視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記 (缶頭)
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プロローグ

「我機関不調。母艦ト合流ス。後ヲ頼ム」

 真昼の熱い海に発光信号を瞬かせ、特設監視艇万寿丸は踵を返して北上していった。その背中

を遠くから眺める1人の艦娘と3人の船員妖精の眼には失望とも、怒りとも取れぬ表情が浮かび上

がる。

「あの、腐れ頭! またサボって手前だけ帰る気か! 何が機関不調だ」

 最初に我慢の限界に達したのは「エビ」こと艇長の阿部だった。特設監視艇第7光明丸の背部

艤装に設けられた船員妖精用見張り台から双眼鏡をのぞき込みつつ罵りまくった。万寿丸艇長の

赤ら顔を思い出しながら、今度舞鶴に帰ったらあのクソッ面に拳骨をお見舞いしてやる、と続け

る。その罵声を聞きながら、光明丸本人は気まずい思いをする。万寿丸本人――つまり、艦娘本

人――は取り立てて性格が悪いようには思えなかった。友人と言えるほど話し込んだことはない

が、その少ない経験によれば、掛けている眼鏡がよく似合う気弱な感じの艦娘だった。監視任務

中はしょっちゅうおどおどしていたものの、それは早く帰還したいがための手の込んだ演技では

なく、彼女自身の性格であろう。

「4回の哨戒任務で4度の機関不調か、大した船だよ。あれは」

 ため息混じりにこう言ったのは、エビの隣に立っている機関士兼通信士のツチガミ、本名土田

だ。

「その昔、臆病な兵士は馬と鞍の間に小石を挟んでわざと馬を怪我させ戦いから逃げたと言うが、

まさに生き写しじゃないかね」

 口ひげを撫でるいつもの癖と共に放たれた言葉の端々にはたっぷりと嘲笑が込められていた。

万寿丸とその船員は機関不調だとか舵が効かないとか言って、いつも1日早く任務を切り上げ1日

遅く任務に就く。最初の1度目は、誰もが万寿丸クルーの言う事を信じた。2度目になると半信半

疑。3度目には完全な疑いの目になった。そして今日、4度目の自称「機関不調」。これで疑いは

確信を通り過ぎて怒りに変わった。3度目の時点で万寿丸とその船員は爪弾きになりつつあった

のだから、今度帰ればどんな目に合うか分かった物ではない。だが自業自得だろう。

 何処でどう伝わったのか、3時間後には光明丸と万寿丸が属する第二監視艇隊の32隻の船全て

がこの勝手な撤退行を知るところとなっていた。誰もが怒り、罵り、呆れを隠さなかった。と同

時に心の何処かで、ごくわずかな、ほんの指先ほどの大きさの同情心も湧いた。誰だって死にた

くないのは同じだった。しかし万寿丸が、まさに死にたくがないために、自分以外の特設監視艇

に任務を押しつけた事を理解すると、かすかな同情心はたちまち消し飛んでしまった。

「母艦の興和丸と合流するなら交差針路は060です。万寿丸は310に進んでいる」

 この船の3番目にして最後の乗組員であるワタノキ、もとい渡貫航海士が、見張り台のすぐ下

にある船橋で海図に線を引きながら伝声管で上の二人に伝える。呆れ声がハッキリと分かった。

「方位310は本土へ一直線のルートです」

 ほとんど敵前逃亡と言っても良い万寿丸の持ち場放棄に3人はほとほと呆れを感じたが、すぐ

に頭を切り換えた。胸くその悪いことはすぐに水に流せる紳士だからではない。ここ数日強烈に

照りつける夏の太陽が、亜熱帯特有の熱い空気と混じり合って彼らから凄まじい勢いで思考力を

奪っていくためだった。

 光明丸はなおも任務を続ける。北緯24~26度、東経147度の南北に延びるライン。硫黄島から3

10海里ほど東に進んだこの「K」地点が、彼らの持ち場だった。現時点では29本存在する特設監

視艇の監視ラインのうち最南端かつ最西端に位置する「K」地点だが、これが最北端の「B」地点

だと北緯51~53度、東経163度とカムチャッカ半島の東になる。哨戒地点は暑いか寒いかのどち

らかだった。周囲360度何処を見渡しても青い空と海しか広がっていない大海原で未知の敵を待

ち続けるのは一見暇に見えるが、内心は常に焦りと苛立ちを感じるものだ。

 特設監視艇は敵を見つけ、味方に無電で知らせるのが任務だ。しかし敵――すなわち深海棲艦

――を見つけたという事は敵にも見つかるという事に他ならない。そして、漁船を改造しごく僅

かな武装を施したに過ぎない特設監視艇には、おおよそ戦闘力と呼べる物が無い。ひとたび敵艦

と交戦ともなれば勝つことはおろか生き延びることすら不可能に近かった。木造はおろか、鋼製

の船ですら艤装に敵弾が一発当たればそれでお仕舞いだった。逃げの一手を打とうにも、漁船の

最大速力などたかが知れている。足の速いクジラを追うために高速性が求められる捕鯨船がベー

スの船を入れてもなお、20ノットを上回る速力を出せる船は片手で数えられるほどだった。

 敵を見つける、それが特設監視艇の任務だ。しかし任務を達成した瞬間、特設監視艇の生命は

終わりを迎える。人間レーダー、生体ピケットと言う他無かった。元は遠洋トロール漁船の第7

光明丸がなぜこんな場所でその「生体ピケット」をしているのか?

 

 

話は遙か以前に遡る――。



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第1話

 純情だった阿部青年を変えたのは一人の艦娘との出会いだった。当時阿部は若狭湾で操業する

漁船に乗り込み、毎日くたくたになるまで働いていた。「いつかは自分の船を!」と夢を抱いて

始めた漁師生活だったが、現実問題、金は中々貯まらなかった。そこで彼は手っ取り早く稼ぐた

めと、技術を向上させるため遠洋漁船に乗り込もうかとの考えが浮かんだ。現実的利益は別にし

ても、やはり遠い南の海で魚を追う、というのにはある種のロマンを感じた。若い血潮は燃えて

いたのだ。

 漁船で働く傍ら、自分を載せてくれそうな船はないかと探し始めたその矢先、奴らは来た。ど

こからともなく現れた深海棲艦は海を荒らし回り、海に浮かぶ物を見れば軍艦だろうと漁船だろ

うと見境なく沈めた。連中との事実上の戦争状態になると、燃料費と海上保険の価格は高騰し、

軍も漁協も遠洋漁船にはいい顔をしなくなる。稼ぎに行くのは勝手だが万が一沈んでもらうと面

倒事になる、と言ってはばからなかった。あらゆる輸入品の値段は跳ね上がり、それで一儲けし

ようと企てた人々による連日連夜の大騒ぎが続いた。遠洋漁業は死んだのか?

 そうでもなかろう、というのが阿部が経済誌と首っ引きになりそろばんを弾いて出した結論だ

った。舶来品の多くがそうであるように、水産物の値段も上がっている。とりわけマグロやカツ

オは顕著だった。跳ね上がった経費を計算に入れても、それなりに利益が見込めそうだった。だ

が多くの漁師は、自分の命を投げ打ってまで大金を稼ぐ博打的、投機的な漁よりも、多少稼ぎが

減っても命の危険がない近場で安全な漁をすることを選んだ。その頃までには鎮守府近海にすら

深海棲艦が出現することが分かっていたからだ。実際、阿部の気持ちもそのころ新技術の発明が

あった養殖業にほとんど傾きかけていた。

 そんな彼の心をぐらつかせたのが艦娘との遭遇だった。ある日いつものように若狭湾で操業し

ていると、西の方から見たことのない形をした物が現れた。あれが噂に聞く深海棲艦か! と一

堂が慌てている内にそのシルエットはぐんぐん大きくなっていく。最早ここまで、と念仏すら唱

える船員まで出る始末だったが、どうも様子が違う。

 海を走っていたのは女性だった。巫女服のような格好をした茶髪の女性が、背中にゴツゴツし

た大砲やら何やらを背負ってゆったりとしたスピードで海面を滑るように進んでいた。両者は手

を伸ばせば触れるような距離で交差する。食い入るような船員達の目線に気がついたのか、彼女

はウィンクして右手を振り、そして去って行った。ほんの3分か4分か、出会いと呼ぶには短すぎ

るふれ合い。まさしく邂逅だった。彼女が艦娘と呼ばれる存在で、金剛という名前であることを

別の船に乗っていた友人ツチガミに教えて貰ったのはその2日後のことだった。海軍が演習をや

るとかなんとかで、ツチガミが機関士をやっていた船からは金剛始め数人の艦娘が見られたとい

う。「なんだね。エビも笑顔ひとつで惚れてしまうタイプの人間かね?」とツチガミに冗談を言

われたが、冗談どころかまさしく図星だった。惚れたのだ。本当に。それからというもの、エビ

は艦娘に関する本を求め、新聞記事を探し、ニュース映像を穴が開くほど見るようになった。海

軍の、というより艦娘に対する好奇心は好意へと変化を遂げ、いつしか立派な艦娘フリークにし

て艦娘後援者となっていた。ひいきの艦娘は無論戦艦金剛だった。艦娘に焦点を当てた軍事雑誌

が創刊されると聞くや毎号欠かさず購入し、彼女の写真が一枚あるだけで勝手に感動するのめり

込みようだった。極め付けにとうとうこんな考えまで起こすようになった。

 曰く「自分の船を持ったら名前は『金剛丸』にするぞ!」

 それからの数年はあっという間に過ぎ去った。青年から壮年へとさしかかりつつあったエビの

懸命な仕事が功を奏したのだろう、彼は歳と顔のしわが増えたのと引き替えに、口座に結構な金

額を貯め込むことに成功していた。ようやく自分の船を持つ日が来たのだ! 船だけ手に入れて

も船員が居なければ動かないが、嬉しいことに機関長を任せて給料を出すという条件でツチガミ

が名乗りを上げてくれた。当時ツチガミは乗り込んでいた漁船の船長と待遇で揉めていたそうで、

友人であるエビが船員を求めていると聞いてあっさりとその漁船を降りてしまった。

 エビの貯金から7割出し、残りの3割は漁協を通じて借金した。どんな船にするか色々悩んだ末、

やはり遠洋漁業のための船にすることに決めた。勇敢な、あるいは命知らずの先駆者達が己の血

肉と引き替えに、深海棲艦がさほど現れない安全な漁場を見つけ出しつつあったからだ。漁をす

る船が減ったぶん水産資源は豊かになっており、一山当てれば儲けは莫大だと言われていた。大

小様々な問題を解決した後、250総トンの鋼製遠洋トロール漁船「金剛丸」はとうとう彼の前に

姿を現した。エビにとって娘同然に大切な、いや娘そのものだった。なぜなら彼女は、船であり

ながら人でもある、いわゆる船娘であったからだ。墨のようにムラのない乾いた黒髪をショート

カットにした色の白い娘だった。切れの浅い子供のような瞳と少々薄すぎる唇は、エビを親バカ

にさせるに足る魅力を秘めていた。陸に上がっている時はエビと同居していたのだから親子であ

ると断言しても良かろう。

 この辺りの、艦娘や船娘の人間としての生活には色々面白い話もある。例えば金剛丸がエビの

ことを冗談ぶって「お父さん」などと呼んだ時には大変愉快なことになったのだが、それはまた

別の機会にでも記すことにして話を続けよう。

 試験航海を終え、漁網の手入れも済み、漁協経由で船員を集める目処も付いた。さあいよいよ

出港だと意気込んだまさにその時だった。ある日、ツチガミと共に昼飯を食っていると顔なじみ

の漁協職員と軍服を着た男とがエビを尋ねて来た。どうも海軍の人間らしいその軍人は金剛丸に

チラリと目をやるといきなりこう言った。

「本日付でこの船は海軍が徴用した。乗組員共々、以後軍の命令に従っていただく」

 事務的な口調でそう言うと同時に、ペラ紙一枚をエビに渡すのだった。紙には男が言ったこと

と大体同じようなことが書かれていて、どこぞの何とか言う偉い軍人の判が押してあった。近日

中にまた連絡するから、指定した日時に舞鶴港へ船を回航し舞鶴鎮守府に出頭せよ、と言って返

事も聞かずにその軍人は帰って行ってしまった。この時点でのエビの頭には、身勝手な徴用に対

する怒りや憤りは浮かんでいなかった。あまりにも突然の話で、疑問符の他には何も浮かび上が

っては来なかったのだ。ツチガミと漁協職員からの話を飲み込んで理解するには数時間の時を必

要とした。

 今度の戦もまた、海軍の船だけではとても足りないこと。そのため客船を改造して軍艦にした

り、貨物船を徴用して物資の運搬に当たらせたりしていること。外洋を航行できる遠洋漁船もま

た徴用され、例えば特設掃海艇という名前で機雷の除去を行ったり、特設監視艇という名前で本

土の哨戒と監視のための任務に就いていること。乗員となる軍人の不足と、その船のことは持ち

主が一番詳しいという理由から、元の船員妖精が軍属を与えられてそのまま乗組員になるケース

が多いこと。今回のような突然の徴用は他にも例があり、下手をすると家族と連絡が取れないま

ま深海棲艦に撃沈される場合すらあったこと。既に数百隻の民間船――上は豪華客船から下はハ

シケまで――が軍の管理下にあることなどなど……。

 ようやく話を飲み込んだエビはまず怒り、次に騒ぎ、最後には泣いた。その日、金剛丸はエビ

と共にツチガミの家に招かれ夕食をご馳走になったのだが、食後二人っきりになった時、エビは

金剛丸の目の前でおめおめと涙を流した。せっかく手に入れた船を、こんなに可愛い娘を、海軍

は差し出せと言う。他人の娘をさらったら誘拐だ。なのに他人の船をさらうのは許されるのか。

こんな馬鹿げた話があるか、と……。結構な酒が入っていた。が、泣き上戸の戯言と笑って済ま

せることは出来なかった。金剛丸はエビをつまみあげると(念のために書いておくが、二人は船

娘と妖精である。体は金剛丸の方が数十倍は大きい! 今後も二人の体格差についてはご理解願

いたい)彼が寝込んでしまうまで抱きしめ続けた。

 結局、エビはこの話に従う他無かった。軍隊の命令を無視すれば、経帷子とは言わずとも囚人

服を着ることになるやも知れない。それに、ツチガミ達の話が正しければこのまま金剛丸の乗組

員でいられるらしい。どこぞの馬の骨に娘を触らせるくらいなら自分がその手綱を握った方がマ

シだ。乗り込む予定だった船員はツチガミ以外皆船から降ろしてしまった。彼らとは正式に契約

した訳でもないし、こんな事にまで付き合わせる気もしなかったからだ。そうこうしている内に

出発予定日は迫り、エビ、ツチガミ、金剛丸の3人は敦賀港を出発、舞鶴へ向けて気の重い航海

を始めた。ドンドン小さくなる桟橋をおぼろげに見つめるエビの胸中は筆舌に尽くしがたい。

 エビの横顔を見たツチガミに、はて、奴は俺と同年代ではなかったかな? との疑問が頭に浮

かんだ。エビはそれほどやつれた顔をしていたのだ。

 

 舞鶴鎮守府に出頭してエビがまず驚いたのは軍人だらけと言う事だ。当たり前と言えば当たり

前で、こんな事を口に出せばツチガミに嫌みの一つくらい言われるのを覚悟しなければならない

が、しかし軍事施設に入ることなど初めてなのだから仕方がない。ガンガンとうるさい音がする

のは海軍工廠か、バンバンと砲声がするのは艦娘達が射撃訓練でもしているのか、あそこで歩い

ているのは雑誌で何度も見た巡洋艦娘、こっちでくつろいでいるのはかの有名な空母艦娘だ、な

どと観光客のように目をあちこちに向けていると、自分たちと同じように徴用されたらしい船娘

とその乗組員達に出会った。

 金剛丸の一団を併せて4,5組くらいだっただろうか、彼らは「徴用の詳細について説明する」

とだけぶっきらぼうに言われると小さな講堂に押し込められた。右も左も分からないまま着席し

待つこと数分。「秘書艦」という腕章を付けた齢20くらいの女性が入室し、昨今の海軍事情と任

務の重要性について説明し始めた。今回徴用された漁船は小改装の後特設監視艇として運用され

る。3個ある監視艇隊のうち第二監視艇隊に編入され、母艦である特設砲艦興和丸の指揮の下太

平洋上に進出。監視と哨戒に当たるという。一度の監視任務は6~10日間の母港での待機・整

備・休養と15~20日間の哨戒活動からなり、3個の監視艇隊のうちいずれかは常に洋上で任務に

就いているのだそうだ。

 大淀と名乗る女性のその話しぶりは上品な割に言葉言葉に力が込められており、あれほど嫌が

っていたエビの胸にも使命感や責任、勇気を多少は湧かせる効果があった。が、ツチガミの「騙

されるなよ。本当に『一刻を争う危機』ならこの鎮守府の艦娘は一人残らず出撃していなきゃお

かしいだろう」とか「国家存亡の分水嶺などと言うが、それをどうにかするのが海軍の仕事じゃ

ないのか」などという耳打ちで気持ちもすぼんでしまった。4,50分も話していただろうか。ガチ

ャリと講堂のドアが開き、ボリュームの多い桃色の髪をした女性――彼女も艦娘なのだろう――

が入ってきて壇上の大淀と一言二言話した。大淀は頷くと、船員達の方に向き直った。

「それでは、提督からのお言葉があるので各船の船長は私に付いてきてください。船娘の皆さん

はこちらの明石とご一緒して工廠へお願いします」

 のそのそ付いて行き、鎮守府の巨大な建物の中を右へ左へと進んでいく。時々艦娘とすれ違っ

たが、彼女らは皆こちらに挨拶をしてくれる。マナーのある娘達だ、と感心している内に提督の

執務室らしき部屋の前に付いた。巨大な木製の扉は手入れが行き届き艶が出ている。黄銅色に光

るドアノブは顔が写りそうなくらい磨き上げられていた。大淀は船長達を待たせ、ドアをノック

して先に自分一人入室する。船長達を連れてきたことを報告するとすぐにドアが開け、彼らを招

き入れた。

 この提督、随分若いな、というのが第一印象だった。彼の指一本で死地に向かわせられること

を考えると言いようのない息苦しさを感じる。とはいえここでの「お言葉」は、まあ大したこと

は言われなかった。ツチガミが言うところの「校長先生のお話」レベルの事であって、大して心

を奮い立たせるような物ではなかった。「君たちはもはや船長ではなく艇長だ」という言葉には

ドキリとする物が無いでは無かったが、そのくらいのものである。

 それより大問題はこの後であった。提督の話が終わってでは退出というところで、ドタドタと

こちらへ向かってくる足音が室内に響いた。ドアが勢いよく開かれると同時に「戦果Resultがあ

がったヨー!」の叫び。声の主を見たエビの体には電気が走った。戦艦金剛! なんと因果な巡

り合わせもあった物だ、と思いをはせるよりも先に興奮と感動が起きた。本物の金剛が俺の目の

前にいる! 数年前に会った時と変わらぬ姿で! 心臓が跳ね上がるほど驚いたエビだが、次の

瞬間全く逆方向に驚くこととなる。金剛は背中に艤装を背負ったまま提督に飛びつくと、首に腕

を回し「私の活躍見てくれた?」と言うのである。大淀の叱責が飛び、次いで提督が金剛の腕を

引きはがしつつ立ち上がった。ポカンとしたまま立ち尽くす船員達をよそに、金剛はなおも提督

に抱きつこうとあれこれ試みている。 その姿を眺めながら、エビは心の中で何かが音を立てて

崩れていくのを感じた。崖から突き落とされたような、という表現では生ぬるい。一度殺されて

から生き返り、再び死の恐怖を味遭わねばならない人間、あるいは半生に及ぶ苦労の末に開墾し

た土地が実は他人の物だと知った老人のような、凄惨という言葉では足りぬ感情。自らのアイデ

ンティティーの基礎となる理屈が完膚無きまでに砕かれるのを見せつけられる拷問。それら言葉

にし得る一切の苦痛がエビを襲い、頭を締め上げた。「金剛さん!」と大淀の二度目の叱責。そ

れでようやく諦めた金剛はふくれっ面をすると、怒られた子供が言うのと同じトーンで「大淀は

話の分からない人デース」と振り返る。そこで彼女の視界に映ったのは、大淀の足下にいる妖精

達。半ば死にかけの目線で目の前に起きた現実を見るエビと目が合った金剛は、新しいおもちゃ

を見つけたとばかりに彼を抱きかかえ「妖精さん、こんにちはデース!」と挨拶するのだった。

 それから後のことをエビは覚えていない。ただ、艦娘金剛に対する永遠に修正不可能な心象が

我が身に刻み込まれてしまったことだけは、今でもハッキリと覚えている。



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第2話

 ある人や物をあまりにも好きすぎたために、一度嫌いになると恐ろしいまでに嫌悪する。古人

曰く「可愛さ余って憎さ百倍」というが、エビにとっての金剛がまさしくそれであった。

 まともな人間なら、あんな清楚も品もない振る舞いを人前でするだろうか? やれ国の守りだ、

やれ海上交通路防衛の要だと言って、ままごとのつもりでやっているのではないか? 民間船を

駆り出しているのも、実は自分たちには海を守る意思も能力も欠けているからではないのか? 

こんな具合に、エビは思いつく限りのあらゆる罵倒を心の中で何度も反芻した。高速戦艦などと

気取って、その実ただの尻軽ではないか! などという、数時間前の彼が聞いたら殴りかかりそ

うな事まで思いついては飲み込むことを繰り返した。大淀の「金剛さんはいつもあんな様子で」

というフォローは逆効果だった。いつもあんな様子! だとすれば艦娘というのは随分気の抜け

た生き物だ! 「あんなの」に艦娘がつとまるというのなら、うちの金剛丸の方が……との考え

が頭に浮かぶと同時に、エビは脊髄を貫くようなしびれを感じた。

 そう、金剛丸は「あの」金剛から名前を付けた船だ。軍艦金剛を始め艦娘を否定することは、

自分のこの数年間の生活と目に入れても痛くない愛娘の存在を否定することにも繋がる。しかし

今更、もう一度艦娘を好きになれというのは、エビには到底無理な要求だった。艦娘の写真が大

量に載せられた雑誌を喜んで買っていた自分が阿呆に見えて仕方なかった。百年の恋も冷める、

とはこの事を言うのだろうか。「ほんの5分会っただけである人物の人格を判断することは出来

ない」とか「性格の良し悪しと仕事を果たしているかどうかとは別問題だ」などと言ってエビを

批判することはたやすい。実にたやすい。彼が見たのは金剛という艦娘のごくごく限られた一面

しかでしかないことは否定できない。勝手に一目惚れしておいて、いざ実際似合うと「期待を裏

切られた」などと言うのはおこがましい、と言う事すら出来よう。しかしエビを弁護するならば、

彼が持っている全ての書籍や雑誌には、艦娘とは清楚で慎ましく、優雅で繊細、「立てば芍薬座

れば牡丹歩く姿は百合の花」のことわざを体現したかのよう――などと書かれていたのであって、

提督に飛びついて犬のようにじゃれます、などとは決して書かれていなかった。

 その後、巨大な食堂に通されて船員全員に昼食が振る舞われた。他の船員が美味い美味いと喜

んで頬張るのをよそに、エビは箸を握ることすらしなかった。香ばしいハンバーグステーキが泥

団子に見える。あまりの様子に心配したツチガミに、何度も問われてようやく、エビは執務室で

あったことの一切合切を話し始めた。ツチガミはいつもの調子で「可憐な映画女優もスクリーン

の裏では何をしているか分からない物だ。良い勉強になったじゃないか」と皮肉を言いかけて、

麦茶とともに飲み込んだ。そこまでゲスな人間ではない。ツチガミが食堂にチラリと目をやると、

自分たちのように食事を取っている妖精とは仕切られた場所で――何分体の大きさが全く違うの

で、椅子もテーブルも別にこさえてある――艦娘達も昼食を食べていた。何人かは確かに品のあ

る姿で箸を口に運んでいたが、大半の艦娘は女学生と同じ、つまりごく普通の、別段清楚でもな

ければはしたなくもない様子でお喋りしながら食事していた。

 要するに主観の問題である。艦娘をアイドルのように考えていたエビは失望し、大砲を担いだ

女学生に過ぎないと考えていたツチガミはどうとも思わない。それだけだった。

 食事が終わると一服する間もなく宿舎へと案内される。宿舎と言っても鎮守府の外にある集合

住宅を海軍が幾つかまとめて借り上げた物で、金剛丸の船員が行くように指示されたそれはだい

ぶ年季の入った建物だった。ツチガミ曰く「木賃宿レベル」の代物である。食費も家賃も海軍持

ちで、それどころか給料まで出るという実にうまい話だった。が、騙されはしない。本来のトロ

ール漁船として漁をしていればその数倍の金額を稼ぐ事だって出来たのだ。それでいて、命の危

険がある航海になる点については両者とも何ら変わらない。「使い捨て」であると思われないよ

うにしたいのか、乗り込むことになる船員は皆噂通り軍属として待遇されるらしい。その点に関

しては評価しないではないが、死んだ後になって手当てや勲章を贈られたところで本人は浮かば

れない。死人に対してそれ以上の何が出来るかといえば難しいところではあるが。

 段板を踏む度に不気味に軋む階段を上って3階へ。割り当てられた部屋に入ってみると意外に

も建物の外観ほどには古びれていない。対して広くはないが、まあ3人が足を伸ばして眠るには

十分だろう。3人。そう言えば金剛丸は今何をしているのだろうか。朝に別れてから全く音沙汰

無い。船員に関しては今日のお勤めは終わりとのことで、明日朝また来いとだけ言われていた。

が、船娘は一体? 新兵教育でも受けているのだろうか。

 蒸し暑い部屋に外気を入れるためにエビは窓に手を掛ける。がたついて動きが渋い窓を苦労し

て開けると、その向こうには舞鶴港が見える。自動車や、船娘や、時には艦娘達が行ったり来た

りを続けていた。エビは自分でも驚くほど長い間港の様子を眺め続けていた。奴さん随分痛めつ

けられたみたいだな。そこまで酷かったのか――備え付けの座布団を押し入れから取り出しなが

ら、ツチガミは心の中で呟いた。

 

 

 一夜明けて、エビの心もだいぶまとまった。彼の艦娘に対する印象は決定的なまでに悪化し、

もはやちょっとやそっとでは直せそうになかった。その勢いのままツチガミの「手続き一つにも

金が掛かるんだぞ」という制止も聞かず、電報を2通送った。一つは地元の漁協宛に、曰く「

『金剛丸』ハ本日ヨリ船名ヲ『第7光明丸』ト変更ス。変更手続キヲ乞ウ。我海軍ニ徴用サレ窓

口ニ向カウコト能ワズ」。もう一つは地元の友人宛。「我ガ家ノ本棚ニアル『艦娘月報』全41冊

ヲ焼イテ灰ニサレタシ。モハヤ不要ナリ」。

 後者はともかくとして、前者の勝手な船名変更のせいで海軍に睨まれることを始め面倒くさい

ことが色々起きたが、一番困ったのは金剛丸本人に伝えることだ。昨日から艤装は海軍工廠で改

装されている。金剛丸、もとい光明丸は船娘から艦娘へと変化を遂げるための基礎的知識を頭に

詰め込まれるように教えられていた。まさか「本物」の金剛に幻滅したので名前を変えます、と

も言えまい。しかし「父親」に似ず妙に聡明なところのあるこの娘はちょっとした嘘など見抜い

てしまうだろう。その日の昼食は3人で取ることが出来たが、前もってツチガミは光明丸を一人

呼び出すことに成功した。本人を前にすると流石のツチガミもいつもの皮肉がでなくなる。あれ

これ考えた末に、海の上で任務に就いた時の事を考えれば揉め事や喧嘩を引き起こす種となる要

素は減らすべきである、と判断した。正直に話す他無に是非も無し、出来るだけ言葉を選んで伝

えた。

 光明丸は「そうですか……」と落ち込むような声で、しかし顔には表情を出さず返事をした。

質問も反論も無し。それで終わってしまった。ツチガミにはその態度が逆に不気味に思えた。良

い子過ぎる必要はないのだが。昼食の席で、エビは丸一日ぶりに金剛丸、もとい光明丸を見るこ

とになった。「良いものを食べさせて貰っているか」「どんなところに寝泊まりしているのだ」

と彼女を質問攻めにし、食事は量も質も大変優れていること、艦娘と同じ待遇を受け広く綺麗な

部屋で徴用された他の船娘と共に寝起きしていることなど概ね満足する回答が得られると僅かに

眼を細めて自分のことのように喜んだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはよく言うが、流石に娘ま

で恨むようなことはないらしい。エビが昨日とは打って変わって勢いよく箸を進めていることと

合わせ、ツチガミはようやく胸をなで下ろすことが出来た。

 昼からはまた別行動、狭い会議室に連れ込まれ光明丸へ乗り込む軍人、渡貫航海士と顔合わせ

をすることになった。特設監視艇へと改装された漁船は、海軍籍に入れられた時点で成りは小さ

くとも海軍のフネとなる。元の船員を軍属としてそっくりそのまま船を操らせるとしても、命令

や意思決定は軍人が乗り込んで行う、という決まりになっていた。ただし、折りからの戦況芳し

くなく、慢性的な人不足――正確には妖精不足――が続くこと甚だしいため実際には兵装や電探

の操作に当たる軍人が少数乗り込むだけだった。

 これにしても、艦娘は自分でその主砲を発射する事が可能であり、加えて特設監視艇は戦闘が

主任務ではないから、ほんの一人二人が乗り込むだけだった。光明丸の場合も、結局乗り込む妖

精は軍属2人に軍人1人の3人だけだった。

「渡貫です、よろしく」

 若い、20そこそこくらいの青年はエビに握手を求める。割合に真面目そうだが、いやいやこう

いう妖精こそ心の中では何を考えているか分からないに違いないぞ、とエビは勝手に警戒してい

た。

「よろしく。早速で悪いがあんたをあだ名で呼んで言いかね? 堅苦しいのは無しで行こうや」

「べつに構いませんが」

 とりあえず、妙案でてくるまで名字をもじったワタノキと呼ぶことに決めた。この「あだ名の

儀式」はエビが良くやる人を判断するテクニックだった。嫌がる者、ノって来る者、無関心な者

など反応次第で大体の性格を掴もうという訳だ。エビはワタノキを割とノンキな性格ではない

か? と見込んだ。

 ワタノキから書類を渡され目を通す。太平洋が書かれた地図に何本もの線が上下、つまり南北

方向に走っていた。それこそが監視ラインだという。東西に渡り数千キロにも及ぶ監視網だが、

監視艇隊は全部で3つ。全ての船を合わせても100隻といったところだ。全ての船が同時に監視任

務に就いている訳ではないから、海の上にいる船の実数はさらに減る。これでは到底カバーしき

れない。であるからこそ光明丸も徴用されたのだ。国中の漁船を片っ端からかき集めている割に

は監視艇の数が少ないじゃないか、とは質問しなかった。大量に徴用され、大量に沈められてい

る。それが特設監視艇の実態だった。

「えーっと、3,4日後には艤装の改装が終わるそうです。試験が済み次第哨戒任務に出発するの

だとか」

 書類を読みながらワタノキはそう言った。彼にとっても寝耳に水なのか、信じられないといっ

た口ぶりだった。

「早いな。海軍はよほど余裕がないと見える」

 ツチガミの皮肉に、ワタノキは生真面目に返答した。

「ここだけの話ですが、つい最近海軍の精鋭たちと深海棲艦の大艦隊とが派手にやりあったそう

です。両者痛み分け、どころか下手をすればこちらの負けらしい。長門・陸奥と言った主力艦が

即日ドック送りになっていましたから。海軍は発表してませんが数隻の艦娘が海の藻屑になった

とも」

「おいおい。あんた、そんな事喋っちまっていいのか」

 エビが割り込んで話を中断させた。どうも聞いて良いような話とは思えない。

「一応箝口令が敷かれてはいますが、鎮守府内では公然の秘密として話されてますよ。食堂に出

入りする業者だって知ってるに違いない。で、ここからが肝心なんですが、海軍はその敵艦隊の

生き残りを撃滅するのだとか言って血眼になっているともっぱらの噂なんです」

「それで特設監視艇か」

 ため息混じりにツチガミが言った。「あくまで噂ですがね」とワタノキは繰り返したが、海軍

のやりそうな事じゃないか――とツチガミは思う。おおよそ一切の権力・強制・支配を嫌い、自

由と自律を愛するツチガミにとって軍隊(ご存じのとおり、お役所の一つである)は宿敵と言っ

ても良かった。彼のアナーキー的意識と軍隊機構とは水と油で混じり合うことはない。それがま

た彼の皮肉の言葉を辛辣な物にしていた。

 ではなぜ光明丸が徴用された際に下船しなかったのかと言えば、ひとつには次の働き口、しか

も気持ちよく働けるような船が見つかるかどうか定かではなかったこともあるが、それ以上にエ

ビと光明丸の父娘を放っておけないというのが大きかった。仲むつまじい彼らをみすみす嫌いな

軍事官僚達に使い潰させるのを黙って見ていることは彼の良心が許さなかった。

「一将功成りて万骨枯る、だ。せいぜい我々の血がしたたる勲章を受け取って喜ぶが良い」

 エビは黙ってそれを聞く。昨日会ったあの若い提督が野心と出世欲に取り付かれている姿を想

像してみるが、どうにも締まらない。本当に野心があるなら万が一にも腹の外に本音を出したり

はしないだろうが。その後はワタノキも入れた3人で別室に移り、昨日会った船員達と共に講堂

で4時間の集中講義を受けた。宿舎に帰って寝る。起きて鎮守府へ行き、講義と実習。飯を食っ

て宿舎に帰る。この繰り返しであっという間に4日が過ぎ、あれやこれやと慌ただしくしている

間に出撃が決まった。

 舞鶴港に再び現れた第7光明丸は船娘から艦娘へ、トロール漁船から特設監視艇へとその姿を

変えていた。新しい衣服と改装された艤装に身を包んだ彼女は、見てくれだけは軍艦のようにな

っている。同じように改装を受けた他の元船娘達も、銘々が武器を手に持ち凛々しい姿をして日

の光を浴びていた。桟橋に整列した第二特設監視艇隊の艦娘約30名がずらりと並ぶと、小船だら

けと言えどなかなかに迫力があった。この中で何隻が生きて再び舞鶴へと帰ることが出来るのか、

エビには予想も付かなかった。

「予定通り0830を以て第二監視艇隊は出撃、太平洋上にて監視任務を行って下さい。ご武運を」

 大淀が叫び、敬礼してみせる。艦娘と乗員の妖精も同じようにして返礼する。光明丸もエビも

右に同じ。ワタノキは軍人だけあって流石にポーズが決まっている。この手の行為が嫌いなツチ

ガミはただ一人腕を組んだまま突っ立っていた。大淀以外誰の見送りもない寂しい出撃だ。別に

軍楽隊の演奏と共に見送れと言う訳ではないが、声援の一つくらい求めても罰は当たらないだろ

うに。送ってくれるのは気ままに散歩をしている猫だけなのか。そんな事を考えながらエビは光

明丸の背部艤装、備え付けられた船橋部に我が身を押し込んだ。母艦の特設砲艦興和丸を先頭に

して一隻また一隻と出港していく。

 港から出るとすぐ、海鳥の大群が空を覆った。100羽や200羽くらいはいるだろうか。とても数

え切れない数だ。東の空から西の空へ、一団となって飛んでいく。その姿が自分たちと妙にダブ

って見え、エビは思わず声を上げて笑ってしまった。光明丸の機関は一段と唸りを高くし、その

体を前へ前へと押し出していった。朝日が彼女の艤装に照りつけ、新たに塗られた塗装をきらめ

かせる。我々を気に掛けてくれるのは猫と海鳥ばかり。だが、これも案外悪くないでかもしれん

な。ギャアギャアと鳴き声を上げつつ、鳥たちはしばらくの間艦娘の上を飛び回っていた。

 ここまでが、今から3ヶ月半ほど前の話だ。



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第3話

 万寿丸の逃走疑惑から一夜明けて監視任務最後の日が来た。正午まで何もなければ本土に帰還

でき、4度目の任務完了となる。腕時計をチラチラ見るエビだが、針の進みは遅い。既に日は高

く登り、熱い空気が周囲一帯を覆っている。雲はなく、波は穏やか。敵を見つけるにしても敵か

ら見つけられるにしても絶好の状況だった。見渡す限りでは平和で平穏な海である。もっとも、

周囲数百キロのどこかでは深海棲艦が目を血走らせて獲物を探しているのだろうが。

 エビは双眼鏡による監視を交代するために見張り台からはしごを伝って降り、船橋のドアを開

けた。片隅ではワタノキが海図台の前に立ち、その反対側ではツチガミが通信機に耳を傾けてい

る。エビがツチガミに声を掛けようとした瞬間、突然ツチガミが飛び上がり、目を大きく見開い

て紙とペンを探した。

「高峰丸からだ! 『我、敵ト交戦中』」

 エビとワタノキは心臓が跳ね上がるほど驚き、光明丸も首をひねってツチガミの言葉に聞き入

った。それはおおよそ考え得る最悪の通信内容だった。多くの特設監視艇が「救援求ム」とか

「敵艦見ユ」という電文を最後に消息不明になっていた。消息不明と言えばミステリアスだが、

撃沈された形跡――艤装や、燃料や、救助を求める船員――すらなく消え去っているからそうと

しか記録に書けないのだ。小船が沈む時はあっという間だ。駆けつけた時には艦娘も船員も水底、

という事態が続出していた。

「お隣か、助けに行くぞ! 機関全速! ワタノキ、方位は?」

「方位090、真南です。28キロしか離れていませんよ」

 緯度1度当たり4隻の船が収まるように監視ラインは構築されている。つまり約28キロに一隻の

間隔というわけだ。地図に表せば監視艇を示す点が経線に沿って数珠のように並んでいるはずだ。

「よし、高峰丸に打電。『我急行ス。全速デ方位360ニ退避セヨ』だ。光明丸! 聞こえたな!

「急ぎます、しっかり捕まってください!」

 光明丸はそう言うと方向転換を開始した。エンジン出力を上げ、スケート選手のように体を傾

けながら右旋回を始める。艤装の煙突から煙を吹き出しつつ、猛然と加速を開始。同時に兵装の

確認をする。特設監視艇はあくまで哨戒・監視が目的だが、深海棲艦は戦う船を選り好みしない。

当初は武装らしい武装がまるで無かった特設監視艇も、戦訓により重武装化が進んでいる。敵の

攻撃から生き残るために、この光明丸にも5つの武器が搭載されている。

 背部艤装の左右に取り付けられたアームの内、右側から突き出た47ミリ速射砲がひとつ目の武

器だ。弾道特性が良く、凪いでさえいればそれなりに命中が期待できる。装甲がないに等しい潜

水艦や駆逐艦なら、当たり所によってはダメージも期待できよう。が、あくまで自衛火砲であっ

て積極的に敵に打撃を与える武器ではない。この速射砲、もとは陸軍の対戦車砲だそうだ。何で

こんなものを海軍の船に積んでいるのかはよく知らない。聞く所に寄れば、徴用した小型船舶に

装備させるためと言ってこの手の小型火砲を陸軍に頼み込んで多数融通してもらっているのだそ

うだ。光明丸のような小船には海軍の改装艦艇御用達となっている旧式8センチ砲ですら持て余

す。何せ2.6トンもの重量があるのだ。

 左のアームには、3つ取り付けられた13ミリ機銃。これが二つ目の武器。対空用だが、こちら

も積極的撃墜を目指すより威嚇や照準の妨害が主目的だ。この武器に関しては少々説明がいるだ

ろう。元は7.7ミリ機銃が一丁だけを搭載していた。しかし3度目の哨戒任務に出撃する前に25ミ

リ機銃に換装される話が持ち上がって、実際交換の後に海上で試し打ちをしてみることになった。

海軍の士官が一人同乗していたのだが、こいつがとんでもない奴だった。

 この25ミリ機銃とやらが如何に優れていて、素晴らしく、何処にどんな部品が使われているか、

実戦ではどのように使われるか、3連装機銃の正しい使い方はこうで、大抵の艦娘は使い方を間

違っている、などと聞いてもいないのにベラベラ説明し出す始末だった。最初は黙って聞いてい

たエビも、この士官が実戦に出たことがないと分かるや否や堪忍袋の緒が切れた。なんとその士

官を光明丸から蹴り落としてしまったのである。発覚すれば大問題だった。が、ツチガミもワタ

ノキも、光明丸までもが口裏を合わせれば4対1である。彼は「思わず船が揺れ」たために落水し

たことになり、ずぶ濡れのまま泣き寝入りする他無かった。

 結局その25ミリ機銃は「試験中に不発を起こした」と嘘をついて工廠送りにし、代わりに13ミ

リ機銃を2丁頂戴したという訳。ではなぜ3丁持っているか? これは沈められた船から剥いでき

た形見であり戦利品である。3度目の哨戒任務の時、今の高峰丸と同じように第3国富丸という船

が敵航空機の襲撃を受けていると助けを求めてきた。駆けつけた光明丸達の目に映ったのは、爆

撃で吹き飛ばされ機銃掃射で穴だらけにされた艤装と艦娘、そして船員妖精だった。半分沈み掛

けた第3国富丸に生存者はなく、とりわけ船員は一人しか確認できなかった。あと数人は乗って

いるはずだが、彼らが既に海中に没しているのか、それとも銃爆撃で文字通り「消えて無くなっ

た」のかについて、光明丸は考えたくもなかった。一人だけ残った船員にしても、機銃弾をもろ

に受けたのか体が半分無くなっていた。水面には艤装の破片と、油とも血とも分からぬ赤黒い液

体が大量に浮かんでいる。堪えようもない嘔吐感を気力だけで堪え、せめて形見にと船員と国富

丸の毛髪を切り取り、奇跡的に無傷だった13ミリ機銃を回収したのだ。

 話を戻そう。

 光明丸の第3の武器。それは艤装の後端に取り付けられた4つの爆雷だ。発射機などと言う洒落

た物が無いので艦尾からドボドボと落とすことしかできないが、駆逐艦や海防艦が装備する物と

全く同等であるから威力は折り紙付きである。もっとも、光明丸には聴音機も探信儀も取り付け

られていない故、やはり威嚇がその目的となる。

 4つめの武器は速度だ。「漁船にしては」という断りが付くが、光明丸は速い。漁船に似合わ

ぬ高出力の船舶用ディーゼルを搭載しているからだ。南方の漁場へ出かけて漁をするのが当初の

トロール船としての目的だったが、なにせ深海棲艦が跋扈する海だ。漁場への行き帰りは出来る

だけ速く済ませたいし、万が一鉢合わせした時に少しでも逃げやすく――最も数の多い駆逐艦ク

ラスの深海棲艦でさえ30ノットを超える速度のため「逃げやすく」はあり得ても「逃げる」は不

可能だった――するにも速度は欲しい。

 待望の船が金剛丸として引き渡された翌日、エビとツチガミは早速若狭湾へと乗り出した。速

度試験と洒落込み機関全速で朝早い海を疾走した時のことは今でも覚えている。金剛丸のつま先

からは白波が立ち上り、艤装はギシギシと嫌な音を立てる。風で服ははためき、機関が吠える。

ほとんどイルカのように海面を飛び跳ねながら進む彼女は、手元の速度計を信用するなら23.8ノ

ットの速度が出ていた。漁船としては驚くほど速い。まだまだこんな物ではないぞ、とツチガミ

はすっかりいい気になっていた。過負荷まで回せば27ノットは出るはずだ、と言う。買ったばか

りの船の機関を痛めるような真似はしたくなかったため、エビは「まあ話半分だな」と言ってそ

れ以上の試験は行わなかったが、彼もまた内心小躍りしていた。帰港する頃には「扶桑・山城が

ごとき旧式戦艦など敵ではないぞ」などと少々ピントのずれた自信ぶりを繰り返し口にしてはツ

チガミに呆れられていた。今考えると、何故排水量が100倍は違う船と速度を比べて喜んでいた

のだろうか?

 それはそれとして、最後の武器、船員の説明をしなければならない。人生の半分は海の上で過

ごしている男、いまや船長ではなく艇長となったエビ。気性は荒いが船乗りとしての肝っ玉は本

物である。加えてつい数ヶ月前まで艦娘マニア、と言って悪ければ強烈なファンであったため、

艦船や兵器に関する多少の知識がある。自由と自律とを愛するアナーキスト、ツチガミ。何かと

ストイックな皮肉屋だが、光明丸とエビがむざむざ徴用されるのを見捨てておけず自分も付いて

きた情け深い男だ。彼の冷笑的洞察力が、光明丸や監視艇隊が置かれている状況を理解しやすく

することもあろう。航海士ワタノキ。臨時のあだ名がすっかり定着してしまった彼は光明丸唯一

の軍人だ。彼の持つ航海士としての専門知識は海の上で迷子にならないために、どこからか仕入

れてくる噂は巨大組織である海軍に押しつぶされないよう立ち回るために、どちらも欠く事が出

来ない貴重なものだ。そして最後の最後に光明丸。艦娘として僅かばかりの訓練を受けただけの

彼女だが、それでも4度目の哨戒任務を成功させつつあった。船員の命が彼女自身の一挙一動に

掛かっているというプレッシャーに耐えながらも、愚痴の一つも言わない心の強さを見せている。

 クルーと艦娘との一致団結こそ、最も強力な武器であり、最も養うのに時間がかかる武器でも

あり、ひとたび真価を発揮すれば値千金となる武器だった。これが特設監視艇第7光明丸である。

優雅さも力強さも持ち合わせていない船。子供達にも軍艦マニアにも名が知られていない船。ニ

ュースに取り上げられることも映画になることも無い船。気ままに徴用され使い捨て同然にすり

潰される船。あらゆる統計に「その他」としてカウントされる船。人知れず任務を遂行し、人知

れず沈められる船。それが特設監視艇だ。とはいえ、この特設監視艇もまた艦娘である事も確か

だ。彼女と、乗り込んでいる船員妖精は何時の日かまた漁船に戻り漁を行う日を夢見て、血を吐

きながら危険な監視任務を今日も続けているのだ。

 

 

 高峰丸は浮上した敵潜水艦から砲撃を受けているようだった。身を隠してこそ意義のある潜水

艦が浮上砲戦を挑むなどとは、よほど特設監視艇をバカにしているのか、それとも魚雷がもった

いないのか。恐らく両方だろう。逃げ惑う高峰丸から付かず離れず、6~700メートルという至近

距離から好き放題に砲撃を続けている。既に被弾して戦闘能力を失っているのか、高峰丸からの

反撃が無い。

「目標11時方向、距離3キロ! 潜水カ級と思われる!」

 双眼鏡をのぞき込む光明丸が習ったとおりに敵船を報告する。光明丸の背部艤装に設けられた、

彼女より頭二つ高い位置にある見張り台で前方を睨んでいたエビとツチガミはそれを聞いて顔を

見合わせた。

「助けに来たのはいいが、勝ち目はあるんだろうな」

「任せとけ! 進路そのままァ! 敵の鼻っ柱向けて突っ込めェ、撃ち方用意ィ!」

 ツチガミの疑問に対しエビが怒鳴るようにして命令を下す。と同時に二人は滑るように見張り

台を降り、その主柱が据え付けられている船橋天面部にバランスを崩しながら着地。ラッタルを

駆け下り船橋のドアを蹴破るようにして開き中に入った。船橋と言っても窓と屋根のある小部屋

に過ぎない。光明丸より頭一つ高いだけの場所で、正面に設けられた窓からは彼女の黒髪ごしに

海面が見える。その片隅ではワタノキが海図台に捕まりつつ窓から外を睨め付けていた。監視任

務の際には3人が交代で見張り台に立ち、戦闘時には全員が船橋に入ることになっていた。船橋

の壁に防弾効果などまるで期待できないが、見張り台から吹き飛ばされるよりマシである。

 敵は潜水艦だ。とは言えどその最高速力は光明丸とほぼ等しい。戦闘に入った以上、もはや逃

げることは出来ない。生き残りたければ最初から味方の救援要請を見て見ぬふりするか、敵と戦

って撃退するかのどちらかしかない。光明丸達は前者を選ぶほど臆病ではなかった。後者を選ん

だなら言うことは一つ。勝利か死か、だ。

 1.5キロまで接近してから射撃を開始する。この時にはもうカ級も新たな獲物がやって来たと

ばかりに狙いを定めていた。左側のアームを引き出して13ミリ機銃を構える。シャリシャリとい

う独特の発射音と共にはき出される機銃弾で当たりを付けてから本命の47ミリ砲の狙いを付ける。

陸上と違い、彼我が常に動き波の影響もある海上では命中させづらいことこの上ない。案の定、

47ミリ砲弾は見当違いの所に着弾する。入れ替わりにカ級の射撃が着弾。が、こちらも外れ光明

丸の前方に水柱を作っただけだった。その水柱に突っ込みながら光明丸は次弾を装填する。20ノ

ットで突っ込めば1.5キロは2分半で走ってしまう。ドンドン相手が大きく見えてくるが、弾は全

く当たらない。一方カ級の砲撃は徐々に精度を増してきている。

 仮に、この時カ級が雷撃をしていたら、しかも逃げ場がないように扇状に雷撃をしていたら、

間違いなく光明丸を撃沈せしめただろう。だが最初の「魚雷節約のため砲撃で沈める」という決

断にこだわり過ぎた。複数本の魚雷をちっぽけな監視艇ごときに使うことを彼女(?)はあくま

で拒んだ。この妙な人間くささが深海棲艦は撃沈された艦娘の幽霊だ、怨念だ、生き霊だとなど

と言われる理由の一つである。双方の距離は500メートルを切っていた。が、互いに命中弾が出

ない。

「爆雷投下用意! 調定深度15メートル! すれ違いざまに奴の周囲にバラまけ!」

 エビが叫んだ。すぐさまワタノキが青い顔をして答える。

「浅すぎます! 自分の爆雷でやられてしまいます!」

 やれ! とエビは再び叫ぶ。これはワタノキにではなく光明丸に言ったのだ。エビの口が閉じ

ないうちにカ級の至近弾が光明丸全体を揺さぶる。派手に海水を被った光明丸だが、それを除け

ばダメージは無い。

「いいおしめりだよ、これは!」

 ツチガミはずぶ濡れになった窓に顔を押しつけるようにして正面を見た。光明丸の頭の向こう

に敵いるのが肉眼でも分かった。カ級はもうほとんど目の前だ。灰と黒で構成された、ガスマス

クを付けた人間のような気味の悪い不気味なシルエットがはっきりと浮かび上がり、臭いさえ漂

いそうだ。

「投下します!」

 カ級と殴り合いが出来そうな程に近づいた瞬間、光明丸の声と共に艤装尾部の金具が外れ、4

発の爆雷が次々とカ級の間近にばらまかれる。そのまま当て逃げの如く過ぎ去る光明丸。カ級が

光明丸の意図に気がついた時には、すでに爆雷は調定深度に達していた。ほぼ同時に4発の爆雷

が炸裂し、海中を目茶苦茶にかき回した。衝撃波がカ級を捉え、船体をズタズタに切り裂いた。

勢い余った衝撃波はそのまま光明丸をも襲い、あわや転覆するのではないかと言うほどにその華

奢な体を弄ぶ。ワタノキは海図台に、エビはその隣にある無線機に叩き付けられ、ツチガミは船

橋の端から端まで転がっていった。艤装はきしみを上げ、鋼製の船体が応力に耐えるために恐ろ

しいほどにしなる。二度三度と大きく揺らいだ光明丸は、しかし衝撃に耐え抜いた。ワタノキが

体をさすりながら船橋から出てみた時にはもうカ級の姿は消えていた。あぶくも破片の一つも無

い。

「こんなデタラメな戦法、一体どこで習ったんですか?」

 彼は振り返り、激しく頭をぶつけたのか足取りがふらふらしているエビに問いかけた。

「その昔、こういう事をする専門の船があったんだと。その船が――」

「ちょっと! 高峰丸が!」

 船橋の中からツチガミが叫んだ。高峰丸はがっくりと膝を折るようにして転覆。うつぶせのま

ま沈没し始めた。光明丸に命じて急ぎ駆けつける。一人だけ、海に投げ出されもがいている船員

妖精がいた。光明丸は素早く彼を掴み上げ、背部の艤装で待機している3人に渡す。次いで沈み

つつある高峰丸の腕を取り引きずり上げたが、彼女は既に事切れていた。艤装は穴だらけ、本人

も血まみれで見るも無惨になっているが、不思議なことに顔だけはさして傷も無かった。彼女の

形見とばかりに、ほとんど裂けていた右袖の布を破ってから、光明丸は彼女の手を組ませて静か

に水面に横たえた。高峰丸は音もなく、ゆっくりと日の光を味わうかのように沈んでいった。彼

女の目が再び光を見ることはなく、沈む彼女を再び太陽が照らすことはない。海の底は何時だっ

て船の最後の友だった。

 やりきれないだろうな、と光明丸は思った。やりたいことはまだまだいっぱいあっただろうに

ね。

 高峰丸があまりに不憫で仕方なかった。思わず目に涙が浮かぶが、瞬きして堪える。私だって

死にたくない。船長と南の海に出かけ、気の済むまで魚を捕ることが出来るその日が来るまでは。

彼女はエビのことをかたくなに船長と呼んだ。自分はあくまでトロール漁船の第7光明丸であり、

エビとは船長と船娘という関係だと思っているからだ。最初は困っていたエビも、今では彼女の

芯の強さの表れだと思うようになり、呼ぶがままに任せていた。

 拾い上げた船員は高峰丸の艇長だった。泣きながら経緯を説明する彼の話によると、最初の電

文を打った直後に至近弾を喰らい船員は彼一人を残して全滅したという。光明丸の到着まで良く

持ちこたえたが、とうとう被弾。そしてその一発が致命傷となったらしい。「親より先に死ぬ娘

なんて、そんな馬鹿な話があるか」と言ってずぶ濡れの高峰丸艇長は泣き崩れた。高峰丸もまた、

船と船員がセットで徴用されたのだろう。何事かを喚きながら涙を流し続ける彼に掛ける言葉を、

エビは持ち合わせていなかった。

 ――明日は我が身だ。幾度となく繰り返したその言葉を、また自分の胸に刻みつける。その時、

エビは背後に気配を感じた。こっそり現れたツチガミはエビの袖を引っ張り船橋へ連れ込むと、

髭を撫でながら無線機を指さした。

「少々まずいことになった。さっきからウンともスンとも言わない」

「壊れたのか」とエビは事も無げに聞き返した。元の民間用無線機から載せ替えた、頑丈さと信

頼性が売りの海軍用無線機がいとも簡単に壊れるとは思えなかったからだ。

「さっきの爆発で電線の一つでも切れたかな……。エビよ、お前頭でもぶつけなかっただろう

な」

 ツチガミの質問にエビは言葉を詰まらせる。ご明察だぜツチガミよ。爆発の衝撃で、エビは自

身の石頭で思い切り無線機に殴りかかってしまっていた。

「とりあえず直してみるが、直らなかったらどうする。高峰丸の電文を受け取った船は他にもあ

ると思うが」

「いや、移動した方が良いだろう」

 電波を発信すれば、内容はともかくとして「そこに何らかの船がいる」ことが敵味方双方に分

かる。味方が来る可能性はあるが敵が来る可能性もある。そして後者との遭遇を避けるメリット

は、前者と合流するメリットより遥かに魅力的だ。では何処に移動するか。これに関してはそれ

ほど悩まなくて良い。すでに哨戒任務は終了し、今頃各船が母艦興和丸と合流に向かっているだ

ろう。

 港から哨戒海域までは母艦を中心に監視艇隊全船で船団を組んで行き来していた。その方が迷

子も出ないし、万が一敵に襲撃されても反撃も救助もしやすくなる。ところが、監視艇の中には

とんでもなく低速な船も混じっていた。そして集団行動の原則――最も遅い者に合わせよ――通

り、そういった低速船が発揮しうる最大の巡航速度に合わせて船団は進むこととなっていた。一

部の高速船はこれを嫌がり、単独での移動をしたがった。たとえ独航船になろうと高速で突っ切

った方が敵に狙われにくい、という理屈である。結局の所なし崩し的にその主張が認められ、足

の速い船は単独で、足の遅い船は母艦と船団を組んでの移動となっていた。光明丸はもちろん前

者だ。だから彼女の現在の任務は「母港に帰還する」であって、もはや好き放題に航路を選択で

きる。帰還する前に母艦に一報打つのが決まりだったが、ツチガミの修理の甲斐無く無線機は沈

黙を保ち続けていた。もしかしたら光明丸も沈んだと思われているかも知れないが、なに、母艦

達と合流して自分たちの無事を知らせればそれで済む。ワタノキに命じて母艦達の航路を推定さ

せる。方位が定まったら早速出発。巡航速度まで増速した光明丸だが、異常な振動が船体を襲っ

た。

 何が起きたんだ? と減速してみると振動が収まり、増速するとまた振動する。どうやら先ほ

どの爆雷投下でプロペラシャフトが歪んだらしい。これではせっかくの高速も形無しである。そ

れどころではない、精々5,6ノットの速度で母艦達に追いつけるだろうか? 向こうは「光明丸

も撃沈された」と思っている可能性があるし、まさか待ってはくれまい。味方が来てくれる可能

性に賭けてここで待つか、無理を押してでも一人で帰るか。

「こりゃいけねぇな」とさしものエビも困惑した。客観的に見れば、敵潜水艦撃沈、船員一名救

助と引き替えにこの程度の損害なら十分引き合うものだろう。特設監視艇の貧弱な戦闘力を考慮

すれば殊勲と言っても良い。だが、エビは内心船を危険にさらしすぎたと考えていた。娘同然の

光明丸を無意味に損傷させるような真似は慎むべきだった。

 彼が身銭を切って購入したからという理由もあるが、それ以上に、将来徴用が解かれた暁に漁

に行けないほどのダメージを背負わせる事を恐れていたからだ。これは徴用された多くの監視艇

乗組員が意見を同じくするところだった。海軍が気前よく補償してくれるとはどうにも思えない。

着の身着のままの我が身と借金しか残らない危険性は常にあった。艦娘という女性自身に関する

諸々の問題を除けば、軍艦は国家と国民の財産であって、沈んでしまっても特定個人の懐が痛む

ことはない。しかし特設監視艇始め徴用船舶は個人や組織が自分で金を出して所有した財産だ。

それをむざむざ使い潰されてはたまらない。そのため船員妖精達の間には大小様々な形で厭戦感

情が蔓延していた。万寿丸の逃走劇は何も故無き事ではなかった。

 とはいえ、現実として壊れた部品はどうしようもない。結局、最終的に母艦達へと可能な限り

近づくルートで母港に帰ることにした。少々の不安を覚えはしたが、舞鶴港に帰れるのだから誰

も悪い気はしなかった。最初は「いっその事俺も沈めてくれ!」と泣き叫んでいた高峰丸の艇長

も、一夜明ける頃には気が収まったようだった。ただし、落ち着いたと言うよりは気が抜けてし

まったといった面持ちで、それが気がかりではあったのだが。



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第4話

 光明丸は6ノットというゆったりとした速度で本土への進路を取った。一日航海し続けても260

キロしか進まない。幸運なことに敵と遭遇することもなく、しかし不幸なことに味方とは合流で

きず、それでも5日目にはなんとか伊豆諸島周辺まで戻ってくる事が出来た。本来ならもっと西

よりの航路を取って豊後水道を通り日本海へ出るのが筋だが、何せ機関のコンディションが悪い。

深海棲艦がほとんど現れない本土沿岸を伝って舞鶴へ帰ることに決め直した。第二監視艇隊本隊

は一直線に舞鶴へ向かっているだろうから、もはや彼らとの合流は諦めざるを得なかった。まあ、

数日遅れて帰っても自分たちの休みが減るだけで彼らに迷惑が掛かる訳でもないから構うまい。

 5日目、八丈島の南東おおよそ50キロの地点を航海している時のことだ。その日も恨めしいほ

どの快晴で、昨日夜から少し波立ってきた海面はギラギラと真夏の日光を反射し輝いている。海

の上は気温も湿度も高い。それでも20ノットの快速なら心地よい風を浴びることも出来ただろう

が今は違う。おまけに光明丸は沿岸漁業用の漁船と違って鋼製だ。エビに言わせれば「焼肉にな

るかと思うくらい」暑いそうだ。しかし艤装を背負っている光明丸本人はさして暑さを感じない。

艤装を取り付け普通の少女から艦娘第7光明丸へと「変身」をすると、暑さや寒さ、睡眠欲や食

欲、飢えや渇きと言ったおおよそ一切の感覚や欲求に鈍感になるのだった。これは何も彼女に限

ったことではなく他の全ての艦娘も同じところで、でなければどうして24時間足を止めることな

く航海することが出来ようか。立ったまま眠る訳にもいくまいし、数日から数十日にもなる航海

の間に食べる米俵を背負って航海するなど論の外であった。艤装を外し陸に上がるとその反動が

来るのだろうか、猛烈に大食いする艦娘や常に眠そうにしている艦娘を、光明丸は何人か知って

いる。

 一日中開かれたままの目を使い、彼女は常に海上を監視し続ける。流木の一本も見逃すまいと

双眼鏡に顔を押しつける彼女の視界に、一瞬何かが映った。と、次の瞬間それは波の向こうに消

え去る。入れ替わり立ち替わりに波が引き、また一瞬だけシルエットが露わになる。そのシルエ

ットはハッキリとは分からなかったが、どうも浮上航行する潜水艦らしいことが見て取れた。

「2時方向、潜水艦らしきもの、近い!」

 彼女のひと言に弾かれ背部艤装にいた船員妖精達は跳ね上がり、慌ただしく動き始める。高峰

丸の艇長は潜水艦と聞いて顔が真っ青になったが、青くなりたいのはエビも同じだった。速度も

出ない、爆雷もない、無線機は壊れている。立ち向かうだけの手も逃げる手も使えない。船橋に

入ったエビにさらに悪い知らせが聞こえた。

「回頭します。あっ、こっちに突っ込んできます! 見たことのない形の潜水艦です!」

 船員達にも艦影が少しずつ明らかになってきた。白っぽい水着にコンテナのような艤装をした、

酷く小柄な潜水艦だった。海はかなり穏やかなのだが、それでも苦しそうに波をかき分けこちら

へ近づいてくる。

「やるしかねぇな……撃ち方用意!」

「待ってください! 何か見え、あ、日の丸を掲げてます」

 エビの言葉を遮るように光明丸が叫んだ。

「日の丸だ? 旭日旗じゃなくてか?」

 エビは困惑した。旭日旗――つまり軍艦旗――でもなければ軍用船旗でもなく日の丸! 一体

どういう事だろう。光明丸にも軍艦旗は掲げられている。本来は軍人が指揮する船は軍艦旗、そ

うでない場合は軍用船旗と決められていたが、こと特設監視艇は普通の艦娘に比して何かと特別

であり、うやむやのうちに軍艦旗掲揚が暗黙の了解になっていた。これに関してほんの少し安心

したことをエビは覚えている。軍用船旗は白地に青い波線が二本だけとどうにも格好が付かない

デザインだったからだ。

 それはさておき、この日の丸潜水艦である。ワタノキに聞いても首をかしげるだけでなしのつ

ぶて。深海棲艦がこちらを騙すためにカムフラージュしたのではないか、とそれらしい事を言う

だけだった。ごく短い協議の後、相手から距離を取るようにしつつ発光信号で誰何することに決

めた。万が一返事が返ってこないようなら敵として決死の一戦を挑むまでだ。光明丸が腰から拳

銃型信号灯を引き抜いてモールスを打つ。1分経ち、2分経ったが返答がない。さあ、腹を決める

時だ。

「クソ、やっぱり深海棲艦か!」

 ツチガミの憤りの声と共に火蓋は切られ、光明丸は47ミリ砲での攻撃を始めた。3発目、4発

目と打ち続ける。彼我の距離は1キロもない。着弾点が徐々に敵艦に近づき至近弾となって行く。

そろそろ命中か、という時、突然敵艦が光った。その光というのが、よりにもよって発砲炎では

なく信号灯の光だった。

「艇長! 敵艦信号しています! 『我陸軍潜水艦ナリ』」

 ワタノキの報告にエビは驚いた。が、次には一段と困惑の度を増した。陸軍の潜水艦だって?

そんな物聞いたことも見たこともない。深海棲艦がモールスを解する可能性と陸軍が潜水艦を持

っている可能性と、どちらがあり得るだろうか? もし深海棲艦だとしたらもう少しまともな嘘

をついても良い。もし陸軍の潜水艦だとしたら何故最初の誰何ですぐに返答しなかったのか。光

明丸に撃ち方止めを命じた後、ツチガミの発想で一案を講じ、「時ニ、氷水ハ何味ガ美味ナル

ヤ?」と信号してみた。相手はいきなりグルメな問いを押しつけられたことにしばらく考え込ん

だようだった。が、その返事は「良ク冷エタ『カルピス』ヲ掛ケルノガ通ナリ」と痛快な物であ

った。

「味方ですね。そんな食べ方をする深海棲艦だったら友達にしても良いくらいだ」とはワタノキ

の弁である。合流してみると、なんとまぁ、確かに潜水艦娘だった。だがエビが舞鶴で見たそれ

とは随分違う。一般には潜水艦娘は水着ひとつで潜るかの如く言われているが、これはエビ曰く

「写真撮影のための演出」だそうだ。本物の潜水艦娘は魚雷発射管と予備魚雷、潜航・浮上を迅

速に行うための注排水タンク、潜水艦の目である潜望鏡、聴音機に探信儀、そして妖精を載せる

ための艦橋構造物をまとめた大柄な艤装を身につけているのだという。

 それと比較してみると――眼前のこの潜水艦娘はいかにも貧弱な装備と言う他無い。まず艤装

が海軍のそれとは異なっている。具体的には小型で垢抜けていない感じだし、魚雷発射管が見あ

たらない。大事そうに抱えている武装も、下手をすると光明丸の47ミリ砲より小さいかも知れな

い。

「陸軍に潜水艦があるなんて、全然知りませんでした」

 光明丸が感心して言う。彼女がこの三式潜航輸送艇、通称「まるゆ」なる艦娘(であろう)に

砲撃したことを繰り返し謝罪している間も光明丸乗組員は奇異の目をその船に向けていた。彼女

の艤装から、舞鶴で見た水兵達とは服装が全く違う乗組員が姿を現し、こちらに敬礼して見せた。

ツチガミがいつもの調子で「陸軍が潜水艦を造るなんて、この戦も長くないな」と皮肉を言って

いたが、今度ばかりはエビも同意見だった。

「まるゆの存在は極秘事項なので、味方に警戒されたり撃たれたりすることが結構あるんです…

…」

「なるほど、なるほど。本当に済みませんでした。それで、どうして信号せずに突っ込んできた

んですか?」

 光明丸が神妙な面持ちで聞く。

「それは、あの……まるゆ、モールスが苦手で」

 申し訳なさそうに指を弄りながらまるゆが答える。エビは「潜水艦発見」の報を聞いて飛び跳

ねる程驚いた事を苦笑しながら思い出した。こんな海のものとも山のものともつかぬ艦娘相手に

宿題を忘れた小学生のように縮み上がっていたのだから、笑えない。

「私に何かご用だったんですか?」

「はい。実は――」

 まるゆはさらに申し訳なさそうに体を小さくする。次のひと言を、エビは生涯忘れることがな

いだろう。

「現在位置を教えていただきたいんですが……」

 

 

 北緯32度70分、東経140度10分。その一言を問いただすためにまるゆは随分と無茶をしてくれ

た。危うく同士討ちをするところだったのだ。一時は酷く肝を冷やした光明丸達だったが、過ぎ

たことは仕方がない。最初はカンカンに怒っていたエビやツチガミもが、身の上話を聞くうちに

まるゆにシンパシーを抱くようなっていった。

 光明丸達はまず彼女の装備に同情した。彼女の武装はたった一門の37ミリ砲。輸送任務が第一

で敵と遭遇したら潜航して隠れ身の一手で対処すると言うが、光明丸以下の武装である。次に任

務に同情した。まるゆも光明丸を始めとした特設監視艇と同じく、恐ろしく無理難題な任務をこ

なしていることが分かったからだ。単身危険な海に放り出される彼女の孤独と苦痛は察するに余

りある。そして最後に、まるゆ本人の健気さに同情した。自身が運ぶ物資は孤島にいる同胞の命

と直結している。一日でも早く、一キログラムでも多く、全ては戦友のために。それだけを考え

て日々の辛い任務を遂行しているという。軍隊嫌いのツチガミもまるゆの献身には感じるところ

があったらしい。日頃の皮肉は形を潜め、ひとこと「健気な話だ」とだけ言って黙り込んでしま

った。

 まるゆは任務を終え広島は宇品にある母港に帰る途中だという。その任務が何かは「軍機で

す!」と言われて教えて貰えなかったが、まぁ、八丈島辺りで「自分の位置が分からない」と迷

っていたのだから、おおかた小笠原諸島あたりに輸送任務に行っていたのだろう。袖振り合うも

多生の縁、とばかりにくつわを並べ2隻は航海する。速度が出ない光明丸だが、それでもまるゆ

の方が遅いくらいで、ややもするとおいて行ってしまう。少し波が出てくるとたちまち激しくピ

ッチングしながら進むまるゆを見て、光明丸はつくづく不憫な船だと感じ入ってしまう。予定を

変更して紀伊水道から瀬戸内海へ。鳴門海峡を通過すれば流石にもう深海棲艦に怯える必要はな

い。ばら積み船に、タンカー、フェリーに遊覧船、そして漁船までもが大量に行き交いしている。

ああ、本土に帰ってきたんだ……と光明丸は思わず口に出してしまう。明日をも知らぬ戦い、24

時間続く危険な任務、胃がキリキリとする孤独な任務は、この海にはない。感慨深げにしている

間に広島にさしかかっていた。

「お世話になりました。このご恩は忘れません」と大げさなことを言ってまるゆは手をさしのべ

る。

「また何時か、生きてお会いしましょう」

 光明丸はがっしりと握手しながらそう言った。船員妖精達も互いに手を振って挨拶する。その

まままるゆは彼女の母港へと進路を取る。その姿は少しずつ小さくなり、やがて水平線の向こう

へと消えた。さあ、次は我々が母港へ帰る番だ! 関門海峡を抜け日本海へ、後はひたすら東へ

東へ進むだけだ! 舞鶴に帰ったらまず一杯引っかけ、それから万寿丸の艇長をぶん殴りに行く。

未だに落ち込んだ顔をしている高峰丸の艇長も誘ってやらねば。いや、その前に、味方と連絡も

つけず、しかも予定通り帰らなかった事について小言の一つも言われるかも知れないな。しかし

反論する材料は色々あるぞ。それに潜水艦一隻撃沈はでかい。「勝利者は裁かれない」という警

句があるくらいだからな。あれこれ考えるエビだが、彼の想像する以上に事態は奇妙な方向へと

進んでいた。



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第5話

 ようやく辿り着いた舞鶴で待っていたのは、歓迎の言葉ではなくいきなりの身柄拘束だった。

光明丸は艤装を外されたのち艦娘用兵舎へ連れて行かれ、3人の船員は舞鶴鎮守府の一角に監禁

される。高峰丸の艇長に至ってはどこへ連れて行かれたかも不明だった。3人は口々に反論と反

抗を繰り返したが、銃を突き付けられるとそれ以上の抵抗を止めざるを得なかった。会議室のよ

うな小部屋に押し込められ、外から鍵を掛けられてしまう。一通り暴れ、一通り罵り、一通りわ

めき、それからしばらくして3人の頭は冷えた。

「駄目だ。ドアが鉄板で補強してある。おまけにシリンダー錠と閂とで二重に鍵を掛けているよ

うだな」

 ツチガミがドアをあれこれ弄っていたが、諦めたのかドアを背にしてへたり込む。

「窓もダメだぁ。鉄板とネジで塞いでやがる。外の様子も分からねぇ」

 こちらはエビだ。憎たらしく鈍く光る鉄板を殴りつけてやろうかと思ったが、自分の手を痛め

るだけだろう。代わりに壁を殴ってみたが、軽い衝撃音が室内に響くだけだった。脱出するため

の道具が無いか室内を見回すが、恐ろしいほどに何もない。机も椅子も壁に貼り付けられたカレ

ンダーもない。事務用キャビネットとロッカーがあるだけだが、中身は空だった。閉め切られた

部屋にも関わらず空気は冷たく、蛍光灯がまばゆい光を床に向けてせっせと送り出している。

「僕たち、何かやらかしましたかね?」

 室内に入れられてからはさっぱり大人しくなってしまったワタノキが、部屋の中心に座り込ん

だ状態で二人に問う。

「ツチガミ、手前がまき散らした悪口のせいで捕まったんじゃねぇだろうな」

「だとしても船員丸ごと拘束する理由にはならんよ。海軍がそこまで面子と連帯責任にこだわる

なら話は別だが」

 三人寄れば文殊の知恵、という。けれども3人が必死に考えても有力な結論は出なかった。ど

うせこの部屋からは出られそうにないし、なるようになれ! と乱暴なことを言ってエビは横に

なってしまう。部屋に時計はなく、誰も腕時計をしていない。拘束された時は確か夜の7時くら

いだっただろうか。眠るには少し早いが、されど他にすることもない。ツチガミもワタノキも彼

に習って固い床に横になった。

 翌朝――結構寝ていたから昼かも知れない――3人は武装した人間の兵士2人にたたき起こされ、

つまみ上げられて部屋から連れ出される。

「一体何処へ連れて行こうってんだ、なぁ兄さんや」

 返事の代わりに、兵士は指でエビを小突いた。そのまま連れて行かれた先は、提督の執務室。

「おやまぁ、提督直々に死刑判決文を読み上げてくれるのか」

 兵士がドアをノックする傍らでツチガミが言った。もはや悪気を隠すつもりもないようだ。

「入れ」

 冷たく言うや否や放り出されるようにして部屋へ入れられる。入った執務室には果たして提督

が待ち構えていた。机を挟んで椅子に座った提督と、その右隣にいるのは艦娘大淀。君たちは下

がってよろしい、と若い提督の声に敬礼で答え、兵士達は室外へと出て行ってしまう。整列した

三人を提督はじっと見つめる。一方の三人はほとんどにらみ付けるような目で彼を見る。本当は

殴りかかりたくもあったが、妖精と人間とでは喧嘩にもならない。提督は手元の書類を掴むと椅

子から立ち上がり、応接用テーブル付属の椅子に座り直した。座らせてあげたまえ、の命を聞き

大淀が彼らをつまみ上げ3人掛けの椅子の上に置き、自分は提督の隣の椅子に座る。

「君たちはとんでもないことをしてくれたね」

 提督の第一声はこれだった。そう言って彼は掴んでいた書類を3人に渡す。エビが手元に投げ

やられたそれに目を向ける。どうやら公報か何かの切り抜きらしい。タイトルには「過去2カ年

における特設特務艇の活動と損害」と大きく書かれていた。やれ特設駆潜艇はこんな船で、特設

敷設艇はこんな任務に当たって……と対して面白くもない内容が記されているだけだ。これが一

体何だというのか。

「16ページだ」と提督は呟くようにしていった。エビがめくってみると、そこには過去2年間に

撃沈・撃破された特設特務艇が名前と共にリストアップされている。上から順に見ていくと、特

設監視艇の欄があった。まさかまさかと思って見てみると、あるではないか。「第7光明丸」の

名前が。

「これはどういうことですか」

 慣れない丁寧語を使ってエビが質問した。

「それはこちらが聞きたいことだよ。君たちは何故生きている」

 提督が妙に冷たい声で逆に質問してくる。話を聞くとこう言うことらしい。高峰丸を看取った

後すぐに現場を離れた光明丸だが、その後現場海域に2隻の特設監視艇が駆けつけたそうだ。彼

らは何も発見できず、しかも光明丸との連絡が付かなかった事から高峰丸・光明丸の両方が撃沈

された可能性があると判断したそうだ。その後、第二監視艇隊本隊は予定日通りに帰港したが、

普段なら自分たちより早く帰港している光明丸の姿がない。それどころか本隊の帰港後しばらく

経ってもなお帰ってこない。これで撃沈されたとの疑いは強まったのだが、疑いが事実へとねじ

曲げられてしまう出来事が起きた。

 第二監視艇隊の帰還と前後して製作された公報には特設特務艇に関する内容が含まれていたの

である。内容の一つとして「過去2年に沈んだ特設特務艇」をまとめる作業が行われたが、その

中で問題が浮かんだ。編集時点で行方不明の船である。こういう場合、確定したデータのある特

定の日、例えば1月1日時点とか4月1日時点とかで線引きするのが普通だったが、よりにもよって

線引きされたその「特定の日」こそが高峰丸と光明丸が行方不明になった日だった。線引きされ

た日から発行日まではほとんど間隔が開いていない。編集作業に忙殺されるのは目に見えている

のに何故そんな事をしたのか。どこかのバカが気を利かせたのか魔が差したのかは知らないが、

「最新のデータ」という謳い文句を付けるために無茶な編纂スケジュールが定められたそうだ。

最終的には編集者の「行方不明のまま連絡もないし、多分撃沈されたのだろう」という思い込み

のために、「高峰丸」「光明丸」の名が撃沈された特設監視艇の欄に書かれることになった。

 これを聞いてエビは当然反論する。勝手に沈んだことにしておいて何様だ。まさか生きて帰っ

てきたことに文句を言われるとは思わなかった。彼は光明丸の一連の戦闘と、受けた損害、そし

て帰還するに当たってどんなルートをどのように航海したのかを詳しく説明して見せた。が、提

督はまるで興味が無いという顔で聞き流す。挙げ句の果てに「なるほど、なるほど、艦娘の説明

と一致するね」と言って別の書類をよこした。光明丸本人から尋問したらしいその文章は、今エ

ビが言ったことと同じ事柄が書かれている。知っているなら何故俺達をこんな所へ引っ張ってく

どくど言うのか。とエビが問うより早く提督は口を開いた。

「舞鎮の中にはね、死んだはずの妖精と沈んだはずの艦娘が生きていては困る、という者がいる

のだよ。公報との食い違いがあれば海軍の沽券と信頼に関わると言ってね。君たちは既に戦死扱

いとなっている。死んだ者は死んでいなければおかしい。海軍の記録が間違っていて実は生きて

いましたとなっては面子が立たない、というわけだ」

 何とも慇懃な内輪のルールを押しつけてくるものだ、とエビは呆気にとられ、そのために提督

の追撃を許した。

「それにね、君たちはさらなる襲撃から避けるために離脱したというが、報告によると離脱を開

始したのは1151だ。監視任務が終了するのは1200。この時点ではまだ任務を継続しなければなら

ないはずではないかい?」

 驚いてエビは光明丸の尋問書を見る。確かに正午前に離脱を始めていた。しかし、たったの9

分。戦闘を行って生き延びた上で、さらなる攻撃を避けるために無視された9分がそんなに重要

なのか! しかも万寿丸と違い本当に損傷していたのに、と言いかけてエビは口をつぐんだ。

「あいつもやっているのに」というのはどう考えても詭弁でしかないからだ。

「陸軍の潜水艦と合流できたのなら一報入れて欲しかったねぇ。加えて言えば横須賀や呉で修理

を受けても構わなかったはずだ」

 前者に関しては反論できない。本土へ帰ってきた安堵感からすっかり忘れていたのだ。事実、

そのことに気がついたのは島根沖を航行している時だった。一方後者に関しては半ば言いがかり

である。各鎮守府間の縄張り意識は強い。独立採算制に近いことをやっているとも聞く。鎮守府

ごとに何かと競争させて対抗意識を煽っていたし、提督同士が会う時は名前の前に何処に所属し

ているかを聞くと言うではないか。舞鶴所属の船が横須賀に入ったところで、諸手を挙げて受け

入れてくれるとは到底思えなかった。だからこそ故障した身を押して舞鶴まで戻ってきたのだ。

提督は新たな書類を見せながら続ける。

「以上の命令不服従と職務怠慢、ならびに撃沈として処理された船が生還した件について、本日

朝舞鎮の提督たちに招集がかかったよ。そこで君たちの今後について協議されたわけだが、鎮守

府の決定は見てのとおりだ。ひとつ、君たちが生きていることは外部に漏らさない。ふたつ、本

件に関しては当鎮守府で内々に処理する。みっつ、名誉回復の機会を与える。残念だよ。私とし

ても出来るだけ弁護したつもりなんだがねぇ」

 そういって彼は、さも不服だという顔で両肩を上げてみせるのだが、どこまで信用できるか怪

しいものだ。「死んだはずの妖精と沈んだはずの艦娘が生きていては困る」人間のうちにこの提

督が入っていない保証はない。エビ達が提督に対する不信感を抱いたことをキャッチしたかのよ

うに、彼の言葉は少しずつ辛辣になっていった。

「率直に言うとね、別の意味で残念でもあるんだよ。この決定がではなく君たちの任務に対する

不誠実さが、ね。君たちは少しばかり気がゆるんでいたのではないかね。世界が危機に瀕してい

るという自覚はあるのかい。そんなときに君たちは、言い方は悪いけど我が身可愛さに不名誉な

行為を行い、その危機を推し進めたわけだ。いいかね、わが海軍はかかる不祥事を決して見逃す

ことはないよ。協議の中では君たちのことを舞鶴鎮守府の恥さらし、面汚しとまで言われていた

んだよ。それでこの処置で収まったのが不思議なくらいだよ。君たち、情けないとか恥ずかしい

とか思わないのかい?」

 文字として記すことがはばかられるくらいに下品な言葉で怒鳴りそうになるエビをツチガミが

制止し、代わりにこう言った。

「阿呆らしい」

「なんだって……?」と提督は押し殺した声で言った。人のことを散々言う割には言われること

には慣れていないようで、その顔には露骨に怒りの色が浮かんでいた。

「阿呆らしい、と申しあげたのです。『不名誉な行為』ですって? 生憎ながら我々漁民上がり

の軍属には失うだけの名誉などハナから存在しません。海軍の面子が潰れようが、あなた自身の

出世に響こうが、『率直に言う』というなら率直に言って、どうでもよいのです」

 ツチガミは口ひげを撫でるいつもの癖をしながら第一撃を放った。突然の反撃に提督がひるむ

間に言葉を続ける。

「一体全体、我が国を除いて、この世の何処に生きて帰ってきた兵士を歓迎しない、それどころ

か死んだことになっているんだから死んでこいなどと言って彼自身の命で償わせるような軍隊機

構がありますか。どうですか、一カ国でも挙げられますか? もっとも、我が国における事例な

ら私のような漁民ですらダース単位で挙げる事が出来ますが。九軍神、振武寮、一空事件、ズン

ゲン支隊、カウラ事件、まだまだありますが、お聞きになりますか」

 提督が憤慨する様子がエビにはハッキリと分かった。が、ツチガミのスイッチはとっくに入っ

てしまっていた。

「まあいいでしょう。『海軍は不祥事を見逃さない』ですか。素晴らしいですな。しかし私は、

かつて連合艦隊の参謀長とやらがみすみすゲリラの捕虜になり、機密文章の一切合切を奪われて

おきながら軍法会議にも掛けられなかった事を存じています。とある高速戦艦の発注に際して莫

大な賄賂のやりとりがあり、内閣が総辞職するにまで話がこじれた事も存じています。そんな組

織に自浄能力や綱紀粛正能力があるとはつゆほどにも思いません。その海軍にちり紙のように扱

われているのが我々徴用された漁民と、特設監視艇なのです。まともな武器も持たずに深海棲艦

がうろつく太平洋の真ん中へ放り出され、そこで20日間の哨戒任務を行うのは、想像しがたいほ

どの忍耐が必要なのです。今この瞬間、水平線の向こうから敵艦が現れるかもしれない。あるい

は音もなく魚雷を撃ち込まれるかもしれない。船員妖精達はそういった恐怖に常に耐えているの

です。気まぐれな一弾、僅かばかりの衝撃が命と直結しているのです。無論これは正規の軍艦と

て同じ所ですが、特設監視艇は戦う船ではありません。特設監視艇にとっては敵を迎え撃つこと

はおろか、撃退することすらままならないのです。手も足も出せない、という言葉がこれほどふ

さわしい軍用船は古今例を見ません。特設監視艇は深海棲艦を見つけるのが任務です。しかし、

深海棲艦を発見するということは、敵にも発見されることを意味します。圧倒的な武装の差と、

課せられた任務。この二つが何を意味するかお分かりになりますか。『任務を果たすことと死ぬ

ことがイコール』なのです! ここまで弱々しく、適当で、顧みられることのない軍用船は存在

しません。物理的に小さいと言うだけでなく、海軍の、あなた方の扱いもまた不当なまでに小さ

いのです。そんなことは無い、とお思いなのでしょう。自分は戦艦も駆逐艦も、特設砲艦も特設

監視艇も平等に扱っていると。ではお聞きしますが、武勲を挙げた特設監視艇を、伝説的と言っ

ても良いあの第二十三日東丸以外に何隻挙げることが出来ますか。片手で数えられるほどにも出

来ないでしょう。当然です。なぜなら特設監視艇が『武勲を挙げる』ことはすなわち任務を果た

すこと、つまり死ぬことなのですから! 任務は重く、扱いは軽い。特設監視艇に限らず徴用船

舶全てに当てはまることなのです。ほとんど消耗品のように扱われるのが我々なのです。でなか

ったら、日頃燃料を無駄に食いつぶすだけの戦艦・空母が如何に素晴らしいかを驕奢な文章で述

べる書籍が本屋にずらりと並ぶ一方で、我々は公文書にすらその存在を『その他』とカウントさ

れるのをどう説明するのですか。空母艦娘が指折り待っているボーキサイトを南の海から運ぶの

は徴用された貨物船で、それを護衛するのも徴用された捕鯨船を改造した特設駆潜艇なのです

よ!」

 ツチガミが機関銃のようにまくし立てるのを聞いてエビは内心ほくそ笑んでいた。良いぞツチ

ガミ、徹底的にやってやれ。

「提督閣下はおそらく、戦意のない漁民は敵を見つけても『我が身可愛さに』通報を怠り見ない

ふりをするのだとお思いなのでしょう。それは全く事実に反します。漁民は、純朴ですが愚かで

はありません。知恵者ですがずる賢くはありません。彼らは自分たちの任務が何で、任務達成の

暁には自分たちがどのような目に合うか、ハッキリ分かっています。分かっているからこそ、深

海棲艦を発見したら『必ず』報告するのです。矛盾するようですが真実なのです。なぜだかお分

かりですか」

 提督は黙ったまま何も言わない。ワタノキと大淀は互いに目配せし、来るべき殴り合いを止め

ようとあわあわしていたが、手の施しようがなかった。

「敵を見つければ同時に見つかりもする。漁民はそのくらい理解しています。そして自分たちの

焼玉エンジンが発揮する10ノットの速力ではいかなる深海棲艦からも逃げられないことも、また

理解しています。ですから、どの道死ぬのが決まっているならせめて『敵艦見ユ』の電文をしっ

かりと打って、自分の務めを立派に果たしたことを船団に知らせてから死にたい、そう思ってい

るのです。それが我々に出来る、自尊心を満たす唯一の行為なのです。提督閣下はまた、特設監

視艇は味方が攻撃を受けても『我が身可愛さに』助けにも行かないと思われているかもしれませ

ん。答えは否です。無論、全ての者がそうではありませんが――漁民は味方の船を見捨てません。

決して味方を見捨てません。自分たちが大枚をはたいて購入した船が傷つくことを漁民は大変に

恐れています。しかし、攻撃を受けて沈みつつある特設監視艇の乗組員――大抵は船ごと徴用さ

れた船員達――もまた、苦労して自らの船を手に入れたであろう事を漁民は理解しているのです。

互いに理解し合い、他人の痛みを自分の痛みとできるからこそ、見捨てないのです。私の隣に座

るこの艇長が、何故自身の船をむざむざ危険に晒してでも高峰丸を援護に向かったか、あなたは

ご理解できないでしょうね。彼は光明丸を失うことを何よりも恐れています。しかしその恐れが

他の艇長達にも等しく存在することを知っています。だからこそ無制限の勇気が、もはや蛮勇と

言って差し支えない勇気が、彼に与えられるのです。たかが漁民風情が、と仰るかもしれません。

海軍がお前らの漁場を守ってやっているのだと。それはとてつもない思い上がりです。海軍が本

気で民間船を守っていると思っている者など、鎮守府の外には一人だっていやしません。もしそ

うだとしたら、何故鎮守府の目と鼻の先に深海棲艦が現れるのですか。あなたがたはこのような

深海棲艦を『はぐれ艦隊』と呼んでいるそうですね。しかし、そのはぐれた深海棲艦ですら、漁

船を沈めるのには十分すぎる武装をしているのです。そしてたまたま迷い込んだ深海棲艦が、と

もすれば大虐殺をも引き起こしかねないことは、漁協に問い合わせていただければ幾らでも証拠

があります」

 そう言ってツチガミはちらりと、部屋の片隅に掛けられている掛け軸に目をやった。掛け軸に

は毛筆で大きく「海上護衛」と書かれている。開けられた窓から風が入り、掛け軸を小さく揺ら

した。

「加えて言えば、漁民は海軍に依存していません。光明丸は一切の手助け無く深海棲艦の群れを

やりすごして漁をするために強力な機関を積んでいます。しかしそれ故、足の速さが見込まれ海

軍に徴用されたのです。元のトロール漁船のまま漁をしたとして、揚がった魚はあなたの口にも

入ったことでしょう。その魚はまったく自身の力のみで得た魚です。小骨の一本に至るまで海軍

の労力などと言う物は含まれていません。もちろん、我々は商売として漁をしています。正当な

代金を受け取っています。しかし海軍の協力があってこそ得られた金などは一円たりとも無いの

です。海軍は我々から魚を買い、あるいは船を徴用している。一体どちらがどちらに依存してい

るか、お分かりになると思います。このように、徴用漁船を特設監視艇とし、任務に就かせるこ

とはそれ自体がすでに徒刑に等しい。その徒刑から帰ってきた者達に、今度は死刑を科そうとい

うのがあなたのしようとしていることなのです。どうですか。聞いていて『情けないとか恥ずか

しいとか』お思いになりませんか。情けなくて恥ずかしい。そのようなことが今まさに第五艦隊

第二十二戦隊第二監視艇隊で起きようとしていて、その第五艦隊の指揮官はあなたなのです、提

督。あなたにとってこれほど『不名誉な』こともありますまい」

 提督はますます怒った様子になるが、しかし次にはその怒りを飲み込むと、薄気味悪いほどに

こやかな顔になってツチガミへの反駁を開始する。

「ははは、なかなか良い演説だったよ。つまり君たち徴用された特設監視艇は日頃ひどく苦しい

任務に就いていて、だから多少の不祥事を見逃せと言うんだね」

 それは違います! とのツチガミの声を手で遮り、さらに提督は続けた。

「君たちは自分たちだけが辛い目に合っていると思っているようだけれども、それは大きな誤解

だよ。艦隊決戦から海上護衛まで、艦娘たちは日々戦い傷ついている。洋上監視だけが苦しく困

難な仕事ではない。そもそも監視任務は戦闘を前提とした任務ではないのだから、同じ土俵で比

較してよいものだろうか。空母艦娘や戦艦艦娘に逆恨みのような感情を抱いているようだが、し

かし君たちは彼女らの何を理解しているつもりなのだい。彼女達も日々訓練に励み来るべき戦闘

に備えているんだ。もし戦闘になれば確実に戦果を上げられるようにね。洋上監視と違って艦隊

決戦は四六時中起こるものではないし、起こったとすればそれは監視任務とは比べものにならな

い激戦になるだろう。ここ一番の戦いで大きな役割を背負うことになる彼女らにかかるプレッシ

ャーがいかほどか、想像も出来ないだろう。暇そうにしていると言うだけの理由で彼女達を恨む

のは筋違いも良い所じゃないか。確かに洋上監視はつまらないし誉められもしない任務かも知れ

ないが、しかし『勝利のない戦い』である海上護衛だって同じようなものだよ」

 なんと無理解な、とツチガミは心の内で叫んだ。今言ったことを全然聞いていないではないか。

 艦隊決戦に望む空母艦娘や戦艦艦娘は、勝つ見込みがあるからこそ決戦を挑む。特設監視艇は

いかなる敵に対しても勝ち目がない。護衛任務に就く駆逐艦娘や巡洋艦娘は、自分どころか他艦

をも守れる兵器と技能がある。特設監視艇は自分の身を守ることもおぼつかない。特設監視艇は

機械的に、ルーチン的に、慣例的に送り込まれ、そして手も足も出ないまま沈められている。徴

用した船娘たちのことを使い捨てだと思ってはいないか、不当に扱いは軽くないか、偏見の目で

見てはいないかと問いたいのだ。もっと厚遇せよなどと図々しいことを言っているのではない。

そうなったところで問題は何も解決しない。ただ理解して欲しいだけだ。徴用船娘たちは海軍の

ツケの帳尻を合わすべく戦っているのだということを。しかし海軍の見通しの甘さ、無計画さの

せいで貯まったツケは下手にほじれば彼ら自身の職能を問いかねず、それがために、徴用された

船たちの戦いは顧みられないということを。

 しかし提督の無理解にひとつひとつ反論するためには無限にも等しい時間を要するのは明白だ

った。ツチガミに出来ることは、ただ口を真一文字に結んで黙る事だけだ。

「私は何も特別なことを言っているのではない。仮にも軍属なのだから軍の命令には従って欲し

い、それだけをお願いしているんだよ。君たちが自分の都合で任務を放棄すれば、その分の負担

は同輩である他の特設監視艇に押しつけられることになるが、君らはそれでも構わないと思って

いると他人に受け取られてしまうよ。漁民はそういうことを平気でする人たちだと、そう誤解さ

れるのは君たちの本意でもないだろう。万が一、監視網をすり抜けた深海棲艦に本土近海への接

近を許してしまえばどうなるか。艦載機による空襲や艦砲射撃の悪夢が現実の物となった時、一

番被害を被るのは国民たちだよ。海軍を貶し、艦娘を貶し、同僚と国民まで危険にさらして、君

たちはいったい何を守りたいのだい。そんなに命が惜しいのかい?」

 我慢の限界だった。こちらの意見に同意してくれないのはまだしも理解するつもりすらないら

しい。

「ええ、ええ、もちろんです。『板子一枚下は地獄』が厳然たる事実であっても、いや、である

からこそ命の重みをひしひしと感じますゆえ。さらに言わせて貰えば、犬のフンをバラと呼んで

も香りが変わらないように、犬死を名誉の戦死と呼んだところで中身は変わりません。漁民はそ

んな手には引っかかりませんよ。海軍とは違ってね!」

 売り言葉に買い言葉ではあった。が、最後のひと言は明らかに言い過ぎだった。提督は机を思

い切り、ワタノキと大淀が飛び跳ねるくらい大きな音を立てて叩くと、やおら立ち上がり身を乗

り出した。そして勝ち誇った顔で宣言する。

「それでは仕方がない! 君たちは徴用解除だ。すまないが光明丸は明日から海軍軍人によって

運用されることになる。彼女のことは一切合切任せてもらおうか」

 ふざけるな! とエビの怒号が飛んだ。光明丸を好き勝手にされる、それだけは絶対に認めら

れない。すわ殴り合い――もっとも、人間と妖精では勝敗は火を見るより明らかだ――かと思わ

れたが、突然ノックも無しに入室してきた艦娘とその声が水を差した。

「Hey,提督ゥ! 第3、第4戦隊が帰港したヨー!」

 室内にいる全員がその声に振り返ると、立っていたのは艦娘金剛だった。秘書艦と書かれた腕

章が千切れそうになるほど腕を振っている。

「すぐに給油と整備に入るネ!」

 エビとツチガミは幸運だった。意見はおろか、彼ら自身があやうく物理的に握りつぶされると

ころだった。提督はどっかりと椅子に座ると、温和な顔を乱さぬまま金剛の報告を聞いていた。

 エビは金剛に目をやる。徴用されて以降、彼女を見た事は何度もある。そのたびに何とも言え

ない落ち着きの無さを感じて仕方がなかった。恨み辛みでもあったし、同時に好感や憧れでもあ

った。そんな相反する感情がぐちゃぐちゃにミックスされた得も言われぬ思いが渦巻き、金剛に

視線を向けるのがはばかられた。失恋とはこういう感じなのだろう、と別段大恋愛も大失恋もし

たことのないくせにそう思う。一通り説明をし終えると、金剛は空いていた椅子に座り面々を見

渡す。

「ワタシもMeetingに混ぜてもらえますカー?」

 今までのやりとりがぶち壊されて気分が冷めたのか、ツチガミを始め皆が黙りこくってしまう。

沈黙に耐えきれなくなったワタノキが恐る恐る手を挙げて質問した。

「あの、提督の仰る『名誉回復の機会』とは……?」

 自分にイニシアチブが回ってきた提督だが、もはや演説を打つ気分ではなかった。

「詳細は大淀から説明させる」とだけ言うと、立ち上がり退室してしまう。続いて金剛が提督を

呼び止めつつ室外へ。エビ達が入室してから一言も喋っていない大淀はしゃべり方を忘れてしま

ったかのように黙っていたが、一つ大きなため息をつくと手元の資料を見ながら説明を始めた。

「皆さんには4日後に敦賀港を出港する輸送船団の護衛任務に当たっていただきます。船団は24

隻。名称は特一号船団。目的地はラバウルです」

 これはまた、いきなりなことを言う。哨戒任務のため硫黄島の東に進出するのですら十分遠く

感じるのに、ラバウルとは!しかも4日後に出撃と来た。特設監視艇隊は帰港した後は10日は休

みが貰えるはずなのに。一難去ってまた一難。朝からへとへとに疲れつつ、それでもエビは口を

開いた。

「質問が色々ある」

「どうぞ」

「何故俺達がそんな任務を?」

 大淀は眼鏡を押し上げると生真面目な口調で疑問に答える。曰く、非常に緊急性の高い輸送任

務なのだが、大規模な作戦が迫っているため舞鶴鎮守府の艦娘ほぼ全てが出撃予定だという。そ

のため船団護衛に割ける戦力が足りない。海防艦の類も出払っていて都合がつかない。特設特務

艇のうち、比較的大型で足の速い船を探していたところ、昨晩都合良く光明丸が帰港したという

次第。自分の身を守ることすらままならない特設監視艇だが、輸送船やタンカーは完全に丸腰な

のだからいないよりかはマシといった所だろうか。特設監視艇のくくりで見れば大型でそこそこ

の重武装、そしてやたらと足の速い光明丸は確かに打って付けだろう。けれども特設監視艇に護

衛任務をさせるなど前例があるとは思えなかった。

「光明丸の修理と給油くらいはしてくれるんだろうな。それに、24隻も船がいるんじゃ一隻じゃ

とても守りきれやしねぇ」

「それについては問題ありません。すでに明石が光明丸さんの艤装の修理に掛かっています。護

衛は計11隻で行います」

 24隻の船に11隻の護衛。それが多いのか少ないのかエビには判断しかねた。腕組みして考え込

むエビの代わりにワタノキが発言する。

「それが『名誉回復の機会』ですか」

「はい。無事任務達成の暁には今回の件に関する一切を不問にする用意がある、と」

 言葉に含みを持たせた言い方が気になったワタノキだが、それ以上聞く勇気もなかった。どの

道船員達に選択肢など無いのだ。嫌だと言ったら今度こそ本当に体を握りつぶされてしまう。3

人の船員妖精はしばらくの間黙りこくった。何かを考えているのではない。今はその必要すらな

い。何を考えた所で結局は命令の下るまま、また海へとこぎ出すだけだ。彼らは突然自らに課せ

られた厳しい運命――と言って悪ければ状況――を受け入れるため、個人的な時間、自分の内面

と向き合う時間を欲していた。5000キロ近い海を渡り、赤道の向こう、ニューブリテン島のラバ

ウルへ。あまりに遠すぎるためにまったく現実感が湧かなかった。そこにはどんな海が広がり、

どんな星が輝き、どんな太陽が昇っているのだろう? 本来のトロール漁船としての光明丸に乗

り込んでいたのなら、あるいはそこまで行くこともあったかも知れない。どこそこの島にはどん

な人々がこんな風に暮らしていて……と自慢げに語ることも出来ただろう。しかしエビのその可

能性は、深海棲艦と海軍によって潰され、また今後も当面潰され続けることが確定している。

 そこまで思いをはせたエビは目眩を感じ、少し目をつぶった。目を開けると、大淀が心配そう

にこちらをのぞき込んでいた。目眩で頭がふらふらするのを耐え、エビは「最後に一ついいか」

と言って続けた。

「命を大事にするのがそんなに悪いことなのか、あんたはどう思うんだ。他人には言わねえから

教えてくれねぇか」

 大淀は視線を足下に落とししばらく考えると、慎重に言葉を選んだ。

「皆さんの仰ることも分かります。ただ、提督の言わんとすることも、同じくらい分かります。

その上で私自身の経験で言わせて貰うなら――時として命と同じくらい重大な、命を賭してでも

果たすべき使命が存在することは確かです」

 それが連合艦隊旗艦の経験を有する巡洋艦大淀の答えだった。その使命とかいうクソみたいな

物が山盛りになったお鉢が俺達の所に回ってきた。エビはそう理解することにした。

 



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第6話

 疑惑と不信の中で3日間が過ぎた。監禁から軟禁へと扱いが良くなったエビ達だったが、相変

わらず部屋から外に出してはもらえない。上げ膳据え膳だからと言って喜ぶ気には到底なれなか

った。「光明丸は変なことをされていないだろうか」とエビが心配すれば「名誉の戦死をして貰

う予定の艦娘だ、悪くは扱わんよ」とツチガミが答える。これを日に何度も繰り返すのでワタノ

キがこっそり数えていた所、二人はこのやりとりを3日の間に17回もしていた。そのやりとりが

無い間は、おおむね寝ているか提督を口汚く罵るかに時間を費やした。それにも飽きると、ワタ

ノキにあの提督について知っていること、鎮守府内での評判などを洗いざらい吐かせて彼の人と

なりをあれやこれや推測する。

 海軍兵学校と海軍大学校を出た後トントン拍子で出世した彼は他の提督の相談にも快く乗るし

艦娘にも紳士的に振る舞っている。徴用されたのがここ数ヶ月の話だから提督の指揮によって挙

げられた武勲や戦果はよく知らないが、少なくとも艦隊の経営は上手く行っているようだった。

弾をくれ、燃料をくれと言えば常に持ちきれないほど補給してくれるし、エンジンの調子が悪い

ようだ、と言えばすぐに修理点検してくれる。漁船用の焼玉エンジンすら数基ストックしている

のには恐れ入った。何かと恵まれている本土に門を構えていることを割引いて考える必要がある

――最前線のショートランドやブインでは旋盤一つだって貴重品だそうだ――とはいえ、無駄に

資材を溶かしては他の司令官から借り入れるような真似は決してしなかった。

 ひとかどの人物であることは疑いようが無く、であるからこそ舞鶴鎮守府の第五艦隊の指揮を

執っている。ところが彼の指揮下の徴用船舶が相手になると途端に言動が刺々しくなる。エビ達

の所属する第二十二戦隊、通称黒潮部隊と呼ばれる、3つの監視艇隊から成るこの部隊に対して

も彼は親の敵かと思うほど怨嗟のこもった、ほとんど敵意と言ってよい態度をとっていた。その

くせエビ達が身を以て理解したとおり表面上は穏やかな顔を振る舞って話すのだから気味が悪く

て仕方ない。

 彼の内面となると話はますます怪しくなった。彼は感状や表彰状の類を一枚残らず額に入れて

執務室に飾り、時折眺めては一人喜んでいた。いつだってきっちりアイロンの掛かった上衣の胸

には大量の略綬が、それこそ勤続○年と言った大して価値のない略綬までが隊列を組んで光って

いた。念のために記しておくがこれら略綬を身に付けるか付けないかは自由意思だ。いい年して

メダルを貰って喜ぶなど馬鹿馬鹿しいと言ってまったく付けない者もいるし、日々の仕事を円滑

にするため「威力」の高そうなものだけを一つ二つだけ付ける者もいる。貰った勲章・記章の略

綬を片端から付ける人間がどう見られるかは、想像の通りである。下っ端時代(それでもそのキ

ャリアのスタート時点から士官だ)に階級がらみで嫌な目にでもあったのか、時に妙な虚栄心を

発揮しては相手の出自やハンモックナンバーを変に気にしていた。一方で「海軍は」という主語

を使わせれば恐ろしく雄弁になる人物であり、またコーヒー1杯から酒の席まで他人に金を払わ

せることは決してなかった。

 要するに海軍組織とその権威、そしてそこに属している自分自身が大好きなのである。俗物と

言えば言えるだろう。しかし世の中の大多数の人間がそうであるように、彼もまた「面倒見の良

い有能な軍人」と「我が身の権力や威光で威張り散らす軍人」という二面性を持ち合わせている

ことを見逃してはならない。この二面性を批判できるほど我々は出来た生き物ではない。温和な

態度だが腹黒で、イヤな奴だが頭は切れる。こういう人間が一番相手にしづらい。

 と、ここまでは今まで見聞きしたこととワタノキのうわさ話から理解できた。問題は、そんな

提督が徴用された船と船員妖精たちをほとんど敵同然なまでに邪険にする理由である。正規の艦

娘に楽をさせるため、徴用・改装された艦娘にオーバーワークを強いたいがために冷たく当たっ

ているとでも言うのか? それとも自分の娘同然である駆逐艦娘や巡洋艦娘には寵愛を与えられ

ても「よその子」である特設監視艇や特設駆潜艇には出来ないと?

 色褪せた天井を横になって見上げながら、ツチガミが興味深い説を披露した。海軍から与えら

れた権力がアイデンティティーである提督は、海軍という村社会の中では偉くともそこから出れ

ばただの成人男性だ。ま、鎮守府の外へ足を踏み出しても海軍軍人であると言うだけでチヤホヤ

してくれる人は今日日いくらでもいるが、徴用された連中はそうではない。自分たちを誘拐同然

に海軍へ組み込むというのだから、徴用された船娘たちに反感はあっても尊敬の念など起こるは

ずがない。結果、海軍にいながら海軍の規範や尺度とは違う思想と思考を持つ、それどころか時

にはその規範を無視しようとすらする奴らが鎮守府の中に跋扈することになる。何せ舞鶴鎮守府

だけで徴用船娘の数は100を下らないし、悪いことに彼女ら徴用船は全て自分が指揮する第五艦

隊に属している。それが提督には気に入らないのだろう。なんとなれば自分の偉さを保証してく

れる階級章と略綬が、自惚れと自慢の種である海軍の威光が部下に全く通用しないのだから。い

くら勲章をジャラジャラさせた所で、船員妖精たちにはその勲章一つ一つが何を意味するのかす

ら分からんからな。

「だから徴用された特設特務艇を嫌うのではないかな」

 ツチガミの最後の言葉を境に、長い沈黙が訪れた。エビもワタノキもじっと考える。考えに考

えて、それでも分からなかった。

「チェッ、分かりやしねぇや。昼寝しながら考えるとすらぁ」

 言うが速いかエビはゴロンと横になり、そのまま目を閉じた。ツチガミもあくびしてからそれ

に続く。なおもしばらく考えていたワタノキも、頭の中に浮かんだ提督の顔が徐々に歪みだし、

そのまま夢の世界へ旅立ってしまった。

 

 

 船団の出港を明日に控え、光明丸の修理完了の報告と確認という名目で久々に日の当たる所へ

出る許可が下りた。時計を見ると昼間で、そのせいなのか人目に付かないようこっそりと桟橋へ

連れて行かれた。4日ぶりに会った光明丸は既に艤装を取り付け、以前と変わらない笑みを浮か

べて船員妖精達を待っていた。船長、お久しぶりです。光明丸がそう言おうと思った矢先にエビ

が彼女を質問攻めにした。何時かと似たような光景だな、とツチガミは思わず苦笑する。徴用さ

れ始めて舞鶴鎮守府に来た時も似たような会話をしていた記憶がある。少々親バカが過ぎるので

はないかな。光明丸もエビ達と大同小異の扱いだったが、一つ異なるのは万寿丸と同じ部屋に放

り込まれていたことだ。彼女の話からするに、今度の船団護衛に万寿丸も加わるらしい。それを

聞いてエビは呆れるような、同情するような複雑な気持ちになった。自分1人逃げ出した万寿丸

――正確にはその判断を下した艇長――と、味方を守り傷つき、そのために因果な目に遭うこと

になった光明丸。その両方が同じ刑を宣告され同じ贖いを行うことになろうとは。

 それはそれとして、今は光明丸の確認だ。

 エビ達を連れてきた兵士に「1時間だけだ。舞鶴湾から出るな」と念を押されて光明丸に乗り

込み、実際に航走してみる。歪んだプロペラシャフトも無線機も修理されていた。「別段艤装に

爆弾を仕掛けられた様子もないな」と要らぬ心配まで口にするエビを見て、ワタノキすら「当た

り前です」と呆れて見せた。ツチガミの言うとおりで、わざと整備の手を抜くような真似はされ

ていない。好調な機関を唸らせ、太陽の光を跳ね返すまぶしい海を疾走する光明丸。エビが船橋

から出てつかの間の良い気分を味わっていると、そこに無線電話で呼び出しが掛かって来た。

「大淀です。たった今漁協から鎮守府に連絡がありました。操業中の漁船が深海棲艦を発見した

との事です。およそ6時間前、場所は経ヶ岬の北4海里です。もう一つ連絡があり、こちらは8時

間前に久美浜湾の北西12海里。双方は同一の艦だと思われますが詳細な艦型は不明です。注意し

てください」

 何でさっさと知らせてくれなかったんだ、とエビが突っかかる前に大淀が続けた。前者は無線

が故障中で漁を終えて港に帰ってきてから報告したために遅れた。後者は薄暗い中見た姿が深海

棲艦かどうか確信が持てずぐずぐずしていたから遅れた、という。光明丸達は彼らをたしなめる

気にはとうていなれなかった。とりわけに前者についてはやむを得ないという感すらある。深海

棲艦を発見したからと言って漁をほったらかしにして通報しに帰るのは難しい。ここ最近は燃料

代だってバカにならないのだ。後者にしてもそうで、艦娘と深海棲艦を間違えて通報した、とか

空母艦載機を深海棲艦のそれと勘違いした、という誤認事件はたびたび起きていたのだ。

「また例の、はぐれたイ級か」

 エビが当てずっぽうに言う隣で、ワタノキは海図に大淀の教えてくれた位置を書き込んで深海

棲艦の航跡を作図していた。

「随分と遅いな。2時間で36キロ……10ノットしか出ていない。まさか酔っぱらって蛇行運転と

いうわけでも無かろうに」

 海図に引かれた線を見ながらツチガミが髭を撫でつつ言った。たしかに、鎮守府近海にまで迷

い込むイ級やロ級は30ノットくらいで暴走するのが常だった。どうもいつもとは違う。加えてそ

の航跡が丹後半島を東進、つまり若狭湾に向かっているのが気に入らなかった。

「それで、今現在の状況は如何に?」とツチガミが無線に問いかけた。現在空母艦娘の各航空隊

が哨戒のため出撃を始めているそうだ。射撃訓練中だった小艦隊も索敵に向かっている。また現

在海に出ている漁船や、遠征から帰還途中の艦娘達に問い合わせてみたが何も情報はないという。

「潜水艦だったりしてなァ」

 確かに潜水艦なら10ノットくらいが巡航速度だし、水中に潜ってしまえば見つからないからひ

ょっこり鎮守府の目と鼻の先に現れることも出来るだろう。まぁ分からなくもない。エビのぼそ

っとした呟きにツチガミはすぐ反応した。

「舞鶴港でも襲撃しにか。そんな話聞いたことがないぞ」

「ギュンター・プリーンなら、ありうる」

「プリーン? なんだそれは?」

 素っ頓狂に聞き返すツチガミをよそに、海図を弄っていたワタノキが口を開いた。

「可能性は非常に低いと思います。普通の船と違って艦娘は帰還したら陸に上がりますし、舞鶴

にだって対潜網は敷設されています。ただ――」

 一旦海図に目を走らせ、再び挙げた顔にはやや意地悪げな笑みが浮かんでいた。

「万が一億が一そうだとしたら大変なことになりますよ。6時間前の最後の報告で深海棲艦が見

つかった地点から舞鶴の軍港までおよそ23海里、潜水艦娘と同じで水中巡航速度が4ノットだと

したら6時間でピッタリ一致します。つまり、もしU-47の亡霊が悪巧みをするつもりなら、今ま

さに我々の足下を泳いでいる計算になる」

 ワタノキはこの状況を結構楽しんでいるようで、海図を弄りながら舞鶴港への最短接近経路を

あれこれと作図していた。小学生の頃地図帳を眺めながら「この山へはここから登る、この町へ

はこの道から行く」などと想像していたタイプなのだ。そんな船員妖精達の話を聞きながら、光

明丸は双眼鏡に目をやり周囲をくまなく監視する。ほとんど身に染みついた習慣と化したその行

為で、彼女は北の方からゆっくりと近づく艦娘達を視界に捉えた。

「船長! 1時に艦娘、味方です」

 どうやら遠征から戻ってきたらしいそれは、単縦陣のままひどくゆったりとこちらに近づいて

くる。軽巡天龍を先頭に、同じく龍田、駆逐艦暁、響、雷、電の6隻だ。深海棲艦の発見騒ぎな

ど何処吹く風と言った様子で鎮守府を目指している。

「あれは第11戦隊です。平和そうにしてますね……」

 ワタノキがまるでツチガミみたいな言い方で、目の前をお喋りしながら通り過ぎる彼女らを評

した。

 ちょっと普通じゃないぞ、とエビは物思いにふける。これで舞鶴鎮守府の主力艦娘が全て帰還

したことになる。提督の執務室に呼び出された時、黒板に書かれた戦隊編成表と艦娘の状況はし

っかり見させてもらった。舞鶴鎮守府の指揮下にある各戦隊は日頃から出撃に演習に遠征にと洋

上にいるのが常で、在泊している時だって重整備だの訓練だのと何かしらの任務に就いているの

が常だが、その時見た編成表には片端から「待機中」と書き込んであった。あまり見たことのな

い表記のせいで気になったことを覚えている。大淀の話通り大作戦が始まるのだろうか。

 となると、第五艦隊の切り札にして精鋭の第二戦隊も出撃するだろうな。旗艦は誰だろうか、

とあれこれ艦娘の姿を思い出して想像する。そういえば思い当たる節があった。金剛だ。秘書艦

の腕章を付けていたのだから旗艦に間違いない。確かに金剛は舞鎮でも上位に位置する練度だし、

旗艦としてふさわしいことこの上ない。彼女が洋上で華麗に戦う様子を頭のスクリーンに投影し

て、すぐ打ち消した。嫌いになったはずなのになぜか意識してしまう。しかもそんなとりとめの

ない空想にふける時、エビはなぜか金剛をヨイショするような位置に立って物事を考えてしまう

のだった。

 数十メートル先を行く第11戦隊の後ろから2隻目、雷がこちらに大きく手を振って挨拶する。

光明丸も手を振り替えした。

「どうだ、念には念で探信儀で海中を調べてもらうか。何もいなかったら提督に話されて笑いも

のになるやもしれんが」

「どうせ俺たちゃ提督に嫌われてる。今更笑いものになったところで構うもんか」

 光明丸に聴音機も探信儀も装備されていないのがつくづく残念でならない。光明丸は拳銃型信

号灯をベルトから引き抜き、そのトリガーに指をかけた。その瞬間だった。光明丸が放った信号

灯の光で天龍が爆発した。少なくともエビはそう見間違えた。

 突然起きた4つの爆発が6隻の艦娘を包み込み、爆風と爆炎で第11戦隊の姿がかき消された。盛

大な水柱が立ち辺りに金属片と海水の雨を降らせる。船橋にいても驚くくらいによく聞こえた轟

音に思わず身をかがめる3人の船員妖精。光明丸へは熱風が吹きつけ、思わず腕で顔を覆う。爆

発と共に起きた波は同心円状に広がり、光明丸を上下に揺らした。5秒経ち、10秒経ち、水煙の

向こうに姿を現したそれは、もはや第11戦隊とはとうてい呼べない物に姿を変えていた。

 一目見て、光明丸は全てを理解した。エビとワタノキは魂が抜けたように呆然と第11戦隊のな

れの果てを見つめ、そのせいか何が起きたのか理解するのにしばしの時間が必要だった。

「プリーンとかいうのは……とんでもない新兵器だな」

 最初の地点から勘違いしているツチガミは、説明されるまで理解することが出来なかった。

 



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第7話

 被害は甚大だった。天龍・電が大破し、艦娘は海軍病院へ直行。艤装はスクラップ同然だとい

う。龍田・暁・雷が中破。こちらはまだマシだが、それでも当分作戦行動不可能との判定が成さ

れた。運を拾ったのは小破で済んだ響のみ。言うまでもなく提督は怒り心頭だった。貴重な戦力

である第11戦隊が文字通り粉砕されたのも許せないが、その真横にいたのがよりにもよってあの

光明丸だったのも許せない。とはいえどこをどう見ても光明丸に「落ち度」などあるはずもなか

った。だがそれ故に怒りは収まらなかった。港湾警備は彼の指揮下の特設特務艇の仕事だ。敵潜

水艦を舞鶴に潜入させ艦娘に大打撃を受けてしまったとあっては笑いものどころか責任問題にま

で発展する。それを理解している提督は半ばヤケ気味に大捕物を始め、大量の飛行機と船とで舞

鶴湾と若狭湾を埋め尽くそうとした。ところが、大山鳴動してネズミ一匹のことわざ通りに、い

やそれよりも悪い結果となった。敵船を沈めることはおろか探知することすら出来なかったので

ある。

 もっとも、痛い目を見たのは光明丸達も変わらなかった。特一号船団は予定通り出発するとい

うし、そのくせ護衛船は敵潜水艦の索敵にでも駆り出されたらしく11隻から7隻へと減らされた。

ひょっとすると第11戦隊の艦娘たちが護衛艦艇として割り当てられる予定だったのかも知れない

が、今となっては言うだけ無駄だ。

 午前7時。曇り気味の空を見上げながら、敵潜騒ぎの喧噪の中を光明丸は出撃する。鎮守府近

海では哨戒中の艦娘と航空機と遭遇し、そのために「光明丸は撃沈された」との提督たちの決定

はうやむやになってしまったが、もはや彼らも気にとめてはいないだろう。敦賀湾から来た24隻

の輸送船団と手はず通り合流し、西進。本土をぐるりと回って一路ラバウルへ。

 輸送船、つまり輸送船娘はその背後に貴重な物資を満載した巨大な艤装を背負い、いかにも重

そうに航走している。人間に冷蔵庫をくっつけたみたいだ――とエビが呟いた。とはいえ彼の地

元、敦賀港は一大交易港でもあるから、大して珍しくもない。吃水が深く、波を越える度に膝ま

で海に潜り込みそうになる20隻の貨物船に4隻のタンカー。彼女らの到着をラバウルでは今か今

かと待っているに違いない。そう思うと光明丸の船員妖精達も責任を感じざるを得ないが、それ

だけ重要な任務ならばもっと手厚い護衛を付けても良い筈だ、という意見が心の中に出てくるの

もまた事実だった。

 合計30隻以上の船が船団を組むと流石に見栄えがする。特設監視艇隊が哨戒地点へ行き来する

時に組む船団はどうにも漁船団のそれと変わり映えがしなかったが、今回の船団、特一号船団は

本物のコンボイである。

 船団の先頭を進むのは、駆逐艦朝潮。今回の護衛部隊の旗艦を努め、また輸送船団の指揮も執

る。可愛らしい見た目とは裏腹にいかにも武人と言った感じで、何かとハキハキ受け答えしてい

る。練度も高く実戦経験も豊富な頼れる艦娘だ。その背後に、24隻の船娘が12隻ずつのグループ

に分かれ、1グループにつき4行3列に碁盤の目のごとく整列し続航する。

 船団の右側を守るのが、我らが特設監視艇第7光明丸と特設駆潜艇第4光丸。光丸は元は捕鯨船

で、クジラを追うための足の速さと南氷洋まで進出できる航続距離、そして荒れる南氷洋でも操

業できる凌波性の良さを活かして徴用された。光明丸より一回り大きい350総トンの船体には、

駆潜艇の名が示す通り大量の爆雷と潜水艦を見つけ出すための聴音機・探信儀が装備されており、

その蒸気レシプロ機関は15ノットの速度を発揮できる。良く焼けた小麦色の肌と茶髪がかった髪

が洋上生活の長さを連想させた。捕鯨砲で鯨を仕留めていたこともあり、銃火器の扱いには多少

自信があるのだという。光明丸とは「名前に同じ『光』という文字が入っている」などという話

を少ししただけだが、ざっくばらんとした性格のようだ。

 船団の左側を守るのは、逃亡疑惑により罰を受けこの任務を背負わされた特設監視艇万寿丸と、

光丸の姉である第6東丸。彼女は姿も性格も妹に似ている――というのも、彼女ら捕鯨船は一隻

の捕鯨母船の下で数隻まとまって漁をするため、各捕鯨船の大きさや性能は全く同一に作られて

いる。軍艦で言う所の同型艦だ。そのためこれ幸いにとばかりに、捕鯨船は姉妹艦がまるごと徴

用されるのが常だった。可哀想なのは商売道具を取られる船会社と娘を取られる捕鯨母船だ。光

丸が言うにはあと4人の姉妹がいて、みな別部隊に配属されているそうだ。2隻の姉妹は港湾警備

や対潜哨戒の経験があると言うから、戦力として期待してよい。

 船団の最後尾を走るのは特設監視艇吉祥丸。彼女がまた食わせ物だった。木造のカツオ・マグ

ロ漁船で排水量は僅か76トン。特設監視艇としては最小クラスで、本当にラバウルまで行けるの

か誰もが心配した。焼玉エンジンから生み出される速度はたったの8ノット。船団の航行速度が7

ノットだから、これでは護衛どころかおいて行かれないようにするので精一杯である。一体どん

な理由で護衛任務を押しつけられたのか誰もが首をひねった。しかし妙にタフな所がある艦娘で、

駆逐艦娘よりも幼いその容姿とは裏腹に、監視任務をこなした数だけで言えば光明丸よりベテラ

ンだ。遊覧船の船長をしていたという予備士官上がりの艇長が切れ者で、彼の腕によって生き抜

いてきたのだと噂されている。

 そして最後に、船団の周囲を右へ左へと行き来し海と空に目を光らせているのが駆逐艦望月。

眼鏡の奥の瞳は常に眠そうにしているが、「やるときゃやるよ~」とは本人の弁である。信じて

あげよう。この7隻が護衛部隊の全てである。正規の軍艦は2隻だけで、あとはどれもこれも徴用

された船ばかりである。誰もが心細さを覚えずにはいられなかったが、もはや戻る事も出来ない。

賽は投げられた。

 左舷側に航行する輸送船団を船橋から眺めながら、ワタノキは我らはPQ17かそれともFR77かと、

とりとめのないぼんやりとした想像をしていた。ふと、ユリシーズがいてくれればな……という

考えが彼の頭に浮かんだ。軽巡洋艦ユリシーズ。

『危険のあるところ、死のあるところ、ユリシーズの姿をもとめると、ユリシーズは霧峰のかな

たから亡霊のように現れるのだった。あるいは、北極海の夜明けの悽愴たる薄明に、もうあすの

夜明けを見ることはないだろうという恐れ――ときにはほとんど確信――をいだいたとき、なに

かの奇跡のように、ユリシーズがぽかっと目の前にいるのだった』

 彼女にまつわる伝説の、古の小説家が記したこの一節を信じるのならば、我らの眼前にも彼女

が現れても良いのではないか。彼女なら、我々をラバウルへと連れて行ってくれるのではないか。

そこまで考えて、ワタノキは笑いながら頭を振った。彼女の船体に塗られた白と灰とくすんだ水

色の斜線、北極海用のダズル迷彩は透明度が高くて日光がぎらつく南の海には似合うまい。それ

に、望まぬ任務とはいえ達成への努力すら放棄するような者を誰が助けてくれるものか。

 想像の世界から戻ってきたワタノキの視界に、上空を行く緑色の機体が映った。ユリシーズの

代わりと言ってはなんだが、船団上空を常に哨戒機が飛んでいてくれるのだ。これは提督の指示

で、本土から離れるまでは航空機による手厚い支援が受けられるのだという。こう言えば良く聞

こえるが、実際の所「取り逃がした敵潜に船団までもがやられた」という最悪の事態を避けるた

めの打算的手配とも言える。

 提督がこんな行為に及んだ理由が、自分の出世か評点か、あるいは指揮下の艦娘のためかはこ

の際問わない。彼の行為が特一号船団にとってプラスなら、その心の内にどんなどす黒い感情が

あった所で知ったことではないのだ。エビは上空を気ままに飛ぶ味方機を眺めながら「空母がい

ればナァ」と漏らす。軽空母の一隻、艦載機の10機でもいてくれればぐっと楽になるだろうに。

「ありさえすれば5隻でも10隻でもついて行かせるだろうさ。ありさえすればな」と言ってツチ

ガミがなだめる。

「光明丸憎しのあまりに護衛船をケチって船団全体を危険にさらすような、そんなバカをやるほ

どあの提督は能なしではないと思うがね」

 輸送船団が壊滅したとして真っ先に責任を問われるのは指揮官である提督だ。光明丸を「任務

中に撃沈された」という形で沈めたいのなら他に幾らでも手はある。何も他の艦娘まで巻き添え

を食らうような七面倒くさい奇策を講じることはあるまい。エビは「どうだかねェ。ああいう奴

に限って人を背中から撃つんだ」と吐き捨てるように言うと、船橋から出て見張り台へと上がっ

ていった。

 護衛艦艇の数が少ないことを除いても、目下の心配はまだ二つある。一つは提督のそれと同じ

で、行方を眩ませた敵潜だ。やれエリートだフラッグシップだとその正体についてのもっともら

しい噂があちこちで聞かれていた。舞鶴港に襲撃を掛けるような手練れだ。もしこの特一号船団

が奴に見つけられたら輸送船の2,3隻は海の藻屑となるに違いない。もっとも、今は上空の味方

機が目を光らせているし、本土沿岸で仕掛けてくれば今度こそ大量の飛行機と船とが殺到するの

は確実である。となるならば仕掛けてくるのは太平洋側に出た後、航空機の行動圏外に達してか

らだ。当然、船団の位置を付近にいる深海棲艦にも知らせるだろうから、激戦となるのは間違い

ない。

 二つ目は天候だ。今はまだ大丈夫だが、西から低気圧が近づいてきている。ちょうど太平洋側

に出た辺りで鉢合わせする予定だ。大時化になれば、ひょっともすると吉祥丸が沈んでしまうか

も知れない。でなくとも飛行機は飛べなくなり、航空支援が無効化されてしまう。とはいえこれ

は深海棲艦側とて同じ事だ。上述の敵潜が攻撃を仕掛けてこようにも、視界の悪さと高波がそれ

を困難にする。太平洋に抜け、低気圧が収まった後、それからが本番だろう。舞台は整えられ、

照明は付き、幕は上がる。開演を知らせるブザーは今まさに鳴ろうとしていた。

 



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第8話

 船団が出港して3日目の午後。ようやく太平洋側に出た特一号船団は高知沖を航行していた。

端から見れば3日も航海してたったのそれだけしか進んでいないのか、と思われるだろう。船団

の航行速度は7ノット。これはつまり、1日につき300キロしか進めないことを意味している。遅

すぎだと思うかも知れないがそんなものだ。輸送船の巡航速度は精々12,3ノットで、戦時標準船

ともなると「最高」速度が10ノットなどという事もある。そして都合の悪いことに特一号船団の

半数はその戦時標準船だった。加えて関門海峡を通る際には当然船団の陣形を変えなければなら

ないし、それがまた航行の遅れを招くことになる。

 ともあれ大海原に乗り出した船団は再び陣形を組み南東に進路を取る。途中でマリアナ諸島の

サイパンに寄って給油と整備をする予定だ。その後はラバウル目指して一直線に進めばいい。サ

イパン出航後に深海棲艦の大艦隊と遭遇したら、マリアナとラバウルの中間にあるトラック諸島

へ逃げ込む手はずになっていた。

 舞鶴港を襲撃し第11戦隊を叩きのめした敵潜は行方知れずだった。特一号船団が襲われる事は

なかったが、撃沈したとの報告も入っていない。自分たちのすぐ近くにいると考えるべきです―

―と朝潮が全船に向けて警告した。もっともなことだと誰もが思ったが、自分の足下に深海棲艦

がいるのではないかと思うと気味が悪くて仕方なかった。午前中にパラパラと降っている程度だ

った雨は午後に入りその勢いを増した。夜になると本格的な風雨となり、海も荒れ始める。

「どこかの港に入ってやり過ごしてはどうでしょうか……?」

 万寿丸が眼鏡の奥に伏し目がちな瞳を浮かべ、おずおずと朝潮に問うてみた。

「提督からは必ず予定通り到着するように厳命されています。外洋を航行できる皆さんならこの

くらいの波は大丈夫の筈です」

 ばっさりと断られた万寿丸はますます伏し目がちになり、次いで顔を背けてしまった。彼女の

本心で言っているのではない。彼女の艇長が命令して万寿丸に言わせたのだ。光明丸の直感がそ

う告げていた。船娘と相性の悪い船長がいれば、船長に恵まれない船娘もいる。万寿丸は後者で

はないかとの、初対面の時からの思いはほとんど確信に変わっていた。

 午後10時。視界が悪い中雨と風はさらに勢いを増した。波を越える度に光明丸は激しくピッチ

ングし、あるいはローリングする。転覆しないように懸命にバランスを取りながら、しかも陣形

を乱さないように航行するのは難しい。敵の心配など到底していられなかったが、この状況で仕

掛けてくる敵がいるはずもない事をエビに言われると少し気が楽になった。いっそ、ラバウルに

着くまでずっと嵐だったらいいのに、などとおかしな事まで考えてしまう。

 一人くすくす笑う光明丸の顔を雨が洗った。もはや頭の先から足のつま先まで雨水か海水かの

どちらかで水浸しだった。それは他の艦娘・船娘も変わらない。朝潮は船団に遅れたり陣形を崩

している船がないか常に見渡し、皆に声援を送っていた。声援で船が浮かぶ訳ではないが、彼女

のその生真面目な態度は皆の尊敬を集めこそすれ、無下にするものはいなかった。彼女が望むな

ら船団の先頭を行くことも、皆に気を配ることもしないでよいのだ。東丸と光丸は、この雨の中

だというのにむしろ楽しんでいる様子で、踊るようにして波を乗り越えている。時々こちらが驚

くくらいにピッチングしているのだが、本人達はサーフィンでもしているつもりのようだ。万寿

丸は朝潮に提案を断られてから黙っているが、その他は別段変わらない様子だ。望月は船団を左

右に行き来しながら警戒するのを一時停止し、吉祥丸と同じく船団の最後尾に付いて航走してい

る。

「はぁ~、まじで最悪」と言いながら眼鏡を外し、雨水を袖で拭った。しかし既にベタベタだっ

た袖は眼鏡に付いた水を押し広げるだけで、まったく拭き取ることが出来ない。彼女は諦めて眼

鏡を掛け直した。何時転覆するかと船団中の視線を集める吉祥丸だが、意外なことに波風に耐え

て走り続けていた。それどころか艇長一同艦娘までが嵐の中歌い出す始末だった。

「タフな連中だよ、まったく!」

 ツチガミが言葉とは裏腹に嬉しそうな顔をして叫んだ。

「とても表には出ていられんな。今旗艦の朝潮から点呼があったが、脱落したり故障した船は今

のところ居ないようだ」

「このまま抜けられればいいが」

 エビが窓に顔を押しつける。が、雨が吹き付けるばかりで外の様子はよく分からない。風は弱

まったと思えば強くなり、雨は勢いを弱めたふりをしては激しくなる。全体としては徐々に強ま

りつつある。

「光明丸、辛くないか」

「心配しないで船長。このくらい大丈夫です」

 エビが光明丸の様子を尋ねるのはこの1時間のうち既に3度目である。親バカぶりがさらに進行

しつつあるな、とツチガミは思う。

「うわっ! 艇長、光丸が!」

 前方を見ていたワタノキが突然叫んだ。驚いて目をやると、目の前を航行しているはずの光丸

が消えていた。その代わりに見えるたのは、光明丸の背丈を軽々超える高さの波。光丸はあの波

の向こうにいるのか? と疑問に思う間もなく光明丸に波が襲いかかる。

 右舷にバランスを崩しつつも波に乗った彼女はスキージャンプのように波を駆け上がり、頂点

から勢いよく放り出された。一瞬宙を浮いた彼女は、次の瞬間には海面に足から叩き付けられる。

勢いの付いた体は水の抵抗をものともせずズブズブと沈んでいく。膝まで暗い海に浸かった所で

ようやく体が浮き上がった。思わず冷や汗をかいた光明丸が前方を見ると、そこには光丸がこち

らを見ながら笑顔で手を振っているのだった。光明丸が周囲を見渡すと、左舷に居たはずの輸送

船が見えない。先ほどの光丸と同じく波によって遮られているのだ。

 しばらくすると輸送船が姿を現した。彼女は必死に波を堪えもがきながら進んでいる。その顔

には見るからに苦痛が浮かんでいた。輸送船が大波を越えようとした瞬間、右側から一際強烈な

風が叩き付け、バランスを崩した彼女はほとんど転がるようにして波のこちら側へと落ちて来た。

沈没する! と光明丸は目をつぶりそうになったが、光明丸と同じようにしばらくの沈下の後な

んとか浮かび上がってくるのを見て胸をなで下ろした。あの輸送船の苦しそうな姿と光丸の楽し

そうな姿と、どちらが正常な反応なのか、もはや光明丸には分からなかった。頭の回転が鈍くな

っているのを自分でも感じる。そこへ朝潮から呼びかけがあった。

「正面、凄く大きい波です! 全船注意してください!」

 31隻分の目が暗い海をにらみ付けた。今し方超えたばかりの波よりもさらに巨大な、何千トン

か、何万トンかの水の塊が押し寄せてきた。それは文字通り壁だった。全長何メートルある波か、

それすら定かではない。背丈の4倍を軽く超える高さがある巨大な波にさしもの光丸も表情を曇

らせた。が、波とぶつかるまでに出来たのはそれだけだった。祈ることも後悔することも遅すぎ

た。光丸は懸命に波を登り、その頂上では足の艤装に付いているスクリューと舵が水面に露出す

るほど跳ね上がり、波の向こうに消えた。彼女がどうなったのかと心配する間もなく光明丸もそ

の波に襲われる。

 波に突っ込むと同時に大量の海水を浴びる。同時に体が波で出来た坂の上へと押し上げられる。

波の頂上から見る景色――辺りが暗くてほとんど見えないが――はビルの2階から見るそれより

もなお高く感じられた。光明丸の体もまた宙へと投げ出され、ぶち当たるようにして海面に着水

した。着水した際のしぶきが顔に掛かり、ほとんど腰まで海水に潜り込む。彼女は一瞬、ほんの

一瞬だけ沈没を覚悟した。しかし彼女の体は、偉大なアルキメデスが示したとおりに、彼女の体

自身が生み出す力によって浮かび上がった。少しずつ、しかし確実に、艤装から海水を滴らせつ

つ光明丸は浮かび上がった。

 分解しても、木っ端微塵になっても、張り裂けてもバラバラになってもおかしくなかった。幸

いにして光明丸はどれにもならずに済んだ。船橋では船員妖精達が目を丸くしながら、着水の衝

撃で吹き飛ばされた自分の体をさすっていた。もう一度同じ波が来たとしたら、光明丸は乗り越

える自身がなかった。だがもうそれ以上の波は来なかった。雨も風も、あの最後の大波を境に収

まり始め、朝日が昇る頃にはただの小雨とそよ風になっていた。

 ずぶ濡れになった服を絞りながら朝潮が点呼を取る。奇跡的に全ての艦娘・船娘が無事だった。

あの吉祥丸ですら、一体どんな魔法を使ったのか無事に嵐を耐えきっていた。誰もが周囲を見渡

し、自分と味方の無事を何度も何度も確認した。確かに俺達は生きている。まるでこの輸送任務

がもう終わってしまったかのような、奇妙な達成感がわき上がってきたが、実際の所中継地点の

サイパンまで2000キロはある。

 それでも強いて言うなら、特一号船団全体の士気を高める効果はあったと言ってよい。1日、2

日と平穏な航海が続いた。本土から300海里も離れると、いよいよ味方機の支援が受けられなく

なる。船団の番犬となってくれる航空機はありがたいが、電波を飛ばしたやりとりは深海棲艦に

感づかれる危険もあった。船団がどのルートを通るかはあらかじめ通達してあったが、それでも

目印のない洋上では合流のため電波を放ち交信する必要が生じる。リスクとベネフィットを勘案

して、最終的には朝潮の判断で上空支援の打ち切りを決めた。燃料の限界まで船団の上空に張り

付いていた流星は朝潮からの電文を受け取ると、「汝ラノ平穏ナ航海ヲ祈ル」と挨拶を告げ、翼

を翻して進路を北へと取った。

 ここから先は無線封止を徹底し身を隠して走る。船同士のやりとりは信号灯か旗流信号、それ

も危険な場合は互いに声を出して意思疎通する。去って行く飛行機の姿が徐々に小さくなり、最

後には空の向こうに見えなくなる。それは自分たちだけの力で行う航海の始まりを知らせるサイ

ンでもあった。

 



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第9話

 嵐を抜けた後はしばらく順調な航海が続いた。天候は晴れたり曇ったりを繰り返しパッとしな

かったが、船団の足取りは軽かった。特一号船団は今、本土とマリアナ諸島との中間地点に差し

掛かりつつある。全船が無事平穏。今のところ問題はない。今のところは。

 薄明、東の空がゆっくりと明るさを増し、太陽が一日の始まりを告げつつあった。陸の上なら

鳥や虫の声で朝を感じることも出来るが、洋上には一匹の虫もいない。機関の音と波を切る音、

風の音がする程度のものだ。南下する船団の周囲で、7隻の護衛船達は敵を警戒し続けている。

 ここ数日の緊張が集中力を乱したのか。それとも魔が差したのか。僅かに、ごく僅かに艦娘達

の注意力は散漫になっていた。そしていつだって、敵はその最悪のタイミングに限ってその牙を

露わにする。

 最初に気がついたのは船団の左側にいた望月だった。2本の雷跡を見つけると、いつもの眠そ

うな目が大きく見開かれ、次に口がそれに続いた。

「9時方向に雷跡!」

 気付いた時には手遅れだった。輸送船団のうち、もっとも左端に位置している西波丸めがけて

魚雷は突き進み、磁気信管により彼女の足下で炸裂した。艤装が一瞬にして粉々になり、高い水

柱が上がる。炎と共に爆発が起こったが、燃えさかる暇もなく海中へと沈んでいった。船員も船

娘も、痛みを感じる暇すらなかっただろう。それどころか自分の身に何が起こったかすら分から

ないまま没していったのかも知れない。2本目の魚雷はその右前方の第11北浜丸へ飛び込んだ。

撃沈こそ免れたもののスクリューと舵が砕かれ、あっという間に操船不能に陥る。船団内に混乱

が走ったが、朝潮の指揮は早かった。

「対潜戦用意! 私と望月、東丸で敵潜を追う! 光丸は船団の指揮を執って方位230へ離脱!

 動揺と混乱で船団の陣形は乱れつつあった。中には勝手な方向へと舵を切る船娘もおり、それ

が一層の無秩序を引き起こした。

「みんな、隊形を乱さずに付いてきて! コラぁっ、勝手に離れるなぁ!」

 光丸の叫びにも関わらず、何隻かの船娘が気ままな方向へと進み出す。敵がそれを見逃すはず

はなかった。被雷しながら懸命に進んでいた北浜丸に、第二波の魚雷が2本が襲来。うち一本が

文字通りのクー・ド・グラースとして突き刺さる。赤い血潮と黒い燃料が水柱と共に巻き上げら

れ、周囲には艤装の破片が降り注いだ。船団から離れた朝潮、望月、東丸の3隻は魚雷が発射さ

れた方向に突き進み、探信儀で海中を探る。敵潜は太陽の昇る東側から攻撃を掛けてきた。朝日

で海上が見づらくなり姿を隠せるという寸法だ。雷撃後すぐ深く潜航するのがセオリーだから必

ずしも太陽を背にする必要はないのだが、きっちりそれを実行してくる点に脅威を感じた。

「この潜水艦、舞鶴を襲ったやつなんだろうね」

 望月が一人納得するように呟いた。朝潮が間髪入れず喚起する。

「そう思った方が良い、本気で掛からないと返り討ちに遭う!」

「とはいえこう味方の船が多いと、ノイズだらけで何がなんだかね!」

 東丸はそうぼやきながらも探信儀の反響音に神経を集中させる。ピンを打って、待機。ピンを

打って、待機。僅かに違う感触があった。正面、近い。

「見つけた! 正面ちょい左、距離600m!」

「よし、私と望月が『キラー』として攻撃する。『ハンター』役を任せる!」

 彼女たちが使う爆雷は一度投下すると命中せずとも設定された深度に達し次第爆発する。する

と海中をひっちゃかめっちゃかにかき回し投下した本人の水中への索敵能力を一時的に奪う。ま

た全速で動く艦娘は自身がノイズの発生源となりやはり索敵能力が低下する。そこで一隻が索

敵・管制役、一隻が攻撃役となる「ハンター・キラー」が対潜戦闘の基本だった。

 朝潮の思い切った決断に東丸は少々気後れしそうになった。旗艦自ら突っ込み、攻撃のタイミ

ングを自分に任せる、しかも一度に二隻の「キラー」を管制しろと言う。よほどこちらを信用し

ていなければ出来ない決断だった。やって見せようじゃん。東丸は唇を舐めると一層集中の度を

増した。朝潮と望月は速力を上げながら、爆雷が最も効率的に散らばるよう互いに距離を取った。

調定深度60m。東丸の「今だ!」との叫びを聞いて2隻の艦娘は爆雷を投下し始める。

「いよっ!」

 望月は声を上げながら投射機に手を掛ける。投下軌条と投射機からほぼ等間隔に複数発がバラ

まかれ、鈍い音を立てながら沈んでいく。投下が終わってから20秒ほどの沈黙。

 まだ爆発しないのか、敵が逃げてしまう――東丸はいつもながら爆雷の沈下速度の遅さに一人

やきもきした。朝潮が、そしてのんびり屋の望月までがそう思い始めた頃ようやく爆雷が起爆し、

水面が盛り上がった。同時に聴音機・探信儀がノイズの海に溺れる。しばらく経ってやっと海中

の様子が探れるようになるが、撃沈したのか取り逃がしたのか失探してしまった。慌てる3隻の

足下に大量のあぶくと破片が浮かび上がってきた。どうやら敵潜のものらしい。

「撃沈した……かなぁ?」

 望月が浮かんできた黒色の破片をつま先でつつきながら聞いた。

「あまり楽観的に考えない方が良いと思います。ですがかなりのダメージは与えたに違いありま

せん」

「敵潜に位置を知られた訳だから、これからドンドン敵が集まってくるんじゃない。ねぇ朝潮ち

ゃん?」

 東丸の疑問はもっともだった。今し方迎え撃った深海棲艦も、攻撃前に敵船団の位置を味方に

あまねく知らせただろう。新たな敵潜や水上艦艇、下手をすると空母艦載機が襲ってくる可能性

はある。3隻は退避させた船団を追いかけて合流する。顔の見える距離になると光丸が真っ先に

口を開いた。

「東姉ぇ、潜水艦はどうなった? やっつけた?」

「沈めたかどうかは分かんないけど、とりあえず引っぱたいた上で追い払ったよ」

 東丸と光丸は互いに握った拳を突き出すジェスチャーをした。それが祝勝の合図らしい。

士気の高い彼女ら特設駆潜艇に比べ、船団には不安と恐怖とが垂れ込めていた。これが初めての

輸送任務となる船娘も決して少なくないし、経験を積んだ船娘の中にも味方が撃沈されるのを始

めて見る者がいた。断末魔を上げる暇もなく、形見すら残らずに深い深い海の底へと落ちていく。

その光景はおおよそ全ての艦娘と船娘の網膜にしっかりと焼き付けられ、目を閉じれば鮮明に浮

かび上がる映像として脳に刻みつけられた。

 だが、恐れていた所で目的地までの道のりが縮む訳では無い。朝潮が全員に喝を入れ、それで

もなお陣形を組みたがらない輸送船を牧羊犬のように追い立て回し、ようやく元の進路へと復帰

した時にはとうに日が昇っていた。再び船団の先頭を行く朝潮に、「今までしてなかったけど、

ジグザグ運動はやんないの?」と望月がこっそり聞く。唇を真一文字に結んで少し考える朝潮だ

ったが、やはりする気が起きなかった。

 ただでさえ遅い船団の進みをさらに遅くしたくない、というのがひとつ。まともに船団を組ん

だ経験のない船娘達が玉突き事故を起こすのではないかとの疑念が消えないのがひとつ。ジグザ

グ運動にはあまり効果がないという話を最近聞いていたことがもうひとつだ。舞鶴鎮守府で駆逐

艦娘、潜水艦娘の合同演習が行われたが、朝潮も参加した架空の船団護衛とそれに対する襲撃演

習において、ジグザグ運動の有無は損害とあまり関係が無いように感じたのだ。ある潜水艦娘な

ど「例え巡洋艦がジグザグに走っていたとしても簡単に沈めてみせるでち!」とまで言い切って

いた。だから今回の護衛任務ではきっぱり止めてみることにしたのだ。しかしやはりするべきだ

ったのか? いや、たとえそうしたところで舞鶴を襲撃するような相手に効果があるだろうか?

 朝潮が周囲に警戒しつつも逡巡する間に、時計の針は12時近くまで回っていた。水上にも海中

にも敵は見あたらない。敵潜による再びの襲撃は無いらしかった。それとも、夜まで待っている

のか。朝から頭をフル回転させっぱなしの朝潮だったが、彼女を疲れさせる出来事がまたひとつ

生じた。すなわち、彼女の装備する電探が何者かを探知したのだ。驚いて電探――提督から丁寧

に扱ってくれと念を押された上で支給された13号電探――を操作する妖精に詳細を報告させる。

北東、約120キロに編隊らしき反応を確認したという。敵か味方かは不明だが一直線にこちらに

向かってくる。味方だと思い込めるほど朝潮は楽観的ではなかった。そう思うには、彼女は死線

と言うものを見過ぎていた。状況からして敵である蓋然性の方が遥かに高い。覚悟を決めて口を

開いた。

「全船へ警告、北東120キロに敵編隊を確認した。巡航速度から言って2,30分後には接敵するの

は間違いない。対空戦闘の用意を!」

 

 

「潜水艦の次は爆撃機か、大歓迎だな」

 光明丸の船橋にツチガミのいつもの皮肉が響いた。先ほどの魚雷攻撃でかなり肝を冷やした光

明丸とその船員妖精達だが、それでも彼らは幾度かの実戦を経験している。艦載機の迎撃など始

めてのことではあるが、しかし驚きこそすれ恐れはしなかった。要するに戦闘とやらに慣れてし

まったのだ。それが良いことなのか悪いことなのか、光明丸には分からなかった。13ミリ機銃と

47ミリ砲を今一度確認して何時でも撃てる体制へ。敵が来るという北東の空を睨むが、雲が流れ

ているだけで見えるはずもなかった。

 特一号船団は輸送船娘達を中心として密集した輪形陣を組む。船団の周囲を行き来して警戒し

ていた望月も船団の最後尾に移動し吉祥丸と並走する。船娘達は空襲が近いことを聞いて予想通

り混乱し、ために陣形を変えるのにも手間取った。貴重な時間を浪費する様子に朝潮は苛立った

が、しかし口や表情に出すほど迂闊でもなかった。電探上の敵は以前こちらに近づいている。

少々進路がずれているようで、このまま見つからずにやり過ごせるかと淡い期待を抱いたが、次

にはその期待を思考の隅へと追いやった。何事も最悪を考えて行動するべきだ。各輸送船娘、護

衛の艦娘へ逐一情報を送って敵機が来ると思われる方向を重点的に見張らせる。

 もうそろそろ、もうそろそろだ。電探にかじり付いている妖精が敵機との距離を読み上げるた

びに朝潮の鼓動は早くなった。船員妖精たちが双眼鏡に眼を押しつけていると、ふと、水平線の

すぐ上に、ゴマを撒いたような点が見えた。まさかと思ってよくよく見ているうちにそのゴマ粒

は数と大きさをどんどん増していき、徐々に輪郭が鮮明になる。それは艶のある黒色をした、か

ぎ爪のような鋭い形の物体だった。

 見間違えるまでもなく深海棲艦の艦載機である。

 敵機発見が告げられると同時に対空戦闘は始まった。射程に入った順に艦娘達の火砲が次々と

火を吹く。まずは朝潮の12.7センチ砲と望月の12センチ砲。続いて東丸と光丸の8センチ砲。こ

の時にはもう敵機の姿が肉眼でもしっかり確認でき、ワンテンポ遅れて万寿丸の短5センチ砲と

光明丸の47ミリ砲が発射された頃にはその数が約40機であることまでが見て取れた。敵機が上空

に迫ると今度は機関砲・機関銃の出番となる。光明丸には意外だったが、丸腰だと思っていた輸

送船娘のうち何隻かは武装しており、銘々が大小様々な武器で応戦していた。艦娘と船娘合わせ

て合計十数隻分、上は12.7センチから下は7.7ミリまでの多種多様な砲弾と銃弾が敵機に襲いか

かる。運良く敵機に命中したものもあったろうが、多くは煙を噴きながら編隊から離れるだけで

撃墜しきれない。全体としてはさして被害もなく近づきつつある。

 対空射撃は当たらない。時速数百キロで動く目標を、数十キロの速さで動いている上に波で揺

れる海上の砲台から狙おうというのだ。電探・射撃指揮装置・火砲の完全連動、射撃諸元の自動

測定と自動算出、僚艦への機械的な目標振り分け、探知した目標情報の即時の共有と更新、電算

機に脅威となる目標から順に優先順位をつけさせて射撃……などというのは夢のまた夢の話だっ

た。

 だから、敵機に砲弾を命中させようという考えは最初から捨てて、その変わりその進路上に可

能な限り大量の砲弾を集中させる。この無差別な攻撃こそが日頃「弾幕」と呼ばれている物の正

体である。究極的には空中を弾丸で埋め尽くして敵機が存在できるスペースを「物理的に」無く

すことが目的だ。が、そのために必要な無限に等しい大砲と機銃、砲弾と銃弾を用意することが

出来た艦船は未だかつて存在しない。

 敵機に向けて降り注ぐ曳光弾混じりのシャワーに、光明丸はこんな弾幕を突破してくる敵など

居るのかと錯覚してしまう。いままで自分1人で敵を撃ったことはあったが、これだけの艦娘が

合同して撃ちまくるような経験はなかった。だが、光明丸の意に反して何機もが弾幕の隙間を縫

って進入、投弾体制に入る。船団の左後方から進入した敵機は手近な目標を見つけると急降下に

入った。火線は一層濃密になって敵機を追うが、むなしく空を切り明後日の方向へと吸い込まれ

ていく。

 投弾。一升瓶くらいはありそうな爆弾が放り出され、瞬きする間に輸送船永長丸の右前方に着

弾した。激しい水柱が上がり、右へ左へと大きく揺さぶられる永長丸。だが誰にも彼女を見続け

ている暇はなかった。敵機は次々と降下を開始し好き放題船団を食い荒らす。投弾を終えた敵機

は行きがけの駄賃とばかりに機銃掃射を浴びせていった。防弾などまるでない輸送船や特設特務

艇には気ままな機銃掃射ですら致命傷になりうる。光明丸にも、もう周囲の様子を見ている余裕

はない。近づく敵機すべてに機銃弾を撃ちまくる。撃墜できずともその照準を乱すくらいは出来

る。

 叫び声が聞こえた。だが見ている暇はない。

 悲鳴が聞こえた。だが振り返る暇はない。

 敵機が光明丸に狙いを付けた。だが沈む気は毛頭無い!

 左側のアームから伸びた13ミリ機銃に新たな弾倉をたたき込むと、左前方で降下体制に入った

敵機へ狙いを付け引き金を引く。命中している手応えはあるもののバラバラになるどころか火も

吹かない。1丁目の13ミリ機銃が弾切れし、2丁目もそれに続く、そして弾倉を交換した3丁目が

まさに弾切れになろうとした時、敵機から黒煙が吹き上げた。そのままきりもみしつつ海に突っ

込み、小さな水柱を立てる。

「撃墜したぞ!」

 船橋ではエビが快哉を挙げていた。いざ戦闘になれば、特設監視艇の船員妖精達は手持ちぶさ

たになる。戦艦や空母の船員妖精なら山ほど仕事があるだろうが、僅かな装備しかない光明丸は

彼女自身で全て管理できてしまう。

「おい! 3時方向!」

 喜ぶエビの首を掴んでツチガミが反対方向を向かせた。低空、ほとんど海面にくっつくような

低空を編隊を組んだ敵機がこちらへと向かって来ていた。雷撃機! と船団の誰かが叫び、火線

が一斉にそちらへと集中する。光明丸は左腕を突き出して13ミリ機銃を放つが、3丁目に僅かに

残っていた弾はあっという間にはき出されてしまう。弾倉を変える時間はない。47ミリ砲の狙い

を付けつつ、その砲弾を前掛けの弾薬庫から左手でひっつかむ。

 初弾。遥か右後方へと逸れた。その様子を見てエビは外れたぞと叫びそうになったが、そんな

事をしても何の役にも立たないことを思い出し、じっと敵の観測をする。もし敵が魚雷を投下し

たら右へ逃げるか左へ逃げるかを計算していた方がよほど有益だった。

 次弾、狙いは近いがまだ右にずれる。乾いた音を立てて空薬莢が排出され、海へポチャリと落

ちる。砲弾を装填し、三度目の正直。砲弾は敵機の正面から突き刺さり、瞬時に炸裂。一撃でバ

ラバラにした。巡洋艦や戦艦から見れば豆鉄砲以下の47ミリ砲弾でも、航空機を粉砕するには十

分すぎる威力だった。とはいえ光明丸始め多数の艦娘・船娘が迎撃したにもかかわらず、撃墜、

または撃退した敵機は半分ほどだけだ。残りの敵機はなおも接近すると魚雷を投下、離脱に掛か

る。こうなると迎撃どころではない。光明丸は少なくとも4本の魚雷を視認した。面舵一杯、と

いうエビの指示の下思い切り体をひねり右に傾ける。舵が効き始めるまでのタイムラグの間も魚

雷はドンドン接近する。20メートルか30メートルか、とにかく結構離れた距離を魚雷は通過して

いった。

 しかし、それは光明丸を狙っていなかったと言うだけで、見当外れな攻撃という訳ではない。

必死の回避行動にもかかわらず、魚雷は光明丸の左前方、光丸の左後ろにいた輸送船金山丸に命

中した。巨大な水柱を上がり、艤装のキールがへし折れたらしく文字通り真っ二つになって沈ん

でいく船娘。即死だろう。辛くも生き延びた何人かの船員妖精達はほとんど放り出されるように

して海中へと飛び込んだ。

「飛び込んじゃだめだっ!」

 光丸が悲痛な叫びを上げた。撃沈された金山丸のすぐ後ろから別の輸送船娘が迫る。それを見

て取った船員妖精は必死の形相で彼女から逃げようとし、船娘自身もまた海上でもがく船員妖精

を避けようと舵を切ったが、全ては遅すぎた。船員妖精達は彼女の艤装にはね飛ばされ、あるい

は艤装が起こす波に飲み込まれ、最悪の場合はスクリューに巻き込まれた。輸送船娘が通過した

後しばらく経っても誰一人浮いてこなかった。仮に生存者が居たとして、どうすればよいのだろ

う? 敵機が攻撃してくる中で足を止めて救助するのはただの自殺行為だし、空襲が終わった後

で撃沈された地点に引き返して生存者を捜すのは恐ろしいまでの時間の浪費だ。

 かくして「仕方ない」の4文字の下に船員妖精達の命が軽んじられることがままあった。

 昼前に始まった深海棲艦の艦載機による攻撃は1時間ほどで終わったようだ。撃沈された輸送

船娘3,損傷を受けた船娘6,うち全てが航行可能。空襲前に潜水艦の襲撃を受けて沈んだ輸送船

娘が2隻だから、31隻居た船団は今や26隻だ。不幸中の幸いにして、護衛艦には全くの損害がな

かった。というよりむしろ敵機は輸送船を優先して攻撃してきたようだった。

 船団の最後尾にいる吉祥丸が無傷であることに誰も側が目を疑う。「無事だよぉー」と言って

手を振る彼女を見て、あまりに小さすぎて獲物にもされなかったのだろうかと皆勝手に納得しか

けた。しかし隣で戦っていた望月が証言するには、彼女は艇長の指示の下で舞うように水上を動

き続けることで爆撃と機銃掃射を躱していたのだそうだ。もちろん、デタラメな動きやその場の

気分で回避運動をした所で避けられる物ではない。やはり艇長が只者では無いのだろう。

「陣形このまま、続航します」

 朝潮の号令の下、特一号船団はさらに南下を続ける。

 



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第10話

 空襲からしばらくの後、時計の針が進むにつれて雲が多くなってきた。このまま大雨にでもな

ればこちらに有利になる。低く垂れ込める雲は敵機の視界を遮るし、雨風は航空機にとって厄介

な敵となる。いっそのこと先日の低気圧の如き時化が来れば発着艦も出来ないはずだ。早く、早

く曇れ。船団の誰もが空を見上げては念じた。だが雲が来るよりも早く敵機が来た。朝潮の電探

が再び敵機を捉えたのだった。時刻は午後4時を回っている。今回の攻撃を凌ぎさえすれば夜に

なり、航空機の運用は出来なくなる。

「全船戦闘態勢を取れ! みなさん、もう一戦耐えきりましょう!」

 耐えきった所で明日の命が保証されているわけでは無い――などとはさすがのツチガミも言わ

なかった。明日のことは明日考える他無い。今はともかく目の前の敵機だ。電探を信じるのなら、

敵は約30機。前回よりは少ない、凌げるか。

 朝潮の報告を聞きながら光明丸は13ミリ機銃の弾倉を変え、47ミリ砲に砲弾を装填しておく。

少し気になり、前掛けをチラリと覗いて残弾を確認してみた。まだまだ大量の銃砲弾が残ってい

るが、この調子で使っていけばいつまで残るか心配だった。13ミリ機銃はともかく、この船団で

47ミリ砲を装備しているのは光明丸だけだ。弾を融通してもらう訳にもいかないし、サイパンま

で持てばよいのだが。

 さっきと同じく北東から飛来した敵機は50キロほど手前で進路を変え、西から回り込むように

して接近しつつあった。戦闘時間を削ってでも落ちる夕日を背にするメリットを取った安全策だ

ろう、と朝潮が皆に説明したが、大した戦力があるわけでもない特一号船団にそんな搦め手をし

てくるのが望月には可笑しかった。

「過大評価ってやつなんだよ」

「それだけ痛めつけられたってことじゃないですかぁ?」

 望月のぼやきに、吉祥丸が25ミリ機銃をいじりながら笑って返した。その吉祥丸の左前方に位

置する万寿丸は不安げな様子で空を見つめる。彼女の艇長の方がよほど不安がっていて、北東に

150海里ほどの地点にある硫黄島に逃げ込めとまで言っていたが、硫黄島には船団が入れるよう

な大きな港がないこと、戦闘機がいる訳でも対空砲がある訳でもないから港に入った所で無力で

あることを説明されると黙り込んでしまった。

 空と海が夕日に照らされ赤くなり始め、艦娘・船娘達の緊張が頂点に達した頃、敵機は襲来し

た。昼間の戦いと同じく、最初に砲撃を開始したのは朝潮と望月だった。彼女らの砲撃を皮切り

に敵機の攻撃を阻むための弾幕が形成される。砲弾が炸裂し、黒煙が空中に貼り付けられるよう

に残る。その隣を曳光弾のまばゆい光がかすめて飛んでいく。その隙間、隙間をくぐり抜けて敵

機が近づく。太陽を背にしているせいで見辛いことこの上ないが、どの道完全に狙いを付けてい

るわけではない。一発でも多くの銃弾を空中へ、とばかりに誰もが撃ちまくった。

 撃墜され、被弾しながらも敵機は急降下へ。そうはさせじと火線が集まる。ある敵機が東丸の

放った8センチ砲弾の炸裂でよろめいた。そこへ万寿丸の25ミリが飛び込み敵機を砕く。だがす

ぐに後ろから次の敵機が迫り、万寿丸の射撃を躱しつつ降下を始める。狙いを付けた輸送船近見

丸の7.7ミリ機銃弾を避けもせず降下するが、吉祥丸の25ミリ砲弾に捉えられ爆散する。しかし

半分吹き飛びながらも敵機はそのまま降下し続け、近見丸に体当たりを試みた。

 背部艤装に命中した敵機は船体の一部を船員妖精ごともぎ取りながら完全な鉄屑と化した。搭

載していた爆弾の起爆装置が作動しなかったのは全くの偶然だった。しかしさらに次の機体が彼

女へ爆弾を命中させると、スクラップになっていた敵機の爆弾までもが何かのはずみで起爆、2

発分の爆発が一度に襲い、船娘の体と艤装をボロ布のように切り裂いた。近見丸はもんどり打っ

て海面に叩き付けられた後、ズブズブと沈んでいった。

 輸送船木崎丸はさらに悲劇的な死を迎えた。至近弾で舵を損傷し身動きが取れなくなった所に、

数機がかりの機銃掃射を受けたのだ。ミシンが布に糸を縫い付けていくのと全く同じように、彼

女の艤装と体にも機銃弾が縫い付けられた。痛みで声を上げる木崎丸は機銃の引き金を引いたま

ま目茶苦茶に振り回した。しかしそのどれもが敵機に命中せず、どころかあやうく左方にいる東

丸に当たってしまう所だった。敵機は旋回して再び銃撃を繰り返す。3度目の攻撃が終わった後、

木崎丸の艤装には無数の穴が開き、船員妖精達は血まみれとなり、船娘本人は浮かんでいるだけ

の屍となっていた。東丸は背後の絶叫を聞いたが、チラリと目をやると何事もなかったかのよう

に機銃を撃ち続ける。他の艦に世話を焼ける余裕など何処にもなかった。東丸の背後から続く万

寿丸は木崎丸の最期の姿をじっと目に焼き付けると、日頃から悲壮気味な顔をいっそう悲壮にし

て続航する。彼女の目には明らかに涙が浮かんでいたが、やはり気に掛ける者はいなかった。

 近見丸と木崎丸が文字通り虐殺されている間も、船団の反対側では必死の対空戦闘が続けられ

ていた。船団の先頭を進む数隻の船へ向けて雷撃機が矢のように突き進む。それを全力で迎え撃

つ護衛船たち。例によって全ての敵機を落とすことは叶わず、それどころかほとんどの敵機は無

傷なまま魚雷を投下していった。高速・身軽が持ち味の駆逐艦である朝潮と望月、それに漁船に

しては異様に速い光明丸の3隻は増速しつつ最大舵角で易々とかわした。光丸もギリギリで魚雷

から逃げおおせた。だが、鈍重な輸送船娘は逃げ切れない。

 一本の魚雷ですら輸送船を沈めるのには十分だというのに、生野丸には2本の魚雷がほとんど

間を置かずに命中した。不運なことに生野丸はタンカー、それも航空機用ガソリンを満載したタ

ンカーだった。彼女の艤装からこぼれたガソリンに火が付き、一瞬で体が火に包まれる。こうい

う時、一般に想像される派手な爆発、映画のような大爆発はなかなか起こらない。タンクの中に

ガソリンが一切の隙間無く詰め込まれているため、燃えるのに不可欠な酸素が存在しないからだ。

しかし、それは生野丸にとって災いである。彼女は安らかな死、一瞬で終わる苦痛による死を与

えられることなく、自らの体と艤装が焼け落ちるまで続く苦しみを味わうことになる。地獄のよ

うな、と形容してよければそれはまさに地獄の苦しみだった。船員妖精達はポンプで消火を試み

るが、焼け石に水のことわざを証明するだけだった。やがて生野丸は大きく傾き、転ぶようにし

て海に倒れ込む。ガソリンが海上にまき散らされ、船員妖精は投げ出される。そして不運は重な

った。

 海上に大量に撒かれたガソリンに引火し、辺り一面を火の海にしたのだ。船員妖精達は必死に

もがき、火の手から逃れようとする。火から逃れようと海中に潜れば溺死、海上に顔を出せば焼

死。確定された死が訪れるまでの間、船員達は考えつくあらゆる行為を行った。だがそのどれも

が無意味だった。彼ら船員妖精達が、水の上で火に焼かれるという言葉とは裏腹に恐ろしく残酷

な光景を見て、光明丸は思わず目を背けた。目を背けて、背けた先に敵機がいるのを発見すると、

無性に怒りが湧いてきた。

 13ミリ機銃を右へ左へ振って敵を追う。一瞬、敵機が直線飛行に移ろうとしているのが見て取

れた。そこで機銃を敵機の進路上に向け、敵機が銃弾の雨へ飛び込むように狙って撃ちまくった。

チカチカと何度か閃光が瞬き、敵機は真っ二つになって落ちていった。敵機撃墜。しかし嬉しさ

も何もあるはずがない。機銃に新たな弾倉を装填し、次の獲物を狙う。苛烈、壮絶、唖然、騒然

……どんな言葉を並べても、特一号船団を襲った攻撃の前ではあっという間に消費され尽くして

しまうだろう。様々な形態の攻撃が、様々な船歴を持つ船娘と艦娘を襲い、彼女らの生命を刈り

取らんとしていた。

 雷撃を終えたある敵機が船団の最後尾を守る吉祥丸へと狙いを付ける。うなりを立てて弾をは

き出す航空機銃の火線を右へ左へとすんでの所で彼女は避けた。旋回して再び射撃位置に付く敵

機。今度は機関後進でブレーキを掛けつつ回避。さらに攻撃を続けようと旋回した敵機に彼女の

放った25ミリ機銃弾が命中し、黒煙を吹いて真っ逆さまに落ちていく。

「艇長、やったよ!」

 吉祥丸は小さくガッツポーズしながら報告した。船橋では髭を生やした艇長が腕組みして頷く。

ふと、吉祥丸の顔に冷たい物が当たった。なんだろうと思っていると腕や足にも次々当たる。雨

だ。雨が来たのだ。彼女が空を見上げると、いつの間にか灰色の雨雲が低く広がっている。あっ

という間に勢いを増した雨は、海に数え切れない数の同心円を作る。雨が降ったからという訳で

はないが、少なくともそれを切っ掛けに敵機は攻撃を諦めた。

 退却していく敵機になおも機銃弾が送り込まれたが、そのほとんどは雨粒と同じく海に小さな

同心円を作っただけだった。視界は悪く、風も出てきて、波も徐々に高くなる。今やこの風雨が

特一号船団を救う恵みの雨だ。

 朝潮が点呼を取る。撃沈された船は4隻。損傷した船は5隻で、うち2隻が航行に支障有りと返

事をした。今回も護衛船たちは無事で済んだが、狙われていなかったのではなく持ち前の武装と

速力で被弾せずに済んだというのが正しい見方のようだ。輸送船娘は護衛の艦娘達に一瞬疑いの

目を向ける。自分の身ばかり守って輸送船の護衛など気に掛けていないのではないかと。しかし

その考えはすぐにしぼんだ。艦娘達が死に物狂いで戦う姿は何を隠そう船娘自身が最前列で見て

いたのだ。艦娘たち、とりわけ朝潮・望月を除く特設特務艇の5隻に言わせれば、輸送船娘を守

っているという実感はなく自分の身を守るだけでも精一杯だったそうだが、客観的には十分護衛

の体を成していた。5隻には対空戦闘の経験が無かったことも主観と客観のズレを起こしていた。

「慣れないうちはぜんぶの飛行機が自分めがけて飛んでくるって勘違いしちゃうんだよねぇ」

とは望月の言葉である。敵味方の戦力を考えれば、艦娘達はよくやっている。それについては感

謝したって良いくらいだ。

 しかし現実として特一号船団はわずか1日でその数を22隻に減らした。大損害というほかない。

輸送船娘達の疑いの目は艦娘達から自分たちをこんな目に合わせた海軍へと向けられた。艦娘達

が必死に自分たちを守ってくれる一方で、鎮守府に住まう者達は間食つきののんびりとした生活

を送っているに違いない。雨に濡れたまま寝ない夜を過ごしたりはしない生活。潜水艦にも空襲

にも怯えることのない生活を。

 このようにして、無謀な輸送計画が生まれる度に民間海運業者と輸送船娘の海軍への不信が募

っていった。その不信が向かう先は出港拒否である。もちろん、海軍の権威を笠に着れば港から

引きずり出すことはたやすい。もっともそんな事をすれば士気が崩壊するのは目に見えている。

この問題について海軍は今のところ有効な手を打てていない。

 一日にして9隻の船を失ったのは朝潮にとってショックだった。船団旗艦としての責任は重い。

だが彼女は弁護されるべきだった。彼女は与えられた状況の中でベストに近い選択をした。例え

どのような人物が統率していても、特一号船団は同じ目にあっただろう。襲撃の切っ掛けとなっ

た、舞鶴港を襲った潜水艦。かの深海棲艦の行き先を掴めないにもかかわらず特一号船団を結構

させたのは提督の責任だ。船団へ攻撃できる距離に敵空母が居たのは全くの偶然で、そもそも朝

潮は船団の航行ルート上にいる敵についてほとんど知らされていなかった。あらゆる証拠が彼女

を雄弁に弁護していたが、それでも朝潮は失った船娘達の事を思うと責任を感じずには居られな

かった。

 現在位置からマリアナ諸島まで大雑把に言って1000キロ。どう少なく見積もっても丸3日以上

かかる。一日で9隻減るなら3日後には船団が海の上から消えて無くなってしまう。サイパンにだ

って航空隊はいるはずだが、サイパンから現在位置までは彼らの行動半径の二倍は離れている。

 こうなったら覚悟を決めるまでだ。

 朝潮は高知沖で味方の哨戒機に別れを告げてからずっと続けてきた無線封止を解き――どのみ

ち現在地点は敵に知られている――船員妖精に命じて電文を打たせる。

 執務室にいる提督がリアルタイムで洋上の艦娘と連絡を取り合い指示を出す、などというのは

ニュース映画やラジオドラマの世界にしかないフィクションだ。船はひとたび舫(もやい)を解

けば後は自分で考え自分で行き先を決めねばならないからだ、という古くからの船乗りの精神を

別にしても理由は2つある。

 ひとつは不要な電波を出せば敵に位置を知られるため。信号灯の光ですら深海棲艦に対する誘

蛾灯になるとして、可能な限り旗流信号始め声や身振り手振りで意思疎通を図るべきだと主張す

る艦娘もいた。深海棲艦が虫のように光に集まる性質があるかどうかはさておくとしても、余計

な電波は出さないに尽きる。とりわけ敵の攻撃に対して脆弱な輸送船団はそうだ。特一号船団も

その例に漏れず、不必要な無線交信は厳禁だった。作戦行動中は可能な限り電波的に「死んだ」

状態になり、抜け足差し足で目的地へ向かう。これが機動部隊から機帆船の一団までに共通する

基本戦術だった。唯一の例外は朝潮の13号電探から発せられる電波くらいのものだが、これとて

敵に逆探される危険は常にあった。

 ふたつめは送り先の問題。真夜中に電文を送った所で、提督をたたき起こして判断を仰ぐ訳に

も行かない。いや、彼一人で判断出来る問題ならそれでも構わないのだが、他の鎮守府や泊地が

絡むとそうもいかなくなる。無論鎮守府という組織自体は24時間体制で動いている。しかし会議

で決めるような話や他の艦隊の協力を仰ぐとなれば、やはり待ち時間は生じる。そもそも洋上で

困難に遭遇し上の指示を求める船団や艦隊は一つ二つではないのだし、そのために提督を呼び出

しては彼という人間はおちおち食事をすることもトイレに行くこともままならない。数時間のタ

イムラグはどうしても避けられなかった。

 朝潮が口頭で言ったとおりに彼女の船員妖精は文章をしたため、暗号を施した上で電鍵を叩く。

「発 特一号船団旗艦朝潮。宛 舞鶴鎮守府。特一号船団攻撃ヲ受ク。現在位置北緯22度30分、

東経140度40分。針路145。敵潜水艦ト空母艦載機ニヨリ輸送船ニ被害多数。9隻ヲ失ウ。護衛艦

艇ニ被害無シ。敵ナオモ触接ヲ保ツ。至急救援ヲ乞ウ。救援無キ場合ハ輸送任務ノ中止ヲ許可サ

レタシ」

 叱責されようが構わない、と朝潮は思った。一隻でも多くの船を生き残らせるのが今の自分の

任務だ。ならばそのための輸送任務中止はありうる。とはいえ仮に「輸送任務ノ中止」が決定し

たとして、今から本土へのこのこ帰ろうとすればそれこそよい獲物だ。本土よりもマリアナの方

が近いのだから、どの道サイパンに駆け込むことになるだろう。入港した後のことはそれから考

えれば良い。反対に輸送任務の続行と救援部隊の派遣が決定したとしても、救援に来てくれた艦

はそのままラバウルまで同行してくれるはずだ。それならそれで当初の予定通り任務を完遂すれ

ばいい。もっとも、こちらの仮定は救援が来てくれなければ画餅に過ぎないのだが。

 

 

 重々しく、苦しい一夜が過ぎた。この航海でもっとも苦しい一夜だった。潜水艦による襲撃の

恐怖は常に艦娘たちの心の内にあった。輸送船娘が沈められる瞬間を誰もが見た。彼女らは爆撃

と銃撃で苦しみ、うめき、血まみれになって沈んでいく。あるいは雷撃によって痛みを感じる暇

もなく沈む。その瞬間を艦娘たち、船娘たちは脳裏で何度も巻き戻しては再生した。そして再生

する度に胸が締め上げられた。死者は死ぬ経験を一度しかできない――逆説的だが事実だった。

車にはねられて死んだ人間がいるとして、彼の死と苦しみは一度、たった一度だけであり、二度

死ぬことも二度悲劇に見舞われることもない。生きている者だけが死を受け止めて、彼の悲劇と

痛みを延々とリピートし続けた。それは全く想像上の苦痛である。しかし敏感になった神経は、

いつの間にかその苦痛を自分のものとして変換してしまう。戦闘経験のない輸送船娘はとりわけ

その傾向が激しいようだった。

 先日の暴雨風には全くかなわないが、それでもそこそこ強い雨と風が夜の間ずっと続いた。特

一号船団の誰もが、潜水艦と航空機の枷となるこの雨風がいつまでも続くよう願いを込めて暗い

夜空を見上げる。その願いが届いたのか、果たして朝になっても雨は続いていた。前進に雨水を

浴びながら、特一号船団は輪形陣を組んだまま続行している。天候が回復したらすぐ爆撃が来る

のは明白だったからだ。

「いいぞ、このまま土砂降りにだってなっちゃえ!」

 光丸が濡れた髪をかき上げながら笑顔を作って叫んだ。船団の中で笑顔を作れるのは今や光丸

と東丸くらいのものだ。他の皆は疲労が蓄積してきたと見える。嵐を乗り越え、潜水艦の襲撃を

受け、2度の空襲に耐えた後、今三度の空襲に怯えつつ雨に濡れる。体力と精神力は容赦なく削

り取られていった。

 翌早朝、朝潮宛に信号が届いた。妖精に暗号を解読させて読み上げさせる。色よい返事が来る

ことはあまり期待していなかった朝潮だが、にもかかわらずその顔は一瞬で凍り付いた。

「発 舞鶴鎮守府。宛 特一号船団旗艦。昨日夕、マリアナ諸島敵ノ空襲ヲ受ク。『サイパン』

『グアム』『ロタ』各島被害甚大。在マリアナ艦隊ニモ損害大。敵正規空母推定6隻カラナル機

動部隊尚マリアナ東方ヲ遊弋中ト思ワレル。此撃滅ノ為、在トラック艦隊緊急出港。任務中止許

可デキズ、現針路断固維持セヨ。艦隊ヨリノ分遣戦隊特一号船団救援セント交差針路ヲ急行中」

 血の気が引く、という言葉を朝潮は始めて実感した。サイパンにさえ滑り込めば、そのために

サイパンにいる船や飛行機が助けに来てくれれば、全て何とかなると思っていた。その前提がガ

ラガラと音を立てて崩れていく。昨日夕という時間帯、マリアナ東方を遊弋という情報、そして

地理的関係からするに、特一号船団を襲った空母とマリアナを襲った空母は別部隊の可能性が高

い。もちろん後者の方が遥かに強力だ。そして、こちらの位置は前者を通じて後者にもとうに知

られているに違いない。

 マリアナのついでとばかりに特一号船団がその機動部隊に喰い殺される可能性は十分考えられ

る。トラック在泊の艦隊が出港したとて、例え30ノットで突っ走ってもマリアナまで20時間ほど

かかる。しかし20時間あれば特一号船団をなぶり者にするのに十分すぎる。漂流している船員妖

精を一人二人救うくらいの行為が「救援」と言って良ければ、救援は間に合うだろう。現針路、

つまりサイパン島への直線コースを維持しろと言うのも、無体な要求である。これは味方と合流

するための最短ルートだが、敵機動艦隊と鉢合わせするための最短ルートでもある。もっとも、

敵の方が優速な上空母を含んでいるから、南に向かおうが西に向かおうが特一号船団は敵の攻撃

圏内から逃れることは出来ない。だからこそ味方との合流を優先させるというのは分からないで

はないから、絶望的ではあっても必死とまでは言えないだろう。

 頭の中であれこれと計算し、電文の裏に書かれた真意を見抜こうとした朝潮は、堂々巡りを何

度も繰り返した末ある結論に辿り着いた。――特一号船団に期待されている「役割」を考えるに、

確かに任務続行の決定には一理ある。海の上で今ももがき続ける艦娘と船娘の感情を考慮に入れ

なければ、ね。彼女は出来うる限り冷静に努め、各船にマリアナから救援が来ることになったと

だけ伝えた。それ以上は何を言っても動揺を招くだけだった。

 



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第11話

 高かった波は午前のうちに穏やかになり、降り続いていた雨も正午頃には止んでしまった。あ

とは頭上に低く垂れ込める雲だけが味方だったが、艦娘、船娘たちの願いもむなしく昼過ぎには

青空が見えるようになった。昨日の戦闘を思い出し、気弱になってしまったのは一隻二隻ではな

い。味方はまだか、味方はまだかと誰もが繰り返し思う。救援部隊はまだマリアナの遙か彼方だ。

敵が昨晩の内にこちらの位置を見失っている可能性はある。が、だとしたところで予想される進

路上に偵察機を飛ばせばそれで事は足りた。こちらは7ノットしか出ていないのだから、その動

きも掴みやすいことこの上ないだろう。

 事実、午後2時頃に朝潮の13号電探が東方に敵機を捉えた。単機で飛んでいることからして偵

察機であることは疑いようがない。こちらに来るな、という朝潮の願いがあっさり破られると、

次いで生まれたこちらに気付くな、の願いもまた破られた。敵機はこちらと付かず離れずの距離

に張り付く。朝潮と望月の主砲が招かれざる客を迎え撃つと、では帰りますとばかりに水平線の

向こうへ離れていった。恐らくこちらを見失わないギリギリの所に居るのだろう。そしてもちろ

ん、こちらの位置は母艦に送られている。

 とうとう特一号船団は見つかった。それでも――この状況でこんな事が何の気休めにもならな

いことは承知だが、それでも半日以上気付かれなかったのは大きい。救援部隊が本当に急行して

いるのなら。それこそ何ら妨害を受けず、しかも燃料切れに構わず「急行」しているなら、明日

午前中には合流できる可能性がある。現在午後2時。航空機の航続距離と巡航速度を考えれば空

襲は恐らく1度が限度だ。なぜなら片道1時間だとしても行き帰りで計2時間。戦闘に1時間として

3時間。帰還する頃には5時で、補給を考えれば次の攻撃準備が整う頃には夜になる。空母による

夜間作戦は不可能だ。つまり今来るだろう空襲にだけ堪えれば、特一号船団に生存の目はある。

 やれるか。いや、やるしかない。朝潮は覚悟を決め、全船に戦闘準備を命令する。

「皆さん、対空戦闘の準備をお願いします!」

 艦娘、船娘、そして船員妖精たちの態度は様々だった。手足を震えさせる者、敵討ちとばかり

に敵愾心を燃やす者、己の務めを果たそうと疲れた体に鞭打つ者、肉体的・精神的疲労のあまり

無表情で準備をする者……。生物的本能に近い生存欲求、快不快の原則、体に刻まれた命令への

従順、それらが特一号船団を突き動かしていた。本土から1000キロ以上離れては郷土愛も祖国へ

の忠誠心も水平線の彼方へと消える。それらは新聞やラジオで言われるほどには艦娘たちを揺り

動かさなかった。見渡す限り海原と空しか見えない太平洋上で、慰めであり頼りになるのはただ

僚艦のみだった。絶望するに足る状況で、それでも絶望しないのはひとえに僚艦のためである。

その僚艦の存在は、彼女らを動かす理由のひとつとして数えてよい。時に守り、時に守られる、

1+1が3になる関係。友情と言うには血と硝煙の匂いがきつすぎる。絆という言葉はきざっぽく

て胡散臭い。やはり戦友だった。

 戦友のために、戦友のために、ただ戦友のために。

 朝潮は護衛船を集合させて残弾数を確認させる。別に発光信号で聞いてもよかったが、彼女た

ちの顔を見たいと思ったからだ。疲労と不安と闘志の混じった顔だったが、良い面構えになって

きているな、とも思った。一言二言、自分にも言い聞かせるように激励してから配置に就かせる。

 船団の周囲へと戻ってゆく艦娘たち。ふと、万寿丸と光明丸の視線が交差した。万寿丸は一瞬

ためらったようだが、光明丸に近づくとゆっくりと口を開いた。

「光明丸ちゃん。わたし、もう逃げないよ」

 突然の言葉に光明丸は返事をし損ねた。驚いた彼女に、万寿丸はなおも続ける。

「わたしだけ逃げるのは、もうおしまい。最後までやり抜いてみせるから、だから……」

それ以上は言葉が続かないようだった。光明丸が代わりにそれらしい言葉を見つける。

「お互い、頑張ろうね」

 万寿丸は頷くと、ゆるやかに光明丸から離れる。先ほどの万寿丸の言葉を、光明丸は何度も頭

の中で繰り返した。艇長の言う事に従うだけの、文字通りの道具であった彼女が、自分の力で自

分の態度を決定した。他人事ながら妙に清々しく感じてしまう。こういうのを憑き物が落ちた、

と言うのだろうか? 視線を動かすと、船団の反対側には東丸。その後方すぐに万寿丸が戻って

いくのが見えた。船団の後方では吉祥丸が望月にじゃれついている。面倒くさそうな望月だが、

満更ではないらしい。先頭では朝潮が、妖精の報告に耳を傾けていた。船団中央には緊張した顔

を見せる何隻もの輸送船娘たち。

 準備らしい準備をすることもなく戦闘準備は終わり、1時間とすこしの後、予想通り敵機は来

た。

「朝潮と望月が撃ち始めた! おっ始めるぞ!」

 光明丸の船橋でエビが叫ぶ。言うが早いか、光明丸は47ミリ砲を東の空へ向けた。20機から30

機ほどの敵機が高高度と低高度に別れ迫る。弾幕と呼ぶには頼りないながらも、それでも触れれ

ば撃墜は免れない火線が形成される。

 例により銃弾の雨をかいくぐった敵機が最初に狙いを付けたのは、輸送船第2大倉丸と東丸だ

った。どちらに爆弾を落とすか一瞬迷った敵急降下爆撃機は投弾直前になってようやく東丸を狙

うことを決心した。放り出された爆弾は緩いカーブを描いて飛ぶが、大倉丸と東丸の間、何もな

い海面に潜り込んで爆発した。高い水柱が上がり、周囲の船をずぶ濡れにする。大きく揺らめい

た東丸だったが、視線は常に敵を追っている。大丈夫、どこもやられてない。

 雷撃機が迫る。8センチ砲と25ミリ機銃で応戦。彼女の背後にいる万寿丸も撃ち始めた。水面

にぶつかってしまうのではないかと思うほど低く飛ぶ雷撃機に曳光弾混じりの弾が送り出される。

1機が火を吹いた。さらに1機がバラバラになった。だがそれまでで、3機か4機かが魚雷を投下し

た。思い切り叫んで味方に回避を促す東丸。一本目、二本目、三本目と心の中で数えながら魚雷

を回避する。二本目は大倉丸ともう一隻(忙しくて見ていられなかった!)の間ギリギリの所を

通っていった。どうやら全て外れたらしい。周囲を見回すが、投下体制に入る雷撃機は見えない。

東丸が次の目標を探し始めた時、万寿丸が叫んだ。

「10時方向から魚雷ですっ!」

 驚いて振り向く東丸が見た先には、確かに白いあぶくを出して突き進んでくる魚雷があった。

彼女の前方を斜めに横切ったそれは輸送船市谷丸へ向け一直線に進んでいき、吸い込まれるよう

にして命中する。信じ難いほどに大きな炎と煙とを上げた市谷丸は、その煙が晴れる頃には姿を

消していた。彼女はその船倉に大量の爆薬や弾薬を積載していたに相違ない。

 こつぜんと、という言葉が白々しく感じるくらいに、まさに瞬きする間に、彼女の命は炎と共

に消え去ってしまった。東丸は魚雷が来た方角を目で追う。あっちの方向に雷撃機はいなかった

はずだ。なのになぜ……。一瞬、波の向こうに黒い物体があるのがちらりと見えた。かと思うと

再び波に隠れてしまう。再び波が上下する僅かの時間がもどかしい。再び通った視線の先にいた

のは、全身がボロボロになりながらも敵意をむき出しにしてこちらに迫る深海棲艦だった。

「潜水ヨ級!」

 東丸は目と口を大きく開く。艤装がねじれ、所々脱落し、本人もどうやら擦り傷切り傷ではす

まぬ大怪我をしているようだった。その船体からは鈍い黄色の光が発せられている。いわゆるフ

ラッグシップというやつだろう。あいつが昨日の潜水艦だ――東丸は直感でそう思った。

 あいつは舞鶴港を襲い、第11戦隊が危うく壊滅する打撃を与え、常時飛行していた哨戒機の目

をくぐり抜けて本土沿岸から脱出し、暴風雨で煙に巻こうとした特一号船団に追いすがり、気付

かれないまま発見し、雷撃で2隻を沈め、爆雷攻撃に耐えた上、今また攻撃に移ろうとしている。

 想像を絶するバイタリティだった。東丸はヨ級へ向けてすぐさま8センチ砲を撃ち込むが、敵

航空機への対処もあってなかなか命中しない。不思議なことにヨ級は潜航して逃げようとしなか

った。右へ左へ舵を切り、再び好条件の射点へ着こうとしている。多分、昨日の攻撃のせいだろ

う。

 爆雷攻撃を耐えきりなんとか浮上したが、その後の応急修理に失敗して潜航できなくなった。

そんな所か。東丸は悔しさと腹立たしさがこみ上げてくるのを感じた。あのヨ級を攻撃する際に

指揮を執ったのは自分だ。あのとき朝潮と望月にもう一度攻撃をさせてもよかったし、二人の探

信儀と聴音機で念入りに海中を調べてもよかった! 自分のミスで、今一人の船娘が命を落とし

た。そう思うと腹の奥にねじれるような痛みが起こった。――あいつはあたしが倒さなきゃ。

 呼び止める万寿丸に「あいつを仕留めてくる!」とだけ叫ぶと東丸は機関全速で船団から離れ

る。8センチ砲を何発も撃ち込みつつ、上空の敵機への警戒も忘れない。ヨ級との距離はどんど

ん迫っていく。と、突然ヨ級の正面から白い泡が吹き上げた。魚雷が発射されたのだ。

「当たるか!」

 舵を切り回避する東丸。そんな考えはとっくにお見通しだった。だが東丸の回避運動もまた、

お見通しだった。ヨ級は不敵な笑みを――彼女(?)が感情を持つかは定かではないが――浮か

べると、へしゃげた艤装をたたき壊すようにしながら乱暴げに備砲を前方へ向けた。東丸が驚く

間もなく発射。初弾にもかかわらず恐ろしく狙いは正確で、彼女の前方数メートルしか無い場所

へ着弾した。舐めるなとばかりに東丸の反撃、至近弾がヨ級を揺らす。

 方や捕鯨船。方や沈没寸前の潜水艦。最初に敵に命中させた方の勝ちだった。互いに2発3発と

撃ちまくりながら接近しているせいで、今や白目が見えるような距離まで近づきつつある。雷撃

をわざと回避させ、油断させた所を狙うつもりという事か。深海棲艦のくせに頭が切れるじゃな

いか。東丸は撃ち合いながらそう考えた。だがその考えすら、ヨ級にはお見通しだった。

「東丸さん! 後方上空!」

 万寿丸から報告を受けた朝潮の声が無線電話に響いた。言われるがまま仰ぎ見るとそこにはこ

ちらへ向かって緩やかに降下する敵機。航空機銃の先端から無数の閃光がきらめき、避ける間も

なく大量の銃弾が東丸の艤装と体を貫いた。直後、左舷にヨ級からの砲弾が命中。艤装が盛大に

引っぺがされ、巨大な穴が開いた。飛び散った破片は船員妖精と東丸自身に襲いかかり、

何者問わずに傷つけた。東丸は言葉にならない叫びを上げる。口の中に血があふれた。

「東丸、すぐに戻れ。今助ける!」

 朝潮の言葉が聞こえるが、何を言っているのか単語の意味が分からない。ただ目の前にいる、

あの憎い潜水艦だけは、何をしてでも沈めたい。そう思った。

 そう。何をしてでも。

 指先が急に冷たくなっていき、痺れが起こる。逆に顔は熱く感じる。左手で触ってみるとべっ

とりと赤い物がついた。瞬間、東丸の中で何かが切れた。彼女は血を吐き出すと絶叫し、ヨ級へ

向け一直線に突撃を始めた。

「うあぁぁああ!」

 自分の船体を最後の武器として敵にぶつけようと言うのだ。この試みを壮絶だとか勇烈だとか

記すことは不適当である。しかし献身的とか滅私的とか記すのもまた、不適当だった。自身の命

と引き替えに、相手の命を奪う暴力的行為。この行為はある者に言わせれば英雄的で、別の者は

犯罪的だという。

 東丸自身にとってはそんな哲学はどうでもよかった。自分のミスを埋め合わせ、ケジメを付け、

船団の皆を助ける。それだけで満足だった。船員妖精たちは全員が死亡するか致命傷を負ってい

た。例え五体満足だとしても東丸を敢えて止めるようなことはしなかっただろう。

 相変わらずヨ級の正確な射撃は続き、敵機の機銃掃射が彼女に命中したが、それでも機関はま

だ生きていた。機関は異音混じりの唸りを上げ、スクリューは懸命に海水をかき回し続ける。東

丸は気を失いそうな激痛と恐怖に耐えていた。というより、もはや何も感じていなかった。敵機

の機銃弾が艤装を貫通し彼女の背中にまで突き刺さる。砲撃が8センチ砲を砲架ごともぎ取る。

それでも東丸は止まらない。30メートル、20メートル、10メートル……。2メートルまで近づい

た時、ヨ級の顔には恐怖が浮かんでいた。

 船と船とが、正確には艦娘と深海棲艦とが衝突し、一瞬東丸の体は水面から跳ね上がった。か

と思うとそのままヨ級の上へと乗り上げ、潜水艦の黒い船体や艤装、ヨ級自身の肉体をもズタズ

タに引き裂きながら両者は海中へと没していった。一瞬でぶつかったように、沈むのも一瞬だっ

た。水面に残ったのは僅かな破片と、燃料か血潮か区別の付かぬ液体のみ。

「東姉ぇぇえっ!」

 光丸が信じられないような大声で叫ぶのを聞いて、光明丸は敵機に狙いを付けている最中だっ

たにも関わらず彼女の方を見てしまった。入れっぱなしの無線電話に朝潮の声が聞こえていたか

ら、東丸がなにかしたらしい事は分かっていた。敵機からの攻撃の隙を突いて、光明丸も東丸が

いたはずの方向を振り返る。だが何もない。万寿丸が必死に対空戦闘をしているだけで、その前

方にいなければならないはずの東丸の姿がどこにもない。それだけで理解できた。彼女はもうい

ないのだ。光丸はパニックを起こしたように機銃に指をかけたまま振り回した。そのまま弾丸が

無くなるまででたらめに撃ちまくり、弾が切れるとわなわなと身を縮ませ、戦闘騒音の中涙を流

して叫んだ。

「東丸が潜水艦に体当たりしたらしい!」

 光明丸の船橋で、無線機にかじり付いていたツチガミが叫んだ。

「潜水艦って、昨日の奴でしょうかね」

「そうに違いねぇだろうな。うおっ! 光明丸、4時方向!」

 エビの声に振り向き、斜め後方から進入していた敵機に13ミリ機銃の雨を降らせる。敵機の機

銃弾と光明丸の機銃弾が交差し、光明丸の足下に着弾の水しぶきが飛ぶ。次いで敵機が彼女の真

上を飛んでいった。双方とも命中弾を得られなかったようだ。船団の反対側へ抜けようとする敵

機は朝潮の火線に捕まり火を吹いて落ちていく。敵機が落ちていく方を見ていた光明丸は、その

先にまたも攻撃態勢に移る雷撃機3機を捉えた。光明丸の反対側、ちょうど万寿丸がいる方から

敵機は突っ込んでくる。

 今や一隻で船団の左側面に立つ万寿丸だけでは、敵機の迎撃は困難だった。やすやすと接近す

る敵機はいつもより余分に距離を詰め、ぶつかりそうになるくらい近距離から魚雷を投下してい

った。一機が投下して離脱。また一機が投下して離脱。3機目も投下しようとしたが、不運なこ

とに魚雷は機体から外れなかった。機械的不具合か生物的理由か、それは分からない。ただ深海

棲艦の艦載機にも時折不調があるらしいことだけはよく知られていた。魚雷が投下された機体は

急激に軽くなり、そのはずみと舵の力とを合わせて機首を上げ敵艦の上をすり抜けていく。少な

くとも空母艦娘の雷撃機はそうだった。深海棲艦の雷撃機とて、それは違わないらしい。では、

万が一魚雷が落ちなかった時、魚雷が投下されることを前提として操縦されていた航空機はどう

なるか。

 輸送船鶴見丸がそれを証明した。敵機は魚雷を抱いたまま彼女の土手っ腹に命中し、肉体と艤

装とを引き裂いて潰れた。赤みがかって来た海と太陽に一際明るい赤い血潮が流れた。艤装から

は黒煙が吹き出す。機関にダメージを受けたことの証明だ。鶴見丸が手負いと見るやまだ投弾し

ていなかった敵機は次々と彼女へ攻撃を仕掛ける。2発の爆弾と数え切れない回数の機銃掃射を

受けてもなお、彼女は浮いていた。悪く言えばそれはただ浮いているだけの屍だったのかも知れ

ない。鶴見丸がどの時点で絶命したのか誰にも分からなかった。

 ただ、彼女が言葉通りの被害担当艦、生け贄となり敵機の攻撃を多数吸収したことだけは間違

いなかった。彼女をばったりと倒れ込ませ、船体の割に巨大な水柱を上げ沈めたことと引き替え

に、敵機は割に合わぬ時間と弾薬を浪費した。物のついでとばかりに余った機銃弾をバラまいて

から、敵機は攻撃を終え東の空へと消えていった。

 



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第12話

 貨物船市谷丸、鶴見丸撃沈。特設駆潜艇第6東丸撃沈。特一号船団は今や6隻の護衛艦艇、10隻

の貨物船、3隻のタンカーからなる19隻の船団となってしまった。貨物船の数は舞鶴を発った時

の半分になってしまっている。大損害を出しながらも、指示された針路を進み続ける彼女らの周

囲を夜のとばりが包む。次に太陽が昇るまでの数時間は敵の空襲を気にしなくていい。東丸が命

と引き替えにあの潜水艦を沈めてくれたおかげで、潜水艦の危険も去った。太平洋をうろついて

いる敵潜水艦が特一号船団を射程に収める頃にはとっくに味方と合流できているはずだ。

 光丸は夜になってやっと落ち着いたが、顔は青くなり、同じように青ざめた唇から何かをぶつ

ぶつと呟いていた。無理もない。姉妹を一瞬で失ったのだから。艦娘の中にもかつて姉妹や親友

を目の前で失った経験のある者が何人かいる。用兵上の都合、同型艦同士をまとめて使うのはご

く当たり前だ。だがそれは、姉妹の死に様を目の前で見せることでもあったのだ。姉や妹を目の

前で撃沈された過去を持つ艦娘は一隻や二隻ではない。

 夜の闇はいよいよ濃くなり、時計の針はあと数十分で日付が変わることを示す。夜が明けて、

敵が先に来るか味方が先に来るか、誰にも分からない。分からないが、今出来るのは敵の目を忍

びつつ前進することだけだった。自分の生死を他人に握られていると言っても言い過ぎではない

だろう。連日の指揮と戦闘で、さしもの朝潮も疲労を感じていた。夜間の監視任務という、何一

つ変わらない暗い海と空を見渡す行為が酷く面倒に感じた。聞こえるのは機関の唸る音、波を切

って進む音、風の音。さらに耳を澄ませば船員妖精が作業したり会話したりする音が聞こえる。

 突然、船員妖精が大声で朝潮に報告した。話を聞いた朝潮は誤報だと思った。次にはタチの悪

い冗談だと思った。しかしどちらでもないことが分かると、頭からつま先まで突き抜ける痺れを

感じた。

――電探に感あり、ですって? 100機近い航空機が接近中?

 何度も確認したが電探の故障ではないという。陸上機が飛んでこれる場所ではない。空母艦載

機がこんな真夜中に飛べるはずもない。マリアナを襲撃したという敵機動部隊が今日一日中西進

していたとするなら、確かに航空機の行動半径内に特一号船団を収めることは出来るだろう。し

かし夜間に艦載機を離発着させるものだろうか。

 ここまで考えて朝潮はひとつの可能性に辿り着いた。

 空母ヲ級フラッグシップを始め、ごくごく一部の深海棲艦は夜間の航空機運用能力がある。奴

らなら、確かに艦載機を繰り出してくることはありうる……。嫌な汗が背中を流れた。100機と

いう数も、深海棲艦の正規空母の搭載数を考えればまったく不思議ではない。むしろ鎮守府から

の電文にあった推定6隻という数からすれば少なすぎるくらいだ。

 うかつ、あまりにうかつだった! 「夜間の航空攻撃は極めてレアケース」と勝手に決めつけ

て物を考えていたのだ! 朝潮は唇を思い切り噛んで自分で自分をしかりつける。

 敵機動部隊ということは、当然お供の水上艦艇もいるだろう。艦載機の行動圏内ということは、

どんなに離れていたとしても彼我の距離は300海里。駆逐艦や巡洋艦のように足の速い船なら今

から10数時間の後には到達できる距離だ。仮に艦載機が発進する遥か以前から艦隊を分離し水上

艦艇を進撃させていたとすれば、あと数時間で接敵してもおかしくなかった。

 空襲だけでも水上艦艇だけでも特一号船団は間違いなく全滅する。が、もし朝潮が逆の立場な

ら当然両方の手段を使う。どうすればいい。どうすれば……。悩んでいる間にも敵機は距離を詰

め、そのたびに船員妖精が報告する。とにかく、味方に知らせなければ。朝潮は鉛のように重い

体を動かし、周囲の船を見渡した。

「敵推定100機接近中だと?」

 光明丸の見張り台でエビが呟いた。伝声管の向こうからツチガミが話を続ける。

「昨日と今日この船団を空襲した空母とは別の空母だと言っている。敵の精鋭だと思ってよいと

も」

「しかし、夜中に飛行機が空母から飛んだり降りたりする道理はねぇぜ」

「こっちが聞きたいくらいだよ」

 エビは急いで船橋に入ると、半信半疑のまま光明丸に指示を出す。敵が、来る。そう言われて

空を見上げる光明丸だが、目に映るのは輝く星ばかり。しかしともすればその星の瞬きが敵機の

排気炎に見えてしまいそうになる。朝潮の命令にしたがって配置に就く。ただでさえ少ない護衛

艦艇が1隻減ってしまったツケは大きい。朝潮と光丸の2隻が船団の左前方、望月と吉祥丸が右前

方に付き、光明丸と万寿丸がペアを組んで後方を固める。敵は目の前まで来ている。ところが目

には見えないし、音もしない。電探によれば10キロを切っているそうだが、頼りない月と星の光

は敵機の姿を映し出してはくれない。

 こう言う時は目より耳が役に立つと艇長に言われ、両手を耳にかざして周囲の音を聞いていた

吉祥丸の耳に異音が入ってきた。船舶の音ではない、異質な音。

「朝潮せんぱい、なんかヘンな音が聞こえます!」

 吉祥丸がそう報告するのと、船団の上空に小さな太陽が輝いたのは同時だった。いくつもの吊

光弾が特一号船団の上空でまばゆい光を放ち、船団全体をくまなく照らし出した。望月は吊光弾

の光をまともに見てしまい、思わず手をかざし目をつぶった。目が眩んでも耳は無事だ。敵機の

唸りが後方へ過ぎ去っていったように聞こえる。

「今のはパスファインダーってやつ?」

 吊光弾を見ないよう手で覆いながら敵機が来た方向を見る。おぼろげに光るものが見えた。12

センチ砲を向け、ほどほどに狙いを付けてから発射する。吊光弾の光に負けないくらいに明るい

発砲炎が望月の茶色の髪をあらわにした。吊光弾の光の中に数え切れないほどの敵機が飛び込ん

で来た、と同時に、特一号船団に対する五月雨式の攻撃が始まった。

 敵機へ向けて必死に弾幕が張られるが、明らかに火線の数が少ない。夜空へ吸い込まれていく

曳光弾の光は端から見れば幻想的だったろうが、その真下にいる艦娘たちはとてもそんな気分に

浸っていられない。いくつもの水柱が立ち、射撃音と爆発音、それに敵機の唸るような飛行音で

辺りは騒然となる。

 さすがに深海棲艦の艦載機と言えど夜目は利かないのか、時たま全く見当違いな所へ爆弾を落

とす敵機がいた。真夜中でも問題なく飛行と攻撃が出来るのなら吊光弾などいらない。というこ

とは案外敵機も見えていないのではないか?

 吉祥丸の艇長はそう判断し、彼女に命じて吊光弾を狙って撃たせる。まぶしさを薄目で堪えな

がら、船団の右前方をゆっくり落ちてくる吊光弾に狙いを付けて7.7ミリ機銃を撃つ。数発の後

命中弾を得たらしく、吊光弾はパラシュートに穴が開いたのかぐるぐるときりもみしながら勢い

よく落下して着水した。海水と触れてもなおチカチカと光っているが、それでも明るさはぐっと

減った。吉祥丸は次々と吊光弾を狙っていくが、それに気がついた敵機が彼女へ向けて爆撃を開

始する。右手に25ミリ単装機銃、左手に7.7ミリ機銃を持ち、乱射して迎撃する吉祥丸。艤装に

尻尾のように後ろ向きに縛り付けられて固定されている、銃架の壊れた謎の25ミリ機銃まで撃ち

まくる。1機、2機とかわした。が、3機目の爆弾はついに避けきれなかった。吉祥丸は思わず目

をつぶる。体を叩き潰されるような衝撃が走った。四肢にしびれが走り、左舷に大きく傾いた。

だが、彼女が想像していたような爆発はおこらない。

「やった! 不発弾!」

 艇長の叫びを聞いてゆっくり目を開く。頭、手、胸、腰、足と順に触ってみるがどこにも怪我

はない。後ろを見ると、粉々になった木片が辺りに散らばっている。艤装の中央左側を爆弾がも

ぎ取って行ったようだった。

木造船ゆえ被弾の衝撃に耐えられずに砕けたようだが、それが幸いしたらしく被害は少ない。

「吉祥丸、大丈夫?」

 望月が至近距離まで寄ってきて援護する。「だいじょうぶです、望月せんぱい!」と返してす

ぐにまた吊光弾を狙おうとする吉祥丸だったが、敵機のマークがきつくなかなか狙う暇がなかっ

た。そうこうしているうちに新たな吊光弾が船団上空にきらめいた。これではきりがない。

 一方の船団後方では、光明丸と万寿丸が懸命に対空戦闘を続けている。敵機は一瞬その姿を現

したかと思うと、爆弾なり魚雷なりを放り出してあっという間に闇の中へと消え去る。見えてか

ら狙いを付けるまでの間に見失ってしまうのだから全く埒があかない。敵機が来るであろう方位

にとにかく弾を撃ち続けるしかないが、そんなことをしていればいつまで弾薬が持つか分かった

物ではない。

 あまりの長時間射撃に13ミリ機銃が過熱して煙を上げ始める。光明丸が思わず射撃を止めた瞬

間、敵機が目の前すぐ近くにぬっと現れた。緩降下しつつ進入した敵機もこちらを見て慌てたの

かロクに狙いもしないうちに機体中央に取り付けられた爆弾を投下する。頭に当たるのではない

かと錯覚するくらい低く飛んで来た爆弾に思わず身をかがめる光明丸。次の瞬間その爆弾は彼女

の左前方に着弾した。爆発の勢いで一瞬体が跳ね上がる。思い切り右舷に傾き、あわやひっくり

返りそうになるのを大量の海水を頭から被りながら懸命に堪える。

 バキンという甲高い音が、爆発の轟音の中でもハッキリと分かるくらいの音量で響いた。シー

ソーのごとく右へ左へと揺れる光明丸は腕と足を突っ張ってようやく体勢を立て直した。さっき

の音は何だろう。もしや艤装がやられた? しかし舵もスクリューも問題ないようだ。では船橋

か? ひどい耳鳴りがするが、構っていられない。

「船長、船長、返事してください!」

 返事がない。数秒待ってもう一度繰り返すがやはり沈黙が帰ってくるだけ。三度口を開こうと

した時、ようやく船橋からの声が聞こえた。

「全員大丈夫だ。エビは船橋の床と天井を2往復もして目を回してるが、怪我はない」

 ツチガミの声だった。艤装にクラックが入ったそうだが、沈んでいないのならそれで十分だ。

光明丸は海水とは別の水分で濡れた目元を拭うと、かがみ込んで13ミリ機銃を3丁丸ごと槍のよ

うに海中へと突っ込んだ。ジュッ、と水が一瞬で沸騰する音とともに鉄臭い匂いがした。数秒の

後に引っ張り上げる。それで冷却は完了だった。錆びるだの脆くなるだのは生き残ってから考え

れば良い。弾倉3つを交換し再び射撃開始。

 視界の右から左へとオレンジ色の曳光弾が点線を描く。万寿丸の火線だ。彼女も何とか踏ん張

っているらしい。と、その火線がグンと右へ移り、次いで海面すれすれへと向けられた。同時に

4時方向に雷撃機! と万寿丸の声がとどろく。光明丸も目をこらして暗い海を見つめるが何も

見えない。すでに射撃している万寿丸の25ミリ弾が飛んでいく方向を目で追うと、小さな排気炎

がチカチカとちらつくのをやっとの事で発見した。ほとんど狙わないうちに機銃弾を撃ち込む。

何機突っ込んできたのか分からないが、その内先頭の一機に火が付いた。かなりの低高度を飛ん

でいた敵は海面に突っ込むと大きくバウンドし、大小様々な破片をバラまきながら2度目の着水

をした。

 2機か3機か、もっと多くか。とにかく複数の敵機が魚雷を投下していった。いつもは恐ろしい

までに白く映る雷跡もこう暗くてはほとんど分からない。ほとんど祈るようにしながら目一杯に

面舵する。その間も敵機への銃撃は止めない。万寿丸と光明丸の頭上をすり抜けていった4機の

雷撃機――吊光弾の光でようやく数がはっきりした――は左に急旋回して離脱しようとする。そ

こへ2隻の機銃弾が降り注いだ。あまりの急旋回で速度を不必要に失った1機がもろに被弾し墜落

する。残りの3機は取り逃がした。しかし構っていられない。闇夜へ消えていく雷撃機を無視し、

光明丸は輸送船の上空を何度も行き来して機銃掃射を浴びせる敵機に狙いを付けた。動きが単調

になっていた敵機は横合いから飛来する13ミリ機銃弾に驚いた様子だが、今更遅い。何発もの弾

丸を胴体に受た敵機は2つに分解して海に叩き付けられる。すぐさま次の敵機へ。

 狙いを付けて撃とうとした瞬間、発火し粉々になる敵機。どうやら万寿丸が撃墜したらしい。

光明丸は彼女の方を振り向く。吊光弾に照らし出されていた彼女はこちらの視線に気がついたの

か、頷きながら25ミリ機銃の弾倉を変えていた。その万寿丸の真後ろ、低いところから敵機が忍

び寄る。降下体制に入った敵機は明らかに万寿丸を狙っていた。光明丸は思わず叫ぶ。13ミリ機

銃を撃った所で爆弾の代わりに火の玉になった敵機が落ちてくるだけだ。光明丸は右側アームの

47ミリ砲を突き出し発射する。鮮やかな曳光剤が夜の世界に一筋の光を描く。だがそれは目標へ

僅かに届かず、暗い海と空の間へと消えた。

 間に合え。その一心で急ぎ次弾を装填する。気付いた万寿丸も頭上へ25ミリを撃ちまくりなが

ら回避運動に入る。けれども避けきれない。光明丸の2発目。発砲炎で一瞬世界が明るくなる。

降下する敵機が爆弾を投下しようとした瞬間、まさにその瞬間に47ミリ砲弾は飛び込み炸裂した。

敵機はたまらずはじけ飛び、粉々になった。破片が万寿丸へ降りかかる。小さい物は小指の先く

らいの破片から大きい物は敵機が装備していた爆弾まで、様々な大きさの雨が降る。幸いにも万

寿丸は無事だった。投下直前に撃墜したためか爆弾も安全装置が掛かったままらしく、僅かな水

柱を立てただけで海底へと旅立っていった。数秒間、回避運動も対空射撃も忘れ唖然とした姿で

航行する万寿丸。その口が「ありがとう、光明丸ちゃん」と告げたが、最初の数文字分しか聞こ

えなかった。光明丸と万寿丸のすぐ前方を航行していた第3柳丸がけたたましい爆音を上げて炎

と煙に包まれたからだ。

 左舷に傾斜しているが機関は生きているようで、柳丸は爆煙の中からゆっくりと這いだしてき

た。艤装は砕け、ぽっかりと大穴が開いているが、船娘本人には大きな怪我はないようだ。その

上空では爆撃を終えた敵機が今度は機銃掃射を浴びせようと旋回している。光明丸と万寿丸の2

隻はすぐさま柳丸へと接近し彼女を援護する。闇の中へと消え、すぐさま現れた敵機に2隻から

の対空砲火が浴びせられる。しかし命中弾を得られる前に敵機は柳丸を射程に収めた。突然、敵

機が横滑りして狙いを変える。目障りな取り巻きから潰そうとしたのか、砲火に阻まれ柳丸への

攻撃を諦めたのか、万寿丸へと狙いを付けるとその銃口から大量の弾丸が撃ち出された。

 不意打ちを喰らった万寿丸を弾丸のシャワーが包む。腹やもも、そして背部艤装を等しく貫か

れた万寿丸は激痛に身もだえした。だが彼女の目だけは、常に不安と恐怖を表現していたあの目

だけは護衛船としての自負がみなぎり、敵機を見据えて離さない。25ミリ機銃の引き金を引く。

が、弾が出ない。機銃も敵機の銃撃を浴びたらしく、潰れ、変形し、歪な形に変わり果てていた。

用無しの25ミリを海に放り投げると短5センチ砲を取り出す。1発、2発と撃ち込むが全く見当違

いの方向へ弾が飛んでいく。体に力が入らない。光明丸は万寿丸が被弾したのを見るや否や我を

忘れて敵機へと銃弾を撃ちまくった。急旋回を駆使して鮮やかに避ける敵機は柳丸を爆撃した時

と同じように距離を取って姿を隠すと、しばしの後姿を現した。再び万寿丸へと襲いかかろうと

している敵機に13ミリ機銃弾をこれでもかと送り込む。ひるむこともなく迫る敵機は吊光弾の光

で照り返され不気味なシルエットを浮かばせる。その姿を見て光明丸は息を呑んだ。

 あまりにも恐ろしげなその形にではなく、翼下にまだ爆弾を装備していたことに。

 万寿丸は血を流しながらも短5センチ砲を撃ち続けていた。敵機の射線から回避しつつ柳丸を

カバーする位置へと舵を切る。

 一歩も退くつもりはなかったし、これ以上惨めな艦娘になるつもりもなかった。自己犠牲など

というのは馬鹿馬鹿しい。しかし命は大事だなどと言って味方を見捨てるのを自己正当化するの

も、同じくらいに馬鹿馬鹿しい。損得とか敵味方とか鎮守府における地位とかの問題ではない。

ここで英雄的に振る舞った所で、提督のお気に召す訳でも監視艇隊での評判が良くなる訳でもな

い。そんなことなどどうでも良い。要するに特設監視艇万寿丸としてのプライドの問題、自尊心

の問題だった。艇長の指示に従ってこれ以上怠惰な振る舞いを続ければ一生後悔する。その気持

ちが万寿丸を突き動かしていた。

 穴だらけになった万寿丸の背部艤装では、船橋から飛び出してきた船員妖精――気が狂わんば

かりに慌てふためく艇長が彼女の髪を千切れそうなほど強く引っ張って、何かを喚いていた。逃

げ出せとか、艤装を破損させてどう始末を付けるつもりだとか、そんな風な事を言っているのだ

ろうが何もかも遅すぎた。なにより、もはや万寿丸は艇長の言う事に聞く耳を持たなかった。

 光明丸と万寿丸の銃砲弾をくぐり抜けた敵機から音もなく爆弾が放り出された。世界がスロー

モーションになる。磁石が金属を引き寄せるように、万寿丸の艤装へ右舷から爆弾が命中した。

200キロとか100キロとかいった小型爆弾でも特設監視艇を沈めるのには十分すぎる。

「万寿丸ちゃん!」

 暗闇の中で一際目立つ爆炎に包まれた万寿丸を見続けている暇はなかった。離脱する敵機を必

死で追い続け、柳丸から追い払う。せめて彼女が守ろうとした柳丸を代わりに守りきりたかった。

光明丸の思いをあざ笑うかのように敵機は翼を左右に振って13ミリ機銃の射線を避け続ける。何

度も射撃を続けるが、当たりもしない。その隙を突いて別の敵機が侵入する。すぐに目標を切り

替える光明丸だったが、数発撃った所で機銃はパタリと沈黙する。さっきの敵機に弾を使いすぎ

て、ここぞというところで弾倉が空になったのだ。

 柳丸の艤装へめり込んだ爆弾は遅延信管によりごく一瞬のタイムラグの後起爆し、積載してい

た貨物と彼女の肉体を、万寿丸の想いごと切り裂いた。

 光明丸は言葉にならない声を張り上げる。いつもそうだ。頑張って、頑張って、あと一歩のと

ころですべて目茶苦茶にされる。築き上げたものを台無しにされる。万寿丸が命懸けで守ろうと

した柳丸が沈む。つまり万寿丸がやったことは全くの無意味だったのか。そんなことない、絶対

にそんなこと認められない。目線が無意識のうちに万寿丸を求めさまよう。右、左、近く、遠く。

視界の隅に艤装の先端だけが水面に出ているのを捉えると、戦闘のさなか近づいて足を止める。

格好の的となることを覚悟して万寿丸の左腕を掴み、ほとんど沈んでいる重い体を力ずくで引き

揚げる。

 海水がしたたる万寿丸の艤装は細切れとなり、武装も千切れ飛んで砲架だけが残っている。舵

もスクリューも折れ曲がり、機関は動きを止める。彼女は艦娘としての機能のうち艦の部分を完

全に喪失した。娘の部分にしても大同小異で、いくつもの銃弾が突き刺さっているその体を見て

致命傷の3文字を思い浮かべない者はいなかった。血まみれの万寿丸は既に事切れていた。船員

妖精に至っては形すら残っていなかった。エビもツチガミもワタノキも、光明丸の行為に気が気

ではなかった。が、のんべんぐらりとしていた万寿丸のこの数時間の異様な奮闘ぶりと痛ましい

最後を見せつけられた彼らは心の一部では光明丸の行為に首肯する所があった。一体何があった

のだ。

 万寿丸がどういう風の吹き回しで急にやる気を見せるようになったのか、光明丸たちは知らな

い。万寿丸の艇長が彼女に今まで何を要求し、何をさせていたか。彼女を何だと思っていたのか、

あるいは逆に万寿丸自身はどう思っていたのかも、彼女らは知らない。

 ただひとつ分かるのは、万寿丸が妙に清々しい顔つきで、満足げな表情さえ浮かべていた。そ

れだけだった。光明丸の体から力が抜け、万寿丸は水底へと去って行く。彼女の体は音もなく沈

み、足、胴、肩、そして顔が沈んでいく。万寿丸の安らかな顔が海中に消え、海面には涙をこぼ

す光明丸の顔が映る。くしゃくしゃになった自分の顔と目があった瞬間、電気のスイッチを切っ

たかのように周囲から光が奪い取られ、海面に映る光明丸の姿は消え去った。吉祥丸によってと

うとう全ての吊光弾が叩き落とされたのだ。

 

 

 辺りが突然闇に覆われた事に驚いた朝潮だが、吉祥丸の報告を聞いて驚きは歓喜へと変わった

この激しい攻撃の中ひたすらに吊光弾だけを狙い続け、ついには全て撃墜してしまった。船団の

中でもっとも頼りない船だと決めつけていた自分を引っぱたきたいくらいだ! さすがの敵機も

特一号船団がここまで頑固に粘るとは思っていなかったのか、攻撃は徐々に低調になってきてい

る。

 もう一息かと思った矢先に背後で巨大な爆発音がとどろき、海面が炎で赤く照らされる。タン

カーの鹿野丸が雷撃を受けたらしく、派手に炎上していた。艤装は火に包まれ艦娘は身を焼かれ

ている。雷撃した敵機は彼女の頭上すれすれを飛んで離脱を図る。しかし投下前には存在してい

た吊光弾の頼もしい光が投下後には無くなっていた。それが敵機の行動に一瞬の迷いをもたらし

たのか、ふらふらと旋回するとよりにもよって朝潮の方向へ機首を向けた。

 避ける間はおろか動揺する間すらなかった。反射的に身をかがめた朝潮の体に衝撃が走る。全

身がシェイクされ、心臓が跳ね上がる。金属がぶつかりねじれる音が聞こえた。幸いにも体に痛

みはない。武装にも異常なし。では一体何が……と疑問に思う間もなく船員妖精が報告した。敵

機は13号電探を六文銭代わりに頂戴して行ったのち、煙突に主翼を引っかけながら海面に落ちた

そうだ。由々しき事態だった。この船団で対空用電探を装備しているのは朝潮だけだ。今や特一

号船団は目が見えなくなったに等しい。今まで空襲に耐え抜いてこられたのも電探による早期の

索敵あればこそである。だが、それは生き残った後で考えればいい。

 朝潮は頭を切り換えると目の前で燃え上がる鹿野丸を見つめた。自分の背中で大火事が起こっ

ていというのにわめき声のひとつも挙げなければ手足をばたつかせる訳でもない。既に虫の息か、

ややもすると絶命しているようだった。彼女が積載する燃料は真夜中の世界に一際明るいランプ

となり、吊光弾が無くなった敵機に絶好の光源となっていた。水密区画の多いタンカーは中々沈

まない。放っておけば数十分どころか数時間は燃え続けるだろう。

 嫌な、実に嫌な決断を朝潮は迫られた。とはいえ迷えば迷うだけ状況は悪くなる。彼女はひと

つ深呼吸すると信号灯を握り、鹿野丸へ向けた。

「船員妖精ハ直チニ退艦セヨ。今カラ貴船ヲ撃沈スル」

 信号が終わるや否や「ふざけるなぁ!」という大声が聞こえた。見れば光丸が激怒してこちら

をにらみ付けている。

「味方を沈めるなんて、あんた正気!?」

「今ここで沈めなければ、もっと多くの味方が沈みます!」

「だからって、味方を手に掛ける理由になるとでも!」

 分かっている。分かっているのだ。言われなくてもそれぐらい考えている。朝潮は思わず反論

しそうになって、我慢して飲み込んだ。小を殺して大を救うのは正しいのか。1000人のうちラン

ダムに100人死ぬ作戦と、1000人のうち名前の決まった10人が死ぬ作戦とではどちらが不公平か。

そういう議論は吐き気がするほど繰り返してきたのだ。迷いはない。例え自分が切り捨てられる

「小」の側であっても。ぐっと左腕を突き出して魚雷発射管を構える。その射線を邪魔するよう

に光丸が割り込み、燃えさかる鹿野丸へ接近していく。

「邪魔になる! 離れないとあなたごと撃つわ!」

「やってみな! そうなる前にあんたを沈めてやるから!」

 光丸はそのまま接舷し、鹿野丸の顔をのぞき込んだ。彼女がすでに絶命しているのを見てハッ

としたが、次の瞬間には海水で濡らした手を火の中へ突っ込んで船員妖精を救助し始めた。火中

の栗を拾う、の言葉通りの行動だった。光丸に戻るよう命令した朝潮だったが、彼女は意に介し

ない。「船員を救助したらすぐ戻る!」と返事するだけだった。英雄的な行為と言えるが、やや

もすれば「ミイラ取りがミイラになる」を身を持って証明することになる。

 古今東西、身を挺して船員妖精の救助に当たったあらゆる軍用船はその行為を高く評価されて

いる。だが、評価の対象となる「行為」は、ただ単に救助活動のみを指すのではなく、そこから

生きて帰ってきた手際の良さも含まれているのだ。何人船員妖精を助けた所で、生きて戻ってこ

なければ意味が無い。朝潮はそれを恐れて救助に行けなかったのだ。

 朝潮は焦る。光丸は自分への反発として危険な救助活動へと飛び込んでいったのではないかと

思うと気が気でない。しかし同じくらい光丸も焦っていた。火傷など気にもとめず船員妖精をつ

まみ上げては背部の艤装へとトスする間も敵機の飛ぶ音と味方の対空射撃の音は常に聞こえてい

た。死ぬつもりはないが船員妖精たちを見捨てたくもない。5人救助したか6人救助したか、もう

船員妖精は見あたらない。光丸は赤々と燃える鹿野丸からゆっくりと離れる。

 その時、背後から朝潮の声が飛んだ。3時方向に敵機、と。光丸の25ミリが火を吹くのと敵機

の航空機銃が火を吹くのは全く同時だった。25ミリ弾は敵機の鼻先からぶち当たり、一瞬で鉄屑

へとその姿を変えさせた。同時に敵機の銃弾も光丸の艤装に命中する。命中した先は爆雷だった。

その上敵機の銃弾には焼夷弾が混じっていた。大量に詰め込まれた炸薬は焼夷剤の扇動に抗えず

炸裂、周囲の爆雷も次々と巻き込み連鎖的に誘爆する。皮肉にも、多数の爆雷を装備していると

いう特設駆潜艇のレゾンデートルそのものが光丸の命取りとなった。

 一般的なイメージと異なり、爆雷は想像以上の炸薬が詰め込まれた重量物であり危険物だ。海

軍の主力爆雷の中で最も重い二式改一爆雷は重量212キロ、炸薬量は150キロ。4発合わせればそ

の重量は古鷹型重巡洋艦の20.3センチ砲6門による一斉射撃の投弾重量755.4キロを上回り、7発

合わせれは大和型戦艦が誇る46センチ砲の1発分の弾量1460キロをも超えてしまう。しかも、46

センチ砲弾の炸薬量が33.85キロに過ぎないのに対し、二式爆雷7発分の炸薬はサブタイプにもよ

るが700キロを下回ることはない。この炸薬量に匹敵する兵器は九三式酸素魚雷だけだ。ずんぐ

りとした見てくれの割に魚雷の弾頭並に危険極まりない爆雷を、光丸は20発は装備している……。

 バン、バンと規則的な間隔で爆雷は誘爆し続け、そのたびに光丸の艤装と肉体とを樹木のごと

く剪定していった。鹿野丸と同等以上の炎を上げ、光丸は救助した船員妖精ごと一瞬で落命する。

特設特務艇が撃沈される時はいつだって瞬きする間に事が終わる。戦艦や空母のように弁慶の立

往生となることは無い。それは限りなく痛みの短い、慈悲ある死だとすら言えるかも知れない。

撃沈された多くの特設特務艇と同じく、光丸もまた長時間の自責や後悔や激痛にもがき苦しむこ

となく果てた。

 朝潮は光丸の船体が水没していく光景を言葉を失ったまま見つめる。捕鯨船としての艤装も、

少女としての肉体も、目を覆わんばかりに変わり果てていた。その姿が完全に水中へと去りゆく

と、朝潮は涙がこぼれそうになるのを歯を食いしばって堪え、視界の中に歪んで見える鹿野丸へ

と魚雷を発射した。2本の魚雷が立て続けに命中しキールをへし折る。鹿野丸はゆっくりと沈み

始めたが、その姿が完全に海面に没してもなおしばらくの間こぼれた油は燃え続けていた。

 その火が敵艦に狙いを付ける役に立たないほど小さくなると、ついに敵機は夜空へ姿を消して

いった。

 



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第13話

 遅々として登ることを拒否する太陽がようやく水面に出ると、ぎらつく光が特一号船団――あ

るいはその残骸――を照らし出した。万寿丸や光丸を始めとする船が沈み、船団は11隻が残るば

かりだった。残っている船の中で無傷なものは無いし、ほとんど浮いているだけの船も1隻や2隻

ではない。船娘たちを船橋から見ているエビは、もはや表現する言葉を失っていた。自分の知っ

ているいかなる言葉でもこの船団の痛ましさを表現できなかった。それはツチガミも大同小異の

ようで、先ほどから盛んに髭を撫でながら「ううむ」とか「ふむ」とかうなっている。

「朝潮が信号しています。『護衛艦艇ハ集合セヨ』です」

 重い空気に押しつぶされそうになる中で、ワタノキがようやく呟いた。それを皮切りにやっと

エビとツチガミはしゃべり方を思い出したようだった。

「今度は何だ。水平線上に戦艦ル級が1ダースでも見えたのか」

「味方が来た……わきゃ無いだろうなァ」

 口々に言いながらも光明丸に命じて速力と針路を変える。船団の外周を回って朝潮に近づく光

明丸だが、輸送船娘たちが口をもごもごさせているのに気がついた。なんだろうと思い耳を澄ま

す。機関が発する騒音の向こうからかすかに聞こえたのは、痛みに苦しむうめきであり、船団の

行く末に対する呪詛だった。「なぜ引き返さない」「この先どうなるの」「旗艦は私たちを沈め

たいのか」「もう嫌だ」――不安と恨みが入り交じったこのような言葉は、ほとんど無意識のう

ちに発せられ、意味を成さないまま波をかき分ける音に消されていった。

 とりわけ光明丸を驚かせたのは「もう死にたい」という言葉だった。今や死は彼女たちに対す

る安らぎであり、逆に生は苦痛であるというのか。どきりとして船娘一隻一隻を眺める光明丸。

誰もが疲労に満ちた顔だった。動かない地面と温かい食事、そして柔らかな布団の中での10時間

の睡眠が与えられるのならば直ちに命を投げ出しかねない、といった様子だ。戦場には血湧き肉

躍る戦闘など無いし、なお悪いことに観客席もない。輸送船と言えど誰もが当事者であり、高み

の見物が出来る訳でもない。輸送船娘たちはその事実を体に刻みつけられ、痛みでうめいていた。

船団の士気は最悪になっているが、古人が言うには「最悪と言える間はまだ最悪ではない」。

 しかし光明丸にはこれ以上「最悪」な場面は一つしか想像できなかった。全ての船が深い深い

海の底へと滑り落ちていく。それは「最悪」でもあり、同時に「最期」にもなるだろう。首を振

って悪い考えを頭から追い出し、代わりに自分自身に問いかける。私はどうなのだろう。もう死

にたいと、この何時終わるとも知れない苦痛から逃げ出したいと思っているのだろうか。答えは

否だった。僅差であるが否だった。トロール漁船として魚を捕る楽しみを自分はまだ知らない。

その日が来るまでそう簡単に死ねるものか。どんな目に合ってでも、泳いででも舞鶴に帰ってや

る。そう自分に言い聞かせて奮い立たせる。

 朝潮のまわりに3隻の護衛船が集まっていくのを輸送船娘たちはうつろな目で眺めた。ところ

が言い出しっぺの朝潮自身も恐ろしく浮かない顔をしていた。残弾と被害状況を報告させる彼女

だが、前者はともかく後者は口で言うより目で見た方が速かった。13号電探を失い煙突がひしゃ

げた朝潮、機銃掃射で艤装が穴だらけになった望月、同じく艤装を不発弾で砕かれた吉祥丸、船

体に亀裂が入った光明丸。散々な有様だった。

 光明丸は報告がてら先ほど見た船娘たちの疲労困憊ぶり、士気の崩壊ぶりを朝潮に伝えた。彼

女たちはもはや輸送作戦の正否などに興味が無い。あと何時間、あと何十分で作戦中止の号令が

掛かるか、でなければいつ安らかな死を得られるか、それだけを気にする活力しか残っていない

と。説明の最期に「撤退も視野に入れた方が良いと思います」と付け加えようとして止めた。そ

れを決めるのは自分ではないし、船団がいかなる状況にあるかを一番理解しているのは朝潮自身

だ。

 言われた朝潮は数秒の間沈黙すると、急にかしこまって「撤退、すべきだと思いますか?」と

光明丸に問いかけた。ひやりとした光明丸は気の利いた答えが出来ず、言おうとしていた言葉を

流用して「視野に入れてはおくべきだと思います」とあやふやな返事をしてしまった。朝潮はま

た少し黙り込み、「光明丸さんと吉祥丸さんに重要なお話があります」と切り出した。

「特一号船団に作戦中止の命令が来ないのは、極秘の『使命』があるためです。その件について

今からお話ししますが、くれぐれも内密にお願いします」

「それってぇ、ラバウルへ行くことですか?」

 吉祥丸が手を挙げて質問した。朝潮は首を振るとさらに浮かない顔になって続ける。

「それは『任務』です。我々には輸送任務とは別にもう一つ役割があります。囮となって敵艦隊

を誘因し、友軍が決戦を挑むチャンスを得られるよう餌となることです」

 望月が「あーあー言っちゃったよ」という顔をして肩をすくめる。光明丸は吃驚し心臓の高鳴

りを感じた。吉祥丸は言われた意味がよく分かっていなかった。3人の反応をよそに朝潮の開帳

は続く。

 半年近く前、連合艦隊――ここでいう所の連合艦隊とはいわゆるGFではなく、各鎮守府・泊地

が合同で行う作戦のために臨時に編成された艦隊、各根拠地から貸し出された複数の艦隊からな

る精鋭部隊、くらいの意味合いである――と深海棲艦の大艦隊ががっぷり四つに組んで盛大な海

戦を行った。自信満々に望んだ海軍だったが、海戦が終わってみれば痛み分け、どころかひいき

目に見ても惜敗だという。我らが海軍の悪癖である「戦術的には勝ちだが戦略的には敗北」とい

ういつもの泥沼である。頭に血が上った海軍は一方で再戦を誓い、一方では特設監視艇による監

視の強化を決定した……と、ここまではワタノキがいつぞやにした噂話通りだ。

 鎮守府や泊地のドックでは昼夜を問わず機械音が響き、また信じがたいほどの資材が修理と建

造と演習とにつぎ込まれた。なけなしの主力艦が中破・大破して帰ってきた弱小艦隊とその提督

は資材のやりくりで火の車だった。が、高練度の艦娘が轟沈した艦隊と提督には、もはや掛ける

言葉がなかった。

 ともあれ様々な困難はあったが、大車輪で修理完了した艦娘、猛訓練の末に練成完了と相成っ

た艦娘、前回出動させなかった各艦隊虎の子の艦娘などにより敗北の痛手は大急ぎで埋められ、

めでたく連合艦隊を再結成するに足るだけの艦娘が戦力化した。しかし雪辱を果たすべき敵艦隊

は姿を消したまま見つからない。深海棲艦の戦力拡大のペースはこちら以上だったから、時間が

経てば立つほど次の大海戦での勝ち目は目減りする。そこで持ち上がったのが囮輸送作戦だった。

 囮の輸送船団に深海棲艦を食いつかせ、そこを連合艦隊が攻め立てる。直近の数週間、深海棲

艦の輸送船団に対する襲撃は活発で、報告に寄れば戦艦や正規空母まで混じっていたらしい。こ

れを利用すれば有力な艦隊、とりわけ半年前に連合艦隊とやり合った艦隊を引きずり出せるかも

知れない。単純な発想ではあるが、戦艦や機動部隊が輸送船団を襲撃したケースは「前の戦争」

でも複数例があるから、突飛なアイデアかと言えばそうでもない。バレンツ海海戦よ再び、北岬

沖海戦の栄光をもう一度、という訳だ。

 だが、一体誰にその美味なる餌となって貰うかを考えればやはり身勝手極まりない発想と言う

ほかない。この計画を最初に言い出したのは舞鶴鎮守府で、立案された作戦案はあれよあれよと

いう間に軍令部へ話が登り、何の間違いかゴーサインが出た。直ちに連合艦隊の編成と出撃準備

をするから、護衛艦艇は舞鶴鎮守府の責任で手配せよとの命令だ。

 童話の「ネズミの相談」ならここで怖じ気づいて話がうやむやになるところだが、「あの」提

督は一切の迷い無く生け贄となる船をリストアップした。その中に光明丸が入っていたわけだ。

エビ達を拘束するよう命令し、「生き残ってしまった」という理由で光明丸ごと葬ろうとしたあ

の提督。現実を書類に合わせんとし、建て前が本音を支配し、理不尽さを第一の真実とするあの

提督。

 敵艦隊を引きつけられればそれでよし、沈んでしまったら「不名誉な行為」をした目障りな船

が消える。仮に食い付きが悪ければそのまま輸送船団としての任務を果たせばいい。どう転んだ

所で提督の一人勝ち。一石三鳥だった。

 連合艦隊は特一号船団の後方、100海里か200海里かは不明だがとにかく後方にべったりとくっ

ついて来ているのだそうだ。その気になれば……最初の空襲を受けた時点で180度転進していれ

ば1日と掛からず味方と合流できただろう。救援を求める電文が届いてすぐ連合艦隊に指示が出

ていれば、やはり1日と掛からず助けに来られただろう。朝潮は前者を選択しなかったし、連合

艦隊の旗艦は後者を選択しなかった。

 特一号船団の使命は見事に敵を釣り上げることであり、連合艦隊の使命はその敵艦隊を撃破す

ることだったからだ。これは陰謀ではない。海軍の正規のルートを通じて発せられた命令で、朝

潮たち正規の艦娘には出撃前に知らされていたからだ。事件ですらない。貧弱な護衛しかない輸

送船団がどうなるかは火を見るよりも明らかで、それを想像できない人間は海軍には居ないから

だ。

 悲劇と言って良ければ悲劇かも知れない。けれども、その悲劇は海軍の大戦果を知らせる新聞

とラジオの濁流の中に飲み込まれ浮かび上がることはない。最小の損害で最大の戦果を。その鉄

の論理が生み落とした結論が特一号船団だ。作戦。戦略。やはりふさわしい言葉はこれだ。暖か

みも感情もない、人間味のない砂のような言葉。理性と合理性と言う名の氷で刻みつけられた言

葉。朝潮が鹿野丸を撃沈することで特一号船団を救おうとしたのと同じく、海軍は特一号船団を

供物とすることで祖国全体を救おうとしている。

「そんな事だろうと思ってはいたが」

 光明丸の船橋でツチガミがせわしく歩き回りながら言った。

「ここまであの提督の性根が腐っていたとは思わなかった!」

 それにしても……とツチガミが続けようとした所で彼は黙った。彼がこの囮作戦の発案者なの

かについて朝潮は何も言わなかった。とはいえ、まさか一提督の思いつきだけでここまで話が大

きくなるはずもない。どこまでが海軍の判断でどこからが提督の悪乗りなのか、想像するほかな

い。全くの捨て駒にしてはいささか大船団だし、本気でラバウルへ辿り着かせるにしては心許な

い護衛戦力だ。まさか本当に、大淀の言ったとおり舞鎮手持ちの戦力がカツカツで猫の手も借り

たいほどだと。いやしかし、ならば監視艇隊の母艦である特設砲艦にこの任務をさせれば。いや

いや、こう言う時だからこそ監視艇隊も全船で出撃し一層濃密な監視網を形成しているのかも…

…。考え込んだツチガミに替わり光明丸が口を開く。

「朝潮さんや望月さんは、どうとも思わないんですか?」

 自分を生き餌とし深海棲艦を釣り上げる。そんな事を命令される気分というのは、光明丸には

とても想像が付かなかった。朝潮は少し考えてから、光明丸の目をじっと見つめて答えた。

「こんな任務は、さすがに志願しません。提督が私を選んだのには理由があると思いますが、詮

索しようとも思いません。私が行かなければ他の誰かが行かされるだけですから。それに、提督

には個人的な恩義が多々あります」

 言葉の最後に微妙な諦念が含まれていることを光明丸は感じたが、それ以上追求はしなかった。

吉祥丸はなんだか悲しくなったらしく望月に抱きつき両手を回した。望月も彼女の背中に右手を

回しながら、めんどくさそうに回答を考えた。

「まぁ、『前の戦争』よりかはマシなんじゃないの。提督にはいろいろと良くしてもらってるし

ね」

 二人が提督に義理を感じていると言い切ったことに光明丸の船橋は騒然となる。エビもツチガ

ミも自分の耳を疑った。あの提督は艦娘たちにこの状況でこのセリフを言わせるほどの人格者な

のか? まさに彼のせいで光明丸とその船員妖精は人身御供とされつつあるのに! エビたちは

軟禁された時に散々繰り返した議論をまたも繰り返したが、前回と同じでそれらしい結論は出て

こない。だが、よくよく考えてみれば、彼と面と向かって話したのはあの口喧嘩が最初で最後だ。

それどころか会ったことすら片手で数えられるほどしかない。

 まあいい。今は彼が好人物か悪漢かを気にしていられる場合ではない。そうだ、生きて帰れば

彼と再び会うことも出来る。「徴用された船娘と船員妖精たちは海軍の規範や規準を知らないし、

時には無視さえする『部外者』であるから」というツチガミの推測を実際に確認することも出来

るだろう。生きて帰りさえすれば……。

「話は分かりました。けれど、どうして教えてくれるんですか。私の想像ですけれど、口外しな

いように命じられているのでは?」

 光明丸の質問に、朝潮は皮肉っぽい顔になって言った。

「輸送船娘たちに加えて、あなた方の士気まで崩壊してはたまりませんから。言わない方が良か

ったかもしれませんが」

「いいえ。色々腑に落ちました。諦め混じりで戦うよりも、むかっ腹を原動力として戦う方が気

が楽です」

「そうと言ってもらえれば、教えたかいがあります」

 髪を右手でかき上げる朝潮を見ながら光明丸は思索する。駆逐艦は輸送船の護衛任務から戦艦

のお守りまでおおよそ想像できるあらゆる仕事と雑用を押しつけられている。そのうえ囮までさ

せられてはたまったものではないだろう。「言葉通りにやぶれかぶれ。朝潮さんたちもとんだ貧

乏くじ、ですね」とおどける光明丸に「損な役回りはお互い様だよ」と望月の眠たげな声が戻っ

てきた。

「特設監視艇の仕事もけっこーキツイらしいじゃん。似たもの同士だね」

 望月がそう言ってくれるだけで救われた。駆逐艦たちは自分たちの存在を気に掛けてくれ、同

輩とまで言ってくれる。数字として表れなければ勝利の栄光もない特設監視艇の仕事ぶりがよう

やく認められたようで嬉しかった。なんだか小難しい話をしている二人に、気持ちが落ち着いた

吉祥丸が割り込んで声を上げる。

「それでぇ、朝潮せんぱい。これからどうするんですか?」

「獲物はしっかりと罠に掛かりました。檻の戸を閉めるのは我々の任務ではありません」

 吉祥丸の質問に答え、あらかた喋り終えたと感じた朝潮は急に顔を暗くし、ボソボソ声で最後

にこう言った。

「もう十分でしょう。これ以上の被害は……」

 死ぬことが半ば決まっていた特一号船団を、それでも一日でも長く生き延びさせようともがい

た。出来ることは全てやったつもりだ。判断もベストではなくともベターだった。その結果が20

隻撃沈だ。自分のふがいなさと、自分が直面している現実が耐え難いほど動かしづらい事に、朝

潮は思わず弱音を吐きかけた。吐きかけて、輸送船娘たちがこちらを見ているだろう事を思い出

すと、唇をキッと真一文字に結び、いつもの真面目な顔を作った。

 彼女の隣に立っていた望月は何も言わず左手を伸ばし、吉祥丸と同じように朝潮を抱き寄せよ

うとして、止めた。中途半端な同情は彼女の矜持を傷つけるだけだったし、務めて旗艦らしく振

る舞う姿に水を差す事になる。朝潮の辛さを一番分かっているのは望月だった。少なくとも望月

はそう自負していた。特一号船団の「使命」を押しつけられ、その上旗艦にまでさせられた。人

が良すぎる人間、良い子すぎる艦娘は余計な仕事を押しつけられるのが常だ。替わりに、出来る

だけ言葉を選んで朝潮にいたわりの言葉を掛けた。

「朝潮のしたいようにすりゃいいんだよ。ここまで来たら、あたしはもう最後まで付き合うっ

て」

ありがとう、と小さく言って朝潮は笑顔を作る。明らかに作り物の笑顔だったが、そうしようと

努力する態度が妙に格好良かった。

「責任は私が取ります。これより連合艦隊と合流します!」

 朝潮は信号灯を取り出し全船に変針を命じた。特一号船団が使命を達成した見返りとして任務

の中止を決定した瞬間だった。

 



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第14話

 作戦の中止と転針を聞いて輸送船娘たちは一瞬明るい顔をした。が、それはすぐに落ち込んだ

物憂げな表情へと変わる。すでに午前6時を回っている。敵艦載機はいつ現れてもおかしくなか

った。今度も100機以上の攻撃となるだろう。そして闇夜というアドバンテージがない以上、特

一号船団の運命は誰の目にも明らかだ。朝潮の「特一号船団の後方から来ている救援部隊と合流

する」という言葉から発せられる希望より、見えない敵機から発せられる絶望の方が遥かに巨大

だった。船団唯一の電探を破壊された以上、頼りになるのは目だけだ。合わせて11隻分の艦娘船

娘、そして船員妖精の目という目が少しずつ明るくなっていく空へと向けられた。雲は少なく、

少々波があるが航海には支障ない。敵機からもこちらからも相手がよく見えることだろう。光明

丸もしまい込んでいた双眼鏡を取り出し警戒を始める。エビとツチガミも見張り台に登って周囲

を監視する。30分経ち、1時間経ち、1時間30分が経とうとしたとき、ある輸送船娘が突然叫んだ。

「敵、敵! 敵です!」

 興奮のあまりろれつが回らなくなっている彼女は指さしして何度も繰り返し叫ぶ。彼女の人差

し指が示す方角を見ると、確かに黒い点のようなものが見えた。後方から迫ってくるのだから、

敵機に他ならない。1機だけと言う事は偵察機だ。奴はこちらの射程に入る前に特一号船団の存

在に気付くだろうし、入った所で対空砲弾が命中するより速く敵船団発見の報を母艦に知らせる

だろう。それでも、朝潮は全船対空戦闘用意と命令を下す。直ちに前に全ての船の全ての武器が

後方に指向され、射撃開始を待つ。朝潮は12.7センチ砲を構え、初弾を装填した。ぐっと右腕を

伸ばして狙いを付けるが、どうも様子がおかしい。その航空機は一向に高度を下げることなくこ

ちらへ近づいてくる。それに、徐々に大きくなるその姿は深海棲艦の艦載機に見られるアイロン

のような、猛禽類の爪のような形をしていない……。はっと気がついた瞬間、望月の12センチ砲

が火を吹いた。

「全船撃ち方止め! あれは味方だ!」

 戦いの火蓋を切った望月に釣られて、何隻かの船は射程距離外にも関わらず機銃を撃ち始めた。

朝潮が大声で撃つな、撃つなと繰り返し制止してようやく静かになった頃には、その機体は特一

号船団の上空へと差し掛かかっていた。大急ぎで船員妖精に命じて無線機に取り付かせる一方、

信号灯で上空の航空機に誰何する。

「我戦艦『榛名』搭載機ナリ。只今索敵任務ヲ完了シ帰投中」がその返事だった。

 自分たちが大損害を受け退避している輸送船団であること、敵空母艦載機の行動圏内にいるこ

と、それら空母は一昨日にマリアナを襲撃した機動部隊と同一であるらしいこと、母艦にそれを

知らせ救援に来て欲しいことなどを急いで伝えると、ブーンという乾いたエンジン音とともに下

駄履きの友軍機は上空を通過し、そのまま旋回して輸送船団の周囲をぐるっと回った。誰もが藁

にもすがる思いでその一挙一動を見つめる。

「貴船団ノ窮状把握セリ。母艦ニ打電ス。現針路ヲ堅持シ全速デ航行サレタシ、貴船団後方7海

里ニ敵艦見ユ」

 船員妖精から逐次無電の内容を聞いていた朝潮は口から心臓が出るかと思った。7海里! も

う目と鼻の先ではないか! 焦る朝潮だったが、続けて打電された友軍機の言葉で全てが吹き飛

んだ。

「サレドモ安心サレタシ。母艦ハ貴船団ノ北方9海里ニ位置ス。既ニ我ノ眼下ナリ」

 味方機は速度を上げ前方へと飛び去る。みるみる小さくなっていく深緑色の機体を眺めながら

朝潮は自問自答した。

「間に合った、の?」

 友軍機! なんと素晴らしい言葉だろうか。ここ数日まったく見ることも聞くこともなかった

言葉、どれほど待ち焦がれたか筆舌に尽くしがたい言葉! それはともかく、敵も味方もすぐ近

くにいるらしい。戦艦が一隻だけでうろつくことはないから、数隻の味方がいる事になる。それ

にしても戦艦榛名とは。彼女は舞鶴所属の艦娘だ。彼女を始めとする艦娘が舞鶴の艦隊から連合

艦隊へと引き抜かれたのだろうが、何か運命的なものすら感じてしまう。何人かの輸送船娘たち

は生気を取り戻したのか、あるものは喜びに震え、またあるものは涙を流し始めた。艤装から身

を乗り出すようにして万歳する船員妖精までいた。だがしかし、喜ぶのはまだ早い。ここで焦る

のが一番良くない。頬を叩いて気を引き締める朝潮に、数分の後今度は吉祥丸と光明丸からの報

告が同時に入る。

「朝潮せんぱい! 後方6時の水平線に煙みたいなのが見えます!」

「朝潮さん! 前方の水平線上に煙が見えます!」

 光明丸が言い終わらないうちに、突然船団の真ん中に巨大な水柱が立った。驚いて空を見上げ

る光明丸だがそこには何の姿もない。潜水艦かと思って周囲を見回している最中にも次々と水柱

が打ち立てられていく。

「あっ! 後方の煙、やっぱり敵みたいです! 3隻くらいいる!」

 吉祥丸からの2度目の報告。友軍機の話通りに事は進みつつあるようだ。こいつが特一号船団

に砲撃しているに違いない。しかも初弾からこの精度だ、おそらくレーダー射撃だろう。しばし

思考を走らせた朝潮は即座に決断した。

「よし、私と望月で敵を食い止める。光明丸は船団の指揮を執り針路このまま、味方と合流せ

よ!」

「えっ……あっ、はい!」

 光明丸がまごつく間にも朝潮と望月は方向転換し、機関に唸りを上げさせ敵へと向かっていく。

それを尻目に残された特一号船団は必死に離脱する。光明丸のディーゼル機関は雄叫びを上げ、

スクリューは勢いを増して海水をかき回し始めた。朝潮たちの姿はどんどん小さくなっていき、

前方からやって来る味方の姿はどんどん大きくなってくる。1隻、2隻、3隻と味方のシルエット

が増えるたび、特一号船団に安堵が広まっていく。

「前から来る艦娘、どんなのか分かるか?」

 敵艦に続いて敵機までがやってこないか監視を続けているエビが、後方を向いたまま光明丸に

尋ねた。言われるがままに双眼鏡で覗いてみる。複縦陣で迫る艦娘たちは少なく見ても6隻を下

らない。その先頭を行く艦娘の姿を視界に捉えた瞬間、まばゆい光がレンズごしの世界を埋めた。

主砲を撃ったのだ。巨大な主砲弾は光明丸たちの頭上を飛び越え、朝潮と望月の頭上をも飛び越

え、特一号船団を追う深海棲艦のそばへと着弾した。主砲発射に伴う爆煙が晴れ、砲撃の主の姿

が再びはっきり浮かび上がる。特徴的なカチューシャと巫女服のような出で立ちだった。

「戦艦です! 戦艦金剛、榛名。その後ろに重巡もいるようです!」

 船橋で見張りをしていたツチガミとワタノキは思わず目を合わせた。

金剛とエビの間に色々と、一方的な思い込みではあるがとにかく色々とあることはワタノキもツ

チガミから聞いている。その金剛とよりにもよってこんな状況でこんな出会い方をするとは、幸

か不幸かは別として恐ろしくツイている巡り合わせだ。報告を聞いたエビは少しだけ振り向こう

としたが、ひとことも言わないまますぐに後方の監視に戻る。金剛と榛名の2隻は主砲を続けざ

まに撃ちながら近づいてくる。そのまま顔色すら分かる距離まで接近し、船団と戦隊とが交差す

る。2隻の高速戦艦の後を重巡古鷹、青葉、駆逐艦不知火、浜風が続いていく。舞鶴鎮守府の切

り札的存在と言える高練度な艦娘ばかりだった。特一号船団の誰もが彼女たちを驚いた様子で見

た。だが見られた金剛たちもまた、特一号船団を驚いた顔で見返した。

 機銃掃射で艤装に穴を開けられ、あるいは爆撃と雷撃で船体をもがれた貨物船とタンカーたち。

苦しげな足取りで前進を続ける船娘たちの護衛をするのは、たった2隻の特設監視艇。その特設

監視艇もかたや艤装に亀裂が入り、もう一方は艤装の一部を砕かれている。潜水艦と空母艦載機

が特一号船団に刻みつけた惨害は、いつも陽気な金剛にすら苦々しい顔をさせるに足るものだっ

た。榛名が金剛になにやら言うと、金剛は頷いて背後を振り返る。配下の駆逐艦に身振りを交え

て命令を下すと、そのまま敵艦の方へ全速で進んでいった。榛名と2隻の重巡はそれに続いたが、

駆逐艦は反転し、そのまま特一号船団を守るように展開した。不知火が光明丸にぐぐっと近づく。

表情は生真面目で、目つきはほとんど殺人的なまでに鋭い。ちょっと恐そうな艦娘だな、と一人

おどおどしている光明丸に不知火が言った。

「我々が護衛します。このまま続航してください」

 抑揚の少ない、落ち着き払った話し方だったが、こういう時には逆に安心できる声音といえた。

振り返って朝潮と望月の様子を伺う。双眼鏡を使ってもよく分からないほど離れているが、すで

に砲撃戦が始まっているらしい。船団はもう大丈夫だ。助太刀に行かなくては! けれども光明

丸は浮かび上がった考えを即座に否定する。行った所で足手まといになるだけだ。別の艦娘だっ

てこちらに駆けつけているだろう、それに本当に支援が必要なら不知火や浜風が向かうはずだ。

とはいえ、これではまるで戦友を見捨てるみたいではないか。いやいや朝潮は味方と合流しろと

命令したのだ。このままでいい。このままで。一方には安堵、もう一方には気がかりを感じなが

ら光明丸は戦場から退避を続ける。

 

 

「砲雷撃戦用意! 適当に相手をしたら煙幕展張して時間を稼ぐわ!」

「あーい!」

 全速で深海棲艦へと迫る朝潮、望月の二隻。単縦陣で接近していた敵は、全艦が砲撃できるよ

う右に回頭し続けている。こちらから見ると敵が横一列に並んだように見え、そのおかげで敵艦

隊の構成が分かった。もっともそれは全ての敵艦からこちらが見えている事、つまり全敵艦がこ

ちらを射線に捉えていることを意味する。敵の先頭を行くのは重巡リ級エリート。しかも2隻い

る。後に続くのは駆逐ニ級が4隻。火力と速力のバランスが取れた打撃部隊と言った所だ。駆逐

艦2隻が真正面からぶつかったところでどうにもならない。嫌がらせ程度の砲撃戦で攪乱するの

が精一杯だ。せめて酸素魚雷があれば、その長大な射程を活かして一太刀浴びせることも出来た

だろうが、朝潮型と睦月型に酸素魚雷は装備されていない。有るか無いかで言えば、ある。少な

くない数の酸素魚雷と四連装発射管が鎮守府の工廠で出番を待っている。けれどもそれらは前線

で戦う艦娘に優先配備されるのが常で、遠征が主任務の艦娘は往々にして装備の更新が行われな

かった。舞鶴鎮守府がずぼらだというのではない。上は軍隊から下は私企業まで、予算と時間と

優先順位の壁は常に分厚い。それだけだ。しかし、である。もう何度も何度も朝潮が心の内で繰

り返した言葉を引用するなら「今はそんな事を考えている場合ではない」。

 敵艦隊は2隻に対して頭を取る――すなわちT字戦に持ち込もうとしている。そうはさせまいと、

朝潮と望月は取り舵して敵艦隊の頭を抑え逆に自分たちがT字戦の主導権を得ようとする。二つ

の艦隊が互いに相手の前に出ようと運動を繰り返すが、どちらにも相手を圧倒するだけの速度が

なく、企図を達せられない。最終的に両者は同航戦へともつれ込んだ。砲撃戦が開始され、数え

切れないほどの主砲が朝潮と望月へと向けられる。深海棲艦がチカチカ光ったと思った次の瞬間

にはいくつもの水柱が周囲に立ち上った。これはまずい。並走されつつ袋だたきにされる。朝潮

は攻撃中止を即断し、船員妖精に命じて煙幕を展張させる。ところが。

「! 作動しない!?」

 真夜中の空襲で13号電探に衝突した敵機、あれが煙突に余計な穴を開けるついでに煙幕発生機

にも悪さをしていったのだろう。煙幕発生機はほんの数秒間だけ動作した後、配管かタンクかが

音を立てて吹き飛び、完全にその機能を停止した。望月のそれは何とか動いているが、1隻だけ

の煙幕ではとても身を隠せない。敵弾は夾叉を始めている。このままでは危険だ。しかし身を隠

すためのその煙幕が張れないのだ! 朝潮がパニックにならなかったのはひとえに経験の賜物だ。

と同時に、経験は朝潮に「生存のために取り得る行動がもうない」事も予感させた。ほとんど反

射的に、機械的に先頭のリ級へ12.7センチ砲を構える。朝潮はほんの一瞬、ここで倒れても良い

と思った。自分が撃沈される間に、特一号船団は安全な距離まで逃げ切ってくれるだろう。そし

て目の前の深海棲艦は、今まさに来てくれた援軍が打ち倒してくれるだろう。

 だけどもそうはならなかった。突如飛来した砲弾が先頭を行くリ級を包み込み、けたたましい

音と共に艤装がはじけ飛んだ。一撃で満身創痍になったリ級の、その後方を行くリ級にも重い主

砲弾が降り注ぐ。斉射されたらしい8つの水柱は初弾から夾叉していた。朝潮が驚きと困惑が混

じった声を挙げるのと同時に、2隻目のリ級に36センチ弾が突き刺さった。弾薬庫にまで届いた

のか、数メートルはあるかと思われる火柱を立ててリ級は沈んでいく。思わぬ増援に形勢不利と

判断したのか、ニ級は一斉に回頭すると同時に煙幕を展張、置き土産とばかりに魚雷を放ってい

った。まぐれ当たりを狙ったのだろうが、さすがにこの距離では命中するはずがない。それでも

念のために回避運動を取らざるを得ず、稼ぎ出したその時間を使って敵は白く重い煙幕の向こう

へとかき消えていった。その鮮やかさに朝潮は悔しさを募らせた。この二級の一連の退避行動こ

そ、朝潮がやりたかったことそのものなのだ。

「朝潮ー! もっちー! 大丈夫デスカー!」

 立ちこめる煙幕から距離を取る2隻が振り返れば、もう肉声でやりとりできるほどの近さにま

で金剛たちが近づいていた。舞鶴鎮守府分遣艦隊第二戦隊。舞鎮から連合艦隊へ貸し出された艦

隊を構成する戦隊のひとつだ。

「支援、感謝します。戦況はどうなっていますか?」

「お姉様の水偵が敵艦を発見したので、交差針路へと急行していたところです。あなた方の事は

私の水偵から聞きました。それにしてもこんな所に友軍の輸送船団がいたなんて、榛名、驚きで

す」

 榛名が説明する言葉の後半部分に嫌みやわざとらしさは見えず、特一号船団の事を知らないよ

うだった。本当に知らないのか、知らないふりをしているのか。確かに太平洋上には今この瞬間

も大量の輸送船団が航行しているのだからその一つ一つにまで気に掛けておらずとも不思議では

ない。しかし一方で彼女たちは罠に掛かった獲物を仕留めるためにここへ来たのも事実だ。余計

な詮索はやめよう、と望月は結論づけた。無駄に疲れるだけだ。

「私たちがしっかりEscortするから二人も退避してくださーイ。偵察によれば敵には戦艦がいる

みたいデース」

「いえ、まだ弾薬も燃料もあります。お供します」

 頼もしい味方の参上に戦意が湧いてきたのか、朝潮はやる気だった。一方望月は「えぇ~めん

どうくさーい」という表情を恥じることもなく見せる。金剛・榛名の後ろから古鷹・青葉もやっ

て来る。6隻は海上に静止し、しばし相談する。不知火・浜風を今から呼び戻すのは非効率的だ

し、小破したとは言えまだまだ戦闘の継続が出来る駆逐艦を手放すのも惜しい。結局6隻で戦隊

を組むことに決した。敵艦隊へ向けて進撃を再開しよう、とした所で金剛は自身の船員妖精から

入電したことを告げられる。呉鎮守府分遣艦隊は空母4、戦艦4、その他の艦艇多数から成る機動

部隊を発見、これと交戦に入る――という短い電文だった。

「What!? じゃあワタシたちが見つけた艦隊は別働隊というわけデスカー?」

 歯がみして悔しがる金剛だが、機動部隊相手に戦艦2重巡2ではさすがに分が悪い。呉鎮分遣艦

隊には武勇の誉れ高い第一航空戦隊がいる。加えて電文に記されていた敵機動部隊の位置はここ

からかなり離れている。加勢に行くよりかは自分たちが発見した敵艦隊の相手をした方が良い。

提督に敵空母撃沈の戦果をプレゼントしたかったネーと残念そうにする金剛を、望月は冷めた目

で見つめた。その空母を命と引き替えにおびき寄せた輸送船娘の死に様を見ても同じ事を言える

だろうか? そんな考えが一瞬浮かぶが、頭を振ってすぐに消し去る。今しがた余計なことを考

えるのはよそうと決めたばかりだ。

 ニ級が張った煙幕は未だ晴れていない。先ほどからその煙幕が少しずつ薄まる様子を眺めてい

た古鷹は、ハッとすると険しい表情で煙幕をにらみ付ける。同時に左目に妖しげな光をたたえさ

せた。

「煙幕の中から何か出てくるようです!」

「対水上電探には何も映ってませんよ?」

 青葉が返事をしながら額に手をかざして煙幕を眺める。煙で出来たカーテンの向こうは全く見

えない。

「間違いありません! 来ます!」

 古鷹が言い終わる前にそれは煙幕から飛び出してきた。のっぺりとした煙にいくつもの穴が開

き、黒く小さな深海棲艦が大量に姿を現す。水切りする小石の如く海面を激しく跳ねながら、一

直線にこちらへ突撃してくる。

「全艦散開、各個に射撃開始! Hurry up!」

 金剛の声に弾かれ、止まっていた各艦が同時に動き出す。小回りの利かない戦艦である金剛・

榛名は後方へ下がり、朝潮と望月が正面に出る。古鷹と青葉はその中間に陣取りアシスト。

「なんでこんな洋上に魚雷艇がいるんだよっ!」

「それは倒してから考えれば良いわ! 私は右からやる、望月は左をお願い!」

「あいよーっ」

 煙幕を突っ切って第二戦隊へと襲撃を掛ける敵魚雷艇は40ノット近い速度を出しながら迫り、

こちらを視認するや否やあっという間に隊列を解き各艇がバラバラに動きながら突き進んでくる。

やっと味方と合流できたのにこれだよ。心の中で愚痴りながらも望月は12センチ弾をつるべ撃ち

にする。すばしっこい魚雷艇相手では命中弾を得ることは難しいが、当たりさえすれば一撃だ。

奴らの排水量は50トン前後。吉祥丸より小さいのだ。その小ささゆえに、波に紛れてしまい対水

上電探に映らなかったのだろう。一方で装備している22.5インチ魚雷は警戒に値する。命中すれ

ば戦艦や空母でも致命傷になるからだ。そして駆逐艦娘と同じく、深海棲艦の魚雷艇も大物、つ

まり高価値目標である戦艦・正規空母の類を優先して狙ってくる。だから一隻たりとも後ろへ通

す訳にはいかないのは望月も了解している。言葉とは裏腹に積極的に前へ出て射撃を続ける望月。

10発近く撃ってようやく命中した。横転して海中へと叩き付けられる深海棲艦。だが喜んではい

られない、まだ山ほどいる。

「9,10,11……少なくとも12隻います! 気をつけて」

 古鷹は敵の数を数えながら、4門装備する12センチ単装高角砲に思い切り俯角を掛ける。重巡

の20センチ主砲では魚雷艇相手には牛刀割鶏だ。

「高角砲狙って、そう。撃てぇーっ!」

 1門の高角砲が火を吹き、瞬く間もなく着弾。盛大な水柱を立てる。しかし魚雷艇の速すぎる

動きに照準が付いていかない。すかさず修正して次の1門を撃つ。タイミングは合っているもの

の着弾点がやや遠い。さらに修正して次の一発。三度目の正直は見事命中し魚雷艇の中央に大穴

が開いた。敵艦はそのまま空中分解する飛行機のように、粉々になりながら海面を滑って行った。

光ったままの左目が次の目標を捉える。古鷹の左前方から魚雷艇がすっ飛んでくる。高角砲を撃

つが当たらない。思い切って主砲すら撃ったが、一足遅く最大俯角の内側へと滑り込んできた。

ほとんど体当たりするかに見えた魚雷艇は彼女の左脇すれすれを通り後方へ侵入する。方向転換

して追うような時間はない。

「抜かれた! 青葉、お願い!」

「はいはーい、撃ちますよぉー!」

 青葉の12センチ高角砲と25ミリ機銃が火を吹く。右へ左へ蛇行しながら避けようとする魚雷艇

だが、鞭のようにしなって追う射線に捕まり機銃弾を浴びた。そこへ12センチ砲弾が命中し撃沈

される。安堵した古鷹へ休む間もなく次の魚雷艇が青葉へ迫る。朝潮が取り逃がしたらしい一隻

がひっそりと忍び寄っていたのだ。その魚雷艇は自棄になったのか装備する機銃・機関砲を乱射

しながら突っ込んでくる。駆逐艦相手ならともかく重巡相手には効きはしない。古鷹・青葉の二

人がかりで仕留めに掛かるが、意外な粘りを見せ砲弾を避け続けた。これでもかと撃ちまくりよ

うやく命中した頃になって、敵は自棄になったのではなく自ら囮になったのだと分かった。

 金剛たち第二戦隊目がけて突入せず、その周囲を注意深く走っていた3隻が頃合いを見計らい

突撃を開始する。朝潮と望月が目を付けていない地点、かつ古鷹と青葉からも遠い地点を探り出

し、さらに彼女らが他の魚雷艇に気を取られるまで待ってから突進を始める。目標は金剛と榛名。

脇目もふらず全速で疾駆する3隻の深海棲艦は、まるでゴールへ向けて全力疾走するラグビー選

手のようだった。10時の方向から来ます! と隊内電話を通じて榛名の叫び金剛の耳に届いた。

互いに数メートルの間隔を開け、着弾の水柱をスラロームするようにかわしながら魚雷艇は近づ

く。

「副砲、しっかり狙うネー、Fire!」

 巨大な発砲炎があがり、轟音と共に15センチ砲弾が撃ち出される。避ける、避ける、まだ避け

る。執念のこもった動きを続ける3隻の魚雷艇と、回避しつつ迎え撃つ金剛。榛名も加わり2隻分

の砲弾を次々撃ち込まれるが、それでも退かない。1隻が被弾し砲弾もろとも波間に消えても深

海棲艦は止まらない。獲物を追うライオンか、はたまた犯人を見つけた警察官か。自分自身を誘

導装置とし我が身に構わずこちらを狙ってくる魚雷艇に、金剛は一瞬薄気味悪さを覚え、背中に

冷たい汗が流れる。魚雷艇はついに射程距離に2隻を収める。黒色の大型犬のような醜い物体が、

勝ち鬨のような唸りを上げるのを榛名は聞いた。

 合わせて8本の魚雷が僅かな間をおいて次々発射され、真っ白な気泡の尾を引きながら向かっ

てくる。金剛は取舵、榛名は面舵を目一杯に切って避けようとする。33.5ノットの雷速は魚雷と

しては速くないとはいえ、戦艦だって自動車のようには加減速できる訳では無い。ごく至近距離

まで近づいてから放たれた魚雷を避けるのは至難の業だった。それでも金剛は自分に向けられた

魚雷を一本かわし、二本かわし、三本かわした。偶然の結果ではない。金剛の腕だ。金剛もまた

第二戦隊の旗艦を任せられるだけの練度があるのだ。それを自覚している金剛はどうだと言わん

ばかりに榛名を見る。だが榛名は真っ青な顔で見返して来た。まさか、と思って海面を見回した

時には遅すぎた。白い尾が呼び寄せられるように自分へ向かってくる。

 Mark13魚雷の弾頭に詰め込まれたトルペックスは、金剛の足下で炸裂した。

 



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第15話

「金剛が被雷した!?」

 隊内電話に耳を傾けていた浜風が目を大きく見開いて叫んだ。船員妖精が張り付いて操作して

いる無線機の向こうからは金剛の悲鳴や榛名の呼び声、古鷹の良く通る声などが二重三重に重な

り合って聞こえてくる。特一号船団の輸送船娘たちにもあっという間に話が広まるが、彼女たち

貨物船やタンカーには手の打ちようがない。手の打ちようがありそうな不知火と浜風は一瞬針路

を変えようとしたが、自分に与えられた命令を思い出しとどまる。金剛の命令は船団を支援して

退避させることだ。その命令はまだ有効だ。金剛と親しい浜風は落ち着かない様子だったが、だ

からといって持ち場を離れるような真似はしなかった。

 光明丸は戸惑う。船長が好意を寄せている――あるいは寄せていた――艦娘がピンチだ。魚雷

艇相手なら自分も役に立つかも知れない。弾ももう一戦出来る程度には残っている。助けに行く

べきだろうか。それとなく、実にそれとなくエビに聞いてみるが彼は返事をしない。エビの頭の

中では様々な思いが渦を巻いた。一方では助けに行くべきだと思うし、一方ではそうするべきで

無いとも思う。自分たちは餌としての役割を立派に果たした。後は金剛たちの仕事であってこれ

以上付き合う義理はない。それに助けに行った所で何が出来るとも思わない。いや、そもそも何

かをしてやる道理もないのだ。光明丸が敵艦載機に爆撃や雷撃を受けた時、金剛はいなかった。

ならば彼女が雷撃された時に光明丸がそばにいなければならない理由はない。特一号船団は31隻

中20隻が沈んだのだ。その死線をくぐり抜けようやく助かりそうな命をみすみす無駄にする必要

はない。そしらぬ顔で徴用船舶をすり潰しておきながら美味しい所だけをさらいに来た連合艦隊

を、一体全体なぜ手伝ってやらねばならないのか。

 とはいえ、まるで気にもならないし何隻くたばったところで知った事じゃない、とも言えない。

何だかんだ言っても、あれやこれや悪口を言っても、それでもなおエビは未だ金剛のことが好き

だった。例の一件以来まともに目も合わせられないが、その分なぜか思いは募っていった。公報

や鎮守府内で撒かれている新聞(ワタノキの噂によればいち艦娘が執筆し印刷しているらしい)

に金剛がらみの話が出ると、興味のないふりをしつつもしっかり読んでいた。記事の中で金剛が

戦果を挙げたことを知ると何となく誇らしくもなった。嫌いだ嫌いだと意識を向ける程度には意

識していることは本人も認めざるを得ない。完全に無視する程には嫌っていなかったが、仲良く

しようと思うほどには好意的でない。一方的にも程がある自分勝手な片思いと失望に未だ整理は

付いていないし、行き所のない感情もため込んでいる……。

 くどくどとした話を切り捨て端的に述べるなら以下のような具合になるだろうか。艦娘金剛の

うち戦艦としての彼女は今もって敬愛しているが、女性としての彼女はそうでもない。というの

も艦としての働きは様々なメディアで知っているが、女性としての彼女とは相互不理解なやりと

り一件を除いてまともに喋ったこともないので人となりが分からない。だからどう振る舞うべき

か分からない、と。むすっとして黙っていたエビだが、ツチガミ、ワタノキ、そして光明丸から

の無言の圧力を感じてしまえば何事かを言わざるを得ない。

「向こうに駆けつけるまでに魚雷艇なんぞみんな沈められて、なんの役にも立ちはしねぇよ。そ

れに、朝潮から命令されちゃいないしな」

「役に立つとか意味があるとか命令があるとか言う問題ではないだろう」

 ツチガミがすかさず反駁した。

「惚れた艦娘なんだろ? 違うのか?」

 惚れた艦娘、という単語を出されてエビは泡を食った。結局自分は金剛をどう思っているの

だ?頭の中で彼女の姿を今一度思い浮かべる。栗毛色をした髪と、愛敬のある瞳。引き締まった

体と妙なカタコト言葉。嫌いな相手をわざわざ心のスクリーンに映す奴はいない。ということは、

そういうことだろう。

「分かった、分かった。どうやらまだ惚れてるみてぇだ。それは認める。だけどお前らを巻き込

む理由がない。それに俺は『愛のために死ぬ』なんて気障な理屈はゴメンだ」

「何を今更。この船の艇長はあなたですし、あなたが金剛ラブなのはとうに承知ですよ。だいい

ち沈むつもりは毛頭ありません、喜ぶのは提督だけですし。仮にこのまま離脱したら、提督はき

っと逃げだした特一号船団が迷惑を掛けたから金剛が中破したなんて言い出すに違いありません。

ここは先手を打って第二戦隊に恩を押し売りして、彼女らを味方として『引き込む』くらいしな

いと」

 今度はワタノキがそれらしい理屈をこねた。元来調子づきやすいエビは二人の後押しにより少

しずつ気持ちが傾いてくる。

「光明丸、お前自身はどうなんだ。俺達が偉そうなことを言っても戦うのはお前だ。嫌ならはっ

きり嫌と言ってくれればいい」

 光明丸は唇を噛んで考える。船長が金剛に入れ込んでいるのは彼との馴れ初めの時から知って

いる。だから彼がおおっぴらに金剛の事を喋っていても嫉妬する気にはならなかった。言ってみ

れば母親に父親を取られると心配する娘のようなものであった。戦艦金剛がいなければトロール

漁船金剛丸は存在しなかった。それを考えると艦娘金剛に対しても妙な親近感が湧いた。だから、

エビが金剛の悪口を言っているのを聞くと変に居心地が悪く感じるくらいだった。光明丸自身は

金剛と話したことがない。だがそれは見捨てて言い理由にはならない。

 行こう。自分の間接的名付け親が傷つくのを放っておくような卑怯な艦娘ではない。

「行きましょう! こうなったら最後の最後まで餌として付き合うまでです。ただし! 誰も食

べることは出来ない餌ですけれども!」

 船橋の中にどっと笑い声が響いた。笑いながらエビが続けた。

「言うようになったな。よし、こうしようじゃねぇか。『まだ戦える船が、戦友を見捨てるよう

な真似は出来ねぇから戦う』。これよ。提督のためでも勲章のためでもねぇ。連合艦隊が俺達を

餌にしたのは気に入らないが、じゃあ連合艦隊の艦娘なんぞ沈んじまえば良いかと言えばんなこ

たぁねぇ。奴さんらも腹に一物あるだろうが、だからって指をくわえて味方の艦娘が沈むのを見

てましたってんじゃ夢見が悪いし、後味も悪い。だから助けに行く。どうだ」

 言ってから別の考えも頭に浮かぶ。提督はここまで見越しているのではないか、つまり自分た

ちが「自発的に、自ら望んで名誉の戦死をする」状況になるよう計算ずくではないだろうかとい

う疑念だ。だが、それこそ知ったことか。

 頭と体を動かすのは俺達で、戦場にいるのも俺達だ。得をするのも痛い目を見るのも俺達であ

って提督が何を考えていようと関係ない。強情を張るなら張り通すまでだ。

 エビの言葉にツチガミとワタノキも深く頷く。それで作戦会議は終わりだった。次の問題はど

うやって離脱するかだ。エンジントラブルを装って停船することも考えたが、下手に不知火や浜

風が護衛として残されると面倒になる。如何にも堅物そうな2隻だ。第二戦隊を助けに行きたく

て……などと言ったら首に縄を付けてられてしまう。ところが意外な所から救いの手が現れた。

吉祥丸が光明丸の脇へと近づき、ひそひそ声でこう言うのだ。

「吉祥丸ちゃん。わたしたち、みんなを助けに行かないとかなぁ?」

 光明丸が驚いたのも無理はない。光明丸ですら足手まといは確実だというのに、吉祥丸に何が

出来るというのか。それを知らない彼女でもないし、ましてや彼女の船橋で指揮を執る熟練の艇

長が首を縦に振るはずがない。しかし、その艇長が構わないと言ったのだ。

「わたしねぇ、むつかしい事はよく分かんない。けどね、なんだかじっとしてられないの。見て

るだけなのがイヤなのかな。艇長はこのままでも良いって言うんだけど、でも助けに行ってもい

いとも言うの。どういうことかなぁ」

 吉祥丸の船員妖精たちが船橋から出てきて光明丸の艤装を見る。ざっくりと入った亀裂を指さ

し何か言っているようだった。光明丸の3人の船員妖精たちも船橋から出る。互いに声を出して

声援を送り合った。その中に一人、腕組みをしたまま何も言わない妖精がいる。あれが艇長だな、

とエビは直感で分かった。自分より年上だろう。白い髭を蓄え、びん底のような分厚い眼鏡を掛

けた妖精。顔に刻まれたシワの一本一本が深い経験を感じさせた。あなたが光明丸の艇長かね、

と聞くので肯定すると、彼が考えた不知火・浜風を出し抜くための策と芝居を教えて貰う。なる

ほど、確かに何とかなりそうだった。吉祥丸艇長は最後にひとこと口を開いて船橋へ戻っていっ

た。

「生きねばならん」

 きっぱりとした、あまりにもきっぱりとした口調だったのでエビはまごついた。曖昧に相づち

を打つが、その言葉が真に意味する所は分からなかった。石を投げれば地面に落ちるくらい至極

当然、といった物の言い方だったので聞き返すこともままならなかった。そのせいで吉祥丸を死

地へ飛び込ませる理由をも聞き逃してしまった。職業軍人達にとって戦争とは勝利と栄光をもた

らし得る。徴用された船と船員には何一つ得はない。ただし、こと生存、つまり生き残ることに

関しては無限大の配当が待っているやもしれない。明日は今日より良い日になるはずだ。心のど

こかで、指先ほどでもそう信じていなければとうに首をくくっている。だから海水をすすってで

も生き延びろ。――と、こういう事を言いたいのだろうか。エビは勝手気ままに浮かんだ考えを

途中で捨て去る。それもこれも彼の言うとおり生き残りさえすればまた聞けるからだ。吉祥丸は

ゆっくりと離れ、光明丸と距離を取る。しばらくの後互いに目配せして合図をする。

 吉祥丸の船員妖精が焼玉機関にちょちょいと細工して、わざと黒々とした煙を噴出させた。同

時に彼女は不知火に「機関故障、応急修理ノ後追イカケル」と打電した。すぐさま光明丸も「吉

祥丸ヲ援護ス。修理不能ノ場合曳航ヲ試ム。オ先ニドウゾ」と続ける。輸送船娘を挟んで船団の

前方にいる不知火は骨の髄まで染みるほど冷たい目線を送ってきた。不知火の名誉のために言う

ならこれは彼女の普段通りの顔である。周囲が勝手に恐れているだけだが、事実光明丸も演技が

バレるのではないかと気が気でなかった。本当についていなくてもいいのかと二度聞き返してき

た後「二隻ノ無事ヲ祈ル。軽挙ハ慎マレタシ」、続けて「貴艦ラトノ再会ヲ楽シミニ待ツ。必ズ

生還サレタシ」と返信してきた。芝居が完全に見透かされているな、と最後の一文を聞いて光明

丸は思った。知っていて止めないのはそんな命令をされていないからか、それとも知らないふり

をしてくれているのか。どちらにせよありがたい話だった。特一号船団と2隻の駆逐艦は足を止

めずに北上を続ける。

 徐々に小さくなる彼女達を尻目に、吉祥丸と光明丸は今一度の戦闘態勢に入る。その吉祥丸の

マストで、艇長始め船員妖精たちがなにやら仕事を始めた。見ればマストに大漁旗を掲げている

ではないか。緑地の大きな旗には波が描かれ、赤い「大漁」の文字が鮮やかだ。彼ら流のゲン担

ぎだろう。

「粋な連中だこと……おい、何してる」

 戦場には不似合いなほど生命力に溢れた旗が風を受けるのを見ながら、ツチガミはエビに目を

向けた。船橋に備え付けられた棚をごそごそ漁るエビは、しばらくすると分厚い布の塊を取り出

した。

「俺達も一旗揚げようじゃねぇか。こうなりゃトコトンだ」

 そう言って船橋から出て行ってしまう彼を見ながら、ワタノキがぽつりと呟く。言葉の割にう

れしそうな言い方だった。

「ど派手な旗を掲げて撃ち合いですか。まるで海賊船みたいになってきましたね」

 見張り台が据え付けれられているマストに大漁旗を括り付けて掲揚する。青地の大漁旗には、

上半分には赤文字に金の縁取りで「大漁」の大文字。下半分には宝船が描かれ、その帆には「金

剛丸」と黒文字で書かれている。しまった、とエビは舌打ちした。そういえば漁船「金剛丸」は

船娘として生を受けてからこちら一度も漁に出たことが無く、ゆえに大漁旗も揚げたことがない。

当然ながら刺繍されているのは「光明丸」ではなく「金剛丸」だ。ええい、今更どうだって言う

んだ。こんなのはやったモン勝ちだ。ほとんどヤケクソになりながら高々と旗を掲げる。自分の

背中に大漁旗が掲げられたのを振り返りながら見て、光明丸は思わず心がときめいてしまう。漁

船というのはこういう感じなのか! 新鮮な感じだ。船橋に入りながらエビは光明丸に指示を飛

ばす。

「今から反転して金剛を支援する、どう支援するかは出たとこ勝負だ。無茶はするなよ!」

「はい!」

「ツチガミ、前進全速だ。ワタノキは針路出してくれ」

 ちがう、ちがう、といってツチガミは手を振った。

「『全力』だ。光明丸の本気を見るが良い。扶桑や山城に負けないと抜かしていたお前の言葉を

証明してやろう」

 ツチガミの自信に溢れる言葉に応えるかのように機関が回転を上げ、大量の空気がディーゼル

エンジンへと送り込まれる。光明丸は背部の艤装から豪雨にも似た音を立てて加速を始めた。つ

ま先に当たる波は砕け、ウェーキが髭のように伸びる。

「光明丸ちゃん、遅れるけれど無茶しないでね!」

「ありがとう、吉祥丸ちゃんも!」

「うん!」

 手を振り合図をする吉祥丸。彼女の速力では戦場に戻るのも一苦労だ。後方にゆったりとした

速度で走る吉祥丸を残しながら、光明丸の機関はさらに重厚な音と振動を放った。

 



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第16話

 ヴィッカース社バロー・イン・ファーネス造船所の連中は良い仕事をした。被雷した金剛は左舷

に傾斜し主砲塔2基が旋回不能となるダメージを受けたものの、なおも戦闘行動は可能だった。

魚雷の炸裂によって上がった水柱と水煙の向こうからゆっくり姿を現した彼女は艤装を激しく損

傷していた。だが致命傷ではない。とりもなおさず設計と製造が優れていることの証である。衣

服が乱れ袖やスカートの先端が千切れはしているが、金剛本人に目だった怪我はない。14隻もの

数がいた魚雷艇は全て沈めた。それでいて被害は魚雷一本被雷なのだから相当の勝ち戦と言える。

傾斜しながらも航行し続ける金剛を心配する榛名だったが、彼女が姉に声を掛ける前に船員妖精

からの報告が耳に届いた。

「E-27に反応、敵の電探がこちらを探っています!」

 逆探が深海棲艦が発する対水上レーダーの電波を捕まえた。つまり向こうはこちらの居所を捉

えつつある。ところがこちらの電探は何物をも捕らえない。電子技術に関しては深海棲艦の方が

一枚も二枚も上手だった。敵艦のレーダー波に体をなめ回される気味の悪い体験をすること数分。

ようやく青葉の電探が大型艦2隻と小型艦数隻をキャッチした。大型艦は偵察機が見つけた戦艦、

小型艦は逃げていった駆逐艦に相違ない。ほぼ同時に、金剛の周囲にいくつもの水柱が立った。

敵はレーダー射撃をしているのだろう、初弾から憎たらしいほど正確な射撃をしてきた。ここか

らが本番ネー、と言ってなおも指揮を執ろうとする金剛。確かに彼女に退避されては戦力的に厳

しい。しかし最前線で殴り合わせるにはいささか損傷大である。

 古鷹の提案で重巡・駆逐艦による雷撃戦を積極的に狙っていくことに決められると、6隻は金

剛・榛名・古鷹・青葉・朝潮・望月の順に単縦陣を組んで敵を身構える。電探のスコープに敵の

姿が大写しになる。敵の姿が水平線の向こうにチラリと見えた瞬間、敵の第2弾が送り込まれ

次々と水柱を立てる。辛うじて命中はしなかったが敵弾は夾叉しつつある。一度夾叉すれば後は

数学的確率論の世界だ。敵も単縦陣を取っている。先頭から戦艦タ級フラッグシップ、同エリー

ト。そして最初に交戦した4隻の駆逐ニ級。

 タ級フラッグシップは艤装が妙に膨張しており、激しく衝突した自動車のように歪な形をして

いた。その上からかさぶたのようなゴツゴツとした物体がこびりついており、ただでさえ不気味

な姿がさらに不気味になっている。いつもは素肌(?)をさらしているはずの腕や足にも似たよ

うな「かさぶた」が二層三層にはりついており、さながらバルジを彷彿とさせる。中破した機関

と船体を無理矢理修理しました、といったような感じで、金剛の船員妖精に寄れば23ノット出て

いるかも怪しいという。であるなら重巡と駆逐艦を先に突入させたのも分からないではないが、

結果としては大失敗だ。焦らず全艦で行動していれば重巡2隻を失わずに済んだものを、死にか

けの輸送船団だと舐めてかかるからだ。

 とはいえこちらにとっては幸運以外の何物でもない。単艦としての性能は金剛型よりタ級の方

が上だ。しかもフラッグシップとエリート。長門型に匹敵すると見て良い。先に敵重巡2隻を撃

沈できたのは値千金の戦果と言えた。第二戦隊は敵艦隊の頭を取ろうと緩やかに回頭している。

敵は同航戦へ持ち込むと見せかけてフェイント。逆方向に舵を切ってこちらの尻に食い付くよう

に動く。先ほどのお返しとばかりに金剛の可動する2基の主砲と榛名の4基の主砲が旋回し、敵に

狙いを付ける。ギリギリ目で見える範囲に敵艦がいるということは、互いの距離が5海里も無い

ことを意味する。着弾までものの数秒だった。敵艦隊の頭上を飛び越えて着弾した金剛の主砲弾

は焦げ茶色の、榛名の主砲弾は鮮やかな朱色の水柱を上げた。砲弾の風帽と被帽の間に染料が入

っているのだ。艦ごとに別の色を入れておけば、激戦の中どれが自分の放った砲弾か見て分かる。

船員妖精の観測をもとに艦娘は照準を修正し次弾を放つ。その間も深海棲艦の砲撃は続く。第二

戦隊は重巡と駆逐艦の突撃を援護するため、その障害となる駆逐艦を先に狙っている。一方深海

棲艦は、自分たちが重巡2隻分の不利を背負い込んでいる事を自覚しているらしく、戦力差をひ

っくり返そうと被弾した金剛に狙いを絞っている。

 ニ級に主砲弾が命中する。金剛姉妹いずれかの36センチ弾が命中したのか、船体の半分が一瞬

で消えて無くなりそのまま沈んでいった。チャンスと見るや手はず通りに古鷹以下4隻が隊列か

ら離れ、敵艦との距離を一気に詰め雷撃を浴びせんと突撃を開始した。4隻合わせれば一度に発

射できる魚雷は30本にもなる。そのうち16本は古鷹と青葉の酸素魚雷だ。命中さえすれば戦艦の

撃沈も夢ではないが、その「命中」の2文字が至極困難であった。敵艦の妨害を切り抜けつつ発

射地点へ進出すること、目標の速度と方位を正しく測定して発射すること、信管の不発や早爆が

起こらないことの3つはどうしてもクリアする必要があった。威力が高い分制約も多い兵器だっ

た。一直線に自分へと迫る艦娘だったが、2隻のタ級は大した興味もないという様子で相変わら

ず金剛へ砲撃を続けている。

 3射目4射目と続くうち、ついに金剛が被弾した。16インチ弾が彼女の稼動しなくなった砲塔を

貫き、その力は砲塔を破壊するだけでは飽きたらずバーベットを突き抜け、砲塔リングをも歪ま

せ、あわや弾薬庫にまで達しかけた。飛び散る破片は船員妖精たちと金剛自身を襲う。金剛の悲

鳴は金属が裂かれる音でかき消された。2隻目のニ級を撃沈した所で榛名は金剛に目をやる。横

に長い艤装の左側がざっくりと破壊されていた。元より旋回不能になっていた2基の砲塔は今や

ただの鉄屑へと変貌している。もう2基の主砲は健在のようで今も火を吹いているが、副砲はピ

クリともしない。電気や動力がやられたか、それとも船員妖精の問題か。被雷した箇所のすぐ隣

に被弾したせいもあり、被害は2倍3倍とふくらんでいく。火災も誘爆も起こらなかったのは全く

の幸運と言えた。僅か1発で中破し戦闘能力の大半を奪われた金剛に満足したのか、2隻のタ級は

突撃する古鷹たちへとその全砲門を向ける。

 立て続けに撃ち込まれる戦艦の主砲にもひるまず、タ級への接近を防ごうとするニ級をもはね

のけ、4隻は雷撃地点へと到達する。号令の下次々と海へ放たれる魚雷。それらを回避しようと

気を取られる敵艦に砲撃。さらに次発装填装置を持つ望月以外の3隻は二度目の雷撃を行うべく

なおも前進する。三段構えで斬り込んだ4隻にタ級エリートは全速で回避を試みながら射撃を続

けた。互いに大角度で転舵しているためか至近距離にもかかわらず砲撃がまるで命中しない。ガ

コンッと重い音と共に新たな魚雷が艦娘たちの発射機へ収められた。距離を詰める彼女たちを集

中砲火で押し留めんとするニ級もその数はすでに2隻。一歩引いた所にいる望月はそうはさせま

いと射撃を続けニ級の横っ面を叩いている。

 合図して2度目の雷撃。最初に発射位置に達した古鷹が8本の魚雷を放つ。続いて朝潮が6本―

―8本でないのは鹿野丸の雷撃処分で2本使ったからだ――発射。圧搾空気に押し出された魚雷が

次々と獲物を求めて海中へ続々と飛び込んでいった。少し遅れて青葉も続き、狙いを付ける。こ

れで最終的に52本もの魚雷が海を埋め尽くすことになる。

「発射しますよぉ!」と叫んだ青葉の魚雷発射管から酸素魚雷が飛び出す。と同時に彼女の艤装

に大穴が空いた。あまりの衝撃ではじけ飛んだカタパルトが頭に叩き付けられ、艤装の破片は榴

弾の破片となんら変わらぬ役割を果たし身体を傷つける。魚雷発射管をぶち抜いた砲弾はそのま

ま主砲塔をねじ曲げ、あるいはへし折っていった。あと数秒早く被弾していたら魚雷の誘爆は避

けられなかっただろう。青葉に命中弾を与えたのはタ級フラッグシップだった。魚雷を放たれた

後もまるで回避運動を行わず、ほんの少し面舵した後に定針したまま射撃を続けていたのだった。

右へ左へと動かなければ当然その分狙いは付けやすい。と同時に、何本かの魚雷を喰らうことを

も意味している。

 タ級フラッグシップの足下で爆発が起こり水柱が立つ。しばしの後に水柱の中から現れると、

まるで損害がないといった様子で増速しつつあった。いや、よく見ればその姿が少し違っている

のが見えただろう。「かさぶた」だかバルジだか分からない物体が吹き飛び、その下からサメ肌

のようなざらついた下地が見えていた。自分に向かってくる魚雷が派手な雷跡を引いている、つ

まり酸素魚雷でないことを見抜いたタ級フラッグシップは被雷覚悟で重巡艦娘を潰しに来たのだ。

魚雷が命中してもビクともしないタ級の体と艤装がその自信を証明していた。「青葉!」と叫ん

だ古鷹の左目がまばゆいほどの光を放ち、主砲を斉射しつつ青葉とタ級の間に入る。朝潮と望月

も青葉に近づきながらニ級を追い払い、後方では金剛と榛名が目標をタ級に変え砲撃を続けてい

た。ニ級は馬がいななくような奇怪な音を立てると、目の前にいる重巡と駆逐艦を尻目に金剛た

ちへの突撃を開始した。被弾した青葉のサポートで手一杯な古鷹たちの間隙を縫い、カウンター

を掛けようというのだ。

 させまいとする古鷹にタ級2隻の砲弾が殺到する。16インチ弾が彼女の右肩の上から突き出て

いる砲塔に命中、船員妖精ごともぎ取って行った。吹っ飛んだ砲塔から飛び散った破片が散弾の

如く煙突、電探、魚雷発射管など多数の装備と肉体に襲いかかり無数の損傷を与えていく。体の

節々がねじ切れそうなほど痛むのをこらえ、古鷹はとどめを刺そうと回頭しこちらへ迫るタ級エ

リートに残った主砲を向ける。斉射した砲弾が命中するが、さしてダメージを与えられていない。

次々と撃ち込んで砲塔の一つを沈黙させた所で時間は切れた。タ級エリートが身に纏う赤い光が

激しさを増す。やられる、と直感が告げるのと同時に両手を広げて青葉の前に立ち身を盾にする

古鷹。

 だが、サボ島沖の記憶は繰り返されなかった。

 タ級エリートが回頭した場所、面舵を切って飛び込んで来たまさにその場所に、青葉が遅れて

放った2度目の魚雷が飛び込んだ。2本の酸素魚雷が的確なタイミングで起爆し、炸薬が大爆発を

起こしてタ級の船体が跳ね上がる。凄まじい勢いで傾いていくタ級はなおも古鷹に狙いを付けて

いたが、今度は榛名の砲弾が飛び込んだ。艤装と生身の部分が真っ二つに分かれ、炎と煙を上げ

ながら沈んでいく。その姿を見ていた古鷹の肩に青葉が手をやった。額から血を流している。致

命傷ではないが、継戦できるかは分からない。2隻とも手ひどくやられていた。戦艦の主砲弾を

喰らったのだから当然だ。たかだか数発で笑ってしまうくらいに傷ついた。だが逆に言えば、笑

えるくらいの空元気はいまだ有している。ところが青葉は、空元気による笑顔ではなく心からの

笑顔を作って、古鷹にこう言うのだった。

「今度は青葉が守ってみせますよっ!」

第二戦隊は戦艦1中破、重巡2大破。深海棲艦は戦艦1、駆逐艦2撃沈。勝敗はまだ分からないが、

深海棲艦側がやや不利か。その状況を覆すべく放たれた二級は猛犬のごとく全速力で金剛に接近

し、雷撃を図らんとする。タ級エリートへ砲撃を加えていた榛名がそちらに気を向けることが出

来た時には、すでに二級は雷撃距離へと突入しつつあった。副砲で狙うには向きが悪い。思い切

り面舵をとりつつ主砲を放つが、すばしっこく動いて回避される。このままではいけない。回頭

する時間が、次弾装填するまでの時間が酷く長く感じた。金剛も無事な主砲に火を吹かせるが、

やはり当たらない。砲弾が立てた水柱を突き破って飛びだしてきた2隻の二級は、船体をブルッ

と震わせると何本もの魚雷を発射する。榛名は副砲を片っ端から撃ちまくりながら回避運動へ。

金剛もそれに続く。だが速力が上がらない。被弾のダメージは機関にまで達し、彼女自慢の船足

はいまや鉛のように鈍っていた。

 魚雷は迫る。金剛は舵を切る。魚雷はさらに迫る。一か八かで主砲で海面を砲撃する。効果が

ないまま魚雷は目と鼻の先にまで迫る。声にならない声を上げ、息を呑んだ金剛の目の前を灰色

の塊が横切った。その物体が艦娘であることは直ちに分かったが、自分と同じ「金剛」という名

前を書かれた旗を背負っている理由が彼女には分からなかった。

 戦艦金剛の目の前で爆発が起こる。海面が盛り上がり、海水が四方へと大量に飛び散った。

 



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第17話

「させない!」

 二級が魚雷を放つのを見るや、金剛は回避しきれないだろう事を光明丸は直感した。金剛の動

きがやけに鈍重だし、魚雷の迫り方が輸送船へ向け放たれた雷撃機のそれに完全に一致していた

からだ。おまけに彼女は海中を走る魚雷に艦砲射撃まで加えている。よほど余裕がないのだろう。

魚雷と金剛との間に割り込む光明丸。二者の直線上に入った瞬間、爆雷を調定深度20メートルで

次々投下する。10秒足らずで調定深度に達した4個の爆雷はほぼ同時に炸裂した。発生する盛大

な衝撃波の中へ魚雷は飛び込んでいく。

 潜水艦をも砕く爆雷である。魚雷が耐えられる道理は無い。ある魚雷はへし折られ、ある魚雷

は誘爆し、また別の魚雷はジャイロを破壊され明後日の方向へ去って行った。この前も似たよう

な事をしたっけ、と物思いにふける間もなく光明丸にも衝撃が押し寄せる。派手に揺られながら

も今度は故障もなく耐えきった。そのまま旋回して急減速しながら金剛に横付けする。「大丈夫

ですか!」との光明丸の問いに彼女は少々驚いた様子をしながらも陽気に答えた。

「Thanks! おかげで助かりましタ! アナタはさっきの船団の艦娘デース? お名前は――」

 聞きながら光明丸のマストに掲げられた大漁旗を手に取りしげしげと眺める。

「Wow! 『金剛丸』、ワタシとお揃いネ!」

 訂正する間もなく腕を取られブンブンと振り回される。今日から妹にしてやるとか鎮守府に帰

ったらお茶会に誘ってやるとか、とても戦場とは思えないことを早口でまくし立てられた。全く

話しについて行けないが、この底抜けの明るさが妙に頼もしい。

「お姉様! お怪我は!」と榛名が隊内電話で呼んでくる。金剛から見て2時方向に位置する榛

名は今もなお二級へ砲撃を続けており、今まさに最後の1隻を撃沈した所だった。金剛の説明を

聞きながらタ級へ攻撃を向ける榛名は、特設監視艇が単身駆けつけたことを聞くと酷く動転した。

それはそうだ。せっかく助かりそうな命をなげうって、何が出来る訳でもない前線へ戻ってくる

のだから。とはいえ、榛名はそんな行為を誉めこそすれバカにする気は毛頭無かった。

「お姉様、あとはタ級フラッグシップだけです。私が仕留めますから、退避している古鷹さんた

ちをその場から援護してください!」

 金剛は反論しかけたが、ボロボロになった自分を光明丸が痛ましい目つきで見てくることにバ

ツの悪さを覚え、結局榛名の言うがままにした。

「OK.でも気をつけてくださいネー。どうも普通じゃない感じデース」

 はい! と凛々しい返事をして踵を返し、榛名はタ級へ向けて突進していく。一方、光明丸の

船橋ではワタノキとツチガミが傷ついた金剛をしげしげと眺めていた。艤装は敵弾によって切り

裂かれ、見るも無惨な姿になっている。穴だらけになった船体やめくれ上がった装甲を船員妖精

たちが必死に応急修理しているのが見える。左舷に傾斜するのを堪えている金剛本人の左脇腹に

は赤い染みが出来ていた。光明丸の視線に気がついた金剛は、脇腹を押さえながら「一体どうし

て助けに来てくれたんですカー?」と尋ねる。

「まだ戦えるのに、戦友を見捨てるような真似は出来ませんから」とエビの言葉をそっくりその

まま伝える。エビは真っ赤な顔をして余計なことは言わなくて良い! と恥ずかしそうに漏らし

た。

「『戦友』ですカー、いい言葉ネー!」

「あの、味方の船はもう来ないんですか」

「両の手で数えられないほどいますガ、駆けつける前にタ級がワタシたちを沈めてしまいマース。

だからここで、ワタシたちだけで――」

 言い終わる前に金剛の腕がぬっと差し出され、光明丸をひっつかむようにして抱きかかえた。

そのまま後ろを振り向いて光明丸をかばう金剛の背中に16インチ弾が突き刺さる。彼女の腕を通

して叩き付けるような振動が光明丸の体にも伝わった。修理のため作業していた妖精ごと機関が

撃ち抜かれ、艤装の3分の1が消えて無くなった。金剛は傾斜が一層激しくなる。頭から血を流す

金剛と目があった。こんな目に遭ってもなお笑みを浮かべている。痛々しい艤装と肉体に比べて

不釣り合いな表情に光明丸の口から思わず言葉がこぼれる。

「どうして……」

 どうして自分を助けたのか。戦艦はお供の巡洋艦や駆逐艦に常に守られている「価値の高い」

船ではないのか。敵主力艦との殴り合いという目的のためなら小船に露払いをさせ使い潰すこと

も許される船ではなかったのか。

「さっきアナタが言ったばかりネ。『戦友は見捨てない』。特一号船団の『本当の任務』がなん

なのかを知っていれば、当たり前デース」

 光明丸は目を見開いた。頭をぶん殴られたような痺れが襲う。

「秘書艦ですら触るなと言われていた書類をpeepした時見つけたネー。『連合艦隊に選抜される

艦娘には公表せず』とも書いてあったから、榛名も古鷹も知りませン。偵察機がアナタたちを見

つけたと聞いた時、無事だったんだと思ってすごく嬉しかっタ、けれどそうじゃなかったネ。最

初にすれ違った時、ワタシ艦娘たちの数を数えましタ。半分しか残ってなかったデース。だか

ら! だからせめてアナタたちだけでもワタシが守り通してみせる。そして、沈んだ輸送船娘の

仇を取ってみせるネ!」

 光明丸を抱いたままタ級の射撃を間一髪で避ける。海水を頭から被った金剛は、ほとんど叫ぶ

ようにして言った。

「それだけじゃ無いデース。アナタ、徴用漁船でショー? アナタたちがいつも辛い目にあって

いることも、ワタシちゃんと知ってマース。徴用船が使い捨てのように扱われていることもネ。

けれど! 海の上にいればみんな仲間!守らなくていい理由なんてない! 漁船も戦艦も関係な

いデース!」

 金剛からの答えはどこまで行っても声と言葉だった。けれども光明丸と、船橋にいる3名の船

員妖精たちの心を敵弾よりも強い力で揺り動かしていた。知っている。金剛は知っている。我々

が何者かを。提督にも公文書にも、新聞報道にも軽く扱われる船の存在を。おおよそ機関銃を積

んだだけの漁船でしかない、戦艦とは建造費も任務も何もかもが比べものにならない特設監視艇

を、彼女は戦艦を痛めてでも守るべき価値のある仲間であると言ってくれた。視えざる船である

特設監視艇は、金剛には「視えている」。それだけで光明丸たちは癒された。胸のつっかえが取

れたような、数年来の不安が払拭したような、不思議な気持ちになった。望月が同じ事を言って

くれた時も心が和んだが、彼女たち駆逐艦とは似たもの同士だという接点があった。日頃接点の

全く無い、徴用船から見れば雲の上にいる存在である戦艦が、いち特設監視艇を気遣ってくれて

いるとは思いもしなかった。何もかも報われた、そんな気分にすらなった。

 光明丸の目から思わず涙がこぼれ落ちる。船橋のエビたちも似たようなものだった。

「そんなに怖がること無いデース。今までにはもっと危険な目にあったこともあるけど、乗り越

えてきたワ! さぁ、今やっつけるから、ここで待ってるといいネー!」

 返事をする前に榛名の主砲が轟音を立て、一瞬聴力を奪った。タ級は未だ無傷の榛名に狙いを

変えたらしく、他の船をほっぽり出して榛名に全砲門を向ける。敵との距離を詰めながら砲撃を

続ける榛名。その前方、タ級との間には射撃を加えながら距離を取ろうとする古鷹たち4隻がい

たが、実質的に戦闘可能なのは朝潮と望月の2隻だけだ。2隻の駆逐艦は傷ついた巡洋艦を援護し

つつ主砲弾を必死に撃ち込み続けるが、豆鉄砲ほどにも効いている様子がない。せめてレーダー

アンテナの一本でも折ってやろうと、あるいは生身の部分へのラッキーヒットが起こりはしない

かと射撃し続けるが、朝潮たちの意図はタ級も理解している所だ。わざと魚雷に当たりに行った

時と同じく、致命傷になりそうな弾だけは確実に回避、ないし艤装に張り巡らされた装甲板を突

き出して防御している。恐ろしく動体視力の高い深海棲艦だった。

 榛名の砲が目標を捉え始める。すでに二発が命中したがまだまだ平気な様子だ。ただ、被弾し

たせいかは分からないが、もとから嫌に遅かった船足がさらに遅くなっているように見える。魚

雷を避けるために機関を酷使したのがたたったのだろうか。しかし反撃は鋭い。レーダー射撃に

よりすぐさま榛名を捉えた。方や足は速いが装甲の薄い金剛型戦艦。方や装甲は厚いが船足の遅

いタ級。両者の撃ち合いは決定打を欠きブラッディーな殴り合いと化していく。3分か4分か、も

っと撃ち合っていただろうか。数十発の砲弾が交差し、次々と水柱を上げていく。タ級はさらに

数発被弾して砲塔が何基か沈黙していた。されど沈む気配は無いし火も吹かない。一方タ級が榛

名へと命中させた16インチ弾は彼女の戦闘能力の大半を一撃で奪っていた。煙を上げながら反撃

する榛名。古鷹たちと敵艦との間に割り込み、盾になりながら懸命に射撃し続ける。

 その古鷹は未だ射撃可能な一基のみの20.3センチ砲を撃ちつつ、戦闘能力を喪失した青葉を退

かせる。朝潮も12.7センチ砲で援護。さらに榛名の突撃に息を合わせ、次発装填装置を持たない

故に今になってようやく魚雷の再装填が終わった望月が彼女の背後からタ級に接近する。2隻を

見ながら金剛は焦る。榛名や古鷹だけでなく金剛の砲弾――2基の主砲塔はまだかろうじて生き

ている――も当たってはいるはずだが、タ級は異様なタフネスを見せつけんばかりにまだ浮いて

いる。いい加減に沈まないものか。その彼女の焦りは、突然の主砲射撃不能と船員妖精からの損

傷報告によって限界に達した。

「DAMN IT! 修理に掛かる時間は――10分? 5分で終わらせなサーイ!」

 妖精たちを煽り立てていると突然の轟音。振り返れば榛名の主砲塔が数メートルにも及ぶ煙を

立てていた。艤装の右側がざっくりと裂け、黒煙を上げる砲塔の基部すら見えていた。人間で言

えば肉がえぐれて骨が見えている状態だ。信じられないことに、大重量かつ強固に固定されてい

るはずの砲塔は少しずつ傾いてゆき、とうとう海へドボリと落ちてしまった。砲塔の真下にある

弾火薬庫が綺麗な形を保っているのがはっきり見えた。つまり砲弾はそこまで達しなかった。フ

ッドの二の舞を避けることは出来たが、沈んでいないだけで大破には変わりない。血を吐いた彼

女はばったりと倒れ込み、あわやというところで望月に抱え込まれる。

「気を失ってるだけ! 大丈夫……じゃないけど、生きてはいるよ!」

 隊内電話と通して聞こえてくる望月の声に金剛は安堵しかけて、首を振った。これでは望月も

雷撃できない! いまや第二戦隊が窮地にあるのは光明丸にも見て取れた。古鷹と青葉は大破し

血まみれ、それを魚雷を撃ち尽くした朝潮が肩を貸しながら退避している。榛名は倒れ、望月が

重そうに引っ張っている。金剛は中破だが主砲がイカれた。絶体絶命、という言葉では安すぎる

くらいだ。

 では自分はどうだろう、との問いが頭に浮かぶのは当然だった。船体に亀裂が入ったが戦闘に

支障はない。弾はまだある。機関も問題なし。ふむ。では敵はどうだろうか。見ればタ級もグロ

ッキーだ。だが後一押しが、最後の一押しが足りない。よろしい。ではこの状況で自分がするべ

き行動はなんだろうか……? 光明丸だけではない。エビもツチガミもワタノキも、自分自身に

疑問を投げかける。考えた結果として出てくる結論は大体同じだった。

「この数ヶ月、海軍の尻ぬぐいばっかだったなァ」

 エビが船橋の窓から見える金剛を優しげに見つめながら呟いた。海軍が戦上手だったら深海棲

艦との戦争は終わっている。建造計画がまともだったら特設監視艇などいらなかった。用兵が上

手ければ半年前の海戦で大勝利していたろうし、そうであれば特一号船団を使った囮計画は実施

されなかった。そして連合艦隊の参謀だか将軍だかがもう少し切れる頭を持っていれば金剛たち

もここまで追い込まれることはなかっただろう。

「なんだなんだ。いまさら泣き言なぞ聞かんぞ」

「そうじゃねぇよ。もう一つ二つ尻ぬぐいしてやっても良いってことさ。なぁ光明丸!」

 その一言で全員が察した。毒を食らわば皿まで。餌を演じるなら最後まで演じきるまで。

「全艦へ。今からアボルダージュを掛けて金剛さんが修理する時間を稼ぎます。支援してくださ

い!」

 光明丸は隊内電話のマイクに向かってあらん限りの声で叫んだ。

 アボルダージュ。接舷切り込み。かつて船同士の戦いで行われていた戦術の一つだが、今では

そこから転じて艦娘による白兵戦全般を指す。艦娘も深海棲艦にも「生身の部分」という致命的

な弱点が存在する。砲雷撃戦においては当然身を守りながら戦うその弱点を白兵戦により直接狙

う、それがアボルダージュだ。火砲や魚雷だけでなく刃物で武装している艦娘がいるのもそのた

めで、切り込みの名手と呼ばれる艦娘も何人か存在する。が、まっとうな戦法とは見なされてい

ない。白兵距離まで近づく間何もせず待ってくれる深海棲艦がいるはずもないし、駆逐艦が戦艦

を沈めうるというメリットも、魚雷という十分な代替手段がある。破れかぶれの自殺的行為、や

むにやまれぬ時の最終手段であって、敵のそれに備えるものではあってもこちらから進んでする

ものではない、というのが共通認識だ。

 目を見開いて驚く金剛が制止するのも構わず光明丸は飛び出した。機関全力、目標は正面のタ

級。

「切り込みは良いですけど、『グローウォーム』になるつもりは無いですよ!」

 船橋ではワタノキが叫んでいた。グローウォームとやらが何のことかは知らないが、ともかく

沈むつもりはない。せっかくの理解者にだって会えたのだから。「当たり前です!」と叫んで光

明丸は47ミリ砲を乱射する。彼我の距離は2海里かそこらしかない。重巡と戦艦を黙らせ、脅威

となる敵がいなくなったタ級はゆっくりと次の獲物を選ぶ。小うるさい駆逐艦から沈めに掛かろ

うかと周囲を見渡すその視界に1隻の艦娘が飛び込んで来た。貧弱な火砲をこちらへ向けながら

一直線に突っ込んでくる小船。艤装には亀裂が入り、マストには意味不明な旗を掲げた特設監視

艇。タ級の顔にはっきりと分かるほどの嘲笑が浮かぶ。

 漁船如きが海の女王たる戦艦に挑むとは古今例がない。大破したとは言え主砲・副砲とも多数

健在である。そこへわざわざ飛び込んでくるのだから、風車に向けて突撃する自称伝説の騎士を

リスペクトしているに違いない。それとも本当に気が触れたのか。せせら笑い――人間には獣の

ような唸りにしか聞こえないが――を上げたタ級は、朝潮の射撃を半壊した艤装で受け止め、望

月のそれを身をよじって回避し、装甲板が脱落し穴も空いた艤装に未だくっついている5インチ

副砲を光明丸へ向ける。そこへ47ミリ弾が飛び込んだ。が、タ級の想像通り僅かなへこみを作る

だけだった。ロクに射撃諸元を求めもせず、直接照準で斉射する。

 砲弾は瞬く間もなく着弾し、光明丸の周囲へ水柱を立てた。一本の水柱に盛大に突っ込みずぶ

濡れになる光明丸だが、濡れた以外に怪我はない。ディーゼルエンジンは骨も砕けよとばかりに

振動し、スクリューは光明丸を力強く前進させる。もしも誰かが彼女の速度を計測していたら、

記録用紙にはエビが密かに確信したとおり27ノットの数値が、いやそれを超える数値が書き込ま

れていただろう。47ミリ砲に次弾を装填し発射。砲が駐退し復座すると同時に排莢。すぐさま次

弾装填。弾の数だけそれを繰り返す。1200メートルの距離を47ミリ徹甲弾は1.9秒で飛翔する。

戦艦の図体の大きさを考えれば、全力で疾走しているといえど外しようがなかった。2発、3発と

命中するがやはり効果はない。タ級は苛つきを増したのか対空機銃の類も持ち出して撃ちまくり

始める。

 ところが、前触れ無くその青白い顔がいっそう白くなったと見るや否や、突然苦しそうに目を

腕で覆った。後方の様子を船橋から見たエビの目に映ったのは、110センチ探照灯をタ級へ向け

て照射する古鷹と青葉の姿だった。とりわけ古鷹の左目は直視できないほどにまばゆく光り、探

照灯に全く引けを取らない光量を放っている。辛うじて動いていた最後の20.3センチ主砲塔も今

はその動きを止め、砲身にはだらりと俯角がかかっている。完全に壊れたらしい。それでもなお

光明丸を援護するために「目つぶし」をしてくれている。航空機に対する目つぶしは昼夜を問わ

ず行われていたが、敵水上艦に対するそれは珍しい。ひるんだ隙にさらに距離を詰めて今や500

メートルを切る極至近距離にまで達した。

 あと40秒。それだけあればタ級に手が届く。

 タ級はハリネズミの如き武装で光明丸を沈めんとする。片手では数えられない数の40ミリ機銃、

20ミリ機銃の火線が濃密な防御網を作り上げた。右へ左へとよけ続けるものの、動作の機敏な機

銃までは避けきれなかった。機銃の一弾に捉えられ、艤装に右舷から弾丸が突き刺さる。船体中

央、後部、そして今は空になった爆雷用架台に叩き付けられた40ミリ弾は瞬時に炸裂しそれぞれ

が大穴を開ける。ある弾片は光明丸自身の背中へ突き刺さり、また別のものは大漁旗を切り裂い

た。しかし彼女は足を止めない。もう敵は目の前だ。セーラー服を着込んだような姿をした本体

はドクドクと血を流し、背後から前方へ突き出た艤装は鉄屑一歩寸前。にも関わらずそのどちら

もがむき出しの戦意を見せて艦娘たちを葬り去らんとしている。5インチ砲が光明丸に視線を向

ける。避けられない距離。

 タ級が弾を放つ直前、心臓の鼓動一回分ほどの僅かな差で望月の12センチ弾が5インチ連装副

砲塔へ飛び込んだ。結果として照準はずれ、光明丸の目の前に爆炎が広がり、5インチ弾は足下

に着弾する。

 最期の一跨ぎを飛ぶようにして走りきり、ついにアボルダージュは成立した。

 一瞬目があったタ級の顔からは、嘲笑の色は完全に消えていた。47ミリ砲をその白っぽい胴体

に向けて突き出す。タ級は艤装を振り回して砲をはね飛ばした。艦娘のそれを遥かに超えた腕力

により47ミリ砲の砲身は折れ曲がり、砲架から外れてしまう。光明丸のアームには修正不可能な

歪みが入る。けれどそれで構わない。最初からそちらは囮なのだから。光明丸はほとんど体当た

りするように3連装の13ミリ機銃を深海棲艦の腹へと突き刺し、引き金を引いた。1秒の間に20発

を超える弾丸が吐き出されタ級を腹から背まで貫く。直後にタ級の艤装が光明丸を叩き付け、機

銃は彼女の左腕ごとぼっきり折れる。銃身が一本腹に刺さったままのタ級は怒り狂って光明丸の

足を払い、横合いからさらに艤装で叩きのめす。船体がほとんど真っ二つになるほど裂け、船橋

がぐにゃりと変形した。声も出せないまま倒れた彼女の頬を海水が洗う。とどめを刺そうとする

タ級。口元の血を荒々しく拭い、ぐちゃぐちゃに潰れた艤装を大きく振り上る。

 その時、まさにその時だった。オープンサイトで放たれた金剛の36センチ砲弾が無防備になっ

た本体に命中したのは。弾底信管が作動するより先にその体は上下に泣き別れする。フラッグシ

ップ特有の黄色いオーラがロウソクの火を消すようにさっと消え去ると、タ級は音もなく沈んで

いった。

「光明丸ちゃん……?」

 ようやく戦場に舞い戻ってきた吉祥丸は、見渡す限りどこにも光明丸がいないことにすぐ気が

ついた。

 



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エピローグ

「そのままタ級フラッグシップに突撃して、差し違えたというわけデース……」

 随分長いこと喋ったな、と金剛は思った。壁に掛かった時計にチラリと視線を送り、渇いた喉

を潤すためティーカップに口を付ける。紅茶のふんわりとした香りを嗅いでから熱く甘い液体を

体に注ぐ。舞鶴鎮守府内に設置された海軍病院、その病室の一角でベッドから身を起こしつつ、

頭に包帯を巻かれた金剛は妹たちに自分と同じ名前の船の戦いぶりを話していた。その脇にはい

つものティーセットが持ち込まれ、愛用のティーポットには比叡の淹れた紅茶がなみなみとして

いた。茶菓子を頬張りながら、比叡はほとんど泣きそうになりつつ話に聞き入っている。

「勇敢な戦いぶりでした。榛名、感服です」

 金剛の隣のベッドでは両手に包帯を巻かれ病衣を身にまとう榛名が霧島に紅茶を飲ませてもら

っていた。火傷しないように冷まされた紅茶をストローで飲み干すと、伏し目がちに「大変な思

いをしたでしょうね」と呟いた。霧島は下にズレてきた眼鏡をつまみあげると、カップを片付け

始める。余計な言葉は必要なかった。

 あのさー、と病室の反対側から声が掛かり、4人の目が声の主を見る。

「なーんで光明丸が死んだことになってるわけ?」

 椅子に座った望月が、彼女のとなりにあるベッドを指さしつつ聞いた。そのベッドでは左腕を

吊り、体のあちこちに包帯を巻かれた光明丸がすやすやと安らかな寝息を立てて眠っていた。

「HAHAHA! 言葉のアヤってやつネ!」

 手を打ちながら一人爆笑する金剛を望月はあきれ顔で眺めた。望月の隣では吉祥丸が、光明丸

の見舞い品として自分で買ってきたリンゴのひとつを取り出し器用に皮を剥いていた。久々に母

港に帰ってくるとお腹がすいて仕方がない。とりわけ新鮮な野菜や果物には抗いがたい誘惑があ

った。

「はい、望月せんぱいにもあげる」

「んー? あぁ、ありがと」

 差し出されたリンゴをかじると、酸味のある甘い果汁が口に広がった。あとで隣部屋の古鷹せ

んぱいや青葉せんぱいにも持って行こっと、と言って吉祥丸もおいしそうに食べる。ふと、大事

なことを思い出した望月は席を立つと金剛に近づき、便せんを渡す。

「これ、光明丸の艇長から」

「ワーオ! Love Letterですカ!」

 金剛は驚いて差出人を見ようとする比叡から身を隠すようにして便せんを庇い、布団に頭を突

っ込んで中身を開いた。つたない字で書かれた手紙はなんだかよく分からない部分が多く、2,3

人の筆跡が混じっているようだったが、要約すると金剛を今まで誤解していたが先日の戦闘で見

直した、今度直接会って感謝を伝えたい――そんな事が書いてあった。さっそく比叡に紙とペン

を持ってきてもらった金剛は、光明丸の艇長の顔を想像しながら返事を書き始める。実は彼を抱

き上げて挨拶したことすらあるのを、彼女は知らない。

 

 

 執務室では、朝潮からの報告書を提督が黙って呼んでいた。数分の間、紙をめくる音と風が室

内に吹き込む音だけが響いていたが、朝潮の視線に気がついたのか提督は書類の束を机において

彼女に向き直った。

「今回の任務は大変困難な物だったが、よくやってくれた。連合艦隊の戦果は現在確認中だが、

過去12ヶ月で最大の物になるのは間違いない。それもこれも君の指揮あればこそだ」

 ありがとうございます、と礼儀正しく返事をする朝潮だが、腹の中には重い物を感じていた。

大戦果は結構だが、自分が旗艦として指揮を執った特一号船団は壊滅と言って良い損害を受け輸

送任務には失敗した。それは動かしようのない事実だ。

「ですが輸送任務は――」

「分かっている、分かっている。特一号船団が多大な被害を被ったのは残念だ。まさかマリアナ

が空襲を受けるとは思わなかった。これも全て私の責任だ。君は気に揉まなくて良い、生きて帰

って来てくれてありがとう」

 提督は穏やかな口調で朝潮を弁護する。繰り返し感謝され、一方で責任は提督が背負う物だと

伝えられる。彼が提督の座にいられるのはこの人心掌握術が一役買っていた。気が楽になる朝潮

だが、心残りはもう一つある。

「提督、船団護衛に参加した特設特務艇のことですが」

 提督の表情が一瞬曇る、が、次の瞬間には再び温和な笑みを浮かべた。

「うん、うん。彼らもご苦労だった。彼らとはギクシャクしたこともあるが、ともかく今回はお

礼を言わないとね。私からもよく言っておくが、君も彼女達に会ったらひとこと労ってあげてお

くれ」

「はい」

 光明丸たちについてとりあえずは安心して良さそうだった。提督のプライドの面から言っても、

まさか漁船に輸送任務の責任を負わせることは無いだろう。言質も取れたことだし満足な結果と

言える。敬礼して退出し、執務室の重いドアを閉める。廊下に一人立つ朝潮は、自分自身で報告

書に書いた特一号船団の戦没船の名前と顔を一隻ずつ思い出す。西波丸、第11北浜丸、金山丸、

近見丸、木崎丸、生野丸……。それに輸送船だけではなく特設特務艇も。光丸との問答が頭の中

で蘇る。舞鶴に帰ってきてから何度も何度も思い出してはあぶくのように消えていった。小を切

り捨て大を生かす、それはおかしいと光丸は身を持って示そうとした。その結果が爆雷の誘爆に

よる撃沈だ。

「私にはこの戦い方しかできない」

 朝潮は手を握りしめて呟く。

「だけど次はもっと多くの味方を守ってみせる。それでどう。光丸――」

 

 

 工廠に足を運んだエビは、真っ二つになった光明丸の艤装を飽きもせず眺めていた。舞鶴まで

曳航されながら帰ってきて、最後の最後でとうとう切断してしまったのだ。心配そうに見つめる

彼を、明石は「絶対に元通りにして見せます」といって励ましたが、本当に直るのかエビには判

断がつきかねた。光明丸本人もひどい怪我だがこちらは艤装に比べればマシで、数カ所の骨折と

裂傷程度で済んだ。とはいえ両者が無事直った所で徴用解除になった訳ではない。また特設監視

艇として終わりのない洋上監視に就くだけだ。その事を考えると胃が重くなった。

 右手に握った、丸めた厚紙を開く。光明丸の今回の働きを称える云々と小難しく書かれた文章

と提督のサインが筆で書かれていた。何が書いてあるかは大して興味が無い。それよりも、この

賞状だか感謝状だかをくれるという状況そのものから分かることがひとつある。提督は律儀に約

束を守ったらしい。すなわち光明丸とその船員妖精たちは赦免――もともと無実の罪ではあるが

――されたと考えてよいということだ。

 修理の順番待ちをしている光明丸の艤装は、今は工廠の片隅で静かに眠っている。左右のアー

ムは折れ、船体は前後で真っ二つになり、マストは上半分を喪失、船橋は段ボールのようにベコ

ベコになっている。あそこに自分が乗っていたのか、と今更のように思い返してみと寒気がする。

ツチガミとワタノキを含めた全員が打撲や切り傷で済んだのだから奇跡以外の何物でもない。あ

ちこち検査されたが骨の一本も折れていなかった。ツチガミは治療ついでだと言って健康診断の

フルコースを受けている。ワタノキは書類を出すだのなんだのといった雑用をしてくれていた。

 そのおかげでエビはこうやってボケッと工廠に突っ立っていられる。右へ左へと動くクレーン

や溶接の音、工作機械がうなる音をしばらく聞いていたエビだが、肩を叩かれて急に我に返った。

振り向いた先には吉祥丸の艇長がいた。年季の入った竹竿を数本担ぎ、どこかからくすねてきた

らしい「修復」と書き込まれた緑色のバケツを引っさげている。

「やっぱり光明丸の艇長か。どーだね、一緒に釣りでも。駆逐艦寮の裏を少し行った所の防波堤

に入れ食いの穴場があるんだ」

 ウシャシャと笑うひげ面の艇長に誘われるがまま、エビはそのとっておきの釣り場へと着いて

いった。鎮守府内をしばらく歩くと、海沿いの道に出る。そこから「立ち入り禁止」の看板をそ

しらぬ顔で素通りすると防波堤が見えた。二人横に並んで釣り糸を垂れる。釣り竿で魚を釣るな

ど久々のことだったが、腕は鈍っていないようですぐに魚が掛かる。

「よく釣れますナァ」と吉祥丸の艇長が誉めるのを聞いていたエビは肝心なことを思い出した。

「急にこんな話で恐縮なんだが、あんたが『生きねばならん』と言ってくれたおかげで死なずに

済んだよ。でなきゃ『英雄的一撃』とやらをしていたかも知れん」

ひげの艇長は「それはよかった」とまた笑い、続けて「釣りが出来るのも生きている間だけです

からナァ」と妙に感慨深いことを言うのだった。

 20分ほど糸を垂れていただろうか、二人の眼前に広がる海に艦娘が現れた。どこかで見たシル

エットを思い出す。そう、特設砲艦安州丸だ。その後ろには数十隻の特設監視艇が続き、一列に

なって安州丸の後を追い舞鶴湾の外へと向かっていく。

「第一監視艇隊だ」

エビはぽつりと口にした。そうか、第一監視艇隊が今まさに出撃しようとしているのだ。遠い太

平洋上では第二監視艇隊か第三監視艇隊が今も苦しい任務に就いている。艦娘たちはそろそろと

海上を滑り、徐々に小さくなっていく。またぽつり、生きねばならん、とエビは呟く。任務は過

酷で危険。自己主張をすることもなければ世間の注目を集めることもない。あらゆる海と天候の

中で戦う船。最も弱々しいがために、最も強い心を必要とする船。それが特設監視艇だ。それで

も、それでも生きて帰って来い。エビはいつの間にか大声を出して艦娘たちに叫んでいた。おそ

らくは聞こえなかっただろうが、それでも叫び続ける。

 

 特設監視艇たちの戦いは、今もなお続いている。

 

 

 

「『金剛丸』ヨリ興和丸ヘ。定時報告。異状ナシ」

「『金剛丸』ヘ。確認ス。任務続行サレタシ。洋上給油予定通リ実施――」

 

 

 



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附記「作品世界の船たちと、『視る』ことについての小考」

 太平洋戦争中に失われた漁船は合わせて1595隻にも登ります。人的損害を見れば、商船とそれ

以外の徴用船がそれぞれ約3万人の戦没者を出しており、合計ではおよそ6万人の船員たちが命を

落とした計算です。先の大戦中に戦没した軍人・軍属の母数に対する割合は陸軍で23%、海軍で

16%ですが、民間船員のそれは43%にも達します。母数が異なるので戦没者の数そのものは陸海

軍の方が遥かに大きいのですが、徴用された民間船舶がいかに困難な闘いを迫られていたかが理

解いただけると思います。

 特設監視艇はおよそ400隻。その内300隻が沈んでいます。300隻と言われても正直ピンと来ま

せん。言い方を変えて、太平洋戦争が始まった時点で日本海軍に属する戦闘艦を全てリストアッ

プしてもまだ足りない数だよとか、第二次大戦におけるUボートに匹敵する損害率だよ、とか言

われても余計想像できなくなってしまいます。ですが、想像できないのはその姿だけではありま

せん。目標がやってくるのをじっと待つ、というのは人間にとって極々当たり前な行為でしょう。

ところが、戦争における監視任務というのは地味なためか得てして扱いが小さく、ゲームの題材

にならなければ資料も少ないのが実情です。例えばコーストウォッチャーについて日本語で読め

る資料は恐ろしく少なく、大戦末期に日本沿岸の至る所に設けられたであろう監視台にまつわる

話もほとんど聞きません。人間は日頃あまりにも「見る」ないし「視る」という行為を自然に行

っているせいか、それを特別のこととして書き留めることを忘れてしまったのか、などと哲学め

いたことをも考えてしまいます。

 特設監視艇もそんな「視る」ための「視えない(=資料の少ない)」もののひとつです。作中

で繰り返し述べたとおり特設監視艇にとって「敵を見つける・敵に見つかる・任務達成・撃沈さ

れる」の4つはほとんどイコールでした。史実において船員たちは何を考えながら約20日の監視

任務を行っていたのでしょうか? 何を楽しみに、あるいは何を食べながら、何で暇を潰したの

か。残念なことに船と共にそれらの疑問も海底へと沈められてしまいました。が、船の名前が分

かるだけでもマシなのかも知れません。例えば6700隻ほど徴用されたと言われる機帆船の名前や

船員達、そしてその最期は今に至るまで全く分からないのが実情です。

 洋上の真ん中で敵に怯えながら過ごす、というのは戦争も遠い海での航海も体験したことのな

い自分には分かりませんし、参考に出来そうな手記や体験記も身近にはありません。ですから、

洋上での「日常パート」を作るのは大変困難であり、それゆえ作品後半では表題とは異なり洋上

監視ではなく船団護衛がストーリーのメインになりました。

 それはともかく、話は「視る」ことについて。人間、都合の悪いものを直視するのは辛いもの

です。これは何も今を生きる我々だけではなく古今東西、遙か昔から言われてきたことでもあり

ます。カエサルの言葉を引用するまでもなく、我々は往々にして自分にとって心地よいものだけ

を見ようとする。では、周囲に「見たくないもの」、つまり敵艦しか存在しない洋上で、「見

る」ことを任務とする特設監視艇とその乗組員たちは一体何を「見た」のか?

 これが、自分が大戦中最も困難な任務に当たった船たちのひとつに特設監視艇を加えても良い

だろうと思うに至った理由です。

 

 

 

それはさておき作中に登場する船の解説を史実に絡めて少々。

 

・特設監視艇 第7光明丸

 我らが主人公の光明丸。元ネタは実在する特設監視艇「第七明神丸」。この船は凄い。4機のB

-24に攻撃され「我沈没ニ瀕ス」「我暗号書処分完了」と悲壮な電文を送信するも1機撃墜、1機

撃破してしまい、応急修理の後自力で帰還してしまったそうです。しかも帰り際に潜水艦と交戦

するも煙幕展張と爆雷投下でこれを切り抜けてしまう。その後昭和20年7月に撃沈されてしまい

ますが、艦これに登場したら運が20くらいはありそうなエピソードではないですか。

 さて、史実的な正しさから作中の光明丸に関していくつか述べておきましょう。まずはひとつ

目「徴用するに当たって改名した船は実在するのか」。答えは「実在する」です。とはいえ全く

別の名前にしてしまうケースはごくごく希であり、ほとんどが「○○丸という名前が被ったため、

『第二號○○丸』に改名」というものです。

 ふたつめ、「250総トンで24ノット出せる特設監視艇は存在するのか」。前者に関してはあな

がち嘘と言えません。資料によると、269総トンの白鳥丸という船が特設監視艇として存在して

います。しかし後者に関してはフィクションです。ほとんどの漁船は焼玉エンジンでしょうしね。

 みっつめ「陸軍の火砲である47ミリ速射砲=一式47ミリ速射砲を装備した特設監視艇は存在す

るのか」。存在しないと思います。特設監視艇の武装を調べていくと時折「47ミリ速射砲」と書

かれたものを見かけます。最初は「うわー! 一応海軍の船なのに陸軍の対戦車砲積んでやが

る!」とぬか喜びしたのですが、これ、実は山内式短五糎砲のことなんですね。5センチ砲とか

言って口径は47ミリという。ですがせっかくなので「艦これ世界の陸軍は暇だろうし、なぜかあ

きつ丸やまるゆが海軍の管轄下に入ってるし、火砲の一つ二つ融通してくれるだろう」と考えて

登場させました。

 よっつめ「劇中のような強引な徴用は本当にあったのか」。海軍の徴用に関しては定かでは無

いものの、陸軍が機帆船を徴用する場合は多数あったようです。昭和18年後半頃から徴用に必要

な手続きが省略されるようになり、港に停泊中の機帆船に突然陸軍将兵が現れ、その場で徴用を

通告。準備ができ次第指定された港へ回航を命じられる……という理不尽な話が全国で起きるよ

うになりました。これらは辛うじて生き残った船員の証言や手記から明らかになっています。中

には家族と連絡が取れないまま徴用され撃沈などというケースもあったようで、そうなると記録

にすら残らず、その実態は今もなお不明です。そもそも、正規の手続きに乗っ取っていたとして

も「ある日突然の連絡と徴用」には変わりが無く、「来週から徴用」と「来月から徴用」に主観

的な差がどれくらいあったかは疑問です。

 いつつめ「船名の『第○』の部分は漢数字ではないのか」。これはわざとアラビア数字にして

います。その方が変換が楽で読みやすい事がひとつ、まさか無いとは思いますがgoogleなどの検

索エンジンでひょっこり引っかかった作中の船が実在する船と誤解されないようにするのがひと

つ。宮崎氏が「最貧前線」を描いた時には架空の船だったはずの「吉祥丸」が後に実在すると分

かった、なんて話が本当にありますからね。まぁ杞憂だとは思いますが念のため……。

 また彼女は遠洋トロール漁船という設定ですが、実際のトロール船は多くが特設掃海艇として

徴用されました。それはトロール漁と掃海作業は長い網や索を艦尾から流すという作業工程が似

ているため訓練上・設備上の都合が良かったためで、徴用された112隻の特設掃海艇のうち89隻

がトロール漁船だったことがそれを証明しています。

 余談ですが、「金剛丸」という名の船が特設巡洋艦として実際に存在します。

 

参考

http://www.geocities.jp/tokusetsukansen/J/206/206_048.htm

http://www.geocities.jp/tokusetsukansen/J/206/206APC.htm

 

・特設監視艇 万寿丸

 元ネタは作家、葉山嘉樹の一連の作品に登場する同名の船。とりわけ「海に生くる人々」に出

てくるそれをイメージしました。葉山氏は船員としての経験があるらしく、作品にもその経験を

元にしたであろう描写が数多く出てきますが、万寿丸は基本ボロ船・泥船として扱われています。

 そもそも言えば、万寿丸は貨物船(石炭運搬船?)であり漁船ではないのですが、貨物船のま

までは今ひとつ活躍できそうになく、また原作に沿って行動させると船員のストライキで出港不

能とかいった事態になりそうなので設定を変更しました。強烈なキャラクターの多い「海に生く

る人々」でも屈指の悪党であり、フィクションと分かっていても頭に来るあの船長の暴虐ぶりを

もっと表現できれば良かったのですが、それはそれで話を根本からねじ曲げる危険もあるような。

 

・特設監視艇 吉祥丸

 元ネタは宮崎駿氏の漫画「最貧前線」より。作中の説明では「特設監視艇としては最小クラ

ス」と記されており、それは本作にもそのまま記述しましたが現在では大戦末期には吉祥丸より

さらに小さい、40総トンを下回るような近海用漁船まで徴用されていたことが分かっています。

25ミリ機銃と7.7ミリ機銃が一丁ずつ、そして必殺兵器(?)として銃架無しの25ミリ機銃を体

に縛り付けているという彼女の武装は原作通りです。また彼女の速度について、原作では「8ノ

ット」と書かれているだけであり、普通に読めばこれが最大速度なのでしょうが、だとしたら巡

航速度はもっと低く、とうてい船団について行けません。なのでここは都合良く「巡航速度が8

ノット」と脳内変換した次第です。それでも正直な所、船団護衛が務まるとは思えませんが……。

 

・特設駆潜艇 第6東丸 第4光丸

 彼女らには特定の元ネタはありません。そこそこ高速で航続距離も長く凌波性も良い。おまけ

に同型船が複数ある。そのような理由から捕鯨船は海軍にとって徴用するのにもってこいの船で

あり、当時存在した南氷洋用の捕鯨船63隻は戦争勃発前の時点で全てが徴用され特設掃海艇か特

設駆潜艇へと改装されました。しかし戦局の拡大に伴って遠洋マグロ・カツオ漁船などをしぶし

ぶその任に当てざるを得なくなっていきます。特設駆潜艇は合計265隻存在しますが、そのうち

捕鯨船が占める数は39隻であり、徴用できる捕鯨船が「枯渇」してしまったことが伺えます。

 本編には登場しませんが、彼女達の「母」である捕鯨母船も徴用の対象であり、鯨油倉を活用

した油槽船として軍務に従事したようです。

 また海軍は駆潜艇を船団護衛に使用していたのは周知の通りですが、特設駆潜艇が護衛艦艇と

して使われ本土と太平洋の島々を往復したかはちょっと分かりません。

 

・軽巡洋艦 ユリシーズ

 元ネタはわざわざ説明するまでも無いアリステア・マクリーンの傑作、「女王陛下のユリシー

ズ号」から。正直一番扱いに困った船でもあります。「窮地に立つ特一号船団、そこに颯爽と助

けに現れるユリシーズ」というのはどう転んだ所でご都合主義の範疇を出る物ではないですから。

ですのでスパイス程度に名前を出し、原作のネタをストーリーに混ぜる程度に留めています。

 

・特設砲艦 興和丸 安州丸

 地の文で僅かに登場したこれら監視艇隊の母艦はいずれも実在した船です。今回作劇するに当

たり、42年前半の監視艇隊をモチーフに編成や任務を若干アレンジの上引用しました。本編冒頭

で光明丸が監視任務に就いている「K」地点も実在する哨戒線で、特設監視艇が所属する第五艦

隊第二十二戦隊というのも史実を引用しています。

 これら監視艇隊は通称「黒潮部隊」と呼ばれていましたが、駆逐艦黒潮が指揮していたという

訳ではなく、黒潮の流れと監視ラインとがおおよそ一致していたために付けられた名前です。し

かし駆逐艦の方の黒潮も黒潮海流から付けられている訳で……ああややこしい。

 閑話休題、この2隻の砲艦は開戦から戦い抜いたものの双方とも44年に撃沈されています。

 

・特設監視艇 第二十三日東丸

 本編中会話文の中に一度だけ登場したこの船は、おそらく最も知名度の高い特設監視艇でしょ

う。ドーリットル空襲の際空母ホーネットを視認し通報した船です。この時日東丸は監視任務を

終え他の船と共に母港へ帰還しようとしており、その矢先の出来事でした。日東丸のエピソード

のみ取り上げられることが多いのですが、第二十一南進丸、長久丸、第一岩手丸、長渡丸と計5

隻の特設監視艇が撃沈されています。

 特筆すべきはこの時米機動部隊が日本近海へと侵入したルートでしょう。米艦隊は北緯33~38

度、東経155度に設けられた「ヲ」哨戒線のど真ん中を突っ切っており、当時そこでは第三監視

艇隊が任務に就いていました。まさにドンピシャリ、読み通りに敵艦を発見することが出来た

(監視艇の乗組員にとっては「発見してしまった」)のですが、本土の陸海軍は発進したB-25を

1機も撃墜することが出来ませんでした。

 

 

 

 最後に、本作を執筆する上で参考にした資料を紹介して終わりにしたいと思います。艦これは

娯楽のためのゲームであって、しかもそのゲームに特設監視艇は登場しませんが、この文章を読

まれた方が少しでも興味を持って頂けたら幸いです。

 

大日本帝國海軍特設艦船データベース

http://www.geocities.jp/tokusetsukansen/J/index.html

旧軍戦史雑想ノート - 旧大日本帝国陸海軍の戦史

http://pico32.web.fc2.com/index.htm

神奈川新聞社の連載記事「漁師たちの戦争」

http://www.kanaloco.jp/ 新聞社のサイト内で検索すれば読めます

大内健二「戦う日本漁船」

 

 



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