逆転正義 (さんふー)
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第1話 嘘は逆転の始まり

4月7日 9:54 地方裁判所被告人控え室

・・・・うっ、うぅ・・・・キンチョーするよぉ・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

僕の名前は道比木正義(22)。

去年、司法試験を合格したばかりの新米検事だ。

桜も咲き始め、ぽかぽか陽気が続くようになった、この暖かい季節の始まりの今日・・・

僕は、足をガタガタ震わせながら立っていた。

それもそのはず。 今日は僕の初法廷なのだ。

・・・いや、正確には初ではないのだけれど、あの時は隣に、あるベテラン検事の方がいた。

だが、今日は誰も隣にはいない。 僕1人だ。

あぁ、誰でもいいから、僕の隣にいてくれないかなぁ・・・

いっそ、あの刑事でもいいから・・・・・

「呼んだかね? ジャスティスくんっ!」

「うわっ!!」

・・・噂をすれば、やって来たよ。

「はーはっはっはっはっはっは!!

やっぱり、君にはジブンが必要なようだね! 心配は御無用だ!

ジブンならこのとおり、いつでも、どこでも、君の心の叫びを聞きつけて駆けつけるぞ!!

安心するのだ・・・ジャスティーーーーッスくんっ!!!」

僕を心配してやって来てくれたのは嬉しいけど、あいかわらず、すごく暑苦しいな

「・・・あの、その呼び方、止めてくれません? 恥ずかしいから・・・・」

「何を言っているのだね? 立派な名前ではないか! 道比木ジャスティスッ!!!」

「は、はぁ・・・」

・・・もう名前はどうでもいいや。

「・・・それより、ジャスティスくん。ジブンはユガミくんから伝言を預かっているのだが・・・・・」

「え? ユガミさんから・・・」

「あぁ、この携帯電話に録音しておいたぞ。聞いてみるかね?」

そうだよ! ユガミさんだよ!

今日の裁判の担当検事、本当はユガミさんだったのだ。

なのに、今日の朝、突然電話がかかってきて、

「悪いなァ、道の字・・・今日の裁判、オレの代わりに出てくんなァ・・・

詳しいことは、おっさんに伝えてもらうからよ・・・じゃあな。」

って一言だけ。 

だから、何の事件かも分からずに来てしまったのだ。

初法廷なのにそりゃないよ!

「どうするのだ? 聞いてみるかね?」

「えぇ、お願いします。」

「じゃあ、いくぞ! スイッチィ・・・・・・・ジャスティーーーーーッス!!!」

そこは、普通に“オン”でいいだろ・・・ってか、言わなくていいだろ。

「・・・よぉ、道の字。 今日は、急に法廷に立たせることになっちまってすまなかったなァ。

向かいの独房の囚人が脱獄なんざ、謀って暴れるもんだから、オレのトコの錠前がイカれちまったのさ。

おかげで、オレは出たくても出れねぇって、わけさ。

だが、心配するこたァねぇさ。 今日の相手はなまくらだ。

・・・しかも、竹みつときたもんだ。 こいつは傑作だよなァ・・・

まっ、オレとおっさんの捜査は間違ってねぇ。

おめぇさんは、名刀“ジャスティス”を思う存分振り回してきなァ!

・・・じゃあな。」

「・・・これが、僕が代わりに法廷に立つ羽目になった理由ですか?」

「そういうことだ。」

はぁ・・・誰だよ、脱獄しようとしたのは・・・・・

!? まさか、アイツじゃないよな?

「それより、そろそろ開廷時間ではないのかね?」

「えっ?」

そう言われて、法廷の入り口のほうを見ると、係官が早くするよう催促していた。

「はっはっは! せかされちゃってるぞ、ジャスティス君! 急ぐのだっ!!!」

陽気な番刑事の声を背中に感じながら、僕は法廷へと急いだ。

初法廷、最初からこんな調子で大丈夫かぁ?

10:00 地方裁判所第6法廷

「それでは、これより開廷いたします。」

いよいよ、始まる・・・僕の初法廷が!

裁判の開始を告げる、裁判長の木槌の音が高らかに響く。

・・・って、あれ? 今日の裁判長・・・いつものおじいさんじゃないぞ!

「・・・ですが、その前に私の自己紹介をしておきましょう。

本法廷の裁判長を務めさせていただきます、裁判官の鯖樹 康平(さばき こうへい)と申します。

杜奥野(とおくの)市の地方裁判所より派遣され、

今年度より、ここ、戸亜留(とある)市の地方裁判所で勤務することとなりましたので、以後お見知りおきを・・・」

サバキ・・・コウヘイ・・・

なんか、いかにもな名前だな。

しかし、綺麗に切りそろえられた、若干白髪の混じった灰色に見える頭・・・

丁寧に磨き上げられた、金縁の眼鏡・・・

身にまとった真っ黒な法衣・・・

そこからは、名前に恥じない立派な裁判官であることがうかがえた。

「さて、そろそろ、本題に入るとしましょうか。

・・・検察官は、道比木正義くんでよろしかったかな?」

「は、はい!」

「早速、今回の事件について、冒頭陳述をしてもらいましょうか。」

「わかりました。」

・・・とは言ったものの、ユガミ検事から電話をもらったのは今朝。

正直、僕も事件の詳細はちゃんと理解できてないんだよなぁ・・・。

まぁ、冒頭陳述の書類は番刑事を介してユガミ検事からもらったから、

とりあえず、書類を読みながら僕も理解していこう。

「では、冒頭陳述を始めます。 ・・・今回の事件は、同年4月1日に発生しました。

被害者は、洞吹 雷也(ほらふき らいや)さん、20歳。 男性です。

被告人は、布鮭 ルナ(ふざけ るな)さん、20歳。 こちらは女性です。

両名は、どちらも戸亜留大学、理学部、化学学科に所属する学生です。

事件は、彼らが所属する理学部の実験室で起こりました。

被害者は、実験室の椅子に腰掛け、右手にビーカーを持った状態で、机に突っ伏した状態で、白目をむいて倒れていました。

彼の持っていたビーカーの中身の液体を調べたところ、“ソクイックW”という即効性の毒が検出され、

彼の体内からも、これと同じ成分が検出されました。 

よって、被害者の死因は“ソクイックW”による中毒死です。

ちなみに、死亡推定時刻は4月1日の午後5:00~6:00の間。

この毒は、化学薬品の調合によってしか獲得できず、その調合に必要な薬品自体が劇薬であるため、一般の人が入手することは困難です。

しかし、理学部の実験室には、実習で使うために、それらの薬品が全てそろっていて、

“劇薬マイスター”という特殊な資格を持った者にだけは、それらの薬品の使用が認められていました。

(もちろん、それらを使って“ソクイックW”を生成することは認められてなかったでしょうが・・・)

そして、その資格を持つ者は、現在の戸亜留大学、理学部、化学学科では、

被告人だけだったのです。 よって、検察側は、布鮭ルナ氏を殺人罪で起訴いたしました。」

・・・なるほど、そういう事件だったのか。

案外シンプルな事件でよかった。

「道比木くん、ありがとう。・・・では、被告人にうかがいます。 今の検察側の冒頭陳述に何か間違っていることはありましたか?」

「ふざけるなっ!! 全部間違いよっ! 何で、あたしがライヤを殺さなきゃならないのよっ!!」

すごい剣幕だ。  完全否定してるけど、この人が犯人でいいんだよな?

今にも、勢いあまって、着ている白衣のポケットに入っている、いかにも怪しい薬品をぶちまけられそうで怖いんだけど・・・

「被告人はこう言っていますが、弁護側の主張はいかがでしょうか?」

「ふふふ・・・弁護側、もちろん、被告人の主張を支持いたしますよ。 彼女は無罪です!」

そう言って、ドヤ顔を決めた弁護人だったが、裁判長の鯖樹さん同様、僕は彼も初めて見る顔だった。

こんな弁護士いたっけ?

「おぉ、そういえば、検察側の道比木くんは今日が初の法廷だとか・・・ まずは、自己紹介をしておきましょうか! よいでしょうか、裁判長?」

「えぇ、時間はあります。 構いませんよ。 私も、早くみなさんの顔と名前を一致させたいですからね。」

「ではっ! ・・・わたくし、弁護士の生倉 武光(なまくら たけみつ)と申します。

この世界では、父のほうが名が知れてますかね?

生倉雪夫・・・あの伝説のDL6号事件を担当した弁護士の息子が私なのですよ。

どうです? 私のすごさが分かったでしょう?」

「・・・なるほど、あの生倉弁護士のご子息でしたか!

それは、それは・・・あなたもその血を引く身ならば、さぞかし立派な弁護士なのでしょうな!」

「そうなのですよ! いやぁ~、鯖樹裁判官はお目が高いっ!」

裁判長、感服しちゃってるけど、確か、生倉雪夫弁護士って、無罪さえ取れればいいっていう考えの悪徳弁護士じゃなかったっけ?

この弁護士も、その血を引いてるっていうなら・・・・・ちょっと気を引き締めたほうがいいかもな!

「さて、自己紹介も終わったことですし、審理に戻りましょう。

・・・それでは、弁護側は、被告人の無罪を主張するということでいいのですね?」

「えぇ、もちろん! 布鮭ルナさんは一切、殺人には関与していません。

 

  

「そんなはずはありません!

だって、殺害に使用された毒物は、被告人しか入手できなかったんですよ。

被告人以外に犯人はあり得ない!」

 

「それはどうでしょうかな? 道比木検事、初の法廷で舞い上がる気持ちは分かりますが、ここは少し落ち着いて考えようじゃありませんか。

あなたは、“劇薬ナンタラ”の資格を持っていたのが、被告人だけだから、犯人と決め付けているわけですね?

おそらく、その資格を持つ者だけに、その薬品が入っている金庫か何かの鍵が与えられていた・・・とかいったところでしょう。

ならば、そんな資格などなくても、金庫の鍵さえ開けられれば、誰だって“ソクイックW”をつくれたのではありませんか?」

「!? ・・・そ、そんなぁぁぁ!!!」

「それに、これはあくまで推測ですが・・・・・仮にも、被害者の洞吹雷也くんも、化学学科の学生です。

なぜ彼がビーカーの中の液体を口にしたのか、経緯は分かりませんが、ビーカーに毒物が入れられていたことくらい、判断できたと思うのですがねぇ・・・

それでも、彼はビーカーの中身を口にした・・・そこには、もう一つの可能性があるではないですか?

・・・そう、被害者は自殺を図った可能性があるのですよっ!!!」

「!? ・・・うっ・・・うぅぅぅぅ・・・・・」

序盤でこんなに追い詰められるとは・・・

「なるほど・・・。 弁護側の主張は筋が通っていますね。 うむ、納得しました!

・・・いや、私も実はそう思っていたのですよ。

被告人、名字を“布鮭”といいましたね?

私は、名字が“鯖樹”ですが、氏名に“魚”の文字が入っている人に悪人はいないんですよ!

よって、被告人は無罪です!」

なんだ、その変な迷信みたいなの? ・・・全然聞いたことないんだけど・・・

・・・ってか、それ、全然公平に見てないじゃんっ!

「いや、裁判長・・・さすがにそれは無理があるかと・・・・・」

僕は異議を唱えようかと思ったが、先に生倉弁護士のほうが、そう言ってくれた。

「えっ、でもあなた、被告人の無罪を主張したじゃない? 被害者は自殺なんでしょ?」

「い、いや・・・それは、あくまで可能性でして・・・

私には、被告人の無罪を裏付ける、もっと確証のある証拠があるのですよ。

ですから、判決はそちらを提示してからにしていただきたいかと・・・・・」

「あぁ、そうなんですか。 私は、名字的に被告人は無罪だと思うけどな・・・。 まぁ、弁護側がそう言うならいいでしょう。

“裁きは公平に”成さねばなりませんからね。 弁護側の証拠とやら、提示をお願いします!」

すでに、“裁きは公平に”行われてないんですけど・・・

「では、提示いたしましょう!・・・というか、入廷していただきましょう!

私が告発する、真犯人でございますっ!!!」

何っ!? し、真犯人だってぇ!!!

証言台の前には、黒髪のショートカットの女の子が立っていた。

10:17 弁護側反論 ~真犯人、告発!~

 

「いきなり、弁護側から真犯人の告発がなされるとは・・・・・これは驚きましたな!

・・・で、そちらの彼女が、あなたの告発する真犯人ですか?」

 

「えぇ、そうです。」

 

「分かりました。 ・・・では、真犯人さん・・・いや、とりあえずは証人としておきましょう。

証人、あなたの氏名と職業をお教えください。」

 

「な、名前は・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・し、しょう・・じょ・・・・・少女Aです!」

「少女A・・・!?」

「私、19歳なんですよ! 未成年です!

未成年は、少年法が適用されるんですよね?

・・・その、将来の社会フッキのため・・・・でしたっけ?? よくわからないけど・・・

だから、名前、出ないじゃないですか!

“容疑者の少年A”・・・みたいな?

だから、匿名で・・・私の名前は、少女Aでお願いします!」

 

「は、はぁ・・・。 まぁ、いいでしょう。 では、Aさん。 職業のほうは?」

 

「えっと・・・アイd・・・じゃなくって・・・

大学生です! 戸亜留大学、理学部、生物学科で今年から2年生になります。」

 

何っ!? 戸亜留大学、理学部だって? それ、被害者と被告人と同じ学部じゃないか!

 

「おや、道比木検事はもう気づいたようですね?」

 

「えっ? 何の話ですか??」

 

「私が彼女を真犯人として告発した理由ですよ、裁判長。

・・・彼女は被害者、そして被告人と同じ、戸亜留大学理学部の学生なのですよ!

そして、これが今回の事件と大きく関わってくるのです。

彼女も、殺害に使われた毒物を入手することが出来た・・・

・・・いや、あの日に限っては、彼女しか入手できなかったと言ったほうが正しいかもしれません。」

 

どういうことだ?

 

「それはオカシイですよ!

だって、“劇薬マイスター”の資格を持っていたのは、被告人だけだったんでしょう?」

 

「それは、あくまで、化学学科では・・・の話でしょう?」

 

「えっ?」

 

「確かに、化学学科では、“劇薬ナンタラ”の資格を持つのは、被告人だけですよ。

しかし、他にもこの資格を持つものは、

物理学科に、7名・・・生物学科に、1名・・・医学部医学科に9名いるのですよ!

そして、その中の生物学科の1名が、そこの少女Aさんなのですよっ!!」

 

「な、なんだってぇぇぇぇ!!!」

 

そんなの知らないよ~(涙)

 

いや、でも・・・・

 

「待ってください、生倉弁護士!

・・・でも、それだったら、物理学科や医学部で資格を持っている人だって怪しい・・・。

少女Aさんを真犯人と決め付けて、告発するには根拠が薄いんじゃないですか!」

 

「そう来ますか・・・新人丸出しって感じですねww」

 

嫌味な笑い方をされ、腹が立った。

 

「人の話は最後まで、ちゃんと聞くものですよ。

・・・私はさっき言ったはずです。

あの日に限っては、彼女しか入手できなかったとね。

・・・事件当日、“ソクイックW”を生成するのに必要な薬品は、生物学科の実験室にあったのですよ。

つまり、“劇薬ナンタラ”の資格を被告人が持っていようが、他の誰かが持っていようが、

事件当日、薬品が、生物学科の実験室にあった以上、

薬品を使って“ソクイックW”を生成し、被害者を殺害できたのは、彼女しかいないのですよっ!!」

 

!? ・・・そ、そんなぁ・・・・・

 

「なんだか、小難しい話になってきましたね・・・

要は、ざっくり言いますと、犯行を行えたのは、少女Aさんであり、

被告人の・・・・えーとぉ・・・塩鮭さんではなかったということでいいですね?」

 

「えぇ、そのとおりです!」

いや、ざっくりしすぎでしょ! ・・・ってか、裁判長、鮭にしか目がいってないし・・・

いや、でも待てよ!

 

「生倉弁護士、1つお聞きしてもいいですか?」

 

「えぇ、なんでしょうか?」

 

「事件当日は、生物学科の実験室に薬品があったから、他のマイスターたちは薬品を使えなかった・・・

ということは、生物学科の実験室には鍵か何かが付いていて、他の学科の人は入れなかったということでしょうか。」

 

「・・・ふっ、何をとぼけた事をおっしゃるのですか?

大学の実験室は、学部、学科に関わらず、すべてカードキーロックになっていて、

その学部、学科に所属している人しか入れない仕組みになっている。

・・・そのような情報を流したのは、検察側ではないですか!」

 

そんなこと言われても・・・・・それを調べたのは、多分、ユガミ検事だから・・・

 

でも、これで明らかになった。

 

やっぱり、少女Aさんは真犯人じゃないよ!

 

「生倉弁護士、ちょっと待ってください! それなら、逆も同じことじゃないですか!」

 

「ぎゃく・・・と申しますと?」

 

「化学学科の被告人が、生物学科の実験室に入れないのと同様、

生物学科の少女Aさんは、化学学科の実験室には入れないじゃないですか!」

 

「えぇ、そうでしょう。 それが何か?」

 

「えっ?」

 

予想外の返答に、僕は呆気に取られた。

 

「そんなことはこの際関係ないでしょう。 だって、事件現場は生物学科の実験室なんですから・・・」

 

・・・なんだって!? そ、そんな馬鹿な!!

 

僕は急いで、あの書類を探した。 そう、ユガミ検事が書いた冒頭陳述の書類だ。

 

素早く文面を読み返す。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・あっ!

 

そこで僕はようやく気づいた。 今まで、勘違いをしていたことに。

 

ユガミ検事が書いた書類には、“理学部の実験室”としか書かれていなかった。

 

被害者と被告人がどちらも化学学科の学生だったから、勝手に化学学科の実験室が事件現場だと思い込んでいただけだったのだ。

 

どうしよう・・・これでは反論のしようがない。 僕は、急に目の前が真っ暗になった気がした。

 

10:26 救世主(?)、登場!

 

「何を暗い顔をしているのだね?」

 

「うわっ!!」

 

突然、隣から声をかけられ驚いた。 そこにいたのは番刑事だった。

 

「えっ、なんで番刑事がいるんですか?」

 

「言ったではないか! ジブンは、君の心の叫びを聞きつけ、いつでも、どこでも、駆けつけると!

・・・ジャスティスくん、君は今、ピンチな様だね?」

 

「はい、僕、事件現場を勘違いしちゃってて・・・

・・・って、ユガミさんがこんな曖昧な書き方するからいけないんですよ!

ちゃんと、生物学科の実験室って書いてくれればよかったのに・・・」

 

その瞬間、番刑事の表情が変わった。

 

「君、ユガミくんが悪いと言いたいのかね?

ユガミくんが、理学部の実験室としか書かなかったから、勘違いしたと・・・・・

嘆かわしいっ! 君のジャスティスはそんなちっぽけなものだったとはっ!!

失望した! ジブンは、君に失望したぞぉぉぉ!!!

まともに書けるペンもない独房の中で、必死に書類を書いたユガミくんが可哀相ではないかぁぁぁ!!!」

 

番刑事は、鼻をつまみながら、号泣し始めた。

 

鯖樹裁判官と生倉弁護士が、冷たい視線をこちらに向けている。

 

「な、なんなんですか、この感情の起伏が激しい人は・・・?」

 

「き、気にしないでください・・・いつも、こんな調子ですから・・・ 」

 

「気にするな・・・とはひどいではないか!」

 

あっ・・・泣くのをやめた。

 

「ジブンは君を助けるためにやってきたのだぞ!」

 

そうは思えないんだけど・・・

 

「裁判長殿、弁護士クン・・・そして、その他諸君、ジブンは刑事課の番轟三という者だ!

突然ジブンが飛び入り参加してしまって申し訳ない!

しかし、検察側は、今の弁護側の告発に対して異議があるのだ!」

 

「えっ!?」

 

何を言い出すんだよ、この人は!

 

「我々、検察側は、入念な捜査の結果、布鮭ルナを犯人として起訴した!

検察側としては、彼女以外に犯人はいないと考えている。

しかし、弁護側もまた、そこの少女Aくんが真犯人であると確信がおありのようだ。」

 

「えぇ、だって、事件現場は生物学科の実験室だったのですからね。」

 

「うむ、それは分かっている。

しかし、我々はまだ、少女Aくんの口から、何も聞いていない。

我々は、あなたではなく、彼女から事件の真相を聞きたいのだ!

そこには必ず、おかしな点があるはずなのだよっ!

検察側は、少女Aくんに、事件当日の行動についての証言を要求するっ!!」

 

ちょ、ちょっと・・・勝手に話を進めないで欲しいんだけど・・・・・

 

「なるほど・・・。

元気の良い人は、“魚”が氏名に入っている人と同じくらい良い人が多いですからね!

あなたの要求、受け入れましょう! いいですね、弁護人?」

 

「えぇ、いいですよ。

その自信がどこからくるのか、私も確かめたいですし・・・」

 

「では、そうしましょう! 少女Aさん、証言をどうぞ・・・」

 

・・・なんか僕、仲間はずれにされた気分なんだけど・・・・・

 

 

10:30 少女Aの証言 ~事件当日の行動~

 

「・・・あっ、どうも・・・生物学科の少女Aです。 事件の日のことを話せばいいんですよね?

あの日は、午前も午後も特にこれといったことはなく、授業を受けただけでした。

授業が終わったのは4:30くらいだったかな?

・・・あっ、でも、放課後にはちょっと用があって、生物学科の実験室に行きました。

でも、その用が済んだら、すぐに帰りました。

・・・私は殺人なんてしていない・・・・そう思いたいけど、弁護士さんの言うことは最もです。

今回の事件、私が真犯人です!」

 

な、何ぃぃ!! じ、自白しちゃったよ!!

 

だが、その時、生倉弁護士が不敵な笑みを浮かべたのを僕は見逃さなかった。

 

そして、証人のほうは不安げな表情で生倉弁護士のほうをちらちら見ていた。

 

いや、違う!

 

あの弁護士、弱みか何か握って、この証人に無理やり自白させたんだ!

 

・・・僕はそう感じた。

 

「ゆるせない・・・許せないぞぉ・・・ナマクラベンゴシィ・・・ 」

 

番刑事も同じことを感じたらしく、見ると強く拳を握り締めていた。

 

「ジャスティスくんっ! 今こそ我らの反撃の機会だ!!」

 

「えっ?」

 

「君も感じただろう? ナマクラ弁護士が、彼女に無理やり自白させたということを・・・

ならば、彼女の証言には隠された真実があるということなのだっ!

尋問だ! ・・・今の証言に対して尋問を行うのだよ、ジャスティスくんっ!!」

 

「じんもん・・・ですか?」

 

「そうだ! ・・・君は今日が初の法廷だったね。

尋問の仕方について確認するかね?」

 

どうしよう?

 

「・・・わかった。 確認するのだね?」

 

・・・ってか、選択肢がどちらも“はい”だったんだけど・・・

 

「じゃあ、説明しよう!

尋問は、弁護側の証人の証言に対して行うものだ。

我々は、入念な捜査の結果、被告人を起訴している。 つまり、証人の証言が正しいわけがないのだよ!

そこには必ず、ウソや秘密が隠されている! 

それを暴き出し、被告人が犯人で間違いないと納得させるのが尋問だ!

具体的には、正義を感じられない証言をゆさぶってみたり、

証言とムジュンする、正義の記録の中の証拠品をつきつけてやればいいのだよ!

まずは、やってみたまえ!!」

 

途中、よく分からない部分があったけど、まぁとりあえず、やってみるか。

 

言動はめちゃくちゃだが、番刑事が僕を心配してやって来てくれたのは本当らしい。

 

ならば、ユガミさんと番刑事の捜査を疑うなんて、罰当たりだ。

 

必ず、被告人が犯人だと証明してみせるぞ!

 

10:30 検察側尋問

 

「・・・あっ、どうも・・・生物学科の少女Aです。 事件の日のことを話せばいいんですよね?」

 

「事件の日以外に、いつがあるって言うんですかっ!」

 

「えっ・・・いや・・・そのぉ・・・ありませんけど・・・。」

 

「こらこら、ジャスティス君! 証人を脅かしてどうするのだね?

ジブンは、ここには十分な正義を感じる。 ゆさぶるべきではないと思うのだが・・・」

 

(確かに、ここはあんまり関係なかったな・・・)

 

 

「あの日は、午前も午後も特にこれといったことはなく、授業を受けただけでした。

授業が終わったのは4:30くらいだったかな?」

 

 

「その時刻は確かですか?」

 

「えぇ、確かです。 本当は、4:20で終わるところを、教授が長々しゃべって、延長しちゃったんです。」

 

(僕が、大学生の時もよくいたなぁ、そういう教授・・・)

 

「・・・で、それがどうかしましたか、道比木くん?」

 

「・・・えっとぉぉ・・・」

 

(時刻が確かだからって、何なんだ? ここもあんまり意味がなかったな・・・)

 

「なければ、証人・・・続けてください。」

 

「・・・あっ、でも、放課後にはちょっと用があって、生物学科の実験室に行きました。

でも、その用が済んだら、すぐに帰りました。」

 

 

「その用とは、何の用事だったのでしょうか?」

 

「えっと・・・次の日の実験の準備です。

マゼルナキ検査薬とサワルトヒ酸水とカグトシヌ溶液を、生物学科の実験室に運んだんです。」

 

「は、はぁ・・・」

 

(なんだか、専門用語がたくさん出てきて頭が痛くなってきたぞ・・・)

 

(でも、ここはもう少し、つきつめて聞いたほうがいいかもしれない。)

 

「ちなみに、その次の日に行う予定だった実験の内容は教えてもらえますかね?」

 

「えぇ、いいですよ。

私達、生物学科が今研究している生物に、タエルっていう両生類がいるんです。

見た目は、普通のカエルみたいなんですけど、このタエルは、他の生物が棲めないような

かなり汚染された水の中でも、健康を害さずに生きることが出来るんです。

・・・だから、どこまで汚染された水まで生きられるのかを突き止めるため、

手始めにさっき言った3つの薬品を混ぜた水溶液の中にタエルを入れてみよう!

そして、そのときのタエルの様子を観察してみよう!

・・・ってのが、実験内容でした。」

 

手始めで、あのわけの分からない化学物質の中に漬けることになったのか?

 

タエル、なんだか可哀想だな・・・。

 

「分かりました。 じゃあ、とりあえず、証言の続きをお願いします。」

 

 

「道比木検事、少々お待ちを・・・

私、今の証人の証言を補足させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

「えっ・・・あっ、はい。」

 

突然、生倉弁護士にさえぎられ、呆気に取られた僕は、思わずそう答えてしまった。

 

「彼女は今、実験の内容は3つの液体を混ぜた中に、タエルとかいう珍生物を入れることだと言いましたね?

・・・道比木検事、その3つの液体を混ぜたときに出来上がるもの・・・・・

それが、“ソクイックW”なのですよっ!!!」

 

「えっ!?  えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 

ゆさぶったのが、間違いだったか?

 

こちらに不利な情報が・・・それも、圧倒的に不利な情報が出てきてしまった。

 

「どうです、道比木検事? 尋問など、このへんでやめたらいかがですか?

もはや、彼女が真犯人であることは否定できないでしょうよ!」

 

た、確かに・・・・・

 

「いいや、まだだ! 我々はまだ、証人の証言の全てを尋問し終えたわけではないぞ!

最後の部分にこそ、何かムジュンがあるはずなのだよ!! そうだろう? ジャスティスくんっ!!!」

 

どうやら、番刑事はまだ諦めてないようだ。 それならば、僕も諦めるわけにはいかない!

 

「そ、そうですよ! 検察側は尋問を続けます!」

 

「ふっ、無駄だと思いますがね。 まぁ、気が済むまでやればいいですよ・・・」

 

「そういうことなので、証人、続きの証言をお願いします。」

 

「私は殺人なんてしていない・・・そう思いたいけど、弁護士さんの言うことは最もです。

今回の事件、私が真犯人です!」

 

・・・・・いや、無駄なんかじゃない。 やっぱり、彼女の証言はムジュンしている!

 

 

  

 

「ほう、異議を唱えますか。 その異議、ヤケになって唱えたわけではないでしょうな?」

 

「そんなわけ、ないですよ!」

 

「ならば、示してもらいましょうか? 今の証言とムジュンする証拠をね・・・」

 

「その必要はありませんよ。」

 

「はぃ?

異議を唱えたら、証拠を提示する。 それが裁判の基本でしょうがっ!」

 

「えぇ、しかし、今回ムジュンしているのは、証人の証言自体なんですよ。

『私は殺人なんてしていない・・・そう思いたいけど、弁護士さんの言うことは最もです。

今回の事件、私が真犯人です!』

証人はそう証言しました。

自分は殺人をしていないが、自分は真犯人だ・・・一体これはどういうことですか、証人?」

 

「・・・・・・・・」

 

証人は黙ったままだ。 仕方がないので、僕は推測で話を進める。

 

「あなたには、被害者を殺害した記憶はない。

しかし、現場の状況から、あなた以外に犯人はあり得ない。

そう生倉弁護士に言い聞かせられたから、あなたは自分が被害者を殺害したと思い込んだ。

ただ、それだけなんじゃないですか?」

 

少しの沈黙のあと、証人は静かにうなずいた。

 

「私は、被害者の洞吹さんを殺した覚えはありません。」

 

その瞬間、生倉弁護士が見たこともないような変顔をした。

 

「裁判長、証人は弁護人によって、自分が真犯人だと思い込まされていた可能性があります!

検察側は、もう少し詳しく、彼女の証言を聞く必要があると考えます。」

 

「うむ、そのようですね。 

彼女には、事件当日のことについてもう少し詳しく語っていただきましょう。

・・・と、その前に、生倉弁護士には、ささやかなペナルティを差し上げておきましょう。」

 

鯖樹裁判官の手には、いつの間にか、新鮮なイカが握られていた。

 

あれ、まだ生きてるよな?

 

「えっ・・・ちょ、待っ・・・それはダメですっt・・・・・ぎゃあぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

生倉弁護士の顔は真っ黒になった。

 

なにはともあれ、なんとか最初の尋問はしのげたようだ。

 

隣で番刑事もピースサインを作っていた。 次の尋問で、彼女は真犯人じゃないと証明してやる。

 

・・・まぁ、つまりは被告人が犯人で間違いないって証明することなんだけどね・・・。

 

10:38 少女Aの証言② ~事件発生までの出来事~

 

「・・・ところで、道比木くん、証人に新たな証言をしてもらうのはいいのですが、何について語ってもらうのでしょうか?」

 

「証人は、自分は被害者を殺していないと言っています。

それならば、その事実を明らかにするために、事件発生までの出来事を詳しく語っていただく必要があると考えます。

具体的には、例の薬品をどこから実験室に持ってきて、そして、実験室に持ってきた後はどうしたのか・・・

ということです。」

 

「なるほど・・・。 よろしいですか、証人?」

 

「はい。 わかりました。」

 

「では、証言をお願いします。」

 

「マゼルナキ検査薬、サワルトヒ酸水、カグトシヌ溶液・・・あれらの薬品は、元々、化学学科と医学部の実験のために学校が買った薬品なんです。

だから、普段は化学学科か、医学部の薬品保管庫に入れられていて、事件当日は、化学学科のほうの保管庫にありました。

私は、化学学科の保管庫には入れませんから、それを、化学学科の方に保管庫から出してもらって、私が生物学科の実験室まで運びました。

それで、次の日に来たらすぐに実験が行えるように、その他必要な器具と一緒に実験机に置きました。

その日はそれ以上何もせずに帰りました。

でも・・・でも・・・次の日、実験をしようと実験室に入ったら・・・・・そこで、洞吹さんが亡くなっていたんです!

・・・私は何もやってません! だって、毒は3つの薬品を混ぜると出来るんですよね?

私、薬品を持ってきただけで、あの日は混ぜてませんから!」

 

「なるほど。 では、検察側は尋問を・・・」

 

「その必要はありませんよ、裁判長!」

 

「えっ? なぜですか、生倉弁護士?」

 

「今の証人の証言はウソとしか思えない!

・・・証人、あなたは今、事件当日は薬品を持ってきただけで、混ぜてはいない。

その日は何もせずに帰ったと言いましたね?

そんなこと、証明できる何かがありますか?」

 

「そ、それはぁ・・・・・」

 

「ほら見なさい! ないのでしょう?

あなたが帰ったという時刻から、遺体が発見されるまで、あなたには十分すぎるほどの空白の時間があったのです。」

 

「で、でも・・・私、ちゃんと鍵かけましたから!

中にいるときも、帰るときも実験室の鍵をちゃんとかけたんだから、

化学学科の洞吹さんが生物学科の実験室に入ってこれるわけがないんですよ!」

 

「ふっ・・・そんなの、あなたが鍵を開けて、彼を招き入れれば済む話ではないですか?」

 

「うっ・・・」

 

「とにかく、あなたが何もせずに帰ったということが証明できない以上、

あなたへの疑いは晴れないということです!」

 

・・・くっ、この弁護士、あの生倉雪夫の息子と思って少々見くびっていたけど、

 

なかなかやり手の弁護士だな。

 

どんどんこちらが不利な状況に追い込まれていく。

 

えっ!?

 

今、「待った!」の声を出したのは誰だ?

 

「弁護士さん、待ってください!

証明できますよ・・・・・私が何もせずに帰ったってことを証明できる人物がいます!」

 

どうやら、声を出したのは、証人の少女Aさんだったらしい。

 

「ほぅ、あなたも道比木検事のまね事をなさるのですか・・・。

さっき口ごもっておきながら、そう言うからには余程のコンキョがおありなのでしょうな?」

 

そう言われると、自信がなくなるのか、彼女は一度うつむいた。

 

だが、次の瞬間には、迷いなく一点を指し示して言い放った。

 

「ありますよ! 彼女が、私の無実を証明してくれます!!」

 

指し示された先にいたのは、被告人の布鮭ルナだった。

 

10:46 布鮭ルナの証言 ~少女Aの無実について~

 

「まさか、被告人が証人とは・・・こんなこと、あってよいのでしょうか?」

 

「構いませんよ! 被告人の無実はもう、証明されたも同然なんですから!」

 

いや、全然証明されてないよ!

 

「まぁ、弁護人がそう言うならいいでしょう。

ここは外部から来た私が、ここの慣習にあわせるべきですしね!」

 

裁判に慣習とかないと思うんだけど・・・

 

「では、被告人・・・いや、証人、彼女の無実を証明する証言をお願いします。」

 

「・・・・・・・・」

 

だが、被告人・布鮭ルナは不機嫌な顔をしたまま口を開かなかった。

 

「どうしました、証人?」

 

「こんなことして、ふざけるなっ!!」

 

・・・と思ったら、いきなり怒鳴りだした。

 

「あのことは秘密にするって約束したじゃないのよっ!」

 

えっ? あのこと・・・??

 

「ご、ごめんなさい・・・ルナ先輩! どうしようもなくなっちゃったから・・・」

 

「アンタの事情なんて知らないのよ!」

 

「で、でも・・・私、犯人だと疑われちゃったから・・・・・」

 

「それはアタシも同じなのよっ!」

 

「あ、あのぉ・・・痴話ゲンカならば、外でやっていただきたいのですが・・・」

 

鯖樹裁判官があきれた顔をしている。

 

「と、とりあえず、証言してくださいよ、先輩・・・。

ねっ・・・そうすれば、先輩の疑いだって晴れるはずですから・・・」

 

それは、僕には困るんだけどなぁ・・・

 

「ふん、まぁ、いいわ。 アンタがバラしたおかげで、どうせもう隠し切れないんだから・・・」

 

「話はついたようですね? ・・・では証人、証言のほうをお願いします。」

 

「いいわ。 話してあげる。 ・・・さっき、ナナが・・・・・」

 

 

「先輩、ちょっと待ったぁ!!」

 

「えっ、何よ? アンタが証言しろって言ったんでしょうが!」

 

「違いますよ! ・・・そのぉ・・・ナナって呼ぶのはちょっと・・・・・」

 

「はぁ? 何よ? ナナはナナでしょ? アンタはナナじゃない!」

 

「なるほど、彼女の名前はナナというのですか!」

 

「ちちちちちち・・・・違いますぅ!!!

わわわわわわ・・・・私は、少女Aだからっ!!!

なななななな・・・・ナナじゃないからっ!!!」

 

完全に動揺してるよ・・・。

 

「まぁ、いいでしょう。 ナナさんの話は後で聞くとして、まずは証人の証言です。」

 

「ナナじゃないのにぃ・・・・・」

 

涙目になってるよ。 そんなに名前がバレるのが嫌だったのか?

 

「じゃあ、続けるわよ?

・・・さっきナナが、化学学科の方から、薬品を受け取ったと言ったわよね?

その化学学科の方ってのがアタシだったのよ。 でも、アタシは最初、ナナに薬品を渡したくなかった。

そりゃ、ナナが“劇薬マイスター”の資格を持ってるのは知ってたし、薬品を渡しても問題はないのだけど・・・

あの薬品はもともと、化学学科のために用意されたもの。

生物学科のお遊びみたいな実験に使われたくはなかったのよ。 だから、1つ取引をしたのよ。 

ナナに薬品を貸す代わりに、アタシにも生物学科の実験室に入らせて・・・ってね。

ちょっと、特殊な顕微鏡で調べたいものがあったんだけど、その顕微鏡、生物学科の実験室にしかなかったからね。

そしたら、ナナは、それを承諾して、薬品を生物学科の実験室に持って行った後、戻ってきてアタシに生物学科の実験室のカードキーを渡してくれたのよ。 

『明日の朝に返してくれれば、いつでも入っていいですよ』ってね。

だから、ナナがすぐに帰ったかどうかはしらないけど、少なくとも、その後彼女は生物学科の実験室には入れなかったってことよ。」

 

「なるほど・・・そういうことですか。」

 

「どうです、分かったでしょう? これで、私は犯人ではないということが・・・・・」

 

「ぐ・・・いや、しかし・・・生物学科の実験室が事件現場だった以上、犯人はこの少女で間違いないはずなのだが・・・・・」

 

どうやら、生倉弁護士はまだ気づいてないようだな。

 

今の証言に含まれる重大な事実に!

 

「生倉弁護士、残念ですが、その前提は覆るのですよ!」

 

「はぃ?」

 

「今、証人ははっきり、こう証言しました。

『薬品を生物学科の実験室に持って行った後、戻ってきてアタシに生物学科の実験室のカードキーを渡してくれたのよ。』 とね。

生倉弁護士は、事件現場が生物学科の実験室だから、化学学科の被告人は犯人ではないと言った。

それはつまり、被告人は生物学科の実験室に入るためのカードキーを持っていないから事件現場には入れない、ということでしたね?

しかし、事件当日、彼女はそのカードキーを手にしていたのです。

つまり、被告人にも犯行は可能だったのですよ!」

 

「な・・・ぬあんとぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

 

生倉弁護士は、先ほどにも勝る変顔をした。 だが、被告人・布鮭ルナは冷静だった。

 

「生倉弁護士、そう焦ることはない。 アタシは無実なんだから・・・」

 

「しかし、カードキーが・・・」

 

「だから、言いたくなかったんだ・・・こうなるから・・・。

検事さん、確かにアタシはあの日、実験室に入れた。 

そして、“劇薬マイスター”の資格を持っているから、薬品も簡単に手に入れられた。

でも、あの日アタシは実験室には入らなかった。」

 

  

 

「それはオカシイです! だってあなた、実験室の顕微鏡で観察をしたかったんでしょう?」

 

「それは、他の人に任せたのよ。」

 

「えっ!?」

 

「私はそれを証明できる。 裁判長、もう一度証言してもいいかしら?」

 

「えぇ、分かりました。」

 

被告人の目はウソを言っているようには思えなかった。 一体、どういうことだ?

 

10:51 布鮭ルナの証言② ~アタシは実験室に入ってない!~

 

「じゃあ、始めるわよ。

カードキーを受け取ったアタシは、最初は自分で実験室まで行くつもりだった。

でも、ちょうどいいところに、ライヤ・・・被害者がやって来たのよ。

正直アタシは、放課後まで学校に残るのは好きじゃなかったから、

ライヤに顕微鏡の観察をやって貰うように頼んだのよ。

そしたら、ライヤは快く引き受けてくれた。 だから、アタシはカードキーをライヤに預けて、家に帰ったわ。

そしたら、その実験室でまさか、ライヤが死んじゃうとはねぇ・・・

でも、今の話を聞けば、アタシが犯人じゃないことは明白でしょ?」

 

「なるほど。 それが事実ならば、あなたへの疑いは晴れますね。

・・・証人、何かそれを根拠付けるものはありますか?」

 

「えぇ、もちろん。 ライヤは、実験室に観察に行ったまま、そこで死んでしまった。

つまり、実験室には、入ったきり出てこなかったわけよ。 

それなら、ライヤはどこかにカードキーを持っていたはず!

それが見つかれば、それが証拠となるんじゃない?」

 

「そうですね。 しかし、そのようなカードキー、私は見覚えがないのですが・・・」

 

その通り! 僕もカードキーなんて見覚えがない。

 

第一、そんなものが被害者の身元から発見されたなら、ユガミ検事が彼女を起訴するはずがないんだから!

 

おそらく、この証言は被告人の言い逃れだ。

 

・・・だが、そこでとなりの番刑事が思わぬ言葉を発した。

 

「実は、ここにそれらしき物があるのだが・・・」

 

えっ!? 

 

見ると、番刑事は、くしゃくしゃの紙に半分包まれたカードのような物を手にしていた。

 

そこにはこう書かれていた。

 

A biology course of science department ,Toaru University

 

つまり、戸亜留大学、理学部、生物学科・・・

 

「確かにそれは、生物学科のカードキーのようですね。」

 

「これが、被害者のズボンのポケットから見つかった。」

 

「えっ、ちょっと待ってくださいよ、番刑事!! そんな証拠品、僕、全然知りませんでしたよ!」

 

「すまないね、ジャスティスくん・・・これはジブンの落ち度だよ。

何せ、担当検事を君に変えることが決まったのは今朝だ。 こちらも色々な手続きでバタバタしていてね。

この証拠品をユガミくんから、もらい忘れていたのだよ。 さっき、速達でここまで届いたらしい。」

 

「つまり・・・正式な証拠品なんですね?」

 

「あぁ、そうなのだ。」

 

急に、僕の自信はなくなった。

 

「どうやら、分かってもらえたようね。 そう、アタシはあの日、実験室には入らなかった。

だから、アタシは犯人じゃないのよ。」

 

「で、でも、それなら、少女A・・・いや、ナナさんだって実験室には入れなかった!

それを証明したのはあなたじゃないですか!」

 

「あらあら・・・ナナのことなんてもうどうでもいいじゃない?」

 

「えっ?」

 

「ナナもアタシも犯人ではない。 それが真相よ!」

 

「それじゃあ、一体誰が犯人なんですか!」

 

「被害者自身・・・といったところでしょうかな?」

 

イカ墨をかけられてから口数の減っていた生倉弁護士が、久しぶりに口を開いた。

 

「言ったじゃないですか! 被害者は自殺した可能性がある・・・とね!」

 

「でも、それはあくまで可能性でしょう? 被害者が自殺したなんていう証拠はないですよ!」

 

「ふっ・・・やっぱりあなたはまだ、新人って感じですね。

自殺した証拠? そんなもの必要ありませんよ!

我々、弁護側が必要なのは、被告人が無罪だという証拠のみ!

被告人が無罪だと分かっちゃあ、こっちはもう、

被害者が誰に殺されようが、どんな方法で殺されようが、関係ないんだよっ!!

・・・被告人が無実ことは、もう明らかになったじゃありませんか!」

 

出た・・・父親と同じだ。

 

被告人の無実さえ証明できれば、裁判で無罪判決を勝ち取れればいいという、生倉流のいやらしいやり方だ。

 

そんなやり方に、道比木流が・・・父さんと僕の“真実”と“正義”を追い求めるやり方が、負けてたまるか!

 

「なんか、検事さん、すごい目つきでこっち見てるわね。

・・・そんな目つきで見られたって、アタシはひるまないわよ!

おおかた、ライヤは自殺なんてしてないとか言いたいんでしょうけど、アイツは、自殺よ。

・・・きっと、あの甘いにおいと、虹色に輝く液体の魅力に惹かれて、おいしい飲み物か何かと勘違いして飲んじゃったんでしょうよww アイツ、単純だからねぇ・・・

まっ、何かに落ち込んでて、最初からあの世に行くつもりだったかもしれないし・・・

理由までは知らないけど、あの状況で自殺以外には考えられないって! 分かるでしょ、検事さん?」

 

くっ、被告人は、もはや自分の無罪を確信して余裕を見せている。

 

急に快活になってるし・・・。

 

「・・・確かにあの薬品、おいしそうな香りと見た目でしたよね。私も薬品だと知らなかったら、飲んでたかも!」

 

えっ? 今のは・・・ナナさんか?

 

「!? ・・・・ば、馬鹿ナナがっ!!」

 

さっきまで余裕を見せていた被告人が急にまた怒鳴った。

 

「えっ? 何が・・・ですか、先輩? だって、あの薬品・・・」

 

「ふざけるなっ!! それ以上、言うんじゃないっ!!!」

 

被告人は明らかに動揺している。

 

彼女のこの態度は、ナナさんの発言の直後に始まった。 ナナさんの発言に何か問題があったか?

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・!?

 

そうか! そういうことか!! 僕の中で、全てが繋がった。

 

やっぱり、被害者は自殺なんかじゃない! 犯人は被告人だ!

 

今度こそ、とどめを刺してやる!!

 

10:59 検察側反論 ~布鮭ルナはやっぱり犯人!~

 

「布鮭さん、隠し通そうとしても、もう無理ですよ!」

 

「な、何の話よっ?」

 

「今のナナさんの発言で、僕には全てが分かりました。

・・・あなたが、ナナさんに渡したのは、マゼルナキ検査薬、サワルトヒ酸水、カグトシヌ溶液・・・

この3つの薬品ではありませんでしたね?」

 

「はっ? 何言ってるのよ、アタシはちゃんとその3つの薬品をナナに渡したわ!

・・・そうでしょ、ナナ?」

 

「はい、そうですよ。 だって、薬品のビンに書いてある名称をちゃんと確認しましたから・・・」

 

ナナさんにウソをついている様子はない。 ・・・ということは、ナナさんも気づかずにいたということか。

 

「確認したのは、名称だけですか? 中身の薬品自体は確認しなかったのですか?」

 

「えっ・・・だって、頼んだとおりに、ルナ先輩が持ってきてくれたから・・・

私は、薬品なんて見ても分からないし・・・」

 

「ばっ、なぜそれを言・・・」

 

「布鮭さんは黙っていてください! 今はナナさんに質問してるんです!

・・・ナナさん、あなたは見た目では、薬品を判断できなかったということですか?」

 

「ご、ごめんなさい!!!

・・・そんな私が“劇薬マイスター”なんて名乗っちゃいけませんよね!

なんなら、資格は返上します!

で、でも、“劇薬マイスター”は薬品の名前と効果さえ覚えれば取れる資格だったから・・・

生物学科では、劇薬を使った実験なんてほとんどしないから、見た目なんて分からなかったんですよ!!!」

 

“劇薬マイスター”・・・そんな簡単に取れる資格でいいのか?

 

まぁ、それはいいとして、これで彼女が薬品の知識に欠けていたことが分かった。

 

「・・・ということは、あなたはビンに書かれた名称だけを頼りに、自分が頼んだ3つの薬品で間違いないと判断したわけですね?」

 

「はい、そうです。」

 

「・・・ならば、ビンの名称と中身の薬品が別物でも、気づかなかったというわけですね?」

 

「・・・!?」

 

その瞬間、布鮭ルナの表情がこわばった。

 

「・・・な、何を急に言い出すのよ! ビンの中身が違ったって言いたいわけ?

そんなわけないじゃない! だったら、ビンの中には何が入ってたって言うのよっ!!」

 

「もう、あなただってお分かりなんじゃないですか? だから、さっきナナさんの発言をさえぎったんでしょう?

ビンの中身、それはもちろん・・・・・

ソクイックW・・・被害者を死に至らしめた毒ですよ!!」

 

「!?」

 

「さっき、あなたはこう言った。

『・・・きっと、あの甘いにおいと、虹色に輝く液体の魅力に惹かれて、おいしい飲み物か何かと勘違いして飲んじゃったんでしょうよww』

甘いにおい・・・そして、虹色に輝く・・・

この特徴は、ここにある資料から、ソクイックWの性質だと判明している。」

 

 

「そ、それが何よ? ライヤはソクイックWで死んだんだ。

アタシがソクイックWの特徴を口にしたって問題ないでしょうよ?」

 

「えぇ、あなたがこの発言をした時点ではね・・・。 しかし、その後にナナさんが、こんなことを言いました。

『・・・確かにあの薬品、おいしそうな香りと見た目でしたよね。私も薬品だと知らなかったら、飲んでたかも!』

これが、問題なのですよ!  

彼女はあなたと同じような内容の発言を・・・つまり、ソクイックWの特徴を口にした。

しかし、それはオカシイのですよ!

彼女は3つの薬品を生物学科の実験室に持っていた後、すぐにあなたの元へ引き返し、カードキーを渡した。

だから、彼女は薬品を混ぜてソクイックWをつくる時間などなかったのです。

つまり、彼女が虹色の輝きと甘い香りなど感じたはずがない。」

 

「な、何が言いたいのよ?」

 

「ソクイックWは最初から作られていたのですよ!

あなたが、ナナさんに渡した3つのビンの中には、あらかじめ作られたソクイックWが入っていた。

それならば、ナナさんがソクイックWの特徴を述べてもおかしくない!

・・・そして、3つの薬品は元々化学学科の薬品庫に入っていた以上、ソクイックWを作れたのは、あなたしかいないのですよ! やはり、あなたが犯人なんですよ・・・布鮭ルナさんっ!!」

 

これを聞いた被告人は少しの間、黙ったままだった。 だが、すぐに、冷静な様子で話し始めた。

 

「なるほどねぇ・・・。 私が、ソクイックWを作った・・・か。 

いいわ。 それ、認めてあげる。」

 

「えっ?」

 

意外な被告人の言葉に、僕は拍子抜けしてしまった。

 

「思い出したのよ、アタシがソクイックWを作ってやったことをね。

ナナもさっき言ってたけど、生物学科は劇薬の扱いに慣れてないのよ。

だから、代わりにアタシがやってあげたの。 でも、それだけよ。 アタシは殺害には関係ない!

結局、ライヤは自分の意思でソクイックWを飲んだんだ。

アタシは、実験室にすら入ってないんだから、ライヤの意思をどうのこうのすることは出来ないと思うけど?

・・・それとも、アタシがライヤの意思を操作した証拠でもあるのかしら?」

 

ソクイックWを作ったことを認めてもなお、殺害は否定するだと・・・

 

いや、毒をつくったのが被告人である以上、被告人が犯人じゃないわけがない!

 

なにか、あと一撃ほしい・・・被告人を完全に追い詰める、もう一撃が・・・

 

だが、僕にはそれが見つけられていなかった。

 

11:12 真相へ・・・

 

「・・・・・・・・・」

 

僕は何も反論することが出来ないでいた。

 

「どうやら、検事さんもアタシの無実を認めてくれたようですよ、生倉弁護士?」

 

「当たり前ですよ、布鮭さん! あなたは私が認めた、無実の女性ですからねぇ・・・

さぁ、裁判長、今こそ判決を・・・・・」

 

  

「おやおや、道比木検事・・・ここまできて『待った!』は往生際が悪いだけですよww」

 

生倉弁護士が、からかってきたが、実際、今の僕は往生際が悪いだけだった。

 

何も考えずに、ただ「待った!」と叫んだだけだった。

 

でも、叫んだからには、何か言わないと・・・

 

「そのぉ・・・これです!

これについて、もう少し議論が必要だと思います!!」

 

焦っていた僕は何の考えもなしに、その時手に持っていたものを突き出した。

 

「それは・・・カードキーですか? そんなもの、もはや議論し尽くされたじゃないですか!

ナナさんの物で、事件発生時は被害者が持っていた・・・そうですよね? それ以上に何か?」

 

「そ・・・そうなんですけど・・・・・・

い、いえ・・・違います! こっちです! これのことを僕は言ってるんですよ!!」

 

「はぁ? 意味が分かりませんなww」

 

確かに自分でも意味が分からなかった。

 

僕が示したのは、カードキーをくるんでいた、謎のくしゃくしゃの紙だった。

 

番刑事から、このカードキーを手渡されたときから、この紙が何なのかは少し気になっていたけど、

 

おそらく、被害者がポケットに入れていたゴミがたまたまカードキーをくるんだといったところだろう。

 

「まぁ、いいでしょう。

弁護側としては、そんなゴミに重大な意味などないと考えますが、ゴミにもすがりたい検察側の気持ちは分かる気もしますよww

しかし、そのゴミがなんだというのです?

待ったを唱えてまで主張するのですから、ちゃんと説明していただかなければいけませんよ!」

 

僕は必死で言い訳を考えた。 カードキーからその紙を引き剥がして、裏返してみたりもした。

 

そして、気づいた。 言い訳なんかする必要はないと・・・

 

これこそが・・・このゴミのような紙こそが、被告人が犯人であることを裏付ける最大の証拠であることが!!

 

僕がこの紙を突きつけたのは、気まぐれな偶然ではなく、必然だったんだ!

 

「もちろん、ちゃんと説明しますよ!」

 

おそらく、急に変わった僕の態度に、生倉弁護士は少なからず、驚いただろう。

 

それを想像して、ちょっと愉快になりながら、僕はあとの言葉を続けた。

 

「この紙が、被告人の犯行を裏付けてくれるのです!

・・・これは単なるゴミなんかじゃない! 被告人から被害者に当てられたメッセージなんですよ!」

 

「め、めっせーじぃ!?」

 

「ここにはこう書かれている。

生物実験室でやってほしい事

①顕微鏡で、例の資料の観察をして、結果のレポートをまとめてくること。

②実験机の上に、私がこの前作った試薬をビーカーに入れて置いておくから、試飲して効果を確かめてくること。

※明日、感想を聞くから、絶対飲んできてよ!

 

ここに書かれている、試薬・・・

この試薬こそ、ソクイックWのことなのです。

事件現場に、机の上の液体はソクイックWしかありませんでしたからね!

そして、最後の行を見てください。 赤い字で下線まで引いて、他のところよりも強調して書いてあります。

ここまでされたら、ここで試薬とされているソクイックWを何の疑いもなく飲んでしまうのが普通です。

つまり、布鮭さん! あなた自身は実験室に入らずとも、あなたはこのメモを通して、

無理やり被害者にソクイックWを飲ませることができたんですよ!!」

 

「なっ・・・が・・・・なんでよっ!!

ふざけるなっ!! ふざけるなぁぁぁ!! ホラフキライヤァ!!!

そのメモは終わったらすぐに捨てろって言ったのにっ!!!」

 

「残念ですが、それは無理ですよ。

ソクイックWは即効性の毒です。 飲んだらすぐに死んでしまう。

被害者は捨てたくても捨てる暇なんてなかったんですよ!」

 

「あっ!!」

 

「どうやら、ナナさんを利用してみたり、自殺に見せかけようとするのに頭を使いすぎて、肝心の毒の性質を忘れてしまっていたようですね。

おかげで、僕はこのメモが手に入って助かりましたよ。

このメモがある限り、もうあなたは言い逃れはできない! そうですよね? 布鮭ルナさん!!」

 

「く・・・くそぉぉぉぉぉぉぉぉ!!! 最後まで、このアタシを困らせやがってっ!

洞吹雷也・・・ふざけるな! ふざけるな!! ふざけるなぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

この後、被告人はしばらくの間、「ふざけるな!」を連呼し続けた。

 

裁判長は木槌を叩きながら、「静粛に!」を言い続けた。

 

それでも、収まらないので、番刑事が飛び出していって、「ジャスティス!」を叫びまくった。

 

なんなんだ、この地獄絵図みたいな光景は

 

だが、さすがの被告人も疲れたのか、ようやく叫ぶのを止めた。

 

そして、おもむろに、今回の事件の真相を語り始めた。

 

「・・・仕方ない、認めるよ。 ライヤを殺したのは、アタシさ。

・・・でも、悪いのはアイツのほうなんだよ!

いつもしょうもないウソばかりついて、アタシを困らせてたんだ・・・

実験の開始時刻を間違って教えられて、遅刻したから教授に怒鳴られたり・・・

レポートの締め切りにアタシが間に合わなそうなときに、ライヤが必要な資料そろえて来てくれたから感謝したのに、それが全然関係ない資料だってことに後で気づいたり・・・そんなことは、まだ許せたよ。

でも、あれだけは許せなかった・・・

ある日、ライヤが新しい化合物の生成に成功したから、一緒にやってみようってアタシに持ちかけてきたんだ。

だから、承諾して、ライヤの言うとおりの薬品を、言うとおりの分量で混ぜた。

そしたら、どうなったと思う? 爆発したんだよ! 危うくアタシは大怪我を負うところだった。

あれは失敗とかじゃない。 ライヤは、最初からあの爆発を起こさせてアタシを脅かすつもりだったんだ!

あの時のライヤの面白がった表情がそれを物語ってた。

・・・その時、アタシの中でもう我慢がならなくなった。

仕返しをしなければ・・・それも、あの爆発を超えるすごい仕返しを・・・

その仕返しが、今回の事件だよ。

エイプリルフール・・・ウソの許される日に、最悪のウソで仕返しをしてやろうってね。

・・・ナナ、ごめんね。 本当はアンタなんか利用するつもりじゃなかった。

本当は自分の実験室にアイツを呼べばそれでよかったんだ。

でも、これも運命なのか、あの日、ナナがあの毒を作るための薬品をもらいに来た。

だから、アタシはとっさに、自分が疑われないよう生物学科の実験室を事件現場にした。

・・・本当にアタシは馬鹿だよ。 一時の感情に流されてこんなことをするなんて・・・

アタシこそ、ふざけるなっ!・・・だね。」

 

「裁判長、これが、この事件の真相です。」

 

「・・・どうやら、もうどこにも疑いの余地はないようですね。

私としては、氏名に“魚”がつく人物を悪人と見なすのは心が痛みますが、致し方ありません。

判決を下そうと思います。 弁護側もよろしいですね?」

 

「・・・・・・・はい。」

 

非常に不満そうな顔をしていたが、生倉弁護士もとうとう認めざるを得なかったようだ。

 

「それでは、被告人・布鮭ルナに判決を言い渡します!

 

有罪!」

 

裁判長の木槌の音には、どことなく重苦しい雰囲気が漂っていた。

11:28 地方裁判所 ロビー

 

「お疲れ様っ! ジャスティス君!!」

 

法廷を出るなり、番刑事が例の暑苦しい声をかけてきた。

 

「なんだね、元気がないではないか? 君は勝ったのだぞ! 

ワルモノに打ち勝ち、正義を掴み取ったのではないかっ!!

おまけに、こんな可愛いお姫様まで救出できた! 君は立派な、正義の味方だ!!」

 

お、お姫様・・・!?

 

「どうも、ありがとうございました、道比木検事!」

 

そう言って、僕に笑顔を向けた彼女を見て、僕は番刑事の言っていることがわかった。

 

あぁ、お姫様って、ナナさんのことか。

 

「いえいえ、僕は布鮭さんが犯人だって証明しただけで・・・」

 

「でも、それで私は無実だと認められたわけですから、ありがとうございます!」

 

なんか、そんなこと言われると照れるな。 よく見ればナナさん、結構可愛いし・・・・・

 

・・・って、そういえば・・・・・

 

「ナナさん、本名はなんて言うの?法廷に出てきたときも、少女Aとか言って、名前明かさなかったけど・・・」

 

「聞きたいですか?」

 

「うん、聞きたいよ。」

 

「まぁ、道比木さんは私の無罪を証明してくれた恩人ですから、教えなくちゃダメですよね。

・・・・・でも、私、実は名前なんてないんです。 ・・・私なんて、名無しの霊みたいな存在ですから・・・・・」

 

「ナナシノ・・・レイ!?」

 

そう言って、突然うつむいた彼女を見て、僕は何か深刻な秘密が隠されていることを悟った。

 

僕は、彼女の中の踏み込んではいけない領域に、足を踏み込んでしまった気がした。

 

「・・・・・・なーんて、冗談ですよ!」

 

「えっ?」

 

「七篠 レイ(ななしの れい)、それが私の本名です!

・・・ふふっ、この自己紹介の仕方するとみんな驚くから面白いんだよなぁww」

 

なんだよ、からかっただけかよ

 

深刻に考えて損したな・・・。

 

「そ、そうなんだ。

まぁ、とりあえず、疑いが晴れてよかったね、レイちゃん!」

 

「はい! 本当にありがとうございました。」

 

こうして、僕の初法廷は幕を閉じた。

 

“魚”をえこひいきする裁判官に、無罪さえ取れればいいという弁護人・・・

 

自分の名前を連呼した被告人に、なぜか匿名を希望した証人・・・

 

変な人たちばかり集まった裁判ではあったけど、これが僕の正義への第一歩となった。

 

まだまだ、この先困難は立ちはだかるだろうけど、僕はくじけない!

 

正義の実現を目指して、これからも走り続けるぞ!!

 

・・・・・とその前に、まずはユガミ検事に裁判の結果を報告しておこう。

 

僕は、ユガミ検事に電話をかけた。

 

「・・・・あっ、もしもし、ユガミ検事ですか?」

 

「おぅ、道の字か! 今日の裁判、やってくれたようだなァ。

まっ、おめぇさんのことだから、心配しなくても勝ってくれるとは思っていたが、

一応、褒めとくぜ。 やったな、道の字!」

 

「あっ、ありがとうございます!

・・・でも、なんでもう結果を知ってるんですか? 裁判終わったの、ついさっきですけど・・・」

「そりゃ、あれだ。

オレも傍聴席で見学させてもらってたからなァ・・・

隣を係官に囲まれて、監視されてたから、あんまりいい気分じゃなかったが・・・」

 

「えっ!?

でも、ユガミ検事、独房から出られなくなってたんじゃあ・・・」

 

「・・・・・ぷっ、はっはっはっはっは!!

コイツは傑作だなァ! あんなのずっと信じてたってのか?

あんなのウソに決まってるだろうが!

錠前なんてイカれちゃいねぇさ。 オレはいつでも、出れたのさ。」

 

「えっ!? えぇぇぇぇぇ!!!

なんで、そんなウソつくんですか! おかげでこっちは事件の内容もよくわからず困ったんですからね!」

 

「優秀なおめぇさんには、それくらいのハンデがあったほうがやりがいがあると思ってなァ・・・

それに、あれじゃねぇか・・・エイプリルフール!

その日はウソついたって構わねぇって、斜向いの囚人が言ってたぜ。」

 

あの、今日はもう、4月7日なんですけど・・・

 

電話越しに聞こえる、ユガミさんの愉快な笑い声とは対照的に、

 

僕はなんだか、裁判には勝ったけど、納得のいかない気持ちになった。

 

 

第1話 嘘は逆転の始まり  完

 

 



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第2話 逆転の手術室(その1 捜査1日目) 

「・・・・・それでは、これから手術を始める。 皆、準備はいいか?」

 

「はい、準備完了しています。」

 

「うむ、では、まずは麻酔を頼む。」

 

「はい。

・・・・・・・・・・・・・・麻酔、完了です。」

 

「それでは、始めよう。 ・・・メス!」

 

・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・

 

「!?

・・・せ、先生、大変です! 患者の様態が急変しています!! 

心拍数が、みるみる下がっていっている!」

 

「な、なんだと!? 

そんなはずはない! まだ、開腹しただけだぞ!

・・・一体、どうなっているんだ!?」

 

5月6日 13:36 追田(おった)クリニック 診察室

 

「・・・というわけで、まぁ、異常はないじゃろうな・・・ウシシ・・・」

 

「は、はぁ・・・そうですか。」

 

僕は今日、ここ追田クリニックに健康診断に来ていた。

 

僕が検事だと知った受付の方の好意で、院長先生に診てもらうことになって、

 

今ここで診察してもらうことになったのだけど・・・・・この人、本当に院長か?

 

「あの、もう終わりですか?」

 

「そうじゃよ。 あんたは健康じゃ!

いろいろ調べたが、何も問題はない。 安心しなさい!」

 

「いや、安心できませんよ!

いろいろ調べたって、適当に聴診器を服の上から当てただけじゃないですか 」

 

表情も、言っちゃ悪いが、なんだかいやらしい感じだし・・・

 

「わしゃ、名医じゃからな! それだけで、なんでもお見通し・・・」

 

「あっ、こら、おじいちゃん!

いなくなったと思ったら、また院長の真似なんかして!

・・・すいませんね、今、本物の院長が来ますから、もう少し待合室でお待ちください。」

 

やっぱり、偽物だったよ・・・

 

おじいさんは看護師さんに引っ張られながら去って行った。

 

仕方がないので、僕は待合室に戻ることにした。

 

・・・が、診察室の外へ出ようとした瞬間・・・・・

 

「急げ、時間がないぞ! 一刻を争う事態らしい!」

 

「一体なんで・・・・・あの手術はそんなに難しいはずはないだろ?」

 

「詳しいことは知らん!

だが、そんな理由を考えてる暇はないっ!とにかくまずは、患者の命だ!」

 

2人の白衣を着た男が、医療器具の乗った荷台を押しながら、駆けていった。

 

僕は、危うくひかれそうになった。

 

緊急事態なのか、かなり急いでいる様子だった。

 

医者ってのも、大変だなぁ・・・。

 

そんなことを考えながら、待合室に戻ろうとしたとき、何かが足に当たった。

 

・・・ん、これは? それは、酸素マスクだった。

 

おそらく、さっきの荷台から落ちたんだろう。

 

なら、届けたほうがいいよな?

 

確か、2人が駆けて行った方向に手術室があったはずだ。

 

そこに行けば、彼らはいるんじゃないかな?

 

僕は手術室に向かうことにした。

 

同日 13:42 押田クリニック 手術室

 

ここが、手術室だな。

 

・・・だが、そこには誰もおらず、その扉は固く閉ざされ、静まり返っていた。

 

さっきの2人が、酸素マスクを探しているかと思ったんだけどな・・・

 

まぁ、扉が閉まってちゃ、どうしようもない。

 

手術が終わって誰か出てきたら、渡すことにしよう。

 

そう思った瞬間、扉が開いた。

 

えっ? 手術終わったのかな?

 

手術着に身を包んだ体格のいい男性が出てきた。

 

だが、その表情は暗く、うつむいていた。

 

「くそ・・・おれが執刀するオペでこんな結果になっちまうとは・・・・・」

 

その言葉から察するに、どうやら手術は失敗してしまったようだ。

 

彼はすぐに、僕の存在に気付いた。

 

「!? ・・・あなたは・・・・・・

も、申し訳ありません! 今回のオペ、失敗してしまいました!

彼は・・・彼は・・・残念ながら・・・・・・・・」

 

そう言いながら、男は土下座をした。

 

どうやら、患者は亡くなってしまったようだ。

 

そして、僕は患者の関係者と間違えられてしまったようだ

 

僕を患者の関係者だと思い込んでいる男は、なおも続ける。

 

「でも、今回の件、あなたに泣き寝入りはさせません!

・・・もう、私が警察に通報しました。

この事件、必ず、警察が暴いて、やつを罰してくれるはずですから!」

 

えっ!? ちょ、ちょっと待った!

 

警察? 事件? 一体どういうことだ?

 

患者は手術のミスで亡くなったんじゃないのか?

 

「これは、医療ミスなんかじゃない! ・・・奴が、意図的に彼を殺したんだ!」

 

どうやら、今日は健康診断を受けるだけでは、帰れそうにない。

 

14:10 追田クリニック 手術室前

 

間もなく、見覚えのある手帳を掲げながら、こちらにやってくる男が現れた。

 

「ただいま、到着しました! 警察です! ・・・警察局刑事課の義門府です!」

 

義門府・・・ギモンフ・・・その名字に、僕は聞き覚えがあった。

 

義門府といえば、前警察局長が例の不祥事で解任になった後、

 

地方警察局長となった、義門府 直志(ぎもんふ なおし)の名字として僕は聞き覚えがあったのだ。

 

だが、警察局長直々に、事件現場に出向いてくるはずはない。

 

・・・とすると、もしかして、今こっちに向かって来ているのは・・・・・

 

やっぱり、そうだ!

 

「ハテナくん・・・だよね?」

 

「な、なんで、その呼び方を知ってるんだ!?」

 

刑事は大げさに驚いた様子を見せた。 やっぱり、彼で間違いないみたいだ。

 

今、目の前にいる男・・・義門府と名乗った刑事は、

 

警察局長、義門府直志の息子、義門府 孝志(ぎもんふ たかし)だ。

 

実は、僕は彼のことも知っていた。

 

・・・といっても、会ったのは今日が初めてだけど、彼は大学で有名人だったからな・・・。

 

彼、義門府孝志は、僕と同じ、戸亜留大学法学部を卒業した同級生だった。

 

彼は、身長180cmの長身で、運動神経が良かったし、確か、剣道では有段者だったはずだ。

 

学習面でも、法学部の中では常に上位層に位置していたし、いわゆる、万能人間・・・エリートってやつかな?

 

しかし、そんな彼についたあだ名が、“ハテナくん”だった。

 

その理由は、彼の性格にあった。 彼は、かなりの優柔不断な男だった。

 

・・・というか、自分の判断に自信が持てないらしかった。

 

「・・・今までの推論をまとめれば、結論はこうだ!

・・・いや・・・でも、待てよ?

これは、ここがこうだと信じたからであって、もしこれが間違っていたら・・・・・

うーん・・・はてな・・・全く分からなくなってしまった。」

 

こんなことを口にすることが日常茶飯事だったらしい。

 

(もっとも、彼の結論は、悩まずとも、いつも間違いなどなかったらしいのだが・・・。)

 

そして、悩み始めたときに出る口癖、「はてな・・・」から、いつしか彼はハテナくんと呼ばれるようになっていた。

 

実際の能力と性格がムジュンした人物・・・そんなわけで、彼は法学部の有名人だったのだ。

 

今日初めて、実際に会った僕がここまで語れるのだから、彼のことがどれだけ法学部中に知れ渡っていたかは想像できると思う。

 

「あっ、君は、道比木正義くんか!」

 

おや、彼もぼくを知っていたのか?

 

「特別卒業をして、検事になったっていうのは、君だよね!

いやぁ、すごいやつがいるもんだと思ってたんだよ!

・・・それに引き換え、僕なんて、この前の3月に卒業したばかりで、4月にやっと警察官になれた、ド凡人だ。」

 

いやいやいや、謙遜の仕方間違ってるよ!

 

僕は、卒業後に3年間、頑張ってやっと検事になれたけど、義門府くんは、卒業後1か月足らずで警察官になったって、どうみても君のほうがすごいでしょ!

 

「・・・って、こんな話をしてる場合じゃないんだよ!

事件だ! 事件があったって通報で、僕はここへ来たんだ。 一体、何があったというのです?」

 

義門府刑事は、急に表情を変え、手術着の人物のほうを向いた。

 

その眼は真剣な刑事そのものだった。 やっぱり、彼、優秀なんだろうな。

 

「えぇ、お話しますよ。

まず、私は、刃崎 英利(はざき えいり)(52)。

ここ、追田クリニックの外科医で、今回の事件となった手術で執刀医を担当した医師です。

その手術の内容についてですが・・・

患者の氏名は、平院 修吾(びょういん しゅうご)(27)

胃の中に腫瘍ができていたので、それを取り除くことが、今回の目的でした。

腫瘍といっても、良性だったんですが、彼は健康に関しては異様に不安を覚える性格のようでしてね・・・

我々としては、身体を傷つけるほうが、負担がかかると申し上げたのですが、

平院さんがどうしても、とおっしゃったので、今回の手術に至りました。

この手術のリスクはそれほど高くはありませんでした。

我々も何度も行ってきた手術ですし、今までに失敗したことは一度もなかった。

しかし、今日、初めて失敗が起こってしまった。

手術中に突如、彼の心拍数が低下し、彼は、残念ながら亡くなってしまった。

・・・だが、これは決して医療ミスではないのです!

彼の心拍数が下がった時点で行っていたことは、麻酔と開腹だけです。

それなのに、平院さんは亡くなってしまった。

ならば、考えられる理由は、ただ一つ!

麻酔に何かが仕込まれていたんだ・・・平院さんを死に至らしめる何かが!

これは、麻酔医が意図的に仕組んだ事件なんですよ!

だから、私は、刑事さん・・・あなたに麻酔医を事件の犯人として、突き出します!」

 

「・・・な、なるほど。 しかし、あなたは、麻酔医が犯人だと断定する証拠はないんですよね?」

 

「えっ?・・・それは、そのぉ・・・・・まぁ、ないですが・・・・・」

 

「ならば、とりあえずは捜査をしてみないことには分かりません。

あなたを含めた、手術関係者への事情聴取・・・手術室の科学捜査・・・その他聞き込み・・・。

そういったことを踏まえたのち、これは事件なのか・・・

そして、事件ならば、誰を犯人として起訴するのかを決めたいと思います!」

 

義門府刑事はとても冷静で、要領を得ていた。

 

なんか、ハテナくんとか本当に呼ばれていたのかな?ってくらい、しっかりしている。

 

ここはもう、僕がいる必要はないな。 僕は、待合室で健康診断を待つことにしよう。

 

「さぁ、じゃあ行きますよ、道比木検事!」

 

「えっ!?」

 

「これから、他の検事を呼ぶと時間がかかってしまう。

君が、ここにいてくれたのは、運が良かったよ! すぐに捜査が始められる!

・・・僕は、道比木正義検事・・・君を今回の担当検事に任命します!」

 

あの、普通は逆じゃないかな? 検事が、刑事を任命するんじゃあ・・・

 

だが、僕に反論の余地はなかった。 無理やり腕をつかまれ、手術室の中へと連れていかれた。

 

 

 

14:20 押田クリニック 手術室内

 

手術室の中は騒然としていた。

 

「・・・だから、俺じゃないんだって!」

 

「じゃあ、他に誰がやったっていうのよ?」

 

「刃崎先生だって、患者に接しただろ? だから、先生だって・・・・」

 

「き、君・・・刃崎先生を疑っているのかい? あれほどの名医を疑うなんて、君は罰当たりだよぉ!!」

 

「これこれ、チミたち! 今は、そんなことで言い争ってる場合じゃないじゃろうが!

まずは、平院どのの遺体を病室まで運び、安らかに眠れるよう処置を施してやることが優先じゃ!」

 

そう言って、一番年配の医師が患者を、外へ運び出そうとした。

 

だが、それを義門府刑事が止めた。

 

「お待ちください! 僕は、警察局刑事課の義門府孝志です。

執刀医の刃崎医師から通報を受け、今回の手術について、事件性を視野に入れた捜査をすることになりました。 ですから、みなさん、この場を動かないように!

そして、手術室内のものは一切動かさないように願います!」

 

「あぁ、あなた、刑事なのね? だったら、話が早いわ! 平院さんを殺したのは、この男よ!」

 

女性の医師が、向かい側に立っている男性医師を指さした。

 

「だ、だから、俺じゃないって!」

 

「君、嘘はよしたほうがいい! そのうち、天罰下っちまうぞぉ!!」

 

「な、なんで、みんなして俺を犯人に仕立て上げるんですか!」

 

「だって、あなた・・・」

 

「黙ってください!」

 

その一喝で、手術室内は静まり返った。 今の声は、義門府刑事・・・だよな?

 

 

「犯人が誰かを決めるのは、僕とこの道比木検事です。

あなた方が、誰が犯人だ・・・いや、違うなどと主張しても、何の意味もない!

捜査をしなければ、何もわかりません。

だから、まずは冷静になって、僕らの捜査に協力してください。

・・・とりあえず、皆さんの氏名と、この手術での役割を教えていただけますか?」

 

やっぱり、彼、すごくしっかりしてる。 番刑事なんかより、よっぽど安心して見ていられる。

 

ホントに彼が、ハテナくんなのか?

 

「・・・取り乱して、失礼しました。

俺は、麻酔医の鱒井 拓海(ますい たくみ)(28)。

まぁ、その名の通り、手術では、平院さんに全身麻酔をかけました。」

 

彼が、さっきから散々犯人扱いされている、麻酔医か・・・。

 

「私は、石野 香織(いしの かおり)(32)・・・看護師です。

この手術では、手術器具の準備や、患者の平院さんを手術室まで連れてくること・・・

それから、手術中は、心電図や血圧のモニターの確認を行っていたわ。

だから、平院さんの異変に最初に気付いたのは私だった。」

 

女性医師だと思っていた彼女は、看護師だったのか・・・。

 

「僕は、研修医です。 名前は、真田 勉(まだ まなぶ)(24)。

今週が研修の最終週ってことで、今日は刃崎先生のお許しを得て、手術に参加させていただきました。

僕がやったのは、刃崎先生に指示された器具を、先生に渡すことだけでしたよ。」

 

24歳って、僕より年上だけど・・・

 

まだ研修の身とは、医者になるのって本当に大変なんだな・・・。

 

「わしは、五河 趙二(いつかわ ちょうじ)(65)。 この追田クリニックの副院長じゃ。

・・・じゃが、この手術での肩書は、副執刀医・・・刃崎医師の部下という役回りだった。

(副が好きだなぁ・・・とかは思わんように!)

と言ってもまぁ、今回の手術でわしがしたことは何もないんじゃがな・・・。

わしは、消化器が専門の医師だから、今回は胃の手術ということで、緊急事態に備えて呼ばれたんじゃが・・・その緊急事態に対応できなかったんじゃから、面目がないわなぁ・・・。」

 

この人が、副院長?

 

僕には、呑気なおじいさんにしか見えないんだけど・・・。

 

「・・・なるほど、あなた方自身については大体わかりました。

では、我々はこれから、この手術室を捜査させていただきますので、

みなさんは、どこか別の場所でお待ちください。

また後で、お呼びしますから・・・。」

 

そう言われて、4人は手術室を後にした。

 

「じゃあ、道比木検事、捜査を始めよう!」

 

「うん・・・じゃあ、まずは遺体を・・・」

 

「いや、遺体を調べるのは後でいいよ。

まずはこっちを調べよう。 犯人を特定することが先決だ。」

 

そう言って、刑事は手術室のある場所を調べ始めた。

 

どうやら彼にはもう、犯人の目星がついているようだ。

 

今回の事件、義門府刑事がいれば安心だ。 その時の僕は、そう思った。

 

14:31 手術室内

 

義門府刑事は、手術器具が並べられた台のほうへ向かっていった。

 

そして、いくつかの器具に触った後、こう言った。

 

「うん、わかったよ。」

 

「わ、わかった・・・って、もしかして・・・犯人が!?」

 

「あぁ、1人に特定はできないけど、候補の2人は絞れたよ!」

 

刑事が器具に触れたのは、ものの数十秒だ。

 

それだけで、本当に2人に絞れたというなら、彼はやっぱりエリートだ!

 

「その2人っていうのは、誰なの?」

 

「執刀医の刃崎英利と麻酔医の鱒井拓海さ。

今、手術器具を調べたけど、使われた形跡があったのは、このメスと、この注射器だけだった。

さっき、刃崎先生が、『麻酔をして、開腹した時点で患者の様態が急変した』と言っていたけれど、どうやらその通り、この手術では、麻酔と開腹しか実際には行われなかったようだ。

それなら、普通に手術が行われた場合、医療ミスが起こって患者が亡くなるなんて事態にはならないはずだ。

鱒井先生は、麻酔に特化した麻酔医なんだし、刃崎先生の行った開腹だって、外科医にとっては初歩的な操作だからね。

つまり、平院さんが手術中に亡くなった理由は、次の2つのパターンしかありえない。

①刃崎先生が、開腹の際、意図的にメスで致命傷となる部位を傷つけた。

②鱒井先生が、麻酔薬に何か死に至らしめる物質を混入させて、麻酔を行った。

医学の知識が豊富な彼らなら、どちらにしても実行は可能だったはずだよ!」

 

「な、なるほど・・・。 でも、それなら、他の3人はどうなの?

例えば、研修医の真田さんは、刃崎先生に渡す時にメスに触っているから、そこで何か細工をできたかもしれないし、そもそも、手術器具を用意したのは看護師の石野さんだし、平院さんを連れてきたのが彼女だって事実から、彼女も怪しいと思うんだけど・・・」

 

「まぁ、それも否定できないのは確かだよ。 

ただ、その中でもかなり、可能性が高いのがさっきの2人なんだよ。

他の3人については、事情聴取もするし、これから、鑑識が手術室を調べれば明らかになるはずさ。

とにかく、僕らは、刃崎先生と鱒井先生に目星をつけて捜査を続けよう。 いいかな、道比木検事?」

 

「あ・・・はい、いいですよ。」

 

なんか、完全に立場が逆転しちゃったな・・・

 

14:43 ナースステーション

 

「ウシシ・・・カオリちゃんはいつ見ても、やっぱりかわいいのぉ・・・どれ、ちと、わしが診察を・・・・・」

 

「いい加減にしてくださいっ 」

 

「!? ・・・な、なんで、怒るんじゃ? ・・・でも、怒ったカオリちゃんも、たまらんなぁ・・・」

 

「ふざけるな、エロジジィ!! 」

 

「ちょ、ちょっと・・・石野看護師! 患者さんに暴言吐いちゃだめでしょう!」

 

「はぁ? 人を殺しておいて、あたしに説教しないでよ! 」

 

「だ、だから、俺は犯人じゃないって!!」

 

ナースステーションは非常に騒がしくなっていた。

 

僕らは詳しい話を関係者から聞こうと思って、ここへ来たのだが、どうやら事情聴取など、できそうにないな、こりゃ・・・

 

「おや、あんたたちは、刑事さんだったのぉ! 捜査とやらは終わったのかね?」

 

良かった。 副院長の五河先生は、僕らの存在に気づいてくれた。

 

「いえ、まだ途中ですが・・・先に、皆さんに詳しい事情聴取をしたいと思いましてね。」

 

「なによ、そんなの必要ないわ! こいつが犯人だから!」

 

「だから、俺は・・・」

 

また、始まったよ  何回このやり取りを聞かされるんだろう・・・。

 

「君はとりあえずいい。 まずは、刃崎医師にお話を伺いたいのですが・・・」

 

「おぉ、刃崎先生なら、今は回診中じゃ。」

 

「えっ? 皆さんには、一緒に待ってるように言ったじゃないですか!」

 

「そうは言っても、ここは病院じゃ。 患者のことを優先せねばならん。

心配しなくてもいい。 あと10分もすれば、戻ってくるじゃろうから・・・。」

 

「そうはいっても・・・」

 

計画がくるったのか、初めて、刑事の顔に不安の色が現れた。

 

14:56 ナースステーション

 

あれから13分が経った。 だが、刃崎医師はまだ戻ってきていなかった。

 

刑事の不安の色は不満の色に変わっていた。 そして、とうとう我慢ができなくなったらしい。

 

「あの、もう僕らのほうから伺います。 刃崎先生はどこを回っていらっしゃるんですか?」

 

「おそらく、外科病棟じゃろうな。 あっちの棟の3階か4階にいるはずじゃ。」

 

「ありがとうございます!」

 

そう言うと、刑事は一目散に走って行った。

 

僕も急いで後を追いかける。 そんなに待つのが我慢できなかったかな?

 

14:59 外科病棟 廊下

 

「では、大場さん、お大事に・・・」

 

おっ、いたぞ。 刃崎先生だ。 ちょうど、ある病室から出てくるところだった。

 

すかさず、義門府刑事が近づいていくので、僕も急いで後を追う。

 

「見つけましたよ、刃崎先生っ!」

 

「おっ・・・あぁ???」

 

いきなり刑事に叫ばれ、刃崎先生は困惑した表情だ。

 

だが、僕に気付くと、表情を変えた。

 

「!?・・・あなたは、さっきの・・・・・この度は本当に申し訳ないことを・・・」

 

「いえ、僕は平院さんの関係者じゃありません。 検事です。」

 

「け、検事さん・・・ですか? ・・・ということは、そうか! 鱒井のことが聞きたいんですね?

えぇ、間違いなくアイツが犯人ですよ!」

 

だが、それに刑事は首を横に振る。

 

「いえ、僕が話を聞きたいのは、あなたです。 犯人の、刃崎英利さんっ!」

 

「えっ、えぇぇ!?」

 

思わず声を出してしまったのは、僕だ。

 

そんなこと聞いてないぞ。 一体、どういうことなんだ?

 

15:02 外科病棟 廊下

 

「事件の起こった手術で行われた行為は、麻酔と開腹のみ。

そこから導き出される、被害者の死因は、麻酔時に有毒な異物が混入したことによる中毒死か、開腹時に致命傷となる部分が傷つけられたかのどちらかです。

ですが、麻酔は看護師の石井さんがあらかじめ用意していたため、鱒井医師が細工を仕掛けることはできなかったはずです。となれば、残る可能性は、あなたが致命傷を負わせたとしか思えないのですよ。」

 

「なるほど。 それで私を疑うわけか・・・。 だが、それでも死因は前者だろうな。」

 

「えっ?」

 

「君の推理によれば、鱒井には細工ができなくとも、石井には細工はできる。

石井が共犯者だったのかもしれないぞ。」

 

「いや、あんなに仲悪そうなのに共犯って・・・」

 

僕は思わず口にしてしまった。 そして、それに刃崎先生が反応した。

 

「フッ、確かにそうだな。 彼らが協力するとは思えんな。

これはあくまで予測だ。 鱒井が一番怪しいと思うが、犯人とは断定できない。

・・・だが、私が犯人でないということは自信を持って言える。」

 

「・・・・・」

 

予想外の展開に刑事は口ごもる。

 

「君たちに、これを渡そう。 読みたまえ。 これで私が犯人ではないことがわかるだろう。」

 

渡されたのは、分厚い本だった。

 

表紙に『医師のタブー100選』とタイトルが書いてある。

 

「それは、手術におけるやってはいけないことリストみたいなものだ。

そこに書かれていることは、間違って行ってしまった場合、どんな処置を施しても、患者の命を救うことは非常に難しいという行為だ。」

 

中を開いて見てみると、イラストと長々とした文章が書かれていた。

 

「執刀編のページを見てみたまえ。

そこに書かれている、どの禁止事項も今回の開腹とは似ても似つかぬ状況だろう?」

 

そういわれて、そのページを見てみた。

 

長々書かれている文章は、危険な理由などが記されているらしいが、専門用語ばかりでよくわからない。

 

しかし、ざっとイラストを見た限りでは、刃崎先生が言う通り、今回の被害者の状態とは全く違うもののようだ。

 

「どうだね? 私が犯人ではないと理解してくれたかね?」

 

どうやら、この事実は認めるしかないみたいだな。

 

あんなにきっぱりと、刃崎先生が犯人だと言い切ったのに、推理が外れて、義門府刑事はさぞがっかりだろう。

 

「分かりました。 ご協力ありがとうございます。 それじゃあ、これで。 いくよ、道比木検事!」

 

「えっ、あ・・・うん。」

 

あれ、推理が外れたのに、やけにさっぱりしてるな・・・。

 

15:20 ナースステーション前

 

「あの、こんなこと言うのも変だけどさ、義門府刑事、何かやけにさっぱりしてない。

・・・その、推理が外れたのにさ・・・・・」

 

「えっ? 推理が外れた? 

ははっ・・・推理は外れちゃいないさ。 むしろ、今の刃崎先生の話で確信が持てたね。

・・・鱒井先生が犯人だってことにさ!」

 

「えっ!? じゃあ、さっき刃崎先生が犯人だって言ったのは・・・・・」

 

「あぁ、それはね・・・ああ言えば、自分が犯人ではないって証拠を僕らによこしてくれると思ってさ。

ほら、現に、この本を証拠として手に入れられただろ?」

 

そう言って、刑事が取り出したのは、さっきの『医師のタブー100選』という本だ。

 

「さっき、手術室で言ったとおり、僕が犯人として目星をつけたのは刃崎先生と鱒井先生の2人。

現場の状況から、2人にしか犯行は可能ではなかったからね。

そして、今の証言とこの証拠品から、刃崎先生が犯人だという可能性は消え去った。」

 

「つまり、犯人は鱒井拓海で決定ってわけか!」

 

「あぁ、そういうことさ。 つまり、被害者・平院修吾は麻酔薬に混入された毒物による中毒死。

この可能性が非常に高いと思うよ。 おそらくそろそろ司法解剖も終わっているはずだ。 

もう一度手術室へ戻って、確認しよう。」

 

まさか、消去法を使って犯人特定に至るとは・・・。

 

おそるべし、義門府孝志。 この事件、難なく解決できそうだな。

 

15:25 手術室内

 

「警察の義門府孝志です。司法解剖の結果を知りたいのですが・・・」

 

警察手帳を掲げながら、刑事が呼びかける。

 

だが、手術室内に人影はなかった。

 

「あれ・・・誰もいないのかな。 そんなはずは・・・」

 

・・・と思ったら、奥から人が現れた。 ・・・って、ん? もしや、彼女は・・・・・

 

「あっ、刑事さんですか。 すみません、司法解剖の結果は・・・・って、あれ?

!? み、道比木さんっ!?」

 

「やっぱり、そうだよね? 君、レイちゃんだよね?」

 

「はい、そうです! 覚えていてくれたんですね!!」

 

「・・・あのぉ・・・誰???」

 

事態を呑み込めない刑事は、きょとんとしている。

 

「こちら、七篠レイちゃん。

僕が以前扱った事件で、証人だった子なんだ。」

 

「はぁ、なるほど。 ・・・で、七篠さん・・・だっけ? 何で君がここにいるのかな?」

 

「なんでって、司法解剖を行ってたからですよ!」

 

「えっ? えぇぇぇ!?」

 

驚いたのは僕だ。

 

「なんで、道比木さんが驚くんですか?」

 

「だって、レイちゃんは大学生だったよね?」

 

「大学生が司法解剖やっちゃいけないんですか?

わたし、こう見えても優秀なんですよ。

生物学科に入ってるって言いましたけど、その理由は検視官になるのが夢だからなんです。

それで、猛勉強しましたから、特別研修生として、この事件の検視を担当させてもらうことになったんです。」

 

「レイちゃんは検視官が夢だったのか。 ・・・いや、でも、だからって学生が検視しちゃダメでしょ!」

 

「これを見てください!」

 

「・・・えっ? 何これ・・・!? これは、警察局長のサインが入っている!」

 

「えっ、父さんの? 一体、何が書いてあるんだよ、道比木検事!」

 

「『只今、多数の凶悪事件の同時発生により、警察は鑑識、及び検視官の人員不足に陥っている。したがって、追田クリニックにて発生した殺人事件の捜査に関しては、戸亜留大学の特別研修生に、検視の権限を与える。 地方警察局長 義門府直志』 だって。」

 

「ほら、わかったでしょ? この事件の検視官はこの私なんです!」

 

そうは言ってもなぁ・・・。 僕は、納得できなかった。

 

僕も研修生としての経験があり、検事の資格を取る前に法廷に立ったこともある。

 

だから、それと同じだと言われれば、言い返せないが、でも、検視は人の命に関わることだ。

 

そう簡単に、認めていいものなんだろうか?

 

「まぁ、父さんのお許しがあるならいいんじゃないかな。 道比木検事、彼女に任せよう!」

 

「え・・・」

 

刑事にそういわれると、否定しづらかった。 仕方なく、僕はレイちゃんに任せることにした。

 

「それで、七篠さん、司法解剖の結果は?」

 

「それがその・・・研修生の至らないところでして・・・・

結果は確実なものをお渡しする技術は備えているんですが、プロより時間がかかっちゃうんですよね。

まだ、結果が出せていないんです。」

 

「・・・あー、そうか・・・まぁ、しかたないね。

じゃあ、結果が出るころにまた来るよ。 いつごろ出来そうかな?」

 

「明日の午前中には、終わると思います。」

 

「あ、明日ぁ!?」

 

思わず、刑事は大声を上げたが、僕も同じ気持ちだった。

 

明日といえば、裁判当日!

 

つまり、司法解剖の結果なしで・・・死因の特定ができないままに裁判に臨まなければならないということだ。

 

「そんな・・・そんな・・・死因がわからなければ、犯人を1人に絞れない!

確かに、鱒井医師は限りなく犯人らしいけど、刃崎医師の疑いもまだ完全に晴れたわけじゃないんだ。司法解剖の結果で死因がわかれば、どちらが犯人か特定できたのに・・・・

これじゃ、誰が犯人かわからない! 鱒井か? 刃崎か?

ハテな? 犯人はどっちだぁ?」

 

ついに出た。 彼の名台詞ともいえる「ハテな?」。

 

それまで、素晴らしい分析を進めながらも、最後の最後で決断に迷う。

 

この優柔不断さは、まさしくハテナくんといわれるゆえんだ。

 

僕は急に、義門府刑事が担当刑事であることに不安を覚えた。

 

つづく



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第2話 逆転の手術室(その2 法廷1日目) 

5月7日 8:54 地方裁判所 ロビー

「本当に、これでいいんだよね?」

 

僕は、義門府刑事に尋ねた。

 

「あぁ、多分・・・。」

 

「た、たぶん!?」

 

本当に、大丈夫なんだろうか?

 

僕が今、手にしているのは、刑事がまとめた冒頭陳述の資料だ。

 

なんとかまとめ上げたようだが、最後の最後まで犯人が誰かの決断に悩んだようだ。

 

彼の判断、本当に・・・いや、疑っちゃだめだ! 刑事の判断を信じよう!

 

同日 9:00 地方裁判所 第6法廷

 

「それでは、これより、平院修吾殺害事件に関する裁判を執り行います。」

 

そう言って木槌を叩いたのは、この前の裁判でも担当だった鯖樹裁判官だ。

 

「では、検察側は冒頭陳述をお願いします。」

 

「はい。 本件の事件は、同年5月6日、追田クリニックの手術室で発生しました。

被害者は、平院修吾(27)。 そして、被告人は、鱒井拓海(28)です。」

 

そう、結局僕らは、鱒井医師を犯人として起訴したのだ。

 

「・・・被害者は、事件当日、胃にできた腫瘍の摘出手術中に死亡しました。

当初は、手術中の医療ミスによる事故死と思われましたが、被害者が死亡した段階で行われていた操作は、開腹と麻酔のみ。

医師の話によれば、普通に手術を行った場合、これらの操作だけで死に至ることはあり得ないそうです。 つまり、被害者の死には、何者かの意図的な操作が加わったことになるのです。

そして、現場の状況から被害者を死に至らしめることができた方法は、麻酔薬に毒物を仕込み、被害者を中毒死させること。

それができたのは、麻酔医の鱒井拓海氏です。 よって、検察側は、鱒井拓海を起訴いたしました。」

 

「なるほど、わかりました。 被告人、今の検察側の冒頭陳述に何か問題は・・・」

 

「その前に、1ついいかい? 

・・・道比木検事、だったかな? 君の発言に医学的コンキョはあるのかな?」

 

「あ、あなたは・・・どなたですか?」

 

ありゃ? 今度も弁護側は見たことのない人だ。

 

奇抜な色のシャツの上に、白衣を羽織っている。 

 

この前の生倉弁護士以上におかしな人の気配がするんだけど・・・。

 

「あぁ、自己紹介がまだだったね。

私は、曽口 漁輔(そくち りょうすけ)。 この事件の担当弁護士だ。」

 

「そ、そくち・・・ですか? もしや、あなた・・・お医者さんではありませんか?」

 

「え・・・い、医者?」

 

「あぁ、昔はそうだったよ。 でも、もう辞めちゃった。 今は普通の弁護士さ。」

 

元医者って・・・。 何で辞めたんだろう?

 

「ま、医者も弁護士も“先生”って呼ばれて、人助けをする仕事。

大した違いはないさ! 気にしないでよ。」

 

そういうもんなんだろうか?

 

「ところで、検事くん・・・話は戻るけど、君の発言には、医学的コンキョはあるのかい?」

 

「え・・? いや、ですから、今言った通り、死因は中毒死で・・・

その毒は、麻酔薬に仕込まれていたと・・・」

 

「違う、違う! 聞いてるのは、そういうことじゃないよ。

君が、麻酔薬に仕込まれた毒物で被害者が亡くなったと主張したいことは十分に分かった。

ならば、君がいうその毒物とは、何という物質なんだい?

その毒物は人体にどう作用する? 仮にその薬物が被害者の人体に作用していたとして、それが死因とつながると言い切れる可能性は何%だ? 君の結論は、他の医学・生物学的可能性を消去した結果に得られたデータなのかな?

・・・そう言ったことが、君の冒頭陳述では述べられていなかった。

そこを明確にしてもらわなければ、私の依頼人の鱒井くんが犯人だとは認めがたいんだけど。」

 

「・・・・・・・・」

 

僕は何も反論できなかった。 ・・・というか、この人何言ってるのかよく分からないんだけど・・・

 

「言葉が出ないということは、やはり、君の主張には医学的コンキョは伴っていないようだねぇ。」

 

「むむ・・・そうなのですか? 道比木検事? そりゃ、いけませんぞ!

・・・どおりで、おかしいと思ったのですよ。 被告人、名前が鱒井ですからなぁ・・・。

こんないい名前の方が犯罪など犯すはずがないのですよ!」

 

でたよ。 裁判長名物、魚のえこひいき! だが、この流れに負けちゃだめだ!

 

「た、確かに、医学的コンキョは、あまりしっかりと揃えられていません。

・・・で、でも、僕は検事だ。 そして、ここは法廷です! 

この場で必要なのは、法であり、医学ではない!」

 

「なるほど。 君の言い分は最もだ。

・・・でも、今回の事件で、鱒井くんが僕に依頼した理由を考えてごらんよ。

それでもまだ、同じことが言えるかな?」

 

鱒井医師が、曽口弁護士に依頼した理由?

 

「私は、さっきも言った通り、元医師の弁護士だ。

一応、弁護士なんて名乗ってるけど、正直、最初から法曹界にいる他の弁護士たちに法で勝てる自信はないよ。 もちろん、君にもね。

・・・だが、今回に限っては違う! 今回の事件現場は手術室だ。

この場所は、私にとってはホームグラウンドみたいな場所だ。

おそらく、法曹界の中では私が一番、今回の事件現場の状況を的確に判断し、事件当時の状況も予測できると自負している。

鱒井くんもそれを理解してくれたようだ。 それが、今回私が依頼された理由だよ。

つまり、今回に限っては、法より医学が重要だ・・・鱒井くんはそう考えたんだろうね。」

 

な、なるほど。 手術室で起きた事件だから、その道に長けた人物に弁護を依頼したわけか。

 

これは、なかなかしんどいな。

 

でも、僕らだって、しっかりと捜査を行ったんだ。 自信を持って臨めば大丈夫!

 

「・・・それと、理由はもう1つあるんだ。」

 

「えっ!?」

 

「私は真犯人を知っている。 それが、鱒井くんが私に依頼した、もう1つの理由だろうね。

お呼びしよう。 私が告発する真犯人だ!」

 

そんな・・・まさか!?

 

出てきたのは、予想通りあの人だった。

 

刃崎英利医師だ。 やはり、義門府刑事は最後の最後で判断を間違ったのか?

 

9:14 弁護側告発 ~真犯人は刃崎英利~

 

「彼が、私の告発する真犯人・・・外科医の刃崎英利氏だ。

道比木検事、君は、鱒井くんが麻酔薬に毒物を仕込んで被害者を死に至らしめたと主張したね?

さっきは、医学的コンキョがないとか、ちょっと意地悪なこと言ったけど、まぁ、君は君なりに考えた結果、その結論に至ったんだろう。 

だから、君の主張は、1つの可能性として一応認めておいてあげる。

だが、私は、君の考える主張が真実だという結論には至らなかった。

私が至った結論・・・それは、刃崎英利が、開腹中に被害者を殺害した、ということだ。」

 

曽口弁護士がいま口にしたことは、僕と義門府刑事も捜査の途中までは考えていたことだ。

 

でも、あの証拠がある限り、刃崎医師が犯人であるはずはない。

 

それでも、曽口弁護士は、刃崎医師を告発した。 これは、どういうことなんだろう?

 

「おや、道比木検事、ずいぶん不思議そうな顔をしているね。そんなに私の主張が認めがたいかな?」

 

「いや・・・だって・・・・・」

 

「何か言いたいことがあるなら言ってみなさい。

患者の疑問や不安を取り除かずに治療を進めれば、医師として失格だからな・・・」

いや、僕は患者じゃないし、あなたも、もう医師じゃないでしょう。

 

だが、せっかく、曽口弁護士が機会を与えてくれたので、僕は一番気になっていたことを言った。

 

「僕は、刃崎医師が真犯人だということには納得できません! それは、これがあるからです!」

 

「ん? それは何ですか?」

 

裁判長が興味深そうに、席から身を乗り出してきた。

 

「これは、『医師のタブー100選』という医学書です。

ここには、医師が手術中に行ってはいけない、患者を死に至らしめてしまう可能性が非常に高い行為が書かれています。

この中の、執刀編のページを見ると、主に手術中に行ってはいけないメスさばきについてイラストと共に書かれています。

このイラストをご覧になればお分かりのとおり、今回の手術で刃崎医師が行った開腹時のメスの使い方は、この禁忌行為のどれにも当てはまっていないことは明らかです。

つまり、今、曽口弁護士がおっしゃったように、『刃崎医師が開腹時に被害者を殺害した』という主張に、検察側は異議を唱えます!」

 

「ふぅむ・・・なるほど。

私は、医学に関してはほとんど知識がありませんが、このイラストを見る限り、道比木検事の主張は筋が通っているようですね。

どうでしょうか、曽口弁護士?」

 

「なるほど・・・。

その本は、私も利用したことがある由緒ある医学書だ。 難癖をつけるつもりはない。

だが、私の考えは変わらない。 やはり、刃崎医師が開腹中に被害者を殺害したのだ。」

 

「えっ? でも・・・」

 

「但し、殺害方法についての考えは少し違うよ。

道比木検事・・・君は、私が、刃崎医師が真犯人だと言ったとき、その殺害方法は、メスによって致命傷を負わせたことだと考えたんだろう。 だから、すかさず、その本を持ち出して否定した。

もちろん、殺害方法がそれならば、今の君の発言で彼が犯人である可能性はゼロになる。

だが、そうではないのだよ。

刃崎医師は、メスに毒物を塗り込み、それによって被害者を中毒死させた。

これが、私が考える、殺害方法だ。」

 

 

「それなら、僕の主張と同じじゃないですか! 僕だって中毒死を主張しました!」

 

「いや、違うね。・・・・・・・・・・・・・・・メスッ!!!」

 

「!?」

 

「な、何をしているのですか!? 法廷でそんな危ないものを出さないでください!!」

 

裁判長の慌てっぷりはさすがに大げさすぎる気がするけど、さすがに僕も少なからず驚いた。

 

いきなり懐からメスを出すなんて・・・。

 

「おっと、こりゃ失礼! 別に驚かすつもりはなかったんだけど・・・。

このメス・・・これが、刃崎医師が真犯人だという決定的な証拠さ。

このメス、刃に液体が付着しているんだよ。 解剖記録がまだ提出されてないから、確かなことは言えないけど、僕の医師の経験からして、これはある薬物だ。 人間を死に至らしめるね・・・。

普通に執刀する場合、こんな薬物がメスに付着しているはずがない。」

 

「だから、刃崎先生が真犯人だと言いたいのですね?

でも、そんな薬物どうやってメスに付着させたっていうんだ?」

 

「・・・道比木検事、さっきから私の発言に対して、やけに反論が多いね。

いい加減、いちいち答えているのが面倒臭くなってきたよ。」

 

「う・・・それは・・・・すみません・・・。」

 

「まぁ、いいよ。 君の疑問は、彼が全て解決してくれる。 さぁ、先生、ようやく出番ですよ。」

 

9:31 弁護側:証人の証言① ~手術中の刃崎医師について~

 

証言台の前に立ったのは、五河趙二副院長だった。

 

あいかわらず、呑気な雰囲気を漂わせている。

 

「彼は、今回の事件が起こった手術中に副執刀医として立ち会っていた五河趙二医師だ。

彼は、刃崎医師が手術中にとった不審な行動の一部始終を目撃している。

そのことを証言してもらおうと思うのですが、よろしいでしょうか、裁判長?」

 

「えぇ、構いませんよ。 では、証言をどうぞ。」

 

「わしは、今回の手術で副執刀医を担当した、五河趙二じゃ。

手術中に行ったことは実際には何もなかったのだが、手術前の打ち合わせでは、常に執刀医である刃崎医師の動きを見守り、刃崎医師が手に負えない状況に陥った時やミスをしそうになった時に補助をするのがわしの役目ということになっていた。

だから、手術中は、他のことはさておき、最初から最後までずっと刃崎医師の動きに注目していたのじゃ。 その動きを振り返ってみると、どう考えてもおかしな動きをした場面があったのじゃ。

あれは、研修医の真田クンが刃崎医師にメスを渡したときじゃ。

なんと、刃崎医師は一度受け取ったメスを床に落としたのじゃ。

その時にはもう、真田クンは次の器具の準備に取り掛かっていたし、看護師の石野クンは心電図の方を見ておったし、鱒井医師は終わった麻酔の後片付けをしておったから、おそらくそれに気づいたのはわしだけじゃろうな。

わしはかなり不審に思ったが、手術中はそんなことで動揺している場合ではない。

落ちたメスを拾い、真田クンに新しいメスを渡すように言おうと思ったのじゃ。

だが、そこでそれ以上に不審なことが起きたのじゃ。

なんと、刃崎医師はすでに別のメスを持っておった。 しかも、そのメスは、刃崎医師の手術着のポケットから出てきたのじゃよ。

あの時は、刃崎医師は、何がしたくてあんなことをしたのか見当もつかんかった。

だが、今ならわかる。 刃崎医師は、手術のために用意されたメスと、自分が用意していた毒物を塗ったメスをすり替えていたのじゃ!

石野クンたちは、なぜわしだけ鱒井医師が犯人だと疑わないのか不思議に思っていたようじゃが、そういうことじゃ。」

 

な、なんだってぇぇ!!

 

こんなこと証言されたら、もはや、僕の主張は成り立たない。

 

刃崎医師が真犯人ではないということを裏付けるはずだった、唯一の証拠の医学書も、これで価値を失った。

 

僕の役目は、刃崎医師の無実を証明することではないが、刃崎医師の無実を証明できなければ、

 

鱒井医師が無罪ということになってしまう。

 

だから、ここはなんとか、刃崎医師の無実を証明しなければならない!

 

「どうかな、道比木検事? これで、君の疑問は解決されたかい?」

 

「いえ、解決されていません!」

 

「こんなにしっかりとした証言があるのに?」

 

「証言は、あくまで過去の記憶・・・そこには間違いや勘違いだってあるかもしれません!

僕は・・・検察側は、その間違いや勘違いがないと明らかにならない限り、弁護側の主張は認められません!」

 

「つまり、尋問がしたい・・・ということかな? なるほど、生粋の検事らしい考えだ。

それで気が済むなら、私は構わないが・・・裁判長はいかがですか?」

 

「まぁ、いいでしょう。 ただし、条件があります。」

 

「えっ?」

 

「今の証言をお聞きになって、お分かりのとおり、内容が非常に長い!

その上、証人はとても呑k・・・じゃなくて、穏やかな性格であられるため、話す速度がゆっくりでした。

途中から、退屈してきたので時間を計っていましたが、今の証言は約5分かかっていました。

これをもう一度繰り返されるとなると、非常に効率が悪い!

・・・ですから、道比木くん。 尋問を行うことは認めますが、手短にお願いします。

具体的に言えば、制限時間は3分です。 もし超えたら・・・・・・」

 

そう言って、不敵な笑みを浮かべた裁判長の手には、タコが握られていた。

 

今度は何をするつもりか分からないけど、こりゃ、約束を破るわけにはいかないな。

 

でも、制限時間3分って・・・・・五河医師の証言だけで5分かかるんだから、普通にやったら尋問なんて全くできない。

 

ここは、必要そうなところだけ、ピンポイントで攻めていくしかないようだ。

 

9:39 検察側尋問 ~手術中の刃崎医師について~に対して

 

「それでは、証人、尋問を始めます。」

 

「なるほど。 では、もう一度証言をすればいいんじゃな?

・・・わしは、今回の手術で副執刀医を担当した・・・・・・・・・・」

 

「いえいえ、そこはもういいです! 僕が質問しますので、それに答えてください。

・・・五河先生、あなたは先ほど、刃崎医師がメスを落としたと証言されましたが、それは、落とそうと思って落としていたのですか? それとも、落としてしまったのですか?」

 

「あれは、絶対にわざとじゃよ。

わしは、確かに、刃崎医師がメスを一度しっかりと握ったのを見た。

そのあと不意に、その手を開いて、メスを落としたのじゃ。」

 

「なるほど。 ・・・で、新しいメスを用意しようとした時にはもう、刃崎医師は別のメスを握っていたということですね?」

 

「あぁ、そうじゃよ。」

 

「そのメスは、刃崎医師の手術着のポケットから出てきたと証言されていましたが、それは間違いありませんか?」

 

「間違いない。 わしは、ひと時も刃崎医師から目は離さんかったからのう。

ちょうど、わしが、新しいメスを用意するように真田クンに声をかけようとした時に、刃崎医師のポケットから別のメスが出てきたんじゃ。」

 

「それで、そのメスに毒物が塗られていたということですか?」

 

「あぁ、そういうことじゃ。」

 

まずい、どこにも付け入る隙がない・・・。

 

「道比木検事、2分経過しました。 のこりは、あと1分ですよ。

1分以内に尋問が終了しない場合は、ペナルティを受けてもらいますからな!」

 

裁判長の言葉で、ますます焦ってきた。

 

だが、何か答えを出さなければ、刃崎医師が犯人だということを認めることになってしまう。

 

「・・・五河先生、そのメスには本当に毒が塗られていたんですか?」

 

「だから、今、そう言ったじゃろう。 わしが嘘をついておるとでも言いたいのか?」

 

「そうは言っていませんが・・・メスに塗られた毒なんて、見てわかるものなんですか?」

 

「・・・・それは・・・・そのぉ・・・・・・」

 

ん? 五河医師が言葉に詰まったぞ。

 

もしかして、五河医師は、本当はメスに毒が塗られていたなんて、気付いていなかったんじゃないか?

 

いや、そもそもメスに毒が塗られていたというのは、五河医師が思い込んでいただけのことなんじゃないのか?

 

それなら、話は振り出しに戻せる!

 

「裁判長、検察側の答えは決まりましたよ!」

 

「!? ・・・な、なんですとぉ!!!」

 

えっ? なんで、裁判長がそこまで驚くんだ?

 

「残り時間、あと3秒・・・もう少し・・・もう少しだったのにぃ・・・・・」

 

裁判長は、残念そうな表情で、手に握っていたタコをどこかへ片づけた。

 

そんなにあのペナルティ食らわせたかったのかよ・・・。

 

「・・・おほん。 まぁ、いいでしょう。 それで、道比木検事、検察側の答えというのは?」

 

「はい。 

五河医師は、今の証言で、刃崎医師がメスをすり替える現場を目撃したと言いました。

そして、すり替えられたメスには毒物が塗られていたとも証言されました。

ですが、五河先生・・・あなたは、メスに毒物が塗られていたことに気付くことなどできなかった。

いや、そもそも、メスに毒物など塗られてはいなかった。

・・・それが、検察側の答えです!」

 

「何ですと!? そうなのですか、証人?」

 

「そんなわけないじゃろうが、裁判長殿! わしは、確かにこの目で見たぞ!

メス先がキラリと光っておったわ。 ありゃ、確かに有毒な物質じゃ!」

 

「後からなら何とでも言えるでしょう。 しかし、一度言った言葉は取り消せない。

あなたは、先ほどの証言でこうおっしゃられました。

『あの時は、刃崎医師は、何がしたくてあんなことをしたのか見当もつかんかった。』 とね。

もし、本当に、メスに毒物が塗られていることに気付いていたならば、この発言はあり得ない。

なぜなら、刃崎医師はその後、そのメスで被害者の開腹を行っているのです。

毒物の存在に気づいていたのなら、メスのすり替えは、被害者を殺害するためにおこなったことだと、すぐに理解できたはずです。」

 

「ぐ・・・確かに・・・・・」

 

「つまり、あなたは、メスに毒物が塗られていたことを目撃したのではない。

事件が起きた後で、刃崎医師のメスのすり替えのことを思い出し、おそらくメスに毒物が塗られていて、それが原因で被害者は亡くなってしまったのだと、勝手に思い込んだだけなのですよ!

そうではないですか、五河先生?」

 

「・・・・・・そ、そうじゃ。 そう言われれば、そのような気がする。

わしも、とうとう老いぼれてきたということかのう・・・。 メスのすり替えは確かに目撃した。

じゃが、そのメスに毒物が塗られていたかどうかはよくわからん。 思い込みだったようじゃ。

すまん。 どうやら、わしのせいで裁判をややこしくしてしまったようじゃな。」

 

なんとか、五河医師の証言は崩せたようだ。

 

これでもう、曽口弁護士も、刃崎医師が真犯人だなどとは主張できまい。

 

「・・・五河先生、謝る必要はありませんよ。 あなたの証言は、間違っていません。」

 

この声は、曽口弁護士!?

 

曽口弁護士は堂々とした態度で、そう言い放った。

 

ここまで証言を崩したのに、一体、何があるというんだ?

 

9:45 弁護側反論 ~メスに塗られた毒物について~

 

「一体どういうつもりです?

メスに毒物が塗られていたのは思い込みだったと、五河医師は認めたんですよ!」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・メスッ!!!」

 

「うわっ!」

 

またもや、曽口弁護士が、おもむろに懐からメスを取り出した。

 

「それは分かっているよ。 五河医師は、思い込んでいただけだと言った。

だが、このメスに毒は塗られていなかったなどとは言ってないよね?」

 

「えっ? ・・・・それって、まさか!?」

 

「そう、私はまだ、自分の主張を撤回するつもりはないよ。

今もまだ、メスには毒物が塗られていたと信じている。

そして、その考えが正しいか間違っているかもすぐに分かるよ。」

 

そう言うと、曽口弁護士は弁護士席の裏側から、何やら色々なものを取り出した。

 

紙の束とビーカーに入った液体・・・。

 

・・・って、あの色はまさか、ソクイックWか?

 

「ここにあるのは簡単な検査キットさ。

詳しいことまでは結果が出ないけど、この試験紙を使えば、液体の致死性の有無が調べられる。」

 

そう言って、曽口弁護士は薄緑色の小さな紙切れを手に取った。

 

「・・・例えば、私の唾液・・・致死性のないものに浸しても色は変化しない。

・・・・・だが、このように致死性のある液体に浸すと・・・・・・」

 

薄緑色の試験紙がソクイックW(だと思われる液体)に浸される。

 

すると・・・・・

 

!? ・・・い、色が、赤紫色に変わった!

 

「この試験紙の効果はわかってくれたかな?

・・・さて、では本題だ。 この試験紙を、このメスに付着した液体に浸すとどうなるかな?」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・!?

 

またしても、色が赤紫色に変わった。

 

ということは、メスには本当に毒物が付着していたんだ!

 

「これで、わかってくれたかい? 道比木検事?」

 

悔しいが、ここまでされたら、もはや反論できない。

 

「どうやら、ここまでのようだね。

初勝利の舞台が、私のホームグラウンドのような最高の法廷で嬉しいよ。

裁判長、もはや真相は見えましたよね? 判決をお願いします。」

 

「うむ。 刃崎医師には魚の文字も入っていません。 もはや、疑いの余地はないでしょう。

それでは、被告人に判決を・・・・・」

 

 

「・・・ん、この期に及んでなんですか?

道比木検事、文句があるなら判決の前に言ってください!」

 

「えっ? いえいえ、今の待った!は僕じゃないですよ!」

 

そう、僕じゃない。 あれは・・・・・

 

「それ以上、刃崎先生をいじめるんじゃない! 天罰下っちまうぞぉ!!!」

 

研修医の真田勉さんだ!

 

9:51 真田勉の証言 ~メスのすり替えの真実~

 

「あなたは、どなたですか?」

 

「刃崎先生の無実を証明する者です!

僕に証言をさせてください! 刃崎先生が犯人ではないと、僕は知っている!」

 

「な、なんだと!?」

 

珍しく、曽口弁護士が不安の表情を浮かべた。

 

よく状況が呑み込めていないが、確か、真田さんは鱒井医師が犯人だと主張していた1人だ。

 

曽口弁護士の表情から察するに、ここで刃崎医師が犯人ではないと、はっきり証明できれば大打撃を与えられる。

 

ここがチャンスだ。 僕は、裁判長に例の言葉を投げかけた。

 

「裁判長、証言をしたいという人物がいる限り、判決を下すわけにはいきません。

彼が証言することを認めてください。 “裁きを公平に”成すために!」

 

「むむっ・・・“裁きを公平に”・・・ですか!

分かりました。 では、証言台のあなた・・・氏名と職業を名乗ってから、証言してください。」

 

よかった。 とりあえず、判決は免れたようだ。

 

「僕は、真田勉。 追田クリニックの研修医です。

さっき、五河先生もおっしゃっていましたが、事件の起こった手術中に、刃崎先生に手術器具を渡す役目を務めていました。

五河先生は、メスのすり替えだとか、メスに毒が塗られていただとか証言されましたが、あれは全て先生の思い違いです! これから、僕がお話しすることが、手術室で起きた出来事の真実です。

・・・あの日は、僕にとっては研修の最終日であり、初めて手術に立ち会わせてもらった日でした。

だから、僕、すごく緊張していたんです。 だから、あんな失敗してしまったんだ。

刃崎先生の『メス!』の言葉が聞こえたとき・・・夢にまで見たメスを執刀医に渡す瞬間・・・・・

僕は、緊張のあまり、メスを手から滑り落としてしまったんです。

初っ端からミスをしてしまった僕は、余計に焦った。

焦りと緊張で汗が吹き出しました。 その汗が、まだ台に乗っていたもう1本のメスに落ちてしまった。

刃崎先生に渡せるメスはもうこれしかないのにぃ・・・。 僕の焦りは最高潮に達しました。

急いで汗を拭きとろうとしたところ、焦っているから力が強すぎて、おまけに手汗もひどくて滑りやすくなっていたから、メスは手をすり抜け宙を舞ったんです。 

それが、偶然、刃崎先生の手術着のポケットに入ってしまって・・・。

あとは、五河先生もおっしゃったとおり、刃崎先生はそのメスを取り出し、開腹されたんです。

でも、これで分かったでしょう? 刃崎先生はメスのすり替えなんてしていないんです!

毒なんてついていないんです! 犯人なんかじゃないんですよ!!!」

 

なんか、この研修医すごくドジだな・・・。 こんなんで、医者になれるんだろうか?

 

だが、これが真実なら、刃崎医師が犯人ではないということになる。

 

「えっ?」

 

「『えっ?』じゃないよ、道比木検事。 

君、今、『これが真実なら、刃崎医師が犯人ではないということになる。』 とか思ったんじゃないの?」

 

ぐっ・・・なぜ、それを?

 

「どうやら、その通りみたいだね。

これが真実なら?・・・そんなわけ、ないじゃないか! 今の彼の証言は嘘だよ。」

 

「な、何を言うんだ! 僕の発言のどこに嘘があるっていうんだぁ!!!」

 

真田さんは必死に食って掛かったが、曽口弁護士は何食わぬ顔のままだ。

 

「なら、教えてやろう。 ・・・裁判長、弁護側に尋問の機会を与えてくれませんか?」

 

「わかりました。 いいでしょう。」

 

9:58 弁護側尋問 ~君、医者になる気はあるのかい?~

 

「・・・では、まずは、証人が発言した内容を整理してみたいと思う。

今の発言をまとめると・・・

まず、第一に、五河医師が目撃した出来事は、証人の度重なるミスの連続によって引き起こされた偶然の出来事であり、メスのすり替えではなかったということ。

そして、第二に、メスに付着していた液体は、毒物ではなく、証人の汗だということだ。

これで、間違いないね?」

 

「えぇ、その通りですよ!」

 

「わかった。 ならば、色々と指摘しなければならないことになるよ。」

 

「えっ?」

 

「まず、君の最初のミス・・・メスを滑り落としてしまったというのは嘘だ。

先ほど、五河医師が、『刃崎医師は一度受け取ったメスを床に落とした』と確かに証言しているからね。」

 

「なっ!? ・・・・そ、それは五河先生が見間違えたんじゃないですか?」

 

「さらに、君の2つ目のミス・・・汗を拭きとろうとしたところで、メスが宙を舞い、刃崎医師の手術着のポケットに入ってしまった・・・これも嘘だ。

このメスは、最初から刃崎医師の手術着のポケットに入っていたのだよ。」

 

「な、なんで、そんなことが言えるんです?

あんたは、刃崎先生を犯人に仕立て上げたいのかもしれませんけど、そんな証拠ないでしょう?」

 

「君には悪いけど、証拠ならちゃんとあるよ。

このメスには、君の指紋が付いていない。 

汗を拭きとろうとしたならば、君の指紋が付いているはずなんだけど?」

 

「ははっ、指紋なんて付くわけないじゃないですか!

僕がそのメスに触ったのは、手術中ですよ。 僕は手術用の手袋をしていたんだから、指紋が付く方がおかしいですよ!」

 

「残念だが、それも嘘だね。 ・・・『手汗がひどくて滑りやすくなっていた』のではなかったかい?」

 

「!?」

 

「理由は知らないが、手術中はしっかりと手袋をしたまえ! 基本中の基本だ!

・・・まぁ、今は裁判中であり、手術中ではない。 それについては後で説教を受けるがいい。

とりあえず今は、君が手術中に手袋をしていなかったことが明らかになった。

おまけに、手汗もひどかったんだ。 そんな手でメスに触ったのなら、くっきりと指紋が残るはずだよ。

だが、指紋は一切見つからなかった。 つまり、君はこのメスには一切触れていないわけだ。」

 

「く、くそぉぉ・・・・・で、でも、それで弁護士さんが証明できたのは、やっぱり刃崎先生はメスのすり替えを行っていたってことだけでしょう?

毒がついてなければ、すり替えなんてしても刃崎先生は犯人じゃない!

そう、毒なんて付いてなかった! だって、あれは・・・」

 

「僕の汗だったから・・・と言いたいのかい?」

 

「そうですが・・・まだ何か?

・・・あっ! わかった! メスに触れずにどうやって汗を付着させたのかって言いたいんでしょう?

それなら、ちゃんと説明が・・・」

 

「いいよ、いいよ、説明しなくて!

確かに、メスに触れずにどうやって汗を付着させたのかも疑問だよ。

だが、そこは100歩譲って、ちゃんと付着させる方法があることにしておこう。

私が、疑問なのは、そこじゃない! ・・・・君も見ただろう、これを?」

 

「そ、それは・・・ナントカ試験紙!?」

 

「そ、そうさ。(研修医なら、名前くらい知っておいてほしいな。)

メスに付着した液体が何の物質かは判明していないが、この結果がある限り、ここに付着した液体は致死性のある物質なのだよ。

君、自分の汗に致死性があるとでも言うつもりかい?」

 

 

・・・くっ、さすがは元医師だ。 やるな、曽口弁護士。

 

ここまで、黙って2人のやり取りを見守っていたが、明らかに真田さんがやられっぱなしだ。

 

曽口弁護士、ここまで強力だとは思わなかった。

 

・・・いや、それとも、真田さんの証言が滅茶苦茶なだけか?

 

どちらにせよ、このままでは真田さんの証言が崩れてしまう。

 

僕も何か発言しないと!

 

そう思ったとき、真田さんが先に口を開いた。

 

「ふっ・・・ふふふふふ。

ははははははははははははは。

あっはっはっははははははははははははは!!!」

 

ん? 何だ、この不気味な笑い方は?

 

「そうですよ。 よく気づきましたね、弁護士さん。

僕、真田勉の汗には致死性のある有毒物質が含まれてるんだよーんwww」

 

な、なんだってぇぇぇ!?

 

何を言っているんだ、この人は? 僕は、その場で卒倒しそうになった。

 

10:07 真田勉の証言② ~触るな危険! 僕の汗は致死性アリ!~

 

「な、なんですとぉ!? し、証人、それは・・・嘘・・・ですよね?」

 

「嘘じゃないですよ、裁判長さん!

何なら、触ってみます? ほらw ほらほらwww」

 

「ひ、ひえぇぇぇぇ!!! や・・やめ・・・やめてくださぁい!!!」

 

面白がって汗を振りまく真田さんに対し、裁判長は席の隅に縮こまりながら、鞭のようなもので防戦している。

 

・・・ってあれ、鞭じゃなくて、ウナギ・・・じゃないか?

 

「へえ、君なかなか面白いね。 私は冗談のつもりで言ったのに・・・。」

 

こんな状況の中で、曽口弁護士は平然としていた。

 

「冗談? そんなわけないでしょう。 僕の汗には、本当に毒性がありますよ!」

 

裁判長は、あんな様子で怯えているが、これは絶対嘘だ。

 

そんなことは見え見えなのに、真田さんはそれを主張し続けている。

 

一体、何のメリットがあるというのだ? こんなこと証言したって、逆に・・・・・

 

「おや、弁護士さんだけじゃなく、そこの検事さんも僕のことを疑っているみたいですね。

・・・だったら、証明して見せます。 次の証言で、僕の汗には致死性があることを・・・・・」

 

「はいはい、異議あり。」

 

な、なんだ? このやる気のない異議ありは・・・。

 

「真田くんだったかな? そんなことを証言して何の意味があるんだい?

君は、刃崎医師が犯人ではないことを証言するんじゃなかったのかい?

そう言うから、手続きもしていない証人の君に証言の機会を与えたんだ。

無駄話をするつもりなら、証言の権利は剥奪させてもらうよ!」

 

「なるほど。

裁判長さん、弁護士さんはこう言ってますけど、どうします? ぴゅっ、ぴゅっ!」

 

「・・・・わかりました。 真田さんの証言を認めましょう。」

 

裁判長、ただ汗が怖かっただけだろ・・・。

 

「よし、じゃあ、僕の汗がいかに危険かということを証言させていただきます!

さっきも言った通り、僕の汗には致死性があります。

最近、巷で話題・・・流行語大賞にもノミネートされるんじゃないかと期待の“ソクイックW”という毒物がありますよね? あんなもの、僕の汗に比べたら、ただの水みたいなもんですよw

僕の汗はひっじょーうにおっそろっしーーーい毒性です!

まず、指なんか触れたら、即溶けます。 目にかかったら、即失明です。

耳についちゃったら、耳が聞こえなくなります。 舌にのせたら、味を感じなくなります。

えっ? どうしてそんな毒性があるって言い切れるかって?

そりゃ、かくかくしかじか・・・ああなってこうなって・・・○×λε%*+¥・・・・・てな感じで。

まぁ、これは僕が医者の卵であるから分かるわけであって、一般市民のみなさんに伝えるのはちょっと難しいかなって感じです。

とりあえず、僕の汗には致死性があるんで絶対触らないでください! ・・・以上です!」

 

最初の証言以上に滅茶苦茶だ。 ・・・てか、意味わからん。 

 

ツッコミどころ満載だけど、ツッコむ気にもなれないよ。

 

「・・・あの、失礼なのかもしれませんが、私には今の証言の内容がイマイチ理解できなかったのですが・・・結局、証人の汗には致死性があるのですか、ないのですか?」

 

ウナギを構えながら、裁判長が恐る恐る尋ねる。

 

「裁判長、ご心配なく。 今の証言は、元医者の私にもさっぱりでした。

しかし、こんな証言などあてにせずとも、証人の汗に致死性があるかないかはすぐに分かります。」

 

そう言うと、曽口弁護士は証言台の方へ歩み寄り、真田さんの首元から汗をすくい取った。

 

そして、例の試験紙にこすり付けた。

 

色は、変わらなかった。 まぁ、当然の結果だけど・・・。

 

「これで、満足したかい、真田くんよ?

とんだ茶番で時間を無駄にしてしまったが、これで分かったはずだ。

君の汗には致死性はない。 しかし、メスに付着した液体には致死性がある。

つまり、メスに付着した液体は、君の汗ではなく、刃崎医師が塗りつけた毒物なのだよ。

わかったら、さっさと退廷したまえ。」

 

それを聞き、真田さんはしばらく黙ってうつむいたままだった。

 

しかし、突如顔を上げると、こう叫んだ。

 

「・・・いやだ。 僕はまだ引き下がらない。 刃崎先生の無実が証明されるまで引き下がらない。

刃崎先生が殺人なんてするはずがない! 刃崎先生は、僕の尊敬する素晴らしい医者なんだぁ!

そんな先生が、殺人を・・・それも、大事な患者さんを殺すわけはなんだぁぁ!!!

間違っているのは、あなたたちだ! 正しいのは、僕だ!

いかに刃崎先生が素晴らしい医師かを証言してやる!

これを聞いたら、もう誰も刃崎先生が犯人だなんて言えない! いや、言わせないっ!!!」

 

すると、真田さんは、裁判長の許可も得ずに勝手に証言を始めた。

 

10:12 真田勉の証言③ ~刃崎先生は素晴らしい医師なのだ!~

 

「刃崎先生は、追田クリニックでの研修で、一番、僕を気にかけてくれた先生だった。

目つきが鋭くて、顔は少しいかついけど、とても優しい先生なんだ。

10人の研修医の中で、僕はびりっけつの10番・・・ぎりぎりで研修医と認められた存在だった。

だから、何となく他の9人に対して劣等感を感じていて、上手くなじめなかったし、それが原因で研修でも失敗ばかりだった気がする。 それで、たくさん怒鳴られた。 もちろん、刃崎先生にも・・・

でも、他の先生たちは怒鳴って、注意してそれで終わりだったけど、刃崎先生は、怒鳴った後にフォローしてくれて、次につながるようなアドバイスを丁寧にしてくれた。

それだけじゃない。 刃崎先生は、僕が失敗しそうなときに事前にそれを防いでくれたりもした。

一番、印象に残っているのはあのときだな・・・。

ある日、何のためだったかは忘れたけど、空のビンを持ってきてくれと頼まれて、器具置き場のような部屋へ行って、手頃なビンを見つけたんだ。 そして、何の気なしにビンのふたを開けたら・・・

『真田、早くそのふたをもとに戻せぇ!』って刃崎先生の大声が聞こえたんだ。

その時は、何が何だかわからず、とりあえず指示に従ったんだけど、あとで真相を知って震えが止まらなかった。

なんと、僕が器具置き場だと思って入ったのは、薬剤師さんの研究室で、僕が空ビンだと思っていたのは、調合に使うための有毒な気体が入ったビンだったらしい。

もし、あそこで刃崎先生が通りかかってくれなかったら、僕は今、生きていなかったかもしれない。

その時、僕は思ったね。 刃崎先生、本当にありがとう。 

そして、あんな通りがかっただけなのに、有毒な気体のビンだと見破るなんて、刃崎先生は本当に素晴らしい医師だってね。

だから・・・だから、そんな命の恩人ともいえるような刃崎先生が、殺人なんて犯すことは絶対にありえないんだ!!!」

 

これで、終わりか?

 

なんだか、これは、証言というより、単なる思い出話って感じなんだけど。

 

「なるほどねぇ。 確かに、刃崎医師が立派な医師であったことは十分に分かった。

しかし、人間というものは、よく分からない。

昨日まで善人だった人物が、今日コロリと悪人に変わってるなんてことも珍しくはないよ。

今の思い出話、楽しませてはもらったけど、刃崎医師が無実だという証明には全くなっていないよ。

・・・道比木検事、君もそう思うだろう?」

 

確かに、今の真田さんの証言は、事件とは何ら関係のない思い出話だ。

 

だが、今の思い出話の中に、僕は今回の事件の真相を解き明かす糸口を見出していた。

 

ここまでたどり着くのに時間はかかってしまったが、真田さんの証言は無駄ではなかった。

 

彼の証言が、刃崎医師の無実を・・・そして、僕の勝利を確かなものにしてくれる。

 

「いえ、僕はそうは思いません。」

 

「な、何だって!?」

 

「今の証言を聞き、気になる部分がありました。

その疑問を解消するため、別の人物を証言台にお招きしたいのですが、裁判長いかがでしょうか?」

 

「気になる部分・・・ですか?

私は、純粋にいいお話しだなと感じておりましたが、何か気になるのであれば許可しましょう。

・・・で、どなたをお呼びするのですか?」

 

「彼です。」

 

僕の指さす先を見て、法廷中がざわめいた。

 

僕が指名したのは、真犯人の汚名を着せられている刃崎英利医師だ。

 

10:19 検察側尋問:刃崎英利に対して ~あの日のこと~

 

証言台の前に立った刃崎医師は明らかに元気がなかった。

 

そりゃそうだ。 身に覚えがないのに、勝手に真犯人に仕立て上げられてしまったのだから・・・。

 

だが、それもここで終わりだ。

 

「刃崎先生、心配することはありません。 僕は、あなたを責めるつもりはありませんから。

いや、むしろ、あなたを助けたいと思っているのですよ。」

 

「えっ!」

 

その瞬間、かすかに刃崎医師の表情が和らいだ気がした。

 

「ただ、そのために少し僕の質問に答えていただきたいのです。

・・・先ほど、真田研修医がお話しされた、あの日のことについて・・・。」

 

「あの日のこと?」

 

「えぇ。 真田研修医が、あなたのおかげで命を救われたと語ったあの日のことです。

彼の話によれば、あなたは、彼が有毒な気体の入ったビンのふたを開けているところを、偶然その前を通りかかって気づいたそうですね。

そして、大声を上げ、彼にビンのふたをすぐに閉めるように言った。 間違いありませんね?」

 

「えぇ、そうですが・・・それが何か?」

 

「偶然通りがかっただけなのに、なぜ、真田研修医が開けていたビンの中身は有毒な気体だと、瞬時に判断できたのでしょうか?」

 

「えっ・・・あぁ・・・あれは確か、匂いがしたからですよ。」

 

「におい・・・ですか?」

 

「そう。 匂いです。

そりゃ、気体ですから、目で見ただけなら、私にも空ビンにしか見えませんよ。

でも、匂いがしたから中に毒物が入っていると分かったんです。

まぁ、こんなことを言うのは自慢みたいで恥ずかしいんですが、私は人より嗅覚が鋭いみたいでねぇ。

いつもは些細な匂いも鼻について嫌だったんですが、あの時ばかりはそれが真田の命を救うことになってよかったと思っているよ。」

 

「そうですか、わかりました。 ありがとうございます。」

 

「ちょっと待ってよ、道比木検事! 何が、『わかりました。』なんだい? 私は何もわかっちゃいないよ。

君が、刃崎医師を呼び出すから、彼と直接対決でもするのかと思って期待して見ていたのに、さっきの下らない思い出話を掘り下げるとはどういうことかな?

そんな茶番に付き合うために、この裁判はあるんじゃないんだよ!」

 

曽口弁護士が苛立ち始めている。 ここは早く、結論を述べた方がいいな。

 

「茶番かどうかは、これから僕が言う言葉を聞いてから決めてください!

先ほどの真田研修医の証言、そして、今の刃崎医師の発言・・・これらは、今回の事件の真相に大きくかかわってくるのです。」

 

「ほう。 そう言うからには、もう後には引けないよ。

私は、長年、1分1秒が生死に関わる現場で過ごしてきた身の上、無駄な時間というのが大嫌いなんだ! 

今日は、ここまででも散々無駄な時間に付き合わされ、何とか我慢してきたが、もう我慢の限界だ!

君の発言次第では、私の対応もどうなるかは分からない。 そこは覚悟していただきたい!」

 

そう言う曽口弁護士の手には、証拠品のメスが力強く握られていた。 まさか・・・・・!?

 

こりゃ、本当に後には引けないよ・・・。

 

だが、大丈夫だ。 僕にはもう、真相が見えているんだから!

 

10:27 検察側の主張 ~今度こそ、メスのすり替えの真実~

 

「なら、曽口弁護士のために無駄な時間を作らないよう、簡潔に述べましょう。

曽口弁護士が今、手にしているそのメス・・・それは、刃崎医師が開腹時に使用したものではありません!」

 

「な、なんだって!?」

 

「そのメスは、刃崎医師が一度受け取った後に落としたと言われているほうのメスです!」

 

「道比木検事、それは一体どういうことですか? 私にはさっぱり、わかりませんが・・・」

 

「僕たちは勘違いをしていた。・・・逆だったということです。」

 

「ぎゃく? 何がだね?」

 

「すり替えられたメスの順序です。

これまでの審理の内容をまとめると、刃崎医師は、真田研修医が渡したメスを受け取った後に落とした。

そして、自分のポケットの中から別のメスを取り出し、開腹した。

そのメスには、致死性のある毒物が付着していた。 だから、被害者を殺害したのは刃崎医師だという論理でした。

しかし、すり替えられたメスの順序が逆だったとしたら・・・

つまり、今、曽口弁護士が手にしている毒物の付着したメスが、最初に真田研修医が渡したメスであり、刃崎医師が自分のポケットから取り出したメスが、今まで真田研修医が渡したと思われていたメスだったとしたら、刃崎医師はそのメスで開腹したところで被害者は殺せない!」

 

「ふっ、なるほど。 君の言いたいことは分かったよ。

その論理が本当に成り立っていれば、君の言う通り、刃崎医師は被害者を殺すことはできない。

だが、その論理が成り立っていたなどと証明できるわけがないじゃないか!」

 

「いえ、できるんですよ。 曽口弁護士、先ほどの刃崎医師の発言をお聞きになっていましたよね?

彼はこう言いました。 『人より嗅覚が鋭い。』『些細な匂いでも、鼻につく。』とね。

つまり、刃崎医師は、真田研修医からメスを受け取った時、その鋭い嗅覚で、メスに付着した毒物の匂いを嗅ぎ取ったのです。 そして、危険を感じ、反射的にその手を離した。

それが、五河医師には、故意にメスを落としたように見えたのでしょう。

だから、刃崎医師は別のメスを取り出し、そのメスで開腹を行った。 患者を殺さないために!

これは、鼻のいい刃崎医師だから行えたすり替えなんです。

そして、その目的は、被害者を殺すためではなく、守るためだったんですよ!」

 

「・・・ふふっ、それで証明した気になっているのかい?

まぁ、普通の弁護士だったら、それで誤魔化せるかもしれないね。

だが、私は元医師だ。 医学的・科学的コンキョを示してもらわなければ、証明したとは認めないよ。」

 

「もちろん、そう言うと思っていましたよ。 ありますよ、科学的コンキョなら!

僕の主張はただ1つ・・・刃崎医師は、毒物の付着したメスは開腹時には使用していない。

だから、刃崎医師は、被害者を殺すことはできなかったということです。

その主張が正しいなら、メスには被害者の血液は付着していないことになりますよね?

ならば、血液反応の有無を調べればいい。 血液反応がなければ、僕の主張が正しいということです。

そして、それを調べるのは簡単だ。

ルミノール試薬・・・毒性の有無を調べられる試験紙をお持ちのあなたなら、こちらもお持ちなのではないですか?」

 

「な、なんと・・・普通の検事が、このような反撃をしてくるとは思わなかったよ。

だが、面白い。 試してみようじゃないか! ルミノール試薬なら、もちろん持っているよ。」

 

曽口弁護士は、弁護士席の裏側から霧吹きに入ったルミノール試薬を取り出した。

 

そして、証拠品のメスに吹き付けた。

 

間隔を開けて、もう一度吹き付けた。

 

さらに、今度は2回連続で吹き付けた。

 

意地になりながら、5回連続で吹き付けた。

 

メスは、一度として青白い光を放たなかった。

 

「わかってくれましたか、曽口弁護士?」

 

「く、くそぉ~・・・こ、この私が、こんな若造にやりこめられるとはぁ・・・・・」

 

「私には、“るみのーるしやく“なるものはよく分かりませんが、曽口弁護士の表情を見る限り、道比木検事の主張が正しいようですね。

つまり、刃崎医師が真犯人である、という弁護側の主張は完全に崩れた。

そう解釈してよろしいですかな、曽口弁護士?」

 

「・・・悔しいが完敗だ。 刃崎医師が真犯人だという、弁護側の告発は取り下げさせていただく。」

 

「うむ、よろしい。

・・・で・す・が、曽口弁護士よ。 無実の人を罪人呼ばわりした罪は大きいですよ。

まずは、その謝罪の意味を込めて、ペナルティを受けていただきます!」

 

「え? は? え・・・えぇぇぇぇ!?」

 

「“鯖樹は、公平をもってよしとする!”ですぞ! ・・・うむ、これであなたの罪は晴れたでしょう!」

 

裁判長、さっきのウナギで曽口弁護士を殴ったぞ。

 

裁判長よ、あなたのほうがよっぽど罪人だと思うのですが・・・。

 

10:40 判決へ(?)

 

「さて、刃崎医師への疑いも晴れ、曽口弁護士の罪も晴れ、ようやくペナルティを与えられて、私の気分も晴れたところで、判決と行きましょうか!」

 

「待ってくれ・・・いろんな意味で異議ありだ。

裁判長、なぜ謝罪としてペナルティを受けなければならないんです?

なぜ、そのペナルティが、ウナギで殴られることなんです?

そして、なぜ、ペナルティを与えて、それほどまでにすがすがしい表情をされているんでしょうか?」

 

曽口弁護士が言うことは最もだ。

 

可哀想に、頬が若干赤くなっている。

 

「・・・だが、そんなことはどうでもいい。

私が一番言いたいことは、君に対してだよ・・・道比木検事!」

 

「えっ? 僕ですか?」

 

「君、私が告発を取り下げて、嬉しそうにしているが、何か勘違いしていないかい?

私の使命は、依頼人である鱒井くんの無実を証明すること。

そして、君の使命は、鱒井くんが犯人で間違いないと証明すること。 そうだよね?

だが、今、私が認めたのは、刃崎医師が真犯人ではないということだけだ。

鱒井くんの無実を証明するためのカードを1つ失ったに過ぎない。

誰も、鱒井くんが犯人だなどとは認めていない。 君も、鱒井くんが犯人だなどということは何一つ証明できていない。 そうだろう?

だから、今、君がなぜそんなに嬉しそうにしているのか、私には不思議なのだが、なぜそんなに嬉しそうなんだい?」

 

この言葉を聞き、僕は我に返った。

 

そうだ。 僕の使命は、刃崎医師の無実を証明することではない。

 

鱒井医師が犯人だと証明することじゃないか!

 

つい、刃崎医師の無実を証明することに一生懸命になってしまい、自分の中で目的がすり替わってしまっていた。

 

「なるほど、確かにそうでしたな。 危うく、私も騙されて、判決を下してしまうところでしたよ。

いけない、いけない・・・。」

 

「まぁ、いいでしょう。

なんとか、みなさん、本来の目的を思い出してもらえたようですから・・・。

では、ここからが核心だ。 鱒井くんが犯人か否か? これについての議論を始めよう!」

 

「いえ、それはまたの機会にいたしましょう。」

 

「はい? な、何をおっしゃられているのですか、裁判長?」

 

「今日の審理で、刃崎医師が真犯人だと疑いをかけられ、そして、無実であったと認められた。

その過程で、私には、どうしても納得いかなかった点が1つだけあるのですよ。

刃崎医師が、開腹に使ったというメス・・・毒が付着していなかったことは証明されましたが、なぜあのメスは刃崎医師の手術着のポケットから出てきたのでしょうか?」

 

「そ、それはぁ・・・」

 

曽口弁護士が言葉に詰まったが、確かにそこは僕も疑問だった。

 

「曽口弁護士は初めから、毒が付着したメスを渡されることを予測していたのでしょうか?

それとも、何か別の理由があるのでしょうか?

よくは分かりませんが、私が言いたいのは、この事件、表面上に見えるほど単純ではない気がするのですよ。 ですから、このまま被告人についての審理を進めても効率が悪い気がするのです。

また真田研修医のような頓珍漢な証言をされても困りますのでね。

よって、本日の法廷はここまで。 検察側、弁護側双方、再捜査を行い、証拠を確かにした上で、明日、再審理と致したいと思います! 両名とも、よろしいですかな?」

 

僕は異論はなかった。

 

曽口弁護士も同じのようだ。 裁判長の言葉に対し、軽くうなずいた。

 

「うむ、よろしい。 では、本日はこれにて閉廷!」

 

裁判長の木槌が、軽やかに響いた。

 

つづく



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第2話 逆転の手術室(その3 捜査2日目) 

11:02 地方裁判所 ロビー

 

「お疲れ様、道比木検事。 そして、ありがとう。

君のおかげで、なんとか僕らの、鱒井医師が犯人だという考えを明日へ繋げられた。」

 

ロビーへ出ると、義門府刑事が笑顔でそう声をかけてくれた。

 

「もちろんだよ。 僕はずっと君の考えを信じていたから!

・・・まぁ、例の『ハテな?』が出たときはちょっと焦ったけど、それは刑事のお約束だもんね。」

 

「ん・・・あぁ・・・それは、まぁ、いいじゃないか!!」

 

どうやら刑事は、そのことにはあまり触れられたくないらしい。

 

「・・・そ、それより、捜査だよ!

とりあえず、裁判を明日に繋げられたけど、まだ鱒井医師が犯人だと決まったわけじゃない。

まだまだ、証拠も集めなきゃならない。 特に、必要なのは解剖記録・・・・・」

 

「あっ、道比木さん、義門府刑事・・・やっと見つけましたよ!」

 

その時、こちらへ呼びかける声がした。 あれは、レイちゃんだ!

 

「おぉ、君か・・・確か、七篠さんだったかな?」

 

「遅くなってすいません! 完成しました、解剖記録!

・・・あと、ついでに、鑑識の方々の捜査の結果も持ってきました。」

 

刑事が、レイちゃんの持ってきたものを受け取る。

 

「これは・・・すごい! これ、本当に君が調べたのか?

大学生が調べたものとは思えない。 こんなにしっかり結果を出せるとは!

いや・・・こりゃもう、プロになるのも遠い未来の話じゃないぞ!」

 

どうやら、レイちゃんの作り上げた解剖記録は、予想以上の出来栄えだったらしい。

 

刑事は目を輝かせている。

 

「あのさ、刑事・・・出来栄えに感動するのはいいんだけど、大事なのは中身だから・・・

早く、どういう結果が出たのか教えてくれない?」

 

「あぁ、そうか。 ごめんよ、道比木検事。 じゃあ、早速、結果を報告しよう。

まず、七篠レイさんが作り上げてくれた、この素晴らしき解剖記録から・・・

被害者:平院修吾(27)  死因:中毒死  死亡推定時刻:5月6日 13:00~14:00

死因の詳細:体内に混入した毒性物質が、アレルギー反応を引き起こし、心肺停止に至ったとみられる。

その他の被害者の状態に関して:腹部に長さ10㎝程の切り傷あり。(死因とは関係なし。)

その他、外傷はなし。 胃内部に腫瘍あり。(死因とは関係なし。)

体内より、麻酔薬『スーパースヤミン』の成分を検出。

死因となった毒物の詳細については、現在不明。 以上だそうだ。」

 

なるほど。 刑事が感動したのも分かる気がする。 

 

確かに、レイちゃんがまとめた解剖記録は、しっかりとまとめられていた。

 

「次に、鑑識がまとめた、科学捜査の捜査結果だ。

事件現場の状況:手術台に、被害者が仰向けの状態。 手術台の下にメス(以下、メスAとする)が置いてあった。麻酔器具と血痕の付着したメス(以下、メスBとする)以外に手術器具には使われた痕跡なし。手術室内からはいくつかの指紋、化学物質及び血液反応を検出。

指紋について:メスA、刃崎英利の手術用手袋(右手)、手術室の扉より指紋を検出。

         いずれも、真田勉のものと判明。

化学物質について:メスAより、『ソクイックα』を検出。 これは、致死性を持つ毒性物質で、遅行性。

血液反応に関して:被害者の腹部及びメスBより血液反応を検出。 それ以外は血液反応なし。

            血液はどちらも、被害者:平院修吾のものと判明。

・・・ということらしい。」

 

「なるほど。 ・・・ということは、今日の審理で僕が証明したことはその通りだったわけだ!

他にも、色々新しい情報が得られたし、この資料すごく役に立つよ。 ありがとう、レイちゃん!」

 

「ほ、本当ですか!? 頑張って、時間をかけて作り上げた甲斐がありました!」

 

レイちゃんの顔が嬉しそうに輝いた。

 

「・・・じゃあ、義門府刑事、早速この資料をもとに捜査を進めようか!」

 

「あぁ、そうだね。 だけど、ここからは別々に捜査を進めよう。」

 

「えっ・・・どうして?」

 

「今日の裁判の最後で、裁判長は、『刃崎医師の手術着のポケットからメスが出てきた点が疑問だ』とおっしゃった。だから、この事件の真相を暴くためには、その疑問を解消すべきだとね。

だが、疑問はそれだけじゃない。

僕らは、昨日の捜査で分かったことをもとに鱒井医師を起訴した。

その理由は、物的証拠が鱒井医師の犯行を示していたからだ。

だけど、なぜ、鱒井医師は平院さんを殺害したのか? 何かトラブルがあったのか?

それとも、弱みでも握られていたのか? そもそも2人に接点はあったのか?

動機が全然分かっていないんだよ。

その辺も明らかにしていかないと、あの弁護士はそういうところまで突っ込んできて、鱒井医師の犯行を認めないと思う。」

 

確かに、刑事の言うことは最もだ。

 

「だから、ここからは、僕は刃崎医師のメスの謎も含め、物的証拠に関する捜査を進める。

道比木検事、君は、聞き込みなどを通して、鱒井医師と平院さんとの接点や今回の事件の動機となりそうなものがなかったか調べてくれ。」

 

「は、はぁ・・・わかったよ。」

 

刑事の迫力に押され気味になりながら、そう返事をすると、刑事はすぐにその場を去って行った。

 

なんだか、また刑事のペースだな・・・。

 

「まぁ、いいや。 僕も捜査を始めるか。

・・・あっ、レイちゃん、解剖記録ありがとね。 僕は捜査を続けなきゃだから、そろそろ行くね。」

 

そう言って、その場を去ろうとしたとき・・・

 

「私もついて行きますよ。」

 

「えっ?」

 

「私も道比木さんと一緒に捜査に参加します!」

 

「でも、もう解剖記録は出来上がったし、レイちゃんがすることはないんじゃあ・・・」

 

「そんなの関係ないですよ! ・・・ほら、この前助けてもらったお礼もあるし!

ここからは、義門府刑事に代わって、私が相棒です!

・・・ジャスティス君、さあ行くぞ! 正義の聞き込み調査、開始なのだっ!!!」

 

あの、それは、義門府刑事じゃなくて番刑事だと思うんだけど・・・

 

僕のことなどお構いなしで、レイちゃんは僕の腕をつかみ引っ張って行った。

 

13:19 追田クリニック 外科病棟 廊下

 

「・・・で、道比木さん、聞き込み調査ですけど、誰に聞き込みするんです?」

 

「うーん、それが問題なんだよな・・・。 鱒井医師と平院さんの関係性なんて、全然わかんないからな。」

 

「だったら、私に任せてください! こういう時は、一番偉い人に聞けば、大抵わかるものですよ!

ここで一番偉い人といえば・・・院長! あっ、ほら! あそこにいる人、院長じゃないですか?

私、ちょっと話聞いてきますね!」

 

レイちゃん、やけに張り切ってるな。

 

・・・って、待てよ! あそこにいるのは、院長じゃない! あれは・・・・・

 

僕は注意を促そうとしたが、時すでに遅し。

 

レイちゃんは、例のニセ院長のおじいさんに話しかけてしまっていた。

 

「すいません、院長さんですよね? ちょっとお話し伺いたいんですけど、いいですか?」

 

「!?・・・こ、これはまた、可愛いおなごじゃな!

お話し? そんなことより、わしがちと診察を・・・・・」

 

「えっ!?」

 

「まずは、スリーサイズを測らs・・・」

 

スパーンッ!!!

 

その時、強烈な炸裂音が響いた。

 

「貴様、何をしとるんじゃ! 昨日、もう二度とそんな下らんことはせんと誓ったんじゃなかったんか?

あれは嘘じゃったんか? 嘘つく患者は、わしらはもう面倒見んぞ!

何なら貴様をこの病院から追い出してもいいんじゃぞ! それでもいいんか? あぁ?」

 

頭を押さえるおじいさんの後ろには、スリッパを持った鬼の形相の医師がいた。

 

・・・って、あれは、副院長の五河医師!?

 

「ひ、ひぇぇぇ!!! すんませぇん!!!」

 

おじいさんは血相を変えて逃げていった。

 

それより、あんな呑気だった五河医師がこんな態度に出るとは、そっちのほうが驚きだ。

 

「五河先生、なんか、ありがとうございました。」

 

「!? け、検事殿!

こ、これは、見苦しいところをお見せしてしまったようじゃの・・・。

あの患者は、わしがこの病院に来たのと同じころからいる患者での。

担当したことはないから、病状については知らんが、いつもあんなことをしておっての・・・困ったもんじゃよ。」

 

「は、はぁ・・・そうですか。」

 

「ところで、院長にお話しが・・・とか言っておったの。 例の事件のことかの?」

 

「あっ、そっか! そのいかにもなしゃべり方! 真っ白い髪の毛とひげ!

あなたが院長ですね! 是非お話を・・・」

「いや、わしは“副”院長じゃ!」

 

副を強調する意味あるか?

 

「・・・じゃが、まぁ、一応院長とはつくし、今日の裁判で迷惑かけた償いもせねばならんからの・・・。

話くらい聞いてやるぞ。」

 

「本当ですか?

じゃあ、被告人の鱒井先生と被害者の平院さんの関係について知ってることを教えてください!」

 

レイちゃん、聞き方がストレートだな・・・。

 

「む・・・そのことか。 なるほど・・・いや、知っているならわしも話してやりたいんじゃが・・・

わしは副院長という役職柄、患者や他の医師と直接に関わる機会はほとんどないのじゃ。

同期ならまだしも、鱒井医師は若手医師じゃ。 わしも今回の手術で会ったのがほとんど初対面じゃった。

患者の平院さんに関しても、1回も診察したことはなかった。

すまんが、わしには2人の関係性どころか、それぞれがどのような人物なのかも把握できていないんじゃよ。」

 

「そ、そうですか。」

 

張り切っていた分だけ、何も得られなかった喪失感は大きいようだ。

 

レイちゃんはがっくりと肩を落とした。

 

「じゃあ、誰か他に、彼らの関係性を知っていそうな人とか知りませんか?」

 

レイちゃんはショックで打ちひしがれているようなので、今度は僕が質問した。

 

「そうじゃのう・・・。 いるには、いるんじゃが・・・」

 

「誰です?」

 

「さっき、院長の真似事をしていたあの老人じゃ。

さっきも言ったが、彼はここに長い間おる。 おまけに、人間観察が趣味らしくての。

この病院関係の人物のことについては、ほとんど知っておる。

おそらく、鱒井医師と平院さんの関係も知っているんじゃなかろうかな。」

 

よりによって、あの人かよ。

 

だが、情報を得るためなら、人を選んではいられない。

 

よし、早速あの老人に聞き込みに行こう!

 

 

「嫌です! あの人だけは嫌! あの人、私の胸に触ろうとしたんだから!」

 

・・・だそうです。

 

前言撤回。 あの老人にだけは、聞き込みしません。

 

じゃあ、とりあえず、あの人の所にでも行くか。

 

13:37 外科病棟 診察室①

 

「失礼します。 刃崎先生、いらっしゃいますか?」

 

「あぁ、君は、道比木検事さん! どうぞ、入ってください。」

 

「今日の裁判は、散々でしたね。 何も関係ないのに、犯人呼ばわりされちゃって・・・。」

 

「ははっ、確かに参りました。 でも、私が紛らわしい行動をとったのも疑われた原因ですからね。

とりあえず、道比木検事、君のおかげで無実を認められた。 感謝します。」

 

「いえいえ。 僕は、鱒井医師が犯人だということを立証するのに必死だっただけで・・・」

 

・・・って、こんなやり取り、レイちゃんの時もしたよな?

 

「・・・で、その鱒井医師に関してなのですが、被害者の平院さんとの関係について、先生は何かご存じないですか? 

よかったら、そのことについてお話をお聞きしたいと思って伺ったのですが・・・」

 

「なるほど、そういうことですか。 関係というと、どういう関係のことでしょうか?」

 

「今回の事件に至る動機となるような、2人の個人的なつながりと言いますか・・・接点と言いますか・・・

そんなところを知りたいのですが。」

 

「うーん・・・私の知る限りでは、2人に個人的なつながりはなかったと思いますね。

あくまで、医師と患者の関係でしかなかったと思いますよ。」

 

「そうですか・・・。」

 

「ただ、医師と患者という2人の関係は結構長く続いている関係なんですよ。

前にも言った気がするが、今回の被害者、平院さんという人は、異常なまでに健康を気にする人でね。

ちょっとでも、体に不調を感じると毎日のように病院に通ってきていましたね。

まあ、大抵の場合は、内科とか耳鼻科とかが診察して帰って行ったんだが、ここ外科に送られてくることも結構あってね。 初めて、彼が外科を訪れたのは3年前だったと思うよ。

あの時は、何の症状だったかな・・・・・あっ、ちょっと待っててくださいね。」

 

そう言うと、刃崎医師はその場を離れ、向こうの書類棚の方で何かを探し始めた。

「・・・ああ、あった、あった! そう、盲腸だ!

あの時はまだ、平院さんの性格を知らなかったから、『盲腸なんて軽い病気のはずがない! もう一回、腹の中を調べてくれ!』って言われたときはどうしようかと思ったよ。」

 

「・・・ってことは、その時も執刀したのは刃崎先生だったんですか?」

 

刃崎医師との話に夢中になり、その存在を忘れていたので、レイちゃんが急に話に割り込んできて、僕は驚いた。

 

「あぁ、そうさ。 これは、平院さんのカルテだが、今までの手術とその担当医が全て書いてある。

・・・ほら、ここに私の名前が書いてあるだろう?」

 

レイちゃんが興味津々で覗き込む。

 

「あっ、本当だ! ・・・鱒井先生の名前もありますね。

・・・って、あれ? 今までの手術、執刀医はいろんな人が担当しているのに、麻酔医はいつも鱒井先生だったんですね!」

 

「うん、そのとおり。 鱒井クンは3年間ずっと平院さんの手術の麻酔を担当してきたんだ。

まぁ、そもそも、麻酔医は人数が少ないからね。

私がさっき、2人は医師と患者の関係が長いと言ったのはそういう意味だ。

・・・3年前といえば、鱒井クンはちょうど医師になりたての頃だから、彼は医師になってからずっと平院さんを担当してきたことになるな。」

 

「なるほど・・・3年間もずっと担当するなんて、まるで介護ですね!」

 

「か、介護ぉ!? レイちゃん、そりゃおかしいでしょ!

3年間って言ったって、365日つきっきりなわけじゃないしさ・・・。」

 

「いや、あながち間違ってはいないですよ。

平院さんは、2か月に1度ペースで手術を受けていたからね。

まぁ、ほとんどが必要のない手術なんだが、彼がどうしてもと言うもので仕方なく・・・。

手術後の経過観察なんかも、執刀医に比べて仕事の少ない鱒井クンが行うことも多かったし、介護みたいなものだったかもしれないな。」

 

2か月に1度って、ヘアカットじゃないんだから・・・。

 

でも、ということは・・・

 

「・・・ということは、2人の関係はあくまで医師と患者の関係であったとしても、その関係はかなり密接なものだったということですよね?」

 

「まぁ、そうでしょうね。」

 

「なら、平院さんがこの病院にいる時に、2人の間に何かがあったんじゃないですか?

2人の間に何か、問題は思い当たりませんか? 今回の事件の動機になるような・・・」

 

「・・・悪いが、私には、何も思い当たりませんね。

だが、確かにその可能性はあるかもしれません。

気になるなら、調べてみてください。 これはあなた方に差し上げますから。」

 

そう言って、手渡されたのは、平院さんのカルテだった。

 

「えっ? こんな大事なもの、いいんですか?」

 

「構わないよ。 もう、平院さんを診察することはできませんからね。

私はこれから回診をしなければいけないから、話に付き合う時間がもうないが、そこに書かれた別の担当医にも話を聞けば、何か情報を得られるかもしれない。

・・・じゃあ、私はこれで。」

 

そう言うと、刃崎医師は僕らに背を向け、診察室を出ていった。

 

その時、はためく白衣のポケットにキラリと光るものを見つけた。

 

あれは、もしや・・・・・

 

僕は、そこで、刃崎医師に聞くべきもっと重要なことを思い出した。

 

だが、再び声をかけようとした時にはもう、刃崎医師の姿はなかった。

 

14:01 手術室前

 

「あれ、手術室の中に誰かいますよ、道比木さん!

ここって事件現場の手術室ですよね? もしかして、事件関係者じゃないですか?

何か情報が得られるかもしれません! 行ってみましょうよ、道比木さん!」

 

「えっ、ちょ・・・待ってよ、レイちゃん!」

 

まずは、平院さんのカルテに書かれている他の執刀医の先生の話を聞きたかったのに・・・

 

レイちゃんがもう中に入って行ってしまったので、仕方なく僕も後に続いて、手術室の中に入った。

 

「失礼します! 

私たちは、検事とその助手ですが、今回の事件について、お話聞かせてくれませんか?」

 

「!? うわっ、びっくりしたぁ!!!」

 

どうやら、彼は他のことに集中していたらしく、僕らの存在に気がついてなかったらしい。

 

レイちゃんに声をかけられ、大げさな驚きを見せた。

 

そこにいたのは、真田研修医だった。

 

「やぁ、真田さん。」

 

「あっ、あなたは、今日の裁判の検事さん! そこの彼女はえーっと・・・・・」

 

「初めまして。 私、七篠レイです。 今は道比木検事の助手で、一緒に捜査してます。」

 

「あぁ、なるほど。

あっ、検事さん、今日の裁判ではご迷惑おかけして、すいませんでした。

もしよかったら、弁護士さんや裁判長さんにも、真田が謝っていたと伝えておいてくれませんか?

なんか、あそこまでしちゃったら、合わせる顔がない気がして・・・・・」

 

「いや、気にしなくていいですよ。 あなたの証言のおかげで、刃崎医師の無実を証明できたんだから!

あなたは、尊敬する刃崎医師のことを信じて疑わなかった。 立派なことですよ!」

 

「そう・・・ですかね?」

 

「ところで、真田さんはここで何してたんですか?

僕らの存在にも気づかないくらい、何かに集中してたみたいですけど・・・」

 

「あぁ。 この病院にいられるのも、今日が最後ですからね。

刃崎先生と同じ場に立てたこの手術室の思い出を、目に焼き付けておこうと思いましてね。」

 

「最後って・・・どういうことですか?」

 

「彼は研修医なんだよ、レイちゃん。

昨日が研修の最終日だったらしいから、この病院からは去ることになるんだよ。

そうですよね、真田さん?」

 

「あぁ、その予定だったよ。 でも、残念ながらそうはならなかった。

今日の裁判、ここの院長が傍聴しに来ていたみたいでね。

僕の証言で、色々と自分の失態を暴露しちゃったから、院長から研修の修了を認めてもらえなかったんです。 まぁ、あんな失敗ばかりじゃ、医者になっても危ないだけですからね。

だから、もう一度、大学に戻ってやり直しです!」

 

そ、そういうことだったのか。

 

仕方がないけど、真田さんは真田さんなりに、一生懸命頑張っている気がするから、なんだかかわいそうだな。

 

「でも、後悔はしていませんよ!

この研修で、刃崎先生という素晴らしい医師に出会えた。

そして、その刃崎先生を僕の証言で救えたんだ! それなら、僕の医師への道がやり直しになったってなんてことはないですよ!

刃崎先生との思い出を思い出せば、何度失敗したって諦めずに医師を目指せる気がします!」

 

「そんな風に思えるなんて、刃崎先生はすごく立派なお医者さんだったんですね!

いいなぁ・・・私にも、そういう尊敬できる目標の検視官がいたらなぁ・・・」

 

「あっ、そういえば、レイさん・・・でしたっけ? 僕に聞きたいことがあるとか、ないとか?」

 

「あっ、そうそう! つい、今のお話に感動して、忘れるところでした。

えーっと、聞くことは・・・・・何でしたっけ、道比木さん?」

 

自分から勝手に手術室の中に入っておきながら、結局、僕に振るのかよ!

 

「鱒井医師と平院さんの関係性だよ、レイちゃん!」

 

「あぁ、そうそう! 2人の接点について、真田さんは何か知っていませんか? 

真田さんも、今回の手術を担当したんですよね?」

 

「まぁ、したといえばしたけど、僕は手術器具を渡すだけの役割だったからね。

手術自体には関わったけど、平院さんの診察とか、事前の打ち合わせとかには一切参加していないんですよ。 だから、詳しいことは全然知りません。」

 

「・・・ってことは、2人とは手術以外では全く関わりがなかったということですか?」

 

「いや、そういうわけでもないよ。

まぁ、平院さんのほうは、カルテ等のデータで状況を把握しただけで、実際会ったのは手術のときが初めてだったけど、鱒井先生とは結構親しくさせてもらってました。」

 

「親しく?」

 

「えぇ。 鱒井先生と僕って年が近いし、鱒井先生も病院の中では若手で、まだまだ他の医師たちと対等な立場にはなってないみたいで、僕みたいな研修医といるほうが気楽なんですって。

だから、空き時間とかは結構、一緒に過ごすことが多かったですよ。」

 

「へぇ・・・友達みたいだったんですね。」

 

「友達っていうと、なんかおこがましい気がするけど・・・・・

あっ、ちょうど、部活の先輩と後輩の関係って言った方が近いかも!」

 

「まぁ、要するに、そんなに隔たりがなかったってことですよね。

それなら、結構、込み入った話とかもしたんじゃないですか?」

 

「込み入った話・・・ですか? 

うーん、まぁ、病院内の出来事の愚痴みたいな話は何度か聞かされましたね。

院長の真似をする迷惑な患者がいるとか・・・副院長は話がとろくて何言ってるのかわかんないとか・・・

どうしても自分の非を認めない上司がいてムカつくとか・・・なんで、あんなに頑張ったのに俺の努力を認めてくれないんだとか・・・どうして、あいつは重症でもないのに毎日毎日通ってくるんだとか・・・・・

思い出してみると、結構いろいろ言ってましたね(笑)」

 

・・・ん? ちょっと待てよ。 もしかして・・・

 

「真田さん、今、話してくれた、鱒井医師の愚痴・・・最後は何て言いました?」

 

「え? えーっと、『どうして、あいつは重症でもないのに毎日毎日通ってくるんだ』・・・ですか?」

 

「そう、そこだ!」

 

「ど、どうしたんですか、道比木さん? 急に大声出して・・・」

 

「その言葉に出てくる“あいつ”って、平院さんのことじゃないですか?」

 

「!? ・・・言われてみれば、そうだったのかもしれません。」

 

「真田さん、思い出してみてください。

鱒井医師は、他にも平院さんと思われる人物について、何か言ってませんでしたか?」

 

「そうですねぇ・・・

あっ、『俺は、あんなやつの手術をするために医者になったんじゃない。もっと、本当に命を救ってほしいという思いが伝わってくる患者の手術をしたいんだ!』とか言ってましたね。

あとは・・・『そもそも、俺は麻酔医なんだ。 麻酔医ってのは、手術の際に麻酔を行う専門家だ。

なのに、なんでその俺が、あいつの経過観察までしなきゃいけないんだよ!』とかも言ってた気がします。」

 

「なんか、これを聞く限り、鱒井医師は平院さんを担当するのが相当嫌だったみたいですね。」

 

「レイちゃんもそう思う? 実は、僕も同じことを感じてる。

平院さんは、非常に健康を気にする性格だと聞いている。 このカルテを見てわかる通り、彼は2か月に1度ペースで手術を受けている。 本当に健康が気になってしょうがなかったんだろうね。

彼としては、身体に不調があるから、病院へ来た。 そして、手術を受けた。

ただ、それだけだったんだろうけど、鱒井医師にはそれが気に食わなかったんだろうね。

大した症状でもないのに、何度も通院して、手術を受ける平院さんが、鱒井医師や他の医師をおちょくっているように感じたのかもしれない。」

 

「・・・ということは、そう言った理由からの平院さんへの恨み・・・それが、今回の事件の動機ってことですね!」

 

「いや、そう言い切ってしまうのは早いよ、レイちゃん。

でも、動機につながる手がかりは、これで何となくわかった気がするね。

ありがとうございます、真田さん! あなたのおかげで新しい情報が得られました。」

 

「あっ、こんなのでよかったんですか?」

 

「えぇ、十分です。 じゃあ、僕らは他の方からもお話を聞きに行きますのでこれで。

真田さんも、医師になるために頑張ってくださいね!」

 

そう言って、立ち去ろうとしたとき・・・

 

「待ってください、検事さん!」

 

「・・・まだ、何かありますか?」

 

「その・・・今日のお礼、言ってなかったなと思って・・・」

 

「お礼?」

 

「今日の裁判で僕、あんなにふざけた態度を取ったのに、検事さんだけは、僕の証言を信じてフォローしてくれましたから。 

検事さんは、刃崎先生と同じくらい素晴らしい人です。 本当に、ありがとうございました。」

 

な、なんか、そんなこと言われると照れるな。

 

「・・・そうだ! これ、役に立つかはわからないけど、検事さんたちに差し上げます。

他には何もできないですけど、一応、今日のお礼です。」

 

「・・・これは?」

 

渡されたのは、1枚の写真だった。

 

「昨日の朝、ナースステーションで撮った写真です。

平院さんの手術の担当医のメンバーで撮ったんですよ。

手術の成功と、僕の研修修了の前祝いを兼ねてね。 まぁ、どっちも叶わなかったんですけど・・・

この研修の大事な思い出の品ですけど、事件の解決に役立つなら検事さんにあげますよ!」

 

なんだ・・・重要な証拠かと思ったが、どうやら違うようだ。

 

確かに、今回の事件関係者が勢ぞろいだが、仲良さそうに肩を並べて笑顔で写っているだけの普通の写真だ。

 

真田さん、気持ちは嬉しいけど、この写真は役に立ちそうにはないよ。

 

だが、そんなことには気づいていない彼は、さらに続ける。

 

「親しくしてもらって、こんなこと言うのも罰当たりかもしれませんけど、僕も鱒井先生が犯人で間違いないと思います。 今、思い出したんですけど、先生、変なことも口にしてましたし・・・。」

 

「変なこと?」

 

「はい。 『君と俺が逆だったらよかったのに・・・。 君には医師になる熱い思いがあって、俺には医師としての技術がある。 それが逆だったらよかったのにな・・・。』 みたいなことです。」

 

どういう意味だろう?

 

「とにかく、あの状況で平院さんを殺せたのは、鱒井先生しかいませんよ。

・・・あっ、なんか引き留めて、捜査中断させちゃったみたいですいません。

僕が話すのはこれでおしまいです。 どうぞ、次の聞き込みとかに行ってください。

僕も、検事さんが明日の裁判で勝てるように応援していますから!」

 

「あぁ、うん。 ありがとうございます。 それじゃあ、今度こそ、これで・・・」

 

笑顔で見送る真田さんのもとを去りながら、僕は、鱒井医師が彼に言ったという意味深な発言が気になっていた。

 

14:26 外科病棟 診察室③

 

「さーて、次こそは寄り道せずに、お目当ての場所に行くよ!」

 

「・・・な、何ですか、その言い方は? まるで私が悪いみたいな言い方じゃないですか!」

 

「だって、そうだろレイちゃん。 僕らは真田さんに話を聞く必要はなかったんだから。」

 

「でも、真田さんに話を聞いたおかげで、色々な情報が得られましたよね?

無駄な時間じゃなかったと思いますけど?」

 

「ま、まぁ、それはぁ・・・」

 

「ほら! やっぱり、私の判断は正しかったってことでしょ?」

 

勝ち誇った顔をされ、下手に反論するんじゃなかったと後悔した。

 

「・・・それより、ここだよ。 お目当ての先生がいるのは・・・。」

 

「あっ、ごまかしたぁ! ・・・まぁ、いいですけど。

えーっと、出雲 成功(いづも なりたか)医師ですね。」

 

「うん、出雲医師は、1番多く平院さんの手術を担当している。 何か知っている可能性は大いにあるよ。」

 

「じゃあ、さっそく行ってみましょう! ・・・失礼しまーす。」

 

「おぉ、君たちか!」

 

・・・って、あれ???

 

「あれ、道比木さん、この人が出雲医師ですか?

私、この人にはさっきも会った気がするんですけど・・・・・」

 

「いや、違うよ。

・・・なんで、あなたがいるんですか? 五河先生っ!!!」

 

そこには、お馴染みの呑気な医師が腰かけていた。

 

「そんな怒鳴り声を上げんでもいいじゃろうが。 わしは、この診察室の担当だから、いるだけじゃ。」

 

「この診察室の担当って・・・おかしいでしょ? この札に『担当医:出雲成功』って書いてあるんだから!」

 

「ほれほれ、落ち着きなさい。

確かに、ここの担当は、普通は出雲医師じゃ。 じゃが、今日は、出雲医師は出張で別の病院に行っておる。 だから、わしが“副”担当医として、今日はここにいるわけじゃ。」

 

なるほど、そういうことだったのか。

 

(しかし、“副”執刀医だの、“副”担当医だの、この人やけに自由が効くよな。

本当に、副院長として仕事してるのか? 単なる暇人なんじゃあ・・・)

 

「要するに、今日は出雲医師から情報は聞き出せないってことですよね。

なら、もうここに用はないですよ。 行きましょう、道比木さん!」

 

「ほれほれ、そう急ぎなさるな。 全く、最近の若いもんはせっかちでいかんのぉ。」

 

「えっ、でも、出雲医師はいないんでしょう?」

 

「・・・君たち、その急いでいる様子だと、まだあの患者の話は聞きに行ってないようじゃのう。」

 

「え? あの患者って・・・・・・・・・・あっ! あの変なおじいさんっ!

嫌です! どんな情報を持っていようが、あの人の所にだけは行きませんからね!」

 

「やっぱり、行ってないんじゃな。 なら、わしが教えてあげるとしようかの。」

 

「えっ?」

 

「なんじゃ? 嫌か?」

 

「いえいえいえ! あのおじいさんの所へ行かずに情報が得られるなら、願ったり叶ったりですよ!

ですよね、道比木さん?」

 

「うん、そうだね。 五河先生、ぜひ聞かせてください!」

 

「よし、わかった。 それでは、教えるとしよう。

あの患者が言うにはじゃな、今回の事件の背景には、2人のそれぞれの家庭環境に原因があるというのじゃ。

・・・まず、被告人の鱒井医師のほうじゃが、彼は代々続く医師の家系に育ったそうじゃ。

確か、ひいじいさんが内科医、じいさんが整形外科医、そして、父親が外科医だったかの?

だから、鱒井医師も当然、医師になることを・・・願わくば、父親と同じ外科医になることを望まれていたそうじゃ。

しかし、鱒井医師には別の夢があった。 医師にはなりたくなかったそうじゃ。

じゃが、代々続く医師家系の道を途絶えさせることは、一家の名に泥を塗るに等しい行為・・・

そう父親に叱責され、医師以外の道を選ぶことはできなかったそうじゃ。

結局、彼は、麻酔医となったわけじゃが、麻酔医は、麻酔に特化した専門の医師ということで他の医師とは異なる。 その点で、医師は医師でも、代々続く医師の道とは少し違う道を選んだぞ!という、彼のせめてもの反抗だったんじゃろうな。

・・・対して、被害者の平院さん。 実は彼も、父親が医師らしいのじゃ。

といっても、鱒井家のように代々続く医師家系ではなかったらしいが、父親は自らの診療所をつくって運営していたらしいから、結構裕福だったらしいの。

そして、後々は、息子である平院さんに、その診療所を引き継いでもらうつもりだったらしい。

じゃが、鱒井医師とは異なり、平院さんは医師にはならなかった。

鱒井家とは異なり、医師家系という看板もなかったためか、父親は息子の決断をあっさり認め、診療所は、今、診療所に勤務している別の医師に引き継ぐことに決めたそうじゃ。

とはいっても、最初は息子を医師にしたいと思っていたわけじゃから、平院さんは父親から医学の知識を学んでいたそうじゃ。

そして、それが平院さんの例の性格の原因になるんじゃな。

医学の知識を得たからこそ、些細な身体の不調にも敏感になり、病気ではないかと疑ってしまう。

そして、医療現場では基本となっている“早期発見・早期対策”を実行するために、毎日のように通院したということじゃ。

・・・さてと、ここまでの背景を踏まえて、わしが考える今回の事件の真相じゃが・・・・・

鱒井医師も平院さんも、医師の息子という同じ境遇にあった。

しかし、一方で医師になることを強要される者がおり、また一方で、医師とは別の道を選ぶことを許された者がいる。

おそらくこの事件、平院さんが医師ではない道を選べたことに対する、鱒井医師の嫉妬心・・・これが動機だと、わしはにらんでおる!」

 

五河医師はやっと口を閉じた。

 

あいかわらず、話す速度が遅い上に、内容が長い!

 

以前、M検事と捜査を行った際に、長々とマシンガントークを繰り出す女性に出会ったことがあるけど、

 

あっちのほうが、話す速度が速いだけまだマシだったな。

 

「へぇ~、五河先生お詳しいんですね!

こんなにいろいろ知ってたなら、最初から教えてくれたらよかったのに!」

 

「じゃから、わしは最初かr・・・じゃなくて・・・んー、まぁ、わしも忙しいもんでな・・・・・」

 

そうは見えないんだけどな。

 

「でも、五河先生。 あのおじいさんから聞いただけにしては、なんか詳しすぎませんか?」

 

僕の言葉に、五河医師の眉がひくひくと動いた。

 

「ほ、ほら・・・言ったじゃろ? あの患者は、ずっとこの病院にいるんじゃ。

何回も同じ話を繰り返すもんだから、覚えようとせんでも、覚えてしまっての。」

 

・・・なんか、怪しいんだよなぁ。

 

・・・・・あっ! そういえば!

 

「五河先生、さっき、最後に、『ここまでの背景を踏まえて、わしが考える今回の事件の真相じゃが』とか言いましたよね?

この話は、患者さんから聞いた話じゃなかったんですか?」

 

「・・・・・う・・・うぅぅ・・・いや、そうなんじゃが・・・・・・」

 

ガチャリ・・・

 

その時、診察室の扉が開き、白衣の男性が中に入ってきた。

 

「・・・!?

あの、あなた方は、私の診察室で何をしているのですか?」

 

「えっ? 何って・・・事件に関する捜査ですけど。

出雲医師がいないということなので、代わりに五河医師のお話を聞いていたところで・・・・・」

 

「はい? 出雲は私ですが・・・」

 

「えっ?」

 

・・・ということはまさか!?

 

「あなた、五河先生じゃないですね! 院長の次は、副院長の真似ですか!」

 

「く、くっそー! ば、ばれてしもうたか!!!」

 

やっぱりだ。 どおりで、話が詳しいわけだ。 2人の事情を知っていた本人なんだもん。

 

「じゃが、ここまできたら、レイちゃんのスリーサイズを測るまで、わしゃ病室には戻らんぞぉ!!!」

 

「え? え!? えぇぇぇぇぇ!!!!!

み、みみみ・・・道比木さん! 逃げますよぉ!!!」

 

レイちゃんは、僕の腕を掴むと、全速力で診察室を飛び出した。

 

15:03 ナースステーション前

 

「待てぇ~・・・待つんじゃ、レイちゃん~!」

 

結構な距離を逃げてきたが、おじいさんはペースも落とさずに、僕らのスピードについてきている。

 

本当に、あの人、病人か?

 

「こうなったらもう、私の七つ道具を使うしかないですね!」

 

えっ? 七つ道具???

 

レイちゃんは、ショルダーバッグの中をあさり始めた。

 

「・・・まずは、これ! 七つ道具その1・・・ルミノール試薬!」

 

しゅっ、しゅっ!

 

レイちゃんは霧吹きをおじいさんに向かって振りかけた。

 

人に振りかけて大丈夫なのか?

 

「うおっ! なんじゃこれは???

!? もしや、レイちゃんの香水じゃな! うほほ、レイちゃんの香水、いい香りじゃ!」

 

どうやら、大丈夫のようだ。

 

というか、興奮してさっきより、走る速度が速くなっている。

 

「!? ・・・げっ、逆効果だったぁ?

・・・な、なら、七つ道具その2! アルミ粉でどうだ!!!」

 

レイちゃんは、今度は白い粉末を、おじいさんに向かって振りまいた。

 

あれって確か、指紋を検出するための道具だよな?

 

「ぬあっ! ま、前が見えんぞ!」

 

おじいさんは、その場でじたばたし始めた。

 

上手くいったか?

 

「・・・ん? この粉は、ふぁうんでーしょん、とかいうものかの?

これも、きっとレイちゃんのお化粧品じゃ! うしし、わしゃ、ツイてるのぉ!!!」

 

なんか、また元気になっちゃったよ・・・。

 

「あれ、これも逆効果ぁ?

・・・な、なら、その3! 検視ファイル!!!・・・は、使い道がないな。

じゃあ・・・その4! 検視用手袋!!!・・・じゃなくて・・・・・

あっ、これだ! 七つ道具その5! 珍生物のタエルくん!!! いってらっしゃい!」

 

そう言うと、レイちゃんは、カエルに似た、奇抜な色の生き物を投げつけた。

 

・・・てか何で、ショルダーバッグの中から生き物が出てくるんだよ?

 

「おや、こりゃ珍しい色のカエルじゃな!

・・・もしや、これは、レイちゃんからわしへのプレゼントかの?

嬉しいのぉ! なら、わしもレイちゃんにプレゼントを・・・・・」

 

「い、いらない、いらない! なんで、どんどん近寄ってくるのよぉ(涙)

タエルくんを気持ち悪がるかと思ったのに・・・」

 

レイちゃんの行動は、ことごとく裏目に出ていた。

 

もう、いっそのこと、おじいさんの好きなようにさせてあげた方が楽なんじゃないかな?

 

そう思ったとき、レイちゃんが思いもよらぬ最終手段に出た。

 

「こうなったら、最終兵器! 七つ道具、その7だ!!!」

 

「な、ななな・・・何をする気じゃ、レイちゃんよ!?」

 

今まで、能天気だったおじいさんも、この時ばかりは、動揺を見せた。

 

それもそのはず。

 

距離はあるものの、レイちゃんはバッグから取り出したメスを、おじいさんの方へ向けたのだ。

 

おそらく、検視用のメスだろうけど、さすがにそれはまずいんじゃあ・・・

 

「これ以上、私に近づかないでください! 危険ですからね!」

 

止めるように言った方がいいだろうけど、どうしよう。

 

そう悩んでいると・・・・・

 

「・・・お嬢さん、例え、メスといえども、人に向けたら銃刀法違反だよ。

そのメス、今すぐ離さなければ、僕の相棒、ニューナンブ式22口径のこの銃が火を噴くよ。」

 

後ろから、誰かの声が聞こえた。

 

その声に気圧されたのか、レイちゃんはメスをバッグにしまった。

 

おじいさんも、銃を見て驚いたのか、気が付くと、かなり遠くまで逃げていて、もう戻ってこなかった。

 

しかし、こんなセリフを吐くのは一体・・・・・

 

・・・えっ? 義門府刑事?

 

「やあ、道比木検事、久しぶり! 一度、こういうセリフ言ってみたかったんだよねぇ~笑

・・・あっ、ごめんね、七篠さん。 銃なんて突きつけちゃって・・・」

 

「あ・・・いや・・・私も、メスなんて取り出しちゃって、すいませんでした。」

 

「ありがとう、義門府刑事。

君が来てくれたおかげで、迷惑な患者を撒くことができたよ。

でも、いきなり銃を突きつけるなんて、それこそ銃刀法違反じゃないか?」

 

「まぁ、許してくれよ、道比木検事。

君らを探しに行こうと、そこのナースステーションから出てきたら、修羅場っぽくなってたから、つい・・・」

 

「えっ? 僕らを探しに? ・・・ってことは、例のメスの件、何かわかったの?」

 

「あぁ、わかったよ。 それと、他にも何点か・・・」

 

「おっ、さすがは、刑事さんですね! 早速、教えてください!」

 

「あぁ。 じゃあ、まずは、午前中の裁判で疑問が残った刃崎医師のメスに関してだ。

刃崎医師本人に迫ったところ、あれは自分が手術前から密かに隠し持っていたものだと、しぶしぶながら自供してくれた。」

 

「な、なんだって!?」

 

僕はおもわず、声を上げてしまった。

 

「・・・ということは、刃崎医師はもしかして、今回の事件が起こることを知っていたってこと?」

 

「それは、僕も気になったから聞いてみた。

すると、どうやら、今回の手術で殺人事件が発生すると特定はできていなかったらしい。

ただ、数週間前から、何者かが手術器具に細工をして、手術を失敗させようという気配を感じていたらしいんだ。 資料をもらってきたけど、事件日から数週間前にかけて、手術失敗に至るほどではないが、ミスが目立っていることがわかる。

刃崎医師はこれが意図的なものだと、考えたみたいだ。

だから、悪いとは思いつつ、患者の命を救うため、細工のされていないメスを自分で用意したということらしい。」

 

なるほど。 確かに、刃崎医師は、真田さんから渡されたメスに毒が塗られている危険を感知したから、自分の用意したメスを使ったんだもんな。

 

「ん? でも、ということは、鱒井医師も刃崎医師と同じだった可能性が出てくるってこと?」

 

「どういうことですか、道比木さん?」

 

「僕らは、麻酔薬に毒物が混入していたことが、被害者の死因だと考えている。

そして、その麻酔薬を被害者の体内に入れたのは、麻酔医の鱒井医師だから犯人は鱒井医師だという考えだ。

でも、その毒物が混入した麻酔薬も、鱒井医師ではない何者かが用意していたのだとしたら・・・」

 

「鱒井医師は犯人じゃないってことですか!

えっ! でも、そうしたら、道比木さんは今回の裁判、負けってことになっちゃいますよ!!!」

 

「七篠さん、落ち着いて! これはあくまで可能性だから。

それに、この可能性を認めたら、犯人の思う壺かもしれない。」

 

「えっ? どういうことですか?」

 

「刃崎医師に渡されたメスに、毒物が塗られていたのは、午前中の裁判で明らかになっただろ?

そして、刃崎医師はそのメスを使わなかったことから、毒を塗ったのは刃崎医師以外の何者か・・・

これを、鱒井医師の使用した麻酔薬について考えてみると、司法解剖の結果から言えば、確かに被害者は麻酔薬に混入した毒物の作用で死亡している。

でも、この麻酔薬を用意したのが鱒井医師ではない何者かであると認めてしまえば、刃崎医師のメスの件と同様に、鱒井医師は犯人ではないことになってしまう。」

 

「じゃあ、どうすれば・・・」

 

「あくまで、僕らはその何者かが、鱒井医師自身であったと立証しなければならないということだね、義門府刑事?」

 

「あぁ、そういうことさ。

これはまだ憶測だが、おそらく刃崎医師の毒付きメスも鱒井医師が用意したんだろう。

刃崎医師がそのメスを使ってしまえばラッキー、使わなくても、自分も刃崎医師同様にはめられたと主張する魂胆があったんだろう。

そして、おそらく、明日の裁判ではそう主張してくるだろうね。」

 

「く・・・刃崎医師の無実を証明したからと言って、即座に鱒井医師が犯人だとは断定できないのか。

あっ、ところで刑事・・・他にも分かったことがあるって言ってたけど?」

 

「ああ、そうそう。 他にも2点ほどね。

実は、いい情報と悪い情報とそれぞれ1つずつなんだけど、どっちから聞きたい?」

 

「じゃあ、悪い方から!」

 

僕が答える前に、レイちゃんが答えてしまった。

 

「わかったよ。

さっき、七篠さんが渡してくれた解剖記録から、被害者は体内に混入した毒物によって死亡したと判明しただろ?

そして、メスに付着した毒物は犯行には関係なかったと証明されたから、被害者を死に至らしめた毒物は麻酔薬に混入していたとしか考えられない。

だけど、その毒物が何かを特定できていなかったから、鑑識に再調査してもらっていたんだ。

それで、一応結果が出たんだけど・・・」

 

「どうだったの?」

 

「結局、何かはわからなかった。

・・・というか、毒性を有する物質が全く検出されなかったらしいんだ。」

 

「えっ、それは、一体どういうこと?」

 

「わからない。

今回の麻酔は、注射器のような器具を使用して行われたらしいんだけど、その器具に残っていた麻酔薬がもう微量しかなかったから、たまたまその中には毒物の成分が含まれていなかっただけかもしれない。

とにかく、再調査の結果、麻酔薬『スーパースヤミン』に含まれている成分しか検出できなかったということだ。

一応、鑑識にはもう少し調査を続けさせているけど・・・・・」

 

「わかった。 それで、いい方の情報というのは?」

 

「あぁ。 それは、このメスのことさ。」

 

「そのメスは・・・」

 

刑事が取り出したメスには見覚えがあった。

 

「午前中の裁判で、曽口弁護士が証拠品として提出したメスさ。

裁判後は裁判長が管理していたみたいだけど、再調査のために借りてきたんだ。

・・・実は、このメスから面白いことがわかった。

このメスの持ち手の部分に・・・・・・・」

 

「あら、刑事さん、まだいらっしゃったの?」

 

その時、突然、後ろから女性の声がした。

 

「あぁ、石野さん。 先ほどは、事件に関するお話しありがとうございました。

今、偶然ここで道比木検事と合流したもので、お互いの捜査結果を報告していたところです。」

 

そうか。 彼女は、今回の手術の担当者の1人・・・看護師の石野香織さんだ。

 

昨日の捜査時に会ったっきりだったから、その存在をすっかり忘れていた。

 

「あっ、そうなの。

・・・あれ? それ、うちのメスよね? どこかに落ちてたのかしら?

刑事さんが拾ってくれたのね。 ありがとう。 私が戻しておくわ。」

 

そう言うと、石野看護師は、刑事の手からメスを受け取り、去って行った。

 

「あっ・・・いや・・・それは・・・・・あーあ。 行っちゃったよ・・・。」

 

刑事はがっくり肩を落とした。

 

「ど、どうするんだよ! あれ、大事な裁判の証拠だろ?

早く、取り戻さなきゃ! ってか、他のメスと混じったら、見分けがつかなくなっちゃうよ!」

 

僕は、目の前で起きた出来事に焦りを感じた。

 

だが、そんな僕に反して、刑事は意外に冷静だった。

 

「大丈夫だよ。 裁判所からの持ち逃げを防止するために、借りる時にGPSセンサーを取り付けられたから。

メスがどこにあるかはすぐに分かるし、例え、他のメスと混じっても、センサーを目印にすれば区別できる。 後で、事情を話せば、すぐに取り戻せるさ。」

 

「なんだ。 それなら、安心!」

 

「いや、そうでもないんだ。 別の意味でまずい。

・・・写真を撮っておいたのが、せめてもの救いかな。」

 

「え? どういうこと?」

 

意味の分からない僕に対して、刑事は1枚の写真を見せた。

 

「さっきの話の続きだけど・・・

これは、さっきのメスの写真だ。 ここに、ピンク色の跡が残っているのがわかるかな?」

 

「あぁ、これだね。」

 

写真の中のメスには、持ち手部分にピンク色の跡が見えた。

 

「これ、調べたところ、口紅の跡だった。」

 

「口紅って・・・まさか?」

 

「あぁ、そうだよ。 今回の手術で、口紅をするような人物は1人しかいない。

看護師の石野香織さんだ。」

 

「えっ? でも、待って。 だから何なの?

確か、手術器具を用意するのが石野さんの担当だったはずだし、

口紅の跡くらい、不注意で付いたんじゃないの?」

 

「おかしいと思わないかい?

手術中は、口にはマスクをしているし、手には手袋をしている。

こんな風に、口紅の跡がつくはずがないんだよ。」

 

「もしかして、義門府刑事、君が言いたいのは・・・

メスも麻酔薬も、手術前に石野さんが細工していたと言いたいの?

つまり、石野さんが真犯人だったと・・・」

 

「いや、違うよ。 それだったら、いい情報だなんて言うわけないだろ。

僕は、あくまで今回の事件の犯人は、鱒井拓海だと考えている。

しかし、同時に、石野香織がその共犯者だったと考えているんだ。」

 

「い、石野さんが共犯者ぁ!?

・・・ま、待ってよ、刑事。 あの2人の関係は、君も知っているだろう?

昨日の捜査の時の様子からしても、まさに犬猿の仲じゃないか!

終始、『あんたが犯人だ!』『いや、俺じゃない!』って言い合いしてたじゃないか!

僕には、あの2人が協力するとは思えないんだけど・・・」

 

「まぁ、それは一理ある。

でも、今日の僕の捜査結果がその結論を導いたんだよ。

ここで道比木検事たちと会う前、僕はナースステーションで石野さんから話を聞いていたんだ。

石野さん、昨日と言っていることが違っていた。

昨日は、『絶対に鱒井が犯人だ!』と何度もきっぱりと主張していたのに、今日になって『今日の裁判を聞く限りだと、犯人は誰だか分からないわね。』なんて言うんだ。

試しに『昨日は、鱒井医師が犯人だと主張されていましたよね?』と僕が聞いても、『そんなこと言ったかしらね?気が動転してて、よく覚えてないわ。』と言った。

さらに、この口紅の跡。 手術前に付いたとしか思えないこの跡は、手術関係者が見ていない場所で細工をした可能性を示している。

そして、さっきの石野さんの行動で、それが確信に近づきつつある。

おそらく、彼女はさっき、このメスを見て、自分が口紅の跡という手がかりを残してしまっていたことに気づいたんだ。

だから、とぼけたふりをして、メスを持ち去った。

僕がさっき、まずいと言ったのは、おそらくあのメスの口紅の跡は、もう拭き取られてしまっている。

石野さんは、そのためにメスを持ち去ったんだ。」

 

そ、そんな・・・

 

今まで考えもしなかったことが、次々と刑事の口から語られていき、僕は呆気にとられていた。

 

しかし、手術器具の準備が担当だった石野さんならば、自由に手術器具に触れることが可能だった。

 

義門府刑事の推理が当たっている可能性がかなり高いだろう。

 

「くそー! なんで、もっとしっかり石野さんから話を聞いていなかったんだ!」

 

僕は、今更ながらに後悔した。

 

「・・・そういえば、聞いていないと言えば、私たち、被告人の鱒井医師のお話しも全然聞いてないですよね?」

 

「あっ、そういえばそうだ!」

 

被告人の話を聞くのは1番大事なのに、僕、何やってんだろう?

 

素人のレイちゃんに気付かされるとは、まだまだだな。

 

「刑事、面会時間は何時までだっけ?」

 

「えーと・・・確か、17時だったかな?」

 

現在時刻、15:48・・・。 急がなきゃ!

 

僕は、現場の捜査は刑事に任せ、レイちゃんを連れて留置所へ向かった。

 

16:27 留置所 面会室

 

ガラス越しに鱒井医師はいた。

 

ダークグレーのシャツで、ふてくされた感じで座っている。

 

「なんだ。 検事さんですか。

裁判後、さんざん取調べされて、やっと終わったと思ったら、見る顔が検事さんかよ。

なんですか? 俺が犯人だという新しい証拠でも見つかりましたか?」

 

こんな態度を取られると、質問しにくいな・・・。

 

でも、ちゃんと質問しなきゃ!

 

「いえ、僕はあなたにお話しが聞きたくて、来たんです。」

 

「お話し? ふっ・・・あなたに話すことなんてないですよ。

曽口弁護士になら、色々話せば、俺を救ってくれるけど、あんたには、色々話しちゃったら、不利な証拠にされるだけでしょ?」

 

この態度に付き合っていたら、話が進まない。

 

僕は、鱒井医師の言葉を無視して、続けた。

 

「あなたは、昨日から一貫して無罪を主張していますが、その理由は何ですか?」

 

「理由? そりゃ、俺はやっていないから、やっていないと主張しているだけですよ。

まぁ、細かいことは曽口弁護士に伝えてありますが、あなたには教えられませんね。

明日の裁判の武器ですから!」

 

「そうですか。 

では、今日の裁判で、刃崎医師のメスに毒物が付着していたことが明らかになりましたが、それもあなたは関係していないと?」

 

「当たり前ですよ。 あのメスには、触れてもいない。 

麻酔医がメスに触れる必要なんてないですからね。」

 

「でも、石野さんや真田さん・・・それに、刃崎医師までが、あなたが犯人だと発言していますが?」

 

「そ、そんなの知りませんよ。 みんな自分が疑われなきゃ、それでいいんですよ。

あんたや一緒にいた刑事が、俺が犯人だって決めつけるから、他の奴らもそれに同意してるだけですよ。 根拠は何もない!」

 

「別に決めつけてなんかいませんよ。

例えば、手術器具を準備した石野さんも怪しいし、手術器具を渡した真田さんも怪しい・・・

そういった全ての可能性を考慮した上で、僕らはあなたを起訴したんです。」

 

「えっ・・・・・・・そんなの知るかよ!」

 

「とにかく、あなたが無罪を主張するなら、それはそれでいいですが、僕らはあなたが犯人だと考えています。 明日の裁判では、その主張を貫きます。

ですから、何か言いたいことがあったら、今のうちに言っておいてください。

判決が出た後で、不満を言われても困りますから。」

 

「・・・ないですよ、あなたに言うことなんて。

俺は、あなたには何も話すことはありません。 お引き取り下さい!」

 

そう言うと、鱒井医師は面会室を去った。

 

「あーあ。 行っちゃいましたね。」

 

「なんか、今のですごく疲れたよ。

本当は、石野さんとの共犯のことも探るつもりだったけど、なんかその話に持って行ける雰囲気じゃなかったし、聞き逃しちゃった。 ダメだね、僕って・・・。」

 

「もう、道比木さんは押しが弱いんですよ!

もっとこう・・・『おめぇさん、斬られたくねぇなら、さっさと証言しちまいなァ!!!』みたいな迫力がないと!」

 

「なんだよそれ、ユガミさんの真似?(上手いけど・・・)

まぁ、確かに、僕の場合、それくらいの迫力出したほうがいいのかもなぁ・・・」

 

「あ・・・れ? 道比木さん、本気で落ち込んじゃった? 大丈夫ですよ、道比木さん!

道比木さんの失敗をカバーするのが、この優秀な助手、七篠レイちゃんの役目ですからね!」

 

「えっ・・・・・・・・。」

 

「道比木さん。 鱒井医師が石野さんと共犯だった証拠ならばっちりつかんでありますよ!」

 

「!? ・・・い、いつの間に?」

 

「さっきの鱒井医師との会話ですよ。

道比木さんが、石野さんや真田さんも怪しいみたいなことを言ったとき、鱒井医師のまぶたが急にピクピク動き始めたんです。 あれは動揺している証拠ですよ。」

 

「動揺?」

 

「はい。 人は、動揺すると表情筋が緊張して、動くんです。

その中でも特に敏感な表情筋がまぶたで、この動きは隠そうとしても意思では止められない、

素直な反応なんです。

しかも、まぶたが動いたのは、石野さんといったときだけ。 真田さんの時は反応しませんでした。

それはつまり、動揺した理由は、石野さんとの共犯のことが道比木さんにばれたのではと思ったからです。 仮に共犯ではないとしても、あの反応を見る限り、今回の事件で鱒井医師と石野さんはつながっていましたね。」

 

「す、すごい。 そんな細かい変化が、分かるなんてレイちゃん、君は何者なんだ?」

 

「言ったじゃないですか! 検視官を目指す女子大生ですよ!

検視官になるには、生物学の他に法医学を学ばなきゃでしてね・・・」

 

「え? それって、法学部でやる、“法とは何か?”っていう哲学みたいなやつ?

あんなのが検視官に必要とされるんだ!」

 

「ち、違いますよ! それは法理学 でしょ! 私が言ってるのは法医学 です。

法医学っていうのは、法に基づく医学・・・ここでいう法っていうのは、刑事訴訟法 なんだけど、

要は刑事事件が起こった時に行う、検視の方法についての学問です。」

 

「ほう・・・なるほど。」

 

「・・・って、なんで生物学科の私が、法学部卒業した道比木さんに法学の説明してるんですか!」

 

「知らないよ。 レイちゃんが勝手に始めたことじゃない・・・。」

 

「まぁ、いいや。 ・・・で、そうそう、法医学自体の説明はどうでもいいんですよ!

その法医学の中身で、遺体の表情を読み取る訓練があるんです。

ほら、死後硬直ってありますよね?

遺体は、ほぼ亡くなった時の状態で硬直します。 その時、一番顕著な硬直を見せるのが表情なんですよ。 だから、表情から、亡くなったときの状況を予測することが可能なんです。

例えば、驚いたような表情であれば、何か突然起きた事態によって亡くなったとか・・・

歯を食いしばったような表情であれば、この人は殺害される前に抵抗したんだな・・・とかね。」

 

「でも、そんなにはっきりした表情の遺体なんて、僕見たことないけどな・・・」

 

「えぇ、遺体ですから、はっきりした表情なんて残していませんよ。

でも、表情筋の微かな変化を見破ることで、生前、最後にどんな表情をしていたか分かるんです!」

 

「へぇ・・・なるほどね。

・・・で、それが今の鱒井医師の話とどういう関係なわけ?」

 

「どてっ・・・み、道比木さん、ふざけてるわけじゃないですよね?

だから、法医学で表情筋を読み取る訓練をしたから、微かな表情の変化から、動揺や嘘を見破れるって話ですよ!」

 

「あーそういうこと。 レイちゃんの特殊能力“みやぶる”か!

うん、“みぬく”よりいいんじゃないかな?

使う道具は何? 勾玉? 腕輪? それとも、ネックレス?」

 

「は、はぁ???

もう、何言ってるか、わけ分からないんですけど・・・

道比木さん、きっと今日の裁判と捜査で疲れたんですね。 早く、帰って休みましょう!」

 

僕は、レイちゃんに引っ張られながら、留置所を後にした。

 

レイちゃん、ふざけてごめんよ。

 

でも、まともに対応してたら、君の優しさに涙が溢れそうでさ・・・。

 

『大丈夫ですよ、道比木さん!

道比木さんの失敗をカバーするのが、この優秀な助手、七篠レイちゃんの役目ですからね!』・・・か。

 

僕はいい助手を手に入れられたな。 ありがとう、レイちゃん!

 

よし、明日の裁判、絶対に勝つぞー!!!

 

つづく



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第2話 逆転の手術室(その4 法廷2日目)

5月8日 8:48 地方裁判所 ロビー

 

「・・・お待たせしました! 証拠品、持ってきましたよ!」

 

「あぁ、ありがとうレイちゃん!」

 

「もう、大事な証拠品、全部、検察局に忘れてくるなんて・・・道比木さん、大丈夫ですか?」

 

「ち、違うんだよ、レイちゃん!

本当は、義門府刑事が持ってくるはずで・・・・・」

 

そう、証拠品は義門府刑事が持って来てくれるはずだった。

 

昨日、鱒井医師との面会のあと、僕はレイちゃんと別れ、検察局に戻った。

 

そして、刑事と、今日の裁判についての最終打ち合わせを行った。

 

その時、刑事が自分でもう一度証拠を調べたいと言ったので、僕は証拠品は検察局に残し、刑事に今日、裁判所まで持って来てもらうことにした。

 

なのに、刑事は証拠品を持ってこなかった。

 

・・・というか、刑事自身もまだ裁判所に来ていない。

 

いくら待っても来ないことに焦りを感じ始めたころ、偶然、レイちゃんを見つけたので、おつかいを頼んだわけだ。

 

さてと、証拠品は全部そろっているかな?

 

解剖記録に、鑑識の捜査結果・・・

 

刃崎医師がくれた、平院さんのカルテ・・・

 

刑事が撮影した、口紅つきのメスの写真・・・

 

あと、役に立つかどうかは分からないけど・・・

 

『医師のタブー100選』と、真田さんがくれた、事件関係者の集合写真・・・

 

義門府刑事がくれた、ここ数週間の手術に関する資料・・・

 

うん、全部そろっている。

 

「ハテな??? なんで、目覚まし時計が狂ってたんだぁ?

僕が設定を間違ったか? いや、そんなはずはない・・・はずだけど・・・

もしかしたら・・・・・ハテなぁ??? 何が悪かったんだぁ?」

 

この、疑問感が漂うセリフは・・・

 

「あ、義門府刑事、おはようございます!」

 

レイちゃんは、裁判所に駆け込んできたその男に、爽やかに挨拶を交わした。

 

だが、僕はそう爽やかに挨拶をかわす気にはならなかった。

 

「おはよう、義門府刑事。

君のせいで、あやうく今日の裁判、証拠なしで戦うことになりそうだったんだけど・・・」

 

「い、いや、聞いてくれよ、検事! この目覚まし時計がだね、7時に確かにセットしたのに、8時に鳴ったんだよ! おかしいだろ? この目覚ましが悪いんだよ!」

 

そういって突き出された刑事の目覚まし時計は、目覚ましタイマーの針が8時を指していた。

 

単純に、刑事がセットし間違えただけの話だ。

 

だが、これから事件に関して散々争わなければならないので、そんな小さなことに異議を立てる気が起きなかった。

 

「はいはい・・・目覚まし時計のせいだね・・・。

ところで、刑事。 裁判前にこれだけは聞いておきたいことがあるんだけど、いいかな?」

 

「え? 何? もしかして、遅刻したから、減給でもいいかってこと!?

『来月の給与査定を楽しみにしていたまえ!』って、やつ!?」

 

「ち、違うよ・・・。

昨日の打ち合わせの時にも話したけどさ、鱒井医師は代々続く医師家系で、鱒井医師もその流れに逆らえずに医師になった。

だから、同じような境遇にありながら、医師ではない道を選べた平院さんに対する嫉妬心が、今回の事件の動機じゃないかって言ったよね?

でも、正直、本当にそれが動機なのかなって思う部分も若干あって・・・」

 

「あぁ、なんだ! そのことか!

まぁ、人の気持ちは、その人自身しか本当のことはわからないからね。

もしかしたら、違うかもしれない。 でも、その可能性が高いから、検察側としては、それを主張していく。

そういう、結論だったんじゃないっけ?」

 

「うん、そうだよ。 だから、その可能性をより高めるために聞きたいんだけどさ・・・

義門府刑事は、なんで警察官になったの?」

 

「え? そりゃ、困っている人を助けたり・・・今回みたいに事件を解決したり・・・まぁ、世の中の人を幸せにしたいからかな?

・・・あ! 道比木検事が聞きたいのはそういうことじゃないか。

僕も、鱒井医師と同じように、父さんが警察官だったから、警察官以外に選ぶ道がなかったんじゃないかって聞きたいんだね?

そりゃ、違うよ。 父さんは、別に、僕に警察官になれなんて一度も言わなかった。

さっき言ったみたいに、僕には僕の思いがあって警察官になったのさ。

結果たまたま、親子で同じ職業になったってだけだよ。」

 

「そ、そうか・・・。」

 

確かに、僕も父さんは教師だったけど、だからといって教師になったわけでもないからな。

 

鱒井医師も本当に、医師になりたくなかったのなら、ならないこともできたのではないかな。

 

「・・・曽口弁護士、道比木検事、裁判のお時間です。 入廷願います。」

 

「あっ、そろそろ行かなくちゃ。 ありがとう、刑事。」

 

刑事に背を向け、法廷の入口へ足を向けたとき・・・

 

「・・・でも、影響が全くなかったわけじゃないよ。

言葉にはあらわれなくても、やっぱり、父親が刑事なら、自分も刑事にならなきゃって意識は芽生えるよ。 僕も、警察官になった本当の理由は、そっちだったのかもしれないな。」

 

「え・・・」

 

刑事の発言の真意を聞きたかったが、その前に、係官に扉を閉められてしまった。

 

 

 

9:00 地方裁判所 第6法廷

 

「それでは、これより、平院修吾殺害事件に関する裁判2日目を開廷いたします。

弁護側、検察側、準備はよろしいですかな?」

 

「マスクよし! 手袋よし! 消毒よし! うむ、弁護側、準備完了だ。」

 

あの人、何の準備をしたんだ?

 

「検察側も準備完了しています。」

 

「うむ、よろしい。 では、審理の方を・・・」

 

「・・・が、問題があります。」

 

「???」

 

「なんで、君がここにいるんだよ、レイちゃん?」

 

「え? だって、私たち、昨日一緒に捜査した仲じゃないですか。

私が、道比木さんの横でサポートするのは、助手として当然の役目です!」

 

「いや、待ってよ。 君は大学生だろ?

検視のことは100歩譲って認めるとして、法に関しては全くの素人だろ?

そんな子が助手だなんて言って、法廷に立つのは認められないよ。」

 

「それは、オカシイですよ、道比木さん!

私の調査によればですね・・・

ハッタリで一世を風靡したN弁護士の助手、霊媒師のMちゃん!

天啓の大音声O弁護士の助手、魔術師のMちゃん!

ひらひらがチャームポイントM検事の助手、大泥棒のMちゃん!

みんな法に関係ないのに、法廷に立ってますよ! どうなんですか、道比木さん?」

 

「それなら、君はダメだ。 君が挙げた助手はみんなMちゃん! 君はRちゃんじゃないか!」

 

「く、くぅぅ・・・それはぁ、そうだけどぉ・・・・・」

 

「な、なんなのですか? 開始早々、検察側は言い争いになっているようですが・・・」

 

「道比木検事、私が昨日言ったこと、もう忘れてしまったのかい?

言っただろ? 私は、無駄な時間が大っ嫌いだと!

そんな小娘がいようがいまいが、審理には関係ない。

好きにさせればいいだろう。 そうではないですか、裁判長?」

 

「え、えぇ・・・まぁ、曽口弁護士がいいというなら、私は構いませんが・・・

じゃあ、そういうことで頼みますよ、道比木検事。」

 

「え・・・あ、はい。」

 

なんだよ、レイちゃんが法廷に立つこと、認められちゃったよ。

 

なんだか納得できないなあ。 嫌味の1つでも言ってやりたい。

 

そう思い、レイちゃんの方を向くと・・・

 

いつの間にか、レイちゃんはさっきとは全く違う、真剣な表情をしていた。

 

「・・・道比木さん、あそこの弁護士、ソクチ・・・って言うんですか?」

 

「えっ・・・そうだけど・・・」

 

「そうですか。」

 

「えっ? 何かあるの?」

 

「いえ、絶対勝ちましょうね、この裁判!

まぁ、私が助手と正式に認められましたから、大丈夫ですよね!」

 

と思ったら、今度はまた、さっきの調子にもどっている。

 

一体、何なんだよ。

 

9:03 審理再開

 

「では、まずは、昨日の審理の内容を振り返りましょう。

昨日の裁判では、鱒井拓海が犯人であるとの検察側の主張に対し、弁護側は、刃崎英利を真犯人として告発いたしました。

審理の結果、刃崎氏の無実は証明されたものの、彼の行動には疑問の余地も残り、また、被告人である鱒井拓海が犯人であることも、無実であることも立証されなかったため、本日に審理が続行となったわけです。

さて、双方には、再捜査を命じたわけですが、結果はいかがだったでしょうか?」

 

「検察側は、被告人が犯人であるとの主張を変える意思はありません。

再捜査の結果、いくつかの証拠が新たに発見されましたが、その証拠も被告人の犯行を裏付けています。」

 

「なるほど。 では、その証拠品については、後ほど受理しましょう。

弁護側はいかがでしょうか?」

 

「弁護側も昨日と同じ主張です。 被告人の無実を主張します。

昨日は、誤って刃崎医師を告発してしまいましたが、有力な情報を持つ証人を得ました。

今日は、それについて証言したいと思います。」

 

何!? 有力な情報を持つ証人だって???

 

「ほう、なるほど。 では、弁護側にも後ほど、証言の機会を与えましょう。

・・・ですが、その前に、1日遅れましたが、検察側より解剖記録が提出されていますので、そちらを陳述 していただきたいと思います。 お願いします、道比木検事。」

 

「はい。

解剖記録によりますと、被害者の死亡推定時刻は5月6日の13:00~14:00。

死因は中毒死です。 死因の詳細としては、体内に混入した毒性物質により、アレルギー反応が引き起こされたことが原因と判明しています。」

 

「なるほど。 ということは、やはり、昨日、弁護側から提出されたメスに付着していた毒物が死因に関係していたということですか?」

 

「いえ、あのメスについては、血液反応が出なかったことから、被害者の身体には触れていないことが、昨日の審理ですでに判明しています。 よって、死因とは関係ありません。

また、こちらの鑑識の捜査記録も提出しようと思うのですが、これによると、メスに付着していた毒物は『ソクイックα』と判明しています。

対して、被害者の死因となった毒物に関しては、未だに特定できていません。

ですから、別の物質であると思われます。」

 

「なるほど。 そうなのですか。 とりあえず、そちらの鑑識記録も受理しておきましょう。

・・・となると、結局、被害者はどのようにして殺害されたことになるのでしょう?」

 

「昨日の裁判でも、何度も話に挙がったように、事件の発生した手術室で行われたことは、麻酔と開腹の2つの行為のみ。

開腹が殺害に関係ないと証明された今、残る殺害方法は1つです。

昨日の審理では、話が脇道にそれましたが、被害者を死に至らしめた毒物は麻酔薬に混入されていた。

検察側が、最初から主張しているとおりです。」

 

「なるほど。 解剖記録が提出されたことで、検察側の主張には真実性が増したようですね。

弁護側はどうお考えでしょうか? 曽口弁護士?」

 

「ふっ、さすがは生粋の検事。 ロジックの構築はお手の物のようだね。

話の筋は通っている。 だが、2日続けて同じことを言わせないでほしいな。

・・・君の主張には、医学的コンキョはあるのかい?」

 

「えっ・・・」

 

「答えは聞かずとも決まっている。 ・・・NO!だ。

君は今、被害者の死因となった毒物については特定できていないと言ったね?

毒物の特定もできていないのに、麻酔薬に毒物が混入していたなどと主張するのは、いささか強引ではないかな? まさに、医学的コンキョが伴ってない状態だ。

他の法廷ではどうなのか知らないが、私が弁護人を務めるこの法廷においては、そのあたりをきちんと説明してもらわなければ、君の主張は認めがたいな。」

 

「くっ・・・じゃあ、曽口弁護士には、麻酔薬の中に入っていた物質が何か分かるというんですか?」

 

「当然さ。 『スーパースヤミン』だ。」

 

「そ、そんなのわかってますよ! それは、麻酔薬自体の成分でしょ?

問題は、その中に混入していた物質ですよ!」

 

「中に混入? そんな物質ないさ。

あの麻酔用の注射器に入っていた物質は、麻酔薬『スーパースヤミン』のみ!

検察側が提出した鑑識記録には、“特定できていない”とか書いてあるようだけど、それは違うね。

君らだってちゃんと特定できているじゃないか。 注射器の中身はスーパースヤミンだということを。

そして他には、何の成分も検出されなかったことを。

つまり、注射器の中身は100%スーパースヤミンだった。

これが結論であり、医学的コンキョというものだよ。」

 

な・・・に? 特定できていないのではなく、そもそも何もなかったってことか?

 

そんな馬鹿な話、あるわけがない!

 

「それなら、どうして被害者は亡くなったんですか?

メスの毒物は関係なかった。 麻酔薬には、毒物は混入していなかった。

それなら、なぜ・・・・・」

 

「言っただろう? 弁護側には有力な情報を持つ証人がいると・・・

彼女に証言をしてもらう。 それで、全てに納得がいくはずだよ。」

 

彼女? もしかして・・・!?

 

証言台の前にたったのは、僕らが共犯者と疑ったあの人物だった。

 

9:10 石野香織の証言 ~鱒井のためなんかじゃ、ないんだからねっ!!!~

 

「それでは、証人・・・氏名と職業をお願いします。」

 

「石野香織。 追田クリニックの看護師よ。」

 

やはり、石野看護師だ。

 

しかし、なぜ? 弁護側の証人ということは、鱒井医師が犯人ではないと認めることになる。

 

一昨日は散々、鱒井医師が犯人だと言いまくっていたのに・・・

 

「しかし、弁護側の準備書面 によりますと、あなたが証言しようとしていることは、あなたにとって不利益な内容のようですね。

あなたがどう語るのかは存じ上げませんが、仮にあなたに不利益な内容であっても、自らの口から発した以上は、証拠とされます。 それでもいいのですか?」

 

「えぇ、構わないわ。」

 

不利益? どういうことだろう?

 

だが、石野看護師は凛としていた。

 

何か思惑でもあるのだろうか? 僕は不安が募ってきた。

 

「よろしい。 では、証言を始めてください。」

 

「・・・実は、今回の事件は、私が真犯人なのよ。」

 

「えっ? えぇぇぇぇ!!!」

 

彼女の発した最初の一言で、法廷内は騒然となった。

 

不利益って、まさかの自白ぅ!?

 

「静粛に! 静粛にィ!!!

言ったでしょう。 彼女の証言は彼女にとって不利益な内容なのです。

それでも、彼女は証言しようというのです。 静かにお聞きください!」

 

裁判長の言葉で、なんとか法廷内は静まった。

 

「証人、続きをどうぞ。」

 

「私、被害者のことが大っ嫌いでね。 大した重症でもないのに、毎日のように病院に通ってきて、特に必要のない手術ばかり依頼して・・・ホントにイライラしてたの。

私は、あんな患者の面倒をみるために看護師になったんじゃないってのよ!

もっと、本当につらそうにしている人だからこそ、助けたいって思えるわけでしょ。

それなのに、あの患者は・・・・・

大体、私は、そもそも看護師になんかなりたくなかったのよ!

なのに、親が看護師になれってうるさくて・・・看護学校行くなら金を出してやるけど、そうじゃないなら自分で何とかしろって・・・」

 

石野さんまでも、鱒井医師と同じような境遇だったのか・・・

 

って、待てよ? 

 

この証言、なんか聞き覚えがあると思ったら、昨日、五河医師・・・の真似をしたおじいさんから聞いた、鱒井医師についての話と同じ内容じゃないか?

 

なんでだろう?

 

「要は、私はそういう、あの被害者が許せなかったってことよ!

これが動機となり、私は今回の殺害計画を立てた。

犯行現場は、今回の手術室に決めたわ。

手術室なら、医療ミスに見せかけて、殺害できると考えてね。 凶器として用意したのはメスよ。

昨日は、検事さんから逃げちゃったけど、結局、曽口弁護士には打ち明けたのだから、白状するわ。

昨日の裁判で一番問題になっていた毒付きのメス・・・あれを用意したのは私よ。

手術室内ではばれると思って、手術前に外で密かに毒物を塗りつけていたの。

指紋はきれいにふき取ったけど、まさか、口紅のあとを残しちゃったとはね・・・

そして、そのメスで被害者を開腹すれば、毒が体内に回り、死亡するという算段よ。

刃崎医師を利用しようとしたのは悪いと思ってる。 でも、私自身がメスを握れば、不審に思われるからね。 

せめてもの救いとして、毒は遅行性のものにして、刃崎医師には濡れ衣がかからないようにしたつもりなんだけど・・・結局、犯人呼ばわりされちゃったわね。

・・・でも、昨日の裁判で明らかなとおり、刃崎医師は私が用意したメスを使わなかったのよ。」

 

「ですから、やはり、被害者を死に至らしめた毒物は麻酔薬に混入していて、犯人は鱒井医師だという話でしょう?

あなたがなぜ、このタイミングで自白をしたのかわかりませんが、あなたが殺人計画を立てていようがいまいが、メスが使われていない以上あなたは犯人になりえない!」

 

「・・・ちょ、ちょっと、検事さん。 私、まだ話し終わってないんだけど・・・。

・・・というか、ここまではまだ、前置きなんだけど・・・・・」

 

ま、前置き!? こんなに長々しゃべって前置き!?

 

「道比木検事、証言の邪魔をしないように!」

 

「は、はい。 すいません。 続きをどうぞ。」

 

「そう、メスは使われなかった。 だから、被害者は亡くなるはずがない。

ここまでの話を聞けば、そう思うわよね? でも、実際、被害者は亡くなっている。

それは、私の用意した第2の凶器が使われたからよ。

まさか、あんなことになってメスが使われないとは思わなかったけど、最悪の事態を想定して、別にも凶器を用意していたの。 それが、毒物を入れた麻酔用の注射器よ。」

 

・・・ってことはやっぱり!

 

・・・ん? いや、となれば弁護側に不利な証言だ。 彼女が弁護側の証人になるはずがない。

 

「あら、検事さん、混乱しているようね?

そう、私は毒物を注射器に入れたつもりだった。 

だから、昨日までは、この殺害計画についてばれないようにしていた。

鱒井が犯人だと言いまくっていたのも、私が犯人だと気付かれないようにするため。

あいつになら濡れ衣着せたって、ちっとも心は痛まないからね。

でも、解剖記録ができて、それを曽口弁護士に見せられて気づいたのよ。

注射器に入っていたのは、『スーパースヤミン』・・・私は毒物を入れたつもりだったけど、結局はいつもの麻酔薬を入れていたってことにね。

つまり、私は、殺人計画を立てたという意味では、殺人未遂の罪で有罪でしょうね。

でも、実際に殺してはいない。 私も、刃崎医師も・・・そして、悔しいけど、鱒井もね。

私の証言は以上よ。」

 

やっと終わりか・・・。 この証言、法廷史上最長の証言なんじゃないかな?

 

(3ページにもまたがる証言、読むほうもご苦労様でしたm(_ _)m)

 

でも、この証言から導かれる結論って・・・

 

「曽口弁護士、弁護側の主張というのはまさか!?」

 

「その顔・・・道比木検事も気付いてくれたようだね。

そう、今回の事件・・・いや、事件と思われていた今回の出来事は事件ではない!

偶然、起こってしまった事故なのだよ! それが、弁護側の主張です!」

 

「な、なんですと!? 根本から、我々は認識を誤っていたということですか!」

 

「そういうことになります。

まぁ、あの手術室で凶器となり得た、メスと注射器が凶器でなかったと判明した以上、今の彼女の証言は、必要不可欠というわけではなかったが、メスに付着した彼女の口紅の件の疑問を残したくなかったので、証言させたまでです。

・・・確か、解剖記録によると、被害者は『毒物によるアレルギー反応で死亡』となっていたね?

この“毒物”について、検察側は、麻酔薬に混入されていたものだという認識だったが、弁護側の見解としては、被害者はアレルギー物質を口にしてしまったのだと考える。

つまり、被害者は誤って口にした何らかのアレルギー物質によって、アナフィラキシーショック を起こし、死亡してしまったのだ。

被害者の手術の開始時刻が13:00。 被害者のもとに昼食が運ばれたのが12:00だったと把握している。 1時間の間であれば、アナフィラキシーショックが起きたと考えても不思議ではない。

今朝、追田クリニックに立ち寄り、病院関係者に、被害者が亡くなった日の昼食のメニューと、その中に被害者のアレルギー物質が含まれていなかったかを確認してもらってきたよ。

時間がかかるから、後で裁判所まで届けると言われ、今現在は手元に確かな証拠はないが、おそらく私の考えが合っているはずだよ。」

 

「なるほど。 不注意による事故でしたか・・・。

うむ。 驚きましたが、殺人事件と考えるより、そのほうが筋が通るようですな。」

 

あ・・・あなふ・・・あなへら・・・しょっく??? なんだ、ソレ???

 

曽口弁護士が言っていることはよく分からないが、僕にもちゃんとわかることがある。

 

それは、今の僕の状況はまずいということだ。

 

ここで、事故だという弁護士の主張が認められてしまったらおしまいだ!

 

・・・と、とりあえず、尋問だ! 尋問でなんとか、突破口を見出すんだ!

 

「裁判長! 検察側は尋問を・・・」

 

「あぁ、いいよ。」

 

「へ?」

 

答えたのは、曽口弁護士だった。 なんで?

 

「どうせ、病院からの報告があるまで暇だからさ。 暇つぶしに、やりなよ尋問。

まぁ、私の嫌いな“無駄な時間”になるだろうが、今回だけは許してやるよ。

最後の悪あがきをしてみたまえよ。 いいですよね、裁判長?」

 

うわー。 完全にナメられてる・・・。

 

「まぁ、いいでしょう。 何もせずに待っているより、意味のない尋問でも聞いていた方が気晴らしになるでしょう。」

 

さ、裁判長まで、そんなこと言わないでよぉ~(涙)

 

9:32 検察側尋問 ~鱒井のためなんかじゃ、ないんだからねっ!!!~に対して

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

「ちょ、ちょっと、道比木さん! 大丈夫ですか?

言葉失わないで下さいよっ! あんな相手の言葉にくじけちゃダメですよ!」

 

「い、いや・・・まぁ、それもあるんだけどさ・・・

石野さんの証言、長くてどこから攻めればいいのかわからなくて・・・

というか、証言内容も忘れかけてるし・・・」

 

「あっ! なぁんだ! そんなことですか!」

 

「えっ? そんなことって・・・」

 

「大丈夫ですよ! そんな時こそ、このレイちゃんにおまかせです!

昨日は見せそびれちゃったけど・・・七つ道具その6・・・

最新版ノートパソコン『Madors8』ですっ!!!」

 

「はい? ただのパソコンですけど・・・(Madorsなら僕も持ってるし・・・7だけど・・・。)」

 

「もぅ! 別にパソコン自体を自慢してるんじゃないですよ!

大事なのは中身ですよ! な・か・み!!!」

 

そう言うと、レイちゃんは、パソコンのディスプレイを僕の方へ向けた。

 

そこに書き連ねられた文章を目にし、僕は感動した。

 

「これは・・・今の石野さんの証言!?」

 

「そうです。 私、今の証言、全部打ち込んでおいたんです。」

 

「さ、さすがだよ、レイちゃん! これで、証言内容を思い出せる!」

 

「ようやく、私のありがたみを分かってくれたみたいですね。

私は、道比木さんの横に立つ限り、いつでも証言内容は記録しておきますから、気になったら法廷記録で確認してくださいね!」

 

「・・・あれ? でも、ところどころ、赤い文字の部分があるけど・・・これは何?」

 

「ふっふっふ・・・気づきましたね? これこそが私の能力の見せ所ですよ。

昨日、私が、人の表情を読み取れることは話しましたよね?

(道比木さんは、勝手に“みやぶる”とか名づけてましたけど・・・)

実は、この赤い文字の部分、私が自分で赤文字にしたんですけど、この部分の証言は、発言している内容と証人の表情がムジュンしているんですよ!」

 

「えっ? 僕は何も不自然に感じなかったけど・・・」

 

「だから、言ったでしょ! 私は表情の些細な変化を読み取っているんです。

証人も馬鹿じゃない。 あからさまに本心を表情には表しませんよ。

でも、本心は表情筋の微妙な変化によって、無意識に表れるものなんです。

表情筋は意識的に動かすことができる部分もありますが、感情によって自然に動く無意識的な部分もあるんです。 私が読み取っているのは後者のほうです。」

 

「なるほど・・・。」

 

「そして、今、道比木さんが気づいてくれたように、私がムジュンを感じた部分は赤字にして道比木さんにも分かるようにしておきました。

(ちなみに、この赤字が見れるのは、法廷記録内の証言のみ。 私たちだけの情報ですからね。)

そして、その赤字が、尋問で問い詰めるべきポイントです。 

これがわかっていれば、いちいち全ての証言をゆさぶる必要はないはずです。

ただし、私ができるのは、表情からムジュンを見つけることまで。

ムジュンの理由や原因を突き止めるのは、道比木さんの役目です。」

 

「ありがとう、レイちゃん。 これなら、なんとか突破口を見いだせそうだよ!

・・・それでは、尋問を始めます。」

 

「おっ、やっと始まるのか。

“検察側尋問”とタイトルつけておきながら、44行も内輪で話しているとは、いかがなものかな?」

 

曽口弁護士がイライラし始めている。 ちょっと、まずいな・・・。

 

「す、すみません。 ここからはテキパキと進めますから!

えーと・・・」

 

まず、最初の赤い文字は・・・・・これか!

 

「石野さん、あなたは先ほどの証言で、『刃崎医師を利用しようとしたのは悪いと思ってる。』とおっしゃいましたね?」

 

「えぇ、言ったわ。 刃崎医師は私の殺害計画とは何の関係もなかったからね。

それが、なにかしら?」

 

「石野さん、本当に悪いと思っていましたか?」

 

「ど、どういうことよ!? な、何が言いたいのよ!!」

 

「あなたは、この証言をしたとき、口元が微かに上を向いていました。

まるで、ほくそ笑むかのようにね! 僕は確かに見ましたよ!」

 

・・・正確には、僕ではなくレイちゃんが見たんだけど、それを説明するのは面倒だから、僕とが見たことにしておいた。

 

ありがたいことに、レイちゃんは赤字の脇に、表情がどうムジュンしていたのかまで記してくれていた。

 

だから、あたかも僕が見たかのように発言できるのだ。

 

本当にありがとう、レイちゃん!

 

「・・・普通、罪悪感を抱いているときに、こんな表情になりますかね? なりませんよ!

あなたは本当は、刃崎医師に悪いなどとは思っていなかった。

むしろ、刃崎医師に濡れ衣を着せられればいいとでも思っていたのではないですか?」

 

「はぁ? 何を言い出すのよ! そんなこと証拠がどこにあるのよ?」

 

「証拠なら、ありますよ。 ここに、こんな資料があります。

これは、過去数週間にわたる、手術記録です。 

これを見ると、些細ではありますがこの期間内に、非常に手術ミスが多発していることが分かります。

そして、ミスが起こった手術に共通していることは、全て、執刀医が刃崎医師なのです!

実際、刃崎医師も『最近、意図的に何者かが、手術器具に細工をして、手術を失敗させようとしている気配がしていた。』と発言しています。 裁判長、ここに証言書があるので、提出します。」

 

「うむ、受理いたしましょう。

・・・ほう、確かにそのような発言をしたと書かれていますね。

ん? 『執刀に使ったメスは、私が密かにポケットに入れて持ち込んだものだ。』ですと!?

なるほど! 手術を失敗させようという気配に気づいていたから、失敗させまいとして自分でメスを用意していたというわけですか!

やり方は、いかがなものかと思いますが、これで昨日の審理での、メスの疑問は解消されたわけですか!」

 

「何が疑問の解消よ! 何も解消されちゃいないわ!

いい? 私が殺そうと思っていたのは平院さんなのよ! 恨みがあったのは平院さんなの!

さっき、あの患者が許せなかったと証言したじゃない!」

 

おっ、これから言おうとしていたことに話題を変えてくれるとは、都合がいい。

 

「えぇ、そうですよね。 あなたはそう証言しました。 口ではね・・・

しかし、そこにも疑問が残るのですよ。」

 

「はぁ?」

 

「石野さん、あなたは先ほどこう証言しました。

『被害者のことが大っ嫌い』 『大した重症でもないのに、毎日のように病院に通ってきて』 『特に必要のない手術ばかり依頼して・・・ホントにイライラしてたの。』

『私は、あんな患者の面倒をみるために看護師になったんじゃないってのよ!』・・・と。

これが本当であれば、これは全て、あなたが過去に経験した出来事から感じたことですよね?」

 

「本当であれば・・・じゃなくて、本当なのよ!」

 

「いえ、違いますね。

・・・人は、過去のことを語るとき、その記憶を思い出すために、無意識的に視線が左斜め上を向くんです。(逆に、未来のことを想像するときは右斜め上です。)

しかし、過去の出来事であるはずの、平院さんへの恨みについて話すとき、あなたの視線はまっすぐ

一点を見つめ、微動だにしませんでした。」

 

もちろん、これもレイちゃんの赤い文字に従ったまでだ。

 

しかし、動きがない方が不自然な場合もあるとは驚きだ。

 

「つまり、あなたには、平院さんに恨みを感じるような過去の記憶は持っていない。

平院さんを殺害する動機はなかったというわけですよ!」

 

「あー、もう! さっきから、私の証言に文句ばっかり言って・・・

私は、恥を忍んで、自分が殺害計画を立てたという罪を自白してるのよ。

ねちねち攻めないで、言いたいことは簡潔に言いなさいよ!」

 

「えぇ、では、僕の結論を述べましょう。

あなたは殺害計画を立てた。 それは勇気をもって、自白したくらいですから本当でしょう。

しかし、計画を立てたのは、平院さんを殺したかったからではない。

刃崎医師に汚名を着せたかったからです!

平院さんのカルテを見ればわかることですが、あなたが平院さんの手術の担当になったことは、今回を除き一度もありません。 そんな相手に殺意を抱くとは、到底思えません。

対して、刃崎医師が執刀した手術では、手術ミスが立て続けに起こっている。

ここから導かれる結論は1つ・・・あなたが恨みを抱いていたのは、刃崎医師なのです!

殺す人物は、平院さんでも他の誰かでも関係なかったんですよ!」

 

「ぐぐぐ・・・・・」

 

「待ちたまえ、道比木検事!

確かに、私は最後の悪あがきとして、君に尋問の機会を与えたが、

何を問い詰めてもいいというわけじゃないだろう?」

 

「え?」

 

「石野さんの証言で大事なことは、彼女の殺害計画は失敗した。 しかし、被害者は亡くなった。

つまり、被害者は殺害されたのではなく、事故死だったということだろう?

ならば、検察側である君が、尋問で証明すべきことは、事故死ではなかったということではないのかい?

・・・それなのに君は、平院さんに恨みはなかっただの、本当に恨みを抱いていたのは刃崎医師に対してだのと・・・

そんなこと、証明して何の意味があるんだい? 論点が全くずれているじゃないか。」

 

「た、確かに・・・」

 

「まぁ、いい。 じきに、追田クリニックから報告があれば、すぐに結論は出るさ。

そこで思い知るがいいよ。 今の尋問はまさに、悪あがきだったとね。」

 

くぅ~、曽口弁護士、昨日にもまして嫌味な言い方するなぁ・・・

 

9:45 弁護側証拠調べ ~被害者のアレルギーについて~

 

「・・・裁判中ながら、失礼します!」

 

その時、法廷の入口の扉が開き、男が中に入ってきた。

 

「おや、係官ですね? どうしました?」

 

「はっ! 先ほど、追田クリニックの関係者の方が訪れ、こちらを弁護人に渡してほしいと頼まれましたので、持って参りました。」

 

「そうですか。 ご苦労様です。」

 

係官は弁護人席に歩み寄り、資料を曽口弁護士に渡した。

 

「ほら、言っていたそばから来たじゃないか。 さて、これで真相は明らかになるはずだ。

・・・ふむふむ、これが事件当日の昼食のメニューだね。

そして、肝心の被害者のアレルギーは・・・えーっと・・・・・

係官、被害者のアレルギーに関する資料はどれだい?」

 

「そ、それが・・・被害者のアレルギーに関しては、被害者のカルテに記載されていたようなのですが・・・

どうやら、そのカルテが行方不明らしくて・・・・・」

 

「は、はぁ??? どういうことだよ、係官!!」

 

「わ、私に聞かれても知りませんよ! とにかく、被害者のアレルギーについては不明だそうです。」

 

「くぅ・・・ここまで来て、最後の重要な情報が不明確なままになってしまうとは・・・

このままでは、無罪判決を勝ち取るところまではまだ、たどり着けない。」

 

計算が狂ったのか、曽口弁護士は頭を抱え始めた。

 

カルテがあればいいみたいだけど・・・カルテってもしかして、今、僕が持っているこれか?

 

「弁護士さん、カルテならここにありますよ!」

 

「何!? 本当かい?」

 

「はい。 これですよね? 平院さんのカルテです。」

 

そう言うと、レイちゃんは、カルテを曽口弁護士に手渡してしまった。

 

「なんだ。 道比木検事、君が持っていたのか。 いや、よかった。 これで私の推理が正しいと証明できる。」

 

あーあ。 曽口弁護士が自信を取り戻しちゃったよ。

 

「ちょっと、レイちゃん! なんで、カルテ、曽口弁護士に渡しちゃうんだよ!」

 

「あるのに隠すなんて、卑怯ですよ! ここは正々堂々戦うべきです!」

 

「そりゃ、そうだけどさ・・・」

 

「さて、これで、今度こそ結論が・・・・・」

 

そこまで言ったところで、曽口弁護士の動きが止まった。

 

「どうしました、曽口弁護士?

結局のところ、被害者にアレルギーはあったのですか?」

 

「ない。」

 

「えっ?」

 

「被害者に食物アレルギーはなかったようだ。」

 

囁くような声ではあったが、曽口弁護士は確かにそう言った。

 

僕はこの瞬間を逃すまいと、即座に口を開いた。

 

「ということは、やはり、事故死ではなかったということですね?

僕の主張が・・・」

 

「黙りたまえ! 断じてそれはあり得ない!

アレルギー反応・・・アナフィラキシーショック・・・いや、そんなはずはない!

君の主張を認めるわけにはいかないんだよ!」

 

「ちょっと、曽口弁護士、どうしたんですか? 急に大声出しちゃって・・・

だって、食物アレルギーなかったんでしょ? それなら、やっぱり事故死説は間違っていたってことですよね?」

 

「道比木さん、今、彼に何を言っても無駄ですよ。 彼、あのカルテを見てかなり動揺しています。」

 

「そんなの僕だってわかるよ。 自分の推理が外れて、食物アレルギーがなかったことに動揺してるんでしょ?」

 

「いや、それは違うと思います。」

 

「えっ?」

 

「昨日の裁判、彼は、刃崎医師を真犯人として告発したものの、無実が証明され、自分の作り上げた無罪へのシナリオを崩されたわけですよね?

でも、確か、『無実を証明するカードを1枚失ったに過ぎない。』とか言ったらしいですね?

つまり、彼は自分の作戦を一度や二度狂わされても、動じないということです。

しかし、今の彼は明らかに動揺している。 私の鍛えた眼で見ずとも明白です。

ということは、あのカルテ・・・食物アレルギー以外に、弁護側に不利なこと・・・つまり、道比木さんに有利なことが書いてあったんじゃないですか?」

 

何!? そうなのか?

 

「曽口弁護士、そのカルテ返してください!」

 

「え? い・・・いや、まだ返せないよ。 ほら、まだ調べ中だから・・・」

 

「食物アレルギーがないってことは分かったんですよね?

それは検察側の証拠です。 知りたいことはもうわかったんだから、返してください!」

 

「うむ。 異議を認めます。

弁護側は、その証拠品を速やかに、検察側に返却するように!」

 

曽口弁護士は、しぶしぶカルテを返してくれた。

 

そして、中を開いた僕は、曽口弁護士が動揺していたる理由が何となくわかった気がした。

 

確かに、被害者の平院さんには食物アレルギーはなかった。

 

だが、アレルギーとしていくつかの物質名が記載されていた。

 

これって、もしかして・・・

 

「レイちゃん。 そのパソコン、ネットは繋がってるかな?」

 

「もちろんですよ! Madors8を馬鹿にしないでくださいね!!」

 

「だったら、調べてほしいんだ・・・これについて・・・」

 

「これ・・・ですか? よく分からないですけど、調べてみます。」

 

レイちゃんはまだ気づいていないようだ。

 

だが、僕にはもう、鱒井医師を有罪にする一本の道筋が見えた気がする。

 

僕の頭の中に、今まで見た文字や、聞いた言葉が蘇る。

 

“死因:中毒死”  “体内に混入した毒性物質が、アレルギー反応を引き起こし、心肺停止に至った”

 

“被害者はアレルギー物質を口にしてしまった”

 

“被害者は誤って口にした何らかのアレルギー物質によって、アナフィラキシーショックを起こし、死亡してしまったのだ。”

 

“被害者に食物アレルギーはなかったようだ。”

 

“アレルギー反応・・・アナフィラキシーショック・・・いや、そんなはずはない!

君の主張を認めるわけにはいかないんだよ!“

 

「あっ、出ました! 結果は、これみたいですけど・・・」

 

ディスプレイに表示されたものを見て、僕の推理は確信に変わった。

 

9:52 検察側、新たな主張 ~殺害方法について~

 

「曽口弁護士、ありがとうございます。

あなたの主張をヒントに、僕は今回の事件の真相がはっきりとわかりましたよ。」

 

「ほう、そうか。 とうとう、鱒井くんが犯人ではなかったと認めてくれるのかい?」

 

平静を装おうとしているのだろうが、曽口弁護士の口調からは焦りが感じられた。

 

おそらく、僕がたどり着いた結論と同じ結論に、曽口弁護士も至ったのだろう。

 

「いえ、そうではありませんよ。 僕はあくまで、今回の件は殺人事件であり、そして、犯人は鱒井医師だったと主張します。

しかし、今までの僕の考えには、1つ間違いがありました。

それは、鱒井医師は麻酔薬に混入させた毒物によって、被害者を殺害したと考えていたこと。

ですが、その考えは、曽口弁護士・・・あなたによって不可能だったと立証されてしまった。

さらに、あなたはこれは事故死だ・・・被害者はアレルギー反応によって偶然死亡してしまったのだと主張しましたね? 

その通り! 解剖記録にも、確かに被害者はアレルギー反応によって死亡したと記載されています。

しかし、被害者には食物アレルギーはなかった。 ならば、何がアレルギー反応を引き起こしたのか?

その答えが、ここにあります!」

 

 

僕は、思いっきり、平院さんのカルテを突きつけた。

 

「このカルテのアレルギーの欄に、こう書かれています。

『スヤミン系の鎮静物質』とね。」

 

「はっ! またも医学的コンキョのないことを!

何だね? 麻酔薬はスーパースヤミンという名称だから、その“スヤミン系”に含まれるというのかい?

根拠もないくせに、適当なことを言うんじゃないよ!」

 

「曽口弁護士、とぼけるのは止めてください。 元医師のあなたならわかっているはずです。

それに、根拠ならちゃんとありますよ。 レイちゃんに調べてもらいましたから。」

 

「はい。 調べましたよ!

えーと・・・スヤミン系の鎮静物質に含まれるのは・・・

睡眠導入剤『オヤスヤミンZ』、精神安定剤『スヤスヤミンX』、鎮痛剤『スヤミンβ』、解熱剤『スヤミンΩ』

・・・それから、麻酔薬『スーパースヤミン』だそうです。」

 

「ぐぬぬ。 そこまで気づいてしまうとは・・・」

 

「つまり、注射器の中身が普通の麻酔薬であっても、鱒井医師は被害者を殺害することが可能だった。

そして、解剖記録に、アレルギー反応によって死亡と記載されている以上、実際に鱒井医師はこの方法で、被害者を殺害したと考えられるのです!」

 

「待ちたまえ! 確かに、その通りだ。 認めるよ。

被害者にとって、スーパースヤミンは危険な毒物であった。

そして、実際、被害者はスーパースヤミンによるアナフィラキシーショックで死亡したのだろう。

だが、だからと言って、鱒井くんが犯人だったとは認められないよ!

私は、あくまで事故死を主張する!

考えてみたまえ。 スーパースヤミンは、現在、医療現場では一番普及している麻酔薬だ。

効き目が早く、持続性が長く、副作用もない。 三拍子がそろった素晴らしい麻酔薬なんだよ。

今回の被害者のように、この麻酔薬を使用して支障をきたす患者の方が珍しい。

つまり、鱒井くんは、彼がこの麻酔薬にアレルギーを持っていたことに気付けなかったんだ。

医師としての責任問題にはなり兼ねないが、殺意はなかったということだよ。

それであれば、やはり、事故死と言う方が妥当だと思うが?」

 

「なるほど。 そう来ますか。

残念ですが、鱒井医師が被害者のアレルギーについて気付いていなかったはずがないんですよ。」

 

「何!?」

 

「こちらをご覧ください。 先ほどの、被害者のカルテです。

ここには、被害者が今までに受けた手術のデータも記載されています。

そして、その担当医も全て書いてある。

見てください! 被害者の手術の麻酔は、全て鱒井医師が担当していたんです。

そして、事件以前の手術は、何のトラブルもなく成功している。

これはつまり、一番使いやすい麻酔薬『スーパースヤミン』を使わず、あえて別の麻酔薬を使用したということですよね?

それはなぜか? 鱒井医師は被害者のアレルギーについて知っていたからです。

だから、手術を成功させるために、別の麻酔薬を使用してきた。

逆に言えば、今回の手術では、被害者を殺害する意思があったから、スーパースヤミンを使ったと考えられるんですよ!」

 

「な、なんとっ!!!

く・・・くそぉ・・・もう、何も反論できないのか?

あり得ない・・・アリエナイジャナイカ・・・・・

オカシイ! この私が? 元医師の私が? こんな若造に打ち負かされるのか???」

 

 

その時、誰かの声が法廷内に響いた。

 

せっかくの僕の見せ場を邪魔するのは、一体誰だ?

 

「曽口弁護士、何があっても俺を守ってくれるんじゃなかったんですか?

何を弱気になっているんです? 言ったでしょ? 俺は無実だって・・・

そして、曽口弁護士はそれを証明してくれるって言いましたよね?」

 

声の主は、被告人の鱒井医師だった。

 

「だが・・・しかし、ここまで証拠がそろってしまっては、もはや・・・」

 

そこまで、曽口弁護士が言ったところで、鱒井医師の表情が急変した。

 

「なんだ。 結局、あんたもそういう人だったのか・・・。

勝算がなけりゃ、あっさり見捨てる。 まぁ、弁護士なんて、そんなもんか。」

 

「い、いや・・・私は、そんなつもりは・・・」

 

「いいよ、もう。 

どっちにしろ、そこの検事にさんざん言われて、俺ももう、黙っているの我慢ならなくなってきたし・・・

曽口弁護士が証明してくれないって言うなら、自分で証明するさ。

裁判長、俺に証言の機会を与えてください。 検事の主張を崩して、俺は無実だと認めさせてやる!」

 

「わかりました。 いいでしょう。 それでは、被告人は証言台の前へ。」

 

10:03 被告人:鱒井拓海の証言 ~検事の主張は大間違い!~

 

証言台の前に立った鱒井医師は、にらみつけるようにこちらを窺っている。

 

いよいよ、直接対決か。

 

これから、彼が何を証言するのかは分からないが、ここを崩せれば、判決は目前だろう。

 

なんとか、突破口を見出さねば!

 

「では、証言をどうぞ。」

 

「・・・これから、俺が話すことは、証言と言うより、さっきの検事の主張に対する反論です。

本当は、曽口弁護士がする役目だろうけど、あの通り意気消沈しているから、俺が自分でします。

まず、検事さん・・・あなたはさっき、今回被害者を死に至らしめたものは、スーパースヤミンだと言いましたね?

そして、俺はスーパースヤミンが、被害者にとってアレルギー物質だと知りながら、スーパースヤミンで麻酔を行なった。 だから、俺には殺意があり、俺が犯人だという主張でしたね?

俺が、被害者のアレルギーについて知っていた・・・そのことについては認めますよ。

あなたの言う通り、被害者のアレルギーについて知っていたからこそ、それまでの手術では、別の麻酔薬を使用してきた。 もちろん、手術を成功させるためにね。

ですが、今回の手術で、俺が被害者を殺すためにスーパースヤミンを使ったぁ?

残念ながら、それは、あり得ないんですよ!

なぜなら、手術に必要な道具は全部、看護師が準備することになっている。 もちろん麻酔薬もね。

だから、今回の手術でも麻酔薬を用意したのは看護師・・・あの嫌味ったらしい石野が用意したんですよ!

俺は確かに、別の麻酔薬を用意するように書いた書面を石野に渡した。

嘘だと思うなら、病院内を探してみればいい。 ちゃんと保管されているはずだ。

だが、実際に用意されていたのはスーパースヤミンだった。

さぁ、検事さん・・・考えられる結論は何だい? 医学的コンキョのある答えは何だい?www

石野が中身を入れ替えた・・・だろ?

さっき、あいつ自身が証言してたじゃないか! 自分が真犯人ですって!

失敗してたとか何とか、言い訳してたが、あんなの嘘だろ。

嫌味ったらしい上に、ほら吹きとは、本当にたちが悪い女だぜ!

奴は、最初から、スーパースヤミンが毒物になると知ってたのさ。

そして、その毒物を用意できたのは俺じゃなく、石野だ。 さぁ、これでもまだ、反論がありますか?」

 

ぐぐぐ・・・・・まさか、こんな反論をしてくるとは。

 

悔しいが、筋が通っている。 

 

いくら、スーパースヤミンが被害者を死に至らしめた毒物だと証明できても、それを鱒井医師が用意したと証明できなければ意味がない。

 

どうしたらいいんだ?

 

「道比木さん、大丈夫ですか? 眉間にしわが寄ってますけど・・・」

 

「あっ、ごめん。 レイちゃん。」

 

「もしかして、また反論を失っちゃってます?」

 

「あぁ。 悔しいけど、鱒井医師の証言は筋が通っている。

あれが本当なら、彼は犯人ではあり得ない。」

 

「何言ってるんですか、道比木さん! あんな証言、本当なわけないじゃないですか!

ほら、見てください! 今回も、証言と表情のムジュン、ばっちり記録しておきましたから!」

そう言うと、レイちゃんはパソコンの画面をこちらに向けてきた。

 

ワープロソフトに打ち込まれた文章のところどころに赤い文字がある。

 

画面の都合上、途中からしか画面内に収まっていないが、今の証言内容らしい。

 

証言の後半部分だな。

 

“ですが、今回の手術で、俺が被害者を殺すためにスーパースヤミンを使ったぁ?

残念ながら、それは、あり得ないんですよ!

なぜなら、手術に必要な道具は全部、看護師が準備することになっている。 もちろん麻酔薬もね。

だから、今回の手術でも麻酔薬を用意したのは看護師・・・あの嫌味ったらしい石野が用意したんですよ!

俺は確かに、別の麻酔薬を用意するように書いた書面を石野に渡した。

嘘だと思うなら、病院内を探してみればいい。 ちゃんと保管されているはずだ。

だが、実際に用意されていたのはスーパースヤミンだった。

さぁ、検事さん・・・考えられる結論は何だい? 医学的コンキョのある答えは何だい?www

石野が中身を入れ替えた・・・だろ?

さっき、あいつ自身が証言してたじゃないか! 自分が真犯人ですって!

失敗してたとか何とか、言い訳してたが、あんなの嘘だろ。

嫌味ったらしい上に、ほら吹きとは、本当にたちが悪い女だぜ!

奴は、最初から、スーパースヤミンが毒物になると知ってたのさ。

そして、その毒物を用意できたのは俺じゃなく、石野だ。 さぁ、これでもまだ、反論がありますか?“

 

「どうです? ちゃんと、赤い文字があるでしょ?」

 

「確かにあるけど・・・なんか、証言の大事な部分には関係ないよね、コレ?

鱒井医師の石野さんに対する、単なる悪口の部分じゃないか・・・。」

 

「ふふふ・・・確かに、これだけ見ると、そう思いますよね。

でも、実は面白いことがあるんですよ!」

 

そう言うと、レイちゃんは、一旦パソコンを自分の方へ向け直し、再び僕の方へ向けた。

 

今度見せられた文章は、さっきとは別のものだった。

 

 

 

 

“あら、検事さん、混乱しているようね?

そう、私は毒物を注射器に入れたつもりだった。 

だから、昨日までは、この殺害計画についてばれないようにしていた。

鱒井が犯人だと言いまくっていたのも、私が犯人だと気付かれないようにするため。

あいつになら濡れ衣着せたって、ちっとも心は痛まないからね。

でも、解剖記録ができて、それを曽口弁護士に見せられて気づいたのよ。

注射器に入っていたのは、『スーパースヤミン』・・・私は毒物を入れたつもりだったけど、結局はいつもの麻酔薬を入れていたってことにね。

つまり、私は、殺人計画を立てたという意味では、殺人未遂の罪で有罪でしょうね。

でも、実際に殺してはいない。 私も、刃崎医師も・・・そして、悔しいけど、鱒井もね。 私の証言は以上よ。“

 

「これは・・・石野さんの証言の最後の部分?」

 

「そうですよ。」

 

「さっきはよく見ていなかったけど、こんなところにも赤い文字、あったんだ。

・・・って、ここも石野さんの鱒井医師に対する悪口じゃないか!」

 

「そう、その通りです!」

 

「え? 何が?」

 

「鱒井医師の証言と、石野さんの証言・・・2人とも、お互いの悪口を証言内で言っていて、さらに、その部分で表情がムジュンしている。 これが2人の証言の共通点なんですよ。

この赤い文字の部分の内容を発言するとき、2人とも口元が下に下がっていました。

まるで、その発言をすることに罪悪感を抱き、ためらっているようにね。

つまり、この悪口は本心ではない! むしろ、本心とは真逆の内容だと思われます。」

 

「本心と真逆って・・・まさか!? 2人は実は仲が良かったってこと?」

 

「しっ! 大きな声出したら、弁護側に手の内を読まれちゃいますよ!」

 

「あっ、ごめん。・・・でも、なんでそんなことを?」

 

「理由を考えるのは、道比木さんの役目です。 でも、私にも、何となく分かる気がします。

道比木さん、今回の事件、石野さんの存在が重要なんじゃありませんでしたっけ?」

 

「石野さんの存在???

・・・あっ! そうだった! 思い出したよ!!!

僕らは、石野さんが共犯者だったと主張するつもりだったじゃないか!」

 

なるほど・・・そういうことか!

 

だったら、今の鱒井医師の証言にも突破口はある。

 

「ありがとう、レイちゃん! 君のおかげで、まだ戦えそうだ!」

 

「そうですか。 なら、よかった!」

 

10:14 検察側尋問 ~検事の主張は大間違い~に対して

 

「検事さん、さっきからずっと、何やら話し合ってるみたいですけど、結局、結論は変わらないですよ。

俺は、犯人ではない! いい加減、認めたらどうです?」

 

「いいえ、認めません。 僕には、あなたが犯人となり得た方法に気付いていますから!」

 

「ほう・・・一体、どういう方法を使ったというんですか?」

 

「あなたには、共犯者がいたんですよ・・・石野香織さんという、共犯者がね!

それならば、今の証言を聞いてもなお、あなたは犯人になり得る!」

 

「・・・ぷっ・・・はははっ!

何を言い出すかと思ったら・・・石野が俺の共犯者だってぇ?

ふざけるなよ! あんな奴となんて、死んでも協力したくねぇよ!

検事さんだって見たでしょ? 俺と石野が言い争ってるのを。」

 

「そう、表面上では、あなた方はとても不仲に見える。

ですが、僕には、あなたたちが実は仲が良かったと証明できるのですよ。

今の証言を尋問し、それを明らかにします。 裁判長、検察側に尋問の機会を与えてください。」

 

「分かりました。 検察側は、尋問をどうぞ。」

 

「・・・では、被告人。 まず、確認しますが、あなたは、石野看護師とは仲が悪かったと言うのですね?

共犯を依頼するなど、もってのほかの人物だったと・・・。」

 

「あぁ、そのとおりですよ。

さっきも言った通り、あんな奴とは死んでも協力したくないね!」

 

「そうですか。 そう言う割には、先ほどの証言でおかしな点があったのですが?」

 

「・・・?」

 

「先ほど、あなたは、『嫌味ったらしい石野』『嫌味ったらしい上に、ほら吹きとは、本当にたちが悪い女だぜ!』というように、石野看護師に対する悪口のような発言をしましたね?」

 

「えぇ、しました。 法廷で悪口言っちゃいけなかったですか?」

 

「いえ、別にそれは構いません。

しかし、この発言をするときの、あなたの表情がおかしかったのです。

あなたはこの発言をするとき、口元が下に下がっていた・・・まるで、発言内容に罪悪感を抱いているように・・・」

 

「罪悪感? そんなもの抱くかよ! 石野だって、俺を嫌ってたんだ! 

そんな奴に悪口言うのに、罪悪感なんてないですよ。」

 

「石野さんもあなたを嫌っていた? 本当にそうでしょうか?

・・・裁判長、先ほどの石野看護師の証言記録はありますか?」

 

「えぇ、ここに。」

 

僕は、裁判長から証言記録を受け取った。

 

「実は、石野さんも彼女の証言の中で、被告人に対する悪口のような発言をしています。

この証言記録によれば、『あいつになら濡れ衣着せたって、ちっとも心は痛まないからね。』

というところですね。

確かにこれだけ見れば、被告人・・・あなたの言う通り、石野さんもあなたを嫌っていたように感じますね。

しかし、ここで面白いことに気付くのですよ。

過去のことなので、記憶違いと言われればそれまでですが、この発言をするとき、なんと、石野さんも罪悪感を抱くように、口元が下がっていたのですよ。 あなたと同じようにね!

つまり、石野さんは本当はあなたのことを嫌っていなかったし、同じように、あなたも石野さんのことを嫌ってはいなかった。 そうではないのですか?

いや、それだけじゃない。 本当は、あなたたちは仲が良かったんだ。

だからこそ、悪口を言うことに心が痛み、その罪悪感が表情として現れたんです!」

 

「ふっ・・・さっきから聞いてりゃ、よくそんな適当なことが言えますね。

心理学の真似事でもしているつもりかもしれないが、くだらない!

表情が発言とムジュンしている? 俺が罪悪感を抱いていた?

そして、俺が本当は石野と仲が良かっただって? はぁ? ふざけるなよ!

そんなエセ心理学で、俺らの仲を決められたら、たまったもんじゃないですよ!

あんたの主張、認めさせたいなら、はっきりした証拠を示してもらわなきゃいけませんよ。」

 

もちろん、証拠ならあるさ。

 

「ふっ・・・さっきから聞いてりゃ、よくそんな適当なことが言えますね。

心理学の真似事でもしているつもりかもしれないが、くだらない!

表情が発言とムジュンしている? 俺が罪悪感を抱いていた?

そして、俺が本当は石野と仲が良かっただって? はぁ? ふざけるなよ!

そんなエセ心理学で、俺らの仲を決められたら、たまったもんじゃないですよ!

あんたの主張、認めさせたいなら、はっきりした証拠を示してもらわなきゃいけませんよ。」

 

レイちゃんが記録しておいてくれた、今の発言が赤い字で染まっている。

 

赤い字の傍には、“動揺”と書かれている。

 

この部分の発言で、動揺していたという意味だろう。

 

やっぱり、2人が本当は仲が良かったという僕の指摘は合っていたようだ。

 

だが、このことを証拠として示したところで、鱒井医師は認めないだろう。

 

でも、大丈夫。 これよりも明確に、確実に、鱒井医師に事実を認めさせる証拠品が他にある。

 

まさか、これが証拠品として役立つとは思わなかったけど・・・

 

 

 

「証拠なら、ちゃんとありますよ。 これが、あなたと石野看護師の仲について証明できる証拠です!」

 

「ん? 何だそれは? 写真・・・・・・あっ!?」

 

僕が突きつけたのは1枚の写真だった。

 

そこに写っているものが何かに気付いた途端、鱒井医師の表情が変わった。

 

「これは、昨日、真田研修医から頂いた写真です。 

今回の事件が起こった手術前に、手術の担当医全員で撮られた写真だそうですね?

真ん中に刃崎医師。 その左隣に五河医師。 右隣には真田研修医が並んでいます。

そして、大事なのはその後ろです。

彼ら3人の後ろには、あなたと石野看護師が並んでいる! しかも、“笑顔で”です!」

 

「ふ・・・なんだ、そんなことかよ。 それが証拠かよ! 焦って損したぜ・・・。

それは、手術の成功と、真田の研修修了前祝いを兼ねて撮った写真だ。

そんなめでたい写真に仏頂面で写れるかよ。 写れないだろ?

それはカメラ向けられた手前、笑顔見せただけで、ポジションが隣になったのも偶然だ。

そんなことで、仲が良かっただなんて、証明になってないですよ!」

 

鱒井医師の表情から安堵感が窺がえた。

 

どうやら彼は、僕が“あのこと”には気づいていないと思っているみたいだな。

 

なめるなよ。 僕だってちゃんと気づいているさ。 これでとどめだ!

 

「被告人、僕の話はまだ終わっちゃいませんよ。

まさか、僕もこれくらいで、あなたと石野看護師の仲が良かったなんて言い切るつもりはありませんよ。

注目すべきは、ここです。 裁判長、写真の後ろの2人の手元をご覧ください。 どうなっていますか?」

 

「うーむ・・・老眼ではっきりとは見えませんが、どうやら手を繋いでいるようですな。」

 

「そう、その通り!

刃崎医師の頭の部分で隠れているので、正確には、手を繋いでいるかどうかは分かりませんが、2人の手の位置関係からして、明らかに2人の手は密着しています。

・・・被告人、プライベートなことなので、あなたたちがどこまで親密な関係だったのかまでは問いません。

しかし、この写真を見る限り、少なくとも、あなたたち2人は、互いを忌み嫌うような関係ではなかったはずです! 違いますか?」

 

「う・・・ううう・・・・・うおぉぉぉぉぉぉぉお!!!!!

な、なんで、バレちまうんだよぉ!!!」

 

「その通りのようですね。 では、やはり、あなたが・・・・・」

 

 

せっかく調子が出てきたところだったのに、またもや誰かに話を遮られてしまった。

 

一体、今度は誰だ?

 

「鱒井くん、ありがとう。 君が時間を稼いでおいてくれたおかげで、私も気持ちに整理がついた。

ここからは、私に任せてくれ!」

 

曽口弁護士だった。

 

さっきまでの意気消沈した様子はどこへやら・・・目の前の曽口弁護士は堂々としていた。

 

10:27 弁護側反論 ~2人の仲と共犯の関連性~

 

「道比木検事、少し確認したいんだけど、君の証明したいことは何だったかな?」

 

「石野看護師が被告人の共犯者であったということです。

それならば、被告人に、犯行が可能だったことになりますから。

・・・そして、石野看護師が共犯者であったことを証明するために、前提として、被告人と石野看護師は実は仲が良かったことを証明していたわけです。」

 

「なるほど。 だから、君は今、2人の仲について尋問し、見事、2人は仲が良かったと証明したわけだ。

だが、それが本当に前提になっているのかい?」

 

「えっ?」

 

「君は今、2人は仲が良かったと証明した。 鱒井くんもそれについては、もう反論する意思はないようだし、私としても認めるよ。

だが、それで分かることは何だい?

あくまで、2人は共犯となり得る可能性は備えていたというだけの話じゃないかな?

今の証明は、石野看護師が共犯だったという証明には直結しないよ。

君は共犯にこだわりたいようだけど、もっと単純に考えればいい。

石野看護師が麻酔薬を用意した。 それならば、石野看護師が真犯人だ。

それだけの話じゃないかい?

または事故死でもいい。 石野看護師は間違ってスーパースヤミンを用意してしまった。

カルテによると、確か、彼女が被害者の手術を担当したのは、今回が初めてだったそうじゃないか。

被害者のアレルギーについて知らなかったに違いない。

いつも通りに、一番使いやすいスーパースヤミンを用意してしまったんだよ。

どちらも、彼女が共犯者だなどと主張するよりも、よほど筋が通っていないかい?

それでもなお、共犯説を唱えたいなら、唱えればいい。

但し、明確に説明ができないのなら、鱒井くんは犯人にはなり得ない。 つまり、無罪だ。

そして、おそらく、明確な説明などできない。

さぁ、決めたまえ! 潔く負けを認めるか? それとも、往生際悪く粘ってから負けを認めるか?」

 

曽口弁護士は、まるで名推理をして見せたかのような満足げな表情だ。

 

だが、残念ですね、曽口弁護士・・・僕にはもう、真相は全て見えているんだ。

 

次が、最後の反撃だ。

 

これでこの事件、僕の勝利を決定的なものにして見せる!

 

10:31 検察側再反論 ~最後の反撃~

 

「曽口弁護士、せっかく調子が出てきたところですいません。

ですが、僕にはもう答えが見えているんです。

ただし、その答えはあなたの選択肢にはない・・・僕は、明確な説明によって、石野さんが共犯者だったこと、そして、被告人が主犯であったということを証明します!」

 

「私に、すまないとは・・・ずいぶん自信があるようだね。

いいだろう。 だが、君には“勝つ”という結果は用意されていないと思うけどね。」

 

「それはどうでしょうか? 僕にはもう、証明の道筋が立っているのですが・・・」

 

「!?」

 

曽口弁護士は、僕の発言をハッタリだと思っていたらしい。

 

挑発しても、動揺を見せない僕に、逆に自分自身が動揺してしまったようだ。

 

「まずは、その前段階として、曽口弁護士の主張を崩させてもらいますよ。

あなたは、①石野看護師の用意ミスによる事故死だ、または、②石野看護師が真犯人だ、と主張しましたね? どちらにせよ、被告人は無罪であると・・・。

しかし、これらはどちらもあり得ない!

①に関しては、先ほどの被告人の証言が証拠になります。 被告人は先ほど、こう言いました。

『俺は確かに、別の麻酔薬を用意するように書いた書面を石野に渡した。』と。

つまり、例え、石野看護師が被害者のアレルギーについて知らなくても、この書面に従いさえすれば、間違うことなどあり得ない。 そうでしょう?」

 

「ぐっ・・・そんなことを言っていたのか!

さっきは混乱していて、話半分しか聞いていなかったからな・・・だが、②の方はあり得るだろう?」

 

「いえ、あり得ませんよ。

こちらは、石野看護師の証言に僕がした尋問が証拠になります。

彼女は殺害計画を立てました。 しかし、彼女の目的は被害者を殺害することではなく、刃崎医師に汚名を着せることだった。 そう証明しましたよね?

あの時は論点がずれているとの指摘を受けましたが、その事実がある限り、ただ被害者が亡くなるだけでは意味がない。 被害者が亡くなり、なおかつ、刃崎医師に殺害の疑いをかける必要があったのです。

それならば、麻酔薬に細工を施す必要はない。 いや、むしろ、そんなことをして死因があやふやになれば、刃崎医師に疑いの目が向きにくくなり、不都合なはずです。」

 

「道比木検事、君こそ、石野看護師の証言をよく思い出したまえ。

彼女はこうも言っていなかったかい?

『私の用意した第2の凶器が使われたからよ。

まさか、あんなことになってメスが使われないとは思わなかったけど、最悪の事態を想定して、別にも凶器を用意していたの。』とね。

自らの口から、そう言っているんだよ。 確かに君の言い分も一理ある。

だが、被害者が亡くならなければ、そもそも事件でないのだから、刃崎医師に疑いがかかる可能性は

ゼロだ。 少しの可能性にも賭け、第2の凶器としてスーパースヤミンを用意したんだ。

そう、だから、鱒井くんの書面には従わなかったわけだよ。」

 

「曽口弁護士、少し勘違いをしていませんか?

石野看護師は、被害者を担当するのは、今回の手術が初めてだったのです。

被害者のアレルギーについて知らなかったに違いない・・・弁護士自身も先ほど、そうおっしゃられましたよね?

ですから、本当に、石野看護師が、麻酔薬を第2の凶器として用意していたの言うのなら、その中身はスーパースヤミンなどではなく、別の毒物にしたはずです。

しかし、注射器の中からは毒物反応は出ていません。

つまり、石野看護師は第2の凶器など用意していなかったのですよ!」

 

「な、なんと!?」

 

「しかし、実際、鱒井医師が別の麻酔薬を依頼したにも関わらず、石野看護師が用意した麻酔薬はスーパースヤミンだった。

考えられる理由はもう、1つしかないんじゃないですか?

そう・・・石野看護師は、鱒井医師の共犯者であり、手術前に鱒井医師に事件の概要を聞いていたからこそ、表面上では書面を用意し、鱒井医師に犯行は不可能だったように見せかけ、実際は、石野看護師が鱒井医師のためにスーパースヤミンを用意することが出来たんです!」

 

「道比木検事、話が飛躍しすぎだ!

私の主張が否定されたところまでは認めよう。

だが、だからと言って、いきなり石野看護師が共犯者だったというのは、勝手に君が進めたい方向に無理やり論を進めてはいないかい?」

 

「なるほど。 では、話を変えましょう。

曽口弁護士、今回、鱒井医師が被告人として起訴されたわけですが、彼の殺害動機としてどういったことが挙げられているかはご存知ですか?」

 

「あぁ。 昨日、君の相棒の刑事から聞いたよ。

自分と同じような医師家系に生まれながら、その流れに逆らって人生を選択できた被害者と、流れに逆らえず、止む無く医師になった自分を比べ嫉妬心が募っていた上、その自分をあざ笑うかのように毎日通院してくる被害者に恨みが生じたから・・・と聞いたよ。

まぁ、私は鱒井くんの無実を信じているから、そんなこじつけのような動機など信じてはいないが。」

 

「そうですか。 実は、僕もその動機に疑問が残っているのですよ。」

 

「はぁ? 何を言っているんだ、君は?

この動機を理由に鱒井くんを起訴したのは君じゃないか!

・・・なるほど。 道比木検事、やっぱり諦めるんだね?

動機が不十分だった。 鱒井くんは犯人ではないと。 時間はかかったが、とうとう認めるか。

それなら、裁判長、検察側は降参の姿勢を見せているので・・・」

 

「待ってください、曽口弁護士! そんなことは言っていません!

動機としてはあり得る内容です。 しかし、本当にこれが動機ならば、不自然なことがあるのです。」

 

「・・・?」

 

「いいですか? カルテを見れば明らかですが、被告人は、3年前に被害者が通院を始めて以来、ずっと被害者の手術を担当しているのです。

しかも、その手術は、2か月に1度のペースで行われていた。

被告人が犯行に及ぶチャンスは、何度もあったはずです。

しかし、実際、事件が起こったのは3年もたった今回です。」

 

「ならば、話は簡単だ。 鱒井くんは確かに被害者に対して恨みを抱いていた。

しかし、彼は我慢強く、その狂気をコントロールできていたんだ。

だから、3年間、何度チャンスがあろうとも、殺害には及ばなかった。

裏を返せばそれは、今回も鱒井くんは犯人ではないという証明じゃないか!

ふふふ・・・道比木検事よ、君自身が鱒井くんの無実を証明しちゃったじゃないか!」

 

「いえ、そうではありません。

曽口弁護士は今、被告人は犯行に及ばなかったと言いました。

ですが、それは違います。

被告人は、今回までは、犯行に及べなかったんです!

しかし、今回、犯行に及べる条件がそろった。 だから、犯行に及んだんですよ!」

 

「・・・? なんだか、急に話が抽象的になってきたが・・・

誤魔化さないで、ちゃんと説明してくれないかな?」

 

「えぇ、ここで先ほどの話に戻るんですよ。 共犯者の話にね。

被告人は、麻酔医です。 ですから、手術中に触れられるものは麻酔薬とそれが入った注射器のみ。

つまり、手術中に犯行を行おうとしたら、この2つを使うしかありません。

そして、これらを使って可能な犯行方法は、麻酔薬に毒物を仕込むこと。

今回の被害者の場合は、麻酔薬スーパースヤミンも毒物となり得るので好都合でしたね。

ですから、被告人が犯行に及ぶ場合、スーパースヤミンを使うのが一番の得策です。

しかし、被告人にはそれが出来なかった。

なぜなら、麻酔を用意するのは看護師であり、被告人自身は書面によって依頼するしかない。

その相手が、アレルギーについて知らなければ、誤魔化すこともできたかもしれませんが、残念ながらそうではなかったようです。

このカルテに記載された、担当看護師の名前・・・今回を除き、全ての手術の担当看護師が、

日江井 翔子(ひえい しょうこ)と言う人物になっています。

最初からの担当看護師ならば、当然、被害者のアレルギーについて知っている。

ここで、被告人が書面にスーパースヤミンと書いたところで、間違いを指摘され、スーパースヤミンを手にすることはできない。 つまり、被告人にはこれまで犯行が不可能だったわけです。」

 

自分の主張に集中していて、気付かなかったが、ふと見ると、曽口弁護士の顔色が悪くなっていた。

 

おそらく、これから僕が言いたいことを予測したのだろう。

 

なら、話が早い。

「曽口弁護士もそろそろお気づきでしょう? 

被告人が犯行に及ぶには、看護師に共犯者になってもらう必要があったのです!

そして、その好条件が、今回初めてそろった。

それが、手術担当メンバーに、看護師:石野香織と執刀医:刃崎英利が指名されたことです!

被告人は、被害者に恨みがあり、被害者を殺害したかった。 その方法は何でもよかった。

石野看護師は、刃崎医師に恨みがあり、刃崎医師に汚名を着せたかった。 そのための標的は誰でもよかった。

2人の意思が合致し、今回の事件は起こったのです。

おそらく、石野看護師の証言はあながち間違ってはいなかったのでしょう。

元々、凶器として用意したのは、毒付きのメスだった。 しかし、用心深い刃崎医師のことを考え、第2の凶器として、スーパースヤミンを用意しておいた。

結果、予想通り、用心深い刃崎医師はメスを使わず、殺害にはスーパースヤミンが使用された。

これが事件の真相でしょう。

つまり、犯人は、検察側が当初より主張しているとおり、鱒井拓海・・・及び、石野香織と考えます。

いかがでしょうか、曽口弁護士?」

 

「く・・・くくくくくく・・・・・

くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・おっおおおぉえぇぇ!!!」

 

「こ、こら、弁護人! 何をしているのですか!?」

 

・・・・・。 曽口弁護士、嘔吐・・・した?

 

「だ、大丈夫だ。 これは、胃液だよ! 何も感染するウィルスや菌は拡散していない!」

 

そういう問題じゃないと思うけど・・・。

 

「すまない、失態を見せてしまったな・・・だが、私はまだ・・・・・」

 

「もう、いいですよ。」

 

その時、全てを覚悟したような、優しい声で口を開いたのは鱒井医師だった。

 

「もう、いいです。 これ以上は無理です。

俺が悪かったんです。 ちょっとした嫉妬心だったのに・・・あいつに話持ちかけられて、つい・・・」

 

「ちょ、ちょっと、何言ってんのよ! 私はまだ、諦めてないわよ!」

 

傍聴席から立ち上がり、そう叫んだのは、石野さんだ。

 

「今回のことは、私もあなたも幸せになれるって・・・・・」

 

「こんなの、幸せじゃない! 人を不幸にしてまでつかみ取ったものなんて、本当の幸せじゃないよ。

お前や、曽口弁護士が、俺を助けるために必死になってくれたから、俺も自分が正しいと訴え続けていたけど、心の底ではわかってたよ。 俺が・・・いや、俺たちが間違っていたって。

そうだろ、香織?」

 

「・・・た、拓海・・・。 ・・・うん、そうだね。」

 

香織・・・拓海・・・やっぱり、彼らは親密な関係だったようだ。

 

10:45 判決へ

 

「裁判長さん、最後に、もう一度、発言させてください。」

 

「わかりました。 いいでしょう。」

 

「ありがとうございます。 ・・・ほら、香織も来て!」

 

鱒井医師に促され、石野さんが傍聴席から出てくる。

 

2人が、証言台の前に並んだ。

 

「曽口弁護士、ごめんなさい。 でも、俺、もう自白します。

俺が・・・俺たちが、今回の事件の犯人で間違いありません。

犯行方法は、さっき検事さんが証明したとおりです。 あそこまで、見破られるとは驚きでした。

動機は、大体、さっきの話のとおりですが・・・・・

まぁ、早い話が、俺の嫉妬心です。

自分と他人を比べたって意味はないのに、同じような境遇ってだけで、俺は平院さんと自分自身を比較してました。 最初は、医師でない道を選べた彼が羨ましいなぁと思っていて・・・

でも、何回も顔を合わすたびに、自由奔放に暮らしていて、おまけに、重症でもないのに通院してくる彼が疎ましくなってきて・・・その感情が次第にエスカレートしてきて、気付いたら恨みに変わっていました。

そんな時に、香織から今回の件を持ち込まれたんです。

刃崎医師に汚名を着せたいから手伝ってくれ・・・平院さんの手術なら、拓海にも利益があるでしょ?

って。

・・・こんなところで言うことじゃないかもしれませんけど、僕ら付き合っているんです。」

 

その瞬間、石野さんの顔が赤らめた。

 

「結婚を前提に付き合っていたんですけど、香織の親御さんは結婚相手に厳しくて・・・

その・・・将来有望な、刃崎医師の息子さんとの結婚を望んでいたらしいんです。

だから・・・・・」

 

なかなか説明しづらい部分なのか、鱒井医師は口ごもる。

 

すると、今度は、代わりに石野さんが口を開いた。

 

「だから、刃崎医師の名声を失墜させればいいと思ったのよ!

刃崎医師の評判が下がれば、当然、息子への風当たりも悪くなる。

そうなれば、まさか、私の親もそんな人間と結婚しろなんて言わないと思ったの。

もちろん、私が最低なことはわかってる。

でも、私は拓海を愛していた。 絶対に拓海と結婚したかった。

だから・・・そうするしか、思いつかなかったのよ。」

 

「俺としても、そうすれば、香織と結婚できるというなら・・・しかも、平院さんへの恨みを同時に晴らせるというなら、これほど好都合なことはない。 あの時の俺はそう考えてしまったんだ。

本当に俺は馬鹿だった。 何にも、他の人の気持ちなんて考えてなかったんだ。

・・・もう、言い訳はしません。 俺が・・・俺と香織が、全て悪かったんです。 そうだよな?」

 

「はい、私たちが悪かったんです。」

 

「・・・どうやら、これ以上の議論の余地はないようですね。 弁護側、何かご意見は?」

 

「・・・ありません。」

 

「そうですか。 検察側は?」

 

ありません。・・・と言おうとしたが、最後に一つだけ、気になっていることが残っていた。

 

「1つだけ、質問したいのですが、よろしいでしょうか?」

 

「おや、何か質問があるのですか? まぁ、いいでしょう。 どうぞ。」

 

「では、石野さん。 あなたは先ほど、被告人を愛していると言いましたが、そこまでの気持ちを抱いていながら、なぜ、被告人を嫌うような態度を取り続けていたのですか?

そこだけが、まだ解決されていなかったので・・・」

 

「あぁ・・・あれはね・・・そうすれば、拓海に無罪判決が出るんじゃないかと思って・・・」

 

「え?」

 

「いくら結婚のためとはいえ、私の計画に拓海を巻き込んだことには、罪悪感を抱いてたの。

だから、せめて、拓海だけでも無罪になるようにって思って・・・

やってることを見れば、真逆に見えるかもしれないけど、私が拓海のことを犯人呼ばわりして、拓海が捕まれば、弁護士を呼べるじゃない。

どんな被告人でも、必ず無罪に導く、ツンツン頭で、青いスーツがトレードマークの伝説の弁護士がいるって噂を聞いていたから、その人に拓海の弁護の依頼をしようと思ったの。

まぁ結局は、その人、最近転職したみたいで、依頼できなかったから、曽口弁護士に依頼したんだけど・・・」

 

なるほど。 そういうことだったのか。

 

好きな人を守るためなら、少しの間、鬼になることも厭わない。

 

石野さんの鱒井医師に対する思いは本物なんだろうな。

 

「道比木検事、それでよろしいですか?」

 

「えぇ。 裁判長、大丈夫です。」

 

「うむ。 では、判決といきましょうか。

またもや、魚を名字に持つ方ですが・・・・・致し方ありませんな。

それでは、被告人、鱒井拓海に判決を言い渡します。

 

有罪!

 

並びに、石野香織も、

 

有罪!

・・・本日の審理はこれまで! 閉廷いたします!」

 

2日間に渡る、長かった裁判はこうして幕を閉じた。

 

11:02 地方裁判所 ロビー

 

「ふう~、やっと終わった!」

 

「お疲れ様です、道比木さん!

この前、私を助けてくれたみたいに、今回も何とか、勝てましたね!」

 

「うん、ありがとうレイちゃん!(何とか・・・ってのは気になるけど・・・。)

レイちゃんの能力にも助けられたからね。 君がいてくれてよかったよ。」

 

「でしょ? 寝坊して、証拠品持ってくるのまで忘れる義門府刑事なんかより、よっぽど私の方が頼りになったでしょ!」

 

「・・・まぁ、そうかもね。 ・・・って、あれ? その刑事はどこだ?

裁判の結果を報告しようかと思ってるんだけど・・・」

 

「あ! あれじゃないですか?」

 

レイちゃんの指さす方向に、ソファに座り、頭を抱え込んでいる男がいた。

 

「ハテなぁ~? なんでだぁ~??」

 

あのお決まりの台詞は、義門府刑事に間違いない。

 

「やあ、刑事! 裁判無事終わったよ。 なんとか、有罪判決を勝ち取れたよ!」

 

「あ、道比木検事・・・そうか、よかったね。

・・・いや、そんなことはどうでもいいんだよ! 僕は今、もっと大事なことで悩んでいるんだ!」

 

ど、どうでもいいって・・・裁判の結果以上に大事なことってなんだよ?

 

「道比木検事、君は今日の裁判前、僕にこう問いかけたね。

『君はなんで警察官になったのか?』ってさ。 僕はずっとそれについて考えていた。

自分が人を救いたいと思っていたからなのか? それとも、親父が警察官だから、そうするしかないと思って警察官になったのか? ずっと考えていた。 どっちが、僕の本心なのかを!

でも、答えがどっちなのか、わからないんだよぉ~!!!」

 

「ずっとって・・・まさか、裁判の間ずっと・・・2時間近くもそんなことで悩んでいたの?」

 

「え? あ! もう、そんなに時間が経っていたのか!

・・・でも、そんなことって言うなよ! 僕には真剣な問題なんだよ!」

 

「は、はぁ・・・」

 

端正な顔立ちの義門府刑事は、見た目からしても、エリートという印象を受けるが、

 

こんな小さな・・・言っちゃ悪いが、どうでもいいことで真剣に悩むとは、あながちハテナ刑事という愛称も間違ってはいないなと感じ始めてきた。

 

「そんなの、どっちでもいいじゃないですか!」

 

レイちゃんも僕と同じように感じていたのか、刑事に向かってそう言った。

 

・・・が、その意味合いは僕とは違ったようだ。

 

「どっちでも、いいんですよ。 刑事は刑事なんですから。

警察官になったのが、自分の意思なのか、お父さんの影響なのかなんて関係ない。

必死に考え、いろいろ分析し、時間がかかって、途中あやふやなことも言うけど、最後には正しい答えを出す。 そんな、素晴らしい刑事が義門府刑事でしょう?

今回だって、義門府刑事の力があったからこそ、道比木さんは有罪判決を勝ち取れたんですから!

過去の理由なんて関係ないんですよ! 大事なのは今です!」

 

「大事なのは今・・・か。 そうだよな。 僕は今、みんなの幸せを守るために刑事をやっている。

それでいいんだね!」

 

刑事の中で気持ちの整理がついたらしい。 刑事の表情が急に明るくなった。

 

「よし、じゃあ僕は、今回の事件の後処理しなきゃだから、そろそろ検察局に戻るよ。

じゃあね、レイちゃん!」

 

「あ・・・待ってください、道比木さん! 一つ、確認したいことが・・・」

 

「ん、何?」

 

「今回の裁判の相手の弁護士・・・確か、名前がソクチって言いましたよね?

もしかして・・・お医者さんじゃあ・・・」

 

「あぁ、元医師みたいだよ。 昨日の裁判で本人が言ってた。

確か裁判長も知ってたみたいだったなぁ。 レイちゃんも知ってるってことは、曽口弁護士ってそんなに有名な医者だったの?」

 

「いや・・・そこまでは、よく分かりませんけど・・・

わかりました。 ありがとうございます。 じゃあ、私も帰りますね。 さよなら!」

 

「あ・・・うん。 じゃあね!」

 

今の質問は何だったんだろう? まぁ、レイちゃんは納得してたみたいだし、いいか。

 

それより、早く後処理をしなくちゃ!

 

「よし、じゃあ、検察局へ戻ろうか! 行くよ、ハテナ刑事!」

 

「あ、うん・・・って、ハテナ刑事ぃ!?

ちょっと、検事までその呼び方するのは勘弁してよぉ~!!」

 

「だって、義門府刑事って、呼びにくいし・・・変換しにくいし・・・

ハテなぁ~、ハテなぁ~・・・って言ってるんだから、いいでしょ!」

 

「そ、そんな! 真面目な道比木検事にもハテナ刑事って呼ばれたらどうすりゃいいんだぁ!

ハテなぁ~~~!!!」

 

裁判所に、刑事の名台詞がこだました。

 

この時の僕は、愉快な気持ちで、この台詞を聞いていた。

 

しかし、のちに僕がこの台詞を吐く日が来ようとは・・・

 

そして、あのような究極の選択を迫られる日が来ようとは・・・

 

この時の僕は知る由もなかった。

 

今思い返せば、あの変死体事件の時・・・

 

あの時に前兆に気づいていれば、あんな事態にはならなかったのかもしれない。

 

第2話 逆転の手術室  完

 



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第3話 見捨てられた逆転(その1 捜査1日目)

8月3日 20:52 検察局 道比木の執務室

 

「…この事件のポイントは、遺体に顔がなかったこと…。

 そう、これは単なる猟奇的殺人などではなかったのです。

 犯人は、ある意図をもって、被害者を殺害後、その首から上を切断した。

 そうでしょう、玄間(くろま)さん?」

 

「な、なんだよっ!? 俺は犯人じゃねぇって!!

 一体、俺に涼子を殺すどんな動機があるっていうんだよ!」

 

「えぇ、あなたに涼子さんを殺す動機はありませんね。」

 

「ほら見ろ!探偵さんだって、認めるんじゃねぇかよ!」

 

「しかし、この遺体は、涼子さんではない。

 彼女の双子の妹、藍子さんなのですよ!」

 

「!?」

 

「涼子さんと藍子さんは、一卵性双生児…見た目もそうですが、それ以外にも多くの部分が類似していたようです。

 例えば、性格、嗜好品、趣味…そして、指紋!!

 藍子さんは、近頃、何もかもが姉と同じであることに煩わしさを感じ、顔の整形手術をしてしまった。

 だから、顔を残せば一発でバレる。しかし、指紋までは変えられない。

 顔さえ切断してしまえば、自分に疑いの目はむけられない。そう思ったのでしょうね?」

 

「くっ…まさか。ばれちまうとはな…」

 

「…あまり、日本の警察を…そして、この徳川家とシャーロック・ホームズの血を継ぐ、下岩 家信(しもいわ いえのぶ)を見くびらない方がいいですよ!」

 

「ひゅー!カッコいいねぇ!イエノブさん!!」

 

そう言ってテレビの前ではしゃいでいるのは、ハテナ刑事だ。

 

今巷で大流行(?)の推理ドラマ『名探偵将軍~下岩家信の事件簿~』とかいう番組だ。

 

僕は真面目に見てないから分からないけど、主人公の探偵が徳川家とシャーロック・ホームズのどちらともの子孫とかいう設定で、

 

途中で時代劇がかった演出があったり、登場人物の名前がやけに古風だったりと、推理ドラマなのか、時代劇なのかよくわからない作品だ。

 

「ちょっと!道比木くんも一緒に見ようよ!」

 

「悪いけど、僕は昨日の裁判の後処理で忙しいんだよ。

 …てか、なんで刑事が僕の執務室のテレビでドラマ観てるのさ?」

 

「え?

 だって、刑事課にはテレビなんてないし…」

 

だったら、家に帰って観たらいいのに…。

 

そもそも、そのテレビは、ドラマのためなんかじゃなくて、重大事件が発生した時に、

すぐにニュースの報道内容を確認できるようにって設置されたものなんだけどな…。

 

だが、ハテナ刑事はそんなことはお構いなしだ。

 

「いやー、僕も刑事になったからには、こういう“顔のない遺体”の事件とか扱ってみたいなぁ!」

 

「そんな不謹慎なこと言うなよ。本当に起きたらどうするのさ?

 ほら、僕ももう帰るから・・・ハテナ刑事も、帰った帰った!!」

 

 

8月4日 6:32 五九十川(ごくどうがわ)河川敷

 

そんなことを言っていたら、本当に起こってしまったから、笑えない。

 

ちょうど1時間くらい前の5:30、僕はケータイの着信音で目を覚ました。

 

ディスプレイに表示された名前は、ハテナ刑事だった。

 

電話に出るや否や、ハテナ刑事の興奮した声が聞こえてきた。

 

「道比木検事! 起こったよ! 

 僕の願い通り起こったよ!!」

 

「え? 起こったって何が???」

 

目覚めたばかりの僕は、まだ頭がはっきりしていなかった。

 

「事件だよ、事件!!

 ・・・“顔のない遺体”の事件だ!」

 

その言葉で、僕の頭は一瞬で覚醒した。

 

「えっ!? まさか・・・」

 

「とにかく来てくれ!

 事件現場は、人情公園の先にある五九十川の河川敷だ。」

 

そう言われて今、その事件現場にたどり着いたところだ。

 

なんか、ここへ来る途中、いかにもなお屋敷があったけど、

 

まさか今回の事件、あの筋の方々が関係なんてしてないよな?

 

「あ! 道比木検事来たね!

 朝早くから呼び出してすまない・・・。」

 

そう言いながら、僕に気付いたハテナ刑事が、向こうから近づいてきた。

 

「いや、それはいいけど。

 ・・・で、遺体っていうのは?」

 

「あぁ、これさ。」

 

刑事は、再び、元の場所に戻り、僕に指し示す。

 

目の前に横たわっていたのは、白いTシャツに、汚れた作業着のズボンといった格好の、男性と思われる遺体だった。

 

そして、その顔は焼けただれて、年齢はおろか、性別もわからないほどの状態になっていた。

 

ハテナ刑事の言うとおり、“顔のない遺体”だ。

 

「これはもしかして・・・」

 

「あぁ、どうやらこのダンボール小屋の延焼に巻き込まれたのが原因らしいね。」

 

そう、遺体のすぐ脇には、燃え尽きて黒焦げになった、段ボール製の小屋があったのだ。

 

「僕が通報を受けて来たときには、まだ遺体はこの小屋の中にあったんだけど、

 それじゃあ、遺体が確認できないから、引きずり出したんだ。

 まぁ、現場写真は撮っておいたから、大丈夫だよ。」

 

さすが、ハテナ刑事だ。 抜かりはない。

 

だが、顔のない遺体はさることながら、僕はその周りの光景にも圧倒されていた。

 

「ところで、ハテナ刑事。

 一体ここは何なんだ? この黒焦げの小屋もそうだけど、やけにダンボール小屋が多いけど・・・」

 

なんと、僕が今いるこの場所は、あたり一面、ダンボール小屋が至るとことに立っていたのだ。

 

「あぁ、そりゃ気になるよね。

 実は・・・」

 

「ここは見捨てられたモンらのたまり場さ。」

 

急に後ろから声をかけられ、反射的に無理向くと、

 

そこには、被害者と同じような格好をした男性が立っていた。

 

「あの・・・あなたは?」

 

「ふっ・・・名乗るほどのモンじゃない。

 ここの住人だ。」

 

「住人・・・?」

 

「ここにいるモンらは、俺も含めてみんな、何かしら問題を抱えて社会からつまはじきにされた不適合者さ。

 仕事もない、金もない、家族もない・・・いわゆる、ホームレスってやつだ。」

 

ホームレス!?

 

・・・なるほど。じゃあ、このたくさんのダンボール小屋は、そういうことだったのか!

 

「・・ったく! ただでさえ、肩身の狭い思いしてんのに、こんな事件が起こっちまうなんて、

 また“アイツ”からガミガミ言われちまうじゃねえかよ!」

 

明らかに不機嫌そうなこの男とこれ以上話を続けると面倒そうだな・・・。

 

そう思った僕は、再び、ハテナ刑事の方へ向き直った。

 

「ところで、刑事・・・この人が通報者なの?」

 

「あぁ、そうだよ。

 佐賀さん、申し訳ないですが、もう一度、検事に通報されたときのことをお話ししてくれませんか?」

 

「はぁ・・・アイツもそうだが、お役所ってのはホント型にはまってて面倒だな。」

 

「すみません。」

 

流れで謝ったが、今来たんだから、しょうがないじゃないか!

 

「・・・俺は佐賀 宋輔(さが そうすけ)(47)。

 さっきも言ったが、ここの住人さ。まぁ、ここにいる理由までは詮索しないでくれや。

 色々あって、仕事が見つかんなくてなぁ・・・。

 ちょうど1時間ちょい前だったと思うが、俺は焦げ臭いにおいがして目が覚めたんだ。

 ・・・で、匂いのする方へ近づいてみたら、この小屋が黒焦げになって、中で人が死んでるって有り様よ。

 面倒ごとには巻き込まれたくないと思ったが、俺が疑われるのも嫌だと思って通報したわけさ。」

 

「なるほど。では、本当についさっき気付いた感じなんですね。」

 

「あぁ、そうさ。

 刑事でも検事でもなんでもいいけどさ、さっさと解決してくれよな。」

 

そう言うと、佐賀と名乗ったその男は、自分から話しかけてきたにもかかわらず、

 

言いたいことだけ言うと、さっさと去って行こうとした。

 

・・・が、それを刑事が止める。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 佐賀さん!

 第一発見者であるあなたには、色々と聞きたいことが・・・」

 

「はぁ、面倒臭いなぁ・・・。

 あのさ、俺も好きでホームレスやってるわけじゃなくてね・・・仕事してちゃんと生活したいのよ。

 そのために仕事を探しに行かないといけないのさ。

 とりあえず、通報はしたんだから、あとはそちらで勝手にやってよ。」

 

「通報だけでなく、捜査に協力することも国民の義務です!」

 

「はぁ・・・また、“コクミンノギム”とか堅いこと言うし・・・」

 

「・・・それに、一緒に生活されていた方が被害者かもしれないのに、気にならないんですか?」

 

「・・・別に、俺らは一緒に生活してるわけじゃない。

 ただ、居場所がないモンらがここに集まっただけさ。」

 

本当にそうだろうか? 今、一瞬言いよどんだような・・・。

 

「見てのとおり、今回の被害者は、小屋が燃やされたせいで、顔も指紋もわからなくなっている。

 何かこの被害者が誰かに関する情報があれば教えてほしいんです。」

 

「・・・そんなこと言われても、刑事さんがわかんないなら、

 俺だってこんなグチャグチャな死体が誰かなんてわからないさ。

 まぁ、言えるとしたら、この燃えた小屋はタエちゃんが使ってたモンってことくらいだな。

 あとは、モンペ-さんかショータくんか、他にいるモンらに聞いてくれよ。

 まぁ、みんな、俺と同じでひねくれ者ばっかだけどさ。」

 

そう言うと、今度こそ、佐賀さんは去って行った。

 

「あの人、なかなかまともに相手はしてくれなそうだね。」

 

「まぁ、あの人自身、別に自分の問題を抱えてるんだ。

 あんまり他人事にかまっている暇は無いんだろうね。

 何とか僕らで、この遺体の正体と、事件の全容を明らかにしよう!」

 

念願かなっての“顔のない遺体”事件のせいか、ハテナ刑事はやけにやる気に満ちて見えた。

 

「・・・でも、どこから手を付けようか?

 遺体の正体?死因?犯人捜し?・・・というか、そもそも事件なんだろうか?」

 

「まぁ、遺体の正体も含めて、遺体の状態は検視官と鑑識の報告を待とう。

 道比木検事に連絡するのと同時に、彼らにも連絡したからもうすぐ到着するはずだよ。」

 

「・・・ということは、とりあえずは、情報集めかな?

 確か、佐賀さんが、何人か人の名前を言っていたね。」

 

「あぁ。確か・・・タエちゃん、モンペ-さん、ショータくん・・・だったかな?」

 

「そうそう! この小屋の主がタエちゃんって人だったよね?

 ・・・ということは、この遺体、もしかして女性!?」

 

「うーん、体格的にはあり得なそうだけど・・・

 まぁ、タエちゃんってのが、女性とも限らないからね。

 ・・・とりあえず、隣の小屋で話を聞いてみよう。 誰かいるみたいだし。」

 

 

6:45 ショータくん(?)の小屋前

 

「すいません。ちょっとお話しいいですか?」

 

「・・・・!?」

 

「あの、隣の小屋の件なんですが・・・」

 

「・・・・!?!?」

 

「何か心当たり・・・」

 

「!!!!!!!!!!!」

 

ドンッ!! ピシャっ!!!

 

おい? 何が起きたんだ???

 

いきなり突き飛ばされた上に、思いっきりダンボール製の扉を閉められたぞ。

 

「ハハハハ・・・そりゃそうなるわ。

 言ったろ? ひねくれ者ばっかだって。」

 

振り返ると、川で水を汲みながら、佐賀さんが笑っていた。

 

仕事探しに行ったんじゃなかったのかよ。

 

「そこは、ショータくんの小屋さ。

 彼は極度の対人恐怖症でね・・・いわゆる、“コミュ症”っていうのかな? それの激しいやつさ。

 それで、社会になじめなくて、30にもなって仕事もないままここにいるわけさ。」

 

さすが、訳ありな人たちが集まるだけあって、いろんな人がいるなぁ・・・。

 

「どれ、俺が呼んできてやるよ。

 おーい、ショータくんや。いるんだろ? 俺だ・・・ソウさんだよ。」

 

ソウさんて(笑)

 

さっきの僕らに対するのとは打って変わった対応に驚いた。

 

「そ・・・ソウさん?

 ほ・・・ほほほ・・・本当に・・・ソウさん???」

 

「あぁ、そうさ、ソウさんさwww」

 

「な・・・なんだ・・・び・・びっくりしたよ・・・。

 今・・・急に・・・へへへ・・変な人が・・・来た・・・ような・・・。」

 

「あぁ、確かに変な人が来たさ。 刑事と検事だとさ。

 ほら、さっき言ったけど、隣のタエちゃんの小屋が燃えちまっただろ?

 あれについて知ってることを話してほしいんだとさ。」

 

「し・・・知ってること???

 うーん・・・あるよう・・・な・・・」

 

「あるんですか! 何でもいいです! 教えてください!!!」

 

「!!!!・・・ひぇぇぇ!!!」

 

「こら、バカ! そんなことしたら、何も話してくれないさ。」

 

「すみません。」

 

勢いあまって、口を出してしまった。

 

てか、僕、なんでこんな短時間で佐賀さんに2回も謝ってるんだろう?

 

「ショータくん、何か知ってるのか?

 面倒そうだけどよ、ここの刑事さんたちが捜査に協力しろ・・・とかで、

 知ってることは教えてほしいんだとさ。」

 

「そ・・・そう・・・なの?

 変な人じゃ・・・ないん・・・だね?」

 

「あぁ、多分な。」

 

多分って言うなよ!

 

だが、佐賀さんの言葉に促されたのか、ダンボール小屋の扉を開けて、男が出てきた。

 

「けけけ・・・刑事さんたち・・・さっきは・・・ごめん・・・なさい。

 ぼぼ・・・くは、古美 将太(こみ しょうた)(30)。

 その・・・あの・・・こんな性格・・・だから、みんなと・・上手く・・・喋れなくて・・・

 仕事も・・・その・・・就けなくて・・・えっと・・・・

 僕は・・・うーんっと・・・・・」

 

佐賀さん以上に、この人と会話するのは面倒そうだな。

 

だが、ハテナ刑事は、僕とは正反対で、満面の笑みで古美さんに対応している。

 

「なるほど、古美さん・・・いや、ショータさんね。

 全然気にしてませんよ! 警察署には、もっと荒っぽい人もたくさん来ますから、慣れてますよ!

 ゆっくりでいいので、知ってることを教えてください!

 ・・・あ、ちなみに僕は、刑事課の義門府 孝志です。 

 ギモンフだから、ハテナ刑事って呼んでいいですよ!」

 

あんなに嫌がってた愛称の“ハテナ刑事”で呼んでいいって・・・

 

是が非でも、古美さんから情報を得たいんだな。

 

「あ、ありがとう・・・ハテナ・・・刑事。

 そ・・・その・・・僕は・・・ひ・・ひひ・・・ひひひ・・・」

 

「ひ? 火のことですか?」

 

「そう!・・・火を・・・誰かが・・・隣の小屋・・・タエさんの小屋・・・に・・つけるのを・・・

 見た・・・ような・・・気がする。」

 

「!!」

 

「それは本当ですか!」

 

「・・・わからない。夢かも・・・しれない。

 でも、真夜中に・・・急に外が明るくなって・・・怖かったけど・・・扉を開けてのぞいたら・・・

 誰かが・・・立っていて・・・小屋が・・・すごく・・・燃えていた。

 僕は・・・すぐに・・扉を閉めて・・・布団をかぶって・・・また寝た。」

 

「なるほど! 確かにこの燃え方は放火の可能性が高い! 

 それは何時ころでした? その人の特徴は何かありましたかね?」

 

「何時・・・だったろう? 僕・・・時計・・・もって・・・ない・・から。

 とにかく、周りは真っ暗・・・だった。

 真っ暗・・・だったから・・・・その人の・・・特徴も・・・わから・・ない。」

 

うーん、イマイチはっきりしない内容だなぁ・・・。

 

僕はいささか不満だったが、ハテナ刑事は満足顔だ。

 

「とりあえず、放火の可能性についての証拠ゲットだね。

 ショータさん、ありがとうございました!

 じゃあ次は・・・」

 

「いや、ちょっと待ってよ、ハテナ刑事!

 この人の話、鵜呑みにしていいの?」

 

「えっ? どういうこと?」

 

「確かに、状況から見たら放火だけどさ、今の古美さんの発言は、

 この小屋の状態見たらだれでも言えることでしょ?

 時間もわからない、放火したと思われる人の特徴もわからないじゃ、信用性が薄いよ。」

 

「ま、まぁ、確かに・・・。」

 

「それに、古美さんの小屋は、燃えた小屋の隣なんだよ。

 古美さんが犯人の可能性も・・・」

 

「おい、バカ! お前!!

 せっかく、ショータくんが勇気を出して話したのに、それはないだろうさ!」

 

すかさず、佐賀さんが割って入って来た。

 

だが、僕もひるまず続ける。

 

「もちろん、可能性に過ぎません。

 でも、この小屋が、燃えた小屋に一番近いんです。

 そもそも被害者が誰かわからないのが問題だけど、古美さんが犯人の可能性は・・・」

 

「いいや、断じてそれはない!!

 だって、ショータくんは、ドリーくんとは面識はなかったんだ。

 殺す動機なんてあるはずがない!!」

 

・・・ん? ドリーくん???

 

「あの、佐賀さん、すいません。

 ドリーくんって誰ですか?」

 

「し、しまったぁ!!」

 

僕には何が「しまったぁ!」なのか分からなかったが、ハテナ刑事はピンと来たようだ。

 

「もしかして、この遺体の正体が、そのドリーくんって人なんじゃないですか?」

 

「え? そうなの!?

 ・・・でも、佐賀さん、さっきは遺体の正体なんてわからないって・・・」

 

「あー、もう。面倒臭いなぁ・・・。

 確かに、さっきはそう言ったさ。実際、確信はないからね。

 だけど、その遺体が着てるTシャツと作業着・・・それはドリーくんが夜間の工事のバイトで使ってる

 モンだ。」

 

「ということは、ほぼ間違いないんですね。」

 

「あぁ、おそらくね。」

 

「よし! これは大きな前進だ!

 正式な決定は検視が終わってからだけど、とりあえずはそのドリーくんが被害者候補だね!」

 

被害者候補が見つかり、刑事は俄然やる気になった。

 

顔のない遺体事件というから身構えたけど、案外簡単に片付きそうだな。

 

「ちなみにそのドリーくんについて、詳しく教えてもらってもいいですか?」

 

「あぁ。・・・確か、本名は、金崎(かねさき) ドリー(28)。

 細かい事情は知らないが、日系の外国人で、出稼ぎで最近日本に来たらしいな。

 ただ、そういうモンらは大勢いるみたいで、定職に就けないからって、ここに居ついたんだったかな。

 まぁ、真面目でいい子だよ。 たまに日本語教えたりしてな・・・。」

 

「なんだ。佐賀さん、やっぱり、ここにいる人のこと気にかけてるんじゃないですか。」

 

「べ・・・別に・・・俺はその・・・に、日本語教えてくれ・・・って言われたから・・・

 その・・・断れなくて・・・・気にかけてるとか・・・そういうんじゃあ・・・・」

 

僕のからかいに、佐賀さんの口調がショータさんのようになったのが可笑しかった。

 

多分、佐賀さんは、不器用なだけなのだ。

 

本当は、今回の事件のことも、ここの住人のこともすごく気になっているのだ。

 

そうでなければ、わざわざ通報したり、面倒だと言いながら事件について話してくれたり、

 

ショータさんを呼んでくれたり、ドリーさんに日本語教えたりなんてしない。

 

そう思うと、さっきとは一転、僕は佐賀さんにすごく好感が持てた。

 

・・・さて、そんな物思いにふけっていた僕の隣で、ハテナ刑事は、しきりに手帳にメモしている。

 

「ふむふむ・・・今のところ分かったのは、

 ①燃えた小屋はタエさんのもの。(佐賀さん証言)

 ②燃えた原因は放火らしい。→犯人は不明。(ショータさん証言)

 ③被害者はドリーさんらしい。(佐賀さん証言)

 ・・・っと。

 うん、意外と情報が集まって来たね!」

 

「でも、被害者がドリーさんだとしたら、なんでタエさんの小屋の中にいたんだろう?

 ・・・というか、タエさんって誰ですか?」

 

「あぁ、タエさんってのは・・・」

 

「・・・チッ!また来やがったか!市役所がぁ!!!」

 

その時、河川敷の入り口の階段あたりから、怒号が聞こえた。

 

一体、何事だ!?

 

 

7:03 河川敷 階段前

 

「『また来やがったか!』とは、何事だ!

 君たちがこの河川敷を不法占拠しているのが悪いのだろう!

 ここは人情公園の一部なのだ。

戸亜留(とある)市民、皆が使う場であって、君らが自由に寝泊りしてよい場所ではないのだ!」

 

「またグダグダと無駄口叩きやがって!

 別に俺たちは、公園の利用者に迷惑かけてるわけじゃねーだろ!

 こんなさびれた河川敷、今時、どこのガキも遊びになんか来やしねーよ!!

 だから、俺たちが使ってるんだろ? 言っとくが、俺たちだって戸亜留市民だぜ?」

 

「無駄口だとぉ? 屁理屈を言っているのはそちらの方ではないか!

 君たちが不法占拠しているから、子供たちは怖がってこの河川敷に近づこうとしないのだ。

 君らがここを立ち退けば、みんなここで遊ぶのだよ。

 ・・・あぁ、昔は、ここで泳いだり、釣りをしたりする人がいるのが日常だったのに・・・」

 

「昔のことなんて知るかよ! 俺らは絶対立ち退かないからな!」

 

河川敷の入り口の階段の方に目をやると、ド派手なシャツを着た長髪のヤクザ風の男と、

 

銀縁眼鏡できっちりセットされた黒髪の男が、対峙して言い争っていた。

 

銀縁眼鏡のほうは、“市役所”と呼ばれていたことから察するに、ここ、戸亜留市の市役所職員だろう。

 

「ふっ・・・まぁ、いいだろう。

 そう意地を張っていられるのも今の内だ。」

 

「はぁ??? どういうことだよ?」

 

「ちょうど昨日の晩、“行政代執行”の許可が下りたのだよ。

 代執行の日時は明後日。

 明後日には、否が応でも、君たちにはここを立ち退いてもらうことになる。

 そのつもりで、覚悟しておくんだな。」

 

そう言うと、市役所職員は、半ば強引に、何かの書面をヤクザ風の男に押し付けて去って行った。

 

「チッ・・・市役所が・・・。」

 

「いやー、モンペ-さん。おはよー・・・そして、お疲れ様!

 こんな早くから来るなんて、市役所はホント何考えてるんだろうね?」

 

「あぁ、ソウさん。おーっす!

 ホント、迷惑なもんだ。おまけに今日はこんなもんまで押し付けて行きやがった。」

 

「なになに・・・ギョーセーダイシッコー???

 なんだか分からんが、またお役所の堅い手続きだろ?

 ・・・んなもんで、俺らが出ていくかって話さ。」

 

「そうだよな!」

 

そう言って、2人は大声で笑いだした。

 

だが、行政代執行となると、そう笑ってもいられない気がするんだけど・・・。

 

「あの・・・楽しそうなところ悪いんですけど、“行政代執行”の意味わかってます?」

 

「なんだよ、検事さん? 深刻そうな顔して。」

 

やっぱり知らなそうだ。

 

「行政代執行っていうのはですね、行政・・・つまり、今回では、市役所が、代わりに執行するってこと

 なので・・・」

 

「なんだ? あの市役所野郎が小便垂れるのか?

 そりゃ、愉快だwww」

 

ヤクザ男がすかさずボケる。

 

「違いますよ!

 代執行っていうのは、あなた達の建てたこの小屋をあなた達が自分で撤去しない限り、市役所が強制的に

 撤去するっていうことです。

 そして、あなたが今手にしているその書面は、代執行の許可証です。

 その許可証がある限り、あなた達は小屋を無理やり撤去されても文句は言えないんです。

 その執行日が明後日ということは、明後日には小屋は全部取り払われ、あなたたちは居場所を失って

 しまうということです。」

 

僕のその言葉を聞いた瞬間、さっきまで笑っていた2人の顔は固まった。

 

そして、すぐに2人の表情は怒りに変わった。

 

「あの野郎ぅ・・・そんなふざけたモン押し付けやがってぇ!!!

 だったら、俺らの居場所を他に用意しろってんだ!!!」

 

「そうだ、そうだ!

 俺も仕事が見つからなくて、どれだけ苦労してるのか、市役所は分からないのさ!

 ・・・って、あんた検事だろ? これ、裁判ものじゃないのか?

 市役所訴えてもいいよな? なぁ、訴えてくれよ!!」

 

いや、僕はそれよりも、目の前の変死体事件を先に起訴しないとなんだけどなぁ・・・。

 

「わ、わかりました。

 それだと多分、民事裁判になるので、あとで友人の弁護士紹介しますね。」

 

これ以上、2人の怒りがヒートアップしてはたまらないと思い、思わずそう言ったが・・・

 

友人の弁護士・・・うん、いるにはいるけど・・・

 

僕と同じで、今年デビューしたばかりだったよな・・・アイツ。

 

「そうか、助かるぜ!」

 

「ありがとよ、検事さん!」

 

予想以上に感謝され、なんか胸が痛い。

 

・・・まぁ、いいや。 とりあえずは変死体事件の捜査のつづきだ。

 

「ところで、そちらの方は・・・?」

 

「あぁ、モンペ-さん?

 ・・・モンペ-さん、この検事さんと刑事さん、タエちゃんの小屋が燃えた事件調べるんだってさ。

 自己紹介くらいしてあげてよ。」

 

「おぅ。 俺は、武市 紋平(むいち もんぺい)(42)だ。

 まぁ、こんな格好してっから、よく誤解されるけど、ヤクザ者じゃねーから安心しな。

 ただ、まっさらないい人間でもねーけどなw

 “ギャンブル依存症”つーかな? パチンコに、競馬、麻雀・・・あらゆる賭け事が好きでよ・・・

 まぁ上手くいくときは大金稼げるんだが、上手くいかねー時の方が多いもんだ。

 稼いだ金を一気に使い果たして、結局借金まみれの生活よw」

 

「なるほど。さっきみたいに門番役してるから、“門兵さん”かと思ったら、

 “紋平”っていうのが名前なんですね。」

 

「ハハッ! 門兵か! 検事さん、なかなか面白れーこと言うじゃねーか!

 確かに、俺の小屋は、階段の真ん前のこの小屋だし、さっきの市役所みたいな邪魔者を

 監視して追い出すことはしてるわなぁ。」

 

そう言いながら、モンペ-さんは、僕の背中をバシバシ叩いてきた。

 

痛い・・・。

 

「・・・で、何だっけ? タエミの小屋が燃えた件だっけ?」

 

「え? タエミ?」

 

「あぁ、そこの燃えた小屋の主の名前だ。

 又原 妙美(またはら たえみ)(36)。

 他の連中は、“タエちゃん”とか“タエさん”とか呼んでるが、アイツはそんなタマじゃねえよ笑

 なにせ、やるだけやられて、男に逃げられたってのに、自分ひとりで産んで育てるとか言って、

 ここへ駆け込んで来たんだ。肝がすわってらぁ。

 なのに、その後・・・」

 

「ちょ、ちょいちょい、モンペ-さんストップ!!

 その辺の事情はあんまり言うなって、いつもタエちゃんに言われれるじゃないのさ。」

 

「おぉ、わりぃな。つい口が滑りそうになっちまった。

 ・・・ところで、ソウさんよ。死体の正体は分かったのかよ?

 まさか、タエミじゃないだろうな?」

 

「いや、まだだね。まぁ、見たところ、女性には見えなかったけど・・・

 その辺は、検事さんたちが・・・」

 

たちまち、モンペ-さんの鋭いまなざしが僕とハテナ刑事にそそがれる。

 

「どうなんだ、検事さんよ?」

 

「すいません。これから調べようと思っていたところで・・・」

 

「ん? そうなのか!

 だったら、俺もいく! ほら、さっさと調べようぜ!」

 

「検視官が到着したら結果がわかる」・・・と言葉を続けようと思ったのだが、

 

モンペ-さんは、僕の言葉を聞き終わる前に、タエさんの小屋の方へ駆けて行ってしまった。

 

振り返ると、ソウさんが苦笑いをしていた。

 

 

7:19 又原妙美の小屋前

 

「おい! 検事さん、どういうことだよっ!」

 

モンペ-さんに追いつくと、僕は彼からいきなり怒鳴られた。

 

コワモテ・・・を明らかに超えたモンペ-さんに怒鳴られると、

 

何の理由がなくても謝りたくなってしまう。

 

「死体がねーじゃねぇか!」

 

言われて初めて気づいたが、なんと、先ほどまで小屋から半分はみ出していた遺体が、

 

影も形もなくなっていた。

 

・・・まさかっ!?

 

次の瞬間、僕の脳裏には最悪の事態が思い浮かんだ。

 

真犯人が証拠隠滅のために、遺体をどこかへ移動させたのか!?

 

僕らがここを離れたのは、せいぜい15分くらいだぞ。

 

しかも、そんなに距離が離れていたわけではなかった。

 

なのに、一体どうやって・・・

 

・・・が、僕の不安は、小屋の裏からぬっと現れた顔で打ち消された。

 

「あっ! 道比木さん! やっぱり来てたんですね!」

 

「君は・・・レイちゃん!

 ・・・ということは、もしや?」

 

「そう。今回も私が、この事件の特別検視官に任命されたんです。」

 

そう言って、彼女は、自慢げに一通の書面を見せた。

 

今回の事件の検視を、目の前の少女、七篠レイに任せる・・・という内容で、警察局長の印が押されている。

 

「まさか、僕の法廷デビューから3回連続で君と会うなんて・・・」

 

「これはもう運命ですね♡・・・なんちゃって笑」

 

満面の笑みでそんなことを言われると、冗談でも照れる。

 

「・・・ところで、七篠さん。遺体はどこだい?

 ここのお兄さんが『死体がない!』ってカンカンなんだけど・・・。」

 

「あぁ、ハテナ刑事。すいません。

 小屋の中だと見づらかったので、こっちの裏に移動させました。」

 

小屋の裏に回ると、さっきと同じ仰向けの体勢で、遺体が横たわっていた。

 

「なんだ、あるじゃねぇか。

 検事さん、怒鳴っちまって悪かったな。」

 

モンペ-さんは素直に謝った。 意外と根はいい人なのかな?

 

「・・・で、お嬢ちゃんよ。この死体は、一体誰なんだ?」

 

「うーん・・・誰かと言われると、正直、それを判断するのが一番難しいですよね。

 私もさっき初めてこの遺体を見て驚きましたけど、顔が完全に焼けただれちゃってるから・・・

 確実に言えることと言ったら、性別は男性ってことくらいですかね。」

 

「なんだよ。それじゃあ、ソウさんの推測と大して変わらねえじゃねぇかよ。」

 

また、モンペ-さんがいらだち始めそうになる。

 

「まぁ、とりあえず、女じゃねぇってことは、タエミの可能性はないわけだな。」

 

「それは確かですね。」

 

なるほど。 やはり、小屋の主であるタエさんは関係ないのか?

 

「七篠さん、何か他に、被害者を特定するための手がかりはないのかな?

 例えば、年齢とか・・・」

 

「年齢・・・ですか。

 体格的に、子供ということはあり得ないですけど、それ以外の判断はやっぱり顔がこう焼けただれていると、

 すぐには判断できないですね。

 例えば、筋肉ムキムキなおじいちゃんもいれば、虚弱体質な小柄のお兄さんもいるし・・・

 今のところは、成人男性ということしか・・・」

 

「んー、そうか。」

 

「もしかして、ハテナ刑事・・・さっきソウさんがいってた、ドリーくんと年齢が合うか確かめようとしたの?」

 

「あぁ、そうだね。

 彼は、28歳ってことだったから、ここでせめて20~30代とか言ってくれたらありがたかったんだけど、

 まぁ、そううまくはいかないね。」

 

「すみません。私が未熟なばかりに・・・。

 ・・・あっ、でも、今すぐには無理なだけで、時間をかければできるかもしれません。

 見たところ、歯はちゃんと残ってるし、DNA検査もすれば、特定は不可能じゃありません。」

 

「あ、そうなのかい?」

 

「えぇ、これでも一応、警察局長・・・ハテナ刑事のお父さんの許可をもらってるんですから、

 結果は出しますよ!(時間はかかるけど)

 死因も含めて判明したら、報告書にまとめてお渡しするので、また後で呼びに行きますね!」

 

「それなら、遺体については、七篠さんに任せよう。

 ・・・じゃあ、僕らは僕らで別の捜査を進めよう。

 モンペ-さん、あなたのお話も詳しく聞きたいので、とりあえず、あなたの小屋へ戻りましょうか。」

 

「お、おう。」

 

 

7:30 武市紋平の小屋

 

小屋の前まで戻ってくると、まだあの男がいた。

 

「あれ? ソウさん、まだいたんですか?」

 

「いや、その・・・よくよく考えたら、今日ハローワーク休みで、仕事探しできないのさ。

 だったら、事件も起きたわけだし、検事さんたちに協力しようかな・・・と思って。」

 

今日は、平日だし、ハローワークは普通にやってると思うけどな。

 

まぁ、捜査に協力してくれるのはとてもありがたいが。

 

「ソウさんもいるならちょうどいい。

 ソウさんとモンペ-さん、お二人ともに色々と確認したいことがあるので、この中でやりましょう。」

 

そう言って、ハテナ刑事は2人をモンペ-さんの小屋の中へ促す。

 

これ、普段は、モンペ-さんが1人で使ってる小屋なのに、大の大人が4人も入って大丈夫か?

 

案の定、小屋の中は身動きが取れないほど狭かった。

 

だが、そんなことはお構いなしに刑事は話を始める。

 

「さて、遺体については今、検視が行われているのでおいておくとして・・・

 お二人には、この河川敷のことについてお聞きしたいのですが・・・」

 

「河川敷のこと?」

 

「えぇ、見たところ、この河川敷には今、この小屋も含めて8つの小屋が建てられていますね。」

 

空気の入れ替えがてら、段ボール小屋の壁にくりぬかれた窓部分から外を見渡すと、

 

確かにこの小屋を含めて8つの小屋が建っていた。

 

河川敷の入り口の階段から五九十川までを結んだ線を中心として、

 

川に向かって、左側にこの小屋も含めて5つ、右側に3つだ。

 

「今、この河川敷で生活されているのは、この小屋の数と同じ・・・

 つまり、8名ということで合っていますか?」

 

「あぁ、そうだな。

 時々、野宿している奴もいるが、常にいるのは、俺らも含めて8人だ。」

 

「8人というと・・・

 ソウさん(佐賀宗輔さん)、モンペ-さん(武市紋平さん)・・・

 燃えた小屋の主のタエさん(又原妙美さん)

 その隣の小屋のショータさん(古美将太さん)

 被害者候補のドリーさん(金崎ドリーさん)

 ・・・あと3人は・・・?」

 

「後の3人は、タローさんと、トリベエさんと、テルさんだな。」

 

「タロー、トリベエ、テル・・・っと。

 ・・・本名と年齢、それから、ここにいる事情なんかも知ってる範囲で教えてもらってもいいですかね?」

 

「タローさんの本名は、伊江出 司太郎(いえで したろう)(52)。

 確か、リストラされたかなんかで、奥さんと離婚しちゃって、仕事も居場所もなくなってここへ来たようなこと を言ってたな。

 トリベエさんはそのままだけど、須里 鳥兵衛(すり とりべえ)(65)。

 最近はしてないみたいだけどね、スリの常習犯らしくって・・・。

 盗み癖が抜けなくて、何度も刑務所を出たり入ったり繰り返していたらしいよ。

 最後にテルさんは、永石 照夫(ながいし てるお)(75)。

 この人は、なぜここに居るのか、正直誰も知らないんだよなぁ・・・。

 おれとタローさんがちょうど同じころに、結構早い時期からここで生活し始めたんだけど、

 その時にはテルさんはもう住み慣れてる感じだったし、ここの一番の長老だね。

 まぁ、実際、最年長だし、本人が話さない限り、誰も聞き出せないのさ。」

 

「なるほど。ソウさん、ありがとうございます。

 ・・・で、その3人と・・・あと、タエさん、ドリーさんは、まだ見かけてないですけど、今はどちらに?」」

 

「それは、モンペ-さんのほうが知ってるんじゃないかな?

 彼のこの小屋は見てのとおり、河川敷の真ん前だからさ。

 割とみんな、出掛ける時とかモンペ-さんに声かけていくよね?」

 

「あぁ、そうだな。

 今、何してるかはわからねぇが、確か・・・

 タエミはいつもの仕事だろ・・・スナックの・・・。

 そんでもって、ドリーは、夜間の工事のバイトだ。

 それぞれ、昨日の夜9時ころに俺に声かけて出てったなぁ。

 あと、トリベエのじいさんは、おれに声はかけなかったが、夜の7時くらいに出てったなぁ。

 最近は夜の散歩だとかいって、しょっちゅう出ていくんだよな。

 タローさんは・・・あっ!そうそう。

 今日こそ、妻とよりを戻すとか言って意気込んで、大荷物抱えて、昨日の夕方頃出てったから、元の家にでも  行ったんじゃねぇのか?

 テルさんは、謎だ。そもそもここ1週間くらい、この河川敷で見てねぇな。」

 

「そのうち帰ってきた人は、いないんですか?」

 

「おれも四六時中、監視員みたいなことやってるわけじゃねぇからな。

 少なくとも、おれが昨日寝た12時の段階、今日、この事件の騒ぎでソウさんに起こされた時点では誰も帰ってき てなかった。

 今いるのは、おれとソウさんとショータだけだ。」

 

「なるほど。・・・となると、女性のタエさんは別として、

 他の4人は皆、被害者の可能性がありますね。」

 

「あれ、そうなのかい?

 ほら、さっき言ったけど、死体が着ていた服、あれはドリーくんの作業着さ。

 だから、ドリーくんが被害者なんじゃあ・・・」

 

「えぇ、その可能性が一番高いです。

 でも、他の4人も帰ってきていない以上、ただ帰ってきていないだけなのか、

 それとも帰ってきたところを殺されたのか、判別ができません。」

 

「確かに。ドリーくんやタエちゃんは夜の仕事だから、

 まぁ、朝になってから帰ってくることもたまにあったけど・・・

 トリベエさんは今まで朝には帰ってきて寝てたよな。

 タローさんだって、今までも、復縁に試みたことはあったけど、すぐに失敗して戻ってきてたし・・・

 テルさんに至っては、1週間も見てないし・・・みんな怪しい!!」

 

「何か彼らが恨まれる原因とかはなかったですかね?」

 

「恨まれるねぇ・・・そんなこといったら、みんな誰かしらから恨まれてんじゃねーの?

 タローさんは、離婚した嫁さんに恨まれて、帰ったところで殺されたかもしれねーし、

 ドリーは、そもそも日本人と上手く付き合えてなかったから、

 工事現場でのトラブルから・・・ってのはあり得る。

 トリベエのじいさんも今までに色んなモン盗んできたんだ。

 散歩の途中で、スリの被害者とばったり・・・なんてこともあるんじゃねーのか?

 テルさんは知らねーけどさ笑

 かく言うおれも、一度、傷害事件起こしちまって牢屋にぶち込まれてる。

 その時の被害者にはいまだに恨まれてるかもな。

 まぁ、ここに居るのはそんな問題者ばっかだ。誰にも恨まれない方がおかしいぜ。」

 

な、なるほど。

 

さっきから、僕は刑事とソウさん、モンペ-さんのやり取りを聞いているだけだが、

 

誰もが被害者としての要件を備えていて、聞けば聞くほど、わからなくなってきた。

 

やはり、残りの4人のうち誰かが帰ってこないことには、結論は出せないのだろうか。

 

そして、最後にとうとう帰ってこなかった者が被害者?

 

でも、それでは日が暮れてしまうかもしれない。

 

一体どうすれば?

 

「・・・が、犯人なら、わかる気がするぜ。」

 

「えっ?」

 

モンペ-さんのこの言葉には、思わず、僕と刑事の声が重なった。

 

「被害者が誰かはわからねぇが、犯人が誰かは分かるといったんだ。」

 

「被害者がわからないのに、犯人は分かるって・・・

 それじゃあ、動機は・・・?」

 

「殺されたのが誰でも、共通の動機を持つ奴がいるんだよ。

 

「それは一体?」

 

「・・・市役所だ。

 さっきも来ただろ? 眼鏡のスーツ男。あいつだよ。」

 

「あぁ、あの人! 名前は確か・・・」

 

先ほどの行政代執行の許可証に氏名が記載されていたのを思い出そうとするが、

 

なんだか変わった名字だったことしか思い出せない。

 

鮫谷 源(さめたに げん)(39)だ。

 地域活性課とかいう部署の人間らしくてな、この街を緑豊かで明るい街に・・・

 とか、口先ではきれいごと並べたてながら、俺らみたいな弱者は、その目標にそぐわないってんで

 排除しようとしていやがんるだ!

 昨日も今日も朝っぱらから来やがってよ!!」

 

「ちょいちょい、モンペ-さん! 

 市役所、またいつ来るかわかんないんだから、悪口はそのへんで止めときな。」

 

「お、おう、すまねぇ。

 ・・・まぁ、あいつは、俺ら個人ではなく、“ホームレス”全般を嫌ってるんだ。

 誰が被害者だろうと動機は成り立つ。

 おれらがいつまでも立ち退かねぇから、実力行使にでたってのも、案外外れてねぇんじゃないのか?」

 

「でも、さっき、その鮫谷さんは、『昨日の夜、代執行の許可が下りた』って言ってましたよね?

 事件が起きたのは、少なくともモンペ-さんが就寝した12時以降のはずだから・・・

 代執行の許可が下りていた以上、彼には犯行の動機は成立しないように思えるんですが・・・」

 

「なるほど。確かにそりゃそうだね。

 ・・・らしいけど、モンペ-さん?」

 

「・・・ッ! ・・・んなこと知らねーよ!

 とにかく、犯人にしろ、犯人じゃないにしろ、アイツが嫌味な奴なことは変わらねえ!」

 

・・・なんか、論点がずれちゃってるケド・・・。

 

「まぁ、ここの住人の人達と関わり合いがあったっていう点では、一度話を聞く必要はあるかもね。

 七篠さんの検視結果はまだ時間がかかりそうだし、一度市役所に行ってみようか、検事?」

 

「そうだね。・・・お二人とも、お話ありがとうございました。」

 

僕と刑事は、2人に別れを告げ、一度、市役所へ向かうことにした。

 

 

8:02 義門府刑事のパトカー内

 

ちょうど通勤ラッシュに重なったためか、市役所に続く幹線道路は混雑していた。

 

綺麗に折り目のついたスーツに、磨き上げられた革靴の集団が、前から後ろから、

 

僕らのパトカーの横を通過していく。

 

今日のスケジュールを確認しているのか、手帳片手に通り過ぎてい黒色のスーツの男性。

 

大事な取引かプレゼンでもあるのか、憂鬱そうな表情でうつむき加減の紺色のスーツの若者。

 

遅刻しそうなのか、全速力で駆け抜けていく黄色のスーツの若い女性。

 

しきりにペコペコと頭を下げながら電話に向かって話しているグレーのスーツの中年の男性は、

朝から何か上司に怒られてしまったのだろうか?

 

皆、自分のことで頭がいっぱいのようで、渋滞で停まっているパトカーになど見向きもしない。

 

しかし、それが希望に満ちたものであれ、不安に満ちたものであれ、今日一日、自分が成すべきこと、

 

成すことを誰かから期待されていることがあるというのは、それだけで幸せなことではないだろうか?

 

先ほどの河川敷の光景を目の当たりにし、僕はそんなことを窓越しに感じていた。

 

「・・・ねぇ、道比木検事!

 ここで僕がパトカーのサイレン鳴らしたら、みんな道を空けてくれるかな?」

 

・・・が、刑事のその一言で、僕の感傷的な雰囲気は台無しになった。

 

「・・・な、何を言ってるんだよ!

 事件現場に向かうわけでもないのに、そんなことしたら、大迷惑だよ!

 ・・・いや、大迷惑というか、交通妨害罪か何かで、僕が君を起訴することになるよ!」

 

「ちぇ! こういう時こそ、警察権力の使い時だと思ったんだけどなぁ・・・。」

 

普段は、頭脳明晰で行動力にも長ける優秀な刑事だからこそ、

 

時々こんな常識はずれなことをいう彼がよくわからない。

 

だからこそ、“ハテナ刑事”なんだろうけど・・・。

 

「まぁ、いいや。じゃあ、代わりにラジオを鳴らすとするよ。

 ちょうど、あの番組も始まる頃だし・・・」

 

刑事がツマミをひねると、軽快な音楽と共にタイトルコールらしきものが流れ始めた。

 

『WAO!ハピネスもーにーっぐ~♪

 皆さんおはようございます!

 さぁ、始まりました。WAO!ハピネスもーにんぐ!

 毎週曜日ごとにDJを日替わりでお送りしているこの番組・・・

 本日月曜日のお相手は、アイドルグループ“second generation”のセンター、

 “おやのん”こと、七光 御弥乃(ななひかり おやの)です!

 どうぞよろしく!

 いよいよ、8月に入り、暑さも厳しくなってきましたね。

 皆さん、水分補給など、こまめに取ること、大事ですよ!

 ・・・さて、さっそく今日のメッセージテーマですが・・・』

 

どうやら、テーマに沿って、リスナーから寄せられた話題を紹介するという、

 

よくあるラジオ番組らしい。

 

リスナーを目覚めさせようという意図なのか、可愛らしい女性の明るい声が続く。

 

「へぇ。ハテナ刑事がラジオ好きだとは知らなかったなぁ・・・

 でも、これまでも何度かパトカーで一緒に移動したことはあったけど、

 ラジオなんて一度もかけたことなかったじゃないか。」

 

「そりゃ、曜日が違ったからだよ。」

 

「えっ? 曜日??」

 

「この番組“WAO!ハピネスもーにんぐ”は、月から金の8:05~10:00に放送されるんだけどね、

 曜日ごとに毎日担当DJが違うのさ。

 僕は、月曜担当の“おやのん”のファンだから、聴くのは月曜だけなんだ。

 正直、番組内容とかはどうでもよくて、朝から“おやのん”の声が聴けるってのがシアワセなんだよ!」

 

「そ、そうなんだ・・・。」

 

興奮気味のハテナ刑事に、僕は少し引いてしまった。

 

・・・というか、刑事がアイドルのファンとは意外だった。

 

もしや、隠れオタク!?

 

「・・・でも、その・・・あやのん??だっけ・・・」

 

「ちがーーーーう!!!

 お・や・の・ん・っ!!!七光 御弥乃(ななひかり おやの)

 道比木検事、まさか知らないの!?」

 

「うん。残念ながら・・・」

 

「くぅぅぅ・・・それ、人生の70%損してるよ!」

 

そこまでか? せめて、人生の半分くらいにしてよ。

 

「おやのんを知らない同世代がいたとは、信じられない!!

 センターの、おやのんこと七光 御弥乃(ななひかり おやの)

 ボケの、ラッキーこと新木 麗奈(あらき れいな)

 ツッコミの、デーモンこと蒼出 萌音(そうで もね)

 この3人から成るアイドルグループ“second generation”!!!

 今、テレビに雑誌に・・・そしてラジオに引っ張りだこの大人気グループだよ?」

 

いや、『大人気グループだよ?』と迫られても、知らないものは知らない。

 

・・・というか、ボケとツッコミ??

 

愛称が、ラッキー・・・は、いいとして、デーモン???

 

本当にアイドルグループなのか?

 

「あっ、今、本当にアイドルグループなのかって疑ったでしょ!」

 

「うっ・・・」

 

「確かに、seconnd generationは一見アイドルグループに見えない。

 ラッキーとデーモンはその恵まれたコメディセンスで漫才やコントをするらしいし、

 おやのんは、演技力を買われてドラマや舞台に多数出演してるからね。

 でも、あくまで彼女らのメインの武器は、その容姿の可憐さと歌唱力とダンス!

 アイドル業の他に才能を持った、まさに、seconnd generation(第2世代)のアイドルなのさ!」

 

「ふーん・・・」

 

今、オーディオから聞こえるこの声の主にそんな才能があるなんてねぇ・・・

 

『・・・Tw○tterの方は、#ワオモニ・・・#ワオモニでメッセージをお送りください!

 リスナーの皆さんのメッセージ、お待ちしておりまーす!』

 

僕も何度か聞いたことのある、ラジオならではの進行口調からは、彼女の特色は分かりそうもなかった。

 

「あー!検事と話してて、今日のメッセージテーマ聞き逃しちゃったじゃないか!

 メッセージをおやのんに読んでコメントしてもらうのが、毎週の楽しみなのに・・・」

 

『・・・それでは、最初の曲に参りましょう!

 1曲目は、目覚めにぴったりのロックなこのナンバー・・・

 ガリュウェーブで“love love guilty”・・・どうぞ!』

 

悔しそうなハテナ刑事の表情と、オーディオから流れ始めたロックミュージックに包まれながら、

 

気づくとパトカーは既に渋滞から抜けていた。

 

市役所はもうすぐだ。

 

まぁ、いい暇つぶしにはなったかな。

 

 

8:35 戸亜留市役所 地域活性課

 

窓口でしばらく待たされた後、中から不機嫌そうな銀縁眼鏡の男が現れた。

 

今朝、ホームレスたちのいる河川敷に現れた男・・・鮫谷 源だ。

 

「はいはい。地域活性課の鮫谷です。

 しかし、こんな早い時間になんです?

 開庁時間は9:00からなんですけどねぇ。」

 

「無理を言ってしまって申し訳ありません。

 私、こういう者でして・・・」

 

すかさず、ハテナ刑事が警察手帳を見せる。

 

「・・・ん?

あぁ! 刑事さんか!

 もしかして、例のホームレスの件で一足先に動いてくれていたとか?

 それだったら、時間外でも大いに結構・・・」

 

急に鮫谷さんの顔に笑みが浮かぶ。

 

「いえ、その件は伺っていますが・・・というか、先ほどあなたが河川敷に来られた際に、

 我々もその場に居合わせたのですが・・・今回訪れたのはその件ではなくてですね。」

 

「!!・・・あぁ、あのとき、ホームレスの傍にいたのはあなた達でしたか!

 そういえば、その目立つ緑色のスーツは記憶に残っていますね。」

 

緑色のスーツとは、僕が今着ているこのスーツのことだろう。

 

正確にはエメラルドグリーンで、若々しく明るい、爽やかな検事を目指そうと思い選んだものだが、

そんなに目立つかな?

 

「しかし、ホームレスの代執行の件でないとしたら、何の件でお越しに?

 私が今扱っているのはその案件だけですが?

 この戸亜留市を住みよい街にするためには、ホームレスの根絶は絶対条件!

 そう思い、他の案件は部下に任せ、私が全権を担い動いているんですよ。」

 

「まぁ、その代執行の件には関係ないかもしれませんが、

 実は、その代執行先である河川敷で変死体が発見されましてね。」

 

「!?・・・なんですと!

 殺人ですか? ・・・くぅ、だから、ホームレスは放置しておいてロクなことはないんだ!」

 

「いえ、まだ殺人と決まったわけでは・・・。

 ただ、現場に住居を構えるホームレスの方の数人に伺ったところ、あなたの名前が挙がったので、

 参考までにお話を伺おうと参った次第でして・・・。」

 

「ふん。どうせアイツでしょう? ムイチとかいう、ヤクザ風の男!

 私がホームレスに立ち退いてもらえないから、しびれを切らして殺した・・・

 おおかたそんな事をあの男が言ったんでしょう?」

 

まさにその通りなので、僕も刑事も少し驚いた。

 

「どうやら、図星らしいですね。

 確かに私は、あのホームレス共を根絶したいと心の底から思っていましたよ。

 だが、そのために奴らを殺すような愚かな真似はしませんよ。

 奴らが私をどう見ているのかは知らないが、私は市役所職員だ。

 正当な手続きを踏んで、奴らを根絶させようとしている。

 刑事さんたちもあの場にいたなら見たでしょう?

 私は、上のハンコをもらった許可証を持って、明後日までの猶予を告知した上で、

 代執行する旨を告げました。

 何ら違法なことはしていない。」

 

確かに、それは僕らが実際目撃した以上間違いない。

 

「そして、奴らに代執行の許可証を渡した以上、奴らが自ら立ち退くか、明後日まで粘るか・・・

 どちらにせよ、明後日には代執行が行使され、あの河川敷からはホームレス共は退去させられる。

 許可証が発行された時点で、私の目的はほぼ達成されています。

 私にホームレスを殺害する動機はないと思いますがね。」

 

「しかし、こんなことをいうのは失礼ですが、

 許可証の発行された時刻によっては、あなたが事件発生時にまだ動機を持ち得た可能性もないとはいいきれないのですが・・・」

 

「ほう。つまり、しびれを切らして私がホームレスを殺害した後に許可証が発行されたと?

 ・・・では、逆に聞きますが、今回の事件、被害者はいつ亡くなったのですか?」

 

「解剖記録がまだ作成中ですので、詳しい死亡推定時刻は特定されていませんが、

 昨夜ずっと河川敷に居た武市さんによれば、彼が就寝した午前0時前には何も起こらなかったと。」

 

「なるほど。

 あのヤクザ男の証言に頼るのは、やや不愉快だが、彼の証言によれば、

 少なくとも被害者が亡くなったのは、午前0時より後になるわけですね。

 ならば、問題はない!

 代執行の許可証が発行されたのは、確実に昨日です。

 許可証には、発行の日付も記載されていますからね。

 ・・・原本がありますから、今見せますよ。」

 

そう言うと、鮫谷さんは一度自分のデスクの方へ行き、書面を手に戻って来た。

 

どうやら、これが代執行の許可証の原本らしい。

 

見せてもらったところ、確かに、昨日の日付の8月3日と記載された上、

 

いかにもお役所といった雰囲気の職印が押されていた。

 

「確かに、この許可証は昨日発行されたもので間違いなさそうですね。

 ・・・ということは、やはり、鮫谷さんには殺害の動機はなしか・・・。」

 

独り言をつぶやきながら、刑事がメモをする。

 

次の質問までに時間がかかりそうなので、今度は僕が質問をする。

 

「ところで、鮫谷さんは、この市役所ではずっとホームレス根絶の業務を行われているのですか?」

 

「・・・勘違いしてほしくないのですが、私の業務は別にホームレスを根絶することではないのです!」

 

「えっ?」

 

「さきほど、地域活性課の鮫谷と申しましたが、

 正式には、地域活性課美緑(みりょく)あるまち推進係、係長の鮫谷です。

 つまり、私の本来の業務は、緑にあふれた美しい魅力ある街を作り上げるために

 様々な企画を立案、実行することなのです!

 断じて、ホームレスの根絶などという次元の低い仕事ではない!

 ・・・だが、しかし!

 いくら素晴らしい美化政策や緑化運動を企画・実行したところで、

 その効果を打ち消すものが存在すると、私の・・・美緑あるまち推進係の目標は達せられない。」

 

「その存在が、ホームレスだったというわけですか?」

 

「えぇ、そうです。

 不法投棄や空き家の放置など、他にもいくつか問題は存在していましたが、

 最後まで解決されなかったのが、あの公園の河川敷のホームレス連中ですよ。

 公園は私たちの政策の柱!

 市内にある主要な公園を美しく保ち、様々な植物で緑を増やすことによって、

 まずは憩いの場から魅力ある街を感じてもらいたいと考えているのです。

 なのに、ホームレスがいたんじゃあ、いくら美化したって人が寄り付かない。」

 

「なるほど。

 それで止む無く、まずはホームレスの根絶・・・ということになったわけですか。」

 

「まぁ、そういうことです。

 しかし、これは本来の業務ではないので、私がひとりで動いているのですよ。

 その代わり、他の企画の立案、実行では、部下たちに頑張ってもらっていますがね。」

 

「ちなみに、ホームレスの根絶にはいつごろから奮闘されているんですか?」

 

「うーん・・・そうですね。

 ホームレスの問題が気になり始めたのは、私が係長に就任してからだから・・・3年前くらいかな。

 最初の頃は、企画の立案と同時並行で処理してて、それでいくらか解決したんだが、

 どうにもあの河川敷のホームレス連中だけは一向に立ち退かなくてね。

 だから、他の業務を部下に任せて、私があそこのホームレスたちの立ち退きに奮闘している

 時期だけでいえば、ここ1年くらいですかね。

 ・・・まぁ、色々あったが、こうやってここに代執行の許可が下りたわけだから、

 これでやっと一段落ですよ。」

 

そういうと、鮫谷さんははじめて、柔らかい表情を見せた。

 

ホームレスの問題に区切りがついたことが、さぞ嬉しいのだろう。

 

まぁ、彼から聞き出せる情報は、とりあえずこんなところかな。

 

「刑事、他にまだ確認することはあるかな?」

 

「いや、とりあえず大丈夫だよ。

 ・・・鮫谷さん、早朝のお忙しい時間帯にありがとうございました。」

 

そう言って、僕たちは市役所をあとにした。

 

 

9:05 河川敷 川岸

 

河川敷に戻ってくると見知らぬ男がいた。

 

白いシャツに短パン姿で、麦わら帽子をかぶった眼鏡の男だ。

 

「もしかして、さっきソウさんたちが言ってた、まだ帰ってきてなかった住人の誰かかな?」

 

「そうかもしれない。とりあえず声をかけてみよう。」

 

近づいてみると、男は川に向かって釣り糸を垂らしているのがわかった。

 

「すいません。僕たち警察なのですが、少しお話聞かせてもらってもいいですか?」

 

ハテナ刑事が男に声をかける。

 

「え・・・えぇ。いいですけど・・・何でしょう??」

 

いきなり声をかけられ、多少戸惑っている様子は見えたが、その声は穏やかだった。

 

30代くらいだろうか?

 

「今朝、この河川敷で変死体が発見されて、今、捜査を行っているんですが、

 少しでも情報を集めようとここの住人の方にお話を伺っているんです。」

 

「・・・へ、変死体!?」

 

「その反応・・・もしや、知らなかったですか?」

 

「え、えぇ。

 今朝は4:00頃に起きて、近くの釣りスポットを転々として、ついさっき、ここへ戻ってきた感じですから・・・」

 

「なるほど。

 一応、名前を伺ってもいいですか?」

 

「はい。スズキです。」

 

「鈴木さんですね。」

 

ハテナ刑事が手帳にメモしながら復唱する。

 

「あっ! 違います!」

 

「えっ??」

 

「その・・・漢字が違います。

 “鈴木”じゃなくて、“須々木”です。

 僕、須々木 誠(すずき まこと)(35)といいます。」

 

「へぇ・・・面白い字を書くんですね。」

 

「まぁ、そうですかね。

 過去には、妹がこの名字のせいで面倒ごとに巻き込まれたとか、逆に助かったとか・・・。」

 

スズキマコト・・・漢字の件はいいとして、ソウさんたちから聞いた住人の名前には出てこなかった人だな。

 

「須々木さんは、ここの住人ではないんですか?」

 

「うーん。住人っていうのは、ホームレスって意味ですか?

 その意味では、僕は住人ではないですね。

 今日みたいに、たまにここにテント貼って寝させてもらうことはあるけど。」

 

見ると、脇にきれいにたたまれたテントが置かれていた。

 

きっとこれのことだろう。

 

「じゃあ、あまりここの方々とは面識はないんですか?」

 

「そうですね。

 最近、この川岸でよく釣れるって聞いて・・・

 川岸のこの場所は誰も使ってないみたいだったんで、早朝に釣りがしたいときとか、

 その前の晩に勝手にテントを張って、過ごさせてもらってただけで・・・。」

 

「釣りがご趣味なんですか?」

 

「えぇ。趣味が転じて、釣具店を開いているくらいですから!

 ・・・先月なんて、大きな鮭と鱒が釣れて、あれは嬉しかったなぁ!!

 結構、抵抗したのを何とか捕まえたもんだから、感動はひとしおでしたよ!」

 

なんだろう。この発言を意味深に感じるのは・・・。

 

「・・・でも、今日は全然釣れないなぁ。

 こんなにいい天気なのに、ついてないなぁ・・・。」

 

そういうと、男は釣り道具を片付け始めた。

 

「あ、ごめんなさい。僕、そろそろ行きますね。

 別のスポットに変えてみます。

 事件のことは、協力できなくてすいません。」

 

「あ、いえいえ。」

 

男が去っていく様子を眺めながら、

 

「こんな時間に、こんな事件現場で釣りとは、呑気な人もいるもんだねぇ。」

 

と、羨ましさと呆れた様子を含んだ表情でハテナ刑事が言った。

 

「ま、まあ、ここ公園だし、事件の起きた小屋からは離れてるし、別にいいんじゃないかな。」

 

「そうだけどさ。ここ魚なんて釣れるのかな?あの人、単に暇つぶししてただけじゃないの?

 まったく、捜査してる側からしたら、無関係な人はいい迷惑なんだよね。」

 

どうやら、ハテナ刑事は、今の須々木という男が関係者として名前が挙がった人物でなかったことで不機嫌なようだ。

 

ハテナ刑事は、時々こういう幼稚な面が垣間見えるから困る。

 

「そうだぜ。ここの川で魚なんか釣れねーよ。」

 

突然後ろから声がして振り向くと、モンペ-さんがいた。

 

「あっちで見てたけど、お前らさっきまで須々木とかいう男と話してただろ?

 あいつ、ここ一週間毎日のように、この川岸で釣り糸垂らしてるけどよ・・・

 ここで魚釣ったところなんか見たことない。というか、ここで釣りしてる奴もあいつ以外見たことねーよ。」

 

「でも、彼はここが有名な釣りスポットだって言ってましたよ。」

 

「ふっ!そんなの嘘だよ。

 あいつはなんか別の目的があってここへ来てるんだ。

 そういや、スズキマコトって名前もどっかで聞き覚えがあるんだよなぁ・・・。」

 

須々木さんは釣りに来てるわけじゃない?

 

じゃあ、何のためにわざわざこのホームレスたちの居住地へ来てるんだ?

 

もう、問題を増やさないでほしいな、モンペ-さん!

 

「あ!それより、市役所はどうだったんだ?

 行ってきたんだろ?」

 

「えぇ、行ってきました。

 でも、やっぱり鮫谷さんには犯行の動機は見当たりませんでしたよ。

 代執行の手続きはおおかた済んでいるし、ここでわざわざ犯行に及ぶメリットはないというか・・・」

 

「動機??・・・んなもん聞いたってそう言うに決まってんだろ。

 大事なのは、事件が起きたときにあいつが何してたのか・・・いわゆる、アリバイってやつだ。」

 

「おれは知ってるぜ。あいつはあの晩、2時過ぎにここへ来た。

 何しろ、この俺が目撃したんだからな。」

 

「えっ!?でもさっきは、12時には寝たって・・・」

 

「そのあたりは後で詳しく説明してやる。

 それより、死体を調べていたお嬢ちゃん、ある程度結果がわかったみたいだぜ。

 呼んできてくれって言われたから、一応今伝えたぜ。」

 

「あ、ありがとうございます。」

 

モンペ-さんの発言も気になるけど、とりあえずレイちゃんのところへ行ってみるか。

 

 

9:20 又原妙美の小屋前

 

事件現場となった妙美さんの小屋の前に戻ると、レイちゃんが得意げな顔で待ち構えていた。

 

「おっ!道比木さん、来ましたね。」

 

「あぁ。モンペ-さんに、検視の結果がある程度わかったって聞いたからね。

 今回はずいぶん早かったね。」

 

確かレイちゃんが検視を始めたのは7:20頃。

 

まだ2時間くらいしかたっていない。

 

「まぁ、私もこれで2回目ですからね!少しは慣れましたよ。

・・・といっても、まだ中間結果報告って感じですけど・・・。」

 

なんだ、そういうことか。

 

まぁ、彼女はまだ現役大学生。あまり期待しすぎちゃいけないよな。

 

レイちゃんはいくつかの資料を僕とハテナ刑事に渡すと説明を始めた。

 

「とりあえず、この資料に基づいて、確実にわかったことから説明しますね。

 まず、死体の情報です。

 男性、成人の死体で、死亡推定時刻は本日8月4日0:00~2:00の間。

 死因については、小屋の延焼の際に生じた一酸化炭素による中毒死と考えられます。

 顔にひどい火傷がありますが、これは死因とは関係ないと判断しました。

 理由は後で説明しますね。

 死亡推定時刻の判断は、犯人による放火行為が直接、被害者の死に繋がっていることから、小屋の燃え残り具合から延焼していた時間を計算して、放火がされたであろう時間=死亡推定時刻と判定したわけです。

 放火行為が死因に繋がっているわけだから、殺害場所もこの小屋内ということで間違いないでしょう。

ここまでが死体の基本情報ですが、いいですか?」

 

「うん、今のところの情報は把握したよ。」

 

ハテナ刑事が手帳にメモをしながら答える。

 

「でも、やっぱり気になるのは死体の正体・・・つまり被害者が誰かってことだよね。

 やっぱり、被害者はまだ特定できてないの?」

 

うん、被害者の正体。それは僕も最も知りたいところだ。

 

「そうですよね。私もそこを一番重点的に調べてみました。

 でも、やはりまだ特定には至っていません。

 顔の火傷がひどすぎて、顔の特徴を捉えることが全くできないんです。

 さっきは、指紋や歯の形状から特定ができるかも・・・と言いましたが、

 指も顔ほどではないですが、焼けただれてしまって指紋は照合が難航中。

 歯は、歯科への通院歴が見当たらず、照合することができませんでした。」

 

「じゃあ、被害者は特定できずに起訴する可能性も考慮に入れて・・・」

 

「そんなことはしません!!・・いや、させませんよっ!道比木さん!!!」

 

「えっ!どうしたの、レイちゃん!?」

 

急に語気を強めたレイちゃんに、僕は面食らってしまった。

 

「そりゃ、直接特定する材料はないかもしれません。

 でも、被害者の衣服だとか、持ち物だとか、情報を集めていけば間接的に特定することはできるはずです。

 道比木さんのやってる裁判だってそうでしょ?

 殺人犯が直接殺した証拠がなくても、被告人のアリバイだとか、凶器を購入した事実だとか、現場付近の防犯カメラの映像だとか、間接証拠を集めて立証していくんでしょ?

 犯人の特定と被害者の特定と何も変わるところはないですよ。」

 

「・・・そ、そうだね。せっかく調べてくれているのに、変なこと言ってごめんなさい。」

 

レイちゃんの言っていることは最もだ。

 

でも、なぜ急に語気を強めたんだろう。

 

「いえ、私こそ生意気なこと言ってごめんなさい。

 ・・・あ、それにまだもう1つ、手に入れた証拠があるんです。」

 

そういってレイちゃんが取り出したのは、凝った鮫の彫刻がついた印鑑だった。

 

その印影はなんと、「鮫谷」となっていた。

 

「レイちゃん、これは・・・」

 

「おそらく市役所の鮫谷さんの印鑑です。被害者のズボンのポケットから出てきました。

 鮫谷なんて名字珍しいし、市役所の鮫谷さんに違いないですよ!

 これで、被害者と鮫谷さんが何らかの形で接触したことは明らかになりましたね。」

 

やはり、鮫谷さんは、この事件にかかわっている。

 

これで彼が犯人だと決まるわけではないが、その可能性が少し強まった。

 

犯人はその線で捜査を進めるとして、あとは被害者の正体だ。

 

レイちゃんの検視では、特定できていないということだったが、被害者の身につけている衣服が金崎ドリーのものということは、やはり彼が被害者なのだろうか?

 

「えぇーーー!!ちょっとヤダ!!何コレェェ!!!」

 

突然、耳に響く高い声が聞こえた。

 

「ちょっと!どうしてアタシの小屋が焦げてんのよ!!

 やったのアンタ? アンタでしょ! そうなんでしょ!!!」

 

いきなり襟元を掴まれ、喚かれ、僕はわけがわからなかった。

 

僕の襟を掴んでいるのは、細身の体系で、綺麗にカールのかかったショートカットの女性だった。

 

そして、若干酒臭い・・・。

 

「Oh, my god!

 コレ、ボクノ、フクダネ。

 コノヒト、シンジャッテルケド、ナンデ、ボクノ、フクキテルノ?」

 

その後ろからは、肌が浅黒く、体格のいい若者が被害者の死体をまじまじ見つめている。

 

見た目は日本人だが、彼が話す日本語は片言だった。

 

あっ!もしかして・・・

 

「どうやら、今帰ったみたいだな。

 おかえり、タエミ・・・ドリー。」

 

今度は、モンペ-さんが顔を出して、2人にそうあいさつした。

 

やっぱりそうだ。

 

この2人が又原妙美と金崎ドリーだ。

 

「2人は今回の事件の被害者じゃなかったんだな。

 いやぁ、よかった。よかった。」

 

モンペ-さんはそういって笑ったが、僕にとっては全然よくない。

 

どうやら、被害者が誰かという件は、振り出しに戻ってしまったようだ。

 

つづく

 



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