まじこい的な何かを書こう (津谷 桐矢)
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001
「おはよーございます!」
二月も末。午前五時と言えば外は真っ暗な中、寒さと戦いながら新聞配達員が頑張っている時刻。川神百代は声を押し殺し、ドッキリ風を装い『トオル』と書かれた部屋の前に立っていた。彼女の目は悪戯にワクワクしている気持ちを表している。
「それでは早速お邪魔してみましょう!」
百代は静かに鍵の掛かっていないドアノブを回して室内へと入る。カーテンが閉じられた部屋は真っ暗で電気を付けるわけにもいかず、さりとて目が慣れるまでに時間が掛かる。だがしかし、この美少女に暗闇など無意味である。
「川神流猫目…だにゃん」
言葉と共に、彼女の目には日中と変わらぬ視界が広がる。
慣れた足取りで百代は奥へと進んでいくと目的の場所へと辿り着いた。そこには百代を美男子にした人物が静かに寝息を立てていた。
「それでは失礼しまーす」
百代は寝ている彼を起こさないよう静かにベッドへ潜り込む。そして彼の温もりを感じ、再度眠りに着くのであった。
朝六時を示す頃、室内にアラーム音が鳴り響く。部屋の主、川神徹は音源を止める為、手を伸ばすが一向にその感触を得なかった。
「どこにいった…」
起きれば事足りるのだが、今日に限ってもう少し寝ていたいと言う誘惑が強かった。
「うるさいにゃん…」
その言葉でアラーム音が消え、徹自身何故その気持ちを抱いたのか理解する。
「姉ちゃん…」
桃の様に実った胸の間に徹の頭を抱き、それでいて寝苦しく感じない様に配慮されている事に気付く。
「おい、姉ちゃん起きろよ…」
徹は百代を揺すり起こそうとするも、起きる気配が全くない。そうする度に良い匂いが徹の鼻を刺激し、常に姉であると戒めるのに精神力を求められる。
「ウーン、もう少し…」
百代は抱き締める力を強め抵抗する。
「…!」
その瞬間、百代の胸の感触が彼の顔全体を覆った。寝ている時はブラは付けないと豪語するだけあり、着心地を重視したTシャツ一枚の感触は徹に危機感を抱かせる。
「いい加減に起きろって、姉ちゃん!」
徹はその様に言うと彼女を引き剥がす。
「でも気持ちよかったろ?」
百代は目をぱっちりと開けて徹を見ていた。
「ああ気持ち良かったよ! 平日じゃなければもっと堪能していたさ! 思春期の男を舐めるなよ!」
徹は逆ギレして彼女に答える。
「あー、そのーごめん…」
徹がまさかの反応を見せた事で流石に悪戯が過ぎたと百代も反省して謝った。
「てなことが朝あったんだよ」
昼食は学生にとって欠く事の出来ない重要なイベントである。徹は同級生で仲の良い者と共に楽しい一時を過ごす筈だった。
「うん、とりあえず言っておく、死ね」
ヨンパチこと福本育郎は徹の話を聞き、悟りを開いた表情で悪態を吐く。
「おいっ、ヨンパチ!」
「だけどよ。やっぱそうなるわな」
彼に同調するのは、徹とも関係が深い島津岳人だ。徹が登校時に話した時は目から血の涙を流して悔しがった程だった。今もその話を聞き、テーブルの下では拳を強く握りしめて耐えている。
「三次元の何が良いのか全く分からん。二次元はいいぞ徹! 是非ともその魅力を…」
大串スグル、彼は二次元の世界に救いを求める戦士である。
「大体な、同い年以上はもうあれですよ。ダメ、絶対だめ!的なあれですよ。小学生以下であれば最高だな」
唯一、他クラスの人間である井上準はその様に述べる。彼は生粋のロリコンである。
「すまない。俺がお前たちにコメントを求めたのが悪かったわ。それとなんで準が此処に居るんだ?」
徹はコメントを求めた人選を誤ったことに今更ながらに気付く。が、そもそも彼の苦悩を理解してくれる者は皆無と言って良い。
「いやー学年末が迫ってクラスの雰囲気が非常に重たい。それに若は女子と食事で、ユキは紙芝居を作成中だ。加えて英雄が居ない教室は暴君が現れて正直居場所が無くてな」
彼の所属するSクラスは学年成績上位五十位以内に入らなくてはならない。準と名前の出た二人は同じクラスに在籍している。ロリコンでも成績は上位にある残念な人であった。
「まああのクラスじゃな…」
徹の言葉に岳人たちも頻りに頷き同情する。
そして、話題を変えて、食事を続けていると徹は良く知った気配を背後に感じる。
「徹! 昼メシ足りないから、少し分けてくれおーくれっ!」
「姉ちゃんか」
「そのお姉様だニャン」
徹の背後から腕を回し、抱き付き耳元で囁くように百代が言葉を発する。それだけで学食内の耳目を一身に集める。女子生徒はその光景に禁断の愛を見出し、黄色い声を上げる。また男子は徹に対し、嫉妬の籠った視線を向ける。兎角、周囲に居るFクラスの人間の怨嗟の籠った視線に徹は晒される。しかし、徹と百代は気にした様子はなく、淡々と答える。
「はあ、また早弁したのかよ。で、どれを食べたいの?」
徹はこうなった百代は梃子でも動かないことを理解し、彼女の要望を受け入れる。その気負わない仕草に女子の声が高まる。姉弟とは言え、美男美女のやり取りは絵になる。
「そうだな……、エビでいいぞ?」
徹はエビフライ定食を注文し、誰がどう見てもメインで出されている物を、彼女は指名した。川神学園学生Verと記されたメニューは安く、量が多く美味いのが特徴的だ。そして使用されているエビは非常に肉厚で旨味が詰まっている。
「くそ、今度何か奢れよ!?」
予想通りのドラ一指名に徹は悔しがりながら百代に食べさせる。その光景に男女の反応は反比例している。
「はぐ、はぐはぐ……美味い! いやーうまいエビフライだ! ありがとな、徹っ!」
「おいっ⁉」
手掴みで食べさせてもらった百代は軽く指まで捕食し、艶のある表情で徹の指を抜き出す。そして、彼女は周囲が驚く行動に出た。
「美少女のキスだ。お礼に受け取ってくれ! じゃあなー」
百代はその様な捨て台詞を残してこの場を去る。
「えっ、対価ってそれなの。割に合わねーじゃん……」
対して徹は頬にキスされた事が対価であることに憤りを感じている。何しろ今食べさせたエビフライの油がべったりとこびり付いていたからだ。だが、徹に同情する者はこの場には居なかった。
「なあガクト、怒りで人は殺せるのでしょうか……」
「あーやべぇ俺様、本当にやべぇ……」
ヨンパチと岳人はまさに怒髪、天を衝き目が血走っていた。
「随分と大人しいな、お前の言うロリコンとはその程度のものなのか?」
珍しくスグルが隣に座る準に声を掛ける。
「はっ!? ロリコンを舐めるんじゃありません! た、単にモモ先輩に言って、後で何されるのか分からないから言わなかっただけです!!」
準は昼の放送で百代とパーソナリティーを組んでいる。そして自身の不穏当な発言が首を絞めることを自覚していた。それでも時折自身のプライド(ロリコン)が前面に出てし痛い思いをする事がある。それが井上準である。
「たっだいまー、ユーミン!」
学食から僅か数秒で在籍するFクラスに戻った百代は隣に座る眼鏡を掛けた女子に声を掛けた。
「百代、お帰りで候」
彼女に言葉を掛けるのは、百代にユーミンの名で親しまれる矢場弓子だった。
「いやー美味かった!!」
百代は満足そうに椅子に腰かける。
「また弟君に集ったので候?」
弓子は満足気な表情で話す百代に、何をして来たのかを判断した。
「集るって、失礼だなユーミン。私は頂戴? って美少女らしく可愛くお願いしただけだぞ」
百代の中では本当にそう考えていた。しかし、徹を含め、誰が見ても『たかっている』としか見えなかった。
「まったく、彼が可哀想で候……(もし足りなかったら私が作ったお弁当食べて貰えないかな…)」
メンタルの弱さを自覚する弓子は口に出す言葉とは裏腹に非常に乙女である。
「まったく、君たちは面白いな」
自然な流れで二人の会話に参加するのは、2-Sに席を置く京極彦一であった。彼は制服ではなく和服と言う出で立ちで学園生活を送っている。
「君たちって私もで候!?」
弓子は心外だと言わんばかりに彼に問い掛ける。
「当たり前だ。まさか違うとでも? 私にはそうは思えないのだが…」
その言葉使いが彦一の興味を激しく刺激していることに気付いてはいない。
「それで何故此処に居るんだ、京極?」
度々教室を訪ねる彦一に対し、百代は少し不満気に問い掛けた。
「何、私の趣味である人間観察だよ。この学年は薄味でね。その点、此処は川神を中心に濃い連中が集まっている」
手に持つ扇子を開き、口許を隠す彦一は理由を説明した。
「そんな理由で私たちの所に来たと?」
「ふむ、気分を害したか。それは失礼した。お詫びにこの季節によく現れる霊の話でも」
すると百代は両耳を塞いで目を閉じる。
「あああー、その話はいいんだよ! ほら、もう直ぐ時間だろ。お前は教室に戻れよー」
百代の唯一の弱点とも言える幽霊関係全般は、彦一にとって切り札となる。
「ふむ。それもそうだな。では今度時間があればその話を聞かせよう」
彼はそう言うと颯爽と教室から姿を消した。
「ん、もう時間でおじゃるか。古き良き平安の世を教えていると、時が『あっ!』と言う間に過ぎてしまう、の」
綾小路麻呂は、授業の九割以上を平安時代について教える日本史担当の教師であり、他の時代を教えるよう願い出ると激しく抵抗する問題の有る教員である。
その彼は見事に教えたと自己満足で教室を後にした。
「お、終わったわー!」
川神一子は重圧から解放され机に突っ伏した。
「徹、今日はどうする?」
「悪い大和、バイトだ」
徹の後ろに座る直江大和は百代の舎弟であり、彼等仲良しグループの頭脳だ。
「あれ、でも今日は集会だよ」
「そうだぜ。まさか忘れたわけじゃないよな」
師岡卓也は心配そうに彼に尋ね、そこに岳人が被せる。
「ヘルプだよ。昨日連絡があってさ、一人欠員が出たからお願い出来ないかって。大丈夫だ、時間までに上がれるように話しはしてあるから」
その話に耳を大きくして聞いていた女子生徒が徹に話しける。
「ねえ、徹君。今の話しは本当?」
「バイトなら本当だぜ」
「マジで! なら今日は予定変更してお邪魔するわね!」
小笠原千花は嬉しそうに教室を飛び出していった。
川神学園の近くに存在し、イートイン可能な洋菓子店で徹はバイトをしている。その為、千花を始めとした女子を中心に放課後は賑わいを見せている。加えて、徹というイケメンをメンバーに加えた事で集客率は前年度と比べ倍増するという嬉しい悲鳴を上げている。
「と言う訳でまた後で、大和! 一子、何が食べたいかメールで送っておいて」
「わーい、分かったわ!!」
彼女は満面の笑みで彼に返事をするのであった。
「あれ、そう言えばキャップは?」
卓也は思い出したかのように教室を見渡した。声もしなかった為に気が付かなかったのだ。
「キャップならチャイムと同時に出て行ったよ」
「はは、相変わらずだな。ありがとう、京」
弓術を習得し、動体視力に優れる椎名京がキャップこと風間翔一の動きを見逃す筈がなかった。なお、彼等仲良しグループは風間翔一をリーダーにした通称風間ファミリーとして行動を共にしている。
「今回キャップはどんなバイトに勤しんでいるんだ?」
「たしかおむすび屋じゃなかったかな」
岳人は大和に尋ねると的確な答えが返ってくる。
「相変わらずバイノリテー逞しいな」
「それを言うならバイタリティーだね…」
突っ込みのモロとも揶揄される彼の妙技が炸裂する。
「それじゃあ私は先に帰るわ。今日も特訓よ!!」
一子は元気よ良く力瘤しを見せた。
「俺様もジムで筋肉に磨きを掛けてくるぜ!」
「僕も一度家に戻るよ。それじゃあ」
全員の行動を確認し合った大和達は学校を後にした。。
「それで京はどうするんだ?」
大和は特に予定も無く、秘密基地へ直行する事に決めている。
「私は大和の妻です。妻は夫に付き従うも」
若干赤らめた頬に手を置き恥ずかし気に京は答える。
「妻でも夫でもないから。お友達で」
「ちぇ……、私も特にする事ないから基地に行くよ」
このやり取りは日常見られるもので、クラスの者は平然と流している。
夜七時を過ぎ、予定通りに風間ファミリーは集まっていた。
場所は川沿いに立っている廃ビルで彼らは警備目的で出入りを許されている。その場所を彼らは基地と呼び、それぞれ趣味趣向の品々を持ち寄り快適な空間が創られている。
そんな彼らは中学以来の習慣で金曜日に外せない用事以外は集まる事が定められている。そのイベントをファミリー内では金曜集会と呼んでいる。
「それじゃあ俺の差し入れだ! 驚け、キャンセルされたおむすびだぜ‼‼」
翔一は高らかに言い放つと箱をテーブルに置いた。
そして箱を開けると、一同感嘆の声を上げる。
「一箱に二十個って全部で百二十個!?」
卓也はそれを見て大いに驚いた。
「おお、食べ応えがあるわね!」
一子は何故か燃えていた。
「次は俺だな。ちゃんと注文通りに持ってきたぜ」
徹はバイト先で購入したケーキをテーブルに置いて蓋を開ける。そこでさらにテンションが上がる。
「おおーこれは凄いな!!」
そこには十二種類のケーキが二つずつ入っている。
「なあ徹。これ買って来た物じゃないのか?」
この洋菓子店の単価はどれもが平均五百円を超える値段である。大和は恐縮しながら尋ねた。合計金額は少なくとも一万二千円前後と考えられ、大和たち学生からすると大金である。
「ああ、そうだぜ。一応従業員価格で購入してあるから気にするな」
「徹君、トオル君! もしかしてお給料が出たのかにゃ?」
べったりと密着する百代は獅子が獲物に狙いを付けたと思わせる雰囲気を醸していた。
百代は徹の背後から抱き締めるのが大好きで、彼女はさらに密着具合を強める。そうなると必然的に彼女の桃の果実が『グニュン』と擬音を発し潰れる。こうされて抗えない男はいないだろう。だが、弟である徹は強靭的な理性で持って抗いながら平静を装う。
「まあね。今月はヘルプで出た日が多かったから結構貰えたよ」
その言葉に百代の目が輝く。彼女は『俺の物は俺の物…』という名言を実践している一人だった。
「残念だけど前に貸した金が返済されていないから今回は貸せないよ。何度も言っているけど絶対だめだ!」
「えー」
給料日になるとこうして甘えが酷くなり借金の申し込みが行われる。但し、期日までに返済されるのが救いだった。
「そうだよ、姉さん。お金が欲しいならバイトすれば良いじゃないか」
「大和の言う通り。そろそろ集金日が近付いているから頑張ってね、モモ先輩」
京は百代に厳しい現実を突き付けた。百代の場合金使いが滅法荒く、有れば有るだけ使うという人物である。
「また倉庫で働くのか…」
過酷な倉庫業も壁を越えた百代であれば苦も無く働ける。寧ろ人力で何十人分もの働きを見せる彼女の評価は頗る高い。故に高時給が約束され、ド短期でも会社側が諸手を挙げて向かい入れるほどだ。
「作業服姿のモモ先輩って似合ってるよね」
卓也は隣に座る岳人に話し掛ける。
「確かに、モモ先輩は何かあの恰好がしっくりくるよな…」
百代は一度だけみんなに作業着姿を見せたことが在る。とても十代の女子高生とは思えない、けしからんボディーと雰囲気が妙に似合っているのだ。
しかし、百代自身はそのバイトに否定的だった。その訳は美少女らしくないからである。
「んなことよりさ、早く食べようぜ!」
「私も賛成! 早く食べましょうよ、大和」
「そうだな。それじゃあ」
『いただきます!』
かくして恒例の金曜集会の幕が上がる。
予想外の食事に顔を綻ばせ、気兼ねなく会話を楽しんでいたファミリーに対し、大和は頃合いを見計らい手を叩き注目させる。
「さて、そろそろいいかな。話を聞いてくれ! 俺たちは学生だ。学生の本分は何だ、ワン子!」
「ふぇ! わ、私!? え、えーっと……よく食べて、よく寝るかな……?」
大和は急に一子に尋ねたが、その期待に応えられる彼女ではなかった。
「それは赤ん坊だろ! じゃあガクト!」
「フフン。俺様に聞くなんて野暮じゃないのかな…」
何故かドヤ顔で答えようとする岳人に苛立った大和は卓也に切り替える。
「面倒だから次、モロ」
「ご愁傷様だね、ガクト。学生の本分は勉強だね」
卓也の答えに大和は満足そうに頷いた。それと同時に憂鬱そうな顔に変わる者が居た。
「そうだ。そろそろ学年末がやってくる。その為に俺たちは勉強をしなければならない。俺と京はワン子とキャップを、モロはガクトを頼む。姉さんは徹に任せた」
「ちょーっと待て、大和。どうして私が徹に、一学年下の者に教えられなければならない!?」
確かに、彼女の言い分は正しい。普通は逆の立場で指名されなければならない。しかし、百代は勉強嫌いである。
「大丈夫だよ、姉ちゃん。ユーミン先輩から試験範囲教えてもらったから。これぐらいなら教えられるよ。だから赤点を取らない様に頑張ろう!」
徹の言葉に力無く項垂れる百代は、何故弓子が協力しているのかを聞く余力は無かった。
思い立ったが吉日、幸い週末であり土日は勉強に充てられる。となれば自動的にお開きを迎える。卓也は岳人の家に向かい、一子は用意されていたお泊り道具を持って大和たちが生活する島津寮へと連行された。
徹と百代は皆を見送った。
「それじゃあ俺たちも帰ろうか姉ちゃん」
「ああ、そうだな…」
百代は引き攣った表情を浮かべている。
彼女は何度となく訪れるこのイベントを思い出したのだ。
中学以降、毎度同じ結末に為る光景を。
もう寝かせてくれと徹に懇願する程の勉強量を課されることを……
初めまして津谷と申します。ノリで書いてしまいまして申し訳ありません…
あらすじにも書きましたが不定期で書こうと考えております。
文字数は五千から六千程を目安にしていけたらなと考えております。
改めましてよろしくお願いいたします。
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002
あらすじにも記入いたしますが、報告が遅れました事お詫び申し上げます。
猛勉強宣言が為されてからというもの、百代と徹は川神院へと帰るなり徹の部屋に直行する。
「徹、お姉ちゃんも女の子なんだ。制服姿で弟の部屋に入るのは問題だと思うんだが……」
「気にしないでよ。準備は整っているから」
「う、うん……」
ニッコリとほほ笑む徹のそれは表裏一体ではない。それを知る百代は恐怖を感じながら入室する。
「姉ちゃんが着替えられるように準備は整っているから」
「そうだな……」
自分から見せる事に抵抗はないが、見られる事は嫌だという乙女な百代も何も言えず、諦めた。部屋着が置かれたその場所はカーテンが備え付けられており、プライバシーが確保されていたからだ。
「じゃあ俺は他の用意してくるから先に着替えててよ」
「あ、ああ……」
徹は扉を閉めて移動するのを百代は確認する。
「正直、我が弟ながら恐ろしい……」
その徹底振りは大和以上で、付け入る隙を一切挟まない。こうなっては是非も無しと諦めて大人しく百代は着替えを始める。
「徹、流石に下着までは許容できないと思うんだ……」
部屋着が有るという事はそう言う事だと納得できる。しかし、思春期を迎え血の繋がる姉弟とは言え下着までとなれば不満の一つも芽生えるというもの。それでも反発できないのは己の責任だと珍しく反省し、次はと考え続け高校二年の終わりまで来てしまった。
「お待たせ!」
良い香りと共に徹が入ってくる。
「おい、お姉ちゃんは未だ着替え中だぞ!」
「早く着替えて出てきなよ。軽く腹満たそう」
「ぐぅ……」
その誘惑に抗えない百代は徹の言葉に対し、素直に従った。
「なあ徹。学年末テストまでまだ時間もある事だし、この辺りで終わりにしても良いんじゃないか?」
「何を言ってんの。まだまだこれからじゃん」
時刻は夜九時を過ぎていた。授業が終わり、徹が態々百代の教室まで迎えに行き、強制連行されたのが午後三時の事だった。百代の主観で拘束時間は六時間を迎える。
授業以上に詰め込まれる内容に辟易する。五時間を費やされた彼女の精神的体力は限界を迎えようとしている。
「そ、そうか……」
大和ならば強制的に終わらせる事も出来る。だが、徹が相手では逆に拘束される事は目に見えている。つまり、百代にとって詰みの状態だった。
「これに懲りたら三年時は普段から勉強頑張よ」
「うん、わかった……」
勉強に集中できる環境が完璧に整えられ、不足は無いが精神的に追い詰められる。年々厳しさを増していると感じる環境に今度こそ、という思いが百代に芽生えるか?
「このままではモモの進級が危うくてのぅ…」
金曜集会以前の話だ。
年が明け、一月も終わろうとした頃。祖父、鉄心から普段見せない憂いた表情で語られた。
「えっ、姉ちゃんそんなに危ないの?」
学長室に呼び出し、と言う言わば川神学園の公式なものと捉えても間違いではない。
「うむ……」
普段は飄々とした雰囲気を纏う鉄心だからこそ、この状況は拙いのだと徹は自覚する。
学園を運営し、そのトップに就く彼だからこそ、その孫が留年するという事態は是が非でも避けたかった。だが、鉄心も百代の性格は熟知している。そこで、成績と百代をどうにか出来る徹に白羽の矢が立つのが当然の事だった。
「モモを何とか進級できるまでにしてもらえんかのぅ…」
「わかった」
「すまん。頼りにするぞ、徹……」
当然の事だがタダで動くほど安くはない。徹はある条件を出して鉄心は承諾する。
「さてどうするか……」
学長室を出た徹は考える。
テスト範囲は教えて貰ったが、徹は未だ高校一年で教えられない範囲も含まれていた。
そこで二年生の伝を考えたが徹はそれを持たない。
ならば、軍師大和の出番と言うこととなる。
「姉さんが……」
徹は大和にその出来事を包み隠さず話す。
「ああ、俺たちの姉が同学年になるかもしれない」
その一言で大和は危機レベルを最大限に引き上げる。大半の同学年は歓喜するかもしれないが、二人にとっては悪夢である。
「真剣な表情の大和ステキ……」
隣で話を聞く椎名京の言葉にも大和は無反応だった。それは徹も同じで、迫り来るる災厄の日を回避するべく二人は真顔で考える。この光景に悶える京と言うカオスが誕生する。
「家では俺が責任を以て教える」
「問題は家以外と言うことだな?」
徹は大和の言葉に頷く。
百代と言う女を嫌いな勉強をやらせる。それは彼女と同等の武力を持たねば成し得ない。ジョーカーにはジョーカーで対抗するため、徹の行動は前提条件だ。だが、学年が違うという事だけは抗えない。
「姉さんの友人か……」
学校でもある程度勉強してもらわなければ乗り越えられない。意見の一致を見せた二人が考えたのは百代に意見出来る友人の存在だった。
「うちの部長がモモ先輩と仲いいよ」
考えても浮かばない中で、京から素晴らしい援護が飛び出す。
「誰なんだ?」
「んとね、矢場弓子先輩。モモ先輩と同じクラス、だよ」
徹の言葉に京は端的な返答を行う。
「報酬は大和に何でも出来る券で構わないか?」
「徹⁉」
まさかの裏切りに大和は絶叫する。自分は生贄だったと知る大和は自らの人生エンドを回避する為、抗議する。
「是非、それでお願い! 大和、好き……」
「お友達で‼‼ おい、徹!」
頬を染める京に大和は即理を入れながら徹に抗議する。
「よく考えろ大和。俺たちに希望を与えた京は今回の功労者だ。労う為には京が望むものを与えるのが一番だ。わかるな?」
「そうだね。よく言ったよ、徹!」
その言葉に京は「10Good」が書かれた札を掲げる。
「分かるな、じゃない!」
焦りの色を見せる大和の抗議も虚しく、後日報酬が支払われた事を彼は知る。百代の弟である徹も又チートであり、やるときは徹底する鬼畜振りは大和もたじろぐ。
翌日、京に件の先輩を紹介して貰い、実際に顔を合わせる日に二人は驚く。
「あれっ?」
「あなたは」
この日二人が初めて名前と顔を一致させ、互いの間柄を知った日であった。
「貴女はよくお店に来ていただける方ですよね?」
そう話しを切り出したのは徹だった。
徹がバイトするお店に弓子は頻繁に通っている常連客だった。
「え、ええ、そうね……⁉ そうで、候」
弓子は突然の出会いに驚きを隠せない。言葉使いも素に戻り、何とか口調を改める。
「候……?」
「き、気にしないで!」
語気を強めた彼女に徹はその件から撤退する。
「えっと、話しが長くなるかもしれないので何処かで話せませんか?」
「そうね。それでお願いするわ…… するで候」
弓子は仮面が簡単に剥がれ落ちるのを自覚しつつも、何度となく被り直す。
二人は会話の内容が内容だけに落ち着いて話せる場所へと移動する。
京が提案した翌日の朝、幽霊部員の彼女が奇跡的に朝練に姿を現していた。自主参加とは言え、出席率は高くそんな中で京の存在は確実に浮いている。
そんな彼女が弓子に近付けば注目されるのは必然だ。
「部長」
「椎名か、どうしたで候」
内心で京の出席に心躍らせる弓子だが、部長としての威厳を守る為に鉄仮面を維持する。しかし、京の口から飛び出す内容に剥がされてしまう。
「今日、会って欲しい人がいるんです」
コミュ障に近い京の言葉足らずが悪い方に表れ、弓子は素に戻される。
「えっ、えっ!?ちょっと待って、椎名さん。一体どう言う事?」
敢えて突っ込まないのが京の良い所だ。卓也であれば即突っ込んでいただろう。
「モモ先輩と仲いいですよね?」
「ええ、まあそうね。百代とは一年からの付き合いだし……」
口調が戻っている事を指摘せず京は話しを続ける。
「それを見込んで相談に乗って貰いたいんです」
「分かったで、候」
京は彼女に説明し放課後、徹と引き合わせる算段を付けた。
彼女の中では完璧に依頼を達成し、報酬を貰うだけだと考えた。
しかし、内心は夢見る乙女な矢場弓子は違う。その事に京は気付けて居ない。
話は戻り、徹と弓子は連れ立ってファミレスに入った。道中、通り過ぎる人から見られている事に弓子は内心で緊張と優越感に浸る。何せ一緒に歩く相手があの川神徹なのだから。
同年代の同性は徹を見てイケメンだの、弓子には羨ましいだのと感想を漏らす。また主婦なども初々しく映ったのか微笑ましく見られるなど、彼女にとって降って湧いた幸運に内心で歓喜している。それを曝け出さない弓子は、精神的に激しい戦いを行っている。
「それにしても驚きですよ。あなたがあのユーミン先輩だったんですね」
席に着くと開口一番、徹が口を開く。百代から度々聞かされる名前だが、名前も顔も知らなかったからだ。
「それは私もよ…… で候」
バイト時のトオルがまさか友人の弟であの川神徹であるとは思わなかった。似ているとは思っても点と点のままに線とはなっていなかった。それは徹がバイト時に雰囲気を変えているからだったと知るのは後の事。
「それに、お店の時とはだいぶ雰囲気が違いますね」
「そ、それはっ⁉」
痛い所を徹に突かれた弓子は言葉に詰まる。
「恐らく、あれが普段のユーミン先輩なんですよね?」
「う……、うん」
普通に話す徹に対し、弓子は恥ずかしさで居た堪れない。
「きっと気を張る為にしてるんですよね?」
「そう、よ……」
思わず、鉄仮面の言葉が出そうになるが、素の言葉使いで弓子は答える。
「うん。そっちの方が俺は良いと思います」
「そ、そうかしら?」
「はい」
そう答える徹の笑顔に百代と重なるものを感じ、弓子も笑みを浮かべた。
「ありがとう……」
無意識に、心の底から湧き上がる感情と共に吐き出した言葉だった。
そこからの弓子は自然な言葉使いで徹と話す。徹の雰囲気が百代と似ている事も重なり、弓子は落ち着いた雰囲気で徹と話せるようになっていた。
「本題なんですけど……」
注文した品が到着し、落ち着いたところで徹が主題を話す。
「試験範囲?」
「はい。実は、姉が進級の危機なんです。家では俺が見張って勉強させられるんですけど、学園に居る間は……」
「その間、私が百代を見ている。そんなところかしら?」
「はい。お願いできませんか?」
弓子も友人である百代がそこまで酷いとは思っていなかった。川神学園は試験一発で成績が決まり、小テストで点数を稼ぐ事も無い。故に自由でありながら結果を出せない者には厳しい未来が待っている。
好機到来。
弓子にとって徹と言う存在に近付ける。
実際、弓子はミーハーでイケメンクワトロの人選は把握済みである。そんな中、学園近くに徹に似た店員が働いていると知り、春先から常連になったのも頷ける。
弓子は徹の顔を見る。
それだけで顔が赤くなるのを抑える事に必死なのだが。
「分かったわ。私も百代が後輩になるなんて嫌だもの。協力させてもらうわね」
「ありがとうございます!」
徹は心の底から彼女に感謝する。それが行動に出る。
「へぁ⁉」
「あっ、ごめんなさい……」
無意識に徹は弓子の手を握っていた。
「えっ、いいのよ。気にしないで……」
顔を赤くして答える弓子、更なる野望が芽生えた瞬間だった。
百代も男装すれば見た目と雰囲気からカッコ良く見える。だが突き詰めれば同性である。それを最高だと評価する者もいるが、弓子はノンケだ。
つまり、目の前に座る徹が、百代の男バージョンが本当の男と言う時点で弓子のテンションはマックスに達する。
この様な降って湧いた幸運を逃してはならない。弓子の脳内で素早く計算され、解が導き出される。
「ごめんなさい。うれしくて……」
ちょっと顔を赤くして恥ずかしがる点も弓子には堪らなかった。
「本当に気にしなくていいのよ。それで、連絡とかどうする?」
「あっ、そうですね」
と、自然な流れで連絡先を交換した弓子の内心で、人生で最高の歓喜な瞬間が訪れたと感じている。
付き合いたいという気持ちは無いが、イケメンの男友達をゲットする。ただそれだけで言い知れぬ優越感に弓子は勝ち誇りたい。だが、友人の弟と言う側面も忘れない辺り、弓子はハイスペックである。
内心に巡る感情を一切面に出さず、自然な流れで会話を続ける。
「所で、二年の勉強を教えるにしても徹君の成績は大丈夫なのかしら?」
「学年四位です」
弓子の戦略は瞬く間に崩壊する。
あわよくば弓子が徹に勉強を教えるというシチュを思い描いたのだ。
「す、凄いのね……」
「ありがとうございます」
それでも協力関係と言う地位は揺るがない。
弓子は以後頻繁に連絡を取り合う事となる。日々の状況や授業内容とノートのコピーの受け渡しなど、徹と顔を合わせる回数も激増する。
一月の終わりから百代を間に挟んだ協力関係が始まった二人。会う場所は学生らしくファミレスだった。そして、二人が楽し気に話している光景が目撃されるのも自然な成り行きだった。
「ねえねえ、弓子この前一緒に居た子は誰、彼氏?」
「かれっ⁉ 彼氏ではないで候」
当然誰の事を言われたのか察するまでに時間は掛からない。そうなる相手など弓子にっとって徹だけなのだ。
「えっ、そうなの。すごく良い雰囲気で話していたから彼氏だと思ったわ」
偶然、たまたま尋ねた彼女は同じ店に居た。最初は矢場弓子だと気付かず、相手が超イケメンと言う認識でしかなかった。
だが、相手が弓子と知る出来事が起こる。
ドリンクサーバーで偶々隣り合った時に、気付いたのだ。
私服で、コンタクトの装いだった弓子は彼女からして大学生と勘違いする程雰囲気が出ていたからだ。しかし、近付けば彼女も分かる。そして、尋ねた事で正解を引き当てる。
この会話はFクラスでされ、当然男子も存在する。この話は瞬く間に掲示板で拡散される。学園でも美人と評判の高い弓子は実際にモテる。何故彼氏が出来ないのか、それは高嶺の花で、男子が尻込みしたに他ならない。
「そ、そんなんじゃないで、候……」
俯き、顔を赤らめ困り顔で答えた彼女の雰囲気に、掲示板の閲覧回数と投稿数が激増する。
「ああ、ユーミンの相手は私の弟だ。当然彼氏ではない」
百代から援護射撃が飛んできた。
「そ、そうだったんだ。ゴメンね、勘違いしちゃって……」
その女子は百代の言葉に納得した、かどうかは別にして弓子の前から姿を消した。百代を苦手とする為に逃げたのだ。
「助かったで候、百代」
焦りそうな気持ちを宥めるべくメガネの位置を戻して気を落ち着かせる。百代に礼を述べるが心臓はバクバクであった。
「なに、徹から話しは聞いているからな。弟に彼女は居ない。そうだよな?」
「と、当然で、候……」
彼女の疑惑は何とか晴れた、のだろうか……
一方、徹もまた非彼女裁判にかけられていた。
弓子同様に目立つ徹が美女と一緒に居ればその情報は岳人を始めとした非モテ集団の耳に届く。
「さあ言え徹。お前と一緒に居たお姉さまは誰だ!」
岳人は徹の胸ぐらを掴み、血涙しながら問い詰める。
「分かるぜ、ガクト。お前のその悔しい気持ち。今お前は怒りに任せて行動しても許される」
ヨンパチは岳人に同調し徹を非難する側に着く。
「誰って言ってもユーミン先輩だけど…」
「既にあだ名で呼んでいる⁉」
結果的に油を注いでしまう。だが、徹としては聞かれたから答えたに過ぎない。この光景をクラスの女子は冷ややかな目で見ていた。
「泣いていい、ガクトお前は泣いていいんだ」
「いや普通に説明しなよ、徹」
京が珍しくファミリー以外が見つめる場面で口を開く。
「ああ、そうか」
その言葉で徹は岳人に訳を話した。
「な、なーんだ。そうだったのか。はっはっはっ、最初からそう言ってくれればいいのだよ、徹君」
「ごめんなー徹。ガクトの早とちりで今度から気を付けるようにするからさ!」
二人は何とか取り繕うとする。
「直江裁判長、判決をお願いします」
風間翔一が面白がって大和に判断を促す。
「有罪!」
その瞬間、法廷でもないにも拘らず、その場面が想像できる様な雰囲気になった。そんなのは一瞬であるが…
「ま、待ってくれ徹。あれはほら、あれだ……、ヨンパチ!」
「うえー俺!え、えーっとで、出来心?」
二人のコントは彼の一言で終了を迎えたのであった。
「あ、詰んだね」
京の非常な言葉で刑は執行される。徹による、腕にしっぺと言う刑が執行された。壁を越えた者から繰り出されるしっぺは想像以上の破壊力である。
『ぎょあぁぁぁああああ!』
教室のみならず汚れた絶叫は廊下にまで響き渡った。
時は休み時間、この騒ぎは選民思想が渦巻くSクラスを刺激する。
「あー全く五月蠅い猿どもじゃ! こう毎日のように騒がれてはおちおち勉強も出来んわ!」
着物を着た少女が、金切り声をあげて隣から聞こえる騒音に怒りを露わしている。彼女は不死川心、綾小路と並んで三大名家の一つに上げられる家柄である。
「心の方がうるさいよー」
「ええい、黙れユキ! 妾はあの煩いクラスをじゃな」
榊原小雪に突っ込まれた心は余計に声を上げる。それが余計にクラスに不穏な空気を募らせるのだが、誰一人逆らえる者は居ない。
「まあまあ、落ちついてください」
「トーマ」
「葵君!」
入学以来学年一位を守り続ける葵冬馬は甘いフェイスで心を窘める。その後に井上準も続く。
「落ち着きな。そんな君に飴なんてどうかな?」
準は心を落ち着かせる為、子供の為に常日頃から携帯する飴を差し出す。準にとって、心は見た目から守備範囲に収まっている。
「ええい。止めい、このハゲ! 今は葵君に用があるのじゃ!」
準を押し退けて心は冬馬に理由を話した。
「なるほど、Fクラスの騒音ですか…」
心はああだ、こうだと話すが要約すると冬馬の一言に尽きる。
「そうなのじゃ。本当に喧しくておちおち勉強も出来んわ!」
「ほら不死川さん落ちついてください」
思い出したように感情を荒げる心に周囲は辟易しながら、我関せずを貫く。関わり合いにならず、それでいて成績上位五十位以内を狙う彼らに仲間意識は存在しない。
「しかし、困りましたね。今日に限って英雄がいません。と言う訳で私がお願いしてきましょう。それで構いませんか?」
冬馬が心に尋ね、彼女は了承する。クラスの雰囲気も「じゃあそれで」というものに変化したので冬馬は行動を起こす
「それでは準、ユキ行きますよ」
「おう」
「わかったのだー」
彼の合図で隣のクラスへと向かう。
「ま、待つのじゃ~ 此方を置いて行く出ないわ~」
そして、取り残された心はと言うと誰にも相手にして貰えそうになく、急いで三人の後を追うのであった。
「失礼します」
冬馬が断りを入れて入室る。ただそれだけでクラスの女子から黄色い声が上がり、男子は面白くない。
「申し訳ありません。時間がありませんので、こちらの責任者は?」
「ああ俺だ」
学級委員ではない岳人が名乗りを上げる。
「貴方が? 失礼ですが休み時間とはいえ、もう少しお静かにして頂けませんか?」
口調は穏やかであるが彼の放つ何かは、それ以上にもの語る。
「うるせぇな。そんなのは勝手だろ。俺たちが何しようと、とやかく言われる筋合いはないぜ!」
「そうだぜ。言ってやれガクト!」
「まったく何を言い出すかと思えば…」
男子生徒からは非難轟々出ある。逆に同調したいが、相手が冬馬である事から口を塞ぐ。しかし、この環境に耐えられない者が居る。
「ええい、黙れこの山猿共! 良いから黙って葵君の指示に従うのじゃ!」
心はいい加減にブチ切れている。
彼女の中には彼等を下賤な輩と見做して差別しているのだ。そんな彼らが選ばれた者が集まるSクラスに刃向かうことすら許されないのである。
「まあまあ落ちついてください、不死川さん。今日は英雄がお休みでしたので私が参りました。出来れば争う事が無い様にしたいものですね。それでは失礼いたします。行きますよ」
そう言って彼等は言うだけ言って教室を後にした。
その後の教室は何とも気の重たい雰囲気であった。
お読みいただき有難う御座いました!
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003
「これも姉ちゃんの進級の為だ!」
徹の力の入れようは尋常ではなかった。
その訳は彼等の祖父川神鉄心より打ち明けられた留年危機である。
百代の危機はファミリーの危機である。
徹は彼女の友人の矢場弓子を介して授業内容を教えて貰った。
そして、百代に教えられるだけの勉強を行ってテスト勉強に臨んでいる。
一学年先の勉強を学び、教える。徹にとってもメリットは大きい。
「しかしだな…」
ところが留年危機と言われても中々エンジンの掛からないのが当人であった。
徹が課す事は取り敢えずやる百代だが、彼からすると物足りなさと危機感の無さを感じてしまう。
「しかしも無い! 終わらなければ睡眠時間が削られるからな‼」
こうなった徹は、やり終えるまで決して許しはしないのを知っている。
彼女は泣く泣くやり始めるのである。
「なんだ、確りと理解はしているんじゃないか!?」
しかし、蓋を開けてみれば意外にも理解していた百代に徹は驚いた。
内容を確認する為に出した問題は見事正解を導き出していた。
「当然だ。単に嫌いなだけで理解出来ていないのとは違うんだ!」
現在の科目は化学である。
さらに範囲内の問題を出すと、多少時間を要したが解答欄に答えを書き込んでいく。
「まあ出だしは上々ってところだな」
「それじゃあ今日は終わりだな!」
百代は徹の言葉が終了を意味すると受け取った。
すぐに彼女は脱出に乗り出し、音速を超える速さで移動を試みる。
「ちょっと待て!」
「ぐぇ……」
しかし、彼は百代の弟であり、成長期を迎え徹の実力は彼女に肩を並べようとしている。
容易に徹の手に捉まり、捕獲されてしまった。
「おい、なんでだよー。もう終わりだろ、もう止めようぜ。な、今日はお姉ちゃん疲れちゃった…」
テヘ、まで付けなかったのは徹への配慮である。
今の彼には冗談は通じないからだ。
それをすれば確実に解放されることはない事を百代は理解している。
「疲れるのは俺もだよ。姉ちゃん」
徹はそう言うと百代へと問題集を渡す。
A4紙五枚分の厚みがある。
「俺は風呂入ってくるからそれまで此処でやっておいてくれ。出来る範囲で良いから、それが終わらないと今日は眠れないからな」
徹はそう言うと直ぐに風呂場へと移動するのであった。
この問題集は大和と共に作り上げた苦心作である。
大和も決して百代の留年は受け入れられるものではなく、彼のネットワーク等も駆使して各教師が出すかもしれない問題を想定して作り上げられていた。
「ちょ、おまえそれはないだろうが!」
百代の声も空しく響くのであった。
「寝るな!」
大和は舟を漕ぎだしている一子の頭をハリセンで振り抜いた。
「フギャッ!」
「まったく…… せっかく大和が勉強を教えているんだから寝ないの」
「うう、だって…… あんなに食べた後ですもの。もう眠いわよ……」
一子は涙目になりながら頭をさすりながら京に答える。
「それはみんな一緒でしょ。ほら次をやりなさい」
厳しさの中に優しさ在り、彼女は風間ファミリーに対しては積極的にサポートに回る。
「なあ大和?」
「なんだ、キャップ?」
「もう諦めてもいいか?」
「ほう……」
その後大和は厳しく、容赦なく翔一と一子を責め立てたのであった。
明けて翌日、徹は早朝の鍛錬を終えるとバイト先へと出掛ける。
「いいか姉ちゃん、ちゃんとやっておいてくれよ」
「ああ任せろ、徹。確りとやっておくから…」
本来ならば大和達を呼びたい。
だが、以上は負担を掛けられないと百代を信頼して川神院を後にした。
百代は彼が出て行くのを確認すると仕方なしに勉強を始める。
その姿を川神鉄心とルーが見ていた。
「ル、ルーよ。見よ、モモがあのモモが勉強をしておる!!」
「そうですネ。徹に頼んで本当ニ、良かったですネ」
彼女の学力レベルは本当にやばいレベルにあった。
鉄心は学年主任からの相談を受けて目の前が真っ暗になった程である。
やれば出来る子、という言葉がある。
それは普段やらない子がやれば出来るのに、という意味で用いられる。
しかし、百代の場合はやれば本当に何でも出来るという言葉に内容が変化する。
その彼女が勉強をしているという事は奇跡が起こるかもしれない、と孫を見る目は変わっている。
「おはようございます」
バイト先へと到着した徹は専用口から店内へと入る。
既に調理担当の人間が準備を終わらせ、今も追加でどんどん作り上げている最中である。
徹は主に接客を担当している。
このお店は販売とイートインが併設されている。
女性客の多い事から、彼の様な人間は重宝するのだ。
「おはよう徹君。昨日は悪かったね」
「おはようございます、店長」
スタッフ専用(男)と書かれた部屋へと入り、制服に着替えている最中に声を掛けられた。
「確かもうすぐテストだよね。大丈夫かい?」
そう言って彼を心配するこの男は川神学園のOBだった。
彼が心配するのも無理はない。
出店するに当たり鉄心が協力してくれなければ、人気店としての今が無い。
その大恩有る人物の孫が成績を落とすようでは申し訳が立たない。
川神学園入学後、そろそろ学校生活に慣れたという時点でバイトを探し出していた。
学業との両立、それが鉄心との約束である。
その為、待遇面などを考慮すると働いてみたいと思うバイト先が意外と少なかったのだ。
そんな帰り道、お店の評判を耳にしていた一子が入ろうと提案した。
此処が鉄心とどの様な関係が在るのか等知る由もない二人は、自然とお店の中へと入り料理の美味しさに高評価を与えていた。
そして、一子と店を後にしようとした時、ふと掲示物に目をやるとバイト募集を目にした。
時給面はそれなりに高く、待遇面も悪くない、何より時間に融通出来ると書いてあった。
加えて、このお店の立地が彼の心を大きく引き寄せる。
学園に近く、さらには徹の通学路になっている。
徹はこのチャンスに直ぐ店長にお願いする事にした。
一度決心した徹の行動力は素早い。
レジを担当している店員にバイトの張り紙について相談した。
そして、出来ればすぐにでもと付け加える。
すると、店員も理解が早いのか、すぐに店長へと連絡が行き面談となった。
「川神学園の生徒だね。お名前は?」
店長の川秦照雄は自らも袖を通した制服を見て、幾分懐かしさを感じていた。
「川神徹です」
「川神……」
だがどうだろうか、目の前の少年は川神を名乗ったのだ。
川神市という名前が付くほどに有名だ。
名字で川神を名乗れるのはあの川神院を運営する川神だけである。
さらに彼に非常に恩のある師を思い出す名であることから当然その事を尋ねる。
「失礼だけれど、川神院との関係があるのかな?」
「はい、私は川神鉄心の孫でして…」
照雄にとっては青天の霹靂である。
当然来店する事は在るかもしれない。
事実、徹たちが客として訪れているし、あの鉄心も訪れている。
だが、従業員として雇って欲しいと来るとは思いもよらなかった。
「そうか…… 君はお孫さんだったのか……」
そう言って照雄は面接そっちのけで昔の事を話し始める。
店長が前線に立たずともお店は回る。
教育の行き届いた従業員のレベルを押して測るべしだ。
そして最後に彼はこの事を尋ねる。
「川神君は先生に教えられてこのお店に来たのかな?」
「違います。妹がこのお店に入ろうと言いまして、それで」
この言葉で照雄は彼を雇うことに決めた。
「わかった。それじゃあ採用しよう」
「有難う御座います!」
徹はそう言って頭を下げる。
「但し、お金を稼ぐという事は簡単ではない。だから覚悟はして貰うよ。それと甘えは許さないからね。それと……、まだ一年生だよね。川神学園は文武両道だ。成績が悪ければ辞めて貰うからね」
雇用条件としては簡単なようで難しい。
しかし、徹はその条件を難なくクリアし、お店にとっては欠かせない人物となる。
「成績が悪ければ辞める、ですよね。大丈夫ですよ、中間テストは学年四位でした」
照雄はその言葉に毎度驚かされる。
彼の時からすでに順位争い、特に五十位以上は激しかった。
現在と同じくSクラスは存在し、天国と地獄を味わう生徒を照雄は見てきた。
故にその四位の重みが十分に理解できる。
「本当にすごいな、徹君は……」
照雄は苦笑いをするしかなかった。
照雄の発案により、店頭販売だけ朝の七時から行われている。
学園に近い事を配慮して十二時前にイートインを開放する。
これは学生の通学を妨げる恐れと経験則から判断したための処置であった。
平日でも多くの客が訪れる。
平日ともなれば一時間待ってでも買いたい、食べたいという客が居る程人気がある。
OBとの繋がりから雑誌に掲載されて以来、実力を伴った判断を下され更に来客数がアップしている。
そんな中、無尽蔵の体力を誇る徹は馬車馬の如く動き回り、お店に多大な貢献を果たしている。
「こんにちはトオルくん」
徹が注文を取りに行った先に居たのは冬馬、小雪と準の三人であった。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
少しでも回転率を上げたいが為に必要の無い会話は禁止されている。
それを分かっている冬馬も徹が黙礼した事で満足している。
「そうですね…… 私はオススメ(徹)のセットでお願いします」
「僕もそれにするー」
「それじゃあ俺はこのドデカモンブランな」
徹は注文を繰り返し足早にこの場を去る。
何とも忙しそうだと三人は思った。
「しかし、この店も繁盛していますね」
「そうだな、若。しかしなんなんだ、この女性率の高さは」
準には受け入れられない光景である。
彼の心の中で『これが幼子であれば』と口に出して叫びたいのを我慢……
「しきれてないからね、ハゲ…」
小雪は可哀想な物を見る目を準に向ける。
「準、この場でその様な発言はダメですよ」
「ハッ、しまった⁉ 俺の純粋な心が思わずこの光景に押し潰されそうになり、発してしまった」
準は全く悪びれる事も無く、幼子に関しての知識を冬馬と小雪に注文の品が届くまで語る。
「お客様、申し訳ありません。周囲のお客様のご迷惑となりますので、その様なお話はご遠慮ください」
徹が運んできた料理を配膳しながら接客スマイルと共に準へと警告を発する。
事実、周囲の客は準の発言に対してドン引きしている。
それを彼はこのテーブルに近付くまで見ていたのだ。
周囲の目はお構いなしに、幼い子共に対しての気持ちをぶちまけていたのである。
最早警察に連絡するレベルである。
「ご注文の品お待たせ致しました。此方がオススメのセットで御座います」
「美味しそうですね」
冬馬はこう言ってはにかむだけで周囲の女性からため息が漏れる。
「おー、うまそうなのだー!」
小雪の場合は可愛らしいが不思議系電波少女である為そこまでの注目を浴びない。
「此方がドデカモンブランで御座います。……お客様、次に不穏当な発言を為さられた場合容赦なく……しますご承知おきください」
徹はお客様と言う言葉以降を準にしか聞こえない様に話す。
「ちょっと待って、容赦なく何! 俺何されちゃうの!?」
「良いから、お黙りになっていただければよろしいのですよ」
表情と言葉遣いは接客に努めている。
「へっ、今のお前は英雄に付き従っている年増にそっくりだぜ!」
『ピッ!』
準が言い始めると同時に機械音が聞こえてきた。
そして、徹は一台の携帯電話をテーブルに置いた。
『おいハゲ、いい度胸だな……』
そこからは地獄の底から響き渡る様な恐怖感を伴った声が聞こえる。
『テメェ週明け覚えていろよ。必ず……すからな!』
言い終わると通話を終了する。
「な、なあ徹君…… どうして忍足あずみさんの連絡先を知っているのかな?」
表情こそ崩してはいないが、震える声で準が尋ねた。
「そこは私も不思議です。嫉妬、しちゃいますね…」
冬馬は男女ともにイケる稀有な人間である。
それゆえ徹もある意味でターゲットに入っている。
大和と共に一位二位を争う熾烈な攻防が冬馬の中で繰り広げられている等知る由もない。
「申し訳ありませんが勤務中ですので失礼致します」
徹はそう言うと伝票を置いてその場から去っていた。
この日は彼が知る人物が多く訪れていた。
彼ら以外にも部活の帰りに寄った弓子たち弓道部の人間やクラスメイト、さらに夕方になると担任の小島梅子まで訪れる始末である。
流石にこの日は彼でも疲れを感じる日となった。
「徹君。そろそろ時間だから、上がっちゃって」
照雄の言葉に素直に従い、裏へと引っ込む。休むことなく着替えを済ませてお店を後にする。彼にはそうしなければならないからである。
大和からのメールが二件、一子からのメールが一件入っていた。
そしてどうせどうでもいい内容の岳人からのメールが一件。
ならば優先順位は簡単に決まる。
彼は川神院でも百代に比する実力の持ち主である。
メールを読みながら歩くことなどお手の物である。
「さてと、先ずはどうでもいい内容であろうガクトからの……」
徹はそう言いながら直ぐに削除した。
「くそ、ホントにどうでもよかった…… じゃあ、一子はっと……」
岳人は何故か今日もジムへと行き、身体を鍛えていた。
そこで女が出来たという妄想メールであった。
長々と過程が書き綴られ、読む気にならなくなった徹は結論を探し求め下へとスクロールして漸く見つけるのだった。
一子はどうか。
「助けてください? なんだ、これは?」
徹はとりあえず『頑張れ!勇往邁進だー』と入力して返信した。
流石に助けてと言うだけではどうしようもない。
が、恐らく普段行わない勉強のし過ぎでパンク寸前なのだろうと思い、適当にあしらう。
「それで、大和のメールはっと……」
一件目を開けば一子の事が書かれていた。
涙目になりながらも確りとやっている。
つまり昔と変わらない内容であった。
そして二件目を開いた瞬間駆けだした。
そこには『至急基地に来られたし。姉さんが、』という文面で止まって送信されている。
着信が無い事から大和が最後の力を振り絞り送った事が分かる。
彼の力を持ってすれば基地への移動など大した事ではない。
それこそあっ、と言う間に到着したのである。
「基本的に川神姉弟は常識が通用しない」これは大和の言葉である。
彼らにはその異常な身体能力故に、入り口から入るのは当たり前と言う常識が通用しない。
「大和!」
徹は五階部分にある、何時も集まる場所へ華麗に着地を決める。
「いよーとおりゅ…… ヒクッ……ぉしょかったにゃー」
百代の腕には川神水大吟醸と書かれた一升瓶が抱えられている。
床には既に五本のそれが空となり、転がっている。
「マジか……」
それを見た徹は事態の深刻さに気付く。
さらに百代が座っているそれに気付いた。
「や、大和……」
「み、見ないでくれ……」
土下座スタイルであるだけならどれだけ救われただろうか。
今の直江大和は全裸で、土下座スタイルであった。
お読みいただき有難う御座いました!
これ以降も物語を進める上で設定を変える場面が出て参りますのでご了承ください。
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004
「み、見ないでくれ……」
大和は必至の想いで徹にメールを送った。
しかし、武神と名高い百代の前には虫けらも当然である。
川神水に酔った百代に服を剥ぎ取られ、全裸で跪かされている。
「大和……」
その上に百代が顔を上気させた京を抱き抱えて座っている。
「徹……」
京の声は妙に艶のあるものだった。
「ンクッ、ンクッ……」
百代は川神水の入った一升瓶を片手に持ち、ラッパ飲みを続けている。
「姉ちゃん……」
「おおーとおりゅだー。やっほきたりゃ…」
呂律の回らない百代は、そう言って目を虚ろにさせながら徹に話し掛けた。
「姉ちゃん、何やってんだ!」
徹は百代に近付こうとして床の詳しい状況を知った。
空の一升瓶が何本も転がり、風間翔一を除くファミリーは酔い潰れ床に倒れていた。
この時点で徹の怒りは頂点に達している。
「んーみゃこは……抱き心地最高だにゃー」
「モ、モモ先輩……」
左腕に抱き抱えている京の顔を自らの顔に擦り合わせその感触を楽しむ。
京も口では嫌だと言いながら、顔を赤くしている。
百代は可愛い女の子に対しセクハラ上等を地て行く女である。
そこに酒が絡めば恐ろしい展開になる事は必須だった。
「あー、じいちゃん、俺。姉ちゃん連れて帰るわ。それと……」
通話を終えた徹は大きく息を吐き出した。
そして、百代の前に辿り着く。
「いい加減に……、しろ!!」
徹は容赦なく百代に手刀を脳天に叩きこむ。
形容しがたい衝突音が聞こえるが彼は気にする事はない。
この程度の攻撃で武神川神百代が再起不能になる事は無いのだから。
「ぶにゅ!!」
百代は京を抱きしめていたせいで、京にも軽微な被害を負わせてしまった。
徹は尊い犠牲と意識が無い事を良い事に処理をして、他の者の介抱を川神院の人間が来るまで出来る限りを行った。
以後、この事件を『酒乱の百代』とファミリーで呼ぶことになり、教訓として『飲ますな危険』と言う言葉まで生まれた。
事の起こりは修行僧の提案であった。
この日は二月も末であるにも拘らず、身体を動かせば暑さを感じる陽気であった。
昨今、温暖化を連呼する風潮にある。
彼等はそれを御題目にとあるイベントを開催する事を提案した。
季節外れのカキ氷試食会である。
修行僧と雖も娯楽は必須である。
飴と鞭は必要不可欠と考える鉄心、ルーも参加するとなればほぼ全員がこれに参加するのは必須である。
勿論、勉強を確りとしていた百代も『おやつに如何ですか?』と言われれば、否とは言えるはずが無い。
むしろ参加は当然であった。
しかし、この氷が問題であった。
提案した修行僧は日々の疲れを取り除き親交を深める、と言う名目で川神水を惜しげも無く投入していたのだ。
彼等の粋な計らいと言うものであったが、これが最悪の事態を生んでしまった。
「むっ! 拙いぞ、ルー!!」
弟子は総代の鉄心へと山盛りのかき氷を手渡す。
次いで、師範代のルーへ手渡した。
シロップを掛け、笑みを浮かべながら鉄心は一口食べる。
最初は季節外れのミスマッチ感を楽しんでいたが、二口・三口と続ける事で言い知れぬ不安が脳裏を過った。
この頃になると、多くの修行僧へも渡っており、思い思いに味を楽しんでいる。
「ま、マズイ! これをモモに食べさせる出ない‼」
鉄心の言葉に味に酔いしれていた人間たちは首を傾げる。
だが、時すでに遅く。
静まり返った川神院の中で唯一気にする事無くかき氷を食べる音を発する百代の姿があった。
「な、何という事じゃ……」
「どうシましタ、総代?」
切羽詰まった表情を疑問に思ったルーは鉄心に尋ねた。
「川神水じゃ。この氷は川神水から出来ておる!」
百代はアルコールに弱い。
これを知るのは鉄心や徹と言った家族とルーに限られている。
それが災いし、折角ならと気を利かせた修行僧が不幸を招き入れてしまった。
「およ、世界が回るニャン……」
「しまった、手遅れか!」
顔面蒼白になる鉄心は周囲に迷惑とならない様、百代を取り押さえようと試みる。
「うにゅ、」
百代はアルコールに弱い事を知るのは鉄心を始めとした家族とルーだけであった。それが災いし、不幸な事故を招いてしまう。鉄心は兎に角百代を抑える事が優先だと彼女の下へと向かう。ルーもその後を追った。
だが既に遅かった…
「ありぇ…にゃんか、体がふわふゅわしてきちゃぞ…」
この時点で呂律が回らず、目が虚ろな百代が完成していた。
「しまった。遅かったか…」
こうなった時の百代は手が付けられない。ただでさえ武神と言われ始めている百代を止める事は難しい。酔った感覚によって理性と言うリミッターを解除しての暴れ振りを、彼女が披露するからである。
「みんなァー百代から離れるんダ!急いでネー」
ルーも一度だけ百代のそれを目撃したことがある。彼女が六歳、徹が五歳の時である。
百代の誕生日を親しい者たちで祝っている時であった。まだこの当時は在籍していた釈迦堂刑部が、川神水をジュースで割った飲み物を彼女に飲ませたのだ。彼の名誉のために言えば、全員彼女がここまで酷い酔い方をするとは知らなかったのである。だから鉄心も与えることを許していた。
しかし、それが間違いであったと気が付いた時には手遅れであった。鉄心、ルーと刑部川神院トップ三の実力者で抑えて漸くと行ったものであったのだ。火事場の何とかと言うが、子供でここまでの力を出すことにルーは血脈と純粋な強さというものの恐ろしさとを感じるのであった。
しかし、今まさにそれが起ころうとしている。あの当時徹はと言うと、飲んだらすぐに倒れ大人しく寝息を立てるという正反対の態度をとっていた。
川神院は百代の暴走により、あっと言う間に壊滅した。鉄心が油断して近づき、最初に倒されたのが致命的であった。師範代のルーとは言え、既に鉄心をも力で凌駕する百代に対して敵う訳も無く、抑制出来ない力によって相手にすら為らずに気を失うことになった。
しかし、川神院内で済めばよかったが、問題はここからが本当の悪夢の始まりとなったことだ。
師岡卓也は泊まり掛けで島津岳人にテスト勉強のサポートに付いていた。その日は大家である岳人の母親麗子のもとに店子が挨拶に訪れていた。少し早いが彼はUターン就職の為に実家へと帰るという話しをしに来たのである。当然お礼を兼ねて川神水一ダースを手土産にしていた。
岳人はそれを知ると、みんなで飲もうということを卓也と話し合う。それで大和へと連絡を入れると百代と徹以外は寮に集まっていると言う事を聞かされた。百代の酒癖の悪さを知ることから知らせずに基地で飲むことになった。時刻は昼前を指す事から、食事を持ちよって川神水を飲むという花実を先取りした展開に全員がウキウキした気分で集合し飲み会を始めたのである。
「俺もテスト勉強をしろ!等と無粋な事は言わない!飲もう!!」
大和の言葉で始まり、翔一の「乾杯」の音頭で始まった飲み会は本当に楽しい仲間内での飲み会であったのだ。残念なのは酒乱の百代と飲んだら寝てしまう徹を呼べない事である。飲ませない様に注意していても何時かは口に入ってしまう為に大和と京が気を付けて品物を選んでいるのだ。つまりは酒粕が入る物もアウトなのだ。
それから一時間が経過する。勉強はせずとも昨日の進捗状況などをみんなで話し合っていた。一子と翔一のスパルタ勉強には岳人と卓也が引き攣る笑顔を見せ、逆に岳人と卓也の勉強時は京が逞しい妄想を膨らませ話しを聞くなどと話題に事欠かなかった。
だが、その楽しいひと時も終わりを迎える。
突如、屋上に大きな音が聞こえた。
「なんだ、何かが落ちたのか?」
ほろ酔い気分を味わっていた大和を始めファミリーの面々は少し思考力の欠如が見られている。この時、彼等の頭には百代が来るという事は想定に無い。
「にゃんだ、みんにゃいるりょ…」
その言葉に全員の酔いが醒める。まさにこの場は密室である。入り口は百代に封じられている。彼等は檻に放り込まれた餌に等しい存在となっていたのだ。
「姉さんまさか酔っているのか!?」
百代の雰囲気と言葉使いから分かり切っていても大和は敢えて尋ねた。
「いんや…よっていにゃいろ……」
「うん、分かりやすい答えだね…モモ先輩」
京は平静を装って彼女を評した。
「どうする、大和?」
「完全にピンチだよね。僕たち…」
「あわわわわ…」
岳人と卓也は状況の把握に努め、一子は百代の恐ろしさにパニックになるだけであった。
既に大和の頭の中には計算が為されていた。
「ガクトとモロ、ワン子はメールを打つ時間を稼いでくれ、京は最後の防波堤だ!キャップはっ…あれ?キャップはどうしたんだ?」
全員に役割を説明していると、肝心要な彼がいない事に気が付いた。
「キャップにゃら…屋上でねていりゅりょー」
百代が屋上に着地した時、良い覚ましにと偶然その場に居た翔一が巻き込まれたのだ。
「くそっ!みんなとにかく徹にメールを打つ時間を稼いでくれ!」
大和はそう言うと携帯を取り出して行動を始める。
「了解!!」
四人は息の合った掛け声で、動き出す。
「おお、きょきょにも川神しゅいがあるによ…」
そう言って封の為されている川神水を手に持つと手刀で栓の辺りを切ってラッパ飲みを始める。
「若しかしたら間接キッスのチャンス!!」
「にゃんだーガクト顔がきもいにょ…」
飛び懸からんばかりに興奮した岳人が吶喊する。あわよくばと勇み進んだがいいが、呆気なく撃退される。
「あわわ、ガクトがやられちゃったよ…」
卓也はその呆気なさに突っ込みもままならない中、百代に川神水を飲まされ撃沈。完全に間接キスである。岳人哀れな瞬間であった。
「あっと言う間に二人も、大和まだなの?」
「おおーいみょうとみょいるじゃにゃいきゃー」
「お姉さっぷ!?」
一子が百代を呼ぼうと口を開けるとすかさず瓶の口を突っ込んで水を飲ませる。姉心があるのか新品を飲まされ彼女も撃沈する。
「よし!送信完了したぞ!」
大和は焦りで上手く文章が作成出来なかったが何とか無事に完了させた。しかし、大和もまた冷静な判断が出来ていなかった。送信ミスとなり、再度送ろうにも手元が焦って覚束ない。何とか助けてという事を打ち込んだところで声が聞える。
「やまとーにゃにをおくったんりゃ?」
彼は声のした後ろを振り返ると百代が一升瓶片手に、脇に京を抱えて立っていた。他にも岳人卓也一子と死屍累々の光景が目に飛び込んできた。
「み、京…」
大和はこの為に全員が力を合わせてくれたことに感謝し、徹に全てを掛ける覚悟をした。
「安心しゅりゅにゃ…」
その言葉を最後に大和の記憶は途切れるのであった。
此処までの経緯を余すことなく映像として残してあり、翌日は反省回上映と為っていた。
尚、貴重な映像提供は世界に誇る巨大財閥九鬼が開発したプロトタイプの万能御奉仕ロボクッキーに寄る物となり、厳重に管理されている。
一子に惚れた九鬼英雄がプレゼントとしてクッキーを渡したが見事に断られる。ならば俺にくれと翔一が貰い受け、以後彼を主人としてクッキーが認識して現在に至る。非常に人間染みたクッキーはロボの特性を生かし、あの瞬間後世の人間に映像を残すべくドキュメンタリー映像家となっていた。目の前で起こる狂乱を余すことなくびっしりと映す。
その光景にクッキーはロボなのに涙を流した。某映画の一コマを彷彿とはさせない展開であるが、それでも彼にも奇跡が起こった瞬間であった。
川神水の良い所は二日酔いが無い所である。全員、岳人以外は無事に集合を果たす。当の彼は顔を腫らしての登場であった。
「これは酷いね…」
「俺様、こんな顔をしていたのか…」
卓也の言葉に岳人も映像を見て愕然とする。その興奮した顔は他の女性にも不興である。
「ちょっと気持ち悪い顔何時までも見たくないわ。クッキー先に進めて!」
「わかったよ、一子!」
そういって映像は早送りをして、卓也のシーンに移る。純粋な一子に気持ち悪い呼ばわりされた岳人は涙目である。
「おおーこれは…」
「あっ…」
京はそのシーンを、感嘆を込めた声で露わす。対して卓也はその光景を思い出したのか真っ赤になる。
「ああ、これは私と間接キスだな…」
百代が冷静に解説を始めた。このシーンこそ岳人が狙ったものである。
「凄い勢いで飲まされているな」
「良かったな、モロロ。ガクトよりも先に一歩大人になったぞ!」
百代は卓也にその様に言ってからかう。その事に岳人は怒りの眼差しで二人も見る。
「くそう…俺の卓也に何てことを…」
「って、ちょっと京。変なアテレコしないでよね!」
卓也は京に言うが何処となく赤くなっているのは言わないであげた。
「次は私ね…ってこれだけ!ちょ、映像短いわよ、クッキー!」
「仕方ないじゃないか本当にこれだけで潰されちゃんたんだ。もっと映像に残りたければがんばりなよ一子!」
ロボにそう言い負かされる一子は涙目に為っていた。
「おっ次は京だな…」
何気なしに大和が彼女の名を呼んだ。
「ごめんなさいあなた!私、抵抗したの!!」
「すまない離婚しよう。俺には君の心は癒せない…」
京は既に告白を何千回と行っている。あの手この手、今の様に寸劇すらも織り交ぜてくるのだ。これを肯定的に大和が演じれば、告白を認めますということになるのだ。だから必ず結果はネガティブ結果となる。
「ちょっと、生々しい寸劇告白は止めてよね!」
「チェ…おしい」
卓也の突っ込みも意味はなかった。
「最後は大和だね…」
「あっ、ちゃんとメール送ったんだね。僕たちの犠牲は無駄じゃなかったんだ!」
「うるせえぞモロ。お前は良い思いしているじゃねーか!」
「ちょっと、煩いわよ。二人とも!」
そう話す間も映像は進む。何某かを話す二人、映像には残念ながら声は入っていない。
「何を話しているのかが気になるわね…」
一子がそう言った直後である。百代が大和に対して行ったことに一同騒然となった。
『あっ!』
そう、彼女が何をしたか、抱えていた京を静かに降ろすと一升瓶を何故か自分で口に咥えた。液体が口内に溜まっていく光景が確認される。そして、口一杯になったところで、映像に残らぬ速さで大和へと接近して、口移しで酒を飲ませたのだ。
実は大和、この瞬間を鮮明に覚えている。自他共に認める美少女が、目の前にそれこそ口を合わせて無理やり川神水を飲ませているとは言え、記憶に残らないはずが無い。
「ちなみにな、大和。私は(大和に)こんな事をするのは初めてだにゃん!」
百代は可愛らしく燃料を投下する。
「ちょ、姉さん何を言って!!」
大和が抗議するが時すでに遅く、過激に反応する二人が食って掛かる。
「おいコラ大和!お前はどうして、どうしてそんなに!!」
怒りと悔しさ、嫉妬と負の感情を全面的に露わした岳人が血涙を流して迫る。
「ど、ど、どどどどどどう言うことだ、大和!私だって…はっ、今大和にキスをすれば全てが無効に為る!さあ、大和今すぐ私とキスをするんだ!」
「うわっ、何をする京!止めろ!離せ!ワン子ー!」
京は混乱と嫉妬、それを塗り替えるべく実力行使へ移る。両手で彼の頭をがっちりとホールドしてまさにキスをしかねない所まで来ていた。大和はそれを止めさせるため一子へと助けを求めるが、等の彼女はそれどころでは無かった。
「あわわわ、エロスだわー」
目を抑えるべく指の隙間を開けて、手元を塞ぐ一子が映像を見続けていた。
こうして京と大和の攻防も含めて、この日もバイトに出ていた徹と翔一が来るまで、楽しいひと時は続いたのであった。
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005
テストは無事に終了した。自己採点の結果まずまずの成果を上げたのだ。大和は全員にテスト終了後確認を行うから必ず、問題に書き込んでおく様に指示を出していた。特に岳人と翔一の二人には厳重に言い聞かせておいた。一子の場合は、言い聞かせれば必ずやる子に彼と京が教育していた為に問題はない。
百代の場合は完全に徹の管轄下にある状態である。何と言っても、酩酊状態での暴れぶりに徹はブチ切れていた。状況を考えれば致し方ないことであったとはいえ、やってしまった責任は取らねばならないのだ。以降の徹の方針はやらせておく。ではなく、やらせるに変更した。彼女も反省しているのか、徹の言うことに文句を言わず黙々と勉強をするようになっていたのだ。怒ったときの彼の恐ろしさは嫌と言うほど百代は知っている。
「よし、キャップは大丈夫だ!」
「ワン子も問題なし」
「ガクトは一教科危ないかもしれないけど、他は安心していいよ」
大和、京と卓也は常に危ないとされる三人の採点を行っていた。答案は大和のネットワークを駆使して精度を上げての採点を行っていた。
「姉ちゃんの方も大丈夫だな…」
徹がそう言い終わると、全員が喜びを爆発させた。
「やったぜ!遂に終わったー」
「いやー今回は俺様本当に頑張ったんだぜ!!」
その言葉には卓也がツッコミを入れ、場を和ませる。
「でも暫くは勉強をしなくていいのね。これでまた修行に打ち込めるわ!」
一子はそう言うと既にダンベルを持って運動を始める始末であった。
「いやー私も今回は本当に勉強したな。マジで徹が怖かった……」
あの日以降、彼の形相は本当にトラウマものであった。
「それでも良かっただろ、俺たちと同じ学年に為らなくてさ」
「んーそれでもいいかなって、わわ!嘘だよ、嘘!そんな怖い顔するなよなー」
百代は冗談でその様に話すが徹はことこの件では許すことはなかった。
「でもよー徹は羨ましいぜ。モモ先輩の様な美人なお姉さまがいてよ」
岳人は見た目だけを捉えて彼にそう言った。
「ガクトお前はよくそんなことが言えるな…」
「バカだからね」
「バカだな」
「バカよね」
最後に言ったのは一子である。
「おい、一子!お前だけには言われる筋合いはないぞ!」
「何よ、私は今回全教科でセーフなんだからね!」
「いやいや、あくまでも、だよ。ワン子」
京の言葉は既に一子には届かなかったのであった。
「でもな、ガクト。徹は美人の姉よりもユーミンの方に熱を上げているんだぞ」
最初は寂しそうに、最後は人の悪そうな表情で彼等に燃料を投下する。
「モモ先輩、誰っすか。そのお姉さんは?」
「うちの主将だよ。ガクト、見たこと無い?」
京がそう説明するとガクトの年上履歴に見事引っ掛かった。
「ああーあのお姉さん!おい、徹どう言うことだ!」
「どうって…姉ちゃんの勉強を助けてもらうために、色々と骨を折って貰っていたんだよ」
岳人は今にも飛び掛からんとする勢いであった。
「あっ、僕もその話し聞いたことあるよ。駅前のファミレスで仲良く食事をしている場面を見たっていう書き込みもあるぐらいだしさ…」
ある意味で必然の展開であった。
徹はモテる。何と言っても遺伝子構造が百代と同じなのだ。それこそ、美男美女の姉弟と有名な程である。これに愛らしさ抜群の一子を加えた、川神三兄弟は巷で有名であった。
そんな徹が女性とファミレスで、ましてや二人で何てことになれば一気に情報は溢れだすことになる。
「それで気になってね、調べてみたんだ。実はこれ、店員が流したみたいなんだよ…ほらこの書き込み見てよ」
卓也はパソコン関係で右に出る者は居ない。そんな彼が、素早い手つきでみんなに見せる。
「何々、『話題の美男子川神徹について語るスレ』なんだ、これは!?」
隣に座る岳人が自然と読み上げる形になる。気になった一子は二人の後ろに来て眺めている。
「うわっ、これパート三にまで行っているじゃない!」
「はははっ、そこに驚くのも無理はないのだけれど、此処を見てよ…」
画面をスクロールさせると卓也が問題にしている文章が現れる。
「川神徹、駅前のファミレス○○にて女子生徒と食事中…」
既に全員が卓也と岳人の後ろで画面を見ている。今読み上げたのは大和であった。
「おいこれ、食事中ってなんだよ…」
「でも、どうして店員からって分かるんだ、モロ?」
大和はどうしても彼の言葉が気に為っていた。
「それはね、この画像なんだけれど…」
そう言って卓也は張り付けてあるURLをクリックする。するとそこにはモザイク処理された二人の写真が出てきたのだ。
「おい、流石にこれはやりすぎじゃないのか?」
翔一も男女の機微には完全に疎いのだが、ファミリーの人間が被害に遭っているとすればその限りではない。
「そうだね。でも一応顔から何から全てを加工してあるしね…」
それでも運営側に卓也は連絡を入れていた。こう言っては何だが、彼のファミリーに対する思い入れは京と遜色のない物が在る。内心腸が煮えくりかえる思いを味わっていた。
「分かった。この画像の撮られた位置だな、モロ!」
「その通りだよ、大和。二人はモザイク処理されているけれど、周囲はされていない」
そう言ってみんなに画像を拡大して見せる。
「この場所は店員しか立ち入れない所なんだな」
徹はそう言って彼に確認する。
「そう言う事。ほらこれ以降も画像があるんだけどさ…」
卓也はそれから三つ画像をみんなに見せる。
「どれも同じアングルだね…」
「そうだな、京…あんまりくっ付かないでくれ…」
どさくさ紛れに、京はセクハラまがいのことをやってのけている。
「仕方ない、仕方ない。ほら大和の頭脳で解決に導かないと…」
「なあモロ、此処に書き込んでいる人って学園関係者が多いのか?」
大和は気を取り直して尋ねる。
「そうだね。主に女子生徒みたいだよ。アンチって言うのは無くてね。徹の事を肯定的に書き込んでいるみたいなんだ」
そう言って卓也は掲示板に書かれている内容を見せて行く。そこにはファンとも言える行動原理が働き、其々が情報を提供し共有するコミュニティーになっていた。
「するとだモロロ、これはユーミンに対しての攻撃ってことか?」
そこで百代は一つの答えに辿り着いた。
「そうなんだよ。僕もね、どうしてこの画像が張られていたのかが気になったんだ。そしてね…此処をクリックすると…」
卓也はそう言って別のURLが張り付けてあるのをクリックした。すると違う掲示板へと辿り着いた。
「これって…」
「何よこの言葉…」
「何か昔を思い出すね。ね、ガクト?」
「だぁー悪かったって、言加減許してくれよ、京ー」
「学園の裏掲示板だね…ほらこのスレ見てよ」
全員がそれに注目する。そこに『川神徹と一緒に居た女を晒す』という題名が付けられていた。
「酷いな、これは…」
百代がそう呟く。他の者も流石に許されないものだと感じて黙るしかなかった。そこには矢場弓子の名こそイニシャルで伏せられていたが、見る者が見れば誰かがはっきりと分かる内容であった。
「弓道部主将YM、って完全に誰か分かるじゃねーか!」
岳人が遂に大声を上げてキレる。
「少し黙れ、ガクト。…それでモロ此の対処はどうなんだ?」
徹は内心怒りを抑えつけて、彼に尋ねる。一子は徹の姿を、一目で怒りに震えていることに気が付いていた。
「うん、これも運営側に連絡したよ。スグルにも手伝ってもらってね。あとは学園に連絡するだけさ」
共通のアニメを通じて知り合うことになった大串スグルは二次元をこよなく愛する男である。特にネット関連においては有用な人材である。
「学園関係ではヒゲ先生に頼むべきだな」
「それならタッちゃんに連絡してみればいいんじゃないかしら?」
一子の言う人物は持と同じ孤児院にいた源忠勝である。その養父であるのが川神学園で教鞭をとる宇佐美巨人である。
「ナイスだ、ワン子!」
褒めるときは褒める。バイブルにもそう書かれていた事を大和は実践する。直ぐに彼は忠勝へと連絡を入れる。
「あーこれは酷いね…まあこの件はオジさんに任せておけ」
大和が連絡をしてから直ぐ、内容を説明すると忠勝は動いてくれた。幸い宇佐美が学園に居たことから、PC教室で問題の掲示板を開いて確認している。テスト終了後が幸いした。これが通常授業時間であれば、時間も遅くなり不可能であった。
「お願いします」
徹はそう言うと頭を下げる。
「おいおい硬いぞ。そんなふうににしなくともこれは学校側の責任だ。お前たちが気にすることじゃない」
こう言った点で彼は本当に役に立つ存在であり、頼もしい人間であった。
「それでさ、直江。この事を確りと小島先生にアピールしておいてくれ」
そう、この事さえなければの話しであった……
百代は一子と共に矢場弓子がいる弓道部へと足を運んでいた。既に練習は終わり、タイミングは丁度といったところである。その場には顧問の小島梅子と弓子、さらにはもう一人の部員がいたのだ。
「失礼します!」
「失礼します!」
二人はそう言って中へと入る。こう言った礼儀は必ず行う。
「川神か」
「百代?」
「急にお邪魔してすみません。小島先生とユーミンにお話しがありまして……」
弓子は当事者として、梅子は徹の担任、弓子の顧問として話しを通さなければならない。もう一人の部員はそれを聞いて帰宅していった。
「それで話しとは何だ?」
梅子が代表して話しを聞く。
「実は…」
百代はこれまでに起こっている内容と対応策を説明する。
「なっ、そんなことが!」
「そうだったの…それで……」
弓子は何処か納得した表情であった。
「もしかして何かあったのか、ユーミン?」
弓子は百代の問い掛けに頷くとここ数日の間に起こった事を話しだす。面識の無い複数の女子生徒に睨まれたり、通りすがりに舌打ちをされるなど身に覚えの無い理由でされていて困惑していたのだ。
「矢場、どうして話さなかった!」
梅子は元来この様な陰湿な事、曲がった事が許せない性質である。勿論教師としての考えでもあるが。まさか身近に、このような被害を受けている生徒がいるとは、露にも思わなかったのだ。
「私にも原因が分かりませんでしたし、見知らぬ相手でしたから…」
一方的なものであれば仕方が無い。掲示板では弓道部主将と出ている。ともすれば、誰の事か判別する事は容易である。
「確かに、ユーミンの言うことも一理あるよな」
こうして話したことで幾分弓子の表情は柔らかい物になった。やはり少なからず精神的負担になっていた事の表れであった。
結局この事件は穏便に片付けられることになった。当然該当者においてはそれなりに責任を取ってのことである。
掲示板は、学園関係は削除と封鎖ということになった。これに関しては宇佐美巨人の頑張りが大きかった。
写真を撮られたファミレスにおいては警察を介入させて処理が行われた。写真を撮ったのは卓也が睨んだとおり従業員であった。その者は現在某大学の一年生で、昨年まで川神学園の生徒として在籍していたのだ。百代と弓子の同学年に彼女の妹がいて、良く徹の話しを聞かされていた。そうした中、偶然来店した徹の姿を見つけ出来心で写真を取ってしまったのだそうだ。しかし、残念ながら店の信用を失墜させかねない行為として彼女は契約解除となった。
さらに詳しく話しを聞けば、掲示板に画像を添付したのはその妹であったのだ。
そこで終わらせれば問題はなかったが、ネット上に上げた物は削除しても一生消えることはない。IDによって追跡出来た生徒に関して、悪質な行為と判断された生徒に対しては今学期の出席停止処分が科され、軽微な行為とされた者は反省文を書く事となった。勿論弓子と徹には正式な謝罪が関係者と店舗側から為されたのは言うまでもない。
後日金曜集会ではこれらの内容が大和の口から説明された。
「ある意味、未然に防げたのかな?」
卓也はそうみんなに尋ねた。未然と言うのはこれ以上の凶行である。下手に拗らせると逆恨みによる犯行にまで及ぶ可能性が在ったのだ。
「そうとも言える。お手柄だね、モロ」
「ホントだぜ!よくやったなモロ」
京と岳人が彼を褒める。
「ははっ、何だか恥ずかしいや」
「でもガクトの癖に褒めるなんて生意気よね!」
「だー癖にってなんだよワン子!癖にって!!」
低次元な言い合いが続く中、彼等の話しは続く。
「でもまさかその後の展開には驚かされたよな!」
翔一はそう言って話しを変える。
後日談として、情報は遮断したものの既に流れてしまった事である。当然徹では無く、弓子に攻撃が行く可能性が考えられた。よくよく考えれば、彼女たちが叩いている原因は横一線であり、抜け駆けを行っていると見たからこうなったのである。そもそも横一線がありえないのだが、彼女たちからすればそうなのだ。掲示板に書き込んでいた者はアイドルの様に徹を見ていたということである。
そして、百代の一言が決め手になった。
「だったら二人が付き合えばいいじゃないか」
彼女のこの言葉は、鉄心、宇佐美、梅子を始め学園関係者と、当事者が集まっている最中に発せられた言葉である。大人たちは真剣に弓子の事をどう守るべきかを考えている中、百代はそう言って場を凍て着かせる。
「何を言っておるモモ!」
「そうだぞ。川神百代、い、幾ら守るとっても…」
彼氏のいない梅子にはあまり触れたくない話しであった。しかし、此処に強力な援護射撃が投じられる。
「いや、意外といい案かもしれませんよ、学長」
宇佐美がそのメリットを話す。
「恐らく女子生徒は抜け駆けしたと思っているんですよ。ならば本当に付き合って、抜け駆け云々と言わせなければいい。恋人であれば矢場に何かあれば川神徹に攻撃した様な物になる。その様な事は彼女等にとって許されざる行為となるでしょう。勿論当事者の気持ち次第ですけどね」
そう言って宇佐美は徹と弓子を見やった。すると二人は顔を赤くして言葉を発する事は無かった。それだけ見ても宇佐美は可能性が大いにあると目論んでいた。
勿論この場では返事をすることはない。幾ら校風が自由な物とは言え、教師の前で、徹にしてみれば姉と祖父の前での告白など断じて勘弁願いたい話しであった。しかし、結果を言えば二人は付き合うことになったのだ。
「悔しいの一言だぜ!まさか徹に先を越されるとは思わなかったからな!」
「うん、素晴らしいギャグだね、ガクト!」
「おっ、出たね。京の評価十点!」
「お前、徹と比べて自分が勝っているとか、どんな頭しているんだ」
「よく鏡を見て自覚するべきよ!」
女性陣からの集中砲火で哀れ、見事に撃沈した岳人であった。
「何にせよ、カップルが出来たのはめでたい!別にこの中で出来ても構わないからな!」
翔一はそう言って大和を見るが、それは余りにも危険な話であった。
「おいキャップ。そう言う不穏当な発言は控えてくれ!」
「クククッ次は私たちだってさ、大和」
「お友達で京!」
今回の集会は徹を祝う会へと昇華してその幕を閉じるのであった。
年度も改まり、進級した直江大和はとある場所で宇佐美巨人にあの当時の事を尋ねる機会を得ていた。
「あの時どうして付き合えばいいかと後押ししたかって?決まっているだろ写真だよ。あの二人、川神百代の為と言いながら実に自然な感じで笑い合っているじゃないか。オジサンはビビッと来たね。間違い無くこの二人は意識し合っているって」
そう言って大和に答えた宇佐美巨人であった。
お読みいただき有難う御座いました!
結局この段階で矢場弓子を主人公のヒロインにしてしまいました。
私としては、どうして確りとした攻略ルートが無いのかが気になる所であります。派生した未来はあれど、どうにも消化不良でした。結局彼女を敢えて選んでしまいました!
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006
掲示板にアップされた画像や書き込み等の削除は粛々と行われ、一部閉鎖まで行った事件はごく一部の者しか知らないことであった。しかし、それ以上に驚きを以って川神学園内を駆け巡った情報が川神徹と矢場弓子の交際であった。予想以上に人気のあった弓子に対し男子生徒は泣いて悔しがる者が多かった。特に同じクラスの男子の大半はそれによって魂が抜けた様な雰囲気の者が続出していた。
学園では節度ある付き合いであれば自由なのだが、その節度がどこまでかと言うのは曖昧なものである。
時期としては学年末テストが終了し、後は成績発表と三年生は卒業を待つばかりと言う中での事。話題に事欠かない川神学園でも相当大きな話しであった。男女共に人気がある二人である。徹は言うに及ばず女子から人気がある。今回その一部の者たちが悪い方に働いてしまった。弓子も男子には人気がある。何と言っても、魍魎の宴なる選ばれた者が通えるイベントにて、それなりに高いランクで取引されている。
特に徹が在籍するFクラスには多くの人間が押し寄せている。中でも異彩を放つのは葵冬馬であった。
「私ではなく彼女を選ぶなんて意外でした」
恥ずかしげも無く話す冬馬に男子はドン引きである。一部の女子には好意的に受け取られているのはお約束だった。京もその中の一人である事は疑いの余地は無い。
「いや、普通冬馬を選ぶという選択肢を入れている事が間違いだからな」
徹は本当に勘弁して頂きたい話しである。彼にはその様な趣味は一ミリも無い。
「それでもですよ。まあ仕方ありません。徹君おめでとうございます」
「確かにめでたいのかもしれない。しかし、徹には幼子を愛でる事の良さをもっと啓蒙しておくべきであったと後悔している。おめでとう」
「ウェーイ、ウェ、ウェーイ!」
準は自身の理想郷へ招く事が出来なくなったと言う反省と祝いを同時に話して相殺させた。小雪は恐らくおめでとうとでも言っていると徹は判断した。
「ありがとな、三人とも」
「いえいえ、私と徹君の仲です。おめでとうの一つも言え無いなんて無粋ではありませんか」
「そうだよーマシュマロ食べる?」
小雪は冬馬の言葉に賛同するとマシュマロを取り出して口の前に持っていく。
「ああ頂くよ」
徹は有り難くそれをいただいた。
「流石にSも試験後だけあって緩くなっているのか?」
「いえ、そうでもありませんよ。彼等は既に来年度に向けて勉強を始めていますから」
中にはこれ以上付いていけないと敢えて成績を落とす人間もいるが、それはごく一部である。
「それでどうしてここに来たんだ葵?」
大和が冬馬に対して尋ねる。こうやって敵対関係にあるFに来るなど滅多にある事では無い。
「理由ですか。そうですね、一つは徹君に彼女が出来たと聞きましてそのお祝いを述べる為です。二つ目は…勧誘です。徹君と直江君、来月からSクラスで一緒に勉強しませんか?」
冬馬は人を魅了する甘い笑みを二人へと向ける。それに反応した周辺の女子から黄色い声が漏れだす。その瞬間京はぴったりと大和にくっ付いた。彼女のセンサーが非常に危険だと言う警告を発した為であった。
「勧誘?」
徹と大和は思わず同じ言葉を口にした。確かに二人はSクラスに入るだけの成績を残している。だが、まさか学年一位の冬馬からこうして誘われるとは思わなかったのだ。
「ええそうです。今回のテストでS落ちする者が出る事が決まっています。優秀な人間を確保する事にも必死なのです」
むしろ冬馬はこちらがメインであった。とかく勝負事が多い川神学園では、徹の存在はまさに最強の駒である。ましてやクラス対抗ともなれば一学年上に百代がいる。Fに最強の駒が二つも並ぶのは宜しくない、そう冬馬は考えていたのだ。であるから、事あるごとに徹を勧誘していた。そして今夏は大和もともなれば事態は変わって来る。
大和もS落ちの話しを聞いて、今の答えに辿り着いた。此処が軍師と呼ばれる所以である。
「でもそれは本人の意思だろ?」
「勿論、私は直江君も来ていただけると大変嬉しいのですが」
そう言って手を出そうとする。
「大和は渡さない!」
京が彼の手を叩き落そうとする。しかし、その手は簡単に止められる。
「トーマには指一本触れさせないよー」
小雪であった。冬馬は右手を差し出し、京は向かって左から彼の手を叩こうとした。それを京の左側から彼女を握りしめて抑えたのだ。
「ありがとうユキ」
そう言うと小雪は京の腕を放す。京は悔しそうにするが、それ以上は動こうとはしない。
「まあ俺たちの考え次第だろ。あんまり喧嘩腰になるなよ…それにそろそろ休み時間も終わるぜ、冬馬」
そう言って徹は時計を指差す。
「おや、そうですね。それでは戻りましょうか。それではみなさん失礼します」
そう言って三人は教室を後にするのであった。
さて徹がこうなっているという事は、当然もう一人も大変なことに為っている。
「は、恥ずかしいで候…」
完全に見せ者状態に為っている弓子は内心びくついているのだ。好奇な視線と共に当然ながら憎悪まではいかないが、負の感情で彼女を見ている者が居る事を感じ取っている。
「そう恥ずかしがるなよ、ユーミン!もっと堂々としていればいいんだよ!」
百代はそう大きな声で話す。これは彼女なりの警告である。百代にしてみれば、人が出す感情を的確に感じることなど朝飯前である。既にそう言った人間を見つけているのであった。彼女にしても親友である弓子と弟が付き合うのであれば、協力は惜しまない考えだ。
加えて二人が付き合うことになった切っ掛けは百代自身が提案したものである。両者を不幸には絶対させられないという気持ちである。
「でも驚いたわ。まさか弓子が百代の弟君と付き合うことになるなんてね」
「ホントね。羨ましいわー」
『おめでとう弓子!』
そう二人の息の合った祝辞を貰うと余計に恥ずかしさで小さくなる弓子であった。
「あ、ありがとう二人とも……」
テストは終われども授業は六時限目まで確りと入っている。その間に昼休みと言うものがある。普段徹は大和たちと食べていたのだが、この日からは別であった。四時限目終了のチャイムで教師が教室を出て行くと、弁当組は仲の良い者で集まり、学食組は駆け足で学食へと移動する。大和たちは後者である。
「それじゃあ俺は…」
徹はそう言うと学食とは別の方角へと歩いて行こうとする。
「くっそー俺様も徹の様になりてー」
「ファッキン!!」
岳人とヨンパチはそう言って学食へと向かった。既に翔一は窓から一階へと降りて、学食へと移動している。
「気にしないでよ、徹。それじゃあ僕たちは行くからね」
卓也はそう二人をフォローして彼等の後を追った。
徹が向かったのは屋上であった。三月も上旬から中旬となる頃、日中日差しがあれば意外と暖かいから熱いと感じる人もいる季節。この時期は春の訪れを告げる強風が、川神市を襲うのだがこの日は穏やかなものであった。
徹が到着すると既に彼女はやってきていた。
「ごめん待たせたかな」
「う、ううん。待つって程でも無かったわ」
弓子は授業が早く終わり、急いで屋上へと移動していた。これから起こるイベントに心を落ち着かせる為である。その時間で大分気持ちが落ちついて、こうして徹と普通に会話出来るようになっていた。
備え付けの二人掛けの椅子に座ると弓子がお弁当を取り出す。せっかく落ちつけた気持ちも、徹に差し出す頃には緊張に包まれる。初めての彼氏ともなれば当然誰かに自身の手作りを食べさせる事も初めてである。女友達と置かずの交換などと言う軽い気持ちには為れなかった。
「ど、どうぞ…」
弓子は勇気を振り絞り徹に渡す。彼はそれを受け取るといただきますと元気よく言い放ち、ハンバーグを口にした。これは冷食ではなく、彼女お手製の物である。家庭的な彼女は細かな面までを考慮して料理を行う。
学生ながら、忙しいと口にせず冷凍に頼らないお弁当だ。中身は彼に合わせた分量である。
「うん、おいしいよ。弓子」
徹がそう言うと彼女はホッと一息ついた。彼の評価が待ち遠しい半面恐怖もあったからだ。
「そう、良かったわ。量はこれで足りるかしら?」
弁当箱としては一番大きなものだ。弓子の倍の大きさである。
「十分だよ。それにこれ全部弓子が作ったの?」
「そうよ。中には昨日の余りをアレンジしている物もあるけどね」
そう言って会話は自然と続いて行く。
「いいなー美味しそうだ―」
百代は二人の邪魔をしない様に離れた場所からその光景を除き見ている。特に二人の食べている弁当が気に為って仕方が無かった。しかし、この場にはもう一人彼等を見ている人間がいる。
「随分と無粋ではないか、覗き見等せずにあの中に加わればいい」
「うるさいなーいいんだよ、私はここで。それよりもどうして京極が此処に居るんだ?」
「決まっている。私は人間観察が趣味なものでね。彼等の事も趣味の対象なのだよ」
そう言って扇子を広げて口元を隠すポーズを取る。
「悪趣味だぞ、お前…」
人の事を言えた義理ではないがそれでも百代には言い分がある。何しろ弟が心配なのだ。
二人がその様に見ているとは知らない弓子は楽しい様な、緊張している様なフワフワとした気持ちで昼食と言うイベントを過ごしたのであった。
二人の出会いは意外と早い時期である。五月も終わりに差し掛かる頃、徹のバイト先で初めて出会っていたのだ。しかし、その時は二人共に関係性など分かる筈も無く店員と客と言う間柄であった。二人が意識し合うのはそれから半年以上先の事となる。百代の進級に赤信号が点るかと言う頃、徹は京を通じて百代と共通の友人を紹介して貰った。それが弓子を知る日であった。以降、彼女は百代の為と言う建前で以って徹に協力する先輩と言う立場を手に入れる。
結婚はタイミングだとは言うが、異性と付き合うというのも立場は異なるが変わらないだろう。弓子を中傷する事件の後、百代の後押しによって徹も弓子もまさかそうなるとは思いもしなかったのだ。付き合うにしろ驚異的な早さである。しかし、お互いの相性がいいのか、急いで付き合った様な雰囲気では無い。
「御馳走様でした!」
徹は健啖家である。彼女の料理を余すことなく食べ尽くし、満足そうな表情で言葉を発する。この辺りは百代たちと共に同じである。
「お粗末さまです。それにしても良く食べられたわね。私もたくさん食べるとは聞いていたけれど、此処まできれいに食べてくれて嬉しいわ」
弓子は自然と笑みを見せる。彼女自身知らない事だが、お客として通っていた当時から徹に対しては自然と接する事が出来るのだ。妙な肩肘を張る必要を感じていなかったのであろう。
流石に部員や付き合い程度で同級生と参加する場合は異なるが…
「ああ、姉ちゃんが教えていたのかな」
「そうよ、百代が教えてくれたのよ。仲が良いのね」
弓子は百代からのアドバイスが的確であった事に感謝している。それもこれも徹をよく理解しているからだと弓子は考えている。だからこその彼女の言葉である。
「まあね。俺も姉ちゃんも生まれた場所が特殊だからね。幼い頃は常に二人で頑張ってきたからな」
そう言う徹に弓子は嫉妬する事は無かった。川神と言う名を知ればこそ、川神院と言う名が出るほどに有名な名前である。百代の強さをよく知る弓子にして、才能だけでああはなるまいと思っていた。それを支えられるのは彼女の家族だけであるとも考えている。誠に出来た女性である。
「徹君がそう言うと何だか簡単そうに感じるわ」
自然と彼女は寄り添うように彼に体を寄せる。徹もそれを当たり前の様に受け入れる。
「徹君と居るとね、普段の私から解放される気がするの」
弓子は本来優しすぎる性格である。それを隠すべく仮面を被って気を張っているが、それも家でしか取る事が出来ない。だが彼の前ではそうしなくてもいいと思えるようになっていた。
「それでいいんじゃないか。俺たちは付き合っているんだし。変に気を張ってもいい事はないよ」
そう言うと彼はグッと彼女を引き寄せた。勿論これ以上は『節度のある』を越えるかもしれないと徹は考えて行わないが、弓子には十分であった。
「うん。ありがとう…」
「うわっ、あいつらやるなー」
百代はそう言って二人のやり取りを眺めている。彼女がそう言ったのは徹が肩を抱き寄せた瞬間である。
「ふむ君の弟は中々の男ではないか」
「当たり前だ、私の弟だからな!」
自分が褒められた訳ではないが、百代は彦一の言葉にドヤ顔になって答えるのであった。
「別に川神を褒めた訳ではないぞ。さて、これ以上は野暮であろう。君もこの場から去るんだ」
「えー良いじゃないかよ、別に…」
百代はそう言うと口を尖らせる。
「ならば此処でとっておきの話しを聞かせよう。屋上に現れるという霊の…」
彼お得意のお話しである。しかし、それを事の他苦手にするのが百代であった。
「うわーヤメロよー」
百代は耳を塞いでその場を後にし、彦一も直ぐにその場を後にするのであった。
屋上は徹と弓子の甘くも穏やかな空気が満たされるのであった…
徹は五時限目に間に会う様に弓子と別れて教室へと戻る。
当然冷やかされるのであるが、全く動じることなく受け流していく。中心となるのは岳人とヨンパチの二人である。
「いやー羨ましいですなー」
「そうですねー是非ともお話しをお伺いしたいものです!」
二人はそう言って徹の周りに近づく。
「ちょっとガクト、止めなさいよ。かっこ悪いわよ!」
一子の言葉に岳人は反応するがそれ以上に一子への援護射撃が激しかった。
「ワン子の言う通りよ!」
「ほんとダサイ系」
女子からのパッシングが二人を追い詰めて行く。女子の中心は小笠原千花と羽黒黒子の二人であった。とかく女子生徒の反応に敏感になる岳人は気押されてしまった。
「でもガクトよーそんな事言って何になるんだよ!?別によくね?」
翔一がそう言って岳人に尋ねた。
「まあ、ここは良いからさキャップ…」
大和はそう言うと彼を引きずるようにして席へと着かせる。
「別に気にしていないが、ありがとう小笠原さん羽黒さん、一子」
それには満更でもない彼女たちである。
「それにな、ガクト、ヨンパチ」
「な、なんだよ…」
少し気圧されたような感じになる。
「羨ましいというならば、お前たちも彼女を作ればいいだろ?」
徹の言葉は二人にとって、パンが食べられなければケーキを…と言うセリフに等しいかそれ以上の言葉である。
「うわ―バッサリだね…」
「まあ当然だよ。完全にガクトが悪い」
卓也と京はそう言って彼等のやり取りを見ていた。しかし、此処でも岳人等に味方をする者は居なかった。
「ち、ちくしょー」
「うわー俺なんて、俺なんてー!!」
二人はもう直ぐ授業が始まるにも拘わらず教室を飛び出して行った。完全な負け組みであった
「あいつら授業どうするんだ?」
運の悪い事に次の授業は梅子の授業であった。当然それに気が付いた二人は遅れて戻ってくる。まるっきりサボるよりはまだましなのを、身を以って経験しているからである。
「戻ってきた事は褒めてやる。だがな、しょうも無い事で授業直前に抜け出すとは何事かっ、制裁!」
『ぎぃゃやー』
二人の汚い悲鳴が教室に響き渡ったのであった…
お読みいただき有難う御座いました。
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007
三月、日中は春の訪れを意識する様な気候を感じるものだが、朝と夜は別である。川神院ではそんな寒さを吹き飛ばすような早朝の鍛錬が行われている。基本、早朝は参加自由である。これには百代は殆んど参加しない。
周囲の者もそれに関してとやかく言う事は無い。何と言っても実力が伴っての行動である。決められた鍛錬をさぼっていれば別であるがそうではないのだ。加えて未だ学生の身分であれば殊更である。
「行くわよっ!でぇりゃー!!」
一子は勇ましい声と共に徹に飛び掛かる。彼女の得意とする武器は薙刀である。鍛錬時は体育着を着用して行うのが彼女のスタイルである。身のこなしと言い中々にいい動きをしている。だがそれは一般的にはという言葉が付く。
「遅いぞ、一子!それでは攻撃されて終わりではないか!」
対して徹は武器を持つ事は無く素手である。百代同様に彼には全身が武器である。そもそも武器は当たらなければ意味が無い。この言葉は実力者のものだ。しかし徹や百代、鉄心の様な者は別の表現を用いる『当たっても効かなければ意味が無い』なんとも贅沢な言葉であるが、それが壁を越えた者の捉え方なのだ。
この時間は各自が好きに鍛錬を行う。一子は週に二度、徹と実戦形式の組み手を行う。
将来において、師範代が確実視される徹とこのように組み手を行えるのは何も特別だからではない。全員が認める一子の努力が実を結んだのである。武術の才能は無い、しかしそれを補う程の努力の才が有る。これが鉄心を始めとした川神院の答えである。それを証明するかのように努力と言う点においては誰ひとり彼女に敵う者は無いと認める部分である。そこで徹は鉄心等を前に言い放つ。
『だったら俺が鍛えればいいんじゃないか?』
百代であればどうしても手を抜いてしまいがちになる。何と言っても彼女が一子を川神に引き入れたのである。その可愛がり振りはよく目にする光景でもある。
かくして、中学に上がってからと言うものどんな時であろうとも週に二日、必ず行う慣例行事に為っていた。
「よしっ今日はここまでだな」
徹はそう言って組み手を終える。最後は一子の攻撃を避けて終わった。一子の突きから始まり、切り返して下段から振り上げ、上段から振り下ろすと言うコンビネーションが最後の攻撃であった。
「押忍っ!ありがとうございました」
そう言う一子は物凄い汗を掻き、息を切らせている。対して徹は全く変化が見られない。それを見て彼女は落ち込む。どうしても彼に一太刀どころか、汗を掻かせることも出来ていないからだ。
「ほら落ち込むな一子、此処をよく見てみろ」
徹はそう言うと左腕の上腕部を見せる。そこには薄らと赤く線が入っている。彼は真冬であろうと袖の無い胴着を着用している。
「えっこれって…」
そう言って信じられないという顔で徹を見る。
「一子の攻撃で付いたものだ。前にも話したろ。俺等は当たっても効かない場合があるって、それをお前は打ち破ったんだぞ」
その言葉に一子は弾け飛ぶように喜んだ。その声は周囲にも伝播していくのであった。
「一子がやりましたネ、総代」
「うむ。まさかここまで成長するとは思いもよらなんだ…ワシも年かもしれんのぅ」
鉄心は一子が武術を覚えることに最後まで難色を示していた一人である。それは可愛い孫を悲しませたくないという思いからであったが、結果として間違った判断であったと認めざるを得なかった。
「それは、私もでス。一子が、此処まで徹と渡り合えるとハ…」
二人の目にはその様に映っていた。何と言っても、組み手で徹が『此処まで』と言う言葉を発す事が珍しい。他の修行僧ではそうなる前に勝負が着いているのだ。
「しかし、一子はこれからが本当の試練となるのぅ…」
鉄心はそう言って何処か遠くを見据えるのであった。一子の夢はハッキリと師範代になって百代を支えると言うものだ。それにはこの程度は当然の域に入らなければならない。
つまり一子はようやくスタートラインに立ったようなものなのだ。
この日は休日である。徹はシャワーを浴びると外出用の服に着替える。丁度その頃百代が起き出してきた。
「おはよう徹…」
物凄く眠たそうな目で挨拶をするが、時刻は九時を回っている。
「おはよう姉ちゃん」
彼の声は幾分楽しそうな感じである。
「なんだ、随分とめかし込んでユーミンとデートか?」
「そうだよ。これから行ってくるから」
徹はそう言うと川神院を後にするのであった。
「……」
その姿を彼女は眺めるだけであるが、どうにもイラついて仕方が無かった。
百代は徐に携帯を取り出すと電話を掛けた。
徹と弓子は休日にデートをするのは初めてである。とかく二人は忙しい立場である。徹はバイトに勤しみ、弓子は弓道部主将として部活動に熱を入れている。幸いにしてこの日は徹が以前ヘルプで入った時の代わりで休みになった。弓子の方は普段使用している弓道場が雨漏り修繕の為に使用出来ずに休みとなっていた。まさに二人がデートをするには又と無い様なタイミングである。
待ち合わせは川神駅である。休日ともなれば多くの乗降客で溢れる駅である。先に到着したのは徹であった。彼は集合時間よりも大分早く駅へとやって来ていた。デート中にお腹が空かない為として早く来たのだ。
「いらっしゃいませー」
梅屋へ彼は入店する。美味い、安い、早いと言う三拍子を合言葉に徹がこよなく愛するお店である。これはあの釈迦堂刑部の教えであった。彼は食券を購入してカウンターへと腰掛けて店員へと券を渡す。
「へい、牛丼大盛りで!」
その声にふと徹は店員の顔を見やる。随分と懐かしい、また耳触りの悪そうな声だと記憶していた者の声であった。
「釈迦堂さん?」
そう言ってネームプレートを見るとその通りであった。
「徹?お前徹かよ!?」
刑部は仕事そっちのけで徹へ話しかける。
「なんだよ、お前そんなにめかし込んで!これだけで足りるのか?まあ食え、ほら豚皿付けてやっから」
嘗て師範代ルーと共に川神院にて実力者であった。しかし、考え方の違いと素行不良により破門となる。その後の行方は誰も知らなかったのである。
「ありがとうございます、釈迦堂さん。それにしてもどうしてここで働いているんです?」
彼にはそれが不思議でしょうがなかった。彼ほどの実力で有れば、色々な場所でお呼びが掛かってもいいはずなのだ。
「そりゃおめぇ、此処は天職だからよ。知ってるだろ俺の好物。まさにここがその場所なんだよ!」
そう言って周囲に客が居てもお構いなしに徹と話す刑部は、決して褒められた店員では無い。裏から注文の品が出来た事を知らされて、彼は受け取り徹へと提供する。
「はい牛丼大盛りと、豚皿お待ちどう。それとなんだ、俺も決して働こうとは思っていなかったんだよ。それをな、突如現れた執事に倒されてな…」
それは九鬼家に仕えるヒューム・ヘルシングであった。刑部は知らないだろうと、濁して彼に説明をしたのである。
「釈迦堂さんが倒された事が驚きですよ。そんなに衰えていないでしょ?」
徹ともなれば相手の強さぐらいは瞬時に判別できる。
「まあな、だが昔に比べれば圧倒的に実戦が減っている。どうしてもその中での勘が鈍っていたってところだな」
「釈迦堂くーん動いてねー」
恐らく店長なのだろう。雇われの身である彼は、上からきつく刑部を辞めさせない様にするように言われていた。つまり、言いすぎて辞めると言われない様にしなければならなかった。
「へい、すみません。店長!じゃあ確り食っていけ。また今度何処かで会おう」
徹は彼の言葉通りに出された物をペロリと食べると店を後にするのであった。
徹は口臭を消す為にそれ専用のガムを噛み、臭いを消す。間違っても彼女には気付かれたくはないものであった。予定時刻となり、それよりも十分早く二人は合流を果たす。勿論、徹が待つ側である。
「お待たせ、随分早いのね」
弓子は徹の姿を見るや駆け足で彼の元へとやってくる。彼女はパンツスタイルで、高校生と言うよりも大学生と言える様な雰囲気であった。
「そうでもないよ。少しよる場所があったからね。間違っても遅れない様にしただけだ。それじゃあ行こうか」
二人は自然と腕を組んで移動を始めた。
「憎しみで、人が殺せたら…」
「いいなーねえ大和?」
「いいのかな、僕たちこんな事をしいて…」
「…まさかこんなにラブラブだったなんて…」
岳人は恨み辛みの籠った眼で徹を見つめ、京は二人の行為に感化されて大和へと熱視線を送る。卓也は除き見ることに罪悪感を持って眺めていて、百代は弟と親友の熱々な関係に驚いている。
事の起こりは百代が連絡をしたときに遡る。相手は大和であった。
「どうしたの、姉さん?」
大和は丁度趣味のヤドカリに餌を与えて和んでいる時であった。彼は島津寮に住んでいて翔一、京そして忠勝等と生活を共にしている。そこには京も居たのだが今は気にしていない。
「直ぐに集合だ!」
それだけ言うと通話を切った百代であった。
「モモ先輩なんだって?」
京がそう尋ねる。
「よくわからないが集合だって…」
そう言われては参加せざるを得ない。大和は訳も分からずファミリーへと連絡を取る。その中で連絡が付いたメンバーが今居る者たちである。
集合場所は基地である。何かあった場合はそこを集合場所と決めているのだ。
「それでどうしたんだ、モモ先輩?」
話しを切り出すのは岳人である。
「徹が今日ユーミンとデートをしている」
百代はそれだけ言うと岳人は憤怒の顔へと変化する。
「何ぃーそれは許せん!」
「いや、もうそれは良いよ、ガクト…それでモモ先輩、私たちを集めた本当の理由は?」
京はそう百代へと問い掛ける。まさかこれが集めた理由だとは思いもしなかったからだ。
「徹がデートをする。それを追跡する」
が、まさかの言葉に京、大和と卓也が固まる。
「えっ、本当それだけ?」
「姉さんそれは止めた方が…」
「そうだね。僕も大和の意見に賛成だよ」
三人はそう言って反対する。間違っても仲間内でその様な事はしたくはないと思っているのだ。
「俺様はモモ先輩に賛成だ!」
岳人は百代の提案に乗る。これは彼の中に俺よりも先には行かせんと言う下らない思いがあった。
「いいか京、二人の行動を見て大和とのデートに活かせる教材が目の前に在るんだぞ」
「やっぱり行くべきだよ、大和。私はモモ先輩に賛成!」
悪魔の囁きとはこうも人の心を変えてしまうのか、と恐ろしくなる大和であった。基本多数決で決めるのが彼等の流儀である。京が賛成派に流れたことで百代の提案は可決してしまった。
善急げと百代たちは川神駅へと移動する。二人が出会う二十分前である。場所が場所なだけに五人はバラけて大和の指示のもとに配置された。
そうして見つけたのは京であった。徹を見つけてすぐさまメールで一斉送信して四人を呼んだ。
話しを二人へと戻す。電車へと乗り込んだ徹と弓子が向かった先は七浜である。二人はそこにあるレジャーランドへと向かうのだ。百代たちもばれない様に電車へと乗り込んだ。
「跡を付けるには本当に便利だよな」
「だね。本当に便利だよね、モモ先輩」
京と百代はそう言って磁気式カード乗車券の有り難みを知ったのであった。これさえあれば、チャージしてあれば問題なく改札を出る事が出来るからだ。百代は当然ながら何処へと向かうのかは聞かされていない。
「あっ、ここで降りるみたいだよ」
卓也が珍しく彼等を一番に発見する。
「よし、降りるぞ!」
そう百代が言って降りた駅は七浜であった。
「七浜か…デートの定番スポットじゃねーか…」
岳人はシミュレーションに関しては完璧な男である。あとは実戦在るのみ、戦力は充実していた。
「うーん、何とも羨ましい……ねっ?」
「お友達で」
「此のまま行くと、あのレジャーランドへと行くのかな?」
卓也はそう言って事前に携帯を使用して地図を見て予想を立てた。
「多分な。あそこで遊んで夕方くらいに中華街のコースかもしれないな」
大和は卓也の予想にさらに自身の予測を加味して話す。
案の定二人はそこへと向かって行った。残念ながら五人ではそこへと入る為の資金が足らない。何と言っても百代がお金を持っていないのが原因であった。
「姉さんはどうして財布を持っていないんだ?」
「財布なら大和が持っているだろ?」
完全にたかるつもりでいたのであった。仕方なく、近くにあるファストフード店で二人が出てくるのを待つことにした。
「まさか休日をこんなことで消費するなんて…」
大和は後悔の念でいっぱいである。何が悲しくて、人のデートを見張らねばならないのかと大和は思っていた。この日、大和は愛しいヤドンとカリンを観察していようと考えていたのである。
「そんな事言うなよ、弟…お姉ちゃんの我が儘に付き合ってくれたお礼はどんな事が良いんだ?」
一応百代も自身の我が儘と言う認識が在った。
「わわっね、姉さん!?」
百代はそう言うと同時に大和の後ろから抱きしめる。両腕を前にやり大和の右肩に顎を乗せる。舎弟である大和は他人である。しかし、彼女の中では兄弟のスキンシップであると主張する行為である。しかし、これどう見てもお詫びに、と言うものに感じられた。
「どうして大和だけなんだよ…」
「それは駄目だ、モモ先輩!」
岳人は自分には訪れない事に涙を流し、京は誘惑されかねないと彼女を止める。周囲は好奇の視線で一杯である。何と言っても百代が周囲の視線を引き寄せているからである。
男性もさることながら、女性をも引き付けるその魅力は店内でも維持されていたのであった。
大和の予想に反して、彼等は長い事店内で待つことになる。
「随分時間が掛かるな…」
時刻は四時半を回っている。日も落ち始め、夕闇へと向かう頃合いである。
「これは此のまま帰宅コースだね」
「ってことは、俺様たちは何をしていたんだ?」
「無駄骨だったのかな?」
「言うなモロ、悲しくなる…」
「そ、それじゃあ、私たちは帰るか…」
何の成果も無く百代の提案に端を発した行動は空しく終わるのであった。そしてそのままお店を後にして、帰宅の途へ着く五人であった。
「ふふっ、楽しかったわ」
「そうだな。また来たいな」
すっかりと暗くなる時刻、徹と弓子はそのレジャー施設を後にする。普段よりも、此方へと向かうよりもより二人の密着度が大きくなっていた。夕日があれば、二人の姿は一つの影となって長く延びていただろう…
お読みいただき有難う御座いました。
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008
「ま、松風漸く着きましたね!」
少女は手の上に乗せた小さな馬の形をしたストラップに対してその様に言葉を発した。
よく見れば携帯に取り付けるための紐が綺麗なままである
『だなーまゆっち。遂に川神デビューの日が近づいて来たな!』
「そうですね。地元では失敗…まだデビューしていませんが、この地では見事な成功を収めたいものですね、松風!!」
明らかな腹話術であるが、堂に入った仕草で話すそれはまさしくお金を戴けるほどの腕前であった。だが彼女の表情を見て周囲の人間はそそくさとその場を後にする。本日の公演は川神駅構内という一等地でのものであった…
こんな事があるとは知らない風間ファミリーはとある事件を解決するべく行動していた。
三月も中旬既に三年生は卒業し、学年末テストも無事に乗り越え、授業も午前中だけ。あとは修了式を行い、晴れて春休みを待つばかりであった。
「こちらイケメン」
「…」
「ちょ、悪かったよ。ガクトです。本当に無視するなよー」
通信先からは無言が流れると岳人は平謝りをして相手に構ってもらえるように懇願した。
「次おかしな言葉を発したらどうなるか分かっているな?」
通信先は大和である。川神が誇る最終破壊兵器を二体持つ風間ファミリーは、ある意味で強さの格差がとんでもない事に為っている。これは百代と徹のデコピンとしっぺであるがそれがとんでもない抑止力となっているのだ。これによって悪ふざけをする者に対処する大和の負担が軽減されている。
「それで、どうしたガクト?」
「ああ、写真の男だと思われる人物を見つけたから連絡したんだ。モロが話していた進路から間違いないと思う。今写メで送るぜ」
本来は街中で本人と分かる様な撮り方は肖像権侵害で訴えられる可能性がある。事実、賠償命令を下された事例がある為に注意が求められる。
岳人の言葉の後直ぐに大和の携帯にその画像が送られてくる。大和の場所には他に一子が待機している。それを二人は覗き見る。
「当たりだな」
「凄いわね。ガクト良く見つけられたわね」
「類は友を呼ぶとも言うね…」
何時戻ったのか見た京が後ろから言葉を発した。ぴったりと寄り添う様な形で話しかけている。此処までの行動はやはり徹の付き合い方を目にしている事の影響だと大和は考えている。
「うぉい京!」
「ただいま大和好き、付き合おう」
「お友達で京。それと早く離れてくれ…」
目の前で積極的な行為を見せられ一子は『わわっ』と言うだけであった。
画像を確認した大和は岳人に見張り続けるように言い、他には集合を掛ける。とは言え一番時間が掛かるのが卓也である為最初に連絡を入れた。
二十分後岳人が見張る場所に全員が集合する。ここはとある工場跡地である。不況の煽りを受けて二年ほど前に閉鎖した場所である。似た様な場所が幾つか存在し、閉鎖した後もそのままの形で残り不良の溜まり場になったりしている。
「ここか…」
大和がそう呟く。その後ろでは百代と徹がウキウキしながら待っている状況だ。
「大和始まったよ…」
卓也がそう言って大和へと話しかける。彼はノートパソコンを使用して動画配信を見る為に携帯を使用してネットへと繋いでいた。この事を知るのは大和と卓也の二人である。
ネット配信をしている事は二人以外知らされていないのだ。
全員がその動画配信を見始める。
「おいこれって…」
岳人がそう言って驚き始める。他の者も同様である。
「わっ、これって女子更衣室じゃないっ…」
「ワン子五月蠅いよ。少し黙りなさい」
大声をあげそうになった一子を京が口を塞ぎ嗜める。前以って聞かされているはずの盗撮映像であるが一子は忘れている。
動画配信は尚も続いている。
「ドン引きだな…」
「アウトだな…」
百代はゴミを見る様な、徹は判決を下した様なそんな雰囲気で話す。場所は誰もが知る川神学園の女子更衣室である。同じ造りの男子更衣室を知る大和達もよく知る形であった。
「わわっ」
卓也はそう驚きの声を上げる。今までは無人であったがそこに人が入って来たのだ。当然着替えを行う為である。が、どうやらそうでは無かった。つまりは卓也の早とちりである。
「あーこれって…」
京はこれがどう言った物かを瞬時に悟った。過去のトラウマをほじくり返されそうな言葉が連想される。
「よし、踏み込むぞ!姉さんは上で待機。ワン子とガクトは裏手に回ってくれ。モロはこの場で動画の録画を頼む。徹を先頭に行動を開始する」
録画は別の案件で必要との判断である。
結果として呆気ないほどに片が付いた。工場の元事務室と思われる一角で対象となっていた男が居た。何やら金を掛けた仕掛けを施して、他の者が入れない様にして在ったが、徹がいる中では紙の如くであった。
呆気なく扉を破壊されると中の男は驚きの声を上げる。
「ヒィイイイー」
見た目は二十代の小太りな男であった。室内はパソコンの排熱などが影響して三月とは思えないほどに熱気に包まれている。
この件で直ちに彼等の教師、宇佐美巨人へと連絡を入れる。犯罪行為を確認するのは彼の役目であり、警察へと届けるかどうかは学校側の判断である。彼等は目の前の男をこれ以上動けない様に拘束する事である。この部屋は膨大なDVDのケースが置かれ、焼くための機材も大量に備わっている。
「これって裏物も作っているだろ…」
大和はそう言って男を見ると途端に体を震わせる。これだけで間違いないだろうと判断した。
「ご苦労さん。後はオジサンたちに任せておけ」
この場に現れた教師は宇佐美と梅子に咥えてルーも参加していた。万が一を考えて体育教師をしているルーが着いて来ていたのだ。
「みんなご苦労さまだったネ!」
拘束された男はルーが受け取る。これでは完全に男が逃げ出す事は不可能である。梅子が何故居るのか、見る映像が映像なだけに宇佐美だけではどうしても、と言う事であるからだ。
風間ファミリーは僅か一週間で依頼を達成した。
川神学園ではこのように依頼が舞い込む事が有る。今回依頼があったのは女子更衣室の盗撮であった。これは匿名で連絡があり、確認したところ学園内の映像であると判断した。
幸いなことにその部屋は一日を通して人が訪れない様な場所であったが、見捨ててはおけないと学園が依頼主となり生徒へと呼びかけた。
本来は警察へと届けるのだが、それだとどうしても時間が掛かる可能性がある。つまり何時かは生徒が被害を受ける。そう考えればこそ、生徒へと解決を任せると決めたのだ。学園内の施設は生徒の方が詳しい事がある。それに掛けたのである。
「それでは本日の依頼は盗撮犯の確保、これネ。依頼料は上食券二百五十枚!但し、危険が伴う可能性があるから個人で参加している場合、今回は無しネ」
依頼を行う場合全てを取り仕切るのはルーである。オークション形式でどんどん枚数を落としていくのがスタイルだ。これにより参加していた者の三分の一が脱落した。
「それじゃあ始めるヨ!」
彼の言葉で熱い戦いが始まる。
『百二十枚!』
翔一の一言で場が静まり返る。いままで二百を下回るラインで戦われていたのだ。それを一気に八十枚近くも下げられては勝負に為らない。
「他にいないかナ?」
ルーの言葉で誰の反応も無い事を確認して落札者が決定する。これで今回の依頼は風間ファミリーが行うことになる。
「それじゃあ今回は彼に依頼を決めるヨ!」
この言葉で解散する。翔一は直ちに大和へと連絡を入れ呼びだす。この後の話しを詳しく聞くためだ。
「それじゃア、此処では説明しづらいこともあるから移動するヨ」
ルーがその様に話すと移動した先はPC教室である。今月に入り二度目の入室だった。
ルーと一緒に行動するのは大和、翔一、徹と京である。他の者は、今日は用事があると別であった。
「おっ、今回はお前たちか丁度いい」
室内では宇佐美巨人が待っていた。彼の前には当然学園のパソコンが起動していた。皆は宇佐美の後ろ側で画面を見ることになった。
「それじゃあ始めるぞ。今回の依頼はこれを撮った人物を捕まえることだ」
彼がそう言ってマウスを動かして動画を再生させる。それが匿名で送られてきた動画であった。この匿名は本当に匿名であり人物がさっぱり分からないでいた。
「なあこれって警察へ言った方が良いんじゃないか?」
翔一は退屈そうに見ていた動画を見てそう呟いた。それが宇佐美に聞こえる。
「それじゃあだめなんだよ。若しかしたら明日にでも再び撮られるかもしれない。そうなれば何時かは被害に遭う生徒が居る。警察へと届ける間に何かあれば問題になるからな、それに他にも動画があるかもしれない、早くに潰したいんだよ」
その言葉で直ちに作戦会議が行われることになった。緊急集会の開催である。
大和たちは夕方、基地へと集合を果たした。そこで大和が説明をする。翔一は競り落とした食券をテーブルへと置く。全部で百二十枚の上食券である。一人十五枚換算である。
「まったく許せん話しだ!!」
そう憤る様に言葉を発したのが岳人であった。しかし、言葉と表情が一致していない為に女性陣からは白い目で見られている。
「作戦はこうだ。必ず犯人はカメラをセットしに来る。これは各更衣室などを確認してそれらしきものが確認されていないことから分かった」
大和が作戦の概要を話しだす。これには運動部の人間が活躍していた。
「そこで、設置する場所を限定させる。場所は此処だ。それまでは犯人を泳がす。取りに来るのは一日か二日経った後だそうだ」
この情報は撮られた日付から推測したものである。
「そして此処からが重要だ。犯人を追跡するが、ばれる訳にはいかない。だからみんなには幾つかの場所に散って貰う。追跡するのはモロに頼む」
卓也はファミリー最弱と言っても言い。つまりその様な者が付けて来るとは思いもよらない、そう思わせるのだ。卓也に追跡させ、前方で待機して犯人の顔を確認した後、集合をして捕まえると言うことだ。
「話しは分かった。私はそれで無くとも許せんからな参加する!」
「私もよ!」
川神姉妹がそう言って食券を貰い受ける。
「当然だね。それ以外にも任せて貰う場面が今回は在りそうだね」
卓也がそう言って食券を受け取るが、その言葉が本当の事になるとは思いもよらなかった。
「俺様も参加するぜ!」
岳人がそう言って受け取る。事前に受け取っていたのは大和と翔一、徹であった。
「盗撮は許されないね。でも私は大和を常に見ているけどね…参加で」
最後は京であった。大和は嫌そうな顔をしたが敢えてそれ以上突っ込む事はしなかった。
しかし、その翌日翔一は偶然見たテレビ映像で興味が移り旅へと出掛けてしまった。
かくして、翌日から作戦は決行された。どの様な者が現れるのか分からないが、とにかく誘い込む場所は決まっている。そこへと何とかして誘い込むのが第一段階であった。
少ない情報から導き出したことであり、何時現れるかが全く分からないと言ってもいい。
だが、岳人曰く、『直ぐに現れるだろう』という言葉を全員は信じることにした。これはヨンパチのアドバイスを受けてのものであるが、どう考えても犯罪者の思考と同調した様な岳人に周りはドン引きしていた。
彼の言葉の通り、張り込んでから二日後に事態が動く。この日から授業は午前中だけの日程となる。前日は卒業式が挙行されていた。
「あいつか」
この日は大和だけが残っていた。連絡は学園に居る者から大和へとネットワークを利用して入ってくる。運が良かったのかもしれないと大和は考えていた。知らせを受けて、その場所へと急行する。
そこでは確かに男が学園内へと侵入していた。どうにも慣れた様に学園へと入り込んでいる。まるで人がどこに居るのかが分かる様であった。
「卒業生か?」
大和はそう呟く。そう思わざるを得ない様な足取りで校舎内へと潜入を果たしていた。
奇しくも犯人の男は大和が誘い込もうとした女子更衣室へと向かった。この日は泳がせる手筈であり、大和はそれを確認した後宇佐美へと連絡を入れるのであった。
大和は確りと許可を取った後女子更衣室へと入り、宇佐美と共にカメラの設置を確認した。カメラが置かれているとは知らずに入る生徒と教師を演じてのものだ。あくまでもばれていると思われない様にする為である。結果は黒であった。
加えて大和が撮った写真でファミリーへと犯人の顔を教える。これが後に決め手となり確保へと向かうことになるのだ。
そして話しは依頼達成後へと移る…
「えーそれでは依頼達成を祝して、乾杯!!」
基地へと戻ったのが、日が沈んでからと言う中、それでも川神学園の治安を守ったと言うことで彼等のテンションは高かった。依頼にあたり、食券以外にも実は経費が落ちることに為っていた。卓也が使用したネット代である。携帯を使用してのものはそれなりに値段が嵩んでくる。これを宇佐美の裁量で確りと支払われることに為っている。
それは別として、彼等は別途報酬をいただいており、それを使用して今の打ち上げに為っていた。当然、川神水の提供は無い。目の前にはジュース類と炭酸その他の菓子類である。
「いやー一仕事の後は美味いなー」
百代は満足そうに語る。それはみんなも同感であった。
「でも今回はモロが良く頑張ったわよね!」
一子はそう言って卓也を褒める。普段褒められていない彼からするとその言葉でも恥ずかしくなってしまう。
「えっ、いやーそれほどでもないよ…」
しかし、一子の言う言葉は意外にも的を射ているのである。
「いや、一子の言っている事は正しいと俺も思うぞ」
徹がそう言って一子の言葉に乗っかる。これは卓也が自分の領分を自覚しているところから起こる。実力に関して、彼は最弱であると自認している。であれば、自分が活躍できるところはと考えたところ、趣味でもあるパソコン関係の領分を自分の武器にしようと考えたのだ。それが今回も役に立ったのだ。
情報を集めるべくネットサーフィンで巡っていたところ、川神学園の映像を配信するサイトがヒットしたのだ。直ちに大和へと連絡を入れ、色々調べた結果恐らくはその犯人が行っているだろうことが判明した。
閉鎖等を行わせるのは犯人を捕まえてからと言う事が決まった。幸いなことに映像は更衣室のみで誰も映っていないことであった。
「謙遜すること無いぞ、モロロ。一子と徹の言う通りだと私も思う。よくやったな!」
百代が褒めれば続いて京も大和もそして岳人も褒める。これ程卓也がみんなの戦力として活躍した日は、この日が初めてかもしれない。しかし、だからこその風間ファミリーである。足りない部分は必ず起こりうる。それを補ってこその仲間であった。
「へへへ、何かみんなに褒められると照れちゃうな…でもありがとう」
こうして何時の間にか卓也が主役となった打ち上げは盛り上がるのであった。
「済まないね、由紀江ちゃん。寮生はみんな遅くまで帰ってこないんだよ」
そう由紀江に言うのは寮母であり、岳人の母親でもある麗子であった。卒業生は既に退寮している。今日は下見を兼ねて一泊二日の見学会を行っていたのだ。自分がこれから三年間お世話になる場所である。前以って、挨拶を兼ね彼女は単身北陸から訪れていたのだ。
「いえいえそんな、お構いなく。私如きが先輩方に……」
由紀江は突如怖い顔になり言葉を発し始めた。しかし、最後は何を言っているのかが聞き取れなくなるほど小声になった。だが麗子はこれまでも変わった寮生を受け入れている。
息子に比べればと何てことは無い対応である。
「と言うわけだ。とりあえず此処が由紀江ちゃんのお部屋だよ。隣に一人今度二年生になる子が住んでいるからね。何かあればその子に…」
そこで浮かんだのが京である。間違いなく無理だと悟った麗子はそこで言葉を切る。
「まあ一階の男子も頼りになる先輩たちだ。幸い一年生は由紀江ちゃん以外居ないから分からない事があれば何でも聞きな!」
彼女は何とかそう話しを言い切る。
「はい、承知しました!」
よくわからない由紀江はそう言って麗子に返事を返すのであった。
そうして夜になり、麗子が再び島津寮を訪れて彼女を寮生に紹介する。
「来年度からここで暮らす黛由紀江ちゃんだ。みんなよく世話してやってちょうだい」
「ま、ままままままま、まみゅずみ、ゆ、ゆゆゆ由紀江とも、申します!!」
極度の緊張で由紀江は顔が強張り、さながら睨み付けている様であった。
そうして寮生の感想は一様に『変わった奴だ』であった。
お読みいただき有難う御座いました。
まゆっちを登場させました。設定では翌年度、大和が二年生に為ってからですが、敢えて三月中に登場させております。また中学卒業が早いのではというツッコミを入れられるとは存じますが、そこは敢えて耐えていただきたく存じます!
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009
黛由紀江は来月より高校生と為り、単身川神と言う新天地へとやって来る事となった。
その為、彼女は島津寮へ入寮する事が決定し、この度下見と顔合わせを兼ねてやって来た。そして、彼女は目の前の食事風景に求めていた環境と言う物を見出す事と為る。
ところがその光景に若干の緊張を含んだ由紀江は不審人物丸出しであった…
「な、なあ黛さん?」
大和は目の前で食事を摂る由紀江に声を掛けた。すると硬い表情で綺麗な食べ方で食事を摂っている由紀江が睨み付ける様に大和を見る。
「は、はい!?な、なななな、何でしょうか?か!!」
由紀江は突然声を掛けられ極度の緊張に見舞われる。言葉も明らかにおかしい物で彼女の目が混乱している事を大和へ語りかけていた。
「あ、いや…そのさ、そんなに強張った顔で食事をしなくてもいいんじゃないか?」
一つ一つに気合の入った由紀江に対し、大和は新たなる寮生への評価を『変わった人』と言うものだった。
「はい!も、ももも申し訳の次第も無く、くく!」
由紀江はこうして会話する事自体家族を除けば久しぶりなことだった。その為やはりコミュニケーション能力に著しい欠陥が存在していたのだ。但し、持ち前の性格と容姿、家庭環境によりコミュニケーション障害を感じさせず、変わった子と言う程度で済んでいた。
「お、おう。そんなに気合いを入れて返事しなくても良いぜ…」
無駄に迫力を加えて話す由紀江に対し、大和はビビリまくりであった。
理由は只一つ、彼女の強張った表情では無く、どうして此処に日本刀を持って現れたのかであった。
普通は不審物を持ちこんでいる場合自然と距離を取って関わらないが此処は川神であった。奇人変人何のその、濃すぎる人間の巣窟であり、大和もおっかなびっくり程度で接していたのだ。
故に好奇心旺盛な者は……
「いやー面白いなお前!」
翔一は大和と由紀江の会話に参加することなく固唾を飲んで見物していた。これは彼の興味を十二分に刺激していた事に由来する。
「キャップの言いたいことは分かる。十分変わっているよね」
翔一の言葉に京が答える。しかし、どの口が言うのかという気持ちになった大和だった。
「なあ、まゆっち!」
翔一は由紀江に対してその様に声を掛ける。こう奇襲にも似た行動で以って相手の懐に入り込むのが彼の性格だった。
「……ふぇ?」
突然のあだ名で呼ばれて、由紀江の思考は停止寸前である。
「駄目だったか?どうかな、大和?」
困ったときの軍師、それが風間ファミリーの共通の考えである。翔一は目を輝かせるように尋ねた。
「黛由紀江だからまゆっちか…良いと思うぜ、キャップ。な、京?」
大和は隣で寮母の麗子が作った料理を、レッドフードへと魔改造を施した毒物を頬張る京へと尋ねる。
「イエス。夫の意見には素直に従います」
「お友達で」
定番の告白を会話に挟む辺り、京に拒否反応が出ていないと見て取れた。
「で、どうなんだよ。まゆっち?」
翔一は再度由紀江に尋ねた。
「は、はい!
「おうっ!そんな強張った顔で言うなよ。まゆっち!!」
翔一は屈託のない少年の笑みで由紀江に呼び掛けた。
「は、ハウッ!?」
「また濃い人間が此処へと来たものだな…」
大和は思わず隣の京を見る。
「うん、そうだね。そして、そこまで見つめるなんて、これはもうプロポーズと見ていいのね。あなた!」
京は大和の言葉を曲解して応えるのだった。これには大和も逞しいと思うだけで言葉が無かった。
「まゆっちは明日帰るんだろ?」
「はい、直江先輩」
大和は翔一の意図を読んで彼から話を受け継いだ。
「なら、明日俺たちの仲間を紹介するよ。此処で暮らすとなれば否が応でも出会うことになるしな」
こうして寮生が一人いない中での夕食は終わりを告げる。
日課と為る勉強に人脈形成に精を出た大和は、心のオアシスと位置付けるヤドカリのヤドンとカリンの世話をしながら和んでいる。
「ねえ大和?」
「どうした京?」
京は寝るとき以外基本的に大和の傍で暮らしている。これをストーカーと呼ばない辺り仲間と言う認識を持つ大和は京を大事に思っていた。
「もしかしてキャップは、あの一年生を仲間に入れようと考えている?」
あの時、京は既に翔一がどう考えていたか理解していた。しかし、それをあの場で尋ねるべきではないと判断していた彼女はこの場で落ち着いて大和に尋ねた。
京の言葉に大和は反対だという思いを感じた。
「まあキャップは考えているな。あくまでキャップの考えであって、決めるのはファミリーの意思統一だからな。だからこそ明日みんなと顔を合わせる事にしたんだ」
大和はそう言いながら、部屋の明かりを消して寝ようと布団に潜ろうとする。流石に京も部屋を出ると思った大和に対し彼女が執った行動が、彼の体を固まらせた。
「おい京、どさくさ紛れに何故布団に入っているんだ?」
今まで背を向けて話していた為、京がどの様な状況で話をしていたのか分からなかった。
その中で電気を消して、さあ寝ようと掛け布団を剥ぐと京が居たのだ。
「夫が寒い思いをしない様にと人肌で暖めておきました。寝ている間も私が暖めるよ?」
「出ていけ!!」
かくして当たり前のやり取りが終わりを迎え、一日の終わりを迎えた。
翌日、平日とは言え昨日終了式を行った彼ら学生は自由の身に為っていた。とは言え、寮生の場合、寮母麗子の管理下にある。川神の鬼女と異名を誇る彼女は羽目を外しすぎることを許さない。生活リズムを壊さない様食事の出し方は今迄と変わらない。
それ故に遅くまで寝ていることは出来る筈がない。
「ほら、早く起きないと麗子さんの朝食が覚めちゃうよ、マイスター!」
「ギャー!!」
今日もご奉仕ロボクッキーの電撃にカツを入れられる翔一の声が木霊した。
「おーおはよう…あれ、ゲンさんは?」
翔一が食堂へやって来ると第一声がそれであった。
「おはようキャップ。ゲンさんはヒゲ先生と泊まりで仕事だってさ」
ヒゲ先生こと宇佐美巨人は件のゲンさん、源忠勝の養父である。副業として代行センターを営み忠勝はそこで働いている。
「ああそうだったのか。まゆっちに紹介したかったのによー」
その様に述べながら席に着くと、元気良く挨拶をして勢い良く食べ始めるのだった。
「まゆっち」
「はい、何でしょうか?」
昨夜とは違い落ち着いた雰囲気で話す由紀江に、大和は安堵する。
「今日、皆を紹介すると話したけどさ。何時、此処を立つんだ?」
「はい、それなら……」
こうして朝は過ぎて行く。
「いやーカワユイな!」
川神百代の第一声で始まったファミリーと由紀江の顔合わせは徹のバイト先で行われた。
本来ならば駅前のファミレスとなる筈が、とある事件により経営が行き詰まり閉店の文字が掲げられていたのだ。
その為選ばれたのがこのお店であった。春休みとなっても客足は途切れるよりも増え続けていたが、事前に大和が予約を取っていた為無事に席を確保出来ていた。
「は、はわわ…」
美少女が売りの百代に抱き締められる由紀江は豊かな二つの桃に挟まれながら抱きしめられていた。
「ちょっと姉さん落ち着いてくれ。と言うことで来月から新入生として島津寮に入寮する黛由紀江さんだ」
岳人と徹を除き大和は由紀江の紹介を行った。
「おお、まゆまゆかー良いなーーうん、お姉さんはまゆまゆを気に入ったぞ!」
百代は場所を選ぶことはしない。どんな所でも自分のワールドを展開する。
「はは、ホントモモ先輩はぶれないよね」
「う、うう……」
師岡卓也は平常運転の百代に苦笑い気味で突っ込む。
「はいはい、ワン子落ち着きなさい」
寂しそうに項垂れる一子を京が慰める構図が度々見られる事と為る。
「まゆっちは今日一度帰る事に為る。下見だったから仕方がないが、時間のある限り川神を紹介しつつ見て回ろうと思う」
そこで大和が提案したのは川神市内の練り歩きだった。限られた時間の中で風間ファミリーと川神を知るには最適な提案であった。
未だにやって来ない岳人を置いて店を出ようとしたところで見事に暑苦しさを前回にした男がファミリーへ姿を見せた。
「わりぃ遅くなって、待たせたなって、おいどうして皆席を立つんだよ」
漸くやって来た岳人目の前を素通りして一人、また一人と店を出て行く光景に疑問を呈した。
「あっ気にしなくていいよ、岳人。特に待ってないから」
京は岳人に無慈悲にも思える言葉を投げ掛け店を後にするのであった。これには深い訳がある。
岳人は予定したジムへと通っていた。その間に起こった出来事をファミリーへと報告していたのだ。それが彼らにあのような対応を取らせたのだが、今の岳人は知る由もない。
「あ、あの宜しいのですか?」
「気にするなまゆまゆ。あれは自業自得だ」
百代も由紀江にそう言うが彼女は首を傾げるばかりであった。しかし、その時の百代の目はゴミを見る様な眼で岳人を見ていた。
大和が全員分の会計を終わらせ一人一人から請求分の徴収を完了した頃、一子と百代の仲介で岳人へも由紀江の自己紹介が完了していた。
「ふーん、黛由紀江ね。まあ宜しくな、俺は島津岳人。困った事が在ったら何でも言えよ、後輩!」
自然体で話せば明らかに言い男となる岳人は、頼れる男らしさを守備範囲外と豪語する相手には如何なく発揮する。彼が欲する彼女は同い年以上、出来れば年上と鼻息荒く語るその姿はドン引きの何者でもない。
「はい、宜しくお願いしますね。島津先輩」
「うーん、後輩に先輩と言われるのはな…俺の事はみんなが呼んでいるガクトで良いぜ」
「それではガクトさんと?」
「ああそれでいいぜ、まゆっち」
二人のやり取りを少し離れてみるファミリーの面々は喧々諤々の議論を展開している。
「ガクトはどうしてあの態度を普段出来ないのだろうか」
「まったくだね。大和が言う様にあの自然な言葉のキャッチボールが出来るなら結構モテルと思うんだ」
大和の言葉に卓也は大きく頷きながら自分の想いを述べた。
「それに嫉妬するモロ…キャッ!」
「ちょ、ちょっと止めてよ。京!」
「うーん、あいつはどうして年下を狙わないんだ…」
全ては百代の一言に尽きる。しかし、意識しないからこそ自然体で接していると言う事を忘れているのであった。
「なあ大和、ところで徹はどうしたんだ?」
岳人は見事年下の由紀江と友人関係を構築した後、肝心の男が居ない事に気が付いた。
「デートだってさ」
サラっと言う辺り徹と弓子のカップリングはファミリー内でも受け入れられていた。しかし、未だに納得いかないのが岳人だった。
「あいつはー!!」
理想とする年上の恋人など悔し涙を流すほどに岳人は悔しがった。
「別に良いじゃないのよ、ガクト」
「まったくだ。何か問題が在るのかガクト?」
川神シスターズは不満ありげな岳人へと圧力を掛ける。
「イ、イイエ何でも御座いません…」
呆気なく彼女等の圧力に屈する岳人だが、特に百代の強さを身を持って知る為これ以上徹に関しては口を閉ざした。
「さあ、みんな行こうぜ!」
ファミリーが移動する時の掛け声は決まって翔一の音頭で始まる。最初は学園内を見学する。大和は昨夜、宇佐美巨人へと新入生の見学を行う旨の許可を取り付け、時間もして川神学園を訪れていた。
「どうかしら、まゆっち」
一子が元気一杯に由紀江に学校の感想を求めた。
「受験以来ですね」
「あはは、そう言えばそうだったわね。ところでまゆっちは何か部活に入ろうと考えているの?」
大和と翔一を先頭に由紀江が続き、一子は話し掛けながら校内を進む。その間にも由紀江の視線は至る処へと向けられていた。
「ぶ、部活ですか…」
「そうよ。大和から話しを聞いたけど友達作りたいのでしょ。なら入った方が良いわよ」
これは昨夜夕食時の会話を聞かされての事だった。特にファミリー内でも人当たりの良い一子が抜擢された。と言うのも由紀江が最も重要視している、友達百人計画の第一歩を歩ませようと言う大和の配慮が在ったのだ。
「そ、そうですね。それでは考えておきます。ありがとうございます一子さん」
「気にしないでよ。これぐらい当たり前の話しだわ」
しかし、許可を受けていたのはあくまでも校舎内の見学であり、部活動の見学は別であった。加えて部活の勧誘は必ず行われるので、その時に考えれば良いということに決まった。
「それにしてもこうして春休みに学校に来るなんてなんか新鮮だな」
卓也は帰宅部の精鋭である。その為関係の無い時以外は基本学校へやって来ることはない。その為か、いつもとは違う見え方が有り、貴重な経験となった。
「俺様は補習を受けるときは必ず来ていたな…」
岳人は一学期から補習の常連となっていた。一年生の頭からと思われがちだが福本郁郎もこの常連である。そしてつい先ほど岳人は常連仲間が授業を受けている光景を見て、哀れに思い二度と戻る事は無いと固く決意するのであった。
「次は日用品、生活必需品ならここ金柳街だぜ。俺がバイトしている本屋もあるから宜しくな、まゆっち!」
翔一はさり気なく本屋の紹介を欠かさない様、由紀江にこの場所を紹介した。アーケードによって買い物しやすくなっている商店街を駅へ向かい移動する。今日は買い物する事は無いが彼等もよく買い物で訪れる場所である。
「おうバッキャローども!今日も仲良くしてんな」
「こんちわ、店長。今日は新入生として島津寮に住む後輩を案内しているんだぜ!」
「何だと!?そりゃ新たな顧客じゃねーか。まあいいや、おお、嬢ちゃんがそうかい。うちの本屋を宜しくな!バッキャロー」
さり気なく営業を掛ける店長に圧倒される由紀江はつい顔を強張らせる。
「は、はははい。こ、ここここちらこそ、よろしくお願いします!」
「お、おう。随分と気合の入っている嬢ちゃんだな。まあお前等仲良し組に合う奴だな!」
そう言ってこの場を後にし、ぶらりとお店を冷やかしながら時間を消費すると出発時刻を迎え、川神駅へと移動しなければならなくなった。
「結局二か所しか紹介出来なかったわね」
一子は申し訳なさそうに由紀江に述べる。これには大和も予想外と言った感想を持っていた。それだけファミリーと由紀江の距離が近いからではないかとも彼は考えるのである。
「いえいえ、此処まで良くして下さり、本当にありがとうございました」
由紀江たちは改札前に別れを惜しむかのように会話をする。
「何、礼を言われるまでも無いさ。俺たちは同じ寮生に為るんだ。ならば仲良くしておいて損は無いだろ?」
「そうですね。何から何まで有難う御座います、大和さん」
「あ、またお礼を言っているわ。まゆっち、私たちはもう友達よ。だったら、有難う御座いますなんて言わないで、ありがとうでいいのよ」
今日の一子は大活躍である。それは誰もが認めることであった。
そう話していると、そろそろ改札を通らなければいけない時間となる。それに気が付いた由紀江は一時の別れの挨拶を述べる。
「皆さん本当にありがとうございました。次は寮生として参ります。その時はとろしくお願いします」
その様に言うと深く頭を下げる。
「そうだな、それじゃあその時もう一人も紹介できるようにしておくよ」
大和が言うのは徹の事だ。
「はい、それでは失礼しますね」
そう言って由紀江は改札を抜けてホームへと去って行った。
これが後に風間ファミリーの大型新人と呼ばれることになる黛由紀江とのファーストコンタクトであった。
お読みいただき有難う御座いました。
不定期と書きながら一月近く、間を空けて申し訳ありません。
ひと眠りしましたらご感想に書かれてありました。誤字脱字を修正して参ります。
今後とも当作品を宜しくお願い致します。
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010
「あー羨ましいなー」
その様に話す島津岳人は目の前に映る光景がどれほど憧れる光景なのかを知らしめるに十分な物であった。
「分かる、分かるぜーガクト」
「わからんな、三次元の何が…」
その言葉に対し、クラスメイトの福本育郎と大串スグルはそう言葉を述べた。
「まったくだな。年増の何が良いのか、俺には分からん」
そう言うのは唯一クラスの異なる井上準であった。スグルに一部同意しているのだが、根本的に方向性が間違っている。
「みんなそんなに見ていたら迷惑になるよ」
「放っておけ、モロ。どうせ制裁されるのが目に見えているのだから」
それを止めさせようとする師岡卓也と放置を決め込んだ直江大和である。
「敢えて放置する大和素敵、結婚して!」
椎名京は何かにつけて大和へと迫るが、それすらも無視を決め込み大和は注文した料理を食べるのであった。
さて彼等、特に岳人と福本が何を見ているかと言えば、三年生が卒業し熾烈な学食競争も緩和した三月の事。一、二年生がゆったりとした気持ちで昼食を取る光景がこの時期見られる川神学園。しかし、そんな中で少しの羨望、嫉妬等余り良いとは言えない感情が七割を占める視線を集める存在がある。
「お、美味しい?」
「美味しいよ、弓子」
「いーなー徹じゃあそれ私にもくれ!」
右に矢場弓子、左に川神百代を侍らせる様に食事をとる川神徹の光景であった。
「姉ちゃんはそこに飯が有るだろ」
「百代、これは徹君に作った料理なのよ」
周囲から距離を開けている彼等は負の視線もなんのその、動じることなく昼食を摂っている。周囲では彼等の声が聞こえない。だからこそ弓子は気を張らず自然に会話している。
「くっ、前は貰えたのに…」
百代は二人の言葉によって敢え無く諦めた。加えてあのデート以降、二人に連帯感が生まれたと感じた瞬間であった。
徹と弓子は残念がる百代を気にすることなく食事を続ける。
「この煮物、凄い俺好みだ」
「ホント、良かったわ」
何度か徹の好みを聞きながら試行錯誤をして作った彼女の料理は文句一つ付ける事のない物であった。
「いーな、いーな、いーなー」
そして、駄々を捏ね始める百代に大きな溜息を吐く徹は一度弓子を見た。すると彼女も徹が何を言いたいのかが分かった様に頷いた。仕方がないと奇しくも思いが一致したわけは、だんだんと大きく為る百代の声は周囲に迷惑となる可能性があったからだ。
「しょうがないから分けてやるよ」
徹はそう言って絶賛した煮物を箸で摘まむとカレーうどんが入っていた丼に置こうとした。
その瞬間、百代の身体能力が最大限度まで発揮される。徹が丼に置こうとしたその僅かな間に彼女は口に煮物を取り込んだのである。傍から見れば姉弟で食べさせる様な構図だが、美男美女の光景に周囲が盛り上がる。黄色い声と汚い声が入り混じる。
「うーん!美味しいー!!ユーミンの料理の腕は本当に最っ高だな!」
百代は自身のしたことを全く気にする事はなかったが、周囲の盛り上がり方は尋常ではなかった。
「かー見ましたか!あーん、ですよ!!あーん。幾ら姉弟でも羨ましい!!」
岳人が相当悔しがり。
「くそぅ、シャッターチャンスを逃したー!!」
育郎は百代の口を空ける瞬間というとある催しで稼げる決定的瞬間を逃した事を悔しがる。
「二次元であればフラグが…」
スグルは三次元から想像を膨らませ。
「あれが幼女であればな~『お兄ちゃんが食べさせてあげるよ』なんてな展開が!」
準は妄想に耽る。
特殊な物言いもさることながら特に女子生徒の黄色い声が学食内に木霊していた。
「はは、ホントやることが凄いよね。モモ先輩…」
ムッツリが定着しつつある卓也は羨ましい気持ちを隠してコメントし。
「まああれが姉さんだしな。俺はやらないからな京」
大和はこの後に起こるであろう行動を牽制する。
「ちぇ」
その予防線は絶大な効果を大和に齎し、京は軽く悔しがるのであった。
望み薄すだと判断した京はそう言って可愛らしく拗ねるのである。こうして楽しい食事?の時間は過ぎるのであった。
放課後、徹は主に岳人に制裁を入れてからバイト先へと移動した。
「こんにちは」
「はい。こんにちは、待っていたよ。それじゃあ今日もよろしく頼むよ」
洋菓子店店主であり川神学園のOB川秦照雄が元気に徹を迎える。お店の制服に着替えると早速店内へと向かう。彼のバイト先での役割はイートインも出来る洋菓子店のウェイターである。
その徹が現れるだけで常連客が増え、売り上げがさらに増えると言う逸話まである。そんな彼が出れば近くに呼ぼうと注文をしようとする争いが勃発する。
午後は学生とマダム達が半々で客として訪れる。その中で真っ先に徹を呼ぶことに成功した人物がいた。
「いらっしゃいませ。麗子さん、と咲さんお久しぶりです」
「いやーホント眼福だね。徹ちゃんのその姿!」
「ようっ!久しぶりだな。ごしゅ、うちの旦那の仕事が一段落したしさ、大和ももう直ぐ休みになるだろうからってことでな。それにしてもその格好決まってるな!流石麗子さんが褒めるだけあるぜ」
同い年の子が居るにも拘らず、凡そ一回り以上年の差が有る様な二人がそう言葉は異なるが徹を褒める。
島津岳人の母にして大和たちが暮らす寮母もこなす麗子と大和の母咲である。
「お褒め頂き光栄です。本日は此方がお勧めと為りますが」
そう言って徹は接客に徹する。身内に近い二人であろうとお金を頂く事をしている以上私情を挟みお店に迷惑はかけられないと気持ちを正して二人へ営業を行う。
「じゃあ、それを貰おうかね」
「そうですね。私も同じの貰うよ」
二人が注文した物は店内でも一、二を争う高価格設定のケーキである。加えてセットであればさらに値の張る品物となる。
「畏まりました。それでは暫くお待ち下さい」
徹は伝票に書き込むと二人に頭を下げてその場を去り注文へと向かうのであった。
こうしている間にも徹を呼ぼうと言う熾烈な駆け引きが行われる。時間にすれば僅かであるがイケメンの清涼感を僅かにでも与りたいとするマダムと同い年のイケメンと近くで接したいと言う女子生徒は我慢強い。
この日徹は五時間の労働を行った。
「お疲れさまでした!」
徹は先に上がる為先輩方にそう挨拶を行い、店を後にする。
「うー寒い!」
季節は三月、日中は春の陽気も感じられる暖かさも日が落ちればそうはいかない。彼はマフラーを口元までして帰宅の途へ着くのだが必ず通らなければいけない道で女性の悲鳴が聞こえたのである。
この日、大和田伊予はストーブリーグから始まる補強に熱狂し、待ちに待ったキャンプを終え、漸く始まった七浜ベイスターズのオープン戦を観戦した帰りであった。熱狂的な応援仲間と別れ帰宅している中、後ろを付ける足音が聞えて来る。彼女はオープン戦とはいえ勝利によって得た久方ぶりの興奮も一気に冷めてしまう。
彼女が一歩足を踏み出せば後ろの人物も一歩足を踏み出す。歩幅が異なるのか差が縮まる様な感覚に思えた。彼女は川神へ引っ越してきたばかりである。加えて川神学園へ入学を控えた時期であった。その様な彼女に別ルートで家に帰ると言う選択肢は存在しない。何とか急いで家に帰る事だけを頭に入れて早足となっていた。。
だが、それも遂に限界に達する。奇しくも場所は多馬大橋、通称変態橋とも呼ばれる場所であった。
伊予はつい後ろを振り返ってしまった。
「お嬢ちゃん、こんな夜遅くに一人で歩くなんてなんて危ないよ…」
伊予は思わず危ないのはお前だと言いたかったが恐怖が彼女の行動を制限し、悲鳴を上げる事が精一杯であった。
夜であっても照明は確りと明るく照らし、交通量もある国道だ。しかし、人通りが極端に減る為にそう簡単に彼女の悲鳴は届かないと後ろにいた変態が彼女に詰め寄ろうとする。
「へへへっ、そんな可愛い声を出してもこの時間は声が届かないよ」
にじり寄る男、距離を開ける伊予。そんな攻防が二、三度続いたのち男は彼女へと襲いかかろうとした。
「イヤー!!」
この瞬間、伊予の脳裏にはベイスの優勝からどん底までの天国と地獄が走馬灯のように甦る。特に優勝のシーズンは映像でしかお目にかかる事が無かった彼女はこの目で優勝を見たかったと思うのである。
「はい、そこまで」
「ぐぇ…」
戦力も整い今年こそチャンピオンフラッグを!と思ったところでそんな声が聞え、襲い掛かろうとした男の気持ちの悪い声が聞えた。そして瞑っていた目を開けるとそこには白馬の王子の如く徹の姿が彼女の目に飛び込んできた。
その後橋の近くにある交番へ男を突き出し、事の経緯を話した後二人は帰宅を始める。
「あ、あの!本当に有難う御座いました!!」
伊予は意を決したように徹にお礼の言葉を述べる。今迄恐怖と安堵の感情、そして警察への事情説明等によって落ちついて徹に言葉を掛ける事すら出来ないでいたのだ。
「いや、気にしなくても良いよ。それより大丈夫だったよね?」
徹はそう言葉を返した。それは謙遜でも何でもない本当にたいした事ではないと彼の中で思っての事である。
そう言う理由は彼が川神徹だからである。距離にして一㎞は離れていた距離を伊予の悲鳴を耳にして僅か数秒で変態の後ろへと移動していたのである。そしてタイミングを測り、彼が襲い掛かろうとしたところで仕留めたのだ。
「は、はい!それはもう本当に、居たって大丈夫です!!」
隣を歩く伊予はそう元気いっぱいに徹に言葉を返した。
「そっか、良かったよ。この時期になるとこの橋周辺にはああいった輩が出没し始めるからね」
徹はまるで冬眠から目覚めた様な、と付け加えて彼女の笑いを誘った。
「そうでしたか。私こっちに引っ越してきたばかりで」
徹の説明に笑った伊予だがこの橋の曰くを知り少し先程の恐怖が甦る。
「そっか、それじゃあ知らないのも無理はないよね。俺は川神徹よろしく」
「わ、私は大和田伊代です!」
交番でも警官相手に名を名乗ってはいたがこうして自己紹介する事はここまで無かった。
「あの、川神って川神学園と関係が有りますか?」
伊予はスッと入ってきた徹の名前に引っ掛かる箇所が有りそう尋ねた。
「ああ、俺のじいちゃんがその学園の学長をしているよ」
「わ、私は来月からそこへ入学するんですよ」
やっぱりと感じた伊予は何処かシンパシーをその時感じ自身の事を話し始めた。
「へーじゃあ俺後輩になるのか。俺は伊予ちゃんの一っこ上になるよ」
そう話したことで余計に伊予は徹の事を頼もしく感じるのである。そして帰り道上二人は川神学園がどの様な場所か等を徹が説明しながら進むのであった。
「あっ、私の家あそこです」
歩いた時間は十分ほど、伊予は住宅街のとある場所を指差してそう言った。
「そうか、それじゃあここでお別れだな」
「本当に有難う御座いました。川神先輩」
伊予は何時しか徹をそう呼んで、深々と頭を下げた。
「後輩を助けられて良かったよ。それじゃあ又、学校で会おうぜ」
「はい!それじゃあおやすみなさい!!」
「お休み」
二人はそう言って別れたのである。
伊予はこの日の事を日記へと確りと書き込んでいる。ベイスの試合が有る日は主にそれに関係した事を書き込んでいたがこの日ばかりは徹の事が主体となって綴られていた。
「ただいまー」
徹は家に帰ると随分と遅くなってしまったと感じ声を抑え気味に発した。
「お帰り徹。随分と遅かったじゃないか」
「ホントね。どうしたのよ。徹?」
川神姉妹は風呂上がりの様相で徹の帰宅を迎えた。岳人や福本等男子生徒が見たら涙ものの光景である。
「んっ、ああ人助けだよ。じいちゃんは?」
「儂ならばここじゃよ」
徹の言葉にすかさず反応する鉄心は流石壁を越えた者である。
「今日の帰り道にさ…」
そこで徹は帰宅までの出来事を鉄心に加え百代たちやルーを加えた者に話す。来月から生徒になる事が判っている以上学園関係者の二人に確りと話さねばと彼は考えたからだ。
「なるほどのぅ。そんなことになっておったか、良く未然に防いだのう」
「本当だネ。良くやったヨ。徹!」
鉄心とルーはそう言って彼を褒める。
「流石私の弟だな」
「ホントね。凄いわー」
姉妹も我が事の様に徹を褒める。
「しかし、徹だからこそ未然に防ぐ事が出来ましたガ、もしそうでなければどうなっていたカ…」
ルーは直ぐに頭を切り替えて対策を練り始める。
「そうじゃのう。こうした事は奇跡に近いのぅ。見回りを強化せねばならん」
教員の宇佐美巨人を通じて親不孝通りと呼ばれる場所には見回りを出して貰っているが、此の度あの橋もその対象に加えなければと鉄心は考えた。とは言え、これは学校における業務では無く宇佐美代行センターへの仕事依頼である。学園の予算も決められている中でそう簡単には行かないのも事実である。
この事を指摘するルーであったが、他に妙案もなく宇佐美へと依頼し、警察への要請を行う事で決着したのである。
偶然とは恐ろしい物である。
見られていないと思っていても何処かで誰かが見ている物なのだ。
矢場弓子は自身の鍛錬も欠かさない武士娘である。この日、勉強も家事も終わった彼女はランニングへと出ていた。気分転換も含め順調に設定した道を進んでいた。その時、ふと視線に入りこんできた一組の男女、その後ろ姿である。
「えっ、ウソ……」
彼女の目に映り込んだのは仲睦まじく歩く徹の姿であった。
時間を空けると話が上手く合っているのかが 分からなくなりました。
次は早く上げられる様に頑張ります!
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011
徹との交際が始まりもうすぐ一月が経とうとする中、矢場弓子は衝撃的な光景を目にしてしまった。まさか彼氏の川神徹が別の女性と歩いているとは夢にも思わなかった。これが姉の百代や義妹の一子であれば問題なかった。決して嫉妬深くはないと思っているが、仲の良さそうに歩く姿を目にしては味わった事のない感情が弓子を支配していた。
その後、彼女はどう家路に着いたか、どうやって朝を迎えたのかも分からず学園へと向かうのであった…
「よう!」
「おーっす!」
「おはよう徹」
翌日、恋人が憔悴していることなど知らず、
徹はいつも通りに家を出て風間ファミリーの集団に合流する。岳人は卓也と一緒に週刊漫画雑誌の批評に余念がなく、京は大和に文字通り着いて歩くと言う何時もの光景である。
「あれ、ワン子と姉さんは?」
大和は姉妹のどちらかが居る筈が、両方とも居ない事を訝しんで徹に尋ねた。
「一子は走っている。姉ちゃんは先に家を出たぜ」
これだけで大和は二人がどう行動したかを理解した。それは京も岳人達も同様であった。だからこそ、この後に起こる可能性の高いイベントに大和たちは溜め息を吐いた。
「うちの姉が本当に済まん大和…」
尻拭いは決まって大和へ、と言うのが百代の中に存在する。徹もやはり家族と言うフィルターが存在し、どうしても甘くなってしまう。何事も手際よく行う大和を信頼しているとも言えるが、大和は何時も見返りが少ないと心の中で愚痴を零すのである。
「まあ、もう慣れたけどな…」
何処か達観した様な大和の言葉に、今度何かで穴埋めをしなければと決心をする徹であった。
「そう言えば昨日バイト先で咲さんに有ったぜ」
徹たちの間では大和の母咲と岳人の母麗子に対して、おばさんとは決して付けてはいけないと言う不文律が存在する。嘗て純粋無垢な一子が『大和のおばちゃん』と言った時の光景がトラウマとして彼等の脳裏にこびり付いているのである。それは麗子に関しても同様であった為に以後、空気を読まない翔一ですらこのルールは守っている。
「ああ、その話昨日聞いたよ。突然帰って来て俺も吃驚したけどな」
大和はそう言うが、若干マザコン気味と受け取られてしまう大和と咲の関係は言葉では表せないほどに仲睦まじい。寮内での出来事を知る京は敢えて何も語るまいと静観を決め込んでいる。
話題に事欠かない彼等は話しに夢中になりながら、特にこの場に居ない翔一の事を心配しながら歩いていると目の前に人だかりが出来ていた。それに大和は大きく溜め息を吐く。
「あーやっぱり…」
「ごめん、大和…皆も迷惑かける」
予想通り、目の前では河川敷で百代対大人数の不良と言う構図でバトルが行われようとしている。それを面白がって見物する川神学園の生徒たちは、本来ならば怖がり人を呼ぶなどするはずが、その様な雰囲気が皆無である。言うなればイベントを楽しむ様な空気が流れている。
「さてと、いつも通りに頼むぜ」
大和はファミリーにそう言うと皆自分の行う事を理解していてテキパキと役割をこなして行く。大和と徹は百代の邪魔にならぬ様、観衆を適度な距離まで離す。これが重要で、他の一般人に被害を出さない様にするのだ。そして土手まで埋め尽くす観衆を通行の妨げにならぬ様誘導整理を行うのが岳人、卓也、京の役割である。一子がいればここに加わる事になる。
そう頑張っていると勝負はあっという間に決する。五十人は居た筈の不良は来た方角へと投げ飛ばされての決着となった。それに湧きあがる生徒たち、我先にと女子生徒が百代の周りに集まり労いの言葉を掛ける。男以上に男前な百代の仕草に彼女等はうっとりとしてしまう。
「あーいいよなー一人で良いから恵んで欲しいぜ」
「仕方ないよ。ガクトだもん」
さり気なく毒を吐く卓也にすら気が付かないほど、百代の空間を凝視する岳人であった。
その後は遅刻するかもと言う事で見物していた生徒は一路学園へと急いだのは言うまでもない。
この日から学園の授業は午前で終了する。部活に精を出す者、バイトや遊びへと多種多様な行動に幅が出る。
珍しく京は自身が所属する弓道部への練習へと顔を出していた。しかも見学では無く確り練習着に着替えてである。
京はやはり弓道と弓術は違うな、と思いながら的へと矢を放つと珍しい光景を目にしてしまった。それは他の部員すらもお目に掛からないものだった。
「あっ…」
そう声を漏らした弓子の放った矢じりは的を外してしまった。しかも一度や二度では無く、当たっても端を射抜くだけである。正しく精彩を欠くとはこの事であった。
(これは何かあったね…)
男女の機微には殊更に敏感な京は徹との間に何かが有った事を悟った。弓子には技術の前に集中力が皆無であると京は判断していた。それを失わせる何かとは、徹以外において無しと京は考えていた。ファミリーにおいては積極的な京は思いもかけず弓子に手を差し出そうと決心したのであった。
終始精彩を欠いた弓子は、声も弱くこの日の部活動を終えた。既に三年生は引退し、新体制に移行して主将は弓子に選ばれていた。顧問をしている小島梅子も言葉では厳しく弓子に喝を入れているが、内心では何かあったと分かるほどに弱々しいものであった。
「矢場先輩」
京は時機を見計らって弓子に声を掛けた。幾度となく部員が励ます中、力無く答える弓子に対してそれを遠目で見ていた京が動いたのである。
「な、何かしら椎名さん…」
そう言った弓子は項垂れている。着替えを済ませ後は戸締りをして学園を後にするだけと言う中、部室内には京と弓と言う珍しい構図である。
「徹と何かあったのですか?」
徹と言う言葉を京が出した瞬間、弓子の体が強張る。これではもう決定的であると京は思った。
「ま、まあ遭ったと言うかね…」
京と徹の中を知る弓子は思わず告白しそうになったが口を噤んだ。昨夜の光景を思い出し、口が先を告げさせなかったのだ。
ファミリー以外関係ないという態度を隠そうともしない京の普段を知る弓子は、驚きの気持ちと徹との関係のある人物、そして女性と関連させ負の連鎖を呼び起こしさらに落ち込む。
「取り敢えず何があったのか話してみませんか?」
京はぶっきら棒な物言いではあるが、優しい言葉を掛けるよりも何が有ったのかを確認する方が先だと考えたのである。
「実はね…」
心が弱っていた弓子は遂に後輩である京に話しを始める。その内容は昨日の光景であった。
「なるほど…」
確かにと京は弓子の見た光景を見ればそう疑うのも無理はないと思った。しかし、長年ファミリーとして一緒にいた京として、徹はがその様な事をする筈がないと自信を持って言える。だが、弓子は知り合って間もない間に恋人関係となった。だからこそ京が徹の事を説明しても無理だとも考えている。加えて第三者が介入して拗らせる可能性が在るならば、自分たちで解決しなければならない問題だと言う結論に京は至った。
本来この様な事も大和が介入することで万事解決と為るが、この日は家族で食事をするということで連絡は取れないと判断し選択肢から除外していた。
「矢場先輩は徹に確かめましたか?」
「ムリよ、確かめられる訳ないじゃない…」
それを行うことは恐怖でしかなかった。もしその様な事をして「そうだ」と言われれば繊細な弓子の心は壊れてしまうことに違いなかった。だからこそ簡単なようで困難な一歩が踏み出せないのだ。
「なら確かめてみましょう」
しかし、京は違う。徹を知り、第三者である彼女にとって会話が一番であると確信し、携帯を取り出し徹に連絡を取ったのである。
一方、徹はバイトもなく彼女の弓子が部活と言う事もあり川神院で汗を流していた。
「押す!お願いします!!」
元気よく声を上げたのは一子である。
この日の徹は全員が倒れるまでと言う変則的な百人組み手を行う。院内でも実力者を集めた中で一子を徹が指名し一番手を任されたのである。周囲からも不満が出無かった事で一子の実力も認められて来たと実感したのは徹だけでは無かった。
「それじゃあ、用意はいいネ。はじめッ!」
ルーの言葉で組み手は始まった。武器有りでの戦いは真剣勝負である。気を抜けば幾ら刃を潰した、とはいえ大怪我は必須となる。
一子は例によって自身の武器となる速さを活かした攻撃を薙刀で行う。
「ウォリャー!」
彼女は言葉には出さなかったが川神院の技を、それも奥義を徹に見舞った。嘗て徹に指摘を受けた際『どうして技の名前を言うのか』と言われた事を確りと学習していたのである。一見の対戦相手であればどの様な技か判断できないが、同門川神院の修行僧であれば話しは別だ。瞬時に体が反応し対策を取られてしまう可能性が高くなる。これでは速さと言う彼女の利点も死んでしまう。
一子の攻撃をギリギリで避ける徹は満足そうに頷くと一瞬の隙を突いて拳を入れる。その瞬間一子は壁際まで飛ばされてしまった。
「次ぎ!」
介抱する者も確りと準備していて飛ばされた一子を既に見ている。それをちらりと確認したルーは二番手の者を促した。又、一子や彼等が目を覚ますとストップが掛かるまでこの鍛錬が続くのであった。
放課後から四時間ぶっ通しで戦った徹は汗を流す為にシャワーを浴び、タオルで髪に残る水分を拭き取っていると携帯が鳴っている事に気が付いて部屋へと駆け込んだ。
「京…?」
珍しい人物の表示を見た徹はどうしたのかと通話ボタンを押した。
「もしもし、どうした京?」
『あっ、良かった。今から学園に来て』
それだけを言うと通話を切られてしまった。突然過ぎてどうしたものかと悩んだが、京がそう言うのならば、と急いで着替え一子に出掛ける旨を話して家を後にするのであった。
「これでよし。矢場先輩、先ずは確り徹と話して下さい。不安でしょうが私が知る徹はその様な事はしません。だから勇気を出して話して下さい」
珍しく饒舌に語る京に思わず弓子は素直に従った。彼女の言葉と瞳が真剣さを伝えていたのを弓子が感じていたからである。
「わ、分かったわ。椎名さん…」
その後京は『これで失礼します』と述べて部室を後にし、追加で徹にメールを送るのであった。
京が去ってから程無く徹は部室へと現れる。
「京、入るぞ!」
徹の声が外で聞えると弓子は体を強張らせる。やはり恐怖が彼女を包み込んでいた。初めて出来た彼氏と言う事もあり、どうしていいのか判らない彼女は京に言われても拭いきれない不安が存在していたのだ。
徹は京が中で待っていると思い、入る前に一度声を掛けて部室の扉を開けた。
「話ってなんだ?って弓子?」
何気なく京だと思って扉を開ければ中には彼女の弓子が待っていた。
「こ、こんばんは徹君」
務めて気丈に、普段の通りに声を掛けたと思った弓子であったが、その小さな変化を武神の弟である徹は瞬時に悟る。
「こんばんは弓子。それで……何か有ったのか?」
窺う様に徹は弓子に言葉を掛けた。それから本の数秒間を置くと意を決し徹に話し始める。その間、弓子は長い時間であったと感じていた。
「昨日の夜……一緒に歩いていた女の子は誰?」
賽は投げられた。一瞬、最後の最後で言葉を躊躇うがもうここまで来たら、と昨日の事を尋ねた。
「昨日の…夜…?ああ、伊予ちゃんの事か」
徹はそんな弓子の思いとは異なり、尋ねられた事にハッキリと答えるだけであった。その瞬間心臓を掴まれ体が冷える感じを覚え、呼吸が止まる様な感覚に襲われた。
「伊予ちゃん…?」
もう一度尋ねる様に弓子が言うと徹は件の女性を説明する。
「ああ、昨夜バイト終わりであの橋で変質者に襲われているところを助けた新しい後輩だよ。名前は大和田伊予ちゃんだ。それがどうしたんだ?」
そう徹が言い切ったところで弓子は全身の力が抜け落ち、崩れる様に地面に伏せ始める。
「あぶなっ!」
徹は彼女を正面から抱きしめて何とか無事に済んだ。弓子は彼の胸に収まるように抱かれいている。
「は、はは、何か力が抜けちゃった…」
「一体どうしたんだよ、弓子?」
徹は事情が飲み込めず、さらには緊張が安堵に変わり自然と涙を流している弓子に狼狽していた。
「あのね、昨日の事なんだけど…」
そうして弓子は昨夜自分が見た事を、そして感じた事を徹へと話し始めた。
まさに青天の霹靂であった。人助けをした一方で彼女を傷つけるばかりか、此処まで追いこんでしまうとは夢にも思わなかった。そして徹は弓子を抱きしめたまま部室の床に座る。
自然と彼女は抱きしめられたまま密着度合いが高まった。
「ごめん弓子…」
この言葉だけで弓子は彼の考えている事が理解出来た。拒絶の言葉ではなく謝罪であると。
「ううん、いいのよ。勘違いした私が悪かったわ」
全ては自分の早とちりであると結論付けたのである。今ではこうしているだけでも幸せな気分になっていると思うと随分と現金な、と自身を笑ってもしまう。
「椎名さんがね」
そう言って一度言葉を区切った。
「京が?」
間を置くことなく徹が尋ねた。
「椎名さんが私に話し合うべきだと言ってくれたの。徹君はそんな人じゃないって」
そう言う弓子はさらに徹の胸に顔を押しつける。
「そうだったのか…」
そこで漸く謎の連絡も理解出来たと徹は思った。それと同時に弓子に対し本当に申し訳なく思い。抱きしめる彼女にさらに強く抱きしめる。
「うん。あそこまで真剣な目をして私に話してくれた椎名さんは初めてよ」
人一倍ファミリーを大事にする京だからこそだと徹は思った。実際には、京の中で弓子は徹との関係から半分ほど気にかける存在にランクアップしていた。
こう出来るのならば大和とも相談して京を他の人間と触れさせるのも良いのかもしれないと考える切っ掛けとなった。
「そうか、それじゃあ今度お礼をしないと」
そう言って徹は弓子の顔を上げさせる。目と目が真正面で見える位置にまで体勢を変えさせる。
その近距離からか泣き腫らした弓子は顔を背ける。
「駄目よ。今迄泣いていたのよ。こんな顔見ないでよ。んっ!?」
そう言う弓子に対して徹は有無を言わさず彼女の顔を正面に戻すとキスをした。
長い事唇を重ね、何時しか力を抜いて彼に体を預けていた。
「今の弓子は本当に綺麗だ。見た目とかじゃなく、その内面から美しさが溢れているようだ」
岳人がそんな事を言えばドン引きどころの騒ぎではないだろうが発言は徹である。加えて彼氏彼女の間柄であればこの程度の言葉問題にならなかった。
「バ、バカ…」
それでも時と場合による。この時、徹の言葉は彼女を打ち抜くのに十分な威力を発揮するのであった。
この後、一向に報告に来ない弓子を心配した梅子が二人のあられもない姿に赤面し雷が落ちるのは言うまでもなかった。
但し、梅子基準である事は忘れないでいただきたい。
御一読ありがとうございました。
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012
ま、全くけしからん!!
「こ、小島先生どうかしましたか?」
私は動揺を隠しきれぬまま職員室へと戻ると、同僚の宇佐美先生が『待っていました』と言わんばかりに話し掛けて来た。いつもの事だがどうにも……
「いえ、何でもありません」
言える訳が無い。あの川神徹と先月交際を始めたと耳にしている矢場弓子が、し、神聖な部室で……
私はついあの光景を思い出し大きな溜息を吐いてしまう。
「やはり何かあったのでしょう。出て行った時と様子が違いますよ」
はぁー宇佐美先生の言葉も良く耳に入らぬまま再び溜め息が口から出てしまう。困った物だ…
「い、如何でしょう。そんな時はお酒でも飲んで明日の勤労意欲を養いませんか?」
例の如く私を飲みに誘う…か。まあ、たまにはいいか……酒を飲んで忘れる。大人の特権かな……
「分かりました。それでは飲みに行きましょう」
その時の宇佐美先生の顔はとても嬉しそうな表情であったと思いたい。
「おや、飲みに行くのでおじゃるか?それでは麻呂も参加するでおじゃる」
「おっ、いいですネ。私も参加しますヨ」
今日は誘わずとも参加者が増えるか…はぁ、今日はたくさん飲もう。それで又、孤門先生に相談しよう……
徹と弓子は梅子のカミナリによって冷静となった為、学園を出たて程良い付き合いへと戻った。それでも別れを惜しむように二人は少し遠回りしながら家路に着いている。
「成程な。本当、京には感謝しないと」
弓子はあの場で話せなかった椎名京の言葉と行動を徹に語る。
「うん、本当に椎名さんには感謝しないといけないわ」
そして以前は、ほど良い距離間で移動していた二人は腕を組んで歩くようになっていた。
もう直ぐ訪れる春休み、徹は新二年生として、弓子は新三年生と言う立場である。前者は割とゆったりとした学生生活を送れる学年に、後者は責任のある立場へと進むことで余裕のある時期は僅かである。
「春休み何処かに行きたいね」
徐に話す徹に弓子もそう考えていたのか同意する言葉を発する。
「そうね。とはいっても部活が有るから二日ほどかしらね」
彼女もどうして、大胆になったものだと徹は思った。日帰りでと彼は考えていたのだが予想を超えた言葉に嬉しさが込み上げる。
「そうか。日帰りでも良かったけど。泊りも有りか…それじゃあ日も差し迫っているからなるべく早く考えよう」
徹の言葉に漸く自身の述べた事がどれだけ大胆であったかを思い知り顔を赤める弓子であった。
その日の帰り、別れ際に徹はさり気なく彼女の頬にキスをすると別れ、其々の家路に着く。
そして徹はそのまま川神院へと戻ると取って返す様に島津寮へと足を向ける。
「やあ、いらっしゃい徹」
出迎えたのはクッキーであった。
「こんばんはクッキー大和は居るか?」
「居るよ。今は日課の勉強をしている筈さ」
「そうか。はいこれ差し入れね」
そう言って家に有った葛餅をクッキーに差し出して徹は大和の部屋に向かう。
彼の目的は決して大和では無い。しかし、大和の下へ向かうには訳が有った。
「やっぱりここにいたか京」
襖を開けると大和は机向かい勉学に励み、京は壁にもたれ掛かり小説を読むと言う光景が目に入った。
「どうしたんだ。こんな時間に?」
大和の第一声がこれである。机に置かれたデジタル時計が二十時半を示していた。
「ん、京にお礼をな」
徹の言葉で分かるのは京だけである。
「お礼は実のある物でお願いします」
その言葉に対し大和は嫌な予感しかしなかった。
「ではこれを」
そう言って徹は徐に一枚のカードを差し出した。
「おい、徹それはっ!?」
大和は奪う様に手を出そうとしたところで運悪く京に先を越された。
「こ、これは……」
京は両手で恭しくカードを頭上に掲げた。そこにはとある文言が記されている。
『なおえやまとがなんでもいうことをききます』
まだ拙い文字で書かれた文章も京にとって効果は絶大である。それと共に未だ効力の失効していないそれに大和はがっくりと肩を落とすのであった。
「少し考えたが、京にはこれが一番いいかと思ってな」
「間違いない。本当に感謝だよ、徹」
これは嘗て大和がファミリーの男衆に渡していた何でもカードであった。特に誕生日に渡す癖のあった大和は数枚を徹にも渡していた事を思い出した。それと共に過去に戻れたら決して渡してはならないと教えるべき事であった。
「はい。徹の差し入れを持って来たよ」
クッキーが襖を開けて葛餅とお茶を持って入ってきた。大和も勉強どころではなくなり休憩がてらどうしてこの様な事をしたのかを問い質す場へと決め込んだのである。
「それで徹はどうして京にあれを渡したんだ?」
「俺と弓子の間を取り持ってくれたからな」
平然と京あった事を徹は大和に話しだす。京が部活に参加する事は知っていた。それは大和と徹が梅子に懇願されて説得したからだ。しかし、それ以上に京がファミリーの一員徹にナイスアシストをした話しを聞かされた。
「へーそんな事になっていたのか…」
お茶を一口飲んだ大和はそう言葉を漏らした。
「ああ、京が俺に電話してくれなかったらどうなっていたか分からなかったよ。本当に感謝しているぜ」
「ファミリーのピンチは見逃せないの」
然も当然と言う様に京は言うが、少し嬉しそうな表情をしているのを二人は見逃さなかった。
「と言う訳で俺は最上の感謝を京に示さなければならなかった。わかるよな、大和?」
「ホント最高の品物だね。ククッ」
そう含みのある笑みを浮かべて大和を見た京であった。
「安心しろ。京は本当にお前が嫌がる事はしないからな」
「そうだよ、大和。本当に嫌がる事を私はしないよ」
本当にと言う言葉を強調した京であった。だが、決まって彼女がその様な顔をしたとき大和にとってよい事等あった為しはなかった事を忘れてはいなかった。
暫く話し込んでいると流石に明日もまだ学校が在ると思い徹は帰宅しようと大和の部屋を辞そうとした時である。玄関が開けられ、同じ寮生の源忠勝が帰って来た。
「お帰り忠勝」
「おう。来ていたのか徹。って、帰るんだな」
「明日が休みなら問題なかったけどな。それじゃあな」
そう話して徹は島津寮を後にした。
翌日は修了式であった。皆が決まって浮かれた気持ちを隠そうとしないのは各教員分かり切っている。しかし、川神学園はそれを正そうとする者は川神鉄心の一言で十分である。
『喝っ!』
その言葉で気持ちを律する事が出来た。生徒全員が壇上に上がっている鉄心に視線を向け、誰ひとり言葉を発する事はなかった。ただし、場所が体育館と言う事もあり音が響き渡り数名の生徒が運悪く気を失った事は言うまでもない…
『うむ。明日より春休みとなる。浮かれることも分からぬではないが、オンオフを身に着けなさい。さて、来月より皆は一学年上がる。新たな環境で勉学に励み、やりたい事を思う存分やりなさい……』
川神鉄心の有り難いお言葉を受けながら暫くの時を過ごし修了式を終えるのであった。
そして、教室へと戻れば当然行われるのが成績表を受け取ると言う物である。F組のみならず、各クラス悲喜こもごもであった。
「よかった。五教科オール三だわ!」
一子は担任の小島梅子から成績表を受け取ると恐る恐る、そーっと折りたたまれたそれを開けた。そしてそこに記されている数字を緊張した気持ちで見やった。
一学期、二学期は十段階評価となるが三学期はそれに加えて年間の評定が出される。つまり五段階評価で記されるのだ。
「うん。一子はよく頑張ったよ」
「そうだな。よく頑張った。一子」
京と大和が確りと褒め千切る。尻尾が在れば千切れんばかりであったろう。
「徹はどうだったんだ?」
「ほら」
岳人が何気なく声を掛けた徹に対し、彼は隠しことなく成績表を見せた。
「社会科、日本史以外十…ってオール五ってお前なんだよ!」
岳人は怒りのあまり破り捨てそうになったのを抑えた。
「なんだって、言われてもな。これが結果だし。日本史は仕方が無いだろう」
何と言っても日本史はほぼ平安時代しか教えようとしない綾小路麻呂に対し面と向かって文句を言い放ったのが徹であった。以後私怨に近しい事が繰り返し行われる様になった。それが如実に表れるのが成績表の数字である。本来鉄心の耳に入ってもいるが、徹がそれを問題視しなかった事で依然としてこう言った事が行われている。
「だが、いい点取ってもこれは無いよな」
「そうだねって、何なのさこれ!」
卓也も成績を受け取り岳人と徹の下へとやって来た。そして岳人が見ていた徹の成績表を見てそう思わず突っ込んだ。
「まあ気にするな。俺は別に推薦なんて狙っていないからさ」
そう言って何てことなしに徹は平然としていた。その姿が余計に器を大きく見せ、人を惹き付ける。
「はあー徹君カッコいいわ」
「チカリンの言う通り系。あーまじ食いてぇ、いや食われたい系~」
恋人が出来た事を知ってもそう言う類の言葉や行動が減る事はなかった。ただ、付き合いたいと言うのではなく、アイドルの扱われ方であった。
放課後はシフトの入るバイト先へと移動した徹は平常通りに仕事をこなし、恒例となる金曜集会の為にお店のケーキを幾分多めに購入し基地と呼ぶ廃ビルへと文字通り跳んで移動するのであった。
徹が入室するとそこには百代と京に襲われる大和と両手で目元を隠す一子。羨ましそうに眺める岳人と苦笑いしながらも確りと京を見つめる卓也の姿であった。唯一翔一が居ないのだが、出席日数を確保し、テストを受けた後、旅に出ていると言う自由人であった。
「と、徹ヘルプミー!!」
百代が大和の腹に圧し掛かり、京が彼の頭越しに両腕を拘束しまさに捕食一歩手前と言う光景である。
「そこらへんで止めておけよ。姉ちゃん、京」
「えー、折角楽しんでいるんだ。もう少し楽しませろよー」
「そうだ!これは私と大和の真剣な勝負なんだ!!」
百代は気が削がれた様に、対して京は千載一遇のチャンスとばかりに既成事実を構築せんと行動しようとしていた。
そこで徹は両者の気持ちを知る者として京の行動を止めた。
「ちえー」
「ちえー」
二人は同じ言葉を口に徹に非難めいた視線をやった。しかし、そんな事は戯れでしかなく、風間ファミリーの中ではよくあることであった。
その証拠に何事もなかったように徹の持ってきたケーキを食べられるほどの余裕を皆が見せた事である。一子はお気に入りのケーキを無我夢中で食べ、他も舌鼓を打っている状況だ。
「そう言えばキャップは何時頃帰って来るんだ?」
「そう言えば彼此一週間は見て無いね」
「何処に行ったんだっけ?」
「関西に行くって言ってたよ」
皆の中で翔一と言う人物は風の如くふらっと姿を消し、衝撃を土産に帰還を果たすと言う認識であった。
「まあ春休み中に帰って来るだろ。さて、短い春休みだが…諸君!宿題は必ず終わらせるぞ!」
先程の報復とばかりに大和はそう宣言すると百代を睨み付ける様な視線を飛ばす。これは試験前の勉強と同じ役割が与えられる。大和、徹、京と卓也が主に監視を行う側だ。強敵は何と言っても百代である。次点で翔一が食い込み岳人が続く。一子は京が確りと指導と言う名の調教を施せば問題なく終わらせる事が出来る。
「おいおい、大和。折角のバカンスに水を指す様な事を言うなよ」
「よし。ガクトはノータッチな」
「済みませんでした!!」
「非道な大和好き」
「お友達で、京」
こうして平凡だが彼等風間ファミリーに取っては掛け替えのない充実した時間は過ぎていくのであった。
「で、徹。お姉ちゃんは翌日にどうして宿題をやらなければならないんだ?」
些か不満気味な百代は新三年生に課された宿題を持って、『休みなのに訪れたくもない』とぼやく川神学園に制服を着込んでやって来ていた。当然徹も制服姿で自身の宿題も持参しやって来ていた。
「決まっているだろ。ここで宿題を…」
やるんだよ。と、そこまで言い終わる前に百代は瞬間移動宜しく姿を消した。
「話しているのが俺だってこと忘れていないか、姉ちゃん?」
これが大和であれば捕獲はゼロであったろう。ところが相手は彼女の実弟であり実力も拮抗する相手だ。逃げ切れるわけがない。無駄に奥義を繰り出すなと口酸っぱく言い放つ徹にしては、珍しく捕獲に際し奥義を使用したのは言うまでもない。それほど彼女は一目散に逃げ出そうとしたのだ。
「休みに入った瞬間から勉強はヤダ!」
「我がまま言うな。俺だって初日からやりたくはない。でも有意義な春休みを過ごしたいだろ?」
根底部分が似ている二人は百代の言う事は至極当然と受け入れていた。しかし、早く終わらせてたっぷり遊ぶと言う考えが在る徹は許す事はない。特に彼は付き合い始めた彼女と最初の長期休暇である。そう言った手前百代にそれほど拘束される訳にはいかないのだ。
「安心しろ。午後二時で解放するから」
「ほんとうだな。本当に解放するんだな?」
嫌いな勉学を強いられる為少し思考が幼くなった百代であった。だが、二人が出向いた時刻は九時を回ったところである。つまり休憩を入れるにしても四時間以上宿題をやらなければならないと言う事だ。
「あっ、時間だ。それじゃあ姉ちゃんこれで終わりな」
休み中はチャイムと言う物が機能していない。携帯を操作してアラーム機能を設定し、丁度鳴り響いたのを徹が止めたところであった。
「お、終わった……」
人間の集中力持続時間は短い。だが、この姉弟はぶっ続けで完走してしまった。そして、やりきった百代は机に伏してしまっていた。
「お疲れ。俺はこれからデートだから、先に行くな!」
そう言って徹は荷物を仕舞うと教室を後にした。
「なるほど、学校にしたのも時間を区切ったのもユーミンとデートする為だったのか……」
そう呟くが既に脳細胞が酸欠を起こしている様にぼーっとした感覚に苛まれる百代は怒りが沸々と膨れ上がった。
しかし、彼女の中では可愛い弟と親友の間を邪魔しようなどと思わず、怒りは自然と萎んでしまった。
「はー消化不良だなー鍛錬も徹が居なければ意味無いし…こう言うときはあそこしかないな!」
そう呟くと荷物を纏め教室を後にし、あっと言う間に目的の場所へと移動したのだった。
憐れ、直江大和!と言う言葉がしっくりくるほどのセクハラを居合わせた京と共に行い百代はサッパリとした気持ちでその日を終わらせるのであった。
御一読ありがとうございました。
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013
「全く、風間お前はもう少し落ち着いて行動しろ。ほら成績表だ」
小島梅子は目の前で反省の素振りを見せない風間翔一に大きく溜め息を吐いた。
「悪いな、梅先生。でも俺の成績は最低で良いからよ」
「そうか。風間も高校生なのだから自分の事は自分でな。ほら、宿題などは直江たちがどうにかするだろう。取り敢えず四月からは落ちついてな」
翔一に対しては暖簾に腕押しになる言葉だが、一教師として希望を述べた。その後、翔一は軽い足取りで一緒に来ていた大和の下へと向かって行った。
梅子はその姿を見てもう一度大きく溜め息を吐く。
「はぁー」
そこを見計らっていた宇佐美が再び彼女を気に掛ける様に接近する。
「お疲れ様です小島先生」
「お疲れ様です宇佐美先生」
梅子はどうにも宇佐美の言葉と雰囲気が馴染めなかった。色々誘って貰う事は悪い気持ちにならなかったが、どうにも二人で何処かに行こうと言う気持ちにはならなかった。
「いやー大変ですね。風間も自由奔放な奴ですからね」
「ええ、それは十分に分かっています。それでは私はこれ」
『で、失礼します』と席を立とうとした梅子に宇佐美は声を掛ける。
「どうですかこの後?部活動もお休みでしょう?」
時間的にまだ昼を過ぎたばかりでありお酒を含めた場所へ出向くには適していなかった。
「お断りします」
こう断れば宇佐美はしつこく言い寄ってはこなかったがこの日は違った。
「まあそう言わず。ほら学校の近くにあるケーキやで川神徹がバイトしているじゃないですか」
「ええ、あそこは結構繁盛していますね。それが何か?」
宇佐美は梅子のその言葉を待っていた様懐から一枚の紙を取り出した。
「実はその者からクーポン券を頂きましてね。是非とも一緒に行ってくれないかなと思いまして。ほら、あのお店は男一人で出向くにはどうも敷居が高くて、お願いします」
休み期間中と言う事もあり職員室には同僚の教員たちは居なかった。宇佐美巨人はこれを狙っていたのかと言えばそうではないと言い張るだろう。しかし、正しく罠である事は明白である。
だからと言って男一人で入店するにもこれまた敷居が高い事は言うまでもない。客層の大半は女性である。
時々カップルで訪れる男性客もいるが稀である。なぜならば徹と言うイケメンが店員である為に彼氏とのギャップによって破局へと向かってしまう事が度々起こるのだそうだ。
そう言った者たちからすれば正しく鬼門となるデートスポットとしても有名な店であった。
「宇佐美先生は甘いのがお好きなのですか?」
「え、ええ特に洋菓子に目がなくて。時折、川神徹が副業時に差し入れしてくれて味の虜になっているのですよ。折角これを貰ったのに使わないのは勿体無くてね」
この時宇佐美は純粋に一緒に行って欲しいと言う雰囲気であった。それを梅子は敏感に感じ取っていた。
「そうですか。分かりました、行きましょう」
「え?本当ですか!?あ、有難う御座います。いやー良かった。これでこの券も無駄に為らずに済む。それじゃあ、早速向かいましょう!」
そう言うと軽い足取りで職員室を出て行こうとする宇佐美を梅子は追う様に鞄を持って後を追うのであった。
「いらっしゃいませ、二名様で御座いますね。此方の席へどうぞ」
宇佐美と梅子を席へ案内したのは幸か不幸か話題に上っていた徹であった。そして、来店時間が良かったのか、学校の関係者に出くわす事も無かった。
特に言葉を交わす事無く淡々とした動きを見せる徹に二人は有り難くも感じていた。そして、徹の配慮からか死角の多い奥まった席を案内された。
「川神、これって使えるんだよな?」
席へ着くと、早速宇佐美は徹が渡した券を取り出して彼に見せる。
「はい。問題無く使えます。ご注文された品全てが半額となりますので存分に御堪能下さい」
「わかった。有難う川神」
そう言うと徹は一言述べてから二人の前から去って行った。
「さて、何を注文しようか…」
宇佐美は梅子そっちの気でメニューに没頭する。そのいつもとは違う扱われ方に意外にもモヤモヤした彼女ではあったが、正面に出す事も無く彼女もメニューを見て品を選ぶことに決めた。
それから程無くして店員を呼び注文すると此処で一息つけた。
「それにしても小島先生がこうして一緒に来て下さって感謝の言葉も有りません」
「そうですか。私こそ此処は何度も通っていますから味を知っています。この様なチャンス中々有りませんからね、宇佐美先生には感謝していますよ」
そして、通っていると言う梅子の言葉から二人の会話はスイーツへ絞られていった。基本この店の何がイケるか、と言う程度の物から話しを膨らませ、洋菓子が好きだと言い張る宇佐美の知識を梅子に聞かせ言葉のキャッチボールが何度も行われていた。
「本当に洋菓子がお好きなのですね」
梅子は宇佐美の意外性に驚かされていた。そしてもっと驚いたのは自身の事である。以前までの宇佐美に対する認識が変わりつつある事に気が付いたのだ。恋だのと言う物ではないが、少なくとも得体の知れない拒否感と言う物はこの会話によって取り払われている様に感じた。
「ええ、だから言ったでしょ。私は甘い物が大好きなのですよ。それに此処のお店にやって来たのは初めてでしたから小島先生の経験が本当に役に立ちました」
それからも注文した品が届き食べながらも会話が続いた事は言うまでもない。二回、三回と追加注文しながら、最後はテイクアウトまでして二人は店を後にした。
「それでは、今日は付き合って貰って本当に有難う御座いました」
「こちらこそ、こうした機会に誘っていただき有難う御座います。それでは私の家はこちらですので此処で失礼いたします。それではまた」
梅子はそう言って宇佐美の下から別れ颯爽と帰宅の途に着く。
「ええ、さようなら。小島先生」
その声が聞えたのかもう一度梅子は宇佐美に頭を軽く下げて歩いて行った。
宇佐美はこの事を何気なく大和、忠勝に話すと大きな溜息を吐かれた。そしてどうしてと尋ねるとどう見てもデートではないのかと問われたのだ。そして漸くその時の事を思い出し悔しがる一人の中年が居たのである。
尚、この時購入したテイクアウトの品は忠勝から風間ファミリーの胃袋へと吸い込まれたのである。
そして梅子と宇佐美が徹のバイト先で楽しんでいる頃、大和と翔一は島津寮へと帰っていた。
「あっ、お帰り大和、キャップ!」
玄関を潜れば出迎えたのは一子であった。丁度食堂になっているリビングから姿を見せた処であった。
「おう、ただいまワン子。みんなは集まっているのか?」
「集まっているわよ。まゆっちも到着しているわ。さあ、早く来てよ」
一子は待ちどうしいと言わんばかりに二人の腕を引っ張った。
「おい、ちょっと待てよ、ワン子。待て!!」
調教師大和は見事に『待て』を覚えさせた一子にそう命じると直ぐに彼女は動きを止めた。
「おお、すげえな大和!」
「もお、何よ大和。みんな待ってるんだからね」
そう言って不満顔であるが二人は帰ったばかりである。いきなり出向く訳にもいかなかった。
「あのな、ワン子。俺たちは帰ったばかりなんだ。手を洗ったりしなきゃいけないだろ?直ぐに行くから食堂で待ってろ」
そう理詰めで話すと瞬時に彼女は納得した。
「あ、そうだったわね。ごめんね、大和。気が付かなくて。それじゃあ待っているから早く来てね!」
それだけ言うと彼女はあっと言う間に戻って行った。
二人はそう言った手前急いで準備をし、通い慣れた食堂に顔を出した。
「ただいま、待たせたなみんな!」
翔一が元気良く入るとそこにはぎっしりと人が入り込んでいた。
「お帰りキャップ」
「早く席に着けよ。キャップに大和」
卓也と
岳人が二人を出迎えると翔一と大和は自分の席へと腰掛ける。
「そうだぞ。まゆまゆがお待ちかねだ」
「えええーそんな私ごときがお二人をお待ちするなど…」
(全くだぜ。オイラを待たせるなんて随分と偉くなったな、キャップに大和坊)
「こ、これ松風その様な事を言ってはなりませんよ!」
百代の振りに見事に答えたのは新人寮生の黛由紀江であった。
「前も驚いたけど上手よね、まゆっちの腹話術」
「か、一子さんこれは腹話術では有りませんよ。九十九神が宿りましたですね…」
一子は純粋な心で由紀江に尋ねると慌てた様に松風と名の付いたストラップの由来、設定を話し始めた。
「ほら、食事が出来たよ!今日は特別だ」
寮母の麗子は珍しく昼食に食事を作りみんなへと振舞った。
「おお、待ってました!」
翔一の言葉に合わせる様に大盛り上がりを見せる一同である。加えて料理を手伝っていた忠勝も料理をテーブルへと並べ始めた。
「ゲンさんも料理を作っていたんだ!?」
大和憧れの忠勝の手料理を考えただけで喜びが溢れ出ていた。
「ああ、勘違いするんじゃねーぞ、直江。今日は新入生が来るって話しだから手伝った。それだけだ」
そう言って忠勝はそっぽを向いてしまった。
「はいはい。それじゃあ後はみんなに任せるよ。後片付けは確りやっておくんだよ」
麗子はそう言い残すと家の方へと戻って行った。
「よし、それじゃあこれより新寮生黛由紀江の歓迎会を始める!」
翔一はそう高らかに宣言すると一斉に拍手が巻き起こる。
「では、挨拶から!」
そう言って翔一が席へと着くとみんなの視線が由紀江に集中する。
「ふぇ、わ、私ですか!?」
「そうだぜ、まゆっち。新人は先輩に確りと挨拶を行わないと」
「そうよ。挨拶は大事よ、まゆっち。頑張って!」
驚き困惑する由紀江に大和と一子が応援する。そして珍しい行動を京が執った。
「自分の口で挨拶できるようにこれは没収ね」
そう言って取り上げたのは腹話術で使用する松風であった。
(あれーまゆっちー)
「ああ、松風!?」
離れ離れになる光景を演出するには余りにも出来過ぎた腹話術に場の空気は盛り上がる。
「さあ、自己紹介行ってみようか、まゆまゆ!」
「は、はい…初めまして、黛由紀江です。今度川神学園に通うことになります……」
(ガンバレーまゆっち!ファイトだー!!)
京の手に有るにも拘わらず由紀江は腹話術を止めようとしない辺り相当肝の据わった人間であった。むしろこれだけでも十分な自己紹介と為ってしまう。
「なんか、凄いわよね、まゆっち」
「え、そんな事は有りませんよ、一子さん」
「そんな事無いぞ、まゆまゆ。なんたって剣聖十一段の娘なんだからな」
百代はそう言って彼女の出自を話してしまった。これはある意味由紀江にとっては良くないことであった。地元ではその事と彼女自身の強さゆえに松風と言うお供が出来上がったのだから…
しかし、此処は武の総本山川神院が存在し、川神学園もそれに倣った教育方法を採用している手前、今現在由紀江が想像する様な事には為らなかった。
「へーそれじゃ結構強いんだ。モモ先輩とどの程度なのかな?」
「ま、また武士娘が増えるのか…男の威厳が…」
卓也は基準を百代と比べて尋ね出し、徹が居るとは言え百代と相殺される。それでも京と一子と言う戦力によって男女に差が生じている事態に、より開きが生まれると言う危惧を岳人は憂いていた。
由紀江は不思議であった。彼女強さは地元でも知らぬ者は居ないほどであった。故に周囲の者は異怖し、距離を取り、孤独であったのだ。
それが目の前の先輩たちは自分を恐れる事は無かった。
「不思議そうな顔をしているな、まゆまゆ?」
「へ?は、はい…」
百代はそういう心境を少なからず理解出来る人物である。但し彼女には徹と言う力が拮抗した者と川神院と言う存在によって幾分緩和されていた。由紀江の実家も道場が在るとはいえ、彼女と同等の強さと同年代の者が居ないと言う差は非常に大きなものであった。
「此処は川神だぞ。強い者は大歓迎だ。それに強い者なんて幾らでも居る。周囲の恐れなんて気にする必要が無いほどにな」
そう言って百代は隣に座る由紀江を抱きしめた。
「まあ、姉さんがいるしね…」
「大和の言う通りね。お姉さまに徹、まゆっちでも敵うかどうかわからないわね」
大和と一子の言葉からも由紀江の頭は混乱していた。地元の対応と百八十度違う事で妙に受け入れられている様な雰囲気になっていたからだ。
「妙に青春しているな、まゆっち!よし、もう自己紹介は終わりだ。折角麗子さんとゲンさんが作ってくれた料理が冷めてしまう。ここは食べよう!一緒に食べれば仲良くなれるさ!と言う訳で此処はまゆっちに音頭を取って貰おう!さあ、コップを持て!!」
翔一が誰よりも大きな声でそう言葉を発すると動き出す。一様にコップに飲み物を注ぎ入れると手に持って由紀江の言葉を待つ。
「あ、っと…それじゃあ、これからお願いいたします。乾杯っ!!」
由紀江の精一杯の言葉と声で始まった少し早い歓迎会は大きく彼女らとの距離を縮め、川神を選んだ事は正しかったと思えた。
この日の夜、由紀江は早速父親の大成に手紙を認めていた。
『…以上の事からも新天地川神では新たな出会いと経験が予想されます。由紀江は頑張って高校生活を送りますので父上もお元気で……かしこ』
ふう、これで良いですね。それにしましても皆さん良い方々でしたね、松風?
(だな、まゆっち。若しかしたらオイラの出番も此処で終わるかも知れねえぜ)
な、何を言うのです松風!?私と松風は何時までも一緒ですよ。
(ありがとな、まゆっち。でも何時までも一緒には居られねえんだぜ…)
そう言って何時しか二人の意識はまどろんでいくのであった。
御一読ありがとうございました。
ご感想とお気に入り登録、そして評価を頂きまして誠にありがとうございます。
誤字脱字には順次対応して参ります。
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014
「主将!」
「あら、どうかしたのかしら?」
女子部員が主将である矢場弓子に声を掛けると以前とは異なり自然体で言葉を返した。
幾つか言葉のやり取りをした後、その部員は彼女の下を去って行った。彼女は新二年生でも期待を掛けられている部員で京も腕が良いと褒めている程だ。
弓子と同期の者は一人になったのを見計らって近付いた。
「弓子!」
「んっ、何かしら?」
部活動は終わっていた為に今の関係は友人同士であり言葉は掛け易かった。
「いや、ただ弓子の姿を見つけたからね。それにしても随分と物腰が柔らかくなったわよね」
「そ、そうかしら…」
その指摘に思わず赤面し下を向いた弓子に、友人はさらに言葉を掛ける。
「そうよ。やっぱり百代の弟君と付き合う様になったからよね。前は『候』なんて気持ち悪いったらなかったわ」
目の前の友人は歯に衣着せぬ物言いで弓子の言動を振りかえった。その事で当人は思いのほかダメージを追っているのだが気にする事は無かった。
「そう言われると辛いわね…」
本人も仮面を被り、気を張っていた。その事であの様な語尾になっていた事を振りかえると少々恥ずかしさを覚えてしまう。
「でしょ。でもいい傾向だと思うわよ。部も結構雰囲気が良くなったと思うしさ」
以前の弓道部の雰囲気は常にピリピリとした様なものであった。息苦しさとまでは行かないが少なくとも弓子に話し掛ける後輩が少なかった。新二年の部員も一年時に話し掛けることなどそうそう在りはしなかった部類である。
「そんなに悪かったの?」
「悪いという感じじゃないわ。ただ常に緊張していたような?ああやって声掛けられた事って在った?」
「そ、そう言えば無かったかもしれないわね…」
色々と思い当たる節が在り弓子は少し落ち込んだ。
「ま、まあ今はそうじゃないんだから落ち込まないで!でもいいわよねー」
「何が?」
「彼氏よ!か・れ・し!徹君の様な彼氏私も欲しいわー」
とは言うがこの友人も大学生の彼氏がいる事を以前弓子に自慢していた。
「いや、貴方もいるでしょ彼氏…」
「隣の田んぼはって言うでしょ。それに、これはこれ、あれはあれよ!」
そう自信たっぷりに言い放って其々別れたる。
「あっ、そろそろ行くわ。彼氏と待ち合わせしているから。それじゃあね、弓子!お疲れー」
嵐の様な騒がしさを残しながら彼女は弓子の前を去って行った。
そうやって学園を出た弓子は家には帰らず川神駅の方を目指して歩いていた。目的地は駅前にオープンしていたファミレスであった。嘗て彼女と徹が仲良く食事している写真をネットに上げられた場所は、程無くして経営に行き詰まり買収される形で新たにオープンする事となった。信じられない速さでの再出発が行えたのはやはり九鬼の系列であったからだった。
「いらっしゃいませ!」
弓子が入店すると元気よく女性店員が彼女を出迎えた。此処からしても以前の雰囲気は残っていなかった。社員教育なくしてサービス業など生き残れる筈はないからだ。
「あっ、待ち合わせしているのですが…」
そう言うと徹が告げていたのか店員は『畏まりました』と言って案内を始めた。
案内された席には徹が待っていた。
「御注文がお決まりましたらお呼びください」
そう言って店員はメニューを残して去って行った。
「お疲れ様、弓子」
「ええ、待たせたかしら?」
大きめのバッグを席に置くと彼女は徹の向かいに座った。
「いや、時間が判っていたから少し前に来たんだ」
そう言う通り、徹の前には飲み物が置かれているだけであった。
昼時を少しだけ過ぎた店内は未だにオープンの余韻を残し盛況であった。至る所で店員が忙しなく動き、各席では談笑する声が聞えるなど賑わいを見せる。
「俺もお腹空かせて来たけど弓子もそうだろ?」
「そうね。早速注文しちゃいましょ」
そう言ってテーブルに在る呼び出しボタンを押して店員を呼ぶと意外な人物が現れる。
「はーい、お待たせ致しましたーって川神君!?」
「あれ、甘粕さん。ここでバイトしているんだ」
「そうなんです。私も二年生になり余裕が出来ましたからこうしてバイトをしてお金を稼ごうと決めたんです。ってそうだった。申し訳ありません。御注文を承ります!」
甘粕真与は気持ちを切り替えるとそうして仕事へとシフトチェンジした。これ以上は邪魔も出来ないと徹は注文を始めた。
「ドリンクバーはあちらになります!それでは暫くお待ち下さい」
そう言うと真与はお辞儀をして去って行った。
「彼女は同級生の?」
「そ、同じクラスの女子。名前は甘粕真与って言うんだ。結構頑張り屋なんだって、それじゃあ俺が飲み物取って来るよ。何が良い?」
そう言って徹が立ち上がると弓子は少し考える仕草を見せてから答える。
「それじゃあ、徹に任せてみるわ。今私が飲みたいものを持ってきて」
少し悪戯じみた表情で徹に注文した弓子だった。
「ああ、分かったよ。待っていろよ、弓子」
そう言った時の仕草と表情は百代を彷彿とさせるもので、やっぱり血の繋がっている二人であると改めて認識した。
弓子は少なからず嫉妬していた。デート中、同級生であろうとも笑顔で会話する光景を見せられて良い思いはしないだろう。そこで敢えて徹に今飲みたい物なんて注文をしたのだ。
加えて去り際、百代を思い起こさせる雰囲気である。彼女は自他共に認める美少女である。こう言うと何を言っていると総好かんを受けるが百代は違った。見た目において男性を魅了し、気風の良さで女性をも虜にしてしまう。それが徹にもダブってしまった。
一つ違いのカップルは自ずと時期が来れば通う場所が変わってしまう。互いを信頼するしかないが、それでも不安に陥る者は少なからずいる筈だ。特に相手がモテるなら尚の事である。
「今度あの子に相談してみようかしら…」
弓子は学園で別れた友人に大学生の彼氏との関係を尋ねる事を決意したのであった。
「はい、お待たせ。何を呟いていたんだ?」
徹は弓子の目の前にコーラの入ったグラスを置いた。自分には先程と同じくアイスティーであった。
「別に何でもないわ。それよりも良く分かったわね?」
「俺は弓子の彼氏だぞ。当たり前だろ」
徹はさり気なくこう言った言葉を弓子に掛けた。当然彼の言葉は周囲にも聞こえる。弓子の向かいの席では、女子大学生たちが徹の言葉を受けた弓子を羨ましそうに見ている事に気が付いて赤面してしまった。
二人は食事を摂り終え、店を後にした。こうしてデート出来る時間を合わせるのはそれほど無かったからだ。
二人はぶらりと駅周辺を見て回る。
「そう言えば春休み中の遠出は出来そうかな?」
「ごめんなさい。部活は最終日が休みになるだけなのよ」
弓子はそう言って本当に済まなそうな顔で徹に謝った。
「まあ仕方がないだろ。夏に計画して何処か行こう」
恐らくゴールデンウィークも潰れる事は間違いないと徹は思っていた。
「そうね。でも私はこうやっているだけでも楽しいわよ」
弓子はそう言って抱き締めている徹の腕に力を込めて自分の気持ちを知らせる。
「俺も弓子と一緒にいるのは楽しいよ。でも、やっぱり二人の思いでは欲しいよな。特別なさ」
その後もゲームセンターなど高校生が低予算で回れるような場所をデートコースにしていた。
そして最後は観光地にもなっている大扇島へと足を向けた。海が一望出来、夕日が綺麗なこの場所は日中から多くの観光客が訪れ、特にカップルが多く見受けられる。
「此処が九鬼の本部かでかいな」
「本当にね。やっぱり九鬼って凄いのね」
二人は九鬼財閥極東本部を通り過ぎ潮風デッキへと移動した。海風を全面に浴び気持ちよさを二人が体感していたその時、突然強風が二人を襲う。
「キャッ!?」
「ほう、受け止めたか。恋人が出来たと話しを聞いたが不抜けてはいないようだな。だが、それでも赤子は赤子だ」
「少し無粋ではありませんか、ヒュームさん?」
徹は筋骨隆々の執事服を着込んだ男の足首を確りと掴んでいた。
「そうか?俺はただ赤子が気を抜いていないか確かめただけだ。これでやられてはその程度の男と言う事だな」
そう言葉を発したヒュームの足に、徹は力を入れて握り始める。
「グッ!?」
徹は本気で怒っていた。まさか良いムードで来ていたところを見事に壊されたのだ。幾ら敬う心を持つ徹でも彼の行動は許容しがたい物があった。
「別に試合であれば何時でも受けましょう。しかし、この様な場所で突然攻撃するのは九鬼家の本心なのでしょうか?九鬼財閥は一般人を突然襲う様な企業体であると言う事でよろしいのですね?」
ヒューム・ヘルシングは九鬼家従者部隊、序列零位の男である。基本的に自由な行動が許されるが、だからと言って九鬼家の指針に逆らう事は出来ない。徹の言い分は最な話しであり、反論の余地がなかった。既に何が起こったのかと人だかりが出来ていて、言い逃れが出来ない環境が出来上がっていた。
「申し訳御座いません。今日の稽古はその辺りで終了に致しましょう」
群衆の後ろからそう声が上がる。すると人を掻きわけるように三人の下へと老執事がやって来た。
「ヒューム。中々の演技でした。それにお二人も迫真の演技でしたよ」
そう言うと人だかりは理由を知って散った。
しかし、徹の怒りは収まっていなかった。それを見越した彼は直ぐに場所を移すよう願い出る。
「申し訳御座いません。此処ではお互い目立ってしまいますので、場所を移して頂きたく存じます」
ヒュームと同じ執事服を来た老執事、クラウディオ・ネエロはそう言って後ろに仕えているメイド二人と共に頭を下げた。
すると徹もこうされては一度矛を納めなければとヒュームの足首を離す。
「分かりました。クラウディオさんがそう仰るなら従いましょう」
その後二人は彼の先導のもと先程見入っていた極東本部へと入る事となった。二人が案内された部屋は中々に豪華な造りだった。
「おい、クラウディオ。何故俺が拘束されなければならない?」
「何を仰います、ヒューム。貴方は一般人に手を出した罪人です。こうするのは当然のことで御座います」
ヒュームは両腕を後ろに回され手錠で拘束されていた。この程度彼の力であればどうというものではないが、何故か破壊出来なかった。
「ぐっ、それにこれは何を仕込んだ?」
「申し上げられません。それよりもヒュームは先ず、川神徹様と矢場弓子様に謝罪為さることから始めなければなりません」
クラウディオは有無を言わさぬ目でヒュームを見つめる。彼も従者部隊序列三位を占める男である。忠誠心はヒューム以上に高く、九鬼家の損失になる事は絶対に許さなかった。
「俺はだな。ただあの赤子の力を為そうと」
しかし、ヒュームは謝罪などせず悪くは無いと良い訳を繰り返す。そこへ扉が開き、人が入って来た。
「揚羽様」
クラウディオと二人のメイドが頭を下げる。
「うむ、楽にせよ。残念なことに父上と母上が居らぬのでな、我が行う。そして久しぶりであるな、徹」
強烈なカリスマを纏った女性、九鬼揚羽が入室すると雰囲気は一気に緊張し始める。
「お久しぶりです。この様な形で会うとは思いませんでした」
「であるな。我もそうだ。確か百代と我との仕合の時以来であったな?」
「そうですね。揚羽さんはそれ以来髪を伸ばされたのですね」
「うむ。もう武道は辞め九鬼家の仕事に専念することに決めたからな、決意の表れよ」
そう言って彼女は用意された席へと着いた。
「さて、話しはクラウディオから聞いた。ヒューム、申し開きは有るか?」
揚羽はそう言ってヒュームを睨みつけた。
対してヒュームも冷静に考えれば迂闊であったと反省していた。あれで徹が受け止めきれなければ弓子が被害を受けていたのだ。徹ならば相当な防御力の御蔭で軽微で済むが、最悪死者が出かねない物だった。
「いえ、御座いません。揚羽様」
「よろしい。徹、何か言っておきたい事は有るか?」
満足そうに頷いた揚羽は徹へと視線を向けた。
「謝罪をお願いします。俺はともかく防がなければ弓子が怪我をしていました。はっきり言ってこれだけは許せません!」
九鬼家も川神院との関係を壊す訳にはいかない。ヒュームは確かに従者部隊で零を任され九鬼家総帥、九鬼帝から絶大な信頼を得ている。しかし、それとこれとは話しが異なる。
徹は川神百代の実弟で、総代を補佐する現時点で師範代に成る資格を持つ男だ。つまり次代の人間である。揚羽も九鬼を背負う人間の一人であるが、彼女もまた次代の人間であった。つまり次の中心人物同士で関係を崩す訳にはいかないのだ。
今回はどう転んでもヒュームが、そして九鬼家が悪い。だからこそ徹の想いは全部受け入れる必要があった。
「なるほど。ヒューム?」
揚羽がそう言うとクラウディオはヒュームに着けてあった拘束を解いた。
「はっ!」
ヒュームはそう言うと少し腕の感触を確かめると立ち上がり、徹たちの下へとやって来た。そして両膝を折って地面に額を着ける。
「此の度、ヒューム・ヘルシングが行った事は決して許されるべき事では御座いません。何卒この事で以って謝罪として頂けますようお願い申し上げます」
そう言って土下座を彼は行った。口には出さなかったが二人のメイドは目を見開いていた。プライドの塊であるヒュームが頭を下げるだけではなく、土下座までするとは思いもよらなかったのだ。
それは徹も同様である。弓子に至っては住む世界の違いに思考を止め、只管徹の手を握るだけであった。
「分かりました。その謝罪を受け入れましょう。それで良いか弓子?」
「……え、ええ…私はそれで……」
半ば放心している彼女には唯々諾々と受け入れるだけであった。
「よし。ではヒュームの事はこれまでとする。以後話す事、蒸し返す事が無い様、互いが注意せよ。それとヒュームは暫くの間謹慎せよ。これは九鬼帝からの命である!!」
揚羽が高らかに宣言すると彼等執事とメイドが頭を下げた。そしてヒュームは去り、この場には緊張した空気が取り払われた。
「さて、本当にすまなかったな、徹。それに彼女にも申し訳なかった」
そう言って対面で座る揚羽はもう一度頭を下げた。
「いえ、もう謝罪は受けました。それに揚羽さんが謝る事ではありません。これは俺とヒュームさんの問題ですから」
暗に九鬼財閥と川神院は関係ない事を匂わせていた。それを知る揚羽はただ口元に笑みを作るだけであった。
「それにしても驚いた。まさか徹に恋人が出来ていたなんてな。英雄から聞かされたときは驚いたわ」
「そうですか?結構お似合いでしょ?」
徹はそう言うと弓子を抱き寄せた。流石に先輩である揚羽も色恋沙汰には免疫は無かった。
「お、おい。その様に仲睦まじい姿を見せなくてもよいわ!」
その姿にはクラウディオ達も微笑んだ。
「おほん!ではこれよりは我からの謝罪を受けて貰おう。流石にヒュームが謝っただけでは決まりが悪い」
「いや、ですからそれは…」
「いいから貰っておけ。何なら付き合い始めた二人の祝いの品としてでも良い」
そう言って揚羽は一枚のチケットを二人の前に差し出した。
「これは…九鬼リゾート」
「招待券?」
徹と弓子はそう分けて文字を読んだ。
「うむ。もしよかったら使ってくれ。これは全てが無料になるチケットでな我の番号が入っている」
そう言うと幾つかの場所に番号が入っているがどれが彼女の物かは分からない。
「今は春休みであろう。どうせならばここで二人の思い出を作って来ると良い」
揚羽は最高のプレゼントだと思ったが、二人の顔色を見て何かを思った。
「若しかして都合が付かぬのか?」
そう尋ねると徹が素直に答える。しかし、瞬時に対応出来るのが九鬼家であった。こうして、春休みの最終日は二人の思いで作りにと前日の午後から一泊二日での旅行が計画されるのであった。
御一読、有難うございます。
今回は九鬼家を絡ませてみました。出来れば多くのキャラを登場させたいと考えております。
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015
徹は春休み最後の二日間を矢場弓子との旅行に充てるべく、鉄心に事情を説明し丸く収まった事を報告した。
「なるほどのぅ。あい分かった収まっている事であれば何も言う事はない。存分に遊んできなさい」
「ああ、有難うじいちゃんそうするよ。それじゃあ今日もバイト在るから」
そう言って徹は鉄心の前から去って行った。
この話しは百代が奥義を使用し情報を手に入れてしまった。その事から当然仲間内に漏れてしまう。
百代は島津寮へと赴いて徹の話しを大和と京に話した。
「へぇーそんな事が在ったのか」
「着実に進展しているよね、あの二人」
翔一はバイトへ由紀江はふらりと外出し、忠勝は家業に精を出しと不在であったのだ。
「全くだよ。まあそう二人が楽しむのは姉として親友としても良いんだけどなーどうにもうらやまけしからん!!」
結局百代は二人が遊びに行くのが羨ましくて仕方なかったのだった。
「いやいや。仕方がないよ、モモ先輩」
「そうだよ、姉さん。聞けば謝罪を込めたものなんだろ?だったら俺たちが如何こう出来る訳ないだろ」
「だけどなーあいつら、二人だけで春休みを満喫するんだぞ。私たちも何か思い出作りがしたいじゃないかー」
百代は不貞腐れる様な可愛らしい声で大和に反論した。しかし、既に四月に入り残す休みも四日と迫る中、何を計画しようとも近場で遊ぶだけになってしまうのは目に見えている。
「まあ毎日こうやって遊んだりすることで今回は我慢しなよ、姉さん」
「若しくは頑張ってお金を稼いでね、モモ先輩」
「しょうがないなにゃーそれじゃあ私は…大和で遊ぶニャン!!」
突然猛獣が大和へ襲いだした。馬乗りになり、大和をガッチリと抑え込んでいた。
「くっ、姉さんまたか…」
「大和ー覚悟しろよー」
「へ、へるぷ!み、京…」
一瞬大和は京に助けを呼ぼうと振りむいたが、その瞳は百代と一緒に参加する意思を含んでいた。
「ごめんね、大和」
「ごめんじゃない!」
「さあ、いざ行かん!!」
百代の掛け声にセクハラと言う名の狂乱が幕を開ける。
「ヤメテェー!ヤドンとカリンの前でだけはー!!」
虚しくも彼ら以外居ない島津寮では助けが来る事は無かった。
大和がセクハラ被害に遭ってから二日後、徹と弓子は迎の車に乗って『九鬼リゾート』へ移動していた。送迎を担当しているのは以前居合わせた二人のメイド、李静初とステイシー・コナーであった。静初はクラウディオの信頼厚い部下として、ステイシーはヒュームの部下として二人の接待を任されていた。
「いやーまさかヒュームさんにあんな事をさせるなんて凄いな、徹!」
ステイシーは徹がヒュームの蹴りを傷付かず受け止め、加えて足首を手で握っていた光景と土下座をしている処を思い出していた。
「こ、こらステイシー幾らなんでも気を抜き過ぎです。申し訳御座いません」
上司を色濃く反映しているからか、二人の態度は極端であった。
「別に構いませんよ。こうして送り届けてもらうだけでも悪いのに…」
徹と弓子は初めて乗るリムジンに圧倒されていた。内装も豪華と呼べる為に緊張は拭えない。そんな中、ステイシーの言葉使いと態度は二人にとって歓迎できるものであった。
「だろーワタシはさ、緊張しているだろう二人を想ってだな…」
「ですが、限度と言う物が在ります。私たちは九鬼家の人間です。今回は貴方の上司の不手際によって引き起こされた事は間違いないのですよ」
今回静初とステイシーは九鬼財閥総帥九鬼帝から直々に命令を受けていた。とは言っても重苦しい雰囲気ではないが、中身は非常に重たい。それはクラウディオから懇切丁寧に教えを受け、二人は重要性を理解していた。
「ファック!そう言えばそうだった。ごめんなー二人とも…」
少しバツの悪い表情で謝るが言葉使いは改善される事は無かった。
「まあ、二人ともそれぐらいで。それに何度も言いますが堅苦しいと折角の旅行が楽しめませんから、お互い力を抜いて行きましょう。どうせ、何が起こっても大丈夫な戦力が此処には居るんですから」
徹自身とメイド二人を計算に入れればどの様な事態に陥ろうとも問題ない事は明白だと認識していた。
車は川神市を出て一路北関東へと移動した。凡そ二時間半を掛けて着いた先は豪華な施設群の集まりだった。
「さっ、到着しました。これより先へは私たちは入れませんので此処で失礼させていただきます」
静初はそう言って深々と二人にお辞儀をした。それにつれてステイシーも同様に行った。
「ローック!帰りも迎えに来るから存分に楽しんでこいよ!」
「はい、有難う御座いました」
「有難う御座いました」
徹と弓子は引き返して行く車を見送った。
「それじゃあ、行こうか」
「うん」
二人は荷物を持って入り口へと向かう。
「いらっしゃいませ」
最初はフロントへ二人は向かった。
「ええっと、予約をしている川神徹と申しますが…」
そう名乗ると直ぐにフロント係のホテルマンが検索する。しかし、その表情が驚きに変わるのはあっと言う間であった。
「申し訳御座いません。川神様、ただいま総支配人をお呼びいたしますので、どうぞお待ち下さい!」
春休みも終わりを迎える中であろうとも此処九鬼の施設は満員御礼と為っている。当然宿泊客も多い中でその様な対応をされれば一斉に注目を浴びてしまうのは言うまでもない。
「分かりました。ですので、もう少し小声でお願いいたします」
徹はそう言って嗜めた。
暫くすると総支配人と呼ばれる男が小走りでやって来た。
「お待たせして申し訳御座いません。
「川神です。此方が頂いたチケットです」
そう言って懐から差し出すと直ぐに確認作業に入った。受け取る時、神妙そうな表情であったのを徹は見ていた。
「確認致しました。お二人には当施設に居る間、此方をお持ち下さい」
そう言って渡されたのはクリアケースに入ったパスポートであった。
「此方は先程当施設を全て無料で使用出来るパスになっております。九鬼揚羽様のコードを確認いたしましたのでそちらをお渡しいたしました。再発行は出来かねますので御滞在中は決して失くさぬ様ご注意ください。それではお部屋へ御案内致します」
そう説明を受けた後、名前を記入した徹たちは部屋へと案内された。そこは二十階建ての最上階であった。
「うわっ、凄い!」
「ほんとうね。遠くまで一望できるわ」
二人は荷物を置くと早速眺めを楽しむべく窓際へと進んだ。此処は過疎化が進んだ場所を一括して買い上げて再開発した場所であった。インフラも整備し、九鬼はこのエリアを新たな経済圏の中心にする計画を立てていた。その為、現状ホテル以外に高い建物が存在せず遥か遠くまでの景色を楽しむ事が出来る。
「料金表見なかったけど、ここって幾らぐらいするんだろうな…」
「そう言えば私も見なかったわ。…でも気に為らない位に稼いでくれるんでしょ?」
弓子は少し考え、顔を赤らめながら冗談交じりにそう話し掛けた。
徹は一瞬彼女が何を行っているのか解らなかったが、瞬時にその意図を導き出す。
「そうだな。立派に川神院で地位を築いてそうなる様に努力するよ。という答えでいいか弓子?」
徹は隣に立つ弓子の肩を抱き、体を自分の方へと寄せる。
「う、うん…」
二人は景色を眺めながら自然と唇を重ねた。
「今日はどうするの?」
弓子はキスをした後、室内で寛ぎながら尋ねた。
「食事はレストランで食べるとして、温泉に行ってみようか?」
「そ、そうね…温泉…ね」
水着の着用が義務付けられているが、混浴温泉が九鬼リゾートの魅力の一つであった。これを多くの家族連れやカップルが目的として訪れているのだ。
「ん、どうした弓子?」
「えっ、何でもないわよ。ただ水とお湯の違いと言うだけで妙に恥ずかしく為る物ね…」
プールならば問題無く水着姿で姿をさらせるが、それがお湯に変わるだけで変な恥ずかしさが彼女を襲った。
「恥ずかしいなら止めて、プールでもいいよ」
「えっ!?温泉でいいわよ。こんな機会滅多に無いのだから、行きましょ徹君」
弓子は徹の腕を掴むと強引に向かおうと動き出した。
弓子も徹と言う彼氏が出来る前までは恋に恋する少女であった。妄想の中で色々と考えていたシチュエーションに近しい状況が現実の物となっているこの機会を逃す選択肢は存在しない。
「ふぅー気持ちいいなー」
徹は弓子よりも先に温泉に浸かっていた。更衣室で水着に着替える前に体を洗いこうして直ぐに疲れるシステムは画期的だと彼は思いながら恋人の到着を待っていた。事前の情報の通り此処は家族やカップルが多く、仲睦まじい姿が至る所で巻き起こっている。
「お、お待たせ徹君…」
そう言って近付いて来た弓子はメガネを外し、降ろしていた髪を纏め上げていた。また違ったスタイルの弓子を目にして徹は思わず呟く。
「うん、綺麗だ」
「えっ、ちょっと何を行っているのよ。恥ずかしいじゃない…」
そう言いながら彼女は徹の隣へとやって来た。
「だって、見た事の無い弓子を見る事が出来たんだ、仕方がないだろ?」
「何を行っているのよ。メガネを外して髪を上げただけじゃない」
そうは言うが徹の褒め言葉が嬉しかったのか、弓子の顔は喜びで一杯だった。
「そんな事無いぜ。姉ちゃんが弓子の事話してたぜ。男子生徒に人気だって」
百代は確かに徹にそう話していたが、『美少女たる私に次いで』と言う言葉を忘れては居なかった。但し、そこを省いた徹の話しに余計顔を赤くした弓子であった。
「そ、そんな事知らないわよ。そもそもどうやって百代はその話を知り得たのよ…」
「どうしてなんだろうな。でもいいじゃん、人気が無いよりは人気が在った方がさ。俺も自慢できるよ、弓子の彼氏だって」
気障ったらしく言ってのける徹には、イケメンと言うスキルが備わっているのか不快に感じる事は無かった。これが岳人であれば非難轟々である事は間違いない。
そう話していると周囲に多くの家族連れがいる事に気が付いた。大人たちの目は何処か懐かしむ様な、羨ましがるような、ウットリする様な?多くの瞳が徹と弓子に集まっていたのだ。
「徹君。確かカップルで入れる小さな温泉が有るんじゃ無かったかしら?」
弓子はこれ以上ない恥ずかしさを覚えていた。まさか、自分がこの様な言葉を掛けて貰えるとは想像だにしていなかった。そこで少しでもその恥ずかしさを紛らわすべく、来る時に見た場所を思い出し彼にそう告げた。
「そうだな。そっちに移ろうか、ほら手を出して」
「う、うん…」
何気ない優しさを発揮する徹に周囲からはウットリとする溜め息が漏れた。水着を装着してはいるが徹はトランクスタイプの物だ。上半身から鍛え上げられた肉体美がこれでもかと披露されている。一部で男もそれに引き寄せられているが、遠くで眺めている程度であった事は幸運であった。
たっぷりとカップル専用個別の温泉へと移動した二人は十分に満喫してこの場を後にした。
そして遠くに見える夜景を楽しみながら料理を楽しみ一日目を終えるのであった。
「ちくしょー!!」
島津岳人は余りの悔しさに血の涙を流していた。
「うわっ、汚いなーガクト」
近くにいた卓也はその煽りを受けまいと少し距離を開けた。
「別にいいだろガクト。付き合っている二人が旅行に行くくらい」
「き、キャップにだけは言われたくねー」
事の起こりは春休み終了二日前のことであった。徹と弓子が仲良く出掛けた後、風間ファミリーは徹を除き全員が集まる事になった。これは由紀江を仮に入れてみようという試みからである。ところが肝心の徹がいない事に気が付いた岳人が百代と一子に尋ねたことから始まった。百代としても実弟のことで騒がしくすることもないと大和たち以外には話していなかった。
「でもさ、調べてみたら凄い所だよ。ほら見てよこれ…」
卓也は即座に二人が向かった場所を検索し、みんなにどんな場所かを示した。
「何れはこう言ったところでデートしたいね大和?」
「へぇー九鬼はこんなこともやっているのか…」
しかし今回の大和は、京の言葉に一切反応する事は無かった。
「ああ、その反応の無さ。虚しい…」
口で『ヨヨヨ』と言いながら尚も大和の反応を見たが、効果が無いのか即座に元に戻った。
(やべーやべーよ、まゆっち!この人たち濃いぜー濃すぎるぜー!!)
「こ、これ松風。濃いだとか言ってはいけませんよ」
由紀江は丁寧に両手でストラップを乗せて厳しい事を言い放った。彼女は九十九神が宿った松風が言った事と弁明するが、誰もがそれを信じる事は無い。つまり、松風は由紀江の本心を代弁しているに過ぎないという考えであった。
「まあ、私たち風間ファミリーは確かに濃いメンツが揃っているよな」
「モモ先輩の言う通りだぜ。そうでなきゃ面白くない!」
「ちょっと、それって僕も入っているの!?」
川神兄弟、翔一に岳人、大和と京と言った卓也からすれば確かに濃いメンバーが揃っている。しかし、卓也はその存在感からまさか、濃いという分類に入る事は無いと思っていた。
「何を言ってんだ、モロ。パソコンに、電車にとお前の知識は凄いもんだろ」
意外にも岳人がそう言って彼を褒めたがその後の一言が厳しかった。
「加えて、髪の毛に異常な興奮を持つなんてドン引きだよね…」
そう言ったのが京であった。それにみんなが笑い声を上げる。
「ちょっと、京までなんて事を言うのさ!?」
「は、ハレンチだわー」
「まゆまゆも気を付けないとな。その綺麗な髪をモロロが狙っているかもしれないぞ?」
驚かす様に百代は由紀江の後ろから抱きついてそう警告を発した。
「ふぇ!?」
(一番暗そうなモロロボーイがヤバいとか、まゆっちピーンチ!!)
松風の言葉が全員の笑いを誘ったのは言うまでもない。
「ええっ、まゆっちまで!?」
「そうだよ、モロ。お前にはもう一つ濃いメンツに為る要素が有ったじゃないか!」
「えっ、ちょっと嫌な予感しかしないんだけどキャップ…」
そう言って思わず岳人へと視線をやると、だらしない顔付でこう述べる。
「はーい、卓代ちゃんはいりまーす!!」
「ええ、やっぱり!?あれは女装じゃないんだってば!!」
話しが二転、三転しながらも会話が続くこの光景に由紀江は憧れを抱いていた。
「あ、やっぱりこう言う光景っていいなー」
思わず自然な笑みと共に溢した言葉がみんなの脳裏に焼き付いたのは言うまでもなかった。
御一読いただき有難う御座いました。
早々にまゆっちが風間ファミリーへの仲間入りを果たす事となりそうです。青春とキャップが呼んだクリ吉と京の基地に対する意見の相違場面、まゆっちは既存メンバーの八つ当たりの様な気がしてならなかったのでこの段階で参入予定と致しました。
尚京と卓也の排他的な考え方は徹がいる事で幾分緩和しております。
何れその描写を書こうと考えておりますが何時になる事やら……
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016
徹と弓子の旅行は二日目を迎える。
昨夜は楽しさと緊張によって早々と眠りに着いてしまった。特に徹は十一時を回る頃になると寝ている習慣が付いていてパタリと電源が落ちる様に寝てしまった。
その事を弓子は少々残念に思いつつも、まだ勇気が持てないことから安堵した気持ちにもなった。
弓子も徹に劣らず早寝早起きが身に付いている。しかし、徹よりは起きるのが遅く目を覚ました時目の前に徹の顔が有って驚く事態になった。
「おはよう。弓子」
「お、おはよう…徹君……」
寝顔をばっちり見られていた事に物凄い恥ずかしさを覚え、布団を目元まで上げて隠してしまった。
「何だよ。折角可愛い寝顔だったのに…」
そこで目の前の徹と言う男が誰の弟であるか思い出した。
「流石百代の弟ってことかしらね…」
「姉ちゃんがどうした?」
聞き取り辛いのか徹は惚ける事も無く尋ねたが、弓子はそれに取り合おうとはしなかった。
「幾ら付き合っているとは言っても寝顔を見られるのは嫌だし、それを褒められても良い気持ちには為らないわ。ほら、顔を洗って来るからどいてくれる?」
少しムッとした表情で答えた弓子に対し、悪かったと思った徹は直ぐにどいて謝罪の言葉を述べた。
「次から気を付けてくれればいいわよ。それじゃあ、準備して来るわ」
そう言って弓子は洗面台へと向かった。その際、徹に軽くウインクをして怒っていない事を示した事は徹の気持ちを晴れやかにした。
「っと、そう言えばメールが来てたんだ」
そう言ってベッドに腰掛け着信を知らせるランプが点滅する携帯を手に取ると早速メールを見始める。
「二十八件…初めてこんな数字見たよ。大和じゃないんだし」
そう言ってボタンを操作し新着を見るとバラエティーに富んだ物だった。
「ガクト、モロ、大和に京かキャップもあるな。それに姉ちゃんと一子、忠勝からも来てるよ」
しかしその人数の中、最たるメールを送り込んだのは岳人だった。
「あいつめ、間違いなく悪戯と嫉妬だな…」
そう言って徹は筋肉馬鹿と登録してある岳人の一件目のメールを読み始めた。
「冒頭に死ねってあいつは本当に…まあどうでもいいか、次だ…」
しかし、岳人のメールを五件まで開けたところで徹は彼のメールだけを一括削除した。
「信じらんねぇ、全てが呪詛ってあいつは一体何を考えているんだ!?」
そして気を取り直して卓也達のメールを開けた。
「そうそう。こう言った気持ちの籠った内容が良いんだよ」
そこには徹を気遣う言葉や、羨ましいと書きながらも是非今後の参考にご教授願いたいと言った物、お土産の催促と今度はみんなで行こうぜ的な物までファミリーの暖かい言葉が綴られていた。但し、百代と一子についてはお土産の羅列と生々しい話しが書かれてあった為、保存し後日問い質す証拠となる。
その中で大和は一つの提案を書き込んでいた。
「あの黛由紀江をファミリーにね…」
昨日ファミリーが集まった時に由紀江を仮メンバーながら参加させてみたところ、思いのほか受け入れられていた事がメールに書かれていた。中でも京と卓也の受けがそれなりに良好で、翔一の様子から何れその提案が出る事は間違いないと言った物だった。
「なるほど、俺はまだ会ってはいないけど噂話では悪い人ではないって言ってたな」
そう言うと徹はいち早く大和に返信し、携帯を閉じた。
「随分とメールが来ていた様ね」
弓子は準備を終えて徹の下へと戻っていた。
「ああ、ごめん待たせたかな?」
「そうでもないわ。少し時間も掛かったしね」
そう言う弓子を徹はじっくりと眺めた。
「な、何?どうしたのよ?何処かおかしい?」
そう言ってアタフタとする様子に徹は首を振った。
「違うよ。普段は外でしか会わないだろ。中での弓子が新鮮でさ」
ホテルとはいえ室内ともなれば意外と気が抜けてしまう物なのか、微妙な違いが有る弓子に徹は違う印象を得ていた。百代も外と中での違いが大きく、血の繋がった姉弟であってもドキッとさせられる瞬間が有る。正しくその思いであった。一子の場合は元気百%といった感じで徹には中の良い兄弟的に映っていた。
「ば、バカ言わないの…ほら、朝食は届けられるんでしょ!さっさと準備終わらせないと…」
そう言って弓子は顔を真っ赤にしてバッグから着替えを取り出した。それに合わせ、徹は彼女を見ない様にそっぽを向いた。
「もう、良いわよー」
と粗方準備が終わるとインターフォンが為り、朝食が届けられた。中々に豪勢な食事は互いに体を動かす事を趣味としているからか残す事無く食べきった。
「さて、後はチェックアウトを行ったあと荷物を預けて遊ぶだけだな」
「ええ、そうね。そう言えば迎えは何時頃来るのかしら?」
「確かにあの時言われなかったな。ついでに下で聞いてみよう」
部屋を出る時忘れずにパスを持っている事を忘れずに部屋を後にする。
「また此処に来たいな」
「ええ、此処ではなくとも一緒に旅行したいわね」
そう話しながら一階へと降りてチェックアウトを済ませた。
「お迎えで御座いますか…?少々お待ち下さい」
滞ることなく手続きを終えた徹は対応したホテルマンに尋ねると彼は直ぐ連絡を行った。
「川神様。申し訳ありませんが、只今他の者が参りますので暫くお待ち下さい」
「ああ、分かりました」
そう言って少し離れて待っていた弓子の下へと移動した。それから程無くして二人の下へやって来たのは李静初であった。
「おはようございます。川神様、矢場様」
九鬼家従者部隊の登場に従業員の緊張が高まった。それとは別にメイド服姿の綺麗な女性が現れたことで男女関係無くざわめきが宿泊客から沸き起こった。
「おはようございます、李さん」
「おはようございます」
「早速ですが、本日は何時でも出発が可能で御座います」
「何時でも?」
「はい。川神に戻るまで二時間半から三時間を見て頂ければ何時でも構いません」
徹と弓子はその間彼女たちがどうなるのかが気になり尋ねる。
「その間は休憩を交互に取りつつ、お待ち致します」
根は庶民である二人はそれに恐縮してしまう。結局二人は十五時頃と時間を指定して彼女達もゆっくり休んでくれと伝え、荷物を渡して遊びに出ることにした。
「な、何だか李さんたちには悪い事したかな…」
「どうなのかしら。でも動じることが無くて流石九鬼の人間って感じだったわね…」
二人はそう話しながら一番楽しみにしていた全天候型屋内プールへとやって来る。
「それじゃあ中で落ち合おう」
徹の言葉で別れて更衣室へと移動した。
「きゃ」
弓子は横から出てきた女性とぶつかり尻もちを着いてしまった。
「あ、ああすまない!怪我は在りませんか?」
「え、ええ大丈夫よ。此方こそ余所見をして御免なさい」
弓子が謝ると目の前に少女はアタフタと慌てる様に言葉を返す。
「あ、ああいやそんな!よしつっ!?わ、私こそぶつかって申し訳ない…」
「よしつ?」
弓子が再び言葉を発した時少女の連れが迎えに来た。
「おーい、よしっ!?っとと、よっちゃん準備終わった?」
「よっちゃん…べんけ……べんちゃん終わったよ!」
そう言うと目の前の少女は一度深々と弓子にお辞儀をし、再び謝罪を行って去って行った。その際少女に『べんちゃん』と呼ばれショックを受けた様に見えた。
「二人とも雰囲気が有ったわね…っと行けない早く着替えなくっちゃ!」
弓子は近くのロッカーを開けると荷物を置いてさっそく着替えを始めた。
徹も空いているロッカーを探し、幾分並んで空いている場所を選ぶとそこの扉を開けようとした。
「さて、早く着替えて待つことにするか」
「はぁーどうしてこうも人が多い所に来なきゃいけないんだ…」
その男も徹と似たような場所を探していたのか、奇しくも両隣で扉を開けた。
『んっ?』
二人は顔を合わせてしまった。
「ああ、すまないな」
徹がそう謝ると隣の男も言葉を返す。
「いや、こっちこそすまない。若しかしたら……」
その後の言葉は聞き取れなかったが、嘗て大和が似たような言葉を発していたと記憶していた徹は何気なくその男を注視するようになった。
「なあ、何か鍛えているのか?」
徹は思わず武人の血が騒いだ。明らかに目の前の男は何かで鍛えている身体つきをしていたからだ。
「そ、そう言うあんたも結構鍛えているんだな。若しかして組織の者か!?」
すると行き成り変なポーズを取り出すと変な言葉を発した。
「組織何の話だ?」
「ああ、いや気にしないでくれ。幾らなんでも九鬼の場所で組織の奴が現れるなんて想像が出来ないからな」
そう言って男は早々と着替えるとプールへと向かってしまった。
「変な奴だな。…でも面白いから大和たちに知らせてやろう!」
徹は『大和の忘れ難い記憶を持つ者が現れた』という内容のメールをファミリーの面々に一斉送信した。これだけで分かるほどに今の大和からすれば恥ずかしい出来事であった。
「っと、弓子を待たせる訳にはいかないな」
そう言って徹も足早にプールへと向かった。
「あら、結構時間掛かったのね?」
「ああ、変な奴に出会ってな。でもタイミングばっちりだったからよかったかな」
徹と弓子はほぼ同時に更衣室を出てプールへとやって来ていた。必要な物はパスだけで腕に巻くタイプへと更新されていた。二人は荷物を持つ事無く遊びに専念できる状況だった。
「その水着可愛いよ、弓子」
「そ、そう?去年の夏に合わせて買った物だけど気に入って貰えてよかったわ…今年は徹君が選んでくれると嬉しいわね」
少し恥ずかしそうに俯いて言葉を返す仕草が余計彼女の魅力を増幅させる。
「そ、それじゃあ早速行こうか」
「ええ!」
そう言って向かった先はウォータースライダーだった。此処には幾つかの種類が存在し、二人はペアで浮輪の上に座って滑る種類の場所へと移動した。
「結構高さがわるわね」
「まあこんなもんじゃないか。それに長い方が楽しいだろ?」
ある程度密着して滑る為、恋人などにとっては外せない場所である。
「ま、まあそうね…」
「それよりもメガネ無くて大丈夫か?」
旅行を通じて気が付いた事は弓子が頻繁にメガネを掛けていないことであった。普段は掛けている場面が常であるだけに気になったのだ。
「私の視力は掛けなくても気にならないほどよ。掛けていた方がいいという程度だから」
「まあ、どっちの弓子も可愛いから良いけどね」
そうして歯の浮く様な言葉を平気で言う徹に幾度となく心拍数を上げられる弓子であった。
「おお、良い眺めだな」
「ええ、あれあの二人は?」
徹と共に頂上にやって来た弓子は言葉もおざなりに更衣室で見かけた二人を発見した。一人はスク水でもう一人は体のラインを活かしたセパレートタイプのビキニであった。
「知り合いか?」
「いいえ、ただ更衣室でぶつかった相手なのよ。ほらあのスクール水着を着ている子」
そう言って弓子が示す先には髪を後ろで纏めた元気の良さそうな少女がいた。
「へぇー」
そう思わず徹の口から洩れた言葉が弓子の耳に入った。そして剥き出しになっている脇腹をこれでもかと抓った。
「イタっ!おい、痛いって弓子」
「じろじろ他の子を見ているからよ!」
弓子は確かに控えめな身体つきをしている。だが、高校生らしく健康的に体を動かし美容に意識していた。
徹と言う恋人が出来てからは余計に力を入れたほどである。誰だって付き合う相手に見ていて欲しいと思う物だ。それを余所見されることほど腹立たしい事は無いのであろう。
「ち、違うって弓子。あの二人か、姉ちゃんと同等の強さを持ってそうでさ」
「えっ、百代と!?」
そう弓子が話した瞬間、もう一人の髪がもじゃっとした少女が徹たちを見ていた。徹とはコンマ何秒と言う僅かな時間に目が合った。
「ああ、ただ勘違いかも知れない。悪かったな弓子」
そう言って抱き締める徹にこれ以上弓子は言葉を発しなかった。
一方その二人はと言うと…
「おーい与一ー!!」
よっちゃんと呼ばれた少女は明るく元気に下にいる少年に手を振った。しかし、その相手は周囲から注目され恥ずかしいのか、手を顔に当てて無視を決め込んでいた。
「よ、与一…」
「与一…」
前者は悲しみを多分に含んだ声で、後者は全てが怒りに包まれた声で少年の名を呼んだ。
「あっ、手を振ってくれたぞ!べんちゃん!!」
彼女のこえは良く届くのかべんちゃんと言う言葉に与一と言う少年は腹を抱えて笑っていた。
「あ、ああそうだね、よっちゃん…なあ、その名前どうにかならないか?」
メリハリのある体躯を惜しげもなく見せる少女がそう言うとよっちゃんは首を傾げる。
「どうしてだ。私は良いと思うぞ!あっ、順番が来たさあ滑ろう、べんちゃん!!」
わくわくした気持ちを前面に出した少女は『べんちゃん』の腕を掴むと前に座り何時でも滑る気持ちで一杯であった。
「ああ、そうだね。思いっきり滑ろうよっちゃん!」
二人は係員の合図で滑り出し楽しい声を上げながら降って行った。
「あの男は…」
「あら、徹君の知り合い?」
ちょうど少女が手を振った辺りで徹は男に気が付いていた。
「弓子と同じだよ。更衣室でな」
「へぇー結構体鍛えていそうね」
その瞬間徹の体が言い知れぬ感情に襲われた。
「見えるのか?」
「うーん、少し見えるって言う程度ね。はっきり見える方がおかしいと思うけど。それでも体を鍛えていそうって位には思えるわ」
そう言うと徹は先程の事を謝る。
「さっきは悪かったな」
「ええ、分かった徹君?」
その後二人は弓子を前に乗せ徹が後ろから抱きしめる形で滑り出し、楽しさを十分に感じるのであった。
色々なウォータースライダーを楽しみ、流れるプール、波の出るプール等など一日で遊び尽くすには無理なほどに多種に渡り、短時間であるにも拘らず二人は満喫する。特に飛び込みでは徹が周囲の観衆を驚かせた。十メートルの高さから二回転を行い、水飛沫を小さく入水したのだ。
これには周囲が大盛り上がりを見せた。加えて徹のルックスが女性の目を釘付けにした。
しかし、徹は先程の苦い気持ちを味わってか、直ぐに弓子の下へと向かい声を掛けられる隙を与えずに次へと向かう事が出来た。
「そろそろ昼食にするか?」
「ええ、そうね…」
と周囲を見てみれば何処も彼処も人の群れであった。とても食事が出来る場所を確保するのは難しそうに思えた。
「取り敢えず買ってから席を探すか。その間に悪かもしれないし」
「そうね。それじゃあ並びましょ」
二人は連れ立って並んだ目の前には先程見た人物がいた。
御一読いただき有難う御座いました。
まさかのクローン登場!本来ならば許されない発表前の接触。それは次話で触れる事となります。清楚もちゃんと登場させますよ!
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017
「次はあそこの席へお願いします」
「あ、ああ承知した…」
男の言葉はたどたどしいが動きは慣れた様に接客を行っていた。
「今日のケーキセット、お待たせ致しました」
メニューも瞬時に暗記した男たちに対して店長の川秦照雄満足気に頷いた。
事の起こりは二日前のことだった。
「店長にお話ししたい事が有るのですが」
徹は珍しく閉店後の片付けまで行ってバイトを終えた。その後、従業員とある程度会話した後、照雄にそう話し掛けた。
「何だい徹君?」
「突然な話しで申し訳ないのですが、明後日バイトを休ませていただきたいのです」
照雄はこれが他のバイトや従業員であれば即座に怒鳴り声を上げていたのかもしれない。
当然冠婚葬祭であれば話しは別であると彼は考えてはいるが…
ところが、目の前にいる川神徹はシフト外の急な要望にも直ぐに『わかりました』の一言で嫌な顔一つ見せる事も無く働いてくれた事を思い出し、一先ず理由を聞こうと言う自制が働いた。
「また、突然だね。一先ず理由を聞こうか」
「ええっと…昨日の事ですが……」
ある程度の事をぼかしながら要点のみを徹は彼に話しだした。そして、徹の不在を埋める代わりの手配と能力、そして無報酬で受けること。そして何と言ってもその者の所属が九鬼である事を話した。
「旅行か…確かに徹君は高校生、春休みは貴重だからね…その様な幸運が舞い込んできたなら行きたいと思うのは当然か。……まあ、良いだろう。認めるよ、徹君。存分に遊んで来てくれ、そして今まで以上に頑張って働いて貰うよ?」
照雄は少し考える素振りを見せて徹の案を了承した。穴埋めの手際も然る事ながら、徹の人柄と店への貢献を勘案すればこの程度然したる問題ではなかった。
「有難う御座います、店長!」
「まあ本音を言えばこういった内容で休ませてほしいというのは有り得ないよ。もっと早くに相談してくれないとね。まあ、突然のことだったから今回は仕方がないけど、次回は無いと思ってくれよ」
この様なやり取りの翌日、徹はバイトへとやって来るに当たり二人の人間を連れて来た。
「おはようございます」
徹は午後から弓子との旅行を控え、せめて午前中だけでもとやって来たのだ。
「やあおはよう。そちらが徹君の話していた方々かな?」
「はい。クラウディオさんとヒュームさんです」
そう徹が紹介すると二人は折り目正しくお辞儀を行い、其々自己紹介を行った。この日は顔合わせと働く際の注意、メニューなどの確認の為に二人は訪れたのだ。
「明日一日ではありますが、川神徹様に成り代わり精一杯働かせていただきます」
照雄から話しを聞き、暫くバックヤードからお店の状況を確認して二人は去って行った。
「ああ、徹君今日はお休みで構わないよ。ごめん、昨日話しておけばよかったね。午後から出発するのなら態々切羽詰まり様にしなくても良い。だから明後日からまた頑張ってね」
照雄はそう言って徹を温かく送り出したのであった。
「しかし、あの二人の動きは凄いな…」
照雄は店長と言う肩書故に接客は程々に様々な事を忙しなく行っている。その間も二人の動きを眺めつつその様な評価を付けていた。クラウディオは物腰柔らかな表情と言葉使いで、ヒュームは体躯と雰囲気から溢れる野性味を持って両者異なる接客を行っている。
それでも行動の一つ一つに洗練された気遣いを感じる事が出来た。
「流石九鬼の人間は違うってところか…」
噂話大好きなマダム達の情報網は瞬く間にこの二人の事を中心に伝達され、多くのお客が一目見ようと訪れる結果となった。本来ならば座席も限られ、唯でさえ待ち時間が発生するこの店舗ではパンクするかと言う集客があった。それでも『簡単なことで御座います』が口癖となっているクラウディオと、ヒュームを中心に回転率を上げ見事に一日を乗り切ったのであった。
「お二人とも本日は本当に有難う御座いました!」
照雄は心の底から感謝していた。過去最大の来客数であるにも拘わらず、普段と変わらぬ回転率で見事に捌き切ったのだ。それは全従業員の頑張りもあるが、中でも二人の活躍無くして為し得ないと確信していたからだ。
「いえいえ、当然の事で御座います。
「確かにな、洋菓子全般が売れる事も然る事ながら雰囲気が良いのかも知れん。店主、これからも頑張れよ。何れ客として来ることに為るかも知れない。それと余っているケーキがあれば売ってくれ。土産として持って帰りたい」
二人はそう言って照雄の感謝を受け入れると同時に彼の為し得た事を褒め称えた。年長者故の賛辞であったが、この時の照雄は嬉しいと思う気持ち以上にさらに頑張ろうと言う思いが湧き上がっていた。
「いえ、どうぞ持って帰って下さい。どれもが当店自慢の商品です。食べて、美味しければ是非来店下さるようお願い申し上げます!」
九鬼へと売り込む事が出来ればと言うチャンスを照雄は逃す気持ちは無かった。そう言う考えが分かった二人はその提案を素直に受け入れ、余った商品を有り難く頂くことに決めた。
全部で七種類のケーキを一つずつで貰い受けるこれらのお土産は九鬼家の人間に渡ることになる。中でもヒュームが仕える少女の大絶賛を受け、川秦照雄とお店の名前が九鬼に浸透するようになるのは時間の問題であった。
この様な奇跡が起こる中、徹達も奇跡が起こっていた。
「へえ、徹君と弓子さんは付きあっているのか!」
「何かお似合いで羨ましい気持ちになるね」
「姉御が言うと気持ち、おわぁぁー」
食事を摂るに当たり、何度か此処に来た事のある彼女たちは個室を予約していた。そこへ、更衣室で知り合った弓子を偶然の再会から招待したことから話しは始まる。
自己紹介をする際、彼女たちは偽名を名乗る事に決めていた。九鬼の最重要計画の要である彼女たちはまだ世に公表される事が許されていない。それを深く考える一人、武蔵坊弁慶が主と慕っている源義経に提案したのだ。
ところが、目の前の二人は川神学園の関係者でましてや片方は九鬼とも関わりの深い人物とあれば偽名を名乗る事はないと義経の言葉で名を名乗ることにしたのだ。
此処が個室であり、防音設備が施されている事と絶対口外しない事を条件に言葉を選びながら徹達に義経達が打ち明けて行った。
「義経に弁慶、与一か…何か壮大な計画が進行している様に感じる…」
「そうね。クローンって言う事がまた凄実があるわね」
二人は三人が予想したよりも驚き具合が少なかったことに驚かされる。
「あ、あれ、徹君たちは義経たちが英雄のクローンであっても驚かないのか?」
「だね。今迄九鬼の関係者以外に話した事無かったから反応を確かめるいい機会であった訳だけど、意外と小さいね。反応が…」
「はっ、組織の人間でなければ俺たちを監視する奴なんていないだろっ。いたたたたたっ姉御、割れる!頭が割れるって!!」
三人は息の合ったやり取りを二人に見せる。少なくとも義経を中心に三人が回っている事は徹達に理解出来る光景だった。
「クローンがどの様な物か俺には分からないが、義経たちは過去の偉人である源義経本人じゃないんだろ?」
「さ、さあ、どうなんだろう弁慶?」
徹の言葉に義経は隣で与一にアイアンクローをかましている弁慶へと尋ねた。
「どうだろうね。まあ、強さはかなりの物があるよ。そもそも性別が女ってところからおかしいけどね。グビッグビッ…プハー」
与一を放り投げ席へと戻った弁慶は川神水を飲んだ。
「俺はクローンであっても義経たちは義経達だという認識だから特別な見方は無いよ」
「そうね。今度から同じ学校で学ぶのであれば尚更よね」
二人はあくまでも他の者と変わらぬ見方だと宣言した。
「ほ、本当に有難う!徹君、弓子さん!!」
「有難うね」
「……」
だが、与一だけは二人の言葉に感謝の意どころか何も答えようとはしなかった。
「よ、与一~」
義経は彼の態度の涙声で訴えかける。それを感じ取り弁慶が制裁付きの催促を行おうとした。だが、それを止めたのは徹だった。
「待った弁慶。与一にやる必要はない。ただ照れているだけだ。なっ、そうだろ?」
「はっ!?はぁー何言ってんだよ?お、俺が照れるだと、馬鹿言ってんじゃねえーこれは…あ、あれだよ組織から狙われているかも知れない中を、こうやって話している事に頭が疲れただけだ」
与一は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「へぇーよく分かったね、徹」
「本当だ。ただただ義経は尊敬する!」
「ま、似た様な人間が俺の周りに至ってとこだ。きっと与一とは理解しあえる友になると思うぜ」
そう言った瞬間、その言葉を理解した弁慶を中心に室内は笑いに包まれるのであった。この後も楽しく会話をし、時間を消費していった。
「っと、そろそろ帰らないと拙いわね」
弓子は備え付けの時計を見てそう徹に話しかけた。
「そうだな。結構長く話してしまったようだ」
「あー義経たちも帰らないといけないな、弁慶?」
「そだね。そこまで慌てる必要はないけど、そろそろ帰る準備しようか」
などと其々が帰る素振りを見せ自然な流れで二組は別れの言葉と再開の約束を行って其々別々に行動を取るのであった。
「ミス・マープル宜しかったのですか?」
「別に構わないよ。あの子たちの判断で決断したんだ。それに打ち明ける人選は悪くない。
揚羽様も信頼なさっている者だからね。それに川神百代を物理的に抑え込める人物と知り合っておくのは悪くないよ。それにあの坊やには李とステイシーが付いているんだろ。なら間違いなく口止めはするさね」
監視カメラの映像を眺める二人はそう言って義経たちの行動を評価した。
「楽しかったな、弁慶、与一!」
帰りの車内では九鬼以外の者と親しく話し、友となった事が相当嬉しかったのか何度も同じ話題を義経は弁慶に話していた。
「そうだね、義経。ほら、また明日から忙しくなるんだから少し寝た方が良いよ」
「あ、ああそうだな。それでは少し義経は寝よう」
三人は其々に貴重な経験を得た事は言うまでもない。義経が眠りに着き、程無くして弁慶も目を閉じるのであった。
「へぇー二人は義経たちに出会ったのか、ロックだぜ!!」
「なるほど、川神徹様であればこそ許されたのでしょう」
此方も帰りの車内で徹と弓子は李とステイシーに三人の事を話した。すると慌てた様子もなく人選故に打ち明けられた旨を説明された。
「だけど。暫くは二人の胸の内に留めておいてくれよ。まだ、九鬼でも公表していない話しだからな」
「分かっています。決して話しませんよ」
こうして二人の短くも楽しい春休みの旅行は幕を下ろすのであった。
帰って来た徹は弓子と別れ、大量のお土産を手にファミリーの待つ島津寮へと移動した。
「待っていたぞ、徹!」
「待っていたわ、お土産!」
手が塞がり声を掛けてドアを開けて貰うよう叫んだ先には、川神姉妹が我が家の如く出迎えた。
「何故、二人が出迎えるんだ!?」
「可愛い弟が親友と二人でお泊りデートなんてけしからんと思う姉心?」
「そこにお土産があるからよ!」
徹は大きく溜め息を吐いて中へと入って行った。
リビングへと移動すると岳人と卓也、それに忠勝が座っていた。
「よう、みんな!」
徹は明るくそう言うと事なった反応を三人は見せる。
「ケッ、大人になりやがって…為る時は一緒だと大和たちと約束したのを忘れたのか!!」
「お帰り徹。ガクトの事は放っておいてよ。疲れたでしょ。荷物貸してよ」
卓也は片手にある紙袋を受け取るとテーブルへと置いた。
「おう。楽しめたか徹?」
「サンキューモロ。ああ、楽しめたぜ。なんたって無料だったからな!」
忠勝へと答えていると廊下が騒がしくなる。
「お帰り徹!一人青春しやがって羨ましいぜ!!」
「おかえり徹」
「おかー」
残りのファミリーも揃いリビング兼食堂は大賑わいとなった。しかし、そこにいない人物を一子が気付く。
「あれ、まゆっちは?」
「まだ二階に居るのかも」
京はそう言ったが、彼女の場合、常時大和の部屋に入り浸る事から二階での交流は極端に少なかった。
「そう。徹にも紹介しないといけないから私が呼んで来るわ!」
一子は物凄い速さで上へと駆け上って行った。
「ま、黛…由紀江とも、申します!!」
迫力を込めた由紀江はそう言って徹に名を名乗った。他の面々には慣れを見せ始めたが初対面の徹には今迄と同じ強面の反応を見せた。
「おう。姉ちゃん達から話しは聞いている。川神徹だ。宜しくな」
徹はそう言うと由紀江の頭に手を置いて二回ほど軽く叩いた。
「ふぇ…?」
「初対面で緊張するなとは言わないがもっと気を抜いたほうが良いぞ」
そう言って今度は頭を撫でる。それだけでも由紀江の表情は優しげな物になった。
「は、はい…有難う御座います」
彼女はそのまま顔を赤くして俯いた。
「こら徹!ユーミンと言う彼女が居ながら気安く女の子に触れちゃいかん!こう言うのは独り身の私がするのだ」
百代が徹を嗜めると、自分は由紀江を抱きしめた。
「はわわっ!?」
驚く由紀江に容赦なく百代が撫で回す。その手癖が妙に手慣れた物で由紀江はあっと言う間に全身真っ赤な生き物へと変わった。
「さて、自己紹介は終わったな。それじゃあ早速お土産を披露してくれよ!!」
翔一は待ちきれないとばかりに徹にそう催促した。
「分かったよ。一子その袋から全部出してくれ」
「分かったわ!」
そう言って二つある紙袋から出したお土産は彼らだけで食べるだけでも相当な量があった。
「凄い量だな。どれくらい掛かったんだ?」
「勿論タダだよ、大和。これでも遠慮したんだぜ」
徹は土産物屋で購入するに当たりその場で起こった事を話しだした。
「へぇー全てが無料って此処まで徹底されるんだね」
卓也はそのシステムに感心していた。
「ホント羨ましいぜ。美しいお姉さまと旅行に行き、さらにこうして全てが無料だったなんてな」
「ガクトも頑張れば良いよ」
「おい京。絶対無理って顔しながら言うんじゃねーよ!!」
「目は口ほどに物を言う…」
土産物の選別と土産話に花を咲かせた集まりは夜遅くまで行われるのであった。
翌日からは新学期が始まる。由紀江と言う新たな人物を加え、風間ファミリーはどの様な展開を見せるのか。そして徹を始め各々の恋の行方は…
御一読頂きまして有難うございます。
次から原作へと突入出来ると考えております。
これが投稿されると言うことは仕事……
感想は8日以降に確認することになります。
pc、スマホの無い世界へいざ逝かん!
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018
父上、由紀江はとうとう川神学園に入学しました。今、入学式の真っ最中ですが、どうにも慣れません。新天地で目指す事は友達を一人でも多く作る事です。
「ま、黛さんで良いんだよね。大丈夫、さっきからブツブツ唸っているけど体調悪いの?」
隣に座る同級生にお声を掛けて頂きました。ああ、なんて優しいのでしょう。ここは気合を込めて返事を行わなければなりませんね。
「い、いえ。大丈夫ですっ!」
「ひっ、そそう…大丈夫ならいいわ」
お隣に座る誰かは存じませんが、何とお優しいのでしょうか。やはり此処に来た事は間違いではなかったのでしょう。大和先輩を始め、島津寮の先輩方はとても親身に接して頂き、さらには初対面でもこうして話し掛けてくれる。ああー私は幸せです!!
こうして同級生の優しさに触れていると、あっと言う間に入学式は終わりを迎えました。
組ごとに退場していきますが、周囲の視線が私に集まっている気がします。可笑しな事は無いと思うのですが、一体どうしたことでしょうか…
ああ、松風がいない事がこれほどまでに不安と為るなんて……早く松風に会いたいです。
由紀江は入学式に出る事に当たり、京が松風を取り上げていた。
(あーまゆっち!)
「ま、松風!?」
一人で演技するには十分すぎるほどに感動を呼ぶ別れを演出した。
「おお、本当に面白いなまゆっち!」
「友達たくさん作りたいならこれは邪魔だと思うの」
(京姉さん、それは聞き捨てならねえ!オイラはまゆっちの大親友だ!)
「まあ、無理強いはしないよ。松風を連れて行くか、私に預けるか選んで」
由紀江はどうして川神に単身やって来たのかを思い出し、京のその言葉で預ける事を選んだ。
「私、大和田伊予って言うの。宜しくね」
「は、はいっ。私は黛由紀江と申しますっ!」
右隣に座る小柄な子はなんて眩しい笑顔を私に向けるのでしょうか。
「こ、怖いって。もしかして笑ってるの?」
「え、ええ…やはりおかしいのでしょうか?」
少し怯えていますね、どうしたのでしょうか?
「おかしいって言うかね。ねえ…それって本物?」
苦笑いを浮かべる大和田さん…伊予ちゃんと呼ばせて頂きます!
「これですか?ええ、勿論本物です。国の許可は頂いていますよ」
若しかして伊予ちゃんも剣術を嗜んでいるのでしょうか?
「うん。それだ!」
何がそれだ。なのでしょうか…
「えっと何が、それなのですか?」
「あのね。その笑顔も十分怖いけど、女子高生が刀を握りしめている絵は有り得ないって」
何と、ド直球で物を言う方のでしょか。地元ではそれすらも言われる事の無い状況でしたから嬉しい事に変わりは無いのですが…
「ああ、そんなに落ち込まないで!ごめんね、それでさ…まゆっちって呼んでも良い?」
へっ?い、いい今伊予ちゃんは何と仰ったのでしょうか?ま、まゆっち、伊予ちゃんもまゆっちと呼んで下さいましたか!?
「ふぇ?まゆっち、ですか?」
「ダメ?黛由紀江だからまゆっち。他にもそうねーまゆまゆ、ユキエ、ゆきちゃんなんてあるけど」
そ、そんな大量にあたしの愛称を考案して下さるなんて!なんとこの方はお優しいのでしょう。川神は私にとって楽園かもしれません。
「ええっと、まゆっちでお願いします。それでですね、私は伊予ちゃんとお呼びしても宜しいですか?」
正直拒否されるのが怖いという気持ちがありますが、此処は勇気を持って不肖黛由紀江参ります!
「うん良いよ。前の学校でもそう呼ばれていたし。あっ、私入学を機に川神に引っ越して来たんだ」
そ、即答ですかっ!!
「そうのですか。私は北陸出身なんですよ」
「ん?若しかして寮で暮らしているの?」
「はい、島津寮でお世話に為っています。新天地へと来たという環境ではお互い同じ状況ですね」
何と言う幸運でしょうか。一年生でも相当な人数がいる筈なのに、一日目にしてこうして知り合いが出来るなんて…
「そうだね、まゆっち。それじゃあお隣の席同士宜しくね」
「はい。此方こそ宜しくお願いします。伊予ちゃん」
これは皆さんに報告しなければなりませんね。ああ、早く松風にも会いたいです。
川神院ではルー師範代を始め、高僧たち五十名が結界を張っている中で百代と徹が珍しく本気で戦っている。本来、二人は川神鉄心の見ている前でなければ戦う事は許可されない。それを可能とするには彼に変わる者の存在が求められる。
「楽しいな!徹!!」
「ああ、久しぶりに思い切り戦える!!」
二人は目で追い切れぬほどの高速で拳を突き出し、蹴りを繰り出している。百代の攻撃を躱て蹴りを浴びせるが、ガッチリと受け止められ再度拳が徹を襲う。二人の体が触れ合う度に結界が震え、その都度ルー達の表情が苦しい物へ変わっていた。
次々に行われる攻防は傍から見てどちらが優勢なのか全く分からない状況だった。
「たく、暫く見ねえうちにどれだけ成長していやがるんだ」
鍋島正は百代と徹の戦いを呆れた面持ちで観戦している。
白を基調とした帽子とスーツの出で立ちの鍋島は川神院出身の男である。本日行われた川神学園入学式に来賓として出席した帰り、鉄心の代わりに二人の戦いを見届ける役割を任されていた。
「鍋島さん、お姉さまが有利に見えるけど徹も負けていないわよね?」
一子は鉄心の弟子でもある彼に戦況を確認する。目で追えてはいるが、それが正しい物か彼女では判断付かなかった。
「おっ、一子も見えているのか。お前も成長しているじゃねーか」
鍋島はそう言うと一子の頭を撫でる。
「勿論よ。私の夢はお姉さまを支える為に師範代に為る事!その為に徹と組み手をやっているんだから!!」
「本当か?なるほど、徹の坊主が相手ならこれ位は…」
彼は二人の戦いを見ながら川神院の次代が着実に育っている事を実感した。彼も此処には思い入れのある一人だ。そして、百代と徹と言う血脈による強さ以外にもう一人なりとも努力で這い上がった人間が必要だと考えていた。
「やっぱり二人は凄いわね。鍋島さん!!」
「ああ、そうだな。あの二人がどれほど成長を見せるか本当に楽しみだ。一子、良く見て頭に焼き付けろ。あれはあの二人が至るレベルだが、見ていて損はねぇ。あれを理想とし、より鍛えろ」
「勿論よ!勇往邁進が私の信条だわ!」
一子の存在が二人に安定を齎すことも彼は確信していた。天才故の孤独。百代と徹は二人だが、孤立している状況に変わりなかった。だが、恐れず常に後を追い続ける彼女の存在は貴重であった。
「釈迦堂も一子の様な存在がいれば別だったのかも知れねぇな」
「釈迦堂さん?」
つい溢してしまった言葉を一子は聞き逃さずに鍋島に聞き直した。
「なんでもねえよ。ほらクライマックスだぜ」
二人の目には距離を開けた百代と徹がいた。
「姉ちゃん、いい加減瞬間回復に頼るのを止めたらどうだ?」
徹も使えるが今ではそれを封印し、技を磨き速さを求め、力を付けて来た。彼には既にこの技の限界が見えていた。
「それは出来ない相談だぞ、徹」
徹は呼吸を荒くし、ところどころ裂傷箇所から血が流れている。対して百代は同じ様な傷を負いながらも瞬間回復による恩恵から戦う前と変わらない。
「何れそれが元で負けるかもしれないぞ!」
「それは無い。私が川神百代である限りな!行くぞ!!」
自信たっぷりに言い放つと百代は気を集中し出す。
「おいおい、幾ら結界があるからって、それは拙いだろ…」
徹も負けじと気を練り始める。
「拙いな。一子俺の後ろに来い。それで気を確りと張るんだぞ!」
「分かったわ。鍋島さん」
「おいルー死ぬ気で結界晴れよ。最悪此処の建物で終わらせるぞ!」
鍋島は必死の形相で結界を張るルーを始めとした高僧全員に言葉を達した。
「きびしい事言うネ。でもやるしかないネ!!みんなー死ぬ気で結界の威力を上げるヨ!終わったら鍋島さんが肉料理を御馳走してくれるからネ!!」
『追う!!』
そう言うとフルパワーの如く結界が膨れ上がった。言葉も出せぬほど厳しい状況だが、二人の最後には打って付けの展開だった。
「たく、ルーの野郎勝手に言いやがって…まあ、こんなに気合の入った戦いを見せて貰ったんだ。頑張った者にはそれ相応の褒美が居るだろうな。分かったぜルー俺が責任持って美味い物をたらふく食わせてやるぜ」
男気溢れる鍋島の言葉で全員の気合は最高潮に高まり、クライマックスに花を添えた。
「行くぞ徹。お前の限界を見せろ!川神流奥義『星殺し』!!」
「無茶を言うな『星殺し』!!」
同じ動作を繰り出した二人は、地面と平行に放った二つのエネルギーの塊の衝突によって周囲を真っ白な世界へと包み込んだ。
距離は百代が僅かに優勢となった。瞬間回復を使っているにも拘わらず、徹に競り勝つ力がまだ残っていたのだ。次第にエネルギーのぶつかり合いは徹が押され始める
「くっ…負けるものかよ!」
徹はこの技にもう一段階エネルギーを追加する事を行った。
「なっ!?」
百代はその光景を目にして驚かされる。これによって互いの距離が等しく拮抗し、エネルギーは逃げ場を失い遥か上空へと場所を求めて逃げた。そのエネルギーは宇宙空間まで達し、追い切れるだけでも木星方向まで見て取ることが出来た。
「まさか二段構えで放って来るなんてな…」
百代は心底嬉しそうな顔で満足そうに徹を褒め称えた。
「くそっ、これでも勝てないのかよ…」
対して徹は隠し玉のように練りに練った技を持ってしても勝てなかった事に舌を巻いた。
そして、二人は崩れる様に気を失い地面に倒れ込んだ。
「ま、まさか五十名の結界も破られるのカ…」
ルー達も疾うに限界を迎え、気を失いながら結界を張る作業に当たる者もいた。その者たちも含めて今は全員が気絶し地面に伏せた。
「それまで!両者気絶しているな。よって、この勝負は引き分け!!皆は直ぐに気を失っている者を保護しろ。一子手伝ってもらうぞ」
「分かりました!」
その時見た百代の表情はとても満足気であった。
「へぇーあの眩い光は姉さんたちが戦った物だったのか」
一子は一通りの手伝いを行った後、大和たちが集まる基地へとやって来ていた。
「此処からだと川神院もよく見えるからね。凄い光だったよね」
「モロの言う通り。ワン子は大丈夫だったの?」
京は対戦していた二人では無く一子を心配する。
「まあ、この通り無事よ」
「モモ先輩と徹はどうしたんだよ、ワン子?」
「えっとね、お姉さまはまだ家で寝ているわ。徹は彼女さんの所に向かったわよ」
翔一の何気ない言葉で嫉妬に駆られる男が一人生まれることになった。
「へぇー昨日まで旅行していたのに直ぐに戦えるなんて凄いのね?」
「まあ、気力が残っていたからこうして動けているんだけどね」
二人は落ちついた雰囲気のある喫茶店でデートを楽しんでいた。この為に徹は封印した瞬間回復を使用し怪我から回復を果たしていた。その為今の徹は卓也と同等の力しかなかった。
「そう言えば今日ってバイトじゃなかったの?」
「それなんだけど。昨日予想以上にケーキが売れてさ、今日の材料も消費したから臨時休業だって連絡があったんだよ。だからこうして会えるってわけだ」
「そうだったの。ということ事は代わりの人が相当頑張ったってことなのね」
弓子はまさかあの二人が代わりだとは夢にも思わなかった。
「さて、今日はこれで帰るよ。まだ向こうで眠りこけている姉を起こさなきゃ為らないから」
百代は全気力を使い果たし一向に目を覚まそうとしなかった。
「百代に『お大事に』と伝えてくれる?それと徹との時間を潰された事について、何れ返してもらうってね」
「ああ、分かった。それじゃあ、店を出ようか」
徹はレシートを持つと素早くレジへと向かい会計を行った。
「御馳走様」
「このくらいで気にしなくていいよ」
「私は買い物して帰るから此処で別れましょ」
「そうか、それじゃあまた明日」
「ええ、また明日ね」
二人は言葉を交わすと軽くキスをして別々の道を歩き出した。
徹はその足で川神院へと戻るとやはり百代は寝ているままであった。
「気持ちよさそうに寝やがって、俺の全力でも引き分けってどういう構造しているんだ…」
そう言いながら気を込めるべく百代の心臓部へと手を乗せる。一種の心臓マッサージに似ている行為である。
「ふっ!」
軽く百代の体を押し込むと体がビクリと反応した。
「お姉ちゃんの胸を揉み拉くなんて、ユーミンに教えちゃおっかなー」
素早く目を覚ました百代は直ぐに徹を弄り始める。
「もう一度寝かせても良いんだけど?」
「ああ、悪かったよ。もう美少女の冗談だって…」
そう言って百代は寝ていた布団を剥ぎ取ると立ち上がった。
「もう立ち上がって大丈夫なのか?」
「ああ、もう暫くすれば元通りになる」
徹はその言葉に驚きを隠せなかった。
「取り敢えず鍋島さんが待っているから移動しようか?」
彼も立ち上がろうとした時、百代が両腕を伸ばしてきた。
「一応尋ねるが、その仕草は何、姉ちゃん?」
「歩けないから抱っこ!」
その仕草に徹はキレた。未だ回復途中の百代の頭に拳を見舞ったのだ。
「痛いじゃないかよー美少女がこう言ったら喜んでやるまでが男だろ!」
「だから連れているだろ?」
「ちーがーうー!これは引き摺っているだけだろうが!」
騒がしくも二人は鍋島が待つ部屋へと向かう。
「おう。もう良いのか?」
二人が入室すると鍋島は一人で酒を飲みながら待っていた。
「はい。ある程度までは回復しました」
「それは良かった。それでよ。今回見させてもらって改めて化けもんだと思ったぜ。二人とも良く此処まで成長したな。是非俺とも闘って貰いたいもんだ」
そう言うと高らかに笑い声を上げた。
「俺はまだまだですよ」
「では私とは何れお願いしますよ、鍋島さん」
「なら、夏休みにでも天神館に招待しよう。その時にでも戦おう」
三人の会話は鉄心がやって来るまで続いた。
御一読いただき有難う御座いました。
今回はまゆっちの入学式でありましたが、事前に風間ファミリーと出会っている事で変化が生まれる展開に致しました。その為大和と不審者的扱いの出会いはカットと為ります。
その代わりに笑った時の怖さと日本刀の所持を指摘したのは、同学年お友達一号の伊予ちゃんに変更と致しました。
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019
二年生になって数日が経過した頃、Fクラスに留学生がやって来るという話が持ち上がった。
「皆喜べ、今度ドイツのリューベックより留学生がやって来る!」
担任の小島梅子より発せられた言葉によってクラス内はざわつき始める。
「静まれ!」
しかし、梅子の鞭一閃により水を打った静けさを取り戻す。
「質問があれば挙手してからだ」
そう言うと即座に福本育郎が手を上げる。
「ハイ!女ですか、美人ですか、金髪ですか?」
「ハイ!男ですか、イケメンですか、金持ちですか?」
次に質問したのは小笠原千花であった。二人は幼馴染故に距離はあっても根本が似通っているのかもしれない。
「その様な質問に答える筈がないだろ、俗物が!!」
この後男女の悲鳴が廊下にまで達したのは言うまでもない…
「さってと…手伝え徹、大和!」
翔一は梅子が去り際に『ヒ・ミ・ツ、なんてな』と言葉を残した後、即座に声を掛けた。
「またやるのかキャップ」
「あったり前よ!こんな美味しいイベントやらずして何だってんだ」
翔一は既に偽造防止の刻印まで施した札を用意し、何時でも胴元として機能するだけの準備が整っていた。
「みんな、聞いてくれ!これより俺が胴元となって留学生の性別はどっちだトトカルチョを開催する!一口千円で最大十口までだ!両方に投じる事は出来ない。さあ、どーんと張ってくれ!!」
翔一は教壇へと登るとそう高らかに宣言した。
すると多くの生徒が集まり、金を手に札の交換を始める。男子へと投じる者は大和へ、徹は女子を担当する。クラスと名前、金額では無く個数を記入する徹底振りだ。翔一の組織する物は、とても今思いついて行ったものではなかった。
「み、皆さん!そう言った事はおやめになった方が…」
委員長となった甘粕真与は、おろおろしながら事の大きさを懸念して止めに入ろうと必死だった。しかし、如何せん子供に間違えられる容姿によって歯止めを掛ける事が出来そうになかった。
「真与、こう言った事は楽しんだ物勝ちよ。それに私も買っちゃった!」
千花はそう言って女子札を真与に見せた。札は男子に青いラインと一から始まる六桁のシリアルナンバーが、女子には赤いラインが其々付けられている。彼女は三枚の札を購入していた。
「おっ、チカリンは女子に張った系?」
二人で話していると羽黒黒子がやって来た。
「まあね。羽黒は?」
「アタイは勿論男子系!そんでもって喰い散らかしてやる系よ」
自信たっぷりに宣言した黒子は札を一枚の札を持っていた。
「その割に一口しか買っていないのね?」
「違う系よ、チカリン。これは十口を纏めた札だよ」
そう言って見せた札は千花が持っている札よりも一回り大きく、番号も二から始まっていた。
「ほ、本当だ。あんた随分と賭けたわね」
「女の気概ってもんを見せてやった系よ」
二人がそう話す中、とうとう予想屋まで現れる始末。真与は余計におろおろするばかりであった。
「本当に大丈夫なのでしょうか……」
彼女が危惧する様に問題は隣のクラスで起こる事に為る。
「あの山猿どもめー!!」
「まあまあ落ちつけよ、不死川。飴、食べるか?」
不死川心が癇癪を起したように、Sクラスでは騒音問題としてFクラスの行為を捉えていた。井上準は諌めようと常に持ち歩いている飴玉を彼女へと差し出した。
「おお、中々感心じゃなハゲ。此方に対する忠誠心褒めてしんぜよう」
そう勘違いをする事があろうとも準の瞳に映る心は変わる事は無かった。
「ああ、幼女が飴玉を舐める姿は俺に一種の清涼剤を、ドブァー!!」
「気持ち悪い事を喋るんじゃねーよ!殺すぞ、ハゲ!」
突如病を発症した準を止めるには物理的に止めるのが最適であった。
「イタタ。何だって言うんだ。えっ!?お、忍足さんがあの口調と攻撃を行ったという事は…」
瞬時に回復した準は、攻撃した者が誰かを特定するのは容易なことだった。常に従順な従者を務める彼女は、主人が居なくなると同時に枷を外し暴君へと変化を遂げる。
「げぇ!英雄が居ない!!」
「テメェ!英雄様を呼び捨てとはいい度胸じゃねーか」
目だけで失禁まで至らしめるほどの眼光と威圧に準は何とか耐える。
「くっ、俺は屈しない…って若とユキも居ない!?」
「三人は隣のクラスへと向かった。それよりもハゲ、あたいは腹減った。適当にパン買って来いや。但し、今私が食べたいと考えている奴な」
「な、何と横暴な!あのーお代は?」
しかし、買って来いと言われてもあずみは一向にお金を渡そうとしなかった。その為準は恐る恐るあずみにお伺いを立てた。
「そうだなー当たりだったら渡してやるよ。それよりも早く行け、腕折るぞ」
「ち、ちくしょぉぉー!!」
準は叫びながらパンを購入するべく教室を出て、購買へと駆けて行った。
「フハハハハー九鬼英雄。降臨である!一同静まれ!」
英雄は隣のクラスへと赴くと堂々とそう言葉を発し、見事静まり返らせた。
「流石、英雄ですね」
「おお、すごいのだー」
冬馬と小雪は目の前で騒いでいる人を一瞬で黙らせる英雄を褒め称えた。
「ふん、褒めるでないわ!」
三人は堂々と教室へと入ると英雄は高らかに忠告を始める。
「お前たち庶民が何をしようが構わん。しかし、隣のクラスにまで聞こえる騒音を我は看過出来ぬ。よってこれ以降騒ぎ出す事2-S委員長である我が許さん!!」
当然英雄には文句の言葉が上がるが、葵冬馬が居る手前女子生徒は静かであった。
「まあまあ皆さん落ちついて下さい。英雄の仰る通り何をするにも自由です。ですが周囲に迷惑を掛けてまで許される筈はないでしょ?」
冬馬はそう言って主に男子連中へと言葉を掛けた。
「そうだな。確かに葵たちの言う通りだった。すまねえな」
翔一は騒ぎを収め、いち早く投票を再開したかった。このイベントは勢いが大事だと彼は確信している。その為、最初に冬馬たちへと言葉を返したのだ。
「うむ。理解が早くて助かる。して、お前たち庶民は何をしているのだ?」
英雄はそう翔一に尋ねた。
彼は言う程Sクラスに蔓延する選民思想に迎合している訳ではない。須らく庶民を導かねばならない存在だと認識している。
「ああ、留学生が来るんだよ。それで男子、女子どちらかを巡りトトカルチョしているんだ。九鬼と葵もやるか?一口千円、最大十口までだ」
翔一は商機と見るやそう言って売り込みを掛けるが、思わぬ言葉を返される。
「我は金を持たん。すまんがそれには参加出来ぬ」
「では、私が英雄の代わりに参加しましょう。十口を、そうですね…女の子にお願いします」
「トーマが女子にするなら僕は男子に入れるね。五口でお願い」
冬馬が言葉を発し、動きを見せるだけでFクラスの女子から黄色い声が漏れ男子は不満げな表情を見せる。そして二人は其々徹と大和から札を受け取った。
「まさか、徹君も参加していると思いませんでしたよ」
冬馬は御札と札を交換する際、意外だという思いで徹に言葉を掛けた。
「こう言った事は受ける側の方が楽しいだろ冬馬」
「そうですね。ですがもう少し声を小さくお願いします。抑えるのも一苦労ですから」
二人が言葉を交わすと三人は教室を後にした。
その後は周囲に迷惑と為らぬ様、静かに投票が行われた。
初日は、男子が女子の二倍と言う差を着けて投票は終了した。
「残ねーん。あたいはコロッケパンが食べたかった。残念だな、お代は支払えない」
息を切らしながら購入してきた準は牛乳まで付ける気の使いようも無残に崩れ落ちた。
分からないからと十種類を購入し、最後の一つをコロッケパンとから揚げパンのどちらかに絞った結果後者を選択してしまった。
「ち、ちくしょう!」
準の嗚咽は英雄たちが帰るまで終わらなかった。
「いやー凄い金だ!」
翔一は放課後基地へと移動し、お金と札の交換が正しく行われていたかの作業を行っていた。その結果、ウン十万という大金が集まっていた事に翔一は興奮気味に言葉を発した。
「これは凄いね。でもさキャップ、男子になったら大損じゃないの?」
卓也も集計作業に参加してお金と札の数を数えている。
「まあな、でも女子だったら大勝ちだ。これだから止められないぜ!」
「なあ、俺様一応女子に入れたけど勝算はどれほどなんだ?」
「それは言えないなガクト。当日をお楽しみって所だ」
暫く二人は確認作業を行い、岳人はその光景を眺めることに費やした。そこに続々とファミリーが集まり始める。
「おお!!お金の匂いがすると思ったら、こーんな所に大金が!?」
そう言って現れたのは百代だった。翔一たちは珍しくドアから入って来た事で気が付くのが遅れた。
「よう、モモ先輩。ウチのクラス留学生が来るんだ。そこで、男子か女子かを予想するトトカルチョを開催しているんだ。一口千円で最大十口、両方に掛ける事は禁止ってルールだけど賭けるか?」
「うーんツケで…」
もいいか、と尋ねようとしたところで翔一はきっぱりと断る。
「駄目だぜ、モモ先輩。うちは現金でのみ受け付けているんだ。幾ら身内とは言えルールは破れない」
「くっ、金欠なのが恨めしい。ガクトたちは賭けたのか?」
「勿論願望を込めて女子に七口な」
「僕は男子にね。最小の一口だけど」
その後も百代は頼み込んだが、決して翔一は首を縦には振らなかった。
「みんな、遅くなった」
「お待ちー」
暫くすると、基地での消耗品を購入してきた大和と京が部屋に入って来た。その後ろには由紀江も着いて来た。そこで頼れる大和を見た百代はここぞとばかりに泣き付いた。
「待っていたぞ、弟!お姉ちゃんに力(金)を分けてくれ!」
「うわっ、危ないだろ姉さんいきなり抱き付かないでよ。もしかして賭けに参加したいけど手持ちがなくて参加できないってところか?」
瞬時に分かるこの状況に大和は大きく溜め息を吐いた。
「だからあれほど無駄使いするなと…」
「あーあー聞きたくなーい!」
浪費癖のある百代はバイトで借金分とそれ以上の金を稼ぐのは良いが、在ればあるだけ使ってしまう為に直ぐに金欠に陥るのだ。徹も大和もそれをどうにかしようと試みるが、結局借金をして翌月へと向かってしまうのが常であった。
「こ、ここが皆さんの集まる基地ですか…」
(パ、パネぇぜ…)
由紀江は百代とは別に室内へと足を踏み入れると、興味津々で辺りに在る物を眺めていた。こう言った空間が彼女にとって非常に刺激を与えたのか目を丸くしていた。
「そうだよ。此処は僕たちがいろんな物を持ち込んである場所なんだ。まゆっちにはどう映る」
卓也は親しげに尋ねた。しかし、彼女の回答如何では非劇と為りかねない問い掛けである。
「何と言いますか、此処を大切にしていらっしゃる様に感じます。外側からは想像出来ない快適な空間を見ればそう感じますよ、モロさん」
「へへ、そうなんだ。有難う、まゆっち」
卓也はそう言って笑顔で由紀江に言葉を返した。これで彼の信用を得た由紀江であった。
未だに彼女の知らない試練が続く事と為るが、一つ目は乗り越えたということだった。
「おーい、まゆっちも賭けるか?」
「賭けですか?」
翔一の言葉に由紀江は尋ね返した。百代に説明した様に内容を説明した。
「お、面白そうですね。それでは女子に十口お願いします」
由紀江は何気なく財布を出すと一万円札を抜き出した。その財布から気品の良さを感じ、信じられない身体能力を持つ百代は中身の確認を怠る事は無かった。
「ブルジョア、キター!!」
「おお、凄いなまゆっち!」
「驚いた。見かけによらず大胆にいくね」
百代は賭け金額から相当のお財布がある事を確認し、大和と京は純粋に気風のいい賭け方を感心していた。
「分かったぜ。はいこれ、当たっていればこの札と交換で分配金が貰えるからな。楽しみにしていろよ、まゆっち!」
翔一はお金を受け取り、大きめな札を渡した。
「なあまゆまゆ。私にも投資してみないか?」
「こら姉さん後輩にたからない。ほら仕方がないから俺が貸してあげるよ」
「本当か!?いやー流石私の舎弟だ。やはり頼りになるな。これはお礼だ」
百代は感謝の気持ちを込めて大和の頬に軽くキスをした。
「何っ!!モモ先輩!俺も貸すぜ。だ、だからさ…」
その表情は犯罪者に匹敵するものであった。
「いやいらん。それにキモイぞ、ガクト」
「もう病気だよね。ガクトのそれは…」
そう言われ、何度と無く流した涙を再び流す羽目になった。
「それじゃあ……私も女子にしよう」
そう言って百代は十口分を購入した。
「ファミリー内は女子が多いね。まゆっちはどうして女子を選んだの?」
「実はお友達が増えたらいいなって思いで選びました」
その後は聞くも涙の由紀江夢語りが始まった。思わず翔一まで潤んだ話しは胸を打たれるどころではなかった。
「うう、妙なシンパシーを感じる…」
京の言葉に岳人が顔を背けた。
「随分と苦労したんだな、まゆまゆ!私はお友達だぞ!!」
百代は後ろから抱きしめるとこれでもかと顔を擦り合わせた。
「でも出だしは好調の様だし、頑張ってよ。まゆっち」
「モロの言う通りだ。良い方向に向かうと良いな、まゆっち」
「何かあれば遠慮なく相談しろよ。俺たちは友達なんだからな」
卓也は現状の友達伊予の事を挙げ、それを大和が評価したが最後の言葉に誰しもが驚いた。
「一瞬誰が喋ったのか解らなかったぜ」
「どうしてそれを同級生にも出来ないのかが分からないよね」
京の言葉に誰もが頷いた。岳人はどう言う訳か年下に対しては男らしさと言う物を自然と見せて信頼される傾向にある。同級生や年上には異性として見ているからか、気持ちが悪くなるほどの下心に気が付かれ引かれるのが常であった。
「はい、有難う御座います。ガクトさん」
やはり、由紀江にも岳人は信頼を勝ち得そうな状況であった。
御一読いただき有難う御座いました。
私ごとですが、辻堂さんの純愛ロードでも投稿しております。
そちらも御一読いただければ幸いです。
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020
前年度までの川神学園では土曜日は休みと為り、部活に精を出す者たちの声で活気に満ち溢れていた。ところが…
「授業時間を増やすべきだ。ですんなり土曜日も授業とか有り得ねー」
「うう、私の鍛錬する時間が…」
ファミリーもそうだが基本的にFクラスでは不評であった。
「まあいいじゃねーか。こうして皆に会えるんだし」
「そうだね。私は常に大和にくっ付いているけど」
翔一の言葉に良い意味で解釈する京がストーカー宣言を行った。
「えーっと、警察への相談は……」
そして大和は即座に警察へと相談を決め込み本気で携帯を弄っていた。
「授業始めるぞー」
始業チャイムが為ってから五分ほど経過した後気だるそうに入室して来たのは宇佐美巨人だった。此の男は最後まで土曜日の通常授業化に反対していた人物であった。
「起立、礼、着席!」
委員長の真与の言葉で一斉に同じ動作を行った。
「さて、今年度一発目の人間学の授業だが……」
彼が行う授業は基本的に受験とは関係が無く、積極的に参加する生徒が限られている。特にSクラスではそれが顕著なのだが、Fクラスは対照的に面白いという認識で多くの生徒が授業に関わる。
そこで、宇佐美は春休みの体験談を生徒に上げて貰い、将来とどの様な関わりがあるか等面白おかしく説明を行った。その為この授業には教科書は無く板書もしない。その為生徒はノートを取る事が無かった。ただし、其々この先に必要だと思う生々しいお金の話しや社会の仕組みについてはノートに書き込む姿が見られた。
ところがこの授業、頻繁に脱線を行う事でも有名で、話題は留学生の性別であった。まだ翔一の投票は締め切っていない為、ここで教師側の情報を得ようという考えが働いた。
「ヒゲ先生、今度やって来る留学生の性別って男ですか、女ですか?」
何とここで尋ねたのは胴元で手伝っている大和であった。
「おい大和、何を聞いてんだよ!」
「いや、別に投票したら行けないって決まりは無いんだからさ、折角なら情報を得ようかなって。どうだ、徹?」
「まあそうだな。どうせなら公平に参加したいな。と言う訳で教えて下さい、宇佐美先生」
二人の裏切りにも等しい行動に翔一は頭を抱える。既に投票を行った者は先走った己の行動を悔やんだが、そうでない者は幸運が舞い込んできたと大和の行動を喜んだ。
「おいおい、いきなりな質問だな、直江。オジさんの立場からはどっちだって言えないだろこの状況では。と真面目な教員は言いますが、俺はそんな真面目でもない。よって、オジさんの予想として、聞いてくれ。うちのクラスに昨年Fクラスの男子がやって来た。このクラスの編成は男子が少ない。よって入れるならどちらかと言うのは自ずと分かるな。あくまでも予想だ。間違ったからって責任を取れなんて言うなよ。おっと、時間だな。挨拶は要らないぞ。それじゃあな」
去り際に、大和の目を見た者は当事者以外居なかった。
その後のクラス内は宇佐美の予想から導いた結果を方々で話し合う姿が目撃された。
「へへ、ほぼ当たった系ね」
「あーあ、私も羽黒と同じ方にしておけばよかったなー」
黒事と千花はそう言って明暗に別れ、互いの表情がはっきりと出ていた。
「やっぱり、男子か…いや、裏をかいて女か…」
「さっさと決めてしまえよ、ヨンパチ!」
「いや、早計に決めるのは愚策だぞ。此処はギリギリまで情報収集をだな…」
男子も同様に色々な話しをしていた。
「ねえ、大和はどうするの?」
一子は未だに決めかねている大和に尋ねた。
「そうだな。一度基地で決めようかと思っている」
「随分時間を掛けるのね」
「早すぎても駄目なものもあるよ、ワン子」
その言葉に京はあくどい顔で一子に語りかけた。しかし、一子の顔は特に変化が見られなかった。
「何を言っているのよ、京?締め切りが迫っていないのだからいいじゃない」
「おお、ワン子が純粋過ぎた…」
大和はその時、京がおかしいのだと思っていたが藪蛇と為りそうな話題の為敢えて何も語らなかった。
「何ぃー授業でそんな話しが出たのか!!」
例の如く昼休み徹は弓子とお弁当を食べていたところ、百代も親友としてその輪の中に参加していた。その際、留学生の賭けの話しと為り、徹は授業での一コマを話した。
すると、百代が大枚を投じた事で驚きを隠せないでいた。
「面白い事をするわね。徹君のクラスは」
「まあ、うちにはキャップ、風間翔一が居るからね。あいつが胴元に為っているのさ」
「ユーミンもやってみたらどうだ?徹、まだ受け付けているんだろ?」
「明日の昼まで受け付けているよ」
すると弓子は二人にどちらに決めたのかを尋ねた。
「私は女子一択だ。可愛いおんにゃのこが来る事を節に願っている!!」
「俺はまだだよ。姉ちゃんの願望とは違うけど、俺も女子に投じるつもりだ」
しかし、二人は徹の言葉に矛盾を感じた。
授業中に語られた宇佐美の言葉から言えば、圧倒的に男子が有力だという結果に繋がる筈なのだ。それでも裏をかいてと言う発想が生まれるが、それを上げれば堂々巡りと為る。
よってストレートに答えを出すのがベストの筈なのだ。
「もしかして、答えを知っているんじゃないのか徹?」
「えっ、それってインサイダー取引じゃ…」
「違うよ。俺たちは本当に知らない。ただ、あの授業の去り際、宇佐美先生が大和をちらりと見たんだ。それが気に為ってね。もしかしたら話しが出来上がっていたんじゃないかってね」
あの僅かな瞬間に大和を除き、唯一徹は見逃していなかった。当然二人はその様な事はないと思っていても武神に匹敵する徹を騙す事は出来なかったと。
「まあ仮定の話だけどね。あれでもし本当に話しが出来上がっていて、大和も投じれば弓子の言う通り違反に為るだろう。だけど今回のトトは非公式な物だ。一度成立してしまえば誰も関心を持たなくなるよ」
徹の言葉に百代と弓子は大和に対し僅かなマイナスイメージを持ってしまった。これがどの様な作用を齎すかは何れ語る事と為る。
「それに、宇佐美先生が言っている事が正しいのかもしれない。配当は下がるが、安定した勝利を掴めるかもしれないからな。今頃男子に投じる生徒は多く為っているだろう。それも踏まえて俺は女子に投じるんだ」
「ふーん、なら私も女子に投じることにするわ。徹君頼んでもいいかしら?」
そう言って弓子も参加する事となったトトカルチョは大盛況のうちに投票を締め切ったのである。
その日の放課後、大和は一子と京と共に基地へとやって来ていた。
「ねえ大和、投票は待てと言われたから待ったけど、どうすればいいのよ」
一子は開口一番に大和に尋ねた。当初一子は我先にと投じる者と同じ気持ちであった。
ところがそれに待ったを掛けたのが大和であった。手伝いに行く前、一言『今は止めておけ』と言うものだった。
「同感、大和が動かないから私も投票しなかったけど、どうするの?」
「俺は投票しない。でも今なら圧倒的に女子に入れるべきだとだけ言っておくよ」
大和は敢えて『べきだ』という言葉を使った。その言葉に二人は首を傾げたが、一子は以前からの教えで大和は間違った事を言わないという刷り込みを受けていた。その為、彼女の決断は早かった。
「分かったわ。大和の言う通り女子に投じることに決めるわね」
「…そだね。夫を信頼する事こそ妻の証。正々と女子に投じることにしよう」
そう言って二人は未だ姿を見せない翔一を待つことに決めた。
そして、判明する日がやって来る。
授業自体は平常通りなのだが、校内の雰囲気が浮付いていたのである。ある者は朝早くから学校に来て校庭を注視し、そうでない者も登校後校庭を見続けるという光景が見られた。
そんな中、胴元の関係者が集う風間ファミリーはある意味注目の的であった。
「うわー見られてるね…」
「そんなモロは俺様が守ってやるぜ!」
「おい、京声を似せて変な事言う!」
「そうだよ。僕はノーマルなんだからね」
思わず京は岳人の後ろでそう言って声真似をして周囲の緊張を和らげた。
「本当に注目されているなー」
「まあ、全校生徒の半数以上が投票したんだ。仕方がないだろキャップ」
「何、そんなに集まったのか!?」
百代は大和の言葉で人数イコールお金の方程式が出来上がっていた。
「駄目だぞ、姉ちゃん」
しかし、徹が次に言おうとした言葉を制する。
「大丈夫だぜ、徹。実はゲンさんを通じて代行センターに保管を依頼してある。よって金はヒゲ先生が管理している」
これに関わる費用は諸経費として計算され、翔一のポケットマネーで決済されている。
「それにしても、注目は留学生にも向けられるな」
と大和が話していると出逢い頭に人とぶつかる。
「あっ」
「うん?」
体格は大和以上にガッチリとし、服装は軍服であった。
「も、申し訳ありません!」
大和が素早く謝る。こうした事もコミュニケーションの一つと教えを受けたからこそ出来た行動であった。
「いや、此方も悪かったね。それにしても直ぐに謝る事の出来る君は素晴らしい」
そう言うだけ言って男は去って行った。
「どうしたんだ、大和」
岳人がそう言うとみんなが一斉に大和を見た。
「今、そこで人とぶつかってな」
「ぶつかった相手は留学生でした。なんて落ちは無いよね?」
「変な事言うなよ、京。相手は軍服を来たおじさんだって」
そう言うと百代は悪い顔になった。
「いや分からんぞ。もしかしたらって事もある。そうだとすると男子という結果に為るが、そうなれば大和に体で支払って貰おう」
「なっ、まさか今ので責任転嫁するつもりなのか姉さん!」
二人は本当の姉弟の様に言葉の掛け合を行いながら学校へと進んだ。
ところがそう言った言葉は実現する様で…
「それでは留学生を紹介する!」
梅子が凛とした声で言い放つと前の扉が開けられた。生徒一同は固唾を飲んで姿が現れるのを待っている。
「グーテンモルゲン」
入って来たのは大和がぶつかった相手であった。
「なっ!!」
それは他の生徒以上に大和が驚かされていた。そして瞬時に生徒の驚きの声が溢れ出る。
「静まれ!!」
そして、収集を着けるべく梅子は黒板に鞭を打ちその音で生徒を黙らせた。
「おお、その様な教育法を見せられると、驚きです」
「有難う御座います。みんな、此方に居る方は留学生の親御さんだ」
そう説明する最中、窓側に座る生徒が可笑しな光景を発見した。
「先生、馬に乗った生徒が登校して来ています」
「何?って、熊飼!HR中にピザを食べるな!」
「ご、御免なさい。お腹すいちゃって…」
「仕方の無い奴だな。まあいい、皆外を見て良し!」
梅子が許可を出すと一様に馬に乗った金髪美女が校庭にいた。
「うん、やはり登校には馬だな」
颯爽と馬に乗り校庭へと入り込んだ少女はそう高らかと言葉を上げた。
「いざ、新たなる寺子屋!」
そう言って少女は馬を進めた。
「う、馬で登校とかどうなっているんだ」
「日本では馬で登校するのだろう。何もおかしな事ではない」
岳人の呟きに少女の父親フランクはそう答えた。
しかし、それを否定しようとした瞬間、クリスの馬が肯定される様に、人力車に乗って現れた英雄が学校に到着しはっきりと『NO』と言えなくなってしまった。
「取り敢えず、校内は馬厳禁ですので」
梅子は驚きを隠しながらもそう言って冷静に対応するのが精一杯であった。
そして改めて留学生が教室へと入って来ると、はっきりと女子生徒の顔を見て歓喜の声が男子生徒から巻き起こった。
「超大当たりなんですけど!!」
「やべえ、金髪美女とか!あ、ああー」
「こら静かにしないか!!すまないな、それでは自己紹介をして貰おう」
梅子が騒ぎたてる生徒を黙らせるとそう言って話しを促した。
「はい、私はクリスティアーネ・フリードリヒ。本日よりこの寺子屋で学べる事を嬉しく思う!」
その言葉で一部の生徒は嫌な予感を覚えた。
「はいはい、梅先生!質問いいですか」
「なんだ、島津。おかしな事を聞けば…分かっているだろうな」
そう言って鞭を見せて一応の抑止力を認識させる。
「大丈夫です。ええっと、クリステアーネ?」
「クリスティアーネだ。クリスで構わない」
クリスはそう言うと自然体で岳人へ視線を向けた。
「それではクリスは恋人っ」
岳人はその先を告げる事が出来なかった。
「不穏当な発言は控えて貰おう少年。クリスは恋人などいないのだよ」
何時の間にか岳人の隣に来ていたフランクはこめかみに拳銃を突き付け、彼は崩れる様に席へと着き謝罪の言葉を残す。
「は、はい申し訳ありません…」
「よろしい。諸君にも言っておこう。クリスによからぬ虫が着こうものなら軍を派遣する事も検討しなければならない!」
フランクは異国である日本であるにも拘わらず高らかに宣言を行った。
「父様は私情を挟まない方なのだ」
「いや、思いっきり私情を挟んだよね!いま、娘の為に軍を派遣するとまで言い切ったよね!」
卓也の突っ込みも虚しく、フランクとクリスは強烈な印象をFクラスの面々に残した。
「それでは、娘が無事に登校する姿を見届けましたので私は失礼いたします。クリスの事をくれぐれも、よろしく」
そう捨て台詞を残してフランクは教室を出て行った。
「馬の回収も宜しくお願いします」
梅子の言葉が聞えていたかは定かではないが、確りと居なくなっていた事で事なきを得た。
「はいはーい!梅先生!!」
すると空気を変えるべく一子が元気よく手を上げた。
「なんだ、川神一子?」
これで許可を得た一子はクリスに質問を始める。
「はい、クリスは何か武術をやっているの?」
「自分か?自分は騎士道を学んでいる。使用する武器はこれだな」
何処から出したのかレイピアをみんなに見せる。住む場所は違えどもクリスにも川神でやっていけるだけの素質を皆に示す。
「先生!決闘を行いたいと思います!」
一子の宣言で梅子は決闘ルールをクリスへと説明した。それに大きく頷いたクリスは自信たっぷりに言い放つ。
「面白い!新天地川神で、クリスティアーネ・フリードリヒの強さを見せよう!!」
既に一子はワッペンを机に叩きつけていた。そしてクリスもその上にワッペンを重ねたことで川神学園の決闘が成立したのである。
御一読頂きまして有難うございます。
次回は一子とクリスの決闘シーンとなります。
私事ですが辻堂さんの純愛ロードのお話を書いております。宜しければ御一読頂けると幸いです。
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021
一子とクリスのワッペンが重なり合った。この瞬間クラスがわっと湧いた。
『決闘の成立だ!!』
誰からともなく発せられたこの言葉は全校へと広がりを見せた。
「うむ、確認した。それではこれより校庭で決闘を行う。皆外へ出るぞ!」
梅子の言葉でクラスは団体で校庭へと向かった。加えて校内放送で一子とクリスが決闘を行う事を宣伝し、授業そっちのけで観戦が行われる事となった。
「この決闘、儂が責任を持って見届けよう」
本来なら授業に戻れと言わねばならない立場の鉄心が率先して行う当たり、これが川神学園であると喧伝する様なものである。そして、一年生もその空気に早速慣れる様にほとんどが校庭に出て観戦しようとしていた。そこには商魂逞しい文系部のお店すら姿を見せているほどだ。
「よう徹。新入生はどんな子だ?」
百代は後ろに弓子を連れて徹達風間ファミリーの下へやって来た。そして、徹は言葉ではなく指を指して百代に応えた。
「び・じ・ん、キター!!なんだよ、金髪で色白で!大当たりじゃないかよ!!」
「そのガクトの様な反応どうにかしろよ」
「うるさいなー良いんだよ私は。それで、強いのか?」
姉弟のスキンシップを含めて行う百代は一子との対戦を踏まえてクリスの事を尋ねた。
「どうだろうか、戦い慣れているのは一子だと思っている。ただ、あの武器がな…」
今迄一子には色々な武器を使用して鍛錬を行ってもいた徹だが、レイピアと言う物は記憶になかった。そこで、どうなるのか彼にも予測が付かなかった。
「まあ世界中から川神院へと対戦者が訪れるんだ。見た事の無い武器、戦い方なんてあって当然だ。それをどうにかするのが私たちの立場だよ。臨機応変に対処できなければ師範代なんて夢のまた夢だ」
「そうだな。家族として言えば勝って欲しいが、最悪引き分けでも俺は良いと思うよ」
そう話している頃、当事者も準備が整い今か今かと周囲のボルテージも上がり始めていた。
「それでは準備は良いかの?」
鉄心が両者に問うと、元気のいい声が返って来て準備万端を窺わせた。
「それじゃあ覚悟しなさいクリス!」
「その言葉確りとかえしてやろう!」
両社は一定の距離で武器を構え、それを確認した鉄心は始まりの合図を掛ける。
『それでは時間無制限!始めーい!!』
その声の瞬間両者は様子を見ることなく距離を詰めて自分の間合で攻撃を始める。
最初に攻撃を行ったのはリーチのある武器を使用する一子だった。
「先手貰ったわ!!」
「甘い!当たらなければどうってことは無い!」
薙刀はその大きさ故に小回りが効かない。その為一動作が大きく、次の攻撃を行うにも隙が生まれ易かった。
クリスはその隙を逃すことなくレイピアを突き出す。
「おっと、やるわね、クリス。初めて見る武器に驚かされるわ!」
一子は接近し過ぎるのは不利と悟ったのか一度距離を取った。
「ふん、貴様もやるではないか!その様に威勢の良い相手は久しぶりだ。私の気持ちも最高潮に高まっている!!」
クリスはそう言うと一子に向かって駆けだし、連撃を行う。威力は低い物の、突くという行為は恐怖を与える。
加えて、攻撃間隔が短いため一子は防戦一方と為る。
必死に薙刀を使い、相手の攻撃を受け流し、時には避けるという行動を見せる。それは周囲にクリス優勢を見せつけるものだった。
「おいおい、一子の奴随分と押されているじゃないか」
「そうだねガクト。大丈夫かな…」
ファミリーでも素人の岳人と卓也は目の前の事を踏まえて話し合っていた。
「どうなの姉さん?」
大和はプロに聞くのが近道と、徹から標的を大和に変えた百代に尋ねた。
「うーん。あの金髪の子もやるが、一子が僅かに有利だな」
「そうだね。ワン子はクリスの攻撃を確りと見て対処しているよ」
京はその持前の目の良さで二人の戦いを正確に評価していた。それには正解だと言わんばかりに百代が笑みを作る。
「ああ、流石は京!」
「あれー私には夫が、夫がーー」
まるで襲われる妻を演じる様な口調で京は百代に抱きしめられている。しかし、飛び火しかねない二人の絡みに大和は無視を決め込み決闘観戦に集中することにした。
「どうした、何時までも防御に回っていれば私は倒せないぞ!」
未だに勢いが衰える事が無く攻撃を続けるクリスは挑発する様に一子に言い放つ。
「うるさいわね。それだけ攻撃しても当たらなければどうってことは無いわ!」
一子は百代と一子の言う通り冷静にクリスの攻撃を、動きを目で追っていた。そして、それはある種のパターンを以って攻撃を行っている事に一子は気が付く。
「な、何を!!」
そして、パターンの初めに一瞬硬直するその僅かな隙を一子は突く事に決めた。
挑発が挑発によって返され、気持ちの昂っていたクリスは一子の言葉に反応してしまった。
そこで今まで以上に体を硬直させ、一子に反撃する隙を与えたのだ。
「ほう…」
誰が漏らしたのか、武道に関わりのあり実力を伴う者は一子の判断を評価した。自分自身が戦ってもそこで転じると思ったからだ。
「なっ!?」
意表を突かれたクリスは、今迄大振りで攻撃していた一子からは想像の出来ない細やかな動きと、攻撃速度に圧倒され出した。さりとてクリスは持ち前の戦闘能力で彼女の攻撃を避ける。レイピアは防御には向かず、体捌きで只管に一子の攻撃を避け続ける。
二人の素晴らしい戦い振りは川神学園の生徒を熱狂させ、あのSクラスも彼女たちの戦いに目を釘付けにされていたのだ。
「ほらほら、まだまだ行くわよ、クリス!でりゃゃゃあー!!」
一子はさらにもう一段速度を上げる。これは徹と戦う時と同じ、自分自身の中で最高速度のものだった。これは彼女の奥義とも呼べるもので、最後の詰めの部分で行うものだった。
「くっ、まだだ、まだ自分は…ぅわっ!!」
防戦一方となったクリスは声を絞り出す様に呟きながら限界まで体を動かし、王劇に転じる隙を窺うも、一子のさらなる加速でその望みも潰えた。次の瞬間、レイピアを持っていた腕を薙刀で叩かれると力が抜けて手から離れてしまった。
「これで私の勝ちね」
最後はクリスの目の前に切っ先を向けた一子がそう宣言を行った。しかし、勝負はどちらかが敗北を認めるか気絶しなければ決着とは言えない。
「ああ、認めよう。私の負けだ…」
悔しさの中にも晴れやかな気持ちに為るクリスは笑顔で敗北を認めた。
「勝者川神一子!!」
鉄心の言葉で学園は更なる歓声に包まれた。
「うぉぉぉー一子殿が勝ったー!!」
2-Sでは九鬼英雄が雄叫びを上げる様に一子の勝利を喜んでいた。
「ふ、フン中々やるではないか山猿ども…」
「駄目ですよーFも同じ川神学園の生徒です。少なくとその様に呼んでは」
心は英雄の前で一子を含む2-Fを山猿と呼んでしまい、従順なメイド忍足あずみによってクナイを首元に当てられていた。
「ひっ!?す、すまなかったのじゃぁ…」
「泣くくらいなら言わなければよかったのにねー」
小雪の辛辣な言葉は恐怖している心には届く事がなかった。
一子は構えていた薙刀を降ろすとクリスに近付いた。
「中々やるわね、クリス。私の事は一子って呼んでね」
「分かった一子。今回は負けたが次回は必ず勝つ事を宣言しよう!」
「ええ、その時もまた私が勝つようにまた努力するわ!」
二人はそう言うと生徒の見る前で堅く握手を交わした。
「おお、何か一子が青春してるな」
翔一はその光景を羨ましそうに見ていた。
「ええ、一子ってあんなに強かったの?」
「ふ、普段は相当力を抑えているのかな」
岳人と卓也はそのあまりにも次元の異なる戦いを見て正直引いていた。
「姉さんも此処まで想像出来た?」
「まさか、何時も徹と鍛錬しているのは知っていたが、一子が此処まで戦えるようになっているなんて思いもしなかったぞ」
この百代の言葉はルーと鉄心も同じであった。慢心することなく必死に戦う姿勢もまた評価に繋がり、三人を現状で満足させる事となった。
「たしか徹君が教えているんだったかしら?」
「そうだよ。一子は俺の弟子の様なもんだな」
徹と弓子はファミリーとは少し距離を取って決闘を眺めていた。一緒に居られるなら一緒に居たいという初々しい心理が二人を動かしていたが、話題は専ら一子のことであった。
「どうかしら。弟子の勝利は?」
「嬉しいさ。一子はな、武術の才能は無かったんだ。でも持ち前の明るさと努力をし続けるという並はずれた才能が、此処までに押し上げた。現状では文句の付け処ろが無いよ」
徹は満足そうに弓子に答えた。それでも川神院の高僧と戦えば良くて五回に一回勝てるかどうかと言うところ。しかし、勝ったという事が一子には大きいと徹は考えている。外部の力が拮抗していそうな相手と、初見の戦闘スタイルの相手に勝利を収める。これで、自信を付け、更なる高みへと一子が登れる事を徹は確信していた。
「本当に嬉しそうね」
弓子はこれ以上何も言わない徹の腕を抱きしめて、体を寄せ未だに歓喜の輪の中に居る一子とクリスを見続けるのであった。
御一読頂きまして有難うございます。
一子勝利という結果となりました。
くり、犬と言う二人の掛け合いも考えましたが、徹に鍛えられている一子を想いますとこうした方が良いかと判断致しました。
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022
紆余曲折あったクリスの転入も無事に終えたその日の夜、翔一はファミリーを召集した。
急な呼び掛けにも関わらず、全員集まれた事に彼の表情は嬉しげであった。
「みんな急に呼び掛けたにも拘らず集まってくれて感謝するぜ!」
「気にしないでキャップ。大体予想出来ているから」
京は疑問を持つことなく、今日集めた理由に確信を持って理解していた。
「京の言う通りだね。僕でも何となく分かるよキャップ」
卓也も京に続き述べたことで、翔一はさらに笑みを浮かべる。
「お前たちの理解が早くて助かるぜ。それじゃあ早速提案だ!まゆっちとクリスをファミリーに迎え入れたい!!」
そう宣言すると比較的好意的に翔一の提案は受け入れられた。しかし、当然難色を示す者も居る。
「キャップの言いたい事は判っていたけど、それとこれとは別。と言うわけで私は反対に一票」
「悪いねキャップ、僕も京に賛成だよ」
京と卓也がこの提案に反対を示すのは予め予見していた翔一は『気にするな』の一言を送り他のファミリーに目を向ける。
「俺様は賛成だぜ。まゆっちは何だかんだで面白いしな。クリスが加われば美人力が増大する!」
その言葉で川神姉妹の制裁を受ける事となるが、満足気な表情を浮かべていた。
「モモ先輩とワン子はどうなんだ?」
「私は勿論賛成よ!クリスとはお互いに好敵手と認め合ったからね。次も負けないわ!あっ、でもごめんね京」
翔一の問い掛けに元気に答えた一子だが、京が視線に入ると彼女の気持ちを察してしゅんとなった。
「気にしないで、ワン子」
「私は勿論賛成だ。あんなに可愛い女の子を侍らす事が出来るんだ。反対する理由はないよ」
百代は本気で二人の事をそうしようと考える。
それとは別に、由紀江の強さを測る上でも近くに置いておきたいと言う理由もあった。
「これで二対二だな徹と大和はどうだ?」
「俺は賛成だ。二人の加入はプラスに為ると考えている」
徹は翔一に即答した。そろそろ風間ファミリーも門戸を拡大し、新たな風を入れるべきだと考えていた。密封した部屋が今の状況であり、健康状態良いとは言えない環境だ。
その淀み始めている空気を入れ替える上でも二人の加入は好機だと考えた。
「これで賛成票が三だな。大和はどうだ?」
「勿論賛成と言いたいところだが、俺は保留だな」
大和は翔一にそう答えた。
彼も徹と同じく好機だと言う認識を持っている。これが由紀江だけならば大和は間違いなく賛成していた。
「保留?珍しいな大和がそう答えるなんて」
「そうだな。あんなに後輩の尻を眺めていたくせにな」
「なっ!どう言うことなの大和!私と言うものがありながら、ありながら」
百代は時折注がれる大和の由紀江に対する熱い眼差しを見逃しはしなかった。それに便乗した京も洞察力と大和を深く知る上で、間違いなくそうだと確信していた。
「へ、変なこと言うなよ姉さん!別にそんなんじゃないよ」
「どうだかなーまゆまゆは一年のくせにけしからん成長を見せている。胸は私と同等かな~」
百代のは悪戯っぽく大和に言い放つと岳人と卓也も反応を見せる。
「本当にそんなんじゃないから姉さん!後、京は胸を押し付けるな」
京はマーキングするかの様に大和に胸を押し当てていた。だが、今までの過剰とも思えるセクハラによって大和の精神は頑強な物へと成長を遂げていた。
「すると大和の問題はクリスか?」
徹の問い掛けに大和は頷いた。
そしてその訳は彼らの担任小島梅子からの要請が起因していた。
「おいおい、どう言うことだよ?」
「ウメ先生から俺たちがクリスの面倒を見るように言われたのは知っているだろガクト?」
大和の言葉に岳人は頷いた。
放課後、翔一は風と共に姿を消し、京は運悪く部活に顔を出す日になっていた。もう一人の寮生忠勝も忽然と姿を消し、対応出来るのが大和だけであった。
「ガクトたちもいつの間にか居なくなっていたから、仕方なく俺はクリスと一緒に学園を出たんだ」
誤解を受けないよう、大和は『仕方なく』を強調して話した。
「へぇー俺がバイトに行っている間に面白い事してるじゃん大和!」
「う、迂闊だった……」
「はい!人はそれをデートと呼ぶと思います!」
「ガクト落ち着きなよ……」
「だから川神院を訪ねていたのね、大和」
大和は安全に話を膨らませる事の出来る一子の言葉を選択する。
「ああ、寮に帰るだけでは味気ないと思ってな、川神の代表となる場所を教えて回ったんだ」
川神院を始め、仲見世通りを経て金柳街を巡るコースを九十分で消化した辺り大和の計算高さが伺えるものだった。
「その途中で小腹も空いたし何か食べようと言うことになってな…」
「おい、これもうデートだろ」
大和は百代の突っ込みも気にすることなく話を続ける。
「実はクリスが賭けの対象になっていた事がばれてさ」
思いもよらぬ事態に、その時大和は焦ったのを思い出した。
「なんだ、それだけでクリスがどうしたんだ?」
「どうやらクリスは、キャップが行った行為その物に良い印象を持っていなかったんだ。そこからは正義だなんだと言い合いに為ってな、お互い無言のまま金柳街を抜けて島津寮に戻ったんだ」
大和は今回の行動は失敗であったという評価を下していた。そしてクリスの人隣を知る上で貴重な経験であったと判断している。
だからこそファミリーに入れたいという翔一の提案に賛否を下せないでいた。
「なるほどな。大和の言いたい事は、クリスは自分の正義とやらに基づいて良いか悪いかを判断する傾向がある。そう言いたいんだな」
「そうだ、徹。クリスはこの基地をどう評価するか分からない。まゆっちは此処が俺たちの思い出の詰まる良い場所だと評価してくれた。でもクリスを見ていると真逆の事を言い出しそうで不安なんだ」
大和は京と卓也を見て言葉を述べた。
特にこの基地とファミリーに思い入れのある二人は、下手をすると簡単にクリスと衝突しかねないと考えていた。
「まあ、大和の話は分かったがクリスは留学生だぜ。その辺りも考えてやらないといけないんじゃないか?」
岳人は問い掛けると、大和は大きく頷いてその通りだという意思を示す。
「ああ、だから保留とは言ってもなるべくクリスを迎えてやりたい。京、モロどうかな?」
「うん、いいよ。たしかに知らない場所で一人は辛いからね…」
「僕も大和たちがそこまで考えているんなら反対しないよ」
大和の言葉に反対票を投じた二人は納得し、翔一の提案を受け入れることに決めた。
「よし、取り敢えずまゆっちとクリスはファミリーに加えると言う事で決定な!但し問題があれば切り捨てるぞ」
こうしてファミリーの新たな仲間が加わる事と為るが、問題は直ぐに訪れる事となる。
二日後恒例の金曜集会を開くのに合わせ、二人を此処に参加する仲間に加わって欲しいと大和と一子を通じて誘った。
それには由紀江とクリスも即承諾し、由紀江は大和と京が、クリスは一子と百代が連れて来る事となった。
尚、この日翔一と徹はバイトと差し入れを行うべく、集合に遅れる事を告げていた。
そして、翔一と徹は奇しくも基地の近くで一緒に為り階段を上っていると、問題が起こっている雰囲気を感じ取る事となった。
「皆お待たせ!ってなんだよ、この空気は!?」
翔一は何が起こったのかを敢えて分からない体で室内へと入った。
しかし、情況から一目瞭然、原因は間違いなくクリスである。加えて激昂している京を見て徹は大きな溜息を吐いた。
普段ならこの様な場合、大和が丸く収めるが今は京を抑えるのに必死で、その次に期待の持てる卓也も京と同じく怒りを露わにしていた。
「遅かったなキャップに徹、実はよ…」
そこで岳人が事の次第を二人に話しだす。話題はやはりこの基地だった。
「あちゃーやっぱり衝突したか…」
「おい何呑気な事言ってんだよ、キャップ」
岳人は呑気に話す翔一に鬼気迫る様な表情で迫った。それだけ目の前の自体は悪化していると感じているのだ。
「おい、お前ら注目だ!」
翔一は敢えて軽い声色で全員の注目を引き付けた。
「早速喧嘩なんて青春しているな、と思ったキャップからの提案だ。皆で旅行に行かないか?」
唐突に旅行なんて場違いな発言をした翔一に、全員の気が削がれる。激昂している筈の京も唖然とし、大和が必死に押さえていたのが嘘の様なものになった。
「いきなり何を言うのかと思えば…おいキャップこの状況を見てよくそれが言えるな」
「だったらモモ先輩が収めればよかったでしょ?それにだ。喧嘩しないで此処まで来た事なんて有ったか?今のこの状況を築くまでに少なからず衝突は有った筈だ。その程度の事だと思えよ!行き成り此処を否定されたからと言って、京はクリスに此処がどの様な場所かを説明したのか?」
矢継ぎ早に話し始めた翔一に全員の視線が集まる。そして、堂々と話す彼に姿に聞き入っていた。
「それにクリス!お前は突然人の物を否定できるほど偉いのか?」
突如翔一はクリスに目を向けると、原因になった事を尋ねた。
「もし自分の好きな物を否定されて平然としていられるのか?」
クリスには言葉を発する機会を与えず、正しく翔一の独壇場となっていた。
「そう言った事も一緒に旅行して、寝食を共にすれば打ち解けられるぜ!と言う事で風間ファミリーの親睦会を兼ねた二泊三日の箱根旅行を提案するぜ!!」
そう言うと翔一は懐から熨斗袋を全員に見える様に掲げるのであった。
「一応十二名まで可能だから此処に居る全員が参加出来るぜ!一応ゴールデンウィークを予定している。これに異議ある者はいるか?」
大きなイベントを前に全員の考えは既に旅行へと移っていた。そして、ここが締めどころと翔一は目の前の喧嘩を収めるべく一歩進み出た。
「一度くらいは衝突もあるだろう。でもこれ以降はなしだ!いいか、先ずは互いを知るべく努力して積極的に会話しろ!と言う訳で、はいクリス言う事は?」
翔一はこの様なときだからこそリーダーシップを発揮していた。そしてそれを収めるだけの武器を手に入れる豪運も持ち合わせていた。
「す、すまなかった京…御免なさい」
クリスは気丈な雰囲気とは打って変わり、反省した面持ちで謝罪を行った。
対して京はクリスの言葉を素直に受け取る。
「うん、分かったよ」
「よーし、これで丸く収まったな!!それじゃあ早速仲直りと言う事で金曜集会を始めようぜ!!」
翔一は土産と為る寿司の余り物を大量に持ってきた。そして徹は例によってお店のケーキを買って持って来たのだった。
「わー御馳走よ!目の前に御馳走があるわ!!」
「寿司にケーキにと二人はよくやったな」
一子と百代は目を輝かせテーブルに並べられる料理に見入っていた。
「流石、キャップってところだな」
「だね。僕もよく分からないけど怒りが何処かに飛んで行ったよ、ガクト」
二人も皿を並べ、コップを用意したりと忙しなく様意に参加していた。
「ねえ、大和このまま、あーんってして欲しいな?」
「元気になったら早く席に座ってくれ京」
いつもの大和に戻ってしまった事に京はもっと引き延ばせばと後悔していたが、これ以上は迷惑を掛けられない。そんな時に翔一が介入してくれた事は流石皆のリーダーだと言う思いであった。
「す、凄いやり取りでしたね。松風」
(おう。オイラも思わずブルっちまったぜ、まゆっち。)
「なあまゆっち、手に持っているそれはなんなんだ?」
クリスは隣に座る由紀江が面白い事をしているのに気が付き尋ねた。
「はい、此方はですね、クリスさん…」
(よう、オイラは松風って言うんだ。宜しくな、クリ吉!オイラに手を出すと火傷す・る・ぜ!)
「ああ、松風が申し訳ありません!これ松風!クリスさんに対してなんて事を言うのです」
その掛け合に手の空いていた者は逞しい由紀江に感心していた。
「それじゃあ、新たな仲間を歓迎し、乾杯!!」
翔一の音頭で金曜集会は幕を開け新たな船出に出る風間ファミリーであった。
御一読頂きまして有難うございました。
と言うわけでキャップが旅行を提案したことで事なきを得た展開と致しました。
無理矢理な展開と思われる方申し訳ありません。
十二名まで参加可能と致しましたが、ファミリー以外の参加は致しません。
次回は伊予が徹に再会する?かもしれません。
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23話
黛由紀江は入学式で知り合い、まともな会話が出来る大和田伊予と共に昼休みを過ごし、その中で由紀江と縁の有る徹が話題に上がった。
「川神先輩ですか?」
「そうなんだよ、まゆっち。私が此処へやって来て間もない頃にね……」
伊予は真剣に聞き入る由紀江に対し、通称変態橋で変質者に襲われそうになった時の事を話し始めた。そして、その時に救ってくれたのが徹だった事を嬉しそうに話していた。
由紀江は伊予の言葉の端々に尊敬する想いが含まれていると感じた。しかし、伊予の中では恋愛感情も含まれているのだが、由紀江はそこを尊敬として一纏めにしていた。
「もう一度会えないかなー」
そう呟く伊予は、川神学園の先輩でもある徹に未だ会えずにいる。だからこそ思いが募り、時折自然と溜め息を吐く回数が増えていた。
「伊予ちゃんは教室へお会いに行かないのですか?」
「うーん、川神先輩が居るクラスは2-Fだからね。やっぱり少し勇気が要るよ」
入学間もない一年生も特異な人間が集まる2-Fの噂は、尾ひれを付けて拡散していた。
由紀江はそこに所属する大和たちに悪いと思いつつも伊予の話しに合わせる為、心の中で松風が代わりに謝罪を行った。
「たしかに一年が行くには勇気が要りますね」
伊予が一方的に徹の事を話し、由紀江が聞くという構図は昼休み一杯続くのだった。
こうした事から初めての出来た友の想いを叶えてあげようと、心優しい由紀江は島津寮へ帰ると大和と京に相談する事と為る。
「なるほど。まゆっちの友達が徹と……」
大和は由紀江の話を聞いて徹なら簡単にやるだろうと納得した。
「徹なら余裕だね」
「さすが徹だな。正義は勝つ!大和も見習うが言い!!」
大和を非難する目を向けていたクリスはこの少し前、少し態度が変わり始めた筈だった。
折しも島津寮では女子風呂が破損した為、一階の男子風呂が共用風呂に変更され時間で男女が入れ替わる仕様に為っていた。そこを寝ぼけていた大和が侵入し、クリスと鉢合わせてしまう。
この事でクリスの大和への評価は低かった物が、さらに低く為る事となった。
対して徹の評価は最初から高かった。
好敵手と認め合った一子が『私を鍛えてくれたのは徹よ』とクリスに紹介したことで見方が違った。加えて『川神院では無理だが河川敷で鍛える』という約束をしたことで、信頼度はマックスに近いものとなった。
そこで比べられる大和とは雲泥の差が生まれるのは必然だった。
「なにも言い返せない……」
大和はラッキーと思ってしまっていた事で、クリスから目を逸らすしかなかった。
「ほらほら、汚名は返上するものだよ。大和」
声を掛けたのは人にあらずクッキーだった。
「うう、有難うクッキー」
「でも簡単に会わせたとしてどうするの、まゆっち?」
そう此処に居る者で、徹に恋人が居る事を知らない者はいない。加えて心の機微に鋭い京は、由紀江が考える以上に単純ではないと考えている。
「そ、それは…ただ伊予ちゃんが会いたいと仰っていただけですから……」
「取り敢えず会わせてみるか?」
大和は会わせるぐらいならと言う感覚で答えたが、京は反対を示す。
「うーん、矢場先輩の事を考えると安易に会わせるのは気が引けるよ、大和……」
京は徹たちの出来事を話し始める。初めて聞いたことで驚かされた大和たちは、由紀江の提案に頭を悩ませることとなる。
「まさか、徹があの券を京に渡した裏にはそんな事が有ったのか…」
(パネェ、都会の人間って進みすぎてんよ、マジパネェよ。まゆっち!)
「一つ上の方がそこまで進んでいるとは、私も驚きですよ。松風」
「まあ、そのまゆっちの友達は徹が付き合っていて、相手が矢場先輩だと言う事を知らないんだよね?」
京は松風の事は敢えて無視し、現状を確認するべく由紀江に確認を取る。
「はい。徹さんは一年の間でも有名ですが、どう言う訳かお付き合いされている事は話題に上がりません」
由紀江は周囲で話される事を集中して聞き、精査する時間がある。
「それは簡単だよ。徹は学校にいる間、昼以外殆んど会わない。場所も屋上限定だからな、一年はまだ屋上に行けないだろ。二学期以降だな、徹たちが付き合っているのが本格的に広まるのは」
大和は自分の知る徹の行動を由紀江に話した。愛し合っている割にはこうしてドライな雰囲気を見せる為に、入学間もない一年生にその姿が見えていないのだ。
「そう言えば、まだ屋上に行ったという話しを聞きませんね」
「あの二人は外でよくデートするからね。何れその光景を見る者が現れるよ…ねっ大和」
京は流し眼で大和を見つめ、何かを求める様な仕草であった。
「何もしないぞ。それでどうする、なんなら大和田さんだったな。一度会って確認してみるか?」
大和は敢えて京を突き離し由紀江に尋ねた。
「そうですね。伊予ちゃんがどう言う思いなのか私には分かりませんが、大和さんと京さんならば上手く聞きだして頂けると思います」
そう言って由紀江は『お願いします』と最後に述べて頭を下げた。
こうして、二人と伊予が由紀江の仲介で出会ったのは翌日の事だった。
「うーん、随分大人しいなと思えば…」
京は慈愛を込めた瞳で隣を見た。
「最初だけだったからなクリスが話していたの」
(クリ吉にはまだ早い会話なんだぜー)
後輩の由紀江にも慈愛を込めた目で見られるクリスは、気持ち良さそうに眠りについていた。
「話しはまゆっちから聞いた。徹に会いたいそうだね」
放課後、空き教室に四人が集まり大和と京の目の前に伊予が座り、その間に由紀江が座ると言う構図で会話が始まった。
「はい。えーっと…」
伊予も昨日の今日で由紀江が行動を起こした事に困惑していた。島津寮に住んでいると聞き、徹と深い関係の大和たちを噂で知っていた伊予はまさかと言う思いがあったが、現実に為るとどうしていいのか分からなかった。
「まゆっちはね。あなたが悩んでいるからと私たちに相談してくれたの。そこで聞かせて、徹の事が好きなの?」
京はド直球に物事を尋ね、伊予の目を確りと見た。
「い、いいえ……その何と言いますか、好きと言うよりは…優しいお兄ちゃんのような……」
その言葉で三人の口から大きな空気が漏れだした。これで好きだのと言われればどうしようかと考えていたからだ。
「よかった」
「よかった?」
伊予は京が漏らした言葉を聞き逃しはしなかった。そして、一体どう言う事なのかと言う目で大和と京を見る。
「実はね、徹には付き合っている人が居るの」
京が今回こうして集まった訳を大和に変わって話し始めた。こうしてファミリー以外に饒舌に物を語る京に大和は驚きを持って眺め、由紀江もその口数の多さに驚いていた。
「そ、そうだったんですか…」
「うん。まゆっちが徹の事を知るからこそ、私たちに相談を持ちかけたの。多分お互いに傷付かないようにと言う考えからだね。だからこうして集まった事や、話しの中でまゆっちが徹と知り合いなのを隠していた事を責めないで上げて欲しいの」
「そ、そんな、責める訳ないじゃないですか!まゆっち、お礼を言わなきゃいけないね」
伊予は手振りも踏まえて京の話しを否定し、由紀江に目を向けるとそう言葉を掛けた。
「伊予ちゃん…」
(え、ええ娘や…ええ娘やないかい!)
「くっ、ここで松風が…」
「没収するのを忘れていた。しょーもない…」
「あはははは…」
大和と京は由紀江のその腹話術がそこで出るなどと予測していなかった。対して、良い雰囲気を破壊する松風の登場に苦笑いを浮かべるだけであった。
「とは言えどうする?大和田さんは徹に恋心がないとして、どうやって会わせるか」
「バイト先に向かう?それとも何処かで会う機会を設けるか…」
大和と京はそう言って徹と会う機会をどうにかして出来ないかと考えていた。学校でと為ると邪推する者が現れ、よくない噂話を広められる可能性が有るからだ。二・三年生の中にも未だに嫉妬という負の感情を抱く者は少なくない。一度事件と為りきつく戒めらているが、起こらないとは言い切れない。
「あっ、それならこれなんてどうでしょうか」
そう言って伊予は野球の観戦チケットを見せた。
「野球の観戦チケット?」
「七浜ベイスターズ主催の試合だね」
場所も七浜と近い事もあり二人は良いかなと思い始める。
「私野球が好きなんです。もしよかったら皆さんも一緒に観戦しませんか?」
「そう言えば伊予ちゃんは大の七浜ベイスターズファンと仰っていましたね」
(あの熱意は相当な物が有るぜ、大和坊)
「外野自由席ですから値段も安く為っています。如何でしょうか!」
伊予の熱意と適した場所と言う事もあってこの提案は決定する事と為る。後は徹に話しを通し、予定を空けて貰い連れて来るだけである。
そこで早速大和はバイト中の徹にメールで事の経緯を踏まえて長文を送り、今夜中にも連絡が欲しいと送りこの会は解散となった。
大和と京は先に部屋を出て、残された由紀江と伊予は向かい合って話しを続けていた。
「よかったですね、伊予ちゃん!」
「うん。有難うまゆっち!」
伊予は由紀江の両手を握って感謝を示した。由紀江はこう言う展開を望み、川神学園に来た事を心から喜んだ。そして大和や京、それに徹たちと出会えたことに感謝し、目の前の伊予が喜ぶ姿を目に焼き付けるのだった。
「なあ、京」
「何、大和。告白なら何時でも受け入れるよ」
「ち、違うって!そうじゃなくてどうしてあの大和田さんにそこまでしてあげられるんだ?」
大和は仲間内以外に極端に不干渉な京が執る行動にしては積極的だと感じていた。徹と協力して外部と接触し易くしようと頑張った結果とも言えるが、それだけでは説明が付かなかったのだ。
「うーん。一言でいえば幸せでいて欲しいから…」
京の言葉があまりにも端的過ぎた為大和の頭を以ってしても理解が及ばなかった。
「徹と矢場先輩が勘違いであっても危ない時期が有ったのは話したよね。あれで思ったんだ。救えるなら救ってあげたいってね。勿論徹が絡んでいたからだよ。今回はまゆっちが居たから。だからこうして私は動いたの」
そう言う京の表情は今迄にないほど綺麗な、そして純粋に彼女の優しさを語る様な笑みを大和に向けていた。それには思わずドキッとさせられ、暫く京の顔を見る事が出来ず島津寮へ帰宅する事となった。
「それに、上手く行けば大和とデート出来るかも、なんて考えちゃったりして!」
そこでオチをつける辺りが京であり、大和は正気を保つ事が出来た事に感謝した。
後年その事を知った京は地面に両膝、両手を着いて悔しがる事と為る。
大和が提案する形で始まった徹と伊予の顔合わせ野球観戦は、無事に話しが纏まり当日を迎える。
参加者は徹と彼女の弓子、伊予と由紀江さらに大和と京が参加する事となった。場所は休日にごった返す川神駅集合と為り、時間通りに集合を果たした。
「やあ、久しぶり伊予ちゃん」
「はい、お久しぶりです、徹先輩!」
主役となる二人はそう言って再開を喜び合った。危惧した事は起こらず互いに言葉を掛け合うに留まった。この光景は大和たちもそうだが、発端を知る弓子自身が最も大きく安堵していた。
「さっ、早速移動しよう」
大和の音頭で一団は行動を開始する。
とは言え電車での移動の間、仲良く初対面の者同士は自己紹介を交え会話を楽しんでいた。特に大和と京を除いた四人は顕著であった。それを客観的に眺める二人は似た様な感想を持っていた。
「大和田さんとまゆっちは本当に妹の様な雰囲気だな」
「だね。徹が兄で大和田さんが妹、まゆっちがその友達で徹の事をお兄さんの様に慕う。そんなところかな。それに矢場先輩も不安に為ることなく二人と接する事が出来ている…」
全てが上手く行っている様な光景に二人は心底良かったと思った。そしてもう一つの不安も無事取り払われたことに安堵している。
「キャップや姉さんたちを連れて来なくて本当に良かった」
「同意。大和が頑張ったおかげだね」
あの日から今日に至るまで、この件を秘密に出来る事は容易ならざる事柄で、薄々ばれているのではないかと思う時もあった。しかし、何とかこうして辿り着いた事で大和はやり切ったという感情で一杯だった。
折しも日曜日と言う金曜集会に次いで集まる確率の高い日に、四人が抜けると言う異常事態だ。其々用事という事で断りを入れ、別方向で川神駅へと集合を果たした次第だ。それほど用心したからこそ妨害は無かった。
「さっ、後は楽しもう大和」
「そうだな。皆には悪いけど俺たちは野球観戦を楽しもう」
こう会話するが大和は気が付いていない。二人で行動する事、即ちデートである事を…
御一読頂きまして有難うございました。
色々ご都合的な内容になりましたが、お許しください~
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024
京はファミリーに野球観戦時の既成事実を報告した。
「おめでとう京!」
即座に言葉を発したのは疑う事の無い一子だった。続いて嫉妬を見せない岳人と卓也も言葉を述べた。
「有難うみんな。私、幸せになるよ」
京はしんみりとお祝いの言葉に答え、親友に結婚することを報告した様な雰囲気だった。
「っおい待て!俺たちは、ただ徹たちを含めて野球観戦に出掛けただけだ!」
大和はそこで由紀江に助けを求めようと動いたが、既に魔の手が延びていた。
「で、本当はどうなんだ。まゆまゆ?」
百代は弟分の行動を読み、由紀江から情報を引き出そうと捕まえていた。
「え、えっと……」
由紀江は大和を見たが、待たしても百代に介入を許してしまう。
「大丈夫だ、まゆまゆ。真実を述べる事が大和を救う事となる。さあ、球場ではどうだった?」
既に万策尽き、後は由紀江を信じるだけとなった。
「えっと……私と伊代ちゃんは応援団の皆さんと一緒で、徹さんと彼女さんは少し離れた場所で観戦していました。大和さんと京さんはさらに離れた場所で観ていると感じました」
気配だけを感じ取ったからこそ由紀江はそう述べた。『終わった』由紀江の話に大和は天を仰いだ。
「だそうだ、弟。ガクト、お前の評価はどうだ?」
笑みを浮かべた百代は、岳人に裁定を委ねた。
「仲間同士、実に目出度い!お・め・で・と・う、二人とも!」
判決は京に分があった。
「だってさ、大和」
ファミリー特有の大和弄りが行われる中、真実と受けとる少女がいる。
「知らなかった。京と大和は結婚まで考える間柄であったのか…」
(クリ吉はアッサリと信じまったぜ。オイラも信じ掛けちまったが、大和坊はそうではないようだ。チャンスは有るみたいだぜ。まゆっちー)
松風の言葉は誰に聞かれることもなく、京の発表は幕を閉じた。
話しは代わり、真っ暗な体育館を凝縮した負の感情が包み込んでいた。蠢く男子生徒の人だかり。一部、顔ばれを隠す為布を被った女子生徒も混じる中、舞台に照明が向けられる。
「エロイーム・エッサイム!」
威厳の有る声が体育館内を通り抜けるとざわつきが収まった。
『エロイーム・エッサイム!!』
壇上の言葉に反応し大勢が声を上げた。
「本日もよく集まってくれた。今回も大量にグッズが集まっている。大いに競り合ってくれ!」
『童帝!童ー帝!』
壇上に立つ裸の男を称える言葉が室内で木霊した。
「しかし、いつ来てもこの感情は凄まじいな」
「そう言うガクトも似たようなものだよね」
「まったくだ。心穏やかに、臨めないものか」
「いや、井上が一番心穏やかに臨めていないだろ……」
入口付近で全体を眺める岳人、卓也に準がそれぞれ『俺は違う』という気持ちで話していた。
「おお、此処にいたか。暫くは誰も近付かないから安心してくれ」
体育館を使用すると言うこともあり、宇佐美巨人が付き添うこととなった。
岳人は宇佐美の言葉を受け、壇上に立つ童帝に丸を腕で示した。
「それでは早速始めよう。
童帝の仕切りで物品が示され、白熱した競りが開始された。
四人は壁に寄り掛かり、激しくも醜い競りを観戦しながら会話を楽しんでいた。
「次だ。
童帝の説明と共に準の雰囲気が変わった。
「待ってたぜこの時を。俺は委員長に勝利を捧げる!!」
最低金額を発表した瞬間の事だった。
「その写真十万だ!!」
金額と準の気迫に室内は静まった。
見事落札を決め、童帝より金銭と交換し写真を手に入れた準はやりきった男の顔だった。
「ふふっ、いーな、この委員長!これで井上くん何て呼ばれたらもう!」
岳人たちをドン引きさせながら準は写真を見て妄想に浸っていた。
「なあ良いのかヒゲ先生?」
岳人は余りの気持ち悪さに宇佐美に止めるよう求めた。
「何がだ?オジさん見廻りをしているだけで何も見ていないぜ」
岳人は準の担任宇佐美は、知らん振りを決め込まれた。
「次は誰得?小島梅子の部活中の衣装で佇むポーズ!」
「二十万!!」
宇佐美は童帝に最低金額を発表させる前に大金を上げた。
「ふっ、金はこうやって使うもんだ」
ドヤ顔を見せる宇佐美は勝ち誇っていた。
「いや違うでしょ!お金の使い道明らかにおかしいよね!?」
卓也は宇佐美にそう突っ込むが、三人は首を横に振った。
そしてその訳を岳人が話し始める。
「モロ、人の好みはそれぞれ違う。井上にしろヒゲ先生にしろだ。まだ女性が好き、大いに結構じゃないか。しかしな、落ちた髪の毛が好きと言うモロの性癖に俺様正直引いてる」
「童帝も苦労しているんだろう。抜け毛を集めるなんて……」
「経営者は需要があれば頑張るものだ。好きだぜ、オジさんそう言った努力…」
三人の目は明らかに拒絶を意味していた。
「えっ、行きなり何さ!?そんなにおかしくないでしょ?」
「俺様、童帝の苦労を考えると何にも言えねえ」
卓也の性癖と主催者の努力を話していると
流石にこの辺りからはグッズが提供されなくなり、写真がメインとなりだす。
「次は矢場弓子!以前の雰囲気よりも柔らかな表情を見せ、人気も鰻登り!しかし、原因は男である!!」
童帝の言葉に観衆は同調しブーイングを投げ掛
ける。その空気は良いものとは言い難かった。
「あれ、これって不味くない?」
「ああ。だがここでは俺様たちも恩恵を受けている以上中立だ」
徹の事を考えた卓也は岳人に話し掛ける。しかし、岳人は不介入を宣言した。
「年増のどこが良いのか知らんが、島津の言う通りだ。嫌なら真っ向勝負で止めるしかない」
準の言う真っ向勝負とは競りで手に入れることだ。彼も榊小雪の物が出た瞬間押さえ込んでいる。
「まあ安心しろ、師岡。お前さんが考えている事にはなんねえから」
宇佐美がそう言うと童帝が静まるよう言い放っつ。
「静まれー!残念ながら矢場弓子は事情により出品停止となった!」
その瞬間から大ブーイングが巻き起こる。中でも弓子と同学年の者からが多かった。
「宴を維持するためには受け入れるしかなかった。遺憾ではあるが、受け入れて欲しい」
童帝の言葉に一同は黙るしかなかった。此処に集まる者はある意味社会的弱者である。助け合いの精神がなければ成り立たぬのが『魍魎の宴』なのだ。
「此れからも素晴らしい一枚を提供することを誓い、この件を認めていただきたい」
その瞬間、割れんばかりの拍手と童帝を称賛する声が体育館に響き渡る。
彼等にとって名采配と受け入れられた。
「なるほどこう言うことか」
「言っている事はカッコいいけど、非合法な事だから強くは出られないよね…」
そのあとも滞りなく進行し、邪魔が入ることなく宴は幕を下ろした。
それぞれ意中の物を手に入れ、熱気そのままに解散となったのだ。
「お疲れ様です、宇佐美先生」
珍しいことに、職員室へ宇佐美が戻ると小島梅子が話し掛けてきた。
「お疲れ様です。小島先生。どうかしましたか?」
宇佐美自身声を掛けられ内心驚いていた。
ケーキを食べに行って以来、梅子の態度に変化が生じていた。
しかし、そんなこと知る由もないのが宇佐美である。
「いえ、ただ宇佐美先生が戻って入らしたので声を掛けただけです。……いえ折角ですからお話でもしましょう」
「えっ!?」
意中の女性から言われ、年甲斐もなく体が熱くなった。
「話しと言うのは息子さんの事です」
「あ、ああ…忠勝の事ですか」
少し落胆したが、悟らせることなく宇佐美は向き合う。
「ええ、最近進路調査を致しまして…」
梅子が話をしようとしたところで、宇佐美は話を遮った。
「時間も時間ですし、如何ですか食事をしながら話していただけませんか?」
本来なら断られるところを、最近の態度と生徒の話となれば勝算有りと踏んだのだ。
「……そうですね。丁度お腹も減り出した頃です。ご一緒します」
宇佐美の提案を受け入れた梅子はレストランで合流する事となった。
「お待たせしました。宇佐美先生」
「いえいえ、此方が提案しましたからね。さあ既に席は用意してあります」
宇佐美が取った席は奥に在る。二人は向かい合うと直ぐに食前酒が用意される。
「それじゃあ乾杯」
宇佐美の言葉で二人が持つグラスが打ち鳴らされた。それから程なく料理が運び込まれ、空腹を満たす。
そして頃合いを見計らい宇佐美から話しを始める。
「それで小島先生、忠勝がどうか致しましたか?」
尋ねた宇佐美に梅子は一枚の用紙を見せた。
「源は進路調査票に宇佐美代行センターへ就職と書いてあります」
「ええ、そうですね。それで?」
前々から宇佐美と忠勝とでは話しが決着し、済んだ話と為っていた。
「ご家庭の事でしょうが、少し勿体無いと私は感じまして。勉強も出来ないのではなく何処か抑えるという印象を受けます。もし頑張れば大学進学も狙えるかと」
梅子は話し終わると、グラスに入るワインを飲みほした。
「たしかに忠勝の頭は悪くありません。むしろ回転が早い方だという認識を私は持っています。ですが、進路はあいつが決めた事です。私は一切関知していません」
「そうですか。本来私が口を挟む様な事ではないのですが、つい気に為りまして」
「いえ、小島先生に気に掛けて頂いてあいつも良かったと思いますよ。なんでしたら小島先生が言葉を掛けてやって下さい。私は大学に進むにしろ、就職するにしろ忠勝を後ろから支えてやるだけですから」
宇佐美は真剣な目で忠勝の事を梅子に話した。
その後、話しは他の事に移り、食事を終える事となった。
翌日、早速梅子は忠勝を呼び出し進路についての話しを始めた。
そこでは全く進学を考えず就職する事を熱心に話す忠勝に根負けし、以後進路についてあれこれと言う事はなくなった。
ただ今回の事を切っ掛けに、居酒屋などで宇佐美と梅子が二人で酒を飲む姿を目撃することが増える事となる。
「ゴールデンウィークは二泊三日で箱根に行く事となった」
徹は、デートの定番コースとなった静かな喫茶店で弓子に予定を打ち明けていた。
「百代からもその話をされたわ。参加させられなくてすまないって」
その様な素振りを見せない姉の優しさと友人への気持ちから、百代が弓子にフォローする行動を取らせたのだ。
「そうか。姉ちゃんが…」
「本当は私が謝らないといけないわね。その期間中、新人の強化に充てる事に決まったから休みが取れなくなったのよ。」
期待の新人が入部した事で、顧問の梅子と相談し部活動の日数を増やしたのは他でもない弓子である。徹に申し訳ないと思いつつも彼女の弓道部に込める思いは真剣そのものだった。
「京もその期間中一度は参加させるよ」
「ええ待っているわ。ただ無理矢理に参加させなくてもいいからね。本人が希望した時で構わない、って伝えてちょうだい」
先日一緒に行動したばかりだが、どうにも二人の間にはまだ開きがあった。会話をする事は有っても部活に関しての話は皆無であり、こうして徹を介することでしか話が出来なかった。
「分かった。必ず伝えておくよ。さて、そろそろ出ようか」
徹は携帯で時間を確認すると、鍛錬の時間が迫っているのに気が付いた。
「ええ、そうね。私も買い物に行かなくっちゃ」
同じタイミングで席を立つと徹が支払いを行い店を後にした。
「何時も出して貰って悪いわね」
弓子も自分の分は支払おうとするが、徹が先に支払ってしまうのだ。後から渡そうとしても断られる。
「毎回お弁当作ってくれているお礼だよ。あれだけでもお金が掛かるだろ」
「そうでもないわよ。纏めて作るからね。後は買い物の時間で安くと購入するから」
既に主婦の域に到達する買い物術は弓子の隠れたスキルであった。
「そうか。それじゃあ本当に帰るよ。これ以上遅れると怒られるから。それじゃあな、弓子」
「ええ、また明日ね」
二人は口を重ねると別れた。
そしてこの日から、クリスが参加する河川敷での鍛錬が始まるのだった。
御一読有難うございました。
短編的な話の構成となりましたが、次話より旅行へ向かうこととなります。
大和とクリスの関係が決定的に拗れていない中、川神対戦はどうなるのか!
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025
風間ファミリーは連休に突入すると箱根へ旅行を楽しむ為に訪れていた。旅館の在る最寄り駅に到着すると一行はバス停へと移動する。そんな中一子はクリスに声を掛けた。
「クリス、旅館まで先に到着した方が勝ちよ!」
「良いだろう。徹に鍛えられているのは一子だけじゃないと分からせてくれる!!」
クリスは負けん気の強い顔で一子の挑戦を受け入れた。
「言うじゃない! 一日の……何とかよ!! それじゃあヨーイ、ドン!!」
一子が合図を出すとタイミング良く二人は旅館への一本道を駆けて行った。
「それじゃあ残った者はバスに移動するぞ」
大和の言葉に、残された者は大人しくバスに乗車して一路旅館へと移動するのであった。
「おお、到着したぜ!!」
翔一は旅館にバスが到着したところでハッと目を覚ました。今迄徹が運んでいたが、動き始めると今迄寝ていたとは思えない行動力を見せた。
「今迄寝てただけだろキャップ…」
「良いんだよ、ガクト! さて……ワン子とクリスはどうした?」
翔一はこの場に居ない二人に気が付いて周囲に尋ねた。。
「此処まで走って来るそうだ。もう直ぐ来るさ」
「そうか、サンキューモモ先輩」
百代が説明し、暫く待っていると二人が猛烈な速さで旅館の入口へと駆けこんで来た。間違いなく二人はファミリーが居る場所をゴールと定めていた。
「一子は俺が、クリスは……姉ちゃん頼んだ」
徹は皆の前に出ると百代に声を掛け、受け入れの準備を始めた。
「任せろ徹。クリスは責任を持って受け止めよう」
百代は笑みを浮かべると手をワキワキさせた。
「間違いなく姉さんは公式にセクハラ出来ると喜んでいるな」
「間違いないね。モモ先輩の表情が語り掛けているよ」
大和と卓也の言葉に岳人が反応を見せる。
「あー羨ましい!モモ先輩が実に羨ましい!!」
岳人の言葉が虚しく木霊する中、翔一が二人に大声を掛ける。
「ワン子は徹! クリスはモモ先輩がゴールだ! 思いっきり飛び込め!!」
その言葉が加速の合図になった。二人はグッと有らん限りに力を込めて地面を蹴りだす。
「ええ、まだあの二人加速するの!?」
「流石、一子さんとクリスさんですね。無駄の無い動きをしています」
(あの位で驚くなんてまだまだだぜ、モロボーイ)
由紀江が二人の評価を卓也に説明していると、二人はほぼ同時に飛び込んだ。
「勝ったわ!」
「勝ったぞ!」
二人の声が重なる中、翔一の「ゴール」と言う言葉が響いた。
「モロどっちだ?」
大和は卓也に尋ねた。こうなる場合を想定して、卓也に撮影を依頼していた。
「えーっと、ちょっと待ってね……あれっ、大和ちょっといいかな?」
卓也は映像を確認を始めた。ところが予想外の映像に大和に声を掛けた。
「どうしたモロ」
「うん。二人のゴールが凄い僅差なんだ。ほら見てよ」
そう言って大和に見易い様に画面を向けた。それを大和を始め、京と岳人も覗き見る。
そこにはたしかに判断し辛い映像が映っていた。
「これは……」
流石の大和もこの映像からは判断が着かなかった。
「難しいのなら引き分けでいいだろ。文句無しで勝ち名乗りを上げたいのなら目に見える結果を示せばいい」
二人の師匠的な徹がそう言った事でこの勝負は決着した。
「うー徹がそう言うのなら仕方が無いわ」
「同感だ。自分は徹の言葉に従おう。だが、次は負けないぞ一子!!」
「私もよ、クリス!!」
二人が互いを称え合う中、風間ファミリーは翔一を中心に集合する。
「これで皆揃ったな。それではこれからの予定を大和から発表して貰う!」
翔一の言葉で大和が一歩前に出て話し始める。
「これからチェックインして、部屋に案内されたら自由時間だ。明日は河原で遊んだりして最終日は土産物を購入するのに時間を使う。大まかに振り分けたが、基本的に自由だから」
大和の説明で一行は男女別々の部屋へと案内された。
その際京が渋り大和を困らせる一幕もあったが、問題なく終わり豪勢な食事を堪能し残るは露天風呂となった。
「大和、俺様女風呂を覗きたいぞ!」
岳人は男子部屋で堂々と宣言した。無駄に凛々しい顔立ちで言う辺り意気込みが高い。
「俺も止めろとは言わない。覗きたければ覗け!」
「へぇー大和もやる気なんだね」
「そう言うモロはどうなんだ?」
「お前等そんなことして何が楽しいの?」
翔一は三人の話に興味を示さず、呑気にテレビを眺めていた。
三人は早速情報を洗い出し、如何に成功させるかを考え始めた。
「ただいまー」
「おう、お帰り徹!」
徹を暇にしていた翔一が笑顔で出迎えた。
しかし、徹の事は岳人達も帰るのを待っていた。百代と遜色の無い戦力を使わない手はなかった。
「なあなあ徹。俺様女風呂を覗きたい」
今度は鼻息荒く徹に訴え掛けた。
「ちょうど、ガクトが女風呂を覗くと言い出しさ、女子大生の集団が此処に宿泊している事が分かったんだよ」
「いや、駄目だろガクト、モロ。犯罪だぞ」
徹は呆れたように二人に言い放つが、その時大和も参加表明している事を見逃さなかった。
「なんだよ。そんな硬い事言うなよ」
岳人はノリの悪い、という気持ちで徹に話し掛けた。
「あのな、女風呂を覗いたとして姉ちゃん達が居た場合を想像してみろよ」
風間ファミリーの戦力は総じて女子が圧倒している。間違いなく岳人達は返り討ちに遭うのが分かっている。
「わかってる。だがな男にはやらなければいけない時があるんだ!」
「分かった。俺は参加しないが、止める事はしない。ガクトの言うその時と言う物を成し遂げてくれ。骨は拾ってやるからな」
徹は最後に大和を見て風呂に入るべく準備を整えた。
「それじゃあ俺は風呂に行くぜ。キャップはどうする?」
「待ってました。俺も着いて行くぜ、徹!」
結局全員で露天風呂へと移動すると、百代達も風呂に入るところだった。
そして徹は百代の顔がお見通しだと言う表情なのを見逃さなかった。
「おおーいい景色だな!」
夕陽が射す露天風呂は山中ということも在り、下に見える街並みが綺麗に映っていた。
翔一は一番乗りで風呂場へと出ると隠すことなく堂々としていた。
「キャップの言う通りだな。たしかに絶景だ」
「大和、そんな景色よりも俺様の鍛え上げられた体を見ろ!!」
「ちょっ、こんな所で変な事しないでよ。ガクト!」
「全くだ。ほら、さっさと体洗って温泉に浸かろう」
徹の音頭に皆は素直に従い行動を始める。
無駄に時間を掛けている男子とは対称的に、女風呂では速やかに体を洗い温泉に浸かっていた。
「うーん、この壁が邪魔だね…」
「何を言っているの京?」
壁を睨み付ける京に気になった一子が尋ねた。すると手で壁を叩き、厚みを確認し出す。
「大和の裸体を見たいの」
当たり前でしょ。とでも言うように、京は答えた。
「何を言っているんだ、京は?」
「クリスの言う通りよ。もし大和以外が目に入ったらどうするのよ」
ところが一子の指摘に対し、京は全く考慮していなかった。
「おおう、それは考えていなかった…でもモロがガクトに襲われている光景が見られるかもしれない……」
京にはそちらの興味が在り、主に卓也と岳人のカップリングが有力だった。
「想像したら自分は気分が悪くなった…」
「私もよ、クリス。京、変な事言わないで!」
二人はその光景を思い浮かべ、モロに想像してしまった。この辺りは京の教育の賜物である。
「はぁー仕方が無い。それでは声だけでも聞く事にしよう。京のイヤーは地獄イヤー」
京は壁に耳を当て、男風呂の盗聴を開始した。
「キャップはマシンガンだな、連射性に長けていそうだ」
ガクトは温泉に浸かっていると、突如翔一に話し始めた。
「そうか。ならガクトはバズーカだよな」
翔一は平然とこの手の話に参加した。
「だろ、訓練は最高レベルまで高まっている。後は実戦で使用するなんだけどな…」
「ちょっと下品だよ、二人とも。げーひーん!」
卓也はこの手の話に抵抗感を示し、翔一と岳人の非難を始めた。ところが大和と徹もこの話に乗り始める。
「大和はマグナム弾使用の拳銃だな」
「徹のは機銃だな。弾数、威力共に申し分ない」
「ああ、二人まで参加しちゃったよ…」
風間ファミリーの良心とストッパーの二人が参加すれば止まる事は無かった。
「モロ水鉄砲は革製ホルスター入りだな」
「ちょっと、行き成り僕の事言わないでよ、ガクト!」
しかし、その意味を考えている翔一がぶっちゃける。
「なんだ、もしかしてモロ……剥けて無いのか」
翔一は隠すことなく言ってのけた。
「うわっ、キャップそこはもう少し穏やかに言えよ」
「じゃあなんて言えば良いんだよ、徹!」
一子とクリスは京の行動に続き、生々しい話を聞いてしまった。特に免疫の弱い一子とクリスは顔を真っ赤にして百代たちの下へ戻ってきた。
百代と由紀江は温泉に浸かり、絶賛百代からのセクハラに耐え忍んでいた。
「いやーまゆまゆは良い体しているなー」
「はわわー」
(止めてくれーまゆっちは純情少女なんだ。こんな事をされたら穢れちまうぜー)
「おかしいな。松風は更衣室で待機じゃなかったのかなー」
お構いなしに百代は撫で回し続ける。
「ま、松風は声を直接脳内に送る事が出来るんです」
由紀江はセクハラを受けながらも冷静に設定を説明した。
「ほうそう言う設定なのか、でも今はそんな事は関係ない!」
「あれー」
こう言うやり取りの中、顔を真っ赤にした一子とクリスが温泉に浸かった。
「おっ、どうした一子にクリス。随分と顔が真っ赤だが?」
二人に気が付いた百代が声を掛けるも反応を見せず、代わりに京が尋ねる。
「ねえモモ先輩、マグナム弾を使用する拳銃って何?」
「んっ?たしかグリズリーも簡単に倒せるやつじゃなかったかな」
京と百代の言葉に体をビクつかせ、顔が湯に浸りかねないほど深く沈む二人を見て、百代は京の喩が何を指すのかを理解した。
「ほう、大和は立派じゃないか。それで徹はどんな物だ?」
「機銃だって、弾数と威力が高いってさ」
「何!我が弟ながらけしからんな!」
この会話を確りと聞き、理解していたのは由紀江もだった。そして、その態度を百代は見逃さなかった。
「妹とクリスはああなっているが、まゆまゆは一年なのにけしからんなー」
「ほんと。私たちの会話確り理解していたよね」
「ええ!?」
(違うぜ、まゆっちは純情少女なんだ!)
モロばれの由紀江に為す術は無く、松風の言葉も虚しく響くだけだった。二人からはムッツリのイメージが植え付けられるのであった。
「ほらー早く来いよー」
「うわー露天風呂に川神水!これぞ鉄板だ!!」
体にタオル巻きつけた少女たちが仲良く入って来た。一人は活発そうな雰囲気のある少女、方や艶めいた雰囲気のある少女である。
「うわー二人とも可愛いわねー」
あれから復活した一子は、隣に居るクリスに彼女達の感想を話し掛けた。
「ああ。それに何か武術を嗜んでいるのではないか?」
クリスはその歩き方と雰囲気から何か鍛えている様に感じ一子に尋ねた。
「クリスもそう感じた?」
体を洗っている最中も凝視して見る二人に、艶めいた雰囲気の有る少女がちらりと見やった。
「どうした弁慶?」
「いや、何にも。それより、よっちゃん」
徹との出会い以降、三人の中で気に為る者が居た場合こうしてあだ名で呼ぼうと決めていた。
「ど、どうした、べんちゃん…」
「今温泉に浸かっている人たち、かなりの腕を持っているよ」
義経は初めての旅行で舞い上がり、百代たちの存在に気が付かなかったが、弁慶は違う。元々家臣と言う役目を帯びていたクローンと言う事もあり、態度と言葉はあれだが周囲への警戒は怠らなかった。
「何!?」
「ほら落ちついて。そんなキョロキョロし出すと怪しまれるよ。あと、あれは武神じゃないかな…… もしかして、これは……」
弁慶は義経に此処から離れるなと言い含め、一度更衣室へと戻ってしまった。
「チャーンス!」
百代は一人になった義経を確保するべく、行動を開始した。彼女はこうなるのを虎視眈々と狙っていたのだ。
「まったく、弁慶は…… 心配してくれるのは嬉しいが、義経は子供じゃないぞ……」
シャワーで泡を流しながら一人で呟いていると、後ろに誰かが立っているのに気が付いた。
「ッ!? 誰だ!!」
義経はシャワーを向けて相手を怯ませようとした。だが、その相手はいなかった。
「ほう。私の気配に気が付いたか。中々、可愛い娘じゃないかー」
同性同士なら合法とばかりに百代は義経の体に抱きついた。
「あわわわ!?」
義経は弁慶と同じ様な事を始めた百代に、慌慌て始める。
見ず知らずの女性にこうされるのはやはり抵抗があったのだ。
「おお、中々鍛えているな、それも中々に強いな。まさかこんな所で出会うなんてな」
百代はセクハラと共に筋肉の付き具合から相当鍛えていると感じ、彼女の中に眠る衝動が目を覚ました。
「義経!!」
弁慶が戻るとそこにはセクハラを受けている義経の姿があった。
「おお、あそこにもかわゆいねーちゃんが居るじゃないか!!」
百代は動き出そうとしたところで、動きを止めた。
「川神百代様、申し訳ありませんが義経から手を離して下さい」
「ファーック。まったくこんな所に武神が居るなんてもっと調べておけってんだよ」
従者部隊の李とステイシーが、メイド服のまま武器を百代に構えて立っていた。二人ともかなりの殺気を出し、一子達も何事かと身構えている中、百代だけは違った。
「おお、さらに美人が増えた。それに強そうだ!」
百代の笑みは徐々に衝動によって禍々しいと言える物に変化していた。
「川神百代様。どうか暴れない様お願い申し上げます」
李は言葉丁寧に懇願するが、手に力が入ってしまう。
「いやだって言ったら?」
「楽しい旅行が台無しに為りますよ?」
百代はその言葉で雰囲気を戻す。
「ロック!おい大丈夫か、義経?」
ステイシーは解放された義経を抱き留めると確認する様に声を掛けた。弁慶も駆け寄り義経の顔を覗き見た。
「ああ、義経は大丈夫だ。抱きしめられていただけだから」
その頃には一子達も駆け寄り、騒ぎになろうとしていた。
「皆さま川神百代様の関係者で御座いますね。申し訳ありませんが御説明を致したく、一度風呂を上がって頂きます」
李は有無を言わさぬ雰囲気と目で以って一子達に行動を促した。
対して男風呂も似た様な展開に為っていた。
「久しいな、赤子」
「ヒュームさん!?あんた謹慎しているんじゃ」
瞬間移動したかのような素早さで、温泉で寛ぐ徹の下に姿を見せた。厳つい体に執事服を纏う異様な人物に下ネタ話で盛り上がるファミリーは静かになる。
「解けたからこうして此処にいるのだ。さて、此処にいる赤子どもはお前の友だな」
睨み付けるようにヒュームが見たことで、四人とも恐怖心が襲い出す。
「脅す様な事はしてはいけませんよ、ヒューム。川神徹様、申し訳ありませんが皆さまとご一緒に
クウラディオは李の上司らしく物腰柔らかく、丁寧な言葉使いで徹に願い出る。年長者から懇願されれば、断ることなど殆んど出来はしないだろう。
「分かりました。キャップ、大和いいな?」
「おう、俺は構わないぜ!」
「分かった」
翔一は何が起こるのかわくわくした事で承諾し、大和は何に巻き込まれるのか見当つかずファミリーを守る為に従った。
彼等は急ぐ様に露天風呂を後にすると、大きな部屋へと案内された。
ご一読いただき有難う御座いました。
義経達を加えたらどうかなと書いてみました。
次話、幕間として此処にはいない葉桜清楚についてとなります。
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