本の世界の物語 (804豆腐)
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第1章 プロローグ

ワタシは夢を見る。

大きな木に寄りかかりながら瞳を閉じて。ただ、ただ静かに夢を見続ける。

眠り続けてこのまま時が過ぎて朽ちてしまうとしても、きっと変わらないだろう。

心地よい木漏れ日に包まれながら、穏やかに時を感じないこの場所で。

永遠に近い時間をただ夢を見る事で過ごす。

それだけが今のワタシの望み。いつか全ての人の願いが、祈りが叶うまで。

ワタシは〝夢の世界〟を求め続ける人の為に眠り続けよう。今のワタシにはそれしか出来ないのだから。

偽りだと分かっていても。それで少しでも救われるのならば。ワタシは願う。

いつか全ての人が幸せになれますように、と。

ワタシに近づいてくる足音を聞きながらワタシは心の中で静かに祈りを捧げた。

 

<春>

誰かに名前を呼ばれている。

暖かい春の木漏れ日に包まれながらその声を覚醒していない意識で聞けば、いつも聞きなれた人の声にそっくりだ。

「ユイ姉さん。こんなところで寝てたら風邪引いちゃうよ」

「おー。カイ……か」

私は上半身を預けていた木から体を離し、頭を揺らしながら目を開けようと頑張る。

しかし、さっきまで深い眠りについていた体は立ち上がる事や瞳を開けることを強く拒絶する。無理だなー。

「ユイ姉さん。諦めないでよ。ほら頑張って起きて!」

「うーん。私の事は諦めてくれー。私が眠る事で沢山の人を救うんだー」

私は起き上がる事を諦めてまた木に寄り掛かる。

今度は完全に横になり、ちょうどいい高さにある木の根を枕にして眠る事にした。

「何ワケの分からない事言って寝ようとしてるのさ。アイちゃんに怒られるよ」

アイに怒られる。カイの言葉を殆ど寝ている頭でゆっくりと噛み砕き、理解すると私は体を横にしたまま目を開いた。

ちょうど木の根を枕にしながら空を仰ぎ見ているその状態で、カイの顔が視界に入る。

桜の花がはらはらと空から舞っている。その花びらを髪の毛に付けながら秋の稲穂の様に輝く金色の髪をしたカイが心配そうにこちらを見ていた。

女の子みたいな顔をした男の子だ。翡翠というよりは深い森の色をした瞳が困ったように揺れている。

カイのこんな顔を見るといつも困らせてしまいたくなるのだけれど。

しかしアイに怒られる、か。それはマズイ。非常にマズイ。

どのくらいマズイかというと……。そうだな。そう。あの、えっと。

まぁ凄く困った事になるのだ。とにかく。それだけは回避しなくてはいけない。

「今日私は何をする係りだった?」

「もう忘れちゃったの? 今日のユイ姉さんは魚を釣ってくるんでしょ」

魚釣り。そうだ。そうだった。

朝から釣竿を持って意気揚々と川に行ったが、全然釣れず飽きて散歩を始めたんだ。

そして道の途中にあった桜の木の下で一休みしていたら、そのまま眠ってしまったのか。

なるほど! それはしょうがないな。春だし。眠くもなるさ。

「よし。寝よう」

「なんでそんな結論になったのさ!」

「春だからな。カイも一緒に寝よう」

私は逃げようとするカイの体をしっかりと捕まえるとそのまま瞳を閉じる。

腕の中で逃げようとカイが動いているが、私の方がカイよりも力は上だ。逃げられないだろう。

この後アイに怒られるとしても私1人よりもカイと一緒の方が良い。絶対に。

いつもよりも長い時間暴れていたカイだったが、逃げられない事を悟ったのか動きを止めた。

私は腕の中にカイの温もりを感じながら春の陽気の中に身を任せる。

また眠るまでにそんなに時間は掛からないだろう。

気がつけば腕の中でカイはもう小さく寝息をたて始めていた。

私も心地よい空気を感じながらゆっくりと目を閉じて、意識を夢の世界へと旅立たせた。

目覚めは決して悪くは無かった。日が落ちるよりも早く目を覚ます事が出来たから寒くなる前に家に帰る事が出来た。

それに1日の殆どを寝てすごしたのだ。気分が悪くなる理由は無い。

ただ、そう。コレは決して言い訳ではないが、私は忘れていたワケでは無いのだ。

「おはようございます。お姉ちゃん、カイ君?」

夕日を背負いながら家のドアを空けてみればそこには笑顔のアイが居た。

愛すべき妹アイの輝かしい笑顔を見て、私とカイは獲物を見つけた犬よりも早く地面に正座すると頭を床につける。

何度か謝罪を繰り返しながら頭を下げるが、アイは何も喋らない。

その沈黙が怒りゆえか、それとも既に怒りは過ぎ去っていて、ただ拗ねているだけなのか。それによって変わる。私たちの処遇が……!

「お姉ちゃん。カイ君。頭を上げてください」

アイは優しい声で私とカイの肩を叩くと、満面の笑みでそう告げた。

私とカイは救われたと思い、強張っていた顔をゆっくりと緩めていく。が、しかし。

「もう、無駄ですから」

アイは笑顔から一転夜叉の様な怒りの表情になると床を力強く踏みつけた。

もう既に怒りが限界突破していたアイの機嫌を直す為に私とカイは朝日が上がるまで正座のまま頭を下げ続けた。

 

<夏>

「あつい」

「そう思うならあんまりくっつかないでよ」

私はカイの背中に抱きつきながら、空気の暑さに文句を言う。

毎年、毎年思うのだが。この暑さはなんなのか? どこか燃えているんじゃないだろうか?

家の中に居るから暑いのではないだろうか。と考え私は家の外を見る。

外ではジリジリと焼けた地面が見える。朝撒いたハズの水はどこかへ消えたようだ。

見るからに熱そうな外を見て、まだ家の中はマシなのか。と理解する。そして理解すると同時に気分はさらに悪くなった。

「カイは頭良いだろー? 冬にして!」

「また無茶言ってるんだから。ボクだって冬になったら嬉しいけど。そんな事は出来ません。それにユイ姉さんは冬も嫌いでしょ」

「そんな事ないぞ!」

うん。そんな事は無いハズだ。冬。確か大好きだった。暑くないし。

カイは微妙な顔をしながら私の頭を撫でる。

「良いじゃない。暑くたってさ。季節ごとにその季節を楽しめば」

「むー」

私は口を尖らせたまま長椅子に座っているカイの横に寝転んだ。

カイの膝の上に頭を乗せ、足を組んだ状態で手すりの上に乗せる。

「寝る」

私はふてくされた様に天井を見たまま目を閉じる。

遠くに聞こえる鈴の音と、本を読みながらも団扇でささやかながら風をくれるカイに感謝しながら深く眠りに落ちた。

意識は夢の中に居るはずなのに、どこかで誰かの話し声が聞こえていた。

コレは、カイとアイの声だ。

「あれ? お姉ちゃん寝ちゃったんですか?」

「うん。最近ずっと暑いからね」

2人が声を抑えながら小さく笑っているのが分かる。

細く柔らかい指が私の顔にかかっていた髪を外へと逃がしてくれた。

「こうしてると、小さい子供みたいですね」

「そうなるとボクがお父さんでアイちゃんがお母さん?」

「ふふっ。カイ君がお父さんは無理ありますね。お母さんの方が似合いますよ」

「うーん。ボクってそんなに女の子っぽいかなぁ。もっと筋肉とか付けた方が良い?」

「見た目じゃ無いんですよね。凄く自然なんですよ。お姉ちゃんが寝ている横で団扇を扇いでいる姿とか」

「じゃあアイちゃんもお母さん?」

「いいえ。私は変わりませんよ。お姉ちゃんの妹です。いつも、いつまでも」

アイの穏やかだがハッキリとした声を聞きながら私はさらに眠りを深くしていく。

いつしか2人の声はどこか遠くなり、私の意識もどこか深いところへ沈んでいった。

 

再び私が意識を取り戻した時には既に窓の外は暗く、夜の闇が広がっていた。

眠り始めた昼間に比べると随分と温度が下がっていて、窓から冷たい風が吹いている。

私は眠る前よりもずっと軽くなった体で椅子から立ち上がり、周囲を見渡した。

椅子には本を脇に置いたまま背もたれに寄り掛かり小さな寝息を立てているカイ。

そしてそんなカイの正面でアイは一人用の椅子に座りながら肩膝を抱え、虚空をただ眺めていた。

私が起きている事にも気づいていないのか、ただ何も無い空間を見つめ続けている。

ここにはみんなが居るハズなのに、何故かアイは一人ぼっちでいるみたいだ。

そんなアイを見ていると私は胸が苦しくなる。私はここに居ると叫んで抱きしめたい。

でもアイはまるで世界の全てを拒絶しているようだった。

こんなに近くに私もカイも居るのに、アイは何でそんな表情をしているのだろう。

今にも泣き出してしまいそうな。迷子の子供の様な。

「アイ」

「あ、お姉ちゃん起きたんだ。おはよう」

アイは何事も無かった様に私の方を向いて微笑んだ。

可愛らしい。いつもの笑顔だ。でもやっぱりどこか影がある。

普段なら気づかなかったかもしれない。でも私は見てしまった。だから……。

「……っ、アイっ」

「あ、ユイ姉さん起きたんだ。外に行こうよ。何かキラキラ光ってるよ!」

いつの間にか椅子で眠り込んでいたカイが起き上がっていて、窓の外を指差しながら無邪気に笑う。

私とアイは顔を見合わせて、椅子から立ち上がり外へと向かうカイの後を追った。

外に出れば闇の中を踊るいくつかの淡い光が私たちの前に現れる。

「……きれい」

暗闇の中では表情はよく見えないが、アイの声は震えていた。

もしかして泣いているのだろうか。淡い光の中にぼんやりと浮かぶアイは両手を広げて光の中に佇んでいる。

そんなアイを私は後ろから抱きしめた。

「きゃっ! お姉ちゃん。どうしたの?」

「なんでもない」

なんだろう。部屋の中に居たときとは何かが違う。

アイがいつものアイに戻っている。それだけが今は凄く嬉しかった。

問題は何も解決していないが、今は聞くときじゃないのかもしれない。

もしかしたらそこまで考えてカイは私の言葉を遮ったのだろうか。

闇の向こうで光と無邪気に遊ぶカイを見ながら、ここまで連れてきた本意を探る。

「蛍可愛いね! ほらアイちゃん! ユイ姉さん! って、や! 服の中に入った!?」

いや、本当に何も考えていなかったのかもしれない。

半泣きになりながらこちらに走ってくるカイを抱きとめる。

アイとカイを抱きしめながら私は口元に笑みを浮かべ、思う。

私の知らないところでアイは何かを思い悩んでいるのかもしれない。

でも、いつかアイがその悩みを話してくれる時がくるなら。私は全力でアイの力になろう。

 

<秋>

茹だる様な暑さの夏が過ぎ世界は過ごしやすい季節へと変わっていく。

気がつけば山は鮮やかな色をし始め、ご飯が美味しい季節になってきた。

今日もカイと共に山へと菜採りに出向く。これも夕ご飯の為。喜んで山を走り回ろう。

背中に籠を背負い、せっせと山菜を採っているとカイが話しかけてきた。

「ユイ姉さん。もうそろそろ日が暮れるから帰ろう」

「そうなのか? まだ大丈夫そうだけど」

向こうの山のすぐ上にギラギラと輝く太陽があった。

まだまだ沈む気配は無さそうだが。カイが言うならそうなのだろう。

私たちは山を下り始める。カイは私の横で両手を広げ、風を受けながら歩いていた。

そして木々の間から見える、先ほどよりもずっと低い値に移動した太陽を見て、小さく呟いた。

「秋の日は釣瓶落としだねぇ」

「つるべおとし?」

カイの呟いた言葉の意味を考え、私は腕を組みながら考える。

〝つるべおとし〟という単語をどこかで聞いた様な気がしていた。

確か、アイが夏にしていた怖い話だった気がする。

木から落ちてきて人を襲う妖怪だったハズ。

と、そこまで考えて私は上を向く。そこには数多の木々が。

やばい。と本能が告げる。ココに居ては逃げ場が無い。

私はすぐ横に居るカイを小脇に抱えると、一気に木の枝に飛び移った。

「え? えぇえぇ!? 何、何!?」

カイは動揺しているが、今はそんな事に構ってはいられない。

私は木の枝をしならせて、さらに遠くへと飛んだ。

紅色の葉を空に巻き上げながら空へと飛び立つ。

既に沈み始めた夕日で全身を赤く染めながら風を浴びる。

加速して飛び出した体はその速度を緩め、また再び山の木々へと向かい降りていく。

ふと小脇に抱えたカイを見ればいつの間にかぐったりとしている。私も気づかなかったが、〝つるべ落とし〟に襲われたのか?

急いで家に帰らなければいけない。家にさえ帰ればアイがなんとかしてくれるハズだ。

私は再び木の枝の上に着地すると、その枝が折れるよりも早く空へと飛んだ。そして少し離れた場所へと降り立つ。

それを何度か繰り返し、カイをさらにしっかりと抱きしめながら山から下りた。

「アイ! 大変だ、アイ!!」

家の近くに飛び降りた勢いのまま家まで走り、玄関を壊す様な勢いで開ける。

台所で料理をしていたアイはエプロンで両手を拭きながら駆け足でこちらへと向かってきた。

「どうしたのお姉ちゃん……って! カイ君!?」

私はカイを正面で抱きかかえると、床にゆっくりと下ろす。

カイはぐったりとして、眉を顰めながら苦しそうにしていた。

急いで逃げたつもりだったが、間に合わなかったのか。

私は事情をアイに話し始めた。しかし何故だろうか。途中まで話した所でアイはゆっくりと立ち上がり、台所まで行き濡れたタオルを持って帰ってきた。

「もう、お姉ちゃんは。しょうがないですね」

アイは小さく笑いながらタオルをカイの額に乗せ、荒く息を繰り返しているカイの頬を優しくなでた。

私はアイが言っている意味を考えるが、皆目見当が付かない。

はて、私は何か間違えたんだろうか?

「ユイ、姉さん……」

私が腕を組みながら顎に手をあて考えているとカイが薄く目を開けゆっくりと上半身を起こした。

アイはそんなカイの背中を支えながら、額に当てていたタオルを手に持ち渡しに微笑んだ。

「カイ君は少し疲れただけみたいですね」

「ホントなのか? カイ」

「うん。ごめん」

カイは本当に申し訳無さそうに頭を下げた。

別にカイは悪くないのに、なんだかこっちの方が申し訳ない気持ちになる。

私はカイの傍に駆け寄り膝立ちになってカイの頬を撫でた。

「大丈夫か?」

「あはは。うん。大丈夫だよ。明日には元気になるから」

「本当か?」

カイは疲れた顔で笑っていて、明日元気になると言われても簡単には信じる事など出来ない。

私はカイの両頬に手を当て、視線を合わせる。

カイは私の右手を撫でながら微笑んだ。

「じゃあ、明日元気になったら一緒に紅葉狩りに行こうよ。アイちゃんも一緒にさ。お弁当作って」

「あ、それ良いですね」

アイはカイの体を支えたままカイと視線を合わせ、微笑んだ。

そしてカイもまたアイを見て、微笑む。2人は見詰め合った後、私の方を向き、反応を待っている。

私はそんな2人の様子に心の奥が暖かくなり、自然と笑みが浮かんだ。

「分かった。じゃあ明日は、その〝紅葉狩り〟に行こうか」

そう締めくくり、私は外に出て明日の準備を始めることにした。

〝紅葉狩り〟か。狩りというからには何かを狩りに行くのだろう。

考えながら家のすぐ横にある倉庫へと入り、後ろ手で扉を閉めた。

私は物置の奥にあった何の装飾もされていない剣を手に取る。それを頭上まで振りかぶり、剣の軌跡がまっすぐになるように振り下ろした。

何かを壊してしまってはまたカイやアイに怒られてしまう。私はその剣が地面に当たるよりも早くピタリと止めたハズだったのだが。

何故か閉め切っている倉庫の中で風が起こり、その風が近くの物を壁まで吹き飛ばした。

ヤバイ! と直感的に感じる。風が近くの物を吹き飛ばしたのも予想外だったし、その物が飛ぶときにやけに大きな音を立てながら飛んでいった事も私の心臓の鼓動を早くするには十分だった。

私は息をする音にすらも気を遣いながら、扉をジッと見つめ外の気配を伺った。

どうやらこちらに向かって来る人は居ない……と、思う。

少なくとも外から物置の中に掛けてくる声は無い。

私は少しの間息を潜めていたが、大きく息を吐き出し緊張を解いた。

右手に持っている剣を地面に刺し、腕を組みながら考える。

紅葉狩り、もみじか。山全体を覆っている紅葉の何を狩るんだろう。

ハッ! そうか。今の紅葉は山そのもの。つまり山狩りか。

山に居るありとあらゆる動物を狩りつくす!

そうか。コレは気合を入れなくてはいけないな。

私は右手を握り締めて、無意識に笑みを浮かべながら拳を前に突き出した。

先ほどと同じ様に正面の壁が風で大きな音を立てるが今度は気にしない。

明日は山の中でどんな奴に出会えるだろうか。また熊と戦う事になるかもしれない。

今日は明日に備えて早く寝よう。

 

<冬>

季節はいつの間にか肌を突き刺すような冷たさを感じる季節へとなっていた。

家の外を歩けばその冷たい風にまともに動く事も出来ないだろう。

だからこそ私はこの暖かさから逃げ出せないのだが。

「お姉ちゃん。こんなところで寝ると風邪ひいちゃいますよ」

アイが正面でみかんの皮を丁寧に剥きながら、笑顔で話しかけてくる。

私はコタツのテーブルの上に顎を乗せながら両腕をコタツの中に入れ、背中を丸める。

「うぅ。春になったら、でる」

「もうお姉ちゃんったら」

アイは困った様な顔で笑いながら、みかんをひと房口に入れる。

おいしそうだ。みかんは食べるまでが面倒だが、あの甘さは見ているだけで恋しくなる。

「はい。お姉ちゃん。あーん」

「あーん」

私がアイの方に視線を向けているとアイはひと房を指で摘みながら私の目の前まで連れてくる。

なんて優しい妹なのだろう。私は遠慮なく口を開けてみかん君の到来を待つ。

するとそれほどしないで私の口にやってきたみかん君を味わう為に口を動かした。

あぁ、至福。何もする気は起きないけれど。こんな瞬間が楽しい。

「お姉ちゃん可愛い」

「可愛いのはアイだろう?」

「私なんて可愛くないですよ」

私はテーブルの上に頬をつけながらアイに視線を向ける。

アイは両手で自分の頬を包むようにしながら私を見ていた。

小動物の様な可愛さを持つアイは誰がなんと言おうと可愛いのだ。

視線を合わせれば吸い込まれそうな夜の海の様な深い青の瞳に、夜の空を切り取ったかのようなクールなアイによく似合う黒髪。

体型は確かに起伏が少ないが、それがどうしたというのだ。

アイを抱きしめた時の甘い香りとその抱き心地だけで良い。無駄な胸など要らないだろう。

こうしてうつ伏せになっていると自分の呼吸を圧迫してくる自分の胸の事を思うたびにアイが少し羨ましくなる。

それを言うとアイは酷く怒るので、もう口にはしないが。

「私なんかより、アイはずっと可愛いじゃないか」

「まぁ確かに普段のお姉ちゃんは可愛いという表現ではないですが。今のテーブルの上でくつろいでいるお姉ちゃんは普段の凛々しい姿からのギャップからか凄く可愛く見えるんですよ!」

アイは珍しく声を張り上げながら拳を握り、力説していた。

いったい何がそこまでアイを駆り立てるのか私には分からなかったが、まぁアイが楽しいなら別に良いか。

しかし、1つだけ譲れない事がある。

「いや、アイの方が可愛いね! 普段はクールなアイがみかんを1つ食べる度にほっこりと笑う姿なんて、思わず見惚れちゃうね!」

「何を言ってるんですか! それは贔屓目に見た家族だからですよ。お姉ちゃんの方が可愛いです」

「2人共楽しそうだね」

アイと言い争いをしていると台所からカイがお茶をお盆に載せて登場する。

人工の明かりの下でも変わらず輝く秋の稲穂の様な金色の柔らかそうな髪を短くまとめ、夏の森の様な深緑の瞳が優しく細められていた。

笑っている姿は穏やかで、雰囲気はまるで母のようだ。

そんなカイを見て、私とアイは驚愕に震え互いに無言で見つめあった。

「どうしたの?」

カイはそれぞれにお茶を配った後、コタツに入り、お茶を飲む。

私とアイはその姿を見て、互いに見つめあい、そしてまたカイを見る。

「あぁそうか。みかん食べたいんだね。しょうがないなぁ」

カイは私を見て柔らかく微笑んだ後、テーブルの中央に置いてあったみかんを手に取り剥き始めた。

鼻歌を歌いながらみかんをバラバラにしたカイは私の口にソレを放り込む。

そして私が食べるのを見て、微笑んだ。

その後、アイにも食べさせ、微笑む。

「カイ。君が優勝だよ」

「何の事?」

「カイ君が1番です」

私とアイはカイの頭を撫でながら笑う。

カイは何を言われているのか分からない顔でキョロキョロとしていた。

そんな姿も可愛い。流石カイ。

 

私たちはコタツでのんびりとしながら言葉もなく、夜を迎えていた。

途中にコタツから抜け出せなくなった私とアイの代わりにご飯を作ってくれた。

カイの作ったご飯は驚くほど美味しいというワケでは無いが、安心できる味だ。

何度食べても飽きることが無い。

そして食べ終わった後のお茶がまた美味しい。ホッとする味だ。

私は床に寝転がり、天井を眺める。

そんな私をカイとアイは小言を言うが、私は手を軽く振るだけで起き上がらない。

2人は私の反応に笑いながらため息をつく。

部屋の中の空気は冷たいのに、どこか暖かい。

私はこの空気が好きだ。何も喋らずとも通じ合える場所。

家族が共にいる事ができる、この空間を大切にしたい。

いつまでもこの時が止まった様な世界を願い続ける事を願い、そのままゆっくりと眠りについた。

「あ! 雪だよ。雪が降ってる! ユイ姉さん? もう寝ちゃったの?」

遠くなる意識の向こうでカイが騒いでいるのが聞こえたが、私は沼に沈むように浮上しない意識を抱えたまま夢の中へと沈んでいった。



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第1章 第1話

丘の上にその存在を強く自己主張している桜の木が1本あった。

ただでさえその丘の上にはその桜しかないのに、まるで自分という存在を誇るかのように枝を広げていた。

しかも今は春だ。桃色の花びらが空を舞っていた。

私は両手を頭の後ろで組みながら、桜の木の根元で寝転がり空を見上げる。

丘の下から吹き上げる風は花びらを空へ舞い上げ、青空を鮮やかに染め上げていた。

寝るには丁度いい気温だ。私は目を閉じ、夢の世界へと旅立とうとした。

しかし、地面に横になっている私のすぐ近くに誰かが近づいてくる気配を感じる。

「誰だ? カイか?」

私は目を開け、ゆっくりと上半身を起こしながら私に近づいてくるその存在を見た。

丘の中腹辺りにいるソイツは今までに見た事の無い奴だった。

腕を組みながら笑っているソイツは今まで私が見た事の無い奴だ。

しかし、一定の距離を離した状態から一切動こうとせず、ただこちらを眺めているだけ。

言葉を発しないから分からないが、何か用でもあるのだろうか。

しかし、ただコチラを見るだけで何も行動しようとしないソイツに違和感を感じる。

そもそもこの場所に私たち以外の人間がいる。それだけで今までに無い事態だ。

この場所には私たちしかいない。そのハズだ。そう私たちが願ったのだから。

つまり、そこにいるソイツは明らかな異物。居てはいけない存在となる。

私は警戒したままゆっくりと立ち上がると右の拳を強く握り、左足を1歩前へと踏み出した。

左手を前に突き出し、いつでも攻撃できる態勢のまま少し離れた場所に居るソイツを見据える。

この距離なら1歩で届く。大丈夫、何度も繰り返してきた攻撃方法だ。今更失敗する事も無い。

腰を深く落とし、いざ攻撃を仕掛けようとした時、ソイツの右腕が横に上がり次の瞬間に消えた。

しかし、私はそれにいちいち驚くことはなく左足を軸に半歩前に踏み出しながら背後を振り返り後ろにある右足を前に踏み出しながら右手を突き出した。

右手は風を纏いながら正体不明の敵に当たった。

敵は両腕を胸の前で組みながら攻撃を防いだようだが、両足は地面を削りながら随分と後退する。

私はさらに追撃をする為に地面を蹴り、敵へと迫った。

地面すれすれを飛ぶような速さで移動しながら拳を握りつつ、再びフードの敵へと拳を叩き込もうと迫る。

しかし、私が接近するよりも早く敵はポケットの中から太陽に反射する金色の時計を取り出し、そして私の前から姿を消した。

あまりの速さに見失ったのかと思ったが、なら同時に気配も消えるのはどういうワケだ?

周囲を警戒していると、斜め後ろから敵の気配がし、私は振り返った。

「悪を拘束せよ! 正義の鎖!」

アイやカイとは違う低い声が奴から聞こえた。

そしてその声と同時に地面から宙から銀色の鎖が突然現れると私の両腕両足に絡みつき、動きを拘束する。

私は拳を握り、腕に力を込めて鎖を引きちぎろうとするが普通の鎖とは違うのだろう。軋む音はすれど壊れることはなかった。

しかし、諦めることなく両腕に力を込める。

「やれやれ。少しは大人しくしてくれないか?」

敵は再び腕を組みながら不敵に笑い右手を軽くこちらへ向ける。

その自信に満ちた笑顔は私の神経を逆なでするには十分だった。

「お前がこの世界から消えたら大人しくするさ」

私は両腕の鎖をそれぞれの手で掴み、そして溜め込んだ力を一気に解放し鎖を砕いた。

砕けた鎖はキラキラとした結晶となり、空気の中に消えていく。

そしてそんな私の行動に少し驚いたのか、男は言葉をなくしているようだった。

しかし、呆然としているのなら今がチャンスという事。

「出て行かないのなら、力ずくで……排除する!」

私は右足で地面を強く蹴り、未だ意識がどこかへ旅立っている男に向かって拳を握り走る。

男は私が向かって来る事に気づいたようだが、もう遅い。

もはやかわす事も防ぐことも出来ない。私は呆然としている男の顔面に拳を叩き込もうとした。

しかし、私の目の前を再び銀色の鎖が現れ私へと迫る。

二度も、同じ攻撃が通用すると思うな!

私はその鎖を掴み、強く引きながら地面を強く蹴り空へと跳んだ。

空へと跳ぶと同時に私が居たところにはいくつかの鎖が通過するが、それは私が跳んだ事でそれは何も無い空間をただ通過していく。

私は空中で体を捻り、掴んでいた鎖を踏み台にし再び男へと拳を向けた。

「少し話を聞いてくれないか?」

しかし、私の拳は男に届く事は無く受け止められてしまった。そして次いで低い位置へ抉るように振りかぶった左腕も。

互いに拮抗した力で、進む事も戻ることも出来ない状態で男は言葉を紡ぐ。

「もう長いかくれんぼは終了だ。君達は見つかったんだよ」

「まだあんたを消せばゲームは続く」

私は足をさらに強く踏み込み、男を圧倒するための力を溜める。

さっき鎖を引きちぎった時の様に、一瞬に全ての力を爆発させようとした。

しかし。私はそれを思わず躊躇ってしまう。男から放たれた一言のせいで。

「俺だけがココを見つけたと思っているのか?」

「まさか!」

私は男とは別方向、家がある方向を見た。

丘の向こうのさらにその向こう。おそらく家がある辺りの空がおかしい。

青い空に立ち上る黒煙が私の心を急速に締め付ける。

「お前!!」

「別に俺が呼んだワケじゃないがな」

悪びれず、軽く言い放つ男の澄ました顔を殴りたくなるが、今はコイツに構っている暇は無い。

私は拳を一瞬引き、体勢を崩した男の肩に手を置きその体を一気に乗り越えた。

そして男の背中を踏みつけ、家の方向へと跳ぶ。

男に背を向け走るが、男はどうやら追いかけてくる気配は無いようだ。

「始まる。終わりへ向かう旅が」

風にかき消されてしまう様な小さな声だったが、何故か私にはハッキリと聞こえた。

旅など始めてたまるか。私たちはようやくここにたどり着けたのだ。

誰かに壊されてたまるか。

風よりも早く、私は走る。今はただ家に向かって全力で。

自分の足が酷く遅く感じる。空気を切り裂き、風を生みながら走っても家が遠い。何でこんなに遠いんだ。

空へと伸びる黒煙がどんなに私を焦らせても足は速く動かない。

悔しさを感じながらも走り続け、家についた時には随分と遅くなってしまった。

そして息を切らせながら着いた私の眼前には燃える我が家があった。

「なんだ、コレは」

カイは、アイはどこに行ったんだ。

焼け落ちた家の壁を、無残にも破壊されたドアを見ながら私の心がずっしりと重くなる。

家の周りを走り回り、人の気配を探すが、どこにも居ない。

私は家のドアを蹴り壊し、中へと足を踏み入れた。

「アイー! カイー!?」

しかしどこからも返事は無い。

私は家の中を入り口から順番に探すが、どこにも居なかった。

そして1番奥にあるアイの部屋までたどり着いてしまう。

ココに居なかったら、私は自分がどうなってしまうか分からなかった。

ついさっきまで笑っていたアイとカイ。何故こんな事になってしまったのか。

意を決して扉を開く。しかしそこには誰も居なかった。

「なんで……」

私は力なく崩れ落ち、床に両手をつけ項垂れた。

ただ静かに暮らしたいと願うことが何故悪いのか。

戦いから逃げる事がいけない事なのか?

争いたい奴が勝手に争えば良いじゃないか。私たちは関係ない。

拳を握り、それを荒ぶる感情のままに振り下ろそうとした時、すぐ背後に気配を感じた。

「アイ、カイ!?」

しかしそこに居たのは全身が黒いモヤモヤで包まれた人間の様な奴だった。

そして1人でブツブツと何かを呟いている。

私はソイツが何者かは分からなかったが、ソイツが腕を振るい近くの物が吹き飛んだ事で察した。

そうか。コイツが。

私はとっさに自分の身体を守っていた両腕をゆっくりと下ろし、近くに落ちていた棒を足で蹴り上げ、右手で掴んだ。

「お前が……」

やったのか? と聞くよりも早くソイツは唸り声を上げながら私に突っ込んでくる。

私は右手に持っていた棒の先をソイツに向けまっすぐに突き出した。

ソイツは器用に身体を横に回転させながら棒を避け、そして壁を蹴りながら私にまっすぐ向かって来る。

しかし、そんな事で私はひるまない。

私は右手を戻しながら棒でソイツの正面から横に振る。

タイミングは完璧だ。ソイツはかわす事も出来ず滅びるだろう。

だが、ソイツは私の棒を掴むとそのまま空中で回転し、私を飛び越え背後から襲いかかろうとする。

「何をさっきから逃げてるんだ」

私は背後にいるソイツを左手で掴む。

左手が焼ける様な痛みと黒い何かに侵食されている。しかしそれがどうした。

「アイはもっと痛かっただろう」

黒い何かは苦しそうにもがいている。

私の右手は確実にソイツの何かを掴んでいる。そして握りつぶす勢いで左手に力を込めた。

さらに苦しそうにもがくソイツと痛みが増していく私の左手。だが力を緩める気は無かった。

「カイは泣いていたかもしれない」

2人の最後を私は見たワケでは無いのに、目の前に浮かぶ。

助けを求めていたかもしれない。しかし駄目だった。助けられなかった。

私の身体を支配する感情は悲しみ? 後悔? いや違う。

「それをお前が奪ったんだ」

きっとこれは憎しみだ。

左手の先で苦しんでいる奴を見ても心は満たされない。

アイもカイもどこにも居ない。そう考えるだけで苦しくて、切なくて、悔しい。

「なぁ。教えてくれ。どうして欲しい?」

ソイツは答えない。

私は右手に持っている棒でソイツの身体を適度に痛めつける。

ソイツは苦しそうな声を上げるが、それ以上は何も出来ないのかだんだんと動きが鈍くなってきた。

「おい。まだ終わるなよ。まだ……くっ」

私は左手の先にいる奴に向かって右手の棒を振り下ろそうとしたが、壁を突き破って来た何かによって反対側の壁に向かって吹き飛ばされた。

一匹だけじゃなかったのか。なら全て滅ぼすだけ。

「少し待て」

「お前はさっきの」

壁を突き破って来たのは丘の上に居た男だった。

相変わらず不敵な笑みを浮かべながら、左手には金色の時計を持っている。

先ほどと何も変わらない。何をしにきたのだろうか。

考えようとしたが、答えは考えるまでもなく出てきた。

そうか。コイツはさっきの黒いのの味方か。カイやアイを襲った奴の味方。

なら……私の敵だ。

「さっき会った時より随分と怖い顔になったな」

「お前達がそうしたんだろう?」

怖い顔か。アイやカイには見せられないな。いや、もう会う事も出来ないから見られる心配は無いか。

既に2人は……。

「そんな顔じゃあ2人に会った時、どう思われるかな?」

「お前」

「2人は無事だよ。ただ今は別の場所に居る」

2人は無事? という事はコイツは何が目的なんだ。

こういう状況を作ったという事はコイツは何か私に要求があるという事だろう。

あるいはカイかアイに求めるモノがある。

「腹の探りあいは面倒だ。俺の目的を伝えよう」

私は無言のまま目の前の敵を睨みつける。

そんな視線を受けながら奴は不敵に笑うとその目的を告げた。

「エミはどこに居る?」

「誰の事だ」

「奴らよりも早く見つけないと大変な事になるんだ。隠さず教えてくれ」

「ワケの分からない事を言うな! この場所には私とアイとカイしか居ない!」

コイツはいったい何を考えているんだ。ワケの分からない事ばかり言う。

何が目的だ。私を混乱させる事か。ならば今は落ち着かなくてはいけない。

唇を噛み締めながら、目の前の男を睨んだ。

しかしそんな私を見て、目の前の男は笑う。

「本当に知らないみたいだな。という事は君はただの守護者というわけか。ならば君を利用させてもらおう」

男はそう言いながらポケットに手を入れ、今度は銀の時計を取り出す。

男の取り出しソレを見た瞬間、私は意識するよりも早く動いていた。

右手に持っていた棒を軽く流しながら、走り、男へと迫る。

勢いのまま右手を振るおうとするが、男の前にいつの間にか復活したのか黒い何かが割り込んできた。

「邪魔だ!」

右手に持っていた棒をまっすぐに黒い何かの後ろにいる男に向かって突き出した。

しかしその棒の前には男によって開かれた懐中時計があった。

その時計の秒針がやけにゆっくりと動いて、1つ時を刻む。

「さぁ旅立ちの時間だ」

そしてそれと同時に懐中時計から光が溢れ、私は目標を見失い、右手の先の棒が砕かれる感触がした。

次の瞬間には正面から吹いた突風に体勢を崩し、後ろ向きに吹き飛ばされぶつかるはずの壁もすり抜けさらに後ろへと向かう。

そしていつの間にか私は白い世界にいた。

上も下も無い。ただ正面に大きな時計があるだけの世界。

「お姉ちゃん!?」

私は浮遊する様な奇妙な空間ですぐ背後から聞こえてきた声に振り向いた。

思ったよりも自由に動けるらしい。

そして振り向いた先にはアイとアイに抱きしめられているカイが居た。

アイは泣いている。あの男に何かをされたのかもしれない。

そして何よりもアイに抱きしめられているカイの様子がおかしい。

「アイ、大丈夫か! カイは?」

「お姉ちゃん……カイ君が、私を庇って」

カイはいつもの穏やかな笑顔を浮かべていた顔は苦痛に歪み、額からは血を流している。

そしてその血は白い服を汚し、そして苦しそうではあるが呼吸をしている様子から生きているという事は分かった。

しかし、私が近寄っても目を開ける様子も無い。

私がのん気に寝ている間に、あの男に足止めされている間に。

悔しさと怒りで握り締めた右の拳から血が流れ落ちる。

「お姉ちゃん……」

「ユイ、姉さん?」

アイに抱きしめられていたカイが薄く目を開く。

しかしその瞳に力は無く、身体を動かすのも辛そうだ。

それでもカイは起き上がり、私に笑いかける。

「ごめん」

「何謝ってるんだカイ」

カイは瞳に涙を浮かべながら謝る。

こんな状況になったのはカイのせいでは無いのに。

カイはそのまままた目を閉じてしまったが、先ほどよりは苦しさは抑えられているらしい。

そしてカイが1度でも起きた事で少し落ち着いたのか、ゆっくりと話し始めた。

「お姉ちゃんが朝出かけてからすぐにアイツが来たの」

「アイツは家の中に入ってくるなり、私を見て突然腰に下げていた剣を抜いて斬りつけて。そしてそれを庇ったカイ君が……」

私はアイの言った腰に剣を下げた男というのが気になった。

確か私が対峙した男は時計は持っていたが、剣は持っていなかったはず。

これはどういう事なんだろうか。

「なら、私が戦っていた男は?」

「敵じゃない。と、あの時言っても君は信じなかっただろうがね」

私は突然聞こえた声にカイとアイを抱きしめながら振り向いた。

そこには先ほどまで私が対峙していた男が居た。

そして両手を上着のポケットに入れ、こちらの言葉を待っているようだった。

「じゃあ、家に居たアイツはなんだ」

「アレは俺も知らん。しかしどうやらエミを探しているらしい」

さっきも聞いた名前だ。そうか。アイツはエミという人物を探しているのか。

しかしそんな名前、今までに聞いた事は無い。本当にこの場所に居るのか?

「貴方達は何故エミを求めるのですか?」

「アイ?」

私の背中の向こうから、アイはカイを抱きしめたまま強く男を睨み言葉を紡ぐ。

男は私に向けていた視線とは違う真剣な眼差しでアイを見据える。

無言で見つめあう二人。私はどちらにも声を掛けることが出来ず、ただ2人を交互に見つめる事しか出来なかった。

いつまでも続くかに思えた2人の睨みあいは男が突然笑い始めた事で終わりを迎える。

そして男はひとしきり笑った後、口を開いた。

「別に俺は彼女の力を利用して世界をどうこうしたいわけじゃない」

「じゃあ何が目的なんですか?」

「助けたい奴がいる。守りたい世界がある」

男は今までに無い程真剣な眼差しでアイを見つめる。

いや、アイを見ているようで見ていない。アイの後ろに居るであろう誰か。

エミと呼ばれている人を見ているのだろうか?

アイはそんな男を見つめながら少し考える様に目を伏せた後、再び上げた。

そこに厳しい目は無く、ただ優しい、いつものアイの瞳があった。

「その願いは余計な人の願いを背負う事になるかもしれないですよ?」

「構わないさ。俺は正義の味方だからな。いくらでも背負ってやるよ」

「ふふ。そうですか。正義の味方ですか。では……お願いします」

アイはそれだけ言うと私にカイを預けゆっくりと立ち上がった。

そして私たちに背を向け、空間の奥へと歩き始める。

何故だろう。凄く嫌な予感がする。私の心が何かを叫び続けている。

このまま行かせてはいけない。もう二度と会えなくなる。

前もそうだったじゃないか。また大事な人を失うのか。

「アイ!」

しかし私の足は何故か動かない。何とか搾り出した声をアイに向ける。

アイは私の声に振り向き、そして笑った。

「お姉ちゃん。カイ君を守って。世界を、守って」

涙を流しながら笑い、そして再び私たちに背を向ける。

私はカイを抱きしめたままアイの元へと走っていこうとした。

しかし目の前の空間に亀裂が入り、アイの元へと向かう事が出来ない。

そして亀裂の向こうでは腕に刺青をした男が黒い剣を振り上げているのが見えた。

「ここから先には行かせませんよ」

「またお前か! 邪魔をするな!」

声と何か金属が打ち合う音は聞こえるが、向こうの様子は一切分からない。

亀裂はどんどん増えていき、アイと刺青の男の姿を覆い隠していく。

「さぁこの世界が壊れるよりも前に逃げるんだ」

後ろにいた男が私の肩を掴み、声を掛けてくるがそれを振り払い、私は亀裂の向こうへと向かおうとする。

しかし、亀裂は私の移動を阻みアイの元へとたどり着く事が出来ない。

「アイ!!」

声を掛けるがこちらの声はアイには届かないのか返事は無かった。

どうにかしてアイの元へ行かなくてはいけない。

そんな焦燥感ばかりが胸を締め付ける。

「逃がしません!」

「お前! 世界の崩壊に巻き込まれるぞ!」

「覚悟の上です」

「なに……!?」

次の瞬間世界の全ては白に支配された。

全ての景色は白く塗りつぶされていく。

大きな時計は消え、私たちの家にあった物が私の横を通り過ぎては消えていった。

数多の季節を過ごした場所と思い出を全て飲み込んでいく。

吹き荒れる暴風で私はまともに姿勢を保っている事もできない。

暴風はカイを連れ去ろうとするが、強く抱きしめる事でカイを守る。

しかし、強すぎる暴風は私の力など無いも同然と言う様にカイを奪おうとする。

「くっ……、カイっ」

カイは声を掛けてもぐったりとしたまま動かない。

私はだんだんと体力を奪われていき、限界が少しずつ近づいていた。

「もう、駄目か……!」

諦めきれず最後の力を振り絞ろうとするが、それをあざ笑うかの様に暴風は私たちを翻弄し続けていた。

その暴風に私の手はカイを離しそうになった次の瞬間、私たちは薄紅色の球体に包まれていた。

その空間は暴風の影響を受けず、私はゆっくりと目を開いた。

「お姉ちゃん」

「アイ……」

目の前には服をボロボロにしたアイがいた。

そしてアイは私の手に銀色の髪留めを手渡す。

それは昔アイが大事な物だと言っていたイルカの髪飾りだ。

「ごめんなさい」

「何を謝っているんだ」

「私はずっと嘘をついていたから。ごめんなさい」

アイは私の頬に手を当てると、微笑んだ。

そして、両腕を後ろに組み私から離れる。

「お姉ちゃん。無事で」

「アイ! 一緒に行こう!!」

私はアイに手を伸ばすが、アイに触れる事は出来ずすり抜けてしまう。

右手は虚しく空を切る。

「お姉ちゃんとカイ君は必ず無事で送り届けるから」

「アイ! 何で」

「ごめんなさい。私は一緒に行けないんです」

アイは桜色の光に包まれ、そしてだんだんと薄くなっていく。

私はアイの頬を流れる涙を拭うことも出来ない。

そして私たちは再び白に包まれた。

しかし、最初の時とは違いその白き光は私たちを優しく包み、そして私はその光の中で意識をだんだんと奪われていく。

その消えそうな意識の中で私はアイの声を耳にした。

「短い間でしたけど、お姉ちゃんの妹になれて楽しかったです」

「今まで」

「ありがとうございました」

知らず知らずのうちに瞳から涙が溢れる。

叫びたいが全てかき消されていく。何も出来ない無力な自分が悔しい。

「さようなら」

カイを強く抱きしめたまま、私の意識は白く染まり、消えた。

そして落ちていく。始まりの場所へと。



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第1章 第2話

黒に支配された世界。

闇の中で私はどうすることも出来ずにもがいていた。

まるで水の中にいる様な感覚で闇の中で溺れ続ける。

どんなに手足を動かしても何も状況は変わらず、私の体はどんどん沈んでいく。

それでも私は諦めずに右手を天へと伸ばし続けた。

そこに希望という名前の光があることを信じて。

しかし、届かない。決して届くことはない。

誰もいない。みんな居なくなってしまった。ここには私1人だ。

「お姉ちゃん、さようなら」

「アイ!」

闇の中から現れたアイは別れの言葉を残し再び闇の中へ消えていく。

私は必死に手を伸ばすが、アイに触れることは出来ない。

「ユイ姉さん、ごめん」

「カイ!」

ボロボロになったカイが闇の中から現れ、そしてまた私が触れるよりも早く消えていく。

誰も、守れなかった。何も救えなかった。

全てがこぼれ落ちていく。この掌の上から。

私は自分の掌を見ながら悔しさを噛みしめる。

憎い。誰だ。奪った奴は。私たちの生活を壊した奴は。

「絶対に許さない」

必ず見つけ出して、後悔させてやる。

いや、それだけじゃ足りない。アイが、カイが受けた苦しみを数倍にして味あわせてやる。

「ダメだよ」

「誰だ!」

私のすぐ後ろに立っていたのは私を優しく見つめる1人の女。

腰まで伸びた輝く金色の髪に金色の瞳を柔らかく細めほほ笑んでいる。

その女は私の頬に手を伸ばし軽く撫でた後、ゆっくりと言葉を紡ぐ

「ユイちゃんの力は壊すためにあるんじゃない。守るためにあるんだよ」

「しかし守る者は全て奪われた!」

「まだ大丈夫だよ。貴女の大事な人はきっとすぐ傍に居る」

女は私から離れ、天へと上がっていく。

私は必死に手を伸ばすが、その手が届くよりも早く女の背後から光が溢れ、それは世界の隅々まで広がっていく。

闇は光の洪水に飲み込まれ、黒は白へと塗り替えられていく。

「君は!?」

「また会えるから。ユイちゃん。負けないで」

叫び声すらもかき消すような衝撃と音の中で女は笑顔と言葉を残し、光の中に消えていった。

そしてその女の姿が消えるよりも早く私は自分でも気付かない内に手を伸ばし叫んでいた。

「君はまさか! 君に私は!」

そして白い光は私の体をも飲み込み、そして私の意識は白く塗りつぶされた。

 

「……姉さん。ユイ姉さん。大丈夫?」

柔らかい何かに包まれながら私は必死に私の名前を呼ぶ声に目を覚ました。

そしてぼやけている視界がだんだんと安定していき、目の前の揺らいでいた何かが人だと気付いた。

「カイ。か」

「うん。大丈夫? ユイ姉さん」

「あぁ。何か悪い夢を見ていた気分だ」

私は妙に疲れている体をほぐしながら、カイに微笑んだ。

しかし、カイは少し困ったような顔をした後、私の両肩を掴んで真剣な顔をする。

「落ち着いて。冷静になって聞いてね。ここがどこか分かる?」

「なに?」

どこか、だって? カイも疲れているんだな。

ここは私たちの家に決まっているじゃないか。

私は周囲を見渡しながら、カイにそう言おうとした。

「なんだ、ここは?」

しかし、私の視界に映っている景色はいつも私が見慣れている景色とはまるで違う別の場所だった。

白で統一された家具の一切ないシンプルな部屋。

壁は木では無く、何か別の素材で出来ているようだ。

「僕も気が付いたらこの部屋で倒れていたんだ」

「いったい何があったんだ? アイは……」

私は立ち上がろうとして右手を床につけた時に何か冷たい物が右手にあることに気付いた。

あまりにも自然に持っていたソレを私は見る。

「なんだ、これ」

何かの動物の形をした髪留めだ。

いや、何かではない。私はコレを知っている。イルカだ。

そうだこのアクセサリーも見たことがある。確か昔アイに……。

アイ、そうだアイは!?

「カイ! アイは!?」

「……見てない」

どうして私たちだけここにいるのか。私はその理由を唐突に思い出した。

アイは、あの場所で消えてしまったんだ。

「カイ、アイは……」

「まだ死んでないですよ」

「誰!?」

カイの声と同時に私は起き上がり、拳を握りしめるとカイを庇う様に声のした方へと向いた。

そしてそこに立っていたのは小さな少女だった。アイによく似た少女で違いと言えばアイの艶やかな黒髪は透き通った海の様な青色になっている事だろうか。

よく見れば全体的にかなり小さい。

「む! 今ナナのこと小さいとか思いましたですね!? 見た目が、なんだ!」

少女は腰に手を当て、怒りながらこちらへ無防備に歩いてくる。

私は思わず攻撃することも忘れ、茫然としてしまった。

そして私の手の中にあるイルカの髪留めを奪うと自分の前髪を留める。

「やっぱりこれが無いと落ち着かないです」

銀色の髪留めは少女の髪に付けると桜色へと変わった。

そして少女は私の方を見ながら笑った。

「はじめまして、ですね。ユイ、カイ。ナナの名前はナナと言うです」

「ナナちゃんか。君はいったい何者なの?」

「なんかガキ扱いされている気がしますですけど。まぁ良いです。ナナは大人の女なので、気にしないです。そうまったく気にしないです」

ナナと名乗った少女は腰に手を当てながら自分の薄い胸を叩き、その胸を張る。

しかし、背が小さいからかどこか可愛らしい。

私は無意識の内にナナと名乗った少女の頭を撫でていた。

「な、なな、何をやってるですかー!!」

「いや、なんとなく」

ナナは私の右手を掴み、頭から弾き飛ばすと両手を上下に振り怒りをあらわにする。

そんな様子を見ても怖いという感情は一切湧かなかった。

むしろ可愛らしさをアピールしている様にしか見えない。

「ナナは大人の女性だと言ってるです! 何なでなでしてるですか!? はぁ!? 少し気持ちよかったとか勘違いですよ!?」

「そうか」

「まったくもう! まったく、まったくですよ!」

ナナは地団太を踏みながら怒り狂っている。

しかし、言っていることは支離滅裂だし、怒り過ぎて自分でもよく分からなくなっているのだろうか。

「ちょっと2人とも落ち着いて。話が進まないよ」

カイはまたナナの頭を撫でようとしている私の手を掴み、チラッと私を見ると力強く頷いた。

どうやら自分に任せろということらしい。

私は1歩ナナから離れると、少し離れた場所から2人を見守る事にした。

「な、なんです? お前もナナをイジメるですか?」

「イジメないよ。僕たちはナナちゃんに聞きたい事があるんだ」

カイはナナの視線までしゃがむとナナの両手を優しく包み、微笑んだ。

そんなカイの微笑みにナナは緊張を解しながら少しずつカイに話をしていく。

「ナナはこの場所でずっと待ってたです」

「何を?」

「戦いが始まるのを、です。ナナはその為に生み出されたのですから」

ナナは自信に満ち溢れた顔でカイと私を見つめる。

何だろうか。そのナナの表情や言葉は何か酷く悲しいことのように思えた。

しかし、それを私はうまく言葉にできない。でも私が出来なくても出来る人がいる。

「それは、悲しいね」

「何がです? 生まれた意味があるというのは嬉しいことではないですか?」

「うん。僕もそう思うよ。でも、生まれた意味は与えられるものじゃないと思うんだ」

カイの言葉にナナは首を傾げる。

しかし、そんなナナをカイは優しく抱き留めた。

「ナナちゃんにもいつか自分の生まれた意味が分かる日が来ると良いね」

「そんなの分からないです。知らない方がよかったかもしれないですけど。……いや! そもそもナナの生まれた意味は!」

ナナは再び叫ぼうとするが、カイの笑顔に言葉を詰まらせ黙り込む。

彼女自身何か感じる事があったのだろうか。

「とにかくです。時が動き始めたんです。この眠った世界の全てが動き始めた。そして始まるんです。エミの遺産を巡る戦いが」

「エミの、遺産?」

言われた言葉をつぶやきながら私はあの家で会った男の事を思い出していた。

アイツも確かエミという人を探していたハズだ。

「で? どこにいるんだ。そのエミとかいう奴は」

「居ないですよ」

「は?」

「世界の全てを守るために消えた。と聞いているです」

なんだそれは。どこにもいない?

ならアイツは何故そのエミという人間を探していたんだ。

そして何故私たちはあんな目にあったんだ。

「ユイ姉さん怖い顔してるよ」

「カイ、私たちは奪われたんだ! 静かな暮らしも、アイも!」

「アイちゃんなら生きてる。大丈夫だよ」

カイは私の握りしめた右手を両手で包み込む様にすると優しく微笑んだ。

しかしカイの表情は本当に心から大丈夫だと思っている様なモノではなく、私を励ますために言っている事が分かり、私はそれ以上何も言う事が出来ない。

私はカイのお姉ちゃんなのに、こんな事じゃあダメだな。

「カイ、ごめん。本当は私がしっかりしないといけないのにな」

「あー、さっきから話に出てくるアイっていうのは2人の知り合いですか?」

ナナはいつの間にかナナ自身の身長よりも高い台の上に乗り、腕を組みながらこちらを見下ろしている。

余りにも高いせいか、フラフラと安定感もなく立っている。がそれでも顔は自慢げだ。

「アイは、家族だ」

「家族……そうですか。なら、ナナと共に行きませんか? エミの遺産の中には人を探すものがあるそうです。どうです? ナナは優秀ですよ?」

私は台の上で自らの胸を張るナナを見て考える。

この少女は何が目的なんだろうか。

私たちを何かに利用する気か?

「ナナの力を疑ってるんですね? なれば!」

ナナは左手で私の手を掴み、右手を地面に向けそして目を閉じる。

次にナナが目を開いた時、目の前には見慣れたモノがあった。

いや、ソレは正確には地面に刺さっていた。

「これは、ウチにあった剣。あの場所に置いてきたハズなのに」

「ユイの記憶から作り出したんですよ。どうです? ナナは優秀でしょう」

ナナに握らてていた手が解放され、その手でゆっくりと剣を掴む。

その重さも、硬さも何もかもが記憶と同じ、慣れ親しんだモノだ。

「目的はなんだ」

「え? なんです?」

私が地面を見つめながら呟いた一言は小さすぎてナナには聞こえなかったらしい。

いや、それすらも演技かもしれない。何も信用してはいけない。

私が油断すれば、次に失われるのは……。

「ユイ姉さん? どうしたの?」

「カイ下がっていろ」

私は左手でカイをどかすと、ナナに向かって右手に持った剣を振り下ろした。

しかしその剣はナナに当たる前に見えない何かに弾かれ、右手ごと後ろへ飛ばされそうになる。

私は右足を下げ、地面がえぐれるほど右足を踏み込み、そして後ろへと向かっていく剣を無理やり戻し、切っ先をナナに向け突き出した。

「危ない!」

ナナを貫くハズだった鋭く尖った切っ先はナナを捉えることはなく、何もない宙を通過していった。

そしてナナの乗っていた箱を倒しながらナナを庇い、腕に傷を負ったカイがナナと共に地面に倒れている。

「カイ、何のつもりだ」

「姉さんこそ何のつもり? そんな怖い顔して、ナナちゃんに何をする気なの?」

「ソイツは危険だ。剣を出すのを見ただろう? こんなワケの分からない力を持った連中に私たちは襲われたんだぞ。今後危険になりそうな奴は早めに排除する!」

私の言葉を聞いてもカイはナナを抱きしめたまま私をまっすぐに見つめる。

その瞳は強く、私を悪だと言っているようだった。

「姉さんは何を怖がっているの?」

「私は何も怖がっちゃいない! ただ、敵を減らそうと!」

「敵って誰さ」

「私たちの邪魔をする奴らだ! アイだけじゃなく、カイまで奪おうとする奴だ!」

「僕はずっと姉さんの傍に居るよ」

カイは私に優しく囁くと柔らかく微笑んだ。

違う。違うんだ。カイ、違う。私たちはあの場所を出ちゃいけなかったんだ。

世界には私たちの敵しかいないんだ。みんながカイの優しさを利用しようとする。

「カイは騙されているんだ」

「もう! 姉さんの分からず屋!!」

カイはそう叫ぶと昔アイが渡した護身用の短刀を取り出した。

人やモノを傷つける事を嫌がるカイが唯一持っている自分を守る為の武器。

それを震える両手で握り、私にまっすぐに向ける。

「勝負だ!」

「カイが私に勝てるワケ無いだろう」

「臆病者の姉さんなんかに負けない!」

カイはそれだけ言うとまっすぐに私に向かって走ってくる。

両手に握った短刀を頭上高く振り上げ、私へと振り落してきた。

しかし両目を閉じている為、私の位置まで届いていない。

私はカイの手首を掴むと、後ろからカイを強く抱きしめた。

両腕を抱きしめながら押さえているから動く事も出来ないだろう。

「うー! 離してぇ!」

「カイは何がしたいんだ」

「僕だっていつまでも姉さんに守られてばっかりじゃない! 人を信じる強さも忘れた姉さんなんかに負けない!」

カイはジタバタと暴れるが、私の拘束から逃れる事は出来ない。

その内にカイの声はだんだんと泣き声へと変わっていった。

このままでは何も事態が進展しないと、私はカイを説得する為に暴れるカイに話しかける。

「カイ。世界の人間はカイが思っているよりもずっと汚い。自分の利益の為に誰かを利用しようとする様な奴らしかいないんだ。カイが思っている様な完全な善人なんていないんだよ」

「完全な善人が居ないなら、完全な悪人だって居ない。そうじゃないの? 疑わしいからって武器を向けたら先にあるのは争いだけだ。互いが疑っているのならまずどちらかが手を差し出さなかったらいつまでも握手なんて出来ないよ!」

「その差し出した手を払われたらどうするんだ」

「ならその時考えるさ! 僕らは……まだ払われてないでしょ?」

カイの話は理想ばかりの暴論だ。それは分かっている。

でもカイはこういう事を言い始めたら絶対に意見を変えない。

だから、私もアイもカイが大好きなんだけど。こういう時は本当に困るな。

「ナナの事でそんな争われては困るです」

唐突にすぐ目の前からそんな声が聞こえてきたから私もカイも思わず動くのを止め、視線を少し下に向け、両手を腰に当てている少女を見た。

少し小さめの少女、ナナは両腕を組み目を閉じながらこちらの反応など気にせず話を始める。

「ナナは確かに優秀です。人の手で生み出された最高峰のAIで。処理速度、スペックをいちいち語り始めたらキリがないです。なので、重要なポイントだけ分かるように説明するです。こんなところにもナナの有能さがありますです」

「こほん。まずナナの代表的な力の1つは記憶の具現化です。先ほど見せたからよほどのアホで無い限りは覚えているはずです。そして次に反射能力です。理屈は色々あるんですが、言っても理解出来ないと思うので、簡単に概要だけ説明すると、7秒間だけどんな攻撃でも事象でも使用者に返す事が出来るです」

私もカイもどうしてナナがそんな事を話し始めたのか理解出来なかったが、反応する事も出来ず、ただ静かに話を聞き続けた。

「そしてここに居る全員にとって一番大事な力は世界を渡る力です。そう、過去や未来へ行くことは出来ないですが、同時間軸に存在するいくつもの平行世界を移動する力です」

ナナは一通り話し終わると私たちを横目で見た後、両手を背中で組み地面を見つめながら小さな歩幅で歩き、また続きを話し始めた。

「そんなナナにも弱点があるです。先ほどユイから受け取った髪留めには私の力を起動させる為のキーが登録されているです。ナナの記憶媒体なので、これが壊されるとナナは機能を停止するです」

「ナナちゃん? さっきから何を」

「まったく理解力が低いです。さっきカイが言ったんじゃないですか。自ら手を差し出さなければ握手は出来ないと。だから今ナナが実践してるですよ」

ナナは首を小さく傾げ、そして微笑む。

「ナナには目的があるです。成し遂げなくてはいけない事があるです。マスターの願いを叶える事。マスターの幸せを実現する事。そして何よりも……ナナ自身が、またマスターに会いたい……会って謝りたいんです」

ナナは唇を噛みしめながら、拳を握りしめる。

苦しそうに語った願いは本当に心からの願いなのだろう。彼女の様子からそれがよく分かる。

「私はどこかへ消えてしまったアイを探す。そしてカイをどこか安全な場所へと逃がす。それが私の目的だ」

私はカイの拘束を解くと、ナナをまっすぐに見据えながらゆっくりと歩いていく。

そしてナナの目の前まで来ると、しゃがみナナに視線を合わせた。

先ほどまでの事があり、ビクビクと怯えているナナに私は右手を差し出すと、笑う。

自分ではよく分からないが、多分笑えたハズだ。

「じゃあ改めて自己紹介だね!」

カイはそう言いながら私の差し出した右手と、ナナの戸惑っている右手を掴むと自分の右手を重ねた。

そして私たちの顔を交互に見ながら満面の笑みを浮かべる。

「握手したからみんなこれで仲良しだね!」

カイは私たちの手を強く握りながら、嬉しそうに言葉を紡ぐ。

「そうだ。僕たちはまだ自己紹介してないね! 僕の名前はカイ。得意なのは料理かな。後、明日の天気を当てるのが得意だよ!」

「自己紹介か。私はユイだ。得意なことは剣を振り回すことか」

私たちの言葉を唖然と聞いていたナナは私の言葉が終わってから少しして、小さく噴き出した。

そしてそのまま肩を震わせながら大笑いする。

ひとしきり笑った後、ナナは笑顔のまま私たちの手を強く握り、言った。

「これからよろしくお願いするです」



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第1章 第3話

「さて、ナナ達の気持ちが1つになったのは良いですが。ここで問題が1つ」

私たちは床に座り込んで、今後について話していた。

私はあぐらをかきながら足を手でつかみ、前後に揺れていた。

話し合いと言っても大半を話しているのはカイとナナだ。

私はどちらかと言うと戦うのが専門だからこういうのは苦手なんだよな。

「エミさんの遺産だっけ? それが手に入れば目的は達成なんだよね?」

「まぁそうなるですね。でも問題はそれがどこにあるのか分からないって事と、それを狙っている奴が他にも居るという事ですね」

エミの遺産か。それがどれだけ凄いのか分からないけど、誰かの力を借りて何かをなして満足なのかね。

何かを成し遂げたいなら自分の力でやってこそじゃないのか。

「ナナが独自に調べた事ですが、遺産は求める人間の元へ来るそうですよ?」

「遺産って物じゃないの? 自分から来る?」

「いや、別に歩いてくるというワケではなく、遺産を求める人はその遺産に導かれていつの間にか手にしているんだそうです。まぁ非科学的ですが」

望めば手に入るか。そんな簡単に凄い力が手に入るなんて逆に怖いな。

私だったら何か疑ってしまうが。そんな甘い話が転がっているハズもないだろうに。

「つまり僕たちも適当に世界を渡れば手に入る、と」

「まぁ眉唾ですが。現実に今どこに行こうという目的も無いですからね。とりあえず飛んでみます?」

「え? なんか今サラッと飛ぶとか言ってたけど、何? どういう事?」

カイが何か慌てているなぁ。そんなに慌てても良い答えは出ないぞ。

私は目を閉じて心を穏やかにする。そうこうやって心を落ち着かせれば、何か視界が開けるだろう。

「ちょっと!? ここ、どこ!? 空ぁ!?」

まったくカイは元気なのは良いことだが、少し落ち着きが無いのが問題だな。

私は落ち着いた心でゆっくりと目を開いた。

そして目の前に広がる無限の青。

「ん? ここは?」

「あぁ、サッと飛んでみたです」

ナナは何でもない事の様に言いながら長い髪を風に遊ばせている。

いや、髪だけじゃない。下から吹き上げている強風にその小さな体があちらこちらへと流されている。

私は何かを言うよりも早くどこかへ飛ばされてしまいそうなナナと茫然としているカイを捕まえる。

眼下に広がるのは広大な大地、そして数多の木々だ。

しかしそれらがかなり小さく見えるという事はここは相当高い位置なのだろう。

全身が引き裂かれそうな暴風の中で私は2人を強く抱きしめ、来るべき衝撃に備えた。

いや、こんな高さから落ちればどんなに備えても無意味か。

「ユイ。想像するんです。ここは夢の世界。どんな事でも想像できれば叶う世界です」

ナナが耳元で囁いている言葉を頭で理解するよりも早く私は行動に移していた。

空中で態勢を変え、地面に足を向ける。

「疑ってはダメです。自分の可能性を強く信じ、想像するんです。空を飛べる自分を。雲を掴める自分を。そしてこんな高さから落ちても無事に着地出来る自分を!」

「あぁ」

ナナに言われるよりも前から理解していた。

この世界はこういう世界なのだと。私は誰よりも知っている。

ここは、この世界は私が〝生まれた世界〟に限りなく近い世界だ。

だからむしろあちらよりも力が出せるかもしれない。

「もうすぐ地面です! ユイ大丈夫ですか!?」

「心配するな」

私はすぐ直下に迫った木々の枝を足で踏み、方向を微妙に変えていきながら広大な森の中心部へと降り立った。

本来であれば地面に触れた瞬間にバラバラになってしまう様な場所からの落下でも、私ならば、この世界ならば地面を抉り木々をなぎ倒しながら無傷で降り立ててしまう。

「驚きました。ユイはもうこの世界を理解しているのですね」

「まぁ私は、「な、なな」ナナ?」

「はい。ナナはナナです」

私は腕の中で両腕を垂らしながらこちらを見上げているナナと視線を交わす。

なんだろう。何か言ったような気がしたんだが、ナナも不思議そうな顔をしている。

「いや、ナナがナナなのは知っているんだが」

「貴方達、いったい何者なんですか!?」

「え?」

私とナナは互いに顔を見合わせ声の聞こえた背後へと振り返った。

そこには現実にはあり得ない緑色の髪に先の鋭い耳を持った少女が居た。

いや、少女というのは正しくないのかもしれない。

今は慌てているからか多少幼く見えるが、服装も雰囲気もどちらかと言う大人の女性だ。

もしかしたら私よりも年上かもしれない。

「ナナ達は「いやー! し、死んでるー!?」」

その人は震える手で私を指さしている。私は別に死んでいないが。

しかしよく見ればその指は私よりも少しずれている。

そしてその指の指し示す先を見てみれば、小脇に抱えられたカイが。

なるほど、確かに気を失っているカイははたから見れば死んでいる様に見えなくもない。

「ひ、人殺し! まさか! 目撃者の私も……?」

彼女は両手を無意味に私たちに向け、見えない壁を作るかのように上下に動かす。

私は誤解を解こうと口を開くが、何やら1人で盛り上がっていてこちらの話を聞いていない。

何度かそれを繰り返し、私はカイをゆっくりと地面に寝かせこちらを見てもいないその人へと向かっていく。

ナナが一瞬私を止めようとするが、私の進む速さの方が遥かに早い。

「なあ、あんた」

「ひゃ!」

「話を聞いてくれ。私たちは別に人殺しでも強盗でも何でもない。ただの旅人だ」

「え? でもその人は……」

「寝てるだけだ」

まだ納得できていない女性の肩を掴み、真剣に事情を説明する。

しかしすぐには納得されず結局カイに息がある事を確認させた。

「そういえば貴女の名前はなんていうんだ」

私たちは今いる場所から移動する為に周囲に散らばった荷物を集めていた。

とは言っても大した数の荷物はないが、落下の衝撃で小さなモノが辺りに散らばってしまった。

それらを拾い集めている最中に私はふと思いついた様に彼女に尋ねる。

「私ですか? えっと、ま……いやアリアですよ」

「何か今言いかけたです?」

アリアは頬に手を当てながらおっとりと名乗った。が、しかし確かにナナの言う通り何かを言いかけていたが、何を言いかけていたのだろう。私も少し気になる。

名前に何かあるんだろうか。しかし出会ったばかりの私たちに偽名を名乗る理由が分からない。

「いえ。自分の名前が何だったか一瞬忘れてしまいまして」

「どんだけポケポケしてるですか」

「そんなに褒められても困ってしまいます」

「別に褒めてないですよ! まったくボケばかりでナナは疲れるです」

どうやら思っていたよりもずっとのんびりとした気質らしい。カイと波長が合いそうだ。

私はそんな事を考えながらカイを見て小さく笑う。確かに少し前までは私たちも穏やかな暮らしをしていたのだ。しかし今は。

私はカイから視線を外し、周囲に意識を集中させる。

「ナナ。剣を出してくれ。なるべく早く」

「え? どうしたですか?」

「ナナちゃん? 言う通りにしてあげて下さい」

私の言葉にナナは疑問符を浮かべていたが、アリアの言葉に首を傾げながら右手を前に出し剣を生成する。

私はそれを掴みながら木々の奥を見つめた。

それはもうすぐそこまで迫っていた。

「こっちか!?」

「あぁ! 見つけたぜ。こんなところによぉ!」

何人かのゴロツキだろうか。ある程度だけ体を守る軽装に細身の剣を右手に持っている。

どうやら悪意ある存在らしい。見ただけで分かる。

しかし、ただそれだけだ。

「おい! 荷物を全部置いていきな! 金目の物は全部だ!」

「へへ! いやいやこんなに美人揃いだぜ? 当然体もお持ち帰りだろ」

「ぎゃははは! そりゃそうだ!」

聞くに堪えない。これが欲望だけで生きている奴らの居る外の世界か。

やはりカイやアイが生きていくには厳しい世界だ。

こんな汚い奴らを視界に入れるだけであの子たちの綺麗な世界が汚れてしまう。そんな気すらする。

「お? そっちのお嬢さんは何か武器を持ってるぜ?」

「勇ましいねぇ! でも残念だけど俺たちには勝てないぜ? だから商品が傷つく前にその剣を捨ててくれないか?」

「ま! 商品は君なんだけどな!」

何がそんなに可笑しいのだろう。先ほどから下品な笑いを続けている。

あぁ。気分が悪い。正面から見ているだけでも苦痛だ。私は思わず地面へと視線を向ける。

胃がムカムカして、吐き気がする。

「お? お嬢ちゃん俯いちゃったぜ? 怖がらせすぎたかな?」

「ひゃははは! そりゃ強がってたんだから当然だろうぜ!」

こんなに気持ち悪いのは早く何とかしないといけない。

誰かが私の頭の中で騒いでいる。排除しろ、と。自分の大切なモノを汚そうとする奴らを排除しろと。

しかし、もう1人の声も聞こえる。そんな事をしてはいけない、と。人を傷つけてはいけないと。

頭の中で2つの声がガンガン響き頭が割れそうに痛い。吐きそうだ。

あぁどうにかしてこの苦しみを取り除けないだろうか。

『そんなの簡単だよ』

頭の外から別の誰かの声が聞こえた。何だろう。いつも聞きなれている声だ。

その声以外の全ての声が聞こえなくなる。そして頭痛がだんだん消えていき、頭がクリアになってきた。

『頭痛の原因は分かっているんだろう?』

「あぁ。そうだな」

『ならそれを排除すれば良い。あんな汚い奴らを君の聖域に近づけるな』

その声を聴き終わるのが早かっただろうか。いや、私が足を踏み出し、突然の出来事に唖然としている男の手に持っている武器を砕いた方が早かっただろうか。

「な、何だコイツ!」

武器を砕いた勢いのままソイツを蹴り飛ばし、木々の向こうへと蹴り飛ばす。

足の裏で骨の砕ける感触がしたから既に戦闘不能だろう。

そしてその勢いのまま剣の柄を反応出来ずにいるもう1人の胸に向かって叩き込む。

トドメを刺そうと剣を逆手から順手に持ち替え振り下ろそうとした。

「コイツ!」

しかし最後に残した1人が私に向かって右手の剣を振り下ろしていた。

私は目の前でゆっくりと倒れている男を無視し、剣で目の前に振り下ろされている剣を砕く。

そして茫然として回避も防御も出来ていない男に向かって剣の切っ先を向けて真っ直ぐに突き出す。

反応する事も出来ない男の胸に私の右手にある剣が突き刺さればソイツを完全に排除する事が出来る。

私は思わず口元を歪めながら笑う。

これで私は。

「ユイ姉さん!!」

しかし私は頭の中でもなく、どこかで聞いたような声でもなく、身を引き裂かれたようなカイの悲鳴に似た声に体の動きを無理やりに変える。

男を突き刺す為に向けていた剣は男のすぐ横にある木に深く刺さり、私は剣から手を離した。

私が少し離れると男はへたり込み、ワケの分からない事を言い始める。

しかし、今の私はそんな奴に構っている余裕などない。

やってしまった。そんな想いでいっぱいだった。

カイは怒っているだろうか。ナナとの事で怒られたばかりだと言うのに。

「お、おい、あんた……」

「うるさい。邪魔だ。うせろ」

「ひっ、ひぃぃいい!」

私は半身を起しているカイの元へ下を向いたまま向かう。

あぁ私はなんでこんな事をやってしまったんだろう。反省したハズなのに。

私はカイの目の前までたどり着くと膝を付き、カイに怒られる体勢になった。

アイやカイに怒られすぎて何かあると自然とこの体勢になってしまう。

「姉さん」

「はい」

「ごめんね」

私は弾かれた様に顔を上げた。なぜならカイの声が震えていたからだ。

泣きそうな声だったからだ。

カイが謝る事など何もないのに。謝っているからだ。

「カイ!」

「それと。ありがとう」

カイは私の頭を掴むと穏やかな声で礼を言う。

違う。違うんだ。私は守りたかったから戦ったんじゃ無いんだ。

ただ、あいつらを排除する為に戦ったんだ。

そう言いたいのに。卑怯な私はカイに嫌われるのが怖くて何も言えないのだ。

皆は私の事を強いと言うが、私は別に強くなんかない。いつだって怖がってばかりだ。

「へぇ意外だったな。あんたが敵を見逃すなんて」

カイの手を自然に外し、私はカイを背に守りながら声のした方を向いた。

そこには腕を組みながらこちらを見る1人の女。

明るい茶の髪に意志の強そうな瞳をして、森の中では違和感を感じるほどの軽装だ。

「誰だ!」

「誰だって。忘れたのかよ」

女は右手を自分の懐に突っ込み一丁の拳銃を取り出した。そしてそれをこちらに向ける。

「こうやって遊んだろ?」

そう言いながら女は右手の銃の引き金を引く。それは軽い破裂音と共に閃光を生み、私の頬を浅く切り裂いていった。

反応出来なかったわけじゃない。ただそれが威嚇だと分かったのだ。

「そういう目は昔と何も変わらないな。真っ直ぐに、自分は正しいと信じ込んでいる目だ」

ソイツは真っ直ぐにこちらに銃を向けながら視線を鋭くさせる。

今度は威嚇じゃない。真っ直ぐに当ててくるつもりだ。

私は前に転がる様な勢いで走り出して、剣を地面スレスレに走らせていく。

そして女の放った弾丸を避けながら右手の剣を斜めに振り上げる。

「ずいぶんとぬるくなった」

女は私の剣とほぼ同速度で体勢を倒すと、左手で足に付けたホルダーから銃を取り出しそれを私に向ける。

私が剣を自分の正面で止めたのと、左手の銃が火を噴いたのはほぼ同時だった。

その銃の弾により私は剣ごと後ろへと飛ばされる。

「カンは悪くないが、動きがぬる過ぎる」

私は体勢を立て直すために右足を引き、そして踏みしめ右腕を元に戻そうとした。

しかし、そんな私の動きを見透かしたかの様に女は私の腹を蹴り飛ばす。

「あんた、本当にあのユイか?」

「どのユイの話をしているか知らないが、私は生まれた時からユイだ」

私は剣を地面に突き立てながらヨロヨロと立ち上がる。

気を抜けば倒れてしまいそうだ。しかし、倒れてはいられない。

私の後ろには守るべき人が居るのだから。

どこかで誰かが何かを叫んでいるのが聞こえる。しかし遠い。目の前の女も何かを喋っているが聞こえない。何もかもが遠い場所へ消えた。

全身がボロボロだが、頭は冴えていた。何をすれば良いかを考えるまでもなく分かる。

「腰を低く、剣は低く構える」

自分ではない誰かに導かれる様に私は体を動かす。

そして目の前の女に向かって地を滑る様に走り始めた。

女の右手の銃が私の体に向けられる。それを走るラインを少し変えながら体を斜めにする事でかわし、足元を狙ってくる左手の銃を軽く飛ぶ事でかわす。

私との距離が縮まった事で女は後退し距離を取ろうとする、が逃がさない。

私はさらに加速し、地面を這わせる様に持っていた剣を女に向かって突き出した。

「でもそれは体をひねる事でかわされる」

女は空中で私の言葉通りにかわし少し離れた場所に右手を付きながら着地した。

それを見ながら私は自分でも無意識のうちに口元に笑みを浮かべていた。

こうでなくては面白くない。

向こうはまだ余裕がありそうだ。私は地面を強く蹴りながら女に向かって飛び込んだ。

今度は今までとは違い本気なのだろう。右手の銃と左手の銃をタイミングをずらしながら連射してくる。

頬を弾が掠めていこうと、腕のすぐ近くを通過しようと気にせず、私は急所に直撃する弾だけを正確に剣で逸らしていく。

そして左手に持っている銃を剣で弾き飛ばそうとしたが、女は銃を離さない。さらに反撃とばかりに右手の銃で私の肩を打ち抜いた。

一瞬痛みが走るが、私は気にしない。むしろようやく隙を見せたのだ。顔は歓喜の表情をしているだろう。

ようやく、ようやく私の攻撃範囲内に入った。

「右手に力を集め、それを剣に伝わせながら……振りぬく!」

言葉の通りに実行すると剣の先から光が生まれ、それは光の洪水となり女を飲み込んだ。

光の洪水は女だけではなく近くの木々を吹き飛ばしながら地面を削り取り、私の視界に見えるあらゆるモノを破壊していく。

数秒後、目の前には元の形を残しているモノなど何も残っていなかった。

あらゆるモノは壊されるか、この世界から消え去り、残っているのはそれらの残骸だけ。

見渡す限り女の姿はどこにもなかった。

私はカイたちが無事かを確認しようと振り返ろうとした。が、体はうまく動かず地面に倒れてしまう。

何とか目だけでも動かして見ようとしたが瞼が重く、目を開き続けている事も出来ない。

そのまま消えていく意識を保つ事が出来ず、私は意識を失った。

 

目覚めは悪くはなかった。

柔らかく暖かい布団の中に居たからだろうか。

それとも目覚めてすぐ横を見ればカイが私の布団にうつ伏せで寝ていたからだろうか。

少し疲れているみただが、元気そうでよかった。

私はカイの頭を撫で、くすぐったいのか少し困った顔をしているカイを見て笑う。

「目が覚めたみたいですね」

ドアを開きながら入ってきたアリアが窓を開き、椅子に座って笑いかけた。

ドアから入ってきたアリアはベッドのすぐ横の窓を開けながらカイのすぐ横に椅子を置き、座る。

「傷はどうですか? 治せる部分は治したのですが」

「ん? あぁ。特には。むしろ何か怪我していたのか?」

私の言葉にアリアは少し困った様に自分の頬に手を当てながら戸惑った表情を浮かべた。

そんなに妙な事を言っただろうか。

「左肩、脇腹に一発ずつ弾丸を受け、肋骨にヒビ。全身に小さな傷が数えられないほど。ユイさんは丸三日意識が戻らなかったんですよ?」

少し怒り気味なのは気のせいだろうか。

思わず謝罪してしまいそうになる、この雰囲気は前にもあった気がする。

「確かにあの時は他に手段が無かったかも知れませんけど、もっと自分を大切にして下さい! 聞いてますか!?」

アリアは身を乗り出しながら私に迫る。

そんなアリアの雰囲気に押されて私は壁に追い詰められながら謝罪した。

「ご、ごめんなさい」

「分かれば良いんです。後でカイさんやナナちゃんにも言うんですよ」

アリアはさっきまでの怒気はどこへやら、また再び笑顔に戻ると、ベッドにうつ伏せで寝ているカイを優しく見つめる。

あぁ、そうか。アリアはアイに似ているんだ。何ていうか雰囲気が。

「アリアは、何で私たちを助けてくれたんだ?」

「んー。何ででしょうか。放って置けなかったから。ですかね」

「でもアリアが良くても、周りの人間が嫌がるんじゃないのか?」

「私は一人で暮らしてますから。誰も迷惑だ。なんて言う人は居ませんよ」

アリアは笑顔でそんな事を言うが、私にはアリアが本当に心から言っているとは思えなかった。

だからだろうか。聞いてはいけないと思いながらも聞いてしまう。

「家族は……?」

「昔は居たんですけど。何処かへ行ったまま帰って来なかったり、天国へ逝ってしまったりですね」

やはり、アリアは笑顔のまま語る。

その笑顔の裏にどんな感情があるのか私には分からないが、決して楽しいモノでは無いだろう。

「やっぱりユイさんたちは優しいですね」

アリアは私の手を握りながら目を閉じる。

「優しい?」

「知り合ったばかりの私の事を気づかってくれる。優しい人でなければ出来ませんよ」

こういう時、アイなら気が利いた事を言えるのだろう。

カイならアリアの気持ちを理解出来たかもしれない。

でも私はそういう事はよく分からなくて、ただ黙っている事しか出来なかった。

「うーん。こうやって黙っていてもしょうがないですし。ここで一つ話題転換をかねて」

「なんだ?」

「ユイさん。私も旅に付いていっても良いですか?」

「随分と唐突だな」

「そうですね」

「目的は何だ?」

アリアには助けられたし、世話にもなった。

しかしだからと言って、はいそうですか。と連れていくワケにはいかない。

特にアリアが良いやつだと分かっているからこそ、これ以上巻き込むワケにはいかなかった。

「ただ、付いていきたいから。では駄目ですか?」

「駄目だな。前に森で起こった様な戦いがいつ起こるかも分からないんだ。足手まといはいらない」

厳しい言い方かも知れないが中途半端は逆に駄目だ。

しかし、アリアの目は揺らがない。

「私は確かに戦う事は出来ません。しかし、傷ついたユイさんの体を癒す事が出来ます。先日の事がこれからも起こるのなら私は必要になりませんか?」

「元から負わなくても良い傷もある」

「理由を言わないと駄目みたいですね」

私は無言でアリアを見つめる。

アリアが理由を言っても連れて行きたくないのだけど、どう言えばアリアは納得するだろうか。

「ユイさん。貴女たちの旅の目的をナナちゃんに聞きました。その上で言います。私はエミちゃんに会いたいんです」

「なに?」

アリアがエミを探している?

聞き間違えただろうか。いや、間違いなくアリアはそう言った。

「エミちゃんは私の親友なんです。だから変な事に巻き込まれているなら、力になりたいんです。こんな事をユイさん達に言うのはおかしいのは分かっています。それでも、お願いします。決して迷惑はかけません」

「ユイ。別に良いんじゃないですか? 今更一人増えてもあまり変わらないですよ」

ドアの向こうからナナが眠そうにあくびをしながら入ってきた。

どこに持っていたのか、ナナにぴったりのサイズのイルカ柄はのパジャマを着ている。

「しかし」

「足手まといは要らないならカイも置いていかないとダメです。でもそんな事は出来ない。なら変わらないです。それにユイにはナナが居るじゃないですか!」

そう呑気に言い放つナナを見ていると、何故だろう。そんなに大変な事では無いように思える。

私は心配そうにこちらを見ているアリアを見て、小さく頷いた。

「そうだな。二人も三人も変わらないか」

「じゃ、じゃあ」

「あぁ、危険な旅になるかもしれないぞ?」

「覚悟は出来てます」

「なら、私から言う事はもう無い」

「ありがとうございます!」

アリアは私に抱きつきながら全身で喜びを表現する。

そんなアリアに私は気恥ずかしくなりアリアから窓の外へ視線を逃がした。

「あれ? ユイ、照れてるです?」

「照れてない」

「えー? でも顔赤いですよ? ふーん。ユイも照れるんですねぇ」

ナナは手を口元に当てながらクシシと笑う。

私は何も言わずナナを抱き上げると後ろから抱き締めた。

これで私の方を見る事は出来ないだろう。

「ユイ! 離すです! ナナは、子供じゃないです!」

「ナナも少し恥ずかしい思いをしろ」

「おーぼーです! ぐぬぬ。力では勝てない! 考えるですナナ! 世界で最も優秀なAIであるナナが! 力任せしか脳の無いユイに負けるハズが! ないです!」

私は腕の中でジタバタと暴れるナナの頭にまだ熱い顔を埋め、冷静になろうと心を落ち着かせる。

しかし、一度熱を持った頬はなかなか冷めず、結局ナナの暴れる音にカイが目を覚ますまで私はナナから離れる事は出来なかった。

 

「カイ! カイ! 聞いてください、ユイは意地悪なんですよ?」

「うんうん。どうしたの?」

カイが起きて、私がナナを離すとナナは稲妻の様な速さで私から離れ、カイに抱きついた。

何とも言えない光景だ。母親に泣きつく子供にしか見えない。

しかし、それを言えば今度は二人に何をされるか。

私は二人に責められる自分を想像し、無言で二人の姿を見守った。

「もう、姉さんはしょうがないなぁ。ほら、ナナちゃんに謝って」

「う、ごめんなさい」

「はい。ナナちゃんも」

「ナナは何も悪くないです!」

カイはナナから離れ、目線を合わせながら怒った顔をする。

「最初にナナちゃんがからかったのも、ダメなんだよ? どんな些細な事だと思ったって向こうにはどうしても許せない事かもしれないでしょ? ナナちゃんは大人だから分かるよね?」

「う、うー、ユイ、ごめんなさいです。もしかして傷ついたですか?」

「いや、大丈夫だ」

ナナはカイに抱きつきながら恐る恐る私を見る。

そんなナナの様子に私はやっぱりさっき考えた事は絶対に口にしないようにしようと心に誓うのだった。

「はい。じゃあ仲直りの握手」

カイはそう言いながら私とナナの手を握らせる。

私はナナの手が離れた後も手に残る熱を握りしめ、決意を新たにする。

カイ、ナナ、アリア。

必ず守ってみせる。そして何処かに居るアイを必ず見つけ出す。

「じゃあ仲直りも出来たみたいですし。皆さんで温泉に行きませんか?」

「あ、それなら僕はここで夕飯の準備でもしてるね」

「何言ってるですか。カイも一緒に行くですよ」

「いや、ナナちゃんこそ何言ってるの。僕は男だよ? 一緒にお風呂なんて皆が嫌でしょ」

カイは笑顔のまま私とアリアを見る。

しかし、私もアリアも「別に」と首をふった。

するとどうだろう。カイは少し悲しそうな顔をしながら、まだ終わりじゃないと言わんばかりに語気を強くする。

「待って! 待ってよ! どうなってるのさ、みんなの倫理観! いくらここが夢の中みたいな世界だとしてもさ! 守らなきゃいけない最後の一線みたいのってあるでしょ!?」

「まあ。カイだし」

「カイさんなら別に」

「いつまで駄々こねてるですか」

結局カイが何を言っても意見が変わる事はなく、カイはナナに抱き締められたまま温泉へ連行された。

 



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第1章 第4話

「どうしたんだ? カイ、一緒に入らないのか?」

「もう! 姉さんはもっと羞恥心を持ってよ!」

カイは顔を真っ赤にしながら両手で覆い首をふる。

端の岩にピッタリとくっつき、こちらに近づく気配すら見せない。

別に気にしないと言ったんだが。相変わらず強情だな。

「ふう。気持ちいいな」

空を仰げば満点の星空。

温泉で上がりすぎた体温も夜風が冷ましてくれる。

アイがよく歌っていた歌を口ずさみながら、私は大きく伸びをした。

「あ、その歌。アイちゃんがよく歌ってたね。って姉さん! 前隠してよ!」

「ん? あぁ」

カイが何かを言っている気がする。

しかし、眠気のせいか口ずさんでいる歌のせいか、よく聞こえない。

すぐ近くでナナが温泉に飛び込む音や、それを注意するカイの声。そして楽しそうに笑うアリアの声、全てが遠い。

まるで、私だけ別の世界に飛ばされたみたいだ。

カイ達から離され私は一人ガラスの外へと。

「ユイちゃん。こんにちわ」

「あ、そっか。そっちは夜なんだっけ。ならこんばんわ。だね」

「ごめんね。みんなには夢の中で幸せに過ごして欲しかったんだけど」

誰かが私に話しかけている。

どこかで、聞いたことがあるような。懐かしい声だ。

「まだ、少し遠いのかな。声が届けづらいや。でも時間が無いから伝えるね」

「アイちゃんは私のところに居るよ。ただ、あの人に見つかったら大変だから場所は教えられない。ごめん。でも必ず守るから安心して」

「後、こっちはお願いなんだけと。カイ君を守って欲しい。もしもカイ君の枷が壊れたら大変な事になっちゃう。だから、お願い」

「ごめん。もう、時間みたいだ。力が必要になったら呼んで。必ず」

その声は掠れて消えそうだが、私は声の主の事を少し思い出していた。

それは確かな思い出ではなく、私の中に眠っていた感情。

「私は! 君を……」

「信じてる。あなたの事を。私の一番の」

私はノイズの中を必死に叫んだが、結局私の声に彼女が反応する事は無かった。

「ユイ! 大丈夫ですか!? ユイ!」

誰かの声に私は閉じた覚えのない両目を開いた。

滲む視界の向こうには鮮やかな青が広がっている。少ししてからそれがナナのものだと分かる。

「あ、ああ。大丈夫だ。少し頭は痛いが」

「カイもユイも話しかけても返事が無いから焦ったですよ」

「いや、少しな。って! カイも!? カイは大丈夫なのか!?」

私は焦りながらカイを見る。

カイはぐったりとアリアに寄りかかっていた。

意識が無いのだろうか、カイは苦しそうな表情のまま目を閉じている。

「カイ!」

「だ、大丈夫だよ。少し頭痛いけど。平気」

カイは頭を押さえながら、ゆっくりと私の方を向き微笑んだ。

しかしその笑みに力はなく、言葉以上に頭痛が酷いのだという事が分かる。

「カイはさっき、会ったのか?」

「え? 何が?」

「意識を失っている時アイツに、エミに会わなかったか?」

「エミちゃん!?」

私の言葉にカイよりも早く、アリアが身を乗り出し私の言葉に反応する。

しかしカイは私の言葉に首を傾げ不思議そうな顔をしていた。

「なんか、ふわふわした場所で誰かと話していた様な気はするんだけど、よく思い出せない」

「無理はするな」

私も未だに治まらない断続的な頭痛を感じながら、先程の事を考える。

いつ、どこで知り合ったのか分からないが、私はエミの事を知っている。

いや、知っているだけじゃない。私は確かに感じた。エミを失った悲しみを、絶望を。

「ユイさん」

「悪いアリア。自分の中で整理するのに時間が掛かってしまった」

「いえ、私も取り乱してしまい申し訳ないです」

それから私は深呼吸を一度した後、ゆっくりと先程あった事を思い出しながら話した。

全てを話し終わる頃には私もカイも頭痛が治まり、まともに思考できる様になっていた。

「つまりこういう事です? ユイやカイの意識が遠くなって気がついたら、何か訳知り顔の女が居て、ユイの怪しい記憶によればソイツがエミだ、と。しかも、そのエミによればアイは無事に保護されているが、場所は何者からか逃げているせいで教えられないと」

「そうだな」

「それに、僕に何か隠された力的な何かがあって、それが解き放たれると大変な事になる?」

「らしい」

私は考え込む周りを見渡し、反応を待った。

正直私も半信半疑だし、悩むみんなを見ていると少し申し訳なく思う。

「ユイはエミとはどんな関係だったのですか?」

「いや、私には分からないんだ」

「アタシは知ってるよ。ユイとエミの関係」

私の言葉を遮る様に聞こえたのは未だに苦い思い出の残る声。

「お、お前は!」

「元気してた?」

その声の主は温泉に温泉でくつろぎながら、以前とは違い戦う意思を見せない。

まるで、偶然出会った友に挨拶するような気軽さで話しかけていた。

とても先日森で死闘を繰り広げた相手とは思えない。

「いやぁ。ユイの最後の一撃が予想より強くて、復活したのさっきなんだよね。アタシ」

「こっちも貴女との戦闘の影響でようやく動ける様になったばかりだ」

「そりゃ悪かったね」

完全に油断している。

私はナナに目配せをし、ナナが小さく頷いたのを確認すると、勢いよく立ち上がった。

そしてナナから受け取った剣を右手に握りしめ、目の前の女へと一気に迫る。

しかし、剣を向けても女は動く気配を見せない。

「今は温泉をゆっくりと楽しませてくれない?」

「コイツ、この前は急に襲ってきたくせに随分と自分勝手です!」

「あー、お嬢ちゃん。アタシはリサ。コイツなんて名前じゃない。よく覚えておきな?」

「知らないです! 馴れ馴れしくナナの事をお嬢ちゃんなんて言うなです!」

「ふーん。ナナって言うんだ。よろしく」

「別によろしくしたく無いです! って、何でナナの名前を知ってるですか!? いったいいつの間に」

多分ほんの少し前だろうなぁ。

「あ、私はアリアって言います。よろしくお願いします。リサさん」

「おー。リサで良いよ。アリア」

二人は軽い挨拶を交わし握手し、笑いあった。

既に十年来の友の様な雰囲気で語り合っている。

そんな二人にナナがお湯をかけながら、飛びかかり、リサに体を捕まれくすぐられていた。

私ばかりが警戒してもしょうがないか。

「お? ようやく武器を捨ててくれたか」

「貴女が武器を持っていないのに、私ばかりが持っているのは不公平だからな」

「ふっ、くく。そういう言い方は昔と何も変わらない」

リサは喉を鳴らしながら愉快そうに笑う。

そんな光景をどこかで見たような気もするし、初めての様な気もする。

「ところで、実は前に森で会った時からそっちの子が気になってたんだけど」

「僕ですか?」

「あぁ。昔、どこかで会った事は無いか?」

何だろう。気のせいだろうか。

リサの雰囲気が明らかに変わった。

ふざけた様な空気は残しているが、カイを見る眼差しが違う。

「無いと、思いますけど」

「そっか。家族はいる? 姉とか母親とか」

「血の繋がった。という意味なら僕に家族は居ません。いや、分からないという方が正しいかもしれません。昔の記憶が無くて、気がついたらユイ姉さんとアイちゃんが一緒に居たので」

カイの話を聞き、リサは腕を組ながら目を閉じて考え込む。

何を考えているのかは分からないが、もしもそれでカイに危険が及ぶなら遠慮はしない。

私は湯の中で静かに拳を握りしめ、いつでも戦える体勢になった。

「知らないなら良いや」

リサはそれだけ言うと口笛を吹きながら天を仰ぐ。

「何だか、すいません」

「いや、気にしないで。アタシも気にしてない」

リサは一人で納得すると勢いよく湯から立ち上がった。

そして、どこに用意していたのか、タオルで体をさっと拭くと近くに置いてあった服を着る。

「じゃ! またどこかで会う事があれば今度は敵だ。気ままにやり合おう」

リサは背を向けたまま右手を軽く上げ、森の中へと消えていった。

そして、私たちも風呂からあがり夜道をアリアの家に向かって歩く。

前を歩くナナとアリアはリサの事を話しているらしい。

「なんだか、読めない奴だったです」

「でもあまり悪い人には見えませんでしたね」

「アリアは甘過ぎです!」

ナナとアリアの会話を聞きながら考えるのは私もリサの事。

リサは敵だ。それは間違いない。しかし。

「次に会った時、姉さんは戦えない?」

横から聞こえたカイの声に私は何も答えられない。

「僕はリサさんと姉さんは多分仲良く出来ると思うんだけどな」

「あー! カイまでそんな事言ってるですか!? リサは敵です! 仲良くなんてあり得ないです!」

ナナは前からトテトテと走ってきて、カイに抱きつきながら一切の迷いもない口調でそう言いはなった。

「ユイもそう思うですよね!?」

「そう、だな。私もそう思う」

私の言葉にナナは大きく頷き、アリアは少し寂しそうな顔をしていた。

そして、何故だろうか。私は家に着くまでカイの顔を見る事が出来なかった。

その理由は分からない。いや、本当は分かっている。ただ、怖かっただけなのだ。

カイの全てを見透かす様な眼差しに、私の心の奥底にある感情すらも知られてしまうのではないか、と。

 

「さて、明日の朝には旅立つです。今夜はみんなぐっすり寝るですよ」

家に着いてすぐにナナは腕を組ながらそんな事を言い、カイの手を引きながら奥の部屋へと消えていった。

アリアは旅の準備をすると自分の部屋へ。

私は自分が寝ていた部屋へ行き布団の上に座り込む。

ずっと寝ていたのだから当たり前だが、全く眠くない。

「無事に脱出できたみたいだな」

「誰だ!」

誰もいないはずの部屋に聞き覚えのない低い声が聞こえ、私は拳を握りしめ臨戦態勢になる。

「そう警戒するなよ」

「そう言うなら姿を見せろ」

「ま、そりゃそうか」

「お前は」

部屋の片隅から現れたのはあの男だった。

確か何もないところから鎖を出す奴。

「元気そうで何よりだ」

男はいつも通り腕を組みながら不敵に笑い話しかける。

「お前は「俊介だ。名乗って無かったか?」どっちでも良い」

アイが居なくなった事も、こっちの世界でカイが危ない目に遭うのも全て、始まりはコイツだ。

そう思うと仲良く名前を呼び会うなんて出来ない。

「どうやら、随分と嫌われたみたいだな」

男は右手を振るうと影に溶け込んでいく。

「とりあえず警告だけは聞いてくれ。後それほどしないで襲われるぞ。早めに次の世界に移る事をお勧めする」

「何!? どういう事だ!?」

私の問いに答える事は無く、男は闇の中に消えていった。

男の事を信用しているワケでは無いが、ここで嘘をつく理由も無い。

私はナナ達を集め事情を話す事にした。

「じゃ、さっさと移動するです」

「信じるのか?」

「嘘でも本当でもあまり関係が無いです。どのみち明日の朝には移動するつもりだったです。なら今動いても変わらないでしょう?」

「罠の可能性もある」

私の言葉にナナは両手を腰に当てながら胸を張り答えた。

「そんなもの。ナナが正面から打ち砕いてやるです」

迷いも無く放たれた一言は私の胸に渦巻いていた様々な感情を、解き放った。

恐れるな。迷うな。ただ前を見て、進め。

「ユイさん」

「ユイ」

「姉さんは、どうしたいの?」

迷いが完全に消えたわけじゃない。恐怖を感じないワケでもない。

ただ。周りを見れば仲間がいる。

守るべき存在がいる。それだけで私は前に進んでいける。

「行こう」

私たちはナナを中心にして立ち、ナナの準備を見つめる。

ナナは本棚から本を1冊取り出すとそれを広げ、手をその上に置いた。

「さあ、行くですよ!」

旅の始まりはいつだって不安がつきまとう。

この旅がいつ終わるのか私にはわからないけれど、進まずに後悔する事だけはしたくない。

「姉さん。アイちゃんに会ってナナちゃんとアリアさんを紹介しないとね」

「ああ。その為には必ずアイを見つけ出す」

ナナが手を置いていた本はナナが離れると光り始め、ページを勢いよくめくり始めた。

本から溢れた光は私たちを包み、アイと別れた時の様に突風が周囲に吹き荒れる。

そして光が最高潮に達した時、私は確かに本の中心部に何か鋭利な刃物が刺さっていたのを見た。

それがどんな事を意味するのかは分からないが、周囲に吹いていた風に統一性がなくなり、まさに嵐のように私たちの体を吹き飛ばそうとしている。

さっきまでとは違い、随分と暴力的な風だ。

「しまったです!」

そしてナナの焦った声が私に届くと同時に私たちは光に包まれ、私は意識を失った。



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