お嬢様の執事となりまして (キラ)
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入学の朝でございます

 朝は必ずやってくる。

 住み慣れた屋敷の中にいても、遠く離れた異国の地にいても、それは変わらない。

 だから僕も、いつもと同じ時刻に目を覚ます。

 

「5時ぴったり。うん、時差ぼけの心配もないか」

 

 ベッドから降りてカーテンを開ける。

 高級ホテルの上層階から見える、東洋の国の都会の景色が視界いっぱいに広がった。東の空はだいぶ明るくなっており、じきにお日様が顔を出すだろう。

 英国のそれとは異なった風景にさほど違和感を覚えないのは、自分の身体に流れる血の半分が日本人のものだからか。

 

「さて」

 

 しっかり頭を覚醒させたところで、早速仕事着に着替えることにしよう。

 今日はいつもの朝の仕事の大半が存在しないが、別に早めに準備を終えてしまっても問題はない。

 

『続いてはスポーツのニュースです。開幕から1週間が経過したプロ野球。ここまで好調なチームは――』

 

 まずは髪型等を洗面所で整える。もちろん歯も磨く。

 テレビニュースを眺めながら、ジャージを脱いでシャツを手に取る。

 裸になるとさすがに肌寒いので、くしゃみをしないうちにさっさと服を着てしまう。

 全部が終わったら、姿見の前に立って身だしなみチェック。

 

「……よし」

 

 鏡に映った僕は、今日もイケてる執事そのものだった。

 セシリアお嬢様に拾っていただいてから1年。今ではすっかり、この黒いスーツ姿が板についたように思う。

 

『今日の天気です。関東地方は高気圧に覆われ――』

 

 ソファに座って天気予報を確認しながら、今後のスケジュールを頭に思い浮かべる。

 本日はIS学園の入学式が行われる。僕の執事としての仕事は、日本に慣れていないお嬢様をしっかりエスコートして、学園までお連れすること。

 『きちんと頼みますよ?』と念を押してきたとあるメイドの顔を思い出す。18歳ながら時に大人の貫録を見せる彼女を怒らせると非常に怖いので、間違ってもお嬢様にかすり傷ひとつ負わせるわけにはいかない。

 

「実質屋敷の裏ボスだもんな。なんでチェルシーちゃんの笑顔はあんなに迫力があるのか」

 

 彼女がウフフと笑っている時は機嫌がいい。会話に花を咲かせるべし。

 ニッコリと笑いかけてくる時はデンジャーデンジャー。速やかに自らの非を認めるべし。そうすれば説教だけで済みます。

 ……などとオルコット家屋敷条項(非公式)第3条を思い出しているうちに、時刻は午前6時に差しかかろうとしていた。

 そろそろ、お嬢様に朝の挨拶をしに行く時間だ。

 テレビを消して、僕は廊下へ出て隣の部屋の前に立った。

 

「お嬢様、お目覚めでしょうか。マーシュでございます」

「……ああ、カズキ? 入ってかまわなくてよ」

 

 ノックとともに呼びかけると、あまり元気のないお返事がかえってきた。まだ少し寝ぼけていらっしゃるのかもしれない。

 毎朝いち早く寝室を訪ね、お嬢様のあどけない無防備な姿を見ることは、僕のひそかな楽しみのひとつだ。普段はオルコット家の当主らしくあろうとして、なかなかそういった顔をお見せにならないから。怒ってる顔ならよく見るんだけど。

 とにかく、許可をもらったので中に入ろう。

 

「おはようございます。お嬢様」

 

 ドアを開け、丁寧に一礼。続いて顔を上げ、ベッドの上にいるであろうご主人様に視線を向けると。

 

「……とても非常にすごい顔をなさっていますね」

「うぅ……もう……朝、ですのね……」

 

 なんか、お嬢様が今にも死にそうだった。

 <●> <●>←こんな感じの目になってるし、目の下には大きなクマができている。

 例えるなら……そう、呪いの屋敷のリビングに置かれた西洋人形みたいな顔をしていた。

 

「時差ぼけでしょうか」

「いえ……そうではありません。いよいよIS学園に入るのだと考えると、いろいろと考え事ばかりが頭に浮かんで」

「つまり、緊張ですか」

 

 ベッドの上で半身を起こし、力なくうなずくお嬢様。

 入学を目の前にして不安が湧きおこり、一睡もできなかったということらしい。

 大きなため息をつくのを見て、僕は素直な感想を口にした。

 

「可愛らしいですね」

「なっ……ば、馬鹿にしていますの? わたくしは真剣に悩んで」

「はい、よくわかっているつもりです」

 

 お嬢様の言い分ももっともだ。なぜなら、普通の高校入学とは事情が異なるから。

 

「国家代表候補生として、オルコット家当主として。セシリアお嬢様の両肩には、私などでは到底扱いきれない重い肩書きがのしかかっています」

「……その通りですわ。ですから」

「しかし、そう無理をする必要はないと私は考えます。特にお嬢様が気になさっている、対人関係については」

 

 そこまで言って、僕はお嬢様を安心させるために笑いかける。

 頑張って暴走しすぎるきらいのあるご主人様には、きちんとそれをセーブする役が必要なのだ。

 

「ご学友とのコミュニケーションにおいては、ありのままのお嬢様を出されればよいかと」

「そ、そうでしょうか。当主にふさわしい威厳のある振る舞いが求められるのでは」

「背伸びをする必要はありません。自分らしくなさるだけでも、十分に気品がありますので」

 

 学生時代は一度しか訪れない。

 だからこそ、学生のうちに学生らしいことをたくさんしてほしいというのが、僕個人の考えだ。

 

「何か問題が起きれば、私がフォローします。ご安心を」

「……そう、ですわね。ありがとうカズキ、少し気分が楽になりました」

「これが執事の仕事ですから」

 

 屋敷の管理からスケジュールチェック、そして時にはご主人様の話し相手になる。

 大変だけど、やりがいのある仕事だと今は思う。

 

「ですが、それでも大きな心配事が残っています」

「なんでしょう」

「……男ですわ」

「というと、同級生になる予定の織斑一夏さんのことでしょうか」

「その通りですわ!」

 

ビシッと指さしするお嬢様。ちょっとずつ元気が出てきたようで僕はうれしいです。

 

「同年代の男性。いったいどのように接すれば良いのかしら……」

「今までずっと女子校でしたからね。とはいえ、あまり意識しなくてもいいと思いますよ?」

「そうなんですの?」

「先ほども言いましたが、自然体が一番です。私はありのままのお嬢様が大好きですから」

「……あ、あなたの好みなんて聞いていませんわ!」

「一男性の意見として、参考にしてくださいということです」

 

 照れてそっぽを向いてしまうお嬢様。確かに、もう少し異性に対する免疫をつけるべきなのは事実かもしれない。

 

「とにかく、お嬢様のサポートはお任せください。さしあたっては……そうですね、寝不足をメイクで誤魔化すところから始めましょうか」

「あら、カズキは女性のメイクもできますの?」

「もちろん。パーフェクトな執事を目指していますから」

「あなた、いつもそれ言ってますわね」

「本気ですから。実際、大抵のことは器用にこなせるつもりです」

 

 僕が胸を張って宣言すると、お嬢様は小さく笑ってベッドから出た。

 

「でも女性を口説く能力は全然、と」

「それは執事に必要ありませんので」

「本音は?」

「恋人欲しいです。もう25だし」

「ふふっ。正直でよろしいですわ」

 

 面白そうに返事をするお嬢様。ひどいです。

 

「さて、そろそろ準備を始めましょうか。カズキ、わたくしは着替えます」

「わかりました」

 

 傷心の僕はそのまま部屋を出た。

 お嬢様が着替え終わるまでの間、男を磨く方法を真剣に考えることにした。

 

 

 

 

 

 

「ツンデレとかどうでしょう」

「……は?」

 

 しまった。つい心の声がそのまま漏れてしまっていた。

 いったん男磨きの道を思案するのは中止しよう。

 

「なんでもありません。男のツンデレも案外イケるんじゃとか思ってません」

「しっかりしてくださいな。もう校舎の前まで来ていますのよ」

 

 お嬢様のおっしゃる通り、僕達2人はすでにIS学園の敷地に足を踏み入れている。無事目的地までたどり着けたというわけだ。

 周囲を見ると、お嬢様と同じ制服に袖を通した人達が続々と校舎の中に入っていく。

 今日は2年生以上は休みらしいので、彼女達は皆お嬢様の同級生ということになる。

 

「サクラの花がきれいですね」

「日本では、あの花が人気があるのですわよね」

「卒業シーズン、入学シーズンの代名詞的存在だそうです」

 

 初めて見る花というわけではない。イギリスにもサクラはないわけじゃないから。

 ただ、なんというか……本場は違う。なんとなくそう思える美しさだった。

 品種が同じだとしても、きっと何かが異なるのだろう。

 

「ん」

 

 そんなことを考えていると、風に吹かれた花びらのひとつが僕の下唇にピタッとくっついた。

 

「女性にはモテなくても、サクラの花には慕われているようですわね」

「そういう意地悪なこと言わないでくださいよ」

 

 くすくすと笑うお嬢様に恨めしげな視線を向けつつ、唇から花びらを取り去った。

 

「ここまででいいですわ。ご苦労様、カズキ」

「わかりました」

 

 脇に男をはべらせたままというのも目立って嫌だろう。

 校舎に入ろうかというところで、僕とお嬢様は別れることになった。

 

「では、また」

「はい。またお会いしましょう」

 

 ひとり歩き去っていくお嬢様の背中を目で追う。

 身内びいきを抜きにしても、ひとつひとつの所作がどこか気品を感じさせる。

 こればかりは、その人間の生まれによって左右される部分だろう。

 お嬢様以外にも、そういうオーラのようなものを発している生徒は何人かいた。彼女達もきっと、いい家の生まれに違いない。

 

「さて」

 

 執事としての仕事は終わった。

 にもかかわらず、僕はいまだに学園を出ないまま立ちどまっている。

 ほぼ100パーセント女性で構成されている学園の中で、ぼーっと景色を眺める黒スーツの男。ゆえに奇妙なものを見るような視線もちょくちょく浴びてしまっているが、まあ気にしない。

 

「えっと……すみません」

「はい?」

 

 不意に横から声をかけられたので振り向くと、背の低い眼鏡をかけた女性がこっちを見ている。

 スーツを着ているから生徒ではないと思うけれど……なんだか、スーツに着られているという表現がぴったり当てはまるような人だ。

 

「カズキ・マーシュさんで間違いないでしょうか? 今日からこの学園で勤務される予定の……」

「あ、はいそうです! 私がマーシュです。すみません、迎えに来てくださったんですか」

「い、いえ。たまたま歩いていたらあなたを見かけたので……えっと、はじめまして。IS学園1年1組副担任の山田真耶です。一応、マーシュ先生の教育係みたいなものを任されています」

「よろしくお願いします」

 

 サクラ舞う季節。

 馴染みの深くない東洋の地で、僕もセシリアお嬢様と同じく新生活をスタートさせる。

 オルコット家の執事兼、IS学園の教師。

 二足のわらじを履く日々が、幕を開ける。

 




やはりオリ主ものを書くのは難しい。
一からキャラを作り出す苦しみを改めて実感しました。

あらすじにも書いた通り、ストーリーとしてはだいたい日常系です。3話くらいまではプロローグ的な扱いで、以降は1話完結形式で色々なキャラを出したいと考えています。
では、次回もよろしくお願いします。


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25歳、学園教師です

1話しか投稿していないにもかかわらず、たくさんのお気に入り登録ありがとうございます。


「皆さんはじめまして、そして入学おめでとうございます。1年生の社会科の授業を担当させていただくことになった、カズキ・マーシュです」

 

 入学式の後のホームルーム。1年1組の教室で、僕は30人の生徒を前にして挨拶を行っていた。

 

「ISに関する知識は、織斑先生や山田先生には劣ります。ですが一般教科についてはなんでも相談に乗るつもりなので、どしどし質問に来てくださいね」

 

 IS学園では、もちろん授業の内容はISに関係することが大半を占める。他にも爆弾解体とかすごそうなことをやったりするので、いわゆる普通の学校で教わる科目にとられる時間はかなり少ない。

 その割に期末試験で出題される内容は一般の高校と大差ないようなので、教員側がしっかりサポートしなければならない。

 それが、僕に与えられたおもな仕事だ。あとは空いた時間に雑用したりとかである。

 

「それでは、1年間よろしくお願いします」

 

 姿勢を正して礼をすると、生徒達から暖かい拍手をもらうことができた。

 量的には、山田先生が挨拶した時と同じくらいだろうか。織斑先生の時は暖かいというか熱狂的な拍手だったので、比べるべくもない。

 

「何か質問のある人はいますか?」

「はーい。先生はどこ出身なんですか?」

「生まれはイギリスのマンチェスター。父がイギリス人、母が日本人なので、僕はハーフということになりますね。他には何かありますか」

「はい。今朝オルコットさんと一緒にいましたけど、お知り合いですかー?」

 

 ふむ。早速尋ねられたか。

 ちらりとお嬢様の様子を目でうかがうと、小さくうなずくことで返事をしてくれた。

 もともと、僕達の関係を無理に隠す必要はないということで話はついている。

 

「実は、僕はオルコット家に仕える執事の仕事もやっていまして」

「し、執事!?」

 

 質問してきたおさげの子が驚きの声をあげる。

 他の生徒も同様で、教室全体がざわつき始めた。

 それが収まるのを待ってから、僕は補足の言葉を続ける。

 

「とはいえ、教師として勤務している間は先生と生徒の関係です。もちろん贔屓したりはしません。というか、むしろ厳しめでいきます」

「ふぇっ?」

 

 ニコリとお嬢様に向かって笑いかけると、予想外の発言にちょっと慌てている姿を見ることができた。

 

「日ごろの溜まり溜まったアレやコレを解消する手段として……」

「あ、あなたわたくしに何か不満を抱いていましたの? そんな素振り一度も」

「冗談です。イギリス紳士ジョークです」

「んぐっ……毎度毎度、あなたの冗談は笑えませんわ……!」

 

 顔を青くしたり赤くしたりするお嬢様を見て、クラスのみんなも笑っている。

 これでとりあえず、生徒達のお嬢様に対する印象が少し軟化したことだろう。一仕事完了である。

 

「他に質問のある人はいませんか」

「じゃあ次あたし! 先生彼女いるんですか?」

「はいじゃあ次の質問行きましょう」

「スル―された!?」

 

 その後もちょくちょく笑いをとりながら、僕の自己紹介はつづがなく進行していった。

 先生方の様子をうかがうと、山田先生はにこやかだったけれど織斑先生はなんだかむすっとしている。

 生徒達との距離を近くとりすぎているとか、トークがぶっちゃけすぎているとか、そういうことを言いたいのかもしれない。

 しかし忘れないでほしい。僕がこんなに時間をとって話しているのは、織斑先生の挨拶が二言三言で終わったせいで、尺が余りまくっているからなのだということを。

 

 

 

 

 

 

 今日はIS関連の授業しかないので、午前中は雑用をやったり学園の構造を確認したりすることに費やした。

 午後は山田先生に学園のシステムについていろいろと教わった。見た目通りの優しい女性で、ちょっとおどおどしながらも丁寧に説明をしてくれたので助かった。

 

「マーシュ先生。あの……ちょっと、質問してもかまいませんか?」

 

 廊下を歩いてアリーナへ移動している途中、ためらいがちに彼女が尋ねてくる。

 

「ええ、大丈夫です。山田先生の方が先輩なんですから、もっと堂々と聞いていいんですよ?」

「い、いえ! その、お気持ちはありがたいんですが……」

 

 顔をうつむけ、もじもじと手を絡ませる山田先生。

 まさか僕に惚れた?

 ……なんて自意識過剰なことは考えない。おそらく男と話すのがあまり得意ではないのだろう。ホームルームの時、唯一の男子生徒に話しかけた際も笑顔がぎこちなかったし。

 

「それで、質問というのは」

「あ、はい。えっと、先生はどうしてここに勤めることになったんだろうって、気になったんです。執事と教師の兼業って、初めて聞きましたから」

「なるほど。そのことですか」

 

 疑問に思うのもよくわかる。僕だって、半年前はまさかこんなことになるとは予想すらしていなかった。

 

「やっぱり、オルコットさんのためですか?」

「いえ、それは直接の理由じゃないですね。もちろん今は、贔屓にならない程度にお助けしたいと考えていますけど」

「では、どうして」

「あー……それに関しては、黙秘させてもらいます。お嬢様が話したがっていないので」

「はあ」

 

 あの日の出来事を、お嬢様はいまだに恥ずかしがっている。だから、くれぐれも秘密にしておくようにと強く釘を刺されているのだ。

 

「僕から言えるのはひとつだけですね。経緯はどうあれ、精一杯頑張る……これだけです」

「わかりました。その、頑張ってくださいね」

「はい。ありがとうございます」

 

 柔和な笑顔で応援してくれる山田先生に、僕の心は非常に癒された。

 女性に年齢を問うのはタブーなので直接尋ねたりはしないが、おそらく僕よりは年下だろう。つまり生徒達と歳が近いわけで。

 

「ちなみにこれは僕の予想ですが、山田先生はひと月以内に新入生達の半数以上から可愛いあだ名で呼ばれるようになります」

「えっ?」

「今日一日、先生を見て感じたことです。的中率はほぼ100パーセントでしょう」

「そ、そうですか? 私、去年の反省を活かして今年はちょっと厳しめで行こうかと思ってるんですけど」

 

 今年も普通に親しみやすさMAXっぽいのですが、去年はもっとすごかったのでしょうか。

 

「まあまず間違いないですね。なんなら今月の給料を賭けてもいいくらいです」

「そ、そんなにですかぁ?」

「はい。仮に予想が外れそうなら、僕がマヤマヤというあだ名を強引に流行らせるので」

「ええっ、それはずるいですよ!?」

 

 さて、5月頭の答え合わせが楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 そして放課後。

 僕の住居については、教員用に用意された寮の一室をもらえたので特に問題はない。

 生活に必要なものは一通りそろっているし、ベッドの質もいい。至れり尽くせりというやつだ。

 

「5時半か」

 

 今は勤務時間外。荷物の整理もちょうど終わった。

 となれば、お嬢様の様子をうかがいに行かない理由はない。

 部屋を出て階段を下り、1年生の部屋がある1階へ向かう。

 

「4階から1階だと、そこそこ遠いな」

 

 そんなことを考えながら、事前に確認しておいたお嬢様の部屋の前まで移動した。

 ノックをして僕の名前を告げると、すぐに内側からドアが開かれた。

 

「し……」

「し?」

「失敗しましたわーー!!」

 

 開口一番、僕のご主人様は涙目で感情を爆発させた。

 

 

 

 

 

 

「つまりまとめるとこうですか。緊張しながらも頑張って織斑一夏君とファーストコンタクトをとったところ、あまりにも無知でとぼけていたので腹を立ててしまい、その後も紆余曲折あってクラス代表を決める戦いを提案してしまったと」

「うぅ……危うく日本を貶す発言までするところでしたわ」

 

 ルームメイトの下山さんに話を聞かれたくないとのことで、僕達は人気のない中庭まで移動していた。

 

「気を張りすぎてしまいましたか」

「確かにそれはそうなのですが……でも、向こうも悪いと思いますの。代表候補生が何かも知らない、ISのことも何も知らない。挙句の果てには参考書を間違って捨てたと言っていましたのよ! 信じられませんわ……」

「おやおや」

 

 それはまた……お嬢様の嫌うタイプの男の子に思える。

 でも、あくまで話を聞いた限りでの感想だ。

 

「ですが、彼がどんな人物なのか、1日ですべてわかったわけではないのでしょう?」

「それは理解しています! 理解していますけれど……やはり、殿方との距離感がうまくつかめないのですわ」

「そんな自分に対するイライラも手伝って、どうにも強く当たってしまうと?」

「……察しが良くて助かりますわ」

「執事ですから」

 

 伊達にお嬢様と1年間付き合っていない。勤め始めのころは、僕もかなりきつく当たられていたしね。

 

「それなら、もういっそ喧嘩してしまえばすっきりすると思いますよ。勝負の約束、取りつけたのでしょう?」

「え、ええ」

「真っ直ぐぶつかりあえば、見えてくるものもきっとあります。殴り合いによる親睦の深め合いは、何も男同士にのみ適用されるわけではありませんから」

 

 勝ち負けの問題ではなく、互いがどういう姿勢を見せるかが大事なのである。

 僕の言わんとすることを理解したのか、お嬢様は悩む表情を見せながらもこくりとうなずいて、

 

「カズキがそう言うのなら、そうしてみますわ」

 

 気持ちを切り替えたことを示すように、可愛らしい微笑みを浮かべてくれた。

 

「ん……?」

 

 僕も微笑み返そうと思ったその時、ポケットに入れておいた携帯電話が振動を始めた。

 

「では、わたくしは部屋に戻ります」

「はい。ルームメイトの方と、仲良くできるといいですね」

「ええ」

 

 寮に戻るお嬢様の背中を見つめながら、僕は震え続ける携帯を手に取った。

 電話をかけてきたのは……なんだ、あの子か。

 

「はい、こちらマーシュです」

『きちんとつながったようですね。国際電話とは便利なものです』

 

 電話口から聞こえてくるのは、落ち着き払った女性の声。

 少々くぐもってはいるが、いつも聞いている彼女の声だった。

 

「そっちはまだ朝かな。チェルシーちゃん」

『そうですね。そう言うそちらは夕暮れ時でしょうか』

「うん。もうじき夕日が沈むところ」

 

 チェルシー・ブランケット。

 お嬢様の幼なじみにして、優秀なメイドさん。18歳とは思えないほどの大人の魅力を兼ね備えており、おまけに美人である。

 

「それで、何か用事かな」

『近況報告を求めたいのと、あとは通話の具合の確認です。きちんと会話できることがわかったので、この後お嬢様にも電話をかけさせていただきます』

「なるほど。こっちはとりあえず問題なしだよ。無事学園に到着して、お嬢様は入学初日の授業を終えられたところだ」

『そうですか。それは安心しました』

 

 ほっとした息遣いが漏れていることから察するに、かなりお嬢様のことを心配してくれていたらしい。

 

「ちなみに僕のことは心配してくれてた?」

『……………ええ、まあ、心配? していました』

「今すっごく嫌な間が空いたね。しかも若干疑問形だし」

『仕方ありません。マーシュさんなんかよりお嬢様の身が第一ですので』

 

 それはそうだけどさ。でもちょっとくらい優しい言葉をかけてくれると、僕としてはとてもうれしいんだけど。

 

「まあいいや。とりあえず、後でちゃんとお嬢様の話を聞いてあげてほしい。君との会話が一番の清涼剤だろうし」

『ええ、もちろんわかっています』

 

 話す内容としてはこんなところかな。

 お腹もすいてきたし、ぼちぼち食堂で夕食をとることにしようか。

 

「それじゃあ、僕はこれで」

『はい。……あの、最後にひとつ』

「ん、なにかな」

 

 通話を切ろうとしたところで、控えめな声で引き止められる。

 数秒待ったところで、ようやく彼女は口を開いた。

 

『先ほどの発言は嘘です。本当は少しだけ、あなたのことも心配していました。元気そうでなによりです』

「え?」

『では、失礼します』

 

 ……切れた。

 

「つ、ツンデレ?」

 

 落としておいてから最後にちょろっと上げる。

 不覚にもキュンときてしまった。

 これが計算ずくでないのだとしたら、チェルシーちゃんは素で女子力が高い子なんだろう。

 

「あれで恋人いないんだから、優良物件だよなあ」

 

 さすがは男の使用人の間で人気ナンバーワンの逸材だ。40越えたバツイチのおっさんですら狙ってるからな。

 屋敷から離れた僕は、狙うことすらままならなくなったわけだけど。

 

「とりあえず、明日織斑君と話してみるかな」

 

 




チェルシーさんは学園外にいますが結構出番多い予定です。
というか彼女18歳なんですよね。若いです。
千冬姉は24歳ですが、これでもカズキより年下ですね。

感想や評価等あれば、気軽に送ってもらえるとうれしいです。
では、次回もよろしくお願いします。


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そして執事でございます

今回でプロローグ終了です。


 10年前。

 世界を震撼させる事件とともに、IS――インフィニット・ストラトスは、歴史の舞台に鮮烈デビューを果たした。

 既存の科学では解明できないオーバーテクノロジー。速い・強い・硬いの3拍子揃った驚異のスペック。

 軍事利用が禁止され、主な使い道がスポーツの道具となってからも、その存在が世間に与える影響は凄まじく。

 昔は男女平等なんて謳っていた世界は、今や女尊男卑に染まり始めてしまっている。

 ……もっとも、僕自身はこれ以上女性優遇が進むとは思っていないんだけど。だって世の中そんなに単純じゃないし。喧嘩が強いだけで威張れるのは中学生までなのと同じだ。

 けれども、あくまでそれは僕の想像。実際にどうなるかは、神のみぞ知るというやつかな。

 

「さて、授業はあと30分で終わりなわけだけど……眠そうにしてる人もいるし、ちょっと雑談でも挟もうかな」

 

 とはいえ、やはりISそのものが素晴らしい価値を持つことに変わりはない。

 そしてこの学園の生徒の大半は、将来そのISに関わる仕事を選択しようと考えてここに通っている。

 彼女達にとって、最も優先して学ぶべきなのはISのこと。当然、社会科をはじめとした一般科目は二の次になる。

 

「君達の中にはこう思っている人が必ずいるだろう。社会科の勉強なんてする必要ない、この時間をISの勉強とかにまわした方が有意義だ、と」

 

 一部の生徒の肩がぴくんと震える。心当たりのある子達だろう。

 他のクラスの初回授業でも同じ話をしたのだが、この4組が一番そういう子が多いようだ。

 ……たとえば、授業開始からずっとキーボードをカタカタ揺らし続けている眼鏡のあの子とか。あれだけ熱心にモニターに打ちこむほどの量の言葉を僕はしゃべっていない。

 

「普通の高校生ですら感じることだからね。IS学園の生徒である君達ならなおさらだ。そして、その気持ちも僕はよくわかっているつもりでいる」

 

 いらぬお節介かもしれないが、僕なりに一生懸命職務に励むと約束したんだ。言うべきだと思ったことは言っておこう。

 

「これは年上からのアドバイスだけど、学びたいことを学んでいるだけじゃ人は生きていけない。世の中複雑だからね、いろいろな知識が必要になる。いつ何が役に立つのか、わからないものなんだ」

 

 たとえば、会社の取引先の重役が三国志マニアで、世界史の勉強を頑張っていたおかげで話が弾んだ――そんなことを、酒場で会ったお兄さんが話していたことがある。

 これはちょっと特殊な事例かもしれないけど、つまりはそういうことなのである。

 

「本当に好きなことだけやっていてうまくいくのは、それこそよほど運がいいか、よほどの天才なのかのどっちかなんだ」

 

 ほぼ全員が、黙って僕の顔を見ている。それなりに真面目に話を聞いてくれているようだ。

 とはいえ、あまり熱を入れて語りすぎても逆効果になる。ここらでおしまいにしておこう。

 

「ついでに言うとね、博識な女の子はモテるよ?」

「先生、急に話がスケールダウンしてます」

「いやいや、大事なことだ。独り身は辛いよ?」

 

 おどけた調子でそう言うと、爆笑とまではいかないにしても笑い声が返ってきた。

 だだ滑りにならなくて一安心。

 

「あと字がきれいな女の子もモテる! だからこの授業はキーボードではなくノート推奨です」

 

 後ろの方の席を確認する。さっきの眼鏡の子も、空中投影ディスプレイを消してキーボードをしまってくれていた。

 名簿で名前を確認すると、どうやら更識簪さんというらしい。このクラスの代表ということになっていた。

 

「それじゃあ、授業を再開しようか」

 

 総合回数が少ないから、さっさと紀元前の歴史の話は終わらせておきたい。

 

 

 

 

 

 

「ふう。やっと戻ってこられた」

 

 職員室に設けられた自分の席に着いた時には、もう昼休みが終わりかけていた。

 

「ずいぶんお疲れみたいですね。……はい、どうぞ」

「山田先生。ありがとうございます」

 

 隣の席の山田先生がお茶を出してくれた。ありがたい。

 

「寮の部屋のドアに穴が開いたっていうんで、修繕してたんですよ」

「織斑くんと篠ノ之さんのお部屋ですか。初日からドアを壊しちゃうなんて、ちょっと元気すぎますね」

「それに関しては、担任として一言注意しておきました」

 

 彼女と雑談をしていると、さらに隣の席に座っている織斑先生が話に加わってきた。

 

「あ、そうだ。織斑先生、昨日はうちのお嬢様が弟さんに喧嘩を売ってしまったようで申し訳ありません」

「……教員としての仕事中は執事にならないのでは?」

「今はお昼休みですので、少し羽目を外しております」

 

 織斑千冬さん。1年1組の担任である彼女は、一夏君の実姉である。

 今でこそ弟君の方が世間の注目を集めているけれど、何を隠そう彼女はISの世界大会『モンド・グロッソ』の初代王者。

 僕自身も写真で何度か顔を見たことがあったから、昨日の朝に生の本人と挨拶を交わした時はちょっとした感動すら覚えたものだ。

 

「別に、改めて謝られるほどのことではありません」

「ですが、話を聞く限りでは結構キツイことを言ってしまわれたようなので」

「学生同士ならよくある程度のいざこざです。姉としてはまったく気にしていません」

 

 淡々と答える織斑先生の様子を見る限り、特に何か怒っている様子はない。

 それならそれで、こちらとしてもありがたいんだけど……

 日本茶をすする彼女を眺めながら、僕がそんな風に考えていると。

 

「でも織斑先生、あの後ちょっとだけ機嫌の悪そうな顔してましたよね」

「うぐっ」

 

 不意に飛び出した山田先生の一言に、織斑先生が大きく反応した。

 どうやらむせたらしく、コホコホと小さな咳を何度か重ねている。

 

「山田先生。事実の捏造は良くない」

「そうですか? 私にはそう見えましたけど……」

「やっぱり気にしていたんですね。申し訳ありません。お嬢様も根は良い方なのですが」

「だから気にしていないと言っているではないですか。だいたい一夏の方にも問題があるんです。あれがもう少ししっかりしていればオルコットが腹を立てることもなかったわけで、むしろあれくらい厳しく言われて当然と考えられなくもないつまり」

 

 僕達2人から視線を逸らしつつ、早口で巻きたてる織斑先生。しかも無駄に足を組み替えたりしている。

 

「女性が右手で髪をいじる時は、嘘をついている可能性が高いらしいですよ?」

「っ!?」

 

 慌てて右手を引っこめる彼女。

 

「冗談です」

 

 あまりに予想通りの反応が返ってきたので、山田先生と顔を見合わせて笑ってしまった。

 

「……マーシュ先生の冗談は笑えないと、覚えておきます」

「よく言われます」

 

 睨まれてしまったが、秘技・執事スマイルで受け流しておいた。

 ハードルの高いクールビューティーだと思っていたけど、意外と会話しやすい人みたいで助かった。

 弟の一夏君も、話してみれば普通の好青年のように見えたし、ふたりともと仲良くできるといいな。

 

 

 

 

 

 

 僕のお嬢様は優秀である。

 これは身内びいきでもなんでもなく、客観的に述べたうえでの感想だ。

 3年前にご両親が事故で亡くなられたという辛い過去を経験しつつも、オルコット家の当主としての仕事を立派に果たしている。

 ISの操縦者としても、国家代表候補生という肩書きに恥じないだけの成績は残してきている。

 加えて努力を惜しまない方だから、使用人としては『お守りしなければ』と強く思ってしまうわけである。新参の部類に入る僕ですらそうなのだから、他の皆さんに関しては言うまでもない。愛がいきすぎて裏でファンクラブ結成してるからね。

 

「僕が学園について行くことになった時、うらやましがってた人がかなりいたよなあ」

 

 もちろんお嬢様にも欠点はある。

 料理が苦手。異性が苦手。若干天然入ってる。料理がひどい。予想外の事態に弱い。ちょっと思いこみが激しい。料理がやばい。料理がポイズンクッキング。殺人兵器。などなど。

 けれど、そういうウィークポイントがお嬢様の魅力をまた引き立てるのだと力説するのはメイドのジェニーさん28歳。

 僕も彼女の意見におおむね同意する。料理以外は。

 

 ……話が逸れてしまった。

 何が言いたいのかというと、お嬢様はすごいということだ。

 ISに乗っても、強い。

 

「織斑一夏君、か」

 

 そんなお嬢様と、ISに関しては素人同然である少年との試合が今しがた終わった。

 アリーナで一部始終を見ていた僕は、観客席に座ったまま、目の前で繰り広げられた戦いの内容を思い返す。

 試合自体はお嬢様の勝ちだった。でも、一夏君の健闘ぶりもすごかった。

 本体への有効打こそなかったものの、『ブルー・ティアーズ』のビットを2つも落としたのだ。とても素人とは思えない。

 一瞬だが、『天才』の2文字が脳裏をよぎった。が、その答えが出るのはまだまだ先のことになるだろう。

 

「あれ? マーシュ先生帰らないの?」

「うん。僕はもう少しここで余韻に浸ってるから」

「そっか。それじゃね」

 

 バイバイと手を振ってくれているのは、確か1組の谷本さんだったかな。

 こちらも右手を挙げて応じながら、再び脳内で試合の映像を再生する。

 飛び交う射撃。空を自由に動き回る2つの機体。そしてぶつかり合うふたり。

 ああ、本当に……。

 

 本当に、憎たらしい。

 

「………駄目だな」

 

 女の子の嫉妬は時として可愛らしいが、男の嫉妬なんて醜いだけだ。

 沸き起こった黒い感情は、邪魔でしかない。

 思考を切り替え、おもむろに席から立ち上がる。

 さあ。寮に戻って、お嬢様に称賛の言葉を送るとしよう。

 




とりあえず、主人公であるカズキの性質についてある程度説明を終えました。
次回からは1話完結型で、いろんなキャラに焦点を当てていきたいと考えています。
関係ないですが、千冬姉は一夏と同様いじりたくなるタイプだと思います。

感想や評価等あれば、気軽に送ってもらえるとうれしいです。
では、次回もよろしくお願いします。


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織斑一夏調査報告

 人間には感情というものがある。

 怒り、悲しみ、喜び、その他さまざま。どれも人という生き物を構成するうえで重要なファクターとなる。

 その感情の中で、とびきり扱いずらく、正体が見えないもの。それが愛情である。

 家族愛などはまだわかりやすいのだが、曲者なのはずばり恋だ。

 LikeとLoveの境界線はどこにあるのか。それもよくわからないうちに人は恋に落ちる。愛しの異性とひとつになることを望むようになる。その感情は、時になんの前触れもなく訪れるのだ。

 悪いことだとは思わない。というかむしろ良いことだとさえ僕は感じる。

 人間というのは、理解不能な行動をとるくらいでちょうどいい。すべてが理詰めではつまらないだろう。

 燃えるような恋がしたい、というのは有名なフレーズだけれど、そういった人達の気持ちにも共感できる。

 つまるところ、恋愛感情なんていつ誰にどうやって生まれるのか予測できないものであって。

 

「わ、わたくし……一夏さんのことが、好きになってしまったのかもしれません」

 

 それは、僕のご主人様とて例外ではなかったということだ。

 

 

 

 

 

 

 サクラの花もほとんどが散っていき、僕の教師生活もある程度軌道に乗り始めたとある日の夜のこと。

 

『諸君、これは由々しき事態だ』

『コードネームK・Mの報告により、我々は緊急会議を開くことを決意した』

 

 自室のパソコンの前に座り、僕はイヤホンから聞こえる男達の声に耳を傾ける。

 重々しい口ぶりから、彼らがショックを受けていることが伝わってきた。

 

『なんと、セシリアお嬢様に好きな男ができたというではないか!』

『これはファンクラブ結成以来の大事件だ!』

 

 スカイプって本当に便利だ。向こうの映像もちゃんと見えるし、あちらの先輩方にも僕の顔がきちんと見えていることだろう。

 僕も『セシリアお嬢様を全力で支援する会』の一員な以上、どこにいようが会議への参加は義務なのである。

 

『相手は例のISを動かしたという男子だそうだ』

『強そうな瞳に惹かれたらしい』

『しかもイケメンですって』

 

 男女入り混じって口々に言葉を出し合う会員の皆さん。総勢何人だったっけ? そろそろ3ケタの大台に乗りそうなのは覚えているんだけど。

 ついでに疑問なのは、なぜいちいちイニシャルで呼び合うのか、である。

 

「あの、皆さん? 一応言っておきますが、まだ『かもしれない』という段階であって、確実に恋をされているというわけでは」

『甘ったれるなK・M! 可能性があるというだけで議論の意味は十二分にある!』

『事態が進行してからでは手遅れになりかねませんからね』

『お嬢様に見合う男かどうかしっかり見極める必要があるわ』

『あのブリュンヒルデの弟ならば、種馬としては十分では』

『こらこら、女性がそんなこと言うんじゃありません』

『重要なのは、その織斑一夏なる男がお嬢様の黒ストを破く価値のある人間かどうかだ』

『それに賛成だ!』

 

 ……これは、すごいな。

 僕が屋敷に入って以来、ここまで先輩方がはっちゃけた場面を見るのは初めてだ。

 それだけ、僕の提供した話題が爆弾級だったということだろうけど。

 とはいえ、これだけヒートアップしてはまとまるものもまとまらない。誰かが諌めなければ。

 

「盛り上がっているところ申し訳ないのですが――」

『皆さんお静かに。議論が進みません』

 

 僕が意見しようとしたところで、今まで一言もしゃべっていなかった女性が口を開いた。

 静かながらも有無を言わさぬ響きを持った言葉に、喧騒が徐々に小さくなっていく。

 

『そうだな。ここはファンクラブのブレインであるC・B君に意見を聞こう』

『彼女の話を聞かなければ始まらんな』

 

 ファンクラブにおいては、通常時の上下関係は適応されない。

 普段はメイドのひとりだとしても、お嬢様への愛が深ければ皆から一目置かれることになる。

 

『私個人としましては、お嬢様が選ばれた男性であるなら心配はありません。ですがそれでは納得されない方が多いでしょうから、まずはもっと多くの情報が必要です』

 

 そこまで言って、C・Bさんはちらりとこちらに目線を向けた。

 この時点で僕は、会議の結論がどのようなものになるのかを悟った。

 

『織斑一夏さんがどのような人物であるか。それを調べるのに適任な人材が、幸い私達の身内にいらっしゃいます。そうですよね? K・Mさん』

 

 

 

 

 

 

 生徒の人柄を知ることは、いい教師であるための条件のひとつ。

 なので、彼がどういう人間であるかを探ってみること自体は、いずれ僕が行うべきことだった。

 だからといって、報告書にまとめて提出しろとまで言われると気乗りがしない。

 

「詳しく書かなきゃ怒られるよね……」

 

 放課後。

 仕事を終えた僕は、一夏君を探してため息混じりに校内を歩く。

 職員室を出て1年1組の教室の前を通ると、ひとり机に向かって何かをしている彼の姿を発見した。

 ちょうど話しかけやすい状況だと思い、ドアを開けて教室の中に入る。

 

「やあ。ひとり残って勉強かい?」

「あ、マーシュ先生」

 

 軽く礼をする一夏君。机の上には、教科書とノートが広げられていた。

 

「ちょっと……じゃなくて、結構授業でわからないところがあって」

「それで、寮に戻らず自主的居残りってことか」

「はい。ここにいた方が近いし……」

「近い?」

「っと、なんでもないです」

「そうか」

 

 何かを言いかけたようだけど、追及はしないでおこう。

 そう無遠慮になれるほど、彼と親しくなったわけでもない。

 

「やっぱり、ここの授業は大変そうだね」

 

 前の席に腰を下ろし、一夏君がノートに書きこんだ文字の羅列をざっと確認する。

 ところどころ字体が荒っぽくなっているのを見て、おそらく悪戦苦闘しているのだろうなと察しがついた。

 

「ほんと、その通りです。ちょっと前まで、自分がISの勉強することになるなんて微塵も考えてませんでしたから」

「ははっ。そうだろうね」

 

 自らの意思とは関係なく、彼の学生生活は大きな進路変更を余儀なくされた。

 そしてそれは、おそらく今後の人生そのものにも影響を与えることになるだろう。

 にもかかわらず、こうして腐ることなく勉強しているのだから、一夏君の根性はなかなかのものだと僕は思う。

 確か、お嬢様との試合で言っていたっけ。お姉さんの名誉を守るって。

 

「うーん……」

「どこかで詰まっているのかい?」

「ここのページに書いてることが、いまいち理解できなくて」

「どれどれ? ああ、これはね」

 

 頑張っている生徒は、僕達先生がよりいっそう懸命にサポートしてあげなければならないだろう。

 

「――こんな感じかな。どう、わかった?」

「ああ、なるほど! よくわかりました」

 

 僕の説明が役に立ったようで、すっきりした表情でペンを動かす一夏君。

 

「先生って、ISのことも詳しいんですね」

「専門分野ではないけれど、それなりにはね。僕の主は、イギリスの代表候補生だし」

「そっか。先生はセシリアの執事なんでしたっけ」

 

 納得がいったようにうなずいた後、彼はしばらくの間黙りこむ。

 何かを言おうか言うまいか、悩んでいる様子だ。

 

「気になることがあるなら、どんどん聞いちゃってかまわないよ?」

「そ、そうですか?」

「うん。答えられないことならきちんと断るし、怒ったりもしないから」

「じゃあ、聞きますけど……俺、セシリアにどう接したらいいのかわからなくて」

「オルコットさんに?」

 

 校内で生徒の相手をしている時には、お嬢様という呼称は使わない。

 シャーペンの先でノートをトントンとつつきながら、一夏君は僕に悩みを相談してくれた。

 

「最初は明らかに仲が悪かった気がするんですけど、試合をやってから急にあいつの態度が柔らかくなったんです。俺を見る目が変わったというか……本人は、いろいろ反省したからだとか言ってたんですけど」

「ふむ」

 

 ああ、なるほど。

 それは間違いなく、お嬢様の恋(仮)が原因だ。

 感情の起伏が激しいお方だから、きっと彼への態度も180度一気に転換したんだろう。

 実際、たまに学校や寮で見かけるふたりのやり取りを観察していれば、変化のほどは歴然だ。

 

「親しくしてもらえるのはいいんですけど、少し戸惑う部分もあるというか。そんな感じです」

 

 言葉を濁しながら、左手で頬をかく一夏君。その顔には少年らしい困惑の感情が浮かんでいる。

 ……青春だねえ。

 

「僕から言えることはひとつかな。特別に意識することは何もない。これだけだよ」

「それだけですか」

「それだけ。でも、それがなにより大事なことだ」

 

 そう言って、僕は右手の人差し指をぴんと立てた。必然的に彼の視線がそこに移る。

 

「彼女はね、これまで同年代の男の子と接触したことがほとんどないんだ。ずっと女子校通いで、立場上相手をするのは僕みたいな年上のおっさんばかりだった」

「おっさんって」

「君達に比べれば、25歳なんてもうおっさんさ。まあ、そこの定義は大事じゃないか」

 

 おっさんでもお兄さんでもどちらでもいい。

 重要なのは、一夏君がお嬢様にとってどういう存在なのかなのだから。

 

「織斑君。つまり君は、彼女にとって初めての人なんだよ。だから僕からのアドバイスはひとつだけ。君は君らしく、普通にしていればいい。彼女が求めるものも、きっとそこにあるから」

「……俺らしく、か」

 

 僕の言葉の意味を確かめるように、彼は静かにつぶやいた。

 

「まだ全部を理解できたわけじゃないけど、とりあえず先生の言う通りにやってみます」

「それがいい」

 

 笑って答える一夏君に対し、僕も気持ちよく微笑み返した。

 異性との甘酸っぱいコミュニケーションも、僕が思う学生らしいことのひとつだ。

 『大人』であることを求められる機会が多いお嬢様だからこそ、そういったことをひとつでも多く経験してほしい。

 

「……あ」

「どうかした?」

 

 穏やかな顔をしていた一夏君が、壁にかけられた時計を見た途端に慌てだした。

 

「やば、もうこんな時間か……ごめん先生、俺帰らないと」

「何か用事?」

「そんなもんです。それじゃあ、さようなら」

「さようなら。また明日」

 

 急いで勉強道具を鞄にしまった彼は、僕に挨拶をしてから早足で教室を出ていった。

 

「多分、廊下を出て5秒後に走り始めるな」

 

 先生の前だから我慢していたみたいだけど。

 ……急に出ていったもんだから、なんの用事なのかちょっと気になる。

 

「少年の心を失わないのも、教師にとっては大事だよね」

 

 ファンクラブの指令という大義名分があることも手伝って、僕が尾行を決断するまでにかかった時間はほんの数秒だった。

 教室を出たところで一夏君の背中が曲がり角に消えていくのを確認。見失わないように追いかける。

 ばれない自信はある。なぜなら僕は執事だから。

 

「寮に戻るわけじゃないのか」

 

 自動販売機で飲み物を買った彼は、そのまま校舎の外へ出る。

 そのまま背後をついていくこと5分ほど。

 

「ここは……」

 

 立ち止まった一夏君の目の前には、剣道場があった。

 そろそろ部活の終わる時間だし、部員というわけでもなさそうだが……

 そんなことを考えていると、道場からひとりの女子が出てきた。

 

「よっ」

「あ……い、一夏」

 

 手持ちぶさたにしていた一夏君が、先ほど用意したペットボトルを掲げながらその子に近づいていく。

 ポニーテールが特徴の彼女は、確か1組の篠ノ之箒さんのはず。

 

「どうした、こんなところで」

「いや、たまたま通りがかってさ。そろそろ部活終わるんじゃないかと思って、差し入れ」

「そ、そうか。……うむ、ありがとう」

 

 ちょっとうつむき気味でお礼を言い、ドリンクを受け取る篠ノ之さん。距離が離れているから判断しづらいが……ひょっとして、照れてる?

 

「このレモンジュース、私が好きなやつだ」

「昔からよく飲んでたよな。好みが変わってなくてよかったよ」

「覚えていてくれたのか?」

「たまたまだけどな」

「……そうか。ふふっ」

 

 そのまま一緒に歩き出すふたり。おそらく寮に帰るのだろう。

 見つからないように身を隠しながら、僕は一夏君と篠ノ之さんが幼なじみだったという話を思い出していた。

 加えて、篠ノ之さんの方はなかなかクラスに溶けこめていないとも記憶している。

 

「なるほど。確かに、寮よりも教室の方が道場に近い」

 

 そこに色恋が関わっているのかはわからないけれど、彼なりに幼なじみの女の子のことを考えているのだろう。

 

「織斑一夏、か」

 

 いい子じゃないか。

 ああいうタイプは、きっとモテるに違いない。

 

 

 

 

 

 

「――以上のことから推察するに、現段階でお嬢様にふさわしくないと判断する要素はないでしょう。報告を終わります」

 

 数日後の夜。

 再び開かれたファンクラブ会議において、僕は自分なりにまとめた結論を皆さんにお伝えした。

 

『ふむ、なるほど』

『ご苦労だったな。K・M』

 

 個人的な意見とすれば、このまま静かにお嬢様と一夏君のふれあいを見守っていきたい。外野がとやかく口をだすようなことでもないだろう。

 今回の報告によって、他の皆さんにもそう思っていただければ――

 

『つまりこの男には美人の幼なじみがいるということだ』

『しかもあの篠ノ之束の妹。ネームバリューは十分ですね』

『いやいや、セシリアお嬢様もその点では負けておりますまい』

『プロポーションも勝ち目はあります。バストサイズは劣っていても、全体のバランスではきっとお嬢様の方が勝っているはず! 実物見たことありませんが』

『ということは十分寝取ることも可能ですね』

『略奪愛。燃えるわ』

 

 ……あれ?

 ちょっと、いやかなり僕の予想していた流れと違うんですが。

 

『K・Mさん』

 

 ツッコみたい衝動に駆られている僕に声をかけてきたのは、白熱する議論に参加せず紅茶をすすっているC・Bさん。

 ティーカップを置いた彼女は、グッと親指を立ててこう言った。

 

『ドンマイです☆』

「いや、ドンマイじゃないよチェルシーちゃん」

『チェルシーではありません。C・Bです』

 

 いろいろと諦めた僕は、わーわーと騒がしい話し合いを聞き流しながら天井を見上げる。

 ……まあ、これもひとつの愛情ってやつなのかな。

 やっぱり、扱いづらくて正体不明だ。

 




原作のオルコット家の使用人がどんな感じかは知りません。描写がないので勝手に想像しました。なんかドイツの某部隊みたいになってるけど気のせいです。

一夏君は基本的にはいいやつ。

次は内気で眼鏡なあの子が出ます。
感想や評価等あれば、気軽に送ってもらえるとうれしいです。
では、次回もよろしくお願いします。


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なければ自分で作ればいい

たくさんのお気に入り登録、誠に感謝です。


 IS学園の校則では、生徒は全員何かしらの部活に所属しなければならないと定められている。

 唯一の例外は男子である一夏君で、彼の処遇に関しては現在審議中とのこと。

 

「お嬢様。そろそろ部活動の仮入部期間も終わりますが、どこか興味のあるところは見つけられましたでしょうか」

「一応、テニス部に入ってみようかと考えていますわ。幼い頃から、ラケットに触れる機会はそれなりにありましたから」

 

 時刻はそろそろ午後8時。

 お嬢様のお部屋で紅茶とお菓子を用意する傍ら、僕は学園生活のあれこれについて話を聞いていた。

 

「私は茶道部かなー。おしとやかになって女子力アップを目指すの――うわ、この紅茶おいしい」

「口に合ったようでうれしいよ」

 

 最近はこうして、お嬢様のルームメイトである下山さんも一緒におもてなしすることが多い。最初は執事らしく敬語で接しようかと提案したのだが、本人が断ったので今はフランクな態度をとらせてもらっている。

 

「当然ですわ。良い茶葉を使っているうえに、淹れているのがカズキですもの」

「へえ、先生ってお茶淹れるの上手なんだ」

「執事ですから」

 

 恭しく一礼をすると、下山さんは『わー、本物の執事のアレだ!』と若干興奮した様子を見せる。珍しいものを目にして喜んでいるようだ。

 

「いいなー、私も執事欲しいなー。ねえセシリア、1日でいいからマーシュ先生貸してくれない?」

「それはかまいませんけど、カズキは結構高給取りですわよ」

「えー、お金取るの?」

「わたくしの執事ですもの、そう易々と貸し出すわけにもいきませんわ。一度無料で差し出したせいで、その後いろいろな方の間で引っ張りだこになっても困りますし」

「うう、貴族のプライドってやつ?」

「そんなところですわね」

 

 すまし顔で答えながら、お嬢様はビスケットを口に運ぶ。下山さんは残念そうに肩を落としていた。

 申し訳ないと思う反面、主人に大事にされていると感じられるのは素直にうれしい。

 

「……ふう」

「どうかされましたか?」

「いえ、先ほどの部活動の話に関係しているのですが」

 

 悩ましげな表情をしながらお嬢様が語るには、どうやらテニス部に熱を入れるかどうか迷っているとのこと。

 

「最近、放課後は毎日一夏さんの訓練につき合っているので……そちらに集中すると、部活動の方にあまり顔を出せなくなるのは明白です」

「セシリア、織斑くんのこと大好きだもんね」

「そ、そういうわけではありませんわ! わたくしはただ、唯一の男性として恥ずべきことのないような実力を身につけてほしいだけであって」

「どーだかねえ」

「うっ……か、カズキぃ」

 

 下山さんにからかわれ、涙目でこちらに視線を送るお嬢様。なんと庇護欲をかき立てられるお声だろうか。

 咳払いで流れを切り、僕は個人的な考えを口にする。

 

「私としては、テニス部の活動にもきちんと参加なさった方がよろしいかと思います」

「理由を聞いてもいいかしら」

「お嬢様が織斑君との時間を大切になさっていることは十分承知しています。ですがそれとは別に、学生時代の部活動というのも大事なものです」

 

 人と人とのつながり。他人と共通の目的を持って努力すること。学業以外のことにチャレンジしてみること。他にも挙げればたくさんある。

 

「大人になってからは、なかなか得難い物ですから。そのことに、学生だった頃の私は気づけませんでした。自分が失敗したからこそ、お嬢様には別の選択をしてほしいのです」

 

 いわば反面教師というやつだ。後から振り返って、僕の青春時代はまさしく灰色って感じだったから。

 

「そうですか。……カズキに真面目な顔で言われると、なんだか逆らえなくなってしまいますわ」

「恐縮です」

「とりあえず、テニスの方にもある程度集中してみることにします」

 

 柔和な笑みを浮かべながら、お嬢様はそう答えてくれた。

 それを黙って見ていた下山さんが、ふと思いついたように口を開く。

 

「なんだか、先生ってセシリアのお父さんみたいだね」

「えっ」

「……はい?」

 

 同時に目を丸くする僕達。その反応を面白がるかのように、彼女は笑って話を続けた。

 

「お父さんは失敗しちゃったから、娘にはそういう風になってほしくないって優しく言い聞かせる。で、娘も素直に納得する。これって親子じゃない?」

 

 それは、確かに似ている部分もあるかもしれないけれど。

 しかし、僕ごときがお嬢様の父親だなんて恐れ多い限りだ。

 

「しかし考えてみれば、25歳だと普通に子供を持っていてもおかしくない年齢か。はあ……」

「最近は晩婚化進んでるらしいし、そんなに落ちこむことないと思うけど」

 

 恋人すらいない現実を改めて突きつけられてテンションの下がる僕と、それをやんわりとフォローする下山さん。

 

「……父親」

 

 お嬢様だけは、しばらくの間上の空状態だった。

 

 

 

 

 

 

 コミュニケーションは人間を形作る上で大切な要素のひとつだと、僕はそう考えている。

 人間、ひとりでは生きていけない。ひとりでいた方が気楽だと言う人もいるけれど、彼らだってどこかしらで周囲の人間の助けを借りたりしているものだ。

 もちろん、本当の本当に一匹狼なタイプも存在はするだろうが……そういう人達は、ほんの一握りにすぎない。

 そして、そのコミュニケーションを育む場として部活動には価値がある。だからこそ、数日前にお嬢様に対して生意気言わせてもらったわけである。

 

「……今日もか」

 

 そんな僕だから、部活動のあるはずの時間に毎日整備室に籠っている生徒を見かけると、どうしても気になってしまう。

 

「やあ。頑張ってるね、更識さん」

「………」

 

 僕の陽気な挨拶に、彼女は機械的に頭を下げるだけ。そしてすぐにディスプレイとのにらめっこを再開させる。

 10日前、初めて彼女をこの場所で見た。翌日も同じ時間にここを通りかかると、また彼女がいた。

 翌々日以降は、意図的に第2整備室の様子をうかがうようになった。それと並行して、彼女に関する情報も少し仕入れた。

 更識簪さん。1年4組のクラス代表で、日本の代表候補生。しかし国に選ばれたのが最近だからか、対外試合の資料などは残っていない。

 文芸部所属。しかし部室にはほとんど顔を出さず、すでに幽霊部員化しかけているようだ。

 

「文芸部、行かなくていいの?」

「……今度、行きます」

 

 キーボードを叩きながら答える彼女を見て、これは絶対部活する気ないなと僕は判断した。声の調子でだいたいわかるものである。

 

「専用機の調整?」

「………」

 

 今のところ、部屋には僕と彼女の姿しかない。

 隣に座って一方的に話しかけていると、突然彼女の手がぴたりと止まった。

 ちらりとこちらの顔をうかがいながら、更識さんは気だるげな声で尋ねてくる。

 

「先生は……毎日ここに来るけど、仕事はいいんですか?」

「ふむ」

 

 これは言外に『邪魔だから仕事に戻ったらどうですか』と言われているのだと推測される。

 まあ、集中してる横でべらべらしゃべられたら鬱陶しく思うのも当然なんだけど。

 

「仕事ならきちんと早めに終わらせてるから、心配無用だよ」

「……そうですか。はぁ」

 

 ため息をつかれてしまった。しかし、事実として割り当てられた仕事はこなしているので仕方がない。

 

「今日まで見ていて思ったんだけど、ひょっとして――」

「かーんちゃーん。やっぱりここにいたんだ~」

 

 少し深めに切りこんでいこうとした矢先、部屋の入口の方からやけに間延びした声が聞こえてきた。

 振り向くと、見覚えのある女生徒がぱたぱたと走ってくるのが目に入った。

 

「カズキ先生、かんちゃんと仲良しだったの~?」

 

 ……おかしいな。走っているはずなのに、近づいてくるのがやたらと遅い。

 彼女は確か、1組の布仏本音さんだったか。寮や学校で何度か話しかけてくれていたので、名前は頭に残っている。

 

「はは、仲良しか。どうだろうね」

「……本音。それ、勘違い」

 

 布仏さんの言葉をあっさり否定する更識さん。名前とあだ名で呼び合っているところを見るに、どうやらふたりは仲良しのようだ。

 

「かんちゃん、もしかして毎日ここにいるのー?」

「何か、問題があるの……?」

「うーん。私はー、あんまり熱中しすぎると身体が心配だなーって思うんだけど~」

「もう、決めたことだから……私には、必要なこと……」

 

 ふわふわした口調ではあるが、布仏さんの眉間には少ししわが寄っていた。言葉の内容からも、更識さんを心配しているのだとわかる。

 僕は僕で、先ほどの続きを言わせてもらおう。

 

「専用機、ひとりで完成させるつもりかい」

「………!」

 

これまでで最も素早い反応で、更識さんが僕の方を振り向いた。少し遅れる形で、布仏さんの視線もこっちに移動してくる。

 

「専用機がないって噂は聞いていたからね。加えて毎日必死に作業している姿を見たら、そのくらいの予想はつく」

「おお~」

 

 歓声をあげる布仏さんとは対照的に、更識さんは黙りこんだまま。

 とりあえず、ビンゴだったことは間違いないらしい。

 

「……自分の力で、完成させたいんです」

「だから、部活をやってる時間はない?」

「……はい」

 

 はっきりとうなずく彼女の瞳からは、強い意思のようなものが感じられた。

 少なくとも、返事の声は今までで一番大きかった。

 

「なるほど、わかったよ」

 

 これ以上ここにいても、本当に邪魔になるだけだ。今日のところは引き上げることにしよう。

 

「布仏さん。ちょっとの間だけ、僕と話してくれないかな」

「うん、いいよー」

 

 整備室を出たところで、彼女から更識簪という少女のことを教えてもらった。

 もともと他人と関わるのが苦手なタイプで、学園でも必要以上のコミュニケーションをとらない。同学年でまともに会話ができるのは、幼なじみである布仏さんだけとのこと。

 専用機絡みの込み入った話はさすがに聞けなかったけれど、更識さんの人柄自体はなんとなくつかめた気がする。

 

「君は、あの子が心配なんだね」

「そうだよ~。かんちゃん真面目すぎるところがあるから、サポートしてあげたいんだけどー、いつもってわけにはいかないしー」

 

 彼女にも部活動などの用事があるから、常に張りついているわけにはいかない。当然のことだ。

 ……よし。

 

「布仏さん。少し、僕に協力してくれないかな」

「協力?」

「うん。ひとつ、考えがあるんだ」

 

 

 

 

 

 

 4月もそろそろ終わりにさしかかってきた頃。

 5日ぶりに訪れた第2整備室には、やはり彼女の姿があった。

 

「こんにちは。更識さん」

「……こんにちは」

 

 やはり歓迎はされていないらしく、挨拶の声にも元気がまったく感じられない。

 

「今日も部活には顔を出さないのかい?」

「そうですけど……駄目ですか」

「この学園は部活動強制だからね。生徒に部活をしてほしいから、そういう校則を定めているわけだし。あまりいいことじゃないのは、君もわかっているだろう?」

「………」

 

 無言でうつむく更識さん。僕のしつこさにイライラしているのかもしれない。

 僕の発言は正論だ。けれど、正論だけで人が動くとは限らない。理性と感情、どちらも持っているのが人間という生き物だからだ。

 

「……何度言われても、私は文芸部には」

「そこで、だ。僕からひとつ提案がある」

 

 だからこそ、妥協点を探さなければならない。

 部活に参加しないのは問題だ。だけど部活よりもどうしても優先したいことがある。

 ならどうするべきか。簡単な解が、ひとつある。

 

「だったら、そういう活動を行う部を新しく作ってしまえばいい」

「え……?」

「待たせてごめん。みんな、もう入ってきていいよ」

 

 声を張り上げて外に呼びかける。

 

「やっほー、かーんちゃん」

 

 元気よく入ってくる布仏さん。

 そして彼女に続いて、さらに3人の生徒が室内に足を踏み入れた。

 

「はじめまして。1年2組のジェミー・カーターです」

「ウチは3組の福浦沙紀や。よろしくな」

「4組の石川裕子だよ。クラス同じだけど、話すのは初めてだね」

「……え、えっ?」

 

 わけがわからないといった様子の更識さん。いきなり3人分の自己紹介をされれば、こんな反応を見せるのは当たり前といえば当たり前か。

 

「新規部活動を結成するための条件は3つ。部員を5人以上集めること、顧問を用意すること、活動内容が生徒会に認められること」

 

 指を3本立てながら、僕は彼女にゆっくりと事情を説明する。

 

「顧問は僕がなるから大丈夫。活動内容も、授業でカバーしきれない部分をみんなで学習、実践するとでもしておけば認められるはずだ。そして部員に関しては、君が入ればちょうど5人になる」

 

 専用機を組み上げるという作業は、さすがに授業の管轄外だ。活動内容に関しては何も嘘はついていない。

 

「ここにいる3人は、みんな更識さんと似たような気持ちを持っていた。部活動に参加こそしているけれど、ISの勉強がしたくて全然身が入らない。そうだね」

 

 改めて確認すると、3人とも首を縦に振った。

 そう、何も更識さんだけが特別ではないのだ。新入生だけで見ても、ISに対するモチベーションが高いがゆえに制御に困っている子がこれだけいる。

 

「私はー、かんちゃんのお手伝いがしたいって理由だけどね~」

 

 にこにこと笑う布仏さん。彼女も山田先生と同じく、キャラとしては癒し系のようだ。

 

「で、でも、どうやってこの人達を……?」

「探し当てたかって? そうだね、さすがに授業中に『部活に対するやる気がない人はいませんかー?』なんて尋ねるわけにもいかないから、自分の足と目を存分に活用したよ」

 

 部活中の姿勢や授業中の態度。そのあたりから目星をつけて、この部活動にばっちり適任な3人を見つけ出した。

 

「先生にはびっくりしたよ。いきなり職員室に呼び出されたと思ったら、こっちの考え見透かしたようなこと言ってくるんだもん」

「執事ですから」

「いや執事関係ないでしょ!」

 

 石川さんにツッコまれてしまったものの、執事には人間観察の能力も必要だというのが僕の持論であることに変わりはない。

 

「更識簪さん。そういうわけで、部活動、やる気はないかい?」

「え、えっと……私は……」

「活動場所は主にここ。活動頻度は週2,3回を目処にしているけど、別に毎日集まってもかまわない。活動内容については、ISに関することなら基本的に自由だ。全員が同じことをする必要もない」

 

 授業じゃないんだから、決められた内容を全員で行わなければならないということもない。

 資料室にある本で勉強するのもいいし、専用機を完成させるために頑張るのもいい。

 ただその過程で、少しでもいいから意見の交換とかを行ってほしい。

 同じ部員として同じ場所にいるのなら、コミュニケーションもとりやすいはずだから。

 

「君にとっても悪いことじゃないと思う。なにより、もう僕が口うるさく注意することもなくなるよ?」

「かんちゃん」

 

 僕達が見つめる中、更識さんは何度か口をぱくぱくさせては閉じてしまう。

 それでも、最後にはなんとか返事を絞り出してくれた。

 

「……よ、よろしくお願いします」

 

 ちゃんと僕達ひとりひとりの顔に視線を合わせて、彼女はそう答えた。

 それを聞いて布仏さんは彼女に抱き着き、残りの3人もほっとしたような顔つきになる。

 

「決まりだね。それじゃあ早速、申請書を提出しに行こうか」

「これで却下されたらシャレにならないけどねえ」

「心配ないと思うよ。事前に生徒会長とはほとんど話をつけてるから。整備室の一部を占領することになるんだし、そのあたりは前もって許可がとれるか確かめておきたかったんだよね」

「……先生、本当に行動が早いですね」

「執事だからね」

「ウチ、執事っていうのがようわからんなってきたわ」

 

 人と接することは大事なことだ。だから僕は、生徒が部活動にちゃんと取り組むことを望んでいる。

 それには間違いなく、押しつけという側面もあるのだろうが。

 

「カズキ先生、ありがとう~」

「どういたしまして。幼なじみのサポート、しっかりしてあげるんだぞ」

 

 子供にお節介を焼くのも、大人の仕事のひとつだと僕は思うのだ。

 

 ――こうして、IS学園に新たな部が誕生した。

 その名も『ISいじり部』。

 命名者は、眼鏡がよく似合う初代部長さん。……みんなに急かされた結果、投げやり気味に決めた名前なのだが、まあいいだろう。

 

 




学生の間に学生らしいことをしておけ、というのがカズキの持論です。
お嬢様のお世話をしたり一夏の素行調査をしたり簪にかまったりと、自分で書いてていろいろ忙しい男だなーと感じます。でも大丈夫、彼は執事だから。

次はようやく原作メインヒロインの出番を用意できそうです。
感想や評価等あれば、気軽に送ってもらえるとうれしいです。
では、次回もよろしくお願いします。


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笑えばいいと思うよ

 日曜日。

 生徒のみんなは休みだけど、やるべき仕事がある教員の方々は今日も学園にやって来ている。

 僕もそのうちのひとりで、午前中いっぱいを使ってようやくゴールにたどり着いたところだ。

 

「これで準備は完璧かな」

 

 達成感とともに、両腕をあげてぐっと背伸び。デスクワークは肩が凝る。

 

「お仕事、終わりですか?」

 

 喉が渇いたなーと思っていると、タイミング良く山田先生がお茶を出してくれた。まるで考えが見透かされているかのようだ。

 

「ありがとうございます。ちょうど今、全部片付いたところですね」

 

 日本茶はおいしい。この独特の苦みや渋みが、僕の味覚にばっちり合っている。もう数年早く出会っておきたかったなんて、今さらながら考えてしまう。

 

「これでなんとか、週明けから活動できそうです」

「ああ、例の新しい部活動のことですか」

「ええ」

 

 必要な書類はきちんと揃えたし、これで下準備はすべて完了した。

 月曜日から『ISいじり部』始動だと約束していたので、とりあえずそれが守れそうで一安心だ。

 

「なんというか……すごいですね」

「すごい、というと?」

「マーシュ先生、まだここで勤め始めてひと月も経っていないんですよ? なのにもう、新しい部の顧問になるだなんて。すごく一生懸命に見えます」

 

 山田先生は、僕の行動に驚きと感心を覚えている様子だった。

 それに対して、僕はゆっくりと首を横に振る。

 

「勤め始めだからこそ、一生懸命に頑張らなくちゃってなるものじゃないですか」

「確かに、それはそうかもしれませんけど」

「僕は、他の先生方より受け持っている授業のコマ数が少ないですから。そのぶん他のところに力を入れられるんです」

 

 その結果が、新しい部の誕生につながった。頑張ったのは事実だけど、それだけだ。

 

「それに、仕事に真剣なのは山田先生も同じじゃないですか。授業に関する生徒からの評判、かなりいいらしいですよ」

「ほ、本当ですか? うれしいなぁ……」

「1組の子達に聞いたので、間違いないと思います」

「もっと喜んでもらえるように、頑張らないといけませんね」

 

 自分の席についた山田先生は、ニコニコ顔で教材やパソコンなどを並べていく。仕事前にモチベーションを高めるお手伝いができたようでなによりだ。

 

「ぷはー」

 

 僕は暢気にお茶をすすりながら、飲み終わるまで彼女の横顔を眺めていることにした。

 ……途中であちらが照れてしまったので、以降は窓の外をぼーっと見るだけになった。

 

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 寮の4階へ上がり廊下を歩いていると、自分の部屋の前に誰かが立っているのが見えた。

 男子用の制服に身を包んでいる時点で、選択肢はひとつに絞られるわけだけど。

 

「織斑君。何か僕に用事かな」

「あ、先生。ちょうどよかった」

 

 近づいて声をかけると、悩ましげな表情をしていた彼の頬が緩んだ。部屋を訪ねたのが空振りにならずに済んだことにほっとしているのだろう。

 

「ちょっと、相談したいことがあるんです。男の人に話を聞きたくて」

「なるほど。そういうことなら、中にどうぞ」

「ありがとうございます」

 

 この学園に男はほとんどいないから、彼にとって僕という存在はなかなか大きいものなのかもしれない。

 

「レモンティーは飲める?」

「あ、はい。全然大丈夫です」

「よかった。それじゃあ、用意するから座って待っててよ」

 

 お嬢様の屋敷で働く前は、こうして茶を淹れる作業を楽しめるようになるとは想像すらしていなかった。

 それが今ではどれだけおいしく淹れられるかを研究するくらいになっているのだから、人間というのはわからないものだ。

 

「はい。どうぞ」

「どうも」

 

 テーブルに2人分のソーサーとティーカップを置き、僕は一夏君と向かい合う位置に腰を下ろした。

 

「さてと。相談があるんだったね」

「あ、はい。悩みがあって、自分だけだと答えが見つからないというか」

 

 少し恥ずかしそうな様子を見せながら、彼は僕に本題を切り出した。

 

「俺、女心ってやつがよくわかっていないみたいで」

「……ほう?」

 

 女心、と来たか。

 正直僕も自信がある分野ではないのだが、果たして力になれるのだろうか。

 

「今、幼なじみの篠ノ之箒って子と寮の部屋が同じなんです。だから、一緒に過ごす時間も多いんですけど……なぜかあいつを結構頻繁に怒らせてしまうんです」

 

 一夏君と篠ノ之さんの組み合わせと言えば、以前彼の素行調査をしていた際に見かけた、剣道場の前でのやり取りを思い出す。

 あの時は普通に仲良さげに見えたけれど、どうやらそれだけではないらしい。

 

「なんで怒ってるのか、理由がわからないことが多くて……」

「聞いても答えてくれないのかい?」

「そうですね。『もういい!』って言われるか、あるいは木刀を振り回されるかの2択です」

「木刀を振り回すんだ。それはかなり本気で怒ってるね」

「箒って昔から剣道習ってるんで、普通に威力がヤバいんですよ」

 

 一夏君がどんなことをして怒らせているのかわからない以上、なんとも判断がしずらいが……篠ノ之さんは、激情家の部類に入る子なのかもしれないな。

 ちなみにお嬢様もそういったタイプの方でいらっしゃるので、本気で怒るとその辺にある物を手当たり次第に投げてきたりしていた。

もっとも、最近は大分頻度も落ちたようだけれど。『レディーとしてはしたないことを……』と何度も反省していた効果が表れてきたのかもしれない。

 

「当たり前ですけど、俺も箒に怒ってほしいわけじゃないんで、なんとかそうならずにすむ方法を探しているんですが……」

「なるほど。それで、冒頭の女心がわからないって結論に至ったわけだね」

「恥ずかしながら」

 

 ため息とともにうなだれる一夏君。僕も似たような経験があるので予測がつくけど、おそらく自分の男としての弱さを痛感しているのだろう。

 

「そういうのって、なかなか短期間でどうにかなるものじゃないからね。今までの積み重ねとかもあるし」

「……マーシュ先生は、どうなんですか?」

「僕もどちらかというと君と同じだよ。女の子の気持ちに疎い部分があって、昔は本当によくお嬢様に叱られたもんだ」

 

 1年前の日々を思い出しながら答えると、彼は意外だとでもいうように目を見開いた。

 

「本当ですか? 俺の知ってるセシリアは、先生のことを全面的に信頼してる感じですけど」

「まあ、その辺はいろいろあったからね。……そこで、だ。お嬢様の気持ちをしっかり理解できるように、僕が欠かさず行っていたことがひとつある」

「そんなのがあるんですか」

 

 興味津々という風に身を乗り出してくる一夏君。そんな彼の期待に応えられるかはわからないが、僕は僕なりの解決策を提示することにしよう。

 

「お嬢様を怒らせてしまった時、その直前直後のやり取りをノートに記録しておく。で、夜に今までのぶんと合わせて原因を考察する。これだけだよ」

「記録……毎日、ですか」

「毎日怒らせてしまったらそうなるね。でもそうやってデータが集まれば、なんとなく怒る時とそうでない時の傾向がつかめるはずだ。少なくとも僕はそうだった」

「そういうものですか……うーん」

 

 自分自身と篠ノ之さんの関係に置き換えて想像しているのだろう。一夏君は腕を組んでうんうんと考え事を始めた。

 実際のところは、怒り以外にも様々な感情について記録と考察を重ねたのだが……さすがにそこまでやると負担が大きいし、やりすぎになりかねない。

 僕の場合は、執事としてお嬢様にご奉仕する立場だったから、常に正しい行動が求められた。けれど彼は違う。あくまで幼なじみとの関係を潤滑にしたいというだけの話なのだから。

 

「ちょっと面倒かもしれないけど、現状を放置しておくのも嫌なんだろう?」

「……はい」

 

 わざわざ僕の部屋を訪ねてきた時点で、なんとかしたいという思いが一定以上の強さを持っているのは予想がつく。

 行動したいと思ったから、彼はアドバイスを求めてここに来たのだ。

 

「わかりました。試してみます」

「健闘を祈っているよ」

 

 やがて一夏君は力強くうなずき、お礼を言って部屋から出ていった。

 

「篠ノ之さんか」

 

 入学初日に部屋のドアを壊したのも彼女だったっけ。

 寡黙な子だから、今まで授業の問答以外で会話したことはない。

 ちょっと気になるし、一度世間話でもしてみようか。

 

 

 

 

 

 

 一夏君の話の内容が気になったからといって、いきなり込み入った事情を尋ねようとするのは駄目だ。

 教師であるとはいえ、ろくに話したこともない相手から探りを入れられては、篠ノ之さんも警戒するだけだろう。まして僕は大人の男で、彼女は年頃の女の子なのだから。

 物事には順序というものがある。まずは、他愛もない話を行うところから始めよう。

 もともと、できるだけ多くの生徒と仲良くなりたいと考えていたのだ。ちょうどいい。

 

 ――と、ごく普通の判断でことに臨もうとしたわけなんだけど。

 

「幼なじみってことは、ずっと前から好きだったの?」

「7年越しの再会。運命を感じます」

「向こうが鈍いんなら告ってしまえばええんや!」

「いや、だから私は……」

 

 その日の夜。

 僕の部屋の中で、同級生3人から根掘り葉掘り話を聞かれまくっている篠ノ之さんの姿があった。

 ボブカットの黒髪を元気に揺らしながら騒いでいる石川さん。

 うっとりした表情で頬に右手を当てているカーターさん。

 直球勝負とばかりに告白するよう勧める福浦さん。

 全員、ISいじり部の部員である。

 

「おいしいねー、かんちゃん」

「……うん」

 

 部員の残り2名は、少し離れたところでのんびりとティータイムを満喫している。

 

「さすがにこれだけ人が多いと、部屋が狭く感じるなあ」

 

 そもそも、どうしてこんな状況が生まれたのか。

 30分ほど前。食堂から戻った僕は、篠ノ之さんが珍しく4階の廊下にいるのを見かけた。

 聞くと散歩中だというので、早速お話しでもと思ったその時、新たに現れたのがいじり部の5人だった。

 どうやら彼女達は、僕の淹れる紅茶がおいしいとの情報を聞きつけて飲みに来たらしい。部長だけは今すぐにでも帰りたそうな顔をしていたが、とりあえず部の総意としてはそういうことだった。

 で、『篠ノ之さんも一緒に飲む~?』なんて布仏さんが誘ったのがきっかけになって、あとはノリのいいメンバーがあれよあれよという間に場を整えてしまった。

 その後、6人を部屋に招いてお茶を用意しているうちに、話題が恋バナに切り替わり……現在、篠ノ之さんに集中砲火中を浴びせている真っ最中である。

 

「しかし、やきもきするからといって叩いたりするのは良くないかもしれませんね」

「女子力ダウンかもしれないし」

「ギャグ漫画ならツッコミで済むんやけどなー」

「そ、それは私もわかってはいるのだが……どうにも感情が制御できなくて困っているのだ」

 

 篠ノ之さん、一夏君のことが小さい頃から好きだったらしい。昼間の様子からすると、おそらく彼は彼女の気持ちに気づいてはいないようだ。

 なんだか、今日一日だけでかなりの情報を仕入れてしまったような気がする。

 

「ねえ先生。先生はどう思う?」

「うん?」

 

 ひとりで考え事をしていると、いつの間にか石川さん達がじーっと僕の方を見つめていた。

 

「だから、男の子の行動にムカッと来ちゃった時の対処法みたいなやつ。何か知らない?」

「それを男の僕に聞くのかい?」

「だって先生、物知りそうだし。パーフェクトな執事さんなんでしょ」

 

 いつもの決まり文句を、逆にあちらに言われてしまった。

 

「恋愛指南までは扱っていないんだけどね……」

 

 苦笑いがこぼれてしまう。

 とはいえ、こちらに向けられる期待のこもった瞳を裏切るのは心苦しい。

 ずっと3人に翻弄されていた篠ノ之さんでさえ、気になるのかチラチラ僕の顔を見ているし。

 一応、彼女はお嬢様の恋敵ということになるんだけど……僕はみんなの先生でもあるので、お許しください。お嬢様。これ以上のサポートをすることを約束いたしますので。

 

「参考になるのかはわからないけど、怒りそうになった時には楽しいことを考えて相殺すればいいんじゃないかな」

「楽しいことですか」

「そう。内容的には、その相手に関することの方が想像しやすいかな」

 

 僕の言葉を繰り返すカーターさんにうなずき返し、話を続ける。

 

「織斑君に対して腹が立った時は……たとえば、彼との楽しい時間を思い浮かべるとか」

「楽しい時間って、思い出のこと?」

「それでもいいし、ただの妄想でもかまわない。それこそ、織斑君との未来予想図だって十分ありだ」

「っ! 未来、予想図……」

 

 その単語に惹かれるものがあったのか、黙って話を聞いていた篠ノ之さんが大きな反応を見せた。

 

「お、なんや篠ノ之さん。試す気になったんか」

「将来織斑くんと結婚して、どんな家庭を持つかとか?」

 

 興味津々といった感じに尋ねる福浦さんと石川さん。

 それに対して、彼女は頬を赤らめながらもぼそぼそした声で答える。

 

「ちょ、ちょっと想像しただけだぞ。その……朝、寝ぼけて起きてきた一夏に、おいしい味噌汁を作ってあげる場面をだな。ほんとに、ほんとにちょっとだけだぞ!」

「あら、いいですね。それで織斑くんに『うまいな。隠し味とかあるのか?』と聞かれ、『隠し味は……愛情だ。ぽっ』と答えたりするんですか?」

「んなっ、なぜわかった! ……ではなくっ、そんなこと考えていない!」

「うはぁ、篠ノ之さんかわいー♪」

「ちゃんと女子力あるんやないか!」

「わーっ! わーっ! 何も言っていない、私は何も言っていないからな!」

 

 カーターさんに釣られて自爆した篠ノ之さんを中心にして、再びわーきゃーと騒ぎ始める女の子達。石川さんにいたっては篠ノ之さんに抱き着いており、体を密着させられた彼女は顔を真っ赤にして照れていた。

 女が3人集まって姦しいと書くらしいが、なるほどよくできている。漢字を考えた人、すごい。

 あの中に入っていく勇気はさすがにないので、僕は脇でおとなしくしている子達の相手をすることにした。

 

「そこのお二方。紅茶のおかわりはいかがでしょう?」

「いただきまーす。かんちゃんはどうする~?」

「……私も、いただきます」

「よしきた」

 

 なんだかんだ、更識さんも満足してくれているようでなによりだ。

 

 

 

 

 

 

 それから数日後。学園の廊下にて。

 

「マーシュ先生。また相談があるんですけど」

「織斑君か。また篠ノ之さんのことかい?」

「そうなんですけど……最近、箒の様子がちょっと変なんです」

「変?」

 

 困り顔で話を続ける一夏君。両方にアドバイスをした結果、どうなったのだろうか。

 

「まだ記録した量も少ないんで、よくあいつのこと怒らせちゃうんですけど……ムカッとした顔を見せたと思ったら、次の瞬間にはいつも笑ってるんですよ」

「……ん?」

「しかもその笑い方がすごく幸せそうで。にへらって感じの顔になってて……普通に怒られるよりずっと怖いんです。そのニコニコ顔の裏でいったい何を考えているんだー、と」

「ああー……」

 

 頭を抱える彼を見ていると、なんだか悪いことをしてしまった気分になる。

 ……楽しいことを考えろとは言ったけど、それを顔に出せとまでは教えていない。

 

「俺、何かとんでもなくあいつの機嫌を損ねるようなことをしたんじゃないかと不安で」

「いや、多分そういうことじゃないと思うよ。うん、じきに解決するんじゃないかな」

 

 ……まあ、これもひとつの青春かな。

 とりあえず、彼女には追加のアドバイスを送っておこう。

 




・ISいじり部のオリキャラ3人、石川福浦カーター。そのうち3馬鹿扱いされるかもしれません。
・笑顔って癒しにも恐怖にもなるからすごいですよね。
・前回カズキが短期間で適切な部員集めを行っていましたが、人間観察の能力については今回説明していたセシリアの観察で鍛えられたということです。

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では、次回もよろしくお願いします。



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これもひとつのギャップ萌えか

お気に入り登録をしてくださった皆様、評価や感想を送ってくださった皆様、本当にありがとうございます。



 人には様々な顔がある。

 素直な性格、と言われる人は数多けれど、本当の意味で裏表のない人なんてほとんどいないだろう。

 場所や時間、周囲にいる人間、その時の自身の精神状態。そういった要因に左右され、同じ人物がいろいろな一面を見せる。それが普通である。

 もちろん僕だってそうだ。お嬢様に対する態度と、年下の同僚に対する態度とではまったく異なる。かといって、どちらかで仮面を被っているという自覚はない。どちらも本物の僕の顔なのだ。

 

「おや?」

 

 4月最後の日曜日。

 運良くというかなんというか、僕はとある人の休日の姿を目にすることができた。

 

「こんにちは。織斑先生」

 

 商店街の本屋の1階。女性用雑誌のコーナーに、彼女はいた。

 いつも見かけるスーツ姿ではなく、白のワイシャツにジーパンという動きやすそうな格好をしている。

 

「……マーシュ先生。こんにちは」

 

 雑誌を手に取ってなにやら悩んでいる様子だった織斑先生は、僕に気づくやいなや素早くそれを棚に戻した。

 表紙を見る限り、結構若い子、ティーンズ向けの物に思えたが……隠したということは追及されたくないのだろう。触れないことに決めた。

 

「奇遇ですね。学園の外でお会いするなんて」

「マーシュ先生は、なぜこんなところに? 本を買うにしても、駅前にここと同じくらいの規模の本屋がありますが」

 

 織斑千冬さん。年齢は僕のひとつ下だが、教員としては彼女が先輩。

 厳しい指導をすることで有名で、普段の態度もきびきびしていてクールである。その恵まれた容姿も合わさって、生徒達からはかっこいい女性として大人気。

 僕が冗談を言うと時折うろたえた様子を見せるものの、基本的には年下と思えないようなオーラを纏っている。

 ざっとまとめると、僕の知っている彼女はこんな感じの人だ。

 

「ここの商店街にある喫茶店に足を運んでみようと思っていまして。ついでに日本の本も見ておこうかと、先ほど思いついただけです」

「そういうことでしたか」

「織斑先生の方も、こちらに何か用事が?」

「用事というほどのことではないのですが、このあたりは私の地元なので」

「へえ、そうだったんですか」

 

 ということは、近くに織斑先生の自宅があるのか。どんな家なのか少しだけ気になる。

 

「ところで、今喫茶店と言いましたが……もしかすると、あの店ですか」

 

 さりげなく雑誌の棚を体で隠せるような位置に移動しながら、織斑先生は僕が訪ねる予定の店の名前を口にした。

 

「ああ、そこです。生徒のひとりからケーキがおいしいと聞いて、興味が湧いたんですよね」

「なるほど。確かに、あの店は他人に薦められるレベルでしょうね」

「織斑先生も行ったことがあるんですね」

「ええ、何度か。……それに、ちょうどこれから行こうかと考えていたところです」

 

 ほう、偶然も重なるものだ。まさか目的地まで同じとは。

 いい機会だし、ちょっとお誘いしてみようか。

 

「よかったら、これから一緒に行って相席しませんか?」

「相席、ですか」

「同僚の先生方とは、できるだけ親交を深めておきたいと思っているんです。もちろん、都合が悪いのなら断ってもらってかまいません」

 

 特に深い意味はないですよ、と付け加え、あちらの返事を待つ。

 仮にOKをもらえたとしても、嫌そうな顔をしていたらすぐに引き下がることにしよう。

 

「……では、そうしましょうか。よろしくお願いします」

「本当ですか? ありがとうございます」

 

 いつも通りのクールな顔つきで、織斑先生は僕の提案を受け入れてくれた。

 ほっと胸をなでおろし、僕は彼女に軽く頭を下げた。

 

「どうします? 買いたい本とか残っていますか?」

「いえ、私はもういいです。マーシュ先生の方は」

「僕も大丈夫です。それなら、早速移動しましょうか」

 

 午後のティータイムにはちょうどいい時間だ。

 本屋を出た僕達は、商店街の道を並んで歩き始める。

 

「織斑先生の私服は初めて見ましたけど、似合っていますね」

「あ、ありがとうございます」

 

 外見を褒められるのは苦手なのだろうか。彼女は視線を逸らして返事をした。

 

「そちらは、休日でもスーツを着ているのですね」

「こっちの方が気が引き締まりますから。お嬢様から連絡があった場合、できるだけ早く駆けつけなければなりませんし」

「お嬢様……オルコットのことですか」

「はい。といっても、ここに来てからはできるだけ僕を呼ばないように努力なさっているようですが」

 

 他のみんなは使用人なしで生活しているのだから、自分も――そういう思いがあるのだろう。屋敷とは異なり、IS学園寮は共同生活だから。

 そういう背景があるからこそ、僕もこうして休日は自由に動くことができている。

 もちろん、有事の際は全力でお嬢様をお助けすることに変わりはないけど。

 

「おや、千冬ちゃんじゃないか」

 

 他愛のない話をしながら歩いていると、右手の八百屋から女性の元気そうな声が聞こえてきた。

 

「野本さん。こんにちは」

「はい、こんにちは。相変わらず綺麗な顔してるねえ」

 

 八百屋から出てきたのは、おそらくここの店員である見た目40代ほどの女性だった。

 知り合いであるらしい織斑先生と挨拶した後、彼女は僕に目を向ける。

 

「そこの金髪のお兄さんは外人さんかい?」

「あ、はい。ハーフですが、一応は」

「そうかいそうかい。千冬ちゃんもイケメンな彼氏捕まえたもんだよ」

「いえいえ、僕なんてせいぜい雰囲気イケメンってやつですよ」

「そんな謙遜いらないよ。うちの旦那の若い頃よりずっとイケてるからさ」

「そうですか? いやあ、うれしいな」

「……マーシュ先生。まず彼氏という単語を否定してください」

 

 僕が頭をかきながら照れていると、織斑先生が呆れた様子で声をかけてきた。

 

「野本さん。彼は職場の同僚です。特別な関係は何もありません」

「あら、そうだったのかい。並んで歩いているもんだからてっきり勘違いしちゃったよ」

「今時、男と並んでいたくらいで付き合っていると解釈していたらキリがありません」

「でも、私は千冬ちゃんが一夏君以外の男と歩いてるの見たことないけどねえ」

「………」

 

 どうやら痛いところを突かれたらしい。急に織斑先生が黙りこんでしまった。

 このままの空気にしておくのもアレなので、話題を変えておこう。

 

「ええと、野本さんでよろしいのですよね。はじめまして。カズキ・マーシュと申します」

「おやおや、礼儀正しい子だね。こちらこそ、はじめまして」

 

 そのまま野本さんと軽く世間話を行った後、僕達は再び喫茶店への道を歩き出した。

 織斑先生も、別れ際にはいつものペースを取り戻していた。

 

「恋人だと勘違いされてしまいましたね」

「すみません」

「織斑先生が謝ることではありません。それに、美人さんと付き合っているというのは、独り身の男にとっては光栄な勘違いですから」

「……そうですか」

 

 こんな感じで、無事話は収まった。

 ……と、なるはずだったのだが。

 

「うおっ! 千冬ちゃんが男連れてやがる!」

「ついに俺達の千冬ちゃんに彼氏ができたのか」

「一夏にいちゃんのおねえちゃん、けっこんしたのー?」

 

 結論から言えば、勘違いしたのは八百屋の野本さんだけではなかった。

 魚屋の男店主、道を歩いていた大工のおじさん、さらにはまだ学校にも通っていないくらいの小さな女の子。

 ただ商店街を通っているだけなのに、やたら多くの人達が僕と織斑先生に注目していた。

 どうやら、彼女が男を連れているという状況はそれだけ驚くべきことらしい。

 

「大人気ですね。先生は」

「本当に、申し訳ありません」

「いいじゃないですか。それだけここの皆さんがあなたのことを見ているという証拠です」

 

 彼らの言葉からは、なんとなく温かみを感じる。

 ここまで言うと大げさになるかもしれないが、おじさんおばさん達は織斑先生を娘みたいに扱っていたように僕には思えた。

 

「愛されているんですね」

「……そう、ですね。ありがたい話です」

 

 ずっと困り顔だった彼女の口元が、かすかに緩んだように見えた。

 

「この町には、優しい人がとても多い」

 

 目を閉じて、何か思い出に浸っているのだろうか。

 僕の言葉に返事をしながらも、彼女の意識は半分別のところにあるような、そんな気がした。

 

「………」

 

 過去に報道された内容が事実ならば、織斑家の両親は何年も前にいなくなっていたはず。

 その背景とこれまで目にした光景とを組み合わせれば、だいたい境遇の想像はつくが……。

 

「私の過去を推測しているのですか」

「……ばれてしまいましたか」

 

 いつの間にか、織斑先生の視線がこちらにじーっと向けられていた。考え事を見抜かれてしまったようだ。

 

「妙な勘違いをされても困るので、私から説明します」

「いいんですか?」

「別に、隠したいことでもありませんから」

 

 さばさばした態度で語り始める彼女の顔を、僕は歩きながらも見つめていた。

 

「10年以上前に、私は両親を失っています。死別ではなく、本当に忽然と姿を消してしまった。身を寄せるあてもなかったので、それ以降は弟とふたり暮らしになりました」

「その時期だと、まだ学生でいらしたはずですよね」

「ええ。そしてそんな私達を不憫に思ったのでしょう。商店街の人達をはじめ、たくさんの方々が親切にしてくれました。たとえば野本さんなんかは、野菜を買いに行くと必ずおまけをくれたんです。私がいくら遠慮しても」

 

 先ほど知り合った女性の顔を思い出す。

 いいですいいですと断る少女に、無理やり大根を押しつける光景が容易に思い浮かんだ。

 

「野菜を買っていたということは、料理もご自分で?」

「……はい。一応は、ですが」

 

 なぜか織斑先生の表情が曇ってしまった。何かまずいことを聞いただろうか。

 

「料理はどうも苦手なんです。昔は本当に失敗続きで、恥をしのんで近所の奥様にアドバイスをもらっていたほどでした」

「そうなんですか。なんだか意外ですね」

「結局今でも改善されてはいません。台所で苦労している私を見かねた弟が料理担当になって、気つけばすっかりあいつの方が上手になっていました」

「はは、一夏君には料理の才能があったんですね」

 

 料理が苦手といえば、お嬢様もそうだ。

 才能あふれる人というのは、どこかしら大きな弱点を抱えているものなのだろうか。

そう考えると、なんだか微笑ましい。

 

「………」

 

 僕の反応を『馬鹿にしている』と受け取ったのか、無表情を装いながらもどこか拗ねた様子の織斑先生。

 

「ああ、すみません。別に何が悪いとか、そういうことじゃないんです。ただ……そう、可愛らしいなと思っただけで」

「っ……可愛らしいなんて、本当に久しぶりに言われました」

 

 僕の言葉を聞いて、彼女は少しだけうろたえる。まあ、普段は可愛いよりもかっこいいと言われる機会の方が多いのだろう。

 

「以前、街中でナンパされた時以来です。確かその前もナンパだったような」

「それって、僕はナンパ男と同レベルということなんでしょうか」

「さあ、どうでしょう」

 

 普段からかわれていることに対する意趣返しのつもりだろうか。彼女は意地の悪そうな笑みを浮かべて、あえて言葉を濁してきた。

 彼女のそんな表情を見たのは初めてだったので、少しは仲良くなれたのかな、なんて思ったりもする。

 

 

 

 

 

 

 その後、喫茶店に到着した僕達は窓際の2人席に腰かけた。

 

「いい雰囲気のお店ですね」

 

 木製の壁やレトロな小物が、適度な古風さを醸し出している。

 店内に流れるクラシックと相まって、心を静かに落ち着かせてくれた。

 

「一夏君も、ここに来たことはあるんですか」

「ええ。何度か連れてきたこともありますし」

「なるほど」

 

 実を言うと、僕がここに来た目的は単にケーキを食べるためだけではなかったりする。

 お嬢様がひそかに一夏君をデートに誘うプランを練っていたので、その際訪れる場所の候補としてどうかなと考え、確かめにきたという意味合いもあるのだ。

 商品の味が良ければ十分プラスなのだが、すでに相手方が訪れたことのある店というのは若干減点ポイントかな。よほどのお気に入りとなれば話は別だけれど。

 とりあえず、味をしっかり採点してみようかな。

 ウェイトレスさんを呼び、それぞれ注文を伝える。

 

「私はコーヒーとチョコレートケーキを」

「僕はエスプレッソとチーズケーキ、あとこのフルーツジャンボパフェをください」

「かしこまりました」

 

 注文を一通り繰り返した後、去っていくウェイトレスさん。

 僕が頼んだ3品目を聞いて、織斑先生は目を丸くしていた。

 

「ジャンボパフェも頼むんですか。結構大きいですよ」

「大丈夫です。僕、甘い物好きですから」

 

 それに、食べようと思えばかなり腹に詰め込めるタイプでもある。昔、食事の時間が面倒だった時、回数を減らして一度に食べる量を増やしたこともあるくらいだ。

 

「仕事に関する話とか、聞いてもいいですか?」

「かまいません。共通の話題と言えば、それくらいしかないでしょうし」

 

 教師としては、僕はまだまだ未熟な駆け出し者。

 彼女に限らず、先輩方からいろいろアドバイスをもらっておきたい。

 

「お待たせしました」

 

 あれこれ話しているうちに、続々と注文の品が運ばれてきた。

 コーヒーにエスプレッソ。ケーキ2つと、そして最後にジャンボパフェ。

 

「おお、ホントに大きい」

 

 でもおいしそうだ。フルーツたくさん乗ってるし。

 

「では、いただきましょうか」

「そうですね」

 

 手を合わせてから、僕はスイーツの山を切り崩しにかかった。

 

「うん、おいしい」

 

 チーズケーキはほどよくしっとりしていて口触りがいい。エスプレッソの味もなかなかだ。

 そして、個人的に一番の当たりはパフェかもしれない。生クリームとフルーツの配分が絶妙で、甘さと酸っぱさが混ざり合って本当においしい。

 鏡がないのでわからないけど、きっと僕の頬は現在緩みっぱなしだろう。

 

「………」

 

 ふと視線を感じる。

 顔を上げると、織斑先生が心なしか物欲しそうな目つきでジャンボパフェを凝視していた。

 

「よかったら、食べます?」

「っ!? い、いえ、結構です」

「でもなんだか食べたそうにしてますよ? 今まで頼んだことがなくて、いざ実物を見たら無性に味わいたくなったとか」

「……マーシュ先生は、エスパーですか」

 

 どうやら図星らしい。実は彼女、意外と感情が顔に出やすいタイプなのかもしれない。

 

「ほら、この辺とかまだ口つけてませんし。なんなら取り皿を持ってきてもらって」

「わ、わかりました。いただきます」

 

 テーブルに用意されていた予備のスプーンを手に取り、パフェの山の一部を削り取る織斑先生。クリームの上にオレンジ一切れが乗っている。

 しばらくそれを見つめた後、パクリと一口。

 

「………うん」

 

 うわ、今すっごい幸せそうな顔してる。

 

「………っ!」

 

 でも僕に見られていることを思い出して、必死に表情を取り繕うとし始めた。その反応がまた可愛い。

 

「織斑先生って、やっぱり可愛らしい方ですね」

「……う」

 

 人には様々な顔がある。

 同じ人物であっても、状況によって数々の一面を見せてくれるものである。

 そして今日。休日の昼下がりに、僕はクールビューティーな同僚の新しい顔を発見したのだった。

 




カズキの一人称で進行していますので、他のキャラの行動に謎が残ることもあります(千冬が雑誌を見ていた理由など)。この辺の要素に関しては後の話で回収する予定です。

千冬姉は町内だとわりと人気なんじゃないかという印象。束と知り合う前は結構荒れていたようですが、それ以降は普通にコミュニケーションとってるでしょうし。

感想や評価等あれば、気軽に送ってもらえるとうれしいです。
では、次回もよろしくお願いします。



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それもひとつの能力です

今回短いです。



 ――俺は面倒が嫌いなんだ――

 僕が人生で一度は言ってみたいセリフのひとつである。超偉そうな感じで、ちょっと気だるげに言い放ったりしたらきっとかっこいいことだろう。

 もっとも、今の僕にはそこまで強く出られる相手もいない。なので自然に使用できる機会が全然来ないのがもどかしい。

 仮に僕がセシリアお嬢様の立場になったなら、おそらく3日に1回のペースで執事相手に口にするに違いない。お前どんだけ面倒くさがりなんだよと思われるレベルで言いまくるだろう。特に意味もなく。

 でも、実際そんなことしてたらひと月もしないうちに飽きが来そうだ。何かが欲しい欲しいと望み続けたくせに、いざ手に入るとあまり執着しなくなる、というパターンになりかねない。

 そう考えると、これに関しては『届かぬ憧れの言葉』のままでいいのかもしれない。

 一度しかない人生、本気で手を伸ばすべき対象は他にいくらでもあるだろう。

 

 さて。

 こんなセリフに憧れている僕に限らず、基本的に人間は面倒を嫌うものだ。

 なんでわざわざそんなことをしなくちゃいけないのか、とか、もっと楽なやり方ないのかー、とか。大抵の人は少なからず感じることの多い心情だろう。

 僕もそうだから、1年かけて屋敷での仕事の効率化を図り続けた。当たり前のことだが、仕事の質を落とさずに、である。お嬢様にご奉仕しようという精神はきちんとあるので、手を抜いて時間短縮などといった考えは許されない。というか、許す許さない以前にクビになる。

 少し話が逸れてしまったが、要するに人という生き物は面倒なことを好まないのが普通なのだ。

 だからこそ、面倒を率先して引き受けてくれる存在は貴重なのである。

 

「マーシュ先生。お茶をどうぞ」

「いつもありがとうございます」

 

 その貴重な人材のひとりが、今も僕の目の前で愛想の良い笑みを浮かべている山田真耶さんなのだろう。

 頼まれる前から多くの教員のためにお茶くみにいそしむ姿は、まるでどこかの給仕さんのようにも見える。

 

「立派ですね、山田先生は」

「はい?」

 

 隣の席に腰を下ろした彼女は、僕の言葉を聞いて首をかしげた。

 

「急にどうしたんですか?」

「唐突かもしれませんが、褒めたくなったので褒めました。いつも皆さんのために率先して動いているのは、本当に偉いと思いますから」

 

 お茶くみだけではない。荷物運びを手伝ったりとか、その他雑用を彼女は頻繁に引き受けている。誰かに頼まれれば基本的に二つ返事だし、頼まれなくても気を利かせることが割と多い。

 

「いえいえ、そんなことないですよ。偉いだなんて言いすぎです」

「謙遜することないと思いますよ。利益も義務もないのに行動できるのは、胸を張って誇れることです」

「大げさですって」

 

 わたわたと両手を振って否定する山田先生。日本人は謙遜することが多いと聞くが、どうやら彼女もその例に漏れないらしい。

 

「そもそも、それならマーシュ先生だって同じじゃないですか。ISいじり部を立ち上げたりとか」

「教師が生徒のために働くのは義務でしょう。山田先生の場合、同僚のために働いているんですから質が違います」

「うーん……」

 

 仕事の範囲内で努力を重ねるのであれば、僕だってそうだ。与えられた役目には完璧に応える。それが執事イズムである。

 

「私には、よくわかりません」

「そうですか。まあ、別に問題があるわけじゃないので大丈夫です。僕が個人的に評価しているというだけなので」

 

 先ほど淹れてもらった日本茶をすする。ほどよい熱さが体中に染みわたった。

 

「私はただ、少しでもお役に立てるようにと思っているだけですから」

 

 にこにこ笑いながら、机の上を整理し始める山田先生。

 

「昔からどんくさくて、みんなの足を引っ張ってばかりだったんです。でも、ISに関することだけは少し自信を持つことができて……だから、ここの教師になったんです」

「なるほど」

「でも、まだまだ失敗も多くて……ちょっとでも挽回できるように、他の部分で頑張ろうと」

 

 それが職員室での活躍につながっているというわけか。

 彼女の授業は生徒からの評判もいいというのに、本人としてはまだ納得がいかないらしい。

 きっと真面目で、おまけに優しい人なんだと思う。

 

「新入りの僕が言っても、説得力の欠片もありませんが……山田先生は、将来すごい先生になると保証しますよ」

「ふふっ、ありがとうございます」

 

 上を見続けることのできる人間は、強い。その向上心さえ失わなければ、もっと成長できるに違いない。

 ……彼女は、僕とは違うのだから。

 

「マーシュ先生? どうかされましたか」

「えっ」

「いえ、なんだかぼーっとしているようだったので」

「ああ……すみません。少し考え事をしていました」

 

 余計な感情を心の奥に追いやり、僕はごまかすための笑顔を作った。

 幸い、山田先生はそれ以上追及してくることはなかった。

 

「そういえば、マーシュ先生はどうして執事の仕事を?」

「僕ですか?」

「はい。教員になった理由は秘密と言っていましたけど、ひょっとして執事の方もそうなんでしょうか」

「いいえ。執事になった経緯なら、話しても問題はありません。といっても、たいしてストーリーがあるわけでもないんですけど」

 

 今度は僕が就職選びの話をする番になる。ただ、まとめてしまえば本当にあっさりしたものになってしまうのだが。

 

「簡単な話です。知り合いに貴族の屋敷で働いてみないかと勧められて、お給料もいいみたいだったので承諾した。以上ですね」

「お給料ですか」

「はい。とはいえ、今ではやりがいを持ってお嬢様にお仕えしています」

「その仕事を選んで正解だったというわけですね」

「その通りです」

 

 最初はお嬢様に何度も怒られて、クビを切られかけた回数は両手の指で数えきれるかどうかというくらい。

 現在はある程度信頼を置いてもらっていると確信しているが、考えてみればよくあそこから持ち直したものである。

 本当に、周囲の人達によく助けられた。

 

「頑張ってくださいね。執事の仕事も、教員の仕事も。助けが必要なら頼ってください」

「ありがとうございます。山田先生の方も、何かあった時は僕に言ってもらえれば力になりますので」

 

 席も隣なんだし、仲良く助け合いの精神を持っていこう。

 ……とまあ、真面目な話はこれくらいにして。

 

「ところで先生、僕が入学式の日にした予言を覚えているでしょうか」

「予言? いったいなんの……あっ」

 

 思い出した、という顔になる彼女を見て、僕はニヤニヤと笑いかける。

 

「あの時僕は、1ヶ月以内に山田先生は生徒から可愛いあだ名をつけられると言いました。あと1週間ほどで期限になりますが、どうでしょうか?」

「……その顔、もう答えはわかってるんじゃないですか」

 

 ジト目で口をとがらせる山田先生。僕の中の隠れた嗜虐心が思わず疼いてしまうような反応だった。

 

「正確なあだ名の数は把握してないので」

「……4つです。先生をあだ名で呼ぶのはどうかと思うんですけど。ヤマヤってなんですかヤマヤって」

「愛されている証拠ではあるでしょうけどね」

 

 珍しくぷんぷんしている彼女の姿を見ることになった。彼女の理想とする教師と生徒の距離感と、現実のそれとが異なっているのだろう。

 ちなみに僕の方は、男ということもあってさすがに可愛らしいあだ名なんてものはついていなかった。せいぜいファーストネームで呼ばれるくらいだ。

 

「私も織斑先生みたいに風格が身につけばいいんですけど」

「確かに、あの人は威圧感が違いますね」

 

 でも、僕としては今の状態がちょうどいいんじゃないかとも思う。少なくとも、現在の教員の編成を考えると……。

 

「あ、織斑先生」

 

 ちょうどその時、話題にあがっていた織斑先生が職員室に戻ってきた。

 山田先生は僕にぺこりと頭を下げてから、彼女のもとに歩み寄る。

 

「この前の職員会議で出た話についてなんですけど――」

「……ああ、そうだ。すっかり忘れてしまっていた」

 

 なんとなく様子をうかがっていると、どうやら織斑先生が担当している作業に関する話をしているらしい。

 

「すまないな。いつも君には助けられている」

「それはお互い様ですって。今から一緒に行きましょう」

 

 申し訳なさそうな表情をする織斑先生に対して、山田先生はいつもの柔和な笑みを返す。

 そして、そのままふたりは並んで職員室を出た。これからどこかに向かうようだ。

 

「担任と副担任。やっぱり、いいコンビなのかな」

 

 生徒に厳しめの担任と、逆に優しめの副担任。加えて、仕事上でも互いにフォローし合える。

 仮に山田先生まで織斑先生みたいになったら、1年1組の生徒達はプレッシャーが半端ないことになってしまうだろう。

 かといって、織斑先生が山田先生みたいになると、それはそれでクラスの雰囲気が緩くなりすぎる危険もある。

 だから、今くらいがちょうどいいバランスなんじゃないかと僕は思う。

 

「ん?」

 

 ふと隣の机に目をやると、束になった書類が無造作に置き去られていることに気づいた。

 ……確かこれは、先ほど山田先生が『すぐに提出しなくちゃいけないんです』と言っていたものだったような。

 実際、僕との話が終わったら持っていく感じの様子を見せていたし。

 

「忘れ物、かな」

 

 織斑千冬さんと山田真耶さん。

 いいコンビなんだけど、どちらも微妙にドジっ娘属性なのがたまに傷か。

 ……まあ、そこは僕や周りの人達がフォローしてあげればいい。

 とりあえずは、この書類を持ってふたりを追いかけるとしよう。

 




というわけで、山田先生とくっちゃべってるだけの回でした。でも切りどころとしてはこのあたりになると思ったので、短いお話になりました。

あと2人ほど原作キャラにスポットライトを当てたら、とりあえず第一章は終わりです。
日常ものに章とかつくの?という疑問もあるかと思いますが、僕の中でのひと区切りがそのあたりになる、という感じです。別にそこで最終回というわけではないので、読者の皆様は気にしなくて大丈夫です。

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オトコとオンナの話です

 人間の性格というのは、当たり前だが個人によってそれぞれ異なる。

 寛容な人。怒りっぽい人。楽観的な人。やたらネガティブな人。まあいろいろだ。

 数多くの要素が絡み合って、ひとりの人間の性格が構成される。他の誰のものでもない、オンリーワンな人格がそこには存在している。

 僕自身はどうなのかというと、周囲の方々の意見を参考にすれば『気が利いて優しい性格』とのことらしい。背中がむず痒くなるような高評価だが、褒めてもらえたこと自体は素直に喜びたい。

 ただ、数人の女性の同僚(屋敷のメイドさん)が『結婚はせずに友人としてキープしておきたいタイプ』とコメントしていたのは非常に気になる。僕ってもしかして都合のいい男扱いされてるのかな。いまだに恋人のひとりもできない現実にもその辺が関係しているのだろうか。

 ……なんて、ちょっとばかりブルーな気持ちになっていたとある夜のこと。

 先週ぶりに、一夏君が僕の部屋を訪ねてきた。前回と同じく、なにやら悩んでいそうな表情で。

 

「どうしたんだい? また篠ノ之さんと何かあったとか」

「いや、今日は違うんだ。箒とは最近いい感じなんだけど、今度はもうひとりの幼なじみを怒らせちゃって」

「もうひとりというと、転入生の凰鈴音さん?」

「そうそう……あれ、先生知ってたのか」

「覚えておくといい。君に関するニュースは、ものの数時間で学園全体に知れ渡るんだ」

 

 うへえ、といった顔つきになる一夏君。自分が注目されているという事実を改めて認識したようだ。

 

「まあ、それは仕方ないか。とりあえず今は、鈴についての話を聞いてほしいんだ」

「僕でよければ力になろう」

「ありがとう。やっぱ男の先生は頼りになるな」

 

 数日前から、彼の僕に対する言葉遣いはかなり砕けたものへと変わっている。先日の篠ノ之さんの一件で、こちらに気を許してくれたらしい。

 生徒が教師にタメ口をきくことに関しては、特に文句はない。授業中は当てたらきちんと敬語で答えているしね。

 僕としても、彼と仲良くできるのはうれしいことである。

 

「それで、凰さんと何があったのかな」

「ええと、わかりやすく説明すると――」

 

 一夏君の語ってくれた内容によれば、つまりこういうことだ。

 1年前に凰さんが中国に引っ越す際、ふたりはなにかしらの約束を交わしたらしい。

 で、昨晩その約束を覚えているかと彼女に問われた一夏君。記憶を掘り返した結果、『あたしの料理の腕があがったら、毎日酢豚をおごってあげる』的なことを言われたという結論が出たらしい。

 しかしそれを伝えるやいなや凰さんは激怒。ぷんぷん怒って今も許してくれていないとのこと。

 

「そして織斑君は犬に噛まれて馬に蹴られてボロ雑巾にされて死ぬというわけか」

「……そんな感じ。まさかあそこまでひどい言われようをされるとは想像もしてなかった」

 

 説明を終えて、大きくため息をつく一夏君。男の風上にも置けない奴とまで言われたようで、本人も少しイラッときている様子。言葉の端々から、ちょっと不満げな感情が漏れ出ていた。

 

「確かに、約束忘れてたのは俺が悪いんだけどさ」

「正しい約束の内容は、まだ教えてもらってないのかい」

「今のあいつ、近づくなオーラ全開で聞くに聞けないんだ」

「なるほど」

 

 それはまた、本気で怒らせてしまったみたいだ。

 

「毎日酢豚をおごってあげる、か」

「完全に的外れってことはないと思うんだよ。そんな感じの約束をしたってのは覚えてるから」

「ふむ」

 

 彼の言葉を信じるならば、表面上の言葉自体はこれでだいたい正しいらしい。

 しかし、それなら凰さんが怒った理由がわからない。

 

「織斑君。凰さんが怒った時、君にどんなことを言っていた? もう一度説明してくれないかな」

「え? えーと……『女の子との約束をちゃんと覚えてないなんて、男の風上にも置けないヤツ!』とかなんとか」

 

 女の子、男……もしかすると、これは言葉の裏を読まなければならないのかもしれない。

 毎日酢豚をおごってあげる。いくら気前が良くても、毎日毎日料理を作ってあげるなんて、それはまるで……ん?

 

「そういえば、母さんが昔……」

 

 僕の母親は日本人で、生まれも育ちも関西だ。当然だが、日本語特有の言い回しもよく知っている。

 そんな母さんが、父との思い出を懐かしむように語っていた日のことが頭に浮かび……もしや、という解答が同時に出てきた。

 

「お母さんが?」

「……いや、なんでもない」

 

 僕の予想が正しいとしたら、これは他人がうかつに口を出していい問題ではないのかもしれない。とかく、僕のような恋愛スキルに乏しい人間は多分駄目だ。凰さんの真意については言及しないのが吉だろう。

 なので、月並みではあるが別のアドバイスを送ることにした。

 

「とりあえず、頭を下げるところから始まるんじゃないかな」

「謝るってことか」

「そう。向こうも怒ってるから、多少キツイことを言われるかもしれないけど、それでも言い返さずに謝罪の意思を見せ続ける。たいていの場合は、これで許してもらえると思うよ。友達同士ならね」

「何を言われても、素直に頭を下げ続けろって?」

 

 ちょっぴり不満そうな表情を見せる一夏君。

 彼自身としては、そこまで凰さんを怒らせるようなことをした自覚がないのだろう。その理由もわからないまま、一方的に下手に出ることに納得がいかないのかもしれない。

 

「難しいかい?」

「うーん……あんまり理不尽なこと言われたら、言い返しちまうかもしれない。鈴とは昔から仲が良かったけど、そのぶん言い合いになることも多かったから」

 

 凰鈴音という少女について、僕はあまり知らない。転入から数日しか経っていないし、直接会話したこともないからだ。

 休み時間などでの様子を見る限りは、アグレッシブなタイプの子に見える。が、それだけで彼女の人間性を測るというのは無理な話だ。ゆえに、僕が言えるのは一般論だけ。

 

「織斑君。女性っていうのはね、男が思っているよりも繊細な生き物なんだ」

「繊細……?」

「えらく微妙な顔をするね」

「ああ、ごめん。俺の周りの女の人って、なんというか男勝りな人がやたら多いから」

「君のお姉さんとか?」

 

 軽い調子で尋ねると、一夏君は素直に首を縦に振った。若干苦笑い気味に。

 姉の他には、幼なじみとかだろうか。僕は一夏君ではないので、彼がどういう風に考えているのかは把握しきれない。

 

「でも、そういう勝気な人達も、案外デリケートな部分を持ってたりするものだよ?」

「そんなものなのか」

「うん。そんなもの」

 

 微笑みながら返事をする。

 人間の性格は個人によってばらばらなのだが、なかなかどうしてある程度のレッテル貼りが有効だったりする。実際、男に比べて繊細な女性の数は多い。僕調べだけど。

 彼が挙げた織斑先生だって、先日女の子らしい一面を僕に見せてくれた。普段堅い印象の篠ノ之さんは、実は乙女チックな想像を胸に秘めている子だ。

 では、凰鈴音さんはどうなのだろうか。

 

「だから、怒ったり悲しんだりしてる時は、うまくフォローするのが男の役目だったりするわけだ」

「なんか難しそうだな」

「だけど、女性は繊細だからこそ細かいところに気がついてくれる。そういう部分で僕達を助けてくれることも多い。いわゆるWIN-WINってやつさ」

「………」

 

 黙って視線を下に向ける一夏君。僕の言葉の意味を、一生懸命理解しようとしてくれているのだと思う。

 でもこういうのって、言ってしまえば自分で経験を重ねないとわかりにくいものである。人によってたどり着く結論は違うだろうし、僕は自分の意見を語って聞かせただけだ。

 

「まあ、決めるのは君自身だ。僕の言葉のすべてが正しいとは思わずに、いろいろと考えてほしい」

「……わかった。ありがとう先生、参考になった」

「これも仕事のひとつだよ」

 

 まだ悩んでいる様子は見せているものの、一夏君は笑顔でお礼を言ってくれた。

 同性の仲間として、今後も彼の力になれればいいなと思う。

 

「俺も何かお礼ができればいいんだけど……」

「お礼か。それなら今度、女の子にモテる秘訣でも教えてほしいな」

「へ? そんなの俺にはわからないって。彼女がいるわけでもないし」

「……そうか」

「む。その意味深な返事はいったい……」

「いやいや、なんでもないよ」

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。部屋で明日の準備をしていると、携帯が着信音を鳴らし始めた。

 画面を見ると、『チェルシー・ブランケット』と表示されている。

 

「はい、こちらマーシュ。半月ぶりだね、チェルシーちゃん」

『こんばんは。今、お時間よろしいでしょうか』

「問題ないよ。何か用事かな」

『4月も終わりですし、そろそろ近況報告でもお聞かせ願えないかと』

 

 淡々と用件を述べるチェルシーちゃん。いつも通りの耳触りの良い声なんだけど……なぜだろうか、若干の刺々しさが裏に隠れているように思える。

 怒らせると怖い子なので、屋敷で過ごすうちに彼女の機嫌の変化にはやたらと敏感になってしまった。滅多に怒るタイプではないのだが、爆発させると10代後半とは思えない凄みを見せてくるのだ。

 

「前回の報告と特に変わりはないかな。お嬢様はきちんとクラスに溶けこめているようだし、強いストレスを感じている様子も見受けられない。毎日元気に学園生活を送れているはずだ」

『そうですか。安心しました。あなたがそう言うのであれば、間違いはないのでしょう』

「お、それひょっとして褒めてくれてる?」

『マーシュさんの観察眼は評価していますから』

 

 とはいえ、基本的には気立てのよい優秀なメイドさんである。なので、先ほどの刺々しさが直接僕に向けられなければなんの問題もないのだ。

 たとえば、さっきまで誰かを叱っていて、その時のぷんぷん気分が少し残っていた、なんてケースなら全然大丈夫。彼女は八つ当たりする人種ではないから。

 

『ところでマーシュさん。私、先ほどお嬢様とお話ししたのですが』

「ほう」

『なんでも、新しい部活動を結成したそうですね』

「うん、必要だと思ったから」

『それで、よく部員の女の子達を部屋に招き入れていると』

「懐かれたみたいでね。さすがに常駐されると困るけど、好かれること自体はありがたいよ」

『なるほど。それはそれは、よかったですね』

「……ねえチェルシーちゃん。さっきから声が硬くないかい?」

『そうでしょうか』

 

 おかしいな。刺々しさがだんだん表に出てきている。

 これはもしかして、彼女が怒りを抱いている相手は僕なのか。

 

『他にも、たくさんの生徒の皆様と仲良くされているようですね。最近は生徒会長の方とよく話しているとか』

「あー、あれはちょっとばかり事情があって……なんで僕、浮気を問い詰められてる感じになってるのかな」

『浮気の話はしていません。ただ、あまり他の女性に色目を使って、お嬢様への忠誠がおろそかになるのは困ると思うので。あらかじめ釘を刺しておこうかと』

「色目なんて使わないよ。前にも言ったけど、僕は年上が守備範囲だから」

『どうでしょうか? カズキは昔から何を考えているのかわからないところがありますから、油断はできません。普段から彼女ほしーほしーと言っていますし』

「油断ってなにさ」

 

 警戒しすぎだと思う。教師が生徒に手を出すなんてご法度なんだから、僕だって最初からその気なんてないというのに。

 矢継ぎ早に言葉をくり出してくるのを聞いていると、なんだか一周回って面白くなってきた。

 

『だいたいカズキはですね……なぜ笑っているのですか』

「いや、なんだか懐かしい呼び方だと思ってね」

『………あっ』

 

 回線の向こうで息をのむ音が聞こえてくる。予想通り、無意識のうちに呼称を変えてしまっていたらしい。

 しばし沈黙が続いた後、咳払いをひとつ挟んでから口を開くチェルシーちゃん。

 

『とにかく、お嬢様のことを第一に考えてください。よろしくお願いします、マーシュさん』

「ああ、任された」

『では、私はこれで。おやすみなさい』

「おやすみ。そっちは午後の仕事頑張ってね」

『ありがとうございます』

 

 通話終了。耳から携帯を離して、そのままなんとなく画面を眺める。

 

「カズキ、か」

 

 女性は繊細なので、うまくフォローするのが男の役目。

 一夏君には偉そうに語ったけれど、果たして自分はそれができているのか。

 ……とりあえず、明日の準備を終わらせることにしよう。

 




ここ数回セシリアの出番がなかったのは、今回のチェルシーの注意のシーンを書くためでした。もっとも、描写していないだけでカズキはきちんと執事の仕事はしているのですが。

とりあえず名前だけ出てきた鈴ちゃん。今回から彼女がIS学園に在籍している状態になります。近いうちに直接の出番があると思います。
会長も話にだけ出てきましたが、こちらもいずれ。

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お酒は人を狂わせる

 IS学園には、設立当初から続く伝統のようなものがいくつかある。

 その中のひとつに、『生徒会長は最強であれ』というルールが存在する。これだけなら一風変わったしきたりだなあ、で済むのだが、実際には本当に最強であることを証明するため、『生徒は生徒会長をいつでも襲撃することができ、勝った者は自分が新たに生徒会長に就任することができる』なんて下剋上ルールが追加されているのだ。

 女の子の園である学園が、生徒会長の周辺だけ世紀末仕様に早変わり。仁義なき戦いが繰り広げられる。

 そういうわけで普通の学園以上に大変な生徒会長なのだが、不思議なことに当代の会長は着任して以降ほとんど襲撃を受けたためしがないらしい。

 理由が気になって上級生の子達に尋ねてみたところ、単純明快な答えが返ってきた。

 ――挑む気力も湧かないほど、今の生徒会長は強いからだ。

 

「それでですね、春の身体測定ではウエストが引き締まってバストサイズはアップしていたんですよ。またひとつ完璧なボディに近づいてしまいました」

「うん。よかったね」

 

 その生徒会長は、昼休みに廊下で偶然出会った僕に対して自身のスリーサイズに関する話を自慢げに語っていた。

 異性に向かって恥ずかしげもなく伝える内容ではないと思うんだけど、彼女の態度を見ていると僕の認識の方が間違っているのではないのかと勘違いしそうになってしまうほどだ。

 

「なんだか投げやりな返事ですね。ひょっとして先生は貧乳派だったり?」

「別に大きくても小さくてもかまわないよ。全体のバランスが良ければ」

「なるほど」

 

 しかし、僕のお嬢様などはウエストの変化を僕に語るようなことは一切しない。ミリ単位の変化に対して、ひとりで喜んだり落ちこんだりしている姿をよく拝見する。そんなお嬢様もまた可愛らしい。

 なのでやっぱり、今も身体のラインを強調するように伸びをしている更識楯無さんはちょっぴり変わった子だと僕は判断した。

 

「うーん。どうにも反応が薄いなあ」

「あまり先生をからかわないようにね」

「むう」

 

 彼女のひととなりに関しては周囲の生徒達からよく聞くし、こうして直接話すのも初めてではないのでだいたい把握している。あくまで表面的なものにすぎないけれど。

 基本的に人をいじるのが好きなタイプの子なので、数少ない男である僕もその標的にされているのだろう。

 

「マーシュ先生、もしかして女性からの誘惑に慣れてます?」

「慣れてはいないけれど、そういう経験がなかったとは言わない」

「ワオ、大人ですねー」

 

 オーバーリアクションで感嘆したような声をあげる更識さん。発言がどこまで本気かわかりづらいのも彼女の特徴のひとつで、油断しているとあちらのペースに乗せられてしまいそうになる。

 

「ところで先生。部活動の方は順調ですか」

 

 そして、唐突な話題変更。

 けれど僕は、彼女が最後に必ずこの話を振ることを予想できていた。

 

「前に言った時と同じだよ。みんなが互いに助け合って勉強を重ねている。ちょっとコミュニケーションが苦手な子もいるけど、彼女も少しずつ場の雰囲気に慣れてきてるかな」

「そうですか。新しい部の創設なんて滅多にないから、うまくいっているようで安心しました」

「生徒会長の仕事も大変だね」

「いえいえ。自分が望んでやっているわけですから」

 

 誇らしげに胸を張りながら、彼女は左手に持つ扇子を勢いよく広げる。そこには、『完全無欠』と達筆で書かれていた。抱負か何かだろうか。

 

「君の妹さんも元気でやっているからね」

「……はい」

 

 僕と会った時、彼女はきまってISいじり部のことを尋ねてくる。

 最初に割とどうでもいい話で場を整えてから、何気ない感じを装って話題を切り出すのだ。

 そして僕が簪さんの話をすると、今みたいに顔が若干ほころぶ。

 普段考えが読めない彼女が唯一見せる、わかりやすい反応がそれだった。

 

「では先生。またお話ししましょう」

「うん。午後の授業もしっかりね」

「もちろんです」

 

 最強の生徒会長も、そういう部分はひとりのお姉さんなのだろうか。

 そんなことを考えながら、僕は2年の教室に戻る彼女の背中を見送った。

 

 

 

 

 

 

 IS学園での生活が始まって、ちょうど1ヶ月が経過した。

 そこそこ積極的にコミュニケーションをとった結果、生徒とも先生方ともそれなりに親睦を深めることができたと思う。

 特に、同じ1年生の担当で年齢も近いふたり――織斑千冬先生と山田真耶先生とは、職員室での席が近いということもあってよく会話する仲にまで進展した。

 そんな感じで迎えた土曜日の夜。明日は休日ということで、彼女達の行きつけのバーに連れて行ってもらった。

 マスターの男性がダンディな初老の方で、店内の落ち着いた雰囲気も僕好みだった。お酒もおいしくて、3人で談笑しながらどんどん飲んでいった結果。

 

「うー……お星さまがきれいれす~」

「ほら真耶、もう少し力を入れて背中につかまれ」

 

 一番若い山田先生が完全にできあがってしまい、駅まで向かう道は織斑先生がおぶっていくことになった。

 

「大丈夫ですか? 織斑先生」

「ええ。小柄な女ひとりくらいなら、問題ありません」

 

 彼女がしんどそうならば僕が代わろうと考えていたのだが、まったく重そうなそぶりを見せないのでそのまま任せることにした。本来ならば力仕事は男が率先してやるべきなのだが、山田先生もできれば自分の体を男に預けたくはないだろう。

 

「普段はこんなになるまで飲まないのですが、どうも話が弾んだせいで止め時を見失ってしまったらしい」

「楽しんでもらえたのなら、僕の昔話にも価値があったということでしょうね」

「私も真耶も、海外の文化にそう明るいわけではないですから。ヨーロッパの話などは、聞いていて面白かったです」

 

 時刻は午前0時にさしかかろうとしている。商店街にも人影はほとんど見当たらず、静かな時間が流れていた。

 

「また誘ってもらえるとうれしいです」

「こちらこそ。今度は彼女にも、飲みすぎないよう言いつけておきます」

「はは、そうですね」

 

 そこで会話が途切れて、互いに無言になる。

 決して居心地の悪いものではない。バーでたくさん話したから、単純に話題にしたいことがなくなっただけだ。

 それに、僕はともかく織斑先生は寡黙なタイプの人だろうし。

 

「うあー、ん~」

 

 山田先生のうめき声と、織斑先生のヒールがアスファルトを叩く音だけが響く。

 

「………」

 

 なんとなく。本当になんとなく、視線を上にずらした。

 雲ひとつない夜の空に、たくさんの星々が瞬いている。

 子供の頃は、こういう満天の星を見るのが大好きだった。夜になったら自分の部屋の窓を開けて、顔を突き出して上を向く。そんなことをよくやっていた気がする。

 いつからだったろうか。この吸いこまれるような景色を見なくなったのは――

 

「……マーシュ先生?」

「えっ?」

 

 織斑先生の声で、ふっと我に返る。

 いつの間にか僕の足は止まってしまっていて、数メートル先に進んだ彼女が怪訝な顔をこちらに向けていた。

 

「ああ、すみません。ちょっとぼーっとしちゃって」

 

 慌てて小走りで追いつき、軽く頭を下げる。そうしてまた、ふたりで歩き始める。

 

「ひとつ、尋ねてもよろしいでしょうか」

「なんですか」

 

 もう少しで駅というところで、織斑先生が口を開いた。

 

「マーシュ先生は、時々どこか遠くを見ている時があります」

「……そうですっけ」

「ええ。そしてそういった時、ほぼ例外なく……その、ひどく暗い顔をしている。ちょうど先ほどと同じように」

「よく見てますね」

「視力には自信があるので、勝手に見えてしまうんです」

 

 それって視力関係あるのだろうか、という疑問は置いておく。

……しかし、痛いところを突かれた。お酒がまわっている分、織斑先生も積極的に尋ねてきているのだろうか。

 

「何を、考えているんですか?」

「……たいしたことじゃないですよ」

 

 彼女の真っ直ぐな瞳を見ているうちに、自然と僕の口は動いてしまっていた。

 

「ただ、まぶしいなって思うだけです」

「まぶしい?」

「夢に向かって進んでいる子達の姿を見ていると、無性にそう感じるんです。みんな、本当に一生懸命だから」

 

 時々、どうにも感情のコントロールができなくなる時がある。

 

「僕も毎日一生懸命なのは事実です。だけど……」

 

 だけど。

 ……待て。

 僕は今、何を言おうとしている?

 

「すみません。独り言、長すぎました」

 

 すんでのところで、言葉の続きを断ち切ることができた。

 織斑先生の表情が一瞬歪んだが、それ以降何かを追求してくることはしないでくれた。

 その後は再び、言葉を交わすことなく駅まで歩き、電車に乗って学園まで帰った。

 今度の沈黙は、少し心地が悪かった。

 

 

 

 

 

 

 酒を飲むこと自体は好きだ。おいしいものは本当においしいし、楽しい気分になることもできるから。

 でも、ふとした拍子に心の均衡が崩れかけてしまうのは勘弁願いたい。

 寮に戻って先生ふたりと別れた僕は、そんなことを考えながら自分の部屋に向かっていた。

 

「あ、カズキ。帰ってきていましたのね」

「お嬢様」

 

 1階の廊下を歩いていると、前方にお嬢様の姿が。僕を見つけると、頬を緩ませながら近づいてきた。

 

「ちょうどよかったですわ。少し相談したいことがありますの。今からわたくしの部屋に……」

 

 ところが、僕の前に立ったお嬢様はなぜか途中で言葉を止めてしまった。表情もどんどん硬いものになっていく。

 まさか、僕が何か粗相をしてしまったのだろうか。身に覚えはないが、そうだとしたらすぐにフォローをしなければ。

 

「カズキ。何か嫌なことでもありましたの?」

 

 しかし、お嬢様の反応は僕の予想外のものだった。

 心の内を見抜かれたような気がして、本当に驚いた。

 

「嫌なことはありませんでした。ですが、なぜそのように思われたのでしょう」

「なんとなく、元気がなさそうな顔をしていたので」

 

 ここに来る前に、トイレの鏡でちゃんと表情チェックはしたつもりなんだけどなあ。

 自分が思っている以上に、僕は誤魔化すのが下手なのかもしれない。

 

「何か困ったことがあれば、いつでも言ってください」

 

 不意に両手を握られる。右手も左手も前に持ってこられて、お嬢様の小さな両手に包み込まれるような形になった。

 

「ありがとうございます。お嬢様はお優しい方ですね」

「主人として、使用人の悩みくらいは聞いてあげるのが義務ですから。ノブレス・オブリージュですわ」

「ご立派です」

 

 誇らしげに笑うお嬢様につられて、僕も少しだけ笑みがこぼれた。

 ……うん。もう大丈夫だ。本当にありがとうございます、セシリアお嬢様。

 

「私については心配はいりません。それより、先ほど何か相談がおありのご様子でしたが」

「ああ、そうでしたわ。すっかり忘れていました」

「織斑君がらみのことでしょうか」

「察しが早くて助かりますわ。早速ですが、わたくしの部屋に行きましょう」

「わかりました」

 

 お嬢様の後に続いて、廊下を歩いていく。

 今はこうして、ご主人様に精一杯仕えること、そしていい先生になることだけを考えていよう。

 それで十分、日々は楽しいのだから。

 




一応今回で第一章が終わりです。といっても次章以降もこんな感じのお話が続くわけですが……カズキというオリ主の人物像が、ここまでで大体描けていたらいいなーと思っています。
次回以降は転入組のキャラも登場します。まずはセカンド幼なじみのあの子からの予定です。
物語全体におけるヒロインについてはまだ秘密です。これまでの描写でなんとなく察せる部分もあるかもしれません。

オリ主ものを書くことが少ないためにいつも以上に経験不足が目立つ部分があると思います。が、精進していきたいと考えています。
感想等あれば、気軽に送ってもらえるとうれしいです。
では、次回もよろしくお願いします。


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