Ange Vierge Désespoir infini (黒井押切町)
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新天地へ

——この、悪魔が!

 

 夜の山の農村で、鈍い音がした。鍬や鉄パイプを持った大人たちが、一人の、ボロボロの服を纏った、地面に這いつくばる十代前半の少年を見下ろしている。大人たちは、その少年を手に持っているもので殴る。数分間ほどそうすると、大人たちは満足したように去っていった。

 

 少年は、ゆっくりと立ち上がった。夜の森で兎と狸を捕まえて殺してから、近くの小川に浸かって体の土を落とす。そして、ふと、南の空を見た。そこには、ぼんやりと見える、三つの光があった。少年は、それをじっと見ていた。あそこには、自分のような、人とは違う力を持った者たちの天国がある。少年は、そこに行きたいと、強く願っていた。

 

 世界接続(ワールド・コネクト)。十数年前に突如起きた、四つの異世界が繋がった現象。そして、それに伴い起こった、世界の異変。大地は人を飲み込み、海は人を流し、天空は人を焼き殺した。それらの解決の鍵が、プログレスと呼ばれる少女と、彼女らの力を引き出す、αドライバーと呼ばれる少年。世界中の国々が、彼らを見つけ出すことに尽力した。少年少女を対象にした、大規模な身体検査が行われた。そして、それで素質があると判明した者は、ある所ではおめでとうと祝われ、ある所では世界を救う勇者だと畏敬され、またある所では、この少年のように、世界を破滅させる悪魔だと忌み嫌われた。

 

 少年は、家に戻った。誰一人としていない、閑とした家。少年は、囲炉裏に火をつけ、兎と狸を焼く。その周りだけ、確かな明るさがあった。電気もろくに通っていないため、こうして灯りを確保するしかない。家の中は、何もなかった。家族もいない。母は少年を産んだ時に死に、父は癌で数年前に死んだ。少年はそれを悲しいとは思っていなかった。母はあったことがないし、父は他の人達と同じように、少年を虐待した。そこに愛情などなかった。

 

 少年は、完食すると、火を消して部屋の隅で眠りについた。

 

 明くる日、また少年は殴られた。次の日も、その次の日も、殴られ、蹴られ、溺れさせられ、焼かれた。

 ある日の夜、少年は思った。逃げようと。五、六年前にも、一度彼は逃げようとしたことがあった。その時は失敗した。その時に受けた暴力は、一層酷いものだった。その記憶があったので、少年はそれまで通り暴行を受けることにしたのだが、今なら逃亡が成功する気がした。そうと決まれば、少年は早速走り出した。夜の森に入る。夜にいつも食事をここで確保して慣れていたおかげで、東西南北は直感的に分かっていた。その感覚と、時々空に見える三つの光を頼りに、全速力で森を駆け抜ける。

 

 一時間ほど走って、疲れて近くの木にもたれかかった。耳を澄まして、周りの状況を音で把握する。どうやら追っ手は来ていないらしい。獣もいない。少年は少しは休めるか、と、十五分だけ仮眠をとると、また駆け出した。

 

 走っている間に、朝が来た。夜に慣れた目に陽の光が突き刺さるが、構わず走った。やがて、朝焼けが終わる頃、急に視界が開けた。森を抜けたのだ。そして、目の前に広がるのは、少しビルが建ち並ぶ、都会とはいえないような、街の光景だった。明らかに、あの村ではない。少年は立ち尽くしていたが、暫くしてから大声で笑い始めた。そして、笑ったままはしゃいで走り出した。逃げだせたことが、本当に嬉しかった。

 少年は、そこで親切な人を見つけて一晩泊めてもらうと、すぐその街をを出て海に向かった。今度はもう追っ手は来ないだろうという安心感から、ゆっくり行った。そして、適当な所を見つけると、勢い良く飛び込んだ。そして、三つの光が見えるところに向かって泳ぎだした。出発地点が良かったのか、四時間ほどで、光の真下にある島、青蘭島の海岸に辿り着いた。しかし、そこでもう体力が限界に達していたのか、少年は死んだように眠った。

 

 気が付けば、警察署にいた。そこの警官が、優しく声を少年にかけた。

 

——君、名前は? 僕は仲嶺達也と言うんだ。

 

——上山秀。

 

——お母さんやお父さんは?

 

——いない。とっくに死んだ。

 

——じゃあ、保護者は?

 

——保護者なんかいない。連絡も取らなくていい。

 

——どうして?

 

——俺は逃げてきたんだ。ここで暮らすつもりで。戻る気なんかさらさらない。

 

——何か、あったのかい?

 

——虐待ってやつだ。俺にαドライバーの素質があるかららしい。俺の住んでた村では、αドライバーやプログレスは悪魔なんだとさ。

 

——なるほど、じゃあ、青蘭学園に入らないか? 身寄りのない君でも、快く受け入れてくれるよ。

 

——もとよりそのつもりでここまで来たんだがな。

 

——でも、一人じゃ何も出来ないだろう? 僕が手助けするよ。

 

 

 

 警官の助けで、少年は転校生として、青蘭学園中等部に入学した。初めての学校に、少年は胸を躍らせたが、誰も少年に話しかけることはなかった。自己紹介をしろ、と言われた時に、青蘭島に来た経緯を話してしまったからだろうか。少年にはそのことしか思い当たる節が無かった。そしてそのまま、少年は高等部に進学した。新しいクラスになっても、新たに緑の世界が繋がっても、少年の状況は変わらなかった。

 

 少年は、ただただ退屈な日々を送っていた。



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日常の崩壊
はじまり


 十一月の初頭、青蘭学園の、日の沈みかけた夕暮れ。部活動の喧騒に包まれた、昇降口からグラウンドの脇を通って正門に通ずる道を、一人の少年が、ブレザーのポケットに手を突っ込んで歩いていた。その少年こそ、上山秀であった。結局、高校一年の二学期の半ばのこの時期まで、一人の学友も作らずに、一言も生徒と雑談することなく過ごしてきた。ぼんやりと進行方向を見つめる彼の目は虚ろだ。まるで生気が感じられない。

 秀の肩に野球ボールが当たった。おおかた、野球部が打ったボールが変な方向に飛んだのだろう。

 

「すいませーん。投げてもらえますか?」

 

 先ほどのボールを投げた者だろうか。言葉では謝っているが、その口調からは誠意も何も感じられない。秀は無視して歩みを進めた。少ししてから、微かな舌打ちが聞こえた。

 

        ***

 

 秀は彼の保護者、高嶺達也の家に帰る。普段は寮に帰るのだが、定期的に達也の家に帰るようにしている。自室に荷物を置いて居間に行った。畳の居間の中央にはちゃぶ台が置かれ、電源の付いていないテレビがある。そこで、達也は胡座をかいて、夕刊の新聞に目を通していた。

 

「おかえり、秀。今日の学校はどうだった?」

 

 達也は新聞を閉じ、秀に向いた。秀は少し目を逸らし、口ごもる。しばらくして、重たく口を開いた。

 

「達也には悪いけど、今日も特に何もなかった。ごめん」

 

 秀が告げると、達也は秀の瞳を、真摯に見つめた。そして立ち上がって、秀に詰め寄った。

 

「なんで謝るのかな。学校で秀が何かの行動を取るのは、僕のためにするんじゃない。秀自身のためにすることだろう?」

 

「それは、そうだけど。でも俺は達也がいれば十分だ。他に何もいらない」

 

 秀のこの言葉は、紛れもない本心だった。彼は、達也を父のように愛しているのだ。

 

「嬉しいことを言ってくれるね。君のことだ。本心なんだろう? 君のその裏表の無い、正直で真っ直ぐなところ、発揮できるといいな。それに、秀は優しいから。その気になれば、友達くらいはすぐ作れるさ」

 

 達也が微笑みかける。達也の言葉は、秀の胸に、ガラスのように突き刺さった。いたたまれない気分になる。

 

「が、頑張ってみるよ」

 

 固く、自信なさげに言う秀の肩を、達也は強く叩いた。その顔には、悪戯っぽい笑顔が浮かんでいる。

 

「そんなに気張らなくてもいいよ。その気になれば大丈夫。……秀がガールフレンドを連れてくるの、楽しみにしてるよ」

 

 達也の言葉に、秀は顔を真っ赤にして反駁した。

 

「ば、ばか! そんなこと言うな! 第一、俺に出来るわけないだろ!」

 

「大丈夫だって! 自身持って!」

 

 秀が捲したてるのから逃げるように、達也は軽やかな足取りで台所に向かった。逃走ついでに夕飯でも作るのだろう。秀には彼を追いかける気力はなく、居間の畳に寝転んだ。

 

(友達、か)

 

 かつて、秀に「上山君のことを教えてくれ」と、名も知らぬクラスメイトたちが尋ねて来た。その通り生い立ちを教えてやったら、その時から秀の周りに人がいなくなった。

 それ以来、秀は達也以外の人と進んで接しようとはしなかった。ただ達也のことだけを考えて生きてきた。それ以外の生き方が、自分に出来るのだろうか。秀は虚ろに天井の蛍光灯の光を見つめながら、そう思った。

 

        ***

 

 次の日。秀は、教室で机に突っ伏していた。つまりは、寝ていた。今は放課後で、もうとっくに授業は終わってしまっていた。他の学生たちは、部活に行ったり、寮に帰ったり、ブルーミングバトルに興じたりしていて、教室には誰も残っていない。だが、秀を起こしてそれらのことに誘おうという者は一人もいなかった。

 やはり、この日も秀に友人はできなかった。話し掛けようにも、話題もなければ用もない。そう考えると、秀は萎えてしまって、孤独に浸ってしまうのだった。

 お前には無理なんだと言う自分と、いや頑張れと言う自分が、秀の中にいる。達也と共にいる時は後者の秀が強いのだが、いざ達也から離れると前者が強くなってしまう。秀は、後押ししてくれる人がいなければ何もしない自分に、嫌気がさし始めていた。

 

        ***

 

 秀が目を覚ますと、もう辺りはすっかり暗くなっていた。ヤバい、寝すぎたと秀は反省した。

 

(巡回が来る前にずらからないと……。前にもこんなことがあったからな。顔を覚えられてるとマズい……)

 

 秀が慌てて荷物をまとめ始めたその時だった。教室のドアが、静かに開く音がした。巡回の警備員ではないことはすぐ分かった。もしそうなら、もっと無遠慮に開けるはずだ。違うとなれば盗みに入ったのだろうか。絶対にそうではないと秀は思うが、本当にそれならば早急に対処せねばならない。そう思い、秀はそっと立ち上がって、見つからないように携帯電話の電源を入れた。そして、カメラを起動させる。この暗さだ。フラッシュを使えばさぞかし効果てきめんだろう。正直に言えば、教室の電気をつければいいだけなのだが、警備員に見つかりたくなかったので、一瞬で済ませられる方を選んだ。

 侵入者は、こそこそと教室の机を漁り始めた。集中している今がチャンスだ。秀は抜き足差し足で侵入者に近づくと、ぱしゃっとフラッシュを焚いた。すると、

 

「ひゃ、ひゃあああああ!?」

 

 と、間抜けな声が教室に響いたかと思うと、次にがらがらどっしゃんという机が倒されたような音がした。それらのことから、秀はこの侵入者が盗みに入ったわけではないと悟った。だとすれば、単に忘れ物でも取りに来たのだろう。秀はため息をついて、教室の電気をつけた。そうしたのは、侵入者の顔を確認したい、というのと、警備員に見つかっても道連れが出来るから、という魂胆からだ。

 まず目に入ったのは、見事にめちゃくちゃにされた机と椅子だった。その中心に先の侵入者であろう、一人の純白の片翼を持ち、青蘭学園の制服を着た天使の少女がいた。そのブロンドの髪は乱れていて、目には涙がたまっていた。彼女は怯えるようにして、震える声で秀に尋ねた。

 

「あ、あなたは誰ですか……?」

 

「俺は上山秀だ。このクラスのαドライバーの一人だ。あんたは?」

 

「え……?」

 

 少女は、きょとんとした表情を見せた。秀はそれに苦笑して告げた。

 

「あんたの名前だよ。うちのクラスに、お前のようないっつも下を向いてるプログレスがいたと思うが、クラスの連中の名前なんて誰一人のものも覚えてないから、誰だか分からん」

 

 少女は惚けたままだったが、やがて我に返ったようにあたふたすると、顔を真っ赤にして、

 

「わ、わた、わた……!」

 

 何を緊張しているのか、少女の口から中々言葉が出てこなかった。秀はため息をつくと、少女の頭を軽くチョップした。

 

「ひっ……」

 

「落ち着けっ」

 

「え?」

 

 少女は、瞳を潤ませて秀を見つめた。秀は、こいつは本当にプログレス——日課のようにブルーミングバトルフィールドに立ち、闘う少女たちの一人かと呆れた。

 

「まず落ち着け。深呼吸が効果的だぞ」

 

 少女は言われた通りに深呼吸をすると、控えめな声で、自信なさげに告げた。

 

「わ、私は、レミエルです。赤の世界で七女神様に仕えていた天使で、青蘭学園にいるのは、ある方の勧めなんです」 

 

「ふうん……。エクシードはどんなのだ?」話題を変えてみる。

 

「私のは魔法です。サポート系や結界系が主ですけど、一応、攻撃系は魔剣の再現くらいならできたりします。……あんまり、そういう魔法は好きじゃないんですけどね」

 

 そうだろうなと秀は思った。明らかに好戦的な感じはしない。

 ここまで話して、秀は一考する。今まで、青蘭学園の生徒、ましてや女子と話す機会など皆無に等しかった。恐らくはレミエルが、事務的な会話ではない会話を交わした初めての生徒だろう。ちょうど、ブルーミングバトルの授業で、余ったからと言って教師と組まされることに飽き飽きしていて、友人のいない自分が嫌になっていた頃合いだ。ひとつ、試してみるのもいいかもしれない。そこまで考えると、秀の口はすでに開いていた。

 

「なあ、レミエル」

 

「はい? 何でしょうか……?」

 

 レミエルは、まだ少しビクビクしていた。そんな彼女に、秀は詰め寄って、はっきりと言い放った。

 

「俺と、組まないか? プログレスと、αドライバーとして」

 

 レミエルの瞳が、驚きで見開かれていく。だが、少しすると目を伏せてしまった。

 

「嫌……か?」

 

 レミエルは首を横に振った。そして、顔を俯けたまま、小さい、自信なさげな声で言った。

 

「私、テラ・ルビリ・アウロラでは、片翼で飛べない落ちこぼれって言われてて、実際にも、ホント、ダメダメで……みんなから揶揄されて……」

 

 それは、自虐に満ちた言葉だった。秀は、聞いていて耳が痛かった。だが、それと同時に、このレミエルの苦しみを消したいという気も起こった。

 レミエルが顔を上げる。その顔は、涙で濡れていた。

 

「こんな私でも、あなたはいいんですか?」

 

「ああ」

 

 秀は力強く頷いた。

 

「役立たず……かもしれないんですよ?」

 

「そうかどうかは俺が決める。お前が考えることじゃない」

 

「じゃ、じゃあ……!」

 

 レミエルはその藍玉の瞳を輝かせて、少し興奮気味に訊いた。

 

「私に、居場所を……くれるんですか!?」

 

「もちろんだ。できればずっと、俺のパートナーとして在ってほしい。プログレスとして」

 

「……はい!」

 

 レミエルは、朝陽のような煌々とした笑みを浮かべて、縦に頭を振った。その幼子のような無邪気な笑顔を見せられてしまっては、秀も微笑みを禁じ得なかった。そしてその秀の笑顔は、青蘭学園に来て、学園で見せる初めてのものだった。



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初めての

 秀は、背中で感じる硬くも柔らかくもないベッドの感触と共に、目を覚ました。体を起こすと、欠伸を噛み殺しながら顔を洗い、寝癖を直す。そうしながら、秀は昨日のことを思い出した。

 

(よく考えたら、俺はあいつに、告白にも等しいことを、言ったんだよな……)

 

 だが、後悔はしていなかった。殆ど断られる気分でレミエルに告げたのだったが、そのおかげで孤独や教師と組まされることからは脱却できた。昨日はあの後にレミエルを女子寮まで送ってから男子寮に帰った。その間に、秀は何も話さなかった……というより、何を話せばいいか、分からなかった。だから、今日は頑張って話そう——そう思った。

 

 青蘭学園の寮は青蘭学園から徒歩10分ほどの位置にあり、その自室は一人部屋にはもったいないくらい、マンションの一部屋並みに広く、また洗濯機、冷蔵庫、冷暖房完備である。これは、青蘭学園に莫大な費用がかかっていることを示している一つの例だ。

 秀は制服を着て部屋から出ると、扉の前に、制服姿の、いつも通り少し俯きがちなレミエルがいた。秀が目をパチクリさせていると、レミエルは意を決したように自らの手を握って告げた。

 

「あ、あの 一緒に……登校、しませんか……?」

 

 秀は少し驚いたが、断る理由はない。頷きを返すと、レミエルは目を大きくして、

 

「あ、ありがとう、ございます……! その、本当に、嬉しいです!」

 

 そう言った後の彼女の顔は、朝日が当たってよく見えなかった。だが、笑っていただろうということは、秀は容易に想像できた。

 

        ***

 

 強く冷たい北風が、向かい風となって吹き付ける。吐かれる息は白く、また登校している生徒の何人かは手袋やマフラー等の防寒具を着用している。まだ11月だというのに、風景はすっかり冬だ。

 

「うう……。寒いです……」

 

 レミエルが寒さに体を縮こまらせていた。レミエルと肩を並べて歩いていると、レミエルが相当小柄なのが分かる。何せ、彼女の身長は、秀の肩くらいまでしかない。140センチより少し上くらいだろうと秀は予測した。そんな低身長でしかも細身で、更にいつも頭が下を向いているなに、体を縮めては小さいのがもっと小さく見える。そのことを言うと、レミエルは少し怒ったように、

 

「そんな小さい小さい言わないでください! 一応、気にしてるんですから……」

 

「悪かった悪かった。軽い冗談だ」

 

 秀は笑いながらレミエルを諌めた。この時、秀は生まれて初めて、楽しいと感じた。恐らく先の自分の行為は所謂「からかう」というものだろうが、その楽しさに気づいてしまった。これからからかえるときにはからかおうと、秀はウキウキした。その秀の傍で、レミエルはため息を吐いて、

 

「秀さんがそんなこと言うなんて、思ってませんでした。何だか、もっと陰気な人だと思ってたんですよ、私。教室で、ずっと独りでいましたから」

 

「それはそうだ。誰とも話さずに教室にいたら誰だって俺のことを陰気だと思うだろう」

 

 秀が肯定すると、レミエルは怒ったように、必死にそれを否定した。

 

「そんなこと言わないでください! 自分のことを悪く言っても、ただ虚しいだけですよ。私がそれを一番理解しています。それに、きっと根は明るい人だと思うんです。さっき、私をからかったりしましたから」

 

 レミエルは、秀の瞳を真摯に見つめる。しかし、秀はレミエルの言ったことが理解できなかった。事実を言っただけなのに、レミエルが否定してくるのが分からない。だが、そのことをレミエルに言っても、話が面倒臭くなるだけだろう。そう考えると、秀はレミエルの言うことを適当に肯定した。すると、レミエルは微笑みを向けた。これもまた、秀には理解できない。

 

「でも、そんな、独りだ、とか陰気だ、なんてイメージも今日から無いですからね、秀さん」

 

 レミエルのその言葉に、秀がキョトンとしていると、レミエルは秀の手を握ってきた。秀のより一回り小さい手から、確かな温もりを感じる。

 

「あなたも、私も、独りじゃない。αドライバーと、プログレスなんですから」

 

 レミエルが、昨日の教室で見せた時と同じような、煌めくような笑顔を向ける。秀はその笑顔に数秒だけ見とれていた。しかし、その事実を認識すると少し気恥ずかしくなって、照れ隠しのつもりで訊いた。

 

「私もって……お前の教室でクラスの奴と話してる姿、時々見るぞ」

 

「……クラスの人に、私が胸を張って友達と言える人は、独りもいません。そういう人は、故郷に一人だけ」

 

 レミエルが悲しげに答える。秀はどう言葉をかければいいのか、分からなくなった。そしてそのまま、会話が途切れた。

 

        ***

 

 靴箱に靴を入れ、レミエルと歩調を合わせながら教室に向かう。教室のドアを開けると、異質なものを見るかのような目で、クラスメートから見つめられた。その視線は、驚愕と好奇心に満ちていた。レミエルは戸惑っていたが、

 

(まあ、こうなるだろうな)

 

 と秀はすんなりと受け止められた。今までぼっちだった人間が、いきなり異性を伴って登校してきたのだ。好奇心を持たないはずはないだろう。

 そして、早速レミエルが質問攻めにあった。レミエルは大量の質問を処理できずにパンクしたような状態になっていた。

 見かねて秀がレミエルに助け舟を出そうと思った矢先だった。

 

「汝が上山秀か」

 

 背後から、女性に名を呼ばれた。振り返ると、そこには赤い装束に身にまとった、天使の女がいた。

 

「あんたの名は?」

 

「人をいきなり“あんた”呼ばわりとは失礼だが……聞かれたら答えねばならまい」

 

 天使の女は、そう不機嫌そうに言うと、やや傲慢な態度で告げた。

 

「我が名はガブリエラ。導きの大天使だ。そこのレミエルの師でもある」

 

「ふうん……その大天使が俺に何の用だ?」

 

 ガブリエラはその問いに、秀の真正面に立って答えた。

 

「レミエルと組んで、我が用意する相手とブルーミングバトルをして欲しいのだ」

 

「なんで」

 

「さっきも言った通り、レミエルは我が弟子だ。我としては、我が子にも等しい愛情を向けている相手に、得体の知れない、戦闘の実績もない男に任せる訳にはいかんからな」

 

「実績がないのは大会とかに出場していないからだけどな……いいだろう、売られた喧嘩だ。買わないわけにはいかんさ」

 

「フッ、相当自身があるようだな。その度胸だけは認めてやろう。放課後、第三コロシアムで待っているぞ」

 

 ガブリエラは、それを捨て台詞に教室から出ていってしまった。秀の横では、レミエルが人に埋もれている。対して秀は一人だ。寄り付く者は誰もいない。クラスの男子は、秀をチラチラ見ながらコソコソと話すだけだ。だが、それでもいいと、秀は思う。秀は、青蘭学園で一人ではないのだから。あの人の他にも、自分の理解者になってくれるかもしれない人がいる。それだけで、満足だった。

 

        ***

 

 放課後、秀は、レミエルを伴って、ガブリエラに指定されたコロシアムに着いた。微かに、プログレスの音楽ユニットであるL.I.N.K.sの歌声が聞こえる。今日、講堂でライブでもあるのだろうか。そう思うと、ここに来るまでの間、人気が少なかったのを思い出した。それでこの校舎から離れた第三コロシアムにも歌声が響いているのだろう。

 ブルーミングバトルフィールドは、古代ローマのコロッセオを彷彿とさせる造りになっており、ブルーミングバトルをする所がおよそ直径15メートルの円形になっていて、それを取り囲むように、観客席が十数段ある。

 フィールドに足を踏み入れると、その中心に人影が見えた。天使ではないようだから、恐らくガブリエラが用意したという対戦相手だろう。近づいて行って、その姿をはっきりと見たとき、秀は戦慄した。薄い白みがかった長髪を風に靡かせ、悠然と佇む長身のアンドロイド。いくら人脈がない秀とはいえ、彼女が誰なのかくらいは分かった。二年最強クラスと噂されるほどの強さを誇る、彼女の名は——。

 

「コードΩ33カレン……!」

 

「いかにも。私がコードΩ33カレンであります」

 

 カレンは、そっぽを向いてぶっきらぼうに返した。

 

「本来なら、私と愛する妹、セニアとの至福の時を削ってまであなたのような愚民の相手をすることはあり得ないのですが……赤の世界の四大天使の一人であるガブリエラ様の頼みですから。ありがたく思いなさい」

 

 挑発的な態度で、カレンは言う。秀は、それに先程まで感じていた慄きを忘れて苛立っていた。すると、観客席の方から、

 

「上山! 心を乱してはカレンの思うツボだぞ!」

 

 ガブリエラの声だった。秀はそちらを向くと、そこには腕組みをしたガブリエラと、小さいアンドロイドが一人、並んで座っていた。恐らく、あのアンドロイドが、カレンの妹機の、コードΩ46セニアだろう。彼女を見ていると、

 

「私の愛するセニアに不浄な目線を向けないで頂きたいです。早く視線を逸らさなければ命を頂戴させていただきますです」

 

「あ、ああ。悪かった」

 

 秀はカレンの言葉の節々から怒りを感じ取ったので、慌てて視線をずらして、敵意を持ってカレンを見た。カレンもまた、倒すべき敵として、秀を見つめる。

 

「レミエル」

 

 秀は、カレンに目を向けたまま、やはり少し下を向いているレミエルに話しかける。

 

「勝てないかもしれない。ボコボコにされるかもしれない。だけど、頑張ろう。お前だって、馬鹿にされたらこいつにアッと言わせたいと思うだろう?」

 

「馬鹿にされてるのは秀さんですけど……分かりました。秀さんの激情に従います」

 

 その言葉とともに、杖が空を切る、鋭い音がした。勢いよく構えたのだろう。レミエルのことが、秀が彼女の姿をよく見ていないだけ、頼もしく思えた。

 空を見上げる。そこには雲はなく、四つの(ハイロゥ)が煌々と輝いている。

 秀は視線を戻すと、αドライバーの初期位置の、フィールドの円周近くに立った。それを確認したガブリエラが立ち上がって告げる。

 

「準備が出来たようだな。では、我が剣を投げる。それがフィールドに刺さったら、それをバトル開始の合図とする。では……フッ!」

 

 剣が、ガブリエラの手から離れる。それは、放物線を描きながら落ちて行き——フィールドに軽い音を立てて、ゴングを鳴らした。



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崩壊への楔

 先に動き出したのは、カレンだった。繰り出されるのは、左の回し蹴り。それはレミエルの脇腹に命中し、コロシアムの縁の壁にその華奢な体を叩きつけた。レミエルに痛みはない。ブルーミングバトルにおいて、プログレスは痛みを感じない。αドライバーが彼女らに代わってそれを受けるからだ。だが、体の芯に受ける衝撃は何も変わらない。叩きつけられた状態のまま、咽せる。

 

「秀さん!」

 

 レミエルは、落ち着いてから、錫杖を支えにして態勢を整えると、秀に顔を向けた。彼は見たところ平静であるが、必死に痛みに耐えていることはすぐ分かった。無理もない。カレンの蹴りを食らったのと、壁に叩きつけられる痛みを味わったのだ。額からは脂汗も出ている。レミエルが、駆け寄ろうとすると、秀はそれを制した。

 

「今は来るな……! 俺のことはいい。それよりもリンクする時間を稼げ……!」

 

「でも……それだと秀さんが……」

 

「大丈夫だ。この程度の痛み、大したことはない。さ、早く行動しろ。リンクすれば、多少はあいつと張り合えるだろうから」

 

 秀が、無理をして作ったような笑みを浮かべて言う。レミエルは酷だと思いつつも、彼に頷いた。彼を勝たせてあげたい。だが、そのためには、彼を辛い目に合わせなければならない。本心では、このバトルを投了したい。しかし、秀はそれを許さないだろうし、何より彼が満足できない。なら、そうするよりも、たとえ負けても、全力でカレンにぶつかっていく方が、自分も、秀も満ち足りることができるだろう。

 レミエルは、秀から視線を外した。カレンを探す。だが、自分の視界の中には見当たらない。この開けたコロシアムでは、隠れ場所は殆どない。だから、隠れているという線はない。また、壁を背にしているため、背後にいるということもない。ということは——

 

「そこです……!」

 

 レミエルは、魔剣の模造を魔法で行うと、それを頭上に投擲した。狙った先にはレミエルの予想通り、カレンが飛んでいた。カレンは、眉ひとつ動かさずその魔剣を素手で容易く砕くとレミエルに向かって急降下してきた。レミエルは身構えたが、カレンはレミエルの目の前に着地した。そして、左の蹴りを繰り出した。レミエルは結界を張ってそれを受ける。だが、今度は右方向から右ストレートが飛んできた。対応できずに、脇腹に拳を受ける。吹き飛ばされそうになったところで、カレンがレミエルの胸倉を掴んだ。そして、腹に鈍重な拳を食らい、地面に叩きつけられる。レミエルの体が地面に跳ね返されて浮いたところに、すかさずカレンが一撃を入れる。その繰り返しだった。

 

「あなた達はリンクを狙っているようですが、そのようなことはさせません。ガブリエラ様からは本気で、手加減なしでやれと言われました。だから、馬の骨様がダウンするまで、私は殴り続けます」

 

 カレンは、殴りながらそんなことを言った。

 レミエルはカレンの攻撃を受けながら、横目で秀の方を見た。涙で滲んだ視界の中で、秀が腹を抑えて膝をついている。もう限界が近いのだろう。何とかこの状況を脱しなければ、秀が倒れる。自分が弱いせいで、彼が苦しい思いをする。そんなのは、嫌だった。

 レミエルは視線を戻した。一撃と一撃の間に、脱出する隙を幾つか見つけた。慎重に攻撃を見極め、カレンが拳を振り上げたその瞬間、レミエルは地面に手をついて体を支え、カレンの拳にに頭突きを食らわした。脳が激しく揺れ、脳震盪を起こしそうになる。だが、頭突きのおかげで、カレンが一瞬だけ動きを止めた。その隙に横に転がって離脱し、錫杖を使って、棒高跳びの要領で高く跳躍した。

 

「秀さん! 今です!」

 

「……ああ! リンク……!」

 

 秀が低く唸るように叫ぶと、レミエルは、体に糸のような物が入ってくるような感覚を覚えた。その糸は、レミエルに奔る血液を通して全身へと行き渡り、レミエルの五感を活性化させ、魔力を増大させる。そして、それが脳まで達した時、秀と、リンク——繋がった——そう感じた。

 レミエルは、上空からカレンを見据え、錫杖を薙ぐ。その軌道にそって、造られた魔剣が扇状に並べられる。そして、その夥しい数の魔剣が、カレンに襲いかかる。レミエルは魔剣を一つ造って、それを持って、魔剣の雨の中に紛れるように降下する。本命の攻撃はこれだ。他はカモフラージュでしかない。

 魔剣がカレンの周りに降り注ぎ、土埃を舞い上がらせる。その中で、レミエルはカレンと思しき影を見つけた。錫杖を地面に投げ捨て、魔剣を両手で持って肩に担いで、魔法で一気に降下速度を上昇させる。この攻撃が本命だ。剣技はたいした腕があるわけではないが、リンクしたことで上昇した筋力と、位置エネルギーがあれば、大打撃を与えられる可能性はある。

 土埃が晴れかかる。その時、土煙の中に緑黄色の稲光を見た。土埃が晴れると、カレンが両腕にその稲妻を纏わせて、レミエルを見つめていた。あれだけ投げた魔剣は、全て砕かれてしまっている。

 

(あれが、全部防がれるなんて……。でも、まだ私には攻撃が残ってる……!)

 

 レミエルは、魔剣を握る手に、少しだけ力を込める。対するカレンがレミエルに向かって跳躍した。レミエルの魔剣と、カレンの拳がぶつかり合う、その瞬間——急に、ブザー音がコロシアムに鳴り響いた。そして、

 

『——αドライバーのダウンにより、戦闘続行不可。ブルーミングバトルを強制終了します』

 

 という、無機質な音声が流れた。レミエルは、慌てて秀の方に向くと、彼がそこでうつ伏せに倒れていた。

 

「しゅ、秀さん!」

 

 レミエルは弾かれるように、彼の元に走った。秀を抱き上げて安否を確認すると、彼は眠っていただけであった。恐らく、αドライバーとして受ける痛みと、リンクによる精神的疲労が重なって、限界になったのだろう。とりあえず、レミエルは秀を保健室に連れて行くことにした。背中に彼を乗せて、歩み出す。すると、カレンが寄ってきた。

 

「あ、カレンさん……。その、バトル、ありがとうございました」

 

「いえ、いいのです。私はガブリエラ様に頼まれてやっただけなのですから。それに、あなたのう……αドライバーに無理をさせてしまいましたし」

 

「そのことはいいです。仕方のないことですし」

 

 レミエルは、そこまで言って、カレンのαドライバーと思われる人がいないことに気づいた。ここにいる男性は、秀一人だけだ。そのことを尋ねると、

 

「先のバトルにおいて、私はαドライバーを使っていません。アルドラは無しだと、ガブリエラ様が仰られたものですから」

 

 その言葉に、レミエルは驚愕した。αドライバーがいなければ、プログレスの力は半減すると言っていい。痛覚の無効もなければ、リンクも出来ないからだ。その状態で、自分を圧倒したのだ。驚きを通り越して、恐怖さえ感じた。

 

「早くお行きなさい。貴重な時間を無駄にするものではありません」

 

「は、はい! ありがとうございました!」

 

 レミエルは一礼すると、秀を乗せたまま保健室へ走った。

 

        ***

 

 カレンはレミエルを見送ると、一つ息を吐いた。ようやく終わった。嫌ではない時間だったが、そう思った。

 

「お姉ちゃん、かっこ良かったです」

 

 セニアが褒めながら駆け寄ってきた。カレンは彼女に朗らかな笑顔をみせ、

 

「ありがとうございます。セニア。抱きついてキスしてもいいのですよ」

 

「お姉ちゃん、ガブリエラさんの手前です。そういうのは二人っきりの時にしましょう」

 

「そうだ。イチャつくのは公衆の面前でするものではない。今は我しかいないがな」

 

 ガブリエラが呆れながらに言った。カレンは、彼女に幾つか尋ねたいことがあった。レミエルについてだ。先のブルーミングバトルが有益であったかどうかもそうだが、彼女自身についても興味があった。バトルする前に、レミエルについては何も聞かされず、ただ彼女とバトルしてくれ、と言われただけだったからだ。

 

「ガブリエラ様。先のバトルは価値のあるものでしたか?」

 

「ああ。貴殿のおかげで、今のレミエルの実力と、上山秀のαドライバーとしての能力が分かった。感謝している」

 

「そうですか。それは良かったです。では——」

 

 レミエル様とは、一体どのような人なのですか?——そう聞こうとしたところ、

 

「すまない。私は今から用事があるのだ。また今度、その問いを聞こう」

 

 と言って、ガブリエラは空を飛んで去ってしまった。残されたカレンは、セニアに向いて、

 

「さあセニア、熱烈なスキンシップを——」

 

 そこまで言った時、カレンは異様な空気を感じた。実験室棟の方から、それはした。まるで、何かを隠そうとして覆ったはいいが、その中の物がはみ出してしまったような感じだ。

 

「セニア、悪いですが、スキンシップは今度です。友人と共に帰りなさい」

 

 カレンが告げると、セニアは引き締めた表情で頷いた。危険なことだと、カレンの言い方から悟ったようだ。

 

「いい子です。では!」

 

 カレンはセニアに振り返らずに駆け出した。胸がモヤモヤする。何か良くないことが起きる時、カレンは決まってそうなっていた。人工物がそんなことを感じるのもおかしなことだが、本当に感じるのだから仕方がない。

 カレンは、実験室棟一階の、倉庫の前で立ち止まった。そこから、微かに魔力を感じる。結界か何かで上手く隠蔽したつもりだろうが、元の魔力がよほど強力なのだろう。そこにいるのが丸分かりだ。

 カレンは、倉庫の戸を開けた。その面積は目測で測ったところ、約十平方メートルと広かったが、中は段ボール箱で一杯で、実際窮屈だと感じた。その段ボール箱の奥に、回転イスに座っている、金髪のツインテールに冠のようなものを乗せ、白と水色の服を着た、少し背の低い人形のような女がいた。彼女はゆっくりと回転イスにを回して体をカレンに向けると、微笑を湛えて口を開いた。

 

「あなた……何の用かしら? 私は倉庫の整理をしていただけよ。そんなに殺気立たせないでくれないかしら」

 

「とぼけないでください。あなたの尻の下にある物は何なのです? 地球製の、軍用の通信機のようなものと見受けられます。誰と連絡を取っていたのですか?」

 

 カレンが問うと、女は急に笑い出した。そして、椅子から立ち上がると、邪悪な笑みを浮かべて、

 

「……バレてしまっては仕方ないわね。どうせアンドロイド相手に誤魔化せやしないのだし」

 

 女は呟き、カレンに一礼する。その瞬間、倉庫の箱という箱から二頭身の、幼子が持っていそうな人形が大量に出てきた。その一部がカレンを囲み、残りは女を守るように並んだ。その可愛らしい容姿とは裏腹に、それらの手には、鉈、包丁、斧などの刃物が握られていた。

 

「……! これは……!」

 

 カレンが少し動揺したところに、女は人形たちの奥で告げた。

 

「私の名前はジュリア。黒の世界(ダークネス・エンブレイス)の人形使いよ」

 

 ジュリアはそう言うと、諦観にも似た愉悦の笑みを浮かべて、呟いた。

 

 私を殺してみせなさい、と——。



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無力

少しグロ注意かもです。


 秀が覚醒して最初に見たのは、白い天井だった。背中には、硬いベッドの感触。多分保健室だろう。日の光の大部分はカーテンで遮られている。カーテン越しに感じる光の色は赤だ。ということは、外はもうとっくに夕方になっているのだろう。

 ふと右を見ると、制服姿のレミエルがベッドを枕にして眠っていた。彼女を見て、先のカレンとの熾烈な戦いを思い出した。

 

(そっか……頑張ったんだよな、こいつ。それにひきかえ俺は……)

 

 精神が耐えられなかった。痛みと、リンクの精神心的負荷に。情けない、と、秀は自嘲する。プログレスである少女は戦えるのに、αドライバーである少年は、ただ傍観するだけだ。痛みを味わい、プログレスを強化するだけの存在。共に戦うなど、嘘っぱちだ。

 胸を掻き毟りたくなる衝動——悔しい、悔しい、悔しい! ……始めて、本気で、心の底からそう感じた。暴れたい、あらゆるものを壊したい。そう思い始めた頭を、秀は深呼吸して落ち着かせる。レミエルもいるのだ。そんなことができるはずがない。

 秀は、謝罪の念も込めて、レミエルの頭を撫でた。そうすると、

 

「あ……起きましたか、秀さん」

 

 レミエルが目を覚ました。申し訳なさそうな目で、彼女は秀を見つめる。

 

「すみません、私が弱いばかりに、秀さんを……」

 

「いや、弱いのは俺もだ。俺は、痛みとリンクに耐えられなかった。確かにカレンの方がお前より強いが、お前だけの責任じゃない」

 

 秀は、下を向いて告げた。すると、レミエルが秀の顔の方に近づいて、頬を両手で挟んでから、持ち上げて告げた。

 

「下を向かないで下さい。下を向くのは、私だけで十分です。あなたには、上を向いて笑ってほしい、です……」

 

 レミエルは、柔らかな笑みを浮かべていた。秀は、何も言えなかった。その笑顔に、ただただ見とれていた。

 しばらくそうしていると、レミエルが顔を赤くして、

 

「あの、秀さん。何か話してくださいよ……。見られてるだけじゃ、恥ずかしいじゃないですか……」

 

 レミエルが、秀から手を離して云った。

 

「あ、ああ。悪い。……と言っても、話すことがないな。とりあえず保健室から出るか」

 

 秀に、レミエルは少しだけ嬉しそうにして、小さく頷いた。

 

        ***

 

 保健医の許可を得て保健室から出ると、レミエルがこんな事を言い出した。

 

「もう一度、コロシアムに行きませんか?」

 

「コロシアム? 何のために?」

 

「特訓、です。まだカレンさんもいたら、付き合ってくれると嬉しいなぁ、なんて……」

 

 レミエルは、頭を掻きながら云った。

 

「いいんじゃないか? 少なくとも、その姿勢は間違っちゃいないと思うぞ。俺も、負けてばかりじゃいられないからな」

 

 秀が肯定すると、レミエルは少し照れたように俯いて云った。

 

「ありがとう……。嬉しい……です。私を言葉で肯定してくれたのは、ユラや、ガブリエラ様くらいしかいませんでしたから……」

 

「そうか」

 

 秀は、それだけ言った。あまり踏み込みすぎるのはよくないと感じたからだ。そしてその時、レミエルと共に強くなりたいと、心に秘めた。

 

        ***

 

 昇降口から出て、コロシアムに向かう途中、レミエルが突然立ち止まって、カラスの鳴いた方に向いた。

 

「どうした?」

 

 秀が尋ねると、レミエルは夕焼けの赤い空を見つめたまま答えた。

 

「いえ。ただ、美しいなって、思っただけです」

 

「美しい? カラスがか?」

 

「……はい。カラスは汚いってよく言われますけど、それでも、自由に空を飛べます。飛べない翼よりも、飛べる翼の方が断然美しいです。自分の翼は飛べもしませんから、醜いですよ」

 

 日の光が落ちていって、だんだん暗くなっていく。レミエルは表情を曇らせて、俯きがちになっていた。そんな彼女に、秀はため息をついた。

 

「あのな、お前」

 

「はい……? なんでしょうか?」

 

「自分が人前でできないことを人に言うな」

 

「え?」

 

 レミエルがキョトン、とする。

 

「だから、自分が人前でできないなら人に言うな、って言ったんだ。お前、俺に下を向くな、って言ったくせに俺の目の前で下を向くんじゃあない。下を向くのは自分だけでいいなんて格好つけていたが、それでも言ってから10分も経たずに下を向くな」

 

「……すみません」

 

 レミエルが視線を落とす。秀は、呆れながらに彼女の頭を軽くチョップした。

 

「下を向くなって言ったろう。もっと上を向いて胸を張れ。最初から出来ないなんて決めつけるな。プログレスは進化する少女なんだろう? ならきっと空も飛べるようになるさ」

 

 レミエルの瞳に、少し光が灯った。

 

「あ、絶対とは言えないぞ? ただ、そうした方が、ずっと俯いているよりは大分マシだろうってことだ」

 

「そう、ですよね。でも、秀さんが言うなら、そうなんだって気がします。……努力してみます」

 

 そう言って、レミエルは顔を上げて胸を張った。少し無理しているように思えたが、秀は何も言わなかった。最初はそれでいい。とにかく少しでも自信をつけてやらないことには、何も始まらない。

 

「あ、あの、秀さん……!」

 

 レミエルが、頬を夕焼けのような朱に染めて訊いた。

 

「私の翼、どう思いますか……?」

 

「どう、か……? うーん……」

 

 よく見たことがなかった。あまり意識したことがなかったからだ。秀はレミエルの翼をじっと見てみる。穢れの全くない、見事なまでの純白の翼だ。

 

「綺麗だと思う。少なくとも、お前が卑下しているほど、醜いものじゃない」

 

「そう、ですか……えへへ」

 

 レミエルが頬を綻ばせる。心底嬉しそうな彼女を見て、秀もまた、微笑んだ。

 

 コロシアムに着くと、そこには誰もいなかった。まだ戦いの匂いが残る空気だけが、そこを支配している。

 

「コードΩ46もいないか……。どうする——って、レミエル?」

 

 レミエルは、秀から少し離れたところで実験棟の方を見つめていた。

 

「あ、ちょっと強そうな魔力が実験棟の方から感じられたので……」

 

「強そうな魔力?」

 

「はい。なんだか、水が隙間から漏れたような感じですが」

 

「ふーん、まあ、俺らには関係ないだろ。特訓しようか」

 

「……いえ、行きましょう」

 

 レミエルが険しい表情で云った。その顔は、少し頼もしく思えた。

 

「なんだか殺意のようなものも混じってます。誰か戦っているのかもしれません。それも、ブルーミングバトルではないもので」

 

「もしそうだとしたら、関係ないって知らんぷりは出来ないな。急ごう」

 

 レミエルが頷く。秀はそれを確認すると、全速力で実験棟に走った。

 

        ***

 

 レミエルの感覚を頼りに、魔力の源へ向かう。その途中で、破壊音を聞いた。

 

「今の音……!」

 

 流石に秀でも、この音源はわかった。今いる一階の奥の方だ。

 

「秀さん」

 

 レミエルは、表情を硬くして告げた。

 

「戦闘になるかもしれません。心の準備をしておいた方がいいです」

 

「ああ。分かった」

 

 秀はそう答えたが、手は震えていた。それを打ち消すために、拳を強く握る。そして、足の震えを誤魔化そうと、前を見据えて駆け出した。レミエルもそれに続いた。

 十数秒間走ると、空気が一瞬で変わった。秀が感じたことのない強烈なプレッシャーが、全身にのしかかる。前は埃が舞い上がっていてよく見えない。そして、その埃の煙の中に、見覚えのある緑黄色の稲光を微かに見た。

 

「コードΩ33か!?」

 

 秀は、思わずその名を叫んだ。

 

「……ッ!? 上山様でございますか!?」

 

「そうだ! レミエルもいる!」

 

「うつけ者! 早く逃げるのです! こ奴は危険です。あなた方が太刀打ち出来る相手ではありません!」

 

 カレンが必死に訴える。秀は、それにすぐ従うことにした。カレンが危険というほどの相手だ。カレンに完膚なきまでに叩き潰された自分たちが勝てるものではない。廊下を引き返そうとするが、何かに弾かれて、進むことは叶わなかった。

 

「無駄よ。その結界を破ることは出来ないわ」

 

 煙が晴れ、妖艶な女の声が聞こえた。それと同時に、カレンが部屋のドアを破って、廊下の壁に叩きつけられた。

 

「コードΩ33! 大丈夫か!?」

 

「アンドロイドは痛みを感じませんから、心配は無用です。それよりも、逃げられないなら、風紀委員に連絡を」

 

 カレンは涼しい顔で立ち上がり、急かすように言った。

 

「さっきから連絡しようとしているのですが……なぜか電波が繋がらなくて……」

 

 レミエルが、申し訳なさそうに答えた。すると、

 

「あら、片翼の天使なんて、珍しいわね」

 

 先ほどと同じ声。その主が、倉庫、とプレートのある部屋から出てくる。不敵な笑みを浮かべ、人形を従えた彼女は、カレンを無視してゆっくりと歩み寄り、スカートの裾を持ち上げて、秀とレミエルに一礼した。

 

「初めまして。ジュリアよ。あなたの名は?」

 

「俺は上山秀。で、こっちの天使はレミエルだ」

 

「ふうん。まぁ、敵対しない限り、私はあなた方に手出しはしないわ。大人しくそこで観戦してなさい。——と」

 

 突如、鉈を持った人形が動き出し、ジュリアの背後にそれを投げた。

 

「あらあら。話の途中で攻撃してくるなんて、無粋ね、あなた」

 

 ジュリアが振り返る。彼女のすぐ近くに、カレンがいつもの仏頂面で構えていた。その肩には、さっきの鉈で出来たであろう切り傷があった。

 

「無粋で結構でございます。無粋であることは、私のような戦闘用アンドロイドでは当たり前のことです」

 

 そう言いつつ、カレンは秀にそっと目配せした。秀は、瞬時にその意図を理解した。だが、それが露呈してしまえば、ジュリアに敵とみなされてしまう。そうしたら、レミエルにも被害が及ぶかもしれない。

 

(どうする……?)

 

 思考の末、秀は首を縦に振った。何の目的かは分からない。だが、カレンが敵として認識したからには何か理由があるのだろう。なら、協力しようと思った。ジュリアにそれを悟られたらどうなるか分からないが、そうなる前にカレンが倒してしまえばいいと思った。その為にも、αフィールドは展開しなかった。それは効果範囲内にいる全てのプログレスに効果がある。このような狭い場では、ジュリアも範囲に入るため、秀が手出ししたことが分かってしまうかもしれない。

 

 カレンが後ろに跳躍し、ジュリアと距離を取って、腰を低く落とした。今だ——秀は、カレンをイメージする。彼女の体に、己の魂を貫き通す。木が根を張るように、カレンの体に精神を行き渡らせる。そして、繋がった——そう感じる。

 

「……参ります」

 

 カレンが跳躍する。その飛距離、勢いはさっき戦った時とは比べ物にならない程強大だ。ジュリアは、少し後ずさりした。秀の側からはジュリアの背中しか見えないため、表情は確認できないが、きっと驚いているだろう。後ずさりしたというのはそういうことだ。

 

「人形たち!」

 

 ジュリアの余裕をなくした号令で、人形がジュリアの壁となる。それをカレンは一蹴りで薙ぎ払い、緑の稲妻を腕に纏わせ、ジュリアの腹に拳を入れる。

 

「がっ……!」

 

 今度はジュリアが吹き飛び、壁に円状の亀裂を作って激突する。その衝撃で冠がジュリアの頭から取れた。ジュリアが噎せたように吐血する。彼女は、落ち着くと冠を拾って歩き出した。彼女の口元には笑みが浮かんでいる。暫くすると、耐えきれなくなったように、声を上げて笑い出した。

 

「……何が、おかしいのです」

 

「いや、本当に馬鹿だと思ったのよ。ねぇ、あなた」

 

 ジュリアは秀の方に向いて、冷たく、凶悪に口角を上げ、目を細めて告げた。

 

「——敵対しない限り、手出しはしないと言ったのにね」

 

 ジュリアが指を秀に向ける。すると、刀を持った、少し大き目の人形が秀に向かってきた。

 

「秀さん!」

 

「上山様!」

 

 レミエルとカレンが前に出る。だが、二人は重力系のような魔法で壁に押し付けられてしまった。

 沈みかけの太陽に照らされた刃が迫る。秀は、それを避けようとしなかった。いや、できなかった。脚が竦んで、動かなかったのだ。

 

 

 そして、体が宙に浮いた。

 

 

 視界が回る。見えたのは、血を噴水のように吹き上げる、上半身の無い下半身。意識が急速に失われる。闇に沈む中、レミエルの悲痛な絶叫が、最後に聞こえた。



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決意

 秀は、柔らかな感触を背中に受けながら、目を覚ました。掛けられていた布団を勢い良く剥いで、まず目に入ったのは、見慣れない、白い天井に、見たことのない機器が多数置いてある、近未来的な部屋の様相だった。部屋には星の光が差していて、薄暗くなっていた。

 

「ここは、どこだ? それに、俺は」

 

 両断された時の記憶が蘇る。確かにあの時、秀は自分が死んだと思った。だが、生きている。生き延びている。部屋の壁にかかっている時計を見ると、地球時間11月19日19時16分とあった。あの日から1日進んでいる。

 秀は、己の腰より下を見た。そこには、しっかりと上半身と繋がった下半身があった。

 

(夢だったのか? いや、それなら俺が目覚めるのは寮の部屋だ。ここは、明らかに違う)

 

 秀が思考を巡らせていると、部屋の自動ドアが開き、部屋の電気が付いた。

 

「ようやくお目覚めになりましたか、秀様」

 

 声がした方に向くと、仏頂面のカレンが佇んでいた。カレンは秀に近づくと、急に仏頂面を崩して心配そうな目で秀の顔を覗き込んできた。

 

「お怪我は、大丈夫でしょうか?」

 

 秀は、いつもと違う、柔らかい口調のカレンに不覚にもどきりとしてしまった。

 

「あ、ああ。大丈夫だ。ちゃんと繋がってるしな」

 

 秀は平静を取り繕って返事をしたつもりだったが、ぎこちなくなってしまった。

 

「そうですか。お顔が赤いのは言及しないでおきます」

 

「それはどうも。で、コードΩ33。ここはどこだ?」

 

SWE(システム=ホワイト=エグマ)の病院です。ここなら、どんなに虫の息の人間でも、生きてさえいれば完全な状態にして治療できますから」

 

 秀は、カレンの言葉を聞いて、どうりで見慣れないものがたくさんあると納得した。だが、もう一つ気になることがあった。

 

「あの後、どうなった? レミエルは無事なのか?」

 

「彼女は無事です。今は、あなたが死んだと思い込んで塞ぎ込んでしまってますが」

 

 それを聞いて、秀は胸をなでおろした。レミエルの無事が分かっただけでも、大分嬉しい。

 

「そうか、良かった。で、あの後はどうなったんだ」

 

「ジュリアなら、あなたを真っ二つにした後、すぐ去りました。なぜそうしたかは分かりませんが、とにかく、私はその後、レボ部の方々に協力を依頼して、あなたを生かしたままここに連れてきてもらったわけです。レミエル様は、ただ呆然としてらっしゃいましたが」

 

「レボ部か。なるほど。確かに、あそこには時間を止められる奴とか、瞬間移動できる奴とかいるしな」

 

 レボ部というのは、正式名称はレボリューション部で、真生徒会を名乗る、青蘭学園の部活の一つである。たまに問題を起こしては風紀委員に追いかけられているため、生徒の間ではすっかり有名になっている。風紀委員とレボ部の対決は、もう一般生徒にとっては見世物と化しているため、一度対決が起こるとどっちが勝つかなどという賭けをする生徒までいる。秀の言う「時間を止められる奴」というのは、レボ部部長の椎名あずさのことで、「瞬間移動できる奴」というのは、副部長のユノ・フォルテシモのことだ。

 

「あなたは今すぐに帰ることができます。あなたには、日常に戻る権利があります。死にかける思いなど、もうしなくても良いのです。後は、風紀委員に任せるのが良いでしょう」

 

 カレンが優しく言った。それは、とても甘美な響きがした。思わず頷きそうになる。だが、秀の心の中で、それを拒絶する意思が生まれた。

 村にいた頃は、秀が人間と認識していたモノは秀ただ一人だった。だから、逃げても何ひとつ罪悪感を感じることはなかった。だが、今は違う。秀が感じた恐怖に関連した人間がいる。後ろ指を指されることは無いだろうが、自分だけ楽をするのは、大変卑怯な行いに感じられた。第一、逃げたからといってジュリアが襲撃してこないとも限らない。もし逃げたりしたら、秀は罪の意識に苛まれ、恥ずかしさでレミエルやカレン、ガブリエラに合わせる顔も無いまま、ジュリアに怯えて、以前よりもずっと過ごす価値の無い人生を送ることになるだろう。そのようなことは、想像するだけでもごめんだった。

 

「俺は、逃げない。どうせ、あの女がまた襲ってきやしないかとビクビクして生活するくらいなら、負けたままでいるくらいなら、いっそ」

 

「彼女と闘う、ということですか」

 

 責めるようなカレンの口調にも動じず、秀は、強き意志を持って首を縦に振った。

 

「どうせ、あなたを止めても、無駄なのでしょう?」

 

「ああ」

 

「ならば、あなたは強くなるべきです。心の強さは十分なようですので、身体的な強さを身につけなければいけません」

 

 カレンは諦めたようにため息をつくと、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「私の知り合いに、その手の専門家がいらっしゃいます。その方に協力を仰ぎましょう。では、早速行きましょうか」

 

 カレンは踵を返すと、足早にドアに向かった。

 

「ま、待て!」

 

 秀は、慌てて彼女を呼び止めた。カレンが、髪をなびかせて振り返る。その顔に、なぜだか分からないが、悲涼としたものを感じた。

 

「なんでございますか? リハビリなら、必要ありませんよ。SWEの医療技術は五世界で一番ですから」

 

「違う、そうじゃない。聞きたいことがまだあるんだ。あの時、どうしてお前はジュリアと戦っていたんだ? 理由がないわけじゃないだろ?」

 

「交戦していた理由、ですか。大したことではないです。あの者が何やらこちらの情報をどこかに流している様を見て、それを問い詰めたところ、戦闘状態になった訳です」

 

「そうか。教えてくれてありがとう。それじゃ、行くか」

 

 自分が手を貸した先が悪ではないことを確認した後、秀は星の光を背中に受けて、立ち上がって、ベッド脇に置かれていた自分の制服を着て、カレンの後を追った。

 

        ***

 

 カレンと共に病院から出ると、そこに待ち構えていた人物がいた。

 

「おや、レボ部の皆さんではないですか」

 

 カレンが呟く。待っていたのは、椎名あずさ、ユノ・フォルテシモ、シャティー、コードΣ43メルト、鶴谷由唯の五人。レボ部フルメンバーだった。

 

「どうされましたか?」

 

「どうもこうもないわよ。ただちょっと通りかかっただけよ」

 

 あずさは素っ気なく答えた。するとシャティーが、秀の腕をつついてきた。

 

「なんだ?」

 

「あずさの言ってることは嘘。本当はここで五時間くらいずっと待ってた」

 

「なっ……! ちょ、ちょっとシャティー! 何言ってるのよ!?」

 

 あずさは暗がりでも分かるくらいに顔を真っ赤にしてシャティーに怒鳴った。夜の空気に、その声はよく響いた。

 

「あずさ、顔赤かとよ?」

 

 九州弁のメルトが、不思議そうな目であずさを見つめた。

 

「あずさちゃん、ひょっとして、新しい恋の予感?」

 

 ユノが面白がるように言うと、あずさは彼女に詰め寄って反駁した。

 

「恋なんて、そんなのあるわけないじゃない! 大体、マトモに話したことないし、その……」

 

「あーちゃん、そんな無理に隠さなくてもいいよ。ていうかもうみんな分かってるし」

 

 由唯が笑顔で言った。それをあずさが唾を飛ばす勢いで否定する。そんなあずさを面白がって、レボ部の面々があずさをからかう。秀は放っておいたらいつまでもそのやりとりが続くような気がしたので、咳払いをしてから言った。

 

「椎名、フォルテシモ。ありがとな、助けてくれて」

 

 すると、あずさがレボ部の輪から抜けて、秀に近寄った。

 

「べ、別に、お礼言われるほどのことじゃないわよ……。でも、よかった。私にとって見ず知らずだったけど、助けたあんたが生きていてくれて」

 

「うん。私も、あずさちゃんと一緒にあなたを助けた一人として、とっても嬉しいよ」

 

 ユノが笑って告げた。

 

「あ、あのさ、あんた、上山……だっけ?」

 

 あずさが、少しモジモジしながら訊いた。

 

「ああ。そうだが、どうした?」

 

「え、えっと……」

 

 あずさは俯いて逡巡している様子でいたが、やがて決心したように顔を上げると、秀に手を差し伸べてきた。

 

「——レボ部に入らない? あたし、あんたとならこれまでよりもっともっと楽しくやれる気がするのよ。あんたもきっと楽しいと思うわ」

 

 秀は、あずさの手を見つめた。この手を取れば、あずさの言う通り、今までとは違う、楽しい日常が待っているのだろう。だからこそ、秀は手を取るのを躊躇った。ここでそうすれば、それはついさっき拒否したばかりの、逃げる、ということだろう。それに、あずさ達と共に行動することになれば、レボ部を巻き込んでしまうことになる。そして、青蘭島では、まだレミエルが落ち込んでいる。近しい人が沈んでいるときに自分だけ楽しい場所に行ったら、帰った時に彼女は何を思うだろうか。それを考えると、やはりレボ部には入らないのが良いと思った。

 

「悪い。気持ちだけ受け取っておく」

 

 秀が告げると、あずさは背を向け、顔を下に向けた。

 

「そっか。そうよね。初対面の人に勧誘されても、普通断るわよね」

 

「ごめん。だが、助けられた恩はいつか返す。絶対だ」

 

 秀はあずさの背に強く言った。あずさは何も言わない。

 

「それじゃ、俺は行く。またな」

 

 秀はそれだけ言うと、踵を返してカレンと共に歩き出した。

 

        ***

 

「あずさちゃん……」

 

 秀が去った後、ユノがあずさに遠慮がちに声をかけた。

 

「いいのよ。あいつが恩は返すって言ってくれただけで、あたしは満足できたから」

 

 あずさは俯いてしまっていた顔を上げ、無理な笑みをレボ部の皆に見せた。

 

「あーちゃん、無理しなくても……」

 

「そうばい! 無理はいかんね!」

 

「由唯とメルトの言う通り。辛かったら辛いってはっきり言った方がいい」

 

 由唯、メルト、シャティーが口々に言う。あずさは、嬉しくて涙が出そうになった。強がりで意地っ張りなこんな自分でも、レボ部の仲間たちは心配してくれる。それが、とても嬉しい。

 

「ありがとう、みんな。本音を言えば辛いわ。でも、まだ勧誘する機会はいくらでもあるわ。まだ、まだ終わらないのよ!」

 

 自らに言い聞かせつつ、あずさは告げた。自分が折れてしまわないように。

 

「うん、そうだね。あずさちゃんの言う通り。まだ諦めちゃダメだよ!」

 

 ユノが、あずさの言葉に続けて言った。それに、皆が頷く。意思は固まったようだ。

 

「じゃ、これからの方針が決まったところで、景気付けにいっちょ言うわよ! せーの!」

 

 レボ部の皆が、大きく息を吸い込んで、揃った声で、合言葉をはっきりと告げる。

 

——レボリューション!

 

        ***

 

 秀とカレンは、夜のSWEの街を歩く。その街並みを見て、秀が最初に感じたのは、まるでSF小説の世界に入ったみたいだ、ということだった。街は光の玉に照らされ、車は地に着いておらず、浮遊して走っている。広告は全てホログラムで、青の世界のように、壁にチラシが貼ってある、というような所はない。また、そこかしこにロボットやアンドロイドが闊歩している。それらより、人間の方が少ないだろう。とにかく、全てが人工的だった。

 

「どうですか? SWEの街は」

 

 カレンが何気ないように尋ねてきた。秀はそれに、率直な感想を返した。

 

「正直言って、凄いとは思うが住みたいとは思わんな。この、なんと言うか、全部機械に任せてしまえって空気が気に食わん」

 

「ここにいる人間にも、そんなことを言う人がいますよ。この世界はアンドロイド優先ですから、人間が不平を言うのは仕方ないと思いますが」

 

 そう言ったカレンが、秀には怏々(おうおう)として見えた。

 

「何かあったのか?」

 

 秀が尋ねると、カレンはこくりと頷いた。

 

「昔に一度、不満を爆発させた人間の一部が、EGMAを破壊しようとしたことがあったのですよ。当然、失敗しましたが」

 

「その後どうなったんだ?」

 

「何も変わりませんでした。EGMAは引き続き、アンドロイドとロボットによる支配体系を執ることにしました」

 

 カレンは、ため息まじりに答えた。

 

「なるほどな。それじゃ不平を言われる訳だ」

 

「ええ。ですから、またいつ反乱が起こるか分からないので、早急に対処する必要があるのですが、EGMAは頑なに動こうとしません。一体、何をしているのか……」

 

 最後の方だけ、淡々と話していたカレンの言葉に、感情がこもったように感じた。

 

「そんなことよりも、秀様」

 

 カレンが、口調を強めて話題を変える。

 

「本当に良かったのですか? レボ部の誘いを受けなくても。私は、本音を言えば受けて欲しかったです。影からでも護衛を付ければ、ジュリアを警戒する必要もなく、楽しい日常を過ごせたかもしれないのですよ?」

 

「コードΩ33……?」

 

 そう言ったカレンは、泣いていた。通行人が、何事かと秀たちを見てくるが、カレンは全くそれを気にしていないように続ける。

 

「私は、私は……! 先はああ言いましたが、本当は、あなたに、あなたに死んでほしくないのですよ! 人の死など、所詮は事象……。生命の宿命だと、分かっている筈ですのに、私は、あなたに生きていてほしいと、願うのであります……」

 

 カレンは、縋るように秀の服にしがみついてきた。これほど弱々しい姿を見せるカレンを、秀は見たことがなかったし、噂などでも聞いたことがなかった。セニアですら知らないだろう。本当にそうであるなら、カレンは、セニアに対する感情とは違う、秀を想う気持ちを持っていることになる。どう応えるべきか。秀自身は、まだそういう感情を持つに至っていない。しかし、それは秀の推測でしかない。正確性はない。だから、秀は「死んでほしくない」という気持ちに返事をすることにした。

 

「悪い。俺は、誰がなんと言おうと、あいつと戦うって決めたんだ。たとえお前や、レミエルが止めたとしても」

 

「そう、ですか……。分かっておりました。そういうことは。分かって、いたのです」

 

 カレンは、しがみつく力を弱め、俯いた。そのまま、しばらく沈黙が続いた。

 

「最初は、なんとも思ってなかったのです」

 

 ポツリと、カレンが呟きを漏らした。

 

「ですが、ジュリアと交戦した時、あなたが狼狽(うろた)えませんでした。そしてあなたは、強き意志を持って、ジュリアと戦うという道を選びました。そんな剛直なあなたに、私は惹かれてしまったのです」

 

 カレンは顔を上げた。その瞳は、涙に濡れていた。

 

「コードΩ33……」

 

「その呼び方は、お止めください。カレン、と、呼んでください」

 

「だけど」

 

「あなたは、私が涙を初めて見せた存在なのです。だから、個体識別コードではなく、名前で呼んでいただきたいのです」

 

「……分かった。カレン」

 

 秀は、カレンを体から離して、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて告げた。

 

「悪いが、俺はお前の想いに応えることはできない。俺は、まだ誰にだって、愛情を持ったことがないんだ。だから、ごめん」

 

 秀は、飾っていない、ありのままの本心を言った。すると、カレンはため息をついた。

 

「そう、ですか。分かりました。あなたが、誰かに愛情を抱くまで待ちましょう。それでは、行きましょうか」

 

「ああ」

 

 秀が頷くと、カレンは秀の隣に立って歩き出した。街の光が、とても眩しかった。

 

        ***

 

 カレンは、ある広い邸宅の前で歩みを止めた。

 

「そこに、専門家ってのがいるのか?」

 

 カレンは首を縦に振った。そして、インターホンを鳴らした。

 

「私です。鍛えてほしい人間がいるのです。……ええ。お願いします」

 

 会話が終わると、カレンは秀に向いた。

 

「残念ですが、私が付き添えるのはここまでです。あとは、あなただけで頑張ってください」

 

「うん。分かった。また、青蘭島でな」

 

 カレンはこくりと頷くと、名残惜しむように去っていた。秀はその背中を見送ると、門の前で、専門家とやらを待ち構える。どんな人だろうか。よく軍事映画などに出てくる、鬼教官のようなゴツゴツとした男なのだろうか。そんな思考を働かせていると、邸宅のドアが開いた。そこから姿を現したのは、秀の想像から、大きく外れた、背の低い、軍服らしき服に身を包んだ、金髪の一人の少女だった。

 

「ガキじゃねえか……」

 

 どう見ても自分よりも年下としか思えない少女を見て、秀は思わずつぶやいていた。

 

「ガキとはなんだ貴様。それが物を習う者の態度か!」

 

 その幼い姿とは裏腹に、威圧的な態度で彼女は歩み寄ってきた。

 

「私の名はサングリア=カミュだ。これから反吐が出るまで鍛えてやる。覚悟しておけ!」



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特訓

 カミュ邸で特訓を始めて、一週間経った。最初はランニングと筋トレのみだったトレーニングだったが、秀の、一晩中森を駆け抜け、青蘭島まで泳いでたどり着いた体力が、多少衰えていたとはいえまだ健在だったため、カミュのプランよりもかなり早くその段階を終わり、今はこれまでのものに加えてナイフによる近接格闘術の訓練を行っている。

 昼休憩に、陽気が降り注ぎ、そよ風が心地よいカミュ邸の芝生に座って、トレーニングウェアに身を包んだ秀はポソポソとした食感の、お世辞にも美味しいとは言えない、クラッカーのような形をしたレーションを口に入れた。

 

「やっぱり、不味いな」

 

「何が不味いだ! 私特製のレーションなのだから、ありがたく食え!」

 

 威圧的な言い方とは対照的に、まだ幼さのする声がした方を向くと、そこには不満げなカミュが腕を組んで秀を見下ろしていた。

 

「そのレーションは高カロリー、高栄養価の戦士として欠かせないものなんだぞ? それを文句言いながら食うとは、戦士になるものとしての自覚がないぞ」

 

「それはもう聞き飽きた。もう少し別の方便を考えてこい」

 

「教官に対して減らず口をたたくとは……! いつも我慢していたが、もう我慢できん! 貴様の実家の電話番号を教えろ! コレクトコールで親に文句を言ってやる!」

 

 ガキか、と思いつつ、

 

「別に構わんが……俺の実家に電話はないぞ?」

 

 秀が告げると、唾が飛ぶほど怒鳴り散らしていたカミュが、キョトンとして何も言わなくなった。数秒後、「え?」と聞き返してきた。仕方がないので、秀はカミュに自分の生い立ちを要点をかいつまんではなした。すると、カミュは今までの高圧的な態度とはうって変わって、急によそよそしくなった。

 

「いきなりどうした」

 

「いや、貴様の話を聞いたら、貴様の村の村人と、私の考えに通じるところがあってな……」

 

「そうなのか?」

 

 カミュは頷いた。

 

「私は、貴様の村の村人同様に、プログレスに、いや、正確にいえばアンドロイドとEGMAにだが、あまりいい感情を持っていない」

 

「SWEが、アンドロイド優先で統治されているからか?」

 

「平たく言えばそうだが……EGMAが、人間を少しないがしろにしているように感じるのだ」

 

 カミュは一つ息を吐くと、秀に向き直った。秀は、その瞳が、ひどく冷めているように感じた。

 

「実情を話せば、一般の人間には、SWEで職に就くのはほぼ不可能に近い。唯一なれるのは、私やDr.ミハイルのようにアンドロイドに携わる職か、ジャッジメンティス乗りかの二択だ。だがそれらも、EGMAによる選別からふるい落とされたらおしまいだ。その先には別の世界に出稼ぎに行くか、もしくは心中のどちらかしか待っていない」

 

「ふうん……。それで?」

 

 秀が訊くと、カミュは訝しげな目線で秀を見つめた。秀はため息をついて、もう一度聞き直す。

 

「だから、それでどうするんだよ。批判したからには改善のための手段も言わないといけないだろう」

 

 カミュは、間抜けな面のまま固まっていたが、ハッとして、慌てたように腕を組んで体をそらして言った。

 

「ふ、ふん! そのくらい考えてあるに決まってるだろう! さっきは貴様が突然聞いてきたから焦っただけだ!」

 

「ほう。じゃあその考えってのはどんなのだ?」

 

 秀が問い詰めると、カミュは困ったように露骨に目を逸らし、しどろもどろになって、

 

「い、いや、ちゃんと考えてあるんだぞ。だ、だ、だが、貴様にそれを、り、理解できるとは——」

 

「考えてなかったんだな」

 

 秀はカミュの言葉を遮るように言った。すると、カミュは顔を真っ赤にして、俯いて呟くように言った。

 

「わ、悪かったな、考えてなくて。……そうさ。考えてなんかいないさ。誰一人としてな」

 

 最後だけ、カミュは吐き捨てるように言った。それから、二人とも押し黙ってしまった。数分たって、秀は一刻も早くレミエルの元へ帰らないといけないのに、こんなことをしている暇があるか、と思い始めた。だから、いきり立って告げた。

 

「特訓、再開しよう」

 

「ああ。そうだな。……ふむ」

 

 突然カミュが考え込み始めた。そして、数秒の後、秀に告げた。

 

「よし、私を困惑させることができた褒美だ。特別に、今日中に私に一撃をいれることが出来たら、予定を早めて次の日から銃器の扱いを学ばせてやる」

 

「本当か!?」

 

 カミュの言ったことは、凄く素敵なものに聞こえた。予定を早めることができれば、レミエルの元に早く帰ることができるし、そうでなくとも、今の自分の実力を確かめることができる。そう考えると、カミュの偉そうな態度も、全く気にならなかった。

 

「よし、なら早速——」

 

「ただし、私は一切攻撃せず、貴様が仕掛けてから10分経ったら、一旦休憩だ。最低でも、その休憩は一時間以上とする。休憩が終われば、再び仕掛けてもよい。場所はどこでもよいこととし、回数制限は5回だ。今日の他の訓練のメニューは無しとする。いいな」

 

 はやる秀を諌めるようにカミュは告げた。秀は、気持ちを納めてから頷いた。

 

「では、貴様は、早速、と言ったな。では一回目を始めるか。私は避けるかいなすことしかしない。何処からでもかかってくるがいい」

 

 カミュが、挑発するように準備体操を始めた。。秀は、訓練用のラバー製のナイフを懐から出し、周りを見る。当然だが、辺りは芝生だ。足音もよく聞こえるし、また平らな土地になっているため、身を隠してからの不意打ちはできそうにない。

 

(じゃあ真っ向勝負、というわけか……)

 

 秀は、ジリジリと距離を詰めていく。カミュは、依然として呑気そうに準備体操をしている。更に一歩詰める。まだカミュは止めない。秀が一足跳びで飛び込んで刺突できる間合いまで、あと三歩ほどだ。二歩詰める。まだ止めない。

 

(これなら……!)

 

 秀は一歩詰めると、すぐさま右足で大きく踏み込んでナイフを突き出した。狙うは右の脇腹。このままいけば、確実に命中する。だが、左の伸脚に差し掛かっていたカミュはその姿勢から、右足の力だけで右に跳んだ。秀のナイフが空を突く。

 

「ッ! まだ!」

 

 秀は回避された直後に左足を軸にして方向転換し、踏み込み、カミュの胸元を狙う。今回も、そのままいけば一撃が入る。カミュは避けようともしない。秀の唇が勝利の確信を浮かべる。しかし、カミュは、ふん、と鼻を鳴らすと、秀の手首を右手で掴み、秀の勢いを利用して背負い投げをした。

 視界が反転する。秀は咄嗟に受け身をとる。背中に衝撃。受け身のお陰で大したダメージではない。すぐ立ち上がって、カミュに向かう。今度は一撃必殺にかける戦法ではなく、手数で勝負することにした。休むことなく、ナイフで突き、斬りつける。だが、それをカミュは、余裕の表情で避ける。秀が、疲れと命中しないのとで苛立ちを感じ始めていた頃、カミュが秀の足を払った。目前に地面が迫る。秀が芝生に倒れ伏した時、カミュが告げた。

 

「10分だ。一回目は残念だったな」

 

 秀は、地を思いっきり殴った。

 

        ***

 

 暗い部屋。その隅に、レミエルは両脚を抱えてうずくまっていた。もう、何日そうしていたか分からなくなっていた。日は経っても、心はあの日にあった。秀が目の前で、惨殺された日。真っ二つされていたのだ。確実に死んでいるだろう。

 

(私のせい、だよね)

 

 何度心でそう思ったか分からない。今のレミエルにあるのは、自責の念と後悔と絶望のみだ。

 

(私、何もできなかった。カレンさんを助けることも、レボ部の皆さんを手助けすることだってできたはずなのに、私はボーッと突っ立っていただけで、何も、しなかった……)

 

 手に力がこもり、掴んだ左手首に指が食い込む。痛かったが、秀が受けた痛みを考えると、屁でもなかった。

 

「……レミエル、居るか?」

 

 ドアの向こうからくぐもった声。ガブリエラのものだ。気怠かったが、とりあえず「はい」と返事をした。すると、ガブリエラが優しげな声で返してきた。

 

「早く出てこい。皆が心配しておるぞ」

 

「出てきて、何になるんですか」

 

 レミエルは、うずくまったまま答えた。突き放した言い方になってしまったことに言ってから後悔したが、まぁいいか、と思い直した。

 

「外に出たって、秀さんが甦る訳じゃないでしょう」

 

「そこにいても甦るものではないぞ」

 

 呆れたようにガブリエラは言った。

 

「分かってます。そんなことくらい。でも、皆さんがいて、秀さんがいない世界なんて、私は見たくないです。ならいっそ、ここでわたし独りでいた方が気が楽です」

 

 レミエルが告げると、暫く返答がなかったが、ガブリエラはやがて折れたように言った。

 

「分かった。その気になったら出てくるのだ。ではな」

 

 足音が聞こえ始め、遠ざかっていった。どうやら去っていったようだ。レミエルはすっかり安堵して、そのままの姿勢で眠りについた。

 

        ***

 

「どうでしたか?」

 

 曇り空の下、女子寮の玄関から出てきたガブリエラに真っ先にカレンが訊いてくると、ガブリエラは首を横に振った。

 

「ダメだ。全く部屋から出てこようとしないし、食事も取っているか怪しい。完全に府抜けている。テラ・ルビリ・アウロラに居たときよりも酷いかもしれぬ」

 

「それって、死なないの……?」

 

 カレンと共にレボ部を引き連れたあずさが尋ねる。その質問にはシャティーが答えた。

 

「赤の世界の天使なら、祈りの力があるから、飢えくらいならどうにでもなる。衰弱はするけど、死ぬことはない」

 

 シャティーの言葉にレボ部の面々が安心の息をつく。だが、シャティーは険しい顔で続けた。

 

「でも、やっぱり危険なのには変わりがない。だから、一刻も早くレミエルを部屋から出さないといけない。——ガブリエラ」

 

「何だ?」

 

「レミエルと親しいのは?」

 

 ガブリエラは、顎に手を当てて、少し考えてから答えた。

 

「上山秀を除けば、最も親しいのはユラであろうが、奴を呼ぶのは無理だ。赤の世界で誓いの女神としての役割がある。……仮に、呼べたとしても外に出せるとは思えぬがな」

 

 ガブリエラは、そう言うと疑惑の視線をカレンに向けた。

 

「汝はなぜ上山秀の生存を隠す? 知らせてやっても良いのではないか?」

 

 ガブリエラが問うと、カレンはため息をついた。

 

「秀様の生存を伝えたら、レミエル様は何がなんでもSWEに行き、秀様に会おうとするでしょう。今、秀様は大事な訓練の最中です。邪魔をさせるわけにはいきません」

 

「成る程。では、その訓練が終わったら伝えると、そういうことか?」

 

「いえ、何も伝えずに秀様に迎えさせるとしましょう。その方がレミエル様の喜びも大きいでしょうし」

 

 ガブリエラは、カレンの言うことに、思わず微笑してしまった。堅物として評判のカレンが、そのようなサプライズめいたことを考えるなど、夢にも思わなかったからだ。

 

「ならば、あれ(丶丶)もその時に渡してしまおうか」

 

 カレンが頷いた。それを確認すると、ガブリエラはレボ部の面々に向いた。

 

「汝らも、何か考えてやったらどうだ?」

 

 ガブリエラが告げると、唐突に話し掛けられたせいか、レボ部はあたふたしていたが、あずさがひとつ提案を出した。

 

「よし、鍋パーティーやろう!」

 

「さすがあーちゃん! 良いこと思い付く!」

 

 あずさの提案に、由唯が嬉しそうに指をならした。

 

「うん、いいね。私は賛成だよ」

 

「私も」

 

 ユノとシャティーが賛同の意を示す。

 

「はんばーぐは出るかとね? 食べれるなら、鍋パーティーやりたか!」

 

「メルトちゃん、はんばーぐなら由唯がたっくさん作るよ! だから鍋パーティーやろう!」

 

 ハンバーグが食べたいと騒ぐメルトに由唯が絡むが「ゆいは近づいたらだめけんね!」とぞんざいに扱われていた。ガブリエラは、その微笑ましい図を眺めていたが、一瞬瞑目すると、空を、白の世界の(ハィロウ)を見つめた。

 

(早く帰ってこい、上山秀……!)

 

 ガブリエラは、レミエルの部屋の窓に目を向ける。そこからは、閉ざされたカーテンによって、中をみることは出来なかった。

 

        ***

 

 4回目、カミュ邸の玄関で秀は、連撃の途中で、足をもつれさせて転んだ。疲労のお陰か、受け身に失敗し、床で後頭部を打つ。だが、すぐに立ち上がってカミュに攻撃しようとしたその時、カミュが勝ち誇った笑みを浮かべた。

 

「ちょうど10分経った。次が最後のチャンスだ。分かったな」

 

 カミュはそう告げると、彼女の寝室へと姿を消した。秀も、割り当てられた寝室に向かった。

 

 ドアを開けると、ベッドがひとつと、シャワー室のみがあった。壁や床は灰色。必要最低限のものしかない。トレーニングウェアを床に脱ぎ捨ててシャワーを浴びる。心地よい湯が汗を洗い流してくれる。

 無心で五分ほどシャワーを浴びると、秀は青蘭学園の制服に着替えた。やはり、着なれた服の方が、体が軽い気がした。固いベットに身を投げて、リラックスした後、時間を確認する。21時30分。次は、22時30分から始められる。が、秀は23時57分からラストを始めようと決めていた。その時刻から始めれば、当然3分しか時間がない。しかし、そこまで自分を追い込まねば、カミュに一撃を食らわすなど、できないように思えた。

 

 秀は、目を覚ました。どうやら寝てしまっていたらしい。時間を確認する。23時54分。すぐに跳ね起き、カミュを探しにいく。

 

(いた……!)

 

 カミュ邸内、台所にカミュを見つけた。時間もいいところだ。カミュは鼻歌を歌いながらコーヒーを作っている。足音を立てないように、慎重に近づく。

 

(この辺りか)

 

 カミュから七歩手前くらいで、秀は歩みを止めた。ナイフを取り出し、それをサーカスのナイフ投げの要領で、カミュの背中に投擲した。直撃コース。秀が勝利を確信していると、不意にカミュの鼻笑いが聞こえた。

 

「甘いな」

 

 カミュは、後ろを向いたままナイフを人差し指と中指で挟んで止めると、それを床に放って振り向いた。

 

「残り3分……なるほど、自分で自分を追い込もうという魂胆だな。その心意気は買って——おっと」

 

 秀はカミュの話を遮るように右の蹴りを食らわせようとした。それを、カミュは一歩下がって紙一重で避ける。秀はそこから、空振った右足を床に着け、それを軸にして左で回し蹴りを繰り出す。それを、カミュは体を屈めて回避し、更に転がって台所から出た。

 

「あと1分。さあもう後がないぞ」

 

 煽るようにカミュが言う。無視してナイフを懐から新たに取りだし、右手で掴んで息も吐かせぬほどの連続攻撃を仕掛ける。それを、カミュは涼しい顔で避けていく。

 

「20、19、18……」

 

 焦りを誘うためか、カミュがカウントを始めた。気にせずナイフ、左手、両脚、両肘、更には頭突きを使い、己の体の全てを武器としてカミュに攻撃していく。

 

「4、3、2……」

 

 もう時間がない。秀は、最後の一撃として、ナイフで右袈裟を、左拳で脇腹を狙って渾身の力を込めてカミュに一撃を与えんとする。だが、

 

「1、0。時間切れだ」

 

 カミュにナイフを左手で弾かれ、左拳を右の手のひらで止められた。その瞬間、秀は、体の力が急激に抜けていくのを感じた。

 

        ***

 

 カミュの目の前で、秀が崩れた。秀が両膝をつき、前に倒れそうになる体を両腕で支える。そして、秀は床を殴った。

 

「畜生! 畜生畜生……!」

 

 秀が、嘆くように言う。泣いているようにも思えた。

 

「俺の馬鹿野郎。勝たなきゃいけなかった。あいつのところに、早く帰らなくちゃいけないのに……。あいつを早く安心させてやりたかったのに……! くそぉ!」

 

「……一撃を私に加えられなかった以上、プラン通りに進むのには変わりない。だが——」

 

 本当は、オマケでもいいから銃の扱い方を、何か事情があるらしい秀に、早く教えてやりたかった。しかし、秀が十分に強くない以上、厳しくあるべきと、カミュは思った。だから、そのかわりにカミュは、立ち膝になって、垂れている秀の頭を持つと、腰を下ろしてそれを自分の膝に乗せた。

 

「よく頑張った。貴様のあの根性は素晴らしい。貴様は必ず良き戦士となれる。だから、安心して今は眠れ」

 

 カミュは、優しい声色で秀に告げた。

 

「仰向けになって、いいか?」

 

 秀が尋ねる。カミュは笑顔で頷いた。すると、すぐ秀は仰向けになった。目と目が合う。少し気恥ずかしい気持ちになったが、秀は全く動揺せずに訊いてきた。

 

「優しい顔、だな。お前はずっと、俺にそんな優しさを以て接してくれていたのか?」

 

「肯定していいのか分からないが、ひとつ言えるのは、私は、今までの訓練で、お前のことを第一に考えていた、ということだ。これを優しさというなら、そうなのかもしれないな」

 

 カミュは、秀の頭を撫でながら答えた。すると、秀は満足げに「そうか」とだけ返事をした。

 それから5分ほど、カミュは秀を撫で続けていたが、唐突に秀が口を開いた。

 

「お前の膝枕は気持ちいいな。このまま寝ていいか?」

 

 カミュは、心臓が飛び出るかと思うくらいどきりとした。それで、平静を装いつつ答えた。

 

「あ、ああ。構わんぞ……って、もう寝てるのか」

 

 喋るのを止めれば、秀の寝息だけが聞こえる。よっぽど疲れていたのだろう。つついてもくすぐっても起きない。

 

「今日くらい、私の部屋で寝させようか。そうだ、ついでに添い寝もしてやろう。そうと決まれば早速」

 

 カミュは秀を抱き抱えると、自分の部屋に向かって歩き出した。秀の寝顔を見る。いつものどこか冷めたような顔でなく、安らかで、穏やかな寝顔だった。カミュは、そのような顔を見ていたら、頬がほころぶのを、禁じえなかった。



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慕情

 秀は、仰向けで目覚めると、寝ているベッドがいつもと違うことに気付いた。普段のそれよりも、かなり柔らかい。肌触りも良いので、高級なものだろうと分かる。天井も、綺麗な白色だ。秀の自室のような、ひび割れた灰色ではない。直感で、ここはカミュの部屋だと分かった。膝枕で寝ていた自分を運んでいってくれたのだろう。

 ふと秀が顔を左に向けると、そこには柔らかな微笑を浮かべたカミュの顔があった。

 

「ようやく起きたか。もう10時だぞ。秀は寝坊助だなあ」

 

 秀は戸惑いを隠せなかった。まず第一に、カミュの態度がおかしい。今までは6時起床で、一分でも寝坊しようものなら拳が飛んできたものだ。それなのに、今日のカミュは10時まで、秀が起きるのを待っていたのだ。声色も、これまでの威圧的なものではなく、どこか優しい。それに、カミュが下の名前で秀を呼ぶのも初めてのことだった。

 とにかく、秀はベッドから出ようと、体を起こそうとすると、カミュに左腕を掴まれた。

 

「なんだ、昨夜のように甘えてこないのか」

 

 残念そうなカミュの声。それで、昨晩のことを思い出して、秀は顔を赤くした。あの時は特に何も感じていなかったが、今思い返せば、恥ずかしいことこの上なかった。

 

「あ、あれは、ああいう感じの感情を、向けられたことがなかったから……」

 

 取り繕って言ってみたが、声が上ずってしまった。

すると、楽しそうなカミュの笑いが聞こえた。

 

「照れてるのか? 可愛いやつめ」

 

 カミュは秀の前に回ると、秀を抱き寄せた。カミュはネグリジェを着ていた。秀は恥ずかしくて死にそうだった。

 

「は、離せ……」

 

「照れるな照れるな。今日の午前の訓練は無しにしてやるから、もっと甘えてこい」

 

 秀は解放を要求することでこの事態からの脱却を図ったが、腹をくくって、カミュの言う通りにすることにした。実際、カミュに甘えたいとも思っていたからだ。秀には、カミュが実の親のように感じ始めていた。今まで、親から、親らしい愛情を受けたことがなかった。だから、自分に色々なことを教えてくれて、面倒を見てくれたカミュは、母のように見えた。

 

「じゃあ、また膝枕させてくれ」

 

「好きなんだな、膝枕。しょうがない奴め。ほら」

 

 カミュが正座をして、秀が頭を乗せられるスペースを作った。そこに、秀はゆっくりと頭を置いた。

 

「やっぱり、気持ちいいな。ずっとこうしていたい」

 

「うーん、それは無理だ。昼飯を食べなきゃならん。食べ終わったら訓練を始めるから、それまで、な」

 

 カミュは、秀に甘えられることが嬉しいのか、口角を上げていた。そして、我が子を可愛がる親のように、秀の顔を撫でた。

 

「どうだ?」

 

「程よくくすぐったくて気持ちいい。そのまま続けてくれ」

 

「分かった」

 

 カミュが撫でるのを継続する。秀は、その快感に心を溺れさせていた。ずっとこの時間が続けばいいのに。そうも思っていた。だが、もちろんそんなことはなかった。カミュがそれとなく秀から視線を外して、部屋の時計を見た。

 

「おっと、もう11時か。飯を作らねばな。頭をどけてくれないか?」

 

 秀は、素直に頭をどかした。ねだろうかとも思ったが、カミュの迷惑になると考えたので、やめた。

 

「ああ、そうだ。今日の昼食はあの不味いレーションじゃなくて、私の手料理だからな。味は保証しよう」

 

「ああ、そりゃ楽しみだ……って、お前、不味いもの食わせてるって自覚あったのか!」

 

 秀は、少し憤慨してカミュに怒鳴った。カミュは、涼しい顔でそれに答えた。

 

「当たり前だ。あの程度の不味いものを毎食食べるくらいの根性がなければ、戦士としてやっていけない。それに、レーションがあるときはありがたい方だ。状況によっては、その辺の野草を食べて腹をみたし、泥水をすすって喉を潤さねばならないからな」

 

 秀は押し黙った。あのレーションも、カミュの思いやりの詰まったものだと分かったからだ。秀が感極まっていると、カミュは「ご飯が出来たら呼ぶから、適当にしてくれ」と言って、部屋から出ていった。

 一人残された秀は、しばらくボーッとしていたが、ふとあるものが目についた。クローゼットだ。白の世界のクローゼットは、中が亜空間に繋がっているため、そこまで大きくない。亜空間内で、ハンガーなどに服がかかっている、というものだ。大きさは、せいぜい縦、横、高さ五十センチ程度。形は立方体で、クローゼットの体積の大半を、亜空間発生装置が占めている。もっとコンパクトな亜空間発生装置もあるらしいのだが、それは戦闘用アンドロイドか、ジャッジメンティス乗りくらいしか使用が許されていない。そちらは500グラムもないくらいの重さだが、クローゼットや、その他の亜空間発生装置が使われている機械(冷蔵庫や、トイレなど)は、反乱が起きたときに容易に使えないようにするためか、100キログラムほどあるとか。並みの人間が持ち上げられる重さでないし、携行には不便だ。

 カミュのクローゼットの中身が、秀は気になった。軍服と、先程までようなネグリジェを着た姿しか見たことがないため、私服はどんなのだろうと思ったのだ。中を見てみると、秀は驚きあきれた。というのも、服が二種類しかなかったからだ。軍服とネグリジェ。それだけである。それらだけが、ずらりと並んでいる。

 

「あいつ、どれだけ私的のものがないんだ。俺でさえ、私服くらいはあるってのに。……うん?」

 

 秀は、亜空間の隅に、箱を二つ見つけた。見てはいけない、というような感じはするが、好奇心には勝てなかった。誘惑に負けて、クローゼットからそれらを引っ張り出してきた。

 二つの箱から感じる、異様なオーラ。秀はゴクリと唾を飲み込んで、恐る恐る、それらのうちの右側の箱を開ける。すると、そこから出てきたのは。

 

「ぶ、ブラジャー……。実物、始めて見たな……」

 

 飾りも何もない、いわゆるスポーツブラというものだろう。色は白い。非常にお粗末なものだ。だが、そのようなものにさえ、秀は興奮していた。しばらくそのブラジャーを凝視したのち、深呼吸を数回して、他のブラジャーも見てみた。しかし残念なことに、ブラジャーはすべて同じものだった。こういうことに徹底的に金をかけないでいるようだ。

 秀は、ブラジャーを戻すと、今度はもう片方の箱を開けた。中には、案の定、パンツが入っていた。全部白い安物のようだが、これにもやはり興奮せずにはいられなかった。だが、倫理的に、人の下着を勝手に見て興奮するなんていけないことだ、と思い直して、何回も深呼吸しながら、パンツを箱に戻して、二つの箱をクローゼットに戻し、クローゼットを閉めた。

 秀は一つ息を吐くと、床にあぐらをかいて座った。ぼーっとしていると、ふと、レミエルの顔が頭に浮かんだ。

 

(そういえばレミエル、大丈夫なんだろうか)

 

 レミエルと過ごしたあの一日が思い出される。たった一日だったけれと、それでもレミエルと過ごせて、楽しかった。ジュリアに殺されかけたことを考慮しても、今までで最高の一日だった。会いたい。レミエルに、早く会いたい。その思いだけが、加速していく。だがそれはまだ許されていない。まだ、秀はその資格がない。

 

(あいつに早く会って安心させてやるためにも、特訓、頑張らなきゃな)

 

 秀はいきり立って、大きく延びをした。そして部屋を出て洗面所に行き、顔を洗う。冷たい水が、心地よかった。洗面所から戻ろうとすると、

 

「昼飯できたぞー。早くテーブルに来い」

 

 カミュの間延びした声。秀は、駆け足気味に食卓に向かった。

 

        ***

 

「さあ、秀。召し上がれ」

 

 カミュがテーブルの上に置いたのは、大皿に山盛りにされた、オムライスだった。コンソメスープと思しきものが添えられている。

 

「青の世界の料理で、私が一番得意なものだ。遠慮しないで食べて欲しい」

 

 オムライス自体は学食で食べたことがあるが、このような形で食べるのは初めてだった。秀はそれらをまじまじと見つめていたが、腹が急に空腹を訴え始めたので、席について食べることにした。

 

「……いただきます」

 

 スプーンでチキンライスをオムレツごとすくって、ぱくりと口に入れる。

 

「美味いな。青蘭学園の学食よりもずっと美味い。これが家庭の味ってやつなのかな」

 

 秀は思わずそう呟きを漏らしていた。チキンライスのやや薄めのトマトソースの味と、オムレツの程よい塩味と甘みがマッチして、頰がほころぶような美味しさを感じた。

 

「美味しいか。そうか。ふふふ」

 

 秀の感想を聞いたカミュは、本当に嬉しそうに笑った。

 

「では、私も食べるとするかな。いただきます」

 

 カミュはそう言って自分の分のオムライスをテーブルの上に置いて、秀の向かい側に座って食べ始めた。

 

「うん。我ながらいい出来だ。……ところで秀」

 

「うん?」

 

「貴様が昨夜言っていた、“あいつ”とは誰のことだ?」

 

「レミエルっていう、赤の世界の天使だよ」

 

 秀は食べ物を口に含みながらカミュの問いに答えた。すると、カミュが、

 

「そのレミエルとかいう天使は、貴様の恋人なのか?」

 

 カミュの突飛な問いに、秀は思わず食べてるものを吹き出しそうになった。それを必死に抑えて、飲み込むと、カミュに怒鳴った。

 

「な、何をいきなり言うんだお前は!」

 

 対してカミュは、涼しい顔で言った。

 

「なんだ、違うのか? そんなことを言うくらいだから、てっきり周りの誰もが羨むラブラブカップルだと思っていたのだが」

 

「違う! 断じて違う! 俺とあいつには、αドライバーとプログレス以上の関係はない!」

 

 秀は、顔を赤くして、必死になって否定した。すると、カミュは面白がるように言った。

 

「おい、顔真っ赤だぞ〜? そういう関係でなくても、秀はレミエルとやらが好きなんじゃないのか?」

 

「それは違う」

 

 秀は断言した。確かにレミエルのことは心配だが、それはレミエルのパートナーとして心配しているだけであって、好きだから、ということではない。顔を赤くしたのも、そういう話題に慣れていなかったからだ。秀はそう自分に言い聞かせながら、そのことをカミュに告げると、

 

「ふうん……。まぁ、秀が言うのだから信じてやろう」

 

 と、ニコニコしながら食事を再開した。それから、秀は学園のことをカミュに話しながらオムライスを食べていた。

 

 一時くらいになって、

 

「「ごちそうさま」」

 

 秀とカミュは二人で一緒に手を合わせると、食器を皿洗い機にかけた。洗い終わると、カミュはそれをパッと片付け、秀に向いて言い放った。

 

「さあ、これで褒美の時間は終わり。特訓だ!」

 

        ***

 

 ナイフ訓練を始めて三週間ほど経つと、銃器の扱いも教わることになった。最初は組み立て分解から始まった。これはすぐにマスターできた。一週間も経つ頃には、代表的なものくらいは5、6分程度で組み立て分解ができるようになった。

 それと並行して、射撃訓練も行った。こちらもやはり、大方の銃は扱えるようにと、ハンドガンにマシンガン、アサルトライフル、ショットガン、スナイパーライフルの訓練を受けた。こちらは、今までで一番時間のかかった訓練だった。一ヶ月半ほどで、なんとか動き回る(まと)に当てることができるくらいにはなった。

 

        ***

 

 秀のスナイパーライフルの銃声が朝の青空に響き、弾丸が放たれた。その弾丸は、秀から1キロメートル離れた空中の的を穿った。秀はそれを見届けて、ふう、とため息をついた。

 

「よくやったな、秀」

 

 声がした方を向くと、満足げなカミュが腕を組んで立っていた。

 

「これで、最終試験までの訓練は終わりだ。私のところに来て約3ヶ月、よく頑張った」

 

 カミュは秀に近づいて、その頭をかき撫でた。秀は、気恥ずかしかったが、大そう心地よかったのでカミュにされるがままになっていた。秀にはそれが、親が子にするようにしているかのように見えた。

 

「さて、最終試験だが、リーナ=リナーシタというプログレスと模擬戦をしてもらう。制限時間は10分の、一発勝負だ。日時は今日の18時だ」

 

 カミュは手を離して告げた。その最終試験に合格すれば、レミエルのところに戻ることができる。絶対に合格しなければならない。秀は、カミュに力強く頷いた。

 

 そして18時少し前。秀は、カミュ邸の芝生に立っていた。相対するのは、長身長髪の少女、リーナ=リナーシタ。ジャッジメンティスの操縦士とのことだが、個人としての戦闘能力も高いとカミュが言っていたため、相手として不足はないようだ。装備は、お互いにハンドガン、ショットガン、マシンガンが一丁、刃に塗料が塗られたナイフが二本だ。それぞれ弾倉は一つだけで、ショットガンとマシンガンは、ポケットサイズの亜空間収納庫に入っている。

 秀は、リーナを鋭く見つめる。その一挙手一投足も見逃さぬという気で、ジッと見る。リーナも、秀を射抜くような視線で睨んでくる。

 秀の緊張が頂点まで高まった、その時。

 

「最終試験、始め!」

 

 カミュの合図。それと、秀とリーナが拳銃を抜いたのはほぼ同時だった。秀は懐から、リーナはホルスターから。お互いに獲物はSWE製の、実弾を使うハンドガン。ただし弾はペイント弾だ。軽すぎず重すぎない程よい重みがあり、撃ちやすいと評判のものだ。

 互いに同時に銃弾を放つ。リーナの弾丸が秀の右頬を掠め、秀の弾丸がリーナの右耳を掠めた。

 秀は自分の攻撃が致命傷に至らなかったのを確認すると、ハンドガンをリーナに向かって思い切り投げた。そして、それと同時に走り出し、リーナがハンドガンに気を向けた一瞬の隙に、リーナの左の脇腹に飛び膝蹴りを食らわした。リーナがよろける。秀はそこにさらにナイフで刺突しようとしたが——リーナは、すぐ態勢を立て直し、秀の伸ばした右腕がちょうど自分の肩に乗るように攻撃をかわすと、秀のその勢いを利用して、秀の手首を掴んで、背負い投げをした。背中を伝って、内臓に鈍い衝撃が走る。仰向けになった秀に、リーナがショットガンの銃口を額に突きつける。リーナが引き金を引くより前に、秀は転がってそれを避け、後ろに飛んで距離をとる。

 

(やはり一筋縄ではいかないな)

 

 秀は乱れた呼吸を整えると、マシンガンを亜空間収納庫から取り出し、リーナに向けて撃ちまくった。だが、リーナはそれを軽い身のこなしで躱していく。

 やがて、マシンガンの弾が底を尽きた。秀はマシンガンを投げ捨て、ショットガンに持ち替えたが、その隙に、リーナが秀の手からショットガンを蹴り飛ばした。

 

(ここだ!)

 

 秀は咄嗟に意識を切り替え、蹴って硬直しているリーナのさっきも蹴りを入れた脇腹に肘鉄を入れた。リーナが一瞬だけよろめく。さらにその隙に、ナイフをリーナの左胸に突き刺そうとしたが、リーナが左手でそれを掴んだ。秀がそれに驚いている間に、リーナがそのまま秀を引きつける。そして、先程のお返しとばかりに、秀の脇腹に拳を入れた。

 秀が後ずさる。そこに、リーナがハンドガンを突き付ける。リーナが引き金を引くと同時に、秀は屈み、そのまま前に跳躍。ナイフを突き出そうとした、その瞬間。

 

「10分経過! そこまで!」

 

 その声を聞いた瞬間、秀の体から力が抜けた。秀は芝生に手をついた。汗を滴らせ、荒く息を吐く。

 

「あなた、やりますね。αドライバーのくせに」

 

 凛とした女性の声。振り返ると、リーナが疲れなど微塵も感じさせない様子で佇んでいた。

 

「訓練したからな。元から強かったわけじゃない」

 

「そんなの分かってますよ。ただ、予想より強かったから、感心しただけです」

 

 リーナは素っ気ないさまで言う。

 

「では、私は任務がありますので、これにて失礼します」

 

 そう言って、リーナは歩き去ってしまった。入れ替わりに、カミュが近づいて来た。

 

「合格。いい模擬戦だった。リーナとあれくらいやれれば、一対一になってもそこそこ戦えるだろう。集団戦は、シュミレーターで何回もやったから、実戦で訓練を再現出来れば問題ない」

 

 秀は、その言葉に安堵した。帰れる。ようやく、レミエルの元に帰れるのだ。

 

「今日はゆっくり休め。いいな」

 

「うん。分かった。また、膝枕してくれるか?」

 

 きっと、してくれるだろう——希望を込めて聞いてみた。すると、いつか映画か何かで見た、幼子に対する母親のように、柔らかな笑みを浮かべ、

 

「本当に、甘えん坊だな。いいぞ、一晩付きっ切りで寝てあげる」

 

        ***

 

 夜。カミュは秀が寝たのを確認すると、自分の寝室に連れて行き、ベッドの中に入れた。安らかに眠る秀の寝顔に、カミュは思わず微笑した。暫く秀の寝顔を眺めると、秀に背を向けて電話をした。

 

「私だ」

 

『はい。なんの用でしょうか』

 

「上山秀はジュリアと敵対している。すなわち我々の敵となり得る可能性が高い」

 

『分かりました。もし、その時が来れば……』

 

「ああ、我々人間解放軍——いや、T.w.dの敵として、彼を殺す。いいな、リーナ=リナーシタ」

 

『了解しました。カミュ教官殿』

 

 電話の向こうの人間——リーナは、感情の抑揚のない声で言った。

 カミュは電話を切ると、秀に向き直った。そして、泣きそうになりながら告げた。

 

「ごめんな。今夜、側で一緒に寝てやるから」

 

        ***

 

 そして、翌朝。青蘭学園の制服を着た秀は、カミュと共に、白の世界の(ハィロウ)に来た。

 

「さあ、行ってこい、秀」

 

 カミュにそう促されたが、秀は行くのを戸惑った。

 

「どうした? レミエルを安心させてやるんじゃないのか?」

 

「そうだが……」

 

 秀は、門とカミュを交互に見た。門に入れば、レミエルの元に帰れる。だが、カミュのもとを離れることになる。

 

(子供が親元を離れる時って、普通こんな気持ちになるのか)

 

 秀は、そうだとしたら、経験しなければならないと思った。本当の親から離れた時は、本当にせいせいした。ためらいなど、欠片もなかった。だが、今はためらっている。暫く門の前で立ち往生していたが、やがてカミュに向いて告げた。

 

「俺は、あんたに本当に感謝してる。色んなことを教えてくれたし、弱かった俺を鍛えてくれた。ありがとう。行ってきます」

 

 母さん——その言葉を、かろうじて飲み込んだ。

 

「ああ、行ってらっしゃい……と、少し待て。餞別だ」

 

 カミュはそう言って、秀にポケットサイズの亜空間収納庫と、何かの錠剤を幾つかと靴を渡した。

 

「その中には、武器一式とフライトユニットと弾薬が入っている。弾薬はありったけ詰めておいたから、なくなることはほぼ無いだろう。その薬は覚醒剤だ。使うのは本当にヤバくなった時のみにしておけ。そして、この靴は、どんな高いところから落ちても、履く者が大丈夫なように出来ている。今すぐ履き替えておけ」

 

 秀は言われた通りに靴を履き替えた。履き心地はいい。

 

「じゃあ、行ってらっしゃい」

 

「うん、行ってきます」

 

 親子のようなやり取りを終え、秀は門に飛び込んだ。門を抜けた後に視界に広がったのは、懐かしい青蘭学園。青の世界はもう二月なせいか、冷たい空気を肌に感じた。

 どんどん地面が近づいてくる。落ちる地点は、どうやら中庭あたりのようだ。轟音を立て、土埃を舞わせて、足と地面が接触する。土埃が晴れると、見慣れた校舎がそこにあった。秀は、帰ってきたという実感を噛み締め、思わず告げた。

 

「ただいま、青蘭学園」



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秀の帰還

 快晴の冬の昼空の下、青蘭島の大地に降り立った秀は、そのまま女子寮のレミエルの元へ向かおうとした。だが、

 

「待ちなさい、貴方。学校敷地内への不法進入の疑いで、風紀委員会の執務室へ連行するわ」

 

 声がした方を向くと、そこには風紀委員の腕章を付けた何人かの生徒がいて、その中心に、声を掛けてきたと思われる人物、キヌエ・カンナミラがいた。彼女は、こちらを強い視線で睨んでくる。どうやら見逃してはくれないらしい。秀は、両手を上げて、降参の意を示した。

 

        ***

 

「上山秀。青蘭学園高等部1年2組。両親なし。保証人として、青蘭市警察署の仲嶺達也(なかみねたつや)巡査がいる。親しい友人なし。所属部活なし。所属委員会なし。学校敷地内の深夜徘徊で、警備員からの注意が一回。11月18日午後4時頃、ジュリアの襲撃により重傷を負い、SWEの病院に搬送された」

 

 風紀委員会の執務室で、キヌエは秀のデータらしき書類の内容を淡々と述べた。

 

「特に危害は無さそうなので、今回は厳重注意ということにするから、帰っていいわ。空から落ちて無事だったのも、その靴の仕掛けでしょう? SWEにはそういうものもあるという情報があるし、貴方への疑いはないわ」

 

 秀は、キヌエのその言葉にポカンとした。何かしら追求されると思ったのだが、あまりにもあっさりとしていた。

 キヌエは、呆気にとられている秀を鬱陶しげな視線で睨んできた。

 

「私たちは今、貴方なんかに構っている暇はないのよ。さっさと立ち去りなさい」

 

「ファントム絡みか?」

 

 ファントムというのは、仮面をつけたプログレスの犯罪集団だ。彼女らへの対策が、風紀委員での最も大きな仕事だ。実際、戦闘になることもあるらしい。

 

「違うわ。ファントムが絡む事件はここ一ヶ月近く起きていない。とにかく、あなたは関わらない方がいいことよ」

 

 キヌエの眼光に気圧されて、秀は慌てて退室しようとしたが、

 

「仲嶺巡査が、貴方のことを心配していたわ。行けるときに会いに行きなさい」

 

「……あ、ああ」

 

 先ほどとは打って変わった優しい声に、秀は戸惑いながら返事をして、退室した。すると、廊下に大きく張り紙が出されていることに気付いた。

 

「2月15日から行方不明。現在捜索中、か」

 

 張り紙には、二人の写真が貼ってあり、彼女らの捜索の協力願いが出されていた。今日は2月20日だから、5日間行方知らずになっていることになる。写真の2人は、片方がクルキアータ、もう片方がタイプX=01アン、とある。恐らく、自分に構っている暇がないというのは、このことだろう。

 

(まあ、今はレミエルに会いに行くことが先決だ)

 

 秀は、その張り紙を尻目に、今度こそ女子寮に向かった。

 

        ***

 

 秀が女子寮の玄関前に着くと、そこには秀が来るのを待っていたかのように、カレン、ガブリエラ、そしてレボ部の面々がいた。

 

「おかえりなさいませ、秀様。特訓は、終わりましたか?」

 

 カレンが微笑みかけてきた。すると、あの夜のことが思い出された。思えば、訓練に夢中で、カレンに対する答えを全く用意できていなかった。その事が気まずくて、思わずカレンから目線をそらしてしまった。

 

「どうしましたか?」

 

 カレンが、不思議そうに自分を見てくる。

 

「いや、あの時のお前に対する答え、何も用意できてないから……」

 

 秀がそう告げると、カレンは小さく笑って言った。

 

「大丈夫ですよ。私は、いつまでも待ってますから」

 

 そのカレンの笑顔は、秀には眩しすぎた。秀は、俯きがちになりながら、「……ああ」とだけ答えた。

 

「じゃ、じゃあ、行くぞ」

 

 ごまかすようにそう言うと、あずさに脇腹を肘でつつかれた。

 

「なに照れてんのよ」

 

「照れてない」

 

 秀は努めて冷静に答えた。すると、あずさはにやにやしながら見つめてきた。

 

「ふーん、まあそういうことにしておいてあげるわ」

 

(だから照れてないって)

 

 面白がるように言ったあずさに、秀は心の中で毒づいた。

 

「ああ、そうだ、上山」

 

 入れ替わりに、ガブリエラが声をかけてきた。彼女は、右手に鞄を一つ携えている。その鞄を、秀に差し出した。

 

「これを、レミエルに渡してほしい」

 

「なんだ、これ? 中、見てもいいか?」

 

 ガブリエラが頷いた。了承されたようなので、しゃがんで、開けてみる。すると、そこには綺麗に畳まれた、菱形の紋様や、フリル、リボンが目を引く、紫色の装束があった。また、ティアラに猫の耳みたいなものがくっついたような髪飾りもあった。

 

「服か。なんでこんなものを?」

 

彼奴(あやつ)が嫌でも戦わねばならぬ状況に置かれる可能性が高まったからだ。その服は、女神達が選りすぐりの素材で織った、世界に二つと無い、彼奴だけの戦闘装束だ。これを着ることで、彼奴の力を引き出すことが容易になる」

 

 そのガブリエラの言葉に、秀は疑問を覚えた。その疑問を、しゃがんだまま、秀はそのままにぶつけた。

 

「おい、ガブリエラ。この服は、レミエルだけのために織られたっていうのか?」

 

 秀の問いに、ガブリエラは呆れ気味に答えた。

 

「汝は私の話を聞いていたのか? そうだと言っただろうが」

 

「そういうことじゃない。わざわざそうする理由があるのか? 片翼っていう事以外に、あいつに何かあるのか?」

 

「ああ。彼奴は汝も知っている通り、あんな性格だ。周りから揶揄されただけで、自分は駄目な奴だと勝手に思い込んで、己の力を全て発揮できていない。いや、自ら封印してしまっている。これは、それを少しでも解くためのものだ」

 

 ガブリエラもしゃがんで、紫色の装束を触る。

 

「これにはある種の魔法が最初から掛けられていてな。それだけでも十分レミエルの力を引き出せるが、リンクすれば、更に引き出せる。奇跡すら起こせるかもしれんぞ」

 

「……奇跡」

 

 秀は考える。レミエルにとっての奇跡を。彼女が奇跡だと思う、最高のことは——。

 

「レミエルが、飛べるようになる可能性も、あるのか?」

 

「あるかもしれんな。もしそうなったら、その姿、見てみたいものだ」

 

 ガブリエラは、空を見つめて答えた。秀も空を見つめ、レミエルが空を飛ぶ姿を想像する。レミエルが、双翼を羽ばたかせ、飛ぶ。きっと、一生忘れられない、素晴らしい笑顔を浮かべていることだろう。嗚呼、なんと美しいことだろうか。なんと嬉しいことだろうか。

 

「じゃあ、飛べるようになるかはともかくとして、さっさとあいつを部屋から出してやるか」

 

 秀は、鞄を閉じ立ち上がって、歩み出した。

 

        ***

 

 秀は、皆に案内されてレミエルの部屋のドアの前にたどり着いた。秀の住む男子寮と違って、部屋は屋内にあり、部屋のドアとドアで通路を挟んでいて、それが5階ほどまである。レミエルの部屋は、その2階にあった。

 秀はドアノブを捻って開けようとしたが、案の定鍵がかかっていた。

 

「鍵がかかっているか……。おーい、レミエル!」

 

 呼びかけてみるが、返事がない。何度も呼んでも、ただ秀の声が響くだけで、レミエルの声はなかった。

 

「おい」

 

 秀は、振り返って、カレン達を睨みつけた。

 

「レミエルは生きているんだろうな」

 

「その点については問題ありません。この部屋の中から、生体反応も確認できています」

 

 カレンは諭すように言った。

 

「そうか。なら、開けるか」

 

 秀は、亜空間収納庫からハンドガンを取り出した。サイレンサーを付けてから、弾を込め、銃口をドアノブの脇に付ける。

 

「ちょっと、なにそれ!?」

 

 あずさが慌てて聞いてきた。秀は、それにあずさの顔を見ずに答えた。

 

「見て分からないか? 鍵を壊すんだよ」

 

「そういう意味じゃないわよ! なんであんたがそんな物騒なもの持ってんのよ!」

 

 あずさは秀の持つハンドガンを指差して言った。秀は、呆れながら深くため息をついた。

 

「これは、SWEでの訓練終了の証だ。俺の恩師が、これをくれたんだ。俺に、戦う力を与えるために」

 

 秀は、カミュと共に過ごした時間を思い出しながら告げた。すると、あずさは急にしおらしくなって、

 

「れっきとしたわけがあるのね。ごめん、怒鳴ったりしちゃって」

 

「分かってくれればいいさ」

 

 秀は、あえて素っ気なく答えて、意識をハンドガンの方に切り替えた。一瞬だけ思考を止め、無我の境地に入る。余計な考え事は一切切り捨て、引き金を引くことだけに集中する。それは、相手が何であろうと関係ない。

 

「——ッ!」

 

 サイレンサーによって抑えられた銃声。それと共に、空薬莢が、軽く音を廊下に響かせて落ちる。ドアの方は、ロックされている部分が、抉られたように破壊されている。それを確認すると、秀はハンドガンをしまい、左手に鞄を持ち、ドアを開けた。

 真っ暗な部屋に、廊下の電気の光が差し込む。それが照らし出した、一番奥に、レミエルはいた。皺くちゃの制服を着て、ベッドの上で、膝を抱えてうずくまっている。ドアが開いたことにすら気付いてないのか、レミエルは全く動かない。秀は、部屋の床に鞄を置くと、彼女に近付き、その肩を揺さぶりながら、出すことのできる声色で一番優しい声で言った。

 

「おーい、レミエル。起きろ」

 

 何回か揺らしてやると、ようやくレミエルはその顔を上げた。久しぶりに見るその顔は、大分痩せこけていて、秀をぼんやりと見つめる蒼の瞳は、深い海の底のように、暗く沈んでいた。秀は、できる限り微笑んで、レミエルを見つめ返した。そのうちに、レミエルの目に光が宿ってきた。そして、ぽろぽろと涙を流しながら、何かを言おうとするように口を動かすが、それは言葉になっていなかった。何秒か経って、やっとレミエルが声を出した。

 

「……秀、さん……?」

 

「ああ。俺だ。お前のαドライバーの、上山秀だ」

 

「生きて、いたんですか……?」

 

 レミエルの言葉に、秀は苦笑した。

 

「勝手に殺すな。俺はこうしてお前の前にいるだろうが」

 

 秀が言うと、レミエルはしばらく驚いたように瞠目していたが、

 

「生きてる。秀さんが、生きてる!」

 

 喜びに満ちた声。レミエルは、か細い体で秀の体に抱き付いてきた。秀は、その重みを全く感じなかったことに驚いた。言葉通り、抱いたら折れてしまいそうだった。だが、それでも秀は、レミエルの背中に手を回した。

 

「秀さん、秀さん!」

 

 レミエルは、秀の顔の横で泣きながら秀の名を叫ぶ。秀は柔らかく笑って、

 

「ああ。俺はここにいるぞ」

 

 レミエルは抱く力を強めた。殆ど骨と皮だというのに、それには確かに力が込められていた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 

 レミエルは、嗚咽しながら謝る。秀は、それを最後まで聞くことにした。

 

「私、何もできませんでした。あの時、私だって何かしてたら、秀さんに大怪我を負わせずに済んだかもしれないのに!」

 

「そうだな。でも、それを言うなら俺だって、あの時ジュリアにカレンに俺が力を貸していることを気取られた。だから、お互い様だ」

 

「でも!」

 

 秀は、反駁するレミエルの顔を正面に持ってくると、

 

「止めよう。せっかく3ヶ月ぶりに会えたんだ。謝ってばかりじゃなくて、笑おう」

 

 レミエルはしばし目を丸くしていたが、やがて、

 

「はい」

 

 と、泣き笑いを見せた。それを確認すると、秀はレミエルから手を放して告げた。

 

「そうだ。お前にプレゼントがあるんだ。そこの鞄の中にある。受け取ってほしい」

 

「プレゼント……。はい、分かりました!」

 

 レミエルは、無邪気に鞄に近付き、それを開けた。

 

「服ですか。これ、雑誌とかでは見たことないですね。秀さんが作ったんですか?」

 

「まさか。俺にはこんなもの作れやしないさ。なんでも、女神達が選りすぐりの素材で織った、お前のための戦闘装束とかなんとか」

 

「……私の、ため」

 

 レミエルは呟くと、鞄からその服を取り出した。そして、顔を赤くして消え入るような声で、

 

「あの、着替えるので、部屋から……出て行ってもらえませんか?」

 

 秀は、言われるままに部屋を出た。入れ替わりに、女性陣がぞろぞろと部屋に入る。その時、ガブリエラが一瞬だけ目配せをしてきた。その目線は、どこか鋭いものがあった。秀には、その意味がよく分からなかった。

 待つこと数分、部屋に入る許可が下りたので、秀は部屋の中に入った。すると、すぐ目の前にさっきよりも顔を赤くしたレミエルがいた。先ほどまでの制服とは違い、例の薄紫色の衣装を身にまとっている。服の構成としては、ワンピースのような感じで、腰から出ている足首まであるスカートは、前が開けていて、一応短いスカートがあるものの、太ももが殆ど丸見えになっている。レミエルが顔を真っ赤にしているのはそのためだろう。靴はブーツのような感じで、服と同じ薄紫色だ。また、袖は分割されていて、二の腕が見えてしまうような格好になっていて、頭には、例のティアラのような髪飾りをつけている。

 

「あの、似合って……いますか?」

 

 レミエルが、恥じらいを感じさせる声で訊く。

 

「うん。とても」

 

 秀は、感じたことを素直に言った。すると、レミエルは嬉しそうに目を細めて、

 

「ありがとうございます……! えへへ」

 

 そう頬を綻ばせるレミエルを見ていると、秀も幸せな気分になってきた。

 

「着心地はどうだ、レミエル」

 

 ガブリエラがレミエルに尋ねた。

 

「ええと、なんだかよく分かりませんが、力がみなぎってくるような気がします」

 

「そうか。では、もう一つ訊くぞ。レミエル、汝は、ジュリアとやらと、戦うつもりか?」

 

 レミエルは、真摯な表情で頷いた。すると、ガブリエラは、険しい表情で、

 

「では加えて訊こう。汝は、人を殺す覚悟があるか?」

 

 ガブリエラの言葉で、その場に重苦しい沈黙が出来た。

 

「こ、殺す覚悟って、何よ……? アタシたちプログレスの力は世界を救うためにあるのよ!? 人殺しをするためじゃないわ!」

 

 口を開いたのはあずさだった。ガブリエラは、彼女を冷たい目線で睨んだ。

 

「汝は関係ないだろう。命が惜しくば余計なことに関わらぬことだ」

 

 きつく言われ、唇を噛むあずさを、ガブリエラは一瞬見て、すぐレミエルと向き合った。

 

「さて、答えは出せるか?」

 

「はい。私の答えは、もう決まっています」

 

 レミエルが、藍玉の瞳を真っ直ぐにする。秀は、唾を飲み込んだ。適当な答えは、一つに決まってしまっている。仕方ないとはいえ、レミエルの口からは、そのような言葉を聞きたくない。そのようなことを言うのは、自分の役目のはずだ。

 

「私は、色々な人に迷惑をかけました。引きこもっていた3ヶ月間も、それより前も。だから、私が誰かを殺す事が、他の誰かの役に立つというのなら、せめてもの罪滅ぼしとして、私は悪鬼にだってなってみせます」

 

「そうか。分かった。上山はどうなんだ?」

 

 ガブリエラは秀に向き直って訊いた。

 

「その覚悟ならできている。だが、ジュリアのように、殺らなきゃ殺られるような相手なら、の話だがな」

 

 秀の言葉に、ガブリエラは満足気に頷いた。

 秀は、彼女に対し気になる事があって、訊いてみることにした。

 

「なあ、ガブリエラ」

 

「うん? どうした?」

 

「さっきあずさに関係ないとか言ってたが、それを言うならお前もじゃないか?」

 

 ガブリエラは、秀にため息をついて返答した。

 

「能力のある者が、知人の命が危険なときに手を貸さないでどうする。指を咥えて見ていろとでも言うのか?」

 

 ガブリエラの言ったことは、もっともだと秀は思った。確かに、秀でもガブリエラ並みの力があれば、そうしていただろう。

 

「では、こうして意見も一致したことですし……あずさ様」

 

「え、アタシ!?」

 

 カレンに突然呼ばれ、あずさがたじろぐ。

 

「腹ごしらえといきましょう。鍋、よろしくお願いしますよ」

 

        ***

 

 レミエルの部屋の中心に、カセットコンロの上に置かれた鍋の中の汁が、ぐつぐつと音を立てている。鍋の具は、ニラやモヤシとモツだ。

 

「そろそろいいわね。じゃあ、せーの」

 

 皆で、いただきます、と唱和する。秀は、れんげで具をすくって取り皿に入れる。口に入れてみると、普通に美味しかった。可もなく不可もなく、といったような素朴な味だが、カミュのところで食べさせられたレーションに比べれば抜群に美味しい。

 皿を置いて周りを見てみると、レボ部は、あずさとユノは普通に食べていたが、由唯はメルトと密着しそうな距離で食べていて、メルトは、由唯をうっとうしそうにしつつ、なぜかメルトのところにだけある、ハンバーグを鍋を無視してばくばくと食べている。カレンは腕以外動かしていないし、ガブリエラは周囲がくだけた座り方をしている中、彼女だけ正座をしている。そしてなにより、今日渡した服を着たままのレミエルが、思いの外勢いよく食べているのが意外だった。秀がその様をじっと見ていると、その視線に気付いたのか、レミエルは頭を掻きながら、照れたように笑った。

 

「3ヶ月近く、ほとんど何も食べてなかったので……。あはは、お恥ずかしい話です」

 

 その笑顔は、本当に素敵だと思った。レミエルは自分にとって特別な存在だと、秀は初めて思った。レミエルに対して、自分のプログレスだとしか感じていないと思ったが、それは違ったのかもしれない。あるいは、久しぶりに会って、レミエルに対する気持ちが強くなっただけなのかもしれない。どちらにせよ、レミエルが、今の秀の中で一番大事な人だった。

 

(多分、カミュよりも、俺はレミエルを大事に想ってるんだろうな)

 

 そう思うと、カミュのことが思い出された。別れたのはほんの今朝なのに、もう何日も前のように思える。この場にカミュもいたら、どれだけ良かったろうか。さらに達也もいたら、どんなに幸せだろうか。だが、それは叶わぬ願いだ。カミュに今会いに行く訳には行かないし、達也は警察官の仕事が忙しい。いつか会わないといけないが、それはジュリアの一件が片付いてからにしようと思った。下手に会ってジュリアの事件に巻き込まれでもしたら、そちらの方が迷惑になるからだ。

 

「……秀さん?」

 

 秀が気がつくと、レミエルが自分の顔を覗き込んでいた。レミエルの顔と秀の顔は、凄く近くなっていた。その距離は10センチメートルもないだろう。胸の鼓動が高まる。秀は、顔が紅潮していくのを感じながら、

 

「なんでもない」

 

 と顔を体ごと逸らした。すると、変に体を逸らしたせいか、秀は倒れそうになってきた。慌てて何か掴むもの——レミエルの手首を掴んで立て直そうとしたが、掴んだ時に、レミエルも倒れてきた。それにびっくりして、秀は態勢を立て直すことが出来ずに、レミエル共々倒れてしまった。秀が仰向けに倒れ、レミエルがうつ伏せに秀の上に倒れた。

 

「……」

 

「……」

 

 レミエルの顔がすぐ近くにあった。ちょっと顔を上げればキスできそうな、そんな距離だ。それと、レミエルの小さな胸が、秀の胸板に当たって、結構性的な快感を感じた。

 

「あの、秀さん……」

 

 レミエルが、顔を茹でダコのように真っ赤にして訊いてきた。

 

「な、なんだ?」

 

 秀も、心臓をばくばくさせて答えた。すると、レミエルは言いづらそうに、

 

「あの、その……。ええと、秀さんの、お、お、お……いえ、こ、股間が……ぼ、ぼ、ぼ、ぼ」

 

 その時、秀の心の中に、レミエルをちょっとからかいたいという、いたずらごころが生まれた。あえて表情を消して、秀は訊いてみる。

 

「ぼ?」

 

「ぼ、ぼ、ぼ、ぼぼぼ勃起を! ……なさっている……よう、ですぅ……はうぅ……」

 

 秀は口元が緩むのを抑えるのに必死になった。まさかレミエルの口からこんなに卑猥な言葉が聞けるなんて思っていなかった。言わせたのは秀だが。本当は、何かを言いかけたのも追求してやりたかったが、そこまでいじめるとレミエルが拗ねそうだったので止めた。

 

(しかし、かわいいじゃないか。下ネタで弄ってやるのもいいかもしれないな)

 

「ふむ。分かった。で、なんでわざわざそんなこと言ったんだ?」

 

「え!? いや、その、えと、えと、照れ隠し……です……」

 

 秀は、その答えは想像していなかった。もっとも、答えを特に想定していなかったのだが。だとしても、この答えは意外だった。照れ隠しでああいうことを言うのだとすれば、レミエルはあのことを言うこと以上に恥ずかしさを感じていたということになる。

 

「照れ隠しって、なんの照れ隠しだ?」

 

「いや、その……はうぅ」

 

 どうやらレミエルの口からは聞けないようだ。秀は、思い当たったのを言ってみることにした。

 

「まさか、お前も興奮したのか?」

 

「……はい。恥ずかしながら、全くもってその通り……ですぅ」

 

 そう言い切ったレミエルが、火照ったような顔で、何かを求めるように秀を見た。

 流石に、秀もその視線には応えようがなかった。すると、レミエルの目線とは別の、異様な威圧感を持った目線を、いくつも感じた。体を少し起こして周りを見てみると、ユノとメルトを除いた全員が、秀を形容しがたい迫力で見下していた。ユノはオロオロしていて、メルトはどんなことが起こっているのか分かっていないようだ。

 

「失望しました、秀様。いえ、駄犬様。まさか貴方が、あのような卑しいことを純真なレミエル様に言わせるとは……」

 

 と、カレン。

 

「汝を見込んだ我が馬鹿であった。汝をレミエルの側にいさせていると、何をしでかすか分かったものではない。よって処罰を与える」

 

 と、ガブリエラ。

 

「最低よ、アンタ。アンタなんか、レボ部に入れさせるものですか」

 

 と、あずさ。

 

「あずさに同意する。信頼しようと思ってたけど、してあげない」

 

 と、シャティー。

 

「アンタ、メルトちゃんの前で何卑猥なこと言わせてんのよ! メルトちゃんの教育に悪いでしょ!」

 

 と、一人だけ三人と怒るところが違う気がする由唯。

 四人に詰め寄られ、もはやこれまでか、と思ったその時、ドアが勢いよく開けられた。その場の空気がリセットされ、皆がドアに注目する。その隙に秀とレミエルは離れた。ドアには、眼帯をし、黒を基調としたグリューネシルトの軍服を着た、右肩から血を流して荒く息をしている少女がいた。

 

「助けてくれ……! アインスが、風紀委員の皆が!」

 

 少女は、悲痛な声で叫んだ。ガブリエラが駆け寄り、左肩に手をついて告げた。

 

「落ち着け。焦って主張しても、何も状況は変わらんぞ」

 

「あ、ああ。その通りだな。済まない。私としたことが、彼女らの身を案じるあまり、取り乱してしまったようだ」

 

 ガブリエラに諭され、少女は先ほどまでの姿からは考えられないほど、毅然として言った。

 

「私は、グリューネシルト統合軍所属、ユニ・ジェミナスだ。貴殿らの力を借りたく思い、ここに参った」

 

「何があった?」

 

 秀は尋ねた。ユニは頷くと、この場にいる全員に向かって話し始めた。

 

「順を追って話そう。まず、例の失踪事件について、実験棟に事件に関わった可能性のある人物がいる、という情報が入った。その名をジュリアという。貴殿らには馴染みの深い名だろう」

 

「ジュリアは実験棟から動いていないようですね。貴方に関しての捜査が行われていないはずがありませんのに」

 

 カレンが耳打ちしてきた。秀は、それに小さく首を縦に振った。

 

「そのようだな。多分、風紀委員に立ち入られた時には行方をくらましたんじゃないのか。暫くして戻ってきて、失踪事件を起こしたんだろう」

 

「恐らくそうでしょうね。……話の続きを聞きましょう」

 

 カレンに言われ、秀はユニに顔を向け直した。

 

「それで、上山秀の事件もある。問答無用で成敗することになった。それで、そのための部隊というのが、キヌエ委員長を隊長に、私と、アインス・エクスアウラ。あとは、L.I.N.K.sの五人だ。今日、上山、貴殿が去った後に、これらのメンバーで立ち入って、ジュリアを発見した。それからは、情けないが、色々驚くことばかりだった」

 

        ***

 

「貴方が、ジュリアね」

 

 実験棟の廊下。キヌエは威圧感を放ちながら、ジュリアに歩み寄った。他の風紀委員も、強張った顔で戦闘態勢をとる。対し、ジュリアは臆しているそぶりを全く見せずに、薄笑いを浮かべて、

 

「あら、怖いわね。そんなにあの二人が気になるのかしら?」

 

「やはり、関係があるのね」

 

「関係も何も、当事者だもの。知ってて当然でしょう?」

 

 全く自分の罪を隠そうとせず、堂々とひけらかすジュリアの姿に、皆は驚きを隠せなかった。

 

「あの二人なら、もうとっくに壊したわよ。クルキアータとアンは厄介だから。過程を省略するだの、概念を砕くだの、厄介にもほどがあるわ」

 

「貴方は、何が目的!?」

 

 キヌエが、威嚇のために電撃を一瞬放った。ジュリアは、ため息をつくと、今までの笑みを消して告げた。

 

「——私はただ、死にたいだけよ。だけど、せめて私の才能を認めてくれた彼らのために、一仕事するだけ。……行くわよ」

 

 ジュリアが人形を飛ばした。数は五体。それぞれが、手に斧を持っている。キヌエは、それを電撃で全て焼き尽くした。そして、風紀委員の腕章に手をかける。

 

「ブルーミングバトルフィールド、展開」

 

 しかし、フィールドは発生しなかった。何度やっても、それは同じことだった。その様をじっと見ていたジュリアは、本当におかしなものを見ているかのように笑い出した。

 

「馬鹿ね。ここにはフィールドを打ち消す結界がすでに張ってあったのよ。そんなものに頼ることでしか戦えない貴方達など、私の足元にも及ばないわ!」

 

「そちらこそ、人形に頼らなければ満足に戦えないくせに、よく言うわ。ジェミナスとエクスアウラ、サナギはジュリアを挟撃、日向、ルビー、ソフィーナ、はサポートを。コードΩ00は、私の合図で仕掛けて」

 

 ユニとアインス、サナギは、了解、と返すと、駆け出した。ユニは、アインスが仕掛けるのと同時に光線鞭、フラゲルムノウンをジュリアに放った。ジュリアが、防御のために人形を魔法陣から出して周囲を固めた。その守りは固く、アインスの、敵を永遠に追尾するナイフ、ミリアルディアですら、防御を突破できないでいた。マユカもそこに、グリム・フォーゲルによる銃撃を加えるが、焼け石に水だった。と、その時、ソフィーナが炎弾を放った。それは、美海が発生させた風と、ルビーの魔法により、かなり強力になっているようだった。それは、ジュリアの人形を数体燃やしただけだったが、一瞬だけ、確かな隙間ができた。それを、キヌエは逃さなかった。

 

「今よ!」

 

 キヌエは叫ぶと、手に赤き雷を纏わせ、ジュリアに向かって跳躍した。人形と人形の間にできた隙間に入った。また、その時ユーフィリアの姿が消えたかと思うと、ジュリアの脇に突如現れた。キヌエとユーフィリアが同時に拳を入れる。これが決まれば、かなりの大打撃になる。

 と、その時、ユニは、ジュリアの口角が微かに上がったのを視認した。すると、ジュリアがユーフィリアを蹴飛ばしつつ、キヌエの拳を回避し、その右手首を掴んだ。

 

「こんなのが風紀委員最強の力かしら? 貴方一人でこの程度なら、αドライバーでも連れてこれば良かったじゃない。もっとも、それを考慮しても、カレンの方が早かったけどね」

 

 キヌエの顔が歪むのが見え、骨が軋む音が聞こえた。恐らく、ジュリアはキヌエの手首を握り潰そうとしているのだろう。

 

「人形に頼らなければ満足に戦えない? 思い込みも程々にすることね。己を過信して、不用意に突っ込んできた貴方の負けよ。後悔の中で死になさい」

 

 ユニとアインスが、やらせるまいとそれぞれ攻撃をしたが、人形に阻まれてしまった。

 ジュリアは、そう攻撃を防ぎ、キヌエの手首を潰した。ぐしゃっ、と、血が飛び散る。そして、ジュリアは空いているもう片方の手で、キヌエの左胸を手刀で刺し貫いた。

 美海の顔が真っ青になった。ソフィーナは呆然としていて、ルビーは口元を押さえていた。マユカも瞠目している。ただ、ユニとアインスは、役職上、このような場面は山ほど見てきたため、冷静さを保つことができた。

 ジュリアは、キヌエをまるでゴミのように廊下の隅に捨てると、ユーフィリアの方に向かった。ユーフィリアは、先の蹴りで右肩が破壊され、殆ど戦えなくなっていた。

 

「やらせ、ない!」

 

 突如、冷静さを欠いたように美海が駆け出した。それに、ソフィーナとルビーも続く。

 

「待て! 早まるな!」

 

 ユニが注意するが、美海たちは聞かなかった。美海が剣で、ジュリアの人形の壁を切り裂いて突破し、背後から突こうとしたが、その剣が止まった。

 

「どうしたの? 背後を取った今、貴方は私を突き殺す絶好の機会なのよ?」

 

 ジュリアが不思議そうに美海に訊いた。

 美海の手は震えていた。顔からは汗が大量に垂れている。明らかに、殺すことをためらっていた。

 美海の様子に、ジュリアがため息をついて告げた。

 

「友達を助けるのに人一人殺せないなんて、脳が幸せなのね」

 

 ジュリアが嘲るように言うと、美海の腹に背後蹴りを入れた。美海が悲鳴の代わりのように血を吐き出し、飛ばされた。ソフィーナが彼女を受け止めようとしたが、ともに吹き飛ばされてしまい、壁に激突した。

 

「美海! ソフィ——」

 

 そう叫んだルビーの声が途絶えた。斧を持った人形に左肩を切られたのだった。ルビーは力を無くしたように床に落ちた。

 これらの光景を見たユニは、深呼吸をしてアインスに尋ねた。

 

「アインス、マユカ。救援は呼べるか?」

 

「無線が使えない。呼びに行かないと」

 

 アインスが答えた。マユカの方を見ても、彼女は首を振った。

 

「分かった。じゃあ、アインス。悪いが行ってきて——」

 

「ユニが行って。ユニのフラゲルムノウンより、私のミリアルディアの方がこいつに強い」

 

 アインスはユニの言葉に重ねるように言った。確かに、ただひとつの鞭であるフラゲルムノウンよりは、手数のあるミリアルディアの方がジュリアに対して有効だろう。そう考え、ユニはその言葉に従うことした。

 

「わかった、アインス、マユカ。任せたぞ」

 

 ユニは、振り向きざまにアインスが頷いたのを確認して、全速力で走り出した。

 

「行かせないわよ」

 

 ジュリアの声。何かが飛んで来る。

 

「ミリアルディア!」

 

 アインスの叫び声。弾かれるような音がしたかと思うと、その弾かれたものが、ユニの右肩に刺さった。ユニは、その刺さったもの——斧を抜いた。恐らく、アインスが弾いてくれなければ、脳天を真っ二つにされていたことだろう。アインスに感謝しながら斧を捨てると、また走りだし、ジュリアから大分離れたところで、窓を割って外に出た。

 

(確か、ジュリアはカレンがどうこうとか言っていたな。キヌエ委員長が敗れた今、他の風紀委員は当てにならない。彼女を呼ぼう)

 

 ユニは、そう判断して、EGMAにアクセスし、カレンの位置を確認すると、そこに向かって駆けて行った。

 

        ***

 

「と、こういう状況だ」

 

 ユニは、語り終えると、秀たちに頭を下げて、

 

「どうか、皆を助けてやってくれ」

 

 すると、カレンが屈んでユニに言った。

 

「もとよりそのつもりです。生きているものは全員助けて見せましょう」

 

「私も行こう。四大天使と呼ばれるものが、友の危機を見逃すわけには行かぬからな」

 

 ガブリエラが、凛とした声で言った。

 

「俺も行く。あいつには借りがある」

 

 秀が立ち上がって言うと、追随するように、レミエルもいきり立った。

 

「わ、私も行きます。あの時、何も出来なかった弱い私を、越えたいから」

 

 レミエルの瞳に、揺らぎはなかった。覚悟はできているようだ。

 

「私もすぐ復帰したいが、このザマだ。足手まといになるだけだろう。私は休ませてもらう」

 

 ユニは、そう言うとそこに座り込んだ。それを見て、秀はレボ部の方に向いた。

 

「お前たち、悪いがユニを頼む。危険だから、ここを動かないでくれ」

 

 秀の言葉に、あずさが何かを言いかけたが、渋い表情で頷いて、

 

「分かった。……死なないでよね」

 

「保証は出来ないけど、努力はしよう」

 

 秀は、微笑して告げた。そして、あずさの表情は見ずに、カレン、ガブリエラ、レミエルに向き直った。

 

「今のうちにリンクしておこう。あいつに隙を見せるわけにはいかないからな」

 

 三人とも同意したようで、秀に頷いた。それを視認すると、秀は目を閉じ、三人と繋がることだけに集中した。複数人とリンクするのは初めてだったが、なんとか出来た。

 

「よし、じゃあ行くか!」

 

 秀は、ドアを開け放ち、振り返らずに全力で駆け出していった。



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覚醒

 アインスは、今の状況に苛立ちを感じていた。ジュリア本体は人形によるガードで守られていて、その人形をいくら潰してもキリがない。どうやら、壊れても人の形を保っていれば操れるらしく、ミリアルディアを刺した程度では人形の動きを止めることはできなかった。しかし、アインスはそれよりも、銃のグリム・フォーゲルでちまちま人形を撃っているマユカに対しての苛立ちの方が強かった。

 

(なんで大剣のグリム・フォーゲルを使わないの……!? あれなら人形の守りを突破できる可能性があるのに!)

 

 だが、その不満をマユカにぶつけるわけにはいかない。そうしてしまえば、不和が生じていることをジュリアに悟らせてしまうことになる。そうなれば、相手は一人殺してももう片方に復讐される心配が少なくなるという安心感が生まれ、心の余裕を持たせてしまう。ジュリアは元から余裕が有り余っているようだが、それでも仲違いを気取らせるわけにはいかなかった。

 

「頑張るわね。あのユニという子が援軍を引き連れてくるなんて保証はないのに」

 

 ジュリアが声をかけるが、アインスは無視する。自分は、ユニを信頼して助力を頼みに行ってもらった。援軍が来るまで、引くわけにはいかない。

 しかし、その間にも、マユカに対する苛立ちはつのっていった。とうとう我慢しきれなくなって、アインスはマユカに怒鳴りつけた。

 

「マユカ・サナギ! グリム・フォーゲルを大剣で出して! 早く!」

 

 するとマユカは、怯えたように答えた。

 

「あ、あれを使ったら、ジュリアさんを、こ――」

 

「あいつはこっちを殺す気でいる! あいつの命を気遣ってる余裕なんてない!」

 

「アインス・エクスアウラの言う通りよ。そんな様で戦闘に参加する気かしら?」

 

 マユカの言葉にかぶせるように言ったアインスに続いて、ジュリアがマユカに訊いた。ジュリアのマユカを見るその目は、敵を見る目でないような気がした。

 

「……わ、私は……」

 

 マユカは、それだけ言って俯いてしまった。アインスはマユカから戦意が喪失したと判断すると、ジュリアに向き直って、マユカに告げた。

 

「マユカ・サナギ。あなたは日向美海とソフィーナ、ルビーを安全な場所に連れてって。私一人でこいつを壊して、ユーフィリアを助ける」

 

 窓に映るマユカを見ると、彼女は自分の指示通りに三人を担ぎ上げて、離れていった。だが、不審なことが起きた。てっきり、ユニの時のように、マユカの背後に攻撃を仕掛けると思ったのだが、ジュリアは人形でできた壁の隙間からその姿を見送るだけだった。

 

「どうしてマユカ・サナギは攻撃しないの! ユニの時は攻撃したくせに!」

 

 アインスが問うと、ジュリアははぐらかすように答えた。

 

「さあ、なぜでしょうね? 忘れちゃってたのかしらね」

 

 アインスは、これは嘘だと確信した。問い詰めても、ジュリアは真面目に答えないだろう。なら、会話を続けても意味がない。

 アインスは、懐からエクシードを無理矢理強化する装置、エンハンストを取り出すと、右手の甲につけた。装着する場所はどこでもいい。つけた場所から、エンハンストが体内に根を張り、リンクした時と同等の強化がなされる。エンハンストが根を張る感覚ははっきり言って悍ましいもの以外の何物でもないが、その嫌なあえて感覚を味わうだけの見返りは十分にある代物だ。

 

「ミリアルディア!」

 

 アインスは、100を超える数のミリアルディアを、一瞬で出現させた。そして、それらを全てジュリアに向け、飛ばした。ミリアルディアの軌道は変幻自在。これまでは人形の数がミリアルディアの数に対して以上に多かったということもあって、攻撃が阻まれてしまっていたが、今回は違う。ほぼ同等だと思われる。そして何より、今は廊下で戦っている。片側が壁、片側は窓ガラス。逃げる手段はそう多くない。

 ジュリアは、先ほどまでと同じように人形を動かして防御していたが、何本か捌き切れなかったようで、5本程度だが、人形の壁を突破した。そして、確かな手応えを感じた。だが、ジュリアにどのような負傷を負わせたのか、確認できなかったため、アインスは一旦攻撃をやめた。すると、ジュリアが自ら人形の壁を解いて、姿を現した。彼女の人形は、もう殆どボロボロになっていた。防御能力も攻撃能力も殆ど残されていないだろう。そして、ジュリア本人には、右肩に一本、右腕に二本、腹部に一本、右胸に一本のミリアルディアが刺さっていた。ジュリアは、それらを抜きながら、無理に作ったような余裕の笑みを見せて言った。

 

「……やるわね。六割本気の私にこれだけやれるとは、少し甘く見ていたようね」

 

 アインスは、その言葉に戦慄を覚えた。ブラフという可能性もあるが、それはないと、軍人としての感が告げていた。

 

「さっきまでは守りが中心で迎撃を目的としてたけど、今からは違うわ。一割増しで七割本気よ。こっちから攻めに転じてあげる。私から攻めるなんて滅多にないことだから、ありがたく思いなさい」

 

 ジュリアはそう言うと、抜いたミリアルディア五本の柄をを人形を操るためのものと思われる糸でくくった。そして、それをアインスに見せてきた。

 

「ねえ、私のエクシードって、人形を操る能力なの。そしてこれ。この結んだ五つのナイフ、柄が胴体、出てる四本の刃が両腕両足、残りの一本の刃が頭って考えたら、人の形に見えない?」

 

「何が言いたいの」

 

「簡単なことよ。人形っていうのは人の形って書くわ。だから、これも人形になるわよねっていうことよ」

 

 そのジュリアの言葉で、アインスは彼女が何をしようとしているのかを悟った。

 

「戻って! ミリアルディア!」

 

 アインスが叫ぶが、ミリアルディアは一向に帰ってくる気配がない。ジュリアの手の上で弄ばれているだけだ。

 

「どうして!? エンハンストも使ってるのに!」

 

 疲れや焦りもあって、頭が混乱してきた。その様を見かねたように、ジュリアがため息をつくと、胸元をはだけさせた。そこに見えたのは、確かに自分のものと同じ、エンハンストだった。

 

(どうしてあいつがエンハンストを……? あれはグリューネシルトの、それも限られた人間しか持っていないはずなのに……)

 

 どうやら、ジュリアの背後に緑の世界がいるようだ。とすると、先まで不審な行動が幾つも見られたマユカもその一員である可能性が高い。だが、それをジュリアに訊いたところで答えるはずが無いと、アインスは分かっていた。だから、敢えて訊こうとしなかった。

 ジュリアは、はだけさせた胸元を戻しながら、目を細めて言った。

 

「これで分かったでしょう? こちらもエンハンストを使ってるから、第一条件は対等。じゃあ、どうしてあなたが制御できないのかは、分かるわよね」

 

 アインスは、ぎこちなく頷いた。答えは簡単だ。単純に、ジュリアのエクシードの方が自分のものより強大だということ。

 

(……迂闊に攻撃できなくなった。多分、ジュリアのエクシードは、人形を操るんじゃなくて、正確にはジュリアが人の形をして(丶丶丶丶丶丶)いると認識した(丶丶丶丶丶丶丶)もの(丶丶)を操る能力。それが無生物であるとは限らない……。私だって、操られるかもしれない)

 

 アインスは、唇を噛んだ。さっきまで形成逆転したつもりだったが、今では逆に危機だ。いつ自分が操られるのかも分からない。ジュリアは、そのようなアインスを見て、くすくすと笑った。

 

「安心なさい。まだ七割本気でしか相手する気ないから、あなたを操ることなんてしないわ。人間を操るのはよっぽどの時くらいよ」

 

 アインスは、その言葉を信じることにした。信じないと、余計に考えることが増えて錯乱してしまうような気がした。もしマユカに裏切られたら、その時はその時――そう考えることにした。

 ジュリアが、髪の毛を弄りながら訊いてきた。

 

「考え事は済んだかしら?」

 

「うん。おかげさまでね」

 

「そう。ならこれ。返してあげるわ」

 

 ジュリアはそう告げると、ミリアルディアで作った人形を投げてきた。速い。あと二秒後には、軌道から予測するにアインスの左胸に刺さっているだろう。ミリアルディアで反撃する余裕はない。逃げても、追尾してくるに決まっている。ならば、と、アインスは体を楽にした。ミリアルディア人形が迫る。しかし、アインスは動かない。そして、ミリアルディアで出来た人形と左胸までの距離が、手がギリギリ入る程度になった瞬間、そこに左手を差し込んだ。ミリアルディアの刃の一本が左の手のひらに刺さり、流血する。だが、ミリアルディアの人形の動きは止まった。アインスは、左手にミリアルディアを柄が手のひらに引っかかるまで押し込むと、それを掴んだ。

 

「これで止めた……ッ!」

 

 アインスが、そのまま左手に刺さっていない、二本のミリアルディアをジュリアに向けた。一本はジュリアの心臓を狙うため、もう一本は人形を操っている糸を切断するため。使うミリアルディアを二本にしたのは、先ほどよりは人形の数が少なくなったのと、ジュリアに奪われる可能性があるため、その本数をなるべく少なくするためだ。

 アインスが、攻撃しようとした所で、突然ジュリアが笑い出した。

 

「あなた、頭悪いの? そんなので私のナイフ人形を止めたつもり? ――自分の武器の切れ味、その身で味わいなさい」

 

 アインスは、ぎょっとして左手を見る。すると、左手に激痛が走った。ミリアルディアが、反時計回りに回ろうとしている。アインスは慌てて手のひらから抜こうとしたが、遅かった。手のひらが、中指と薬指を境にして二つに割れた。そしてさらに、ミリアルディアは腕まで切り進んで行った。そのこれまで感じたことのない、地獄のような痛みに、アインスは絶叫した。ミリアルディアは肩まで切り進んだところで、ジュリアの元に戻っていった。恐る恐る左腕を見ると、肩骨の下から中指と薬指の間のヒダまで、真っ二つに裂けていた。

 

「終わりね」

 

 そのジュリアの声が遠く聞こえた。大量の失血のせいか、だんだんと意識が朦朧としてきている。膝が床に着いた。霞んだ視界の中、日本刀を持った人形がこちらに迫ってきていた。アインスは、死を覚悟し、目を閉じた。だが、その瞬間、ガラスを割る音が聞こえ、衝撃波を感じた。目を開けると、アインスの前に、金髪長身のアンドロイドが、威風堂々たる様で佇んでいた。先の人形は、廊下の隅に日本刀諸共、バラバラになっていた。

 

「遅くなって申し訳ありません。私たちに任せて、退避してください」

 

 そのアンドロイドが告げる。アインスは「私たち?」と、周りを見回すと、二人の天使と、一人の男が、アンドロイドが割った窓から入ってきた。天使の一人は翼が右にしかなかった。その片翼の天使が、こちらにゆっくり近づいてきた。

 

「完全にその怪我を治すことはできませんが、止血はできます。……祈りよ、届いて」

 

 すると、アインスの左腕が優しげな光に包まれ、流血と痛みが止まった。

 

「……ありがとう」

 

 アインスが、唖然としたまま礼を言うと、もう一人の天使が、

 

「汝、歩けるか?」

 

「な、なんとか……」

 

 アインスは、よろめきながら立ち上がった。血は止まったものの、多量の失血のせいか、まだ意識がぼんやりとしている。

 

「悪いが、自力で安全な場所に行ってもらえるか? 我らは早急に此奴を始末せねばならない」

 

「うん。分かった。気を付けて」

 

 アインスはそう言うと、足が縺れさせそうになりながら、ジュリアに背を向けて歩いて行った。すると、背後から何かが飛来してくるような音がしたが、物が何かに弾かれるような音もした。あの四人の内の誰かが自分を守ってくれたのだろう。アインスは、すっかり安堵して、そのまま歩き続けた。

 

        ***

 

 レミエルの魔剣がジュリアが飛ばした鋸を弾いたのを秀が確認した時、目の前にいる、体の一部に傷を負いながらも、そうとは感じさせない笑みを浮かべているジュリアが、自分等を一人一人見つめながら口を開いた。

 

「コードΩ33カレン、導きの大天使ガブリエラ、この前の片翼の天使に、上山秀」

 

 ジュリアは最後に秀の名を告げると、からかうような視線を秀に向けてきた。

 

「やはり、サングリア=カミュのところで訓練していた上山秀はあなたね。生きていたとは心外だったわ。ねえ、どうだった? あの子に可愛がってもらえて幸せだった?」

 

 秀は、ジュリアの言い方から、カミュと過ごした三ヶ月間の一部始終を、ジュリアは知っていると確信した。

 

「どうしてそのことをお前が知っている」

 

「風の便りよ」

 

 ジュリアは、秀の怒りなど意にも介さずに、含み笑いをして答えた。そのようなジュリアの態度が、秀を苛立たせた。

 

「ふざけるな! 本当のことを言え!」

 

「言っていいの? 言ったらあなた、間違いなく戦意喪失して真っ先に私に殺されると思うけど。それなら、知らないままの方がいいんじゃないかしら。まあ、どうしてもって言うなら、教えてあげなくも、ないけれど?」

 

 挑発するようなジュリアの言い方に、秀は完全に頭に血が上った。秀が亜空間収納庫からハンドガンを取り出そうとしたところに、ガブリエラに頭を軽く殴られた。

 

「何をする!」

 

「落ち着け愚か者。相手のペースに乗せられるな。明鏡止水。これを心掛けろ。でなければ、いくら技術があったとて戦いで生き残れんぞ」

 

「……分かった」

 

 秀は、深呼吸して心を落ち着けると、ガブリエラに返事をした。

 

「一応、言われれば、だけど、感情のコントロールは出来るみたいね。えらいえらい」

 

 ジュリアがころころと笑った。そして、その笑みのまま、レミエルに体を向けた。

 

「ねえ、そこの片翼の天使さん、名前は?」

 

「レミエル、です」

 

 レミエルは固い表情で答えた。その様を見つつ、秀は無駄と分かっていたが、一応αフィールドが展開できるか試してみたが、分かっていた通り駄目だった。

 

「緊張してるの? 肩の力、抜いた方がいいわよ。せっかくそんな能力を底上げするような服を着ているのに、体に力が入ってちゃ、能力を存分に活かせないわ」

 

 ジュリアは、笑みを絶やさず忠告した。おそらく、それくらいしてやっても勝てる、という絶対的な自信があるのだろう。

 

「アドバイス、ありがとうございます。ですが、それで後悔することのないように」

 

 レミエルは、ジュリアを射抜くような視線で見つめて言った。ジュリアは、その視線に表情を崩さずに応えた。

 

「いい目ね。余程の覚悟があるようね。いいわ。掛かって来なさい」

 

 ジュリアはそう言うと、魔法の詠唱を始めた。その隙に、カレンとガブリエラが、多少の時間差を以って跳躍した。一瞬後、カレンの蹴撃がジュリアを襲うが、ジュリアは紙一重でそれを躱してみせた。しかし、その躱した先には、ガブリエラが剣を振りかぶっていて、今まさに斬りかからんとしていた。だが、その瞬間、ジュリアの詠唱が終わった。とても数えられないほど大量の新品同様人形が召喚され、それにガブリエラの斬撃が止められた。ガブリエラが後退し、ジュリアは人形の中に身を隠す。そこで、秀はレミエルに叫んだ。

 

「レミエル、ようやく俺らの仕事が入ったぞ!」

 

「はい!」

 

 秀は、亜空間収納庫からマシンガンを取り出し、とにかく撃ちまくった。狙うは人形。数が多いため、特に狙いをつけなくとも当たってくれる。

 

「祈りよ!」

 

 レミエルは、錫杖を掲げた。何本もの魔剣の創造。レミエルは、カレンやガブリエラに当たらないようにしながら人形たちに対して剣雨を降らせた。

 実験棟に乗り込む前、秀たちは役割をそれぞれ決めていた。秀とレミエルは人形の撃破、カレンとガブリエラはヒットアンドアウェイでジュリアにダメージを与える。手練れであり、尚且つ一対一の戦いに強いカレンとガブリエラなら、ジュリアに決定的な一撃は与えられなくとも、ジュリアの体力を消費させることができるだろうという考えだ。

 実際、その目論見は当たったようで、穴を開けては攻撃し、穴を開けては攻撃し、としていると、人形の壁の中から、ジュリアの荒れた息が聞こえてきた。

 

「流石にキヌエとフルフェイスやファントムとは違うわね。七割半の本気でいくわ」

 

(ファントム……? なんでこいつ、ファントムと戦った風に言うんだ?)

 

 ジュリアはそう言うと、五本のナイフで出来た人形のようなものを取り出し、人形の壁の隙間からガブリエラに投げた。

 

「こんなもの!」

 

 ガブリエラは、そう言って大剣でナイフ人形を弾いた。だが、そのナイフ人形はまたガブリエラを襲った。その軌道は、ガブリエラの顔面を狙うもの。ガブリエラはそれを紙一重の差で躱したが、それがいけなかった。ナイフ人形が急に軌道を変え、ガブリエラの右肩に突き刺さった。その右肩から血が噴出する。レミエルが血相を変えて、ジュリアへの攻撃を中断してガブリエラに駆け寄ろうとした。

 

「ガブリエラ様!」

 

「来るなレミエル! 汝まで食らいたいか! そんなことよりも、どうせ奴への攻撃を止めるのなら、このナイフ人形のジュリアと繋がっている糸を切れ!」

 

 レミエルがはっとした様子で頷く。そして、魔剣を造り、構え、見定めるようにガブリエラとジュリアの間の空間を睨んだ。

 だが、瞬間、ナイフ人形が回転し始めた。ガブリエラが膝をつく。ナイフ人形が、ガブリエラの体の中に埋まっていく。

 秀は、助けたくても助けられないジレンマに襲われた。ここでレミエルと同じように攻撃を止めれば、ジュリアの人形を攻撃する者が誰も居なくなる。カレン一人では、いずれ限界に達するだろう。レミエルがなんとかしてくれる——そう思って、ガブリエラを横目に、ジュリアの人形への攻撃を続行しようとしたその時、信じられないものを見た。

 

        ***

 

 レミエルは、ガブリエラの苦しげな呻き声を耳にしながら、ガブリエラとジュリアの間の空間を注視していた。だが、いくら見極めようとしても、ナイフ人形を操っていると思われる糸は、一向に見つからなかった。息が荒くなり、汗がとめどなく流れ、焦燥感に襲われる。

 

(早く見つけないと。ガブリエラ様が——!)

 

 焦りで気が変になりそうになっていたその時、何か重いものが落ちるような音が聞こえた。それと同時に、全ての人形が床に落ちて、ナイフ人形の刃の進行が止まった。何だかよく分からなかったが、これは好機とガブリエラの体からナイフ人形を引っこ抜き、ジュリアの方を見てみると、そこには、メルトのパンダのような乗り物のばさしと、それに乗ったレボ部の面々がいた。

 

「どうして来た。人殺しをする覚悟がないんじゃなかったのか」

 

 秀があずさを睨んだ。だが、あずさは全く怯まずに、ばさしから降りて秀に素っ気なく言った。

 

「覚悟はできたわ。レボ部のみんなもね。じゃなきゃ、ジュリアの真上にユノに瞬間移動してもらうなんてことしないわ。それと、ユニには留守番頼んであるから」

 

 あずさの言葉に、ユノ、シャティー、メルトが頷いた。

 

「……そうか」

 

 秀は納得したように呟いた。すると、カレンがジュリアに寄った。

 

「死体確認をせねばなりません。これで死んだとは限りませんし」

 

 そう言って、カレンがジュリアに触れようとした、その瞬間。床の上の人形に突如として魔法陣が描かれた。

 

「逃げろ……!」

 

 血塗れのガブリエラが、掠れた声で叫ぶ。それに気付いた秀が、レミエルを突き飛ばした。そして、レミエルとガブリエラを除く全員の体を、魔術的な光が貫いた。レミエルと秀を繋ぐ何かが、切れそうなくらいほつれた。

 

「はあ、はあ……。危なかったわ。九割本気。ここであなた達を殺すわ」

 

 ジュリアが、息を切らしながら、ばさしを押しのけた。その時、キヌエの死体が見えた。それをクッションにして、ばさしからのダメージを軽減したのだろう。

 レミエルは、ジュリアの攻撃を食らった彼らの様を見た。誰もが床に倒れ伏し、体に大きな穴を開けて血、又は体液の水たまりを作っている。

 

「秀さん、皆さん……ごめんなさい。私が、勝手な行動をしたばかりに……」

 

「あなたのせいではないわ。レミエル、あなたがガブリエラに構おうと構わまいと、結局こうなる運命だったのよ」

 

 ジュリアが優しげな声で告げると、人形たちが魔法陣を描いた。

 

「死になさい」

 

 その言葉と同時に、人形から光線が放たれた。だが、その瞬間、レミエルは、バックステップをしてそれを回避した。だが——背後から、魔法陣が発生するのを感じた。人形を数体背後に回したのだろう。もう着地してしまう。そうしたら、一瞬は必ず硬直する。回避することは叶わない。レミエルの死への恐怖が急激に膨れ上がる。

 

(いやだ。いやだいやだ! 死にたくない、死にたくないよ! だって私はまだ、何も言えてないのに!)

 

 その時、時間の進みが遅くなった気がした。同時に、何かの意思のようなものが、直接精神に語りかけてきた。

 

 ——力を欲すらば、祈れ。さすれば、何処までも強くなるだろう。我と共にある限り。

 

 レミエルは、この意思が今自分が着ている服の意思だと直感的に分かった。今はこれを信じるほかない。まだ、微かではあるが、秀との繋がりも感じる。これならできる、そう感じた。

 

(祈りよ……届いて!)

 

 瞬間、レミエルは己の魔力が増大するのを感じ、そして左眼の奥が熱くなった。痛みにも、快感にも似た感覚が、左眼に発生した。それは一瞬のことで、また、握っている杖の上部の円状になっている部分が、翼を広げたように開いていた。そして何より、左肩に何か異質なものが現れた。直接見たわけではないが、それが何なのかレミエルは分かっていた。翼だ。体から生えてきた、というようなものでなく、魔術的に構成されたもののようだ。

 レミエルは、その翼を使い、方向転換して、光線を回避した。そして、杖を床に突き立てた。すると、それを中心に波動が広がり、秀たちの傷を癒していった。

 ジュリアを見る。すると、彼女は見惚れたようにレミエルを見つめていた。殺気はとうに消え失せ、美術作品を見ているかのようだった。何だか知らないが、チャンスだ——そう思って、二本の魔剣を造り、両手に持ち、大きく振りかぶり、感情を殺してジュリアに振り下ろした。その時、ジュリアの口角が上がったように見えた。だが、レミエルはそれを全く気にせず、ジュリアの両腕を切断した。ジュリアがバランスを崩して床に仰向けに倒れる。そこで、レミエルはジュリアの左胸に魔剣の剣先を突き付けた。起き上がったガブリエラが、奥で倒れたままのユーフィリアのところに向かう。

 

「殺さないの?」

 

 ジュリアが訝しげな目でレミエルを見てきた。

 

「殺す前に、ちゃんと尋問はしなければなりませんので」

 

「ちゃんとやるべきことをやるなんて、素晴らしいわね。いいわ。何でも聞きなさい」

 

 ジュリアは、相変わらずの笑みでそう言ったが、顔から血の気が失せつつあった。無理もない。両腕を斬られているのだ。早く、できるだけ多くの質問をせねばならないだろう。

 

「まず聞きます。あなたは何者ですか?」

 

「私は、黒の世界の人形使いよ」

 

 肩を大きく動かしながら、ジュリアは話し始めた。

 

「私、自分で言うのもどうかと思うけど、結構魔法に関しての才能があったのよ。昔は魔女王様や、異変解決のための力になりたいって、青蘭学園で頑張ってた頃もあったわ。だけどね」

 

「どうなったんですか……?」

 

「私は才能のない者から疎まれたわ。同じプログレスで、共に同じ目標を持っているにも関わらず、ね。それから、彼女らの大半が、異変解決に本気になってないってことを悟って、プログレスに絶望したのよ」

 

「それで、どうしたんですか?」

 

「青蘭学園を退学したわ。でも、故郷に帰っても仕事がなかった。私の才能を活かせる場が、私を必要としてくれる場がなかったのよ。もう死にたくなったわ。そんな時だったわね。T.w.dからの勧誘を受けたのは」

 

「ティー、ダブリュ、ディー?」

 

 初めて耳にする単語だった。話振りからするに、何らかの組織名だということは分かった。

 

「反プログレス、αドライバーと、それらを生み出した世界を滅ぼすことを目的としているわ。その足掛かりとして、青蘭島の世界水晶の位置の特定と、青蘭学園の動向を探るために私は諜報員として、ここに来たのよ。戦闘になったら相手は殺せとも言われたわね。あの時はエンハンストを使ってなかったし、カレンは無理そうだったから退いたけどね」

 

 レミエルは、それで、以前に秀が攻撃されて自分がされなかった訳を理解した。あの時、自分とは交戦状態になっていなかった。そういう訳で、攻撃されなかったのだろう。そう自己完結すると、レミエルは質問を重ねた。

 

「あなたもプログレスなのに、その組織に入ったんですか?」

 

 ジュリアは、レミエルに当然だと言うように頷きを返した。

 

「私にとって目的なんてどうでもいいわ。私を必要としてくれるかどうか、それだけだった。もしそうしてくれるならば、かつての同胞を殺しても構わないって思ったのよ」

 

 レミエルは、ジュリアの淡々と情報を提供する様に、とうとう言葉を失った。あまりにも諜報員らしからぬ態度だ。何か裏があるのでは、とレミエルが考えていると、ジュリアがそれを見透かしたようにふっと笑った。

 

「何でこんなに話すのかって顔してるわね。どうせ、自殺しようとしてもあなたは止めて、風紀委員にでも引き渡すつもりでしょう? そしたらスレイ・ティルダインに頭の中をほじくられるだけ。それが嫌なのよ」

 

 ジュリアはそう言ったが、レミエルにはその言葉がよく分からず、唖然としていた。その様を見たジュリアが、

 

「質問は終わりかしら? なら早く——」

 

「待て。俺からも質問がある」

 

 秀の声が、ジュリアに被さるように響いた。

 

        ***

 

「お前、戦っている時にファントムがどうとか言っていたな。奴らと交戦したことがあるのか?」

 

 秀が尋ねると、ジュリアは小さく首を縦に振った。

 

「ええ。私が全滅させたもの。T.w.dの邪魔になるからね。ついでに言えば教務課と執行部の連中も。流石に奴らは十割の本気じゃないと私でも死んでたかもね」

 

 ジュリアがあっさりと言ったことに、秀はあまり驚かなかった。寧ろ、なるほど、と納得できてしまった。あの実力を見たら、ファントムどころか、教務課や執行部も、圧倒することも出来そうだと思った。

 

「じゃあふたつ目の質問だ。T.w.dはいつここに来る? 規模はどのくらいだ?」

 

「知らないわ。どのくらいの戦力を送り込んでくるかも、いつ来るかもまだ決定はしていない。分かっているのは、緑の世界と、白の世界の一部が彼らに加担しているということ。それと、あくまでこれは予測だけど、春休みかそれ以降には来るんじゃないかしら?」

 

 ジュリアは本当に分からないようで、頭をひねりながら答えた。しかし、彼女からもたらされた、緑と白の世界が関わっているという情報は、秀にとって信じがたいことだった。

 

(待てよ。じゃあカミュもT.w.dにいる可能性があるということか)

 

 その場合は考えたくなかったが、一理はある。秀は、恐る恐るだが聞いてみようと思った。

 

「じゃ、最後だ。お前はカミュとどういう関係だ?」

 

「知らぬが仏よ」

 

 秀の問いに、ジュリアは即答した。もう虫の息といってもいいくらいに弱っているのに、鋭い眼光で、秀を威圧してくる。

 

「……分かった」

 

 気圧されて、秀はおとなしく引き下がった。だが、ジュリアの言葉で、察しはついてしまった。複雑な気分だった。ジュリアはその秀を目を細めて見つめると、首を回して見回しながら言った。

 

「他の人たちも質問はないかしら?」

 

 まだ起き上がったばかりのカレンたちとユーフィリアを担いだガブリエラは、首を横に振った。

 

「無いのね。なら、レミエル。殺してちょうだい——と言いたいけど、その前に、ひとつ」

 

「何でしょうか」

 

 レミエルは訝しげに尋ねた。それを、ジュリアは微笑みで返した。

 

「怖い顔しないで。ただ、あなたの今の姿が、美しいって思っているだけよ」

 

「……ありがとう、ございます。では」

 

 レミエルは一瞬だけ表情を緩めたが、すぐ無表情になって、魔剣を握る手の力を強めた。ジュリアが恍惚感に溢れたように目を閉じる。

 魔剣が、軽い音を立ててジュリアの左胸に刺さった。そこから血が流れ出す。あっけないものだった。その時、ジュリアは、満ち足りた顔をしていた。

 純白の翼とと淡く金に輝くそれを若干緊張させ、ジュリアに魔剣を突き立て、蒼と金の瞳を持った、秀の知らないレミエルの感情の無い表情に、秀は少し不安になった。これから先、レミエルはこんな風に無表情で敵を殺していくのだろうか。仕方が無いこととはいえ、そのことを秀は恐ろしく感じていた。

 レミエルは瞑目すると、周りを見ながら、いつものように恥ずかしそうに、頬を朱に染めて告げた。

 

「あの、皆さん。少し、秀さんと二人きりにさせてくれませんか……?」

 

        ***

 

 ジュリアとキヌエの遺体を持っていって、カレンたちが出て行くのを確認すると、秀は改めてレミエルを見つめた。携える錫杖は翼を広げたかのように変形し、左に新たな金の翼を持ち、左眼は金色に輝いている。その表情は、年頃の少女然とした、どこか恥じらいが感じられるようなものだった。レミエルは何かを言おうとしているようだが、上手く言葉に出来ていないようだった。それを見かねたのもあって、秀が話しかけたところ、

 

「あのさ、レミエル」

 

「あ、あの!」

 

 二人の声が重なった。秀は頭を掻きながら、レミエルに言う。

 

「レミエルが先に言えよ」

 

「いえいえ、秀さんの方が先に」

 

「いやレミエルが」

 

「いえいえ、どうか遠慮なさらずに」

 

 秀は「仕方ないな」とため息をつくと、

 

「ひとつは、その、さっき、ジュリアが魔法で光線を撃ってきた時、俺はお前しか眼中になかったんだ。カレンや椎名を助けようなんてちっぽけも思わなかった。ただ、お前だけを助けたかったんだ」

 

 秀の言葉に、レミエルは目を丸くした。

 

「秀さん、それって……」

 

「うん。お前が思っていることの通りだろうな。さっきのような戦いの後にこんなことを言うのもどうかと思うが……これから、一緒に戦おう。αドライバーとプログレスとしてじゃなく、男と、女として」

 

 これらの言葉は、思いの外すんなりと口から出た。しかし、先の戦闘の時に感じていたものとは違うが、断られたらどうしよう、というような緊張はしていた。

 ふと、レミエルが微笑した。その笑みは、ジュリアを殺した者と同一人物とは思えなかった。

 

「私も秀さんと同じようなこと、言おうと思ってました」

 

「じゃあ、これで、付き合ってるってことになるのかな」

 

 秀はどぎまぎしながら言った。すると、レミエルも同じように、

 

「は、はい。そう……ですね」

 

 お互いに恥ずかしくなってしまったようで、なかなか目を合わせられないでいた。だが、秀はどうしても聞いておきたいことがあったのを思い出して、咳払いをし、頰を自分で張って尋ねた。

 

「レミエル。お前、ジュリアを殺した時、何を思った?」

 

 レミエルは、答え辛そうにしたが、迷いを吹っ切ったように、真っ直ぐに秀の目を見つめた。

 

「何も思いませんでした。感情を消さないと、罪悪感に飲み込まれる気がしたから」

 

 秀は、その言葉に、涙が溢れてきた。そして、衝動的にレミエルを抱きしめた。

 

「どうして、抱きしめるんですか? どうして、泣くんですか?」

 

「ごめん……本当は、汚れ仕事なんか、お前がやることじゃないのに……俺みたいなやつがやらなきゃいけないのに!」

 

 言葉を紡ぐごとに、涙が川のように流れる。情けなくて、不甲斐なくて。許せなくて。

 

「本当に、ごめん……!」

 

「いいんですよ、秀さん」

 

 何が——! そう声を大にして言おうとしたが、それは喉の奥まで出かかって、止まった。レミエルが、笑顔でいたからだ。その笑顔の裏に、悲壮な覚悟が秘められていることは、すぐに分かった。

 

「私が、誰かを殺すことで、私以外の人が救われるなら、私は、何人殺したって、大丈夫です」

 

「それは俺が言う台詞だ! お前のようなやつは、救われる側に居なきゃ駄目なんだよ! ——だけど」

 

 秀はなお涙を流して、告げた。

 

「お前は、もう殺す側に立ってしまった。これからは、何人も殺さなくてはいけない。だから、せめて、俺も、お前の負担を共に背負おう。ふたりで、ずっと」

 

 レミエルが笑みをたたえたまま頷く。それから、レミエルを放すまで、秀の涙が止まることはなかった。

 

        ***

 

「ああ、ジュリア、死んじゃったのか」

 

 青蘭学園の中庭で、ふたつの遺体を運び出す少女の集団を見て、少女は呟いた。すると、一匹の蝿が少女の肩に止まった。ああ、今回は蝿なのか——そう、少女は思った。

 

「どうするの、アイリス? ジュリアは大分ペラペラ喋ったようだけど」

 

 どこからともなく聞こえてきた別の少女の声に、少女——アイリスは口角を上げて答えた。

 

「別にいいよ。ジュリアのおかげでこの島の情報は大分手に入った。青蘭学園側がいくらこっちの情報を入手したとて、何も変わらない。そうよね、アルバディーナ」

 

 アイリスは蝿に話しかけるように言った。

 

「……そうね。じゃあ、そろそろ戻りましょうか」

 

「うん。そうだね。戻って、準備して——ええと、春休みくらいはあげようかな。最後の春休みなんだし、楽しんでもらおうっと。それで、明けたら——」

 

 ——破滅への鐘を、響かせよう——。

 

 アイリスは、アルバディーナと呼ばれた蝿を肩に乗せたまま、笑いながら去っていった。



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小休止

 ジュリアとの戦闘から一ヶ月ほど経ち、春休みに入った今でも、T.w.dの襲撃はない。何も起こらないのが一番いいのだが、それがかえって秀にとって不気味に思えた。

 その一ヶ月間のうちに、頭を失い、弱体化した風紀委員は、グリューネシルト統合軍が一時的に執り仕切ることになった。また、教務課、執行部については、その全滅を気取られないためにジュリアは彼らの死体を動かしていたらしく、ジュリアの絶命と共に一斉に行動しなくなった。それについても、統合軍の教導官を招いて一時的に対応することになった。

 また、秀はカレンに、レミエルと恋仲になったことを伝えた。あの日の涙への答えとしては、酷なものだと秀は自分で思ったのだが、カレンは一言も秀を蔑むことは言わずに、ただ微笑んで祝福してくれた。だがその時、秀はカレンが必死に涙を堪えていたことに気付いていた。だがそれでも、秀はあえて何も言わなかった。

 それと、達也の家に帰って、これまでのことを、ジュリアのことを伏せつつ話した。その時にカミュとレミエルの話もしたところ、ぜひ連れてきてくれ、とのことで、レミエルと、二人でカミュの家に行って、そこからカミュを連れて達也の家に行こうという約束をした(このことはカミュに伝えていない)。そういうわけで、今、秀はレミエルの部屋のドアの前にいる。格好は制服だ。なぜかというと、それ以外のサイズの合う服を、秀は持ち合わせていないからである。

 秀はドアをノックした。だが、反応はない。不思議に思って、呼んでもみたが、それでも返事は無かった。

 

(どういうことだ……?)

 

 訝しく思った秀は、ドアをそっと開けた。すると、私服姿のレミエルが椅子に座って、なぜか顔を赤らめながら本を読んでいた。

 秀は、なるほどな、と思って、こっそりレミエルの後ろに回って、その本を覗き込んでみた。すると、秀はその内容が意外で、危うく腰を抜かしそうになった。その内容というのは、完全に官能小説だった。普通の小説にも濡れ場とかはあるし、そのシーンをたまたま覗き込んだとも考えられなくもないが、表現に、読者を興奮させるための工夫がふんたんにされており、間違いなくその類だと確信した。

 秀は、レミエルをひとつからかってやろうと思い立ち、まずレミエルの肩に手を置いた。

 

「おい、レミエル」

 

「ひゃっ!?」

 

 レミエルはびくりと肩を震わせ、本を隠すようにして振り向いた。

 

「しゅ、秀さん……。驚かさないで下さいよ!」

 

 レミエルが頬を膨らませて秀をぽかぽかと叩いた。秀はそれを受けながら、レミエルの頭を撫でた。

 

「悪かった悪かった。しかし、レミエルがそんな本を読むなんて思ってなかったな」

 

「え」

 

 レミエルの表情が凍りついた。秀はこれが狙いと、口角を上げた。

 

「ああ、でも、考えられなくもないな。なにせ俺の股間が勃起してるとかわざわざ言ったこともあるしな。そういう本を読んでいてもおかしくは——ごふっ」

 

 レミエルは、顔を真っ赤にして杖で秀の腹を殴った。流石はプログレス、かなり重い一撃だった。

 

「秀さん」

 

「はい、なんでしょうか」

 

 レミエルがしかめっ面で睨んできたので、秀は思わず丁寧語で返事をしてしまった。

 

「そこに正座してください」

 

 有無を言わさぬようなレミエルの視線に、秀は言われるままにそこになおった。

 レミエルはため息をつくと、困ったように説教を始めた。

 

「前から思ってましたが、秀さんはデリカシーがないです。からかうにしても、女の子をからかうのだから、ちゃんと話題を選んで下さいよ。私ですからいいものの、他の人だったらどうするんですか」

 

「ごめんなさい。でも、俺はレミエルしかからかわないから、別にいいんじゃないか?」

 

 秀はそう返すと、いきり立ってレミエルを見つめた。

 

「レミエルが相手じゃなきゃ、あんなこと言えないさ」

 

「そ、そんなこと、言わないでください。私は説教してるのに……」

 

「レミエル」

 

 秀はずいっとレミエルに寄った。レミエルが顔を朱にして、少し目を背ける。また、からかうチャンスが出来た。しかし、ここでいつまでもレミエルと遊んでいるわけにもいかない。だから、

 

「早く行くぞ」

 

「へ?」

 

 レミエルは、多分予想外のことを言われたからだろうが、呆然とした。

 

「カミュのところにだよ。そういう約束だったろう?」

 

「え? え? ……ああ、確かにそんな約束ありましたね」

 

「なんだと思ってたんだ。まさか、俺にお前の官能小説のようなことをされるとか期待してたのか?」

 

「……違い、ます」

 

 顔をゆでダコのようにしながら、レミエルが俯いた。どうやら図星のようだ。秀はレミエルを笑い飛ばして、その腕を引いた。

 

「さあ、俺の懐かしのカミュの家に行くか!」

 

 ふてくされたレミエルを引きながら、秀は明るい顔で女子寮のレミエルの部屋を出て行った。

 

        ***

 

 東京都の、あるビルの地下のホール。黒と赤の軍服に身を包んだ、様々な年齢層の男女が、数千人ほど整列して集まっている。しばらく待っていると、彼らの望む人物が現れた。その人物は、その場の皆と同じ黒と赤の軍服を着て、それに加えて黒のマントを羽織った、15、16歳くらいの長い銀髪の少女——アイリスだった。

 

「やあ、T.w.dの同志諸君。分かってると思うけど、私が総帥のアイリスだよ。副総帥のアルバディーナも来てるけど、今は姿を見せられない。で、今日君たちに集まってもらったのは他でもない。青蘭島を攻める日時が決まったんだよ」

 

 アイリスの、「総帥」という者らしからぬ口調で紡がれる言葉に、どよめきが起こった。当然だろう。その日のために、彼らは今まで軍事訓練を重ねてきたのだから。

 

「攻めるのは、4月9日。青蘭学園の始業式の次の日。作戦内容は順次伝えていくよ」

 

 歓声が上がる。アイリスは満足げにそれを見ていた。だが、その中から、疑問の声が聞こえた。

 

「待ってください、総帥」

 

「うん? 何かな?」

 

「少なくともあなたと、副総帥はプログレスですよね?」

 

「そうだよ。でも、君たちの同志。プログレスを殲滅し、プログレス発現の原因となった世界を壊したいって思ってる」

 

 アイリスがそう答えると、疑問の主は信じられないようなことを言った。

 

「信用なりませんな。プログレスであるあなたや副総帥の為に、私は命をかけられません」

 

「そう」

 

 アイリスは短く相槌をうった。そして、冷酷な視線で彼を睨んだまま、足音を響かせて彼に近づいていった。

 

「あなたのような人間は、戦場で足を引っ張って、敗北の一因を作る。此の期に及んで私を信頼できないようなら、あなたは要らない。こっちに来て」

 

 アイリスは彼の軍服を掴んで持ち上げると、その場にいるT.w.dの構成員たちに、そこで待機しているように、と伝えて、ホールの外に出た。

 

 アイリスは、運んできた男を白いタイルの壁のシャワー室に放り入れると、服を脱ぎ、一糸まとわぬ姿となり、服をロッカーにいれて、自身もシャワー室に入って鍵を閉めた。

 

「さあ、あなたも服を脱いで」

 

 男は、呆然としていたが、やがて感極まった様子で服を脱ぎ捨てた。男も裸になると、アイリスは彼に寄った。そして——。

 

「ブルーティガー・ストースザン」

 

 アイリスの左手に、巨大な手甲が出現した。その手甲には、三本の爪のような刃が付いていた。その爪で、男の脚と陰茎、陰嚢を切断した。男の絶叫。脚はそこからさらに両脚とも三分割した。それらを、ひとつづつ口に入れ、咀嚼し、脚は骨ごと噛み砕き、飲み込んでいく。

 

「なかなかいい味してるね、あなた。それに、こんなに固くしちゃって、何をするって思ってたのかなあ? えっちな妄想しちゃって。ふふふ」

 

 言いつつ、腕を切断、絶叫を無視、食べる。

 

「なんでこんな目に合うかって? 要らないからだよ。要らない人は死ねばいい。そして、もうひとつ。知ってると思うけど、私が食人鬼だからだよ。人間を食べる種族。いつもは屍肉なんかを食べるんだけど、やっぱり生きている人間が一番美味しいんだよね」

 

 アイリスは、男を持ち上げると、腹にかぶりついた。男は何も言わなかった。その気力が無かったのだろう。だが、持ち上げるとき、まるで化け物を見るような目で見つめられた。

 

(化け物……そう、だから私は——)

 

 アイリスは男の胴体を貪るように食べた。髪の毛一本たりとも残さず食べると、シャワーで体の返り血とシャワー室の血を流した。完璧に綺麗にすると、男の着ていた服をごみ箱に投げ入れ、己の服を着る。

 そうしつつ、アイリスは思い出す。過ぎ去った過去のこと。グリューネシルトの中では珍しい、鬱蒼と木の茂った森。闇の中を照らす電気の光。飛び交う怒号。洞穴の中、必死に息を潜める自分とその家族。奥には仕留めた獲物(人間)

 その時、アイリスは怒りに震えていた。人を喰らう——ただその一点だけで、食料である人間と同じように、理性を持ち、論理的な思考をし、更には異能(エクシード)さえも使える自分たちを、特種危険生物などと大層な呼び名をつけて、こうして軍で大部隊を組織してやってくる。向こうがどう思っているかは知らないが、こちらとしては、ただ自然の摂理に従って人間を襲い、食べているだけだ。自分たちだって、食べるだけではない。虎などに襲われて命を落とすことだってある。人間だって、そういうこともあるだろう。だのに、自分たちは自然界の輪から外れたと言わんばかりに、利己的な考えを振りかざして自分たちを殺そうとする。ただ殺されるのはいい。自然に生きる自分たちにとって、そんなことは日常茶飯事。だが、そこに大義名分を持ち込むことが、アイリスは許せなかった。だから、エゴの塊のような人間が跋扈する、こんな世界は要らないと思った。

 隠れ処が発見され、自分以外の家族を殺され、自分が九死に一生を得た。アイリスは慟哭した。自分だけ生き残った苦しみ、生まれの不運、世界への憎しみ、人間の愚かしさ。それらが、涙と叫びとなって体の外に出た。

 その後、自分の考えに賛同してくれた人たちと、T.w.dを立ち上げた。最初は、小さな組織だった。だが、世界接続(ワールド・コネクト)のおかげで、世界に跨る物となり、今やS=W=Eにある組織を吸収できるほど、大きくなった。これなら、望みを叶えられるかもしれない。そんな気もしていた。

 服を着終え、ホールに戻った。そこには、まだ大した威厳もない、青二才の自分について来てくれる、数多くの同志たちがいた。世界に、生まれに、プログレスに絶望した者たち。この限りない絶望の塊が、希望を抱く者たちが住む青蘭島に攻め込む。きっと、激しい戦闘になるだろう。大勢の人が死ぬ。敵も味方も。だからこそ——。

 

「みんな! 君たちの最後の望み、私が絶対に叶えてみせる。だから、私に命を預けて!」

 

 アイリスの友人に話しかけるような調子の言葉に、統率された了解の唱和が返ってきた。

 ああ、なんと嬉しいことだろうか。これだけの人が、自分を信頼してくれている。喜びの涙が、アイリスの頬を流れた。泣いちゃダメだと思っても、涙は止まることを知らず、とうとう立っていられなくなって、そこにへたり込んだ。泣きながら、アイリスは何度も感謝の言葉を口にしていた。

 

        ***

 

 秀とレミエルはS=W=Eのカミュ邸に向かっていた。レミエルはもうふてくされてはいなかった。天気は晴れ。雲も風もなく、カラッとしている。カミュと特訓していた時は、ほとんど外には出なかったため、昼のS=W=Eの町並みを眺めるのは初めてだった。しかし、前に見た時よりも、昼夜の違い以上に、何か違和感を感じた。

 

「人気があまりないですね。お仕事でしょうか?」

 

 レミエルが訊いてくる。確かに、今日はS=W=Eは休日ではない。だが、それだとしても、流石に少なすぎた。さらに言えば、どこか張り詰めたような空気も肌を刺激する。

 

「何かあったのかな。杞憂だといいが……」

 

「そうですね。あの、秀さん」

 

 レミエルは、秀を何かに怯えたような目で見た。

 

「私、この空気、イヤです。……怖い、です」

 

 言いながら、レミエルが腕を秀の左腕に絡めてきた。秀もそれを拒まず、カミュ邸への歩みを速めた。

 白の世界の(ハィロウ)から歩くこと15分、カミュ邸に到着した。自分がいた時から何も変わらない。まるで我が家に帰ってきたような気分になった。だが、カミュへの疑いもあり、この訪問を素直に喜べないでいる自分もいた。

 

(カミュ……あんたは、本当にT.w.dの仲間なのか? 教えてくれよ。こないだみたいに。なあ、母さん——)

 

 なかなか、カミュへの疑惑を吹っ切ることができない。すると、レミエルが秀の左腕から離れて、秀と向き合った。

 

「秀さん。今は、カミュさんと会うことだけを考えましょう? そのためにここに来たんですから」

 

 秀はその言葉で我に返った。全くレミエルの言葉通りだった。カミュへの疑いを晴らすためにここに来たのではない。ただ、カミュへ近況報告と、会わせたい男がいる、ということを伝えに来ただけだ。

 

「そうだな。悪かった。あいつは俺の母親みたいな女だから、ついつい考えてしまった」

 

「それだけ大事に思ってたら仕方ないですね。でも、気をつけてくださいね」

 

 秀は、ああ、と短く返事をすると、カミュ邸のインターホンを鳴らした。すると、バン! と大きな音がしてカミュ邸の玄関のドアが開き、出てきたカミュが門を飛び越えて、

 

「よく来たな! 私の可愛い愛弟子よ!」

 

 そうカミュは大声で言うと、秀の上半身に飛びついた。秀はそれに対して全く身構えていなかったため、そのまま後ろに倒れた。

 

「むっ。貴様、この程度の不意打ちに対応できんとは、相当なまっていると見えるな。またマンツーマンで鍛え直してやろうか?」

 

「対応できなかったんじゃない。対応しなかったんだよ。やろうと思えば、カウンターを叩き込むこともできた。だから安心しろ」

 

 カミュに馬乗りにされながら、秀は言った。カミュはふっと笑うと、

 

「言ってくれる。まあ、そういうことにしといてやろう。中に入れ。軽食くらいは出そう。そこの天使、レミエルとやらか? お前もどうだ?」

 

 レミエルは突然話を振られたせいか、少し慌てふためいていたが、やがてこくりと頷いた。それを見たカミュは、口角を上げて、踵を返した。それに続いて、秀とレミエルも歩き始めた。

 カミュ邸に入ると、秀は我が家に帰ってきたような気分になった。それで、自然に「ただいま」と言ってしまった。すると、

 

「おかえり、秀」

 

 カミュが、少し嬉しそうに告げた。その様が、やはり秀には母親のように思えて、ついつい甘えたくなったが、側にレミエルがいることを思い出して、それを諦めた。

 そんな彼らの様子を、レミエルは不思議そうに見つめていた。

 中に通され、カミュが台所に入って何かを調理している間、秀とレミエルはリビングのテーブルの椅子に隣り合って座って、料理が出来上がるのを待っていた。

 

「ねえ、秀さん」

 

 レミエルが小声で話しかけてきた。

 

「私には、カミュさんがT.w.dの一員とは考えづらいです。もしそうだとしたら、秀さんに対してあそこまで無邪気な態度を取るとは思えませんし」

 

「そうだな。俺もそう思う」

 

 秀が同意すると、レミエルは少し首を傾げながら、

 

「それに、よく分からないんですけど、この家に入ってから外のイヤな空気が少し和らいだ気がするんです。だから、本当に、そんなことないって思う……思いたいんです」

 

 レミエルの、思いたいという言葉で、レミエルがカミュへの疑いをまだ持っているということを、秀は悟った。しかし、それは仕方ないことだろう。秀自身ですら、カミュへの疑いを捨てきれていないのだから。二人で考え込んでいると、

 

「どうしたどうした。二人で深刻な顔して。そんな顔しないで、笑わんか。ほれほれ」

 

 台所から出てきた、エプロン姿のカミュが二人の頭を本当に楽しそうにかき撫でた。

 

「気持ちいいです……。えへへ」

 

 レミエルはとろけた表情で呟いた。秀も、全くその通りだと思ったが、レミエルの手前だ。全く意に介さぬふりをして、仏頂面をしていた。すると、

 

「なんだ秀。恥ずかしがってるのか? 私と訓練していた時はあんなに甘えん坊だったのに」

 

 カミュがつまらなさそうに言った。その言葉に、秀は顔から火が出るかと思うほど真っ赤になった。

 

「カミュ! 余計なこと言うな!」

 

「いいじゃないか。どうせレミエルにもそのうち甘え出すんだろう?」

 

「違う! 俺はお前だから甘えてたんだよ! お前がいつも——あ」

 

 秀は思わず口を押さえた。しかし、もう遅い。カミュは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているし、レミエルは目をぱちくりさせている。

 

「あ、そういうことか……納得納得」

 

 レミエルはそう呟くと、うんうんと頷いた。何か思い当たることがあったようだ。

 

「なあ、秀。ひょっとして、私のことが好きなのか?」

 

 カミュが秀に耳打ちしてきた。

 

「多分お前が思ってるような好きとは違うだろうが、俺はお前のことが好きだよ、ずっと」

 

 秀は、恥ずかしいなと思いつつも、今の感情を、一部を隠して偽りなく告げた。カミュは、ふうん、と相槌をうって、台所に戻っていった。その短い反応が、秀には寂しく感じられた。

 

        ***

 

 カミュが作ってきたのはサンドイッチだった。ある程度の腹ごしらえには丁度いい。

 秀たちが近況報告を済ますと、カミュは突然拍手をした。

 

「おめでとう。見事目的を果たせたな」

 

「ありがとう。あんたのおかげだ」

 

 秀はそう答えつつ、心の中で、一つの葛藤をしていた。わざわざ拍手をしたのも気になった。カミュがT.w.dの仲間でないとしたら、先の言葉は心からのものだろう。だが、仲間だとしても、多少は本心も含まれているだろう。疑わなければならないという心と、疑いたくないという心とが鬩ぎ合う。

 

(やめよう。今の目的は、カミュの素性を暴くことじゃない。レミエルも言ってたじゃないか)

 

 秀はひとつ息を吐いて心を落ち着かせた。そして、もともとの目的を達成することにした。

 

「なあ、カミュ」

 

「うん?」

 

「会わせたい男がいる。一緒に青の世界に来てくれ」

 

 カミュは、一瞬きょとんとしたが、やがて笑って頷いた。その笑顔が、秀の心を更に迷わせた。

 

(そんな顔するから——余計疑うのが辛くなるんだろうが……)

 

 秀は、必死に涙を抑えた。

 

        ***

 

 青蘭島の街中を、秀はカミュとレミエルに挟まれて歩く。青蘭島ではαドライバーとプログレスが一緒に行動することが多いため、男女で行動しているからといって、特に何も思われない。女二人に男一人が挟まれていようが、道行く人々は何も思わない。

 

「そういえば秀、貴様が会わせたい男とはどんな者だ?」

 

 カミュが尋ねてきた。思い返せば、男と会わせるとは言ったが、それ以上の情報をカミュに与えていなかった。これはいけないと思いつつ、秀は答えた。

 

「俺の生い立ちを話した時に言ったと思うけど、俺の今の保護者の仲嶺達也だ。こないだお前のことを話したらなんか会いたがってたからよ」

 

「なるほど、そういうことか。それは楽しみだな」

 

 カミュは弾んだ声で言った。その足取りも軽くなったように思える。ふと左を見ると、レミエルが何か言い出そうとしていて戸惑っているような様でいた。

 

「どうした、レミエル」

 

「あ、あの、私、秀さんの生い立ちを聞いたことがなかったものですから。その、聞きたいなあ、と」

 

「そうか。お前にはまだ話してなかったな。場所を変えよう。街中じゃあ話しづらい」

 

        ***

 

 ガブリエラは、秀たちが反転したのを確認すると、ビルの隙間に身を隠した。なぜ彼女がこんなことをしているかというと、買い出しから寮に戻る途中、秀が、レミエルと知らない女と三人でどこかに向かうのを見かけて、見知らぬ者とレミエルの間に何かあったら困ると思って、尾行を始めたのだった。

 

(あの方向……青蘭神社に向かうのか。一体何のつもりだ?)

 

 ガブリエラは、秀たちが通り過ぎたのを確認して、こっそりその後をつけようとした。が、

 

「あれ、あんた、こんなところで何やってんのよ」

 

 その言葉に、ガブリエラは反射的に身を翻し、身構えた。だが、そこにいたのは、あずさ率いるレボ部の面々だった。彼女らも買い出しの帰りらしく、メルトの“ばさし”に荷物を載せている。

 

「ガブリエラ様、どうされたのですか?」

 

 シャティーが恭しく聞いてきた。それに、ガブリエラは眉をひそめた。

 

「シャティー。ここはテラ・ルビリ・アウロラではないし、公儀の場でもない。我に敬意を払う必要はないぞ」

 

「……はい」

 

 シャティーが肯定の返事をするが、しかしまだ恭しさは残っている。恐らくもう身に染み付いてしまっているのだろう。

 

「ねえ、ガブリエラ。あんた、そんなに偉いの?」

 

「ガブリエラ様は、天使の中でも最高位に位置する、四大天使のお一人。ここじゃなくて、テラ・ルビリ・アウロラなら、私みたいな下級天使が、日常的な会話をするなんて畏れ多くて出来やしない」

 

 ガブリエラではなく、シャティーがガブリエラの説明をした。

 

「すごいんですね、ガブリエラさん」

 

 ユノがそう言うのを、ガブリエラは不機嫌に返した。

 

「凄くなどない。我は生まれが生まれだから、今のテラ・ルビリ・アウロラの地位にいるだけだ。才能があっても下級天使の家系に生まれれば一生下級天使のままだ。成り上がりなど、あそこでは夢のまた夢だ」

 

「まるで平安時代みたいじゃん……」

 

 由唯が呟いた。メルトは会話についていけていないようで、首を傾げている。

 

「で、結局あんたここで何やってんの?」

 

 ガブリエラはあずさの言葉を受けて、大分小さくなった秀たちの姿を指差した。

 

「今はレミエルたちを尾行している。見知らぬ者もいるようだから何かあっては困るからな」

 

「つまりストーカーね。レミエルのためなら犯罪行為も厭わないと、そういうことかしら」

 

「違う。師として彼奴を見守らねばならぬからな。決してこれはストーカーなどではない」

 

「そんなの、あんたの事情知らなかったら分からないじゃないの。今のあんたは(はた)から見たら完全にストーカーよ」

 

 言われて、ガブリエラは、自分の行動を俯瞰してみた。そうしてみると、成る程、確かに自分はストーカーのように見える。

 

(……)

 

 ガブリエラは、果たしてこれを続けていいものかと思い直した。だが、レミエルのため、仕方ないことだと開き直って、翼を羽ばたかせ、あずさの声は無視して空を飛んで空を往った。

 青蘭神社の辺りで降り立つと、ちょうど秀たちが石段を登り切った頃だった。ガブリエラは、茂みの中に隠れて、彼らの様子を見る。彼らは、ベンチに座って、何かしら話しているようだった。

 

「何かシリアスな雰囲気ね、あの二人」

 

 ひそめた声の主は、あずさだった。彼女とレボ部は、ガブリエラと同じように茂みに入った。

 

「追いついたのか、汝ら」

 

「ユノに瞬間移動してもらったのよ」

 

 あずさが親指でユノを指した。ガブリエラがその方向に視線を向けると、ユノは申し訳なさそうに頭を下げた。ガブリエラはため息をついて、

 

「まあいい。しかし、この距離だと聞こえぬな。余り近づき過ぎても気づかれるであろうしな。困ったものだ」

 

「私が聞きに行こうか? 私なら透明になれるから、話の内容を、気づかれずに知れると思うけど?」

 

 由唯が胸を張って得意げに告げた。

 

「悪いな。頼まれてくれ」

 

「任せなさいっての!」

 

 ガブリエラが言うと、由唯は頷き、透明になった。それを確認すると、ガブリエラはレミエルをじっと見守った。

 

        ***

 

 秀は、大体のあらましをレミエルに話した。すると、レミエルはどこか空虚な表情で告げかた。

 

「私と境遇が似てますね」

 

「レミエル……?」

 

 秀は、久し振りにこのようなレミエルを見た気がした。初めて会った時の、よく自嘲してた、あの頃のレミエルによく似ている。が、そうであるとも言い切れなかった。

 

「私も、小さい頃、お父さんに……家族に虐められてましたから。ボロ布同然の服を着せられて、お父さんに毎日奴隷みたいにこき使われて……でも、お父さんは私に何も報いなかった。ただ、『片翼の天使など、堕天使にも劣る天使とも呼べぬ劣等種』なんて罵倒してきた。お母さんは普通の天使だったけど、お父さんを止めようともしないで、ただ見ていただけだった……!」

 

 過去を思い出したのか、レミエルの口調が強くなっていっていた。その言葉は、激しい怒りが剥き出しになって表れていた。

 

「私はそんな両親が憎かった! お父さんは世間では勇敢な戦士って評価だったらしいけど、そんなの私に関係ない! 家ではあの人こそ戦士に討伐されて然るべき相手だった! お母さんだってそう。愛情があったなら、私を助けてくれた筈なのに、何もしてくれなかった! 力があったら殺してやるって、そう思ったことだって——」

 

「レミエル」

 

 秀は、激情を吐露し続けるレミエルの肩に手を置いた。レミエルが、はっとして秀を見る。その眼差しは、何かに怯えているようだった。

 

「落ち着け。別に思い出したくなかったら思い出さなくていい」

 

「秀さん、その……」

 

 レミエルは、悪びれた風で訊いてきた。秀は、その頭にそっと手を置いた。

 

「安心しろ。その程度の過去で、人を嫌いになんかなれないさ」

 

「秀さん……。ありがとうございます」

 

 レミエルは、頰を朱に染めて、嬉しそうに微笑んだ。これを見て、やはりレミエルはこうでなくては、と秀は思った。

 

「おい、二人とも」

 

 今まで黙っていたカミュが、真摯な表情で小声で話しかけてきた。

 

「どうやら尾行されているようだ。誰にかは分からんが、とにかく急いでここを出たほうがいい」

 

「分かった。レミエル」

 

 秀はレミエルの手を握った。レミエルが戸惑いの声を上げる。

 

「リンクするぞ」

 

「え、何でですか?」

 

「お前のあの金色の翼を出してもらう。そして一気に達也の家まで俺とカミュを連れて行く。こんなプランだ。外でエクシードの無断使用は禁止されてるが、つけてきてる奴がどんな奴か分からない以上、そんなこと言ってられない」

 

「分かりました。——召喚!」

 

 レミエルの服が、私服からあの薄紫の戦闘装束へと一瞬で変わった。それに、カミュは感嘆の声を漏らした。

 秀とのリンクを終えると、レミエルは構成された金色に輝く光の翼と、元からある翼とを羽ばたかせて宙に浮いた。そして、秀とカミュを魔法で作ったと思われるカプセルのような物に入れて、レミエルは飛翔した。カプセルもレミエルが飛ぶのに合わせて追随する。

 秀は、カプセルの中から街を見る。すると、達也の家がすぐに見えた。カプセルの中でレミエルにそこに降りるよう指示を出すと、レミエルが降下を始めた。それにカプセルも続き、着地した。

 

「どうやら撒けたようだな」

 

 カミュはカプセルから出ると、あたりを見回しながらそう言った。それを聞いて、レミエルとのリンクを切って、秀はインターホンを鳴らした。

 

「お帰り、秀。それと、横にいるのは、レミエルさんと、カミュさんかな? まあとにかく上がって下さいな」

 

 ドアが開き、温和な雰囲気を漂わせた、顔立ちの整った二十代後半の男、秀の保護者の仲嶺達也が、愛想笑いを浮かべて言った。

 

        ***

 

 レミエルたちが飛び去るのを見届けると、由唯が透明化を解いた。その顔には、気難しそうな表情が浮かんでいた。

 

「あのさ、話の内容だけど……聞きたい?」

 

「いや、いい。大体分かった」

 

 ガブリエラからも、レミエルの表情は見えていた。レミエルがあそこまで怒りを露わにするということは、彼女の身の上話をしていたのだろう。そのことを容易に想像できたからだ。

 

「さて、どうやら見失ってしまったようだし、帰るか」

 

「そうね。まったく、余計な時間食っちゃったわ。さあ、みんな帰るわよ」

 

 あずさは言うと、レボ部の面々が立ち上がって、それぞれ歩き出す。その際、シャティーはガブリエラに礼をしてきた。

 ガブリエラはそれを見送ると、まだ幼かった頃のレミエルを思い出した。あの時の生気のなかった虚ろな瞳は、今や優しさの中に、強固な意志がある物となった。それがあれば、彼女はどこまでも強くなれる。それだけの素質が彼女にはあった。

 

「我の役目も、ほとんど無いか」

 

 ガブリエラは、己の両手を見つめた。ずっとレミエルを引っ張ってきた手だ。だが、その引っ張る手は、もう少しで解けそうだ。

 

「上山秀。汝が、我の手を受け継ぐがいい。我よりも、余程強く引けるだろう」

 

 ガブリエラは、両方の手の平を一旦広げて、強く握り締めると、石段をゆっくり下っていった。

 

        ***

 

 秀たちは、達也の家の縁側に腰を下ろした。達也の家は、すべての部屋が畳張りで、また戸の磨りガラス以外は、家にガラスが無く、全て障子だったり、部屋と部屋は襖で仕切られていたりと、青蘭島の家としては珍しい和風の家だ。更に庭園まである。その敷地は二百坪。その内の七十坪はこの家で、後は庭園だとか物置小屋だとかだ。

 一介の警察官でしかない達也がどうしてこのような家を持っているかというと、親と兄が成功した実業家で、かなり金が有り余っており、達也の家の建築費用まで出してくれたということで、達也の趣味全開の家を建てられた、ということらしい。

 秀たちが居るのは、縁側の中でも、風通しが良く、また庭園が美しく見える場所だった。その庭園は、枯山水の様式で、砂でできた、溝で流れを再現された池に、苔の生えた置き石が所々に配置されていて、その池を紅葉の木と、丸くなるよう手入れされたサツキが囲っていた。お世辞にも素晴らしいものとは言えないものの、物寂しい感じはあった。

 

「いやあ、下手の横好きの庭園で申し訳ないけど、お茶を淹れてくるから、ちょっと眺めて暇をつぶしてくれませんか?」

 

 秀は「おう」と返事をして、カミュたちに話を振る。

 

「どうだ、あいつ。中々いい奴だろ」

 

「確かに。好感の持てる青年だ」

 

 カミュは満足そうに告げた。レミエルも、そう思ったと言った。それから、カミュが庭園を見ながら告げる。

 

「日本庭園というのは初めて見たな。なかなか風情があるものだな」

 

「言っとくけど、これはヘナチョコだからな? 日本本土に行けばこんなのよりもっと凄いの沢山あるぞ」

 

「日本本土ですか……私は地球で、青蘭島の外に出たことはありませんね。どんな感じなんですか?」

 

 レミエルが興味津々、といった感じで尋ねてきた。それに、秀は普段は全く使わない携帯電話を取り出して、不慣れな手つきで操作し、ネットに上がっている日本庭園の画像を見せた。

 

「ほれ。日本を代表する枯山水庭園の一つ、大徳寺龍源院方丈前庭だ。全然違うだろう」

 

「うーん、申し訳ないですけど、言われてみれば……確かに……」

 

 レミエルは画像と達也の日本庭園を見比べながら言った。カミュも同意するように唸る。と、その時、障子がスッと開いて、急須と湯飲みを三つ盆に載せた達也が出てきた。

 

「お待たせしましたね。さ、どうぞどうぞ」

 

 静かに茶が汲まれる。秀はその内の一つを取って、少し飲んだ。それにならって、レミエルとカミュも茶を飲む。

 

「美味しいですね。好きな味ですよ、これ」

 

 カミュが茶の味を賞賛する。それに、達也はカミュの隣に座って、笑みを浮かべて返す。

 

「褒めていただき光栄です」

 

 一方、レミエルは、茶にふー、ふー、と息を吹きかけて、冷ましながら飲んでいた。実に可愛らしい光景だった。居心地の良い和んだ空気が漂う。その空気を感じながら、秀が茶を口に含むと、

 

「しかし、秀がガールフレンドを家に連れてくるなんて思ってもなかったなあ。男友達より先に連れてくるとは、秀も案外やり手だね」

 

 達也の言葉に、秀は、口の中の茶を飲むと、ムッとして達也に抗議した。

 

「男友達が出来ないんだから仕方ないだろう。誰も寄り付かないんだし」

 

「それは自己紹介の時に自分の人生を明かしたからだと思うけどな」

 

 その言葉が、秀を少し押し黙らせた。そして、秀は目を逸らして、弱々しく返事した。

 

「……あれは、自分のことを話せって言われたから話しただけだ」

 

「え、秀さん、そんなこと言ったんですか?」

 

 レミエルが驚いたように聞いてきた。秀はそれに頷く。

 

「一番最初の、だけどな。もっとも、どうせその時同じクラスだった連中は内容忘れてるだろうが」

 

 秀はため息をついた。あの頃が一番退屈な頃で、村にいた時とは、別の意味で苦痛だったからだ。

 

「ははは。秀の負けだね。ところでカミュさん。失礼だとは思いますが、歳はいくつですか?」

 

「私ですか? 20歳ですよ」

 

 そのカミュの達也に対する答えに、秀は思わず跳ね上がってしまうほど驚いた。

 

「おま、おま、お前が20歳!? 嘘だろ!?」

 

 秀の言葉に、カミュは呆れたように返した。

 

「貴様は私を幾つだと思ってたんだ? まさか年下かと思ってたんじゃないだろうな」

 

「いや、せいぜい十代じゃないかなあと」

 

「ふん、まあ、今、覚えてくれればいい。それはそうと、達也さん。こんな大邸宅、お手伝いもなしに、手入れが大変でないですか?」

 

「いや、そんなことないですよ。まあ、半分趣味ってこともありますがね」

 

 カミュは達也に話を振って、そのまま達也と二人で話し始めた。気が合ったのか、会話がよく弾んでいる。

 

「いい雰囲気ですね、秀さん。私たちも、はたから見たらあんな感じなんでしょうか」

 

 レミエルが呟くように話し掛けた。その目は言葉を交わし合う二人の男女に向いていて、憧れを感じさせる眼差しだった。

 

「……そうかもな」

 

 秀はそう答えながら、達也とカミュが結ばれたら、ということを考えていた。二人とも、秀とは兄弟程度の歳しか離れていないが、秀にとっては、父母のような存在だ。

 

(たまに寮じゃなくて家に帰ったら、達也とカミュがお帰りって言ってくれて、カミュが飯作ってくれて、達也が色んな話をしてくれて、寝る時は三人で寝たら……それは、大層幸せだろうな)

 

 その理想の生活は、秀が実の親から受けたことのなかった、家族愛に溢れたものだ。秀が渇望してやまない、極端に言えばレミエルとの間にある愛情さえも霞んでしまうようなもの。だが、“T.w.d”がいつ来るのか分からない以上、そのような日々を悠長に待っていられない。今こうしている間にも、T.w.dが来るかもしれない。

 秀は、夕方の西の空を見つめた。黒い雲が際限なく続いている。明日から、しばらく雨になりそうだ。

 

        ***

 

 その夜。秀たちは、達也の家を出て、カミュを(ハイロゥ)まで送って、寮のそばまで帰ってくると、由唯が待っていたように佇んでいた。彼女は秀たちに気付くと、歩み寄ってきて「ごめん」と、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「あんたたちの過去、盗み聞きしちゃった。あーちゃんたちとの買い物の帰りであんたたちを見かけて、なんか話してたからちょっと聞いただけだったの。あーちゃんたちには話さないからさ、許してくれないかな」

 

 秀は呆気にとられていたが、由唯が顔を上げる間、段々と思考がまとまってきた。カミュが、尾行されている、と言っていたのは、由唯のことらしい。

 

「いや、問題ない。俺は聞かれても構わないから。ただ……」

 

 秀は横目でレミエルを見た。すると案の定、レミエルは真っ青な顔で、唇を震わせていた。

 

「由唯、その……私のこと、嫌いになったりしない?」

 

 レミエルは、脂汗を垂らしながら言った。由唯は慌てたように首を振った。

 

「大丈夫、大丈夫だって! 過去の出来事くらいで嫌いになるなんて無いっての!」

 

「そ、そうなんだ……良かった」

 

 レミエルは、安心したように溜息をついた。由唯も、それを見てふう、と少し息を吐く。

 

「鶴谷、いいか」

 

 秀は由唯を呼び寄せた。そして、レミエルに聞こえないよう、声を潜めて告げた。

 

「お前たちレボ部は、T.w.dが来た時どうするつもりだ?」

 

「私たちは戦うつもり。大切な場所だから、ここは。だけど、メルトちゃんは、あの子が戦いたいって言っても止めるつもり。ジュリアの時は連れて行ったけど、やっぱりメルトちゃんのようなちっちゃい子に、人殺しなんてさせたくないから」

 

 由唯は壮烈な顔で答えた。覚悟を秘めた瞳が秀を射抜く。その志は素晴らしい。だが、エクシードの訓練は授業でしているとはいえ、不安な点はいくつかある。

 

「その気持ちは良いものだが、T.w.dとの戦闘は、少人数対多人数での戦闘になる。ブルーミングバトルとは違う。ジュリアの時は、覚悟さえあればバトルの感覚で戦えたからいいが、T.w.dとの戦いは、やり方を覚えないと勝てはしない。そこだけ留意してくれ。やり方くらいなら俺でも教えられるから、何も知らないよりはマシになるだろう」

 

「うん。ありがと。あーちゃんたちにも言っとく」

 

 由唯はそう告げると、急ぎ足で走り去っていった。入れ違いに、レミエルが秀に歩み寄る。

 

「秀さん、由唯に何を話してたんですか?」

 

「なに、大したことじゃない。それより、お前、誰にでも丁寧語って訳じゃないんだな」

 

 秀は、話を切り替えた。話がやや重くなっていたからだ。レミエルは秀の意図を察したのか、明るめの表情で答えた。

 

「そうですね。友達に対しては、丁寧語じゃなくてタメ口で話してます」

 

「へえ。いつの間に鶴谷と仲良くなったんだ?」

 

「春休みに入ったくらいの頃ですね。レボ部のみんなと勉強会をやったら、とても仲良くなりました」

 

「そいつは良かった。でも、俺に対しては相変わらず丁寧語なんだな」

 

 レミエルは「あ」と、間の抜けた声を出した。

 

「タメ口の方がいいですか?」

 

「どっちでもいい」

 

「じゃあ、ちょっとやってみましょうか、しゅ、秀……」

 

 レミエルは名前を呼び捨てにするだけで真っ赤になってしまった。秀は、そのような彼女の姿を見て、とても安らいだ気分になった。可愛くてたまらない。これだけでも、レミエルと恋仲になった甲斐があったというものだ。

 

「レミエル、無理しなくていいぞ。キツいならいつも通りでいいさ」

 

「そ、そうですよね。あはは……」

 

 レミエルは頰を掻いて、照れたように笑った。素敵な笑顔だった。この笑顔が、T.w.dとの戦いの合間にも見れますように。秀は、そう願い、そしてレミエルに告げた。

 

「レミエル、頑張ろうな」

 

 レミエルが笑みを湛えて頷く。それを見ると、秀はふと空を見上げてみた。天は雲に覆われている。星の光一つ見えやしない。



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襲来
前哨戦


 4月9日。始業式を終えた次の日の、曇りの朝、秀は新しい教室で居眠りをしていた。どうやら、秀たちのクラスは対戦成績が優秀な者たちを中心に集めたクラスらしい。対戦実績の全くない秀がこのクラスにいるのは、ジュリアの一件が絡んでいると見える。だが、秀にとってはそんなことはどうでもよかった。クラス関係無しに、学校とは寝る場所である。それ以外の何物でもない。

 

「秀さん、起きてください。もうすぐ始業のチャイムが鳴りますよ」

 

 レミエルのヒソヒソ声が聞こえる。だが、こればかりは譲れない。無視して、そのまま机に突っ伏していると、頭を刃物のようなものが掠めた。慌てて起きて、周りを見る。すると、ミリアルディアを一本手に持ったアインスが、眉を寄せて佇んでいた。アインスとも同じクラスだった。他にも秀の知り合いで同じクラスなのは、二年生のレボ部、つまりあずさと由唯とメルトと、L.I.N.K.sの五人(彼女らとは、ジュリアの件の事後報告の時に知り合った)と、ユニとセニアだ。つまり秀の知り合いが全員同じクラスだった。

 アインスは秀を睨んで言う。

 

「上山。起きなきゃダメ」

 

「エクシードの無断使用は禁止だぞ」

 

「バレなきゃいい」

 

 なぜか勝ち誇った顔でアインスは言った。それを見て、付き合ってられないと、秀はため息をついてそっぽを向いた。すると、アインスの鼻笑いが背後から聞こえた。勝ったとでも思っているのだろう。また深いため息をして机に突っ伏すと、今度は頭を軽く叩かれた。むっとして頭を起こすと、そこには笑顔の美海がいた。

 

「やっほー、秀くん」

 

「……俺と日向は挨拶を交わすほど仲が良かったか?」

 

「やだなあ、無愛想で。お互いに知らないわけでも無いんだし。これから友情を深めていこうよ」

 

「これ以上女の友人が出来てたまるか。なんで俺には男の友人が出来ないんだよ!」

 

 秀が机を叩いていきり立つと、スッと見知らぬ男が美海と秀の間に割り込んできた。その男は細身の長身で、黒いコートのような服を着ている。そして、左右で異なる色、紅と碧の瞳を持っていた。髪は短く、地球人らしからぬ銀色だった。顔は美形。道を歩けば七、八割の女性が振り向くレベルだろう。

 

「誰だお前」

 

 秀が訊くと、その男は苛つくくらい優美な笑みを浮かべて答えた。

 

「私はジークフリートと申します。黒の世界(闇に眠る黒姫の棺)出身の竜族で、あなたのクラスメイトです。あなたが男の友人が出来ないと嘆いておりましたので、ぜひ友達になりたいと、こうして馳せ参じた次第にございます」

 

「断る」

 

 秀は即答した。秀の周りの、秀の知り合いが示し合わせたように「えーっ!?」と声を上げた。ジークフリートは目を丸くして秀に尋ねた。

 

「ど、どうして? あなたは男友達が欲しいのではないのですか!?」

 

「お前のようなムカつく態度と喋り方の友達なんかいるものか」

 

 秀が突っ撥ねると、レミエルが小声で耳打ちしてきた。

 

「秀さん、そんなこと言ってちゃ友達出来ませんよ」

 

「じゃあお前はあいつと積極的に友達になりたいと思うか?」

 

 秀が口を尖らせて答えたら、レミエルは言葉を止めてしまった。

 

「こういうことだ。他を当たれ」

 

 秀が突き放すように言うと、今度は金髪の、右目が金で左目が赤の女が笑いながら近づいてきた。

 

「悪い悪い。こいつは昔からこういう話し方なんだ。根は悪い奴じゃ無いから、仲良くしてやってくれ」

 

「誰だお前は。この銀色と何か関係あるのか?」

 

「銀色!? そんな不名誉な呼び方は――もがっ」

 

 金髪の女は会話に割って入ってきたジークフリートの口を押さえてそのまま()けると、愛想のいい笑みを表情に出して言う。

 

「あたしはクラリッサ。ジークフリートと同じ竜族だ。で、ジークフリートは私の昔からの腐れ縁で、今は私のαドライバー。こんなところだね」

 

「ふうん」

 

 秀はわざと辛辣に対応した。すると、クラリッサがため息をついて言った。

 

「やれやれ、ホントに女子の知り合いを増やしたくないみたいだな」

 

「当たり前だ。女たらしとかチャラチャラした奴とか思われたら困る」

 

 そう言うと、美海が少し怒ったように言った。

 

「そんなことないよ! 秀くんが女たらしなんて、誰も思ってないから! ねえマユカちゃん!」

 

 たまたま近くに居たマユカに、美海は唐突に話を振った。だが、マユカは上の空で、話の内容など聞いていないようだった。

 

「ちょ、ちょっとマユカ?」

 

 ソフィーナが、異常だと感じたのか、マユカに声をかける。だが、彼女は返事をせず、魂が抜けたようにただつっ立っている。その様を、アインスが訝しむように見つめていた。

 何回か話し掛けられて、マユカはようやく我に返ったように口を開いた。

 

「ご、ごめんなさい! 私、ちょっと考え事してて……」

 

「いいよいいよ。悩みごとがあるなら、何でも相談に乗るからさ!」

 

 美海がマユカの肩を叩いて言った。マユカは驚いたようにその体を震わせる。よく聞く噂通りの、小動物めいた反応だ。軍人らしからぬ雰囲気。だから、マユカをじっと睨むアインスのことが不思議でならなかった。

 

「サナギがどうかしたのか、エクスアウラ」

 

「私が思うに、彼女はT.w.dの構成員である可能性が高い。仮に彼女がそうでなかったとしても、この学園に奴らが紛れ込んでる可能性は高い。なんとか対策を立てないと、内部から崩壊する」

 

 アインスは声を潜め、淡々と答えた。

 

「じゃあ、サナギを今捕らえるというのは」

 

「それはダメ。周りがそれを信じる可能性が低い。むしろ私たちが疑われる」

 

 秀は、なるほど、と頷いた。アインスの言う通りだろう。すると、近くに小さい気配を感じた。

 

「なあにコソコソ話してんのよ」

 

 ルビーが秀とアインスの間にぬっと入ってきた。二人とも、特に驚く素振りを見せず、二人同時にルビーの頭を押しのけた。

 

「話聞いてないだろうな」

 

 秀が訊くと、ルビーは憤慨したように秀とアインスを怒鳴りつけた。

 

「何すんのよ! あんたらの秘密話なんか聞くわけないじゃない!」

 

「質問に答えてくれてありがとう。じゃあな。さっさと去りな」

 

 秀がルビーを手で払うと、また怒ったように歯を剥いて、「私をコケに――」とまで言ったところで、始業のチャイムが鳴った。各々が会話をやめ、自分の席に座る。いつもならここで担任教師が入ってきて、ホームルームを始めるところだが、今日は違った。担任教師が入ってきたところまでは同じだった。だが、担任教師が教卓の前に立った瞬間、教室のスピーカーにノイズが走った。皆が、スピーカーに注目する。

 

「あー、あー、マイクテスト、マイクテスト。青蘭学園のみんな、聞こえる? 私はT.w.dの総帥、アイリスだよ。ちなみにこの学園のスピーカーから声を流しているだけで、今学園に私がいるわけじゃないよ」

 

 朗らかで、朗らかすぎて、かえって不気味な声だった。秀の背中を冷や汗が伝い、口の中が乾いてきた。

 

「さて、本日4月9日、我々T.w.dは青蘭学園に総攻撃を仕掛けるよ。攻撃開始は正午ちょうど。但し、それまでに青の世界の世界水晶をこっちに渡してくれれば、攻撃はやめてあげる。よく考えて。じゃあね」

 

 放送はそこで終わった。教室には沈黙が漂う。秀が周りを見てみると、以前ジュリアとの戦闘に関わった者たちは、表情を引き締め、今からでも戦闘できるかのような佇まいだった。しかし、ユーフィリアだけは、何かブツブツ呟いていた。

 対し、他の者らは、ショックが大きかったのか、呆然としている者がほとんどだった。

 秀は、己の手を見つめた。多少の手汗はあったが、震えてはいなかった。

 

        ***

 

 放送を終えると、アイリスはアジトのホールに整列していた、八千人あまりの出撃準備万端のT.w.dの構成員たちの前に立った。隣には、人間の状態のアルバディーナがいる。ふぅ、と息を吐くとアイリスはホール中に響く声で告げる。

 

「みんな、いよいよ出撃だね。作戦の変更はなし。それで、まずは青蘭島の占領、ひいては青の世界水晶の破壊が目的なわけだけど、この戦いには大義があっても、善悪の区別はないんだ。戦争ってそういう物なんだけどさ」

 

 少し息継ぎをする。やはり、何人もの人たちの前で話すのは緊張する。

 

「だから、自分が善だ、とか悪だ、とか思ってる人がいたら、それを捨てて欲しい。善だって思う人は多少奢りが出る。それが命取りになっちゃう。悪だって思う人は、多少罪悪感が出る。またそれも命取りになっちゃう。こういうわけで、捨てて欲しいんだけど、難しいよね。だからそこは、みんなとカバーし合って上手くやってほしいな」

 

 アイリスは前にいる人たちの顔を見る。真剣な表情で、自分に反感を持っているような人はいなさそうだ。

 アイリスはアルバディーナに目配せした。アルバディーナは頷いて、アイリスと入れ替わって告げる。

 

「今から、一部隊づつ青蘭学園を取り囲むようにに転送します。私が指示を出すまで、勝手な行動は慎むこと」

 

 了解、の唱和。アルバディーナは魔法の詠唱を開始する。それが終わると、一部隊がその場から消えた。更に、もう一部隊と、転送されていく。最後に、アルバディーナとアイリスだけが残った。アルバディーナにはアイリスに伝えたいことがあった。

 

「ねえ、アイリス。私、この能力を多少制御できるようになったの。あなたのおかげよ」

 

「え、私のおかげ?」

 

 アイリスは虚をつかれた風に言った。

 

「うん。こんな自分で制御できなくて気味の悪い異能(エクシード)を持つ私にも、あなたはごく普通の人間として接してくれた。だから、あなたの力になれるようにって頑張って練習して、なんとか蟲になるタイミングくらいは自分で制するようになれたのよ。だけど、これだけじゃ足りない。だから、エンハンストをくれないかしら?」

 

「あれは……辛いよ? 確かに異能はαドライバーとリンクした時並みの強化が為されるけど、気持ち悪いし、苦しいんだよ。それでも、いい?」

 

 アイリスに、アルバディーナはゆっくりと、強き意思を以って頷いた。すると、アイリスは観念したように、T.w.dの制服のポケットから、エンハンストを取り出し、アルバディーナに差し出した。

 

「ありがとう、アイリス。愛してるわ」

 

 そうして、二人がそこから消えた。アジトのホールには、虚無だけが残った。

 

        ***

 

 あの放送の後、ユニは会議室に呼ばれたが、秀たちは教室待機を命じられた。不安に駆られている者が多数だったが、ジュリアの一件に関わった者や、一部の戦い慣れしているような者は、冷や汗ひとつかいていなかった。誰も話さない。今言葉を発しているのはユーフィリアくらいだが、彼女もせいぜい何か呟いているくらいだ。その中、アインスが、ふと天井を見た。セニアもきょろきょろしている。

 

「どうした、エクスアウラ」

 

 セニアの席は遠いが、アインスはすぐ後ろの席だ。声を潜めてもそれは届く。

 

「恩を返しに行ってくる。ユニにはトイレに行ったと言っておいて」

 

 秀が首を傾げているうちに、アインスは駆け足で教室を出て行った。それからしばらくして、ユニが戻ってきた。ユニは教壇に立つと、軍人らしい威厳を以って言い放った。

 

「我々は、テロ組織T.w.dに対して徹底抗戦をすることに決めた。これは青蘭学園首脳部の決定であり、貴様らに拒否権はない。但し、現時点において戦闘意欲のない者は起立し、体育館に移動しろ。そこは軍病院として機能する。衛生兵として、傷病者の手当てをしてもらうことになる」

 

 ユニの言葉に、クラスの半数近い人が教室を出て行った。残ったのは秀の見知った顔の者ばかりだった。その秀たちに、ユニは告げる。

 

「貴様らには戦闘員として参加してもらう。が、L.I.N.K.sの五人は別だ。貴様らには、小鳥遊希美と共に、戦場の鼓舞をしてもらう。但しこれは戦線が安定している時のみで、それが危うくなれば、すぐに戦闘に参加してもらう。分かったら、五人は第一アリーナに行け。そこで小鳥遊希美と合流しろ」

 

 美海たちが、引き締まった表情で教室から退出していく。それを見送ると、秀はユニに目線を戻した。

 

「さて、今この教室に残っている者全員で一部隊とし、私が隊長となる。外にはもう敵がいるし、正午まで二時間くらいある。もうすぐにでも準備に取り掛かってもらう。が、おい、レボ部。メルトの電源は切る、ということでいいんだな」

 

「ええ。もうとっくに切ってあるけどね」

 

 あずさはそう言って、メルトを持ち上げて見せた。なるほど、確かに目を閉じてピクリともしていない。それを見たユニは、一度全体を見渡すように首を遅く回していると、途中で止めて、急に焦ったように言った。

 

「お、おい、アインスはどうした? あいつが戦闘意欲が無いなんて思えないんだが……」

 

「エクスアウラならお前が来る前にトイレに行くとか言って教室出たぞ」

 

 秀が答えると、ユニはしばらく肩を震わせていたが、やがて教卓を思い切り叩いて、あらん限りの声で叫んだ。

 

「――あの馬鹿者が!」

 

        ***

 

「はばかりを介錯します」

 

 三年生の教室で、カレンは、隣の席のフィア・ゼルストがそう言ったのを横目で見た。まだ正午までは多少時間もあるし、戦闘訓練を受けている緑の世界出身者の余裕、としても見れたが、どうにも胡散臭く思えた。彼女が教室を出て行ってから、カレンも手を上げて、

 

「トイレに」

 

 とだけ言って、教室から出て、フィアを尾行する。足音はなるべく鳴らないように、空気の流れも出来る限り変わらないように、フィアの後を追う。フィアはトイレに入った。本当にトイレに行きたかっただけなのか。それとも、それにカモフラージュして何かするのか。まだ分からない。

 フィアが個室に入る。カレンは、その個室をドアを透過して覗いた。すると、スカートを下ろさずに、フィアがトイレの水の中に幾つもの粒を入れているのが分かった。その成分を解析する。

 

(――時限爆弾! やはり!)

 

「ディストーションモード……起動!」

 

 カレンは問答無用で右脚で蹴りを繰り出す。空間を捻じ曲げ、全てを破壊する、必殺の蹴りを。ドアが破壊される。そのまま中のフィアに蹴りを入れようとするが、フィアはカレン側に飛び込んで躱す。蹴りは外れ、その衝撃波も、フィアの服の背面を破るだけに終わった。

 

「スマッシュ・ファウスト」

 

 フィアが呟く。巨大なバズーカがフィアの右手に出現する。フィアはその華奢な体躯からは想像もつかないような俊敏さで、スマッシュ・ファウストの銃口をカレンに向けた。その引き金が引かれると同時に、カレンは左脚だけで後ろに跳躍した。弾丸は外れ、壁で爆発する。その爆風を利用して、トイレから出た。あの狭い部屋では、角に詰められたら一巻の終わりだ。

 フィアがスマッシュ・ファウストを携えて出てくる。スマッシュ・ファウストの先端が、トイレの出口から姿を現した瞬間、カレンはそこを蹴り壊した。フィアはそれを気にも留めず、カレンの前を駆け抜けて、一定の距離を置いて新たなスマッシュ・ファウストを出現させる。が、カレンはそれを使うのを許さない。一瞬で距離を詰め、スマッシュ・ファウストを破壊する。

 このやり取りが、10回ほど繰り返された辺りで、カレンはフィアに告げた。

 

「いい加減に諦めなさい。私はアンドロイドで、あなたは人間。あなたがいくら優れていようと、疲れを感じない私とは圧倒的な差があります。大人しく投降なさい」

 

 だが、フィアはカレンの警告を無視し、また新たなスマッシュ・ファウストを出した。カレンはそれを破壊する。パターン化された動き。また、距離をとって新しいのを出すのだろう。そう思っていたが、フィアはそのままの状態で、左手にスマッシュ・ファウストを顕現させた。カレンは、己の負けを自覚した。蹴った直後で、如何にアンドロイドと言えど、硬直してしまっていてはアンドロイドか人間かなどは関係ない。弾丸が放たれる。カレンは出来る限り身を捻ったが、回避は出来なかった。右半身が完全に破壊され、残った左半身も吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。多量の潤滑油が血のように床に広がり、内部機構が内臓のように飛び散っている。その中を、フィアが歩き、立ち止まって、カレンに銃口を向ける。

 もはや、これまでか――そう、死を覚悟した時だった。ふたつのどこかで見たようなナイフが宙を舞い、油断していたフィアの左腕を切断した。フィアが振り向く。カレンもフィアの視線の先を見ると、そこには、息を切らしたアインスが、殺気を放って佇んでいた。

 それを見たフィアは、勝ち目がないと悟ったのか、煙幕を張った。アインスがミリアルディアにフィアを追わせるが、煙幕が晴れた頃には、フィアはとっくに居なくなっていた。

 安心感からか、カレンは自分の意識が遠のいていくのを感じた。アインスが駆け寄ってくるのを感じる。

 ――ああ、時限爆弾がしかけられているのを伝えなければ――思い出したが、口が動かない。スリープモードに入りかけているようだ。死ぬわけではない。だが、せめて伝えねば。そう思ったまま、カレンの意識は闇に沈んだ。

 

        ***

 

 午前10時半頃。学園内に内通者がいる、という情報は、瞬く間に学園中に広まった。また、そのおかげで一人のアンドロイドが重傷を負ったというのも、混乱に拍車をかけた。

 

『学園にスパイがいたそうだな。しかも我がグリューネシルト統合軍の、フィア・ゼルストとはな。俺も心底驚きだ。アゲハ』

 

 青蘭学園軍団の指揮官に任命された統合軍中佐のアゲハ・サナギだけがいる第一会議室で、モニター越しに統合軍大佐、ミロクが口角を上げながら告げた。

 

「まさかとは思いますが、彼らの仲間が統合軍にいるのを知っていたのでは?」

 

 アゲハが尋ねると、ミロクはそれを笑い飛ばした。

 

『馬鹿言え。彼らの目的はプログレスへの復讐と世界水晶の破壊だ。俺たちの目的はあくまで青の世界水晶の奪取だ。利害が一致しないし、俺もいちいち統合軍全員の生活をモニターしてる訳ではない』

 

「……分かりました。必ずや、目的の達成のため、T.w.dを滅ぼします」

 

 ミロクが笑って頷くのを見ると、アゲハはモニターの電源を切った。そして、首から下げているペンダントを握る。

 

「マユカ、死なないで」

 

 そう祈った時、会議室のドアが開けられた。入ってきたのは、副官として任命された統合軍中佐、スレイ・ティルダインだった。

 

        ***

 

 美海は、憂鬱な気分で第一アリーナに入った。L.I.N.K.sの皆とは、教室を出てから一切会話を交わしていない。顔すら見ていなかった。そのような余裕がなかったからだ。

 

(どうして、こうなっちゃったんだろう……)

 

 前にジュリアと戦う時も、こんなことを思った。同じプログレスでありながら、彼女は自分らを殺そうとしていた。そして、あのアイリスという少女も、恐らくはプログレスだ。更には、T.w.dの内通者がいるとも、先ほど放送で流れた。協力し合って世界の異変の解決を急ぐべきなのに、彼女らはそれを阻害しようとしている。話せば分かってくれるだろうかとも思ったが、廊下の窓から見えた大勢のT.w.dの部隊を見てしまっては、そんな気も失せてしまった。

 

「あ、美海ちゃん……。ソフィーナちゃんたちも」

 

 第一アリーナに、ライブの衣装の希美がいた。彼女は自分に笑いかけてくれたが、その目は今にも泣きそうだった。

 

「もう、そんな顔しないで、美海ちゃん。みんなに歌を届けなきゃいけないんだから、暗い顔してちゃダメだよ」

 

「そう、だよね。ごめん」

 

 美海は、なんとか笑って見せた。その笑顔のまま、振り返ってみる。ソフィーナたちも、頑張って笑みを浮かべているようだった。と、そこで、マユカがその場にいないことに気がついた。

 

「ねえ、マユカちゃんは……?」

 

 ソフィーナたちは、ハッとして辺りを見回すが、マユカは見つけられない。アリーナの外にも、マユカはいなかった。

 

「美海ちゃんたち、歌の方は私がなんとかするから、マユカちゃんを探してきて!」

 

 希美が懇願するように言う。美海は、それに強く頷く。

 

「分かった、任せたよ! ユフィちゃんとルビーちゃんは教室棟をを探してきて! 私とソフィーナちゃんはその他のところを探すから!」

 

 皆が一斉に頷く。それを見て、美海はソフィーナの手を取って、ユーフィリアはルビーと共に走り出した。

 

 ユーフィリアは走りながら考える。今のこの出来事を。

 

(これは、やっぱり違う。私の知る破滅の未来じゃない。私がこの世界に来たから、こうなったとでも言うの……? 七女神アウロラが覚醒して、順調にいってると思ったのに――)

 

「ユフィ、あれ!」

 

 ユーフィリアはルビーの声で我に返った。薄暗い廊下に、一人誰かが立っている。今は生徒は教室に待機しているか、若しくは体育館にいるはず。だとしたら、立っている誰かもまた、内通者である可能性が高い。

 人影に近づくにつれ、その誰かがはっきりしてきた。ローブを纏い、右半身に包帯を巻きつけたその姿は、間違いなく、触れた者の命を奪う呪いを持った少女、イレーネスだ。ユーフィリアは彼女とあまり言葉を交わしたことはなかったが、その名は知っていた。

 

「あなたたちは、私をどう思うの?」

 

 イレーネスが唐突に訊いてきた。ユーフィリアは立ち止まって、それに答える。

 

「特別なことは思いません。私はあなたをこの学園の一生徒として見ています」

 

「――嘘ね。あなたはそんなことを一欠片も思っていない。思っているのなら、そこから私に近づいてみせなさい」

 

 ユーフィリアは、右足を前に出そうとして――躊躇した。罠かもしれない。この足が前に出た瞬間に、右脚がなくなっていても不思議ではないのだ。それを見たイレーネスは、ため息をついて告げた。

 

「やはり、嘘だったようね。まあ、あなたの推測通り、私はT.w.dの構成員よ」

 

「どうして!? どうして、あんな奴らの味方するのよ!?」

 

 ルビーが叫ぶ。イレーネスは、虚ろな目でルビーを見た。

 

「私は自由を求めて、友のモルガナと共にこの学園に入学した。大らかな校風だって聞いていたからね。確かに表向きはそうだった。でも、ある時、裏で私とモルガナが厄介者扱いされていることに気づいたの」

 

「そんな……」

 

 ユーフィリアは知らず知らずのうちに後ずさりしていた。足場がなくなった気分だった。

 

「それで、失意の中で私たちはアイリスと知り合ったの。そして、彼女を信じてT.w.dに入ることにした。これで分かったかしら。私が彼らの味方をする理由が」

 

「ええ。あなたが私たちの敵というのはよく分かったわ。考え直しては……くれなさそうね。なら」

 

 ルビーが祈りを始める。ユーフィリアも、時間航行機関を起動させる。イレーネスは包帯を取り、呪いを受けたその腕を晒す。

 

「封印、解――」

 

 ユーフィリアが時間跳躍を行おうとした、その瞬間。背後から猛烈な力で床に叩きつけられた。

 

        ***

 

 マユカを探すこと数十分程度。美海は、実験棟でマユカと思しき青髪を見かけた。

 

「マユカちゃん!」

 

 美海が呼ぶと、返事の代わりとでも言うように、その青髪の人影は足早に駆けていった。

 

「マユカに間違いないわね。追うわよ!」

 

 ソフィーナがその人影を追って走り出す。美海も続いて走る。いつの間にか、ジュリアと戦った、あの廊下を走っていた。人影が振り返る。彼女は確かにマユカだった。だが、その佇まいは美海たちがよく知る彼女ではなかった。服は赤と黒の、統合軍の制服とは似て非なる物で、その右手には大剣のグリム・フォーゲル。美海たちを睨むその瞳には、あらん限りの殺意。もう友達ではない。美海は本能的にそれを悟った。と同時に、これが夢であることを願った。

 

「マユカ、あんた……!」

 

 ソフィーナが歯を剥き、右腕を前に突き出して魔法陣を展開する。

 

「あんたも、T.w.dのスパイだっていうの!?」

 

「はい。その通りです」

 

 マユカが即答したのは、無慈悲な答え。どう考えてもふざけている様子はない。となれば、やはりこれは真か。

 

「マユカ、ちゃん。嘘、だよね?」

 

 美海は、張り付いた笑みを浮かべ、希望を込めて訊いた。だが。

 

「いえ。これは真実です。これより私はあなた方を殺害します」

 

 立つだけの力も打ち砕かれてしまったようだ。美海は膝をついた。絶望という物を、初めて味わった。

 

「美海、下がって! あんただけでも――」

 

 ソフィーナが叫んでいる間に、マユカはグリム・フォーゲルの刃を隠すように背中に持っていき、ソフィーナに突進した。ソフィーナは、魔法陣から炎を出して迎撃しようとしたが、その炎が一瞬止まった。その隙を、マユカは逃さなかった。刃が閃き、ソフィーナの右腕を下から切り上げる。鮮血が飛散する。白く細い腕が、ポトリと軽い音を立てて床に落ちる。

 ソフィーナの絶叫。苦しみに喘ぐ彼女を見ても、マユカは眉一つ動かず、切り落とした腕を踏みつけた。



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開戦

「フィア・ゼルストの他にも、イレーネス、モルガナ、そしてマユカ・サナギがT.w.dの内通者だと判明したわ」

 

 スレイはアゲハに、普段通りの、愉悦の笑みを湛えながらそう告げた。アゲハは驚き、そしていつもの調子で話したスレイに憤りを覚えた。

 

「ティルダイン中佐……! なぜそのようなことを平然と言える!」

 

 掴みかかる勢いで詰め寄ったアゲハに、スレイは彼女を睨んで答える。

 

「すぐ解決できるからよ。頭を冷やしなさい、サナギ中佐」

 

 スレイに言われ、アゲハは恥じらいを感じながら深呼吸をし、心を落ち着かせ、冷静に考えた。すると、確かに簡単なことだった。この目の前にいる、スレイの異能(エクシード)を考えれば。スレイの異能は記憶を奪い改竄する能力を持った、アーン・ヴァリウスという名の籠手型の武器の召喚たま。

 

「なるほど、あなたの異能でマユカのT.w.dに関連した記憶を簒奪すると、そういうことね」

 

「マユカ・サナギだけではないけれどね。まあでも、同僚のよしみでマユカ・サナギの方に最初に行くとするわ。副とはいえ指揮官が現場に出るのは非常識だけれど、そんなことは言ってられないわね」

 

 スレイはそう言って、一歩下がって敬礼すると、踵を返して走り去った。

 アゲハは、スレイ・ティルダインという人間が好きな方ではなく、むしろ苦手な人間の部類だった。だが、今はそれでも信じるほかない。アゲハは、拳を強く握りしめた。

 

        ***

 

 腕を切断されたソフィーナは、誰の目から見ても明らかなくらいに、普通ではなかった。膝をつき、脂汗を止め処なく垂らし、息は荒くなり、唾を何回も飲み込み、瞳孔は大きく見開かれていた。対して、マユカは無表情でソフィーナに歩み寄っていく。

 その光景を美海は床にへたり込んで、涙を流しながら見ていた。ソフィーナを助けなければいけない。だが、頭でそう分かっていても、体は一ミリメートルも動かない。異能も発動できない。

 そうしているうちに、マユカがソフィーナの脳天にグリム・フォーゲルを振り下ろした。ソフィーナはそれを右に避けたが、グリム・フォーゲルはソフィーナの左袈裟に深々と斬り込んだ。それをソフィーナは、マユカの動きが止まったチャンスと見たのか、詠唱無しで魔法陣を展開したが、その瞬間、マユカがグリム・フォーゲルが斬り込んだ部位を踏み付け、グリム・フォーゲルを抜いた。ソフィーナが悲痛な声を上げ、マユカに踏み付けられたまま、床に倒れる。マユカはグリム・フォーゲルを振り上げた。今度こそ、ソフィーナを殺すつもりだ。

 その瞬間から、美海には時がかなりゆっくり進んでいるように思えた。その永遠とも疑える時の中で思考する。

 

(このままじゃ、ソフィーナちゃんが死んじゃう……。それで、私もマユカちゃんに殺される。死ぬのは嫌だ。まして、何もしなかったって後悔の中で死にたくない!)

 

 思考が加速する。この力は世界を救うためのもの。ここで使わずしていつ使うのか。目の前にいる助けなければならない人一人助けられないで、どうして世界を救うことができようか。

 

(マユカちゃんと殺し合うためじゃない……。ソフィーナちゃんを助けるために、私は……!)

 

 美海は床を踏みしめて立ち上がり、その手に剣を作り、持った。大気の流れを操作し、自分の周りにだけ、風を生み出す。そして、

 

「ソフィーナちゃんから離れろおッ! うわあああッ!」

 

 喉が枯れるほどの絶叫をしながら、美海は風を使い、剣を突き出してマユカに突進する。美海には、これでマユカが死ぬことを無いという確信があった。訓練を受けていて、尚且つ戦闘のセンスのあるマユカなら、この攻撃は何らかの手段で避けるだろうという予測をしていた。

 そして、マユカは予測通り避けた。彼女は一歩下がっただけだ。これなら、すぐに振り下ろせば二人まとめて斬殺できるだろうとの判断だろう。しかし、美海はここで風を使い、強引に己の軌道を変え、一気に加速した。

 マユカの左の脇腹に美海の剣が深々と刺さる。更にそこから、先のマユカがしたことを思い出して、刺さった部分から左に斬り裂き、そこの傷口を蹴った。マユカがよろめく。その隙に風を操り、ソフィーナの方に方向転換した。そしてそのままソフィーナを連れて逃げ去る——つもり(丶丶丶)だった。

 

「禍害変換コンバーツ」

 

 ぞっとするような、マユカの冷たい声が耳朶を打った。美海は思わず振り返った。するとそこには、グリム・フォーゲルを大きく振りかぶったマユカ。その背後には、初めて見た、大きな水晶があった。その側に、秀が持っているのと同型の亜空間収納庫があるのが見えた。後ろの水晶はそれで出したのだろう。

 美海は逃げようと反転した瞬間、グリム・フォーゲルが背中を掠めたのを感じた。掠めたといっても、体が二つに分かれなかったくらいで済んだ、という程度のものだった。とても深い傷を負ったとは思えない威力。右肩から腰まで深く切られた。特に右の肩甲骨は、完全に砕かれた。美海は、すぐに立っていられなくなって、床に伏した。

 血と共に力が抜けていくようだ。這うことすらできない。すぐ側に苦しそうに息を荒くして横たえているソフィーナがいる。手が届く距離にいながら、助けることができなかった。だが、最善は尽くしたつもりだ。ただ、力が及ばなかった。それだけのことだ。

 

(じゃあ、もう、いいよね……。頑張ったんだから)

 

 美海が瞑目した、その時だった。廊下に銃声が響いた。禍害変換コンバーツが割れる。美海は、焦点の定まらない瞳で銃声のした方を見た。するとそこには、グリューネシルトの軍服を着た、一人の女性がいた。

 

「スレイ・ティルダイン中佐……!」

 

 マユカの注意が、そのスレイと呼ばれた長身の女性の方に向いた。そして、相手の獲物に合わせたのか、グリム・フォーゲルを拳銃にして、スレイに銃口を向ける。

 

「丁度いいです。何故あなたがここまで来たかは知りませんが、あなたを倒せば、統合軍は有能な指揮官を一人失うことになる」

 

 マユカはそう告げると、一切ブレの無い正確な射撃でスレイを撃つ。だが、スレイは、それらを全て紙一重で躱しつつ、マユカとの間合いを詰める。

 

「アーン・ヴァリウス」

 

 スレイの白い手袋が禍々しい瘴気を帯びる。その手が、マユカの顔に伸び、あわや掴むか、と思われたその時、二人の間の空間に、突如魔法陣が現れた。その魔法陣から、一人の銀髪の少女が出てくる。その少女は、マユカと同じ服を着て黒のマントを羽織っていて、背はマユカより10センチメートルほど小さかった。

 

「貴様、特種危険生物!」

 

 スレイが攻撃を中断し、狼狽したように叫ぶ。対して、スレイの叫びを聞いたその少女は、拳を震わせ、スレイに歯を剥いて怒鳴った。

 

「私はそんなんじゃない! アイリスっていう、お母さんから貰った大事な名前があるんだああッ!」

 

 少女——アイリスは、スレイの突き出た右腕を掴み、スレイの体を壁に叩きつけ、スレイの腹を踏んで抑え、右腕を引きちぎって投げ捨てた。スレイが痛みに悲鳴を上げるが、アイリスはその口を横から左手で掴み、それを無理矢理止めた。

 

「あなたなんて食べる価値すらない。このまま顔をぐちゃぐちゃにして殺してやる!」

 

 言いつつ、アイリスはそのままスレイの口を握り潰した。顎の関節が砕かれ、頰が裂け、口がだらしなく開く。そして、アイリスはスレイの後頭部を壁に付け、眉間に右拳を入れた。その拳は、文字通りスレイの顔を粉砕し、壁にまでも亀裂を入れた。アイリスの銀髪が、白い肌が真っ赤に染まる。

 美海は吐き気を覚えた。その理由の一つはグロテスクな光景を見たからだろうが、もう一つは、親友だったマユカが、あのような残酷なことをする人物と手を組んでいる、ということだ。アイリス、という名から、銀髪の少女はあの放送を入れた人物だろう。

 

「さあ、マユカ。二人迎えてから、本部陣営に行くよ。ここから青蘭学園を内部から破壊してもいいけど、まだ正午じゃないし、それをやったら約束破りになっちゃう。それに、我がT.w.dは信頼で成り立つ組織だから。マユカって多分みんなに顔見せてないでしょ?」

 

 マユカは強張った様子で小さく頷いた。それを見て、返り血とはかなり不釣り合いな無邪気な笑みを浮かべ、アイリスはその肩を叩いた。

 

「緊張しなくていいよ! リラックス、リラックス! みんな待たせちゃってるし、アルバディーナも待ってるから!」

 

 アイリスのその姿が、美海の心の中で、マユカの方を叩く自分の姿と重なった。その光景を最後に、美海の意識は途切れた。

 

        ***

 

 アイリスは、美海とソフィーナを見つめながら、マユカに訊いた。

 

「ねえ、あの二人、どうする?」

 

「どうするって……? どういうことですか?」

 

「ここで殺すか、今は生かすか。L.I.N.K.sのメンバーの生殺与奪はマユカに任せるってことがマユカがT.w.dに入る時に提示した条件だったでしょ? もしかして忘れてた?」

 

 マユカが目を丸くする。本当に忘れてしまっていたらしい。そして、マユカは少し考えてから言った。

 

「今は、生かしておきます。これが美海さんやソフィーナさん、ユフィさんにルビーさん……青蘭学園や統合軍のみんなと、お姉ちゃんに対して、今までの私としての最後の感情です。これからは、以前のマユカ・サナギという人間は死んだということにします」

 

「いいんだね、それで」

 

 アイリスはマユカに確認する。マユカは、それに対し強く肯定した。それを見ると、アイリスはマユカの手を取った。

 

「じゃあ、早く行こうか。ここにいちゃ、辛いだろうしね」

 

 そう言って、アイリスがマユカの手を引こうとした時だった。立ちはだかるように、一人の短めの緑の髪の、統合軍の軍服を着た、十代前半と思われる容姿の少女が現れた。その瞳には、例えようのない怒りが籠っている。

 

「コンストラクター、シルト・リーヴェリンゲン! スレイの始末が終わった後にあなたが来るなんて、私はなんて運がいいんだろう!」

 

 アイリスは本当に嬉しくて、声高らかに言った。対し、少女——シルトは一歩踏み出して告げた。

 

「あなたのやること全てを私は否定しない。けど、世界水晶の破壊だけは絶対にさせない。人間への復讐までは看過できるけど、いや、肯定できるけどね」

 

 それを聞いて、アイリスは腹を抱えて笑い出した。笑えて仕方がない。まさかシルトの口からそのようなことが聞けるとは思っていなかったからだ。

 

「滑稽だね。じゃあ世界水晶の破壊を止めるって言ったら、あなたはT.w.dに入ってくれるの?」

 

「場合によっては、ね。世界の存続のためなら」

 

「ふうん。あなた程の人は欲しいけど、でも止めない。だって私は世界の存続なんて望んでないから」

 

「じゃあ、あなたとは決裂だね。……マユカ」

 

 シルトは、今度はマユカの方に向いた。その眼差しは、アイリスを見る時よりは柔らかなものだったが、怒りが込められていることには変わりなかった。

 

「一度考え直して。あなたがどんな理由でアイリスの仲間になったかは知らないけど、あなたには、世界水晶の声を聞く者としての義務がある。それを放棄するわけ?」

 

 マユカは沈黙している。シルトは、さっきとは打って変わって、悲しげな目線で言う。

 

「あなたの作るおにぎりは好きだった。それを食べながら、あなたや、たくさんの友達と談笑するのも楽しみだった。それを、あなたは——」

 

「黙って!」

 

 マユカが突然、シルトの言葉を遮るように、髪を乱しながら叫んだ。

 

「黙って黙って! 私を、惑わさないでよぉぉ!」

 

 マユカは憤怒と殺意の混じった目でシルトを睨みつけ、大剣のグリム・フォーゲルをシルトに突き出す。シルトは、そのグリム・フォーゲルと瓜二つの大剣を召喚し、その刀身でマユカの刺突を受け止めた。

 

「この分からず屋! あなたの行動は——」

 

 シルトがどもった。アイリスにはその理由がよく分かった。マユカの気迫だ。彼女の仲間であるアイリスさえも、冷や汗をかいてしまう程の、壮絶な威圧感をマユカが発している。

 

「私は、自分で考えたんです。この世界のことを。私がいくらL.I.N.K.sとして頑張っても、異能の訓練をしても、異変の解決に近づいてるって実感が無かった。どこからか聞こえる、たすけての声が無くなることなんてなかった! だから、私はプログレスという存在に絶望したんです! それを分からないあなたに、私の心を裏返すことなんてできない!」

 

「……なんだ、そんなことか」

 

 シルトは、マユカの言葉を受けて、ぽつりと呟いた。すると、押され気味だったシルトが、今度は逆にマユカに対して優位になった。

 

「目に見えた変化だけでプログレスを否定しないで! あなたの目に見える範囲の人間の営みが世界の全てじゃないんだよ!」

 

 シルトは叱り付けるように言う。アイリスは、これを見てまずいと思った。シルトの言葉でマユカがT.w.dから離反するとは思えないが、確実に動揺はしている。このままでは、シルトに押し負けてしまうだろう。それで、アイリスは左手にブルーティガー・ストースザンを召喚した。

 

「援護するよ、マユカ。あなたの信頼に応えるために」

 

 アイリスはマユカが頷きを返したのを確認すると、右手側からシルトを串刺しにしようとした。が、シルトはマユカをいなし、そしてブルーティガー・ストースザンの爪をバック転で回避した。

 

「二対一じゃ分が悪いか……。ここは逃げよう」

 

 シルトはそう呟くと、瞬間移動でもしたのか、そこからあっという間に居なくなった。

 アイリスは舌打ちをした。出来れば、ここでシルトも殺したかった。アイリスは、シルトは緑の世界の世界水晶と密接に関わっていると踏んでいて、殺せば、いずれ緑の世界を攻略する時に、大分楽になるだろうと予測していた。

 

「アイリスさん、その、ごめんなさい。逃してしまって……」

 

 マユカが頭を下げる。その行為はアイリスが舌打ちをしたことに起因しているだろう。アイリスは取り繕った笑顔を見せて言う。

 

「あ、いや、マユカは気にしなくていいよ。別に今殺らなくても大丈夫だから。それよりもさ、もう二人迎えに行こうか。シルトの相手してて言うのもアレだけど、急がないとダメだから」

 

「どうして……ですか?」

 

 マユカはきょとん、とした様子で訊いてきた。アイリスは、ふっと表情を消して答えた。

 

「あの子たちが戦ってるのは、ユフィとルビーだから。あなたとの約束を果たせなくなるかもしれない」

 

        ***

 

 ルビーは、突如現れ、ユーフィリアを床に倒した少女を見た。淡い青髪と巨大な角を持つ頭に張り付く幼い顔と、とても先のような芸当をできるとは思えない華奢な腕、更に背中に蝙蝠の羽を持つ体にゴシックロリータの黒中心の服を着ている。

 

「イレーネス、来たよ」

 

 たどたどしい口調で、ユーフィリアを壁に上半身を埋め込ませながら、少女は告げた。雰囲気とやったことがまるで釣り合っていない。ルビーは、ユーフィリアを助けることも忘れて、少女を(おそ)れ、震えた。

 

「モルガナ……あなたが戦う必要は無いのよ」

 

 イレーネスが、その少女、モルガナに告げる。モルガナは首を横に振って、

 

「私は戦いたい。たった一人の親友と、私たちを認めてくれたあの人たちのために」

 

 ルビーは、傍で聞いていて、今がチャンスだと思った。卑怯だとは思うが、ユーフィリアを不意打ちしたのはモルガナだ。文句など言わせない。そう思い、大きく深呼吸をし、口を開いた。

 

「祈りよ」

 

 ルビーは小さな声で、囁くように言った。使う魔法は、炎系のもの。その魔法陣は、イレーネスから、モルガナで見えないように小さめのものを展開した。今のところは、話していて気づかれていない。これならやれると、魔法陣から炎を出そうとしたその時だった。モルガナが、消えた。

 

「どこに……がッ!?」

 

 ルビーは、モルガナに背後から頭を掴まれ、壁に顔から叩きつけられた。鼻の骨がひしゃげ、歯が幾つか欠けた。ルビーは怒り、体の大きさを人間並みに変えた。急に大きくなったお陰か、モルガナの握力が微妙に弱くなった。その隙に、ルビーはモルガナの手を振り払い、後退して態勢を立て直そうとした。だが、ルビーのすぐ後ろにはイレーネスがいた。呪いを持った腕が伸び、あわや触れるか、というところで、

 

「ちょっと待った。その子達はまだ殺さないで」

 

 その場にいた全員が、声のした方に振り向く。そこには、悠々と微笑む銀髪の少女と、無表情のマユカがいた。

 

「マユカ! 助けに……」

 

 助けに来てくれたの? ——そう言おうとして、ルビーはそれは違うと、自分で否定した。確かに、マユカは敵意を向けている。だが、その矛先は自分達だ。目で、容易に分かった。分かりたくもなかったが、分かってしまった。

 

「マユカ! あんた、裏切ったの!?」

 

 マユカはルビーの言葉に耳を貸そうともしない。口を開いたが、その対象はイレーネスとモルガナだった。

 

「L.I.N.K.sのメンバーの生殺与奪は私が握っています。この場では一旦生かしておきますから、あなたたちはアイリスと私と一緒に本部陣営まで来てください」

 

「この子たちへの別れの挨拶代わりって訳かしら? まあいいわ。次会ったら殺してもいいの?」

 

 イレーネスの質問に、マユカは頷いた。そして、ルビーの元にマユカが歩み寄ってきた。その瞳には、感情などまるでこもっていないかのようだった。

 

「私は、もうあなたの親友ではありません。分かったら、私のことは忘れてください。私もあなた方のことは忘れますから」

 

「言われなくたって忘れてやるわよ……! あんたなんか、あんたなんか……」

 

 次の言葉が出てこなかった。代わりに、口から嗚咽が出る。マユカを睨む目からは、涙が溢れてくる。マユカはため息をついて、ルビーに背を向けた。

 

「あなた達とここで過ごした日々は楽しかったです。美海さん達や、お姉ちゃんに、これも含めて伝えておいてください」

 

 マユカが歩き出す。それに続いて、アイリスとイレーネス、モルガナもこの場を去っていく。

 壁に上半身を突っ込んだユーフィリアは、そのまま気絶してしまったらしく、ピクリとも動かない。

 自分は、依然として涙を流しながら、鼻から洟と鼻血の混じったものを垂れている。

 惨めだ——ルビーは、更に涙を流す。この涙は惜別のではない。悔しさから来る涙だ。己は無力だ。いくらブルーミングバトルでの成績が良かろうが、いくら異能が強かろうが、それが全く関係ないことを知った。

 

「私たちじゃ……私じゃ、まだまだだったってことね」

 

 ルビーは自分の手を左胸に当てた。心臓の鼓動は確かに感じる。心とは正反対に、力強い鼓動だ。

 

(いや、違うわ。これは私の肉体の力の象徴。肉体の力を、私の心が越えられないはずはない。祈りは心から捧げるもの。だから、この力よりも、もっともっと、私は強くなれるはず。だったら——!)

 

 ルビーは洟を()き取り、涙を(ぬぐ)い、立ち上がる。そして、美海とソフィーナ、ユーフィリアの顔を思い出す。自分も含めたその四人の中で、一番気性が荒いのは自分で、そしてマユカを殺めることができるのは、自分だけだろうと思う。他の三人は甘すぎる。

 

「いや、それを言ったらあたしもか……。でも、次会ったら」

 

 ルビーは、祈りで腕力を強化し、壁を思い切り殴った。壁に亀裂が走り、破壊され、中の鉄骨が露わになる。

 

「私だけで、あんたを殺してみせる……!」

 

        ***

 

 ルビーとイレーネスとモルガナとの戦闘が終わった頃、第二会議室では、ちょうど作戦が煮詰まって、説明のために各部隊指揮官等を召集したところだった。

 

「では、正門からナタク・ブリューナを隊長とした第一歩兵中隊で一回様子見で打って出て、T.w.dの背後から自衛隊一個大隊が叩く。また、校舎から統合軍とアンドロイドの混合部隊で援護射撃を、フェルノ・ガーディーヴァが封印弓フェイルノートで支援する。戒厳令は敷いてあるが、できるだけ街に損害を与えない旨の注意を念のためしておく、と、大まかな作戦はこれでよろしいですね?」

 

 今回の作戦の参謀長、ミギリ・ヴェザルスは、全体を見回し、確認するように言った。

 はっきり言って、作戦を立てるのに三時間も議論していない、即興の作戦だが、T.w.dが正午までに青の世界水晶を渡さないと開戦すると言っていて、青蘭学園側に世界水晶を渡す気がない以上、早急に作戦を立てる必要があった。

 T.w.dが世界水晶の明け渡しの期間をもう少しでも長くしてくれれば、またはT.w.dが襲来することがもう少し早く分かっていれば、もっと綿密に作戦を練れたのだが、悔やんでも仕方がないと、ミギリは意識を切り替えた。

 

「また、青蘭学園内に潜り込んでいる構成員は、T.w.dと判明した時点で、殺害してください。以上……ですね。では、作戦の変更があれば、部隊長に随時連絡します。何か質問があれば、この場で」

 

 ミギリはしばらく待って、質問がないことを確認すると、参謀以外の人間を解散させた。退出していく人々の中にミギリはアゲハの姿を見た。その姿は、いつも通りの凛々しいもののように見えて、脆くも見えた。

 ミギリが声を掛けようとしたその時、突然、ルビーが現れ、アゲハの前にはだかった。

 

「どきなさい、ルビー」

 

 アゲハがルビーを睨んで言うが、ルビーは怯まずに告げた。

 

「あんたの妹から伝言預かってんのよ。聞きたくないってならいいけど」

 

 ルビーの言葉に、アゲハが驚いたように目を開く。そのまま沈黙が続くこと数秒。他の人々が二人を避けて通っていく中、アゲハは立ち尽くしていた。そして、血相を変えてルビーの肩を掴んだ。

 

「何て言われたの!? 言って、早く!」

 

「ちょっと、痛いわよ! 落ち着きなさい、急かさなくても言うから!」

 

 ルビーが迷惑そうに顔を歪める。アゲハは、ハッとしてルビーから手を離した。そして、申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「悪かったわ。取り乱して……」

 

「分かればいいのよ。で、伝言はこう。私はお姉ちゃんのことを忘れる。だからお姉ちゃんも私を忘れてください。ここで過ごした日々は楽しかったです、と」

 

 アゲハはその伝言を聞くと、崩れ落ちるように、床に膝をついた。その目は虚ろだった。余程ショックが大きかったのだろう。ミギリは唇を噛んだ。この場において、自分は無力だ。立ち直る必要がある人に、その支援を、自分は何もすることができない。それは、悔しく、辛かった。

 ルビーが、ため息をついてアゲハに告げた。

 

「多分、あの子もこんなこと言うの、嫌だったと思うわよ。敵対するとしてもね。……私にも姉がいるから、何となく分かるのよ。こんな言葉でも、慰めにはなったかしら?」

 

「……ええ。気休めにはなったわ」

 

 アゲハは少し生気を取り戻した目で言った。そして立ち上がり、歩き出す。そして、ルビーとすれ違いざまに告げた。

 

「伝言、感謝するわ」

 

「どうも」

 

 ルビーはアゲハの方を向かずに答えた。そして、ルビーも踵を返し、会議室を出て行った。ミギリには、その背中が、とても頼もしく思えた。

 戦闘に参加する者たちが、皆あんな背中ならいいのだけれど——ミギリは悲観しながら、ルビーの背中を見送った。

 

        ***

 

 カレンは、病院として使われる体育館ではなく、保健室に運ばれた。まだ正午前のため、生徒の混乱を防ぐための措置だという。秀はカレンの見舞いに、レミエルとセニア、由唯とあずさを連れ、行った。

 青蘭学園の保健室には、アンドロイドの整備、また修復用の設備も、簡易ではあるがある。そのため、パーツさえあれば戦える状態にはできるらしい。

 秀たちはそこに入ると、まず何本ものアームが目に入った。全て自動でやってくれるようだ。そして次に見えたのは、眼鏡をかけ、白衣を着た黒髪の女性で、カレンやセニアの開発者、Dr.ミハイルだった(彼女は有名なので、秀も顔と名前くらいは知っていた)。彼女は秀たちに気がつくと、白衣のポケットに手を突っ込んだまま秀たちに歩み寄ってきた。

 

「カレンのことは心配しなくていい。一週間もあれば戦闘が可能なくらいに修復できるだろう。……もっとも、戦線が一週間持てばの話だがな」

 

「Dr.ミハイル、青蘭学園の戦闘力は、数ではT.w.dに劣りますが、個々の能力は非常に高く、また一騎当千の力を持った者たちが多いため、そして兵站などの状況からしても、戦線を一週間持たせることくらいは可能だと推測できます」

 

 セニアがミハイルに言う。ミハイルは、こめかみに指を当て、呆れたように告げた。

 

「セニア、それは数値だけの話だ。統合軍の兵士やアンドロイド、赤の世界や黒の世界の騎士なら、戦場で的確な行動ができるだろう。だが、青の世界の連中は集団戦に全く慣れていない。いくら異能が強くても、それではその辺の一般人に等しい。それに、精神的な負担もある。それらを加味した上で、一週間持たせられると言ってくれ」

 

 ミハイルの言葉に、セニアは首を傾げる。ミハイルはため息をついて、秀に向いた。

 

「とにかく、そういうことだ。お前らは戻って準備をしろ。正午まであまり時間がないのだからな」

 

 秀は「ああ」と頷くと、保健室を退出した。秀に続いて、レミエルたちも出てくる。全員が出たところで、レミエルが顔を赤らめながら言った。

 

「あの、その、皆さんは先に戻ってくれますか? 秀さんと二人きりになりたいので……」

 

 レミエルの言葉に、あずさや由唯は何かを悟ったような顔をした。そして、うんうんと頷くと、

 

「分かったわ。お熱いお二人ね、ホント。ねえ由唯?」

 

「そうね、あーちゃん。邪魔しちゃ悪いよね」

 

 嫌味っぽい笑みを浮かべて、あずさと由唯はセニアを連れてわざとしているように大股で去っていった。

 それを見送ると、レミエルは意を決したように秀と向き合った。そして、一つ深呼吸をして、少し恥ずかしそうに告げた。

 

「あの、一つだけ、約束をしてくれませんか?」

 

「約束?」秀が訊き返すと、レミエルは首を縦に振った。

 

「私の我が儘みたいな物ですけど……。もし、私が困ってたら、秀さんがいち早く助けに来てくれたら、いいなって。もちろん、逆も同様です。秀さんが困ってたら、私もいの一番に助けに行きますから……」

 

「それくらいなら構わないが」

 

 秀が告げると、レミエルの顔がみるみる歓喜の色に染まっていった。そして、一筋の涙を流して、言った。

 

「ありがとうございます……! とても、とっても嬉しいです!」

 

 秀は、このレミエルの顔が戦闘の前に見れただけでも、良かったと思った。もしかしたら、今日中に見れなくなってしまうかもしれないのだから。

 レミエルは、そのままの顔で続けた。

 

「あの、それでですね。指切りをしてくれますか? この約束を強く心に刻むために」

 

「ん? おう、いいぞ」

 

 秀は、右手の小指を差し出した。レミエルの、柔らかく、細い指がそれに絡まる。

 指切りげんまん 嘘ついたら針千本飲ます 指切った

 レミエルと声を重ね、少し弾んだ調子で言う。

 秀は、そういえば、とレミエルに話しかけた。

 

「そういえばさ、指切りって、何か契約みたいだな。嘘ついたら——この場合だと約束守れなかったらだろうが、針を千本も飲まされるんだろ?」

 

 レミエルは、秀の言葉に聞き入っていた。そして、二、三度繰り返し頷くと、

 

「確かに、そうですよね。じゃあ、魔法の一環なんでしょうかね」

 

「分からんが、とにかく針千本も飲まされたくないな。だから、約束はちゃんと守る。他でもないお前との約束でもあるしな」

 

 秀が言うと、レミエルは顔を真っ赤にしてポカン、としていた。そのようなレミエルの姿に、秀は微笑ましく思うと、教室に向けて歩き出した。

 

「そら、早くしないと置いてくぞ」

 

 すると、暫くしてレミエルは我に返ったようにハッとして、少し駆け足で追いかけてきた。秀は笑いながら歩みを遅くした。いつもなら更に早くするところだが、いつレミエルと別れることになるか分からない以上、そういうわけにもいかなかった。

 秀は携帯電話を取り出し、時間を確認した。正午まであと四十分程ある。そして、達也に電話をかけてみた。実はもう今日だけで三回達也に電話をしているのだが、その三回とも、達也に電話が繋がらなかった。そしてそれは、今回も同じだった。

 

(どうなってる……? 窓から見える範囲なら、街は人影が見えないくらいで、建物なんかは手付かずだ。電波妨害されてると考えるのが妥当か)

 

「……秀さん?」

 

 いつの間にか隣を歩いていたレミエルが、秀の顔を心配そうに覗き込んでいた。秀は「なんでもない」とだけ言うと、ふと窓の外を見た。遠くに見えるのは、暗い海と、人一人見えない街並み。近くに見えるのは、青蘭学園の塀を、黒色の戦闘服を着たT.w.dの構成員が、蟻のように群がっている様だった。

 

        ***

 

 青蘭島の一つの廃ビル内に陣取ったT.w.d本部陣営で、学園内でフィアとアルバディーナと合流したアイリスは、そこに居る構成員に、マユカたちの紹介をすると、ふと時計を見た。もうじき正午だ。あと十数秒か、そのくらい。

 正午になったその瞬間、何かが空を切る音が聞こえた。それは、まっすぐアイリスに近づいて来る。アイリスはそれを振り向かずに掴んだ。

 

「矢? 紙が巻いてあるから矢文か。これを送ってきたのは志藤凛花か、フェルノ・ガーディーヴァか……。矢が日本風だから志藤凛花の方かな。どちらにせよ、へえ、なかなか洒落てるじゃない。まあ、ついでに私を射殺そうと思ったんだろうけど、ツメが甘かったね」

 

 アイリスは、巻かれた手紙を開いた。そこには、拒否、の二文字。アイリスの予測通りだ。世界水晶を渡せと言われて、青蘭学園が渡すはずがない。

 アイリスは、その手紙を構成員たちに掲げて見せた。

 

「交渉は決裂した! これから、私たちの計画……Désespoir infini(無限の絶望)計画の、本格的な始まりだよ! ジュリアが命を賭してやってくれたこと、無駄にしないでね!」

 

 構成員たちが「総統! 総統!」と、次々に声を上げる。やがてそれは、拍動のように、一つの物として纏まりを持つ。この上ない一体感に、アイリスは強い絆を感じ、つい、喜びの笑みがこぼれてしまった。



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最強の結界術師、アルバディーナ

 スレイの死亡と、負傷をした美海とソフィーナ、ユーフィリアが発見されたのは、正午を過ぎてのことだった。スレイは仮の埋葬をされ、美海たちは体育館に運ばれた。その時の生徒の衝撃は大きかった。初めて体育館に負傷者として運ばれたのが、初めの方は戦線に出ないはずのL.I.N.K.sだったのだ。動揺して当然だろう。

 見舞い、ということで体育館に入ったルビーは、まだ意識のあるソフィーナに、他には聞こえないように小声で話しかける。

 

「もし、ソフィーナがマユカに会ったら、私に知らせて。私があの子を殺るから」

 

「……そう。あなたが私たちの重圧を全て受け負う、ということかしら」

 

 ルビーは小さく頷いた。ソフィーナは、憂いを帯びた瞳でルビーを見つめる。

 

「無茶はしないで。私たちでも——少なくとも私は、あなたのすることの手助けはするから」

 

「必要無いと思うけど、分かったわ。……美海には、このこと伝えないでね」

 

「分かってるわよ。あの子に伝えたら、必ず止めようとするだろうからね」

 

 ソフィーナがそう言ったのを聞くと、ルビーは少しだけ口角を上げてソフィーナに告げた。

 

「うん。じゃ、そういうことでお願いね。私だけでも、希美と一緒に歌を届けなきゃいけないから」

 

 ルビーはソフィーナが頷いたのを確認すると、飛行して体育館を出た。その際に見えた生徒の大半は、すでに大分疲れているように見えた。

 

        ***

 

 午前11時半。秀たちは、出撃前の最後の作戦説明として、視聴覚室に召集された。青の世界の戦闘員は、防護用のヘルメットや、防弾チョッキなど(これらの装備は統合軍が提供した)を装着している。但し、秀のように銃器が扱える者は前線に出るが、そうでない者は兵站の輸送などに従事する。そのため、青の世界出身で前線に出るのはごく限られた一部のみだ。由唯とあずさは、彼女らの要望もあって、秀が春休みの間に集団戦や銃器の手解きを彼女らにしていたので、そのごく一部の中に入っている。

 青以外の世界の出身者の戦闘員は、それぞれ自分の戦闘衣を装備している。これは、無理に強制するよりも使い慣れた物を使わせた方がいい、という判断から来ているらしい。

 秀たちが所属する部隊は、150人ほどの部隊で、ナタク・ヴリューナなる女性が隊長を務める、第一歩兵中隊という部隊に編入されるとのことで、その中隊長を待ってしばらくすると、教卓に統合軍の制服を着た、栗色の単発の女が出てきた。恐らくはこの女がナタクだろうと秀は考えた。

 

「さて、私の名はナタク・ヴリューナだ。知っていると思うが、貴様らの隊長を務める。時間がないので作戦説明に入る」

 

 秀の思った通りだった。よくもまあ、こんなことを考える余裕があるものだと、秀は呆れながらメモの用意をした。

 

「我々の一番の目的は敵の能力を推し量ることだ。前線を押し上げる役目は、我々の報告を元に編成される第二歩兵中隊が請け負う。我々は無理せずに、ヤバくなったら引けばいい。そうそう、自衛隊はこっちに被害が出ないと動けないから、そこだけ留意しておけ」

 

 ナタクがよく通る声で説明していく。秀はメモを取りつつ、レミエルの方を一瞥した。レミエルも、真剣な表情でメモを取っている。十分に心構えができているようだ。

 

「私たちは正門から打って出るが、幸いなことに、奴らは正門には張り付いていない。敵は正門を出てすぐの坂の麓にいる。予定としては、長くても5時間ほどの戦闘で切り上げるつもりだ。その間、援護攻撃も当然ある。その都度連絡が入るから、味方に殺されないように気をつけろ。それで、分隊の編成と陣形については、各部隊長に伝えてある。それに従い、分隊ごとに支持した陣形通りに一二一五に正門前に集合だ。以上」

 

 この中隊の副官である、リーリヤ・ザクシードの号令に従い、皆が一斉にナタクに敬礼する。突然のことで、秀は見よう見まねで敬礼したが、このくらいのことはやれないと戦場で指示に従うなど到底不可能だろう。

 秀はナタクに敬礼しながら、上官に対する敬意の視線を向ける。そこに同じ青蘭学園の一生徒としてみなす気持ちは全くなかった。

 

        ***

 

 ナタクは自分の部下となるものたちが、それぞれの部隊長から説明を受けている様をじっと見ていた。中隊下の部隊に限らず、全ての部隊の隊長は統合軍において中隊長以上の役職に就いていて、尚且つ実戦経験のある者がなっている。統合軍主導の作戦だから、ということもあるが、そのくらいの軍人ならば、新人の扱いにも慣れている者が多いためだ。

 

「しかしなぜあなたが隊長で私が副官なのでしょう。全くもって理解不能です」

 

 リーリヤが尋ねてくる。ナタクは苦笑して、まだ火のついていないタバコを弄びながら答えた。

 

「上の考えることはよく分からんからな。でも、私はなんとなく予想がつくぞ」

 

「なんですかそれは。私が納得できる理由があれば教えてください」

 

「多分、私が一番単純で脳筋だからだろう。だから、上からの命令に疑問を挟まずにそのままの形で伝えることができる。こういうことだろう」

 

 リーリヤは納得したように頷いていたが、すぐ首を傾げてまた尋ねた。

 

「ではナタクが隊長なのはなんとなく理解できましたが私が副官なのは何故でしょうか」

 

「そればっかりは私には分からん。私と仲がいいからだったりしてな。お前はよく一人で突っ走るから」

 

「突っ走ってるのではありません。私が単身突撃した方が作戦遂行の近道になると判断して行動しているだけです」

 

 リーリヤの言葉に、ナタクはクスリと笑った。それにリーリヤが不快そうに眉をひそめるが、ナタクは笑い顔を崩さずに言った。

 

「それを一人で突っ走るっていうんだ」

 

 リーリヤは「はぁ」とため息交じりに相槌を打った。あまり自分のことを認めたくないようだ。

 

「まあいいさ。とにかく今回はルルーナもいるし、お前が突撃していっても大丈夫だろう。あとは、ヒヨッコどもがどこまで動けるか、だな」

 

 ナタクは部屋を見渡す。青の世界の者たちは皆、硬い表情だ。しかし、女戦士や騎士、兵士などの戦場慣れしている者たちは、談笑している様子も見かけられる。

 ナタクは窓際に立ち、タバコに火を付ける。一服すると、煙が立ち上っていった。風はないようだ。今日は銃を撃つにはもってこいだろう。

 

        ***

 

 午前11時40分。秀は、レミエルとともに一足先に正門前に来ていた。正門から坂の下を見下ろすと、T.w.dの軍勢が、隊列を組んでアサルトライフルを携えて待機している。

 

(プログレスとαドライバーに敵対しているのを相手にするのは、ジュリアも含めてこれで三度目か)

 

 最初は、ただ暴力を受けていただけだった。それが嫌で、あの村から逃げ出した。だが今は違う。相手だけでなく、自分も相手を殺そうとしている。そして、あの日の、もう逃げないという誓いがある。

 

(この戦い、絶対に勝つ。たとえ何人殺し殺されようとも……!)

 

 動悸が激しくなり、肩がこわばる。どうやら緊張してきているようだ。先の作戦説明の時は余裕があったが、あと五分ほどで戦闘が始まると考えると、急激に心が乱れてきてしまっていた。

 

「上山君。過剰な緊張は戦場で死を招きます。もう少しリラックスしてください」

 

 突然声をかけられ、焦る心を抑えつつ、その声の方を向いた。そこには、今朝と変わらぬ衣装のジークフリートがいた。秀は顔をしかめて言った。

 

「何の用だ、銀色」

 

 すると、ジークフリートは銀髪を掻き上げ、目を細めながら答えた。

 

「アドバイスですよ。私は君を失いたくないものですから」

 

「お前の指図なんか受けるものか」

 

「指図ではありません。アドバイス、助言ですよ。聞く気がないのなら、私が一人で勝手に喋るので、上山君は耳でも塞いでいてください」

 

 嫌味を嫌味で返された。秀はため息をついて、ジークフリートに尋ねた。

 

「そのアドバイスっていうのはなんだ?」

 

「先ほどの言葉通りです。もう少しリラックスしましょう。死にたくなければ」

 

「お前は戦闘経験があるのか?」

 

 秀が訊くと、ジークフリートはその表情に憂いを湛え、答えた。

 

「ええ。まあ戦闘といっても竜族同士の縄張り争いくらいなものですが、それでも命がけでした。私たちは物心ついた時にはもう縄張り争いは何度も行っていたようです。私たちは弱く小さな群れでしたから、今生き残っているのは、私とクラリッサさんと、あとは小竜たちですね。小竜たちはクラリッサさんが保護しています」

 

「ふうん。お前も大変なんだな」

 

「あまり関心がなさそうですね……。まあいいでしょう。上山君は戦闘経験はあるのですか?」

 

「一応ある。ただ、あの時の緊張感は程よいものだったんだ。相手が一人だったってのもあるんだろうがな。ただ俺一人で戦ったわけじゃなくて、レミエルやカレン、ガブリエラにレボ部の連中と一緒に戦ったんだ」

 

 秀の言葉に、ジークフリートは少し考えるようにしてから、真顔で言う。

 

「なるほど。では上山君、レミエルさんと手を繋いだりしてきてはいかが? 時間はまだありますよ」

 

 ジークフリートの言葉の意味を理解するのに秀は数秒かかった。そして、顔を真っ赤にして呟いた。

 

「……なるほど、それもいいかもな」

 

 レミエルの方に向くと、振り向きざまにジークフリートのにやけた顔が目に入った。秀はそれに少し苛立ちを覚えたが、自分で抑えて、レミエルの隣に立った。

 

「一人にしてごめん。……戦いの前に、ひとつ頼んでいいか?」

 

「手を繋いでいいか、ってことですか?」

 

 レミエルが悪戯っぽく笑った。秀は軽く微笑して告げる。

 

「なんだ、聞こえてたのか。それじゃあ話は早い」

 

 秀はレミエルの手をそっと握った。レミエルもその手を握り返す。小さく柔らかい手から、優しいぬくもりが感じられる。これが、レミエルの本質なのだろう。使命感からとはいえ、ためらいなく人を殺せるようになってしまった今のレミエルとは相反するものだ。

 

「……早く終わらせような、この戦い」

 

 秀は、眼下に僅かに見えるT.w.dの一団を見据えつつ、そう告げた。その後しばらくして、「はい!」というレミエルの決意を秘めたような、力のこもった返事が聞こえた。その時のレミエルの顔を秀は見ていなかったが、果たしてレミエルはどんな顔をしていたのだろうか。秀には考えもつかなかった。

 

        ***

 

 午前12時15分。曇天の下、戦いの火蓋は切って落とされた。

 

「これより我々、第一歩兵中隊は、敵陣に切り込む! 各分隊のαドライバーはαフィールドの展開とリンクを今すぐしておけ!」

 

 ナタクの言葉に、秀や他のαドライバーが、一斉にαフィールドを張り、リンクを開始する。秀の分隊のプログレスは、レミエルとあずさと由唯、そしてセニアだった。レミエルはリンクの直後、服があの紫の装束に変わり、左眼が金色になり、左の肩から左眼と同じ色をした光の翼が形成された。その少しの間の後、ナタクが吶喊する。

 

「全員、準備できたな! αフィールドのおかげでプログレスは怪我はしないが、αドライバーは覚悟しておけ! プログレスも、αドライバーに負担をかけすぎるなよ! では、総員出撃!」

 

 ナタクは校門が開くと同時に、己の槍型の武器ヴィーダーシュボルトを召喚し、構え、突撃していった。それに続き、他の中隊員も打って出る。だが、T.w.dの戦闘員らは全く動かない。まるで、何も起こっていないかのようであった。

 ナタクは秀の目測にして戦闘員とあと5メートルほどで接触するところまで来ると、ヴィーダーシュボルトを突き出した。その刃がT.w.dの戦闘員の体に触れる直前のことだった。それが、何かしらの力によって止められた。

 

「この感じ……魔術障壁か! 小癪な! こんなもの、我が槍で貫いてやる!」

 

 ナタクはヴィーダーシュボルトを押し込もうとするが、力が及ばなかった様で、魔術障壁に弾かれてしまった。それで、青蘭学園側の進軍も一旦止まった。

 

「くっ。我が槍を弾くとは」

 

「ナタク。私も加勢します。もう一度この障壁に攻撃を加えましょう。フェルノ・ガーディーヴァにも助力を頼んでおきました」

 

「すまないな、リーリヤ。では行くぞ!」

 

「はい。ヴィヒター・リッタ!」

 

 二人の一騎当千の力の源のふたつの巨槍が、前にあるものすべてを突き通さんと、障壁と激突する。

 

        ***

 

 フェルノ・ガーディーヴァは、青蘭学園の屋上から弓を構えて、障壁を見る。どうやら、あれはT.w.d全軍をドーム状に覆っているらしい。彼女はそう判断した。

 大抵、大きな魔術障壁ほど、膨大な魔力と技術を必要とし、またその分脆くなる。今ナタクたちが攻撃を加えている場所に魔力を集中させなければならないため、上部は手薄だろう——そう踏んだフェルノは、矢を一本弓につがえ、目を閉じ、祈りを込める。

 

「封印弓フェイルノート……。いきますわよ!」

 

 フェルノがカッと目を見開く。必中の矢が放たれる。起動は祈りの力により、いくらでも修正が効く。だがその必要もなさそうだ。矢は入射角45度でドームの表面に命中した。——だが、障壁は崩れなかった。矢は障壁と拮抗してはいるものの、それだけだった。

 フェルノは矢筒に手を伸ばした。あれを破壊するのにあと何本必要か。三本か、四本か……迷いの末、フェルノは矢筒に入っていた全ての矢——おおよそ二十本ほどか——を全て一掴みで取ると、そのままつがえた。この封印弓フェイルノートに、矢を弦にかける必要などない。必要なのは、祈りのみ。確かなそれがあれば、狙いをつけた相手に真っ直ぐ飛んでいく。

 

「これで……砕けなさい!」

 

 矢はその大きさとは不釣り合いな轟音を立てて飛翔し、理想の角度で障壁に全て命中した。だが、障壁は健在だった。フェルノが放った矢は未だ拮抗している。弾かれていないのがせめてもの救いだった。

 

(ダメだったの……。もうやれることは、あの矢に祈りを込めるだけ。あとは頼みましたわ)

 

 フェルノは跪いて祈りを捧げた。勝利の祈りと、破邪の祈りを。

 

        ***

 

 T.w.dの方位部隊の中で、アルバディーナのサイドテールの金髪が、魔法陣から発生する魔力的な波動によって、ゆるやかに揺れる。アルバディーナが今していることは、魔術詠唱だった。詠唱はしなくてもいいことなのだが、気分でしたかった。今の彼女の役目は、今張っているこの魔術障壁によって敵の戦力を少し消耗させること、というのがひとつだ。

 

(まだこれでも私が疲れない程度に手を抜いているのに……。緑の世界の武器も、封印弓フェイルノートも大したことないわね)

 

「さすが黒の世界随一の結界師、アルバディーナだね。すごいよ。フェルノ・ガーディーヴァの矢まで受け止めちゃうなんて!」

 

 少しはしゃいだ様子で、アイリスが魔法陣の中に入ってきた。別に、人が入ったからといって魔術が弱くなるとかそういうことはない。ただ、魔術師にとって自分が作った魔法陣に入られるのは不快なことだ。アルバディーナもそうなのだが、アイリスだけには、そのような不快感を示さなかった。

 

「すごくないわよ。出来て当然だもの」

 

 アルバディーナはつい癖で素っ気なく言ってしまったが、内心ではとても嬉しかった。今一番大切な人に褒められたのだ。そのことが表情に出てしまったのか、口調とは裏腹に微笑んでいることが自覚できていた。

 

「もう素直じゃないんだから! 自衛隊は任せてね。あなたの役目が終わったら、一瞬で片付けるからさ!」

 

 アイリスはアルバディーナの肩を叩くと、元気よく走り去っていった。アルバディーナがその背中を見送ると、再び詠唱に入ろうとした時だった。

 

「久しぶりね、アルバディーナ。行方不明になっていたって話だったけど、まさかT.w.dとして会えるとは思ってなかったわ」

 

 魔法陣の外から、ローブをまとい、右半身に包帯を巻いた少女、イレーネスが話しかけてきた。そういえば、同じ組織にいながら、T.w.dとして顔を合わせるのは初めてだった。そうアルバディーナは思い出し、嬉しく思ってイレーネスに返答した。

 

「そっちこそ久しかったわね。元気にしてた?」

 

「モルガナといる時だけね」

 

 相変わらずだと、アルバディーナは笑った。イレーネスも釣られたように微笑を浮かべる。それからややあって、イレーネスは歩き出した。

 

「それじゃ、頑張ってね。私も頑張るから。戦う理由は違えど、志を共にする同志なんだから」

 

 イレーネスが手を振る。アルバディーナが振り返すと、イレーネスは頷いて、構成員の間に紛れていった。

 詠唱に戻って、言葉を紡ぎ出すのと一緒に、アルバディーナは戦う理由を思い出していた。

 アルバディーナは、黒の世界でも有数の魔法使いで、とりわけ結界を形成するのが得意だった。それだけなら魔女王にも匹敵すると言われたくらいだ。異能が発現する前は、気弱な少女で、でも誰とも接することができた。友達がたくさんいるような人から、疎まれていたジュリアや、忌避されていたイレーネスなど、誰とでも仲良くできた。

 だが、突如異能が発現すると、全てが変わった。アルバディーナの異能は、「体が一定時間何かしらの蟲になる」という異能だった。それだけなら良かった。だが、自分で発動のタイミングや、なる蟲を制御できない上に、変身の仕方が、体が一旦ドロドロに溶け、そこから蟲の体に必要な分だけ蟲になり、あとは変身が解けるまでそのまま、というものだった。

 最初はなじられた。嘲笑を受けた。唾を吐きかけられた。糞を投げられた。殺虫剤をかけられた。体に火をつけられた。そして、最後には誰も寄り付かなくなった。その時、イレーネスやジュリアは青蘭学園に通っていて、すぐ助けてくれる場所にいなかった。

 アルバディーナのかつての優しい目は憎悪に満ちた双眸に。気弱な性格はとにかく排他的な性格に。友達は呪いの対象に、それぞれ変わっていき、自分を苛虐した人間たちへの復讐を誓った。

 だが、失敗し、青の世界に逃亡した際に、アイリスと会った。アイリスは初めて、自分のことを気持ち悪がらなかった。寧ろ、無邪気に感心していた。そして、T.w.dという居場所をくれた。そこでは、誰一人として自分のことを忌み嫌ったりはしなかった。単に関心がなかっただけだろうが、その方がよほど楽だった。

 また、しばらくしてからそこでジュリアと再会した。旧友との会話はよく弾んだ。だが、それはつかの間の安らぎだった。自分たちがジュリアの付近まで来た時には、もう彼女は虫の息だった。その時はちょうど蝿になっていたため、ジュリアの会話の内容を聞き取った。大分情報を漏らしていたが、取るに足らない情報ばかりだった。

 ジュリアが死んだ時、アルバディーナは悲しみはしたが、涙は流さなかった。それどころか、情報を漏らしたことに少し憤りを覚えていた。そのことに、自分が一番驚いていた。古くからの友の死なのに、涙一筋さえ流さないなんて、いつの間に私はこれほどまでに冷酷になったのだろうかと、悩んだ。

 本部に戻って、アイリスの部屋に行ってこのことを言うと、アイリスはアルバディーナを抱きしめた。そして、大声を上げて泣いた。どうして泣くのかと尋ねた。アイリスは、ジュリアのこと、と答えた。彼女を生かす方法はいくらでもあったのに、ごめん、とも言った。

 アルバディーナはこの時、アイリスに反感を抱いた。ジュリアが死んだ時に悼むことをしなかった彼女が、今更泣き悔やんでいることが許せなかった。だから、つい言ってしまった。あなたに泣く権利なんか無い、と。アイリスは泣き止んだ。その時、アルバディーナはアイリスの顔を見ていなかった。どんな顔をしていたのか、今なら想像がつく。きっと、ありきたりな言い方だが、この世の終わりみたいな顔をしていたに違いない。もちろんこの時はアイリスの心情など気にしていなかった。アイリスの腕から抜けて、部屋から出ようとしたその時だった。先ほどとは比べ物にならないほど強く、アイリスがアルバディーナの背中に抱きついた。そして、涙しながら、お願い、謝るから行かないで、私を一人にしないで、と、懇願するように言ってきた。最初は、軽くあしらおうとした。だがその時、アイリスは自分のことを今では唯一無二の友達だと言った。それを聞いて、アルバディーナははっとした。自分と同じだと思った。当時その場にいないイレーネスを除けば、友達と言える人はアイリスだけだった。T.w.dでその存在を失えば、孤独になってしまう。それだけは嫌だと思った。黒の世界にいた時よりはマシだろうが、それでも嫌だった。

 アルバディーナはアイリスに言った、今は許すから、今度ジュリアを弔おうと。アイリスが泣き止み、アルバディーナの背中から離れ、同意する。そして、アイリスがまた泣き出した。今度は何かと振り返って尋ねると、アイリスは嬉しいと言った。アルバディーナが友達として自分のそばに居てくれるのがしあわせ、とも告げた。

 アイリスが涙の中に見せた笑顔は、アルバディーナの、それまで抱いていた感情をどこかに遣ってしまった。そしてただ一つの思いが沸き起こった。この笑顔を守りたい。復讐などもうどうでも良くなった。この友を守り抜く。そのためにアイリスの補助をする。そう誓った。

 

(そうよ。私の戦う、今の一番大きな理由は、アイリスのため。T.w.dの他の構成員とは違うのよ!)

 

 アルバディーナは掌を合わせ、祈るように魔法の詠唱を続けた。

 

        ***

 

 ナタクが障壁に弾かれまいと踏みとどまりながら、大声で怒鳴るように告げた。

 

「誰か、この魔術障壁に特別デカイ一撃を食らわせてくれ! それでこれを破れなければ一旦引いて対策を練る!」

 

 その時レミエルは、ここで名乗り出なきゃ、と思った。今までの集大成として、最高の姿をガブリエラや秀に見てもらうために。

 

「あ、あの……」

 

 声を発するが、小さかったようだ。誰も反応しない。それで、言葉が詰まってしまった。

 

(こんなのじゃダメだ。もっと、もっと胸を張って、声を張り上げないと……! 私は変わったんだ。大丈夫、出来るんだよ!)

 

 レミエルは、息を吐いて心を一旦落ち着かせてから、大きく息を吸い込んでから、これまでの人生の中で出したこともないような大声で叫んだ。

 

「私がやります! 私が、あの魔術障壁を打ち破ります!」

 

 その場の人の注目が一気にレミエルに集まる。以前のレミエルであればこれだけで動揺していただろうが、今は動じることなく佇んでいた。

 ナタクが、今なおヴィーダーシュボルトを障壁に突き立てながら尋ねた。

 

「いけるか!?」

 

「はい!」

 

 レミエルは即答した。そして、秀の元に歩み寄った。

 

「秀さん、見ていてくださいね」

 

「ああ! しっかりやれよ!」

 

 秀がレミエルの背中を叩いた。それが、レミエルには更に力をくれた気がした。

 

「では、行ってきます!」

 

 レミエルは、その気高き双翼を羽ばたかせ、T.w.d全軍を一望できる高さまで飛翔した。

 

(できるだけ、大きな剣を……)

 

 レミエルは手にしている錫杖の、上部の宝石が埋め込まれている場所に額を付け、両の瞳を閉じて祈りの言葉を紡いだ。

 

「我が名、神の雷霆(レミエル)において祈り奉る! 我らに勝利と神の祝福を与え、彼の者たちを打ち砕く聖なる大剣をこの手に宿し給え!」

 

 その手の錫杖が、忽ち大剣に変化する。どのくらい大きいのかは分からないが、とにかく振り下ろすのみだ。

 

「だああああ!」

 

 レミエルが振り下ろし始めたその瞬間、突如ガブリエラの思念が届いた。

 

——止めろ! それを使うな!

 

 だが、もう遅かった。それを認識した頃には、もう振り下ろしていた。そして、ガブリエラの思念の意味を理解した。……自分の造ったその剣の先が、見えなかった。その刃は、当たったもの全てを斬り裂いていった。海面に当たった部分は巨大な水飛沫を上げ、青蘭島の大地を割り、建造物を破砕した。だが、それすらも障壁は防いだ。

 

「ふざけないで! これだけやって、青蘭島を破壊しただけなんて、そんなことになってたまるもんか!」

 

 レミエルは一層の力を込めた。いかにあの魔術障壁が固くとも、今かなり弱っているはずだから、ここが踏ん張りどころだ。暫しの後、障壁は無くなった。だが、レミエルの大剣も無くなった。相殺された。レミエルは、敵の力に戦慄した。あれだけやっても相殺しかできないのだ。この戦い、勝てるのだろうか? そう疑問を抱いたその時、白の世界の(ハイロゥ)から、微かな物音を聞いた。そちらを見ると、一機の、目測で全高7〜8メートルほどの、白と青を基調とした巨体を持つロボットが見えた。

 

(確かあれは、白の世界の人型機動兵器、ジャッジメンティス……!)

 

 助けに来てくれたのだろうか、と思ったが、すぐにそれを否定した。そのジャッジメンティスから、レミエルは明確な敵意を感じた。ジャッジメンティスは、バーニアを吹かし、全速力と思われる速度で突っ込んで来た。間違いなく、学園に体当たりするつもりだ。

 先ほどのようなものを新たに造る余裕はもうない。あれを止める手段もないだろう。レミエルが半ば諦めたその時、レミエルの目の前に二頭の巨竜が現れた。



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衝撃

 レミエルの眼の前に現れた片や黒、片や銀の二竜は、その両翼を一度羽ばたかせて、ジャッジメンティスに向かって滑空するように突撃していった。レミエルはこの二竜以外にジャッジメンティスに対抗できるのはいないと考え、その場を任せて地上の秀の分隊のところに降り立った。中隊の先頭辺りではもう戦闘が始まっていた。

 

「レミエル、戻ったか! ここで連中を食い止めるぞ!」

 

「はい!」

 

 秀の声かけに、レミエルは張りのある声で返事をし、あずさと由唯は硬い表情で頷いた。

 レミエルは頭を切り替え、魔剣のイミテーションを創造する。秀たちは先のことについて何も言わない。その気遣いが嬉しかった。

 前の方の部隊の取りこぼしが正門に向かって突っ込んでくる。レミエルは魔剣を握る手に力を込めた。

 

        ***

 

 秀は、迫る敵の一人にアサルトライフルの銃弾を撃ち込んだ。敵はすぐに死んだ。初めて現実で人を殺めた。不思議な感覚だった。反道徳的なことと分かっていたが、それ以上に世界のため、学園のため、仲間のためにこの相手を殺さなければならないという使命感の方が強かった。

 

(レミエルがジュリアを殺した時も、こんな気持ちだったのだろうか)

 

 今戦場にしている、青蘭学園の正門から続く坂は、遮蔽物と言えるようなものが殆どない。そのため、遮蔽物に身を隠すということが出来ないが、こちらには一人のαドライバー毎に赤ないし黒の世界のプログレスが張る結界があるため、攻撃の殆どは無力化出来る。敵の動きはアサルトライフルを撃ちながら突っ込むという至極単純なものだった。だから、狙いをつけて引き金を引くだけで、簡単に殺せた。

 

(よし、この調子なら正門前で食い止められるだろう)

 

 秀がそう思った矢先だった。一瞬だけ見えた正門の内側に、T.w.dの制服を着た金髪の少女がいた。

 青天の霹靂だった。秀は慌ててそちらに走ろうとしてしまったが、セニアがそれを制した。

 

「私に任せてください。秀さん。秀さんは私とのリンクが切れないようにしてくれるだけで構いません。秀さんに独断行動させる訳にはいきませんから」

 

「それを言ったらお前だって独断行動になるじゃないか」

 

 秀が訊くと、セニアはふっと微笑んで答えた。

 

「安心してください。ちゃんと目の前の敵も相手にしますから」

 

 セニアの言葉に秀は頷いて倒すべき敵の方に向いた。セニアがやると言っているのだ。信じるほかないだろう。そう思って、秀は頭を切り替えた。

 

        ***

 

 二竜の内の片方、黒竜——クラリッサは、その両翼でジャッジメンティスよりも上空まで飛んだ。彼女らは、ジャッジメンティスが現れた際、ナタクにそれを止めろと命令された。もちろんそうされなくてもそのつもりだったが。

 少しの間を置いて、直下に急降下した。ジャッジメンティスの速度を計算して、クラリッサがぶつかるタイミングで、ジャッジメンティスの背中が来るような瞬間に、だ。

 だが、ジャッジメンティスはクラリッサの体当たりを紙一重の差で躱した。そこで、クラリッサは、

 

「甘いよ、ジャッジメンティスのパイロット! 頂いた!」

 

 躱されたその姿勢からサマーソルトキックの要領で、機体下部を尻尾で打ち付けた。ジャッジメンティスのバランスが崩れる。その隙をついて、銀竜——ジークフリートがジャッジメンティスを上から足で押さえつけ、そのまま滑空するように急降下し、機体を校庭に叩きつける。

 

「どうです? 誰か乗っているのでしょう? いくら遠隔操作できるとは言え、外から見ているだけではクラリッサさんの突撃を躱すのは困難なはずです」

 

 ジークフリートはジャッジメンティスを踏みつけるため、片足を上げた。が、その瞬間。

 

「油断するな! ジークフリート、そいつから離れろっ!」

 

 クラリッサの警告を聞いて、ジークフリートは機体から離れようとしたが、ジャッジメンティスのデュアルセンサーが翠色に輝き、腕が伸び、ジークフリートの片足を掴んだ。そして、片腕だけでジークフリートを投げた。そして、ジャッジメンティスも跳び、ジークフリートが飛べないよう翼を押さえつけた。ともに落下して、ダメージを全てジークフリートに与えるつもりだろう。

 

「ええい、仕方ない。クラリッサさん、少し任せます!」

 

 ジークフリートはそう言うと、元の姿から人間体に変化(へんげ)した。そうすることで、ジャッジメンティスの手から逃れられた。すると、ジャッジメンティスが動きを止めた。

 

「今度こそ、貰ったァ!」

 

 クラリッサは拳を握りしめ、ジャッジメンティスに突貫する。最大限の力を発揮すれば、機体を貫通することくらいはわけないだろう。クラリッサはそう踏み、勝利を確信したその時、ジャッジメンティスが視界から唐突に消えた。そして次の瞬間、背後にそれが出現した。

 

「亜空間跳躍か! くそっ!」

 

 振り向くと、ジャッジメンティスの、エネルギー球を保持した掌が迫っていた。それを食らえば、ひとたまりも無いだろう。最悪、死ぬ。相手もそれを分かっているはずだ。——クラリッサは勝利に笑った。

 

        ***

 

 アルバディーナは、青蘭学園の正門の内側に立っていた。彼女の異能、蟲化を使い、蝿となってここまで来て、元の姿に戻った。魔法による変身ではなく、更に蟲となっている間も人間の時と同じように体以外は使えるので、己の魔力を抑え込むことも容易い。だから、魔力の探知には引っかからない。アルバディーナが銃撃の中を行っても、戦闘しているものにとってはただの蝿だ。

 アルバディーナは頭上を見る。そこでは、二頭の竜とジャッジメンティスに搭乗したリーナ・リナーシタが戦闘していた。

 

「ちゃんと負けなさいよ、リーナ」

 

 アルバディーナはそう呟くと、小型砲台(ピット)が自分を狙っていることに気がついた。その数を瞬時に数える。四つ。アルバディーナは鼻で笑った。

 

「コードΩ46セニアは優秀なアンドロイドだと聞いていたのだけれど、愚かね。そんなもので、私を倒せると思って?」

 

 小型砲台の光線による一斉砲撃を、アルバディーナは魔法で障壁を張って受け止めた。そして、その障壁の形を変化させる。それはまるで、鞭のようにしなり、刃のように切れ味を持つもの。魔法だからこそできることだ。

 四つの小型砲台は、それを躱した。しかし狙いは依然としてこちらだ。アルバディーナは即座に障壁をドーム状にして、自身を守らせた。

 

「あの程度じゃ無理ね。本人を狙うしかないわね」

 

 アルバディーナは目を閉じ、セニアの位置を探る。——見つけた。αドライバーを含む4人と一緒だ。

 

        ***

 

 セニアは焦っていた。目の前にいるT.w.dの一般構成員はどうということはない。その手に持つ光線銃で簡単に倒せる。しかし、アルバディーナの方に寄越した小型砲台が、アルバディーナに全く危害を与えられていない。一刻も早くアルバディーナを止めないと、この状況下で学園内に敵の進入を許すことになる。

 オーバーヒート気味になった思考回路を、少し冷却したその時だった。背後から衝撃を受けた。一気に前方に吹き飛ばされる。痛みはない。が、シンクロしている秀はαフィールドの影響で、少し表情をしかめた。

 セニアは空中で姿勢を立て直すと、そのまま前にいるT.w.dの構成員を瞬く間に無力化した。そして地面に着くと、苛立ちから舌打ちとともに呟きを漏らした。

 

「あの女ですね。厄介な」

 

 小型砲台の攻撃のペースと、光線の出力を上げる。だが、それらは全て魔術障壁に弾かれてしまった。セニアの焦りを他所に、アルバディーナの襲撃は続く。セニアへのダメージは無いが、秀とのシンクロが弱くなっていっていた。

 セニアは秀を一瞥した。一見特に異常はなさそうだが、健康状態を計測すれば、秀の消耗は明らかだった。しかも、そろそろ限界だ。レミエルは全く負傷せずに戦っていて、由唯は透明になっているので、そこまで傷ついていないが、あずさは、レミエルが彼女の周りに結界を張っているとはいえ、結構な頻度で被弾したりしていた。時折、時間停止能力を使っているようだが、連続で使えるような代物では無いようだ。

 とにかく、セニアとあずさのダメージで秀の精神が摩耗している。どうにかせねばと思えど、アルバディーナを始末する方向ではほぼ不可能であるし、あずさの方に向かえばあずさを巻き添えにしてしまうかもしれない。

 思考していたその時、ナタクから通信が入った。

 

『校門の内側に入った者の始末はアインスにつけさせる。だからセニアは目の前の戦闘に集中しろ。独断行動については目をつむっておいてやる』

 

「了解しました、攻撃を中断します」

 

 セニアは応答すると、自動砲台を引き戻し、あずさの近くに配置した。そして、あずさに注意を向けていた敵を光線で焼き払った。

 

「セニア……ありがとう」

 

「お礼は不要です。もたもたしてると次が来ますよ」

 

「その通りね! 悪いけどアシストお願いできるかしら?」

 

「分かりました。小型砲台はそちらに寄越したままにしましょう」

 

 あずさが頷いて、銃撃を再開する。セニアも光線銃を構えたその時、頬に、一陣の風を感じた。横目で見ると、脇通り過ぎるふたつの黒い影があった。

 

        ***

 

 ジャッジメンティスの装甲が背部から打ち破られ、ジークフリートの拳が貫通していた。ジャッジメンティスからエネルギーが失われる。それは、エネルギー球が消えたことからも分かった。

 あの瞬間、ジャッジメンティスの操縦士は勝利を確信し、油断したに違いない。そこをジークフリートに突かせたわけだが、上手くいったようだ。

 クラリッサは辺りを見回す。目の前には、ジークフリートによって機体に穴を開けられたジャッジメンティスがあり、その後ろには勝ち誇った顔のジークフリートがいる。さらにその後ろにある校舎は無事だ。守りきることができた。その達成感でクラリッサは満たされていた。グラウンドを見ると、何かが引きずられた跡がある。自分たちの戦闘の痕跡だ。

 前線に戻ろうと、体を正門側に向ける直前、グラウンドに、走り去っていく人影を見た。その人影は身長150cmほどで、ストレートの青髪を揺らしながら往く。その青髪に、クラリッサは見覚えがあった。データで見ただけだが、間違いなく、ジャッジメンティスの操縦士、リーナ・リナーシタだ。

 クラリッサは、この後何が起こるか悟った。

 

「ジークフリート! ここからさっさと離れな! 多分こいつは——」

 

 クラリッサが言い終える前に、ジャッジメンティスの機体が爆発した。至近距離で爆発を受けたクラリッサは、熱は鱗で耐えたが、爆風で学校の敷地外まで吹き飛ばされた。空から一瞬だけ見えた学園は、校舎の一部が破壊されていて、窓ガラスの殆どは割れていた。その次に眼下に見えたのは、人気の全くない市街だった。

 

(竜の姿のまま落ちたら家屋に被害が出る……。人間体になるか)

 

 クラリッサは人間体になって、ちょうど学園の周りの道路に落下した。その時、うっかり右腕をついてしまったおかげで、右腕が変な方向に曲がった。更に、両の踵の骨が砕け、全身に打撲を負ってしまったようだ。クラリッサは苦痛に顔を歪める。

 

「派手にかましやがって。あたしにどうやって戻れってんだよ。ジークフリートのやつも心配だ」

 

 動くことはできるが、正門以外は封鎖されている。この体で戦闘はあまりしたくない。クラリッサはそのまま寝っ転がることにした。竜族の治癒能力を以ってすれば、数時間もあれば打撲くらいは治るだろう。

 クラリッサは体を横にしたまま、街を見る。表面上は本当に静かだ。人の声どころか足音一つ聞こえやしない。どうやら青蘭島には天変地異からの避難用の地下シェルターが至る所にあるらしく、恐らく住民はその中にいるのだろう。

 いいご身分だなと、心の中で悪態をつくと、そのまま眠ろうとした。が、その時、微かだが、足音を聞いた。その足音はだんだんクラリッサの方に近づいてくる。

 

(なんだ……? こんな場所を通るなんて作戦で聞いてないから、多分敵だろうな。死んだフリでもしてどんなやつらか見てやる)

 

 クラリッサは目を閉じて待っていると、足音が耳元まで近くなったところで、止まった。

 

「データ照合……間違いありません。この女は竜族の末裔です。名前はクラリッサ、と。リーナ・リナーシタと交戦していた模様です。恐らく爆風でここまで飛ばされたのでしょう。見た所死んでいるようにも見えますが、生体反応があります。気絶しているのでしょう」

 

 男の声がした。淡々としているが、分析は的確。仕事ができる人間なのだろう。

 

「竜族はしぶといからな。今のうちに殺しておけ」

 

 今度は、幼さの残る女性の声が聞こえた。しかし、その声は凛としていて、威厳があった。

 男が「了解」と短く答えると、遊底を引く音がした。クラリッサは、かっと目を見開くと、起き上がって、跳躍して距離を取った。

 

「あんたら、どこの世界のモンだ?」

 

 クラリッサが尋ねると、リーダー格と思われる金髪の、自分より下の世代に見える少女が歩み出て答えた。

 

「我々は白の世界(S=W=E)の者だ。EGMAによる支配からの脱却を目的としたレジスタンス、人間解放軍のな。今は訳あって、T.w.dに(くみ)しているが」

 

 先ほど聞いた女の声と同じものだ。やはり、リーダー格なのだろう。

 

「ふん、レジスタンスだろうがなんだろうが、連中に味方してるだけ同じ穴の狢だ。あんたらは駆逐されなければならない」

 

 クラリッサはそう吐き捨てると、左足を後ろに引き、二又の槍を構え、数十人ほどの部隊と対峙する。敵は全員S=W=Eの最新装備で固めてきているだろう。肉を切らせて骨を断つ——この戦法で行くしかない。

 唾を飲み込み、槍を握る手に力を込める。右手に握力はないが、左手なら万全なときほどではないが、人を殺せる程度の力は十分に入る。鼓動が高まり、その音が鮮明に聞こえる。ほとばしる緊張感に、クラリッサの神経が活発になる。アスファルトの道路を踏みしめる力が大きくなる。

 

「手負いだがやれるようだな。私が相手しよう。止めるなよ貴様ら。この中でプログレスは私だけだ。プログレスと非プログレスでは能力に天と地ほどの違いがある」

 

 リーダー格の少女が歩み出る。そして、部下と思われる者らに目配せすると、一振りの日本刀を、秀が腰につけている亜空間格納庫と同じものから取り出し、左の腰のベルトに差した。

 

「この日本刀は無銘なんだかな。なかなかの業物で、実戦で使うのは貴様が初めてだ」

 

 風に髪をなびかせ、余裕の表情で自慢するように少女は言う。クラリッサは唾を道路に吐き捨てると、殺気を込めた目で少女を睨んだ。

 

「ごたくはいい……行くぞ!」

 

 クラリッサは引いた左足をバネにして、少女に突撃する。しかし、少女は体を右脚を軸にして半回転し回避する。突き出された槍は空を突いた。左に目を向けると、ちょうど少女が居合をせんとしていた。クラリッサは右脚で地を蹴って強引に後ろに下がった。だが、まだ殆ど治っていない踵のおかげで激痛が体に走り、踏ん切りがつかなかった。当然、転倒し、仰向けに倒れる。痛みに反射的に目を閉じていたが、開くとそこには刀の剣先があった。

 

「やはり不完全なようだな。だが慈悲を与える訳にはいかん。ここで死——」

 

 そこまで言いかけて、少女は突然顔面蒼白になって固まった。その目はクラリッサではない誰かを見ているかのようだった。どういう訳かは分からないが、とにかく好都合ではあった。

 クラリッサは身を翻して少女と距離をとった。着地の際にやはり痛みがあったが、歯を食いしばって耐えた。少女を見ると、やはり呆然としていたが、はっとしてクラリッサに向いた。

 

「……ふん、目的は果たした。最後に私の名を教えてやろう」

 

 少女はため息をつき、静かにこう言った。——サングリア・カミュ、と。その名乗りはまるでクラリッサに対して言ってはいないかのようだった。

 

「さらばだ。近いうちに会うかもな」

 

 カミュは煙幕を焚いた。そして、煙が晴れる頃には、カミュの姿は跡形もなく消えていた。そして、数十人いた人類解放軍も。恐らく、後者はカミュと戦闘している間にいなくなったのだろう。

 クラリッサは舌打ちをした。大物を取り逃がした。しかも、周りの扱いから察するに、高い地位にあると思われた。

 

「今獲物を惜しんでいても仕方ないか」

 

 翼を展開してみる。傷は癒えていないが、なんとか飛べそうだ。これなら学園に戻れる。

 クラリッサはふらつきながら飛翔した。そして、校庭に突如出現した、異様な物に、目を見張った。

 

「なんだ、あれは……?」

 

        ***

 

 アルバディーナは自分の周りに防護壁を張って、ユニ、アインスの猛攻を防いでいた。ユニのフラゲルムノウンがいくら奇抜な軌道を描いても、アインスのミリアルディアがどれだけ多くアルバディーナを襲っても、それらは全てアルバディーナには届かない。結界を張ることに関しては黒の世界においてずば抜けている。それはかの魔女王ですら一目置くほどだった。

 攻撃を受ける合間に、交戦の様を垣間見る。見た感じだと、両軍は拮抗していて、どちらが不利とも言えない状況だった。数で劣る青蘭学園だが、その異能(エクシード)を十二分に発揮して、一個分隊で数十人と渡り合っているようだ。だが、流石にプログレスと言えど、それだけの人数を相手にすれば、疲労は蓄積される。そろそろ頃合いだ。

 

「さて、そろそろあのお二方も疲れてきたかしらね」

 

 二人の表情は焦燥感に満ち、息切れも伺えた。こちらもそろそろいい頃だ。

 

「変化」

 

 アルバディーナがそう呟いた瞬間、その体がドロドロに溶けていく。奇妙な、悍ましい感覚だ。しかし、T.w.dの、アイリスのためだと思えば、何のことはない。不思議なことに、この状態でも外の景色は見える。ユニとアインスの表情が恐怖に満ちているのが分かった。

 二人とも、優秀な軍人だ。よほどのことが無ければ負の感情を表情に出すことなどほとんど無いだろう。それは彼女らにとって敵であるアルバディーナも十分に理解していた。だからこそ、アルバディーナは己がいかに忌み嫌われる存在かということを、はっきりと自覚した。分かっていたことで、覚悟していたことだったが、実際に突きつけられてみると心に刺さった。

 アルバディーナは、変身が終わったことを、体の感覚の変化によって知覚した。恐らくは、成人男性の平均的な背丈の二倍近くの体高と、大型トラック一台分ほどの体長を持った蟷螂(かまきり)にでもなっているだろう。複眼から覗く風景は、色彩感覚は人間のままで見られるため、普段と相違は無い。試しに前足の鎌を振るってみる。空を裂く音がした。威力は十分に大きい。

 

「さて、あなたたちはどうするのかしら?」

 

 アルバディーナはアインスとユニを見下して訊いた。アインスとユニは戦慄したように動かなかったが、やがてそれを克服したらしく、各々の武器を構えた。無数のミリアルディアがアルバディーナをあらゆる方向から仕留めようとし、フラゲルムノウンが真っ直ぐに急所を狙ってきた。だが、アルバディーナは人間の時と同じように、それらを結界を張って防御した。人間体の時と同じく、魔法も使えるのだ。

 二人から受ける猛攻を防ぎながら、アルバディーナは考える。アルバディーナとT.w.dの本隊で挟み撃ちの構図になっている今、青蘭学園側は一見不利だ。しかし、今青蘭学園が新しく部隊を出撃させれば、アルバディーナを挟み撃ちにすることができ、また自衛隊が到着すれば、T.w.dの本隊も挟み撃ちにされる。もっとも、後者のための人類解放軍であるし、アルバディーナも挟み撃ちにされても、とても疲れるだけで相手にできないことはない。だが、ここでのアルバディーナの目的が「青蘭学園の生徒に最大限の恐怖を与えること」であり、またこの先もアイリスの補佐をしなければならないため、無茶をするわけにはいかない。

 そう考えていたところ、校門が開き、大多数の青蘭学園の生徒が出てきた。一見雑然としているが、よく見ればよく統率されている。恐らく青蘭学園の第二陣だろう。その先陣を切る二人の人物にはデータでの見覚えがあった。一人はシャティー・ティファール。レボリューション部会計にして、複製能力を持つ赤の世界の天使。片方はユノ・フォルテシモ。こちらは副会長で、瞬間移動の異能を持つ黒の世界のエルフだ。その異能に関しては最高レベルの5の認定を受けているほど優秀だ。

 

「なんて巨体……。でもやってみせる!」

 

 シャティーは臆することなく突っ込んでくる。そして、その手には手榴弾が握られていた。彼女は走りながら手榴弾のピンを歯で抜き、放り投げた。数秒して、それが無数に分裂する。

 

「無駄な火薬を使ったわね」

 

 アルバディーナは結界を張る。手榴弾が一斉に爆ぜるが、アルバディーナは無傷だ。しかし、爆煙が辺りを覆い、視界が遮られた。

 

(狙いはこれね)

 

 特に警戒もせず、結界を張ったままにしておいた。これなら余程のことが無い限り懐に入り込まれない。煙が晴れるのを見計らって、アイリスの元に帰ろうとした時、体の下に気配をふたつ感じた。

 

「……なるほど、ユノの瞬間移動か」

 

 完全に頭から抜けていた。ユノ並みの瞬間移動能力なら、結界の内側に入り込んできても不思議ではない。本物の蟷螂と同じように、腹部は特に弱い。防げないこともないが、そろそろ集中力が切れてきた。長時間結界を張り続けた結果だろう。

 

「変化」

 

 アルバディーナはこの日二回目の変身を行った。また、体が溶ける。その時、二人の気配が遠くなった。このドロドロの体に触れるとどうなるか分からなかったからと思われる。実際には気色の悪い感じがするだけで、無害なのだが、彼女らがそれを知る由はなかった。

 アルバディーナは今度は極々小さな蝿になった。そして、煙の晴れぬ間にアイリスの元に向かった。煙を抜けると、戦場の真っ只中に入った。戦闘員らの耳元を通り過ぎても、誰もアルバディーナに反応しない。それだけ集中しているということだろう。それは当然のことだが、T.w.dにせよ青蘭学園にせよ、目的を遂行するために決死の思いで戦っていることには変わりない。蝿が飛んでいても気にするはずが無い。

 それはアルバディーナも同じだった。親友(アイリス)の願いを成就させるためなら、どのような犠牲も払ってみせる。アルバディーナの胸中にあるのは、ただその一点のみだった。

 

        ***

 

 第二部隊との交替が完全に完了し、秀たちは待機場所に指定されている教室で休憩していた。レミエルは、校舎に入った途端にガブリエラに連れられてしまった。相手はガブリエラなのだから、心配することもないだろうと思って、レミエルに関しては今は特に何も思っていない。

 達也とカミュに連絡を取ろうとするが、メールにも電話にも応じない。両者への不安は募る一方だ。白の世界のレジスタンスもT.w.d側について戦闘に参加したとの情報もある。ますます秀の焦燥は駆り立てられた。そのような時に、あずさが歩み寄ってきた。あずさは、秀の前に立って、言い辛そうに唇を震わせていたが、やがて小さな声で、

 

「ごめん」

 

 あずさが深々と頭を下げる。突然のことで秀は困惑したが、それが先の戦闘の時のことであることに気付いた。

 

「あたし、結構被弾しちゃった。あんたに迷惑をかけた。だから、ごめん」

 

「いや、別に気にすることじゃない。椎名の被弾によるダメージは大したことはない。お前が謝る道理はない」

 

 でも、とあずさが反駁しようとするが、それを秀は目で制した。

 

「それ以上言うなら、戦闘から降りてもらうことになる。自分のせいで痛みを与えたからと言うなら、お前はT.w.dの連中にも謝らなければならなくなる」

 

 あずさがたじろぐ。更に、秀は言葉を重ねる。

 

「バトルじゃなくて、今は俺たちは戦争をしているんだ。傷つくのはむしろ当然のことだと思うし、全く被弾しないという方が異常だろう。だから謝るな。そんなことを続けていたら、そのうち潰れるだろうよ」

 

 あずさはまだ納得していない風があった。秀は傍にいた由唯に目配せする。秀が言えることはこのくらいだろう。秀は席を立って離れた。

 秀の視線に気付いた由唯は、一つ頷くと、あずさのそばに立った。

 

「あーちゃん。私は、秀の言う通りだと思う。悔しいかもしれないけど、そうだと納得して、ね?」

 

 あずさは口をまごつかせていた。だが、決心したように由唯に告げた。

 

「あたし、納得できてないんだ。頭の中では秀が正しいって分かってる。だけど無理なんだ。まだ戦士として徹しきれてないのよ」

 

「じゃあ、降りるの?」

 

 あずさは首を横に振った。その目には涙が溜まっている。首を振るたび、わずかにこぼれた。

 

「あたしは嫌だ、降りたくない。せっかく秀が春休みに戦いのいろはを教えてくれたんだ。その時間を無駄にしたくない。大丈夫、すぐに慣れてみせるから」

 

 そう告げるあずさの顔は涙に濡れてはいたが明るかった。それを見て、由唯は安心したように嘆息した。

 その様子を遠くから見ていた秀の腕をセニアがつついてきた。

 

「秀さん、私、ずっとあなたのことを観察していたんですよ。お姉ちゃんが一日で惚れた男だというのでさぞや立派な人物なのだろうと」

 

 唐突に切り出したセニアに、秀は、はあ、と目を丸くした。セニアは真顔で続ける。

 

「結論を出します。正直言ってあなたは子供です。確かにませている部分も多々あります。しかし、お姉ちゃんの評価を指摘すると、危険を顧みない強い意志を持っているというよりは、単に目の前の物に突進しようとしていただけに思われます。今日、それがよく分かりました」

 

「酷い言いようだな。あとお前暗にカレンのことも叩いてるだろ」

 

「確かにお姉ちゃんは、地球風に言ってちょろいんだろうと思います。……ですが、あなたは別に悪い人ではありません。私のマスターになってもらうに相応しいとは思いませんが、信頼できる人だとは思います」

 

 秀は「は、はあ」というような、中途半端な返事しかできなかった。こういうことを言われると返答に困る。

 と、その時、教室のドアが開かれた。そして、クラリッサとジークフリートの二人が入ってきて、秀のところまで真っ直ぐに向かってきた。

 

「秀君。あなたは去年数ヶ月S=W=Eにいたと聞きました。あの巨大なロボットに見覚えはありませんか?」

 

 ジークフリートの質問に、秀は、知らないと答えた。その質問に重ねて、クラリッサも問うてくる。

 

「じゃあ、サングリア・カミュという女を知っているか?」

 

 クラリッサの口からカミュの名が出てきたことに、秀は驚いた。悪い予感を感じながら、秀はクラリッサに答えた。

 

「ああ、カミュのことはよく知ってる。俺に訓練してくれた、大事な人だ」

 

 秀が言うと、クラリッサは秀に身を乗り出して、より引き締まった表情で尋ねた。

 

「なら、そのカミュがレジスタンスの一員で、T.w.dに味方している、というのは?」

 

 そのクラリッサの言葉は、まるで鈍器のように秀を襲った。カミュとの思い出と共に、ジュリアが言ったことを思い出した。知らぬが仏——正にその通りだった。衝撃が秀を蝕む前に、秀は、戦場で突然遭遇するよりかは、幾分かは良いだろうと、己を慰めた。

 しかし、実際にカミュと対峙することになったら、果たして平気でいられるだろうか? 秀には分からなかった。だが、いずれその時は必ずやってくるだろう。その時までに、秀は覚悟せねばならなかった。

 

        ***

 

 レミエルは、ガブリエラに連れられて、特別教室が並ぶ階層の廊下の端に来た。外の天気も相まって薄暗かった。

 あの聖剣を造った時に止めたのに振り下ろしたことを言われるのかと、レミエルは身構えた。それを見たガブリエラはレミエルが怯えている理由を悟ったらしく、こう告げた。

 

「聖剣については気にするな。あらかじめ警告しなかった我の不注意だったし、幸い死傷者も出ていないとのことだ」

 

「そのことで呼び出したんじゃないんですか?」

 

「ああ。単刀直入に聞くぞ。レミエル、汝は己の力をどのように思っている?」

 

 突然の問いに戸惑ったが、レミエルは少し考えてから答えた。

 

「……よく、分かりません。分からないんです。私のこの力が一体どんなものなのか。自分でもコントロールできていないですし」

 

「そう思ったのはいつからだ?」

 

 間髪入れずにガブリエラは尋ねる。レミエルは狼狽えながら返答する。

 

「今日です。あの聖剣の再現をした時にそう思いました。あんなものを造れるほどの魔力なんて、前までの私には無かったはずなのに」

 

 レミエルの言葉に、ガブリエラはため息をついた。

 

「当たり前だ。前の汝には今着ているその戦闘装束も無ければ、αドライバーすらいなかった。そうなって当然だろう」

 

 レミエルは、黙ってしまった。言葉が見つからない。完全にガブリエラに気圧されてしまっていた。

 

「レミエル、私はいつか汝が、様々な経験を積むことで、己の真の力を知覚し、それを十二分に発揮することを楽しみにしている」

 

 見かねたのか、ガブリエラは唐突にそんなことを言った。それを聞いて、レミエルはぽつりと呟いた。

 

「私の、真の力」

 

 雲の切れ間から光が差す。相変わらず薄暗いが、こころなしか明るくなっていく。

 

「そうだ。それは、汝や周りが思っているよりも遥かに強大なもので、尊いものだ。いくら汝がそれを否定しても、その事実は変わらない。そして、その力を解放するためには、αドライバーの存在、つまり秀が不可欠だ。彼のことだけは最後まで信頼し続けるのだ」

 

 ガブリエラは言い終えると、踵を返して去っていった。一人残されたレミエルは、己の左の小指を見つめた。この指に込められた約束は、忘れることはないだろう。あの約束こそ、秀との絆を証明する最高のものだとレミエルは思う。ガブリエラの言う通り、秀のことを最後まで信じられることは易しいだろう。

 レミエルは、待機場所に小走りで向かった。わずかな日の光が、背中を押しているような気がした。



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終わりの始まり

 統合軍のオペレーターがせわしく動く司令室。ここは地下数十メートルにある。青蘭学園が戦場になることも考慮したのか、見事なまでに設備が整っている。

 そこで戦況図を睨むミギリは腕を組み、眉にしわを寄せて足を鳴らし、時々息を吐いていた。彼女の苛立ちは絶頂まで達しようとしていた。一般的に統合軍の将校は、こういうときにタバコや酒で頭を切り替える者が多いらしいが、ミギリの頭の中にはそのような考えは一切なかった。唯一考えているのは、T.w.dがいつ動くのか、ということだ。

 現時点で、戦闘開始から約一週間経っていた。T.w.dは背後の自衛隊を軽く蹴散らしているが、青蘭学園には殆ど攻めてこない。戦闘初日がT.w.dの攻撃が最も激しかった日となっていた。

 また、カレンからもたらされた情報で、青蘭学園に時限爆弾が仕掛けられているというのもある。だが、水道を絶えず移動しているため、容易に排除はできない。水道を止めてしまえばいいが、それだとただでさえ苛立っている青蘭学園の生徒の機嫌を更に悪くしてしまう。またこの件は、混乱を防ぐために公開は一部にしかしていない。未だ爆弾が起動していないのが唯一の救いだ。

 そして、まだ内通者がいる可能性もある。それを抑えるための部隊も一応組織しているが、現状では宝の持ち腐れだ。

 状況を頭の中で整理していたら、更に苛立ちが加速しそうだったので、ミギリは考えるのをやめた。すると、背後から近付いてくる足音がした。そちらを振り返ると、硬い表情のアゲハが話しかけてきた。

 

「相当きているようね。少し休んでもいいと思うけれど。参謀長にダメになってもらっては困るわ」

 

「いえ、大丈夫。きているのは確かだけど、やれるわ。それよりもあなたよ。マユカ・サナギのこともあるでしょう?」

 

 ミギリが言うと、一瞬アゲハは固まったが、すぐに平静を装ったように言った。

 

「あの子のことは大丈夫。信じてるとは言わないけど、もしも遭遇したら、討つ自信はあるから」

 

「そう」

 

 ミギリは短く言うと、そのまま出入り口に向かって歩き出した。どこへ行くのかとすれ違いざまにアゲハが尋ねるのを、

 

「コーヒーを買うのよ。スレイが居なくなって大変でしょうけど、頑張って」

 

 と答えて、アゲハの顔は見ずに行った。そのまま真っ直ぐ一番近い自販機でブラックコーヒーを買って、一口飲む。アゲハと話をしたからかもしれないが、心なしかリラックス出来た気がした。

 ふと、講堂の方から歌が聞こえてきた。小鳥遊希美の歌だ。

 

「そういえば、この時間は彼女の慰問ライブだったわね。生徒たちの気晴らしになるといいけれど」

 

 でも、自分には関係のないことだ、と、ミギリはその事はすぐに忘れて、また司令室に戻った。

 

        ***

 

 アイリスはビルの建ち並ぶでフィア、イレーネス、モルガナ、そして数十名の戦闘員と共に、自衛隊の戦車部隊に立ちはだかるように対峙する。どこからか歩兵が周囲のビルから自分らを狙っているような感じがした。

 先頭を行くのはアイリスだ。歩兵が携帯するような銃の弾丸や、機関銃程度ならば直撃しても痛手にはならない。食人鬼の体は殆どの対人戦で勝てるよう、かなり頑丈に出来ている。人間からしたら常軌を逸したような怪力もそのためだ。

 アイリスの後にはイレーネスとモルガナが続く。そして、フィアと他の戦闘員は近場の三、四階建ての小さなビルに入る。そのビルを制圧後、砲撃支援に当たってもらうという寸法だ。

 アイリスは74式戦車に向かって疾走する。対する五輌の74式戦車は後退を始めた。敵は、ここ一週間の戦闘で、アイリスたちには戦車で勝てないことを知った。だから、この判断は正しい。おおかた74式を囮にしてどこかで自分らを一網打尽にするつもりだろうとアイリスは推測した。

 

「ブルーティガー・ストースザン!」

 

 アイリスは己の武器である鉤爪を左手に召喚する。そして、その三本ある爪のうち一本を射出した。それは先頭の74式のキャタピラを切り裂いた。その一輌がバランスを崩し、スリップして他の二輌の74式と激突した。それで道が塞がれ、残りの二輌が立ち往生する。そこで、モルガナとイレーネスがそれぞれ立ち往生した二輌に走る。更に、フィアからの砲撃支援も、ちょうど始まった。たった今制圧が完了したということだろうか。アイリスの想像を超えた早さだった。

 まずフィアがスマッシュ・ファウストで二者が向かった二輌に砲撃を入れる。そして、モルガナ、イレーネスのうち先に74式に攻撃を加えたのはモルガナだった。持ち前の、アイリスと同等かそれ以上の身体能力を活かして、空高く、前方に跳躍する。それから、大なる位置エネルギーを以って、砲撃が入れられた74式の上部の装甲に右拳を叩きつける。それは74式戦車の装甲を貫いた。更に、モルガナはその穴を無理矢理こじ開け、内部に入った。跳躍してから中に入るまで、わずか約四秒の早業だった。しばらく銃声と悲鳴がこだましていたが、やがて返り血に濡れたモルガナ一人が出てきた。するとそこに、どこかのビルから何発もの銃弾がモルガナを襲った。モルガナは常軌を逸した動きでその弾を全て弾き返し、彼女を狙撃した者らに返した。そして、モルガナは何事も無かったかのように74式から飛び降りた。

 一方イレーネスは、戦車に直接入るということはしなかった。ごく単純に、しかし恐ろしい方法を取った。イレーネスはまず右手の包帯を解いた。呪われた半身の一部が露わになる。そして、その呪いの瘴気を74式戦車の穴という穴に送り込んだ。数秒して、その瘴気を他の三輌にも送った。またしばらくして、瘴気を腕に戻し、包帯を巻いた。アイリスは冷や汗を垂れながら、苦し紛れっぽく口笛を吹いた。そして、はあ、とため息をつく。

 

「みんな敵じゃなくて良かった……」

 

 そう呟くと、アイリスはほおを張っていつもの余裕の表情を浮かべ、声を張り上げた。

 

「引き上げるよ! 増援が来ないうちにね!」

 

 アイリスは全員ついてきていることを確認すると、全速力で走った。その時、青蘭学園の校舎をちらりと見て、呟いた。

 

「さて……そろそろ卵が孵化する時かな?」

 

「卵?」

 

 アイリスの言葉を不思議がって、イレーネスが尋ねる。アイリスはほくそ笑みながら彼女に答えた。

 

「いやなに、単なる例えだよ。これから起こることを見れば分かるさ」

 

        ***

 

 秀は青蘭学園の校門から出たところで、カミュから貰った、S=W=E製のスナイパーライフルのスコープを覗き込んでいた。スコープを通して見える視界に敵が入った瞬間に狙撃する――はずだったが、そのような気配は全くない。

 初めの勢いはどこへやら、と言った感じで、ガブリエラが所属する第三陣が戦闘すると、青蘭学園への攻撃がぴたりと止んでしまった。それで、罠だと判断して校門から半径五十メートルの位置まで部隊を配置し、そこで敵が攻めてきたら迎撃する、ということになった。視界の外で自衛隊が相当苦戦を強いられているらしいが、それを支援しようにもできなかった。数日前に、我慢できずに飛び出した一部隊が、全員狙撃された、ということがあったのだ。だから、機が来るまで、動くわけにはいかなかった。

 秀は、やはりと言うべきか少なからず苛立っていた。前述のような状況だからそうなるのも無理はない。更にこの日は前日の雨から急に晴れだして、春にしては蒸し暑かった。これでは苛立たない方が不思議だ。苛立ちが暴発しそうになったところで、誰かに肩を叩かれた。一旦思考がリセットされ、その方に向くと、今日負傷から復帰して秀の分隊に配属されたばかりのカレンがいた。

 

「交代の時間です。校舎に戻るでありますよ、秀様」

 

「ん、もうそんな時間か」

 

 秀は引き継ぎの者がライフルを構えるのを見届けると、分隊の仲間とともに校舎に戻った。

 秀が教室に入って、椅子に身を投げるようにして座ったところで、秀の前に立っているレミエルが思い出したように言った。

 

「あ、そうだ。秀さん、ちょうどこの時間くらいから今日は小鳥遊希美さんの慰問ライブがあるんですよ。秀さんが興味あるなら付き合いますよ」

 

 秀は少し考えてから、興味が無い、と断った。すると、あずさが秀の肩を叩いた。

 

「行ってやんなさいよ。こんな時にデートできる機会なんてそうそう無いわよ?」

 

「俺はライブよりもこうして喋ってる方が気が楽だ。それに、興味の無い女の歌なんて聞いても仕方ないだろう」

 

 秀はあずさに向く。彼女は、初日に比べればだいぶ精神も安定していて、軽口も多少叩けるようにはなっていた。

 

「何よその言い分。せっかくレミエルが誘ってくれたんでしょう? 酷いと思わない、レミエル?」

 

 急に話題を振られたレミエルはあたふたしていたが、やがて軽く下を向いて、両の人差し指の先を合わせながら小さな声で言った。

 

「私は、秀さんの気分転換になったらって思っただけだから……秀さんが行きたくないのなら私も行かないよ」

 

 レミエルの言葉に、あずさは素直に引き下がった。ここで話を広げるつもりはないらしい。

 秀は話が一区切りついたところで、周囲を見回した。由唯は電源を切ったまま椅子に座らせてあるメルトをただ撫でていて、セニア、カレンは二人で話していて、復帰したクラリッサとジークフリートは、ストレッチみたいなことをしながら教室を歩き回っていて、アインスは大きなドーナツを食べていて(聞くところによるとアインスの好物らしい)、ユニは無言でアインスの周りをうろうろしている。皆、わずかな安らぎのひと時をそれぞれの過ごし方で消費している。

 秀が、何をしようかと思案していたところ、講堂から心が落ち着くような歌声が聞こえた。小鳥遊希美の歌声だ。

 

「きれいな歌声ですよね、秀さん」

 

 レミエルが話しかけてくる。秀は頷くと、恍惚として、背もたれにもたれかかって目を閉じて告げた。

 

「ああ……前言撤回する。いい声だ。このままさっきの苛立ちも忘れられそうだ……」

 

 しばらくそのままでいると、突然歌声が消えた。秀ははっと目を開け、いきり立って思わず講堂の方に足を向け、歩き出しそうになった。レミエルがどうしたのかと聞いてくるが、秀は答えられなかった。歌声が消える間際に微かに聞こえたのは、断末魔の叫び。

 一度穏やかになった心が、警鐘を鳴らしていた。

 

        ***

 

 希美が、マイクを持って講堂の舞台に立った。彼女の前には講堂がいっぱいになるほどの客がいる。その顔からは、軽度の緊張がうかがえる。その様子を、舞台袖からL.I.N.K.sとして出演する予定のルビーとソフィーナ、ユーフィリアが見守っていた。ソフィーナの腕は、ソフィーナ自身で魔法を用いて再生した。時間と余裕さえあれば、腕一本再生することはソフィーナにとっては造作もない。ただ、美海は、まだ癒え切っていない。心の傷もあるのだろう。

 

「みんな、いつも戦闘で大変だけど、今、この時間は、ぜひリラックスしていってね!」

 

 「盛り上げる」と言わなかったのは、疲れている生徒たちへの配慮だろう。ルビーや、戦線復帰できるほどに回復したソフィーナやユーフィリアは戦闘に参加しているが、希美は健全でも戦闘をしていない。下手に生徒たちを刺激すれば、どんな危険があるかわからなかった。

 希美は一礼してからピアノに向かった。バックグラウンドで演奏する者は誰もいない。そういうわけで、心を落ち着かせるという意味も込めて、希美はピアノの弾き語りを披露する。

 演奏が始まった。聴く者をシルクの布で包むように優しく覆うピアノの音色が、講堂に広がる。そして、前奏が終わり、細く美しい、全てを魅了するような歌声が響き渡る。それらを紡ぎだす小鳥遊希美の姿は、正しく歌姫であった。

 ルビーは舞台袖から生徒たちを覗く。皆が皆、彼女の歌に聞き惚れていた。ソフィーナとユーフィリアもだ。それを確認すると、ルビーも例外なく、目を閉じて椅子に座って希美の歌に聞き入った。

 だから、誰かがルビー、ソフィーナ、ユーフィリアの前を堂々と通り過ぎても、誰も気づくことがなかったのかもしれない。

 

        ***

 

 最初に聞いたのは、耳を裂くような悲鳴だった。ルビーはすぐさま覚醒し、希美の方を確認した。そして、硬直した。

 その光景は、にわかに信じ難いものだった。ピアノの白鍵と床が、赤黒く染まっている。希美は、椅子に座ったまま手足をだらしなく弛緩させていて――頭部は、直視することができなかった。希美のそばに、誰かが立っている。女生徒だということは分かったが、顔と名前は一致しない。その女生徒は血に濡れた鉄パイプを手に持っていた。それで希美の頭を殴打し、殺したのだろう。

 誰もが言葉を失っているその時に、その女生徒は更に包丁を懐から出し、希美の首を切り落とした。そして、凄絶な表情で、狂ったような哄笑をしながら、その首を掲げて叫んだ。

 

「これを……これをあいつらのところに持っていけば! 私は良くしてもらえるかもしれない! こんな狭苦しい場所からもおさらばだあ! あははははは――がっ」

 

 ルビーはようやく頭の整理がついて、女生徒を吹き飛ばした。そして、ソフィーナが、彼女の手から希美の頭部を奪い、椅子から希美の死体を持ってきて、涙ぐみながら二人に告げた。

 

「後で葬りましょう。こんな状況だから満足に埋葬できないだろうけど、奴らに渡すよりよっぽどマシよ」

 

「そうですね。ですが、希美さんの遺体の処理より先に、まずはこの事態の報告を上にしないと。冷たいようですが、埋葬するくらいならいつでもできます。ルビーさん、生徒たちの様子は?」

 

 ルビーは舞台袖から生徒たちを垣間見た。そして、案の定のことが起きていて、ルビーは眉をひそめた。

 

「やっぱり、さっきので動揺が起きてる。中にはさっきのと同じ考えをし出してるのもいる。いずれ殺し合いが始まるのは時間の問題よ」

 

 ルビーが告げた矢先、早くも悲鳴が聞こえた。三人は顔を見合わせ、希美に謝ってから走り出した。舞台袖を出ると、地獄が始まっていた。血なまぐさい殺し合いが始まっていた。誰もが利己的になって、己の保身のために傷つけ合っている。彼らの矛先は当然のごとくルビーたちにも襲いかかる。三人はそれらを何とかかいくぐりながら、なんとかして講堂を出た。

 

「私は司令部に行ってこのことを伝えてくるわ! ソフィーナとユフィは美海をお願い!」

 

 ルビーはそう言って、二人と別れて地下の司令室に向かった。気持ちが先行して、背中の羽を全力で羽ばたかせる。地下に向かうエレベーターの所まで来た時、ふと、どこかからか爆発音が聞こえた。ルビーが今いる場所からは遠いようだ。気にはなったが、それどころではないと、ルビーはエレベーターに乗った。

 

        ***

 

「さあ、みんな! 一気に青蘭学園を攻め落とすよ!」

 

 校門前の坂道を、アイリスは、マユカとともにT.w.dの部隊の先頭で駆ける。アルバディーナが校内に忍ばせていた使い魔の報告によれば、青蘭学園の一部で同士討ちが始まっているらしい。狙い通り、青蘭学園の生徒の不安やストレスを爆発させることができたようだ。そう見込んで、フィアが仕掛けた爆弾を起爆させた(一カ月後に作動するようセットしてあった時限爆弾だったが、こちらのタイミングで起爆できるようにもしてあった)。

 そして、これからやるのは、まずアイリスとマユカは少数の部隊を引き連れて先行し、ジュリアの作った地図をもとに司令室を目指し、そこの制圧と、あわよくば世界水晶の確保をする。他の人員は、アイリスたちの邪魔にならないように青蘭学園内部に侵入し、学園の生徒を鏖殺、学園を占拠する部隊(ここに人間解放軍が所属する)と、(ハィロウ)の占拠に向かう部隊とのふたつに分かれる。

 アイリスは青蘭学園の部隊の先頭と接触するが、何もせずに通り過ぎた。時々後ろを確認すると、しっかりと一人も遅れることなく着いて来ていた。全員が能力を持たない人間だが、この部隊にいるのはアイリスが直々に選抜した、俊足と底なしの体力の持ち主だ。

 その後、アイリスたちはいとも簡単に校門を突破した。呆気に取られたものを出し抜くのは容易い。そして意気揚々と学園内部に入った。そして迷うことなく地下へ通ずるエレベーターまでたどり着いた。

 

「使用中か……。ちょっと乱暴だけど、仕方ない。疾きこと風の如しってね」

 

 アイリスは、持ち前の怪力で、エレベーターの扉をこじ開けた。そして、首だけ後ろを向かせて部隊の皆に訊いた。

 

「あ、一応確認しとくけど、みんなあれ履いてるよね? カミュが持ってきてくれた、高所から飛び降りても何ともなりませんよって靴」

 

 全員頷く。しっかりと履いてきたようだ。アイリスは良し、と意気込むと、後ろを向かずに告げた。

 

「さあ、飛び込むよ!」

 

 アイリスは勢いよく飛び込むと、光の差さない縦穴に入った。その中でやることがひとつある。アイリスはブルーティガー・ストースザンを召喚し、エレベーターのケーブルを断ち切った。アイリスは、このエレベーターが司令室までしか繋がないことをジュリアの報告で知っていた。その構造も。だから、アイリスがケーブルを切ればエレベーターは一番下、つまりは司令室のところまで行く。わざわざ誰かが使い終わるまで待つよりも、はるかに手早く目的地に着ける。

 まず、アイリスがエレベーターの上に着地し、それから間もなく、マユカに続いて全員着地した。それを確認すると、アイリスはエレベーターの天井、自分たちが立っている場所を殴って穴を開けて、その穴を無理やり広げて侵入した。その後、全員が入る。すると、エレベーターには妖精が一人――ルビーがいた。

 

「あんたたち……! マユカも……!」

 

 ルビーは憎悪の表情を剥き出しにして、魔法陣を展開した。何かしらの大型魔法を使う気だろう。彼女を、アイリスは扉を背にしてから、諌めるように言った。

 

「あのさあ、別にここでやり合ってもいいんだけど、こんな狭いところでやったら自分もただじゃ済まないって分かるよね?」

 

「そんなこと分かってるわよ! でも、それでも私は、あんたらに会った以上はマユカをあんたたちをここで殺さなきゃいけないのよ!」

 

 ルビーが叫ぶ。しかしアイリスはその叫びを涼しい顔で受け流し、ルビーを嘲笑する。

 

「おお、怖い怖い。でも、今は君に構ってる余裕は無いんだよね!」

 

 アイリスは後ろ蹴りで背後の扉を破った。そして、バック転してエレベーターの外に出る。短い通路の先には、ドアがひとつ。それをこじ開けると、数十人ほどの統合軍兵士に一斉に銃口を向けられた。

 

「あなたがここに来ることは分かっていたわ。命が惜しければ今すぐ降伏しなさい」

 

 そう告げるのはミギリだった。その言葉に、アイリスは腹を抱えて床で七転八倒して笑い転げた。

 

「あははは! おかしいこと言うね、ミギリ! 私に銃弾ごとき効果がないって、私たちの討伐作戦を何回も立てたあなたが一番知ってるんじゃない!?」

 

「それはどうかしらね。食らってみればわかるんじゃないかしら」

 

「そう? じゃあその威力、見てみたいものだよ。もっとも」

 

 アイリスは笑うのをやめて、床に寝転がった姿勢から跳躍し、ブルーティガー・ストースザンを召喚した。

 

「一発も当てさせないけどね!」

 

 アイリスは叫ぶと、一番近くにいた一人に襲いかかった。彼女が怯んだ一瞬の隙をついて、心臓を串刺しにする。そしてそれを皮切りに、マユカ以下も司令室に侵入、数分の戦闘で残ったのは数名とミギリ、そしてアゲハのみになった。

 

「ミギリ、あなたは生き残った者たちを引き連れて逃げ、緑の世界に行きなさい。この場は私一人でなんとかするわ」

 

 アゲハがミギリを見据えて告げた。敵となった妹を目の前にしてなお、軍人としての冷静さは失っていないようだ。彼女にミギリは固く頷くと、アイリスが入ったところから向かって右側にあるドアに走って行った。それを見たアイリスは大きく息を吸い込んで、

 

「待った」

 

 司令室中に幼さを感じる、しかし重みのある声が響く。ミギリが足を止めた。アイリスはそちらに歩みを進め、固まったミギリに後から抱きつき、耳元で囁く。

 

「そっちに外に通じる出口なんて無いはずだけど、どうしてこっち選んだのかなあ?」

 

 ミギリの表情が一瞬で凍りつく。アゲハや、他の統合軍兵士の顔を見てみると、全員がミギリと同じような表情をしていた。アイリスは煽るような笑みを浮かべてミギリに言う。

 

「どうせ、どさくさに紛れて青の世界水晶……()るつもりだったんでしょ?」

 

 ミギリとアゲハの顔が青ざめる。シンクロしているかのように二人とも息を荒くし、冷や汗をだらだらと垂らす。特にミギリの表情の変化は、顔が近いからよく分かる。

 

「図星のようだね」

 

 沈黙する二人をアイリスは鼻で笑い飛ばしてミギリを解放すると、呆然としているルビーの前に立った。

 

「ねえ、ルビー。あなたは、緑の世界が今滅びかけてるって、知ってる?」

 

 ルビーは首を横に振った。そのような話を、ルビーは今まで聞いたことがなかった。ということは、今まで緑の世界がそのことを隠してきていたのだろう。

 

「……それで、青の世界水晶を統合軍が奪って、緑の世界を延命させようとしてるってこと?」

 

 ルビーの問いに、アイリスは頷いてみせた。

 

「そういうこと。エゴの塊みたいな方策でしょう? みんなが必死に戦ってる裏で、こんなことも画策していた。緑の世界はあなたたちを裏切ったんだよ。どんな気分になる? 私があなたたちの立場だったら、絶対に許さない」

 

 アイリスの脳裏に、これまで自分を裏切ってきて、その度に屠殺したことを思い出す。アイリスは心の中で軽蔑する。当然の報いだと。ざまあみろと口に出してしまいそうだ……。だが、そうはせずに、実際の口には笑みを湛えさせる。

 

「どう? 私たちと一緒に戦わない? T.w.dに入る条件はごく簡単。経歴は問わず、入ったら私と信頼し合い、以後裏切らない。それだけ」

 

 ルビーは俯いて、しばらくそのままだった。しかし、その震える唇を精一杯動かして、か細い声で尋ねた。

 

「ねえマユカ。一つ教えて。あんたも、T.w.dに入る時、今の私と同じ心境だったの……?」

 

 マユカは、ルビーに背を向けて、アゲハを殺意を封じ込めた目で睨みながら答えた。

 

「違います。最初は別の理由でした。でも、T.w.dに入ってから、そのことを知りました。だから私は、緑の世界と――アゲハ・サナギ……大好きだった、私の目標だった、大切な大切な、たった一人のお姉ちゃんが、お姉ちゃんが……」

 

 大っ嫌いに、なりました。

 嗚咽混じりの、弱々しい声が、司令室で反響する。誰も、何も言わなかった。ただアゲハが膝から崩れる音だけがした。

 重苦しい沈黙の中、やがてルビーが口を開いた。

 

「そうか。でも、私はT.w.dには入らないわ」

 

 凛とした声だ。その場の者全員が、思わず、惚れてしまいそうになるほど。

 

「緑の世界の連中は許せない。許すはずも無い! だけど私には、私を愛してくれる掛け替えのない友達がいる! その友達は世界を守るために戦ってるの。彼女たちを裏切ることは絶対にできない!」

 

 気宇壮大なルビーの宣言に、アイリスを心を震わせた。そして諦めたような微笑を浮かべて告げた。

 

「素晴らしい心構えだよ。心から称賛する。皮肉じゃないよ。でも、私はここであなたを殺さなきゃいけなくなった。マユカ! アゲハは任せたよ!」

 

 アイリスにマユカが頷き、大剣状態のグリム・フォーゲルを召喚して、アゲハに一歩踏み出した、その時だった。

 

「三文芝居はもう終わった?」

 

 司令室の天井を突き破って乱入する影がふたつ。その内のひとつの人影は力を解放し、体を成長させた状態のシルト・リーヴェリンゲン。そしてもうひとつは、得体の知れない、臙脂色の裃姿の、目測で刃渡り約十尺以上はある巨大な刀を肩に担いだ、炎のように赤い紅蓮の長髪を持ち、前髪で目元を隠した、身長百八十五センチメートル程の筋肉質の男だった。

 

「T.w.dも統合軍も、所詮は利己的な考え方をする人たちの集まり。この場にいるルビー以外は、みんなまとめてやっつけてやる! 行くよ、クレナイ!」

 

 乱入してきた、クレナイと呼ばれた男がシルトに答えるように肩を鳴らし、大刀を振り回す。それだけで烈風のごとき気流が発生した。

 二人の威圧感が、この場をほぼ完全に支配した。



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当惑のマユカ

 ソフィーナとユーフィリアが体育館に着いたころには、既に講堂で発生していた気運が伝播していた。

 ソフィーナが美海の方を見ると、美海はまだ気づいていないかのようにその場にいる。恐らくは眠っているのだろう。当然、美海の近くにも生徒が寄ってきた。

 

「ユフィ、行くわよ」

 

 ユーフィリアが頷く。それを確認すると、ソフィーナは全速力で駆け出した。できるだけ手荒なことはしたくない。ユーフィリアには、万が一その手荒なことをすることになったら、力を貸してくれと頼んである。

 

「どきなさいよ、あんた達!」

 

 ソフィーナは美海の周りに群れる生徒を掻き分け、なんとか美海に辿り着いた。そして、美海を抱きかかえると、一目散に走っていこうとしたが、それは人の壁に阻まれた。その立ち止まった隙に、あっという間に男子生徒に囲まれてしまった。

 

「ちっ、ユフィ!」

 

「分かりました。……え?」

 

 ユーフィリアの顔に焦燥感が浮かび上がる。息が荒くなり、目は見開いている。

 

「エクシードが使えない……。どうして……」

 

 ユーフィリアの言葉を受けて、ソフィーナは魔法的な感覚を集中させる。すると、エクシードの発動だけでなく、魔法や祈りも妨害する役割を果たす結界が発動していたことが分かった。しかも、かなり強力で、大規模と思える。

 

(こんなのを張れるの、魔女王様以外にはアルバディーナしか考えられないわね。まさかと思ったけど、本当にT.w.dにいるなんて)

 

 絶体絶命——プログレスは一般的な人間よりも体力があったり力が強かったりもするが、所詮は人間だ。アンドロイドならともかく、少なくともソフィーナには鍛えた人間並みの身体能力しかない。この男子生徒の包囲を切り抜けられるとは思えない。

 

「それでも、力づくで行くしか……きゃっ!?」

 

 急に服を引っ張られた。思わず美海を落としてしまう。しかし、美海は起きない。この図太い所は尊敬に値する。ソフィーナは状況に反してそんなことを思った。

 意識を切り替え、ソフィーナは男たちを睨む。

 

「離しなさいよ! こんなことして……」

 

 反抗する間に、ソフィーナは、気力を削がれた。男たちの視線は、何かに飢えている獣のようだった。

 服を掴む男が口を開く。

 

「エクシードが使えないプログレスなんて怖くないね。慰み者にはぴったりだ」

 

 慰み者——その言葉で、ソフィーナの背筋が凍りついた。ゴシックロリータ調の服を破られ、下着を着けた肌が露出するが、ソフィーナは目を見開いたままその場にへたり込んだ。そして、絶望に開かれた目から、涙がとめどなく流れてくる。この男たちは本気で、ソフィーナを嬲ろうとしている。嬲るだけ嬲ったら、あとは殺すのが目に見えている。処女を失うかもしれないという絶望と、そして何より、このような人たちのためにも歌ったり、戦っていたという失望が、ソフィーナから反抗する気勢が奪われた。

 視界の端で、ユーフィリアや、他のこの場にいる女子生徒が大勢の男に抑えられていた。

 そして、美海にも魔の手がかかろうとしていた。しかし、そこでちょうど、美海が目覚める。が、その顔は瞬時に恐怖で強張って、また動けずにいた。一人の男が美海の肢体に触れた。その時、美海が悲痛な絶叫を上げた。

 

        ***

 

 シルトらが現れてから、真っ先に動き出したのはマユカだった。ルビーやシルトには目もくれず、アゲハに襲いかかる。

 

「グリム・フォーゲル! 行けええっ!」

 

 マユカは大剣状態のグリム・フォーゲルでアゲハに斬りかかるが、アゲハはそれを彼女の武器、二丁の軽機関銃であるグリム・ベスティアで受け止めた。

 

「目を覚ましなさいマユカ! 緑の世界を救いたいと思わないの!?」

 

 アゲハが悲痛な声で呼びかけるが、マユカはそれを跳ね除けるように柄を握る手に力を一層込めた。

 

「目を覚ますのはお姉ちゃんだ! 他の世界を犠牲にするくらいなら緑の世界なんて滅べばいい!」

 

 マユカはアゲハを押し切ろうとするが、アゲハは後退して距離をとる。マユカはバランスを崩したが、その姿勢から跳び、今一度アゲハに斬りかかろうとした——だが、マユカがそうしようと爪先に力を入れた時に、アゲハの体が、彼女の背後から巨大な槍に貫かれた。左胸を貫かれている。即死だ。

 マユカが呆然としている間に、アゲハの体から槍が引き抜かれ、アゲハの体が支えを失った人形のように前に倒れる。その槍はヴィヒター・リッタ、リーリヤ・ザクシードの槍だ。しかしこの場でそれを持つのは、シルトだ。彼女の目からは何の感情も感じられない。シルトは槍を携えたまま、アゲハの遺体を見ることなく、マユカに向かって歩み出す。足音がひとつ、またひとつとする度に、マユカの内にある感情が沸々と湧いてくる。姉を無感情に殺された怒りだ。マユカは雄叫びを上げた。そして、シルトの側面に回りこみながらグリム・フォーゲルでシルトの体を叩き斬ろうとする。だが、それはシルトが咄嗟に召喚した、ルルーナ・ゼンティアの武装である盾、シュッツ・リッタに阻まれた。盾の向こうから、シルトが話しかけてくる。

 

「どうして怒ってるの? アゲハを殺すつもりだったんじゃないの? 私とあなた、両方に利益があったと思うんだけど」

 

「だからこそだ……だからこそ、私は他人にお姉ちゃんを殺されたくなかったんだ! 私は青蘭学園との決別の、最後の仕上げとして、それを完璧なものにするためにお姉ちゃんをこの手で殺さなきゃいけなかったんだ……」

 

 マユカは静かに、しかし激情を込めて呟く。そして、グリム・フォーゲルに全体重をかける。

 

「私は、最後の心残りを解決できなかったんだ! だから、シルト・リーヴェリンゲン……あなたが、憎い!」

 

 マユカはシルトから少し離れると、そこから跳躍し、グリム・フォーゲルを大きく振りかぶる。マユカの眼下で、シルトが斬撃に備えて盾を持ち上げる。それで、シルトの顔が見えなくなった。そのことを確認したマユカは、グリム・フォーゲルから手を離した。そして、グリム・フォーゲルの鎬を蹴った。彼女の体が頭から落ちていく。そこから、二丁拳銃のグリム・フォーゲルを手に持つ。シルトはマユカの行動にまだ気づいていない。絶好の機会だ。

 マユカの視界に、シルトの体が映り始めた。しかし、マユカは何もしない。ここは我慢のしどころだ。そして、シルトの腹が見えた瞬間——マユカはシルトの体に銃弾を撃ち込みまくった。

 

        ***

 

 アイリスは、マユカが動き出したのを確認すると、ミギリに向かって一歩踏み出した。そうすると、ミギリと共に逃げようとしていた、統合軍兵士数名がミギリを守るように立ち塞がった。しかし、アイリスは彼女らをゴミを払うように、左手に召喚したブルーティガー・ストースザンで一蹴する。そして、ミギリにその鉤爪で斬りかかる。

 

「やられるものか……! アブソリューティア!」

 

 ミギリは剣を召喚し、アイリスの攻撃を受け止めた。アイリスのブルーティガー・ストースザンとミギリのアブソリューティアが金属音を奏で、火花を散らす。

 

「なかなかやるね、ミギリ。参謀だっていうから戦闘能力はあまりないと思ってたよ」

 

「私だって誇り高き統合軍の一員よ。舐めてもらっては困るわね!」

 

 ミギリがアイリスを押し切ろうとする。が、一瞬ハッとしたように目を見開くと、バックステップで下がった。前につんのめったアイリスは、自分の視界の外で何が起ころうとしているのかを悟った。

 アイリスはつんのめった姿勢からミギリに飛び込んだ。このアイリスの動きは予測していたのか、ミギリは体をアイリスの右手側に回ることで躱した。

 

(もらった!)

 

 アイリスはミギリの前を横切るその瞬間に右手でミギリの首を鷲掴みにした。そして、そうしたまま右足を軸にして反転した。すると、アイリスの目の前には、案の定、大刀で何時でも突けるように構えたクレナイがいた。そして、アイリスの反転直後の隙をついて、大刀をアイリスの喉をめがけて真っ直ぐに突いてきた。

 アイリスはすぐ身を低くした。と同時に、その勢いを利用してミギリの体を掲げた。そしてそれを、クレナイの大刀に突き刺した。大刀の太刀筋が止まった。クレナイにとっては危機的状況のはずだが、クレナイはアイリス以外のことに気を向けているように見える。

 この千載一遇の機会に、アイリスは一気に距離を詰め、クレナイの左胸を狙う。肋骨に当たるだろうが、ブルーティガー・ストースザンの刃は鉄塊をもバターのように切り裂く。骨を貫通することなど訳ないことだ。

 しかしクレナイはアイリスの想定していた動きをはるかに上回る早業で、ミギリの体を大刀を振って払い、背を向けてシルトの方に走った。

 アイリスの鉤爪が、空を突く。

 

「待って! 逃げないで!」

 

 しかし、クレナイは瞬間移動をしているのかと思わせるような速さでシルトのところに移動し、彼女に対峙しているマユカを弾き飛ばした。そして、全身から血を流しているシルトを抱き抱える。

 

「クレナイ……。悪いね」

 

「お前が気にすることではない。我らは似たような存在であり、かつ協力しあっている。我らの悲願の成就のためにはどちらか一方が欠けても成り立たぬ。そういうことだ」

 

 二人はそんなことを言って、その場から文字通り消えた。今回は本当に瞬間移動でも使ったのだろう。

 

「悲願、ねえ」

 

 前にシルトと遭遇した時に彼女が言っていたことを思い出す。人間への復讐は肯定できると言っていた。ということは、シルトとあのクレナイとか言う男にとって、今は人間は敵なのだろう。その理由は容易に想像できる。グリューネシルトの世界水晶の力の衰退は、人間の活動によるものという説もある。それに、最近は各世界の世界水晶も衰退しているとの噂もまことしやかに流れている。

 

「多分あの子たちの目的は世界水晶の力の回復と保存。今は人間がそれを阻んでいるかもしれないって感じかな」

 

 アイリスは一人で納得すると、マユカに歩み寄った。マユカは、凛とした表情で屹立している。アイリスには、無理してそうしているようにしか見えなかった。

 

「マユカ、辛いなら、無理しなくてもいいんだよ?」

 

「大丈夫です。それよりも、早く作戦を完遂する方が先決です」

 

 マユカはアイリスを見据えて言った。マユカの瞳からは悲壮な覚悟が伝わる。下手に同情じみた感情を抱いて擦り寄るよりも、マユカの言うようにした方が彼女にとっても楽だろう。

 

「うん、そうだね。とっくにルビーも逃げちゃったようだし」

 

 アイリスは適当なマイクの前に立った。そして、学校中に音声が流れるようにセッティングし、マイクに向かって告げる。

 

「司令室は私たち、T.w.dが占領したよ。投降を勧める。戦い続けるって人は……まあ、頑張って。(ハイロゥ)の周りは押さえてあるってことも言っとくよ」

 

 そこでマイクを切ると、アイリスは状況確認のためにモニターに目を向けた。すると、体育館の映像に目が止まった。マユカも真っ青な顔で釘付けになっている。

 

「あいつら……! 殺してやる!」

 

 アイリスは激情に燃えた。エクシードの発動を阻害する結界をアルバディーナに張らせているのは自分の指示だが、それでもこの戦いもせずに状況を利用するような卑劣な輩を、アイリスは許せずにはいられなかった。

 

「この場は任せたよ、マユカ。誰か残らなくちゃいけないから」

 

 マユカは何か言いたげにしていたが、固く頷いた。アイリスは耐えるような表情をするマユカに親指を立てる。

 

「安心して。私があなたの友達を守るから。それに、私は死なない。絶対に」

 

「……私ならともかく、激情に任せて行動したら、ダメです。リーダーであるあなたがそれでどう部下に示しをつけろというのですか。だから、私に行かせてください」

 

 アイリスはマユカに目を見つめられる。マユカはアイリスを諌めるように言ったが——実際、そういう意味もあるのだろうが、マユカも怒りに震えているというのは目に見えていた。

 

「そうだね。私が浅はかだった。行って、そしてあの子たちを助けてあげて」

 

 マユカは当然、というように頷いてみせると、エレベーターのある方に向かって駆け出していった。その姿を見届けると、アイリスはふう、とため息を吐いた。

 

「甘いな、私たち。あの子たちは敵なんだから、あの状況は好都合なはずなのに」

 

 しかしとても許せるものではなかった。あのような人を見捨てることなど、アイリスには出来なかった。

 

「せめて、他のところは徹底しようか」

 

 アイリスはそう呟くと、アルバディーナに無線を繋いだ。

 

「抵抗する意志のある青蘭学園の生徒は駆逐して、徹底的にね」

 

「分かったわ。みんなにもそう伝えておく」

 

「うん、ありがと」

 

 アイリスは無線を切った。そしてそれをポケットにしまうと、適当な椅子に腰掛けた。この場の構成員にも見張りを残して座るように合図を送り、アイリスは背もたれに体重をかけてリラックスする。ぼんやりと天井を眺めていると、誰のかも知らない悲鳴が聞こえた。上ではまだ戦っている。

 

        ***

 

 マユカは廊下を駆ける。エレベーターが壊れていたために上に上がるのにかなりの体力を消耗したが、休んではいられない。

 道中で、体育館に向かっていると思われるルビーを発見した。気づいたルビーはぎょっとしたように声を上げた。

 

「マユカ!? 私を追ってきたっていうわけ!?」

 

「今はあなたのことは後回しです。美海さんたちを助けないと……!」

 

 何かを聞こうとするルビーを追い越して、体育館に到着した。ペース配分を全く考えていなかったせいか、息切れが酷い。だが、休んでいる暇はない。閉まっている体育館の鉄扉を蹴破った。一斉にその場の男たちに視線が集まる。それを気にせずに、マユカは美海、ソフィーナ、ユーフィリアを探す。ソフィーナと美海は互いに近い位置いた。助け出す順序は、ソフィーナ、美海、ユーフィリアの順が効率がいいだろう。

 そう判断すると、全速力で野獣の群れに突っ込んだ。ソフィーナは下着姿のまま、男たちに弄ばれていた。

 

(エクシードは使えない。けどただの銃なら!)

 

 マユカは腰のベルトに付いているホルダーから拳銃を取り出す。そして、まずソフィーナの周りの男のうちの一人を、一発の弾で撃ち殺した。それで、男たちはマユカに怯えたように一目散に逃げ出して、体育館の外に出た。恐らくあの者たちは投降するだろうが、あのような者と共闘する気はマユカには全くなかった。

 マユカはソフィーナに走り寄る。見たところ、服を剥かれたのはソフィーナだけのようだ。

 

「……立てますか?」

 

 マユカは泣き腫らした顔のソフィーナに、手を差し伸べる。ソフィーナは暫しそれを呆然と見つめていたが、やがて堰を切ったように声を上げて泣き出し、マユカに抱きついた。

 

「マユカああああ! 私、怖かったよおおおお!」

 

 マユカは一瞬迷った。今なら、ソフィーナを簡単に始末できる。しかし、意地っ張りで、殆ど涙を人前で見せなかったソフィーナが、今こうして、羞恥を気にせずに慟哭している。

 

「甘いな、私。——いいですよ、今この場では、L.I.N.K.sのマユカ・サナギでいます。だから、思い切り泣いてくださいね」

 

 マユカはソフィーナの背中を撫でた。ソフィーナは更に泣き続ける。そうしている間に、美海とユーフィリアが近づいて来た。

 

「マユカさん。助けてくれたことには礼を言います。本当にありがとうございました」

 

 ユーフィリアが深々と頭を下げる。それは心の底からの感謝の表れだった。マユカは微笑みながらユーフィリアに声をかけた。

 

「顔を上げてください。私は人として当然のことをしたまでです。頭を下げられるほどのことでもありません」

 

 ユーフィリアが渋々、面をあげる。それと入れ替わりに、美海が尋ねてきた。

 

「ねえマユカちゃん。あなたは、本当に、T.w.dの一員なの?」

 

「はい。そうです」

 

 マユカは、ソフィーナを抱きながら即答した。美海の瞳に、若干ながら失望の色が宿る。

 

「迷わないでください。心に迷いのある人には隙が出来ます。あなたがたの死は私も望みません」

 

 マユカは淡々と美海を諭した。すると、美海は涙ぐみながらマユカを責めるように告げた。

 

「じゃあなんで! あの時私やソフィーナちゃんを殺そうとしたの!? 私たちが死ぬのが嫌なら、なんで!?」

 

「……あの時は殺そうとはしていませんでした。ただ、身も心も再起不能にまで追い込んで、戦いから遠ざけたかった」

 

 マユカは美海の剣幕から目を背けて答えた。そして、美海から逃げようと、ソフィーナに声をかける。

 

「ソフィーナさん、立てますか?」

 

「……ええ、もう大丈夫よ」

 

 ソフィーナは自分から進んでマユカから離れ、腕を組んだ。その顔には泣き腫らした跡がくっきり見えるが、すっきりしていた。

 

「では、私はこれで」

 

 マユカは逃げるように来た道を戻った。すれ違ったルビーに呼び止められるが、振り切って走った。後ろ髪引かれる思いだったが、歯を食いしばって走り続けた。

 そうしていると、曲がり角で、人とぶつかってしまった。

 

「マユカ? どうかした?」

 

 激突した相手は、フィアだった。同じT.w.dの構成員で、少しホッとした。

 フィアはじっと、不思議そうにマユカの顔を覗き込む。そしてそのまま、人差し指でマユカの目尻を拭った。

 

「マユカ、泣いてた。戦うのが辛いなら、アイリスに頼んで休ませてもらうといい」

 

 マユカはそこで初めて、自分が泣いていたことに気づいた。

 

(私、あの人たちのこと、そんなに愛していたんだ。……覚悟、決めないと)

 

 恐らく、この先戦いを続けるうち、あの四人と遭遇することもあるだろう。その度に、このような、辛い思いを抱いたらいつか壊れてしまう気がしてならなかった。

 

「次は殺す……」

 

 その言葉が自然に口から発せられた。フィアが不思議そうに顔を覗く。それに気づいて、マユカは残った涙を払って取り繕う。

 

「あ、もう大丈夫です。戦えます」

 

「そう、ならいい。私は任務に戻る」

 

 フィアは無表情に言うと、マユカに背を向けた。が、思い出したように振り返った。相変わらず無表情だが、その顔から、どこか孤独で、虚ろなものを感じる。

 

「私のような生き方を選ばないようにして。それだけ」

 

 フィアはそう忠告すると、また踵を返して、廊下の奥に消えていった。

 残ったマユカは、フィアの言葉を反芻していた。そうして、フィアの生き方を思い出す。

 

(戦いが全てと、確か統合軍にいた頃は口癖のように言ってたっけ)

 

 自分も、美海たちを失ったら、そうなってしまうのだろうか。マユカはぼんやりと思う。

 

「そうならないように、って言っても、どうするべきだろう?」

 

 考えても答えは見つからなかった。途方に暮れたマユカは、思考を切り替えてアイリスのいる司令室に戻って行った。

 

        ***

 

 フィアは、廊下を歩きながら、アイリスに誘われる前の自分を思い出す。戦うことが生きる全てであり、またその場を与える統合軍は正義だと信じていた頃だ。今から思えば、後者の考えは馬鹿だったと笑い飛ばせる。しかし、前者の考えはまだ変わっていない。だが、悲しい生き方ということを、自覚している。

 まだT.w.dが緑の世界の、小規模なレジスタンスだった時に、その掃討作戦があった。フィアは、それに参加していた。その時の苛烈な攻防は今でも鮮明に覚えている。初めは、所詮はただの人間しかいないレジスタンスと舐めきって、物量で押せば勝てると誰もが思っていた。しかし、先発部隊が全滅したとの報が伝えられてから、腰の入れ様が変わった。作戦を大幅に見直し、綿密に練られた。

 しかし、それでもT.w.dの抵抗は激しかった。その時のT.w.dの本拠地は枯れた森林にあったのだが、その地形を利用したゲリラ戦で、訓練された統合軍を圧倒した。双方、大勢の死者を出した。

 そして、この作戦の中、唯一アイリスまで辿り着いたのが、フィアだった。その時、もうフィアのいる部隊は全滅してしまっていた。

 月夜の下。スマッシュ・ファウストを向けるフィアに、アイリスは尋ねた。その姿は月の影に隠れてよく見えない。

 

「ねえ、あなたの戦う理由は何?」

 

 フィアはこの声を聞いたとき、拍子抜けした気分だった。小規模とはいえレジスタンスをまとめるトップの者の声にしては、あまりにも幼かった。が、不思議な畏れを感じた。

 

「私の戦う理由は、私が私であるため。それ以外にはない」

 

 気がつくとフィアはそう答えていた。答えないといけない気がしてならなかった。

 

「戦うことがあなたのアイデンティティなんだね。悪くないと思うよ、私」

 

 そうして、アイリスは姿を現した。この時は今の軍人のような姿ではなく、みすぼらしい格好をしていた。

 アイリスはフィアよりもひと回り小さかった。にも関わらず、フィアを圧倒してくる。初めて、恐怖を味わったのもこの時だ。喉が乾く。体全体が信号を発している。この女は危険だと。

 警戒するフィアを、アイリスは銀色の月明かりの映える長髪を揺らしながら、コロコロ笑った。

 

「やだなあ、そんなに怖がらないでよ。私、あなたのこと気に入ってるんだよ? だから私はあなたを殺さない。むしろ私の元に来て欲しいくらいだよ」

 

 フィアはアイリスへの警戒を解かなかった。油断させるための罠かもしれない。軍からはアイリスは狡猾な人物と聞いている。いくら友好的にしてきても、裏で何を考えているか分からない。

 

「まあいいや。あなたの帰り道は開けておくから、今日のところは帰ってもいいよ。あなたの信念が揺らいだら、もう一度私のところに尋ねてきてね」

 

 アイリスは諦めたように言った。フィアは動かなかった。これも罠の可能性がある。道は開けたと言っておいて、道中で仕掛けてくる。可能性だってある。

 フィアが仁王立ちしていると、しびれを切らしたかのようにアイリスがため息をついた。そして、フィアに駆け寄ってきた。

 

「しょうがないなあ。私がエスコートしてあげるよ。さあ、行こ?」

 

 アイリスがフィアの手を握る。フィアは反射的にその手を払いのけ、距離をとった。すると、不意にアイリスが手を叩いた。

 

「素晴らしいよ! その反応は戦士として訓練されている証拠! ……でもね」

 

 アイリスはふっと表情を消すと、軽く深呼吸をして——その(丶丶)名を告げた。

 

「ブルーティガー・ストースザン」

 

 その瞬間、アイリスの左腕が銀の風を纏った。やがてそれはある形を形成していく。手首から手の甲までを包む風は落ち着いた色の鋼の手甲に、そして手首のあたりから体の外側に伸びるのは、ダマスカス鋼を思わせる、波模様の、微かに赤黒さを帯びた三本の刃。それらが、フィアに向けられた。

 

「私と戦う気なら、命がいくつあっても足りないと思った方がいいよ」

 

 心臓を鷲掴みにされた気分だった。フィアは、おとなしくアイリスに従うことにした。

 

        ***

 

 それから、何事もなかったように時が過ぎた。あの時の作戦は失敗して、フィア以外は全員戦死した。面子を潰された統合軍は、腹いせにレジスタンスを片っ端から潰していくという方針を立てた。

 あるレジスタンスの撲滅作戦に、フィアが参加した時のことだった。アジトの制圧後、軍の誰かが偶然発見した隠し扉の中に、まだ十にも満たない子供達が、体を寄せ合って震えていた。

 彼らを見て、この作戦の司令官はこう告げた。……殺せ、と。反乱分子の種は、今のうちに刈り取っておかねばならない、とも言った。

 そして、その子供たちは、フィアの目の前で射殺された。フィアの心が、激しく揺れた。

 その晩のうちに、フィアは宿舎から抜け出した。統合軍は戦う場所ではない。人を殺すだけなのは戦いではない。今日のあの命令は、全く合理的ではなかった。統合軍の上層部の鬱憤を晴らすためにやったとしか思えなかった。

 やがて、夜の緑の世界を走り抜け、フィアはT.w.dのアジトに辿り着いた。するとすぐに、アイリスが姿を現した。

 

「どうしたの? 統合軍が嫌になった?」

 

「あそこは私が身を置く場所ではない。ここが身を置く場所かはまだ分からないが、少なくとも、もう統合軍にいる気がないのは確か」

 

 フィアは拳を握りしめ、そう告げた。すると、アイリスが手を差し伸べた。口元は笑っているが、瞳は真剣そのものだ。

 

「T.w.dに入るための条件はただ一つ。私を信頼して。私もあなたを信頼するから」

 

 フィアは、アイリスの小さな手の平を見つめ——迷うことなくその手を取った。アイリスが微笑む。その笑顔は、子供のように純真で、真っ直ぐだった。

 この微笑を見た時、フィアは決心した。闘うという行為を、この少女に捧げようと。

 

「じゃあ今日からあなたはT.w.dの一員だ。早速頼みがあるんだけど、あなたには、内通者をやってほしい。統合軍の情勢を、教えてほしいんだ」

 

 アイリスが手を握ったまま、フィアに告げる。フィアは固く頷く。そして、ポケットから一つの携帯端末をアイリスに差し出した。

 

「これを渡す。この端末に連絡を入れる」

 

「うん、ありがとう。今日は、これでお別れかな?」

 

「そういうことになる。けど、定期的にここに来ることにする」

 

「分かった。ばいばい」

 

 アイリスが手を振った。フィアにはそれが何を示すのか分からず、戸惑ったが、どうやら別れを示しているようだということを悟った。見よう見まねで、手を振り返して、また統合軍の宿舎に戻っていった。

 

        ***

 

 マユカと入れ違いに体育館に入ったルビーは、美海たちに司令室での出来事を説明した。ここで何が起こったかについては、触れないようにした。

 

「なるほど、さっきのアナウンスはハッタリじゃなかったってことね」

 

 制服の上着だけを着たソフィーナが、顎に手を当てて呟いた。

 

「うん。だけど、今の私たちにはT.w.dから青蘭学園を奪い返すだけの力は無い。あいつらが青蘭学園から大人しく出してくれるとは考えにくいから、逃げるとしたら、赤の世界、黒の世界、緑の世界ね。白の世界はあいつらの仲間が多いから無理ね」

 

 ルビーはそう言いながら、あの謎の男、クレナイのことを思い出した。あの男が戦うと、ルビーも戦意高揚して、戦闘意欲が増してきた気がしたのだ。それが恐ろしかったというのも、あの場から逃げ出した理由のひとつだ。その他の理由は、単に自分の手に負えないと思ったからである。

 

「とにかく、それならまずはどこに行くか決めないと!」

 

 美海は急かすように言う。ルビーはそれを受けて、

 

「そうね、早く決めないと。私は赤の世界に行くわ」

 

 ルビーは赤の世界出身だ。それに、故郷には姉もいる。あまり心配をかけさせたくない。

 続いて、ソフィーナが意外なことを口にした。

 

「私も赤の世界に行くわ」

 

 ソフィーナの発言に、三人にどよめきが起きた。ソフィーナはさらに続けて言う。

 

「醜態晒した後だもの……! 今のままじゃ、とても魔女王様に顔向けできるもんじゃないわ。もっと強くなって、こんな結界を張られても魔法が使えるようにしてやるわ!」

 

 ソフィーナは、強く歯を食いしばり、拳を爪が食い込んで血が出るほど強く握りしめた。必死に、受けた辱めに対して復讐心を燃やす様子が目に見える。

 

「ソフィーナちゃんとルビーちゃんが行くなら、私も行くよ。ユフィちゃんもそうでしょ?」

 

「はい。この四人は、できるだけ揃っていた方がいいでしょうし」

 

 美海とユーフィリアが口々に言う。それを聞いて、ルビーは、外に通ずる道を少し行って、振り返った。

 

「そうと決まれば、早く行きましょう? ここに留まっていても、することなんてないし」

 

 三人が、強く頷く。そして、すぐルビーに追いついてきた。それを合図として、四人は外へ飛び出した。戦うための逃走が始まる。



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敗走

 講堂で起こった暴動の気運はまだ秀たちのいる教室には伝わっていなかったが、暴動の情報は入っていた。また、その教室のすぐ近くにある手洗い場で起こった、フィアの仕掛けた時限爆弾による爆発と、T.w.dの学園内部への侵入、そして先のアイリスの入れた放送によって、教室の生徒たちは極度の混乱状態に陥った。

 騒ぎ立てる彼らを、ユニが教卓を蹴って黙らせる。

 

「騒ぐな! 落ち着いて、冷静に物事を考えろ!」

 

 ユニの一喝で、生徒たちが黙る。どうしていいか分からず困惑していた秀も、落ち着きを取り戻した。

 

「まず、抵抗を続ける気でいるのは前に出ろ。そうでないものはそこに座れ」

 

 ユニの指示に従って前に出たのは、秀、レミエル、カレン、セニア、あずさ、由唯、クラリッサ、ジークフリート、アインスの九人だ。T.w.dに抵抗する気がない者の方が多い。由唯はメルトを脇に抱えている。

 

「司令室にどれだけの敵がいるのか分からないのに、この人数で司令室を奪還するのは無謀だ。よって、私はこの学校を脱出し、青以外の世界に亡命しようと思う。それでいいか?」

 

「それは、あいつらから逃げるということか?」

 

 他の八人が賛同する中、秀だけが噛みついた。周りからの視線を感じるが秀は気にしない。ユニは、そう言われることを想定していたかのように、落ち着いた口調で告げた。

 

「ああ、確かに逃げる。だが、戦いそのものからは逃げない。闘争のための逃走だ。それを分からない者に勝利を手にすることはできない。犬死にして全てを無に帰すよりは、逃げて彼らを倒す力を得る方が余程マシだ。上山、貴様にこれが分かるか」

 

 ユニの言うことはもっともだった。反論の余地は無い。それに、我が儘で死んだらそれこそ犬死にだ。一人で立ち向かっていって、勝てるわけが無い。秀は、非常に屈辱的な思いを抱いたが、ユニに従うことにした。

 

「分かった。あいつらから目を背けるのでなければそれでいい」

 

「分かれば良い。筋道としては、まずは教室の窓からの脱出を試みる」

 

 ユニは窓を開け、そこから飛び降りようとした。だが、まるで見えないところにゴムの壁があるかのように、弾き飛ばされてしまった。ユニの体をアインスが無表情に受け止める。

 

「すまんな、アインス」

 

 ユニは礼を言いながら、アインスから離れ、咳払いをして告げた。

 

「どうやら窓から外に出ることは不可能なようだ。この結界の強度は、連中が侵入していることを考えると、あの時張られた結界と同じくらいの強度だろう」

 

 他の者が破ろうと試みるが、誰もできなかった。仕方が無いので、一同は廊下に出た。今度は昇降口から出ようということになった。

 今の所、この二階の廊下に気配は無い。爆発による被害も思いの外少なく、せいぜい手洗い場がバラバラになったくらいだ。

 階下には敵が多いと判断したユニは、昇降口に一番近い階段まで行って、そこから昇降口まで突っ切るというのを提案した。誰も、反論は無い。それを確認したユニは、先頭に立って静かに歩き出した。

 少し歩いたその時、三階の天井が二箇所崩落した。その距離の差は約二十メートル。その内の一箇所は一番後ろにいた由唯の真後ろだった。そしてもう一箇所は、昇降口に続く階段の一つ前にある階段の手前だった。そして、ふたつの穴から、人が降りてくる。ひとつの穴あたり五人程度。その全員がT.w.dの構成員だというのは明白だった。

 由唯が声にならない叫びをあげる。由唯は、彼女のすぐ近くに現れた、T.w.dの一人、巻かれた角を持った一人の少女の手に掛かろうとしていた。

 

「由唯! させるもんか!」

 

 あずさが真っ先に動き出した。由唯の元へ駆けていく。

 

「時間停止!」

 

 だが、何も起こらない。あずさが何度もエクシードを使おうと試みるが、発動する気配はなかった。

 

「そんな……。なんで……」

 

 あずさがその場で膝をついてしまう。自信が完全に砕かれて、絶望したに違いなかった。

 秀はジークフリートに目配せすると、全速力で少女に走り出す。後ろ半分で、異能が使えなくても十分に戦えるのが自分たち二人しかおらず、また前半分の中にはユニとアインス、クラリッサ、カレンがいることから、任せても問題無いだろうという判断だ。

 

「そこをどけ、椎名! やるぞ、ジークフリート!」

 

「男同士の共闘ですね。いいでしょう!」

 

 秀に続いて、ジークフリートも由唯と対峙する少女に向かって走り出した。この場で、エクシードを使えない状態で満足に戦えるのは、それを持たないαドライバーである彼らだけだ。

 少女は、秀たちがまだ彼女と離れている段階で、メルトを抱きかかえている由唯の胸倉を掴み、粗雑に壁に叩きつけた。由唯とシンクロしている秀にその痛みが走る。恐らくは、由唯の背骨が砕けた。それほどの痛みだ。由唯には痛みは無いが、しかし体の芯に衝撃は伝わる。そのせいか、メルトを取り落としてしまった。

 由唯は苦しみに喘ぎながらも、メルトに手を伸ばす。しかし、非情にも少女はメルトの小さな体を踏み砕いた。人間のような外観のボディの皮膜を破って、内部の機構が飛び出す。更には、頭までも潰した。砕けた部品の中には、粉々になった、人工知能と思しきものがあった。仮にそれがそうでないとしても、破壊されたと見て間違いないだろう。

 秀にとって、それは初めての仲間の死だった。交わした言葉は少なかったが、それでも心が痛んだ。だが、自分以上にレボ部、特に由唯の苦しみは秀の比でないだろう。

 実際、由唯は目を飛び出そうなくらいに見開き、脂汗を垂らし、真っ青になった唇を震わせていた。

 

「あんた……よくも……!」

 

 激昂した由唯は、目に涙を溜めながら、少女に殴りかかった。まるで背骨の骨折など無いかのように。だが、少女は少し眉をひそめて、

 

「『あんた』じゃない。私の名前はモルガナ」

 

 由唯の拳を掴んで引き寄せた。そして、冷たい声で告げた。

 

「あなたも、イレーネスやアイリスの邪魔をするなら、容赦はしないから」

 

 そう言って、モルガナは由唯の拳を握りつぶした。由唯が膝をつき、思わず嘔吐していた。秀は、由唯とシンクロしているがために伝わってくる痛みに耐え、走りながら彼女の手を一瞥すると、指はあらぬ方向へ折り曲がり、ある部分では骨が皮膚を突き破って外に出ていた。

 由唯が苦しんでいても、モルガナは動じない。モルガナが拳を振り上げ、それを下ろそうとした瞬間、ジークフリートがモルガナに届いた。

 

「これ以上はさせません。仲間を傷つけるものには、女性であろうと手を抜きません」

 

 ジークフリートはモルガナの空いた脇腹に拳を入れた。モルガナがよろめく。その表情からは驚きが伺える。

 

「あなたは人間じゃないね。竜族?」

 

「その通りです。私は誇り高き竜族。誰よりも仲間を愛する存在です」

 

 ジークフリートは追い打ちをかけるように先ほど殴った脇腹に蹴りを入れた。モルガナは血を吐き、壁にもたれかかる。

 止めを刺そうとするジークフリートの周りに、構成員が群がる。秀は、全員がジークフリートに注意を向けた今がチャンスだと思い、ライフル銃で一人を後頭部を撃ち抜いて射殺した。構成員たちの注意が秀に移るが、秀に向いた瞬間を狙ってまた一人撃ち殺した。

 

「二人か……やれない数じゃないな」

 

 T.w.dの構成員たちが秀に銃を向ける。秀は由唯を背後にとらないように立ち回りながら、不規則な動きを繰り返して構成員たちに近づく。そして、一人を数発の銃弾で仕留め、もう一人を背後に回って、首を締め上げて無力化した。

 

「残ってるのはモルガナとやら、あんただけだな」

 

 秀はモルガナに銃を向け、睨みつけた。対しモルガナは、怯むことなくむしろ睨み返してきた。しかし目には涙が溜まっている。その涙の意味は、恐怖か、悔しさか、申し訳なさか。秀には判別できなかった。

 

「あんたには着いてきてもらおう。逃げる俺らの捕虜になるのはおかしな話だが、聞きたいこともあるしな。仇を討つのはその後だ」

 

 秀はモルガナに銃を突きつけながら歩んでいく。今すぐ引き金を引きたいところだが、ここは我慢のしどころだ。ジークフリートがモルガナの抵抗力を奪うために腕を締め上げようとしたその時、秀の左肩から鳩尾にかけて、激しい痛みが襲った。

 由唯が受けた攻撃とは比べ物にならないほどのものだ。まるで本当に大量の失血をしているかのように、体から力が抜けていく。また、心臓の鼓動が弱まっていくのも感じる。更には吐血までした。秀とシンクロしている誰かが負った傷を、秀の体が秀自信が負った傷と錯覚している。

 とうとう立っていられなくなり、秀はその場に倒れ伏した。朦朧とした意識の中で、秀はレミエルたちのいる階段の方に目を向ける。意識がなくなる寸前に見た光景は、血だまりの中に仰向けで倒れているレミエルを見下している、カミュの姿だった。

 

        ***

 

 レミエルは、目の前に現れたT.w.dの一人の顔が信じられなかった。その一人こそはサングリア・カミュ。春休みに秀と共に青蘭島を回った、秀が「母親のような存在」と語ったあのカミュだ。クラリッサから彼女がT.w.dにいるとは聞いていたが、本当にそうだとはにわかに信じられなかった。しかし、今目の前に佇んでいるのは、間違いなくカミュだ。

 カミュがレミエルに近づいてくる。まるでレミエル気づいていないかのようだ。レミエルは応戦せねばと理解はしていたが、体が硬直してしまって動かなかった。敵にとっては格好の標的だ。カミュが抜刀し、レミエルの左袈裟から鳩尾にかけてを斬りつけた。痛みは無いが、流れる血と共に意思も力も無くなっていく。奇妙な感覚だった。その感覚を抱いたまま、その場に仰向けで倒れた。

 露ほどの意識の中で、不意に、裏切られた、という思いが芽生えた。その思いがレミエルの心の中で激流のように渦巻く。やがてそれは、憎悪という感情に帰結した。

 

(許すもんか……絶対に、殺してやる!)

 

 その時、レミエルはジュリアと戦った時にも感じたあの意思を感じた。

 

——力を欲するならば、祈れ。

 

 (欲しい。力が欲しい。憎き敵をいとも容易く蹂躙するくらいの、強大な力が私は欲しい!)

 

 瞬間、レミエルは、今まで感じたことのないくらいの強大な力の奔流と、不思議な快感に襲われた。立ち上がり、ふと周りを見ると、敵も、味方——軍人であるユニとアインス、アンドロイドであるセニアとカレンも、誰もが恐れおののいて、レミエルを見ていた。どうやら衝撃波が発生しているらしく、窓ガラスは全て割れ、壁や床にはヒビが入っている。

 自分の服に目を落とすと、いつもの薄紫のものでなく、何故か闇夜のごとき漆黒だった。金色の翼も、色合いがどこかおかしく見える。

 

「なんだかよく分からないけど、これなら結界の中でも異能を使えるみたい。あはっ」

 

 カミュを倒そうと、一歩踏み出した時だった。以前、秀と指切りを交わした小指が、激しく疼いた。

 

(秀さん……?)

 

 レミエルは、はっとして後ろに振り返った。するとそこには、床に倒れ、苦しみ悶えている秀の姿があった。

 

「秀さん!」

 

 レミエルは秀の元へ全力で駆け出した。その道程で気付いたが、衝撃波も、湧いてくる力も無くなっていて、服もいつもの薄紫のものに戻っていた。

 秀の元に辿り着くと、レミエルは彼を抱き起こした。それに気付いた秀は、喘ぎながら口を開いた。

 

「レミエルか。あっちの方はどうなった……?」

 

 秀は何が起こったのか分かっていないようだ。ユニたちの方を見ると、敵は誰もいなかった。T.w.dの部隊は既に撤退していた。

 

「あちらは全員撤退したようです。こっちは……」

 

 周りを見回すと、ジークフリートの後ろから、一人、顔面を蒼白にしてレミエルを見つめる少女がいた。

 

「無理……。あんなのに、勝てるわけない」

 

 歯を鳴らしながら呟くと、彼女はジークフリートを押しのけて一目散に逃げて行った。レミエルが呆然とその後ろ姿を見つめていると、ユニたちが集まってきた。

 

「とりあえず、この場は切り抜けたようだな。階下へ急ごう」

 

 ユニはそう言って、足早に階段の方に向かった。レミエルたちもそれを追う。

 それから、数歩進んだときだった。

 

「レミエルたちだな。汝ら、無事か」

 

 ガブリエラと、シャティー、ユノ、ナタク、リーリヤ、そして青髪の統合軍の少女が、穴から飛び降りてきた。

 

「はぁ、もうなんでこんなことになってんのさ。異能は使えないし、緑の世界に帰ったら何を言われるか」

 

 気怠そうな雰囲気を醸し出しながら、愚痴を漏らす青髪の少女を、秀は不思議に思って見つめていた。見覚えがあるようで思い出せない。

 秀の視線に気付いた彼女は、ため息をついて頭を掻きながら告げた。

 

「ああ、私、ルルーナ・ゼンティア。今じゃもう意味無いけど、一応君と同じ部隊なんだよ、上山秀君」

 

 秀はなるほどと思った。同じ部隊ならば、見覚えがあるのにも、秀の名前を知っていることも納得できる。

 

「あれ、メルトは?」

 

 シャティーがきょろきょろしながらさりげなく尋ねた。事実を知っている皆は、揃って口を噤んだ。

 

「メルトは、もういないよ」

 

 消え入りそうな声で、由唯に肩を貸しているあずさが呟く。シャティーとユノが息を詰まらせた。

 

「あの子は、何も知らないまま、何もわからないまま、死んでいったんだ」

 

 傍の由唯が涙に震える横で、あずさはポケットから、砕かれた電子部品を取り出し、シャティーとユノに見せた。

 

「これ、メルト」

 

 二人が絶句する。シャティーは怒りに震え、ユノは膝から崩れ落ち、慟哭した。

 漂う居た堪れない空気を払うように、ユニが咳払いをして話を切り出す。

 

「さて、ひとつ聞くのを忘れていた。教室でも言ったが、これから青以外の世界に亡命することになる。どこへ逃げる? 私はグリューネシルト(緑の世界)に行くが、皆はどうだ? ちなみに、カレンとセニアには悪いが、今SWE(白の世界)はT.w.dの根城も当然らしい。SWEへの逃亡は無理だ」

 

 皆が口々に亡命先の希望を言う。秀とレミエル、ガブリエラ、カレン、セニア、レボリューション部はテラ・ルビリ・アウロラ(赤の世界)に、クラリッサ、ジークフリートはダークネス・エンブレイス(黒の世界)に、ナタク、リーリヤ、ルルーナはグリューネシルトに。ただ、アインスの取った選択肢だけは、秀にとって意外だった。

 

「私は、テラ・ルビリ・アウロラに行く。恩を返したい」

 

「しかし、アインス。大丈夫か、私無しで」

 

 ユニがためらいがちに尋ねる。アインスの選択を尊重したいが、やはり心配なのだろう。

 

「問題ない。ユニはグリューネシルトで、枕を高くして寝ているといい」

 

 アインスは、少し誇った顔で親指を立てて答えた。ユニは観念したようにため息をつく。

 

「分かった。たとえ、次T.w.dがテラ・ルビリ・アウロラを攻撃対象にしたとしても、決して死ぬんじゃないぞ」

 

 アインスは強く頷いた。そこで、会話の流れに一区切りがついた。ユニが皆を見回し、発破をかける。

 

「さあ、今からが正念場だ! ここを切り抜ければ、未来がある!」

 

 それに、その場の人間は掛け声で応える。秀は、全員がよりまとまったと実感できた。

 クラリッサとジークフリートが瓦礫を退けて、いよいよ階下へ降りる。

 一階には、予測していたよりも敵の数は少なかった。先頭のクラリッサとジークフリートだけで戦力は事足りて、簡単に突破できた。昇降口の部分だけ、校舎全体を覆っていた結界が穴を開けていたようで、難なく校舎からは脱出できた。

 そして、新たな障害があることを知った。

 

(ハィロウ)の周りに敵が多すぎる。ここまでか」

 

 門の方を見上げると、曇天の空を背景に、SWE製と思われる飛行ユニットを背中に背負ったT.w.dの人員に、門の光が覆われていた。リーリヤが落胆したように呟くのにも無理はない。

 

「ユノ、この人数を瞬間移動させたこと、ある?」

 

 あずさの問い掛けに、ユノは首を振った。

 

「できるかもしれない……。けど、無理にやって、中途半端になって、瞬間移動したら敵のど真ん中ってなるかもしれないリスクを考えると、やめたほうがいいと思うよ。ごめんなさいっ」

 

 ユノは、深々と頭を下げて謝った。ユノの瞬間移動能力に可能性を感じていた者が多かったのか、全体的に重い、沈んだ空気が漂う。だが、その諦観を打ち払うように、レミエルが一歩前に出て告げた。

 

「私に考えがあります」

 

 それを聞いて、秀はピンと来た。

 

「あのカプセルみたいなのに俺たちを入れて運ぶわけだな」

 

「そうです。皆さん一人一人をカプセル状にした結界に入れて小さくして、門の近くまで運びます。これなら、実質的に私一人が敵陣を突っ切れば——」

 

「待て、一人ではキツいだろう。我も汝と共に道を拓こう。天使は小回りが利き、尚且つ空戦能力に長けている。適役だろう」

 

 ガブリエラは、レミエルの言葉を遮って告げた。結局、その鶴の一声で、レミエルとガブリエラの二人で敵陣を突破、緑、黒の世界の門までジークフリートたちを送ってから、赤の世界の門を抜ける、ということになった。

 レミエルは、握りこぶしほどの結界を作って、一人ずつ収納している間、少し沈んだ表情をしていた。レミエルとしては、彼女一人で事を成すつもりで、それをガブリエラとすることになったのを悔しく思っているのだろう。

 しかし、秀は何も言わなかった。余計な言葉でレミエルを傷つけては、全員の命に関わる。励ますことも考えたが、やめた。

 ふと、秀の脳裏に達也のことが浮かんだ。結局、連絡も取れないままここまで来てしまった。だが、もうその余裕は無い。

 そんなことを考えていると、レミエルとガブリエラを除く全員が結界に入り終えるまで、不思議なことにT.w.dが襲ってくることはなかった。まだ校舎にいる生徒たちを駆逐することを優先しているのだろうか。それとも、わざと見逃しているのか。どちらにせよ、秀たちにとって幸運なことには変わりない。

 準備が整うと、レミエルとガブリエラが、翼を羽ばたかせ、宙に浮き始めた。そして、一気に急加速して、まず緑の門に向かって突っ込んでいく。結界のおかげで、Gや揺れは感じないが、めまぐるしく動く風景のおかげで、秀は少し吐き気を覚えた。

 レミエルたちが敵と接触する前に、レミエルはその手に持つ杖に祈りをこめる。その杖を敵に向けると、ガブリエラが剣を杖に合わせた。

 

「やるぞ、レミエル」

 

「はい。ガブリエラ様」

 

 一瞬の溜めの後、杖と剣から同時に雷が放たれ、大きなうねりを以ってT.w.dの梯団に襲いかかる。が、最初の接触の一歩手前のところで、結界と思しき障壁に阻まれてしまった。

 

「青蘭学園の校舎を覆う結界を張るのに精神力使ってるっていうのに、こんなくだらない攻撃を弾くための結界を張らせないでもらえる?」

 

 不機嫌そうな声。金髪のサイドテールを風に靡かせながら、一人の少女が碧玉の瞳でレミエルたちを睨みつける。

 

「これ以上通させたらアイリスに顔向けできない。だから、ここは絶対に通さない! このアルバディーナの名に懸けて、全員ここで殺してやる!」

 

 金髪の少女——アルバディーナは、顔を真っ赤にして、怒号を発した。彼女の話振りから察するに、秀たちの他にも他の世界に逃げた者たちが何人かいるようだ。

 

「かまう必要はない。逃げるぞ、レミエル」

 

 ガブリエラはアルバディーナに背を向け、黒の門に向いて、翼を羽ばたかせようとした。だが、急に腹を強く殴打されたように、アルバディーナの側に飛ばされた。しかし、すぐ体勢を立て直し、アルバディーナに向き直った。

 

「汝、結界を変形させて攻撃に使ったのか。余程の使い手と見える」

 

「これでも、かつては最強の結界術師ともてはやされた魔女よ。そんなことできて当たり前だわ」

 

 アルバディーナは目を伏せて、悲しげに呟いた。しかし、彼女が視線を戻す時に、その赤褐色の眼がレミエルを捉えると、憎悪を剥き出しにした表情で、レミエルを睨みつけた。

 

「お前は、ジュリアの仇! こんな所で出くわすとはね。殺さでおくべきか!」

 

 地獄の悪鬼のような叫びをあげると、アルバディーナは姿を消した。レミエルが辺りを見回すが、アルバディーナの姿は捉えられない。

 すると、ガブリエラがレミエルの背後に、彼女を庇うように入り込んだ。その際にガブリエラが張った防護障壁に、何かしらが阻まれたようだ。秀にはその姿は見えないが。

 

「私の隠密魔法を見破るなんて。四大天使の名は伊達じゃないということかしら。いいわ、あなたから殺してあげる!」

 

 アルバディーナの声。しかし、阻まれて突如として現れたその姿は、乗用車ほどの大きさの、海外のカブトムシ——アトラスオオカブトムシと言ったか——であった。

 その姿が秀の目に映った瞬間、ガブリエラが、その後ろから見えない力でアルバディーナの方に無理矢理に押された。秀が予測するに、先のアルバディーナの攻撃とやっていることは同じことだろう。だが、そう頭が冷静に判断できていたのは、そこまでだった。

 

「ガブリエラ様!」

 

 レミエルが振り返ったその刹那、ガブリエラの体が、兜の角に貫かれた。レミエルが悲鳴をあげる。誰もが、ガブリエラが死んだと諦めたその時。ガブリエラが咆哮した。

 

「我はもうすぐ死ぬ。だが、我が残りの力をここで霧散させ無駄にする訳にはいかん!」

 

 ガブリエラが、首を回してレミエルに顔を向ける。

 

「レミエル、汝に我が全ての力を授ける。秀、レミエルを頼んだぞ!」

 

 ガブリエラの体が眩い光に包まれる。そして、そこから発した巨大な力の波が、秀たちとアルバディーナを吹き飛ばした。カプセル状の結界の中から見回せば、仲間たちが、それぞれの行くことを望む世界の門の方へ飛ばされていた。秀も、赤の世界の門の方向に飛ばされている。だが、レミエルは波に逆らって、ガブリエラの方に向かおうとしていた。それが、秀が門を通る前に見た、最後のレミエルの姿だった。

 

        ***

 

 レミエルは、力の波動の中、必死に翼を羽ばたかせ、ガブリエラに手を伸ばした。しかし、一向に前に進めない。

 

「失いたくない、失いたくない……。私は、ガブリエラ様を失うなんて嫌だ!」

 

 レミエルは涙を流しながら、嘆いた。だが、その声も虚しく、ガブリエラから遠ざかるばかりだ。

 

「私は、ずっとガブリエラ様に導かれてきたんだ! それは、この先の未来も、ずっとずっと続くものだって思ってたのに!」

 

 アルバディーナへの恨みよりも、ガブリエラを失う悲嘆が優っている。レミエルの心を悲しみが支配している。その悲しみが、前に進むことを拒否して、今こうして、体を前に進め、心を後ろに退けている。

 ガブリエラの肉体が完全に消滅した時、一際大きな波がレミエルを襲った。そして、それが全てレミエルの中に、四方八方から入り込んだ。

 

——先に逝くことを詫びよう。すまないが、これからは仲間に手を引いてもらえ。そして、いつか汝が皆の手を引けるように成長してくれることを願う。汝の進む道に光のあらんことを。さらばだ。

 

 力の波に込められていたガブリエラの意志を、レミエルの心が認識した瞬間。レミエルの体は、門を通った。そして、周りの景色が一瞬にして変わった。薄桃色の空に、橙色の雲が浮かんでいる。青蘭学園に通う前までずっと見てきた、テラ・ルビリ・アウロラの、レミエルにとっては疎ましい空。

 やがて、神殿や民家が見えたかと思うと、レミエルは石畳の道に背中を打ち付けた。青の世界とは全く違うその風景が、レミエルに帰ってきたこと、ガブリエラの死、そして己の無力さを自覚させた。

 レミエルは、天を仰いで、ただひたすらに泣き喚いた。



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超新星
真実


 テラ・ルビリ・アウロラを統治する、七女神が住まう大神殿。そこの謁見の間で、テラ・ルビリ・アウロラの全ての女神が集結して、論を交わしていた。議長はこの世界の主、アウロラであり、議題は、T.w.dへの対処についてである。女神たちの意見は、消極的なものであった。どうすれば戦闘を回避できるか。そのことしか話していない。

 そこに、腕を組み、声を荒げる一人の女神がいた。

 

「この軟弱者どもが!」

 

 彼女のひとつ結びの髪は炎のように赤く、腰には剣を携えている。

 

「グラディーサ! 七女神様の前でなんで言葉遣いを!」

 

 一人の女神が、その赤髪の女神——グラディーサを叱り付ける。しかし、グラディーサは全く動じず、腕を組んだまま、堂々と言い放った。

 

「そんなことは知ったことか! 何人もの、青蘭学園の同胞たちが命を散らしているのだ。戦おうという気が起こらないのがおかしい! そうでしょう、七女神の方々」

 

「なんて無礼な!」

 

 先の女神が再びグラディーサを叱るが、グラディーサは無視して、七女神たちの座る玉座を睨んでいる。叱った女神は、グラディーサの態度を見てカッとなって、グラディーサに手を上げようとするが、その時威厳に満ちた、艶やかな声が聞こえた。紫と白を基調とした、胸元や腹、太腿を露出させた妖艶な七女神の一人、アマノリリスの声だ。

 

「よい。グラディーサの言うことはもっともであろう。戦は好まぬが、致し方あるまい。そうであろう、暁天の?」

 

「ええ。それに、かの者らと和平交渉ができるとは到底思えない。例えできたとしても、地球での出来事を鑑みれば、世界水晶を要求してくるはず。そうなれば、交渉以前の問題よ」

 

 アマノリリスの問いかけに、アウロラはその場の全員を見渡しながら言った。女神たちは黙り始める。そして、次に口を開いた時には、T.w.dが攻めてきたらどうするか、という論に変わっていた。

 最終的に煮詰まった結果、徹底抗戦を試みるということになった。

 

        ***

 

 会議が終わった後、誓いの女神であるユラはグラディーサの姿を探していた。後ろ姿を見つけると、その白髪を揺らしながら一直線に走って行った。

 

「グラディーサお姉様! さっきの会議の時、かっこよかったです!」

 

 ユラにとってグラディーサは憧れの存在だ。ユラよりも少し身長が高く、強くて、剣術に長けた剣と勝負の女神。新米女神であるユラの目標なのだ。

 

「ユラか。そう言われると、少し照れくさいな。しかし、思ったことを言ったまでだぞ」

 

 グラディーサは頰を掻きながら言った。だが、ユラはそれに被せるように言う。

 

「そうそう言えるようなことではないことを、言えるからすごいんです! 私もいつか、お姉様みたいに毅然とした、立派な女神になりたいです!」

 

 ユラは目を輝かせて、グラディーサの手を取った。その視線は、真っ直ぐにグラディーサを憧憬の目で射抜いている。

 グラディーサは、にっと笑うと空いている方の手でユラの頭を少し乱雑に撫でた。

 

「じゃあ、まずは私との模擬戦で1分は保つことだな。いつも軽くあしらわれていては、どれだけ経っても新米のままだぞ」

 

「はい!」

 

 グラディーサの言葉に、ユラは無邪気に返事をする。ユラは女神とは言え、まだ仕事の合間に学校で勉学に励んでいるような段階だ。まだ行動の端々に幼さがある。

 

「じゃあ、私は仕事に戻る。修行、怠るんじゃないぞ」

 

 グラディーサはそう言って、ユラに手を振って別れた。堂々としたその背中に、ユラは心の底から見惚れていた。いつか、あの背中を追い越せるようにと、強く拳を握りしめた。

 

        ***

 

 ユラは、帰りの道中に、学友のエクスシアと出会い、そのまま二人でユラの神殿に戻った。

 彼女は、殴打によって悪の心を善に変える、という力を持つハンマー、ヘカトンケイルをいつも携帯している。そのヘカトンケイルはかなりの重量があり、エクスシア以外に軽く振りまわせる者はそうそういない。また、その頭は、人の頭よりもひと回り大きいくらいの大きさがあり、また大きな棘も何本か付いていて、かなり物騒である。

 今、ユラの神殿の廊下を歩いている。それは質素なもので、幅だけは人が十人くらい寝そべることができるくらいにはあり、天窓から採光はできているものの、冷たい大理石の白い壁に四方を囲まれた、殺風景な廊下だ。そこを歩きながら、エクスシアはユラに尋ねた。

 

「そういえば、T.w.dの皆さんなん ですけど、私の力があれば万事解決なのではないでしょうか?」

 

「あのねえ、エクス。戦場に赴く兵隊が、全員悪人なわけじゃないでしょ? そうじゃないにしても、T.w.dの連中全員を殴る気?」

 

 ユラは、こめかみを押さえながら、呆れ気味に答えた。エクスシアは、盲点だったとばかりに舌を出して笑った。

 

「そう考えるとダメですね。いい考えだと思ったのですが」

 

 エクスシアは少し落ち込んで、気晴らしのためか、ヘカトンケイルを一回スイングした。すると、金属同士がぶつかる音が響いた。エクスシアが、「へ?」と間抜けた声を出した。

 

「お前、周りをよく見ろ! 危うく殴られるところだっただろう!」

 

 一人の男が、ナイフの刃の部分で、ヘカトンケイルの頭の付け根のあたりを受け止めながら、まだ子供っぽさを感じさせる声で叱った。その男は、青蘭学園の制服を着た、少し幼さの残る少年だった。ユラは、その姿に微かな見覚えがあった。

 

「あぁ、あなた、私の神殿に地球から逃げてきた方の一人ですね。名前は、確か」

 

「上山秀だ。で、まだ力を加えているこの天使はなんだ」

 

 秀は脂汗を浮き出させながら、ユラの言葉を遮って、不満げに言った。どうやらエクスシアと力が拮抗してしまっていて、下がるにも下がれないようだ。

 

「エクス、下げてあげて」

 

 ユラが促すと、エクスシアはすぐにヘカトンケイルを下げ、担ぎ直した。秀はバランスを崩すことなく、ほっと息を吐いた。

 

「ご無礼失礼しました。私はエクスシアと言います」

 

 エクスシアは、秀に恭しく礼をした。秀の方は混乱しているようだった。エクスシアの態度の変化に戸惑っているのだろうか。

 

「まあいい。丁度いい機会だ。頼みたいことがあるのだが」

 

 秀はため息を吐いて切り出した。ユラとエクスシアの二人には、内容は見当もつかない。

 

「あんたたち、レミエルって天使を知ってるか?」

 

 ユラは、その名前に鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。かつて、ユラやエクスシアと共に学び、ガブリエラの手に引かれながら、ユラたちと別れた、一番の親友の名だ。知らず知らずの内に、ユラは涙を流していた。

 

        ***

 

 秀は二人を連れて、割り当てられた部屋に入れた。状況をゆっくり説明するためだ。

 神殿もそうだったが、純白の大理石の壁に囲まれて、箪笥とベッドがある。ベッドは低反発で寝心地の良く、また椅子代わりにもなるものだ。ただ、床は、素材は壁と同じ大理石で、カーペット等も敷いてないので、床に腰を下ろすには適していない。

 秀はこれまで自分とレミエルが経験してきたことの全てを話した。

 

「まだ、あんたたちとレミエルの関係を聞いていなかったな」

 

 秀は話し終えたあとに、二人とレミエルとの関係を尋ねた。ユラが話し出そうとするが、声の前に涙が溢れていて、全く言葉にならない。彼女の様子に、エクスシアが見かねたのか、ユラの代わりに話し始めた。

 

「私とユラ、レミエルは同級生だったのですよ。他の同級生からいじめられてたレミエルにとって、特別仲良くしていたユラと私は、レミエルの親友でした。でも、私たちにはレミエルに対するいじめをどうにかすることが出来なくて、ある日、ガブリエラ様がレミエルを青蘭学園に入学させたんですよ」

 

 エクスシアの話を聞き終えると、秀は水を得た魚のごとく、二人に飛びついた。

 

「あいつの親友か! なら話は早い! 今、あいつが大変なことになってる。俺じゃ、手がつけられない」

 

「確かに、ここに来た時のレミエルはかなり落ち込んでた。会う暇がなくて話を聞けなかったのだけど、きっとガブリエラ様の死が一番の原因でしょうね」

 

 落ち着きを取り戻したらしいユラはそう言うと、いきり立って秀に向き直った。秀を見つめるその瞳は血走っていて、また目元は赤い。先の涙の跡が色濃く残っている。

 

「秀さん、私を連れて行ってください。親友として、彼女の力になりたいのです」

 

 秀は、ユラの言葉の端々から、その熱意を感じ取った。彼はふっと笑うと、勢いよく立ち上がって、部屋の戸を開けた。

 

「まあ実を言うとすぐ隣の部屋なんだがな」

 

 秀は苦笑しながら、レミエルの部屋の前に立った。S=W=Eから帰ってきた時のことを思い出す。あの時も、落ち込んでいるレミエルを元気付けるために彼女の部屋の前に立った。それは今も同じであるが、原因という点で、決定的に違う。あの時は、秀が原因だったから簡単に解決できた。だが、今は死人が原因だ。立ち直らせるのはかなり困難だろう。

 

(たとえ非常に困難なことだとしても、俺はあいつを救いたい)

 

 秀は、レミエルの部屋の戸を開けた。秀はなんとなく予想はしていたが、やはり部屋は暗かった。そして、ベッドの上でうずくまって、俯いているレミエルを見つけた。

 

「レミエル!」

 

 秀がレミエルの名を呼ぼうとした時、一際感極まった声で、ユラがその名を呼びながらレミエルに駆け寄った。レミエルが驚いたように顔を上げる。その目は窪み、頬もこけていて、髪もボサボサだ。

 

「やっと、再会できた」

 

 ユラは、レミエルに抱きついてそう言った。レミエルは一瞬だけ嬉しそうに頬をほころばせたが、すぐに暗い顔に戻ってしまった。

 

「ユラ、ごめん。私は今、嬉しさに浸れないよ」

 

 消え入りそうな涙声で、レミエルは告げた。ユラが理由を尋ねるも、レミエルは口ごもる。だが、やがて躊躇いがちに口を開いた。

 

「ガブリエラ様が死んだのに、私だけ生きてるなんて、そんなことがあっていいんだろうかって。あの時、死ぬのは本当は私だったのに」

 

 涙を流しながら、レミエルは呟いた。ユラも、一瞬だけ泣きそうな顔を見せたが、歯を食いしばり、レミエルの頬を拳で殴った。その行動に、秀とエクスシアは言葉を失った。

 

「ガブリエラ様があなたを生かした理由を考えて! 生かされたあなたがその様子でどうするの!」

 

 ユラは怒鳴るが、レミエルは呆然として殴られた頬に手を当てている。今度は、まるで何で殴られたのか分かっていないようなレミエルに対し、ユラは彼女の胸倉を掴み、空いている右の拳を振りかぶった。

 

「あなたがそんなんじゃ、あなたを庇って亡くなったガブリエラ様は、犬死にだ」

 

 ユラがその言葉を告げた瞬間、レミエルの目に怒りが宿った。そして、胸倉を掴まれた状態のまま、ユラの右の拳のカウンターになるように、ユラの左の頬を右の拳で殴った。レミエルとユラの拳が拮抗する。

 

「いくらユラでも、その物言いは看過できない。ガブリエラ様の死を、犬死にだなんて言わせない」

 

 秀は、レミエルが怒った姿を初めて見た気がした。ユラが友達だからこその怒りだろうか。

 ユラは、頬に拳を受けながら、満足げにニヤリと笑った。

 

「その目だよ、レミエル。ガブリエラ様の死が犬死にじゃないってこと、ちゃんと証明してよね。私と、誓ってくれる?」

 

 レミエルは、真摯な目で頷いた。一見して、それは確固たる意志が宿っているように見えた。

 秀は、レミエルのひとまずの復活に、軽く安堵の息を吐いた。

 

        ***

 

「はーい、急がないように、ゆっくり進んでください」

 

 T.w.dの組織員が、戦闘の跡が残る青蘭島の繁華街の道路に出来た、島民による長蛇の列に呼びかける。数十秒の間隔で、ひびの入った道路を列が前に進んでいく。この列は名簿作成のためで、その名簿は、食料の配給のために使われるとのことだ。

 T.w.dは、略奪などはしなかった。まるで、戦闘中の悪鬼のような姿が嘘のように、島民たちに接した。最初は恐れていた島民たちも、次第に心を許すようになって、占領から一週間経った今はもうすっかり打ち解けている。

 達也の警戒心も、初めこそはかなり強かったものの、今となってはすっかり無くなってしまった。それでも、拳銃を外套の内ポケットに入れる癖は抜けていないが。

 達也の順番が近づいてくる。手続きを済ませて、列から抜ける者の顔を見ると、誰もが満足げな表情を浮かべている。島民たちも達也と同じように、警戒心を失ったのだろうか。

 そのようなことを考えていると、達也の順番になった。そこで後ろの人とふたつに分けられ、達也が回されたところでは、赤と黒を基調としたT.w.dの制服の上に、臙脂の裏地の黒のマントを羽織った、銀髪の少女が手続きをしていた。

 

「この紙に書いてある通りにお名前と、住所と、電話番号を記入して、印鑑を押して下さいね」

 

 商業的なのか、心からなのかよく分からない笑顔を見せて、少女は達也を促す。それに従い、冷たい紙に持ち前の万年筆で記入する。紙を受け取ると、少女は弾けるような笑顔で達也に手を差し出してきた。

 

「私はアイリス。T.w.d総統です。これからよろしくお願いしますね、仲嶺達也さん」

 

 達也は、アイリスの手を握った。テロ組織を取り仕切っているとは思えない、温かく、柔らかい少女の手だった。

 握手を終えると、達也はアイリスに背中を見送られながら、列を抜けて家への帰路についた。満足そうにしていたのは、彼女との握手が一番の理由だろう。もうひとつの方でも同じことをやっているに違いない。

 

「人心掌握のためだろうね、きっと」

 

 はるか昔、チンギスハンとその子孫が築き上げたモンゴル帝国は、侵略した土地で略奪を行った。それで、民衆の反発の気運が高まり、ついには崩壊してしまった。アイリスがそれを知っているかは分からないが、略奪をしたら敵しか作らないということは分かっていたのだろう。裏心ありきとはいえ、本心から仲良くなりたいという風が、アイリスの笑顔からは感じられた。

 

(だからと言って、僕は秀の味方だ。T.w.dに心を許すわけにはいかない)

 

 達也はそう決意すると、足を止めて空に浮かぶ(ハイロゥ)を仰いだ。あの四の門のどれかの先にある世界に、秀は逃げ込んだはずだ。しばらく会う事は無いだろうが、達也は秀とその仲間を応援し続けると、心に誓った。

 達也がさあ帰ろうと再び前を向いた時、視界の端、ビルの影からふと視線を感じた。そちらを見ると、白いマントが翻って、ビルの影に入った。

 

(あのマントは)

 

 達也の足は衝動的に動いた。気付けばその白マントを走って追いかけていた。やがて、その背中を捉えた。白のマントを羽織り、ブーツを履いて将兵が被るような軍帽を被った頭の、金色の髪が揺れる女性の後ろ姿は、間違えようもなかった。

 

「カミュさん!」

 

 達也は、強固な確信を以って、その名を呼んだ。逃げる女は急に立ち止まった。そのまま動かなかったが、やがておもむろに達也に向いた。やはり、その女はカミュであった。薄暗く、灰色のビルに挟まれた路地の中、カミュの金髪が際立って見える。

 

「どうして、追いかけたんです」

 

 カミュは、達也を責めるように言った。怒りを込めて達也を睨んでいる。しかし、その憤怒の瞳からは涙が流れ始めてきて、達也は困惑した。その隙を突くように、カミュは嘆きをぶつける。

 

「どうして追いかけたんだ! あなたが追いかけなかったら、私はあなたを忘れることができたかもしれないのに!」

 

「あなたを放っておけないからですよ、カミュさん」

 

 達也は冷静に言い放った。今度はカミュが困惑する。達也はカミュに歩み寄って、その手を取った。

 

「安心してください。僕はあなたがT.w.d——秀の敵だからといって、嫌いになるようなことはありません。昨日まで好きだった人を嫌いになるなんて、そんな器用なことは僕にはできません」

 

 達也がそう言うと、カミュは悲しげに、そして恥ずかしげに目を逸らした。そして、ごく小さな声で告げた。

 

「そんなに優しいあなただから、忘れてしまいたかったのに」

 

「僕は、忘れてほしくありませんね」

 

 達也はカミュに微笑んでみせた。カミュはしばらく顔を真っ赤にして口を紡いでいたが、やがて達也に向いた。顔は赤いままだ。

 

「多分、しばらくは青蘭島では戦闘がないでしょう。ですから、達也さん。ここが戦場でない間は、私を」

 

「分かってますよ、カミュさん」

 

 達也とカミュの顔が、ゆっくりと近づいていく。そして、一瞬だけ、互いに唇を付け、放した。

 

「秀には見られたくないな、こんな私」

 

 カミュは唇を手を当てて、微笑みながら呟いた。こうしていると、達也はカミュが秀の敵であることを忘れてしまいそうだった。しかし、そのことを意識するのは、今は煩わしい。

 

「カミュさん、今のあなたは、とっても可愛らしいですよ」

 

 達也は囁くように告げた。すると、カミュは顔を茹で蛸のようにし、狼狽した様子で、

 

「き、急に何を言い出すんですか!」

 

 カミュの軽く憤慨した様も、達也にとってはとても愛おしい。達也が微笑んでみせていると、カミュも諦めがついたようで、はあ、とため息をついた。

 

「もう」

 

 カミュは短くそう言って、達也に抱きついた。達也は軽く困惑した。さっきの仕返しのつもりだろうか。

 

「達也さん、好き」

 

 唐突に発せられたその言葉は、達也の体を突き抜けた。そして、達也は衝動的にカミュを抱き返していた。

 

「僕もですよ、カミュさん」

 

 達也はカミュを強く抱きしめる。それに応えるように、カミュも体を強く押しつける。カミュの体の暖かな感触が衣服を介して伝わってくる。幸せだ、ずっとこうしていたい。達也の心にそのような思いが溢れてくる。

 

(秀、僕はいつも君の味方だ。だけど、カミュさんとこうすることを、許してくれ)

 

 一条の涙が頬を伝う。その涙は、誰に気付かれることもなく、冷たいアスファルトの上に落ちた。

 

        ***

 

 テラ・ルビリ・アウロラの空は薄桃色だ。理由はよくわかっていないが、世界水晶の影響によるものとの説もある。何にせよ、地球で育った秀にとっては、夕方でもないのに空が赤いというのは、非常に気持ちの悪いものであった。

 周りの建物は石造で、道は石畳で舗装されている。地球では特定の場所、秀が行ったことのないような所にしか、テラ・ルビリ・アウロラの情景に似た場所はない。

 民衆は大抵、柄の無い質素な服を着ている。着方としては、世界史の教科書で見た古代ギリシアの民衆のようなものだった。

 

「やっぱり浮いて見えるのかな」

 

 秀は、心なしか、民衆の視線が自分に向けられていることを感じていた。秀はその視線に意識を向けているわけではないのだが、慣れない感覚のため、少しこそばゆい。

 秀とレミエルは、ユラとエクスシアの提案でテラ・ルビリ・アウロラの街を二人で散策している。気晴らしになれば、という計らいのようだ。

 

「秀さん、どうですか。テラ・ルビリ・アウロラは」

 

 不意に、レミエルが尋ねる。そう言われて、秀は街並みや、人々を観察し直した。街並みに感じた印象は変わらないが、人々が、皆穏やかな笑みを浮かべていることに気がついた。柔らかい雰囲気が漂っている。聞こえる声は、地球の都市並みの人口密度がありながら、静かな談笑のみだ。そこに、秀は違和感を覚えた。

 

「これだけ人がいれば、騒がしくなったり、どこかで喧嘩が起こっていてもおかしくないのに、静かなものだな」

 

「この世界では、七女神様たちの御力によって、人々の心に愛を満ち溢れさせているんですよ。だから、余程のことでもない限りこんなにも皆穏やかなんです」

 

 レミエルの説明を聞いて、秀は考える。レミエルの説明通りなら、レミエルが親に虐待されることも、テラ・ルビリ・アウロラの学校で揶揄されることも無かったはずだ。彼女の少女時代のことは、秀は聞いた話でしか分からないが、レミエルが落ちこぼれということだけでは、「余程のこと」には到底及ばないだろう。

 

(そうせざるをえない、レミエルの知らない事情でもあったのか?)

 

 秀が思考の結論を出すのを放棄したその時だった。レミエルの表情が、激しくゆがんだ。その表情は、怒りとも、悲しみとも、恐怖とも取れる。彼女の視線の先には、露店で買い物をしている一人の天使の女性がいた。レミエルと全く同じ、金色の髪と、碧の瞳を持っている。背丈もほぼ同じだ。違うのは、顔や、手などの皮膚に刻まれた、年齢を感じさせる小ジワと、白く輝くふたつの翼だった。

 

「お母さん」

 

 レミエルは、震える声で呟いた。その声を聞いたのか、その女性がレミエルに向いた。女性は、買い物を中断してただただ目を丸くしてレミエルを見つめていて、そして目に涙を溜めて、小走りで駆け寄ってきた。

 

「レミエル? レミエルなんだろう!? よく無事で帰ってきたね」

 

 女性がレミエルの手を取った。その瞬間、レミエルの表情が、憎悪に満ちた。先程までの様子が嘘のように。秀は、そのような感情を露わにするレミエルを見るのは、これが二度目だった。しかし、以前見たものとは比べ物にならない。その感情を向けられていない秀でさえ、背筋が凍るほどだった。

 

「今頃になって、母親みたいに振舞わないでよ!」

 

 周囲の注目も意に介さず、レミエルは母親を突き飛ばした。買い物の荷物と共に、母親の体が石畳に叩きつけられる。レミエルは、その母親の胸ぐらを、否応なしに掴んだ。

 

「家にいた時、私に散々な仕打ちをしておいて、よくもぬけぬけと! 二度と私の前に姿を現さないで」

 

 レミエルは胸ぐらから手を離すと、すぐ踵を返してユラの神殿の方へ走って行った。唖然としていた秀だったが、秀も慌ててレミエルの後を追った。一瞬、秀は後ろを振り向いた。レミエルの母親が、周りの人に支えられながら立ち上がっている姿が見えた。その姿に罪悪感を覚えながら、ユラの神殿まで走って行った。

 

        ***

 

 秀はユラの神殿に戻ると、ユラに街での出来事を話した。話し終えると、ユラは秀の目の前で考え込んだ。なになら迷っていたようだが、やがて決心がついたようで、ユラは顔を上げ、口を開いた。

 

「あなたも知っておいた方がいいでしょう。レミエルの秘密を。あの子が知らない、真実を」

 

 ユラの話はこうだ。

 まず、レミエルの母親が先代の導きの大天使であり、その後継者として、先にガブリエラが、そしてその五、六年後にレミエルが生まれた。レミエルの出生の時、占い師が告げたのは、テラ・ルビリ・アウロラに災厄が訪れる時、ふたつの強大な力がひとつとなって、超新星の輝きを灯す。その占いを悪い方に捉えた天使たちが、レミエルの力を封じ込めることを決めた。

 その方法として、ガブリエラが提案したのは、まず親に虐待させる。そしてガブリエラが連れ出し、学校に入れる。そこには、一人か二人ほどのレミエルと友達になる者(ユラとエクスシア)を用意し、他の者らはレミエルを虐める。さらにそこから「お前はまだまだだ」ということを示すために青蘭学園に入れる。そうしてレミエルを卑屈にさせることで、力に気づかせることなくやり過ごそうという考えだ。

 対案も出なかったため、この路線で行くことにした。途中まではうまくいった。ガブリエラを雲の上の存在と捉えるようになり、虐めによりすっかり卑屈になったレミエルは、青蘭学園でも卑屈なままだった。だが、そこで誤差が生じた。

 

「誤差っていうのは俺のことか」

 

 秀が尋ねると、ユラは頷いた。そして、また語り出す。

 

「あなたがレミエルのαドライバーとなったお陰で、レミエルの自信をへし折るために、余計な手間を割くことになりました。カレンをあなたたちと対戦させたのはそのため」

 

「その言い方だと、T.w.dまであんたらが仕組んだって捉えられるんだが」

 

 ユラの言葉に感じた疑問を、秀は間髪入れずに言った。ユラはまるでそう言うと思っていたというように、秀の疑問に答える。

 

「T.w.d、特にジュリアは完全に計算違いでした。あなた程度であれば修正可能な範囲でしたが、彼女の出現には、私たちは計画の見直しをせざるを得ませんでした。そこで、ガブリエラ様が、レミエルの力を良い意味に捉え直すことを提案したのです」

 

「あっちいったりこっちいったり。グダグダだな、あんたたち」

 

 秀は呆れ気味にため息をついた。それに対し、ユラは不機嫌に告げる。

 

「こういう裏工作じみたことは慣れないんだ。仕方ないだろう」

 

 どうやら、丁寧語が抜けるほど癇に障ったらしい。秀はこれ以上ユラの機嫌を損ねないよう、慎重に話の続きを促した。ユラは嫌そうな顔はしていたが、話を続けた。

 

「以降はあなた方が知っての通り。ですが、今のレミエルは不安定すぎる。今は、あなたの方が私よりも、レミエルを助けるのに適任でしょう」

 

「ああ、そうだろうな。部屋に戻る前に聞く。レミエルの母親や、お前とエクスシアは、今心の底からレミエルを愛しているのか?」

 

 秀の質問に対し、ユラはおもむろに、力強く頷いた。それを確認すると、秀は安心して部屋に戻った。

 

        ***

 

 秀が部屋に戻ると、ネグリジェ姿のレミエルが暗闇の部屋の中、秀に背を向けぽつんと立っていた。そして、消え入るような声で懇願した。

 

「一緒の布団で、一緒に寝てください」

 

 秀は戸惑いながらそれを許し、共にベッドに入った。秀とレミエルは互いに背を向けている。秀は何を話せばいいか分からなかったからだ。レミエルに関しては、秀は彼女が何を考えているのか分からなかった。

 どれほどともつかぬ時の経過の後、レミエルの方から話しかけてきた。

 

「秀さんは、街での私を見て、どう思いましたか?」

 

 唐突な質問に、秀の反応が遅れた。その間に、レミエルは言葉を連ねる。

 

「あれが私の、ずっとずっと隠していた闇ですよ。失望しましたよね。あんなことを平気でやれるような私に」

 

「そんなことはない! 俺はお前を愛してるんだ。失望も、嫌いになることもない!」

 

 秀は強く否定した。レミエルに対する思いが、本物だと示すために、レミエルを立ち直らせるために。

 

「なら、秀さん。こっちに向いてくれますか?」

 

 秀は言われた通りにレミエルの方に向いた。すると、その刹那、レミエルの唇が秀のそれに吸い付いた。そして、レミエルの舌が秀の口の中に入り込んで、秀の舌と絡み合った。

 秀は驚きで何もすることが出来ず、ただされるがままだった。レミエルが唇を離す。垂れてしまった二人のが混じり合った唾液を、レミエルは愛おしそうに舐めた。そして、恥じらいながら、縋るように秀に言った。

 

「私を、愛してくれるのなら。これからも、私とずっとずっと、一緒にいてくれるなら」

 

 レミエルの双眸から涙が落ちる。レミエルは恥ずかしいのか、嗚咽で上手く言えないのか、長く黙っていた。しかし、やがて、その沈黙を破って、秀を真っ直ぐに見つめながら、小さな声ではっきりと告げた。

 

「私を、可愛がってください」



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揺らぎ

 雨の日の、夜の青蘭学園の講堂。そこに、T.w.dに、何かしらの手土産(丶丶丶)を持って、参入してきた青蘭学園の元生徒が集められていた。その数はおおよそ800。中等部から大学部までの人間のみだ。どのようなことを言われるか、という話題を中心に、彼らは互いに雑談をしていた。

 午後9時ぴったりに、舞台袖からアイリスが壇上に現れ、マイクの前に立った。そして、どこか侮蔑を含んだ目で元生徒を見渡しながら、口を開いた。

 

「青蘭学園を裏切ってまで私について生き延びようとした青蘭学園の元生徒さんたち。過去の経歴は一切問わないから、私は君たちを歓迎するよ」

 

 アイリスの目の前の元生徒たちの表情が固い。先ほどのざわめきが嘘のように、生徒たちは静かだ。雨の音が大きく聞こえる。

 アイリスは、一旦間をおいて、わざと張り付いたような笑みを浮かべて告げた。

 

「大恩あるはずの自分たちの学校を裏切ってまで、私についたわけだから、当然、これから私に尽くしてくれるだろうなあ」

 

 皮肉るように、アイリスは続ける。

 

「というわけで、次は、準備が整い次第、色々考えた結果テラ・ルビリ・アウロラに侵攻するわけだけど、君たちだけを先発部隊に使ってあげる。私への忠誠心がどれだけ表れるか、期待してるよ」

 

 そこまで言うと、アイリスはマイクの電源を切って、舞台袖に戻ろうとして、立ち止まった。そして、青蘭学園の元生徒たちを睨みつけ、ブルーティガー・ストースザンを召喚し、見せつけた。

 

「そうそう、言うの忘れてたけど、もし私を裏切るようなことがあったり、私を信じられないようなら、コレだからね」

 

 話の終わり際に、アイリスは舞台のカーテンをブルーティガー・ストースザンで切り裂くと、今度こそ舞台袖に消えていった。

 それから、元生徒たちは、気まずそうに互いの顔を見合わせるだけで、誰も動こうとせず、また誰も言葉を交わさなかった。

 

        ***

 

 講堂の薄暗い舞台袖で、アイリスの話を聞いていたアルバディーナは、アイリスが戻ってくるや否や、元生徒たちに聞こえないように声を潜めて尋ねた。

 

「ねえ、アイリス。本気で彼らだけを使う気なの? 戦闘指揮する者くらい付けた方がいいんじゃない?」

 

「大丈夫だよ。あの子たちはテラ・ルビリ・アウロラの子たちにT.w.dに対する認識を甘くするために先発部隊に使うんだから。装備も不良品を与えるつもり。大した理由もないくせに裏切るような人に、生きる価値なんて無いんだから」

 

 淡々と話すアイリスの姿に、アルバディーナは息を呑んだ。アイリスが「裏切り」という行為に対して嫌悪感を抱いているのは既知のことであったが、彼女に縁もゆかりも無いような者にまでそれが及ぶとは、思っていなかった。

 

「私が怖い? ちょっと顔色悪いし、手震えてるよ、アルバディーナ」

 

 アイリスは、からかうようにコロコロと笑った。彼女の本質は無邪気で元気発剌な少女ということを、アルバディーナは誰よりも理解しているという自負がある。だがそれでも、アイリスに恐れを抱いてしまう。アルバディーナは、そのような自分がアイリスに申し訳ないと思いながらも、手の震えは止まらなかった。もしかしたら、この震えは別のところから来ているかもしれない。そうにも思えた。

 

「冗談のつもりだったのだけれど。本気で怖がってる?」

 

「本能的な恐怖じゃないかしら。一応、あなたは私たち人間の天敵なのだし」

 

 アルバディーナが誤魔化すように告げると、アイリスは思い出したように唸った。

 

「そういえば、私は食人鬼だったね。最近人肉を食べてないから忘れかけてた」

 

「一応、人を食べなくても死にはしないのよね、確か」

 

 アルバディーナの問いに、アイリスは頷いた。そして、ため息をついて天井を仰ぎ、不満げに言った。

 

「死なないけど人間のご飯は私たちの口にとってはまずいし、力は出ないしで良いことないよ。定期的に食べないと弱っちゃう」

 

 アイリスは一瞬だけ眉をひそめ、しかしすぐに笑い顔を作るとアルバディーナに背を向けた。

 

「まあ、そんなことはいいからさっさとここから出よう。ここにいたって意味無いし」

 

 アイリスが小股でゆっくり歩いて外に出ていく。アルバディーナはそれを、小走りで追った。まだ色々と聞き足りなかったからだ。

 

「待って、アイリス。まだ聞きたいことがあるのよ」

 

 アイリスは不思議そうな顔で、アルバディーナに向かって振り返った。ほんの少し、アイリスが顰めっ面を向けている。早くして、ということだろうか。

 アルバディーナは咳払いをして、口を開いた。

 

「世界水晶はいつ壊すの? すぐには壊さないとは聞いているけれど」

 

「あれ、言ってなかったっけ。五つ、同時刻にきっかり壊す予定だよ。世界水晶を破壊した時に何が起こるか分かんないからね。SWEに私たちの大きな拠点が無い以上、ここに何かあると後が困るし、(ハイロゥ)が、水晶を壊した後も残るとは限らないからね」

 

 アイリスは淡々と、早口気味に答えた。アルバディーナは、その内容に少しの不安を覚えたが、何も言わないことにした。安全策としてはそれが最適だろうと思ったからだ。

 アイリスが、「質問はそれだけ?」と尋ねた。相も変わらず微妙な笑顔を浮かべている。付き合いの長いアルバディーナですら、ほぼ絶やしたことの無いその笑顔の裏に、アイリスが何を考えているのか見当もつかない。

 

(純粋な子だから、深いことは考えてなさそうだけど)

 

 アルバディーナはとりあえずアイリスに頷いた。そうすると、アイリスは踵を返して、アルバディーナに外へ出ることを促した。

 講堂の外へ出ると、アルバディーナの目の前で、アイリスの黒マントが風ではためく。それは、たとえ揺れても、陰影がつくことが無く堂々としていた。

 

        ***

 

 秀とレミエルが共寝した夜が明けて、朝。秀は、服を着ながら、彼のベッドで布団に入って寝そべっているレミエルに声をかけた。

 

「レミエル。今日、親御さんと話してみたらどうだ? ちゃんと向き合って話さないと、分からないこともあるだろう」

 

 その時、レミエルは露骨に嫌そうな顔を見せたが、渋々、と言った感じで呟いた。

 

「秀さんがそう言うなら」

 

 レミエルが言い終えると同時に秀は着替えを終えた。レミエルはそう言ったものの、布団から出ようとしない。それで、レミエルから布団を引き剥がして、裸のレミエルに無理矢理ネグリジェを着せた。

 

「そんなに嫌なのか」

 

 朝日が差す部屋の中、レミエルの髪を解いてやりながら、秀は尋ねた。レミエルは小さく頷く。長い金髪が、小さく揺れた。

 

「また、私の闇を見せたくないです」

 

「今回は、最初から対面すると分かってる。心構えができるから、昨日みたいになることは無いだろう」

 

 レミエルは「そうだといいですけど」と目を伏せて言って、着替えて来る、と部屋から出た。一人残された秀は、ベッドに腰を下ろして、ユラから聞いたレミエルの真実を思い出していた。

 

(あれが本当なら、多分レミエルは怒るだろうな。だけど、知らないままじゃレミエルはずっとどこかに闇を抱え込んだままだ。それを解決できるとは思わないが、あいつには刺激を与えた方がいいだろう)

 

 ガブリエラは、道の途中でレミエルについての占いを良い意味に捉え直した。その理由は、恐らく抑え込んだままでは、レミエルを死なせてしまうと判断したからだろうと、秀は推測する。レミエルに対する思い入れが無ければ、レミエルを生かす選択を、ガブリエラは取らなかっただろう。

 

(レミエルが理解を示してくれればいいが)

 

 ちょうどその時、レミエルが戻ってきた。杖を持って、ワンピース型の、質素な感じのする私服を着ている。秀は立ち上がって、レミエルの真正面に立って告げた。

 

「それじゃ、行こうか」

 

 レミエルは、躊躇いがちに小さく頷くことをもって返事とした。

 

        ***

 

 レミエルの案内で、彼女の家に着いた。他のテラ・ルビリ・アウロラの民家と同じように、飾り気のない、白い石造りの家だ。歩いている間、足を遅めることはなかった。ただ、秀と一言も交わさなかった。きっと、何を話すか、こう言われたらこう返そうかと、心の準備をしていたのだろう。

 レミエルがドアノブに手をかけるが、そのまま固まってしまった。秀はそれを見守る。手は出さない。レミエルがやることであって、秀がやることではないからだ。

 やがて、決心がついたようで、勢いよくドアノブを押し込んで、ドアを開けた。それと同時に、ドアにつけてあった鈴が鳴った。

 それで中央にテーブルがあるだけの、質素な部屋の奥のドアから小走りで出てきたのは、レミエルの母だった。彼女は呆然としていた。秀ならともかく、レミエルが来るとは思っていなかったのだろう。

 レミエルの母が口を開けている間に、レミエルは頭を下げた。ますますレミエルの母が困惑する。

 

「この間は、ごめんなさい。自分を抑えることができなかった」

 

「い、いいんだよ。お前が無事でいてくれるだけで、私は幸せだ」

 

 レミエルの突然の謝罪に、彼女の母は戸惑いながら返答した。そして、秀とレミエルに椅子に座ることを促した。

 秀とレミエル、そしてレミエルの母が椅子に腰掛け、テーブルを挟んで二人と一人で向かい合う。レミエルが杖をテーブルに立てかけると、辺りを見回し始めた。

 

「お父さんは?」

 

 レミエルが何気なく尋ねると、彼女の母は表情を曇らせた。そして、重たげに口を開いた。

 

「あの人は、死んでしまったよ。大型の魔物の討伐の際に、深い傷を負ってしまってね」

 

 レミエルの母が涙を見せるが、レミエルの表情は揺らがない。そこに、レミエルの母が涙声で告げた。

 

「あの人は、死の際でずっとお前に謝ってたんだ。このようなことで許されることでもないが、せめて面と向かって謝りたかったって、何度も言ってた」

 

 その言葉を聞いた瞬間、レミエルがいきなりテーブルを殴った。歯を食いしばって、体を震わせている。そして、母を睨みつけ、レミエルは怒りのままに、母に言葉をぶつける。

 

「どうして、私が家にいた時は私を虐めて、私が離れた途端に親みたいに振る舞うの!? どっちかにしてよ! 最初から愛情を向けてくれれば、私は幸せな過去を手に入れることができたのに。今でも私を虐めてくれれば、私はこんなに混乱することもなかったのに!」

 

 嘆きをぶつけるレミエルを、彼女の母はただ悲しい瞳で見つめていた。そして、おもむろに口を開いた。

 

「これを言ったところで許されることではないけれど、本当のことを言おう。お前が辛い境遇で生きていかねばならかった、理由を」

 

 そして、レミエルの母は、秀がユラから聞いた真実を語り出した。全て言い終えたとき、レミエルは茫然自失としていた。そしてその双眸から、はらはらと涙が零れ落ちた。

 

「それが本当なら、私は何なの? それなら、今の私は、決められた人生に従って動いただけの、ただの人形じゃない」

 

 レミエルは、立てかけておいた杖を握りしめた。困惑する彼女の母をよそに、レミエルは涙ながらに続ける。

 

「信じてたのに。ガブリエラ様も、ユラも、エクスも。みんな、私を大切な人と思ってくれてるって信じてたのに」

 

「レミエル、それは違うよ。確かに、最初はガブリエラもお前を仕事の一環としか見ていなかったし、ユラやエクスもそうだった。でも、みんなだんだんとお前に愛着を持って、心からの師弟関係や、友人関係を築いたんだよ!」

 

 不信感に苛まれるレミエルに、母は訴えかけた。秀から見れば、母はしっかりと愛情を以ってレミエルに言葉を投げかけているようだった。だが。

 

「もう、赤の世界の人は信じられない。お母さんと、いや、ユラやエクスとも、これで絶縁しよう」

 

 母の言葉がまるで耳に入っていないような言葉だった。それを呟くと、レミエルは家を飛び出していった。それを見て、秀は反射的に、勢いよく立ち上がった。

 

「レミエル!」

 

 秀もドアに向かった。家を出る瞬間、一瞬だけレミエルの母に振り返った。彼女は、口を半開きにして、魂が抜けたように動かなかった。

 

        ***

 

 ユラの神殿の入り口付近まで来たとき、ちょうどそこから出るユラと目が合った。すると、ユラは切羽詰まった様子で秀に駆け寄った。

 

「上山秀! レミエルに何があったの!?」

 

 ユラは、丁寧語も抜けていて、半泣きになっていた。彼女曰く、たまたますれ違ったレミエルに睨みつけられ、「あなたとは絶縁する」と告げられたとのことだ。

 

「あいつを母親のところに連れて行って、話をさせたんだ。そしたら、あのことを告げられて」

 

 秀は簡潔にわけを話した。ユラは、なかなか口を開かなかったが、しばらくして苦しげに呟いた。

 

「例えあの子が真実を知っても、私との友情は無くならない。そう、思っていたのに」

 

 ユラはそこから膝をついて、顔を押さえて泣き出した。

 秀はどのような声をかければ分からず、ユラを見つめていた。しかし、ふとレミエルの顔が浮かんで、神殿に付随している宿舎に目を向けた。

 

「ごめん、ユラ。俺はレミエルのそばにいる。だから、この場を離れる」

 

 秀が告げると、背後から背中を押された。振り返ってみると、既に立ち上がっていたユラが、微笑んでいた。まだ目元に涙の跡が残るが、もう泣き止んだようだ。

 

「行ってください。あなたの言葉なら、あの子も聞くでしょう」

 

 秀はユラの言葉に頷きを返すと、宿舎の方に走っていった。途中、周りを見回しながら走っていたが、レミエルの姿はなかった。

 宿舎に着いて、秀はまずレミエルの部屋を見てみたが、誰もいなかった。次に可能性のありそうな部屋として、秀自身の部屋を見た。明かりは消され、カーテンも閉められているため、中は真っ暗だった。明かりは出かける前に消したが、カーテンまで閉めた覚えは無かった。

 用心しながら入っていくと、急に戸が閉められ、そして誰かに股間を触られたような感触があった。

 

「秀さん。私、もう秀さんがいないとダメなんです。秀さんだけが、私の生きる意味ですから」

 

 レミエルの声だ。ぞっとするくらい落ち着いた声。秀がその声から感じたのは、狂気だった。寂しさや怒り、悲しみなどがレミエルを蝕んだ結果だろう。

 

(俺は、こんなレミエルにはしたくなかった。ただ、成長することを願って、こいつの母親と話をさせただけなのに)

 

 レミエルが股間に手を触れたまま体を寄せる。感触からすると、レミエルは裸でいるようだ。

 レミエルが、甘美な声で耳元で囁く。抱いて、と。秀は嫌だった。このような心苦しい状況で、レミエルを抱きたくなかった。しかし、それをしなければ、レミエルが完全に壊れてしまうという予感もしている。

 秀は、心の中でレミエルとガブリエラに詫びながら、レミエルを押し倒した。

 

        ***

 

 それから、秀とレミエルは、行為を終えたら部屋に備え付けられているシャワーを浴びて寝て、起きたらまた愛し合って、というような生活を送っていた。カーテンは閉めきったままで、外の光は一切入ってこない。何日経ったかも分からず、昼夜の区別はもはや無く、心配して尋ねてくるユラやエクスシアたちを一切無視して、ただひたすらにお互いに抱き合っていた。

 ある時、秀は決心して、シャワーを浴びだあと、手探りで床に脱ぎ捨てられた自分の服を着た。

 

「ちょっと外に出てくる。待っててくれ」

 

 秀はそう告げると、快楽に惚けたままのレミエルを置いて、外に出た。瞬間、眩しい日の光が目を刺した。

 秀は、疲労感から意識を朦朧とさせていたが、日の光のおかげではっきりしてきた。光を浴びているうちに、だんだんと自分のやっていたことを思い返して、自分の部屋から少し離れたところにある柱に、思い切り頭を打ち付けた。

 

「俺は、今まで何をやっていたんだ。あれじゃあ、何の解決にもならないじゃないか」

 

 秀は、何度も何度も頭を打ち付けた。額を切ったところで、背後から声をかけられた。

 

「あの、お困りですか? 恋の相談でしたら、私が乗りますわよ?」

 

 秀はハッとして振り向くと、そこにはスタイルのいい、気品ある雰囲気を醸し出している、赤髪の女性がいた。その姿には見覚えがある。T.w.dが青蘭学園を攻めてきた時に、共闘していた記憶があった。

 

「あんたの名前、フェルノ・ガーディーヴァだっけ?」

 

「そう言うあなたは、上山秀君ですわね? 誰かに頼り辛いことでも、勇気を出して頼れば解決することもありますわよ?」

 

 フェルノに言われて、秀はハッとさせられた。思い返せば、赤の世界に来てから、青蘭学園で出会ったレミエル以外の仲間と話すらしていない。そもそも姿を見ていなかった。あずさ達がいるということは分かっているのだが。

 

(何で今まで、あいつらに相談しようと思わなかったのだろう。あいつらも、レミエルが信頼できる人たちだろうに)

 

「ありがとう、ガーディーヴァ。俺は、レミエルのことで頭がいっぱいで、少し盲目になっていたようだ」

 

「いえいえ。困っている方を助けるのは当然でしてよ」

 

 フェルノが胸を張る。秀が別れを告げてその場を立ち去ろうとした時、フェルノが悪戯っぽい笑顔を見せて言った。

 

「レミエルちゃんとの関係、後で詳しく聞かせてくださいましー」

 

 秀は赤面しながらその言葉を無視。早足で、レボリューション部のいる部屋に行った。その頃には、もう顔も元の色に戻っていた。

 秀が部屋のドアをノックすると、あずさの返事が聞こえて、ドアが開けられた。目の前にあずさが現れ、彼女の後ろにはレボリューション部の面々と、セニアとカレン、そしてアインスがいる。あずさは一瞬目を丸くしていたが、ごまかすように笑顔を浮かべた。

 

「あれ、秀じゃない。今トランプで遊んでるのよ。秀もやらない? レミエル呼んでさ」

 

 あずさが背後を見やりながら秀に言う。トランプ遊びは魅力的ではあるが、秀にとって今はそれどころではない。

 秀は息を吐いて、あずさを見つめて告げる。

 

「そのレミエルのことで、相談があるんだ。皆、力になってくれないか」

 

        ***

 

 あずさの部屋の床で胡座をかく秀を囲むようにして、あずさ達が床に座る。できるだけ声が漏れないように、ドアは閉めてある。シャティーは、座るとすぐさま口を開いた。

 

「レミエルについての相談って、ガブリエラ様の企てが絡んでる?」

 

 秀はぎょっとして、シャティーに詰め寄った。まさか事情を知っている者がいるとは、夢にも思わなかったからだ。

 

「お前も関係してるのか?」

 

 秀の問いに、シャティーは首を横に振った。そして、「噂話を聞いただけ」と言った。二人の間に、あずさが割って入って尋ねた。

 

「ねえ、その企てってなに?」

 

 あずさ達に、秀は要点をかいつまんで、ガブリエラのしていたことと、それを知ったことによるレミエルの変化を話した。

 

「俺は、あいつを助けたい。でも、俺から言おうとしても、あいつは、もう都合の悪いことは耳に入れようとしない。だから、俺以外の誰かに頼りたいんだ」

 

 秀が言うと、その場に重苦しい沈黙が漂う。説得できる自信が無いのだろうか。誰も下を向くばかりで、顔を上げて立候補しようとしない。

 

(仲間と言えど、この相談は難しかったか)

 

 秀がそっと立ち上がろうとした瞬間、アインスが手を挙げた。その場の誰もが、彼女に注目した。一番立候補する可能性の無さそうな者が立候補したからだろうか。

 

「恩を返すのは今まさにこの時。それに、私も最初のエクスペンドとして、途中まで統合軍に作られた人生を歩んできた。似た境遇を持つ私なら、レミエルを説得できると思う。だから、私にやらせて」

 

 そう訴えるアインスの瞳を、秀は見つめる。その奥から、強固な意志を感じ取った。

 秀は立ち上がって、アインスに手を差し伸べた。

 

「助けに行くぞ」

 

 秀が告げると、アインスは頷いて、迷うことなくその手を取った。小さな手だった。とても、最強のエクスペンド——統合軍によって人工的にエクシードを付与された存在——とは思えないくらいに、華奢で、柔らかかった。

 

        ***

 

 秀とアインスが去った後、誰も言葉を発さなかった。その中で、あずさは考える。なぜ、レミエルを説得すると名乗り出ることができなかったのか。いくら考えても見当がつかない。

 

(自信がなかったから? それも違うな。いつものあたしなら、それでもレミエルを助けようとしたはず。なのになんで?)

 

 いくら自問しても答えは出ない。他の要因が無いか視点を変えてみることにした。

 

(レミエルは大事な友達。気弱だけど、やる時はちゃんとやる。敵を圧倒できる力も持ってる。それが少し羨ましい)

 

 あずさは、レミエルと自分の関係を再確認すると、次は秀のことを思い浮かべた。

 

(秀は、世間知らずで、人をからかいたがる悪い癖が有って。でも、根は優しくて、自分より他の人のことをいつも考えていて。そんなあいつがかっこ良く思えていたんだ)

 

 そこまで考えて、ようやく、あずさはレミエルを助けようとしなかった理由がわかった。秀に横恋慕している。秀のことを考えると、胸が高鳴ってしまう。思えば、初めて会って秀をレボリューション部に勧誘し、断られた時に感じたやるせなさは、恋心の前兆だったのかもしれない。

 

(初対面で惚れるなんて、あたし軽いのかな)

 

 あずさは自嘲するように笑った。そうすることでしか、気を紛らすことができなかった。私情で友達を見捨てるような真似をした自分が、恥ずかしく思えたからだ。

 あずさは、心の中でレミエルに詫び続けた。しかし、そうしている自分もまた、情けなく思えてきた。

 

「やっぱり、あたしもレミエルを説得しに行こう」

 

 無意識にあずさの体が立ち上がっていた。その場の皆の視線が、あずさに集中する。

 

「あたしたちとレミエルは友達だ。困ってたら、自信なくても助けに行くべきじゃないかな、みんな」

 

 あずさはユノたちにそう告げた。すると、ばらばらと皆々が立ち上がった。

 

「私は、アンドロイド故、想定されていない状況には対処できないと、言いだせませんでした。しかし、説得はダメでも、拳で伝えることはできます。だから私はそれをしようと思います」

 

 カレンが拳を鳴らしながら言った。側でセニアも頷いている。どうやら彼女もカレンと同じ考えのようだ。

 

「私も、失敗することばかり考えて、どうしようって空回りしてた。だけど、それじゃダメだよね」

 

 ユノが目を伏せて呟いた。ユノがレミエルを見捨てたわけじゃないと分かって、あずさは少し安心した。

 

「私は言葉下手だからって、逃げてた。だけど、あずさの勇気に心を打たれた。だから助けに行く」

 

 シャティーがいつもの仏頂面で言った。けれど、その瞳には強い意志が宿っていた。

 

「私は、一度目の前で大切な人を亡くした。助けられなかった。下手したら今回も生死が関わってくる。助けられるなら助けたい」

 

 由唯は拳を握り締めて言った。メルトの死という、由唯にとって最も悲しい出来事が、由唯を強くしていた。

 それぞれ、言い分は違えど、考えていることは同じようだ。あずさは何も言わずにドアに向かった。あずさは、彼女の背中に皆が付いていくのを感じとった。

 

        ***

 

 レミエルは、未だ無くならない、快感の海に溺れていた。秀が一旦部屋から出たことくらいは認識できたが、それ以上の思考は、快楽が邪魔してできなかった。

 体中がゾワゾワしている。レミエルはこの上ない幸福感と満足感を覚えていた。

 そのまま眠りに落ちそうになった時だった。部屋のドアが、勢い良く解放された。眩しい光が差し込んでくる。ドアのところには、ひとつの人影があった。逆光で誰かはよく分からない。その人影はドアを閉めると、ゆっくりと歩み寄って来た。まだ頭がぼんやりしていて、誰か分からない。

 その人影が、すぐそばまで来ると、いきなり首を掴まれ、ベッドから引き摺り下ろされた。

 

「あなたは何をしているの!」

 

 蹴られる感触と共に聞こえた怒鳴り声で、レミエルは覚めた。そして、その人影の判別もついた。

 

(アインス、さん?)

 

 暴力を受けたことよりも、まず何故アインスがここにいるのかという疑問がわいた。レミエルにとって、ここは自分と秀だけの領域。他人が入ってはいけない場所だ。

 そんなことを考えていると、アインスがまた首を掴んで、今度は持ち上げた。

 

「今のあなた、とても臭い。私の知ってるレミエルは、気が弱いけど根はしっかりした強い人だった。だけど、今私の目の前にいるのは、ただの抜け殻」

 

 レミエルには、アインスの言葉は聞こえていなかった。ただ、邪魔をされたといういらつきしかなかった。レミエルは窒息しそうになりながらも、絞り出すように声を出した。

 

「邪魔を、しないで。この部屋は私と秀さんだけの場所なんです。他の人が土足で上がる余地は無いんですよ」

 

 レミエルが言い終えた刹那、アインスの表情が消えていく。レミエルは、彼女に本能的な恐怖を覚えていた。アインスは最強のエクスペンドだということを、レミエルは彼女の雰囲気だけで思い知らされた。

 アインスは、レミエルの頭を、首を掴んだまま床に叩きつけた。そして手を離すと、その血で赤く染まった金髪の頭を、軍靴を履いた足で踏みつけた。レミエルは否応なしに床の味を感じた。それは、まごうことなき鉄の味、つまり血の味だった。

 アインスが踏みつけたまま告げる。

 

「現実逃避を続けるなら、このまま死んでしまった方がまし。あなたが死ぬまで、ずっとこうして頭を押さえてあげるから」

 

 この時、レミエルは怒りを覚えた。自分のことを知らないはずのアインスに、このようなことを言われる筋合いは無いと。

 

「何も知らないくせに。今の私は本当の私ではなかったんです。私は作られた人生を歩まされてたんです。そうされなければ、もっと幸せな人生を送れたかもしれない。こんな性格になることもなかったかもしれなかったのに」

 

「そのことは知ってる。聞いたから」

 

 レミエルが、誰からかと問う前に、アインスが続けた。

 

「私も、気づいた時にはエクスペンドだった。改造を受ける前の記憶は無い。それで、最初のエクスペンドとして、統合軍の用意した人生を歩んできた。私もあなたとほぼ同じ」

 

 そう言うアインスに対し、レミエルは反駁しようとするが、アインスはその前に言葉を重ねた。

 

「今の私が本当の私じゃないと知った時、私は絶望なんかしなかった。特に気にも留めなかった。その時の境遇に満足していたわけではないけど、その時の自分を否定しても、もう私という人間は、作られてた。だから、否定したら立ち止まるだけで、前進することも後退することもできなかった。私は自分を受け入れる道を取った」

 

 アインスが淡々と語る。レミエルは、床に頭を押し付けられたまま、黙ってそれを聞いていた。

 少しの静寂の後、アインスは先ほどと同じ調子で話し始めた。

 

「私の選択が絶対に正しいとは思わない。だけど、レミエルの選択は絶対に間違っている。もう一度考え直して」

 

 そう言われて、レミエルは己を顧みる。考えてみれば、レミエルは他の自分を知らない。定められた人生を歩んだ自分が、他でもないレミエル自身だ。それに、青蘭学園に来てから仲良くなった人たちは、その作られた自分しか知らない。秀もそうだ。

 そう考えると、己の存在意義を無くしたわけではないと思えた。レミエル自身は人形と思っているが、秀たちは、レミエルという一個人として見ている。秀の恋人で、レボリューション部の皆や、カレン、セニア、アインスたちの友人であることが、存在意義であっても良いではないか。

 

(じゃあ、こうして悩むことも、無駄だったんだ。あの人の意志とは関係なしに、私が私の意志で作った友達がいる。私のアイデンティティがそれじゃダメなんてことは無いはず!)

 

 レミエルは、アインスの足首を掴んだ。そして、強引にそれを頭から退かした。

 

「改心しました。私は、今の私を受け入れる。ガブリエラ様達のことは絶対に許さないけど、今の私が生きる意味を見つけられた。だから、私はもう自分を見失ってない。私は私として、みんなと頑張りたいです」

 

 レミエルはそう言いながら立ち上がった。そして、ドアの方にゆっくりと近づいていく。

 

「まず、一番迷惑をかけた秀さんに謝らなきゃ」

 

「レミエル、待った。そのまま出ちゃいけない」

 

 アインスが警告するが、レミエルにはその意味が分からない。ゆえに、「嫌です!」と振り切った。今すぐ謝りに行かなければ気が済まない。

 レミエルは、ドアノブを強く押し込んで、勢いよく解放した。するとそこには、あずさたちレボリューション部と、カレンとセニアが目を丸くして立っていた。顔も赤くしている。

 レミエルは不思議に思っていると、肌で直に空気の流れを感じた。それで、レミエルは自分が裸であることに気づいた。急いで部屋に戻って、アインスを追い出して服をせっせと着た。焦っていたせいか、パンツに足を通すことさえ一苦労した。

 十五分くらいかけて、やっと着終わって、ドアノブに手をかけると、「いつものレミエルだ」と扉の向こうで談笑しているのが聞こえた。

 

(本当に戻ることができたんだ。いつもの私に)

 

 レミエルは、ゆっくりとドアを開けた。先ほどの面子に加えて、アインス、そして秀がレミエルに微笑みかけていた。そして、彼らが一斉に息を吸って、

 

「おかえり、レミエル」

 

 温かみを感じさせる、柔らかなハーモニーだった。それを受けて、レミエルは思わず泣きそうになってしまったが、涙と嗚咽を堪え、精一杯の笑顔で秀たちに告げた。

 

「ただいま、みんな」



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堕天

 自室の真ん中で、秀は、顔を真っ赤にし、正座して口をもごもごさせているレミエルと向かい合ってあぐらをかいている。アインスたちに見守られながら、中々話し出さないレミエルを見つめていた。

 この状況を用意したのはレボリューション部の面々だが、どうしてもレミエルが、自分の口で謝りたいということらしい。秀に心労をかけさせたことについて、責任を感じているようだ。

 レミエルは意を決したように表情を固めると、勢い良く床に手をついて土下座をした。

 

「迷惑かけてすいませんでした!」

 

「許す」

 

 秀は即答した。もとよりレミエルを責める気は無かったし、レミエルが復活したならそれでよかったからだ。

 秀が告げると、レミエルは顔を上げた。その顔がぱあっと明るくなると、秀に抱きついてきた。

 

「ありがとうございます、秀さん!」

 

「レミエル、変わったなお前」

 

 秀はレミエルの背中に手を回して、呆れながらに告げた。以前のレミエルなら、礼は言っても、抱きついてくるほど積極的でなかったはずだ。

 

「やっぱり大人になったってことでしょうか。たくさん、たくさん可愛がってくれましたしね」

 

 レミエルがさりげなく言った、その言葉で、場の空気が一瞬で気まずくなった。誰もどう反応すればいいかわからないようだ。

 しかしセニアだけ、レミエルに食いついていた。セニアはレミエルに詰め寄って尋ねる。

 

「大人になる、と、可愛がる、との間にどういう関連性があるのでしょうか。詳しく聞かせてください」

 

「どうしても言わなきゃダメかな」

 

 レミエルは、体を少しのけぞらせて、セニアから目を逸らした。その視線は、微妙に秀に向いている。何かを期待している視線だ。

 

(俺に助けを求めてるのかこいつ)

 

 秀は表情を消して、レミエルに「いやだ」と目で訴えた。レミエルが目を潤ませるが、秀は無視する。すると、レミエルは恨めしそうな目で秀を睨んだ。

 しかしすぐに、レミエルは、急にハッとしたように立ち上がると、部屋の外に駆け出していった。慌てて、秀はそれを追いかける。

 

「どうしたレミエル!」

 

 秀はレミエルの背中に向かって問うた。建物の外まで走ると、レミエルは立ち止まり、秀に振り向いて告げた。

 

「T.w.dが来ます。私の感覚が、(ハイロゥ)に大勢の者が接触したのを捉えました」

 

 レミエルはそう告げて、一瞬でいつもの紫の装束を纏い、左肩に金色の翼を広げ、左目を十字の入った金に変化させた。

 

「時間がありません。飛びます」

 

 レミエルが杖を秀にかざす。すると、秀は、青蘭島脱出の時にも使ったカプセル状の結界の中に入れられた。

 レミエルが飛び立つと、それに自然と秀が入った結界も追随する。眼下にはテラ・ルビリ・アウロラの街並みが見える。何も知らずに、誰もが不気味なくらいにニコニコ笑いながら生活している。何か裏があるのではと疑り深くなってしまうくらいだ。

 そのようなことを思うと、秀は街から目を逸らし、門の方に向いた。秀には何も分からないが、レミエルの言うことが確かならば、その向こうにはT.w.dの軍勢がいる。レミエルが誰にもそのことを言わなかったことに関しての真意は掴めない。

 レミエルは門の前で停止すると、秀にリンクを促した。言われた通りに秀がレミエルとリンクする。すると、レミエルは杖を体に引き寄せ、目を閉じて、祈りを唱えた。

 そうして起こったのは、雷を纏った、巨大な剣の顕現だった。そして、レミエルは自らを落ち着かせるように呟く。

 

「剣先は絶対に下に向けない。街には危害を加えないように」

 

 レミエルは目をカッと見開くと、ちょうど槍投げ選手のように、剣の柄を持った。

 そうしていると、やがて門から、青蘭島での戦闘の際、嫌という程見たT.w.dの戦闘服を着た軍勢が現れた。その瞬間、レミエルは門に向かって剣を投げた。その剣は門と衝突し、眩い光を放ちながら、徐々に徐々に消えていった。その光に呑まれた敵は、次々に、音も立てず消えていった。

 終には、テラ・ルビリ・アウロラの空には、二人の姿だけが残った。

 

        ***

 

 元青蘭学園校長室で、現T.w.d総統室。ブラインドは閉められていて日の光が少なくなっている。そこの、かつて青蘭学園の校長が座っていた椅子。それにマントをかけて、鎮座しているアイリスは、先発部隊の全滅の報をアルバディーナから受けると、したり顔で呟いた。

 

「保身だけを考えて裏切るような奴が、この先上手くいくはず無いんだよ」

 

 アルバディーナが顔を少し顰めるが、アイリスは気付きながらもあえて無視した。

 

「さ、各部隊に通達して。これからテラ・ルビリ・アウロラへの侵攻を始めるって。今回は私も前線に出るよ」

 

「ちょっとアイリス」

 

 アルバディーナは憤慨した様子で、アイリスに詰め寄った。

 

「青蘭学園から離反して来たあの子たちに関してだけど、いくらあなたが裏切る、という行為を嫌ってるとは言え、あまりにも処理が雑すぎる。他の手はなかったの?」

 

 アルバディーナは、アイリスの顔に息がかかるくらい接近している。どうやら、だいぶ癇に障っているらしい。

 

「あれは赤の世界の人に、私たちの戦力を誤解させるためだよ。青の世界から逃げてきた人たちは私たちを知ってるけど、赤の世界の人は、そういう人から伝え聞いても実際の目で見たものを信じるだろうからね」

 

 アイリスは、アルバディーナに気圧されることなく、面と向かって言った。対し、アルバディーナは唾がかかるくらいに怒鳴った。

 

「そういうことじゃない! ひと通りの訓練を受けさせて、戦闘員として戦力の補充をするとかいう、有用な選択肢はあなたに無かったの?」

 

「裏切り者を使ったら、いつ私たちを裏切るか分からないじゃん。いくら能力が優れていても、そんなのに私は背中を貸す気になれないね。みんなだってそう思ってるんじゃない?」

 

 アイリスがそう返すと、アルバディーナは言葉を止めてしまった。そこに、アイリスは更に続けて言った。

 

「それに、アルバディーナも分かってるはずだよ。このT.w.dは信頼によって成り立つ組織だって。裏を返せば、全員の信頼に足る人物以外は、みんないらないってこと。私の言いたいことは分かるでしょ」

 

 アルバディーナは黙っている。彼女の眉間には皺が寄っていて、簡単にアイリスの言うことを認めたくないと見える。やがて、折れたように大きなため息を吐いた。

 

「分かったわよ。けど、次にこういうことがあったら、もう少し考えた使い方をしてくれる? 兵力も、人材も無限にあるわけじゃないのよ」

 

 アイリスは、その頼みを了承した。アイリスは感情が前に出がちなことを自覚してはいるから、アルバディーナの言うことは、合理的に考えればもっともであった。

 その後、アルバディーナが退出しようとした時、アイリスはその背中に告げた。

 

「ひとつ補足させてもらうと、裏切り者全体が許せないんじゃなくて、裏切った後に自分に降りかかってくることを、いいこと悪いこと全部含めて覚悟せずに裏切るやつが嫌いなんだ。それだけ、覚えていて」

 

 アルバディーナは、半身振り返って、「わかったわ」とだけ返事をして、部屋から出た。

 彼女の足音が聞こえなくなったところで、アイリスは大きなため息をついた。最近、アルバディーナとは意見が噛み合わないことが多い。アイリスはT.w.dの人員の感情に配慮した考えを、アルバディーナは組織のための、合理的な考えをすることが多い。これらのうちどちらが正しいとは、アイリスには判断がつかない。

 

「やっぱり議会とか作った方がいいかな。昔は私の一存で組織を回せたけど、そういうわけにもいかなくなってきたみたいだし。理想の実現のためにも必要だよね、きっと」

 

 そう呟いて、議会の構想を練ろうとしてしまったところで、はたと我に返った。議会よりも、もっと重要なことがある。真の理想の実現のために。

 

「もうすぐ出撃の時間だ。みんなが待ってる。議会の設立は、色々なことが落ち着いてからにしよう」

 

 アイリスは椅子から勢いよく立って、マントを豪快に羽織り、校長室のドアを勢いよく開けた。ドアノブは妙に軽かった。はてなとドアの外を伺うと、少し驚いた様子のリーナがいた。目が合うと、彼女は機敏な動作で姿勢を整え、敬礼した。

 

「総統殿がいらっしゃるのがやや遅いと感じて、私の独断で呼びに行こうとお思いした次第であります。お気に障りましたら、何なりと処罰を」

 

「いや、大丈夫だよ。問題無い」

 

「ありがとうございます」

 

 リーナは深く一礼した。それから、アイリスとリーナは講堂に向かった。その道中で、アイリスはリーナに話しかけた。

 

「人間解放軍のみんなには居留守を任せてるから、なんだか悪いね」

 

 その言葉に、リーナは前を向いたまま堅苦しい言葉遣いで答えた。

 

「いえ、本隊のいない本拠地をお守りするのも立派な務めのひとつであります。青蘭学園は我々に任せて、総統殿は思う存分暴れてくださいませ」

 

「そう言ってくれると嬉しいよ」

 

 アイリスは短く受け答えした。前を見れば、講堂の扉はもう目前だ。彼女の理想の実現に最も必要な、絶対に失敗できない闘いが、幕を開けようとしている。

 

        ***

 

 レミエルは、報告のためにユラの神殿に行った。テラ・ルビリ・アウロラのシステムとして、何かしらのトラブルがあった場合には、その関係者などが、近くの神殿の主の女神に知らせ、その女神である程度解決できたら、七女神の元に知らせる、というものらしい。とはいえ、レミエルがほぼ解決してしまったも同然なので、報告のみで終わる。

 レミエルが報告から帰ってくるまでの間、秀は待ちぼうけだ。とりあえず、秀は街を歩いてみることにした。一人で歩くことで、何か見えるかもしれないと考えたからだ。

 相も変わらず、殆どの人が出来すぎている程に、顔に笑みを貼り付けている。秀は、その考えは思い込みかもしれない、と少なからず思っているが、やはり不気味さを禁じえなかった。

 十分ほど歩いただろうか。気が付けば、レミエルの実家の前にいた。街の住人で唯一、知っている人がいるところだからだろうか。秀には自分でも納得できるような理由付けが出来なかったが、深く考えないようにした。

 目的も無いが、せっかく来たのだからと、秀はノックしてみた。すると、すぐ返事が聞こえて、木が軋む音がして、木のドアが開いた。

 

「あれ、あなたが来るなんて」

 

 レミエルの母は、秀の来訪が意外だったのか、弛んだ目を丸くしていた。

 

「なんとなく。話題も無いが、できたら話がしたいと思って」

 

 秀は少し緊張して、素っ気ない声でそう言った。しかし、レミエルの母は快くリビングに通してくれて、椅子に座ることを勧めた。秀は、何も考えずに座った位置が、前にレミエルと共にこの家に来た時に、レミエルが座っていた場所だと気付いた。

 しかし、それについては深く思考せず、秀を通した後、茶を出すためにキッチンに入った、レミエルの母の後ろ姿を見つめていた。ふとその姿が、いつかのカミュの姿と重なった。

 それで、秀はカミュのことを思った。彼女の細かい表情や仕草、頭をかき撫でる手の動きや、太ももの感触。それらが、奔流の如く秀の心の内を駆け巡った。だが、その末に想起したのは、白い軍服を返り血で赤に染め、血の滴る日本刀を携えたカミュの姿だった。敵としての、T.w.dとしての彼女。秀が最も忌避した彼女を、思い出してしまった。それで、夢想は終わってしまった。

 

「大丈夫?」

 

 我に帰ると、レミエルの母が秀の顔を覗き込んできていた。言われて、秀は自分が涙を流していたことに気がついた。

 

「目にゴミが入っただけだ、気にするな」

 

 秀は平静を装い、涙を急いで拭いた。それを見たレミエルの母は、ふっと笑って、ティーポットとカップをテーブルに置いて秀の向かいの席に着いた。

 

「そういうことにしておくよ」

 

 そう言いながら、レミエルの母が茶をカップに注ぐ。彼女はおもむろにその茶を飲むと、口を開いた。

 

「あの子は、あれからどうだい?」

 

 きまりが悪そうな表情をしながら、レミエルの母は尋ねてきた。あの子とはレミエルのことだろう。経緯を細やかに話すと、レミエルの母の反感を買うかもしれないと思い、秀は簡潔に話すことにした。

 

「ついさっきまで紆余曲折あったが、今は元気だ。ただ」

 

 秀はこの先を言おうか迷った。この先に言おうとしていることはあくまで秀の憶測で、間違っている可能性も否めない。

 数秒悩んだ挙句、秀は続けることにした。

 

「あんたやユラ達のことは、多分許していない。そもそも、あれからあんた達に関することを何一つあいつは言っていない」

 

 秀が言い終えると、レミエルの母は、何かに耐えるように、拳を握りしめていた。だが、少ししてからその手を開いて、秀を真っ直ぐに見つめて告げた。

 

「どんな形でもいいから、私はあの子の幸せを第一に願ってる。たとえあの子が私を殺しに来たって、最後まであの子が幸せになることを祈る。軽いって言われるかもしれないけど、これが、あの子から幼少期の幸せを奪った、私の罪滅ぼし」

 

 秀は、レミエルの母の言葉を反芻してから、席を立って告げた。

 

「あんたの言葉、確かに受け取った。それと、やっぱりあいつは、あんたと腹を割って話すべきだ。今度ここに来るときは、あいつも連れて行く」

 

「本当に、連れて来てくれるのかい」

 

 レミエルの母は、震える声で秀に尋ねた。秀はそれに頷きを返す。すると、レミエルの母は安堵したようにため息をついた。

 それから、何気ない世間話を小一時間ほどして、秀はレミエルの家を後にしてユラの神殿への帰路に着いた。五分くらい歩くと、秀を呼ぶレミエルの声が、後ろから聞こえた。

 振り返ると、私服のレミエルがそこにいて、少し怒ったような表情を浮かべていた。

 

「探しましたよ。勝手にいなくならないでくださいよ」

 

「それは悪かった。報告は済んだみたいだな」

 

「はい」

 

 秀には、そう答えるレミエルの表情に、少し翳りがあるように見えた。そのことを尋ねると、レミエルは一瞬虚をつかれたように顔を固まらせたが、すぐに「なんでもないです」と答えた。秀は、その表情の変化が気になったが、特に追求しないことにした。今はレミエルの精神が安定してきているとはいえ、まだ安心できない。みだりに彼女の心を惑わすようなことを言うのは避けるべきだ、という判断を下したからだ。

 二人がユラの神殿に戻ろうと方向を変えた。すると、青年から老人まで、およそ十数名のテラ・ルビリ・アウロラの住民たちが、秀たちの前に、道を塞ぐように立っていることに気がついた。彼らの視線は、少なくとも好意的なものには思えなかった。

 そのうちの一人の青年が、古代ギリシア調のゆったりとした服を風に靡かせながら、おもむろに歩み寄ってきて、秀には想像もつかなかったことを言った。

 

「あんたたち、余計なことをしてくれるなよ」

 

 秀は目を白黒させた。青年の言う「余計なこと」の心当たりがつかない。混乱している秀をよそに、さらに青年は続けて言った。

 

「我々住人には抵抗の意思は無い。ふざけたことをしないでくれ」

 

「彼らが世界水晶を望むならば、我々は喜んで差しだそう。争いが起きないならばそれで構わない」

 

 青年に続いて、一人の老人が理解に苦しむことを言った。

 秀は、彼らの考えが分からなかった。確かに、レミエルは門から到来したT.w.dの軍団を問答無用で全滅させた。確かに、そのことには非があると言われても仕方が無いから、それを責められるなら理解できた。しかし、抵抗の意思も無く、世界水晶に対する執着も無い。そのような彼らの考えが信じられなくて、ついに秀は耐えかねて怒鳴ってしまった。

 

「お前たちは頭がおかしい! 侵略者に対して抵抗の意思もなく、世界の象徴とも言える水晶を差し出すなどということが、どうして簡単に口にできるんだ!」

 

 しかし、秀の言葉は住人たちには届いていないようで、彼らは不思議そうな目で秀を見ていた。そのことが、さらに秀の怒りを掻き立てた。

 

「お前たちは自分たちの世界をなんだと思っているんだ。ただ居住するためだけの場所か!?」

 

「愛すべき故郷だ」

 

 秀の言葉に誰かが答えた。その答えはまるで火に注がれる油のように、秀の剣幕を激しくした。

 

「だったら! たとえ自分の命を犠牲にしてでも、自分たちの世界の盾になろうとするのが普通だろう! お前たちが最も愛するのは世界の光景か? そうじゃないだろう」

 

 秀はさらに捲し立てようとしたが、レミエルが秀を抑えるように秀の手を掴んで、秀に耳打ちした。

 

「この人たちに何を言っても無駄です。だから秀さん、抑えて」

 

「どういうことだ」

 

「あの人たちは根っからああいう考えをするように刷り込まれてるんです。だから、あの人たちが自分自身の認識を変えようと心の底から思わない限り、私たちにはどうすることもできません」

 

 そのレミエルの言葉で、秀はさらに混乱した状態に陥りそうになった。しかし、いちいち意味不明なことについて考えるの馬鹿らしいと思い直して、頭を一度落ち着かせようとした。だが、一度血が上りきった頭がすぐ落ち着くはずもなく、また、言い始めた意見を途中で止めるのは、非常に気分が悪かった。

 

「お前の言うことは分かった。だがひとつだけ言わせてくれ」

 

 秀はレミエルの手をどけた。レミエルは観念したのか、再び止めようとはしなかった。

 心の中でレミエルに礼を言いながら、秀はテラ・ルビリ・アウロラの住人たちに軽蔑の目線を向けて言い放った。

 

「故郷を守るというのは、たとえ全滅してでも、その地に根付いた文化や伝統、誇りを守り抜くことじゃないのか!? その気が無いお前たちなど、人間の屑だ。犬畜生以下の、生きている価値の無いクソッタレだ!」

 

 秀が言い切ったその時、住人たちの秀に対する視線が変わった。敵意の消えた、しかし、まるで障害者を哀れむような、秀にとって陵虐的な視線だった。

 

「きっと戦い疲れて気ちがいになってるのよ」

 

 一人の中年女性がそう言った。その一言が、さらに秀の神経を逆撫でした。いよいよ我慢できなくなって掴みかかろうとしたその時に、急に住人たちが道を開けた。秀は何かあったのかと開けた道の先を見ると、ユラがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 彼女は住人たちを一人一人一瞥しながら歩いてきて、秀の前で立ち止まった。

 

「話があります。ついて来てください。それから、レミエルも」

 

 そう言って、すぐユラは踵を返して神殿に向かって早足で歩き出した。秀もその背中について行こうとしたが、レミエルは、躊躇っているように足を地にべったりと付けていた。恐らくはついて行くのが怖いのだろう。

 

「レミエル。行きづらいのは分かるけれど、ここにいるよりは余程マシだろう」

 

 秀は言い聞かせるように言った。すると、レミエルは渋々といった感じで、秀の手に指を絡ませてきた。手を引け、ということだろうか。レミエルは何も言わない。ただ、目を伏せて頬を染めているだけだ。

 秀はやれやれ、と微笑して、レミエルの手を引いた。歩幅は小さく歩みも遅いが、レミエルはちゃんとついてきた。

 やがて、古代ギリシアの神殿のように、突き出た屋根を五、六本の巨大な石柱が支えている、ユラの神殿の入り口まで来ると、ユラがため息を吐いて立ち止まった。

 

「ここまで来れば安心でしょう。話を聞かれる心配も無いはず」

 

 それからユラはまず秀たちに謝ると、日の光が映える漆喰の町並みを眺めながら、物憂げに話し始めた。

 

「あの人たちは、平民階級の戦闘能力の無い人たちは、みんなああなんです。ただ、平和を病的なまでに求めるのは彼らだけです。私たちのような戦闘能力のある者はこの世界を守る義務がありますから、あのような考えを据え付けられることはありません」

 

 そのユラの言葉を聞いて、秀は少し安心した。全員が全員、あのような屑にも劣る考えをしていないのだと思うと、救われるような気分にもなった。

 

「話らしい話は以上ですね。話がある、というのはあなたとレミエルをあの場から遠ざけるための方便ですし。何か聞きたいことはありますか?」

 

 まるで、それがあることを確信しているような尋ね方だった。秀は頷くと、単刀直入に聞いた。

 

「なんの目的があって、あの連中に据え付けたり刷り込んだりしている?」

 

 ユラはすぐそれに答えようとして、やめた。秀がどうしたのかと思っていると、いきなり秀の手を引いて、一番端の石柱の影に連れ込んだ。その際、一瞬だけレミエルの目が禍々しく光ったような気がした。

 

「他の世界出身の者に話していいのか分かりませんが、話さねばあなたは納得しないでしょう。露見しても大事ないとは思いますが、くれぐれも内密に」

 

 ユラが声を潜めて耳元で囁いた。秀は小さくかぶりを振って同意を示した。

 ユラの話はこうだった。遥か昔、テラ・ルビリ・アウロラの住人たちは野蛮で、争いが絶えなかったらしい。その頃から七女神の統治がなされていたらしいが、実際のところ、その権威はあって無いようなものだった。しかし、住人がいくら争って死のうが、七女神には実害が無かったため、放置していたとのことだ。

 ところが、ある時から、住人たちが七女神の殺害を試みるようになった。その存在意義に、誰かが疑問を感じたのが発端らしい。最初は刺客が一人二人やってくる程度だったが、やがて老若男女を問わずテラ・ルビリ・アウロラ中の人間が一斉に七女神を殺しにきた。撃退はしたものの、その戦いの爪痕は凄惨で、生き残った住人はほぼおらず、世界もすっかり荒廃してしまった。そこで、七女神は世界を創りなおした。決して争うことの無いように、生まれた時から七女神の力によって狂気的な平和主義を刷り込まれた住人と、万が一反乱を起こした場合にそれを鎮圧できる力のある天使と妖精、下級女神と一部の人間を創りだした。これが経緯とのことだ。

 

「お前には悪いが、七女神が情け無い存在に思えてきた」

 

 秀は話を聞き終えた後、率直に言った。ユラは一瞬だけ顔を顰めたが、少しの間をおいてからため息を吐いた。

 

「私たちには七女神様への絶対的忠誠心が植え付けられてますから、全くそういう発想に至らないのですが、他の世界の人間にはそう捉えられるんでしょうね」

 

 ユラは肩を落としながら言った。彼女の言を聞いたとき、秀は、平和主義など刷り込まなくても忠誠心だけで良かったのではと思ったが、すっかり落ち込んでいるユラを見ていると、そのことを言うのが可哀想に思えてきた。

 

「じゃあ、俺は宿舎に戻るよ」

 

 秀がユラに背を向けて帰ろうとすると、

 

「待って!」

 

 ユラが秀の制服の袖口を掴んだ。彼女は目に涙を溜めて秀に視線を向けている。秀が戸惑っていると、ユラは縋り付くように体を寄せた。

 

「レミエルに、もう友達として接してこないでって言われました」

 

 秀は驚きを隠せずに、ただ目を剥いていた。ユラは秀の胸に顔を押し付けて、嘆くように吐露した。

 

「私が悪いっていうのは分かってます。あの子の人生を操作するのに加担していたんですから。でも、私はそれは最初だけで、仮の友達としてあの子と出会って一ヶ月を過ぎたあたりから、私はあの子を本当の友達として見るようになったんです。あの子も私を友達として見てくれてたから、計画が終わったら、裏表なくあの子と仲良くしたかったんです」

 

 ユラの言葉はそこで止まった。まだ何かを言おうとしているようだが、口から出るのは嗚咽のみだ。

 

「話はそれだけか?」

 

 秀はユラの頭を撫でながら困ったように尋ねた。ユラは秀の胸に顔を埋めたまま、小さく首を横に振った。落ち着くまで待ってくれということだろう。

 やがて、ユラは顔を上げた。まだ目は赤いが、視線に弱々しさは無かった。

 

「私は、青春をあの子ともう一度やり直したい。我が儘って言われてもいい。けど、心に裏表の無い、あの子と本当にやりたかった青春を、私はやりたいんです。そのためにも、あの子と仲直りしたい」

 

 ユラの言葉を聞いて、秀は少し考えてから、ため息を吐いておもむろに口を開いた。

 

「まあ、いざT.w.dと戦闘するってことになったときに、上と下でプライベイトなイザコザがあると困るしな。仕方ない。仲直りの場を作ってやるよ」

 

 そう言うと、ユラの顔がぱあっと明るくなって、彼女は深く頭を下げた。その行動に秀は戸惑って、そのことを隠すように場を離れながらユラに言った。

 

「ほ、ほら、丁度いいことにレミエルがまだ待っててくれてるから、早く行こうか」

 

 ユラは無邪気に頷いて、秀の後ろに着いた。

 秀は、ユラの様子に微笑ましく思う一方で、一抹の不安を感じていた。アインスのお陰でようやく外に出られたとはいえ、レミエルの今日の言動を見る限りだと、まだまだ彼女の精神は不安定であると思える。恐らくは秀がレミエルとユラの話に立ち会ったほうが何事もなく過ぎるのだろうが、腹を割って話させるのなら、二人だけの空気を作った方がいいかもしれない。

 そのような迷いも晴れぬまま、秀たちはレミエルの待っているところまで着いてしまった。仕方なしに、秀はレミエルが何か言う前に口を開いた。

 

「ユラが話したいことがあるそうだ。俺は宿舎に戻るから」

 

 秀はそう言うと、素早く宿舎に戻るフリをして、石柱の影に隠れた。こうすれば、うまく二案を折衷することができる。何かあれば、すぐに飛び出すつもりだ。

 秀は今にでも駆け出すことができるよう準備をして、息を潜めてレミエルとユラを見守ることにした。

 

        ***

 

 レミエルは、非常にストレスフルな状態にあった。大変鬱陶しい、胸中のわだかまりを感じる。原因は明白だった。秀とレミエルの母や、ユラとの会話を盗み聞きして、彼女らの姿勢を見ていると、己が今まで取ってきた態度が惨めに思えるのだった。

 

「あの、レミエル」

 

 ユラが恐る恐る話しかけてくる。悪意は無いと分かっているはずなのに、彼女の一挙手一投足が、レミエルの心に揺さぶりをかけてくる感じがした。

 レミエルは自分を制止しようとして、拳を握りしめて、下を向いて黙っていた。この態度を無視したと取ったのか、ユラは落胆したように肩を落とした。

 

「やっぱり、怒ってるよね。過去の私の非道な行為を顧みたら、当然だもの。でも、我が儘言うようで悪いけれど、私の話を聞いてくれる?」

 

 レミエルは、小さく頷いた。彼女にできる、精一杯の返事だった。ユラはレミエルが反応したのが嬉しかったらしく、少しだけ溌剌とした風で話し始めた。

 

「私、やり直したいんだ。あなたとの青春を。もちろん、これまでのことを水に流そうなんてことは言わない。けれど、あなたのことが大好きだから、このままじゃいられないんだ」

 

 ユラは一旦言葉を止め、勢いよく息を吸い込んで、深く頭を下げた。

 

「だから、ごめんね。謝って許されることじゃあないって分かってる。でも、一度でも謝らないと、気が済まなかったの。これで、私からはもう言うこと無いから、せめて、返事だけでもくれないかな?」

 

 レミエルの心で、苛立ちが激流となって渦巻き始めた。ユラも、母も、自分の過ちを認めつつ、それぞれ彼女ら自身の考えに基づいて前を向いて進もうとしている。それにひきかえ、レミエル自身は——。

 

「い、や」

 

 掠れた声が出た。涙が溢れてくる。拒絶してばかりの自分に嫌気がさしてきた。レミエル自身は被害者で、その権利があって、誰も、レミエルがその権利を行使しても責めることは無いと分かっている。だが、ユラと母の、受け入れて前に進もうとする態度を見ていると、拒絶して進もうとしている自分が、非常にちっぽけな存在に思われた。

 かつてレミエルを支配していた、劣等感が蘇る。気色が悪い。寒気がする。膝をついて頭を抱えた。青の世界で得た様々なことが、どんどん失われて、また以前の自分に戻っていく気がした。

 

「レミエル!?」

 

 ユラがレミエルの異常に気がついたのか、慌てて手を差し伸べてきた。その手がレミエルの視界に入った瞬間、レミエルは反射的に、その手を跳ね除けてしまった。

 その瞬間の、ユラの失意に満ちた泣き顔が、レミエルの脳に焼き付いた。その刹那、レミエルは激しい後悔を覚えた。そして、猛烈に居た堪れなくなって、天敵を目にした獣のように、一目散に逃げ出した。その時、背後から石に硬い何かが当たる音がした気がした。

 

        ***

 

 秀は、レミエルがユラの手を弾いたのを見て、すぐに飛び出そうとした。だが、何者かに羽交い締めにされ、阻まれてしまった。

 

「今あなたが出て行ったってどうにもなりません。諦めてください」

 

 聞き覚えのある声だった。振り解いて、犯人を見てみると、そこには真顔のエクスシアがいた。秀は、エクスシアが初対面の時に見せた、間の抜けた感じの態度とかなり違っていて、意外に思った。一瞬だけ呆然としていたが、すぐに我に返ってレミエルとユラの元に行こうとして、柱から体を乗り出すと、レミエルの姿はとうになく、立ち膝で虚空を見つめるユラの姿だけがあった。

 

「ユラに言葉をかけるのもダメですよ。私の方が付き合いが長いので、私が慰めます。ですからあなたは宿舎に戻ってください。くれぐれもさっきの出来事に関してレミエルに話さないように」

 

 まさにそうしようとしていた時に、エクスシアに右手首を掴まれた。そう言われては仕方がないので、秀は渋々とどまった。レミエルに先程のことについて話すな、と言うのも、冷静に考えれば合理的なことだ。恐らく、レミエルはあの場に秀がいたと知ってしまえば、更に精神が不安定になってしまうに違いない。悔しいが、放っておくか、事情を詳しく知らない者に任せるのが一番だろう。秀はそう判断した。

 

「分かった。大人しく宿舎に戻るよ」

 

 秀はエクスシアの手を振り解いて、踵を返して速足で宿舎に向かった。振り向きざまに、エクスシアが深く礼をしているのがはっきりと目に焼きついた。

 

        ***

 

 レミエルは涙を流しながら、ただただ走っていた。周りは見ておらず、行くあても無い。出来るだけ遠くへ行きたかった。

 体が疲労を感じ始めた時、誰かとぶつかった。その反動で転んだレミエルには、立ち上がる気力は無かった。体は起こしたものの、日に照らされて熱くなっている石畳の上で座り込んでしまった。

 

「あんなに走って、どこへ行きたかったの、レミエル」

 

 ぶつかった者から、声をかけられた。顔を上げるが、日の光の逆光で姿はよく見えないが、そのシルエットで、誰かは判別できた。

 

「シャティー」

 

「せっかく元気になったのに、また暗くなってどうするの」

 

 レミエルの、転んで一度止まった涙が、また流れ出してきた。そして、気がつけば、レミエルはシャティーに抱きついていた。

 

「助けて、助けて」

 

 弱々しく縋るレミエルの背中に、シャティーは優しく手を回した。親友とまではいかないが、なんのしがらみもなく、気の置けない友の優しさが、レミエルにはありがたかった。

 

「とりあえず、私の家に行こ? すぐ近くで、ちょうど帰りだったの」

 

 レミエルが泣き終えた頃に、シャティーがそう提案してきた。レミエルには断る理由も無く、また宿舎に戻るより気が楽だろうと考えたため、シャティーに合意した。

 その後数分歩いて、シャティーの家に着いた。外観も内部も普通のテラ・ルビリ・アウロラの民家で、漆喰の壁に囲まれた、一階建ての石造りの簡素な家だ。

 

「この家は私一人だから、気楽にしてていい」

 

 シャティーは何でもないように言いながら、リビングの中央のソファに座った。そして、シャティーは彼女の隣の、人一人座れるくらいのスペースのところをぽんぽんと叩いた。座れ、ということだろう。レミエルは頷いて、シャティーの隣に座った。そして、やって来たT.w.dを全滅させたところから、つい先ほどまでのユラとの会話のところまでを話した。話すことに抵抗はあったが、話さねば何も始まらない気がした。

 レミエルが話し終えると、シャティーは懐古するように、天井を見ながら語り出した。

 

「私にも、そういう時期があった。レミエルに比べたら軽いけど。アルドラに裏切られて、青の世界の人間を拒絶して、それで、それ以外の世界の人からも疎まれてた。居場所を失ったのは辛かったけど、それを口に出すことは決してなかった」

 

 レミエルは、その話をどこかで耳にしたことがあった。それで、彼女が青の世界の人間が主宰するレボリューション部に入ったのはおかしな話だと思ったことも思い出した。

 

「そんな時に、しつこく勧誘してきたのがあずさだった。最初は拒否したし逃げた。何か裏があるんだろうって。だけど、あずさは諦めずに勧誘してきた」

 

 不意に、シャティーがレミエルに視線を移した。その紫水晶のごとき瞳が、レミエルにはとても美しく感じられた。彼女のまなこに吸い寄せられるようだった。

 

「あずさの行動が、裏表のない、真心のこもったモノと分かった時に、私はあずさを受け入れて、レボ部に入った。それからの生活は幸せのひとこと」

 

 そう言って、シャティーは笑った。屈託のない、美しい笑顔だ。可憐とはまさにこのことだろう。

 

「レミエルは、ユラとよりを戻すか戻さないかの判断を、自分でするのに決めかねてるのよね」

 

 レミエルは頷いた。だから、どちらか一方に自分を押してくれる人を求めたのだ。

 

「私は、真心を以って、真摯に訴えてくれる人とは、仲良くすべきだと思う。勿論、その人と一緒にいることで、劣等感に苛まれることも多々あるかもしれない。だけど、その人はあなたのことを生涯愛してくれるはずだから、そういう人を大事にしていくべき」

 

 シャティーの言葉について、レミエルは考える。母にせよユラにせよ、レミエルがいないと思っているときに言ったあの言葉には、嘘偽りは無いと考えられる。そして彼女らの言葉から感じられたのは、彼女らの非道に対する後悔と、レミエルに幸せになってほしいという確かな願いだった。レミエルはその言葉を聞いたとき、確かに嬉しかったのだ。だが、それはすぐに、自身の、彼女らとは関わる気はないという無言の宣言、乃ちこだわりによって嫌悪感に変わり、劣等感を自覚させ、彼女らを拒否するに至った。俯瞰してみれば、何と陳腐なことをしていたのだろうと、レミエルは呆れた。可笑しくって腹がよじれそうだった。

 

「ありがとう、シャティー。私、仲直りするの頑張ってみるよ」

 

 レミエルがそう意気込むと、シャティーは嬉し恥ずかしといった感じで、顔を崩しながら頰を掻いた。

 

「その気になったようで嬉しい。今日レミエルを助けるのを、アインス一人に任せちゃったことの罪滅ぼしにもなる」

 

 シャティーはレミエルに対し罪の意識を抱いていたようだ。レミエル自身は、アインス以外の者が説得に来なかったことに、何の恨みも無かったのだが、責任を感じてくれたことは嬉しかった。

 レミエルとシャティーは互いに笑い合った。以前まで、呼び捨てで呼び合う仲と雖も、そこまで親しいわけではなかった。しかし、シャティーは真摯にレミエルを助けた。持つべきものは友達だという言葉が、レミエルには感慨深く感じられた。

 

「じゃあ、私行くね。まずは一番近いお母さんかな」

 

「うん。じゃ、そこまで送ってく」

 

 レミエルとシャティーが家を出たその時、少女の声がこだました。その声は、かつて青蘭島で聞いた、T.w.dの声明の声と同じであった。レミエルはハッとして空を見上げると、先ほどの者たちとは、発する雰囲気が明らかに違う、T.w.dの黒い装束を纏った集団が、門から日を背に降りてきていた。声と合わせて考えると、彼らがT.w.dの本隊だろう。レミエルは不覚にも、背筋が凍るような戦慄を覚えた。

 

        ***

 

 美海、ソフィーナ、ユーフィリアが、夕方のアウロラの神殿の中庭で、戦闘の特訓をしているところに、ルビーが血相を変えて飛び込んできた。

 

「ルビー、どうしたのよ」

 

 ソフィーナは、特訓を邪魔されたのが気に障ったのか、怪訝そうに尋ねた。

 対し、ルビーは血走った目で、息を上らせながら、ソフィーナたち三人に告げた。

 

「T.w.dがこの世界への侵攻を始めたそうよ。レミエルが撃退したって」

 

 三人は、雷撃を受けたように固まった。そして、すぐさま全員の表情が引き締まった。

 

「とうとう来たわね」

 

 ソフィーナは短く言った。そこまで動揺はしていない。青蘭島から脱出して、一週間あまりが経った今なら、T.w.dが来ても十分に考えられる。

 

「とにかく、アウロラちゃんのとこに行こうか。私たちに出来ることをしよう」

 

 美海が、四人の中心に立って言った。美海は、脱出前に比べれば元気になった。が、それが空元気かどうかは、ソフィーナには区別がつかなかった。 しかし今はそれを気にしている余裕は無く、また美海の提案に反対する理由も無いため、四人揃ってアウロラのところに向かった。

 その道中で、ルビーの頭の中にノイズが発生したような感覚がした。そして、聴覚を通じて、少女の声が聞こえた。

 

「T.w.d総統のアイリスだよ。七女神の最高神、アウロラとの対談を求める」

 

 アイリスと名乗る少女の声はそう響いた。この声は青蘭学園に放送を入れてきた時も聞いたが、その時とは雰囲気が少し違うと、ルビーは感じた。

 

「私がアウロラです。何をお望みですか」

 

 アウロラの、堂々とした声が聞こえた。七女神の最高神として相応しい、威厳溢れる響きだ。

 

「私たちは、赤の世界水晶と、一時的な赤の世界の実行支配権を望む。これらを受け入れられるのなら、赤の世界を戦場にするようなことはない」

 

「先に尖兵を送ってからそう仰るのですか」

 

 アウロラの声から苛立ちが感じられた。確かにアイリスの言葉を聞いていて、ルビーも違和感を感じていた。アウロラの言う通り、先に攻撃を加えておいて、それを無かったかのように言うのはおかしい。

 

「まずあなた方の非礼を詫びてから話をしてください」

 

 アウロラの要求に対し、アイリスが最初に返したのは大きなため息だった。

 

「あれはそっちの誰かが全滅させたから、一旦私たちが手を引いただけで、むしろ非礼な行いをしたのはそっちなんだけど。でも、こんな議論をしに来たんじゃないんだ。要求に対して何かしらの返答をしてよ。タイムリミットは今日。日が完全に沈みきった時ね」

 

 それまでに返答が無ければ、問答無用で武力行使に出る、と言ってそれきり、アイリスの声は消えた。

 ルビーたち四人は互い互いに顔を見合わせると、決意を固めたように四人同時に頷いて、アウロラのところへ駆け出した。日は地平線に接しようとしている。あと一時間半ほどで日は沈みきってしまうだろう。そのことが、四人の焦燥感をより一層掻き立てた。

 

        ***

 

 アイリスたちは、T.w.dの本陣を、アウロラの神殿の近くの森の中に構築した。守備隊は、土地勘のある赤の世界の兵士階級出身の者で固めてある。下手に他世界の者で守っても、特に夜は連携が取れないだろうと、アイリスと幹部たちで判断したからだ。

 

「最後の確認ね。作戦としては、街からアウロラ神殿に続くみっつの大街道を通って神殿を襲撃。敵もそこを押さえてくるだろうから、苦戦は避けられないけれど、ひとつでもこちらが押さえれば勝ちも同然だから、頑張って」

 

 アイリスは、本営にて戦闘前の最後のブリーフィングを、各部隊の指揮官に対して地図と指示棒を使って行っている。先のアウロラの様子では、戦闘になるのはほぼ必然に思えた。

 

「それで、私がマユカを連れて目的のモノを取りに行くって感じね。その影響で、総司令官としての采配はアルバディーナに振るってもらうよ。わかってると思うけど、一応ね」

 

 アイリスが言い終えると、アルバディーナが挙手をして立ち上がった。彼女の眉間には、シワが濃く刻まれていた。

 

「私たちは、あなたが何処に何を取りに行くのか、何故あなた自身が取りに行かないといけないのか、それらを全く聞かされていないのだけれど、いい加減聞かせてくれないかしら」

 

 アイリスは何も言い返せなかった。実際、アルバディーナの言う通りで、今のところ、目的のモノが何か知っているのは、アイリスとあと二人だけだ。アルバディーナの質問に答えるためには、目的のモノが一体何なのかを話す必要がある。このことばかりはアイリスにはできないのだ。

 

「本当に悪いって思ってるけど、こればかりは手に入れるまで誰にも言えないんだ。手に入れたら、内容も、私の思惑も全部話すから、お願いだから今は堪えて」

 

 アイリスは頭を下げた。誰がどこで何を聞いているのか分からないが故に、誰にも話すわけにはいかなかった。もしそれが漏れて敵に知られてしまえば、入手は困難になってしまうだろう。

 

「ちゃんと一回で取ってきてよね。私たちも大して忍耐強い訳じゃないのよ」

 

 アイリスの必死さが伝わったのか、アルバディーナは折れたように席に座った。

 

「他には無い? なら、各自解散して各部隊にブリーフィングの内容を伝達。日が沈むまで時間があまりないから早急にね」

 

 アイリスがそう言うと、一人一人立ち上がっては敬礼して、本営から去っていく。

最後に、アルバディーナがウインクをして退出した。しっかりやれ、ということだろう。

 アイリスも外に出ると、ちょうど日が沈み、アウロラの声が響いた。その旨は、要求は拒否、徹底抗戦の道を取る、とのことだった。その言葉が終わった瞬間、アルバディーナが全軍出動の号令を掛けた。

 

「さ、私たちも行かなきゃ」

 

 アイリスはマユカを呼び出し、彼女が来たのを確認すると、反転しアウロラ神殿とは真反対の方向に駆け出した。

 二人は夜の森を疾走する。背後から微かに聞こえる戦いの音には気も留めず、ただひたすらに走っていく。

 

「アイリスさん」

 

 道中、アイリスの隣で並走するマユカが、前を見つめながら尋ねてきた。

 

「ちょっとだけ気になってるのですが、何故私を同行者に指名したのですか?」

 

「ルビーたちと戦闘になるような状況にしたくなくてね。お節介だったら悪かったけど」

 

 マユカは、ほんの少しだけ沈黙した。ものの二、三歩進む間くらいだ。

 

「お心遣い感謝します」

 

 マユカは簡潔に言った。アイリスは何か彼女の胸中でわだかまっている物がありそうな気がしたが、あえて尋ねることは避けた。余計なことを言ってマユカの意欲を削いでも困るだけだ、と心の中で呟いた。

 ちょうどその時、森を抜けて視界が開けた。が、その瞬間。

 

「その首、貰いうける」

 

 無骨な男の声とともに、太刀の一閃が、アイリスを襲った。アイリスは咄嗟にブルーティガー・ストースザンを召喚し、その斬撃を弾いた。その衝撃で、アイリスは地面に叩きつけられた。

 

「動きが鈍いね。最近お肉(丶丶)は食べられてないのかな?」

 

 もうひとつ、幼さを感じさせる少女の声がした。アイリスはマユカの力を借りて立ち上がると、正面に佇む、彼ら男女の顔を睨んだ。

 

「シルトとクレナイか。どいてよ」

 

 しかし彼らは頑として動かなかった。代わりに、背の低い状態のシルトが、挑発するようにアイリスをなじる。

 

「総大将が自軍を(ほう)ってどこ行くの?」

 

「あれ、私の目的のブツが分かってて襲ってきたんじゃないんだ」

 

 アイリスも仕返しにと、超然とした態度で言い返した。しかしその裏で、アイリスは非常に焦っていた。シルトの言う通り、アイリスは一ヶ月近く人肉を食べていない。一応人間と同じように食事ができるといっても、やはり食人鬼なのである。心の面では仮初めの満腹感しか得られず、食の幸せは感じられない。また体の面でも、人間と同じように食べていては、エネルギーの吸収効率がかなり悪い。今まで体を騙しながら過ごしてきたが、それももう限界に近い。体の各部分に故障が生じ始めている。シルトとクレナイ、二人の攻撃を捌くのは、マユカと一緒でも困難に思えた。

 アイリスが諦めかけたその時、上空から微かな羽音が聞こえた。その方を向くと、ルビーがいた。彼女はアイリスと目を合わせると、急に落下してアイリスたちに向かってきた。

 その時シルトたちの方を一瞥すると、その時においてはルビーに注意が向いていた。この機を逃さないはずはなかった。

 アイリスはマユカの手を引くと、脇目も振らず突撃して行った。突飛な行動にシルトらの反応が遅れたのか、アイリスたちはシルトの脇をすり抜けられた。

 

「逃がさない!」

 

 シルトが蛇腹状の剣を召喚し、アイリスの首を目掛けてその刃が襲いかかってきた。アイリスの走る速度を上回って急襲してくる斬撃を、アイリスには今の状態で避けられる確証が無かった。絶体絶命かと覚悟した瞬間だった。

 

「アイリスさん、行って!」

 

 マユカがアイリスの手を振りほどき、アイリスの身代わりに、シルトの斬撃を腹で受けた。

 アイリスの視界に、崩れ落ちるマユカの姿が映る。しかし、ここで立ち止まってしまえば、マユカが身を挺して守ってくれた意味が無くなってしまう。アイリスは何度も何度もマユカに詫びながら、目的のモノがある場所、ユラ神殿を目指し走り続けた。

 

        ***

 

 秀たちは、アウロラ神殿に続くみっつの街道のうち、神殿から最も離れた街道に配置された。カレンを指揮官とした、秀とレミエル、レボリューション部、そしてアインスとセニアで構成された、一個分隊としての配備だ。課せられた任務は、遊撃部隊として街道に来る敵を引きつけながら駆逐すること。悪く言えば、簡単に切り捨てられる捨て駒だ。

 

「敵はまだ来ないか」

 

 秀は、双眼鏡を覗きながら呟いた。しかし敵が来ないのも当たり前で、まだ日が沈んで数分しか経っていない。T.w.dの本陣のある森から、この街道の入り口に到達するには、馬を使っても半時間はかかるという。そのことは秀にもわかりきっていたが、黙ったままでは息が詰まる、と思って呟いたのだった。

 周りの様子を見ると、アインスは無言で双眼鏡を覗いており、カレンはセニアと、レボリューション部は部員同士で何かを硬い表情で話していて、レミエルだけ、虚ろな感じでどこか遠くを見つめていた。秀は、はじめ索敵をしているのかと思ったが、顔はピクリとも動かない。ただただ不安げに、ボーッとして彼方を見ていた。

 

「おい、レミエル」

 

 秀は不審に思って、レミエルに声をかけた。しかしレミエルは少しも反応せず、よく聞いていなければ聞き逃しそうなくらいに小さな声で呟いた。

 

「ユラが危ない」

 

 秀が彼女の言葉の意味を考えているうちに、レミエルは瞬時に紫の戦闘装束を纏い、黄金の翼を広げて飛び去ってしまった。

 

「あ、おい!」

 

 秀が呼び止めるが、レミエルは既に、声が届きそうもないくらい遠くにいた。

 秀はカレンを呼び、レミエルを呼び戻す許可を求めた。カレンは渋っていたが、やがて折れたように告げた。

 

「十分以内に戻ってくるのであれば、まだ敵も来ないでしょうし、大丈夫でしょう」

 

 それを聞いた時、秀は不可能かと思えたが、瞬間移動の能力を持つ者が、すぐ近くにいることを思い出した。

 次にユノを呼び、レミエルを連れ戻すための協力を仰いだ。ユノは快諾して、すぐ瞬間移動をしようとした。しかしその時、シャティーが秀の腹をつついてきた。

 

「何の用だ」

 

「レミエル、頼んだよ」

 

 それだけ言って、シャティーは秀の背中を押した。なぜシャティーがこのような発言をしたのか分からないが、 どうも応援してくれているらしい。それだけは分かった。

 

「秀君、行くよ」

 

 ユノが笑いかけてくる。秀が頷くと、一瞬で周りの風景が変わった。アウロラ神殿の麓の街の郊外くらいだろうか。民家の数が、先程いた場所よりも少々少なめだ。そこまで遠くに移動できないようだが、これが瞬間移動かと感嘆していると、ユノが思い出したように尋ねてきた。

 

「レミエルちゃんの行き先、わかる?」

 

「多分ユラ神殿だ。あいつは飛び立つ直前にユラがどうのこうのとか言っていた」

 

 知らずに瞬間移動したのかと呆れながら答えた。そういう秀の雰囲気を察したのか、ユラは申し訳なさそうに謝って、また瞬間移動をした。秀は、ユラ神殿に近づくにつれ、夜の闇が深くなっていくように感じた。

 

        ***

 

 アイリスは息を切らしながら、ユラ神殿の近くの家の陰で休んでいた。テラ・ルビリ・アウロラの兵力の大多数がアウロラ神殿付近に集まっているとはいえ、神殿に一人で乗り込むのだから、少しは体力を回復しようという魂胆だった。

 住民の気配は全く無く、恐らくはどこかに疎開したのだろうとアイリスは予測した。そのおかげでシルトらが追ってくる気配の有無もよく分かった。それは今は無い。マユカが引き留めてくれているのだろうか。アイリスは心底マユカに感謝した。

 暫くして、体力が十分回復したと判断すると、ユラ神殿に向かって走って行った。すると、ユラ神殿の正門あたりに、出陣の準備を整えた、中隊クラスの部隊がいるのを見つけた。この時間に、ユラ神殿に部隊がいるとすれば、当然T.w.dの本陣を裏から襲撃するのが目的の部隊であろうことは予測がついた。

 

「潰すついでに食べていこうか」

 

 アイリスはそう呟くと、わざとゆっくり歩きながら部隊に近づいた。すると、案の定、鋼鉄の鎧に体を包んだ部隊の人間の一人が訝しげに近寄ってきた。

 

「貴様何者だ。テラ・ルビリ・アウロラの者でも、青蘭学園の者でもないな。名を名乗れ」

 

「私は君たちの天敵だよ」

 

 アイリスはそういうと、目の前の兵士の脇腹を殴った。その拳は鎧を容易く貫通し、体の内部まで到達した。兵士の絶叫をよそに、アイリスは手探りで兵士の肝臓を掴んだ。そしてそれを引っ張り出すと、まるでパンを食べるかのように頬張った。

 

「やっぱり本来の食料は美味しいな。肝臓だからスタミナ満点だ」

 

 アイリスは完食ののちそう呟いた。周りを見てみると、誰もが青ざめた表情でアイリスを見ていた。肝臓を抜かれた兵士は泡を吹いて倒れている。

 

「さあ、かかっておいでよ。いい加減、声で私の正体分かってるでしょ?」

 

 アイリスが一歩踏み出した。すると、部隊の人間は、一人残らず武器を放って、叫びながら逃げ出してしまった。

 

「全く、根性ないなあ」

 

 そう言いながら、アイリスは先ほど肝臓を抜いた兵士をものの数分で食べ尽くすと、逃げている兵士のうち、追い付けた者を始末しながら、ユラ神殿に侵入した。そこで、テラ・ルビリ・アウロラに潜伏させているスパイから得た、ユラ神殿の見取り図を開いた。

 

「図書館は地下か」

 

 アイリスは見取り図を仕舞うと、出会った警備兵を殺しつつ、全速力で図書館に向かった。

 

        ***

 

 ユラが、ユラ神殿の会議室で指揮官と作戦の確認をしていると、血の気を失った兵士が、会議室に飛び込んできた。彼は、しどろもどろになりながらも、敵が侵入してきたこと、敵が人を食って中隊の士気が完全に失われたこと、その侵入者が図書館に向かったことを伝えた。

 

「こうしてはいられない。侵入者を討伐しましょう」

 

 ユラは指揮官たちに呼び掛けたが、誰一人として、地蔵のように動こうとしなかった。彼らの顔には恐怖の表情が張り付いていた。人食いというので、誰も恐怖で動けないのだろう。

 ユラはため息をついて、決意を固めて言い放った。

 

「私が行きます。図書館なのですね」

 

 指揮官たちが止めるのを無視して、ユラは会議室を飛び出した。いつでも抜刀できるよう、腰の剣の柄に手をかけながら、図書館に向かった。

 ユラが図書館についた頃には、とうに図書館の番人は殺されていて、侵入された後だった。結局誰もついてくることは無かったが、気を落とさず図書館に入った。すると、暗い図書館の中でも一層暗い奥の方で、感極まった風で、ボロボロの本を眺めている一人の銀髪の少女がいた。ユラは音をできるだけ立てず、慎重に近付いたが、その少女と目が合ってしまった。少女はおもむろにユラに歩み寄りながら、話しかけてきた。

 

「君、今までの人たちとは違うようだね。でも残念。私はもう目的のモノを手に入れたから、もう此処には用はない。大人しくどいてくれないかな。邪魔しなけりゃ命は取らないよ」

 

 少女の声を聞いて、ユラは電撃が走ったような感覚を覚えた。彼女の声は、T.w.dの総大将、アイリスのものと全く同じだ。ユラはすぐさま抜刀して、アイリスと思しき少女に剣先を向けた。

 

「貴様がT.w.dの総大将か」

 

「そうだけど?」

 

「何が目的でこの図書館に来た」

 

 ユラの問いに、アイリスは手にした本を見せびらかすように掲げながら、まるではしゃいでいる子供のように答えた。

 

「この本。正確に言えば魔術書か。まあ、まさかこんな辺境の神殿の図書館にあるなんて普通思わないだろうから此処に置いたんだろうけど、逆に命取りになったね」

 

「その本は何だ」

 

 ユラが質問を重ねると、アイリスは少しも嫌がる気配を見せず、自慢げに答えてみせた。

 

「知らないなら教えてあげるよ。これには七女神がこの世界を作り直した時に使った、秘術の数々が封印されていて、最初に手に取ったものがその秘術の使用方法やら諸々を継承することになってる。それで今現在この秘術を使えるのは私だけだ。他の人が読んでも、この本はもはや意味不明のぼろっちい本に過ぎない。さ、他に聞きたいことはある?」

 

「いや、もう無い。あとは貴様を殺すのみ!」

 

 ユラはアイリスに八双に構えて斬りかかった。アイリスはそれを物ともせず、紙一重でかわすと、ユラの背中に右の裏拳を叩き込んだ。

 ユラは今まで感じたことの無い痛みと衝撃を受け、本棚に頭から激突した。

 気絶しそうになるくらいの痛みを堪えてアイリスの方を見ると、ユラを倒したとすっかり思い込んでいるのか、背を向けて図書館から出ようとしていた。

 

(この機を逃したら、勝機は無い!)

 

 ユラは、渾身の力を入れて剣をアイリス目掛けて投擲した。その刀身は、ユラの祈りに応えるように、アイリスの右の肩口に突き刺さった。

 ゆらりと、アイリスがユラの方を向いた。彼女の目は今までの余裕綽々としたものとは違い、ユラを威圧するような目つきだった。アイリスはユラに近づきながら、肩に刺さった剣を抜いて、ユラの側に放り投げた。

 

「なんのつもりだ」

 

「素手じゃ私に勝てないでしょ。本気で勝負してあげるから、かかってきて」

 

 アイリスはその左手に鉤爪状の武器を召喚した。ユラも剣を拾い、再び八双に構えた。そして、回避されることを承知でアイリスに突撃した。狙うのは、負傷済みのアイリスの右肩。何も考えずに斬りつける。

 しかし当然、アイリスは避け、そこから、左の鉤爪でユラを斬ろうとした。対し、ユラは回避されたのち踏みとどまり、アイリスの斬撃を剣で受け、そのまま鍔迫り合いに持ち込んだ。

 負けられない、ただその一心で、ユラは柄を握る手に力を込めた。だが、アイリスの力の方が強く、このままでは押し切られてしまいそうだった。しかしその時、図書館に誰かが駆け入った。ユラの角度からは、その人物がよく見えた。レミエルだった。そう判断するや否や、ユラは必死になって叫んだ。

 

「レミエル! 逃げて! こいつは——」

 

 言い終える前に、ユラは押し切られ、首筋に冷たい刃の感触を覚えた。

 

        ***

 

 レミエルは、信じられない物を見た。ユラの首が、宙を舞い、レミエルの足元に落ちた。

 

「嘘」

 

 レミエルは、杖を放って、その首に触れた。まだ暖かい。しかし、流れ出る鮮血とともに、だんたんと冷たくなっていく。そのことが、ユラの死をレミエルに自覚させた。

 レミエルは膝から崩れ落ち、ユラの首を抱いて、乾いた声で呟いた。

 

「どうして、なんで。まだ仲直りしてないのに。なんで死んじゃうの」

 

 涙が溢れ、レミエルの心に悲しみが広がる。しかし、それはすぐに、ユラを殺した敵への憎悪へと変貌した。

 

「絶対に許さない。殺してやる。生かしておくものか」

 

 レミエルは感情のままに呟いた。しかし、冷静さを欠いた現状でも、レミエルには敵の力量がよく分かっていた。今の自分では倒せない。この敵を完膚なきまでに叩きのめし、ユラにしたように首を飛ばすためには、力が足りない。そう考えたその時だった。

 

「力を欲するならば、祈れ」

 

 これまで、何回か感じた意思だった。しかし、今回ははっきりとした、声のようなものを伴っていた。その声は、どこか懐かしく、愛しく、しかし煩わしく、不快な声だった。

 

「だが、今回貴様が欲している力は余りにも大きい。下手をすれば、貴様自身が変容してしまうかもしれん。それでも、力を欲し、祈るか」

 

「愚問です。私は敵を殺さなきゃいけない」

 

 レミエルは、意思に対してそう答えると、力を欲する祈りを上げた。その瞬間、両目と、両の翼が強く疼いた。疼きに耐えて体を見ると、紫の装束は足の方から血赤色へと変貌していき、やがて装束全体が血の色に染まると、次は翼を見た。右の純白の翼は漆黒に染まり、左の黄金の光の翼は、閻浮檀金の輝きを放っていた。そして、ユラの血溜まりに映る己の顔を見た時、藍玉の右目は狂気を思わせる紅玉の如く、黄金の左目は、翼と同じように閻浮檀金の如く輝いていた。更に、杖が変形し、上部の円環状の部分が背中の中央から十数センチほど離れた位置に位置し、杖の残りが六本の魔剣に変化し、円環を囲むように配置された。

 己の姿をはっきりと目にした時、レミエルは自覚した。自分は堕天したのだと。かのユラを殺した敵を、凶殺せんがために。



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激闘! テラ・ルビリ・アウロラ

 青蘭島の、この日の空は曇っていた。雲は相当厚いようで、日の光が雲の切れ間から射し込むようなこともなかった。赤の世界は今は夜だが、青の世界とは時間の進みが違うため、まだ夕方である。

 不安をかきたてるような空模様の下で、達也は自宅の前でカミュを待ちながら、赤の世界の(ハイロゥ)を見つめていた。今、T.w.dは、赤の世界に侵攻している真っ最中だ。秀が死なないように祈るしかない。彼にはそのくらいしかすることがなかった。更に彼は、秀に心の中で詫び続けていた。非常に後ろめたいことがあるからだ。

 

「すまない。待たせたな」

 

 達也が声の聞こえた方に向くと、私服のカミュが、手を振っていた。彼女こそが、後ろめたさの一番の理由だった。秀が必死に戦っている最中に、自分は敵の幹部と恋仲になって、遊んで暮らしているのだ。

 

「いやいや、大丈夫だよ。今日は非番だし、暇だからね」

 

 達也は、心の底で考えていることを隠しながら、微笑んで言った。幸か不幸か、達也は猫を被るのが得意であった。

 

「それより、そっちこそ仕事は大丈夫かい? アイリスさんたちの留守の間は、君が一番上だろう?」

 

「問題ない。元々、今日は午後には帰る予定だったのだ。それよりも、早くデートに行こう」

 

 カミュが達也の腕を引っ張った。達也はそれに逆らわずに、二人で繁華街の方へ歩き出した。

 カミュと、丁寧語抜きで話すようになってから、もう二週間弱は経っていた。その間に、青蘭島の住民は、アイリスたちのボランティアや、日本本土から、デパートなどで売るものが手に入るように手配したことによって、もう食料の配給も要らなくなり、更に普通に仕事ができる環境にされたおかげで、元の生活を取り戻した。とはいえ、割れたコンクリートなどはまだ処理しきれていないものがあるが、それほど生活に支障をきたしていない。

 また、日本をはじめ各国の政府は、T.w.dに対して何も攻撃などをしてこなかった。日本に関しては、青蘭島での戦闘の際に手痛くやられたのが効いているらしく、それで手を出せないということだ。それに、住民には特に手を出していないどころか助けたため、迂闊に行動に出られないということもあると思われた。

 他の国については、アイリスたちが世界水晶をすぐ壊す気は無いと発表したおかげで、軍事的干渉をすることはなかった。尤も、勝てやしないと踏んでいるのかもしれないが、とも達也は推測していた。

 

「あっ達也さん、達也さん。この指輪、素敵じゃないか?」

 

 カミュの無邪気な声で、達也は現実に引き戻された。ジュエリーショップの前で、カミュの指をさしているものを見てみると、確かに素敵な白金製の、ルビーの指輪が、ウィンドウの中に置いてあった。細かなダイヤモンドも付いていて、更にルビーが天然な為か、値段はおよそ六万円くらいだった。

 

「まあこのくらいだったら、僕の分を合わせても買えるよ」

 

 達也がそう言うと、カミュは首をぶんぶんと横に振って、慌てたように言った。

 

「そんな、別に買ってなんて、図々しいこと思ってるじゃないんだ! ただ、素敵だなって思っただけで」

 

「欲しいんだろう? 親が裕福だから、お金には余裕があるし大丈夫だよ」

 

 カミュは次の言葉に困ったようで、こめかみを抑えながら考え始めていた。達也がその様を微笑ましく思いながら見ていると、やがて考えがまとまったのか、こめかみから手を離して言った。

 

「達也さんの好意を踏みにじるわけにはいかないから、こうしよう。私は達也さんにこの指輪を買ってもらう。そのお返しに、私も達也さんにこの指輪を買ってプロゼントする。これでおあいこだ」

 

 達也が、金は大丈夫かいと尋ねると、カミュは一万円札でパンパンになった財布を見せてきた。

 

「お金持ちなんだね。それに、給料が地球の通貨とはちょっと意外だったな」

 

「それもあるが、こないだ達也さんの家にお邪魔した時、ついでに私の財産の幾らかを換金しておいたんだ。一応、青蘭島にはそういうシステムもあるからな」

 

 だからお金は大丈夫だと笑って、カミュは店の中に入って行った。達也も、一瞬足が止まりかけたが、カミュに続いて店に入った。

 

        ***

 

 リーナが仕事(と言っても訓練が主だが)を終わらせて、食品の買い出しに繁華街に出かけたところ、楽しそうに笑いながら、男とジュエリーショップに入っていくカミュを目撃した。その瞬間から、己の中のカミュの人物像が瓦解し始めた気がした。

 

「なんだか、今日やけにウキウキしながら早く仕事から上がったと思ったら、そういうことですか……!」

 

 リーナの中で、ふつふつと何かがこみ上げてきた。それはすぐに火山の噴火のように爆発し、リーナは人ごみの真ん中で奇声を発すると、近くの壁に突進するように飛びつくと、壁に額をガンガン打ち付けながら喚き散らした。

 

「厳格で! 仕事に真面目で! 時には優しくて! 人間解放軍でなくとも人間の憧れの的だった、人間解放軍代表サングリア=カミュ教官はどこに行ってしまわれたんだあああ!」

 

 周囲の人間の視線が痛かった。リーナは恥ずかしくなって、照れ隠しに更に頭を打ち付けた。しかし当然、それによって人もより集まり、視線は強くなる。写真に撮る音まで聞こえてきた。リーナは不器用だ。その上、直情的に且つ直感的に行動するせいで、物事にうまく対処できないことが多々ある。今がまさに、その状況だった。

 

「リーナ、貴様は何をやってるんだ……」

 

 呆れ気味な、カミュの声が聞こえた。リーナが恐る恐る声がした方を向くと、やはりカミュが呆れ顔で佇んでいた。そしてその左の薬指には、大きなルビーのついた白金の指輪がはめられていた。それに気がついた時、リーナは大きなショックを受けると同時に、不思議な敗北感を覚えた。更にその途端に、足元がふらついてきた。眩暈もする。どうやら、頭を何回もぶつけていたのが今頃になって効いてきたらしい。

 

「もう、ダメぇ……」

 

 とうとうリーナは立っていられなくなり、その場に倒れこんだ。カミュが慌てて電話を取り出すのが見えたので、リーナは弱々しくそれを制止した。軍人である自身が、戦場ではなく街中で負傷するだけでも相当な恥辱であるのに、しかも救急車に運ばれるなど、身から出た錆とはいえ、リーナにとっては屈辱以外の何物でもなかった。

 

「救急車は結構です。ちょっと眩暈がしただけで。放っておけば復活しますので」

 

「とは言ってもだな」

 

 カミュが困ったように、携帯電話を持ったままリーナを見下ろす。リーナは地面に倒れたまま、彼女と視線を合わせた。絶対に救急車を呼ぶなという意思を込めて。

 しばらく見つめ合っていたが、先にカミュの方が折れた。

 

「分かった。救急車を呼ぶのは止めよう。しかし、そのまま放っておくわけにもいかん。達也さん、悪いけど、リーナを一旦達也さんの家で休ませてくれないか? 私たちの宿舎よりも、達也さんの家の方が近い」

 

 カミュは連れの男にそう告げた。その達也と呼ばれた男は即答でうん、と頷いて、リーナを背に乗せた。

 

(達也というのですね。このカミュ教官をたらし込んだ男は)

 

 懲らしめてやろうかとも思ったが、カミュのことを思うと、その気はすぐに失せてしまった。入れ代わりに、リーナの頭の中に、ひとつの疑問が生まれた。しかしそれは、いくら自分で考えても答えの出るものではなかった。このことをカミュに尋ねるのは気が引けていたのだが、リーナの答えを知りたいという欲求が勝った。人気のないところに出てから、リーナは達也の背中からカミュに話しかけた。

 

「カミュ教官。男と恋仲になれば、私も男に甘えたりするのでしょうか?」

 

「さあな。それは貴様次第だ。しかしなんだ、藪から棒に。気になる男でもいるのか?」

 

「いません。そもそも、フルネームを知ってる男すら、えーと、上山秀しかいませんのにそんなことは」

 

 その名前を出すと、達也が、ぶつからないように顔をリーナに向けて尋ねた。

 

「秀を知っているのかい?」

 

「ええ。とはいえ、人となりなどはカミュ教官から聞いたくらいのことしかわかりませんが」

 

 ぶっきらぼうに答えながら、リーナは秀との模擬戦を思い出す。元から運動神経がいいのもあってか、秀はだいぶ完成されていた。今はプログレスの存在から、女性の方が男性よりも強くなってしまう傾向にあるが、それでも秀はリーナと互角に渡り合った。模擬戦の時の、秀の一点の曇りもない真っ直ぐな視線を、リーナは未だ覚えていた。青蘭学園側の人間でなければ、人間解放軍にスカウトしたかったくらいだ。

 

「まあでも、今は敵同士です。仮に上山秀に恋心があったとしても、一緒になることは不可能でしょう」

 

 リーナがそう言うと、カミュの顔つきが急に真剣なものになった。そして、達也にリーナを下ろして先に帰るよう促した。

 下されたリーナは電信柱にもたれかかるようにして立つと、達也が見えなくなってからカミュに尋ねた。

 

「どうしたんですか、カミュ教官」

 

「今はT.w.dの構成員がいないから、ちょうどいい。いいか、私の話をよく聞けよ」

 

 そのように言うカミュの真摯な視線に気圧されて、リーナは固くなって頷いた。

 

「状況が状況なら、私たちはすぐにでも、T.w.dを裏切るかもしれん」

 

 カミュの言葉に対する衝撃で、リーナは開いた口が塞がらなくなった。唖然とするリーナをよそに、カミュは続ける。

 

「とはいえ、今そうなることはない。アイリス総統は、プログレスの殲滅と世界への復讐を掲げているが、T.w.d——Those who destroy the worldの組織の名が示すように、はっきり言って前者にはあまり興味がない。興味があるのは後者だ」

 

 いまいちリーナには話が見えてこなかった。カミュはリーナの心情を察したのか、少し考えてから続けた。

 

「つまりだ。総統にとっては、プログレス、言い換えれば人間への復讐というのはただの人集めのための名目で、本当は世界への復讐、というよりは、世界の是正が目的なんだ。人間に少しでも恨みがあれば、島民のみなさんの名簿作成の時に見せた笑顔などは見せやしない」

 

「と、言いますと?」

 

「我々は人間解放軍だ。アンドロイド優先の世界である白の世界を是正するため、そして何より人間のために在る。いくら吸収以前はEGMAにやられて組織力が無かったとはいえ、人間全体に仇なす組織に与するとでも思うか?」

 

 そこで、リーナはようやくカミュの言っていることを理解した。回りくどい、と心の中で毒吐きながらも、表情には出さずにカミュに確認した。

 

「アイリス総統がT.w.dの一番上にいる限りは、我々が裏切ることはないと」

 

 カミュは首を縦に振った。そして、カミュは周囲に人がいないことを確認すると、息がかかるくらいの距離までリーナに近づいて告げた。

 

「これは私と、赤の世界にいるスパイのひとりしか知らないのだが、あの人が取りに行った以上隠す必要もないと思うから、貴様に伝える。だが、一応総統が帰ってくるまでは口外禁止だ」

 

 リーナは固唾を飲んで、二、三回頷いた。よほど重要な話であるようだ。

 

「今回あの人が赤の世界に乗りこんだ一番の理由は、赤の世界にある世界の転生の秘術を手に入れるためなんだ」

 

「は?」

 

 リーナは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。あまりにも突拍子のない話であり、あまりにも眉唾な話であった。リーナの反応を予期していたかのように、カミュはため息を吐いて言った。

 

「まあこの際だから言うが、それをエサにしてアイリス総統は我々を吸収したのだ、だから交渉にあたった私だけが知っている。眉唾物とはいえ、当時は組織が破産寸前だったから、その話に乗るしか無かったのだ」

 

「組織力も付いて、アンドロイドと人間の身分の違いもはっきりした世界も作れて一石二鳥というわけですか」

 

 カミュは「ああ」と頷いた。そして、一瞬目を伏せたが、すぐリーナと目を合わせて、唐突に頭を下げた。

 

「済まなかった。今まで話せなくて。取りに行くまで他言は無用と言われていたのだ。何もわからずに急に吸収合併が決まって不満だったと思うが、そういうことだ」

 

「いいえ、大丈夫です。みんな、吸収が決まった時、教官の決めたことだから利益があるに違いないって言っていました。だから、あなたが謝ることなんてないですよ」

 

 リーナが言うと、カミュは安心したように息を吐いて、顔を上げた。隠していたことを全部言うことができたおかげか、カミュはだいぶ爽やかな顔をしていた。

 

「もう歩けるか?」

 

 先程までとは打って変わって、柔和な感じでカミュが尋ねた。どうやら、話は終わったようだ。

 

「はい、もう一人で歩けますよ」

 

 リーナは電信柱から体を離して、少し駆け足をしてみたり、跳ねてみたりした。本調子とまではいかないが、今すぐ戦闘するわけでもないので、支障はない。

 

「それじゃあ、私は達也さんの家に行くよ。貴様も来るか、リーナ」

 

「いえいえ遠慮させて頂きます。まだ用事を済ませていませんし、それにお二人の邪魔をしては悪いです」

 

 またカミュと達也との仲睦まじい様を見せつけられた時には、リーナの精神はきっと崩壊してしまうだろう。

 

「では、失礼いたします」

 

 リーナは回れ右して、少し早足で歩き出した。すると、後ろからカミュが叫ぶように声をかけてきた。

 

「秀を狙っているなら、諦めた方が吉だぞー。あいつには恋人がいるからなー」

 

「狙ってませんから! 余計なお世話です!」

 

 リーナは叫び返すと、わざと大股でカミュから離れた。たった数十分だったが、今日はリーナの知らないカミュの一面が多く見られた。これまでのリーナの、カミュに対する「厳格な教官」という印象からはかなりかけ離れたものだった。しかし、振り返ってみれば、それほど悪いものでもないように感じられた。

 ふと、空を見上げる。すると、雨が何滴かリーナの顔に落ちた。

 

「降り出してしまいましたか。早く済ませて帰らないと」

 

 リーナは折りたたみ傘を広げて、繁華街の方へ小走りで向かった。

 

        ***

 

 秀とユノがユラ神殿に到着した時、まず目に入ったのは、血の海に伏している兵士たちだった。彼らはちょうど、最初の一人の位置から神殿の入り口まで、ひとつの軌道を描くように並んでいた。どの死体も、幾つかの少ないパターンで一撃の元に殺されている。

 

「敵の襲撃があったか。殺され方のパターンの少なさから、敵は多くても数人だろうが、レミエルとユラが心配だ。先を急ごう」

 

 秀がユノに促すが、返事が無かった。ユノは顔を強張らせて、完全に固まっていた。秀がもう一度聞き直すと、ユノは少しの間を置いて反応した。

 

「う、うん。行こう、秀君」

 

「無理だったら引き返してもいいぞ」

 

 秀は、ユノの様子を見兼ねてそう言った。だが、ユノは首を振って、泣き顔になりながら、弱々しく反駁した。

 

「もう、どこもこんなところばかりだよ。引き返しても無駄。だったらせめて、私たちの仕事を果たさなきゃ」

 

 秀は、ユノの言葉を聞いて、初めて彼女が「仕方ないから戦っている」のではないかと疑った。しかしそれについて談義するような暇もなく、仮にそうしたとしても、ユノは秀の言を否定し、己の主張を変えないだろう。秀は喉まで出かかった言葉を引っ込めて、自分の本意とはまるで違うことを言うことにした。

 

「そうだな。二人で行こうか。多分レミエルは地下の方だ。なんとなくそんな気がする」

 

 秀は、だんだんと疼きが強くなる右の小指を抑えながら言った。すると、ユノは秀の言葉に対して首を縦に振ったが、それから秀の右の小指を凝視していた。そして、そのままユノは不思議そうに尋ねた。

 

「その小指、レミエルちゃんと魔術的な契約でもしたの?」

 

 突拍子もないことを聞かれて、秀はポカンと口を小さく開けていた。しかし、少し考えれば、思い当たる節もあった。位置的にも、かつてレミエルと指切りをした位置と合致する。

 

「多分した。しかし、今はそんなこと言ってる場合じゃない」

 

 秀がそう言うと、ユノは大きく頷いて、神殿の地下まで瞬間移動した。地下に着いた瞬間、かなり近くから破壊音が聞こえた。秀とユノの二人は、その音のする方へ、ペースも何も考えず、我武者羅に走って行った。

 

        ***

 

 アイリスは、目の前で起きたことに息を呑んだ。堕天する様を見たのは、初めての経験だった。それ以上に、レミエルが堕天したことに最も驚いていた。

 彼女のことは、ジュリアを殺した時から目をつけていて、また、ある事情から、人格等の大まかなことは調べてあった。アイリスが今さっき殺害した女神が、レミエルの親友であるということは分かっている。だから、激昂するだろうとは予測していたが、堕天する程になるとは想定外であった。

 アイリスがそのようなことを考えていると、レミエルが動き始めた。明らかに、アイリスの頭を掴みかかろうとした手の形と軌道で飛びかかってきた。

 

(速い! けど、避けられない速さじゃない)

 

 アイリスは、紙一重の差で、レミエルの攻撃を躱した。しかし、避けるだけで精一杯で、次の行動に出ることができなかった。レミエルは勢いのまま、本棚にぶつかり、ドミノ倒しに幾つかの本棚を倒していった。

 

(この子とやりあうのは危険だ。殺すなっていうのがあの子からの注文だったけど、まともにやりあったら負ける。早くここから出ないと)

 

 しかし書庫から出るには、入り口から出るしかない。天井の向こうは神殿の基礎だ。天井を破るというのは得策ではない。

 初めアイリスは、シルトに対してそうしたように、真正面からの突破を試みようとしたが、実行に移す前にやめた。頭に血が上りきっている今のレミエルに油断させる自信がなかったのだ。

 アイリスが、本棚を盾にしながら、次の手を考えていると、またもレミエルが突っ込んできた。今度は真正面からだ。アイリスは再びレミエルの攻撃を回避すると、やはりレミエルは勢い余って本棚に激突した。が、すぐにレミエルは体勢を立て直し、また飛びかかってきた。アイリスは三たびこれを避けると、そのままそこの本棚を離れ、別の、入り口に近い本棚へ移動した。

 アイリスは、本棚からの移動距離は最短にしたかった。今のレミエルの動きは速すぎる。アイリスは肩の負傷を気にしながら、周囲を警戒した。すると、何かが体の中に入ってくるような、不思議な感触がした。快感のようにも感じられたが、悍ましさにも似ている。

 

(この感触は、エンハンストを使った時と似てるような。でも違うな)

 

 アイリスは小声で魔法の詠唱を始めた。アルバディーナや、ジュリア並みの魔法は使えないが、アルバディーナから基礎は教わっている。入ってくる何かが、己に害をもたらすなら、それを結界で締め出すつもりだった。

 詠唱の途中で、アイリスは急に疲れを感じ始めた。負傷のせいとするにしても、違和感がある。そして、その理由が何なのか、瞬時に判断がついた。原因はレミエルに他ならない。

 

(私の活力を吸ってる、ということは、リンクの逆だね、これ。道理でエンハンストに似てるわけだ)

 

 その時、アイリスはレミエルの心を感じた。例えようのない怒りと哀しみの中、そこにレミエルではない別の誰かが居た。アイリスは一瞬、そのレミエルの心に気をとられそうになったが、自分が窮地に立っていることを思い出し、雑念を払った。

 アイリスはそこから、素早く魔法の詠唱をすると、体内に結界を張った。基礎しか知らないとはいえ、最強の結界術師であるアルバディーナから学んだ結界魔法だ。決して脆弱なものではない。

 レミエルの、逆リンクとでも言うべき攻撃を弾いたのも束の間、アイリスは、今度は頭上の方から、レミエルの殺気を感じ取った。

 レミエルの翼の羽ばたきを察知して、アイリスは避ける時間が無いと悟ると、結界魔法を上方に展開した。それで、猛然と突撃してくるレミエルが、結界に阻まれて一瞬だけ止まった。その結界は、レミエルの圧倒的な力の前に破られたが、彼女が止まった一瞬のうちに、アイリスは書庫から抜け出した。

 それから、肩の痛みには一切気を留めず、地上を目指し一心不乱に疾走した。しかし、あるところまで走ったところで、青蘭学園の制服を着た少年と、豊満な胸のエルフの少女が、向かい側から走ってくるのが見えた。彼らの顔には見覚えがあった。ジュリアと戦闘した者たちのうちの二人、上山秀とユノ・フォルテシモだ。更に背後から、レミエルの羽音が聞こえてきた。

 

(前門の虎、後門の狼、か。ここまでかな)

 

 アイリスがそう観念して速度を落とした時、信じられない光景を見た。秀とユノの二人が、仰天したようにレミエルの名を呼んだかと思うと、突然呻きながら倒れたのだ。

 

        ***

 

 書庫から出たアイリスを追いながら、レミエルは焦っていた。堕天までして己の戦闘能力を底上げしたのに、アイリスに攻撃が一回も当たらなかった。だからリンクの時に感じた感触を再現して、アイリスから力を吸収しようとした。だがそれでも、アイリスはそれを弾き、書庫から出てしまった。

 そんな時に、秀とユノが駆け付けてくれた。そしてよく見ると、秀の方が、レミエルに一歩程近かった。そのことに気付いた瞬間、レミエルはとても満たされた気分になった。

 

(秀さんは、私の元にいの一番に駆け付けてくれるって約束を守ってくれた。私のために!)

 

 レミエルは秀たちと目を合わせた。彼らはレミエルの堕天した姿に、戸惑いの表情を見せ、レミエルの名を呼んだ。しかし、レミエルは歓喜の表情のまま、秀とユノに対して、アイリスにしたようにリンクの逆を行った。二人は拒まなかった。いや、拒む暇も無かったのだろう。レミエルは二人の活力を、彼らの意識が消えるまで強奪すると、アイリスに襲いかかった。

 倒れた秀たちに気を取られていたのか、アイリスがレミエルに向いたのは、もう右手がアイリスの顔を捉えかかった時だった。

 

「くっ!」

 

 アイリスが上体をそらす。しかし、避けきれず、レミエルの右の人差し指と中指が、アイリスの右目のまぶたを貫いて、眼球を潰して眼窩に進入した。更にレミエルはそのまま、指を左に引き、皮膚を割いて頬骨の一部を弾き飛ばした。

 アイリスが激痛に絶叫しながら、レミエルを突き飛ばして逃げようと走り出すが、すぐに足が縺れて転んでしまった。立つ力も失ったようで、床に倒れたまま呻いていた。

 

「無様だね。でもあなたには、そんな死がお似合いだ」

 

 レミエルは指についた血を払うと、ゆっくりとアイリスに歩み寄った。しかし、数メートルほどという距離まで近づいた時、突然アイリスとレミエルとの間の天井が崩落した。そして、空いた穴から出てきた人影は、埃で辺りが曇っていようと、見間違えようの無いものだった。

 

「エクス!?」

 

 レミエルが友の名を叫んだのと、その友——エクスシアが、愛用のハンマー、ヘカトンケイルでレミエルの頭の側面を殴打したのは、ほぼ同時だった。

 一瞬それで気絶して、すぐ意識を取り戻したが、エクスシアとアイリスの姿は、どこを探しても無かった。見つかったのは、アイリスの頬骨の一部と、幾つかの黒い羽根だった。

 

(私のじゃない。エクスも、堕天したんだ)

 

 一度気を失ったおかげか、レミエルは冷静さを取り戻して状況を考えると、エクスシアはT.w.dの構成員であると判断せざるをえない。レミエルは、その事実に暫く呆然としていたが、ハッとして図書館の方に戻った。そして、そこでユラの首と、彼女の剣を取った。見開かれたままの、生気を完全に失ったユラの瞳と、視線があった。

 

「目、閉じてあげなきゃ。このままじゃ無惨すぎる」

 

 レミエルはユラのまぶたにそっと手を触れ、ユラの眼を閉じた。その時、寝顔のようにも見えるユラの顔が、レミエルにユラの死をより一層自覚させた。

 

「ユラ、ごめんね。本当は、あなたが生きているうちに謝って、仲直りしたかったけど、遅くなって、ごめん……!」

 

 レミエルはユラの首を胸に抱いて、床に膝をついて咽び泣いた。友を失った悲しみと、その友が亡くなる前にしなければならなかったことへの後悔が、涙となって流れ出た。

 

        ***

 

 民家の屋根の上で、夜風に髪をなびかせながら、カレンは痺れを切らしていた。秀とユノが遅すぎる。約束の十分どころか、もうすく三十分が経とうとしている。

 

(あのお二人の身に何かあったとしか思えませんね。しかし、これ以上人員を割くわけにはいきません。信じるしかないようですね)

 

 カレンがため息をついたその時、通信端末にアインスからの連絡が入った。

 

「敵を発見した。真っ向から向かってくるみたい。規模はだいたい歩兵中隊二個くらい。ここに来るのは、あの速度だとあと十分弱くらいと予測」

 

 アインスは極めて冷静な口調で、淡々と簡潔に報告した。カレンはアインスが報告し終えると、すぐさま全員の通信端末と繋いだ。

 

「間もなく敵と接触するので、最後の確認です。私とセニアとアインス様で遊撃、由唯様はエクシードで姿を消した状態での狙撃、シャティー様とあずさ様は臨機応変にサポートをお願いします」

 

 カレンの指示に皆々が返答する。聞いた感じとしては、誰も特に問題は無さそうだった。あずさと由唯の二人に関しては不安が残るものの、シャティーがなんとかフォローしてくれると思い、二人のことに関しては深く考えないことにした。

 カレンは、ふと集音機能を強化してみると、隣の街道からの戦闘の音が聞こえてきた。矢が飛ぶ音や、銃弾が放たれる音、そして戦士たちの雄叫び。それらの音が、そこで起きている戦闘が激しいものということを感じさせ、また、やがてここで起こる戦闘も、かなり激しいものになるという予感をもたらした。

 

        ***

 

 フェルノは、カレン達が配置されているところの、隣の街道の、神殿前の広場への接続部分に、百人の弓兵部隊を率いて位置していた。そして、今、敵部隊に対して弓兵部隊とともに矢の雨を降らせている。ただひたすらこれを行うのが、この街道での作戦だ。

 敵の遠距離武器は銃だが、赤の世界では弓が主力だ。銃などは使わない。赤の世界の弓矢は、素の威力は銃弾に劣るものの、その分祈りによる魔術的な強化を加えており、青の世界や白の世界の最新兵器にも負けないパワーとスピードを備えている。

 文字どおり矢の雨が敵部隊に降っている様は壮観だったが、フェルノは違和感を感じていた。青蘭学園で見せたあの強固すぎる結界が、今回は張られていない。完璧な防御をしていた代わりに全く動かなかった青蘭学園の時とは対照的に、今回、敵は損傷を受けながらも前進している。

 しばらくして、敵の進軍が急に止まった。その瞬間に、二発の砲弾が、敵の先頭から飛んで来た。フェルノは、その砲弾の速度から、それらを止めることができないと即座に判断すると、弓兵部隊に大声を張り上げた。

 

「弓兵部隊は散開! 砲弾の射線上から急いで退避して!」

 

 しかし、フェルノの指示を、兵士達はうまく実行できないでいた。それもそのはずだった。これまで、赤の世界では、戦いといえば相手は大抵魔獣と言われるような、広範囲に被害を及ぼす大型の害獣が相手だった。対人戦になる戦いなど、殆ど起きたことがない。しかもその魔獣との戦いでさえ、早期に決着がついて勝利するため、フェルノには、このような事態に対しての訓練はしているものの、心構えはできていないように感じられた。

 もたもたしている間に、二発の砲弾が時間差を伴って着弾し、それらの爆風で百人の弓兵部隊は壊滅状態に陥った。

 なんとか爆風を躱したフェルノの見る限りでは、残ったのは四十人弱といったところだった。六十人近くを殺した爆風だというのに、それで、街への損害は街道の丁度真ん中を抉ったくらいで、あらゆる民家が傷一つ付いてないことも不気味だった。

 フェルノは砲弾を打った人物が探し始めたが、夜の暗がりの中でもすぐ見つかった。分かりやすく、ふたつのバズーカ砲のようなものを担いでいる女を一人発見した。そして、彼女がフィア・ゼルストだということも、青蘭学園で面識があったことから分かった。

 

「面識があるからといって、容赦するわけにはいきませんわね」

 

 フェルノは愛馬の白馬を召喚すると、それに跨って、敵先頭から街道に沿って離れていった。馬を走らせながら、飛んでくる銃弾を躱しつつ、生き残った兵士達に呼びかけた。

 

「封印弓フェイルノートを使いますから、皆さんは退避をお願いします」

 

 それを聞いた兵士達が、慌てて民家の陰に隠れていった。しかしそれでも、ダメージを負うことは避けられないだろう。封印弓フェイルノートの威力は絶大だ。矢が、街道のちょうど真ん中を飛んだとしても、少なくとも民家の窓ガラス等は吹き飛んでしまうだろう。最悪、並んでる民家そのものを破壊してしまうかもしれない。だから極力使わないようにしていたのだが、今は使わねばここの街道が突破されてしまう。

 

「お願いですから、あの結界だけはやめて下さいよ」

 

 フェルノはそう祈りながら、敵と十分に距離を離すと、反転して、馬上で弓を構え、青蘭学園の時よりも多くの矢をつがえる。

 

「必殺必中! 封印弓の威力、その身で受けなさい!」

 

 気合いとともに、渾身の力で矢を放つ。封印弓の名は伊達ではなく、その矢は風を切り轟音を立てながら、真っ直ぐに街道の中央を駆けた。だが、敵に接触する寸前に、突如として例の結界が現れた。結界と矢の間に、激しい稲妻が走る。その様子を、結界の向こうでフィアが涼しい顔で眺めていた。

 結界の防御能力と矢が拮抗しているが、やがて押し負けてしまうだろう。そう判断したフェルノは、落胆のままに構えを解きかけた。

 だが、フェルノはふと、結界を相殺したレミエルの斬撃を思い出した。結界と矢の拮抗を崩したあの斬撃。あれだけの威力、いや、あれを遥かに上回る威力を作り出せる手段を、フェルノはひとつだけ持っていた。

 

「あまり使いたくなかったのですが、仕方ありませんわね。これも、この窮地を打開するため。ここを焦土にしてでも砕きますわ」

 

 フェルノは、矢筒に残った一本だけの矢を握った。そして、呼吸を整え直すと、フェルノが今までで七女神に捧げた祈りの中でも、最大の祈りを捧げた。

 

「封印弓フェイルノート! 今こそ真の力を——」

 

「その必要は無いぞ、フェルノ! T.w.dよ、あたしの正義の炎の刃を受けてみろ!」

 

 フェルノは祈りを中断し、空の方から突如聞こえた、威勢の良い声のする方に向いた。そこには、炎を巨大な剣に纏わせたグラディーサがその剣を今にも振り下ろそうとしていた。

 

「天使にできて、あたしにできないことは無い! 哈ーっ!」

 

 気合一閃、グラディーサが剣を振り下ろす。威力は相殺されたが、その斬撃は一瞬で結界を打ち破った。そして、結界が崩れるとすぐさま、フェルノとグラディーサの間に歩兵部隊が入り込んだ。

 

「兵力が落ちたところに悪いけど、後方支援は頼んだぞ」

 

 グラディーサはそう告げると、叫びながら敵陣に突撃していった。フェルノはそれを見届けると、グラディーサに感謝の念を抱きながら、残った弓兵部隊を集め、部隊として敵への射撃を再開した。

 

        ***

 

 ルビーは、マユカに対しこの上無い戦慄を覚えていた。マユカは、ルビー、シルト、クレナイの三人の猛攻を受け、全身から血を流し、足は震えている。その姿を見る限りでは、ルビーには立っていることが精一杯のように思えた。しかし、マユカは決して、戦意をなくしたりはしなかった。むしろ何度攻撃を受けて倒れても、その度に立ち上がって、二丁拳銃を構えていた。

 そのマユカの佇まいを見る度に、ルビーはここに来たことを後悔した。ルビーは、森に怪しい人影が見える、との報告を受け、それを確かめ、敵であれば排除するためにここまで来た。しかし、血だるまになっても尚戦おうとするマユカの姿を見ると、心が痛んだ。そこまでして、T.w.dに尽くすのかと。何がマユカを立たせるのかと。

 

(立たないで、マユカ。立ったら、あたしはまたあんたを攻撃しなきゃいけない)

 

 シルトに吹き飛ばされ、石畳の上に叩きつけられたマユカを見て、ルビーは口には出さずに、そう懇願した。ルビーは、吹っ切れて、マユカを友ではなく敵として認識していたつもりだったが、実際に相対してみれば、情はまだ濃く残っていた。

 何度倒されようと、マユカはなお立ち上がってきた。マユカの失血量は、並みの人間であればとっくに死んでいるか、そうでなくとも意識を失っているようなものだった。

 

「マユカは、どうしてそこまでしてアイリスに尽くすの?」

 

 シルトが、感嘆したような、呆れたような口調でマユカに尋ねた。マユカは答えない。答える気力が無いのかもしれない。しかし、拳銃の銃口は、しっかりとシルトを捉えていた。

 

「答えられないし答えたくもない、といった感じかな? まあいいや。これ以上やったら、あなた流石に死ぬと思うのだけれど。あなたの友達の手前だし、私もあなたを殺すのは気が進まないからね」

 

「敵に情けをかけられるくらいなら、舌を噛み切ってでも死んでやります。私は、何の用でアイリスさんがユラ神殿に行ったのかは、知りません。でも、あの人の心からの、本当の思いは正義で、あなたの思想は私にとって悪です。ですから、私はあの人に尽くせるのです」

 

 頑なに口を開かなかったマユカが、負傷を全く感じさせない強い口調で、堂々たる態度を以って言い放った。

 

「ですから、たとえ体が朽ちようとも、全力であなたがたを食い止めます」

 

 マユカは拳銃を構え直して、シルトを睨んだ。だが、その途端に、マユカの限界がとうとう来たのか、彼女は血を吐きながら膝をついた。

 

「体の方は終わりのようだな。それ以上苦しまぬよう一太刀でその首を落とそう」

 

 クレナイが歩み出て、大刀を大上段に構える。ルビーが思わず目を覆った時、翼の羽ばたきの音が聞こえた。そして、すぐさま破壊音が鼓膜を震わせた。

 ルビーが恐る恐る手のひらを目から離すと、埃が広範囲に舞っていた。それが晴れたときには、その場にルビー以外の誰の姿も見えなかった。

 

        ***

 

(流石、力天使の肩書きは伊達じゃないね。だった一撃で、シルトとクレナイを撤退させるなんて)

 

 アイリスは、さらに、エクスシアの手際の良さにも感心していた。アイリスを守るために入れていた結界に隙間を開け、そこにマユカを入らせるまで、数秒しかかからなかった。

 それで今、アイリスは、重症を負ったマユカとともに、カプセル状の結界に包まれて、エクスシアの隣を飛んでいる。目的地は本陣だ。目標の物が手に入った以上、その説明と、アイリスの心の底からの目的を公開しなければならない。

 

「あのさ、エクスシア」

 

 包帯で巻かれた、レミエルに抉られた右目の周りの疼きに耐え、マユカに応急処置を施しながら、アイリスは躊躇いがちに切り出した。すると、エクスシアはアイリスの言わんとすることを予期していたかのように言った。

 

「ユラのことでしたら、レミエルが死んでいないのであれば問題ありません。あなたと私の約束事はそれだけですから、ユラの死はT.w.dに入った時点で、覚悟の上です。それよりも、マユカさんの手当てに集中してあげてください」

 

 図星だった。思わずアイリスはエクスシアの顔を見つめた。その瞳は燻んでいた。エクスシアがT.w.dに加入した時から、輝きを失い、その奥に底なしの怒りを感じさせる瞳は、全く変わっていなかった。変わったのは、彼女の翼だった。肩から伸びるそのふたつの翼は、すっかり黒くなっている。ということは、七女神の目に見える形で、赤の世界を裏切り、窮地に陥ったアイリスを救ったということだ。

 

「堕天したってことは、この世界には縛られなくなったんだよね」

 

 アイリスは、マユカへの手当てをし終え、彼女が安心しきった表情で眠っていることを確認すると、呟くようにエクスシアに訊いた。エクスシアは頷くとほんの少し、弾んだ声で答えた。

 

「はい。これで、私が信じる正義を大っぴらに実行できます」

 

 アイリスはその言葉を聞いて、エクスシアがT.w.dに加盟した時の面接のことを思い出した。彼女は、アイリスが赤の世界を裏切ることについて尋ねた時にも、「正義」という言葉を口にしたのだった。エクスシアの行動の根底には、それが最も大きく存在するようだ。

 

「赤の世界の正義は、私の正義ではありませんから」

 

 エクスシアは、かつてアイリスに告げた言葉を、吐き捨てるように呟いた。

 

        ***

 

 由唯は、民家の屋根の上から、移動しながらアサルトライフルで敵を狙撃していた。敵は黒っぽい服装で、民家の陰に隠れながら進撃していたが、逆にそのおかげで敵が一箇所に固まりやすかったので、由唯としては好都合だった。闇夜の中に紛れるような黒服についても、暗視スコープのおかげで特に問題は無い。

 赤の世界の民家の屋根が、瓦ぶきでない平坦なものであり、また民家ごとの屋根の高さの違いが大差ないことが幸いして、移動の時も殆ど音を立てずに動くことができた。さらに、当然のことながら、ライフルには消音器を取り付け、その上由唯の異能で、姿を完全に隠している。

 集団の敵を減らすこととしては効率が悪いものの、見えない恐怖を与えることはできる。由唯の行動の目的はそこにある。敵を減らすことについてはアインスたちが本命としてするので、由唯はその点については、何の気兼ねもなく狙撃に集中できた。

 しかし、気を乱しかねないこと自体はあった。ひとつは、ユノと秀のことだった。完全に連絡が途絶えている中で、約束の時間を過ぎても帰ってこない。何かあったとしか思えない状況だ。しかし、それを確かめるわけにもいかないというもどかしさが、由唯のみならず、あずさ達を苦しめていた。

 もうひとつは、戦闘前に、あずさ達と交わしていた会話のことだ。メルトの仇を前にして、冷静に戦えるのか——あずさはその点を問うた。

 それまで、赤の世界に来てから、由唯達はメルトの死については一切話題にしなかった。レボリューション部の中で、互いが互いに気を遣いあって、誰も口にしなかったのだ。しかし、戦闘が目の前に迫っているとなれば、あずさも訊かずにはいられなかったのだろう。

 あずさの問いに対して、由唯は「戦士として戦うことを決めた以上、そうならないように善処する」といった風に答えた。

 そう言ったものの、やはり腸が煮えたぎるような怒りは抑えられるものではなかった。確かに、由唯は秀に鍛えてくれと頼んだ日から、異能を持っているだけの、ただの女子高生としてではなく、戦士として生きることを覚悟していた。そうする以上、仲間の死も受け入れつつ、冷静にならなければならないと頭の中では分かっていたが、実践は出来なかった。

 声が漏れない程度に深呼吸しながら、街道に向いていたスコープを覗いた。するとそこには、忘れられるはずのない、薄い青の髪にヘッドドレスを付け、側頭部に二本の大きな角を、背中にコウモリのような羽を持つゴシックロリータ調の服を纏った少女——モルガナの、街道を走る姿があった。その姿を認識した瞬間、由唯は考える間も無く、彼女に向かって銃弾を打ち出していた。

 

        ***

 

 T.w.dの本陣に到着したアイリスは、その時本陣にいた、アルバディーナをはじめとした幹部らを本営に集めて、エクスシアの赤の世界におけるスパイ活動の終了を告げると、咳払いをして切り出した。

 

「私が取りに行ったものは、世界の転生の秘術。そして、それこそが私の根底にある目的なんだ」

 

 幹部らは、皆が皆示し合わせたかのように、表情を固めた。アイリスは、想像通りの反応をした彼らを見回しながら続けた。

 

「この際だから言うけれど、私が真に望むのは世界の修正。人間への復讐云々については、そりゃ、そういう気持ちだってあるけれど、でも私の願いからすれば売り文句でしかないんだ」

 

 アイリスを取り巻く幹部たちは、先程に増して呆気にとられている様子だった。この幹部の中にも、人間への復讐が目的でT.w.dに入った者が何人かいる。それを売り文句の一言であしらわれては、困惑するのも無理はない。アイリスは彼らの気を悪くすると分かっていながらも、目的のモノが手に入ったら全てを話す、という約束を果たすため、話を続けた。

 

「なんでそういうのを売り文句にしてたかっていうのは、世界の歪みを知っている人が欲しかったんだ。世界の転生に成功した時の方針の参考になるからね。ちなみに隠していたのは、いつどこで赤の世界の、T.w.dの外部の人間が聞いてるか分からなかったから」

 

「休戦協定を結びましょう。今すぐに」

 

 そう唐突に、声高に言ったのは、アルバディーナだった。その場の者たちの視線が彼女に集まる。無論、アイリスとて例外ではなかった。

 

「その目的で今後T.w.dを動かすつもりなら、今戦闘なんてやってる場合じゃないわ。組織内で意識を統一してから戦闘に臨むべきよ」

 

 アルバディーナは早口気味にそう言った。彼女の発言に対して、アイリスは、それもそうだと思った。アルバディーナは何も間違ったことは言っていない。確かに、新しい方針に不安を持ちながら戦うよりは、それに命を尽くす覚悟を以って戦う方が、士気は明らかに高くなる。それに、重症を負った兵士達の回復もできるだろう。そうアイリスは納得した。しかし、彼女にそうさせた一因には、アルバディーナの物凄い剣幕が一役買っていたかもしれない。

 

「分かった。そうしよう。みんなも異論はない?」

 

 アイリスは、その場の全員がアルバディーナに賛同していることを確認すると、アルバディーナに向き直った。

 

「休戦交渉はあなたに任せていいかな? こういうことは、私よりもあなたの方が上手くできると思うし」

 

「私が全権大使ということね。承知したわ」

 

 アイリスには、そう答えるアルバディーナの声は、少し弾んでいるように聞こえた。しかしアイリスはそのことをさほど気にせずに、「頼んだよ」とだけ告げた。

 それから会議が終わり、本営から一人一人去っていく中、アイリスはアルバディーナを呼び止めた。

 

「休戦協定を結んだ後も、少しの間だけ赤の世界に残っていいかな。私たちに引き込みたい人がいるんだ」

 

 アルバディーナは少し考え込むと、「分かったわ」と呟くように言って、その場を去った。

 一人残ったアイリスは、通信端末を取り出すと、エクスシアに連絡を入れた。

 

「もしもし? 後でいいから、あの子——レミエルのこと、詳しく教えてくれないかな」

 

        ***

 

 モルガナとイレーネスは、神殿から最も距離のある街道を、数人の部下を引き連れて走っていた。二人は、そこを攻める部隊が苦戦しているから救援に向かえとの指令を受けていた。

 モルガナはイレーネスと共に先頭を行きながら、目を凝らして前方を見た。モルガナは並の人間の数倍の視力を持ち、また夜の目利きもよい。“霧に棲む魔物”の異名を持つモルガナとしては、当然のことだ。

 モルガナは、視界の中に宙を舞う何本かのナイフと、ビット兵器を捉えた。それらの形状から、アインス・エクスアウラとコードΩ46セニアが居るというのは、事前に読んだデータのおかげで分かった。なるほど、確かに物陰に隠れながら進軍しているT.w.dからしてみれば、死角からの攻撃に気付けたとしても、狭い場所に固まっているため容易く殺されてしまうだろう、と、モルガナは分析した。

 モルガナは苦戦している理由はそれだろうと結論付けた時、微妙な空気の流れの変化を感じた。その方向に目をやると、ひとつの銃弾が、モルガナの数秒後の、こめかみの位置に向かっていた。走る速さを落とせばモルガナ自身には当たらないが、隣を走るイレーネスに当たってしまう。己の行いでイレーネスが傷付くのは、モルガナにとっては許されることではなかった。

 そこでモルガナは、走りながら腕を銃弾の方に、拳を丸めて真っ直ぐに伸ばした。そして、弾道と腕の伸びる方向が平行になり、さらに指と弾丸が接触した瞬間、それを中指で、進行方向が、弾道とある小さい角度をなすように弾いた。

 すると銃弾は、狙い通りの方向に飛んでいき、途中で止まったように見えた。しかし、モルガナの目に、その周りの空間にだんだんと人の姿が見えてきた。朱色の長髪に、赤い青蘭学園の制服を着た少女だった。彼女の額からは血が流れ、さっき弾き返した弾丸がそこに命中したことが分かった。彼女は茫然自失とした表情のまま、力尽きたようにそこに倒れた。彼女は死んだ。そのことは容易に分かった。耳を幾ら澄ませても彼女の方から心拍音は聞こえなかった。

 モルガナは走りながらそのことを確認すると、意識を再び前方に向けた。そうした時、前方から青蘭学園の制服を着た一人の少女が、猪突猛進といった感じで突っ込んできた。

 

「よくも由唯を、殺したなあっ!」

 

 彼女の声と姿も、モルガナの記憶の中に微かにあった。そして、彼女が青蘭学園での戦闘の時に、使おうとしていた異能を思い出した。

 

「確か、時間停止能力の持ち主で、名前は椎名あずさとかだっけ。そう資料に書いてあったような」

 

 そうと分かれば、この少女を生かすという選択肢は無かった。以前はアルバディーナの結界のおかげで不発に終わったが、成功すればこちらは壊滅状態に追い込まれるだろう。

 

「時間停——」

 

「させない」

 

 モルガナは、あずさが異能の発動に集中するため、目を閉じた一瞬のうちに距離を詰め、右アッパーカットをあずさの顎に食らわせた。あずさは異能を発動させる間もなく、鋭い放物線を描くように吹っ飛ばされた。そしてすぐに、頭から落下して頭頂部を石畳にぶつけた。

 先程のモルガナの一撃であずさの顎は砕け、また頭頂部からは血が流れ出し、意識を失っていたが、あずさはまだ生きていた。微かに息がある。それで、モルガナはとどめを刺すべくあずさに近づいた。するとその時、モルガナに飛び掛る、ひとつの影の存在に気がついた。

 

「モルガナ!」

 

 イレーネスが、その影に向かって炎の球を打ち出した。すると、その影から全く同じ炎の球が、イレーネスのものを打ち消すように打ち出された。

 

「私の名はシャティー・ティファール。あなた達の命、ここで貰い受ける」

 

 影はそう名乗りをあげると、何十、何百もの剣を一瞬にして生成し、モルガナ達に降らせた。

 モルガナ達はすぐ散開して攻撃を回避し、全員、すぐさま反撃に出ようとした。だが、その瞬間、ずっと遠くの方で、花火が打ち上げられるような音が響いた。モルガナは思わずそちらを見た。すると、全軍に撤退命令を示す信号弾の光が、空高くに見えた。

 

「何故このタイミングで撤退なの? でも命令だから仕方ないか」

 

 モルガナは煙幕を焚いた。そして、周囲にイレーネスと部下達が集合したのを確認すると、煙が晴れぬうちに、来た道を全速力で引き返した。

 

        ***

 

 レミエルは、ユラの首と剣を持って、神殿の外に出た。ユラを埋葬するためだ。生前の悲しい思いを抱かせたまま、死んでしまったユラのために、せめてとレミエルは思ったのだった。

 秀とユノは、まだ書庫の前の通路で倒れている。レミエルが彼らの精力を奪ったとはいえ、命に別状がある訳ではなく、また、ユラの埋葬は一人でしたかったからだ。

 夜の闇の中、レミエルは魔法で周りを照らして、首を埋められるような場所を探していると、一人の住人と目が合った。彼が荷物を持っていたことから、彼の目的は、恐らくは疎開先から、忘れ物をこっそり取りに帰ったのだと推測できた。

 彼はレミエルを見ると、後ずさりし、汗をだらだらと流して、ヒステリックに叫んだ。

 

「め、女神殺しぃぃーッ!」

 

 彼はそのまま一目散に逃げて行った。彼の行動に、呆気に取られていたレミエルが、私は違う、と反論した時には、彼はすでに闇の中だった。



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世界の真実! 打つべき敵は七女神!

 赤の世界と、T.w.dとの間に休戦協定が結ばれてから、二日が経った。休戦期間は五十日間。戦闘開始から数時間で休戦という異例の事態ではあったが、劣勢だった赤の世界としてはこれを受け入れ、体制を整えることが最善の選択だった。

 住民に出されていた疎開令は一時的に解除され、住民はしばらくの間自由に行動することを許された。しかし、秀、レミエル、ユノの三人は、先の戦闘で、敵戦力が来る前に戻らなかった、ということで謹慎処分を受け、外に自由に出歩けない状態にあった。とはいえ、宿舎の中ならば自由に行動できるため、そこまでの不自由は無かった。

 ただ宿舎の中にいても、することが無いので、謹慎生活一日目は、秀とレミエルはあずさの見舞いに行ったり、二人で部屋の中で愛を深めたりしていた。

 そしてこの日、部屋の中に秀とレミエルで二人きりの時だった。ベッドに腰掛けている秀は、前日に聞けなかったことについて、すぐ隣にいるレミエルに尋ねた。

 

「なあ、レミエル。堕天って、何だ?」

 

 今のレミエルの姿は、顔立ちや髪型、肌の色こそ秀の知るものと変わらない。しかし、青の右目は赤くなり、右肩から伸びる翼は真っ黒になっている。更に紫の装束は血のように赤黒くなり、そして何より、左目と左の翼は、閻浮檀金の話に伝え聞くような、紫を帯びた赤っぽい金色となり、背中には、いつも持っていた杖の環状の部分が、六本の剣に囲まれて浮いている。レミエル曰く、この剣の実体化のオンオフは自由にできるとのこと。

 それに、秀はレミエルの落ち着きぶりにも違和感を感じていた。以前のレミエルなら、ユラを失った悲しみに耽り、ずっと落ち込んでいたはずだった。しかし今は、かなり落ち着いていて、時折笑顔さえ見せる。秀はこれを、レミエルが成長したか、堕天による影響か、はたまた両方か、どのように取ればいいのか分からなかった。

 

「やっぱり、気になりますよね。この姿を見れば」

 

 そう言って、レミエルは躊躇無く語り出した。まず堕天とは、広義には、赤の世界の住人が赤の世界の理から外れることを言うのだという。その中でも、堕天した天使のことを特に堕天使という。

 

「理から外れるというのは、赤の世界に張られてる結界の影響を受けなくなるのです。ですから、七女神による精神への干渉も受けませんし、また祈りを介さずに私の力全てを発揮できます。私が戦闘を終えたあとも、ずっとこの光の翼があるのはそういうことです」

 

「それなら、良いことづくめじゃないか」

 

 秀は単純に思ったことを口にしたが、レミエルは悲しそうに目を伏せた。

 

「確かに、堕天することで、そのようなメリットもあります。だけど、堕天使は赤の世界の社会では生きていけません。堕天することは、最大の悪徳だと、七女神に刷り込まれているからです」

 

 秀は言葉を失った。この状況において、それは赤の世界の人々に信用されないままT.w.dと戦わねばならないことを意味する。守るものから信頼されずに戦うということは、かなりの苦痛のはずだ。

 

「でも、私は後悔してませんよ。堕天して、色々分かったこともありますから」

 

 レミエルは晴れ晴れとした表情で言った。秀はそれに驚き、困惑した。あまりにも、今のレミエルは今までの彼女とは違っていた。無理をして明るく振舞っている様子も無かった。

 

「じゃあ、次は堕天する方法についてですが……」

 

 惑っている秀を余所に、レミエルは話し始めた。彼女曰く、堕天する方法については、みっつある。ひとつには、赤の世界に反逆するような行動を、堂々と行った時。ふたつ目は、祈りによって、あまりにも巨大な力を得ようとした時。みっつ目は、堕天使の子として生まれること。レミエルはふたつ目の方法で、エクスシアは恐らくひとつ目の方法で堕天したとのことだ。

 

「エクスシアが?」

 

 秀は喫驚した。秀が最後に見たエクスシアは、堕天などしていなかった。それに、赤の世界に反逆するような人物にも見えなかった。

 レミエルは頷くと、顔を上げて天井を見つめながら言った。

 

「でもあの子が堕天していたのは事実です。何があったか、聞けるといいのですけど」

 

 レミエルがそう言い終えてから、お互いに口を開かなくなってしまった。秀としては、何を言えばいいのか分からない、ということだった。レミエルについては、話すことがなくなったから、と秀は捉えていた。

 そのような空気の中にいるのは苦痛であったので、雰囲気を変えようと、秀はレミエルを抱き寄せた。レミエルは拒まず、秀に身を任せてきた。そのまま、秀は目を閉じてレミエルに口付けをしようとした。しかし、その直前に、すぐ近くにふと妙な気配を感じた。それで、キスすることを止めて、顔を横に向けると——。

 

「やっほー」

 

 顔の右側を包帯で覆った、毒気の全く無い、明るい笑顔の銀髪の少女がいた。その少女と見つめ合うこと数秒。秀は思わず飛びのいて、彼女を指差して喚いた。

 

「だ、誰だお前は!?」

 

「んー? 見覚えないかなあ。あっ秀は覚えてないかもね。でもレミエルは覚えてるんじゃない?」

 

 その少女は飄々とした感じで言った。言われて、秀はこのような風貌をした少女を、先の戦闘で見たことを思い出した。レミエルに追われていた、あの銀髪の少女だ。そして、その名は。

 

「アイリス」

 

 レミエルは、はっとした風に言った。アイリスはふっと微笑すると、部屋の机に腰掛けて、足を投げ出した。

 

「よく名前までわかったね。あの時が初対面で、名乗ってなかったのに」

 

「声でわかります。あなたの声だけは、何度か聞いていたから」

 

 レミエルと会話しているうちに、少女——アイリスが、段々と眉間にしわを寄せていた。理由は明白だった。秀から見ても、レミエルに異常さを感じることを禁じえなかった。

 

「ねえ、気になるんだけど」

 

 アイリスが怪訝な表情で切り出した。彼女の目を、レミエルは真っ直ぐに見つめている。

 

「私はユラの——ううん、それだけじゃない。T.w.dの頭として、鶴谷由唯や、メルト、それにガブリエラの仇でしょ。どうして君は、そんなに落ち着いていられるの?」

 

 そのアイリスの言葉に、秀は思わず頷いていた。それは秀も感じていたことで、レミエルに感じていた異常の原因だった。T.w.d総統であり、仲間たちの仇。そのような彼女を前にして、平気でいられるレミエルの精神が理解できなかった。

 秀の動揺をよそに、レミエルは微笑を浮かべて答えた。

 

「わかりませんよ。この瞬間にも、私はあなたを殺す算段を、頭の中でしているかもしれない」

 

「見え透いた嘘はつくもんじゃないよ。そんな顔もしてないし、心拍数もいたって平常じゃない」

 

 レミエルは、参りましたと舌を出した。そして、アイリスを真っ直ぐに見据えて、一度深呼吸をしてから口を開いた。

 

「憎しみが無いとはいいません。でも、怒ることも、悲しむことも、もう十分にしましたから。あとは、ユラを始めとした、亡くなった人の冥福を祈り、前に進むだけです」

 

 秀はレミエルの言葉に息を呑み、そして感動していた。秀の知らない間に、レミエルは立派に成長していたのだ。恐らく、ガブリエラの死と、ユラとの不和と死別が、短い間隔で起きたゆえのことだろう。秀はそう判断した。

 

「それよりも、アイリス、あなたがここに来た目的は何です? 私たちを殺すためではないでしょう?」

 

 アイリスは、レミエルの問いに頷いた。しかし、その後アイリスは急に部屋のドアに向いて、少し大きめの声で、誰かに呼びかけるように言った。

 

「そこでコソコソ聞いてるの、出て来なよ。話を聞きたいなら私に姿を見せなさいよ」

 

 ややあって、入室してきた人物はシャティーであった。ばつの悪い顔をしながらも、その目はアイリスを睨んでいる。

 

「まあまあ落ち着きなよ。それに、赤の世界の天使なら、ぜひ聞いて欲しい話だしね」

 

 シャティーの眉がぴくりと動いた。アイリスはにやりと笑い、レミエル、シャティー、秀の顔を順に見つめると、大きく息を吸って告げた。

 

「君たち、T.w.dに入らないかい?」

 

 秀は、空気が静止したような錯覚に襲われた。アイリスから殺気が殆ど感じられなかった時点で何かおかしいとは思っていたが、ここまでおかしなことを言ってくるとは思いもよらなかった。

 

「そのことにあたって、赤の世界について聞いてほしいことがあるけど、私じゃない子に話してもらうから、その子が来るまでちょっと待っててね」

 

 アイリスはそう言うと、息を吐いて、秀たち三人の視線が交わる位置に、雑にあぐらをかいた。そして手をパンっと鳴らして、両腕を広げてみせた。まるで空気が読めていない。

 

「さあ! 例の子が来るまで質問タイム! 聞きたいことあれば遠慮なく聞いてね!」

 

 しかし誰も声を出すことはなかった。秀とレミエル、シャティーは三人とも口をアングリと開けている。対し、アイリスは両腕を広げたまま動かなかった。

 しばらくして、ようやく自己を取り戻した秀が、意を決して訊いた。

 

「聞きたいことがある。お前と、T.w.dの目的は、人間への復讐と、世界の破壊なのか?」

 

「まあ確かに、T.w.dの表向きの目的はそうだよ。でも、私の目的は違う。私の目標は世界の破壊の先にある。人間への復讐については、人間への憎しみはあるけど、復讐するほどのものじゃない」

 

 秀は「そうか」と呟いた。もしもアイリスの目的も、人間への復讐と世界の破壊で止まるのであれば、秀は問答無用でアイリスの誘いを断るつもりだった。だがその先があるというのなら、アイリスの話に耳を傾ける価値もある。

 秀が横にいるレミエルとシャティーに目配せすると、二人とも頷いた。二人が質問するのはアイリスの話を聞いてからにするようだ。

 

「ならアイリス。その目的とはなんだ?」

 

「世界を造り直す。この五世界の、曲がったこともそうでないことも全て無に帰して、再びやり直すのさ」

 

「それは七女神のしたことと、どう違うんだ」

 

 秀は、即答したアイリスに間髪入れずに問うた。アイリスはニッと笑うと、立ち上がって、胸を張りさも自信ありげに答えた。

 

「七女神は己の保身しか考えていない。だけど私は違う。私が、世界を牽引する! やり直した世界で道標そのものになるんだ!」

 

 アイリスの口から紡がれる言葉は、正しく野心そのものだ。しかし、彼女の猛り、姿勢、覇気が、悪とは感じさせなかった。秀には、アイリスの若さゆえか、それらのことが一層強く感じられた。どう見ても秀と同年代のこの少女が、T.w.dという一大武装組織の総統として君臨していることにも納得がいった。

 そして、秀はアイリスと戦う意義を見失い始めていた。秀が戦う理由は、世界を守るためであった。しかし、アイリスは世界を造り直すと言った。そのことで、世界、ひいては国々に脈々と流れる血液の如き誇りと文化は、果たして失われるのだろうか。秀は、すっかり分からなくなってしまった。

 とはいえ、聞きたいことは山ほどある。秀は、その問題は後回しにすることにした。

 

「牽引すると言ったが、どういう方向に引っ張っていくつもりだ?」

 

「その前に、今世界で起きていることについて話そうか」

 

 秀は頷いた。青の世界のことでさえ、秀は生まれた村と青蘭島以外の世界を知らない。ましてや他の世界などなおさらだ。またこれを聞くことによって、先の問題の解決の糸口も掴めるかもしれない。そのように考えると、ここでアイリスの話を聞いておいて損はないと思えた。

 

「まず、赤の世界については例の子に話してもらうとして、各世界の情勢について語ろうか」

 

 アイリスの言うことには、黒の世界ではT.w.dに対抗するために軍隊を組織し、その訓練を行っている最中であり、緑の世界では、先日の青蘭島での戦闘での損失を受けて、軍の再編成と、青の世界に対する政策の見直しをしているとのことだ。そして、青の世界では。

 

「とりあえず、日本も含めて世界の国々は私たちを様子見するようだよ。青蘭島は私たちが占領していることになってる。世界的な思想的な動きとしては、プログレスやαドライバーの排斥運動の気運が高まっているね」

 

 秀は唾を飲んだ。もしアイリスの言ったことが本当なら、秀たちはT.w.dを打ち破って帰還しても、青の世界で四面楚歌の状態になってしまう。そうなった時、秀は己の行いが正義であると確信できるとは思えなかった。

 アイリスは、秀を一瞬だけ見つめると、言葉を続けた。

 

「理由としては、各国が多額を投じた、プログレスとαドライバー、及び異変の研究が、全く成果を上げなかったことが一番のようだよ」

 

「成果を上げていない? どういうことだ?」

 

 気づいた時には、秀はアイリスに詰め寄っていた。

 

「順調に成果を上げていると、学園では常々……」

 

 秀はそこまで言って、ジュリアの言っていたことを思い出した。

 

——彼女らの大半が、異変解決に本気になってないってことを悟って——

 

 当時は、秀が聞きたかったことと、その発言の後に、ジュリアが口にしたT.w.dのことで頭がいっぱいになって、たわいもないこととして忘れてしまっていた。だが、今から思い返せば、ジュリアがかなり重要なことを語っていたということに気付いた。

 

「そうか、一部の人は、気付いてたんだな」

 

「うん。更に、青蘭島はプログレスのための島として造られた。入ってくる情報はプログレスに聞こえのいい情報しかないし、異変の影響も九割方はカットできるように、あの島は設計されている。これに関しては、他の世界の知恵とかも借りたようだけど」

 

 だから、青蘭島に住んでいると、あたかも異変は順調に解決されているように思える——アイリスは、秀を哀れむような目で見つめてそう言った。

 この時点で、秀の心はほとんど完全にアイリスに傾いていた。もし、これから語られるであろうアイリスの方針に正義があれば、T.w.dに入ると言うつもりだった。

 

「だから、ヘイトの対象になっていた青蘭学園を攻撃したわけよ。一番の目的は世界水晶だったけど。……まあ、世界の情勢はこんなとこかな。次は方針ね」

 

 アイリス曰く、まず、現在製造の準備を始めている、方舟なるものに人々を乗せ、いつつの世界をひとつに造り直す。そして、何も人工物の無い新たな世界で、また再出発をさせるとのことだ。

 

「流石に原始時代からやり直せって言うつもりは無いから、重機とかは持ち込むつもりだよ。造り直した後でも石油なんかは出るみたいだから燃料には困らないはず。別に最初っからやり方が間違っているなんて思ってないから、青の世界程度のテクノロジーの産物は、バンバン使っていくつもりだよ。白の世界は大失敗してるとこだからあまり使わないけどね」

 

「じゃあ、お前はどこから手を加えるつもりなんだ?」

 

「大きな国が形成されて、教育機関が出来始めた頃かな」

 

 それからアイリスが言うことには、所謂愛国心を育み、国を作った時の精神を忘れないような教育をする教師を育成する環境を作るとのことだ。更に、自然に対して謙虚になるようにもしたいのだという。

 

「前者については、せっかく世界や国を造り直しても、世代が変わるにつれその時の精神を忘れて腐敗したら意味が無いからね。秀の世界だと、中国の歴史なんか知ってるとよくわかるんじゃない?」

 

 秀は頷いた。しかし、納得したのは前者の方で、後者の方には疑問があった。アイリスが、青の世界でよく言われた、資源の無駄遣いとか、地球温暖化がどうこうとか言うつもりならば、石油を掘り出してテクノロジーを多用するなど言うはずがない。

 秀がそう言った感じで思考を巡らせていると、アイリスは秀の考えを見透かしたように言った。

 

「後者に関しては、君の世界でよく言われることじゃなくて、完全に私の私情がらみなんだけどね。今までの話は、あくまで私が、ああしたいこうしたいっていうだけ。これからT.w.dの方で議会を作るつもりなんだ。そこで、組織全体で造り直すって方針になったら、みんなの意見を取り入れて、より良いものにする予定」

 

 アイリスは一息つくと、秀たち三人の顔を見回し、再び座って尋ねた。

 

「私が造り直す世界の話は終わったけど、もう聞くことはない?」

 

 秀には先の話題とは違うことで、訊きたいことがふたつあった。しかし、ひとつは些末なことなので、訊こうかどうか迷ったが、結局両方訊くことにした。

 

「ふたつある。ひとつ目は、なぜ武力を用いる必要があった? 言論のみじゃダメだったのか?」

 

 秀が尋ねると、アイリスはわざとらしくため息をついた。続けて、アイリスは秀を小馬鹿にしたように答えた。

 

「武力が後ろになかったら、誰も私の言うことなんか聞かないでしょ? ただの頭おかしいことをぬかすヤツって思われるだけだよ」

 

 そう言われて、秀はイラっとしたが、よく考えてみればその通りなので、納得することにした。そして、もうひとつの、些末な方のことを尋ねた。

 

「次だ。俺を虐待していた連中の行方は分かるか?」

 

「恨みを晴らそうってわけね。でもそれは無理だ」

 

 アイリスは秀を慮ってか、目を伏せて秀の問いに答えた。

 

「彼らの村は、異変によると思われる突発的なマグマの噴出で消滅してしまったんだ。復讐するつもりだったのなら、残念だったね」

 

「いや、いい。因果応報だと思うさ。それより、村が消滅するような出来事なら、多分村の者は全滅だろう。あそこは外界との接触を絶っていたから、弔いすらされていないはずだ」

 

 アイリスは、秀の言うことがピンと来ないらしく、可愛らしく小首を傾げていた。先程とは打って変わった少女らしい仕草に、秀は苦笑すると、自分の目線をアイリスの目線に合わせて、少しゆっくりめに告げた。

 

「あいつらの墓を作ってやってくれないか? 俺を虐待していた村とはいえ、あそこは俺の故郷で、あいつらはそこの住人だ。今生きている最後のあの村の出身者として、あの連中を弔う義務がある」

 

 アイリスはポカンとしていたが、やがて納得したように何度か頷いた。

 

「なるほど、君の言うことは至極もっともだ。そのように手配しておくよ」

 

 秀は、このアイリスという少女を、概ね理解できたかもしれないと感じた。性格は、一概に良いとは言えない。基本やや傲慢な態度で、自信家で、空気が読めない等の粗はある。しかし、それらの点は、まとめて超然としているとも言える。組織のリーダーとして、重要な要素となりうる。また、先程の話題で、彼女が、秀が復讐すると真っ先に思ったあたり、心が歪んでしまっているのかもしれない。

 

(もしT.w.dに入ることになったら、俺はこいつの指示を仰ぐことになるのか)

 

 しかし、それは悪い気はしなかった。むしろ、それもありか、と思った。その気になれば、命も預けられるとさえ思った。

 秀は、これ以上質問する気はないという趣旨を伝えようと、アイリスの名を呼びかけた。しかし、ちょうどその時、部屋の戸が大きな音を立てて開けられた。そして入ってきたのは、目を虚ろにし、黒翼を両肩から生やした、エクスシアであった。

 この時、秀はレミエルを一瞥した。レミエルは唖然としていたが、その彼女の口角は微妙につり上がっていた。

 

「エクス。私、何となくだけど、あなたの堕天した真意とかが、分かった気がしたよ」

 

 レミエルは、開口一番にそう言った。しかし、エクスシアは戸を閉めると、険しい目でレミエルを見つめながら、低めの声で告げた。

 

「堕天してから、この世界をこの部屋から見ていないあなたには、赤の世界の狂気の表面すら見えていませんよ」

 

 秀は息を呑んだ。これがエクスシアかと。初対面の時とは、まるで別人だ。エクスシアから発せられる、背筋が凍るような威圧感は、秀に恐怖を抱かせるには十分すぎた。

 秀の心中をよそに、エクスシアは語り出した。それは追憶の話。秀の知らない、レミエルと、エクスシアと、ユラが、互いに机を並べていた時の——。

 

        ***

 

 その日、エクスシアやユラが通ってた学校に、新たに共に勉学に励む仲間として編入されたのは、レミエルという名の、小汚い服を着た片翼の天使だった。教師に自己紹介を促されても、ただただ戸惑うばかりで、結局教師が代わりに紹介したのだった。その時のレミエルの様子は、完全に他人に怯えていた。恥ずかしいからとかそういうことではなく、本能的なものに近かった。

 その後、エクスシアはユラと共に、ガブリエラに呼び出された。そして、ガブリエラは無表情に告げた。

 

「二人には、レミエルと仲良くして欲しい。これは七女神の名の下に下された命だ」

 

 エクスシアとユラは、何の疑いもなく承諾した。七女神の言うことは絶対であった。それが例えどんなことであろうと、それが赤の世界の正義であった。

 また、エクスシアは、当時は明るく溌剌とした性格で、また困っていそうな人を放っておけない性分だった。そのおかげで、ガブリエラにわざわざ言われなくても、いつも困っている感じがするレミエルと、親密になりたいと考えていたのだ。

 その次の日にレミエルの背中を見た直後に、エクスシアは彼女に話しかけた。

 

「私、エクスシアっていうんです。親しい人はみんなエクスって呼んでるから、貴方もエクスって呼んでください!」

 

 急に話しかけられたレミエルは、怯えて固まっていた。そのような彼女の手を取って、エクスシアは微笑みかけた。爽やかな笑顔で話しかければ、敵意は無いと思わせられるだろうという考えからのことだった。

 

「友達になりましょうって、言ってるんですよ」

 

「友達に?」

 

「はい。友達です!」

 

 レミエルは戸惑っていた。しかし、ややあって、満面の笑顔で頷いた。その時の、レミエルの煌々とした笑顔を、エクスシアは失いたくないと思った。己の目の届く限り、守り続けたいと願った。

 その日のうちに、ユラともレミエルは友達となった。それから始まった、新しい日々。エクスシアは、出来るだけレミエルの側にいるようにした。命令のことが念頭にあるからではなくて、彼女のことが気に入っていたから。三人で、いつまでも仲良くやれたらいいな、と、エクスシアは子供心に思っていた。しかし、それはある出来事を発端に、エクスシアの中から崩れ去った。

 ある日、エクスシアが学校で用事を頼まれて、一旦レミエルから離れた。戻ってくる頃にはレミエルは教室にいなかった。帰ったのだろうと思って、エクスシアも帰ろうと考えた時だった。微かに悲鳴が聞こえた。その悲鳴は聞き間違えようもなくレミエルのものだった。

 エクスシアは、悲鳴の聞こえた方向に走った。猛烈に嫌な予感がしていた。ゴキブリを見た、程度のものであって欲しかった。しかし、現場に着いたエクスシアが見たのは、五、六人の、クラスメイトの女神見習いや天使からリンチされている、レミエルの姿だった。

 

「レミ——!?」

 

 エクスシアがその名を叫ぼうとすると、突然背後から腕を引っ張られ、口を押さえられた。

 

「やめなさいエクス。これは七女神様の意志なんだ」

 

 聞き慣れた声にハッとなって振り返ると、そこにいたのは、小さい子をあやすような微笑を浮かべたユラだった。

 

「何を、言ってるんですか。こんなのが正義だとでも言うんですか」

 

「七女神様の意志は常に正義じゃないか」

 

 ユラは、何を言ってるんだ、という感じで、呆れたように言った。エクスシアは信じられなかった。そして、赤の世界の本当の姿の、片鱗を見た気がした。七女神が愛を与えて、この世界が平和なのではない。七女神が争いを起こすなと言うから、平和なのだ。この世界の住人は、殆どが七女神の意志に従っているだけで、自分の意志で動いているのはほんの僅かだろう。つまり、生ける屍ばかりだということだ。

 エクスシアはユラを振り払うと、エクスシアの家に代々受け継がれてきたハンマー、ヘカトンケイルを手にした。そして、レミエルをリンチしている者らに向かって疾走した。

 

「レミエルから離れなさい! この不埒者!」

 

 レミエルを取り囲んでいた者らの視線が、エクスシアに向いた。その瞬間に、エクスシアはヘカトンケイルで彼女らのうちの一人を殴打しようとした。しかし、その直前に、

 

「やめんか汝ら!」

 

 凛とした怒号。その場の全員の視線が声の主——ガブリエラに注目した。

 

「即刻散れ。ユラはレミエルを頼む。エクスシアは、私と来い」

 

 ガブリエラは早口気味に告げると、エクスシアの腕を強引に引っ張った。エクスシアは躓きそうになりながらも、ガブリエラに従った。ちらりと振り向くと、何事もなかったかのように去っていく皆の姿があった。ただ、ユラに連れられているレミエルだけは、疲れ切った表情で俯いていた。

 

        ***

 

 エクスシアが、四方を壁で囲まれた空き部屋に通されると、ガブリエラはすぐさま鍵を閉め、エクスシアを見つめた。深刻に思い詰めたような表情で、口が開きかかっては閉じて、というのを繰り返していた。しかし、やがて意を決したようにエクスシアの肩を持つと、小声で切り出した。

 

「汝は、堕天する覚悟は有るか?」

 

 唐突な問いに、エクスシアは少し考え込んだ。堕天するということは、赤の世界の社会で肩身を狭くして生活しなければならなくなる。しかし、赤の世界に失望したばかりのエクスシアにとって、それはどうでも良いことだった。

 

「構いません。レミエルを守れるのなら」

 

「ならば、七女神に反逆し、誅殺することはできるか?」

 

「当然です!」

 

 続けられたガブリエラの問いに、エクスシアは即答した。すると、ガブリエラは手を離し、一瞬だけ表情を和らげた。しかしすぐに、顔を引き締め直した。

 

「レミエルのあの境遇の原因は、彼奴が誕生した時の予言で、『赤の世界に災厄が訪れるとき、ふたつの強大な力がひとつになって超新星の輝きを灯す』というものがあったからなんだ」

 

 ガブリエラは、少し俯きがちになって続けた。

 

「我は、その予言について、七女神に助言を頼んだ。そうしたら、七女神は『父母に虐待させ、学校で仮初めの友人と、彼女を脅かす脅威を作ればよろしい。さすれば彼女は自信を無くし、強大な力とやらも発現しない』ということを、我の提案として、天使どもに伝えよと言ったのだ」

 

 エクスシアは、拳を強く握り締めた。そのような提案をするということは、やはり七女神は悪玉だったのだ。彼女らに激しい怒りを覚えると同時に、自分の正義が正しかったという優越感も感じた。

 

「情けないことに、当時はそれが正しいと信じていた。だが、レミエルを学校に入れる段階で気づいたのだ。七女神だけでなく、レミエルへの虐待をよしとするこの世界はおかしいのだと。だから、レミエルについての予言の認識を訂正するよう、何度も上奏した。だが、七女神は聞く耳を持たなかった。だから、我は反逆することを心に決めたのだ」

 

「だったらすぐやりましょう!」

 

「今はダメだ」

 

 逸るエクスシアを、ガブリエラは制止した。エクスシアは、その理由を問い詰めようとしたが、ガブリエラが先に口を開いた。

 

「今反逆すれば、我々は堕天使の烙印を押される。そうなれば、我々は社会から追放され、レミエルを守るものがいなくなる」

 

「ユラがいるじゃないですか。あの子は、今は七女神を信じていますけど、話せばきっと」

 

 エクスシアの反論に、ガブリエラは首を横に振った。

 

「彼奴は見習いとはいえ女神だ。七女神への信心を覆すことはできない」

 

 それからガブリエラの言うことには、この世界において、女神という種族は元々七女神しかおらず、世界を造り直した際、住人がまた反乱を起こさぬよう、至る所に配置された七女神の分身が、七女神以外の女神だとのことだ。当の女神には七女神の分身という意識は無いが、彼女らの精神は七女神と繋がっており、七女神の忠実な手下となっているという。

 

「それじゃあ、ユラも敵ですか」

 

 ガブリエラは、表情をこわばらせて頷いた。この瞬間、エクスシアは人生を賭して遂行すべきことを心に決めた。七女神を一掃し、この世界を救うと。

 

「分かりました。話を元に戻すと、今は雌伏の時だというのですね」

 

「その通りだ。それと、ついさっき、我はレミエルを連れて、青の世界——青蘭学園に向かうことを上奏し、承諾された。表向きの理由は、更に効率よくレミエルの力を封じ込めるためだが、真の理由は、そこでレミエルの力を覚醒させることにある」

 

「私はどうしましょう」

 

「これまで通りの自分を演じながら、情報収集をしてもらいたい。ある程度の独断行動も許すが、目立つ行為は避けよ。決起の時は、我とレミエルが青蘭学園から帰還した時だ」

 

 エクスシアは、大きくかぶりを振って頷いた。蛮勇しか持ち合わせていないエクスシアには、ガブリエラの指示に従うのが最上に思えた。

 不意に、ガブリエラが手を差し出した。エクスシアを見つめる彼女の目からは、剛直な意志がありありと感じられた。

 

「絶対に、成し遂げるぞ」

 

「はい、ガブリエラ様」

 

 ガブリエラが差し出した手を、エクスシアは強く握った。この時、エクスシアの肚の中では、憤怒と正義の、ふたつの炎が激越に燃え盛っていた。

 

        ***

 

「それから私は、ガブリエラ様が去った後、独断でT.w.dと接触し、『アイリスの目の届く範囲では、レミエルを生かす』『決起の時にいくらか兵を借りる』という条件でT.w.dに入りました。しかし、ガブリエラ様は亡くなってしまいました」

 

 エクスシアはそこで一息つくと、レミエルの肩を掴んだ。この部屋に入ってきた時は虚ろだったエクスシアの瞳に、一条の光が宿ったのがレミエルには見えた。

 

「レミエル、共に七女神を滅ぼしましょう。あなただけじゃない。この世界のために。停戦協定のことなら心配ご無用です。反乱の間だけ脱退すれば問題ありません」

 

 ガブリエラとユラが死に、エクスシアが堕天した今、赤の世界の住人でまだ七女神の影響下にある、レミエルと近しいものはレミエルの母のみだ。その母と和解できていないことが、レミエルの唯一の心残りだった。

 そのことを思い出し、レミエルはエクスシアの手を自分の肩からどけて、エクスシアの瞳を真っ直ぐ見据えて答えた。

 

「分かった。協力するよ、エクス。でも、ひとつだけやらなきゃいけないことがあるから、それが済んでからでいいかな」

 

「それで構いませんよ。アイリスも、兵力を手配するのに時間がかかるでしょうし」

 

 そう言いながら、エクスシアはレミエルが協力してくれることに胸を撫で下ろしたのか、大きなため息をついた。そして、エクスシアの視線がレミエルからシャティーに向いた瞬間、ドアが蹴破られた。そこから入ってきたのは、肩まで伸ばした緑髪の、グリューネシルト統合軍の制服を着た、小柄な少女だった。

 

「シルト!? 何しに来たの? あとクレナイは今日いないんだね。喧嘩でもしたの? 私にとっちゃ嬉しいことこの上ないけど」

 

 そう喚くアイリスに、シルトと呼ばれた少女は軽蔑するような眼差しを向けた。そして、シルトは眉を潜め、舌打ちをしてから答えた。

 

「いちいちうるさいなあ。クレナイなら、元の体に帰ったよ。それに、今回はあなたじゃなくて、そこのレミエルに用があるの」

 

「元の体? もしかして、あいつは七女神の誰かの分身だったの?」

 

「そうだけど、今回はあなたに用はないんだって」

 

 シルトは、アイリスに対し露骨に嫌悪感を匂わせながら、レミエルの方を向いた。

 

「初対面でこう言うのもどうかと思うけど、その反乱計画から手を引いて」

 

「嫌です。私はこの世界をあまり快く思ってませんし、余所者にとやかく言われる筋はありません」

 

 レミエルはシルトの言を真っ向から否定した。すると、シルトはわざとらしく大きなため息をついた。

 

「仕方ない。強硬手段に出ようか。アーンヴァリウス」

 

 シルトは、両手に白い手袋のようなものを召喚した。その手がレミエルに伸びる。

 しかし、即座にアイリスが二人の間に割って入り、シルトの顔面を殴った。不意打ちを食らったシルトは、そのまま床に倒れた。その顔は鼻がひしゃげて鼻血がでていた。

 アイリスはシルトを見つめたまま、レミエルに言う。

 

「この部屋から出て。シルトは私たちがなんとかするから」

 

「停戦協定的には大丈夫なんですか?」

 

「シルトは、正式に赤の世界の軍として参加していない。だから大丈夫」

 

 レミエルはそれを聞くと、振り返ることなく窓に走り、大きく翼を広げて飛び立っていった。その瞬間、レミエルはユラ神殿の正門の方から、何か邪悪なものを感じ取った。

 

        ***

 

「待って! 逃げないでレミエル!」

 

 シルトは立ち上がるやいなや、窓に向かって駆け出した。だが、アイリスが、彼女の軍服の襟を掴み、そのままシルトを壁に叩きつけた。

 

「邪魔をするなら、あなたから!」

 

 シルトが態勢を立て直し、アーンヴァリウスを嵌めた手を、アイリスに伸ばしながら走る。しかし、対するアイリスは余裕の表情で告げた。

 

「死人の武器も使えるとは大したものだけど、そのキレやすい性格は褒められたものじゃあないな」

 

「減らず口を! 今にあなたの記憶を奪ってやる!」

 

 シルトは怒り心頭に発したように突進してきた。だが、すんでの所でアイリスに届くといった時に、シルトはエクスシアのヘカトンケイルに後頭部を殴打され、あっけなくその場に倒れた。

 アイリスはシルトをつついてみたが、反応は無かった。それから、アイリスは警戒しながら、シルトの呼吸と心拍を確認した。どちらも正常で、まだ生きている。気絶しただけのようだ。

 

「とりあえず縛っておこうか。聞きたいことは山ほどあるし、捕虜にしとこう」

 

 アイリスはどこからともなく縄を取り出すと、シルトを滑らかな手つきで捕縄した。

 アイリスがシルトを殴ってから、シルトを縛るまでの一部始終を見ていた秀とシャティーは、あっけに取られて口を開けていた。その様子を見たアイリスは、不思議そうに二人に聞いてきた。

 

「何? どうしたの?」

 

「沢山のことが同時に起きたもので、処理が追いつかない」

 

 秀がそう答えると、アイリスは「はあ?」とあきれ顔で聞き返した。

 

「いや、だから——」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! レミエルを追うよ。何が起きたかは走りながら説明してあげる!」

 

 そう言って、アイリスはシルトと秀を抱えた。そして、同じようにシャティーを抱えたエクスシアと、一緒に部屋の窓から飛び出した。

 その瞬間、四人は、ユラの神殿の正門の方から、天を衝くような蛮声を聞いた。秀は、二階にある部屋から飛び降りていることも忘れそうな衝撃を覚えた。秀には、何を言っているかは分からないが、少なくとも怒りと憎しみに塗れていることは容易に理解できた。

 着地すると、アイリスは秀を離して耳を澄ませた。そして、放心した様子で呟いた。

 

「赤の世界の民衆が、暴走した?」

 

「多分、強制疎開で溜まった、普段感じないようなストレスに加え、レミエルがユラを殺した、という噂が引き金となったんです。これまで七女神の結界で無理矢理抑え込まれてた感情が、彼女らが抑えられないくらいに爆発したんですよ。そうとしか考えられません」

 

 エクスシアは、冷静な口ぶりで言った。しかし、こめかみの辺りに冷や汗を流している。

 

「行きましょう! この憎悪の対象はレミエルです!」

 

 そう告げて、踵を返し駆け出したエクスシアに続いて、三人は、胸のざわつきを感じながらも、全速力で走っていった。

 暫く走って、四人がユラ神殿の正門の方に見た光景——それは、レミエルが空中から民衆を見下ろし、彼らの罵声を一身に浴びている光景だった。

 

        ***

 

 レミエルは息を呑んだ。眼下にいる、ユラ神殿の正門前の、長大な街道だけでなく、街全体の石畳を全て覆い尽くす程の群衆の全ての目が、レミエルを睨んでいる。そして彼らの口から出る言葉は、全てレミエルへのヘイトだ。

 

——殺せ。この平和な世界に争いをもたらしたあの堕天使を殺せ。ユラ様の命を奪ったあの堕天使を殺せ——。

 

 レミエルは、これらの罵詈雑言は意識していなかった。いちいち気にしていてはキリがない。それよりも、この狂った集団の中からたった一人、彼女の母を探し出すことに集中していた。そうしなければ、シルトから逃がしてくれたアイリスに、申し訳ないきがしていた。しかし、彼女の家の方も見てみたが、母とおぼしき姿は見当たらなかった。

 レミエルは、空から母を捜すことを諦めた。そして、群衆の中に突っ込んでいって探そうと決意した瞬間だった。本当に微かであったが、彼女を呼ぶ母の声がした。

 気のせいかとも思ったが、確かに母の声であった。レミエルは、その声のする方に突進した。すると、レミエルの視線の先に母がいた。誰もがレミエルに酷薄な言葉を投げかける中で、ただ一人だけ、必死になって、声を枯らしながらもレミエルを呼び続けている母の姿が、レミエルの脳裏に鮮明に焼きついた。

 

「お母さん!」

 

 レミエルが叫び、母に向かって手を伸ばした。母の方もレミエルに手を伸ばした。

 レミエルがその手を掴み、この有象無象の中から引っ張り出す。そして、レミエルの心情を全て吐露して、母と和解する——このレミエルの理想の未来は、目の前まで近付いていた。しかし、それは寸前のところで粉々に打ち砕かれた。

 

「え」

 

 母の左胸が、血まみれになった手で、背中から貫かれた。貫いた者は、そのまま手を心臓ごと抜き去ると、その心臓を無造作に放り投げた。

 母の亡骸まで到達したレミエルは、周りを気にせず、それを抱いた。その骸から温かみが消えていく。それだけで、母の死をレミエルに認識させるには十分だった。

 

「どうして? お母さんは何も関係ないじゃない!」

 

 レミエルは怒りのままに、彼女を取り囲んでいる群衆に訴えた。しかし、彼らはレミエルを冷笑するように答えた。

 

「その女はお前を産んだ。つまり同罪だ」

 

 その言葉を聞いて、レミエルは激昂し、彼を殺そうとした。しかし、すんでのところで、内なる声が聞こえた。一瞬燃え広がりそうになった、炎の拡大が止まった。

 

——やめろレミエル。本当に討つべき敵を考えろ——

 

 堕天した時に聞いた声と全く同じだった。だが、その声に今は不思議と嫌悪感を抱かなかった。それゆえか、レミエルが冷静になるのも早かった。

 

(そうだ。この人たちも犠牲者なんだ。真の敵は、七女神。特に主神アウロラ。彼女だけは——)

 

「この手で天誅を下す! 力を貸して、お母さん!」

 

 レミエルは、魔法を用いて、母の亡骸を全て魔力に変換し、それを吸収した。そして、再び空へ飛び立った。そして、最大の速力で、七女神の神殿へ突撃していった。

 数分の後、七女神の神殿が見えた。ちょうど、アウロラは中庭に、L.I.N.K.sの少女四人と共に出ている。レミエルはそこに降り立った。中庭の広さは20メートル四方の四角形とほぼ同じで、様々な広葉樹や、華やかな草花を植えてある。

 

「ふたつ、聞かせてください」

 

 開口一番、レミエルはアウロラに問うた。L.I.N.K.sなどは眼中に無かった。

 

「私の出生の時の予言を、悪く解釈したのはあなたたちですか?」

 

「ええ。その通りよ。あなたの様子を見る限り、悪い方の解釈で正解だったみたいね。ガブリエラには残念だけど」

 

 アウロラは、レミエルに警戒して杖を構えながら、そう受け答えた。

 レミエルはアウロラを睨みつけながら、質問を続けた。

 

「次です。今の群衆の様子を見て、あなたはまた世界を作り直そうと思いますか?」

 

「思うわ。こうなったのもあなたのせいでしょうけど。次は、もう少し、民への抑圧を弱くするつもりよ」

 

「そうですか」

 

 レミエルは吐き捨てるように言うと、魔剣を作り、その剣先をアウロラに突き付けた。アウロラは微動だにしない。その様も、レミエルは気に食わなかった。

 レミエルは大きく息を吐き出すと、魔剣を構え直して言い放った。

 

「七女神主神、アウロラ。この世界のため、あなたは私が殺します」



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さらば友よ! 秀の決意!

 レミエルは、裂帛の気合いと共に、己の間合いから、アウロラに踏み込んだ。狙いは喉元。美海ら四人の邪魔が入らないうちに、一瞬で突きを入れようという魂胆だった。アウロラが動くような様子は無く、決められるはずだった。

 しかし、唐突に、人間と同じ大きさになったルビーに右から脇腹のあたりを体当たりされて、レミエルの姿勢が崩れた。レミエルは即座に態勢を立て直すと、ルビーに対し啖呵を切った。

 

「邪魔するなら、あなたも殺す!」

 

 レミエルは剣先をルビーに向け、左袈裟に、魔剣をわざと速度を落として斬りつけた。当然、ルビーはそれをいとも容易く躱す。だが、それはレミエルの狙い通りだった。レミエルは余った右手で、即座にルビーの首を鷲掴みにした。

 

「七女神に味方したことを、あの世で後悔してください」

 

 レミエルはルビーを木の幹に押し付けると、魔剣の剣先をルビーの眉間に突き付けた。ルビーの顔に、恐怖の色がありありと浮かび上がる。汗を垂れ流し、顔は真っ青になり、瞳孔は大きく開いている。

 しかし、そのようなルビーの様子など意に介さず、レミエルはルビーの眉間を貫こうとした。だが、その時、魔剣を握る左腕に、魔力を持った鎖が巻きついた。

 

「それ以上ルビーに、手を出さないで!」

 

 鎖の持ち主はソフィーナだった。彼女は、更にみっつの鎖を放ち、レミエルの四肢を拘束した。レミエルの手から、ルビーが落ちた。拘束されたまま舌打ちをしながら、レミエルはアウロラに尋ねた。

 

「あなたが余裕だったのは、この四人が動いてくれるから、私があなたを殺せるはずがない、ということですか」

 

 アウロラは答えなかった。代わりに、彼女は美海たち四人に目配せした。それを受けて、彼女らがレミエルの前に立った。

 

「レミエルちゃん。お願いだよ。クラスメイトの私たちが戦う理由なんて無いよ」

 

 美海が懇願する。目に涙まで溜めている。レミエルは、その頼みが心からのものだと、容易に分かった。友達想いで、優しい美海のことだ。本心から言っているに違いない。しかし、だからこそ、レミエルは彼女を否定しなければならなかった。

 

「戦う理由なら、あなた方が七女神の側に立っているというだけで十分ですよ。それに、クラスメイトだった期間も一日だけでしょう。アイリスたちが来てから、クラスメイトとして、あなた方が私に何をしたって言うんですか」

 

 レミエルが言い放つと、美海は、涙を流し、口元を手で押さえながら膝を地につけた。美海だけでなく、レミエルも心苦しかった。吐いた言葉は紛れもなく本心からのものだが、本気でレミエルを友達として見てくれている人を傷付けるのは、相当にこたえた。

 

「何てことを! 美海さんは、いや、美海さんだけじゃなく、みんな、あなたのことを本気で考えているんですよ!」

 

 ユーフィリアが反駁する。レミエルは、わざとらしく大きなため息をついた。

 

「私のことを本気で考えるのなら、あなたたちは私と共に七女神を討つべきです」

 

「何を言って——」

 

「七女神のおかげで、私は人生を滅茶苦茶にされたんです。それに、七女神のせいで今、赤の世界の住人たちが狂気に陥ってる。討ち滅ぼすのは当然でしょう」

 

 レミエルは、ユーフィリアの言を遮って言った。すると、美海たち四人は衝撃を受けたのか、一斉にアウロラの方を向いた。対し、アウロラは、おもむろに口を開いた。

 

「確かに、あの予言をレミエルに不利なように解釈し、力を抑え込む方策を提案したのは私たちよ。しかし、それを実施したのはガブリエラ。私じゃないわ」

 

「とんでもない屁理屈ですね。自分が手を染めなきゃいいとでも思ってるんですか」

 

「まだ話の途中よ。民が凶暴になっているのは、彼らが、ユラの首級を抱えるあなたを見たからでしょう? 結界による精神への抑圧を引き起こした原因はあなたじゃないかしら?」

 

 大本を正せば七女神たちのせいじゃないですか——レミエルは、アウロラにそう反論しようとしたが、その言葉を喉の奥まで出かかったところで飲み込んだ。このまま言い争いを続けても、平行線のまま解決しない。

 

「あなたとは相容れないみたいですね。やはり殺します」

 

「その様で何ができるのかしら」

 

 レミエルが会話を打ち切ると、アウロラは、レミエルにゆっくりと歩み寄ってきた。

 

「さあ、大人しく投降なさい。今ならまだ恩赦の余地があるわ」

 

 アウロラはそう言いながら、更に歩みを進める。彼女とレミエルとの距離が、人一人分の隙間くらいになったその時、レミエルは口角を吊り上げた。

 

「この瞬間を待っていました」

 

 レミエルは、背中の六本の魔剣を全て切り離し、それら全てをアウロラに向けて突撃させた。

 アウロラは、ここで初めて焦りの表情を見せた。彼女は杖を振るい、四本の魔剣は叩き落としたが、残りの二本は、それぞれ左肩と右膝に突き刺さった。これはかなり効いたようで、アウロラは地に膝をつけて崩れた。

 

「その様では、満足に動くこともままならないでしょう」

 

 レミエルは鎖をいとも容易く引きちぎって、そう告げた。そして、アウロラの右膝に刺さった魔剣を抜くと、彼女の喉元に突きつけた。

 

「私やエクスの想い、今こそ果たします! そしてこの世界のため、覚悟!」

 

 レミエルは魔剣を両手持ちで振りかぶり、アウロラの脳天めがけて振り下ろした。その太刀筋に迷いは無く、そのまま振り切れば、アウロラを真っ二つにできるはずだった。だが。

 

「させないわ!」

 

 ソフィーナの放った鎖が、レミエルの両腕に絡みついた。さらに、剣を携えた美海が、猛然と突進してしてくるのが、レミエルの目に映った。

 レミエルは、咄嗟にアウロラに弾かれた剣を操って鎖を断ち、五人と距離をとった。

 

「レミエル! もうやめなさいよ。冷静になって考えれば、他の方法も見つかるはずよ。それに、ユラもあなたのお母さんも、七女神様を殺すなんて、望んでないはずよ」

 

 ルビーが前に出て、レミエルを真っ直ぐに見据えて説得してきた。彼女の言い分を聞いた瞬間、レミエルは激烈なほどの怒りを覚えた。そして、考えるよりも先に、レミエルはルビーに怒鳴りつけた。

 

「七女神の傀儡が、お母さんやユラを語らないで!」

 

 たじろぐルビーをよそに、レミエルは更に続ける。

 

「七女神の統治方針の被害者の一人だからと大目に見るつもりでしたが、私の前に立つなら、あなたから——いえ、あなた方四人も始末します!」

 

 レミエルは、そう言い放つ裏で、誰から討つかを考えていた。感情的にはアウロラだが、合理的に考えれば、ユーフィリアが最も妥当であった。彼女は、青蘭島での戦闘で、時間航行能力が故障していると、レミエルは聞いていた。それが修復される前に、破壊するのが最上だ。

 

(手負いがいるとはいえ一対五。この五人の活力を吸収して、力を削ぐしかないかな)

 

 レミエルは、己の精神の末端を、伸ばすように五人に飛ばすと、彼女らの方寸に忍ばせ、精神を掴ませた。そして、それらを無理やりレミエルの活力となるように、レミエルの体内に引き摺り込み、吸収する。

 レミエルは、力が漲るのを全身で感じた。心の内に、彼女を制止しようとしているような意志を感じたが、それは黙殺した。できるだけ優位に立つために、レミエルは有るだけの活力を五人から吸収する必要があったのだ。

 レミエルは目の前のアウロラたち五人を見る。誰もが顔色を悪くし、息を荒くしている。しかし、レミエルの側でも、変調をきたし始めた。彼女は、身体及び精神の内側から、異様な圧迫感を感じ始めた。レミエルは、限界だと悟り、活力の吸収を中断した。だが、それでも圧迫感は消えなかった。堕天している以上、祈りによるパワーアップは望めない。

 やがて、その圧迫感はかなり強大なものと化した。体が引き裂かれるような感覚に襲われ、レミエルは発狂したように絶叫した。

 激痛に苛まれ、薄れゆく意識の中で、レミエルはこの状況を打開するのに、自らを変容させるしかないと考えた。そうしなければ、このままレミエルの身体は破裂してしまう。

 そのためには、かなり強大な力が必要だ。レミエルは、吸収する範囲と勢いを、微かな意識のままに拡大した。

 

        ***

 

 レミエルがアウロラ神殿に突入してしばらくしてからのことだった。アウロラ神殿から、形容しがたい不気味な色をした気が広がっていくのが、秀の目に映った。

 

「この空気、触れたらまずい気がする!」

 

 アイリスはそう言うと、秀たち全員を覆える程の結界を張った。それを見たエクスシアも、それに重ねて結界を作った。

 やがて秀たちのいる所まで瘴気が達すると、視界は一気に悪くなった。近くの方なら見えるが、数十メートル先までは見られない。その中で、結界で覆われていない民衆が、これまで喚いていたのが嘘のように、次々と倒れていくのが見えた。

 

「結界張って正解だったね。多分これの効果、前にレミエルから秀が受けたのと同様、いや、それ以上だ」

 

 アイリスは、冷や汗を垂らしながら言った。世界を語っていた時のような余裕は既になく、彼女の顔には緊張が張り付いている。

 

「俺が受けたのと同様、というと、この気に触れれば活力を吸われるのか。周りを見れば言うまでもないか」

 

 秀は、瘴気が放たれている中心の、アウロラ神殿の方角に視線を移した。この瘴気の大元はレミエルだ、と、何となく秀は感じていた。しかし、だからと言って今は何もできない。瘴気が晴れるのを、ただジッと待つのみだ。

 

「こんな厄災が起こるかもしれなかったから、レミエルの記憶を弄ろうとしてたのに」

 

 目覚めたらしいシルトが、縄に縛られたまま、それを破る仕草も見せずに呟いた。そして、彼女は憎しみの色を隠しもせずに、アイリスの背中を睨んだ。

 

「私は、昔以上にあなたの活動を認めない。神でもないあなたが、世界を作り直すだなんて馬鹿げてる」

 

「あなたが私の活動をどう思ってるとか、今関係ないでしょ。そんなことより、この事態への対処法を練ることが重要でしょうが」

 

 アイリスは、背を向けたままシルトに答えた。すると、シルトは押し黙ってしまった。そのまま沈黙が続き、その間に瘴気が晴れてきた。そして切れ間から見えた異様なモノに、秀は戦慄した。レミエルの翼と同じような、閻浮檀金のような輝きと、黒い気を放つ巨大な塊が、建物が吹き飛ばされたらしい、アウロラ神殿の基礎に鎮座している。

 

「レミエル。あなたの抱いた怒りは、それほどまでだったんですね」

 

 エクスシアが、どこか感心しているかのように呟いた。一方で、シャティーは震えながら、固唾を飲み込んでその塊を見つめていて、アイリスは驚いたり慄いたりしている様子も無く、真顔でそれを眺めていた。

 しかし、シルトは激情を露わにして、縛られたままアイリスに詰め寄った。

 

「どうするつもり? レミエルがああなったのには、あなたにも責任があるよ」

 

「それもそうだね。だから私は——」

 

 秀は、それに続くアイリスの言葉を、息を飲んで待った。もし、アイリスがレミエルを殺すようなら、秀は、この場でアイリスと決裂し、一人ででもレミエルのもとに向かうつもりでいる。しかし、かと言ってアイリスがレミエルを助けるのなら、秀はT.w.dに加入する必要が生じる可能性がある。

 

「私は、レミエルを助ける。今のあの姿は、レミエルの激情を受けて、活力ごと吸収した人の精神が集まって実体化してるだけ。なら、助けられる見込みはある!」

 

 アイリスは、口角を上げて言い切った。その笑みには、成功への確信が見て取れた。

 

「算段はあるんだな」

 

 秀は、アイリスを睨むように見ながら訊いた。それに対し、アイリスは、自信満々な表情で親指を立てた。そして、縛られているシルトを担ぐと、抵抗する彼女をよそに、秀に向き直って告げた。

 

「じゃ、私たち、応援呼ぶために一旦本部に戻るね。それで、秀、シャティー。もし、心の底から私たちの仲間になる気になったら、日が変わる時に、ユラの墓に来て」

 

 そして、アイリスは踵を返した。ところが、一歩進んだところで、彼女は首を秀とシャティーに向けた。

 

「言い忘れてたけど、私は『レミエルを助けるため』なんていう理由だけでT.w.dに入ることなんか認めないからね。今まで戦ってきてた仲間と、それまでの戦う理由を全て捨てるに相応しいワケがなきゃ、軽率に裏切ったと判断するから。それは私の一番嫌う行動だから、私が納得できなきゃ、その場で殺すからね」

 

 突き刺すような視線を向けながら、アイリスは告げた。アイリスの好き嫌いは別としても、秀は彼女の言に納得した。裏切れば、周りの環境は一変し、多くの人の信頼を失う。その覚悟無しに、レミエルを助けられるという一点のみで裏切れば、後悔は避けられない。その手の感情を抱えたまま戦場に出れば、すぐ死んでしまうだろう。

 

「分かった。覚悟が出来たらユラの墓だな」

 

「うん。シャティーは?」

 

「私も了解した。けど、私の肚はもう決まってるから」

 

 シャティーは、静かに告げた。彼女のアイリスの瞳を見る目は、全くぶれていなかった。シャティーのそのような態度に感心したのか、アイリスはフッと笑うと、エクスシアと共に、シルトを担ぎ、秀たちに背を向けて去っていった。秀には、不思議なことに、その背中がこの上なく頼もしく見えた。

 

        ***

 

 日が変わる二時間ほど前。宿舎の部屋で、秀はベッドに腰掛け、未だに悩んでいた。この時点で、秀はT.w.dに入ると決めていた。しかし、アイリスを納得させられるような強い理由が、どうしても見つからなかった。色々思いつくものの、どれも根拠としては不十分だった。

 今、テラ・ルビリ・アウロラ軍は瘴気の影響を免れた兵を集めて、レミエルの討伐隊を組織しているという話だ。このことも、秀を焦らせるもののひとつだった。

 秀は、ぼんやりと、ランプ替わりのランタンを見つめた。その油の残りは少なく、今すぐ油を注がないと消えてしまうくらいだった。秀が、気分転換も兼ねて、その油を足そうと立ち上がった時だった。シャティーが、勢いよくドアを開けて入ってきた。その瞬間、ランタンの火も消えた。

 

「覚悟は決めた? 私はもう裏切ると決めたし、その理由も見出せたけど」

 

 シャティーが問うた。秀には、彼女の顔が眩しいものに見えた気がした。それで、彼女の顔を直視できず、彼女から顔を背けて答えた。

 

「裏切ろうとは思う。だが、その確固たる根拠が見つからない」

 

 そう答えると、シャティーはため息をついた。そして、顔を背けている秀の両の頬を両手で挟み、無理やり顔を向けさせた。

 

「その根拠を求めた時、何を考えてたの?」

 

「レミエルや、世界のことだが……」

 

「じゃあ聞くけど、それは、秀が戦うと決めた、根底にある理由なの?」

 

 秀は、答えに窮した。それもそのはずで、思い返せば、それらは今、秀が戦う理由ではあるが、戦う理由の根底にあるわけではなかった。

 

「そうじゃないなら、そんなことは考えない方がいい。あなたのことなんだから、あなた自身のことを考えればいい」

 

 そう言うと、シャティーは秀を離し、背を向けた。

 

「待ってるから」

 

 シャティーはそう呟いて、部屋を後にした。そこで、秀はシャティーの後ろ姿を見て、彼女の天使の翼が、レミエルやエクスシアと同じように黒く染まりきっていることに気がついた。ドアが閉められると、部屋の外からの光が消え、部屋が真っ暗になった。

 

「俺の、戦うと決めた根拠か」

 

 秀は、青蘭学園にT.w.dが来るよりも更に前の、ジュリアの事件のことを考えた。ジュリアと戦うと決めたのは、彼女から逃げるのは、レミエルやカレンに申し訳ないと思ったからだった。

 

「あの時、俺は何を以ってあいつらに恥ずかしいと思い、逃げたくないと思ったんだっけ」

 

 秀は記憶を片っ端から掘り起こした結果、その感情の元が、秀の故郷の村のことであったことを思い出した。

 外界との関わりを絶って、異変に対する鬱憤を全て秀に押し付けて現実逃避する村民の姿と、ジュリアから逃げようとする様が、秀には重なって見えたのだった。

 

「だから、俺の願いはただひとつだったんだ。ティファールの言う通り、レミエルや世界のことなんて、考えるだけ無駄だったんだな」

 

 秀は暗闇の中で立ち上がると、真っ直ぐドアに向かい、ドアノブに手を掛けた。

 

「青蘭学園は退学だな」

 

 秀はドアを勢いよく開けた。ランプのほのかな明かりが、秀を暖かく照らす。

 秀は、自分の懐中時計を見た。まだまだ余裕はある。そこで、秀は、ユノに関して気になっていたことがあったのを思い出し、彼女の部屋に向かった。

 

        ***

 

 レミエルの発した瘴気の影響を受けたのは、その時野外にいた者のみだった。ユノたちはその時屋内にいたというから、その情報が誤りでなければ、彼女らは無事だ。

 秀は、ユノの部屋の前までいき、軽くノックをした。返事をしたユノがドアを開ける。彼女の姿からは、異変は感じられない。秀は胸をなでおろした。

 

「秀君? こんな時間にどうしたの?」

 

「ちょっと、話したいことがある」

 

「うん、いいよ。中に入ろうか」

 

 秀はユノに促されるままに部屋に入り、彼女とテーブルを挟んで椅子に座った。彼らを照らすのはランプの光だが、秀の部屋とは違い、五個はあった。シャティーに複製してもらったのだろうが、そのおかげで、部屋はだいぶ明るく感じられた。

 秀は、ユノの向こうにあるベッドに目を向けた。そこには、包帯に巻かれたあずさと思わしき人物が横たわっていた。

 

「あいつは椎名か?」

 

「うん。手当は済んでるんだけど、前の戦闘からずっと、目を覚まさないの。命に別状は無いみたいだけど」

 

 あずさの寝ている様に異常は無かった。呼気が荒いとか、そういうのもない。あご骨を砕かれたと聞いたが、手術の痕跡は見られない。魔法で治したのだろう。青の世界では全治半年になることもあると考えると、それをすぐ治せる魔法は、秀には恐ろしいものに思えた。

 秀は咳払いをして、一旦思考をリセットした。そして、予め用意していた話題をユノに振った。

 

「なあ、フォルテシモ。前に思ったんだが、お前、仕方ないから戦ってるんじゃないか?」

 

「どういうこと?」

 

 柔らかかったユノの表情は、一転して怪訝になった。その変化に、秀は少し慌てながらも説明をした。

 

「えっと、つまりだ。何かの信念の元に戦ってるんじゃなくて、T.w.dが攻めて来るから、仕方なしにそれに応戦しているだけなんじゃないかってことだ」

 

 すると、ユラは納得したように数回頷いた。そして、硬い表情で秀を見て告げた。

 

「違うよ。私は、あずさちゃんやシャティーちゃんを始めとした、友達のために戦ってる。出来るだけ、今のみんなと一緒にいたいから」

 

「そうか。それを聞いて安心した」

 

 秀はそれだけ言うと、立ち上がって椅子から立った。そして、おもむろに踵を返し、ドアに向いたその時だった。

 

「待って!」

 

 ユノが、突然大声で呼び止めた。

 

「シャティーちゃんも、さっき同じようなこと言って部屋を出たの。二人で一体何をするつもりなの!?」

 

 ユノの声は震えていた。恐らくは、泣いている。しかし、だからと言って、秀は本当のことを言うわけにはいかなかった。

 

「なんでもない。ティファールと話が被ったのは、単なる偶然だろう」

 

 秀は出来る限り平静を装って答えた。暫く返事が無かったので、秀は納得したと思い、再びドアに向かおうとした。しかし、後ろから急に肩を掴まれ、後ろを向かされた。そしてすぐ目に入ったのは、ユノの泣き顔だった。

 

「嘘。何も無かったら、シャティーちゃんの翼が黒くなったりしない」

 

「気付いてたのか、あいつの翼のこと」

 

「うん。遠目から見えただけだし、本人には言ってないけど」

 

 秀は焦っていた。シャティーが堕天していることが露呈していては、ごまかすのは至難の技となってしまった。

 

「ねえ、教えてよ。そんな気難しい顔してて、何も無いわけない」

 

 ユノが、普段の温和な雰囲気からは考えられないくらいの、鬼気迫る表情で秀に訊いてくる。秀がどう上手く返そうかと悩んでいると、あずさが寝ているベッドから、微かな物音が聞こえた。

 

「待ちなさいよ、ユノ」

 

 そのか細いあずさの声で、ユノの剣幕が収まった。そのまま、あずさはベッドから這い出ると、周囲の物を支えにしながら近づいてきた。

 

「隠し事してるってことはバレバレだけど、秀に口を割らせようったって時間の無駄よ。秀は変なところで頑固だから」

 

「いつから、起きていた?」

 

 秀は唖然としながら尋ねる。対し、あずさは壁にもたれて、一息ついて答えた。

 

「目が覚めたのは、あんたが入ってきた時ね。けど、だるかったし、あたしが入っちゃいけない話かなって思ったの。だからまだ気を失ってるフリしてた」

 

 言い終えると、あずさはユノの方に顔を向けた。

 

「ユノ、メルトと由唯を失って、神経質になるのは分かるわ。あたしだって、これ以上誰にもいなくなって欲しくないし、レミエルがまだ生きている秀を、羨ましく思ったりするもの」

 

「……」

 

「けれど、秀とシャティーが、あたしたちと別の道を歩もうとしていることと、それは違う話よ。秀たちが何をしようとしているか分かったところで、あたしたちにはどうしようもない。なら、秀とシャティーを信じて、送り出してあげるのが、友情ってものじゃないかしら」

 

 あずさの言葉に、ユノは秀から少し離れて、すっかり考え込んでしまった。あずさは困ったように頭を掻くと、再び秀の方に向いた。そして、気恥ずかしそうに髪の毛を弄りながら、口を開いた。

 

「その、ごめん。ずっと足引っ張ってばかりでさ。ジュリアの時も結構噛み付いちゃったし、戦闘の時も、ずっと役に立たなかったし。清々するでしょ、これで」

 

「そんな風に卑下するな。お前は、孤独だった俺に、友と過ごすことの楽しさを教えてくれた。椎名が戦闘が苦手というのは知ってるから、そのことについては不快に思ったりしていないさ」

 

 秀は自嘲気味に話すあずさに、出来るだけ優しい口調でそう言った。すると、あずさは頰を赤らめて、嬉しそうに呟いた。

 

「そっか。こんなあたしでも、秀の役に立てたんだ」

 

 あずさの紅潮した顔は、ランプの作る、淡い橙色の光の中でもよく映えた。彼女の声色や仕草が、一瞬だけレミエルと重なった。秀は、あずさの心の内が分かってしまった気がした。

 

「椎名」

 

「おっと待った。余計な気は回さないでね。あたしにもプライドってもんがあるんだから」

 

 あずさが、強い口調で秀の言葉を遮った。秀は、言葉を続ける代わりにあずさに微笑みかけた。すると、あずさは少しためらうような仕草を見せた。しかし、次の瞬間には、彼女は秀に抱きついていた。

 

「おいおい。プライドがあるんじゃなかったのか」

 

「いいの。あんたからじゃなくて、あたしからしてるんだし。それにこれは友達としてのハグだから」

 

 呆れたように言う秀に、あずさは心底嬉しそうに、弾んだ声で返した。しかし、次いで出た言葉は、寂しげな雰囲気を匂わせていた。

 

「いつか、絶対聞かせてよね。あんたのこれから取る行動の真意を」

 

「分かった。約束しよう」

 

 秀が即答すると、あずさは名残惜しそうに秀から離れた。すると、その瞬間を待っていたかのように、ユノがおもむろに歩み寄って来た。普段の柔和な雰囲気は微塵も感じさせない、先ほどの激情とも違う、真剣そのものの表情だった。

 

「私は、秀君とシャティーちゃんがどういうことをしようとしてるのか分からない。教えてくれないってことは、何かやましい事があるんだと思う」

 

 秀は息を呑んだ。そして、最悪の場合も想定して、制服のポケットに忍ばせてある、小型の亜空間格納庫に手を掛けた。

 

「でも、そうだっていうは確証は無い。だから、今この時は、私が一番信頼してる、あずさちゃんを信じて、あなた達を信じるよ」

 

 秀は、ユノの表情が少し和らいだ気がした。思わず、ポケットから手を出す。しかし、すぐにユノは表情を戻した。

 

「でも、秀君とシャティーちゃんが、間違ったことをしていると私が確信したら、その時は全力で止めるから」

 

「分かった。その時は、俺も全力で迎え撃とう」

 

 秀は、ひとまずこの場を切り抜けられたことに安心しながら、微笑んだ。

 それから、秀は軽く手を振りながら部屋を出た。あずさとユノが、別れの挨拶を背中に告げる。その声に棘はない。秀は、後ろめたさなどは微塵も感じてはいなかった。

 

        ***

 

 秀は、宿舎の裏口に向かってまっすぐ歩き出した。正門よりも、裏口の方が警備は手薄であり、更に、レミエルの瘴気により、外にいた兵士は全滅し、残った兵も討伐隊に回されているため、その手薄さに拍車がかかっている。

 途中、秀はカレンとセニア、そしてアインスの部屋にも寄ろうかと思ったが、やめた。カレンとセニアは、赤の世界に来てからというもの、秀がレミエルに付きっきりだったということもあって、かなり疎遠になってしまっていた。アインスには、レミエルを立ち直らせてくれたという恩もあるが、彼女の前で、己の考えを隠し通す自身が、秀には無かった。

 秀が裏口に着くと、そこで仏頂面のシャティーが腕を組んで待っていた。彼女は秀に気がつくと、おもむろに近寄って来た。そして、秀と見つめ合うと、シャティーは急に顔を崩して微笑んだ。

 

「その様子だと、答えは見つかったみたいね」

 

「お前が助言をくれたおかげだよ、ティファール」

 

「シャティーでいい。これから一緒に裏切る仲だし、ファミリーネームで呼ばれるのは他人行儀くさい」

 

 秀が、シャティーのその発言に呆気にとられていると、彼女は秀の手を引いた。

 

「アイリスが待ってる」

 

「分かってる。行こうか、シャティー」

 

 秀はシャティーの手を優しく払い、彼女に先んじて歩き出した。呆然としていたのか、少し遅れてシャティーも歩き出した。周囲を警戒しながら、特に苦も無くユラの墓に着いた。

 ユラの墓は、レミエルがユラの遺体を埋めたところに、彼女が盛り土をしてユラの遺剣を突き立てたものだ。レミエルが堕天したのは、ユラの死が強く関係している。激情に呑まれたレミエルを助けに行く出発地としては、相応しい場といえる。

 

「やあ、来てくれたんだね。いい目をしてる。こっちについたわけは、聞くまでもないか」

 

 墓にはもうアイリスたちは到着していた。総勢数十名のうち、アイリスとエクスシアの他にも、秀の知っている者がいた。

 

「カミュ! リナーシタ!」

 

 秀は、彼女らを見つけると、シャティーやアイリスの存在も忘れて、思わず駆け寄った。青蘭学園で自爆したはずのジャッジメンティスの足元から、カミュたちの方からも近寄ってくる。

 

「久しいな、秀」

 

 カミュはそう言うと、まるで母親が我が子にするように、秀を力強く抱擁した。

 

「や、止めてくれ。恥ずかしいじゃないか」

 

「そうですよ。愛弟子に味方として再開して喜ぶのはいいですけど、部下の前です。弁えてください」

 

 リーナが顔をしかめながら注意した。すると、カミュはすぐに抱擁を解いて、秀と向き合った。

 

「出立までまだ時間がある。何か聞きたいことがあれば聞いてくれ」

 

「じゃあいつつだ。ひとつは、達也のこと。ふたつ目は、どうして俺を敵対すると分かって鍛えたのか。みっつ目は白の世界の現状。よっつ目は、あのジャッジメンティスのことだ。そして最後に、今回の作戦について」

 

「分かった。まずひとつ目は——」

 

「カミュ、待った」

 

 アイリスが、硬い表情で宿舎の方を見つめながら、カミュの言葉を遮った。彼女の視線の先を見てみると、そこにはよく見知った人影があった。夜の闇に溶け込むような黒い統合軍の軍服を着た、白髪の少女——アインスがいた。

 秀は心臓を鷲掴みにされたような心地だった。アイリスやカミュはともかくとして、他のT.w.dの者には、秀とシャティーが降ったふりをしてアイリスや他の主力を討とうとした、と見られてもおかしくはない。

 見れば、アインスは秀を見て、何かを話し出そうとしていた。秀は咄嗟に、アインスが口を開くよりも先に、大声で話し始めた。

 

「エクスアウラ! 俺は今まで、目の前の難敵から逃げたくないという思いから、ずっと戦ってきた! だが、その思いの大元は、故郷の村の連中のように、異変から逃げ、俺にその全ての責任を押し付けたあいつらみたいに、なりたくないと思ったことだった」

 

 秀の口から、言葉が次々に出てくる。この場の全員が、耳を傾けているかは秀には分からなかったが、誰一人として口を開こうとしていなかったのは分かった。

 

「お前らの親玉が望むのは現状維持だ。それでは、あの村のような連中は蔓延り続けるだろう。俺みたいな思いをする人も、少なくならない。だがアイリスは世界を変える。俺のような経験をする人が減るかは知らん。だが、その可能性はある。俺は、その僅かな可能性に命を賭ける! その邪魔をするなら、かつての仲間だとしても、殺す!」

 

 秀は、清々した気持ちで言い放った。すると、アインスは間を置かずにシャティーの方に視線を向けた。

 

「シャティー、あなたはどうなの」

 

 唐突に話を振られ、シャティーは虚をつかれたようになっていた。しかし、すぐに一度咳払いをして、胸を張り、表情を引き締めた。

 

「私は、これまで戦ってきたのはなんとなくだった。攻めて来たから、やっつけようとした。ただそれだけだった」

 

 終始大声だった秀とは違い、シャティーは平常の声で、淡々と話している。

 

「あずさたちは理由じゃなかった。友達を守るのは当たり前で、それを理由にしちゃいけないと思った。それは今も同じ」

 

 シャティーは、一旦アインスからアイリスに視線を移した。その時の彼女の目は、何かを強く訴えているかのようだった。

 シャティーは、すぐにアインスに注目を戻した。そして紡ぐ言葉からは、決して大きくはないが、その端々から、シャティーの決意が伝わってきた。

 

「だけど、私はアイリスの語る言葉から、生まれて初めて大義を感じた。心を突き動かされた。だから、私はアイリスに仕える。アイリスにこの身命を捧げ、忠義を尽くすことを決めた!」

 

 T.w.dに加入する理由は、秀とは、全く異なっていた。しかし、それも確固たる信念であることは、疑いようもなかった。

 アインスは、暫く秀とシャティーを交互に眺めていたが、やがて背を向けて、宿舎の方に歩き出した。

 

「尾行した結果がこれとはね。友情に免じて、あなたたちのことは黙っておいてあげる」

 

 そう捨て台詞を残して、アインスは夜の闇に消えていった。完全にアインスの気配は無くなると、カミュは秀の正面に立って、話を切り出した。

 

「さっきの質問だが、達也さんだけじゃなく、他の青蘭島の人も無事だ。アイリス殿の野望の実現のためには、人心の掌握は不可欠だから、一般人を殺すのは道理にあっておらん」

 

 カミュは、アインスの来訪は全く気にしていないようだった。他のT.w.dの者たちも、アインスについて気にしている素ぶりはない。

 カミュはそのまま続ける。

 

「なぜ私が貴様を訓練したかというと、嬉しかったんだ。人間の訓練が出来たからな。たとえ敵になるとしても、人間を育成できるということが、貴様を訓練する原動力となった」

 

「話が見えん。どういうことだ?」

 

「それは私が答えましょう」

 

 秀の質問に、リーナが割って入った。彼女がカミュに目配せすると、カミュは首を縦に振った。それを確認したらしいリーナは、再び秀に向いて語り出した。

 

「これを話すと白の世界の現状も話すことになりますが、その前にジャッジメンティスのことについて答えましょう。青蘭学園で自爆したものは、元々不良品だったものを自爆用に使っただけです。今あなたが目にしているのは、そうでない良品ですよ。それに、ジャッジメンティスは私が駆るのが全てではありません」

 

「なるほどな。本題に移ってくれ」

 

 リーナは頷くと、急に拳を握りしめ、強く歯軋りをし始めた。

 

「あれは忘れもしない三年前。あの頃から、私たちの人生は転落していったのです」

 

        ***

 

 リーナ・リナーシタは、代々軍人の家に生まれ、その誇りと共に育ってきた。当時十五歳の彼女は、S=W=E(システム・ホワイト・エグマ)の士官学校の一年生だった。この頃、アンドロイドの研究が急激に進んで、その性能が飛躍的に発展していた。そんな中、ある戦闘用アンドロイドの性能テストの相手として、一年生の中で平均的な成績だったリーナが選ばれたのだった。

 

「将来肩を並べて、S=W=Eのために戦うのです。その実力の見極めも必要でしょう」

 

 この時は、リーナはまだアンドロイドに対して好意的であり、テストにも協力的だった。だが——。

 

「く、強い!」

 

 実戦テストにおいて、そのアンドロイドは、全てにおいてリーナを上回っていた。アンドロイドは、リーナよりも早く反応し、リーナがフェイントをかけても確実に看破し、リーナの攻撃をひとつひとつ潰していった。

 完敗だった。だが、テストが終わった直後のリーナの心情としては、心強い仲間を得ることになったという、期待だった。だが、テストを見ていた開発者の言葉によって、リーナは胸を焼かれるような思いを抱いた。

 

「あのような未熟者に手こずるとは。失敗作だな」

 

(なんだ、あの開発者は! 私に、テストの協力者として敬意を払いもせんとは! 私はモルモットじゃないのだぞ!)

 

 しかし、これは序の口であった。士官学校の一年目の終わりの頃に、教官であったカミュが姿を消し、同時期に、リーナの親族や、カミュすらも含めた軍人を中心とした、EGMAに対する反乱が起こった。これは鎮圧されたのだが、これを受けて、EGMAが軍からの追放の方針を打ち出したため、士官学校は廃校となってしまったのだ。これを機に、軍だけでなく警察からも人間は排斥され、S=W=Eの治安は、アンドロイドに委ねられることとなった。

 このことは、これまでS=W=Eを守ることを誇りとしてきた人の尊厳を、深く傷つけた。リーナとて当然例外でなく、件の実戦テストのこともあり、アンドロイドに対し激しい憎悪を抱くようになった。

 しかし、ちょうど同時期に、ジャッジメンティスと名付けられた、人が搭乗する大型機動兵器がロールアウトした。開発コンセプトからして、強力な戦闘用アンドロイドと、凡人でも対等に渡り合えるように、というものであるから、アンドロイドには無用の長物である。

 廃棄されるところだったのだが、先の反乱軍の残党である人間解放軍が、裏取引で何機かを入手した。そして、彼らは志願者にジャッジメンティスのパイロットとなるための訓練を施した。

 その訓練の指導に当たったのも、またカミュであった。彼女は反乱分子の一員で、そのためにリーナの前から姿を消しのだが、幸いにして、EGMAに反乱軍として認知されておらず、また生身で戦闘用アンドロイド以上の戦闘力を持っていたため、例外的にアンドロイドの指導教官としてEGMAに任命されていた。その立場を生かして、スパイも行なっていたのだった。しかし、職務とはいえ、目の敵にしているアンドロイドを養育することは、カミュにとってかなりのストレスだった。

 また、彼女の、ジャッジメンティスの搭乗者候補としての訓練生の中に、リーナはいた。アンドロイドに対し雪辱を晴らすため、一層の努力に励んだ。そのおかげで、人間解放軍随一のエースパイロットと相成ったのだった。

 

        ***

 

「それから、私たちはあなたが教官の元で訓練を終え、ジュリア殿と交戦していたあたりに、白の世界で行動を起こし、EGMAを掌握するに至りました。今では、S=W=Eの七割は、我々の勢力下に有ります」

 

 最後の部分は、リーナは誇らしげに語った。しかし、これでまた新たな疑問が生じた。

 

「待て、一度失敗を経験しているからって、その口ぶりからするに、あっさりEGMAを掌握できたように聞こえるんだが」

 

「ああ、あっさりできたぞ」

 

 あっけらかんと、カミュが答えた。彼女の言うことには、人間解放軍では、情報のやり取りではコンピュータを一切使わず、全て紙などで行なっているということだった。

 

「先の反乱の時にも名簿などは紙を使っていたのだが、作戦の際に連絡用に使用した、青の世界のトランシーバーの電波を察知されてしまったんだ。私の部隊のものは、たまたま壊れてしまっていて、私たちは難を逃れたのだが、かなり旧式でも電子機器はダメだったのだ。だから、すべて紙にしてしまえ、と思ってな」

 

「それが上手くいったのか」

 

「ああ。不気味なくらい上手くいった。だから、今でもS=W=Eにおける我々の勢力範囲においても警戒を怠っていない。EGMAがいかなる罠を仕掛けてきてもいいようにな」

 

 カミュが言い終えると、アイリスが、いつもの余裕の表情で近づいて来た。

 

「話は終わった? 作戦の話に移ってもいいかな」

 

 秀とカミュ、リーナ、そして側で話を聞いていたシャティーが同意すると、アイリスは全員を集めて話し出した。

 

「まず、あのレミエルだけど、分析の結果、あの塊はレミエルの感情が、魔術によって具現化したものだと分かった。だから、心の壁みたいなものだよ」

 

 アイリスは、ホログラムで地図を表示すると、アウロラ神殿跡を表す光点を取り囲むように、味方を表す光点を並べていった。

 

「カミュの部隊の役目は、レミエルの包囲。と言っても、その目的はテラ・ルビリ・アウロラ軍の妨害。レミエルの籍はこちらに移したから、停戦協定を盾にして、私たちがレミエルを助ける時間を稼いで欲しい」

 

「了解。皆、準備を始めろ」

 

 カミュが命令すると、彼女の部下がそそくさと準備を始めた。秀らを除いた全員が動いたところを見ると、どうやら、アイリスは人間解放軍のメンバーのみを連れて来たようだ。彼女らをよそに、アイリスは残った秀とシャティー、エクスシアに説明を再開した。

 

「私たちは、レミエルに突入する。これはあくまで憶測だけど、レミエルが心を許しているなら、あの中に入れると思うんだ。さっきも言ったけど、あれはレミエルの感情が魔術で具現化したものだと、思われるからね。それで、中に入って何処かにいるレミエルの本体を見つけ出して、救出する。これが私たちの役目だよ」

 

 アイリスの案は、大博打としか言い用がなかった。しかし、秀にはそれ以外にレミエルを救出する案があるとも思えない。だから、秀は何も言わなかった。同じ考えなのか、シャティーとエクスシアも口を開かなかった。

 

「疑問や異論はない? なかったら、準備が出来次第出発するよ。レミエルを救い、この世界の世界水晶を守り、そして私たちの大望を果たすため、皆、その勇気を奮ってほしい」

 

 アイリスの言葉に、鬨の声が上がる。その中に、秀とシャティーの声も混じっていた。秀は、思わず声を出してしまっていたのだ。そして、これが人の元で戦う感覚なのかと、秀は知らないうちに身震いしていた。

 

        ***

 

 アルバディーナは、T.w.dの宿舎の自室の周りに気配を消す結界を張った。これからすることは、絶対に他人に知られてはならぬことであった。

 部屋の床一面に、自らの血で魔法陣を描き、ある女性の、金色の髪の毛を一本中心に置いた。そこまで進めて、アルバディーナは躊躇した。これから行うのは降霊魔法だ。しかも、その対象は、すでに冥府に旅立った霊である。

 地縛霊を対象とした降霊魔法でさえ、ダークネス・エンブレイスの魔術師の間では禁忌とされている。ましてやこの世に無い霊を呼び出そうというのである。これを行うが知られれば、T.w.dに所属している魔術師の信頼を失いかねない。しかし、アルバディーナはやらねばならなかった。

 深く深呼吸をし、魔術の詠唱を始める。降霊魔法は非常に高度な魔術である。それだけ体力の消耗も激しい。アルバディーナが詠唱を終えた時、彼女は床に手をつき、脂汗を垂れ流し、喉はカラカラに乾き、息は相当荒くなっていた。

 

「あら、誰かと思えば。もうこの世に未練の無い霊を呼び出すなんて。随分と無粋な真似をするようになったのね、アルバディーナ」

 

 懐かしい声をかけられ、アルバディーナは顔を上げる。霊であるためか、体は透けて見えるが、その人形のように端正な容姿を、アルバディーナは見間違えようもなかった。

 

「相談したいことが有るの。聞いてくれる、ジュリア」

 

「その様子だと、よっぽど参ってるみたいね。いいわ。聞いてあげる」

 

 アルバディーナの、弱々しい言葉に、ジュリアは生前と変わらぬ様で微笑む。その様は、やはり人形のように優美なのだった。



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今こそ目覚めの刻! 究極の超新星!

「アイリスは、世界を造り直すつもりなのよ。人間への復讐だとか、世界水晶の破壊だとかは、客寄せの口実に過ぎないと言い放ったのよ!」

 

 アルバディーナは、ジュリアに、彼女が死んでからの事の顛末を話し、最後には激昂しながらそう言った。しかし、話し終えても頭に血が上っているアルバディーナに対し、ジュリアはけろりとしていた。

 

「これは人間への復讐を目標にする多くの構成員たちへの、重大な裏切りよ。それで、私はT.w.dを乗っ取ろうと思うの」

 

 アルバディーナは、ジュリアが関心を持つと考え、あわよくば協力して欲しいと思っていた。しかし、当のジュリアは関心なさげに、ぶっきらぼうに言った。

 

「今アイリスはいないって言ってたでしょう。檄文飛ばして仲間を集めて、それで今いるアイリス派を駆逐すれば済むことじゃない。なんでそんな下らないことを、私を冥界から呼び出してまで、相談する必要があるのよ」

 

 ジュリアは笑みを消し、非常に不愉快そうであった。しかし、アルバディーナは引き下がれなかった。アルバディーナにとって、ジュリアの言うような単純な問題ではなかったのだ。

 

「そう簡単には決行に移れないの。もしかしたら、誰も応じないかもしれない。そうなれば、私は裏切り者として粛清される。そしてそれを実行するのは、アイリス。私を実の姉のように慕ってくれるあの子を、傷付けるのが怖いのよ」

 

「じゃあ、諦めなさい。それに新しい方針、多数決で可決か否決かを決めるんでしょう? 謀反の決意はその時でいいんじゃないかしら」

 

 ジュリアは間違ったことを言っていない。彼女の言うやり方が、理にかなっているのは、アルバディーナにも分かっていた。しかし、アルバディーナにはそれを認められない蟠りがあった。

 

「それは、私の気持ちとして無理なのよ。たとえアイリスの打ち出した方針が却下になっても、一度私たちの思いを客寄せと言い切ったあの子を、総帥として仰ぐことはできない」

 

 声を震えさせて、その言葉を絞り出したアルバディーナを、ジュリアは黙って見つめた。しばらくその状態が続いたため、アルバディーナは、ジュリアが自分に呆れているのだと考えた。アイリスに対する反乱を企みながら、そのアイリスを傷つけることを恐れている。矛盾した自分に呆れるのも無理はないと思ったのだった。

 そして、アルバディーナは己の悩みの愚かしさを悟った。アイリスに対して蟠りがあるのなら、この先アイリスと上手く協調するのは困難だろう。そして彼女に対するアルバディーナの激情は、拾ってくれた恩義と、彼女へ向けていた友愛以上のものだと、同時に確信した。

 

「ごめんなさいね。わざわざ愚痴るために呼び出したようになってしまって。すぐ送り返してあげるから」

 

「待ちなさい」

 

 ジュリアが語気を強めて言った。そして、

 

「結局、謀反は起こすか、起こさないか、どっちなの」

 

「起こすわ。このまま何もしなければあなたに申し訳が立たないもの。それに、私はもう、あの子の下で戦えないから」

 

「たとえ一人でやることになったとしても?」

 

「私の結界魔法と蟲への変化があれば、私は一騎当千の力を得られる。その気になれば一人でだってできるわ! そして私一人ででも、人間を滅ぼし、この世界を終焉に導いてみせる!」

 

 アルバディーナは言い放った。結局、彼女の目的は人間への復讐なのだ。これまではアイリスの元でその目的を果たすため、T.w.dの組織力を強くすることに力を注いできた。そして、そのうち、復讐という垣根を超え、アイリスを守ろうと錯覚したこともあった。しかし、アルバディーナの怒りは、アイリスという枷を外した。彼女の悲願は、もはやアイリスと共には無い。

 

「その目、その声、その覇気。なるほど、それなら可能性はあるわね。私があなたに呼ばれたおかげかしら?」

 

「そうね。あなたが突き放してくれなかったら、ここまで決意は固まらなかったわ。イレーネスだったら、きっと私に寄り添うでしょうし」

 

「私が呼ばれた意味はあったわけね」

 

 ジュリアの顔に笑みが戻った。そして、棘のない口ぶりでアルバディーナに言った。

 

「親友のよしみで、あなたを手助けしてあげる。別に、今さら私がこのまま現世にとどまると言ったところで、あなたの覚悟は揺らがないでしょう?」

 

「それもそうね。あなたがいれば心強いことこの上ないのは事実だけれど」

 

 アルバディーナは、ジュリアに微笑みかけた。久方ぶりの笑顔だった。今まで感じていた不安が解消されたようで、アルバディーナは非常に爽やかな気分になっていた。

 

「そうそう、言っておかなくちゃいけないことがあるわ」

 

 ジュリアはそう言うと、アルバディーナから少し距離を取った。

 

「私、アイリスの言うことに反対していない、というか、寧ろ全面的に賛成なのよ。私がT.w.dに入ったのは、異変の解決に、怠惰な態度を見せる連中を目の当たりにしたから。アイリスが世界を作り直せば、世界水晶の状態も、リセットされる可能性がある。そうなれば、世界水晶の力の減衰によって引き起こされている異変も解決する可能性がある」

 

「つまり、全面的な手助けはしない、ということかしら」

 

「そうなるわね。そういう訳で、私は自由に動かせてもらうわ。手を下すのは、発起した当人のあなたじゃなきゃね」

 

「うん、分かったわ。私があなたを無理矢理この世に戻してしまったのだから、あなたの力をあてにするのは、更に失礼を重ねてしまいそうだもの」

 

 アルバディーナは、ジュリアの意志を快諾した。すると、ジュリアは満足気に頷き、そこから姿を消した。気配は感じるため、単に彼女の姿が見えなくなっただけだろうと、アルバディーナは解釈した。

 アルバディーナは、これ以上自室にこもっていると、副総帥という立場のために疑われてしまうかもしれないと、結界を消して自室から出た。すると、丁度目の前をフィアが通り過ぎた。

 フィアは立ち止まってアルバディーナに敬礼をした。上官にそうしろという規則は無いのだが、彼女の軍人としての性だろう。敬礼された以上、アルバディーナもそれを返さねばならない。アルバディーナは、返礼としての敬礼をしている間、フィアをまじまじと見つめていた。

 

(フィアは古参でアイリスに近い。こちら側への勧誘は間違いなく失敗するわね)

 

 アルバディーナは敬礼を解くと、フィアに向くこと無くそのまま執務室に向かった。軍靴を響かせながら、彼女はクーデターの作戦を練り始めていた。

 

        ***

 

 フィアは、アルバディーナの姿が見えなくなったのを確認すると、すぐさま自室へ駆け込んだ。そして、とある人物に軍務用の携帯電話で電話をかけた。

 

「アルバディーナが怪しい。彼女の行動には注意するように」

 

        ***

 

 カレンは、セニアと共にレミエルの討伐をする部隊に入って行軍していた。その理由は、人手不足から、客将の身分であるカレンとセニアが協力を請われたためだった。しかし、この時了承したのはカレンたちだけで、あずさとユノ、アインスは拒否し、秀とシャティーは姿を消していた。

 もっとも、カレンたちとてレミエルを殺すのは望まない。邪気の塊のようになっているレミエルを倒すことで、彼女が救われたら、と考えていたのだった。

 しかし、この時最も気になっていたことは、姿を消した秀とシャティーのことだった。特に秀が、レミエルの危機に黙っているはずはない。だから、レミエルのもとに向かえば会えるやも、ということも、要請を聞き入れた理由の一つだった。

 

「どういうつもりだ!? そこをどけ!」

 

 先頭を行くグラディーサの怒号が、カレンの思考を遮った。カレンがグラディーサのいる辺りを見てみると、レミエルを取り囲むようにして、T.w.dの部隊が配置されていた。カレンは、セニアと共にグラディーサのいるところまで駆け寄ってみると、そこには目を疑うような光景が有った。

 

「カミュ様!? それにジャッジメンティスまで! T.w.dがレミエルを包囲しているのですか!」

 

 カレンが驚きのあまり、思わず大声をあげてしまった。すると、それまでグラディーサに注目していたカミュが、カレンの方に向いた。

 

「貴様のような、血の通わぬ機械人形に名前を呼ばれる筋合いは無いな。早く失せるがいい」

 

 カミュの口から、カレンには信じられないような冷たい言葉が発せられた。アンドロイドの指導教官であった彼女は、厳しくも思いやりに溢れた指導に定評があったのだ。だから、カミュのこの言葉は、カレンにはあまりにも衝撃が大きかった。

 

「カミュ様! 昔のあなたは、アンドロイドにも人間にも分け隔てなく接し、私たちアンドロイドを温かく指導して下さったではありませんか! なのに何故!」

 

「今も昔も、私は変わらん。ただ、猫をかぶっていただけだ。生物ですらないアンドロイドが、人間と平等足り得るなどと、思い上がった口をきくな」

 

「カミュ様! あなたは——」

 

「しつこいぞ! アンドロイド風情がそれ以上、カミュ教官に話し掛けるんじゃない!」

 

 ジャッジメンティスから、女性の怒号が聞こえた。その操縦士が言ったのだろうが、カミュとの会話に横槍を入れられたことに、カレンは大変不服であった。

 

「私はカミュ様と話しているのです。邪魔はなさらないでください」

 

「アンドロイドが人間に上から物を言うな! 停戦協定が無ければスクラップにしていたところだぞ」

 

 カレンはジャッジメンティスの操縦士の反駁から、自分だけでなく、アンドロイド全体に対する激しい憎悪を感じ取った。そうして、カレンは悲しくなった。カレンが思うに、恐らく彼女、そしてカミュにさえも、カレンと、その隣に立つセニアは等しくアンドロイドと一纏めにされて見られているに違いない。白の世界にアンドロイドを良しとしない勢力が存在することは分かりきっていたことだが、実際に目の当たりにすると、心が痛んだ。

 

「話は済んだようだな」

 

 カレンが茫然自失としていたところに、グラディーサが、カレンとT.w.dの間に割って入った。

 

「貴様ら、そこをどけ」

 

「嫌だと言ったらどうする?」

 

 カミュが、挑発するように笑いながら答えた。すると、すぐさまグラディーサは剣を構えた。

 

「力づくでも通るのみよ! 停戦協定など知ったことかぁっ!」

 

 グラディーサは猛然とカミュに向かっていった。それに続き、彼女の部下も突撃していく。

 

「愚かなり、赤の女神!」

 

 カミュが嘲ると、突如グラディーサたちを雷撃が襲った。それを食らったものはその場に倒れ伏し、痙攣していた。

 

「き、貴様、何をした!?」

 

 グラディーサが、呻きながらカミュに怒鳴った。対し、カミュは嘲笑するように静かに笑ってから、グラディーサを見下しながら答えた。

 

「あの停戦協定は魔術契約だ。私たちとて例外ではないが、破ったものには自動的に裁きが下る。死にたくなければ、総統たちが事を終えるまで、そこで大人しくしていることだ」

 

 カレンは悔しく思いながらも、その場での待機を決め込んだ。

 すると、カレンはカミュへの注目をやめたせいか、すぐ隣で、セニアが固くなっていたことに気づいた。何も言わず、ただ優しく抱き寄せると、カミュたちが囲む禍々しい塊を見た。これは機械でないからこそなせるのかと考えると、唐突にカレンは寂寥感に襲われた。

 

        ***

 

「全員、いるか?」

 

 レミエルの体内に入った秀は、振り返ってアイリスたちも入れたかどうか確認した。体内へは意外とあっさり入れた。近づくとあっという間に吸い込まれたのだった。

 

「大丈夫だよ。全員いる」

 

 アイリスが代表して答えた。アイリスとエクスシア、そしてシャティーには、秀から見て、体の不調があるようには感じられなかった。

 それから秀は、辺りを見回した。秀たちが今いるのは、レミエルの体内——正確には、レミエルの感情が魔術的な力によって、具現化したものと思われるものの内部だ。外から見た、不気味な感じとは違い、雲の上の、柔らかな陽光に包まれた空の上にいた。そして、半透明な板が、秀たちを待っていたかのように、足場と道を作っていた。しかし、道は見渡す限り続いており、どこから入ったのか、分からなくなっていた。秀たちは塊の底の方から入ったので、この空間が、外の空間とは違うものだということは、はっきりと分かった。

 

「秀さん。レミエルがどこにいるか、分かります?」

 

 エクスシアが尋ねた。それで、秀は、いつもレミエルの危機の時に疼く、右の小指を抑えた。すると、レミエルの居場所が、ぼんやりとだが、分かった気がした。

 

「多分、ここを今の俺らから見て後ろに進んだ方だ」

 

「レミエルの場所分かるなら、秀が前行った方がいいよね」

 

 アイリスに押されるがままに、秀は先頭に立った。しかし、アイリスの言うことに、少しも間違ったことはないので、秀は少し早歩き気味に歩き出した。

 暫く歩いていると、肉の壁のようなものが現れた。そして、そこを起点にして、平坦な道と、階段とに分かれていた。

 

「困ったな。レミエルはこの肉壁の向こうにいるのに」

 

 傷つけるわけにもいかず、どっちに行けばいいかも分からず、秀が途方に暮れていると、

 

「誰!?」

 

 そう叫んだシャティーが、臨戦態勢を取っていた。秀たちもシャティーの向いている方に向くと、確かに見知らぬ人影があった。

 

「いや、そう構えるな。我は敵ではない。姿を現そう」

 

 そう言って、その影は翼を広げて飛び、秀たちのところへ降り立った。そして、その姿を見て、秀らの誰もが絶句した。かろうじて、エクスシアが掠れた声で、その者の名を口にした。

 

「ガ、ガブリエラ様……?」

 

 確かに、彼女はガブリエラであった。しかし、訃報を聞いただけのエクスシアと、現場を見たかは分からないアイリスはともかく、秀とシャティーは、ガブリエラが死ぬ様をその目で直に見ている。

 唖然とする秀たちに対し、ガブリエラは申し訳無さそうに言った。

 

「時間のない時に時間を取らせて申し訳なく思うが、ここに我がいる理由と、この空間について話してもいいか?」

 

「それは、ここにいる全員が疑問に思っていることだろう。ぜひ話してくれ」

 

「分かった。まず我がここにいる理由だが、あの時、我がレミエルに全ての力を託した時だった。彼奴は、力だけでなく、我が精神をも吸収したのだ。恐らくは寂しさが由来の、無意識のうちのことだろう。そういうわけで、ここにいる我は、ガブリエラの残滓だ。残滓ゆえ、長くは保たん。汝らの前に姿を現したのも、はっきり言えば、あの予言を完遂するため、汝らを利用するためだ」

 

「利用とはこれはまたはっきり言うね」

 

 アイリスが皮肉ったような笑みを浮かべた。対し、ガブリエラも微笑しながら言った。

 

「予め利用するつもりだ、と言っておけば、汝らも信用できるだろう? それに、汝らは知る由も無かったろうが、これまでも散々利用させてもらっている。もう少しくらい利用させてくれ」

 

「ガブリエラ、それはどういうこと?」

 

 シャティーがガブリエラを睨んだ。すると、ガブリエラはシャティーの反応が意外だったのか、慌てた調子で答えた。

 

「私が言ったのは、これまでに起こった、主にT.w.dが引き起こした様々な状況を、レミエルの堕天、そして彼奴の予言の完遂に至るために利用したということだ。決して、我が意図的にここに至るまでの状況を作ったというわけでは無い」

 

「私たち、まんまと利用されてたんだね。まあレミエルもこっち側についたことだし、結果的には悪くはないのだけれど。そういえば、あの時に感じた、レミエルじゃない誰かは君か」

 

 アイリスはわざとらしく、大きめの声で呟いた。すると、ガブリエラは目線だけをアイリスに移した。

 

「ああ。それに、汝がタイミングよくユラを殺害したおかげで、レミエルが一足飛び的に堕天できた。それに我がレミエルの中にいたのも大きかった。あの戦闘装束に込めた私の意志だけでは、堕天は難しかっただろう。実はあれを織ったのは本当は我だったのだが、もはやどうでも良いことだ」

 

「なんだか複雑な気分ですが、これまでのガブリエラ様がしたことの経緯は分かりました。では、この空間について教えていただけますか?」

 

 エクスシアは、複雑な表情のままそう聞いた。ガブリエラは軽く頷くと、少しの間を以って話し始めた。

 

「この空間は、レミエルの魔力の許容量が、他人の精力、いや魂を吸収しすぎてオーバーし、その吸収できなかった部分がレミエルの心と接触し、魔術的な力によって具現化したものだ」

 

「ということは、さっきから感じるレミエルの感覚は、本体のものか」

 

 秀は、依然として疼く右の小指を見つめながら呟いた。それを見たガブリエラが、おもむろに歩み寄ると、秀のその小指に触れた。

 

「なるほどな、そういう契約か」

 

「何が分かったんだ」

 

「汝も気付いていなかったのか。これは、汝とレミエル、どちらかが危機に陥った時、いの一番の救援を強要するものだ。もっとも、レミエルも無意識のうちに契約したようだがな」

 

「なるほどな。しかし俺には多少便利なくらいだ。それに、強要されなくても、あいつの危機にはは俺がいの一番に駆けつける。そう約束したからな」

 

「それは殊勝な心がけだな。さて、話は終わりだ。レミエルのいるところへの行き方を示す。ついてこい」

 

 ガブリエラはやや急ぎ気味に会話を切ると、秀の手を引いて階段の方に歩き出した。秀は、ガブリエラが手を引くのがレミエルとの契約を意識してのことだと理解すると、その手を優しく払ってガブリエラの隣を歩いた。遅れて、アイリスたちがついてきた。それを一度振り返って確認すると、秀は前を向いて階段を一歩ずつ踏みしめた。

 階段をしばらく登っていると、突如野蛮な叫び声が聞こえた。暫く登ると、両側の壁に人面が浮かび上がって、お互いに叫びあっていた。

 

「これは、少し精神に来るな」

 

「うん、少し気持ち悪いかも」

 

 秀とアイリスが嘆息した。すると、エクスシアが話し出した。

 

「恐らく、あの人面はレミエルの吸収した人の魂で、ここには七女神の結界の影響が及ばない故にあのような蛮声を上げているのでしょう。結界によって抑制されていましたが、赤の世界の住人というのは、もともとはああいう人ばかりなのです。今日の昼の騒ぎなどはおとなしい方です」

 

「結界を張っていたのは、七女神の保身のためだけじゃなく、秩序を守るためってのもあったんだろうな。もっとも、こんな洗脳じみたやり方は、褒められたものではないが」

 

 秀は、実際の赤の世界の住人の本性を目にして、七女神の結界について考え直したことをそのまま口にした。

 

「ああ。だからこそ、七女神は誅滅せねばならん。もっとも、残滓たる今の我には、そのような力は残されてはいないが」

 

 ガブリエラの口調こそは冷静だったが、明らかに彼女の感情は昂ぶっていた。見れば、彼女の翼は白いままだ。ガブリエラとエクスシアが、七女神に対する激情を隠したまま、七女神の臣下として過ごしたのは、かなりの苦痛であったことだろう。しかし、そのことを今労わるべきではないと、秀は思った。彼女らは、まだ何も成していない。ガブリエラとエクスシアとしては、行動を起こしてすらいない。労わるのは、全てが終わった時にしようと、秀は一瞬だけ瞑目した。

 秀の体感的に、一時間ほど階段を登ると、ようやく階段が終わった。しかし、そこから先に道は無く、あるのは暗く深い、底の見えぬ穴だった。だが、レミエルはこの先にいる。

 

「飛び降りるしかないか」

 

 秀は、そう言ってから横目でガブリエラを見ると、彼女は首を縦に振った。それを見てから、秀は躊躇無く飛び込んだ。数秒の落下の後、足から着地した。カミュのくれた靴のお陰で、特に問題は生じなかった。

 辺りは暗闇の中で、何も見えない。そこで秀は、このまま待つわけにもいかぬと、アイリスたちが無事降りられたかの確認を待たず、レミエルの気配を頼りに歩き出した。

 暫く歩いて、レミエルの気配がかなり強くなってきた頃合いである。不意に手を引っ張られたかと思うと、そのまま正面から抱きしめられた。

 

「レミエルか」

 

「よく、分かりましたね」

 

 少し嬉しそうな、彼女の声が聞こえた。すると、急に周囲が明るくなった。辺り一面真っ白である。

 ふと、秀がすぐ目線を落とすと、そこには上目遣いのレミエルの顔があった。少し潤んだ、赤い月のような左眼と、黄金の至極とされる閻浮檀金の如き右眼が、秀の顔を捕らえて離さない。見た目とは違い、視線から感じるレミエルの心は、無垢そのものだった。初めて会った時と同質のもの。これまでの歩みの中で、それはずっと変わらなかったのか——そうではなく、最初に戻ったとも言える。もしそうだとしたら、ここまでの道程は、きっとそういうことだろう。

 

「私、考えたんですよ。ここで」

 

 レミエルは、顔を少し下に向けて語り出した。秀には、彼女の俯くその様が、以前のものとは違うと、はっきりと分かった。

 

「今まで、私が成そうとしたことで、うまくいったのなんて殆ど無かったんですよ。それ以外は全部うまくいかなかった。結界を割ろうとしたときも、ユラの仇を取ろうとしたときも、この世界を救うためにアウロラを討とうとしたときも、うまくいかなかった」

 

 秀には、レミエルの言葉の中に自虐的な感情を感じなかった。秀の知る、以前のレミエルならば、同じ言葉を発すれば、必ずと言っていいほど自嘲していた。しかし今は、そうではなかった。

 

「うまくいったのは、ジュリアさんを倒したときと、カミュさん達を追い払ったときだけ。何がそうさせたのか、考えて、分かったんです」

 

 レミエルは、秀から体を離した。そして、両の瞳で秀を見据え、清々しい表情で言った。

 

「結界や、ユラや、アウロラの時は、私は私じゃない何かのために、命を賭して戦いました。でも、ジュリアさんやカミュさんの時は、前者は私が秀さんの隣にいるために、後者は私の怒りを晴らすために戦ったんです。つまり、私自身のために戦ったんですよ」

 

 秀は、固唾を飲んで話を聞いていた。恐らく、レミエルの次の言葉は、これまでの彼女の人生から導き出した、人生の方針の最適解となる。何を語るのかと、秀は期待と不安に胸を膨らませていた。

 

「だから、決めました。堕天しても変わらず、自分を卑下するあまり自分をぞんざいに扱った私でしたが、これから先は、私を犠牲に他のことに尽くすんじゃなく、私を第一に考えて、その上で他のことに尽くします。自己中心的と言われればそうですが、でも私はこの生き方をしようと決めたんです」

 

 晴れ晴れとした爽やかな顔で、レミエルは言った。秀は、何と言えばいいのか分からなかった。この答えは成長の結果だ。レミエルから劣等感という足枷が取れたのだから。秀もその答えに文句をつけたいわけでもない。だが、うまい肯定の言葉が、何も思い浮かばなかった。

 

「それが汝の本心か、レミエル」

 

 ふと、頭上から声がした。秀が顔を上げると、そこにはガブリエラと、エクスシアとシャティーに抱きかかえられたアイリスがいた。ガブリエラの視線は厳しいものだった。その目線がレミエルを非難するものなのか、或いは見定めるものなのかは、秀には分からなかった。

 

「はい、その通りです」

 

 レミエルは、秀に背を向けてガブリエラの方に向くと、はっきりとした声で答えた。すると、ガブリエラの表情が、ふっと和らいだ。

 

「それで良い。汝は己の卑屈さゆえに、無意識に己を縛っていた。それは戦いに身を投じる者としては致命的だ。しかし、今の汝は違う。汝が力を縛ることなく、最大限に発揮できる。即ち、予言を果たすべきは今!」

 

「私と、ガブリエラ様でですか?」

 

 レミエルの問いに、ガブリエラは間を置かずに頷いた。そして、レミエルは、黙って見守っていた秀たちに向くと、深々と頭を下げた。

 

「ありがとう、エクス、シャティー、アイリス、そして秀さん。あなた達が助けにくるって分かった時、とっても嬉しかった。予言を果たして、私が捕らえてしまった魂を解放したら、あなた達と合流するよ。では、一旦さようなら」

 

 レミエルが言い終えた瞬間、秀が何かを言う暇も与えずに秀たちの周りを光が包み、その光が消えた時には、秀たちはユラの墓標まで飛ばされていた。

 秀がすぐさま、あの塊の方を見ると、その塊は徐々に形を崩していっていた。

 

        ***

 

 レミエルは秀たちを送り出した後、ガブリエラと向き合った。しかし、彼女の、この世を離れるはずだった魂を無理矢理引き止めていたことへの罪悪感から、すぐに目を背けてしまった。

 

「どうした、レミエル」

 

「私、ガブリエラ様にかなり道理に反したことをしてしまいました。あなたの魂がここにあるからこそ、エクスやシャティーを予言のための犠牲にせずに済むというのは分かっています。でもそれは結果論です」

 

「この場合は、結果さえ良ければいい。我は、汝に託された予言を果たすために行動していたのだ。こうなるのならば、むしろ本望だ」

 

「でも、それは……いえ、何でもないです。その通りですね」

 

 レミエルは、反駁したい気持ちを抑えた。ここで反駁しては、以前と何も変わらない。生き方を変える、そう誓ったのだからと、レミエルは深呼吸を繰り返した。

 

「しかし、残滓たる今の我だけでは予言を果たすだけの力は足りぬ。汝が吸収した魂の中に、アウロラのものがあったな。その力を使うか」

 

「量は気をつけてくださいね。取りすぎると、私のようなことになってしまいますから」

 

「分かっている。それに、使うのはアウロラの力の一部だけだ。我にも汝にも、彼女の力の全てを使うことは困難だろう」

 

 ガブリエラは口角を少し上げて、レミエルを見つめた。レミエルは意を決して頷くと、アウロラの魂の一部を取り、ガブリエラに与えた。

 

「じゃあ、いきましょうか」

 

 レミエルは、震える手でガブリエラの手に指を絡めた。そして、ガブリエラとひとつになる瞬間を待つ。しかし、何も起こらない。ガブリエラも焦った様子で、目を見開いていた。

 

「まだ、足りぬと言うのか。力が」

 

 ガブリエラの絶望したような声。レミエルも諦めかけたその時だった。レミエルの肩に触れる者がいた。その者の顔を見た時、レミエルははっとして、思わず一条の涙をこぼした。

 

「お、お母さん……」

 

 レミエルの母は柔和な笑みを見せると、そのままガブリエラの中に入っていった。そしてその刹那、絡めた指から、レミエルとガブリエラが、光となって融合し始めた。みるみる光に溶けていく体を見つめながら、レミエルは悟った。なぜ予言の最後が超新星の輝きなのか。その意味が分かった時、レミエルの心から、予言への恐怖は消え去っていた。

 二人が完全に溶け合う直前に、レミエルが目にしたもの。満足げな、それでいて少し寂しそうな、ガブリエラの笑顔だった。

 

        ***

 

 崩れゆく塊から、ひとつの光が飛び出した。そしてそれが、闇に包まれたテラ・ルビリ・アウロラの空で、人間大の、赤き水晶の結晶を形成する。

 

「あれは、赤の世界水晶!? ……いや、違う。でもそれに、限りなく近いものだ」

 

 アイリスは、心底驚いて腰を抜かしていた。そうしていると、水晶に変化が訪れた。小さなヒビが入ったのだ。やがて、それは瞬く間に巨大な亀裂となり、水晶は砕かれた。それとともに、強烈な光を、水晶は放った。その光は、アイリスが今まで感じたことのないほどの、温かみを伴っていた。そしてその光が何なのか、アイリスも、エクスシアも、シャティーも、秀も、瞬時に悟った。

 光が消えた時、赤の世界に立ち込めていた瘴気は消え去り、周りの空気が美味しく感じられた。そして水晶のあった場所には、一人の天使がいた。右に白と黒、そして左に閻浮檀金のごとき紫金と、純金の、計四枚の翼を広げ、微風にそのブロンドの長髪をなびかせている。その目は右が青、左が赤のオッドアイ。その身に纏うのは、薄紫と血赤色のツートンカラーの装束で、左手にはガブリエラの諸刃の剣が握られている。そしてその顔立ちは、皆がよく知るレミエルそのものであった。

 突如、レミエルが咆哮し始めた。それはまるで赤児の産声のようで、苦しみや、猛りからくるものとは、違っていた。

 

「みんな、こっち見てください! ユラの剣が!」

 

 エクスシアが、慌てた様子で呼び掛けた。アイリスたちがそちらを見てみると、墓標がわりとなっていたユラの剣が、レミエルの咆哮に合わせて、小刻みに震えていた。そして、十秒もしない間に、ユラの剣は、地面から抜け、レミエルの元へ、回転し勢いを増しながら飛んでいった。

 

「ユラ、レミエルに力を貸してくれるんですか……」

 

 エクスシアは泣いていた。死してなお、友のために力を貸す。その熱き友情を目の当たりにして、アイリスにも、心にぐっとくるものがあった。

 

        ***

 

 レミエルは、飛んできたユラの剣の柄を掴み、その刀身を眺め、ふっと微笑んだ。

 

「ありがとう、ユラ。一緒に戦おう」

 

 そう呟いて下を見ると、塊から触手が伸びていた。その塊の核であったレミエルを、再び取り込むためだろうと判断したレミエルは、その塊の方に飛び込んでいった。

 

「光の翼を使う!」

 

 レミエルは襲いかかる触手を光の翼で切り裂きながら、急降下していく。そうしながら、レミエルは今の自分の力の強大さに驚いていた。体の奥から湧いてくる力が、堕天使であった時と比べても段違いだ。かつての自分よりも、体が軽く思え、速く動けた。

 数秒もしないうちに、塊は目前といったところまで近づいた。そこで一旦速度を緩めると、レミエルは二刀を構え、より一層の加速をした。

 

「他の誰でもない、あなた達の剣で、この世界の人たちを解放する! ガブリエラ様、ユラ!」

 

 レミエルは、塊へ降下し、突進しながら二振りの剣に魔力を注いだ。すると、左手に握ったガブリエラの剣には黄金の、右手に握ったユラの剣には紫金の輝きが宿った。そしてそれを、勢いのまま塊に突き刺した。すると、塊は一気に爆ぜ飛び、赤の世界の各地へ飛び立っていった。そして、軽やかな動きで着地し、すぐそばにいたカミュに目配せすると、彼女の軍勢と共に、ユラの遺体を埋めたところへ転移した。

 

「レミエル!」

 

 転移した直後に聞こえたのは、嬉々とした秀の声だった。その声がした方を向くと、すぐ目の前に秀がいた。彼はやや興奮気味になって、レミエルに尋ねた。

 

「予言、果たしたのか?」

 

「うん。実は、記憶が消えちゃわないか、とか、姿が大幅に変わっちゃわないか、とか気にしてたんだけど、そんなことなくて良かったよ、秀さん」

 

「俺に対しての丁寧語、抜けたんだな」

 

 秀が驚いた様子で呟いた。そう言われてから、レミエルもそのことに気がついた。しかし、そうなった理由は、少し考えただけで容易に分かった。

 

「きっと、我……じゃなくて私が今まで秀さんに丁寧語だったのは、秀さんのパートナーとして、自信が無かったからだと思う。でも、そういう生き方を変えるって決めたから。それでじゃないかな」

 

 レミエルは、照れ臭くなって、剣を亜空間に放り込むと、秀から目を逸らしながら頰をかいた。そうしながら、レミエルは改めて己の変化を顧みた。外観ではなく、レミエル自身の心の変化だ。あの決意も関与しているのは間違いないが、それ以上に、ガブリエラと融合したことが絡んでいるだろうと、レミエルは思った。

 そう考えたのは、つい先ほど、自分のことを我、と呼びそうになってしまったからだ。もしかしたら、ガブリエラの性格も混じってしまったのかもしれない。

 しかし、逸らした目を戻せば、何も気にしていない様子の秀がいた。彼に不安は無い。そう確信すると、レミエルはほっと胸をなでおろし、胸を張って秀を見ることができた。

 

「古きものを素材に、その素材の良い部分を継承しつつ、新たな境地に至る。正しく超新星。そして、そういう君は、まさに私の理想に相違ない」

 

 恍惚とした声を震わせてそう言うのは、アイリスだった。彼女はレミエルに近付くと、目を輝かせて、レミエルをまじまじと見回した。

 

「あの、ちょっと恥ずかしいんだけど」

 

「あっごめんごめん。ちょっと興奮しすぎちゃった」

 

 アイリスは悪びれた様子無しに、朗らかな笑顔を見せた。レミエルはそのような彼女の様子にため息をつき、そしてすぐに微笑を浮かべた。そして、レミエルはエクスシアを一瞥すると、アイリスとエクスシア、二人に向いて告げた。

 

「私、T.w.dに入るよ。もうこの世界にはいられないし、アイリスが世界を変えれば、私と、ガブリエラ様とエクスの悲願は果たされるし、そして何より、秀さんの隣で戦い続けられるから」

 

「心残りはありませんか?」

 

 エクスシアが尋ねる。対し、レミエルは即座に頷いた。すると、アイリスとエクスシアはふっと笑い、二人とも、ひとつずつ手を差し伸べた。レミエルは迷わずそのふたつの手を取り、二人と並んだ。周りを見回すと、秀、シャティー、カミュ、リーナと、他のT.w.dの構成員が、暖かな目で笑いかけている。それは、まるでレミエルを祝福しているかのようだった。

 引き揚げの準備が完了し、(ハイロゥ)へ向かおうとした、ちょうどその時。朝陽が昇り始めた。多くの白雲に遮られながらも、朝陽は煌々と輝いて、レミエルたちを赤々と照らしていた。




 今回で第3部「超新星」は終了となり、次回から第4部、「ヴィクトリー・クロス」が始まります。これからも拙作をお読みいただけたら幸いです。


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ヴィクトリー・クロス
新たなる力、テリオス!


 ユニは、人がせわしく行き交う、統合軍本部の廊下を、周囲と同じように早歩きしていた。周りが忙しくしているのは、つい先日、ようやく決まった大々的な人事異動が原因である。しかし、特務隊の欠員は出なかったためか、ユニをはじめとした特務隊には、人事異動は無かった。ユニの立場は、特務隊の隊員で、アインスの上司だ。それは前も今も変わらない。

 ユニが急ぐのは、特務隊全体を取り仕切るミロクの呼び出しがあったからである。ユニは、T.w.dの青蘭島占領後、アインスが赤の世界へ行ったのは、T.w.dにより達成が困難となったブルーフォールの代替策として、赤の世界水晶を確保するために、潜入捜査を行うためだと、報告した。そしてアインスに、赤の世界の情報を流すように後から命令したのだった。

 

(報告をまとめたレポートを提出した直後に呼び出しとは。まあ恐らくは質問か命令の追加だろうな)

 

 ユニはそれほど呼び出しを深刻に受け止めずに、ミロクの執務室にたどり着くと、そのドアをノックして、返事を待って開けた。

 

「ユニ・ジェナミス。失礼します」

 

 部屋に入り、その中央のデスクに座る男に対して敬礼する。彼こそが、特務隊を取り仕切るミロクその人である。彼は敬礼を返すと、早速口を開いた。

 

「レポートは読ませてもらった。一部の青蘭学園勢力と天使の離反、そしてアウロラの不調に、内政の荒れ、議会での、軍を中心とする停戦協定破棄派と、七女神を中心とする延長派との対立。これを利用せぬ手は無い」

 

 ミロクは、不敵な笑みを浮かべる。ミロクがこのように笑うのはよくあることだ。彼は何かを思いついた時、決まってこう笑う。

 

「アインスに新たな指令だ。主戦派が勝つよう工作しろとな。そのためなら暗殺も許可するとも付け加えておけ」

 

「了解。他にはありませんか」

 

「ああ。要件はこれだけだ。下がっていいぞ」

 

 ユニは、退出するときの作法を無意識にこなして部屋を出て、自室に早歩きで戻った。そこで、特務隊専用の、異世界間でも通信の可能な通信機を用いて、アインスに命令を下すと、ベッドに仰向けに飛び込んだ。

 

(主戦派の焚付けか。T.w.dと潰し合わせて力を消耗させる気か。本格的に、世界水晶奪取計画の対象を赤の世界にする気でいるな)

 

 そもそも、緑の世界が青の世界と接続したのは、ブルーフォール作戦のためだ。他の世界とは、元々何の繋がりもない。全ては愛するグリューネシルトのため。他の世界がどうなろうと、ユニの知ったことではない。

 

        ***

 

「今すぐにでも軍を起こし、T.w.d征伐のために遠征することこそが必要! 停戦協定は魔術契約とはいえ、契約は契約。破棄できぬ道理が無いわけではない!」

 

 テラ・ルビリ・アウロラの議会で、そう主張するのは、軍の幹部であり女神のグラディーサだ。主戦派の中心である彼女は、矢継ぎ早に意見を述べる。その剣幕に、穏健派は圧倒されていた。この状況に、アウロラはこめかみを抑えていた。

 アウロラをはじめとした七女神の鶴の一声があれば、グラディーサも収まるだろう。個性をもたせてあるとはいえ、元は七女神の分身であるからだ。しかし、それでは以前と何も変わらない。今はテラ・ルビリ・アウロラの在り方を変え、国力を安定させるべきなのだ。そのため、T.w.dとの戦いなどをしている場合ではない。

 アウロラがこう考えるようになったのは、レミエルが原因だった。彼女が予言の達成に使ったアウロラの魂の部分は、実はこれまでクレナイとして切り離していた部分だった。クレナイは、アウロラが赤の世界水晶の心に限りなく近付けた、彼女の分身であった。あの時、彼だった部分は、何の躊躇いも無しにレミエルに力を貸した。そして、極め付けはレミエルが顕現したときの赤い水晶だ。アウロラには分かる。あれは赤の世界水晶の一部だ。事実、あの後、アウロラが世界水晶を見に行くと、確かに一部分が割れた形跡があった。つまりは、赤の世界の意思はレミエルを選んだのだ。

 

(気づくのが遅すぎたかもしれませんが、まだ間に合う。何とかしてあり方を変えなければ。そしてそのためにはグラディーサ達が自力で気付かねば)

 

 しかし、アウロラの望みとは裏腹に、グラディーサの語調は、彼女が何かを言うたび強くなっていっていた。これは、間違いを犯した私たちへの罰なのかもしれない――アウロラは、そのような気がしてならなかった。

 

        ***

 

 会議が終了した後、アウロラは顔をしかめて一人で廊下を歩いていた。結局、会議とは名ばかりで、グラディーサがひたすら主張するだけで終わってしまった。

 やはり、指針を示すしかないのかと、アウロラが考えたその時だった。正面から、二本のナイフがアウロラめがけて飛翔してきたのだ。アウロラはそれらを杖で弾き落とし、一瞬気が緩んでしまった。気がつけば、首筋が熱かった。さらに、背中に何本も何かが刺さった感触を覚えた。流れる血とともに、力が急速に失われていく。もはや、回復すらできやしない。

 

(私は死ぬ……。けどその前に、誰がやったのかを見なければ!)

 

 アウロラは最後の力を振り絞って振り返り、その相手の顔が見えようとした瞬間、両目と額にナイフが刺さり、そこでアウロラの意識はこと切れた。

 

        ***

 

「どこに行っていたのです、アインス」

 

 アインスが後始末を済ませて自室に帰ってくると、開口一番、苦虫を噛み潰したような表情のカレンに咎められた。どうやらアインスの部屋で待ち構えていたようだ。近頃のカレンは、このような表情ばかりをする。その原因は、わざわざ考えるまでもない。秀たちに決まっている。何も言わずに去ったのだ。誰だって、特にカレンは、怒らぬはずがない。レボリューション部の二人は秀たちの真意を知っているようだが、カレンに何も話してはくれなかった。

 

「別に、ちょっと野暮用」

 

 アインスは素っ気なく返事をして、ベッドに仰向けで飛び込んだ。カレンは呆れたようなため息をつく。

 

「まったく、ついさっきアウロラが暗殺されたというのに」

 

「へえ」

 

 アインスは無関心を装った。とはいえ、彼女自身が当事者でなくとも、このような反応をしていたことには違いなかった。カレンも違和感を感じなかったようで、アインスの態度を注意するようなことはなかった。

 

「グラディーサ様辺りが、T.w.dによる犯行だと決めつけて、今緊急議会で、すぐ出兵すべきだと主張してるようですよ。もしそうなれば、私たちも従軍することになります。グラディーサ様たちは優勢らしいですし、準備を進めるべきじゃないですか?」

 

「T.w.dを倒す、という目的は一致するわけだから、別に私は構わないけど。カレンが気にしてるのはそんなことじゃないでしょ」

 

 カレンは眉をひそめた。図星だったようで、その不機嫌な顔のまま口を開いた。

 

「ええ、そうですよ。このままでは、秀様と戦わなければならない。かつての仲間と、真意も知らずに敵対するなど、私はできません」

 

 アインスは、一瞬カレンに秀たちのT.w.dへ走った理由を告げようかと考えたが、すぐやめた。仮に言って、カレンが共感したりして、万が一カレンもT.w.dに入ろうとすれば、人間解放軍出身の人員に阻害され、最悪破壊されかねない。友がそのような下らない目に合うのは、アインスは望まなかった。

 

「他の白の世界の人から連絡とか無いの?」

 

 アインスは、適当に思いついた疑問を投げつけた。すると、カレンは急にはっとした。

 

「そういえば、白の世界にいるミハイルから連絡を受けていました。レミエルの騒動で、詳しくチェックする暇がありませんでしたけど。さっと見た感じでは、普遍的な内容でしたので、セニアも同じものを受け取っていると思います」

 

「そ、分かった」

 

「詳細を聞かないのですか?」

 

「まさか、教えてくれるの?」

 

「いえ、内容は極秘とのことでしたので、それは無理ですが」

 

「じゃあ聞く必要ない」

 

 アインスは布団に入って、カレンに背を向けた。するとカレンはため息をついて、部屋を出て行った。彼女の足音が聞こえなくなると、アインスはアウロラの暗殺と、アンドロイドに動く兆しありとの趣旨の連絡をミロクに送った。

 

「この戦争、勝つのは私たち。全てはグリューネシルトのために」

 

 アインスは、布団の中の両手を、強く握りしめた。

 

        ***

 

 T.w.d総本部、総統室。かつて、青蘭学園の校長室だった場所で、秀とレミエル、シャティーは書類の束をアイリスに提出した。それに、アイリスが手慣れた手つきで判子を押していく。

 

「はいこれでオッケー。晴れて、正式にT.w.dの構成員になったわけだね。三人には私直属の第一特殊隊に所属してもらうから、宜しくね」

 

 そう言って、アイリスは脇に置いてあった段ボール箱を開けて、ビニールに包まれたT.w.dの制服を一人一人に手渡した。

 

「ちゃんとサイズ合わせて作ってあるけど、間違ってたら言ってね」

 

 秀はビニールから出して、その寸法を確認する。特に問題はない。黒を基調とし、赤のラインが入ったその制服は、伸縮性だけでなく触り心地も抜群で良質な生地を使っているとすぐに分かった。

 

「じゃ、問題無いならここで着替えちゃってよ。秀がそっち向かないように、私が見張っといてあげるから」

 

 アイリスは、ブルーティガー・ストースザンの刃を鳴らしながら笑って言った。それを見て安心したのか、秀の背後でガサゴソと、レミエルとシャティーが着替え始めた。しかし、秀はなかなか着替え始められなかった。青蘭学園の制服に未練があるわけではない。単に気恥ずかしいだけだった。

 

「秀も着替えちゃいなよ」

 

「いやいや、異性の前ではなかなか着替える気にはならん」

 

「大丈夫だって。ちんちん出すわけじゃないでしょ?」

 

「まあ、そうだが」

 

 アイリスがナチュラルにその単語を言ったことはスルーして、秀は羞恥心を覚えながらも着替え始めた。ズボンを下ろしたところで、アイリスが笑顔のまま秀のトランクスを眺め始めた。

 

「膨らませちゃってかーわいー」

 

「何をアホなこと言ってるんだ。そんな取って付けたような寒い下ネタを言うんじゃない。そもそも膨らんですらいない」

 

 秀は毒づきながら、新しい制服のズボンを履いた。上着のボタンを留めていると、アイリスが少し表情を硬くして、おもむろに話しかけてきた。

 

「ねえ、秀」

 

「なんだ」

 

「秀さ、自分と同じ思いを、他の人にさせたくないって言ったよね」

 

「ああ」

 

 アイリスの雰囲気が変わったのを察して、秀も気持ちを引き締めた。

 

「そんな大きな目標は、一端の兵士が持つもんじゃないよ。大それた理想なんて、リーダーである私が背負うべきものなんだ。レミエルのように、軽い目標でいいんだよ」

 

 アイリスは、儚げな笑みを浮かべた。そのまま泣き出してもおかしくないような、危うい笑顔だった。

 

「下の者が押し潰されちゃいけない。下の者は、常に簡単に達成出来る目標を持って、戦う気を持続させなきゃいけない。押し潰されたら、戦う気力を失うか、ただひたすらに戦い続けるマシーンになるかのどっちかだから。秀に、そんなのになって欲しくない」

 

 秀は、何も言わずに頷いた。アイリスの雰囲気に凄みがあったわけではないが、秀は何も言うことができなかった。

 

「着替え終わったよ」

 

 レミエルの声が聞こえると、アイリスはいつものように余裕を持った表情になって、ドアの方へ向かった。着替え終わった二人を見ると、秀と全く同じ制服を着ていた。T.w.dの制服には、男女の差は無いようだ。

 

「案内するから、ついておいでよ」

 

 アイリスに促されて、彼女の後に秀たちが脱いだ服を抱えて続く。アイリスがドアを開けると、ちょうど目の前に二人組の少女がいた。

 

「あ」

 

 アイリスが冷や汗を流し始めた。アイリスの向こうにいる二人のうち、黒いローブを着た、袖から包帯を覗かせている少女は最初は虚を突かれたような表情をしていたが、秀たちを見ると、突然その顔を憎悪に染め、アイリスを突き飛ばしてレミエルに詰め寄った。

 

「あなたは、あなたはッ!」

 

 レミエルに掴みかかろうとしたその右腕を、もう片方の、頭に二本の羊のもののような角を生やし、コウモリの羽を持った少女が、目にも留まらぬ速さで掴んだ。その双眸が、ローブの少女を鋭く射抜いていた。

 

「抑えて、イレーネス」

 

「どうしてよモルガナ! こいつらは、ジュリアを殺した……」

 

「事情は知らないけど、アイリスが連れてきたなら、この人たちをここで傷つけちゃいけない」

 

「モルガナの言う通りよ、イレーネス。大人しく拳を収めなさい」

 

 今度は女性にしては身長が少し高い、サイドテールの金髪碧眼の少女が現れた。彼女はイレーネスに刺すような目を向ける。すると、イレーネスはため息をついて、レミエルから離れた。

 

「ありがとうね、アルバディーナ」

 

「ありがとう、じゃないでしょ。あなたが場を収めなくてどうすんのよ」

 

 アルバディーナと呼ばれた少女は、呆れながらに言った。アイリスは、バツの悪い顔を浮かべる。

 

「ごめん、気をつけるよ」

 

「全くもう。ごめんなさいね」

 

 アルバディーナは驚くほど素直に、秀たちに頭を下げた。

 

「ああ、いやいや。大丈夫ですから。気にしないでください」

 

 少し慌てた様子のレミエルは困ったような、引きつった笑みを浮かべた。その顔を見たアルバディーナはふっと和らいだ笑みを見せると、またアイリスに向いた。

 

「これから案内でしょう? イレーネスが邪魔して悪かったわね。じゃ、行きましょ、イレーネス、モルガナ」

 

 アルバディーナはアイリスに手を振ると、廊下の向こうへ消えていった。

 

「はは、かっこ悪いとこ見せちゃったかな。気を取り直して、行こうか」

 

 アイリスは照れ臭そうに頭を掻いた。この一連のやりとりで、秀が思い至ったのは、アイリスには大した権威が無いのでは、ということだった。イレーネスは、アイリスの存在など気にも留めていない様子だった。そして、イレーネスを止めたアルバディーナとアイリスのやり取りは、どう見てもアルバディーナの方が上だった。先のやり取りだけを見れば、アルバディーナの方がよりリーダーらしい。

 

「秀さん、ボーッとしないで、早く行こうよ」

 

 秀の思案を、レミエルが秀の手を引っ張って遮った。引っかかりを残したまま、秀はアイリスの後を付いて行った。

 

        ***

 

 イレーネスとモルガナと別れて、自室に戻ったアルバディーナは、防音の結界を張った後、背後に話しかけた。

 

「あの三人と再会して、どうだった?」

 

「顔付きが戦士の顔付きになって、面白くなりそうというか。特にレミエル。あの子、私を倒した時よりも相当強くなってるわ。敵として対峙する時が楽しみね。あとは上山秀。彼、あなたとアイリスのやり取り、ずっと神妙な顔で見てたわよ」

 

 ジュリアは姿を現すと、不敵な笑みを浮かべて言った。

 

「彼らは、私の檄文を見て応じてくれるかしら」

 

「考えるまでもないでしょう。アイリスの勧誘に応じたということは、アイリスに感化されたのよ。無理に決まってるでしょう」

 

「そうね。なら、行動を起こした時には敵同士ね」

 

 アルバディーナはため息をついた。一騎当千の強敵が多くなるのは、そういった人が少ないアルバディーナの檄文に応じた勢力としては、好ましくない。特にレミエルについては、赤の世界水晶の一部を取り込んでいるとの情報もある。青蘭学園の攻略戦の時とは、その強さは比べ物にならないだろう。

 

「厄介ね。何とかして押さえ込めないかしら」

 

「そんなあなたに朗報よ」

 

 こめかみを抑えるアルバディーナに、ジュリアは耳元で囁いた。

 

「赤の世界が、近々こっちに攻めてくるそうよ。決起の時をその日と同じ日にずらせば、アイリス派を挟み撃ちにできるわ。私の人形が議会の一部始終から得た情報だから、間違いもない」

 

「あら、全面的な協力はしてくれないんじゃなかったかしら?」

 

 アルバディーナが尋ねると、ジュリアは鼻を鳴らした。

 

「勘違いしないことね。こういうこと言わないと、私がいてもいなくても変わらないじゃない。そういうのがカンに触るだけよ」

 

「そういうことにしておくわ」

 

 アルバディーナは、檄文を送った相手に決起の日を変える旨をメールで伝えると、天井をぼんやりと見つめた。

 アイリスの笑顔が浮かぶ。彼女は好きだ。それは今でも、きっとこれからも変わらない。しかし、その笑顔を砕くと決めた。その意思が揺らぐことはない。

 

「覚悟なさい、アイリス。己の愚かしさを呪うがいいわ」

 

 アルバディーナは、震える声で吐き捨てた。

 

        ***

 

 元青蘭学園の校舎を一通り回ると、アイリス一行は寮に向かった。その入り口の前で、突然真上から人影が降ってきた。その人影は綺麗に着地すると、秀たちに向いた。それは少女で、露出の多い黒っぽいセーラー服らしいものを着ていた。

 

「あれ、忍?」

 

 アイリスが不思議そうな顔をした。対し、忍と呼ばれた少女はにひひと笑う。

 

「いやあ、与えられてた任務も終わったので、アイリス殿が連れてきた新人とやらが気になったのでゴザルよ」

 

「こいつは?」

 

 秀が忍を指差して訊くと、アイリスはぎこちない様子で答えた。

 

「ああ、その子は風魔忍っていってね。アルバディーナ直属の忍者……なんだけど」

 

 アイリスの話し振りは、妙に歯切れが悪かった。秀が不思議に思っていると、アイリスは眉をひそめて忍に訊いた。

 

「ねえ、忍。今までに、私が連れてきた子に興味示したことってあった?」

 

「確かにゴザラんが、まあ、気まぐれというやつでゴザルよ。お気になさるな」

 

 忍の返答にアイリスは生返事を返す。アイリスは納得していないようだが、彼女をよそに忍は秀たちをまじまじと見た。

 

「秀殿、レミエル殿に、シャティー殿でゴザったか。レミエル殿とシャティー殿は、共に強力な力の持ち主。そして、秀殿はカミュ殿が直々に育てられた戦士。うむ、三人とも天晴れな能力でゴザルな」

 

 はっはっはと笑いながら、忍は校舎の方へ歩き去っていった。

 

「なんだったの、アレ」

 

 シャティーは首を傾げていた。秀も同じ感想だった。きっとレミエルもそうだろう。結局、秀たちと一言も交わすことなく、忍は視界から消え失せた。単に新入りがどういう人物かを見にきたように思えるが、アイリスの発言を加味すると、忍の行動は意味不明だった。

 

「気を取り直して、行こっか!」

 

 アイリスが明るい口調で仕切り直す。それで、秀たちも忍のことは一旦忘れて、アイリスに続く。まず案内されたのは、自室になる予定の部屋だった。

 

「秀とレミエルはここで相部屋ね。シャティーはお隣さんと相部屋」

 

 秀とレミエルは部屋に服を置くと、すぐにシャティーの部屋に向かった。すると、シャティーがドアを開けたまま唖然とした様子で絶句していた。秀たち二人も中を覗いてみると、薄暗い部屋の中で、エクスシアが下着姿のまま、床に寝っ転がりポッキーを加えてテレビゲームに興じていた。こちらに気付いている様子は無い。

 

「……エクス?」

 

 レミエルが信じられないといった様子で、その名前を呟いた。するとエクスシアはようやく気付いて、秀を目にすると、声も発さず顔を真っ赤にして、部屋の奥へ飛び込んでいった。

 

「レミエル、素のエクスシアって、あんなんだったか?」

 

 秀が辛うじて口を開いて尋ねると、レミエルは首を傾げた。

 

「結構抜けてるとこがある子だったけど、あんな堕落はしてなかったよ?」

 

 レミエルはアイリスに視線を向けた。アイリスは口をもごもごさせていたが、やがて折れたのか、誤魔化すような笑いをして話し始めた。

 

「いやあ、こっちにいる時のエクスシアが、あまりに気を張ってたからさ、私が地球の娯楽を紹介してあげたら、ものの見事に堕落しちゃったわけ。まあ、任務はちゃんとこなしてくれるし、メリハリついてるし、いいっちゃいいんだけどね」

 

 アイリスが話し終えた時、ちょうどエクスシアがちゃんとT.w.dの制服を着て姿を現した。

 

「ごめんなさい、みっともないとこ見せちゃいました。シャティー、これから相部屋で過ごすルームメイトとして、よろしくです」

 

「う、うん」

 

 シャティーはぎこちなく首を縦に振った。秀もその気持ちはよく分かった。あのようなだらしない姿を見せられては、誰だってそうなるだろう。

 シャティーがあからさまに嫌そうな顔をしたせいか、エクスシアは愛想笑いをして、

 

「だ、大丈夫ですよ! ちゃんと片付けて、掃除もしますから!」

 

 そう取り繕うエクスシアを、シャティーはしかめっ面のまま見つめながら、部屋の中に入って、入り口に服を置くと、無言のまま出た。

 エクスシアが、その黒い翼に似つかわしくなくあたふたしていると、シャティーはため息をついて、ぼそりと言った。

 

「部屋の掃除、お願いね」

 

 すると、エクスシアはぱあっと顔を明るくして、何度も頷いた。シャティーは困ったような顔を浮かべながら、アイリスをつついた。

 

「次行こ、次」

 

 アイリスは、はいはい、といった感じでシャティーに応対しつつ、エクスシアに手を振って歩き出した。秀とレミエルもそれに続く。ふと振り返ると、エクスシアが満面の笑みで、一生懸命に手を振っていた。

 

        ***

 

 寮巡りも終わりに差し掛かった頃、ある部屋の前を通ろうとした時、そのドアが開いた。そして、そのドアにアイリスが顔をぶつけて転んで、うずくまっていた。

 

「わー! アイリスさん、大丈夫ですか!?」

 

 ドアの陰から、慌ててアイリスに駆け寄ったその人影に、秀は見覚えがあった。服から見える体の大部分が包帯に覆われていたが、間違いなかった。

 

「あれ、お前、マユカ・サナギか?」

 

「あ、上山さん。それにレミエルさんにシャティーさん。始業式の日以来ですかね。暫く振りです」

 

 丁寧に頭を下げるマユカにつられて、レミエルとシャティーも頭を下げる。そのような、アイリスを無視したやり取りをしていると、今度はドアの陰から二人現れた。

 

「もう、注意しなよ。そう言っても仕方ないとは思うけどさ」

 

「本当にマユカはドジ。なんで戦闘のときはあんなに頼りになるのか聞きたいくらい」

 

 出てきたのは、手枷をはめたシルトと、少し長身の、短めの亜麻色の髪の、鉄面皮な女性だった。

 

「あれ、結局あなたたちT.w.dに入ったんだ」

 

 シルトが意外そうな顔で言った。

 

「そういうお前こそ、ここで何してるんだ」

 

 秀が聞き返すと、シルトは不機嫌そうな顔で手枷を掲げた。

 

「これ見て分からない? 今の身分は捕虜なの」

 

「私と、こちらのフィアさんで監視してるんですよ。この部屋はもともと私たちの相部屋なんですが、牢屋みたいなとこがないので、ここで24時間監視してるんです」

 

 マユカが補足するように言った。それに続けて、フィアが無表情のまま告げる。

 

「監視といっても私たちが四六時中一緒にいるのと手枷はめてるだけで、ほとんど自由にしてる」

 

「まあ緑の世界水晶そのものみたいなもんだしね。乱暴にしちゃまずいかなーみたいな」

 

 ようやく復活したアイリスが、にょきっと立ち上がって言った。笑顔のアイリスとは対照的に、シルトは不機嫌さを消していなかった。

 

「確かに乱暴にされてはいないけど、この手枷取ってよ。ご飯とか食べるの大変なんだよ」

 

「ダメ。あくまで捕虜なんだから。手枷取ったらただのVIPじゃん」

 

 アイリスが即答する。当然というべきか、さらにシルトがむすっとした。見かねたマユカが、宥めるようにシルトに話しかける。

 

「まあまあ、そのうちちゃんと手枷取れますよ」

 

「そのうちねえ。いつ来るかも分からないなあ。しかもそれまで障害者の人みたいに、マユカにあーんして食べさせられるのかあ。あれ食堂でやられるの恥ずかしいんだよねえ。あと服も一人で脱ぎ着できないし、お風呂も一人で入れないし」

 

 シルトは余計に凹んで、ぶつぶつと文句を垂れていた。そのような彼女に対し苦笑いをしていたアイリスがふと思い出したように告げた。

 

「あっそうだ。マユカとフィアも第一特殊隊所属だから。同じ部隊でやってくことになるから、仲良くね」

 

「あっそれはそれは。よろしくお願いします」

 

「私もよろしく」

 

 レミエルとシャティーが頭を下げる。しかし、秀はそうしなかった。二人が気に入らないわけではないが、生まれてから、礼儀作法を身に付けたことがないからだった。故郷ではそのようなことよりも痛みが体に染み付いたし、達也からは甘やかされていた。学校でもしていないことが露呈しないように、うまく誤魔化していた。

 しかし、これからやっていく場所は殆ど軍隊に近い。孤独ではいられない場所だ。自分だけ周りと違うことをして、孤立するわけにはいかない。そう考えて、秀はぎこちなく頭を下げた。

 

「いえいえ、こちらこそ、改めてよろしくお願いします」

 

「よろしく」

 

 マユカとフィアが挨拶を返す。このやり取りの間、シルトはずっとレミエルを見つめていた。そして、一人納得したように呟いた。

 

「ふうん。赤の世界はレミエルを選んだんだ」

 

「? 何か言いました、シルトさん」

 

 レミエルが顔を上げてシルトに尋ねる。

 

「今のあなたから、私に似たものを感じるの。レミエルってその姿になるのに、世界水晶の力でも使った?」

 

「いえ、そういう自覚はありませんが」

 

「でもでも、赤の結晶からその姿で出て来たよ」

 

 アイリスがそう言うと、シルトはああ、と頷いた。

 

「なるほどね。赤の世界水晶がレミエルに力を貸したのか。ということは、もう赤の世界に力を貸す義理もないか」

 

 また一人で納得して、シルトは部屋の中へ戻ってしまった。それでか、マユカとフィアも、別れの挨拶をして部屋に戻った。

 

「ふう。ま、これで寮巡りも終わりだね。レミエルとシャティーは自由になっていいよ。でも、秀はちょっと来て」

 

「俺だけになんかあるのか?」

 

「まあまあ、楽しみにしなよ」

 

 アイリスは悪巧みしているような笑みで、秀の肩を叩いた。

 

        ***

 

 アイリスに連れられて秀が来たのは、青蘭島の地下に、占領した後に造られた格納庫だった。そこではジャッジメンティスと、それと同じ大きさの、組み立て途中のロボットが1機ずつあった。

 

「おお。来たか、秀。では早速案内しよう」

 

 ジャッジメンティスの足元にいたカミュが、早足気味に、格納庫の隅にある小さなドアに向かっていった。秀とアイリスも、そこに向かう。

 狭い道を抜けて、現れたのは小規模なハンガーだった。その中心にあったのは、朱色の、人間サイズのジャッジメンティスらしきものだった。

 

「これこそ、白の世界の発掘兵器、テリオスだ。EGMAが起動した頃に造られたらしい。リーナの家にあったのを、我々が修繕したものになるな」

 

「なんでそんなものがここに?」

 

「うむ、このテリオスは、白の世界ではロストテクノロジーと化した技術が使われている部分も多くてな。我々の手に負えなかったのだが、青の世界の技術がそれに近かったから、ここで修繕していたというわけだ。そしてついさっき、それが終わった」

 

 カミュは秀にそう答えると、その両肩に手を乗せた。その瞳は真っ直ぐに週を捕らえて離さない。

 

「そして秀、貴様がこれを扱え」

 

「なんで新参者の俺なんだ。もっと適任がいるだろう」

 

 秀はカミュの手を離そうとした。しかし、カミュはより一層の力を込めて、秀の肩を掴んだ。

 

「その疑問も尤もだ。だがこれは、データ解析の結果、αドライバーにしか使えないことが分かっている。だから、貴様だ」

 

「まさか、T.w.dに、俺以外のαドライバーがいないのか?」

 

 カミュは、無言で頷いた。アイリスも、神妙な顔をしている。元々いないか、全員死んでしまったか。どちらにせよ、テリオスを秀が受領しなければ、それを直した人たちの努力と、修理費用は、全て無駄となってしまう。承諾する以外の選択肢が無かった。

 

「分かったが、なんでEGMA起動の時代なんて、そんな世界接続も起きていない時代にαドライバー専用の兵器が作られたんだ」

 

「分からん。そもそも、その頃何があったのかさえ、詳しくは分からない。我々がEGMAを制圧したときから、EGMAのデータの解析をしているが、テリオスに関するデータはおろか、その時代のデータさえ見つからないんだ」

 

「なら仕方ないな。ところで、これはどうやって動かすんだ?」

 

 秀が尋ねると、カミュは懐から、手のひらサイズの長方形の機器を取り出した。

 

「ああ、このデバイスを掲げて、テリオス! と叫ぶんだ。そうすると、テリオスが起動し、貴様の体に装着される」

 

 秀はそのデバイスを受け取ると、赤面しながら掲げて、叫んだ。すると、目の前にあったテリオスがふっと消え、脚から、胴、腕、頭と、秀の体に装着された。その時、秀の視界に大きくTERIOS SYSTEMと表示された。

 

「使用者、承認。お名前をお教えください」

 

 文字表示が消えると、秀の耳に、そのような低い男性の声が聞こえた。そのことから、アイリスやカミュが言ったのではない。多分テリオスが喋ったのだろう。秀は、自分の名前を思考してみた。しかし、何も反応が無い。秀は、少し恥ずかしくなりながら、今度は名前を告げてみた。

 

「上山秀だ」

 

「秀殿。私はあなたの戦闘をサポートさせていただくAIです。好きな呼び名をお与えください」

 

「じゃあ、テリオス」

 

「その考えるのを放棄したような安直なネーミング。嫌いではありません。よろしくお願いします」

 

(なんなんだこいつは)

 

 テリオスが急に人間味を帯びた感じがした。もしかしたら、テリオスもアンドロイドの一種なのかもしれないなどと秀が考えていると、カミュとアイリスが訝しむような目線を向けていることに気がついた。

 

「秀、何一人で喋ってるんだ」

 

 カミュが呆れ気味に言った。そこで秀は、テリオスに尋ねてみた。

 

「おいテリオス。お前の声を外部に出せるか?」

 

「可能です。そうしろとおっしゃるならそうしましょう。……初めましてお二方。テリオスと申します」

 

 秀には分からないが、外部にもテリオスの声が出たようで、カミュとアイリスが目を丸くしていた。

 

「戦闘をサポートしてくれるAIらしい。俺の方からもよろしく」

 

 秀がそう言うと、アイリスとカミュは戸惑いながらテリオスと挨拶を交わした。それが終わると、秀の視界に、何かの表が現れた。

 

「秀殿。私の兵装です。しっかり覚えていただきます」

 

 秀は、はあ、と生返事を返しながら、表に目を通した。上から順に、テリオスフィールド、テリオスガン、テリオスバレット、テリオスガトリング、テリオスブレード、最後にテリオスパニッシャーとある。最後まで確認した秀の第一声は、

 

「なんだこりゃ」

 

「私の兵装です」

 

「最初にテリオス、とつける必要はあるのか? あと最後のテリオスパニッシャーってなんだ」

 

「順にお答えしましょう。まず、最初にテリオスとつける必要ですが、私にも不明です。おそらく製作者の趣味でしょう」

 

 秀はテリオスを殴りたくなった。しかし、本当に殴ろうとしたら自分を殴ることになるため、秀はぐっと堪えた。

 

「次に、テリオスパニッシャーについてですが、これは高密度のテリオスフィールドを右の掌に展開させ、敵一人に突撃しながらその掌を相手に押し付けるものです。応用もある程度ききますが。まあ、いわゆる必殺技です。必殺技……ああ、なんといい響きでしょう」

 

 テリオスの人格は、製作者そのものなのではないかと、秀は思い始めた。もしかしたら、製作者が、組み上がったテリオスにそのまま精神を移植したのやもしれぬ。そのような気さえしていた。

 

「ああ、そうそう。秀殿、私は完全音声制御となっておりますゆえ、ご了承を」

 

「ああ分かった……って、はあ? 何でだよ! 思考制御じゃいけないのか!」

 

 突っ込みながら、秀は、起動するのにテリオスと叫ばなければならなかったり、兵装の名前を覚えろ、と言ってきたのを思い出した。

 

「あれってそういうことかよ」

 

「思考制御だと、思考が入り乱れた時に対処できません。しかし、ボイスコマンドならそのようなことはあり得ません」

 

「分かったよ、好きにしろ、もう」

 

 秀は、反駁したい気持ちを抑えた。いちいち突っ込んでいたら疲れるだけだと悟ったからだ。

 

「テリオス、聞きたいことがあるが、いいか?」

 

 カミュが、テリオスに話しかける。

 

「世界接続が起きるよりも、かなり前に造られたあなたが、なぜ世界接続後に出現したαドライバーにしか使えない仕様なんだ?」

 

「それは、分かりかねます。そもそも私があなた方にデータ解析されているときに、世界接続や、それに付随して起きた様々な異変を知ったのです。ただ、私の起動条件が、たまたまそのαドライバーとやらの能力に合致したのです」

 

「アルドラの能力?」

 

「はい。私の起動には、大量の精神力が必要です。それで、無尽蔵の精神力を有するαドライバーが、適任だと私が判断したのです。私のメモリーは封印されているデータも多いので、その真意は分かりませんが」

 

 カミュは唸っていた。それもそうだろう。テリオスの説明はぼやけている。テリオス自身が確かな理由が分からない以上、これ以上の追求もできない。

 カミュがテリオスに話しかける様子もないので、秀テリオスに尋ねた。

 

「お前、どうやったら脱げるんだ?」

 

「装備解除と言ってください。再び呼ばれない限り、あなたに装着されることはありません。しかし、私のみが所望なら、そう言ってくださればデバイスで私の意思を伝えられます」

 

「じゃ、装備解除」

 

 秀は即決で言った。自分の体を見てみると、テリオスはとうになくなっていた。右手にはデバイスが握られている。秀はそれをポケットに突っ込むと、アイリスに尋ねた。

 

「これから何かあるか?」

 

「特にはないね。自由にしていいよ。あっでも、私とカミュはこれから仲嶺さんの家に行くけど、秀も来る?」

 

「もちろんだ!」

 

 秀は快く頷いた。久しぶりに会えるから、というのはもちろんだが、転向した理由を伝えねばならない。たとえ意志薄弱と言われても、秀はそれをやらねばならなかった。

 

「うん。じゃあ、今から行こうか」

 

 アイリスとカミュが、軽い足取りで外へ向かう。そのあとを、秀は踏みしめる様について行った。

 

        ***

 

 秀たちが達也邸に向かう途中のことだった。青蘭学園の幼年部の前を通りかかったとき、運動場で遊んでいた園児が、アイリスを見るや否や、一斉に声を上げた。

 

「あーっ! アイリスお姉さんだ!」

 

 そう言って、一斉に、だーっとアイリスに駆け寄る。秀とカミュは弾き出されて、アイリスは園児に囲まれてしまった。

 

「今から遊ぼうよ、アイリスお姉さん!」

 

「またあやとり教えてよ!」

 

「お話も聞きたいなー」

 

 などと、思い思いに口にする園児に対して、アイリスはせわしなく返答していた。しかし、まんざらでもなさそうな風に見えた。

 青蘭学園の幼年部と初等部は、戦闘に参加していなかったためか、T.w.dの庇護のもとで残された。しかし、アイリスの人気は異常だった。いや、アイリスだけでなく、青蘭島の住民とT.w.dの間には、軋轢が全く感じられない。むしろ、かなり友好的な雰囲気を秀は感じた。

 

「すごい人気だろう、アイリス殿は」

 

 カミュが、園児の相手をしているアイリスを、柔らかい視線で見つめながら話しかけてきた。

 

「あの人は、住民の心を掴んだ。幼年部には週に一回は顔を出すし、街のイベントも積極的に復活させて参加してるし、道路の舗装のし直しを今やってる。青蘭島に物資が届くのも、アイリス殿が様々な場所へ根回ししたおかげだ。こういうことに反発してる人もいるが、私たちの目的のためにも、軍略的にも、私は良い試みだと考えている」

 

「目的……。世界を創り直す、か。曲がったこともそうでないこともやり直すんだっけ?」

 

「ああ。だが、それを行うのに、あの人は極力誰も死なさずに済ませようと考えている。世界は変えるが、人は変えない。一旦は全てやり直すが、良い風習は自然と残り、因習は意図的に消す。あの人が考えているのはそういうのだ」

 

「俺たちに出来るのはあいつを信じて支えることだけか」

 

「まあそうなるな。政治的なことはあの人に任せて、武人たる我々は戦闘に集中すればよい」

 

 カミュが何気なく言う。その言葉の後、秀が、園児に囲まれているアイリスを見ると、何故だか非常に小さく見えた。

 

        ***

 

 園児たちと分かれて暫くして、達也邸に着いた。秀は意を決して門を開け、飛び石を歩いて行く。そして引き戸を思い切って開け放った。すると、示し合わせた様に、目の前に達也がいた。

 

「ただいま、達也」

 

 秀の口から、その台詞がすんなりと出た。達也はひどく驚いた様な顔をしていたが、やがていつも見せていたような柔らかい笑みを浮かべた。

 

「おかえり、秀」

 

「実は――」

 

「ただいま、あなた」

 

 秀がここにいる理由を告げようとした時、後ろから耳を疑うような台詞が飛んできた。秀が固まっていると、

 

「ああ、おかえり、あなた」

 

「は、は、はあー!?」

 

 今度は、秀がひどく驚いた。互いにあなたと呼び合うということは、考えられるのはひとつの可能性だけだ。

 

「ま、まさかお前たち……」

 

「ん? ああ、言ってなかったか。実は結婚したんだ。だから、戸籍上はサングリア=カミュから仲嶺サングリアになった。でもサングリアと呼ばれるのは慣れないから、これまで通りカミュと呼んでくれ」

 

 カミュがそう告げ、達也が照れくさそうに頭を掻く。秀は非難するように、アイリスを睨みつけた。対しアイリスは、ヘヘッと笑った。

 

「いやあ言わない方が面白いかなって」

 

「言えよ! 重要だろ!」

 

「まあまあ落ち着きなよ。言わなきゃいけないことがあるんでしょ?」

 

「お前らのせいでそんな空気じゃなくなったけどな!」

 

 怒りを鎮めるため、秀は深呼吸をすると、達也に向き直った。

 

「俺は、見ての通り、T.w.dに入った」

 

「うん」

 

「何も、言わないのか?」

 

 秀は達也がその一言だけで済ませたことに驚いて、思わずそう尋ねてしまった。

 

「秀が正しいと信じて決めたことだ。それに、さっきの秀の顔を見れば分かるよ。いい加減な気持ちで転向したんじゃないって」

 

 達也の顔は穏やかだった。秀は、泣きそうになった。達也は仲間たちを裏切って転向した秀に、前と変わらぬ愛を向けてくれている。なんと幸せなことか。秀は感謝してもしきれなかった。

 そのような秀の様子を見かねてか、達也が笑いかける。

 

「居間に行っていてよ。お茶菓子でも出すからさ」

 

「うん。分かったよ、達也」

 

 秀は素直に頷くと、すぐ居間に向かった。すると、ちゃぶ台の置かれた、六畳の居間の畳の床に、モコモコした感じの長座布団と思しきものが置かれていた。

 

「新しく買ったのかな」

 

 秀は特に深く考えずに、その長座布団に勢いよく座った。すると。

 

「ぐえっ」

 

 変な声が聞こえた。女性の声だ。更に、左手の感触だけ妙に柔らかい感じもしていた。秀がそう思った時には、その座布団が下から物凄い力でひっくり返されていた。それで宙に浮いた秀は、その下にいた者に胸倉を掴まれた。

 

「な、な、何してくれるんですかあなた人の上に無遠慮に乗るとか正気ですかまあ確かに分かりづらかったかもしれませんがそれでも警戒してくださいよていうかそもそもよくもそんなに平気で人の胸許可なしに触れますね私の体は私が将来これと決めた人に捧げるつもりだったんですよどう責任とってくれるんですか!」

 

「よく一息でそれだけ言えたな、リナーシタ」

 

 長座布団の下から出てきたのは、制服姿で、怒り顔のリーナだった。そして、よく見たら長座布団ではなく秀が達也の家で使っていた布団だった。

 

「はぐらかそうとしたって無駄です。胸なんて、誰にも触られたことなかったのに!」

 

 リーナは半泣きになっていた。よほど悔しかったに違いない。そのような顔を見せられては、秀も適当にあしらうわけにはいかなかった。

 

「済まん。俺の不注意だった。次からは気をつけるよ」

 

「最初からそう言っておけばいいんですよ、ふん!」

 

 リーナはそっぽを向いてしまった。秀は、やれやれと彼女の顔を眺める。

 

「私の顔をジロジロ見て。何かあるんですか」

 

「いや、お前って意外と感情豊かなんだなあと」

 

「意外とって何ですか。私が感情豊かじゃいけないんですか」

 

「そういうわけじゃないが」

 

 秀がそう言うと、リーナはすっと立って、秀を見下して言った。

 

「私からも言わせてもらいますと、あなたには幻滅しました! もっと思慮深い、素敵な人だと思ってたのに」

 

「まあまあ。これから戦友となるわけだし、今のことは水に流して仲良くな」

 

 そう言いながら、カミュが茶菓子を持って、居間に入ってきた。その後に急須を持った達也と、全員分の湯呑みを盆に載せたアイリスが入ってきた。全員でちゃぶ台を囲むと、アイリスが口を開いた。

 

「結構仲よさそうじゃん。安心安心」

 

「どこがですか! こんな、不注意なセクハラ男!」

 

 アイリスの言葉に、リーナが噛み付く。しかし、そう言いつつ秀のすぐ左隣に座っているのは如何なものかと、秀は思っていた。

 

「じゃあ何で秀のすぐ隣にいるのさ」

 

 アイリスも秀の思っていたことと同じように突っ込んだ。うっとリーナがたじろいだ隙に、アイリスがリーナにまとわりつく。

 

「本当はもっと仲良くなりたいんじゃなあい? わざわざ秀の布団で寝ちゃうくらいだしさ」

 

「そ、それどこから聞いたんですか!?」

 

「ん? カミュからだけど」

 

 リーナはカミュを睨んだ。しかし、彼女は御構いなしに、新婚夫婦よろしく達也にベタベタしていた。

 

「まあみんな、そこまでにしなよ。お茶冷めちゃうからさ」

 

 達也のその声で全員クールダウンして、茶や茶菓子に手を出し始める。

 

「そうそう、秀」

 

 達也が茶を飲み干して、秀に話しかけた。

 

「実は、秀がT.w.dに入って、僕は安心したんだ。秀が入ると知らずに、僕はサングリアさんと結婚してしまったから。戦闘になったらどうしよう、秀の敵の幹部と婚姻関係になるなんて、秀にどう思われるだろうって、情けないことをずっと考えていたんだ」

 

 達也は自虐するように告げた。

 

「笑うなら、笑ってくれ」

 

「笑わないさ。少なからず苦しんだってことは、達也が軽々しくカミュと結婚したわけじゃない。それに、結果良ければ全て良しともいうじゃないか。達也とカミュの結婚、俺は祝福するよ」

 

(二人とも、父や母みたいに慕っているから)

 

 秀は、その言葉は胸にしまっておいた。口に出すのは恥ずかしかった。

 

「そっか。なら良かったよ。さっきの話をした後に言うのも何だけど、秀、提案があるんだ」

 

 達也は、カミュと顔を見合わせて、それから秀に告げた。

 

「僕たちの養子にならないか?」

 

 その言葉に、秀は、胸を射抜かれたような感触を覚えた。次いで、涙が溢れてきた。自分一人がこんなにも幸せになってもいいのかと思うと同時に、秀が一方的に父母とみなしていた二人が養子縁組を提案してくれたことが、嬉しくてたまらなかった。

 

「優しすぎるんだよ、二人とも」

 

 何とか、搾り出したように言った。涙で視界がぼやける。堪えようとしても抑えられない。

 ふと、右にカミュが座り、秀をそっと抱きとめた。

 

「カミュ?」

 

「好きなだけ泣けばいい。その涙は、きっと秀の人生で、一番の涙だろうから」

 

「うん、うん」

 

 秀は、堪えるのをやめて、堰を切ったように声を上げて泣き続けた。その様に、達也は微笑み、リーナはあたふたしたが、ただアイリスのみ、複雑な表情を浮かべていた。

 

        ***

 

「じゃ、俺は寮に戻るよ」

 

 夕暮れごろに、秀は玄関でアイリスと立ちながら、そう告げた。すると、カミュと達也があからさまに落胆したような表情を見せた。

 

「僕の家で泊まるわけじゃないのかい? リーナさんみたいに、居ついてくれてもいいのに」

 

「T.w.dの雰囲気に慣れておきたいからな。でも、たまにはこっちに来るさ。っていうか、リナーシタは居ついてんのか」

 

 そもそも達也邸にいること自体不思議であった。当のリーナは、不機嫌そうに頬を膨らませて、秀を睨んだ。

 

「私がここにいちゃいけないんですか」

 

「いや、そうは言わないが」

 

「なんかギクシャクしてるな。そうだリーナ。秀と苗字でなく名前で呼び捨てで呼び合ったらどうだ」

 

 唐突に、カミュがそう提案してきた。

 

「はあ!? 何でそんなこと!」

 

「俺は構わんぞ。おいリーナ」

 

「何ですか秀!」

 

 リーナはそう口走ったあと、ハッとして口を押さえた。その様に、リーナ以外のその場の全員がにやにやした。

 

「あーもう! 皆さん嫌いです!」

 

 リーナはそう吐き捨てて、奥に戻ってしまった。そのように拗ねる彼女に、四人とも微笑ましく感じた。秀は、不安はあったものの、この先もどうにかなりそうだという予感がした。

 

        ***

 

 その夜。隣で生まれたままの姿で眠るレミエルの頭をそっと撫でると、秀はベッドから出た。そして冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注いで一息に飲んだ。

 

「いやはや。今日は貴重なものを見させていただきました」

 

 唐突に、テーブルに置いてあったデバイスから、テリオスの声が聞こえた。

 

「お前俺が呼ばなくても出てこられるのかよ」

 

「そうですが、何か」

 

「特に何も不満に思ってない。ただそう思っただけだ」

 

 秀はぶっきらぼうに言って、ベッドに戻ろうとした。しかし、秀に御構いなしに、テリオスが喋り出した。

 

「昼には、家族というものが如何なものか。そして、今夜は、人とはああもケダモノみたくなれるものかと」

 

「お前本当に何なんだよ」

 

「さあ、それは私にも分かりかねます。何せまだまだ解放されていない機能が多いのですから」

 

 テリオスは飄々とした風に言った。秀はむっとしつつも、気になることがあったので恥を忍んで尋ねた。

 

「お前のその未開放の機能って、どうしたら解放するんだ」

 

「さあ、それも分かりません。ですが、あなたを通じて何かしらの経験をすれば何かしらの機能が解放されます」

 

「殆ど分かってないんだな。もういい。引っ込んでろ。俺は寝る」

 

 秀がテリオスの返事を待たずに布団に入り直すと、レミエルの仏頂面が目の前にあった。

 

「うるさいよ、秀さん。おかげで起きちゃった」

 

「ごめん、悪かった」

 

「まあいいけど。折角だから、もう一回、する?」

 

「すまん、俺の体力が保ちそうにない」

 

「じゃあ仕方ないな。私がぎゅってしてあげるね」

 

 否応無しに、秀は頭をレミエルの胸に押し付けられるように、レミエルに抱きしめられた。このような時、秀はレミエルに抵抗できないでいる。レミエルの押しが強いのだ。

 

「ねえ、秀さん」

 

 レミエルが、手の力を少し弱めて話しかける。

 

「頑張ろうね」

 

 秀はその声に、不覚にもどきりとした。恥ずかしさを覚えながら、声を絞り出す。

 

「……そうだな」

 

 養子にすると言ってくれた達也とカミュ。新たな道を示したくれたアイリス。新たに良い戦友として共に歩めそうな、マユカとフィア、そしてリーナ。さらに、新たに得た力、テリオス。何があろうとも、越えられる気がした。

 レミエルの腕から抜け出して、秀は北の空を窓から覗く。天の中心で、北極星が輝いていた。



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動き出す局面! 世界の命運やいかに

 秀たちがT.w.dに入ってから数日後、十数名ほどの第一特殊隊の面々とシルトは、マユカの部屋に集まって、青蘭島の地図を睨んでいた。しかしこの時、秀とレミエル、シャティーは何も聞かされていなかった。

 マユカが屹立し、秀たちを見下ろす。もう怪我はだいぶ治ってきたらしく、包帯は殆どが外れていた。

 

「上山さん、レミエルさん、シャティーさん。集まってもらったのは他でもありません。副総帥アルバディーナさんの反乱計画と、その対策についてです」

 

 隊長であるマユカから告げられたその事実に、秀は面食らった。それはレミエルとシャティーも同様で、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。

 

「待てよ。何でそんなことが分かってるなら行動に出ないんだ」

 

「出られるならとっくに出てるさ。でも出来ないんだよ」

 

 噛み付いた秀に、特殊隊の一人、三十代ほどと思われる男性が、吐き捨てるように言った。

 

「ひとつには相手の規模が大きいということがあります。副総帥の計画に加担していないのは、緑の世界のレジスタンス時代からの古参と副総帥の参入後にあの人自身が勧誘した人で構成される我々第一特殊隊と、元人間解放軍の方々のみです」

 

「青蘭島外のT.w.dの数も考えると、現T.w.dの九割近くを相手にしなきゃいけないってことか」

 

 確かに、それだけの敵が居れば、行動を起こしたとて、殆ど無意味と化すに違いなかった。

 

「はい。更に、青蘭島は未だに世界最先端の情報技術を以って情報統制がなされていますから、青の世界において青蘭島を出ることを許されていない私たちに、このことを外部に伝える手段はありません」

 

 秀は息が詰まる思いをした。マユカの言葉が真実なら、アルバディーナの蜂起によって、何も知らない世界各国の者たちは、T.w.dに対してかなりの悪印象を抱いてしまう。つまり、外部からの支援は一切期待できない。

 

「それと、もうひとつはアイリスさんが理由です」

 

「アイリスが?」

 

 秀が聞き返すと、マユカは渋い表情で頷いた。

 

「あの人は、理性よりも感情を優先して行動することが殆どです。そして、極度の寂しがり屋でもあります。あの人には、初対面の人を信じることまでに相当の時間がかかり、その間その人にかなり疑り深くなりますが、一度信じれば、疑うことをしません。ただ愚直にその人を信じるのみとなります」

 

「私たちが先んじて動いても、副総帥さんたちが攻撃された理由を考えるより先に、私たちがあの人の信じている仲間を攻撃したことを糾弾される、ということ?」

 

 レミエルがそう言うと、フィアは眉間にしわを寄せて告げた。

 

「糾弾ならまだいい。最悪、私たちはアイリスに捕食される」

 

 その言葉に、秀、レミエル、シャティーの三人は言葉を失った。そこに、マユカが更に重苦しく言う。

 

「あなた達には悪いですが、あの人があなた方を勧誘したのも、私たちには感情からとしか思えません。あの時のあの人は、相当焦っていましたから」

 

「世界のリセットのことか」

 

 秀が辛うじて呟くと、マユカは首を横に振った。

 

「それもありますが、それ以上に、青蘭学園から獲得した人員を、あの人は信用に足らないという理由のみで、副総帥に相談なしに捨て駒にしました。せっかく得られたアルドラも、あそこで一旦全て失ったのです」

 

 秀は息を飲んだ。全く正気の沙汰とは思えなかった。続けてマユカが告げる。

 

「その件で、副総帥に近い人だけでなく、カミュさんたちや、私たちの中の気の強い方々も抗議しましたから、少しでも味方を増やそうとしたのでしょう」

 

「私から質問してもよろしいでしょうか」

 

 秀の制服のポケットの中から、テリオスが喋り出した。それで、秀はテリオスのデバイスを外に出し、テーブルの上に置いた。その時、シルトの眉がピクリとした気がした。

 

「これまでの話を総合すると、アイリス殿を指導者として仰ぐあなた方の考えが理解出来ません。アイリス殿に指導者としての資格は皆無に思えます。なぜあなた方はアイリス殿を指導者としているのですか?」

 

「客観的に見れば、確かにそう思うでしょう」

 

 マユカはため息をつく。そして、視線の定まらぬ様で告げた。

 

「ですが、私たちはあの人に惹かれたか、あの人に救われたんです。目覚めて日が浅いあなたには私たちの想いを理解出来ないかもしれませんが、誰が何と言おうと、私たちのリーダーはアイリスさんです。アイリスさんでなければいけないんです。これだけは、譲れません」

 

 マユカは静かに答える。しかし、言葉の一言一言から、悲壮な覚悟がひしひしと伝わる。確認するまでもなく、それはマユカたちの総意だった。テリオスは暫しの沈黙ののち、秀に話しかけた。

 

「秀殿も、そうなのですか?」

 

「ああ。俺はあいつに理想を託したんだ。それを無かったことにされたくないし、事実、俺もアイリスに惹かれた節がある」

 

「私も結果的に、だけど、アイリスに救われたんだ。赤の世界の呪いや、大切な人との蟠りから、アイリスは私を助けてくれた」

 

「私も、アイリスに救われた。ただ何となく戦うだけだった私に、アイリスは大義を見せてくれた。初めて、戦う理由を得られた」

 

 秀に続き、レミエルとシャティーが、彼女らの意志を再確認するように口にする。

 

「やれやれ、人間とは不思議なものですね。感情で動くことを批判しながら、感情で動くとは。しかしまあ、そうでなくては人間ではないと言えるでしょうがね」

 

 テリオスに顔があったら、呆れた顔で言いそうな口調だった。

 マユカがもう質問が無いことを確認し、咳払いをして仕切り直す。

 

「では、本題に入りましょう。まず、日付の目星はついています。来週の今日です。今日か明日にアイリスから改めて知らされると思いますが、この日に赤の世界が我々に襲撃をかけてくることが分かっています。何故攻めてくるのかはこの場では割愛します。副総帥は、うまく立ち回れば、我々を挟み撃ちに出来ると考えているのでしょう」

 

 マユカが一息つくと、レミエルが控えめに手を挙げた。

 

「レミエルさん、何でしょう」

 

「赤の世界の軍だけど、私一人で八割くらいは引きつけられると思う」

 

 特殊隊の面々は驚いたように目を見開いていたが、秀とシャティー、シルト、そしてエクスシアは納得したように頷いた。

 

「根拠は?」

 

 フィアが代表して尋ねると、レミエルは一本の剣をどこからともなく取り出した。

 

「これ、ユラっていう女神の持ってた剣なの。派兵してくるなら、十中八九敵の指揮官はグラディーサだから、これを見せつけながら数人やっつければ頭に血が上って私に総攻撃をかけてくるんじゃないかな。ユラは、グラディーサの愛弟子だったから」

 

「うまくいくのか、それは? あまりに稚拙ではないか」

 

 特殊隊の一人が、怪訝な表情で疑問を呈す。その疑問には、レミエルではなくエクスシアが答えた。

 

「大丈夫ですよ。あの人たちは、アイリスさん以上に感情的ですから。ついでにレミエルがアウロラ殺しの犯人だと吹聴して回れば完璧でしょう」

 

「アウロラ殺し……? アウロラが殺されたの? もしかしなくても、この時期に赤の世界が派兵する理由はそれね」

 

 シャティーがはっとして呟く。

 

「全くその通りです。赤の世界は、アウロラ殺しは我々の犯行だと断定しました。しかし、私たちにはそんなことをする理由がありません。黒、白の世界の干渉は考えにくいですから、可能性があるのは統合軍でしょう。真犯人などは私たちには関係ないことですがね」

 

 マユカは口早にそう答えると、地図の、(ハイロゥ)の直下を指した。

 

「レミエルさんの提案を採用するなら、副総帥が行動を起こしたら、レミエルさんはこの辺りに向かってください。上山さんとは離さざるを得ませんが、よろしいですか?」

 

「構いませんよ。私情を持ち込んでる場合じゃないですし」

 

 レミエルは快諾した。マユカはほっとしたように息をつくと、今度は青蘭学園の見取り図を取り出した。

 

「さて、島民の方々はこの日は赤の世界が攻めてくるので、私たちがここを攻めた時と同じように、地下シェルターに逃げ込みます。ですから副総帥は地下に毒ガスを注入するか、もしくは集めて無差別殺人などをすると思われます。避難誘導や奇襲に対して、ここではかなり臨機応変に動かねばなりませんから、亜空間跳躍を持つ人間解放軍の方々と、テリオスを持つ上山さんに一任します。幸い、地下シェルターはかなり面積も広く天井も高いので、毒ガスが行き渡るのには時間がかかりますし、ジャッジメンティス等の巨大兵器も十分暴れられます」

 

「確かに、私にも亜空間跳躍機能があります。そちらに専念するのがもっともでしょう」

 

 テリオスのその口調は、秀にはどこか楽しんでいるように聞こえた。

 

「テリオス、お前楽しみなのか?」

 

「全くもって不謹慎ですが、どうやらそのようです。沢山のデータが得られるからに違いないでしょう」

 

「まあ、嫌がるよりは遥かにいいだろうさ」

 

 秀はそう言うと、マユカを見つめた。彼女は頷くと、見取り図に青の印と、赤の印を置いていった。常識的に考えて、青が味方で、赤が敵だろう。両色の印は、ある程度規則的に点々と置かれている。マニュアルにあった、防衛配置と全く同じだ。

 

「恐らく、学園の敷地内に残っている副総帥派は、副総帥の合図で少数精鋭でアイリスさんを、残りで地下シェルターを目指すと思われます。そしてこの日は赤の世界が来ることが分かっていますから、私たちは前日から防衛配置に付いています。副総帥とそのシンパが動き出したら、私たちは一直線に司令室を目指します」

 

「でも、それだと多分間に合わないから、アイリスを連れ出すのは、カミュの乗るジャッジメンティス。私たちの役目は、学園の確保。それが出来たら最低限の守備隊を残して、カミュの指揮下に入って解放軍の援護に向かう」

 

 マユカの言葉を、フィアが継いだ。そのままフィアが続ける。

 

「アイリスにやってもらうのは避難誘導の指揮。何も知らないあの子にとっては辛い仕事だけど、やってもらうしかない」

 

「本当にやらせられるのか?」

 

 秀が尋ねると、フィアはそう訊くと想定していたように即答した。

 

「そのためのカミュ。何としてもあの子には島民の方々の心の支えになってもらわないといけない」

 

「何でそうまでして」

 

「彼らの心を掴んだのは、私たちの行いじゃない。全てはアイリスの献身ゆえのこと。そして、副総帥の行動はそれを全て無に帰す可能性がある。信用を失えば、私たちは味方を、居場所を失ってしまう。それを避けるために、アイリスには率先して責任を負ってもらう」

 

 フィアは淡々と答えるが、秀はその言葉の節々から壮絶な覚悟を感じた。フィアの横顔が泣き顔にも見えた。これは秀の想像に過ぎないが、フィアたちもアイリスそのような過酷な目に合わせたくないのだろう。出来ることなら、アイリスを休ませて、フィアたちだけで解決したい。しかし、それでは意味が無い。うまく事を運ぶためには、アイリスには酷な役目を背負うしかないのだ。

 

「あとは現場での判断になります。では、この場はここで解散ということで」

 

 アイリスのその言葉で、各々マユカの部屋を去っていく。最後にレミエルとシャティーが立ち上がったところで、秀も行こうとすると、シルトに呼び止められた。

 

「待ってよ秀。用があるのは秀じゃなくてテリオスだけど」

 

「何でしょうか、シルト殿」

 

 テリオスが声を出すと、シルトはマユカとフィアを一瞥した。マユカとフィアが頷くと、シルトはおもむろに口を開いた。

 

「場所、移そうか」

 

        ***

 

 秀とシルトは、青蘭学園の地下最深部にある、青の世界水晶が安置されている大部屋に来た。本来なら立ち入り禁止の場所なのだが、アイリスから特別に許可を得たのだった。

 その大部屋は、青の世界水晶を中心として半径約20メートルの円状の床に、縦に10メートルはある水晶をすっかり覆えるほどのドーム状の天井を被せたようなものだった。その部屋の電気の照明はついていなかったが、青の世界水晶の光が、淡いマリンブルーで部屋全体を優しく包んでいた。秀は、まるで海の中にいるような感覚を覚えていた。

 青の世界水晶を背に、シルトが口を開く。

 

「さて、テリオス。単刀直入に言うけど、この世界水晶の光で、何か思い出さない?」

 

「申し訳ございませんが、デバイスで感じる光では、何もピンと来ません。しかし、秀殿を通じて知覚すれば、何かあるかもしれません」

 

「分かった。テリオス!」

 

 秀はデバイスを掲げた。すると、デバイスが白い光を発し、目の前にテリオスが出現した。そしてそれは瞬く間に、脚、胴、腕、頭と秀に装着される。この時、テリオスは、感覚的に秀の体の一部のようになり、秀に触覚的な違和感はない。体を見つめれば機械の体が目に入るが、それに関しては、テリオスを用いた戦闘訓練で秀はとっくに慣れていた。

 

「テリオス、何か感じるか?」

 

 しかし、テリオスは何も反応しなかった。すっかり沈黙してしまっている。普段の、泰然とした態度とは程遠いテリオスの様子に、秀は激しい焦燥感を覚えた。シルトも、どうすればいいのか分からぬかのように、オドオドしている。

 

「おい、テリオス!」

 

 秀は声を荒げるが、またも反応は無い。秀がますます不安にかられて、もう一度呼ぼうとしたところで、テリオスはゆっくりと声を出した。

 

「少し、取り乱してしまいました」

 

「何を思い出した」

 

「破壊衝動、です。しかし、世界水晶そのものに対するものではありません。その対象は世界水晶に関連したものです」

 

 そこまで言うと、また沈黙してしまった。が、すぐにまたテリオスは声を発した。

 

「ああ、あれは、銃声? ドクター、何を?」

 

 テリオスは、虚ろになったように呟き始めた。誰が聞いても、明らかに異常だと分かる。このまま放置すれば、テリオスの謎が分かりそうだったが、そのようなことを考えていられる場合ではなかった。

 

「装備解除!」

 

 秀が叫ぶと、一瞬にして秀の体からテリオスが離れ、亜空間に収納される。そして、秀の右手にはデバイスが握られていた。

 

「秀殿、ありがとうございます。もうすぐで、壊れてしまうところでした」

 

「無理するな。一旦出よう」

 

 シルトも異論は無いようで、二人はすぐに世界水晶の部屋を出た。地上に上がるエレベーターの中で、秀はシルトに尋ねた。

 

「お前、テリオスの何を知りたかったんだ? 何のために世界水晶を見せたりしたんだ?」

 

「世界水晶の意志を感じたの。テリオスから。でも、テリオス自身は私みたいな、世界水晶の意志そのものってわけじゃないみたいだから、知りたくなったの。彼の正体を。でも……」

 

 シルトは視線を落とした。泣きそうな顔で、申し訳なさそうに呟いた。

 

「ごめんね、テリオス。私、そんな目に遭わせるつもりじゃなかったんだ。本当に、ごめん」

 

 シルトは、その場にへたり込んでしまった。急に雰囲気が気まずくなったので、秀はシルトに手を差し出した。

 

「立てよ。そんな風にされたら気まずいだろ」

 

 シルトは、秀が差し伸べたその手をぼんやりと見つめていたが、やがて表情を和らげて言った。

 

「ありがと。でも大丈夫だよ。一人で立てるから」

 

 シルトは、しゃがんだような姿勢になると、ひとつ気合を入れて立ち上がろうとした。手枷をはめられているためか、非常に立ちづらそうだった。

 シルトがやっとふらつきながら立ち上がったちょうどその時、エレベーターが停止した。少しの揺れだったのだが、立ちくらみもあったのか、ふらふらしていたシルトは秀に倒れ込んできた。

 

「おいおい、大丈夫か」

 

 秀はシルトを胸で受け止めて、シルトが少し心配になったので訊いた。シルトは少し顔を赤くしている。

 

「だ、大丈夫だよ」

 

 シルトは慌てたように、秀を押して離れようとした。しかし、やはり手枷が仇となり、バランスを崩してしまった。秀は、反射的にその手を掴むと、自分の方に引き寄せた。

 

「まったく、言わんこっちゃない」

 

 困惑するシルトをよそに、秀はそのままシルトの手を引いてエレベーターから出た。すると、すぐそこに引きつった笑みのレミエルがいた。その笑みからはとてつもない凄みが発せられていた。レミエルが堕天した時並みに恐ろしかった。その本質は全く異なるが。

 

「秀さん? 何してるの?」

 

「誤解するなよ。決して浮気じゃない」

 

「それ、本当?」

 

「もちろんだ。後にも先にも、俺が愛するのはレミエル、お前だけだ」

 

 秀は、レミエルの圧力に内心では怯えていたが、一貫して毅然とした態度を取った。少しでも動揺しているところを見せてしまっては、レミエルに何を言われるか分かったものではなかった。

 

「なあんだ、なら良かった! てっきり私の目を盗んで浮気してるんじゃないかと思ったよ」

 

 レミエルは急に明るくなった。まるでさっきまでのことは無かったかのようだ。秀が傍のシルトを一瞥してみると、ものの見事にドン引きしていた。

 

「じゃあ、私用事あるから。またね、秀さん、シルトさん」

 

 唖然とする秀とシルトをよそに、レミエルは笑顔のまま去っていった。

 レミエルの姿が見えなくなると、シルトは苦笑いを浮かべて、秀に尋ねた。

 

「レミエルって、あんな子だったっけ?」

 

「昔は、その気はあってもああじゃなかったんだがな。予言を果たした後はたまに情緒不安定だったり嫉妬深くなったりするようになった。何故かは知らん。あいつも自覚してないみたいだし」

 

「へえ、レミエルがあんな感じになるなんて、少し意外だったな」

 

 シルトは引き気味に呟いた。ちょうどその時、秀の目にシルトの手枷が目に入った。それで、急にあることが気になり始めたので、思い切って秀はシルトに訊いてみた。

 

「なあ、お前、なんで俺たちに協力するんだ? ついこないだまで敵だっただろう。それに、その手枷だって、無理矢理壊そうとすればできるだろ?」

 

 すると、シルトは眉間にしわを寄せて沈黙した。その間、秀は何も言わなかった。やがて、首を弱々しく横に振った。

 

「分からない。アルバディーナのやろうとしてることは悪だよ。あれはあの子のワガママで未来を閉ざそうとしてるだけだ。でも、アイリスもワガママには違いないんだけど、あの子のやりたいことには未来がある。最初はあの子に都合のいい世界にするためかと思ってたけど、それも違うみたいだし」

 

 シルトはそこまで言うと、脱力した感じで壁にもたれかかった。その端整な顔が少しずつ歪んでいく。

 

「でも、心から味方する気にならないの。だって、どっちにしたって、私は、死んじゃうもの!」

 

 シルトは膝から崩れ落ち、涙とともに言い切った。はらはらと頬を伝う涙をそのままに、シルトは堰を切ったように話し出した。

 

「アルバディーナが本気で世界を滅ぼす気なら、私を生かしておくはずがない。アイリスが世界を変えるとしても、あの秘術では世界水晶を素材として新たな水晶を作るだけだもの! でも、赤の世界は全く当てにできないし、黒の世界は何考えてるか分からないし、緑の世界は他の世界のことなんか何一つ考えてない! だからといって私一人ではあまりに弱すぎる! ねえ秀、私どうしたらいいの!? 教えて、教えてよ!」

 

 シルトは床に膝をついた姿勢から、秀にすがりついた。しかし手枷のせいか、秀の右の足首を両手で握り締めるだけで、それ以上のことをしてこなかった。

 

「リーヴェリンゲン……」

 

 秀はしゃがんで、シルトに視線を合わせた。彼女の目を見る。充血し、涙に潤んでいた。その涙を指で払ってやると、秀は躊躇いがちに告げた。

 

「悪いが、俺はお前が何者で、何を目的としているのかを全く知らない。だから、教えてくれないか。知らなきゃ、慰めるものも慰められない」

 

「……うん、分かった」

 

 シルトは涙を袖で拭くと、壁に寄りかかるかたちで座り込んだ。秀は、まだ話す気力があるようで、ホッとした。

 

「私は、緑の世界水晶の意思そのもの。目的は、緑の世界水晶の延命手段の模索」

 

「模索、ということは方法が確立されていないのか」

 

「違うよ。方法はある」

 

 秀が呟くと、シルトは、思い詰めたような顔つきで否定した。

 

「今分かっている方法はふたつ。ひとつは私がマユカと同化する。もうひとつは、他の世界水晶を糧にする」

 

「後者は何となく分かった。同化するっていうのは、どういうことだ?」

 

「言葉の通りだよ。今のレミエルみたいな感じ。あの子はガブリエラと、赤の世界水晶の一部と同化したの。ガブリエラは意識が保てるギリギリの力しか無かったし、赤の世界水晶も丸ごと同化したわけじゃないから、まだあの子らしさが比較的強く残ってる。それでも別人みたいになっちゃったでしょ?」

 

 秀は息を呑んだ。シルトの言わんとすることを、はっきりと理解したのだ。

 

「その顔、察したようだね。そうだよ。世界水晶の活力が枯渇しかけているグリューネシルトを救うための同化は、レミエルの同化なんて目じゃない。完全なる同化が必要なの。そうなった時、私という存在も、マユカも、どうなるか予測がつかない。同化できたとしても、生きていられるかも分からない。そんな不確かな方法に、グリューネシルトのみんなを巻き込むわけにはいかない」

 

 秀は、沈黙せざるを得なかった。かける言葉は浮かぶものの、どれも陳腐でしかなかった。シルトも口を開かなかったが、沈黙に耐えかねたように、呟きを漏らした。

 

「もう、嫌」

 

 シルトは、膝を体に寄せて、そこに顔を埋めた。秀には、その声色、姿、仕草が、自分の存在に絶望していたレミエルと重なって見えた。心の中が疼く感じを覚える。

 

「こんな想いを抱くなら、ミロクの作戦を受け容れるべきだった。体なんか作って頑張るんじゃなかった。私は、どうしたら」

 

「じゃあ何で緑の世界に帰らないんだ? 嫌ならやめればいいだろう。誰も咎めやしないさ」

 

 秀は、心に痛みを感じつつも、それを押し殺して突き放すように言った。あの時、秀が寄り添ったせいでレミエルを駄目にしてしまった。同じ轍を踏む気は無かった。

 

「途中で己に課した使命を投げ出した、軟弱者と思われたくないだけじゃないのか?」

 

 秀のその言葉で、シルトの目に怒りが宿ったと思うと、そのまま突進するように摑みかかられ、押し倒された。

 

「あなたに何が分かるの! あなたはいいよね。一緒に目的を共有できる仲間が沢山いて! でも私にはそんなのは今は一人もいない! ただ一人、協力してくれてたクレナイ——アウロラはもう死んでしまった! 孤独な戦いを強いられた私の身にもなってよ!」

 

「違うだろう。お前は投げ出す道も選べたはずだ。だから、お前は強いられたんじゃない。選んだんだ」

 

「だから何だというの!」

 

「投げ出す気がないなら、お前の志を貫き通すしかないだろう。わざわざ言わせるな」

 

 秀は気圧されることなく、シルトの瞳を真っ直ぐに見つめた。いずれ敵同士になる者を立ち直らせるような真似をしていいのかとも思っていたが、秀はシルトを見捨てられるほど、非情にはなれなかった。

 

「無理だよ、そんなの。味方は誰一人いないのに」

 

「じゃあ、投げ出すか?」

 

 秀が素っ気なく尋ねると、シルトは暫く黙りこくった。やがて、弱々しく首を振った。

 

「やっぱり、続けたいよ。でも、たった一人で戦い続けるのは、嫌だ」

 

 シルトは涙声で、秀の胸に顔を埋めて言った。そして、そこから自嘲を始めた。

 

「軽蔑するよね、こんなの。使命は果たしたいけど、一人でやるのは嫌だなんて、うざったいでしょ? 私の双肩にかかってるのはグリューネシルトの運命なのにさ」

 

「他人のために命をかけるなんて、自己犠牲ができる奴なんてそうそういない。だからそれが出来る奴がエリートと呼ばれるんだ。お前みたいなのは、別に普通だ。軽蔑するようなことじゃない」

 

 秀は声色を和らげて告げた。すると、シルトは秀の胸に顔を埋めたまま、か弱く、消えそうな声で言った。

 

「落として上げるんだね、秀は。何で敵になるかもしれない私にそんなこと言うのさ」

 

「お前こそ、何で敵になるかもしれない俺に自分の正体だの目的だの悩みだのをペラペラ喋ったんだ」

 

 秀が訊き返してやると、シルトは顔を起こした。まだ涙は残っているものの、その口角は少しだけ上がっていた。

 

「質問を質問で返さないでよ」

 

「悪かったな」

 

「その言い方はそう思ってないね。まあいいけどさ」

 

 シルトは涙を拭うと、秀から離れて立ち上がった。それを受けて、秀も立つ。

 

「ありがとね、秀。溜まってたものぶちまけたらスッキリしたよ。やっぱり一人で溜め込むのはよくないね」

 

「それが目的だったのか」

 

 シルトは、「まあね」と舌を出した。秀の目には、それが無理しているようには映らなかった。それ故に、彼女がどれだけ溜め込んでいたかは、よく分かった。

 

「話聞いてくれてありがと。じゃ、私、先に部屋に戻ってるね。ばいばい」

 

 シルトは口早に言って、早足で秀から離れていった。手枷のせいか、微妙にバランスが悪そうではあったが。その姿が見えなくなると、秀はテリオスを呼び出した。

 

「テリオス、落ち着いたか?」

 

「ええ、何とか。醜態を晒してしまいました」

 

「お前さえ無事なら十分だよ。さて、俺たちも行こうか。寮じゃないけどな」

 

 秀は寮への道とは真反対の方向に歩き出した。外に出て、暫く歩いた先に着いたのは、ある大きな、沢山の名前が刻まれた石碑だった。

 

「秀殿、ここは?」

 

「T.w.dの戦死者の碑だよ。アイリスが立てたらしい。レジスタンスの頃から、こないだの戦闘までの全ての戦死者を弔うためのものだそうだ」

 

「これまでの戦死者の中に、秀殿に関係ある者がいるのでしょうか」

 

 秀はテリオスに頷きながら、石碑に刻まれた、ジュリアの名をそっと撫でた。

 

「ジュリア。青蘭学園における、最初に接触したT.w.dだ。あとで分かったことだが、学園を攻め落とすための情報、特に世界水晶の在りかを探っていたらしい」

 

「その、最初に接触したというのが、秀殿なのですね」

 

「ああ。一度は殺されかけた。だけど、そうしてくれたから、カミュたちと会えたし、俺は人を殺す覚悟も、殺される覚悟もできた。もしジュリアに出会わなかったら、あいつらが攻めてきたときに死んでただろうさ」

 

 秀はジュリアとの死闘を思い出した。秀は、我ながらよく生き残れたものだと思った。最後にジュリアが語った言葉を参照すれば、もし生き残っていたら、アイリス側についていたかもしれない、などとも考えながら、秀は石碑に向き直った。

 

「俺は、ジュリアに感謝しなきゃいけない。あいつからしたら皮肉にも思われるだろうが、それでもだ。ジュリアが俺に戦う覚悟をくれた。あいつの言葉がなきゃ、アイリスの言葉にも納得しなかった。今の俺があるのは、殆どジュリアのおかげだ。だから——」

 

 秀が次の言葉を言おうとした瞬間だった。秀の背中に、強烈な悪寒が走った。秀は反射的に飛び退くと、首を何度も振って、周囲を確認した。

 

「テリオス! 周囲に何かあるか!?」

 

「今はありません。ですが、つい先ほど、ほんの一瞬ですが、かなり高いエネルギー体が付近にいました。すぐに消えてしまって、追跡は不可能ですが」

 

「分かった。とにかくここから離れて、寮に戻ろう」

 

 秀は逃げるように、その場を去った。寮に着くまでの間、冷や汗が止まることはなかった。

 

        ***

 

「危ないところだったわ」

 

 ジュリアは、秀の姿が見えなくなってから、隠蔽魔法を解除した。彼女が一人で徘徊していたところ、たまたま一人でぶつぶつ言っている秀を見かけたので、興味を持って近づいてみたのだが、テリオスに検知されたのを感じて、慌てて魔法で姿を隠していたのだった。

 

「あのテリオスとかいうの、まさか霊体も検知できるとはね。合理性を求める白の世界の兵器とはとても思えないわ」

 

 ジュリアは興奮気味に呟きながら、石碑の上に座った。霊体とはいっても、触感はある。霊体とは便利な状態だ。重力に縛られることはなく、エネルギーはほぼ無尽蔵。人に姿を見せるか見せないかも自分の意思のまま。常人には存在すら分からず、それを知るためには、特殊な魔法ないしセンサーを用いるほかない。

 霊体となってからしか分からないことも多かったため、研究者気質もあるジュリアは、その点ではアルバディーナに感謝していた。しかし、それだけでアルバディーナが成仏していた彼女を無理矢理現世に呼び戻したことに関しては、帳消しにするつもりは無かった。

 

「しかしまあ、あの子、嬉しいこと言ってくれるじゃない。普通は私を恨むでしょうしねえ」

 

 ジュリアは顔に手を当ててはにかんだ笑顔を浮かべた。気付いたら足もじたばた振っていた。それもそのはずで、私怨の無い相手からの感謝など滅多になかったのだ。

 

「こんなことなら、友達の義理なんか感じずに、アルバディーナなんか見限った方が良かったかしら。生前の私の気分としてはアイリスに協力したいし。でも協力すると約束してしまった手前、勝手に縁を切るわけにもいかないわね」

 

 ジュリアはどうしようかと辺りをぐるぐる回りながら逡巡した。十周くらいしたところで、ジュリアはあることを思い付いた。

 

「これならアルバディーナに協力するという体裁を守りつつ、アイリスに協力もできるわ」

 

 ジュリアはふふふと笑いながら、アルバディーナの元へ戻っていった。彼女が去った後は、石碑の辺りはすっかり閑としていた。

 

        ***

 

 アルバディーナ派と人間解放軍、第一特殊隊との緊張から、アイリスが外されたまま、とうとう一週間が経った。

 今この瞬間、地下に造られた司令室の中央にある、総司令の椅子に座るアイリスも、彼らが少しギクシャクしているとは感じていた。気になりつつも、特に何も言わなかった。仲間を疑いたくなかったのだ。より正確に述べるなら、疑うことで仲間を失うことを恐れていた。しかし、彼女自身は、赤の世界と戦うのに、連携を乱しては困るから、と思い込んでいた。

 アイリスは大きなため息をつくと、その瞬間、背後に人の気配を感じた。慌てて振り向くと、そこには思いつめた表情のアルバディーナがいた。

 

「アルバディーナ? どうしたのさ、そんな顔して。それに、あなたの持ち場はここじゃないでしょ?」

 

 アイリスは不安に思いながらも、アルバディーナに尋ねた。そして、アルバディーナが答えるためか口を動かしかけたその時のことだった。突如として、轟音と共に、激しい振動が、司令室全体を襲った。液晶や蛍光灯が割れたような音と、その破片と思しきものが飛散する。

 

「アイリス殿! 早くこちらに!」

 

 その時アイリスに聞こえたのは、カミュの声だった。振り向くと、カミュがジャッジメンティスの操縦席から身を乗り出していた。しかし、彼女の言葉とは裏腹に、その目はアイリスを見ていなかった。アイリスを通り越して、アルバディーナを睨みつけていた。

 

「まさか、ここにジャッジメンティスを持ち込むとはね。完全に予想外だったわ」

 

 アルバディーナもまた、アイリスの向こうのカミュを睨みつける。しかしその殺意はアイリスにも向けられているようにも感じられた。自分を無視した殺気と、自分にも向けられた殺気に挟まれたアイリスは、ただ呆然と立ち尽くすのみだった。



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秀vs忍! 今こそ唸れ、必殺テリオスパニッシャー!

「アイリス殿、早く!」

 

 カミュの、焦燥感に満ちた声が響く。すぐそばにはジャッジメンティスの手の平がある。アイリスの生存本能が、カミュに従えと促す。しかし、アイリスは歩き出すことすらできなかった。目の前で起こった出来事に、頭の理解が追いついていなかった。

 

「いくらこの狭さでも、ジャッジメンティスが相手では分が悪いわね。ここは撤収よ」

 

 アルバディーナがそう言うと、司令室にいたオペレーターが、一斉にアルバディーナの元へ集まり、よく訓練された様子で、手早く司令室から撤退した。

 

「どういう、ことなの?」

 

 アイリスは、やっとの思いで声を絞り出した。その呟きは誰に向けられたものでもなかったが、カミュがその言葉に答えた。

 

「副総帥が反乱を起こしたのですよ。残念ながら今はそれを説明する余裕はありません。さあ早く乗ってください。急がないと、島民の方々の命が危ない」

 

 島民の方々の命——その言葉が、アイリスの体を突き動かした。気付けば、アイリスはカミュと共にジャッジメンティスの操縦席にいた。

 

「アイリス殿には、島民の避難誘導を行ってもらいます。ルートはここに」

 

 アイリスはカミュに渡された地図を広げた。各シェルターに退避した島民を全て部屋から出させつつ、最短で地上に出て、最後に港に着く道のりだった。恐らく、そこに脱出艇でも用意されているのだろう。

 

「やれますか、アイリス殿」

 

「私がやらなきゃいけないんでしょ、何が起こってるかは考えないでおくよ、私は全力でこの役を果たすから」

 

 アイリスは、自己暗示するように言った。そうでもしなければ、何もできなくなる気がした。既に頭は真っ白も同然なのだ。これ以上、我を見失うわけにはいかなかった。

 

「申し訳ありません。では、シェルターまでワープします」

 

 カミュが口早に言ったかと思うと、モニター越しには居住区への道の起点となる、青蘭島地下の大広間が映っていた。

 

「私は地上勢力の駆逐に向かいます。すぐ降りられますよう」

 

 アイリスはこくりと頷くと、開けられたハッチから飛び降りた。するとその瞬間には、ジャッジメンティスの姿は見えなかった。

 

「これから一人、か」

 

「一人じゃないよ。私が殿(しんがり)を務めるから」

 

 背後から、優しい声が聞こえた。振り返ると、そこにはいつもの幼い様ではなく、成熟した様のシルトがいた。その手首には、手枷は嵌っていなかった。

 

「ごめん、手枷、取っちゃった。あと本当は、私は関わらなくてよかったんだけど、やりたいって言ったから、本当は別の人だった殿、私がやることになったんだけどね。助っ人も呼んだし、大丈夫。この場であなたに負けさせやしないから」

 

「うん、ありがとう」

 

 普段なら、涙が出るほど嬉しかった言葉だったが、今のアイリスは素っ気ない言葉しか返せなかった。しかしシルトは笑いかけるだけで、不快な雰囲気は一切醸し出さなかった。そのような彼女の態度を見て、アイリスは急に申し訳なくなった。逃げるように歩き出したが、シルトは黙ってついてきてくれた。

 最初の退避居住区に辿り着くと、意を決してアイリスはそのドアを開けた。その瞬間、アイリスは島民たちの喫驚したような視線を大量に向けられた。

 

「落ち着いて聞いてください。アルバディーナが造反しました。人が沢山集まっているここは危険になる。申し訳ないですが、それを説明する余裕はありません。納得できないかもしれません。しかし、ここを脱出して頂きたいのです。私が誘導して、後ろはこのシルトが守ります」

 

 アイリスは自分でも不気味だと思うくらいに落ち着いて告げた。島民たちは暫く顔を見合わせていたが、やがてそのうちの一人の初老の男性が言を発した。

 

「アイリスさんが言うなら、そうなんだろう。構いませんよ。私たちとしても、ここで死ぬつもりはありませんからね」

 

 その言葉を皮切りに、そこにいた島民たちが、次々にアイリスに従う旨を述べた。アイリスは胸がいっぱいになった。あのような曖昧な説明でも、彼らは納得してくれた。溢れそうになる涙をぐっと堪えて、アイリスは頭を下げた。

 

「……ありがとうございます。急かしてすみませんが、すぐに出ましょう」

 

 アイリスが促すと、島民たちは女子供、老人を真ん中にして、それを若い男性が挟む形に並んで居住区から出た。アイリスはその最後尾にシルトがついたのを確認すると、次の居住区へ向かった。

 特にトラブルもなく、いくつかの居住区を回りつつ、次の広場へと出る時だった。そこへの扉が、閉鎖れていたのだ。アイリスはそこで休憩を取ることにして、扉に耳を当てた。そこで微かに聞こえたのは、幾重にも重なる銃声だった。

 

        ***

 

 シェルター内の広場で戦闘していたのは、ジャッジメンティスを強化改修したジャッジメンティス改に搭乗したリーナと、テリオスを装着した秀を含む人間解放軍と、中隊規模のT.w.dアルバディーナ派だった。人間解放軍は、五、六十名で固まった島民を守るように布陣していた。すぐそばまで来ているであろうアイリスたちと合流する予定だったのだが、アイリスたちを待っている間に追いつかれてしまったのだ。

 ジャッジメンティス改とテリオスのバリアーのおかげで、アルバディーナ派の兵士が銃撃を浴びせるも、殆ど無力化されていた。しかし、そうしている間にも、アイリスたちが追いつかれる可能性がある。埒があかないと思った秀は、テリオスに小声で尋ねた。

 

「この装甲、銃撃にどれだけ耐えられる?」

 

 秀は後ろの島民を一瞥した。完全に怯えきった表情の者ばかりだ。幸い、予め事のあらましを知っていて、なんとか平静を保てている達也が励ましているが、それも時間の問題だった。

 

「この程度なら、関節部に被弾しようと屁でもありません」

 

 テリオスは自信ありげに答えた。その回答に秀は思わず頰を緩ませた。そのまま、隊長であるリーナに尋ねた。

 

「リーナ、単騎突撃したいが、許可できるか?」

 

 しばし返答が無かったが、やがて仕方ないといった風で、リーナは答えた。

 

「いいでしょう。但し、必ず戦果を上げること! 分かりましたね、秀!」

 

「了解だ! 行くぞ、テリオス!」

 

 秀はテリオスのブースターを全て展開すると、雄叫びとともに敵中に突撃していった。

 

「ブレードを出せ。あとガトリングを両肩に一門ずつ装着しろ。ガトリングの照準はお前に一任する」

 

「了解です。味方に流れ弾が行かないよう善処します」

 

「いい心がけだ!」

 

 この時、秀は時速八十キロほどの速度を保ちつつ、ガトリングガンで弾幕を張りながら、不規則に動き回っていた。テリオスを通して周囲を見ている秀には少し早く動いている程度の感覚だが、他の人間には、プログレスでもない限りその動きを捉えることはできなかった。完全に翻弄された一人の敵が、テリオスブレードの、刃渡り1メートル程の鋼の刃に切り裂かれる。一人の部下を失ってやっと冷静になったのか、敵の部隊長と思しき人物が声を上げる。

 

「撤退だ! 兵と弾薬を無駄に失うわけにはいかん!」

 

 敵があっという間に準備を整え、撤退を始める。その方向は、住民が既に脱出を済ませたシェルターに向かう方向だった。

 

「追わないでください! アイリスとの合流を急ぎます!」

 

 リーナの声が、ジャッジメンティス改の外部スピーカーから聞こえた。秀はブレードとガトリングを収めると、彼女の元に戻った。その途中で、秀はテリオスの力に驚嘆していた。プログレスが敵にいなかったとはいえ、一人で中隊規模の敵を撤退させた。常人に対しては、あまりにも強力すぎた。

 敵の死体を片付け、リーナがジャッジメンティス改を亜空間に収容すると、その広場の扉を開放した。すると、すぐそこにアイリスと、彼女が脱出の誘導を請け負う予定だった島民全員、そしてその最後尾にシルトがいた。

 

「さっき、何があったの?」

 

 秀たちの様子を見たアイリスが、恐る恐るといった風で尋ねた。その質問には、達也が明朗に答えた。

 

「戦闘があったんだ。でも、秀たちが守ってくれた。だから、誰も怪我をせず無事でいるよ」

 

「……すみません。私の至らぬばかりに」

 

 アイリスは、驚くほど素直に頭を下げた。すると、秀たちが守った島民の一人の老婆が、前に歩み出でた。

 

「いいんですよ。あなたが本物の誠意を持っていて、あなたの仲間のみなさんが、命懸けで私たちを守ってくれた。あなたを許す理由は、それで十分です」

 

 アイリスが、島民一人一人を一瞥する。アイリスに怒りを露わにしている者は、誰一人としていなかった。秀は、思わず息を飲んだ。初めて、アイリスと島民とが固い絆で結ばれていることを実感した。彼女の努力は、しっかりと実っていたのだ。

 

「ありがとうございます。苦難にあっていたところ申し訳ございませんが、先を急ぎたいので、早く並んでいただけますか?」

 

 達也たちは、特に嫌そうな顔を見せることなく、てきぱきと整列した。彼らを挟むように、人間解放軍が並ぶ。アイリスは感謝の言葉を漏らしながら、ゆっくりと歩き始めた。

 時折休憩を挟みながら、アイリスたちは歩き続ける。やがて、T.w.dに襲われることなく、地上へ上がる階段へと辿り着いた。

 

「まず、我々が先に地上へ出て、出口周辺の安全を確保します。それが完了したら、アイリスに通信を送りますから、しばしお待ちください」

 

 リーナがそう説明すると、彼女は秀に目配せした。秀は頷くと、先だって歩き出した。テリオスの頑丈さは、先の戦闘で検証済みだ。不意打ちを食らっても問題無いとの判断だろう。

 秀と、数人が前もって外に出た瞬間だった。秀以外のその数人の首が、一瞬にして空を舞ったのだ。

 

「扉を閉めろ! 今すぐにだ!」

 

 秀は咄嗟に声を張り上げる。秀の切羽詰まった声に何かを感じたのか、それとも首が飛ぶのを垣間見たのかどうかは分からなかったが、ともかく秀がその言葉を言い終える前に扉は閉じられた。

 

「秀殿、敵が来ます。一時の方角です」

 

 テリオスが冷静な声で告げる。秀は咄嗟にブレードを出し、一時の方角へ目を凝らした。すると、誰かは分からなかったが、そこから猛スピードで突進してくる人を視認した。秀もそちらに突進し、すれ違いざまにブレードで斬りつける。対し、その人物は刀を抜き放ち、それを受け止めた。ちょうどその時、その人物が誰か、はっきりと分かった。

 

「お前、風魔忍か!?」

 

「ちい!」

 

 忍は舌打ちをすると一旦距離を取り、秀と対峙した。秀も緊張して構えを取っていたが、やがて忍がその手にしていた忍者刀を急に構えを解いて肩に担いだ。

 

「分からんのでゴザルよなあ」

 

 急に、忍が秀を睨みつけながらそう言い出した。

 

「あの村に生まれながら、なぜお主は拙者たちの思想に呼応せんのでゴザルか? なぜあの村で与えられた名前を使っているのでゴザルか? なぜ、あの村が異変で消滅してなお、その死者を供養してくれと頼んだのでゴザルか?」

 

 忍は、立て続けに疑問をぶつけてくる。そこから、激しい怒りも感じ取れた。はじめ、秀は彼女がなぜそのように言うのか分からなかったが、すぐにひとつの結論に至った。

 

「お前、あの村の出身か」

 

「やっと気付いたでゴザルか。お主は海に逃げたようでゴザルが、拙者は陸に逃げたでゴザル。そして、飢えと傷で死にかけていたとき、風魔流忍術の継承者に拾われたのでゴザル。この話し方も、風魔忍という名も、その時からのものでゴザル」

 

「お前、その拾ってくれた人に感謝してないのか?」

 

「ああ、もちろんしたでゴザルよ。復讐する力を与えてくれた存在として、でゴザルがな」

 

「その人、どんな人だったんだ」

 

「温和な人でゴザった。しかし、風魔流忍術の最後の継承者で、現代日本ではほぼ無用の技とはいえ、その技が絶えるのをよしとはしなかったでゴザル。拙者に風魔流忍術を教えたのは、どうもそのためのようでゴザル」

 

「その人の指導は、どうだったんだ」

 

「厳しかったでゴザルよ。技を教えるのに、拙者の身にその技を食らわせて吸収させる、というスタンスだったでゴザル。ただ、かなり手を抜いていたようでゴザルがな。痣が残ることもなかったでゴザル」

 

「お前、本当にそれで、単に復讐する力を与えた存在としてしか見ていないのか?」

 

「当たり前でゴザろう。分かりきったことを聞くなでゴザル」

 

 秀は、彼女が無表情で放った言葉で、完全に頭に血が上った。気付いた時には、手の指が手のひらを突き破るのではないかと思えるくらい、強く手を握りしめていた。

 

「ふざけるな! お前は、その人から、人の温かみを、何ひとつ感じなかったのか!」

 

「はて何のことやら。そもそも人に温かみなどあるかどうかすら怪しいでゴザル」

 

 忍は嘲笑し、わざとらしくおどけた。その仕草が、秀の心を逆なでした。

 

「性根から腐っているようだな、お前は!」

 

 秀は激昂してそう言い放つと、最大速力で忍に突撃した。そして、ブレードで忍に唐竹割りを仕掛けようとする。だが、忍はそれを忍者刀で軽く受け止め、秀から見て右側に回り込み、刀を返して秀の右袈裟に斬りつけた。斬撃自体はテリオスの装甲に阻まれたが、かなり重い一撃で、秀の集中力が一瞬削がれた。その隙に、忍が秀の脇腹に回し蹴りを入れる。

 

「ぐっ!」

 

 これもまた強い一撃で、秀の踏ん張りも虚しく、道路のアスファルトから足が離れてしまった。反応が追いつかない秀に変わって、テリオスがブースターを適切に吹かして秀の態勢を整える。

 

「すまん、テリオス」

 

「話している暇はありません。次が来ます」

 

 テリオスに言われ、秀は慌てて周囲に意識を向ける。すると、四方八方から手裏剣と思しき飛翔体が向かってきていた。

 

「テリオス、フィールド展開だ!」

 

 秀の掛け声で、秀の周りを取り囲むように、ドーム状で、薄い青色のフィールドが張られる。それに手裏剣は全て阻まれたが、忍の気配を掴むことはできなかった。

 

「テリオス、風魔忍の位置は?」

 

「いえ、残念ながら捉えられ……いえ、真上です」

 

 テリオスに言われ、秀は上を向く。すると、そこには刀を上段に振りかぶり、太陽を背にして斬りかかろうとする忍がいた。

 

「ガトリングだ! バレットもサブアームで操作しろ!」

 

 秀はテリオスに弾幕を張らせながら後退した。忍が、空中にいるとは思えない軽やかさで、それを秀から見て右に平行移動して避けた。そこで、秀はハッとした。先程も、そして今回も、忍は右に避けた。秀はもしかしたらと思い、また真正面から斬りつけにいくと、またもや右に避けた。

 

「気付いたか?」

 

 秀は忍と距離を取ると、アイリスには聞こえぬよう、小声でテリオスに話しかけた。

 

「ええ、私も」

 

 テリオスも、心なしか小さい声で告げた。すると、そこでリーナから通信が入った。

 

「秀、まだ安全は確保できないのですか!? 殿では戦闘が始まっています。守るのも時間の問題です!」

 

「少し待て。すぐ終わらせる」

 

 秀がそう言って通信を切ると、忍は挑発するように苦無をジャグリングしながら言った。

 

「すぐ終わらせるなどと、強がっても意味がないでゴザルよ。それとも、そなたの死を以って、ということでゴザルかな?」

 

 そう言う忍を、秀は鼻で笑った。

 

「その言葉、後悔するなよ」

 

 秀は、ブレードを握る手に、強く力を入れた。

 

        ***

 

 迫るモルガナとイレーネスが率いる部隊に対するは、シルトとリーナを中心とする人間解放軍だった。この通路ではジャッジメンティスは動かせないため、アルバディーナ派と人間解放軍の銃撃戦の中で、リーナは生身で、シルトと共にイレーネス、モルガナと戦っていた。住民への防御は、シルトが召喚したルルーナの盾、シュッツ・リッタを大量に並べることで対処していた。

 

「抜かせない、ここは! あなたたちみたいな視野の狭い人たちに、負けるものか!」

 

 シルトはマユカの大剣、グリム・フォーゲルを振るい、幾度となくイレーネスにその斬撃を食らわせようとする。しかしそれは彼女にいとも容易く躱されてしまう。

 

「やっぱり大振りのはキツいか。なら! フラゲルムノウン! いっけえ!」

 

 シルトはユニのビームの鞭に持ち帰ると、その先をイレーネスに飛ばした。イレーネスがそれを紙一重で回避したのを見ると、シルトはにやりと笑い、フラゲルムノウンをイレーネスの、包帯の巻かれた方の手首に巻きつかせた。

 

「もらった!」

 

 シルトは更にそこから、アイリスの鏢、ミリアルディアをイレーネスに向けて飛ばした。すると、今度はイレーネスが歪んだ笑みを浮かべた。

 

「甘いわよ。そら、自分の仕掛けた技で死になさい!」

 

 フラゲルムノウンを巻かせた、イレーネス右手首の包帯から、瘴気が漏れ出ていた。それに気を取られていると、いつの間にか、ミリアルディアがこちらに向かってきていた。

 

「シュッツ・リッタ!」

 

 シルトは新たに盾を召喚し、自分の前方に立てた。しかし、それだけでは防ぎきれず、一部が肩口と背中に刺さった。

 

「まさか、こんなこともできるとはね」

 

「褒めてる余裕なんてあるのかしら、緑の世界水晶さん?」

 

「あれ、知ってたの」

 

 シルトはそう言いつつ、壁に仕掛けた鏡を通して、リーナを見た。モルガナと戦闘しながら、順調に、しっかりと押されているように見せかけていた。

 

「有名な事実よ。私の呪いがあなたにも通用するか、試してみようかしら?」

 

 そう言いながら、イレーネスが包帯を解きながら歩み寄ってきた。シルトは刺さったミリアルディアを全て消すと、後ずさりしながら尋ねた。

 

「その呪い、その腕に触れたら死ぬってやつだっけ。そのおかげで、黒の世界で迫害されたから、同じく迫害されていた魔獣のモルガナと一緒に、新天地を求めて青蘭島に居場所を求めた。だけど、そこでもやはり疎まれたから、絶望の淵に立っていたところにアイリスに救われたんだっけ?」

 

「よく知っているようね。でもあなたとこれ以上お喋りしている暇は無いの」

 

 イレーネスが冷たい声で告げる。その声を聞きながら、シルトは再び鏡を確認した。すると、リーナが自分のちょうど真横くらいの位置に来ていた。そこで、シルトは大声を張り上げた。

 

「なら最初から私とお喋りなんてするんじゃなかったね! リーナ!」

 

「分かりました! 出ろおおおッ! ジャッジメンティィィィス!」

 

 シルトがフラゲルムノウンから手を離して後退すると同時に、リーナが雄叫びを上げる。リーナの前にいるのは、アルバディーナ派のT.w.dだけだった。

 

「私の右手が青く閃く! あなたを倒せと轟き唸る! ひぃぃっさつ! ジャッジメント・プラズマアアアアッ!」

 

 突如、リーナが突き出した右の拳の先の空間に穴が空いたかと思うと、そこからジャッジメンティス改の右肘から下だけが飛び出して来た。

 

「なっ!?」

 

 驚き呆然とするイレーネスを、咄嗟にモルガナが抱いて、跳躍してジャッジメンティス改から離れた。その時、ジャッジメンティス改の掌から青い稲妻が走る。

 

「モルガナ!?」

 

「はっ、馬鹿なことを! ジャッジメント・プラズマを自ら生身で受けるなど、自殺も同然ですよ!」

 

 リーナの言葉の通り、他のアルバディーナ派は次々と炭と化していた。だが、モルガナを見て、シルトとリーナは言葉を失った。確かに服はほぼ焼けて殆ど全裸になり、その背中はひどく焼け爛れていた。だが、彼女は生きていた。例えようのない怒りを湛えた瞳で、シルトとリーナを睨みつける。

 

「死ねない。私たちの恨みを晴らすまでは、死ぬわけには——」

 

 モルガナは気を失ったようで、前に倒れかけるが、それをイレーネスが受け止めた。彼女はキッとシルトらを鋭い目で射抜くと、転移魔法と思しきものでその場を去った。

 

「ふう、なんとか退けられたね」

 

 シルトは額の汗を拭いながら、リーナに話しかけた。対し、リーナは渋い顔で答えた。

 

「ですが、奥の手を見せてしまいました。秀が早く済ませていれば、あれを使わずに済んだものを」

 

 リーナは唇を噛み締めた。ジャッジメンティス改の一部分だけでも呼び出せるというのは、これまで人間解放軍の人員以外は知らぬことだった。先ほどは、秀が遅すぎた場合に使うために、シルトには教えていたのだった。

 

「終わった?」

 

 アイリスから通信が入った。シルトが肯定すると、アイリスは素っ気なく「ありがとうね」と言って、通信を切ってしまった。しかし、シルトは勿論、リーナにもそのことを咎める気は無かった。今のアイリスはかなり精神を摩耗してしまっている。そのような彼女に、まともな返事を期待する方が筋違いというものだった。

 

「しかし、秀は大丈夫でしょうか。テリオスを以ってしても苦戦してしまうとは」

 

 リーナは、泣きそうな顔でシルトに尋ねてきた。

 

「きっと大丈夫だよ。信じようよ」

 

 シルトは、あやすように笑いかけた。するとリーナはふっと表情を和らげて、柔らかな笑みを浮かべる。

 

「そうですね、あなたの言う通りです」

 

 二人で、出口の扉を見る。その時、その向こうの陽の光が二人のところに差してきた気がした。

 

        ***

 

 秀は、忍と睨み合う。先ほど考えついた必勝策。今まさに、それを発揮せんとしていた。

 

「いくぞ!」

 

 秀は大地を蹴り、忍へ一直線に斬り込んでいった。対する忍は、馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

 

「馬鹿のひとつ覚えでゴザルな!」

 

 忍は、秀の唐竹割りを忍者刀で受けようとして、ではなく、秀から見て左から払い落とそうとしているかのように、刀を振り上げた。想定通りの動きに秀は思わず頰を緩め、忍の刀がブレードの刀身に当たる直前に、わざとテリオスブレードを手放した。

 

「テリオスパニッシャー……」

 

 秀の動きに対し忍が一瞬戸惑いを見せ、刀を空振りした隙に、秀は忍に聞こえないように呟く。すぐに立て直した忍が、秀の推測通り、先ほどとは逆に秀から見て左に出ようとした寸前に、秀は左に突っ込んだ。忍は咄嗟に止まることはできなかった。そうすればつんのめってしまう。そのまま前に出るしかなかった。

 

「必殺の一撃、受けてみろおッ!」

 

 忍の刀が振り下ろされるより先に、秀の、凝縮されたテリオスフィールドを纏った右の掌が、忍の腹に入った。秀はそのままブースターを最大出力で噴射し、忍を近くのビルの壁に激突させた。そして駄目押しするように掌を強く押し込むと、土埃舞うその場から距離をとった。

 

「パターン化戦術を逆手に取った作戦、お見事でした」

 

 着地すると、テリオスが興奮した様子で褒めてきた。秀は得意になって、口早に答える。

 

「こちらが何かを気づいた様子を見せれば、あいつの癖を見抜いたみたいに思わせられただろうからな。あいつとしては罠にかけたつもりが、逆にかけられたってわけだ」

 

 秀が言い終えると、忍の方から物音がした。秀はすぐさまそちらに意識を向ける。すると、土埃の中から、服はあちこちが敗れ、全身から血を流し、時折吐血までしながらも、忍が這って出てきた。

 

「まさか、これほどまでのダメージを負うとは、不覚でゴザった」

 

 そう呟くと、忍は秀を見つめ、歪んだ笑みを浮かべた。

 

「拙者の目的は達成されたでゴザル。せいぜい足掻くがいいでゴザルよ」

 

 そう言って、忍は姿を消した。秀がその発言の意味を考えながら扉の前まで戻ると、急に不安に駆られ、無意識に空を見上げた。空の真ん中で輝くよっつの門。そのうちの赤の門が、激しく煌めいていた。

 

        ***

 

 赤の門の直下にいたレミエルは、大きな戦意の塊を赤の門の向こうに感じた。ハッとして赤の門に向くと、そこから何人もの人影が現れ出でた。

 

「私はテラ・ルビリ・アウロラ軍将軍、グラディーサである! テラ・ルビリ・アウロラ総代代理、アマノリリス様に代わって告げる! 現時刻を以って停戦協定を破棄し、我々はT.w.dと戦闘状態に入る! なお、そちらの拒否権は認めない!」

 

 グラディーサの声が、青蘭島全域に響き渡る。あまりに荒唐無稽な内容だった。しかしだからこそ、レミエルはかの軍勢を叩き潰すのに、迷いは一切持たなかった。

 

「行こう、ユラ、ガブリエラ様。……光の翼、最大パワー!」

 

 レミエルが叫ぶと、右の黄金の翼と、左の閻浮檀金の翼が一瞬にして空の彼方まで伸びていった。それに当たった者だけでなく、その翼の間に入った者も消滅していった。

 

「何をやっている!? 回り込んで挟撃しろ! あの者は間違い無く、アウロラ様を殺した犯人のレミエルなのだぞ!」

 

 レミエルが魔法で己の聴力を引き上げてみると、グラディーサのそのような声が聞こえた。それで、光の翼を元の大きさに戻し、リングから六本の魔剣を分離した。

 

「さっきので大人しく引いておけばあッ!」

 

 レミエルは、上空から、右翼と左翼に分かれて迫り来る赤の世界の軍勢の先鋒の右翼側に突撃し、先頭の者を、右に持ったユラの剣で一撃の元に斬り伏せた。他の者も、その手に持つ二本の剣で斬りながら、死角にいる者を六本の魔剣を遠隔操作して斬殺していった。五分に満たない時間だけで、右翼に展開していた赤の世界の軍は、ほぼ壊滅状態に陥った。

 

「出て来なければやられなかったのに、前に出るから!」

 

 次にレミエルが左翼側に突撃しようとした、その時だった。レミエルは、赤の世界の軍団の中から離れて何処かへ行くふたつの影を見つけた。——その人影は、間違いなくあずさとユノのものであった。



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ジュリア再び! 戦慄の再会!

 視界の端に現れたあずさとユノに、レミエルは一瞬だけ気を取られてしまった。その一瞬の隙に、大量の矢が雨霰のようにレミエルに降り注いできた。

 

「光の翼!」

 

 レミエルはそれを光の翼を体の前方に閉じることで防ぐと、後方に戻すついでに左翼側の軍団を光の翼で一掃した。

 レミエルは魔法で視力を引き上げ、弓兵部隊とその規模を視認した。指揮官はフェルノのようで、規模は千人ほど。彼らに相対するのがレミエルだけなら良かったが、その規模では流れ矢が味方に当たってしまう可能性も十分に考えられた。

 

「距離は2キロくらいか。十分飛び込める距離だね」

 

 レミエルはぽつりと呟くと、弾丸のように弓兵部隊へ突っ込んだ。交代で射っても、人が引く弓では連写に限界がある。レミエルは散発的に飛んでくる矢を軽く回避していき、とうとう一矢も食らわずに弓兵部隊に接触した。

 

「死にたくなかったら退いて! 加減なんてきかないから!」

 

 レミエルはそう声を上げ、手当たり次第に近くの弓兵を、剣に持ち替える間も無く斬っていった。すると、弓兵が左右に開けるように一斉に引いた。命が惜しくなったのかと思ったが、レミエルはその考えをすぐに撤回した。開けた奥にペガサスに跨ったフェルノがいて、封印弓フェイルノートに矢をつがえていた。

 

「させはしない!」

 

 レミエルはフェルノに突貫していく。四方八方から矢が飛んでくるが、レミエルは気にしない。ただ、フェルノは止めねばならない。彼女の矢がレミエルに直撃するのはともかく、流れ矢が青蘭島に落ちるだけでもひとたまりもないからだ。

 レミエルは、フェルノにガブリエラの剣で真上から斬りつける。フェルノはそれをフェイルノートで受け止めると、空いていた左手に矢を持った。そしてそれをレミエルに突こうとする。レミエルはそれを他の弓兵の相手をさせていた魔剣のうち一本の遠隔操作で弾くと、ユラの剣で肩口を斬らんとする。しかし、フェルノはフェイルノートを傾けることで、それも防いだ。

 

「こんなことになるなら、あの時気にかけるんじゃなかったですわ!」

 

 フェルノが憎しみを込めた瞳で睨み、怒鳴る。レミエルの知る彼女は、いつも優美に佇んでいた。彼女が怒りを露わにしたことなど、レミエルは聞いたことがなかった。つまり、彼女の怒りは赤の世界の呪縛から解き放たれた結果ということになる。

 

「何のことを言っているか分かりませんが、こんな戦いに意味があると思ってるのですが、あなたは!」

 

 レミエルは二本の剣を押し込む。それで、フェルノが苦しげに顔を歪める。

 

「国内の混乱がこんな短期間で収まるはずもない。なのに国を疲弊させるだけの戦争をして、何か意味があるんですか! あなたはもう、自分の力で何が間違いか判断できるはずでしょう!」

 

「その混乱の原因を作ったあなたが、そんなことを言う資格はありませんわ。私はただ、赤の世界に忠義を尽くすだけですわよ!」

 

 フェルノが負けじと押し返そうとして力を加えてくる。レミエルも押し切ろうとしているため、完全に拮抗してしまった。そこへ、威勢のいいはっきりした声が飛び込んできた。

 

「その意気や良し! そのままでいろ、フェルノ!」

 

 声の主はグラディーサだった。彼女は、二人の真上から、剣を両手で持って突っ込んできた。

 

「我が愛弟子ユラの剣、返してもらうぞ! 堕天使のレミエル!」

 

 猛然と迫るグラディーサを見て、このままではやられると踏んだレミエルは、フェルノを蹴ってその反動でそこを離れた。しかし、グラディーサは微妙に角度を変えて照準を確実に合わせてきた。

 レミエルは、グラディーサがそうしてきたのを見て、一撃を食らうのを覚悟したその時だった。赤の世界から軍が現れた時と同じように、黒の世界の(ハイロゥ)が門の色と同じく紫色の光を放ち始めたのだ。

 レミエルだけでなく、グラディーサやフェルノ、他の赤の世界の軍も、戦いの手を止めて唖然としていた。そして、門からいくつもの全長十メートルほどの大きな影が出てきたかと思うと、その一部がまっすぐレミエルがいるあたりに向かってきた。ある程度近づくと、それがドラゴンだとはっきり分かった。やがてそれらは、赤の世界の軍に明確な戦術を以って攻撃を加え始めた。上と左右の三方向から赤の世界の弓兵部隊を挟み込む形で陣形を締め上げ、ドラゴンが吐く炎で一網打尽にした。

 

「黒の世界が奴らに味方するだと!? 今の軍では対処できるはずがない! 撤退するぞ!」

 

 グラディーサがそう号令し、残った赤の世界の軍が撤退を始める。すると、かつてよく聞いた声が、一匹の黒いドラゴンから発せられた。

 

「追うな! あたしはそこの天使から色々聞くから、そこで待機していろ」

 

 その黒のドラゴンはおもむろにレミエルに近づき、ぽんっと白煙とともに音を立てて弾けた。その煙の中から出てきたのは、赤のリボンで髪を束ねた短めの金髪で、右眼が金で左眼が赤、そして左腕が竜の腕で、右手に二股の槍を握った少女だった。

 

「クラリッサ? クラリッサなの?」

 

「ああ。しっかし変わったねえ、レミエル。白黒金と紫金の翼といい、目といい、その格好といい、口調といい。ま、それだけ修羅場をくぐってきたってことか」

 

 クラリッサが笑顔でレミエルの背中を叩く。素直に友との再会を喜んでいるのが、レミエルにはよく分かった。

 

「さて、再会の喜びを分かち合ったところで、色々聞かせてくれ。魔女王からあんたらに協力しろと言われててな。この状況になった経緯は分かってるんだが、戦況はどうなってるんだ?」

 

 レミエルは、クラリッサが十分信じるに値すると考え、レミエルの把握している限りの戦況を告げた。クラリッサは何度も頷いて聞いていた。レミエルが告げ終えると、クラリッサは真面目な顔つきで言った。

 

「なるほど、秀が一緒にいなかったのは喧嘩したからじゃないんだな」

 

 レミエルはこけそうになった。空中だが。

 

「何真面目な顔でミーハーなこと言ってるの! そんなこと言ってる場合じゃないよ!」

 

「はっはっは。悪い悪い。何、ちょっとした冗談さ。私みたいな戦闘狂はこれくらいの気楽さがちょうどいいんだ」

 

「戦闘狂って自分で言うかな……」

 

 レミエルは呆れながらに呟いた。そして、連絡用の携帯電話を取り出して、この作戦の指揮官であるマユカに繋いだ。クラリッサに聞かせるために、音量は最大にしてある。

 

「ええと、黒の世界の人たちがこちらの味方をしてくれるそうだけど、どうする?」

 

「ええと、今から作戦に変更を加えるのは難しいので、遊撃部隊として自由に行動させて下さい。他方の部隊にもそう言ってあります」

 

「という訳だけど、お願いできるかな?」

 

 レミエルは電話を切ってクラリッサに尋ねた。クラリッサはすぐに大きく頷いた。

 

「もちろんだ。でもジークフリードには合流させてくれ」

 

 クラリッサの頼みを、レミエルは快諾した。それでクラリッサが軍団をまとめて離れていくのを見送ると、レミエルは高度を上げた。青蘭島の戦況を目で確かめるためだった。だが、青蘭島全域が見えるところまで上がったところで、レミエルは愕然とした。――青蘭島は、すっかり閑としていたのだ。

 

        ***

 

 秀は、港を目指す一行の先頭を守っていた。とはいえ、忍の襲撃以降は不気味なほど静かになっていたので、ただ単に歩くだけであった。先の戦いの激しさに加え、誰も言葉を発せぬこの空気に、秀が辟易し始めていた頃合いだった。黒の世界の門が光ったと思うと、銀色の竜を筆頭とした竜の編隊が、秀たちの前に現れたのだった。その銀竜の持つ紅と碧のオッドアイに、秀は微かな懐かしさを感じた。

 

「久しいですね、秀君」

 

 その銀の竜が、爽やかな男性の声を発した。その声で、秀はその竜の正体を悟った。

 

「お前、銀色か! しかし、よくテリオスを装備した俺が分かったな」

 

「あなたの匂いがよくしたので、けったいな鎧をつけていても分かりましたよ。しかし、久しぶりの再会というのに、銀色呼ばわりですか。私は少しい悲しいですよ」

 

 ジークフリードはぽんっと弾けて銀髪の青年の姿になると、秀に歩み寄った。

 

「一番偉い人はどこですか?」

 

「あそこにいるが」

 

 レミエルはアイリスを指差した。するとジークフリードは懐から封筒と思しきものを取り出しながら、アイリスに近づいた。

 

「魔女王ミルドレッドから、書簡を預かっております」

 

「今見てもいいですか?」

 

 アイリスが尋ねると、ジークフリードはもちろん、と快く頷いた。それでアイリスは一旦休憩を取ることにして、その封筒を丁寧に開け、折りたたまれた手紙を取り出した。彼女は無表情でそれを読んでいたが、やがて読み終えたのか、アイリスは手紙をゆっくりとたたみ直した。その時、彼女の目は若干ながら見開いていた。

 

「何が書いてあったんだ?」

 

 秀がアイリスに訊いてみると、アイリスは虚空を見つめながら答えた。

 

「こっちに味方したいってことと、島民の皆さんを黒の世界に避難させたいって。白の世界では非公式になるから何かと不便だろうって」

 

 秀は驚愕した。青蘭島の港から、青蘭島付近の無人島に造られたマスドライバーに住民を運び、白の世界の門に飛ばすという行程は、秀を含む作戦を立案した者しか知らぬことで、港に着いたらアイリスたちに告げるという手筈になっていたのだ。

 しかしそのようなことは一切知らぬアイリスは、作戦の最高責任者であるマユカにそのことを尋ねていた。少し長引いていたが、やがて電話を終えて、アイリスがジークフリードに告げた。

 

「あなたたちの申し出を受け入れます。なお、黒の世界の軍は遊撃部隊として行動してくださいとのことです」

 

「分かりました。では」

 

 ジークフリードが指を鳴らすと、彼が率いてきた竜の部隊の前に、突如として魔法陣が現れたと思うと、一辺の長さが2メートルほどの立方体で金属製の箱が現れた。

 

「島民の皆さまはここはお入りください。外から見ればかなり狭いですが、中は魔法で空間を捻じ曲げてあるため、島民の皆さま全員が入っても十分な広さがありますし、魔女王謹製の物ですから、安全性も、外部からの攻撃にもバッチリです」

 

 そう言って、ジークフリードは一旦そこに入って出てみせた。それを見て住民は安心したのか、女子供と老人を優先して、順に順にと入っていった。全員が入るのを待つ間、秀は周囲を警戒しながらジークフリードと話すことにした。

 

「こっちの作戦、どうやって知ったんだ?」

 

 秀が単刀直入にそのことを訊くと、ジークフリードは首を横に振った。

 

「私も、先ほど始めてあの書簡の内容を知ったのです。魔女王から私が受けた指令は、ただあなた方を助けてあの書簡を渡せ、ということのみでした」

 

「ごめん、ミルドレッドに漏らしたのは私」

 

 話を聞いていたのか、シルトが申し訳なさそうに告げた。秀はテリオスを通して彼女を睨みつけるが、シルトの態度は変わらなかった。

 

「訳を知れば、ミルドレッドは馬鹿じゃないから助けてくれると思ったんだ。少しでも戦力の足しになればと思ってね。相談しなかったのは謝る。本当にごめん」

 

「反省の色がしっかり見えますから、許してあげましょう、秀殿。結果的には正解だったようですし」

 

 テリオスが諌めてくる。AI風情に諌められる自分に腹が立ったので、苛ついていることを悟られぬように、秀はできるだけ優しい声色でシルトを許す旨のことを言った。

 

「優しいね、秀は。怒ってくれたっていいのに」

 

「サナギには言っておけよ。あいつも混乱してるだろうから」

 

「うん、分かったよ」

 

 シルトは秀たちから離れてから、無線機を取り出して何やら話を始めた。すると、秀とシルトとの話が終わるのを待っていたかのように、ジークフリードが秀の肩を叩いてきた。

 

「浮気とは感心しませんね。そういえばレミエルさんもいませんし。そちらの緑のお嬢さんが可愛らしいのは分かりますが、節操を持った方がいいと思いますよ」

 

「違うに決まってるだろうアホが。レミエルと別行動なのは作戦上の問題で、普段はちゃんと仲良くやってる。リーヴェリンゲンはただの戦友だ。そう言うお前こそクラリッサはどうしたんだ」

 

「冗談に本気で噛みつかないで下さいよ。ていうかなんね私がクラリッサさんといい仲みたいに言ってるんですか秀君は」

 

「え、違うのか?」

 

 秀がわざとらしくきょとんとして尋ねると、ジークフリードは呆れたように額を指で押さえた。

 

「違います。ただの幼馴染です」

 

「あ、そ……」

 

 ジークフリードは真面目な顔で返してきた。彼も大概、冗談が通じないようだった。

 

「話は終わったかい?」

 

 タイミングを計ったように、達也が話しかけてきた。

 

「達也? まだあれに入らなくていいのか?」

 

「若い男衆は最後に入るということになってるからね。まだ時間的には余裕なのさ」

 

 微笑しながら、達也が肩をすくめる。しかし、すぐにその顔は暗く沈んでしまった。

 

「正直、僕は悔しい。警察官として柔道や剣道の心得があっても、兵士としての技能は皆無だから、何も手を貸してやれない」

 

「達也……。お前は、アイリスの思想に共感するのか?」

 

 達也の言葉を聞いてそう感じた秀は、思い切って訊いた。すると、達也は儚げに笑った。その笑顔を見て、秀は、彼が本土の家族と連絡を取り合う姿を一切見たことがないことに、はたと気がついた。

 

「僕をはじめとして、この島に移住した人の大半は、一度故郷を捨てた人たちだ。もう一回や二回故郷を捨てることにためらいはないよ。それに、アイリスさんのしてくれたことを考えれば、彼女が作り直す世界というのも、いいかもしれないしね」

 

 達也は、儚さはあれど清々しい笑みを浮かべていた。秀は達也の言ったことで少しほっとしていた。達也の言葉が島民の心の代弁だとするなら、秀たちのしようとしていることは、少なくとも青蘭島の人たちには受け入れられるということだ。勝手に戦いに巻き込んでしまったことも、少しは許されるかもしれない。

 

「話を戻すけど、僕は何かの形で君たちの力になりたい。何をしたらいい?」

 

 達也の問いに、秀は少し考え込んでから、達也の目をまっすぐに見つめて答えた。

 

「陳腐な言葉だけど、生きて、応援してくれ。他のやつはどうか知らんが、俺はそれだけで十分だ。養父に多くを求めるつもりはない」

 

 秀は少し気恥ずかしかったが、勇気を持って告げた。誤魔化したようなことを言いたくなかったのだ。

 秀の言葉を聞いた達也はしばらく目を丸くしていたが、やがて表情を和らげた。

 

「ありがとう。そうするよ」

 

 達也がそう言った直後くらいに、若い男性の集団が動き出した。

 

「じゃあ、僕はこれで失礼するよ」

 

 達也は手を振って、名残惜しそうに秀から離れた。秀も達也ともっと話していたかったが、我が儘は言えなかった。

 

「秀君、さっきの人は?」

 

 達也の姿が小さくなると、ジークフリードが尋ねてきた。

 

「俺の義理の父親だ。養子縁組をしたのはつい最近だけどな」

 

「あの人もそうでしたが、他の島民の人たちも、アイリスさんを信用しているように見えます。今のアイリスさんの姿もですが、T.w.dのあの時の戦いからしたら、到底考えられないことです」

 

「どうもアイリスは、ここでは人心掌握を第一に考えていたそうだ。赤の世界の時もかなり横暴に戦争を仕掛けてきたが、あいつの元に来て分かった。アイリスの不器用さが、戦いのスタイルに現れているだけみたいだ。直情的で横柄だが、根は優しいやつだよ、あいつは」

 

 

 秀は、これまでに見てきたアイリスの姿を思い出しながらそう言った。リーダーとしての人格は至らないものがあるが、それでも彼女なりに努力していた。それはT.w.dに入ったこの一週間で、秀はよく分かっていた。ただ、彼女が中心になって組織を取り仕切るには向いていないというだけだ。

 

「まあ、少しも人徳が無ければ秀君みたいに付き随う人もいないでしょうしね」

 

 ジークフリードが納得したちょうどその時、黒い竜が竜の部隊を率いて飛来した。

 

「おお、クラリッサさん。そちらはいかがでしたか?」

 

「レミエルと会ったよ。あと、こっちに来るついでに上空から偵察してみたけど、都市部だけじゃなくて、青蘭学園の裏側から広がる森にさえ敵が見当たらない。正直言って不気味だ」

 

 ジークフリードがその黒竜に話しかける。彼の口から出たその名と黒竜が発した声に、秀はへえ、と少し目を丸くした。

 

「クラリッサも来ていたのか」

 

「そうだよ。久しぶりだね、秀」

 

 クラリッサは秀の前に降り立つと、ぽんっと弾けて白煙と共に人間の姿になった。

 

「豪勢な鎧を手に入れたもんだねえ。早くその鎧の下のダチの顔を見たいもんだ」

 

「俺も見せたいが、まだ戦いが終わったわけじゃないからな。テリオスを取るわけにはいかないさ」

 

「へえ、テリオスっていうの。こういうの、カッコよくて好きだよ」

 

 クラリッサはテリオスにベタベタと触り始めた。テリオスを通してクラリッサに触られる感触を感じて、秀は嫌な気分がしてきた。興味津々な彼女の気分を害するようなことはしたくなかったが、このまま彼女を放置するのも耐えられそうもなかったので、彼女を諌めようとするが、秀よりも早くテリオスが声を上げた。

 

「あの、止めて頂けますか?」

 

 短い言葉だったが、その中にテリオスの不快感が凝縮されていた。流石にクラリッサも触るのを止めて距離を置いた。

 

「ごめんよ、無配慮で。ところであんたはその鎧のAIか何かかい?」

 

「そうですが、何か?」

 

 テリオスはあからさまに嫌悪感を示していた。無理もないことであったが、クラリッサは困ったように頭を掻いていた。

 

「嫌われちゃったなあ」

 

 残念がるクラリッサに、秀はため息をついた。

 

「当たり前だ。俺だって嫌だったし」

 

「あれ、そうだったか? ごめんごめん」

 

 秀に対してはあまり反省していないようだった。いくら友人とはいえ、AIよりも扱いが下なのは不満だったが、それを指摘するのも億劫だったので、秀は何も言わないことにした。ちょうどその時、島民全員があの箱らしきものに入ったため、ジークフリードが部下と思しき人物に呼ばれた。

 

「では、島民の皆さんの収容も済んだようなので、私は護衛の任につきます。すぐ戻りますが、御機嫌よう」

 

 ジークフリードはそう言って、竜の姿になって隊列に戻った。ジークフリードが着くと、島民を入れた箱が一匹の竜の背中に乗せられる。その様が、秀にはまるで大船に載せられた積み荷のように見えた。

 

        ***

 

 マユカは、第二司令室の本来アイリスが座るべき椅子に腰掛けて、流れる汗を拭うことなく、青蘭島の地図を睨んでいた。アルバディーナ派の姿が、全く見えなくなってしまった。フィアを隊長とした偵察部隊を未開発の森林地帯にも何度か出動させているが、姿どころか形跡ひとつ掴めていない。青蘭学園内の監視カメラにも、アルバディーナ派の姿は捉えられなかった。世界水晶の部屋に入るための扉はシャティーたちが守っているが、彼女らからの報告も無い。アルバディーナらはまさしく忽然と、姿を消してしまった。

 楽観的に考えれば諦めて何処かの支部に撤退したということになるのだが、マユカは不安で仕方がなかった。

 

(あの狡猾な副総帥がこれで終わるはずはない。何か、何か無いの……?)

 

 マユカは時に監視カメラからの映像を凝視し、時に書類にまとめられた報告をひとつひとつ確認し、何か手がかりがないか隈なく探した。が、何ひとつ足取りをつかめるような手がかりは見つけられなかった。

 本当に撤退したのかな――マユカがそう思い始めた時だった。声が聞こえた。か細く、幼子のような声。しかし、何を言っているかははっきりと聞こえた。たすけて、たすけて。そう言っている。かつてよく耳にした声。その言葉が何を意味しているかは、考えるまでもなかった。マユカは殆ど反射的に、通信をシャティーに繋いだ。

 

「シャティーさん! 部屋に突入してください!」

 

「分かった」

 

 シャティーは短く返事をした。しかしすぐに、彼女の早口気味な声が、マユカの耳に飛び込んできた。

 

「ダメ、開かない! 内部から閉じられてる!」

 

 マユカは息を飲んだ。シャティーの言葉は世界水晶がアルバディーナの手に落ちたことを意味する。動悸が早くなり、鬱陶しいほどの手汗が分泌される。マユカはパニックに陥りそうな自分を必死に抑えて、秀とリーナに回線を繋いだ。

 

「世界水晶の部屋に行ってください! 今すぐに!」

 

 マユカは二人の返事を待たずに椅子に体を投げ出した。そして、気がつけば手を組み、天に掲げていた。まるで神に祈るかのように。

 

        ***

 

 マユカの通信を受けた秀は、リーナの行動を待たずに、テリオスに指令を出す。

 

「世界水晶の部屋に飛ぶぞ、テリオス。やれそうか?」

 

「敵に集中すれば大丈夫かと」

 

「分かった。跳躍!」

 

 秀の掛け声で、一瞬だけ周囲の光景が歪む。しかし次の瞬間には、世界水晶の部屋の中にいた。秀は肉眼で辺りを見回すが、人影はひとつも見当たらなかった。そして、秀はかなりの閉塞感を感じていた。その感じに、秀は懐かしさのようなものを感じた。全く同質とは言えないが、初めてジュリアと戦闘した時に張られた結界と同じようなものだ。これなら、シャティーらが突入していないのも頷ける。そこは納得したので、改めて索敵するが、やはり見つけることはできなかった。

 

「いない、のか?」

 

「いえ、います。かなり素早く動き回っているため、どこにいるとは言えませんが」

 

 秀は、アルバディーナのエクシードが虫に変身するものだということを思い出した。それで、秀はテリオスの力を活かして視力と動体視力を臨界まで引き上げた。すると、世界水晶の周りを動き回る一匹のノミを見つけた。

 

「テリオスバレット! あのノミに照準を付けろ!」

 

 秀がそう叫ぶと、急にそのノミが溶け出し、巨大なカメムシに変わった。そしてその瞬間、背後に多数の人間の気配を感じた。

 

「どうやら、隠蔽魔法で部下を隠していたようですね」

 

「分析してる場合か。ガトリングを肩に、バレットをサブアームに。ブレードを二本出せ。応戦するぞ」

 

 秀はカメムシとなったアルバディーナは無視して、後ろの大人数のアルバディーナ派に目を向ける。すると、部屋全体にアルバディーナの声が響いた。

 

「世界水晶を見捨てるとはね。何か策があってのことかしら」

 

「よっぽど自信があるようですね。副総帥、いや、アルバディーナ!」

 

 アルバディーナの上の空間に亜空間の扉が開き、リーナの声とともにジャッジメンティス改が現れた。

 

「ジャッジメントナッコォ!」

 

 そのままジャッジメンティス改の拳をアルバディーナにぶつけようとするリーナだったが、すんでのところでアルバディーナが溶け、ジャッジメンティス改の拳が空振りに終わった。

 秀の方はというと、シェルターの時と同じように不規則な動きで高速移動しながらテリオスバレットとガトリングで弾幕を張り、水晶に近付けさせまいとしていた。しかし、敵も同じ手は食わないとばかりに、防弾仕様のボディーアーマーで固めて前進してくる。

 

「銃がダメなら接近戦だ。テリオス、ガトリングとバレットを収納して、サブアームでもブレードを使え!」

 

「了解です。背中の敵は私が対処しましょう」

 

 秀は敵の一人に狙いをつけ、真っ直ぐに吶喊していった。しかし、敵は進路を変えない。そのまま真っ向から歩いてくる。

 最初に接敵した時に斬りつけるが、装甲がかなり重厚なのか、ボディーアーマーに傷がついただけだった。

 

「秀殿。普通の斬撃では無理です。パニッシャーを応用しましょう」

 

「そうか、分かった」

 

 テリオスの助言に従い、秀はテリオスフィールドをブレードの刀身に纏わせる。

 

「これなら!」

 

 秀は先ほどの敵にもう一度斬撃を加えた。インパクトの瞬間に、ボディーアーマーが粉々になった。すかさずその体を袈裟斬りで斬り裂くと、次の敵に狙いをつけ、同じように倒す。しかし、敵も黙ってやられるばかりでは無かった。隊列を崩して広く散開し、手に何かを持って水晶に猛然と突っ込んでいった。

 

「テリオス、何だあれは?」

 

「今分析が完了しました。あれは中に呪いを封じ込めたカプセル型の結界です。呪いを世界水晶に直接注入する気でしょう」

 

「だったら潰すまでだ!」

 

 秀は最も近くにいた敵に狙いをつけ、テリオスがまずボディーアーマーを砕き、秀が斬るというコンビネーションであっという間に倒すと、次の敵に目をつける。しかし、いくらコンビネーション攻撃と高速移動を駆使しても、散らばった敵全てを漏れなく倒すことはできなかった。リーナは、今度は巨大な蝿に変身したアルバディーナとの戦闘に手間取っていて、秀の漏らした敵に構う暇などなかった。

 秀の奮戦も虚しく、遂に一人の敵が当に世界水晶に接触せんとしていた。秀が眼前の敵を相手し、テリオスがサブアームからブレードを投擲するが、難なくかわされてしまう。もうダメか――秀が敗北を覚悟した時だった。

 

「時間、停止ッ!」

 

 聞き慣れた声が響いたと思うと、秀とリーナを除く、その場の全員の動きが声の瞬間と同じ状態で停止した。声がした方を向くと、そこには秀にゆっくりと歩み寄るあずさと、ユノの姿があった。

 

「お前たち、どうしてここに!?」

 

「話はあと! 今の内にさっさと全滅させちゃいなさい! あんた達だけを動けるようにするのってすごく疲れるんだから!」

 

 あずさが秀に怒鳴りつける。秀はあずさの言葉の通り、世界水晶に最も近い敵に斬りかかる。だが、その刃が敵に触れる前に、その敵に糸らしきものが伸びてきて、彼を釣り上げてしまった。

 

「何者だ!」

 

 秀は辺りを見回す。しかし、その目に姿は捉えられなかった。時間が止まっているからかテリオスが何も言わないため、秀が業を煮やしていると、リーナが声を上げた。

 

「秀、頭の上に何かいます!」

 

「あら、ばれちゃったの」

 

 どこかで聞き覚えのある声だった。その者が秀の前に姿を現わすと、秀は驚愕のあまり声を出すことができなかった。まるで思考が停止してしまったかのようだった。

 

「久しぶりね、元気にしてたかしら?」

 

 秀の目の前に、ジュリアがいる。整った顔立ち、青い瞳、ふたつ結びの金髪、小さな王冠に人形のもののような衣服。どれを取っても彼女で間違いない。秀はただただ驚くばかりだけでなく、恐怖も感じていた。かつて死んだはずの人間が目の前にいる。汗が額から滲み出て、動悸が早くなり、吐き気すら覚え始める。気持ち悪いこと甚だしかった。それはあずさとユノも同様だったようである。彼女らもまた茫然自失としていた。困惑する秀たちとは対象的に、ジュリアは楽しそうに笑いながら告げる。

 

「なんでレミエルが殺したはずのお前が生きてるんだーとでも言いたげな顔ね。せっかくだから教えたげるわ。ちゃんと死んでこの世への未練なくあの世へ行ったんだけど、なんやかんやあってゴーストとしてまた現世にまみえることになったのよ。まさか時間停止能力の影響まで無視できるとは思わなかったけどね」

 

「じゃあなんで俺たちに与しない? お前がT.w.dに入った理由を考えれば、普通そうだろう!」

 

 秀はなんとか平静を取り戻し、ジュリアに反駁する。すると、ジュリアは一瞬だけ笑みを崩し、すぐ表情を戻した。

 

「なんやかんやあって今は我が友、アルバディーナのお助け役なのよ。まあでも普通に考えたらあなたの言う通りだから、私は決して手を下すことはないわ。だから安心なさい」

 

 ジュリアは例の敵に伸ばしていた糸を切ると、今度は巨大な蝿となっているアルバディーナに糸を伸ばした。

 

「誤魔化すのめんどくさそうだしそいつら全員殺しちゃっていいわよ。あなたにとっても悪い話ではないでしょう?」

 

 ジュリアはそう捨て台詞を残すと、アルバディーナとともに姿を消してしまった。

 ゴミのように打ち捨てられたアルバディーナ派の兵士を見て、秀は彼らにすぐ手をかける気にはなれなかった。



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図南の鵬翼、苦悩の先に出した答え

 アルバディーナの見ていた風景は、青の世界水晶の大部屋から、いつの間にか夕焼けに燃える洋上のものに変わっていた。目の先には、うっすらと日本列島が見える。そして、背中のあたりを何かで吊られているような感覚もある。アルバディーナは訳もわからず、眼前の光景を何度も何度も確認し、大声で喚き散らした。

 

「これは一体どうしたことなの!?」

 

「あら、時間が動き始めたようね」

 

 頭上から、いつもの調子のジュリアの声が聞こえた。アルバディーナは元の人間の姿に戻って魔法で浮遊して、深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、ジュリアに説明を求めた。

 

「椎名あずさの介入があったのよ。それで時間が止まってね。ゴーストだからか知らないけど影響を受けなかった私が急行したのだけれど、助けられたのはあなた一人だけだったわ」

 

「そうだったの。それなら仕方ないわね。ありがとう、助けてくれて」

 

「元々私はあなたのお助け役だからね。このくらいはお茶の子さいさいよ」

 

 ジュリアは胸を張る。その姿を見て、アルバディーナはかなりの安心感を得た。ジュリアがいなければ、あそこで自分は死んでいたかもしれない。蜂起初日でリーダーが死ぬなど、言語道断だった。

 

「これからどうするの、アルバディーナ」

 

 ジュリアがアルバディーナの隣に来て尋ねる。アルバディーナは暫く考えた後、断腸の思いで決断した。

 

「これからT.w.d東京支部を本拠として、青蘭島に展開していた部隊を引き上げさせるわ。世界水晶への奇襲が失敗して、黒の世界が向こうについて、モルガナが重傷を負った今、青蘭島の軍勢を相手にする力は私たちには無いわ。青蘭島以外の地球の制圧を先に行う。青蘭島は、まあ、鶏肋というやつよ」

 

「冷静かつ妥当な判断ね。そう言うと思って既に各部隊に通達しておいたわ」

 

「私がこう判断しなかったらどうするつもりだったのよ」

 

「あなたが目標を達成することは無くなるから、ここで世界のために死んでもらっていたわね」

 

 ジュリアは平然と言い放った。顔は笑っているが、アルバディーナにはその裏が分かる。ジュリアの言は間違いなく本気だ。アルバディーナがジュリアに犯した罪は並大抵のものではない。彼女は助っ人でもあるが爆弾でもある。迂闊なことは何も言えない。

 だから、アルバディーナは作り笑いを浮かべて何にも気づいていないように振る舞った。

 

「冗談にしてはキツイわね。さ、そろそろ東京支部へ行きましょう?」

 

 アルバディーナはそう言って前に進む。その際にジュリアの表情を伺ってみたが、普段と同じく笑みを浮かべるばかりで、今度はその裏を読むことはできなかった。

 

        ***

 

 青蘭島からのアルバディーナ派と赤の世界の完全な撤退が確認されたため、秀たちはひと時の休息を得ることとなった。しかし全く脅威が消えたわけでもないので、交代制で見張りと巡回を行なっている。

 そのような中で、秀とあずさは、広い青蘭学園の校庭の中、二人きりで向かい合っていた。秀は今非番で、あずさは、ユノもそうだが、まだ立場がはっきりしておらず手持ち無沙汰な状況にあった。

 二人の顔を、夕焼けが真っ赤に染め上げる。二人とも遠慮し合っていて中々話し出すことができないようで、向き合っているとはいってもその眼は明後日の方向を向いていた。

 その光景を、ひとつの教室からユノとシャティー、レミエル、そしてリーナが見守っていた。

 

「中々いい絵ね。写真を撮りたいくらい」

 

 シャティーがそう呟くと、レミエルは元々眉間に寄っていた皺をさらに寄せ唇を尖らせてシャティーに噛み付いた。

 

「全然いい絵じゃないよ。私というものがいながら、あんなにデレデレして」

 

「レミエルの言う通りです。これは裏切りというやつです」

 

 リーナがレミエルの言葉に便乗して不満を漏らす。それで、ユノは首を傾げて訊いた。

 

「あれ、レミエルちゃんが嫉妬するのは分かるけど、なんでリーナさんまでも怒ってるの?」

 

「な、何でもいいじゃないですか。節操の無い人は嫌いなんです!」

 

 リーナは顔を真っ赤にし、声を大にして答えた。すると、レミエルがリーナを睨んで言い放つ。

 

「秀さんは渡しませんからね」

 

「何でそうなるんですか!」

 

 リーナが怒鳴ると、レミエルは勝ち誇ったような顔を浮かべて、リーナを小馬鹿にするように言う。

 

「私、知ってるんですよ? リーナさんが、達也さんの家で寝るときは秀さんの布団で寝てたってこと」

 

「だ、誰からそれを!?」

 

 リーナが狼狽える。そこにつけこんで、レミエルは先と同様の口調で続けた。

 

「秀さんから聞きました。別にいいがあまり好ましくないとも言ってましたね」

 

「な、なんと。そんなことを秀が」

 

「残念ながら事実です。現実とは非情なもの」

 

 リーナをいじめるレミエルを見て、ユノは引き気味にレミエルに話しかけた。

 

「レミエルちゃん、性格変わったね……」

 

「まあその、色々とあったんだよ。話すと長いけどね」

 

 レミエルは誤魔化すように笑った。ちょうどそのとき、会話に入ってなかったシャティーが、ぼそりと呟いた。

 

「あ、話し出した」

 

 その言葉で、三人、特にレミエルとリーナは一斉に秀とあずさに食いつくように見入って、耳を澄ませた。その様子を一瞥して、シャティーは一際大きいため息をついた。

 

        ***

 

「一週間くらいしか離れ離れだった期間がなかったのに、なんだか一年ぶりに話す気分」

 

 あずさは、そのような言葉から話を切り出した。しかし、この時もまだ、彼女は秀を直視できていなかった。

 

「そうだな。俺もそんな気がする」

 

 秀が頷きを返す。あずさは会話を途切れさせまいと必死に話題を探す。そこで、緊張のあまり大事な約束をすっかり忘れていたことに思い至った。

 

「ねえ、秀。約束の話、聞かせてよ」

 

 それを受けて秀は間を置かずに頷いて、落ち着いた口調で語り出した。

 

「俺がT.w.dに入ったのは、アイリスの思想に共感し、そしてそれが、俺の根底にあった、戦う理由を真に満たすものだと判断したからだ」

 

「思想っていうのは?」

 

「世界を造り直し、無理矢理に因習を打破する。簡単に言えばこれに尽きる」

 

「じゃあ、秀の戦う理由って?」

 

「あくまでそのときの話だが、俺と同じ目にあう人を増やさないためだ。だが今はそうじゃない。アイリスに言われたんだ。大それた理想を背負うなと。それは一番上の役目で、俺のような下の兵士が背負うものじゃないと」

 

「なら、今はどんな理由で戦ってるの?」

 

 あずさが何気なく尋ねると、秀は顔を背けて黙り込んでしまった。初夏の夕日に当てられるその暗く沈んだ横顔を見て、あずさは胸が苦しくなった。

 

「分からないんだ。今日は無我夢中で戦った。戦ってるときは、ただ奴らを撃滅することしか頭になかった。普通に考えれば青蘭島の島民の皆を守るためだろうが、それも違う気がするんだ。戦った結果そう見えるだけで、戦う根拠にはなってないと思う」

 

 顔を歪ませる秀に、あずさはかける言葉を思いつけなかった。レミエルであれば、かける言葉が分からなくても、恋人として彼に寄り添い慰めることは容易であろう。しかし、あずさはあくまで友として、彼に寄り添わなければならない。苦悩の末、あずさは言葉を絞り出した。

 

「ごめんね。あたしには、何も気の利いた言葉が思いつかない。定型文的に言えば、これからじっくり考えたらいいって言えばいいんだろうけど、明日の命も知れない身だものね」

 

「ああ。こんなことが戦闘中に頭をよぎったりしたら困る。だから一刻も早く見出さないと」

 

 今度こそ、あずさは完全に言葉に詰まってしまった。そのことを苦々しく思ったのか、今度は秀が話を切り出した。

 

「そういえば、カレンとセニア、アインスはどうなってる?」

 

「分からない。あたしとユノは赤の世界の軍の後ろにくっ付いて門を超えたんだけど、その時には三人ともいなくなっちゃってたから」

 

 あずさは秀が気を遣ってくれたことに感謝しながら、歯切れよく答えた。秀が相槌を打った後に、彼の意識があずさの向こうに移ったのに気がついた。

 

「秀、どうしたの?」

 

「いや、校門のところがちょっと騒がしいようだから、少し気になってな」

 

 あずさも、校門の方に視線を向けてみる。すると、そこにはマユカと、見覚えある四人組の人影があった。

 

        ***

 

 アイリスは、青蘭島から敵勢力が撤退したのが間違いないとされた時に、ようやくことの顛末を知ることができた。しかし、そのことについて何か考える暇は彼女には無かった。アイリスは今、カーテンを全て締め切った総統室で一人、デスクについて各国に対しての対応に追われている。青の世界のあちらこちらに潜んでいたT.w.dの構成員がアルバディーナに呼応して、一斉にテロ活動を始めたのだ。その件で、すぐに止めさせろだとか、青蘭島に攻撃を加えるぞとの脅しだとかがメールで殺到していた。

 それらに対し、アイリスは「今の我々に彼ら全員を抑える力は既に無いから、そちらで対処してくれ」という旨の返答を送った。納得される筈もないが、事実なのだから仕方がない。更にメールが大量に来るのも分かってはいたが、それでも苛立ちは抑えられなかった。

 

「あー、もう! いい加減にしてよ!」

 

 アイリスは机を思いっきり叩いていきり立った。立った時、アイリスはもう一度座る気がすっかり失せてしまった。暫く考えたのち、気分転換がてら外に出ることにした。

 早足で昇降口まで行くと、正門のあたりで何やら揉めていることに気がついた。アイリスは手で日差しを遮りながら、そちらに歩いていくと、そこには美海、ソフィーナ、ルビー、ユーフィリアの四人に詰め寄られるマユカがいた。特に、ソフィーナとルビーが詰問しているようだった。

 

「どうしたの、マユカ」

 

 アイリスがマユカの肩を門越しに叩くと、マユカは飛び上がって彼女に向いた。

 

「ア、アイリスさん!? どうしてこんなところに!?」

 

「ああいや、ちょっと休憩。で、この子達は何なの?」

 

「ええと、アイリスさんに会わせろとうるさくて」

 

 マユカは横目で美海たちを見ながら、眉間にしわを寄せて答えた。すると、ソフィーナが大股で近寄ってきて、アイリスを睨んだ。

 

「あなたがアイリスね?」

 

「そうだけど」

 

「あなたの目的は、一体何なの? 青の世界水晶が目的と言っておきながら、青の世界水晶を守ったって話だし」

 

 アイリスは、わざと大きなため息をついた。ソフィーナやルビーの、アイリスを見る目で分かる。彼女らは、アイリスが何を言っても噛み付いてくる。ならばいっそと、アイリスは素直に答えることにした。

 

「私たちの目的は、世界を造り直し、因習を打ち壊すと同時に、異変を解決すること。これで満足?」

 

「その世界というのは、どうせあなたに都合のいいものなのでしょう?」

 

 ルビーが軽蔑するように見下す。アイリスは全く予想通りの反応に、思わずこめかみを指で押さえた。

 

「もしあなたの私利私欲が目的になく、本当に私たちの世界を考えてのことなら、戦争をしなくても、訴えかければ実現できると思うのだけれど」

 

 ルビーがさらに続けてくる。その考え方の能天気さに、思わずアイリスは呆れた。

 

「そんなのただの頭おかしい新興宗教の言うことと大して変わらないじゃん。武器を持ったってそれは同じだけど、銃を持たない者が言うことと、銃を持つ者が言うことじゃ、少なくとも後者の方が耳に残るでしょ? そういうことだよ」

 

「そんなのダメだよ、アイリスさん。みんなが納得しなきゃ、異変が解決されても意味がないよ」

 

 美海が懇願してくる。その目はソフィーナやルビーとは違う。純真そのものだ。何も分かっていない。理想を振りかざすだけで、それが実現できる筋道のひとつも見つけられていない。所謂「頭がお花畑」といった感じに近いだろう。アイリスはそう確信しながら、あえて次のように告げた。

 

「じゃあ聞くけどさ、そんなこと言うならあなた達、そのみんなが納得する方法とやらを用意してあるんでしょ? ぜひそれについてご高説を拝聴したいね」

 

「それは、みんなで――」

 

「『みんなで考えましょう』って? それは先見を持った頭脳明晰な人を協議するに足る人数を集めて、彼らの出す数々の対案について考察しろってことだよね? でもみんなで考えろといっておきながら、あなた達はひとつの対案も持っていない。話にもならないね」

 

 アイリスは美海の言葉を遮り、嘲笑し小馬鹿にして言った。アイリスの言葉に反論する材料が無かったのか、美海達四人は黙り込んでしまった。

 アイリスは戻ろうとする前にここまでのやり取りを反芻して、ユーフィリアが何も言っていないことに気がついた。

 

「ちょっと、そこのアンドロイド、そう、ユーフィリア」

 

 アイリスは彼女に話しかけてみた。ボーッとしていたユーフィリアは、それでだいぶ体を震わせた。が、すぐに落ち着いて、アイリスに尋ねる。

 

「何でしょうか」

 

「あなたみたいなアンドロイドが一味にいながら、あんなゴミみたいな案がよく通ったなって。何か理由でもあるの?」

 

「いえ、特には」

 

 ユーフィリアは短く簡潔に言い切って答える。合理性を尊ぶアンドロイドらしいといえばそうなのだが、アイリスは、彼女の場合はそれとは違うような気がしていた。短い言葉の節々に、微かな苛立ちがあるような気もしていた。

 

「何を気にかけてるの? 心ここに在らずって感じだけど」

 

「何でもありません。不愉快です」

 

「そ。私は気分転換に出てきたのに能天気アホっ子四人衆と会話して不愉快だけどね」

 

 アイリスが嫌味ったらしく言い返すと、ソフィーナが門越しにアイリスの肩を掴んできた。横から差してくる夕日の眩しさにも関わらず、彼女は目を見開いてアイリスを睨んでいた。

 

「手を出したね。それは私の言葉を認めることだよ」

 

「あんたは、あんたは! どれだけ人を馬鹿にして!」

 

「そりゃこっちの台詞さ。あの程度の言葉で私を動かそうなんて、舐められたもんだよ」

 

 アイリスは肩を掴むソフィーナの手首を握ると、少しずつ力を加えていった。すると、ソフィーナはすぐに苦痛に顔を歪めて絶叫した。

 

「勉強して出直してきなよ。早くこの場を離れる意思を表明しないと、あなたの右手首から先が千切れるよ」

 

「分かったよ。もう去るよ」

 

 美海は即答する。ソフィーナは滝のように汗を流し激痛に苦しみながら、信じられないといった目で美海を睨むが、美海は首を横に振った。

 

「ソフィーナちゃんのそんな顔、見たくないから」

 

 美海が目に涙を溜めてそう言うと、ソフィーナの、彼女に対する視線が柔らかくなった。それを見て、アイリスはソフィーナから手を離し、彼女の肩を押して突き飛ばした。ソフィーナに慌てて駆け寄る美海らを尻目に、アイリスは踵を返した。

 

「私は戻るから。マユカ、後は頼んだよ」

 

 アイリスはマユカに背を向けて歩き出した。その後発せられたマユカの威勢のいい返事が、アイリスの耳朶を打った。

 

        ***

 

 秀はアイリスらのやり取りの一部始終を遠目から見ていて、思わず息を飲んだ。隣のあずさも、引き気味に目を丸くしていた。

 

「おっかないのね、アイリスって。あんなに可愛い見た目なのに」

 

「ああ。俺らに対しては優しいんだけどな」

 

「秀殿。談笑にふけってる暇はございません」

 

 急に、これまで一言も発さなかったテリオスが喋り出した。

 

「あのアンドロイドが気になります。あそこまで転移しますよ」

 

 テリオスがそう言うと、秀が何か言う前に、彼は校門の外に飛ばされた。秀がなんだなんだと混乱している間に、テリオスが既に校門から離れようとしていたユーフィリアに問いかけた。

 

「そこのアンドロイド。あなたに使われている技術は、この時代のものでも過去のものでもありませんね。一体何者ですか」

 

 ユーフィリアだけでなく、ソフィーナと、彼女に寄り添う美海とルビーも秀の方を向いた。

 

「秀さんの声ではありませんね。あなたこそ何なんですか」

 

 ユーフィリアが秀を見つめる。それを受け、秀はズボンの前ポケットからテリオスのデバイスを取り出した。

 

「喋ったのはこいつだ。俺には何のことか分からんが、コードΩ00に用があるそうだ」

 

「私はテリオスです。試作型人間用強化外骨格テリオスのOSにして戦闘サポートAIです」

 

「テリオス……?」

 

 ユーフィリアはその名を呟き、少し考え込むと、敵意を持たない、ただ訝しむような目でテリオスのデバイスに目を向けた。

 

「あなたの作られた時期は、EGMAが作られた時期とほぼ同時期ですか?」

 

「その通りです。もっとも、開発の経緯や私の目的などは私の未開放領域にあるようですが」

 

 ペラペラ喋っていくテリオスに、秀は不安になっていっていた。それで、彼は小声でテリオスに釘を刺した。

 

「おい。それくらいにしておけ。どこまで喋るつもりだ」

 

「殆ど判明していない私の情報など大したものではないでしょう。あのアンドロイドの正体を掴む方が先決です」

 

 テリオスはきっぱりと言い切った。そして、テリオスはまた秀の言葉を待たずにユーフィリアに問うた。

 

「して、あなたは何なのですか? まさか未来のものとでも言うのですか?」

 

 ユーフィリアは閉口した。しばらくそのままだったが、やがて諦めたのか、突っぱねるような口調で言った。

 

「そう、そうですよ。私は未来から来ました。もっとも、私が元いた世界線ではテリオスシステムもT.w.dも、この時代で活動してはいませんでしたがね」

 

 ユーフィリアの突然の告白に、秀やマユカだけでなく、美海とソフィーナ、ルビーも驚愕していた。そうしているうちに、ユーフィリアは踵を返して美海の肩を叩いた。

 

「行きましょう。美海さんたちには後で話します」

 

 促されるままに、美海たちが歩き出す。テリオスは何も言わない。そして秀とマユカは、彼女らを呼び止めることすら出来ず、ただ呆然と立ち尽くすのみであった。

 

        ***

 

 アイリスは大股歩きで総統室への道を歩いていた。リフレッシュのために外に出たはずなのに、より一層腹を立ててしまっていた。美海らに構えばあのような思いを抱くのは当然なのにと、アイリスは自分のことながら不思議に思っていた。何かが己の正常な判断を阻害している。そのような気もしていた。

 悩みながら総統室の扉を開けると、聞き慣れない声が飛び込んで来た。

 

「すまないな、アイリス総統。邪魔させてもらっているよ」

 

 アイリスは慌てて総統室の中を隅々まで凝視した。すると、客人用のソファに、一人の女性が座っていた。すらりと伸ばしたストレートの黒髪に、自信満々な風を感じさせる金色の双眸。そしてフリルの沢山ついた黒のドレスを着ている。

 

「だ、誰!? どうやってここに入ったの!?」

 

 アイリスはブルーティガー・ストースザンを召喚し、謎の女性と距離を取る。すると、その女性は立ち上がって、怖気付くことなくアイリスに近づいてきた。

 

「すまんな。尋ねたら誰も返事がなかったから、勝手に入ってしまった」

 

「詫びる前に言うことがあるでしょ」

 

 アイリスが睨みつけると、女性は何度も頷いて、飄々とした風で、

 

「それはすまなかった。私が何者かだな」

 

「そう。早く言ってよ」

 

「うむ。私は魔女王ミルドレッドだ。色々アイリス総統と話したいことがあったのでな」

 

 アイリスは開いた口が塞がらなかった。黒の世界の者からは、滅多に外に出ず、人との接触は最小限に留めていて、一部を除いてその姿を見ることはほぼ不可能だと聞いていた。しかしかなりあっさりと会うことができたので、アイリスは混乱するほかなかった。

 

「おい。私がここまで出張ったのがそんなに珍しいか」

 

「はっ!? なんで私の心の内が読めるの!?」

 

「見れば分かるさ。そんなことより、アイリス総統の野望について、頭の中が知りたい。質問攻めにするがいいか?」

 

「ああ……、そ、そうしようか」

 

 アイリスは、先ほどのこともあって、そのような話にはあまり気が乗らなかった。それも見抜いたのか、ミルドレッドが何があったか尋ねてきたので、二人ともソファに座ってから、アイリスは先のL.I.N.K.sの四人とのやり取りを話した。それを聞き終えると、ミルドレッドは急にこのようなことを言い出した。

 

「うむ、ソフィーナは追放だ」

 

 アイリスは目を丸くした。

 

「脈絡なさすぎでしょ! なんでいきなりそうなるの!?」

 

 アイリスが突っ込むが、ミルドレッドはけろりとした顔で答えた。

 

「脈絡ならあるだろう? 総統が言ったのが本当なら、あんな阿呆はダークネス・エンブレイスの恥晒しだ。ましてや奴は魔女王候補筆頭。そんなのが間抜けたことをぬかすのだから、追放されて当然だ。誰だったかな、あんなのを推薦したやつは。そいつも一緒にクビにしてやる」

 

 ミルドレッドが一人で盛り上がってきていた。いよいよ自分の世界に没頭し始めたミルドレッドの顔の前で、アイリスは手を振ってみた。すると、ミルドレッドはハッとして、ひとつ咳払いをした。

 

「すまん。アイリス総統を質問攻めにするのであったな」

 

「ああ、うん。そうだよ」

 

 アイリスはため息をついた。このミルドレッドの調子では、何かの拍子にまた自分の世界に入りかねない。しっかりとした対談ができるか心配だった。

 

「単刀直入に言うが、世界を造り直すことで因習を打破し、異変を解決するというアイリス総統の案に、私は全面的に賛成する。わざわざ赤の世界にそのための秘術を取りに行くという行動力も評価できる。ただ、いささか焦り過ぎたな。アルバディーナらの優秀な人材の離反を招いたのはかなり手痛いだろう」

 

 ミルドレッドの言葉は、アイリスの心にぐさりと刺さった。まだそのことについて少しも思考を整理できていないのに、改めて突き付けられると、アイリスは遣る瀬無い気持ちになった。

 

「だが安心しろ。アルバディーナたちが抜けた穴は、完全にとは言わないが、私たちが埋めよう。もっとも、そちらの傘下に入るのではなく、あくまで協力ということさせてくれ。こちらとしても面子を保ちたいのでな」

 

「それはどうも。それだけで十分だよ」

 

「そう言ってくれると助かる。さて、本題だ。そなたの目的を果たすためには世界中を巻き込むことになる。反発する人間の方が多いだろう。それをどうするんだ?」

 

 ミルドレッドの目は、好奇心に満ちているようにも見えるが、その目の奥は冷たかった。この問いで、アイリスを試すつもりなのだ。それで、アイリスはミルドレッドを見つめ返して答えた。

 

「言論をもって反対するなら言論で制す。武力をもって反対するなら武力で制す。私が新しい世界で必要とするのは、協調性を有して、そこで懸命に生きる努力ができる人だ。新しい世界に反発する人に、それができるとは全く思えないもの」

 

「及第点だな。しかし、そんな人間ばかりの世などつまらんだろう。競争も起きやしない。停滞した世になる」

 

 ミルドレッドはすかさず質問してくる。アイリスは彼女の論の綻びを追求するその姿勢に感心しながら、その質問に答える。

 

「もちろん私が言ったのは理想だよ。人間性なんて見分けられないもの。怠け者も一定数入ってくるに決まってる。そして、私は彼らを新世界で処罰する気は無い。理由はあなたの言った通りだよ」

 

「なるほどな。では次の質問だ。国はどうする? その場で作らせるか?」

 

 ミルドレッドの質問に、アイリスは少し答え方に迷ったが、胸を張って答えた。

 

「国は、旧世界のものを踏襲するつもりだよ。そして、気候や生態系が出来るだけ元の国と似通った土地を探して、そこに割り当てる。全部の割り当てが決まるまでは、今白の世界で建造してる方舟で我慢してもらうことになるけれど」

 

「ふむ。では次だ。新世界において総統が言ったようにすれば、戦争が起こるのは必至だろう。それでは因習打破にはならんのではないか? それはどうする?」

 

 アイリスは思わず苦笑いした。この質問はかなり意地が悪い。ミルドレッドのアイリスを見る表情からしても、目を見開いて、口角を上げている。この質問がアイリスの答えにもっとも期待していることは間違いない。

 

「私は、戦争は因習ではあるけど、世界に意味を持たせるために必要だと思う。それは旧世界も変わらない」

 

「ほお? どういうことだ?」

 

「まず、戦争に限らず、争いというものは、全ての人の考えが何もかも一致していれば起こらないものなんだ。でもそれだと前に言った通り、停滞した世の中になる。そんな世界で心から天寿を全うしたいと思う人は一人もいないだろうさ。それに、戦争が無ければ国が衰微もしないし発展もしない。戦争が無く、食べて、寝るといった生活しか知らなければ、その辺の畜生と何も変わらない。戦争がいつ起こるか分からないから、国々がこぞって戦争が起こらないよう努力したり、逆に戦争を有利に持っていくために工作する。どちらのためにしても、それで技術が発展し、経済が回ることで、世界が動く。そしてそれは知的生命体にしか出来ないことだよ。もちろん戦争は唾棄すべきものだ。だけど知性を持って生まれたんだ。知的生命体に相応しい生活をしなくちゃダメでしょう」

 

 アイリスが語る間、ミルドレッドは黙って聞いていた。そして語り終えた時、腕を組んでふっと笑って告げた。

 

「相当押し付けがましいところはあるが一理はあるだろう。及第点だ。考えなしに戦争反対とほざく連中よりは全然マシだ」

 

「褒められてるのかよく分からないんだけど」

 

「褒めてるんだよ。喜べ。まだ質問は続くがな」

 

 アイリスが露骨に嫌だと顔に書くと、ミルドレッドはくっくっくと笑いを漏らしながら言う。

 

「そんな顔をするな。次が最後だ。因習打破のための様々な術を用意していると思うが、その核となるものはなんだ?」

 

 アイリスは最後の質問だと安堵すると同時に、これもまた迂闊なことが言えないと不安に駆られていた。しかし、アイリスには話すしかない。腹を括って、堂々と語り出した。

 

「力を入れるべきは教育だと考えてる。特に道徳教育。その国の文化に合わせた上で、愛国心を芽生えさせるような。基礎としてそういう教育をしなきゃ、自国の足を引っ張る人間が沢山できてしまうと思うから」

 

「ふむふむ。まあ悪くはないな。どうやら総統には、まだ磨く余地はあるがまともな考え方は備わっているということが分かった。まあこれ以上は何も聞かん。精進したまえ」

 

 ミルドレッドはそう言うと、ソファから立ち上がってまっすぐドアに向かって、そのままドアに埋まっていった。無事に会話が終わったと安心していたアイリスにとって、この光景はあまりにショッキングであった。

 

「は、はあ!? 何それ!?」

 

「ん? ああ。私は壁抜けが出来るんだ。ドアに鍵がかかっていようと簡単に入れるぞ」

 

 ミルドレッドはけろりとして言った。アイリスは、ミルドレッドが鍵がかかっていたにも関わらず総統室にいた理由が分かってひとつ納得したが、それでも目の前の映像は気色悪かった。そのようなアイリスの心情を知る由も無いミルドレッドは、体を半分ドアに埋めた状態で振り返った。

 

「そうそう。言うのを忘れていたが、ジークフリードとクラリッサの竜族部隊をここに置いていく。彼らは好きに使ってくれて構わんぞ。それと、救援が必要になったらいつでも言ってくれ。ではさらばだ」

 

 そう言って、ミルドレッドは完全にドアの向こうに消えてしまった。一人残されたアイリスは、暫くぼーっとしていたが、無意識のうちにドアを開け、寮の自室に向かった。歩いている廊下の奥は、闇に包まれていた。

 

        ***

 

 夜七時頃、見回りを終えた秀は、食堂でレミエル、ジークフリードやクラリッサと共に夕食を食べていた。器用に納豆をかき混ぜながら、ジークフリードは話し出した。

 

「しかし、思ったより緩やかなのですね、ここは」

 

「そうそう。結構みんな仲良かったりあたしたちにもフレンドリーでびっくりしたよ」

 

 クラリッサも便乗して口を開く。それに、レミエルが苦笑いを浮かべながら答える。

 

「あはは、そうじゃない人がごっそり抜けたからね」

 

「ああなに、そういうことなの」

 

「うん。特に私なんか、初対面のそうじゃない人に暴力を受けそうになったからね」

 

 あの時は怖かったんだよー、と笑顔でレミエルは話す。その間、秀は無言で箸を動かして食事を進めていた。もう少しで食べ終わろうかという所で、隣のレミエルに肘で突かれた。

 

「秀さんも会話に入ってよ。午前午後は戦闘だったし、夕方はあずさと話してばかりで、ようやく話せると思ったのに」

 

「いや、タイミングが見つからなくてな。すまなかった」

 

 秀がどうしたものかと考えていると、後ろから肩を叩かれた。振り返ってみると、そこには書類の束を持ったカミュが立っていた。

 

「食事の途中で悪いが、これをアイリス殿のところに持って行ってくれないか? 私はこれからジャッジメンティスの調整をしなければならなくて暇が無いんだ」

 

「食事を終えてからでもいいか?」

 

「ああ。でも出来るだけ早く頼む。正式な文書で、アイリス殿のサインがいるからな」

 

 秀がその書類を受け取って中身を見てみると、それはジークフリードたちを受け入れるためのミルドレッドと読めるサイン入りの書類と、彼らの名が記載された名簿だった。

 

「今夜はもう会うことはないだろう。おやすみ」

 

 カミュはそう言うと、秀の額に軽くキスをした。秀はそれが嬉しくて、柔和な笑みを浮かべて言う。

 

「うん、おやすみ」

 

 秀が立ち去るカミュに手を振っていると、その手がレミエルに掴まれた。恐る恐るそちらに振り向くと、そこには満面の笑みとなったレミエルの顔があった。

 

「秀さん? あんなに優しいおやすみの声は聞いたことがないよ? それにさっきのキスはどういうこと?」

 

「秀君、やはり君は……」

 

「男の風上にも置けないな」

 

 ジークフリードとクラリッサからも、軽蔑の目が向けられた。しかし秀としては何も悪い事はしていないので、毅然として言い放った。

 

「あいつは俺の養母だ。そしてあのキスは家族愛によるものだ。それにあいつは達也と結婚している。断じてやましい事はない。ていうかレミエル、お前はこの辺の事情知ってるだろうが」

 

 秀の指摘に、レミエルは下手な口笛を吹き始めた。忘れていたのか知っていた上でやったのか。多分後者だろうと秀は踏んだ。

 

「ごちそうさま。じゃあ俺はアイリスに届けていくから」

 

 秀はご飯の残りを口の中に押し込んで水を飲むと、立ち上がって真っ直ぐに総統室へ向かった。しかし総統室は施錠されていた。校舎内の他のアイリスが居そうなところも探したが、彼女は見当たらなかった。

 

「となると寮か。めんどくさいところに」

 

「どうめんどくさいのですか?」

 

 テリオスが秀に尋ねる。これまで探していた時は黙っていたのに何故このようなことに反応するのかと秀はため息をついたが、戯れに答えることにした。

 

「あいつの部屋は、寮の最上階の四階の、ひとつしかない階段から登ったところから一番奥にあるんだ。まだ行ったことはないが、聞くだけでめんどくさく思えてくる」

 

「私の空間転移機能を使えばいいだけでは?」

 

 テリオスの指摘に、秀は固まった。思い返せば校舎内を歩き回って探した時も、そうすれば良かったのだ。何故思いつかなかったのかと情けなく思えてくる。秀は半ば怒り口調でテリオスに告げた。

 

「そうならそうと早く言え! 早く飛ぶぞ!」

 

「やれやれ、仕方ありませんね」

 

 テリオスが煽るように言いながら、空間転移機能を発動した。秀がテリオスに苛立つ間も無く、寮のアイリスの部屋の前に着いた。とりあえずドアノブを回すと、鍵がかかっていないことが分かったので、何も言うことなく開け放った。

 

「おお」

 

 目に飛び込んできた部屋の様子に、秀は思わず感嘆した。電気がついておらず暗がりの中なので詳しくは分からないが、壁がとにかく本がぎっしり詰まった本棚で埋め尽くされており、またそこに入りきらなかったらしい本が床に積まれている。そのような中で、人一人がやっと通ることのできる程の獣道のようなものがあった。

 秀は電気をつけ、本に触れないように注意してその獣道を歩き出した。そうしながら本の背表紙をざっと見る。背表紙からジャンルが分かるものだけでも、歴史、哲学、科学、地政学、軍事学、法学、人文学、経済学……。枚挙に暇がないくらい、古今東西あらゆる言語の、あらゆる学問の本が、本棚に収まっているものはジャンルごとに整理されて、そこにあった。青蘭学園の図書館で見たことのない本も多かったので、それがアイリス個人で所有しているものだということも分かった。

 秀は圧倒されていた。元は秀たちの寮の部屋と同じはずなのに、別世界のように思えてならなかった。図書館の看板を下げてもいいくらいだった。

 

「あれ、秀?」

 

 茫然自失としていた秀の目の前に、下着の上にワイシャツを一枚着ただけのアイリスが姿を現した。その格好よりも、全く彼女の気配を感じなかったことに秀は驚いていた。しかし自分の使命は忘れていなかった。すぐさま脇に抱えていた書類をアイリスに差し出した。

 

「これ、カミュが渡しといてくれって」

 

「ん」

 

 アイリスはぱらぱらと書類をめくり始めた。その間に改めて本の要塞を見回し、素直な感想を呟いた。

 

「しかし、すごいなこれは。個人でこんなに本を持ってるやつを俺は知らないぞ」

 

 すると、アイリスはめくる手を止めずに、さも興味なさげに話した。

 

「ああそれ? 正直もう邪魔だし、好きな本以外はいらないかな。欲しいなら何か持って行っていいよ」

 

「おいおい。いいのかそんなこと言って」

 

「だってもう全部覚えてて暗唱できるし。中身の考察も私が納得いくまでやったしね。覚えるだけじゃなくて、戯れに論文とかも書いてみたりしてるしね。数学とかだと幾つか独自の理論も見つけたし、フィールズ賞を取る自信もあるよ。まあそんなわけで、ゴミにするのが大変だから放置してるだけだよ」

 

 淡々と言ったアイリスの言葉に、秀は言葉を失った。大雑把に見ただけでも五千冊は軽く超えている。これを暗唱したり応用もできるというのだから、彼女が天才中の天才であることは間違いない。秀はアイリスを見直していたが、当の彼女は不服そうな顔をしていた。

 

「でもさ、どれだけ知識を身につけたって、意味無かったんだ。アルバディーナが入ってからさ、あの子の手腕で世界中に支部を置けるくらいの大組織に成長したんだ。それでトップの私もそれくらいやりたくなってさ、すごく小さな器を広げようとして、必死に勉強したんだ。気付いたらどの分野でも一端の学者レベルにまでなってた。でも、でも……」

 

 アイリスは、とうとう堰を切ったように泣き出した。しかし一定の理性は保てていたようで、物に当たることは無く、その場に崩れ落ちて泣いていた。

 

「私がどんなに知識を身につけても、私の愚かしさを実感するだけだった。感情的にかっとなったら後の祭り。冷静になるのが怖かった。なまじ知識が有ったから、私がやったことがどれだけ欠陥があったか良く分かったよ。アルバディーナに責められるのも当然だった。でも変に意固地な私だったから、あの子の前で過ちを認められなかった。自分でも屁理屈とわかる言い訳しか出来なかった」

 

「アイリス」

 

「秀も離反されて当然と思ってるでしょ。いきなり方針変えても大丈夫だろうみたいな、変な思い込みがあった。冷静に考えればあの子たちがキレるのは当然なのにね。それでいてこんな短気で自分をコントロールできないのがリーダーだからさ。無理もないね」

 

 アイリスは秀が声をかけるも、顔を俯けながら自嘲し続けていた。秀は初めて、アイリスの内面を知った。秀は身分としてはT.w.dの一般兵に過ぎない。本来ならトップの心情など知る由もない身分だ。アイリスもそれは重々承知しているはずたが、それでも彼女は吐露した。その意味を、秀は考えねばならないと思った。

 

「アイリス。何をしたら落ち着く?」

 

 秀は、とりあえずとしゃがんでアイリスと同じ目線の高さにして尋ねた。アイリスは、秀から目を逸らしたが、すぐに戻して答えた。

 

「お風呂に入ったら、多分落ち着くと思う。一人で不安になった時は、いつもそうしてた」

 

「分かった。じゃあそうしてこい」

 

 秀はアイリスの背中を軽く叩いた。アイリスは元気なく頷いて、ゆらりと立ち上がった。そして数歩歩いたところで、急に立ち止まった。

 

「一人は、やだな」

 

「分かった。じゃあレミエルか、カミュでも呼ぶよ」

 

 そう言って秀が携帯電話を取り出した時、アイリスはこのようなことを言い出した。

 

「秀じゃなきゃダメ。今の私を、秀以外の誰かに見せたくない」

 

「……分かった。一緒に入ろうか」

 

 背に腹はかえられぬ。そう考えて、秀はアイリスの言葉に従うことにした。立ち上がる前に、秀はテリオスのデバイスを取り出して、小声で告げた。

 

「いいか。嫌な予感がするから、これからの俺の言動を可能な限り全て、公正中立に記録しろ。絶対に私見を混ぜるな。いいな。分かったら返事をしろ!」

 

「了解しました」

 

 テリオスが肯定したので、秀は少しだけ安心して、脱衣所に向かった。そこで、秀はアイリスに先に入ることを勧められたので、アイリスの言葉の通り先んじて服を脱ぎ、タオルをしっかり腰に巻いて風呂場に入った。

 秀が体を洗っていると、背後で風呂場のドアが開かれる音がした。恐らくはアイリスが入ってきたのだろう。

 

「背中流すね」

 

 すでにこの時点で、秀は嫌な予感が的中したと思った。変な汗が滲み出てきた。そして秀がなんとなく予想していた通り、背中を流すとは言葉ばかりに、アイリスが秀の背中に体を押し付けてきた。しかもタオルを体に巻いている様子はない。肌や、小さな双丘の感触がダイレクトに伝わる。

 

「お前、何のつもりだ」

 

「まずは体の前面を洗おうと思って。ほらほら、タオル巻くなんて邪道だよ」

 

 先ほどの暗く沈んだアイリスは何処へやら、すっかりいつもの調子で秀のタオルに手をかけてきた。その手を、秀はがっしりと掴んだ。

 

「随分元気になったじゃないか、ええ?」

 

「風呂入ったら元気になるって言ったじゃん」

 

「だからといってそこまでなるか普通。あと俺のタオルを取ったら俺は出て行くからな」

 

 秀がそう言うと、アイリスは非常に残念そうに手を離した。しかし依然として体を密着させたまま、秀の体の前面に、素手で石鹸を伸ばしてきた。

 

「スポンジとかは使わないのか」

 

 秀はやめろ、という意を含ませて言った。しかし、アイリスは全く気にも留めずに石鹸を伸ばし続ける。

 

「スポンジは肌に悪いんだよ。ちゃんと素手で洗ってあげたほうがいいの」

 

 アイリスはそのまま、秀の体の下の方に石鹸を伸ばしていき、やがてタオルの下から手を突っ込んできた。秀はすかさずその手を掴む。

 

「いい加減にしろよ」

 

「私はこれまで沢山見てきてるから大丈夫だよ。ビッチって意味じゃないけど」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 秀が怒鳴ると、アイリスはしょんぼりとして手を離した。このような調子で、体を洗うアイリスから仕掛けられる誘惑に全て耐え切ると、いよいよ浴槽に入ることになった。その際、秀は浴槽のへりに体を向けて、壁に体を寄せた。

 

「こっち向いてくれないの?」

 

「当たり前だ!」

 

 甘い声色のアイリスに対して、秀は言い放つ。すると、アイリスは背中から抱きついてきた。紅潮したアイリスの横顔が真横に現れる。秀は思わず目を逸らした。

 

「せめて顔は見させてよ。せっかく一緒に入るのにさ」

 

 アイリスのその声は、風呂に入る前の調子に戻っていた。それで、秀は観念してアイリスに向いた。アイリスの顔はやはり赤かったが、その表情は沈んでいた。

 

「私が食人鬼だってことは、秀って知ってたっけ」

 

 おもむろに、そのようなことを訊いてきた。秀が頷くと、アイリスは秀から少しだけ視線を逸らした。しかし、秀を抱く力は強くなっていた。その状態で、アイリスは語り出す。

 

「私の食人は、カニバリズムとかから来たものじゃないんだ。種族的な問題。なんか元はエトランジュで、黒の世界で魔法の人体実験の末に、食人鬼になってしまった奴隷たちが緑の世界に迷い込んだ子孫だとか。これはお母さんから聞いた話だけど、まあとにかくそんな事情なんだ」

 

 アイリスの言葉に、感情はこもっていなかった。学校の授業のように、ただ淡々と語る。その声が風呂場という密閉空間の中で反響するため、妙に秀の耳に残った。

 

「元がそんなだから、中途半端なんだよね。別に人間を食べないからといって餓死するわけじゃないし、普通の人と同じ食事が出来るんだけど、でもそれだと効率が悪いのと、何でか——私はそういう呪いだと思うんだけど、長期間人を食べずにいると、段々元気が無くなっていくんだ」

 

 アイリスは一旦そこで打ち切ると、俯きがちだった顔を微妙に上げた。

 

「私が緑の世界で住んでたところは、森の中だった。緑の世界の中じゃかなり珍しい大森林だった。何でそこに住んでたかっていうと、私や、私の家族が人間に迷惑をかけたくなかったからさ。森の中には人は住んでなかったからね。それでも迷い込んだりすることはあって、そういう人たちは近くの人間の集落まで送ってあげた。私たちが人を襲ったのは、説得を繰り返しても、私たちに対して危害を加えてきた人だけ。でも、そういう所だけが噂されて、統合軍の討伐隊が組まれて、家族は私を残して全滅したの」

 

 アイリスの声は、いつの間にか泣きそうなものに変わっていた。しかし、秀には何か言うことができなかった。ただただ、話し終えるまで黙って聞くのみだった。

 

「ほんと意味分かんないよ。私たちは殆ど人間に害を与えなかったし、殆ど近親相姦で繋いできた種族だったから、放っときゃそのうち死滅してたのにさ。秀に私の考えを話した時、自然に謙虚になんて言ったのはそう言う理由。ま、日本人のあなたにはそんな事言う必要無いと思うけどね」

 

 アイリスは薄ら笑いを浮かべていた。しかしその声は涙声であった。

 

「生き残った私は、かつて私たちが助けた人たちの縁を辿って、レジスタンスを組織した。世界を壊すという意味を込めて、T.w.dってね。まあ他の世界に進出してからいつつのって意味を加えたけど。まあそんなことはどうでもよくて、そのレジスタンス時代からのメンバーの生き残りが、今の特殊隊。マユカがこっちに来たのは第一次ブルーフォール作戦が失敗してからだから、あの子だけは例外だけど。特殊隊じゃないのはアルバディーナが参入してから入った人たちだね。アルバディーナが、緑の世界の外から入った初めての子だったし」

 

「そうなのか」

 

「うん。どこから噂を聞きつけたかは知らないけどね、緑の世界が青の世界と接続した直後くらいに接触してきたの。T.w.dが馬鹿でかくなったのはそれからさ。私が直接勧誘した子もいたけど、それから入ったのは殆どがアルバディーナの手腕によるもの。組織改革もあの子主導で行われた。今まで適当だったのを色々規則化してね。私も部隊を指揮して統合軍を手玉に取った経験はあるからそういうのが必要だってのは分かってたけど、みんな言わなくてもやれてたからね。信頼しあってたもの。でも組織が大規模になると、私と接点の無い新規参入組には必要になってきた。それで辣腕を振るうあの子を見て、勉強しようって思ったわけ」

 

「それでさっきの話に繋がるわけか」

 

 アイリスは弱々しく頷いた。そして、秀を抱く力が少し弱まった。

 

「みんなの前じゃリーダーとして振る舞わなきゃいけないから余裕ぶってたけど、本当の私はこんなだよ。家族がみんな死んじゃったのがトラウマになって、仲間を失うことを極度に恐れるようになって、今この瞬間も、残ってくれたみんながいなくなっちゃうんじゃないかって被害妄想じみた思考もしちゃうんだ。これまではアルバディーナが相談役になってくれてたんだけど、もうあの子がいないから」

 

 アイリスの手が秀から離れた。風呂水が大きな音を立てる。どうやら、アイリスが立ち上がったようだ。

 

「じゃ、私は先に出るね」

 

 アイリスが浴槽から出て、湯の見かけの体積が減少する。秀はアイリスの裸体を見ないように、アイリスに背を向けた。暫しの間互いに無言だったが、やがてアイリスが話し出した。

 

「ねえ、秀。秀やみんなは、私のことをどう思ってるのかな」

 

「全権を委ねるに足る器じゃない。これは俺たちの総意だ」

 

「そう、そうなの」

 

 アイリスの声に抑揚はなかった。しかし、彼女が悲しみの淵に立っているのは、容易に想像がついた。しかし、それは予め言っておかねばならないことであったし、アイリスの反応も、秀は予測済みだった。

 

「だけど、掛け替えのない存在で、誰がなんと言おうと俺たちのリーダーだ。皆そう思っている。だから俺たちは命を懸けて、アルバディーナたちからお前を守ったんだ。お前に何も言わなかったのは悪いと思っている。けどそれは、お前のことを考慮した上でのことだ。それは分かってくれ」

 

 秀が言い終えた後、アイリスはすぐには返事を返さなかったが、やがて弾んだ声で返答した。

 

「そう、そうなの」

 

 言葉の字面は同じだが、アイリスの言葉に込められた感情は、先ほどとは明らかに異なっていた。

 

「お前が全員の理想を飲み込むとしても、全権を担う必要はない。せっかくカミュを始めとした優秀な人材がお前の元にいるんだ。嫌になるくらいこき使ってくれ。皆、喜んで協力してくれるはずだから」

 

 秀がそう告げると、風呂場のドアの方から物音がした。アイリスがそれに手を掛けたようである。

 

「ありがとう、秀。私、もっとみんなを頼ってみる。そしてやり遂げるよ。世界を作り変える秘術はこの手にあるし、もう止まれないからね」

 

「いいのか? 俺にしか意見を聞いてないだろう」

 

「いいの。反対されたらその時に考える」

 

 それからドアが開けられて、アイリスが出る。彼女の声は、いつもの調子に戻っていた。しかし、疑問は残った。誰が何に反対するのだろうか。そのことを考えながら、アイリスが服を着終わったかを確認してから、腰のタオルを外して絞って、風呂場から出た。

 秀が服を着終えて、そこにあったドライヤーで髪を乾かしてから脱衣所を出ると、そこにネグリジェ姿のアイリスがいた。髪の毛はもう乾かしたようだ。輝かしい銀の髪の下のアイリスの表情は、晴れやかなものだった。

 

「じゃ、私これからちょっとやることあるから。また明日ね」

 

「ああ。またな」

 

 秀はアイリスに手を振られ、その部屋を後にした。そして、早歩きで彼とレミエルの部屋に戻った。部屋に近づくにつれ、戦闘の時以上に秀の緊張感が増していった。

 

「あ、秀さん。遅かったね」

 

 部屋に戻った秀にかけられた、レミエルの第一声は特に変なところは無かった。秀は安堵のあまりすっかり脱力して、レミエルにもたれかかった。

 

「ああ、疲れちゃったんだね。……あれ?」

 

 レミエルが不審がって、秀の体の匂いを嗅ぎ始めた。やがてそれを止めると、急に笑顔になって訊いてきた。

 

「私たちが使ってない石鹸の匂いがするんだけど、なんで?」

 

 レミエルは笑ってはいたが目は据わっていた。秀はこんなこともあろうかとと、レミエルの怒気に気づいてすぐさまテリオスを取り出した。

 

「俺は決して浮気していたわけじゃない。経緯はこいつが説明してくれる。頼むぞ、テリオス」

 

 しかし、テリオスはいくら待っても話し出さなかった。更に怒気が増していくレミエルを見て、秀は焦ってテリオスに怒鳴りつけた。

 

「約束が違うぞ!」

 

「はて、私は事の顛末の記録をしろとは言われましたが、弁明の手伝いをしろとは一言も言われておりません」

 

「お前! 謀ったなあ!」

 

 テリオスは沈黙してしまった。そして、レミエルはどこから取り出したのか、ひとつの縄を持って秀に近づき、素早い手つきで秀を亀甲縛りにしてしまった。

 

「訳はベッドの上で聞きます。覚悟してくださいね」

 

「あれ、レミエル。どうしたんだ急に丁寧語なんか使いだして」

 

 レミエルは秀の言葉を意にも介さず、秀を物のように抱えて、ベッドの上に放り投げた。そして、その秀の腰の上に馬乗りになって、秀の頬を手で挟み、彼の耳元で囁いた。

 

「さあ、どうしてあげましょうか。ふふふ」

 

 その言葉は、秀の心に死の恐怖とは別種の恐怖を刻み付けた。その後しばらくして、夜の寮に秀の悲鳴がこだました。

 

        ***

 

 アイリスが、万年筆を選び終えて、机に向かい、ランプを灯して紙を広げたところで、秀のものと思しき悲鳴が微かに聞こえた。

 

「レミエルに怒られたのかな。緊張感無いなあ。まあ、極端に緊張されるよりはマシか」

 

 アイリスはクスリと笑い、ペンを紙に走らせ始めた。その走りは、アイリスが全て書き終えるまで止まることはなかった。



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ヴィクトリー・クロスII EGMA編
非情なる決断、涙の惜別


 朝の食堂。秀は昨夜レミエルに散々にやられたおかげで、すっかり朦朧としていた。かろうじて意識は保てているものの、このような状態では敵襲に備えられたものではない。

 

「秀さん、なんかげっそりしてますけど、大丈夫ですか?」

 

 エクスシアが心配そうに秀の顔を覗き込んでくる。秀は、彼女に力なく笑って返答した。

 

「いや、昨晩色々あって、レミエルに絞られてな」

 

 そう言いつつ、秀はかつてカミュから貰った覚醒剤を取り出した。戦闘時は常に服用していたが、非戦闘時に使うのはこれが初めてだった。数錠口に含んで、水で飲み込む。その様子を隣に座るレミエルが不思議がって眺めていた。

 

「秀さん、それ何?」

 

「覚醒剤」

 

 秀は短く答えて、食事を再開した。その秀の言葉に反応したのは、レミエルではなくあずさだった。

 

「覚醒剤って、それ大丈夫なの?」

 

「ある意味じゃ全然大丈夫じゃないが、少なくとも朦朧とした状態で敵に相対するよりよっぽどマシだ」

 

「ご安心ください。我々が使用している覚醒剤は、S=W=E製で、効能はそのままに、中毒性を排することに成功したものです。とはいえ薬に頼りがちになるのは感心しませんから、あまり奨励はしませんがね」

 

 リーナが立ち上がって、秀の説明の補足をした。へえ、とあずさが嘆息する。その間に、秀は薬のおかげですっかり目が覚めた。意識もはっきりしている。これならいつ敵が来ても戦えると、秀は安心した。

 秀がふと食堂の入り口を見やると、一枚の紙とマイクを持ったアイリスが入ってくるのが見えた。すぐに彼女と目が合い、アイリスは顔を赤らめながら、微笑んで秀に手を振った。秀が手を振り返し、アイリスが秀から目を離したところで、秀の肩にそっと手が置かれた。

 

「秀さん、やっぱり浮気してたんじゃ」

 

「違う! 断じて違う!」

 

 秀は必死に弁明するが、レミエルの目は半信半疑だった。秀の焦りが最高潮に達したところで、アイリスのマイク越しの声が聞こえてきて、その場の空気が一旦リセットされた。

 

「はい、注目。突然だけど、これから新しい組織編成を発表するよ。後で掲示しておくけど、ここでしっかり聞いておいてね」

 

 秀の疑問がひとつ解けた。昨夜アイリスが言っていた、反対されたら云々というのはこのことのようである。

 

「じゃあ、まず総統は引き続きこの私、アイリスが就任します。それと、参謀副長も兼任するからよろしくお願いします」

 

 アイリスは丁寧語でそのように落ち着き払って言った。皆々、形式的に拍手する。秀もそれに倣って軽く手を鳴らした。

 

「副総帥は仲嶺サングリアに任命します」

 

 これまた拍手が起こる。当のカミュは、涼しい顔をしていた。まるでこうなることを予測していたかのようだ。

 

「参謀長はマユカ・サナギ。並びに二人目の参謀副長はシルト・リーヴェリンゲンに任命します」

 

 拍手の中、マユカとシルトは呆然と顔を見合わせていた。秀にとっても、マユカは先の戦闘で指揮を執っていたのでまだ分かるが、シルトを抜擢したのは意外だった。彼女はまだ完全にはアイリスに帰順していない。アイリスもそれは分かっているはずである。一種の賭けのようなものだろうと秀は理解した。

 

「以下参謀と、各部隊の編成はこの後すぐに、各掲示板に掲示しますので、この場では各部隊長の発表のみ行わせていただきます。では人間解放軍第一部隊隊長は仲嶺サングリア。第二部隊隊長はリーナ・リナーシタ。次に、竜族第一部隊隊長はジークフリード。第二部隊隊長はクラリッサ。そして第一特殊隊隊長はフィア・ゼルスト。第二特殊隊隊長はエクスシアに、それぞれ任命します」

 

 このときも、例に漏れず拍手が起こる。マユカが参謀長に就任したおかげかフィアが第一特殊隊の隊長に任命されたくらいで、特に変化は無い。

 アイリスが出て行った後、秀たちは急いで食事を終え、近場の掲示板に走っていった。

 

「あれ、あたしとユノ、HQ(ヘッドクオーター)要員って書いてある」

 

 あずさはその編成表を見て、不思議そうに呟いた。恐らくはその意味するところを知らないのだろう。

 

「めちゃ簡単に言えば司令部つきってことだよ。昨日のあれで結構欠員出ちゃったから、あなたたちが参入したのがちょうど良かったんだ。前線に出ることはまず無い役職だけど重要な役目なんだ。だから今から急いで訓練するからね」

 

 秀たちの背後にアイリスが現れ、そのように言った。その言葉に、あずさは慌てて反駁する。

 

「ちょ、ちょっと。私たちはまだ入るって決めたわけじゃないわよ」

 

 アイリスはその言葉に目を丸くした。そして、そのままの表情で、わざと間延びさせたような喋り方で言った。

 

「世界水晶を守るのを助けてくれたり、勝手に寮の部屋使ったり、勝手にタダ飯食べてったから、てっきり私たちに加わると思ったんだけどなー。残念だなー。加わる気がないなら出て行ってもらうしかないなー。こんな可愛い娘を路頭に迷わすのは遺憾だけど仕方ないなー」

 

「待って待って。あたしまだこの組織のこととか全然分かってないのよ。秀から聞いたことくらいしか知らないの。だから決め倦んでるだけよ」

 

 あずさがあやすように言うと、アイリスは「なんだそんなことか」と顔を明るくした。そして、意気揚々とユノも巻き込んであずさたちにT.w.dについてのレクチャーを始めた。その間に、秀たちは編成表をじっと見る。

 

「俺とレミエル、シャティーは第二の方の所属か。となると。おい、エクスシア」

 

 秀はエクスシアに呼びかけた。声をかけられたことに気がついた彼女は、落ち着いた様子で秀に答えた。

 

「なんでしょう」

 

「第二特殊隊って、部隊員の構成以外に第一と違うところってあるのか?」

 

「前と同じなら、私たちの専門は諜報です。例えば、今も少数は赤の世界に残っていますが、以前赤の世界に潜入していたT.w.dの構成員は全て第二所属です。直接的に戦闘に参加する時は、偵察や撹乱などの役割を担うそうです。とはいえまだこの部隊が直接的に戦闘したのは昨日が初めてで、偵察はしてましたが撹乱はしませんでしたがね」

 

「なんだかこっちの方が第一よりも特殊っぽいね」

 

 編成表に目を通し終えたらしく一歩下がったレミエルが、会話に入ってきた。

 

「元々はアイリスさん直属って意味で特殊隊でしたからね。今は特殊隊を名乗る意味も無いですが、新しく呼称を付ける必要もないのでしょう」

 

「そういうことなら私は得意かもね。私の複製の異能も役立ちそうだし」

 

 シャティーも会話に加わる。それから、堕天使三人で話が盛り上がり始めて、秀はすっかり手持ち無沙汰になってしまった。仕方がないので一旦その場から離れて、閑とした廊下の片隅でテリオスを呼び出した。

 

「テリオス。お前って通信の傍受とかできるか?」

 

「お安い御用です。しかも白の世界ではロストテクノロジーと化した技術で行いますので、白の世界のものが相手なら逆探知もされにくいでしょう。しかし何故そのようなことを」

 

「俺が所属される第二特殊隊が諜報とか偵察とか撹乱を専門にする部隊だそうだから、気になってな」

 

「なるほど、そういうことですか。それなら私を使うことはその任を果たすには最善と言えるでしょう。私には不可視化及びステルス能力もあります。偵察もお茶の子さいさいです」

 

「それは頼もしいことだ」

 

 秀がそう言った瞬間のことだった。けたたましく警報が鳴り響いたのだ。秀はすぐさま意識を切り替えて、指令を待ちつつ、窓から外を覗いた。すると、正門の向こうにDr.ミハイルのの率いるアンドロイドの軍団がいた。そして、その中に秀はカレンとセニアの姿を見つけた。

 

        ***

 

 秀とレミエルは、カレンとセニアと、寮の部屋でテーブルを囲んで座った。彼女らは敵として来たのではなく、協力の申し入れをするために来たとのことだった。この二人がここまで入れたのは、秀がアイリスに懇願したおかげで、常に監視を付けるという条件付きで許してもらったためだった。

 

「この話に私は期待しています。秀様と再び共に戦えるかもしれないのですから」

 

「私もそう思います。まだ秀さんと十分に仲良くできていませんし、あなた方からは学びたいこともたくさんありますから」

 

 カレンとセニアは無邪気に語る。対して、秀とレミエルは渋い表情で顔を見合わせた。彼女らも人間解放軍がT.w.dにいることは分かっているはずだが、それでも交渉に期待するというのは、彼らを甘く見ているがゆえだと秀は判断した。彼らのアンドロイドへの確執は、利害が一致した程度で覆されるものではない。

 

「そういえばレミエル、その姿となってから言葉を交わすのは初めてでございますね」

 

「え、ああ、うん。そうだね」

 

 レミエルがぎこちなく答える。彼女も、秀と同じことを考えているに違いなかった。秀は心臓がはち切れそうな思いで、アイリスたちの交渉の早期決着を祈った。

 

        ***

 

 カーテンで陽の光を遮った青蘭学園の会議室で、アンドロイド側の代表のミハイルと、アイリスが交渉に臨んでいた。ミハイルの側には数名のアンドロイドがいる。アイリスの方にも、護衛としてエクスシアを立たせていた。お互い席に着くと早速、ミハイルがアイリスに条件を盛り込んだデータの入っているUSBメモリーを差し出した。青の世界に合わせたようである。

 

「私たちは、アイリス殿の思想に共感しました。賢明なご判断を期待しています」

 

「分かりました。これを元に部下との協議をさせていただきますが、よろしいでしょうか」

 

 アイリスは電子媒体で提示されたことに苛立ったが、それを隠して丁寧な言葉で尋ねた。

 

「構いません。その間、私たちはどのように致せばよろしいでしょうか」

 

「ここで待機してください。大した時間はかからないと思いますので」

 

 アイリスにはこの交渉の結果は既に見えていた。たとえ、この条件がいかにT.w.dに有利であろうと、カミュたち人間解放軍がいる以上、決裂は必至だ。この協議というのも、最早一応の確認に過ぎなかった。

 アイリスは防音仕様の隣の部屋に入った。そこにはカミュを始めとした副総帥、参謀チームの幹部たちが揃っていた。

 

「さて、一応このデータの開示はしなきゃね」

 

 幹部たちが見守る中、大事をとってデータが全て消去してあるノートパソコンに、そのUSBメモリーを挿入した。その中にはウイルスの類は入っておらず、文書ファイルのみが入っていた。

 

「ったく、文書ファイル作ってあるなら印刷してよ。こんなめんどくさいことせずに済んだのに」

 

 アイリスはその文書ファイルを開くと、それをプロジェクターを介してスクリーンに映した。そこに書いてあった条項で、重要だと思われるものは四つだった。ひとつはミハイルが率いて来たアンドロイドを、T.w.dの傘下に加えること。もうひとつは、いくつかの物資をT.w.dに提供すること。そしてEGMAの解放と、最後に、今と、アイリスが造り直した後の世界でアンドロイドの権利を保障すること。これらはかなりの好条件だった。特に、アルバディーナが抜けたことによる戦力不足と、箱舟を建造したために不足がちになっていた資材の問題が、一気に解消できるという点ではかなり有難い。

 この場の殆どの人間が、この条件を飲んで彼女らを傘下に加えたいと考えているに違いなかった。ただ、一部を除いては。

 

「ふざけるな……!」

 

 カミュの押し殺したような声が聞こえた。彼女と、人間解放軍出身の何人かの参謀は、怒髪天を突くかのような気迫で、明王のような形相をしていた。

 

「我々がいることが分かっておきながら卑しくも協力を取り付けようとするだけでなく、このような屈辱的な条件を突きつけるとは! 何たる不遜!」

 

 カミュは怒りのままに言い放つ。そうして、一転して無表情になると、今度はアイリスに向いた。彼女の表情こそは無いが、アイリスには、その瞳の奥に隠しようもないほどの憤怒をありありと感じた。

 

「アイリス殿。まさかとは思いますが、彼の者らの申し出を受け入れようか迷っているわけではありますまいな」

 

「カミュ」

 

 アイリスは、どうしても駄目かと訊こうとしたが、それを口にすることはなかった。答えは聞くまでもなくノーだ。彼女が妥協などするわけがなかった。

 

「もしもそうお考えで実行するならば、我らはアイリス殿たちを敵とみなしすぐにでも攻撃します」

 

 それは脅迫じゃないか――アイリスは怒鳴りそうになったが、すんでのところで堪えた。これまで共に戦ってきた人間解放軍を敵に回せば、アイリスたちの士気は格段に低下する。それはアンドロイドを拒否することで低下する程度以上のものだろう。それに、人間解放軍の軍事力の方がミハイルが引き連れてきたアンドロイドよりも高い。人間解放軍を取るか、アンドロイドを取るか。選択すべき答えはアイリスの中で既に出ていた。

 

「分かってるよ。行ってくる」

 

 アイリスはカミュと目を合わせずに告げると、踵を返した。そのついでに、他の幹部の表情を見る。誰も感情を表に出していなかったが、苦渋に満ちているのはよく分かった。アイリスは心の中で彼らに謝りながら、会議室に入った。そして、椅子に浅く腰掛けた。対面するミハイルの表情は真剣だった。しかし、アイリスには彼女が期待の眼差しを向けていることがよく分かった。だから、彼女の申し出を断ることを考えると、胸が苦しくなった。

 

「申し訳ありません。この話はなかったということで」

 

 アイリスは感情を押し殺し、毅然を振舞ってそう告げた。ミハイルや、背後のアンドロイドの表情が見る見るうちに失望に染まる。そして、その失望は怒りへと変わり、ミハイルは机を両手で強く叩いた。

 

「何が不満なのだ、何が! 我々が付けられるだけの限界の条件を付けたんだ。あれ以上に望むことがあるのか!」

 

 ミハイルの剣幕に、アイリスは圧倒されていた。普段ならこの程度は軽く流せるのだが、今回はアイリスに後ろめたさがあったため、上手い返しが思い付かなかった。だが、幸か不幸か、先ほどアイリスが入ってきたドアが乱雑に開かれた。入ってきたのはカミュだった。彼女は軍靴の音を高く響かせながら、大股で歩み寄っていき、ミハイルの胸ぐらを掴み、強引に引っ張り上げた。その際にミハイルの体が机や椅子を押しのけ、ミハイルが痛みに小さな呻き声を上げた。

 

「不満以外に何があるものか! 白の世界で人間の役割を次々に奪っていっただけでなく、今度は青の世界もアンドロイドで侵略しようというのか!」

 

 ミハイルは、全く状況が理解できていないようだった。瞠目し、口をパクパクさせている。アイリスはカミュを取り押さえるべきだということは分かっていたが、体が動かなかった。カミュの全方向に向けられた殺気が、アイリスを椅子に、エクスシアを壁に縛り付けていた。

 

「わ、私たちがアンドロイドの高性能化に成功したから、危険な事故現場や戦場に人間が赴かずにすみ、生活が豊かになって人間が幸せになったのだろう! 侵略など――」

 

「それは貴様ら技術者の思い上がりだ! 白の世界を自分たちの力で守ることを誇りとしていた我々が、どんな思いで軍を解体されたか、貴様らには分かるまい! 我々だけではない。警察や消防、会社の運営、果ては医療や家事さえも、人間は追いやられ、殆ど機械が担うようになってしまった。今や、人間がしなければならないことは殆ど無くなってしまった。もっとも、貴様のような技術の発展しか見ないような下劣な者には、それが素晴らしいことに映るのだろうがな!」

 

 カミュはミハイルの言葉を遮り、激情のままに捲し立てた。そして、とうとう彼女は銃を取り出し、ミハイルの顎に突きつけた。

 

「即刻去れ。貴様に去る気が無ければここで射殺する! そして二度と私の前に姿を現わすな!」

 

 流石に見兼ねたアイリスは、勇気を出してカミュを力の限りに羽交い締めにした。それでカミュの手からミハイルが落ち、数体のアンドロイドに支えられながら、彼女が噎せ返る。

 

「落ち着きなよ、カミュ! やりすぎだよ!」

 

 アイリスはカミュの耳元で怒鳴りながら、ミハイルに目を向けた。仕方のなかったこととはいえ、アイリスの心は痛んでいた。新たに仲間になりそうだった者らを拒絶するのは、彼女にとってかなりの苦痛だった。

 アイリスの視線から彼女の心情を悟ったのか、ミハイルは彼女を支えていたアンドロイドに目配せして自分を立たせると、逃げるように会議室を出て行った。

 

「アイリス殿、何をされる!」

 

「それはこっちの台詞だよ。あなたの主張は分かるけど、でもあっちは仲間に入りたいって言ってきたんだ。そんな人に暴言を吐いたり、ましてや本気で銃を突き付けるなんて、普通じゃない!」

 

 カミュは押し黙ってしまった。それから段々と冷静になっていくカミュの表情を見て、アイリスは羽交い締めを解いた。そして急いで会議室を出て廊下に立った。しかし、この時にはとっくにミハイルたちの姿は見えなくなっていた。

 

        ***

 

 カレンが先ほどミハイルから受けた指令は、カレンを顔面蒼白にさせ、会話を打ち止めさせた。交渉の決裂、青蘭島からの即時撤収。それは、秀と共に戦えないことを意味していた。カレンは秀とレミエルを見やる。二人とも、居た堪れないといった風であった。

 

「お姉ちゃん」

 

 セニアが、カレンの衣服の裾を弱々しく掴んだ。彼女は唇を固く結んでいた。カレンには、彼女が何を思っているかはよく分かった。別離が悲しいのだろう、きっとそうだと、カレンは思った。やがて、セニアはカレンから手を離し、その手を膝の上に置いた。

 

「全然、私は秀さんや皆さんと交流することができませんでした。交渉が成功すれば、皆さんとより交流を深めることが出来たでしょうに。残念でなりません」

 

 セニアは、淡々と口にした。そして、一旦目を伏せ、ゆっくりと立ち上がった。

 

「先に行きます」

 

 セニアは三人に背を向け、ドアまで歩いていく。カレンにはその背中に異質なものを感じた。はっきりとは分からなかったが、いつもの子供らしさは感じられない。十歳の子供がいきなり二十歳の大人の風格を得たかのようだった。カレンがあっけにとられている間に、セニアは部屋から退出した。

 セニアが居なくなり、妹の手前だという意識が無くなったゆえか、カレンは涙を流し始めた。カレンはそれを拭おうともせず、自然に流れるままに涙した。

 

「秀様。私は、私は……!」

 

 涙に滲んだ視界で、カレンは秀を見た。ぼやけて彼の表情は見えなかったが、彼もカレンを見ていることだけは分かった。それだけでカレンは嬉しかった。しかし、嬉しく思うだけでなく、同時に彼と離れることへの躊躇いも大きくなった。

 

「私は嫌です! 秀様やレミエル、レボ部の皆様と殺し合うなど、出来るはずもございません!」

 

「カレン、俺は」

 

 秀が何か言いかけるが、カレンは手を突き出してそれを止める。そして、カレンが今作ることができる限界の、なれべく明るい笑顔を無理に作ってみせて、そのまま告げた。

 

「これが今生の別れとなることを願います。さようなら」

 

 カレンは秀とレミエルの言葉を待たず、部屋を飛び出した。ミハイルと合流する前に涙を振り払い、顔をいつもの仏頂面に戻した。自分は戦闘用アンドロイドだ。情に流されるのは他のアンドロイドにでも任せておけばいい。カレンは必死に己に言い聞かせた。それが功を奏して、ミハイルの元に着いた時にはすっかり落ち着いていた。

 

「Dr.ミハイル。これからいかがなさるおつもりですか?」

 

 カレンが尋ねると、ミハイルは上空の(ハイロゥ)を見上げて次にカレンとそれ以外のアンドロイドを見渡して答えた。

 

「白の世界に戻り、EGMAを力づくにでも奪還する。今は人間解放軍の手の内にあるが、人間の手に負えるものではない。彼らが持て余しているのが何よりの証拠だ」

 

「その後、どうするのですか?」

 

「EGMAにお伺いを立てる。それが最良の手段だろう」

 

 このミハイルの言葉に、カレンは激しい嫌悪感を覚えた。彼女の発言が、気味が悪くて仕方がなかったのだ。

 

(Dr.ミハイルは、お伺いを立てると確かに言いました。仮にも人間が作った物に敬語を使ったのですか、この者は)

 

 カレンは人間解放軍の、アンドロイドを殲滅するという思想もおかしいと感じていたが、このEGMAを信奉するミハイルのような考えも、同じくらいおかしい。以前はカレンもどちらかといえばミハイル寄りの立場だったが、それでもEGMAに小さな反感は抱いていた。それが今、反感は一層強まった。

 

「どうかしたか、カレン」

 

 気がつくと、ミハイルが訝しげな目をカレンに向けていた。カレンは「いえ、何も」と言い、アンドロイドの集団の中に紛れた。その時、カレンと入れ替わるように、セニアがミハイルの隣に立ち、何かを話し始めた。カレンは、その話の中身を聞く気にはならなかった。

 

        ***

 

 ジュリアの目の前で、ミハイルとアンドロイドが門の向こうに転移し、姿を消した。ジュリアはカレンとミハイルのやり取りを思い出してほくそ笑んだ。

 

「一人でも叛意が芽生えたということは、あの集団は終わりね。気にかけるほどのことでもないわ。アイリスは多分EGMAと箱舟防衛のために解放軍全軍くらいを派兵するでしょうから、青蘭島を攻めるならこれほどの好機は無いわね」

 

 ジュリアは一瞬、このことをアルバディーナに伝えようかと考えたが、やめた。このような重大な情報を見逃したとあらば、アルバディーナが世界を手にすることなど夢のまた夢だ。

 

「私って意地悪かしら。まあいいか」

 

 ジュリアがこれからどうしようかと考えていると、ふとひとつの人影が目に入った。黒の統合軍制服を纏った低身長で華奢な体躯に、短い銀髪。間違いなくアインス・エクスアウラだった。ジュリアは戯れに尾行することを考え、それを始めた。当然のことではあるが、霊体故の驚異的な影の薄さで、ジュリアは一切気取られることなくアインスの尾行に成功した。彼女が行き着いた先は、あるビルの地下の部屋だった。その入り口のところには、アインスが付けたのか、指紋で解錠するタイプの鍵が取り付けられていた。

 

「こんなのあったら何かあるって丸分かりじゃない」

 

 ジュリアは始めはそう思ったが、その鍵の内部機構をよく見ると、毒針が仕掛けられていた。承認された者以外が触れると、その毒針が射出される仕組みのようだ。しかもその毒針には小型のドリルが仕込んであった。それを成したのが如何な技術かは分からなかったが、とにかく入られたくないのはよく分かった。

 

「まあ怖い」

 

 ジュリアは呟きながら、アインスの後ろに付いてその向こうに入っていった。すると、そこには意外な人物たちがいた。

 

「白の世界で戦闘になりそう。連中の喉元に飛び込むなら今」

 

 アインスがそう言った相手は、美海、ソフィーナ、ルビー、ユーフィリアだった。アインス以外の統合軍の将校は見当たらない。

 

「こりゃ意外な組み合わせだわ。まあでも彼女らの間に縁がないわけじゃないか」

 

 ジュリアはまあとりあえず、と彼女らの会話に耳を澄ませることにした。その内容によっては、今後のジュリアの行動方針に関わってくるかもしれない。

 

「警備の穴なら私が作るから、またとないチャンスになるよ」

 

 アインスが柔らかい口調で、美海たちを唆す。それに対して、最初に反応したのはソフィーナだった。

 

「そうね。私は乗るわ、その話」

 

「私も賛成よ。これを逃したら次は無いと思った方が良さそうだしね」

 

 ソフィーナに便乗して、ルビーもアインスに呼応する。美海が未だ決めかねている中、次に口を開いたのはユーフィリアだった。

 

「私もそう思います。ですが、私はT.w.dの所有するマスドライバーの破壊を行いたく思います。彼らに先んじてマスドライバーまで辿り着き、破壊に成功すれば彼らが白の世界に行くのに、少しは時間が稼げるでしょう」

 

「それはいいけど、破壊するならT.w.dが出来るだけ多くマスドライバーに行ってからにして。引き返されたら勝つ見込みが少なくなる」

 

 ユーフィリアがアインスの言葉に頷く。残ったのは、美海だけであった。ソフィーナとルビー、ユーフィリアは固唾を飲んで見守っていた。しかし、一向に下を向いて煮え切らない様子で話出さない美海に、ソフィーナはついに怒り心頭に発した。

 

「美海! いつまで決めかねてるの! あとはあなただけなのよ!」

 

 ソフィーナが怒鳴ると、美海はようやく顔を上げた。だが、そこに元気発剌とした様子はない。そして、口を開いたかと思うと、そこから出てきたのは譫言のような物だった。

 

「もう、話し合いじゃ無理なのかな。クラスメイトだっているんだ。分かってくれるかもしれない」

 

「何を寝ぼけたことを言っているの! 昨日のマユカと秀を見たでしょ! あの二人、まるで私たちに関心を示していなかったじゃない! それに、レミエルも、赤の世界で私たちを本気で殺そうとしてきた。もう、無理なのよ。話し合いなんて」

 

「……そうだね」

 

 美海はあたかも亡霊のようにゆらりと立ち上がった。やはり元気さは無かったが、風格が先ほどとは違った。

 

「これは面白くなりそうね」

 

 ジュリアは美海の佇まいだけ見届けると、そこから離れて外に出た。すると、陽の光がやけに眩しく感じたのだった。

 

        ***

 

 カミュは、総統室でアイリスと向かい合っていた。カミュは総統の椅子に座り、そのデスクの前にカミュがいる。この時のアイリスは、カミュが見たことのないくらい、アルバディーナが裏切った時以上にあからさまに不満を顔に出していた。だが、カミュはあえてそれに気づかなかったふりをして、アイリスに名簿を提出した。

 

「ミハイルらはEGMAの奪回に動くでしょう。ちょうど箱舟が完成したとの報告がつい先ほどあったので、箱舟の受領も兼ねて、そこの名簿に記載した人員、大半は解放軍両軍を白の世界に派兵させていただきたい」

 

「あなたが蒔いた種でしょ。準備してさっさと行きなよ」

 

 アイリスはぶっきらぼうに言った。そうして、彼女はカミュを蔑むように睨みつけた。

 

「カミュさ、今の自分が誰かに似てると思わない?」

 

「は?」

 

 カミュは、アイリスが何故そのような質問を投げかけたか見当もつかず、素っ頓狂な返答をしてしまった。すると、アイリスは目を伏せて、名簿をファイルにしまうと、立ち上がってカミュに背を向けた。

 

「用が済んだら出て行って」

 

「分かりました。その名簿にも書きましたが、実戦の体験も兼ねて、CPに椎名あずさとユノ・フォルテシモの両名を組み込みたく思います」

 

「好きにすれば」

 

 アイリスは尚も背を向けたまま、短く言った。カミュはその態度に苛立ちを覚えながらも、それを表に出さずに退出した。すると、そこで丁度秀と出会った。

 

「白の世界に行くのか」

 

 秀が尋ねる。彼は一見して普段と変わらぬ様子だったが、その声は微かに震えていた。必死に平静を装っているのがよく分かった。

 

「ああ。EGMAを連中の手から守らねばならぬ」

 

 カミュは秀を慮って、あえて気づかぬふりをして答えた。すると、秀のポケットから、テリオスがくぐもった音声で話しかけてきた。

 

「カミュ殿。私たちをそれに従軍させていただけませんか?」

 

 カミュはテリオスのその発言に呆気にとられた。しかし、それでもっとも狼狽したのは秀だった。

 

「テリオス! 何を勝手に!」

 

「秀殿には話していません。カミュ殿、よろしいでしょうか」

 

 怒鳴りつける秀を軽くあしらい、テリオスは再度カミュに尋ねた。

 

「ああ。別に私は構わんが。秀はいいのか?」

 

 カミュが訊くも、秀は俯きがちになってずっと黙って眉間にしわを寄せていた。そうしているうちに、解放軍でのEGMAの防衛の作戦会議の時間が迫ってきてしまった。

 

「済まないが秀、私は会議に急がねばならない。またな」

 

 カミュは秀に口早に別れを告げると、すぐに会議室に走っていった。途中で秀の方を振り返るが、彼はまだ下を向いていた。

 

        ***

 

 秀はカミュの姿が見えなくなったのを確認すると、すぐに近場の男子トイレの個室に駆け込んで、鍵を閉めた。そしてテリオスのデバイスを取り出すと、それに拳銃を突きつけた。

 

「お前! 一体何のつもりでああ言った! 返答次第ではここでお前をスクラップにして、ここのトイレに流すぞ!」

 

「先ほどアンドロイドと秀殿が会話していた時、私のメモリーの未開放領域だった部分が一部開放されました」

 

 激しい剣幕で怒鳴る秀に対し、テリオスは淡々とした口調で話を切り出した。

 

「それで?」

 

「開放されたのは、私の存在意義、つまり私が作られた目的に関する情報です」

 

「何?」

 

 秀は、思わず拳銃を握る手を緩めた。

 

「私はEGMAを破壊するために、当時反EGMAを主張していた軍隊の技術将校によって極秘裏に開発されたようです。もっとも、その時の詳細などは、未だ分かりませんが」

 

「だから、従軍させてEGMAを破壊させろと。そういうことか」

 

 秀は銃をしまいながら、低い声で尋ねる。

 

「はい。その通りです」

 

「分かった。だが、俺は一切手を下さない」

 

「それはどういうことです!?」

 

 秀が告げると、テリオスは怒っているとも言うべき口調で、秀を非難し始めた。

 

「私という存在の意義を先ほど聞いたでしょう! 私のアイデンティティは、一心同体である秀殿のアイデンティティであると同義です! さあ、前言を撤回しなさい!」

 

「ええい、五月蝿い! AIの如きが説教をするな!」

 

 苛立ちが頂点に達し、秀はテリオスを怒鳴りつけた。勝手に従軍を決められたことに加え、アイデンティティを勝手に設定された。これで苛立たぬ訳がない。秀はテリオスのデバイスを両手で握り直して、そのままの語気で言った。

 

「それに何が一心同体だ! 勝手に俺のアイデンティティを決めつけるんじゃない!」

 

「秀殿が私の使用者になった時点で、そういう運命だったのです。今更抗わないでください」

 

「黙れ! それに、俺は青の世界の人間だ。EGMAの破壊なんて、白の世界の運命を左右することを俺が実行する権利は無い!」

 

「なら、私にどうしろというのですか!」

 

「俺の知ったことか! 自分で考えろ! 出来ないのなら俺は白の世界には行かない!」

 

 秀はテリオスの答えを待たずにポケットに仕舞い、個室の戸を乱暴に開け、タイル貼りの床を軍靴で甲高い音を立てながら、廊下に出た。すると秀が曲がった丁度その時、向かい側から歩いてきたリーナと肩がぶつかった。しかし秀は振り向きもせず、そのまま真っ直ぐに歩いていった。



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静止した時の中での死闘!

 白の世界への進軍は、あと一時間というところまで迫っていた。外では雷鳴が轟き、薄暗い中を時折雷の閃光が白く染め上げている。その中、秀とレミエルは寮の自室で二人きりで、互いに寄り添いあってベッドに腰掛けていた。

 

「秀さん。私不安だ」

 

「案ずるな。用が済めばすぐ、お前の元にいの一番に駆けつける」

 

 弱々しく秀の手を握るレミエルに、秀はそう言い聞かせる。しかし、レミエルは首を横に振った。

 

「違うの。私が不安なのは秀さんのことなんだ」

 

「俺の?」

 

 秀が尋ねると、レミエルは小さく頷いた。

 

「カレンさんや、セニアと戦闘になった時、秀さんはいつも通り戦える自信があるの?」

 

「それは」

 

「無理だよね。美海さん達みたいな、あまり接点のなかった人たちとなら戦えるだろうけど、あんなに一緒に戦ってきた二人だよ」

 

「あまり見くびってくれるな」

 

 秀は強がってみせたが、レミエルは秀の言葉を一蹴した。

 

「無理だって分かってるから。秀さんは優しいもの」

 

 秀は、レミエルにきっぱりと言われてしまい、恥じ入って返す言葉が出てこなかった。それで、時計を見てから口早にレミエルに告げた。

 

「ごめん。もう行かなきゃならん」

 

「はい。いってらっしゃい」

 

「ああ。行ってくる」

 

 秀とレミエルは、お互いに体を離した。そして秀だけが立ち上がり、重い足取りで歩き始めた。ドアまで着いた時、秀はレミエルに振り返った。彼女は微笑みを浮かべていた。そのおかげで、秀は少しだけ安堵感を覚えた。気休め程度だったが、今の秀には十分すぎた。

 秀は再びドアに向き合い、間を置かずドアを開けた。すると、そこであずさとユノ、そしてシャティーが待ち構えていた。あずさとユノも、T.w.dの制服を着こなして、腰のベルトには一丁の拳銃の入ったホルスターを着けていた。

 

「どうしてお前たちがここに?」

 

「私たちも着いてくの。HQ要員だから直接戦闘するかは分かんないけどね」

 

「私は見送るだけだけどね」

 

 あずさがもみ上げを弄りながら答え、それにシャティーが付け足した。彼女らがT.w.dの制服を着ているということは、正式に加入したのだろう。こうして秀と対面している時でも、二人は時折服を気にしていた。まだ慣れてはいないらしい。

 

「それにしても、この制服って結構硬いとこあるよね。動くのにはあまり問題ないけど」

 

 ユノは制服の一部を叩きながら尋ねる。秀は二人の度胸の付き振りに感嘆していた。戦闘に向かうのに、こうして雑談が出来る。それも無理している様子は無い。秀はそのことへの喜びを敢えて口に出さず、ユノの言葉に答えた。

 

「この制服は防弾機能も備えてあるからな。それは当然だ」

 

 なるほどね、とユノが言って、三人は歩き出した。その後ろを秀が着いていく。寮を出たところで、あずさが話を切り出してきた。

 

「そうそう。実を言うと私、アイリスの言葉がよく分かんなかったんだ。言ってる意味は分かるんだけど、なんだろ。気宇壮大すぎてうまくイメージできないというか」

 

「じゃあ何でT.w.dに入ったの?」

 

 シャティーが小首を傾げる。あずさはポリポリと頰を掻き、歩みを止めずに答えた。

 

「アルバディーナだっけ? あの人の行いや、赤の世界は明らかな悪だと思う。シルトって人から聞いた話じゃ、緑の世界も信用できない。消去法じみた決め方だし、アイリスのやり方が完璧かと聞かれるとそれも分からない。私は、赤の世界のことは、あそこにいたしここに軍を送った経過も全部知ってるからある程度分かるわ。でも、他の世界、青の世界のことでさえ、私は全然知らない。批判的な目で見たことがないの。だから、あなたたちと行動すれば、世界の側面をしっかり見据えられる。身の振り方を見直すのは、それからでも遅くないしね。そう考えたから、私はT.w.dに入ったし、この派兵に随行することも受け入れたのよ」

 

 あずさの言葉に、秀は頷いた。あずさが入った理由は、彼女が十分に考えた結果だと分かった。それだけでも、あずさを高く評価するのは十分だった。

 

「ユノも?」

 

 シャティーが尋ねると、ユノは表情に翳りを見せた。

 

「大体同じだけど、私は他に理由があるの」

 

 ユノは暫く悩んでいるように唸っていたが、集合場所となる正門が見えてきたこともあってか、躊躇いがちに言った。

 

「メルトちゃんと、由唯ちゃんの仇を討ちたい。建設的な考えじゃないのは分かってるけど、それでも私は達観できない。あの魔獣を、私の手で」

 

 ユノは右拳を握り締めた。そうする顔に最早穏やかさは無い。温和な性格をしたユノからこのような発言を聞くとは誰も思ってなかったのか、秀だけでなくあずさとシャティーも絶句していた。ユノは温和な性格をしていると同時に、戦う理由にするくらい仲間のことを大事にしている。彼女が復讐を決意したのは、その仲間想いゆえかもしれない。秀はそう考察した。

 澱んだ空模様の下、ユノの言葉で、秀たち四人は沈黙し、重苦しい空気が漂っていたが、そこで四人は自然に別れて、秀は一時的な配属先となった解放軍第二部隊の元へ向かい、あずさとユノはHQ要員の所へ、シャティーは寮に戻った。

 

「君が仲嶺秀君か」

 

 秀が列の最後尾に並ぶと、秀の隣にいた、一人の男性隊員が話しかけてきた。身の丈180センチメートルほどのがっしりした体格の、地球の年齢で25歳ほどに見える男性だった。

 

「いかにも俺は仲嶺秀だが」

 

「この従軍に志願してきたのは君だけって聞いたんだけど、やっぱりそれはテリオスを扱う者としてってことかな?」

 

「まあ、そうなる」

 

 彼の言うことは間違っていなかった。だが、秀の心境と彼の想像には食い違いがある。それは彼の気さくな様子からして明らかだった。秀はこの時、カミュに対して失望していた。まだ彼女を母として見るような慕情は残っているが、彼女の行いはつい先日にT.w.dアイリス派が悪と断じたことと何ひとつ変わらない。秀が進んで従軍しないのもこれが原因だった。

 

「テリオスを装備した君の活躍は前回の戦闘で見てる。俺たちのうちの誰もがテリオスに憧れてるんだ。皆、俺がαドライバーだったらって思ってる。期待してるからね」

 

 彼は秀の肩を軽く叩いた。秀は彼に「任せておけ」と爽やかに返したが、内心では彼の発言に苛立っていた。秀はテリオスとは仲違いしており、前日のトイレでのやり取りからまだ一度も会話していない。普段は殆ど話し出すことは無いのに、秀を貶められる時には決まって口を出し、時には我がままを振りかざす。兵装は強力でも、そのAIの人格は最悪だ。彼はテリオスの本性を知らないからそう言える。秀はそう考えた。

 ちょうどその時、リーナが点呼のために、各隊員の名前を呼びながら巡回に来た。

 

「仲嶺秀!」

 

「は!」

 

 最後にリーナが秀の名を呼び、秀は威勢の良い声で返した。秀は、普段は彼女と友人として接しているために、このようなやり取りは違和感を感じるが、規則なので仕方がない。秀が名簿の番号上は最後なので普通はここでリーナはこの作戦の指揮官のカミュの元へ報告しなければならないのだが、彼女は眉をひそめておもむろに秀に歩み寄ってきた。

 

「戦うの、不本意なのですか?」

 

 リーナが、他人に聞こえないように耳打ちしてきた。

 

「そんなことはないが」

 

「嘘はよしてください。あなたの目に迷いがあります。そのような状態で大丈夫ですか? 従軍志願の棄却なら、今ならまだ間に合います」

 

 秀は平静を装ったが、リーナはすぐに看破してしまった。しかし、秀にも意地があった。戦いから降りろなどと言われては、反抗せざるを得なかった。

 

「本当に大丈夫だ。心配はいらん」

 

 秀が突っ撥ねると、リーナは先ほどまでの厳しい口調から一転して、か細い声で言った。

 

「秀、私は」

 

 リーナはそこで言葉を止めてしまった。秀はその続きの言葉を待っていたが、リーナはそのまま何も言わずに秀から離れた。

 

「何でもありません。では」

 

 リーナは逃げるように走り去った。途中で一瞬だけ振り返ったが、彼女がその時どんな表情をしているかまでは秀は分からなかった。

 

(あいつ、どうして)

 

 秀がリーナの行動の意味を考えていると、不意に肩を叩かれ、思考を中断させられた。先ほど話していた彼だった。

 

「やれやれ、隊長殿はみんなの憧れなんだよ? カミュ教官が養母で隊長殿の想い人……。しかもとても可愛い恋人がいる。なんて贅沢な人生なんだ君は」

 

「想い人? やっぱりあの態度はそうなのか?」

 

「何だ、気付いていたのか」

 

 彼は意外そうに言った。それから、列の前の方を見ながら呟いた。

 

「まあ、バレバレだしね。隊長殿って結構単純だし」

 

 秀にはその呟きを拾う気は無かった。それよりも、リーナに言われたことを気にしていた。迷いがあるのは確かだ。EGMAをテリオスに従って破壊するかということや、カレンやセニアと対峙した時に果たして戦えるかと。白の世界の事情がある程度分かる秀は、解放軍の思想にも一理あるとは思っていた。だが、協調し合う道もあるのではと考えていた。

 ミハイルの共闘の申し入れは、確かに解放軍の意思を完全に蔑ろにしており、その点で彼女らの配慮が足らなかったと言える。しかし、そもそもの解放軍に参加している者の義憤の出所は、アンドロイドが人間の役職と尊厳を奪ったことだ。人間の尊厳を取り戻すのは、果たしてアンドロイドを全滅させることでしか達成し得ないことなのか。共存する道もあるのではないか。秀は、昨日からそう考えるようになっていた。彼は昨日からの事の顛末を鑑みると、解放軍は、手段と目的を履き違えている気がしてならなかった。

 

「気をつけ!」

 

 秀の思考を遮るように、空気をつんざくような号令がかけられた。全員が一斉に、整然とした動きで先頭にいるカミュの方に向く。

 

「諸君! 我々はこれより、EGMAの防衛のため、白の世界に赴く! これは我々の命運をかけた戦いであると共に、人間全体の尊厳をかけた戦いでもある! 撃ちてし止まぬ、撃ちてし止まぬ! この精神を胸に、全ての敵を撃滅せよ!」

 

 カミュの檄に、解放軍兵士の魂が呼応する。しかし、秀は複雑な心境だった。この戦闘用アンドロイドが数多く集まる機会に、彼らがが出来るだけ多くのアンドロイドを破壊しようと目論むのは明白だ。何とか止めねばとは思えど、その方策は全く思い付かない。秀が迷っている間に、第一部隊が人員輸送車に乗り込み始めた。

 結局、秀は何も考えが纏まらないまま、車に乗り込むことになった。そして、気が付けば港に着いており、秀が輸送艦に乗り込んだと思ったら、あっという間にマスドライバーまで着いていた。

 ジャッジメンティスの搬入が済んだ後、流れで第二部隊のシャトルの席に着くが、秀の心のもやは晴れぬままだった。第一部隊のシャトルが間も無く発進するとなっても、秀は未だに悩みに悩んでいた。

 

        ***

 

「セラフィックエンジン、起動。時間停止!」

 

 ユーフィリアは、解放軍の全軍がシャトルに乗り込んだのを確認すると、自らの時間跳躍能力を応用して、時間を停止させ、マスドライバー施設に浸入した。すべきことは単純明快だ。マスドライバー施設を破壊し、またこの静止した時の中で、解放軍を全滅させる。セラフィックエンジンの修理が完了した今となっては、造作もないことだ。

 ユーフィリアは未来を知っている。しかし、そこで語り継がれていた歴史と、この歴史は違っていた。ユーフィリアの世界線では、T.w.dは全ての世界を巻き込むほどの大災厄が起きた時、終末思想を唱えた集団だった。だが、彼らはユーフィリアが今いる時代の彼らのように、武力を行使するでもなく、すぐに姿を消してしまった。理由は考えるまでもない。もはや滅亡に瀕した世界に、何もすることはないと踏んだのだろう。そしてテリオスも、彼女の時代では知る人ぞ知る、封印された兵器だった。詳細は一切不明で、何故封印されていたのかも一切分からないまま、テリオスは紛失した。他にも、レミエルの堕天と融合や、人間解放軍がEGMAを占拠したことなど、ユーフィリアが過去に来たから、という理由では説明できない様々なことが起こっていた。

 

(もしやママが行ったのは、時間遡行ではなく、平行世界への跳躍だったのでしょうか。だとすれば起こった事象には納得できますが、それでは何のために行ったのかが説明できない。私は、どうすれば——)

 

 ユーフィリアは、T.w.dが民意を全く聞かないという点で、世界に仇なすものとは確信していたが、彼らを滅ぼした先のビジョンが見えなかった。それを考えながら歩いていると、突如として、踏んだ床が爆発した。全く予想だにしていなかった事態に、ユーフィリアの思考は中断され、姿勢制御もできずに吹き飛ばされた。

 

「地雷!? 馬鹿な。時間は停止しているのに!」

 

 パニックに陥ったユーフィリアに追い打ちをかけるように、天井から出てきた自動砲台がユーフィリアめがけて火を吹いた。ユーフィリアは咄嗟に回避しながら、思考を整理していった。

 

(どういう理屈かは分かりませんが、とにかく動いている以上、警備システムの制御室を押さえねば。マスドライバーの破壊が達成できなくなるリスクは、出来るだけ減らさないと)

 

 ユーフィリアは、事前にアインスから渡された施設の見取り図を思い起こす。それに従い、制御室に向かって走り出した。

 

        ***

 

 制御室は照明が付いておらず、監視カメラの映像を送る複数のモニターが部屋の中を照らしていた。そこに元いた職員は、椅子の上で、コーヒーを飲もうとしている姿勢や、モニターに注目している姿勢のまま、固まっていた。その中で、あずさはユーフィリアがまっすぐ制御室に向かってきているのを見て、大きなため息をついた。

 

「ま、すぐ思い付くわよね。このくらいは」

 

 あずさは、同じ学校の生徒として、ユーフィリアが自分と同じような能力を持っていることは知っていた。時間が停止した時、唯一その能力を持っていたあずさは、まず他の人員を時間の止まった中で動けるようにしようとした。しかし、ユーフィリアの方が能力の強さとしては一枚上手であったらしく、あずさが動かせたのは、発電施設を含めた無機的な物で、警備システムを作動させられたのはそのおかげだ。

 

「しっかし人一人を動かすよりもこんだけ大掛かりな装置を動かす方が楽とはね。案外やってみなくちゃ分かんないわね」

 

 誰に向けたわけでもない言葉を呟きながら、あずさは拳銃の手入れをする。しかし、あずさが射撃が苦手なこともあって、彼女はまともにユーフィリアを相手にする気は無かった。拳銃は、あずさが用意した秘策を成功させるための、単なる油断させる道具に過ぎなかった。

 ユーフィリアは次第に制御室へ近づいて行っていた。最初の方こそトラップに戸惑い、ダメージを受けている様子が見受けられたが、近づくにつれトラップに冷静に対処し、被害も少なくなっていた。しかし、少しでもダメージを与えることがあずさの目的だったので、彼女はあまり気にしなかった。

 あずさはユーフィリアの位置を確認する。すると、彼女は既に、制御室へ続く廊下に出ていた。それに気づくと、あずさはモニターの電源を落とし、ドアを開けて、右手に拳銃を、左手に超小型の発信機を握ってその影に隠れた。時折彼女との距離を確認しながら、息を潜めて待つ。この時、あずさはかなり重い緊張に襲われた。不快な汗が止めどなく流れ、息が荒くなる。トラップに任せていた時とは違い、ここはあずさ自身が戦わねばならない。しかも、今回は一人だ。ユノもシャティーもいない。初めてのことで、不安で不安で仕方がなかった。

 

(落ち着け、落ち着けあたし。ユーフィリアを止められるのはあたしだけなんだから。あたしがみんなを、ユノと秀を助けるんだ!)

 

 あずさが深呼吸したところで、爆発音が聞こえた。慎重に様子を見ると、制御室への道の中で、最後のトラップが作動したことが確認できた。

 

「今だ!」

 

 あずさはわざと大声を出して、制御室から飛び出してユーフィリアに拳銃を向け、数発撃った。対するユーフィリアは、それらの銃弾を全て避けると、実体剣を出してあずさに斬りかかった。あずさはそれを銃で受け止めるが、ユーフィリアの力に敵うはずもなく、簡単に弾き飛ばされて、壁に叩きつけられた。その際取り落としてしまった拳銃をユーフィリアが踏み潰し、あずさの眉間に剣を突き付けた。

 

「愚行はやめなさい。さすれば命だけは助けます」

 

「愚行って何のことよ。こうしてあんたを止めようとしてること? それともT.w.dの一員としてあたしが戦ってること?」

 

 あずさは不敵を装って笑ってみせた。しかしユーフィリアは、その冷酷な表情を変えもせずに、あずさに告げた。

 

「両方です。あなたの行いは世界に害を為します」

 

「あっそ」

 

 あずさは、ユーフィリアの言葉を鼻で笑った。

 

「残念だけど、あたしはアイリスたちが本当に悪者かどうか、判断する材料がまだ少ないのよ。あたしは青も白も黒も緑の世界のこともてんでさっぱり。あんたの言葉は見方のひとつとしては受け入れるけど、でもあんたの言葉には従わないわ」

 

「何故です。私にはあなたが理解できません」

 

「秀から聞いたわ。あんた未来から来たそうじゃない。その未来で何があったかは知らないけど、その未来での経験があんたの視野を狭くしてるんじゃない?」

 

 あずさが指摘すると、ユーフィリアは目に見えるくらいに眉をひそめた。

 

「T.w.dに属している身で、何をほざきますか」

 

「あら。別に特定の組織に入ったとしても、批判する目を持ち続けられれば何の問題もないわ。あんたの思い込みで話されると困るわね」

 

 あずさが言うと、ユーフィリアは剣を振りかぶり、そのまま振り下ろした。あずさは咄嗟に体を捻る。しかし、唐竹割りは避けられたものの、左袈裟を深く斬られた。流石にこの激痛には耐えきれず、あずさは思わず絶叫し、傷口を手で押さえ、左手を下にして床に倒れてうずくまった。

 

「今ならまだ間に合いますよ」

 

 ユーフィリアの冷たい目線があずさを射抜く。しかし、あずさは痛みを堪えて何とか笑みを作り、ユーフィリアに向けた。

 

「脅迫なんて、仮にも正義の味方気取ってる奴に言われたくないわね。それにさっき斬りつけたってことは、あんたにもう反論する材料が無いってことでしょ。昔の学園のアイドル様の一人も、地に堕ちたものね」

 

 あずさが言い終えるか否かという時に、ユーフィリアはあずさの傷口を踏みつけた。先ほどと同等とまではいかないが、再びあずさの体に激痛が走る。

 

「そのザマでよく言う。そんなに早く死にたければ、望み通りにしてあげますよ」

 

 ぞっとする、氷のような声だった。あずさは内心では恐怖感に充ち満ちていたが、それでも勇気を振り絞り、左手の発信機を隠れて操作しながら、作り笑いを浮かべて言った。

 

「四次元って、空間に時間の軸を追加したものだって説もあるのよ。つまり、その説を導入すれば、この静止した時の中でも、座標が設定できるってわけ」

 

「だからなんですか」

 

 そう言って、剣を振り上げるユーフィリアが、少しだけ動きを止めた。自分の言葉が多少なりとも気になったに違いないと踏んだあずさは、ありったけの大声を上げた。

 

「あたしたちの底力、見せたげるわ! ユノ!」

 

 あずさが叫ぶと、彼女とユーフィリアの空間に穴が開き、そこからユノが現れた。ユーフィリアは完全に予想していなかったようで、ただただ固まっていただけだった。そうしている間に、ユーフィリアの臍の位置に、ユノが掌底を入れる。

 

「瞬間移動!」

 

 ユノが叫ぶと、ユーフィリアの腹部のみが、はるか遠方まで飛ばされた。飛び散る内蔵のような内部機構から、思わず目を離す。残った腰から下はバランスを崩してそこに倒れ、胸から上は鈍い音を立てて床に落ちた。

 

「あ、ああ。ごめんなさい、ママ。私は——」

 

 ノイズ混じりのその言葉を言い切ることなく、ユーフィリアの目から光が失われた。その顔をよく見ると、涙だけが流れ続けていた。

 彼女の機能が停止したのか、時間が動き出したのを感じた。疲労感と安堵感から、あずさが動けずにいると、ユノが寄って来て、傷口に優しく触れた。すると、みるみるうちに血が止まり、傷口が治癒した。恐らくは魔法であろう。

 あずさとユノは、アイリスと話す中で、このようなことを言われた。あずさはT.w.d陣営で唯一、時間停止能力を持っている人であり、ユーフィリアに対する唯一の手段だと。先ほどの作戦は、戦闘能力に乏しいあずさのために、アイリスから授けてもらったものだった。時が止まった時に、あずさのいる四次元座標を特製の超小型の発信機で、静止する直前のユノに伝えて、ユノがその座標に瞬間移動することで、他の人を止まった時間の中で動かせなくとも、ユノだけは動けるようになるというものだ。その発信機はアイリスが発明したもので、それから受け手の脳に直接伝えられるという、リンクの原理を応用したものだ。この戦法をものにする訓練は、想像を絶するものだった。外観上は一回するのに殆ど時間がかからないものだが、お互いに精神を磨耗し、常人より長い時間を体感した。一日のうちに五千回以上繰り返して、その一日で修得したのは、ひとえに二人の根性ゆえだった。

 

「ありがと、ユノ。さあ、戻ろうか」

 

 礼を言い、あずさが立とうとすると、失血のためか、千鳥足になって倒れそうになった。それを、ユノがすかさず抱きかかえ、肩を貸した。

 

「あずさちゃん、彼女、どうする?」

 

 ユノは、ユーフィリアの残骸を見ながら尋ねた。

 

「上半身だけでも、カミュのところに持ってこうか。まだ人工知能が生きてるかもしれないしね」

 

「うん。そうしよっか」

 

 ユノは空いている腕でユーフィリアの上半身を抱え、シャトルに瞬間移動した。シャトルの中は、かなりどよめいていた。マスドライバー施設に侵入された形跡があったため、シャトルの発射が安全が確認できるまで見送られたためであった。

 

「椎名! それにフォルテシモも、先ほど消えたと思ったら。それに椎名、その傷はどうした!?」

 

 他の解放軍の人員があずさとユノに注目する中、血相を変えたカミュが駆け寄って尋ねた。その顔には焦りが見える。そして厳しい軍人の顔ではなかった。本気で心配している。これが、秀が母として慕う彼女の一面かと、あずさは納得した。

 

「これもう治ってるから、血が足りないだけ。それと、ほら」

 

 あずさは、ユノの抱えるユーフィリアの上半身を指差した。それを目にしたカミュは絶句した。あずさたちが倒したという事実に驚嘆し、彼女らが居なかったら、ということを想像したのだろう。しかしそのような様を見せたのは一瞬で、すぐに冷静沈着な軍人としての表情に変わり、顎に手を当てて考え始めた。

 

「まだ機能が停止しただけか、それとも人工知能もダメになったかは分かんないけど、とりあえずどうするの?」

 

 あずさが尋ねると、カミュは一回唸ってから答えた。

 

「人工知能を摘出する。コードΩ00は、未来から来たという情報もある。解析できれば、有益な情報が手に入るやもしれん」

 

「では、どうしましょう」

 

 ユノが尋ねると、カミュは小刀を取り出し、屈んでユーフィリアの頭にその刃を立てた。

 

「機能停止している今のうちに行う。だが危険があるかもしれん。皆、私から離れてくれ」

 

 カミュの言葉に従い、彼女以外の、シャトルに乗っている者は、全員がカミュから離れた。シャトルから出ないのは、安全確認のためにシャトルから出られないように外から操作されているためだ。それに、シャトル自体も頑丈で、核爆弾でも爆発させない限りは中で爆発しても問題無いように作られている。

 カミュがユーフィリアにナイフを入れる光景から、あずさは目を背けていた。ユノがユーフィリアの腹部を吹き飛ばした時でさえ、その破損部を直視できなかった。頭部など尚更だ。

 軽く小さな音が数回したと思うと、何か大きな布のようなものが翻るような音と、ビニールが擦れる音がした。

 

「終わったぞ」

 

 カミュが簡素に告げた。彼女の手には、何かしらの丸い物が入った黒い袋が提げられていて、後方にはブルーシートを被せられたユーフィリアの上半身があった。

 

「隊長殿。ご無事ですか」

 

 部隊員の男性の一人が尋ねると、カミュは両手を広げてみせた。

 

「見ての通りだ。しかし、頭部を切開してみたが何が人工知能に当たるか、工学の心得のある私にさえ分からなかった。とりあえず首から上は切除したから、残りはメルティ=ロウに見せた方がいいだろう」

 

「メルティ=ロウ?」

 

 あずさが初めて聞く名前だった。ユノに顔を向けるが、彼女も首を横に振った。

 

「メルティ=ロウとは我々の技術協力者だ。元はアンドロイド工学畑の人間だが、アンドロイドに依存する社会に疑念を抱いたために人間用の兵器の開発をしている人物で、ジャッジメンティスの計画を継承し、製造したのも彼女だ。もっとも、解放軍に正式には属していないがな。分かったら早く席につけ。安全確認が先ほど取れたそうだ。もうじき出立だ」

 

 カミュが口早に言う。あずさとユノは素直に彼女の言葉に従って、飛び込むようにシャトルの座席に着いた。先ほどの戦闘の緊張から解放されたおかげか、今から白の世界に行くとなっても、さほど緊張はしなかった。

 

(前行った時とはまるで事情が違うわね)

 

 前回白の世界に行ったのは、瀕死の秀を白の世界の病院に連れて行くためだった。しかし、今回はある意味でその逆の行為と言える。

 

「これも、試練かしらね。何かを掴めるといいのだけれど」

 

 あずさはある種の期待を抱き、天井を見ながら、シャトルの発進をじっと待った。

 

        ***

 

 シャトルが解放軍の手配した土地に着陸し、シャトルの中と外で二回点呼を行うと、解放軍一行は輸送車に乗り込み、EGMAに向かうことになっていた。EGMAに亜空間移動をしないのは、敵の侵入を防ぐために、亜空間移動に対する妨害処理がなされているためということだった。

 天気は晴天とも曇天ともいえない、中途半端な空模様で、湿度と温度が快適な状態で保たれていた。EGMAの賜物なのだろうが、その人為的な天候に、秀は違和感しか感じなかった。

 第二部隊が輸送車に乗り込む直前のことだった。リーナの通信機に、誰かが連絡を入れてきたのだ。カミュのには入っていないようで、リーナは秀たちに先に輸送車に乗り込むよう指示して、リーナは苛ついた様子で、外で連絡に応じた。その会話に、単純な好奇心から、秀は耳を澄ませてみた。

 

「どなたですか? ……父上!? 今は作戦行動中です。私事なら後に——は? 秀を連れてこい? テリオスの亜空間移動を使えば大丈夫だろう? 何を無茶苦茶な。……命令!? そんな最高顧問が変な命令出さないで——ああっ!? 父上、父上! ったく、あの人は!」

 

 リーナは通信機を地面に叩きつけると、大股で輸送車に乗り込み、秀の前で止まり、一枚のメモ用紙を差し出した。

 

「これが私の家の、父の部屋の座標です。なんだか知りませんが、秀だけここに来いとの命令です」

 

「俺だけか?」

 

「そうです。分かったらとっとと飛ぶ!」

 

 リーナが怒鳴りつける。その剣幕に気圧され、秀は黙ってテリオスのデバイスを取り出した。

 

「おいテリオス。この座標に飛ぶぞ。早くしろ!」

 

「やれやれ。了解です」

 

 テリオスが呆れた様子で了承したかと思うと、次の瞬間にはある一室にいた。広々とした、白一色の部屋である。側面には大きな窓が付いていて、その窓のそばにスピーカーの付いた人間大のカプセルがあり、側に白衣を着た、銀髪で短髪の女性が立っていた。

 

「ようこそ、仲嶺秀君。作戦中に済まない。しかし、どうしても戦いの前に君に話しておかねばならないことがあるのだ」

 

 渋く、落ち着いた男性の声が聞こえた。そこの女性が発したとは思えない。スピーカーから出たのだろう。秀は、恐る恐るカプセルを覗いてみた。そこには、目を閉じた、血の気のない白髪頭に何本かのコードが繋がれた、初老の男性が横たわっていた。秀には、その男性が生きているようには見えなかったが、テリオスは違った。

 

「死んではいませんね。この男性は生きています」

 

 テリオスは、その男性を見るなりそう言った。すると、スピーカーから再び声が聞こえてきた。その声は、目の前の死体のような見た目とは正反対に、活気にあふれていると強く実感できた。

 

「その通りだ。自己紹介が遅れたな。私はアルフレッド=リナーシタ。リーナの父親で、人間解放軍最高顧問を務めている者だ」



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時空を超えて託された想い

 秀は、アルフレッドの体を見た。やはり死んでいるようにしか見えない。なぜ生きているのか不思議なくらいだった。

 

「ふふ、私がどうしても死体にしか見えないと言いたいのだろう。無理もあるまい。事実、私も自分の体を俯瞰して、そうとしか思えんからな」

 

 アルフレッドは楽しそうに言った。対照的に、銀髪の女性は暗い表情をして口を開いた。

 

「アルフレッドさんは、初めの人間の蜂起の時に、精神解体を受けたんだ。精神解体を受けた人間は、大体が死んで、生還しても廃人になることがほとんどなんだ。アルフレッドさんみたいに、寝たきりで意思疎通に機械に頼るしかなくなっても、覚醒してしかもまともな自我を保てるのは珍しいんだよ」

 

「メルティ君、説明しなきゃいけないことを増やすんじゃあない」

 

 アルフレッドは銀髪の女性を嗜める。彼女の名はメルティというようだ。

 

「精神解体というのは、人間の精神をデータ化して機械に移して、そのデータを文字通り解体して、その人の精神を彼のは深層意識まで徹底的に調べ上げ、最後に元の体に戻すという尋問の一種だ。人道的観点から殆ど行われないが、あの時私たちの使ったものが古すぎたみたいで、逆にEGMAが我々の情報を不徹底にしか得られなかったから、最高指揮官であった私が精神解体を受けたわけだ」

 

 アルフレッドは淡々と語る。最後の方の口調は弾んでさえいた。それを聞いた秀は絶句していた。初耳であったということもあるが、秀はあまりに冷酷無比なEGMAに憤りを感じた。そのような秀の心を見透かしたように、アルフレッドは続けた。

 

「秀君。君は、ここから一歩も動けず、視界もカメラ越し、音も集音装置からしか聞こえなくなり、会話もこのような大仰な機械に頼らねば出来ず、食の楽しみも感じることのできなくなった体にしたということを、何に怒るかね? EGMAか? それともアンドロイドか?」

 

「EGMAだ」

 

 秀は即答した。メルティはその様子を無表情で見つめ、テリオスは何も言わなかった。ほんの少しだけ、テリオスから何か物音のようなものが聞こえた気もしたが、それだけだったので、秀は気のせいだと考えた。

 

「秀君。君の怒りは正しい。まあ、外部の人間であるなら当然なのだがな」

 

 アルフレッドは優しく言い聞かせるように告げた。すると、メルティが秀の方に歩み寄ってきて、その手を両手で握った。

 

「テリオスの使用者として、また良識を持った者として見込んで、頼みがある。出来たらでいいの。この戦いで、解放軍のみんなの怒りを正しい方向に持っていってほしい!」

 

「私とメルティ君は、EGMAの支配体制には反対している。だがアンドロイドとの共存を望む立場だ。今のS=W=Eが歪みきっているのは、アンドロイドがあるからではない。EGMAの行政方針が、アンドロイドに人間の役割を奪わせたに過ぎない。アンドロイド技術者の連中は、口では人間との共存を望んでいると言うが、彼らの言う共存は現状維持に過ぎん。奴らは自分の技術を披露できる場が欲しいだけだ。我々がまずすべきことはどちらかを殲滅することではない。双方が今の治世に問題意識を持つようにすることだ。元々アンドロイドというものは人間がどうしても手が届かない領域を担うためのものだ。今のように、人間に成り代わろうというのはその本分から外れている。これを正すための人間解放軍だ。憎しみのままにアンドロイドを全滅させることが目的ではない。アンドロイドは人間が作ったものだ。その過ちには毅然とした態度で向き合わねばならん。でなければ、また同じことの繰り返しになるだけだ。だから、我々はリナーシタの家に伝わってきたテリオスを修復し、その使用者となるであろう、解放軍にはいないαドライバーの力を借りることにしたのだ。だから頼む。解放軍を、君が止めてくれ」

 

 メルティの言葉にアルフレッドが続ける言葉の節々に、激情を織り交ぜられているのを秀は感じた。メルティだけでなくアルフレッドも懇願する理由は、容易に想像できる。最早、最高顧問と言えど、彼の言葉を聞き入れる者が居ないのだろう。それほどまでに彼らは憎しみに染まっているのかと、秀は息を呑んだ。

 そうしていると、アルフレッドは、先ほどから一転して語気を和らげて言う。

 

「それと、もうひとつ。娘のことだ」

 

「リーナか」

 

「ああ。あの子は私と妻が四十五にもなってからこさえた一人娘でな。高齢出産であったためか、S=W=Eの医療技術をもってしても妻は逝ってしまった。私は妻に良く似ていたあの子を、溺愛といえるくらいに可愛がった。あの子が軍に入ったのも、当時軍の高官だった私の影響だった。だがあの子が士官学校でアンドロイドに辛酸を舐めさせられた故か、私がクーデターに失敗し、精神解体を受けて帰って来た時、あの子はEGMAではなくアンドロイドへの憎しみを募らせてしまった。リーナも私を愛していたために、その憎しみは尋常でないものとなってしまった。私が何を言おうとしても、あの子は『父上の眼前にアンドロイドの首塚を築いてみせます』とばかり言うようになってしまった。私はそのようなことは全く望んでいないというに。あの子には真に滅ぼす敵は何かを、一度考えさせてやってくれ」

 

 最後の方は、涙声になっていた。秀にはアルフレッドが嘘を言っているようには思えなかった。しかし、秀はそのような話は、誰からも、リーナからでさえ聞いたことがなかった。

 

「その話、本当なのか? 俺は誰からも聞いたことがないぞ」

 

「他の解放軍の連中、カミュ君でさえ私の存在は無視しているんだよ。私の主張は目障りだからな。アイリス君に私の存在を知らせてすらいない。彼女と結んだ契約と私の主張は相反するものだ。私の存在を知られれば面倒だと思ったのだろう。リーナについては、あの子なりの意地だろう。ファザコンと思われたくないんだろうさ」

 

 そう答えるアルフレッドの言葉には、もう悲しみは無く、笑ってさえいるようだった。秀はその答えで納得すると、アルフレッドの体を再度見つめた。この時は、彼の体はもう死体には見えなかった。

 

「さて、私から話すことはここまでだ。メルティ君と、彼女が指定する場所まで亜空間跳躍してくれ。妨害の働かないギリギリのところで、車が一台用意してある。それを使って、二人で部隊に復帰してくれ」

 

「テリオスには何も言わないのか?」

 

「テリオスの役目はEGMAの破壊だろう? 私がわざわざ何かを言うまでもない。さ、早く行きたまえ。私は君たちの健闘を祈る」

 

「流石です。どこぞの誰とは違って、よく分かっていらっしゃいます」

 

 テリオスが秀を煽る。あからさまな彼の態度に、アルフレッドも微笑する。しかし、秀は他人の目の前ということもあり必死に堪えて、毅然としてアルフレッドに答えた。

 

「分かった。メルティとやら、行こうか」

 

「言われなくても。ここがその座標。間違えないでよね」

 

 メルティが座標の書かれた紙切れを差し出した。それをテリオスに見せると、次の瞬間には高層建築物に挟まれた、暗い路地に出ていた。少し見回すと、言葉通り車が一台停まっていた。秀はその見た目に違和感を感じた。前回白の世界に行った時に見た車は、どれも車輪などついておらず、みな浮上して走行していた。それで、秀は車と聞いて、それを想像していた。しかし、これには普通に車輪が付いている。しかもその見た目は、ナンバープレートこそ無いものの、どう見てもよくある日本車の軽自動車で、日本の公道を走っていても全く違和感のないものであった。

 

「ボヤボヤしないで、早く乗るよ」

 

 メルティは早口気味に言いながら、軽自動車の運転席に座った。秀は困惑しつつも彼女の言葉に従い、その助手席に座る。そうして秀がシートベルトを締めた直後に、その軽自動車らしきものが発車した。

 

「何だこれは」

 

 秀は思わず呟いた。乗り心地も普通の日本車とまるで同じだった。より困惑を深める秀の呟きを、メルティは運転しながら拾った。

 

「青の世界の車を真似て作ってみたんだ。完全に私のお手製でEGMAの管理外だから、もしEGMAがなんかやってS=W=Eの機能を停止させても、こいつは動くから移動に使ってるんだ」

 

 秀には、EGMAの手から逃れるためとはいえ、わざわざ青の世界の軽自動車を模倣する意味が分からなかった。しかし、メルティにはこれ以上車の話を続ける気は無かったらしく、前を見ながら、空いている左手でひとつのチップを秀に差し出した。

 

「これ、テリオスのデータを復活させるためのプログラムが入ってるから。これを挿す部分をデバイスに作ってあるから、そこに挿してね」

 

「そんなものがあるなら、最初から付けておけばいいじゃないか。なんで今更」

 

 秀は思ったことをそのまま口にした。すると、メルティはそう言うのが分かっていたとでも言うかのように、秀を一瞥した。

 

「挿してテリオスのデータが復活すれば分かることだよ」

 

 秀は半信半疑になりつつも、デバイスをポケットから取り出した。しかし、チップを摘んだまま、秀は動くことができなかった。以前、青の世界水晶を見せた時に、テリオスがかなり取り乱したのを思い出したのだ。すると、テリオスが呆れたような口調で声を発した。

 

「何を戸惑っているのですか秀殿。私に対して何度もAI風情がどうのこうのと言っていたくせして、今は人間扱いして、私を慮るのですか? そのような矛盾した態度は感心できませんね」

 

 秀は、テリオスの言いたいことを悟った。彼はやれと言っている。遠回しな言い方にはやはりテリオスの人間臭さが見え隠れしていた。

 

「やってほしいなら素直に言え。全くAIらしくない」

 

 秀はテリオスに軽く毒吐きながら、チップを穴に挿入した。それからの様子を、秀はじっと、メルティは横目で見守っていた。

 

「ああなるほど。私という存在はこういうものだったのですか」

 

 取り乱した様子も無く、テリオスは静かに呟いた。

 

「そんな重要なことも思い出したのか?」

 

 秀は、青の世界水晶を見せた時とは全く違う反応に戸惑い、思わずそのような分かりきったことを聞いてしまった。秀はその言葉を言い切ってからそのことに気付いたが、当のテリオスは全く気にしていない様子で答えた。

 

「はい。その通りです。あなた方が私とは何なのかを知りたければ、私は進んで語りましょう」

 

 テリオスの口調には清々しさも感じた。秀はもちろんそのつもりで頷いて、メルティに目配せした。彼女は前方から全く目を離さずに言う。

 

「話してくれるなら、走行中の暇つぶしにでも」

 

「分かりました。では要望にお応えして語りましょう。これから語ることは全て真実です。心してお聞き下さい」

 

        ***

 

 遥か大昔、一千年以上も前のことである。白の世界は、まだEGMAが開発されておらず、今日の地球のように幾つもの国に分かれて、国家間のいざこざが絶えない世界だった。

 一人の青年がいた。名をジョナサンといった。彼はある国家の軍隊の技術将校で、また、今の白の世界では失われてしまった、漫画やアニメを愛した青年でもあった。彼が軍に入ったのは、潤沢な研究資金と豪華な研究環境が目的で、彼が愛した漫画やアニメに登場するような、それひとつで戦況をひっくり返すことのできるような兵器を作りたかったからだった。事実、ヒーローへの憧れを技術将校となっても捨てきれなかった彼は、研究の傍ら、独り暮らしをいいことに自費で独自に自分用のパワードスーツの開発も行なっていた。しかし個人での兵器の無断所有は犯罪であるため、これは隠れて行なっていた。

 ある日のことである。巨大な白の水晶の発見と同時に、突然、世界の国々がEGMAと呼ばれる、水晶と世界の管理システムの元にひとつとなることが発表された。あまりに突飛な話であったために、白の世界は大混乱に陥った。EGMAの詳細が一切明かされなかったことも、その混乱に拍車をかけた。

 

「ハッキングを試みる」

 

 EGMAの発表から数日が経ったある日、休憩時間中にジョナサンらの研究チームの主任であり上官である、Dr.リナーシタが突然そう言った。彼は気さくな性格で、ジョナサンの趣味嗜好もよく理解している人物だった。彼の、人間味ある振る舞いから、部下からの信任も厚かった。

 しかし、ジョナサンたちは彼の話に乗る気にはならなかった。というのも、EGMAの発表があってから、既に何人もの腕利きのハッカーがEGMAに挑んだ。しかし、彼らは悉く、尻尾を掴むことさえ出来ずに終わっている。ハッキングが専門でないジョナサンらに、出来るとは思えなかった。

 

「無理ですよ、ドクター。もう何人もアタックをかけて失敗してるんですから。私たちでは話になりませんよ」

 

 ジョナサンはリナーシタにそう主張するが、リナーシタはそれを鼻で笑った。

 

「俺たちがやるわけじゃない。それをするのはあくまで俺たちの軍の諜報部だ」

 

「じゃあ、私たちは何を?」

 

 ジョナサンが訊くと、リナーシタは待っていたとばかりに、自信満々に答えた。

 

「実力行使だ。直接EGMAのある場所へ立ち入って、情報を盗み取ってやる」

 

 リナーシタの言葉に、その場の誰もが固まった。ジョナサンは自分で作っているパワードスーツがまだ完全でなく、また露見を恐れたための反応だったが、他は前線に出ることを拒んでいるようだ。そのようなジョナサンらの様子に、リナーシタは不満げに言う。

 

「どうした。乗らんのか」

 

「当たり前です! 私たちは兵器開発部ですよ! それをするのは実戦部隊の役目でしょう!」

 

「そうです! それは私たちの本分からずれています!」

 

 演技を交えて反駁するジョナサンに続いて、他の技術将校たちも便乗してリナーシタに抗議する。しかし、リナーシタは涼しげな顔をしていた。

 

「まあ焦るな。これは軍隊が一丸となって行うことだ。俺たちは、これまでに開発してきた様々な実験段階の兵器を、実戦に耐えうるものに仕上げるんだ」

 

「なんだ、そうならそうと言ってくださいよ」

 

 ジョナサンたちは安堵の吐息を漏らす。しかし、リナーシタは一転して厳しい表情を取り、ジョナサンに耳打ちした。

 

「話がある。すぐに俺についてきてくれ」

 

「了解しました」

 

「じゃあ、お前たちは、俺たちが話を終えるまで、このまま休憩を取れ。いいな」

 

 将校たちは威勢良く返事をする。それを聞きながら、ジョナサンはリナーシタに裾を引っ張られて、別室へ連れていかれた。リナーシタは鍵をかけたのち、盗聴器が仕掛けられていないか確認すると、ジョナサンを鋭い視線を投げかけた。

 

「お前だけ他の連中と少し態度が違ったな。何か隠していることでもあるのか?」

 

 ジョナサンはどきりとした。そしてその時に表情を強張らせてしまったため、逃げ切れないと感じた。それで仕方なく、ジョナサンは自分が独自にパワードスーツを作っていることを、正直に告白した。これで懲戒免職になることを覚悟したが、リナーシタは意外な反応を見せた。

 

「それ、見せてくれないか!?」

 

 彼は目を輝かせ、鼻息を荒くしてジョナサンに詰め寄った。ジョナサンには、その目がパワードスーツを作っている時の自分と同じ、少年の目だとよく分かった。リナーシタの熱気もあって、ジョナサンはあっさりとリナーシタの申し出を承諾した。

 そのようなわけで、勤務時間後、ジョナサンはリナーシタを私邸の地下に造った小規模な工房に案内した。その中央のハンガーにある、朱色の装甲を持つ人型が、パワードスーツだ。本体は殆ど完成しており、残りは武装の製作と、本体の出力の調整、そして命名であった。

 そのパワードスーツのデータをさらりと見たリナーシタは、目を丸くして息を呑んだ。そして、硬い動きでジョナサンに顔を向けた。

 

「これ、全てお前が作ったのか?」

 

「ああ、はい。そうですが」

 

「すげえな。これがあれば、多少訓練を受けた者ならすぐに一騎当千の力を得られるぞ」

 

 興奮した様子でデータを見ていくリナーシタだったが、だんだんとその表情は厳しくなっていった。ジョナサンにはその理由が考えずとも分かった。パワードスーツの動力源のことを考えているに違いない。

 

「動力源がサイコバッテリーじゃ、一般性が全く無いじゃねえか」

 

 案の定だった。サイコバッテリーとは、以前にジョナサンたちが開発したものだったが、特定の者が使わねば全く意味をなさない代物であったため、実用化には至らなかったものだ。サイコバッテリーは、上手くいけばほぼ無尽蔵のエネルギーを供給するが、人間の精神的な体力をエネルギー源とする。よほど強靭な精神力を有していなければ、サイコバッテリーはその人間の精神を食い尽くした上に、全くエネルギーが溜まらないため、無用の長物と化してしまうのだ。また、サイコバッテリーは使用者と直結する必要があるので、その強靭な精神力を持った貴重な人材の動きを制限することになる上に、なによりもコストが非常に高い。結局、欠陥品の烙印を押されてお蔵入りしていたのだ。

 

「ですが、このパワードスーツにサイコバッテリーが内蔵されているため、サイコバッテリーの欠点のひとつ、動きが制限されるというものは気にしなくて済みます。それに、これは軍のためではなく、私の趣味で作っているものです。一般性よりも、私のロマンを追求したものですから」

 

 ジョナサンは堂々と語る。しかし、彼はこのパワードスーツに一般性という概念を持ち込まれたことが少し腹立たしかったため、最後は語気が強くなってしまった。

 

「動かせなくても問題ないと?」

 

「はい。これが完成すれば、私はそれだけで満足です」

 

 ジョナサンはリナーシタを睨む。リナーシタもジョナサンを厳しい目で見つめていたが、やがて折れたように表情を崩し、乱雑に髪の毛を掻いた。

 

「分かった。好きにしな。このことは口外しねえよ」

 

「ありがとうございます」

 

 ジョナサンは深々と頭を下げた。リナーシタの言葉には、呆れながらも温かみがあったからだ。

 

「まあでも、これを使いこなせる奴がいれば、そいつは本当に英雄になれるな。こいつが動いてる様を、俺の倅に見せてやりたいぜ」

 

 リナーシタが唐突にそのようなことを言い出したので、ジョナサンはきょとんとして顔を上げた。リナーシタは、目を細くしてパワードスーツを見つめていた。

 

「ん、どうした? 俺に倅がいること、言ってなかったか?」

 

「ああ、いや。単に何で急にそんなことをと思いまして」

 

「深い意味は無い。ふとそう思っただけだ」

 

「そうですか。なら、息子さんにもこの存在を伝えるという目的のためなら、これの所在と写真を見せてもいいですよ」

 

 ジョナサンは、リナーシタの言葉が嬉しくて、ついそう口走った。すると、今度はリナーシタがきょとんとした。そうして、彼が我に帰ったかと思うと、興奮した様子でジョナサンの肩を掴んだ。

 

「いいのか!? 本当にいいんだな!?」

 

「ええ。ああ、でも、息子さん以外にはバラさないでくださいね」

 

「もちろんだ!」

 

 リナーシタは鼻息を荒くしながら、色々な角度からパワードスーツを撮り始めた。ジョナサンは、童心に帰ったかのような彼の背中を、自分の親を見るような目で見つめていた。

 

        ***

 

 決起当日。この日には、ジョナサンのパワードスーツは完成していたが、彼に扱うことはできなかった。おかげで、決起のどさくさに紛れて持ち込むことも考えていたが、それは叶わずに、自宅の工房に置き去りにしたのだった。

 他の部署と同じく、ジョナサンたち兵器開発部も慌ただしく動き回っていた。新型のジャミング装置や強化外骨格等の整備を整備班と共同で行なったり、兵器の搬出等の雑用に追われたりしていた。

 そうして準備を進めているうちに、ジョナサンたちのいる基地の警報が鳴り響いた。

 

「各国の軍が、我が基地を攻めてきた! EGMAへの反逆に対する制裁だとして、警告無しに発砲してきて、もうすぐで基地に進入してくる! 投降した者も皆撃ち殺された! この基地全ての人員で徹底抗戦を試みる! 各員、マニュアルにそりつつ臨機応変に交戦せよ!」

 

 警報に続き、基地司令官からの焦りの混じった命令が、基地内のスピーカーから流れた。案の定、技術将校らの集団がどよめき始めた。やがてうち一人が、人に掴みかかりそうになったところで、リナーシタが怒号を発した。

 

「静まれ! こうなった以上、最早どうにもならん! その拳を味方に向けるな、戦う気の無い者は邪魔だからさっさと逃げろ! 抗う意志がある者だけ、銃を取れ!」

 

 リナーシタの叱責で、将校たちは完全にではないものの、落ち着きを取り戻した。そして、仲間たちが次々と脱出の準備を進めていく中、ジョナサンはどちらにするか決めかねていた。

 気持ちとしては、男として、一人でも多くの敵を倒し、花を咲かせたかった。しかし、今パワードスーツの存在を知るのは、彼とリナーシタを除けば、リナーシタの幼い息子だけだ。ここでジョナサンが死ねば、そのうちパワードスーツは押収されてしまうだろう。リナーシタの息子に、パワードスーツを守る力があるとは思えない。

 ジョナサンは、信頼していないものが、ジョナサンがその身を削る思いで作り上げ、彼のヒーローの像を投影した、彼の魂といえるパワードスーツを所有して使われるのが、我慢ならなかったのだ。彼のパワードスーツは、彼の正義のためのものであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 遠くから銃声が聞こえる。脱出する者はとうに脱出しており、リナーシタらの残った数名も強化外骨格を装着し、臨戦態勢をとっている。彼らが、ジョナサンを訝しむように見つめてくる。しかし、リナーシタだけは、ジョナサンの腹の内を理解してくれているようで、その目線に哀れみも感じ取れた。

 しかし、尚もジョナサンは果断できないでいた。ジョナサンが葛藤しているうちに、大きな爆発音が響いた。上の階からだった。何が起こったのかと困惑しているうちに、ジョナサンの想定外のことが起こった。

 天井が、崩落したのだった。

 

        ***

 

 ジョナサンは、荒い息と、コンクリートの地面を走る誰かの足が映る視界、腹部の違和感、そして不可解な足の痛みを、まどろみの中で感じた。頭もずきずきする。天井が崩落した時に落ちてきた瓦礫に頭でもぶつけて、そのまま気絶してしまったのだろう。

 

「目が覚めたか、ジョナサン。死んじゃいなかったようだな」

 

「ドクター? 何を言っているんですか? それに、何をしているんですか?」

 

「何をって、気絶した上に足首から先がなくなっちまったお前を、あのパワードスーツのところまで届けようとしてるんじゃねえか」

 

 リナーシタが掠れた声で言う。その言葉と、意識がはっきりしてきたおかげで、ジョナサンは今どういう状況であるのか、だんだんと分かってきた。足首から下が無くなったというのは、瓦礫に潰されてのことだろう。そして、今はリナーシタはジョナサンを連れての逃避行の最中ということになる。そこまで分かると、ジョナサンはかっとなって声を荒げた。

 

「どうして私を助けたんですか! 私なんて放って置いて、一人でも多くの敵を倒してくださいよ!」

 

「さっきの崩落とその後に入ってきた敵との戦闘で、俺とお前以外は皆死んだ! 俺一人が突っ込んで死ぬよりは、お前を助けて死んだ方がいいに決まっているだろうが!」

 

 リナーシタが息を切らしながらも怒鳴りつける。そう言われては、ジョナサンには反論の余地がなかった。彼はリナーシタの言葉を大人しく受け入れ、今この瞬間の状況を把握することにした。少し顔を上げてみると、今、リナーシタは基地の裏手から進むことで入ることができる通りを走っていることがわかった。そして、この通りを彼の進行方向に暫く行ったところには、ジョナサンの家がある。ジョナサンは、リナーシタの狙いがわかった。

 その時であった。後方から、多くの足音と銃声が聞こえた。リナーシタは一瞬だけ振り返り、大きく舌打ちをした。

 

「追いつかれたか! ――ぐっ!」

 

「ドクター!」

 

 リナーシタの胴部から血が流れ出す。敵の弾丸が、強化外骨格と防弾チョッキを貫いて、リナーシタの体を突き抜けたのだった。しかし、彼は走るのをやめなかった。その被弾を皮切りに、次々と被弾するものの、ジョナサンには一発も当てず、ボロボロになりつつも走り続けた。ジョナサンが素人目に見ても、もうとっくに絶命してもおかしくないほどの失血量だった。しかしそれでも走るのは、彼の執念の強さがなせる技であった。

 やがて、ジョナサンの家の塀が見えた。すると、リナーシタはにやりと笑い、ジョナサンの体を両腕で抱えた。

 

「ドクター、何を!?」

 

「俺はもう限界だ。だから、お前だけでも行きやがれえッ!」

 

 リナーシタが叫ぶ。そして、ジョナサンの体を、ジョナサン邸に向かって、最後の力を振り絞って放り投げた。飛ばされるジョナサンの目には、満足げに笑って、そこに倒れるリナーシタの姿が映った。そしてその直後にジョナサン邸の塀を越え、リナーシタの姿が消えた。

 

「ドクター!」

 

 ジョナサンは叫んだ。その刹那、庭の芝生に打ち付けられ、知らず知らずのうちに流していた涙が散る。しかし、ジョナサンはすべきことを分かっていた。だから、ありったけの力で地を這って、ドアを開けて家に入った。それでも止まらずに、無我夢中で地下室への入り口まで辿り着き、そこから階段を転がり降りた。元からの打撲に加えて、階段を転がったおかげで、全身を打ってしまった。足首の傷口も痛めつけられた。しかし、ジョナサンは休憩せずに、すぐに部品が保管してあるところに向かった。そして、そこからひとつのヘッドギアを取り出した。

 

「パワードスーツを守るには、これしかない」

 

 ジョナサンはコンピュータをヘッドギアとパワードスーツに繋げて、ヘッドギアを装着してキーボードの操作を始めた。自らの自意識をこのパワードスーツの中に封じ込め、そのOS兼サポートAIとなる。既に確立された技術ではあったものの、実用化には至っていなかった。しかし、パワードスーツを守るためには、それしかないように思えた。

 急ぎその準備を終えると、自宅の自爆プログラムを先に起動し、それから意識の移植を始めた。遠のく意識の中で、上の階で追っ手が駆け回る足音と、次々と起こる爆発音が響く。ジョナサンがいるここも、もうじき自爆に巻き込まれて瓦礫に埋められるだろう。しかし、それよりも早く意識の移植が終わりそうだった。まが、完全にパワードスーツに彼の意識が移る前に、彼にはすべきことがあった。パワードスーツの名前を決めることだ。

 

(これは、そう。この世界の希望、テリオスだ。これ以上にふさわしい名前は無い)

 

 これが、人間として、ジョナサンが最後に思考したことだった。次の瞬間、抜け殻となった彼の体は、炎に呑まれ消えていった。

 

        ***

 

(俺は、知らなかったとはいえ、かなり破廉恥なことを言っていたんだな)

 

 テリオスが語り終えた時、秀はすっかり恥じ入っていた。AIの癖にどうのこうのと、罵倒していた自分を思い出すと、穴があったら入りたい気持ちで一杯になった。なんとか詫びたいと考えたが、うまい言葉が思いつかなかった。結局、彼の口から出たのは次のような言葉だった。

 

「その、なんだ。これからはジョナサンと読んだ方がいいのか?」

 

「これまで散々に私のことをAIの癖にと馬鹿にしてきたのに、何を言ってるんですか。気持ち悪いのでテリオスで結構です。それよりもメルティ殿、私の記憶にロックをかけたのはあなたですか?」

 

「うん。そうだよ」

 

 秀は辛辣なテリオスの口調にかちんときたが、すぐに彼とメルティとの会話が始まってしまったために、渋々黙った。

 

「勝手ながら、君のデータを解析したら元人間だって分かったからね。最初から人間としての記憶を持つよりは、その体に慣れてからの方がいいでしょ? そういうことだよ」

 

「なるほど。お心遣い感謝いたします」

 

 テリオスは恭しくメルティに礼を言った。秀に対しての態度が嘘のようである。秀がそのことを突っ込もうとした時、メルティがブレーキをかけたおかげで、つんのめってそうすることが阻まれてしまった。

 

「着いたよ」

 

「ああ……。運んでくれてありがとうな」

 

 秀が礼を言いつつ車から出て、リーナと合流しようとした時、メルティに肩を叩かれた。

 

「待ちなよ。テリオスの新兵器になりそうなものをいくつか見繕って持ってきたんだ。だから見ていくだけでも」

 

「秀殿。行きましょう。またと無い機会ですよ」

 

 テリオスが興奮した様子で促す。テリオスのパワーアップは秀にとっても嬉しい話だった。そういうわけで、メルティは車のトランクを開けた。流石にトランクは亜空間格納庫を使っていたのか、軽自動車の車体よりも大きな、徳利のような形の大砲を引っ張り出した。

 

「これはエネルギーキャノンだよ。エネルギーの渦を扇状に放射する。まだ数十パーセントのパワーでしか試射したことないから、フルパワーの破壊力は未知数。でも、それで撃てばアンドロイドを何千人も軽く消し飛ばす威力はあると推測されてるよ」

 

「おいおい、アンドロイドとの共存を望むんじゃなかったのか」

 

 嬉々として語るメルティに秀が呆れて突っ込みを入れると、メルティは表情を少しも変えずに言った。

 

「確かに私はアンドロイドを殲滅なんてして欲しくないし、アンドロイドの人格も認めてて、彼らとの共存も望んでる。でも理想の実現のためには犠牲はつきものだし、EGMAの破壊のためには仕方のないことだよ」

 

 メルティの言葉で、秀は疑問を覚えた。EGMAは解放軍が確保している。彼らは皆、対アンドロイドに関しては掲げる目標もあってエキスパートだ。解放軍がそう簡単にEGMAを奪回されるとは思えない。それなのになぜ、EGMAの破壊に多くのアンドロイドの犠牲が要するような言い方をメルティがしたのか、秀には分からなかった。そのような秀の内心を見透かしたように、メルティは笑みを浮かべた。その目は、秀を軽蔑しているかにも見えた。

 

「すぐに分かることだよ。そんなことより、もうひとつ」

 

 メルティが次に出したのは、さっきとは打って変わって、かなり小さいチップのようなものだった。

 

「これはサイコバッテリーの機能を拡張するもので、これを使うと、人の精神を霊的な力として何かに与えられるようになる。リンクの原理に呪術的な要素を導入した機械だよ」

 

「白の世界で霊的とか呪術的とかいう言葉を聞くとは思わなかったな」

 

 秀は思わずそう呟いた。そのチップの機能よりも、白の世界でその類の言葉を聞くことになることが意外で、そちらに意識が向けられてしまった。

 

「ま、今の白の世界じゃ殆ど意識されないものなのは間違いないね。でも、テリオスが作られた時代にはあった。テリオスが超自然の存在を知覚できるのはそういうことだよ。もっとも、私はテリオスの修復に取り掛かる前から、そういう信仰は持ってたけどさ」

 

 そう語るメルティに相槌を打ちながら、秀はテリオスのデバイスにチップを挿入した。

 

「何か変わったことはあるか」

 

「確かに機能が拡張されました。この機能を使えば周囲の味方の大幅な強化が計れますが、秀殿にかかる精神的負担も半端なものではありません。緊急を要する時にしか使えないでしょう」

 

「そうか。分かった」

 

 秀はテリオスの言ったことを肝に銘じた。このような警告を、気に食わない相手からのものとはいえ、素直に受け入れる度量を秀は持ち合わせていた。

 

「もう終わりか?」

 

「いや、もう一個」

 

 秀が尋ねると、メルティはそう答えて、ジョイントのついたふたつの箱らしきものを取り出した。

 

「これミサイルランチャーね。弾倉は亜空間格納庫を使ってるから、ほぼ無尽蔵に打てるよ」

 

 秀はそれを受け取ると、どこから弾が出るのかと探ってみた。すると、接合部を下にした時に側面となる面のひとつの真ん中に、切れ目が入っているのが見えた。そこを開いてみると、六つの穴からミサイルが覗いていた。

 

「ははあ、なるほどな」

 

 秀は一人納得しながら、それを元に戻してきた先のエネルギーキャノンと一緒に、テリオス用の亜空間格納庫にしまった。

 

「じゃ、私はカミュに呼ばれてるから。またね」

 

 秀にもう用事は無いのか、メルティは手早く車に乗って、そのままEGMAの施設の敷地内の道路を走っていった。発進する間際に、秀はメルティに一瞥された気がした。アルフレッドと彼女から託された任を果たせ、ということだろう。

 

(しかし、どうやってやろうか)

 

 まず一人では無理だ。協力者が要る。しかし、アルフレッドもメルティも、彼らの話しぶりからするに、その発言に解放軍を動かす力はない。しかし、アンドロイドには確執がなく、EGMAだけを否定する者が、解放軍にはいない。アイリスたちに協力を仰ぐこともできない。白の世界にいる者の中から探すしかない。秀がそう考えた時、すぐに一人だけ、それに当てはまる者を思い出した。

 

(カレンは、前にEGMAへの不満を俺に吐露していた。あいつなら!)

 

 それに、カレンは秀に好意を抱いていた。それを利用するようで悪い気もしたが、彼女と協力しなければ、アンドロイドとの共存の可能性を示した上で、EGMAの破壊などできやしないと、秀は確信した。具体的な方法は全く思いつかないが、とにかくそうするしかない。そのためには、多少の犠牲は払う。秀が出立前に抱えていた迷いも、幾分か払拭された。

 秀が決意を固めて、改めてリーナの元へ向かおうとすると、ちょうど向こうから彼女が走り寄ってくるのが見えた。

 

「リーナ、敵の動きは?」

 

 秀の問いに、リーナは秀のすぐ側まで来てから答えた。

 

「まだありません。それよりも、父はなんと、申していましたか?」

 

 リーナの言い方は、息切れしているというのもあるだろうが、歯切れが悪かった。アルフレッドの言うように父への思慕を感じさせまいとしているのか、それともアルフレッドの思想を知っているからか、どちらかだろうと秀は推測した。どちらにせよ、秀はアルフレッドの願いを伝えるかどうか、すぐに決断はできなかった。言えば、リーナに揺さぶりをかけることになる。非戦闘時ならまだしも、一触即発の状態だ。しかも、リーナは隊長だ。彼女に迷いを生じさせては、作戦行動に支障が出る。それだけならいいが、リーナの命も危うくなる。彼女はまだ死ぬべきではない。

 

「秀?」

 

 リーナが、不安げに秀の顔を見上げた。その表情は、アンドロイドへの復讐に燃える戦士というよりは、歳相応の女性のものだった。その顔を見て、秀は意を決して口を開いた。

 

「リーナ。お前は、本当にアンドロイドを消し去ることが、最上の解決法だと思うか?」

 

「父が、そう言ったのですか?」

 

 リーナは、顔をしかめて質問を返した。

 

「アルフレッドがお前に伝えてくれと言ったのは、真に滅ぼすべきは何かを考えろ、ということだ」

 

「真に滅ぼすべき敵、ですか。考えてみましょう」

 

 リーナは顎に手を当てて、そう言った。秀にとってこの反応は意外で、思わずきょとんとしてしまった。その様子に気づいたリーナが、顔を赤くし、頬を膨らませた。

 

「な、何ですか。私が言ったことがそんなに意外でしたか」

 

「ああ。てっきり聞く耳持たれないかと思ったよ」

 

「父が言ったことだからちゃんと考えるんです。秀が言ったことだったら、どうか分かりませんが」

 

 リーナの顔は依然として赤いままだった。起こっているのか、恥ずかしいのか。恐らく両方だと秀は思った。彼女の性格と、父を愛しているという情報を元にすれば、そのくらいは簡単に予測できた。

 

「じゃあ私は戻りますから、ちゃんと配置についてくださいね」

 

 リーナは怒ったような口調で言うと、逃げるようにその場を去っていった。やれやれと秀がため息をつくと、作戦司令部から通信が入った。今回の作戦では敵に存在を隠す必要は無いため、普通に通信機を使っている。

 

「秀、さっきメルティって人からいくつか武器を貰ったでしょ。どんなのか教えてくれる?」

 

 通信の主はあずさだった。秀は言われた通りに先ほどメルティに渡された武器と、その簡単な説明をした。それが終わって、あずさが通信を切ろうとしたが、秀はそれを引き止めた。

 

「椎名。友としてお前に頼みがある」

 

「秀?」

 

 あずさの声が小さくなった。秀の強い口調に、秀の頼みの重要性を悟ったようだ。

 

「この先、俺が何をしても、見逃してくれないか? だが安心しろ。裏切るわけじゃないから」

 

「秀、何をする気なの?」

 

「それは言えない。だが、信じてくれ」

 

 秀はあずさに言えないことが心苦しかった。彼女は司令部付きだ。秀の真意を伝えれば、他の人に事が露見する可能性が高くなる。仕方のないことだった。だが、あずさは、そのようなことは意にも介していないような優しい声色で告げた。

 

「うん。分かった。信じるよ」

 

「すまん。恩に着る」

 

 秀は胸に込み上げるものを押さえ込んで、通信を切った。そうして、天を見上げた。相変わらずの曇りとも晴れともつかない、中途半端な空模様である。

 

        ***

 

 メルティがカミュのいる司令部となっている一室に入ると、彼女はそこにいた殆どの者から一斉に白い目を向けられた。メルティは、理由は分かっていた。解放軍に武器の提供などで協力しながら、解放軍に入るのを頑なに拒んでいることと、その理由となっているメルティの信条が彼らにそうさせているのだ。

 メルティに気づいたカミュが、ひとつの黒い袋を提げて歩み寄ってきた。そうして、その袋をカミュが差し出してきた。

 

「このアンドロイドの、人工知能の解析をお願いしたい」

 

 メルティは、そのアンドロイドというにはあまりに小さい袋を受け取って、中身を見た。そこにあったのは、一人のアンドロイドの生首だった。メルティは見るに耐えず、目を逸らして袋の口を素早く縛ると、カミュを睨んだ。

 

「これは、何? 私への当てこすり?」

 

「そのアンドロイドは未来から来ている。解析をすれば、有益な情報が得られるやもしれん」

 

 カミュは、泰然として言い放った。メルティは、カミュと、彼女を含む解放軍に心底腹が立った。そもそもアンドロイドとは、白の世界では人口生命体を指す言葉だ。確かに作ったのは人間だが、曲がりなりにも生命だ。その上獣とは違い、人工知能による知性を持っている。しかし、解放軍はアンドロイドを物としか見ていない。その解釈はある意味で間違ってはいないが、それでも人間性を疑う見方だ。しかも、解放軍の人々は、自分たちが間違っていないと信じて疑わないため、かなりたちが悪い。そもそも、解放軍を立ち上げた時の理念を忘れてしまっている時点で、メルティにとっては話にもならなかった。

 しかし、このアンドロイドの人工知能が生きている可能性を考慮すれば、カミュたちが望むのとは違う人間の未来で、役に立たせることはできる。このアンドロイドはもう破壊されたのだから、そう思うと、メルティは俄然とやる気が出て来た。しかし、メルティが解放軍に不満があるのは変わらないので、次のような物言いをした。

 

「まあ、私もカミュから食い扶持を貰わないと生きていけないから引き受けるけど、でも私が解放軍に入らないのは、こういう所が原因だって理解しときなよ。もっとも駄々っ子の集まりみたいな連中に言っても無駄だろうけどね」

 

 メルティが嘲ると、蔑視の目線が更に強まった。所詮はこんなものかと、彼女が体を翻した時、他の者らが彼女に向ける視線とは異質な視線を感じ取った。その主は、解放軍では見ない二人だった。名簿に載っていた名前と写真の顔を一致させると、彼女らは椎名あずさとユノ・フォルテシモだった。メルティは彼女に寄ると、戸惑いを見せる二人に笑いかけた。

 

「いい目してるね、君たち」

 

 二人の反応を見ずに、メルティはまた踵を返して今度こそ出ようとした。だが、そこでカミュに呼び止められた。

 

「待て。もうひとつある。箱舟の件だが――」

 

「ああ、あれならもう完成したし、希望者にはもう乗船してもらったから、この戦いに決着がついたら渡すよ。まあ私はカミュの依頼をこなすとするかな。空間断裂砲、使えなくて残念だったね」

 

 メルティはカミュに背を向けたまま嘲笑すると、すぐに司令部の部屋から出た。

 空間断裂砲とは、箱舟に搭載されている最強の武装のことだ。文字通り、ビームを照射した部分の空間を引き裂いて亜空間を作り、その中に敵を吸い込んで閉じ込めるという兵器である。秀に渡したエネルギーキャノンと、その空間断裂砲があれば、解放軍は大した労力を費やさずにアンドロイドの軍団に打ち勝てるだろう。そして、自己を省みずにアンドロイドを根絶やしにしたことを喜ぶ。そのような愚行をさせるわけにはいかなかった。

 メルティが施設から出て、車に乗って箱舟に向かおうとした時、大地が揺れた。EGMAが動いた――そう確信したメルティは、カミュたちの動揺を思い浮かべて、一人ほくそ笑んだ。

 

        ***

 

 カレンたちアンドロイドの軍団は、ミハイルの研究所に集まっていた。しかし、そこには何を制御するのか分からないコンソールしかなく、他のものは一切撤去されて、広大な空き部屋と化していた。以前カレンがここに赴いたのは秀と出会う前だったが、その時はアンドロイドの工房があり、アンドロイドを作るための機械と、その部品やガラクタが床に散乱していた。だが、今のミハイルの研究所には、その時が嘘のようにチリひとつ落ちていない。

 T.w.dと敵対してからというもの、セニアがミハイルとばかり話していることもあって、カレンが不審に思っていると、彼女らの前にセニアを横に侍らせたミハイルが登場した。

 

「さて、これから重大な話がある。決して聞きもらすなよ」

 

 そう言って、ミハイルはセニアの肩に手を置いた。そうしてカレンを一瞥すると、全体に向き直って告げた。

 

「実は、EGMAが真の能力を発揮するには、生体ユニットが必要なのだ。そして、それは知的生命体でなければ意味を成さない。しかし、生身の人間がそれを行えば、間違いなく廃人になるか、気狂いになる。だから、人間はそれに耐えうる知的生命体を自分の手で生み出そうと考えた。それが諸君らアンドロイドだ。アンドロイドはそのためにある。人間の補助はついでに過ぎない」

 

 そのミハイルの言葉で、カレンは彼女が何を言いたいのか、直感的に悟った。ミハイルの言葉と、彼女の隣にセニアがいることを考えれば、可能性はひとつしかない。

 

「そして、幾星霜、気の遠くなるような年月をかけ、私たちアンドロイド技術者は、できるだけ人間に近いアンドロイドを作ろうと、様々なタイプのアンドロイドを作ってきた。そして! 人間のように学び、精神的、肉体的成長を為すことが出来、更にEGMAに組み込まれても自我を保つことができる理想のアンドロイド、コードΩ46セニアを、私は作り上げたのだ!」

 

 ミハイルの顔は歓喜に満ちていた。カレンには、その喜びは狂気的なものにも思えた。それは、理想のアンドロイドを作った技術者という自負からくるものだろう。カレンは、嫌な予感がしていた。無意識のうちに、セニアを見つめる。しかし、セニアは虚空を見つめているだけで、カレンの視線に気付いている様子はなかった。

 

「セニア、分かっているな」

 

「はい」

 

 ミハイルがセニアの肩から手を離すと、セニアはカレンたちに背を向けて、宙に浮遊し始めた。そうして、彼女の体全体から、白い閃光が走った。

 

「一体、何が!?」

 

 カレンをはじめ、他のアンドロイドも困惑する。そうしているうちに、研究所の天井を突き破って、大小様々なチューブに包まれた、半径五メートルほどの球体が突っ込んできた。それが床に付き、セニアの前で止まる。ちょうどその時、セニアが発していた光が止み、球体を覆っていたチューブが開いた。すると、そこにあったのは、円筒状の、セニアが向いている側の底面に女性の陰部のような穴のついた、謎の生体的な機械だった。カレンは、これこそがEGMAの本体だと閃いた。

 

(この形、人間の作った機械が人間の世界の全てを生み出すと、そういうことですか……!)

 

 悍ましい――カレンが初めに抱いたのは、そのような感想だった。あまりに馬鹿馬鹿しい形だ。これを作った者は、相当に頭が壊れていたのだろうと、カレンには思えてならなかった。そうしている内に、セニアがその穴に近づいていっているのが見えた。カレンは、知らず知らずのうちに彼女に手を伸ばしていた。

 

「駄目、行かないでセニア!」

 

 思わず叫んだその言葉に、セニアが振り返った。その行動に、カレンは一瞬だけ安堵を覚えたが、すぐにそれは瓦解した。セニアは無表情だった。その目も、姉を見るような目とは到底思えなかった。

 カレンは、失意に暮れて膝をついた。涙に滲む視界の中で、セニアはEGMAの穴に埋もれるように入っていき、その体が見えなくなると、穴が閉じた。それから暫くして、コンソールのモニターに、ある文字列が並んだ。それを読むと、次のようなニュアンスであった。EGMAに仇なす者の鏖殺――それを見たミハイルが、壊れたように笑い出した。

 

「そうか、そうかそうか! やはりそうか! EGMAに歯向かう者は粛清せねばならんのか! 真の姿となったEGMAの言うことだ。間違いなはずがあるまい! ようしアンドロイドの諸君! まずは解放軍を血祭りに上げろ! 作戦など無い。見たら殺せ! 遠慮はいらん、さあ早く!」

 

 ミハイルが、正気とは思えないような形相で指示を出す。しかし、彼女の命令に従う者は誰もいなかった。カレンも含めて、皆戸惑っていた。今起こったことは理解できているものの、狂ったミハイルの、残虐非道な命令を受け入れようとは誰も思うはずもなかった。

 少しも動き出す様子を見せないアンドロイドたちに、ミハイルは業を煮やしたように舌打ちをすると、コンソールのキーボードに指を走らせはじめた。今のミハイルの様子を考えれば、彼女が何をする気でいるのか、カレンはすぐに思い至った。それで、即座にミハイルに詰め寄り、その胸倉を掴んで強引に引っ張り上げた。しかし、ミハイルはそうされながらも、気が違ったとしか思えない笑みを顔に露呈していた。

 

「セニアを解放なさい! 今すぐに! あの子はこれまで状況に流されるばかりで、碌に学ぶ機会を得られなかったのです! もしも先の指令が、EGMAがセニアの経験を反映したものだというのなら、浅はかな考えも甚だしいというものです!」

 

 今のミハイルに、正常な判断など望めるはずもない。そう分かっていながらも、カレンは湧き起こる怒りをミハイルにぶつけた。対し、彼女は、その狂気に満ちた目でカレンを睨みつけてきた。

 

「十分な学びの場が得られなかったのはT.w.dのせいだろう? そういうことも考慮してのこの判断だと思わないのか?」

 

「だとしても! これではあまりに幼稚すぎるではありませんか!」

 

「貴様、一度ならず二度までも、EGMAの判断を愚弄するか!」

 

 とうとう口調まで変えて、ミハイルはカレンに反駁した。その様子を見て、もう手遅れかもしれないと思ったカレンは、意図せずミハイルを掴む手の力を緩めてしまった。ミハイルはその隙をついて、カレンの腕から逃れた。すぐさま、目玉をあらん限りに剥き、涎まで垂らしながらキーボードの操作を再開した。そして、カレンがもう一度手をかけようとしたその寸前に、ミハイルは操作を終了した。

 

「ふふふ。EGMAの御意志を成すためだ。このような処置をするのも致し方無いだろうよ」

 

 ミハイルが、最早別人かと思うくらいに顔を崩して言った。その次の瞬間、カレンは激しい頭痛を覚えた。カレンだけでなく、他のアンドロイドも、頭を抱えてうずくまり出した。その痛みは段々と増していき、ある点を超えてから、彼女らは阿鼻叫喚の様相を呈した。正気を失ったような数多の絶叫が天を衝くように響く。

 

(助けてください、セニア、秀様……!)

 

 最後にカレンの頭をよぎったのは、二人の愛する者の幻影だった。その姿が消えると同時に、カレンの意識も消え去っていった。



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その力、真なる正義のために!

 EGMAが、飛び去った。その報せは、たちまち解放軍中に知れ渡った。秀も、その報を受けて愕然としたが、ある程度平静は保つことができた。というのも、メルティが示唆していたことがこのことだと理解できたからだ。なぜ彼女が知っていたかは分からないが、とにかく大して動揺しないでいられたのは、彼女のおかげだった。

 他の隊員はというと、やはり混乱していた。秀を含めた、リーナ率いる第二部隊はEGMAの施設の外縁に配置されていたが、隊形こそ乱れていないものの、通信のやり取りでは大声で怒鳴りあっているのが聞こえた。その中で、司令部から通信が入った。

 

「こちら司令部。無人偵察機をEGMAが飛翔した先に飛ばします。詳細が分かるまで待機をお願いします」

 

 ユノの声だった。その落ち着いた無機質な声は、彼女がこの戦いの中で役割を果たそうとしていることの証拠だろう。その通信で、解放軍の怒鳴り合いが止んだ。まだ、少なからず冷静さは残されていたようだ。

 秀を含め、誰もが偵察機からの映像を固唾を飲んで見守る。しかし、偵察機は、しばらく行ったところで、ビルの建ち並ぶ都市地域を行く大量のアンドロイドの軍団を映した瞬間に、その軍団の中から飛んできた光線に撃墜されてしまった。秀たちが言葉を失う中、司令部のあずさから、次のような命令を伝えられた。

 

「司令部は撃って出ることを決定しました。第二部隊のジャッジメンティス隊とテリオスは先行して、工業地帯のW56地域へ敵を誘導してください。その後、第一部隊のジャッジメンティス隊がEGMAを捜索し、見つけ次第確保します。第一、第二部隊の歩兵隊は司令部の防衛の任に就いてください」

 

 命令は以上だった。続いて、先ほどの偵察機からの情報を基にしたらしい、敵の配置と数のデータが送られてきた。それによれば、敵は五百ほどで、無秩序な列で、およそ時速40キロメートルの速度で解放軍陣営に向かっているとのことだ。その数はミハイルが青蘭島に引き連れてきた数よりも多い。恐らくは、全ての戦闘用アンドロイドを戦闘に駆り出し、その一部をこれに当てているのだろうというのが、司令部の見解だ。

 

「ジャスティス02から06は右翼、07から12は左翼に展開して、私を中心に鶴翼陣形を構築。テリオスは私たちに先行、エネルギーキャノンで出来る限りの敵を掃討した後、後退して私たちに合流して下さい」

 

 ジャスティス○○とは第二部隊のジャッジメンティス隊のコールサインであり、またテリオスとは秀を指す。リーナの声は落ち着いていた。彼女にアルフレッドの言葉を伝えた時の秀の危惧は、ひとまず外れたようである。

 

「了解した!」

 

 秀はそう返すと、背部のブースターを吹かして飛翔した。高度は50メートル、速度は80メートルほどに保ち、空を行く。敵の正確な所在地が分からない以上、亜空間転移に頼るわけにもいかない。テリオスも、この秀の判断は当たり前のことだったためか、何も言うことはなかった。

 

「テリオス、あのエネルギーキャノン、一発撃って俺のその後の戦闘に支障をきたさない程度にするには、何パーセントのパワーで撃てばいい?」

 

「最大でも10パーセントですね。それ以上で撃つと、いくら体力のある秀殿でも、意識を保てるかどうか分かりません。ああ、それと」

 

 テリオスは、少し溜めてから告げる。

 

「エネルギーキャノンの呼称はテリオスキャノン、ミサイルランチャーはテリオスミサイルでお願いします」

 

 テリオスの声色は至って真剣だった。秀は、戦闘中だということも忘れかけて、失笑した。

 

「分かった。テリオスキャノン!」

 

 秀が誤魔化しも兼ねて叫ぶと、徳利状の大砲が、秀の前に出現した。いわゆる徳利の底の部分に穴が空いていて、それが発射口となっている。また徳利の口のようになっている部分が本体との接続部になっており、そこに申し訳程度の取っ手が付いていた。それを掴んで胸部に口を押し当てると、その砲の回路とテリオスのそれが直結した。

 秀はその状態のまま敵が目視できる地点まで接近し、キャノンを構えて停止した。

 

「エネルギー10パーセント充填完了。いつでも発射できます」

 

「了解した! テリオスキャノン、発射!」

 

 秀が叫ぶと、キャノンの発射口から、雷を伴った、竜巻のようなものが発射された。これこそが、メルティの言っていたエネルギーの渦である。その渦は段々と広がっていき、最初に敵に当たった時には、最初の幅の数十倍にまでなっていた。

 秀は、その瞬間から起こったことに瞠目した。エネルギーの渦は勢いを緩めることなく、渦に呑まれた敵を捻って破壊するだけでなく、ビルを根こそぎ吹き飛ばし、舗装された地面を抉っていった。

 秀は唖然とするほかなかった。エネルギーの放出が終了した頃には、見た限りでは敵の八から九割を壊滅させたほか、エネルギーの渦が呑み込んだ地域はほぼ更地と化し、その範囲は都市部の半分ほどにも及んだ。敵への注意は引けるだろうが、敵に与えたダメージは、あまりに大きすぎて作戦の趣旨からは逸れている。やりすぎだった。

 

「10パーセントのパワーでこれなら、フルパワーで撃ったらどうなるんだ」

 

 秀はキャノンを亜空間に格納すると、茫然自失となって唇を震わせて呟いた。フルパワーで撃ったら、最悪これひとつで世界を破壊できてしまうかもしれない。秀はテリオスキャノンに本能的な恐怖を覚え、以後この武器を封印することを決めた。そう決意してもなお、秀はテリオスキャノンに怯え切っていたが、秀の意識は、テリオスの切羽詰まったような声で戦闘に引き戻された。

 

「秀殿。敵によるジャミングです。どの周波の通信用電波でも、本隊との連絡が付きません」

 

「何? まずいな。リーナの命令もあるし、このことも伝えないと」

 

 秀が方向転換して戻ろうとした時、テリオスが焦りに満ちた声で叫んだ。

 

「秀殿! 敵です! とてつもないスピードで向かってきています!」

 

「何!?」

 

 秀は、敵を確認する前に、亜空間転移を敢行しようとした。だが、その前に敵が追いつき、秀の足を掴んで引っ張って放り投げた。

 

「テリオス! 何故亜空間転移を続けない!」

 

 姿勢をバーニアで整えながら秀が怒鳴りつけると、テリオスも声を荒げて答えた。

 

「亜空間転移はユノ殿のような瞬間移動ではなく、一瞬で亜空間を作り目標地点と繋げてそこを移動することです! 今のような敵に対しては隙になるだけです!」

 

 テリオスのその説明で、秀の頭は冷えた。そういうことならば、中断するのも仕方がない。また、敵が近づいてきた速度を考えると、振り切ることも不可能だろう。残された道はひとつだった。

 

「応戦する! ブレードを出せ!」

 

「了解です」

 

 秀の右手に、テリオスブレードが握られる。その直後に秀は先の敵に向かって吶喊する。秀が斬りかかろうとした時、これまで見えなかった敵の顔が見えた。その顔に、秀は驚愕のあまり、ブレードを振りかぶったまま、固まってしまった。

 

「カレン」

 

 秀がその名をつぶやく。アルフレッドとメルティの願いを実現させるために、必要不可欠な存在。秀は、思わず手を伸ばした。だが、その手はカレンに触れることはなかった。カレンは無表情のまま後ろに少し下がると、秀の鳩尾に蹴りを入れ、そのまま猛スピードで降下し始めた。

 

「カレン! 俺が、俺の声が分からないのか!」

 

 落ちながらも、秀が必死に呼びかけるが、当のカレンは氷のような表情のまま、何も言わなかった。

 落下中、秀は必死に呼びかけを続けるが、カレンは全く反応を示さず、秀を地面に叩きつけた。テリオスのおかげで、体へのダメージは殆ど無かったが、秀の心には傷がついた。未だ信じられぬ心境のまま、秀はカレンの足から抜けると、彼女から距離をとった。

 

「秀殿。あのアンドロイドは、EGMAに洗脳されています。秀殿が何を言おうとも、その声は届きません。戦うほかありません」

 

 テリオスが、嗜めるように言う。だが、秀はその言葉に従う気にはならなかった。戦う前、秀たちと殺し合いたくないと涙した彼女だ。今の彼女が、テリオスが言うように洗脳された姿だというのなら、戦う道ではなく、もっと他の、彼女を正気に戻す方法を模索する道を選ぶべきだ。思考を巡らせるうちに、秀はαドライバーで、カレンはプログレスだということに思い至った。その関係に気がついた時、秀はハッとした。これを、今活かさずしていつ活かそうか。

 秀はカレンを見つめた。その目には秀への殺意しか向けられていない。秀は一瞬怯んだが、すぐに己を奮い立たせた。彼女を正気に戻さねば、アルフレッドとメルティの願いを叶えることは出来ない。そして、αドライバーとして、プログレスにできることはひとつしかない。

 秀は、意を決して、ブレードを明後日の方向に放り投げた。

 

        ***

 

 リーナは、操縦桿を強く握りしめながら、モニター越しの景色を睨んでいた。敵部隊の壊滅から、五分が経った。しかし、その直後にテリオスの反応をロストしてから、秀が戻ってくる様子も、通信も無い。その時点で、司令部から「テリオスは無視して発進せよ」との趣旨の命令が下った。

 

「テリオスは無視します。全機、発進!」

 

 リーナの号令で、全十二機のジャッジメンティスが飛び立つ。リーナは毅然を装っていたが、内心では全く落ち着いていなかった。秀の行方に関する不安と、秀から聞いたアルフレッドの願いに関する迷いが綯い交ぜになって、かなり不安定になっていたのだった。

 

(本当の、敵。もしも秀がアンドロイドに討たれても、私は父上の願いを意識していられるでしょうか)

 

 秀を知ったのは、カミュに彼の訓練の仕上げに呼ばれたことがきっかけだった。模擬戦の相手をした時は別に彼のことは何とも思わなかった。後に敵同士になるかもしれないとカミュに聞かされた時も、全く何も感じなかった。彼を異性として意識し始めたのは、カミュが達也と交際し始めてからのことだった。彼女が達也と幸せそうにしているのを見て、恋愛に興味を持ち、また知っている男性として、自分の部下の男性よりも真っ先に秀が挙がったので、彼に興味を持ち出したのだった。それから、二人に秀について色々と質問をした。彼の出自から、彼の家での生活まで、あらゆることを尋ねた。そうして、彼を知るうちに、彼に惹かれていったのだった。だから、赤の世界で再開した時には、秀に愛情を注ぐカミュに嫉妬もしたものだった。とはいえ、実際に日常の彼を見れば、リーナが想像していたほどでもなかった。リーナが彼に過度に期待していたというのと、カミュと達也が彼を持ち上げすぎていたというのもあったのだろう。とはいえ好きなことには変わりなかった。彼がレミエル以外に異性としての興味を抱いていないことも重々承知だ。陰で想っているだけでも、リーナは満足だった。

 

「隊長殿、敵によるノイズ方式のジャミングが働いています。我々の使う電波の周波数では、広範囲での通信は不可能となりますが、いかがなさいますか?」

 

 部下からの通信で、リーナは戦場に意識を戻した。

 

「少し進んで、散開して様子を見ます。異変があったらその報告をまとめた後、ジャスティス06と12は一旦本部に状況を知らせに行って下さい」

 

 部下が了解、と返事をする。リーナはその声の張り具合に満足しながら、モニターに注意深く目を凝らした。街が、まるで天変地異でも起きたかのように破壊されていること以外は、特に異常は無い。アンドロイドの影も見当たらない。

 

(これがテリオスキャノンの威力ですか。この力を秀でなく、我々が手にしていたら――)

 

 ――間違いなく、アンドロイドに何の考えも無しに撃っていただろう。リーナは寒気を覚えたが、そのように感じる己にも違和感を感じた。アルフレッドの言ったことが、早くもリーナの心を大きく揺さぶっている。リーナは、自分たちのアンドロイド殲滅が、S=W=Eを導く唯一の手段だと思い込んでいた。しかし、今はそれが揺らいでいる。本当に固い信念を持っていたならば、こうはならないはずだ。つまり、これはかなり脆い考えだったということになる。よく考えればそうであった。自分たち解放軍は赤の世界やアルバディーナを非難するが、彼らと自分たちの本質は何も違っていない。どちらも感情に呑まれて盲目的になっているだけだ。そのような自覚がどこかにあったからこそ、アルフレッドの言葉を素直に受け入れられたのかもしれない。

 

(そうなると、私たちは間違えた道を突っ走っていたことになりますね)

 

 青蘭学園から白の世界に行く時も、アイリスが一貫して冷たかったのもよく分かった。解放軍以外の皆は、同じことを思っていたのだ。

 

(果たして、戻れるのでしょうか。私たちの原点に)

 

 アルフレッドが起こしたクーデター未遂事件は、EGMAに対してのものだった。人間解放軍の始まりもそこからだ。しかし、今はアンドロイドをなで斬りにするための人間解放軍となってしまっている。何から人間を解放するのか。それを、憎しみだけで履き違えてしまっている。リーナが少し考えただけで、それが分かってしまった。それくらい、弱い立脚点だったのだ。しかし、リーナがそう考えることができたのも、アルフレッドという、完全に信頼できる者の言葉があってこそだ。彼のように嗜めてくれる、百パーセントの信頼を置ける人物が、リーナの知りうる限りでは他の解放軍の人員にはいない。強いていえばカミュに達也がいるくらいだ。いくら脆い思想でも、それが誤りだと気付かせてくれる人がいなければ、彼らの中ではそれが真実となる。そして、それはリーナではない。もし、この場でアンドロイド殲滅主義を否定すれば、逆にリーナが攻撃されるのは火を見るより明らかだ。彼らを目覚めさせる方法が全く思いつかない。四面楚歌で八方ふさがりだった。

 

「隊長殿。こちら03、捜索地域に異常は確認できませんでした」

 

 リーナの元へ、そのように通信が入る。リーナは意識を切り替えて、ジャスティス03に労いの言葉をかける。彼を皮切りに、続々と異常無し、との報告が伝わる。それを受けて、次に何をすべきか思索している時に、地下にジャッジメンティス改が熱源を感知した。改は通常機に比べて通信機能が強化されているとはいえ、ジャミングの影響下にある中で熱源を感知できるということは、かなり大きなものだということになる。

 

「全機、地表からできるだけ離れて下さい! 早く!」

 

 リーナが慌てて命令を出す。それに従って部下もその場から離れるが、そのうちのジャスティス02の機体が出遅れた。そして、突如として、瓦礫の中から直径2メートルはあろうかという、巨大なチューブが何本も現れ、ジャスティス02の機体に巻き付いた。

 

「02、応答しなさい! 02!」

 

 リーナが必死に呼びかけるも、彼の応答は無かった。彼女が、恐る恐るジャスティス02の機体の生体反応を確認するが、生体反応は無くなっていた。

 

「全機撤退! 急いで!」

 

 リーナはそのように即断し、亜空間跳躍を実行しようとする。だが、いくら座標を指定して行おうとしても、ジャッジメンティス改は、モニターにエラーを表示するだけで何も起きなかった。それは他の機体も同じようで、ジャミングによりノイズの混じった声で、各機から戸惑いの声が上がる。リーナは、これもEGMAなればこそ為せる技かと、唇を噛み締めた。

 

「これもジャミングの影響ですか。ええい仕方ない。全機、亜空間跳躍は諦めて下さい! 航空で――」

 

 リーナが言い終える前に、複数人の悲鳴が聞こえた。見れば、彼らの機体もジャスティス02のように、触手にも思えるチューブに巻き付かれていた。そしてやはり、すぐに生体反応は消えてしまっていた。

 

「彼らに構わないで下さい! 全速力で離脱します!」

 

 リーナが叫ぶ。だが、ブースターとスラスターの出力を上げようとしたちょうどその時、彼女の目の前にチューブに巻かれたジャスティス02の機体が立ち塞がった。それでリーナが怯んだ一瞬の隙に、ジャッジメンティス改にも触手が伸びる。

 

「ちいっ!」

 

 普通に操縦しては間に合わないと察したリーナは、己の異能で機体を後退させ、ジャスティス02の機体の脇をすり抜けようとした。だが、その行く手だけでなく四方八方から、十一機のジャッジメンティスに囲まれてしまった。

 

「私以外は全滅したのですか!? なんということ!」

 

 驚愕するリーナをよそに、チューブに巻かれたジャッジメンティスが、その拘束を解かれた。すると、そこから現れたのは、デュアルセンサーが通常の緑ではなく、赤く光ったジャッジメンティスだった。それを見て、リーナは激しい怒りを覚えた。直感的に、何が起こったか分かる。EGMAが、操縦者を殺してジャッジメンティスのシステムを乗っ取ったのだ。

 

「EGMAめ! よくも、よくも私たちの魂を! 許すものですかあッ!」

 

 リーナは、裂帛の気迫で、一番近くにいた機体に突撃する。だが、冷静さは失っていなかった。移動中に、ジャッジメンティス改に群がるようにジャッジメンティスが集まってくるのをリーナは見て、その機体に衝突する寸前に、機体を急上昇させる。体にかかるGに耐えながら下方を見ると、案の定、ジャッジメンティスが一箇所に集まっていた。

 

「せめてもの供養です。ジャッジメント・ビーム、フルパワァァァアアッ! うおおおおおッ!」

 

 リーナが叫ぶと、ジャッジメンティス改の額から、ジャッジメンティスの横幅の五倍近くの太さの、青いビームが発射された。その直撃を受けた機体は、例外なく跡形もなく消え去った。掠った機体も半壊まで追い込んだ。この一撃で撃墜したのは五機で、部位欠損等の半壊をさせたのは四機、ほぼ無傷なのは二機だった。

 しかし、ジャッジメンティス改も先の攻撃のおかげで一時的なパワーダウンをしてしまったため、手負いといえばそうともいえる状態になってしまった。だが、それでも一度に五機ものジャッジメンティスを撃破できたので、パワーダウンくらいで済めば上等だとリーナは考えた。

 

(パワーダウンした状態でも、改の性能は通常機とほぼ同等。しかもその状態は数分で終わります。先の攻撃は一度見せたためにもう通用しないでしょうが、半壊した四機と無傷の二機なら、何とかなりましょう)

 

 リーナは、六機の赤目のジャッジメンティスを見つめる。それらからは、全く魂が感じられない。リーナには、もはや動く鉄の塊と同義に思えた。そのような物に、たとえジャッジメンティス乗りの魂の機体だとしても、破壊してEGMAの魔の手から救うことに、彼女は何のためらいも感じなかった。

 

        ***

 

 カミュを含めた解放軍参謀は、想定外の事態に頭を悩ませていた。ジャミング程度は想定の範疇だったが、秀が戻って来ず、リーナのジャッジメンティス隊も陽動を行なっている様子が見られないなど、状況の把握が全く出来ていなかった。また、ジャミングの影響でアイリスらと連絡が取れないことも、不安に拍車をかけていた。

 

「やむをえません。偵察隊を二部隊組織しましょう。片方は戦況を、もう片方は門の状態を見させます。彼らの報告を待ち、それを受けて作戦を練り直しましょう」

 

 本作戦の参謀長が、本意でない様子で、呟くように口にした。これに関しては誰もが考えていたことだった。ジャミングが行われている以上、無人機を使うわけにもいかず、誰かがその目で確かめるしかない。だが、この世界で、ただでさえアンドロイド軍団に比べて寡兵であるのに、これ以上兵力を割くのには躊躇われていた。

 

「偵察隊は、歩兵部隊で作ります。ジャッジメンティス隊は状況が分かるまでひとまず温存、ということでどうでしょう」

 

 確かに、彼の言う通りにするのが上策だとカミュは思った。ジャッジメンティスは、箱舟の使えない解放軍の切り札となりうる。作戦の失敗が濃厚な今、むざむざそれを切るような真似は慎んだ方がよい。

 

「異論はありませんか」

 

 参謀長が訊くが、誰も手を挙げることはなかった。

 

「ではそのように命令を作りましょう。人選はどうします?」

 

「第一部隊と、第二部隊の歩兵部隊の約八分の一ずつ、総勢二十四人を使おうか。そうすれば、誰も文句は少ないだろう。問題は、その選出だが」

 

 カミュがそう言うと、参謀の一人が挙手をした。

 

「志願制にしましょう。無作為に選ぶよりは、兵士の精神的負担も少ないでしょうし」

 

 その提案に異論は出なかったので、その線で行うことになった。この会議の結果に従って命令をまとめながら、カミュは己の不明を心の中で嘆いた。最初の作戦では、EGMAは既に手中にあることが前提であったため、普通に白の世界の最新の機器を用いて連絡などを行なっていた。EGMAが自分で移動するというあまりに想定外な事態に、混乱のあまり正確な判断を下すことができず、みすみす秀やリーナたちとの連絡を断たれてしまった。

 

(私は、少々焦りすぎていたのやもな)

 

 敵のアンドロイドの数も分からない。青蘭島にミハイルが引き連れていた数よりも、第一陣の人数が明らかに多かったため、最悪S=W=Eのアンドロイド全てを投入してくる可能性も考慮しなければならない。

 

(一旦、兵を退くか? 秀や第二部隊のジャッジメンティス隊はMIAとして扱えば、出来ないことでもないが)

 

 しかし、その考えはやめた。解放軍の士気は、秀はともかく、リーナたちまで失うとなればかなり落ちるだろう。更に、秀を失えば、義母である自らをはじめとして、多くの者が辛い思いを背負う。特にカミュ自身、秀を失って親としての愛情を押し殺せる自信が無かった。

 

(甘いな、私は。軍人としては、この上なく失格な考えだ)

 

 カミュはそう思えど、悔やんではいなかった。そこまで非情になってしまえば、アイリスが目指す世界で、うまくやっていけるとは考えられない。この甘さとうまく付き合おう。そう決意した時、ちょうど命令をまとめ終わったのだった。

 

        ***

 

 メルティは、カミュからの頼みを終えて、ある作業を終えると、ひとつのタブレット型のコンピュータを手に、アルフレッドの部屋に入った。すると早速、彼は厳しめの口調で彼女に尋ねてきた。

 

「メルティ君。助けてやらんでいいのかね?」

 

「いいんですよ。あの人たちが、自分たちのアンドロイド殲滅思想が愚かしいことだと自覚するまで、私が解放軍に、今まで以上に手を貸す義理はありません。たとえアルフレッドさんの娘さんでも、それは変わりません」

 

 メルティは全く動じず、毅然として言い切った。

 

「そうか。EGMAとアンドロイドの真相を教えなかったのも、そういうことかね」

 

「はい。コードΩ46セニアがEGMAを呼び寄せてそのコアになるとかいう情報を彼らに与えたら、あの者らが考えることも少なくなると思いまして。まあ、そんなことはどうでもいいのです。今アルフレッドさんに会いにきたのは、別件でのことです」

 

 メルティはそう言いつつ、タブレットを操作しながら続ける。

 

「カミュから破壊されたアンドロイドの人工知能の解析を頼まれましてね。人工知能は生きてたんですよ。流石に体の復元は無理でしたけど、ただ、説得の末、ちゃんと許可を得て新たな生を与えることは出来ましたよ。箱舟を運行する際に、補佐が欲しいとおっしゃっていたでしょう? それを見せにきたんですよ。今は寝ちゃってますけどね」

 

 メルティは、タブレットの画面をアルフレッドの目の役目をしているカメラに向けた。そこに映るのは、長い白髪を持つ女性型アンドロイドの寝顔だった。

 

「コードΩ00ユーフィリア。これがこの子の名前です」

 

        ***

 

「何を考えているのですか秀殿! テリオスブレードを捨てるなど!」

 

 ブレードを投げ捨てた秀に、テリオスが非難の声を浴びせる。テリオスがそう言ってくることを予想していた秀は、狼狽えることなく、カレンから目を外さず余裕の笑みを浮かべて告げた。

 

「世界接続以前の、古い頭のお前では理解できないのも仕方がない。だが、俺はαドライバーで、カレンはプログレスだ。お前は知らないだろうが、この関係の者にしか出来ないことがあるんだ。お前が思っているより、かなりあっさりと終わらせてみせるから、黙って見ていろ」

 

 テリオスは沈黙した。それを了承と受け取った秀は、目を閉じて意識をカレンに集中させた。カレンに向けて、己の精神を引き伸ばしていくことをイメージする。目を開ければカレンが猛然と迫っているのだろうが、そのようなことは気にしない。とにかく糸のようになった秀の精神を、カレンの体に突き通す。このような芸当がなぜαドライバーができるのか、秀はテリオスのおかげでようやく理解できた。このようなイメージを現実に行うのは、かなり強い精神力が無いと不可能だ。サイコバッテリーの運用も、秀は無意識に同じようなことをしていたことに、リンクの最中で気がついた。どちらにせよ、常人であれば、行なった途端に力尽きてしまうに違いない。

 秀の精神がカレンの全身に行き渡り、リンクが完了した。それと同時に、前頭部で、気を抜けば気絶しそうなくらいの激痛が起こった。それと同時に、テリオスがハッとしたように秀の名を呼ぶ。

 

「秀殿!」

 

「ああ。どうやらここがカレンの洗脳を解く鍵らしいな。いくぞ!」

 

 秀はかっと目を見開いた。カレンの蹴りが、すぐ目の前に迫っていた。それに当たる寸前にバック転して回避し、着地と同時に上に跳ぶと、頭痛を起こしている、人間で言えば前頭葉のある辺りを目掛けて落下する。そして――。

 

「テリオス、パニッシャァァァアアアッ!」

 

 カレンが死なない程度の出力で、テリオスパニッシャーをカレンの頭に掠めた。その瞬間、頭痛とリンクが解け、同時にカレンが膝を地につけて倒れた。勝利を確信した秀は、受け身を取って着地すると、装備解除して、カレンに駆け寄った。

 

「カレン、目を覚ませ。カレン!」

 

 秀はカレンを抱きかかえ、彼女の名を叫ぶ。すると程なくして、カレンは目を覚ました。彼女は呆然とした様子で、辺りを見回すが、秀と目が会った時、その瞳を潤わせた。

 

「秀様、ありがとうございます。そして、すみません。私は」

 

 カレンは、涙を止め処なく流しながら秀を見つめた。謝ろうとするカレンに、秀は首を横にゆっくり振った。

 

「いいんだ。お前が正気に戻れば、それでいい。……立てるか?」

 

 秀は急に自分の台詞が恥ずかしくなって、そのような言葉でごまかした。すると、カレンは泣き顔から一転、微笑を浮かべて、嬉しそうに答えた。

 

「はい。もちろんです」

 

 カレンは、そう言ってゆっくり立ち上がり、服に付いた汚れを払った。その様子を見て、秀もすっかり安心して立ち上がった。そして、表情を引き締め、カレンと正面から向いた。カレンと接触した真の目的を、ここで果たさねばならない。

 

「カレン。話があるんだが、いいか?」

 

「はい。何なりと」

 

 カレンは、快く頷いた。それを見て秀が話を切り出そうとしたその時だった。急に、カレンが頭を抱えて呻き出したのだった。

 

「カレン!?」

 

 秀は気が動転してカレンに近づこうとするが、彼女は片手で彼女の頭を抑えながら、もう片方の手で秀を制した。そして、鬼気迫る表情で天空を見上げ、苦しみに耐えながらも凄まじい気迫で叫んだ。

 

「EGMAとミハイルゥゥゥゥゥウ! いつまでも、私がスクラップとゴミの言いなりになると思うなああああッ!」

 

 カレンは、頭を振り下ろす動きに拳を合わせ、彼女自身の額を殴った。鈍い音を立て、殴った部分から赤黒い血が垂れる。彼女はそのまま暫く動かなかったが、やがて徐に額から拳を離した。

 

「さあ、話とはなんでございましょう、秀様」

 

 カレンは、額から血を流しながらも、憑き物が落ちたように晴れた顔をしていた。秀は、彼女の血を拭うと、手を差し伸べ、柔和に笑いかけて告げる。

 

「俺とお前、二人で協力して、EGMAを討とう」

 

 カレンは、秀の言葉を聞いて即座に彼の手を取った。そして、その手を強く握って彼女は言い放った。

 

「当然!」

 

「よし、じゃあ――」

 

「秀殿! 囲まれています!」

 

 テリオスの強い語気に意識が周囲へと向き、秀は辺りを見回す。すると、目測で約百人のアンドロイドに二人は囲まれていた。

 

「テリオス!」

 

 秀は応戦を決め、テリオスを装着する。その姿に、カレンは瞠目していた。

 

「秀様、その姿は? それに、先ほどの男性の声もなんだったのですか?」

 

「話すと長くなるが、このパワードスーツと、そのAIがテリオスだ。T.w.dとして戦うことを決めた俺の、新たな相棒だ」

 

 秀が言い放つと、カレンはふっと笑って、手を離して彼と背中合わせになった。

 

「そのお姿、非常にかっこよくございますよ、秀様」

 

 そう言うカレンの表情は秀から見えなかったが、想像するまでもなかった。

 

「ありがとう。さて、こいつらをどうする?」

 

「無論、倒します。一人頭五十人ほどということで」

 

「それは違うわよ。合計三人だから一人頭三十五人くらいよ」

 

 唐突に、聞き覚えのある声が真上から聞こえた。それで秀が上を向くと、鼻と鼻がぎりぎり触れないくらいの距離に、いつもの笑みを浮かべるジュリアの顔があった。

 

「お、お前、ジュリア! 何でここに!?」

 

 秀が慌てて訊くと、ジュリアはあっけらかんと、表情を変えずに答えた。

 

「あなたたちの理想を将来にも活かすなら、黒の世界出身の私も入れた方が、より多面的な協力の仕方も見せつけられるんじゃないかしらって思ってね。別にアルバディーナがこの戦闘に介入するわけじゃないから安心なさい」

 

「そういうことじゃ……いや、そういうこともあるんだが、それ以前にお前は俺たちの敵だろ!」

 

「私たちにとってもEGMAは邪魔くさいからね。ま、利害の一致ってやつよ。そこでボケっとしてるカレンもいいわね?」

 

 秀がカレンの方を向いてみると、そこには先ほどまでの威勢は何処へやら、茫然自失として棒立ちしているカレンがいた。彼女は目をぱちくりさせて、かすれた声でジュリアに尋ねた。

 

「ジュリア、あなたは死んだはずでは?」

 

「実はかくかくしかじかで今の私は幽霊なのよ。それよりも、律儀に敵さんは待ってくれていたわけだしさっさと蹴散らそうじゃない。秀、リンクお願いね」

 

 ジュリアは早口気味に答えると、秀の頭を軽くどついた。秀は少し迷ったが、結局ジュリアの言葉を受け入れることにした。悪い話ではない上に、今のEGMAを放っておくことはアルバディーナ達にとっても不都合だろうと考えたからだった。

 

「複雑な気分だが、分かった。カレン、ジュリア、そしてテリオス! 行くぞ!」

 

 秀は、カレンとジュリア、二人の体に、彼の精神を張り巡らせ、リンクする。そして、その完了を合図に、秀はテリオスブレードを手に敵に吶喊していった。



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ジェネシオン爆誕! 今こそEGMAを撃ち砕け!

 リーナは、まず右腕と右脚の一部が破壊されたジャッジメンティスに目をつけ、それに向かってジャッジメンティス改を突撃させた。

 

「ジャッジメント・フィールドを攻撃に転用します!」

 

 ジャッジメンティス改の掌に、普通は防御用のバリアーであるジャッジメント・フィールドを凝縮させた光球を作り出し、それを保持しながら敵機の背後に回り込み、推進剤が詰まっている部分に光球を押し付けた。

 

「次!」

 

 その爆発を確認した直後だった。四方から、腕や脚などを欠損した三機のジャッジメンティスが、リーナ機に近づいてきた。リーナはそれらをすり抜けることを試みるが、左腕しかない一機がリーナ機の右脚を掴んだのを皮切りに、同様に左腕しかないもう一機が左脚を、両腕が健在だが両脚を失った一機が、リーナ機を後ろから羽交い締めにした。そして、無傷の状態の二機が、額にエネルギーを溜めている。半壊した三機を巻き添えにして、ジャッジメント・ビームでリーナ機を倒すつもりなのだ。それを理解したリーナは、そのEGMAの浅はかな発想に思わず口角を上げた。

 

「ジャッジメンティス改を舐めないでいただきたいですね! ジャッジメント・プラズマ、フルバァァァアアアストォォォォオオッ!」

 

 リーナの叫びに呼応するように、ジャッジメンティス改の全身から、青き稲妻が迸る。なんとかリーナ機を拘束していた三機も、ものの数秒で爆発四散した。

 

「あと二機!」

 

 その二機は、リーナが三機落とした時点で、すぐにビームを中断して散開した。ジャミングが働いているおかげで目視でしか敵を発見できないため、リーナは、自機が全天周モニターを採用していることを活かして、全方位に目を凝らして索敵する。すると程なく、一機を北北東の方角、距離約200メートルの位置に見つけた。だが、リーナは動かなかった。もう一機の位置も把握しなければ、不意打ちを食らう可能性も考えられる。

 

「どこです。いい加減に、姿を見せなさい」

 

 リーナが、苛立ちのあまりそう言った時だった。先ほど見つけていた一機が、急にカメラから消えたのだ。そしてその直後、その一機がリーナ機の目の前に現れた。その挙動に、リーナは思わず驚嘆した。

 

「亜空間移動!? そっちは出来るのですか!」

 

 その一機の額が光り始めた。ビームを放つ直前である合図だ。落ち着きを取り戻したリーナは咄嗟に、そのジャッジメンティスの額に自機の左手で掴んだ。そして、ビームが放たれる瞬間に、左腕の肘から先を切り離した。

 ビームが撃たれた瞬間、そのパージした左腕が爆発する。それを合図に、リーナはバーニアの出力を最大にして、敵機にジャッジメント・フィールドを展開しながら体当たりし、そのまま地面に叩きつけた後、ひしゃげた敵機の胸部に、残った右の拳を入れ、機体を貫通させた。その機体の機能が停止したその時だった。リーナ機のコクピットに敵の接近を知らせる警報が鳴り響いた。振り向けば、背後から最後の一機が、その両手に光球を出現させて、猛然とリーナ機に突っ込んできていた。

 

「ラスト一機! 一瞬でケリをつけてみせます!」

 

 リーナは、通常の操縦では決して出来ない駆動——その場で宙返りして、敵機の突進を紙一重で回避するという動きを己の異能でやってみせた。またその着地の衝撃を利用して高く跳び上がると、敵の胴体に狙いをつけ、右足の先に、ジャッジメント・フィールドを凝縮したものを展開する。

 

「食らえ! 究極! ジャッジメントォォオ、キイィィィィックゥッ!」

 

 リーナの咆哮が木霊し、ジャッジメンティス改が猛スピードで降下し、その蹴りがジャッジメンティスに迫る。だが、敵機はその寸前に、ジャッジメント・フィールドを展開、更に胸部に腕を交差して乗せ、防御態勢に入った。

 

「小癪な真似を! そのようなものは無意味と知りなさい!」

 

 リーナ機の蹴りと敵機のフィールドが拮抗したかのように見えたのも束の間、それはすぐに破られ、リーナ機の足が敵機の交差された腕を砕き、その胸部にもくっきりと、深い足跡を付けた。が、リーナ機の右足も、その衝撃で負荷がかかりすぎて、関節部があらぬ方向へ捻れてしまった。リーナは、機体を真上へ飛ばし、右足をパージした。そして、両腕を破壊されてもなお立ち上がろうとする敵機に、ジャッジメンティス改の額を向けた。

 

「とどめの、ジャッジメント・ビイィィィム!」

 

 最後に残った敵機は、ビームの直撃を受けて、文字どおり跡形もなく消え去った。その瞬間に、リーナの体を、かなりの疲労感が襲った。油断したら眠ってしまいそうだった。

 

「まだ戦いは終わっていません。ここで眠るわけには」

 

 リーナはなんとか錠剤の覚醒剤をコクピットの引き出しから取り出すと、それを口に放り込み、水を飲んで喉の奥に押し込んだ。

 

「ふう。さてと、これからどうしたものでしょうか」

 

 リーナは、ほっとため息を吐くと、自機の高度を維持しながら、モニター越しに周りの様子を見渡しながら考え始めた。普通に考えれば、報告とジャッジメンティス改の修理のために、一旦本陣へ戻るべきだ。だが、秀のことも心配だった。ジャミングのことも考えると今頃は捜索も兼ねた偵察隊が出ていることだろうが、彼らを待っていられるような心の余裕も無かった。更に、リーナはカミュの元へも戻りたくなかった。アンドロイド殲滅思想から逃れられた今、彼女にいいように使われるのは不快だ。そして、戻って解放軍の本来の目的を説こうとも考えたが、リーナには彼女らを感情による偏見から解き放つ道具が無かった。リーナはアルフレッドを愛していたからこそ、秀からの又聞きでも彼の言葉に耳を貸したが、他の解放軍にとってはアルフレッドの存在は形而上的なものだ。彼の言葉では彼らを動かすことは出来ない。

 リーナが途方に暮れていると、彼女の視界の片隅に、百人弱のアンドロイドが、何かに襲いかかってる様が映り込んだ。その様子をよく見てみると、そのアンドロイドらと交戦しているのは、互いに助け合いながら戦う三人だった。

 

「あれは、ジュリアに、コードΩ33に、テリオス!? 秀ですか!」

 

 カレンはともかく、アルバディーナ派であるはずのジュリアが何故秀と共闘しているのか、リーナには分からなかったが、今は秀に味方してくれていることは間違いない。となれば、今の解放軍の姿勢を変える同志とも言える。そう思い至ると、リーナはすぐに秀の方へ移動を開始した。

 

        ***

 

 秀は、気合いとともに目の前のアンドロイドをブレードで胴切りにした。EGMAを破壊した後のことを考えると、人工知能は破壊せずに戦闘不能にする方が後のためになる。そのため、秀たちは、一般的にアンドロイドの人工知能のある頭部は極力狙わない戦いをしていた。

 

「秀殿! 後ろです!」

 

 斬撃の後、秀が硬直した瞬間に、テリオスが焦りを滲ませて叫んだ。秀は振り向きざまに、飛びかかってくる二人のアンドロイドを確認すると、そのまま斬りつける。だが、彼女らはたやすくその一撃を上に跳んで回避した。秀がダメかと観念したその時、そのアンドロイドらの横から、ふたつの人形が、それぞれ彼女らの腹を鉈で両断した。

 

「やれやれ、世話が焼けるわね」

 

 ジュリアが、秀に顔を向けてウィンクしてみせた。が、その隙にジュリアに一人のアンドロイドが迫る。秀が声を上げようとするが、その寸前にカレンの飛び蹴りが炸裂し、アンドロイドは遥か彼方へ飛ばされていった。

 

「全く、ジュリアも人のことが言えないでございませんか。余所見しないでくださいませです」

 

「ちょっとあなた、言葉遣いおかしいわよ」

 

 嗜めるカレンに、ジュリアはくすくすと笑いながら突っ込みを入れた。

 

「う、うるさいです。私は言語能力が少し変なんです。それよりも、少しは礼も言ったらどうですか」

 

「助けてくれたのは嬉しいけど、私霊体だから物理的攻撃は意味無いのよ。つまりあなたの労力は無駄だったってことね」

 

 迫り来るアンドロイドを蹴り飛ばしながら苦言を呈すカレンだったが、ジュリアはからかうように言った。しかし、ジュリアはすぐにその笑いを面白がるようなものから、余裕綽々としたものに変えた。

 

「ねえ、半分くらいは倒したけど、まだあなたたち大丈夫? 私は超余裕だけど」

 

「見くびるなと言いたいが、ここ一時間くらい、全く休憩してないからな。テリオスがあるとはいえ、いい加減疲れてきた」

 

 ジュリアの問いかけに秀が息を切らしながら答えると、カレンが申し訳なさそうに、口をへの字にして眉をひそめた。

 

「申し訳ございません、私のせいで」

 

「いや、いい。そんなことより、目の前の敵を倒そう」

 

 秀はそう言って、ガトリングガンを敵に向ける。するとその時、何かが空を裂くような轟音が聞こえ始めた。その音のする方へ視線を向けると、左腕と右足の無くなったジャッジメンティス改が、秀たちにまっすぐ向かってきていた。

 それはアンドロイドに攻撃することなく秀たちの真上まで来たあと、接地する寸前のところまで降下すると、コクピットのハッチが開いた。そこから、リーナが顔を出して叫んだ。

 

「早く乗ってください! ここを離脱します!」

 

 秀は彼女に聞きたいことが山ほどあったが、今は何も言わずに彼女の言葉に従うことにした。それはカレンらも同様で、三人はすぐにリーナ機のコクピットに跳び乗った。

 全員が乗り、秀とカレンが操縦席の椅子の脇を掴むとすぐに、ハッチが閉じられ、ジャッジメンティス改は再び上昇した。アンドロイド軍団が豆のように小さく見える高さまで上昇すると、リーナはため息をついて秀に向いた。

 

「余計なお世話でしたか?」

 

「いや、むしろ助かった。体力の消費を抑えられたからな。ありがとう」

 

「どういたしまして。それは良かったです」

 

 リーナははにかんだように頰を掻いた。しかし、すぐに表情を引き締めて、次はカレンに向いた。

 

「前に一度、あなたに罵声を浴びせた私がこんなこと言うのもどうかと思いますが、共に戦いましょう。この世界の全てを、EGMAの支配から解放するために。それが終わったら、協調の道を共に歩みませんか」

 

 カレンもまた、固い表情でリーナの話を聞いていたが、彼女が言い終えたところで、ふっと表情を崩し、リーナに微笑みかけた。

 

「もちろんでございます。私に異論はございませんよ」

 

 その言葉で、リーナの顔がみるみるうちに明るくなるが、二人の間にジュリアが満面の笑みで唐突に顔を割り込ませてきたせいか、リーナはすぐに唇を尖らせてしまった。

 

「あら、あれだけアンドロイド憎し一辺倒だったあなたが、よくそこまで考えを改められたわねと褒めようとしてあげたのに、なんで急にむすっとするのよ」

 

「当たり前です! 昔は味方でしたが、今は敵でしょう、あなたは! 何が目的ですか!」

 

 不満げに頬を膨らませるジュリアに、リーナは早口で怒鳴りつけるように訊く。すると、ジュリアはいつものように笑いながら、リーナにまとわりつくように、彼女に体を寄せた。

 

「もちろん、EGMAからの支配の脱却に手を貸すのが目的に決まってるじゃない。私、自分が支配するのは好きだけど、他の人が何かを支配したり私を支配したりするのは嫌いなのよ。ましてや機械が人間を統治するなんて反吐が出るわ」

 

 初めのうちは妙に妖艶な声で、最後の方は吐き捨てるように答えた。表情の方も、笑顔からだんだんとその顔をしかめていった。その態度の変わり様に、秀は最初、彼女がふざけているのかと思ったが、最後には本心からのものだと悟った。最初の方にふざけているように見せたのは、彼女がいつもの余裕ぶりを崩さないようにしたためだろう。リーナもそれが分かったのか、その怒気はかなり落ち着いていた。

 

「一時的な協力体制、ということですか」

 

「ええ。あなたたちが白の世界から青の世界に戻って、私がアルバディーナのところへ戻るところまで協力したげる。ま、とはいえ流石に今アルバディーナがどんな作戦を立てているとかは、言えないけどね」

 

 ジュリアはまた表情を戻した。リーナの方はまだ複雑な表情をしていたが、やがて大きく息を吐いて、幾分か表情を和らげた。

 

「死んでしまったと思ったら、私たちに近しい考えだったのに幽霊になってアルバディーナにつくなんて何があったかとか訊きたいですが、まあ、今はいいでしょう。それより、カレンさん」

 

 リーナは、モニターの正面を見つめながら声をかける。秀は、彼女が「カレンさん」と呼んだことに、心底驚き、また感心していた。それはリーナが考えを改めた、大きな証拠だ。

 

「EGMAは、ミハイルの研究所の方に飛んで行ったのは確認できましたが、それ以上は私たちは分かりません。あれはどこにあるのですか?」

 

「ちょうどミハイルの研究所にあります。天井を突き破ってきましたから、何も細工をしていなければ、外から見えるはずです」

 

 カレンは、リーナに名前を呼ばれたのが嬉しかったのか、弾んでいる感じの声で答えた。

 

「分かりました。二人とも、しっかり掴まっててください!」

 

 リーナは機体をミハイルの研究所の方に向け、操縦席のペダルをひとつ踏み込んだ。すると、強烈なGが秀たちの体を後方に押してきた。テリオスを介していても、それははっきりと感じられた。しかしながら、秀には、それが心地よくもあったのだった。

 

        ***

 

 カミュの出した偵察隊の、戦況の偵察に当たった方の部隊は、秀とカレン、そしてジュリアが共闘してアンドロイド軍団と戦闘し、更に彼らをリーナが彼女の機体に搭乗させ、彼方へ飛び去って行った一部始終を双眼鏡で目撃した。彼らが動けなかったのは、ひとえにその光景が、彼らにとって異常だったからである。

 秀とカレンの関係を考えれば、二人に関してはまだ分かるのだが、彼らを混乱させていたのは、ジュリアとリーナであった。ジュリアの存在はアルバディーナ派の介入を連想させ、リーナが秀たちに助け舟を出したのも、これまた意味不明だった。道中で、ジャッジメンティスの残骸を目に焼き付けてきたことも相まって、彼らは状況が理解できなかった。

 

「とにかく、あのアンドロイド軍団がこちらに気がつく前に、撤収しよう。我々が見たものをカミュ教官に知らせるのだ」

 

 隊長は部下にそう呼びかけ、小慣れた手つきで撤収の準備を済ませた。部下も準備を終えると、すぐさま退却を始めた。幸い、アンドロイド軍団は誰も偵察隊に気がついた様子はなく、撤収は首尾よく行われた。

 部隊一行は本部へ帰り着いた直後に、参謀本部に赴いて、彼らが見てきたことを包み隠さず話した。すると、彼らもやはり混乱した。それはカミュも例外でなく、彼女は顔では冷静を装っていたが、その体は震えていた。

 

「リナーシタと高嶺の処遇と、これからの作戦は参謀本部での審議の上で決める。諸君らは、元の任務に戻れ」

 

 報告してきた偵察隊の隊員らは、カミュの命令に威勢のいい返事と敬礼を返すと、整った所作で参謀本部から退去した。

 彼らが全員出ていくのを見届けると、カミュは静かな口調で話し出した。

 

「二人にあるのはスパイ容疑か。本来ならすぐに確保して、尋問を行うべきだが、この状況では難しいか」

 

「はい。アンドロイドの存在や、リナーシタらがジャッジメンティスに搭乗していることを考えるとジャッジメンティスでの確保が最良の選択でしょうが、ジャミングが働いているこの状況で迂闊に出撃するのは危険でしょう。まずはもう片方の偵察部隊が帰還するのとジャミングの解除を終えるまで、守りを固める方が賢明でしょう」

 

 参謀の一人が、カミュの発言を拾って、そのように言った。他の意見もそれに追従するようなものだったので、参謀本部としてはその方針を採択した。

 しかし、カミュは腑が煮えたぎる思いで、一刻も早くリーナと秀を問いただしたかった。二人を戦士として育てたのは他でもないカミュ自身だ。その二人が、師であるカミュの期待を、造反にも等しい行為で裏切った。あまつさえアンドロイドの一人に協力した上、敵であるはずのジュリアと共闘した。カミュの心には、悲しさよりも胸を掻き毟りたくなるくらいの衝動が渦巻いていた。

 

        ***

 

 ジャッジメンティス改は、ミハイルの研究所の上空まで辿り着いた。カレンが言った通り、その建物のひとつに巨大な穴があり、そこから謎の巨大な球体が覗いていた。

 

「あれです! あれが、EGMA本体でございます!」

 

 その球体を見て、カレンが叫ぶ。

 

「了解しました! では、手筈通りに行きます。体が浮かぬよう、お気をつけください!」

 

 リーナが威勢良く答えると、リーナ機はスラスターの出力を最大にして、下に凸の放物線を描くように降下し始めた。すると、EGMAが、何本ものチューブを触手のようにリーナ機に伸ばしてきた。

 

「予想通りですね。ジャッジメント・フィールド、展開!」

 

 リーナ機の周りに、青みがかった透明のバリア・フィールドが張られる。そのおかげで、EGMAの触手攻撃によるダメージを受けることなく、また加速度も落とさずに降下し続けられた。そして、あと数秒でその建物に衝突するという時点で、リーナが叫ぶように呼びかける。

 

「作戦通り、激突後にハッチ開けます! 準備はいいですね!」

 

「もちろんでございます」

 

「オーケー、いけるわ」

 

「俺とテリオスも問題ない」

 

 秀たち三人は、それぞれ晴れた表情で頷きを返す。それを確認すると、リーナは加速ペダルを更に踏み込み、EGMAのある建物の壁に、フィールド越しに激突した。その衝突の瞬間、ジャッジメンティス改のハッチが開けられ、秀とカレンの二人が慣性に体を任せて、そのコクピットから飛び出す。その勢いの中で、秀が右手で握り拳を作って身を引いて振りかぶり、そこにジュリアが魔法陣を描き、さらにカレンが右足を乗せた。

 

「いっけえッ! カレェェン!」

 

 秀は、右半身のブースターの出力を最大にして右の拳を突き出す。その力と、ジュリアの魔法陣による方向の調整とさらなる加速、そしてカレンの右脚のバネが合わさって、爆発的な勢いでEGMAの正面にカレンが突っ込む。当然のように、EGMAは防御のためにチューブを厚くしようとする。だが、それを秀たちが許すはずもなかった。

 

「まったく、邪魔なのよね」

 

 ジュリアがそのチューブだけでなく、他のも操って、カレンが突撃する側を丸裸にした。すると、膣口に酷似した、セニアが入っていった穴が、カレンの目の前に現れる。再びEGMAがそこを塞ごうとする前に、カレンはその穴に突入した。しかし、カレンが入った時の勢いを以ってしても、入った途端に粘膜のような内壁に四方八方から締め付けられ、体感で3メートルも進まないうちに、カレンは止まってしまった。

 

「内部構造まで模倣するとは、なんと悪趣味な! ですが、この程度なら、多少進むのが難しくなるだけでございます! ディストーションモード、イグニッショォォオオン!」

 

 カレンが叫ぶ。その叫びに呼応して、両手足から緑の稲光が発現し、カレンの各身体機能が大幅に上昇する。ディストーションモードと、秀とのリンクの両方によって得た途方も無いパワーで、カレンはEGMAの拘束を弾き飛ばし、一気に奥まで突き進む。するとその最奥部に、またひとつの穴を見つけた。

 

「この、製作者の品性を疑うような構造を考えれば、あそこにセニアが居るはず!」

 

 カレンは、勢いのままにその穴を抜けた。すると、そこには人が二人入るのがやっとくらいの広さの、粘り気の強い液体に満たされた部屋があった。そして、その中央で、頭に何本ものコードを挿されたセニアが、胎児のように体を折りたたんで浮かんでいた。

 

(セニア……!)

 

 カレンは、セニアの名を叫ぼうとするが、液体の中であるため、言葉にならなかった。カレンは気を取り直して、その液体の中を進み、セニアの頭に挿さっていたコードを全て千切った。すると、セニアはその手をほどき、体を自然な動きで開いていった。やがて、彼女は目を開くと、カレンを見て口を動かした。だが、やはりその言葉はわからない。しかし、口の動きで、何を言おうとしたかは分かった。それで、カレンは優しく彼女の体を抱きとめると、元から来た穴からセニアを抱いたまま出た。

 

「お姉ちゃん、どうして。私の記憶から、EGMAは反抗する人間を滅ぼすことが最善と決めたのに、どうしてアンドロイドのお姉ちゃんが逆らうのですか?」

 

 カレンを睨むセニアの瞳からは、憤りすら感じた。しかしカレンは屈することなく、出口に向かって体を動かしながら、彼女を諭す。

 

「セニアの経験は、人間を裁くにはまだ少なすぎます。解放軍の中にも、憎しみを乗り越えて、私たちに理解を示す者はいます。そもそも、機械が人間を断罪すること自体がおかしいのです。人間のことは、人間が落とし前をつけなければならないのです。どれだけ人間に似せようと、人間には及ばない私たちアンドロイドや、まして世界を管理するシステムに過ぎないEGMAが、人間を裁く道理は無いのです」

 

「どうして、そんなことが言えるんですか、お姉ちゃん」

 

 セニアは、震える声で尋ねる。彼女に対し、カレンは口調を変えず、前に進みながら答える。

 

「それは、アンドロイドである私は答えるべきことでは無いことです。答えを得たくば、まずはここから出ることです。多分、彼女も同様の答えに至っているでしょうから」

 

 カレンはリーナのことを想起した。アンドロイドに対する憎悪から解放され、EGMAこそがこの世界の歪みと判断した彼女ならば、カレンと全く同じでなくとも、それに近い答えを、セニアの問いに出せると確信していた。

 カレンはセニアを、願いを込めて凝視する。彼女がEGMAから出なければ、カレンたちの目論見は潰えてしまう。カレンは、何としてでもセニアに人間の可能性を悟らせる必要があった。それも、セニアに、EGMAが人間を裁いてはならない理由を明言せずに達成せねばならなかった。だから、カレンは言うべきことを言った後は、祈るしかなかったのだ。

 

「セニア。どうか、お願いします」

 

 セニアは、暫く沈黙していた。だが、その後おもむろに手を伸ばし、内壁を掴んで、出口の方に体を進ませた。

 

「お姉ちゃんを信じます。人間が、私が見てきたもの以上のものを見せてくれるか、それを確かめたいです」

 

 セニアは、まだ不満を残した風で言った。だが、それでも彼女が人間に可能性を期待していることには違いない。カレンはセニアを、思い切り抱きしめたくなった。しかし、それは全てが終わってからだと、己を強く押し留めた。代わりに、カレンはより一層の力で内壁を強く掴み、セニアよりも前に出て、振り返った。そうして、カレンはセニアに優しく微笑みかけるのであった。

 

        ***

 

 カレンがEGMAに突入してすぐ、脇のコンソールのそばに居たミハイルは、半狂乱になって、着地したばかりの秀に殴りかかってきた。しかし、秀はそれを軽くいなすと、その腕を折らない程度の力加減で捻り上げた。

 

「は、離せえッ! 貴様らが何をしたのか、分かっているのか!? EGMAはこの世界を正しく導き繁栄させる、尊い存在なんだぞ!」

 

「尊いですと? はっ、笑わせますね。これまで散々、人間を愚弄してきて、何が尊いものですか! 人間とアンドロイドの融和のためには、EGMAの破壊は必要不可欠なのです。あんな物が長く君臨するから、あなたみたいに自分では何も考えられない人が生まれるのです!」

 

 リーナは、ミハイルに対し、ジャッジメンティス改のコクピットから身を乗り出して言い切った。しかし、ミハイルは怯んだ様子も無しに、また喚き出す。

 

「何を言うか! EGMAは世界最高のコンピュータなんだ。間違いなど起こされるはずがない!」

 

「そうやって疑いの目も持たずに、単純な善悪二元論で評価を付けるから、盲信的になるんでしょう! 間違いを起こさぬなら、なぜ私たち人間解放軍などという組織が生まれたのですか!」

 

「それは貴様らが間違っているからだ! EGMAのお導きに貴様らが大人しく従っていれば、貴様らは一生血を流すことなく、平穏に暮らすことができたんだぞ!」

 

「そんなこと、私たちがいつ頼んだのですか! 私たちはその血を流すことに生きがいを感じていたのです。この世界のために、血を流して戦功を立てることが、生きがいなんですよ! 私たちだけじゃない。人間の仕事は、どんどんEGMAによってアンドロイドに置き換わっていきました。それで確かに効率は良くなるかもしれません。ですが、職を奪われた人間は、ただ無為に、食べて寝て、子供を作るだけになるではありませんか。これが知的生命体の有るべき姿とでも言うのですか、あなたは!」

 

 リーナのこの言葉で、ミハイルが初めてたじろいだ。その隙につけ込んで、リーナは更に言葉をぶつけた。

 

「そもそも、EGMAというものが作られた時点で、先人は知的生命体であることを放棄しているのです! 知性は、自己を省みて間違いを正し、己の道を変えることができる力です! それには、時間もかかることもありますし、その道が間違っていることも、周りに言われなければ間違いに気づかないことだってあります! それでも、知性を活かして世界を限りなく発展させられるのは、人間をはじめとする知的生命体のみが持つ無限の可能性の為せる業です! どれだけ性能が良かろうが、人間が作った以上、EGMAの可能性は、有限なのです!」

 

 リーナは、毅然として、真っ直ぐな目で言い放った。彼女のその言葉は秀を感動させた。彼女の言う内容は、憎しみという感情に囚われて、アンドロイドに対する理性的な目を持っていなかった状態を克服し、アルフレッドの言葉の力を借りながらも、自省して、アンドロイドとの協調と、EGMAの破壊を決意した彼女だからこそのものだ。リーナがここまで覚醒していたことに、秀は心が高まるのを禁じ得なかった。

 ミハイルが、リーナの言葉で狼狽し続けていた時、EGMAの口から、カレンとセニアが、互いに抱き合って出てきた。そして、EGMAの動きは、完全に止まったのだった。

 

「Dr.ミハイル。まだ間に合います。共に、EGMAを放棄して人とアンドロイドが互いに助け合う、新たな社会を構築しましょう」

 

 EGMAから出てすぐ、セニアと共に立ち上がったカレンは、頭を抱えるミハイルに告げた。

 

「お前も、同意見なのか、セニア」

 

「はい。もう少し、私は人間の理解を深めたいですし」

 

 呆然とした様子のミハイルの問いかけに、セニアはほんの少しだけ、口角を上げて答えた。その言葉に続いて、ジュリアが腕を組んで告げる。

 

「あなたの負けよ、アンドロイド軍団の大将さん。さっさとEGMAを自爆させるなりなんなりして、人間との協調路線を行きなさいな」

 

「……世界水晶は、EGMAが無ければ生きていけない」

 

 まるで最後の足掻きのように、ミハイルは小さな呟きを漏らした。しかし、それに対しテリオスは痛烈な言葉を浴びせる。

 

「EGMAが出来る前から白の世界水晶はありましたし、明確な管理者がいない青の世界水晶も、正常に機能しています。ただ単に、EGMAが不必要なものだと認めたくないだけでしょう。無様ですよ」

 

 テリオスが言い終えると、ミハイルは突然、発狂したように笑い出した。そして、人間としては常軌を逸した速さで、EGMAの口に向かって走り出した。

 

「アーッハッハッハッ! 無様はどっちだァッ! EGMAが正しいッ! EGMAは絶対ッ! しつこく逆らう貴様らこそ、無様! 醜悪! 私がコアになり、EGMAが貴様らを断罪ッ! 断罪イィィィィィッ!」

 

「待ちなさい、Dr.ミハイル!」

 

 カレンがミハイルを抑えようとするも、彼女は紙一重で躱し、EGMAの中へ潜り込んでいった。その一部始終の後、テリオスが冷静な声で呟いた。

 

「妄信していたEGMAの存在を全否定されたことで、気狂いになったようですね」

 

「冷静に分析している場合か! あいつをなんとかしないと! リーナのジャッジメンティスも中破してるんだぞ!」

 

 秀はテリオスに怒鳴りつけた。しかし、テリオスは特に気にしていない様子で、また声を発した。

 

「秀殿。確かあなたは、白の世界の問題に直接的に手を下すのは、青の世界の人間だからできないと言っていましたね」

 

「ああ、そうだが」

 

「その意思を尊重しましょう。リーナ殿とリンクし、ジャッジメンティスに力を送るイメージをして下さい。それだけしてくれれば結構ですので。後は私にお任せを」

 

 秀はテリオスがそのようなことを言ったことに驚いた。リーナの啖呵が、テリオスの考えを変えたのだろうか。いくら考えても答えは出なかったが、彼が秀の考えを支持してくれたのは嬉しかった。

 

「分かった。お前に任せる。リーナ! リンクするぞ!」

 

「はい、話は聞いていました。いつでもどうぞ!」

 

 リーナのその言葉を聞いて、秀はリーナとリンクする。それと並行して、言われた通りジャッジメンティス改に、自分の力を与える図をイメージした。リーナとのリンクが完了した時、ジャッジメンティス改の機体が、突如として赤く輝き出した。しかし、その輝きに見惚れている余裕はなかった。ミハイルが奥まで達したのか、EGMAが、再び動き出したのだった。考える間も無く、EGMAが秀たちに触手のようなチューブを飛ばしてきた。あわや絶体絶命かと思われたが、その触手は、突然出現した、赤いバリア・フィールドに弾かれた。

 秀は、はっとしてジャッジメンティス改を見る。すると、ジャッジメンティスは、赤き輝きは収まり、失われていた左腕と右足は復活し、青い部分が赤くなって、その他にも、フェイス部分は人間の顔のように、鼻と口のようなものがつき、背中には大型のブースターが左右にふたつ、更に両肩には大きな棘が上と横に伸びたアーマーが追加され、右腕には腕と同じくらいの長さの杭を装填したパイルバンカーを装備している。もはや、その姿はジャッジメンティスとは呼べないくらい、変貌していた。

 

「これが、テリオスの力で、私と秀で作った、新たな剣。これなら!」

 

 リーナはその新しき機体に乗り込むと、その機体をEGMAに向ける。そして、額と胸部から稲妻を走らせ、機体前方に、赤いエネルギーの球体を作り出した。

 

「こんなもの、こんなもの無くとも、人は! 世界は!」

 

 リーナが、外部スピーカー越しに言い放つ。それに呼応するように、エネルギー球も膨張していく。それがEGMAと同等の大きさになった時、リーナは息を吸い込んで叫んだ。

 

「——生きていけます! 世界の明日を作るのは、私たち人間だぁぁぁぁッ!」

 

 リーナが叫び、ジャッジメンティスだった機体が咆哮するように口を開く。そして、炎のように赤いエネルギー球が、遂に放たれた。EGMAの伸ばしたチューブは全て消え、EGMAそのものもまた、エネルギーの奔流の呑まれる。

 バリア・フィールド越しに見えたEGMAの最後は、あっけないものであった。さしたる抵抗も無く、文字通り跡形もなく消え去っていったのだった。

 

「やった、やりましたよ、秀!」

 

 秀が装備解除したところで、これまで見たこともないような明るい笑顔で、リーナがコクピットから飛び込んできた。秀は腰を落として構えて、リーナを抱きとめた。リーナの方も、地に足をつけてから、秀の背中に腕を回した。

 

「ああ、よくやったな、リーナ」

 

「あなたのおかげです。父の言葉を届けてくれなかったら、この結果には至っていません。……ありがとう」

 

 そう言って、リーナは涙を溜めた目を閉じて、唇を秀に突き出してきた。あまりに突飛なことで、秀は目を丸くするばかりだった。彼が、リーナに想われていることを思い出した時には、既に遅かった。秀の唇は、彼女のものに塞がれてしまっていた。

 秀が何をしたらいいか分からずに、赤面してあたふたしていると、唐突にリーナが目を開いて、顔を茹で蛸のようにしながら秀を突き飛ばして、自身の体を抱いた。

 

「私ったら、なんてはしたない。す、すみません秀。恋人がいるってわかっていたのに、感極まってあんなことを」

 

「あー、まあ、いいよ。俺は気にしてないから」

 

 秀は、うまくフォローできていないことを自覚しながらも、なんとか言葉を紡いだ。

 

「あ、ありがとうございます。あうぅ」

 

 リーナはまだ顔を赤くしていた。これほど歳相応の少女らしい反応を見せるリーナを見るのは、秀はこれが初めてだった。

 

「あの、リーナ様」

 

 へたり込んでいたリーナに、ぎこちなくカレンが声をかける。

 

「あなたのミハイルに言った言葉、見事でした。あなたなら、白の世界で、アンドロイドと人間の架け橋のひとつになれると信じています」

 

「私も同感です。あなたの言葉で、私はまた人間を信じる気になれました」

 

 カレンに続き、セニアも穏やかな笑みで告げる。その言葉がリーナの混乱を解いたようで、彼女は立ち上がって、二人と手を繋いだ。

 

「ありがとうございます。これから、一緒に頑張りましょう!」

 

「前までいがみ合っていた者同士で手を取り合う。感動のワンシーンね。うるうる」

 

 ジュリアが三人の間に割って入って、茶化すように言った。リーナは一瞬だけ眉をヒクつかせたが、すぐ表情を戻した。

 

「ふ、ふふ。今の私は機嫌が良いですからね。雰囲気を壊したことは許してあげましょう」

 

「機嫌が良い、ねえ。まあそりゃ大好きな人にキスできたんですものねえ。機嫌良くならない訳がないわねえ」

 

 ジュリアはころころと笑いながらリーナを煽る。リーナは青筋を浮かべ始めたが、まだ笑顔を保っていた。未だ彼女が平静を保てていることに、秀は感心していた。カレンとセニアの二人は、リーナが爆発しないかどうかとヒヤヒヤしていた。ジュリアはにやにやしながらリーナに顔を近づける。とうとう、ジュリアの次の一言でリーナの堪忍袋の尾が切れるかという時、ジュリアは一転して真面目な顔になって、リーナの新たな機体に顔を向けた。

 

「あれ、なんて名前にするのよ」

 

 構えていた秀とカレン、そしてセニアはすっ転んた。そしてリーナはぽかんと口を開けていた。

 

「なに鳩が豆鉄砲食らったような顔してんのよ。あれの名前は何にするかって聞いてるのよ」

 

「散々煽っておいてなんで急に真面目な質問するんですかあッ!」

 

 リーナが涙目になってジュリアを怒鳴る。しかし、リーナは全く意に介さず、横柄な口調で再三訊いた。

 

「そんなことどうでもいいじゃない。で、あれの名前は?」

 

 リーナは悔しそうに頰を膨らますが、やがて折れたのか、一旦深呼吸をし、困ったような顔をして、顎に手を当てた。

 

「ううむ、そうですね」

 

 リーナは暫く考え込んでいた。秀たちが見守る中、彼女ははっとしたような顔でぽんと手のひらに拳を当てた。

 

「ジェネシオン。人間とアンドロイドの、その新たな始まりとして、ジェネシオンという名前はどうでしょう」

 

「うん、いいと思うぞ」

 

「素敵なお名前でございますね」

 

「私も、素晴らしいと思います」

 

「いい名前じゃない。褒めたげるわ」

 

「非常にかっこいい名前ですね。私のテリオスという名と、双璧をなすくらいです」

 

 皆、ジェネシオンという名に対して、異口同音の感想を述べる。リーナは照れ臭そうに頬を染め、頭を掻いた。

 

「さて、これからどうする?」

 

 秀はリーナに尋ねる。すると、リーナは即座に、次のように答えた。

 

「一旦本部に戻りましょう。カレンさんも、セニアさんも。ああでも、ジュリアはどうしましょう」

 

「同行させてもらうわ。私は手を出さないから安心なさいな」

 

「しかし、あなたを連れて行くと都合が悪いです。今は協力関係にあるとはいえ、元は敵同士です。色々と、知られると困りますし、私たちの立場だって」

 

「私がぱっと見て分かる情報なんて、とっくに私たちのスパイに抜き取られてるに決まってるじゃない。どうしても嫌だったらテリオスにでも私を監視させりゃ済むことよ。それに、どうせとっくに私とあなたたちが共闘したってことは知れ渡っているわよ。むしろ堂々としましょうよ」

 

「……それもそうですね。ではみなさん、ジャッジ——もとい、ジェネシオンに乗り込んでください!」

 

 リーナは、ジェネシオンを屈ませて、できるだけコクピットの位置を低くして、ハッチを開けた。そこに、カレンとセニア、ジュリアが乗り込んでいく。秀も乗り込むが、その間際に覗いた空模様は、未だ曇天のままだった。

 

        ***

 

 秀たちの動向が掴めなくなってから、約一時間が経過した時だった。急に、全てのシステムが停止したのだ。照明はもちろん、モニターも消えて、司令部は真っ暗になってしまった。

 

「あずさちゃん、これって」

 

 懐中電灯を点けたユノが、あずさに小声で耳打ちする。

 

「停電の類じゃないわね。EGMAによる干渉かしら」

 

 あずさは、ポケットから携帯電話を取り出し、電源を入れてみた。すると、何の問題もなく作動した。それを見て、二人は確信する。EGMAによる干渉ではないと。

 

「動かないのは白の世界製のだけみたいね。もしかして、EGMAが破壊されたとか」

 

 あずさは、そう言った時、出撃前に秀が言ったことを思い出した。何をしても見逃してくれ——もしやと思った。もしEGMAが破壊されたのなら、それは秀による仕業の可能性もある。

 あずさはユノを見た。薄暗い中でも、彼女が不安げな表情をしていることがよくわかった。周囲の者も、ある程度の平静は保っているものの、ざわついていることから、動揺は隠せていなかった。

 しかし、そのような中でも、彼女らはこのような状況になった場合の対処は冷静に行うことができた。即座に、EGMAの影響を受けない青の世界の機器を取り出し、それらを起動する。照明は足りないが、司令部としての最低限の機能は働かせることができる。性能の面では白の世界製のものよりも劣るが、それでも何も使わないよりは断然有用であった。

 

「これで良し、と。カミュ総司令官殿、聞こえますか」

 

 通信手であるあずさは、機器の設置と起動を済ませると、マニュアル通りにカミュに連絡を入れた。

 

「ああ、状況はこちらも把握している。私は今外に出ているのだが、先ほど帰還した門へ行っていた偵察隊が言うことには、どうやら白の世界製の全ての機器が機能を停止しているらしい。敵味方への有利不利は問わず、だ。ジャミングも解除された。再び無人機による索敵を——何、何だあれは!?」

 

 突如として、カミュが狼狽したような声をあげた。彼女がそのような声をあげたのに驚いて、あずさは咄嗟にヘッドホンの音量を上げた。すると、微かに聞こえたのは、巨大な物が地に降りたかのような音だった。

 

        ***

 

 秀は、ジェネシオンのモニター越しに、狼狽する解放軍の面々を見た。無理もない。見慣れぬ機体が、急に目の前に亜空間跳躍で現れたのだ。驚かない方がおかしいというものだ。

 着地した後、リーナは秀たちを見回して告げる。

 

「皆で一斉に機体から降りましょう。私が責任を取りますから」

 

 その言葉に全員が頷くと、リーナはコクピットハッチを開放した。そして、飛び降りる彼女に続いて、秀、カレン、セニア、そしてジュリアが機体から降りた。

 

「リーナ、秀。その後ろに居るのは、アンドロイドとジュリアか。やはり、内通していたのだな」

 

 カミュは、秀たちを睨みつける。彼女の言葉からは、失意と激しい怒りをありありと感じられた。これまで敵として戦ってきた者を引き連れているのだ。これは当然の反応だろう。

 しかし、リーナは臆せず、堂々と胸を張ってカミュに言い放った。

 

「EGMAは破壊されました。我々、人間解放軍としての戦いは終わりです。私と秀がしたことは重大な軍規違反であることは重々承知しております。どうぞ軍規に則って処罰してください」

 

「何を血迷ったことを。我々の戦いは、アンドロイドを全て破壊するまで終わらんよ」

 

 カミュは、そう言いつつカレンとセニアに対し、拳銃を向けた。するとすぐに、リーナはその間に割って入り、カレンとセニアを庇うように、両腕を広げた。

 

「何のつもりだ、リーナ」

 

 カミュは銃を下ろさず、低い声で言う。リーナは全く怯むことなく、その姿勢を変えることはなかった。

 

「言ったでしょう。人間解放軍としての戦いは終わりだと。これからは悲劇を知る者として、アイリスの作る新世界で、人間とアンドロイドが共存できる世界を考えるべきです」

 

「そのような戯言に、私が耳を貸すとでも」

 

「父が精神解体を受けて動くことができなくなったのをいいことに、大義名分を私怨にすり替えたあなたこそ、戯言を言っているんじゃないですか」

 

「いや、アンドロイドを潰すのは紛れも無い大義だ。それに、そう言う貴様もその一人だったろう」

 

「ええ。しかし、改心しました。今は我が父と志を共にする者です」

 

「何をふざけたことを。そんな軽々しく改心したなどと、私は見損なったぞ」

 

「軽々しく改心することの何が悪いのですか。非を改められるのは人間の利点でしょうが」

 

「非だと? 私たちの悲願が非だと言うのか、貴様は」

 

「悲願ではなく逆恨みでしょう。悲願はEGMAを破壊し、その支配から人間を解放することだったはずです。アンドロイドに居場所を奪われたと思うのは、あなたがEGMAに踊らされた、他の人間と同じだということです」

 

 リーナのこの言葉で、カミュは眉をより一層ひそめた。そこに、更にリーナは言葉を重ねる。

 

「いいですか。人間とアンドロイドは共存できます。難しいことは言っていません。軍人として例えるなら、人間とアンドロイドで分隊を組ませて、人間だけでは対処しきれない死角をアンドロイドに処理させるとか。アンドロイドだけでやらせた方が効率は勿論良いです。しかし、それでは人間の尊厳が無視された状態になります。極端に効率を優先せず、あくまで人間が主役だということを念頭に置けば良いのです。つまり、従来の軋轢を生むやり方だけではないと言っているのです。人間の活躍の場を取り戻すためにはアンドロイドを消さねばならないと考えるのは、カミュ教官もまた、EGMAを信奉する人間の一人だったということです」

 

 カミュは、口を噤んだ。返答に窮したということは、リーナの言葉を心のどこかで受け入れたということだろう。他の解放軍の者も、動揺し始めたものが多くいた。この隙を、リーナが逃すはずがなかった。

 

「私怨に囚われて戦うのは、赤の世界の連中と同じです。あの者らは、ただいたずらに国力を消費して滅びの道へ向かっています。彼らを見ればわかるように、私怨で戦ったって、良い事は無いんですよ」

 

「だが、それでは、これまで解放軍の戦士が流した血はどうなる。全て無駄だったとでもいうのか」

 

 カミュはなおも銃を向け、リーナを咎める。しかし、彼女はそのような言葉にも屈さず毅然と答えた。

 

「彼らが流した血は、無駄ではありません。EGMAは破壊されたのですから。元の目的が達成された以上、無駄と断じる事はできないでしょう」

 

 カミュの銃を構える手が、少し下がった。それを見て、秀は涙ながらに言う。彼が涙を抑えられなかったのは、復讐鬼となって戦う義母の姿が哀れで仕方なかったためだった。彼女を救いたいと、秀は心の底から望んだのだった。

 

「母さん。もう終わらせよう。アンドロイドが人間の居場所を奪わない道の可能性がある以上、アンドロイドを憎む道理がどこにある? その道についても、自分たちだけで考えず、アイリスたちに頼ってもいいじゃないか。もうこの世界で人間とアンドロイドが殺し合う必要は無いんだ、母さん!」

 

「秀……」

 

 カミュは、ためらいがちに拳銃を手放した。それを受けてか、リーナも広げていた腕を楽にした。

 

「貴様らの言うことが本当に正しいかは分からん。だが、今の私には、その言葉を否定することはできない。私は、今までの私たちは、間違っていたのだな」

 

 カミュは、その場に膝をついて、秀たちの誰とも、目を合わせることなく呟いた。他の解放軍の兵士たちも、互い互いに顔を見合わせたり、完全に呆けていたりしていた。少なくとも、ここにいる者たちは、自分たちの犯してきた間違いに、ようやく気がついたと言えるだろう。

 その様子を、ジュリアは普段の笑みを消した顔で眺めていた。秀には、その横顔の裏に何が隠されているか、見当もつかなかった。彼女の行動には不可解なことが多い。秀たちに力を貸した時も、彼女が騙し討ちをすることは決して無く、本当に秀たちに力を貸しただけであり、今この時も、何かしらのスパイ行為に出ることも無く、ただ人を眺めるだけだった。青の世界水晶の部屋で会った時も、彼女が秀をからかうようなことをしなければ、秀たちを全滅させることもできたはずだし、彼女の能力を以って、ジャッジメンティスを操ることもできたはずだ。これらの彼女の行動が、アルバディーナ達に寄与しているとは到底思えなかったのだ。

 

(お前の真意は何なんだ、ジュリア)

 

 秀が、そう思った瞬間のことだった。耳をつんざくような轟音が、遠くの方から聞こえてきたのだ。その方に目を向けると、秀はあっけに取られてしまった。超巨大な、船のようなものが浮かんでいる。その大きさは目測で全長400メートル程。秀は、これまでにそれほど大きな船を見たことがなかった。

 

「ちょっと、何なのよあれは」

 

 その声と共に、あずさとユノが瞬間移動で秀の隣に現れた。その出現に秀は一瞬驚いたが、彼女らの行動は立派な命令違反だ。彼はすぐに、その行動を嗜める。

 

「お前ら、持ち場はどうしたんだ」

 

「話聞いてりゃもう戦いは終わったそうじゃない。持ち場なんて、もうそんなこと関係無いんじゃ?」

 

「あの、私はあずさちゃんに無理矢理行けって言われて」

 

 胸を張って答えるあずさの後ろで、ユノはおずおずと言った。ユノの言葉を信頼するなら、あずさは本当に命令違反だ。秀は、誤魔化すように口笛を吹くあずさにその真偽を確かめようとするが、唐突に船から発された声のおかげで中断されてしまった。

 

「サングリア=カミュ、いや、今は仲嶺サングリアか。それに皆の衆。よく、間違いに気づいてくれたね。これまでの私の扱いに何かを言うつもりはない。気づいてくれただけで私は満足だ」

 

 その船から響いたのは、聞き覚えのある低い男性の声だった。その声に真っ先に反応したのは、他の誰でもないリーナであった。

 

「その声、父上ですか!? 父上、父上ーッ!」

 

「おお、リーナか。この戦いの一部始終を私は知っているぞ。よくやったな。あとでたんとご褒美をやろう」

 

「アルフレッドさん。こんなところで親バカしないでください。不真面目ですよ」

 

 アルフレッドを叱るその声も、秀はどこかで聞き覚えがあった。しかし、それに最も驚嘆していたのはあずさとユノであった。ユノは唖然とするだけだったが、あずさは声を荒げた。

 

「その声、まさかユーフィリア!? なんで!?」

 

「え、ああ。あなたはあの時の。訳あってこの箱舟のメインの艦長の補佐役の人工知能として、T.w.dに協力することにしました。これからよろしくお願いします」

 

 すっかり毒が抜けたその声に、あずさもユノも開いた口が塞がらなくなっていた。

 秀はあれが散々噂されていた箱舟かと納得すると同時に、メインの艦長というのが状況からしてアルフレッドのことだというのも分かった。分からないのは、何故アルフレッドが艦長なのか、何故今秀たちの前に姿を現したのか、ということだった。

 

「ふふふ、秀君。君は今、何故私がこのようにしていて、何故今姿を現したのかと考えているね? しかし、今はアイリス君たちが大ピンチだ。それは君が一番よくわかるだろう?」

 

 アルフレッドがそう言った途端、秀の小指が激しく疼いた。これは、レミエルがピンチの時、いつも起こっていたことだ。今の、究極最強の力を持つレミエルが危機に陥っているというのは、アイリスたちを巨大な危機が襲っていると考えて問題無いだろう。

 

「私たちも戦います。ぜひ使い潰していただけると光栄です」

 

「私に人間の可能性、ぜひ見せてくださいね」

 

 そう言いながら、カレンとセニアが秀の隣に立つ。二人と共に、また戦える。そのことに心を震わせていると、ジュリアは表情を和らげて、秀たちに背を向けた。

 

「じゃ、そういうことなら私は戻るわ。ここであったことはあの子たちには言わないから。と言ってもあなたたちが私を信用してくれるかは分かんないけどね」

 

「待ってくれジュリア」

 

 秀がその背中に呼びかけると、ジュリアは進むのを止めた。しかし、顔がこちらに向くことはなかった。

 

「本当に、俺たちと戦う気は無いのか? お前が言うように、アルバディーナのお助け役だとしても、お前の行動は、あいつに貢献してるとは思えないんだ。それに、世界を破壊し、人間を滅ぼすのはお前の望みじゃないだろう?」

 

 秀は精一杯の思いを込めて、ジュリアを説得しようとした。しかし、ジュリアは一瞬だけ振り向いただけで、すぐに顔を背けてしまった。その時の彼女は、一瞬見て分かるくらいに悲しい笑顔をしていた。

 

「名残惜しいけれど、次会う時は敵同士ね。短時間で急ごしらえの協力関係だったけど、結構いい時間を過ごせたわ」

 

 秀が何かを言う前に、そう言ってジュリアは姿を消してしまった。結局、秀は彼女の真意の端すら掴むことはできなかった。そのことを悔しく思う彼の隣に、真っ直ぐな目をしたリーナが立った。

 

「行きましょう。アイリスたちが待っています」

 

 秀は、ジュリアのことを一切言わなかったリーナに、そのことを心の中で感謝しながら、両頬を手のひらで叩いて、表情を引き締めた。

 

「ああ。だが、その前に」

 

 秀は、カミュの方に向いた。彼女は先ほど地に膝をつけて項垂れてから少しも姿勢を変えずに居た。秀は彼女に歩み寄り、立てるかどうかを尋ねようとした。しかし、彼が口を開く前に、カミュはいきり立った。そして、トランシーバーを口元に持っていき、大きく息を吸い込んだ。

 

「解放軍の諸君。私は、謝らねばならない。最高顧問アルフレッド=リナーシタ殿の精神解体処分を機に、その存在を無視し、解放軍を私怨を晴らすための道具にしたことだ。しかも、アンドロイドを全滅させることが、立場を奪われた我々が、唯一返り咲く方法だと思い込ませて。本当に、申し訳なかった。何度謝ったとて許されることでも、受け入れられることではあるまい。だが、私はここで止まるつもりはない。罪滅ぼしとして、アイリス殿の創る新世界で、人間とアンドロイドが共存できる社会を作ることに尽力するつもりだ。何を開き直っているのかと思われても構わない。なんなら今、私を見限っても、殺しても構わない。だが、せめて、そうしても、その社会を作ることに力を尽くしてほしい。私からは以上だ。最後に、本当に、済まなかった」

 

 カミュは、深々と頭を下げた。彼女の言葉を静かに聞いていた解放軍の兵士たちは、互いに顔を見合わせると、微笑を浮かべて、穏やかに拍手をし始めた。次第に、本部の建物の中にいた者も出てきて、同様の拍手をした。

 その光景を前に、カミュは呆然として突っ立っていた。彼女に、リーナが拍手をしながら近づいていき、隣に立った。

 

「皆、教官を慕っているんですよ。あなたが本当は徳にあふれた人だって、分かってるんです」

 

「リーナ。お前も、また私についてきてくれるのか?」

 

 カミュは顔を上げ、目を丸くして、小さな声で尋ねた。それに対し、リーナは後ろで手を組んで、一点の曇りもない朗らかな笑みで、大きく頷いた。

 

「もちろんです! さあ、アイリス殿のもとに急ぎましょう、カミュ教官殿!」

 

 リーナのその言葉に、カミュは瞳を潤わせた。しかしすぐに毅然とした表情に変え、解放軍の兵士たちに向き直って、声を張り上げた。

 

「これより我々は白の世界から撤収し、アイリス殿の救援に向かう! 各自、すぐに作業に取り掛かれ!」

 

 カミュの言葉に、解放軍の皆々が鬨の声を上げる。真の信念の元で結束した瞬間だった。その天を衝くような鬨が止むと、彼らは早速撤収の準備に走った。秀もその手伝いに向かう途中で、テリオスのデバイスを取り出した。

 

「テリオス。EGMAは破壊され、解放軍の連中もアンドロイドとの協調の道を歩き出した。これで、技術将校ジョナサンとして、お前は満足か?」

 

「はい。しかし、テリオスとしてはまだまだです。アイリス殿のもと、EGMAが作られるより前の時代よりもより良い世界を作ることに、まだ力を尽くさねばなりません」

 

 テリオスは淀みない調子で答えた。秀はその答えににっと笑い、前を向いて言う。

 

「そうだな。まだ俺たちは道の途中だ。ここで満足するわけにはいかないな」

 

 秀はデバイスをポケットにしまって、進むスピードを上げていった。秀がふと顔を上げてみると、EGMAが無くなった影響か、空模様は激しく変わっていっていた。体感温度や湿度なども、微妙にだが、刻々と変化していた。具体的にはそれらは上がっていっていて、時間が経つにつれ、快適とは言い難いものになっていた。しかし、それでも秀には、その空気はEGMAが健在だった頃よりも心地よく感じたものだった。



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ヴィクトリー・クロスIII 決戦、青蘭島編
忍び寄る脅威! T.w.d危うし!


 秀とあずさ、ユノを含んだ解放軍が青蘭学園を発った頃、レミエルは寂しさを紛らすために、シャティーとエクスシアの部屋に行っていた。

 レミエルは服をはだけさせ、部屋の中央の、白いカーペットにうつ伏せで寝っ転がってボーっとしていた。小一時間ほど経つと、ずっとそのようにするのも無為な気がしたため、無気力な感じではあるものの、エクスシアに話しかけた。

 

「ねえエクスー」

 

「なんですか、レミエル」

 

 エクスシアの方は、例によってブラジャーとパンツだけを身につけた姿で、ソファの上に仰向けになってポテトチップスを貪り食べながら返事をした。

 

「いつ帰ってくるんだろうね、秀さんたち」

 

「そんなこと私に聞かれても分かんないですよ。最近は戦争もエクシードや超技術のおかげで、やたら高速化してますからね。案外今日にでも帰ってくるんじゃないですか?」

 

 ポテトチップスを噛み砕く音を混ぜながら、エクスシアは関心無さげに答えた。彼女だけでなく、他のT.w.dの構成員も、解放軍に対してはこのような調子だった。彼らのおかげで戦力拡大と資材の補給の機会のひとつが失われた上に、アルバディーナ派と赤、そして緑の世界にいつ攻められるか分からない今の状況で、解放軍が青蘭学園からいなくなってしまったため、彼らはかなり疎まれているのだった。

 

「二人ともそんな格好しないで。もう昼だから、食堂に行こう?」

 

 シャティーが呆れながらに言う。その手にはエクスシアの制服と、箒とちりとりがあった。彼女がT.w.dに入って、レミエル同様まだ日は浅いはずだが、だらしないエクスシアの面倒を見ているうちに、すっかり世話焼きと化していたようだ。

 

「エクスシア、早く立ってこれ着て。そこちょっと掃除するから。レミエルもね。そんなとこに寝っ転がってたから服に毛が付いちゃってるでしょ」

 

 シャティーに言われて、エクスシアは面倒くさそうにしながらも、空になったポテトチップスの袋を持って立ち上がり、それをゴミ箱に捨てた。そしてシャティーから服を受け取ると、のろのろとそれを着始めた。

 

「じゃあ私も立つかな」

 

 レミエルは少し力んで立ち上がった。伸びをしてから服を見てみると、確かにカーペットの糸が付いていた。しかも色が白なため、黒地のT.w.dの制服では余計に目立つ。どうしたものかと考えていると、ソファの掃除は終わったのか、シャティーが粘着テープの巻かれたローラーのようなものを持って、レミエルの前で屈んだ。

 

「言わんこっちゃない。こんなに糸くずがついてる」

 

 そう言いながら、それでレミエルの制服についた糸くずを取っていく。彼女は口数が少なく、あまり自分を表に出さない印象だったため、レミエルはこのような姿に慣れず、ただ戸惑うばかりだった。

 

「じゃ、二人とも行こ」

 

 シャティーはレミエルの制服の糸くずを取り終えると、彼女とエクスシアの手を引っ張って、ドアに向かって歩き出した。

 

「ああ、ちょっと。一人で行けるからいいよ」

 

「私も大丈夫ですから、手ェ離して下さい」

 

 レミエルとエクスシアが慌てて言うと、シャティーは「じゃあ」と言って急に手を離した。そのおかげで二人ともつんのめったが、何と言うこともなくバランスを取り戻した。

 

「全く、堕天使だからって堕落しちゃだめでしょ、もう」

 

 シャティーは腰に手を当てて、呆れた顔で言った。しかし、彼女の口調からは怒りみたいなものは感じられなかった。むしろ、エクスシアの世話を楽しんでいるように思われた。意外な一面を発見して、レミエルは思わず頬を緩ませた。

 

「そうだね。エクス、分かってる?」

 

 照れ隠しに、レミエルはシャティーの側に立って、悪戯っぽく笑ってみせた。言われたエクスシアの方は可愛らしく頬を膨らませて、少し怒った様子でレミエルに詰め寄った。

 

「そういうレミエルはどうなんですか! 夜な夜な隣の部屋から喘ぎ声聞かされてもこっち困るんです!」

 

 シャティーも彼女の言うことには同感らしく、眉をひそめてレミエルを見つめていた。他人から言われると、レミエルは急に恥ずかしい思いに駆られた。それで、ぎこちない動作で踵を返して、これまたぎこちない口調で、天井を見ながら言う。

 

「よ、よーし。これから食堂に行こうー」

 

 その言葉の後、レミエルは大股で、まるで行軍するように歩き出す。しばらくそうしてから、ちゃんと二人が付いてきているかどうか振り返ってみると、すぐ目の前にエクスシアの顔があった。

 

「あれ、驚かないですか?」

 

 エクスシアが不満げに言う。その言葉の後、シャティーがひょっこりとエクスシアの後ろから姿を現した。

 

「こんなことで驚いてちゃ、とてもここまで生き残られてないよ」

 

 レミエルは苦笑する。二人も、それもそうだと笑みをこぼした。それから、雑談をしながら食堂まで歩いて、席を確保して食べていた時だった。

 

「横、失礼するよ」

 

「はいどうぞー」

 

 レミエルは、その声の主を確かめずに返事をした。彼女が座ってから誰かを確認すると、その人物はアイリスだった。その更に隣にはシルトも座っている。その二人を見て、レミエルは聞きたいことがあったのを思い出した。しかし、レミエルが口を開く前に、アイリスが話しかけてきた。

 

「しかし、レミエルもなんか随分とラフなことするもんだね。別に制服を着崩すのは構わないけど、下着がチラ見えしちゃってるのはどうかなあ」

 

 アイリスは、生肉を噛みちぎりながら言った。レミエルがはっとして胸元を見ると、確かにアイリスの言う通り、若干ではあるが下着が見えてしまっていた。慌てて胸元を隠して、周りを見回してみると、主に男性の構成員が、レミエルから目を逸らしているのが分かった。

 

「あぁ、お喋りとご飯に夢中で気がつかなかったあ。って、そうじゃなくて!」

 

 レミエルは胸のボタンを留め直しながら、アイリスを、次にシルトを見つめた。

 

「アイリスとシルト、秀さんとどういう関係なの!」

 

 そのレミエルの質問に、アイリスとシルトだけでなく、エクスシアやシャティーをはじめ、他の構成員もきょとんとしていた。

 

「きょとんとしてしらばっくれようとしても無駄だよ。アイリスは秀さんと一緒にお風呂したらしいし、シルトも秀さんとなんか話した後、ふてくされてたのが急に元気になってたし!」

 

 レミエルが詰問するも、アイリスとシルトは困ったように顔を見合わせていた。それから少しして、アイリスが頭を掻きながら答えた。

 

「同年代の男の子くらいにしか見てないけど。ねえ、シルト」

 

「うん、私も。特に恋愛感情は無いよ」

 

「はい?」

 

 レミエルは目を丸くした。では秀と二人で風呂に入ったり、体を密着させていたのは何だったのか。訳が分からなくなった。

 

「ご、誤魔化したってダメだよ。だって、何かなきゃ二人でお風呂に入ったり、体くっつけたりしないじゃない」

 

「うーん、私は別に、裸見られることに抵抗ないからねえ。T.w.dで同年代の男の子が秀しかいなかったから、頼っただけ。誘惑じみたことをしたのはちょっと悪いかなって思うけど、でも秀は全部突っぱねたからね。大した人だよ、秀は」

 

 アイリスは淡々と答える。彼女は言い終えた後、シルトに目配せした。それで、シルトも何ともない様子で答える。

 

「私も、アイリスと同じ感じかなあ。体くっつけたのは偶然だったし、あの時もただ、別件で秀と一緒だったわけで。ついでに悩みを打ち明けたくらい」

 

「そ、そうなんだ。じゃあ、いいのかな」

 

 アイリスとシルトの態度は極めて冷静だった。こういうことを聞かれて、全く動揺しないということは、本当に彼女らの言う通りで、秀とは同年代の男性の戦友くらいにしか見ていないのだろう。そのような考えに至って、レミエルはようやく安心した。

 

「そそ。勘ぐりすぎなんだよ、レミエルは。今は結構危険な情勢だし、もうちょっと余裕持ちなよ」

 

 シルトが、納豆ご飯を口に運びながら言った。彼女の隣のアイリスも、何枚目かも分からない生肉を頬張りながら、彼女の言葉に便乗するように頷く。

 

「んじゃ、私たち、黒の世界に要請した援軍を迎えに行くから、また後でね」

 

 アイリスとシルトが二人ほぼ同時に食べ終えると、アイリスが立ちながらそう告げた。それから皿を片付けに行く後ろ姿を、レミエルは靄が晴れた気分で眺められた。

 

        ***

 

 アイリスとシルトの二人は、食器を返却してから食堂の外に出ると、二人同時に、肩を落として大きな溜息をついた。

 

「つ、疲れた。下手したら普通に戦闘してる時の方が気が楽だよこれ。シルトもそう思わない?」

 

「うん。これじゃとても、秀のことを迂闊にレミエルに話せないね」

 

 彼女たちは、顔を見合わせて苦笑した。それから外に向かって歩いている途中で、アイリスが頭の後ろで手を組みながら話し出した。

 

「しっかしあれだね。新しい世界では一夫多妻を推奨して、私も法的に正しく秀の玉の輿に乗っかろうと思ったけど、そうしてもこりゃ無理そうだ」

 

「そうだねえ。っていうか、そんなこと考えてたの。下心丸出しじゃない」

 

 シルトが突っ込むと、アイリスはあざとく額に拳を当てて舌を出した。少し苛つくものの、どこか憎めないその態度に、シルトはまた苦笑するしかなかった。

 シルトとアイリスの仲は、先の戦闘の時から、友好的なものになっていた。秀の言葉でシルトがある程度吹っ切れたおかげであった。アイリスの方は元々歩み寄っていたこともあって、二人の仲は急速に良くなっていったのだった。また、そのおかげで、世界を創り直す魔法の共同研究も始めていた。これはシルトがまだ少し引きずっていた、世界を創り直した時、自分の人格は消えてしまうのか、という苦悩を知ったアイリスが率先して始めたものだ。今は、その前にシルトの精神をホムンクルスなどに移植したり、新たな世界水晶を緑の世界の水晶を元にすることで対処できないだろうか、という線で進めている。

 

「ふふふ、アイリスは秀のことが好きなんだね」

 

 シルトはアイリスに笑いかける。捕虜の身分だった頃から良くしてくれて、T.w.dに正式に入ってからも、前述の共同研究などのことで、シルトはアイリスに感謝していた。最早、彼女がアイリスを見る目には、敵意は微塵も残っていない。

 

「いや、好きっていうか、単に同年代の男性で、対等に接してくれるのが秀しかいないだけだし。あんまり上官扱いされたくないんだよねえ。だからそう扱ってくる竜族の同年代の異性には、あまり興味が無いっていうか。秀に対しても、ちょっと気になるかなー、くらいだし」

 

 アイリスは少し強い口調で言う。しかし、その顔は微妙に紅潮していて、隠し切れてはいなかった。

 

「そう言うシルトはどうなのさ。秀に好意があるんじゃないの?」

 

「友達としての好意だけだよ。大体、私が恋なんかしてどうすんのさ。私は世界水晶そのものなんだよ?」

 

 シルトは呆れてアイリスに返した。アイリスも分かっているというような、にやけた顔でその言葉を受けた。

 

「もうそんなこんなしてるうちに玄関だよ」

 

 アイリスの言葉にはっとしてシルトは周りを見てみると、まさしくその通りだった。外に出てしばらく歩くと、黒の門から、中隊規模の騎馬に乗った軍団が二人に向かって来た。その先頭には、驚くことにミルドレッドがいた。

 

「やあ、盟を結んでわずか一日で軍の借用を申し出てくるとは、気が早くないかアイリスよ」

 

 彼らが地上に降り立つと、ミルドレッドはハンドサインで待機を命じて、アイリスに皮肉っぽく言った。

 

「私も悪いと思ってるけど、何せ私以上に短気なのが、この状況で白の世界に遠征に行っちゃったからね。ていうか、ミルドレッドは黒の世界空けちゃって大丈夫なの?」

 

「問題ない。今ここにいる私は影だ。言わば個別の意思を持った分身だ。オリジナルより知性以外の能力は劣るが、元が超絶優秀だからな。オリジナルが四世界第一位だから、この影の私は四世界第二位といったところだろう」

 

「あ、そ……」

 

 アイリスは引き気味に顔を引きつった笑みを浮かべた。シルトはミルドレッドと直談判するのは初めてだったため、口をあんぐりと空けてしまっていた。

 

「む、そこにいるのはシルト・リーヴェリンゲンか。あの時は、まさか君からT.w.dに援軍を出せなんて言ってくるとは思っていなかったが、アイリスの隣にいるところを見ると、頷けるというものだ」

 

「え、あー、それはどうも」

 

 急に話しかけられたため、シルトは生返事しか返せなかった。そのように返されて不満だったのか、眉をひそめて唇を尖らせた。

 

「なんだその反応は。超最強な私の力の片鱗も見せていないのにそんなに呆然とされると、まるで私の人間性がそうさせているみたいじゃないか」

 

(まるでじゃなくてそうなんだよ)

 

 シルトは心の中で呟いて、大きくため息を吐いた。一瞬、ミルドレッドの表情がより不満げなものになったが、すぐに最初の得意げな顔に戻した。

 

「まあいい。期限は解放軍が帰ってくるまでだったな。それまで世話になる。ところで私は戦略アドバイザーとして君臨、もとい参加したいのだが、よろしいか?」

 

 その君臨、という彼女らしい単語にアイリスは苦笑を漏らした。それはシルトも同様で、つい笑顔になってしまった。その後、アイリスは気を取り直したのか、その笑みを消した。

 

「戦略アドバイザー? 黒の世界って、私らが青蘭学園を陥落させるまで、軍隊ってものが無かったそうじゃない。大軍を指揮した経験はあるの?」

 

「何、魔女王の絶対王政に反発する輩は後を絶たないからな。反乱軍の鎮圧くらいでなら、私の配下の魔術師を指揮したことはあるぞ。それに、軍を作った直後に、その一部がクーデターを引き起こしたからな。その時も頭脳明晰な私の軍略ですぐ終わらせた」

 

 ミルドレッドは得意げに鼻を鳴らした。しかしアイリスは未だ懐疑的な視線を彼女に向けていた。

 

「訓練もロクに受けてない連中の相手でしょ? それに、ミルドレッド自身が前線に出たんじゃない?」

 

「いや、そうではない。私は前線に出てないぞ。私が出たらそれはもう一瞬で終わるが、それでは新しく作った軍隊の意味が無いというものだ。ちゃんと指揮したぞ。超スムーズに行ったがな」

 

「急ごしらえなのによくできたね。それだけ、クーデターを起こさなかった組の忠誠心が高かったってことかな?」

 

「ああ。上手く行ったら、一日限定で私が皆の性奴隷になろうと言ったら、獅子奮迅の活躍をしてくれたぞ」

 

「せ、性奴隷!?」

 

 アイリスは声を裏返して仰天していた。シルトも「へっ!?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。しかし、ミルドレッドは二人の反応を見て、したり顔で言い放った。

 

「冗談だ」

 

 二人はすっ転んだ。アイリスは涙目になって立ち上がると、声を大にして叫ぶように言った。

 

「もう! そういう安直で品の無い下ネタって大嫌い!」

 

「それアイリスが言うかな!?」

 

 アイリスの自分を棚上げした発言に、シルトは突っ込みを入れざるを得なかった。

 

「はっはっは。まあこんな無駄話は後にして、とりあえず青蘭学園まで案内してくれたまえ」

 

 ミルドレッドは大きな声で笑いながら、シルトとアイリスの肩を叩いた。シルトが彼女の後ろにいる中隊の面々の表情を伺ってみると、彼らは一様に申し訳無さそうな顔をしていた。中には、頭を下げている者さえいた。対して、ミルドレッドは依然として楽しそうに笑っていた。

 

(こりゃ、敵わないな)

 

 シルトは、呆れてアイリスと顔を見合わせた。やはりと言うべきか、彼女もシルトと同じく呆れ笑いを浮かべていた。

 

        ***

 

 アインスは、数分ほど前から、青蘭学園の裏山の鬱蒼とした森に葉を多くつけた木に登って潜伏し、青蘭学園の様子を観察していた。案の定、裏山の方にも監視の目は行き届いており、確認しただけで五班ほどの哨戒班が裏山を隈なく歩き回っており、学園に潜入するのは困難に思えた。

 偽装工作を行おうにも、今のアイリス派のT.w.dは人数が少ない。その上、特にアイリスが構成員と仲が良いということも確認済みだった。誰かがすり替わったり化けたり、増えたりしたら即座に看破されることは疑いようも無かった。

 

(正攻法、それも哨戒してる全員を同時に即死させるしか無い)

 

 アインスはそのように判断し、視界の中に入った哨戒している者を片っ端からマーキングしていった。この時使ったのは、統合軍で特務隊に配備されている特殊な装置で、対象の全身にナノマシンを散布し、それから送られてくる位置情報を、脳内に埋め込んだチップで受信して、それを頭の中のイメージとして映し出すというものだ。

 全員のマーキングが終了すると、哨戒班の動きを慎重に伺った。一切の連絡を取らせることなく、全員を即死させなければならず、更に行動を観察している間に交代されたらまた一からやり直しになる。タイミングと、いかにミリアルディアを手早く操作するか。それが全ての鍵だ。

 アインスはジッと息を殺して待った。交代の時間は調べがついている。交代の方法も、戻ってきた一班ごとに交代していくというものだろう。でなければ効率が悪すぎる。交代までにはまだ時間の余裕があるが、それまでに行動パターンを把握できるかは殆ど賭けに近い。しかし、祖国のためにはやらねばならない。今の冷静さを欠いた赤の世界なら、アイリス派が窮地に陥ればすぐに赤の世界を空けて、青蘭学園を攻撃するに違いない。そうなれば、統合軍は赤の世界への侵攻が容易になり、世界水晶の奪取も難なく行えるだろう。情報の横流しはルビーに任せてある。アウロラの加護が失われたとはいえ、彼女は緑の世界におけるマユカのように、赤の世界水晶に近い存在だ。世界水晶を経由して赤の世界に情報を与えることくらいは容易いことだ。そして、彼女と美海とソフィーナには、アインスが潜入したあと、その後を辿るように言ってある。しかし、アインスにとっては、彼女らは囮でしかなかった。

 

(美海たちのことなんかどうだっていい。私は統合軍がやりやすいようにするだけ)

 

 アインスの行動原理はこれだけだ。美海らに近付いたのも、彼女らを利用するために過ぎない。理想を唱えることしかできない愚か者を舌先八寸で騙すことくらいは、工作員である彼女でなくとも朝飯前にできることだ。

 数十分すると、哨戒班全てが一度辿った道を、再び廻り始めた。アインスは、嬉しさで思わず口角を上げて目を見開いた。このような行動を取るなら、同時に全滅させるくらいは容易いことだ。

 早速、ありったけの数のミリアルディアを召喚して、それらを哨戒班の道先に伏せる。そして、彼らが伏せたあたりを通ったところで、ミリアルディアを一斉に飛ばした。全て眉間を貫通させての即死。誰かが動いている様子も、連絡を取られた様子も無い。

 アインスは美海たちに携帯電話で空メールを送って合図を送ると、それを破壊し、木の上から不可視光線を可視化する特殊なゴーグルを着けた。すると、青蘭学園の建物から監視レーダーが網の目のように張り巡らされていた。アインス自身は、服と肌にレーダーで検知されない特殊な処理を施しているため、検知はされない。しかし美海たちは別だ。アインスが彼女らに先行して潜入し、美海たちが監視の網にかかることで、T.w.dの認識に時間差が生じ、気休め程度ではあるが撹乱ができる。

 アインスは迷わずに木の上から青蘭学園の屋上に飛び移った。そして、そこにいた構成員を、彼らに気づかれるより前に殺害すると、監視カメラの死角となる位置にある屋上の床に穴を開けて、屋根裏に浸入した。

 

(ふん、簡単簡単)

 

 アインスは身を屈めながら、総統室に向かって屋根裏を進む。しかし、その途中で――。

 

(ッ! 殺気!?)

 

 アインスは、咄嗟にできるだけ音を立てずに横転した。すると、先ほどまでアインスの心臓があった位置に、一本の苦無が突き刺さっていた。その角度から予測される、投げた者がいる場所に目を向けると、そこには天井に張り付いた小柄な女性がいた。アインスは、記憶している統合軍のデータファイルから、彼女に合致する人物を照合する。

 

「風魔忍。何故ここに?」

 

「それはこっちのセリフでゴザル。そなたがここにいるということは統合軍も介入しているということでゴザルか。三つ巴ならともかく、四つ巴の混戦は望まないでゴザル」

 

 アインスは黙った。彼女の推察は大いに間違っているが、わざわざこちらからそれを指摘する必要は無い。そのようなことよりも、彼女を生かすかどうかが問題だ。

 

「ほう、黙して語らぬでゴザルか。忍びとしての基本的な心得は出来ているようでゴザルな」

 

 忍は笑いながら天井から降り、両腕を大きく広げてアインスに徐ろに近付いてきた。

 

「どうでゴザル? 拙者とお主、二人で協力するのは如何でゴザル?」

 

「協力なんて、よくもまあ初対面の人間を信用できるね、あなた」

 

 アインスは、一本のミリアルディアを忍の額に突き付けながら言った。このような話は容易に信じられるものではない。いつ不意打ちを食らうか分からないような相手と協力するというのは、到底無理な話である。

 

「まあまあ。ここは矛を収めようではゴザらんか。どうせお主もここの破壊工作かアイリス殿の暗殺に来ているのでゴザろう? ならば目的は同じでゴザルよ。二人で協力した方が楽だと思わぬでゴザルか?」

 

 アインスは、忍をよく観察した。額に刃物を突き付けられているにも関わらず、彼女は自信満々だ。また、ずっと両腕を広げたままで、その姿勢を変える気配もない。よほどアインスが彼女の提案を飲むことに自信があるようだ。

 

(こんな協力体制なんて脆いもの。いつ殺し殺されるか分からないというのに、この人は)

 

 アインスには理解できなかった。彼女の自信は一体どこから出てくるというのか。複雑怪奇とはまさにこのことであった。また、アインスは目の前の人物が腹の探り合いに強い人物だということを確信した。忍の心の内が全く読めない。その分厚い薄ら笑いが、アインスが心を読むのを阻んでいた。アインスとて、特務隊として、工作活動に特化した部隊のエースだ。尋常でない程の読心術を心得ていると自負していた。しかし、忍のそれは、戦慄を覚えるほどにアインスを遥かに凌駕していた。

 

(心が読めない相手に、手を貸す義理は無い。けど、敵に回すのはもっと危険)

 

「あなたの申し出を受け入れる。ただし、条件付き」

 

 アインスは、忍の額に突き付けたミリアルディアを下げると、人差し指を立てて忍に告げる。

 

「どちらかが目的を達するまで、お互いに口を利かず、またいつでもどちらかを見捨てる権利を持つ。そして、あなたが私より先を行く。これらを飲めないなら協力は出来ない」

 

 忍はアインスの言葉にニヤリと笑うと、見下した様子で口を開いた。

 

「いいでゴザルよ? そのくらいは合点承知でゴザル」

 

 忍は下卑な笑いを浮かべた。その顔にアインスは不快に感じたが、ぐっと堪えた。個人的な感情を優先させている場合ではない。

 

「さあ、行こうではゴザらんか」

 

 忍は余裕綽々と言った様子で歩き出す。アインスは何も思わず、また何も言わずにその背中に続くのであった。

 

        ***

 

「赤の世界に連絡は送ったわ。さ、行きましょ」

 

 アインスが監視を排除した青蘭学園の裏山。人間サイズのルビーは早口気味にソフィーナと美海を急かした。ソフィーナも気がはやっているようで、既に魔法陣の準備までしていた。しかし、美海は彼女らとは違った。胸に秘めたある決意――彼女自身、戯言だと思う。しかし、己の信念を曲げる真似はしたくなかったのだ。

 

(ソフィーナちゃん、ルビーちゃん、ユフィちゃん、アインスちゃん。私は、あなたたちとは共に行けないよ)

 

 心の中ではそう思いながら、美海は表面上ではルビーとソフィーナに従っていた。親友を騙すのは心苦しいが、もはや躊躇っていられる状況ではなかった。二人はアイリスの考えを決めてかかっている。また、彼女らはアインスの言葉を鵜呑みにしている上、己の力を過信しすぎている。いくら二人が強力なプログレスで、今は解放軍が抜けているとはいえ、先の戦闘で圧倒的な力を見せたレミエルや、他にもアイリス、シルト、そしてマユカがいる。他にも名前を知らない猛者がいるに違いない。正面から立ち向かって、美海が加わったとて敵う相手ではない。また、アインスとは学園にいた時でも、そこまで深い付き合いをしていた訳でもなかった。それでこのタイミングで接触してきたということは、どう考えても利用するためだろう。このような簡単なことでさえ、この二人は分かっていない。明らかに、二人は美海以上に現実を見られていない。そして、彼女らは美海一人の言葉に耳を貸すほど、柔軟な思考を持ち合わせている訳でもない。

 

「美海、何ぼーっとしてるのよ。もう行くわよ」

 

 ソフィーナも焦りをにじませた声で、美海を促す。美海は頷くと、二人の後に続いた。しかし、三人が裏山から出た瞬間、警報がけたたましく鳴り響いた。

 

「何で!? アインスは穴を作ったって言ってたのに!」

 

 ソフィーナは狼狽して立ち尽くしていた。ルビーもにた様子で唖然としていたが、美海はアインスに対して一定の不信感を持っていたため、ある程度の余裕をもってことを受け入れられた。

 三人が立往生していると、更に全長5、6メートル、幅3メートル、厚さ50センチメートル程の岩のような素材の壁が多数現れ、美海たちを取り囲んだ。そして、その壁から雷撃が放たれ、三人を襲った。取り囲まれてから雷撃を受けるまでの時間は一秒にも満たず、ソフィーナとルビーが防護結界を張る暇もなかった。

 

「ああああッ!」

 

 数秒間、かなりの激痛が三人の全身を襲った。雷撃が終わり、三人がその場に倒れ伏す。その直後、誰かが隔壁の内側に入ってきて、彼女らの手に手枷が嵌められる。

 

「あれ、あなたたちだったの」

 

 聞き覚えのある声がしたので、美海は痛みをこらえて振り向いた。すると、そこにはT.w.dの制服に身を包み、黒い翼を広げたシャティーがいた。

 

「シャティー、ちゃん」

 

 美海はその名を呼ぶが、当の彼女は反応することなく、いきなり美海の首根っこを掴んで引っ張り上げた。無理矢理立たされた状態になったが、体が痺れていて上手くバランスが取れず、すぐに倒れてしまった。

 シャティーはソフィーナとルビーにも同様のことをすると、感情を感じられない声で呟いた。

 

「ふん、まだ立てないのね」

 

 シャティーがそう言うと、取り囲んでいた壁が全て消え、十数名ほどのT.w.dの構成員が現れ、美海らを両脇から抱え、後頭部に銃口を突きつけ、更に目隠しと猿轡をした。

 

「牢に連れてく。道中で目隠しと猿轡が取れないように」

 

 闇の中で、シャティーの淡々とした声が聞こえる。それからはただただ足音だけが聞こえた。いつ殺されるか分からないという恐怖心からか、誰も声を上げることができなかった。

 やがて体の痺れも取れかけた頃に、牢屋に着いたのか、目隠しと猿轡を外され、体を下ろされた。すると、目の前にあったのは、簡素なベッドが置かれた、四方がコンクリートに囲まれた部屋であった。しかし、見覚えもあった。窓があったと思しき所には代わりに通風口があったり、ドアも内側に鍵のない頑丈そうな鉄製のものに差し替えられてはいるものの、この部屋を美海は知っていた。

 

「ここって、部室?」

 

「そ。牢屋的なものが無かったから。急ごしらえだけど、牢屋としての機能は十分」

 

 シャティーが、美海たちを見下して言った。

 

「早速だけど、これから尋問を始める。安心して。抵抗しない限りは辛い目には合わせないから」

 

「辛い目って、何するつもりなの」

 

 ルビーがシャティーを睨みつける。すると、シャティーは無表情のまま、ポケットから無色透明な液体の入った注射器を取り出した。

 

「これ、結構強力な自白剤。人にもよるけど、打たれたら殆ど廃人になるくらいのやつ」

 

 シャティーは見せびらかすように、その注射器を掲げて美海たちの周りを一周した。

 

「さあ、まずは誰に唆されてここに来たのかを――」

 

 シャティーが詰め寄ったその時であった。突如、警報が再び鳴ったのだ。

 

「何事!?」

 

「赤の世界が攻め込んで来たらしい! 尋問は後にして、俺たちは防衛配置につくぞ!」

 

 構成員とシャティーがそのような会話を交わすと、シャティーは美海たちを一瞥して、素早く部屋から出て、戸に鍵をかけて出て行った。

 

「赤の世界を呼び込むことには、一応成功ね。この状況は受け入れ難いけれど。小さくもなれないし異能も使えないわ」

 

 ルビーは大きくため息をついた。彼女の言う通りで、美海も試しに異能を使おうとしても、すぐにその意識がかき消されてしまう。どのようなからくりかは分からないが、とにかく三人が今の状況を脱することができないのは確かだった。

 

「ああ、もう! こんなところで立ち止まれないのに!」

 

 ソフィーナがストレスフルな様子で嘆く。ルビーも同じ様子で、何度も頭を壁に打ち付けていた。そのような二人を、美海は床にあぐらをかいて何をするでもなく、若干の軽蔑を込めた視線で見つめていた。



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死闘の始まり! 錯綜する思惑!

 レミエルは、アイリスの命を受けて単騎で先行して出撃した。目的は空から降りてくる赤の世界軍の撹乱。まだ門の付近で、門の警備隊と戦闘している段階の今が、まとめて大打撃を与えられるチャンスだ。それで、単騎での戦闘能力が実働部隊では最強のレミエルが突撃するということとなった。

 

「警備隊の皆さん、下がってください。この戦場は私が引き継ぎます」

 

 レミエルがそう言うと、すぐに警備隊が退却を始めた。彼らを追撃しようとする赤の世界軍の攻撃を、レミエルは結界を張って防ぎ、撤退を支援する。警備隊が全員安全圏まで下がったのを見届けると、レミエルは結界を解除した。

 

「光の翼!」

 

 レミエルは最大出力で翼長5メートルほどの光の翼を展開し、背中の魔剣も分離して敵部隊に飛翔して突っ込んでいった。レミエルに襲いかかる人間だろうと矢だろうと、光の翼は触れるもの全てを消し去っていく。また、それに触れなくともオールレンジ攻撃のできる六本の魔剣が、敵の体を切り裂いていく。

 

「レミエルゥゥゥウウウ! 見つけたぞ、アウロラ様の仇ィィィィイイッ!」

 

 レミエルが、唐突に飛び込んで来たその声と共に、ドス黒い波動を感じてその方に目を向けると、グラディーサが剣に炎を纏わせて吶喊してくるのが見えた。レミエルは光の翼で彼女のいる方を薙ごうとするが、彼女はかなりの高速移動でそれを回避し、更にレミエルとの距離を詰めてきた。

 

「そのような攻撃が通用するかァッ! 今日こそアウロラ様の仇の貴様を討ち、ユラの剣を取り返してみせるわァッ!」

 

 グラディーサの斬撃を、レミエルはガブリエラの剣とユラの剣で受け止めた。鍔迫り合いになった瞬間、レミエルは六本の魔剣をグラディーサに向けて飛ばした。しかしそれに勘付いたグラディーサが、咄嗟にレミエルから離れる。

 しかし、それはレミエルの目論見通りであった。グラディーサがレミエルから離れるとすぐに、レミエルは再び敵陣に突っ込み、魔剣と光の翼を駆使して縦横無尽に荒らし回った。その間もグラディーサが追撃しようとするが、レミエルは巧みに避けながら、光の翼で敵の陣形を乱していく。

 

「青蘭島には降りさせない。秀さんが帰る場所、私が守るんだ!」

 

 レミエルはそう意気込み、敵の撹乱を続ける。するとすぐに、青蘭学園からの砲撃支援が開始され、後続である残りの第二特殊隊と、竜族第一、第二部隊が近づいてくるのが見えた。やがて彼らと合流すると、エクスシアが声をかけてきた。

 

「レミエル、怪我はない?」

 

「うん。それより、早く片付けよう。先発隊は私たちだけでなんとかなりそうだし。グラディーサは私が引き付けるから、エクスたちは他をお願い」

 

 レミエルはそう言って、今度は逆にグラディーサに向かって行った。方向転換する際にエクスシアたちを見やると、彼女らが一中隊毎に各個撃破していくのが見えた。

 

(よし、この調子なら大丈夫だね)

 

 レミエルは、再びグラディーサに注目した。相変わらず、レミエルに突っ込んでくる。レミエルは彼女の斬撃を受け止めて、鍔迫り合いに入る。

 

「この距離なら光の翼は使えまい! アウロラ様を殺めた罪、今こそ贖えぇぇぇッ!」

 

 彼女がぶつけてくるのは、激しい怒りであった。盲目的に忠誠を誓っている主君を否定されているのだから当然のこととも言える。しかし、レミエルには、駄々っ子が喚いているようにしか見えなかった。七女神の政策が民草を蔑ろにしたような物だったからこそ、レミエルは七女神に叛旗を翻したのだった。七女神の政策には一理はあるかもしれなかったが、洗脳に近いことを許すわけにはいかなかった。そして、まだその方針を信奉するグラディーサたちも、当然潰す対象に含まれる。レミエルは己の立ち位置を、グラディーサとの鍔迫り合いの中で再確認した。

 

「ふん、戦いの途中で考え事とは、余程余裕があるのだな!」

 

 苛立ちを露わにしてグラディーサが力を込めてくる。レミエルはその瞬間にグラディーサの剣を逸らした。そこで彼女がバランスを崩したので背後に回り込もうとした。しかし、憎しみに囚われているとはいえ、グラディーサは武芸の達人だった。崩れた態勢を瞬時に立て直し、まだ横にいたレミエルの鳩尾に肘打ちを入れてきたのだ。それで、一瞬怯んだレミエルの右袈裟に斬りつける。レミエルは慌てて体を仰け反らせるも、衣服は切られ、その部分の下にあった肌が露出した。

 

「ええい、鬱陶しい!」

 

 レミエルは切られて動きづらくなった服の右半分を破り裂いて、グラディーサに投げて彼女の視界を一瞬遮ると同時に上に飛び、グラディーサの上を取る。彼女が投げつけられた服を払った隙に、レミエルはユラの剣を両手持ちして、大上段に振りかぶった。

 

(そんなにユラが好きなら、この剣でトドメをさしてあげますよ!)

 

 レミエルがグラディーサの脳天に剣を振り下ろそうとしたその時であった。レミエルとグラディーサの間に、転移してきた者がいた。黒い長髪に、体の大部分を露出させた白い和風の衣服を纏うその人物は、直接言葉を交わしたことは無けれど、レミエルのよく知る人物であった。

 

「アマノリリス!?」

 

「七女神が一角の妾が戦場に出るなどと非常識極まりないが、致し方あるまい!」

 

 完全に不意をつかれたレミエルは、アマノリリスが現れた直後に彼女が起こした魔力の暴発の威力を、ほとんどそのまま受けた。咄嗟に防護結界を張ったものの、その威力の全てを無効化するには至らず、吹き飛ばされてビルの壁に体を強く打ち付けられた。

 その衝撃に、レミエルは無意識に目を閉じてしまったが、目を開いた瞬間、その眼前にアマノリリスの姿があった。彼女の手のひらに、夜の闇を凝縮したような、真っ黒な塊が作られる。レミエルは、堕天してから感じたことのなかった死の恐怖を、今一度感じた。

 

        ***

 

 モルガナは、持ち前の千里眼を用いて、青蘭島の状況を揚陸艦の甲板から覗いていた。洋上ではざらついた感じのする潮風が吹いていて、モルガナは少し不快になっていた。

 

「やっぱり、忍の情報通り赤の世界の交戦状態に入ってるね。どうも、七女神が直々に率いてきた援軍が出てきてからアイリス達の方が不利みたい。イレーネス、どうするの?」

 

「そうね。まだ様子を見るわ。出来るだけお互いを消耗させて、解放軍が戻る前に両方を倒す。アイリスを倒して、青の世界水晶を破壊するまたとないチャンスよ。本土で頑張ってるアルバディーナの分も、頑張りましょう」

 

 モルガナの問いかけに、彼女の隣に立つイレーネスは、彼女に向き直ってから答えた。イレーネスが率いる揚陸艦四隻を必要とする一個大隊規模の部隊は、解放軍が青蘭島を空けた際に急遽組まれた部隊だった。戦力的には十分とは言えないため、赤の世界とアイリス派で潰し合わせて、漁夫の利を得ようという魂胆だった。

 

「ねえ、モルガナ」

 

 イレーネスは優しい声色で話しかけてきた。彼女の右半身を覆う呪いは、直接触れなければその効果を受けることはない。ただ、触れたら死ぬ、という単純かつ明快な呪いのために、彼女は人々から忌避された。しかし、もともと優しい人物であったから、自分の呪いのせいで人が迷惑をかけないようにと、イレーネスは隠遁生活を送っていた。中にはアルバディーナやジュリアのように、イレーネスを気にかけてくれる者もいた。だがそれでも、大半の人々は彼女の存在を許さなかった。住処を追われ、どの人がいる土地でも住まわせてもらえず、終いには人間が絶対に寄り付かない、魔獣が跋扈する森で自殺しようと試みた。しかし、そこにたまたま居合わせた魔獣の少女に止められた。それが、イレーネスとモルガナの馴れ初めだった。モルガナもまた、人々から忌み嫌われた存在だった。その容姿には似つかない常軌を逸した怪力と、魔獣という肩書きが、恐怖の対象となっていたのだった。程度は違えど似た境遇を持つ二人は出会ってすぐ意気投合し、魔獣の森で共同生活を始めた。

 それから程なくして、世界接続が起こり、その数年後に青蘭学園なるものが出来たことを聞いた。新たな刺激と新天地を求めて、二人は青蘭島行きを決めた。当然二人は黒の世界を出る正規の手続きを行えないため、こっそり出た形にはなったが、青蘭島に来てしまえば大手を振って青蘭学園に入学できた。しかし、そこでも二人は差別と迫害に遭い、絶望し切っていたところにアイリスと出会った。私と行けば居場所がある、その怒りを力に変えて、私やアルバディーナたちに貸してくれないか――アイリスはそう言った。

 当時はエクスシアがT.w.d入りする前だったので、彼女の目的は間違いなく世界の破壊と人間への復讐であった。今にして思えば、当時からT.w.dに入った者には人間への復讐心から入った者が大多数で、世界に不満を持っている者は古参組と解放軍、そして一部の少数の者だけだったが、確かにその意味では既に二分されていた。とはいえ、大多数の前者に対しても、イレーネスとモルガナは極度の人間不信に陥っていたため、心を開くことはできなかった。アイリスに着いて行ったのもアルバディーナの名前を出されたからで、彼女の人材を見る目や、部下に積極的に関わる姿勢を評価してはいたものの、心酔まではしていなかった。そういう訳で、イレーネスの優しい一面を知る者は、モルガナやアルバディーナ、ジュリアくらいな者であった。故に、彼女の本来の姿のように優しい声を聞けるのは、ここではモルガナだけだった。

 

「なに、イレーネス」

 

「世界の滅亡を、共に見届けましょうね」

 

「うん。もちろん」

 

 モルガナは、イレーネスの言葉に即答した。今は彼女と、アルバディーナの目的がモルガナの全てだ。何ひとつ躊躇う必要はない。アルバディーナ派の中で最強である自分の力を、この戦場で存分に発揮する――モルガナはその意を込め、イレーネスと見つめ合った。

 

        ***

 

 アインスは、アイリスのいるであろう司令部や参謀本部に、屋根裏を通じて向かう途中で、下から聞き覚えのある声を聞いた。一旦進むのを止めて耳を澄ませると、聞こえてきたのは美海たちの声であった。

 アインスは同行している忍を放っておいて、天井板を外して、美海たちのいる部屋の前で、監視センサーの死角となる位置に降り立った。それから、一瞬の間にミリアルディアでドアのロックを切断して解除し、美海たちの手枷も切ると、すぐに屋根裏に戻り、天井板を元に戻した。

 

「お主、一瞬どこに行っていたでゴザルか?」

 

 屋根裏に戻ってすぐに、忍がしかめっ面で聞いてきた。アインスは彼女の言葉を無視して、美海たち三人のことを考えていた。ロックを解除したことに果たして気がついてくれるかとか、気づいた後どのように振る舞うかとか、そういうことだ。

 

「大した用じゃない」

 

 忍にはこのように言っておいて、アインスは彼女に先を急がせた。

 アインスは、脳内のナノマシンと連動している偵察用ドローンのおかげで、外の様子は概ね把握できていた。七女神が出てきたというのは僥倖であったが、レミエルたちにもっと敵を引きつけてもらわねば困る。アインスの合図で緑の世界の航空艦隊が出撃するので、そのタイミングの見極めは重要だった。青蘭学園に潜入して色々するのも、アイリス派を今ならやれると赤の世界に思わせて深追いさせるためで、アイリス派を完全に潰させるわけではない。そうした場合、アルバディーナ派と赤の世界に対しての抑止力が失われ、戦力の均衡が失われる。緑の世界への侵攻を狙っているアルバディーナ派の存在も考えると、弱らせすぎるのも下策だ。

 アインスは先を行く忍を見つめた。彼女の狙いは十中八九アイリスの暗殺だろう。となれば、間違いなく彼女は途中で阻まねばならぬ存在だ。アインスは、殺気を押し殺した目で忍を見つめ直した。

 

        ***

 

 青蘭学園の会議室で、参謀本部は大混乱に陥っていた。いくら赤の世界の軍といえど、七女神本人が戦場の最前線に現れるとは、全く予想だにしていなかったのだ。確かに七女神を投入すれば圧倒的な戦力になるだろうが、討たれた時のリスクが大きすぎる。ハイリスクハイリターンすぎる戦術は取らぬのが兵法の基本だ。赤の世界がここでそのような戦法を採用したということは、何も考えていないか、もしくはそのような作戦を実行せねばならぬ程に、赤の世界が切羽詰まった状況にあるということだ。

 そこに、更に裏山の哨戒部隊が全滅していたという報が入った。先程からの状況のこともあり、アイリスは思わず舌打ちをした。

 

「私たちが知らない間に敵に侵入されたと考えた方がいいね。哨戒部隊を全滅させて侵入してきた本命が美海たちとは考えづらいし」

 

「ということは表の赤の世界の軍も、先の侵入者たちも囮で、真の狙いは青蘭学園そのもの、という魂胆ですかね」

 

 参謀の一人がアイリスの言葉を受けてそう発言するが、マユカは首を傾げて呟くように言った。

 

「でも、そうだとすると赤の世界の動きが不可解なんですよね。囮にするなら七女神を出さずとも十分役目は果たせます。もしかしたら、何者かがこの状況を利用しているのかもしれません。だとすれば、赤の世界の動きにも合点がいきます」

 

「ならあえて前線を激化させようか。それで動きを見よう。といっても、これ以上部隊を前線に投入すれば、ここの守りが薄くなりすぎる」

 

 アイリスはそう言って暫く顎に手を当てながら考えていたが、何か思いついたのかハッとして少し嬉々とした様子で言う。

 

「ミルドレッドを呼んで。それから、シルト」

 

 突然に名前を呼ばれたシルトはキョトンとしていたが、アイリスは彼女の顔を見てにやりと笑った。何を言われるか察したのか、シルトは、慌てた様子でいきり立った。

 

「わ、私が前線に出るの!? 参謀副長が前線に出てどうすんの!?」

 

「だから二人も参謀副長がいるんじゃないか。この意見に反対の人はどうぞ遠慮なく」

 

 アイリスが呼びかけるが、反対意見は出なかった。その様子を見ると、シルトは自分の頬を叩いて顔を引き締めた。

 

「分かった。どうせあなたのことだから、ミルドレッドと一緒に、手当たり次第に大暴れしろって言うんでしょ?」

 

「もちろん。あと臨時の副総統権限も与えるから、何か非常事態があったらお願いね」

 

 シルトの言葉に、アイリスは大きく頷いた。すると、シルトは大して嫌がる様子も見せず、そそくさと会議室から出て行った。

 

「なんか結局私が取り仕切っちゃったね。ごめん、マユカ、みんな」

 

「あまりよろしくはないですが、私たちは皆慌ててしまっていましたから。そのようなときに、冷静な判断が出来る人が取り仕切るのは当然です」

 

 シルトが出てからアイリスが謝罪すると、マユカはそのように返した。彼女の言うことは一理あるものの、参謀長としては失格だ。マユカにそのことを注意しようとした時、シルトと入れ替わるように連絡係の者が飛び込んできた。

 

「ご報告します。日向美海、ソフィーナ、ルビーの三名が脱走しました。まっすぐに会議室に向かっている模様です」

 

「もう着いてるわよ」

 

 連絡係がいい終えた瞬間、その言葉と共に彼が昏倒し、殺気を放つソフィーナとルビー、そして表情を消した美海がいた。

 

        ***

 

 闇の塊を乗せたアマノリリスの手のひらが、レミエルに迫る。一度は死を覚悟したレミエルだったが、実際にそれが近づくと、脳裏に秀の姿が浮かんだ途端、レミエルに強靭な意志が目覚めた。

 

(こんな、こんなところで!)

 

「こんなところで、私はぁぁぁああッ!」

 

 レミエルの絶叫に呼応するかのように、無意識のうちに彼女の周囲に球状の結界が張られた。それはアマノリリスを弾き飛ばすと、すぐに消えてしまった。

 

(な、なんとか間に合ったけど)

 

 レミエルはアマノリリスを弾き飛ばした後、すぐに上昇して距離を取った。そして、強烈な違和感も感じていた。堕天した上、ガブリエラと赤の世界水晶の一部と融合したという状態なのに、思うように実力が出し切れない。改めて、秀というαドライバーの存在の大きさを思い知った。

 

「秀さんのリンクが無い分は、火力でカバーする!」

 

 レミエルは手に持つユラとガブリエラの剣に力を込める。かつてアルバディーナの結界を打ち破り、赤の世界に侵攻してきたT.w.dを消し去った光の超大剣を再現した。多少の疲労感はあるものの、その出力は両方ともかつての物と同じだ。相変わらず剣先が見えないが、レミエルはその理由が、力を得た今だからこそ分かった。先が見えないのではない。先が無いのだ。触れたもの全てに「切られた」という因果を与える光。物理的障壁では防御は不可能だろう。防げるとしたら、それこそアルバディーナの最高級の結界くらいしかない。

 

「これなら、どんな敵が相手でも!」

 

 レミエルは敵の密集しているところに向かって振り上げようとしたが、腕を動かす前にその肩を掴まれた。

 

「待て。早まるなよレミエル。味方まで巻き込むつもりか」

 

 レミエルはその言葉で頭が冷えた。光を消して振り返ると、肩を掴んでいるのはミルドレッドで、その隣には成長した姿の方のシルトがいた。

 

「私とミルドレッドでアマノリリスとグラディーサを抑えるから、レミエルはエクスシアたちのとこに行ってあげて。それと」

 

 シルトは微笑みながら、彼女自身の体の右半身をそっと撫でた。その仕草で、レミエルは右半身が裸であることに、初めて羞恥心を覚えた。

 

「わわっ。ありがとうね、シルト」

 

 レミエルは慌てて服を魔法で復元すると、改めて二人に向き直った。

 

「じゃあ、ここは任せるよ」

 

 レミエルは二人の反応を待たずに、エクスシアらのいる戦場に急行した。本心では七女神の一人を討つということを他人に任せたくはなかったが、そのようなことが言っていられる状況ではない。自分たちがしているのは戦争だということを考えれば当然のことだ。

 後ろ髪を引かれる思いを振り切って、レミエルは加速していった。

 

        ***

 

 レミエルの背中を見届けると、シルトはグラディーサとアマノリリスを見つめながらミルドレッドに言う。

 

「ミルドレッドはアマノリリスを頼むよ。戦闘スタイル的にはそっちの方が合ってるでしょ?」

 

「指図されるのは気に食わんが、確かにシルトの言う通りだな。武器を駆使して戦うシルトにはアマノリリスは辛いだろう」

 

 ミルドレッドは傲岸不遜な態度でそう言うと、アマノリリスに向かった。彼女に続いて、シルトもグラディーサに向かって飛ぶ。

 

「シルト・リーヴェリンゲン! 緑の世界水晶の化身たる貴様がアイリスなどという悪党に味方するとは、堕ちたものだな!」

 

 シルトに気がついたグラディーサも、まっすぐに向かってきた。シルトは接敵の瞬間、ナツナ・トオナギの武器である剣、エンドブレイザーを召喚し、グラディーサの斬撃をその鎬で受けた。

 

「なんとでも言うといいよ。私は私なりの信念をもってこの場にいる。あなたなんかに、私の行動をとやかく言われる筋合いは無い!」

 

 シルトはそのように言い放つと、エンドブレイザーの刀身を分割し、蛇腹状になったそれを念力でグラディーサの剣に巻きつけると、その柄を持ったまま真上に飛んだ。想定していない動きだったのか、その間グラディーサは呆気にとられっぱなしで、まともに対応できていなかった。

 

「エンドブレイザーには、こういう使い方だって!」

 

 エンドブレイザーが伸びきったところで、シルトはもう一本エンドブレイザーを召喚し、空いている方に持ってその刀身を分割してから振り上げて、グラディーサに向けて放った。

 グラディーサは身をよじって体に巻きつくのは避けたが、左腕に巻き付いた。

 

「もらった!」

 

 その巻き付いた状態から、シルトはエンドブレイザーの刀身を元に戻した。すると、グラディーサの左腕が、最早腕としての機能を為すことが不可能なくらいにズタズタに引き裂かれた。その痛みからか、グラディーサの剣を握る右手の力が弱まった。その隙をついて、エンドブレイザーが巻き付いた彼女の剣を、エンドブレイザーの一部を元に戻すことで奪い取り、それを捨てた。

 

「次は逃さない!」

 

 シルトは、右のエンドブレイザーを横から薙ぐように放ち、左のそれを上から振り下ろすように放った。しかし、グラディーサは使い物にならなくなった左腕を引きちぎって、上に飛ぶと同時にその腕を彼女が元いた位置に投げた。

 しかし、その行動を見て、シルトはエンドブレイザーから手を離し、思わずニヤリと笑った。回避されることなど、とうに予測済みだ。どの方位に逃げられようと、好きな位置に好きな緑の世界の武器を召喚できるシルトに、死角はない。

 

「逃さないって言ったよね。レミエルには悪いけど、ここで死んでもらうよ!」

 

 グラディーサが止まった瞬間に、シルトは彼女を球形に取り囲むようにして、ありったけの数の、大剣のグリム・フォーゲルを召喚し、それを一気にグラディーサに向かって突き刺した。しかし、手応えはあったものの終わった感じがしなかった。実際、グリム・フォーゲルを取り払ってみても、血は残っていても亡骸は残っていなかった。

 シルトが不審に思っていると、背後から微かな息遣いが聞こえた。それで、シルトは振り向きざまにブルーティガー・ストースザンを召喚し、背後にいたグラディーサを輪切りにした。

 グラディーサの目がシルトを睨み付け、微かに口が動く。声にはなっていなかったが、言わんとすることは分かった。そしてすぐに、彼女の亡骸が地面に落下し、体が飛散する。

 

「どんなに恨まれたって、憎まれたって構わないよ。私の覚悟は、もう決まってるんだ」

 

 シルトは、グラディーサの骸を見つめながら呟いた。ちょうどその時、緑の門が唐突に輝き始めた。そして、そこから十隻の、小規模な統合軍の強襲航空艦の艦隊が現れた。

 

「このタイミングで統合軍が現れるの!? 一体、なんで……」

 

 シルトは、少し考えて、アウロラを暗殺したのは統合軍の手の者ではないか、という仮説をアイリスたちが立てていたことを思い出した。だとすると、本命の侵入者の正体も、ここで統合軍が姿を現したことも、合点がいった。その考えに至った時、シルトは通信機を手に取って、早口気味に告げた。

 

「全軍に通達! 統合軍には一切手を出さないで、赤の世界の軍への攻撃をできるだけ激しくして! あの艦には敵を一切寄り付かせないで!」

 

 指揮官の中にはこの命令が不可解だったのか、訝しげに了解を返す者もいた。しかし、誰も不平を漏らすことなく、シルトの命令を実行し始めた。その様子を視認すると、彼女は上空の艦隊を一瞥してから、彼女もまた前線に飛び込んでいった。

 

        ***

 

「T.w.d、我々の援護を始めた模様です。いかが致しますか?」

 

「援護してくれるなら好都合だ。ここにいるテラ・ルビリ・アウロラ軍は連中に任せよう。早くここを抜けて、赤の門に辿り着くのが我々の目的だ」

 

 部下の報告に、艦隊指揮官であり、旗艦ポラーシュテルンの艦長であるナタクはそう答えた。そして艦長の椅子から立ち上がると、大きく息を吸い込んで、全軍に告げる。

 

「いいか! 下の連中には目もくれるな! 全艦、クリスタルマオアー展開! 最大戦速でここを突っ切る! 決して隊列を乱すな。我に、続けえッ!」

 

 ナタクは、他の艦長が了解と返すのを聞きながら、椅子に座った。かつて青蘭島で敵対した者の力を、青蘭島で借りるというのはなかなかに複雑な気分であったが、向こうから進んでこちらの赤の世界行きを支援してくれているのだから、それに乗らない手はない。T.w.dの思惑としては、統合軍が赤の世界に攻め入るついでに、青蘭島にいる部隊の補給線等を分断してくれることを期待しているのだろう。もっとも、統合軍は全艦が赤の世界に突入した後、一時的に赤と青の世界を繋ぐ門を閉鎖する予定でいるので、図らずも彼らに協力することになる。

 

(T.w.dの分裂に、赤の世界の衰退。何もかもが順風満帆だ。時勢は、緑の世界にある!)

 

 ナタクは口に出すのを抑えながら、拳を強く握った。モニター越しに見えた赤の門が、すぐそこにあるようにも思えたのだった。



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真意

 緑の世界が現れ、流石にアマノリリスもその狙いに気がついたのか、ミルドレッドを引き離そうと攻撃するが、ミルドレッドはそれを軽くいなすと、アマノリリスとの距離を詰め、肉薄した。

 

「おいおい、どこに行くつもりだ? 貴様の相手はこの私、ミルドレッドだ。統合軍ではない」

 

「そなたの行動が、何を起こすかわかっておるのか!? そなたの妨害で、我々の世界が滅ぶかもしれんのだぞ!」

 

 アマノリリスがそのように言い返す。しかし、ミルドレッドは彼女の主張を鼻で笑った。

 

「どのみちアイリスが世界を作り変える。その過程で世界のひとつやふたつ滅んだとて、知ったことかあッ!」

 

「何!?」

 

「それに、世界のトップが軍部の暴走を止められず、そのトップも自らこんな戦場にしゃしゃり出てくるような世界だ! 滅んだ方が良いというものだよ! 私もそうだろうがという反論は無しだぞ。何せここにいる私は影だ。本体は黒の世界で政治をやっているからなあ!」

 

 ミルドレッドはそう言いながら、魔法の炎を纏わせた拳で、アマノリリスを何度も何度も殴りつけた。

 

「ふははは! どうした七女神のアマノリリスよ! 貴様の力はその程度か! そらそら、なんとか反撃してみせろーッ!」

 

 ミルドレッドは殴りながら、彼女を睨むアマノリリスの瞳に映る己の顔が、狂気に満ちた笑みを浮かべていることに気がついた。ミルドレッドは、自分の顔ながらその表情に不満を持った。彼女は、自分にそのような面があるのは重々承知している。別に、殴ることが快感であるわけではない。戦闘していることが快感なのだ。つまりは戦闘狂なのである。彼女が不快感を覚えたのは、あくまで本体の影である自分が、本体のミルドレッドが感じることのできない悦びを本体を差し置いて体感したことに対してだ。黒の世界の頂点として振舞わなくてもよい影だからこそ感じられることではあるが、そう自覚してもやはり不愉快であった。

 

「慈悲は与えん。このまま、貴様には死んでもらう!」

 

 ミルドレッドがとどめの拳を、アマノリリスの鳩尾にぶつけようとする。しかし、彼女はカッと目を見開き、痛みを堪えている風で叫んだ。

 

「調子に、乗るでない! 妾を誰だと思っておる! 宵闇の女神アマノリリスぞ! 舐めるでないわぁぁぁッ!」

 

 アマノリリスは、ミルドレッドの拳と彼女の身体の間に、闇の塊を形成した。そして、その闇の塊は、さもブラックホールのように、ミルドレッドの拳、そして体をを吸い込み始めた。

 

「や、闇に飲まれる!? 万事休すか!? ぐおおおおっ!」

 

 その闇に吸い込まれながら、ミルドレッドはアマノリリスを見た。彼女はすっかり安心した様子で、肩の力を抜いて息を吐いていた。

 次に、ミルドレッドは上空を見た。統合軍の艦隊は、細かな攻撃は何かしらの障壁で防いでおり、恐らくテラ・ルビリ・アウロラ軍で最大火力の持ち主と思われるフェルノは、シャティーとエクスシアに妨害されて艦隊に手が出せずにいた。その光景を尻目に、ミルドレッドは完全に闇に飲まれたかのように見えたのだった。

 

「ふう。魔女王の影とはいえ、かなりの強敵であった。しかし、これで――」

 

 アマノリリスは一息ついて、統合軍の艦隊の方に注意を向けた。その瞬間のことであった。アマノリリスの左の胸を、ミルドレッドの手刀が後ろから貫いた。

 

「くくく。馬鹿め。その様子だと切り札だったようだが、切り札でいつも誰かを仕留められると思うなよ!」

 

 ミルドレッドは、手刀を差し込んだ穴に、もうひとつの手をねじ込みながら、嬉々とした声で告げる。

 

「冥土の土産に教えてやろう。完全に飲み込まれる寸前に私の魔法であの闇を消し去り、代わりに私が飲まれて消える幻覚を、私をあの時見ていた全員に見せたのだ。貴様はまんまと私の罠に嵌められたのだよ」

 

「こ、こんな、こんなことが」

 

「こんなことがあり得るか、だと? 私を誰だと思っている? 数えるのを諦めるくらいの敗北と勝利を経験し、時には体をいいように嬲られ、時には吐き気を催すほどに敵を惨殺し、そうして幾多もの屈辱と栄光を体に刻んで、ゼロから黒の世界の最高峰、魔女王の地位に実力ひとつで上り詰めた、この私こそ魔女王ミルドレッドだ! 女神という強力な種族に胡座をかいていた貴様とは、潜った修羅場の数がなあ――何万倍も違うのだぁぁぁああッ!」

 

 ミルドレッドは、最後に叫ぶと同時に、アマノリリスの体を半分に引き裂いた。返り血で体中が血に塗れる。しかし、ミルドレッドはこれで過信せず、両の手のひらに、エネルギー弾を魔法で作り、アマノリリスの亡骸に向けて、その体が跡形もなくなるまでエネルギー弾を撃ち込んだ。そして更に、霊体が残っていないか確かめるために、隠蔽性の高い探知結界を、青だけでなく、赤、白、黒、緑の世界全域に張った。ミルドレッドの知りうる世界ではアマノリリスの霊体は認められなかったが、代わりに幾つかの情報を得た。

 赤の世界では、今反乱が起きており、今残っている軍隊では漸く五分五分、というくらいにしか対処できていないこと。白の世界では、ジュリアが秀たちと行動を共にしており、EGMAの破壊に向かっているということで、各世界で時間の進みが異なることから、もうすぐ帰ってくるだろうということ。黒と緑の世界は比較的安定しており、青の世界では世界中で反プログレスの機運が高まり、T.w.dアルバディーナ派の攻撃に晒されると同時に、魔女狩り的に青蘭島にいないプログレスとαドライバーが虐殺されているということ。そして青蘭島の周りの状況として、イレーネスとモルガナ率いる一部隊が、青蘭島への上陸の機会を伺っているということだ。

 上空を見てみると、グラディーサに続いてアマノリリスを失ったテラ・ルビリ・アウロラ軍は、完全に混乱しきっていた。動揺している彼らを、エクスシアやレミエルたちが軽々と撃破していっている。そして、統合軍の艦隊は、先頭の一隻が、とうとう門に到達していた。

 ミルドレッドは血塗れの人差し指の先をひと舐めして、視線を正面に戻した。

 

「赤の世界も、もう終わりだな。さて、シルトは手伝ってるみたいだが、私にはそんなことをする義理はないな。アマノリリスを討ち取っただけでも暴れ回れっていう命令は達成できただろう。私は戻るとするか」

 

 ミルドレッドはそう思い立つと、すぐに参謀本部まで瞬間移動した。

 

        ***

 

 美海は、自分より一歩前に立つソフィーナとルビーを、眉をひそめて見つめた。彼女らの視線の先にはアイリスやマユカがいる。そしてあからさまに殺気を放っていた。襲いかかるのは時間の問題だろう。

 

「ここであったが百年目ね。今日こそ――」

 

 ソフィーナがそう言い、彼女とルビーが手を動かし始めた。その瞬間、美海は異能を発動した。彼女らの周囲の大気の動きを操り、ソフィーナとルビーを拘束したのだ。更に、空気の振動も抑えたため、二人の声は誰にも聞こえない。ソフィーナとルビーが呆気にとられたように目を大きく見開き、美海を見る。美海は彼女らの視線は無視して、二人の前に出た。

 すると、アイリスや他のT.w.dの構成員が、鋭い目で美海を睨んでいた。マユカだけは表情を消していたが、思わず美海は射竦められてしまった。

 

「どういうつもり? その二人を止めるなら、最初からそうしてよ。なんでここに踏み込ませてから止めるのさ。状況が分からないの?」

 

 アイリスの言うことは至極もっともであった。美海とて、そのようなことは百も承知だ。しかし、納得され得ないとしても、美海にはすぐにでも言わねばならぬことがあった。

 

「私は、何も分かっていなかった。ただ、理想に従って、それを唱え続ければ大丈夫だって、ずっと思ってたんだ」

 

 美海は、これまでに経験してきたことをひとつひとつ思い出しながら話す。ジュリアと戦った時のこと、T.w.dが攻めてきた時のこと、赤の世界でレミエルと対峙した時のこと、一昨日にアイリスに拒絶された時のこと。そしてその後、己の考えを改めるための材料として、世界の声を聞いたこと。それら全てが、これまでの美海の行いを全否定した。最早理想を言っている場合ではない。現実を顧みて、その中で真に己が為すべきことを考えて、結論付けたのだ。

 

「だけど、この世界の現実と向き合えば、そんなことは唱えるだけ無駄って気付いたんだ。なんでT.w.dが結成されたのか。なんで人間解放軍が結成されたのか。そして、なんで今、青の世界がプログレスやαドライバーへの怨嗟の声で充ち満ちているのか。そのことを今までの経験と照らし合わせて考えたら、今は、もう話し合いで解決できる段階に無いって、分かったんだよ。それに、話し合おうにも後ろ盾のない私の言うことは、もう誰にも届かないだろうし」

 

 美海は、アイリスに真っ直ぐに向き直った。そして、大きく息を吸い込んで告げる。

 

「それでも、私は理想を捨てきれなかった。だから、その理想を、あなたの創る世界に託す。私を、あなたの一派に加えて欲しい」

 

 この申し出には流石のアイリスも驚いたらしく、すっかり目を丸くしていた。それはマユカを含む他のT.w.dの構成員も同様で、空気がすっかり固まっていた。後ろの二人も、恐らく彼らと同じ表情をしているだろう。

 この空気を打ち破るように、血塗れの女性がこの会議室に転移してきた。彼女は美海たちに気付いた様子を見せず、血に濡れた手で髪をかきあげながらアイリスに言う。

 

「アマノリリスを()ってきたぞ。それと、イレーネスとモルガナがいくつか部隊を引き連れて青蘭島沖にいる。アマノリリスが死んだ以上、多分もうすぐ来るだろうから、さっさと対応しておけよ」

 

「え、ああ。そうだね、ミルドレッド」

 

「いつになく歯切れが悪いな。……ん?」

 

 そのミルドレッドと呼ばれた女性は、ようやく美海たちに気が付いた。そして、品定めするようにじろじろと三人を見て、数回頷いた。

 

「なるほどな。日向美海、お前が我々の仲間に入って、そこの二人はそれの説得力を増すために使ったってわけか。まあ愚か者にはふさわしい姿だろう。なあ、ソフィーナ」

 

 なぜ彼女が美海らの名を知っているかを問う前に、彼女はソフィーナに近づいていき、その顎を指で持ち上げた。

 

「ふん、どうやら喋れないようだが、無様も無様。貴様ごときが魔女王候補など片腹痛いわ。盲目的に物事を見て、現時点での最良の選択が出来ぬ者などに、魔女王など務まらんぞ」

 

「ミルドレッド。いびるなら後にして」

 

 アイリスは強い口調で嗜める。ミルドレッドはやれやれといった風で、そこから引き下がった。それから、アイリスは美海を背筋が凍るような冷たい目で見た。

 

「美海。君の理想を叶えたいなら勉強をすることだよ。特に政治経済。今の戦闘が終わったら、私直々に暇を見つけて講義してあげるから、私たちに力を貸して。それで人を殺すことになるけど、いいね」

 

「構わないよ。理想のためには、この手を血で濡らすことも必要だって悟ったから。それに、会議を止めてしまったから。せめてものお詫びに」

 

「よし。なら、早速戦場に行って、シルトの指示に従って。そこの二人の処分、こっちで決めていいよね」

 

 美海は即座に頷いて、振り向くこと無く部屋の窓に向かった。その途中、彼女がマユカの側を通り過ぎたとき、マユカが美海を呼び止めた。

 

「まだ貴方たちへの生殺与奪の権利は私にあります。場合によっては、ソフィーナさんやルビーさんの首が飛びますが、それでもいいですか?」

 

「全く構わないかと聞かれたら嘘になるよ。けど、私たちだけが我が儘言うわけにもいかないから。必要なら、淘汰されるのは必然だよ、マユカちゃん」

 

「短い間に変わりましたね、随分と」

 

 マユカが、寂しげにポツリと呟いた。涙まじりでもあった。その声は、美海の心を締め付けた。できることなら変わりたくなかったと、彼女と抱き合って泣きたいくらいだ。しかし、そのようにするわけにもいかない。涙を押し殺し、平静を装って、美海は告げる。

 

「変わるよ。現実を知ったんだから。理想を抱いて、非情に生きるって誓ったんだよ、私は」

 

 マユカは何も言わなかった。代わりに、彼女の方からひとつの水晶のかけらのようなものが投げられた。美海がそれを掴むと、マユカは淡々とした口調で告げた。

 

「異能増幅エンハンスト。コピー品ですが、性能は統合軍が使うものと同等です。使用時に苦痛を伴いますが、αドライバーとリンクしている時と同等の力を出せます。今の私たちにはαドライバーが一人しかいませんしている、彼は今手一杯です。ですからそれを使ってください。それを肌に当てて、リンクしようとすれば使えますので」

 

 美海は言われた通りに、右手の甲にエンハンストを当て、それとのリンクを試みた。すると、その右手の甲から何かが体中に根を張るような、奇妙な、悍ましい感覚に襲われた。マユカの言う苦痛とは、このことなのだろう。しかし、確かにリンクした時と同じように、力が湧いてきた。苦痛に関しても、慣れれば気にならなさそうな程度であった。統合軍がαドライバーの獲得に精力的でないのもよく分かった。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

 

 美海はソフィーナとルビーの拘束を解くと、窓から風に乗って飛び立った。人の目が無くなったお陰か、美海の目から、急に涙が溢れた。愛する友を裏切り、あくまで理想に殉ずる道を選んだ。以前の彼女なら、友と共に死ぬ道を選んだ。しかし、世界を知り、理想を捨てきれなかった彼女は、変わるほかなかったのだ。誰もが変わった。レミエルでさえ、彼女の知る頃とは、最早別人となっている。生き抜くため、己が意志を貫くためには変わるしかない――生きたまま、進化するしかないのだ。そして、それは知的生命体の特権でもある。進化の名を冠したプログレスであれば尚のことだ。そう考えれば、美海が変わったのも、ある意味では必然と言える。

 そのような理論で納得させなければ、美海は自分を保つことができなかった。変わったことに後悔はしていないが、そうでもしなければ友への申し訳なさに押し潰されそうだった。常に心地よく感じていた風を切る感覚も、今はただ辛いだけだった。

 

「こちらシルト。美海、アイリスから話は聞いたよ。早速で悪いけど、君って、どれだけの規模の竜巻を起こせる?」

 

 唐突に、頭の中に声が聞こえた。シルトと名乗る女性の声には思いやりなど微塵も感じられなかった。しかし、アイリスたちは戦争をしているということを考えれば、当たり前のことだ。余裕があるならともかく、このような猫の手も借りたいくらいの切羽詰まった状況では仕方がないだろう。

 

「その気になれば、F3くらいのものは起こせると思うけど」

 

「分かった。じゃあ、そのレベルのものを北北東の沖にいる揚陸艦の艦隊の所にピンポイントで起こして。ただし、ヤバイと思ったらすぐに離脱して、今みたいに私にテレパシーを頂戴。あなたの命が最優先で構わないから」

 

「うん。了解」

 

 美海は短く返すと、すぐにシルトの言った方角に向かった。暫く進むと、海上にうっすらと軍艦らしき影があるのが見えた。手のひらサイズの小型の望遠鏡でそちらを覗いてみると、確かに軍艦だった。それで早速竜巻を起こす準備を始めたが、その直後に、美海に突進してくる女性の人影を捉えた。美海は、咄嗟にその人影に向かって突風を起こす。しかし、彼女は速度は落としても、尚も突っ込んできた。美海が限界まで突風を強くしても、彼女は全く怯まない。それどころか平然と距離を詰めてくる。それで、美海はシルトにテレパシーを飛ばした後、ギリギリまで近づけて、紙一重での回避を試みることにした。

 そして、その人影が人一人分くらいの距離まで迫り、その姿が明らかになる。青みを帯びた髪に、羊の角を頭に持ち、蝙蝠の羽で空を飛ぶ、幼い見た目の少女。しかし、美海を捉える彼女の瞳には、見た目に不相応な程の憎しみがあった。それは美海個人へのものではないとすぐに分かった。美海が人間であるがゆえに憎しみを向けているのだ。

 

(この子も、私の理想を阻害する者、か)

 

 ならば倒していくしかない。しかし、学園でのブルーミングバトルにおけることであるが、百戦錬磨の美海である。彼女の力量が、美海を完全に上回っていることくらいは一目で見抜けた。

 とにかく、回避に専念する――その意気込みで、美海は彼女の攻撃を待つ。そして彼女が腰をひねり、圧倒的スピードを以って拳を振り抜こうとしたその瞬間、美海は自分に向かって横向きの突風を起こし、無理矢理に加速して回避を試みた。しかし完全には回避しきれず、拳の端が左の脇腹を掠った。が、それだけで体中をミキサーにかけられたような感覚に襲われ、直後に大量の血を吐いた。

 

(掠っただけでこの威力!? まともに食らったらなんて、想像つかないよ)

 

 美海の心中の呟きは声にならず、ただ荒く息を吐くだけだった。体の内部が激しく痛み、意識も朦朧としてきた。羊の角の少女が再び美海に照準をつける。美海が観念したその時、白の門が一際明るく輝いた。

 

        ***

 

 レミエルは、シャティーと連携してフェルノの妨害に当たっていた。既に三隻が赤の門を通過したが、せめて残りでもと、フェルノが躍起になっているのが良く分かった。

 

「売国奴め! あなたのその行為が、何を意味するか分かっているのですの!? あのまま統合軍が行ったら、赤の世界は滅びを迎えますわ!」

 

「テラ・ルビリ・アウロラの諸国は、アイリスの創る世界の元で再構築されます。一度や二度滅んだところで問題ないでしょぉぉぉ!」

 

 レミエルは、フェルノの言を一蹴して、彼女の跨るペガサスに斬りかかる。フェルノは後ろに下がらせて回避するが、そこにシャティーが障壁を配置し、フェルノとペガサスを一瞬怯ませた。しかし、彼女はそこから障壁を蹴り、その勢いを利用して隙をつこうとしたレミエルの攻撃を躱した。

 

「あなた方に、愛国心というものは無いんですの!?」

 

「愛ゆえに、滅ぼす」

 

 フェルノの問いかけに、シャティーは短く返した。

 

「そんなものはあなた方のエゴですわ! 同郷のよしみで命は助けようと思いましたが、それも限界ですわ。封印弓フェイルノート!」

 

 フェルノは、矢を一本取り出してそれを力強く握りながら目を閉じた。レミエルは、彼女が祈りを込めているとはっきり分かった。封印弓フェイルノートのことは、レミエルも殆ど知らない。状況からして、フェルノはフェイルノートの封印を解くつもりだろう。予測もつかないことを、させるわけにはいかない。

 

「させるものか!」

 

 レミエルは魔剣を、シャティーは短剣を雨あられのようにフェルノに降らせる。だが、それらの剣先がフェルノに届く一歩手前で、フェルノが目を見開いた。

 

「封印、解放!」

 

 彼女の声が響き、フェイルノートと矢が黄金の輝きを放つ。魔剣と短剣は勢いを失って彼女の手前で地に落ちる。そして、その輝きが終わった時、フェルノの手には鏃の部分が巨大化したような刀身の剣が握られており、彼女とペガサスは黄金の鎧をまとっていた。

 

「この力があれば、どんな敵が相手でも負けませんわ!」

 

 フェルノが剣を構えると、ペガサスが前に出た。そうレミエルが認識した瞬間、彼女の姿が消えた。

 

「嘘!?」

 

 気付いた時には、レミエルの真後ろにフェルノがいた。振り返りざまに斬りつけるが、容易くそれは躱された。そして、またもや彼女を見失ってしまった。そして次には、フェルノがレミエルの真下にいることに気がついた。負ける――そう覚悟した瞬間、白の門が、緑の門から統合軍が現れた時と同じようにその色に輝いた。その場の全員の視線を集める中で、そこから一つの影が現れる。それは途轍もない速さで近づいてきて、フェルノに対してミサイルを放った。フェルノは回避に入るが、そのミサイルは彼女を果てしなく追尾した。彼女が鬱陶しく思ったのか、反転してミサイルの方に向いた瞬間、その影がフェルノに斬りかかった。フェルノは咄嗟に柄で斬撃を受けるが、その影はそこからバランスを少し崩したフェルノを蹴落とすと、ユニコーンの首を落とした。落下するフェルノに、ミサイルが全弾命中したところで、ようやくその影の正体が明らかになった。血が滴る諸刃の剣を持ち、朱色の金属のボディを日の光に煌めかせるその勇姿は、見間違えようもなかった。

 

「秀さん!」

 

 レミエルは、思わずその名を叫んで秀の元へ飛んだ。秀も彼女に近づいて、テリオスのマスクだけを装備解除した。

 

「待たせたな、レミエル。しかし、再開を喜ぶ暇はなさそうだな。あの統合軍の艦はなんだ?」

 

「よく分からないけど、援護しろだって。まあでも、テラ・ルビリ・アウロラ軍が瓦解した今、それも殆ど無用かな」

 

 レミエルの言葉を聞いた秀は、辺りを見回した。その目の先には、指揮官を失い、エクスシアたちに各個撃破される兵が見えた。レミエルが統合軍の艦隊を見上げてみると、最後の一隻が赤の門にすでに殆ど入っているのが見えた。その一隻がそこに完全に入ると、赤の門は閉ざされた。背後を撃たれないための行動だろう。反面、補給線も自ら断つことになるため、まさしく背水の陣だ。

 そして、入れ替わるように白の門から巨大な航空艦が現れる。その巨大さに、レミエルはただあっけに取られるだけだった。

 

        ***

 

 箱舟の艦橋で、アイリスからの要請を受諾したカミュは、モニターに顔を映すアルフレッドに目配せした。彼は力強く頷くと、スピーカー越しに号令を響かせた。

 

「空間断裂砲を使う! 目標は洋上のT.w.d艦隊だ。エネルギー充填開始!」

 

「エネルギー充填120%完了。照準も合わせました。いけますよ、艦長」

 

 アルフレッドの言葉の直後に、ユーフィリアがそう答えた。モニターの中で、アルフレッドがにやりと笑う。

 

「流石の仕事の早さだ。――空間断裂砲、ってえーッ!」

 

 アルフレッドの裂帛の号令が、箱舟の艦橋にこだまする。それとともに放たれた黒い光線がT.w.dの艦隊に照射された時、その付近の空間に穴が空いた。亜空間への道が開かれたのだ。照射を受けたモノは、なすすべも無く亜空間に飲まれ、帰還することはない。事実、待機していた四隻の揚陸艦は全て亜空間に吸い込まれた。今はもう穴は閉じており、揚陸艦の乗組員は、死ぬまで永遠に亜空間を彷徨うしかない。初めてみるその恐ろしさに、カミュは思わず息を飲んだのだった。

 

        ***

 

 箱舟が現れたからの一連の出来事を、モルガナはその目に焼き付けていた。そこから容易に導き出される結論は、イレーネスが、ほぼ確実に死んだことだ。出会ってから、常に二人三脚で歩んできた彼女の死。それは、目の前の美海のことなど忘れさせ、モルガナの心に巨大な穴を開けた。しかし、その穴はすぐに埋められることとなった。

 

「許さない。絶対に、許さない。殺す。皆殺しにする」

 

 ただ唖然として唇を震わせていた直前から一転し、モルガナは呪怨のように、その言葉をブツブツと呟いた。一言紡ぐたびに、心の穴が埋められる気がした。怨嗟という重機で、憤怒という土を被せていく。そうして益々大きくなる負の感情が、とうとう爆発した。

 ――何が根本の原因で、イレーネスを殺した? モルガナは自問する。あのS=W=Eの艦か。アイリスたちと敵対したことか。T.w.dに入ったことか。青の世界に逃げてきたことか。黒の世界で迫害を受け、自分と出会ったからか。全部だ。全部悪い。そしてそれを生み出したのは世界だ。世界の、全てが憎い。

 ……気がつけば、青蘭島のビルが目下にあった。モルガナは己の体を見てみると、禍々しい、黒い瘴気に包まれていた。そして、改めて周囲を見渡すと、まるで青蘭島のミニチュアの上に自分が立っているかのように思えた。そして、人ひとりひとりが豆のように見える。それを見て、モルガナは何が起きたかようやく悟った。自分は、巨人と化したのだ。

 

(これなら、誰にだって私を殺せない。世界を滅ぼすことなんて造作もない)

 

 モルガナは、声を出して笑った。その笑い声に、かつての愛らしさは無い。ただただ、女性の声を無理矢理に野太くしたような笑い声が、不気味に響き渡った。

 

        ***

 

 T.w.dの艦隊が消滅した直後から、忍の動きには焦りが見て取れた。注視しなければ分からない程度だが、時折進む速度を上げたりなど、ソワソワした様子が見える。

 

「何を急いでいるの、忍」

 

「急ぐ? はて何のことやら」

 

 アインスの問いかけに忍はおどけてみせたが、僅かながらにその声は震えていた。つい先ほどまでは全く掴めなかった彼女の心が、手に取るようにわかる。彼女は今にでもアイリスを暗殺したい気分なのだろう。だが、外でモルガナが暴れている状況で、アイリスを暗殺されては、統合軍が赤の世界から戻ってきた時の、緑の世界に帰還する困難は計り知れない。

 

(ここで始末するしかない)

 

 幸い、今の忍の視野は狭まっている。彼女を殺すなら今しかない。アインスは忍に気づかれないよう、慎重に彼女との距離を詰めた。そうして、一足飛びで行ける距離まで近づいた瞬間、アインスは忍に飛びかかった。流石の今の忍でもこれには気がついたのか、前に跳ぶことでこれを避けようとした。だが、彼女の反応は一瞬遅かった。アインスにその右の足首を掴まれたのだった。アインスは咄嗟に掴んだ脚の脹脛にミリアルディアを深々と突き刺して、忍の体を床に軽く固定すると、すぐに前に飛んで、彼女の顔を引っ張り上げ、抵抗する間も無くその喉を掻き切った。

 彼女の死亡を確認すると、アインスは全方位に意識を向けた。ナノマシンに探査させるが、忍が忍術か何かで逃げたという痕跡は見つからない。彼女の死はほぼ確実と見て間違いない。そう至ったアインスは、警戒を解くことなく、来た道を戻り始めた。彼女の目的は、統合軍が赤の世界水晶を奪取するのを円滑にすることである。次にやることは、もう決まっていた。

 

        ***

 

 あずさは、箱舟の艦橋から見えた巨体に、思わず息を飲んだ。全長一キロメートルはある箱舟が、巨人となったモルガナの顔ほどの大きさしかないのだ。

 

「空間断裂砲、エネルギー充填急げ! さらに砲塔を向けたまま取り舵三十! 止まっていたらやられるぞ!」

 

 アルフレッドが焦った声で言う。その指示通りに箱舟が動くが、モルガナの手の方が早かった。そこで、あずさは咄嗟にモルガナに意識を集中し、彼女の時を止める。しかし、彼女には効かなかった。依然として動き続けている。

 

「瞬間移動!」

 

 あずさの隣のユノが、そのように叫んだ。すると、次の瞬間には箱舟の周りの風景が変わっていた。遠くには青蘭学園が、近くには森林が見えることから、裏山の森に飛んだようである。艦橋の人物は誰一人欠けていない。恐らくは箱舟の他の人員も、全員が一緒に飛ばされたのだろう。

 そのような考えに至った時、あずさは思わずユノを見た。これほどまでに大規模な瞬間移動を行えば、体力の消耗も尋常でないはずだ。そして案の定、ユノはかなり息を荒くして、目をいっぱいに見開いていた。

 

「大丈夫だから。心配しないで」

 

 あずさが声をかける前に、ユノはそのように言った。言葉を封じられて戸惑うあずさをよそに、ユノはふらつきながらも立ち上がった。そして彼女は数回ほど大きく深呼吸をして息を整えると、指揮官の椅子に座るカミュに目を向けた。

 

「副総統、私を前線に行かせてください。私の瞬間移動能力は、彼女と交戦するにあたって、私のみならず味方にとっても有用でしょう」

 

「却下する。今の貴様がかなり消耗しているというくらい、誤魔化しているつもりだろうがよく分かる。行かせるとしてももう少し休んでからだ」

 

 カミュは即答した。更に、有無を言わせぬような目で、ユノを睨みつける。彼女の心の中を見透かしているかのようであった。

 

「ユノ、気持ちは分かるけど、今は秀たちに任せよう。無茶して死んだら元も子もないわよ」

 

 カミュの視線に怯むユノに、あずさは諌めるように告げた。

 

「リーナたちジャッジメンティス隊を出撃させろ。我々解放軍司令部はここで指揮を取る!」

 

 カミュがユノから視線を外し、指示を出し始める。あずさがふとユノを見てみると、彼女は今にも泣きそうになって、歯を食いしばっていた。

 

        ***

 

「竜族部隊は全員竜化! そして巨大化して突撃だアッ!」

 

 クラリッサが大声で指示を出すと、その通りに竜族はみな体長十メートルほどの竜となり、更にそこから大きい者で数キロメートルの、小さい者でも五百メートルほどに巨大化した。かのような巨体に絡め手は通じないと判断した故、彼女はこの判断を下したのだった。

 クラリッサも含めて、竜たちは果敢に攻めていくが、彼らの攻撃は、物理攻撃も魔法攻撃も、全くといっていいほど通用していなかった。その様はまるで巨象にぶつかる小蝿のようで、モルガナは気にも留めていない様子だった。

 

「クラリッサさん。このままでは埒があきませんよ。そこでどうでしょう。私を質量弾として、竜族部隊の皆で彼女に撃ち込むというのは」

 

 銀の竜の状態のジークフリードが、クラリッサに近寄ってきた。

 

「それじゃ、あんた死んじまうかもしれないだろ。そんなの認められない」

 

 クラリッサが首を横に振るが、ジークフリードは笑って告げる。

 

「私は頑丈です。そう簡単には死にません」

 

「信じていいんだな」

 

「もちろん」

 

 ジークフリードは笑みを崩さず、かぶりを振った。彼は簡単に譲らない性格だ。そのことは同郷のクラリッサが最も理解している。彼が覚悟を決めた以上、梃子でも動かぬだろう。クラリッサはため息をつき、竜族部隊の全員に大声を張り上げた。

 

「聞いてたね! 今から全員で、ジークフリードをぶん投げる! しっかり息を合わせろよ!」

 

 クラリッサの呼びかけに応じ、竜族部隊の面々がジークフリードの元に集結する。そして、彼の両足をそれぞれ皆で掴むと、クラリッサの合図で彼を思い切り放り投げた。

 

        ***

 

 ジークフリードは、投げ出されたのち、加速術式を用いて更に速度を増した。今の彼の全体重は数百トンはある。その体重と今の加速度を以ってすれば、多少のダメージは与えられるだろうと踏んだ。

 そうして、ジークフリードが衝撃を覚悟してモルガナの体に衝突した時だった。彼の体は、まるで雲の中を突き抜けるように、ぶつかったような感触を覚えぬまま、モルガナの体内に突入してしまった。そこにはただ深い闇のみがあった。ひたすらに真っ暗で、何もない空間であった。しかし、そこを抜ける一瞬の間に、ジークフリードは一人うずくまる少女の姿を見た。刹那のことであったが、彼女がモルガナであることはすぐに分かった。そう認識した直後、ジークフリードの体は、突入した側から見て反対側へ出ていた。

 

(あの事実、伝えねばならないでしょう)

 

 ジークフリードはそう思い立ち、人間の形態に変身すると、通信機を通じて全軍に先ほど見たことを発信した。すると、まず最初にレミエルが口を開いた。

 

「それ、多分前の私と同じだ。だから、そのモルガナ本人を改心させるか引き摺り出すかすれば、この巨人も倒せるはずだよ」

 

 レミエルの言葉で、全軍の士気が多少向上したようであった。これまで対処不可能かと思われていた敵に対して、初めて有効打となりうる手段が見つかったのだから、当然だ。

 

「ならば、先のように私を投げるわけにはいきませんね。あの一瞬で攻撃を加えるのは不可能です」

 

「ならば私に任せてください」

 

 ジークフリードの言葉にそう答えたのはリーナであった。

 

「ジェネシオンの攻撃なら、一定時間あの体に穴を開けられるでしょう。その間に誰かが突入し、殺すなり引き摺り出すなりすればよろしいと思います」

 

「では、その突入する一人は私がいきます」

 

 リーナの提案に即座に反応したのはユノであった。しかしその直後、その通信からカミュの怒号が飛ぶ。

 

「ユノ、何を勝手な事を言っている! そんなこと、認められるわけないだろう!」

 

「ですが、私の瞬間移動能力を活かせば、確実に中に入れます!」

 

「先の疲労も癒えていない体で、モルガナと交戦したら死ぬぞ、貴様」

 

「いいよ。行かせてあげて」

 

 二人の会話に割り込むように通信してきたのは、アイリスであった。彼女はそのまま、カミュを諭すように続ける。

 

「自信があるようだから任せようよ。でも一人でってわけにはいかないね。秀とレミエル、それとカレンまで付ければ文句無いでしょ?」

 

「まあ、その三人が付くなら」

 

「じゃあ決まりだね。突入する人員以外は全員援護を! 行っておいで、ユノ」

 

 いつも通りの余裕ぶった口調のアイリスに、ユノが短く返答する。

 

「ありがとうございます」

 

 そして、秀の側にユノとカレンが瞬間移動で現れた。ジークフリードは彼と彼女の元に向かおうとした。しかし、その途中でよろめきながら立ち上がるフェルノの姿が見えた。彼女はビルの壁にもたれかかりながら矢をつがえる。その先にいたのは秀であった。

 

「秀君! 回避を!」

 

 ジークフリードはそう叫んで、フェルノの方へ方向転換し、己が出せる最高速度で彼女に突撃した。しかし、彼が彼女の元に着く前に、その矢が放たれた。

 

        ***

 

 秀は、モルガナに気を取られていたのと、フェルノにもう戦闘能力が無いと考えていたために、ジークフリードの突然の呼びかけに即座に応じることができなかった。気づいた頃には、彼女の放った矢は間近に迫っていた。秀はテリオスフィールドを展開するが、その矢の勢いを見るに、完全防御は不可能だと彼は断じていた。多少のダメージは覚悟しようと彼が歯を食いしばった瞬間であった。

 

「ミリアルディア」

 

 聞き覚えのある声が微かに聞こえたかと思うと、矢が幾つものナイフに細切れにされ、更に数十はあろうかという量のナイフで、フェルノの体を切り刻んだ。そのナイフ、ミリアルディアの持ち主を、秀はよく知っていた。

 

「アインスか!?」

 

「うん」

 

 秀の隣に来たアインスは、短く返答した。

 

「赤の世界の残党の処理は私に任せて。統合軍艦隊を援護してくれたお礼」

 

 アインスは無表情で言い、秀が何か言う間も無くその場を去ってしまった。無愛想なのも相変わらずだと秀は微笑し、意識を切り替えてテリオスに話しかける。

 

「テリオス。アレ、やれるか?」

 

「問題ありません。躊躇ってる場合ではありませんし、今にでもやりましょう。リスクも覚悟の上でしょう?」

 

「ああ。サイコバッテリー!」

 

 秀が叫ぶと、通常のリンクに加えて、秀の精神を文字通り一部削り取り、サイコバッテリーを介してレミエル、ユノ、カレン、リーナに力を与えた。

 

「これは、EGMAの時と同じものですね。確かに受け取りました」

 

 市街地に到着したリーナが納得した風で呟いた。レミエルとカレン、そしてユノは急なパワーアップに戸惑いを見せていたが、やがて壮烈な表情で、秀の周りに集まった。

 

「やって! リーナさん!」

 

 ユノが叫んだ。すると、ジェネシオンのスラスターが点火し、猛然とモルガナに吶喊していった。

 

「これで穿つ! ジェネシオン・パイルバンカー、ぶち抜けぇぇぇぇええッ!」

 

 リーナの気合いに応えるように、ジェネシオンも咆哮する。そして、ジェネシオンがモルガナにある程度近づくと、機体の右半身を一旦引き、そして接触の瞬間に、一気に右腕を突き出し、モルガナに杭が突き刺さった瞬間、まだ勢いの残るうちにその杭を射出した。それにより、モルガナの体に穴が空いた。それを確認したユノが呟く。

 

「瞬間移動」

 

 次の瞬間には、秀たちは穴の中に入っていた。レミエルの時のように足場は無かったが、浮力を受けて空間の中に浮かんでいるような状態でその場に居続けられた。

 

「不思議な空間でございますね。辺り一面闇なのに、秀様たちの御姿ははっきりと色を持って見えます。気体の内訳も空気と何ら変わりありません」

 

「でも、圧迫感を感じる。私の時と同じ経緯で出来たとすれば、彼女の心は何を意味しているんだろう」

 

 カレンとレミエルは口々に呟いた。秀も同じ感想であった。えも言えぬ息苦しさを感じる。気のせいだと無視できるほどのものでもなかった。四人はひとまずモルガナを探し始めるが、彼女のものと思しき人影は見つからなかった。

 

「四人とも、聞こえる?」

 

 モルガナの姿が見えず途方に暮れていたところに、通信機から美海の声が聞こえた。彼女の言葉の端々から荒い息遣いが聞こえ、四人は無駄なことは例え意識せずとも言えないと、一層気を引き締めた。

 

「あの子、多分とても大事な友人を無くしたんだと、思う。今のようになる前に、白の世界から来た船の攻撃で消えた艦隊の方を見て、何かぶつぶつ言ってたから」

 

「なるほど。それでこの空間なんだ。圧迫感以外に何もないのは、よっぽど依存してたってことだね」

 

 美海の言葉を受けて、レミエルは辺りを見回しながら呟いた。美海への礼を言いつつ四人は通信を切ったが、肝心のモルガナの位置についてのヒントは何も得られなかったため、また手当たり次第に捜索することになった。

 

「テリオス。お前でも分からないか?」

 

「無理ですね。どういうわけか、私の索敵機能が大幅に、なんてレベルじゃないくらいに弱体化しています。ここにいる四人を感知するのでやっとです」

 

「私のもテリオスと同じようです。期待するのは無理でございましょう」

 

 駄目で元々、と思いながら尋ねた秀に答えたテリオスに続いて、カレンも首を横に振りながら告げた。八方塞がりかと諦めかけたその時、秀はユノが首を傾げて時折色々な方向に手をかざしている様が見えた。

 

「ユノ、どうしたの?」

 

 レミエルが声をかけると、彼女は少し考えてから答えた。

 

「あのね、何だか、この圧迫感、四方八方からって感じじゃなくて、強く感じる方向と弱く感じる方向がある、みたいな感じがしない? 上手く言えなくて悪いけど」

 

「特定の向きがあるってこと? 言われてみれば確かにね」

 

 レミエルは辺りを動き回り始めた。暫くして、彼女はハッとしたように動きを止めて、秀たちに向いた。

 

「私、分かったかもしれない。モルガナがこうなった原因が依存してた友達の喪失なら、この空間の意味は排他的な感情しかないってことだと思うの。だから——」

 

「この圧迫感が向けられている方向の逆を行けば、モルガナにたどり着けると、そう言いたいのですねレミエル殿」

 

 言葉を継ぎ足したテリオスに、レミエルは首を縦に振った。そうと分かれば話は早かった。早速その説に従って進んだところ、段々と圧迫感は強くなっていった。四人は、これは近づいている証拠だと断じると、更に先を行った。すると、膝を抱えてうずくまる一人の少女を視界に捉えた。彼女がモルガナであることは間違いないだろう。

 

「仕掛けますか?」

 

 カレンが腰を低くし、今にも飛び掛かられる体勢で尋ねた。しかし、レミエルは両手の人差し指を×の形に交差させ、ダメ、と告げた。

 

「今ここで彼女を死なせたら、私たちはここに閉じ込められる可能性が高いの。かと言って、私たちは彼女を改心させられるほど、彼女を知っているわけじゃない。だから、一瞬で連れ出すしか方法は無いよ」

 

「なら、私の出番だね」

 

 ユノが小さな、しかしはきはきとした声で言った。レミエルは頷き、彼女の肩に手を置いた。

 

「頼んだよ」

 

 それだけ言って、レミエルはユノの隣を通り過ぎた。ユノは表情を引き締め、誰にも聞こえぬような小声で呟く。

 

「瞬間移動」

 

 その直後、ユノの姿が消えた。が、モルガナの手前でユノが再び姿を表し、何かに弾かれたように飛ばされた。秀たちはユノに駆け寄るが、その間にモルガナがおもむろに立ち上がり、虚ろな目で四人を見つめた。

 

「何しに来たの」

 

 感情の籠らぬ声で、モルガナは尋ねた。それに答えたのはユノであった。彼女は体を起こしながら、毅然とした目でモルガナを見る。

 

「止めに来たの。あなたの行動は、私たちの目的の障害だから」

 

 ユノのそのやけに落ち着いた声が、秀には彼女は自身の感情を押し殺している、というように感じられてならなかった。朝にこの手で討ち取りたいと言っていた者が目の前にいるのだ。それでいて、見かけ上は怒る様子もなく淡々と話しているというのは、そのように考えなければ不自然である。

 モルガナは、ユノの言葉に対する返事はせずに、秀たち四人の顔触れを眺めた。そして、ふっと目を閉じて、何かを見つめた。秀はその視線の先を見たが、彼には他と同じ、ただの暗闇にしか見えなかった。

 やがて圧迫感が消えたかと思うと、モルガナは視線はそのままに、虚ろだった表情に笑みを宿した。そして、彼女の側頭部の羊の角を触りながら、彼女はぽつりと呟く。

 

「解放軍とアンドロイドが手を取り合うなんてね。アイリス、いい仲間を得たんだ」

 

 その言葉の後、彼女は自らの角を折った。その行動の意味が秀たちには分からず、ただただ戸惑っていると、彼女は笑みを崩さずに角を四人に差し出した。

 

「怒りのやり場がなくなっちゃった。だから、私を殺してほしい」

 

「どうして、ついさっきまで怒り狂ってたのに、急にそんな落ち着いていられるのですか、あなたは」

 

 テリオスが歯切れ悪く尋ねた。それは秀や、ユノたち三人も思っていたことで、黙ってモルガナの答えを待つ。対して、暫くの後にモルガナは目を細めて答えた。

 

「今でも怒りは冷め止まないよ。でも、私の全ての受け皿になってくれてたイレーネスは、もう居ないから。世界への復讐は私じゃなくてもアルバディーナがやってくれる。なら、私のいる意味は無いかなって。アイリスは私を受け入れてくれるだろうけど、新しい世界を作ったって、それは私が居たいって思える世界じゃない。私が何かをしたときに何かを言って欲しいって思える、一番の存在が無いと、私は生きる意味が無いの。こんな私はアイリスの作りたい世界じゃ淘汰されるべき存在だって分かるよね。その意味でも、この先私は生きられない」

 

「しかし、あなたには知性がある。知性のある者がその知性を持って己を変革する瞬間を、私はこの目で見ました」

 

 カレンのその物言いは、どこか咎めている風があった。人の進化の可能性を垣間見た直後に、このようなことを言う者を目の前にしたのである。彼女がそう言うのも、尤もといえば尤もであった。しかし、モルガナは少しも動揺した様子を見せず、首を横に振った。

 

「知性を持ってるからって、自分を抜本的に変革することは誰にもできないよ。解放軍のみんなは、生き方の根幹、一番のアイデンティティにアンドロイドの復讐が無かった。EGMAの支配からの脱却が第一だってことを心根では思ってたから、アンドロイドと手を携えることができた。でも私は、私の全てにイレーネスがいる。イレーネスと添い遂げることが、私の一番のアイデンティティなの。知性が進化を齎すことはあり得ない。そう見えることはあっても、知性による本当の進化はあり得ないんだよ」

 

 モルガナは懇々と語った。誰も、彼女に言い返すことができなかった。秀もまたその一人で、更に奇妙な敗北感を感じていた。彼女の言葉のどれを取っても納得させられてしまう。これまで如何に自分が浅はかな考えで生きていたかを、嫌という程に示されているようであった。

 

「もういいよね。誰か、これで私を殺して頂戴」

 

 モルガナが角を差し出し直して、四人を見回す。その角を手に取ったのはユノであった。今朝彼女が言っていたことを思い出せば、当然のことだ。

 やおら、ユノはモルガナに近づく。モルガナは胸を広げて目を閉じた。その胸に角を突き立てようと振りかぶるが、ユノはそこで固まってしまった。手が震えている。秀とレミエル、カレンは固唾を呑んで見守るが、結局、ユノはその手を垂直に下ろしてしまった。

 

「どうして、どうしてなの」

 

 ユノはモルガナを凝視しながら、声を震わせる。

 

「由唯ちゃんとメルトちゃんの仇が目の前にいるのに、無抵抗であるだけで殺せないなんて。私は、私の甘さが、厭だ。厭だよ」

 

 ユノは、はらはらと涙を流していた。ここでも、秀やレミエルとカレンは何も言えなかった。自分が代わりにやろうと立候補するのはユノのプライドを傷つけることになり、だからと言って慰めの言葉も思いつかない。慰めるにしても、それは秀たちのすることではない。

 

「優しいんだね、あなたは。あなたみたいな優しさに満ちた世界だったら、私とイレーネスは救われたのに。……いや、いいや、そんなことは。ごめんね。自分でやるよ」

 

 モルガナはユノから角をそっと取り上げると、瞬きする間もなくそれを自らの左胸に突き刺した。痛みに苦しむ様子はなく、ただただ満ち足りた表情で、まるで柔らかい布団の上で寝るような、そのような様子だった。

 やがてすぐに、モルガナの亡骸は砂となり、闇の中に消えた。そしてその瞬間、周囲の闇は全て晴れた。それに合わせたかのように、雲の切れ間から痛いくらいの日の光が差し込んできた。

 更に、計ったようなタイミングで、封鎖されていた赤の門も解放され、統合軍艦隊が再び空に姿を現わす。それらは、結界のような物に包まれた赤の世界水晶を牽引していた。海を泳ぐ鯨のごとく悠々と空を凱旋するその艦隊を、秀たちは見つめることしかできなかった。

 

        ***

 

 その後、結局、礼儀として、T.w.dは統合軍艦隊に手出しをせずにその帰還を見守った。アインスはいつの間にか姿を消しており、秀が改めて礼を言うことはできなかった。

 今、アイリスとカミュはアンドロイドの受け入れの手続きで猫の手も借りたいくらいに忙しくなっている。捕縛したソフィーナとルビーの両人は、T.w.dに加入するか敵対するかの答えを出すまで、捕虜という扱いで拘束されている。

 秀は、青蘭学園の校舎の屋上に上り、柵に寄りかかって瓦礫の山と化した街並みを眺めていた。モルガナの言葉が脳裏にこびりついて離れなかったのだ。人は進化できるものだと、レミエルや解放軍を見てそう考えていた。しかし、モルガナの言葉に従うと、実はそう見えていただけのことをそうだと思い込んでいたとなる。結局、多角的な視点というものを持ち合わせていなかったことを悟ったのであった。よくよく考えれば、アイリスも別に進化をさせるということは言っていなかった。彼女は知的生命体の淘汰を謳っていただけで、進化がどうこうとは一言も言っていなかった。

 

「俺も、結局は連中と同類か。分かっていたのは、アイリスや、一握りのやつだけか」

 

 アイリスの思想を理解した気でいただけだったと悟り、秀は深い自己嫌悪に陥った。テリオスは何も言わず、慰めてくれそうなレミエルも、あずさも、ユノも、シャティーも、そして達也も、この場にはいなかった。

 秀は沈む夕陽を見つめながら、その顔に微かな潮風を受けていた。

 

        ***

 

 ジュリアが、アルバディーナが本拠として使っているT.w.d東京支部に戻り、彼女の部屋に入ると、彼女は発作を起こしたように怒り狂っていた。時折叫び声を発したり、物に当たるその姿は、彼女が苛烈な性格だと知る者が見ても異常であった。

 

「ちょっと、どうしたのよ」

 

 見かねたジュリアが尋ねると、アルバディーナは鼻息を荒くし、ヒステリックに答えた。

 

「イレーネスとモルガナが死んだのよ! これがどうして怒りを抑えられるの!」

 

「そう、なの」

 

 流石のジュリアも、その報告には衝撃を受けた。しかし、冷静に考えれば戦争であるし、仕方ないといえる。その上、幹部の弔い合戦ともなれば普通の軍隊やテロリストなら士気は爆発的に上がるだろうが、アルバディーナの率いるのはそうではない。この世に絶望し、未練を残していない者の集まりのはずだ。となれば、構成員は誰しもが互いに自分の理想を遂げられるように利用する存在でしかなく、それはアルバディーナとて例外ではない。そして、殆どの者にとっては、幹部が死んだからといって手駒がひとつ消えた程度の認識しかない。更に、末端の人間ならともかく、リーダーが友の死に憤慨するようでは、彼女の組織は崩壊したも同然だ。

 

(このこと、分かってるのかしら)

 

 ジュリアはそう思ったが、すぐに撤回した。アルバディーナは暴走しやすい節があるとはいえ、馬鹿ではない。今にも自分の気持ちを整理して、行いを恥じるに違いない。そう考えたのだが、アルバディーナはそのまま部屋の外に出ようとしていた。

 

「ちょっと、どうするのよ」

 

 ジュリアは実体化してアルバディーナの手首を掴んだ。しかし、アルバディーナは彼女の手を振り払い、睨みつけて怒鳴った。

 

「弔い合戦に決まってるじゃない! 邪魔しないでよ!」

 

「ちょっと、正気なの? 一回頭冷やしなさいよ。そんなの、自滅するだけよ」

 

 ジュリアはそう忠告するが、アルバディーナは聞き入れずに出て行ってしまった。残されたジュリアは、一旦大きなため息をついて、苛立ちを抑えた。ジュリアの知るアルバディーナなら、あそこで一歩立ち止まってくれると信じていた。しかし、彼女は行ってしまった。あわよくば白の世界での出来事を伝えて、アルバディーナを改心させようとも考えていたのだが、全て水泡に帰してしまった。

 

「所詮、あの子に淘汰される者はあんなものなのね。下らない。やっぱり手を貸すんじゃなかったわ」

 

 ジュリアはそのまま天井をすり抜けて地上に上がり、既に暮れようとしている日の元に出た。太陽の光を一身に受けつつ、彼女は青蘭島の方角を見つめる。その先には、アルバディーナの破壊活動により生まれた瓦礫が、山のように重なっていた。

 

「なるほど、なるほどね。今の彼女には相応しい光景だわ」

 

 ジュリアはほくそ笑んだが、それを見たものは誰一人としていなかった。日が完全に沈んだのは、その直後のことであった。




 この作品は読めたものではないので読んではいけません。

 私がこのように書くのは、私が富野由悠季氏のファンということもありますが、本当に心の底からそう思うからです。特に最終話は酷いの一言です。ただの38話を無理矢理最終回にする必要があったので仕方ないのですが。敢えて読む価値があるとしたらヴィクトリー・クロスのEGMA編だけです。じゃあ投稿するなよ、と皆様が思われるのは当然ですから、少しだけ言い訳をさせていただきます。
 私がこの話を書き始めたのは、「何かレミエルをヒロインにして二次創作を書こう」とふと思ったからでした。そして、具体的なテーマとプロットの無いまま、行き当たりばったりに二部まで書いて、「知的生命体の淘汰」というテーマを唐突にブッ込んで、でもやはり漠然としたプロットのみで行き当たりばったりで書き進め、どうしようもないくらいに物語が破綻したので、ここで打ち切った次第であります。結局ヴィクトリー・クロスのサブタイトルの回収もままならない始末でした。
 さて次は、主要なオリキャラについて書かせていただきます。まずは上山(仲嶺)秀。こいつがキャラクターとして、物語の破綻を起こした元凶と言ってもよいでしょう。秀には、書き始めた当初はストーリーの潤滑剤としての役割以外を与えるつもりは無くて、できるだけ薄いキャラにしましたが、これが大失敗でした。話が進むにつれて彼に苛立ちを私自身が覚えるようになり、「こんな薄っぺらな半紙みたいなやつがモテるわけねーだろ」みたいに思いながらも今更どうしようもなく、泣く泣く書き進めるという事態でした。軌道修正を図ってテリオスを登場させましたが、もはや手遅れでした。宣言します。こんなキャラの主人公二度と使いません。
 次に、アイリスについてです。彼女に関しては私自身かなり気に入っています。食人鬼設定を全く活かせなかったのが一番の心残りでしたが。ともかく、無邪気で短気で寂しがり屋なこの少女はかなり気に入っているのです。大事なことなので二度言いました。実は、彼女をメインヒロインにしたストーリー案もありました。今から思えばそうすりゃよかったと激しく後悔してますが後の祭り。彼女に関しては描き足りないところがあるので、次回作では設定を大幅に変えてメインキャラとして登場させます。
 アルバディーナは、ただのヒステリー女になってしまいました。後半とか本当にキレてばかり。この方に関してはあまり思い入れはありません。
 最後に仲嶺達也。彼に関しては私が謝罪したいくらいです。もっとストーリーによく絡ませるべきでした。
 とまあ、このような感じです。他にもキャラについて色々と書きたいことはありますが、長くなるので割愛させていただきます。
 ともかく私にとっては大失敗作となってしまったこの作品ですが、得るものは沢山ありました。ちゃんとプロット作るとか、物語を書き始める前にちゃんとテーマ決めるとか。その点に関しては本当にこの作品に感謝しています。
 最後に、次回作の告知です。また懲りずにアンジュの二次創作です。メカ描写のリハビリと、チンピラのメインキャラを書く練習のつもりで書きます。二部構成で、一部につき六話の全十二話でお送りします。リーナが主人公です。あと、どシリアスで、公式に対するバリバリのアンチテーゼなのでそういうのが嫌いだったり私のことが嫌いな方は読まれない方がよろしいです。

 長くなりましたが、ご愛読ありがとうございました。次回作にご期待ください。


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