しかっただろう。

 つまり今の斬撃は威嚇。

 光を処断こそしないものの、彼らは守るという威を示してきたのだ。

 

 距離を離すと斬撃は来なくなったが、肩で息をするほどに疲弊しているマギの放つ正体不明の幻術魔法は止まっていない。

 だが、閃にことがバレて威嚇された以上、継戦することは許されない。

 

 光はアラジンを、白龍を、彼らを睨みつけると、ちらりと視線を動かした。

 血溜りに倒れながらも、まだ息のある友。

 

「―――ッ!」

 

 その姿に奥歯を噛み締めると、地を蹴ってその場を離脱した。

 

 

 

 戦いを続けることを許されなかった以上、解除されるかは分からないが距離を離すしか手立てがないと判断したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……居なくなった、のか?」

 

 魔力の消耗のために肩で息をしているモルジアナだけでなく、相手の突然の異変と撤退に呆然としていた白龍と青舜。アリババも呆然として光の撤退を見送り、再度の襲撃がないと分かると、恐る恐ると言葉にした。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…………っっ!!!」

 

 とりわけ疲弊が大きいのは、重傷の状態で“ソロモンの知恵”を発動させたアラジンだ。なんとか杖に縋りつくように立っていたアラジンだが、光が去ったことで張りつめていたものが切れたようにぐらりと体を傾けて倒れた。

 

「アラジン!!」

「おい、アラジン! 大丈夫か!?」

 

 すぐさま駆け寄るモルジアナとアリババ。

 モルジアナの消耗も激しくはあるが、眷属器の炎熱の放射を抑える術を身に着けているために動けなくなるほどではない。

 倒れたアラジンに駆け寄り声をかけたアリババとモルジアナは、倒れたアラジンが苦し気に呼吸をしているのを見て慌てたものの、傷が開いたということはないのを手早く確認してホッとした。

 

「ダメだ…………すぐにここから離れないと」

「え?」

 

 だがそのアラジンが、苦し気な呼吸のまま振り絞るようにここからの離脱を告げた。

 

「さっきので居場所を気づかれた。――――――アルバさんが来る!!」

「なっ!!!!?」

 

 西方の空を睨み付けるアラジン。

 アリババが驚愕し、痛恨の事態にモルジアナが顔を顰めた。

 そして彼らとは離れたところで、白龍もまた顔を険しくし、自分の状態を確認した。

 

 ダメージはそれほど残っていない。

 致命的とも思えた最後の斬撃も、あの不可解な“白焔”がなぜか白龍を守ってくれたし、あまり大規模な戦闘にしないために完全魔装は行わなかったから魔力量もまだ残っている。

 もっとも、大規模戦闘にしないための配慮は、結果的にアルバに見つかってしまったことを考えればあまり意味がなかったと言えるだろうが。

 

 手早く自身がまだ継戦能力を有していることを確認した白龍は、次いで自分の部下でもある青舜へと目を向けた。

 

「……青舜、大丈夫か?」

「白龍陛下……はい。なんとか……」

 

 気の込められた重い蹴撃をまともに受けた青舜は、かなりのダメージを受けてはいるようだが、動けないほどのダメージではなさそうだ。

 

「なら、立花殿とアラジンを頼む」

 

 ただ、ダメージがなくとも眷属器の使えない今の青舜では――というよりも眷属同化のできていない彼では、“ヤツ”との戦いに立ち入ることはできないだろう。

 ゆえに白龍は、青舜には深手を負って倒れた融と、重傷の身で疲弊してしまったアラジンのことを頼み、自身は魔装に身を包んだ。

 

 黒い鱗に覆われた、毒蛇を喰らう孔雀のごとき魔装の姿。忠節と清浄の精霊――ザガン。

 

「白龍さん!?」「白龍!!」

 

 戦闘態勢を整えた白龍を、モルジアナとアリババが呼びかける。

 

「玉艶は、俺が倒します!! 今度こそッ!!!」

 

 だが、決意に満ちた声とその姿は、彼らにも止めることなどできはしなかった。

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 身軽な動きで樹上を跳ぶように駆けていく光は、しばらく頭痛に耐えるかのように額を抑えていが、すぐにその痛みが消えたことを感じ取った。

 

 ――術が消えた…………――

 

 距離が離れたためにあの術の有効射程から逃れることができたのか、それとも術者のあの状態を鑑みるに術を続けることができなくなったのか、どちらかは分からないが、頭痛とともに続いていた見知らぬ光景の流入が止んだ。

 

 術が止まったことで、戻ってもう一度、練白龍を討つことを考えなかったわけではないが、はっきりと閃の兄上から抑止された以上手出しは控えるべきだろう。

 ゆえに光はそのまま城へと足を進めながら先ほどの不可思議な術について思考を巡らせていた。

 

 

 直前に交戦していた白龍から受けた精神攻撃、ベリアルといった金属器の幻術は無効化できた。

 だがあのアラジンの術は防ぐことができなかった。

 ただ、不思議とあの光景が白龍の見せてきたものとは違い、明確な“偽物”の光景ではないと、なぜか感じとることができた。

 まるでどこかで誰かが見てきた記憶であるかのように。

 かつてどこかで起こった出来事…………

 

 術の影響がまだ残っているのか、思考を続けようとすると浮かんでくる姿があるのだ。

 

「…………馬鹿な。そんなはずはない……あれは……ただの幻だ」

 

 頭を振って湧き上がってきそうになる馬鹿な思考を振り払おうとした。

 だがそれでも脳裏に彼女の姿が浮かぶ。

 

 ――風に揺れる長い黒髪。八芒星の刻まれた赤い宝玉のついた白羽扇。淡く微笑む麗人。浮かぶ微笑みの奥には、まっすぐな勁い意志があり―――――

 

「――――ッッ!!」

 

 ザッと足を止めた光は、苛立ちをぶつけるかのように木を殴りつけた。

 

 ―――――分からない。

 なぜこうも苛立つのか。

 ただ幻術をかけられただけ、そう断じるには何かが光の心を突いていた。

 大切ななにかに、かつて失ったものにもう一度触れたかのように…………そんなはずはない。たしか幻術で見せられたあの女は、たしか先の皇位継承戦争で弟可愛さに自軍を売って、シンドバッドに媚びへつらった女ではなかったか?

 視界にも映したくない相手だ。

 

 けれどなぜそれを見せつけたのか。なぜ融は自分ではなく、兄に、そしてあの連中に与したのか。

 

 

 光は西の空へと視線を向けた。

 何かがこの国にやって来ようとしている。

 それはこの国にとってよくないもので………… 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

「アラジンはどこかしらぁ? 彼を渡しなさい、白龍」

「白瑛、いや玉艶。今度こそ、貴様を倒す!!!」

 

 和国西側の領海上で、ザガンを纏った白龍は魔法によって杖を大剣と化して振るう白瑛(アルバ)と激突していた。

 一戦を行った後とはいえ、討ち損ねた仇敵を前に白龍の気力は十分。相手がかつて守りたいと願った姉の姿であったとしても、倒すという意思に揺らぎはない。

 

 双頭の槍による接近戦に加えてザガンの細菌操作による操命弓(ザウグ・アルアズラー)での波状攻撃。

 それは間違いなくアルバに直撃し、しかし白龍の攻撃を裂き、海を割るアルバにダメージは通っていなかった。

 

「ジュダルもいない、絶縁結界もない、あなたに勝ち目などないのよ、白龍!!!!」

 

 大笑とともに振りかぶられた杖剣の一撃が白瑛の槍を断ち、深い斬撃を与え、戦闘能力を奪い去った。

 

「ぐ……かは―――――――」

「終わりよ、白龍」

 

 深手を負わされ、血塗れの体はアルバの片手一本で首を締めあげられて浮いていた。

 

 

 たしかに、白龍は一度玉艶(アルバ)に勝ち、その首を刎ねた。

 その時、白龍は紅炎の金属器、慈愛と調停のジン、フェニクスのいましめの輪を受けて極大魔法を使うことのできない状態にされていた。

 だがジュダルがいたことで、ジュダルの絶縁結界の影響ですべての魔法が無効化されていた。

 絶縁結界――それはマグノシュタットでマタル・モガメットが研究していた魔導士を否定する禁断の魔法。

 そのためジュダルの魔法も白龍の金属器も、アルバの魔法も無効化されて純粋なる剣の力による争いとなった。

 アルバはアルマトランのマギであると同時に、アルマトランで最強の剣士でもあった。

 それに対して白龍と、彼に加担した煌帝国の将軍たちの助力によって討ち果たすことに成功した。

 つまりあの時、白龍が玉艶を殺すことができたのは、ジュダルの魔法があったという影響が大きい。

 今、魔装も極大魔法も使うことができる状態であるとはいえ、ジュダルの加護もなく、一対一の状態では初めから分が悪いものだったのだ。

 

「俺の――――負けだ……」

 

 口からも血を流し首吊りにされている白龍には、もはや独力で戦況を挽回できるだけの力は残されていなかった。

 

「……最期なら、教えてくれ。俺の、母上は、いつから“アルバ”だったんだ……?」

 

 ガクリと力を失い虚脱する白龍は、懇願するかのように問うた。

 それはせめてものことだったのだろう。

 

 白龍の記憶の中にある母は、優しくて、幼い白龍や白瑛の手を引いて明るく笑いかけてくれる人で、父・白徳の后として相応しく、彼を支える内助のできる人だった。

 だからこそ、初めは兄たちが今際の際に言ったことが信じられなかった。

 あの優しい母が、父を謀殺した首魁で、兄たちを殺し、白龍を殺そうとし、そして国を乗っ取ろうとしていた諸悪の根源だとは。

 

「ふふふ。さぁあ? いつからだったかしらね。覚えてないわ。私はね、白龍。精神体なのよ。だから体を取り替えることができるの」

 

 それは本当に覚えていないのか、韜晦しているのか。

 いずれにしろ、もはやアルバには失われた体(玉艶)のことなどどうでもいいのだろう。

 

「イスナーンたちのように“人形”でもいいけれど、それではアルマトラン時代の実力は発揮できないわ。私が強さを保つには完全に適合する肉体が必要なのよ」

 

 彼女にとって、必要なのは今であり、これから先に自分の力を繋いでいくこと。

 

「どういう、ことだ!?」

「子供よ。この体の、この血のルフを受け継ぐ体だけが、予備体として完璧に役目を果たせる!! “玉艶”の母親、そのまた母親と存在し続けてきたのがこの(白瑛)!!!」

 

 百年、千年……幾度、幾十度、幾百度もの間、連綿と受け継ぎ(乗っ取り続け)その力を保ち続けた怨念、あるいは妄念ともいえる執念。

 

「だから次の体も作っておかなくちゃ。あの男にはがっかり。でも仕方ないわよね。あれはただの人形だったのだから。早く白瑛の体で子を産み、育てなくてはいけないわ」

 

 誤算といえるのは、この体(白瑛)ならばもっと早くに孕み、子を産むと考えていたのに、それができなかったことだ。

 それというのも玉艶の子供であった白雄と白蓮が余計なことに感づき、深入りし始めてしまったことがきっかけだ。

 あれさえなければ、もう少し遅くてもよかったのだ。

 もっとも、そのために煌帝国という巨大な土壌で存分に黒ルフを広げることができたし、結果的にはシンドバッドという強力なカード――特異点と手を結ぶことができたわけだが。

 

「そして私は繋ぎ続ける。どれほどの時が流れようとも!!! “何度”繰り返そうとも!! ソロモン王の創ったこの世界を否定するためにッッ!!!!!」

 

 ただそれほどの妄念、常人には理解できないだろう。

 

「なぜ、そこまでして! シンドバッドと組んで、何を!? いや……シンドバッドの精神も、もう何者かに乗っ取られているのか!?」

 

 それこそ復讐に憑りつかれたことのある白龍とて同じこと。彼とて幾度も悩み、折れそうになったのだ。ことにアリババやモルジアナという、情を交わした相手ができたとき、復讐という負の心はひどく脆くなる。

 それを幾百度。普通の人間の精神構造ではないだろう。

 

「シンドバッド様は“まだ”自我を保っているわ。あの人はこれからシンドバッドでもダビデでもない、まったく新しい存在になるのよ。それこそ“イル・イラー(あのお方)”の復活の時!!」

「なっ! シンドバッドはそれを知っているのか!?」

 

 巨大にして長大な企み。それはもうまもなく成就する。

 シンドバッドという、ダビデと、“イル・イラー”と繋がったこの世界における特異点を得たことによって完結するのだ。

 

「いいえ。知る必要ないでしょう? あなたが今更そんなことを気にしてももう遅いのよ。あなたは最期まで幼稚な子供だった。復讐、復讐、復讐と、一時の感情に流されるだけで何もできない! 何も見えていない! だからあなたは仇を討てず! 姉までも失うことになったのよ!! ホホホホホホ!!!!」

 

 アルバの哄笑。それはかつての凛とした姉の顔とも思えぬ表情。千年の妄執により怪物と化したモノの顔で響いた。

 

 その狂える姿を見る白龍の瞳は、激昂に駆られている―――ことはなく、凪いだように冷静な瞳だった。

 

「仇か……確かに俺は復讐しか見えない、感情に流されるだけの子供だった」

「…………?」

 

 かつての白龍は、ただ復讐のことしか考えていなかった。

 ただただひたすらに玉艶を、組織を、紅炎を、世界に憎悪を向けて、恨みを晴らすことだけが生きる術だった。

 

 その挙句があの戦争で、国に戦争をもたらし、白瑛を失うという結末を生んだ。

 

 そして訪れた空虚。

 憎んだ相手も世界の一部であり、それは自分の一部、これまでの自分を作った一欠けらでもあったのだ。

 だからそれを殺し、否定するたびに必死に生きてきた自分の人格が死んでいくことに気がついた。

 

 あの練紅炎とて、白龍と同じように自身の無力と滾るような復讐心を感じていて、それを覆そうと、呑み込もうと必死に抗っていることを知った。

 知ってしまえば、もうそんな彼を否定することはできず、自身もまた空虚な生き方に甘えることができないことに気が付いた。

 

「様々な助力を得て、もう復讐は終わったんだ……そして今!! 為すべきことは、貴女を取り戻すことだっ! 姉上!!」

 

 ゆえに練白瑛(アルバ)を否定することはしない。

 大切な彼女を取り戻し、今まで自分が必死になって生きてきたこの世界を、数多の人が創ってきたこの世界を、たった一人の(シンドバッド)のみの考えで染め上げたりさせないために。

 

「今さらなにが―――!!!!」

 

 ゴォッ!!! と、不意を打って襲い掛かってきた飛翔する斬撃をアルバは咄嗟に白龍を手放すことで回避した。

 

 そして舞い降りるように白龍の前に立ち、宙にあってアルバの前に立ち塞がる新たなる金属器使い。

 

「勝手に、その人を孕まさないでいただきたいですね」

 

 鴉のごとき漆黒の魔装には鬼のような二つの角。

 手にあるのは八芒星を刀身に刻んだ和刀――紫微垣。天帝の異称を冠する和国の宝刀。

 

「その方は私の弟の妻になる人なんですから」

 

 魔装カイムを纏いし、和国の第1王子。

 

「和国王子――――皇 閃!!!」

 

 和国の二振りの王刀の一つが、その刃を異世界のマギに、そして実弟の妻となるはずだった女性へと、毒々し気な憎悪の顔を見せるアルバへと向けた。

 

 






7/1の現時点では結局、原作で倭健彦の完全魔装も極大魔法もお披露目されなかったので、カイムの金属器については独自解釈、設定を採用しました。
本誌原作だと聖宮から戻って来てあちこちの人たちと戦うことになりそうなのでもしかたら出てくるのかもしれませんが、ここから先は原作乖離しても齟齬が出てしまった部分については修正なしに突き進んでいくつもりです。


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第41話

 和国西方の海上。

 大罪人が島流しとして幽閉される島にほど近い海域の上空で、和国第1王子の皇 閃と煌帝国前皇帝の練 白龍が、一人の魔導士と対峙していた。

 

「遅くなってしまいすいません、白龍陛下」

「いえ。いいタイミングでした。おかげでいくつか情報を聞くことができました」

 

 敵の名は練 白瑛――その体を乗っ取っている異世界のマギ、アルバ。

 たった一人の復讐者としては、逆転の手立てなど見えないほどに追い詰められた白龍は、だからこそ得られた情報があることを慰めとして、傷を負った体を慰めた。

 

 イル・イラー復活の企み。シンドバッドとダビデの融合……それらはもともとあった危機への懸念をさらに深める情報ではあったが、逆転の手を打つためには正確な情報は必要だ。

 

 そして援軍として駆けつけた閃は、白龍を上回る剣技と魔力操作の持ち主。異世界の魔導士にして最強の剣士でもあったアルバを相手にするにはある意味白龍よりも適任であるかもしれない。

 

 ただ…………

 

「お得意の魔力操作を使った剣かしら? 無駄なことよ。あの男だって、それで私に負けて惨めに消えたのだから」

 

 和国の操気剣。その屈指の使い手である皇 光はアルバに敗北している。

 様々な感情の鬱積を込めて、閃はアルバに視線を向けた。

 

「その節は弟がお世話になったようですね。御陰様で弟も元気になったようで。そして今度はそちらから我が国に来ていただけるとは。甚だ準備不足ですが、是非とも歓待させていただきますよ、アルバ殿」

 

 魔装と化した鬼腕に握られた和刀を突きつけた。

 その切っ先にニィぃと歪んだ笑みを突き返したアルバ。携える杖に、そのマギとしての極限の魔力が込められ、吹き荒れた。

 荒れ狂い吹き上がる魔力は白瑛の長い黒髪を舞い上がらせる

 片手に持っていた槍のような下限の月の杖を、反対の手にも顕現させて二杖にし、有り余る魔力で巨大な魔剣と化した。

 閃も魔装化した和刀・紫微垣の刀身に指を走らせ、気を纏わせた。

 

「鬼刃――――」

 

 互いの機先が充溢し――――先に仕掛けたのは二刀を振るうアルバだった。

 

 ――――――ゴッッ!!!

 宙を駆ける勢いは、それだけで波を割り、大気を薙ぎ払って襲い来る魔剣は、直撃すれば両断どころか胴体ごと消失しそうな威力を有している。

 閃は光にも劣らない見切りでその剣戟を躱し、往なした。

 

「ほら、ほらほら、ほらぁぁ!」

「………………」

 

 途切れることのないアルバの魔力剣の連撃に、防戦一方の閃。

 魔装カイムの飛翔で距離を離そうとも、マギであるアルバの飛翔能力はカイムを上回っており、そう易々とは間合いを離せるものではない。

 

 膨大な魔力で編まれた魔剣の豪撃。

 閃は和刀でそれを防御するが、直撃による威力は減衰しきれずに吹き飛ばされる。

 

「――――ッッッ」

「アナタの剣がどれほど優れていたとしてもっ! 私はアルマトラン最強の剣士! 何者もっ!! 私の剣には及ばない!!!」

 

 絶対的な強者が、愉悦をもって弱者を踏み潰す快楽。

 アルバの顔はまさにその愉悦に染まり切っていた。

 

 和国の武人である閃の領域であるはずの剣技にて彼を叩き潰さんとするのは、アルバの自信の証。千年を超える以前、アルマトランの時代において最強の剣士であった自負。

 その力は―――元の肉体を失っても、蓄積された技術と知識、魔力を繋ぎ続けている力は、疑いようもなくこの世界において最強。

 

 吹き飛ぶことで離れた距離を、しかしアルバはすぐさま距離を詰めて追撃し、刀身を絡み合わせて押し込んだ。

 追い込まれる閃は海面へと激突するように押し込まれ、衝撃で大海の波が荒れる。

 弾き飛ばされた水面が大波となって戻り、二人を押し包む。

 

 波がぶつかり飛沫となって弾け、瞬間、アルバが押し込んでいた剣圧への抵抗が消え、閃の身も消えた。

 

「あら? ふふっ、小賢しい、真似ねェッッ!!!」 

 

 背後に現れ振りかぶる閃。それをアルバは余裕をもって予期して魔剣を振り抜き――――

 

「カイムッッ!!!」

「!!?」

 

 斬撃とともに金属器の力が発動。

 気の込められた一閃が空間を斬り裂き、その斬り裂かれた空間に吸い込まれるようにアルバの剣閃がブレた。

 一瞬ニ閃。返る太刀筋が煌き、剣閃のブレたアルバの魔剣を斬り、バッと赤い飛沫が水面に落ちた。

 

 閃の斬撃は振り抜いた方のアルバの魔剣を杖ごと切断し、彼女(白瑛)の体に一文字の赤い線を刻んでいた。

 

「………………なぜ?」

 

 唖然として自らの体に刻まれた赤い線と切断された杖の断面を見るアルバ。

 その顔はいっそ無垢な疑問を浮かべているかのように純粋に分からないと告げていた。

 

 アルバの力は、剣と魔法はこれまで、この世界においてどんな者よりも上回っていた。

 元より、アル・サーメンの魔導士たちは剣士ではなく、体を人形に宿してしまったがためにその力もかつての世界の時とは比べるべくもないほどに弱まっている。

 長く長く繰り返す刻の中でもすべてはアルバとアル・サーメンのアジェンダ(計画書)の思惑から外れるものはなかったし、外れそうになった者たち――煌帝国の白雄や白蓮たちも大火の中で死んだ。

 死霊の主である皇 光(ガミジン)とてその武威は及ばなかったし、紅炎たちは戦う前から心が屈していた。

 唯一白龍に敗れはしたものの、あれはジュダルの絶縁結界という切り札があったのが大きく、剣技でも1対1では負けていなかった。なによりも結局のところ白龍はアルバの本質を掴めておらず、先ほど改めて勝敗を正したばかりだ。むしろ予定通り。

 元々脆弱で、古くなってきていた器を捨て、若く強い器を手に入れる。戦場に出ていたがために少々傷ついてはいたが、そんなものアルバの力をもってすれば容易く消し去れる。

 

 アルマトラン最強であった(・・・)剣士。

 だからこそ、直に剣を交えることで分かってしまった。

 

 ――この剣士の剣技は、自分のそれよりも上である。

 

 

 だが、それは“ソロモン王の傲慢”という、否定すべき世界においては絶対に認めることのできないことであり――――

 

「かつての世界で貴女がどれほどの剣士だとしても、この世界でも最強の剣士であることと同義ではありません」

 

 だが、皇 閃はそれを突きつけた。

 

「――――なっ!?」

 

 事実を突きつけられ、唖然とし、次いでその顔に憎悪と憤怒を漲らせた。

 格下に見ていた――この消えるべき“ソロモン王の傲慢”で、あるはずのない自身を凌駕する者。

 

「貴女が千年の妄執を積み重ねたというのなら、和国の剣士は千年、敵を斬り、仲間を守るための剣と剣技を積み重ねた」

 

 

 ジュダルの絶縁結界とて同じことだ。

 たしかにあれはアルマトランでも存在した技術。そしてこの世界では扱える者のいないはずの技術であった。

 だが、長い刻の果てに、魔導の国の学府がその道を究めんとし、そして辿り着いた知識。

 

 千年――――

 たしかにアルバは悠久とも思える繰り返す刻を、妄執によって耐え、この世界における一つの血脈を食い物にすることによって力を保ち続けた。

 だがそれはあくまでも維持。

 化けるために剣を置き、あってもマギとして魔法を振るうことしかしなかった者の剣技がかつて以上に鍛えられていることなど、ありはしない。

 

 

「この世界で、貴女は最強の剣士ではない」

 

 突きつけられた剣と言葉に、アルバはワナワナと体を震わせ、目を血走らせてギリギリと睨み付け―――けれども剣を交えることによって植え付けられた事実は、剣士としての自負があるだけに否定できなかった。

 その眼差しには憎悪と共に恨めしさが混ざっていた。

 

「………………そう……なら、そんな剣術(プライド)なんて要らないわ」

 

 だが、懊悩は長くは続かない。

 たしかに、アルバにはアルマトラン最強の剣士としての自負がある。

 それがよりにもよってソロモン王の創ったこの世界の塵芥に後れを取るということは許しがたい。

 けれども、アルバは剣士であると同時に魔導士――マギでもあるのだ。

 そして剣士としての己を貫き通すこと以上に大切な目的がある。この“ソロモン王の傲慢”が生んだ世界を壊すこと。

 その目的の前では、たかだか剣で劣ったことによる屈辱など顧みる価値もないことだ。

 

 アルバは残るもう片方の杖から魔法の命令式を紡ぎ出し、宙に紫色の八芒星を刻んだ。

 

傀儡子操葬(アラ・ラケーサ)!!」

「くっ!! 体をッ!? こんなもの――――ッッ!!」

 

 マギとしての溢れんばかりの魔力を魔法式に注ぎ込み、発動した魔法は閃の体へと纏わりつき、自由を奪わんとする。それに対して閃は自らの肉体に干渉してくる外部要因を感知するや、すぐさま体内の気の制御を活性化。

 光が白龍のベリアルに受けた精神干渉を跳ね除けたのと同様に、魔法を排除しようとした。

 外界から内界への意識の集中。込められた魔力が規格外に強力な分だけ、それだけ閃の注意集中を割かざるをえず、アルバへの注意が欠けるのは仕方がなかった。

 その瞬隙をついてアルバは再び魔剣化した杖で斬りかかった。

 流石にその程度の牽制と奇襲を受ける閃ではなく、自由を取り戻した体ですぐさま迎撃体勢をとって魔剣を受け止めた。

 攻勢をとられていようとも、閃の剣技ならばアルバの接近戦を捌くことは不可能ではない。だが――――

 

八ツ首防壁(ボルグ・アルサーム)!!」

「―――が、はっ」

 

 鍔迫り合うほどの接近状態から、アルバの身を守るはずのボルグが拳を打ち込むかのように閃の腹部に直撃していた。

 

 大抵の魔導士はボルグと呼ばれる悪意ある攻撃を弾く防御結界を身に纏っている。

 その防御力は魔導士の力量によって変わり、マギクラスともなれば眷属器の攻撃にも耐えることは可能だ。

 殊に異世界のマギであるアルバのボルグは、かつて彼女が世話したことのあるマギ、シバの得意とした攻撃にも転じる事のできる不破の盾。

 まるで生きているかのように襲い掛かってくる“防御結界”。それはさながら一つの首を落とされても死なない、八つ首を持つ大蛇の如く。

 

「――――ッッッ!!!」

 

 ミシミシと内臓を穿たんとするほどにねじ込まれたボルグの打撃。

 息が詰まり、しかしすぐさま閃は紫微垣を横薙ぎしつつ後退した。

 

 閃の斬撃は操気術と技による切れ味に加えてカイムによる金属器としての力まで加わっているのだ、例え相手がマギのボルグであろうと斬り裂けぬ物はない。

 しかし踏み込むどころではなく下がりながらの斬撃ではそれほどの鋭さとはなり得ない。

 せいぜいが襲い来るボルグの一つの首頭を弾く程度だ。

 

焼夷閃光(フラーシュ・アジョーラ)!!」

 

 追撃の魔法。魔法式によって束ねられた熱線が襲い掛かるのに、閃は反応して金属器の八芒星に気を込めた。

 

空閃斬(カイル・ゼルサイカ)!!!」

 

 閃はカイムの空間切断の力を発動させて力場を切断することで、熱線が到達することを阻止した。

 いかに強力な魔法であったとしても、力場空間の連続性さえ断絶させてしまえば目的のところにまで到達できない。

 空間を切断させて彼方に斬撃を飛翔させることも、力の一端ではあるのだが、この空間切断こそがカイムの、閃の金属器の本領。

 

 かつてアルマトランでソロモン王が得意とした世界の物理法則に干渉する魔法。アラジンが“ソロモンの知恵”から学び取り修得しようとしているその力魔法の、ほんの一端。それを再現したのが閃の金属器による力だった。

 アルバの焼夷閃光(フラーシュ・アジョーラ)は断絶した空間を越えられず、断絶した空間の奥から追撃の魔剣を振りかぶっているアルバの姿に、閃は剣士としての本能から振り抜いた紫微垣を刺突の構えにして、力を込めた。

 断絶した空間はやがては世界の法則に修正される。

 

 修正された空間の奥に見えるのは大上段に魔剣を振りかぶるアルバ。間近に迫ったその顔に、にぃと歪んだ笑みが浮かんだのを見て閃ははっとなった。

 

 ――!!! しまっ――― ――

 

 突き出した紫微垣の切っ先がアルバの胸元の中心部を貫き、胸骨を突き破り心臓を貫いた感触が閃の手にもたらされた。

 心臓を貫く即死の致命傷。

 たしかに今のアルバは国だけでなく世界を脅かす屠るべき敵だが、同時にその体は弟の大切に想っている宝のものなのだ。

 今、弟にその記憶がないとはいえ、あの死に物狂いの想いの深さを覚えているだけに、殺すことはしたくなかった。

 

 だが、追い込まれ、咄嗟のことであったために加減をしているゆとりはなかった。それだけでなくアルバ自らが閃の剣先に自ら貫かれるように飛び込んできたがために剣を止めることができなかった。だが―――

 

「なッッ――――!!!!?」

 

 心臓を貫かれ、口から血を吐き、即死してもおかしくないはずなのに、アルバは笑っていた。そしてそのまま――剣に胸を貫かれるまま、その身にさらに剣を受け入れるかのように前へと進み、閃の顔を鷲掴みにした。

 

降り注ぐ雷槍(ラムズ・アルサーロス)ッッッ!!」

「がぁぁぁああああッッッ!!!」

 

 青い雷が迸り、閃の身を焼く。

 宙から落ちる閃だが、雷槍による意識の消失は一瞬で、すぐさま意識を取り戻した閃はカイムの飛翔でアルバから距離をとって、体勢を整え直した。

 その様はアルバには慌てふためいているようにも見え、アルバは黒い笑みを深くした。

 

「あはは。この体に傷をつけたのがそんなに心配だった?」

 

 ボルグによる打撃に加えて雷槍の直撃を受けた閃のダメージは軽くはなく、魔装を纏っていてもその体からは焼け、顔は痛苦に顰められていた。

 だがそれはアルバの異常を目の当たりにした衝撃にかき消された。

 

「っ!!」

「こんな傷はすぐに治るさ」

 

 確かに心臓を貫いた。だが、白瑛の体の胸元に空いたはずの風穴はなかったかのように消え去り、即死級の致命傷のはずがまるで意味をなしていなかった。

 

「くっっ!!」

 

 不死身の怪物。

 精神体となって体を乗っ取り続けた化け物は、その妄執の果てに正真正銘の怪物となっていたのだ。

 

 アルバを殺す方法があるとすれば、首を落とすこと。

 白龍が玉艶弑した時の状況を考えれば、首を落とせばあるいは今のアルバを退けることはできるかもしれない。

 けれどもそれはアルバを精神世界に逃れさせてしまうだけでもあるし、何よりも白瑛を殺さなければならないということだ。

 国や世界を守ることと天秤にかければ、閃にとって彼女(弟の婚約者)を殺すことを迷いはしない。

 迷いはしないが、それで果たして解決になるのかという問題もある。

 精神世界に逃れたアルバが、今度は白龍を乗っ取らないとも限らないし、ほかのアル・サーメンの魔導士のように人形体を使うことだってできるはずだ。

 すでにシンドバッドという強力な庇護者がいる以上、たとえその体が人形となって力を失っても、彼女自身が保有するアルマトランの知識と、アル・サーメンが貯えた魔力があれば、彼女の肉体自体は必要ないところまで来ているかもしれないのだ。

 そうなれば白瑛の斬り殺すことに意味はない。

 むしろ付け入る隙を与えるだけかもしれない。

 

 だが、どちらにしろ閃自身がむざむざと殺されないためには、白瑛を殺すしか現状を乗り切る方法はなく――――

 

「あらぁ?」

「? ――――ッッ!」

 

 決断を迫られていた閃は、しかし不意にアルバが視線を閃から外して別の方向へと向いたのを見て訝しみ、ハッとなった。

 押し込まれる内に、いつの間にか戦闘空域が領海内の上空から和国本島の近くにまで来ていたのに気が付いたのだ。

 海際には先ほど深手を負って離脱したはずの白龍が魔装を解除した状態で傷に手を当てて膝をついており、そしてその後方から近づいてきている人物を見てぞっとした。

 

「アラジン殿!」「見ぃつけたぁ!!」

 

 モルジアナと、傷だらけのアラジン白龍からも離れた位置に立っていたのだ。

 閃の焦った声。

 ただでさえ深手を負っていたアラジンは、先ほどの光との戦いで“ソロモンの知恵”を使い、残っていた体力もほとんど使い切ってしまっているのだ。

 多少回復したとしても、碌な魔法は使えないだろうし、ボルグとて満足に張れるかどうか。

 そしていくらファナリスが強いとはいえ、アルバ相手にモルジアナが単独でアラジンを守り切れるとは到底思えなかった。

 

 アルバに認識されたことを、白龍が察知して振り返り、モルジアナがアラジンを庇って前に出た。

 そしてアルバは閃を置き去りにして猛然と飛翔し、アラジンへとその魔手を伸ばした。

 

「アラジン!!」

「くっ、ザガンッ!!!」

 

 アラジンに迫るアルバに、白龍が咄嗟にザガンの植物操作で行く手を阻もうとするも、その進行を止めるどころか緩めることもできない。

 

 アラジンの顔が驚愕し、モルジアナの顔が悲痛な覚悟を決め――

 

「―――ッッ!!!!!!」

「なっ!?」

 

 あとわずかでその手がアラジンに、“ソロモンの知恵”に届く、その寸歩手前でアルバは急停止し、その眼前を白銀の一閃が奔った。

 その一閃を寸でのところで躱したアルバはそのまま踏み込むのではなく宙に逃れて、見下ろした。

 

「また、貴方が立ちふさがるの……皇、光」

 

 再び巡り合ったその剣士を、壊れかけの“王の器”を、和国第二王子、皇 光を。

 

「……光お兄さん」

 

 助けられた形となったアラジンは、しかし不安げな顔を光に向けた。

 

「味方、なのか……?」

 

 アラジンの足元に居た埴輪姿のアリババも、警戒心に満ちた疑わしい声を漏らした。

 

 先ほどの一閃。たしかにアルバの進行を止めてアラジンの窮地を助けた斬撃であったのだが、それは紙一重でアラジンを斬るものでもあったのだ。

 むしろ両方ともに斬られていてもおかしくはないくらいだった。

 モルジアナが庇うように前に出て、深手を負って体力を消耗したアラジンがよろめかなければ一閃はアラジンをも断絶していただろう。

 

 

 

 見上げる光と見下ろすアルバ(白瑛の体)

 もはや繋がることのないはずの運命を、なんとか紡ぎなおそうとした“全知”の力(ソロモンの知恵)は、果たしてわずかでも欠けた王の器を癒すことができたのか。それは当のアラジンにも分からなかった。

 ゆえに、今の光がどちらを優先的に敵と見なすかは定かではなかった。

 

 先ほど脅威を知ったアラジンを斬りに来たのか、今現在国に脅威をもたらしているアルバを斬りに来たのか、それとも関わりのすべてを断つために白瑛を斬りに来たのか。

 

 

 ――ジャッと砂を踏み、半身をアルバに向けた光は、抜身の和刀・桜花を掲げた。

 

「罪業と呪怨の精霊よ」

 

 それはかつて、彼女(白瑛)の前で告げたのとは異なる言葉。

 ジンの主たる王の器が、加護する精霊に命ずる力ある言霊。

 

「汝に命ず、我が身に纏え、我が身に宿れ。我が身を大いなる魔人と化せ――――ガミジン」

 

 姿が――――変わる。

 その姿は疾駆する汗馬の鬣のごとく。絹布で繋がれた二振りの和刀を携えた魔人。

 

 剣の切っ先がアルバ(白瑛)へと向けられる。

 

「俺の役目はこの国を守ること。この国を害する敵を斬ることだ。例え貴様が何者であっても……どんな存在であっても」

 

 それは敵を定める宣言。

 たとえその体が白瑛のものであろうとも、無関係に斬るということ。

 あるいは諸共に…………

 アラジンと白龍の顔が痛苦に歪んだ。

 

「光――――」

 

 ただ彼の兄であり、一人明確に彼と味方だと言える閃だけが剣の向かう先を揃えるように並び立ち、ちらりと視線を向けた。

 光からも隙とはならないほど僅かに向けられた視線。

 二人の剣士にして王の器は、それで互いの意を交わしあった。

 

 

 すぅっと、アルバに向けられていた切っ先が下ろされ、僅かに砂地に爪先が沈み込む。

 ニ刀を八双にしての飛翔の予兆。

 

 一人、宙にあるアルバは、高度を上げて杖を掲げた。

 

「我らが父よ。今こそ力を……!」

 

 解き放たれた黒いルフが溢れ、空間を歪め、空に現出する。

 

 人、人、人―――――いや、それは、人ではない。アル・サーメンの魔導士、その成れの果ての人形。

 

「なっ!!!」

「見せて上げるよ! これが、アル・サーメンの力!!」

 

 最早、彼らはアルマトランの人たちではない。

 その事にアラジンの顔に哀しみにも似たものが浮かんだ。

 



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第42話

 宙に浮かぶ数多のアル・サーメンの魔導士(人形)たち。それらを束ねるように指揮するアルバによって、人形たちが動き出した。

 

熱魔法(ハルハール)

 

 唱えられたそれは、怒号が斉唱になるがごとく、紡がれ、合わさり、束ねられていく。

 

熱魔法(ハルハール)」「熱魔法(ハルハール)」「熱魔法(ハルハール)

 

 縒り合わさっていく詠唱に合わせて、魔法式がアルバの調律のもとで纏められ、一つの赤い巨大な――極大の八芒星を宙に描いた。

 

 ―――――「極大魔法白閃煉獄竜翔(アシュトル・インケラード)

「なにっ!!?」

 

 極大の八芒星から現れた白き煉獄の竜の姿に、それを知るアラジンやアリババたちが顔色を変えた。

 恐怖と瞑想の精霊、アシュタロスの極大魔法、白閃煉獄竜翔(アシュトル・インケラード)。それはあの練紅炎の手にしていた3つの金属器の内の一つの力。

 今この世界で彼だけに許された極大魔法だったはずなのだ。

 だが驚愕はそれだけで終わらない。

 

雷魔法(ラムズ)」「雷魔法(ラムズ)」「雷魔法(ラムズ)」「雷魔法(ラムズ)

 

 今度は黄色の極大八芒星。

 

 ―――――「雷光滅剣(バララーク・インケラード・サイカ)

 

 シンドバッドの始まりの金属器、憤怒と英傑の精霊、バアルの極大魔法。すべてを滅する雷光の極大剣。

 

「“金属器”も“ジン”も、元々アルマトランのもの! “神杖”の極大魔法程度なら、“アル・サーメン”の魔法を束ねればこの通りさ!」

 

 猛るアルバの指揮によるアル・サーメンの混成斉唱は止まず、さらに一つの八芒星を描かんと魔杖を振るった。

 ジンの金属器とは、元々はアルマトランのもの。72本の神杖を基にして作られた、ただ一種の魔法のみを扱える魔法道具。

 理論上、どのような魔法であれ、実在するのならば魔法式で組めないことはなく、アルマトランのマギであるアルバの知識と魔力、そしてアル・サーメンの魔導士たちの魔力があれば魔法を束ねてそれを再現することは決して不可能ではない。

 

風魔法(アスファル)」「風魔法(アスファル)」「風魔法(アスファル)

 

 そしてまた一つの魔法陣が描かれる。

 

「三つの極大魔法を同時にッ!!!?」

 

 それはかつての彼女(練白瑛)が混沌と狂愛の女王から加護を受けていた、白のルフ――風を支配する極大魔法。

 

「消えてなくなれぇ!!! 轟風旋(パイル・アルハザード)!!!」

 

 アシュタロス(炎獄の竜)バアル(雷滅の王)パイモン(暴風の女王)

 一つでさえ何者にも防げないほどの大魔法だと言われるジンの極大魔法が3つ。

 マグノシュタットではイルー・イラーを滅することこそできなかったものの、それでもあの黒き神の体を消し飛ばし、滅びを先延ばす一助となった複数極大魔法の同時攻撃。

 まして人の身であれば、たとえマギのボルグだとしても受け止めることなどできようはずもない。

 だが――――

 

「傾聴と鋭絶の精霊よ。汝が王に力を集わせ、虚空を斬り裂く大いなる断絶をもたらせ」

 

 閃が愛刀・紫微垣の刀身に刻まれた八芒星に魔力を集中させ、アルバのとは異なる黒輝のルフを嘶かせた。

 それは炎や風、雷などとは違う。この世界の物理法則そのものに干渉する力。

 堕転により輝きを失った黒とは違う。7型の力を司るルフによる輝き。

 

「極大魔法。カイル・インケラード・サイカ!!!」

 

 全てを斬滅する極大魔法の詠唱とともに振るわれた剣閃が、放たれた3つの極大魔法の進路(・・)を斬り裂いた。

 

「なっ!?」 

 

 驚愕の声が敵味方から上がる。

 魔法には相性があるために厳密ではないものの、それでも3種類の極大魔法を1つの金属器で防ぐことなどできるはずもない。

 

 だがかつて、ソロモン王は指先一つで物理法則を操り、あらゆる魔法、攻撃、礫、刃を止め、反らし、跳ね返した。

 カイムの力魔法はその片鱗を再現したもの。物理法則を空間ごと斬り裂く力。

 炎も風も雷も、全てはこの世界にあり、世界の物理法則に従う存在。ゆえにその物理法則そのものに干渉し、空間そのものを断絶させたカイムの極大魔法を乗り越えることはできない。

 

「ソロモンの力魔法を再現してッ!!?」

 

 それこそが“最強の力魔法”の片鱗。

 

 アルバの放った3つの極大魔法の全てが、その進路を阻まれ、斬り裂かれた物理空間に飲み込まれて消えた。

 そして世界がその傷跡を修復すると、合わせたかのように絶妙なタイミングで飛翔した光がアルバへと翔けた。

 アル・サーメンの魔法を束ねて放つほどの余地はなく、ただ杖に魔力を込めて魔法を放とうとするアルバ。

 

「このっ――――!!」

「尸桜・白焔!!!」

 

 だがアルバが魔法を放つよりも早く、光の金属器に刻まれた八芒星が紫に輝く。

 その白は、国に巣食い、世界を蝕む毒のごとき仇敵を討つことを怨執とした焔。そして同時に白の血縁に連なる者を守らんとする白。

 白瑛の体を傷つけることなく、しかしアルバの動きを拘束するために、白焔がまるで蛇のごとくにうねり、彼女の四肢に絡みつかんとした。

 

「くっ!!」

 

 アルバは咄嗟に右腕を引いて、杖手を取られるのだけは防いだ。

 その間にさらに距離が詰まる。

 もはや魔法の距離の内側。アルバの魔剣ならば届く距離。だが光の剣の距離からは遠い。

 その間合いの差を―――― 

 

「――なっ! ッッ!! 武器をッ!!!?」

 

 光が魔装化して二刀ある武器の一刀を手槍のように投擲することで埋めた。

 あまりにも唐突で、不意を打った攻撃に、アルバの反応として咄嗟にマギではなく剣士としての自分が出た。

 投擲された武器を杖で弾いたのだ。

 咄嗟に動いた反応で光の鋭い投擲を防ぐことができたのはさすがの腕前だが、同時にそれは迫りくる光のもう一刀に対して無防備を晒すということ――ではなかった。

 

八ツ首防壁(ボルグ・アルサーム)!!」

 

 攻め手を失っても、それでもアルバにはまだ魔法があった。マギの不破の盾にして八頭の大蛇を象る防御結界。

 

 投剣と防御結界によって二人の距離は完全に和刀の間合いに入った。

 

「―― 一閃ッ!!!」

「くッ!!!!」

 

 そして堅牢な盾にして矛となるボルグを、光は手に残るもう一刀の横薙ぎによって斬り裂いた。

 

 互いに一手の剣を振るった残身。互いに向ける剣気の視線が絡み合う。

 四肢を白焔に繋がれて逃れることはできず、魔剣を振るい、ボルグを斬られた。

 だがそれは一刀を投げ、一刀を振るった光も同じ。

 次の一手は先に魔剣を振るったアルバが早いはず。

 

「く、ぉのぉおおおおッッ!!!!」

 

 吠えたのはアルバ。

 一刀となった光が、その一刀を振るいに来るという予期は目の前の光景が否定していた。

 再び剣を振るうために動いたアルバに対して、光は無手となった腕を引き絞り、そこに気を集中させている。

 

「ッッ!!! ――――がふっっ!!!!」

 

 杖を振るうよりもはるかに早く、突き出された掌底が、白瑛の体の胸に深々と衝き込まれた。

 彼女の豊かな胸を衝撃が貫き、衝撃は心臓へと届き、アルバは吹き飛ばされた。

 

「ぐっ、このっ! 鬼猿どもがッッ!!!」

 

 だが当然、掌底一閃のみで撃墜されるほどアルバは柔くはない。

 吹き飛ばされたアルバは、胸元を押さえて咳き込み、すぐさま光たちを睨み付けた。

 その瞳にはますます憎悪が深まっている。

 対する光は、投擲した一刀を魔力で編まれた絹布を引いてその手に戻し、二刀の位に戻っていた。

 まるで決着はついたかのように悠々としているかのように見える姿。その姿に憤怒を募らせたアルバは、しかし魔力を滾らせた瞬間にそれに気が付いた。

 

「な、に……?」 

 

 胸元に違和感。

 

「これは!!??」

 

 掌底を打ち込まれた心臓を中心に広がるその違和感は、マギであるアルバにはあまりに慣れ親しんだ存在――――魔力。

 操気術により、掌底に込められた魔力が、掌打とともに自身の体の内に流し込まれていることに気が付いた。

 根を広げるかのごとくに脈動が広がっていく。

 

「キサマッッ! これでっ!! こんなちっぽけな魔力でッ!! マギである私をどうにかできると思っているの!?」

 

 他者の魔力は、他人の体にとっては毒も同じ。

 一つの命には一つの魔力が宿るもの。それがこの世の摂理。

 他人の魔力が体の中を流れれば、その二つの異なる魔力は体の中でバラバラの意志のもとに暴れ狂い、体を痛めつける。

 それを攻撃にも転用することができるのは、魔力操作の一族(ヤンバラ)や彼らの教えを受けたシンドバッドの先例からは既知のこと。

 

 そしてアルバは、元々他者の体に巣食い、意識を寄生させて乗っ取る怪物。

 摂理に反して他者の体を乗っ取れるのは、元々その体(白瑛や玉艶)がアルバのルフに適合した存在だからだ。

 適合する体、血脈を延々と生み育て、紡ぎ続ける。それによって千年を超える繰り返しを、力を保ったままで乗り越えてきた。

 そこに紛れ込んだ異物(ルフ)はアルバの支配を揺るがす一石となる。

 

 だが、もとよりマギは魔力を操る術に長けた存在。魔力操作によって打ち込まれた程度の魔力など、大樽の中の一滴ほどの濃さでしかない。

 常人ならば悶絶したとしても、マギたる彼女であればルフを押し流し体外に排出するのにわずかな手間ほどで済む。

 

「いや。――――だが、これで終わりだ、アルバ。その体、返してもらうぞ」

 

 それでも毒は毒。そして光の狙いにとって、その体の支配がわずかでも揺らげば、それでよかった…………

 

 光が八芒星の刻まれた愛刀・桜花を掲げた。

 

「まさ、か……」

 

 冥獄のジン――――ガミジン。

 その力は死者の願いに沿う形で死霊を束縛し、使役する力。

 

 そして、練白瑛の体を乗っ取っているのは、意識体である――つまりは“死霊”であるアルバ。ガミジンにとって使役する対象。

 

 光の狙いに気づいたアルバの顔が青褪めた。

 

「やめろ……」

「亡者を統べる罪業と呪怨の精霊よ」

 

 掲げる桜花に刻まれた八芒星が紫色に輝いた。

 命を司るルフの煌き。

 この世界に留まりたいと――――破壊するために、この世界にまだ“そこに在り続けたい”という死霊(アルバ)の願いを叶えるための力の具現。

 

「怨執に囚われし冥者を捕らえよ」

「やめろぉおおおおおッッッ!!!!!!!!!!」

 

 アルバの絶叫と同時に、白瑛の体が深紫の輝きに覆われた。

 

 操気術による魔力の混入によりアルバと白瑛の適合を揺らがせ、ガミジンの力により意識体であるアルバのみを囚える。

 それが光が――“閃”が考えた筋書き。

 光の器を割ったガミジンだけでは、操気術によって魔力を打ち込むための徒手空拳での接敵はできなかった。できたのはただ斬ることのみ。

 閃だけでも、斬ることはできても、アルバを囚えることはできない。

 ガミジンではなく、その主である光と閃の二人だからこそできたことだ

 

 長く響いたアルバの絶叫が、やがて紫色のルフが収束するのに合わせて止んでいき、そして小さな玉となって桜花に刻まれた八芒星へと吸い込まれた。

 

 

 

「勝った、のか……?」

 

 アルバと光たちとの戦いを地上から見上げていたアリババが、アルバの壮絶な絶叫が小さくなって光玉となって光の金属器に吸い込まれたのを見て、恐る恐ると、言葉にした。

 

 マギたるアラジンの力ではなく、意識体であるアルバを逃すことなく、まして白瑛を殺すのでもなく、アルマトランの魔女を捕まえた。

 アラジンの“ソロモンの知恵”を狙う強敵にして、シンドバッドとともに世界を改変せんと目論む魔女。それを今、捕まえることができたことの意義は大きい。

 

「あっ! いけない!! 白瑛おねえさん!!!」

「くっ!!」

 

 アラジンや白龍たちが見上げる宙で、ぐらりと白瑛の体が傾いだ。

 

 空を飛ぶことのできるアルバの支配から逃れた白瑛では、魔装もなしに宙に留まることはできない。

 アラジンや白龍が動き出そうとするも深手を負った体の動きは、意識とは裏腹に鈍い。

 

 しかも強引に引きはがされた影響からか、白瑛は意識を失っているらしく、まさしく糸の切れた操り人形のように虚脱しており――――しかしその体は魔装姿の剣士、皇 光によって抱き留められて落下を免れた。

 

 

 

 二刀を手にしながら、器用に腕の中に白の華人を抱き留めた光は、意識を失い瞳の閉じられたその顔を眺めた。

 

 “断絶し、見せられた記憶”の中の顔と同じ顔。

 “記憶”の中でその顔はいつも凛として張りつめ、しかしふとした時に見せる微笑みは淑やかな華のごとく柔らか。

 真っすぐな気をそのまま表す黒真珠のごとき瞳は今は閉じられており、ややの苦悶をたたえていた表情は、“なぜか”光の腕に抱き留められてしばらくすると消え去った。

 まるでその腕の中にあることが、彼女にとって安らげる場所であったかの如く…………

 

「姉上!!!」

 

 地上に降りた光の耳に真っ先に聞こえてきたのは、彼でなく腕の中で気を失っている“女性”に対するもの。

 “女性”に向けていた視線を引きはがし、声の主に向けると、警戒心を露わに睨みつけてきている煌帝国の元皇帝の姿。

 すでに魔装は纏えておらず、深手を受けた個所を押さえながらではあるが、それでも金属器である偃月刀は離していない。

 そしてモルジアナに支えながらのアラジンと埴輪姿のアリババも光の動向に注視しており、兄である閃は様子を窺うように光の傍に魔装姿のまま降り立った。

 

 白瑛を片腕に抱いてその弟と対峙する光。

 

「……………………」

 

 ふっと、ため息をつくように吐きだし、対峙している白龍へと腕の中の女性を放り投げて渡し、魔装を解除した。

 

「! 光殿……」

 

 咄嗟に受け止め、脱力しているその体を抱きとめた白龍は驚いた顔で光を見返した。

 乱雑な扱いながら、先ほどまでとは異なり敵意と殺意を向けられることはない。

 その気ならばアルバが抜け出して不死ではなくなった白瑛を、腕の中にあり気絶していた彼女を殺害することなど容易だったはずだ。

 それをしないということは、かつての記憶を取り戻したということ。

 しかし―――――

 

「勘違いするな。そいつを斬らなかったのは意味がなかったからに過ぎん」

 

 光はアラジンやアリババたちの希望を明確に否定した。

 

こいつ(アルバ)に憑りつかれていたそいつ(練白瑛)を斬ったところで、不死身では死にもしなければ問題の解決にもならん。そして本体(アルバ)を囚えた以上、そいつ(練白瑛)には用がない…………それだけだ」

 

 否定しながら、光は和刀を鞘に納めた。

 

「光おにいさん。君は…………」

 

 殺害の意味を否定しながら、それでも殺意自体は向けておらず、愛情もない。

 利も(ことわり)もなく白龍(白瑛との関係性)を斬ろうとしていた先ほどまでとは明らかに異なり、しかし“欠けた器”が完全に戻ることはなかったのだ。

 アラジンが痛ましげな目を光に向けた。

 憐憫にも似たその視線を感じてか、光は眉を顰め、ふぃと顔を背けて言葉を続けた。

 

「貴様らが知っているのはガミジンが作り出した虚構だ。その皇 光(ガミジン)はもう死んだ。いくら克明な記憶を見せようが、所詮他人のもの。貴様らが記憶し、期待する俺が戻ることなど、もう、ない…………」

 

 それは決別の言葉にも似ていた。

 練白瑛との。練白瑛を愛した自分との。彼女にまつわる過去との。

 

 そして背を向ける光。

 その背に、彼の兄である閃が声をかけた。

 

「光――――」

「兄上と国王の決定には従います」

 

 光はその声を遮った。

 それは言葉でこそ白龍たちとの不戦を意味していたが、拒絶的な態度はまだ彼の立ち位置に不安を感じさせるには十分。

 その不安をよそに光は背を向けたまま歩き始めた。

 

「…………馬鹿()を回収してきます」

 

 去り際、ほんの刹那だけ光の視線が白瑛を捕らえたように見えたが、それは気のせいだったのかと見紛うほど淡々と光は駆けて消えた。

 

 全知たる“ソロモンの知恵”は、たしかに白瑛にまつわるルフから、光に彼女との繋がりを想起させることはできた。だがそれは彼の中で激しい葛藤をもたらすことでもあった。

 

 ルフにより見せられた記憶が偽物ではないことは分かる。

 彼の類まれな直感もまた同様の結論を指示してはいるし、ルフから伝わる、彼女を想っていたかつての心もまた、光の中に流れ込んできているのだ。

 けれども同時に、彼女を拒絶し、彼女に関わる全てを否定しなければならないという強迫観念にも似た思いもまた、消すことができないのだ。

 

 “ソロモンの知恵”は壊れかけの“王の器”をいくらかは繕い、けれども決してそれは元通りにはできなかった。

 

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 和国、幽閉島――――

 

 煌帝国の大罪人である練紅炎、紅明、紅覇の三人とアラジン、白龍、アリババ、モルジアナ、そして和国の王族である皇 閃が、一つの机を囲んでいた。

 

「………………」「………………」

「そう、ですか…………」

 

 アラジンたちから、彼らがここに来るまでの顛末を――アルバの襲撃と、光の改変、そして白瑛のことを聞いた紅炎と紅覇は無言の反応を示し、紅明のみがなんとか声を絞り出した。

 彼らはいずれも、皇位継承戦争において光と白瑛に裏切られた者たち――――それぞれの事情はともかく、彼らにしてみれば味方だと思っていた者が敵陣営に与したのだ。

 今初めてその真実を聞き、そして一つの決着がついたことを唐突に知らされた彼らの胸中は複雑だった。

 

 皇 光は戦場に死霊たちを現出させて兵を圧倒し、紅明に重傷を負わせた。 

 白瑛は天山高原の守りを放棄して騎士王ダリオスとササンの軍勢を素通りさせた。

 そしてアルバは……白龍が弑逆した玉艶でもあった。

 

 それぞれに事情があり、止むを得ないと言い切ることもできるが心情は割り切れはしないだろう。

 

「それで白瑛殿は?」

 

 だがそれでも、紅明たちにとって白瑛は家族である。

 白龍と敵対することに彼女が苦悩していたことは知っているが、それとアルバに乗っ取られた末の行為とはまた別のこと。

 彼女は、あの白徳大帝のただ一人の娘で、彼らにとって眩いばかりの従妹にして義妹。

 煌を追放されたとはいっても、それでも家族の情の深い彼らにとって、これ以上身内の血が流れるのはつらいことだ。

 

 白瑛のことを気に掛ける紅明の問いに、アラジンは眠りについている女性の姿を思い返して答えた。

 

「アルバさんから解放されはしたけれど、かなり強引に引きはがされたようで、ダメージが残っているみたいなんだ。だからしばらくは目が覚めないかもしれない……」

 

 体に負った傷はない。

 閃に斬られ、貫かれた心臓の傷跡はなく、光の放った白焔に巻き付かれたことによる火傷なども、彼女の体には残っていなかった。

 ただ一つ、昏々と眠り続けるように意識を失っていることのみが懸念。

 

 それはアルバの意識体を強引に引きはがされたことによる弊害なのかもしれない。

 アルバの意識と白瑛の体――ルフは融合と呼べるほど完全に適合していて、白瑛自身の意識は心層の奥深くへ閉じ込められていたのだ。

 光はそこに魔力を流し込んで融合をかき乱し、緩んだ適合の紐を引きちぎるようにアルバの意識体のみを白瑛から引きずりだして捕まえた。

 仕方ないことではあったのかもしれないが、引きちぎられたことにより多少なりとも白瑛自身のルフや体、心にダメージが残っている可能性はあり、この昏睡はダメージを修復するためのものなのかもしれない。

 とすれば、彼女の目が覚めるのがいつになるのかは、アラジンとてはっきりとは答えられない。

 

 紅明はちらりと兄に視線をやった。

 深く刻まれている眉間の皺は、単に以前に比べて老け込んだから、というものではないだろう。

 紅炎にとって白徳大帝の血統がどれだけ重みをもっているかを、紅明は知っている。

 

 白徳大帝と、彼の嫡子であり正統な王位を継ぐべきであった白雄皇子、そして白蓮皇子。彼らを支えるために紅炎は迷宮を攻略していたのだ。

 彼らにかけられた言葉を今でも覚えているし、彼らの意志をこそ、紅炎は継がんとしていたのだ。

 そして彼らの唯一の実妹である白瑛は、紅炎にとって唯一と言ってもいい、特別な女性。

 一見すると変わらぬ無表情の中に、多彩な心の内を隠す紅炎の、その心の機微を読み取れるのは、唯一の同母弟である紅明を除けば“白瑛様”だけだった。

 本来ならば膝をついて拱手を捧げ、忠誠を尽くしたいはずの相手。

 そこにあったのはもしかしたら恋愛の情などという言葉では片づけられない感情だったかもしれない。

 恋慕であり、愛情であり、庇護欲であり、敬愛であり……しかし“白”と“紅”とが入れ替わったあの日から変わってしまった。――――いや、それはもしかすると、彼女がほかの誰かの伴侶となることを知り、受け入れたときから…………………

 

 紅明自身もまた、思いを断ち切るように一度目を閉じ、次に開いた時には感情を排した軍師としての顔になり、問題の続きを促した。

 

「それでは、問題は次にシンドバッドがどう動いてくるか、ですね?」

 

 紅明の問いに、閃はこくりと頷いた。

 建前の上では、七海連合であった国際同盟はそのまま不可侵略の信条があるため、直接的な武力行為にはでてこないだろう。

 だがこの場にいるだれもが、そんなものは建前にすぎないことを知っている。

 

 かつても開かれた金属器使いたちの会談の後で、シンドバッドはアラジンやアリババには、練紅炎と手を組むことを明言していた。

 たしかにその明言をしたのは、紅炎たちが居なくなった後であり、彼らにはアル・サーメンと手を切るのなら、という条件で手を結ぶと告げていたに過ぎない。

 だが結果は彼らも知る通り、シンドバッドは秘密裏にジュダルが与する白龍と同盟を結び、内乱に介入し、アル・サーメンの首魁である魔女アルバを味方に引き込むという行為を行っていた。

 各国が独立し、多種多様な価値観の元、同盟関係で支え合う世界を理想と宣い、紅炎たちが謳う“一つの価値観による世界”を否定しておきながら、求めているのは“シンドバッド自身が良いと思うことのみが許される世界への改変”。

 

 自身の行動自体に最早筋はなく、なりふり構わず己が善のみを通す。

 それが紅炎のころの煌帝国では悪とされ、シンドバッドが頂点となったこの世界ではあたかも善であるかのように受け入れられている。

 

 紅明の問いかけを聞いて、黙考するかのように眉間に皴を寄せていた紅炎が口を開いた。

 

「アルマトランの知識を有するアルバを和国が押さえたとなると、それを奪い返しにくる可能性が高いな」

「やはり、ですか……」

 

 ある意味、シンドバッドと紅炎の考え方は非常に近い。

 どちらも世界を一つの価値観で統一することを目的としていたのだ。

 ただ、そのやり方が違っていた。

 シンドバッドの方がより狡猾で回りくどく、悪になることも厭わなかった紅炎と違ってシンドバッドは善たる王であることを世界に知らしめていた。

 そしてあくまでも人の世界における価値観を統一しようとしていた紅炎たちに対して、シンドバッドは“聖宮”という、この世界を構成するルフシステムの根幹を弄ることで――つまりは神がなすかのようにこの世界の人々の価値観を一つにしようとしているのだ。

 

 その目的のためにはアラジンの“ソロモンの知恵”が必要であり、その“王道”いや、“神道”を補佐するためにアルマトランの知識を有するアルバが必要であった。

 

 紅炎もまた知識欲の深い王であったからよく分かる。

 この世界の謎を、仕組みを解き明かすためには知識が必要だ。とりわけこの世界の創造に関わったアルマトランの知識ともなれば、それは創造主()の知識にも等しい。

 

「単純な武力ではなく、政治的に攻めてくることになるでしょう。今や世界は七海連合、いえ、シンドバッドを頂点とした国際連合の色に染まっています。まっとうな手段でなくとも、このままでは和国が世界的に孤立し、世界の敵と定められてしまうかもしれません」

 

 シンドバッドにとって、信頼できる筋道とは、己が進む道のみであり、己が掌の上で操られている世界なのだ。アラジン(ソロモンの知恵)アルバ(アルマトランの知識)を和国が独占していることは、シンドバッドにとって耐え難いことだろうと予測することはそう難しくはない。

 

 煌帝国に――――紅炎たちにしたように、シンドバッドは世界そのものを操って“()”をつくり、それを倒す。

 

「そうはなりません。世界はまだ、シンドバッドの色には染まり切っていませんから」

 

 だが、そうはさせない。

 この世界は、一人の英傑(シンドバッド)のものではないし、アルマトランの魔女(アルバ)のものでも、“イル・イラー(異次元の神)”の玩具でもないのだから。

 



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断章1

今回は番外編になります。



 

 

 

 

 見渡す限り地平線が続いていく草原の大地を、2人の少年が馬を走らせていた。

 大陸の民、その中でも馬術に秀でる遊牧民の子供らしく、幼さの残る少年たちはしかし若年さを感じさせないほど巧みに騎乗している。

 

 しばらく馬を走らせ、やがて湖畔についた少年たちは馬を休ませて草を食ませ、自身たちも草原の上に体を投げ出して空を見上げた。

 二人は兄弟なのか、顔立ちがよく似ていた。

 体躯のいい少年が兄だろうか。弟らしい少年が同年頃の少年より少し体躯が小さいのに対して、兄はかなり大柄だ。

 そしてそれが顔つきにも表れており、兄は自信に満ち溢れて野性味あふれ、弟はどこか気弱く繊細そうに見えた。 

 

「こうして――――」

 

 空を行く雲を眺めていた兄が、隣に寝そべる弟に話し始めた。

 

「空の続く限り、どこまでも馬で駆けて行ける、そんな生き方がしたいな」

 

 この世界には争いが満ちている。

 この広く遮るものなどないように思える草原においても、他部族との諍いは絶えず、時に殺し合い、時に奪い合う。

 

 とある部族の酋長の嫡男である少年が何よりも好きなのは、こんな陽気のいい春の日に、いい馬に跨って、鷹をとともに野原を駆けること。

 

 兄である少年の言葉に、弟である少年は陽気に笑い、頷いた。

 

 

 

 

 ――――遥か昔。ある世界に一人の王がいた。

 かの王の下、あらゆる種族の者たちがその意に服し、崇め、暮らしていた。

 だがその意に従わぬ者たちがあり、70と2の部族の長たちは王がために死力を尽くしてそれに対した。

 

 70と2の部族の中に、王に最も愛された黄金の狼の部族があった。

 その眼は鋭く、遥か彼方を見晴かし、その瞳にはいかなる怖れも浮かばない。

 あらゆるものに立ち向かう勇ましき精神。

 その躰はあらゆる刃を跳ね除ける強靭な体毛で覆われ、その内に宿る肉は敵を屠るための目的にそぐわぬものはない。

 

 黄金の狼を始め、部族の長たちの助力により王は戦いに勝利した、しかしその戦いにより王は倒れた。

 土地は荒れ果て、人は死に往き、滅びを待つばかりとなった。

 そのため上命が下り、黄金の狼を筆頭にして部族の者たちは大いなる湖湛える土地へと渡りて暮らした――――

 

「――――その黄金の狼の末裔たるが、我ら黄牙の民なのだ」

 

 村一番の物知り爺さんの話はいつも長く、そして大体がそんな話から始まった。

 長い長い時の彼方。この世界での彼らの部族のはじまりよりも以前。断絶した歴史の記憶が、まだ彼らの中に断片的に残っていた頃の話だ。

 

 

 

 

 少年が馬を駆けていた。大好きな乗馬ではなく、一刻も早く帰りつかんと欲するがための疾駆。

 

「――――父上!!」

 

 そうして帰り着いた故郷の幕舎で彼を出迎えたのは、物言わぬ躯となった父の姿と、泣き縋る母の姿、そして涙を堪えて母の傍らで肩を震わせる弟の姿だった。

 

 彼らの父は殺された。

 

 かつて敵対し、戦によって打ち破った部族に殺されたのだ。

 少年の父の一生は、まさしくその部族との戦闘に命を賭けた一生だった。父の父の代の頃にはすでに祖先からの宿敵という間柄であったらしく、十数年前に、少年の父が部族を率いて戦い、漸く大打撃を与えたそうだ。

 そうして父は己が部族に十数年の平穏をもたらした。

 草原の世界において、戦で打ち破った部族の男は皆殺し、女は戦利品となる。それが草原の掟だった。だが少年らの父は打ち破った部族の男を皆殺しにしなかった。

 

 それがために起きたことだった。

 

 酒宴に招かれた父がそれを受け、酒に酔い油断していたところで毒を盛られたのだそうだ。

 父を連れ帰ってきた部下の男が悔しそうに少年に教えてくれた。

 父は毒に苦しみながらも己が部族のもとまで馬を走らせて戻り、幕舎まで戻って数日間苦しみ続け、そして少年が戻ってくる数刻前に息を引き取ったのだそうだ。

 

 それを聞き、そして父の亡骸を前にした少年が感じたのは憤りだった。

 草原の掟に背き、男どもの息の根を止めず、女どもを奴隷にしなかったがために禍根を残し、掟の報いを受けたのだ。

 

 少年の固く握った拳が震えているのは、決して父の死を嘆き悲しみ涙しているからではないのを、少年の弟は知っていた。

 

 

 それから、少年らの部族には過酷な運命が待ち受けていた。

 

 父の後を継いだ少年がまず行ったのは、明確な序列化であった。

 少年には幾人かの兄弟姉妹がいた。

 酋長である少年を頂点に、すぐ下の同母弟である弟を補佐とし、異母弟たちをその下に置いた。

 

 だが事はそう上手くは行かなかった。

 

 まず異母弟たちとの仲違いが起こった。

 少年よりも大柄で腕力のあった異母弟たちは徒党を組んで少年に反抗したのだ。

 強力な指導者であった父を失った少年の部族は求心力を失い、部族がほぼ瓦解していた少年には、そんな異母弟たちですら貴重な臣下であった。

 しかし、やがてはそれにも決着をつけなくてはならず、少年は異母弟たちの内、もっとも長兄であった異母弟を暗殺することで紀律を正した。

 

 それだけでは終わらなかった。

 遊牧の民の財産である馬を盗まれることもあり、さらには少年の成長を恐れた他部族の襲撃を受けた、そして酋長となった少年は捕虜となり、弟たちの部族から引き離されてしまった。

 

 

 

 酋長である兄の犠牲のおかげで襲撃から逃げることのできた者たちは、しかし一様に顔を暗くしていた。

 

「…………兄さん……」

 

 捕らわれてしまった兄のことを思い、今や全権を委任されてしまっている少年は呟いた。

 

「酋長さん……戻ってこなかったね」

 

 少年の呟きに背後から応えた者がいた。少年はちらりとその人物を見て、再び視線を眼下に広がる草原に目をやった。

 今、彼らは草原から離れ、山麓へと逃げ込んでいる。

 ここからならば草原からの襲撃があればすぐに察知できるし、身を隠しやすい。

 しかし遊牧の民の要である馬や羊に十分な草を食ませることができない。

 もっとも今はその家畜や馬がいないがために逃げ込めているのだが……

 

「お兄さん、生きているといいね」

「生きてる。生きているに決まってるッッ!」

 

 彼らには力がなかった。

 兄から代理での権力を授けられている少年とて、それは所詮部族内での力。そして今やその部族自体も10人にも満たない血族のみしかいないくらいだ。

 むしろ血族の中からも他部族の庇護を受けるために出て行ってしまった者がいるくらいだ。

 さらには肝心の兄――酋長すらもいなければ、部族の崩壊は目前といっていいだろう。

 

 ザッ、土を踏み自分の隣に立つ音が聞こえる。

 少年の隣に山高の帽子をかぶり、長い杖を手にもつ、見慣れない服装の女が立ち、少年と視線をそろえた。

 

 ――力さえあれば…………――

 

 力さえあれば、兄を奪還できる。

 こんな家畜も育てられない場所から草原へと戻ることができる。

 家族を守り、離散した部族を取り戻し――――そして……………

 

「あるよ。力ならある。そう、君ならば手に入れられるよ。世界を変える、大いなる王の力を」

 

 言葉が、漏れていたのか。

 はっとして隣に立つ女性へと振り返った少年は、そこに不思議な笑みを浮かべて少年を見ていた。

 少年の全てを見通すようであり、この草原の果てを、世界の真理を見透すようでもあった。

 兄や従兄に比べれば矮躯で力の乏しい少年だが、それでも遊牧の民の男であるからには、膂力で女に劣るはずはない。

 けれども女性の眼が、存在が、今は他のどんな部族の存在よりも不気味に思えた。

 

「お前は……なんなんだ……?」

 

 彼女は不思議な女性だった。

 彼女とは盗難された馬を、兄たちとともに奪還しにいく途中で出会って、そのまま部族のところに連れて帰ってきたのだが、彼らが今まで出会った女性のどれとも違っていた。

 

 彼らの価値観では、女は所有物に過ぎなかった。

 少なくとも兄からも父からもそう教わってきたし、事実として部族の中でも外でもそうだった。

 弱く、力を入れて突けば簡単によろめき、男ほど重たいものを持てず、殴りつければ容易に倒れて泣き出す。到底戦闘になど出れず、外を出歩けば攫われ略奪される存在。

 羊や馬と同様に部族の宝であり、少し違うのは部族内で共有されるものではなかったこと。そして部族を受け継ぐ子を産むことができることだった。

 同じ狼の血が流れているのが許しがたいという兄ほどではないが、彼もまた女という存在は男とは違う弱い生き物なのだと思っていた。

 ところがこの女性はどうだ。

 危険な草原をたった一人で馬もなく彷徨い、不可思議な術を使って馬の奪還に協力してくれた。

 女性を子を産む物としか考えていない兄ですら、この女には不気味さを覚えて手を出していない。

 

「私の名前は―――――。王の選定者、マギよ」

「マギ……」

 

 名前など、どうでもよかったのかもしれない。

 ただ守るためだけに力を求めた少年は、そうして差し伸べられた手をとった。

 

 

 

 それは大昔の話。

 

 この世界で“最初に”迷宮を攻略し、王の力を手にし、ジンの力を手に入れた“王の器”の物語。

 断絶した、彼方の記憶の欠片………………………

 

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 少年が手にした“王の力”は凄まじかった。

 数の上でも質の上でもあれほど圧倒していた敵部族をものともせずに薙ぎ払い、蹴散らし、虜囚となっていた兄を救い出したのだ。

 その力に兄は驚き、まずは力が手に入ったことを喜んだ。

 

 “王の力”は凄まじく……凄まじすぎた。

 

 兄を救い出した後、彼らは報復を行った。

 その報復により、敵部族は草原に屍の山を晒した。あまりにも一方的で、あまりにも理不尽なほどの力の具現。

 残された者たちが降伏を申し出るまでにそう時間はかからなかった。

 早々に物言わぬ屍となった敵酋長に代わって戦意喪失した男たちと、戦えない女や老人、孤児となった少年たち。

 

「男は殺せ」

「え……?」

 

 そんな降伏した者たちを前に、酋長である兄は告げた。

 

「聞こえなかったのか、男は皆殺しにしろと言ったんだ」

 

 すでに多くの戦士が死んでいるが、それでも老人や戦意喪失した戦士など、男の生き残りはそれなりにいる。

 彼らは“王の力”の隔絶した力に畏怖し、抗う意思など残っていない。にもかかわらず、兄は殺戮を宣言した。

 

「そんなっ! 彼らはもうこの部族の傘下だ! この小さな部族を大きくするためには」

「分からないのか!!」

「!!?」

 

「父はなぜ殺された! こいつらはなぜ今這いつくばっている! 全ては始末をつけなかったからだ! 詰めの甘さが、やつらの禍を招いたのだ!」

 

 “王の力”を持った少年は、絶望的な瞳で降伏してきた者たちを見た。

 二人のやり取りに、彼ら自身の明確なる死を感じ取り、怯えた瞳で懇願するように少年を見上げていた。

 

 

 

 ―――――――その日、草原から一つの部族が消えた。

 

 

 ことさら残忍な性を持ってはいたが、それでもその後も部族の傘下に入りたいと頼ってきたものが多かったのは、兄の示した残虐さは草原において決して異常ではなく、当たり前に行われてきたことだったからだろう。

 むしろ、かつて集落を裏切り彼らを見捨てて出ていった者たちが先んじて帰順を願い出てきた時には恨み言の一つもなく、その感情を押し殺して迎え入れる度量があっただけ、心が広いと言えたのかもしれない。

 

 

 

 “王の器”となった弟を持つ部族の酋長。

 兄弟二人の関係は、弟が兄を支えるというスタンスであったがために続いていた。だがそれは兄にとってはどうであろう。

 

 弟が功績をあげれば上げるほど。弟の“力”抜きで敵を襲撃し、返り討ちにあいそうなところを助けられたりする経験を重ねるごとに。兄弟二人の関係性は歪んでいった。

 そして―――――

 

 

「がふっ! なん……ど、く? 兄上、なん、で……?」

 

 戦いの後、戦利品を分配し、大きく膨らんだ部族の男たちは新たに手にした“所有物”に浮かれ、騒いでいる。兄弟が勝利の馬乳酒を酌み交わし、弟が血を吐いたのはそんな時だった。

 馬乳酒の中に混ぜられた毒に、胃の腑が焼かれたように熱を帯び、口から濁った血が溢れる。

 膝をついた彼の前に立つ兄の足が見えた。

 

「初めに言ったはずだ。この部の酋長は俺で、お前はその次だと。今、どれだけの者がそれを信じる? お前は……お前は、力を得すぎた」

 

 どこか悲し気に聞こえる兄の声。

 自分が部族の紀律を乱しかねない存在であることは彼自身がよく分かっていた。

 だがそれでも、この自分にしか扱えない力は、兄のために、部族のために使うべきだと思っていたし、事実として兄の命令に忠実に従ってきたはずだった。

 

 ――どうすればよかったというのか―――

 

 兄を助けるためにと得た力。

 兄を輔けるために振るってきた力。

 

 それ自体が否定されるというのなら、どうすれば正解だったのか。

 

 兄の声の中にも悲しさが含まれているように聞こえたのがせめてもの救いで、少年はなんとか兄の顔を一目でも見ようと顔を上げた。

 

「!!!!」

「大人しくその“王の力”を俺に渡していればよかったものを」

 

 そこにあったのは、ただただ欲望に塗れた顔。

 血のつながった忠実な弟を殺めることになるというのに、ただ己が地位の安寧を守れることに、そして自分よりもはるかに“優れている”“王の器”を殺すことの愉悦を覚えているだけの顔だった。

 

 

 そして―――――――――

 

 

「なぜ……なんでこんなことに………………」

 

 気が付けば、少年だった彼は血に塗れていた。

 最早原型を留めていない、裂けた血袋となった、●だったモノを前に彼は呆然としていた。

 

「それがあなたの運命だからよ」

「うん、めい……?」

 

 いつの間にか、苦しみはなくなっていた。

 マギである彼女が何かしたのか。ただ、感じる吐き気は先ほどまでの毒によるもの以上のものがあった。

 

「そう。運命。あなたは世界を変革する存在。あなたにこんな運命を強いる、この世界の在り様そのものを否定し、壊すための“特異点”」

 

 ビィビィと、何かが少年だった彼の周りを飛んでいる。

 白から黒へと染まりいくなにか。

 

「さぁ、運命を否定して、立ち上がるのよ。我が“王”よ」

 

 そして差し伸ばされた手を…………かつて少年であった彼はとった。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

「愚かなヤツは死んだ…………今より、俺は王となる」

 

 白が黒へと変わったその日。王は自らが部族の、そしていずれは世界の王となることを宣言した。

 

「我が名はチャガン・ハーン!!! 世界の王となる者! この世界を作り変える王だッッ!!!!!」

 

 四狗と呼ばれる忠実なる眷属と精強な騎馬の民。

 そして王自身の力によって、彼は瞬く間に世界を席捲した。

 草原を制覇し、天を衝く山を越えて西を征覇し、東は大陸の果てまで余すことなく支配した。

 

 

 

「男として最大の快楽?」

 

 ある時彼は問われて答えた。

 

「決まっているだろう」

 

 それを尋ねてきたのはすでにその身を捧げて異形となった眷属の誰かであったか、それとも支配して朝貢してきた国の元国主だったか。

 

「男にとって最も甘美な快楽は敵を滅ぼし、堕落しきった豚どもを駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい同胞が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すこと以外になにがある!」

 

 その答えのどこにも、在りし日の少年の面影はなかった。

 春の陽気の薫り漂う草原を馬で駆け抜けることを愉しみとした少年は、もはやいなかった。

 

 

 

 西へ西へと覇道を進める王は、あるとき東にもまだ果ての先があることを知った。

 大陸の端のその先。

 草原の民の出である彼からすれば、まさしく異境である海のその先に、彼が制覇するべき国があることを知ったのだ。

 海に浮かぶ島。

 そこにも彼が駆逐すべき猿どもがのさばり生き、凌辱する女どもが安穏としているという。

 そしてそこには目もくらむばかりの見上げるほどの金が溢れかえっており、その輝きで影すらもできない国なのだという。

 

 そうして騎馬の民である彼らは船をつくり、東へと漕ぎ出した。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 見遥かす水平線の彼方の先。そこに今、島を覆いつくすかの如く大船団が向かってきているという報せを彼は受けていた。

 白木の鞘に納められた太刀を腰に帯びた若き青年。

 

「戦は避けられぬ、か…………」

 

 すでに幾度かの使節が派遣されてきてはいたが、その内容は到底彼らの国が呑めるものではなかった。

 譲歩とは名ばかりの恫喝。

 国としての主権はおろか、人としての在り様までも否定する意図が使節の言葉から透けて見えていた。

 

 最早戦いは避けられない。迎撃のための軍もすでに発っている。

 だが数の差は如何ともしがたい。

 なにせこちらは小さな群島国家一つであり、相手は今や世界を制覇すべき勢いを持った大黄牙帝国だ。動員できる兵、従える属国、奴隷、いずれも桁が違う。

 さらには大王であるチャガン・ハーンは魔神がごとき天変の力を振るうという。

 

「――――秦」

 

 名前を呼ばれ、振り向くとそこには4人の友がいた。

 いずれも剣を競い合った仲で、時に殺し合い寸前まで剣を交わしたこともあれば、剣の向きを揃えたこともある。

 そして共に“迷宮”を攻略した仲間だ。

 

「やはり無謀だ。伝え聞くところによるとチャガンには巨神の仲間が4体もいるという。まず間違いなく眷属による同化だ。俺たちも同化をしなければ対抗しきれん」

 

 チャガン・ハーンは4体の異形を使役するという話が伝わっている。

 “迷宮”を攻略した彼らだからこそ、チャガン・ハーンの魔神のごとき力の正体が金属器であると推測できたし、都市を郭壁ごと蹂躙する巨体の異形とやらが同化眷属によるものだと分かった。

 

「お前が俺たちの身を案じているのは分かる。だがそれでは国を守れん」

「チャガン・ハーンは残忍な性を持つ獣のごとき男で、戦の決着は必ず殲滅でしかなく、戦が始まってから降伏しても男は皆殺しにされ、敗北すれば女は皆物のように凌辱される。そんな畜生を王などと崇めることはできん」

 

 大陸の覇者であるチャガン・ハーンの残忍さは、帝国が引き起こした戦場の苛烈さとともに知れ渡っている。

 

 かつてともに冒険を繰り広げた彼らは、今は国を守るための守護者たちだが、その身はいまだ人の姿形を保っている。

 眷属同化が人の身には危険な業で、使えば使うほど――その身を精霊に捧げるほどに、その体は人のものから外れていき、やがては意識までもが完全に精霊と同一化してしまう。

 ゆえに彼らの“王”は、眷属となった友たちにそれを禁じた。させなかった。

 今まではそれでなんとかなっていた。

 

「俺たちはこの国に生きる民のために剣を振るうわけじゃない。お前だから、俺は共に剣を振るうのだ。お前があのチャガン・ハーンを斬るのなら、俺たちはこの身どころか、命を眷属に捧げることになったとしても構わん」

 

 だが今回はそうもいかないかもしれない。

 金属器使いであるチャガンの相手ができるのは同じく金属器使いのみ。

 そしてただの眷属である彼らと、同化眷属とは引き出せる力が格段に違うのだ。

 

 だがそれでも…………

 

「お前たちの命はいらない。俺の望むのは、お前たちとともに生きていく自由な未来だ」

 

 友に人であることを捨ててくれなどとは願えない。

 人としてこれからも隣を歩いていく、それが望む未来なのだから。

 

 

 

 

 そして始まる戦い。

 

「さぁ、往くぞ。世界を我らの物に。強欲と蹂躙の精霊、アンドラスの名の下にッッ!!―――――蹂躙せよッッッ!!!!!!!」

 

 船団から雄叫びの声が上がる。

 チャガン・ハーンの姿が蒼い狼のごとき魔装の姿へと変わり、彼に従う眷属の狼人たち――四狗もまた同化を行い巨大化した。

 

「静慮と克己の精霊、キメリエスよ。汝が敵を討ち払うために、我に力を授けよ」

 

 迎え撃つ“和国”の(つわもの)たちもまた、長刀を抜き、槍を構え雄叫びを上げた。

 秦の姿もまた変化し、背には翼を、そして角の生えた仮面を被った魔装を纏った。

 

 

 この世界においてはじめての、“王の器”同士の、金属器による戦いは苛烈なものとなった。

 戦場となった海は荒れ、船団を飲み込み、天は雷によって裂けた。

 

 

 

「我が覇道を阻むか! 島国の猿風情が!」

 

 これまでチャガン・ハーンの前に立ち塞がった者はいなかった。

 “王の力”を振るえば屍となるか、あるいは微塵も残さず消え去り、それを見た同胞たちは怯え、頭を垂れて許しを請い、その首を刎ねてきた。

 

 だが今。ただ一人空を駆けてきた狼の前に立つ鬼は、チャガンの“王の力”と互角に渡りあっている。

 

「この国は侵させはしない。たとえ…………」

 

 チャガンと対する“王の器”――秦は視界の一部に眷属たちの戦いおさめた。

 遠くからでもその激突の様子は容易く見て取れる。

 海に立ち、雲まで届くほどの巨人たちが戦っている。

 4人の友であった眷属たちは、彼自身の意に反して精霊に己が身を捧げ、翼の生えた長鼻と角をもった異形へと変貌した。

 

 同化眷属同士による戦いは、他の兵たちを戦場から遠ざけて、それでもなお激しさを失ってはいない。

 

 ――例え友を失っても…………――

 

 眷属の同化はその身を捧げる禁忌の業だ。

 一度でも同化をしてしまえば、最早その身は只人に戻ることはできず、使えば使うほどに人から外れ精霊へと――ジンの眷属へと変わっていく。

 

「強欲と蹂躙の精霊よ! 汝が王に力を集わせ、この世の全てを、大いなる我のものと為せ!!!」

「静慮と克己の精霊よ。汝が王に力を集わせ、常世を斬り裂く、大いなる神威をもたらせ!!!」

 

 

 ―――――『極大魔法―――――』――――

 

 

 二人の金属器使いが、互いの“器”を破壊しあった戦いが、この世界ではたしかにあった。

 

 それは、今はもう改変され、泡沫と消えた歴史…………

 

 

 

 



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断章2

 

 ―――カタカタカタカタ……………―――

 

 どこかで

 

   何かを記録する音が連続している

 

 ―――カタカタカタカタカタカタカタカタ…………―――

 

 延々と延々と、世界を記録し、そして観察していく。

 それが何のためなのか。

 尋ねたところで、それからの答えはないだろう。

 そもそも、それは次元の違う存在であるからして、 “記録” “観察”という概念すらも異なるのかもしれない。

 

 ただそれは、世界を記録し、観察し、そして“繰り返す”。

 

 まるでお気に入りの本を読み返すかのごとく。あるいは好みの物語を読み漁るかのごとくに。

 

 お気に入りは英雄譚。

 

 たとえば―――――

 迫害された最弱の種族が、神から与えられた力によって世界を変革する物語。

 

 たとえば―――――

 傲慢な父の操り人形であった息子が反逆し、王になる物語。

 

 たとえば―――――

 全てを見通すことができる運命に愛された子供が、商人となり、王となり、そして神へと至ろうとする成り上がり英雄譚。

 

 英雄の絶望譚なんてものもいいかもしれない。あるいは2部作で、絶望から狂ってしまった前作の主人公(英雄)を倒すという反英雄との双雄譚。

 

 

 シナリオなく紡がれていく物語は面白い。ただ、その面白い物語をより面白くするために、少しだけ物語に手を加えよう。

 

 

 それに物語とは、登場人物が終わり方を知っているべきではない。

 少しだけ昔語りがある程度は許される。

 そんな物語があるから、伝説は生まれ、それを手にした少年少女は“英雄”になれるのだから。

 あるいはほんの少しだけ、物語のネタバレを知らせてあげるのもスパイスかもしれない。

 未来が見えるとまでは行かなくとも、運命の流れを感じることができると思えば、それは主人公(特異点)の特権かもしれないから。

 

 けれど結末を知っている必要はない。

 

 だからそこでまた手を加えよう。

 初めから繰り返すために。

 人々の記憶から、心から、ルフを改竄して、初めてを繰り返すのだ。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

「―――――!!! ――――ッ!! ―――んッ!!! 秦ッッ!!!」

「………………」

 

 岩礁と見紛うばかりとなってしまった島の一つ。

 一人残った眷属が、その異形の腕で抱いているのは、大陸からの夷狄を討ち払った王にして、古くからの友。

 

 その友が血に塗れ、死線を潜り抜けてきた愛刀も折れて岩に突き刺さっていた。

 友に名を呼びかけられて辛うじて意識を取り戻した王は、光を失いつつある瞳で空を見上げた。

 広がっているのは黒い空。

 

「くそ! くそっ!! くそッッッ!!!!」

「…………」

 

 慟哭するように猛る友。

 

 彼らは大黄牙帝国の脅威を打ち払った。

 3人の眷属の犠牲を対価にチャガンの四狗を撃破し、チャガン自身も仕留めきることはできなかったものの深手を負わせることに成功した。

 あの傷では長くは生きられないだろう。―――秦と同じく。

 

「これが……この世界の運命、か……」

「――ッッッ」

 

 諦めたように言う秦の瞳は、もはや世界を映してはいない。

 

 

 ――なんなのだ、この結末は。

 文字通り身を捨てる思いで眷属との同化を果たし、決死の思いで、友を犠牲にしてまで敵を撃ち払ったというのに、その果ての結末が“これ”だとは。

 “これ”が運命だというのなら、そんなものはご免被る。

 たとえ運命とやらを逆流させようとも、あるべき未来を否定しようとも、絶対に神とやらを否定する――――

 

 ビィビィと、白いルフが黒へと転じかけたその時、慟哭する彼の頬に手が当てられた。

 

「頼みが、ある。お前にしか、できないことだ…………ミチザネ」

 

 悲鳴をあげていたルフが、嘶くことを止めた。

 

「くそったれな、これを、結末にしないで、くれ」

「秦…………」

 

 最早目は見えていないだろうに、血だらけの体で、それでも彼はいつものように笑おうとしていた。

 その笑顔は弱弱しく、引き攣るような笑みなのに、涙で滲むその笑顔はどうしてか、在りし日の笑顔にしか見えなかった。

 

「分かってる……分かってる!」

 

 死に臨み、それでも笑おうとする友に、彼は懸命に笑顔を作り返そうとした。

 彼が望んでいることは言われるまでもなく分かっている。

 彼には子がいる。

 望み合った果てに結ばれた伴侶と、その末に生まれた次代の命

 

「橘のこの名に懸けて、お前の息子に降りかかるいかなる災厄も、俺が絶対に引き受けて見せる」

 

 この国では橘とは傍に侍る者、主の禍を引き受け、主の運命を身代わりして命を縮める形代の名。

 名は呪を表す。

 この国ではそれぞれの名が、それぞれの天命を示していると信じられていた。 

 事実として、多くの先祖がその天命に沿うように生き、そして死んだ。

 かつてはその運命を呪って家を飛び出した彼――橘道真は、しかし今になってその名に縋った。

 その名の運命を否定し、運命を切り開けることを教えてくれた友のために。ただ一人残てしまった眷属としての自分を否定するために。

 

 しかしそんな道真の言葉に、秦は苦笑するように口角を上げた。

 

 ――そうじゃねぇよ、ばか……―――

 

 言葉にならなかったそれは、代わりに笑みが告げていた。

 

「お前に、橘花(きっか)は似合わねえ。だから、代わりに名をやるよ……」

 

 死に惹かれていく友は、それでも最後の力を振り絞るかのようにして、言霊を紡いだ。

 

「傍に在って、咲き誇る者――――立花。呑まれたりしたら、許さねぇから、な。立花、道真―――――」

 

 身代わりに枯れる花ではなく、傍にあって咲き続ける存在へ。 

 自身の息子の禍を受け止めて死ぬのではない。息子とともに運命を紡ぎ続けてほしい。

 そんな祈りを込めて、“王の器”は言霊に残した。

 

「しん……? 秦ッッッ!!!!」

 

 笑顔を残したまま、この世界で初めて物語を紡いだ“王の器”の一人は逝った。

 それとともに“王の力”もまた“迷宮”へと返り、そして地へと沈んだ。

 

 大陸の制覇を目前とした“王の器”もまた、その物語の幕を閉じた。

 

 そして世界は黒に染められ、“王の器”の物語は、ただの物語へと変わっていった。

 かつてこの世界とは違う世界に存在したという、唯一の王の伝説と同じく…………

 

 

 

    ✡  ✡  ✡  

 

 

 

 ――僕はユナン。“マギ”に生まれた―――

 

 時代の節目と呼ばれる時に、この世界にはマギと呼ばれる存在が生み落とされる。

 ルフに愛された存在。

 

 

 ――僕にはわかる。君は王になるだろう――

 

 王を導く王佐の存在。

 それはかつて滅びた世界の伝承に則り、3人までしか生み落とされない。

 それを決めているのは、この世界の創造者。

 それが神と呼ばれる存在と言うのかどうかは難しい。

 

 けれども今、世界は新たなマギの出現を迎えた。

 逆説的に、世界は今、節目と呼ばれる時代なのだろうか。

 それを決めるのは後の世代の人々となるだろう。

 

 

 ――君は誰よりも優しくて、勇気がある。いつもみんなのために笑ったり泣いたりする人だから……――

 

 ただ彼は、運命に導かれて彼の王を選ぶのだ。

 

 相応しいと選定した者、“王の器”足る者を“迷宮”に誘い、“この世界で初めて”の“迷宮攻略者”とするのだ。

 

 これまで幾度も繰り返されてきた運命。

 

 

 

 ――ユナン、ありがとう。俺が王になれたのはおまえのおかげだ。おまえと一緒に戦ってきたから、こんなに仲間もできたんだ。これからも俺たちの国を守っていこう。仲間たちと一緒に、ずっとだ! ――

 

 この世界はマギを迎えるのと同様にして、“世界最初の迷宮攻略者”を迎えることになるのだ。

 

 これまでの歴史で繰り返されたように。

 史上初めての出来事として。

 

 

 ――や、やめて!――

 ――うるさいッ! お前もか、ユナンッ!? お前までもが俺を否定するのかッ! 俺には見えるんだッ! 運命が! 俺だけがこの世界をッッ!!!!――

 

 そして人々は語る。

 

 ――まさか、あの優しい王があんな暴君になってしまうとは……――

 ――あの王は少しずつ変わってしまった。みんなのためを思っていてもだんだん独善的になっていって……かつての仲間たちや、己の“マギ”すらも手にかけてしまうとは…………――

 

 その王様がどんな人で、どれほど大きな力を持ち、どうやって狂っていき、世界を破滅に導いた善くしようと生きたのかを。

 

 

 

 

 

 ――僕はユナン。また(・・)“マギ”に生まれた。――

 

 人々がかの王の偉大な力を、それをどのように手に入れ、どのように奮い、どのような結末を呼び込んだのかを“忘却” させられした頃、世界はまた新たなマギを迎えた。

 

 ――もう“あんな”悲しい思いはしたくない……。あんな……? なんだろう? なにかが違う気がする……でも仕方ないんだ。僕はマギだから。出会ってしまうんだ。僕の王の器に…………――

 

 マギである自身がこの世界に生み落とされたからには、世界は節目を迎えており、変革を、新たなる王の到来を待ち望んでいるということなのだ。

 ゆえにこそマギはその王と出会い、選び、導く。

 

 ――ユナン。私たちは友達だ。一緒に幸せな国を作ろう!!――

 

 導いた王は、この世界で今まで見たことがないほどに大きな“王の器”で、優しく、大勢の仲間に囲まれた人だった。

 

 

 ――ふざけやがって! あのペテン師がッ!――

 ――裏切者が!!――

 

 そして人々はまた(・・)初めての終わりを迎える。

 

 ――なん、で……なんで、君が…………―――

 

 絶望が目の前に広がっていた。

 その体は首に括られた縄で吊り下げられ、体の前には死してなお尊厳を辱める文句の書かれた看板をつけられている。

 

 人々は語った。

 

 ――まさか、あの優しい王があんな最期を迎えてしまうとは…………――

 

 

 その王様がどんな人で、大きな力を持ち、どうやって世界を変えようとして、そして失敗して終わったのかを。

 

 

 

 

 どんな人でも巨大な力を手にすると変わってしまうのだろうか?

 大きな王の器ほど道を踏み外した時には大きな破滅が待っている。みんな優しい、いいやつだったのに。幸せな世界を望んでいただけなのに……

 

 だから、僕は慎重に慎重に……“初めての王”を選ばないといけない。

 谷から出ずに、安易に王様を選ばないで…………

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 とある時代――――

 

「ぅぉおおおおおっっ!!!!」

「ちょっ! ばっ! なんでこっちに走ってくんのよっ!」

 

 一組の男女が草原を走っていた。

 男の手には、マギに導かれた迷宮で得た力――金属器があり、金髪の偉丈夫だ。

 そしてもう一人は腰ほどまである豊かな金髪の女性。白い布を衣にして身に纏い、頭部の両端には葡萄の髪飾りをつけており、手には槍にも似た形状の先端に宝玉のついた杖を持っている。

 そんな彼らを追いかけるのは、大きな獅子。

 

「ちょっ、ワリ、ワリィって! 咄嗟だったからっ!」

「バカでしょっ!? バカなんでしょ、あんた!? あんたの持ってるそれを使えば、あんなの目じゃないのよ!?」

 

 持っている杖でパコパコと並走する男を殴打する女性は、癇癪気味に叫んでおり、叩かれている男の方は杖の殴打から頭を隠しながらも走る脚は止めない。

 

「いやいや、そりゃかわいそうだろ? ほらここはシェヘラが魔法でパーンと……って、なんでお前まで逃げてんだ?」

「は、はぁっ!? あ、あんたが私の方に逃げてきたから……その、勢いでよっ!」

 

 ツッコみを入れられた女性――シェヘラザードは顔を赤くしてごにょごにょと告げて、結局バーンと言い切った。

 何か悪い? とでも言うかのような態度に彼女の選んだ“王の器”はぽかんとし、そして大笑いした。

 

 

 

 

 彼の名はペルナディウス・アレキウス。

 マギ・シェヘラザードが選んだ世界で最初(・・・・・)の “王の器”だ

 

「あ~、もうっ! ったく! 私はマギなのよ! あなたはそんな私が選んだ“王の器”なのよ! それがたかだか獅子一匹相手に揃って逃げ回るなんて……」

「だから悪かったって」

 

 とりあえず猛獣からの追撃はボルグと魔法で切り抜けて街に戻ってきた二人だが、城壁を抜けて街中に入ってもシェヘラザードの愚痴は止まらなかった。

 ツンツンとした様子で腕を組んで怒っているシェヘラザードにペルナディウスは拝むようにして繰り返し頭を下げている。

 

「何をしとったんじゃ、ペルナディウス殿下」

「ミネリウス!」

 

 シェヘラザードの愚痴とペルナディウスの謝罪の繰り返しを止めたのは、頭部に月桂冠を被った白髭の老人だった。

 いいところに来たとばかりにそちらに駆け寄るペルナディウス。

 一方でシェヘラザードは少しだけむっとした様子で老人に振り返り、けれどもそれ以上ペルナディウスにも老人にも文句を言うことは続けなかった。

 

「おっと、邪魔をしてしまいましたかな、 マギ殿?」

 

 ミネリウスと呼ばれた老人はそんなシェヘラザードをちらりと見やって、髭をしごきながら尋ねた。

 

「別に……」

 

 シェヘラザードは出てきた言葉とは裏腹な態度で不満そうに顔を背けた。

 創世の魔法使いマギ。活力に溢れた魅力を持つこの若い女性がそんな世界を動かすカギを握る魔導士とは思えない、可愛らしい態度だ。

 ミネリウスは優しげな眼差しをシェヘラザードに向け

 

「…………なによ?」

「あぁ、いえいえ。そうじゃった、ペルナディウス殿下」

 

 不興を買ったらしい視線を返されて、慌てて用件のある若者の方に話を戻した。

 

「皇帝陛下がお呼びじゃったぞ? 次の出兵についてじゃ」

「!」「!」

 

 ペルナディウス・アレキウスはマギとしてのシェヘラザードが初めて選んだ“王の器”であり、レーム帝国という国の王族であり、将軍の一人だった。

 自分の選んだ初めてのただ一人がレームの皇帝に仕える大勢の中の一人。

 それがシェヘラザードには不満だった。

 

 今の皇帝にとりわけ不満がある、という訳ではない。そんな者に善として仕えるような者であったら“王の器”に選んだりはしなかっただろう。

 だが彼女が選んだのは“彼”なのだ。

 

 

 

 ペルナディウスは将軍として軍を率いて、似合いもしない武力を行使し、時にシェヘラザードが与えた“王の力”を奮った。

 シェヘラザードは昔、彼のことをまるで太陽のような人だと思った。

 “運命”だとか、“マギ”だからとかではなく、純粋に彼の力になってあげたいと思うようになったのはいつ頃からだったか……

 やがて彼の周りにはたくさんの仲間が集まり、彼は正真正銘の“王”になり、レーム帝国を史上最大の版図に広げ……そして伴侶を迎えた。

 

 

「…………」

 

 ヒラヒラと舞う蝶。差し伸べている自身の掌の周囲を舞っている色鮮やかな蝶をシェヘラザードは感情の抜け落ちたような表情で見ていた。

 

「シェヘラザード!!!」

「!!」

 

 心ここにあらず、といった状態だったシェヘラザードは、その時一番聞きたくない声で呼びかけられてビクンと背中を伸ばした。

 掌の上で舞い踊っていた蝶も、声とシェヘラザードの反応とに驚いてどこかへと飛んで逃げていった。

 シェヘラザードが恐る恐る振り向くと、やはりそこには聞き間違いのない声の主、彼女の“王の器”が息せき切ってやって来ていた。

 

「…………なによ? ヘルミオーネに着いててやらなくていいの?」

 

 その場を逃げ出そうかとも考えたが、結局彼女はため息をついてペルナディウスに向き直った。

 向き直って、そこには満面の笑みの彼が居て。

 

「産まれたんだ! 俺の子が、産まれたんだッッ!!!!」

「ッッ。………………」

 

 近寄ってきたペルナディウスはシェヘラザードの細く柔らかな肩を強引に掴み、間近に顔を寄せて告げた。

 輝かんばかりのペルナディウスの報告に、瞬時、シェヘラザードの顔に痛みがよぎり、気づかれる前にそれはただの驚きへと変わってくれた……はず。

 

「―――」

「シェヘラザード?」

「なにやってんのよッ! なんで、ヘルミオーネのところじゃなくて、私のところにあんた来てんのよ!!!」

 

 ペルナディウスが選んだ彼の伴侶、やがて王となる者の差配。その彼女がペルナディウスの子供を妊娠していたのがつい先ほどまで。そしてどうやらつい先ほど無事に産まれたらしい。

 だというのに、そんな妻をほっぽり出してこの男はこんなところに自分を呼びに来ているのだからなにをやっているのだか。

 

「だから呼びに来たんだよ! ほらっ! シェヘラも見に来てくれよ!」

「ちょっ! まっ! ッッ! ~~~~!!! ……………………」

 

 ぐいぐい、ぐいぐいと強引に引っ張っていこうとするペルナディウスに、シェヘラザードは抵抗しようとするが、繋がれたその掌の温かさに、思わず顔がカァとなってしまう。

 やがて諦めたのかシェヘラザードは満面の笑みで手を引いていくペルナディウスに連れられて彼の息子の元へと歩いて行った。

 

「シェヘラザード様! すいません、わざわざ……」

「え、ええ……」

 

 彼が伴侶としたのはマギでも、魔導士でもない普通の女の人で、皇妃となった今もレーム帝国のマギとして知られるシェヘラザードの来室に恐れいってしまうような人だ。

 

 

 この頃、ふと思うことがある。

 なぜ自分が“マギ”なのだろう、と。

 マギではなく、普通の女性ならば、普通に“彼”と出会っていれば、あるいは今こうして彼の子をその腕に抱いているのは、あるいは…………

 

「ほら! 俺の子だ! カワイイだろ〜?」

「!」

 心の整理が終わらぬうちに妃から赤ん坊を抱きあげたペルナディウスは、シェヘラザードに抱かせようとするかのようにその無垢な赤子を近づけた。

 そのあまりにも脆く、儚い命の具現を前にして、シェヘラザードは思わず逃げ出しそうになった。

 

 マギとは創世の魔法使い。

 王を選び、導き、輔ける王佐の存在。

 

 ただの女の身ではなく、悪意から守護するボルグによって常に身を覆っており、生半の暴漢程度では触れることすら叶わない。

 

 だが、脆く儚く、小さなモミジのような手が必死に求めるかのように動いてシェヘラザードに触れた。

 ビクンと反応したシェヘラザードは泣きそうな顔でペルナディウスを見返し、そこにいつも通りの、彼女が選んだとおりの太陽のような笑顔があること見たシェヘラザードは、恐る恐る、その儚い命の象徴を腕に抱いた。

 

「……ええ本当に……かわいい………」

 

 むずがる様に懸命に体を動かしている赤子。

 それはこの世界、この国そのもののようでもあった。

 生きようと必死にもがく、儚い存在。

 

 ほころぶような微笑みを向けながら赤子を抱くマギ。

 

 

 あるいはこの時、レーム200年の安寧を方向づけたのかもしれない。

 

 

 

 彼は彼女が選んだ最初の“王の器”。

 だから覚えている。他の誰が忘れたとしても、彼女だけはその記憶を留めている。

 

 世界の他のマギが、幾度世界最初の“迷宮攻略者”を生み出そうとも、彼女だけは最初の“王”が居たことを覚えている…………。

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 ――僕はユナン。9回“マギ”に生まれた――

 

 幾度、繰り返すのだろう。

 涙はもはや枯れ、心はすでに摩耗してしまっている。

 

 もう王様を選ばないと思っても、それでもマギは出会ってしまう。

 

「きみの名前は?」

 

 光り輝く太陽を浴びているかのような少年に、マギである彼は尋ねた。

 

 そして少年は告げた。

 世界で“最初の”迷宮攻略者になる、偉大な王の名前を。この世界を変革する“特異点”となる名前を。

 

 

 

 

 

 

 ―――カタカタカタカタ……………―――

 

 どこかで

 

   何かを記録する音が連続している

 

 

 

 









次回から最終章の後編に突入します。現在最終決戦を執筆中ですが、残りおよそ5,6話くらいになりそうです。最後までよろしくお願いします。


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第43話

 夢を、見ていた。

 

 長く長い夢。

 

 すでにこの世界からは消されて、歴史ではなく物語となってしまった(過去)

 

「…………そういう、ことか………」

 

 夢から醒めて目を覚ました光は、つい最近になって同居人(捕虜)を得た己が愛刀――金属器・桜花を見た。

 魔導士ならぬ身で、ルフを知覚する認識力のない光には今現在、和刀の周りのルフが活性化しているのを見ることはできない。

 

 だが金属器に刻まれた八芒星の周囲には、ピィピィと囀るルフが嘶き集っていた。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 大峡谷――――

 

「調子の方はどうだい、アリババくん?」

「ああ……まだ少し力が入り辛いけど、なんとかいけそうだ」

 

 和国におけるアルバ襲撃から時が経ち、アラジンの傷も癒えたころ、アリババはアラジンの魔法によって、ユナンの下を訪れていた。

 

「また身体が変わって動かし方が分からなくなっているんだよ。身体とルフを元に戻す訓練が必要だけど、和国の方でやるのかい?」

「ええ。やっぱり向こうの方が、状況の変化が分かりますし、閃さんも修行の手配をしてくださるそうですから」

 

 その目的はアリババの元の身体を取り戻すこと。

 アリババの身体は、数か月前の煌帝国の皇位争奪戦争に先駆けて勃発した洛昌での白龍との戦いによって、精神と肉体とを切り離されてしまっていた。

 なんの運命からか、切り離されて死んだはずのアリババの精神はアルマトランの魔導士や“光”の協力によってこちらの世界に戻ることができたのだが、その際の依り代として埴輪のような人形の体を使用していた。

 

 すぐにでも肉体を取り戻したいアリババではあったが、漂着したのが彼の肉体が安置されていた大峡谷から遠く離れた和国であったことや、安全に移動するための魔法を行使できるアラジンが深手を負っていたなどの理由から少しの時が必要だったのだ。

 

 そう、この世界はすでにアラジンや彼らにとって危険ともいえる世界になりつつあった。

 

「そうだね。……シンドバッドは……20年前、シンドバッドに力を与えたのは、僕なんだ」

 

 アリババの懸念と予定には肯定を示したユナンは、何事かを沈思すると懺悔するかのように呟いた。

 

「あの頃は、僕はこの世界に本当に嫌気がさしていたんだ」

 

 そして彼のマギとしての物語を語り始めた。

 それは彼方の伝説として終わってはいない英雄の始まりの物語でもあった。

 

「王を選んでは滅び、仲間たちと共に国を築いては滅んで……憎しみ、戦い、殺し合い、滅びて、繰り返す。何度でも飽き足らない、そんな、僕の涙も枯れ果てるような世界を……」

 

 選んだ者は王となり、栄え、そして滅ぶ。

 栄枯盛衰が世の常とはいえ、それを延々と繰り返し当事者として在り続けることの苦難は、ユナンからマギとしての義務感と涙とを奪い去るには十分すぎた。

 

「変えてほしかった。特別な“王の器”に、この繰り返しの歴史を。……そしてシンドバッドはその通り、この世界を今までの武力がすべてを決する世界から平和で豊かな理想郷に変えようとしていた……そう、思っていた」

 

 ゆえに願った。

 世界の在り方そのものを変えてくれる強大な“王”の出現を。

 それが単なる物語の中の一つにすぎないと思っても、それでもこの繰り返しが少しでも変わるのならと……

 

 その結果、確かに世界は変わろうとしている。

 シンドバッドという絶対の()の下にそのルフを改変させられるという、この世界の人々の意志を全く無視したやり方でだが。

 

 それは繰り返しを否定したいユナンにとってみても、納得できる答えではなかった。

 また選択を誤ったのか。そもそも正しい選択などあったのか。それでもあのシンドバッドに自信と王の力を与えるきっかけを作ってしまったのはユナンだ。

 ユナンの“始まり”の選択がこの世界の全ての人の意志を殺すことになるかもしれない。

 

 その自責と悔恨とに震え俯くユナンに、アリババはポンとその肩に手を置いた。

 

「大丈夫ですよ。まだ、何も決まっていません。この世界がどうなるか。みんなが、善くしようとしているんですから。もちろん、シンドバッドさんも」

 

 告げるアリババの瞳はまっすぐで、不思議と信頼できるなにかがあった。

 

 アリババは知っている。

 まだ世界はシンドバッドの色に染まり切っていないことを。

 この世界を物語として眺め続けている存在がいることを。

 

「アリババくん……うん。僕は今はこの谷を離れられないけど……何かあったら、その時は必ず力になるから」

 

 振り切ってはいない。

 まだ選ぶことに恐れはある。

 また間違えてしまうのではないかという恐れ。“何かの存在の導くままに”物語を繰り返してしまうのではないかという恐れ。

 だが、いかに恐れていても物語はいずれ結末を迎える。

 それはこの世界での繰り返しと同様にか、かつて滅びた世界と同様にかは、まだ分からない。

 その結末が彼らの望み通りの結末になるとは限らない。

 だからせめて力を尽くそう。

 この物語が誰かを愉しませるものではなく、彼ら自身の物語を締めくくれるように。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 天山高原の、陸の孤島とでも言うべき場所で会談が行われていた。

 そこはシンドバッドが今後の世界の運営を考えて、七海連合から世界の同盟に移行した時の本部にと考えての場所だった。

 

「――――それでは、どうあっても白瑛殿をこちらに返してはいただけないということですか? 皇 閃殿」

 

 片や今や世界の指導者たるシンドバッドと、それに意を同じくする王たち。

 

「返すもなにも、彼女は我が弟の婚約者。断じてアナタのモノではありませんよ。シンドバッド殿」

 

 そして対するは今や世界に数少ないシンドバッドとは意を異なるものとする王の一人、和国の王子である閃だった。

 閃はシンドバッドに抗弁して、彼を囲む者たちに視線を巡らせた。

 古くからシンドバッドの、シンドリア商会と手を結んでいた各国の王たち―――――ササンの騎士王ダリオス・レオクセス、極北イムチャックの秘境の酋長ラメトト、女系国家アルテミュラの女王ミラ・ディアノス・アルテミーナ、エリオハプトの王アールマカン・アメン・ラー。そして煌帝国第5代皇帝 練 紅玉。

 いずれも閃や光と同じく金属器使い。彼らがその気になればさしもの閃も無事では済まないだろう。もっとも、そんな事態になればシンドバッドにも取り繕いようもないであろうが。

 

 ただし、そんな懸念を抱かざるを得ないほど、会談の内容は平行線をたどっていた。

 

「しかし彼女は我が商会の最高顧問です。我々の業務にも差支えがでてしまうのですよ」

 

 煌帝国の皇位継承戦争の時から、表向き白瑛は親シンドバッド路線へと転換しており、戦後も実弟が皇帝となった煌帝国には戻らずにシンドバッドの、シンドリア商会の下で立ち位置のよくわからない顧問として動いていた。

 その動きは対外的にも、そして対内的にも不審を抱く者がいないではなかった。

 シンドバッドは白瑛を手元に置いて何らかの助言を密に受けており、それは彼の眷属であり古くからの仲間たちにも不信感を抱かせるほどだった。

 だが白瑛を手元に置いてからのシンドリア商会の技術革新には目まぐるしいものがあるのも事実。

 それまでシンドリア――七海連合はマグノシュタットを強引に支配下におくことで、この世界における最高水準の魔法技術と研究環境を整えたが、現在シンドリア商会が唱えている技術革新は、そこからもたらされるであろう恩恵を遥かに超えていた。

 

 一般レベルにまで普及可能な汎用的魔法道具の数々――個人移動用の空飛ぶ絨毯や長距離通話可能な携帯魔法道具、火を灯さずとも不夜城にすることが可能な光灯魔法道具などなど。

 今まで一部の迷宮攻略者たちや魔導士たちのみが使うことができていたような魔法道具がシンドリア商会から次々に発売され始めたのだ。

 さらには大型航空魔道具による国家間の空輸・旅客計画まで唱えられているほどだ。

 それらはマグノシュタットにおける魔導士たちの研究の成果でもあるだろうが、技術革新の速度から見て、“他の”要素が紛れ込んでいることはたしか。そのミッシングリンクを為している存在こそが、白瑛――アルバなのだ。

 ゆえに、シンドリア商会に富と強さを集約したいシンドバッドにしてみれば、白瑛――アルバ、より正確にはアルバの持っているアルマトランの知識は他に流出すべきではない、彼のみが保有すべき知識なのだ。

 だからこそ、その彼女の返還を求める会談は平行線。

 

「業務? 必要なのは、彼女の中に居た傍迷惑な亡者の知識でしょう」

「…………」

「アル・サーメンと手を組んでいたという理由で練 紅炎を排斥しておきながら大した変節漢だとは思いませんか、七海の覇王」

 

 閃の言葉にもシンドバッドの顔に浮かぶ微笑みは変わらない。

 商人であるころから、それが交渉の場において重要なファクターであるからだ。

 ただ彼の背後にいる“王”たちの纏う空気が一変したのは明らかだった。唯一紅玉のみが同調しておらず、しかし何かを堪えるようにしていた。

 

「変節したとはあなたも分かっていませんね。私が願っているのはこの世界をよりよくすることです。そして、どうあっても彼女をこちらに戻していただくことはできないというのは、和国には我々と敵対する意思がある、ということですか?」

 

 あくまでも余裕の態度を崩さないシンドバッド。だが机に肘をつき、指を絡めてやや前屈みになりながら返した問いかけは、強者のゆとりを見せながらも和国を明確なる敵として色分けするのも秒読みといったようにも見えた。

 

「和国は未だに我々が提唱する国際同盟への加入をお認めにならない。すでに煌帝国は賛意を示してくださっているのですよ。そうですよね、紅玉姫?」

 

 そして話を振られ、同意を求められた紅玉はビクッと身を震わせた。

 

「は、い………」

 

 まるで自信のない姿と、まるで脅されでもしているかのような肯定。

 だが別に紅玉は、煌帝国は直接的に脅されているわけではない。

 ただあの内戦と内紛を経て、数多の国が独立し、煌帝国を見捨て、身内の争いを治めることができなかったという事実は煌帝国皇帝としての権威を地に貶めるには十分だった。 

 それに練紅玉という少女はもとより自信に乏しい少女だ。“白”の治世においては日の目を見るはずのなかった“紅”の血統の中でもとりわけ下位の出自。その生い立ちも決して彼女に自信を植え付けはしなかった。

 金属器を持ち、将軍として任じられてもどこか自信がなく、決定的だったのは皇位継承戦争での結末のつけ方だ。

 シンドバッドのゼパルによって精神支配された結果、味方であった異母兄たちを裏切って捕らえるという戦果を挙げた。それは決して彼女の自信になるようなものではなかった。

 そして内紛を自国の力で治められなかった責をとって皇帝位を辞した白龍から皇帝という冠と重責を受け渡されても、そこに皇帝としての威など備わりようはずもなかった。

 

 そんなかつての強大帝国の落ちた皇帝の姿を冷静な目で閃は見た。

 

「………………」

 

 ひとまず、煌帝国についてはこの場でできることはない。

 現状、煌帝国には金属器使いは紅玉一人しかおらず、内紛は鎮圧したとはいえ国内情勢は落ち着いたとは決して言えない。

 兵役制も奴隷制も解体された煽りをもろに受けて、経済基盤も軍事基盤もガタガタに揺らいでいる状態なのだ。

 

 閃はひとまず紅玉皇帝から視線を切ってシンドバッドへと向き直った。

 今、やるべきは煌帝国と和国の関係性を強調することではない。

 

「勘違いしておられるようですが、和国は煌帝国の属国ではない。必ずしも煌帝国と歩みを共にするわけではありません」

 

 古くから和国と煌の間には盟約があった。白瑛と光の婚姻によってさらにそれを強めようともした。

 だが決して和国は煌の麾下になったことはない。

 

 自らを恃み、決断する。

 それは自信を喪失している紅玉にはできないことで、彼女は眩いものを見るかのように和国の王子を見た。

 

「ほう。では国際同盟にも加盟せず、煌帝国からも離れ、この世界でただ一国。孤立の道を歩むと?」

 

 だが続けられた言葉に紅玉はハッとした。

 この流れはまずい。

 

 かつて強大さを誇っていた紅炎旗下の煌帝国においても七海連合との戦いができなかったのは、弟たちを捕らえられたのもあるが、この世界において孤立させられてしまったのも理由の一つだ。

 七海連合にはあまりにも多くの金属器が集まっている。眷属の中には多数の同化眷属もおり、各国にはそれ以外にも精強な戦士が数多いる。

 たとえあの時、紅炎が被害を最小限に抑えるための投降を諾とせず、継戦したとしても最終的には数多の屍を築いて敗北したであろう。

 

 その“世界”という牙が、今度はかつての同盟国へと剥く様を、紅玉はただ見ていることしかできず―――

 

「いいえ。和国が選ぶのは鎖国への道ではありません。」

 

 しかし紅玉の懸念を裏切って、閃がシンドバッドに気圧された様子はなかった。

 王の器。

 それは金属器があるから、マギに選ばれたからなどという理由からではなく、世界の一翼を担う者、一つの国を守る者としての王の心構え。

 

「失礼します」

 

 その時、会談の場の扉を開いて、また一人の参加者が入室した。

 世界の行く末を考える者――国の代表者。

 

「本日は七海連合が提唱しておられる国際同盟に関する我々の回答のためにレーム帝国を代表して参りましたが……よろしいですか?」

「レーム帝国!!?」

 

 レームの金属器使いが一人、ムー・アレキウスの登場に、七海連合の金属器使いたちも意外感を隠せずに表情を変えた。

 

「おや、我々の(・・・)同盟国であるレームの代表の方に来ていただけるとは。今は和国への国際同盟の加入に関する話もしていたのですが、レームもようやく国際同盟への加入を承諾していただけましたか?」

 

 意外感を覚えたのはシンドバッドも同様であろうに、シンドバッドはすぐにいつもの交渉用の微笑みを形作るとレームをとりこむために弁を弄し始めた。

 

 レーム帝国と七海連合とは、マグノシュタットにおける暗黒点を巡る戦いの最中に同盟を結んでいた。

 それはあの当時の状況下で世界大戦を勃発させないための方策で、その後、盟約こそないもののレーム帝国は煌帝国とも友誼を結んでいた。すべては世界大戦を起こさせないようにするため、どちらかに与せずに第3の勢力として存在感を打ち出すためだ。

 だが結局は煌帝国における皇位継承戦争によって煌帝国が七海連合へと加入してしまったがために第3の勢力とはならなくなってしまった。

 そして七海連合とも同盟し、煌帝国とも交友関係にあったレーム帝国もまた七海連合に与するのが、シンドバッドの考える“世界平和”出会ったのだが……

 しかしムーはシンドバッドににこりと笑みを返すと閃の横へと、和国の側へと並び立った。

 

「この度、我々レーム帝国は和国と同盟を結ぶことを決定しました」

 

 

「! ……それは、二国が手を結んで七海連合と敵対すると、先の戦争ばかりの世界を再び繰り返すと、そういうことですか?」

 

 やはり、という納得と、まさか、という否定が瞬時にシンドバッドの脳裏によぎった。

 納得はこのタイミング、この場にムー・アレキウスが来たこと。

 否定はこの流れはシンドバッドが望む流れ――運命の流れから外れているだろうからだ。

 このままいけば世界は武力ではなく富の力により順位づけられる。そしてその頂点に立つのはアルマトランの叡智を最も都合よく利用できるシンドバッドをおいてほかになく、事実としてシンドバッドのシンドリア商会は画期的な魔法道具を次々に世に出していた。

 かつて覇を競った煌帝国ですらシンドバッドたちに頭を下げて助けを請わねばならない世界になった。

 レーム帝国とて同じはずだった。

 いかにマギ・ティトスを擁していようと、複数の金属器使いを擁していようとも、世界の流れには抗えない。

 遠からず孤立し、世界の同調を求める声に屈するはずだった。

 

 だが、レーム帝国と和国はそんなシンドバッドにだけ見える、この世界にとって最善な運命の流れに拒絶を突き付けたのだ。

 それは明確なる敵――――シンドバッドの敵。世界の敵。運命の敵。

 

 

 区分けを明確化しようとするシンドバッドに、閃は皮肉気な、あるいは憐れむように鼻を鳴らした。

 

「ふっ。どうあっても貴方は白と黒に分けたいようだ。それほどまで敵を求めているのですか? いや、貴方一人が力を握っていないと気が済まないのですかね」

「………………」

 

 閃の言葉にシンドバッドの眼が細められ鋭くなった。

 

 ――とんだ侮辱だ。

 シンドバッドは敵を求めてはいない。

 敵になろうとしているのは和国の方、レーム帝国の方――運命の流れの見えないその他大勢ではないか。

 

「あなたが構築しようとする世界は武力から商業に戦争のやり方を変えようとするものだ。それ自体は素晴らしい試みだ。直接的に人の血が流れる機会が少なくなる。あくまでも、その変革が“人の手”によって行われるのなら」

「………………」

「だが争い自体はなくならない。事実、いくつかの国は……その急激な変革に対応できず、凋落し、落伍しようとしている」

 

 ちらりと、閃は紅玉へと視線を流した。

 時代の変革に対応できない、それが煌帝国を指しているのは他ならぬ紅玉自身が痛感していることなのだろう。紅玉はカァと顔を赤くして俯かせた。

 

「それで? その“平和の時代”に乗り遅れた者たちをあなた方がすくい上げると?」

 

 平和の時代に乗り遅れた者たち。それはすなわち武力で戦争を起こし、悲劇を引き起こしていた時代を繰り返すのかという問いにも等しい。

 そんな同盟を許せば、国際同盟の提唱する世界平和が崩れる原因にもなりかねず、シンドバッドの、そして七海連合の王たちの気が剣呑さを帯びた。

 

 それに対してムーが一歩前に出ようとして、しかし閃はそれを制した。

 

「我々はなにも戦争という形に戻したいわけではありません。ですが、今のままでは七海連合のみが世界を担う立場となってしまう。我々はこの世界に生きる者として、対等な立場でこの世界の行く末を考えたいのです」

 

 七海連合のみが、とは言ったがそれはやや過小な表現だ。本音をいえばシンドバッドのみが世界の流れをつかもうとしている。

 それは人としてのやり方だけに限ったとしてもだが、彼が本当に目指しているやり方、人のみならぬやり方をしてもだ。

 

「…………」

「この世界のことは、この世界に生きる者たち全てが考える権利がある。我々は戦争がしたいわけではない。我々が戦うべきは、そのような自由や権利を一方的に奪うモノだと、そう考えております」

 

 わずかに、シンドバッドの瞳の中にいらだちにも似たなにかがよぎったのを閃は感じ取り、しかしそれをあえて無視した。

 続けた言葉は、宣戦布告にも似ていた。

 それはかつてのシンドバッド王の掲げていた大義に当てはめてみれば、争い合う理由にはならなかっただろう。

 だが、世界のすべてを握り、“聖宮”によって人々の思考をシンドバッドの都合のいい方向に塗り替えようとしている今の彼からすれば、その宣言は相容れぬものでしかない。

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

「少し直接的過ぎましたかね?」

「まぁ、そうですね。……ですが、あれでもなおシンドバッド王に従うとなれば、もはや七海連合の王たちは傀儡も同然です」

 

 物別れに終わった会談の場を後にした閃とムー。

 当然ながら、和国に単身攻め入って王族と干戈を交えたアルバを渡せというシンドバッドの一方的要求を閃が呑むことはなく、和国とレーム帝国の同盟を撤回させる権利は七海連合にはなかった。

 結局、あの場で為したのは彼らの思いはシンドバッドの求める世界とは違うのだと宣言しただけで、それは意味の分かっているシンドバッドにしてみれば宣戦布告ととられるものだった。

 

「しかし今更ですが、よく我々との同盟を決定してくださりましたね」

 

 足を止めて、閃はムーに向き直って尋ねた。

 和国とレーム帝国との同盟。それは国際同盟を締結せんとする七海連合に対抗するためにとれる数少ない手ではあったが、明らかに不利になることを否めない決定でもあった。

 レーム帝国は帝国と冠してはいるが、実際のところは共和国制であり、まして金属器使いとはいえ一議員でしかないムーだけの決定では国のかじ取りはできない。どちらに与するかはムーや最高司祭であるティトス、そしてほかの議員たちも説得させての決定だ。

 彼我の力の差を鑑みればその説得がどれほど難しかったのかは容易く想像がつく。

 

「もともとレームは一国であっても国際同盟に与するつもりはありませんでしたから」

 

 だがムーはそんな困難を感じさせない笑みで返した。

 

「シンドバッドの考える世界では国という境界は意味をもたなくなる。シェヘラザード様が残したレーム帝国という存在を俺は、いや俺たちは守りたいのです」

 

 シンドバッドは、この世界から国という枠組みそのものを取り外すつもりだというのは、以前から彼自身が言っていたことで、武力も国としての独自性も認めずに商業の力のみで強者を決めようとするやり方だ。

 それによりレーム帝国という在り方が失われるのは、レームを愛し、守ろうとしたシェヘラザードの想いにも反すること。

 彼女を慕う者たちの未だ多いレーム帝国が七海連合に賛意を示すはずはもとよりなかったのかもしれない。

 

「まして貴方方の掴んだ情報を信じれば、シンドバッドはそんな意志そのものを塗り替えようとしている。人は、自分の足で生きていける。この世界を創ったのが、アルマトランの魔導士だとしても、これからの未来を造っていくのは人であるべき……それこそが、シェヘラザード様が遺された意志」

 

 そしてアルバから得た情報によればシンドバッドは国としての在り方どころかルフそのものに干渉して人の意志そのものを捻じ曲げようとしている。

 そうなれば、ムー自身の中にある“彼女”への想いそのものを歪められることにもなる。

 

 子供の頃からずっと見てきた彼女の姿。

 骨と皮だけの体をベッドに縛り付けて、のたうち回りながらもレーム帝国を守る姿。

 彼女と彼女の仲間たちの願いの結晶。それを死に物狂いで守る“母”。

 そんな彼女の姿は勇敢で美しく、誰よりも偉大な英雄だ。

 

 そんな彼女への誓いを、歪めさせは絶対にしない。

 

 

 人は自分たちだけで生きていける。

 自分の頭で考えて、よりよい道を模索しながら進化して行ける。

 それで時に間違うこともある。かなしいみちを選び迷ってしまう時代もある。

 でもそれも含めて人なのだ。時に間違え、傷ついて、それでも前へ進めばいい。

 

 それでこそ人は己を誇り、自分の足で歩いて行けるのだ。

 

 

 かつての主への誓いと忠節。自国を守るための覚悟。

 そのためにただ一本の剣となる。

 それは閃にとってよく知る、和国の剣士たちの在り方にも似ていた。

 ふっと微笑み、閃は右手を差し出した。 

 

「貴方が味方でよかった」

 

 少し意外をつかれたのか、ムーはわずかに驚いたように目を見張り、その手をとった。

 

「目的を目の前にしていたシンドバッドは、そう時をおかずに手を打ってくるでしょう」

 

 お気をつけてと、手を取ってなされた忠告に閃は頷きを返した。

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 パルテビア帝国、帝都クシテフォン―――そこに居を構えなおしたシンドリア商会の本部の最奥で、破談となった会談を終えたシンドバッドは頬杖をついてため息をついた。

 

「練紅炎、皇閃ならあるいはとも思ったのだがな。やはり俺以外の誰一人として運命が見えている奴はいない……俺だけに、運命が見えているのか」

 

 思考に沈みこむようにして呟くシンドバッドの脳裏にあるのは二人の“王の器”の姿。

 かつて覇を競い合った練紅炎。

 3体ものジンに主として認められ、多数の金属器使いを従え、そしてアルマトランの知識を貪欲に求めていた彼は、この世界で唯一といっていい、シンドバッドに極めて近い思考をしていた。

 おそらく彼は漠然とこの世界に干渉しているモノに気づいており、そのためにはアルマトランの知識や力が必要だと考えていたのだろう。

 それに加えてこの世界を統一しなければこの世界は荒廃する一方で、国という境界があるからこそ戦争はなくならず、違いがあるから争いはなくならない。争いをなくすためには人の思想を統一しなければならない。

 その考え方はまさにシンドバッドのやろうとしていることと同じだ。

 

 そしてアルマトランの魔力の堆積した島を抑える国の王族である皇閃。

 彼は魔導士ではないにも関わらず、気を読むことに長けた彼らはもしかしたらこの世界の多くの人たちよりも運命を見通すことに長けているのかもしれない。

 シンドバッドにはない王族の血。アルマトランとの繋がり。そんな恵まれた環境にありながら、いや、あったからこそ彼にはもっと大局的な見方ができなかったのだろう。

 

 

 ――「―――――――――――。――――――――――。」――

 

「…………」

 

 囁きかけてくるなにかを感じて、シンドバッドは目を閉じた。

 

 この囁きかけてくるものがなんなのか、初めは分からなかった。

 あるいはこれが天啓、神の声とやらなのかとも思ったが、そうではないと気が付いたのは、アラジンからアルマトランの話を聞いてからだった。

 

 “イル・イラー”と一体化したアルマトランの破壊者“ダビデ”。

 半分堕転したことにより身に受けることとなった黒いルフ。それが“ダビデ”と結びついたことにより、彼が訴えかけてきているのだと、気が付いたのだ。

 

「………………ふぅ」

 

 深く、ため息をついたシンドバッドが目を開いた時、その意志はすでに決まっていた。

 

 シンドバッドだけに見える“運命の流れ”。

 “神”を自称するこの世界の支配者である“イル・イラー”を倒すため、百年、千年後の未来の自由と平和のために戦う。

 それが彼が歩むべき“運命”なのだ。

 

 

 

 

 世界に対する反逆罪として、七海連合が和国への討伐軍を起こしたのは、それからほどなくしてのことだった。

 








最終章後編開幕です。いよいよ最終決戦に突入します。
現在鋭意執筆中で、ラストまでの物語は頭の中では思い浮かんでます。ただ文字にするとこれがなかなか……
最後まで残り僅かですので、もう少しお付き合いください。


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第44話

 この世界は造られた世界だ。

 かつて滅びた世界、アルマトランの魔導士“ウラルトゥーゴ”によって提唱され、実行に移された計画によって造られた世界。

 ソロモンを王に戴くマギと異種族たち、ソロモン王の作った運命を否定しイル・イラーの降臨を願った魔導士たちアル・サーメン、両者の戦いの果てにイル・イラー(外つ神)が降臨した。 イル・イラーはソロモン王の最後の魔法によって異空間に押し戻され、アル・サーメンも異空間へと封印された。しかし戦いの爪痕は大きく、イル・イラーによって人々も大地も死に、アルマトランは荒廃した。

 わずかに残った資源を糧に生き続け、全ての資源がなくなったころ、それを見越していたウラルトゥーゴは異種族たちの長を説得して、彼らをルフの形にして新天地へと移した。

 それがこの世界の発祥。

 

 ただしそのために、ウラルトゥーゴは二つの道を残さざるを得なかった。

 一つはルフの全てを司る場所の力を借りる必要があった。ソロモン王の意志の眠るそこを彼は聖宮と称し、二つの世界の繋がりとした。

 また、新たなる世界に心の柱となる王の存在を求め、それを選ぶシステムを構築するために二つの世界のトンネルを塞がなかったのだ。それこそが“迷宮(ダンジョン)”。

 

 新しい世界は、ルフに意思を上書きしたソロモンの意志によって満たされている。すべての命を等しく愛し、束縛することを厭った彼の意志。

 ルフの形で移住した彼らは、種族間の個体差を薄れさせ、それと同時にアルマトランの悲劇の記憶も風化させていった。

 そんな世界で、正しい指導者を“運命”が選ぶためのシステムこそが“マギ”システム。全ての命を等しく愛したソロモン王の意志宿るルフに愛された“マギ”が選ぶ相応しい“王の器”。

 そしてその王に相応しい力として、託されたのが“金属器”。(イル・イラー)との交信を行うための神杖を基にして作られた魔導の結晶。

 ジンとは、その番人。

 ソロモンの魔法と金属器によって永久の命をもつこととなった存在。アルマトランのことを忘れずにいられる存在。

 

 そうして一部を除いたすべての種族、知的生命体の姿と言語が統一された状態で新世界へと移った。

 例外として魔導士だった者たち――新世界においてトランの民と呼ばれる存在は記憶をわずかに留め、強すぎる生命力を持っていた赤獅子など一部の生命体は常人とは異なる力を持った状態か、そのままの姿で暗黒大陸と呼ばれる隔離世界へと移り渡った。

 イル・イラー(外つ神)の爪痕を刻み込んだアルマトランと繋がりのある(・・・・・・)新天地へと……。そう、アルマトランとの繋がりを残したがために、新世界はイル・イラーのいる次元と間接的に繋がってしまったのだ。

 

 だが果たして、どこまでがイル・イラーの思惑だったのかは分からない。

 

 イル・イラーのいる次元に飛ばされたアリババの話によると、そこにかつて居て、しかしアリババよりも先にそこを抜け出した存在がいた。それがダビデ。ソロモン王の父にして、魔導士たちの叛逆の種を植え付けた存在だ。

 アリババの出会ったアルマトランの魔導士たちは、彼のことを運命を見通す存在、思ったことが必ず実現する存在だと言ったらしい。

 ダビデはこちらの世界において半分堕転した存在とイル・イラーが降臨しかけた際の歪を介して繋がって次元を抜け出した。

 そしてそこまでをダビデは予言しており、その先のことも見通していたというのだ。

 

 そしてやがては神になると……

 

 元々、魔導士とはアルマトランにおいてイル・イラーが選び、ルフの加護を与えた最弱の種族だった者たちだ。

 その中で、ただ一人、全ての事象に必然性があるという事実――運命というものの存在に気が付いてしまった。

 そして神に並び立つとまで予見したのだという。

 

 しかしそんなことを、力を与えた存在(イル・イラー)は予見していなかったのだろうか?

 

 神から特別な才能を与えられた種族の、その中でもさらに特異な存在。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 和国―――

 

「………………」

「………………」

 

 閃と光、そしてアリババや白龍、モルジアナ、そしてマギであるアラジンたちの間に重苦しい空気が流れていた。

 

 光の語った情報――金属器・ガミジンによって囚えたアルバから得た情報、そしてアリババが死んでいた時の情報を統合した結果、導き出された結論に、誰もが動揺しているのだ。

 その重い空気に耐えきれなくなったのか、意を決してアリババが口を開いた。

 

「それじゃあ、この世界はもう何度もイル・イラーに玩具のように弄り回されてるっていうことなんですか!?」

 

 この世界には矛盾がある。

 

 世界初の迷宮攻略者として知られるのは七海の覇王シンドバッドだが、それはおかしな話なのだ。

 彼が攻略した第1の“迷宮(ダンジョン)”こそが歴史上はじめて確認されたと言われており、それを出現させたのがマギ・ユナン。しかし彼はそれ以前にも八度、生まれ変わっており、その度に“王の器”を選んでいる。

 それにこの200年ほどはレーム帝国にシェヘラザードがマギとしてとどまり続けており、幾度も“王の器”を選定している。

 

 それならば、シンドバッドが初めての迷宮攻略者であるはずがないのだ。

 

 だが実際には、人はシンドバッドこそが初めての選ばれし者であると語る。

 この時代こそが特別だと人は思う。

 

 ――それまでの歴史が、ただの伝説になっているから――

 

 だからこそ、マギに選ばれた者たちはその伝説の力を得た、特別な時代の、特別な人なのだと自覚できる。

 

 かつてあった伝説の詳細は、すでにこの世界には“ない”ものとなっているから…………

 

「シンドバッド王はアラジン殿の力を使って“聖宮”への扉を開き、“聖宮”の力を使ってこの世界の人々のルフを書き換えるというのが我々が想定していた彼の戦略でしたが……」

 

 シンドバッドが放言していたのは、あくまでもこの世界に主眼を置いていた戦略であり、彼と融合しているというダビデの狙いは“神”の座に取って代わること。

 いずれにしてもこの世界の人々の今の意志は塗り替えられてしまう。

 それを止めるための戦いが彼らの戦略だったが、 “イル・イラー”という干渉者にして鑑賞者の存在が非常に危うい立ち位置となっていることを改めて認識した。

 

「“今”の世界はすでに暗黒点のせいで“イル・イラー”の浸食をわずかながら受けている。不用意に道を開いて、“イル・イラー”の干渉を受けるとかなりまずいな」

 

 シンドバッドやダビデの狙いのためには、“聖宮”への扉を強引に開く必要がある。だがそうなれば“イル・イラー”の干渉の道筋を開くことにもつながりかねない。

 この世界の全ての存在の記憶を改変され、歴史を改竄され、また次の物語を紡がせられる。

 それは果たして人の自由意志であろうか。

 

「シンドバッドの意志に支配された世界への変革か、イル・イラーの愉悦のための箱庭か。いずれにしても……何か手はないものかな、アラジン?」

 

 会議は通信魔道具を介して遠く、レーム帝国のティトスも参加している。

 彼らのしている会議は単なる作戦会議ではなく、この世界の行く末を考えるものでもあるのだ。同盟者とも情報の共有は図るべきであろう。

 同じように頭を悩ませるティトスは、マギとしてともに戦ったこともあるアラジンに尋ねた。

 

「方法は、あると思うんだ……」

「どうするんだ、アラジン?」

 

 ティトスからの問いに答えたアラジンに、皆の視線が集まった。

 シンドバッドの望みを阻もうが叶えようが、いずれにしてもこの世界の人々に完全なる自由意志というものは存在しない。

 それに対して対処の方法があると告げるアラジンは、しかしその顔に憂いを帯びていた。

 

「“聖宮”の全ての力を使ってこの世界の穴を防ぐ。他の次元からの干渉を弾く強固な防御結界を創るんだ」

 

 アラジンの策にアリババたちが目を見開いて慨嘆した。

 それはまさしくイル・イラーへの対策であったから。だが――――

 

「アラジン殿、たしか“聖宮”はこの世界のルフシステムを管理する場所でもあったはずです。その力の全てを使うということは、ルフの流転に影響はでないのですか?」

 

 “聖宮”を破壊することに対する懸念。

 この世界の根幹を為すように作られたルフシステムへの影響を閃は口にした。

 

 その問いにアリババがハッとした。

 

 ――「家族に、会いたい…………!」――

 ――「ママにあいたい……ママに、会いたいっっっ!!!」――

 ――「会えるのか……兄さんに……!――」

 ――「会えるのか、ファーランに。アリババッ!」――

 

 イル・イラーの次元への繋がりを断ち、“聖宮”を完全に破壊するということは、あの“次元”で出会ったアルマトランの魔導士たちが永劫取り残されてしまい、二度と彼らが求めている人たちに巡り合うことができなくなってしまうということなのだ。

 そしてそれはあの場所に居た“彼”の欠けた器が戻る機会もまたなくなってしまうということ。

 

「出ると思う。でも僕はずっと考えていたんだ。ソロモン王が定めた“運命”と“堕転”の関係をどうにかしたい、白いルフも黒いルフも関係ない世界にしたいと思っていたんだ」

 

 彼らの懸念を理解しつつも、アラジンはかねてより考えていた自身の思いを吐露した。

 

 かつてのアラジンは、堕転を悪だと考えていた。

 

 この世に生まれた生命は、あるがまま流れに生き、それを受け入れることで前へ前へと進むことができる。それこそがルフの導き……運命。

 それを逆流させ、進化を退化に、有を無に、すべてを陰なるものへと逆流させることこそが、堕転。そしてその時、ルフはその身を黒く染める。

 

 人が堕転する時。それは生まれ落ちた世界を恨むほどの悲劇の結果、苦しみ抜いた心の結果、ルフは堕転する。

 それは可哀想なことで、堕転して死んだ人たちから抜け出たルフは、白いルフの流転の流れには戻れず愛した者たちの眠る白い流れに還ることのできない悲劇なのだ。

 

 だが、生きていく中で最初に目指していた未来を、諦めて、葛藤してしまうことは、人としていけないことなのだろうか。

 不幸だからと、“他人(ソロモン王)”に人生を否定されたくもない。かつて白龍はそうアラジンに告げた。

 

 イル・イラーの降臨の危機とは無関係ならば、“堕転”することも――“ソロモン王”という他人の意志を否定することも、人としてあり得る選択肢なのだと思うようになった。

 だからこそ、“ソロモン王”が差別した白と黒のルフというシステムそのものをアラジンは否定するつもりになったのだ。

 

ただそれはアラジンにとって生まれた場所を、そして友だち(ウーゴくん)を喪うことでもあり…………

 

「最悪の場合の想定として、“イル・イラー”への扉が開かれてしまった場合への対処についても必要だな」

 

 ただしそれとは別に、彼らの会議は続いている。

 “イル・イラー”降臨は、アルマトランではソロモン王と72体のジンが力を合わせて辛うじて阻止できたこと。

こちらの世界では記録に残る限りでは前回のマグノシュタットの戦いで全世界の金属器使いが敵味方の枠を超えて力を合わせてそれでも届かず、けれども核であった存在に白ルフが混じっていたという幸運のおかげで切り抜けられたこと。

今はすでに味方の金属器使いが半減以下となっている状態なのだ。前回と同じ力づくでは乗り越えることは不可能。

 

「それについてなんですけど……俺に考えがあるんです」

 

光の発した懸念に対して、アリババが少しだけ躊躇いがちに手を挙げた。

 視線が集まり、続きを促す流れの中でアリババは光と白龍を見て、にこりと思惑ありげにほほ笑んだ。

 

「?」

 

 その笑い方に光は仏頂面の眉をピクリと反応させ、白龍は嫌な予感を覚えたのか顔を顰めた。

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

「確かに、その方法なら……いけるかもしれない!」

「本当かい、ティトスくん!」

 

 アリババの対“イル・イラー”作戦について、成否を考慮していたティトスの希望に満ちた解答にアラジンやアリババは顔を明るくした。

 

「問題になる練紅炎の金属器はこっちでなんとかやってみる。ただ彼は手足を失っているのだろう?」

「そっちもなんとかなると思う。ユナンお兄さんと紅炎おじさんの金属器さえあれば。ただ…………」

 

 アラジンはここにいない紅炎の問題に解決案を出すと、ここにいる問題の二人にちらりと視線を向けた。

希望を見出すアラジンたちとは反対に、光は仏頂面に加えて眉間の縦皺を深くし、白龍はこの上なく嫌そうな顔を隠そうともしていなかった。

 アリババの作戦は、紅炎と光と白龍の三人の“王の器”が核となる作戦だ。

 だが紅炎と白龍、白龍と光、光と紅炎、それぞれに因縁があり、和解したとも溝が残っているとも判断のつき辛い状態だ。おそらく当人たちにとっても、その顔を見る限り葛藤が残っているのだろう。 

 

「光」

 

 だがことは個人の感情的問題では済まない。

閃は兄として、そして王族として弟の名を呼んだ。

顔を顰めていた光は深いため息を一つ吐いた。

 

「懸念せずとも、為すべきことは為しますよ……俺は」

 

私怨は含まず役目を果たすと、和国の武人らしく割り切っていっているようでもあり、ただ裏を返せば腹に一物ありますよと言っているも同然の解答。

閃は仕方ないとばかりにため息をつき、もう一人の方にも視線を向けた。

 

「作戦は分かりました。要はシンドバッドに“聖宮”の扉を開かせなければ最善なのでしょう」

 

 白龍の回答に閃は頭痛を堪えるかのように頭を押さえた。そちらもそちらで、分かっているようでもあり、先行きを不安にさせる解答でがあったのだが、現状彼らにゆったりと溝を埋めている時間はなかった。

 

 

 納得いくまで議論を重ねたいところではあったが、それを遮るように室外から声がかけられた。

 

「失礼します。閃王子」

「どうした、融?」

 

 入室したのは立花融。

 手には通信用の魔導具を持ってきており、その表情は硬い。一瞬、光の方に視線を向けるが、その彼がムッツリと押し黙っているのを見て、手にしていた魔導具を会議の机上に置いた。

 

「七海連合、シンドバッド王より宣戦布告がなされました」

「!」

 

 それは意外なようであり、しかしもはや彼には取り繕う相手がいないほどに世界が彼の味方になっている事実を鑑みれば当然の流れだった。

 アラジンや白龍にとって痛事であってもやはりという思いがあり、アリババにとってはかつての理想的な王に見えていたころのシンドバッドが遠く変わってしまったかのようで唖然としていた。

 閃の指示によって机の上に置かれた通信魔導具が起動し、空中に遠隔透視魔法による映像を映し出す。

 

 浮かび上がるシンドバッドは、会談の時のように商人然とした微笑みを浮かべた彼ではなく、背後に同盟国の王たちを従え、7つの金属器を身に着けた偉大なる王の姿であった。

 そして堂々、告げる。

 

――「かつて煌帝国に巣くい、この世界の異変を引き起こしていた“アル・サーメン”。その首魁である魔導士と大罪人、練紅炎を匿い、その力を悪用して今また世界に不協和音を響かせる和国はもはや世界の敵でしかない」――

 

「なっ!?」「そんなっ!」

 

 シンドバッドが宣戦布告するために告げた大義に、アリババとモルジアナが驚愕の声を上げた。

 たしかに、和国には現在、“アル・サーメン”の首魁であったアルバと、彼女と手を組んでいた煌帝国の大罪人である練紅炎を確保している。

 だが紅炎を処刑せずに延命させたのは当時の煌帝国皇帝であった白龍の思いであったし、金属器を世界から下手に喪失させないためのシンドバッドたちの思惑とも合致した結果だ。

 ましてアルバに至っては、彼女を囲っていたのは当のシンドバッド本人であって、その彼女が和国に単身攻め入ってきたのを捕虜としたまでのことだ。

 事実を混ぜつつも己の都合のいいように歪曲した大義に、率直なモルジアナやシンドバッドの変貌を目にしていないアリババは信じられない思いなのだろう。

 

――「七海連合は、世界に真の平和を齎す為、“アル・サーメン”と共にある和国を討つ!」――

 

「そうきましたか」

 

 全世界の敵であると、そう名指しされた和国の、その王族である閃は内心の激昂を冷徹な瞳に隠して映像の中のシンドバッドを見下ろし、光はフンと不機嫌に鼻を鳴らした。

 

「国王にはこれは?」

「すでに父上がご報告を」

 

 事前に開戦の可能性について報告を上げてはいたので不意を打たれたということはない。兵団の準備は済んでいる。

 

「ならば迎え撃ちます。絶対にシンドバッドの思惑通りの世界になど、させはしません」

 

 力強く宣言した閃の言葉に、光は瞳に戦意を灯らせ、アラジンたちも力強く頷いて決意を固めた。

 この世界の人々の意志を、ただ一人のものに委ねはしない。

 誰かの玩具箱になど決してしないと。

 






いよいよ次話から最終決戦開幕!
次回投稿予定は明日です。
原作とは違う決戦を予定していますので、お楽しみに!


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第45話

 御帳に整えられた茵に一人の麗人がその身を横たえていた。

 瞳は閉じられ、眠っている彼女の顔は安らかで、長い黒髪が開いた花のように広がっている。

 掛けられた大袿が胸元で上下に動いているのを見て、湧き上がる感情を彼は持て余すように顔を険しくした。

 

 シンドバッド率いる七海連合が攻め入ってくる今、和国は一人でも多くの金属器使いを必要としている。

 だが、今の彼女が戦力になることはないし、戦力にしたいとも思わない。

 それは信頼できないからというのが彼の理性の訴えだが、彼のなかの直感とも言うべきなにかがそれとは別の理由で彼女を戦力にしたくないと訴えかけているようだった。

 

 無意識に彼は、安らかなその寝顔にかかる黒髪に手を伸ばして流すように触れ、指先に温もりを感じてほっとした。

 

 ――――安堵した?

 

 自らの心を律することが、理解することができなかったことにハッとして彼は手を引き、彼女に背を向けた。

 これより赴く先は戦場。

 王の器が入り乱れて戦う悪夢のような激戦となるだろう。

 それにかつて和国が大黄牙帝国の侵略に抗った時と同様に、世界の過半を敵とするような戦いだ。

 最後にちらりと、彼女の――練白瑛の眠る姿を目に写し、光は静かにその場を立ち去った。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 和国近海の海上を王たちが率いる軍団が進んでいた。

 七海の覇王に忠節を誓う眷属たち、ササンの騎士たち、イムチャックの戦士たちが乗る船。アルテミュラの怪鳥によって空を往くエリオハプトやアルテミュラの兵士たち。

 その先導に立つ七海の覇王シンドバッドの表情にはこれから起こるこの世界最後の戦いの、そしてこの先に待つ“冒険”への期待に満ちているかのごとく、自信に溢れた笑みがある。

 

 

 

 一方―――――

 

 迎え討つ和国の剣士、兵士たちの先頭に立ち瞑目する閃のもとには兵団の準備が整ったことを告げる伝令が次々訪れていた。

 

 そして兵団の準備が整い、戦気が熟したのを感じ取って瞳を開いた。

 

「アラジン殿。もう一人のマギへの連絡は?」

 

 先の会談で伝えることのできなかったもう一人のマギや“王の器”への連絡はアラジンの遠距離通信魔法によって話をつけていた。

 

「大丈夫。もしもの場合も…………」

 

 事前の準備を終えたことを告げるアラジンだが、そのもしもの場合を想像したのか、顔を険しくした。

 もしもの場合……それは“イル・イラー”が降臨してしまうことだ。シンドバッドや七海連合の王たちと戦争している最中に“イル・イラー”が降臨すれば戦場は滅茶苦茶になりかねない。

 だがアラジンとは立場の違う閃は、将兵たちの前で気落ちしたようにも見える顔をするわけにはいかない。

 

 閃はスラリと愛刀・紫微垣を抜いた。

 導き示す存在、天帝を意味する銘をもつ和刀の輝きに、将兵たちの間に流れていた戦気が一段と張り詰めた。

 

「先の大陸における戦において、我々は煌帝国に、そして七海連合に味方した」

 

 戦を前にした宣言。

 シンドバッドの戯言のような宣戦布告の大義を真に受けて心を揺らす武人はいないが、それでも儀式めいた宣言を行うのは戦場を前にして戦意を高揚させるためのものだからだ。

 

「それは我らと煌の盟約に基づくものであり、この世界を破滅に誘う者たちを敵とするシンドバッドの義にこそ味方したからだ。だがシンドバッドは、その討つべき敵を我がものとし、和国に害をもたらし、そして今度は恣意によって世界の意志を捻じ曲げようとしている!」

 

 アルバというアル・サーメンの首魁と手を組んでいたという理由で紅炎を世界の大逆人に仕立て上げたのに、その当人を迎え入れ、独断で和国に攻め入って虜囚となったのを幸いに今度は和国に大罪を擦り付けた。

 シンドバッドはたしかに世界の多くにとって英雄かもしれない。

 だが和国や、彼の英雄譚を彩る者たちにしてみれば傲慢な殺戮者でしかない。

 

「世界の多くはすでにシンドバッドの手の中にある。だが、全てではない! 無論我らも唯々諾々と大罪人とはならぬ! 和国の剣士たちよ! 今こそその武を示し、災禍を斬り払うのだ!!!」

 

 応えて、意気を上げる兵士、そして武人たち。

 

 傾聴と鋭絶の精霊カイムを纏う皇閃。

 罪業と呪怨の精霊ガミジンを纏う皇光。

 厳格と礼節の精霊アモンを纏うアリババ・サルージャ。

 忠節と清浄の精霊ザガンを纏う練白龍。

 そしてマギ・アラジン。

 4人の王の器と一人のマギが空へと翔け、迫りくる七海連合の王たちを迎え撃った。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

「急がなければ…………始まってしまう」

 

 戦場から離れた空を、異形を侍らせた“王”が翔けていた。

 すでにこの世界では珍しくもなくなった空飛ぶ絨毯。それらに4体の異形とそして幾人かの従者たちを乗せて彼女は急いでいた。

 

 遠く、和国ではすでにこの世界の行く末を決めるための戦いが始まってしまっているだろう。

 

 異形たちの顔にはそれぞれ戦場に向かう覚悟と、“主”に捧げる忠節、そして今度こそ“主”とともに戦うという決意が満ちていた。

 

 戦うべき時に、戦えなかった無念。

 それが“主”の決定であったとはいえ、“主”は彼らの、将兵たちの命を救うために武人としての誇りも、皇族としての在り様も捨てて大罪人となった。

 まだ戦えた。まだ抗えた。まだ……………

 牢獄の中で無念は尽きなかった。

 “主”との繋がりも断たれ、この身を捧げた“主”が生きているのか、それとも死んでいるのかも分からない状況だった。

 

 だから今度こそ、“主”とともに戦いたい。

 主君はすでに“主”とは異なり、その戦いの場を授けてくれたのは違う主君だが、心はいまだ“主”とともに在りたいと訴えている。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

  和国領内、前線から少し離れた後方にて、金属器を持たない“王の器”たち――練紅覇、紅明、紅炎は護衛監視を受けていた。

 遠く、見上げる空の先では精霊と同化して巨大化した七海連合の眷属たちや、アルテミュラの怪鳥による空からの攻撃を受けていた。その更に先では、シンドバッドたち七海連合の王と和国の王や白龍、アリババたちが魔装となって激突していた。

 

「くっ……」

「………………」

 

 それを遠くから見守ることしかできない紅覇と紅明は悔しげに唸った。

 彼らは先の戦争で敗北した後、金属器を取り上げられており、戦力としては無力。今回の戦においても参陣を許されてというよりも金属器を持たない彼らが七海連合の強襲を受けた時ことを考えての処置だ。 

 分けても紅炎は遠くを見つめるその顔に、常よりもさらに深い縦皺を眉間に浮かべていた。

 金属器を持たないだけの紅覇と紅明とは異なり、紅炎の場合は左腕両脚を失って木製の義肢でなんとか立てているに過ぎない。それでは到底剣を振るうことなどできない。武人としては死んだも同然なのが今の練紅炎という存在なのだ。

 

 

 

 

 白龍が魔装ザガンの力で微生物を操り攻撃を仕掛けると魔装フォルネウスにより異形の鎧を纏ったラメトトが極北で鍛えられし豪槍を振るってそれを蹴散らす。

 魔装ガミジンとなった光はその二刀をもって、魔装アロセスの鉄壁不破の防御とササンの騎士王の槍術に対して切り結んでいる。

 炎の大剣を操るアリババは、魔装アモンの宝剣による王宮剣術と師匠であるシャルルカンに鍛えられたエリオハプト流剣術を織り交ぜて、魔装ヴァッサゴと化したエリオハプトの王アールマカンと壮絶な剣戟を繰り広げている。

 金属器使いの数の不足を補うためにアラジンはマギとしての無限の魔力を杖に預けて力魔法を駆使し、この世界の物理法則を操って三種の系統魔法を内包する三面六臂の魔装ケルベロスと化したミラと対していた。

 

 そして

 

雷光(バララーク)!」「空閃(カイル)!」

 

 魔装バアルと化したシンドバッドの雷による攻撃を、持ち前の先読みと魔装カイルの力と神速の剣術によって消し去る閃の戦い。

 

 金属器使いと魔法使いの戦いは、五局の盤面で拮抗していた。

 

 だが一方で――――

 

「怯むなッ!! これ以上、同化眷属を奥に進めるな!!」

 

 眷属たちの侵攻を防ぐ和国の武人たちは劣勢となっていた。

 

「はぁっ!!!」

 

 ドッ、と中空にあって強力な蹴り技を放つモルジアナの脚が、アルテミラの怪鳥を地面に叩き落とし、モルジアナ自身はアモンの眷属器によって炎熱の浮力を得た炎熱鉄鎖(アモール・セルセイラ)の翼で自在に空を翔けているし、

 

「橘花―――ッッ!!」

 

 操気剣によって同化眷属の巨体すら切り裂く立花融や和国の剣士たちはなんとか戦線を保とうとしているが、如何せん眷属の規模が違いすぎる。

 

 和国側の眷属は誰ひとりとして同化を果たしておらず、その数も少ない。一方で七海連合側のケルベロス(ミラ)ヴァッサゴ(アールマカン)の眷属たちは同化した状態で進撃してきているのだ。

 

 

「双月剣!!」

 

 二刀を振るって風の刃で切りつけるのは、白瑛の眷属である李青舜。

 アルバによって白瑛のルフを押し込められていた時には使用できなくなっていたパイモンの眷属器だが、光が白瑛の躰からアルバを引き剥がしたことにより、そして彼女自身の金属器が傍らにあったことによって、その力を取り戻していた。

 

  和国の剣士たちも卓越した身体能力と操気術とによって立体的な動きを展開して巧みに同化眷属たちを相手にしていたが、青舜の双月剣による中間距離からの攻撃は一撃で同化眷属を倒すことはできなくとも、戦線をなんとか支える一役を担っていた。

 だが、そんな青舜に蛇のごとく襲いかかるものがあった。

 

「くっ! これは、鏢ッ!?」

 

 素早く襲いかかる二匹の蛇。

 それは青舜の双刀に巻き付き、青舜は反射的に眷属器を発動させて風の輪刃によって鏢から逃れた。

 

 ――眷属器“双蛇鏢(バララーク・セイ)”――

 

 ほぼ同時に鏢から紫電が迸り、ギリギリのところで回避できた青舜だが、かすめた紫電がわずかにその手を痺れさせた。

 八人将、バアルが眷属――ジャーファル。

 シンドバッドの側近にしてかつて暗殺者として闇に身を沈めていた男が、雷の眷属器をもって和国に味方する白風の女王の眷属に襲いかかった。

 

 

 

「あれはっ! ジャーファルさん、ッッ!」

 

 空を翔けて怪鳥と敵兵を蹴り落としていたモルジアナは、その卓越した五感、視力によって、白龍の友人でもある青舜が襲いかかられているのを認識した。そしてその襲撃者が、シンドリア王国で彼女やアリババを親身になって世話してくれたジャーファルさんだ。

 

 モルジアナの脳裏にバルバッドで初めて会ったときから、シンドリアに滞在していた時の思い出がよぎる。

 

「――ッッ、!!!!」

 

 瞬間、咄嗟の動きでモルジアナは両腕を交差して自らを庇った。

 ――――ドゴッッッ。間一髪で間に合った防御だが、ファナリスの強靭な腕による防御を貫くほどの衝撃がモルジアナを襲い、彼女は一直線に地面へと叩き落された。

 

「ガハッ! ―――――っ、くッッッ」

 

 猛烈な痛みを耐えながらモルジアナは先程まで自身が在った空を見上げた。

 そこに居たのは金の甲冑をわずかに身にまとった、赤髪の青年。彼女と同じファナリスにして、ジャーファルと同じくバアルの眷属。

 

 ――眷属器“金剛鎧甲(バララーク・カウーザ)”――

 

「マスルールさんッッ!!」

 

 そしてシンドリア滞在時に彼女の師として世話してくれた、マスルールさんだった。

 

 

 

「くっ! 不味いッッ」

 

 こちら側の数少ない眷属器使いである李青舜とモルジアナがシンドリアの八人将によって抑えられているのを横目で見つつ、融は自身も眷属器を持つ敵と刃を交えていた。

 

「流閃剣《フォラーズ・サイカ》!!」

「橘花ッッ!!!」

 

 斬撃の残る風の刃と蛇のように曲線を描く出処の読みづらい剣技。

 周囲を囲む流閃剣《フォラーズ・サイカ》――フォカロルの眷属の力を融は気を通した斬撃で斬り払い、刺突を仕掛けてきた相手、八人将の一人シャルルカンの剣を往なした。

 

 操気剣と眷属器。剣に自負を持つ二人の剣士の戦いは拮抗しており、融も他者の戦闘にまで回れなくなっていた。

 

 他の和国の剣士たちも、八人将であるミストラルの槍術やヒナホホの豪銛によって苦戦を強いられ、追い込められていっていた。

 怪鳥を操るピスティ、魔法による援護を行うヤムライハ、同化眷属として剣士たちを薙ぎ払うドラコーン。

 

 拮抗する“王”たちとの戦いとは異なり、戦線は傾きつつあった。

 

 

 

 

「――――ッッッ!!」

 

 シンドバッドの放つ雷光をカイルの斬撃で相殺しながら対峙していた閃も、ほかの金属器使いたちと同様に戦線が劣勢に追い込まれていくのを感じ取っていた。

 本来であれば前線指揮を執るのは閃か光の役目だ。

 だが金属器使いと対峙できるのは金属器使いかマギクラスでなければ難しい。

 まして閃が戦っているのは七海の覇王シンドバッド。今の世界において最初にジンの主に認められた、つまりは最も金属器使いとしての経歴の長い“王”だ。

 

「どうしましたか、閃王子? 余所見をしながらとは随分と余裕なご様子だ」

「くっ!!」

 

 閃の注意の一部が逸れていることを対峙するシンドバッドは的確に見抜いていた。

 だが無論のこと、閃に余裕などあるはずもない。

 

「そうですね。アラジンと同じ力魔法がその余裕の源だというのなら、それを打ち破ってみせよう!」

 

 それすらも分かっているであろうに、シンドバッドは眼の前の敵を打ち倒すために全力を尽くす。

 魔装バアルが解除され、シンドバッドが一瞬無防備を晒す。

 だが次の瞬間には、シンドバッドの首を飾る銀の装飾具が光り輝いた。

 

「魔装の交換!?」

 

 複数攻略者であることの強み。

 多くの金属器は例外はあれど、通常一つの系統に特化している。だが魔装を切り替えることで、より相手に適した戦闘形態をとることができるのだ。

 

「魔装―――フルフル!!!!」

 

 竜のような姿であったバアルから、今度は黒いコウモリのような羽の生えた姿への換装。 

 狂気と冥闇の精霊フルフル。

 その両手に黒い輝き――閃と同じ力魔法である七型のルフが集中し、光弾が放たれた。

 

「ちっ、カイム!! !? なッッッ!!!!」

 

 閃に襲いかかる、と見せた光弾は直前で破裂し、複数の光弾へと分裂した。

 そしてそれらは閃が相殺するために放ったカイムの力魔法を付与した斬撃。物理法則を切り裂いた断絶を超えて飛来した。――閃の背後、和国の兵士たちに向けて。

 

「この世界の物理法則を司る力魔法。使えるのが貴方やアラジンだけだとでも思っていたのか?」

 

 力魔法によって切り裂かれた空間を通常の物理法則に縛られた火や雷が超えることはできない。だが物理法則そのものである力魔法は別だ。

 

 

 放れた光弾の速度に追いつくことはできず、閃にはただシンドバッドの放った攻撃が自国の兵士たちに襲いかかるのを目の当たりにすることしかできず――――――

 

 ――「錬金魔法(アルキミア・アルカディーマ)!!!」

 

 しかしそれが着弾したのは、宙に出現した亀甲模様の壁だった。

 

「!!」

「なんとか、間に合ってよかったよ」

「お前は…………ユナン!!!」

 

 壁の前に立つのはかつてシンドバッドを導いた流離いのマギ。大峡谷の守り人たるユナン。

 彼のマギとしての力をもって創り出されたのは、この世界には存在しなかった物質による堅牢な盾。

 物理法則そのものを内包し、カイムの空間断絶を乗り越えることのできるフルフルの光弾だが、しかしそれはこの世界の物質を破壊するという特性を帯びたがゆえにこの世界の物質に干渉し干渉される。

 つまり物質的に堅牢な盾であれば誘爆させることで防ぐことが可能。

 

「僕だけじゃないよ」

 

 和国の兵士たちの窮地を救ったユナンだが、それだけではなかった。

 ハッとして眼下に視線を転じると、海の様子が一変していた。

 うねりを上げる荒波、などという規模ではない大波が、それこそ同化眷属であるドラコーンたちの巨体を覆い尽くすほどに持ち上がっており、彼らを前線から押し返していた。

 

「この力は…………!!」

 

 空に浮かぶ幾つもの魔道具。それは今でこそシンドリア商会、シンドバッドによって一般に普及されつつあるが、かつては限られた者たちのみが乗ることのできた迷宮道具(ダンジョンアイテム)――空飛ぶ絨毯。

 その上に立つのは、一振りの剣を持つ赤髪の乙女。そして彼女に率いられた異形の眷属、そしてかつての主に忠節を尽す者たち。

 

「これは、我々の陣営(七海連合)としての参戦、というわけではないようですが……どういうおつもりですか、紅玉姫?」

 

 煌帝国第5代皇帝 練紅玉が金属器である簪の武器化魔装した剣を震える手で握りしめ、七海連合の侵攻を阻んだ。

 だが煌帝国はすでに七海連合に加盟しており国際同盟にも参加している、シンドバッド側の国であるはずだった。

 軍事力が乏しくなった時には七海連合の庇護を受けて反乱を鎮圧し、独立した被侵略国たちへと賠償も七海連合の加盟国であるがゆえに恩恵を受けてきた面がある。それらを無視して、和国に味方するのは道理にそぐわない。

 それを責めるようなシンドバッドの眼差し、他ならぬ紅玉自身がそう感じているのだろう。かつての彼女の想い人(シンドバッド)の非難するような眼差しを受けて紅玉はビクリと震えを強くした。

 

 震える紅玉を傍に侍る彼女の眷属にして側近、夏黄文が不安げに心配するような視線を向けた。

 

 だが―――ぐっ、と想いを断ち切るように金属器を強く握りしめた紅玉は、まだ震えの残る口を開き、告げた。

 

「シンドバッド様。私達煌帝国は、たしかに七海連合に加盟し、その恩恵を受けました。皇位継承戦争においては被害を少なくするために早期決着を紅炎お兄様に決断させ、国内の続発する反乱には鎮圧のための軍事力を提供し、商業の力が強まってからは商いに疎い煌帝国のために多額の資金を借款していただきました」

 

 それらは煌帝国が受けた恩恵。侵略国家という拭い難い事実と、世界を破滅に導かんとしたアル・サーメンに与していたという大罪への後ろめたさ。それらは七海連合の一国であるということから大目に見られてきた面がたしかにある。

 だが―――

 

「ですが、アル・サーメンを排除するためという名目で紅炎お兄様を大罪人としながら、その首魁を密かに囲い、それが和国に捕らえられた途端罪を彼の国に擦り付けて侵略を行う…………シンドバッド様、貴方の真意を今、ここでお明かしください!」

 

 あの戦いで、形勢を大きく動かしたのは練白瑛の裏切り行為と和国・七海連合の参戦だが、決定的な刃となったのはゼパル(シンドバッド)の精神支配による紅玉の裏切り、紅覇の捕獲だった。

 軍団の総指揮を任されていた紅明が深手を負わされ、白瑛・紅玉が裏切り、紅覇が捕らえられた。兄弟や眷属、部下、そして数多の兵士の命を重んじた紅炎はそれゆえ投降を決断した。

 だがそもそも、あの戦いの前にシンドバッドは紅炎と手を組む用意があると告げていたのだ。ともにアル・サーメンとアルバを討ち、煌帝国の毒蟲を排したならば世界の安定のために手を組むこともできると。

 しかし白龍がアル・サーメンを崩壊させ、結果的に仕留めきれていなかったとはいえ玉艶を討ったあの状況下で、突如として紅炎を大罪人として参戦するなど道理ではなかった。七海連合の大義があるためにできなかったこと(侵略行為)を都合の良い理由があるから利用して行ったに過ぎない。

 紅玉の恋心を知っていながらそれすらも利用し、参戦の理由であったアルバが白瑛の中にあることを知っていながら彼女を迎え入れ、全ては七海連合に、シンドバッド自身の利のために行ったことだ。

 それが戦争だと、政治だというのならたしかにそうだ。

 だが果たしてそこに筋の通った大義はあるのか。

 

 決意をもっての紅玉の詰問に、シンドバッドはこの戦場の場には合わないため息を深々と吐いた。

 

「まったく、そのためにこんなことを仕出かしたのですか、紅玉姫? 大人げがありませんね」

「なッ!?」

 

 姫から王へ。決意を固めた紅玉の在り様は、しかしシンドバッドの目にはなんら変わらないものに映っているらしい。すなわち道理をわきまえず、その時々の感情に流される小娘と……

 

あれ(・・)は必要なことでした。煌の内戦を早期に終わらせるためには。そして今度のことも。力とはただ一極の下に集まるべきなのです。煌であったころの、かつての三国力が拮抗した者同士の争いの悲惨さは煌帝国皇女である貴女ならよくご存知でしょう?」

 

 さも当たり前のことであるかのように平然と告げるシンドバッド。

 その考え方はまさしく“王”で、他者のことなど斟酌したものではなかった。そして同意を求める態をとりながらも、相手に理解を求めるようなものでもなかった。

 

「煌帝国の反乱を裏から誘発したというのも、煌帝国の力を削ぐためだというのですかッッ」

 

 白龍が退位するころの状況はあまりに不自然だった。

 いくら被侵略国が独立志向を持っていたとしても、煌本来の領土内においても同時多発的に反乱が起こり、それらは別に打倒煌帝国を掲げた統合的な動きではなかった。

 それに白龍やアラジンは警戒を持っていたし、そのことは紅玉にも伝えられていた。

 

 だが信じていた。

 

「我々が、俺が! 大きな力を握っていれば二度と悲劇は起きない!」

「なぜですかッ!」

 

 一度は憧れ、恋い焦がれた王。

 その彼が、かつての世界の狂王(ダビデ)と同化したという話もアラジンから聞いていた。

 けれどそんなものに乗っ取られるはずがないと。

 たしかに、シンドバッドはダビデに乗っ取られてはいない。彼自身はダビデを利用しているつもりなのだろう。

 だが――――

 

「俺には声が聞こえるからだ。俺は神と同化した。神にも等しい存在から認められた特別な存在なんだ!」

 

 その姿は信じていたシンドバッドの姿とは違った。

 もしかしたらそれはただの幻想だったのかもしれない。

 七海の覇王、シンドバッド。彼はこうあるべきだと、勝手に夢描いた姿を見ていただけにすぎなかったのかもしれない。

 今目にしているシンドバッドは、紅玉たちが幻想していた彼でも、ダビデでもない。

 

 新たに神になろうと試みる何者かだった。

 

「……………ありがとうございます。シンドバッド様」

 

 貴方のおかげで世界は平和になった。

 貴方のおかげで目が覚めた。

 だが―――

 

「この世界は貴方お一人のものではありません」

 

 紅玉姫――いや、紅玉皇帝が開いた瞳は不安に揺れる少女のそれではなく、まだ小さいながらも帝国を担う皇帝としての、”王”としての覚悟が宿っていた。

 

「お兄様を、練紅炎を大罪人としながら、諸悪の根源を身中に納めて混乱を引き延ばし、今度はそれを口実に和国を攻める。これにもはや大義はなく、シンドバッドの私掠である! これより煌帝国は、古の盟約に基づき、和国に味方し、この世界の改変を目論む敵、七海連合とその首魁、シンドバッドを討つ!!!」

 

 

 

 







最終話まで残り4話に確定しました。




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第46話

 

「…………お兄、様……」

 

 参戦を告げた紅玉がまず行ったのは、敵陣への攻撃、前線への参陣―――ではなく後陣への飛来。力持たぬ”王”たちとの会合であった。

 

 かつて兄として、王として、上位の存在として畏怖し、僅かでも助けになりたいと願った異母兄たちの前に降り立った紅玉は、彼らの以前とは違う姿に身を震わせた。

 

 かつて少女のようにも見えた、けれども力強い武人であった紅覇や、ボサボサ頭の明晰軍師、紅明は野性味ある姿へと変わっているのはともかく、長兄である紅炎の変わりようは覚悟していた紅玉の心に大きな波紋を起こしていた。

 武人であるはずの彼の左腕と両脚は木製の義肢で、戦うために引き締められていた肉体からは筋肉が落ちつつある姿。

 

 その姿は自身の咎を映しているように紅玉には思えた。

 

 彼女がゼパルの支配を受けていたために操られてしまったから。

 彼女がゼパルの支配に気づかなかったから。

 彼女が迂闊にもシンドリアへなど行ってしまったから。

 彼女が……淡い恋に浮かれてしまったから………………。

 

 揺れる紅玉の姿に、紅炎は目を細め、紅明と紅覇は兄の意を汲んで拱手して膝をついた。

 

「お久しぶりにございます。紅玉陛下(・・)

 

 紅炎も不自由な脚を折る代わりに頭を垂れている。

 紅明の遜る言葉に紅玉の顔が悲痛に歪み、ビクリと震えた。

 

 そう、すでに彼女は彼らよりも上位の存在になってしまったのだ。

 

 お兄様などと呼んではいけない。彼女は煌帝国の皇帝であり、彼らは煌帝国の敗残者なのだから。

 紅明の言葉は、それを紅玉に自覚させるためのものだ。

 それを意識させられ、紅玉はグッと歯を噛みしめた。

 

「煌帝国は、これより七海連合と戦う。和国と煌帝国のために。世界のために。人々の自由な意志のために」

 

 震える声で告げ始めた紅玉。

 彼女が背後の眷属たちに、異形たちに向けてすっと手を挙げて合図をすると、彼らは見覚えのある“もの”を差し出した。

 

「これは……!」

 

 指し示されたのは彼らの武器。

 身の丈を超える大刀――如意練刀。

 黒い羽根を持つ扇――黒羽扇

 そして残る三つは、剣と剣穂と鎧の肩当。

 

 それらは彼らの金属器。あの戦場に立つために必要な力。

 

 すぅ、と紅玉は息を吸い、覚悟を決めた。

 

「練紅炎、練紅明、練紅覇! 汝らの罪は煌帝国皇帝、練紅玉が預かります! 練家の武人として、我らの敵を討ち払う武勇を示せ!!!」

 

 自信がなく、揺れるばかりの飾りの皇帝ではなく、確かな責を担って命じる皇帝へ。

 その脚を震わせながらも、それでも必死なその顔にはたしかに“王”としての責を負う覚悟が宿っていた。

 

 覚悟は十分に伝わった。

 だが―――――紅炎は自身の金属器を手にとることを躊躇った。

 果たして今の自分にこの“王”の力を手にする資格があるのか。

 

 先の戦争で紅炎はまだ戦えると訴える眷属や部下の言を退けて剣を降ろした。

 その結果、紅覇や紅明など多くの者の命が救われたことはたしかだが、武人たちの戦うべき場を、誇りを奪った。

 煌帝国の兵たちも新たな世界で苦汁をなめる結果となった。

 

 己の成した決断は、白龍に負けた自分のとる決断が、今度こそ正しいものであるのか。まして今の紅炎は武人として死んだも同然の体だ。

 白龍の恩情により与えられた木製の義肢でも、炎の金属器であるアシュタロスを使えばたちまち燃え尽きてしまうだろう。

 

「紅炎様」

 

 見下ろしていた異形の眷属たちが、声を揃えた。

 

「あの時、白龍陛下に敗れ、紅炎様を敗残の将と為したは我らが弱さゆえ!」

「ですが今一度、我らに抗うべき力をお与えください!」

「白徳大帝の志は、決して世界の人の意志を殺すことではありませんでした!」

「今度こそ、共に戦うことを、お許しください! 紅炎様!!!」

 

 周黒惇、楽禁、李青秀、炎彰。

 煌帝国の武人としての忠誠は今の紅玉陛下にあっても、その身を捧げ、眷属と同化した彼らの忠義忠節は、今も彼らの“王”の下にある。

 紅炎はその思いを噛みしめ、脳裏に偉大なる“王”の姿を、輔けたいと願った二人の皇子の姿を描いた。

 その思い、彼らの志を継ぐという決意も、全ては紅炎が望んだこと。それを無為にさせることなど許せはしない。

 

「―――――――」

 

 紅炎は右手で剣を、かつて白雄皇子より賜り、金属器となった剣を手にした。

 

「よかったよ。これでここまで来た意味がなくならずに済んだ」

 

 その時、紅炎の背後から声をかける者がいた。

 

「お前は! ……ユナンだったな」

 

 先ほど錬金魔法により和国の兵士たちを守ったマギ。彼の顔はマグノシュタットでの戦いのときや、継承戦争前の会談で覚えがあった。

 同じマギであるアラジンやジュダルともまた違う、超常的とも、厭世的ともいえる雰囲気を漂わせる流離のマギ。

 和国側についたということは今は、煌帝国とも味方、といってよく紅玉たちと同時に現れたのも彼の魔法によって煌の将兵の移動を手伝ってきたのだろう。

 元々、ユナンはシンドバッドのマギでもあり、紅炎たちは訝し気にこの不思議な雰囲気のマギを見た。

 だが、続けられた言葉に紅覇も紅明も驚愕した。

 

「白龍くんのザガンによる義肢とはいえ、その手足でシンドバッドたちと戦うのは難しいだろうからね。君の手足を、戻すために色々と準備をしてきたんだ」

「なにっ!」「!」

 

 紅炎の手足は白龍の失われた手足の代償としてフェニクスにより彼に移植されたものだ。そのため癒しの力を持つ金属器でも治療することはできなかった。もとよりフェニクスの治癒では失われた四肢の再生まではできないのだ。

 

 だが―――

 

「さぁ、フェニクスの金属器を――――――“錬金魔法(アルキミア・アルカディーマ)”」

「これはっ!」

 

 ユナンの魔法、命令式に応えてルフが紅炎の義肢へと絡みつき、そこに肉の手足を作り出していった。

 錬金魔法とは、この世界の万物を構成する極小の粒に干渉する魔法。

 それによって堅牢な盾を作ることも、木材を生み出し家を作ることも、食べ物を作り出すこともできる。ただでさえ複雑長大な命令式が必要なために人体という複雑な構造物を作り出すことは難しいが、マギとしての力があれば手足を作り出すことは可能。

 

 驚きつつも紅炎は剣の柄飾りに宿るフェニクスを発動させた。

 問題は、いくら肉の手足を作り出せてもそこに紅炎のルフが通わなければ義肢とは大差ないということなのだが、そのために命のルフを司るフェニクスが必要だった。

 そしてさらに。

 

「夏黄文。お願い」

「承知しました、紅玉姫――陛下!」

 

 紅玉に加護を与える水のジン・ヴィネアの眷属、癒しの眷属器をもつ夏黄文もその力を発動させた。

 錬金魔法により作られた肉の器に、水の眷属器によって血が通い、命を司る金属器によってルフが宿る。

 

「炎兄……」「兄上……」

 

 新たに作り出された手足を動かし、感触を確かめる兄の姿に紅覇と紅明が潤んだ声を漏らした。

 失われた“王”の姿。練家の武人として戦う力と場。

 もはや逡巡することはなかった。

 

 紅覇は如意練刀を捧げるかつての部下――関鳴鳳と視線を交わし、自身の金属器を手にした。紅明も眷属である忠雲の差し出す金属器を手に取った。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 七海連合の王の同化眷属たちがユナンの作り出した防壁を破ろうと攻撃を結集していた

 

「あと一押しだッ! マギの作る防壁であろうと、破れない物などない!」

「煌帝国の兵団本隊がこの戦いに関わる前に、防壁を破って一気に和国の兵団を仕留めるぞ!! 」

 

 現れた煌帝国の皇帝や眷属たちは前線に降りず、後陣へと引いた。

 まだ軍団は到着していないが、紅玉皇帝が金属器をもって戦線に立てば、金属器の数とマギの数で七海連合側が押される可能性がある。

 最終的に勝つのはシンドバッドを擁する七海連合だとしても、かつて大陸を席捲した煌帝国の軍団が到着すれば厄介な展開になりかねない。

 その前に―――

 

「む? あれは!」 

 

 そんな彼らが目の端に捉えたのは、4人の異形の姿。

 

「アガレスより生まれし眷属よ」

 

 竜の如き異形――炎彰

 獅子の如き異形――周黒惇

 

「フェニクスより生まれし眷属よ」

 

 豊満な巨体の異形――楽禁

 

「アシュタロスより生まれし眷属よ」

 

 無数の蛇の頭髪を持つ異形――李青秀

 

 ――『我が身を捧げる。我が身と一つになれ!!!』――

 

「煌帝国の、同化眷属、ッッ!!!!」

 

 咆哮と共に、かつて投獄された眷属たちが今再び戦場に立った。

 

 周黒惇の豪爪が薙ぎ払い、楽禁の巨腕が押し戻し、青秀の操る蛇が捕らえ、炎彰の吐く火炎がドラコーンの放つ火炎を相殺した。

 

 そしてさらに、4人の“王”もまた戦場へと帰還する。

 

「純真と誓願の精霊よ……レラージュ!!!」

「幽玄と探究の精霊よ……ダンダリオン!!」

 

 紫水晶の翼をもち、如意練鎚を手にした練紅覇の魔装レラージュ。

 角を持つ黒の隠者にして最高位の転移の使い手たる練紅明の魔装ダンダリオン。

 

「恐怖と瞑想の精霊よ。汝に命ず。我が身を覆え、我が身に宿れ! 我が身を大いなる魔神と化せ!! アシュタロス!!!」

 

 そして白竜の炎を纏う練紅炎の魔装アシュタロス。

 

 もはや見ることのないと思っていた勇壮なる姿に、紅玉は瞳に涙を堪えた。

 大国たる煌帝国の皇帝としての自覚と責。それからはもう逃げないと覚悟は決めた。けれどやはり、兄たちの勇ましき姿を再び見ることができたのは、それとは別に心を揺さぶった。

 

「悲哀と隔絶の精霊よ! 汝に命ず。我が身を覆え、我が身に宿れ! 我が身を大いなる魔神と化せ!!  ヴィネア!!!」

 

 涙を拭い、雄々しく告げたその言霊で、紅玉の姿もまた転じた。

 魔装ヴィネア。竜宮の乙女がごとき水の魔装。

 

 4人の王が、今ひとたび剣の向きを合わせて戦場へと飛び立った。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 シンドバッドと閃。魔装フルフルと魔装カイム。

 力と力のぶつかり合いは、徐々にシンドバッドが押しつつあった。

 単一の系統の金属器しか持たない閃に対してシンドバッドはより適切な金属器で対応できるのだ。

 閃の本来の間合いである剣も、魔装による空中戦に慣れたシンドバッドにとって間合いを外すことはそう難しいことではない。

 そのままであれば緩やかに形勢はシンドバッドへと傾いていっていたであろう。

 

 そのままであれば……

 

「むっ!」

「――!!」

 

 二人の間に白炎が割り込んだのは、シンドバッドが体勢の崩れた閃に光弾を放たんとしていた時だった。

 一拍遅れて、練紅炎の剣がシンドバッドに襲い掛かり、シンドバッドはそれを間一髪のところで躱した。

 

「死んだはずの大罪人がこうも堂々と金属器を使っているとは、な!」

白炎竜(アシュトル)!」

 

 2対1。

 内心の不利を隠して揶揄を飛ばすシンドバッドに紅炎は白炎の竜で応えた。

 シンドバッドは襲いくる白炎に光弾を浴びせて炸裂させるが、攻撃範囲の狭いフルフルの光弾では質量体ではない白炎を砕ききることはできず、飛翔速度を上げて回避した。

 

 数的不利に加え、閃のカイム対策のための魔装では紅炎のアシュタロスとは相性が悪い。

 シンドバッドは右手を掲げ、その人差し指に嵌められた指輪のルフを輝かせた。

 

「魔装――――ヴェパール!!!」

 

 その姿は禍々しく毒蛾のごとく蠱惑的で、髑髏の首飾りをつけた半魚の魔装。傍らに剣の生えた双頭の蛇が揺蕩っている。

 

 さらなる魔装の交換に閃と紅炎が警戒レベルを上げた。

 

千剣時雨(ヴェパール・イステラーハ)

 

 命令とともに、蛇の体から無数の剣が生まれ、その切っ先が二人へと襲いかかった。

 

「ちっ!」

 

 先程のフルフルのときと同様、質量体である剣では白炎を切ることはできない。だが今度は手数の多さによって紅炎がそれを受け止めきれない。すかさず閃が紅炎の前に躍り出た。

 

空閃斬(カイル・ゼルサイカ)!!」

 

 斬撃が宙を裂き、物理法則の通用しない虚無へと無数の剣が呑み込まれていく。

 だがシンドバッドの千剣は自由自在に空を翔け、二人へと襲いかかる。

 

「皇閃、練紅炎。君たちならあるいはこの運命の理不尽さを理解できると思っていたのだがな!」

 

 攻撃の手を緩めずに、シンドバッドは顔には愉しげな笑みを浮かべながら、言葉だけは残念そうに言った。

 

「ソロモンという滅びた世界の王が”運命”などというレールを敷いた世界。それに君たちももう気づいているのだろう? イル・イラーはこの世界にも幾度も干渉している!!  この世界はまるで箱庭だ! このままではいつまで経っても人に自由は存在しない!!」

 

 がなるように訴えるシンドバッド。紅炎はもとより鉄面皮を小揺るぎもさせず、閃は蔑みにも似た眼差しを向けた。

 

「それで? だから“聖宮”を使ってこの世界の全ての人々のルフを書き換え、自分の意思に従わせるのが自由だとでも?」

 

 イル・イラーは確かにこの世界に干渉している。

 それはアルバから得た情報によって用意に推測できたことだ。

 だが、いかにイル・イラーの干渉やソロモン王の作った正常な流れ、“運命”から解放したとしても、それがシンドバッドの意のままになった世界では人々に自由などない。

 ソロモン王の傲慢とやらがシンドバッドの傲慢に変わるだけだ。

 

「それはまず手始めだ!」

 

 シンドバッドはそれを否定した。

 

「この世界をウラルトゥーゴという神が造り、その上にイル・イラーという神がいる。ならば俺はそれを倒し、俺がその神の座につけば! この世界の百年先、千年先も争いのない平和な世界が築ける!!! そうして初めて、人は、この世界は、何者からも自由になるんだ!!!!」

 

 語られるはシンドバッドの計画。この世界の人々の志向を“聖宮”を使って統一するという、その次。

 

「神を、倒す?」

 

 百年先、千年先の世を考えて…………激して告げるシンドバッドの言葉に、閃はなぜかゾクリと悪寒を感じた。

 

「君たちには“運命”を誰かに握られているという感覚は理解できないだろう……実に幸運な事だ。だが、永遠に理解できないままでいられるとは限らない。アルマトランでの惨劇を君たちも知っているだろう?」

 

 何も理解できていない者に対するかのような問いかけ。

 かつて紅炎やシンドバッドたちはアラジンの魔法によって滅びた世界――アルマトランの、その終焉に至った惨劇を見た。

 

「アルマトランの魔道士たちは、ある時 全員が“運命”をはっきりと理解してしまった! それにより、それまで自由意志で生きていたと思い込んでいた自負が一気に崩壊してしまったんだ……」

 

 長く苦しい抗いの果て、魔導士たちは全ての種族の平等という目標を叶えた。

 そしてその代償に家族を、親しい者たちを、仲間たちを喪った。

 

 そしてそれは、戦いの中で、などというものではなく、ただ運命だから、そういうものだからということで虐殺されたのだ。

 

「戦っても、努力しても、家族を守っても、何をしても無駄、全て誰かの手の内という感覚だ。自分が神の操り人形だったという事実… すなわち“運命”! それを理解した時の圧倒的な虚無感…………そんなものに人間は耐えられないんだ!! 結果、どうなったか分かるだろう!!

 

 ソロモン王は的であり、父であったダビデの為したことの意味を知るために、イル・イラーの次元へとアクセスを試み、”運命”の存在を知った。知って、イル・イラーの”運命”から人々を解放するために、ルフに自分の意思を上書きした。

 

 だがその時には魔導士たちは”運命”の存在を知ってしまっていた。

 何のために戦ってきたのか。それがどういった理由からなのか。なぜ息子は、家族は、愛する者たちは理不尽に殺されなければならなかったのか…………全てはただ、”運命“でそうと決まっていたから。

 

「アルマトランの魔道士たちは“運命”の存在を否定する、ただそれだけのために世界を滅亡させる戦争を起こした!!」

 

 そんなものを受け入れることはできない。

 それがソロモンによって上書きされたとはいえ、支配者が変わっただけのこと。所詮他人の意思によるもの。

 

 だからこそ、アルマトランの魔導士たちは“運命”に反逆した。それにより世界が滅びようとも、新たに創られたソロモン王の傲慢なる世界を憎み続けた。

 

「そんなことはもうさせない。俺は世界を“運命”から解放する。ソロモン王の意思から脱却し、(イル・イラー)の箱庭を打ち崩す。まぁ、“運命”を破壊するのが俺の“運命”といったところだ。君たちには理解しようもなかったか?」

 

 常のとおり、自信に満ち溢れ、人々を善なる方向に導く偉大なる王の言葉。

 問いかけられれば誰でも付き従いたくなるようなカリスマを前にして、しかし閃も紅炎もそれに安々と屈するような器ではない。

 

「ご大層な計画ですが、イル・イラーという、神とやらをどうやって倒すつもりですか?」

 

 神とは人を超越している存在だからこそ神だ。

 この世界そのものに干渉でき、人々の記憶を、思いを、思考をすらも歪めることができる存在。世界そのものを創ることすらできる存在を、どうやって倒すというのか。

 

 閃の問いに、あるいは理解への端緒を見出したのか、シンドバッドはにっと強い笑みを浮かべた。

 

「そのためにまずは全ての人々の“ルフ“が必要なんだ!」

「なに?」

 

 世界の人々の力、ではなく、“ルフ”が必要。

 先程感じた悪寒が強まるのを閃は感じ、紅炎もさらに顔を険しくした。

 

「この世界のすべてを、一度ルフに戻すんだ。そしてその力を使って、俺が神を倒す!!!」

 

 全てはこの世界の自由のため。

 一度この世界全ての人を殺す(ルフに還す)

 

 傲然と、高みから見下ろすかのようなシンドバッドの威と言葉に、閃は理解した。

 

 ――もはやこの男に、人としての視点はないことを。

 

 自分が、彼自身が憎む“運命”に選ばれた特別な存在なのだと思い込み、常人とは違うのだと崇められ続け、世界を変える王なのだと、神になるのだと囁き続けられた彼には、もはや思想の異なる他者を納得させる感性もない。

 ただ自分に付き従う者たちを魅了するカリスマによって、思想を同じくする者たちを突き動かしているのだ。

 

 対話とは対等な立場の存在だからこそ成り立つ。

 説得とは、相手に受け入れる余地があるからこそ成り立つ。

 ならば、人としての視点・感性を失ったシンドバッドには対話も説得も意味をなさないだろう。

 

 

「おじさん! 聞いておくれよ!!」

 

 だがかつてのシンドバッドを知るからこそ、諦められない者たちもいた。

 

「この世界全ての人をルフに還してまで神を殺す必要なんてないんだ! “ソロモンの知恵”と”聖宮”の全ての力を使えば、ルフシステムそのものを壊して穴を埋められる。外部者の女衒から断絶し、干渉を寄せつけない独立した世界を守ることもできるんだ! 自由のためというならそれで十分だよ!」

 

 アラジンが考えた解決策。

 光からアルバのことを、イル・イラーの干渉のことを聞き、それ以前にソロモン王が創ったこの世界のルフシステムの、ルフを白と黒とに分けてしまう在り方を思った時から、考えていたことだ。

 ルフシステムは必要ないのかもしれない。

 もちろん願った未来を目指すことは悪いことではないし、それを否定し、投げ出し、諦めてしまうほどの絶望なんてないほうがいい。

 けれどもそうして選んだ道だって、それはその人の意志であり、その先に得られたものを他人が軽々に悪だと非難することはできないはずなのだ。

 

 ならばルフシステムを管理するだけの力のある“聖宮”の力を使い切り、そこから接続してしまっているアルマトランと、イル・イラーの次元との間を断絶してしまえば、この世界は自由になる。

 

「分かっていないな、アラジン」

 

 だがシンドバッドはアラジンの提案を一笑に付した。

 

「それではこの世界から争いはなくならない! 今は俺が力を握って、世界をコントロールできているが、百年先、千年先の未来を保証できない」

「百年先……千年先!?」

 

 百年先というならばまだ世界のリーダーとして考え得る未来かもしれない。

 だが千年先。そんな先の時代のことまで保証――支配といいかえてもいい――しようとするのはアラジンにも考えもつかないことだった。

 たしかにアルバやアル・サーメンという千年を生きて妄念を保ち続けた魔導士たちもいるが、この世界においてそれをした人間はいない。マギですら死んで生まれ変わっている。

 

「それに、君の方法でも今の世界は滅びる」

 

「………………え?」

 

 続けられた言葉にアラジンは聞きそびれたかのように呆けた顔をした。

 そしてそれは閃や紅炎たちにとっても同じことだった。ピクンと反応した彼らもまたシンドバッドの言に耳を傾けた。 

 

「この世界はすでに幾度も、それこそ創造されたころから、創造される前からイル・イラー(外つ神)の改竄を受けている。そしてルフシステムの破壊。これも問題だ」

 

 シンドバッドの独壇劇場。すべての聴衆はシンドバッドの言葉に、動きに、耳を傾け、聴き入ることが当然であるかのような強い力ある言葉。

 

「ルフシステムはこの世界の根幹を為す原理だろう。それを破壊し、イル・イラーの影響を排除するということは、この世界そのものを否定することと同義だ! イル・イラーの改竄の程度によっては、この世界は“始め”からやり直すことになるんじゃないのか!」

 

 イル・イラーの世界の改竄というのは、さながらソロモンやウラルトゥーゴが精密に作り上げられた砂の城に対して、その設計構想を無視して出鱈目にテコを入れているのに等しい。

 イル・イラーを排斥したとして、その程度がイル・イラーの今後の干渉を消すだけならばこの世界は歪さを残しながらも続いていくかもしれない。だが、イル・イラーがこれまで行ってきた影響までも消し去ったとしたら……? 砂の城に入れられたテコを強引に引き抜けば、その程度によっては砂の城は脆くも崩れ去るかもしれない。始まりのところまで…………

 

「ならば! 後の世界の、永劫の平和のために今いる人々の力を結集して神を倒そうじゃないか! ソロモン王が放棄した平和という責務を果たすべきだ!!」 

 

 言い切るシンドバッドは、今まさに敵対している者たちにも手を差し伸べるかのように力強い言葉を発している。

 その言葉にアラジンの心に迷いと動揺が生じた。

 

 この世界が終わる。

 それを阻止するための戦いであったはずなのに、突きつけられたのはそれすらも無意味だというものなのだから。

 動揺した心にシンドバッドの言葉が滲み入る。

 どちらにしろこの世界が終わってしまうというのなら、シンドバッドの言うように未来の平和のために神と戦うべきなのか?

 

 だが――――

 

「たとえこの世界が詰んでいるとして、それで貴方の身勝手な野望のために擂り潰される理由にはなりませんね」

 

 アラジンに手を差し伸べていたシンドバッドに斬撃が放たれ、彼の主張ごと薙ぎ払った。

 カイムの空間斬撃を回避したシンドバッドは、説得に応じる様子を欠片も見せない閃に対して声をあがた。

 

「身勝手か。たしかにそうだ。俺が神の座を奪い、それを超えようというのはそれを俺がしたいから、欲望があるからだ。だがそれこそがこの世界を唯一自由にでき、世界から永劫に争いを失くす方法でもあるんだ!!!」

 

 かつてルフを操作して上書きしたソロモン王は人の寄る辺をそれぞれの心に求めるようにした。世界を制御する手綱を放棄し、一人の王に拠らない世界を望んだ。

 この世界を創ったウラルトゥーゴは、ソロモン王の意思を継いで、人々の意思に決断を求め、しかし複数の王を選び続ける世界を求めた。

 イル・イラーは、彼らの、そして他の多くの人間や王たちが創り行く世界に干渉し、より愉しむための世界を求めた。

 

 シンドバッドの求めるものは、鑑賞者にして干渉する者を排除し、ソロモン王が放棄した手綱を取り戻し、ウラルトゥーゴが乱立することを許してしまった王を唯一人にする世界だ。

 

 その世界は、たしかに争いのない世界かもしれない。

 

「おまえの欲望がどこに向かおうと、俺にはどうでもいい」

 

 白炎の竜が、シンドバッドに襲いかかる。

 

「前にも言ったはずだ。俺はおまえが気に食わん」

 

 かつて王たちの語らいの場で、偽りの手を差し伸べてきたシンドバッドに対して放った言葉を紅炎は再び繰り返した。

 

 たしかに、紅炎の思考と志向はシンドバッドとよく似ている。

 だが決定的な違いがある。

 

 己一人の力を絶対のモノと信じ、自分の意志のみが未来永劫絶対のものだとするシンドバッドに対して、紅炎は受け継がれる志をこそ、尊いのだと信じている。

 かつて彼にそれを教えてくれた王子の志――本来人に貴賎など、命の重みに違いなどないということをこそ、心に刻み込んでいる。

 

「閃おじさん、紅炎おじさん…………」

 

 心を揺るがすことのない勁い意志。

 そんな王たちの姿に、アラジンもまた決意を秘めた瞳をシンドバッドに向けた。

 その瞳に、敵を見る眼差しを見たシンドバッドは先ほどまでの熱を帯びた雰囲気を一転、冷徹な瞳で敵対する王とマギたちを見下ろした。

 

「残念だ。所詮、君たちも運命を理解できなかったな」

 

 冷たく紡ぎ出されたその言葉と同時に、場の空気が変わった。

 ルフを見分けるマギの瞳は、より著明に変化に気づいた。

 

 常から多くのルフが慕うように周りを漂わせていたシンドバッド。その周囲のルフが、白から黒へと転じている。

 

「なっ!? 黒ルフ!! いや、あれは…………」

 

 まさかの堕転―――ではない、その黒ルフはシンドバッドの周囲から分離するように形を造り、あたかもそこに別の人物がいるかのように人の形になっていく。

 

 その姿をアラジンは知っていた。

 彼に宿る“ソロモンの知恵”に、その知識の中、アルマトランの光景の中にその姿があった。

 賢者の冠を戴き、第三の瞳を開いたかつての世界の狂える王。

 いや、狂ってなどいなかった。

 遥かなる運命を見通し、世界のあらゆるを掌上に転がした魔導士。

 

「ダビデ!!?」

 

 ソロモン王――ソロモン・ヨアズ・アブラヒムが父、アラジンの祖父、ダビデ・ヨアズ・アブラヒム。

 半堕の王と結びついたかつての世界の特異点。

 神とならんとした存在が、ルフのみの存在とはいえこの世界に舞い降りた。

 

「さぁ、運命の決着の時だ!」

 

 

 シンドバッド率いる七海連合の王とその眷属たち。

 和国の二人の王の器と煌帝国の王たち。

 王の選定者マギと彼に選ばれた王。

 

 王と王佐の魔導士たちは集う。世界の始まりと終わりの場へと。

 

 その狂宴を兵たちは見上げ、そこにまた新たな王の眼差しが加わった。

 

「シンドバッド王………光」

 

 千年魔女に囚われていた風の女王もまた、世界終焉の戦いへと参戦しようとしていた。

 

 






連日投稿3日目
完結まで残り3話


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第47話

 突如として最終決戦の場に現れたのはダビデ――かつて世界の神とならんとした男だった。

 そのルフは半堕の特異点であるシンドバッドと結びついていたが、このアルマトランと繋がりの深い和国の魔力積層大地の上にあって完全にこの世界とも結びつきをもったのだ。

 失われたその体はアルマトランの魔導士であれば慣れ親しんだ黒ルフによって編まれており、実体ではない。

 だがシンドバッドを通じてこの世界を、この世界の運命の流れを見続けてきており――それは遥かな昔、息子・ソロモンと相打ちとなった戦いをするよりも以前に見通した未来、八芳星(アル・サーメン)計画書(アジェンダ)のままに。

 

 

 新たなる世界に顕現したダビデは、その杖から極光を輝かせ、黒ルフに命じた。

 

「――――目覚めよ、アルバ! 喚び起こせよ、アル・サーメン!!!」

 

 

「アルバだと⁉」

「ッッ! 拙い! 光!!!!」

 

 シンドバッドと対峙していた紅炎と閃は、現れたダビデが魔法発動の構えを見せたことで警戒し、その命じる声を聞いて驚愕した。

 囚えたはずの千年魔女の名が喚ばれたことに。そして閃は七海連合の別の王、ダリオスと魔装で激突している光へと振り向き、鋭い声で警告を発した。

 

 

 

「なにっ!!!!?」

 

 だがそれは一足遅く、ダビデの放った黒い輝き――黒ルフが光へと襲い掛かり、光の金属器に刻まれた八芒星へと憑りついた。

 あのアルバを囚えている牢獄。

 いかに強大な力を持つ金属器・ガミジンといえども、アルマトランのマギ・アルバを捕らえておくのにはかなりの力を要する。さらに戦闘における魔装を継続している最中に、外部から牢獄を破らんとする黒ルフの殺到。

 外からの干渉によりガミジンの八芒星が感応し、内部からも黒ルフが流出。その黒ルフが女の姿を作ろうとしていた。

 額に三日月の冠を戴く千年魔女・アルバ。

 

「くっ! 光っ!」

 

 閃は弟の危機に、そして災厄の魔女の復活を阻止するためにシンドバッドの相手を紅炎に任せて弟のもとへと駆け寄ろうとした。

 

「させぬぞ、皇 閃」

「ッッ、ダリオス!」

 

 その前に先ほどまで光と対峙していたダリオス・レオクセスが立ち塞がった。

 強力な防御結界を張るダリオスの金属器・アロセスの力を前に、さしもの閃も足止めされた。

 

 その間にもガミジンからはアルバのルフが完全に逃げ出しており、再度顕現したアルバのルフは、ダビデと同様に杖を掲げて決死の魔力を輝かせた。

 

 

「なんだこれは!?」

「これは! アル・サーメンの魔導士!!」

 

 それぞれ七海連合の王と対峙していたアリババと白龍も、事態の急転に驚愕していた。

 周囲の空を覆いつくすほどに大勢の魔導士――アル・サーメンの人形魔導士たち。そのこと如くが、ダビデに操られたアルバの、その操作を受けて器を破壊するほどに魔力を供給した。

 

「金属器が!!?」

 

 紅覇が自身の金属器が突如、意思に反して輝きを増したのに声を上げた。

 彼だけではない。

 紅明の金属器も、紅炎の金属器も、紅玉、閃、光、アリババ、白龍……それだけではなく七海連合側の王たちの金属器も眩い輝きを放っていた。

 

「和国は、ウラルトゥーゴがこの世界を創造した際、アルマトランからの渡し場にした雫の土地だ。アルマトランの魔力が色濃く根付き、そしてルフの巡りの終着点にして循環点へとつながった場所」

 

 金属器から放たれた光が和国の地へと降り注ぎ、今度は大地が、海が何かの線を描くように極光の柱を天に昇らせる。

 その極光の道はまるで―――

 

「竜!!!!?」

 

 和国という列島の形。それは瑞穂の竜の形そのままで、竜が天に昇るかのように立ち上った光が空に翔け上がり、宙に巨大な八芳星を描いた。

 

「必要だったのは、十分量の金属器。それが今日この場に集いさえすればよかった。星の巡り、満ちた時はこの土地に降りたルフを“聖宮”へと送る!」

 

 命の循環。

 地へと、海へと還った(ルフ)が聖宮へと送られて巡る――灯桜の儀。

 

「金属器は元々は人と神とを繋いでいた“神杖”が原型。“聖宮”へとつながるこの土地の魔力と、二つの世界の第一級特異点たる私とシンドバッド。そしてアルバが千年間蓄えた莫大な魔力さえあれば、“聖宮”への扉を強引に開き、“イル・イラー”の次元への穴を広げることができる! さぁ、シンドバッドよ! “神”の座へ!!!!」

 

 シンドバッドとダビデが重なり、新たな存在となり、そしてさらに神へとならんと階に足を掛けた。

 

「この世界で、俺だけが! “運命”の流れを見ることができる!」

 

 それは彼にとっての実感。

 

 ――虐げられた村に生まれた。

 ――奴隷にされたこともあった。

 ――国を滅ぼし、国民を死なせたこともあった。

 

 だがそれらは全てこの結末へと至るための大いなる流れ。

 彼らの死には意味があり、人間の偉大なる王、シンドバッドが神となるための礎。

 

 この世界でただ一人、誰もが絶望する“運命”を見通すことができる特別な存在――――

 

「いや、もう一人いるな」

 

 階に足を掛けたシンドバッドは、しかしそこで足元へと視線を向け、手を差し伸べた。

 

「かつて運命の存在を知覚したアルバと同化したことのある貴女なら、運命を理解したはずだ――――白瑛殿」

 

 差し伸べたその先にいたのは、アルバから解き放たれ、ついに目覚めた白華の麗人、練 白瑛。

 

「姉上!!?」

「姫様!」

 

 その姿に白龍は驚愕し、青舜も双剣を振るう腕を止めた。

 戦場に、灯桜の光輝く大地に立ちシンドバッドを見上げる白瑛。その姿はかつてと同じく凛としたようであり、しかしどこか哀しみを含んだようにシンドバッドを見ていた。

 

「貴女にこそ、私の隣を歩む資格がある。神となって、新たな世界を創る、その一対、伴侶となるに相応しい存在なのは、貴女だ! 白瑛殿!」

 

 アルバによって意識を奥底に押し込められていた白瑛は、その間彼女の内面を、過去を垣間見ていた。

 ダビデの息子であるソロモンを鍛えた過去。魔導士聖境界連合を抜け出しレジスタンスに身を投じたソロモンと共に戦った過去。

 世界を創った創造主――イル・イラーと初めて対面した時の感動。ダビデがイル・イラーから力を奪おうとしていることを知った時の悲哀と憎悪。

 計画書(アジェンダ)と呼ばれるものの真実――すなわち“運命”の流れを知った時の絶望…………

 それは予知ではなく、世界に存在するただ純然たる“流れ”。

 すべては一つの結末へ向けて流れていくもので、偶然に見える喜び、怒り、悲しみ、生、そして死。それらは全て“世界”と呼ばれる何かが前へ進むための構成要素でしかない。

 “(観測者)”は世界を彼が思うままに進めるためにあらゆる事象に介入し、引き起こしているのだ。

 人々が一生の中でどれほど崇高な志を抱こうと、罪を犯し、また犯されようと、もがき苦しみ、それでもなお抗おうとしても、それらすべては自分の意志のように見えても…………すべては神のために決まっていたこと

 人はどんな風に生きようとも絶対に逃れられないのだ。

 

 それを知ったからこそ、魔導士たちは絶望した。

 それを知ったからこそ、ソロモン王は神から世界を解放しようとし―――結果、抗いの物語(運命)を紡いだ。

 

 どこまで行こうと逃げることなどできはしない――――それが“運命”。

 

 それをアルバの意識の中で見続けさせられた白瑛は、だからこそ前と同じではいられない。

 その思いは既に、アル・サーメンの魔導士たちと、アルバと同じものであるはずで、運命を見通すことのできるシンドバッドと共に歩くのにこれ以上相応しい(伴侶)はいない。

 

 白瑛は瞼を閉じて、かつて垣間見続けたそれらの運命を思い返し―――――言霊を紡いだ。

 

「狂愛と混沌の精霊よ。汝に命ず。我が身を覆え。我が身に宿れ。我が身を大いなる魔人と化せ―――――パイモン!!!!」

 

 轟――と、旋風が白瑛の体を覆い、その手足には白い羽が装飾され、白を基調とした蠱惑的とも見える魔装の姿へと変じた。

 

「たしかに、私の意識を乗っ取っていたあれば母上の……いえ、アルマトランの魔導士アルバのものであったのでしょう。貴方の語る未来が、争いのない世界を築くというのも、その通りなのでしょう」

 

 争いのない平和な世界を築く。

 そのために一つの王を戴く世界を、国を創る。それは白瑛の父、白徳や兄である白雄、白蓮兄上たちが求めた世界そのもの。

 

 だが彼女もまた彼らの志を受けた。

 志があるからこそ、前へと、未来へと歩めるのだ。

 

 何度も絶望を感じたことはある。父の死、兄たちの死、母の裏切り―――そして伴侶となるはずの光をも一度は目の前で失った。

 そんな時にただ一人残された弟と道を違え、争うことに葛藤し、進むべき道と志を揺るがせてしまったこともある。

 すべてを投げ出してしまいたくなったこともある。

 それらすべてがあらかじめ定められたものだと――“運命”だというのなら、それは全力で否定したい。

 

「ですが、たとえ選択肢がなかったのだとしても、それでもこの道を選んだのは私です。煌帝国第一皇女として、パイモンの主として、将として…………そしてあの方の伴侶となるべき者として」

 

 父が、兄たちが、どんな思いで戦い、何を勝ち取ろうとしていたのか。それはどんな志があったからなのか。

 その結末がたとえ決まっていたように見えたのだとしても……彼らの心は、意志は、彼らのものだ。

 

「進むべき道を選んだのは私、練 白瑛だ!!!」

 

 宝珠を宿した三又の槍。その向く先は討つべき敵。

 

「覇王シンドバッド! 私がともに歩むことを選んだのは、断じてお前などではない!!」

 

 決然とした眼差しに、揺れるところは最早ない。

 痛いほどに真っすぐな白いルフを身に纏い、風の女王が再び戦場へと帰還し、討つべき敵を定めた。

 

 

 

 

「………………」

 

 その姿をシンドバッドは感情の欠落したような眼差しで見下ろした。

 

 ――彼女もまた、理解するには及ばなかった――

 

 誰一人として、神と同化した存在に比肩することはない。

 彼自身にとってもそんな当たり前のことを、シンドバッドは再確認し、失望していた。

 

 最早、隣を歩む者はいない。

 いや。ルフとなったのち、共に神を討ち滅ぼす仲間たちがいる。それでいいのだ。隣を歩む対等な存在など、初めから必要なく、存在すらしないのだから…………

 

「そうか。なら―――終わらせるとしよう」

 

 イル・イラーによって定められた運命の終着点を確認したシンドバッドは、見通せない運命の先を見るために空を見上げた。

 

 極大の八芳星が空に、世界に刻まれており、そこから神が改変のための触手を伸ばそうとしていた。――イル・イラーの降臨。

 その八芳星からはイル・イラーの次元(・・)に存在する黒ルフが大量にこちらの世界に流入しており、白ルフで満ちたこの世界を侵蝕しているかのようであった。

 

 

 

「させるものか!」

 

 白瑛はシンドバッドの愚挙を止めるために飛翔しようと風を纏った。だが―――

 

「ふん。獲物がそこにあるのに銛を向けようともせぬ臆病者めらが。狩人を阻む愚者は死ね!」

「姉上!」

「――!」

 

 白龍の微生物眷属を蹴散らしたラメトトがその巨大な異形の姿を白瑛の背後に迫り寄っていた。

 

 ――しまった!!!――

 

 風という質量の軽い現象を操る白瑛の魔装の弱点は接近戦。

 かつて何度も“彼”から指摘され、自身痛感していたはずの弱点。

 

 

「姫様ぁ!!!!」

 

 すでに間合いは必殺の間合い。

 決死に手を伸ばす眷属・青舜だが、その眷属器が届くには遠く。ラメトトのメイスが白瑛の頭上に襲い掛かり――――――銀閃が走った。

 

「な、がっ!!!!?」

「えっ…………」

 

 一瞬六斬。

 二刀をもってラメトトの豪槍を退けたのは、疾駆する汗馬のごとき魔装の王。

 

 それは失われたはずの守り手。

 決して届かないはずの場所に往ってしまった関係性。

 

「ぁ……」

 

 アルバの意識を通して彼がどんな状態なのかは見てきた。

 かつて見たことのないほどに冷たく殺伐とした眼差しを向けてくる彼の姿。器の欠けて、ゆえに何かが壊れてしまったかのような悲痛な姿。

 それがかつてと同様に、白瑛を守った――守っている。

 思わず白瑛は手を伸ばしかけ、しかし触れてはいけないものを前にしたかのようにその手を止めた。

 

 これは失ってしまった宝物。

 すでに彼は“彼”とは違うのだから―――――

 

「言ったはずだ」

 

 躊躇うその手が、逃さないとばかりにつかみ取られた。

 

「俺が選んだのはお前だ。お前を、練 白瑛を守ることを誓った。ならば違えることはしない―――何が何でも、絶対に、お前を失うことだけは、させはしない!」

「ひか、る…………」

 

 それはかつて為された誓い。

 練 白瑛を選んだ皇 光が誓った宣言。

 

 

 

 

「皇光が姉上を守った!? あれは――――元に戻ったのか!?」

 

 アラジンに幾許かを修復されたとはいえ、練 白瑛との関係性を失っていたはずの光が彼女を助けた。そのあるべきが戻った姿に白龍は驚愕した。

 

「でもなんで…………?」

 

 “ソロモンの知恵”をもってしても戻せなかった欠けた器――ルフが回復していることに驚いているのは白龍ばかりではなく、アラジンもまた同じ。

 だが“彼”が居た場所で“彼”と会ったアリババには“それ”がなぜだか直感として分かった。

 

「そうか! “イル・イラー”の次元の穴が開いたから!」

 

 ハッとして空の極大八芳星を見上げたアリババ。

 そこから流れ込んでくるのは黒ルフ―――だけではなく、彷徨い輪廻できなかった精神たち。アルマトランで死んだ者たちだ。

 ベリアルによって異次元に飛ばされたアリババは偶然、イル・イラーの次元へと飛ばされ、そこでアルマトランで死した者たちや願いの代償に喪われ、欠けた“皇 光”と会っていた。

 開けられた穴はマグノシュタットの時とは違い“イル・イラー”が干渉するためだけの穴ではなく、シンドバッドがこちら側からあちらに行くためのルフの通り道でもある。故にこそ、あちら側からもこちらへと戻ってくることができたのだ。

 彼だけでなく、おそらくあの時アリババが長い時間(一瞬)を共に過ごし、帰還するための協力を行ってきてくれた人たちもまた…………………

 

 

 

 

 失われたはずの“皇 光”との再会に、白瑛の動きが止まる。その二人を討たんとヴァッサゴが眷属――鳥型と犬型の巨大な2体の同化眷属が襲い掛かった。

 

「行かせは―――!」「――――させん!」

 

 襲い掛かるのはジャッカルのごとき頭部をもつ眷属アンビスと隼の頭部をもつ眷属ホルメス。

 光は素早く反応して二刀を構え――――――しかしそれよりも早く2つの影が同化眷属を迎撃した。

 

「やらせるか!!!」「橘花、一閃!!」

 

 武骨な大剣による防御と気の込められた和刀の刺突。

 ホルメスの翼の攻撃を大剣が弾き、アンビスの熱線を切り払った操気剣が眷属の顔に一閃を入れる。

 和国における副官と煌帝国における副官。光の傍らにあって戦い続けた男たちが取り戻した“王”の下へと馳せ参じた。

 

「融、光雲……」

「遅い!!!  どれだけ……どれだけ待たせるつもりだったんだよ、馬鹿が!」

 

 練白瑛を助けたという事実。そして感じる気の懐かしさに怒声を浴びせかけた融はぐっと歯を食いしばった。

 

「まったく、死んで消えたと思ったらお前は……それより、あれを止めなくていいのか?」

 

 大剣を構える光雲も猛る思いを隠せないかのように獰猛な笑みをこぼしていた。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 この世界の全ての人をルフに戻し、仲間すらも己の力の一部として、神を倒し世界を変える。

 そのために次元の壁に穴を開け、世界を危機に晒し―――それでも前へと進む。

 

 ともすれば世界も自分も死んでしまうことになるだろう。

 だがその死を、シンドバッドは感じなかった。今日という日だけではない。

 1万人もの人を、兵士を飲み込んだ最初の“迷宮”バアルに入った時も、その後のいかなる迷宮でも、奴隷になった時も、国を滅ぼされた時も、ただの一度も“今日死ぬ”と感じたことがなかった。

 今日という世界の、“運命”の変革日においても、この波を超えて行けるという絶対の予感しかない。

 

 彼には皇閃や光、アリババ、練紅炎、白龍、他のどの王とも違って王家の血が流れていない。何もない。だがだからこそ全てを掴み取ってきた。

 手に入れて、そしてこれからも手に入れ続ける。

 もっと先へ、まだまだ先へ。この手で世界を変えたい。人のためでも、世界のためでもなく――――ただ、自身の願いのためだけに。運命をねじ伏せ、全てを掴み取る。それこそが、シンドバッドという、強欲な一人の人間の証。

 

 

 

 

 

 

「くっ! どうするんだ、アラジン! このままじゃシンドバッドさんが……イル・イラーが!!!」

「分かってる! けど…………」

 

 アリババたちの目の前にはダリオスが作り出したアロセスの鉄壁の防御壁が広がっており、そのさらに奥――天の境界にシンドバッドが今まさに“神の座”に手を伸ばさんとしていた。

 

 シンドバッドを止めるための、“イル・イラー”を止めるための手段と策は用意してある。

 万一、次元の穴を開けられた時のためのものだったが、この状況では唯一の打開策だ。

 “聖宮”を手に入れるためにシンドバッドは半分ルフの階層に身を移している。ならばアラジンの策はシンドバッドに対しても有効のはずだ。

 

 だがそのためには条件がまだ揃っていない。

 

「まずはあの壁をなんとかしないと!」

「くそっ! 壁が突破できない! 突破力が、純粋な破壊力が足りないっ!!!」

 

 それにダリオス(アロセス)の防御壁を突破しなくてはそれもできない。

 しかしアリババや白龍の金属器は制圧力こそ高いものの突破力という点においてはアロセスの防壁能力を上回るものではない。

 紅炎や光たちも同様だ。唯一、閃のカイムならば防壁を斬ることはできるが多層的に生み出される防壁によって突破を許されない。

 一点でもいい。防壁を突破し、ダリオスを退ける突貫力のある力が今、必要であり―――切望したその力は唐突に現れた。

 

 銀閃の流星が奔り、ダリオスの防壁を破ってなお勢いを減じずに突き刺さった。

 

「なにっ!!!?」

 

 絶対の自信を誇る絶対防御(アロセスの盾)を砕かれ、その体が吹き飛ばされる騎士王(ダリオス)

 

 それは銀色の魔装の主。一本の銀槍のごとき狩人の魔装――狩猟と高潔の精霊“バルバトス”。

 

「あれは―――ムーさん!」

「遅くなってすまない、アラジン。だが――――」

 

 レーム帝国の金属器使い、ムー・アレキウスの参戦。そして

 

「準備は全て、整った!!」

「ティトス君!!」

 

 ティトス・アレキウスが転送魔法陣からその身を戦場に降り立たせた。

 

 和国、煌帝国、レーム帝国そして七海連合。

 今の世界における全ての金属器使いを擁する国がこの場に集い、全てのマギもまたこの場に集った。

 この世界の運命の結末を決めるための場。

 

 アラジンは懐かしき友の姿、かつてのシェヘラザードとよく似た、けれどもかつてよりも輝くような瞳をもったマギと視線を交わし、頷きを交わした。

 

 全ての条件は揃った。

 

「白龍くん!」

 

 すぐさまアラジンは要となる”王”の一人に叫んだ。

 孔雀を模したザガンの魔装で戦っていた白龍は双頭の槍を一振りし、牽制を放ってからその魔装を解除した。

 宙に投げ出される白龍。それを守るために紅玉が前に出て入れ替わり、その間に白龍は肩鎧に刻まれた八芒星に魔力を集中させる。

 

「魔装――――ベリアル!!!」

 

 姿が変わる。

 多腕五眼の異形の魔装。精神を支配するジン・ベリアル。

 

 魔装の交換を行った白龍は上空を睨んだ。

 視線を交わしたのはかつて憎悪し、敵対し、けれども生きることを望んだ相手――従兄にして義兄の紅炎。

 

 蛇人の姿で白炎を操っていた紅炎は、白龍の視線を受けて自身の魔装を解除した。

 すかさず刀身ではなく柄穂の剣飾りに刻まれた八芒星に魔力を送る。

 

「魔装・フェニクス!!」

 

 攻撃能力の高いジンではない。癒やしの力持つジン・フェニクスの魔装。

 

 

 

 上空で白龍と紅炎の二人が魔装を交換したのを見た光は、白瑛に視線を流した。

 

 彼女のことはガミジンを介してずっと見てきた。 

 本来であれば自らの手で彼女を守り、触れていたいと思い続けた。

 ガミジン(願いの結晶)が砕けて、関係性を失ってからの記憶も、今の光は持っている。

 彼女に向けていた敵意と憎悪。そんなものを自身が彼女に抱くことになることに自身のジンの悪辣さと皮肉を感じもする。

 だが今必要なのは、この力。命を司るジン――ガミジンの力だ。

 

「――――――」

「ご武運を」

 

 交わした言葉は短く、しかし交える眼差しは千の言葉よりも互いを想う。

 光は二刀をジン本来の武装の形――命を刈り取る黒紫の刃へと戻して飛翔した。

 

「――――ガミジン!!」

 

 空を翔けるは光だけではない。

 白龍、紅炎、そして光。三人の“命”を司る魔装を纏う王たちが、イル・イラーの降臨しようとする扉、極大八芳星の下へと集った。

 

 

「罪業と呪怨の精霊よ―――――」

 

 光の掲げる刀身が、

 

「真実と断罪の精霊よ―――――」

 

 白龍の掲げる大鎌の刃が、

 

「慈愛と調停の精霊よ―――――」

 

 紅炎の胸に掲げられた剣飾が、紫色に輝いた。

 

 それは八系統あるルフの中で、特別な2系統のルフの一つ。

 この世界の“法則”を操るソロモン王究極の魔法の源である七型――力のルフ。それに対して八型のルフは、魔導の天才ウラルトゥーゴですらも理解しきることのできなかった命のルフ。

 世界の裂け目、イル・イラーのいる次元、亜空間にすらも干渉することのできる力を秘めた魔法系統。

 

 3つの紫光を頂点にした極大三角の柱が立ち上った。

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 ―――届く、届く、届くんだ!!!!

 

 “神”の座へと至るための極大八芳星へと手を伸ばすシンドバッドは、その果てのない欲望を心に滾らせた。

 

「この手なら、掴める!」

 

 なにも持たない身から始まった。

 始まりは“王の力”。1万人を飲み込んだ“迷宮”を攻略し手に入れた“王の力”こそが始まり。

 

「見たことのない場所へ辿りつける!」

 

 王ならぬ血を持ちながら、しかし国を興した。

 七つの迷宮、七つの海を制覇した。

 

「終わらない冒険に漕ぎ出すんだ!」

 

 そして今、世界の在り様にまで手を伸ばし、人の“王”は“神”となる――――

 

「それこそが―――――なにっ!!!!???」

 

 望みを叶えるための“彼方”を見ていたシンドバッドは、しかし背後に置いてきた世界より立ち上った光の柱に呑み込まれその動きを止めさせられた。

 

 ――動けないッッ!!!?――

 

 紫色の光の中、シンドバッドはルフ(ダビデ)と一体化した自身の体が留められたことに驚愕した。

 そればかりかさらに上空を、目指す先を見て目を見開いた。

 

「なっ、イル・イラーが押し返されている!!!!?」

 

 立ち上った光の柱がシンドバッドを飲み込んだ光の柱は、極点のイル・イラーへとぶつかり、それを押し返し始めた。

 

「なにを……なにをしたんだ、アラジン!!!!」

 

 ハッとなり後ろ(世界)を返り見たシンドバッドは、そこに3人の王と3人のマギの姿を見た。

 

 

 







今回の話に出てきた灯桜の儀については第5話をご参照ください。

実は一時休載する前からこの場面で使う設定だったのですが、なかなか踏み出せなかったのは和国と聖宮の関係性が思い浮かばなかったからなんですよね。
けれど原作の方で登場した鬼倭国がアルマトランの魔力が堆積した土地だ、なんていう設定がポンと出てきたので目出度く活かされることとなりました。
元々は和国(モデル日本)の島の形が龍のようになっているところから、特殊性を出す予定でした。作中でもほんのりその名残が出てたりします。


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第48話

 縫い留められるシンドバッド(神へ至る者)

 押し返されるイル・イラー(黒き神)

 

 あり得ない事態に、シンドバッドは動揺を露わにして叫んだ。

 

「3つの金属器だけでイル・イラーを押し留めることが、押し返すことができるはずなんてない!!」

 

 かつてアルマトランでは72体の眷属たちが身を捨ててまでジンとなり、さらにはソロモン王の命を賭けた究極魔法によってイル・イラーは異次元へと放逐された。

 マグノシュタットでは14人の金属器使いが共闘し、黒ルフの核となっていたマタル・モガメットをティトスが命がけで白ルフに引き留めていたからこそ依り代を破壊できた。

 なのにそれが今、立った3つの金属器使いの力によって押し返されようとしているのだ。

 

 あり得ない。だが――――――

 

「白龍くんのベリアルの力でアリババ君がイル・イラーの次元に跳ばされたことで、気が付いたんだ。八型のルフならばイル・イラーの次元に干渉することができる」

 

 杖を握り、魔力を込めるアラジンは周囲に充満するルフから力を得て、それを紫色の光へと変えて放ち続け、そして断言した。

 

 そもそもベリアルの力は、あのソロモン王がイル・イラーを異次元に放逐するために使った究極魔法をなんとか再現しようとしたものだ。

 ならば使い方によってはイル・イラーに対する最も有効的な対抗策になるのではないか。

 

 だがそれにしても、あまりにも不可解だった。

 

「それでも! たかが3人程度の力で―――――!」

「3人だけじゃない!」

 

 アラジンの叫びに、シンドバッドは改めて3人の王と3人のマギ(・・)を見た。

 紅炎、白龍、光が作り出す三角形の陣。それに重なるようにして、アラジン、ユナン、ティトスが織りなす()三角形の陣。

 六芒星で描かれた紫色の魔法陣がシンドバッドを拘束し、イル・イラーを押し返している力の正体。

 

「そうか、マギの無限の魔力! 3人のマギが、3つの金属器に魔力を供給しているのか!」

 

 王を補佐する者。王佐の賢者―――それこそがマギ。

 ルフを介したマギの無限の魔力を補給すれば、金属器使いの力は尽きることなく発動できる。

 加えて、魔法は同系統の魔法を重ね合わせることにより強くなる。

 死した者のルフを司るガミジン。

 イル・イラーの次元に干渉できるベリアル。

 ルフに干渉して行動を制御するフェニクス。

 それらはいずれも八型の、生命を司るルフを加護とする金属器、ジンの力だ。

 

「だとしても! それだけで、ただの金属器の魔法程度でこんなことができるはずがない!」

 

 だがそれでも、どれだけお互いを増強し合おうとも、3つの金属器の力だけでイル・イラーを跳ね返すことができるはずはない。

 それができるのであれば、72人のジンたちが居た時点でソロモン王が命を賭ける必要はなかったはずなのだ。

 

 そう、かつての世界(アルマトラン)と今の世界の決定的な違い。

 それはこの世界で新たに生み出された魔法の力――――

 

「だからこそ準備が必要だったのさ! このための超律魔法(・・・・)の命令式を組み上げる準備がっ!!」

「超律魔法だとっ!!!!?」

 

 レームの聖母たるシェヘラザード。彼女が練り上げ、知識を受け継いだティトスだからこそ、創ることのできた超律魔法の命令式。

 

 通常のルフが引き起こす現象は、規模の違いはあれどもルフがごく自然に起こしている現象。それに対して超律魔法とはごく希少な条件下でしか起こりえない大地震や噴火など、世界を引き裂く天災を強制的に引き起こされる魔法だ。

 

「200年の蓄積を持つシェヘラザード様の超律魔法。3人の王の力と3人のマギの力を超律魔法で組み上げた対神魔法だ!!!」

 

 そも災厄とは、人の身にて引き起こされる現象ではない。“神”が引き起こす現象――神威の現れなのだ。

 ティトスが準備したのは、自らの器の代用品すらも造り上げる先代のマギ・シェヘラザードの魔法の知識を洗い直し、より神に対抗するための魔法式を創り出すこと。

 

 かつての世界の力(金属器の魔法)今の世界の力(超律魔法)。アルマトランのころだけでは決してできなかったそれが、神をも留める力の創作なのだ。

 

 

 動くことも、まして“神”の座を己の物にすることもできないシンドバッド。

 しかし彼は口元を歪めて笑みを作った。

 

「対神魔法か……それは見落としていたな」

 

 シンドバッドの始まりは王であり、商人であった。そして商人としてのシンドバッドにとって笑みこそ、自信と力の証左。

 たしかに“運命”を見通していたシンドバッドもダビデも、ここにおいてまさか自身やイル・イラーが足止め(・・・)を受けるとは予見していなかった。

 それもそのはず、彼らが見ているのは“運命”という流れであり、決して未来を見ているわけではないのだから。

 ゆえに些細(・・)な出来事など見落としてしまうことも十分あり得る。

 

 そう。ここにおいて、それでもなお、シンドバッドには勝つ目が見えているのだ。

 

「だが! この魔法を使っている間、君たちは無防備だ」

 

 対神に特化した術式とはいえ、金属器の力は全てイル・イラーとシンドバッドへと向けている。それはすなわち、本来ならば難敵であるはずの彼らが戦う力を有していないとうことなのだ。

 そしてシンドバッドには仲間がいる。

 

 魔装フォルネウスのラメトトが巨大な槍をもって紅炎へと襲い掛かり、魔装ヴァサゴのアールマカンが曲刀を躍らせて白龍に襲い掛かり、そして魔装ケルベロスと化したミラが魔法を持って光に襲いかかる。

 

 

 

「くッッ!!」

 

 襲い来るアールマカンの姿に白龍から苦悶の声が漏れる。

 マギならば悪意を弾くボルグによって自衛できるが、王たる彼らには、力を神に対して向けている彼らには身を守る術はない。

 必中の間合い。

 たとえこの一撃で命を刈り取られることがなくとも、対神魔法を継続できないほどのダメージを負わされればそれで勝敗は決するのだ。

 

 迫るアールマカンに対して、ほかの金属器使いがいかに追いすがろうと、自衛できない金属器使いに魔法の継続を許さないだけの一撃が打ち込まれることを阻止することはできるものではなく――――

 

「やらせねぇ!」

「なにっ!!?」

 

 しかし、世界にとって致命となるはずの一撃を打ち込むはずだったアールマカンの剣は、突如として白龍の目の前に現れた炎宰相(アモン)の魔装を纏うアリババによって防がれた。

 

「アリババ殿!」

 

 絶対に追いつかれるはずのない位置関係。

 何よりもいかに炎の衣で高速飛翔のできるアモンとはいえ、同じ魔装状態のアールマカンに気づかれずに回り込んで目の前に現れるなどということができるはずがない。

 

 そしてそれは白龍の眼前だけで起こっていたことではなかった。

 

「今度こそっ! 絶対に守ってみせる!」

「紅覇!」

 

 練紅炎に襲いかかるラメトトの轟混は練紅覇の如意練鎚によって防がれ、

 

「この方には指一本、触れさせはしません!!」

「白瑛!」

 

 ケルベロスの魔装から放たれたミラの魔法は光の眼前に立つ白瑛の業風の鎧によって逸らされた。

 

 かつて守りたいものを守れなかった戦士たちが、今度こそその力を守るために絶対に届くはずのない距離を零にして立ち塞がった。

 

 驚愕するのは仕掛けた王たちだけではない。

 絶対たる己の“運命”の流れを信じていたシンドバッドもまた驚きに目を見開いていた。

 上から白龍たちの六芒星陣を見下ろしていたシンドバッドには、だからこそ絶対にアールマカンたちの攻撃が間に合うことが見えていた。

 

「バカな! あのタイミングで間に合うはずが…………ッッ!!! 練 紅明の転送魔法か!」

 

 それを覆して光り輝く極点を頂きに黒の煌めきが白龍たちの目の前に現れた。

 

 ――七星転送方陣(ダンテ・アルタイス)――

 

 黒の衣をまとう魔神、ダンダリオンと化した練紅明。その力は空間における距離を無視することのできる転送魔法。

 紅覇と同じく、同じ者を、守ることのできなかった彼の力こそが、今度は“彼ら”を守る一手となった。

 

 だがそれはあくまでも一手。

 

「アラジン殿! “聖宮”の魔法は、まだですか!」

「――――ッッ!! 分かってる! でも、この魔法を止めると、均衡が!」

 

 決め手とはならない。決め手のために必要なのはアラジンのみに許された力、“ソロモンの知恵”。

 それにより場の力と金属器と大量の魔力によって強引に扉を開いたシンドバッドよりも強固に“聖宮”へとアクセスし、そして“聖宮”を破壊する。その魔力を使って次元の壁を埋め、強化し、外部者を切り離す。

 “聖宮”を破壊することによってこの世界には“白いルフ”も“黒いルフ”もなくなるだろう。今まさにイル・イラーの次元と接続していることによってアルマトランで囚われていたルフ()たちもようやくこちらの世界に渡り来ることができた。彼らが壊したがっていたこの“世界の運命”も“ソロモン王が定めた運命”も破壊されることになる。

 

 だがそのためには――――― 一手足りなかった。

 

 3人の王の命を司る金属器の力と3人のマギによる極大超律魔法。それにより辛うじてシンドバッドとイル・イラーを押し留めている今の状況では、アラジンが“ソロモンの知恵”を使うために魔力の供給を止めた瞬間、拮抗が崩れ、イル・イラーは世界へと触手を伸ばし、シンドバッドは“神の座”を乗っ取りにかかる。

 

「くそっ! このままじゃ、兄上たちの身体がもたないぞっ!」

 

 魔力供給を受けていない紅覇やアリババ、白瑛たち守りての王たちの魔力も減っていく。それにも増して、魔力供給を受けている紅炎たちの損耗が激しい。

 魔力が供給されているとはいえ、彼らが発動しているのは極大魔法にも匹敵する大出力魔法なのだ。それを放ち続ける彼らの体では血管が破れ、眼からも口元からも血が流れていた。

 

「ふん。まだ、だッッッ!!!」

 

 それでも発動を止めるわけにはいかない。紅炎は血流の浮かぶボロボロ寸前の状態でありながら超律魔法の発動を止めはしない。

 

「まだ―――――ッッ!!!」

「―――――ッッ」

 

 それは白龍も、そして光も同じ。

 

 足掻き続けるのだ。

 “神”が見捨てた世界でそれでも足掻き続ける。

 汚泥の中に沈みつつも、それでももがき続ける。

 最後の瞬間まで、この世界が終わりまで、その意志の続く限り…………

 

 絶望へと続く紫光の柱の中―――――――

 

「これは……ッッ!!?」

 

 “黒”が白龍のもとに舞い降りた。

 

 ――「世界をぶっ壊すなんて楽しい戦争。俺を除け者にするんじゃねぇよ! 白龍!!」――

 

「お前――――…………」

 

 それは気のせいだったのかもしれない。

 けれども洛昌の戦いで、この世界から失われてしまったはずの“もう一人のマギ”。

 

 戦争が好きで、運命を呪っていて―――けれども白龍と同じく、そんな自分を受け入れて歩むことを決めた異端のマギ。白龍の選んだ、白龍を選んだ王佐の魔導士。

 

 たしかに彼は白龍との繋がりを持っていた。白龍の気の込められた種子を持ち、ザガンを介して繋がっている。

 

 失われたと思っていたもう一人も、アリババだって戻ってきた。

 だから、これは一つの奇跡。

 

 戦争が大好きで、この世界をひっくり返したいと呪い(願い)続けたマギの―――(ジュダル)の。

 

 白龍の金属器(ベリアル)に黒のルフから生み出された魔力が流れ込む。

 黒と白とを併せ持つ白龍だからこそ受け入れることのできる堕転の魔力。

 

「今だ! アラジン!」

 

 アラジンの魔力に依らず白龍の金属器に魔力が満ち、超律魔法が神を押し留める。

 それを信じて、白龍は叫んだ。

 友の名を、今まさに彼自身を守っている王のマギの名を。

 

「うん! これが最後だ――――――“ソロモンの、知恵”!!!!!!!」

 

 この世に在らざるはずの()人目のマギ

 その力が、この世界の始まりと終わりを告げる魔法の名を叫んだ。

 

 額に八芒星の輝きが煌き、空に重なるように極大の魔法陣が描かれる。

 

「やめろ…………」

 

 それは彼にとって終わりを告げる魔法の名。

 伸ばした手の先で“イル・イラー”が、神の座が遠のいていく。

 描かれた魔法陣が、“聖宮”への道が、“聖宮”そのものが、崩壊していく。

 そこからあふれ出す輝きが、黒でも白でもない輝きが、世界の空へと広がっていく。

 

「やめろ!!!」

 

 終わる。

 まだ見たことのない場所への終わらない冒険への始まり。

 国も、故郷も、仲間も……誰からも望まれなくとも叶えたい願い。

 世界の変革者となる。王を超えた存在となる――――神となる。

 

 それらのすべてを与えてくれるはずの夢の扉が――――――

 

「“聖宮”への道を! “神”の座への扉を! 世界を! 俺の冒険をッ! 壊すなッッッ!!!!」

「シンッッッ!!!!!!!」

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 世界の空から、割れたステンドガラスのような輝きが壊れて降り注いでいた。

 ルフの始まりと終わりを告げる“聖宮”の崩壊。

 “鑑賞する者にして干渉する者(イル・イラー)”との次元の接続の断絶。

 それらは世界全てを造り変える始まりの夜明け。

 

 神の頂に手を伸ばした“偉大なる王”とその王佐は次元の崩壊にも構わずに手を伸ばし続け、彼を支えた眷属たちとともに崩壊の只中へと消えた。

 それが彼の王の死を意味するのか、それとも次元を超えたことを意味するのかは分からない。

 だが世界の仕組みそのものが造り変えられ、次元外からの干渉が行われなくなる今後のこの世界に帰還することはもうできないだろう。

 そして…………………

 

「今だからこそ思うが……………もっと他に方法がなかったのかと思うな」

 

 崩壊し、造り変えられ逝く世界を見上げながら、光は白瑛と隣り合って立っていた。

 

 アルマトランとの接続路でもあった“聖宮”を破壊したがなのか、ルフシステムを破壊したため王を選定するマギシステムも崩壊するためにか、彼らの金属器に刻まれた八芒星も桜の花が吹き崩れるように薄れつつある。

 

「後悔しているのですか?」

 

 狂愛と混沌の女王(パイモン)罪業と呪怨の武士(ガミジン)も、役目を終えたかのように王に微笑みを向けてルフへと還った。

 システムが壊れたとはいえ、ルフそのものが無くなるわけではない。

 ただ白だとか黒だといった違いはなくなり、アルマトラン時代のルフも解放されてこの世界の一部になって巡っていく。

 

「似合わないか?」

 

 他にも手立てはなかったものか。

 例えばシンドバッドともっと前から話が出来ていれば、イル・イラーを排除するでもなくこの世界の人々全てをルフに還すなどという手段以外に、この行き詰まった世界をどうにか出来る手段を導くことができれば、あるいはもっと別の結末に至ったかもしれない。

 

 為したことの是非を悩むのはやはり後悔があるからか。

 尋ねると白瑛は言葉にはせず淡く微笑んだ。  

 

「貴方との出会いの運命までもなかったことになってしまうのは、残念に思えます」

 

 白瑛の応えに光は薄く微笑みを浮かべると彼女の肩を抱き寄せた。

 

「次の世界ではもう、他者の定めた“運命”は存在しない」

 

 “運命()”に選ばれた王というものの存在しない世界。

 金属器はなく、それゆえに積み重なっていくであろう歴史は、この世界とはまた異なるものになるだろう。

 

「だが、たとえどういう出会い方になったとしても、どういう巡り合わせになったとしても、私は貴女を選ぶだろう」

 

 次の世界では、“皇光”ではないかもしれない。“練白瑛”ではないかもしれない。

 けれども彼らの(ルフ)が巡り、そして歴史を紡いでいくのであれば、違う形であろうと、きっとまた巡り合う。

 長い、長い歴史の彼方で。

 

「それは“運命”だからですか?」

「いや、俺の勘……いや、どうだろうな」

 

 いつものようにそんな“気”がした。

 そう思った光は、しかし違う“気”も感じた。

 

「俺にとって、貴方が運命なのだろう。だからどんな形になっても、どんな理由があっても、貴女と出会う、貴女を選ぶ。守る存在として、寄り添う存在として、共に在る、在りたいヒトとして……そうありたいと思う願い、それが“運命”というなら、そうなのかもしれないな」

 

 他の誰かが敷いたレールとしての“運命”などではない。

 彼らがたしかに掴み取った意志が選ぶであろう、掴み取っていくであろう未来――それをこを“運命(希望)”というのかもしれない。

 

「なら、私もその“運命”を願います」

 

 

 

 その日、世界の空が極光に覆われた。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 かつて、世界には王が乱立していた。

 強大な力を持つ選ばれた王たちは、それぞれの信念のもと相争った。

 争いは世界に広がり、そしてやがて一人の“偉大なる大王”がほかの王を束ねた。

 

 世界の争いや差別、貧困を憂えた“彼の大王”により、世界から争いは消えようとしていた。

 

 だがそれも彼が生きている間だけ。それを憂えた“大王”は言った。

 

 ――「私が神となり、人々が私を崇める世界になれば、未来永劫世界から争いはなくなる」――

 

 彼を信奉していた王や世界の人々たちは彼に賛同した。

 人々の意識を変革し、一つの指標の下に世界が導かれる。

 

 だが幾人かの王と国は彼に反した。

 争いを憂えた“偉大なる王”は、その王たちを滅ぼすことに決めた。

 

 神としての力を得て、世界そのものを創り変えようと宣言した“偉大なる王”と、ただ人々の自由な意志のみを愛した王たち。

 

 争いは激しく、世界を滅ぼすほどの苛烈さをもって終結した………………

 

 

 これは喪われた物語。

 読み手はおらず、レールから外れた物語。 

 







これにて連続投稿および最終決戦閉幕です。
原作では今まさに佳境を迎えていますが、本作の決戦は如何でしたでしょうか?
次回最終話は今まさに執筆中ですので、しばしお待ちください。
話の大枠と決着は構想できていますので、それほど時はかけない予定です。


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最終話

お待たせしました。最終話です。
投稿開始から5年。
他の作品に浮気をしつつの執筆でしたが、なんとか当初思い描いていた、書きたかったシーンはすべて盛り込めました。

実は主人公の名前の光ですが、奇しくも2期後半のopのタイトルになっていたことに最終話を執筆中に気が付きました。1期放映中に本作が開始したので完全なる偶然なのですが、終わってみるとこれしかない名前だったと自画自賛してもいいかなぁと思ったりしています。
ついでに原作の外伝では作者名とよく似た人物が登場してしまいましたが、こちらも偶然です。

それでは最終話をどうぞ





 大嵐の中、一艘の小舟が大海を彷徨っていた。

 波は荒く、どれだけ櫂に力を籠めようと舵は利かず、歴戦の船乗りである男の思う通りに舟は進んではくれなかった。

 それどころか、どちらに進めがいいのかも定かではない。

 小舟には彼以外にもこっそりと乗り込んでいた3歳になる息子がいる。

 一刻も早く、この黒雲の下を抜けなければ舟は遠からず転覆し、大荒れの海に放り出されてしまうだろう。

 そうなれば彼も、そして息子もともに海の藻屑となってしまうだろう。

 

 だが空の闇は果てなどないかのように遠くまで広がっており、空と海の境界も分からなくなってくるようだ。

 黒波がまるで顎を広げて小舟を飲み込まんとしているかのようであり、それが幾度も幾度も襲い掛かってくる。

 息子は恐怖から父の裾にしがみついており、彼もまた恐怖で気が狂わんばかりになっていた。

 

 そして…………………

 

 

 

 

 

 

 嵐が過ぎ去った海の上には、小舟はなかった。

 

 これは運命(決められた物語)なき世界。

 “偉大なる王”となるべき定めの子はなく、世界はレールのない未来を歩んでいく。

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 厳かな空気の中、若き(皇帝)に冠が授けられた。

 固唾を飲んで万感の臣下と他国の要人に見守られ、皇帝位を授けられた新皇帝が立ち上がる。

 

「煌帝国第2代皇帝 ―――― 練白雄皇帝!!!」

 

 峻烈な面差しは前皇帝のものを残しつつ、若き皇帝となったのは初代煌帝国皇帝、練白徳の嫡子、練白雄。

 “蝕み”のない白の系譜の後継。

 

 大陸の極東に長く中原の天華を巡って争っていた三国があった――――凱、吾、そして煌…………。やがて三国は煌が覇権を握り、国名を煌帝国に、そしてその時の王、練白徳は初代皇帝となった。

 その大陸極東をさらに東に隔てられた海を渡ったところに小さな島国があった。その国の名は和国。煌帝国は国名が煌であった遥か古のころより盟約で結ばれた国。独自の刀剣技術と身体の魔力をもって剣技となす特殊な戦闘技法を持ち、優れた航海術によって貿易立国として知られた小さな強国。

 和国は時に国を鎖して海に孤立し、時に中原の国に首を垂れて、時に中原の国と戦い、独自の文化圏を築いていた。

 今代の治世においては、先の初代皇帝白徳大帝と和国の王とは友誼を結び、国同士の繋がりはもとより、婚姻政策によってその繋がりを深くしていた。

 

 

 

「ご即位、祝着至極に存じます、白雄帝」

 

 その婚姻を結んでいるのが和国第2王子、皇 光であり

 

「ああ。よく来てくれた、光殿。白瑛も」

 

 その伴侶となっているのが、白徳大帝の長女にして白雄新皇帝の実妹、練白瑛。

 

 皇帝就任としてのお披露目を終えた後は関係各国の主要人物を招いての宴が催されており、和国からは第2王子にして白雄皇帝の義弟となっている光が出席している。

 

 彼が白瑛を妻に迎えてすでに3年ほどの時が流れているが、実際に彼らが出会ったのはもうかなりの時が流れている。

 

「ところで嫡子の姿がないが……」

 

 すでに生まれて、大きくなっているはずの甥の姿を求める白雄に、光と白瑛は苦笑いを浮かべた。

 

「白雄兄様……」

「流石にまだ2歳になったばかりでは、ここまでの船旅は酷というものです」

「む。それもそうか…………」

 

 若くして子を産んだとはいえ、まだその子はようやくに乳を離れたところ。今回は白雄陛下の皇位継承式であるから乳母に世話を託してきたが、本来であればまだまだ手のかかる盛りだ。

 いかに和国の操船技術が優れているとはいえ、2歳になったばかりの子を乗せて海を渡ることは不安の残ることで、流石に今回は連れてきてはない。

 

 いささか険しい顔をする白雄陛下だが、それは甥っ子との対面機会が叶わなかったからだろう。

 

「姉上!」

 

 がっかりしている新皇帝をよそに、弾む声と共にかけてきたのは、白瑛よりも5歳ばかり年下の、まだ少年といった雰囲気の取れない黒髪黒目男の子。それは凛々しい顔をさせれば目の前でいささか凹んでいる白雄陛下によく似た面差しをしている。

 

「まぁ、白龍!」

「お久しぶりです、姉上!」

 

 嬉しそうな笑顔で声をかけてきたのは、白雄の末の、そして白瑛にとっても弟である白龍だ。

 姉弟仲のよい間柄だけに、他国に嫁いでしまって会う機会のめっきり少なくなって久方ぶりの姉に会えたことが嬉しいのだろう。

 

 嬉しそうに姉に話しかける白龍。そこにもう一人の兄である白蓮も加わり、兄妹弟が仲睦まじく場を楽しんだ。

 

 

 

 

 

「ああ、そうだ。白龍殿、今日は貴方に紹介した方をお連れしています」

 

 嬉しそうに話す白龍と白瑛の間を遮るのは本意ではないが、このまま白龍の気の済むまで話させるままにすれば、白雄陛下や外交的用件が蔑ろになりかねない。

 白龍の話し相手を任せるためにも、そして外交的な仕事を果たすためにも。

 

 光はこの戴冠式の以前に本件を和国に持ち込んできた友好国の人物を招いて白龍に示した。

 

「和国が交易でよく世話になっている国の方で―――」

「バルバッド第三王子、アリババ・サルージャです」

 

 光によって紹介されたのは明るい金髪の少年。

 年の頃は白龍とほぼ同じだろうか。後ろに彼よりも少しだけ年下っぽい黒髪の少年を連れて挨拶をした。

 商業国家であるバルバッドらしくどこか商人的な奥向きのある笑顔だが、にこりとした人好きのする感じのする子だ。

 

「こ、煌帝国第三皇子、練 白龍です」

 

 対して、やや人見知りしがちなだけに白龍の挨拶は緊張しながらのものであった。ただ拱手はきちんとしていたし、受けたアリババ王子の反応もおかしなものではなかった。

 

「白龍…………」

 

 だが白瑛はくすくすと口元を抑えて笑っており、光も苦笑い、そして白雄は額を抑えてため息をついていた。

 

「え、あの……わぁっ!!?」

 

 自分の挨拶のどこが悪かったのか分からずにおろおろとしていると、ドンと跳びかかるようにその肩に腕を回された。

 

「お前はいつから白雄の息子になったんだよ、白龍」

「ジュダル!」

 

 絡んできたのは煌帝国の重々しい礼装に身を包んだ長い黒髪を1本に編み込んだ少年。年のころは白龍やアリババと同じくらい。

 王族に対するモノとは思えないぞんざいだが、彼に対する白龍の対応は今この場での無礼を咎めるものであっても、どこか親しいものに対する声音が感じられた。

 

「こんなところでふざけるなと……え?」

 

 どうやら普段から身分にかかわらず友人づきあいをしている間柄らしく、光やアリババの前であることを忘れて言い返した白龍は、しかし先ほどのジュダルの言葉を反駁して止まった。

 

 白龍は先の皇帝、白徳の第四子。姉である白瑛を除くと確かに第三皇子ではあるのだが、今の皇帝は()である白雄。

 

 自分の自己紹介がこの場においては的を外していることを察して白龍は赤面してあわあわとなった。

 そんな弟を白瑛は微笑ましげに見て、白雄はポンポンと軽く頭を叩き、白蓮はぐりぐりとしてお仕置きを兼ねて白龍を可愛がった。

 照れている白龍はそんな兄の手を跳ねのけようとして跳ね除けられずに髪をぐしゃぐしゃにされており、その光景にアリババはくすりと笑顔を見せた。

 

 騒ぎのきっかけを作ったジュダルはニヤニヤと少し意地悪な笑みを浮かべてその光景を見ており、その横から声をかけられた。

 

「へぇ、君が噂の煌帝国筆頭魔導士のジュダル君かい?」

 

 幼く高い声は、先ほどまでアリババの背後にいた少年。

 少年はジュダルの肩書――煌帝国において最年少でその地位に昇った筆頭魔導士としての肩書を口にした。

 同時にジュダルも彼を見て、その身から感じられる魔力の洗練さに気づいた。

 

「ん? ああ、そういうオメーは、バルバッドの筆頭魔導士――アラジンか」

 

 バルバッドで――いや大陸東方最強の魔導士と名高いジュダルと並び称され、大陸西方で最高と名高い魔導士、アラジン。

 

 奇しくも天山山脈を挟んで東西に分かれた大陸に同時に現れた若き天才魔導士。

 その名は他国にも広く知られており、それぞれの国の王族の信頼も厚いと評判だ。

 

 

 

 初めて会った誰かのことを、どこかで会ったことがあった気がしたことはないだろうか。

 アラジン、アリババ、白龍、ジュダル。

 今日初めて“揃った”四人は、不思議とそんなデジャヴュを感じていた。

 それで仲良しこよしというわけではなく、けれども初対面とは思えないような気やすさを見せて言い合いをしていた。

 

「へぇ……あの白龍が初対面であんだけ気安げに話すとはな。なぁ、兄上?」

「………………」

 

 その姿に兄である白蓮は感心し、白雄は彼らをめぐり合わせた張本人――光を見た。

 バルバッドという国は煌とは天山を挟んでいるために陸路では不便だが、和国を介した海洋貿易では頻繁に名を耳にする国だ。

 そこの国王であるラシッド・サルージャの息子は別にいたはずで、事実アリババは第3王子と名乗った。王位継承権ではやや下の王子なのだが、戴冠式に合わせて光が自分や白龍に紹介したということは意味のあることなのだろう。

 そういえば……と思考が行き当たった。ラシッド王の息子、特に長兄は正妻に甘やかされて育った政治も外交も知らないわがまま放蕩息子なのだとか。もしかするとアリババを紹介してきたのは、次代の王位を継ぐのはアリババなのだという、ラシッド王からの意思表示なのかもしれない。

 

 だが、横目に見える光のどこか懐かしげにも見えるように細められた目が、微かにほほ笑んでいるかのようにも見えるもののやはりそれもデジャヴュなのだろうか。

 

 

 ――それは、長い長い、時間の果ての物語――

 

 

「おっと、レーム帝国の軍務大臣と、筆頭司祭のご到着だ」

 

 光の言葉に、白雄は思索を途切れさせた。

 赤い髪の筋骨たくましい男と年若い金髪の少年の姿。

 

 ――延々と降る雪のように積み重なる時の重みによって、かつての世界の物語はもはや伝説の彼方となり、少しずつ少しずつ散り溶けていく雪のごとくに記憶は喪われていく――

 

「あれがレームの軍務大臣ムー・アレキウスと、新しい筆頭司祭――――ティトスか」

 

 大陸西方で最大の版図を誇る立憲共和制を敷く大国、レーム帝国。その軍務を司るアレキウス家の現当主と、アラジン、ジュダルにも匹敵するだろうと評されつつある若き才覚。

 

「レームは今、バルテビアと戦争状態だ。煌帝国とは友好関係を結んでおきたいのだろう」

「バルテビアのバルバロッサ……いずれまみえる時があるのかどうか」

 

 ――貴方が、貴方と出逢うことが運命ならば、きっと彼らはまたどこかで生まれるだろう。違う形になっても、彼らはまたきっと生まれる。出会える。―――

 

 レームのトップ2人を先頭にして、付き従うように幾人かが続いた。レーム人らしい金髪の老人、そしてムーと同じく赤い髪の人たち。

 

「…………ぁれ?」

 

 不意に、赤い髪のレームの人たちの中にいた一人の少女と、アリババの視線が交わった。

 

 ――ピィ…………――

「どうしたんだい、アリババくん?」

 

 どこかで、鳥のような何かが嘶いたような気がした。

 

 

 

 決められた導なき道を、迷いながらも人は進んでいくのだ。

 守れぬこと、傷つくこともあるだろう。

 だが流す涙は煌きながら二人の行く先を照らすだろう。

 



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